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機関紙るうてる

るうてる2013年11月号

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説教「わたしが道である」

 日本福音ルーテル神水教会 角本 浩

 

‥‥イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」 ヨハネによる福音書14章1~6節

 

最後の晩餐。その名の通り、この世で過ごす最後の食卓です。今日が最後という状況。私たちも経験することがあるかもしれません。
たとえば、大切な人が旅に出なくてはならない。それも、ちょっとやそこらの旅ではなくて、骨を埋めるつもりで遠い国へ旅立つとか。その日を前にして共にする夕食。あるかもしれません。
SFストーリーなら、明日、世界が終わるなどという状況も。昔なら、本当にそれに近かったのは、戦争に行く時ではないでしょうか。赤紙が来て、戦地へ赴く。「バンザイ、バンザイ」と手を振って。その日の前夜。大切な息子さんをお送りするお母さんたち。どんな思いで、その夜の食事をしたでしょうか。普段は食べられないようなご馳走も、何とか用意したかもしれません。
ヨハネ福音書十四章は、その最後の晩餐の席上でのことです。いろいろな思いを胸にしながら、主イエスは弟子たちと夕食を共にされました。主はその席で「心を騒がせるな」とおっしゃいます。
心を騒がせるな。それは、まさに弟子たちの心境を物語っています。彼らの心は、この状況の中で、騒いでいる。不安でいっぱい。
でも考えてみれば、私たちの心というのはいつも不安に押しつぶされそうな時間がいっぱいです。一難去ってまた一難という言葉もあるとおり、私たちの心は、休まる暇がないのかもしれません。
あの日、弟子たちは、どんな心境だったのでしょうか。
主イエスは言葉を続けられます。「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住むところがたくさんある。」心騒ぐのを落ち着かせるために、信じることを主は教えられました。
暴風雨に悩まされていたときもそうです。湖上を歩く主を見ておびえる弟子たちに向かって、イエスは言われました。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」(マルコ六章四十五|五十二節)
最後の晩餐の席上で言われた「心を騒がせるな。わたしを信じなさい。」もこれとよく似ています。
舟をひっくり返そうとする嵐ばかりを見ていると、心は騒ぎます。明日でおしまいだ、これが最後の晩餐だと思うと、心が騒ぎます。でも、主はそこでおっしゃる。「安心しなさい。わたしは場所を用意しに行くのである。あなたがたと一緒にいるために。信じなさい。」と。
そこでトマスは口を挟みました。「どの道かわかりません」。「電車通り沿い、熊商前を過ぎると、左に健軍神社の鳥居が見えます。これをくぐってすぐ左の坂を上ると、右に見えてくるのが神水教会です。」トマスも、そのくらい分かりやすい道案内をして欲しかったのでしょう。
しかし、それに対してイエスははっきりとおっしゃった。「わたしが道である!」と。
道とは、何かと何かをつなぐものです。二つの間に溝があって渡れない。そこに両者をつなぐ橋を通せば大丈夫。歩道橋ができる。地下道ができる。それで渡ることができる。
父なる神と私たちの間には大きな隔たりがある。行きたくても行けない。もしもそれがつながるとすれば、そこにどんな橋が架かるのか。どんな道が通るのか。
「わたしがその道だ」とイエス様はおっしゃいました。心配するな。その橋になるために、わたしは今から父のもとへ行く。そして、あなたがたのために場所を用意して帰って来る。神を信じなさい。そして、わたしを信じなさい、と。
へその緒でつながって生まれてきた私たちですが、死を迎えるときは、孤独です。
でもそこで思い起こしたい。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」との御声を。それは、道となって私たちを父なる神のみもとへと導いてくださる主の御声です。「恐れるな、わたしを信じなさい。わたしのいる所に、あなたがたもいる。」
道なる主を、命なる主をご一緒に信じて、歩んでいきましょう。

宗教改革五〇〇周年に向けて

 ルターの意義を改めて考える(19)

ルター研究所所長  鈴木浩

 

