るうてる2016年8月号
説教「傷ついた癒し人」
「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し・・・双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(エフェソの信徒への手紙2・14~16)
71年前、アメリカは人類史上初の原子爆弾を広島と長崎に落としました。この原爆を積んだ爆撃機は、戦争を終結させる平和の使者として、従軍チャプレンによって祝福祈祷を受けて送り出されていきました。悲しいことに、広島に飛び立ったエノラ・ゲイを祝福したのはルーテル教会の牧師。長崎の場合はカトリックの神父でした。浦上天主堂の真上で原爆が炸裂した時、礼拝堂では罪の懺悔告白の最中でした。
人間同士の憎悪や不信、恐怖の結晶が原爆です。その破壊力は天地万物をお創りになり、命を生みだされた神さまへの反逆、その罪の深さを表しています。
今年5月、現職大統領として初めてオバマ氏がヒロシマを訪問しました。そこで誠意あるスピーチをしましたが、現実は大統領が絶えず携行する「核爆弾のスイッチ」を平和記念公園に持ち込み、「核なき世界の実現は、私の生きている間には無理かもしれない」と告白せざるを得ませんでした。ここに武力を背景とした「パックス・アメリカーナ(アメリカの平和)」の限界があります。
主イエスは最後の夜、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15・12)と命じられました。なぜなら、もし互いに愛し合わなければ、私たちの前にあるのは破滅だからです。私たちはヒロシマ・ナガサキをはじめとする、戦争による多大な犠牲の痛みを共に担うことへと十字架の主によって招かれています。それは日本人だから、広島に住んでいるからということではなく、この痛みを通して、他国の、そして他者の悲しみ、苦しみ、傷を負っている人たちと連帯することを、主が求めておられるからです。
平和主日の旧約の日課は、「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」というミカ書(ミカ4・3)ですが、同じ言葉がイザヤ書にもあります。どちらもバビロン捕囚の時代のものです。国破れ、神殿に火がかけられ、民は奴隷の有様でバビロニアへ強制連行される民族の悲劇。かつて味わったことのない痛みと絶望が襲いました。
そして捕囚からおよそ50年が経った頃、キュロスという王様がペルシャに登場します。ペルシャはバビロニアの敵対国。そこで、囚われていたユダの民はかすかな希望を持つのです。イザヤは45章で「主が油を注がれた人キュロス」と語ります。つまりこの段階で、キュロスこそが我々を救う神からのメシアなのだと語っているのです。そして現実に、ユダの民はキュロスによって解放され、祖国への帰還が許されるのです。
イザヤの預言は成就し、平和が訪れ、祖国を再建できる。神さまは私達を見捨てていなかった。多くの人たちはそう思ったことでしょう。ところが一番に喜ぶべきイザヤはこれを良しとしませんでした。むしろ立ち止まり、疑うのです。人間の武力によってもたらされる平和の中に、真の救いはあるのだろうかと。 そして彼はこの末に、遂にイザヤ53章の「苦難の僕」と呼ばれる預言へと辿り着くのです。イザヤは人間の強さの中に救いを求めません。むしろ救いは弱さの中に現れる。人間的な弱さの極みに立って、黙々と隣人の罪と痛みを負う人、傷ついた癒し人こそメシアだと告げるのです。
この平和の君は、十字架の上で苦しみを担われた神でありました。聖書が語る救い、癒しとは痛みや悲しみを取り去ることではありません。そうではなく、私たちが悲しみ、苦しんでいるこの痛みの経験は、より大いなる痛み、すなわちキリストの痛みに連なっているということを指し示すのです。
それが象徴的に示されているのが聖餐式です。エフェソ書にあるように、敵意や隔ての壁、私たち人間の破れを全て包みこんで、主は和解と平和を実現してくださいます。その時私たちは、ご自身の傷をもって私たちに仕えてくださったキリストの愛を心に刻み直すのです。
そして礼拝から派遣され、「御国を来たらせ給え」と祈りつつ行動する勇気と知恵が与えられていくのです。
日本福音ルーテル教会広島教会 牧師 伊藤節彦
連載コラムenchu
5『 ambiguity 』
