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24-04-01るうてる2024年04月号

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「見ないのに信じる人は、幸いである」

日本福音ルーテル教会引退教職 野口勝彦

「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネによる福音書20・29)

  「青いお空の底ふかく、海の小石のそのように、夜がくるまで沈んでる、昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。」(『童謡詩人 金子みすゞ いのちとこころの宇宙』JULA出版局)

 この詩は、私の初任地の一つである二日市教会で、最初の説教を始める直前に起きた福岡県西方沖地震の日に、説教の中でお話した童謡詩人、金子みすゞの「星とたんぽぽ」という詩の一節です。
 彼女は、自分の愛娘ふさえを夫の手から守るため「ふさえを心豊かに育てたい。だから、母ミチにあずけてほしい」との遺書を残して、自らの命を絶ちました。そして、その命を絶つ前日に自分の写真を写真館で撮りました。その写真には、明日、自ら命を絶つという悲壮感や絶望感は見られません。そこには、娘ふさえが、自分が記した遺書のように「心豊かに育ってほしい」という願いと希望が溢れています。
 また、1988年10月9日、55歳の若さでがんにより天に召された国際派ニュースキャスターの山川千秋さんが、ご自分の愛妻穆子(きょうこ)さんに残された遺書の最後で「すべてを主にゆだね、二人の息子を信じてたくましく生きてください。あなたなら、それをやってくれる。なにより、三人には、主の愛の衣があるではないか。感謝と、はげましと、愛をこめて」(『死は終りではない: 山川千秋・ガンとの闘い180日』文藝春秋)とつづられた中には、自分の死を目前に見つめながらも、その死への不安と恐怖はみられません。そこには、ただ、主への信頼と感謝、また、妻への信頼と感謝のみです。
 この二人に対し、このみ言葉に登場する「ディディモと呼ばれるトマス」のその姿は、全く対照的です。トマスは、「ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言う」言葉を聞くと、即座に「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言うのです。
 しかし、トマスも実際に、イエスさまが自分たちの「真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われ」、「それから、トマスに」、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われると、即座に「わたしの主、わたしの神よ」と信仰を告白します。
 「聖トマスの不信」という題のカラヴァッジオの絵画の中での彼は、実際にイエスさまの釘跡に指を入れてその傷を確かめていますが、このみ言葉の中のトマスは違います。彼も、本当はイエスさまを他の誰よりも強く求め、会いたいと心の底から思っていたのでしょう。
 イエスさまは、そのトマスの信仰告白に対し「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と言われます。
 このトマスの姿に出会う時、私たちは自分自身の姿をそこに見ることはないでしょうか。自分の目で、耳で、手で、イエスさまを確かめることができない時、自身の信仰に自分の感覚を通して実感が持てない時、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ」とトマスのように言ってはいないでしょうか。また、心の中で密かに思っていることはないでしょうか。そんな時、イエスさまが、このトマスのように私たち一人一人の前に現れて「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と言われるのです。
 「幸い」、それは、「神からの力を得る」ことです。それは、すべての不安や恐怖から解放された至福の状態に至ることです。そして、それこそが信仰を、救いを得ることなのです。
 イエスさまは、全ての人にその信仰を、救いを得てほしいと、復活された今、私たち一人一人に直接、語りかけてくださっているのです。
 冒頭の詩は次のように結ばれます。
 「散ってすがれたたんぽぽの、瓦のすきに、だァまって、春のくるまでかくれてる、つよいその根は眼にみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。」(『童謡詩人 金子みすゞ いのちとこころの宇宙』JULA出版局)

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊾「つながり」

「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」(ヨハネによる福音書15・4)

 「一度もお会いしたことないのに二人は大切な存在同士になってて不思議ですよね。」
 その方とのメールの交流は昨年の5月から毎日続いております。メールの最後には必ず「お祈りしております。」と付け加えます。そうすると不思議と祈っているのは私一人ではないと思うし私が祈っている相手の方も一人ではなくイエス様がその方と一緒にいてくださると思えます。

 「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイによる福音書18・20)
 ずっとこのみ言葉は、例え私が一人で祈っているのだと思ってもイエス様が共にいてくださり一人ではないんだな、イエス様と私で二人だもんと思っていました。でもそれだけではなかったことに今気づき感激しています。
 祈りには距離は関係ありません。ましてや相手の容姿や国や身分も関係なくただあるのはイエス様が中にいてくださることだけです。
 一度もお会いしていないのに毎日メールで言葉を交わしているだけなのに親しいと思えるのはイエス様が二人の中にいらっしゃるからなのかしら、と思うとき祈りでつながるお一人お一人の中には確かに顔は知らないけど祈っている方もおられるなと思い出しました。
 すごいですよね全く意識もしてなかったような人も祈りの対象になった途端イエス様が中にいてくださることを思い出し親しくできるなんて。
 「お祈りしております。」という言葉って呪文でもなんでもなくて「あなたは大切な人です。」って神様が言われていることを伝えるお手伝いの一つなのかな。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑪

日本福音ルーテル 聖パウロ教会 宇野仰(日本福音ルーテル聖パウロ教会書記)

 東京スカイツリーから総武線を挟んだ反対の南側にある聖パウロ教会は、1923年に関東大震災の罹災者救援の施設「ホーム」として開設されたベタニヤホームがそのルーツとなっています。この地域は1945年にも東京大空襲で壊滅的な被害を受けました。その後「ホーム」の礼拝から本所伝道所が生まれ、1955年に聖パウロ教会と命名され、ベタニヤホームに隣接した教会堂が建てられて現在に至っています。
 来年の2025年に70周年を迎えますが、私たちの教会では、会堂の老朽化と会員の高齢化という課題を抱えています。具体的な方策を検討していくためにも、ベタニヤホームとの協働、地域への働きかけを更に進めてゆく必要を感じています。
 聖日ごとに子ども礼拝、主日礼拝が問題なく執り行われてきた当たり前の日常が、諸般の問題によって、変化を余儀なくされてきました。単に礼拝に出席するという姿勢からさらに踏み込んで、教会員一人ひとりが意識して、今後の教会運営をどうしてゆくかを考える必要性が高まってきました。役員会では共同牧会も視野に入れて話し合いが行われており、総武地区の諸教会とも緊密な関係を築いていく必要性を感じています。
 幸いなことに年間を通じて新来会者も少なからずありますので、新しい方を迎え入れる手段の一つとして教会員が積極的に声をかける姿も目立ってきました。
 聖パウロ教会はCOVID―19で教会員が会堂に足を運ぶことが困難だった時に、いち早く環境を整え、教会員の各家庭とインターネットを通してのZoom礼拝を守ってきました。そしてそれはコロナの影響が減少した現在でも続いており、また毎週水曜日に行われる聖書会は、午前中は教会で、夜はZoomを使って、各家庭と結ばれわかちあいの時をもっています。
 特に東京の下町と呼ばれる地域では防災など、緊急事態が起こった時に近隣との連携はなくてはならないものになるでしょう。さまざまな問題を抱えるこの世界の中で、与えられたこの場所において主のみ言葉が正しく宣べ伝えられることを祈ってやみません。

小城ルーテルこども園
牧野惠子(小城ルーテルこども園 園長)

 私たちは、9年前に、幼稚園から認定こども園へとかたちを変えました。小城の地に1909年、宣教師C.K.リッパード氏により幼児教育の灯が灯されました。九州における幼児教育の先駆けであり、ルーテルでは佐賀幼稚園に次ぐ歴史です。幼子たちと共に神の恵みの内にバトンを受け継ぎ創立115年目を迎えています。本年3月までに送りだす卒園生の数は5529名です。ある卒園生が提案して始まった「幸せのクリスマスの灯り」は、毎年、地域の方や園児、卒園生が家族で楽しみに待っている行事です。その夜は卒園生によるページェントを含むクリスマス礼拝をした後、参加者皆で、園庭に並んだ5000本のろうそくに火を灯していきます。みんなの心が温まるひと時です。
 園庭には、宣教師が母国の木を植樹したであろうユリノキが園のシンボルツリーとして大きく枝を伸ばしています。夏には木陰を作り、子どもたちの泥んこ遊びを見守り、秋には色づいた葉や木の実を落とし、子どもたちの宝物となっています。100年前と変わらず、春にはかわいい小さな葉が芽吹き、100年前と変わらず神様の変わらぬ恵みを感じる嬉しい時です。
 今年の卒園児が年少の時から始めたSDGs活動が、「どんぐり銀行」です。皆でどんぐりを集め、どんぐり銀行に預けると、森にどんぐりの木が増え、おなかをすかせた動物のためになることを知って、各家庭からも沢山のどんぐりが集まりました。ゾウムシの幼虫に出会ったりしながら、きれいなどんぐりの仕分けをして数えたところ、今年は1550個。100どんぐりを銀行口座から払い戻し、どんぐりの苗木1本を四国の森林に植えました。神様が良いものとして造ってくださった全ての命が光り輝きますようにと、子ども達と願い祈っていきたいと思います。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

 2021年、日本ルーテル教団(以下NRK)はこれまで男性のみに限っていた按手を女性にも授けることを決議し、同年2名の女性に按手を授け、初の女性牧師が誕生しました。その一人が梁熙梅(ヤン・ヒメ)牧師(NRK副議長・鵠沼めぐみルーテル教会牧師)です。LWFホームページに紹介されましたので一部抄訳を掲載します。

ご自身のことを教えてください。
 私は韓国出身で仏教徒の家庭に生まれ育ちました。高校卒業後ファッションデザイナーになろうと1989年に来日しました。来日直前に韓国の福音派の教会で洗礼を受けました。

神学はどこで学び、どんな感化を受けましたか。
 ファッションデザインを学ぶために来日し、そのために準備をしていた1990年の春、朝の祈祷会でのことでした。「あなたの内面を覆う服がない」と胸に響く声を聞いたのです。そのとき、服飾へのあこがれはあったのですが、自分の内面が裸だったと気づいたのです。長年の夢をあきらめるべきか、それとも神学の道に進むべきか悩みました。
 そこで1年間の祈りのときをもつために立教大学のキリスト教学科に入学しました。日本の人たちと生活を共にし、神様の言葉を伝えたいという気持ちが高まって、1992年に日本ルーテル神学大学神学科に入学し、4年間学びました。これがルーテル教会との出会いとなってやがてNRKの信徒となりました。またこの時期に結婚をし、母親となりました。

按手までの道のりを教えてください。
 ルーテル神学大学を卒業後、日本ルーテル神学校に進もうとしましたが、NRKでは女性は牧師になれないと聞かされ、神学校へ進めませんでした。けれども北海道の深川めぐみ教会で特別奉仕者として働く道が開かれました。それから2002年の総会で執事職制度が認定されたことを受けて、2003年の4月に日本ルーテル神学校に入学できました。神学校を卒業してから大宮シオン教会に派遣されて執事の按手を受け、14年間勤めました。執事職ではありましたが、牧師と同じ務めを任ぜられ、説教をはじめ聖餐式や洗礼式の執行も担いました。

女性牧師そして副議長という立場から何か思うところはありますか。
 私が牧師の按手を受けたのは2021年、当時の総会議長清水臣先生からでした。現在は神奈川県の戸塚教会の牧師です。牧師としての働きは執事の頃とさほど変わりません。けれども男性も女性も等しく堂々と職務ができることを嬉しく思います。
 NRKの副議長になってからは他の教会の事情を知るようになりました。教会がより広い視野に立ち本来あるべき姿として、福音の喜びと慰めを豊かに届けるにはどうすればよいか、それが私たちの課題です。

NRKがLWFにつながることの意義を聞かせてください。
 NRKの宣教母体は北米のルーテル教団ミズーリ・シノッド(以下LCMS)ですが、私たちは1999年にLWFの準加盟教会になりました。NRKは2021年に女性按手を決議し、そのことでLCMSはNRKとの関係を断つという決定を下しました。残念なことではあるのですが、新しい始まりがここにあると思っています。

改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)

2024年第38回外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会(外キ協)全国協議会報告

 「寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。」(レビ記19・33〜34a節)
 2024年1月25日~26日、広島市にある日本バプテスト広島キリスト教会にて「2024年第38回外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会(外キ協)全国協議会」が開催されました。日本福音ルーテル教会は2019年から加盟しています。「外キ協」は外国人登録証への指紋押なつ拒否運動から始まり、現在は外国人住民基本法の制定と人種差別撤廃法の実現を目指しています。
 1955年、法務省は外国人を特定する手段として指紋押なつ制度を実施しました。当然のことながら、散発的に押なつを拒否する抵抗運動がありました。1980年代からは「外国人の品位を傷つける取り扱い」だとして大衆的拒否運動へと発展します。そして外国人のみならず、外国人に指紋押なつを強制する外登法を無関心のまま維持させてきたのは日本国民であるという当事者意識に基づいて指紋押なつ拒否運動に参加する日本人が増えていきます。全国で150を数える草の根運動体の多くが教会を中心に自発的に作られました。各地域での教会の取り組みによって、1984年に「関西外キ連」と「京滋外キ連」、1985年に「関西代表者会議」、1986年に「関東外キ連」が組織され、1987年には全国レベルの「外キ協」結成に至ります。
 運動のかいあって、1985年に日弁連で外国人登録証の改正措置の要求が決議され、マスコミも肯定的であり、1993年に永住者のみ制度廃止、2000年4月に指紋押なつ制度は全廃されます。
 戦後9割以上を在日コリアンが占めていたため、日本政府への在日コリアンによる要求という印象もありましたが、当然「外国人」にはカトリック教会の神父や宣教師も含まれています。事実、1980年代に在留更新を不許可とされた指紋押なつ拒否者22人の内、ほとんどが宣教師であったと在日韓国人問題研究所の調査で数えられています。
 1月1日に起きた能登半島地震災害時の石川県在住外国人は18302名ですが、テレビの報道に外国人の姿はなく被災状況を心配しています。行政の被災者支援に外国人が排除されることのないよう祈っています。

引退牧師挨拶

 野口勝彦
 「何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(コヘレトの言葉3・1)このみ言葉に従い、3月末をもって引退させていただきました。これまでお支え、お祈りしていただいた皆様、そして、神さまに心から感謝いたします。
 私は1997年のクリスマスに挙母教会で明比輝代彦牧師から受洗しました。2001年4月に神学校に入学し、蒲田教会、保谷教会、むさしの教会で教会実習を、熊本教会で小嶋三義牧師の下、宣教研修をさせていただき、2005年3月に卒業・牧師按手を受け、二日市教会・福岡西教会に派遣されました。
 牧師として初めての主日礼拝での説教直前(3月20日午前10時53分)に福岡県西方沖地震が発生し、翌週のイースター礼拝が牧会最後となられた園田剛牧師と洗礼式を共にしました。その後、佐賀県の牛津幼稚園(現・牛津ルーテルこども園)を兼務し、東日本大震災ルーテル教会救援「となりびと」を経て、長野教会・松本教会、みのり教会・岡崎教会での牧会と、神さまの恵みに満ちた19年間でした。
 コロナ下では4名の受洗者が与えられ、先月31日のイースター礼拝では、初任地での二日市教会と同様に新卒の三浦慎里子牧師と共に親子の洗礼式を行うことができ、最後の日まで神さまの祝福にあずかることができ感謝です。

ブラウンシュバイク・ボランティア紹介

 私は「喜望の家」でボランティア活動をするドイツの実習生、Jan Glaser(ヤン・グラーザ)です。2004年にSalzgitter(ザルツギッター)という都市に生まれ、来日の前にずっとそこで住んでいきました。
 ドイツの教会の団体の提供で去年の10月に、初めて日本に来ました。今年の8月まで活動を続ける予定です。
 小さい頃、アニメをはじめさまざまな日本の創作品に触れて日本への興味が湧いてきました。そこで、「ドイツと比べて、日本はどのような国かな」と考えていて、ネットで調べてみたところ、さらに好奇心をそそられました。とりわけ、アニメで取り上げた話題の多様性(子ども向けだけではない)とか一般的に清潔や丁寧さを心がけることとかに感動しました。それをきっかけに「いつか日本に行きたい!」と思い続いてきました。
 2019年の春休みの退屈をまぎらわすように自力で日本語を勉強し始めました。それによって、日本の作品をもっと深く理解しようと思っていました。そのうち、アニメや漫画にとどまらず文芸や伝統的な文化にも見惚れました。その上、ドイツの私にとって当たり前ではないことだらけの日本の日常生活を体験するため、旅行より長い間日本に住むことを決意しました。
 その「長い間」は今です。私を見守ってくれる人に、そして神様に心より感謝しながら、日本で経験と友達いっぱいの日々を送っているようにと祈ります。

山内量平探訪記③

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

  植村正久牧師と婚約した季野は明治15年、家族への伝道の意欲をもって南部(みなべ)に帰郷しました。ちょうどその前年から、カンバーランド長老教会の宣教師・ヘール兄弟が、大阪を拠点に和歌山県にも伝道を始めていました。このヘール宣教師が、後に量平やその一族に洗礼を授けます。(以後、兄弟を区別せずにヘール宣教師と書くことにします。)
 さて私の山内先生を偲ぶ旅では、南部、田辺、新宮の3つの町を周りました。南部は量平の出身地、田辺は彼が信徒伝道者として活動した町、新宮は彼の同労者・大石余平の出身地です。南部では町立図書館、海岸、勝専寺、法伝寺を周り、熊野古道を少し歩きました。
 南部は静かな町で、方々に梅の果樹園がありました。山内家跡地の手がかりがなかったので、季野が後に娘の植村環牧師に「それはそれは綺麗な景色で、美しい貝拾いもできて」と回想していたという海岸に行き、高い防潮堤の上を歩いて眺めました。
 勝専寺は、量平の甥の志場了般が住職を退職した寺です。実は彼は、量平よりも早くヘール宣教師に会っているのです。それは、叔母の季野がキリスト者になって、周囲に積極的に伝道を始めたことを残念に思い、論破するために宣教師に近づいたのでした。結局、数年後に了般と弟の了達は寺を出て明治学院神学部に入学しました。了般は病死しましたが、了達は後の神学者・田中達です。

2024年度日本福音ルーテル教会人事

 第30期第4回常議員会において以下の通り人事が承認されましたのでご報告いたします。

〈退職〉
(2023年6月12日付)
永吉穂高(退職)
(2024年3月31日付)
竹田孝一 (定年引退)
岡村博雅 (定年引退)
野口勝彦 (退職)
関野和寛 (退職)

〈新任〉
笠井春子
河田礼生
デイビッド・ネルソン
三浦慎里子

〈人事異動〉
(2024年4月1日付)

【北海道特別教区】
河田礼生
 恵み野教会(主任)
 函館教会(兼任)

【東教区】
小澤周平
 津田沼教会(兼任)
永吉秀人
 東京池袋教会(主任)
森田哲史
 大森教会(主任)
市原悠史
 蒲田教会(主任)
 横須賀教会(兼任)
河田優
 横浜教会(兼任)
松岡俊一郎
 湯河原教会(兼任)
佐藤和宏
 小田原教会(兼任)
秋久潤
 松本教会(主任)
 長野教会(兼任)

【東海教区】
笠井春子
 小鹿教会(主任)
 清水教会(兼任)
渡邉克博
 新霊山教会(兼任)
光延博
 沼津教会(兼任)
徳弘浩隆
 浜名教会(兼任)
三浦慎里子
 みのり教会(主任)
 岡崎教会(兼任)

【西教区】
該当なし

【九州教区】
森下真帆
 八幡教会(兼任)
 門司教会(兼任)
中島和喜
 大江教会(主任)
デイビッド・ネルソン
 宮崎教会(主任)
 鹿児島教会(兼任)
第49期教区常議員
 二日市教会(兼任)
 甘木教会(兼任)
 阿久根教会(兼任)

〈出向〉
(2024年4月1日付)
野口和音
 九州ルーテル学院(チャプレン)

〈J3プログラム退任〉
(2024年3月31日付)
Jensen-Reinke Hannnah
ルーテル学院中学・高等学校

〈任用変更〉
岩切雄太
一般任用から嘱託任用へ

〈休職〉
(2024年2月14日付)
富島裕史

〈牧会委嘱〉(2024年4月1日付/1年間)
德野昌博   仙台教会
小山茂    板橋教会
大宮陸孝  賀茂川教会
乾和雄   神戸東教会
白髭義   二日市教会
竹田孝一   甘木教会
黄大衛    長崎教会

第30期第4回常議員会報告

李明生(日本福音ルーテル教会事務局長・日本福音ルーテルむさしの教会牧師)

 2月19日、日本福音ルーテル教会常議員会がオンライン(Zoom)によって開催されました。以下、主な事項について報告いたします。

・2024年度教職人事の件
 人事委員会提案の2024年度教職人事が承認されました。また新たに任用された4名の紹介がなされました。

・2023年度補正予算・決算報告の件
 市吉会計より、説明が行われ、承認されました。各教会はCOVID―19以後厳しい会計状況が続いています。公益会計全体としては事務局教職の教会兼任などにより、収益会計からの繰入無しでの決算となりました。収益会計は徐々に回復しつつありますが、今後予定される設備更新に向けての対応が必要となっています。

・2024年実行予算、2025年〜2026年度当初予算の件
 2023年11月に行われた第3回常議員会にて2024年度より協力金を10%に戻すことが承認されたことを踏まえ、荒井財務担当常議員より標記の件が提案され、承認されました。なお報告事項において、財務委員会より今後10年の財務見通しについて報告がなされました。公益会計・基金会計・収益会計は密接に関りをもっており、長期的にいずれの会計も健全性を担保していく必要があることが共有されました。

・方策実行委員会「『教職の働き方』に関する協議メモ」の報告
 報告事項において、方策実行委員会より、現在検討中の「『教職の働き方』に関する協議メモ」について報告がなされました。日本社会での「育児・介護休業」を巡る法制度が近年大きく変化したことを踏まえて、現行の日本福音ルーテル教会の規定を改正する必要があること、またその際には特に休業中の収入の確保の方法が大きな課題となるため、雇用保険への加入を検討する必要があることなどについて現在協議中であることが報告されました。教職者の働きは自身の召命と献身に基づくものであることを確認しつつ、教職の働く環境を守り、教会を適切に運営してゆくために必要な規定を整えることについて、教会の理解を得ながら進めてゆく方針について共有がなされました。

・次回常議員会開催日程の件
 次回常議員会は6月10日〜12日、対面で開催されることが承認されました。COVID―19下で普及したオンライン会議の費用・時間面でのメリットを生かしつつ、今後必要に応じて対面開催と組み合わせてゆくこととなります。

 その他の報告・議事等の詳細につきましては、各教会へ配信されました常議員会議事録にてご確認ください。

5年ぶりのアメリカ中高生
キャンプが再開決定

JELAアメリカ・ワークキャンプ2024募集要項
◆日程
2024年7月19日(金)~7月30日(火)
◆対象
2024年7月1日時点の年齢が14歳~20歳で、渡航やキャンプ参加に支障のない健康状態の方。
◆主題聖句
ローマの信徒への手紙12・2 
◆テーマ
Influencer(インフルエンサー)
◆内容
アメリカの宣教団体「Group Mission Trips」が、米国ミシガン州で開催する1週間のワークキャンプ(家屋修繕、聖書の学び等を通して参加者の信仰的・人間的成長を促す催し)に参加。
◆参加費
25万円(渡航費、滞在費を含む。)
※パスポート・ビザ取得費や海外旅行保険料などは別途個人負担。
◆応募方法
記載のQRコードまたはインターネット検索から、弊財団のWEBページにアクセスの上、
募集要項に従ってお申し込み下さい。
◆応募締切
2024年4月30日(火) 必着
◆問い合わせ
〒150―0013
東京都渋谷区恵比寿
1―20―26
一般財団法人JELA
アメリカ・ワークキャンプ係
◆電話
03―3447―1521
◆メール
jela@jela.or.jp

24-04-01「見ないのに信じる人は、幸いである」

「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネによる福音書20・29)

 「青いお空の底ふかく、海の小石のそのように、夜がくるまで沈んでる、昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。」(『童謡詩人 金子みすゞ いのちとこころの宇宙』JULA出版局)

 この詩は、私の初任地の一つである二日市教会で、最初の説教を始める直前に起きた福岡県西方沖地震の日に、説教の中でお話した童謡詩人、金子みすゞの「星とたんぽぽ」という詩の一節です。
 彼女は、自分の愛娘ふさえを夫の手から守るため「ふさえを心豊かに育てたい。だから、母ミチにあずけてほしい」との遺書を残して、自らの命を絶ちました。そして、その命を絶つ前日に自分の写真を写真館で撮りました。その写真には、明日、自ら命を絶つという悲壮感や絶望感は見られません。そこには、娘ふさえが、自分が記した遺書のように「心豊かに育ってほしい」という願いと希望が溢れています。
 また、1988年10月9日、55歳の若さでがんにより天に召された国際派ニュースキャスターの山川千秋さんが、ご自分の愛妻穆子(きょうこ)さんに残された遺書の最後で「すべてを主にゆだね、二人の息子を信じてたくましく生きてください。あなたなら、それをやってくれる。なにより、三人には、主の愛の衣があるではないか。感謝と、はげましと、愛をこめて」(『死は終りではない: 山川千秋・ガンとの闘い180日』文藝春秋)とつづられた中には、自分の死を目前に見つめながらも、その死への不安と恐怖はみられません。そこには、ただ、主への信頼と感謝、また、妻への信頼と感謝のみです。
 この二人に対し、このみ言葉に登場する「ディディモと呼ばれるトマス」のその姿は、全く対照的です。トマスは、「ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言う」言葉を聞くと、即座に「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言うのです。
 しかし、トマスも実際に、イエスさまが自分たちの「真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われ」、「それから、トマスに」、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われると、即座に「わたしの主、わたしの神よ」と信仰を告白します。
 「聖トマスの不信」という題のカラヴァッジオの絵画の中での彼は、実際にイエスさまの釘跡に指を入れてその傷を確かめていますが、このみ言葉の中のトマスは違います。彼も、本当はイエスさまを他の誰よりも強く求め、会いたいと心の底から思っていたのでしょう。
 イエスさまは、そのトマスの信仰告白に対し「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と言われます。
 このトマスの姿に出会う時、私たちは自分自身の姿をそこに見ることはないでしょうか。自分の目で、耳で、手で、イエスさまを確かめることができない時、自身の信仰に自分の感覚を通して実感が持てない時、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ」とトマスのように言ってはいないでしょうか。また、心の中で密かに思っていることはないでしょうか。そんな時、イエスさまが、このトマスのように私たち一人一人の前に現れて「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と言われるのです。
 「幸い」、それは、「神からの力を得る」ことです。それは、すべての不安や恐怖から解放された至福の状態に至ることです。そして、それこそが信仰を、救いを得ることなのです。
 イエスさまは、全ての人にその信仰を、救いを得てほしいと、復活された今、私たち一人一人に直接、語りかけてくださっているのです。
 冒頭の詩は次のように結ばれます。
 「散ってすがれたたんぽぽの、瓦のすきに、だァまって、春のくるまでかくれてる、つよいその根は眼にみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。」(『童謡詩人 金子みすゞ いのちとこころの宇宙』JULA出版局)

「聖トマスの不信」  カラヴァッジョ作・1601年頃・油絵・サンスーシ絵画館

24-03-01「私の命は主の中に隠されている」

「あの方は復活なさって、ここにはおられない。」(マルコによる福音書16・6)

  「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」という天使の「ここにはおられない。」という言葉に耳を傾けたいのです。「ここ」とは、すべての終わりの死が支配する墓です。
 ルターは次のように言います。
 「死の支配する地上でキリストを捜すべきではありません。キリストを見、キリストをつかみ、キリストに向かって歩むには、違った目と指と足が必要です。主の納められていた場所を示しましょう。しかし、主はもうそこにはおられません。…(中略)…そこで今や主の御名は、『もうここにはおられない。』と言われます。…(中略)…キリストはもうこの世におられません。ですから、キリスト者もこの世にいるべきではありません。だれもキリストを地上に縛り付けることはできず、またキリスト者を何かの規則で縛ることもできません。『もうここにはいない』のです。 主は、地上の正義、信仰深さ、知恵、律法など、この世に属するあらゆる殻を捨て去りました。完全に脱ぎ捨てられました。ですから、地上に現れるものの中に主を求めてはなりません。それらは殻にすぎず、殻は二度用いられることはないのです。…(中略)…あなたの命は隠されています。しかし、何かの箱の中にではありません。見つけられてしまうかもしれないからです。あなたの命は地上のどこにもおられない主の中に隠されているのです。」(『マルティン・ルター日々のみことば』マルティン・ルター著・鍋谷尭爾編訳・いのちのことば社より)
 マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは死者を求めていきました。「週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。」しかし、自分たちが慕う主イエスの亡きがらがない。死はなかった。命が隠されていた。
 私たちは、不条理な死に向かって生きています。しかし、死がどのようなものであれ、キリストが死を、十字架の死をもって引き受け、死に勝利したのです。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」と言われたように死はなく、復活の命だけがある。新しい命にあふれているのです。
 「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」(マルコによる福音書16・7)
 弟子たちと共に生活をしたガリラヤに先立って復活されたイエスさまは行かれ、共にいてくだったように私たちの生活の場にも命にあふれた主・イエス・キリストが来られ、共にいてくださいます。命にあふれた主・イエス・キリストと共に生きるのが私たちなのです。
 「死は勝利にのみ込まれた。」(コリントの信徒への手紙一15・54)

「墓の前の3人のマリア」 ペーター・フォン・コルネリウス作・1815年頃・油絵・ノイエ・ピナコテーク蔵

24-03-01るうてる2024年03月号

機関紙PDF

「私の命は主の中に隠されている」

日本福音ルーテル大森教会牧師 竹田孝一

「「あの方は復活なさって、ここにはおられない。」 (マルコによる福音書16・6)

 「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」という天使の「ここにはおられない。」という言葉に耳を傾けたいのです。「ここ」とは、すべての終わりの死が支配する墓です。
 ルターは次のように言います。
 「死の支配する地上でキリストを捜すべきではありません。キリストを見、キリストをつかみ、キリストに向かって歩むには、違った目と指と足が必要です。主の納められていた場所を示しましょう。しかし、主はもうそこにはおられません。…(中略)…そこで今や主の御名は、『もうここにはおられない。』と言われます。…(中略)…キリストはもうこの世におられません。ですから、キリスト者もこの世にいるべきではありません。だれもキリストを地上に縛り付けることはできず、またキリスト者を何かの規則で縛ることもできません。『もうここにはいない』のです。 主は、地上の正義、信仰深さ、知恵、律法など、この世に属するあらゆる殻を捨て去りました。完全に脱ぎ捨てられました。ですから、地上に現れるものの中に主を求めてはなりません。それらは殻にすぎず、殻は二度用いられることはないのです。…(中略)…あなたの命は隠されています。しかし、何かの箱の中にではありません。見つけられてしまうかもしれないからです。あなたの命は地上のどこにもおられない主の中に隠されているのです。」(『マルティン・ルター日々のみことば』マルティン・ルター著・鍋谷尭爾編訳・いのちのことば社より)
 マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは死者を求めていきました。「週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。」しかし、自分たちが慕う主イエスの亡きがらがない。死はなかった。命が隠されていた。
 私たちは、不条理な死に向かって生きています。しかし、死がどのようなものであれ、キリストが死を、十字架の死をもって引き受け、死に勝利したのです。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」と言われたように死はなく、復活の命だけがある。新しい命にあふれているのです。
 「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」(マルコによる福音書16・7)
 弟子たちと共に生活をしたガリラヤに先立って復活されたイエスさまは行かれ、共にいてくだったように私たちの生活の場にも命にあふれた主・イエス・キリストが来られ、共にいてくださいます。命にあふれた主・イエス・キリストと共に生きるのが私たちなのです。
 「死は勝利にのみ込まれた。」(コリントの信徒への手紙一15・54)

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊽「いつまで」

  「もうたくさんだ、いつまでも生きていたくない。/ほうっておいてください/わたしの一生は空しいのです。」(ヨブ記7・16)

 「こんなに長く続けていただけるとは思いませんでした。」
 その方はご自分が勤務を引退されるときこのように私に言われました。
 確かに私は急に進行性の病気が分かったため自分が働けなくなり勤務を自分が予定していたより早く退いた経験がありましたので、新しい仕事が始まるたび自分ではよく「いつまでできるか分かりませんがよろしくお願いします」と挨拶していました。
 しかし、いざ人から「こんなに長く続けていただけるとは思いませんでした。」と言われるとドキッとしました。
 「いつまで」も「いつから」も「いつ」も私たちには分からないことがたくさんあるのに、いつの間にか忘れることが多いような気がします。
 「年を取ったらわかるよ」と良く言われます。でも年を取れるのかな?とかいつまで生きられるのかしら?とか考え出すときりがありません。
 なんで生まれてきたのだろう。こんな人生要らなかったよ。と嘆く方がいます。自分が思い描いていた人生は送れず思いがけないことが次々と起こり辛い思いしかない。私もそのような思いを描くときもあります。誰が答えてくれるのか?
 誰もいない。そんな絶望感いっぱいでどうしようもないときでも、あなたは一人ではありません。「こんなところ私しか居るはずない」と思うところでも、思うときでも神様は居られます。あなたがいるから。

改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)

小泉 あゆみの家は、私がまだ行ったことのない施設のひとつです。今回はその、まだ見ぬあゆみの家のスタッフの秋田明子さんにお話しを伺うことが出来ました。
 ジョン・ボーマン宣教師が心血を注いで設立なさったあゆみの家は、今ではたくさんの施設群となったと伺いました。いくつの施設があって、何人くらいの利用者さんがおられるのですか?
秋田 自宅から通う通所施設1か所から始まったあゆみの家は今、通所施設3カ所、自宅から離れて泊まる入所施設、グループホーム7カ所、地域生活支援、西濃障がい者就業・生活支援センターがあり200名以上の方が利用されています。
小泉 秋田さんは、そのなかでどんな働きをなさっておられるのでしょうか?
秋田 パート職員として3事業所に所属しています。日中活動の支援員(週2日)、地域支援のヘルパー(週3日)、グループホームの世話人(週1日)。各事業所によって働き方が違って難しく、支援力の無さを感じ落ち込むこともありますが、利用者さんとの関わりには恵みがたくさんあり、長く働かせていただいています。
小泉 秋田さんがあゆみの家と出会われたきっかけを教えてください。
秋田 学生の頃に大垣で、障害がある方たちが地域で生活をするための活動をしていて、その中にいた人にあゆみを紹介して頂いて就職出来ました。
小泉 あゆみの家が、どんなことを大切になさってこられたのか、教えていただけますか?
秋田 神から愛され、かけがえのない個性を与えられている一人ひとりが、互いに尊重しあい、共に生き、共に学び、豊かな社会生活を送れる事を目指しています。
小泉 最近あった嬉しかったことを教えていただけますか?
秋田 コロナ禍で3年間色々な行事ができず、利用者の方はいっぱい我慢を強いられてきました。でも昨夏は入所施設の方々の日帰り旅行を実施でき、笑顔がいっぱいでした。秋には全事業所が一堂に集まるお祭りで盛り上がりました。楽しかったです。
小泉 最後に、大切にしている聖書の箇所があったら教えてください。
秋田 あゆみの家は「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたをあいしている」(イザヤ書43・4)です。私は「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」(フィリピの信徒への手紙4・4)を大切にしています。
小泉 ありがとうございました。あゆみの家を訪問できる機会を楽しみにしています。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑩

日本福音ルーテル小岩教会 内藤文子(日本福音ルーテル小岩教会牧師)

小岩教会は、戦前は本所教会(当時)の集会所として存在しました。本所教会の内海季秋牧師が当時ベタ二ヤホームで職員や母子寮の人々のために礼拝を始められそのベタ二ヤホームの宣教の一環として、小岩にあった牧師館において開始されました。
 礼拝と、託児所の働き。そしてそれが、現在の小岩教会とルーテル保育園へとつながっていったのです。託児所開設の初めには、子どもの使う椅子や机は、木のみかん箱に色紙を貼ったものでした。費用は一切無料でしたが、保護者の方からの願いで少額の保育料を頂くことになりました。戦争が始まると、若い女性たちも、軍需工場の働き手となる事を強制させられたことによって保育が不可欠になり、1941年「戦時託児所」になりました。そこでは、教会関係の女子青年たちが入れ代わり立ち代わり子どもたちの面倒を見ていたそうです。その一人の山本さん(現在108歳)は、1945年の東京大空襲で焼け野原となった本所の母子寮(墨田区)から、13人の母子たちを歩いて小岩の保育園まで引率しました。小岩地域の近所の方々と一緒にその方たちの看護をしたということです。戦前から地域に根ざし、地域の人たちと支え合ってきた教会と託児所は、戦後も救援物資の拠点となり活動をますます盛んにします。
 1962年には教会棟を新築し保育室も増築しました。時が経ち、2011年東日本大震災が起こり、老朽化の加速で、新築に向けた動きが始まります。解体後、2017年に教会と保育園が新築されました。1階保育室、2階礼拝堂・保育室、3階牧師館。新しい時代への教会の宣教と、地域の子どもたちへのキリスト教保育の実践、この2つの社会に向けての視野も広げ現在に至っています。
 コロナ禍を経て、教会、保育園とも、通常の活動、保育が戻ってきました。今年のクリスマスには2つのコンサートを行いました。保育園では「一時保育」の事業も始まり、喜ばれています。
 小岩教会は、保育事業を大切な地域への奉仕活動として、多くの教会員が携わってきました。主イエス様に託された働きとしてこれからも、御言葉の種がそこに育つことを祈りつつ歩んでまいりたいと願っています。

認定こども園神水幼稚園
牧野惠子(神水幼稚園園長)

 神水幼稚園は、熊本市中央区神水1―14―1という同じ敷地にルーテル法人会の3つの施設(宗教法人の神水教会、社会福祉法人の慈愛園、学校法人の幼稚園)と共にある、ルーテル教会にとっても貴重で恵まれた幼稚園だと思っています。
 1929年に北米一致ルーテル教会子供会の会長クロンク夫人の外国伝道を応援し、日本の子どもたちのための事業資金としての寄付を受け設立されました。クロンク夫人を記念して、設立当初はクロンク幼稚園と命名されました。また、日本で初めてのナースリー・スクールを併設した幼稚園として発足しています。
 設立は慈愛園設立の10年後で、慈愛園園長のモード・パウラス先生の慈愛園の子どもたちと地域の子どもを一緒に教育したいという思いで設立されたようです。
 初代園長は、妹のエーネ・パウラス先生でアメリカのコロンビア大学で幼児教育を勉強された宣教師でありながら園舎の設計もなさっています。設立前から、多くの女性宣教師が幼児教育に関わっておられ幼児期にこそキリスト教教育が重要であると認識されていたようです。その思いを歴代の園長をはじめ多くの先生がつなぎ続け、今があると思います。
 1941年、戦況が厳しくなる中、幼稚園名を神水幼稚園に改名したり、北米一致ルーテル教会からの援助が難しくなったことで、慈愛園後援会を立ち上げて自給態勢を強化するなど存続のための努力がなされました。
 1985年に社会福祉法人神水幼稚園から学校法人神水幼稚園へとなり、 2015年には認定こども園に移行し0歳児から就学までの子どもたちの保育教育にあたっています。
 少子化が進む中で、幸いにも定員210名を超える園児が通う園として存続しています。熊本市の中央に位置しながら広い土地と自然に恵まれた環境を備えてくださったパウラス先生を始めとした宣教師の方々に感謝します。
 数々の困難を乗り越えつないでこられたキリスト教保育の場をこれからもつないでいきたいと思います。共に働く人たちと共に、力を合わせより良い保育をめざして。キリストにつながって。幼子をキリストへ。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

キリスト教一致祈祷週間

 教会閉鎖、司祭や牧師の誘拐と殺害。そんな危機的状況下のなか、私の隣人は誰なのか。極度の暴力と抑圧のただ中で善いサマリア人のたとえ話は何を教えてくれるのか。それが今年のキリスト教一致祈祷週間 (Week of
Prayer for Christian Unity)のためにブルキナファソの教会が掲げたテーマです。
 西アフリカに位置するブルキナファソは、60ほどの異なる民族が共存するイスラム教徒が多数の国です。2016年以降、度重なるテロにより無法状態に陥り、3000人以上が命を落とし200万人近くが生活の場を失いました。教会をはじめ学校や保健所、庁舎が標的となり、地域によっては公の礼拝は禁止となりました。
 Churches Together in Britain and Ireland (CTBI)のピーター・コルウェル牧師は言います。「善いサマリア人のたとえは私たちの心を揺さぶり、絶えず癒やしと和解を追い求めていくべきというビジョンを示してくれます。」
 キリスト教一致祈祷週間では、ルーテル教会や他の諸教派教会が1月18日から25日にかけて祈祷会や礼拝などを企画します。世界教会協議会(WCC)とバチカン教会一致推進委員会が共同でこれを推進しています。2024年は、コルウェル牧師によれば「西洋のメディアに忘れられている西アフリカのひとつの国に目を向けました。」「度重なる軍事クーデターやムスリムの反乱による暴力で崩壊の危機に瀕しながらも、キリスト者が信仰の一致を保ち証しをしていくにはどうすべきかについて、感動的なお話を聞けました。司祭や牧師が襲われ、公に礼拝ができないところがあると知り胸が張り裂ける思いです。」
 「逆境に立たされた地域においてエキュメニズムは単なる追加オプションではなく、サバイバルのための道なのです。キリスト者が一つになって支え合い祈りあっていかなければ、福音の証しはできないのです。」「希望が見えないなかにありながら、彼らは希望を持ち続けています。クリスチャン、ムスリム、他の伝統宗教の代表者たちは益々協力しあって、平和と和解の道を模索しています。そうした姿から多くを学びます。違いを超えてつながっていかなければ、国として社会として未来が見えてこないのだと彼らは言います。」
 「善いサマリア人のたとえ話は分かっていると考えがちですが、馴染み深さ故にかえってそれが足かせとなり得ます。このたとえ話は深く掘り下げていけばいくほど、新たなチャレンジが湧いてきます。責任や実践の仕方を細分化することに熱心なあまり、他者を思いやるという中心テーマをないがしろにしがちになりますが、そうした見方に変化を与えてくれるのです。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

山内量平探訪記③

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

 山内量平がキリスト教に出会うことになったきっかけは、妹の季野が横浜のフェリス女学校に入ったことでした。
 みなべ町立図書館にあった町史には『植村季野と山内家の人々』という節があって、冒頭にこう書かれています。
 「植村季野は国学の本居宣長の四大弟子の一人と称された山内繁樹の孫娘として、安政五年(1858年)八月五日北道(紀州信用金庫南部支店の跡)で生まれた。父繁憲は、酒造業の傍ら国学ほか諸芸に通じ後に須賀神社の神官となる。季野は、幼少より文人に接し好学の志強く、国学は父繁憲、書画は富岡鉄斎から学び『秋華』と号した。明治十年(1877年)横浜に出て、ミッションスクールのフェリス女学校に入学、在学中キリスト教の信仰にはいり、明治十一、二年頃横浜海岸教会のジェームズ・バラより洗礼を受けた。」
 季野はフェリスでは漢学の教員を兼ねた学生だったようです。明治8年(1875年)の開校当初から加わっていたように読める資料もあるのですが、明治10年(1877年)としてもまだ10代でした。
 そして彼女は明治12年(1879年)に、後に明治最大のキリスト教指導者となる植村正久牧師と婚約しますが、家庭の許諾を得たいと、いったん帰郷することにしました。
 季野の思いは、家族に福音を伝えたいということだったのです。婚約者の植村牧師も、本を送って応援してくれました。この季野の帰郷が、実りを結ぶことになるのです。

『教会讃美歌』デジタル化について

小澤周平(日本福音ルーテル千葉教会牧師・典礼委員会委員)

 あなたの教会では、どんな賛美歌集を使っていますか?
 日本福音ルーテル教会は、1974年9月に、ルーテル諸派で力を合わせて『教会讃美歌』を発行しました。伝統的な賛美歌だけでなく教会暦や世界宣教にも意識を向けた選曲により、当時、時代の先端を行く賛美歌集として前向きな評価を頂きました。それから半世紀。2000年の小改訂を経て、今日、多くのルーテル教会では緑色の表紙の『教会讃美歌』(緑版)が使われていることと思います。
 ただ、現在、『教会讃美歌』は、版下の劣化などの理由から、近い将来に増刷できなくなってしまう危機にあります。しかも、時代の流れはデジタル化。そこで典礼委員会では、今後も『教会讃美歌』を保持することを考えて、さらに、将来的には掲載している賛美歌を他教派と共有していくことも視野に入れて、『教会讃美歌』のデジタル化を決定しました。昨春、ルーテル諸派の委員で構成される作業部会(賛美歌委員会)を立ち上げ、外部委託業者やサポーターの方々の協力を得ながら、改訂作業を開始しました。完成目標は来年。著作権などの課題もありますが、冊子体だけでなくデジタル版の出版も目指しています。
 今回の改訂では、デジタル化の利点を活かして、文字や音符を見やすくすることや、楽譜内の歌詞を増やすことなどの改善も行なっています。ページ数が増える見込みですが、冊子体では、より薄い用紙を使うことによって現在の緑版(2000年小改訂版)歌集と同様に使えるようにします。
 委員会では、共に主を賛美する喜びを想い、また、より豊かに礼拝の恵みを享受するための一助となれば幸いと願って、日々、作業に励んでおります。どうか、お祈りにお覚え頂けますと幸いです。

ブラウンシュバイク・ボランティア紹介①

タベア・メイ

 こんにちは、私はタベア・メイです。タベアと呼んでください。私は昨年9月に来日して、熊本に住んでいます。私はドイツ出身で、2004年にドレスデンで生まれました。その後、私はザルツギッターの小さな村に引っ越しました。そこで私はたくさんの趣味などに挑戦しました。日本に来ることが決まって、いっそう日本のコンテンツに触れるようになり、とても嬉しかったです。
 エキュメニカル・ラーニング財団のおかげでこれが可能になり、何度か他国に旅行したり、行ったり来たりした後、ようやく日本に行くことが許されました。正直、これまで熊本のことをあまり聞いたことがなかったのですが、熊本の街を見て、そしていま熊本に住んでみて、ここに来られてとても良かったと思っています。
 私は幼稚園で働いていますが、とても楽しいです。私もドイツの幼稚園でお手伝いをしましたが、ここの幼稚園は私がドイツで経験したものとは大きく異なります。また、この仕事を通じて日本文化について学ぶことができ、子どもたちと一緒に日本語を上達できることも嬉しいです。
 熊本の自然も大好きで、何度か旅行に行って自然を堪能することができました。例えば、阿蘇を何度か訪れたことがあります。
 私も熊本が好きで、小さな村から、大都市とは言わないまでも大きな街に引っ越したのはとても楽しい変化でした。
 また、たくさんの素敵な人々に出会うことができ、彼らの忍耐強く接していただいていることにとても感謝しています。私は基本的に新しいことに挑戦するのが大好きで、さまざまな趣味に挑戦してきました。ここでもっとたくさんのことを挑戦し、学び、経験することを楽しみにしています。特にパン作りと料理が大好きで、たくさん日本料理の作り方を学びたいと思っています。
 また、旅行をし、新しい場所や人と知り合っていくこともとても楽しみです。1年間の海外留学が終わったら、客室乗務員になって、これからも自分の情熱を追求し、多くの新しい場所を訪れたいと思っています。今年はもっと日本中を旅して、たくさんの美しい場所を訪れたいと思っています。
 どうぞよろしくお願いいたします。

