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るうてる2021年

るうてる2021年11月号

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「天国に旅立たれた人たち」

日本福音ルーテル小岩教会牧師 内藤文子

「こう言ってから、『ラザロ、出て来なさい』と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、『ほどいてやって、行かせなさい』と言われた。」(ヨハネによる福音書11章43~44節)

 全聖徒主日を迎えます。私たちより前に、天国に旅立たれた人々を覚えます。
 教会によっては、召天者のお写真を並べます。すでに天に召されていますがこの世にありし日の命が輝いていた頃のお姿が思い出されます。そして、そのおなつかしい笑顔を見ながら、私たちも、残された日々を主にあって、ありのままに安らかに歩みたいと願います。それはまるで、私たちに「死に向けての準備、心構えをしなさい」と導いてくれているようです。牧師である私であっても、死を前にすることになったら、どうでしょう。衝撃を受け、まさに真剣に祈るでしょう。死と隣り合わせの生を一日一日生きながら、十字架の贖いにすがることにより救われる恵みをまさにまのあたりにするでしょう。

 ヨハネによる福音書11章には、墓に着いたイエスさまがいます。その墓に病気で葬られたラザロが眠っています。そして、そばにはイエスさまのお出でを今か今かと待ち続けた姉のマルタ。マルタが言います。「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます。」(39節)遺体は腐り始めている状況を伝えます。イエスさまは、天を仰いで、父なる神に感謝し、その後、墓に葬られたラザロを大声で呼びます。「ラザロ、出て来なさい。」(43節)ラザロは手と足を布で巻かれたまま出て来ました。
 人間の悲しみの極み、それは愛する者の死。誰もが遭遇します。それは、すべての人の上に起きてくるのです。2千年前、ラザロという1人の人の上にその悲しみが起きました。しかし、悲しみを前に、ラザロを死から生へよみがえらせるという奇跡が起こったのです。

 私たちは、時に不条理に満ちたこの世を生き、そして命の限界を知り空しさを感じます。しかし主イエスさまと出会い、十字架と復活を信じる者は、苦難の中にも、神が共にいてくださる。終わりの日には主イエスさまと同じ栄光の体に変えられるのです。
 この約2年間、コロナ禍の中、何人かの信仰の友を天に送りました。新型コロナウイルス感染防止のため、大変親しくしていた方へ最後のお別れをすることが許されませんでした。家族さえ病室に入ることが禁止されましたので、お見舞い出来なかった近しい方々が多くいます。残念な思いは尽きませんが、信仰の友たちは、皆、主イエスさまと共に歩みひっそりと天に移った。それにより、ひとりひとりへの神のなさる救いのすべてが完結したと感じるとき、感謝にたえません。

 もう6年前になります。(コロナ禍ではありませんでしたが)私が牧会していた教会のリーダー的役割をしておられた1人の女性信徒が亡くなりました。しかし、死を覚悟してからの2年の彼女の残した最後の日々は、孤独の内にも、主と共なる歩みでした。
 「炎天下日陰日陰を選び歩き」末期のがんの闘病を続けつつ、夏から秋に厳しい暑さの中でも、なんとか前向きに一歩一歩歩いた彼女の残した俳句です。

 主イエス・キリストへの信仰を貫き、教会を愛していた彼女のそれからの、「終活」の時は、牧師の私がびっくりさせられるものでした。「もう、あと数ヶ月しか命は持ちません。今のうちに教会で、証しをさせてください。」ご自分からの申し出で、礼拝の説教の後に彼女は「主イエスさまとの出会いと、教会生活。そして、晩年、熱心に取り組んだ平和活動について。」を証しされたのです。その後は、家にあるものの整理。手編みの衣類は、サイズの合う方を尋ねて贈られる。家事道具も、教会や個人へ「使ってくださいね。」と分かち合う。自分より高齢の方のお祝いの会をどうしてもして差し上げたいと、痛む体を押して、企画・開催したその宴席は驚く程、心のこもったものでした。

