るうてる2021年2月号
「祈りで支え合う」
日本福音ルーテル松本教会・長野教会牧師 野口和音
「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカによる福音書22章31〜32節)
ルカ福音書の中で、祈りは特別な意味を持っています。キリストがエルサレムへと向かう旅路の中で、大きな節目ともいえる時には必ずと言っていいほど祈るシーンが挿入されているからです。そのほかにも何度もキリストが祈りに向かう姿が描写されていきます。神の御子であるお方でさえ、その信仰に生きる歩みには祈りが欠かせないことを、キリストはその背中から語ってくれているように思います。
昨年松本教会と長野教会では、新型コロナウイルスの感染対策のため、約2カ月間、集う形での礼拝を中止しました。会堂で共に祈りを合わせることができなくなり、家庭礼拝用の式文や説教原稿等をお送りしたり、説教音声をインターネットを通じて配信するようになりました。
その反面で、同じ場所に集えないことで共に祈りを合わせているという実感が薄く感じたり、祈りを一つにするために何が出来るだろうかと問い続ける日々が続きました。
そのような中、昨年一度も教会に来ることのできなかった方からお手紙をいただきました。「先生が送ってくださる説教原稿をお読みしながら、毎日祈りを守ることが出来ました」と書かれているのを読み、いかに自分が自らの思いばかりに囚われていたのか気付かされました。
礼拝は神様から私たちへの奉仕と言われます。私たちが一堂に会することができずとも、それぞれの場所において一つの祈りへと導かれていくのは、まぎれもない神様のわざであるのだと思います。その神様の働きを信じ委ねることを通して、たとえ礼拝のかたちが変わろうとも、時間と場所を超えて一つの祈りとされているという確信が与えられた出来事でした。
ペトロは最後の晩餐の時、力強く「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と告げています。しかし実際にはキリストの十字架から逃げ出し、信仰の挫折を味わうことをキリストは知っておられました。だからこそ先んじてキリストはペトロのために「信仰が無くならないように」祈ってくださったのです。
ここで注目したいのは、キリストの祈りが「ペトロに降りかかるサタンの試練が取り除かれるように」祈られてはいないということです。それは、ペトロの人間的な弱さにこそキリストが寄り添ってくださったからではないでしょうか。
「三度わたしのことを知らないと言うだろう」と予告された通りに裏切ってしまい、ペトロは後悔の中で「激しく泣いた」(ルカ22・62)と記されています。しかし同時に、そのような弱いペトロのために先んじてキリストが祈ってくださっていたことも、彼は思い出したかもしれません。
キリストの祈りに込められた、ペトロの弱さに寄り添う愛に支えられることで、ペトロの信仰は繋ぎとめられていったのではないでしょうか。
キリストはペトロに続けて語られます。「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」その言葉の通りに、ペトロはキリストの復活と昇天の後、迫害の中にありながらも力強く証をし、共同体を支える信仰者として立たされていきました。その共同体には絶えず祈りが溢れていたことを、ルカ福音書に続く使徒言行録は記していくのです。
このような教会の在り方は、今なお変わってはいないのだと思います。かたちを変えながらも礼拝という祈りが守られる恵みに加え、信徒の方々に電話をかけたり、手紙を送りあうことが増えました。そこでなされる祈りと、「祈っています」という言葉が、どれだけ慰め深く私たちを今日まで支えてきたでしょうか。まさに祈りは私たちの中心にあります。この試練の中を歩み続ける私たちの信仰を支えるために、まずキリストが祈りをもって執り成してくださっています。そして、互いに力づけるようにと教えておられるのです。私たちも絶えざる祈りを通して、主によって一つとされる共同体として、この時を共に乗り越えていきたいと思います。
エッセイ「命のことば」 伊藤早奈
⑪「どうして」
「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」(コリントの信徒への手紙二12・10)