引退教職挨拶

神は愛である」 竹田孝一

 1978年4月、初任地別府教会で、代議員、別府平和園の園長であった加藤しず子先生の「先生には、この子たちに『神は愛して下さる』ということだけを全身全霊をもって伝えてほしい。あとは何も期待していない」という言葉をもって牧師生活が始まりました。この言葉が私の出発であり全てでした。
 1983年ブラジルへ、帰国後は「刈谷・元町」「小鹿・清水」「希望・名古屋・名東・復活」「大森」「羽村」の教会で、つまずき、つまずかせながら、「神は愛である」という伝道、牧会をしてきたつもりです。46年間の牧師生活を振り返るとき、この欠け多き私が神に愛されてここまでどうにか生きてきたと神に感謝し、この私を支えてくださった教会の方々、出会ったすべての人に感謝しています。
 牧師夫人として、別府教会の時から長年ついて来てくれた家内・久美子のおかげで、牧師をどうにか務め、引退できます。心から感謝しています。
大変化、大激動している厳しい世界であるからこそ「神は愛である」というみ言葉をご一緒に伝えていかれればと祈っております。

「引退を迎えて」  岡村博雅

 私は2013年に教職授任按手を受け、湯河原教会と小田原教会の2つの教会に11年間奉仕させていただいた。今、引退の時を迎えて安堵と感謝の思いでいっぱいになる。
 私学の教師として長く勤めた私は53歳のとき人生の大きな転機を経て日本ルーテル神学校へ導かれた。入学式の前日、イースターの朝に父が召された。突然、頼りにしていた父を失い、軽いうつ状態に陥り、回復に4年かかった。そんな中で始まった神学校生活はこれまでのこの世の価値観で作り上げてきたストラクチャーを壊すことが手始めだった。古いキャンバスを白く塗って、そこに新しい絵を描くようなそんな作業だったと思う。卒業には6年かかった。それは主のご計画のなかにあり、自分にとって必要な時でした。
 そして、私の初めての任地は湯河原教会と小田原教会だった。初めて説教壇に立った日のことを今でも覚えている。「主は今日、ここに私をつかわしてくださいました。これまでの全てはここに立つためでした」と、喜びと緊張でいっぱいだった。
 顧みて、いたらない私を召し、育て、遣わしてくださった主に、教職の仲間に、そしてなんと言っても信徒の皆さんに心から感謝します。失敗は数限りなく、主の恵みは山のようでした。

富島裕史

 今年の3月で退職することになりました。これまでを振り返ると、宣教研修でお世話になった博多教会のこと、初任地の黒崎教会・直方教会、津田沼教会、九州学院、静岡教会(音羽町礼拝所・ひかり礼拝所・静岡英和女学院の非常勤講師として1年)、そして最後になった宮崎教会と鹿児島教会・・・。牧師として過ごした日々が走馬灯のように思い出されます。
 「光陰矢の如し」といいますが、改めて時の流れの速さを実感しています。その時の流れの中で、私は確かに神さまの恵みのみ手を感じることができました。それは、私のような者を教会に招き、私のような者を牧師として召してくださった神さまの恵みのみ手です。
 この私には、神さまに愛される理由は何もありませんでした。なのに神さまは私を愛してくださいました。私がキリストのもとに導かれたのは、神さまの恵み、愛のゆえであったということができます。考えてみると、こんなにありがたいことはありませんでした。
 最後に、皆さまのお祈りと励ましの言葉に支えられていたことに感謝します。そして、これまで共に歩み、苦労を共にし、支えてくれた家族にも、この場をお借りして感謝したいと思います。ありがとう。そして、ごめんなさい。

キリスト教一致祈祷週間共同礼拝大阪で開催される

竹田大地(日本福音ルーテル天王寺教会牧師)

2024年1月25日(木)午後6時30分から、カトリック大阪高松大司教区のカトリック玉造教会(大阪カテドラル聖マリア大聖堂)の小礼拝堂で「キリスト教一致祈祷週間共同礼拝」が開催されました。
 この共同礼拝では、カトリックの司祭であり、諸宗教対話委員会のメンバーであるロッコ・ビビアーノ神父が音頭を取ってくださり開催しております。今年の共同礼拝は、カトリックより前田万葉大司教・枢機卿、ヌノ・リマ神父(カトリック玉造教会司祭)、日本聖公会より内田望司祭(西宮聖ペテロ教会)、日本キリスト教団より井上隆晶牧師(都島教会)、東島勇人牧師(東梅田教会)、日本福音ルーテル教会より大柴譲治牧師(大阪教会)、竹田大地(天王寺教会)の7名が司式団として礼拝奉仕をいたしました。
 毎年この一致祈祷週間の最終日に開催されているこの共同礼拝によって、諸宗教間の対話と一致が進んでいくことをキリスト教諸教会の信徒、教職者で御言葉に聴き、祈りと賛美の声を合わせています。
 出席者は平日の夜にもかかわらず50名程を数え、今年の礼拝で捧げられた献金は、カトリック名古屋教区を通して1月1日に発生した能登半島地震のために捧げられました。
 今年のテーマでもあった「隣人愛」に根ざし、世界の教会と諸宗教による分裂と争いにピリオドが打たれ、平和が実現すること、また被災地の方々へ思いを寄せることにより、隣人となり、愛することを覚えることができました。
 大阪地区では、このような礼拝、集会が盛んに行われており、ペンテコステ・ヴィジルも毎年開催されています。エキュメニカルの働きにより、互いに理解を深め、キリストにあって一つであることを目指しています。その意味でペンテコステにこのような礼拝が実施されることも相応しいと感じています。来年も開催予定です。どうぞ機会がありましたらご参加ください。

連帯献金追加のお知らせ

機関紙るうてる2024年2月号でお伝えした連帯献金について送金者様から振り込み元のお名前に誤りがあったことに気が付いてくださりご指摘がありましたので「パレスチナ支援エルサレム緊急プログラム」に日本福音ルーテル福山教会を追加させていただきます。

24-02-01「主の変容に励まされ」

「すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」」(マルコによる福音書9章7節)

 私たちは希望がなくては一日たりとも生きてはいけない。それは平和な状況ばかりか、戦時下においてですら同じではないだろうか。常に死と隣り合わせているような暗闇の中にあっても、人は希望を持ち続けて生きることができる。
 主イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネを「連れて」、高い山に登った。それはやがて福音を伝える中核となる者にご自分が変容する姿を見せて、ご自分が誰であるかを教え、死を超える希望を悟らせるためである。
 2節の「イエスの姿が彼らの目の前で変わり」の箇所は原文では受動態の動詞が使われている。それは主イエスがご自分で姿を変えたのではなく、この3人のために、父なる神によって姿を「変えられた」のだと示すためだろう。ギリシャ神話の神も映画のヒーローたちも自ら変身するが、主の変容はそのような変身ではない。100%人間である主が、実は100%天に属する存在であることを、天における輝きを垣間見せることによって示してくださった。
 主イエスの正体をいっそう明確にするのは4節のモーセを伴ったエリヤの出現である。エリヤは天に取り去られたと信じられていた。そのエリヤが現れたことは、主イエスが天に属する存在であることを証ししている。つまりエリヤがモーセと一緒に姿を現したのは主イエスのためではなく、この弟子たちが、自分たちは今天の有様を目にしていると信じさせるためだと考えられる。
 変容は主イエスの正体を示す出来事だが、なぜ主はご自分の正体を示す必要があったのだろうか。この記事の前にはペトロの告白があり、主による受難予告とペトロの誤解が語られ、主は弟子にも群衆にも十字架の道を歩むようにと語りかけられる。つまりマルコは主の変容の意味は受難との関係の中で考えるべきだと指し示しているのである。「自分の十字架を背負って私に従え」と十字架の道を示されているとおりだ。
 ペトロは主の変容を見て言葉にできない喜びを味わったことだろうが、彼はそれに溺れっぱなしではない。この事態を確かなものにしようと知恵の限りに思い巡らす。彼の結論はそれぞれに小屋を造り、この天の栄光を地上につなぎとめることであった。
このことからペトロは主から受難を告げられても、相変わらずメシアの受難をよく把握できずにいることがわかる。主イエスの栄光の姿を見るとそれを永遠に残したくなり、小屋を造ろうとする。しかしメシアとしての主イエスをとどめることはできない。メシアは苦しまねばならないからだ。神が人類の救いのためにお定めになった主イエスの道は十字架の道である。その道の先には、ペトロたちが今目にした栄光がまっているのだが、ペトロの思いはそこに至らない。ペトロたちは、「これに聞け」というこの時に聞こえた神の声に従うことができなかった。それは彼らが「恐れた」からである。恐れは見るべきものを見えなくする。彼らはこの時はまだ十字架の先に栄光が待っていることを悟りえなかった。
 この高い山でのペトロたちの体験を通じて、神は信じる者に主の変容と復活の栄光を見せてくださる。私たちもこの出来事に励まされたい。十字架を背負って生きるとき、あの高い山で主が変えられたあの天上の輝く姿を心に描くことができるのは希望だ。十字架を背負って生きることの意味はそのまま主の変容の意味に直結している。
 終わりの日には、私たちの目から涙はことごとく拭われる。それまで私たちには嘆きも労苦もつきまとう。それは避けようのないものだ。そんな私たちに、主は「大丈夫だ」「安心なさい」と栄光の姿を見せて励ましてくださる。この物語を何度も読み直すうちに、温かく安らかな光りが心に満ちてきた。
 主はどんな苦難の中をも共に歩んでくださいます。私たちを、あなたを、必ずや光の中へと伴ってくださいます。ハレルヤ!

「主の変容」・ラファエル作・1516年頃・油絵・ヴァチカン絵画館蔵」

24-02-01るうてる2024年02月号

機関紙PDF

「主の変容に励まされ」

日本福音ルーテル湯河原教会、小田原教会牧師 岡村博雅

「すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」」(マルコによる福音書9章7節)

 私たちは希望がなくては一日たりとも生きてはいけない。それは平和な状況ばかりか、戦時下においてですら同じではないだろうか。常に死と隣り合わせているような暗闇の中にあっても、人は希望を持ち続けて生きることができる。
 主イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネを「連れて」、高い山に登った。それはやがて福音を伝える中核となる者にご自分が変容する姿を見せて、ご自分が誰であるかを教え、死を超える希望を悟らせるためである。
 2節の「イエスの姿が彼らの目の前で変わり」の箇所は原文では受動態の動詞が使われている。それは主イエスがご自分で姿を変えたのではなく、この3人のために、父なる神によって姿を「変えられた」のだと示すためだろう。ギリシャ神話の神も映画のヒーローたちも自ら変身するが、主の変容はそのような変身ではない。100%人間である主が、実は100%天に属する存在であることを、天における輝きを垣間見せることによって示してくださった。
 主イエスの正体をいっそう明確にするのは4節のモーセを伴ったエリヤの出現である。エリヤは天に取り去られたと信じられていた。そのエリヤが現れたことは、主イエスが天に属する存在であることを証ししている。つまりエリヤがモーセと一緒に姿を現したのは主イエスのためではなく、この弟子たちが、自分たちは今天の有様を目にしていると信じさせるためだと考えられる。
 変容は主イエスの正体を示す出来事だが、なぜ主はご自分の正体を示す必要があったのだろうか。この記事の前にはペトロの告白があり、主による受難予告とペトロの誤解が語られ、主は弟子にも群衆にも十字架の道を歩むようにと語りかけられる。つまりマルコは主の変容の意味は受難との関係の中で考えるべきだと指し示しているのである。「自分の十字架を背負って私に従え」と十字架の道を示されているとおりだ。
 ペトロは主の変容を見て言葉にできない喜びを味わったことだろうが、彼はそれに溺れっぱなしではない。この事態を確かなものにしようと知恵の限りに思い巡らす。彼の結論はそれぞれに小屋を造り、この天の栄光を地上につなぎとめることであった。
このことからペトロは主から受難を告げられても、相変わらずメシアの受難をよく把握できずにいることがわかる。主イエスの栄光の姿を見るとそれを永遠に残したくなり、小屋を造ろうとする。しかしメシアとしての主イエスをとどめることはできない。メシアは苦しまねばならないからだ。神が人類の救いのためにお定めになった主イエスの道は十字架の道である。その道の先には、ペトロたちが今目にした栄光がまっているのだが、ペトロの思いはそこに至らない。ペトロたちは、「これに聞け」というこの時に聞こえた神の声に従うことができなかった。それは彼らが「恐れた」からである。恐れは見るべきものを見えなくする。彼らはこの時はまだ十字架の先に栄光が待っていることを悟りえなかった。
 この高い山でのペトロたちの体験を通じて、神は信じる者に主の変容と復活の栄光を見せてくださる。私たちもこの出来事に励まされたい。十字架を背負って生きるとき、あの高い山で主が変えられたあの天上の輝く姿を心に描くことができるのは希望だ。十字架を背負って生きることの意味はそのまま主の変容の意味に直結している。
 終わりの日には、私たちの目から涙はことごとく拭われる。それまで私たちには嘆きも労苦もつきまとう。それは避けようのないものだ。そんな私たちに、主は「大丈夫だ」「安心なさい」と栄光の姿を見せて励ましてくださる。この物語を何度も読み直すうちに、温かく安らかな光りが心に満ちてきた。
 主はどんな苦難の中をも共に歩んでくださいます。私たちを、あなたを、必ずや光の中へと伴ってくださいます。ハレルヤ!

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊼一つ一つに

 「すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。」 (ルカによる福音書9・16~17)

 「どんなに単調に思える仕事であっても、あなたの配るお皿一枚一枚を受け取る誰かのために祝福があるように、と祈りながら一枚一枚を配ってみなさい。あなたがたとえ毎日やっている同じ仕事でも決して単調ではなくなるわ。」この先輩からの言葉により毎日同じ仕事で単調でつまらなく感じていたお皿配りが意味あるものになったという話を読んだことがあります。

 意味のない仕事はないんだなぁと思いながら、仕事をしていなくては生きている意味がないのかなと思ってみることがあります。
 病気が分かったばかりの時に、障害が進み働けなくなるかもしれないと病気仲間と話していた時、突然一人が「仕事をして働いていないと人間じゃないよ。」と言っていたのを思い出してしまいました。

 病気で働けなくなった人は人間じゃないのだろうか?そんなことはない。仕事ってなんだろう?働くって?単調な仕事に祈りが意味を与えてくれるのなら、祈りのあるところには必ず働きがあります。たとえ祈っているということが他人にわからなくても。イエス様みたいにパンや魚を増やせなくても。だってあなたが祈っているから。

 誰の祈りでも必ず神様に届いているから意味のない単調な仕事なんて無い、それらにあなたが祈りを添えれば。私は何もできないと思わなくてもいい。手を合わせられなくてもあなたの心を合わせて神様に向ければ。だって祈りは必ず神様に届くから。あなたは神様にお任せできます。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑨

日本福音ルーテル稔台教会
内藤新吾(日本福音ルーテル稔台教会牧師)

稔台教会の始まりは1951年7月からのエーネ・パウラス宣教師の働きがきっかけです。これは、陸軍演習場の原野であった稔台に戦後の開拓団が入り、共働きの夫婦が多いことから、市川におられたパウラス師に協力をいただき保育園を開設、ほどなく伝道も開始されました。保育園そのものは別の場所で、また直接の関係はありませんでしたが、宣教師の隣人に仕える姿に人々は感化を受け、集会へ足を運ぶきっかけとなりました。
稔台教会として公認を受けたのは1954年で、1955年に最初の教会堂献堂が行われました。初代の邦人教職は石田順朗牧師。その後、もう一つの大きな出来事として、田中良浩牧師のとき1967年から開始された学童保育が挙げられます。このように、稔台教会は開設当初より、地域の子どもたちと親御さんに奉仕する関係を続けてくることができたことは本当に感謝でした。1983年に2度目の教会堂献堂が行われ、現在に至ります。
学童保育(放課後児童クラブ)は3年前より、松戸市の全クラブが、市が主体として行う事業となったため、教会ゆかりのNPO法人から市内の別のNPO法人へと移管し、会場を貸す形に変えました。当会場以外の市内のクラブは小学校内に移設されており、稔台教会としても、近い将来、クラブは小学校内に移ってもらい、その後はクラブに入ることのできない子どもたちのために、教会ゆかりのNPOを通して奉仕をしたいと計画しています。
稔台教会は現在、上記のような地域への奉仕だけでなく、社会全体への奉仕として、世の痛みを覚え、隣人の命を守りまた豊かに得させるための働きにつきたいと願っています。脱原発への学びや支援の取り組みも、その一つです。
他の課題としては、現在の会堂になってから40年となり、10年前に中規模修繕は行いましたが、上下水道管の交換を含む残りの工事もそろそろ行いたいと予定しています。

認定こども園めぐみ幼稚園
山﨑かおる(めぐみ幼稚園園長)

めぐみ幼稚園は、75年前、戦後の混乱の時代に、幼児教育の場がほしい、という地域の要請にこたえて、宣教師モード・パウラス先生の祈りと尽力により、旧三菱工員クラブを利用した小さな園舎で開園しました。2015年には、幼保連携型認定こども園として新たな歩みを始め、0歳から6歳までの子どもたちの豊かな育ちを見守っています。 「神と人から愛され健康で心豊かな子ども」が遊ぶ園として、一人一人の主体性を大切にしながら、自由でのびのびとした保育の実践に努めてまいりました。社会が変化し、時代の要請が変化しても、変わらずイエスさまの愛を子どもたちに伝えています。
この3年間は、感染症拡大のことがあり、毎年大切にしてきた行事等、教師間でよく話し合って、縮小したり、形を変えながら、できるだけ実施してきました。プレイデイ(運動会)は、大きな江津湖公園での開催をやめて、子どもたちが慣れ親しんだ園庭で、0歳から3歳までの小さい学年、4歳以上の大きい学年に分けて、時間差で行うようになりました。子どもたちが安心して参加できます。感謝祭礼拝、子ども祝福礼拝は、集まる人数のことを気にせずに、礼拝を行うことができました。チャプレンの安井宣生牧師、曾我純神学生が来てくださって、祝福の祈りをしてくださいました。クリスマスは、クラスごとに、礼拝と祝会を行うようにいたしました。少人数のため、子どもたち同士の一体感、保護者の方々との一体感をより強く感じて、嬉しくお祝いできたように感じます。
ここ数年、また、これからも、少子化の影響のなか、認定こども園として園を運営していくことの難しさがありますが、私たちが、いつもイエスさまに見守られ、愛されていることを、保育を通して子どもたちに伝えていきたいと願っています。

改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)

―今回は、地域とともに新しい取り組みをはじめておられる東京教会の野坂幹也さんのお話しを伺います。はじめまして。東京教会の松本義宣牧師から、野坂さんとコミュニティ・カフェについて紹介していただきました。野坂さんと教会との出会い、またコミュニティ・カフェについて教えていただけますか。
野坂 はい、もともとは前任牧師時代の「牧師カフェ」に出入りするようになったのがきっかけで英語礼拝に参加するようになり、東京教会で洗礼を受けたのが6年前です。牧師の交代とコロナ禍によるカフェの中断がある中で、地域における外国人支援の活動を模索していたChurch World Service(CWS)というキリスト教団体からの働きかけがあって、2022年の春に東京教会でコミュニティ・カフェの活動が始まりました。いろいろな国籍の人たちが出入りしながら、料理教室やワークショップ、オルガンコンサートなどのカフェの取り組みが続けられてきました。

―なるほど。東京教会は新大久保のメインストリートのど真ん中にあって、外国の方々もアクセスしやすい立地ですね。昨年は、地域のお祭りにも出店なさったと伺いました。
野坂 大久保祭りですね。地元の方々も教会に期待してお声かけして下さったので、コミュニティ・カフェと英語礼拝の参加者を中心に、7カ国の料理をテイクアウト出来るお店を出店し、とても好評でした。お祭りで配布したチラシを見て教会の礼拝においでくださった方もあり、伝道的な効果もあったと思います。古くから住んでこられた地域の方々の中には、様変わりしていく街の様子に戸惑っている方々もおられるようです。このようなお祭りが、外国籍の方も、韓国コスメを買いに来られる若い人たちも、昔からおられる地域の方々も、そして教会も、みなが協調していけるきっかけになるなら嬉しいですね。

―興味深いお話しをありがとうございました。最後に野坂さんが大切にしておられる聖句を教えて下さい。
野坂 マタイ25章40節の「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」は、訪問介護士という私の仕事の中でも、日々意識している私の大切な御言葉です。私自身も小さな存在であることに気づかされることで、イエス様と共に歩むことができると感じるのです。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ドイツ大統領夫妻がオーガスタナ・ヴィクトリア病院を訪問

ドイツのシュタインマイヤー大統領夫妻が2023年11月、東エルサレムにあるオーガスタナ・ヴィクトリア病院(AVH)を訪問し、ガザ地区から送られてきた患者たちと面会をしました。オーガスタナ・ヴィクトリア病院はオリーブ山にあり、世界ルーテル連盟(LWF)がオーナーとして運営しています。ガザ地区からの患者100名以上がここで治療を受けていて、その多くは親類に付き添われてやってきた子どもです。彼らは10月初旬にハマスとイスラエル間で始まった戦争のために帰宅できなくなっています。
「病院は人間愛が通う場所です。」シュタインマイヤー大統領はこのように述べ、病院の働きに讃辞を送り次のようにコメントしました。「今起きている戦争が、この病院とここで治療を受けている患者さんたちに影響が出ていることは確かです」。「ガザ地区からの患者の移送は今はありませんが、今後どうすべきかについてはスタッフと協議したいです。」
大統領とエルケ夫人は、ファディ・アトラシュCEOはじめ病院幹部との話し合いが終わるとガザ地区の患者たちと面会しました。夫人は、「重病の子どもに付き添うお母さんたちは、ガザ地区のその他の子どもたちのこともとても気にかけていらっしゃいますね。」と述べました。
東エルサレムにあるオーガスタナ・ヴィクトリア病院は、がんと腎臓病治療を専門としています。もともとはドイツ帝国期にドイツ人巡礼者のためのセンターとして建てられましたが、1948年の中東戦争を機にパレスチナ人難民の支援施設として病院となりました。現在のところオーガスタナ・ヴィクトリア病院は、ガザ地区とヨルダン川西地区からの患者に放射線治療と小児透析を提供できる東エルサレムで唯一の病院です。多くの子どもを含む約7000人の患者が、毎年ここで治療を受けています。

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

山内量平探訪記②

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

ルーテル教会の初代日本人牧師、山内量平は和歌山県の人です。
私は、南紀白浜空港から紀勢線で南部(みなべ)に着きました。南高梅で知られるみなべ町は、静かな落ち着いた町です。
山内家は江戸時代から「松屋」という酒造業を営む豪商でした。坂井信生著『山内量平 日本のルーテル教会初代牧師』には「信用金庫の支店から海岸にいたる場所」とあって、その間は200メートル以上あります。松屋の跡地を確かめられる資料はないかと町立図書館で司書に尋ねてみましたが、残念ながら明治初期の地図はありませんでした。
海とは反対側の町外れの法伝寺に、量平の祖父と父の墓があるそうなので、行ってみました。墓地の中に屋根のついた特別な場所があって、祖父、繁樹と父、繁憲の大きな墓がありました。もうひとつの女性の墓は祖母でしょう。量平の母、三千代は、後に受洗したからです。
「繁樹大人奥都伎」という墓の横には、みなべ町指定文化財の立て札がありました。それによると、繁樹は1773年に生まれ、本居宣長門下で国学を修め、老後田辺藩から士分の待遇を受けて多くの門下生を教えたとあります。山内家が地域の文化の中心でもあったことを伺わせます。量平とその妹たちも、この環境で育ち、男女とも幼少時から教養を養われて育ったようです。
次回は、最初にキリスト教に出会った妹、季野を取り上げます。

メコン・ミッション・フォーラム報告

森田哲史(日本福音ルーテル大江教会牧師)

 2023年11月14日~16日にタイのバンコクで行われたメコン・ミッション・フォーラム(以下、MMF)に参加いたしました。
 MMFは、メコン川流域の各国(タイ、ベトナム、カンボジア、ミャンマー、ラオス)のルーテル教会および関連諸施設と、それらを支援する世界中の教会が一堂に会し、現地の宣教や支援についての情報を共有し、さらなる発展を目指す会議体です。
1日目の研修は、プロジェクト・マネジメント・ワークショップとして、ディアコニアについて行われました。その際の考え方の一つとして、ニーズベースとアセットベースという考え方が印象的でした。ニーズを聞くと言えば私たちは良い印象を持つかもしれません。しかし、ニーズベースは、コミュニティがどれだけ発展しても、常に何かが欠けているという意識があり、本質的にネガティブであり、外部からの継続的な介入に依存してしまうと言います。一方のアセットベースは、すでにそこにあるもの、人やコミュニティがすでに持っているものに焦点を当てることにより、本質的にポジティブであり、コミュニティ自身が開発の長期的な管理者となることが出来ると言います。
2日目は、神学教育をテーマに、各国が置かれている現状と課題をグループごとに分かち合い、その後マレーシアとシンガポールで行われている取り組みが分かち合われました。
3日目は、MMFの総会があり、この1年間のMMFの活動報告、予決算の承認、審議事項の協議などが行われました。
JELCでは2023年の全国総会において、アジア宣教、中でもカンボジア宣教を行っていくことが示されました。カンボジアの持っているもの、日本の持っているものが組み合わされ、より大きな宣教の働きのために用いられるようお祈りいただけましたら幸いです。

カンボジアルーテル教会 ビショップ就任式出席報告

永吉秀人総会議長(日本福音ルーテル蒲田教会牧師)

 この度、2023年11月9日にカンボジアのプノンペンで行われた、カンボジアルーテル教会初代となるビショップの就任式に出席してまいりました。カンボジアルーテル教会は、ルーテル世界連盟(LWF)が主宰する「メコン・ミッション・フォーラム」の活動から生まれました。
このメコン川流域の宣教を考える会議は、この地域に宣教師を派遣している欧米などの諸外国も参加しています。日本も20年以上にわたり出席しており、負担金を拠出してまいりました。メコン川流域には、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムの各国があります。
カンボジアルーテル教会が設立されたのは2010年。シンガポールの主導で宣教が始まり、アメリカをはじめオーストラリア、ドイツ、香港、フィンランドの宣教団体の協力で進められています。2024年からはアメリカとの共同宣教として日本もカンボジアの宣教に加わる準備をしています。
カンボジアにルーテル教会が誕生して14年目。アジアで最も若いルーテル教会は、アジアの希望であり、世界の希望のシンボルです。就任式はプノンペン市内にある超教派の聖書学校で行われました。カンボジア初のビショップに就任されたのは、スリリャック・タッチ(Sreyliak Tuch)氏。シンガポールのビショップが司式を務め、マレーシア、アメリカ、南アフリカのビショップと日本の議長を含めて5名による按手がなされました。この日、他に4人の牧師がカンボジアのビショップから按手を受け、これで按手を受けている牧師は総勢5名となりました。すでに4つの教会が建てられています。今回は2019年にアメリカの支援で建てられた最も新しい教会を訪問しました。下水道のない未舗装路脇に立つ地方教会で、礼拝をはじめ学童保育、家庭支援を行い、養鶏やキノコ栽培を通して地域産業への寄与が目指されています。パンデミックの影響で3年間は活動を休止したものの、今年からの宣教で既に28名の受洗者が与えられたという喜びの報告を受けました。
今回の渡航は単身、突然の通訳者の不在、帰りの飛行機がないというトラブルの中、日曜日までに帰国できたことに安堵します。

「教会讃美歌増補・分冊Ⅰ」刊行2年!

松本義宣(典礼委員会委員長・日本福音ルーテル東京教会・東京池袋教会・板橋教会牧師)

 「歌わない・歌えない」コロナ渦中の2021年10月に刊行され2年が経ちました。まだお手元に届かず、目にされていない方もあるかと思います。「るうてる」紙上で収録曲の簡単な紹介の連載も一段落つきましたので、改めて「増補版」の紹介、PRをいたします。
本来は、2017年の「宗教改革500年」に合わせた刊行を目指し、当初は200曲ほどの教会讃美歌の補完・増補版を計画していましたが、力不足のため遅れ、準備ができ著作権等のクリアが可能となったルターの賛美歌や公募曲を中心に、54曲を「分冊Ⅰ」として刊行しました。これまで紹介されていない、また新たに翻訳したルターの賛美歌が目玉です。これまでのものと合わせてほぼ全てのルターの賛美歌が日本語で歌えます(1曲未完!)。さらに、新しい試みとして、テゼー共同体風の繰り返す賛歌や、邦人による創作歌、他の歌集からの収録もあります。併せて「改訂式文」に付された新しい「礼拝曲集(式文歌)」も紹介しました。歌集を用いて、セットではなく、礼拝内で自由に取捨選択、味わい用いていただけるようにしています。
印象的な出来事の紹介 です。2022年7月、カトリック教会「シノドス」会議のためのエキュメニカルな合同礼拝(カトリック、聖公会、日本福音ルーテル教会、NCC)が、聖イグナチオ教会で開催された際、当時はまだ会衆賛美は自粛し、カトリック教会のシスターの聖歌隊が歌うのを聞く礼拝でした。各派が歌を持ち寄りましたが、開会の歌として増補12番「喜べ教会よ」を提供しました。これはルターの宗教改革的福音信仰の真髄を示す代表的な歌です。それが、シスターたちの歌声で聖堂に響いた感動を私は今も忘れられません。2023年には、COVID—19の5類変更を受けて、東教区「教会音楽講習会」で増補版を歌う会を持ち、秋には大阪での「聖書日課・読者の集い」でルターの教理問答歌を賛美しました。各教区・地区・教会でも紹介の試みがなされ、広く用いられていくことを願います。
※「教会讃美歌増補・分冊Ⅰ」(1,100円)の購入は、本教会事務局または各キリスト教書店まで。

教職授任按手式開催のお知らせ

李明生事務局長(日本福音ルーテルむさしの教会牧師)

 2024年3月3日(日)19時から21時に日本福音ルーテル教会宣教百年記念東京会堂(日本福音ルーテル東京教会)を会場に4年ぶりに教職授任按手式を開催予定です。
受按予定者(かっこ内は出身教会)
笠井春子神学生(田園調布)、
河田礼生神学生(三鷹)、
三浦慎里子神学生(室園)、
デイビッド・ネルソン神学生(本郷)
の4名です。
詳細が決まりましたら改めて各教会にお知らせをいたしますが、どうぞご予定くださいますよう何卒お願い申し上げます。

第36回教会音楽祭 メロディー公募のお知らせ

秋吉亮(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

 今年、数年ぶりに教会音楽祭を対面で開催いたします。この音楽祭で歌う短いメロディーを作曲してくださる方を公募いたします。曲の長さは20秒以内が目安です。聖句、応募要件は以下の通りです。
■ 聖句
詩編103編 22節前半
「主に造られたものはすべて、主をたたえよ」(新共同訳聖書)
詩編146編1節
「ハレルヤ。わがたましいよ 主をほめたたえよ」(新改訳聖書)
※聖書はどの訳を用いてもけっこうです。語順入替えや繰り返しは、しないでください。
■ 応募要件
①未発表の曲に限る
②五線譜の形式で提出すること(単旋律でも合唱でも可)
③聖書のどの訳を用いたか、譜面に明記すること
④作品の著作権は、一旦教会音楽祭実行委員会に帰属させ、第36回教会音楽祭終了後速やかに作曲者に返却する
※採用は、教会音楽祭実行委員会で協議・決定いたします。その際、実行委員会が応募作品に手を加える可能性があることを、ご了承ください。

■ 提出先:
メール添付の場合
mail@cmf.holy.jp
郵送の場合
〒105–0011
東京都港区芝公園3–6–18
日本聖公会東京教区事務所
礼拝音楽委員会「教会音楽祭」係
■ 応募締切:
2024年3月8日(金)必着
■ 発表:
第36回教会音楽祭にて
■ 問い合わせ先:各教派の教会音楽祭実行委員、または教会音楽祭ホームページ「お問い合わせ」よりお願いいたします。
ホームページアドレスはhttp://cmf.holy.jp/

2023年度「連帯献金」報告

2023年度も多くの方々から「連帯献金」に対しまして
支援を頂きました。感謝してご報告いたします。
(敬称略・順不同、複数回の献金もまとめての報告となります。)

■ブラジル伝道 25,000円
箱崎教会女性の会、東教区女性会
■エルサレム緊急支援 1,166,924円
竹内輝、なごや希望教会、長崎教会、岡山教会オリーブの会、太田立男・泰子、羽村教会・羽村幼稚園、福岡市民クリスマス実行委員会、西宮教会、知多教会、奈多愛育園、木邨仁代、日田教会、藤が丘教会女性会、厚狭教会、名古屋めぐみ教会、西条教会、大分教会、横須賀教会、シオン教会柳井礼拝所、清水教会、浜松教会、都南教会、都南教会教会学校、宮崎教会、栄光教会、小倉・直方教会、蒲田教会、聖パウロ教会、湯河原教会、岡山教会、松江教会、京都教会、小鹿教会、石田宏美、市ヶ谷教会、るうてる愛育園、大江教会、帯広教会、静岡教会、合志教会、清水紀子、浜名教会、健軍教会、秋山仁、高知ほっとチャーチ、横浜教会、田園調布教会、高蔵寺教会
■メコンミッション 17,700円
泉川道子、ルーテル聖書日課読者の集い
■災害被災者支援 25,000円
コヤマヨシオ、聖パウロ教会
■ウクライナ人道支援 1,692,747円
仙台教会鶴ケ谷礼拝堂、松本教会、唐津ルーテルこども園、むさしの教会ヴィニヤードの会女性会・壮年会、大岡山教会、小田原教会、国府台母子ホーム母・子・職員一同、国府台母子ホーム利用者有志、田園調布教会、田園調布ルーテル幼稚園、湯河原教会、山県順子、雪ケ谷教会、小林勝、岩田茂子、金城学院ハープアンサンブル部、函館教会、甲府教会、藤が丘教会、日田教会、豊中教会、蒲田教会船山、むさしの教会、定期総会席上献金、大岡山教会教会学校、女性会連盟、湯河原教会、川上直子、東教区女性会、宣教フォーラム実行委員会、玉名教会、東京池袋教会、市ヶ谷教会、市ヶ谷教会壮年会、都南教会教会学校、蒲田教会、聖パウロ教会、小岩ルーテル保育園、匿名献金
■トルコ・シリア震災被災者支援 4,378,651円
イシモリトシユキ・キョウコ、林雄治、ウエダケイゾウ、久保陽司、博多教会、福岡西教会、石井千賀子、木原伊都子、シオン教会柳井女性会、諏訪教会、竹内輝、近藤義之、小川原智、石田宏美、掛川菊川教会、原田恭子、若林宏子、佐藤紘一郎(重子)、高蔵寺教会、安藤真理、小鹿教会、復活教会、清水教会、佐藤義夫・福子、なごや希望教会、市ヶ谷教会、市ヶ谷教会壮年会、武井順太郎、清水紀子、関満能、函館教会、岡山教会オリーブの会、本郷教会、シオン教会防府、知多教会、小城教会、保谷教会、小石川教会、シオン教会徳山、八幡教会、佐藤節男、西条教会、山之内正敏、シオン教会柳井礼拝所、大江教会、千葉教会、唐津ルーテルこども園、小杉由子、日田ルーテルこども園、小倉・直方教会、東京池袋教会、浜名教会、広島教会、札幌教会、甲府教会、宇部教会、筑後地区女性会、名古屋めぐみ教会、刈谷教会、恵泉幼稚園、厚狭教会、田園調布教会、松江教会、湯河原教会、健軍教会、岡山教会、福山教会、賀茂川教会、賀茂川教会教会学校、小岩教会、甘木教会、挙母教会、羽村教会、別府教会、荒尾教会、大森教会、真生幼稚園、天王寺教会、大柴譲治、二日市教会、沼津教会、神水教会、蒲田教会、岐阜教会、藤が丘教会、小城ルーテルこども園、都南教会、帯広教会、西宮南福音ルーテル教会、日田教会、浜松教会、小田原教会、松橋教会、栄光教会、恵み野教会、岡崎教会、久留米教会・田主丸教会、静岡教会、玉名教会、京都教会、三鷹教会、西宮教会、八王子教会、室園教会、豊中教会、津田沼教会、大垣教会、仙台教会、大分教会、箱崎教会、横須賀教会、コマツヤスヒロ、むさしの教会、宮崎教会、市川教会、鹿児島教会、神戸教会、中野邦子、下関教会、修学院教会、東京教会、聖ペテロ教会、高蔵寺教会教会学校、匿名献金(2件)
■世界宣教(無指定) 308,755円
シオン教会柳井礼拝所、神水教会、宇部教会、下関教会、箱崎教会(らぶぴコンサート席上献金)、横須賀教会、賀茂川教会、三鷹教会、シオン教会平和礼拝席上献金、宮崎教会、めばえ幼稚園、日吉教会、岡村博雅

 今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、戦争、災害、飢餓に苦しむ方々に連帯したいと祈り願います。「連帯献金」をお捧げくださる際には、それぞれの献金目的[パレスチナ支援LWFエルサレムプログラム緊急募金] [ウクライナ人道支援] [メコンミッション] [釜ヶ崎活動(喜望の家)][世界宣教(目的指定なし)]を郵便振替用紙に明記頂き、下記の郵便振替口座にご送金ください。
郵便振替 00190-7-71734
加入者名 (宗) 日本福音ルーテル教会

24-01-01るうてる2024年01月号

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「聖なる地」

日本福音ルーテル飯田教会牧師
朝比奈晴朗

「主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。(出エジプト記3・4~6)

新しい年を迎えました。皆様にとって2023年はどのような年だったでしょうか。辛いニュース、悲しいニュースの多い年ではありましたが、結婚や出産、就職、目標の達成といった、喜ばしい出来事を経験した方も多くおられたことと思います。
私はと言いますと、大阪生まれの大阪育ちの人間にとって「アレ」、つまり阪神タイガースが日本一になったことは本当に嬉しい出来事でした。報道では38年ぶりと何度も大きく取り上げられました。
実は私が人生の大きな節目を迎えたのは、まさに38年前です。大阪の町は日本一を目指して戦っている阪神タイガースの話題で持ちきりでした。しかし、高校3年だった私は通学の途中で強い衝撃を受ける出来事に遭遇します。私の目の前に赤ん坊を抱いたお母さんが歩いていたのですが、急に向きを変え、私の体にぶつかるようにして、そのままホームから電車に飛び込んでしまったのです。あっという間の出来事で、私は呆然と立ち尽くすだけでした。
この出来事はそれ以降、何度も何度も脳裏によみがえりました。自分ができることが何かあっただろうか、何かしなければならないんじゃないか、という思いが心の底から湧き起こりました。
私はクリスチャンだった母に連れられて幼い頃から教会に通っていましたが、熱心に聖書を学ぶタイプではありませんでした。その私が、自分の将来を神様に導いていただきたいと真剣に願い、熱心に聖書の言葉に耳を傾けました。やがて自分の目指す道は社会福祉であると示され、ルーテル神学大学入学後、牧師の召命へと結びついていきました。
与えられました聖書個所には「モーセの召命」という見出しが付けられています。神の山ホレブで柴の間に炎が燃えており、それを目撃したモーセは「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」と呟きます。
この箇所は、ルーテル教会の式文、教会起工式で読むことが勧められています。私の仕えている飯田ルーテル幼稚園でも、つい最近起工式が行われ、理事長の立場にある私が式典を執り行いました。
しかし「いよいよ始まる」という喜びよりも、思いがけない資材の高騰で厳しい資金繰りを強いられる現実を前に、モーセのように神様を信じて歩み出す必要があることを強く感じながらの司式となりました。
1911年4月1日に産声を上げた飯田ルーテル幼稚園は、100年を超えてこの地で福音を届け続けています。小規模ではありますが、キリスト教教育を続けてきた幼稚園と、それを支え続けた教会は、飯田に存在する「燃え尽きない柴」だと思うのです。「なぜあの柴は燃え尽きないのだろう。」そう思って近づいてくださる保護者の方々、子どもたち、地域の皆様に、神様の御力とイエス様の愛を示し続けるのです。
時代的には伝道をしていく難しさが強調されますし、思うようにいかない時は、神様の守りがあるのを知りつつも、「わたしは何ものでしょう」とおびえ、尻込みしてしまいます。それでも神様は「わたしはある。わたしはあるという者だ」と力強くご自分を証しされ、「わたしは必ずあなたと共にいる」と言い切ってくださるのです。
モーセの旅は40年の歳月を要します。その間に、民衆は神様を信じ続ける者と脱落していく者に分かれました。最後の最後まで神様を信頼した人々が約束された土地へと導かれていったのです。
私たちが神様に入ることを許された「聖なる場所」とは、教会であると言えるでしょう。神様はそこに「燃えても燃え尽きない柴」の炎を明々と輝かせ、人々を招いておられるのです。
現在、子育てをしている家庭のほぼ4割に、強い不安や孤独があり居場所がないと感じているということを耳にしました。高校生の時に目撃したあの光景を繰り返してはならない。あの母親のつきささるような眼差しを笑顔にしたい。私には再びそんな思いが与えられています。
私たち一人一人の力は小さくとも、できることはそばにあります。この1年、共に祈り、支え合いつつ「わたしは必ずあなたと共にいる」と言ってくださる方を見上げつつ、日々を重ねてまいりましょう。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊻そうなんだ

「だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。」(ルカによる福音書16・11)

「かっこいい」
ん?・・・いつも自分では、このことは言ったらバカにされるかもしれないから言わないほうがいいと思っていました。
他の人からも言わない方がいいよと言われていたそのことを思い切って言ったときの友達の反応でした。えっ、かっこいいんだ。言ったらきっとバカにされると思っていたのが意に反した答えを言われた。その瞬間今まで自分を縛りつけていた劣等感から解き放たれ「自分は生きていてもいいんだ。」と思わされるほど衝撃でした。
こんなこともありました。ある人が私の肩の上を指差し「先生の肩の上に戦時中に死んだ友達の二人の顔がのって俺に笑いかけています。」と言いました。どおりで肩が重いとも思わず普通に「あなたには見えるようですが残念ながら私には見えません。」と答えていました。もしかしたらその方はわたしが怖がるのを期待していたのかもしれません。そう思うと今でもなんだかおかしくなります。
自分の思い込みが自分を縛りつけていたり、人との違いを受け入れなかったりしてわたしたちは自分の価値観を窮屈にしてしまっているんじゃないかなぁと思うときがあります。見えないものが見えると言われたとしても、自分ではあまり良くないと思っていることも、たくさんの価値観が集まればいろいろな見方が出て来ます。白や黒、グレーで別れ目がはっきりしなくても私たち人間には分けられない。これは良い、これは悪いとも一人では決められない。でも大丈夫神様にお任せできます大丈夫。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑧

日本福音ルーテル市川教会
中島康文(日本福音ルーテル市川教会・津田沼教会牧師)

エーネ・パウラス宣教師は、市川教会を紹介する際に欠かすことのできない先生である。第1の理由は、市川の地に福音の種を最初に蒔いた、宣教の開拓者であること。戦前、墨田区の母子収容施設(現社会福祉法人ベタニヤホーム)で働き、居を市川市の国府台に構えておられたが、戦中は一時帰国。再来日後には前述施設の責任者として尽力されていた。その働きを知った地域の人々からの要請を受け、国府台にあった旧陸軍兵舎跡で保育事業を開始された。その際、戦前より自宅で行っておられた礼拝を、園舎で行うようになった。これが市川教会の前身である。日本人牧師も招聘できるようになり、1956年現在地に、会員の献金及び米国信徒の献金により会堂が建立され、以来宣教の拠点として主日の礼拝が一度も欠かすことなく(コロナ禍中も休会せず)、礼拝が守り続けられている。
第2の理由は、先生の働きは現在に至るまで、市川教会が目指すべき宣教の目標として引き継がれているということ。「行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。」(ヤコブの手紙2・17)これを愛唱聖句としておられた先生は、3社会福祉法人13児童関係施設を設立することによって御言葉に忠実に従うことを実践された。先生の働きは、現在もそして未来も市川教会がこの地で宣教を続けるための柱であり、施設利用者及び職員への宣教を今も大切にしている。
現在、礼拝は午前9時(子どもや施設職員向け)と午前10時(ハートバージョンによる礼拝)、計40名前後の出席者がある。牧師は4施設のチャプレンを兼務し、会員にはWEBで聖書の学びや洗礼準備などを行っている。年に3回、第5土曜日に行われるコンサート(プロの音楽家による)は57回を数え、地域の方々70名~80名ほどが来会くださる。会堂を中心に、施設や地域に奉仕しつつ私たちは御言葉の種を蒔き続けている、パウラス宣教師のように。
2012年に会堂の大修繕を行った。その経緯に関して、「るうてる2019年6月号」の巻頭言に寄稿したのでご参照ください。

認定こども園さわらびこども園
牧野恵子(さわらびこども園園長)

さわらびこども園は、熊本県南部、鹿児島県との県境水俣市にあります。さわらびこども園の歴史は古く、1922年水俣教会設立の7年後1929年に設立され、1951年に幼稚園として認可されています。幼稚園の設置については、熊本バンドの海老名弾正師により受洗した4名を含む水俣教会設立当初の教会員の働きに負うものが大きいようです。設立当初の園舎は教会堂を兼ねたもので、設立者の緒方フミ姉の実家から養蚕の為の小屋を移築したものでした。
戦時中、学校の存続を懸けて軍や県との難しい交渉に当たられた徳永正氏は、県の医師会副会長や九州女学院(現九州ルーテル学院)の理事長を務められた方であり、さわらびこども園の名付け親でもあります。氏は、文芸にも通じておられ万葉集の中の一首「石(いわ)走る 垂水の上のさわらびの 萌え出づる 春になりにけるかも」から名付けられたと言われています。早春の寒さを突き抜けて萌え出づるさわらびの新芽に子どもの成長をたとえられたのではないでしょうか。
水俣は元々城下町で、一時はチッソ株式会社を中心に発展していましたが、1965年頃から人口減少が始まり歯止めがききません。1年間の出生数が、本年は全市で60人を切りそうです。子どもの数は減少していても、保育施設の数は以前とさほど変わらず厳しい状況です。さわらびこども園の在園児数は現在40名、来年度は30名に減少するかもしれません。このような中、他園で適応が困難な子どもの転入を受け入れており、キリスト教保育の必要性と存続意義を感じています。海と山に囲まれた豊かな自然、自園の広い畑など恵まれた環境を活かした保育を実践しています。経営面の努力と、保育の資質向上が面前の課題です。祈りつつ、この働きがつづけられますように。

改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)

―岡田薫先生(帯広教会・札幌教会)は最近、移住外国人を支援するための基金にかかわっておられると伺いました。どのような基金なのでしょうか。
岡田 名称を「難民・移民なかまのいのちの緊急基金(難民・移民基金)」といいます。昨年の国会での改悪入管法の審議に、キリスト教界は協力して反対の声をあげたのですが、6月に可決・成立してしまいました。この反対運動の中で、特に在留資格のない方や、仮放免の方々が困難な状況におかれていること、また成立から1年以内に施行されることになっている新しい入管法によって、さらに困難な状況に追い込まれる方々の存在が見えてきました。そこで、この反対運動で協力しあったキリスト教団体が、市民運動とも手を取りあって、困難な状況にある外国人住民の方々を、直接的に支援できるようにと基金の取り組みが始まったのです。
―外国人が日本で暮らしていくにあたって、どのような難しさがあるのでしょうか。
岡田 多くの問題があります。特に立場が弱いのが、様々な事情で在留資格を失ってしまった方や難民申請を却下された方、難民認定を待ちつづけている方々です。現行法でも行動の自由の制限、労働の禁止や制限がなされ、10割負担でないと病院にもかかれないなど、生きていくための最低限の権利すら守られていません。この基金の理解と支援を広めるために2月18日(日)にオンラインで集会が予定されているので、多くの方にご参加いただきたいです。
―岡田先生は、どのようないきさつでこの基金にかかわられることになったのですか?
岡田 2021年の軍事クーデターで困難に陥ったミャンマーの人たちのためのオンライン祈祷会に友人の誘いで参加し、オンラインを通じた人間関係が広がったのがきっかけです。
―ありがとうございました。先生の大切にしておられる聖句を教えてくださいますか。
岡田 1つに絞ることは難しいですが、今は「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」(ヨハネによる福音書15・12)です。
―どうもありがとうございました。

