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機関紙るうてる

るうてる2009年9月号

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ルーテルこどもキャンプ

サンガイジウナコラギ みんなで生きるために

去る8月6日より8日の3日間、今年は三鷹市にある日本ルーテル神学校・ルーテル学院大学を会場に第11回ルーテルこどもキャンプ(TNG&JELA共催)が開催されました。広島では平和を、東京では諸外国を交互に学びます。小学校5・6年生を対象にしたこのキャンプ、今年は「ナマステ・サンチャイチャ(ネパール語で『こんにちは、げんきですか?』という意味)」をテーマに、エベレストを有するネパールについて聞き、学び、触れ、感じるキャンプを行いました。
全国から集まった子どもたちは総勢34名、長くネパールで暮らし働いておられた高津妙子さん(元JOCSワーカー)や、ネパールからやってきた留学生のユガルくんからネパールの国について、子どもたちについて、食べ物について、生活について、そして何より人々の「温かい心、隣人を思いやる心」を学びました。また、ネパールの子どもたちが実際に遊んでいる遊びをし、ネパール語の歌を歌い、習ったネパール語で買い物をし、お友だちをシーツでつくった担架で石居チャプレン扮するドクターのいるところまで運んだりと、さまざまな体験を通して、ネパールに、そこに住む子どもたちに思いをはせることができました。
最終日、子どもたちの学びと体験、そして「隣人を思いやる心【サンガイジウナコラギ(みんなで生きるために)】」は、閉会礼拝の最後、みんなの手に渡された風船に込められ、一人ひとりの未来に、まだ見ぬ隣人と出会うその時に向かって、飛び立っていきました。
「ネパールという行ったこともない、あんまり耳にしたこともない国、たいへんなこともたくさんあるだろうけど、素敵な笑顔の子どもたちがいる」。子どもたちは大人が思う以上のスピードでネパールと、そして全国から集まった子どもたち同士と打ち解けていきます。世界中の子どもたちが出会う機会があったなら、それがたとえ3日でも、世界は今よりもっと平和になる、そう思わずにはいられない3日間となりました。
最後になりましたが、子どもたちを送り出してくださった保護者の皆様、教会の皆様、そして様々な形で祈り・ご協力くださった全国のルーテル教会の皆様、女性会連盟の皆様、日本ルーテル神学校・ルーテル学院大学の皆様に心より感謝し、お礼を申し上げます。ありがとうございました。
(キャンプ長 小泉 嗣)

夏の次世代育成プログラム

広報室長 徳野 昌博

全国それぞれの教区で、次世代を担う小学生、中学生、高校生たちを対象とした夏の行事が今年も行われました。
全国レベルの「ルーテルこどもキャンプ」は1面(上記)に、北海道、東、西からの報告を4面に掲載しました。キャンパー、スタッフの皆さん、おつかれさまでした。そして、取材へのご協力ありがとうございました。
「ルーテルこどもキャンプ」は、上記の通りルーテル学院大学と広島教会で隔年開催です。今年はルーテル学院大学でしたが、広島教会でも、ルーテル保育所の年長組が、折りヅルを作って世界平和の祈りをささげました。「こどもキャンプ」の参加者の思いは保育所に通う子どもたちにも受け継がれています。
(4面に関連記事)

風の道具箱

赤とんぼの優しさ

夏の暑さが最高潮になるお盆の頃、故郷の阿蘇では赤とんぼが飛び始めます。赤とんぼは「秋」のイメージですが、夏の最高潮は秋のはじまりなのです。
昼間に歩くと太陽を頭に乗っけているような「九州の夏」。夜寝ていても汗をかいてしまう「うだる夜」。甲子園が一番面白い準々決勝の頃は、外出だけはさけたい時期です。しかし、それもお盆を境に風が一変するのです。
ちょうどその時、赤とんぼが飛び始めます。これ以上にない暑い夏のさ中に、赤とんぼを見た瞬間、頬にあたる風に秋を感じるのです。それは、辛く苦しい、もうだめだと思った瞬間にイエスさまの優しい眼差しに出会った時と同じです。
赤とんぼは、夏を乗り越えた私たちに、秋を運んでくれます。夏の暑さに負けずに飛ぶ赤とんぼは、もう秋がきてますよと告げています。神様が赤とんぼに与えた使命は、秋の優しさを伝えることなのです。
(柿のたね)