ルターは「神の言葉」は二重の仕方で、つまり一つは「律法」という形で、もう一つは「福音」という形で語りかけてくる、と繰り返し語った。そして、この二つを明瞭に区別することが重要だと強調した。
その際、律法と福音の違いは、形式以上に、内容の違いであった。だから、旧約聖書が律法で新約聖書が福音だということではない。内容に即して言えば、旧約にも福音があるし、新約にも律法があり、もっと言えば、同一の本文が、ある時には律法として響き、ある時には福音として響くこともありうるのだ。
神の戒めを破ってアダムが園の木の間に身を隠したとき、神は「あなたはどこにいるのか」(創世記三・九、口語訳)と尋ねられた。アダムはこの呼び掛けを、自分を非難する律法と受け取った。
他方、イエスは「九九匹と一匹の羊」の譬えで、「○○○、どこにいるのだ」と名前を呼んで、失われた一匹の羊を必死に探し回る羊飼いの姿を描いた。
どちらも神からの同じ呼び掛けだが、聞き方によって、律法として響くこともあれば、福音として響くこともあるのだ。

合同礼拝日本福音ルーテル教会 日本聖公会 合同礼拝
東京と広島で開催

東京で

去る9月14日土曜日の昼下がり、日本福音ルーテル教会宣教百年記念会堂において、日本聖公会と日本福音ルーテル教会が合同礼拝をもちました。東教区浅野直樹教区長の主司式のもと、日本聖公会東北教区の加藤博道主教に説教をいただき、それぞれの教区聖歌隊をはじめ信徒、教職の方々のご奉仕を得て、大変恵まれた礼拝となりました。礼拝後には両教会のエキュメニカルな関係についての学びとすばらしい交わりのときが与えられました。
聖公会とルーテルの国際的な対話の諸文書が翻訳出版されたのが二〇〇八年。記念として、そのペンテコステ主日の午後に、初めての合同礼拝が日本聖公会聖アンデレ教会で行われました。その後も委員会レベルでは聖餐に関する学びや交わりを重ね、また震災後の被災地支援の働きでも協力を進めて来ました。神学校でも継続的な交わりを持ち、両教会の若い牧師たちにそれぞれの地域での協働を育む素地を作って来ています。
5年前の礼拝も、今回も聖餐礼拝を祝うことが出来ました。教派を超えたエキュメニカルな礼拝で聖餐を祝うことは、「見える一致」として望まれる姿であるにも拘らず、簡単に実現出来ません。 日本聖公会と日本福音ルーテル教会は、それぞれユーカリスティック・ホスピタリティといって、自分の教会の聖餐に他教会での受洗者を招く実践があります。その考え方に基づき、神学的な「完全な一致」の議論に先立ち、実践的な「見える一致」を可能としました。こうしたやり方は世界的にも大変意義深い取り組みです。
来年は、カトリック教会のエキュメニカル教令50周年ということで、カトリック、聖公会、そしてルーテルの三教会合同の礼拝も考えられています。キリスト教会が一つになって礼拝を祝う。来る宗教改革500年の記念も含めて、教会は世界にむけて一致や平和のメッセージを発信出来るのではないでしょうか。そのためにも、こうした交わりを各地域で展開してゆきたいものです。
ルーテル学院大学教授 石居基夫

広島で

去る9月14日(土)に、日本福音ルーテル東京教会において、第2回目となる日本福音ルーテル教会・日本聖公会合同聖餐礼拝が約150名の出席を得て実施されたとお聞きしました。
そしてその翌日となる9月15日(日)に、ここ広島の地でもルーテル広島教会と広島復活教会(聖公会)の第2回合同聖餐礼拝が、両教会から約80名集まって行われたことは、神さまの奇しき御業と思わざるを得ない出来事でした。
本教会レベルでの聖公会との対話は長年続けられてきましたが、その結実として日本聖公会は2002年総会において、「日本福音ルーテル教会との協働に向けた提案」を承認し、洗礼及び聖餐の相互承認、eucharistic hospitality(聖餐における相互の友好的な歓迎)、講壇交換、またお互いの礼拝を体験しあうこと、神学教育における交流等を積極的に行うことが表明されました。
聖公会では教区レベルでもルーテルとの協働を積極的に行うように指示が出されていたそうです。ですから私がこの4月に広島に着任後、聖公会を表敬訪問した際に、すぐに今回の話がまとまりました。そして実は、2011年6月5日に第1回の合同聖餐礼拝が既に広島で実施されていたことも知りました。但しその後、なぜか交流が続かなかったとのことで、これを機会に改めて継続的な交流を図っていくことを確認した次第です。 このことからもお分かりのように、本格的な協働関係を築いていくためには地道な交流を続けなければ、単発イベントで終わってしまいかねません。そのためには教職は勿論のこと信徒の皆様に関心を持って頂くことが重要となってきます。
次回は来年の聖金曜日の受苦日礼拝を合同で開催したいと計画中です。 また現在、広島では聖公会とカトリック教会が合同で8月に平和ミサを行っています。今後はそれにルーテルも参加する形でエキュメニカルな協働を広島の地で更に展開できればと願っています。
広島教会・松山教会牧師       伊藤節彦