『エジプト語のkenは、もともと「強い」と「弱い」という二つの意味をもっていました。対話の際、このように相反する二つの意味を合わせもつ言葉を用いるときには、誤解を防ぐために、言葉の調子と身振りを加えました。また文章では、いわゆる限定詞といって、それ自体は発音しないことになっている絵を書きそえたのです。すなわち、「強い」という意味のkenのときは、文字のあとに直立している男の絵を、「弱い」という意味のkenのときは力なくかがみこんでいる男の絵を書きそえたのです』(「フロイト著作集1」人文書院)。
ところで、ある言葉が相反する意味を持つということ、これは教会の中でよく使われる言葉にも当てはまります。例えば、「神さまが守ってくださった」という言葉も、ある状況の中で使うとき、相反する意味を表します。この言葉を大きな災害の後、被害を免れた人が、被害を受けた人が隣にいるときに「神さまが(私を)守ってくださった」と発したとします。当人としては、正直な気持ちを吐露しただけで、誰かを傷つけようとは思ってもいないでしょう。しかし、この言葉はこのとき、「神さまはあなたを守らなかった」という反対のメッセージとして隣の人に届くこともあるのです。
「優しい」という言葉には、「思いやりが合って親切、心が温かい」という意味に加え、「身もやせるような思いでつらい」という意味があります。他者の痛みを「言葉の調子と身振り」で共感しようとする優しさを身につけたい、と思います。
岩切雄太( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会牧師)
議長室から
「二つの8月15日」 総会議長 立山忠浩
日本国にとって特別な意味をもつ月を迎えました。71年を経た今年も、広島、長崎に原爆が投下された悲劇を忘れることはできません。そしてアジアの国々の人々に甚大な苦悩を与え、国民自身にも苦難を強いた戦争が終わった8月15日を覚える時だからです。
この過去の過ちを反省し、未来に平和を築き上げるために据えた憲法9条が、戦後の日本の平和に貢献して来たことはまぎれもない事実でした。しかし、近隣国や世界情勢がこの70年余の間に大きく変化し、いま憲法9条の存在が大きく揺り動かされています。現政権による憲法9条改正の動きが顕著だからです。昨年の集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法も、憲法改正の動きを後押ししていることは確かです。
日本福音ルーテル教会の基本方針はこれまで、総会での声明文(2006年)や社会委員会の見解(2014年、2015年)などで表明して来たように、憲法9条の改正の動きに反対し、危惧する立場に立っています。この方針は今後も堅持されて行くことになります。
ただ、この世に関することは政治的見解も含め、教会の判断であっても絶対的なものはありませんので、異なる意見にも耳を傾けながら、その都度判断する姿勢を大切にしなければなりません。また、ルーテル教会に属する個々の信徒の判断は自由なものであり、日本福音ルーテル教会の基本方針は強制されるものではありません。
しかしながら、その際に忘れてはならないことは、最後の判断の根拠となるのは聖書の言葉、ことにも主イエス・キリストの教えであるということです。これが宗教改革の精神に立つ私たちルター派教会の、決して揺るがしてはいけない点です。
さらに8月15日にはもう一つの意味があることを覚えなければなりません。日本にキリスト教を初めて伝えたイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが、鹿児島の地を踏んだのがこの日なのです。宗教改革のうねりに危機感をもったカトリックの修道士たちが力を入れたのが海外宣教でしたが、私たち日本のルーテル教会にとっても意味あることと理解しなければなりません。
終戦の日にまつわるすべてのことが、もともと主イエスの平和の福音の中に置かれていたのです。私たちの判断もその教えに導かれるのです。
母の聖書
竹村陽子(藤が丘教会)
ある時、本棚の奥から1冊の古びた聖書が出てきました。大切にしまっておいた母の遺品です。文語で書かれた聖書を懐かしく眺めながら、ふと、この聖書にまつわる不思議な出来事を思い出しました。
1945年4月15日の夜、東京の蒲田でB29の爆撃を受けた時のことです。その夜もいつものように空襲警報のサイレンで庭の防空壕に入りましたが、同時に頭の上には編隊で飛んでいるB29の重く押しつけるような爆音がきこえ、ヒューと爆弾の落ちてくる音、そして突き上げられるような地響きにただならぬものを感じました。