Information

■ルーテル学院創立百周年記念
ルーテル学院・聖望学園
浦和ルーテル学院 三校の集い
日 時 10月3日(土)10時開場 13時まで
会 場 東京カテドラル聖マリア大聖堂
司 式 河田優(ルーテル学院チャプレン)
説 教 江藤直純(ルーテル神学校校長)
■讃美奉仕■
ルーテル学院、聖望学園、浦和ルーテル学院聖歌隊、ハンドベルクワイア、湯口依子(オルガン)、石井真(トランペット)
※入場無料ですが整理券が必要です。
詳しくは下記までお問合せください。
■問い合わせ先■
ルーテル学院 チャプレン 河田優 0422-31-4611

牧師の声

私の愛唱聖句

唐津教会、小城教会 牧師 箱田 清美

わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。
フィリピの信徒への手紙 3章12節
神学校に入って一年ほど過ぎた時、そこにいることにどんな意味があるのかという疑問が湧いてきました。
大学闘争終焉の頃大学生となり、その後「神学」の輩となったものの、そこでの授業はかつて学生時代に感じた「何かが足りない」という思いを払拭出来ないでいました。教義は理解できても、人間が「生きる」ということの基本に触れて語りかけてくるようなものとは思えなかったことが根底にあったのでしょう。ある日、授業の終わりに、教師に問いました。非常によい講義を受けた日でした。
「今日の先生のお話は、なるほどと思わされた。それは頭では分かるのですが、自分の腹・こころにズシンとこない。いつもこういうことの繰り返しのように思うが……」。「問いを正確には理解していないかも知れないが」と断わって、「わたしたちは『キリスト・イエスに捕らえられている』のだ。だから、捕らえられた者として、この授業では、その次のことをしているのだ」というような返答がありました。小川修先生の宗教哲学の時間でした。何かを気付かせてくれたように思いました。「何とかして捕らえよう」と焦りにも似たものが自分にはあるが、しかし「捕らえられているのだ」ということへの思いが薄らいでいたことに思い至ったのでした。「捕らえられた者として」、それがわたしのその後の神学的研鑽の原点に置かれた視点でした。「自分中心」のあり方から、「神中心」のあり方へ。それを「生活する」のは、今でも模索の中にありますが、しかし、神学をする意味だけは見出したのです。
その後、なぜキリスト・イエスに捕らえられるのか、初期のクリスチャンたちは、なぜキリストに捕らえられたのか、その痕跡は聖書にすでにあるが、聖書はなぜ正典なのか、そのような問いを、「捕らえられた者として」抱きつつ、神学をしてきました。
牧師になり、かれこれ30年を経んとする今日、失敗の連続の後ろを振り返りつつ、いつも道半ばの思いだけがわたしを包んでいます。巷の同年の人はもう定年の年齢なのですが、そのような年齢に達して、また原点に帰る思いと恵みをこの欄で与えられました。牧師とは不思議な職業(ベルーフ)です。

信徒の声

教会の宝石を捜して

九州教区 熊本教会  村口 昭則

村口昭則兄は今年で82歳になられました。愛車を運転して奥様と共に礼拝に出席されている村口兄のポケットにはいつもキャンディが入っています。朝お会いした時に手渡してくださるだけでなく、礼拝中に咳き込んだ方にそっと渡しておられます。そんな温かいお人柄の村口兄に、半世紀にわたる信仰生活の思い出を、少しだけ教えて頂きました。
信仰歴を教えてください。
1958年4月6日イースターに江口武憲牧師より受洗、51年になります。
どのようなきっかけで教会に来られたのですか?
戦後12年経過した1957年に、ラジオ伝道放送ルーテルアワーを聞いたのがきっかけです。初めは躊躇しましたが、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」というマタイ7章7節の導きにより熊本教会を訪れ、教会生活を始めました。
教会生活の中で印象深い出来事は何ですか?
第5代の江口牧師から現在の朝比奈牧師まで8名の先生方に導き育まれました。また先に御国に召された信仰の先達ならびに現在の兄弟姉妹方の祈りと導きにより、 時代の流れの中を共に歩み、その間宣教100周年を迎えることが出来ました。心から感謝しております。
1985年より、九州女学院(現・九州ルーテル学院)に勤められています。どのような思いがお有りだったのでしょう?
朝な夕なに讃美歌を聞きながら、若い学生との交わりが出来たことを感謝しています。若い人が教会の礼拝に出席されるよう、伝道の思いを持って努めた次第です。
最後に村口さんの信仰の心構えについて聞かせてください。
神様が創造されたこの世界の守り手として、神様の恵みに感謝し、神様と人に仕え、御国の建設の為に希望に燃えつつ確かな足取りをもって、主が共にいてくださることを覚えつつ歩み続けたいと思います。
* * *
ありがとうございました。これからも教会の長老として、お元気で活躍されることをお祈りしています。
(インタビュー 朝比奈 晴朗)

