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機関紙るうてる

るうてる2013年10月号

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説教「神様の恵みによって弟子となる」

 日本福音ルーテル小石川教会 徳野昌博

「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。 自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。…」
ルカによる福音書14章25~33節

 

天国へと帰っていかれたイエス様は、エルサレムへの旅の途中、折に触れ、天国への旅の心得を教えてくださいました。

旅の秘訣は、「荷物は少なく、身軽に」と言うことですが、今日、イエス様は「自分の十字架を背負ってついて来る」ようにと言われます。これは難題です。ですから、「腰を据えて計算」するように、「腰を据えて考えて」みるようにと教えてくださいます。
「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、さらに自分の命であろうとも、これを憎まないなら・・・」とは実に厳しい。イエス様は、家族の係累をあげつつ、父から始まって、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、さらに自分の命にまで及んで、それを憎み、拒否することを要求されます。「家族」の全員で、一人の例外もないのです。これができないなら、イエス様に従う者としてはふさわしくないのです。
これは、一人ひとりの中にあるエゴイズムへの警鐘、挑戦です。家族のエゴ、国家のエゴ、人類のエゴがあります。それはどんなところにも顔を出しています。神の国で生きるために、エゴイズムとの、まことに厳しい、妥協することのない戦いが求められます。それは、父なる神様のお心に従って、すべての人を救うために、ご自身を十字架に渡されたイエス様の生き方そのものでした。
今、イエス様は、自分の十字架を負って従って来るのでなければ、わたしの弟子ではありえないと断言して、イエス様の弟子であることを、つまり、ご自分と同じように生きることを弟子たちに、愛する者たち、私たちに期待されたのです。
「自分の命を憎み、自分の十字架を背負ってついて来る」よう教えてくれるイエス様は、大切な家族、そして、身近であれば身近であるほど心通わせる仲間に対してなおも、私の主体性、自主性、自由を保つことができるかと問うておられます。
「愛には恐れがない」とヨハネは教えてくれましたが、そのように、本物の愛はすべての恐れ、委縮から、私たちを解き放し、自由にします。それと同時に、真実の愛は、最愛の者に対しても、抵抗する、あらがう力を持つ者とします。
イエス様は「まず腰を据えて」と言われます。それはイエス様に従う覚悟があるかどうか、そのために一切を捨てる覚悟があるかどうか、前もって計算し、じっくり考えなさいということでしょう。人生について、将来について、真剣に考えるべきです。しかし、思い悩んではいけません。

弟子たちは、すべてを捨ててイエス様に従いました。しかし、ある時、ペトロはこう言いました。「この通り、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか」と。ペトロは何もかも捨てて従っていたつもりでしたが、どっこい、自分自身は捨てていなかったのです。 結局、私たちも、どこまで行ってもそうなのです。自分を捨てきれないのです。それでもいいのです。そのままでイエス様の十字架のもとへ行くのです。イエス様のもとに、自分の十字架を抱えて行くことが許されています。
イエス様の厳しい言葉は、裏を返せば、神様の恵みがすべてであり、それだけを頼みとすればよし、他のものは一切必要無しとのよき知らせなのです。神様の恵み、慈しみによってのみ、私たちは救われ、今日も生かされています。

宗教改革五〇〇周年に向けて

ルターの意義を改めて考える(18)

ルター研究所所長 鈴木浩

 

ルターの神学は「神の言葉」の神学であった。創世記によれば、神の創造活動の最初は、「神は『光あれ』と言われた」(口語訳)とあるように、神が語った、という事実であった。この創世記の言葉を意識しつつ、福音書記者ヨハネは、「初めに言(ことば)があった」と福音書を書き出した。
日本語の「言葉」は「事の端」(ことのは)、つまり「事柄の周辺」に由来するという。「言葉」は「事柄」そのものとは別個なのだ。ところが、ヘブライ語では、「言葉」と「事柄」とは同じダーバールという単語だ。つまり「名は体なり」なのだ。
ルターによれば、最初に響いた「光あれ」という神の言葉は今も響き渡っている。だから、今でも光が存在する、というのだ。「神の言葉」とは、その言葉の中身を創造する「神の力」のことだからだ。
「神の言葉」とは、紙にプリントされた文字のことではない。それは、言葉が指し示す事態を創造する「力溢れる神の活動」のことだ。それは、言い換えれば、聖霊の息吹のことことなのだ。
ルターの言葉に力があるのは、神の言葉への集中的取り組みから、そう確信していたからである。

