るうてる2023年11月号
「老いの神学」
日本福音ルーテル田園調布教会・雪ケ谷教会牧師 田島靖則
「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。/同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ書46・3b〜4)
通常この巻頭説教は、季節の聖書日課に基づいて作成されるようです。しかし、コロナ禍以降は私もご他聞に洩れず、毎週の礼拝説教をそれぞれの教会のホームページ上で動画公開しておりますので、日課通りの説教をご希望の方はどうかそちらをご覧ください。
今から33年前、私は池袋のR大学で「老いの神学」と題した修士論文に取り組んでおりました。当時はまだ20代でしたので、テーマを考えると少々無謀な挑戦だったように思います。当時の私は、高齢者に対してある意味理想主義的なイメージを抱いておりました。歳を重ねるにつれて、人間はより思慮深くなり、その人生には深みが加えられるのだと、そのように想像しておりました。今朝、新聞の「人生相談コラム」で「最近の日本社会には、魅力的な人がいなくなった」と嘆く投稿が寄せられているのを見かけました。回答者は、「今も魅力的な人はいますが、目立つことができなくなったのだ」という分析を披露していました。良い意味でも悪い意味でも、目立つことによってSNSで批判に晒される昨今の風潮の中、誰もが萎縮せざるを得ないというわけです。その結果、他者に無関心に見える人が増えたように感じられる。路上で困っている人を見かけても、手を差し伸べて良いものかどうか尻込みしてしまう。世知辛い世の中になったものだと思います。こうなると、社会はますます無味乾燥な場所に感じられてしまう。私たちが生きているこの社会に、希望を感じている人は一体どのくらいいるのでしょうか?
「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。/同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」
私がかかわる教会では、聖書研究会も現在はオンラインで行われます。前任者から引き継いだ旧約聖書イザヤ書の学びを続けています。ご承知のようにイスラエル統一王国は、サウル、ダビデ、ソロモンと3代続いた後分裂します。紀元前721年に北王国イスラエルは滅亡し、紀元前585年に南王国ユダも新バビロニア帝国によって滅ぼされます。バビロンで捕囚民となったユダヤ人は、その46年後に新たな征服者であるペルシャ王キュロスによって解放されます。その46年間の捕囚生活がユダヤ人の存在の根底を揺さぶり、「選ばれた民」としての誇りも、民族の希望も失われたかのように見える惨状を生んだのです。
まさにそのような、夢も希望も潰えたように見える状況の中で、預言者イザヤは生き残ったユダヤ人たちに呼びかけます。イザヤ書を読み進むと、何もかも失った人たちを奮い立たせることは容易ではないと、思い知らされます。あらゆる言葉を重ねて、ユダヤの人たちをもう一度立ち上がらせようと、必死の思いでイザヤは「神の言葉」を取り継ぎます。
まず、半世紀にわたる捕囚生活で生まれた神への不信が払拭されなければなりません。何しろ46年間苦しんでいた間、神は一体どこで何をしていたのか?という素朴で根本的な疑問に答える必要がありました。このお話を聞いて、「足あと(Foot Print)」と題された詩を思い出す方もおられるでしょう。1990年代に米国のキリスト教会で、作者不明の詩として話題となったあの詩です。キリストと共に自らの人生を振り返る時、そこにはいつも二人分の足跡が残されているのが見えました。自分の足跡とキリストの足跡でした。でも、不思議なことにその人が人生の中で一番苦しんでいた時には、一人分の足跡しか残されていない。その人はキリストに尋ねます、「私が一番苦しんでいた時に、あなたは何故一緒にいてくださらなかったのですか?」キリストは答えるのです。「あの時私は、あなたを背負って歩いていた」と。
この「足あと」にモチーフを与えたのは、イザヤ書46章の言葉だと思います。「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」という神の言葉は、信じるに値する言葉です。今や大切なものはほとんど失われてしまったと感じる時、「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。」という言葉を思い出したいのです。
エッセイ「命のことば」 伊藤早奈
㊹私も?
