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機関紙るうてる

るうてる2019年2月号

説教

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「この名のほかに救いはない」「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒言行録4章12節)
使徒ペトロは大祭司や議員たちを前にして、「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの(イエスの)名のほか、人間には与えられていないのです。」と大胆に宣言しました。
 この救いとは「罪からの救い」です。世界の歴史と私たちの経験は、人間はどんなに教養があり、高い地位にあっても罪の力と死の力に勝てないことを教えています。世の中に起きている犯罪や問題を見る時、同じ罪の力が私の内に働いていることを認めなければなりません。
 聖書は人間の罪の原因として、神と人間との間にある「破れ」を見ています。人間は自分の創造者である神を認めず、自分が自分の「主」であり、人生の中心でありたいと願い、自分の欲望に従って生きてきました。こうして積み重ねてきた罪のために、本当の神を受け入れることができず、自分の人生から締め出し心の中で神に敵対していたのです。しかし神はご自分に背いたこの世界を見捨てず、救いの御働きを実現されました。
 私は、日本語の「すくい」という言葉は素晴らしい言葉だと思います。私たちが何かを「すくう」という動作を考える時、例えば水の中の魚をすくいあげるとき、網を上から水の中に投げ入れます。そして網の上に魚が来ると舟に引きあげます。その時、水の中の魚には自分で舟に上がる力はありません。同じように、神の救いも人間の世界からではなく、上から、神のもとから来ます。救いの手が神の世界にとどまっていたら救いは実現しません。それは人間の世界にやって来なければなりません。そしてその救いの手は救われるものの下に置かれます。キリストも神の世界から私たちの世界に来られ、すべての人を救うために、十字架という、すべての人の中で一番低いところにご自分を置かれたのです。人間は現実に罪を犯したので、罪の償いと赦しも現実の世界で実現しなければならなかったのです。
 そしてイエスは死の中から復活し、私たちを罪と死の世界から神との交わりの世界に引き上げてくださいました。私たちは相変わらず罪と死の力に支配されているようであっても、それ以上に強いキリストにしっかりと包まれているのです。
 人間が魚と異なり、更に恵みを与えられているのは、イエスにおいて示された神の愛の働きを信仰を通して受け入れることができるということです。神と敵対しているこの世の力に留まる生き方ではなく、キリストに信頼して生きるという愛による救いの招きに根差す生き方へと喜びと感謝をもって一歩を踏み出す恵みが人間には与えられています。
 イエスの名を信じるということは、神がイエスという方によって上から私たちの世界に来られ、現実に罪を赦し、復活して、今も信じる者と出会ってくださることを信じ、洗礼によってイエスに結ばれることです。洗礼はイエス・キリストが私にしてくださることとルターが繰り返し語ったことは大きな恵みです。なぜなら「私が信じることができない」時も、洗礼の約束が私の信仰を超えて私を捉えていてくださるからです。洗礼は教会を通して与えられた神さまの恵みの賜物です。
 このようなイエスの救いは決して人間が考え出したものではありません。というのはこの救いは旧約聖書の中で長い間約束され、予告され、実現してきたものだからです。例をあげれば、創世記49章8節では、救い主はイスラエルの12部族の内、ユダ族から生まれることが予告されています。それから1500年の間、何度かイスラエルが他国によって滅ぼされ、ほとんどの部族が消滅する中で、ユダ族だけが救い主の到来まで存続しました。これは神の意思による奇跡でした。
 しかしこの神の救いの奥義は聖書全体の中で影絵のように示され、その実体は隠されてきました。もし具体的にイエスの出来事が記されていたとしたら、数多くの人々が「それが実現した」と吹聴し、人々を惑わすことが十分予想されるからです。そこでこの救いの出来事はそれが実現するまで秘められ、その実体は見えませんでした。しかし救いを実現した方、イエスによってその影の実体が示され、神の救いが開示されたのです。イエスの十字架と復活の出来事という光に照らして旧約聖書を見る時、それはまさしくイエスを証しする書物であることが分かるのです。
 私たちはイエスの救いに対する確信を持ち、ペトロのように、「この名による以外に救いはない」と大胆にイエス・キリスの福音を宣言してゆきたいと思います。

コラム直線通り 久保彩奈

⑪「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。」(創世記18・32)

 聖書の授業中に突然「先生!俺、お祈りしたけど叶わなかったよ。神様はやっぱりいないよ!」と言われました。語気の強い言い方に驚きましたが、ふと、旧約聖書のアブラハムのエピソードを思い出しました。

