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機関紙るうてる

るうてる2018年11月号

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説教「イエス様が共にある十字架を背負って」

「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マルコによる福音書8章34節)

車の運転を始めた頃、父に「牽引ロープとバッテリーケーブルを常に携行するように」と言われました。助けてもらうだけでなく、助ける側になることもあるから、心構えと準備をとの親心だったのでしょう。実際、北海道の冬場、雪に埋まった車の救助を何度もし、自分も助けられました。父の言葉に従って良かったと思い、準備の大切さを実感したものです。
7月の豪雨の後、岡山県内の倉敷真備地区に災害支援ボランティアとして何度か参加しました。河川の氾濫で4500戸以上が浸水し、5メートル(2階の窓付近)まで水が来た地区です。岡山のキリスト教会の群れや聖公会のチームに加えていただき、日本各地また海外からのメンバーとも共に働きをしました。炎天下、重たい泥を家からかき出したり、大きな荷物を搬出したり、思い出の品を綺麗にしたり。水に浸かってしまったものは臭いとの戦いでもありました。時には何週間も溜まっていた水を被ったこともありました。まさに泥と塵を被ることが奉仕であると実体験する時でした。
また一ヶ月ほど経ってからは作業だけでなく、その時のお話を聴くことが寄り添う大切な時にもなりました。働く者一人一人が言葉でなく、その姿を通して、キリストを証しする生き方がありました。隣人として立たせていただく時でありながら、重たいものを背負う、大変な作業が続く中で頭の中に「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と何度も浮かんできました。

十字架とひと言で言っても意味や表現のされ方は様々です。感謝すべきことに礼拝堂の十字架が特徴的な教会で働きを担い、思い出深いものがいくつかあります。釧路教会は真っ黒い十字架で、人の罪を象徴する十字架。帯広教会は重厚な木で掘られた手が見える十字架で、それは罪の赦しを与えるイエス様の愛を示す十字架。広島教会の十字架は柔らかい曲線の十字架で、キリストの愛と恵みを無言のうちに表現する十字架。そして、岡山教会の十字架は陽の入る時間によって影が変わる十字架で、常に変わる弱さを持つ人を思わせ、その変わる心ゆえにイエス様の十字架が必要と教える十字架。十字架そのものが多様な意味を持つものですから、イエス様が言われる「自分の十字架」にもいくつもの意味があるのです。

「自分の十字架」はもう一歩踏み込みます。十字架は元来、罪人の処刑に用いられるものですから、罪の象徴、弱さの象徴、重さや困難さと言えます。わたしが今抱えているもの、現実そのもの、時として過去や未来が一つの自分の十字架です。しかし、私たちが背負うのは決してただ重たいだけのもの、背負うことを拒否したくなる十字架ではありません。なぜならば「空の十字架」ではないからです。キリスト者は常に「イエス様が共にある十字架」を背負って歩んでいきます。イエス様が共にある十字架は「愛の十字架」に他なりません。イエス様がなさった働きに倣う、倣おうと志す私たちは愛の十字架、キリストその方を背負うよう呼びかけられています。使命はそこに喜びがなければ背負うことはできません。ボランティアとしての働きは楽なものではありませんでした。それでもキリストの愛を届ける働き、使命、イエス様が共にあると信じ、仕え合う中にある喜び、互いに愛しあう中に感謝があったから愛の十字架を背負えたのだと振り返っています。

大きな災害を目の当たりにし、準備をしていてもそれを用いることができない事態があることも教えられました。けれども、心だけはいつも準備しておくことができます。その時にどうするかを考えることではなく、何があっても主は共におられると心に留めることが心の準備です。
イエス様が共にある十字架、愛の十字架を背負うことは、助ける・愛を届ける準備と共に、助けられる・愛を受け取る準備です。互いに愛しあうことを教えてくださった方に従う喜びの道を、イエス様が共にある十字架を背負って歩んでまいりましょう。

コラム直線通り 久保彩花

⑧「鉄は鉄をもって研磨する。人はその友によって研磨される」(箴言27章17節)