JLER(ルーテル教会救援)対策本部 現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦

 

ルーテル教会救援の諸活動も残り5ケ月となり、これまでの支援活動の成果が具体的な形となって表れています。
今月号では、その中から二つの支援成果について各担当者から報告させていただきます。

【コミニュティセンター再建支援】現地(前浜)スタッフ畠山友美子

ルーテル教会救援の皆様を始め、多くの方のご支援を頂き、気仙沼市本吉町前浜地区のコミュニティセンター「東日本大震災復興記念 前浜マリンセンター」の落成式が9月15日に行われました。天候が不安定な中、落成式には支援者の方や地域の方等約200名が集まりました。
落成式の中では、経過報告や祝辞等の他に祝宴がありましたが、祝宴では地域でお馴染みの方々の踊りが披露されました。お越し頂いた支援者の方々にも盛り上がって頂いたようでしたが、地域の人たちからすると、�Tまたこの踊りをこのマリンセンターでみることができた�Uというような想いで、前浜住人の司会者は「これをするためにセンターを建てました!」と、やっとやりたいことをまたできたという言葉にとても感動的な時間でした。
前浜マリンセンターですが、世界中のたくさんの想いが詰まった宝箱です。その想いを伝えられるように、たくさんの方にお越し頂ければと思います。本当にありがとうございました。

【共同利用倉庫再建支援】チーフ・スタッフ 佐藤文敬

ルーテル教会救援では、2012年9月から石巻市の牡鹿半島の付け根近く、宮城県漁協石巻地区支所管轄の10か所の浜で共同利用倉庫の再建支援を進めてきました。震災前には共同作業をする際に使う道具や資材などを保管する倉庫が各浜にあったのですが、津波ですべて流されたため、震災後に新しく買い揃えた道具や資器材も野ざらしにしておくしかない状況になっていました。
そうした状況をなんとかしようとドイツ・ルーテル教会のDKH(ディアコニア災害救援部)からの支援を受けて再建を進めてきたのですが、漁港の修繕工事の遅れに伴い、なかなか進みませんでした。
しかし、ようやく予定している10棟のうちの8棟が完成し、9月15日にはドイツDKH担当者のミヒャエル氏も完成した倉庫の見学に来石されました。その日は漁協の代表者の方から震災当日のお話や復興の現状などをお聞きした後、倉庫に設置するネームプレートの贈呈式を行いました。

牧会者ルターに聞く 7

第三章「家庭の食卓」から  その一 なつかしい「食卓での会話」

石田順朗

 