 最後に病床でお祈りした時に言われた言葉が忘れられません。「こんなに長く生きるとは思いませんでした。神様に与えられた時間が残り少ないとわかったとき、短い時間をいかに質を豊かにするかを心がけました。クオリティーオブライフです。」残された時をどう生きようか。それは自分に出来ることを精一杯、神様のために、隣人のために捧げるということ。信仰により、まっすぐつながる神様の国への最後の道のりを、彼女は歩き終えたのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

⑳「思い出」

「わたしは言ったであろう。『彼らを跡形もなくし/人々から彼らの記憶を消してしまおう』と。」申命記32・26

  「あーこんなこと忘れられたらいいのに。」「これはいつまでも覚えてたいな。」でも記憶って選べませんよね。私は今、車椅子の生活がほとんどです。自分の足で歩いたり走ったりしたことを忘れたいと思ったことは何度もあります。「記憶なんて無くなればどんなに楽だろう」と。
 でもこのことは忘れたくないな、と忘れたくないことも自分にはいっぱいあることを思います。病気で記憶を失っていく人に病院などで出会いました。ほとんどの方が自分で忘れたくないことまで忘れることがあり辛そうです。覚えているからこそわかると言うことがいくつか思い出されます。自分で歩けていた時に電車で席を譲るか譲らないかとても迷い、結果席を譲ろうとして断られた経験がありました。逆に杖で歩くようになり電車で立っていたら席を譲って下さった人がいて嬉しくて「ありがとうございます。」と言って座りました。あれ私今「ありがとう」って言った。
 人から何かしてもらうと私は大抵「すいません」と言っていました。何も悪いことしていないのに。感謝が謙遜になっていたかもしれません。ただ譲る側の気持ちになると別に謙遜して欲しいわけではなく感謝されるだけでも嬉しいんだと思い「ありがとう」を伝えることが増えたような気がします。

議長室から 大柴譲治

慰められる声の力〜〝Graceful Passages〟

「地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。」(列王記上19・12)

 11月は死者を覚える月、私たちにつながる大切な人々のことを想起する時です。私たち夫婦は2006年から2017年にかけて親を見送ってきました。それ以来最も慰められてきたオーディオブックをご紹介させてください。タイトルは〝Graceful Passages – A Companion for Living and Dying〟(2003)。そこに収められているのはキリスト教、ユダヤ教、仏教、儒教等の宗教者と終末期ケアに関わってきた12人のメッセージ(英語)と音楽です。「死ぬ瞬間」で知られるエリザベス・キューブラー・ロス、ラム・ダス、ティクナット・ハン、マハトマ・ガンジーの孫等の声が文字としても記録されていて貴重な歴史証言となっています。
 このCDアルバムは私たち夫婦を深いところで慰め、支え、励ましてきてくれました。メッセージの内容は多様ですが、一つ一つがinspirationalで、声とことばと音楽が心に響きます。聖書で「霊」は「息」とも「風」とも訳されますが、その息遣いは霊の臨在をすぐ身近に感じさせてくれ、悲しむ者に不思議な慰めを与えてくれます。呼吸が楽になるのです。私たちはこれまで少なからぬ方々にこのアルバムをお贈りしてきました。
 特に最初のLew Epstein(1919〜2003)の〝Letting Yourself Be Loved〟というメッセージで、家族の一人ひとりに 〝Farewell my son, farewell my daughter. Farewell my father, farewell my mother.〟と親しく呼びかけながら「私を愛してくれてありがとう。私にあなたを愛させてくれてありがとう」と別れを告げる声は私の魂に響きます。〝Farewell(ごきげんよう)〟とはなんと美しく温かな響きを持つ言葉であることでしょうか。それが私の心に深く響いてくるのは、親にきちんと感謝と別れの言葉を告げることができなかったという悔いる気持ちが私に残っているためでしょう。御国においてもし再会が許されるならば、いろいろと話したいと思っています。
 COVID—19によって世界ではこれまで500万人もの生命が失われました。ここかしこから嘆きの声が聞こえてくるように思います。天に召された者の魂のために、そして遺された者の魂のために、主の慰めと平安とをお祈りいたします。
requiem aeternam.

