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機関紙るうてる

るうてる2016年9月号

説教「だいじょうぶ だいじょうぶ」

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日本福音ルーテル静岡教会 牧師 富島裕史

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。(詩編23・1~4)

詩編23編は、わたしたちが、いつもくちずさみ、味わい、その度に力づけられる詩であると思います。「主は(わたしの)羊飼い。わたしには、何も欠けることがない。主は、わたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」。
 神さまから造られたわたしたちが、神さまに守られている者だと言うのです。主は羊飼い、わたしたちはその群れの羊。わたしたちは、自分で自分を守るのでなく、ただただ、飼い主に守り抜かれる存在です。しかし、守られるのは、主の群れにあってです。すると、主の守りを分かち合う、守り合うということが起こります。どのように、わたしたちは守り合うのでしょうか。
 柳田邦男というノンフィクション作家がいますが、『みんな、絵本から』(講談社)という本の中で、幼いころに読んだ絵本が、悲哀や辛苦の人生経験と重なってきて、病いや老いのときに、その絵本が深い癒しを与えてくれると言います。
 実は、わたしにも、そのような絵本があります。
 その絵本は、『だいじょうぶ だいじょうぶ』(いとうひろし作・絵/講談社)というものです。主人公の「ぼく」が、ようやく歩けるようになった頃から、おじいちゃんは、毎日のように散歩に連れ出してくれました。散歩は楽しく、新しい発見や出会いがありました。困ったことや怖いことにも出会いましたが、そのたびに、おじいちゃんが、「ぼく」の手を握り、おまじないのようにつぶやくのです。「だいじょうぶ だいじょうぶ」。こうして、「ぼく」は、何があっても、「だいじょうぶ だいじょうぶ」の言葉に支えられて、大きくなりました。
 やがて、「ぼく」は成長し、おじいちゃんも年をとってきました。あるとき、おじいちゃんは具合が悪くなり、入院することになりました。さあ、今度は「ぼく」の番です。「ぼく」は点滴を受けてベッドに寝ているおじいちゃんの手を握り、何度も何度も繰り返して言うのです。「だいじょうぶ だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、おじいちゃん。」
 この絵本を見たのは私の父が亡くなった後でしたので、「ぼく」がおじいちゃんの手を握り「だいじょうぶ、だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、おじいちゃん」という場面では涙が止まりませんでした。
 詩編23編は、神さまの守りと、わたしたちの神への深い信頼を歌っています。「死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」 「わたしを苦しめる者を前にしてもあなたはわたしに食卓を整えてくださる」。
 この詩人は、平穏な日々の中で神さまへの信頼を歌ったのではないようです。現実の状況は「死の陰の谷」を歩み、「わたしを苦しめる者」が前にいるのです。しかし、それでも羊飼いがわたしと一緒にいてくれるという信頼を持ちながら歩んでいくのです。きっとそこには、「だいじょうぶ、だいじょうぶ、主が共にいてくださるから」と、語りかける仲間がいたことでしょう。「ぼく」がおじいちゃんから「だいじょうぶ」を聞き、「ぼく」がおじいちゃんに「だいじょうぶだよ」と声をかける。これが、大切なことだと思います。
 友人から送られてきた手紙に、作者不詳の詩が紹介されていました。
「主よ、あなたが、あの人のことを、引き受けてくださいますから、一切をお任せいたします。私の力ではなく、あなたの力で、私の愛ではなく、あなたの愛で、私の知恵ではなく、あなたの知恵で、お守りください。主よ、抱きしめてください。私の代わりに。」
 この詩の「あの人」とはだれのことでしょうか。
「ぼく」にとっては、入院しているおじいちゃんでしょう。わたしたちにも、主に委ねるべき「あの人」がいることでしょう。守られた者が守る者となる。これがわたしたちの生き方でしょう。「だいじょうぶ だいじょうぶ だいじょうだよ!」と呼びかけあう。そこに主の羊たちの群れの姿があるのです。

