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主人と僕 あなたにもタラントンが与えられています

 「主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』」(マタイによる福音書25章21節)

 「タラントンのたとえ」(マタイ25・14以下)は、イエス様の語られた有名なたとえです。主人が旅行に出かける前に、3人の僕たちに各々の力に応じて5タラントン、2タラントン、1タラントンのお金を預けます。この主人は、普段からよほど僕たちのことを気にかけ、一人一人のことをよく見ていたに違いありません。それぞれにちょうどよいタラントンを預けたのですね。

 さて、主人から5タラントンと2タラントンを預かった僕たちは、そのお金を元手に、一生懸命商売をして倍の額に増やし、主人に差し出します。すると主人は、「忠実なよい僕だ。よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」と言います。この時、主人は嬉しさのあまり、僕の肩をポンポンッと叩いたか、僕をギュッと抱擁したか、ニコニコとうなずいたか…。聖書には詳しくは描かれていないのですが、とにかく満足と喜びいっぱいの様子が彼の言葉から伝わってきます。主人と2人の僕たちは、とてもよい関係なのですね。

 この2人は、主人から預かったものを増すために一生懸命励んだことでしょう。彼らは頭も心も手足も、主人を喜ばせるために動かしたのです。そして苦労し、工夫し、積極的に活用して預かったものを倍に増やすことができました。主人としては、彼ら2人がこんなにも一生懸命、しかも自分を喜ばせようとして励んでくれたことが何よりも嬉しくてたまらないのです。「主人と一緒に喜んでくれ」とは、最高の褒め言葉ではないでしょうか。「私の喜びはお前の喜び!私たちは同じ喜びを分かち合える仲なんだよ」ということです。これほどの言葉をかけられて2人の僕は非常に恐縮したでしょうけれど、主人がこんなにも喜んでくれ、こんなにも自分を信頼してくれて、まるで身内かなにかのように「同じ喜びを分かち合おうよ!」と言ってくれるのですから、本当に嬉しかったでしょうね。「主人と僕」という主従関係を超えた、温かな交わりと固い絆が両者の間に結ばれていることが伝わってきます。

 さて一方、1タラントンを預かった僕ですが、彼はそれをそのまま主人に返しながら言います、「恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました」。この言葉からは、主人に対する信頼や愛情は少しも読み取ることができません。この僕が主人に対して恐れや疑いを抱いていたこと、それゆえ萎縮して動けなくなってしまった様子が伝わってきます。主人は「怠け者の悪い僕だ。銀行に入れておけば利息付きで返してもらえたのに」と怒ります。

 先ほどの2人が 主人を喜ばせることだけを考え、預かったお金を活かして増やしたのとは反対に、この僕は主人を喜ばせることなど少しも考えなかったようです。彼が考えていたのは、ひたすら自分自身のことで、自分が主人から叱られないように、失敗しないように、そればかりを考えて結局は何もできなかった、いや、何もしないほうを選んだのです。もしも、彼に少しでも主人を思う気持ちがあったら、おそらく金を土の中には埋めなかったでしょう。主人が言うように、銀行に入れておけば少しであっても利息が付きますから、「土に埋めておくよりはちょっとはマシ、少しはご主人のためになる」と考えることができたでしょうね。土に埋めておくのも、銀行に預けておくのも、自分は何もしない点では同じですが、しかし主人のためには、少しでもよい方を選ぶのが預かった者の務め、とは残念なことに思い至らなかったのです。

 私たちも恐れや疑い、落胆や失望に囚われてしまって、神様の御心は何か、神様を喜ばせる道はどれか、ということが考えられなくなる時があります。ついには、「やはり私にはできない。私には可能性も能力も力もないのだから」と落ち込んでしまう。そして、意識しないことが多いのですが、落胆そのものの中に、神様への反発が潜んでいるのではないでしょうか。私たちが「結局、こんなことになったのは神のせいだ。私がこんな性格になったのは神がこのように創ったからではないか。この困難な状況に私を置いたのは神ではないか。能力と才能を与えてくださらなかったのは神ではないか」などと言って神様を責めてしまうとき、造り主なる神様を最も悲しませるのではないでしょうか。

 しかし、それでもなお神様は「あなたを造ったのは私だ。あなたに困難な道を通らせたのは私だ。あなたに弱さを与えたのは私だ。それらを天からの賜物、チャレンジとして受け止めてほしい。土の中に埋めてしまわずに活用してほしい。そして、最後に一緒に喜びを分かち合ってほしいのだ」と、絶えることなく私たちを招かれるのです。
 神様の賜物は全て最善と信じ、与えられたタラントンを用いることができるよう祈りつつ歩みましょう。

日本福音ルーテル函館教会牧師 坂本千歳

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