 その罪のためにソドムの町を滅ぼす決意をした神様に向かい、アブラハムは「あの町に正しい者が五十人いるとしても滅ぼされるのですか」と問うと、神様は五十人の正しい者がいるならば滅ぼさないと答えます。アブラハムは次々にその数字を下げ、ついに正しい者が十人いるなら滅ぼさないという神様の譲歩を引き出します。
 この交渉はソドムにいた甥ロトへのとりなし(その人に代わって祈ること)とも言われていますが、誰かのために求めることの大切さだけでなく、「もう一度だけ言わせてください」としつこいくらいに諦めず、求め続ける姿勢を教えているようにも感じるのです。

 わたしは生徒に「ところでどのくらい祈ったの?」と聞き返すと少し照れながら「けっこう祈ったよ…」と答えました。「けっこうってどれくらいの回数祈ったの?毎日祈ったの?何年祈ったの?」としつこく質問返しをしていると呆れたように「もう俺は祈れないから先生が代わりに祈ってよ!」と言われてしまいました。
 わかった!わたしが代わりに祈るから任せて!と約束を交わしてすでに数年が経ちました。祈りは叶えられたかなぁ。今も毎日しつこく、君のために祈っているよ。

「議長室から」向こう側から届けられるものに耳を澄ませる 総会議長 大柴譲治
善の研究』で知られた哲学者の西田幾多郎(にしだきたろう、1870-1945)と金沢の旧制四高で同級生であった鈴木大拙(すずきだいせつ、1870-1966)。大拙は禅仏教学者として英文で世界に禅仏教を紹介した人物としてもよく知られています。彼はまた「20世紀最大の霊的師父」と目される米国トラピスト会修道士のトマス・マートンとも親交を結んでいました。大拙の高弟のお一人(加藤智見師)から彼の最晩年のエピソードを伺ったことがありました。神学校での教職神学セミナーでのことです。とても印象に残っているのでご紹介したいと思います。
 大拙は夜寝る際に自分の枕元に電気スタンドと紙と鉛筆を用意していたそうです。そして夜寝ていてパッと閃きが与えられると、彼はガバッと床に起き上がってライトを点け、鉛筆を取って紙にサラサラとそれをメモするのだそうです。そしてメモが終わると再び就寝する。そのようなことが夜の間に何度もあって朝になると枕元にメモがたまっている。それがそのまま出版社に回されて本になっていったのだそうです。そして大拙曰く、「私は何もしていない。ただ(無の)向こう側から届くものを書き留めているにすぎない」。驚くべきエピソードだと思いました。説教作成でいつも苦労している私の身としては何とも羨ましい限りです。
 「向こう側から屆けられる声」に耳を澄ませること。それはとても大切なことであると思います。私たちが睡眠から目覚める時、それは私たちの意識が戻る時ですが、それはちょうど向こう側から声が聞こえてくるのと同じ状況です。バッハのカンタータではないのですが、確かに「目覚めよと呼ばわる者の声がする」のですね。 声は言を運ぶ器であり乗り物なのです。「聽く」という旧字体は、王なる者の声を目と耳と心を一つにしてそれを十全に用いて聴き従ってゆくという意味であると以前に申し上げました。睡眠は私たちが脳に蓄えた記憶を整理統合する役割を持つと言われていますが、私たちもまた力を抜いたかたちで五感を開き、向こう側から届けられるものを待ちたいと思います。聖書では夢で神のお告げが伝えられることも少なくないのですから。 もしかすると皆さんの中にも鈴木大拙禅師と似たような体験をお持ちの方もおられるかもしれませんね。

キリストの心を生きる教会 日本福音ルーテル教会社会委員会

①憲法改正論議に思う 小泉 基(社会委員長)