連載コラムENCHU

6【 Democracy 】

 野村修也さん(中央大法科大学院教授)の書かれた東京新聞のコラム「多数決のパラドックス」(2014年2月19日)を紹介します。『こんな問題もある。5階建てのマンションで、エレベーターの改修費が議論となった。普段エレベーターを使わない1階の住民は負担を拒んだが、5階の住民は均等割を主張した。多数決で決めることになり、過半数ではしこりが残るので5分の4が賛成する案に従うことになった。一見良さそうだったが、腹を立てた5階の住民の提案と、負担したくない他の住民の思惑が合致し、1階の住民だけが負担する案に5分の4が賛成したという。笑えない話だ。多数決の結果が常に正義とは限らない。多数派になった時こそ肝に銘じたい教訓だ』。
 障がい者施設で働く者の一人として、この話は本当に笑えない話です。受益者が少数派で負担者が多数派である「障がい者支援など」の住民投票が実施されたら、このパラドックスがそのまま再現されかねません。いや、今、起こっている沖縄・高江のヘリパッド建設問題は、まさにパラドックスそのものではないでしょうか。日本の人口比0・0001%の高江の住民が反対しても、民主主義の名のもとに暴力さえも黙認されているのだから。
 主イエスは、神の国を「成長するからし種」にたとえられました。神の国とは、小さなからし種が成長し、葉の陰に空の鳥が憩える場所ができるようなものだ、と。「み国が来ますように」と祈る私たちは、からし種のような声に耳を澄ます者でありたい、と思います。岩切雄太 ( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会牧師

第24回 全国ディアコニア・セミナー

テーマ「和解~キリストにおける愛と平和を学ぶ」

●日時:2016年10月9日(日)16時
 ~10日(月)15時
●会場:10月9日/健軍教会(熊本市)、10月10日/水俣スタディツアー
●おもなプログラム:<健軍教会にて>
 開会礼拝(小泉基牧師)、学び1「響きあう者たち―和解から和解へ」(小副川幸孝牧師)、学び2「和解を正義による再生と希望の連鎖:水俣と福島が出会い、熊本へつながれる希望」(石原明子さん/熊本大学)
 <水俣にて>水俣の資料館と水俣病の史 跡めぐり。水俣の食材・味を通して水俣 の哲学を体感。語り部のお話し。
●参加費:1,000円。スタディツアーバス代3,000円(健軍教会までの交通・宿泊は各自手配、合わせて食事なども自費)
●申込み締切り:9月30日
●申込み・問合せ:ディアコニア・ネットワーク代表 谷川卓三(三原教会・福山教会)
 詳細は、以下のURLへ
http://goo.gl/rGg0RX

議長室から

教会の「敬老の日」 総会議長 立山忠浩

 9月になり、季節は秋に向かうことになりました。各教会で様々な行事や集会を企画されていることでしょう。その一つが「敬老の日」に関することで、教会によっては特別な行事を予定されているかもしれません。
 日本の祝日にはその他、成人と子どもの日がありますが、なぜか敬老の日だけが「敬老」と、「敬う」という言葉が添えられています。成人と子どもにも「敬う」という言葉を添えるべきだと思いますが、なぜこの日だけが「敬老の日」なのか、色々な意図を思い巡らすのです。
 日本の平均寿命は世界でもトップクラスで、「高齢化社会」という言葉が定着しています。最近は「下流老人」なる新語まで登場していますが、これらの言葉からは、あまり好意的な印象が響いて来ないのは私だけではないでしょう。「高齢化社会」という言葉が語られる時にはいつも、年金や医療費問題に象徴されるように、国の財政をひっ迫させている負の部分が強調されがちだからです。
 では、教会ではどうでしょう。教会員や礼拝出席者の年齢構成を見れば、ルーテル諸教会のほとんどが「高齢化社会」を反映しています。いやそれどころか、日本社会全体以上に高齢化は進んでいると言えるでしょう。ここから、教会でもしばしば「高齢化」という言葉を口にするのですが、それは日本社会で響いて来るような印象があってはならないのです。
 では聖書はどう語っているか。聖書をめくりながら気づかされることは、聖書の書かれた時代は今ほどの高齢化社会はなく、筆者も予想すらしていないということです。当然と言えば当然ですが、今日の教会が、自分たちで答えを見つけ出して行かなければならない課題であることが分かります。
 ただ時代や社会は変わっても、聖書の場合には、人を見る目は一貫していることを忘れてはいけません。それは子どもであれ、若者であり、高齢者であれ、どの年齢層であろうとも等しく見つめている神様の眼差しがあることです。それだけでなく、誰もが生涯を通して、神様の働き人として用いられていることです。
 聖霊降臨の日にペトロは、神様の霊はすべての人に注がれており、息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る(使徒2・17)と説教したのです。この世の生涯を閉じるまで、聖書に親しみ、賛美と祈りを絶やさず、自分にできる奉仕をする者でありたいと思います。