「教会讃美歌 増補」 解説

⑰増補5番「いのちのさなか死に囲まれて」 増補6番「これこそ聖なる十の戒めよ」
讃美歌委員会 日笠山吉之 (札幌教会牧師)

増補5番「いのちのさなか死に囲まれて」

  この賛美歌では、誰もが避けることのできない死を前にして、人は誰に救いを願うことが出来るのか?ということがまず問われます。キリスト者は幸いなことにその答えを持っています。「主よ、あなただけ」と。それゆえ、後半では主を「聖なる神、ちからの神、慈愛の救い主、永遠の神」と呼ばわり、主に「死の淵から、助けてください」「陰府の火から、助けてください」「堅い信仰に立たせてください」と祈り、「キリエレイソン」(主よ、憐れみたまえの意)と締めくくられられます。第1節は、8世紀に作られたラテン語の応答歌をルターがドイツ語訳にしたもの。ルターは、昔から歌い継がれてきたこの賛美歌の価値を認めていたのでしょう。さらにルターは、自身で2節と3節を書き加えました。こうしてルターの手によって新たに生まれ変わった賛美歌は、1537年には早くも当時のカトリック教会の賛美歌集に収められました。良い歌は、教派を超えて広く用いられるという好例ですね。メロディーはルターによるものではありませんが、15世紀にはザルツブルクで歌われていたようです。

増補6番「これこそ聖なる十の戒めよ」

 言わずもがな「十戒」をテキストとするカテキズム(教理問答)コラールです。ルターは、子どもたちにもまた大人に対しても、生涯にわたって信仰教育が必要であると考えていました。そのために産み出されたのが、ルーテル教会員なら誰でも一度は学んだことがある『エンキリディオン(小教理問答)』です。然り、エンキリディオンとは「必携」と言う意味ですから、洗礼や堅信の時だけでなく、信仰生活を全うするまで私たちは常にこれを傍に置いて学び続ける必要があるのです。ルターもそれを強く願っていたのでしょう。『エンキリディオン』の筆頭に収録された「十戒」を歌えるようにしました。私たちは字面を追うだけではなかなか頭に入ってきませんが、それが歌になるといつの間にか覚えてしまうものです。ルターがこの賛美歌のために書き下ろした歌詞は、『エンキリディオン』のテキストそのもの。旋律は、15世紀には歌われていたエルサレムの巡礼歌に由来します。十戒を一つずつ丁寧に学んでいくように、この賛美歌も1節ずつそのつど取り上げて歌うのも良いでしょう。

世界の教会の声

浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)


「義認の教理に関する共同宣言」その後
LWF、20周年記念版の出版

今から4年前、2017年の宗教改革500年記念は、現代を生きるルター派クリスチャンの信仰の記憶に深く刻まれたことと思います。実はもうひとつ、ルター派の信仰の歴史に残る大きな出来事がありました。こちらは神学に関する話題だったために、一般にはそれほどの広まりはなかったかもしれませんが、今から22年前の宗教改革記念日、1999年10月31日にドイツのアウグスブルクで、ルーテル教会とカトリック教会が交わした「義認の教理に関する共同宣言」です(Joint Declaration on the Doctrine of Justification、頭文字をとってJDDJ)。救いは神からの賜物という信仰の根幹に関わる解釈について、これまで分裂していた歴史を解決しようと両教会が歩み寄り、署名した合意文書のことです。その後何らかの進展があったのかどうかが気になるところですが、この歴史的宣言を他教会が受け入れたことについては、あまり知られていません。
 ルーテル世界連盟(LWF)のように他教派にも世界規模の教会連合組織がありますが、世界メソジスト協議会が2006年に、全聖公会中央協議会が2016年に、そして2017年に世界改革派教会共同体がJDDJを受け入れました。そしてこれら五つの教会連合体は、1999年から20年後の2019年3月に米国ノートルダム大学に代表を派遣、共同声明を発表し、JDDJについての合意を再確認したのです。それが「義認の教理に関する共同宣言」20周年記念版です。英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語に翻訳されています。内容は、以下のような構成となっています。

