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機関紙るうてる

るうてる2020年3月号

説教「キリストを知る」

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「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」(フィリピの信徒への手紙 3・7~11)

「真理は、あなたがたに自由を得させるであろう。(口語訳)」(ヨハネ8・32)というキリストの言葉をご記憶の方も多いと思います。若い頃何よりも自由を渇望していた私はひたすらこの言葉に感激していたわけですが、やがて社会の現実を生きることの中で「自由への道」を諦めかけた時、今思えば神様の導きであったと言うしかないのですが、神学校へ進む道が開かれたのです。
 神学校に来てみると、そこで頻出する「罪と罰」、「契約」「律法」等の神学用語は、法学部出身の私にはほぼ馴染み深かったのですが、ただ聖書の示す「真理」概念は、それまでの自分の「真理」理解とは大きく異なるものでした。
 現代に生きる私達は、ほとんど無意識の内に、西洋近代において発達した科学的「客観性」を「真理」の基準であると考えています。そこでは宗教論など人間の主観性を帯びる議論などは、どこか胡散臭いと思われがちです。ところが、聖書の「真理」概念は、古代旧約聖書ヘブライ語の語感の影響のため、極めて宗教的、倫理的色彩の濃い「人格的」概念であると言われているのです。
 ヨハネによる福音書1・14の「・・・恵みと真理とに満ちていた。」は口語訳では「・・・めぐみとまこととに満ちていた。」と「真理」を「まこと」と訳しています。日本語の「まこと」は「真理」の意味に加えて「誠」という人格的、倫理的な意味を含んでいてヘブライ語の語感と同じです。この方が聖書の「真理」の本来の意味内容に相応しい訳だと思うのです。
 同様に注目したいのが「わたしは道であり、真理であり、命である。(ヨハネ14・6)」というキリストの言葉です。ここに出てくる「道」と「真理」と「命」は言うまでもなく、別々の三つの概念ではなく、一体のものとして捉えられなければなりません。キリストは、明確に「わたしは道であり、かつ同時に真理、かつ同時に命である。」と言われているからです。この「道と同時に真理、同時に命である」キリストをどう理解すれば良いのでしょうか。
 聖書は、ここからもう一段「人格的概念」から更に「世界的」な広がりをもったかたちのキリスト論を展開しています。それがパウロの「(キリストの)体」の思想です。
 パウロは生前のキリストを知りませんでしたが「復活のキリストの体」の神学によってキリストを論じます。今日の私達が信徒の交わりや個々の教会間のつながりを、一つの「キリストの体」として捉えることができるのは、この思想によるのです。
 更にパウロは1コリント15・40で「天に属するからだもあれば、地に属するからだもある。(口語訳)」として、この「キリストの体」は宇宙論的な世界と広がりをもつことを述べています。このことは、現代の地球環境問題を「キリストの体」の立場から考察することを私達に促しているように思うのです。
 ところで、復活のキリストの体にはなぜ傷があるのでしょうか?それは第一にはキリストの十字架と復活を不可分の事柄として結びつける「しるし」であるわけですが、同時に、私たちの個々の現実の弱さや痛みや傷の存在が、実は「キリストを知る」ことへの「道」として備えられているのだということを示されるためではないでしょうか。パウロが自分の肉体の棘を取り去って欲しいと願った時、主は、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。(口語訳)」(2コリント12・9) と言われたのも、やはりパウロの傷は、実は彼の傷がキリストを知るための「恵みの道」であることを示されるためだったのだと思うのです。
 今、私たちの生きる世界環境は大きく傷ついていますが、それが「傷ある復活のキリストの体」であるなら、私達は、もはや自分自身の弱さや傷を嘆くのではなく、この世界に参与することを通して、更に「キリストを知る」ことを求める者でありたいと思うのです。

コラム直線通り 久保彩奈

㉔「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」(マルコ16・7)