2013年度ルーテル幼保連合会保育者研修会報告

日本福音ルーテル教会幼稚園・保育園連合会 会長 岩切雄太

 

2013年8月5、6日、熊本森都心プラザホールにおいて、日本福音ルーテル幼稚園・保育園連合会保育者研修会を開催しました。講師に、本田哲郎先生(フランシスコ会司祭・釜ヶ崎失業連絡会共同代表)、尾道幸子先生(熊本江津湖療育医療センター地域療育部長)、平川雅子先生(親子育ちの会「おてんとさん」主宰)をお迎えし、総勢149名(一般来場者含む)の皆さんと学びのときを持ちました。字数に限りがありますが、少しずつ紹介いたします。
尾道幸子先生は、特別支援の必要な就学前の子どもたちの居場所と支援の連携を、家族・幼稚園/保育園・児童発達支援センター・行政等を巻き込みつつ作り上げていかれた方です。『保育はそれぞれの子どもの成長に合わせ、臨機応変に対応することが大切です。子どもたちにとって、保育者がかかわってくれる時間が何よりの宝ものなのですから』。
平川雅子先生は、「わらべうた」を通した子どもたちとのかかわりについて、実践を交えて話されました。『わらべうたは、「ドレミソラ」の5音階でできています。これは、調子はずれにならない音階で、発達段階の子どもの耳や声帯にはこの音階がとても心地よく響くといわれています』。
本田哲郎神父は、新約聖書で「愛」と訳されているギリシャ語「アガペー」を問い直すことを通して、子どもたちに(社会で弱い立場に立たされている人たちに)対する、わたしたちの関わりの姿勢を考えてみましょう、と語られました。関わりが「あわれみ」や「ほどこし」になるとき相手の尊厳をないがしろにしてしまうからです。『アガペーとは、to feel and exhibit esteem and goodwill to personです』。本田神父はこれを「大切にする」と訳しておられます。皆さんもそれぞれに訳してみてはいかがでしょうか。
さて、それぞれの講演が、保育者に対する遂行的なメッセージであり、その働きへの(関わりへの)応援(祝福)であったことが、参加者の一人として何よりも嬉しいことでした。皆さん、ありがとうございました。

一致に関するルーテル=ローマ・カトリック委員会、京都で開催

「一致に関するルーテル=ローマ・カトリック委員会」のルーテル側委員 鈴木 浩

毎年夏に一週間の会期で開かれてきた「一致に関するルーテル=ローマ・カトリック委員会」が、八月一二日から二〇日の会期で、京都の聖公会教区事務所の会議室をお借りして開かれた。
ドア一枚を隔てたパレスサイド・ホテルが委員の宿舎となり、朝晩の礼拝は歩いて三〇秒の聖公会主教座聖堂、聖アグネス教会を使わせていただいた。

テーマは、「洗礼と交わりの成長」であった。誰もが洗礼によってキリストの一つの体に結び付けられているのに、どうして教会の一致の目に見える徴である聖餐が分かれているのか、どうしたらそれを克服できるのか、という問題である。
四回の委員会を経てまとめた『対決から交わりへ』という共同文書が六月に公表されたばかりなので、今度はまず、大幅に共通の理解を持っている洗礼を足掛かりに、最大の問題である聖餐の一致をどのようにして達成するのかが、目標である。