ジュネーブのルーテル世界連盟・世界宣教部および神学研究部で通算一五年勤めたが、一九六七年十月下旬、ウイッテンベルグ市の宗教改革四五〇周年記念祝典参加に先立つ一週間を、アイゼンナッハから北上、その途次ライプチッヒを訪れて祝典に辿り着くという今でも思い出に残る(当時は東独での)旅路。バッハゆかりのトマス教会を埋め尽くした壮大な記念礼拝参与についで深く脳裡に残るのはウイッテンベルグのルターハウス、「ルターの部屋」で見た『卓上語録』の あの大きな食卓。一九八〇年の家族旅行でも再び訪れ、都合三回は見届けて、その版画は目前の本棚に据わりついている。
一五四〇年九月一七日、ヨハン・マテシウスが記録したルターの卓上語録。「牧師や説教家は、いったい政府を叱責する力をもっているものかどうかについてマルチン・ルター博士に尋ねたところ、ルターは『まことに然り。政府は神の設けられたものではあるが、神は不徳や非行を罰する権利を保留していたもう。  従ってこの世の統治者が、もしも貧しい市民たちの財産を高利貸や悪質な管理によって浪費したり破産させたりしているならば、大いに叱責すべきである。しかし、説教者が、こまごまとパンや食肉などの値段をとり決めたりすることは適当ではない。一般に、牧師たちは人びとに対して、神がそれぞれに命じ給うことを、各人の召命に応じて忠実に信仰をもって行いうるように指示し、その結果、人びとが盗んだり、姦淫したり、物をまきあげたり、人をこきおろしたり、だましたり、隣人を利用したりしないようになるためである』。
傍らルターは、政治の任にある者には、「君主諸侯たちは、偽証や公の神冒涜などの犯罪を抑圧しなければならないが、ただ、その人たちが信ずべきか、信ぜざるべきか、あるいは、ひそかに呪うのかどうかを強制的に調べるようなことがあってはならない」とも語っている。
いつの世でも宗教と政治、教会と国家の関係は重大な課題。ルターにも『この世の権利について、人はどの程度までこれに対し服従の義務があるのか』(一五二三年)ほか多くの著作もあり、研究者の間で「二王国(統治)論」や「律法と福音」の論題がルター神学にとって重要であり続けることも事実だ。ただそのような神学的課題が、円卓会議どころか、それこそ身辺事よろしくルター家の食卓を囲んでの話題であったことにもぜひ着目したい。アリストテレスの「逍遙学派」や孔子の『論語』と較べても興味ぶかい。
百巻を超える『ルター著作全集・ワイマール版』のうち、六巻にも亘って七千余のルターの語録が収められ、その『卓上語録』には牧会者ルターの面目躍如たるものがある。

水の流れ

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

 

集中豪雨などの地表をすべる水は大きな災害をもたらします。本来の水の流れはおだやかです。
大自然の山々に降る雨や雪は巨大な三角錐の中にしみこみます。安曇野の高嶺には11月頃から積雪があり、積算すると二十メートルを超えます。半年かけてゆっくり溶け、岩間にしみこみ、人の血管のように、地下の水脈をたどります。
その水は数十年かけて濾過され、山麓の岩間に湧水となります。その美しいきれいな水のおいしいこと、渇いたのどには最高の潤いとなります。一滴一滴が集まり、谷のせせらぎとなり、小川となり、合流して大川となって海にいたります。
その水は生きとし生きるものすべてを生かし育み支えます。主イエスは言われました。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる(ヨハネ福音書7章37~39節)。
ルーテル学院大学・神学校のチャペルには、この主題のもとに新しいステンドグラスが9月27日に奉献されました。