先に避難するようにと父に言われ、私は妹を連れて避難場所になっている池上本門寺に向かいました。焼夷弾により、あちこちで火の手が上る中、妹を庇い励ましながら夢中で歩きましたが、その道のなんと遠かったことでしょう。坂道を登り丘の上の避難場所にたどり着いてふり返ると、私たちが通ってきた道も含めて街全体が火の海になっていました。激しく燃えている街にB29はそれでもまだ焼夷弾を落としていきました。そんな光景を目にした時、両親は逃げ遅れたのではないかと不安になりました。
避難した所も安全ではなく、焼夷弾の直撃を受けて大きな本堂は火柱となって勢いよく燃え上がっていました。百段程ある石段の両側の大木も根元に焼夷弾が突き刺さって燃えているのが見えました。そこで亡くなった方もいたそうです。大勢の人が右往左往している中、駆け寄ってきた母を見てやっと緊張がほぐれました。その後、父とも遇い家族は無事であったことを喜びました。
翌朝、街は見渡す限り焼け野原になっていました。様子を見てくると出かける父について私も焼け跡に足を踏み入れました。目印がなく方角すらわからない焼け跡の道から靴底を通して熱が伝わってきました。何とか家のあった場所を探し当てましたが、2人とも言葉もなくただ瓦礫の上に立ち尽くしてしまいました。
防空壕も崩れ落ちて中のものは燃え尽きて何一つ残っていませんでした。しかし母の聖書だけが表紙は黒こげになり、触るとぼろぼろはがれましたが中身は無傷で残っていました。何故、聖書だけがあのような状況の中でと考えると本当に奇蹟としか言いようのない出来事でした。
戦災ですべてを失った私たちには何年もの間、思い出したくないような貧しい不自由な日が続きました。でも神様はどんな時にも私たちと共にいて慰め、励まし、支えていてくださったことを今しみじみと感じています。そして焼け跡に残っていた母の聖書は、神様の深い愛を私たちに教えているような気がします。
教会×公共
3グローバル・チャレンジ
宮本 新(田園調布教会牧師、日本ルーテル神学校講師)
私たちはグローバル時代を生きています。ヒト・モノ・コトバが行き交う広がりだけでなく、それはローカルな生活者の個々の暮らしにも深く浸透しています。
かつて世俗化を熱心に論じた神学者ハーヴィ・コックスは近年のグローバル市場にひそむ宗教的世界観に警鐘を鳴らしています。今日のグローバル市場は誰かれのものではなく、「人間の支配を越えた力」と見なされ、「個人としてあるいは国家として、私たちがなすべきことはそれに頭を垂れることしかない。その要求は問答無用なのだ」と一見、神学とは無関係な世界で擬似神学的な様相が見られることを指摘しました。
文化が宗教を生み出すのか、宗教が文化を形成するのか、古くて新しい問いがここにもあるし、主イエスが教えた〈マモン 〉の誘惑は生々しい ルカ16・13)。一体、世界大に広がる貧困や社会的公正といった問題に取り組み、軌道修正をはたす倫理的基盤が人類にあるのだろうか。これも公共論が宗教問題に行き着く道筋のひとつです。
コックスに呼応して社会学者ロバート・ベラーはこんなことを言っています。「真に地球規模での連帯の感覚を強化して一般化する能力が宗教にあるのであれば、それは自己批判において、自己批判を通してのみなしうる」。
ベラーは、グローバル市場における倫理問題、環境問題や紛争問題には人類共通の分かち合える共通善の感覚が必要だと主張します。この場合の宗教とは端的に世界の問題であると同時に世界の解決にもなるものです。社会学者の知性は人間の貪欲と自己の絶対化へとまなざしを向けているかのようです。グローバルな統治と連帯にはある「宗教的な動機」が必要だと明言します。しかしそれはどんな動機でしょうか。そしてキリスト者はなんと応えることができるでしょうか。
ルターは地上の三領域(政治、経済、教会)を分けて考える一歩を踏み出しました。それは世界の根源に「神の言葉」を位置づけ、「み言葉に聞く」ことに固有の場と役割を見出したからでした。それと同時に「神の言葉」が他(政治 経済)と分離されもしないことにも気付いていました。 不可同にして不可分。この世界で教会はどんな根源語を聞いていけるでしょうか。
宗教改革500年に向けてルターの意義を改めて考える(新シリーズ4・通算51)
ルター研究所所長 鈴木 浩
ルターはエルフルト大学でこの「ヴィア・モデルナ」の学風に馴染んだ。
「ヴィア・モデルナ」を代表した人物の一人が、イングランドのフランシスコ会士、オッカムのウィリアムであった。ルターの時代には、オッカム主義の代表的な神学者にガブリエル・ビールという人物がいた。