7.高齢者伝道シリーズ(P2委員会)
人生の黄昏に福音の光を
大垣教会、岐阜教会 牧師  齋藤幸二
昨年、花見に行ったとき、定年を過ぎたであろう1組の夫婦と会い、言葉を交わしました。彼らの姿にほほえましさを感じましたが、同時にさびしさも感じたのです。老後の楽しみを求めても、近づきつつある死の闇を解決する光はそこにないように思えました。私には彼らが、希望を失い、夕暮れのエマオへの道を歩いている2人連れのように見えたのです(この2人連れはクレオパとその妻であったともされています)。
教会にとって、人生の夕暮期にある人々(団塊の世代である私も含めて)への宣教を考えることは、子どもや若い人々への宣教を考えることに劣らず大切なことです。それは、将来教会の戦力になるから、ということではなく、大切な1人の魂を神の国へ刈り入れるという、教会の本質的な働きに関わっているからです。そしてその働きは教会にいる同世代の人に与えられた課題ですから、この世の仕事をリタイアした今こそ、一人ひとりキリストの証し人、宣教者になりたいと思います。
エマオへの道を急いでいた2人は、見知らぬ姿で近づいたキリストの言葉に心を燃やされ、さらにキリストとの出会いを体験して、喜びの知らせを告げにエルサレムに向かいました。彼らの人生の方向が変わったのです。そしてキリストは今も、私たちを通してエマオに向かう人々に近づこうとされているのです。

いのち、はぐくむ   中井弘和

第6回 故 郷

親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。
幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。
(ルカによる福音書
2章39~40節)
昨年秋、全国ディアコニア・ネットワークのセミナーに参加して、韓国の古都、慶州市の郊外にある「ナザレ園」を訪ねました。そこには、戦争中、日本人妻として韓国に渡り、不遇を重ね辛酸をなめつくして行き場を失った20名ほどのおばあさんたちが人生最後の日々を送っています。午後の礼拝をともにし、しばし交流の時を持った後、一緒に賛美歌「主われを愛す」を歌って別れることになりました。ところが、それを歌い終わる間もなく、どちら側からともなく自然にあの唱歌「故郷」の歌がわきあがり大合唱となりました。
第3番「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん……」までくると、胸がつまって声が出なくなりました。想いはみんな同じだったでしょう。歌いながら、心は確かにひとつになっていました。実は、生きては再び故郷に帰ることのできない彼女たちと、その日本からやって来て、すぐまた戻り行く私たちとの間には大きな心の溝があるのではないかと密かに気にかかっていました。そんな杞憂がとけ去り、癒されたのは、おばあさんたちの突き抜けるような朗らかさと寛容さに包まれたからにちがいありません。
あの3番には、生涯をかけて信仰という志を果たして天国に帰る、という意味があるとも言われます。日本の近代音楽の基礎をきづいたとされる、「故郷」の作曲者、岡野貞一(1878~1941)は、生涯をキリスト教への信仰に捧げた人でもありました。音楽活動のかたわら、教会礼拝のオルガン奏者を40年以上にわたって務めていました。その作詞者の意図は別にしても、この歌には、イエスへの深く敬虔な心が響いていることは確かです。
「韓国の土にはなっても、魂は日本の故郷に帰る」というおばあさんたちの望郷の念は想像に難くありません。そのような重い言葉の前に私の心はたじろぐばかりです。山も川もすっかり汚れてしまった日本に彼女たちの魂が帰るべき故郷は在るのだろうかと。しかし、共に歌い涙を流していた時、おばあさんたちが見ていた故郷は、日本よりはるかに遠く美しい国、神の国だったのではないかと、今は思えるのです。

路帖百年。1909年~2009年

神学校のルター神学への貢献(2)

太平洋戦争後から現在へ
太平洋戦争ののち神学校再建に当たられた岸千年校長は、一時は総会議長をも勤めながらの忙しい働きをされた。もともとはバルト神学に関心を寄せられたが、バルト神学全盛時代の日本の中で、ルターについて、また北欧を初めとするルター神学書を翻訳紹介、自らも『ヘブル書講解におけるルターの神学思想』(1961)を著し、ルターの信仰理解の鍵ともなる試練の問題に取り組まれた。聖文舎を根拠として、広く日本の学者たちの援助を受けて『ルター著作集』(1963)の発刊の中心となり、ご自身の訳業も加えられた。さらに「ルター学会」(1971)発足を図られた。
著作集や学会の働きは徳善義和教授が要となって受け継ぎ、さらに鈴木浩教授がその後を受け、偏狭でないルター研究の中心となっている。また徳善教授を中心に「ルター研究所」が学内に形成され、『ルター研究』誌や教文館からの『ルターと宗教改革辞典』(1995)、『ルター著作選集』(2007)の発行となった。『ルター著作集』第二集も聖文舎ののちリトンが発行所となり、その作業が研究所を中心に続けられている。学内でも研究所提供のルター研究の講義や主として牧師たちのためのルター・セミナーも開かれている。
(石居正己)