 ヴァイツゼッカーの名言をひくまでもなく、わたしたちは歴史に学ばなければ、よりよい未来をつくり出すことは出来ません。そしてその過去の経験を誰から学ぶのかによって、歴史に対するわたしたちの見方が変わってくるのだと思います。健軍教会ではこの10年ほど、聴き取りプロジェクトという取り組みを続けています。教会におられる信仰の先輩方に、その人生と信仰の来歴について語っていただき、それを聴き手担当者が文章にまとめて教会内でわかちあっていく、という取り組みです。 熊本は多くの移民を送り出してきた県であり、健軍教会のある場所も戦後に引き揚げ者住宅が建ち並んだ地域でした。そういう背景からか、1916~37年生まれの16人の語り手さんのうち、実に9名が移民先で生まれるか、幼い頃に「外地」での生活を経験してこられた方々でした。こうした方々の物語は、まさに戦争によって翻弄されてきた人生の記録です。家族を失い、転居を余儀なくされ、仕事を転々とし、国家戦略のために多くを犠牲にしてきた方々の歴史です。そしてこの方々が、一様に平和への思いを口にされるのです。
 現政権は憲法改正に熱心で、来年にも改正憲法を施行させたいという意向を持っているようです。しかし、政治の役割は、つきつめるなら「国民を飢えさせないことと、戦争に巻き込まないこと」の二つだといわれます。そうであるならば、戦争に翻弄されてきた市井の人たちの声にこそ耳を傾け、この方々の歴史から学ばなければ、と思います。
 軍事基地を強化し、最新鋭の軍備をそろえ、 憲法を改正し、戦争が出来る国になることによって近隣諸国を軍事力で押さえ込もうとする。こうした国家戦略によって、生活が翻弄されることになるのは、わたしたち市民だからです。ですから憲法の改正ではなく、戦争にならないように近隣諸国との友好な関係をつくり出していく。そうした地道な外交努力をこそ、わたしたちの政府に求めていきたいと思うのです。

*社会委員会委員によるコ ラムを6回掲載します。

メコン川流域宣教会議報告 関野和寛(世界宣教委員)

 2018年11月14、15日とミャンマーのヤンゴンで行われたメコン川流域宣教会議に日本福音ルーテル教会からは私と安藤風さん(健軍教会/ルーテル世界連盟理事)とで参加しました。
 メコン川流域にあるカンボジア、タイ、ベトナム、ミャンマー、ラオスの各国にはルーテル関係の教会や諸施設があります。そしてこのメコン流域、アジアの教会は大きな成長の中にあります。ですが、それらの教会や施設は他国の人的、経済的援助がなければ成り立たないという現状があります。 
 具体的には新しい教会や福祉施設を建てていく資金が必要です。教会のリーダーを育成するための神学校を充実させる事も大きな課題です。神学書などをそれぞれの言語に翻訳する事、また神学教育を担っていく神学教員も必要です。様々なニーズに対し人や資金をただ送るのではなく、現地の人々と共に歩む宣教が求められています。
 そして実際に宣教支援を行っている欧米、アジアの諸ルーテル教会の代表、メコン流域の各国の教会の代表者たちが年に一度集まり、宣教の共同について協議するのがメコン流域宣教会議の役割です。日本福音ルーテル教会も約15年以上この宣教会議に代表を送っています。そして日本福音ルーテル教会は今後、国内だけでなくアジアに向けて宣教を行っていく方針を持っています。
 近い将来、このメコン流域をはじめアジアの宣教に具体的に関わっていく事を決断しなくてはいけない時期に来ています。それぞれの各個教会の維持だけでも大変な困難があります。けれども教会は外に向かって宣教していく時にはじめて生きる共同体になって行くのではないでしょうか。そしてアジアの諸教会から学び、共に宣教していく事は私たちの成長に繋がっていくのだと感じています。 新しい1年、アジアの教会の一員として、是非皆で具体的にアジアの宣教に参与していく年にしていきましょう。

松本だより

  プロジェクト3・11
  企画委員 谷口和恵      (松本教会)

 昨年、東教区常議員会の活動の一環として、東北の震災被災地を訪ねる機会がありました。
 宮城県南三陸町の防災センターは、最後まで住民に避難を呼びかけた若い職員が津波で何人も命を落とした場所として記憶に残っています。今では土地のかさ上げが進み、その防災センターも一番上の鉄塔が見られるばかりでした。沿岸部の様子はどこも一変し、高く積み上げられた地面、海が見えないほどの高いコンクリートの防波堤で遮られた海岸、未だにひっきりなしに行き交う大量の土砂を積んだ大型トラックなどなど。それは他の場所でも同様でしょう。これが復興と呼ばれるのでしょうが、そこに住む人々の癒えぬ心の傷を思うとなんだかやるせない気持ちになりました。
 さて、福島に目を移すと、そこにはこの先ずっと、途方もなく長く続くであろう放射能汚染の災害が横たわっています。放射能が人間に、特に幼い子どもにもたらす被害の大きさは科学的にも立証されていますが、それでも安全宣言をして帰還を促す国のやり方はどうなのだろうと疑問を持ちます。その子どもたちの命を、人生をどのように考えているのでしょうか。
 そんな中、自主避難をして放射能の心配のないところで子育てをしたいと松本に移り住む親子が何組もいます。その受け皿にもなっているのが「松本子ども留学」です。5年前に被災者の有志が立ち上げたこのプロジェクトに、当初は福島から子どもたち数名が移り住み、そこから現地の学校へ通っていました。
 現在中学を卒業した子どもたちには、地元へ帰った者がおり、また子ども留学から松本の高校へ通っている者がいます。そしてこれからは長期の移住と共に、短期間の保養の場として親子を受け入れる場所へと移行しています。また前述のような自主避難の親子さんを支援する取り組みにも力を入れています。
 