天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。」詩編19・2
「どうしていつも笑っているの?そして何でいつもお礼が言えるの?」と言われ思わずこう聞き返していました。「えっ私笑ってる?」あまりにも最近いろいろなことを経験したので自分は笑い方を忘れているのではないかと不安になっていました。私笑顔を忘れていなかったんだ。
冒頭の言葉は先日入院したとき隣のベッドの方に言われました。私とは病名は違いますがその方の病気も進行性で苦労されていたから投げかけられた言葉だったのか、どのような気持ちで投げかけられたのか私にはわかりません。その言葉は私に、私は笑顔を忘れていないことも、ありがとうと言える心が残っていることをも思い出させてくれました。そして自分が周りに笑顔と感謝を伝えていたことに気づかせていただきました。用いてられるってこういうことなのでしょうか?
逆に強いメッセージを込めているものもたくさんあります。その一つによく食卓で見かける絵があります。ただそれを見ると、どれだけの人がその絵の作者を知り、どれだけの人がその絵の意味を…と思うとおかしくなります。ましてや見た人がその絵の解釈をその絵を載せた人の意図しなかった方向で解釈していたとしたら。用いられるってどういうこと?作者は神様です。
一人一人は神様によって造られました。神様ご自身の勝手な思いではなく一人一人への神様からの愛が込められています。そして一人一人を通して一人一人が出会う人へ神様が愛をお伝えになります。受け取る人それぞれのかたちで。
改・宣教室から
小泉基 宣教室長(日本福音ルーテル 札幌教会牧師)
―佐伯さんには、3年前に社会委員会が発行した『多様な性を知るために』の執筆で全面的にお世話になりました。もともとセクシャリティーの事柄について関心をお持ちだったのですか?
佐伯 長年、小・中学校の養護教諭として仕事をしてきました。小学校で保健室登校を支えて落ちついた子が、中学校で荒れて自殺未遂をしてしまうようなことがあり、その子に宿題をもらった思いで「いのちの学習」に取り組むようになりました。そこから性の問題への関心につながりました。
―今の学校現場で、セクシャルマイノリティーの子どもたちは、どんな辛さを経験していくのでしょうか。
佐伯 誰にも言えずに葛藤を抱えて過ごしている子が多いと思います。友人に言うと嫌われ、いじめられるかもしれない。先生に言うと親に伝わって親が悲しむかもしれないとも思うでしょう。孤立したり、自分を守るために当事者ではないふりをして周囲の差別的な言動に同調したりする子たちもいます。ただ、少しずつですが学校でカミングアウトする子も増えています。学校の性教育指導体制が問われますが、個人で頑張っている教員はおられても、組織としてはまだまだ準備不足です。
―キリスト教会の役割について、考えておられることがありますか?
佐伯 教会は、祈りの場であるとともに出会いの場です。教会員であるなしにかかわらず、迷い悩みを抱える人、悲しんでいる人、困難を抱えている多様な人たちが安心して出入りし、語りあうことができる場です。ただそのことを、当事者たちが知らなければ、また知っていても教会の雰囲気がオープンでなければ、その役割は果たせません。教会員がセクシャルマイノリティーやその他の差別の現状について、学んだり、話し合ったりできれば、この課題について教会の役割が見えてくるかもしれません。
―ありがとうございました。大切にしている聖書の箇所があれば、教えてください。
佐伯 「何事にも時があり」(コヘレトの言葉3・1)です。「置かれた場所で咲く」ことを大切に生きてきました。いろいろ困難な職場で仕事をしましたが、その都度「神様が準備してくださった時と場所」と受け止め、子どもたちとの出会いを感謝し、頑張ることができました。後で、本当に神様が時を選んで与えてくださったと思うことばかりでした。
リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑥
日本福音ルーテル千葉教会 小澤周平(日本福音ルーテル千葉教会牧師)
千葉教会の会堂は、JR総武線稲毛駅から徒歩3分の場所にあります。東教区としては関東の東端。新来会者が足を運びやすい一方で、会員は広い地域から礼拝に集まります。