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

―イギリスにもLWFに加盟するルーテル教会があることはあまり知られていません。Lutheran Church In Great Britain(英国ルーテル教会)がそれです。信徒としてエキュメニズム活動に熱心に取り組んでいるのは、ドイツ生まれの旧約学者アンナ・クラウスさん。英国にはChurch Together in Engllandというエキュメニズム運動があり、50を超える教派の教会と関連団体が参加しています。
エキュメニカル運動に関わるきっかけは何ですか?
アンナ 私自身は大多数がルーテルに属するドイツの北バイエルン出身です。そこはカトリックは少数でルター派が非常に強い地域でした。学校ではいろいろな教会の友人がいましたが、大学はルーテルの人がほぼゼロのスコットランドの大学で1年間学びました。そこでスコットランド改革派と関わり、地域のカトリック教会チャプレンを手伝ったりしました。大変でしたがとても意味ある経験で、それ以後エキュメニズムに関わるようになりました。
―エキュメニズム運動をするうえで、聖書の写本研究者として見えてくることは何ですか?
アンナ 聖書はキリスト者にとって共通ですが、読み方や経験はさまざま。聖書成立期の文献や聖書そのものを研究することで、当時の人たちが聖書とどう向き合ったかが私の研究ですが、このことは、さまざまな教会の伝統に立つ今日のキリスト者が、聖書をどう読み解釈するかを知るうえでとても有益です。
―エキュメニカルな見方は日常生活でどう影響しますか。
アンナ 神学的一致というのは最終段階のことと一般的に考えがちですが、エキュメニカルなつながりの中にいると、一致こそまず第1で、何か美しいものとなっていく基板です。英国のルーテル教会は英国国教会ととてもよい関係にあります。
―今年の宗教改革記念日では英国の教会協議会75周年記念会を担当されましたが、企画に携わって印象深いことは何ですか?
アンナ 協議会関係の人だけでなく、エキュメニカルな代表者たちも参加してくれましたし、LWFのご挨拶もあったことです。それと礼拝で使う聖書を各教会から持参してもらい、言語の異なる聖書の祝福と献呈が行われたことが印象に残っています。
―Church Together in England(以下CTE)議長としての役目は何ですか?
アンナ カンタベリー大主教、ローマカトリックと正教会の総司教たちが居並ぶなかで、按手を受けていない若い女性の私が大役をさせていただき本当に光栄でした。CTEは英国の大きなエキュメニカルなネットワークの一つで、神学的な検証の後、加盟を認められた新キリスト教団体も入っています。グループは全部で6つ。アングリカン(英国国教会)、正教会、カトリック、ペンテコステとカリスマ派、自由教会、そして私たちルター派が属する第4グループにはクェーカーと改革派がいます。多様な構成ですので時に議論は難航しますが、これだけの教会の声ですから、主要課題についての声明はとてもパワフルになります。

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

解説㊾ 増補41番「わたしたちは一つ」増補43番「希望の道」

石丸潤一(西日本福音ルーテル 新田教会牧師)

「わたしたちは一つ」と「希望の道」は、いずれも、西日本ルーテル鳥取教会で活動する賛美バンド「David’s Harp(デイヴィッズ ハープ)」のメンバーである竹中友張氏による作品です。
これらは、3年に1度開かれていた西日本福音ルーテル教会の「聖会」(COVID‐19流行後は休止中)のテーマソングとして作られた賛美です。
2009年の聖会は「主にあって一つ〜主内一家〜」と題し、ガラテヤの信徒への手紙3章28節のみことばのもとで持たれました。
同じ宣教団体から生まれた西日本福音ルーテル教会の姉妹教会である香港・マカオと台湾のルーテル教会の兄姉が聖会に共に集い、イエス様の恵みによって一つとされている教会・クリスチャンの幸いを深く味わうひと時でした。
テーマソング「わたしたちは一つ」は、神様が結んでくださったことに感謝しつつ、愛し合い、祈り合い、御名を賛美する教会の喜びを軽快に歌います。
2012年の聖会は「前進」。ヘブライ人への手紙10章39節のみことばに励まされ、主とともに、ひるまず、ひたむきに前に進んでいく。将来への祈りとヴィジョンを分かち合いました。
テーマソング「希望の道」は、さまざまな困難がある日々でも、主と共に歩む私たちには、失われることのない希望と前進していく勇気が与えられているという、信仰の確信に基づくクリスチャンと教会の力を歌います。
COVID‐19は、心身ともに人々の距離を離しました。またこの世の宗教への風向きは、今、強い向かい風のように教会にも吹きつけているように感じます。
この2曲の賛美は、そんな今を生きる教会とクリスチャンを、明るく、力強く、励ます力に満ちています。今回収録されたことで、西日本福音ルーテル教会を超えて多くの教会で愛唱され、主にあって愛する兄姉の心に、信仰のぬくもりと力が注がれるようにと願います。

LWFアセンブリーに参加して

本間いぶ紀(日本福音ルーテル 甘木教会信徒)

ポーランドのクラクフで開催された第13回ルーテル世界連盟(以下LWF)総会に、そして総会後の理事会に参加しました。総会にてLWF理事会の青年理事として選出され、理事会に出席するためでした。「機関紙るうてる9月号」に掲載していただいていますが、6月にマレーシアのクアラルンプールで開催されたアジア・プレ・アセンブリーでアジア地区の推薦を受け、この度クラクフでの総会で承認されました。
私は総会の決議に対する投票権はなく、会議を傍聴しました。総会の最後の礼拝では選出された次期理事49名全員の名前をLWF事務局長のアン・ブルグハルト牧師が読み上げ、祝福を受けました。私の隣で共に礼拝に参加したインドネシア出身の友人は、彼女の言葉で私のこれからの歩みのために祈ってくれました。私は彼女の言葉は分かりませんでしたが、彼女が私のために一生懸命に祈っているということは、確かでした。世界中のあらゆる場所から来て、それぞれ違う言葉を話し、異なる生活習慣を持つ私たちが、キリストによって同じ場所に集められ、共に神様を賛美し、信仰を分かち合うことができるのだということを実感しました。
また6月にクアラルンプールで出会った友人たちに助けられました。私の到着を待って連絡をくれた友人、一緒に祈ってくれた友人、市街地を共に観光しながらたくさん話した友人、青年理事として活動していくことを応援してくれた友人。私はクアラルンプールからの帰国後「短い参加であっても、アジアの青年たちと出会い、彼らを知り、彼らと時間を共にするという目的を十分に果たせたのではないか」という感想を残していましたが、まさしくその通りでした。クアラルンプールで共に過ごした時間は少ししかなかったにもかかわらず、私を覚えて、祈ってくれた彼らへの感謝の想いでいっぱいです。
青年理事としての任期は2030年までです。まだまだ分からないことばかりですが、たくさん学んで、LWFを支える1人になれたらと思います。そしてなによりも私は神様が私に与えてくれた賜物であるこのミッションに、神様の助けと導きによって応えていきたいと思います。
最後になりましたが、みなさまのお祈りに感謝します。主にありて。

LWF第13回アセンブリーに出席して

大柴譲治(日本福音ルーテル 大阪教会牧師)

2023年9月13日(水)〜19日(火)、ポーランドの古都クラクフでLWF第13回総会に参加してきました。世界99ヶ国の150教会から300名を超える代議員とスタッフ、エキュメニカルゲスト、ビジター等で多い時で参加者は1000人を超えていたでしょうか。前回は2017年にアフリカ・ナミビアで開かれ、次回は2030年に信仰告白500年を記念してアウクスブルクで開催されます。今回の会場は近代的な設備を誇るクラクフICEセンター。近畿福音ルーテル教会のC・クリンゲンスミス師と私の2人が日本からの代表でした。他にJELCから宮本新牧師、三浦慎里子神学生、大柴金賢珠氏の三人がビジター、そして今回アジアから推薦を得て青年理事に選ばれた本間いぶ紀氏が後半参加。代議員は缶詰状態で議長・事務局長報告、会計報告等の承認、選挙、分団等に追われました。私は国際会議への参加は初めてでしたのですべて新しい経験でした。同時通訳の翻訳機と投票用機器の2つを常に目の前に置いて会議は進行したのです。中にはすべてオンラインで書類を入手する方もおられました。文書は英語・独語・仏語・スペイン語の四カ国語で準備され、発言もそうでしたから同時通訳機は不可欠(その事務量の多さだけで圧倒!)。帰国する際には書類と出版物の重量は何と6キロを超えていました。ビジターとして今回宮本先生と三浦神学生の参加は必ず将来のJELCのためになりますので、ぜひ今後もそのような機会を増やして欲しいと願っています。米国は今回20人もの神学生をビジターとして派遣していました。若い人たちにはぜひ英語力をつけていただきたいと願います。
私にとって今回の白眉だったプログラムは2つ。1つは15日(金)に15台のバスに便乗して650人がアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所を訪問したこと。アウシュビッツは日本に関わりの深かったコルベ神父が処刑された場でした(遠藤周作『女の一生・二部・サチ子の場合』)。もう1つは17日(日)に地域教会の礼拝に参加できたことで、そこには都南教会で受洗された日本人もおられました。ポーランドは宗教改革直後も第2次大戦中も激戦地となった場です。力強い礼拝賛美の歌声はその苦難を通して培われた信仰の力を現していると強く感じました。

第30期第3回常議員会報告

李明生(日本福音ルーテル教会事務局長・むさしの教会牧師)

11月13日、日本福音ルーテル教会常議員会がオンライン(Zoom)によって開催されました。以下、主な事項について報告いたします。

・市ヶ谷会館大型修繕(耐震補強)工事完了報告

2022年7月より開始された市ヶ谷会館大型修繕(耐震補強)工事が9月10日に無事完了しました。この修繕工事計画のためにご尽力頂きました皆様に感謝申し上げます。またルーテル市ヶ谷センター3階宿泊フロアもリニューアルされたことを併せて報告いたします。

・スオミ教会解散の件

今年4月のフィンランド・ルーテル福音協会(LEAF)から日本福音ルーテル教会への宣教師派遣終了決定を受けて、スオミ教会は9月開催の臨時総会において、日本福音ルーテルスオミ教会としては12月1日をもって解散、その上でフィンランド・ルーテル福音協会の教会として新たに教会形成をすることなりました。これを受けて、スオミ教会からの解散申請が今回承認されました。スオミ教会の新しい歩みの上に主の導きが豊かにありますことをお祈りいたします。

・西教区「開拓教会建築資金」の用途変更申請並びに「土地建物回転資金」未払利息の免除申請の件

西宮教会および西条教会から土地建物回転資金への返済を進捗させるため、開拓伝道資金のうち西教区のために確保されていた資金の利用ならびに未払利息免除について当該教会の申請と新たな返済計画と併せて西教区常議員会より申請が出されました。未払利息の免除については返済が15年近く遅れている状況と西教区としてこれを申請していることを鑑みた上で財務委員会においても「特認」としたことを確認の上、本件については承認されました。

・2024年度協力金・
教職給与の提案の件

各教区ならびに全体教会の諸活動がCOVID–19以前のものに戻りつつある中、次年度協力金については10%に戻すことが確認されました。また教職給与については、物価上昇を踏まえて0・5%のベースアップとすることが確認されました。個々の教会のご理解とご協力をお願い申し上げます。

・関係法人設立に関する要綱全面改正の件

「関係法人設立に関する要綱」ならびに「法人化志向園についての審議基準」は1983年に制定されましたが、その後の社会状況の変化を踏まえて、前総会期より財務委員会を中心に検討を重ねてきました。これまでの検討を踏まえて今回、「法人化志向園についての審議基準」を廃止し、「関係法人設立に関する要綱」を全面改定することとなりました。この要綱は「教会が諸活動を法人化しようとするとき、また既存の法人の運営を見直そうとするときに、ルーテル教会の基本的な方針として活用される」ことを目的とするものです。

その他の報告・議事等の詳細につきましては、各教会へ配信されました常議員会議事録にてご確認ください。

山内量平探訪記①

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

今から30年前、ルーテル教会は「宣教百年」に沸きました。1893年に、アメリカのルーテル教会からの宣教師、シェラーとピーリーが佐賀で宣教を始めてから100年目だったのです。この時に発行された『宣教百年の歩み』には、2人が宣教師に選ばれてから佐賀に来るまでが2ページにわたって書かれたあと、「やがて後を追って、日本語教師の山内量平夫妻が合流」とあります。
私はこれを読んで、「これから宣教を始めるときに、なぜ初めからいたのか?」と素朴な疑問を持ちました。
10年くらい前に、『山内量平・日本のルーテル教会初代牧師』(坂井信生著)という本に出会いました。その本を通じて、山内先生が和歌山県で劇的な回心を体験し、財産を処分して信徒伝道に献身し、やがて上京してルーテル教会の宣教師に出会ったことを知りました。ルーテル教会宣教開始は、宣教師が日本語教師を雇って始めたというより、宣教師と山内夫妻の共同事業でした。そういう準備が、和歌山でなされていたのです。
私は、「いつか、先生の回心の場所に立ってみたい。」と思うようになりました。昨年召された妻が残していたマイレージに背中を押されました。「そうだ和歌山、いこう。」というわけです。
2023年4月、南紀白浜に飛び、2泊3日と短いが、山内先生を偲ぶ旅ができました。これからその旅の思い出をお分かちしたいと思います。

聖書日課購読のお勧め

聖書日課は、ルーテル教会諸派の有志が共同で作成する、ルーテル教会の教会暦にそった日毎のみ言葉の説きあかしです。
執筆者はルーテル教会の先生方にお願いしており、日毎にみ言葉を味わうことができるようにしています。
是非、会員になって頂き、み言葉に満たされ、同時に文書宣教の業を支えて頂けたらと願っています。
刊行は年4回行われています。1月号から1年会員となって頂いた場合、年4回の配布で1800円、年度途中からの会員の方は1冊500円となっています。
いつでも入会可能です。
次回は4月号からの受付となります。年3回の配布で1500円(1冊500円)です。
お申込みは、聖書日課事務局にお申し出ください。
また、WEB会員は年会費1200円でご利用いただけます。WEBサイトからお申込みください。

ルーテル聖書日課を読む会事務局
〒162-0842
東京都新宿区市谷砂土原町1-1
日本福音ルーテル教会事務局内
TEL:03-3260-8631
FAX:03-3260-8641
E-mail:seishonikka@jelc.or.jp


24-01-01「聖なる地」

「主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。(出エジプト記3・4~6)

 新しい年を迎えました。皆様にとって2023年はどのような年だったでしょうか。辛いニュース、悲しいニュースの多い年ではありましたが、結婚や出産、就職、目標の達成といった、喜ばしい出来事を経験した方も多くおられたことと思います。
 私はと言いますと、大阪生まれの大阪育ちの人間にとって「アレ」、つまり阪神タイガースが日本一になったことは本当に嬉しい出来事でした。報道では38年ぶりと何度も大きく取り上げられました。
 実は私が人生の大きな節目を迎えたのは、まさに38年前です。大阪の町は日本一を目指して戦っている阪神タイガースの話題で持ちきりでした。しかし、高校3年だった私は通学の途中で強い衝撃を受ける出来事に遭遇します。私の目の前に赤ん坊を抱いたお母さんが歩いていたのですが、急に向きを変え、私の体にぶつかるようにして、そのままホームから電車に飛び込んでしまったのです。あっという間の出来事で、私は呆然と立ち尽くすだけでした。
 この出来事はそれ以降、何度も何度も脳裏によみがえりました。自分ができることが何かあっただろうか、何かしなければならないんじゃないか、という思いが心の底から湧き起こりました。
 私はクリスチャンだった母に連れられて幼い頃から教会に通っていましたが、熱心に聖書を学ぶタイプではありませんでした。その私が、自分の将来を神様に導いていただきたいと真剣に願い、熱心に聖書の言葉に耳を傾けました。やがて自分の目指す道は社会福祉であると示され、ルーテル神学大学入学後、牧師の召命へと結びついていきました。
 与えられました聖書個所には「モーセの召命」という見出しが付けられています。神の山ホレブで柴の間に炎が燃えており、それを目撃したモーセは「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」と呟きます。
 この箇所は、ルーテル教会の式文、教会起工式で読むことが勧められています。私の仕えている飯田ルーテル幼稚園でも、つい最近起工式が行われ、理事長の立場にある私が式典を執り行いました。
 しかし「いよいよ始まる」という喜びよりも、思いがけない資材の高騰で厳しい資金繰りを強いられる現実を前に、モーセのように神様を信じて歩み出す必要があることを強く感じながらの司式となりました。
 1911年4月1日に産声を上げた飯田ルーテル幼稚園は、100年を超えてこの地で福音を届け続けています。小規模ではありますが、キリスト教教育を続けてきた幼稚園と、それを支え続けた教会は、飯田に存在する「燃え尽きない柴」だと思うのです。「なぜあの柴は燃え尽きないのだろう。」そう思って近づいてくださる保護者の方々、子どもたち、地域の皆様に、神様の御力とイエス様の愛を示し続けるのです。
 時代的には伝道をしていく難しさが強調されますし、思うようにいかない時は、神様の守りがあるのを知りつつも、「わたしは何ものでしょう」とおびえ、尻込みしてしまいます。それでも神様は「わたしはある。わたしはあるという者だ」と力強くご自分を証しされ、「わたしは必ずあなたと共にいる」と言い切ってくださるのです。
 モーセの旅は40年の歳月を要します。その間に、民衆は神様を信じ続ける者と脱落していく者に分かれました。最後の最後まで神様を信頼した人々が約束された土地へと導かれていったのです。
 私たちが神様に入ることを許された「聖なる場所」とは、教会であると言えるでしょう。神様はそこに「燃えても燃え尽きない柴」の炎を明々と輝かせ、人々を招いておられるのです。
 現在、子育てをしている家庭のほぼ4割に、強い不安や孤独があり居場所がないと感じているということを耳にしました。高校生の時に目撃したあの光景を繰り返してはならない。あの母親のつきささるような眼差しを笑顔にしたい。私には再びそんな思いが与えられています。
 私たち一人一人の力は小さくとも、できることはそばにあります。この1年、共に祈り、支え合いつつ「わたしは必ずあなたと共にいる」と言ってくださる方を見上げつつ、日々を重ねてまいりましょう。

「燃える柴」 セバスチャン・ブルドン作、17世紀制作、エルミタージュ美術館蔵

23-12-01るうてる2023年12月号

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「主の母、マリア」

日本福音ルーテル久留米教会・田主丸教会・大牟田教会・長崎教会
牧師 西川晶子

「マリアは言った。「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように。」」(ルカによる福音書1・38/聖書協会共同訳)

  「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」ルカ福音書の受胎告知の場面で、天使ガブリエルがマリアに告げたこのあいさつは、クラシックの楽曲としても有名な「アヴェ・マリア」の元となった詞の一つです。
 「アヴェ・マリア」は伝統的に「聖母マリアに対し、罪のとりなしを祈る祈り」として唱えられてきたものですが、現代のルーテル教会やプロテスタント諸派においては、マリアを信仰対象とすることはありません。マルティン・ルター自身は当初、アヴェ・マリアを祈っていたこともあるようですが、彼自身の中で福音理解が深まっていくにつれ、ルターの中でマリアを信仰の対象とすることはなくなっていきます。しかしルターは、その後もマリアを軽視していたわけではなく、彼女が「主の母」「神の母」として尊敬されることはふさわしいことである、というようなことを言っています。しかしそれもまた、マリアがもともと私たちとは違う「聖なる方」であったから、というのではありません。
 マリアという人を私たちが想像しようとするとき、絵画などの、すでに母として完成された、包容力のある大人の女性である「聖母マリア」を思い浮かべがちではないでしょうか。しかし、この天使の知らせを受けたときのマリアは、おそらく当時の結婚適齢期とされる年齢の直前、10代前半の少女であったと考える方が自然です。
 それくらいのまだ幼いと言ってもよい少女が、天使に思いがけないことを告げられる。実際、ここでマリアは当初、喜ぶよりもむしろたいへん当惑し、考え込んでいます。マリアの身に突然起こったことは、とうてい信じられないようなことです。そしてこの先いったいどのようなことが起こるか、そもそも家族や婚約者ヨセフをはじめ、周囲の人々がこのできごとを信じてくれるかといったことも含めて、この時のマリアにとって、この受胎告知は、場合によってはマリア自身のいのちの危険さえ引き起こしかねないできごとであったはずです。このとき、マリアが天使の知らせを受け入れることは、神の子を身ごもることに伴って起こる、それらの困難をもまた引き受けるということでもありました。
 最終的にマリアは、天使の言葉に励まされ、「お言葉どおり、この身になりますように」という言葉で、その知らせを受け入れます。おそらくその先に起こることへの不安がなくなったわけではないでしょう。ヨセフとの関係、周りの人からどのように思われるか、また、まだ人として未成熟な自分が母となっていくこと…マリアは、これから自分の身に起こること一つ一つを生きていくことになります。
 私たちがマリアの中に模範となるものを見るとするならば、それは伝統的にマリアに付加されがちであった「清らかさ」「純潔」といったイメージではなく、このとまどいや恐れを抱えながらも、自分の中で始まろうとしている神様の救いのみ業を受け止めた、その「神に信頼して歩みだす姿」ではないでしょうか。
 そしてその中で、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力が」マリアに宿り、マリアを包むのです。これから、自分に起こることを引き受けていこうとするマリアの中に、生きて働く神のいのちが宿っている。マリア自身はただの少女にすぎませんが、しかしそのマリアをとおして、確かに神様のみ業が進んでいったのです。
 今から2000年前、少女マリアの中で始まったできごとによって、この世界のただ中に、神のいのちが受肉しました。神は、私たちの世界のただ中で、ひとりの小さな少女の中から、救いのできごとを始められました。私たちもまた、その神様のいのちに信頼したいと思います。私たちの現実の中にも訪れてくださる神様のいのちの働きを信じ、その方が与えてくださる人生を、勇気をもって引き受けて歩みたいのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊺ここにいるよ

「イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。」   ヨハネ20・16

 あれ、こんなに嬉しいんだ自分の名前を呼ばれると。そう思わされたのはある人に「〇〇さんおはようございます」と名前をつけて挨拶されたときでした。
 いろいろな機会に「挨拶するときは相手の目をなるべく見てお名前がわかるときはお名前をお呼びして挨拶をしましょう。」とは言ってきましたが、いざ自分が言われると嬉しいものですね。
 私が言ってきたことは間違いではなかったんだと改めて思いました。挨拶をするときその人の名前を言うと自分に言われたと思い嬉しいですよ。
 このようなことを言われたこともあります。「家の近くに〇〇の木があったのに、香りがしてここにもあったんだと初めて気づきました。」
 香りや花、他と比べて目立たないとわかってもらえないことがあります。「私はここにいるのに」そのようなときがあります。名前さえ呼んでもらえない。木も草も人もいろいろなものがそうであることが少なくないのです。
 でも誰かに気づいてもらえなくても必ずあなたや、木、草、一つ一つの名前を呼んでくださる方がおられます。それは神様です。
何で?それはいつも神様がそうだから。いくらそばにおられても「あなたを大切にしているよ」と囁かれてもなかなか誰にも気づいてもらえない。
 まるで他のものから比べると目立たなかったり、きれいではないからと気づかれず名前も呼んでもらえないいろいろなもののようです。自分の名前を呼ばれるって嬉しいものです。ほらあなたも呼んでみて「〇〇さんおはよう。」

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑦

関野和寛(日本福音ルーテル津田沼教会牧師)

 ルーテル津田沼教会は、1950年に開始されたルーテル市川教会の中山伝道所が前身となり、宣教を開始いたしました。1989年、千葉県習志野市の住宅街、現在の場所に移転し、今日に至っています。最近では30〜40名の対面、約60名のインターネット参加、合計約100名の方々と礼拝を行なっています。
 またインターネットを通しての献金をお献げいただいています。礼拝参加者の4割は既存の教会員、3割は新来会者、3割は他の教会の方々です。会員は高齢世代の方々が多いですが、同時に若者も多く参加しています。
 昨年より信徒牧会者育成を行い、信徒による牧会を実践しています。
 はじめて教会に来た人々への対応、健康上の理由で礼拝に参加できない方々への訪問やケアを信徒が主体的に行っています。今年、東教区、本教会から借入を行い外壁補強工事、そして駐車場をアスファルト化する事ができました。更には大きなピザ窯兼バーベキュー台を備える事ができました。
 また教区の伝道支援制度を用いて75インチ大型モニターを導入、牧師不在時の配信礼拝を試みたり、勉強会、映画会などを行なっています。
 教会の課題としては教会がまだまだ地域の人々が集う場となれていない事があげられます。ハードが整えられた今、今年は11月にオープンチャーチを行い、キッチンカーを呼び、ピザ窯でピザを振る舞い、ミニバザー、音楽会、牧師のレクチャーなどを盛り込んだイベントを行ない近隣の方々をお招きいたしました。ルーテル津田沼教会は「時代の灯火となる」を宣教テーマに掲げております。
 未来の教会の担い手を育て、そしてこの地に生活する人々の心の拠り所となれる教会を目指しています。

認定こども園玉名ルーテル幼稚園 上村 理恵(認定こども園玉名ルーテル幼稚園園長)

 本園は熊本県の北部、玉名市の中心部にあり静かな住宅街に位置しています。1954年に設立され今年70周年を迎えました。2015年に幼稚園から幼保連携型認定こども園に移行し、現在、0~5歳児の123名が在籍しています。
 初代園長の藤田先生は教育理念に「愛と信頼・感謝と希望」を掲げられ、愛されて育った子どもは人を信頼することを覚え、それは感謝の気持ちを育て、自分も人の役に立ちたいと希望を持つ人として成長することができるという、この想いが受け継がれてきました。これからもこの理念を胸に、保育の現場に立たせていただいていることの使命の重さを謙虚に受け止めて用いて下さる神様に感謝し、いつも子どもたちと共に成長できる一人でありたいと思います。
 また、70周年記念事業として新園舎が与えられ、園聖句を「わたしは雲の中にわたしの虹を置く」(創世記9章13節)とし、Restart(再出発)しています。園には虹を架けられた神様がいつも一緒にいて守っていて下さることを感じとることが出来る場所があります。階段踊り場のステンドグラス5枚(平和の虹と鳩・馬小屋のイエス様・ひつじ・ぶどう・天使)、見上げると虹がイメージできる「にじのへや」(ランチルーム)、ノアの箱舟の図書室、園庭への虹の階段etc. 子どもたちの笑顔で平和と希望がいっぱいになるようにと祈りが込められています。
 この70年の歩みに神様と関わってこられた全ての人に感謝して、これからもこの玉名の地でみんなに愛される玉名ルーテル幼稚園としてしっかりと歩んでいきたいと思います。

改・宣教室から

永吉秀人総会議長(日本福音ルーテル蒲田教会牧師)

 このコラムでは、これまでの「議長室から」を改め、「宣教室」から様々なルーテル教会関連の働きについてご紹介しています。
 「改」というシンボルの漢字は、「議長室から」を改めたという意味ではございません。これは今期の旗印として「悔い改め」の意味で掲げた「改」です。
 マルティン・ルターは、「九十五ケ条の提題」の第1条を、「私たちの主であり師であるイエス・キリストが、『悔い改めよ…』(マタイ4・17)と言われたとき、彼は信ずる者の全生涯が悔い改めであることを欲したもうたのである」と書き始めています。
 教会の宣教の歴史を振り返るとき、1517年の宗教改革運動の始まり以来、今日に至るまで、私たち教会は順風のときにも逆境の中でも宣教における様々な創意工夫を重ねてまいりました。今、改めてルターの言葉を聴き直すときに、教会もまたその全生涯が悔い改めとなるよう、イエス・キリストが欲しておられることを聴き取るのです。宣教とは、教会が社会と対峙し、そこに生きる人々と向き合い、これまでの自らの態度を悔い改めることによって起こされる出会いから始まるものでありましょう。
 宗教改革運動によりプロテスタント教会が生まれ始めて間もなく、ローマ・カトリック教会は自らの宣教を巻き返すがごとく、世界宣教を目指して未知の国々へと宣教師を派遣し始めました。このように、宣教とは絶えず前進し続けて来た教会の働きのように見えますが、実は派遣された場所に立ち止まることによってのみ、人々との出会いがあり、宣教の実が与えられて来たように、宣教とは「派遣されたところに立ち止まる」という歴史の積み重ねであったように受け止めています。
 この「宣教室から」というコラムでご紹介する一つ一つの働きは、まさに派遣されたところに立ち止まった人々の証言であり、そこに生きる人々と出会い、そこに寄り添われるキリストと共に生きている証しとして、私は感謝をもって受け取っています。その一つ一つの場から、派遣された人々の立ち止まる勇気に学び、立ち続ける忍耐と連帯し、そこで分かち合われている希望に、読者として私たちもあずかれるならば幸いです。

エキュメニカルな交わりから ⑲日本盲人キリスト教伝道協議会

⻆本浩(日本福音ルーテル神水教会・荒尾教会・松橋教会牧師)

  日本盲人キリスト教伝道協議会(以下、通称の「盲伝」と記します。)で理事をしている⻆本です。理事会は議長、副議長、書記の執行部の方々をはじめ、NCC加盟教会から選出されており、日本福音ルーテル教会からも一人選ばれています。現在、⻆本がこれを担っており、今回、理事としてこの団体について書くよう依頼されました。
 盲伝はコロナ禍の2021年に70周年を迎えました(その記念感謝会は翌2022年に開催)。今、私の手元にある点字キリスト教月刊雑誌『信仰』の最新号は1235号となっています。盲伝の公式ホームページには、「その母体となった「盲人キリスト信仰会」の歴史は大変古く、盲伝の発行している点字雑誌「信仰」…(中略)…この雑誌「信仰」の創刊は1915年(大正4年)にさかのぼります。」と記されているとおり、100年以上のつながりがあることがわかります。
 この文中にある「盲人キリスト信仰会」という名称は今も用いられているところがあります。私が住んでいる熊本でも「熊本地区盲人キリスト信仰会」があり、活動、交流が行われています(名称はそれぞれで、「盲信徒会」といった呼び名が主流かもしれません)。皆様のお住まいの地区ではいかがでしょう。もし活動を耳にされたら、ぜひご参加ください。喜ばれると思います。
 前述した『信仰』による文書活動のほか、点字図書の発行・取り次ぎ、全国修養会を通しての交流などが盲伝のおもな活動内容です。今年の8月にも福岡で1泊2日の修養会が行われ、私も行ってきました。75名ほどが参加され、楽しいひとときでした。
 盲伝事務局のスタッフのおひとりは、札幌教会の安藤惠さんです。みんなが認める盲伝になくてならない存在。締め切りギリギリになってこれを書きながら、この記事は安藤さんに書いてもらった方がよかったな、と後悔しています。より多くを知りたいときはどうぞ安藤さんにお聞きください。これからも盲伝に関わる方々に、神さまの祝福が豊かにありますように。

「教会讃美歌 増補」 解説㊼ 増補51番「愛がないと」

北川逸英(日本ルーテル教団池上教会・杉並聖真教会牧師)

 この歌詞は2011年7月、オートバイにずんどう鍋と肉、スパイスなどを満載し、東北に向かう途中で浮かびました。仙台まで何十㎞もある畑の中で、磯の香りがするのです。3月終わりに調布スタジアムで避難中の方々へ、河田チャプレンと、JELCの方々と共に炊き出した時に聞いた、ご夫婦の言葉が甦りました。
 「みんな変わってしまった。海岸線にあった松林の防風林は、丼にのる海苔のように剥がれた。畑の真ん中には、流された舟や車が突き刺さり、土に埋もれている。あったはずの物が無くなり、あってはならない物がそこに有る」
 この海から遠く離れた場所にも、津波が押し寄せてすべては埋もれてしまった。それでも4ヶ月後、被災者の方々とボランティアの方たちが、懸命に努力された事により、見事に高速道路は復興しました。
 何度か被災地を訪問しました。12年が経ってもまだ人の心には不安が埋もれている。だからこれからも信仰と希望を持って、愛といのちを運び続けます。

解説㊽ 増補51番「愛がないと」・26番「かみさま わたしのとなりびとは だれ」曲解説

西川亜紀(日本ルーテル教団旭川聖パウロルーテル教会会員)

 北の国からこんにちは。日本ルーテル教団から讃美歌委員会に加わっておりました西川です。今回は教会讃美歌増補51番「愛がないと」と26番「かみさま わたしのとなりびとは だれ」の作曲解説をいたします。まず51番「愛がないと」には元々は別のメロディが付いておりました。それは10年以上前に杉並聖真ルーテル教会に通っていた頃、讃美歌を作りたいと思い立って作った曲でした。ところがその一方で詞がなかなか思いつかず、お忙しい北川逸英先生にお願いして詞を作っていただきました。年月を経て新作讃美歌として増補に収録していただくことになった時、北川先生より詞に東日本大震災に対する復興支援の思いが込められていることをお聞きして、それならば私も同じ意識を持って作曲したいと考え、メロディを作り直しました。
 26番「かみさま わたしのとなりびとは だれ」では、讃美歌委員会の公募で採用された奈良部慎平さんの詞に曲を付けさせていただきました。シンプルで分かりやすく、元気なイメージの詞でしたので、教会学校の子供達を思い浮かべながらあっという間にできました。ポイントはサビで転調するところでしょうか。詞の前半にある疑問に対し「みんなともだち となりびと…」と突き抜けた明るさで答えるようなイメージで作りました。ぜひ皆様の教会でも賛美していただけると嬉しいです。

西教区主催「原発問題」学習会報告

秋山仁(日本福音ルーテル豊中教会・神戸東教会牧師・喜望の家代表)

 日本福音ルーテル教会は、2012年の全国総会で、「原発」問題について各教区において学習会を行うことを、申し合わせていましたが、西教区としては本当に遅ればせながら、9月30日(土)午後1時から、大阪教会会議室を会場にして、稔台教会牧師でNCC(日本キリスト教協議会)平和・核問題委員会委員長の内藤新吾牧師を講師として、「原発問題」の学習会をいたしました。
 内藤牧師の原発問題との取り組みは、名古屋に赴任した時に出会った一人の野宿労働者から聞いた、原発の労働現場の話が出発点だったそうです。労働者への安全対策がまったく無視され、労働者は常に被曝のリスクに晒され、そして健康上の保障も何もないまま使い捨てにされていった原発の労働現場。その実態を知ったことから、内藤牧師は原発問題に関わり始めたそうです。
 講演では、地震の多発地域である日本における原発の安全性の問題と、いまだに解決していない原発から生じる「核のゴミ」処理の問題、また、原発の燃料であるウランの採掘現場における労働者のすさまじい被曝の実態などが話されました。そして、何よりも原発の出発点は、広島・長崎に投下された原爆の開発であり、核に関わる全ての国際機関も、核大国による核の管理のためのものであり、「原発は核の平和利用である」という宣伝文句が欺瞞でしかないこと、原発を推進する根本的な動機が、核兵器の開発にあることなどが指摘されました。それはまた、日本政府と産業界による原子力政策の動機でもあるという指摘でもあります。最後には、福島でのALPS処理「汚染」水の排水問題との関連で、核廃棄物の再処理工場からの排水問題について、イギリスやフランスの実例、あるいは六ケ所村の実態をもとに話され、私たち自身が「正確な」情報と資料を注意深く収集することの必要性を強く感じさせられました。
 周知が遅かったため、会場参加が講師を除いて10名、ZOOM参加者は3名と少人数でしたが、2時間にわたり内容の濃い学習会を持つことができました。
 今回の学習会を通して、例えば「原発問題」に関する映画会の上映などという、教区、各地区、各個教会での継続的な取り組みについても、大きな示唆を得ることができました。この学習会を一度きりの企画に終わらせることなく、教会として(宗教界から)倫理的・神学的な視点から原発問題に発言していけるよう、私たちの学びを続けていきたいと考えています。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

イスラエルとパレスチナの平和を求める祈り

 エルサレムにある諸教会のリーダーたちは、イスラエルとパレスチナの平和を覚えて、10月17日を祈りと断食の日と定めました。この日、今回の戦争で苦境に立たされた人々や暴力に怯える家族の支援のためにエルサレムで礼拝がありました。LWF加盟教会のパレスチナルーテル教会(Evangelical Lutheran Church in Jordan and the Holy Land)は正義と平和のための祈りを呼びかけました。
 LWFは加盟教会に対して、イスラエルとパレスチナの命を奪われた人々のことを悲しみ、市民の安全と平和のために祈るよう呼びかけています。
 この呼びかけに応えてアメリカ福音ルーテル教会(ELCA)は10月17日を祈りと断食の日としました。インドネシアのルーテル教会(HKBP)は「戦争の終結、人道支援、平和と正義」の祈りをささげることを決定しました。ノルウェーのルーテル教会の監督は信徒に向けて平和の祈りを世界のクリスチャンとともに祈り、戦争の犠牲になったすべての人を覚えてローソクを灯すことを呼びかけました。
 カトリック教会のフランシスコ教皇は世界のカトリック信徒に向けて「聖地の教会と共に祈り、10月17日の火曜日は祈りと断食を」と声をあげました。世界キリスト教協議会(WCC)は「教会、そして心ある人々は、平和のために一致して祈り、愛する人を失った人たちと辛い思いをしている人々への支援を祈り求める」よう呼びかけました。

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

一日神学校報告

宮本新(日本ルーテル神学校教員・日本福音ルーテル教会牧師)

  今年の一日神学校は、9月23日(土・祝)に4年ぶりにキャンパスに皆さまをお迎えしての対面開催となりました。感染対策が継続されるなかではあるものの、チャペルでの開会礼拝は、久しぶりに大勢の人たちと賛美の声をあわせ、聖餐にあずかり、み言葉の糧を共にした恵み深くもまたよろこびのひとときでした。
 メインプログラムは、「関東大震災100年とディアコニア」をテーマにしたシンポジウムでした。コーディネーターは石居基夫学長、パネリストには、ともにルーテル学院の卒業生でもある髙橋睦氏(東京老人ホーム、常務理事)と山内恵美氏(母子生活支援施設ベタニヤホーム副施設長)をお迎えしました。いずれの施設も今から100年前、関東大震災時のルーテルの救援事業にルーツがあります。やがてそれぞれの働きは、特別養護老人ホーム、養護老人ホーム、軽費老人ホームなどからなる社会福祉法人東京老人ホーム、また墨田区・江戸川区で母子生活支援施設と保育園を運営する社会福祉法人ベタニヤホームへと歩みを進めてきました。
 シンポジウムでは、各パネリストから施設創立の歩みと祈り、そして今日まで施設が大切にされてきたことをお分かちいただきました。普段顔をあわせる機会は多くはないかもしれませんが、教会も施設も共にルーツをひとつにして、わかちあってきたビジョンがあることを確かめるようなひと時でした。あらためて年月とは、ただの数字ではなく、その時代を生きて歩んできた数多くの人たちの足跡と、その祈りの束を伝えるものと思わされました。ディアコニアの100年とはそういう意味なのかもしれません。
 シンポジウム後、いくつもの教会や団体がミニショップを出店し、対面ならではの賑わいを見せました。コロナ禍のオンラインから対面開催に戻すことも、また半日開催でお招きすることも、多くの議論を要し、容易なことではありませんでした。しかしそれでも心を寄せてお集まりいただいたところにある恵みは十分なものでした。お一人お一人の参加と、また遠くにある祈りと支えとに心から感謝を申し上げます。

「聖書日課・読者の集い」報告

松本義宣(ルーテル「聖書日課」を読む会 発行委員代表・日本福音ルーテル東京教会・東京池袋教会・板橋教会牧師)

  久しぶりの「聖書日課・読者の集い」が、10月23日~25日、日本福音sルーテル大阪教会(宿泊は「ホテル・ザ・ルーテル」)を会場に行われました。昨年はオンライン(Zoom)開催でしたが、対面(リアル)では4年ぶりの再開、参加者にとっては「再会」となりました。ブランクのため以前ほどではありませんでしたが、延べ34名の参加者でした。
 今回は、大阪教会の大柴譲治牧師を講師に、「ローマの信徒への手紙」を学びました。先生のご専門である牧会学・カウンセリングと長い牧会経験からの博覧強記、縦横無尽な語り口から、みことば(ローマ書)を通して福音の真髄に触れるお話しを伺いました。2日目夜の恒例「音楽と賛美の夕べ」では、京都教会員の泉川道子さんと大阪教会員で声楽家の森本まどかさんのご奉仕で、「教会讃美歌増補分冊1」からルターの教理コラールを歌い、美しい日本歌曲やオペラ・アリアも堪能しました。
 聖書日課の読者は、本来は各々の場(個人、家庭、諸施設、職場等)で「聖書日課」を通して「みことば」を共有していますが、この会は、顔と顔を合わせて、その恵みと喜びを分かち合う時、共に聖書の学びをするプログラムとして行われてきました。が、コロナ禍のブランクで様々な変化があり、以前は、聖書日課執筆者の研修も同時に行われて、読者と執筆者の交わりの時を持ちましたが、執筆者研修は別途オンライン開催となり、併せて発行委員の交代や事務局機能の移動などもあり、久々の読者の会も変化の中にあるのかもしれません。しかし、確認できたことが一つ、やはり共に集い、共にみことばに触れることの喜び、元々この「聖書日課・読者の集い」が持っていた意義を、コロナ禍でそれぞれの教会、集会、施設での集えない経験を経て、誰もが強く感じたことを、改めて再確認、深く受け止められたのではないかと思います。「聖書日課」の先見性!?です。

TNGユース部門主催 リーダー研修キャンプ報告

竹田大地(TNGユース部門長・日本福音ルーテル天王寺教会牧師)

 9月4日~7日、沖縄にてTNGユース部門主催の「リーダー研修キャンプ」が開催されました。本プログラムは、教会における次世代の担い手を養成するプログラムとして企画されています。参加者は2名でしたが、その分濃密に沖縄の戦争遺構(ガマなど)、普天間基地前での「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」、辺野古基地建設地前での抗議活動などをじっくりと体験し、伊江島では戦後、アメリカ施政権下の沖縄で米軍強制土地接収に反対する反基地運動をした阿波根昌鴻氏と活動を共にした謝花悦子氏からお話を聞く機会をいただきました。
 参加者たちは、聖書に学び、実際に沖縄に立つことにより、そこに息づく人びとの声にならぬ声を聞くことの大切さ、弱くされ排除されていく様を目の当たりにすることにより様々な思いと、決意を与えられ「一人一人の心を大切にする、そんな当たり前のことがこれから教会を、世界を担っていく私たちに今最も求められていること」だと感想に記しています。
 来年も沖縄で開催する予定です。どうぞその際には青年の皆様にご案内ください。

第31回春の全国ティーンズキャンプ開催

〈テーマ〉「最強の絆」
〈日時〉2024年3月26日(火)~28日(木)
〈会場〉千葉市少年自然の家(千葉県長生郡長柄町針ヶ谷字中野1591─40)
〈参加費〉
1万5千円(同一家庭から複数参加の場合は1名につき1万4千円)
〈参加対象〉
2005年4月2日~2012年4月1日生まれの方
〈応募締切〉
2024年2月18日(日)
〈申し込み〉
公式ブログよりお申し込みください
 
【同時募集】
スタッフ募集
〈募集人数〉若干名
〈募集資格〉
2005年4月1日
以前生まれの方
キャンプの全日程に
参加できる方
事前に開催される
Zoomでの研修会に
参加できる方

〈スタッフ応募締切〉
2023年12月末日
〈申し込み〉
公式ブログよりお申し込みください

23-12-01主の母、マリア

「マリアは言った。「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように。」」(ルカによる福音書1・38/聖書協会共同訳)

  「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」ルカ福音書の受胎告知の場面で、天使ガブリエルがマリアに告げたこのあいさつは、クラシックの楽曲としても有名な「アヴェ・マリア」の元となった詞の一つです。
 「アヴェ・マリア」は伝統的に「聖母マリアに対し、罪のとりなしを祈る祈り」として唱えられてきたものですが、現代のルーテル教会やプロテスタント諸派においては、マリアを信仰対象とすることはありません。マルティン・ルター自身は当初、アヴェ・マリアを祈っていたこともあるようですが、彼自身の中で福音理解が深まっていくにつれ、ルターの中でマリアを信仰の対象とすることはなくなっていきます。しかしルターは、その後もマリアを軽視していたわけではなく、彼女が「主の母」「神の母」として尊敬されることはふさわしいことである、というようなことを言っています。しかしそれもまた、マリアがもともと私たちとは違う「聖なる方」であったから、というのではありません。
 マリアという人を私たちが想像しようとするとき、絵画などの、すでに母として完成された、包容力のある大人の女性である「聖母マリア」を思い浮かべがちではないでしょうか。しかし、この天使の知らせを受けたときのマリアは、おそらく当時の結婚適齢期とされる年齢の直前、10代前半の少女であったと考える方が自然です。
 それくらいのまだ幼いと言ってもよい少女が、天使に思いがけないことを告げられる。実際、ここでマリアは当初、喜ぶよりもむしろたいへん当惑し、考え込んでいます。マリアの身に突然起こったことは、とうてい信じられないようなことです。そしてこの先いったいどのようなことが起こるか、そもそも家族や婚約者ヨセフをはじめ、周囲の人々がこのできごとを信じてくれるかといったことも含めて、この時のマリアにとって、この受胎告知は、場合によってはマリア自身のいのちの危険さえ引き起こしかねないできごとであったはずです。このとき、マリアが天使の知らせを受け入れることは、神の子を身ごもることに伴って起こる、それらの困難をもまた引き受けるということでもありました。
 最終的にマリアは、天使の言葉に励まされ、「お言葉どおり、この身になりますように」という言葉で、その知らせを受け入れます。おそらくその先に起こることへの不安がなくなったわけではないでしょう。ヨセフとの関係、周りの人からどのように思われるか、また、まだ人として未成熟な自分が母となっていくこと…マリアは、これから自分の身に起こること一つ一つを生きていくことになります。
 私たちがマリアの中に模範となるものを見るとするならば、それは伝統的にマリアに付加されがちであった「清らかさ」「純潔」といったイメージではなく、このとまどいや恐れを抱えながらも、自分の中で始まろうとしている神様の救いのみ業を受け止めた、その「神に信頼して歩みだす姿」ではないでしょうか。
 そしてその中で、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力が」マリアに宿り、マリアを包むのです。これから、自分に起こることを引き受けていこうとするマリアの中に、生きて働く神のいのちが宿っている。マリア自身はただの少女にすぎませんが、しかしそのマリアをとおして、確かに神様のみ業が進んでいったのです。
 今から2000年前、少女マリアの中で始まったできごとによって、この世界のただ中に、神のいのちが受肉しました。神は、私たちの世界のただ中で、ひとりの小さな少女の中から、救いのできごとを始められました。私たちもまた、その神様のいのちに信頼したいと思います。私たちの現実の中にも訪れてくださる神様のいのちの働きを信じ、その方が与えてくださる人生を、勇気をもって引き受けて歩みたいのです。

「受胎告知」エル・グレコ作・1590年・油絵・大原美術館蔵

23-11-01るうてる2023年11月号

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「老いの神学」

日本福音ルーテル田園調布教会・雪ケ谷教会牧師 田島靖則

「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。/同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ書46・3b〜4)

 通常この巻頭説教は、季節の聖書日課に基づいて作成されるようです。しかし、コロナ禍以降は私もご他聞に洩れず、毎週の礼拝説教をそれぞれの教会のホームページ上で動画公開しておりますので、日課通りの説教をご希望の方はどうかそちらをご覧ください。
 今から33年前、私は池袋のR大学で「老いの神学」と題した修士論文に取り組んでおりました。当時はまだ20代でしたので、テーマを考えると少々無謀な挑戦だったように思います。当時の私は、高齢者に対してある意味理想主義的なイメージを抱いておりました。歳を重ねるにつれて、人間はより思慮深くなり、その人生には深みが加えられるのだと、そのように想像しておりました。今朝、新聞の「人生相談コラム」で「最近の日本社会には、魅力的な人がいなくなった」と嘆く投稿が寄せられているのを見かけました。回答者は、「今も魅力的な人はいますが、目立つことができなくなったのだ」という分析を披露していました。良い意味でも悪い意味でも、目立つことによってSNSで批判に晒される昨今の風潮の中、誰もが萎縮せざるを得ないというわけです。その結果、他者に無関心に見える人が増えたように感じられる。路上で困っている人を見かけても、手を差し伸べて良いものかどうか尻込みしてしまう。世知辛い世の中になったものだと思います。こうなると、社会はますます無味乾燥な場所に感じられてしまう。私たちが生きているこの社会に、希望を感じている人は一体どのくらいいるのでしょうか?
「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。/同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」
 私がかかわる教会では、聖書研究会も現在はオンラインで行われます。前任者から引き継いだ旧約聖書イザヤ書の学びを続けています。ご承知のようにイスラエル統一王国は、サウル、ダビデ、ソロモンと3代続いた後分裂します。紀元前721年に北王国イスラエルは滅亡し、紀元前585年に南王国ユダも新バビロニア帝国によって滅ぼされます。バビロンで捕囚民となったユダヤ人は、その46年後に新たな征服者であるペルシャ王キュロスによって解放されます。その46年間の捕囚生活がユダヤ人の存在の根底を揺さぶり、「選ばれた民」としての誇りも、民族の希望も失われたかのように見える惨状を生んだのです。
 まさにそのような、夢も希望も潰えたように見える状況の中で、預言者イザヤは生き残ったユダヤ人たちに呼びかけます。イザヤ書を読み進むと、何もかも失った人たちを奮い立たせることは容易ではないと、思い知らされます。あらゆる言葉を重ねて、ユダヤの人たちをもう一度立ち上がらせようと、必死の思いでイザヤは「神の言葉」を取り継ぎます。
 まず、半世紀にわたる捕囚生活で生まれた神への不信が払拭されなければなりません。何しろ46年間苦しんでいた間、神は一体どこで何をしていたのか?という素朴で根本的な疑問に答える必要がありました。このお話を聞いて、「足あと(Foot Print)」と題された詩を思い出す方もおられるでしょう。1990年代に米国のキリスト教会で、作者不明の詩として話題となったあの詩です。キリストと共に自らの人生を振り返る時、そこにはいつも二人分の足跡が残されているのが見えました。自分の足跡とキリストの足跡でした。でも、不思議なことにその人が人生の中で一番苦しんでいた時には、一人分の足跡しか残されていない。その人はキリストに尋ねます、「私が一番苦しんでいた時に、あなたは何故一緒にいてくださらなかったのですか?」キリストは答えるのです。「あの時私は、あなたを背負って歩いていた」と。
 この「足あと」にモチーフを与えたのは、イザヤ書46章の言葉だと思います。「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」という神の言葉は、信じるに値する言葉です。今や大切なものはほとんど失われてしまったと感じる時、「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。」という言葉を思い出したいのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊹私も?

