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機関紙るうてる

るうてる2010年3月号

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変わった父親ーー「放蕩息子」のたとえ

「父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。…兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。」(ルカ15:20、28)

聖書の最も美しい話は、放蕩息子のたとえ話です。それを通して、主イエスは父なる神の憐れみと赦しを教えています。
最初に登場するのは家族の弟です。当時の社会で長男は跡取りで、他の息子たちは父親が死んでから多少のお金を分けてもらって、それを持って商売を始める人が多かったそうです。しかしこの話の弟は、父親がまだ生きている間に自分の分け前をお願いしました。家での生活が物足りないと思い、自由を求めていたのかも知れません。不思議なことに、父親は息子の願いを理解し、財産を分けたのです。
息子は商売もしないで、お金をすぐ使い果たしてしまいました。そうすると、ユダヤ人にとって最も恥ずかしくて、いやなことが起こりました。彼は外国人の召し使いになり、汚れた動物とされる豚の世話をしなければなりませんでした。しかし、この惨めな状況は彼にとって人生の方向転換となりました。
父親は息子の弱さを予想したようで、日々その帰りを待っていました。昔、家族の長老たちは自分の立場を忘れないで、厳かな姿でゆっくりと歩いていたそうです。しかし、この父親は息子のみすぼらしい姿を見ると、われを忘れて走り出しました。喜びのあまりに走って、放蕩息子を家に迎えたのです。父親は帰ってきたわが子を受け入れては赦し、宴会を催してお祝いしました。
しかし、たとえ話はこれで終わったわけではありません。父親にはもう一人の息子がいました。それは従順な働き人である長男でした。父はこの息子をも同じように愛し、いつもそばにいることを喜んでいました。しかし長男は父の愛をあまり分かっていなかったようで、弟に対して妬みを感じるようになったのです。それで、お祝いの席には長男の姿は見えませんでした。
父親にとって、いつもそばにいた長男も、帰って来た次男も大事な存在でした。二人が共に喜びお祝いし、そして一緒に暮らすことは父親の最高の願いでした。それで父親はお祝いの席を離れて外に出ました。長男をなだめようと迎えに行ったのです。
変わった父親です。私たち人間は実際にこのような愛と忍耐を持っていないと思います。このように私たちを愛し、憐れんでくださるのは父なる神さまお一人だけです。私たちが共に生きることをお望みになり、そして一人ひとりを天の国のお祝いに迎えてくださるのです。

函館教会牧師 ビリピ・ソベリ(3月末退職・帰国予定)

新任教師・J3のご紹介

第23総会期第6回常議員会の2日目にあたる2010年2月23日、新任教師およびJ3の人事発令と紹介がありました。
今年は新任教師1名、J3は4名が私たちの教会に与えられました。人事発令では緊張しておられた新任の方々も、その後の常議員の方々との懇談時には、今後の活躍を期待され賑やかな中にも宣教に対する熱意をわかちあいました。
新任教職の人事は、高村敏浩氏(岡山・松江・高松教会)です。J3の方々は、Dana Dutcherデイナ・ダッチャー氏(文京カテリーナ)、Susan Wironenスーザン・ヴィロネン氏(九州学院)、Douglas Foster ダグラス・フォスター氏(九州学院)、John Hoyle 、ジョン・ホイル氏(九州ルーテル学院)です。
これからの働きに神様の導きを祈ります。
事務局長 立野泰博

風の道具箱

急がずに、休まずに

ある本の中に「子どもの教育はいつからはじまるか」という文章がありました。
その話は、進化論のダーウィンのところに一人の母親がきて、子どもの教育はいつから始めればよいかと聞きます。彼は「お子さんは何歳ですか」と聞くと、「生まれて1年六カ月」と答えます。すると「残念ながらあなたは1年半おくれました」といいました。これを聞いたある教育者が、「いやその母親はもっと教育の時期を失した。生まれる前から注意しなければならない。それが胎教だ」といいました。またそれを聞いた別の教育者は「いや母親はもっともっとおくれた。その子どもの教育は母親の修養時代から始まっている。もし母親が不十分ならば、到底ちゃんとした子どもの教育ができるはずがない」と。
子どもがどうのではなく、やはり親がどのように生きているかだと思います。親が人の話が聞けないのに、子どもが聞けるはずがないのです。
私たちの親は神様です。神様に育てられている私たちですから、急がずに、休まずに信仰をもって歩んでいきましょう。 (柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