「あなたは強いですね。」私は入院してベッドにパジャマでいてその方と一緒にいたときにその方から言われました。「えっなんで私が?」本当に不思議でたまりませんでした。でもその方の私に向けられた真剣な眼差しは今でも忘れられません。私が強い?体が大きいから?その方の力仕事をお手伝いしたわけでもないのに。それは何年も前の入院のときの話です。その方の病状は悪くなるばかりで日に日に口数が減っていきました。一方私は年数回の入院を必要とし年々障害は重くなって行きます。
自分が思ってもないときに「強い」って言われたとき強いのはもしかして私と共におられるイエス・キリストなのかな?と思いました。そしてしばらく後「イエス様が私を通して働かれて下さったのだ」と確信し、とても嬉しくなりました。
「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」
私に「あなたは強いですね。」と言われた方と今は連絡はお取りしてませんが、きっとその方ともイエス様が共におられると思います。
議長室から
永遠の今~「クロノス」と「カイロス」
総会議長 大柴譲治
何事にも時(クロノス)があり/天の下の出来事にはすべて定められた時(カイロス)がある。」(コヘレトの言葉3・1 括弧内は引用者による挿入)
ギリシャ語には「時」を表す単語が二つあります。「クロノス」と「カイロス」です。前者は時計で計測可能な「時間」を、後者は「時」や「機会」を意味します。コヘレトの言葉3章は二つの「時」を告げています。旧約のギリシャ語訳(七十訳)では前者が「クロノス」、後者が「カイロス」と訳されます。ギリシャ語は二つの語によって両者が異なる概念であることを明確にしています。
では両者はどのような関係にあるのか。私見ですが、クロノスとカイロスは交差関係にあるように思われます。「クロノスとしての人間の歴史」を垂直に断ち切る「カイロスとしての神の時」がある。それは私たちの人生に神が垂直に天から介入してくる瞬間、「永遠の今」とも呼ぶべき「神の時」です。
旧約の「出エジプト」や「バビロン捕囚」を想起してみてください。苦難の中でも私たちは「今、ここ」において永遠なる存在とつながって生きるのです。「永遠」とは「永続する時間」「終わりのない無限の時間」ではなく、「いつどこででも妥当する神の現実(present moment)」を意味しています。コヘレト3章はこの世の歴史や私たちの生育歴の背後に神の摂理を見てゆく視点があることを告げています。
私は多感な青年時代に読んだ『口語訳聖書』(1995)の「神のなされることは皆その時にかなって美しい」(伝道の書3・11)という訳を忘れられないでいます。『文語訳』(1887)は「神の爲(な)したまふところは皆その時に適(かな)ひて美麗(うるは)しかり」となっていました。ですから『新共同訳』(1987)の「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる」という訳語に初めて触れた時には失望感を味わいました。慣れ親しんでいた「美しい」という語がなくなっているではありませんか。私の中ではそれは「時よ止まれ。お前は(そのままで)美しい」(ゲーテ『ファウスト』)という語と重なっていたのです。「美」という語にこだわるのは青年時代の私が「美」や「愛」の探求に夢中になっていたためでもありましょう。
新しい『聖書協会共同訳』(2018)ではこう訳されています。「神はすべてを時に適って麗しく造り、永遠を人の心に与えた」。このように四つの訳を比較すると翻訳は一つの解釈ということがよく分かります。その奥行きが見えてくる。そこに歴史というクロノスにクロスする神のカイロスを深く感じるのは私だけではありますまい。
いかがでしょうか。
「教会讃美歌 増補」 解説
⑧讃美歌委員からの声⑶
讃美歌委員会 萩森英明(むさしの教会)
この度、教会讃美歌の増補版の編集にあたり、讃美歌委員会の一員として末席を汚させていただきました萩森英明と申します。私自身、音楽(特に作曲)を専門に勉強しておりましたので、そのような観点から参加させて頂きました。
委員会では、讃美歌や礼拝学、牧会学に造詣の深い諸先生方の様々なお話を伺うことができ、とても得難い経験をすることが出来ました。感謝申し上げます。
ただ2017年頃から、私自身の仕事が忙しくなってしまったこと、また個人的にも結婚や妻の出産などで時間の余裕がなくなり、会議に出席できないことが増え、編集の仕事に穴を空けてしまい他の委員の皆さまにご負担をかけてしまったことを大変申し訳なく思っております。
私は所属しているむさしの教会で聖歌隊指揮者として奉仕をしておりまして、奉仕曲の選曲は重要な仕事の一つです。その際に常々思うことは、もっと新しい讃美歌が欲しい、ということと、歌いやすい日本語で歌詞の内容が歌い手にも聴き手にも自然に伝わる歌が欲しい、ということです。