かつて非常にやんちゃな生徒がいました。授業をサボろうとするのを見つけ、猛ダッシュして捕獲したこともありました。怒りを抑えられず暴れ回るのを必死に制したこともありました。「大人の都合」を嫌い、真理を求めるが故に大暴れしていた彼は、まるで研ぎすまされた刃のようでした。正面から向き合うことは正に真剣白刃取り。叫ぶように祈りながら闘い、またわたし自身が教師として試される日々でした。
そんな彼が卒業後、突然学校に遊びに来ました。友人が多い彼に似合わない1人での訪問を不思議に思っていると、人生相談をしに来たとのこと。「先生さ、礼拝のお話しで卒業しても助けるから必ず相談しろって言ってたじゃん。だから来たよ。俺、助けて欲しいって言える人がいることが、こんなに幸せなことなんだって、今わかったよ。」
神様は永遠ゆえにその導きも永遠なのだと実感しました。卒業し、わたしの手から離れた今でも、彼を導こうとされる主の息吹を感じて心が震えました。
ひとしきり話し「あの時は大変だったけど良い思い出だよね。君も大人になったね」と言うと「先生も変わらないね。言いたいことハッキリ言って、正面きって闘う、そんな大人でいつまでもいてよ」と言われてしまいました。少し大人になった彼に今も曇りなき眼は健在。あぁ、神様は彼を通してわたしを磨いてくださっていたのですね。もし許されるならばこの箴言に付け加えたいのです。「教師は生徒によって研磨される」と。

JELAインド・ワークキャンプ 参加者募集

◆期間:2019年2月9日(土)~19日(火)11日間
◆派 遣 先:インド、マハラシュトラ州ジャムケッド村にある医療福祉施設 CRHP(総合的地域健康プロジェクト)
◆ 内容:義足作り/児童とのふれあい/毎日の学びの分かち合い
◆参加費用:18万円
※「友達割引」複数で申し込んだ場合、1人につき5千円を割引きします。
パスポート、海外旅行保険費用、派遣確定者説明会と出発・帰国時の集合場所から居住地までの交通費や、前泊・後泊する場合の宿泊費用については、上記の参加費とは別に個人負担となります。
◆問い合せ・申込用紙請求先:JELAインド・  ワークキャンプ係
〒150-0013東京都渋谷区恵比寿1-20-26
電話: 03-3447-1521 FAX : 03-3447-1523
◆申込書類(下記からダウンロードできます)
http://jelanews.blogspot.com/2018/09/2019.html
◆申込期限:2018年11月26日(必着)

議長室から 総会議長 大柴譲治

「教会は天国に一番近いところ」

今年も11月1日の全聖徒の日を迎えました。私が牧会する大阪教会ではイースターと11月の第1日曜日の2回を毎年召天者記念主日として守っています。また、イースターの翌週と11月第2主日の午後には西教区の能勢記念堂に足を運び墓前礼拝を行っていますので、年に4回召天者を覚えて礼拝をしていることになります。宣教102年目を踏み出している大阪教会には100人を超える召天者のお写真が納められていて、年に2回はそれを前に並べて共に礼拝に与ります。毎週私たちは主日礼拝で聖餐式を行っていますが、キリストの食卓を中心に目に見えるこちら側には私たち生ける者たちが集い、見えない向こう側は天に召された聖徒の群れが集っていると理解しています。キリストは「生者と死者の双方の救い主」であり、主の食卓は私たちにとって終わりの日の祝宴の先取り、前祝いでもあります。パウロの言う通り、私たちは生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。生きるとしても死ぬとしても、私たちは主のものだからです(ローマ14・8)。

「教会は天国に一番近いところ」とは、私が出会ったある女性信徒の言葉でした。義人ヨブと同じようにその姉妹は「スモン病」のためそれまでの幸せな家庭生活を突然失ってしまいます。絶望の中で彼女はキリストと出会い、キリストを自らの救い主と信じて洗礼を受けられました。やがて彼女は新しいご伴侶と再婚されます。最後はガンのためにこの地上での生涯を終えてゆかれたのですが、先の「教会は天国に一番近いところ」とはその末期に最愛のご伴侶に対して告げられた言葉でした。
実はそこにはもう一言添えられていました。「だからあなたも洗礼を受けてね。そして教会に行ってね」。その言葉の通り、彼女の死後、ご伴侶は忠実に毎週教会に通い洗礼を受けられました。やがてそのご伴侶も病いのため天に召され、今はお二人とも天国で主のもとで安らっておられると信じます。地上の教会は天上の教会とつながっています。パウロは「われらの国籍は天にあり」と言いましたが(フィリピ3・20)、私たちは今ここで地上と天上の二重国籍を同時に生きています。
天/神とつながる「永遠の今」を今ここで生かされている。「わたしは復活であり、命である」という主の言葉は、キリスト者はその信仰を通して死によっても決して揺らぐことのない「永遠の生命」の中に招き入れられていることを宣言しています。この言葉は復活者しか語り得ない言葉です。主と同じくキリストを信じる者はたとえ死んでも生きる(復活する)し、いつまでも決して死ぬことはありません。11月という「死者を記念する月」を迎え、ご一緒にそのようなみ言の慰めと幸いとを深く噛みしめたいと思うのです。

