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機関紙るうてる

るうてる2014年3月号

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説教「死と再生のドラマ」

日本福音ルーテル鶴ケ谷教会・仙台教会牧師 藤井邦昭 

「だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。」 (ルカによる福音書 十五章三十二節))

『聖書』と言う本に魅せられて、もうかれこれ五十年以上も読み続けているが、未だに厭きないし、また未知の部分が余りにも多すぎて、神様からあと百年の命を与えられて読み続けたとしても、なお「読み足りない」だろうと思う。「聖書」は実に不思議な本である。
 旧約と新約を含む「聖書」の主題を一言で表現すれば、それは「死と再生」であると思う。聖書巻頭の書「創世記」は、「初めに神は天と地を創造された」と言う言葉で始まっているが、神が天地を創造する前の宇宙は、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」。これはつまり、「無」の世界を意味するのだろう。その無の世界に「光あれ」と光を創造した神は次々に諸々の物を創造されるが、これは「無から有の創造」である。つまり「無」の意味するところは「死」であり、「有」の意味するところは「命」である。神は「無という死の世界」から、「有という命の世界」を創造されたのである。
 アブラハムはどうであろうか。彼らには「子」を設けることができなかった。妻のサラは「不妊」であり、既に「年老いていた」。つまり、彼らが死ねば、彼らの命を繋ぐものは誰もいなくなる。その彼らが「子孫」が与えられる約束を聞くのである。アブラハムの人生は波乱に満ちたものであったが、約束通り「子(孫)」を与えられたのである。これもまた、子がいないという象徴的な意味での「死」から、子孫を与えられるという「再生」の物語なのである。
 モーセの出エジプトも然りである。奴隷状態である民とは、いわば「死せる民」であり、そこから脱出し荒野の放浪の後、約束の地に辿りつく過程は、まさに「死せる民」から「生ける民」への「死と再生」の物語である。ダビデも取り返しのつかない大きな罪を犯して一度は人間的な死を経験するが、悔い改めることによって、新しい人間として生まれ変わる(再生)のである。
 このように、聖書の物語は「死と再生」を語る。新約聖書の「放蕩息子のたとえ」でも示されているように、弟息子は放蕩により「死んでいたのに生き返った」と言う、死と再生のテーマが明示されている。聖書は、人間の死を罪の結果としているが、それは原初の人間アダムとエバの物語に示されているとおりである。アダムとエバは、罪を犯すことによって「死ぬべき存在」として、エデンの園の外で生きる者となったのである。
 死と再生の物語のクライマックスは、イエスの十字架と復活である。イエスの十字架はアダムの罪責を継承する私たちの罪を赦免することであると共に、実際日々に犯し得る罪をも赦すものである。私たちはイエスの十字架の死によって得られた罪の赦しを受けている者であり、これはまさに「罪によって死んでいた者」から、「赦されて義に生きる者」にされたということである。これは、私たちが「罪に死に、義に生きる」という、死と再生を経験することなのである。
 イエスは十字架で死ぬが、三日目に復活する。まさに、死と再生のクライマックスを迎える。陰府にまで下るがーそしてそこからは誰一人生還することは不可能であるにもかかわらずーイエスは生還するのである。全能の神の力に「不可能はない」。イエスの復活は、私たちに「死は終わりではない」ことを告げている。私たちはこの地上にあっては必ず死ぬが、それは復活するために死ぬのである。復活のために死ぬのであれば、死は恐怖でもなく、絶望でもない。死の苦しみは誰も免れないだろうが、復活(再生)のための死であるゆえに、希望を持って死ぬことができるのである。
 毎年「四旬節」を経て「復活祭」が訪れる。私たちはこの時期、イエス・キリストの十字架と復活に思いをはせながら、自分の人生の終わりを希望を持って見つめつつ過ごすのである。死のその先には、復活と言う命があるのだ! 
 『聖書』は、あらゆる「死」の状態にあるものに「命」を与え、再生させる『命の書』なのである。

