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バイブルエッセイ

主よ、ください。

「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」
そこでイエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい」。
(マルコによる福音書第7章28、29節)

 何とはげしい、ことばとことばによるぶつかり合いであろう!  まさに火花飛び散る〈論争〉というにふさわしい。
 しかも、驚くなかれ。ここで、主イエスは――これまで、ファリサイや律法学者たちと論争をし、ことごとくその相手を打ち負かして来た主イエスが――負けておられるのである!  主は、この人のことばに負けてしまった…。いや、むしろ負けることを喜んでくださった。

 主イエスとがっぷり四つに組んでこの方を負かしてしまったのは、ファリサイや律法学者たちが「この者に触れたならばどうしたって手を浄めなければ食事が出来ない」と考えていた異邦人、しかも女性である。どう見ても当時は軽んじられていたに違いない。
 しかし、その女性が――ほんとうに小さな女性が――主イエスを説得してしまったのである!

 主イエスはこのとき、一人ガリラヤを離れ、地中海沿岸の地方の「ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられた」(マルコ7・24)。ある人は、主イエスもお疲れになったのでバカンスを取られたのだ、という。その当否はともかくとしても、ここに、そのように隠れてしまおうとなさる主イエスを引っぱり出してしまった人が出て来たのであった。「すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏し・・・娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ」(同7・25〜26)。
しかし、しかし――。必死の思いで飛び込んで来たこの母に対する、主イエスの応えのなんとつれなきことか。
「子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」(同7・27)。

 犬――。よくもこのような言葉を主はお使いになったものだと思う。異邦の民に対する明らかな卑称である。主イエスは「小犬」と仰ってその鋭さを和らげているのだと言う人もいるが、その厳しさにはいささかの変わりもない。

 主イエスに願っても、そのみ名を呼んでも、主が、神がみ顔を隠しておられる。想い起こしたらよい。舟を漕ぎ出して、突風の中で舟が大揺れに揺れる。ところが主イエスは黙ったまま、しかも熟睡しておられた。あるいは「先に向こう岸に行きなさい」と遣わされて、主イエスだけが陸地におられると逆風のために漕ぎ悩んでしまう――。主イエスを呼びたくても、呼べない。そういう悲しみと苦しみが、そこにある。

 ここも同じだろう。いくら呼んでも、叫んでも、主イエスはわれわれの願いを退けておられるように思える。主イエスはここでハッキリとこの者の願いを拒絶なさる。一線を引いておられる。しかし、この女性、「もうこの方は駄目だ、他の所へ行こう」、そうではないのだ。

 「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます」(同7・28)。

 彼女は言い返した。
 
 主よ、アーメン、その通りです!  しかし、食卓の下に、あなたのパン屑はこぼれ落ちる筈でしょう。確かにあなたはユダヤ人の救いのために来た。けれども、あなたの力はユダヤ人の救いのためだけに用いるには、まだまだ有り余るでしょう。あなたの恵みは実に豊かな筈でしょう。
 その僅かな部分、わたしにも頂けますね――。あなたはそれほどに豊かなお方です。

 そう、この人は、神に脅しをかけない。もしもわたしの願いを聴き容れてくださらなければあなたを神としません、イエスよもうあなたを信じません、そういう短気ではないのだ。 まさしく、神を神とする――。彼女はただ、主イエスの豊かさを見抜き、それに信じた。信じ動いた。全霊をもって。そして、顔を上げるのだ。

 「主よ・・・!  あなたは豊かなお方です」。

 どこまでもご自身を見上げる者に、主イエスは負けてくださる――。そして、彼女と同じく、神の子の前にひれ伏し、跪き続けるわたしたちにむかってこぼれ落ちてくるのは、この主のことば――。わたしたちが今も溢れるほど戴くのは、この主のことばをおいてほかにない。

 「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい」(マルコ7・29、口語訳)。 

日本福音ルーテル賀茂川教会牧師 神﨑 伸

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