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機関紙るうてる

るうてる2018年5月号

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説教「復活の日の再会の希望」

「死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、彼らが、人間の見方からすれば、肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるためなのです。」(ペトロの手紙一 4章6節)

新共同訳のこの御言葉は、福音を告げ知らされずに死んだ者も皆、永遠の命に与るという誤解を招きかねない。ギリシャ語原文を見ると、死者にも福音が告げ知らされたのは二つの目的のためだとはっきり書いてある。一つは、「肉体を有する人間と同じように裁きを受けるため」という目的、もう一つは、「神と同じように霊的な者として生きるため」という目的だ。新共同訳では最初の目的が抜け落ちてしまっている。そして、「裁きを受ける」の意味をどう捉えるかが重要だ。「(有罪無罪を決める)審判を受ける」と解すれば、死者に福音が告げ知らされたのは「人間と同じように審判を受け、(無罪とされた者が)神と同じように生きるため」ということになる。また、「有罪判決を受ける」と解すれば、「死者のある者は人間と同じように有罪判決を受け、別の者は神と同じように生きるため」ということになる。この二つの意味を合わせてみれば、死者にも福音が告げ知らされたのは、「人間と同じように審判を受け、その結果、ある者は有罪判決を受け、別の者は霊的な者として生きるため」ということになる。
イエス様は十字架の死から復活までの間、死者が安置されている陰府に下ってそこで福音を告げ知らせた。その結果、そこでも死と罪に対する勝利が響き渡り真理として打ち立てられることとなった。死者も審判の結果次第で永遠の命に与れるようになるために福音が告げ知らされた 。これは、生きている者の場合と全く同じである。つまり、福音の告げ知らせについても審判や判決についても、死んだ者は生きている者と同じ立場に置かれることになったのだ 。従って「この世で福音を告げ知らされずに死んだ者は全員、炎の海に投げ込まれる」と言うのも、「全員が天国に行ける」と言うのも同じくらい真理に反する 。
ここで大きな問題が立ちはだかる。死んだ人というのはルターの言うように復活の日・最後の審判の日まで安らかな眠りについている者である。その眠っている人がどうやって福音を告げ知らされてイエス様を救い主として受け入れるか否かの態度決定ができるかということだ 。福音を告げ知らせたというのは、告げ知らせる側が相手に態度決定を期待するからそうするわけだ 。態度決定が生じないとわかっていれば、告げ知らせなどしないだろう。しかし、眠っている者がどうやって態度決定できるのか?ここから先は、全知全能の神の判断に委ねるしかない。生きている者が行う態度決定に相当する何かを神は眠っている者の中に見抜かれるのであろう 。それは人間の理解を超えることなので我々は手を口に当てるしかない。神は最後の審判の日に生きている者と死んだ者全てについて記された書物を開き、イエス様との関係がどのようなものであるか一人一人について見ていかれる 。
キリスト信仰者も信仰者でなかった者もこの世を去ると、福音が響き渡って真理として打ち立てられたところに行って眠りにつくのであり、全てを見抜かれる神は最後の審判で最終判断を下す。果たして、信仰者でなかった方との復活の日の再会は叶うのか? しかし、そう心配する信仰者本人はどうなのか?神はこの私にはどのような判断を下されるのか? この、まさに足元が崩れそうになる瞬間こそ、キリスト信仰者の特権を思い出すべき時である 。それは、この世の生の段階でイエス様を唯一の救い主と信じて告白すれば、復活の日に新しい体と永遠の命を与えられるという希望を持って生きられる特権である 。そして、その希望の内にこの世を去ることができるという特権である。この希望は、主の十字架と復活に根拠を持つ、揺るがない希望である。
もしあなたが復活の日に誰かと再会する希望を持つならば、この世で福音を告げ知らされてイエス様を救い主と信じた以上は、最後までその信仰に留まるしかない。再会を願ったその人が天の祝宴の席に着けて、肝心のあなたが着けなかったら、元も子もないではないか?

