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るうてる《福音版》  2009年 1月号

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バイブルメッセージ  神さまの個展会場。注目の作品は……

あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。
月も、星も、あなたが配置なさったもの。
そのあなたが御心に留めてくださるとは
人間は何ものなのでしょう。
詩編 8編4節(日本聖書協会『聖書 新共同訳』)

大学で物理学を勉強していた方と出会いました。小学生のころから理科が苦手で、私にとっては何も興味を持てなかった分野でした。何が面白いのかと思って尋ねてみたら、「世の中にあるどんな事柄も数式で表わすことができるところに惹かれた」と言われました。これは私にはとてもわかりやすい答えでした。理科の面白さはそういうところにあるのだろうな、とほんのちょっぴり分かった気がしました。
そして、考えてみると、ほかのいろいろな分野も似たようなことが言えると思います。
たとえば、彫刻や絵画を作りだす芸術家。言葉にはならないような気持ちを作品にあらわしていらっしゃるのでしょう。だから見る者も、専門家でない限りは、その作品をどう言い表していいのか分かりません。気持ちで感じるだけです。
作曲家もそうでしょう。自分の気持ちをひとつの曲に表わしていらっしゃると思います。聴く人も、作曲者の気持ちに共感できた時、その曲のすばらしさを味わいます。
日本人でもおそらくほとんどの人がどこかで聞いたことのある讃美歌。「いつくしみ深き友なるイエスは、罪とがうれいを取り去りたもう。心のなげきをつつまず述べて、などかはおろさぬ負える重荷を。いつくしみ深き友なるイエスは、われらの弱きを知りて憐れむ。悩み悲しみに沈めるときも、祈りにこたえて慰めたまわん」
どんな時に聴いても、うたっても、心を安らかにさせてくれる讃美歌です。でも、この歌の背景を知らされたとき、なおこの歌に込められた思いを共感することができます。作詞者のスクリーブン氏は、ご自身の婚約者が急死し、それを悲しむお母さんを慰めるためにこの詩を作ったと言われます。
わたしたちはみな、悲しみを背負って生きていますから、スクリーブン氏がこの詩を作ったときの気持ち、また、悲しむ人の心を少しでもやわらげようとして作った歌だと知ったとき、そこに込められた思いをなお強く感じることになります。
聖書にもあふれる思いがこめられた言葉がたくさんあります。「あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。/月も、星も、あなたが配置なさったもの。/そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう」(詩編8編4節)
この詩人は、天も、地も、この世にあるものすべてが神さまの作品であることを思い、この詩を残しました。作者である神さまをたたえています。この世界は、作者である神さまの言葉には言い表せないおこころがあふれている。しかも、その中の最高傑作品は人間。
時に悲しみ、時に憂い、時に探し、時に喜び、時に愛し、時に愛され、時につまずき、時に立ち上がる。そんな優れた作品のひとつが、この私……。
そのことに気づいた時、飲み込まれそうな大空を見上げながら、その大空をもその≪指の業≫で造られたお方をたたえつつ、詩人は、この詩を残しました。

そう、あなたも神さまによって造られた最高傑作。この世界のすべてをお造りになった神さまが、もう言葉では言い表せないとおっしゃりながら、そのお気持ちを形に表されたのがあなたです。
この作者は、同じ作品を二つとお造りにはならない方です。だから、この作者は、あなたがあなたらしく悩み、あなたがあなたらしく喜び、あなたがあなたらしく今日を生きることをお喜びになるようです。
鏡を見たとき、思い出してください。「わたしは神さまの作品。世に二つとない最高傑作なのだ」と。ほかの誰もがそれを忘れていても、作者は知っています。
パパレンジャー

十字架の道行き

【第十留】イエス、衣をはがれる
【祈りの言葉】
イエスよ。人々は、あなたからすべてを奪いました。着物も友も肉親も弟子も、そして命までも。しかし、すべてを失われることによって、私たちに大いなるものを用意されました。

毎日あくしゅ

「ママ」

ママ
作・田中 大輔
あのねママ/ボクどうして生まれてきたのかしってる?
ボクね ママにあいたくて/うまれてきたんだ
(川崎 洋編「子どもの詩」より・作者は当時3才)