カトリックの委員とルーテルの委員が、朝晩の礼拝を毎日交代で担当するのだが、カトリックの担当の時にはルーテルの委員は陪餐せず、ルーテルが担当するときにはカトリックの委員が陪餐しないということを毎日繰り返すので、いやでも聖餐における分離が目立つ。「洗礼で一致」、「聖餐で分離」というというこの事態をどうしたら乗り越えることができるのか、今回の議論を通しても、道は遠いという思いがした。しかし、「継続は力なり」だし、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」ので、ここは「忍耐強く継続する」のが大事であろう。
一八日の日曜日はそろって京都教会に出席し、その後、京都の史跡巡り、一九日は奈良の史跡巡りをした。この間、日本聖公会の多大な協力を受け、カトリック教会からもサポートがあり、一五日には日本福音ルーテル教会による歓迎夕食会が開かれた。

JLER(ルーテル教会救援)対策本部 現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦

 

東日本大震災から2年半が経過し、ルーテル教会救援の活動内容も活動当初から大きく変化しています。今月号では、女性連盟主催の現地見学会(復興ツアー)と仮設団地自治会夏祭り支援について報告させていただきます。

【現地見学会(復興ツアー)】
9月6・7日、札幌教会3名、八王子教会2名の計5名の参加者により実施しました。
一日目は、仮設追波川河川団地集会所で「つるしびな」関係者との交流会。地元ボランティア団体と仮設団地の住民の方との交わりでは、実際の被災場面のお話をお聞きし、被災された方々の痛みを共に分かち合う機会となりました。
二日目は、先月15日に落成式を迎えた前浜コミュニティセンターへの訪問。現地スタッフから完成までの経緯についての話に耳を傾けました。その後、9月9日から解体作業が始まっている気仙沼市鹿折唐桑に打ち上げられた大型漁船を見学し、今回の震災の大きさを改めて実感しました。次回は11月9~11日に開催します。
また8月に行われた旭ヶ丘母子ホームのスタディツアーの様子が毎日新聞のネット版http://mainichi.jp/area/miyagi/news/20130825ddlk04040112000c.htmlに掲載されました。

【仮設団地夏祭り支援】
チーフスタッフ
佐藤文敬
7月から8月にかけては、被災地の各所で夏祭りが開催されました。となりびとでは、昨年に引き続き石巻市河北町にある仮設大森団地の夏祭りのお手伝いをしました。この夏祭りは、仮設団地に住む子どもたちに夏の思い出を一つでも多く作ってほしいと考えた仮設自治会の人々が中心になって始めたものです。

今年は夏祭り用のポスター・チラシ作りやTシャツ作りなどの事前準備から当日の屋台の出店まで、昨年以上に様々なお手伝いをしました。夏祭り開催3日前からは、近畿福音ルーテル鈴鹿教会の方やルーテル学院大の学生ボランティア9人がシャボン玉作りやイモ餅作り、会場設営などの準備にフル回転し、当日の開催に備えました。
お祭り当日は、昨年同様お天気に恵まれ、ルーテル学院大の学生が担当したシャボン玉などの子どもコーナーは、切れることなく子どもも大人も遊びに来て、おおいに楽しんでいました。イモ餅などの屋台もお昼時は時々人が並ぶなど盛況でした。