天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。」詩編19・2

 「どうしていつも笑っているの?そして何でいつもお礼が言えるの?」と言われ思わずこう聞き返していました。「えっ私笑ってる?」あまりにも最近いろいろなことを経験したので自分は笑い方を忘れているのではないかと不安になっていました。私笑顔を忘れていなかったんだ。
 冒頭の言葉は先日入院したとき隣のベッドの方に言われました。私とは病名は違いますがその方の病気も進行性で苦労されていたから投げかけられた言葉だったのか、どのような気持ちで投げかけられたのか私にはわかりません。その言葉は私に、私は笑顔を忘れていないことも、ありがとうと言える心が残っていることをも思い出させてくれました。そして自分が周りに笑顔と感謝を伝えていたことに気づかせていただきました。用いてられるってこういうことなのでしょうか?
 逆に強いメッセージを込めているものもたくさんあります。その一つによく食卓で見かける絵があります。ただそれを見ると、どれだけの人がその絵の作者を知り、どれだけの人がその絵の意味を…と思うとおかしくなります。ましてや見た人がその絵の解釈をその絵を載せた人の意図しなかった方向で解釈していたとしたら。用いられるってどういうこと?作者は神様です。
 一人一人は神様によって造られました。神様ご自身の勝手な思いではなく一人一人への神様からの愛が込められています。そして一人一人を通して一人一人が出会う人へ神様が愛をお伝えになります。受け取る人それぞれのかたちで。

改・宣教室から

小泉基 宣教室長(日本福音ルーテル 札幌教会牧師)

 ―佐伯さんには、3年前に社会委員会が発行した『多様な性を知るために』の執筆で全面的にお世話になりました。もともとセクシャリティーの事柄について関心をお持ちだったのですか?

 佐伯 長年、小・中学校の養護教諭として仕事をしてきました。小学校で保健室登校を支えて落ちついた子が、中学校で荒れて自殺未遂をしてしまうようなことがあり、その子に宿題をもらった思いで「いのちの学習」に取り組むようになりました。そこから性の問題への関心につながりました。

 ―今の学校現場で、セクシャルマイノリティーの子どもたちは、どんな辛さを経験していくのでしょうか。

 佐伯 誰にも言えずに葛藤を抱えて過ごしている子が多いと思います。友人に言うと嫌われ、いじめられるかもしれない。先生に言うと親に伝わって親が悲しむかもしれないとも思うでしょう。孤立したり、自分を守るために当事者ではないふりをして周囲の差別的な言動に同調したりする子たちもいます。ただ、少しずつですが学校でカミングアウトする子も増えています。学校の性教育指導体制が問われますが、個人で頑張っている教員はおられても、組織としてはまだまだ準備不足です。

 ―キリスト教会の役割について、考えておられることがありますか?

 佐伯 教会は、祈りの場であるとともに出会いの場です。教会員であるなしにかかわらず、迷い悩みを抱える人、悲しんでいる人、困難を抱えている多様な人たちが安心して出入りし、語りあうことができる場です。ただそのことを、当事者たちが知らなければ、また知っていても教会の雰囲気がオープンでなければ、その役割は果たせません。教会員がセクシャルマイノリティーやその他の差別の現状について、学んだり、話し合ったりできれば、この課題について教会の役割が見えてくるかもしれません。

 ―ありがとうございました。大切にしている聖書の箇所があれば、教えてください。

 佐伯 「何事にも時があり」(コヘレトの言葉3・1)です。「置かれた場所で咲く」ことを大切に生きてきました。いろいろ困難な職場で仕事をしましたが、その都度「神様が準備してくださった時と場所」と受け止め、子どもたちとの出会いを感謝し、頑張ることができました。後で、本当に神様が時を選んで与えてくださったと思うことばかりでした。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑥

日本福音ルーテル千葉教会 小澤周平(日本福音ルーテル千葉教会牧師)

 千葉教会の会堂は、JR総武線稲毛駅から徒歩3分の場所にあります。東教区としては関東の東端。新来会者が足を運びやすい一方で、会員は広い地域から礼拝に集まります。
 都市部の便利さと房総の自然の豊かさを併せ持つ千葉の地にて、1950年代にP. C. ジョンセン宣教師を中心としたルーテル教会の伝道活動が始まりました。西千葉の宣教師館の時代を経て、1956年には稲毛の地に会堂が与えられ、千葉教会の群れが育まれました。初代の会堂は米軍キャンプ用のカマボコ型の質素な建物でしたが、すぐに手狭になりました。より多くの人と礼拝を守るため6年後に会堂を新築。その約30年後に2度目の会堂建築を経験し、現在に至っています。
 宣教活動は地域に意識が向けられてきました。日曜礼拝後の「うどん食堂」(実際には毎週多彩なメニュー)は知る人ぞ知る癒しの空間。道行く若者が招かれたことも。主にある交わりの場によって信仰生活が豊かになった人も少なくなかったことでしょう。バザー等の行事も盛んに行われてきました。また、親子世代は、教会学校だけでなく平日の育児サークルを通して共に成長の機会が与えられました。
 千葉ベタニヤホームとの繋がりも強く、特に若葉区の旭ヶ丘母子ホームおよび旭ヶ丘保育園とは、共に支え合って歩んできました。現在も同施設では、礼拝が守られ、千葉教会の牧師はチャプレンとしての務めを与えられています。
 同じ県内の銚子教会は1950年代から集会を記録する歴史ある群れですが、1969年に横芝教会と合併し、1983年に千葉教会の集会所となりました。現在は、第1日曜日とイースター、クリスマスに礼拝を守り、銚子における信仰者の灯台として輝き続けています。
 近年は、千葉教会も例に漏れず、少子高齢化と感染症拡大の影響で様々な活動の休止と見直しを余儀なくされています。総武地区の教会とも連携しながら、新しい時代の宣教のあり方を模索していきたいです。主の導きを祈りつつ。

九州ルーテル学院幼稚園 谷美和(九州ルーテル学院幼稚園園長)

 1947年、宣教師として九州女学院に赴任されたヘルティ・ブライドル先生を初代園長として旧九州女学院幼稚園が設立されました。学校の体育館の更衣室を保育室として誕生した園児21名の小さな園だったそうです。現在、本園には160名ほどの園児と33名の職員が過ごしています。また開園から76年、4500名余りの卒園生を送り出してきました。今では、親・子・孫といった3世代にわたって入園される方もいらっしゃいます。
 2001年に中学・高校の共学化に伴い校名が変更され、本園もルーテル学院幼稚園へと改称しました。さらに2015年には、0歳から就学までのすべての子どもたちに一環した教育・保育を行うことを目的に、幼保連携型認定こども園へと移行しました。
 学院の同敷地内には、中学・高等学校・大学が併設されており、その一番奥にこども園は位置しています。学院内の恵まれた環境の中にある緑豊かな園庭は、子どもたちにとって神様が下さった宝箱のようなものです。季節ごとに移り変わる身近な自然に親しんで過ごすことができます。ツマグロヒョウモンがさなぎからチョウになるところを観察したり、新入園児さんがダンゴムシを集めているうちに涙が止まったりと、小さな生き物・出来事が子どもたちの目に輝きを与えてくれます。
 コロナが5類になった今年は、年長児が梅を収穫し「うめジュース」を作り保護者の方にも飲んでいただくことができました。美味しいと好評でした。夏にはピーマンの収穫です。塩昆布であえて給食でいただきました。苦手な子どもたちも自分で育てたピーマンだったからか「おいしい」と微妙な笑顔で食べていました。
 神様が与えてくださる恵みに感謝し、人や自然にかかわる体験を通し、一人一人の「感じ方」に向き合い、認め合い、豊かな感性を育んでいきたいと思っています。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

LWFアセンブリー報告「キリストの体における一致」

 LWF(世界ルーテル連盟)は、99カ国の150教会が加盟するルーテル教会の世界組織で、信徒総数は七千七百万人を数えます。日本福音ルーテル教会(JELC)は1952年から加盟しています。9月13日から19日にかけてポーランドのクラカウで第13回アセンブリー(総大会)が開催され、約千人が参加者しました。今回のテーマはエフェソの信徒への手紙4章4節から選ばれ「One Body, One Spirit, One Hope(ひとつの体、ひとつの霊、ひとつの希望)」となりました。このテーマに関連してインドネシアの神学者ベニー・シナガ博士が行った講演の一部をご紹介します。
 「私たちはコミュニオンという教会の体を構成しています。体としての教会を一つに保つにせよ、暴力と支配から人の体を守ることにせよ、体はつなぎとめておかねばなりません。」飢えや争い、差別や抑圧など様々な苦しみで人間の体が壊れていると、シナガ博士は呼びかけました。「神の霊は一つ。ですから教会も一つでなければなりません。分裂はあってはならないのです。」「ところが戦争、不平等、暴力、分極化、差別、ヘイト、飢えによってばらばらになっています。」シナガ博士は、クラカウ近郊のアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所やウクライナ侵攻による戦争といった現代の恐怖を引き合いに出し語りました。チャド、コンゴ、ハイチ、マダガスカル、イエメンなどの貧しい国では子どもたちが飢餓と栄養不良で病気を患い、体が悲鳴をあげています。「世界のどこかが空腹になれば、世界が病気になるのです。」
 COVID-19で数百万人が犠牲になったことに触れその経験から「毎日呼吸している空気の大切さ、家族のありがたさ、一つの体として共に礼拝する教会の大切さ、そして人々の思いやりの尊さが身にしみました。」
 女性牧師のシナガ博士は、女性が今でも暴力や差別、従属、ヘルスケアへの無理解、政治参加の厳しさといった問題が根強いことを指摘しました。そうしたなか、彼女が属するバタックのHKBP教会では大きな進展があり、女性も神学教育を受けられるようになり、1986年にはバタック初の女性按手が誕生、今日まで二千人以上が牧師、説教者、社会奉仕者、伝道師あるいは長老として按手を受けたとのことです。
 シナガ博士は講演を次の言葉で締めくくりました。「キリストの自己犠牲という果実から一つの体が出来上がります。この果実が敵意、差別、拒絶、分極化、戦争、不平等、ヘイト、不義を打ち砕いていくのです。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

「ルーテルアワー」紙を発行しています

佐藤和宏(日本福音ルーテル藤が丘教会牧師・東教区伝道奉仕部)

 「ルーテルアワー」紙は、東教区インターネット伝道が運営する、ウェブサイト「ルーテルアワー」の記事を転載したものです。聖書やキリスト教に興味を持つノンクリスチャンを主な対象と位置づけていますが、インターネット環境のない方にもご覧いただけるようにと、本紙の発行を始めました。
 内容は『人生の問い』(賀来周一先生)、『聖書の学び』(賀来周一先生、内海望先生)、『ルーテル教会の音楽家』(徳善義和先生)、『キリスト教Q&A』(ルターさん)など、それぞれシリーズでお届けしています。信徒の皆さんはもちろん伝道用に適した、分かりやすい内容となっていますから、学校、幼稚園そして保育園でも園児のご家族をはじめ、ノンクリスチャンの職員の皆さんにキリスト教や聖書を知っていただく機会としてふさわしいものです。
 9月には「秋号」(第2号)を発行し、お申し込みいただいた全国の23教会6園に計2338部をお送りすることができました。お申し込みをいただければ、必要部数を無料にてお送りいたしますので、ぜひご検討ください。
 また「ルーテルアワー」では、公式LINEを開設し、記事の更新情報をお届けするとともに、質問等を受け付けています。ぜひお友だち登録してください。
 次号は「クリスマス号」として、12月に発行予定です。これを機に、新規で申し込みたい、クリスマスだから追加で申し込みたい、とお考えの方がありましたら、11月10日頃までに、QRコードよりメールにてお申し込みください。

2023年度ルーテル社会福祉協会総会報告

髙橋睦(東京老人ホーム常務理事ルーテル社会福祉協会会長)

 毎年8月に行ってきた当会の総会(研修会を含む)は、4年ぶりの対面(一部リモート参加を含む)開催が、熊本の慈愛園児童センターを会場に8月21日(月)~22日(火)に開催されました。
 当会会員の10法人とるうてる法人会連合から李事務局長も参加をいただき、リモート参加を合わせるとおよそ70名の総会となりました。
 1日目は、慈愛園の見学、角本浩牧師による開会礼拝の後、九州ルーテル学院准教授西章男先生を講師に迎え、「弱さを誇れる支援者の支え手」というテーマでワークショップを含めた研修を行いました。
 エッセンシャルワーカーと言われる私たちですが、自身もその痛みを抱え、その痛みを職員間で軽くしたり和らげたりすることにより、よい援助ができる事を学びました。現場を思い出しながら演じて実感したり、確認したりと普段出さない大きな声や笑顔があふれた研修となりました。そのような現場に卒業生を送り出す学校の教師の立場から、講師の西先生自身もソーシャルワーカーとして感じていたこと等、お土産一杯の研修となりました。
 夜は、慈愛園傍の店を貸し切り(感染症対策)で楽しい懇親会。久しぶりの顔や、リモートでの打合せだけの仲間と会うことができ、大いに盛り上がっています。
2日目は、22年度事業及び決算の報告、23年度の計画、予算の説明を行い、(承認は書面で実施)次回開催の地域、方法などについて提案・協議を行いました。
 会場からは、「今回の総会を踏まえ、研修部分は、リモートによる参加を併用することに合わせて、さらに録画の配信を行えば、平日の同じ時間には参加できない職員も参加が可能なので、そのようにして欲しい」という提案もありました。
 その後の時間はアピールタイムとし、ベタニヤホーム、東京老人ホーム、光の子会が創立100周年や日々の活動についてのアピールを行いました。
 全プログラム終了後、小泉嗣牧師による祈りをもって閉会しました。

「教会讃美歌 増補」 解説㊺ 増補48番 「まことに まことに」

北川逸英(日本ルーテル教団池上教会・杉並聖真教会牧師)

 48番は歌集『うたえ 暗闇にとどまることのないように』からの転載です。作者は援助修道会のシスター・クララ・三浦ふみ氏。2018年7月28日に、聖イグナチオ教会で終生誓願を立てられました。シスター三浦は学生時代から、日本でテゼ共同体の祈りを紹介し歌い続ける、日本聖公会の植松功氏と共に、チェロ演奏などで活動に参加されてきました。
 2016年フランス留学中に、植松氏を通じて増補試用版をお送りした際には、日本語の歌を懐かしまれて、宿舎で掲載32曲をすべて歌われ、貴重な示唆を与えてくださいました。心より感謝します。
 この歌はルカによる福音書23・43のイエスさまのみ言葉から生まれました。「まことに」と訳されている言葉は、ギリシャ語でアーメン。イエスさまの「そのようになる」という強い約束のみことばです。この歌は多くの人が愛する、テゼ共同体の歌「イエスよみ国に(Jesus,remember me)」のAnswer Song=応答歌です。
 「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」というルカによる福音書23・42の罪人からの願いに、イエスさまは「アーメン」と、力強く答えてくださいます。

解説㊻ 増補49番「わたしたちが暗闇に留まることのないように」

北川逸英(日本ルーテル教団池上教会・杉並聖真教会牧師)

 この歌は歌集『うたえ 暗闇にとどまることのないように』の表題曲です。タイトルに(キリストは光として)という言葉が付され、作詞者名は無く、書き出し歌詞の後に(ヨハネによる福音書12・46)と記されます。
 「短い言葉をくり返し唱える」という祈りの歌の形式は、昔から礼拝の伝統にあったようです。しかし、フランスにある超教派の男子修道会テゼで歌われる歌は、そのような形式の歌・祈りのすばらしさをあらためて人々に伝え、テゼの歌は世界中で歌われるようになりました。」(歌集『うたえ暗闇にとどまることのないように』改訂増補版の巻頭言「聖霊がわたしたちの中で歌い 聖霊がわたしたちの中で祈る」冒頭より抜粋)
 この歌集は、テゼによって起こった、エキュメニカルな運動から日本で生まれました。これまで日本で歌われた賛美歌の多くは、外国語歌詞に合わせて作られた曲に、翻訳日本語歌詞を載せて歌うものでした。しかしいま、塩田泉司祭の作品を中心に、日本語聖書の言葉がそのまま歌われます。わたしたちは共に主を賛えて主に祈る、一つの教会へと誘われています。

公告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。

2023年11月15日
宗教法人日本福音ルーテル教会

代表役員 永吉秀人
信徒利害関係人 各位
横浜教会土地一部売却
所在地 横浜市神奈川区松ケ丘
所有者 日本福音ルーテル教会
地番  8番5、8番4の一部
地目  宅地
地積 2筆合計1046.3平方メートル(公簿)の一部425.57平方メートル
価格 1千万円
理由 売却のため(売却先田畑顕蔵様
(株)コーラム企画)

23-11-01老いの神学

「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。/同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ書46・3b〜4)

 通常この巻頭説教は、季節の聖書日課に基づいて作成されるようです。しかし、コロナ禍以降は私もご他聞に洩れず、毎週の礼拝説教をそれぞれの教会のホームページ上で動画公開しておりますので、日課通りの説教をご希望の方はどうかそちらをご覧ください。
 今から33年前、私は池袋のR大学で「老いの神学」と題した修士論文に取り組んでおりました。当時はまだ20代でしたので、テーマを考えると少々無謀な挑戦だったように思います。当時の私は、高齢者に対してある意味理想主義的なイメージを抱いておりました。歳を重ねるにつれて、人間はより思慮深くなり、その人生には深みが加えられるのだと、そのように想像しておりました。今朝、新聞の「人生相談コラム」で「最近の日本社会には、魅力的な人がいなくなった」と嘆く投稿が寄せられているのを見かけました。回答者は、「今も魅力的な人はいますが、目立つことができなくなったのだ」という分析を披露していました。良い意味でも悪い意味でも、目立つことによってSNSで批判に晒される昨今の風潮の中、誰もが萎縮せざるを得ないというわけです。その結果、他者に無関心に見える人が増えたように感じられる。路上で困っている人を見かけても、手を差し伸べて良いものかどうか尻込みしてしまう。世知辛い世の中になったものだと思います。こうなると、社会はますます無味乾燥な場所に感じられてしまう。私たちが生きているこの社会に、希望を感じている人は一体どのくらいいるのでしょうか?
「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。/同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」
 私がかかわる教会では、聖書研究会も現在はオンラインで行われます。前任者から引き継いだ旧約聖書イザヤ書の学びを続けています。ご承知のようにイスラエル統一王国は、サウル、ダビデ、ソロモンと3代続いた後分裂します。紀元前721年に北王国イスラエルは滅亡し、紀元前585年に南王国ユダも新バビロニア帝国によって滅ぼされます。バビロンで捕囚民となったユダヤ人は、その46年後に新たな征服者であるペルシャ王キュロスによって解放されます。その46年間の捕囚生活がユダヤ人の存在の根底を揺さぶり、「選ばれた民」としての誇りも、民族の希望も失われたかのように見える惨状を生んだのです。
 まさにそのような、夢も希望も潰えたように見える状況の中で、預言者イザヤは生き残ったユダヤ人たちに呼びかけます。イザヤ書を読み進むと、何もかも失った人たちを奮い立たせることは容易ではないと、思い知らされます。あらゆる言葉を重ねて、ユダヤの人たちをもう一度立ち上がらせようと、必死の思いでイザヤは「神の言葉」を取り継ぎます。
 まず、半世紀にわたる捕囚生活で生まれた神への不信が払拭されなければなりません。何しろ46年間苦しんでいた間、神は一体どこで何をしていたのか?という素朴で根本的な疑問に答える必要がありました。このお話を聞いて、「足あと(Foot Print)」と題された詩を思い出す方もおられるでしょう。1990年代に米国のキリスト教会で、作者不明の詩として話題となったあの詩です。キリストと共に自らの人生を振り返る時、そこにはいつも二人分の足跡が残されているのが見えました。自分の足跡とキリストの足跡でした。でも、不思議なことにその人が人生の中で一番苦しんでいた時には、一人分の足跡しか残されていない。その人はキリストに尋ねます、「私が一番苦しんでいた時に、あなたは何故一緒にいてくださらなかったのですか?」キリストは答えるのです。「あの時私は、あなたを背負って歩いていた」と。
 この「足あと」にモチーフを与えたのは、イザヤ書46章の言葉だと思います。「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」という神の言葉は、信じるに値する言葉です。今や大切なものはほとんど失われてしまったと感じる時、「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。」という言葉を思い出したいのです。

瞑想する哲学者 レンブラント・ファン・レイン 1632年 ルーブル美術館

23-10-01不信仰を赦す神

「その子の父親はすぐに叫んだ。『信じます。信仰のないわたしをお助けください。』」(マルコによる福音書9・24)

 「不信仰は主要な罪であり、すべての罪の中の罪であるのだから、罪の赦しとはもっぱら不信仰の赦しであるに違いない。」アメリカのルーテル教会の神学者であるロバート・ジェンソンは、その神学的自伝の中で自身の神学生時代を振り返り、当時強く影響を受けた19世紀スウェーデンの信徒説教者カール・オロフ・ロセニウスの言葉を紹介します。ロセニウスは、神が私たちの不信仰―神を信じられないということ―を赦されると言うのです。そしてジェンソンは、それまでこの当たり前のことに気が付かなかったと告白します。
 1521年のヴォルムス国会で帝国アハト刑を受けたマルティン・ルターは、その帰途、誘拐を装って姿を消します。それは、彼の領主がルターを守るために行ったことでした。そこから1年近く、ルターは安全のためヴァルトブルク城にかくまわれて過ごしました。その間、精力的に取り組んだ執筆活動には、1522年に出版された新約聖書の翻訳も含まれます。ルター不在のヴィッテンベルクではしかし、ルターの同僚たちの手によって改革が急激に推し進められました。急進的な改革は街に混乱をもたらし、それは騒乱へと発展します。そのような中、1522年3月にヴィッテンベルクへ帰還したルターは、1週間にわたって説教を行います。それは、ヴァルトブルクに留まるように言う領主に対して、ヴィッテンベルクの教会の招聘を受けた牧師であることを根拠に自分の帰還を正当化した彼のアイデンティティによく合致したものでした。
 同年5月から翌年初頭にかけて、ルターはペトロの手紙一の連続説教を行います。彼は、この書簡の冒頭に登場する「イエス・キリストの使徒ペトロ」の「使徒」という言葉を、「語る者」、「口頭で宣べ伝える者」と、若干強引とも思える解釈をして、「書かれた文字」ではなく、「生きた声」である説教を一ペトロ全体のテーマに据えます。そうして行われた連続説教は、ある種、福音説教についての説教と言えるような内容でした。福音説教とは何かを明確にし、説教者を育てることこそ、まだはじまったばかりの改革運動には何よりも必要なことだったのでしょう。ルターの同僚さえも改革を急進的に推し進め、混乱を引き起こす中では、福音をはっきりと語る説教こそが求められていたのです。混乱した街を回復させ、教会改革を進めるためにルターが最重要視し、また最優先に取り組んだことが福音の説教であるということは、言い換えれば、ルターがどれほど、説教―宣べ伝えられた神のことば―がその聞き手に働く力を信頼していたかということでもあります。説教を神が語る出来事として捉えていたルターは、他の何ものでもなく、説教をこそ、伝道の要に据えたわけです。
しかしルターは、人間の限界をも理解していました。たとえ説教者が神のみことばと格闘し、言葉を慎重に選んで十分に準備した説教をもって福音を明確に語ったとしても、それでも人間の力によっては、説教者自身にも、また、説教を聞く者にも信仰をもたらすことができないと、ルターは知っていたからです。語られたみことばを通してその聞き手のうちに信仰をつくりだすことができるのは神だけであると、信仰とは、神が私たちに働かれる神の業であると、ルターは知っていたからです。しかしだからこそ、ルターはみことばが語られることを、説教を、伝道の中心と理解しました。全力を尽くしてもなお不完全である人間を神があえて用い、信じられないという葛藤を生きる私たちに語るということである説教を通して働く神の恵みと憐みを、彼は信頼したのです。
宗教改革をおぼえるこの時期、私たちはあらためて立ち返ります。信じられない私たちに語りかけ、私たちの不信仰をも赦して私たちをその愛する子どもとする神こそが、私たちの神であるというよい知らせに、そしてそれが何よりも、説教を通して私たちのもとに届くのだということに。アーメン。

聖マリエン聖堂(ヴィッテンベルク)の祭壇画(下部) ルーカス・クラナッハ作・1547年

23-10-01るうてる2023年10月号

機関紙PDF
※巻頭説教が落丁しており、11月号に再掲載しております。

「不信仰を赦す神」

日本福音ルーテル三鷹教会牧師・ルーテル学院大学チャプレン 高村敏浩

「その子の父親はすぐに叫んだ。『信じます。信仰のないわたしをお助けください。』」
(マルコによる福音書9・24)

 「不信仰は主要な罪であり、すべての罪の中の罪であるのだから、罪の赦しとはもっぱら不信仰の赦しであるに違いない。」アメリカのルーテル教会の神学者であるロバート・ジェンソンは、その神学的自伝の中で自身の神学生時代を振り返り、当時強く影響を受けた19世紀スウェーデンの信徒説教者カール・オロフ・ロセニウスの言葉を紹介します。ロセニウスは、神が私たちの不信仰―神を信じられないということ―を赦されると言うのです。そしてジェンソンは、それまでこの当たり前のことに気が付かなかったと告白します。
 1521年のヴォルムス国会で帝国アハト刑を受けたマルティン・ルターは、その帰途、誘拐を装って姿を消します。それは、彼の領主がルターを守るために行ったことでした。そこから1年近く、ルターは安全のためヴァルトブルク城にかくまわれて過ごしました。その間、精力的に取り組んだ執筆活動には、1522年に出版された新約聖書の翻訳も含まれます。ルター不在のヴィッテンベルクではしかし、ルターの同僚たちの手によって改革が急激に推し進められました。急進的な改革は街に混乱をもたらし、それは騒乱へと発展します。そのような中、1522年3月にヴィッテンベルクへ帰還したルターは、1週間にわたって説教を行います。それは、ヴァルトブルクに留まるように言う領主に対して、ヴィッテンベルクの教会の招聘を受けた牧師であることを根拠に自分の帰還を正当化した彼のアイデンティティによく合致したものでした。
 同年5月から翌年初頭にかけて、ルターはペトロの手紙一の連続説教を行います。彼は、この書簡の冒頭に登場する「イエス・キリストの使徒ペトロ」の「使徒」という言葉を、「語る者」、「口頭で宣べ伝える者」と、若干強引とも思える解釈をして、「書かれた文字」ではなく、「生きた声」である説教を一ペトロ全体のテーマに据えます。そうして行われた連続説教は、ある種、福音説教についての説教と言えるような内容でした。福音説教とは何かを明確にし、説教者を育てることこそ、まだはじまったばかりの改革運動には何よりも必要なことだったのでしょう。ルターの同僚さえも改革を急進的に推し進め、混乱を引き起こす中では、福音をはっきりと語る説教こそが求められていたのです。混乱した街を回復させ、教会改革を進めるためにルターが最重要視し、また最優先に取り組んだことが福音の説教であるということは、言い換えれば、ルターがどれほど、説教―宣べ伝えられた神のことば―がその聞き手に働く力を信頼していたかということでもあります。説教を神が語る出来事として捉えていたルターは、他の何ものでもなく、説教をこそ、伝道の要に据えたわけです。
しかしルターは、人間の限界をも理解していました。たとえ説教者が神のみことばと格闘し、言葉を慎重に選んで十分に準備した説教をもって福音を明確に語ったとしても、それでも人間の力によっては、説教者自身にも、また、説教を聞く者にも信仰をもたらすことができないと、ルターは知っていたからです。語られたみことばを通してその聞き手のうちに信仰をつくりだすことができるのは神だけであると、信仰とは、神が私たちに働かれる神の業であると、ルターは知っていたからです。しかしだからこそ、ルターはみことばが語られることを、説教を、伝道の中心と理解しました。全力を尽くしてもなお不完全である人間を神があえて用い、信じられないという葛藤を生きる私たちに語るということである説教を通して働く神の恵みと憐みを、彼は信頼したのです。
宗教改革をおぼえるこの時期、私たちはあらためて立ち返ります。信じられない私たちに語りかけ、私たちの不信仰をも赦して私たちをその愛する子どもとする神こそが、私たちの神であるというよい知らせに、そしてそれが何よりも、説教を通して私たちのもとに届くのだということに。アーメン。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊸できるよ

 「ここでいう主とは、〝霊〟のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。」コリントの信徒への手紙二3・17

 カタン、カタン、ゴトゴトゴト。
 「カーテン開けてもいいですか?」シャー。入院中お一人おひとりのベッドはカーテンで仕切られていました。
 朝、一人の方のカーテンを開けるとその方はベッドの上に乗って何かをされておられ、いつも寝たきりが多かった方が今ベッドの上に乗って荷物を整理されている。
 「やれるうちにやっちゃいたいと思ってさ」いつもと比べると信じられないほど動いておられました。
 やれるうちに…。あっ同じだ。私も治療がうまく効いたとき、急にできたことがあり(すぐにできなくなったが)、できるうちにと頑張った覚えがあります。こんなに極端でなくても私たちは多かれ少なかれできなくなる経験をします。怪我であったり病気であったり。そして誰もが変化を感じるのは老いかもしれません。
 もう秋になります。新緑に輝いていた木々の葉のほとんどはやがて風に吹かれたりして地面へと落ちていきます。
 その姿に自分を写して悲しむ主人公に「変化は悲しいものではないよ。当たり前のことなんだ。」と語られる絵本のシーンを思い出します。
 地面へと落ちた葉は地面を温め新しい命を育みます。失った能力や人やもの、立場かもしれません。それらのことに囚われて今用いられていることに気付かないだけなのかもしれません。できたことができなくなるって病気のせいであっても、怪我のせいでも、老いの結果でも辛いし悲しいです。前はできたのにと思う事もあります。
 ただ「今のあなたが大切だよ」と語られています。

改・宣教室から

小泉基 宣教室長(日本福音ルーテル 札幌教会牧師)

熊本で行われたルーテル社会福祉協会の総会の後、運営委員のひとりである光の子会の山下学さんにお話しを伺いました。
 ―山下さんは光の子会では、どのようなお働きをなさっておられるのですか?
 山下 光の子会は、障がい児者支援にかかわる6つの事業を展開していますが、その中で私が園長を任じられているのは児童発達支援センター光の子学園です。簡単に言うと知的障がいのあるお子さんの特別支援幼稚園のような働きを担う場でです。3才から6才までのお子さん36名が毎日通ってきます。
 ―お子さんたちは可愛いのでしょうね。
 山下 めっちゃ可愛いです。子どもたちに癒やされながら毎日の働きを覚えています。
 ―とはいえ、障がい児の支援には難しいこともあると思います。
 山下 そうですね、一番難しいのは保護者への支援です。お母さんたちの多くは、自分が障がいのある子どもを産んだことをマイナスに受け留めていて、独りでその責任を背負ってしまっています。ですから保護者学習会などで、あなたの責任ではなくそれは神さまのご計画です。神さまのつくられた命には全てに役割や目的があり、全ての子どもが宝です。だから独りで背負わずみんなで育てていきましょうと話しています。また、保護者自身が障がいや精神疾患を抱えていたり、虐待ハイリスク家庭のケースもあります。職員とともに支援に取り組んでいますが、通所ならではの難しさもあり簡単ではありません。
 ―山下さんが障がい者福祉の道を歩まれることになったきっかけを教えてください。
 山下 大学で心理学を学び、教職(特殊教育教諭)課程の教育実習を養護学校(現特別支援学校)で1ヶ月間経験したことが方向転換の契機となりました。母教会に障がい者が多く集っておられたことも背景にあったかもしれません。
 ―ご自身の教会での経験もおありだったのですね。大切にしている聖書の言葉があれば、教えてください。
 山下 「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイによる福音書25・40)。〝最も小さい者〟は、人々によって小さくされている命と理解しています。そこに主の手を伸べる役割を担わせていただいている。それが私の福祉観のベースを成し、召命をいただいていると受け留めています。
 ―やさしさと強い意志を感じられるお話しを聴かせていただきました。ありがとうございました。

「教会讃美歌 増補」 解説㊸ 増補46番 「喜ぶ人と共に」

北川逸英(日本ルーテル教団池上教会・杉並聖真教会牧師)

 46番から49番の4曲は歌集『うたえ 暗闇にとどまることのないように』からの転載です。この歌集は、「黙想と祈りの集い準備会」により、テゼの歌に触発され「日本でも同じ様に歌いたい」という強い願いに応えて2012年に初版、2015年に改訂増補版が出版されました。掲載曲91曲中、塩田泉司祭の作品が60曲を数え、この歌集の柱となっています。
 「喜ぶ人と共に」は、ローマの信徒への手紙12章15節から着想を得て、作詞も塩田泉司祭が行われました。この詩は塩田司祭が暮らす共同体での、毎日の営みが感じられます。小高い丘の中腹にある見晴らしのよい美しい村で、主を中心にして、共同生活を営む人たちの上に与えられる、豊かなキリストの愛と、吹き渡る聖霊の風を感じます。中庭には聖母子像が置かれ、台座には「愛」「LOVE」と併記され、海外からの客人も多く受け入れられます。
 「黙想と祈りの集い準備会」の中心メンバーであり、歌集「うたえ・・・」にも賛美歌を提供する植松功さんはよく「歌うことは祈ることです」と言われています。みなさまどうぞ、祈りをもってゆっくり、何度も繰り返しお歌いください。

「教会讃美歌 増補」 解説㊹ 増補47番 「こうふくは しづかなせかい」

北川逸英(日本ルーテル教団池上教会・杉並聖真教会牧師)

 作詞者八木重吉は1898年東京府南多摩に生まれます。そこに今も記念館があって、代表作「素朴な琴」の詩碑が建っています。
この詩は死後に刊行された第2詩集『貧しき信徒』(1928年)に収められています。重吉は1927年10月25日深夜ふいに「かわいい、かわいい、とみ子」と呟き昏睡。翌日29歳で帰天。22歳の妻とみ子に4歳の桃子、2歳の陽二が残されました。しかしこの子たちも、父親と同じ肺結核で思春期に相継ぎ帰天。彼女の悲嘆を思う時、八木重吉の詩(うた)が、とみ子を強く励ましたと信じます。
 この詩は大正13年10月に編まれた「欠題詩群(一)」の中にありました。その96編の作品中に3つだけ、題のついている詩があります。かっこが付いた(わが児)と、題名だけが明記された、幸福人Ⅰと幸福人Ⅱです。
 何を思って重吉はこの詩を作り「幸福人Ⅱ」と名付けたのか。またどうやって塩田司祭はこの詩を見出し、そこにメロディーを付けられたのか。静かで美しいこの歌は、山上湖のような深い不思議を秘めています。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

氷河のレクイエム ドイツの気候変動と教会

 先頃ドイツ最高峰の山の頂上で行われたある祈りが注目を集めました。 消えゆくアルプスの氷を悼む鎮魂、氷河のレクイエムです。
 ツークシュピッツェは標高2962メートル。ドイツにある4つの氷河のうち2つがここにあります。バイエルンのルーテル教会とミュンヘンのカトリック教会の聖職者たちは、気候変動と創造の保全をアピールするため、ここでエキュメニカルな祈りをささげました。
 ウィルヘルム牧師らは7月25日、「消えゆくシュニネーファーナー(ドイツにある最大の氷河)、大自然そしていのちを育む将来の環境のための祈り」を、アルプスで一番人気の観光スポットでささげました。選ばれた聖句は詩編121編「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか」。消滅する氷河を悼み、気候変動の課題に共に取り組もうと呼びかけました。
 北シュネーフェルナーは、2030年までにはもはや氷河と呼ぶことはできないと科学者は言います。2014年から2022年にかけて3分の1の氷が消えました。当初、最深部で39メートルあったのが昨年は27メートルに。世界気象機関によるとスイスのアルプスでも2001年から2022年にかけて3分の1の氷が消失しています。
 気象危機は今や牧会的な課題になったとウィルヘルム牧師は言います。「氷河が小さくなり人々が動揺しています。かつてここで生活していた人たちはとてもショックを受けています。気候変動は人々の不安を募らせ、牧会的な課題になりました。ツークシュピッツェの麓で暮らす人たちは、頂上にはもはや瓦礫と岩石しかないとショックを受けています。」
 レクイエムに参加した一人バーバラさんは、「ツークシュピッツェの氷河は永遠の氷」だと学生時代に習ったことを思い起こし、永遠の氷が消えてなくなると聞かされ心を痛めています。
 レクイエムでは教会音楽家のロヒナー氏が作曲した「永遠の氷の果てへのエレジー」が演奏されました。3人の歌手が不協和音を奏でて詩編81編から「わたしの民よ、聞け」と歌うと、それにあわせてボンゴがゆっくりリズムを刻み悲しみの音を響かせました。
 避けられない悲しい現実に直面しつつも、ハンメル牧師はこの異例のレクイエムによって希望を鼓舞して、力を合わせて気候変動に取り組もうと呼びかけました。「この頂にサハラ砂漠の砂が舞い、燃えさかるブラジルのジャングルの灰が飛び交い、都会のすすと埃、全世界の塵がここにあります。氷河、人々、気候、植物、動物、私たち全てはつながっているのです。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

キリストと出会った+なかまと出会った!東海教区青年会+外国メンバー修養会2023

徳弘浩隆(日本福音ルーテル高蔵寺教会・復活教会牧師・東海教区外国人宣教担当)

 8月12日、青年と外国メンバー、サポーター達15名が夏の渥美半島に集まりました。みのり教会田原礼拝所をお借りして礼拝とワークショップ、海辺BBQ公園で昼食と交流会。礼拝は現地教会一部メンバーも参加して下さり25名。「自己紹介・神様紹介(あかし)」ではみな日本語で頑張り楽しく交流しました。8カ国に関係ある人たちの集まり。外国や各地のお菓子ボックスで教会にお礼をしましたが、教会からは飲み物やスイカも頂き感謝でした。
 バーベキューは木陰を予約、あずまやの場所取り、ミストシャワーも使い万全の態勢。楽しく、おいしい時間でした。交流会は外国メンバーが企画進行。スプーンでビー玉運び競争。生まれた所と違い、驚いたり失敗した事を披露しあい、楽しく文化の違いを実感する「カルチャーショック大会」は面白い失敗談ばかり。「おてら」と「おてあらい」を言い間違えた失敗談を披露してくれたベトナム女性メンバーが優勝!教会「スタンプラリー」カードを配って数えてみると、中国帰国メンバーが1位で2位は女性青年メンバー。楽しい表彰式と賞品も。最後は、みんなの手でハートを作って写真撮影(写真下右)。「キリストの平和を心に、仲間と世界に平和を」のテーマを形にし、神のハート(愛)のなかに自分たちがいることも確認しました。
 参加者の声を拾うと、「荷物運びがあり前泊もしました。海で泳ぎ夕陽もキレイでした。集会もとても楽しかった。今年結婚しました。高蔵寺教会でもお祝いしてくれうれしかった」とベトナムから来て5年のHopくん(集合写真前列最右)。「近年青年は少なく残念ですが、渡邉先生が地道にZoom集会をしてくれています。昨年クリスマス以来で、みんなと会えて楽しかったです。ハートの写真も大切にします」と青年代表の古川のぞみさん(後列右から3人目)。今後も各教会を訪ね、青年や外国メンバーともつながり、広げたいですね。

ルーテル幼稚園保育園連合会研修会報告

田島靖則(ルーテル幼稚園保育園連合会役員・日本福音ルーテル田園調布教会・雪ヶ谷教会牧師)

 コロナ禍にあって久しく開催が見送られてきた対面形式の研修会が、8月8日(火)広島教会礼拝堂にて行われました。今回は総会を兼ねた設置者・園長研修会であり、主題を「平和」とし、塩冶節子さんの被爆証言を聞き、広島女学院所蔵の被爆ヴァイオリンの演奏を聴く機会にも恵まれました。
 就学前の園児たちを対象とした平和教育には、特別な配慮が必要とされます。原爆の地獄絵図が子どもたちに、ただただ恐怖心を植え付けてしまうのでは、かえって逆効果です。しかし今回の講師であった塩冶節子さんは5歳の時に被爆された方で、5歳児の目から見た被爆体験を語ってくださいました。親しかった2人のお友達の名前を挙げて、原爆投下後にその2人のお友達が犠牲になったことを知ったというのです。5歳の子どもにとって、戦争は親しいお友達を奪い、家族を奪い、優しかった近所のお兄さんお姉さんを奪うものだったのです。おどろおどろしい表現はあえて採らず、とてもシンプルな表現を用いることで、幼児を対象とした平和教育の新しい可能性を考えることができました。
 被爆証言とヴァイオリン演奏会を企画してくださった、谷の百合幼稚園の橋本園長のご協力に感謝いたします。また、会場を提供してくださった広島教会の立野牧師の「子ども食堂」への取り組みを学び、当日行われていた「だれでも食堂」を見学しながら食事をいただく機会にも恵まれました。
 第二部の総会では、2024年度からの新しい役員が3つの地区からそれぞれ2人ずつ選ばれました。今までのように、関東と九州で交互に役員を選出する方法を改め、すべての地区から役員を選ぶことが可能となりました。これは、コロナ禍によってリモート会議の利点が認識された結果であり、対面開催の役員会の頻度を減らしても、全国規模のネットワークを常に保つことが可能になったということです。全国でキリスト教保育の働きを続ける、ルーテル教会の関係園のために、どうかお祈りください。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑤

日本福音ルーテル仙台教会 長島慎二(日本福音ルーテル仙台教会代議員)

  仙台教会の伝道は長沼三千夫牧師によって始められました。1957年8月4日(日)、現在地の近くの家を借り、六畳間で第1回の礼拝が行われました。出席者は牧師家族と小泉あや子姉でした。2年後の1959年、宮町に拠点を移し、1962年12月に教会堂および牧師館が完成しました。長沼牧師とともに最初期の伝道を担ったのがJerry C. Livingston宣教師でした。1955年にサウスカロライナ大学を卒業した後、1958年、コロンビアにあるルーテル神学校を修了と同時にUnited Lutheran Church of Americaの牧師として叙任されました。日本伝道のために船旅で横浜に到着したのが1959年9月4日。大学時代に出会った奥様と17カ月のお嬢様を伴っていました。2年間の語学研修を了えた後、1961年12月に仙台教会に赴任なさいました。その後、通木一成牧師の時代の1971年に東教区鶴ヶ谷開拓伝道実行委員会が設置され、東教区内において一坪献金運動を開始しました。1973年4月7日、「社会福祉法人東京老人ホーム鶴ヶ谷保育所希望園」として鶴ヶ谷開拓伝道献堂式が挙行されました。最初は、希望園のホールで礼拝をしていた鶴ヶ谷教会は、1987年、現在の教会堂を建設しました。仙台地区は、仙台教会と鶴ヶ谷教会がそれぞれの役割を担い伝道を続けてきましたが、昨年より組織合同をし、ひとつの仙台教会となり、宮町礼拝堂と鶴ヶ谷礼拝堂において礼拝が守られ、3つの保育所が運営されています。
 最後に、仙台教会が初任地であり、最後の赴任地ともなった太田一彦牧師が最初に赴任した際の牧師報告の一部を記します。信徒として励みにしているからです。「初めての任地に赴くに際して、私は神が人間に語り給うが故に聴き、神が語り給うことを聴くという、この一事によって教会は基礎づけられ、この一事のみが教会を教会たらしめるという一点を信念として携えてまいりました。」

九州ルーテル学院大学 九州ルーテル学院大学付属黒髪乳児保育園 雪野啓子(黒髪乳児保育園園長)

 2026年に創立100周年を迎える、学校法人九州ルーテル学院には保育園、認定こども園、中学、高校、大学があります。九州ルーテル学院大学付属黒髪乳児保育園は2016年に開園し、今年、8年目を迎えます。九州ルーテル学院大学付属として、学院のスクールモットーである「感恩奉仕」の精神のもと保育・教育を行っています。生後2カ月から3歳児までのお子様をお預かりし、定員40名という少人数のよさを生かし、子どもが愛に包まれた安心・安全な生活を送ることを大切にしながら、一人ひとりの心身の調和のとれた発達を目指し、神様に愛され、いつも見守ってくださることに感謝しながら、温かく丁寧な保育に努めています。
 保育園は熊本を流れる白川の近くに所在し、学院から少し離れたところにあります。園児は学院や教会へ出かけて、キリスト教行事を経験したり、学院の崔大凡チャプレンに保育園に来ていただき、お祈りの時間を守ったりしています。
 子どもの育ちのためには保護者支援は欠かせないものです。本園は九州ルーテル学院大学保育ソーシャルワーク研究所と連携して「保護者フリートーク(相談室)」を開催しています。保護者を支え、子育てを支えることは子どもの最善の利益を守ることにつながることを実感しています。職員が一つになって子ども・保護者それぞれが持つ豊かな力を伸ばしていけるよう支えていきたいと思います。
 キリスト教保育が始まり、浅い年月ですが、これからも神様のお導きのなかで保護者の方とともに子どもの健やかな育ちのために保育・教育に努め、歩んでいきたいと思います。
 皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

「これからのミッション」―第14 回るうてる法人会連合研修会・総会 開催

安井宣生(現地実行委員・日本福音ルーテル健軍教会・甲佐教会牧師)

 8月22日から23日まで熊本の九州学院に150名が集い、るうてる法人会連合の研修会と総会が開催されました。130年前の宣教開始以来、教会のみならず、1902年の佐賀幼稚園、1909年の路帖神学校(現在の九州学院そして神学校)、1919年の慈愛園(福祉事業)として教育や福祉の器と共に世に仕えキリストに従う歩みでした。2002年、それぞれに成長した各法人がより密接に協力し合うことを目的にるうてる法人会連合が発足し、互いに学び、祈り、それを力にして、仕える取り組みが続けられてきました。
 今回の研修では、国際政治学者であり、熊本県立劇場館長、学校法人 鎮西学院学院長も務めておられる姜尚中先生を講演者として迎えました。その豊かな内容を学校法人から参加された宮本新牧師(ルーテル学院・神学校准教授)に短く振り返っていただきました。
「これからのミッション」と題された姜尚中先生の講演では、「これから」を語るためには、まず「これまで」を振り返り考えなければならないと語られ、その振り返りは、こんにちの教育と福祉を取り巻く情勢から、歴史や文学、そして人間について、縦横無尽に広がる話題であり、要約容易ならざる内容でした。実際に生の講演を聞いて感じたいくつかのことがあります。まずテレビなどでお馴染みのとおり、あの低く抑制の効いた声音に引き込まれるような90分でした。目の前にある難題を考えながらも、参加者みなさんと心地よいひと時を共にできたのは希少な体験でした。もうひとつ印象に残ったことがあります。気宇壮大なスケール感のある講演でしたが、どの話題でも生身の人間が自然と思い浮かぶような話しぶりでした。甘い話はどこにもありませんが、あたたかな、やさしいまなざしが注がれているような感じです。ひるがえってそれは、分野は違っても生身の人に向き合い仕事に打ち込んでいる諸法人の参加者に向けられたエールのようにも感じられました。講演中、「におい」は決してメディアでは伝えられてないと話されていたのが一層、印象的です。それは人が共に集い、なにかを学びとろうとするこのひと時にも共通することだったのかもしれません。

2023年「障がい者週間」の集い

小澤周平(NCC「障害者」と教会問題委員会委員・日本福音ルーテル千葉教会牧師)

 各教会にご案内が郵送されますが、2023年11月4日に「障がい者週間」の集いが開催されます。「支え合う『いのち』」と題して、キリスト教系障がい者団体の活動報告などが分かち合われます。
 日本福音ルーテル教会においても多くの障がい者の方々との関わりの中で発足した働きが全国にあります。改めて私たちは立ち止まり、神様から与えられている命が障がいの有無にかかわらず等しく憐みと愛によって生かされていることを覚えていく機会としたいと考えています。
 どうぞこの働きを覚えて、ご参加下さい。対面とZOOMでの開催となっておりますから、全国からの参加をお待ちしています。詳細につきましては郵送されるご案内をご覧ください。

JELA インド・ワークキャンプ2024参加者募集!