公開講演会「いのちの光のなかで~スピリチュアルケアの実際~パストラルケアを背景として」

原 仁(ルーテル・医療と宗教の会 世話人代表)

今までもターミナルケアは医療と宗教の会のキーワードのひとつでした。そこでは医療者側と患者家族の思いが語られました。もう一つの視点 、病院チャプレンの働きが今回のテーマです。医療からみればターミナルケアですが、病院チャプレンの担う、死を目前にした人へのスピリチュアルケアを公開講演会で取り上げるのは極めて当然の成り行きでした。
 7月9日に東京四谷の幼きイエス会ニコラバレホールで開催された公開講演会は「いのちの光のなかで~スピリチュアルケアの実際~パストラルケアを背景として」と題して、田中良浩牧師にご講演いただきました。ご存知のように、田中先生は稔台教会や熊本教会などで牧会されています。米国での牧師としてのご奉仕の後、独立型ホスピスのピースハウス病院のチャプレンを7年間勤められ、2015年5月より救世軍ブース記念病院チャプレンとして、主にホスピス病棟でのケアに従事されています。まさにスピリチュアルケアの実際をお話しいただける最適な牧師です。
 ご講演は田中先生ご自身の信仰の原点を語られ、そして私は何故、この務めに向かう衝動にかられるのか、という問いに答えるように「人ではなく、キリストが癒してくださる」ことを宣言されます。キリスト教徒が多くない日本人の心にも、霊的な意識は確かにあると民族学や歴史学の文献を基に指摘されました。チャプレンの職務は、患者様と共にいること、聴くこと、そして祈ること、と続けられ、後半の5事例の紹介へと展開されました。事例に連なるご家族が何人も来会されていました。田中先生の真摯なお働きの結果なのでしょう。重く、そして深いお話しでした。
 日曜の礼拝後に教会堂で行うことが常であった公開講演会でしたが、初めて土曜の午後に開催いたしました。いつものように40名弱の参加者が得られて感謝です。なお、田中先生のご講演の内容を冊子にして公開する予定です。ご期待ください。

教会×公共

5レイトゥルギア(礼拝する民)その(1)

宮本 新(田園調布教会牧師、日本ルーテル神学校講師)

 明治の初期、キリスト教を警戒した政府が密かに人を遣り監視した資料が残っています。その中
に次のような記録が残されています。「初メニ歌ヲトナヘ、次ニバイブルヲヨミ、祈?ヲシ、神ニ約シテノチ、事ヲ議ス」。ある宣教師たちの会議の模様です。讃美をし、祈り、そして神に約束をして物事を決めていたのです。このような礼拝や集会の光景は今日まで津々浦々の教会で見られるものです。当時それを目撃した人が安堵したのか、危険を察知したのかは想像するほかありませんが、私たち自身は「礼拝する」ことにどんな意味や次元を見出しているでしょうか。
 著名な宗教学者・島薗進は、アジアの広範にわたる「礼」の伝統はプロテスタントの宗教理解と異なることを指摘しました。キリスト教とりわけプロテスタントから派生した世俗化論が聖と俗を分けることに力点があるのに対し、礼の文化は両者を結合し調和する文化だと論じ、「礼に宿る超越性」に意義を認めているのです。とても興味深い論ですが、そのプロテスタントの教会もまた営々と続けているのは礼拝です。
 キリスト教の礼拝を形づくる言葉にレイトゥルギアがあります。リタジー(典礼)の語源にあたりますが、元々はギリシャ・ローマ時代に人々が共同で行う公の奉仕や務めを意味する言葉でした。キリスト者の群れは、各々「私」を神の前に差し出し、祈り、讃美し、み言葉に聴くことをもって「つとめ」としたのです。そのようなキリスト礼拝には世俗の公/私の意味すらも根源から組み替えていく力があることが見出されました。この世界や命あるものは天において何であり、はじまりに何があり、終わりに何が待っているのかを主イエス・キリストを礼拝することを通じて、知らされてきたのです。
 ルターは「そのような信仰は人間の力によるのではない。神がわたしたちのうちに信仰をつくるのである」と言ったといいます。この世の真っただ中で行われる礼拝もまた同じことであるように思います。