 プロジェクト3.11
 プロジェクト3・11では、昨年11月23日、24日と松本で研修会を持ちました。23日の夜は、原子力発電の問題に長く取り組まれている小出裕章さんにより「フクシマが映す日本」との講演がありました。小出さんがその中で「福島で行われているのは除染ではなく、単なる移染でしかない。人間の力では消すことができないのが放射能である。この先100年以上日本は原子力緊急事態宣言下にあり続ける。大人たちには原子力の暴走を許し、事故を引き起こした責任がある。自分が被爆しても子どもたちを被爆から守るのが大人の責任である」と言われたことが胸にズシンと響きました。
 日本の原子力政策がどれだけの人々を辛い立場に追い込んでいるかということを改めて痛感するとともに、現状を見て自分のできる関わりを続けることが大事だと考えています。
 翌24日、プロジェクト3・11の支援先の一つでもある「松本子ども留学」を訪れました。松本の郊外の一軒家で営まれている子ども留学は、里山に囲まれ家の前には畑もあり、子どもたちが伸び伸びと生活するのに相応しい環境です。会話の中で事務局長さんが「私達のことを憶え支援を続けてくださるルーテル教会さんには本当に感謝しています。またこうして訪ねてくださり、寄り添って頂けていることが何より嬉しいです」と言われたことが心に残っています。  
 私達には関わり続け、寄り添い続けることしかできませんが、プロジェクト3・11の活動を通して主の平和が少しでも実現できるよう、皆さまにもお祈りに覚えて頂き、活動にご参加頂ければと思います。

ブックレビュー1

『ルターの脱構築l宗教改革500年とポスト近代』(江口再起、リトン、2018年)
 本書における著者の狙いは、宗教改革500年にあってルターと宗教改革を、「ルターの昨日・今日・明日」を視座に考察することである。それは、ルター派の牧師・神学者として建設的に批判と検討を行うことだと言える。その中心は、プロテスタント教会の旗印となった「信仰義認」の誤解を解くことである。
 日本のプロテスタント諸教会に「信仰義認」という言葉は定着している。しかし、ルーテル教会の教職と信徒を含めどれだけの人がその内容を正しくとらえているだろうか。私たちは何か理解の難しいことに直面すると、自分が分かるところに引き寄せて考え受け止めようとする。実際に多くの場合、「信仰義認」も「私たちの信仰によって救われる」というように曲げて理解されてきた。著者はどまった部分もあるが、それらを含めて、私たちは江口先生からの宿題としてこの挑戦を受け止めるべきであろう。牧師をはじめとするルーテル教会の信徒に、じっくりと、考えながら読んでもらいたい一冊である。
高村敏浩(三鷹教会)

香港のルーテル教会の代表団が来訪

 2018年11月30日に香港のルーテル教会の代表団(香港ルーテル連盟)が日本福音ルーテル教会を訪れ、祈りと交流のひとときを与えられた。今回の訪問は、LWF(ルーテル世界連盟)アジアデスクの働きかけで実現したものである。団長はELCHK(香港福音ルーテル教会)のチャン・チュンワ監督で、彼はLWFアジア代表理事でもある。6つある香港のルーテル教会から議長、事務局長、信徒代表ら9名(日本人通訳含む)の来日となった。JELCからは大柴議長、滝田事務局長、浅野世界宣教主事、メコンミッションフォーラムJELC代表の関野牧師が出席した。
 グローバル・ノースとグローバル・サウスという大まかな区分けをすることがあるが、アフリカと共にアジアはサウスに属する。ノースが衰退する中、アフリカに次いで教会が伸びている地域としてアジアは認識されている。そんなアジア各国のルーテル教会の扇の要になっているのが、香港のルーテル教会である。
 香港の道風山にあるルーテル神学校には、アジア各地から神学生が集まり、ルーテル教会以外の教派の学生も学ぶ。またアジア諸国での伝道も積極的に展開している。
 今回の訪問の目的は、LWFアジアの宣教方策に基づき日本の4つのルーテル教会との関係を築くこと、ひいてはアジア地域全体のルーテル教会の連帯と、教会としてのアイデンティティーを強めることであった。
 教会規模はJELCとさほど変わらないが、このように大きな役割を担う香港のルーテル教会との関わりをもつことは、私たちにとっても意義深く学ぶところ大である。昼食を交えての短い対話だったが、アジアへと私たちの目を開かせてくれる貴重な時間だった。
(世界宣教主事 浅野直樹)