一般財団法人JELAが、2019年以来5年ぶりに、インドでのワークキャンプを実施いたします!

【日程】 2024年2月12日から22日の11日間※国際情勢等により変更の可能性があります。
【派遣先】インド・マハラシュトラ州ジャムケッドの医療福祉施設「Comprehensive Rural Health Project(包括的農村保健プロジェクト、略称:CRHP)」
ここでは「農村地域の人々の健康」をテーマに、医療、子ども教育、有機農業指導、ソーシャルワーカの育成など、幅広い取り組みがされています。
【内容】義足作り/児童とのふれあい/毎日の学びの分かち合いなど
【対象】18歳以上の健康な方(原則高校生不可)
【定員】10名(先着順)
※締切後、参加の可否を11月中にご連絡します。
【参加費】22万円
※友だち割り:複数人でのお申し込みの場合、1人につき5千円割引いたします。
※パスポート取得費用、海外旅行保険費用、事前説明会参加のための交通費、集合・解散場所間の交通費や、前泊・後泊の宿泊費用については、別に個人負担となります。
【事前説明会】2023年12月2日(土)に事前説明会(オンライン参加可)を予定しています。参加者は必ず出席いただきたいので、併せてご予定ください。
【申込方法】JELA公式WEBページまたは掲載しているQRコードから。
【申込締切】2023年11月20日(必着)
【お問い合せ】JELAインド・ワークキャンプ係電話:03-3447-1521
E-mail: jela@jela.or.jp
キャンプの詳細は、公式WEBサイトやSNSをご覧ください!皆さまのお申し込みをお待ちしております!

北海道地域合同教師会

岡田薫(日本福音ルーテル帯広教会牧師・札幌教会協力牧師)

 今年の一日神学校は、9月23日(土・祝)にルーテル学院大学を会場に対面開催で行われます。
 JELC北海道地域教師会では長年に渡りNRK北海道地区の教職と共に合同教職者会を毎夏開催しています。いつどのようにして始まったのかということは不明ですが、1997年に札幌で宣教研修生としてお世話になった際もすでに開催されていましたので、おそらく北海道特別教区発足時あるいはそれ以前から続いているものと思われます。
 かつてはJELC8教会、NRK9教会に牧師あるいは宣教師が専従しており、参加者も十数名と賑やかでした。研修内容も時に応じて教団ごとの個別プログラムと合同プログラムの二本立てとし、2泊3日のプログラムを温泉施設等で開催していました。現在ではJELC4教会(6礼拝堂)、NRK8教会となり、教職数もJELC3名、NRK5名(内2名は70歳以上)となり、札幌中央ルーテル教会を会場に宿泊はビジネスホテル利用の1泊2日の合同プログラムとして開催しています。双方の教職の多くが施設と教会あるいは複数教会を兼任しているため日程調整が難しく、札幌に参集することが経済面でも移動の利便性においても合理的だからです。コンパクトにはなりましたが、リトリートも兼ねた交流を通して全道に散らされている同労者たちと励まし合えることはありがたいことです。
 それぞれの教会が抱えている課題には①働き人の減少、②教会の維持管理、③関係施設との連携や経済的な課題など、共通の悩みも少なくありません。教会組織の在りようには違いもありますが、顔と顔とをあわせて祈りと讃美を共にしつつ、忌憚ない意見を交わし合う中で、新たな発見や取り組みが生まれることもあります。2017年には合同教職者会が中心となって数年間の準備を経て、宗教改革500年合同修養会を参加者のべ130名ほどで開催することができました。また札幌を中心とした道央地区では、10月31日の宗教改革記念礼拝を担当持ち回りで継続的に開催しています。

合併公告

このたび、下記のとおり、東京都羽村市羽東二丁目16番11号宗教法人「日本福音ルーテル羽村教会」を吸収合併することになりましたので、宗教法人法第34条第1項の規定によって公告します。
2023年10月15日

信者その他利害関係人各位

所在地 東京都新宿区市谷砂土原町一丁目1番地
宗教法人「日本福音ルーテル教会」
代表役員 永吉秀人

合併契約の案の要旨
1 宗教法人「日本福音ルーテル教会」は宗教法人「日本福音ルーテル羽村教会」 を吸収合併し、 宗教法人「日本福音ルーテル羽村教会」は解散する。

合併公告

このたび、東京都羽村市羽東二丁目16番11号、宗教法人「日本福音ルーテル羽村教会」を吸収合併することになりました。これについて異議ある債権者は、2023年12月18日までに、その旨申し述べてください。
宗教法人法第34条第3項の規定によって公告します。
2023年10月15日

債権者各位

所在地 東京都新宿区市谷砂土原町一丁目1番地
宗教法人「日本福音ルーテル教会」
代表役員 永吉秀人

訂正とお詫び

機関紙るうてる2023年9月号、1面「巻頭説教」の執筆者である秋山仁牧師の所属に誤りがございました。正しくは「日本福音ルーテル豊中教会・神戸東教会牧師・喜望の家代表」です。訂正してお詫びいたします。校正作業における確認を徹底してまいります。大変申し訳ございませんでした。

23-09-01人を赦すということ

「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」(マタイによる福音書18・35)

 「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」というペテロの問いは、自分が誰かを赦すなら、どれだけ赦すべきか、(あるいは我慢すべきか)が焦点です。
 それに対してイエス様の答えは、赦されたいと願うならば、赦すことをせよ、というものです。ペテロの立場はあくまで、自分が赦す側であり、赦される、あるいは赦されている側にはいません。赦すか赦さないかを決めるのは自分になります。しかし、イエス様がたとえで答えたと同時に問うているのは、あなたは赦される立場にはいないのかどうかです。
 ここで、私が思い出すのは、姦淫の罪で女性を告発した人々とファリサイ派に対してイエス様が投げかけた質問です。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい。」
 そして、人々が去って行ったあとでイエス様は女性に向かっていいます。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」 罪の告発と断罪をするときに、自分を省みることが問われているともいえます。
 たとえに登場する王の最終的な怒りは、負債を抱えていた家来が、王から憐れみをかけてもらいながらも、自分は仲間の一人に憐れみをかけることもなく、無慈悲な仕打ちを行うことで引き起こされます。王の前にひれ伏し頼み込んだ家来の「必ず返します」という誠意を、王は信じて、彼を赦し、借金を免除するのです。しかし、家来が仲間にしたことは、彼の見せた誠意が見かけだけのものだったということを表しています。心の底から表すのではない見せかけの誠意、表面的な謝罪は、赦されることはないのです。
 イエス様のたとえが示しているのは、赦しの背景には憐れみがあるということです。相手の立場や状況を推し量って、心動かされることが相手を赦す根拠なのです。
 たとえ話でも、王自身が、貸しているお金が戻ってこなければ大きな損害を被る、というリスクを負っていることを知っています。家来も、本来ならその借金を返さなくてはならないことを認めるところから、すべては始まります。
 つまり、借金を罪と言い換えれば、罪を犯している人間が、罪を罪として認めることがなければ、赦しも起こらないのです。赦すとは、負債や罪をお互いが認めたうえで、反省している相手の立場をよくよく考えて、自分もリスクや痛みを引き受けることから始まるのです。さもなければそれはただの我慢にしかなりません。ペテロの立場に戻ってしまうのです。あるいは相手に対してよほどの優越感を持とうとするかです。でもそれでは無理が生じます。そして、何かの形で、自分の人生がその後も怒りや恨みといった不快な感情に支配されてしまうことになりかねません。
 自分に対して不正を行ったり、罪を犯した者を赦すことが、自分自身で出来るかどうかは、判りません。しかし、自分自身がそうした負の感情から癒され、解放され、自由にされることは必要です。
 負の感情から癒されるためには、私たちはイエス様に祈ることと共に、具体的な助けを与えてくれる仲間を必要とします。自分に罪を犯した相手に対する怒り、痛み、悲しみ、恨み、わだかまりなどを、聴き、受け止め、その負担を担い合って、時には執り成し祈ってくれる仲間の存在。その手助けのもとに、私/あなたが負ってしまった心の重荷を軽くできるとき、私たち一人一人は、「私に罪を犯した者」と向き合うことが出来ていくし、その罪を赦すことが可能になるのかもしれません。少なくとも自分が負の感情に支配されない勇気をもつことができるのかもしれません。
 私/あなたを「心から」無限に赦し、愛してくださるイエス様がおられます。私/あなた自身の罪を赦すために、十字架に架かられたイエス様がおられます。私/あなたを「心から」受け入れ、支え、守り、励ましてくださるイエス様がおられます。
 人が自分の罪と向き合い、赦しを請い、またそれを赦し合うことの背後に、このイエス様による憐れみと赦しがあることを覚えていたいと思います。

23-09-01るうてる2023年09月号

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「人を赦すということ」

秋山仁(日本福音ルーテル豊中教会・神戸東教会牧師)

「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」
(マタイによる福音書18・35)

 「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」というペテロの問いは、自分が誰かを赦すなら、どれだけ赦すべきか、(あるいは我慢すべきか)が焦点です。
 それに対してイエス様の答えは、赦されたいと願うならば、赦すことをせよ、というものです。ペテロの立場はあくまで、自分が赦す側であり、赦される、あるいは赦されている側にはいません。赦すか赦さないかを決めるのは自分になります。しかし、イエス様がたとえで答えたと同時に問うているのは、あなたは赦される立場にはいないのかどうかです。
 ここで、私が思い出すのは、姦淫の罪で女性を告発した人々とファリサイ派に対してイエス様が投げかけた質問です。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい。」
 そして、人々が去って行ったあとでイエス様は女性に向かっていいます。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」 罪の告発と断罪をするときに、自分を省みることが問われているともいえます。
 たとえに登場する王の最終的な怒りは、負債を抱えていた家来が、王から憐れみをかけてもらいながらも、自分は仲間の一人に憐れみをかけることもなく、無慈悲な仕打ちを行うことで引き起こされます。王の前にひれ伏し頼み込んだ家来の「必ず返します」という誠意を、王は信じて、彼を赦し、借金を免除するのです。しかし、家来が仲間にしたことは、彼の見せた誠意が見かけだけのものだったということを表しています。心の底から表すのではない見せかけの誠意、表面的な謝罪は、赦されることはないのです。
 イエス様のたとえが示しているのは、赦しの背景には憐れみがあるということです。相手の立場や状況を推し量って、心動かされることが相手を赦す根拠なのです。
 たとえ話でも、王自身が、貸しているお金が戻ってこなければ大きな損害を被る、というリスクを負っていることを知っています。家来も、本来ならその借金を返さなくてはならないことを認めるところから、すべては始まります。
 つまり、借金を罪と言い換えれば、罪を犯している人間が、罪を罪として認めることがなければ、赦しも起こらないのです。赦すとは、負債や罪をお互いが認めたうえで、反省している相手の立場をよくよく考えて、自分もリスクや痛みを引き受けることから始まるのです。さもなければそれはただの我慢にしかなりません。ペテロの立場に戻ってしまうのです。あるいは相手に対してよほどの優越感を持とうとするかです。でもそれでは無理が生じます。そして、何かの形で、自分の人生がその後も怒りや恨みといった不快な感情に支配されてしまうことになりかねません。
 自分に対して不正を行ったり、罪を犯した者を赦すことが、自分自身で出来るかどうかは、判りません。しかし、自分自身がそうした負の感情から癒され、解放され、自由にされることは必要です。
 負の感情から癒されるためには、私たちはイエス様に祈ることと共に、具体的な助けを与えてくれる仲間を必要とします。自分に罪を犯した相手に対する怒り、痛み、悲しみ、恨み、わだかまりなどを、聴き、受け止め、その負担を担い合って、時には執り成し祈ってくれる仲間の存在。その手助けのもとに、私/あなたが負ってしまった心の重荷を軽くできるとき、私たち一人一人は、「私に罪を犯した者」と向き合うことが出来ていくし、その罪を赦すことが可能になるのかもしれません。少なくとも自分が負の感情に支配されない勇気をもつことができるのかもしれません。
 私/あなたを「心から」無限に赦し、愛してくださるイエス様がおられます。私/あなた自身の罪を赦すために、十字架に架かられたイエス様がおられます。私/あなたを「心から」受け入れ、支え、守り、励ましてくださるイエス様がおられます。
 人が自分の罪と向き合い、赦しを請い、またそれを赦し合うことの背後に、このイエス様による憐れみと赦しがあることを覚えていたいと思います。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊷かけがえのない今

「しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。」 ルカによる福音書12・20

 「今年の初め家族の者は亡くなりました。生前のお交りありがとうございました。」
 見慣れない名前の方から一通の手紙が届きました。
 まただ…。病院で知り合った友達が多い私は「あの人大丈夫かな?」と思いながら郵便を出すことも少なくありません。メールを送るときも少し送る期間があいてしまうとメールを送るのが怖くなってしまいます。
 その方も例外ではありませんでした。ただ、最近引っ越して住所が変わったと電話で教えて下さったばかりだったのでショックでした。
 あの郵便は読んで下さったかな。それとも天国へいかれてから読んでくださったかしら?なんて思いながら上に書いた聖句を思い出していました。そういえば一緒の部屋で入院していた方に明日こそご挨拶をしようと思っていたのに「おはよう」と次の朝言うこともかなわなかったこともありました。
 「神様のもとでまた会えるから大丈夫。」と思えるのは幸せだと思いながらも寂しいです。
 〈私は今を憎んではない〉という詩を聞くことがあります。「今」という時を憎むどころか自分はよく忘れてしまっているのではないかなと思ったとき「財産」ってなんだろう?と思います。「おはよう」と交わすこと「こんにちは」ってあの人に言える今。日常の生活の一つ一つがお一人お一人にとっても私にとっても「財産」なのかなって思います。今を明日でいいやと思い、どこかにしまわなくてよくても、大切なあなたに「今」が与えられています。

改・宣教室から

小泉基 宣教室長(日本福音ルーテル 札幌教会牧師)

 宣教の現場に生きる方々との出会いを願うこのコラム。第1回目は札幌教会の柳下李裕理さんにご登場いただきました。
 ―昨夏、韓国の青年たちとの出会いのプログラムに参加されたのですね。
 柳下李 はい、「韓日和解と平和フォーラム」という、韓国と日本の青年を対象とした歴史認識の学習、社会構築の展望を広げる交流プログラムです。
 ―特に印象に残ったことは?
 柳下李 DMZ(非武装地帯)に特別に立ちいらせていただいたことです。一見すると草木が生い茂るのどかな川縁の居住地に無数の地雷が埋まっており、除去に200年を要するという衝撃的な事実を知りました。街中にも私よりも若いような青年たちが軍服を着て歩いており、朝鮮半島が「休戦中」である現実を再確認しました。と同時に、その現実に日本が加担している加害者意識をも感じました。また、ソウルの「戦争と女性の人権博物館」で、日本軍による性暴力被害者のハルモニたちの言葉を目にしました。あまりに凄惨な現実に衝撃を受けました。
 ―韓国の青年たちはいかがでしたか?
 柳下李 韓国からは様々な活動にかかわる方々が参加しており、日本からの参加者と意識の違いが浮き彫りとなる場面も多かったです。私自身も含め日本福音ルーテル教会の若い信徒における社会問題への当事者意識の弱さが露呈したと感じます。
 ―今回の経験から、ご自身の中に変化を感じられましたか?
 柳下李 在日韓国・朝鮮人と日本人の間に生まれた人間として、改めて私自身のルーツをもって韓日の和解に貢献できるのではないかという意識が生まれました。
 ―今夏は韓国の青年たちが日本に来られるのですね?
 柳下李 はい、昨年は韓国の方々に大変温かく受け入れていただきました。今年度はその恩返しも兼ねてホスピタリティを発揮したいです。
 ―大切にしておられるみ言葉があれば教えてください。
 柳下李 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリントの信徒への手紙一10章13節)
 試練から逃れることを良しとする文言が心に響きます。
 ―ありがとうございました。ますますのご活躍をお祈りしています。

アジア・プレ・アセンブリーに出席して

本間いぶ紀(日本福音ルーテル甘木教会)

2023年6月14日から18日、ルーテル世界連盟のアジア・プレ・アセンブリーがマレーシアのクアラルンプールで開催されました。ルーテル世界連盟は世界各国に広がるルター派教会が集まり、私たちの信仰の実践として人道支援や開発支援、また神学研究を行う組織です。このプレ・アセンブリーは9月にポーランドのクラカウで開催予定の第13回ルーテル世界連盟アセンブリーに向けての事前集会で、私は特にユース部門の代表者候補の推薦を受けるために参加しました。9月のアセンブリーの選出選挙にアジア代表として推薦されます。
 プレ・アセンブリーには、6月16日、17日の2日間のみ参加しました。そこで出会った方々は、短い時間しか参加することができない私のことを温かく迎え入れてくれました。ユースと過ごす時間が多かったのですが、今回出会ったユースとは教会生活の話だけでなく、趣味や文化の話を通してお互いを知ることができました。
 私は過去にカンボジアのルーテル教会を訪れた際「カンボジアにも神の教えが、そしてルーテルの教えが息づいている」と感動したことがありますが、その時と同じことを感じました。他宗教のイメージが強いアジアの各地域から多くの参加者が集められたこと、彼ら一人一人がルーテル教会の一員としての働きに誇りを持っていること、ルーテル世界連盟の働きの大きさ、これがすべて神の計画の内にあることに、ただただ「すごい」の一言しか思い浮かびませんでした。
 渡航前、短い参加で私に何ができるのだろうと不安でしたが、「まず行って参加することが大事」という浅野直樹Sr.牧師の言葉に背中を押されました。わたしは今回、彼らと出会い、彼らを知り、彼らと時間を共にするという目的を十分に果たせたのではないかと考えます。
 9月のアセンブリーにて神の計画のうちにあって選出されることを祈りつつ、皆さまのご支援とお祈りに感謝申し上げます。そしてこれからの働きもお祈りください。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ルーテル世界連盟アジア プレ・アセンブリー報告

 ルーテル世界連盟(以下LWF)アジアのプレ・アセンブリーが、6月14日~18日にかけてマレーシアのクアラルンプールで開催されました。今年9月、ポーランドの都市クラカウで行われるLWFアセンブリー(総大会)に向けて開かれました。まずは地域ごとに集まり、アジアのルーテル教会の信仰の一致と宣教課題を確認し、ステートメントを発信するための集会です。JELCからは甘木教会の本間いぶ紀さんが部分参加しました。本間さんは、プレ・アセンブリーで次期総会期の青年代表理事候補としてノミネートされました。
 今回採択されたメッセージでは、多民族、多宗教社会における公共空間と信教の自由に関して、教会がなすべき役割について焦点が置かれました。
 ステートメントは、「アジアは複雑な状況と現実を抱える大きな大陸であるが、私たちが協力していくうえでこのことは障壁にはならず、むしろダイナミックな収束点となっていることを神に感謝する。」「固い絆の交わりの精神とディアコニアと平和への決意で、地域と世界のコミュニオンの未来に向けて、心を一つとする」といったメッセージが採択されました。
 集まったアジアの教会指導者たちは、アジアの教会が直面する「様々なレベルの抑圧」に対して深刻な懸念をステートメントとして表明しました。「政府による締め付けは言論の自由を妨げ、抑圧を強め、正当な懸念であるはずの反対の声を排除しようとしている。こうした政策が自由な信仰生活を妨げ、人権を侵害している。」
 ステートメントは、神学教育の重要性とそのための男女・青少年への機会均等、「宗教間対話への建設的な取り組み」に向けて神学生も関わることを促しています。またコミュニオンを豊かにできる青少年と女性たちのビジョンとコミットメント、彼らの能力を強化して、あらゆるレベルでの意志決定に参与できるよう継続的に努めること、平等の機会と権利を妨げる文化的社会的制約に対して教会が行動するよう呼びかけています。
 会議後、ホストをしたマレーシアのルーテル教会のローレンス監督が次のようにコメントしています。「主催教会である私たちは、今回のプレ・アセンブリー開催で祝福をいただきました。またアジアの姉妹教会が経験する苦難を分かち合うことができました。」「アジアの教会は多様ですが、この大会を通じて神学教育のような分野に互いの理解をより深め、協力態勢が築かれました。」
 LWFアジア局長のフィリップ・ロク氏は、「参加者119名の多くは『よそ者』としてクアラルンプールにやって来ましたが、ここに集ったことでクラカウへ向けての備えができただけでなく、私たちはここでアセンブリーのテーマ『一つのからだ』に結ばれ、『一つの霊』に導かれ、『一つの希望』に根ざすことを体験できました。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」④

日本福音ルーテル 帯広教会

日本福音ルーテル 帯広教会役員会

 今日に至る帯広教会の歴史は、1945年に浦幌町に入植者として入った吉田康登(やすなり)牧師による「浦幌・池田」開拓伝道、戦後の全国レベル開拓伝道計画による「釧路・帯広」二つのルートがあります。釧路教会、池田教会の礼拝堂は惜しまれつつもすでにありませんが、帯広教会での主日礼拝、釧路家庭集会、会場をお借りしての浦幌集会を定期的に行っています。この4月からは教区の宣教体制の変更に伴い、主日礼拝は毎週土曜日の午前10時に変更となりました。日曜日に主日礼拝が行われない珍しい教会ではありますが一人独りの信仰の養いや宣教の意欲は失っていません。礼拝後のお茶の交わりや花壇のお世話も楽しく取り組んでいます。
 牧師が在住する第3、第5日曜日を利用し、地域に開かれた教会を目指し今年は初めて町内会の夏祭り会場として駐車場を開放し、地域の方々と交流をすることができました。また、遠隔地に点在する教会に連なる仲間たちとの交流を目的として野外礼拝なども行っています。これに加え、牧会的な部分にも信徒が積極的に関り、相互訪問や寄せ書きなどを送る活動に取り組んでいます。対面での交流が難しい時も、祈りに覚え合うことで励まし支え合ってきました。
 地方の小さな教会で高齢化の波も押し寄せ、将来の見通しも決して明るいことばかりではありませんが、いま与えられている恵みに感謝し、自分たちに何ができるかを祈り求めつつ、小さな働きをコツコツと続けています。その中でも、「わかちあいプロジェクトの古着支援」「ちかちゅう給食活動への支援物資送付」「喜望の家」「まきばの家」など遠くにあっても神様の働きを担われている方々を覚えての活動は、恵みをわかちあう喜びに満たされ、今後も継続していきたいと願っています。また、秋には十勝の恵みを全国の皆さまへお届けする「十勝豆」の働きがあり、あらためて全国の皆さまによって道東宣教が支えらえていることを実感し感謝しています。

九州ルーテル学院大学

松本充右(九州ルーテル学院大学学長)

 アメリカ人宣教師であるマーサ・B・エカード初代院長によって本学院の前身である九州女学院が創立され、100年という大きな節目を2026年に学院は迎えます。「感恩奉仕」の校訓を大切にし、またキリスト教精神に基づいた豊かな人間性を育む教育を、教職員の協力のもとでこれまで行ってきました。大学としては九州女学院短期大学を改組転換し、1997年に男女共学の四年制大学「九州ルーテル学院大学」として開学した新しい大学です。現在、人文学部に人文学科3専攻(キャリア・イングリッシュ専攻、保育・幼児教育専攻、児童教育専攻)と心理臨床学科という2学科が設置されています。全学生数650名ほどの小規模私立大学であるため、教職員と学生の距離が近く、一人一人の学生を尊重し、少人数での手厚い教育と高い進路決定率(2023年3月の卒業生の今年7月時点での進路決定率は99・4%)の大学として、地元熊本では現在一定の評価を得る大学となっています。
 また、学院の校訓である「感恩奉仕」の精神に基づき、神と周りの人々へ感謝の気持ちを持ち、地域社会や周りの人々に奉仕できる人材を育成することを目標としています。その目標を実現するため様々な体験学修を重視しており、在学中に多くの学生は地域の学校、社会での様々な活動に関わっています。地域の小学校での放課後見守り支援活動、障がいを持った子どもと親への療育支援活動など学生たちは自発的かつ積極的に地域での活動に参加しています。在学中のこのような体験活動を通して、学生たちは地元への愛着や地域が抱えている課題を直接的かつ体験的に学んでいるように感じられます。
 地域社会と緊密につながりつつ、卒業後、地元熊本に貢献できる人材の育成を行ってきた結果、学生の卒業後の進路先は圧倒的に熊本県内が多くなっています。今年3月の卒業生の卒業後の進路の内訳を見ると、卒業生全体の84・2%が熊本県内で就職をしています。このように地域に根ざし、地域のために貢献できる人材を育成する完全地域密着型の大学が九州ルーテル学院大学の特徴です。

「教会讃美歌 増補」 解説

解説㊶ 増補44番「ごらんよ空の鳥」

井上栄子(日本ルーテル教団 戸塚ルーテル教会)

 息子が、カトリック系の中高一貫男子校へ入学した関係で、生徒のためのミサに参加した時のことです。聖歌斉唱の場面で、ティーンエイジャー男子の賛美に期待していなかった私は、腰を抜かすほど驚きました!会場が揺れるかと思われる声が響き渡ったのです。その聖歌が「ごらんよ 空の鳥」でした。
 優しく心温まる歌詞は、元気な生徒たちの純粋な心を導き出して、麗しい賛美へと昇華させる、そんな奇跡を目の当たりにする事ができました。私達も、そんな純粋な心で、歌詞を味わい主に向かって賛美したいと思います。

解説㊷ 増補53番「平和の祈り」

北川逸英 (日本ルーテル教団 池上教会・杉並聖真 ルーテル教会牧師)

 この歌は、ルーテル学院大学・神学校聖歌隊の愛唱歌です。聖歌隊は親しみを込めて「聖フラ」とこの曲を呼びます。「聖フランシスコの平和の祈り」の短縮形です。しかし今回の歌集のどこにも「聖フランシスコ」の名前はありません。
 それはこの「平和の祈り」が、聖フランシスコが書いた物ではないことが、20世紀後半に明らかになったからです。藤女子大学の木村晶子教授が『人間生活学研究第15号』に「アッシジの聖フランシスコの『平和の祈り』の由来」を論文発表されています。論文は藤女子大学のご厚意によりダウンロードができます。
 本論文によると、この祈りは20世紀はじめにフランスで生まれたと考えられます。それが第1次、第2次世界大戦を通じ、世界中に広まっていきました。論文の終わりを木村教授はこう結ばれています。
 「作者は不明のままであるかもしれないが、この「平和の祈り」はキリスト教の本質を短く単純に表現し、時代を超えて唱えられるすばらしい祈りであることに変わりはない」
 アッシジのフランシスコを熱愛する私も、まさにこの言葉の通りであると、心から感謝します。

エキュメニカルな交わりから ⑱カルト問題キリスト教連絡会

滝田浩之(日本福音ルーテル 小石川教会牧師)

 2018年にカルト問題キリスト教連絡会に日本福音ルーテル教会からの派遣委員として参加しています。
 カルト問題キリスト教連絡会は、日本基督教団、カトリック中央協議会、日本聖公会、日本福音ルーテル教会、日本バプテスト連盟、在日大韓基督教会によって「統一協会問題キリスト教連絡会」が発足したことに端を発しています。連絡会は3カ月ごとに参加団体の代表者が集まり情報交換をしつつ、韓国において同じ関心を持つグループと隔年で研修会を開催しています。
 「カルト問題」は、年々、巧妙かつ複雑になっており、個人が特に大学などで被害に遭うというケースのみならず、日本の伝統的なキリスト教会の乗っ取りといった事例まで発生しています。高齢化した教会に、とても熱心な青年として数名で礼拝に参加し、会員の方の信頼を得たところで役員などになり、教会の牧師は正しいキリスト教を伝道していないというような理由で追い出してしまうのです。個々の教会で宗教法人などを持っていますと、教会が分裂してしまうだけでなく、財産がすべて「カルト教団」のものになってしまうこともあります。
 是非、『カルトって知ってますか?』というカルト問題キリスト教連絡会が出版するパンフレットを活用していただきたいと思います。これはカルトについての全般的な学びに適しているとともに、別刷りで最近活発に活動しているグループの名前と具体的な活動例が紹介されています。社会貢献活動(地域ごみ掃除や高齢者支援)のような形で学生や青年を集めて、いつの間にか、そのようなグループの一員となっているケースは後を絶ちません。
 旧統一協会の問題が再度クローズアップされてからは、日本基督教団が専門の窓口を設けて「カルト問題」に対して積極的に活動してくださっています。何か、困ったことなどがあれば、その窓口に問い合わせをして頂けますと専門家につながります。ご活用ください。

※詳しくはWEBサイトをご覧ください。

九州教区「平和セミナー ~いのりの紡ぎプロジェクト~」開催

谷口美樹(九州教区社会・奉仕部・日本福音ルーテル 大江教会会員)

 2023年7月17日(月・祝)、長崎に40人の兄弟姉妹が集まり、九州教区社会・奉仕部主催の「平和セミナー」が行われました。
 午前の部は、長崎平和公園に一同が集まり、各教会で作成した「いのりカード」と「千羽鶴」を折鶴の塔に捧げました。これは、世界平和への道のりの中で、私たちにできるのは「みんなで祈りを合わせること」という社会・奉仕部全員の思いから生まれたものです。5月7日からスタートした「いのりの紡ぎプロジェクト」は、各教会のお一人お一人が祈りカードを書き、鶴を折り、隣の教会に平和の祈りを紡いでいくものです。最終的に集まった704人のいのりカードと折り鶴を一つに繋ぎ合わせていく中で、神様の恵みが溢れているようで、胸がいっぱいになりました。
 午後の部は、長崎教会を会場に「山脇佳朗さんの被爆体験『忘れられないあの日』」と題して、廣瀬美由紀さん(長崎教会会員)に講演をしていただきました。廣瀬さんは、交流証言者の一人として、山脇佳朗さんの被爆体験を語り継いでおられます。廣瀬さんが心を込めて再現していかれるお話は参加者の心に響き、改めて戦争の悲惨さと平和の大切さを考えさせられました。閉会礼拝での小泉嗣牧師のお話と会堂に響きわたる讃美歌に元気をいただき、平和への思いを新たにしながら会堂を後にしました。

満たされた交流会

立山忠浩(日本ルーテル神学校 校長・日本福音ルーテル都南教会牧師)

 聖公会神学院と私たち神学校の交流会が7月3日に開催されました。毎年開催されている催しですが(2020~2021年は中止)、今回は私たちが用賀を訪ねました。こちらからは15名(学生9名、教師6名)が参加。
 自己紹介の後、神学生の3名が(ルーテルから2名)召命観について語り、それを受けて学生と教師に分かれての意見交換となりました。学生たちの間で互いの召命観を聞き合うことが意外に少なく、意義深い会となったようです。
 教師たちは互いの教会と神学校の実情を分かち合いました。聖公会は西(京都)と東に二つの神学校を持っていますが、今年度は両校合わせて1名の神学生しかいないとのこと。私たちの神学校だけが学生不足に悩んでいるのではないことを改めて確認することになりました。その他、牧師の現任教育のための神学校の貢献についても語り合いました。神学院は宿泊可能な設備を有しており、定期的な研修会の企画に意欲的に取り組んでいることは有益な情報でした。
 教室、図書館、礼拝堂、そして寮と食堂も見学させていただきました。20人ほどは生活できる寮ですが、1名の神学生は家族寮で生活をしているとのことでした。食堂は学生だけでなく、学内で働き、また生活している教職員のためにも昼と夜の食事を提供しているようでした。少人数ですから経営的には厳しいはずですが、業者と提携しながら何とか維持しているのです。そこに聖公会の底力を見る思いがしました。聖餐礼拝の後、その食堂で夕食をご馳走になり、様々な意味で満たされて神学院を後にしました。

一日神学校。4年ぶりのキャンパス(対面)開催!

宮本新(ルーテル学院大学 教員・牧師)

 今年の一日神学校は、9月23日(土・祝)にルーテル学院大学を会場に対面開催で行われます。
 テーマは、「キリストの心を心とする〜関東大震災100年とディアコニア」。今から100年前の9月1日に発生した関東大震災は、当時の日本社会が体験した未曽有の災害でした。九州から東京へと宣教活動を展開していたルーテル教会も被災し、また「救援活動」に参画することになります。そこでの活動がディアコニアであり、やがて二つの社会福祉事業へと結ばれていきます。
 メインプログラムのシンポジウムでは、今年100周年を迎える東京老人ホームとベタニヤホームからシンポジストを迎え、ルーテルの社会福祉、ディアコニア、そして「キリストの心」について振り返り話し合うひとときを持ちます。
 このたびの一日神学校は、キャンパスに皆さまを迎えての対面開催をもう一つのテーマにしています。チャペルでの開会礼拝(午前9時30分開始)、またキャンパス内でミニショップを再開します。どれもこれも2019年以来のことであり、とても楽しみにしています。ただし、依然として感染対策に慎重を期するために半日開催としています。再会の喜びに併せて、安心安全のうちに集うことを願いとしています。その他、プログラム全体の案内・ポスターにつきましては、各教会にご案内をお送りしますのでそちらをご覧ください。

23-08-01聖書と礼拝

「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。」(イザヤ書55・1)

「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」(マタイによる福音書14・16c)

イエス様は今、舟に乗ってひとり人里離れた場所に退かれます。そこで五千人を満たす物語が始まります。同じように五千人をパン五つと魚二匹で養う記事がマルコ福音書にもあります。しかし、その同じ記事は人里離れた所へ退いたいきさつが全く異なります。マルコ福音書の始まりはこうです。マルコ6章30節から「さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。」マルコによればイエス様の元に戻ってきた弟子たちに休養を取らせるためイエス様は弟子たちと共に人里離れた所に退いたと説明します。それに対してマタイは次のように語るのです。マタイ14章13節「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。」マタイによれば、イエス様が人里離れた所に退いたのは領主ヘロデによるヨハネ殺害を聞いた後でした。洗礼者ヨハネはヘロデによって殺され、この人殺しは贅沢で豪華な食事の宴席で命じられたと聖書は語ります。物に溢れた贅沢で豊かな社会が人間の命を尊ぶとは限りません。むしろ反対に何でも自分の望む物を手に入れることができると考えた時、人は神をも畏れず、その結果、隣人の命を軽んじることになるのではないでしょうか。食べ物に溢れ、人間の欲望を満たす豪華で贅沢な誕生パーティーは死と悲しみに包まれました。それは貴い命が敵意と憎しみによって死に飲み込まれるこの世の空しさの極みであったに違いありません。しかしその時、大勢の群衆がイエス様の後を追い、ついてやってきます。その数は女と子供を別にして、男が五千人ほどであったと聖書は告げます。イエス様を追ってきた人はどのような人たちだったでしょうか。聖書によれば、舟から上がったイエス様はその人々を目にして深く憐れみ、病人を癒されたと言います。その人々は飼い主のいない羊のような人々であり、ヘロデの誕生パーティーに決して与ることができない人々でした。大人も子供も、女も男も、病人も皆、イエス様を求め、人里離れた所まで追ってきたのです。彼らこそまさに、この世で飢え渇いていた人々であったことでしょう。人里離れた何もない所で、イエス様は五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで讃美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになりました。全ての人はそれを食べて満腹したと聖書は語ります。しかも残ったパンくずは十二のかごをいっぱいにしたのです。
「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るが良い。銀を持たない者も来るが良い。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め、価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。」(イザヤ書55・1)
神様の憐れみを示す聖書における主要なシンボルは食事です。出エジプト記では神様はエジプトを脱出した人々をマナと岩から溢れ出る水によって養います。預言者イザヤは苦しむ人々に水とぶどう酒、乳と穀物を価なしに与えると約束します。そして、イエス様はまさに、人里離れた場所で飢え渇いた全ての人々を満腹にさせるのです。聖書の御言葉が示す隠喩において、私たちの飢えと渇きの両方を満たすお方は神です。そしてこの困難な時代、希望に飢え渇く私たちは、これら物語が語る神の約束の中に接ぎ木されるのです。これら聖書の物語は今を生きる私たちのためにあります。私たちはだから、希望への飢え渇きを神に求めるのです。そしてそれから、私たちにパンをお与えくださる主によって、神の子としての権能を授けられた私たちは向きを変え、困窮するこの世界へと遣わされるのです。イエス様は言われます。「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」

23-08-01るうてる2023年08月号

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「聖書と礼拝」

日本福音ルーテル保谷教会牧師・ルーテル神学校チャプレン 平岡仁子

「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。」イザヤ書55・1
「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」マタイによる福音書14・16c

イエス様は今、舟に乗ってひとり人里離れた場所に退かれます。そこで五千人を満たす物語が始まります。同じように五千人をパン五つと魚二匹で養う記事がマルコ福音書にもあります。しかし、その同じ記事は人里離れた所へ退いたいきさつが全く異なります。マルコ福音書の始まりはこうです。マルコ6章30節から「さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。」マルコによればイエス様の元に戻ってきた弟子たちに休養を取らせるためイエス様は弟子たちと共に人里離れた所に退いたと説明します。それに対してマタイは次のように語るのです。マタイ14章13節「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。」マタイによれば、イエス様が人里離れた所に退いたのは領主ヘロデによるヨハネ殺害を聞いた後でした。洗礼者ヨハネはヘロデによって殺され、この人殺しは贅沢で豪華な食事の宴席で命じられたと聖書は語ります。物に溢れた贅沢で豊かな社会が人間の命を尊ぶとは限りません。むしろ反対に何でも自分の望む物を手に入れることができると考えた時、人は神をも畏れず、その結果、隣人の命を軽んじることになるのではないでしょうか。食べ物に溢れ、人間の欲望を満たす豪華で贅沢な誕生パーティーは死と悲しみに包まれました。それは貴い命が敵意と憎しみによって死に飲み込まれるこの世の空しさの極みであったに違いありません。しかしその時、大勢の群衆がイエス様の後を追い、ついてやってきます。その数は女と子供を別にして、男が五千人ほどであったと聖書は告げます。イエス様を追ってきた人はどのような人たちだったでしょうか。聖書によれば、舟から上がったイエス様はその人々を目にして深く憐れみ、病人を癒されたと言います。その人々は飼い主のいない羊のような人々であり、ヘロデの誕生パーティーに決して与ることができない人々でした。大人も子供も、女も男も、病人も皆、イエス様を求め、人里離れた所まで追ってきたのです。彼らこそまさに、この世で飢え渇いていた人々であったことでしょう。人里離れた何もない所で、イエス様は五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで讃美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになりました。全ての人はそれを食べて満腹したと聖書は語ります。しかも残ったパンくずは十二のかごをいっぱいにしたのです。
「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るが良い。銀を持たない者も来るが良い。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め、価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。」(イザヤ書55・1)
神様の憐れみを示す聖書における主要なシンボルは食事です。出エジプト記では神様はエジプトを脱出した人々をマナと岩から溢れ出る水によって養います。預言者イザヤは苦しむ人々に水とぶどう酒、乳と穀物を価なしに与えると約束します。そして、イエス様はまさに、人里離れた場所で飢え渇いた全ての人々を満腹にさせるのです。聖書の御言葉が示す隠喩において、私たちの飢えと渇きの両方を満たすお方は神です。そしてこの困難な時代、希望に飢え渇く私たちは、これら物語が語る神の約束の中に接ぎ木されるのです。これら聖書の物語は今を生きる私たちのためにあります。私たちはだから、希望への飢え渇きを神に求めるのです。そしてそれから、私たちにパンをお与えくださる主によって、神の子としての権能を授けられた私たちは向きを変え、困窮するこの世界へと遣わされるのです。イエス様は言われます。「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊶伝わっています

「御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。」(申命記30・14)

「何かしたんですか?」お会いするなり言われて私が驚きました。私は20歳になったばかりの頃、ある先生の紹介で2週間ほど海外の二つの教会の皆さんにお世話になりました。なのでご紹介くださった先生にお礼を言おうと近づいた時でした。
「あなたは何かしたんですか?出身教会に帰ったらみんながあなたのことを聞きました。」私、何かしたのかしら?言葉がうまく通じなくて1回だけお世話をよくしてくださった方の前で大泣きをしたくらいだと思っていました。
フッとこのことを思い出させてくれたのは他愛もない辛い瞬間でした。それは電話で何度も聞き返された挙げ句「わからないので変わります。」と言われた時です。
最近電話で話すと何度も聞き返されてしまい落ち込みます。そして思うのは、対面ならば伝わるのになと。
あっそうだったんだ伝えているのは言語だけではなくその時表現される全てが用いられるんだ。
何十年もわからなかった「何か」は私が何かしようとしてしたのではなくて、神様が私を通して何かをしてくださったのだと思い嬉しくもなりました。
電話は言語を伝えます。機械音でも伝わるかもしれません。知っている人の声が電話から聞こえる親しみから言葉を聞くかもしれません。でも「ことば」は言語だけではありません。海外で自分が何かをやろうとしてしたのでなくても、電話で言語を伝えられなくてもあなたは伝えています。あなたがいろいろなものを通して「ことば」を伝えられているように。

【訂正とお詫び】

機関紙るうてる2023年7月号、2面「教会讃美歌 増補」解説「㊲増補26番」の執筆者である奈良部慎平氏の所属に誤りがございました。正しくは「日本福音ルーテル東京教会信徒」です。訂正してお詫びいたします。校正作業における確認を徹底してまいります。大変申し訳ございませんでした。

改・宣教室から

小泉基 宣教室長(日本福音ルーテル 札幌教会牧師)

永吉秀人議長から指名され、宣教室長を仰せつかることになりました。全体教会の事務局にかかわる働きははじめてで、地方教会ばかりに長く身を置いてきた身としては、教会全体の宣教を広く云々するような知見はとてもありません。しかも、新議長から直接依頼された室長としての最初の働きが、歴代の議長が連載してきたこの「るうてる」のコラムの執筆だというのですから、なんとも戸惑いばかりが先に立ってしまうのです。
それでも、本紙6月号に掲載された「総会議長所信」を読ませていただいて、改めて思わされたこともありました。わたしたちの教会は、1960年代末に、海外の宣教団体からの補助金に頼った教会運営から脱することを強く決意しました。以来、教会の経済的自立を優先的に考えて、長い努力を重ねてきたのです。経費の節減や活動の縮小、収益事業の取り組みを含めてさまざまな努力が重ねられてきた結果、近年になってようやく、経済的に自立した教会として歩むことができるようになったのでした。しかし永吉議長は先の「所信」のなかで、「前を向いて走り続けて来たがゆえに、多くの事柄を通り過ぎて来てしまったのではないか」「私たち教会としての歩みも隣人の前に立ち止まらなければ、誰の隣人にもなれないことをわきまえます」、と語っておられます。
もしこのコラムを通して、個教会や教区、諸施設やエキュメニカルな働きといったさまざまな現場において、隣人の前に立ち止まる働きをなさっておられる方々の声に耳を傾ける機会をいただけるなら、たとえわたしが、大上段から宣教を語るようなことが出来なかったとしても、そのことをもって託された職務のいくばくかを担えるのではないかと思い至ったのです。
このコラムは、永吉議長によって「改 宣教室から」と名付けられています。「所信」によれは、この改は「悔い改め」の改なのだそうです。そして「議長から」でも「室長から」でもなく、「宣教室から」と名付けられていますから、教会の宣教にかかわる多くの方々にお手伝いいただきながら、「改」というタイトルに心に留めつつ、いまの教会と社会における宣教の現場の声をわかちあう場としていきたいと願っています。みなさまのご協力をお願い致します。

「教会讃美歌 増補」 解説

㊴増補42番「よみがえりの主の」

石丸潤一(西日本福音ルーテル 新田教会)

讃美歌委員会の発足当初、新しい『教会讃美歌』に収録する曲の方針について、様々なアイデアが出されました。『分冊1』に収録されたルターのコラールや新しい日本語の賛美歌のほかに、アジアや南米などの賛美歌、こどもや青年向けの賛美歌などを収録したいという意見が挙がりました。そんな中、「古くから日本でなじみのあるヨナ抜き音階の賛美歌」という意見が出され、その声に促されるように作ったのが、「よみがえりの主の」です。
ヨハネ3章16節から着想を得、イエス様のご生涯を歌う5節の賛美として作りましたが、他の賛美歌とのバランスや委員からのアドバイスを受け、後半2節を礼拝からの派遣の賛美とするかたちで採用いただきました。専門的な音楽教育を受けていない者が作った拙曲ですが、その分、シンプルで、音域も広くなく、口ずさみやすいメロディかと思います。
主がこの賛美を用いてくださり、みなさんが礼拝の恵みの場から主とともに歩む日々へ穏やかに送り出されるための助けとなれましたら、幸いです。
また、伴奏編曲をご奉仕くださった讃美歌委員の萩森英明兄に、心から感謝いたします。