熊本地震支援第1期募金報告

 「熊本地震」により被害を受けられた方々に慰めがありますように。復興への道のりは始まったばかりであり、多くの困難が伝えられておりますが、立ち上がる方々に励ましと、それに寄り添う教会の歩みに祝福が、神から豊かにありますよう祈ります。
 支援募金(第1期)のご報告をいたします。8月3日現在、国内外より、連帯献金として、①生活支援4,307,171円、また②建物支援17,865,088円が寄せられました。被災地と全国各地の強い連帯を感謝いたします。今後、建物支援に絞っての支援の呼びかけをいたします。(事務局)
 神を前にして生きることは究極のパブリック・パフォーマンスなのかもしれません。主を知ることを通して、世界を知り、自分たちを見つめていくことでもあるからです。

宗教改革500年に向けてルターの意義を改めて考える(新シリーズ5・通算52)

ルター研究所所長 鈴木 浩

 ペラギウス主義とは、アウグスティヌスと激しい論争を交わした5世紀の異端であった。その主張は、人間は救いに与るのにふさわしい働きをしなければならないし、することができる、という点にあった。そのような力を人間に与えてくれたのが、神の恵みであった。
 他方、オッカム主義の義認論は、人間の行いうること は非常に些細なことで、到底救いには値しないが、それでも、神はそれを義認にふさわしいものとして受け入れてくれる、という点にあった。それが、神が恵みによって人間と交わしてくれた「契約」であった。
 しかし、それでも人間の側には、「やらなければならないこと」があった。「人事を尽くす」ということである。それが、義認の恵みにあずかる「条件」であった。ルターも当初は、救われるためには、人間にはしなければならないことがある、と考えていた。
 ただし、巡礼に行くとか、聖遺物を拝観するとか、施しをするとかいった、当時の教会の「功績」をめぐる教えは何の役にも立たないとも考えていた。
 ルターが考えた「人事を尽くす」とは、律法の前での自分の無力さを痛感し、ひたすら神にすがりつき、神に叫び声を上げることであった。しかし、それでもそれは「人間がなすべきこと」という枠内に入っていた。だから、「人事を尽くす人に、神は恵みを拒むことはない」という構想の枠内に留まっていたことになる。
 ルターは、この枠をいかにして突破したのか。突破口はどこにあったのであろうか。何をきっかけとして、その突破が実現したのであろうか。それが、ルターの神学の発展の物語となる。
 ルターは神学博士となった翌年、神学部で詩編の講義を始めた。1513年のことである。そして、それが1515年まで続く。

ルタ―、バッハ、宗教改革500年

徳善義和

⑪主にあって生き、また死ぬ

「神の時はいともよき時」

  中世のラテン語の歌をドイツ語にして、「生のただ中にあってわれわれは死のうちにある」という讃美歌をルターは残したが、他方『詩編90編講義』の序文では、この歌を律法の歌と呼び、「しかし『死のただ中にあってわれわれは生の内にある』とわれわれは福音の歌を歌おう」と書いて、生と死の福音的逆説を説いた。
 生から死へ、愛する者を送るとき、哀惜の念強く、悲しみにうち沈むのは人の常である。愛娘を天に送って、今は神の身許にいると知っていても悲しい、とルター自身も友人に漏らした。
 しかしバッハにも葬儀を背景とするものには、葬儀の讃美歌「イエスよ、わが喜び」(教会讃美歌322)に基づきつつ、ローマ8章の聖句を配したライプツィヒ時代のモテットが残っている。
 「神の時はいともよき時」(KK106)を初めて聴いたのは鈴木雅明のバッハコレギウムジャパンが活動を始めた初期、御茶ノ水の小さいホールだったが、その後大ホールでカンタータ全曲の演奏を続けて、それを完成させた。
 この「神の時はいともよき時」はバッハのごく若い日の作品、ミュールハウゼン時代で22歳の頃と考えられている。愛する伯父の葬儀に臨んでのカンタータだったが、少年の日に母と父を相次いで失った青年バッハの、死といのちへの思いのこもったカンタータである。古い契約によるのではなく、イエスのみ手に委ねて、「今日あなたは私と共にパラダイスにある」というみ声を聴く、というそのみ声を心に聴きたい。
 訃報に接すると、バッハのこの2曲のいずれかを心に想い、あるいは聴いて祈るのを私は常とする。自らが身許に召される時も、会衆讃美歌は「イエスよ、わが喜び」、そして、このカンタータが響くことを願ってもいる。