宗教改革五〇〇周年に向けて ルターの意義を改めて考える(23)

ルター研究所所長 鈴木 浩

 ルターは「律法の第三用法」には深入りしなかった、と指摘した。そこに内在する危険をルターの「神学的センス」が察知していたからである。
 さて、ルターも同僚のメランヒトンも、若い頃から「すべては必然性によって起こる」と語っていた。神の支配が行き渡っていない空間や時間はありえないのだから、何であれ「偶然に」起こることはないからである。
 すべては必然性によって起こるという事態を神学的に整理した教えが、「予定論」という教理である。これまた、あのアウグスティヌスが本格的に築き上げた教理である。
 ここでは基本的に言って「偶然」とか「自由」とかの余地はなくなる。神がすべてを「予定」するからである。教会はアウグスティヌスの死後百年経って、予定論を公式に断罪した。
 当初、予定の教理を強調したルターであったが、途中から、それを止めた。ここでも深入りは危険だという気配がしたのだ。予定論に深入りすれば、人間には絶望しか残らない、彼はそう察知した。 義認論では猛然と突き進んだルターだが、彼は踏み留まることも知っていた。ルターの「神学的センス」が光るところだ。

牧師の声岡崎教会 「登録有形文化財指定のその後」

岡崎教会 宮澤真理子

岡崎教会の礼拝堂は、昨年七月十九日に開かれた文化審議会にて登録有形文化財となりました。献堂六十年目を迎えた記念の年でした。この礼拝堂を地域の方に見ていただきたいという願いは、すぐにかなえられました。
 七月二十七日(土)岡崎市教育委員会による一般公開に二十名の方が参加されました。十一月上旬にケーブルテレビが「情報特急」という十五分の番組を放映、同時期に岡崎市美術博物館が「古今東西の祈りの風景」という展示の企画としてバスツアーのコースに入れていただきました。(写真下)
 町内会では、町内活性化のためのイベントとして十一月三十日(土)に、ゴスペルコンサートが実施され、町内から百名の方が来てくださいました。さらに町内で、子どもたちを対象にもちつきを計画してくださいました。十二月二十一日(土)の当日は、中学生による吹奏楽、大学生によるバルーンアート、小学校保護者による影絵話、地元新聞社のゆるキャラの企画も行われました。「ルーテル教会で遊ぼう」というチラシを作ってくださり、この日も百名の方が教会に来てくださいました。
 文化財になる直前の六月には四十名が集まる学校の同窓会の会場として使われ、同月開かれたルーテル社団のフルートコンサートには、地域の方を中心に六十名が来てくださいました。
 こうして昨年だけでも、のべ三百名を超える近隣の方が教会の中に入ってくださいました。
 「教会の建物は知っていたけれど、初めて入った」という方や、「中に入ることが念願でした」と自作のスケッチをもってきてくださった方もいました。
 わたしは、思いをはるかに超えるたくさんの出会いを経験しました。
 文化財になったことで、これからも建物を見に来られたり、町内会で使われることと思います。教会の中に入ってくださることがきっかけとなって、神様との出会い、聖書との出会いに結びつきますようにと、祈りの課題が与えられています。

信徒の声「おしゃべり広場」

大岡山教会 河西照美

大岡山教会は東京都大田区の北西、洗足池と東京工業大学に近い環境の良い住宅地にあります。信仰を育み、教会を愛した先輩方の思いが、教会の建築やアートに表れています。
 家族による信仰継承の賜物により、若者が活躍しています。政治や環境を見ると未来に不安ばかり感じますが、大岡山の若者を見ると夢や希望が見えてきます。