歌手でもあり俳優でもある武田鉄矢氏は、「母にささげるバラード」の一曲で、一躍スターダムにのし上がりました。この曲と同名の本が出版されました。それによるとこの曲がヒットするきっかけは、フォークジャンボリーという音楽祭が九州の福岡で開催されたことです。当時のフォーク界のチューリップ、井上陽水、泉谷しげるといった大物歌手の前座として、無名グループ海援隊が十五分の持ち時間を歌いました。
ところが、聴衆は、「チューリップを早く出せ」とやじり、歌うどころではありませんでした。しかし、ハプニングは持ち時間の最後の方で起こり始めました。鉄矢氏が泣きながら、「お母さん、いま僕は思っています。僕に故郷なんかなくなってしまったんじゃないかと。一つ残っている故郷があるとすれば、お母さん、それはあなたです」と語るころ、聴衆は、いつの間にか、静かに聴き入っていました。歌い終わると、無名歌手のところに多くの人が群がって来ました。その後、すぐにレコーディングの話が舞い込み、発売して間もなく、ヒットチャートの一位までいったというのです。しかし鉄矢氏が、「いま、僕に故郷が残っているとするならば、それはお母さんです」と言った、その陰には、母が家出同然で去って行った息子のために、葉書をたくさん買い込んで、九州の各放送局にリクエストを出し続け、あげくの果て、自分の家に有線放送を引き、毎日リクエストし続けた母の姿がありました。
この新しい年の始まり、「ボクね ママにあいたくて うまれてきたんだよ」を思い起こしながら、世界にただひとりの掛替えのないお子様を抱きしめてあげてください。抱きしめた数だけ、優しさが増します。
今年も園児とご家族、そして皆様の上にすばらしい神様の祝福と平安をお祈りします。
(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

第10回 言語教育の問題点 その2

大学入試に小論文が採用された当初、成績上位の学生たちの不合格が続出した。これに驚いた予備校は、小論文の書き方、まとめ方を急遽教えることにしたという。しかし、この小事件は学校教育の致命的な欠陥を示したものといえる。
そもそも国語科の指導事項を定めた学習指導要領には、「経験したこと、想像したことについて、順序を整理し、簡単な構成を考えて、文や文章を書く能力を身に付けさせるとともに、進んで書こうとする態度を育てる」(第1学年及び第2学年)と示している。
そして記述に関する指導事項としては、「事柄の順序に沿いながら、文や文章の中で、語と語、文と文との続き方を考えて記述すること」を求めており、推敲に関する指導事項としては「一文一文を丁寧に読み返し、主語・述語のつながりや句読点の打ち方、長音、拗音、促音、撥音などの正しい表記ができ、助詞の〈は〉〈へ〉〈を〉を正しく使うこと」「句読点の打ち方や、かぎ括弧の使い方を理解し、文章の中で使うこと」を求めている。
にもかかわらず、これらが高校段階で身に付いておらず、小論文すら書けないのである。現在の週5日制の慌ただしい学校では難しいかもしれない。「書くこと」の指導は個別的に作文やノートを克明に目を通さなければならないからである。そのうえ中・高校では授業が過密で、受験指導への傾斜が、教師たちの了解事項だからである。

話題を変え、作文教育について述べておこう。
戦前、生活綴方事件で逮捕、投獄された寒川道夫は昭和26年(1951年)に教え子の詩集『山芋』を発表した。同年には無着成恭が『山びこ学校』を東京の小出版社から出し、日本全国の小・中学校の作文教育、綴り方運動に大きな影響を与えた。
詩集『山芋』の巻頭には、6年生の大関松三郎の詩が置かれている。

しんくしてほった土の底から/大きな山芋をほじくりだす/でてくる でてくる/でっこい山芋/でこでこと太った指のあいだに/しっかりと 土をにぎって/どっしりと 重たい山芋/おお こうやって もってみると/どれもこれも みんな百姓の手だ/土だらけで まっくろけ/ふしくれだって ひげもくじゃ/ぶきようでも ちからのいっぱいこもった手/これは まちがいなく百姓の手だ/つぁつぁの手 そっくりの山芋だ/おれの手も こんなになるのかなぁ

いま取り出して読んでみても、心を打つ作品である。
その後「作文教育か、綴方教育か」の論争が行われ、生活綴方の方法だけで、子どもの成長に必要な文章表現力をつけさせられるか、可否の問題提起がなされた。だが、大勢は、本質的な論議には興味を示さず、基礎学力論にのめり込んでしまったのである。
大人も含めて、作文の苦手が多いのは、この問題が解決していないからといえる。

次回は、道徳教育の問題を取り上げる予定である。

谷 健(たにけん)…昭和5年7月生まれ。東京都の公立小学校7校の勤務。専門は英語、道徳。道徳副読本の編集に従事。

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