熊本地震 九州教区対策本部活動報告

九州教区長 小泉 基

 震災から4ヶ月がすぎ、熊本の被災地支援は新たな局面を迎えようとしている。これまで緊急支援として行われてきた活動は、避難者さん方が避難所から仮設住宅に移っていくにしたがって、少しずつ中期的な生活支援に形を変えていくことになるだろう。
 ルーテル教会の救援対策本部である「できたしこルーテル」の働きも、被災直後の緊急支援物資の配布からスタートして、5月~6月は諸教会のカフェ活動や掃除用具の配布、炊き出し活動、健軍教会・広安愛児園/LECセンターの避難者さん方の支援、ルターバックスカフェの運営等に力が割かれてきたが、7月から8月にかけては、自宅の片付けが出来ない方、引越の支援を求めておられる方、ガレキの処理に困っておられる方々をサポートする働きをその活動の中心としてきた。
 8月現在、国際協力NGOわかちあいプロジェクトと協働し、わかちあいプロジェクトが雇用している専従者と、福岡地区(および下関)から交替で熊本入りする牧師らがチームを組み、被災家屋の片付け、危険なブロック塀を解体しダンプでガレキ処理場に運搬するなどの肉体労働に取り組んでいる。
 熊本市内は、少しずつ危険家屋の解体がすすん で更地が増え、建物の補修工事がすすんでいく様子が伺える。しかし建物の9割が被害を受けたといわれている益城町では、被災から4ヶ月を経た今でも、 震災直後の惨状がそのまま 晒されているし、仮設住宅の戸数も絶対的に不足している。「できたしこルーテル」は、この新しい局面に対応した生活支援のあり方を模索しつつある段階である。
 一方で、被災教会の支援については、全国のみなさんがお送りくださった建物支援募金(一次募金)の配分が決定したので、これから被災教会の補修工事がすすめられていく見込みである。
 みなさんの温かいご支援に感謝するとともに、これからも被災地にある教会と被災者の方々のために、ご支援とお祈りをお願いする次第である。

教会讃美歌増補版について

中山康子(讃美歌委員・むさしの教会)

「歌は世に連れ、世は歌に連れ」という言葉で始まる歌番組がありました。賛美歌にしても同様です。2000年近く歌い継がれている賛美歌もありますが、生まれてすぐ消える賛美歌もあります。
 2017年のルターの宗教改革500年の記念事業の一環として讃美歌委員会は『教会讃美歌増補版』作成のためにおもに以下の3分野を念頭において作業中です。
1.マルティン・ルター作と考えられている賛美歌を極力和訳し歌えるようにします。日本で発行されている賛美歌集は多々ありますが、ルター作の賛美歌がすべて収められているわけではなく、ルーテル教会が手がけなければならない作業だと考えます。
2.日本語の新作賛美歌を募りました。地球環境保護、災害からの復興支援、女性の社会進出、いじめ、海外宣教など、40年前の『教会讃美歌』作成後に必要になった分野の賛美歌を補充します。
3.アジア・ヨーロッパ・米国など海外の新しい賛美歌を紹介します。海外の歌集から推薦され選択した賛美歌は、賛美の課題および内容への意識を一層広げます。
 これらの翻訳作業には多くのかたの加勢をお願いしています。

