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バイブルエッセイ

オンリーワン

 ある日、マザー・テレサのところに小さな女の子がやって来て、「これをね、マザーのかわいそうな子どもたちにあげてちょうだい」と握りしめていた片手を差し出して、そおっと開きました。そこには、角砂糖一粒が乗っています。この子にとっては宝物以上に大事なお砂糖でした。それを、自分よりもっと貧しい子どもたちに分け

てあげたいという、その心にマザー・テレサは感動したのでした。
 このことを通して、シスター菊池多嘉子さんは、「自分の口には、もう入らないかもしれない貴重なお砂糖だからこそ、独り占めにするのではなく、もっと貧しい子どもたちに分けてあげたいと思ったのです。でも、『これさえあれば』という極限状態にあって、それを隣人と分かち合えるのは、神様への信頼と愛のなせるわざではないでしょうか」と言われます。(心のともしび・2004年4月「明日のことを思い煩うな」より)

 さて、ぶどう園の労働者のたとえとして有名な聖書の冒頭は、「ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、1日につき1デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った」で始まります。朝早く雇われた労働者の1日の労働賃金が1デナリオンという取り決めが成立しています。これは当時の1日の報酬としては普通の金額でしたので、労働者は納得したことでしょう。それから遅れること3時間、朝9時に雇われた人も同じ思いであったでしょう。

 しかし、仕事を終え、1時間しか働かなかった人々が同じ1デナリオンの賃金を手にしたときから変化が生じてきます。そして、1時間働いた者も、3時間の者も、6時間、9時間、12時間の者も、まったく同じ1デナリオンだったのでした。ただ、ぶどう園の主人は、自分から一方的に約束を不履行にしたのではありません。みなそれぞれに、1デナリオンと約束し、それを履行したに過ぎません。

 そこで、夕方5時に雇われた人について考えてみましょう。あと1時間でその日の労働が終わり、夕闇迫る時間を迎えようとした時です。まだどこにも行かないでいる人々がいました。彼らは「誰も雇ってくれないのです」と答えたので、主人は「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と言ったのでした。彼らの夕方5時に雇われるまでの11時間という長い時間は、彼らには絶望と不安でしかなかったかもしれません。それが夕方5時に雇われた人々です。
 この5時に雇われた人々の姿は、他人事ではなく、私たちも何時そのような立場に置かれるか分かりません。そして、いつか自分たちもそうであったことを忘れてしまっていないでしょうか。今、私たちがこのぶどう園の主人の報酬計算が不合理だと感じるとき、私たちはすでに、朝早く雇われた者の側に立っていると言えるでしょう。朝早く雇われた人々には、その1日の保証と安心が伴っていました。6時間を働いた人、3時間の人々もそれぞれに労働時間外の不安と苦悩を背負っていました。しかし、ぶどう園の主人は労働時間に加えて、その背負っている苦悩や絶望という悲しみの時をも計算しているのです。

 ぶどう園の主人は、この不安と絶望の11時間をも見てくださいます。そして、私たち一人ひとりの持つ苦しみや悲しみをも計算に入れて1デナリオンという豊かな恵みを与えてくださっているのです。

 先ほどの幼い少女が、一粒の角砂糖を、「マザーのかわいそうな子どもたちに上げてちょうだい」と差し出す姿には、一番遅く雇われた者の苦しみや悲しみを共にしている姿があります。

 SMAPによって大ヒットした「世界に一つだけの花」(詞曲・槇原敬之)は、「そうさ 僕らも、世界に一つだけの花、……NO.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one」と歌います。神さまは、5時に雇われた人々の11時間という絶望と悲しみの時をも、「オンリーワン」として受け入れ、救いの御手を差し伸べてくださるのです。感謝をもって日々過ごしてまいりましょう。

日本福音ルーテル蒲田教会 牧師 渡邉純幸

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