都市部の便利さと房総の自然の豊かさを併せ持つ千葉の地にて、1950年代にP. C. ジョンセン宣教師を中心としたルーテル教会の伝道活動が始まりました。西千葉の宣教師館の時代を経て、1956年には稲毛の地に会堂が与えられ、千葉教会の群れが育まれました。初代の会堂は米軍キャンプ用のカマボコ型の質素な建物でしたが、すぐに手狭になりました。より多くの人と礼拝を守るため6年後に会堂を新築。その約30年後に2度目の会堂建築を経験し、現在に至っています。
宣教活動は地域に意識が向けられてきました。日曜礼拝後の「うどん食堂」(実際には毎週多彩なメニュー)は知る人ぞ知る癒しの空間。道行く若者が招かれたことも。主にある交わりの場によって信仰生活が豊かになった人も少なくなかったことでしょう。バザー等の行事も盛んに行われてきました。また、親子世代は、教会学校だけでなく平日の育児サークルを通して共に成長の機会が与えられました。
千葉ベタニヤホームとの繋がりも強く、特に若葉区の旭ヶ丘母子ホームおよび旭ヶ丘保育園とは、共に支え合って歩んできました。現在も同施設では、礼拝が守られ、千葉教会の牧師はチャプレンとしての務めを与えられています。
同じ県内の銚子教会は1950年代から集会を記録する歴史ある群れですが、1969年に横芝教会と合併し、1983年に千葉教会の集会所となりました。現在は、第1日曜日とイースター、クリスマスに礼拝を守り、銚子における信仰者の灯台として輝き続けています。
近年は、千葉教会も例に漏れず、少子高齢化と感染症拡大の影響で様々な活動の休止と見直しを余儀なくされています。総武地区の教会とも連携しながら、新しい時代の宣教のあり方を模索していきたいです。主の導きを祈りつつ。
九州ルーテル学院幼稚園 谷美和(九州ルーテル学院幼稚園園長)
1947年、宣教師として九州女学院に赴任されたヘルティ・ブライドル先生を初代園長として旧九州女学院幼稚園が設立されました。学校の体育館の更衣室を保育室として誕生した園児21名の小さな園だったそうです。現在、本園には160名ほどの園児と33名の職員が過ごしています。また開園から76年、4500名余りの卒園生を送り出してきました。今では、親・子・孫といった3世代にわたって入園される方もいらっしゃいます。
2001年に中学・高校の共学化に伴い校名が変更され、本園もルーテル学院幼稚園へと改称しました。さらに2015年には、0歳から就学までのすべての子どもたちに一環した教育・保育を行うことを目的に、幼保連携型認定こども園へと移行しました。
学院の同敷地内には、中学・高等学校・大学が併設されており、その一番奥にこども園は位置しています。学院内の恵まれた環境の中にある緑豊かな園庭は、子どもたちにとって神様が下さった宝箱のようなものです。季節ごとに移り変わる身近な自然に親しんで過ごすことができます。ツマグロヒョウモンがさなぎからチョウになるところを観察したり、新入園児さんがダンゴムシを集めているうちに涙が止まったりと、小さな生き物・出来事が子どもたちの目に輝きを与えてくれます。
コロナが5類になった今年は、年長児が梅を収穫し「うめジュース」を作り保護者の方にも飲んでいただくことができました。美味しいと好評でした。夏にはピーマンの収穫です。塩昆布であえて給食でいただきました。苦手な子どもたちも自分で育てたピーマンだったからか「おいしい」と微妙な笑顔で食べていました。
神様が与えてくださる恵みに感謝し、人や自然にかかわる体験を通し、一人一人の「感じ方」に向き合い、認め合い、豊かな感性を育んでいきたいと思っています。
世界の教会の声
浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)
LWFアセンブリー報告「キリストの体における一致」
LWF(世界ルーテル連盟)は、99カ国の150教会が加盟するルーテル教会の世界組織で、信徒総数は七千七百万人を数えます。日本福音ルーテル教会(JELC)は1952年から加盟しています。9月13日から19日にかけてポーランドのクラカウで第13回アセンブリー(総大会)が開催され、約千人が参加者しました。今回のテーマはエフェソの信徒への手紙4章4節から選ばれ「One Body, One Spirit, One Hope(ひとつの体、ひとつの霊、ひとつの希望)」となりました。このテーマに関連してインドネシアの神学者ベニー・シナガ博士が行った講演の一部をご紹介します。