宣教会議報告 宣教室長 永吉秀人

9月25日~26日に宣教会議が行われました。執行部と信徒常議員の他、各教区から教区長を含む3名ずつが出席し、「第6次綜合方策の展開~ポスト宗教改革500年~」をテーマに協議しました。

①「ハラスメントの予防と解決のために~組織としてハラスメントにどう対応するか~」と題する講義を受けました。講師は与語淑子(よごよしこ)さん。当教会としての目的はハラスメントに対応するシステムの構築です。ハラスメントの定義を理解し、事例に学び、ハラスメント事象への対応に留まらず防止体制を目指しての学習を重ねていきます。ハラスメントの学習は、同時にマイノリティへの理解にも通じており、今後は他教会における体制や「二次被害」についての学習を予定しています。

②宣教方策の振り返りでは、教職が世代交代された現状で、改めて1969年にエチオピアのアスマラでのJCM会議(旧日本伝道協議会)において、内海季秋議長による1974年を期して自給するとの発言が日本福音ルーテル教会の公式な自給宣言とされた経緯を確認しました。
アスマラ宣言に伴い、第1予算の教職給与と全体活動の自給、第2予算の施設支援は凍結、第3予算の建築関係、教職退職金・年金の自立のための収益事業開始、かつ海外の支援による開拓伝道が行われました。このように第1次~第4次綜合方策が自給路線であったことに対し、第5次としてのパワーミッション(PM)21方策は伝道と教育の推進でした。現行の第6次綜合方策は、社会経済の長期低迷ゆえに教会財政も縮小を強いられる中、希望を抱いて明日の教会形成を目指すものとされています。
教会の財政改革の進捗状況は適正化されつつあり、公益会計、基金会計、収益会計それぞれに自立を果たし、持続可能な方向性は確保されています。土地建物回転資金の返済も順調であり、今後新たな教会建築の可能性となるプランが提示されました。

③各教区の建築計画について、まずそれぞれの会堂、牧師館の老朽状況が報告されました。新築計画も紹介される中、教会合同による土地売却金の規定を確認し、活用の可能性について協議しました。また、教職が居住しない会堂、牧師館管理の現状報告を受け、解体資金を教区の借入とする手段が事務局より紹介されました。

④他施設との兼務における教職給与の実態について、その問題点、解決方法の事例が挙げられました。従来は教会が主であった形態が逆転する傾向にあり、また施設長人事が教職人事にも影響しています。

⑤北海道伝道の総括と今後について、岡田教区長より詳細な資料が提出されました。1916年に始まる北海道伝道は、1966年からの全国レベル開拓伝道、1977年からの東教区北海道伝道強化推進計画、1981年からの北海道伝道推進計画マスタープラン、1996年からの北海道伝道長期計画と2002年からのPM21による教会合同体制を経て、現在に至っています。 また、1980年第9回全国総会において東教区の分区であった北海道を「北海道特別教区」として独立させることが承認され、1981年から北海道特別教区として歩み出しています。今後については、北海道特別教区固有の課題ではなく、当教会の課題であることがすでに共通の認識とされています。

⑥第7次綜合方策の指針については、大枠が確認されました。今後、教区長会で課題を共有しつつ、2019年2月の常議員会において10年後を担う若手教職を含む策定委員会の設置を議する予定です。

⑦TNG活動は、幼児・こども・ティーンズ・ユースの4部門。ティーンズは宣教100年以来、他部門はPM21で推進され、現在に至ります。これらは当教会の使命と責任において、各部門に委託された活動であることを確認し、議場は拍手をもって活動と担当者への感謝を表明しました。

ルター研究所 秋の講演会へのお誘い

ルター研究所(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校/所長 江口再起)では毎年秋に東京都内の各教会を会場に講演会を開催しています。
今回の講演は小田部進一先生(玉川大学教授)による「宗教改革から500年後の人間の自由と不安と希望」です。小田部先生は一昨年『ルターから今を考える』(日本キリスト教団出版局)を出版されました。500年前のルターでなく、現代人である私たちに今、語りかけるルターです。先生は社会問題をも視野に収めつつ研究されている気鋭のルター研究家です。現代とルターを考えるまたとない機会になることでしょう。講演の他、ルターの「神はわがやぐら」をめぐるミニ演奏とレクチャーも計画しています(演奏・高橋のぞみさん、レクチャー・加藤拓未さん)。