・署名した各教会団体代表者連名の前書き
・元々の義認の教理に関する共同宣言と公式共同声明と公式共同声明への付属文書
・世界メソジスト協議会(World Methodist Council)の「義認の教理に関する共同宣言」についての声明
・全聖公会中央協議会(Anglican Consultative Council)の決議16.17「義認の教理に関する共同宣言」
・「義認の教理に関する共同宣言」についての世界改革派教会共同体(World Communion of Reformed Churches)の関わり
・ノートルダム協議会声明(Notre Dame Consultation Statement)

 20周年版は、教会の相互理解に向けての確かな進展があったことを証しています。
(「義認の教理に関する共同宣言」20周年記念版はこちらのサイトからダウンロードできます。)

パンデミックの中の教会 西教区の取り組みから

竹田大地(西教区書記・伝道奉仕部長・西宮教会・神戸東教会・神戸教会牧師)

  西教区においては、特に関西圏を中心に多大な影響を受けた。まん延防止等重点措置下での各教会の判断は、まちまちであったが、緊急事態宣言下においてはすべての教会が礼拝堂に集っての礼拝を自粛せざるを得ない状況となった。また、関西地区以外の東中国地区、西中国地区においても、当該地域における感染者の状況によって礼拝の自粛などの対応を余儀なくされた。

 特に2021年は関西地区における状況が芳しくなかった。2回目~4回目のいずれも多少の発令追加のタイミングのズレはあったものの200日前後であり、1年の半分以上の日々が緊急事態宣言下にあり、首都圏同様に大変な状況に置かれ、礼拝においても既に半数近くの主日が自粛となっている。
 この間、西教区内の各教会は、Facebook・YouTubeでの配信など新しいツールを用いる教会、毎週の週報・説教要旨発送、メールでのお知らせなどでカバーする教会と対応は一定ではなかったが、各教会の状況に合わせて牧師、役員会で判断されていた。

問題点として、
①新しいツール、特にインターネットを用いての礼拝は技術的差異、機材の差異などが大きく影響。
②インターネット配信をしない教会の通信輸送料の増加。
③明確な基準が無く、各教会の判断にまったく委任されていること。
④複数教会兼任の牧師の県外移動の問題(心理的、健康的不安、忌避感)。緊急事態宣言当該地域、教会の地域での患者発生のために県外の担当教会に行けない事態の発生。
 特に④については、広範な地域を担う兼牧において、緊急事態宣言地域、感染者増加地域のため思いがあっても礼拝に行けない、執行できないということが生じている。これは首都圏、関西圏の牧師とは一線を画す事態であると言える。
 いずれにしてもこのような状況下においていかに礼拝を担保するかが課題であり、各教会とも新しい取り組みを余儀なくされた。また西教区においては関西地区と東・西中国地区とでパンデミック下の在り方についてコントラストが大きかったように思う。

ブックレビュー


「わかちあいの食卓」
小泉基著(かんよう出版2021年)

秋山 仁(豊中教会牧師・喜望の家代表)

  2016年4月14日と16日、2度にわたる最大震度7の地震が熊本地方を襲いました。熊本市に隣接する益城町を中心に大きな被害がもたらされた「熊本地震」。このとき、熊本市内でも被害の大きかった東区にあったのが、著者小泉基牧師が当時牧会していた健軍教会でした。2度の大きな揺れにもかかわらず、健軍教会は、幸いにしてしっかりとした基礎工事のおかげでびくともせずに、「避難できます」という張り紙を出したそうです。
 2度目の大きな揺れの後、著者も家族共々、教会の駐車場で、近所から避難してきた人たちと一緒に、不安の夜を明かします。が、その翌日から、とりあえずの「私設」の避難所として、教会堂を開放することになります。その後四十数日間、健軍教会は、地域の避難所として、また地域への生活復旧支援の拠点として、活動を続けました。