ブックレビュー2「ママ、おねがい」

(原作/Hugh Thomson Kerr『What Bradley Owed』、文/渡邉純幸、絵/片山静、英訳/野澤育代)
 るうてる絵本館から「ママ、おねがい」(Please, Mommy!)が出版されました。文執筆者のわたなべすみゆき先生は、日本福音ルーテル蒲田教会牧師で、教会付属の蒲田ルーテル幼稚園の園長をしておられます。2008年から2012年まで、総会議長をされている時に、日本キリスト教連合会でお世話になりました。当時私は、日本カトリック中央協議会の事務局長として、同連合会のメンバーだったのです。その時からすでにリーダーシップがあり多才な方でありましたし、著書や訳書も多く出版されてこられました。特に、「人生に締切はありません」、「跳び込め、深くはない」、「人生の峠は山の下」など、福音書の説教集ですが、どういうことかと読みたくなり、読んだら、なるほどそうかとなるような題名の著作が特徴です。
 今回の絵本も、絵/かたやましずか先生、英語訳/のざわいくよ先生の協力のもと、子どもたちが素直に気づくような感謝と愛の大切さを説く文を執筆しておられます。子どもたちが親しみやすい熊さん親子の絵と、親子で英語あるいは日本語の習得にも役立つような訳文が「ママ、おねがい!ありがとう」の大切さをますます引き立ててくれています。おねがいしたものの、「自分がしてもらったことを忘れていた」ことに気づき、感謝の心を呼び覚まして愛と奉仕の生活に変わっていくのです。
 そして、大人にとっても、数々の聖書に基づく言葉が自然に浮かんでくるような絵本になっています。例えば、「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」(ローマの信徒への手紙3・24)から来る、「無償で頂いたのですから無償で与えなさい」がそうです。また、「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。」(ルカ7・47参照)からも、「感謝の気持ちが愛の強さにつながる」ということです。両親のありがたさを知れば知るほど兄弟・姉妹を大切にし、神さまの愛を知れば知るほど神さまの家族であるすべての人を大切にすることが出来るようになることでしょう。前田万葉(カトリック 大阪大司教・枢機卿)
 *お問い合わせは、蒲田教会へ