災害被災地支援

西日本を中心に広範囲を襲った豪雨と台風、そして北海道胆振東部地震と大停電、加えてインドネシアのスウェラシ島での地震、津波と、自然の猛威に翻弄される厳しい状況が続き、心を痛めています。被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げ、神よりの慰めと励ましとを、また復旧のために尽力する方々も神に支えられますようお祈りいたします。

●連帯献金について
西教区による豪雨被災の方々への支援活動、北海道での被災された方々への支援活動への支援を頂き、感謝いたします。それに加えて、アメリカ福音ルーテル教会を通してインドネシアのバタックキリスト教会(ルーテル世界連盟加盟教会)の支援活動への支援を目的とし、「2018災害支援」連帯献金へのご協力をお願いしております。(献金総額 約700万円)

すでにお寄せ頂いた献金から、現地教会や現地教区の意見を聞き、第一次の支援として西教区による支援活動とは別に下記の送金を行いました。

・くれ災害ボランティアセンター(呉市社会福祉協議会)100万円
・日本YWCA北海道支援活動(女性と子どもの安全・安心のために)100万円
・アメリカ福音ルーテル教会のインドネシア教会支援 50万円

●西教区からの報告
(西教区書記 水原一郎)
9月の基本的な作業日は14日、21日、28日でした。このうち14日と21日は雨により中止となりました。これらの日々にも複数名からボランティアの申し込みを頂いていましたが、「二次災害(土砂崩れ)」を懸念しての休止措置とさせて頂きました。
9月6日は池の土砂上げと床下泥上げ、19日、27日、28日も床下泥上げでした。

9月28日は、國吉さん(厚狭教会/西教区女性会会長)にボランティアをして頂きました。ボランティアに先立ち、國吉さんには当初支援の広島教会員Tさん宅に寄って頂き、Tさん宅の現状を見て頂きました。「あなたが生きていて良かった!」國吉さんがTさんに繰り返し語られた言葉に、目頭が熱くなりました。広島教会の伊藤牧師を介して、Tさんからは、長年連れ添った家族の「猫」さんが、被災後2カ月の9月8日に、自然な形で召天したという知らせを頂いていました。被災のその瞬間と、その後を共に過ごした家族の召天の喪失はどれほどであるか。み言葉のみが語る瞬間でした。水原牧師が創世記1・25から説教し、國吉さんにはTさんと猫さんとを覚えて祈って頂きました。
10月いっぱいまで、呉市安浦町の「安浦ボランティアセンター」では、同町内の「被害甚大地区」へのボランティア派遣を念頭に置いております。それを受けて私たちも9月中は、「被害甚大地区」での作業に協働して作業させて頂きました。「被害甚大地区」は安浦町内の山間部です。 様々なご家庭がありましたが、概してご高齢の方、独居の方がお一人で復旧作業をなしておられました。

咲いているコスモスは秋を思い起こさせます。しかし背後には手付かずの瓦礫が広がっています。彼岸花が咲いています。季節は移ろいますが、被災の現実は変わりません。むしろ、いわゆる「被災者間の格差」が目立つ時期です。「格差の是正」を、当事者である被災された方々ご自身が、関係機関に再申告することを期待し、お話をお伺いすることが多い9月でした。
11月以降は、当初支援のTさん(広島礼拝所)からのニーズに応える作業を予定しております。今のところ、「電設工事」(蛍光灯の配線)、「土壁の補修」といった作業が必要ということを把握しております。

●北海道での支援活動
10月1日、札幌YWCAによる北海道胆振地方地震被災者支援活動に、札幌教会の日笠山牧師が加わり、むかわ町での働きに従事してきました。むかわ町と厚真町での震災被害状況の視察、そしてむかわ町の「子ども発達支援センターたんぽぽ」に来所するこどもたちと一緒に遊ぶ機会を与えられました。札幌での超教派のネットワークにより、この支援を継続していく予定であるとのことです。

●祈り合う交わり
9月28日に行われた九州教区女性会長会&熊本地区秋の集いにおいて、地震と停電でご苦労されている北海道の方々を覚えて祈りが献げられました。そして祈りを届ける寄せ書きが道内の各教会へ届けられました。共に主に連なり、祈り、支え合う仲間があることに感謝しますと、帯広教会のフェイスブックページにおいて紹介されました。