 本書「わかちあいの食卓」は、このときの避難所開設から、その解消までの日々、牧師であった著者が経験したことを通して、聖書を読んでいった一つの記録です。著者は被災直後から、SNSを通して、被災地や避難所の様子を発信していました。それらの発信された情報が 本書の下地になっています。(小泉牧師のブログの日録は、地震発生の翌年に健軍教会がまとめた「あの時わたしは-熊本地震と健軍ルーテル教会」という文集に収録されています。)
 「わかちあう食卓」という題名から明らかなように、本書は避難所での食事や食卓の出来事、あるいは最寄りの小学校で行った炊き出しなどを中心に記述されています。印象的な記事の一つは、教会の駐車場で摂った最初の朝食です。教会の女性会の方たちが、「『何はなくともまず朝ごはん!』と食卓の準備に向か」い、「ペットボトルの水とお米とみそ、それにありあわせの乾物」で用意されたおにぎりとお味噌汁。教会の駐車場で、「避難して来られ、寒さの中で共に夜を明かしたご近所さんと信徒さんたち20人ほど」で囲む食卓で、小泉牧師は、詩篇23篇5節の言葉を連想しています。

 また、被災2日後の礼拝で行った「愛餐(アガペーミール)」でのパンのわかちあい(しかも避難者から提供されたチョコパン)も印象的です。それは、「分かち合うことで、共に支え合う存在になる」という著者の言葉とともに、教会という共同体が、原始教会以来保ってきた「パン裂き」を中心としたものであることを、想起させます。各章は、また避難所の経験を通した聖書の言葉の解き明かしにもなっています。「わかちあうこと」を中心に、避難されていた方々に寄り添いながら、健軍ルーテル「避難所」は活動していました。

 本書は、教会が本来潜在的に持っている地域の中での役割を、あらためて教えてくれます。教会が地域における防災拠点の一つとなっている、その実際の姿が垣間見られます。地域防災の観点からも、ぜひ本書を手に取られることをお勧めいたします。

JELAが財団法人として出発

古屋四朗(一般財団法人JELA理事長・日吉教会)

  このほど、JELAは日本福音ルーテル社団(Japan Evangelical Lutheran Association)という名称の社団法人から、財団法人に転換し、「一般財団法人JELA」となりました。
 ルーテル・グループには多くの法人がありますが、JELAは1909年創立の一番古い法人です。創設当初は、アメリカのルーテル教会から来た宣教師たちの社団法人でした。戦前にできた教会、学校、福祉施設などの大半は、この社団法人の中にありました。
 しかし軍国主義の足音と共に、ひとつは敵国・アメリカの影響を排除するため、ひとつは宗教をも国の統制下に置くために、教会も学校も施設も分離させられ、宣教師は追放、宣教師社団は日本福音ルーテル社団と改名させられました。戦後は、教会・学校・施設の再建が、社団を通して米国教会からの莫大な援助を得て行われました。それが一段落して、日本の教会が経済的自給に踏み切ると、社団は宣教師会の土地や建物の管理団体という存在になりました。
 1985年に一人の国際難民のお世話を始めたのが、社団が新たな存在意義に目覚める契機になりました。やがて木造アパートを購入して本格的な難民シェルターを始めました。一時は社団法人を解散してはという話もあったのですが、戦前から社会に大きな貢献をしてきた信用を活かして、教会ではできない公益活動をする団体に変身しようと決め、次々に新しいプログラムを始めました。国内外のパートナー団体との提携により、少ない職員で幅広い活動を展開しています。
 次の目標は、公益法人になることです。公益法人になると、公益団体として高い信用を得ることができ、寄付者にも税制特典を提供できます。ルーテル教会の身内の団体ではなく、隣人愛に共感するすべての方々に参画していただける組織になります。しかし一方で、理念や運営体制は今後もルーテル・グループの一員として安定させたい。そこで、法人形態を財団法人に転換した上で、幅広く継続的な寄付者を募り、この方々には「JELAサポーター」として参画していただくことにしました。また、正式名称からあえて「ルーテル」を外しました。
 「JELAサポーター」は、毎月または毎年一定額の寄付を通じて、継続的にJELAを支えてくださる方々です。金額は、高校生でもできる年額千円から、月額1万円まで、お気持ちで決めていただきます。JELAのホームページから登録できるので、あなたもJELAサポーターになっていただけませんか?