 そんな大岡山教会では、「おしゃべり広場」と名付け、地域のたまり場として、また交流の少ない高齢の方が気軽に集える場所を提案できたらとの思いで、2012年5月より女性会有志により集まりを始めました。火曜日の午後、教会に来れば誰かいて、お茶を飲みながらおしゃべりが出来る、そのような趣旨で、現在までほぼ休まず開いて2012年延34回、2013年51回を数え、8名~16名の参加になっています。
 ご近所の方や教会員が集まり、季節に合わせ編み物、手芸、ブローチ造り、カード作りなどを楽しんでいます。壮年が集まるときは、碁やマージャンも楽しんでいます。特に編み物は、ご近所の方が高度な技術を教えてくださいます。
 方言を使い昔話を朗読してくださる地域の方は、買い物のついでに「おもしろい会があるから来ない?」と気軽に声をかけ、おしゃべり広場を宣伝してくださいます。12月にはクリスマス用にフラワーアレンジをご近所の先生が教えてくださり、ロビーが華やかになりました。昨年最後のおしゃべり広場では、参加された方々の生い立ちや洗礼に至る思いなどを伺う機会を得て、涙や笑いで盛り上がったプチクリスマス会を行うことができました。
 このように思いもしない恵みが与えられ、教会員同士もゆっくりと話をする時間になっています。ほとんど宗教色を出さない会ですが、少しずつ地域に定着してきています。暑い日も寒い日も、案内のために玄関にイーゼルを出し、喜んで奉仕してくださる女性会のメンバーに心から感謝しています。また、立ち上げ当初のメンバーである姉妹の体調を主が守られるように皆で祈っています。
 「この大岡山に小さなたまり場がある。そして開かれた教会がある。」このメッセージをこれからも発信できたらと思います。

「東日本大震災ルーテル教会救援」(JLER)への支援に感謝して

JLER救援対策本部長 青田 勇

2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地での救援・支援活動のために、日本福音ルーテル教会は3月14日、本教会に東教区の協力を得て救援対策本部を設置し、各個教会・関係施設及び多くの海外教会からの支援に応えるために、日本における4つのルーテル教会及び関連施設(社団・大学等)の協力・協同の救援組織「東日本大震災ルーテル教会救援」(英語表記Japan Lutheran Emergency Relief)をルーテル4教団の議長の下に2011年3月24日に発足させました。
 同時に現地活動事務所として「ルーテルとなりびと」を仙台教会に置き、宮城県を中心に被災された多くの人々への多角的な救援活動を、現地スタッフの働き、各教会からの支援とボランテイアの人々の奉仕活動、世界の教会からの多額の援助により、3年間にわたるルーテル教会としての救援活動を滞らせずに継続できたことを心から感謝いたします。

 これまでJLERの支援活動を支えて来た基本指針は以下の通りです。
①「キリストにおける愛の奉仕」の業に基づき、東日本大震災で被害を受けた被災者の復旧・復興のために可能な限りの多角的な救援活動をルーテル4教会の共同事業として取り組む。
②霊的にも、心理的にも、身体的にも苦しんでいる被災された人々に深く関わり、その生命の声を聞き取り、「希望と喜び」の内に共に生きる道を見出すための必要な支援を行うことは神の憐れみの宣教そのものであり、これに参画する召しが神の民に呼び求められている。
③日本のルーテル教会の宣教力を結集した支援事業である「ルーテル教会救援」活動は、日本国内だけでなく、LWFを中心に世界のルーテル教会・団体と強く結びつき、知恵と支援を得つつ、開かれた救援活動として可能な限り長期的に取り組むこととする。

 2014年3月末をもってJLERの活動は終結しますが、神の恵みと導きにより、この支援活動が被災地域の人々の将来に向けての新たなる希望の道を開くための一助となったことをキリストにおいて信じるものです。それと共に、3年間、この支援活動を日々支えくださった、本部の4教団議長、委員、全国の牧師、現地スタッフの方々、数多くのボランティアの方々、ルーテル教会である諸教会・施設、信徒の方々、教会関係者、それに世界の教会・団体の方々に心より感謝いたします。

