るうてる2013年7月号
説教「途中の出来事」
日本福音ルーテル栄光教会 内藤文子
「『費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」 ルカによる福音書第10章36~37節
聖書は、よく知られている「善いサマリヤ人」からのみことばです。しかし、よく知られているこの箇所を読むたび、私たちは、自分の生き方を、神様に問いかけられ、ふり返るように導かれます。毎日、忙しく過ぎる日々ですが、日常の出来事の中、立ち止まって、「隣人」とはだれか、考えさせられます。
イエス様のお話は、道を行く途中の出来事です。まさに「途中の出来事」です。
「サマリヤ人」とは、ガリラヤとユダヤに挟まれた地方で、昔から異教的慣習になじんでいました。そして歴史的には特にアッシリアの侵攻以降、雑婚や異教などが入り込んでいました。純血を大事にするユダヤ人からは嫌われていました。律法の純粋性を保とうとする人は、交わりさえしなかったのです。しかし、そのユダヤ人が敵視してやまなかったサマリヤ人が、サマリヤ人こそが、途中出会った傷ついた旅人の心によりそい助け、「ほんとうの隣人」になったと言うイエス様のお話。サマリヤ人のその介抱の仕方は、本当に大変行き届いた心のこもったものです。
このたとえ話は、律法の専門家がイエス様へ問いかけたことではじまりました。「わたしの隣人とはだれですか。」 実はこう問いつつ、彼には自負がありました。ユダヤ人であり、律法の専門家の彼は、律法通り、愛する対象を自分の同胞であるユダヤ人のみ、または、律法を守っている人に限定しつつ、自分はそのことは守っているので、その「隣人を自分のように愛している」、そのことで、自分は正当化されると思っていたでしょう。
愛する対象を自分の好みで限定するなら、愛することはやさしいかもしれません。自分の好みは変えないで、愛する対象を変えるだけ。しかし、このイエス様が話したたとえの意味は、[愛はおきて(律法)を超え、民族、階級を超えて、どのような人もしりぞけないこと]を教えておられます。イエス様は、すべての人の隣人になられたのです。私たち、すべての罪人の身代わりとなって十字架にかかられたのです。
牧師を子育てのために休職し、また復帰を待つ間、東海教区福祉村にある児童養護施設「まきばの家」で、パートタイムの保育士として働きました。幼児棟の子どもたちとの日々は、一緒に森を歩き、子羊に餌をあげました。虐待やネグレクトなど、計り知れない苦しみ・寂しさを通ってきた子どもたちだけれど、小さな体が大自然の中で、少しずつ元気になり成長する姿に感動しました。日々のなにげない生活、衣食住を頂き、感謝することで、傷が癒されていく。「生活がいやし」である生活を学びました。これからの牧師としての私の心にかけがえのない経験を頂きました。
2年ぶりに東海教区に帰り、子どもたちにも、久しぶりに会いました。近づくと「ふみこさん?」と声をかけてくれとてもうれしかったです。その子は幼稚園に通うとき、私の作った(上手でない)「通園バッグ」をうれしそうに肩から掛けてくれていました。身長も伸び、りっぱな小学生になっていました。
過ぎ行く毎日の日々ですが、私たちは神が出会わせてくださる「人と人」の出会いの中、日常の途中の出来事の中にでも、隣人の痛みを共感するとき、助け合って、支えあって生きていきたいものです。イエス様が教えた本当の隣人愛に、いつもこの聖書で示していただきましょう。
宗教改革五〇〇周年に向けて
ルターの意義を改めて考える(15)
ルター研究所所長 鈴木浩
ルターが『九七箇条の提題』や『奴隷意志論』などで強化したアウグスティヌスの原罪論は、一言で言えば、「人間はどうあがいても罪人だ」という診断のことである。
救済論としての義認論は、その診断に対する処方箋に該当する。人間論と救済論は、だから常に響き合っている。言い換えれば、同一の事態を示すコインの両面ということになる。