増補50番「見つめてください」

中山康子(日本福音ルーテルむさしの教会信徒)

当時のアメリカ福音ルーテル教団の世界宣教部事務局長 ラファエル・マルピカ・パディッラ牧師が、2011年3月11日に起きた東日本大震災後に、仙台の被災地を訪ねました。世界宣教部として支援できることを探るための視察でした。その折に、その状況下でも神さまがいのちを守ってくださる方である事を感じて、聖書の言葉を紡いだ歌詞がメロディとともに即座に生まれました。それを聴き取って、賛美歌委員が伴奏を付けたのがこの賛美歌の誕生のゆえんです。
いまだに見つからないと探す方々、亡くなった方々のご関係、津波の被害に遭いながらも生きながらえた方々、それらのご関係の方々にとって、さらに支援の限界を感じ人間的には手が尽くせない思いを持つ人々にとって、すべてを造られた神に希望を託すことができるのは、なんと深い大きな慰めでしょう。聖書出典箇所として、イザヤ書46章4節、詩編50編15節、ヨナ書2章が挙げられます。深い絶望の時にも希望を失わない信仰を育てる祈りの中で歌いたい賛美歌です。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

水と衛生インフラ整備して学校改善:ハイチ

キャンプ・ペリンの生徒たちにとって、清潔なトイレと洗濯や飲み水は贅沢なもの。ルーテル世界連盟(LWF)とパートナーのノルウェーのディアコニア団体(NCA)は水と衛生インフラを整備して、子どもたちが衛生習慣を身につけられるよう訓練を行っています。
ハイチ南部の農村地キャンプ・ペリンは、2022年8月の地震で大きな被害を受けました。いまだに多くの家族が仮設住宅で生活しており、学校の再建も進んでいません。社会情勢が不安定なため、インフラの整備も遅れています。
エコール・レスプワ(クレオール語で「希望の学校」の意)には、現在324人の生徒が集まり、30分から2時間かけて通学していますが、学校に着いても手を洗ったり飲む水がないこともしばしば。乾式コンポストトイレは悪臭を放つので、子どもたちも使いたがりません。年頃の女子にとって衛生的に生理の処理をするのも難しく、そのために学校を休むことも。
学校まで歩いて2時間のところに住む16歳の少女ルドニーもその一人で、7年生の彼女はクラスで最年長。家族は彼女と7人の兄弟の年間25米ドルの学費を支払えないこともありましたが、今は地域の支援を受けて学校に通い休まないよう励んでいます。毎朝5時に起きて家事を済ませ、それから学校まで2時間てくてく歩くにしても、この機会を逃すまいと決意しています。お腹をすかして帰宅しても食べ物がなく、それよりも家族の夕食の支度が先決といったことがよくあります。
「子どもたちは朝、のどが渇いています」とエマニュエル校長は言います。「きれいな水がないので、ほとんどの場合子どもたちは飲み水を買いに行かねばなりません。」 エマニュエル校長は、自宅から飲料水を持ってくるように勧めていますが、ルドニーのように歩く距離が長く、ボトルを買うお金もない生徒にとってはほとんど不可能なことです。
LWF/NCAの「グリーンスクール」プロジェクトは、エコール・レスプワで、こうした課題と向き合っています。コンポストトイレを水洗トイレに変更することで利用しやすくなり、臭いも消えます。飲料水用の水源を建設し、毎日400リットルの飲料水を学校で利用できるようになります。またこのプロジェクトには、トイレの使用、手洗い、安全な水だけを飲むといった衛生習慣の指導も含まれています。「キャンプ・ペリンの遠隔地の家庭では、野外での排泄が広く行われています」、「そのために湧き水や他の家庭用水資源が汚染され、下痢等の疾患を引き起こしています。」(LWFハイチ代表レイモンドさん)
ルドニーは、ゲームのできる校庭ができることを夢見ています。本を読むのも好きなので、学校に図書館ができたら絶対利用したいと思っています。「子どもたちは変革の担い手だと私たちは考えています。」「彼らが学んだことを家に持ち帰って、家族と地域社会の生活の向上を目指してほしいのです。」(レイモンドさん)
※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」③

日本福音ルーテル恵み野教会

中島和喜(日本福音ルーテル恵み野教会・函館教会牧師)

恵み野教会は「北海道伝道推進計画」の中で1985年に建てられた教会です。当時、開拓伝道の地として北海道内のどこに教会を建てるかと協議していた最中、同時期に恵庭市によるニュータウン計画が進行中であり、教会用地に予定されている土地に教会を建てないかとの市側からの呼びかけによって建てられた珍しい教会でもあります。そのため、まだ周辺に建物が少ない時期から、恵み野教会は地域の教会として立ち続けています。
恵み野教会はノアの方舟をイメージして建てられ、上空から見ると船の形をしているというユニークな建物です。また150平方メートルもの広大な庭があり北海道の雄大な自然をも感じられます。建物だけでなく、自然を通してもまた、神が創られたものはいかに美しいものであるかを感じさせられます。
昨年までは札幌教会との兼牧体制でしたが、4月から函館教会との兼牧体制となったため、これまで日曜日だった礼拝時間を土曜日10時からに変更しました。大きな出来事に当然痛みもありましたが、一方でこれまでは信徒礼拝や礼拝後すぐ牧師がもう一つの教会に移動するということが半分以上でしたが、そういった移動体制がなくなり、常に変わらない状況で礼拝の日を迎えられる恵みが与えられています。
恵み野教会のある恵庭市は「花のまち」として有名な街で、市が作成している観光マップには一般民家のガーデニングが紹介されるほど花への思いが強い街です。そういった地域にあることを覚えて、昨年からペンテコステの時期には「花の礼拝」として、各家庭で育てている花を持ち寄り感謝の捧げものとする礼拝を行っています。また冬場にはクリスマスフェスタとして、地域の方々に礼拝堂を会場に何か出し物をしてもらう企画も行なっています。その他にもコンサートや教会バザーなどを通して、地域の教会として愛されている教会です。空港からも非常に近い教会ですので、北海道観光の際はぜひ教会をお訪ね下さい。

九州学院みどり幼稚園

新垣力(九州学院みどり幼稚園園長)

九州学院みどり幼稚園は、1924年に米国から来日し、九州学院に赴任した宣教師、ルイス・ルー・グレーシー氏が自宅の一室で10人の子どもたちを集めて幼児教育をスタートしたのが始まりであるとされており、2024年12月で100周年を迎えます。
異年齢との交流や礼拝、行事等を通して感謝と思いやりの心を育てています。付属幼稚園としての良さを生かし、九州学院中学・高校の外国人教師による英語あそびや体育教師による運動あそびを毎週実施しています。また、入園式、卒園式もチャペルで行うとともに、中学・高校の広いグラウンドや体育施設を使ってのびのびと体を動かす機会を設けています。園には給食室が設置されており、完全給食を実施し、地産地消に努め、食育にも力をいれています。
2015年からは、幼保連携型認定こども園として新たなスタートを切り、現在106名が在籍しています。
幼稚園から認定こども園へ変わったことで、子どもを預かる時間や職員の勤務時間の違い、職員数の増加といった新しい運営体制に順応していくことが求められましたが、子どもたちは、神様から託されたかけがえのない存在あることに変わりはなく、一人ひとりに寄り添った教育、保育に努めています。
職員集団として声を掛け合っているのは、「正しい自己肯定感を高く保つ」ということです。子どもを取り巻く私たち大人の自己肯定感、自己有用感が低ければ、子どもの良さに「気づき、認め、励まし、伸ばす」ことは難しいと考えています。あわただしい日々ではありますが、毎朝の讃美歌とお祈りで、「今日も新しい朝をいただいたことへの感謝」の心をもち、子どもたちへの愛を誓っています。また、園長として、職員の日々の努力を認め、具体的な言葉で感謝を述べるようにしています。保護者に対しても同様です。
これからも、献身と謙遜の心を忘れず、職員一同子どもたちのために頑張っていきたいと思います。

エキュメニカルな交わりから ⑰平和を実現するキリスト者ネット

小泉嗣(日本福音ルーテル熊本教会・玉名教会・八代教会牧師)

「平和を実現するキリスト者ネット(以下・平和ネット)」は、平和ネットのホームページによると、国会で日米安保条約の新ガイドライン、周辺事態法、国旗・国歌法等が次々と成立し、平和と信教の自由が侵される危うい状況に危機感を持った日本キリスト教協議会(以下・NCC)が呼びかけて1999年に設立された34の日本のキリスト教会、教派、団体で構成されたネットワークです。
そしてこの平和ネットの特徴は、日本のキリスト教界に生きる「平和」を実現しようとする様々な教派、団体(日本カトリック、日本自由メソヂスト教団、日本YMCA同盟、日本キリスト者医科連盟、等々…)の「祈り」と「手」によって活動が続けられているという点と、この平和ネットが、日本の他宗教・団体と共に平和を実現するための活動をする際のキリスト教界の窓口となっている点であると言えます。これまではキリスト教の教派・団体がそれぞれバラバラに参加し、活動してきた、憲法9条や、沖縄辺野古基地建設反対、秘密保護法反対などの全国的に展開される運動に対し、(もちろん個々の教派・団体の関りは継続しつつ)「平和ネット」という共通の名札で参加することを可能としたのです。様々な集まりに一人で参加していた人も「平和ネット」の旗を見つけて、「あっ、あそこにイエスの平和を祈る人たちがいる」と勇気をもらった人も少なくないと思います。
加盟教派であるルーテル教会の派遣委員の働きは、年に2回行われる運営委員会に出席し、自らの教会の平和に資する活動の報告と、他教派・団体の情報を収集すること、そしてルーテル教会だけでは実現できないような集まりを、ルーテル教会のみなさんにお伝えすることです。
ルーテル教会からは派遣委員だけではなく事務局の働きを担ってくださっている方もおられます。平和ネットの働きは、主イエスの平和を実現するための直線的なものではないかもしれませんが、多様化・複雑化する社会の中で、平和のために共に祈る場・共に歩む場を整える大切な働きです。これからもお祈りとお支え、何より様々な活動へのご参加、よろしくお願いします。

「平和へ向けての提言核問題の視点から」

内藤新吾(日本福音ルーテル稔台教会牧師)

平和と核の問題は一体です。また、核について日本では、「核」と「原子力」と言葉の使い分けがされますが、世界では区別なく(nuclear)、軍事と平和利用は緊張関係にあり繋がっています。私たちは、原発がなぜ普及するようになったかの歴史的背景を注意深く見ておく必要があります。原発を推進する国や企業は「原爆と原発は違います」と繰り返し言ってきましたが、実はそこに一番触れられたくない事情が隠されています。
原発の世界への普及は、核兵器を持ち続けたい大国が経済安定のため立案したものです。第二次世界大戦後、アメリカと旧ソ連を中心に核競争が激化、このままでは国家が経済破綻してしまうのを避けて儲ける部分も設定しました。また、原発を買う国には核開発しない約束をさせ監視し、保有国の優位を保ちました。その代わり、原発を買った国には国家と担当企業に利権の集中が図られます。
さらに、これはアメリカが特に戦後すぐ行ったこととして、自分たちの落とした原爆が悪魔の兵器だったという批判を避けるため、放射線の影響が極力小さく見えるよう、ABCC(原爆傷害調査委員会)を設置し報告をまとめます。そしてABCC報告を元にICRP(国際放射線防護委員会)が組織され、原子力関連の労働者に被ばくの訴えを出させないためにも、放射線の規制を甘くしてきました。それは現在、福島で原発震災が起きた後も、その影響はないとすることに繋がっています。
日本はアメリカから原発を導入しましたが、再処理や高速炉開発にここまでこだわるのは、エネルギーのためではないと警戒すべきです。それは核武装です(絵本『魔法のヤカン』愛育出版あとがきにも)。その可能性は、日本が原発導入を決めた時の原子力基本法案の議案説明にも、歴代大物政治家の言葉にも、外交政策の文書にも刻まれています。また、これまで何度も国会で、自衛のためなら小型核兵器を保持しても合憲との与党側答弁がなされています。でも行わないのは、核武装そのものが目的ではなく、同盟国への商売まで考えているからでしょう。どれだけ憲法をねじ曲げ解釈しても、さすがに9条がそこまでは許さないのです。核の問題を放置しないことと改憲阻止は、信仰者の務めと思います。まさに、いのちと平和の問題です。
ところで昨年の夏、政府は、ウクライナへのロシアの侵攻で石油やガス高騰のドサクサに、原発が攻撃対象となることにはフタをして、原発政策の大転換案を出しました。そうして国会審議も経ず閣議決定、その後も関連のGX法案をアッという間に通しました。しかし、どのように国が進めようと、よくない政策や法はまた変えることができます。多くの人が騙されていますが、原発は諸工程を入れると一番コストが高く、太陽光と風力の発電は一番安いのです(映画『原発をとめた裁判長そして原発をとめる農家たち』にも)。真実を知り、伝えていくことが大事です。

デンマーク牧場福祉会20周年記念感謝会報告

櫻井隆(デンマーク牧場福祉会理事長)

6月10日、ルーテル教会関係者約50名を含め、来賓・職員など総勢150名ほどの方が参加されて、デンマーク牧場福祉会の20周年記念感謝会を実施することができました。感謝会では、現在の法人の状況を知ってもらうことを主眼としたため、著名な方をお迎えした講演会などは行わず、創立から20年が経過した現在の様子を紹介させていただきました。
礼拝、挨拶、事業所報告と地味な内容でしたが、参加された来賓、教会関係者の方々から良い会であったという感想を聞くことができ、本当に良かったと感謝しています。
2003年、社会福祉法人デンマーク牧場福祉会は、特別養護老人ホーム「ディアコニア」の一つの事業から始まりました。海外からの財政的支援のない中で、社会福祉法人の認可を受け、ディアコニアを建築することは容易なことではなく、準備委員の方々が中心となり、多くの方々の熱心な祈りと働きにより、困難を乗り越えて開設されました。そして、20年が経過した現在、デンマーク牧場福祉会は、四つの社会福祉事業と二つの公益事業、一つの収益事業を行い、130名余の職員が働く法人へと成長してきました。これまでの歩みは、順風満帆とばかりとは言えませんが、ここに至るまでに導かれたことに感謝しています。そして、20周年を迎えたこの時に、これまでに多くの方々の働き、支援、祈りがあったことを覚え、デンマーク牧場福祉会のこれからを考える機会にしたいと思っています。
特に、法人・特別養護老人ホーム設立の時にご負担いただき、20年にわたって福祉村献金として支援していただいた東海教区はじめ全国の信徒の方々には、心より感謝申し上げます。その思いや祈りを受け止めて、これからも職員と入所者・利用者で、より良い法人になるよう努めていく所存です。
また、20周年を記念して、『豊かな大地に守られながら、一人ひとりに寄り添って~デンマーク牧場福祉会二十年の歩み~』を発行しましたので、皆様の教会に送付させていただきます。こちらにも、ここ10年の歩みを中心に、法人の20年についてまとめましたので、皆様にご指導をいただきたく、よろしくお願いいたします。

南熊本教会共同体「初夏の集い」を久しぶりに開催

⻆本浩(日本福音ルーテル神水教会・松橋教会・荒尾教会牧師)

南熊本教会共同体(私たちは普段「南熊本群」と呼んでいます)では、共同体内の人件費支援を行ったり、共同体として出席する全国総会に小さな群れの信徒が無理なく行けるように総会旅費の積み立てを行ったりしてきました。また、年2回の合同役員会、そして、年2回の講壇奉仕交換プログラムも続けています。おそらく、これだけ実質的な協働を続けている教会共同体は全国でも珍しいのでは、と思っています。
そして、もう一つの目玉がペンテコステあたりの時期に行っている「南熊本群初夏の集い」です。このプログラムも新型コロナウイルスの感染拡大により、3年間、休止を余儀なくされてきました。ようやく・・・ようやく今年6月3日(土)4年ぶりの開催の運びとなりました。
南熊本群には6教会がありますが、毎年、担当、企画等持ち回りで続けてきております。過去には、各教会から一人ずつの証しを聴く時もあり、讃美を楽しむ集会あり、春の河原で野外礼拝と信仰の思いを俳句に読んだ機会あり、ノアの箱舟の劇を行った時もあれば、各自の愛唱聖句を語り合って小冊子を作った時もあります。
今回は神水教会が担当となっていました。久しぶりに集まるから、何か「なつかしさ」を共有したいという思いもあって、三浦綾子さん作の「塩狩峠」について振り返りました。ご存じの方も多いと思いますが、乗客を救うために、逆走し脱線の危機にあった列車を止めようと自身の命を懸けて殉職した鉄道員の小説です。起こった出来事もさることながら、主人公の永野信夫さん(モデルとなったのは長野政雄)が次第にキリストを信じていくその過程などを考えるひとときを過ごしました。
久しぶりの再会でしたので、昼食後は、一人ひとりマイクをもって近況報告会。
兄弟が共に座っている。なんという恵み、喜び!そう実感した一日でした。

「2023年 ルーテル聖書日課読者の集い」のご案内

「ルーテル聖書日課読者の集い」が3年ぶりに対面開催されます。聖書日課の講読者ではない方もご参加頂けます。皆様のご参加をお待ちしております。

〈主題〉ローマ書を学ぶ(仮題)
〈講師〉大柴譲治牧師(日本福音ルーテル大阪教会)
〈日程〉10月23日(月)~25日(水)
〈申込締切〉9月30日(土)必着
〈参加費用〉お1人・3万3千円(2泊6食付き)
*シングル・ツイン同額
〈宿泊先〉ホテル・ザ・ルーテル *基本はシングルルームとなります。ツインルームをご希望の方は、お早めにご連絡ください。ツインは数に限りがございますので、ご希望に添えない場合がございます。
〈申込先〉
氏名、住所、メールアドレス、ご連絡先、所属教会、ツインルームご希望の場合は、同室希望者の氏名を明記の上、
seishonikka@jelc.or.jp
もしくは
FAX(03)3260―8641
まで送信ください。
〈お問合せ〉
聖書日課を読む会事務局 担当・平野
(日本福音ルーテル教会事務局内)
TEL(03)3260―8631
FAX(03)3260―8641
seishonikka@jelc.or.jp

23-07-02今日を、明日を生きるために

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章25~30節(28節))

 一体どれだけの人がこれまで、このイエスの言葉に癒され、励まされ、導かれてきたのでしょうか?
 その疲れの原因はともかく、とにかく「疲れている」すべての人に向けてこの言葉は語られています。もちろん、一義的には2000年前のイスラエルに住む人々に向けてでしょう。マタイによる福音書11章はイエスの宣教の記述にはじまり、洗礼者ヨハネの弟子たちとのやりとり、そして彼についての解説の後、コラジンにはじまりカファルナウムまで、イエスが数多くの奇跡を行ったにもかかわらず悔い改めなかった町々を叱り、そして神のみ心が知恵ある者や賢い者ではなく、幼子のような者に示されたことを明らかにしたうえで、このイエスの言葉が語られています。このことから考えると、「疲れた者」とは、洗礼者ヨハネの言葉にも、イエスの宣教の業によっても、悔い改めなかった人々、知恵ある人、賢い人によって、その疲れる原因を与えられた人々の事かもしれません。彼らは自らは天まで上げられると思っていた人々、自らは知恵ある賢いと思っていた人、神に対して謝ることをせず、思い上がり、自分の知恵や力を頼りにする、そんな人々によって、重荷を負わされたのです。その人々とはファリサイ派や律法主義者、宗教的指導者のことであったのかもしれません。彼らによって「罪」を負わされた人々、圧政によって厳しい生活をしていた人々を、マタイによる福音書に多く見ることができるからです。イエスはそんなファリサイ派や律法学者と対峙し、神のみ旨を伝え、そして彼らによって「罪」を負わされた人々を癒し、救い、生きる力を与えられたのです。
 イエスによって癒され、救われた人々には明日がありました。だから「休ませてあげよう」と言われているのでしょう。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」この言葉は、臨終の言葉ではなく、今日を生きる人々に向けて語られているのです。そしてまたイエスは続けます「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」と。
 イエスの目から見れば、時の指導者たちは神に対して、人に対して、粗暴で険悪、傲慢な人々であったのでしょう。必要以上に神に求め、人に強いていた、そのことでたくさんの人が重荷を負わされ、疲れていたのです。だからこそ、イエスに学ぶように、多くを求めず、強いることをせず、ただイエスに聞くこと、それが父なる神を知ることになるのだと、イエスは言うのです。
 なるほど、だからこそ、この言葉に私たちは癒され、励まされ、導かれるのです。もちろん私たちのまわりには律法学者やファリサイ派はいませんし、直接的な圧政に苦しめられているとも言えないでしょう。しかし私たちは、傲慢で、険悪で、自らの正しさや、知恵や力に頼る人々によって、また社会によって、どこかで無理を強いられ、何がしかの圧力に疲れを感じているのではないでしょうか?またもしかしたら、自分自身がそのように無理を強いたり、圧力をかけたりしているのではないでしょうか?そしてそのことによって、重荷を負い、生きることに疲れてしまっているのではないでしょうか?
 「もしそうであるならば、私のもとに来なさい。あなたが今日を生きるために、休ませてあげよう。あなたが明日を生きるために、柔和で謙遜な私から学びなさい。」イエスはそんな私たちに、2000年前から今日まで、そしてきっとこれからも、このように語りかけてくださっているのです。

23-07-02るうてる2023年07月号

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「今日を、明日を生きるために」

日本福音ルーテル熊本教会・玉名教会・八代教会牧師 小泉嗣

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章25~30節(28節))

 一体どれだけの人がこれまで、このイエスの言葉に癒され、励まされ、導かれてきたのでしょうか?

 その疲れの原因はともかく、とにかく「疲れている」すべての人に向けてこの言葉は語られています。もちろん、一義的には2000年前のイスラエルに住む人々に向けてでしょう。マタイによる福音書11章はイエスの宣教の記述にはじまり、洗礼者ヨハネの弟子たちとのやりとり、そして彼についての解説の後、コラジンにはじまりカファルナウムまで、イエスが数多くの奇跡を行ったにもかかわらず悔い改めなかった町々を叱り、そして神のみ心が知恵ある者や賢い者ではなく、幼子のような者に示されたことを明らかにしたうえで、このイエスの言葉が語られています。このことから考えると、「疲れた者」とは、洗礼者ヨハネの言葉にも、イエスの宣教の業によっても、悔い改めなかった人々、知恵ある人、賢い人によって、その疲れる原因を与えられた人々の事かもしれません。彼らは自らは天まで上げられると思っていた人々、自らは知恵ある賢いと思っていた人、神に対して謝ることをせず、思い上がり、自分の知恵や力を頼りにする、そんな人々によって、重荷を負わされたのです。その人々とはファリサイ派や律法主義者、宗教的指導者のことであったのかもしれません。彼らによって「罪」を負わされた人々、圧政によって厳しい生活をしていた人々を、マタイによる福音書に多く見ることができるからです。イエスはそんなファリサイ派や律法学者と対峙し、神のみ旨を伝え、そして彼らによって「罪」を負わされた人々を癒し、救い、生きる力を与えられたのです。

 イエスによって癒され、救われた人々には明日がありました。だから「休ませてあげよう」と言われているのでしょう。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」この言葉は、臨終の言葉ではなく、今日を生きる人々に向けて語られているのです。そしてまたイエスは続けます「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」と。

 イエスの目から見れば、時の指導者たちは神に対して、人に対して、粗暴で険悪、傲慢な人々であったのでしょう。必要以上に神に求め、人に強いていた、そのことでたくさんの人が重荷を負わされ、疲れていたのです。だからこそ、イエスに学ぶように、多くを求めず、強いることをせず、ただイエスに聞くこと、それが父なる神を知ることになるのだと、イエスは言うのです。

 なるほど、だからこそ、この言葉に私たちは癒され、励まされ、導かれるのです。もちろん私たちのまわりには律法学者やファリサイ派はいませんし、直接的な圧政に苦しめられているとも言えないでしょう。しかし私たちは、傲慢で、険悪で、自らの正しさや、知恵や力に頼る人々によって、また社会によって、どこかで無理を強いられ、何がしかの圧力に疲れを感じているのではないでしょうか?またもしかしたら、自分自身がそのように無理を強いたり、圧力をかけたりしているのではないでしょうか?そしてそのことによって、重荷を負い、生きることに疲れてしまっているのではないでしょうか?

 「もしそうであるならば、私のもとに来なさい。あなたが今日を生きるために、休ませてあげよう。あなたが明日を生きるために、柔和で謙遜な私から学びなさい。」イエスはそんな私たちに、2000年前から今日まで、そしてきっとこれからも、このように語りかけてくださっているのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊵「立ち止まって」

「主をたたえよ。嘆き祈るわたしの声を聞いてくださいました。」(詩編28・6)

 道端に咲く野の花に座って話しかけている人のシーンを見ました。あの花が喋り出したらいろんなことを教えてくれそうだなと思うとなんだかすごく楽しく感じました。
 部屋に置いた小さな花も庭やどこかの畑にある花々も毎日話しかけると綺麗に花を咲かせるとどこかで聞いたことがあるような気がします。
 人間も同じかもしれません。
 毎日笑顔を向けられていたなら。毎朝話しかけられたなら。
 もし無視され続けたら辛いです。
 ある人が愛の反対は憎しみではなく無関心だとおっしゃいました。
 挨拶をできない人がいました。その人が通る空気も嫌で息を止めていたこともあります。
 その人が近づくと慌てて逃げました。これはその人に関心があるということなのでしょうか?する方も、される方もあまりにも辛いかもしれません。でも神様は違います。
 あなたに「あなたはわたしにとってかけがえのない存在だよ。」「あなたは大切な存在だよ。」と毎日話しかけてくださっておられます。たとえ話しかけているのに道端に咲く花のように返事もなく、聞いてないようでも神様は毎日あなたに笑いかけ、あなたに語りかけてくださいます。
 「あなたはわたしにとってかけがえのない存在だよ。」「あなたは大切な存在だよ。」と神様は全てを通して語りかけてくださいます。ほらそこにも。

改・宣教室から

日本福音ルーテル教会 総会議長 永吉秀人

「議長室から」改め、「宣教室から」のメッセージへ。

 このたびの全国総会において、第30期の議長として選任されました永吉でございます。感染症拡大の影響により3年間の忍耐を経て、各個教会におかれましても全体教会においても宣教の活性化のチャンスが訪れました。かつてのように密集する活動に戻ることはありませんが、社会の意識にふさわしく配慮された活動が展開され、創出できると希望を持っています。
 かつて、機関紙「るうてる」の紙面について、全国の教会においては議長の顔が見えないゆえに「議長室から」というメッセージの必要性を求めたのは私自身であったように記憶しています。もちろん、教会はこれからどこへ行くのかという示唆的なメッセージは有って有るべきものですが、それ以上に教会がいま何をしているのかという具体的な取り組みや関わりを紹介し、分かち合い、呼びかけを通して皆様と連帯していくことが大切であると感じています。
 全国総会では新たに「第七次綜合方策」が採択されました。中心的課題は牧師の職務である牧会の機能回復であり、それを実現するための教会の再形成(リ・フォーメイション)です。前大柴讓治議長は「聽」という漢字をシンボルとして掲げておられましたが、それに倣って今期のシンボルを掲げますならば、「改」という漢字になるでしょう。しかしながら、これは改革の「改」ではなく、悔い改めの「改」です。「あらためる」ではなく、「あらたまる」であります。
 教会は社会との関わりにおいて、そこでの使命として日本福音ルーテル教会に留まらず、NCC(日本キリスト教協議会)を通して、またカトリック教会と連携しつつ、様々な活動も担っています。しかしながら、委員や担当者を置きながらも、それぞれの働きを全体で分かち合うまでには至っていないのが現状です。社会的な課題は教会の宣教の話題の一つに過ぎないのではなく、どの活動にも人々の痛みと忍耐と希望があります。日本福音ルーテル教会全体として、これまで気づけなかったり、通り過ぎて来た一つ一つの課題に立ち止まる勇気と立ち続ける忍耐とを共有することがキリストの教会には求められます。そのためにも「るうてる」の紙面を通して「宣教室から」呼びかけてまいります。

「教会讃美歌 増補」 解説

㊲増補26番「かみさま わたしのとなりびとは だれ」

奈良部慎平(日本福音ルーテル 東京教会信徒)

 ちょうどわが家に子どもが生まれたタイミングで、「宗教改革500周年の記念にもなるし、教会に行った時に子どもたちと一緒に歌える歌があるといいな」と思い作詞してみました。
 歌詞には子どもが好きそうなリズムと言い回しが含まれるように、言葉あそびの要素を考慮して言葉を考えたように思います。
 聖書の隣人愛のメッセージを、小さな子どもでもイメージしやすいように落とし込んだつもりです。
 幸いにも素晴らしい楽曲が与えられ、大変感謝しています。すでにわが家の子どもたちは大きくなり、一緒に歌を歌うことはありませんが、1人でも多くの子どもたちや家族が愛唱してくだされば嬉しいです。
 シンプルな歌詞で大きな神様のメッセージが伝わればいいと思っています。

㊳増補33番「インマヌエル」

水原久美子(日本福音ルーテルシオン教会員)

 教会に行き始める以前、家庭集会に招かれ通うようになりました。会って間もない私の話を、皆さんが一生懸命聞いて下さいました。そのことは、強烈な印象として記憶しています。
 集われた方々と自分が、友としてつながっていることを実感し、また、キリストが「友だちだよ」と言って下さったことは舞い上がるような喜びでした。(実際、私は舞い上がっていたかもしれません。)
 その頃、言葉やメロディーが、私の中で、次々と浮かびました。「インマヌエル」も、書き留めたものの一つです。私は、友人と呼ぶ人もおらず、関わり合いが家族間でも乏しい家で過ごしておりましたが、この曲を神様がプレゼントして下さったと思います。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ルター派と正教会エキュメニカル協議会の神学的対話について

 LWFと正教会(エキュメニカル総主教指導の下)の国際合同委員会による神学対話が、4月29日から5月6日までルターとメランヒトンが活躍した都市ヴィッテンベルクで開催されました。
 テーマは「聖霊と教会そして世界:創造、人類、救済」。出席者たちは2025年出版予定の共同声明作成に向け作業しました。2025年はニケア公会議1700年記念の年にあたります。ニケア公会議は紀元325年、当時の教会指導者がキリスト教の教義と実践について合意を目指した最初のエキュメニカルな国際会議です。

 LWFエキュメニズム部門のランゲ教授によると「議論はとても建設的で、会話は前向きでした。委員全員が責任をもって真剣に取り組むという経験をできたのは喜びでした。双方から1人ずつ議長が出て、話し合いは活発に進められ集中できました。」

 会期中、エキュメニカル総主教バルトロメオ1世とLWF事務局長アンネ・ブルグハルト師から、40年以上におよぶルーテル教会と正教会による神学対話の進展を祝うメッセージが届けられました。またヴィッテンベルクの城教会では「みことばの礼拝」が、ナウムブルク大聖堂ではルター派の聖餐式が行われました。

 エピクレーシス(聖餐式において聖霊を想起し、パンとぶどう酒そして会衆に向けて聖霊の降臨を呼び求める祈り)は、正教会の典礼と教会論の中心にあるため、そこに議論が集中しました。ルターは、ドイツ語ミサ典礼にはその形式を取り入れましたが、当時のカトリックのミサ典礼には入っていなかったため、特に強調しませんでした。けれどもエピクレーシスは、この100年の間、殊に20世紀半ばの北アメリカとスウェーデンの典礼刷新運動を機に多くのプロテスタント教会で再び位置を占めるようになってきました。

 もう一つ「活発な議論」になったのはフィリオクエ論争です。この論争の発端は、ニケア信条の「(聖霊は)父と子から出で」の「子から」を、ラテン語西方教会が6世紀後半に挿入したことです。この文言の挿入によって、西と東の教会間には深い溝ができてしまいました。

 委員たちは「異なる神学的枠組み、典礼としての帰結、考えられる着地点」を探り、次回の委員会で「牧会的意義を検討しつつさらに研究プロセスを深める」ことに合意しました。LWFは、エキュメニカルな礼拝においてフィリオクエ(子から)の文言を省くことを勧めています。ナウムブルク大聖堂でランゲ教授が司式したルター派礼拝ではそのように行われました。
 次回の準備委員会はLWFの主催で11月6日から19日にかけてエストニアの首都タリンで行われます。

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」②札幌教会

小泉 基(日本福音ルーテル札幌教会牧師)

 札幌教会は、三位一体の教会だといえます。それぞれに宣教の歴史を刻んできた札幌教会、札幌北教会、新札幌教会という三つの教会が、ひとつの教会としてのあゆみをはじめて16年になります。もっとも長い歴史を有するのが札幌礼拝堂。フィンランドの宣教団体が1916年に伝道をスタートさせ、翌年教会が組織されて北海道にはじめてのルーテル教会が誕生しました。8年もの伝道中断期を経験するなど、困難な時代も経験しつつ、1934年に市南部に風格ある礼拝堂が献堂され、3年後にはお隣りにめばえ幼稚園も開園してその宣教は軌道に乗りました。札幌市景観重要建造物(第1号)にも認定されているこの堂々たる礼拝堂は、現在も大切に用いられています。一方戦後、市北部で継続していた伝道活動が実を結び、1964年に札幌北教会が生まれます。1969年に献堂した礼拝堂は2006年に建て替えられ、地下鉄駅の出口にも近い交通至便の使いやすい現在地に礼拝堂を得て、札幌北礼拝堂として宣教が続けられています。最も新しい新札幌礼拝堂は札幌の副都心、JR新札幌駅から徒歩5分という好立地に1981年、全国レベル開拓伝道の一環として清新な礼拝堂を献堂。新札幌教会として宣教がはじまりました。
 これら三つの教会が2007年に教籍と会計を一本化して教会組織を統合。新しい札幌教会の歴史が始まりました。この3礼拝堂とめばえ幼稚園とが、ひとつの宣教共同体として札幌におけるルーテル教会の宣教を担っています。
 現在は、4月に着任した小泉が、主に土曜日の札幌北礼拝堂、日曜日の札幌礼拝堂の礼拝を担当。新札幌礼拝堂は、帯広からおいでくださる岡田薫牧師の協力のもとに日曜日に礼拝を行っています。札幌においでの際は、ぜひ札幌教会の礼拝にお出かけ下さい。

大阪でペンテコステ・ヴィジル礼拝開催 

竹田大地(日本福音ルーテル天王寺教会牧師)

 5月27日(土)午後5時から日本福音ルーテル天王寺を会場に第15回ペンテコステ・ヴィジルが執り行われました。この礼拝は、初めカトリック教会、聖公会、日本基督教団の3教派の取り組みとして始まり、2011年の第5回から日本福音ルーテル教会も加わり、大阪地区の4教派のいずれかの教会で行なわれてきました。第15回の今回は日本福音ルーテル天王寺教会で執り行われ、各教派の方々が集い、合計で40名の出席がありました。
 説教は、有澤慎一牧師(日本基督教団池田五月山教会牧師)が担当してくださり、聖霊降臨の出来事を、ご自身の司牧する教会で起こった出来事を交えながら、様々な考え方、思いなどがあることを認め、互いに尊重しながらも、信仰によっては神から与えられる聖霊によって一致しているということを強調する内容でした。
 司式は、4教派から5名が担当し、ロッコ・ビビアーノ神父(カトリック大阪大司教区)、内田望司祭(日本聖公会大阪教区)、井上隆晶牧師(日本基督教団)という多彩な顔ぶれで式文を分担して行いました。日本福音ルーテル教会からは、大柴譲治牧師(日本福音ルーテル大阪教会牧師)と竹田が担当をし、奏楽は、日本福音ルーテル天王寺教会オルガニストの村上薫里さんが担当をしました。
 エキュメニカルな交わりを深める上でも非常に有意義な礼拝が執り行われていると感じています。礼拝の中での連祷では、各教派の信徒が、交代で前に出て祈りをし、心を合わせる時が与えられました。
 草の根運動ではありませんが、神父、司祭、牧師だけではなく、信徒同士が顔と顔を合わせて、讃美の声を合わせ、祈りを共にし、福音に聞いていくことこそがエキュメニカルな交わりをより深めていく機会だと毎回出席をするたびに感じております。このような交わりが各地で広がっていくことを切望します。
 来年は、日本基督教団の教会を会場にして執り行われます。この取り組みが回を重ねていき、主から与えられる聖霊による一致を目指す歩みとなることをこれからも教派を超えた共同の祈りとしていければと思います。
 どうぞ機会がございましたら、聖霊降臨祭の前日、ご一緒に教派を超えて共に福音に聞く恵みと喜びを大阪の地で与かりましょう。

エキュメニカルな交わりから ⑮NCCエクロフ委員会

滝田浩之(日本福音ルーテル小石川教会牧師)

 エクロフ
(ECLOF=Ecumenical Church Loan Fund)は、1946年、第二次世界大戦で被害を受けた教会堂の復興のためにジュネーブに設置された基金で、世界教会協議会と密接な関係を持つ超教派的で国際的な教会間の援助制度です。
 日本エクロフ委員会は、各教派から派遣された委員で運営されています。日本の敗戦後、多くの教会がこの融資を受けて会堂を建築しました。
 年間の融資枠及び一件当たりの限度額は1,000万円とされ、融資金額は総工費の4分の1を超えない金額となっています。複数の申請のある場合は委員会が調整します。2年間の据え置き後、5年以内に返済することになっています。年利は1%です。
 日本福音ルーテル教会は、本教会から会堂建築に関して貸付制度があり、エクロフ基金の申請はここ数十年ないものと思いますが、このような基金が存在すること、そして戦後に多くの教会がこの基金を利用して再建されていったことを覚えたいと思います。

⑯NCC靖国神社問題委員会

岡田 薫(日本福音ルーテル帯広教会・札幌教会牧師)

 日本キリスト教協議会(以下NCCと表記)には、「宣教・奉仕」、「神学・宣教」、「国際」、「総務」という四つの部門があり、今回ご紹介する「靖国神社問題委員会」は「宣教・奉仕部門」にある八つの委員会のうちの一つです。「ヤスクニ神社問題委員会」と表記されることもあるようです。
 正加盟と准加盟の教会(教団)・団体から派遣されている委員によって、毎月第1月曜日の午後6時~8時にオンラインで委員会が行われています(7~10名が参加)。協議される事柄は多岐にわたり、必要に応じて抗議文や声明文を整え随時公表しています。
 最近では「首相及び閣僚の靖国神社春季例大祭での真榊奉納に抗議する」、「『国』による葬儀はなぜ問題なのか」等の文章について検討し発信しています。また「天皇代替わり問題記録集」の出版準備もいよいよ最終段階となってきました。無事出版された際には各教団でも取り扱っていただきたいとの要望があります。
 なぜこのような委員会があるのでしょう?それは、政府が特定の宗教法人と深く関わり、公金を支出することは、政教分離・信教の自由という憲法の大原則に違反しているからです。NCCのホームページ内にある「靖国神社問題委員会の歩みとその意義について」の文章の終わりには「大切なことは何でしょう。それは、人間、私たち一人一人が大事にされることです。天皇や天皇の為といって殺されていった英霊が大事にされ、賛美されることではありません。当委員会の働きの意義は、この国にとって真に大きいと自覚し、その働きを続けていきたいと、心から願い、祈ります。」とあります。新たな戦前という言葉が聞こえてくる今、あらためて国民主権・平和主義・基本的人権の尊重という憲法の三大原則の重要性を感じます。
NCC第41回総会期(2021│2023)のテーマは「│神の与えてくださるすべての命を愛する者として│」であり、聖句は使徒言行録17章25節bからです。委員会に参加するたびに、あなたは神の与えてくださるすべての命を愛する者としてどのように生きていますか?生きることができますか?と問われているような思いになります。担当となって日が浅いためすべてを把握できておらず十分なご紹介となりませんでしたが、少しでも関心を持っていただければ幸いです。詳しくは左記のURLをご覧ください。

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

第30期総会期 諸委員一覧

【常設委員】
〈機関紙委員会〉竹田大地・宮本新・李明生・中嶋羊子・岡田薫・高村敏浩・室原康志・岩切雄太
〈神学校/ルーテル学院大学委員会〉立山忠浩・竹内茂子・石原修(以上任期2026年まで)・滝田浩之・松岡俊一郎・橋爪大三郎(以上任期2024年まで)
〈神学教育委員会〉松本義宣・松岡俊一郎・宮本新・立山忠浩・滝田浩之・山内恵美・市吉伸行
〈財務委員会〉荒井奈緒子・市吉伸行・管田恵一郎・竹田孝一・橘智・滝田浩之
〈社会委員会〉小泉基・秋山仁・内藤文子・高田敏尚・佐伯里英子・西川晶子
〈ハラスメント防止委員会〉長谷川卓也・小勝奈保子・山内恵美・李明生
【常設委員】
〈法規委員〉秋山仁・河田優・⻆本浩・岡田京子・小谷供
〈資格審査委員〉渡邉克博・竹内一臣
〈監査委員〉田島靖則・榎本尚
〈教師試験委員〉小勝奈保子・後藤由起・沼崎勇・三戸真理(以上4年任期)・浅野直樹Sr.・岡田薫・芳賀美江(以上2年任期)
〈人事公平委員〉内藤文子・浅野直樹Jr.・朝比奈晴朗・犬飼誠・青木美奈
〈信仰と職制員〉宮本新・多田哲・西川晶子・石原修・中原通江・鈴木亮二
〈報告審査委員〉安井宣生・野口和音・嶋田ひでみ・江崎啓子
【その他の委員会】
〈エキュメニズム委員会/聖公会〉滝田浩之・立山忠浩・宮本新・高村敏浩・多田哲・李明生・藤原佐和子
〈エキュメニズム委員会/カトリック〉滝田浩之・立山忠浩・宮本新・高村敏浩・多田哲・李明生・藤原佐和子
〈世界宣教委員会〉滝田浩之・浅野直樹Sr.・森田哲史・中島和喜・森下真帆・和田めぐみ
〈LWF/WICAS委員〉未定
〈宣教師・J3オリエンテーション・ケア委員会〉浅野直樹Sr.・高村敏浩・熊本地区推薦教職(未定)
〈任用試験委員〉永吉秀人・滝田浩之・荒井奈緒子・市吉伸行・李明生・益田哲夫・教師試験委員長
〈方策実行委員会(憲法規則改定委員会)〉小泉基・白川道生・岡田薫・滝田浩之・宮本新・李明生
〈典礼員会〉松本義宣・滝田浩之・石居基夫・多田哲・小澤周平
〈TNG委員会委員長〉竹田大地
〈ルター研究所運営委員〉滝田浩之
〈DPC運営委員〉関野和寛
※所属教会・施設及び敬称略

るうてる法人会連合開催のお知らせ

現地実行委員長 ⻆本 浩

 宣教に取り組むルーテルグループの社会福祉法人、学校法人、教会が手を携えて歩もうと生まれたるうてる法人会連合。早いもので設立から今年は21年目となります。
 COVID│19の感染拡大で延期、延期が続き、ようやく今年4年ぶりの開催です。今回の日程は2023年8月22日(火)~23日(水)。熊本・九州学院を会場に研修、総会を行います。
 初日の研修では、姜尚中氏をお迎えし「これからのミッション」(仮題)についてお話していただきます。るうてる法人会連合に集う各法人からの参加者にあってもクリスチャンではない方々も年々多くなっているのが現状です。各法人において、また各個人においても、「どんな働きが期待されているのか」「キリスト教主義の法人としてどんな歩みが続けられていくのか」じっくりとお聴きし、語り合う場となるよう現地実行委員会で準備しております。
 8月の熊本はアツいです。どうぞお越しください。また、研修ばかりでなく、法人会連合では懇親会の時間をもうけて、いつも楽しく交流することも恒例行事となっています。楽しく語り合い、お友だちになりましょう。
 この『るうてる7月号』が届くころに、みなさまのお手元に案内も届く予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

TNG‐ユース部門「第2回リーダー研修キャンプ」開催案内

竹田大地(TNG│ユース部門長・日本福音ルーテル天王寺教会)

 3年前に企画し、COVID│19の影響により延期していた「第2回リーダー研修キャンプ」を開催する運びとなりました。
 キャンプは沖縄で3泊4日の日程で開催をいたします。現地にて過去、現在、未来を感じとり、見つめ、聖書に学び、信仰を深める時を過ごすプログラムです。
 各教会にチラシ・要綱を送付しております。詳しくは、配布した資料をご覧ください。差し迫ってのご案内となってしまい申し訳ございません。
 
〈対象〉 18歳(大学生以上)から35歳
〈参加費〉 25000円
〈定員〉 14名(応募者多数の場合は選考をさせていただきますことご了承ください。)

〈申込先〉
FAX(06│6772│35114
メール
lt.tngyouth@gmail.com〈申込締め切り〉 2023年7月9日(日)必着

2023年度「日本福音ルーテル教会教師試験」について

 2023年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を以下要領にて実施いたします。教師志願者は必要書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。


〈提出書類〉
◇教師志願書
◇志願理由書

テーマ
「なぜ『日本福音ルーテル教会の教師』を志願するのか」―あなたが考える宣教課題をふまえて│

書式 A4横書き
フォントサイズ11ポイント
◇履歴書(学歴、職歴、信仰歴、家庭状況等を自筆で記入すること)

◇教籍謄本(所属教会教籍簿の写し

◇成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書(法務局交付のもの。任用試験時に必要になります)

◇所属教会牧師の推薦書

◇神学校卒業(見込)証明書及び推薦書

◇健康診断書(事務局に所定の用紙があります)

〈提出先〉
日本福音ルーテル教会 常議員会長 永吉秀人宛

〈提出期限(期限厳守)〉
2023年9月15日(金)午後4時までに教会事務局へ提出すること

◇個人で神学の研鑽を積み受験を希望する者は、必ず神学教育委員会の推薦を得ること
◇国外のルーテル教会の神学機関に学び神学修士を持ち受験する者は、願書提出前に事務局に相談すること

〈試験日及び試験内容〉
志願者本人に直接連絡します。
以上

23-06-01召命と派遣

「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水を一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」(マタイによる福音書10・42)

 マタイ福音書10章には、12人の弟子が選ばれ派遣されることが書かれています。この12人はイエス様から「収穫のための働き手(同9・37)」として遣わされますが、その際の注意事項、心掛けなども同時に語られています。行き先、持ち物、そして弟子たちを襲うであろう迫害、危険など…これらは、強気な時に聞けば心の火に燃料を注ぐような言葉に聞こえますが、弱気になっているときに聞くと、恐ろしい言葉に聞こえてきます。自分にそんなことができるだろうか、耐えられるだろうかと怯んでしまいそうになるには十分な言葉です。イエス様の名前のゆえに、またイエス様の弟子であるがゆえに迫害され、労苦し、命を失う。そんなことを言われて、誰が喜んで従うでしょうか。これらの言葉は、従う理由というよりも、従いたくない理由ではないかとさえ思えます。ではイエス様は、ご自分に従う人を選別するために、あえて厳しい言葉を語られているのでしょうか。覚悟のできていない人間を切り捨てるために語っておられるのでしょうか。

 決してそうではないはずです。それらの厳しい言葉の合間には、いくつかの励ましも語られています。これらは弟子たちが実際に経験した危機的状況の中で、何度も支えとした言葉の数々だったのではないかと思うのです。それらの厳しさを伴う派遣の言葉の結びとして語られるのが、10章42節の言葉です。「わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水を一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」イエス様は弟子たちを傷つけたくて召し出し、遣わすのではないのです。イエス様の弟子であることで苦しむことがあっても、それが目的なのではありません。イエス様は、一人ひとりをご自分の弟子とすることで、「小さな者の一人に一杯の水を飲ませる」理由を与えておられるのです。