もちろん既存の讃美歌集にも素晴らしい曲は沢山ありますし、内容も普遍的で、後世に歌い継いでゆくべき曲ばかりです。ただ、ややもすれば歌詞の表現が古かったり、メロディーが格式高すぎるために、少し馴染みづらく、現代の私達の自然な表現に合わないことがあることは否定できません。
その点で、この増補版には新しい曲、我々になじみ易い内容や表現の日本語、また日本人の作詩、作曲による歌いやすい曲などが、数多く収められています。私自身も聖歌隊の選曲の幅が広がる事に大変期待しております。
ただ、新しい讃美歌というものは、どうしても慣れ親しんだ曲に比べると不自然に感じ、歌いづらく、使いづらいと感じることもあるでしょう。私も、ただいたずらに新しい曲をどんどん使えばよい、と考えるわけではありません。
しかし、新しい讃美歌にも普遍的な内容をもち、沢山の人に親しんでいただけるものは沢山あります。古い=普遍的、新しい=移ろいやすいもの、とは限らないのです。この曲集の中の曲が、沢山の皆さまに歌われることを願ってやみません。
私たちの礼拝 —式文ハンドブック—
⑦派遣・世界へ開かれる礼拝
式文委員会 多田 哲(日吉教会牧師)
今回は新しい礼拝式文の派遣についてです。現行の礼拝式文(いわゆる青式文)においても礼拝の第5番目の部として「派遣の部」がありますが、今回の式文改定では派遣の意味がより明確に分かるようになっています。現行の礼拝式文の冒頭で「開会の部」となっている部分が、新式文においては「招き」となっていることにも示されているように、私たちは神によって礼拝に招かれ、そして、礼拝から祝福を携えて世界に派遣されていきます。今回の式文改定では、この点を強調しています。
今まで、もしかしたら私たちは礼拝に「行って」、礼拝が終わったら家に「帰る」という意識が強かったかもしれません。教会の礼拝堂で行われる礼拝に参加することで完結してしまっていたかもしれません。
しかし、神の奉仕としての礼拝は礼拝堂の外へと続いています。私たちはそれぞれの生活の場から呼び集められ、再びこの世界の中で共に生きる隣人のもとへと送り出されます。礼拝は礼拝堂の中で完結しているのではありません。私たちは「帰る」のではなく、「派遣される」のです。このことに重点を置き、新式文では「私たちは行きます。神の助けによって」、あるいは「私たちは分かち合います、恵みを。伝えます、福音を」という言葉で礼拝堂を後にします。
現行式文では祝福の後に「終わりの歌」が配置されていますが、これは派遣の歌として祝福の前に移されました。祝福に対する応答として、私たちは喜びと希望とをもってすぐさま世界へ出ていきます。この会衆の応答という点も新式文で重点が置かれています。
現行式文では「奉献の部」として「聖餐の部」の前に配置されていた部分が新式文で派遣のところに移されたことは、その大きな特徴です。聖餐の前に奉献を行うことは宗教改革以前からの伝統ですが、中世においては奉献が犠牲の捧げものとして扱われ、イエス・キリストの十字架の意味を不明瞭にしてしまいました。
奉献は私たちが神に何かを捧げる行為ではありません。キリストの恵みに対する感謝の応答として、捧げものがあります。そのことを明確にするために、また、私たちが恵みを携えて送り出されるということを表すために、聖餐の後、派遣のところで感謝の捧げものをするように変更されました。私たちから神への捧げものではなく、神から私たちへの恵みを隣人と分かち合うということです。礼拝は終わるのではなく、派遣によって世界へ開かれるのです。
パンデミックの中のディアコニア
新型コロナウイルスに対する広安愛児園の取り組み
社会福祉法人キリスト教児童福祉会 広安愛児園
園長 三嶋充裕
日本で新型コロナウイルスの感染が始まったのは昨年の2月位でした。その頃はまさか今のような状況になるなど考えもしなかったことですが。3月の初めから幼、小、中、高の休校が始まり、緊急事態宣言が発令されました。休校期間、子どもたちには外出の制限、帰省の制限、家族の面会制限、3密の回避、マスク着用と手洗い、うがいの励行等考えられるあらゆる手段を用いて感染回避に努めました。