ところで、人間のあるべき姿(健康な姿)は、聖書が人間について語る最初の言葉、つまり「神の像」としての人間である。本来の人間は何らかの意味で、神の姿を映し出す像(イメージ)だということになる。救いとは、その神の像の回復過程を意味している。
義認という言葉は、通常は「法廷」がモデルになっている。裁判官による無罪宣言が、義認なのだ。ここでは、「病院」をモデルにしている。義認、すなわち救いとは、不治の病からの癒しを意味する。イエスは医師、人間は病人なのだ。
この医師は、何があっても病人を癒す、と思い定めている。そして、院長(父なる神)と喧嘩してでも、治療費はタダだ、と言い張っているのだ。
牧師の声
「1000人礼拝を目指して!最初の一歩。」
大江教会 立野泰博
教会事務局から宣教現場に戻りました。被災地で現場に身を置いた時から、早く現場に戻りたくて祈りました。すると神様は、熊本・大江教会という宣教現場に派遣されました。神様のご計画は、故郷熊本からまた「最初の一歩」を歩み出せということでした。
さて、大江教会に赴任してまた大風呂敷を広げました。これまでも数にこだわってきましたので、今回の数字はどうするかと真剣に祈りました。与えられた数字は3つでした。100人礼拝、100人受洗、そして1000人礼拝です。自分でも大きく出たなと思います。ルーテル教会にも、1000人礼拝があってもいいと思いました。熊本にはそれができる礼拝堂、人、つながり、チャンスがあるのです。大江教会は母校九州学院から生まれた教会なのですから。
すぐに神様は祈りを聞いてくださいました。1000人という数がどれ位かを教えてくださったのです。ブラウンチャペルで行われた信徒の方の葬儀で、なんとその数を超えたのです。しかも2回も。神様は1000人の幻を見せてくださいました。しかも1年もたたないうちに、3人の方が受洗され、3名の中高生が堅信を受けました。新しい風が吹いていることを実感しています。100名受洗にも向っています。
今年度のテーマは「よろこび」としました。そこで「よろこびプロジェクトチーム」をつくり、礼拝後の昼食会の復活、賜物の分かち合いをはじめました。また、礼拝では毎月の特別礼拝を開始、それぞれにプロジェクトチームをつくりました。とにかく楽しく準備しようと。クリスマスには「天使が降る教会」として礼拝堂中に天使が舞い、イースターでは「ブラウンチャペル大卵さがし大会」。地域の子供たち、大人も参加してのイベントを開催しました。その他、世界のごはんを食べる会、教会デイサービス、牧師サロンでパンを食べる会など次から次へと新しい企画を計画しています。まあこんなことをやっていると、きっと1000人礼拝もちかいでしょう。「求めなさい」マタイ7・7です。
信徒の声
第31回教会音楽祭「ともに希望の歌を」報告
武蔵野教会 苅谷和子
6月8日の午後、9教派とルーテル学院大学、ルーテル神学校、青山学院大学の聖歌隊が参加し766名の来場者を迎えて開催されました。今回初めてウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会をお借りし、ギター、ピアノ、バンドを使った『プレイズ&ワーシップ』のスタイル等これまでとは違った様々な賛美の形を楽しみました。プログラムの中盤、阿部冨美子姉(羽村教会)作詞、永井幸恵姉(広島教会)作曲による公募入選作品『帰れる日』が東日本大震災を覚えて会衆一同で賛美されました。ルーテルは、聖公会、学生と共に『アングリカンチャント:詩編62編、33編』『全地よ、主にむかい(讃美歌21:148番)』を歌いました。トランペット3本とティンパニが入り、荘厳で力強い響きの中で賛美する喜びを味わいました。最後に『栄光は父と子と聖霊に(ヘンデル)』を学生クワイヤが見事に歌い、感動の中で音楽祭が閉じられました。参加された方の感想をご紹介します。