ルターはオッカム主義の義認論……どうしたら人は救われることができるのかという問い……をガブリエル・ビールの著作から学ぶ。要するに、「救われるためには、人は何をしなければならないのか」という問いに対する回答、それが「義認論」なのだ。
神は人を偏り見ることはしないのに、どうしてある人は救われ、ある人は救われないのか。その理由はどうも「人間の側」にありそうだ、とは誰しもが考えそうな道筋である。回答は、「人事を尽くす人に、神は恵みを拒むことがない」であった。「人事を尽くす」とは、「人事を尽くして天命を待つ」という日本の諺の前半である。
問題は「どこまでやれば、人事を尽くしたことになるのか」ということであったオッカム主義の義認論は、ここで絶妙な説明をした。「金貨と鉛の貨幣」のたとえである。金貨は額面と金貨自体の価値が等価である。(紙幣ではなおそうだが)鉛のコインは、額面とコイン自体の価値には大きな違いがある。しかし、鉛のコインが額面通りに流通するのは、通貨発行当局に対する信用があるからである。
同様に、神はどんなに小さな働きでも、それを義認にふさわしいと認める「契約」を恵みによって人間と結んでくれた。だから、それを果たせば、人間は神の救いに与る。こうしてオッカム主義の義認論は、ペラギウス主義の嫌疑を見事にすり抜ける。ルターの立ち位置も最初はここにあった。
「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より
⑦あなたの記念も思いも全て抱きしめて 詩編90編
伊藤早奈
詩編に「人の子よ、帰れ」(詩編90・3)と語られています。私たちはどこに帰ればいいのでしょうか?
8月15日に終戦の日を迎えます。生まれた国や時代によってその意味に変化があるかもしれませんが、一般的に日本国内では「終戦記念日」として記念式典があり、戦争をテーマにした多くのテレビ番組が放映されます。戦中を生き抜き、今も歩み続ける方々にとっては「記念日」という言葉では抱えきれない思いがあると思います。
「人の子よ、帰れ」とのみ言を聴くと、同時に思い出すことがありました。
一つは広島に行った時のことです。平和公園に来た記念にと原爆ドームを写真に収めようとシャッターをきろうとした瞬間に、カメラを落とし壊してしまいました。「ドジだなあ」と思うと同時に、「カメラで撮らなくても今、鮮明な映像が私の心に残るのだ」と思いました。そしてもう一つは、数年前ベルリンに行った時、ベルリンの壁跡の前で肩を組んで笑顔で記念写真を撮る子どもたちと、その横に、壁のあった当時、壁を越えようとして命を落とされた人のために立てられていた白い十字架の風景です。不思議とこの二つのことが同時に思い出されたのです。何故でしょうか。
原爆ドームもベルリンの壁も記念です。後世の人々にも覚えていてもらうためにと残されています。もちろん記念として一人一人が覚え残して行くことも大切です。でも「ああ、あの時代は大変だったのね」と歴史を思い出すのとは違ったところで一人一人が感じることや思いもあるのです。それらも大切なのではないでしょうか。記念として収める写真だけではなく、それらを見たり聴いたりして感じる一人一人の心や思いも大切なのです。
私たちの帰るところ。それは記念日を大切にする私と、記念を思うその思いを大切にする私との、どちらの私も大切にしてくださる神様のところなのです。
「思い」や「感情」は見えず、言葉にしないとわかってもらえないじゃないか、と思われるかもしれませんが、神様はわかっています。例えあなた自身がわかっていない思いがあったとしても、神様はあなたの全てをわかって、あなたを愛されています。それは間違いなく、あなたが神様に造られた大切な存在だからです。
ルターとバッハ、宗教改革500年
徳善義和
⑩詩編を歌う
悩みのなかより われは呼ばわる(教会讃美歌300番)
ルターは修道士の時代、修道院の、主日を除く毎日7回の祈りの時に詩編をあるいは歌い、あるいは祈って、その150編全部を毎週唱えていたという。
聖書教授になって最初の講義も詩編だったが、その途中で、裁きではなく、恵みとしての「神の義の福音の発見」をしたと思われる。だからそれ以後、講義でも、信仰著作でも詩編を取り上げることが多かった。
しかし詩編を基にしたルターの讃美歌は意外に少ない。直接詩編に基づく讃美歌は7編に過ぎない。詩編150編を讃美歌にし、これだけを会衆に斉唱させ、会衆の願いがあっても合唱は歌詞ではなく、音楽に気を奪われるからという理由で許さなかった、ジュネーヴのカルヴァンとは対照的だったように思われる。