静岡教会牧師 藤井 邦夫

わたしたちの
主キリスト・イエスによって
示された神の愛から、
わたしたちを引き離すことは
できないのです。
ローマの信徒への手紙 8章39節

人生の歩みの中で私を導いてくれた聖句やキリスト教の考えは多くありますが、今一番身近なものはこの聖句です。正確には8章31節から39節です。
親しい友人が少し早くですが定年退職を迎えます。私もふと自分のその時を考えることがあります。牧師として現役でなくなったとき、自分は何によって生かされるか。信仰が本当に自分を生かす力になるのかと言うことです。
この年になって、信仰が頭の中だけでなく、実際に自分を生かしているか、信仰の上に実際に立っているかが、より問題になって来ました。そして、別れなどを経験する時、心の中に言いようもない悲しみや、寂しさを感じ、どうしようもない気持ちに陥ります。しかし、その時神様に心を向けると、また生きる力が湧いてくる経験をし、確かに信仰によって生かされていることを感じます。
最近、私が説教で語ることの底にいつも流れていることは、神様は私たちの良し悪しを越えて存在自体を愛していてくださることです。そして神様は人類を救うために長い歩みをされ、ついにみ子を与え十字架にかけられ復活させられたのです。たとえ、人間が失敗しても、苦しみの中にあっても、神様の愛の中にあるのです。
そのような私がふと神様のことを思い描くことがあります。神様の前に出るようなイメージです。その時、ペトロが前の晩は魚が取れなかったのに、イエス様の命令で大漁を経験した時、「主よ、私から離れてください」と言った感覚を感じることがあります。聖なる神様の前に立てるのかと言う思いです。
でもその時私は神様がイエス様をわたしたちの所に送られた、しかも十字架に架けてくださったと言うメッセージが心に来ます。そして確かに自分は神様の愛の中にいると確信するのです。

そのことをしっかりと与えてくれるのがこの聖句であり、8章の31節からの所です。そして神様の愛の中で希望を持って生きる力がしっかりと与えられていることを感じるのです。

信徒の声 教会の宝石を探して

北海道特別教区 恵み野教会 坂部 能

Q.キリスト教との出会いは
日本基督教会旭川二条教会の出身です。両親がクリスチャンで、幼い頃から教会学校に通いました。青年時代は戦争の最中で、今の人からは想像を絶する迫害の中、とても主日礼拝を守る環境ではありませんでした。終戦後、再び教会に通えるようになり、21歳で洗礼を受けました。

Q.信仰生活の思い出は?
転勤で移り住んだ最北の地、稚内で、私達夫婦と一人の青年と、まもなく訪ねてきた青年牧師と4人で行なった開拓伝道です。思いもよらない苦労の連続でしたが、原野の中に教会堂が建てられたとき、「神様は無から有を生み出される」という大きい感動と喜びをいただきました。

Q.いつも変わらずご夫妻で礼拝に出席される背中に、励まされています。
私自身、父が絶えず聖書を学ぶ姿に教えられてきました。父は私の信仰については何も言いませんでしたが、その背中から学びました。また三浦綾子さんとは同じ教会員でしたが、彼女は情熱的で行動派のクリスチャンでした。二人の姿勢から受けた影響は大きいと思います。

Q.教会学校も、長年続けて来られました。
恵み野で10年、前の教会も含めれば40年近くになりますね。司法関係の勤務先で、苦労している人々と多く出会い、心の支えとなる信仰の必要性を感じました。これが教会学校への原動力だったのでしょう。蒔いた種がすぐは実らなくても、いつかみことばを思い出してくれればと願います。