★アングリカン・チャントは初めての経験でした。同じ旋律の繰返しの中、詩編の詞によってまた指揮者の感性によって音符の長短が変化するなど初めは少々戸惑いましたが、単純にして美しい旋律と、歌詞の捉え方とその奥深さを味合わせて頂きながら唱えたことは幸せでした。神経を研ぎ澄まされて、指揮者の息に合わせて聖公会の方々ともご一緒に心と声を合わせて讚美できたことはとても感動でした。美しい音を追求なさる那須先生のストイックさは説得力があり、今清々しささえ感じています。(三嶌 昭子:日吉教会)
★那須輝彦先生によるご指導は、情熱的で新鮮味があり、道々に学ぶもの、得るものがありました。本聖歌隊員の出席人数が少なかったのは、非常に残念に思いますが、教会音楽祭の経験を生かし、より一層頑張って行きたいと思います。那須先生、青山学院の皆さん、聖公会、ルーテル、教会音楽祭に関わる全ての皆々様方、本当にありがとうございます!感謝です!(関根 乃恵留:ルーテル学院大学神学校聖歌隊 隊長)
※教会音楽祭の模様はCGNTVJAPANにより放映されます。ぜひご覧ください。
JLER(ルーテル教会救援)対策本部現地からのレポート
JLER派遣牧師 野口勝彦
ルーテル教会救援も活動最終年度を迎え、現在、①「直接(前方)支援活動から間接(後方)支援活動へ」②「被災者と支援者(教会・個人)を直接つなげる活動へ」③「支援活動と共に、教育活動(防災・減災教育)、報告活動へ」の活動方針で諸活動を展開しています。
今月号では、特に今回の震災体験と活動成果を分かち合う教育・報告活動について紹介します。
【定例スタディツアー】
被災者(語り部)の方からの被災体験を聴き、被災地・支援先訪問などを通じて、今回の震災体験を学び、今後の震災等に備えます。今月から来年1月にかけて、原則、月1回実施します。詳しくは、担当者(佐藤: f-sato@jelc.or.jp)までお問い合わせください。
【現地見学会(復興ツアー)】
被災地では、現在、多くの方の訪問を待ち望んでいます。現地見学会(復興ツアー)は、これまでの支援先を見学すると共に、被災地各地の仮設商店街での飲食、買い物等を通じて、復興支援を行います。
日程は随時です。詳しくは、担当者(野口: k-noguchi@jelc.or.jp)までお問い合わせください。
【「つるしびな」全国巡回展&報告会&支援品販売】
「被災地を忘れない、忘れていない」をテーマに、現在、全国で「つるしびな」巡回展を開催しています。6月初めには、112年前に日本に初めて宣教師を送って下さったアメリカ・サウスカロライナ州で開かれたシノッドの教会年次総会でも日本コーナーに展示されました。また、巡回展と同時にこれまでの活動報告会及び支援品販売を行っています。巡回展及び支援品販売をご希望される教会・教育機関・福祉施設等がありましたら担当者(野口: k-noguchi@jelc.or.jp)までお問い合わせください。なお、活動報告会については教区・地区の集まり、研修会等で実施することが可能です。
牧会者ルターに聞く3
その三 神の義、Rechtschaffenheitを福音の中に再発見
石田順朗
このシリーズを書き続ける机上には一九九七年米国のルーサーインスティチュートから授与されたウイッテンベルグ賞、『九十五箇条の堤題』を打ちつけるルターのブロンズ像 (ベリー ・ジョンストン作・ 写真 )がある。宗教改革の火ぶたを切った周知の場面。ただ、それは、同一五一七年ルターがスコラ神学への反駁討論に備えて書いた『九十七箇条の堤題』とは異なり「贖宥の効力を明らかにするための堤題」で、論争を挑むためではなく、牧会者としての関与を示すルターの抑え難い配慮からの行動であった。同十月三十一日付、贖宥券販売に直接関わった修道士テッツェルの上司マインツのアルブレヒト大司教に宛てたルターの書簡が何よりもその証拠だ |
「聖ペトロ寺院建設にあてる教皇の贖宥券はいま司教の御名によって広く配布されています。 ・・おお神よ、大司教の御手に委ねられた魂は死にさいなまれていますが、・・人が救いの確かさを得るのは、一人の司教の機能によるものではありません。そうではなく、使徒は『恐れおののいて自分の救いの達成に務めなさい』と命じ、ペトロは義人でさえ、かろうじて救われると述べております ・・」さらに、「主なる神は、・・いたるところで救われることの困難さを宣言しておられます ・・」