コラム 直線通り 久保彩奈

②「神様、あなたに、会いたくなった」八木重吉

 

学校の宿泊行事で移動するバスの中は、大いに盛り上がっていました。しかし交通事故による渋滞発生の情報が入ると熱気は一気に急降下。すると「先生!お祈りして!」と急に声があがり、続いて「事故渋滞だから事故にあった人がいるんだよね。その人のためにも祈らなきゃ!」と。
誰かの痛みに思いを寄せる姿に、心を熱くしたのも束の間。今度は「先生、そういえば私ね、キリスト教の学校に入れば、神様に会えると思っていたの。だけど、やっぱり見えないし、会えなくて超残念。やっぱり会えないの?」と言われました。
思わずドキリとしました。 また詩人でありキリスト者だった八木重吉の「神さま あなたに会いたくなった」という詩を思い起こしました。
わたしたちはどんな時に神様に会いたくなるでしょうか。喜びを伝えたい嬉しい時でしょうか。それとも朝が遠く感じる悲しく苦しい夜でしょうか。誠実で優しいこの子の背景に、神様に会いたいと呼び求めるどんなことがあったのでしょう。これからこの生徒がキリスト教主義の学校に導かれた意味を、共に味わいたいと感じる出来事でした。
わたしは生徒に聞き返しました。「ところで神様に会って何がしたかったの?」生徒は「生きるのって大変だけど、ありがとうって伝えたいんだよね」と。
大丈夫、もう十分伝わっていると思うよ。これからは、わたしたちの間にいてくださる神様を感じ、共に歩んでいこう。わたしも、神様、あなたに会いたくなった。

議長室より

6年間のお支えに感謝して

総会議長 立山忠浩

 

今月上旬に第28回定期総会が開催されます。今総会は、総会議長としての6年間の任を執らせていただいた私にとりましては、この間の活動を総会議員に報告する会になります。第6次綜合方策(2012~2020年)が6年間でどこまで遂行できたのかを報告し、残された諸課題についても協議していただくことになります。
6年間に様々なことがありましたが、特筆すべきことは、ブラジル伝道、熊本地震、そして宗教改革500年記念事業でした。
2014年にブラジル伝道50周年を迎えましたが、大きな方向転換を迫られました。サンパウロの日系パロキアの皆様には辛い転換でしたが、現職の邦人牧師の派遣を来年の春をもって終了することになります。ただ、ブラジル伝道はこれからも継続されていきます。ブラジル人牧師のルイス・メロ牧師の日本研修を支援したことはその一例でした。ブラジル伝道という海外宣教の精神をどう継承し展開していくのかが今後の課題ですが、新たな宣教への挑戦と考えるならば、課題は希望に満ちたものに変わっていくことでしょう。
熊本地方を襲った地震は多大な被害をもたらしました。教会、学校、施設なども例外ではありませんでした。傷跡は簡単に癒せるものではありませんが、教区内の信徒と教職、そして学校や諸施設が協力し合い、ディアコニア(仕えること)の働きを目に見える形で実践してくださったことは意義深いことでした。全国の教会も祈りと募金に協力してくださいました。災いの中に灯火を見る思いがしたのは私だけではなかったことでしょう。
宗教改革500年記念事業は宣教室と広報室が中心に担いました。皆さんにバナーを掲げていただき、出版物も精力的に刊行しました。各教区で開催された記念礼拝は、ルーテル諸派との合同で行われた教区もありました。11月のカトリック教会との共同企画には、全国のルーテル教会員が一堂に集うことができ、記念すべき会となりました。記念事業は宗教改革の過去の遺産を振り返るだけではなく、これからの私たちの教会の歩むべき道を見い出すことがより重要でした。「争いから交わりへ」という標語を具現化し、ルターの『キリスト者の自由』に記された「この世に仕えること」を宣教の使命とすることを確認したのです。
最後に、不十分ではありましたが、皆さまの祈りとご協力に支えられ6年間を終えられますことを感謝申し上げます。

プロジェクト3.11大震災後8年目に入って

いわき食品放射能計測所「いのり」所長 明石義信

 