Q.愛唱聖句は?
若い頃から、ヨハネ福音書16章33節「これらのことを話したのは私によって平和を得るためである。…」が、苦しいときの支えでした。またこの歳になり「信仰と希望と愛、その中で最も大いなるものは愛」(Ⅰコリント13:13)のみことばが大切だと思うようになりました。

Q.季節のみことばカードや観葉植物を、そっと飾ってくださっていますが、
教会への思いをお聞かせください。

他の方にも慰めになればという気持ちです。互いにゆるしあい、愛を与えあうことで教会は成り立つのだと思います。殺伐とした社会に、教会からそういう暖かさを発信したい、教会が、厳しい冬の中の暖かい日だまりのような存在になれればと思います。

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)

「人に奥行きあり」

お前は、自分の神と出会う備えをせよ。 旧約聖書:アモス書4:12 
社会福祉法人デンマーク牧場福祉会 特別養護老人ホーム・ディアコニア チャプレン 新霊山教会 牧師     白川 道生

大きな手術の為、明後日には入院される73歳のOさんをお宅に訪ねました。太陽の光りが燦燦と差し込むお部屋のイスに、静かに腰掛けて、「ようこそおいでくださいました」とお迎えいただきました。
最近の暮らしぶりをうかがっていた中で、「痛みに眠れない夜が明けて、朝がやってくる。それだけで嬉しさがこみ上げてくるのです。だから、外に出て、胸いっぱいに空気を吸い込むのです。そうすると、何ともいえない幸せな気持ちになるのですよ。」と、ゆっくり語るそのお姿は、清々とした美しさを湛えていました。
「いま、Oさんは人間の奥行きを生きておられる」。私は、羨望と敬服の念を抱きました。そして、聖霊のことを思いました。神様のお心がその人の内面に宿る時、心に安らぎが感じられる。聖書の告げる幸いの一つがこれでしょうか。
ホームの渡り廊下で、車椅子の85才のMさんが、通りがかった私を招きました。「何かお困りですか?」そう申し上げて近づくと、「ぬくといに。せっかくおてんとさまがあったまりなっせと言ってくれてるで、あんたもあったまりなっせ」(静岡の遠州弁で、「ぬくといに」は「あったかいよ」、「あったまりなっせ」は「温まってゆきなさい」の意)。
「なるほど、それではお邪魔いたします」と隣にしゃがんでおりますと、確かにこれは温かい。落ち着くなあと感じ始めたその時のMさんのひとことです。「おてんとさまの前では争えんに……」。
「来る朝毎に 朝日と共に神の光を心に受けて、愛のみ旨を新たに悟る」と讃美歌の詩人は歌いました。老いの日々にあって、そのようなお姿をお見受けし、私たちの目を天に向けさせられることしばしばであります。

いのちはぐくむ

中井弘和

11回「いのちの電話」

命は慈善の道にある。この道を踏む人に死はない。
(箴言12章28節)