事実、堤題の一四は告げる、「死に臨んでいる人たちの不完全な信仰や愛は必ず大きな恐れを伴う。そして愛が小さければ小さいほど、恐れは大きいということになるだろう」。堤題一八|二四、二七|二八、さらに五二|五五、八〇と並んでルターの牧会的動機と配慮を湛えている。
このような「想定外」の行動を起こすに至ったルター 自身に聞こう |
「いかに欠点のない修道僧として生きていたにしても、私は神の前で全く不安な良心をもった罪人であると感じ、私の償いをもって神が満足されるという確信を持ち得なかった。だから私は罪人を罰する義の神を愛さなかった。いや憎んでさえいた ・・ところが神は私を憐れみたもうた。私は『神の義は福音の中に啓示された。義人は信仰によって生きると書かれているとおりである』の[パウロの]言葉のつながりに注目して、日夜絶えまなくそれを熟考していた。やがて私は神の義によって義人は賜物を受け、信仰によって生きるという具合に『神の義』を理解しはじめた。・・今や私は全く新しく生まれたように感じ、戸は開かれ、私は天国そのものに入った ・・」
『R』は Rでも神の絶大な R (Rechtschaffenheit) 「神の義」を、ルターは発見したのである。
いしだ よしろう 引退牧師、九州ルーテル学院大学名誉学長 元LWF 神学研究部長
三本の木
ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)
沖縄の戦後は終わっていません。「内地のヤマトンチュウ」には理解されません。幼稚園や保育園の建設には防衛施設併行防音工事の名目で数千万円の補助金が支給されます。米軍戦闘機やオスプレイの飛行コースの真下にある園は、いつもこれらの爆音にさらされています。不気味な防音窓に少しでも平和な夢を願ってステンドグラスを入れています。
うるま市の「あかるい子保育園」には、絵本『三本の木』の七面のステンドグラスがホールに入っています。
三本の木は、それぞれに夢を持ち、一本目は宝箱になりたいと思いましたが、馬小屋の飼い葉おけになり、イエス様のベッドになりました。 二本目は豪華帆船になりたいと思いましたが、漁師の舟になりました。イエス様一行を乗せた時、湖は大嵐となり、沈みそうになった時、イエス様が大嵐をお静めになったのを見ることができました。
三本目は一番高い大きな木になりたいと思いましたが、十字架にされました。しかし、それはイエス様の十字架でした。
こうして三本の木の夢はそれぞれもっと良いものにかえられて喜びました。
「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」 コリントの信徒への手紙一1章18節。
第1回全国青年Bible Camp報告
小澤実紀
6月15~16日、ルーテル神学校を会場に第1回全国青年Bible Campが行われました。参加した青年は19名、スタッフは3名でした。
このキャンプは、CSやキャンプスタッフを経験したことのある青年たちが、「子どもたちに御言葉を伝える立場に立ってみると、自分でうまく伝えることができない。だから、神様や聖書のことをもっと知りたい 。学びたい」という多くの声が聞こえてきたことを受け、「JELC主催の青年向けのBible Campを立ち上げよう」と、TNG-Youth部門が中心となって開催されました。
第1回目の今回はまず、「聖書をどう読んだらいいのか分からない」という声に応えるために、森優師の書いた聖書研究法の本から、聖書と自分の人生を交差させる「経験法」、また、聖書の箇所をそのままに読む一層、キリストが私に何をしてくれたかを読む二層、そしてそれを受けて私はどのように応答するのかを読む三層へと掘り下げる「深層法」という二つの聖書の読み方を学び、参加者は実際にCSなどを想定してメッセージをつくりました。第三者としてではなく 、 「あなた」と呼びかけられる二人称で聖書を読むこと、つまり聖書を通してキリストと出会うということに力点を置く学びと実践のキャンプとなりました。