いわき市は、水素爆発事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所から45�Hの距離にあります。そして、約2万4千人の原発事故の避難者が移り住んだ土地でもあります。
8年目に入った現在、国の帰還政策や故郷に戻りたいという願いを持つ人々の動向、廃炉拠点の移動の問題などにも影響されて、住民構成は変動しています。福島県の人口が著しい減少傾向にある中、県内でも珍しく2%の人口増を示していたのですが、現在では減少傾向に転じているようです。一般的に言うならばいわき市は被災地なのですが、そこに住む人々の意識は被災地であって、被災地ではない「安全な」土地を志向しています。
ですから、いわき市が汚染されている認識はとても希薄なのです。一方で、東京や関西の都市と比較すると汚染の度合いは明白です。そのことはいわき市民も認知していることです。
このような意識の重なりが、8年目に入った現実を反映しているように感じています。
実際に汚染された土や食物を計測し、不安に応えることを使命としているいわき食品放射能計測所の利用者数も減少しています。この意識が反映されていることは間違いない事実です。でも、不安が無くなり汚染が無くなったという事象ではないのです。
計測を継続していて強く感じていることですが、汚染という事実が比較の問題として扱われ、以前の状況からすると減衰しているという傾向に隠されてしまっていると考えています。最近は、東京や九州のお母さんたちからの依頼数が増加しています。いわき市の住民の意識とは違う形で、不安を受け止めています。これも比較の問題としてとらえられるかもしれませんが、それは少しでも汚染物質があるのかどうか、また、僅かでも増えているのではないかという関心を背景としての依頼と言えるかもしれません。どこまでが安全でどこからが危険なのか人の体に明らかに影響が出て、傷つく人が大勢出るまで明確にならないのかもしれません。否、190名を超える甲状腺がんに侵された子どもたちが福島県にいても、私たち日本に住む多くの人には、その事実は受け止められてはいません。原発事故との関係が深いことが証明されるその時になって、声を大きくしても傷ついた命を元の状態に戻すことはでないことをわかっていても。
ですから、被災地に在るからこそ、できるだけ長くこの働きを継続したいと願っております。被害を受け、不安を抱えている人々の声の証人として、神様の愛がここにも注がれていることの証人として在り続けたいと願っています。

カトリックと宗教改革500年⑦

宗教改革小史(3)

5 宗教改革の政治化
このころヨーロッパでは、諸侯や王が神聖ローマ帝国から離れた自前の国家を形成しつつありました。宗教改革運動は、この社会的・政治的過程、すなわち帝国からの独立をもくろむ諸侯たちの思惑に巻き込まれていきます。1555年のアウグスブルク宗教和議において「領主の教派は領民の教派」が原則となり、神聖ローマ帝国に依拠するローマ教会の普遍(カトリック)主義の代わりに、ルーテル教会は勃興するナショナリズムに結びつくことになりました。ドイツの国家教会的状況は1918年の君主制の終焉で終わりましたが、北欧では弱められた国家教会制がいまだに続いています。
6 宗教戦争
封建時代末期の矛盾が深まる社会的・政治的状勢において、宗教改革はまた反封建闘争という社会改革と結びつくこととなります。ルターは、武装闘争に反対しましが、キリスト教信仰をめぐる対立は、戦争にまでいたりました。
没落しつつあった騎士たちが大領主に起こした騎士戦争(1522年)、また領主に対する不満をつのらせる農民がルターを支持して蜂起したドイツ農民戦争(1524年)などです。
皇帝カール5世は、一時ルター派を公認しましたが、再び否認したため、ルター派諸侯は結束して皇帝に抗議し、そこから「抗議する者=プロテスタント」との名称も生まれました。
ローマ教皇とカトリック教会を支持する諸侯は結束し、シュマルカルデン戦争(1546~47年)という宗教戦争が引き起こされ、それはフランスでのユグノー戦争(1562~98年)、17世紀前半の三十年戦争(1618年~1648年)にまで波及します。

カトリック教会は、日本のカトリック教会の皆さんに宗教改革500年共同記念の意義を知らせるため、リーフレット『カトリックと宗教改革500年』(発行・カトリック中央協議会、制作・宗教改革500年記念行事準備委員会)を作成しました。編集責任を負われた光延一郎神父(イエズス会・上智大学教授)よりご提供いただき、紹介します。

ドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル教会 日本福音ルーテル教会
宣教パートナー関係締結50年

①歴史と感謝

渡邉純幸

 

2018年の今年は、ドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル(州立)教会(ELKB)と日本福音ルーテル教会(JELC)との宣教パートナー関係(いわゆる姉妹関係)締結50年の記念の時を迎えました。
その一環として、4月にはELKBよりクリストフ・メインス監督と上席総幹事トーマス・ホーファー牧師が来日されました。また日本からは宗教改革500年記念の一環として、参加者約25名のルターツアーが計画されています。その旅程の中で、ドイツのELKBを訪ねての姉妹関係締結50年の感謝会が、6月13日に計画されています。
両教会の姉妹関係締結に関しては、今から遡ること54年前の1964年4月2日、当時のJELC総会議長岸千年牧師が、ドイツ福音ルーテル教会連合(VELKD)のG・クラッパー氏に宛てた手紙 、「我々はVELKDともっと密接な関係を持ちたい。」に対して、VELKDがその仲介役として、ELKBとJELCとの姉妹関係向けての協議が始まり、そのために 1967年
4月、VELKDは岸議長を招請し、両教会間の姉妹関係が大事なテーマとして話し合われました。そして、その翌年の1968年4月4日付けの岸議長の手紙をELKBに送り、それにより、直接の姉妹教会関係が動き始めました。
相前後して、1960年代まで、ドイツからの日本への働きは、幾つもの派遣団体が活動していたものの、多くの場合、日本キリスト教協議会(NCC)ドイツ委員会が、その受け皿を担っていました。1974年3月29日付けのVELKD宣教委員会の推薦を受けて、ELKB執行部は、E・ストローム氏とJ・ヘンシェル氏に関するJELCとの協約を同年6月21日に締結しました。JELCは、日独英3カ国語で書かれたこの協約にすぐに同意をし、同年10月3日にELKBのハインツェ監督が、JELCの宝珠山議長に対してこの署名に感謝し、姉妹関係が更に進展することを願う書簡が送られています。この内容は、ドイツ・ミッドナイトミッションから派遣されたE・ストローム氏が、また、北ドイツミッションからJ・ヘンシェル氏が、日本で個々の活動をしていましたが、この両氏を、彼女たちの財政をも含めて、ELKBは宣教師として受け入れ、JELCに正式に派遣するということこともその一つでありました。
それ以外にこれまでの50年にわたる姉妹関係の中で、ドイツから釜ヶ崎にB・ワルター氏がアルコール依存症のスペシャリストとして長期にわたり日本に派遣され、それは、今も毎年、数ヶ月にわたって派遣され、釜ヶ崎での働きの一助となっています。そしてドイツには、日本の教会と釜ヶ崎の働きを支援するための「Japan Kreis」(ヤーパンクライス)が、1980年代にドイツで立ち上げられ、今も定期的にその集いが継続され、日本への大きな支援母体として活動しています。
姉妹関係締結以降、日本から交換牧師として、また留学生として多くの教職が受け入れられ、良き研鑽の機会を得ることができました。これらの財政的な支援は、すべてELKBに拠るところであることを最後に付し、これまでの支援と協働に心より感謝の意を表すと共に、両教会間における交流(人的なものも含めて)が、更に深まり、半世紀の時を超えて100年に向かっての新たな歩みを共に始めたいものです。 なお、両教会の姉妹関係の経緯等については、当時のELKB総幹事ヘンニェ・ベッカー氏の著書[Die Partnerschaft zwischen der ELKB und der JELC]の翻訳(渡邉純幸・徳善義和訳)が、「日本福音ルーテル教会百年史論集編・ブラウンシュヴァイク・ルーテル教会と日本福音ルーテル教会との交流と協働」に収録されています。