戦後すぐ、当時の神学校教会が羽村で出張伝道を始めた頃、14歳で初めてキリスト教に接した私は、ルターの讃美歌と聞いて、なぜか「貴きみ神よ、悩みの淵より」という古い歌詞も、慣れないメロディーも全曲暗記した記憶がある。導かれてルターから生涯学び続けることになった不思議な始まりである。
讃美歌を整え始めた初期、1525年にこの讃美歌を作詞作曲したとき、ルターは自らが恵みの神を求めて葛藤した日々と、キリストにおける恵みの発見とを心に思い浮かべていたことだろう。
1724年バッハはコラールカンタータのシリーズの一つとして、聖霊降臨後第22主日に当たる主日にカンタータ38としてこれを作曲し、その各曲を小編成の合唱で始め、大編成の合唱で終わるという対照的な形で、罪の悩みとそこからの解放を、ルターの歌詞に重ねて表現しようとした。
この21世紀、罪について、また罪からの赦しと解放について説教し、また歌うことはもう古いのだろうか。むしろ罪はより深く身内に根を深めてはいないだろうか。
第27回総会期第1回常議員会報告
事務局長 白川道生
第27回総会期の第1回常議員会が、6月13日から15日にかけて市ヶ谷センターにて開催されました。去る5月の全国総会にて選出された第27回総会期常議員による最初の常議員会で、まず、3期連続で総会議長に選出された立山忠浩議長は、重点的な課題を抽出した「第27回総会期常議員会基本方針」を提示し、来る2年間に向かう基本姿勢を表明されました。
2012年から推進している第6次総合方策の中から、優先すべき課題である事柄を、三つに絞り込み、特に、この4年間で取り組んできた課題の現状分析を述べました。同時に、2年後の次期総会での提案を射程に、取り組むべき事柄として、教職給与の在り方、収益事業建物の老朽化対策、るうてる法人会連合の理念協議と教会規則の整備を挙げられました。
また、2017年に向けて宗教改革500年記念事業の概要計画がほぼ決定したので、積極的な担い手を募りながら、宣教の好機と受けとめ、意味ある時にしてゆこうと、全国に向けた期待が語られました。主な協議事項については以下の通りです。
▼諸活動、委員会報告、審議事項
本年2月以降の3役、各教区、教会事務局各室及び諸委員会、関係諸団体、等の活動について各々報告がなされ、協議の後に、承認されました。
続いて審議事項では、学校法人並びに福祉法人に対する教会推薦理事の決定、人事(事務局長関係含む)、教会建物の新築に関する申請、幼稚園の土地使用に関する申請等の案件が協議されました。
▼諸委員任命と委員会の組織
総会選出の常置委員に加えて、常議員会で選出する7つの常設委員と、その他諸委員が選任されました。総勢120名ほどの委員となりますが、これによって宣教を推進するために、具体的作業に取り組むJELCの態勢が組織されました。
▼熊本地震に関して
会議3日目は、熊本地震への対応を集中的に協議しました。熊本地域の被災状況では、生活への影響と支援活動の報告に加えて、教会、学校、幼稚園保育園、社会福祉を合わせたルーテルグループで、15億円規模の建物被害が出ている状況が報告されました。
東日本大震災の経験を通して決議された、JELCの災害時における活動基本方針を押さえながら、連帯献金の展開、教会建物の修繕補修資金確保、土地建物回転資金の特別適応など、今後の対応方針を確認しました。九州教区長からは引き続き、全国での祈りと支援の要請が呼び掛けられました。
詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。
ルーテル世界連盟(LWF)理事会と記念植樹
@ヴィッテンベルク
世界宣教主事 浅野直樹
2011年シュトゥットガルトでの総会が、LWF理事としての私の初仕事だった。以後毎年6月に理事会が開かれてきた。来年開催の総会直前の理事会を除けば、いよいよ今回が最後となった。そういう意味でも感慨深かったが、宗教改革500年記念の時期とも重なったため、ヴィッテンベルクで開催されたというのもまた格別だった。マルティン・ルターがこの町で生活し活動、そしてここから宗教改革が始まったことを思うと、その思いはさらに高まった。だが高まりはそれだけではなかった。
LWF理事会は「町教会(Stadtkirche)」での開会礼拝で始まった。毎週日曜日にルターがここで説教したと思うだけで胸が高まる。開始前から教会周辺がなんだか物々しい。入り口では手荷物検査があった。いかつい体格の男性が、片耳にイヤホンを入れて会堂前列に数人陣取っている。やがてオルガンの音色とともに、後方から入堂した列の中にいた一人の人物、すべてはその人のせいだった。ドイツのガウク大統領がその中にいた。聞くところによると、ガウク大統領は東ドイツ出身のルーテル教会の元牧師。牧師を大統領に選ぶのがドイツという国だと知り、これにも驚いた。大統領と一緒に礼拝し聖餐を受けるという光栄に与ることができ幸いだった。