参加した青年たちは、普段の生活の中で自ら聖書に向き合い、聖書の御言葉を神様が直接自分に語りかけてくださっている言葉として受けとめたり、それをCSのお話へ展開するという作業をしたりすることに慣れていませんでした。
しかし、このキャンプ中に、もがきながら何度も聖句(ルカによる福音書から各自に指定された箇所)を読み、主に祈りながら、自分の信仰に向き合い、主からのメッセージを感じ、それをCSのお話のための文章にする作業を懸命にしていました。この経験を通して、それぞれがとても大きなものを得たようです。このような実りあるキャンプになりましたことを、心から感謝いたします。
このキャンプを毎年継続し、青年たちがそれぞれの土地で御言葉を基として生きる者となること、教会を支え、御言葉を宣べ伝える者となることを願い、祈っていきたいと思います。
石橋幸男牧師のこと
森 勉(定年教師)
石橋幸男牧師は5月19日の「聖霊降臨日」の日に、聖霊の御導きのうちに安らかに帰天されました。86年のご生涯であり
ました。お生まれは富山県の魚津市でした。私より6年先輩でありました。青年時代には肺結核を患い、吐血するほどの重症であったと聞いております。
肺結核の養生をしている時に病床で英語の勉強をして翻訳士の資格を取ったほどです。病癒された石橋青年は大阪教会の稲冨牧師と出会い、イエス・キリストとまみえることになります。
稲冨牧師の推薦もあり、神戸聖書学院の宣教師さんたちの通訳官を勤められました。
その後、神学校に学ばれ、按手を受けて、日本福音ルーテル教会の牧師になられ、益田教会に赴任され、開拓伝道にたずさわられました。
益田教会在任中に、「肝っ玉お母さん」こと恵子夫人に出会い、結婚されました。恵子夫人との間に、めぐみさん(長女)と幸成くん(長男)を与えられ、良き家庭を創られました。
益田教会は、アウガスタナミッションの伝道地でありました関係から、アメリカのゲティスバーグにあるアウガスタナ神学校に留学され、帰国後は市ヶ谷教会に転任され、市ヶ谷教会に付設されていたグライダー寮のチャプレンとしてもよき働きをなされました。若い青年たち、大学生を教会の有意な青年として育てられました。
その後、全国レベル開拓伝道地の岡山教会に赴任され、その目標達成のため御苦労された日々を思い出します。西教区中心に松山教会(河田牧師)、岡山教会(石橋牧師)、高松教会(角田牧師)の諸牧師たちの御苦労を思い出します。この「全国レベル開拓伝道」の反省と総括はぜひしなければならなかったと思います。
石橋牧師は、人と話をする時は、あの有名なタレントのように、いつも首をふって話をしていました。その面影や、石橋節の話しぶりを見られなくなりました。
祈り!! 平安在主。
2013年度「ルーテル幼稚園・保育園連合会保育者研修会」のご案内
このたび、ルーテル幼保保育者研修会を、「共に担うキリスト教保育」というテーマのもと、下記日程で開催いたします。
今回は、24年にわたり大阪釜ヶ崎にて、日雇労働者に学びつつ聖書を読み直してこられた本田哲郎神父をお招きして、「愛することより、大切にすることを求めたい」との演題で、ご講演いただきます。
そして、尾道幸子先生(江津湖療育医療センター)、平川雅子先生(親子育ちの会「おてんとさん」主宰)から、具体的な子どもたち(保護者)との関わりについてお話を伺い、学びたいと思っています。
ルーテル教会において、キリスト教保育に携わる皆さんの参加をお待ちしています。また、本田哲郎神父の講演は、保育関係者だけなく、自由参加とし、皆さんにお越しいただきたいと思っていますので、どうぞご参加ください。
日時 2013年8月5日 (月)―6日(火)