牧会者ルターに聞く11

第四章ルーテルDNAその二・「いま、ここで」の臨場感に浴して

石田順朗

再度、『アウグスブルグ信仰告白』第七条を読む。「それ[教会]は全聖徒の集まりであって、その中で福音が純粋に説教され、聖礼典が福音に従って与えられる」。
 前回は「聖書のみ」の「のみ」が、その排他、独善的な響きとは裏腹に、聖書が読まれ、み言葉が説教されるとき、神の言葉が会衆を包み込み、その一人びとりに結合する包括性をもつことを知った。今回は、「聖礼典が福音に従って与えられる」とき、「恵みのみ」の「のみ」が、幻想や偶発事ではなく、「いま、ここで」という臨場感をもって神のお恵みを丸丸現体験し満喫する陪餐者の喜悦であることを学び取りたい。
  「いま、ここで」といえば、ニュースで「今現在の為替レートは」などと報じる目下はやりの重ね言葉、「今現在」。同語を重ねることで意味を強調する言い回しは多いが「今現在」もその一つに定着したようだ。言葉の乱れを嘆くふしもあるが、「近いうちに」が政界の論点ともなる昨今、「過ぎ去らない過去」、「明日なき今日」とか「見通せない未来」と時の流れを把握できず、絶えず「安全とはいい切れない不安」に囲まれ、世の終末の切迫さえ聞かれる。なるほど「今現在」は、誰もが渇望する「確かさ」の象徴になった。 国際ネット化した情報網の「リアルタイム」に制御される時間意識からも直感的に共鳴できるし、即刻短絡的な便利さを享受できる。でも実際には、視点が薄れ視野が狭くなり余裕を失う姑息な生活が繰り広げられて行く。ぜひとも踏ん張りが利いて頼り甲斐のある「いま、ここで」が欲しい!
 こうしたなか、主日礼拝で聖餐に与るときの感激を何とか上手に表現したい。幸い、「第十条 聖晩餐について」の言葉がある。「すなわち、キリストの真実のからだと血とは、晩餐におけるパンとぶどう酒の形態のもとに真に現在し、またそこで分与され、受けとられる」。「肉体的な飲食が、どうしてこのような大きなことをすることができますか」繰り返し疑問が湧くかも知れない。
 しかし、ルターは明瞭に答える、「もちろん、それをするのは飲食ではなく、ここにしるされた『これは、罪のゆるしを得させるようにと、あなたがたのために与えられ、流される』とのみことばです。‥そしてこのみことばを信じる者は、このみことばが語り宣言すること、すなわち罪のゆるしを得るのです」(『小教理問答書』)。
  「主の晩餐」における実態変化の「化体説」から「象徴説」、いや「共存、現在説」と、かつて聖餐論で学んだことも役立つが、まさに「いま、ここで」どっぷりとそのご恩寵に浴する「恵みのみ」の臨場感に、この身の至上の悦びを重ね合わせている。これまた「ルーテルDNA」の所為(せい)だ!

勝利の小羊の栄光

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

このステンドグラスは、和歌山県橋本市の、聖公会橋本基督教会にあります。
イスラエルのヨルダン川のほとりで洗礼者ヨハネは、ナザレ人イエスのお姿を見て、「見よ、世の罪をとりのぞく神の小羊」と叫びました。

 いけにえの小羊は、無垢、純潔、柔和、謙虚、忍耐の象徴で、主イエス・キリストを示します。主イエスは、神の国の福音を宣教されたのですが、人々はその主イエスを逮捕し、尋問した上で、屠り場に引かれる小羊のように、十字架の磔刑にし、死の床に埋葬したのです。

 しかし主は、聖書にしめされたとおり、三日目に復活なさったのです。
「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に感謝しよう」。(『コリントの信徒への手紙一』15章55~56節)
勝利の旗を打ち振る小羊に栄光あれ! 神の小羊、主イエス・キリストをすべての人々と共に讃えます。