  クラスの子と進路を考える面談をしていた時のこと。「先生、俺には何もないんだよ」と言った生徒がいました。その日の面談では結局まとまらず、どうしたものかと心にひっかかっていました。
 しかし数日後、そっと近寄ってきて「先生、進路決めたよ。俺は、誰かのために生きることにした!」と教えてくれました。自分のための努力は苦手だけれど、誰かのためとなれば頑張ることができた自分に気付いたというのです。もしかしたら、いかに生きていくかを考えることは将来を考えるのと同時に、実は原点を探すことでもあるのかもしれません。大切なことを生徒を通して教えられました。そして、誰かのために生きる、そう決心したこの生徒は今、障害者福祉の道に進んでいます。
 そういえば、今は教師のわたしにも原点がありました。大学生の頃インドのエイズホスピスでボランティアをしたとき、現地の保健師さんに「大人に伝えても社会は変わらない。でも子どもに伝えたら社会は変わる。あなたはなぜ教師にならないの?」と言われ、教師という仕事を考え始めました。
 わたしたちのキリストも墓に留まらず、冒頭の言葉通りガリラヤで弟子たちと再会しました。わたしたちも「わたしにとってのガリラヤ」でキリストと出会い、約束したその原点に立ち帰ることで未来を描けるのかもしれません。
 あなたにとってのガリラヤはなんですか?わたしたちに与えられたそれぞれのガリラヤでキリストに出会い、希望のうちに歩む者でありたいのです。

議長室から 総会議長 大柴譲治

「イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」(マルコ1・13)
 牧師という仕事をしていると生育歴やライフレビューというかたちでこれまでの人生を振り返ることがあります。人生は山あり谷ありで、「荒野の40日」と呼ぶ他ないような試練の時もあります。私自身は二つの時を想起します。
 一つ目は小学校2年のクリスマス直後。突然リウマチ熱という病気にかかり、40度の高熱が1週間続き、3ヶ月の絶対安静の入院生活を送ることになりました。その時には親が与えてくれた『少年少女世界文学全集』50巻を貪るように読みました。私が「本の虫」になった原点です。
 二つ目は高校2年生の暑い夏。脊椎分離症の手術を受けて70日間の入院。多感でエネルギッシュな思春期、石膏ギブスに入ったまま40日間天井を見上げて身動きが取れませんでした。手術前に背中をかたどって造られた石膏ギブスは2つ。1週間に1度それを交換してもらうのですが、背中がかゆくてもかけず寝返り一つ打てません。忍耐力と頑固さ、俯瞰力(メタ認知能力)が鍛えられました。同時に、肉体はがんじがらめに縛られていたとしても人間の精神は全く自由なのだということを知ることができました。「主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ40・31)とある通りです。私は夢うつつの中で、自分の魂が自由に羽ばたいて鷲のように空高く飛翔し、自分の身体を含めて「世界」を上から俯瞰するような幻視をしていたのかもしれません(人間の記憶は後から再構成されるようですが)。私が病院チャプレンにこだわる背景にもそのような原体験があるようです。コインに両面があるように「荒野の40日」は「サタンの誘惑」であると同時に「神の鍛錬」です。あの時には二度と戻りたくはありませんが、今の私には必要な「時」であったと思っています。
 今はレント。荒野での主の試練を思います。そこに「天使たちが仕えていた。」(マルコ1・13b)という語が添えられていることに気づきます。17歳の私には全く見えていませんでしたが、その時私の傍らには入院を支えてくれた母と父、そして妹と弟がいました。医療従事者や学校や教会を通して祈ってくださった方々がいました。「仕える天使たち」がいたのでした。その時には気づかなくとも後から気づかされる次元があります。それもまた大切な一つのメタ認知であり、信仰の覚知なのでありましょう。多くの天使たちに支えられてきたことを感謝したいと思っています。