JELAミッションセンター1階ホールにあるステンドグラス。マタイ伝25章にある、飢えた人、渇いた人、旅人、裸の人、病人、牢にいる人に手を差し伸べる様子を描いている

第7次綜合方策の紹介⑺

事務局長 滝田浩之

■方策本文より

第7次綜合方策主文
2.宣教態勢
⑴個々の教会

 日本福音ルーテル教会の宣教態勢は、個々の教会の宣教活動、それを支える教区による共同の宣教活動、さらに包括的に補う形で全体教会(本教会)の宣教活動により成り立っている。
①共同宣教
 宣教の第一線は個々の教会であるが、それぞれに日本福音ルーテル教会の宣教の働きと責任を担っている。それゆえ、個々の教会と教区及び本教会が連携するために、日本福音ルーテル教会として宣教を担い合っている意識と一致が根底に保たれる必要がある。
②自給と教会形成
 個々の教会が宣教する教会であるために、基本姿勢として自給を目指すことを前提として教会形成が目指されてきたが、それぞれの置かれた状況により個々の教会の共同により自給が果たされている現状がある。包括的には教区自給の態勢で進められている。
③適正規模
 個々の教会の適正規模というものは存在しないが、宗教法人格のある教会の場合、役員の構成メンバーが3名を切った時、法人格を維持できないことを鑑み、現実的に役員の任を果たすことができる役員5名の選出が難しい状況に陥った場合を一つの目安として、あえて伝道所(集会所)となること、あるいは建物の維持に困難を覚える場合、閉鎖、家庭集会として再出発できる。何よりも牧会が充実するためのあり方として、組織のあり方、多様な礼拝の持ち方があることを確認する。教会種別のあり方も含めて、規則も整備を進める。

⑵教区
①教区の責任
 教区は与えられた地域での宣教と、そこに置かれている個々の教会の伝道を推進する責任を有する。
②宣教拠点の適正化
 各教区の歴史及びそれぞれの宣教計画の独自性を尊重しつつ、地域の協力態勢の構築と教会間の共同を進めるために、今後も教区レベルで取り組んでいくこととする。(全体教会としては個教会の編成時のガイドラインを規則化と共に整えることとする。この場合文化庁の不活動宗教法人への対応を参考とする。)
③主日礼拝
 個々の教会における共同、地区での共同による、兼牧、連立という兼任態勢にある教会の主日礼拝に関しては、日曜日のみに限定しない。また、毎週主日礼拝が行われることが望ましいが、個別の教会、あるいは地域によっては隔週、月1回程度であっても「魂の配慮の場」として礼拝が行われる場合、これを主日礼拝として理解する。

⑶本教会
①本教会事務局
 全体教会の実務を担う機能を果たすために、以下の点に留意する。
a.責任と権限の明確化(本教会、教区)
b.適正人数で処理可能な態勢の確立(効率化)
 事務局、室体制について、より一層の職員のスキルアップに取り組む。これまでの事務局2名体制の維持は困難であり、事務局長も含め個教会との兼務も視野にいれておく必要がある。
c.宣教の責任主体は個々の教会及び教区であることの堅持

■解説
 「1.基本方針」に続き「2.宣教態勢」が確認されます。
 日本福音ルーテル教会の宣教(伝道)の最前線は、「個々の教会」にあります。そして「個々の教会」は孤立無援に、それに当たるわけではありません。日本福音ルーテル教会は、この働きを「地区・教区・本教会」が支えることを確認しています。この「支え」は牧師数が教会数と合っていた時代は、特別協力金による牧師給の相互支援という態勢によるものでした。しかし経済的な相互支援は、この相互の「支え合い」が見えにくい側面もあったかもしれません。
 しかし「個々の教会」が教勢の低下の中で信徒数や献金額が減少しています。また牧師数減少もあり居住しての牧師が与えられない状況が恒常化しています。このような「個々の教会」の危機が、この「支え合い」を目に見えるものにしていることを私たちは覚えたいと思います。困難にある「個々の教会」を地区の教会と牧師は、これを支えることを自明のこととして兼牧を受け入れてきました。このようなことは「各個教会主義の連合体」ではあり得ないことです。牧師を送り出す教会も、そして兼牧を受け入れる教会も「包括的」な一つのルーテル教会であるという認識があるからこそ、これを可能にしてきたのです。もちろん、このような兼牧体制の中で、礼拝時間をずらす礼拝所もあります。あるいは主日礼拝の曜日を変更する礼拝所もあります。あるいは牧師が司式する礼拝は月1度程度になっている礼拝所もあります。礼拝所の閉鎖に伴い、家庭集会となっているところもあります。このような兼牧を通して教会合同に至った教会もあります。その後、時間の経過の中で礼拝所を1カ所に集約し、残った礼拝所を売却し、集約した場所に新たな会堂を建てた教会もあります。
 もちろん「個々の教会」が成長することが綜合方策の目指すところです。そのための綜合方策です。しかし、この成長のために必要なことは「魂の配慮」、牧会の充実にあります。その意味で本方策は、「個々の教会」、そしてそこに集う一つの魂のために、近隣の教会同士が支え合うことを宣教の後退とは捉えません。いえむしろそのように「共に集まること、共に触れ合うこと、共に分かち合うこと、共に助け合うこと、共に訪ね合う」道筋にこそ、宣教の前進があると考えているのです。