「私たちはコミュニオンという教会の体を構成しています。体としての教会を一つに保つにせよ、暴力と支配から人の体を守ることにせよ、体はつなぎとめておかねばなりません。」飢えや争い、差別や抑圧など様々な苦しみで人間の体が壊れていると、シナガ博士は呼びかけました。「神の霊は一つ。ですから教会も一つでなければなりません。分裂はあってはならないのです。」「ところが戦争、不平等、暴力、分極化、差別、ヘイト、飢えによってばらばらになっています。」シナガ博士は、クラカウ近郊のアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所やウクライナ侵攻による戦争といった現代の恐怖を引き合いに出し語りました。チャド、コンゴ、ハイチ、マダガスカル、イエメンなどの貧しい国では子どもたちが飢餓と栄養不良で病気を患い、体が悲鳴をあげています。「世界のどこかが空腹になれば、世界が病気になるのです。」
COVID-19で数百万人が犠牲になったことに触れその経験から「毎日呼吸している空気の大切さ、家族のありがたさ、一つの体として共に礼拝する教会の大切さ、そして人々の思いやりの尊さが身にしみました。」
女性牧師のシナガ博士は、女性が今でも暴力や差別、従属、ヘルスケアへの無理解、政治参加の厳しさといった問題が根強いことを指摘しました。そうしたなか、彼女が属するバタックのHKBP教会では大きな進展があり、女性も神学教育を受けられるようになり、1986年にはバタック初の女性按手が誕生、今日まで二千人以上が牧師、説教者、社会奉仕者、伝道師あるいは長老として按手を受けたとのことです。
シナガ博士は講演を次の言葉で締めくくりました。「キリストの自己犠牲という果実から一つの体が出来上がります。この果実が敵意、差別、拒絶、分極化、戦争、不平等、ヘイト、不義を打ち砕いていくのです。」
※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。
「ルーテルアワー」紙を発行しています
佐藤和宏(日本福音ルーテル藤が丘教会牧師・東教区伝道奉仕部)
「ルーテルアワー」紙は、東教区インターネット伝道が運営する、ウェブサイト「ルーテルアワー」の記事を転載したものです。聖書やキリスト教に興味を持つノンクリスチャンを主な対象と位置づけていますが、インターネット環境のない方にもご覧いただけるようにと、本紙の発行を始めました。
内容は『人生の問い』(賀来周一先生)、『聖書の学び』(賀来周一先生、内海望先生)、『ルーテル教会の音楽家』(徳善義和先生)、『キリスト教Q&A』(ルターさん)など、それぞれシリーズでお届けしています。信徒の皆さんはもちろん伝道用に適した、分かりやすい内容となっていますから、学校、幼稚園そして保育園でも園児のご家族をはじめ、ノンクリスチャンの職員の皆さんにキリスト教や聖書を知っていただく機会としてふさわしいものです。
9月には「秋号」(第2号)を発行し、お申し込みいただいた全国の23教会6園に計2338部をお送りすることができました。お申し込みをいただければ、必要部数を無料にてお送りいたしますので、ぜひご検討ください。
また「ルーテルアワー」では、公式LINEを開設し、記事の更新情報をお届けするとともに、質問等を受け付けています。ぜひお友だち登録してください。
次号は「クリスマス号」として、12月に発行予定です。これを機に、新規で申し込みたい、クリスマスだから追加で申し込みたい、とお考えの方がありましたら、11月10日頃までに、QRコードよりメールにてお申し込みください。
2023年度ルーテル社会福祉協会総会報告
髙橋睦(東京老人ホーム常務理事ルーテル社会福祉協会会長)
毎年8月に行ってきた当会の総会(研修会を含む)は、4年ぶりの対面(一部リモート参加を含む)開催が、熊本の慈愛園児童センターを会場に8月21日(月)~22日(火)に開催されました。
当会会員の10法人とるうてる法人会連合から李事務局長も参加をいただき、リモート参加を合わせるとおよそ70名の総会となりました。
1日目は、慈愛園の見学、角本浩牧師による開会礼拝の後、九州ルーテル学院准教授西章男先生を講師に迎え、「弱さを誇れる支援者の支え手」というテーマでワークショップを含めた研修を行いました。