讃美歌と私たち⑨「歌集の神学」

小澤周平(名古屋めぐみ教会牧師)
 様々な想いを受けて、新たな歌集や増補の歌集が求められます。この時、歌集を整えるのが編集者(例えば、讃美歌委員会)です。
編集者は、作者の献身を尊び、かつ、権利関係を踏まえます。加えて、使用者側である共同体にも配慮します。研究者の水野隆一は、歌集編集の基本的な四つの過程を示します。①選曲。②詞と曲、その組合せの確定。③歌集の項目と配列方式。④歌の配置。編集過程を経て、歌集に信仰理解や礼拝観などが反映されるようになります。これが「歌集の神学」です。一般に、歌集の序文や解説では編集意図などが述べられています。ぜひ、一度、読んでみてください。
 「歌集の神学」とは、少し難しい感じがしますので、実際の出来事から考えてみましょう。例えば、他教派の礼拝に参加し、歌や音楽に驚かれた経験があるという方もおられるかと思います。私自身、正教会では明治時代の日本語の歌を聴き、また、あるカトリック教会ではラテン語の歌を聴き、とても驚いたことがあります。そして、そのような伝統を守る理由や歴史をうかがい、感銘を受けました。
 他方、ルーテル教会の歴史を学んでみると、私たちの教会は伝統を尊びながらも、同時に、それぞれの地に相応しい礼拝を模索し、次世代にとって理解し易い言葉を用いて信仰継承に取り組んできたという様子が分かります。
 同様の特徴は、「サンビカ」の系譜にある教会としての歴史にも認められます。例えば、1950年代後半以降は、口語訳の聖書と文語体の歌集が共存。その後、『讃美歌第二編』、『教会讃美歌』、『讃美歌21』 と口語の詞の導入が進められてきました(背景等、ぜひ、各歌集の序文解説を一読ください)。あるいは、歌詞中の不快語の訂正や、また、日本人自身が作詞・作曲する取り組みなども確認できます。
 すでに交わりにある方々と、そして、これから交わりに加わる方々と、どのように聖書の言葉を分かち合い、伝え合うのか。歌集の編集者は共同体の信仰の涵養と継承を見据えて務めを果たします。この時さらに、時代に合った編集を経て、賛美歌自身も新しいいのちを得ます。こうして歌集は整えられ、時満ちて世に生まれます。(続く)

カンナリレー・ 球根をお送りください

人が人を含む生命を根こそぎ奪う爆弾により深く傷つけられ嘆きに満ちた焼け跡に、青々とした葉が萌え、そこに真っ赤な花が開花しました。この花の存在と佇まいは、人々に生きる勇気と希望を与えました。人類が最初に経験した原子爆弾の爆発からひと月が経った、爆心地から820メートルのところに咲いたカンナの花です。

 それを撮影した写真に心動かされた橘凛保さんが、長野県の園芸家により育てられるカンナの球根を広島の地に植え、平和をつなぐプロジェクトを始められました。現在、「カンナ・プロジェクト」は、75年は草木の生えないと言われた地に咲いたカンナを、原爆投下から75年となる2020年に開催されるオリンピック・パラリンピックの会場に植えるメッセージフラワーとするようにと交渉を続けているようですが、現時点では未定です。併せてカンナの種を子どもたちの平和を願うメッセージとともに宇宙へと打ち上げる取り組みもなされています(今年3月1日が打ち上げ予定日)。
 このプロジェクトの協力を得て、ローマ・カトリック教会とルーテル教会との宗教改革500年共同記念のシンボルフラワーとして平和のカンナを用いて和解の祈りを紡ぐ歩みをはじめました。共同記念礼拝の出席者に配布された球根は全国各地で祈りと共に育てられています。カンナリレーの「里親」として育成に関わってくださった方々と教会に感謝します。
 さて、カンナリレーとして受け取られたカンナの球根を掘り出していただく時が来ました。その球根を祈りと共にリレーのバトンとして届けていきたいと思います。地中で育った球根の半分はどうぞそのまま、次の開花を待ち、それぞれの場で平和のために祈るために用いてください。
 あとの半分を掘り出し、乾燥しないようにビニール袋に入れて封をしていただき、佐賀県へお送りください。すべての球根を一旦、佐賀教会に集約し、カンナ・プロジェクト指定の地へ転送します。どこかで再び平和と希望を告げる花として、芽吹いてゆくことでしょう。どうぞよろしくお願いします。