西教区五十周年記念大会 盛大に開催

九月二十二日~二十三日、大阪教会を会場に西教区五十周年記念大会が西教区女性会修養会と合同という形で開催されました。二十二日午後四時から女性会修養会の開会礼拝を皮切りに、聖公会教職候補生大岡佐代子氏から「一人ひとりが大切にされていますか」という題で、ジェンダーに関わる教会の課題について学びました。たくさんの男性も参加してくださり、百名を超える方々が、講演に耳を傾けました。
午後七時からは遠方からの仲間と共に総勢九十名を超える方々とホテルの宴会場で懇親会を開催しました。教区が五十周年を迎えるということ、それは、一つひとつの交わりに感謝することであることを教えられました。
翌日、午前十時から記念大会の基調講演は徳善義和牧師。テーマは、ずばり「いつやるの、今でしょ!」というテーマで、これまでの五十年と、そして何よりもこれからの五十年を、ルターの言葉を手掛かりに二百名をこえる方々と学ぶことができました。「たとえ明日世界が滅びても、わたしは今日りんごの木を植える」。ルターの真正の言葉であるかどうかは別として、まことにルターらしい生き方の響きがここにあるならば、我々にとって、この言葉は、今日福音を喜んで生きるということであり、それは全く目標のない今日ではなく、二○一七年宗教改革五百周年に向かっての計画的な一歩を踏み出す「今だ!」という言葉は、諸先輩方がいかに宣教の困難な時代でも、決してなるようになるということではなく、具体的な目標を掲げ、それを見直し、新たな視点を盛り込み、また取り組んでいく、そのような歩みの上に、「今」があることを教えられ、「希望」を生きることの大切さを共々に共有することとなりました。
午後からは、教区聖歌隊による、素晴らしい演奏を聴くことができました。指導をしてくださった方々に心から感謝したいと思います。また、関西のCSキャンプの子供たちの「ルター劇」も上映されました。教会の子供たちの取り組みを、ただ、ただ、喜んで見入ってくださり、彼らの最後の挨拶の時には大きな拍手を頂くことができました。
教区内の一つ一つの教会、そして喜望の家、るうてるホーム、ナレーションに耳を傾けて、各教会の映像を共にすることで、改めて神さまが西教区を導いてくださっていることを感謝する時も持つことができました。
記念大会のもう一つの山である、派遣礼拝は、教区内のすべての教会のバナーが参集し、十七名すべての教職による礼拝となりました。
新卒、最年少の竹田大地牧師の説くみ言葉は、教職と信徒が「み言葉の場」を作るということを確認する時となり、西教区が今後も「み言葉の教会」として歩むことを心に刻む時となりました。
(実行委員長 松本義宣)

2013年宣教会議報告

「この宣教会議では、課題認識を共有し、それに対してどのような対策が必要なのかを議論し、できる限り具体的な取り組みを見いだすことを狙いとする」。
立山忠浩総会議長が冒頭に会議の狙いを述べて、第25期では2回目となる宣教会議は始まった。出席者は各教区常議員より3名づつ、加えて本教会四役、信徒選出常議員と各室長の合計22名。

二日間を四つの会期に分けて、第�会期では、二〇一二年全国総会で採決された広範な「第6次綜合方策」のうち、優先的に推進してきている三つの主要課題に対する取り組みの報告がなされた。
最初は、東日本大震災へのルーテル教会救援の振り返りとこれから。
青田対策本部長はスライドを交えて、震災当日からこれまでの足跡を説明した。続いて白川氏は宣教室長として、2017年に向けた宗教改革500周年記念事業計画の、ここまでの取り組み概要を説明した。ここで、しばし全体での意見交換が行われた。
そして、この宣教会議で最も多くの時間設定を充てた、教会の財務に関する討議に入った。
はじめに青田管財室長から日本の人口動態推移、会員構成、基礎収入及び維持献金と教職給与との対比等、種々の説明がなされた。今回は、立山議長の発案により、各個教会の財政状況から将来を予想する目的で、事前に各教区で集計と分析作業をしてもらっていたので、この全国15の教会を抽出したデータ結果を持ち寄り、討議に臨んだ(詳細は、後日発行の報告書参照)。
協議は主として、会員の年齢内訳と維持献金額内訳に視点が向けられ、教会員数の年齢別分類によれば60歳代より上の会員層が全体構成比で60%に達している教会の現状と、昨今の推移から見て確実に10年後には現在の運営規模を下回るだろう予測が出席者共通の認識となった。
また社会状況の推移も見込む将来の教会財務予測でも、維持献金の金額が下落する見方でおおむね一致をした。
所得水準の減少傾向、総じて教会員の「献げる」という意識が従来よりも乏しく感じられる傾向、ひいては、単純に教会の財政運営にのみ連動する形にならないような「献身・献金教育」への反省と必要性など、議論は多岐に拡がった。財政規模が下落する見通しへの現実的対策を切り口として、教職給与の基本水準や教職退職年齢の見直し、給与と年金の組み合わせ方等々、様々な視点から、宣教を推進するこれからの教会の在り方が議論される時間となった。