私は、4年ほど前から、「静岡いのちの電話」を運営の面から支援するボランティアを始めています。電話相談による自殺防止を目的とした「いのちの電話」は、1953年、英国で一人の少女の自殺に遭遇した牧師、チャド・バラー(1911?2007)が、その悲しみを乗り越えて創設した「サマリタンズ(よき隣人)」に端を発します。日本では、1971年に初めて東京で開設され、今では全国各地の50ヶ所ほどで活動が展開されています。「静岡いのちの電話」はそのひとつで、丁度10周年を迎えたばかりです。
その活動の中心を担う相談員は、人に知られず、ほめられることもなく、もちろん無報酬で、日夜ひっそりと、電話を通じて人のいのちの重さに向き合うことになります。そこには真のボランティアの姿があるといえます。専門的な訓練を受けているとはいえ、その活動の中で傷つき疲れることもあるはずです。しかし、身近に接する彼らからは、いつもある種の輝きが感じられます。
最近、相談員の有志が棚田(本紙2009年8月号参照)の稲作りに参加するようになりました。自然や稲に触れて心身をリフレッシュしようとしてのことです。みんな、初体験だったとのことでした。田植えが終わってしばらく経ったある日、私は面白い発見をしました。彼らが植えた稲が、他の参加者のものに比べて元気が良いのです。興味をもってよく観ると、実に丁寧に植えられていることがわかりました。その生育の良さは秋まで続き、収穫量も最高でした。これは、人のいのちに向き合う心が稲にも通じた証とも言えそうです。
いのちは、元々「生きたい」と願っているはずです。しかし、あらゆるいのちが互いに繋がり合っているという前提で、このいのちの本質は立ち現れるのではないでしょうか。いのちの電話は、電話をかける人とそれを受ける相談員が互いに心を通わせながら、生きたいといういのちの本質を呼び起こす作業ともいえましょう。
日本では、12年連続で自殺者が年間3万人を超えています。この数は、旧ソ連圏のいくつかの諸国を除いて世界最多となります。自殺の問題は、日本の政治、行政が取り組むべき最大の緊急的課題だと私は考えています。
しかし、一方、私たち一人ひとりも日常生活の中で、自分のいのち、他者のいのち、あらゆる生き物のいのちに向き合い、互いにいのちを輝かせる生き方を選択していくことが求められます。その選択肢の一つにボランティア活動すなわち慈善の道があることはいうまでもありまん。

激論「どうなる/どうするルーテル教会と宣教」

木村 猛(保谷教会)

09年9月22日、東京教会で「神学校創設100年記念 激論9.22」が行われました。全国から158名の教職、引退教職、元宣教師、信徒の方々が集りました。神学校が第二世紀に向かうこの機にキリスト教、ルーテル教会を取り巻く厳しい環境を認識し、「どうなる/どうするルーテル教会と宣教」を一緒に考えました。
東京工業大学大学院教授・宗教社会学者の橋爪大三郎先生(大岡山教会会員)の「これでいいのかキリスト教」を聞き、9名のパネリストの発題を受けて、会場からも熱心な意見が出て高揚した雰囲気に包まれました。また、アンケートには貴重な意見が記され、まだまだ、ルーテル教会にはエネルギーがあって「ステタモノ」ではないと感じる集会となりました。
その詳細な様子、アンケート分析が載った報告書が完成し、全国の教会・牧師・参加者に配付されています。これから、各教区の集会の中で「どうする」から「こうする」に深化する議論が湧き上がるよう願っております。

関門の丘から

松隈 勁
3月。連翹の花咲く丘とうたわれる同窓生のあこがれの地に春が再びめぐってくる。
3月1日。冷たく澄んだチャペルの中で卒業生の名前が読み上げられ、一人ひとりに校長から卒業証書が手渡されていく。その卒業証書を手に生徒たちは神様からの便りとして世界へと送りだされていく。「光の子として歩きなさい」という学院聖句を心に刻み、私たちの主であるイエス・キリストの光を額に受けながら歩み始める。
かつて、下関は大陸への玄関口として賑わった。しかし、戦時下には地図に載らない街であり、下関要塞は海峡を機雷封鎖するために飛来する爆撃機の猛爆に曝された。その空襲により学院の建物のほとんどは焼失した。戦前は宣教師として、戦後は直ちに第4代院長として梅光女学院を支えたマッケンヂー先生は、戦時下の米国で募金に奔走した。学院は戦後、それらの献金を礎としていち早く復興し存亡の危機を乗り越えることができた。楓の扉にあしらわれた緑色の教室表示板と金色のドアノブは当時の雰囲気を今に伝えている。その堅牢で瀟洒な建物の横に、今、新しい構想で建設中の校舎は少子化の試練に立ち向かうかのように共に立ち並んでいる。
以前、西南地区夏期学校(教育研究集会)の生徒指導部会で話題になった一つに、ミッションスクールに学ぶ生徒に共通する特質として「立ち直りの早さ」が挙げられた。ミッションスクールに学ぶ生徒がとりわけ品行方正であるわけでもなく、どこにでもいる中学生・高校生である。誘惑に陥ることもあるし、非行に走ることもある。しかし、決して堕ちることがない復元性を持っていると思う。それは、自分自身が罪赦されている存在であることを自覚しているからであろう。
「光の子として歩きなさい」という聖句のひとつの意味だと思う。
面接を受けるために白髭先生と一緒に軽やかに上った正面玄関へ続く坂道。石段を登りつめ、ふと振り返ると朝日を受けて煌めく海峡の向こうに、懐かしい九州の山並みが連なっていた。
今、この時の石段がこんなにも勾配がきつかったのかと思い知らされるようになった。私も一旦この丘を降りよう。荷を解いて身軽になって、温かい春の日差しの中を新しく与えられたミッションを果たすために再び坂道を上って行こう 。 (了)