久留米教会献堂100年の喜び  宮川幸祐

礼拝堂の片隅にあるハート型の銘板には、献堂を記念する銘文が刻まれています。日付は、大正7年11月9日。この11月、久留米教会の礼拝堂は、いよいよ築100年を迎えます。
設計は、W・M・ヴォーリズ。大正から昭和にかけて活躍した西洋建築家であり、近江兄弟社の創立者の一人としても良く知られています。久留米教会の礼拝堂は、そんなヴォーリズ建築の中でも初期の作品の一つに数えられ、九州に現存する中では最古のものです。

そしてまた、赤煉瓦の礼拝堂は久留米の歴史の生き証人でもあります。戦争末期、1945年8月11日、久留米は空襲を受けます。油脂焼夷弾による爆撃は、市街地の約7割に被害を与えます。火災は教会の間近まで迫りますが、信徒達はこれを食い止めようと消火活動を行います。結果、火の手は隣の建物まで及びましたが、礼拝堂は延焼を免れます。
近年、同様に戦火を免れた建物が相次いで取り壊されており、戦前から残る建物は僅かとなりました。そうした意味でも久留米教会の礼拝堂は貴重な建物となっています。

しかし、教会にとって何より意義深いことは、100年間ここで礼拝が守られてきたということです。毎週日曜日の主日礼拝、また、併設する日善幼稚園の幼稚園礼拝、その他折々の機会に多くの人々がここに集い、聖書の御言葉を聞き、祈りを合わせてきました。この献堂100周年は、そのようにして神と民が共に歩んできた歴史のしるしとして与えられた出来事です。そして、その歴史は、未来に向かって続いています。これからも、この場を通して多くの人々に神様との出会いが与えられ、共に祈り、共に歩んでゆくことでしょう。

11月11日には記念礼拝もあります。12月にはコンサート、またその後も様々な記念行事を行ってゆければと考えています。神様から与えられた献堂100年というこの喜びの時を用いて、教会の働きが益々盛んに行われてゆくよう、祈り求めています。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より  伊藤早奈

不完全なあなただから

〈祈り〉
一人一人の存在を愛し、一人一人を必要としてくださる神様、今日一日を、そして与えられている一瞬一瞬を、神様、あなたに感謝できる喜びをありがとうございます。
当たり前にできることや、当たり前にあるものは何もありません。一つ一つが神様に与えられ
ています。失ってみて初めて気づくものや、失ってすぐは自分に何が起こったのかさえ、受け入れることができないときもあります。このような無力な私たち人間ですが、どうかよろしくお願いします。この祈りを、主イエス・キリストのお名前によってお祈り致します。アーメン。

「主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り、聖なる山に住むことができるのでしょうか。それは、完全な道を歩き、正しいことを行う人。」(詩編15・1~2a)

詩編15編には、完璧な行いをする人こそ、神様に選ばれた者として、聖なる宮に入ることがふさわしいと詩われています。

「わかってはいるけどその通りできないわ」というのが人間です。
今も小さい子どもたちが楽しむゲームに『王様ゲーム』というのがあります。ゲームの中心になった人が「王様の命令です」と言って、次々とゲームに参加している他の子どもたちに動作を指示します。指示された子どもたちが、王様の命令通り行動することを楽しむゲームです。
私が急にこのゲームのことを思い出したのは、ある宗教の方がこのようなことを言われていると聞いたからです。「人に親切にするのはそれがイエス様のご命令だからです」と。

私たち一人一人には意思もあり、感情もあります。私たちはイエス様の思い通りに動く操り人形ではないのです。何よりも神様は、私たち人間に選ぶ自由をくださいました。「きっとこっちを選ぶ方が神様は喜ばれるだろうな。」と、分かっていても、私たちには選べる時と選べない時があります。

なぜなら、私たちは不完全な存在だからです。だからこそ、私たちにはイエス様のゆるしが必要なのです。私たちのために祈られるイエス様が必要なのです。
今、詩人の言う完璧な行動を私たちが求めることは必要です。でも、できない自分を責める必要はありません。イエス様があなたに代わって成し遂げてくださいます。あなたはそのままでいいのです。