手順① 球根の半数ほどを掘り出す。
手順② 乾燥しないようにビニール袋に入れて封をする。
手順③ 郵便や宅配便を用いて、以下の住所へ送付する。送料は各自でご負担をお願いします。

○送付先住所
〒840l0054 
佐賀県佐賀市水ケ江2の3の15 
日本福音ルーテル佐賀教会
電話0952(65)2808

お問い合わせは
joint.commemoration@gmail.comへお願いします。

「ハラスメント防止への取り組み」事務局長 滝田浩之

 昨年の第5回本教会常議員会で「ハラスメント防止規定」が承認されました。これを受けて事務局としては「ハラスメント防止パンフレット」を作成し、相談窓口について、またハラスメントがあった場合の解決の道筋についてお知らせしたところです。ハラスメントは、事柄が起きて対応する体制を整えることはもちろんですが、本来、教会が「慰めの共同体」である限り、これが起きない体制にすることは非常に大切です。
 今後、各教区、各地区、各個教会で取り組みや学びが深まることを何よりも期待しているところです。また教会だけでなく、今回の規定は、関係法人(付属幼稚園、保育園)、関連法人(独立した社会福祉法人、学校法人)、また教会の行う災害支援活動、キャンプにまで及ぶことが大きな特徴です。
 1月7日に行われた、「るうてる法人会連合代表者会」でも話題になり、各法人、団体は、教会の姿勢を高く評価してくださり、今後も連帯して、ハラスメント防止に取り組むことを確認したところです。大きな法人は、法人内部に「ハラスメント防止委員会」を常設できますが、行政からの指導があっても、小さな保育園や幼稚園では、これに対応できない悩みもあり、今回、教会がハラスメントに対して積極的に行動を起こしてくれたことを前向きに受け止めてくださっていることは感謝です。ハラスメントの認定、裁定について、教会という第三者組織、特に今回の規定で裁定を行う委員会は専門家からなる、より客観性の高い構成員で対応する体制になっていることも好意的に受け止められていることは喜ばしいことだと思います。「ルーテル・ファミリー」として、この防止に努めていきたいと願います。
 東教区では、首都圏牧師代議員会で学びの時を持ってくださることになりました。また東教区女性会会長会は、相談窓口であるフェミニスト・カウンセリング東京から講師をお呼びして学びを行う予定とのことです。フェミニスト・カウンセリング東京は本教会と業務委託契約を結びましたが、この契約の範囲内で交通費の支弁さえあれば、どこにでもハラスメント防止のための講義を行ってくださるとの申し出を頂いています。
 2月の本教会常議員会、また全国総会でも時間をとって、今回の「ハラスメント防止規定」に基づいた研修を持つ予定です。問い合わせは事務局までお願い申し上げます。

