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バイブルエッセイ

「滴り落ちる祝福:恵みにより、キリストに結ばれた者の喜び」

【都に上る歌。ダビデの詩。】見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り/衣の襟に垂れるアロンのひげに滴りヘルモンにおく露のように/シオンの山々に滴り落ちる。シオンで、主は布告された/祝福と、とこしえの命を。(詩編133編)

 詩編133編は「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」という宣言から歌い出されています。これは人間の努力で作る‶仲良しグループ”の喜びではありません。天から降る神の恵みによって、罪人が救われ、キリストに結ばれ、主と一つにされる喜びです。この短い詩に預言されていた福音の豊かさを共に聞きましょう。
 ダビデは、兄弟の一致を「かぐわしい油」にたとえました。大祭司アロンに注がれた油は、頭からひげへ、そして衣の襟にまで滴り落ちました。これは、聖霊の力が仲介者を通して神の民へと溢れ広がる象徴です。この油注ぎの完成こそ、真の大祭司である主イエス・キリストです。「キリスト(メシア)」とは「油を注がれた者」という意味です。主イエス様は、真の大祭司として、ご自身の命を十字架で献げられ、神と人を和解させる仲介者となられました。
 天を通過された偉大な大祭司である主は、死と復活、そして昇天を経て、天の至聖所に入られました。その時、聖霊という神の油が、頭であるキリストから、体である教会へと注がれたのです。
 そして今、それは私たち一人一人へと滴り落ちています。私たちが共に座っていられるのは、生まれながらの罪人である私たちが、キリストの油によって清められ、主に結ばれて、一つの体とされたからです。
 詩人は続いて、恵みを「露」にたとえます。イスラエルの北にあるヘルモン山は、年中雪を頂く高山であり、豊かな水をもたらす源です。一方で、南にあるシオン、すなわちエルサレムの山々は、夏には雨がまったく降らず、乾ききった荒れ地となります。北の高山にある豊かな露が、遠く離れた南の低いシオンに降るなど、地理的には本来あり得ないことです。
 しかし、神の恵みは人間の常識や距離を越えて、天から地へと降ります。これは、いと高き天の御座におられた神の御子が「受肉」し、私たちの世界へと降り、しかも、十字架の道を歩まれた神秘を指し示しています。
 私たちの人生もまた、時にシオンの山々のように、からからに乾ききってしまうことがあります。人間関係に疲れ果て、心に少しの潤いも残っていないように感じることがあるかもしれません。
 しかし、どれほど私たちの魂が乾いていても、天から降る露のように、キリストの恵みは静かに、そして確実に、届くはずのない私たちの心の深みにまで届き、私たちを癒やし、生かします。十字架と復活の主イエス様が、渇いた魂に生きた水を注ぎ、再び立ち上がる力を与えてくださるのです。
 さて、「シオン」エルサレムは、主イエスが十字架で死に、三日目に復活された場所です。父なる神様は、そこで、十字架の御子イエス様による罪の赦しと「とこしえの命(永遠の命)」を全人類に向けて布告し、私たちに対する愛を示されました。
 詩編133編の恵みと喜びは、この永遠の命の先取りだったのです。私たちが教会で御言葉を聞き、交わり、聖餐に与る時、そこには死に打ち勝たれたキリストが共におられます。私たちは、キリストの十字架によって神と和解させられた者として、永遠の御国の宴に招かれているのです。
 このように、あなたのための「油」は、すでに大祭司、主イエス様の頭から滴り落ち、あなたを覆っているのです。あなたのための「露」、主なる聖霊は、天の父なる神様と御子イエス様から、今、この瞬間も、あなたの心に降り注いでいます。
 キリストの十字架は神と人との隔てを取り払い、復活の主はあなたの兄弟となり、こうして私たちは神の子供とされたのです。神の子供たちよ「なんという恵み、なんという喜び」でしょうか!この詩編の告白を信仰によって、今日あなた自身の歌として受け取ってください。
 主が約束された「とこしえの命」の祝福の中で、安らぎと希望を持って歩みましょう。主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりは、主を愛し、主に信頼している、あなたに与えられているのです。

ヘルモン河川保護区から望遠で捉えた、雲に隠れるヘルモン山脈(2011年)

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