改定礼拝式文の典礼曲案について

5月に行われる、日本福音ルーテル教会第28回総会において、「改定礼拝式文」について協議されます。2年前の第27回総会において使用が承認された礼拝式文の言葉に添える典礼曲が紹介され、それについての協議です。総会承認により公式使用が認められると、各教会で楽譜が入った改定礼拝式文を実際に使ってみていただくという過程に進みます。そもそも礼拝式文の選択は各教会に委ねられており、改定礼拝式文の使用も、選択肢のひとつに過ぎませんが、積極的に活用されることを願っています。
典礼曲は4セットが準備されています。今回の改定式文のために新たに作曲された3セット(スペード、ハート、クラブ)。これらの新曲は日本のルーテル教会のメンバーでもある3人の音楽家がそれぞれ作曲したものです。そして、青式文と呼ばれている1996年に出版された(その10年ほど前に公式使用が承認された)ものの中から、多くの教会で親しまれているA式文をベースに、改定礼拝式文の言葉に合わせて編曲されたもの(ダイヤ)です。尚、アルファベットや番号を振ることにより順序がつくことを避けるために、トランプのマークで分類しています。
歌を含めたデモ演奏を収めたCDが作成されました。総会資料として牧師と代議員に配布されていますので、各教会でお使いくださり、今後の改定礼拝式文の使用検討に役立ていただきたいと思います。
改定礼拝式文は典礼曲も含め、今後も微調整を続けて完成させていく途上にあります。著作の権利保護に問題が生じないように、SNSを始め、インターネットで共有することはおやめください。

私たちの宗教改革500年

九州教区・南熊本群 初夏の集い「なりきりルター礼拝」

南熊本群は、神水教会、健軍教会、松橋教会、甲佐教会、水俣教会、八代教会の6つの教会で構成されている教会共同体です。毎年初夏の頃に、ともに集って礼拝し、学びや交わりを深めています。2017年は、宗教改革500年の年でしたので、みんなで「なりきりルター礼拝」という楽
しい礼拝を守りました。
2017年6月11日の主日の午後、会場となった健軍教会に集い、礼拝を通してルターの言葉を味わいました。礼拝が始まる前に、参加者にはランダムに封筒が配られました。そして各々その中に入っているルターやその周辺の人物のセリフを、即席のスタンツ形式で読み上げながら、ルターの生涯の大切な局面を振り返っていきました。
その際、ルターの演じ手は前に出て黒いベレー帽を被ります。11人のルターが、次々にベレー帽をリレーしながら、11のルターの言葉を読み上げていったのですが、その迫真の演技は、会場のどよめきや温かい苦笑を誘いました。
礼拝の合間の休憩時間には、ひとりひとりに配られたさまざまなルターの言葉をお互いに共有しあい、最後に角本浩牧師と関満能牧師からルターの言葉との出会いをお聞きして、楽しい礼拝は閉会となりました。書籍の中に書かれたとっつきにくいルターの言葉も、それを生活や対話の文脈の中に戻してやることで、いきいきと心に届いていくものとなる。そんな恵まれた礼拝をともにわかちあった、南熊本群の初夏のひとときでした。
報告/小泉 基

教会や施設・学校、 家庭などにおける宗教改革500年を意識した企画の報告や生み出された交わりや作品などを写真と共にお分かちください。「わたしたちの宗教改革500年」として紹介していきます。事務局宛にメールもしくは郵便でお送りください。(広報室)

第25回 春の全国ティーンズキャンプ報告

本年も各教会、教区を始めとする多くの方の祈りと、日本福音ルーテル社団、各教区、女性会連盟などの皆さまのお支えによって、第25回春の全国ティーンズキャンプを開催し、終了することができました。感謝と共にご報告いたします。
本年はキャンパー88名、スタッフ32名が当日参加しました。12歳から18歳までのキャンパーたちは、11のグループに分かれ、3日間を通して「私たちはキリストの手である」ということをサブテーマに「奉仕」についてみことばから聞き、考え、派遣されていきました。
ここでいくつかキャンパーの声を分かち合います。