 そのほか、教会暦に沿った賛美歌の補充、こどもたちが歌える歌、鍵盤楽器用の伴奏譜にギターコードを付けるなど多種類の分野にわたって200曲程度を検討しています。
 今年5月の全国総会に合わせて、作業が整った32曲を載せた『教会讃美歌増補版 試用版』を発行し、全国の牧師・代議員に配布しました。
 『教会讃美歌増補版 試用版』を手にとってご覧になりたい方は若干残部がありますので、教会事務局にお問い合わせください。
 東教区では9月19日13時半から小石川教会を会場に、「教会讃美歌増補版を知ろう」というテーマで 〈秋の礼拝と音楽セミナー〉を予定しています。参加費無料、申し込み不要です。
 詳細は、東教区教育部長の市原悠史牧師にお尋ねください。

ルーテルアワー「さあなの部屋」より
⑧神様は今もあなたを大切にされています

伊藤早奈

「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」(創世記1・31)
「私は生きていていいのだろうか。」そのような問いが溢れてくる時があるのは私だけでしょうか。あれもできない、これもできなくなった。何も役に立たない私なんかがどうして生きているのだろう、と。
 私の個人的なことを言えば、だんだん自分の足での歩行が困難になり、今は車椅子の助けを必要とし、言葉も早く話せなくなり何度も言い直さないと解ってもらえないもどかしさを感じることも増えて、書字も困難になって・・・と、できなくなっていくことがたくさんあります。それでも生きちゃっていると思うと辛くて辛くて。
 でも、立ち止まって考えると、そのような自分にさえも、新しくできるようになったことも実はたくさんあることにも気付きます。
 失っていくことばかりに心が捕われてしまうと、どんどん自分が惨めになるかもしれませんが、与えられていたことがたくさんあるから多くを失うのだと思う時や、今新たにできることが与えられていると思うと、今あるたくさんの与えられているものに感謝できます。
 神様は一人一人の人を造られましたが、「私が立派に造ったのだから勝手に育ちなさい」と言って放っておかれるわけではありません。「あなたは私にとってかけがえのない大切な存在だよ」と言われ、今もずっとあなたを愛し、共におられるのです。あなたの存在も、そして神様に造られたもの全ては、神様にとって今も極めて良いものなのです。
 たとえあなた自身が自分を否定したくなるほど惨めな時でも、誰にも存在を認めてもらえない時でも、神様にとってあなたは大切な大切な存在です。
 神様は造られた全ての一つ一つを大切にしておられることを知っている私たちだからこそ神様は支え、全てに愛の心を配るようにと、全てを人に委ねられたのです。
 私たちは今を生かされています。私たち一人一人を大切にしてくださる神様と共に今、生きています。

プロジェクト3.11 心の復興を後押し「祈りのコンサート・大分」

野村陽一(大分教会)

 東日本大震災から5年半、今も大分教会を会場に開催されている支援コンサートがある。宮城県東松島市にある「すみちゃんの家」を支援してきた。これまで45回の開催、出演した個人・団体は60超、人数にすれば300人を超える。聴衆にいたっては少なくとも3500人を超す。義援金も400万円を超えた。被災地から遠く離れた九州の小さな教会が、なぜ今も支援し続けられるのか、その経緯を紹介したい。
 2011年、震災2週間後に渡邉麻実子さんという一人のピアニストが教会を訪れた。聞けば震災被災者のための支援コンサートをするため教会を会場に借りたいとのこと。私はこれを承諾しながら言った。「支援は長期戦です。コンサートは1回でいいのでしょうかね。毎月やってみませんか。」
 仲間と相談してみると答えた彼女が数日後やって来た。「とりあえず4月と5月は私たちがやります」。「私たち」とは、このため臨時に編成された「アンサンブル・ルーチェ」であり、大分県下のトップクラスの声楽家、管楽器奏者、弦楽器奏者、ピアニストで編成されていた。皆、自分にできることは何かを模索していた。彼らは出演者の中核をなしていくが、以降の出演者も同様で、自分にできることは何かを問いつつ、こぞって出演してくださることでコンサートは継続できた。
 総額で400万円を超えたとはいえ、毎回のコンサートで寄せられる寄付金は、高齢者施設の必要額に比べればとるに足りないほどの少額である。しかし、5年間で40回以上送り続けたことが、額面では量りきれない大きな働きになった。
 「明日が見えず心折れそうな時、大分の人たちが応援している!」。このことが慰めに、励ましや力になると、施設の方が言ってくださる。支援する、される関係というより、目に見える互いに支え合って生きる関係をつくれたのかもしれない。

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