「ありがとう神さま」~みんなでつながろう! Zoomでルーテルこどもキャンプ報告

池谷考史(TNG子ども部門・博多教会・福岡西教会牧師)

 毎年夏に2泊3日で行われていたルーテルこどもキャンプは、8/9(月・祝)に、昨年に引き続いてオンラインで行われました。
 昨年から日常生活のあらゆることが制限され、直接顔を合わせることも難しい状況だからこそ、そんな日常で子どもたちが見つけた「ありがとう神さま」の気持ちを、参加者がそれぞれ持ち寄って、「つながり」を持ちたいと願ってのことでした。
 当日は、青年のリードでの讃美、アイスブレイクのゲームなどの後、参加した子どもたちと青年に「神さまありがとうと思うこと」を分かち合ってもらいました。子どもたちは画面上での初対面ということもあり、少し緊張気味ではありましたが、キャンプ卒業生の青年たちが盛り上げてくれたこともあり、楽しく過ごせたのではないかと思います。
 コロナ禍の中、こどもキャンプのあり方も大きく変わりましたが、このキャンプが子どもたちの心に残り、友達や教会、神さまにつながってくれればと願っています。
 今回のキャンプのために、案内告知してくださった方、スタッフとして快くお手伝いくださった方、お祈りに覚えてくださった方など、すべての方に感謝いたします。参加した子どもたちが感想を寄せてくれたので紹介させていただきます。

♣初参加でした。「神様に感謝すること」は毎日元気でいられることです。コロナがおさまったら今度はみんな集まって一緒に遊びたいです。(I・Hさん むさしの教会 小学5年)

♣最初は緊張したけど、色んな人と話していくうちに、緊張が解けて、楽しかった。
 みんなとの交流を深められて嬉しかった。来年のこどもキャンプはみんなと会えるといいです。(M・Mさん 栄光教会藤枝礼拝堂 小学5年)
 
♣ぼくは、ルーテルこどもキャンプに参加して、たくさんの仲間に会えて、とてもうれしかったです。主に感謝します。(A・Sさん下関教会 小学6年)

♣今までは帰省のためにキャンプに参加できませんでしたが、今回は参加できて楽しかったです。他地域の教会の皆さんと交流出来て良かったです。(I・Hさん 東京教会中学1年)

日本福音ルーテル教会作成週報用紙・チラシ・ポストカードをご活用下さい。

 昨年お知らせいたしましたとおり、在庫整理にあたり、以下の日本福音ルーテル教会作成週報用紙・チラシ・ポストカードについて特別に送料のみのご負担でお分けいたします。在庫がなくなり次第、終了となります。ご了承下さい。
★ポストカード「ベツレヘムの星」(絵・葉祥明氏)
★バンドパンフレット「ガリラヤの湖畔にて」(絵・葉祥明氏)
★B5週報用紙「ベツレヘムの星」(絵・葉祥明氏)
★B5チラシ「飼い葉桶(文字無し)」(絵・葉祥明氏)
★B5チラシ「ベツレヘムの星(文字入り)」(絵・葉祥明氏)
★A4週報用紙「飼い葉桶」(絵・葉祥明氏)
 お届けまでに2週間ほど頂きます。予めご了承ください。在庫確認等、問い合わせ・お申し込みは事務局までお願いいたします。
電話03(3260)8631

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