BOOK REVIEW『ルター研究』別冊第一号の出版

ルター研究所所長  鈴木 浩

 近づく宗教改革五〇〇周年を前に『ルター研究』別冊第一号が出版された。収められているのは、以下六本の論文である。

一問題提起:ルターの現代的意義を問えば……「宗教改革五〇〇周 年と私たち」を考えるために……徳善義和

二ルター・プロテスタンティズム・近代世界……宗教改革五〇〇周年のために
 ……江口再起

三ルターの宣教の神学と今日のルター派の宣教理解(一)……江藤直純

四『ルーテル教会信条集一致信条書)』の邦訳の歴史的背景と意義……T・マッケンジー

五ルター、エラスムス、エンキリディオン、悔い改め……高井保雄

六ルターの讃美歌考……『バプスト讃美歌集』(一五四五年)に見る……徳善義和

 この別冊は、二〇一七年の第五号まで順次出版していくことにしている。内容は毎年開催している「牧師のためのルターセミナー」の講演である。

 書店では入手しにくいので、ファックスまたはメールでルター研究所宛てにお願いしたい。(送料込み、二〇〇〇円)
ファックスは、0422・33・6405、メールは、hsuzuki1945@yahoo.co.jp

 なお、このセミナーは「牧師のための」と銘打たれているが、信徒の参加も歓迎している。日程は毎年、六月の第一月曜日から水曜まで、会場は、「マホロバマインズ三浦」で固定している。詳細は春先に教会にお知らせすることにしている。

石田順朗著『神の元気を取り次ぐ教会 説教・教会暦・聖書日課・礼拝』

 日本福音ルーテル久留米教会、稔台教会、市ヶ谷教会で牧師として勤め、ルーテル神学大学、九州ルーテル学院大学で教鞭を取り、そして、ルーテル世界連盟神学研究部門の局長でもあられた石田順朗博士の新著です。
 四六判美装186頁、定価1200円(ルーテル教会の会員には、著者によって、頒価1000円でお分かちしてくださいます)
 所属教会でまとめて取り寄せ、または版元の「リトン社」にファックス(〇三―三二三八―七六三八)で注文して下さい。
 この本については、本紙2月号で日本ルーテル神学校の石居基夫先生のご紹介がありました。元気を失ったかのように見える私たちの教会に、「神の与える元気」を分かち合おうという呼びかけです。
 特に、教会暦から聖書日課への流れは、私たちの目を開いてくれるのではないでしょうか。  広報室

神学校・大学に新しい展開

日本ルーテル神学校長 江藤直純

創立百十五年の日本ルーテル神学校、五十年目の節目のルーテル学院大学(東京・三鷹)でこの春大きな変化が起こります。
 まず、大学ですが、学科を再編します。神学部神学科で出発し(現在はキリスト教学科)、社会福祉学科、さらに臨床心理学科の三学科体制をルーテルの特徴としてきました。
 それが、少子化はじめ外部環境が厳しくなる中で、生き残りさらに新たな発展をするためのユニークな大学にするために、「一学科五コース」体制を選び取りました。
 人間福祉心理学科とし、キリスト教人間学、福祉相談援助、地域福祉開発、臨床心理、子ども支援コースを揃え、従来のルーテルの教育・研究の蓄積を出口をはっきりさせながら再編しました。一学科であることから、コース間の壁は低く、学生の関心に応じて幅広い学びができます。
 神学校も入学資格を大卒とし、宣教を主題にカリキュラムを充実させます。大学の旧課程の移行に合わせ三年かけて新カリキュラムに移ります。
 教学態勢の改革と同時に四年に一度の学長・校長選挙で長の顔ぶれが変わりました。神学校長は江藤が十二年務めた後、新たに石居基夫教授が第十代の校長に就任します。新しい感覚で牧師養成の先頭に立ちます。
 大学は、やはり十二年間学長を務めた市川一宏教授のあとには現神学校長の江藤が選ばれました。神学教師の二人が二つの重責を担うので、神学教育が手薄にならないように、多くの方の協力をいただきながら、大学の改革路線を推し進めつつ、神学校で牧師養成に励んでいきたいと思っております。
 教会が立てたこの教育機関の存続と発展のために皆さまのお祈りとお支えをよろしくお願いいたします。
 ルーテル学院は後援会の支援を得て、二年間かけてパイプオルガン設置のための献金(千百万円)もお願いすることになります。
 キリスト教精神がより豊かに満ちるためにこちらもお力添えください。