「外国人住民基本法」の 制定を求める第34回全国 キリスト者集会報告

李明生(田園調布教会牧師)
 全ての人の命の尊厳が守られ、共に生かし合う社会を目指して、日本キリスト教協議会(NCC)の加盟諸教会・諸団体にさらにカトリック教会、日本キリスト教会も加わって、在日外国人の人権を守る取り組み「外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会」(略称・外キ協)が1987年以来続けられて来ました。(2012年からは「外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会」に改称)。日本福音ルーテル教会は2018年より「外キ協」に教派として参加することとなりました。
 34回目となる今年の全国集会は「共生への新しいチャレンジ~隔ての壁をこえて~」という主題で1月31日に在日大韓基督教会名古屋教会を会場に開催されました。第1部の礼拝では、渋澤一郎主教(日本聖公会中部教区)によってエフェソの信徒への手紙2・14~19をもとに「敵意の壁を取り壊す」と題してメッセージが語られました。第2部リレートーク「隔ての壁をとりのぞこう~生きづらさから新たな希望へ」では、日本カトリック難民移住移動者委員会委員長の松浦悟郎司教(カトリック名古屋教区)の司会によって、ネストール・プノさん(国際子ども学校)、徳弘浩隆牧師(日本福音ルーテル岐阜・大垣教会)、李正子さん(在日大韓基督教会中部地方会女性会連合)の3人の方々から、お話しを伺いました。
 ネストール・プノさんは、日本の自治体で幼児教育・義務教育を受けることを拒否された、名古屋在住のフィリピンにルーツを持つ子どもたちの教育を支援するために日本聖公会が中心となって98年から始められた「国際子ども学校」の、これまでの活動とこれからの課題について報告されました。
 徳弘浩隆牧師は、10年間のブラジル・サンパウロでの牧会の中で、日系ブラジル人の親の日本への「デカセギ」と共に幼少時に来日して日本で成長した青年が、日本経済の景気後退の煽りを受けてポルトガル語も充分に出来ないままブラジルへと帰国したものの自分の生きる場所を見いだせずに涙を流す姿に出会ったこと。また貧困層の多い地域であるジアデマ集会所での地域の子どもたちへの給食・教育活動等を通して、新たな宣教の在り方が示されていったこと。そして現在は岐阜・大垣の地域でブラジル国籍の子どもたちの教育支援の活動へと取り組み始めていることなどを報告されました。また、そうした外国にルーツを持つ子ども達への支援の取り組みのために、世界の教会のネットワークを活用して互いに協力していく可能性についてもお話しされました。
 李正子さんからは、女性の声が反映されにくい現在の教会組織の問題、差別に加担しかねない制度や価値観に教会の中で私たちも浸かっていることについての問題提起と、世界の教会と連帯しつつキリスト者としてそれぞれが生きている社会に関わることの必要性について、また在日韓国人3世として考えるこれからのアイデンティティの課題についてお話し頂きました。
 司会の松浦司教からは、1987年にカトリック教会では教会生活に関わる大きな方針転換があり、それまでの「信仰的視点から、社会にどのように関わるかを問う」というものから、「具体的な生活が私の信仰のあり方を問う、社会の現実が教会のあり方を問う」という見方に変わったことが紹介されました。このリレートークを通して、社会の様々な現実と出会うことが教会の宣教を新たに、開かれたものへと変えてゆく可能性があることを考えさせられました。
 集会の最後には「集会宣言」が読み上げられ、全ての人の命と尊厳が守られる多文化共生社会の実現をキリスト者として求めて続けてゆくことが確認されました。
 また集会に先立つ1月30日からは、「外キ協」全国協議会が開催され、日本福音ルーテル教会から大柴譲治議長、小泉基社会委員長も出席されました。

東教区プロジェクト3・113月11日を憶えて

 小泉嗣(千葉教会牧師)
 最近楽しみにしているテレビドラマがある。「心の傷を癒すということ」という阪神淡路大震災の際に精神科医として現場で生きた安克昌氏の同名の書籍がもとになったドラマである。放送時間が土曜日の夜ということ、また他の理由もあり、日曜日の夜に観ることになるのだが、子どもたちが眠ったあと、一人静かに画面を見つめる。近親者が亡くなったわけでも、大けがをしたわけでもないが、あの日、あの時、あの場にいた者として、痛みや苦しみが沸き起こってくる。しかしそれでも見つめ続ける。あの日、あの時を、あの日から続く今日を、あの場で生きる人たちがいるということを覚えておくために。
 東教区プロジェクト3・11はプロジェクト開始から6年を経過した。当初集まったメンバーも少し入れ替わり、またそれぞれの立場も変わり、出来ることは年々少なくなっていく。震災関係の支援金も2019年度より教区会計に予算の計上はせず、お献げいただいた献金のみを配分して支援先に送り届ける方法に変更した。そのような状況の中で12口の献金と2口の席上献金、あわせて26万5223円が支援金として献げられ、「いわき放射能市民測定室たらちね」「いわき食品放射能計測所いのり」「夏休み北海道寺子屋合宿」「福島移住女性支援ネットワークEIWAN」「キッズケアパークふくしま」「松本こども留学」にそれぞれ送ることができた。感謝である。また昨年秋には、元ルーテルとなりびと専従の野口勝彦牧師と共にプロジェクトのメンバーが宮城県の元支援先等を訪問することができた。あの日、あの時から続く日々を生きる人々との交わりが私たちにもたらす気づきと示しは小さくない。
 もちろんではあるが、あの日、あの時から続く日々は「被災地」に限ったことではない。私たちもまた、それぞれの地で、それぞれのあの日、あの時から続く日々を生きている。そして今年も東教区プロジェクト3・11は3月11日に「3・11を憶える礼拝」を守る。礼拝当日が平日ということもあり震災発生時刻の開催ではないが、各々の「あの日、あの時」を振り返り、各々の「あれから」を持ち寄り、共に歩む「これから」を主に祈る時となればと願う。お近くの方は是非、ご参加いただきたい。
「3・11を憶える礼拝」
日時 2020年3月11日(水)19時より
会場 日本福音ルーテル東京教会