第二章「震災後」に迎える宗教改革五〇〇周年
その三 「愛の実践を伴う信仰」こそ大切

宗教改革記念日を月の終わりに祝う十月に入ると例年のことながら、私自身のルター研究遍歴を振返る。その度に、おこがましく「もしもシュタウピッツ博士のおかげがなかったならば、私は冥府に落ち込んでいたことだろう」とルターが常々恩師を覚えたのにならって、岸千年、(著作を介して)佐藤繁彦、北森嘉蔵、それに、米国留学時の論文指導教授ジョージ W・フォレルの先生方を想い起こす。
フォレル教授との出会いは(一九五九年)、最初の受講課目「キリスト教倫理」のテキストについてであった。それは同教授の著作「ルターの社会倫理の基盤原理の検索」を副題にもつFaith Active in Love (一九五四年)で、初回のクラス直後に面接、自己紹介を兼ねてまずそのテキストの書名についてたずねた。かねて北森先生からとくと教え込まれていた「愛で形成される信仰(fides caritate formata) 論争」との関わりがあるのではと思ったからである。
「尊いのは、愛によって働く信仰だけである」(ガラテヤ五・六)(一九五四年改訳)に起因して、アウグスチヌスに遡りトリエント公会議で議された論点に言及、なぜ著書の標題に「愛において活動する信仰」を選択されたかであった。教授は直ぐさま「よい質問だ。それこそ講義の核心テーマに関わるから、講義の最後まで一緒に問い詰めよう」と応じられた。長年にわたって教授の知遇を得るきっかけともなったのである。
思いは三十余年を飛び越えるが、長期に亘る海外出向を終えて帰国 (一九九四年)、新共同訳の聖書を読み出して、このガラテヤ5・6が「愛の実践を伴う信仰こそ大切です」 に訳出されているのを感慨深く読み取った。
つい二年前に帰天したフォレル教授が著作当時の “faith working through love” (RSV) や “faith which worketh by love” (KJV) の聖句を意図的に “faith active in love”と読み変えた神学労作を偲びながら、とりわけ「震災後」の「絆とボランティア」が全国に共鳴するなか、ルターの「信仰のゆえに自由をえたキリスト者の愛の奉仕」に重ね合わせ、心に確と受け止めて回想するしだい。
年ごとに、新たな思いを呼び覚ます宗教改革記念日がやってくる。
石田順朗 引退牧師、 九州ルーテル学院大学名誉学長・LWF元神学研究部長

平和の主・平和の園

 ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

「目には目を、歯には歯を」。その真意とはうらはらに、暴虐が繰り返され、人々の報復、争いは増幅するばかり。現代の報道でも、人々の和解のむずかしさを思い知らされます。私たちにどんなことができるのでしょう。
三重県志摩市志摩町に「海の家ベート・シャローム」(民宿)があります。真珠の養殖で知られる英虞湾の半島で和具港から、陸路よりも海上が便利とのことで、自家用船で送迎しています。
その民宿に、海上を往来する船上からもよく見えるようにと、厚板ガラス(ダル・ド・ベール)の「平和の園」(『イザヤ書』11・1~10)というステンドグラスが入っています。
オーナーの石原正生さん夫妻(近畿福音ルーテル教会会員)は、平和の主を信じ、平和の園の実現を祈り、平和を叫び続けています。

第51回関西地区CS合同キャンプ

あついあつい都会から、山深い奥猪名川健康の郷で、第51回関西地区CS合同キャンプが開催されました。総勢69名。
テーマは何と!「ルター」。2017年の宗教改革500周年に備えて、ルターの生涯と人となり、そして働きについて少しでも子供たちと分かち合いたいと準備を進めました。
昨年の11月には神戸ルーテル神学校の正木牧人校長をお呼びして、「子供に伝えるルター」と題して講演を頂き、神戸ルーテル神学校の神学生たちが演じた、「ルターの生涯」の劇のDVD監修に関わった田畑牧師からもお話を聴くことができました。
雷に打たれる場面、回心の場面、ヴォルムスの国会での「我れ、ここに立つ」、書物を焼く場面が描かれることで、視覚の力で言葉以上にルターを知る方法を教えられました。
これをもとに、中高生を中心に、関西CS版ルター劇を作ろう!というのが、今回の活動の中心になりました。夜中まで? ルターの生涯に学び、中高生は、中高生の視点でそれを咀嚼して、ビデオに撮ってくれました。
小学生たちも、開会礼拝の沼崎先生のお話、アイスブレイクでの、「宗教改革に行こうよ!(猛獣狩りに行こうよ!)」、光延牧師のルターの紙芝居、渡辺神学生の朝の礼拝、いずれも熱のこもった先生方のお話に圧倒されて、何となくルターというのは、雷に打たれて、神さまを信じて、聖書を深く読んだ人というあたりまでは伝わったのではないでしょうか。何よりもキャンプファイヤーで撮影された本を焼く場面が、強くまなこに残っている(しまっている)かもしれません。
中高生の劇は、9月23日に予定されている、西教区50周年記念大会にて放映予定、その後順次、全国の各教会に拡大予定です。乞うご期待(笑)!
(キャンプ長  松本義宣牧師)