エッセンシャルワーカーと言われる私たちですが、自身もその痛みを抱え、その痛みを職員間で軽くしたり和らげたりすることにより、よい援助ができる事を学びました。現場を思い出しながら演じて実感したり、確認したりと普段出さない大きな声や笑顔があふれた研修となりました。そのような現場に卒業生を送り出す学校の教師の立場から、講師の西先生自身もソーシャルワーカーとして感じていたこと等、お土産一杯の研修となりました。
夜は、慈愛園傍の店を貸し切り(感染症対策)で楽しい懇親会。久しぶりの顔や、リモートでの打合せだけの仲間と会うことができ、大いに盛り上がっています。
2日目は、22年度事業及び決算の報告、23年度の計画、予算の説明を行い、(承認は書面で実施)次回開催の地域、方法などについて提案・協議を行いました。
会場からは、「今回の総会を踏まえ、研修部分は、リモートによる参加を併用することに合わせて、さらに録画の配信を行えば、平日の同じ時間には参加できない職員も参加が可能なので、そのようにして欲しい」という提案もありました。
その後の時間はアピールタイムとし、ベタニヤホーム、東京老人ホーム、光の子会が創立100周年や日々の活動についてのアピールを行いました。
全プログラム終了後、小泉嗣牧師による祈りをもって閉会しました。
「教会讃美歌 増補」 解説㊺ 増補48番 「まことに まことに」
北川逸英(日本ルーテル教団池上教会・杉並聖真教会牧師)
48番は歌集『うたえ 暗闇にとどまることのないように』からの転載です。作者は援助修道会のシスター・クララ・三浦ふみ氏。2018年7月28日に、聖イグナチオ教会で終生誓願を立てられました。シスター三浦は学生時代から、日本でテゼ共同体の祈りを紹介し歌い続ける、日本聖公会の植松功氏と共に、チェロ演奏などで活動に参加されてきました。
2016年フランス留学中に、植松氏を通じて増補試用版をお送りした際には、日本語の歌を懐かしまれて、宿舎で掲載32曲をすべて歌われ、貴重な示唆を与えてくださいました。心より感謝します。
この歌はルカによる福音書23・43のイエスさまのみ言葉から生まれました。「まことに」と訳されている言葉は、ギリシャ語でアーメン。イエスさまの「そのようになる」という強い約束のみことばです。この歌は多くの人が愛する、テゼ共同体の歌「イエスよみ国に(Jesus,remember me)」のAnswer Song=応答歌です。
「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」というルカによる福音書23・42の罪人からの願いに、イエスさまは「アーメン」と、力強く答えてくださいます。
解説㊻ 増補49番「わたしたちが暗闇に留まることのないように」
北川逸英(日本ルーテル教団池上教会・杉並聖真教会牧師)
この歌は歌集『うたえ 暗闇にとどまることのないように』の表題曲です。タイトルに(キリストは光として)という言葉が付され、作詞者名は無く、書き出し歌詞の後に(ヨハネによる福音書12・46)と記されます。
「短い言葉をくり返し唱える」という祈りの歌の形式は、昔から礼拝の伝統にあったようです。しかし、フランスにある超教派の男子修道会テゼで歌われる歌は、そのような形式の歌・祈りのすばらしさをあらためて人々に伝え、テゼの歌は世界中で歌われるようになりました。」(歌集『うたえ暗闇にとどまることのないように』改訂増補版の巻頭言「聖霊がわたしたちの中で歌い 聖霊がわたしたちの中で祈る」冒頭より抜粋)
この歌集は、テゼによって起こった、エキュメニカルな運動から日本で生まれました。これまで日本で歌われた賛美歌の多くは、外国語歌詞に合わせて作られた曲に、翻訳日本語歌詞を載せて歌うものでした。しかしいま、塩田泉司祭の作品を中心に、日本語聖書の言葉がそのまま歌われます。わたしたちは共に主を賛えて主に祈る、一つの教会へと誘われています。
公告
この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2023年11月15日
宗教法人日本福音ルーテル教会
代表役員 永吉秀人
信徒利害関係人 各位
横浜教会土地一部売却
所在地 横浜市神奈川区松ケ丘
所有者 日本福音ルーテル教会
地番 8番5、8番4の一部
地目 宅地
地積 2筆合計1046.3平方メートル(公簿)の一部425.57平方メートル
価格 1千万円
理由 売却のため(売却先田畑顕蔵様
(株)コーラム企画)