定年教師挨拶

鈴木英夫

 3月末に引退。技術者生活の後、献身・授按。43歳で教師に加えられる(stole No.381)。
 出発はオウム事件や阪神淡路大震災で混乱の年。三鷹の地に一礼し、任地を目指すもJRは未だ混乱の中。バスの振替輸送も経て、夕方、福山駅着。大柴師が迎えて下さる。
 室園では着任早々伴侶を迎え、新ステージへ…。創立記念会堂合志教会献堂や学校聖書教諭等、宣教資源豊かな熊本地区を体験する。
 松本・長野では雪国の教会兼任に苦労する。雪かき、冬用タイヤを初体験。厳冬の飯綱ロッジでの葬儀では教会往復の度に、「ボクシシテルナー」を実感。余暇、百名山も忘れず。
 挙母では「幼児教育・保育」に関わる。これは誠に楽しい。建物の老朽化と認定こども園化に伴う教会・幼稚園リニューアルは力仕事となったが、神様に支えられ完遂する。
 西条・三原では「賜った恵みをお返しする」最後の3年間となった。
 我がモットーは「碇泊の港を持たず」。パウロの如く定住せず宣教し、招聘ある所には迷わず赴く。それで良かった。係わった諸兄姉に感謝します。
 第三の人生。主の僕として歩みながら、飽く無き探求心を持ち続け、我が道を往く。「ONE・ルーテル」での健闘を祈りつつ。

高井保雄

 この度、日本福音ルーテル教会牧師としての39年間の牧師生活を終えることとなりました。その間、西宮教会に9年、ドイツのライプツィヒに2年留学、久留米教会に2年、八王子教会に8年、羽村教会と羽村幼稚園に18年お世話になりました。いずれの地にあっても、主の恵みの下、良き師、良き友、良き隣人との交わりを与えられ、振り返れば唯々感謝あるのみです。思い出深いのは、西宮教会の会堂建築でした。場所は川縁の元沼地だったので、基礎杭を10m打ち込んでも、岩盤に辿り着かないのです。この辺りは千年間大地震が無いと言われたり、高さ10mの会堂建築ならそれで十分と思ったりしたのですが、聖書に「岩の上に家を建てよ(マタイ7・24)」とあり、結局20m杭打ちをして「岩の上に建てた」のです。その8年後、阪神・淡路大震災が起こり、ガラス1枚割れなかった教会は救援活動の拠点として役立ったことを聞きました。あの時、聖書に聴いていなければどうなっていたか・・・。正に「神の慈愛と峻厳(ローマ11・22)」を見る思いでした。