LWF地球温暖化対策で断食キャンペーンをよびかけ

 昨年11月にポーランドのワルシャワで開かれたCOP19(気候変動に関する国際連合枠組条約会議)に、ルーテル世界連盟LWFは青年の代表団を派遣しました。青年たちは、会議の席で地球温暖化対策が急務であることを力強く訴え、自分たちにできることとして断食キャンペーンを呼びかけ、まずは自ら行動を起こしました。呼びかけに対してはキリスト者だけでなく非キリスト者も数多く加わり、気象変動の影響を受けやすい人々と連帯していく覚悟を断食によって示しました。これを聞いたLWF議長と事務局長もすぐさま賛同し行動を起こしました。
LWFは加盟教会に向けて、青年代表が主唱した断食キャンペーンへの参加を次のように呼びかけています。

 今後増え続ける極端な気象変動の影響を著しく受ける人々と、断食をして連帯しましょう。宗教の違いや信仰の有無を問わないひとつの声を見える形にするために、一人でも多くの人がこの呼びかけに賛同することを願っています。
 みなさんの教会でもこのシンボリックな声を真摯に受け止め、毎月一日に断食することを検討してみてください。今年の12月1日にペルーのリマで開催されるCOP20までこれを続けていきます。
世界宣教主事 浅野直樹

女子学生会館「文京カテリーナ」入館者募集中!

小石川教会牧師 徳野昌博

 JELCの収益事業の一つであり株式会社ザ・ルーテルが経営する「女子学生会館文京カテリーナ」は耐震工事後、初めての新年度を迎えます。
 再び満室にしてスタートしたいと、職員さんたちは張り切っています。 職員さんたちは、本当に親身になって在館生さんたちのお世話をし、よき相談相手になっておられます。在館生さんたちへの心配り、健康面への気遣いは、実に細やかで、学生向けマンション等とは全く違う家族的な温もりを感じます。
 館内は実に掃除が行き届いており、清潔で、安心感を与えています。そして、便利なところにありながら、他の学生会館に比べて、室料が決して高くない、いや安いというのも人気を得ている要素のようです。
 全国のルーテル教会の方々にも、カテリーナのことをもっとよく知っていただき、東京で学生生活を送ろうと考えている女性がいれば、紹介してほしいと願っています。ルーテル教会の関係者がもっと増えるといいなぁと思っています。
 小石川教会に来ている在館生にお願いして、感想文を書いていただきました。

文京カテリーナの特長
●基本的なアイテムが揃ったワンルームタイプの個室
●都心の立地で、どこへでも便利にアクセス
●食堂もサインひとつでOK
●共用スペースでネットワーク作り
●24時間体制のセキュリティで、親御様も安心
●身体の調子が悪いときにも、しっかり対応
●万一の際のために、避難訓練を実施
【立地条件】
都営三田線千石駅徒歩5分/JR山手線巣鴨駅徒歩13分/都営バス「千石2丁目 」バス停前
【施設概要】
所在地:東京都文京区千石2‐30‐12
建物概要:鉄筋コンクリート造・地下1階・地上9階
学生個室:160
【1ヶ月にかかる費用】
A 室料 33,000円~75,000円)
B 共益費24,000円
C 食券代 2,400円(税別)・・・夕食4回分の食券
その他、 個室の電気代、朝食代、夕食代(5食目以上)、インターネット使用料など
詳しくはホームページでhttp://www.katerina.gr.jp

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