2018年度「連帯献金」報告

2018年度も多くの方々から「連帯献金」に支援を頂きました。感謝して報告をいたします。(敬称略・順不同、複数回のご献金もまとめての報告です)
■2018年 災害支援(西日本豪雨、北海道胆振東部地震、インドネシア津波)  9,716,712円
青い鳥ホーム、青山和子、秋山 仁、厚狭教会、阿南ルーテルキリスト教会、アネモス群修養会、甘木教会、アメリカ福音ルーテル教会、飯田教会、池松綾子、イシダトモコ、板橋教会、市ヶ谷教会、市ヶ谷教会壮年会、市川教会、イデナワケイスケ、岩?純子、上田ミヤ子、上田玲子、宇部教会珈琲コンサート席上献金、宇部教会、大分教会、大岡山教会、大阪教会、大垣教会、大垣教会教会学校、大阪教会女性会、大柴譲治・金賢珠、オオノユウコ、大野義定、大林由紀、大森教会、岡崎教会、岡山教会、小城ルーテルこども園、小城教会、小沢千江、小鹿教会、小田原教会、帯広教会、掛川菊川教会、金田貴子、蒲田教会、紙谷 守、賀茂川教会、唐津教会、刈谷教会、河本香代子、川村千代江、岐阜教会、九州教区壮年連盟、京都教会、京谷信代、近畿福音ルーテル教会、久留米教会、神水教会、神水教会学校、恵泉幼稚園、小岩教会、小石川教会、小泉 眞、甲府教会、神戸教会、国府台母子ホーム児童家庭支援センター、高蔵寺教会、小山 茂、挙母教会、西条教会、坂梨晶信・スズヱ、佐賀教会、札幌教会、サトウコノモ、慈愛園子供ホーム園児職員一同、シオン教会徳山礼拝所、シオン教会防府礼拝所、シオン教会柳井礼拝所、静岡教会、清水教会、下関教会、下関教会シャローム会、下田美代子、修学院教会、女性会連盟、スオミ教会、鈴木佐惠、砂田京子、鷲見達也、諏訪教会、聖パウロ教会、聖パウロ教会教会学校、聖ペテロ教会、仙台教会、タカオタカシ、高松教会、武井順太郎、谷川卓三、知多教会、筑田 仁・坂本千歳、津田沼教会、堤 雪子、鶴ケ谷教会、天王寺教会、田園調布教会、東海教区女性会の集い、東京教会、東京池袋教会、東京池袋教会キリエ実行委員会、都南教会、ナカヨシトモコ、中村圭助、中村桂子、中野邦子、長野教会、なごや希望教会、名古屋めぐみ教会、奈多愛育園、西宮教会、西教区西中国地区るうてる秋の大会、日本ルーテル教団、日本福音ルーテル社団、沼津教会、ノガミキヨミ、博多教会、博多教会バザー委員会、箱崎教会、函館教会、浜名教会、浜松教会、浜松教会古楽器演奏会、林 雄治、ハラダヤスヒコ・ユウコ・ミチル、東教区女性会、東垂水ルーテル教会クリスマスコンサート募金、日吉教会、日田教会、平塚登美子、福岡西教会、福山教会、藤が丘教会、二日市教会、ベタニヤホーム、ベタニヤホームおひさま保育室、別府教会、保谷教会、本郷教会、本郷学生センター、正井義隆、益田チャペル平和礼拝、松江教会、松原悦子、松本教会、松本千鶴子、松山教会、松橋教会、三鷹教会、水俣教会、みのり教会、三原教会、宮崎教会、むさしの教会、村上三枝、室園教会、室園教会女性会、恵み野教会、門司教会、八代教会、八幡教会、山本純一・幸子、湯河原教会、横須賀教会、横浜教会、?川信一・純子、ルーテル保育園、るうてる法人会連合、レインボーハウス、渡邉克博・直美、NPO一粒の麦
■ブラジル伝道 508,560円
安藤淑子、大岡山教会、大阪教会、健軍教会、小城ルーテルこども園、帯広教会十勝豆会計、佐々木裕子、女性会連盟、総会ブラジル朝食会売上金、総会ブラジル朝食会席上献金、玉名教会、田園調布・都南・雪ケ谷教会共同体、箱崎教会女性の会、東教区女性会、古川文江、恵み野教会
■熊本地震 建築支援 30,262円
むさしの教会
■世界宣教(無指定) 795,681円
2018JELAチャリティコンサート協賛寄附金、NPO一粒の麦、市ヶ谷教会、
大垣教会、大垣教会女性会、大阪教会、蒲田教会、挙母幼稚園、総会開会礼拝席上献金、日本福音ルーテル社団、箱崎教会らぶぴコンサート席上献金、東教区、本郷教会、めばえ幼稚園、ルーテル保育園

今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓に苦しむ方々に連帯したいと願い祈ります。「連帯献金」を捧げてくださる場合には、それぞれの献金目的[ブラジル伝道][喜望の家][メコンミッション][世界宣教][災害支援]を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。
 郵便振替 00190-7-71734 名義(宗)日本福音ルーテル教会

公告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
 2019年2月15日

宗教法人
日本福音ルーテル教会
   代表役員 大柴譲治

信徒利害関係人 各位

釧路 土地建物売却

(ア)釧路 土地
 ・所在地 
  釧路市若竹町15番の6、  15番の3
 ・所有者 日本福音ルー  テル教会
 ・地番 15番の6及び15
  番の3  
 ・地目 境内地
 ・地積 514㎡
(イ)釧路 建物
 ・所在地 釧路市若竹町 15番地6
 ・所有者 日本福音ルー  テル教会
 ・種類 礼拝堂
 ・構造 木造・亜鉛葺、   2階建
 ・床面積 
  1階 178・2㎡
  2階 132・03㎡

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
訂 正
本紙2019年1月号4面の重野信之牧師の追悼記事の一部を訂正致します。
「静岡大学工学部へ入学」→「静岡大学工学部(夜間部)へ入学」

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