洗礼を確認する礼拝 …… 洗礼の信認式

日本ルーテル神学校 校長 江藤直純

洗礼、それはわたしが、罪の赦しをいただき、無条件で神の子とされたこと、キリストと共に死にキリストと共に新しいいのちに甦ったこと、キリストの体すなわち教会の一部とされたこと等を見える形で神様が実現してくださった恵みの出来事です。 ルターは信仰的な危機の只中にあっても「わたしは洗礼を受けている」という事実を思い起こすことで支えられました。
教会の伝統の中で「堅信」(confirmation)は幼児洗礼を受けた者が長じて自ら信仰を堅く告白する儀式として守られてきました。ただし一九八六年以降、初陪餐は堅信より前に置かれるようになりました。現在の式文では成人にも洗礼の後に堅信がなされます。
その堅信とは違い、大切な洗礼を受けていることを信仰生活の節目で再確認するための儀式が、おそらく日本で初めて、昨年の待降節に松本、長野両教会(佐藤和宏牧師)の主日礼拝の中で行われました。「洗礼の信認(あるいは確認)」(affirmation of faith)と呼ばれる儀式で、参加者全員に深い感銘を与えました。
「洗礼の信認は、洗礼を通して与えられた恵みの賜物と約束を思い起こし、それらを改めて確認し、洗礼の恵みのうちにある一人として新たに生き始めるために設定されています」と冒頭に説明されます。勧め、祈り、信仰の告白、洗礼の信認、祈りのあとに該当者の名前を呼びあげ、一人ひとりの頭の上に手を置き(按手)、最後に「水と霊によって新たにされた洗礼のときを思い起こし、神の約束に信頼し、御言葉に従って歩みなさい」と言いながら牧師は水に浸した枝をうち振ります。まさに恵みの再確認の時でした。
両教会でのこの礼拝では、受洗六〇年から一五年までの五年ごとの節目の会員一四名と、洗礼を受けて五〇年以上の一二名(最長は八〇年の瀬黒花子姉)がこの儀式に与りました。五年間で全員経験します。この式は病気回復、信仰生活の再開、転入会、その他さまざまな時にも用いられます。詳しくは佐藤和宏牧師まで。

ルーテル世界連盟アジアプリアセンブリ報告

ルーテル世界連盟理事 関野和寛

2009年12月6日~9日までタイ・バンコクにてルーテル世界連盟アジアのプリアセンブリが行なわれ、日本福音ルーテル教会より渡邉純幸議長、浅野直樹牧師(通訳)、関野和寛牧師、竹森洋子姉が参加しました。
今回の会議は2010年にドイツで行なわれるルーテル世界連盟総会の準備の為であります。2010年ルーテル世界連盟に与えられたテーマは “Give us today our daily bread(主の祈り/我らの日毎の糧を今日も与えたまえ)であります。
今回は総会に備えアジア中のルーテル教会リーダーたちと このテーマについて議論がなされました。今、アジアだけでなく世界中の教会が経済危機、環境問題そして食糧危機に直面しています。基調講演でパレスチナのルーテル教会議長である、ムニブ・ユナン牧師は「わたしたしに日毎の糧を与えたまえでなく、我らに日毎の糧を与えたまえなのだ。我ら共に苦しみ、共に喜ぶのである」と語られたことがとても印象的でした。
またインドの若い女性は「今インドの若者はルーテル教会を離れ、福音派の教会に行っている。ルーテル教会も負けずに力強く福音を語るべきだ」と語っていたことも大きな励みになりました。世界そしてアジア中のルーテル教会が今、様々な危機に直面しています。ですが、そのような中でこそ教会のリーダーたちが共に集い、主の確かな御計画を願い求める時となりました。