中川俊介

本郷教会出身のわたしは、米国留学から帰国後、丹澤先生、栗原先生のもとで研修し、1983年に按手を受け、別府教会に赴任しました。そこでは6年間牧会しましたが、児童養護施設の平和園があって活気がありました。次の赴任地は板橋教会でした。初めて訪問した時に独身の松隈先生がお手拭きを出してくれましたが、汚れているので驚くと、先生は「心配しないでください、洗ってあります(笑)」と言いました。排ガス規制のない当時の板橋は洗濯物が黒ずむくらい交通量の多い場所でした。その後、ルーテル教会を離脱し、千葉県印西市で12年間開拓伝道しました。困難でしたが、妻の尽力もあり4人の子供たちも元気に成長しました。その後、ルーテルに復帰させていただき、八王子教会で13年間牧会しましたが、社会福祉施設の「あけぼの会」が伝道の大きな助けとなりました。退職に際し、母教会の方々の励ましとお支え、歴任した教会の信徒の方々、先輩の先生方に心から感謝します。ただ一つの心残りは、ルーテル教会の伝道力が弱いことです。会社でも団体でも人に喜びを与え得ない組織は衰退します。次の世代の教職には、福音の喜びを今以上に伝えてほしいと願っています。

黄大衛

あっと言う間に定年を迎え、横須賀教会、東京教会・板橋教会、鹿児島教会の牧師として12年間、その後九州ルーテル学院大学・認定こども園ルーテル学院幼稚園のチャプレンとしての11年間の働きが終わります。これから新しい歩みが始まります。私の性格の故か、慣れた生活を一旦変えようとすると、すごく不安になります。
 さて不安について、私はいつも面白く考えていました。もし何も計画しないなら、未来に不安を感じるのは当然のことですが、一方予め周到に計画しても、周到であるほどまた、不安の気持ちを抑えられません。これは不思議です。
 人は結局不安を大なり小なり感じて生きています。そんな私たちにイエス様はこう励ましています。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」と。この言葉は神様に頼る必要性を示しています。
 さて、かつて私は「牧師になって多くの人に伝道したい」と夢を描きました。そして今「23年間で何ができたのか」と実りの少なさを想います。しかし用いてくださった神様に感謝して、牧師としてやはりイエス様の平安に向き合いたいのです。

松田繁雄

 いつの間にか70を越え、いつの間にか定年退職をする、これが今の実感です。私は、それこそ団塊の世代に生まれ、全共闘の時代の余波の中をくぐってきました。国際基督教大学という紛争の辺境で、田川健三氏の教えを受け、却って聖書の奥深さに気付き、これに聴くという姿勢を身につけたように思います。どこかで、キリスト教世界を変革していきたい、という不遜な心を若気の至りに持ちながらも、学ぶに従い主イエスの存在に引き込まれていったのです。こういう私でしたが、迷いつつも献身の決断をし、按手を受けて初めて遣わされた教会が、信州の松本教会でした。小さな群れでしたが、つたないなりに、牧師としての責任を負い関わっていく、それを覚えた時間でした。少ないなりに多士済々の信徒さん方と、真剣勝負のお付き合いをする、その際に、まず「聴く」という事ができなければ、伝うることも何もない、ということを学びました。その後、約2年の米国留学を経て、静岡教会、釧路教会、本教会広報室、東京教会、小岩教会と歩みを重ねてきました。どこに行っても、これは大切だな、と思える体験をしました。そして、そういう出会いを通じて、主に従うこと、人の心を聴く事の大切さを学んできたような気がします。あっという間の40年でもあり、重い歩みのぎっしり詰まった40年でもありました。
 終わりに当たり、出会えたたすべての人に感謝をささげたいと思います。

公  告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2020年3月15日
宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 大柴譲治
信徒利害関係人 各位

(1)牛津集会所 土地売却
所在地 佐賀県小城郡牛  津町字杉篭
所有者 日本福音ルーテル教会
地番 563番2
地目 宅地
地積 331・06㎡
理由 売却のため

(2)大岡山教会 古屋解体と園舎建設
所在地 大田区南千束3丁目
所有者 日本福音ルーテル教会
地番 360番13、14
建物 古屋3棟
理由 幼稚園事業拡大の ため

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