第1会期は、各室長による発題で、徳野広報室長は「機関紙るうてる」の充実を一層図るために、各教区、各個教会からの積極的な情報提供が不可欠であること、加えてインターネットによる情報発信に通じた担当者確保について提言がなされた。
総務室と宣教室を兼ねた発題として白川室長からは、所謂「教職の大量引退」試算、教職の兼任状況、学校/幼保/施設等の兼務率といった教職の基礎動向が説明され、その上で、教職数には制限を設けるのが良いのか?   教職の他法人における働きを積極的に定義すべきか? との発題があった。

引き続いて第1会期では、後藤由起牧師より、米国留学の学びについて発表していただいた。「宣教」の分野、特に教会の成長やリーダーシップに焦点を当てた研さんを深められてこられ、その成果は今後、現在の任地で、そして、広く日本福音ルーテル教会に分かち与えられることになるだろう。
留学中の学びから、ルーテル教会を含む伝統的な教会が、自分たちのその伝統的な部分を新たに取り込み、また、意図的に実践することによって「教勢」を回復しつつあることや、現代人がスピリチュアリティに興味を示しつつも、それが教会的、聖書的なものとはかならずしも一致していない現状などを語ってくださったことも印象に残った。

最後の第1会期は、出席者全員がそれぞれに、二日間の討議から感じ取った問題提起と対策案を述べた。そして会議は閉会礼拝をもって終了した。
今後、この会議で課題掌握が進んだ事柄への対策が常議員会に求められていくことになる。
なお今回の会議は、従来の二泊三日から短縮を図り、9月30日~10月1日にかけて、東京教会と市ヶ谷センターで開催した。従前の実質審議時間は保ちながら、二日間で開催する模索であったが、無理なく実施できたとの感想をもった。
宣教室長 白川道生

2013年度 ルーテル連帯献金のお願い

今年度も宣教活動として、日本福音ルーテル教会が呼びかけをしている「連帯献金」につき、広く各個教会及び教会員、諸施設、教会関係者の皆様より献金をささげていただいております。指定献金は以下の働きのためとなっております。私たちの献金が、主の御心にそって用いられていくことを祈ります。
■指定献金
[ブラジル伝道]
■指定献金[喜望の家]
■指定献金
[メコン流域支援]
■無指定献金
[世界宣教のために]
上記献金の送金先「連帯献金」を献げてくださる場合には、それぞれの献金の目的を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金してくださるようにお願いします。

□【郵便振替】
00190|7|71 734  名義:(宗) 日本福音ルーテル教会

社会福祉法人るうてるホーム いよいよ完成!

十月十四日(月)秋晴れの中、るうてるホーム竣工式が行われました。昨年の十月二十六日の起工式の時のまったく何もない場所から、一年でこの日を迎えることができたことを神さまに心から感謝したいと思います。
竣工聖別礼拝は、理事である永吉秀人牧師が司式をしてくださいました。説教は、前ルーテル社会福祉協会会長であった内海望牧師から「キリストの愛に包まれて」という題でみ言葉を頂きました。四條畷市長をはじめ地域の自治会会長や福祉関係者などはもとより、何より近隣のルーテル教会から多くの方々がかけつけてくださいました。総勢百五十人をこえる方々と、このるうてるホームが神さまの愛の使命を果たす場となり、何よりキリストの愛の香り、そして音色のする場となるために「父と子と聖霊のみ名において」聖別されたことに、職員を代表して感謝したいと思います。これから聖別にふさわしい場になるように、すべてをキリストの愛に委ねて事業を進めて参りたいと思います。
竣工式典においては、前理事長の市原正幸牧師からお祈りを頂き、今回の建築に多大な貢献をしてくださった株式会社双星設計、株式会社フジタ大阪支店に対して感謝状をお渡ししました。また水野登美子理事・後援会長の「感謝の言葉」においてはホームの設立の精神「高齢者を敬い、お仕えする」に徹した事業運営を営むことの決意が語られ、新たな船出として気を引き締めていきたいと思います。
これまで多くの方々に支えられて、今日があることを改めて感謝する一日となり、これからも皆さま方からのご指導、ご鞭撻によりるうてるホームを育ていただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
常務理事 石倉智史

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