フィンランド福音ルーテル協会(SLEY)旅行団訪日スケジュール決定

ウェルローズ宣教師一家4人と、それに17才のクルビィネン嬢が2ヶ月半にわたる船の長旅の後、1900(明治23)年12月に長崎に到着し、最初の宣教師として日本の地を踏みました。ここからフィンランドとの宣教の歴史が始まり、今年の2010年で110年を迎えることとなります。この百年を超える宣教の歴史を神に感謝する意味からも、日本福音ルーテル教会はフィンランド福音ルーテル協会(SLEY)との共同事業として相互交流を目的とした宣教ツアーを計画しました。
まずは4月3日から12日にかけて、フィンランド福音ルーテル協会(SLEY)の会員の方々、22名が来日されます。予定されている主な日程は以下の通り。
3日、成田到着、新宿宿泊。4日、東教区の教会で礼拝、歓迎会。5日と6日、東京観光、歓迎夕食会。7日、諏訪教会訪問。8日、飯田教会訪問、京都へ。9日、京都観光。10日、長崎訪問。11日、博多教会で礼拝、大阪宿泊。12日、関西空港からフィンランドへ。
フィンランド福音ルーテル協会の大会出席も兼ねた日本からフィンランドへの訪問旅行団は6月30日から7月12日までの二週間の予定で計画されています。 (宣教室長 青田勇)

2010年度 ルーテル「連帯献金」のお願い

今年度も「連帯献金」の特別指定献金を以下のように決め、各教会へご協力をお願いすることとなりました。LWF(ルーテル世界連盟)等の、教会の国際機関を通じて世界において支援を必要としている多くの人々のために用いられることを祈ります。   宣教室

■緊急支援■[ハイチ大地震]
1月12日、中米カリブ海の島国ハイチで、マグニチュード(M)7.0の強い地震が起き、首都ポルトープランスでは多くの建物が崩壊し、20万人に上る多くの被災者が出ています(NHKニュースより)。LWF(ルーテル世界連盟)の呼びかけに応じて、1月18日より全国の教会に支援をお願いしています。
■指定献金■[ブラジル伝道]
サンパウロにある日系人教会での宣教に、2009年4月より宣教師として派遣されている徳弘浩隆牧師夫妻の人件費と伝道諸経費を補うために、400万円の募金目標を掲げています。
■指定献金■[喜望の家]
釜ヶ崎「ディアコニアセンター喜望の家」の活動支援。アルコール依存を抱えた方々の支援・相談、アルコールを飲まない生活を支えるための「自立生活支援プログラム」のための支援です。
■特定献金■[メコン流域支援]
香港、シンガポールのルーテル教会と共同で展開中の「メコンミッション活動」。宣教・教育・奉仕事業の一環として、今年度はカンボジアのコンポン・チュナン地区の子どもたちへの食糧(100名、週5日分食事提供)、医療と教育(2,000名)の支援活動のために献金をお願いします。
■無指定献金■[世界宣教のために]
飢餓や内戦による難民状態にある人々や、突然の自然災害を被り、緊急の支援を必要としている人々の救援活動へ速やかに対応するために、「無指定献金」を設けています。無指定献金の配分・送金先は本教会常議員会の決定に委ねられています。

▼上記献金の送金先▼
捧げてくださる場合には、それぞれの献金目的を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。
郵便振替:00190-7-71734   名義:(宗)日本福音ルーテル教会
特記:訂正 2月号で報告した2009年度連帯献金の「喜望の家(6件)277万800円」には、ドイツ・ブランシュバイク教区からの海外支援(272万4,400円)が含まれていましたので、連帯献金そのものは5万1,600円でした。

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