ここまでは幸いにしてコロナの陽性者はおりませんが、現在第3波のまっただ中。県内も毎日多数の陽性者が確認されています。しかし、こんな状況でお正月がやってきますので、本当は帰省も中止したい所ですが、子どもたちにも保護者にも、それを納得させるのはとうてい無理です。ですので、帰省できる期間を12月29日~1月4日までの間と限定し、3泊4日を最長としました。保護者の皆様には3密を避ける行動、マスク着用と手洗い、うがいを徹底するようお願いし、日々の検温と体調管理もお願いすることになります。後はそれらのことをきちんと守っていただき、何事もなく園に帰ってくるのを待つほかありません。
熊本では0~5の6段階のリスクレベルを採用していますが、現在は上から2番目のリスク4です。園ではそのリスクに合わせて、行ける場所行けない場所などを表にまとめ、子ども、職員にその表を配り、それを守るよう伝えています。
私たちの仕事は、子どもたちを支援し守ることです。子どもたちとその保護者、さらには職員と全ての人の意識をコロナ感染予防に向けることが重要ですので、そのことに最大限の努力をする必要があると考えています。
社会福祉法人修光学園のあゆみ
アクティブセンター統括センター長 森 亮(修学院教会)
社会福祉法人修光学園は、1987年に社会福祉法人の認可を得て、1988年に京都市左京区修学院の住宅街に開設されました。修光学園は、その理念に、「キリスト教の愛と奉仕の精神」を掲げて活動をしています。法人としての歩みを進める前、ルーテル修学院教会の建物の一角をお借りして小さな無認可作業所を開き、そこで牧師や教会員の方々との交流が生まれましたが、障がいの有る無しにかかわらわらず、一人の人として尊重されるその姿はまさにキリストの愛の現れであったからです。
さて、新型コロナウイルスの脅威は私たち修光学園の事業にも大きな影響を与えました。利用者は知的な障がいのある方が中心ではありますが、中には身体的な障がい、精神的な障がいを併せ持つ方もいらっしゃいます。身体的な障がいには、手足の障がいの他、内臓機能の障がいもあり、心臓や肺、腎臓など命を司る内臓に疾病を持つ方もあり、感染症に対しては高リスクの方と言えます。また、精神的な障がいのある方や、知的障がいのある方の中には、世界的な感染症の大流行に自身の身の危険を投影し、悲観的になられたり、この先どうなってしまうのかという不安に苛まれる方もあります。氾濫するテレビやネットニュースの内容も大きく影響すると言えるでしょう。
こまめな消毒の実施や換気の実施、マスク着用は当然ながら、緊急事態宣言の発令時には、施設に通わずにご自宅で過ごせる方には自粛をお願いしたり、送迎車の密を避けるためにご家族に送迎の協
力をお願いしたりして感染予防に努めています。皆さんが楽しみにされている行事も多くは中止となりましたが、そのような中でも、クリスマス会は全ての事業所で行うことができました。2部制にしたところ、録画した映像を視聴したところ、礼拝堂を使って実施したところなど、方法は様々ですが、沼崎勇牧師の司式で礼拝し、楽器演奏を聴いたりプレゼントをもらったりと、つかの間の楽しいひと時を過ごすことができました。
今後もしばらくは感染対策を継続することになりそうですが、利用者の皆さんの健康を守るためにも、職員が一番に健康でなければならないという考えも大切にして、神様の御恵みに寄り頼みたいと願います。
世界の教会の声
浅野 直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷・スオミ教会牧師)
「コロナ禍に高まる結束」④
世界ルーテル連盟(LWF)がドイツ・ハノーファーのラルフ・マイスター監督にインタビューした記事(2020年8月7日)の紹介の続きです。
(元の記事のURL)
https://www.lutheranworld.org/news/covid-19-new-awareness-social-cohesion-growing-crisis
「地方レベルでは、これから社会をどう造り変え維持していくべきかを、創造的に考えて作っていくときの力になれます。各教区での実践例がたくさんあります。それらは単に霊的な原動力というだけでなく、村でも都市でも社会の文化的中心地になっています。難民支援活動に熱心な教会もあれば、環境問題に取り組んだり、厳しい境遇にいる人々を助けたり、歌ったり学んだりお祝いしてもらうことが少ない人々にそうした機会を提供するなど、今挙げた例はひとつひとつの教会が行っている活動のごく一部ですが、こうした近隣の人たちへの小さなお手伝いがあります。これが社会全体へと広がっていくことが私の願いでもあります。」
—社会的距離や衛生面のルールが生活に入り込んでいますが、ホームセンターなどは開いていたりするのに、教会は閉じておく必要があったのでしょうか。それがよく理解されていないのでは?