関門の丘から 松隈 勁

あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
(ペトロの手紙一4章10節)

9月。夏休みが明け、生徒たちが学校に戻ってきた。しばらく見ないうちに、なんとなく、たくましくなった様子が感じ取れる。自己を律しながら過ごした1ヵ月半の貴重な体験の蓄積がそのように感じさせるのかもしれない。
9月の終わりに催される梅光祭(文化祭)に向けてのあわただしい日々が、いよいよ始まる。とりわけ、1学期後半から始めた合唱コンクールに向けての練習は総仕上げの時期を迎え熱が入る。クラスが一丸となって取り組んできた成果が問われるだけにどのクラスも熱心だ。梅光祭は部活動にとっては1年間の成果を発表する晴れの日でもあるが、クラス企画や有志の参加もあって賑やかな1日となる。教師にとっても生徒一人ひとりがこんなにも多くの賜物を持っていることに感心させられる1日でもある。
学校とは、学力だけでは計ることができない多くの賜物を持った個々の生徒たちの進路を保証する営みをなす場所である。地方のミッションスクールは、そこに集う子どもたちの学力の層は幅が広い。また、いじめなどに傷ついた子ども、ハンディキャップを背負った子どもたち等を広く受け入れながらそれぞれに異なった賜物に寄り添っていく場所でもある。近年、少子化が進む中で私学の多くは進学実績一辺倒の経営方針に偏ることに生き残りをはかり、それに成功してきたかのように思われる。しかしミッションスクールの使命は一人ひとりを大切に育てていくことにある。本校は生徒の数だけ選択教科があるといっても過言ではないくらいにきめ細かい指導体制をとっている。その理念を愚直に堅持することはあるいは時代の要請に逆行することになるのかもしれない。事実、本校の生徒数は一時期に比べると半数にも満たない状態にある。試練の時である。
敬愛する恩師の声が聞こえる。「狂える強者のための教育を廃し、弱者が強く生きていくことができる知恵を与える教育こそミッションスクールの教育ではないだろうか」。ミッションスクールは幾度となく苦難の時期を歩んできたがいつも聖書の言葉と、その教育を是とする同窓生に支えられながら耐え忍んできたと思う。

西教区教師会より

西教区教師会では毎年牧師退修会を行い、親睦と研鑽を深めています。今年は5月18日から20日、岡山県の鷲羽山にて行われました。テーマは「新教会」となったシオン教会と、下関・厚狭・宇部教会における教会共同体の取り組みについて、西中国地区の宣教を取り上げました。
複数牧会、1人の牧師が2つの教会を受け持つのは当たり前、3つ以上という事態が起こっています。西中国地区ではそれぞれの牧師が複数牧会をしています。そうなりますと1人が体を壊して休職した場合、もう1人が1週間で5か所の礼拝を司ることになり、実際にそれが起こりました。都市と違って学校機関があり、引退した教職が近くに住んでいるわけではありません。ヘルプもなく、サポートもないのです。
私自身当時牧師補でありながら、地区長の任が与えられました。つまり、まだ2年目でありながら、この地域に私よりも長く牧会に携わる正規の教職がいないということです。このような実情を過去の牧師配置図に照らし合わせて検討をいたしました。そうしますとここ数年、牧師が2~4年間の短期間で交代していること、その度に経験のない新卒者が派遣されていること、新卒者を指導する経験の豊かな牧師が近くにいないこと、休職者の補充がないこと、主管者は事実上教会に関わることができず名前だけの主管者となっており、どこまで主管者として責務を果たすべきなのか不明瞭であることなど、いくつかの課題が上げられました。
そこから導き出される結論は、牧師を支援するようなネットワークや体制が必要だということです。このような課題は各個教会や地域教会の努力だけで克服することはできません。組織上の課題として牧師の育成や配置をどのように考えるのか、宣教計画を含めた長期的な展望が求められます。
西教区教師会では2泊3日という貴重な時間を割いて、このように退修会を行っておりますが、それは孤軍奮闘している新卒者や若手牧師をサポートする充実した時となっております。これも教会の応援があればこそ。諸教会のご理解とご協力に心から感謝いたします。