「罪について、こんなにも深く考えたことは経験したことがなかったので、最初は色々と混乱していたのですが、最終的にはわかることができてよかったと思います。」
「春キャンのテーマは『奉仕』でした。人にとっての良いこと、自分にとっての良いことについて考えました。私が『良いことをした』と思うものは、ほとんど『自分にとって』のいいことでした。これからは、自分にとっても、人にとっても良いことをたくさんしていきたいです。」
「受難週においてイエス様が経験されたことを自分でも体験することで、聖書に書かれている言葉の意味や、イエス様が私たち人間の罪を許すために受けた苦しみについて重く受けとめることができました。」
「私は2年連続春キャンに行けてなくて、教会にも全然行けてなくて、今年の春キャンは行かないでおこうと思っていました。でも、やっぱり諦めきれなくて、締め切り日にギリギリで申し込みました。春キャンまでの間はずっと緊張して怖くて、楽しみ半分不安半分という感じでした。でも行っているとやっぱり楽しさしかなくて。勇気をもって参加して良かったなと思いました。」
たくさんのお支えのもとで、次世代が育っています。これからも神さまのみ心の内にこのキャンプが続けられることを祈るものです。

第25回 春の全国ティーンズキャンプ概要

日程/2018年3月27日(火)~29日(木)
会場/神戸市立自然の家
テーマ/奉仕
主題聖句/「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」(エフェソの信徒への手紙2章10節)
キャッチフレーズ/We Are Christ’s Two Arms!
参加者/88名(北海道特別教区3名、東教区26名、東海教区14名、西教区13名、九州教区32名)
スタッフ/35名(準備のみのスタッフ含む)
キャンプ長/沼崎勇牧師
チャプレン/関満能牧師
プログラムのねらい/奉仕について学ぶ。ルターの信仰から、私たちが赦され、誰でも神さまの働きに召されているのだと知る。

めばえ幼稚園(学校法人札幌ルター学園)が メディアに紹介されました

1900年、当時は帝政ロシアに併合されていたフィンランドから、若き牧師とその家族、そして、まだ10代であった信徒が長崎に到着します。現在まで長きに渡る大切な関係を与えられている、フィンランドの宣教団体であるフィンランド・ルーテル福音協会の宣教師です。その後、東京を経て、信州、そして北海道へと宣教を展開します。見たこともない地の果てへの宣教活動でしたが、それは海外宣教に投入する財的な余裕に支えられてのものではなく、大変な苦労を伴うものでした。それでもなお、「日本へ、日本へ」と歌いつつ、宣教師を送り出したのでした。
その活動を支えるために、それぞれの教会(集会)で工夫が凝らされたそうですが、子どもたちが森へ出かけていき摘んだ木の実を使ってジャムを作って販売し、その収益を献げるということが行われました。他にも、新しい服の購入を辞退し、その分を日本宣教に献金してほしいと親に申し出る子どもたちもいたと伝えられています。フィンランドのキリスト者が世代を超えて祈りを合わせ、また労してくださったことが現在の私たちの教会の礎となっています。
現在の札幌教会とめばえ幼稚園は、その宣教の働きの北海道における大きな実りのひとつと言えます。1916年に開始された札幌での伝道により、現在の礼拝堂が献堂されたのは1934年。そしてその3年後に、フィンランドより幼児教育の専門家が派遣され、めばえ幼稚園が開園します。子どもたちに充実した教育の機会を提供すること、そして子どもたちを通して福音を宣教することとの目的を果たしていくために整えられた幼稚園舎は築80年を超えて現在に至るまで、温もりと包容力を湛えた建築物として活用され、多くの子どもたちを迎え、また育てています。
この度、このめばえ幼稚園(学校法人札幌ルター学園)を、「北海道を探しに行こう」をコンセプトとして北海道の人々の営みから生まれる価値や魅力を発信するウエブマガジン「カイ」が特集「札幌建築鑑賞会と歩く・愛され建築」に取り上げてくださいました。教会堂と合わせて、札幌市の景観重要建造物に指定されてもいる幼稚園の歴史と精神、それがこめられた建物が建築学の視点から、美しい写真と共に詳しく説明されています。(広報室)
北海道マガジン「カイ」http://kai-hokkaido.com/architect006/

 

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