「行政に対して教会は生真面目すぎるという人もいるかもしれません。教会を閉鎖することを私も快く思ってはいません。けれどもどんな決断をするにせよ、納得いくことはないでしょう。かつてなく厳しい環境下に置かれているなか、様々な検討を重ねた結果、教会は人々のいのちを守ることを決断しました。」
「閉鎖を決定したときには、礼拝で歌うといった行為も危険だとは、まだ十分周知されていませんでしたが、もしも礼拝がウイルス感染のホットスポットになっていたとしたら、などと想像だにしたくないです。教会は弱腰だといった批判もあるでしょうが、そこから各教会がどれほど迅速にそして創造的に工夫をこらし、新しいやり方で福音宣教を始めたかということを、忘れないでほしいと思います。」(了)
教会手帳2021訂正のお願い
〈月間カレンダーの訂正〉
月間カレンダー2021年3月
印刷行程上のミスで教会暦の日付表示がずれてしまっておりました。恐れ入りますが左記のようにご訂正をお願いいたします。
3月30日(火)聖月曜日→3月29日(月)
3月31日(水)聖火曜日→3月30日(火)
欄外 聖水曜日→3月31日(水)
〈カレンダーの変更〉
2021年に限り左記の祝日が移動になります。ご変更をお願いいたします。
・海の日 7月19日→7月22日
・スポーツの日 10月11日→7月23日
・山の日 8月11日→8月8日(8月9日は振替休日に)
〈住所録訂正〉
教会手帳住所録22頁【召天牧師配偶者】の森凉子さんのお名前の漢字を誤って記載しておりました。お詫び申し上げますと共に、謹んで訂正させて頂きます。
【誤】森 涼子
【正】森 凉子
オンライン「一日神学校」の感謝とご報告
ルーテル学院大学 学長 石居基夫
例年、秋分の日に開催してきた「一日神学校」。近郊の教会から大勢の皆様に三鷹のキャンパスをお訪ねいただいてきました。しかし、2020年は新型ウイルス禍によって、11月3日(火・祝)の午後、オンラインにての開催となりました。
「いのちを守る」をテーマとして、チャペルでの礼拝に始まり、①江口再起ルター研所長におる「パンデミックとルター・死と向かい合って生きる信仰」、②石居基夫学長、福島喜代子研究科長・田副真美学科長による大学紹介シンポジウム「いのちを守る対人援助の現場と大学」、そして③立山忠浩校長・宮本新専任講師による神学校プログラム「これからの神学校」では、現在学んでいる4人の神学生の自己紹介を含めて、新しい可能性を模索する神学校の今をお伝えいたしました。最後には竹内茂子後援会会長からもご挨拶をいただき、無事、皆様にお届けすることができました。zoomを用いた形で、全国の教会へのご案内を通して個人ででもご視聴いただけましたこと、感謝とともにご報告いたします。
時宜にかなった講演と大学、神学校の様子を知っていただけるプログラムは、皆様からご好評をいただきました。けれども、初めての試みで課題も多く、特にチャペルいっぱいに響くオルガンの素晴らしい演奏が、zoom方式では全くお届けできなかったことは本当に申し訳ないことでした。
同時に別撮影していたもので編集を行い、現在教会で見ていただけるようにYoutube配信しておりますものでは、オルガンも改善されてお届けできていますが、今後に向け、設備・技術を整えていく必要を確認したことでした。
やむをえずの試みでしたが、大学・神学校から色々なプログラムをオンラインで全国の教会や信徒の方々にお届けする可能性を感じることになりた。
三鷹の大学・神学校をより身近なものとしていただけるように、「一日神学校」の新しい形を全国の教会の皆様に向けて整えてまいりたいと思っています。
第27回春の全国ティーンズキャンプ参加者募集
昨年は残念ながら中止になってしまった春キャンですが、今年はオンラインにて開催します!ティーンズのみんなぜひ参加してね!