西教区教師会会長 小勝奈保子

日本福音ルーテル教会教師志願者募集

2009年度の日本福音ルーテル教会教師試験を先により行いますので、志願者は、必要事項を添付して、本教会事務局にお申込みください。
― 記 ―
一、提出書類
1.教師志願書
2.履歴書
3.教籍謄本
4.成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書
5.所属教会牧師の推薦書
6.神学校卒業(見込み)証明書及び推薦書
7.健康診断書
二、提出期限
2009年9月18日(金)午後5時
三、提出先
日本福音ルーテル教会 常議員会会長 渡邉純幸(但し、書類の送付先は、日本福音ルーテル教会事務局とする)
四、試験日及び試験内容については、本人に直接連絡する
以上
日本福音ルーテル教会 常議員会会長
渡邉純幸

夏の次世代育成プログラム

北海道特別教区ルーテル子どもキャンプ

教区主催のルーテル子どもキャンプは、8月3日~4日、日高山脈の麓、原生林樹海の中にある穂別キャンプ場で行なわれました。子ども44名、スタッフ21名の大所帯です。ヨセフ物語をモチーフにしたプログラムは、なかなか良く工夫され、それが進行するにつれて、神さまが共にいてくださることを、より深く学んでゆけるように組み立てられ、子どもたちも関心を持ってついて来てくれました。
1年生は皆、今年3月までは、幼稚園の年長さんだった子。その子たちが、ぎこちない仕草ながら、丁寧に食器を洗う姿には、ちょっとじんとくるものがありました。
(キャンプ長 重富克彦)

東教区 ティーンズ夏の献身・堅信キャンプ

ティーンズ夏の献身・堅信キャンプが7月27日~31日に諏訪教会で行われました。ワークやハイキングをしたり、今回のテーマ「NEED YOU!」について聖書に聴き、語り合い、思いを深めたりと、とても充実した5日間となりました。
(担当牧師 安井宣生)

関西CSキャンプ

8月6~8日、奈良県の月ヶ瀬で47回目のキャンプが開催されました。今年のテーマは「まいごの羊」、遠足で一人きりで宿舎に帰って、不安な気持ちを分かち合ったり、毛糸で羊の人形を作ったり、楽しい時間を過ごすことができました。
ここ数年、百名をこえる規模で行われてきましたが、管理責任の問題やスタッフの重荷を考え、日頃から教会学校に来ている子どもたちを対象にすることで、今回は60名になりました。そのことで一人ひとりの子どもたちに、より深く関わることができたことは課題はありつつも収穫でした。また中高生も独自のプログラムを持つことができました。
あと何回数えることができるか? 一回、一回を大切に育てていきたいと願っています。
(キャンプ長 松本義宣)

※10月号では東海教区、九州教区と東教区宣教ビジョン・センター関連記事を紹介します。

お知らせ

■南米の教会音楽の楽しみ アルゼンチンからパブロ・ソーサ氏を迎えて
日時:9月15日(火) 18時30分~21時/会場:日本聖公会 聖アンデレ教会
参加費:1500円(当日会場で受付。どなたでも参加できます)
お問合せ:宮崎 光(日本聖公会 東京教区礼拝音楽委員会) TEL:042-493-7472
■日本福音ルーテル社団創立100周年記念礼拝
日時:9月22日(火・祝日) 10時~12時/会場:JELAミッションセンター
説教者:A.エリス引退宣教師
■神学校創立100周年記念
パネルディスカッション「どうする、どうなるルーテル教会の宣教」
日時:9月22日(火) 15時~18時/会場:JELC東京教会
■神学校(ルーテル学院) 100周年記念式典
日時:9月23日(水・祝日) 10時~12時/会場 三鷹市公会堂
記念式典:記念講演・鎌田寛氏「命を支えるということ」
■神学校創立100周年記念講演 日野原重明氏 講演会
日時:10月12日(月・祝日)14時~15時30分/会場:ルーテル学院大学

住所変更

小嶋 三義 (引退教職)
〒204-0023 東京都清瀬市竹丘1-17-24 ケアハウスいずみ214
電話、FAX共用:042-496-7580

新事務局移転完了

8月17日、「ゆったり空間・一つに集う」の念願であった教会事務局移転が完了しました。
これまで、宣教・広報室、総務室、事務管財室の3部屋に分かれ連携に苦慮していました。聖文舎跡利用のチャンスを逃さず移転を決定し施行しました。
新しい事務局配置案は事務局長が担当し、中心にテーブルを置き、全員が中心にすぐに集まれる配置にしてあります。各自の働きの充実と、共働を目指しています。東京においでの時はぜひお立ち寄りください。

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