「新しい宣教の展開をめざして」   2013年るうてる法人会連合総会

八月二七日から二八日にかけて、日本福音ルーテル東京教会宣教百年記念会堂を会場にして、『第10回るうてる法人会連合総会』が開催されました。2002年に、熊本に集められた教会、学校、社会福祉、幼稚園保育園の働きを託された人々が集まった場で「るうてる法人会連合設立宣言」が出されました。これが第一回の連合会総会でありますが、第10回目となる本総会は、その宣言文から引用した「新しい宣教の展開に向かうために」が主題に掲げられました。
総会は、連合会会長である教会の立山忠浩議長による開会礼拝から幕を開けました。説教では「聖書を読むと、使徒たちは出かけて行っては、ひとつの場所に帰ってきた様子が描かれているが、戻った使徒たちは同労者として互いに今日の様子を報告し合い、議論もしただろう。或いは励まし合い、祈りあったに違いない。そしてまた、新しくされて出かけて行った。法人会連合は、主の御前で、このような場ではないか」と明確なメッセージが述べられました。
次に、藤藪庸一(ふじやぶよういち)牧師を基調講演にお迎えしました。(写真右)「自殺の名所」と呼ばれる、和歌山県白浜市の三段壁にほど近い「白浜バプテスト基督教会」の牧師であり、自殺防止から自立支援まで取り組むNPO法人代表も務める藤藪牧師は、この活動を通じて問われているのは、まず「良心と覚悟」であると語られました。「昨年、NHK番組プロフェッショナルに出演された後日談」、「現代に生きて働かれる神様を証明する業と自覚している」、「立ち直っていく人に共通した要素は、時間と場所と人の助けであった」等、体験に裏打ちされた言葉が力強く迫ってくる講演でした。
引き続いて、シンポジウムと発題のプログラムでは、主題を踏まえ、法人格の違いを超えて「新しい宣教」を共に担うために共有すべき事柄や新しい宣教とは何かについて、高井保雄牧師の司会により討議がなされました。
石居基夫氏(ルーテル学院大学教授)は神学校が牧師とキリスト教指導者の養成という出発から、心と福祉と魂の高度な専門家養成、来年からの他者支援の専門職養成にまで拡がってきた教育の展開こそが新しさであり、多様な宣教課題を意識したミッションの実践そのものであったと述べられました。更に、学校がキリスト教精神に基づき、人を愛し、他者を支援する人材育成の使命を自覚し、実現してゆく目標実現には、教育者の確保・育成が極めて重要と指摘されました。
キリスト教社会福祉の実践からは高橋睦氏(社会福祉法人東京老人ホーム施設統括長)が、使命に基づく方針として、高齢者施設での新しい取り組みと位置付ける看取りケアの実践報告をされました。現在の医療機関との関係を見据えて、施設が、終の棲家となるための準備に取り掛かって見えてきている、死についての働き人の理解、利用者も含めた霊的要望への応えといった課題に関して、具体的に教会と協働する様子と今後の可能性等について語られました。
白川道生氏(ルーテル教会事務局長)は、この連合会では教会+教会をより広げて、宣教は伝道(教会)+教育(学校、幼保)+奉仕(社会福祉)=「宣教共同体」と宣言したと説明の上で、我々は創業の祈りからここに至るまで貫かれた一道に加えられており、クリスチャン、ノンクリスチャンを超えて集められ、選ばれた働き人ではないか?また託された働きに応える活力は、感謝と良質の誇りではないかと語りました。
発題では、市川一宏氏(ルーテル学院大学学長)は私たちに求められている事柄を列挙した後、これに取り組んできたルーテルグループの足跡を紹介しました。現状の急務は働き人の養成と括り、これを進めるために連合会に研修チームを設置して研修と個別支援を推進できる専任チーム組織の提言がなされました。滝田浩之氏(ルーテル大阪教会牧師・連合会組織検討委員会長)は連合会の構成員を拡げる必然を指摘し、連合に加わる中で、奨学金等具体的な制度利用により相互支援が可能となる実益ある態勢づくりへの取り組みを提言されました。
中島康文氏(社会福祉協会会長)は、法人会連合が目指すは、法人の違いはあっても、それが制約に作用せず、各々が主体的に役割を果たしながら、目標を共有し共に力を合わせて活動する「協働」ではないか? この点で、より新しく作り上げてゆくのは「宣教協働体」になるだろうと用語使用と組織定義に関する提言がありました。
終了後の夕食は、東京教会の集会室が懇親会の会場に変わり、徳野昌博牧師の司会で、68名を数えた参加者が互いに自己紹介をして、和やかに交流が深められました。