「北海道寺子屋合宿」について
原子力行政を問い直す 宗教者の会 内藤新吾

原子力行政を問い直す宗教者の会では、原発震災の放射線影響が心配される地域の子どもたちを対象に2011年より毎夏、お寺や教会を借りて北海道寺子屋合宿という保養事業を続けています。今年の参加者は子ども102人、保護者44人の計146人でした。
期間は9日、半月、1ヶ月と選べ、家族や団体など何期かに分けています。期ごとにガイダンスを持っていますが、参加の保護者の方々は普段タブーになっている放射能のことや不安を参加者同士やスタッフと話しをされます。

原発事故から7年過ぎても、全然問題は解決していません。国が年20mSv(ミリシーベルト)以下の地域へ帰還させる政策はとても安心できないものです。チェルノブイリでは年5mSv以上で強制避難とされました。また今なお年5mSv未満でも1mSv以上であれば移住の保障が行政より与えられています。それでも大半の子どもたちが何らかの健康影響を負っているのです。
日本ではしかし、原発事故は無かったかのようにしようとしています。9月5日時点で、福島県では甲状腺がんの確定した子が164人、疑いのある子が38人となっています(38万人対象)。他にも調査枠で把握していない甲状腺がんの子が11人います。通常100万人に1人か2人といわれた病気ですが、どうみても異常な人数です。しかも一巡目の検査で大丈夫だったのに二巡目でがん診断された子が52人もいたことは(プラス疑いが19人)、事故の影響が否定できないと思うのですが、国はそれを認めません。
また、調査の度に人数が増えるからでしょうか、検査も縮小しようとしています。事故による影響は福島県に留まらず、特に県外に発見が遅れ、肺転移までしている重篤な子が増えています。
甲状腺がん以外の疾患も心配です。ドイツの教会や市民グループはずっとこれらの問題を覚えてくれています。日本の教会も支援と共にこうした問題にも意識を持っていただければさらに感謝です。

わたしたちの宗教改革500年

レポート「ルターナイツvol.9」を味わう

宗教改革の始まりから500年の機会をとらえて、待っているのではなく「でかけていく教会」となり、人々が神の恵みである音楽と食べ物と交わりを楽しむ場を提供し、加えて災害被災者などの支援に連なる機会とする。それが9回を数えるルターナイツである。今回は10月12日に東京恵比寿のJELA(日本福音ルーテル社団)ミッションセンターのホールにて行われた。
第1部は、リラ・プレカリアを主宰するキャロル・サック宣教師による演奏。JELAのプログラムの一つであるリラ・プレカリアは、病の苦しみを担う人、また地上の生涯の結びを過ごす人の心に寄り添う祈りの竪琴。音楽死生学に基づく1対1の祈りの関係の中で終末期を過ごす人のベッドサイドで奏でられる祈りが、その人ばかりか、家族や医療者をも包みこみ、慰めをもたらすものとされるのは、筆者にもある経験。今回も、竪琴から発せられるぬくもりが、集まった聴衆それぞれに与えられている心の琴線にそのまま共鳴し、一人ひとりが慰められた者として新たにされ歩み始めることを味わった。
数度に渡って協力を得ているのは、一般の飲食店。東京都内に店を構えるドイツビールの専門店が今回も出店。食品に関する現在でも有効な最古の法律であるビール純粋令は、宗教改革の始まりに先立つこと1年、1516年に制定された。これに基づくビールを共に味わうこともルターナイツの醍醐味である。
第2部ではかつて松本教会を中心に演奏活動をしていたノコギリソウ、またメンバーは重なるが、2人編成の牧師Rocks、さらに市ヶ谷教会の学生青年たちによるコーラスグループThe Beagles。それぞれの演奏そして賛美は、音楽という賜物を深く豊かに味わう時。中でもノコギリソウのメンバーである谷口真実さんは3年をかけて行った世界一周の旅について写真と日記で報告した。大きな荷物を2つ抱えて自分の足とヒッチハイク、そして野宿や知り合った人の家に泊まるなどの時間に縛られない自由かつ過酷な旅で、各地の文化や習慣、風土や人を深く味わうことは自分の限界を超える経験の連続であったと述べた。加えて、自分の定めた線引きを超える経験のために旅することを勧め、旅の途上で作った歌を演奏した。現在は和歌山県内で地域おこし協力隊の一員として地域コミュニティの活性化のために働く教会青年。
会場を提供したJELAによる社会貢献活動について、また教育プログラムについても紹介がなされたが、それを担った職員たちもまた教会に育てられた若者たちであったことは印象的であった。入場料にも含まれたチャリティ募金と収益は、西日本豪雨と北海道胆振東部地震の被災地支援などに贈られた。でかけていく教会の歩みは「500年」から先へと続いていく。

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