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バイブルエッセイ

お支え

「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」(創世記1・31)

宇多田ヒカルさんの歌に「Beautiful World」という曲があるのを知りました。「もしも願い一つだけ叶うなら 君の側で眠らせて どんな場所でもいいよ」。深い思いがうたわれていると思います。神様の思いを映していると思いました。思い出してほしいと神様は祈られていると思います。

 ある学校で少し聖書の学びをしました。「信じている人は天国、信じていない人は…。私は救われている人、あの人たちは救われていない人」と言われていました。私たち人間の思い上がりが本当の悲しみです。
 神様と私たちは一つだと、インマヌエルだと聖書は教えてくれます。離れ離れだけれどもなにかこう繋がっているというようなことではなくて、まったく神様と一つだと。このことが「最初で最後のこと」(滝沢克己『聖書を読む マタイ福音書講解』岩切政和編、創言社)だと。初めからあったこと、最後の最後まであること。神様は救いを決定し、その約束の内にいのちを創造され、そこに生かしてくださっている。誕生が与えられ帰ることを与えられるまで、いつも「脚下で」(同書)支えていてくださっている。私たちのこれまでの歩みに御支えが確かにあったと思います。今もこれからも神様の光に包まれている。

 私たちは神様ではありません。当然ですが見失いやすいことです。神様がつくってくださった「極めてよい」と宣言されている、愛していてくださる存在、子です。いの
ちもなにもかも神様がお与えくださったもの、一切は「恵みのみ」(ルター)無条件で受けていることです。そして人間の限界はちゃんと置かれている。できることもあればできないこともある。限りはありますが映している。それで十分だし、幸いです。
 救いもまた神様が与えてくださっていることです。私たちの側の何か(持っていると考えているもの)が勝ち取るというようなことでは決してありません。恵みがすべて。神様が私たちすべての人と共におられるという、この私と一つだという「生命の根元、故郷・根本事実・存在の事実そのもの・神の愛、真実・絶対に単純無条件に実在する支え・絶対平等・生きられる根拠、拠り所・絶対に確かな生命の足場、基礎、土台・無条件の祝福・人間の生の充実・本当の安らぎ、幸せ、身軽さ・生の姿の美しさ・本当の主体、一者・復活の生命」(同書)、そういう救いの「神の決定・絶対無条件の決定」(同書)に在る。
 
 救い主がそのことを現わしてくださいました。「私たちは御父と一つだ」と。苦しみの極限においてもそうだと。私たちに先立って共に私たちの苦しみを嘆きいたんでおられると。十字架を負う私たちは、「人間は、捨てられたままで・救いのないままで、ちゃんと救われる」(同書)。そこに神様が一つでいてくださっている。ぼろぼろになってもどうなっても。そのことを示してくださるためにイエス様が来てくださった。「本当の生命の故郷に立ち帰らせるために、自分自身の生命の根元に本当に目を覚まさせるために」(同書)来てくださった。イエス様はその根元で「苦悩の叫び・悲嘆」「神人一体の中で、無条件の恵みに無条件に感謝・信・讃美」(同書)する、それが私たちにできると、与えられていると、インマヌエルなる神様の中に在ると、明らかにしてくださった。

 私たちはこの福音(「神の原音」同書)の中にいます。「福音とは、人間は、実はイエス・キリストの〈まこと〉・第一のピスティスの中にあって、義とされているという喜ばしき知らせ」(『小川修パウロ書簡講義録 ローマ書講義Ⅰ』2011、リトン、12頁)です。「ピスティス」は、「〈まこと〉、真実、信、信仰」等の意。すべての人にある御守り、御支え。そこに「十字架即復活」(同書)がある。

 永遠に神様の世界に在る。そこに、キリストが包み、内より励ましていてくださっている。光がある。主は我が牧者なり。「裸になって元に還れ」(滝沢先生)。「幸福なるかな」が響いている

日本福音ルーテル修学院教会牧師 光延 博

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