二日目は、東日本大震災のルーテル教会救援となりびとへの派遣牧師である野口勝彦牧師により、スライドを交えて、現地報告と支援の取り組みを通した証しが語られるディボーションをもって、始まりました。
この後、参加者は6グループに分かれて、それぞれの持ち場での働きを踏まえながら、昨日からの投げかけについて、またこれからに向けた総会提言などを分科会に分かれて話し合い、分団の発言趣旨は再度全体に戻り、相互に発表、話題共有がなされました。

総会協議では、各法人会及び連合会諸委員会の活動報告がなされ、相互理解を深めた後、今後の活動方針が協議されました。まずは、今後8月の最終週には法人会連合による何らかの企画が実施される前提をルーテルグループで共有する基本合意がなされ、2014年は「研修会」を実施、開催地は熊本とする決定がなされました。更に、本総会での発題を通した提言と、各委員会及び分科会で上がった要望事項の実現に向けて、各法人会・諸委員会で協働する同意が出席者同士で確認されました。

二日間にわたった相互報告、討議、励まし合いと祈りは、終わりに、青田勇副議長による閉会礼拝で祝福を受け「宣教共同体」として派遣され、それぞれの宣教地域に、新たに出かけて行きました。
事務局長 白川道生

2015年はブラジルで!宣教50周年訪伯旅行

[神の時]
2020年のオリンピック・パラリンピック開催地が東京に決まりましたね。2016年のブラジルからバトンが渡される先が日本というのは、日系人の方々には、新興国ブラジルの成長と日本の復興を祈り、感慨ひとしおでもあります。
2015年の宗教改革記念日は、日本福音ルーテル教会(JELC)の宣教開始により日系ルーテル教会がサンパウロに設立されて、50周年の記念日になります。また、当地宣教計画に従い経済自給達成の予定の年でもあります。そして、2017年には宗教改革500周年を迎えます。
[神の願い]
先輩宣教師の皆様、祈り支えてくださった日本の皆様、ブラジルで歴史を背負ってこられた先人たちにも感謝をしましょう。JELCが海外に宣教をし、産み落とした教会が立派に成長し、独り立ちをしていく日を一緒に見届け、立ち合いましょう。それは、自分(JELC)がかつて歩んだ道でもあります。
[神の招き・訪伯旅行]
現在、JELC世界宣教委員会と連絡を取りながら、準備を進めています。関わりがあるブラジル各地の教会や施設だけでなく、大自然と共に新興国で活気にあふれる各地を巡る旅(一部オプション)になります。
詳細はこれからお知らせがあるでしょう。皆様のおいでをお待ちしています。
ブラジル・サンパウロ教会    徳弘浩隆

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