■日時 2021年3月29日(月)10時~18時(19時~21時で別途参加自由の懇親会を行います)※オンライン会議の特性上、途中参加、途中退席はご遠慮ください。
■対象 12歳~19歳 (2021年4月2日時点)
■テーマ 「I Need You!」
■主題聖句 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネによる福音書15章5節)
■参加費 無料
■申し込み期間 2月28日(日)まで
■申込み方法
以下のURLへアクセスしてください。
https://forms.gle/WV4Kx94r92mvGL2g6
・所属教会の牧師からキャンプ参加の承認を必ずもらってください。
・サイトからの申し込みができない場合、TNG-Teensブログから申し込みに際しての記載事項を確認し、次のいずれかに送ってください。
▼FAX (096)274・1222(大江教会)
▼Eメール harukyan.moushikomi2021@gmail.com(森田哲史)
▼郵便 〒862−0971 熊本県熊本市中央区大江4-20-23
日本福音ルーテル大江教会 森田哲史
■問合せ先 TNG-Teens部門 森田哲史
電話(096)371・4731(大江教会)
■主催 日本福音ルーテル教会宣教室TNG-Teens部門、各教区教育部、日本ルーテル神学校
■協賛 一般社団法人日本福音ルーテル社団(JELA)
■春キャンについて、またTNG−Teensについて詳しくは下記TNG-Teensブログをご覧ください。
https://tngteens.hamazo.tv/
2020年度「連帯献金報告」
2020年度も多くの方々から「連帯献金」に支援を頂きました。感謝して報告いたします。(敬称略・順不同、複数回の献金もまとめての報告となります。)
■2020年 災害支援 1,177,153円
豊中教会、三鷹教会、藤が丘教会、市川教会、神水教会、大分教会、別府教会、大岡山教会、小田原教会、松山教会、聖パウロ教会、静岡教会、田園調布ルーテル幼稚園、九州ルーテル学院、本郷教会、シオン教会柳井礼拝所、阿久根教会、日本ルーテル教団(NRK)、シオン教会徳山礼拝所、刈谷教会、小岩教会、蒲田教会、安藤淑子、日吉教会
■ブラジル伝道 150,000円
健軍教会女性会、小城ルーテルこども園、九州ルーテル学院クリスマス献金、日本キリスト教協議会女性委員会、女性会連盟東教区女性会、箱崎教会女性の会、女性会連盟
■メコン(カンボジア宣教・子ども)支援 20,000円
河田愛子、蒲田教会
■釜ケ崎活動(喜望の家) 30,000円
蒲田教会
■世界宣教(無指定) 157,115円
石田勉、神戸東教会、箱崎教会らぶぴコンサート席上献金、市川教会、八王子教会、国府台保育園、千葉ベタニヤホーム、神戸教会、千葉教会、関野和寛、西東京ルーテル教会、勝又勝郎、重野了子、掛川菊川教会、小澤周司、めばえ幼稚園、一粒の麦、シオン教会柳井礼拝所
今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓に苦しむ方々に連帯したいと祈り願います。「連帯献金」をお捧げくださる際には、それぞれの献金目的[ブラジル伝道][喜望の家][メコンミッション][世界宣教][災害支援]を郵便振替用紙に明記頂き、下記の郵便振替口座にご送金ください。
郵便振替 00190−7−71734
加入者名 (宗)日本福音ルーテル教会