かつては軍事利用地だったヴィッテンベルク街の一角が、今はルターガーデンと呼ばれる。上空からでないと気づきにくいが、ガーデンの中心にルターの紋章がかたどってある。赤土のハート、花びら型に敷き詰めた芝生。紋章の中心を占める十字架は完成したばかりで、白布がかけてあった。開会礼拝を終えたあと、一行は歩いてガーデンへ移動、ガウク大統領とともに除幕式をおこない完成を祝った。
このガーデンに500本の植樹を、という宗教改革500年記念をドイツの教会が企画した。LWF加盟教会も招かれて、既に広大な敷地に数多くの木々が植えられている。今回の理事会の折、カナダルーテル教会とJELCが植樹した。木の学名は「Sorbus aria Magnifica」というナナカマドの一種。登録番号は87番だった。このあと各教会が自国にも植樹して企画は完成する。ヴィッテンベルク訪問の際はぜひ立ち寄ってみていただきたい。
女性会連盟東日本大震災被災地訪問
柳井悦子(女性会連盟役員)
去る6月21日~23日、教区女性会会長、連盟役員と共に野口勝彦牧師(元ルーテル教会救援派遣牧師/長野・松本)、小勝奈保子牧師(女性会連盟担当/聖パウロ)の案内にて東北の被災地を訪問しました。 参加者の多くは2度目の訪問で復興の様子も解りやすい中、私は初めての現地訪問であり、復興の様子を報道される映像でのみ理解していたために、実際の様子との違いに愕然としました。土の盛られた、またある所はコンクリートで築かれた巨大な防潮堤。海の景色や様子は全く見えず、肝心の避難道は築かれている所もありますが、そのための工事なのかダンプカーなどが往来している状況に、未だ課題や問題があることを思いました。
東松島、南浜、門脇、石巻市にある「なごみの会」、「河北友の会」、「華の会」を訪問しました。先行きの見えない不安が立ちふさがり、また何かを失いつつ、その中で働いておられる方々の「現在自分の置かれている境遇で色々学んでおります。それはルーテルさんが私たちを強めてくださったお陰です」というお言葉に、また励まし支え合い、困難な中にあっても押し潰されることなく生きておられる強さに触れました。そして現在の状況に応えておられるルーテル教会の長期にわたっての支えを感じ、今後、私たちは何をなさなければならないのかを深く考えさせられています。明確な答えは出てこないかもしれません。しかし、側面的であり、熊本も未だ余震の続く状況ですが、この震災の被害を忘れることなく、祈り続けていくことが現在の私たちの働きの中心であることを心に留めていかなければならないですし、この祈りに実りの時が与えられることを信じています。
門脇小や大川小にもまいりましたが筆舌に尽くし難いのが実情です。被災された皆様の励まし合い、支え合いを覚えつつ、被災された方々のために日々共に祈っていきたいと思います。現地でお世話になりました斎藤さまご夫妻、西條さまに、心から感謝申し上げます
日本福音ルーテル教会 教師試験実施のお知らせ
2016年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を左記要領にて実施いたします。教師志願者は左記書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。
記
Ⅰ.提出書類
1 教師志願書
2 志願理由書・テーマ「なぜ『日本福音ルーテル教会の教師』を志願するのか」 ―あなたが考る宣教課題をふまえて ―
・書式 A4横書き フォントサイズ11ポイント
3 履歴書〈学歴、職歴、信仰歴、家庭状況等を記入すること〉
4 教籍謄本(所属教会教籍簿の写し)
5 成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書 (法務局交付のもの。任用試験時に必要になります)
6 所属教会牧師の推薦書
7 神学校卒業(見込)証明書及び推薦書
8 健康診断書(事務局に所定の用紙があります)
Ⅱ.提出期限(期限厳守)
2016年9月16日(金)午後5時までに教会事務局へ提出すること
Ⅲ.提出先
日本福音ルーテル教会常議員会長 立山忠浩 宛
Ⅳ.試験日及び試験内容
志願者本人に直接連絡します。