会場 くまもと森都心プラ ザ5Fホール (熊本市西 区春日1丁目14?1)
※本田哲郎神父講演会
6日(火)午前9時45分 開場 午前10時開始
資料代(千円)
第25回総会期第五回常議員会報告
昨年5月に新体制となり、第六次綜合方策に基づいて進めてきた活動が一年を迎え、この間では5回目となる常議員会が六月十日から十二日にかけて、市ヶ谷センターにて開催されました。
▼第六次綜合方策の優先課題
今期は三つの優先課題に絞って取り組むと、繰り返し、立山議長が述べられています。
当初は項目のみ「宗教改革五〇〇年記念事業」、「震災支援」、「財政問題」と課題列挙しただけでしたが、協議を積み重ねてきた中で、具体的な取り組みの報告が共有され始めました。
東日本大震災の体験を通して、神と社会に仕えるディアコニア活動へ全国の教会がどのように取り組めるか? 東海教区では社会部により全教区内アンケートが実施された報告がありました。予想される南海トラフ巨大地震の危険予想をして、各個教会での動き方や備えをするべき内容を予め考えておくことを目指す内容には、他教区からも関心が寄せられ、協議は具体性を帯びたものとなりました。
申請事項では、経年の老朽化に伴う建物に関する案件が挙がってきました。教会財政が下降する方向にあって宣教の器を整え、いかに維持していくかは、全体教会的な課題認識の内にありますが、各個教会での整備を支援する形も現在は制度凍結しています。今回は「宣教共同体」の枠組みで宣教の目的を考える方向性も協議されました。
「宗教改革500年記念事業」には比較的長く協議の時間が当てられました。宣教室長の下でたてられた、2017年までを三期に分ける行程案や、「マルティン・ルター、その人の精神を学び、社会に発信する」一群と「ルーテル教会がこれから社会に向かって、どう貢献していくのか」という一群を、二つの団子に見立てて、両者が一体となって魅力ある事業となるように組み立てる方針案などを基に議論が積み上げられました。
今後は、事業の骨子を説明して、全国の教会に向けて、ロゴマークやキャッチフレーズの公募に入っていくといった実行計画も承認され、2017年に向けた全体教会への事業展開が段階的にはじまっていく予定が承認されました。
▼その他の事項
二〇一三年の人事委員会を組織して、検討に入る進め方が承認されました。執行部三役と各教区長が委員となります。
また九月三十日~十月一日に、「宣教会議」を開催して、広く宣教課題について集中的な協議を進める提案が承認されました。 また信徒宣教師の職制にかかる事柄を、信仰と職制委員会へ諮問する決議がありました。
常議員会の詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。
事務局長 白川道生
公 告
この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。
二〇一三年七月一五日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
代表役員 立山忠浩
信徒利害関係人 各位
松崎保育園園舎無償譲渡
・所在地 福岡県小郡市松崎 字城山677番地1、6 77番地4、722番地1
・所有者 日本福音ルーテル 教会
家屋番号 677番1
①種類 園舎
構造 木造セメント瓦葺 2階建
床面積
1階 116. 76㎡
2階 17.39㎡
② 種類 付属建物(園舎・ 倉庫・便所)
構造 木造セメント瓦葺 平家建
74.52㎡
構造 木造セメント瓦葺 平家建
37.90㎡
構造 木造亜鉛メッキ銅 板葺平家建
19.87㎡
・理由 松崎保育園の社会福 祉法人化のために園舎・ 付属建物を無償譲渡する。
住所変更
引退牧師 木村長政先生
新住所 〒176─0011 練馬区豊玉上2─21─12 クレストフォルム桜台802
新電話番号 03─3557─6707
新メールアドレス naga.kimura@gmail.com