 イエス様が教えられた隣人愛とは「隣人を愛すること」ではなく「隣人となること」です。派遣の言葉の一部である10章6節には「むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。」とあります。「イスラエルの人々」と言われると、同胞、仲間に対してのみという意味に聞こえますが、9章の終わりに「飼い主のいない羊のような人々」とあるように、そこには「失われた羊」がいたのです。群れからはぐれた、あるいは外されてしまった人々がいたのです。多くの人からすればその人々は「自分とは無関係の人」「愛する理由のない人」です。イエス様は弟子を召し出し、ご自分の言葉によって遣わすことで、そのような人々と弟子とされた人々との間に「一杯の冷たい水」を飲ませる関係をつくられるのです。

 私たちがキリストの弟子とされている、キリストに従う者であるということは、私たちには人を愛する理由、根拠が与えられているということです。助けの手を伸ばすことによって、自分が傷つくことももちろんあるでしょう。周囲からの批判または非難を受けることもあるでしょう。イエス様が予告されているように、狼の群れに羊を送り込むように私たちも遣わされます。ですが私たちを苦しめることがイエス様の目的なのではありません。危険があるとわかっている道に、イエス様は私 たちを送り出すのです。それは神様がこの世にイエス様を遣わされた思いに通じるものがあるように思います。そこには神様ご自身が苦しむような、深い憐れみがあったのです。それと同じ思いで、イエス様は私たちを遣わされます。私たちに愛する理由を与えることがイエス様の目的だからです。愛することには痛みも苦しみも伴います。十字架にはそのことが現れています。ですがその先に確かな報いがあることを、私たちは約束されているのです。その報いの中には、弟子とされたことの喜びがあるはずです。このイエス様の言葉に信頼し、私たちもそれぞれの場所へと派遣されてまいりましょう。そこで出会う人々を愛する理由、愛し合う関係が、イエス様によって既に私たちには与えられているのです。

23-06-01るうてる2023年06月号

機関紙PDF

「召命と派遣」

日本福音ルーテル横浜教会・横須賀教会牧師 市原悠史

「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水を一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」(マタイによる福音書10・42)

 マタイ福音書10章には、12人の弟子が選ばれ派遣されることが書かれています。この12人はイエス様から「収穫のための働き手(同9・37)」として遣わされますが、その際の注意事項、心掛けなども同時に語られています。行き先、持ち物、そして弟子たちを襲うであろう迫害、危険など…これらは、強気な時に聞けば心の火に燃料を注ぐような言葉に聞こえますが、弱気になっているときに聞くと、恐ろしい言葉に聞こえてきます。自分にそんなことができるだろうか、耐えられるだろうかと怯んでしまいそうになるには十分な言葉です。イエス様の名前のゆえに、またイエス様の弟子であるがゆえに迫害され、労苦し、命を失う。そんなことを言われて、誰が喜んで従うでしょうか。これらの言葉は、従う理由というよりも、従いたくない理由ではないかとさえ思えます。ではイエス様は、ご自分に従う人を選別するために、あえて厳しい言葉を語られているのでしょうか。覚悟のできていない人間を切り捨てるために語っておられるのでしょうか。

 決してそうではないはずです。それらの厳しい言葉の合間には、いくつかの励ましも語られています。これらは弟子たちが実際に経験した危機的状況の中で、何度も支えとした言葉の数々だったのではないかと思うのです。それらの厳しさを伴う派遣の言葉の結びとして語られるのが、10章42節の言葉です。「わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水を一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」イエス様は弟子たちを傷つけたくて召し出し、遣わすのではないのです。イエス様の弟子であることで苦しむことがあっても、それが目的なのではありません。イエス様は、一人ひとりをご自分の弟子とすることで、「小さな者の一人に一杯の水を飲ませる」理由を与えておられるのです。

 イエス様が教えられた隣人愛とは「隣人を愛すること」ではなく「隣人となること」です。派遣の言葉の一部である10章6節には「むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。」とあります。「イスラエルの人々」と言われると、同胞、仲間に対してのみという意味に聞こえますが、9章の終わりに「飼い主のいない羊のような人々」とあるように、そこには「失われた羊」がいたのです。群れからはぐれた、あるいは外されてしまった人々がいたのです。多くの人からすればその人々は「自分とは無関係の人」「愛する理由のない人」です。イエス様は弟子を召し出し、ご自分の言葉によって遣わすことで、そのような人々と弟子とされた人々との間に「一杯の冷たい水」を飲ませる関係をつくられるのです。

 私たちがキリストの弟子とされている、キリストに従う者であるということは、私たちには人を愛する理由、根拠が与えられているということです。助けの手を伸ばすことによって、自分が傷つくことももちろんあるでしょう。周囲からの批判または非難を受けることもあるでしょう。イエス様が予告されているように、狼の群れに羊を送り込むように私たちも遣わされます。ですが私たちを苦しめることがイエス様の目的なのではありません。危険があるとわかっている道に、イエス様は私 たちを送り出すのです。それは神様がこの世にイエス様を遣わされた思いに通じるものがあるように思います。そこには神様ご自身が苦しむような、深い憐れみがあったのです。それと同じ思いで、イエス様は私たちを遣わされます。私たちに愛する理由を与えることがイエス様の目的だからです。愛することには痛みも苦しみも伴います。十字架にはそのことが現れています。ですがその先に確かな報いがあることを、私たちは約束されているのです。その報いの中には、弟子とされたことの喜びがあるはずです。このイエス様の言葉に信頼し、私たちもそれぞれの場所へと派遣されてまいりましょう。そこで出会う人々を愛する理由、愛し合う関係が、イエス様によって既に私たちには与えられているのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊴「幸せ」

「忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。」(ヤコブの手紙5・11)

「迷うということは選べるということであなたは幸せですよ。」
その人とこの世で交わした最後の言葉でした。
私は自分が今までできていたやり方ができなくなるかもしれないと思い不安で、不安でたまらなくて、きっと色々な経験をしてきて、車椅子に乗っているこの人ならわかって頂けると思い相談した時に返ってきた言葉でした。
えっ私が幸せ?としばらく思い返してはわかるような、わからないような言葉でした。
ほとんどのことが選べなくなった今、あの方が私に言って下さった言葉の意味が少しわかるような気がします。
将来なるかもしれないと不安になって「今」を少し残念に過ごすより「今」これができるという幸せに気づいてほしい。
「今」を生きるって当たり前のようだけど先のことを考えて不安になって「今」うずくまって前に進めなくなったり、前に失敗してしまったことをくよくよ考えて「今」を過ごしてしまったり。。。
「今」のために反省や想像や希望は必要かもしれません。でもね、あなたは神様に「今」を与えられて生かされています。

総会議長所信

日本福音ルーテル教会 総会議長 永吉秀人

 このたび、日本福音ルーテル教会第29回・第30回定期総会におきまして次期総会議長として選出されました永吉秀人でございます。出自は福岡県久留米市。日本福音ルーテル久留米教会にて渡辺潔牧師より受洗、後に天王寺教会より神学校へ献身。1985年の按手後、藤枝教会、神学校チャプレン、静岡教会、天王寺教会を経て、現在は蒲田教会で牧会をしております。
 伝道が厳しい時代と言われて久しくなりますが、伝道に楽な時代などなかったことでしょう。にもかかわらず、だからこそ、私たちは信仰に生きる道を選び、キリストの福音に希望をいだいているのです。マルティン・ルターによる宗教改革という教会の悔い改めから始まったルーテル教会は、それぞれの時代にあって、また時代を越えて多岐にわたる働きを全力で担って来たであろうと信頼します。伝道のみならず、教育、福祉、医療などの多方面にわたって実現可能な限りを尽くして取り組んで来たと宣教の歴史を評価するならば、あとに残された務めは悔い改めだけであろうとさえ思えます。しかしながら、前を向いて走り続けて来たがゆえに、多くの事柄を通り過ぎて来てしまったのではないかと省みます。キリストが弟子たちの前に立ち止まって彼らと出会われたように、また私たちの前に立ち止まってくださったから私たちも信仰と出会えたように、私たち教会としての歩みも隣人の前に立ち止まらなければ、誰の隣人にもなれないことをわきまえます。
 日本福音ルーテル教会では2000年代を迎え、第五次綜合方策(パワーミッション21)により幅の広い働きが展開され、第六次綜合方策では教会の働きの一つひとつが深められてまいりました。この度採択されました第七次綜合方策では、「魂の配慮」をキーワードとして、牧師の働きである牧会の回復と教会での分かち合いの活性化を目指します。この「魂の配慮」という用語には説明が必要でありましょう。と言いますのは、キリスト教だけで用いられる言葉ではなく、キリスト教以前にギリシャの哲学者・ソクラテスによって紀元前400年に提唱された言葉でありました。ソクラテスは堕落した己の魂を内側から高みへと昇華させよと勧めましたが、これに対し、聖書信仰においては旧約の時代からギリシャ的な考えに対抗し、神よりくだる外側からの配慮があることを強調してまいりました。第七次綜合方策では牧師の職務である牧会の内実と機能を「魂の配慮」と呼んでおります。日本福音ルーテル教会の宣教体制は、200名もの牧師・宣教師時代の構造のままに今を迎え、これを70余名の教職で担っており、牧師の兼務は多忙を極め、牧会の危機と言わざるを得ません。一人の魂も失われることなく配慮されるために、教会のリ・フォーメイション(再形成)と共に牧会力の成長が求められます。
 方策では新たな活動として、脱原発への学びはもとより、カンボジアでの宣教支援、ハラスメント防止への学びを行うこと。またNCC(日本キリスト教協議会)諸活動との連帯をはじめ、外キ協(外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会)、マイノリティー宣教センター、キリスト教カルト問題連絡会、アクト・ジャパン・フォーラム(人道支援)との連携を深めることが挙げられます。注意すべきは、これらの諸問題を話題の一つとして通り一遍で過ぎてしまわず、立ち止まる勇気と、立ち続ける忍耐と、希望を分かち合うことでありましょう。
 今だからこそ誰もが希望を必要としている時に、あなた自身が神にとっての希望であることを聴き取り、神の喜びとして生かされる共同体とされましょう。

「教会讃美歌 増補」 解説

㊱増補23番「主なる神に感謝の歌」

日笠山吉之(九州学院チャプレン)

 ルターによるコラール集もとうとう最後の曲となりました。作詞、作曲ともルターの名前が記されていますが、かっこで括られた部分が重要です。ドイツ語による歌詞の初行の下には(テ デウム ラウダムス)とあります。これは昔からローマ・カトリック教会で歌い継がれてきたグレゴリオ聖歌の一つ『テ・デウム』を指しています。意味は「神よ、あなたをほめたたえます」。元々はラテン語で書かれた長いテキストですが、要するに父と子と聖霊なる三位一体の神をほめたたえた賛歌です。ルターは神学的な相違からまた彼自身の信仰と良心に従って当時のカトリック教会と袂を分かちましたが、それまで教会で大切に歌い継がれてきた賛美歌まで捨て去ることはありませんでした。
 『テ・デウム』も然り。歌詞をドイツ語に翻訳し、グレゴリオ聖歌の旋律を元にルーテル教会でも引き続き歌えるようしたのです。とはいえ、実際にこれを私たちが礼拝の中でいきなり歌うのはかなり難しい…訓練された聖歌隊でも手こずるのでは?でも挑戦してみる価値はあると思いますよ。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

台湾ルーテル教会初の女性総会議長誕生

 台湾ルーテル教会(中華民国)(LCT)のセルマ・チェン(Shu-Chen)師は、今年1月に台湾のルーテル教会初の女性総会議長として就任しました。
 「クリスチャンの家庭に育ってラッキーでした」と語るチェン師の父親は、1960年代初頭に陸軍病院で長老派の宣教師から洗礼を受けています。中国人に対して忍耐強く、そして愛情深く接する宣教師の働きがきっかけとなりました。父の影響で教会に通い始め教会学校の教師もしていたチェン師は、当初牧師になるつもりはありませんでした。「反共教育を受けて育ったので、軍隊に入りたかったのです」。「そんな中、私のために4年間祈り続けてくれた人がいたり、『人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる』(箴言16・9)のみことばを別の人から示されたとき、自分ではわかっているのにそこから逃げようとしている自分に気づいたのです」。
 神学校を終えた1992年は、ちょうどLCTが女性按手について検討していた年でした。長い議論の末、12年後の2004年、3人の女性が初めて按手を受け牧師となりましたが、「いつか女性の総会議長が出るとは思ってましたが、諸教会が女性リーダーを受け入れるまでに時間を要しました」。台湾にはLWF非加盟の3教会を含め6つのルーテル教会がありますが、他は女性按手を認めていないため緊密な協力関係が互いにあるわけではありません。
 「LCTは農村部、首都台北周辺、本島南部の都市部に会堂が全部で19ありますが、多くの信徒は、伝統的な太陰暦や農耕歴に慣れていて道教とも結びついています。ですからキリストの生涯に沿って生活できるように教会の典礼暦の普及に努めています。」「キリスト者としての生き方を示し、イエスの死と復活を宣べ伝えることをLCTは心がけています。受洗を経て新たな人生が始まった人たちは、そこから現代社会の課題と向き合えるようになります。」
 そうした課題の中には他のキリスト教会との対話や、台湾の大多数を占める仏教徒との関係改善なども含まれています。チェン氏が宗教間対話に興味を持ったのは、2003年から2010年までLWF理事に選ばれ、エキュメニカル委員会に加わったからです。「異なる信仰を持つ人々との対話が、教会にとっていかに豊かな経験かを実感し、私の仕事にも大きな影響を与えました。」大学でキリスト教と出会った青年が、旧正月など伝統的行事や家族の葬儀に出席しないよう教会から言われたりして、入信がとても難しいという現状があります。「このため多くの緊張があります。家族間で分裂が起きないように福音を伝えるにはどうすればよいかなど、すべきことはたくさんあります。」
 「LWFのニュースをLCTの教会に広めようと努めています。それによって信徒の目がグローバルになるからです。私たちは台湾でとても小さな教会です。しかし私はこれをパズルのように考えていて、小さなピースだからこそ共有し合えるのです。共有しあってLWFの行事に参加し、台湾が失われたパズルのピースにならないよう働きかけていきたいです。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」①函館教会

中島和喜 (恵み野教会・函館教会)

 函館教会は、フィンランドの教会の宣教への熱意によって1950年に誕生した教会です。今年で73年の歴史を刻みますが、この4月に4年間ご奉仕下さった小泉基牧師から中島への交代が行われました。これにともなって、教会の歴史ではじめて常態的な兼牧体勢がスタートしました。土曜日の夜に約300キロメートル離れた恵み野教会から私が函館教会に行くことにより、毎週日曜日の朝の礼拝を継続しています。これでも恵み野教会が最も近い教会だというのですから、改めて北海道の広さを感じるところでもあります。
 函館教会の特徴は、ルーテル教会には珍しく、ゴスペルと深いかかわりがある教会だということです。15年ほど前からこの教会をホームグラウンドとするようになったゴスペルクワイアMSCは、道南で最も活発なクワイアで、メンバーからの受洗者と教会員の入団によって、教会員のメンバー割合が高い人気クワイアへと成長しました。このMSCとの関係もあってか比較的若い教会員が多く、平均年齢50歳代というのは、おそらく全国のルーテル教会の中でも最も若い教会のひとつだと思います。
 また、新しい函館教会の特徴は、この春、長い歴史を刻んできた野の花の会という女性会が、ペトロの会という男性の会と合流して、性別に関係なく聖書を学び、奉仕を担う、新生野の花の会へと生まれかわったことです。第3日曜日の例会に集まる人が誰でも共に聖書を学び、会費も負担し、教会の奉仕の相談もします。可能ならば女性会連盟との関係も継続したいと願っています。
 函館観光の中心地である五稜郭タワーのすぐ隣に立地する教会であること、津軽海峡を見下ろす函館山に美しい教会墓地を有すること、教会の園庭は桜の老木やバラのアーチ、数種のユリやアジサイなどに彩られ、実に200種類もの花が咲き乱れることなど、魅力あふれた函館教会。函館観光の日曜日は、ぜひ教会をお訪ね下さい。

①九州学院

小副川幸孝 (九州学院院長)

 熊本にあります九州学院は、1911年に、アメリカからの宣教師C.L.ブラウン博士と米国南部一致ルーテル教会の人々の祈りと献金によって、日本の青少年教育のために設立されました。
 2023年で創立112周年を迎え、これまでに多くの著名人を輩出し、熊本では文武共に優れた有数の学校として知られています。
現在、幼稚園、中学校、高等学校を併設し、約1500人の子ども、生徒がはつらつとして学んでいます。
 設立当初にはルーテル教会の神学校も併設されていましたので、現在のルーテル神学校の母体ともなり、多くの牧師も九州学院の出身者でしたし、現在も、牧師の子弟が中学・高等学校で学んでいます。
 学校は、毎朝の礼拝から始まり、聖書の授業が行われ、豊かな人間性を育むための努力が日々なされています。
 写真は学院のシンボルともなっているブラウンチャペルで、指定文化財として熊本県で第1号認定を受けたもので、2025年に建造100年を迎えます。

「ルーテルこどもキャンプ」開催のお知らせ

TNG子ども部門 池谷考史 (博多教会・福岡西教会)

TNG子ども部門では、8月9日(水)~11日(金・祝)、広島教会を会場に「第24回ルーテルこどもキャンプ」を開催します。対面でのキャンプは4年ぶりとなります。テーマはこれまでと同じ、「来んさい 広島 Peace じゃけん」としました。
8月の広島で、同世代の楽しい交わりの中で平和について学び、平和をつくることへの思いを深めたいと思います。新しい友達がたくさんできる機会にもなることでしょう。
 ぜひ、各所で呼びかけて下さり、子ども達を送り出してください。1面に掲載されているポスターもご覧ください。参加申し込みは、左記のQRコードからお願いします。締め切りは7月2日(日)までとさせていただきます。対象:小学5、6年生。参加費:15,000円。合わせてキャンプを支えて下さるスタッフも募っています。同じQRコードからお申し込みください。

日本福音ルーテル教会 第29回・第30回 定期総会報告

滝田浩之(第28回総会期事務局長・小石川教会)

5月3日(水)~5日(金)に5年ぶりに対面で日本福音ルーテル教会定期総会が宣教百年記念東京会堂(東京教会)で開催されました。
 総勢200名ほどが参集し対面での総会の開催を喜び合いました。
 開会礼拝は感染症のことも考慮し聖餐式は行われませんでしたが、松本義宣牧師の司式、大柴譲治牧師の説教で改訂式文を用いて行われました。

 審議された内容は以下の通りです。

(1)第31回定期総会の件
 次の総会は2年後の2025年5月5日(月)~6日(火)、あるいは5月6日(火)~7日(水)に1泊2日で開催されることが承認されました。
 この承認に基づき、第28回総会期の執行部は任期満了となることが確認されました。

(2) 総会選出常議員選挙の件
 任期満了に伴う、議長以下の総会選出常置員が選挙により選出されました。総会議長は永吉秀人牧師(蒲田教会)、副議長は滝田浩之牧師(小石川教会)、事務局長は李明生牧師(むさしの教会)、会計には市吉伸行氏(むさしの教会)が再任、財務担当常議員は荒井奈緒子氏(東京教会)、総会選出信徒常議員は益田哲夫氏(本郷教会)が選出されました。なお事務局長については議場において牧師数の減少や財務的な課題を踏まえて現場との兼任とすることを含めて信認を受けました。任期は2023年6月1日(木)より2025年5月末までとなります。閉会礼拝にて教区長、教区選出常議員とあわせて就任式が行われました。

(3) 第7次綜合宣教方策の件
 すでに2022年4月の常議員会において仮承認を受けていた「第7次綜合宣教方策」が提案され承認されました。2030年までの8年間、日本福音ルーテル教会の指針として用いられていくことになります。具体的には方策実行委員会において各教区と対話をしつつ進められていくことになります。急速な牧師数の減少が肌で感じられる中で、危機意識はもちろんですが、福音に生かされて「小さな教会」ではありますが「キリストの教会」としての使命を果たしていくことが確認されています。

(4) アジア宣教の件
 カンボジアへの宣教に一歩を踏みだしていくことが確認されました。アメリカ福音ルーテル教会との協同の宣教の歩みとなることが示されました。具体的には半年、1年のターンでユース世代を現地にボランティアとして派遣してカンボジアルーテル教会の宣教に協力します。すでにカンボジアにおられるキリストに出会うことを通して、日本での宣教への力となることが期待されています。

(5) ハラスメント防止委員会の規則明文化の件
 すでに「ハラスメント防止規定」が常議員会にて承認され、常議員会の設置する「その他の委員会」として活動を開始している「ハラスメント防止委員会」を日本福音ルーテル教会規則に明文化する提案が行われ、これが3分の2の賛成を得て承認されました。承認手続きの後、日本同盟基督教団の大杉至牧師より、ハラスメントについてご講演を頂き、学びを深める時を持ちました。教会が安全で、安心な場所として誰もが喜んで集うことができるように更に多くの気づきを与えられていきたいと思います。

(6) 決算・予算の件
 すでに常議員会で仮承認を受けていた決算、予算について、総会にて報告され承認を受けました。コロナという未曽有の出来事の中で、総会が開催できないという環境にありましたが、この承認をもって、総会を最高の意思決定機関としての役割が正常化されたことになります。

 詳しくは、後日配布される総会議事録をご確認くださいますようにお願い申し上げます。

全国教師会総会報告

立山忠浩(前全国教師会会長・都南教会)

 全国教師会総会が全国総会の前日の5月2日(火)に開催されました。全国総会と同様に5年振りの開催となりました。教師会は按手に与った現任教師(宣教師も含まれます)が正議員になります。現在71名で構成されています。議案は5年間の活動報告の承認、相互扶助会改定案、そして新役員及び教師試験委員候補者を選出することでした。
 教師会は1988年に組織され、それに伴い教師会規定が定められました。そこには教師会の基本的責務が7つ期されています。教師会に期待されていることです。特に目を引くのが「教会の教理、神学に関する共通の理解に係る事項」「教師の生涯研修に係る事項」「宣教に係わる事項」です。ただ、規定が定められてから35年が経った今、それをいかに遂行することができるのか、難題となっています。昔話をしても仕方がないのですが、思い起こせば、「小児陪餐開始の適齢期」について大いに議論したのが全国の牧師たちが集う退修会でした。私が神学生の時のことです。「信徒説教者」についてはわざわざ臨時の教師会の退修会を富士山の麓で開催し、徹底的に議論したことを記憶しています。
なぜこのような議論が行えたのか、様々な分析があることでしょう。私はこう考えるのです。1988年には教師会に170人が属していたのです。その人数で担っていた教会と諸施設などの働きを、今は70名ほどで担っているのです。一人の牧師に期待される働きが明らかに増大しているのです。インターネットによる礼拝や聖餐式をどう考えるのか、教師会の責務である「教会の教理、神学に関する共通の理解に係る事項」に関わる問題です。これは教師会という集団で協議すべき責務ですが、しかしそのような神学的課題に取り組む余裕が今の牧師集団にはないように思えるのです。もちろん個人での研鑽を積み上げている教師が幾人もいらっしゃるのですが、それが教師集団のものとなり得ていないのです。
 このような現況の中で、教師集団が取り組める具体的なことを会長報告で提示しました。「教師の生涯研修に係る事項」に関しては個人の研鑽意欲に委ねることが基本ですが、ルーテル学院・神学校で定期的に開催される教職セミナーやルター・セミナーに積極的に参加して欲しいのです。教会からも財政支援をいただいています。そこで研修意欲を高めていただくことを期待します。退修会は3年~4年ごとの開催が慣例でしたが、牧師数が減少し各牧師が孤独感を高める傾向が否めない中では、毎年の開催とし、研修もさることながら、同労者の働きの成果と苦悩を分かち合い、励まし合うことを目的とした会の重要性を指摘しました。これらは新役員に託すことになります。その他、COVID-19で休止状態にあった牧師レヴューは各地域教師会ごとに再開されることになります。
 教師会の役員には以下の方々が選出されました。
会長:松本義宣牧師
書記:安井宣生牧師
会計:西川晶子牧師
相互扶助会会計:坂本千歳牧師
 閉会礼拝は今年度で定年をお迎えになる竹田孝一牧師に担当していただきました。礼拝の終わりに新役員と地域教師会会長5名の就任式を執り行っていただき閉会しました。

公 告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。

2023年6月15日
宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 永吉秀人

信徒利害関係人 各位

本教会所管の市ヶ谷会館耐震補強工事費用借入(最終支払資金)
借入先 三井住友銀行
借入額 4億8,000万円
返済期間 10年
支払利率 年利1.11%(予定)
担保 追加担保なし
2022年6月15日に借入全体の公告は実施済
銀行借入に関して取引銀行、条件が整い、これを公告するものである。

23-05-01むすんでひらいて

(イエスは)言われた。「聖霊を受けなさい。」
ヨハネによる福音書20章22節

 健軍教会のシンボルツリーはハナミズキです。蕾のような包葉は花を覆ったまま膨らみ、やがてそれは頂点を残して裂けるように開きます。そのまま大きくなった後、上に残った結び目をほどくようにして広げます。文字通り、結ばれていたものが開き中の小さな花が姿を現してゆく。とても不思議で美しく、結び目が解けるまでの緊張感と共にその優雅な姿に心を動かされます。

 イースターの夕方に弟子たちは「恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけて」(19節)いました。口語訳聖書では「戸をみなしめて」、岩波訳聖書では「〔すべての戸〕」としています。「戸」は複数です。弟子たちは恐れのあまり、いくつもの戸を閉ざして一番奥の部屋に閉じこもっていました。もしくは実際の戸は一つであったとしても、弟子たち一人ひとりは心の戸を閉ざしていました。裏切り見捨てたイエスが処刑され、自分も逮捕されるかもしれないと、これまでの充実した日々が覆される事態に恐れおののいていました。この人たちを守るものが「戸」でした。それを固く閉ざし、息を殺し、震えて潜み、落ち込んでいたのでした。しかし、この弟子たちの真ん中にイエスが来ました。そして弟子たちに息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」(22節)と言います。聖霊による具体的な行動として、赦しを弟子たちに託したのでした。

 閉じこもる弟子たちは私たちです。人間関係での破れや傷を経験することがあり、誰かのしんどさを支えきれず後ろめたさを抱くことがあり、攻撃的な言葉に疲れ果て心が塞ぐことがあり、社会の不条理に怒りを覚えることがあります。けれど、そこにこそイエスは来て、聖霊により固く結ばれてしまっているものを解くのです。

 『むすんでひらいて』は広く知られています。ルソーが作曲したオペラの曲だそうです。やがて讃美歌となり、日本でも『キミノミチビキ』というタイトルで明治、大正時代の教会で歌われました。やがて唱歌となり『見渡せば』と春秋の美しい風景を歌い、さらに戦中は軍歌『戦闘歌』となりました。そして戦後、小学1年生の教科書に『むすんでひらいて』として登場し、私たちがよく知る歌となっています。
 日本の教会では歌われなくなるも、世界では現役の賛美歌です。「主よ、あなたの祝福で私たちを解き放ってください。私たちの心を喜びと平和で満たしてください。荒野を旅する私たちを新たにしてください」と歌われます。この歌は神のわざとそれによる解放を歌うのです。『むすんでひらいて』とこの賛美歌の歌詞とは別なものですが、不思議な経過をたどって私たちに届けられました。そこに私たちの心や他者との関係を重ね合わせるならば、聖霊が吹きかけられることで、閉じた心を開かれ解放されることを祈るものと言えるのではないでしょうか。戸を閉じて結んだ心は聖霊によって開かれます。それでもまた閉じて結んでしまうこともある私を解放し、私と神とを、そして私たち同士を再び結び合わせるのです。

 ペンテコステも、神の生きた働きである聖霊によって、私たちを「むすんでひらいて」、そして「むすぶ」出来事です。それは赦し赦されるという一点で関係を結び合わせ、その緊張を保ちつつ花びらのような葉を広げるハナミズキのように、健気で美しい姿で希望を与えるものとなるのです。ペンテコステは教会の誕生と呼ばれていますが、教会とはまさに赦され・赦すことにより解放され深く結び合うための器として生まれました。連なる一人ひとりはその器の大切な一部です。

 その手と脇腹に傷を負うことで愛情を注いでくださったイエス・キリストが、たとえ見ることや触れることができなくとも、息を吹きかけ続け、つながりを持ち続けてくださいます。花は散ってもそこに咲いていることを思い描けるように、姿はなくとも祈りの言葉で心を通わせ合うことができるように、イエスの息もイエスの声も確かにあり、私たちはそれを抱き続けるのです。

23-05-01るうてる2023年05月号

機関紙PDF

「むすんでひらいて」

日本福音ルーテル健軍教会・甲佐教会牧師 安井宣生

(イエスは)言われた。「聖霊を受けなさい。」ヨハネによる福音書20章22節

 健軍教会のシンボルツリーはハナミズキです。蕾のような包葉は花を覆ったまま膨らみ、やがてそれは頂点を残して裂けるように開きます。そのまま大きくなった後、上に残った結び目をほどくようにして広げます。文字通り、結ばれていたものが開き中の小さな花が姿を現してゆく。とても不思議で美しく、結び目が解けるまでの緊張感と共にその優雅な姿に心を動かされます。

 イースターの夕方に弟子たちは「恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけて」(19節)いました。口語訳聖書では「戸をみなしめて」、岩波訳聖書では「〔すべての戸〕」としています。「戸」は複数です。弟子たちは恐れのあまり、いくつもの戸を閉ざして一番奥の部屋に閉じこもっていました。もしくは実際の戸は一つであったとしても、弟子たち一人ひとりは心の戸を閉ざしていました。裏切り見捨てたイエスが処刑され、自分も逮捕されるかもしれないと、これまでの充実した日々が覆される事態に恐れおののいていました。この人たちを守るものが「戸」でした。それを固く閉ざし、息を殺し、震えて潜み、落ち込んでいたのでした。しかし、この弟子たちの真ん中にイエスが来ました。そして弟子たちに息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」(22節)と言います。聖霊による具体的な行動として、赦しを弟子たちに託したのでした。

 閉じこもる弟子たちは私たちです。人間関係での破れや傷を経験することがあり、誰かのしんどさを支えきれず後ろめたさを抱くことがあり、攻撃的な言葉に疲れ果て心が塞ぐことがあり、社会の不条理に怒りを覚えることがあります。けれど、そこにこそイエスは来て、聖霊により固く結ばれてしまっているものを解くのです。

 『むすんでひらいて』は広く知られています。ルソーが作曲したオペラの曲だそうです。やがて讃美歌となり、日本でも『キミノミチビキ』というタイトルで明治、大正時代の教会で歌われました。やがて唱歌となり『見渡せば』と春秋の美しい風景を歌い、さらに戦中は軍歌『戦闘歌』となりました。そして戦後、小学1年生の教科書に『むすんでひらいて』として登場し、私たちがよく知る歌となっています。
 日本の教会では歌われなくなるも、世界では現役の賛美歌です。「主よ、あなたの祝福で私たちを解き放ってください。私たちの心を喜びと平和で満たしてください。荒野を旅する私たちを新たにしてください」と歌われます。この歌は神のわざとそれによる解放を歌うのです。『むすんでひらいて』とこの賛美歌の歌詞とは別なものですが、不思議な経過をたどって私たちに届けられました。そこに私たちの心や他者との関係を重ね合わせるならば、聖霊が吹きかけられることで、閉じた心を開かれ解放されることを祈るものと言えるのではないでしょうか。戸を閉じて結んだ心は聖霊によって開かれます。それでもまた閉じて結んでしまうこともある私を解放し、私と神とを、そして私たち同士を再び結び合わせるのです。

 ペンテコステも、神の生きた働きである聖霊によって、私たちを「むすんでひらいて」、そして「むすぶ」出来事です。それは赦し赦されるという一点で関係を結び合わせ、その緊張を保ちつつ花びらのような葉を広げるハナミズキのように、健気で美しい姿で希望を与えるものとなるのです。ペンテコステは教会の誕生と呼ばれていますが、教会とはまさに赦され・赦すことにより解放され深く結び合うための器として生まれました。連なる一人ひとりはその器の大切な一部です。

 その手と脇腹に傷を負うことで愛情を注いでくださったイエス・キリストが、たとえ見ることや触れることができなくとも、息を吹きかけ続け、つながりを持ち続けてくださいます。花は散ってもそこに咲いていることを思い描けるように、姿はなくとも祈りの言葉で心を通わせ合うことができるように、イエスの息もイエスの声も確かにあり、私たちはそれを抱き続けるのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊳「ぬくもりの中で」

「神の前では、わたしもあなたと同じように/土から取られたひとかけらのものにすぎない。」(ヨブ記33・6)

空を見上げてみると「あー雲が変わってる。季節が変わってきてるんだ。」としばらく上を見てからふと下を見ると、冬のあいだは枯れ葉が土を温めるかのようにふわりと土の上に広がっていました。
テレビドラマで何度か人が枯れ葉の下に潜って暖をとる姿を見たのを思い出しました。
「冬のあいだ枯れ葉が土を寒さから守ってたんだね」と思っていると土の上の枯れ葉の上に白いものが降ってきました。「あれ雪?」よく見るとそれは小さな白い花びらでした。土の上に枯れ葉、枯れ葉の上には花びら、なんか素敵だなぁと思い、枯れ葉の下を覗くとひょっこりと緑の草が…あれ挟まれてる。春と春のあいだに冬がサンドされてる。このように季節って変わっていくんだなぁと思います。
しばらくすると土の上は断然、緑色の草がいっぱいになります。
目に見えて手で触れる世界でもこのようにいっぱい素敵な変化があるなら、きっとそうではないいろいろな世界にも素敵な変化が生まれているんだろうなぁと思うとワクワクします。
誰に教えていただく?
私たちは全ての世界をご存知の神様を知ってます。神様にお聞きしてみませんか?

議長室から 大柴譲治

羊飼いキリスト

「主は私の羊飼い。/私は乏しいことがない。/主は私を緑の野に伏させ/憩いの汀に伴われる。/主は私の魂を生き返らせ/御名にふさわしく、正しい道へと導かれる。」(詩編23・1~3、聖書協会共同訳)

 2018年8月号から始まった「聽〜議長室から」も今回が最終回。5年間で58回書かせていただきました。これまでのお支えとお祈りに感謝いたします。
 最後は詩編23編について記すと決めていました。この詩編を愛唱聖句とされている方も少なくないことでしょう。葬儀や記念会でもよく読まれる味わい深い詩編です。前任地のむさしの教会の礼拝堂には米国製の羊飼いのステンドグラスがありました。2008年の耐震補強工事を経て、今も木造の礼拝堂正面に美しく輝いています。『東京の名教会さんぽ』(エクスナレッジ2017、p.85)にも掲載されています。ステンドグラスは「眼で見る説教」ですが、この羊飼いのステンドグラスは見ているだけで深く慰められます。どの角度から見ても羊飼いに見つめられているように見えるから不思議です。
 「真の羊飼いはただキリストのみ。牧師は迷子の羊が出ないように群れの周りを走り回っている牧羊犬のようなものです」(賀来周一語録)。言い得て妙ですね。「牧師も羊の一匹です」と語る先生もおられます。確かに私たちルーテル教会では牧師も信徒の一人です。「全信徒祭司性」を私は「全信徒牧会者性」として捉え、「信徒相互牧会」を積極的に位置づけたいと願ってきました。信仰共同体としての教会は、主日は礼拝のために「一つに集められた(オンラインでつながる人も含めると「一つに結び合わされた」と言うべきかも知れません)共同体」ですが、月曜日から土曜日までは信徒一人ひとりがそれぞれの場に派遣され「散らされた(ディアスポラの)共同体」です。集められている時も散らされている時も、顕在と潜在を通して私たちはキリストを頭とする一つのキリストの教会なのです。
 ボンヘッファーの『共に生きる生活』を想起します。「神は、われわれがその生けるみ言葉を、兄弟の証しを通し、人間の口を通して、求めまた見出すことを望み給う。・・・自分の心の中のキリストは、兄弟の言葉におけるキリストよりも弱いのである」(ボンヘッファー著・森野善右衛門訳『共に生きる生活』新教出版社1975、p.10)。神は私たち一人ひとりの具体的な声を通してキリストの声を伝えようとしておられる。これこそ信徒による相互牧会であり、羊飼いキリストご自身による魂の配慮です。主こそわが牧者、私には乏しいことがない。私たちがこのような聖徒の交わりの中に置かれていることを心から感謝しつつ、筆を置かせていただきます。
「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」(ネヘミヤ記8・10)

「教会讃美歌 増補」 解説

㉟増補21番「彼女は優しい価値あるおとめ」・増補22番「三つであり 一つ」

石丸潤一(西日本福音ルーテル新田教会牧師)

㉞増補19番「キリエ エレイソン」・増補20番「神の小羊」
松本義宣
(東京教会・東京池袋教会・板橋教会牧師)

増補21番「彼女は優しい価値あるおとめ」
 「彼女は優しい価値あるおとめ」の歌詞に登場する「彼女(Sie)」とは誰でしょうか。
 この歌詞は、ヨハネの黙示録12章が背景となっています。ここに登場する女性は、「鉄の杖ですべての国民を治める」(ヨハネの黙示録12・5)男の子を産むとあります。ですから、多くの人は、黙示録12章とこの賛美に登場する女性を主の母マリアだとイメージするでしょう。賛美の2節に登場する「十二の星」も、マリアの聖画のモチーフに使われています。
 ですがルターは、この黙示録12章の女性は、マリアのことだけをあらわすのではなく、主に結ばれた教会をもあらわしていると考えたようです。この賛美は、聖母マリアの賛歌というよりは、むしろ教会に対する尽きせぬ神様の愛と守りを歌っていると考える方が良いでしょう。そこで讃美歌委員会は、その意図がはっきり伝わるように、「彼女は教会」という歌詞を冒頭に入れました。
 神様は、教会を「価値あるおとめ」と呼び、大きな災いやサタンの力が取り囲む苦難の中でも守り通してくださいます。

増補22番「三つであり 一つ」
 「三つであり 一つ」は、ルター最晩年の賛美の一つです。三位一体のラテン語聖歌「O lux beata trinitas」をルターがドイツ語に訳したこの歌詞は、「永遠」ということばが印象的です。病を負い、自らの終わりを思いながら、ルターは、この歌詞を通して、主に生かされている今も、そして死の向こうにある永遠まで、神様だけが私の光であり、賛美されるべき方だと、自らに、また人々に、伝えようとしたのかもしれません。
 讃美歌委員会は、「今も永遠に」ということばで各節を締め、そのことを深く味わう歌詞に訳しました。
 人生に訪れる苦難、そして果てに待つ死が、私たちの心を乱すことがあるでしょう。これらの賛美は、私たちを愛し、力を注ぎ、悪の力に勝利させてくださる神様が、いかなる時にも共におられ、やがて死に勝利する永遠に導き入れてくださると思い起こさせ、教会とクリスチャンに、主にある勇気と希望を与えます。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

信仰による促しによって働く教会

 ロシアがウクライナに軍事侵攻して1年以上が経過しましたが、ウクライナにあるドイツ福音ルーテル教会(GELCU)は2022年6月にLWFに加盟し、教会周辺住民への支援を続けています。1年が経過してパブロ・シュヴァルツ監督が、教会が行っている人道支援や戦時下における信仰生活について話してくれました。
 LWFは2023年1月最終週にハルキウでシュヴァルツ監督と会いました。インタビューの場所はLWFとGELCUが支援対象としている学校体育館。ここで暖をとりスマホを充電したり温かい食事が支給されます。
―ハルキウの現状はいかがですか。
「インフラ施設へのミサイル攻撃を除けばこの2、3ヵ月は比較的安定しています。市民100万人の街はミサイル攻撃を受けている北部を除けば機能しています。」
―侵攻から1年が経過して市民はどう受け止めていますか。
「ハルキウの状況は特別です。多くの人たちが国境の向こう側(ロシア側)ベルゴロドに家族がいて感情的に難しい部分があります。なぜならハルキウへの度重なる攻撃がベルゴロドから来るからです。ロシアによる侵攻が家族間にも緊張関係をもたらしています。」
―市民もハルキウに戻ってきているようですね。
「家を失ってしまえば仕事も生活もできなくなります。それにやはり故郷に戻りたいのです。戦争が起きる前の時間を取り戻したいのです。信仰をもつ人は教会とのつながりもあります。各自が何らかのつながりを大切にしているからです。ただ心情的には厳しく、多くの人が鬱を経験しています。」
―教会の現状を聞かせてください。
「私たちは小さな教会です。ウクライナの他の都市や海外へ移住した人もいます。人道支援と教会の宗教活動は切り分けていて、一般の人々に対しての支援も礼拝出席することを条件にしたりはしていません。教会では礼拝や集会を催すほかに支援活動をしています。信徒は支援を受けながらも、貨物の荷下ろしや配給をして支援をする側でもあります。支援の形は直接支援です。大がかりな配給ではなく個人レベルです。その方がごまかしもなく必要な人に直接渡せます。」
―支援活動について教えてください。
「11ヵ月経ってニードは変わってきました。当初は避難の支援でした。スタッフの数も少なくたいしたことはできませんでしたが、それでもウクライナ内外で移住する場所を探すお手伝いはできました。パンや牛乳、それにパック入りの食事を配ったりもしています。国連のように大規模な配給ではなくできることをしています。国連が米やパスタを配るようになると我々はその配給を止めました。春には医薬品を配りましたが、薬局が利用できるようになったのでそれも止めました。また食糧引換券のお手伝いもします。今は120人ほどの人たちに向けサービスをしています。5月からは子どもたちのためのパソコンクラスをやっています。」
―戦時下であってもこうした働きを続けられる秘訣は何ですか。
「私の場合ははっきりしていて、信仰があるからです。イエス・キリストを信じる信仰が私たちの働きの動機です。人々に対して無関心でなく知恵を使って助けるようにと信仰が促してくれるのです。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

コミュニティ・カフェ@大久保・高田馬場~出会い、交流、相談、憩いの場となるように

 東京教会「牧師カフェ」、前任の関野和寛・後藤直紀両牧師時代に、地域に開かれた「カフェ」と「ヌーンサービス」という祈りと音楽の会が、毎週水曜日に行われていました。が、コロナ禍のため休止となり、また担当奉仕者の確保等の課題もあり、再開を模索中でしたが、国内外の災害支援を担う特定非営利活動法人「CWS Japan」(Church World Service Japan、ACTジャパンフォーラムをNCCと共に組織)との共催で、新たに「コミュニティ・カフェ」(仮称)を開店(!?)することとなりました。CWS Japanは、外国人が多く住み生活する大久保で、特に災害時に自治体からの支援が届かない外国の方々に、どんな支援が可能かを模索し、地域との協力、協働を探り、まず状況把握から始め、生活相談会の開催等の会場提供から、私たち東京教会との関係が始まりました。教会を会場に、地域の方々の「出会い、交流、相談、憩いの場」の提供はできないかと話し合い、以前の「牧師カフェ」のノウハウを生かして取り組むことにしました。これは、地域貢献を目指す教会と、地域で活動を担おうとする団体との出会い、コラボ企画になりました。教会は「場所はある、しかし、働き手がいない(地域居住で継続的奉仕が可能な教会員はいない)」、一方、CWS Japanは、「ボランティア活動の人員はいる、しかし、場所がない(拠点がない)」で、いわゆる「ウィンウィン」が成立したのです。
 とりあえず、毎月第1、第3水曜日の午後1~5時に「営業」(!?)、以前の「カフェ」に倣い、ライヴ演奏や展示、また今回は、在日外国人のための相談業務も専門家が常駐し、日本語教室や、参加者による自慢の外国料理教室(及び楽しい試食会?)等も行っていきたいと思います。ただ以前と違うのは、伝道として教会の地域奉仕の業ですが、「布教」はしません。もちろん、希望があれば個別の「牧師とおしゃべり」はできますが、基本、どんな宗教・信仰の人も自由に集い、語り合い、尊重される「コミュニティ・カフェ」を目指したいと願っています。

エキュメニカルな交わりから

⑭NCC神学・宣教委員会
宮本新(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校専任講師)

 日本キリスト教協議会(以下NCCと表記)には、「宣教・奉仕」、「国際」、「総務」、「神学・宣教」という四つの部門があります。今回紹介する神学・宣教委員会はその一部門である「神学・宣教」部門に属し、協議会とその活動について神学的側面からの検討、また宣教会議を組織するところに目的があります。宣教と神学は、「理論と実践」というようにしばしば別々の事柄として、対立するかのように議論されることがあります。しかしこうした委員会が存在することは、神学と宣教が元々コインの表と裏のような関係にあることを考えてきたのかもしれません。宣教には、人が人となしていくことと、神を前に祈り思索する両面がありますから、かならず振り返りと話し合いが必要になります。神学する場面はここにあるのだと思います。
 近年の委員会活動にとって、2019年に開催されたNCCの宣教会議、そしてとりわけコロナ危機が大きなことでした。そこでの諸教会の経験を受け止め、神学的作業の遂行が求められていました。特に教会の取り組みが中断する中での困難、オンラインの可能性と課題、そして感染症対策の陰でますます大きくなっている苦難の現実をどのように受け止め考えるのか、協議会全体の祈りと議論に委員会も加わりました。
 またローマ・カトリック教会が第16回シノドス総会を開催するにあたり、日本の司教団からNCCに対する懇談への招待がありました。これを受けて、委員会は、シノドスに関連した対話のための文書検討の作業に加わりました。
 エキュメニズム運動は、かつてはキリスト教界内の一致を促進する立場や運動という印象でしたが、戦争や疫病、そして災害や地球規模の課題の切迫感が増している昨今、キリスト者と教会においてかかせない視点を提供しています。神さまが作られたこの被造世界を生きているのは「わたしたち」だけではありません。神と隣人、そして他のいのちある生命世界と共に生きるためにかかせない平和と共生の祈りが根底にあります。委員会はその一枝として役割を担っていることになります。

エルスベス・ストロームさん記念会の報告

秋山仁(豊中教会牧師・神戸東教会喜望の家代表)

 かつてドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル領邦教会の宣教師として、大阪市西成区の日雇い労働者の町、通称「釜ヶ崎」で働かれていたエルスベス・ストロームさんは、昨年10月5日、享年100歳で天に召されました。11月5日には、葬儀が南ドイツのシュヴァンベルクで行われましたが、日本でも彼女の働きを記念して、今年2月18日、喜望の家主催で記念会を行いました。開催にあたっては、生前のストロームさんの思い出を分かち合うだけでなく、釜ヶ崎の内外で働いている自分たちが、何を彼女から提起され、今も受け継いでいるのかを語ってもらう会として企画しました。
 午後1時から追悼礼拝を行い、その後は、シンポジウム形式で、生前のストロームさんと交流のあった前島宗輔牧師(日本基督教団隠退教師)、森本典子さん(日本福音ルーテル賀茂川教会会員)、前島麻美さん(前・山王こどもセンター代表)、原野和雄(日本基督教団隠退教師)夫妻からお話を伺いました。また会場からは、釜ヶ崎キリスト教協友会のメンバー3人が、それぞれ発言してくださいました。その他にも小柳伸顕さん(元関西労伝専従)と、かつてストロームさんと一緒に働かれていた田頭夏子さん(山王ベビーセンター職員)から、それぞれ手紙でメッセージが寄せられ披露されました。会の最後は、大柴譲治総会議長にご挨拶いただきました。
 それぞれの証言からは、彼女の人柄や各々が受けた影響を知ることができました。特にストロームさんがいたからこそ、釜ヶ崎地域でのカトリックとプロテスタント諸教会・施設の共同の活動が、協友会という形で始まったこと、また目の前の課題に対する彼女のぶれることのない姿勢が、山王地区での保育事業(山王ベビーセンター)や、釜ヶ崎でのアルコール依存症に対する活動(喜望の家)につながっていたこと等の報告は、改めて今日の私たちが、彼女から受け継いでいるモノへの責任を強く感じさせられました。

ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校の新年度が始まりました

石居基夫(ルーテル学院大学学長)

 2023年度のルーテル学院大学は、総合人間学部48名(編入学を含む)、大学院15名の新入生を迎えました。また日本ルーテル神学校には牧師養成コースに佐藤孝洋さん(NRK札幌中央ルーテル教会)、澤田春貴さん(NRK飯能ルーテル教会)の2名の新入生を迎えました。4月3日、感染が収束しつつある状況を受け、久しぶりに大学・大学院と神学校がそろった形での入学式を行い新しい学生生活をスタートいたしました。神学校では、さらに翌4日に入学始業聖餐礼拝が行われ、立山忠浩校長の説教「協働と自己研鑽」によって新年度への歩みを始めました。

大学の改革
 今年から大学では新しいカリキュラムを用意して学生たちを迎えました。
 これまでと同様に社会福祉士や公認心理師の資格取得可能な「社会福祉学系」「臨床心理学系」のカリキュラム、そしてキリスト教を軸とした「人間学系」では、「聖書を基礎としたキリスト教的人間理解」「人間の尊厳・人権と倫理」「宗教と文化」、また「スピリチュアル・ケア」や「子ども支援」の科目群を整えました。困窮する現代に、「共に生きる」社会を実現する人材育成を目指しています。
 チャプレンは、河田優チャプレンが兼任体制へと変わるため、近隣の牧師(平岡仁子、坂本千歳、李明生、高村敏浩)を加えたチーム体制で臨むこととなりました。

学生寮の閉寮
 15年前に全国の教会からご支援もいただいて改修されたルター寮ですが、今の学生を迎えるための施設的課題もあり入寮者減、そして危機管理上の課題もあり、学生受け入れが困難と判断し、閉寮の決断に至りました。JELCの神学生については当面日本ルーテル教団のルターハウスで受け止めていただき、生活の場所とすることとなりました。
 今後の寮棟利用については、チャペルも含めて神学校生全体の共同性を培う施設として利用してまいります。これまでの寮維持のためのご支援に深く感謝申し上げます。

第30回 春の全国teensキャンプ報告

森田哲史(宣教室TNG委員会teens部門・大江教会牧師)

 新型コロナウイルスの感染拡大のため、2019年を最後に対面での開催を見送ってきた「春の全国teensキャンプ」(以下、春キャン)でしたが、今回4年ぶりに対面での春キャンを開催しました(2021、2022年はオンラインにて開催)。
 コロナ前は例年80名以上の参加者が与えられていました。しかし、今回は対面開催の間が空いてしまったこと、小学5・6年生を対象にしたこどもキャンプも同様に開催が見送られてきたことなどの理由から、参加者は41名となりました。これまで春キャンは、信仰のこと、聖書のこと、普段の生活のことなどを同世代の信仰者と共に、心を開いて語れるコミュ ニティとしての役割が与えられてきました。teens部門では、そのコミュニティをいかに作り直すか、ということが今回の大きな課題と考え、準備を進めてきました。
 今年のテーマは「REUNION(再会)」として、信仰の友との再会を喜び、何よりも神さまと再び出会う場となることを願い、プログラムの準備を行いました。聖書の中のたとえ話などを現代風にアレンジした劇を作り、身近な経験を通して出会う神様の存在を考えました。また、閉会礼拝では参加者全員で連祷を行い、私たちはひとりぼっちではなく、どんなときも神様や仲間たちと愛で結ばれているという恵みを味わいました。
 各教会を始めとする多くの方の祈りと、各教区、女性会連盟、、JELAなどの皆さまのお支えによって、恵みのうちに終了することができました。感謝して報告に代えさせていただきます。

第30回春の全国teensキャンプ概要
開催日程
 2023年
 3月28日~30日
会場
 千葉市自然少年の家
テーマ
 REUNION
主題聖句
 「わたしの目にあなたは価高く、貴くわたしはあなたを愛しあなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする」(イザヤ43・4)
参加者
 41名(東9、東海17、
 西3、九州12)
スタッフ
 16名
キャンプ長
 森田哲史牧師
チャプレン
 中島和喜牧師
プログラムのねらい
 神様はどんな時も私たちのことを愛してくださっていることを知る。

東海教区教会会計支援ソフト・L-CAS easyの紹介

 牧師の複数教会の兼任や、役員の方々のなり手不足や事務労力の多さが重荷ともなりがちですが、現場支援のため東海教区では支援ソフトを提供していました。今回、より使いやすいものが発表されましたが、お声掛けをいただいたので全国にも、担当者からご紹介いたします。
(東海教区教区長・徳弘浩隆)

 ここ数年、情報の電子化や各個教会でのITの利活用(2021年に「IT環境整備に係る補助金」を実施)を推進しておりますが、このほど各個教会での会計処理の支援を目的として、教会会計支援ソフト・L-CAS easy(エルキャスイージィー、以下「イージィー」)を開発し、今年の教区総会でご紹介し、利用をお呼びかけしています。
 イージィーは、2018年より提供されていましたL-CAS lite(エルキャスライト、以下「ライト」)という、Excelベースのパソコン用ソフトの後継です。L-CAS liteは、教会で共有使用しているような、特定のパソコンにインストールして使用することを想定していましたし、マクロ機能をまとめたメニュー画面から作業を行うスタイルでした。しかし、会計担当者が変更になっても、各自のパソコンで手軽に使え、機能を限定してもよいので、もう少し簡便に操作できるものが欲しい、という「声」を受けて開発されました。
 イージィーの特長は、メニューベースではなくシート単位の簡単操作で処理を完結できる点、主なデータ入力は、「献金者管理」、「出納入力」、「献金入力」の3つのシートで、これらの入力を行えば、「献金明細表(主日毎)」、「月次出納帳」、「収支表(直近3カ月)」、「年間収支表(A3)」、「決算報告」が自動作成される点が挙げられます。但し、資産管理機能はありません。そして、専用のUSBやSDカードなどの記憶ディスクに保存(図参照)しておけば、会計担当者が代わっても、データ受け渡しが簡単にできます。推奨環境は、Windows10以降、Excelは2016以降(Microsoft365も可)です。
 会計の処理は、各教会で独自のやり方があるかと思いますが、献金管理と出納管理は、どの教会にも共通する機能だと思いますので、イージィーの汎用性は高いと思います。ご興味がおありの場合は、東海教区事務所(担当・石川)まで、メールにてお問い合わせください。
(石川吏志)

23-04-01るうてる2023年04月号

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「笑顔で、寄り添う」

日本福音ルーテル市川教会・津田沼教会牧師 中島康文

「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。」ルカによる福音書6章21節

 1983年4月2日、その日はイースターの前日で、私は黒崎教会(既に解組)で最初の礼拝を迎える準備をしていた。按手を受け、牧師として最初の礼拝に、緊張しつつも熱い意気込みを抱いていた私に、友人から電話があった、「るつちゃんが死んだ!」と。意味が分からず黙している私に、友人は「フィリピンで溺れた子どもを助けようとして飛び込み、子どもは助かったけど彼女は亡くなった」と状況を説明してくれて電話は切れた。
 藤崎るつ記さんは旧日本ルーテル神学大学福祉コースの学生で、私より2学年下級生であった。同じボランティアクラブに所属していたこともあって、食堂で一緒になるといろいろな話をしてくれた。笑顔を絶やさない活動的な学生で、卒業後フィリピンに留学して1年後のことであった。あれから17年後、私は市川教会に着任した。数カ月たったある土曜日の午後、笑みをたえた白髪の男性が教会の庭に立っておられた。藤崎信牧師、るっちゃんのお父様であった。近くにある信徒の方が始めた教会で月1回説教の奉仕をしていること、ルーテル教会だったから寄ってみたとのこと。それからは殆ど毎月のように訪ねてくださっては「元気ですか?」と笑顔で声を掛けてくださった。るっちゃんがそうであったように、笑顔で寄り添うことは多くの言葉よりも慰めや励ましになることを、私はお会いするたびに感じていた。
 「ユダヤ人を恐れて家の戸に鍵をかけていた」(ヨハネ20・19)弟子たちのところに来られたイエスは、どんな表情をされていたのだろう。手とわき腹をお見せになりつつ、表情は穏やかで微かな笑みをたえておられたのではないだろうか。だからこそ彼らは「主を見て喜んだ」(同20・20)のだ。エマオの途上(ルカ24・13以下)、暗い顔の2人の弟子が主イエスの十字架の死と空の墓のことを話しているのを聞き、一緒に歩きながらイエスはどんな表情をされていたのだろう。ガリラヤ湖畔に戻っていた弟子たちに現れたイエスは(ヨハネ21・15以下)、ペトロに三度「私を愛しているか」とお尋ねになりながら、どんな表情をしておられたのだろうか。穏やかで微かな笑みをたえたイエスを思い浮かべたとしても、決してそれは間違っていないだろう。主の十字架と復活の出来事は、私たちの恐れや不安を取り除くためであり、私たちが笑顔を取り戻すためなのだから。
 「助け合うことは大事です。しなきゃならない。だけど、それがすごくいいことをしているかのように勘違いしてしまう。聖書の中に勘違いさせる言葉(引用者注・マタイ25・35~36)があるんです。」「私が釜ヶ崎に行って労働者から気づかされたことは、『そんなこと(引用者注・食事支援等)で得意顔をするな﹄ということでした。誰が好きこのんで人からものをもらって生活したいと思うか。どうして、にこやかに『ありがとう』と返事ができるか。そういう訴えだったわけですよね。」「調べてみたら、なんと原文はちゃんと釜ヶ崎の仲間たちの思いにそうようなことが、きちんと書いてあった。『私が飢えていた時、自分で食べていけるようにしてくれた。私が渇いていた時、自分で飲めるようにしてくれた』」「ない人には施してやれ、ということではなかったのです。」(本田哲郎神父、2011年7月8日真宗大谷派圓光寺での講演より)主イエスが十字架に付けられ復活されたのは、単に恵みとして与えられたのではなく、私たちが地上の命を喜んで生きるため、何よりも私たちが笑顔を取り戻せるようにと、罪を贖い、死への恐れを取り除いてくださったのではなかったか。
 笑顔で寄り添ってくださる主は、十字架と復活を受け入れた私たちに告げてくださいます、「あなたがたは笑うようになる」と。
(参考・藤崎るつ記記念文集編集委員会編『るっちゃんの旅立ち—ボトランの海で命ささげて』キリスト新聞社1984年)

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊲「みんな違って」

「深い地の底も御手の内にあり/山々の頂も主のもの。/海も主のもの、それを造られたのは主。/陸もまた、御手によって形づくられた。」(詩編95・4~5)

 「味気ないなぁ…」そのように思ったのは最近よく使うようになった冷凍食品の『野菜のみじん切り』を見た時でした。
 少し前に自分が「子どもは機械で切った野菜ではなく、手で切って色々な形をしている野菜のほうが良い」と言ったことを思い出します。
 この前、久し振りにいつもは買わないお店できゅうりを買いました。袋の中のきゅうりは太くて真っすぐできれいに並んでいました。いつも買うお店のきゅうりは曲がっていたり、真っ直ぐだったり、太かったり、細かったりいろいろあります。
 いつもと違うお店で買ったきゅうりを見て異様な感じがしました。でも何度か野菜が山積みになったお店でなるべく大きくて太く真っすぐな野菜を選んでいた自分もいました。
 自然のまま、ありのままに存在しているものを私たちが便利に利用しやすく見栄えが良いように改良してしまっているのかもしれないと思った時、自然のまま、ありのままにある存在に安らぎを感じたり、自然の中で本来の自分を取り戻す人も少なくないような気がしました。
 なんでだと思います?それは自然やありのままの存在は神様からの命のことばだからです。自然が特別なわけではありません。神様から造られたあなたも用いられます。

議長室から 大柴譲治

「共死」の覚悟に裏打ちされた愛

 「ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」(ルカ15・20b)

 イースターおめでとうございます。ある新聞記事をご紹介させてください。「斎藤強君は中学一年の時から不登校になる。まじめで、ちょっとしたつまずきでも自分を厳しく責めた。自殺を図ったのは二十歳の春だった◆ガソリンをかぶった。精神科医の忠告で彼の行動を見守っていた父親は、その瞬間、息子を抱きしめた。自らもガソリンにまみれて叫ぶ。「強、火をつけろ」。抱き合い、二人は声をあげて泣き続けた◆一緒に死んでくれるほど、父親にとって自分はかけがえのない存在なのか。あの時生まれて初めて、自分は生きる価値があるのだと実感できた。強君は後にこの精神科医、森下一さんにそう告白する◆森下さんは十八年前、姫路市に診療所を開設、不登校の子どもたちに積極的に取り組んできた。彼らのためにフリースクールと全寮制高校も作り、一昨年、吉川英治文化賞を受賞した◆この間にかかわってきた症例は三千を超える。その豊富な体験から生まれた近著〈「不登校児」が教えてくれたもの〉(グラフ社)には、立ち直りのきっかけを求めて苦闘する多くの家族が登場する◆不登校は親へのさい疑心に根差している。だから、子どもは心と体でまるごと受け止めてやろう。親子は、人生の大事、人間の深みにおいて出会った時、初めて真の親子になれる。森下さんはそう結論する。」(編集手帳、読売新聞2000年10月29日朝刊P.1)
 命賭けで息子を守ろうとする父親の必死の思いが伝わってきます。その背後には長年不登校で苦しんできた強くんに寄り添った周囲の忍耐強い愛があったことを見落とすことはできません。ご両親と森下医師は13歳から20歳までの7年間、強くんと共に歩んできたのでした。そうであればこそ時を得てその愛が伝わったのです。森下一さんは言います。「共生の思想は共死の思想に裏打ちされていなければならない」。ハッとさせられます。
 主の十字架を見上げる時、私はこの言葉を想起します。あの十字架の出来事には絶望の果てに死のうとする私たち一人ひとりをひしと抱きとめてくださったキリストの愛が示されている。その愛は共死の覚悟に裏打ちされていた天地が揺らいでも決して揺るぐことのない真実のアガペーの愛でした。
 私たちはどのような時に悔い改めの涙を禁じ得なくなるのでしょうか。放蕩息子の父親の姿に明らかなように、それは私たちが真実の愛に触れた時でありましょう。共死の覚悟に裏打ちされたイエスの愛こそが、私たちをその存在の根底から日々新たにしてくださるのです。

「教会讃美歌 増補」 解説

㉞増補19番「キリエ エレイソン」・増補20番「神の小羊」

松本義宣
(東京教会・東京池袋教会・板橋教会牧師)

㉞増補19番「キリエ エレイソン」・増補20番「神の小羊」
松本義宣
(東京教会・東京池袋教会・板橋教会牧師)

増補19番「キリエ エレイソン」
 1523年に、ルターは「会衆の礼拝式について」という小冊子で宗教改革の福音信仰に基く礼拝のあり方を示しました。そして強い要望を受け、続いて「ミサと聖餐の原則」をラテン語で発表します。同時期に幾つかのドイツ語による賛美歌を試作してきて、いよいよ「ドイツ語による礼拝」の必要を痛感して式文を作成し、1525年10月29日、三位一体後第20主日に始めて礼拝で試用しました。人々に歓迎されて同年のクリスマスからヴィッテンベルクの教会で用いられるようになり、翌1526年、ルターは「ドイツ(語)ミサと礼拝の順序」を著し、礼拝をドイツ語で行う指標を示しました。この「キリエ エレイソン」は、その中に掲載されたものです。ドイツ語ミサではありますが、当時の会衆に浸透していたミサの言葉(ギリシャ語の「主よ憐れんでください」)をそのままとし、伝統的な詩編トーンの第一で掲載しました(ルター著作集第一集第6巻参照)。増補でも、あえて訳さず、「キリエ・エレイソン(クリステ・エレイソン)」で歌うようにしています。

増補20番「神の小羊」
 同じくルター「ドイツ(語)ミサ」の聖餐式の賛歌「アニュス・デイ(アグヌス・デイ)」のドイツ語訳の歌です。ミサ典礼文(ラテン語)は、「世の罪を取り除く神の小羊」ですが、ルターは、「キリストよ、あなたは世の罪を取り除く神の小羊」としており、キリスト賛歌であることを強調します。実は、「讃美歌21」86番でもこの歌が紹介されましたが、字数の都合で「キリストよ、あなたは」は略されました。増補版では、ルターの思いを取り入れ、「イエス・キリスト」を強調して、「世の罪を取り除く」が歌詞に入りませんでした。賛否あるかと思いますが、「イエス様が神の小羊なのだ!」という信仰の告白の中に、「神の小羊=犠牲として」の思いが込められていることを覚えて歌えればと願います。
 旋律は、ルターの友人で牧師のJ・ブーゲンハーゲン(1485〜1558)が、1528年に出版した「尊敬すべきブラウンシュヴァイク市のキリスト教礼拝式文」に掲載さたものです。これは、私たち日本福音ルーテル教会のパートナー教会である、ドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル教会が、ブーゲンハーゲンの指導で宗教改革を導入した際のものです。ここに紹介できたことを嬉しく思います。恐らく、増補19番「キリエ」の旋律と歌い出しが同じで、それをもとにルターが作曲したと思われ、勿論、今でもこの歌はドイツのルーテル教会で歌われ続けています。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ポスト共産主義を生きる教会

 スロバキア共和国のルーテル教会(アウグスブルグ信仰告白教会)監督がポスト共産主義を生きる教会について語ったインタビュー記事を抜粋して紹介します。イバン・エルコ監督は冷戦時代のチェコスロバキアで牧師の家庭に育ちました。
「共産主義が終わるなんて考えてもみませんでした。1989年まで私は自分の信仰のせいで死ぬと思っていましたから。終わってみて新しい自由な国になり、私の問いは信仰をどう生きるべきかに変わったんです。」
 牧会歴30年のエルコ牧師は、スロバキアのルーテル教会の監督として地域の教会の課題と向き合っています。共産主義の時代に人々が問うたのは、神の存在を信じてよいか否かというわかりやすいものでしたが、「現代は白か黒かという問いではありません。信仰の方向付けをするのが難しくなっています。」「色でいうならすべての色のスペクトルがあります。牧会の仕方も人それぞれで、神様との関わりがとても複雑になりました。」

「父は牧師でしたが、私は牧師になるつもりはありませんでした。ルター派信徒として毎週日曜日教会に来てはいましたが、自分の将来のことなど考えてはいませんでした。信仰的なクリスチャンとは言えなかったし、とてものんきに過ごしていたのですが、1982年の2月のある日、私は突如として神学を学び牧師になりたいと自覚したのです。」

—共産主義下で神学を学ぶというのは大変でしたか。
「共産主義と私は、常に霊的な敵対関係にありました。私は共産主義時代のイデオロギーにとても困惑させられていて、それはユダヤの人々が偶像礼拝を嫌悪したことに似ていました。神の代わりにまがいものの宗教を差し出すという共産主義のやり方に心が痛んだのです。自由と人権がないことに苦しんだのです。」

—1989年に共産主義政権が崩壊しました。
「そうです。思いもよりませんでした。私はラジオでそれを聞きましたが、どうしてあんなに早く消えたのか今でも不思議です。私に突然の回心が起こってから自分は信仰の故に死ぬと思っていたので、こうした状況での感情は悲喜こもごもでした。この大変革をなんとか生き抜かねばと思った時、信仰をどう生きるかが私にとって新たな課題となりました。」

—監督として最大の課題は何ですか。
「たくさんありますが、人々が神様といかにつながるかが最も重要な問いです。神の恵みによって自由を得たから生きているのだと、人々に気づいてほしいのです。共産主義のもとでの人生の方向付けは、黒か白か、善か悪か、クリスチャンか無神論者かといった感じでしたが、今は違います。クリスチャンであっても、その生き方は十人十色なので牧会的な対応はとても複雑になりました。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから ⑬NCC信仰と職制委員会

立山忠浩(都南教会牧師)

 日本福音ルーテル教会(JELC)に「信仰と職制委員会」が置かれているように、日本キリスト教協議会(NCC)にも「NCC信仰と職制委員会」があります。JELCの委員会の場合は「信仰、職務、制度等に係る諸問題を検討及び研究し、意見を本教会常議員会に提言する」という具体的な使命があります。各教派でも名称は異なるにしても、教派の核心的な事柄に関することでの具体的な提言を行うことではほぼ一致しています。
 NCCのホームページに委員会の目標が掲げられていますが、各教派の委員会とは異なるのです。「教派間の対話や協働の促進」が主目的です。教派間や国内だけに留まらず、他宗教との対話やアジア・世界との連携も加えられています。
 さて、どのような活動を行っているのかとなると別の課題が生じて来ます。定期的な、そして実質的な活動がなされていないのです。第一の原因は新型コロナウイルス感染です。昨年も対面での会は困難となりました。それに加えて、各教派から派遣される委員がそれぞれに他の重責を担っており、時間と労力を割きにくいのです。
 そのような厳しい状況下でしたが、昨年10月14日にZoomでの委員会を開きました。代表(まとめ役)を担ってくださっている西原廉太先生(日本聖公会中部教区主教・立教大学総長)の呼びかけで行いました。昨年8月31日~9月8日にドイツのカールスルーエで開催された世界教会協議会(WCC)の「第11回総会」のレポートが主な内容でしたが、参加されたからこそ得られる興味深い情報でした。ロシアのウクライナ侵攻から7カ月しか経っていない生々しい状況下で、ウクライナからも近い地で開催されたことを反映したのでしょう。WCCに加盟しているロシア正教会を巡る議論が交わされたのです。ただ、国連総会と同様に、意見が一致せず、明確な結論を出せなかったとの報告でした。WCC、そしてNCCという協議会が掲げる「対話や協働の促進」を実践することの困難さを改めて感じることになりました。

3年ぶりに「JELAカンボジア・ワークキャンプ」開催!

森一樹(JELAスタッフ・市ヶ谷教会)

2020年2月以来3年ぶりとなる「JELAカンボジア・ワークキャンプ」が2023年2月13〜23日の日程で開催されました。久しぶりの開催にもかかわらず、ありがたいことに全国から多くの応募があり、10〜20代の大学生を中心に10名の参加者が集いました。
 今回のキャンプは主に三つの目的のもと実施されました。一つ目の目的はボランティアワークを通して「人や社会に仕える」経験をしていただくことです。今回は弊財団の支援するプレスクールや、カンボジア・ルーテル教会(LCC)の社会福祉施設を訪問し、壁の塗装をしたり、日本の風景や聖書のイラストを壁に描いたり、施設を囲む竹製のフェンスを作ったりする、ボランティアワークを行いました。
 二つ目は、カンボジアの歴史的名所への訪問を通して、参加者にカンボジアの歴史や価値観を知っていただくことです。カンボジアには世界遺産のアンコールワット遺跡群や、ポル・ポト率いるクメール・ルージュの大量虐殺や、その後の独立戦争の爪痕が色濃く残る歴史的な場所があります。キャンプではそれらを訪問し、カンボジアの歴史やその根底にある様々な価値観や文化に触れ、学ぶ機会も持ちました。
 三つ目の目的は、カンボジアでの様々な経験を聖書の御言葉を通して振り返り、参加者それぞれが聖書の神様と出会っていただくことです。今回はキャンプチャプレンとして、日本福音ルーテル日吉教会牧師(キャンプ当時)の多田哲先生が同行して下さり、毎日の終わりに、参加者がカンボジアで経験した様々な体験や人との出会い、またその多様な宗教観や価値観を振り返り、それらを聖書の御言葉を通して神様の視点から捉え直せるような「ディボーション」をリードして下さいました。
 末筆ではございますが、JELAワークキャンプ事業へのご支援とお祈りを誠にありがとうございます。本キャンプの詳しい様子や参加者それぞれの感想レポートを弊財団のWEBページで公開しておりますので、ぜひそちらも合わせてご覧ください!

新任J3から

Volamalala Ranaivoson

 こんにちは、私の名前はVolamalala Ranaivosonです。私はマダガスカルで生まれ、パプアニューギニア、イギリス、アメリカ、ケニアで宣教師の子供として育ちました。そのため、異文化のコミュニティで多機能で多様な背景を持つ人々とつながり、関わることへの愛と情熱が私の中で育っています。私は、本郷ルーテル教会でJ3宣教師をしています。昨年の4月に来日しました。

 J3宣教師プログラムについて、また、英語を習得させるだけでなく、全人格をケアし、福音を伝えるという長い歴史を知ったとき、ここでその一翼を担いたい、と思ったのです。特に、本郷学生センターの「恵みの陽だまり」というミッションに惹かれ、神様の素晴らしい恵みを地域社会に放射する居心地の良い場所となりました。
 過去1年間、教会と学生センターがまさにそのように機能しているのを目の当たりにし、本郷ルーテル教会の皆さんと一緒に成長できるこの機会にとても感謝しています。

第28期第21回常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 2月20~21日に東京教会会議室で行われた標記の件について、ご報告いたします。

 人事委員会の提案した、2023年度教職人事が承認されました。
 また2023年4月1日付で、竹田大地牧師を広報室長に選任しました。これまで広報室長は東教区の教職が兼務する体制でしたが、ネットによる入稿、編集、校正が技術的にも十分な対応が取れる環境が整ったことを受け就任をお願いしたところです。

 市吉会計より、標記の件、会計監査報告と合わせて説明が行われ総会への提案が承認されました。
 公益会計において2021年度決算と比べて、協力金について拠出割合は同じであったにも関わらず減少している点が報告されました。感染症による影響から教会活動は徐々に回復しつつあるものの、会計的な影響は今後波及してくるものと考えられ、注視が必要との共通理解を得たところです。
 収益会計については2年連続の赤字でしたが、3年目に黒字化することができ、今後、社会活動が活発になる方向から好転する見通しが分かち合われました。

 古屋財務担当委員より、標記の件が提案され、総会への提案が承認されました。
 2020年以来、協力金の減額に伴い公益会計において特に2021年度は収益会計からの繰入を必要としましたが、2023年度実行予算より、可能な限り協力金内で教会全体の公益活動、つまり宣教活動を行うという方向性で予算を立てていることが報告されました。これは具体的な宣教の主体は個々の教会、そして教区によるものと理解した上で、事務局はあくまでも、その活動を支える事務的な業務を中心とするという考え方に基づいています。協力金が2024年度より10%に戻ったとしても、2019年度の収入を得ることは難しいという見通しも確実であり、事務局体制についてもスリム化が必要であるとの理解を確認したところです。

 総会日程について、11月常議員会に提案されたものに、学校法人ルーテル学院の報告を関連事業報告とは別枠で設けることが確認されました。ルーテル学院大学・神学校は、別法人ではありますが、教会と密接な関係性にあり、学校法人を取り巻く社会的環境や、学校法人の置かれた現状について分かち合われることになります。確認される点は大学の経営状況は、神学校の維持についても大きな影響を及ぼすという点にあります。学校法人の置かれた現状を分かち合うことで相互の理解を深める時としたいと考えています。
 またハラスメント防止委員会を規則に明文化する提案の前に、日本同盟基督教団の大杉至牧師よりハラスメントについての学びの時を持つことが確認されました。日本同盟基督教団は2000年代後半から、教会としてハラスメント防止に取り組んでおられ、教会内のハラスメントについて中心的に学び、共通理解を深めたいと考えています。

 これまで総会当日の午前中に行われてきた総会前常議員会(第22回常議員会)を4月17日(月)午前10~12時、オンライン(Zoom)にて開催することを確認しました。各教区総会で扱われ、総会に提案される内容について主に議論される予定です。総会に提案すべき議題があれば、教区常議員会に対して提出頂きますようにお願い申し上げます。

 以上、詳しくは常議員会議事録をご確認頂けますと幸いです。

2023年度 日本福音ルーテル教会人事

〈退職〉
(2022年10月13日付)渡辺高伸(退職)

(2023年3月31日付)小副川幸孝(定年引退)野村陽一(定年引退)

〈新任〉該当なし

〈人事異動〉(2023年4月1日付)

【北海道特別教区】
小泉基 札幌教会(主任)
中島和喜 函館教会(兼任)、
札幌教会協力牧師の任を解く
岡田薫 札幌教会(協力牧師)

【東教区】
河田優 日吉教会(主任)
李明生 むさしの教会(主任)
松本義宣(2022年8月1日付)
東京池袋教会(兼任)、板橋教会(兼任)
田島靖則 田園調布教会(主任)、雪ヶ谷教会(兼任)
筑田仁 羽村教会(主任)、八王子教会(兼任)
浅野直樹Jr.  甲府教会(主任)、諏訪教会(兼任)
【東海教区】
末竹十大 掛川菊川教会(兼任)、新霊山教会(兼任)

【西教区】
秋山仁 神戸東教会(兼任)

【九州教区】
関満能 大分教会(主任)、別府教会(兼任)、日田教会(兼任)
多田哲 合志教会(主任)、水俣教会(兼任)
小泉嗣 八代教会(兼任)
岩切雄太 阿久根教会(兼任)

【出向】
日笠山吉之 九州学院(チャプレン)
○牧会委嘱(2023年4月1日付/1年間)
田中博二(2022年12月1日付)東京池袋教会
德野昌博 仙台教会
小山茂 板橋教会
明比輝代彦 新霊山教会
大宮陸孝 賀茂川教会
乾和雄 神戸東教会
白髭義 二日市教会
黄大衛 長崎教会

「オープンチャット4月1日開始」〜元気を出せ!教会学校!〜

河田晶子
(TNG子ども部門)

 コロナ禍で対面でのティーンズキャンプ、ルーテルこどもキャンプが相次いで中止となり3年が経ちました。あちこちで教会学校の消滅や低迷の声を聞く中、教会学校の教師が自由に悩みやアイデアを交換できる交流の場として、LINEを用いて「オープンチャット」を開設することにしました。次世代宣教の働きを応援します。ぜひご参加ください。

23-04-01笑顔で、寄り添う

「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。」
ルカによる福音書6章21節

 1983年4月2日、その日はイースターの前日で、私は黒崎教会(既に解組)で最初の礼拝を迎える準備をしていた。按手を受け、牧師として最初の礼拝に、緊張しつつも熱い意気込みを抱いていた私に、友人から電話があった、「るつちゃんが死んだ!」と。意味が分からず黙している私に、友人は「フィリピンで溺れた子どもを助けようとして飛び込み、子どもは助かったけど彼女は亡くなった」と状況を説明してくれて電話は切れた。
 藤崎るつ記さんは旧日本ルーテル神学大学福祉コースの学生で、私より2学年下級生であった。同じボランティアクラブに所属していたこともあって、食堂で一緒になるといろいろな話をしてくれた。笑顔を絶やさない活動的な学生で、卒業後フィリピンに留学して1年後のことであった。あれから17年後、私は市川教会に着任した。数カ月たったある土曜日の午後、笑みをたえた白髪の男性が教会の庭に立っておられた。藤崎信牧師、るっちゃんのお父様であった。近くにある信徒の方が始めた教会で月1回説教の奉仕をしていること、ルーテル教会だったから寄ってみたとのこと。それからは殆ど毎月のように訪ねてくださっては「元気ですか?」と笑顔で声を掛けてくださった。るっちゃんがそうであったように、笑顔で寄り添うことは多くの言葉よりも慰めや励ましになることを、私はお会いするたびに感じていた。
 「ユダヤ人を恐れて家の戸に鍵をかけていた」(ヨハネ20・19)弟子たちのところに来られたイエスは、どんな表情をされていたのだろう。手とわき腹をお見せになりつつ、表情は穏やかで微かな笑みをたえておられたのではないだろうか。だからこそ彼らは「主を見て喜んだ」(同20・20)のだ。エマオの途上(ルカ24・13以下)、暗い顔の2人の弟子が主イエスの十字架の死と空の墓のことを話しているのを聞き、一緒に歩きながらイエスはどんな表情をされていたのだろう。ガリラヤ湖畔に戻っていた弟子たちに現れたイエスは(ヨハネ21・15以下)、ペトロに三度「私を愛しているか」とお尋ねになりながら、どんな表情をしておられたのだろうか。穏やかで微かな笑みをたえたイエスを思い浮かべたとしても、決してそれは間違っていないだろう。主の十字架と復活の出来事は、私たちの恐れや不安を取り除くためであり、私たちが笑顔を取り戻すためなのだから。
 「助け合うことは大事です。しなきゃならない。だけど、それがすごくいいことをしているかのように勘違いしてしまう。聖書の中に勘違いさせる言葉(引用者注・マタイ25・35~36)があるんです。」「私が釜ヶ崎に行って労働者から気づかされたことは、『そんなこと(引用者注・食事支援等)で得意顔をするな﹄ということでした。誰が好きこのんで人からものをもらって生活したいと思うか。どうして、にこやかに『ありがとう』と返事ができるか。そういう訴えだったわけですよね。」「調べてみたら、なんと原文はちゃんと釜ヶ崎の仲間たちの思いにそうようなことが、きちんと書いてあった。『私が飢えていた時、自分で食べていけるようにしてくれた。私が渇いていた時、自分で飲めるようにしてくれた』」「ない人には施してやれ、ということではなかったのです。」(本田哲郎神父、2011年7月8日真宗大谷派圓光寺での講演より)主イエスが十字架に付けられ復活されたのは、単に恵みとして与えられたのではなく、私たちが地上の命を喜んで生きるため、何よりも私たちが笑顔を取り戻せるようにと、罪を贖い、死への恐れを取り除いてくださったのではなかったか。
 笑顔で寄り添ってくださる主は、十字架と復活を受け入れた私たちに告げてくださいます、「あなたがたは笑うようになる」と。
(参考・藤崎るつ記記念文集編集委員会編『るっちゃんの旅立ち—ボトランの海で命ささげて』キリスト新聞社1984年)

23-03-01るうてる2023年03月号

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「わたしが示す地に、祝福の源として」

日本福音ルーテル名古屋めぐみ教会・知多教会牧師 後藤由起

主はアブラムに言われた。/「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。」(創世記12章1節)

 教会が置かれている状況の厳しさが叫ばれ続けるなか、さらにこの数年の新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに、これまでどおりの活動を続けることが難しくなった教会も多いのではないでしょうか。またカルトやカルト2世の問題が取り上げられる今、わたしたちは伝統的な教会として、献金で成り立つ教会の活動についても、子どもたちへの次世代の宣教にも、より丁寧な対応と深い配慮、神学的な検証が求められているでしょう。まさに今は教会にとって、先が見えない不安のただ中にあるときではないでしょうか。しかしそのとき、わたしたちは一体誰なのか、そしてその行く先はどなたが備えるのかということをもう一度、確認したいのです。
 この箇所で語られているのは、イスラエルの祖先となったアブラム(のちにアブラハム)が神様の召しを受けて旅立ったということです。今から約4000年前のメソポタミア、現在のイラクのあたりの大都市で裕福な生活をしていたアブラムは、75歳になったとき、それまで知らなかった主なる神様に出会い、この神様を信じ、その言葉にしたがって行き先を知らずに旅立ちます。
 その神様のご計画は、地上の氏族がすべて祝福に入るということでした。この祝福をもたらすためにアブラムは召し出され、そして神様の救いのご計画は、やがて神の子イエス・キリストが来られることへと続き、今、イエス様を信じるわたしたちへと受け継がれています。神の民であるわたしたち教会は、神様の救いのみわざに参与し、その恵みを分かち合い、すべての人に神様の祝福を伝えるために召されています。それはわたしたち教会がアブラムのように、この世の安定や繁栄に頼るのではなく神に召し出された旅の途中にあるということでもあります。現代の教会を取り巻く状況の中で、人間的には先が不安になることもあります。しかしわたしたちの行く先は、神様が「わたしが示す地へ!」と言われるところです。それはわたしたちが、神様を信頼することへ招かれているということです。
 なぜなら、教会は終わりの日、イエス様が再び来られる日まで旅人だからです。その日まで教会は途上にあり、その姿はいつも変わりゆきます。ある時点の姿が永遠に安定した理想的なものであるというわけではありません。つい、かつての教会の姿が懐かしく感じることがあるかもしれませんが、教会とはそもそも変わりゆく存在であるがゆえに、変化を恐れないのです。アブラムは神様の祝福の御計画のため、慣れ親しんだ環境から抜け出さなければなりませんでした。これまで築いた安定した地位に頼るのではなく、神様だけを頼りに彼は出発したのです。地上を旅する神様の教会は、地上では行く先を知らないかもしれません。しかし終わりの日の御国が示されており、その日に教会は完成します。その日まで、わたしたちは神様がこの世を愛しておられるその働きを実際に地域の中で表していく存在であり、祝福のご計画に召し出された者です。
 ですからわたしたちは、それぞれの教会に与えられた神様のご計画を信頼します。神様はいま、この町でわたしたちの教会を通してどんな祝福のご計画をなそうとしておられるのでしょうか。確かにわたしたちは、この世の中では小さく弱い存在かもしれません。しかし自分の力がないからこそ、そこに頼ることができないからこそ、聖霊の力が先立って進みます。小さな存在であるかもしれないけれども、そのような教会の姿にイエス様の十字架の姿が現されていきます。このイエス様の十字架こそが、神様の救いを現したのです。そしてわたしたちは、十字架の道のりが復活へとつながっていることを知っています。ですからわたしたちは、召し出されたそれぞれの場で、神様のご計画を大胆に信頼し、御国をめざし地道に目の前の宣教のわざを今日も果たしていきたいと願います。
「祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。」(一ペトロ3・9c)

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊱「名前から」

「それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。/見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ7・14)

 「私、カードに名前を書くだけでやっとですけどいいんですか?」そう言う私に彼女はニコニコしながら「名前だけでも頂く方は嬉しいのよ。」何年も前に教会で交わした言葉を思い出しました。
 それは寄せ書きされたカードが教会から私宛に送られてきた時でした。いろいろな理由で教会へ足を運べない人がいらっしゃいます。私もその1人です。
 自分の健康のことや家族のことなど人によって理由は様々です。教会へ行かれない辛さや寂しさの中、1枚のカードが教会から届きました。教会の牧師がみ言を書いてくださりその周りに所狭しと教会の方々のお名前が書いてありました。
 飛び出す絵本てご存知ですか?そのような感じでお一人おひとりの書かれたお名前からメッセージや表情が飛び出して来るんです。それだけではなくお名前が書かれていないお一人おひとりの祈られる姿も伝わってきます。
 自分の経験や変化する状態などで同じ文章や言葉が違う意味を伝えてくれる時があります。それは好きな本の言葉であったり歌の歌詞だったりなんとなくかけられた言葉だったり。それら一言一言は今あなたに生きて与えられています。例えあなたが選んだと思ったとしても神様からあなたへ与えられています。

議長室から 大柴譲治

「soli deo gloria〜徳善義和先生を覚えて」

 今年1月3日、徳善義和先生が90歳で天に召されました。1980年の神大編入以来、石居正己先生と徳善義和先生から私は実に多くのものを学ばせていただきました。奇しくも後にむさしの教会の牧師としてもお2人からバトンを受け継ぐことになります。
 詳細なプロフィールは『ルター研究第8巻』(定年退職記念献呈論文集2002)に譲ります。徳善先生は1954年に東大工学部、57年に鷺ノ宮のルーテル神学校を卒業後、59年JELC按手、稔台教会での牧会と留学を経て64年専任講師、73年に教授に就任。2002年の退官までの40年近く、ルターがよみがえったように生き生きと語られる先生の「徳善節」は大変に有名でした。また、先生のエキュメニカルな領域での貢献も忘れることはできません。国際的にも国内的にも先生は常にカトリック・ルーテル・聖公会の共同委員会の中心であり、2014年11月30日の「エキュメニズム教令50周年」記念の3教会合同礼拝では説教者を務められます(於東京カテドラル聖マリア大聖堂)。1997〜2000年には日本キリスト教協議会議長。2012年には岩波新書で『マルティン・ルター〜ことばに生きた改革者』を出版。幅広い貢献から2014年にはキリスト教功労者顕彰を受彰されています。
 私には三つの忘れ難い逸話があります。神学生時代、未熟な私は先生から約束の重要性について厳しく指導されたことがあります。どこまでも約束とは相互的なものであって、相手はその時間を調整して待っている。そこには社会的な責任があるのです。赤面の至りでした。二つ目は、私たち夫婦の国際結婚のビザ切替え時に入管にまで足を運んでくださいました。有り難いことです。三つ目は1997年の春、むさしのへの着任が決まった直後でした。留学先のフィラデルフィアまで足を運んでくださり、3人の子どもに牧師館の間取りを示して歓談してくださったのです。子どもたちは大喜びです。その際ラジャシェカー教授からの〝magna cum laude〟という語を伝えてくださったのも先生でした。それは今でも私の大切な原体験になっています。そのように要所々々で先生は深く関わってくださった。それは恐らく私だけではありますまい。先生は常に一人ひとりをしっかりと温かく観ておられました。その意味でも先生は優れた教育者であり牧会者でした。登世子夫人にもいのちの電話でお世話になりました。ありがとうございました。s.d.g.

「教会讃美歌 増補」 解説

㉝増補17番「もし神がともにおられなければ」・増補18番「幸いな人よ」

日笠山吉之(札幌教会牧師)

 聖書の中でもとりわけ『詩編』をこよなく愛したルターは、『詩編』のテキストをパラフレーズ化して、コラールの歌詞としたものが幾つもあります。今回ご紹介する17番『もし神がともにおられなければ』と18番『幸いな人よ』もそうです。前者は『詩編』124編が、後者は同128編がそれぞれ下敷きとなっています。
 まず、17番の『もし神がともにおられなければ』を取り上げましょう。このコラールの下敷きとなった『詩編』124編は「主が私たちの味方でなかったら、主が私たちの味方でなかったら」と言う御言葉で始まりますが、ルターは律儀にもコラールの中でこの御言葉を2回繰り返しています。それに続く歌詞は、1節「力を失い、世に侮られる、あわれな群れよ」2節「か弱いわれらは、からだも、いのちも、流されるまま」。その通りです。主が私たちの味方でなかったら、私たちにはなす術がないのです。しかし、信仰者は主が共におられ、必ずや救ってくださることを知っています。ですから、3節に入ると「感謝と賛美は、ただ神にある」とルターは歌うのです。さながら罠から放たれた小鳥のように自由に!
 次の18番『幸いな人よ』も、『詩編』128編のテキストをほぼ忠実にたどっています。「いかに幸いなことか。主を畏れ、主の道に歩む人よ」と言う御言葉で始まるこの詩編は、127編と共に、現在でも結婚式の式文の中で最初に交唱される詩編となっています。ルターのコラールは、主を畏れ敬い、互いに愛し合いつつ主の道を歩むカップルがいかに祝福されているかを歌い上げていますが、それはさながらルターの家族の仲睦まじさを垣間見るかのようです。この歌詞につけられたJ・ヴァルターの旋律も冒頭から高揚感に満ちています。最後の小節のシンコペーションがなんともリズムが取りにくいかもしれませんが、そこはあまり拘らず勢いで歌い切ってしまいましょう。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

難民に手を差し伸べるエストニア教会

 エストニアのルーテル教会はウクライナ戦争による難民たちを様々な手段で支援しています。牧会的ケア、実際的サポート、合同の集会や活動などを通じて彼らが安心して生活できる環境を提供しようと努めています。
 ロシアのウクライナ侵攻が起きてすぐにエストニアルーテル教会EELCは難民を歓迎しました。LWF加盟教会のEELCとそのディアコニア活動団体は、宿泊施設と牧会的ケアを手配、色々な活動を計画し心を込めて迎え入れました。
 「侵略戦争は言語道断の罪です。」総司教のウルマス・ビルマ氏は言います。同時に彼は共感の力を強調して次のように言いました。「悪は、信仰と希望と愛を私たちから奪うことはできないのです。たとえすべてを奪われても、信仰と希望と愛は奪えません。」
 多くのエストニア人にとってウクライナ侵攻は他人事ではありません。牧師やボランティアたちは今回の戦争で、ソ連時代のスターリンによる弾圧という悪夢の記憶がよみがえり、強制的に避難させられた住民の痛ましい状況を語ります。
 EELCの諸教会は侵攻後すぐウクライナ支援基金を起ち上げました。するとエキュメニカルな関係教会やLWFから、各個人からの分を合わせて6万ユーロを超える支援が集まりました。感謝祭には1万7千ユーロがこれに加算されました。
 タリンにある聖ヨハネ教会のボランティアたちは言います。「戦争が始まったときから、すべてのキリスト者と教会が助けたい、行動したいと思い立ち、どうしたらいいのか考えました。」「みんなが人道的支援品や義援金を集めてくれます。チャリティーコンサート、物品販売、ボルシチの提供、迷彩柄の網、ニットの靴下や手袋など。もちろんウクライナのための祈りもです。」2人の女性はウクライナの子どもたちのために語学サマーキャンプを開催しました。難民の子どもたちはエストニアの子どもと同部屋で過ごしたため交わりを深めることができ、キャンプは大成功でした。
 一緒にする料理や魚釣りに盛り上がったりもしました。タルトゥのエストニア人が釣り道具を寄付し、ウクライナ人を連れてエマジョギ川で鯉を釣ったそうです。タルトゥにある聖マリア教会でデイケアセンターを運営するレア・サールさんは言います。「会話が弾んで釣り場の話になって、ウクライナの子どもたちが池と呼ぶ水場のことをエストニア人は湖と呼んでいたり。どんな魚が釣れたとかどのぐらいとれたとか。これは凍りついた心を人とのつながりで解きほぐし親切を注ぐ方法なんです。」
 牧会的霊的ケアも欠かせません。戦争が始まるとEELCの牧師45人が協力しました。今でも12人がカウンセラーとしてパートタイムで難民たちのケアをしています。宿泊場所を移動する合間を利用して彼らの喪失体験や恐怖に耳を傾け、亡命生活の心の不安と向き合う手助けをします。その人の信仰がなにかは問うことをしません。
 「キリストが今私たちに問いかけていることはなにか。それはあなたは愛したか、です。キリストがそうしてくださったように、私たちは愛しているかが問われています。」オーヴェ・サンダー神学研究所学長は自身の動機をそのように語っています。
 「戦争難民の方々の厳しい未来に光を届ける。ケアやチャリティを通して希望を贈る。そうしてキリスト者として出来ることをする。それが平和を得ている私たちが神様から召し出されていることなのです。」ヴィルマ総司教はこのように締めくくりました。

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから ⑫NCCドイツ語圏教会関係委員会

李明生(田園調布教会牧師)

 「ドイツ語圏教会関係委員会」は日本キリスト教協議会(NCC―J)の「国際部門」の委員会の一つです。
 当委員会は、日本とドイツ語圏の教会間交流を通して共通の関心事を見い出し、相互的な啓発、学びあいを進めることを目的としています。1965年に開催された第1回日独教会協議会の結果、1966年にスタートしました。その後、1979年には東ドイツ委員会と西ドイツ委員会に分かれましたが、1990年10月にドイツ連邦が統一され、プロテスタント教会も一つの組織を形成したことを受けて、日本側の委員会も1991年に再度一つの「ドイツ教会関係委員会」として出発することとなりました。その後、2016年の協議会にはスイスのプロテスタント教会からも代表者が参加することとなりました。ヨーロッパのドイツ語圏にはプロテスタント教会が展開していることから、ドイツに限らず「ドイツ語圏」のプロテスタント諸教会と日本のプロテスタント教会とを繋ぐ役割を担うことを目指して、2017年より「ドイツ語圏教会関係委員会」と改称することとなりました。
 当委員会の大きな役割の一つは、ドイツ国内の20の諸教派の集まりであるEvangelische Kirche in Deutschland(EKD)が母体となって各国から受け容れを行っているドイツ・プロテスタント教会奨学金の奨学生の募集・予備選考・推薦です。この奨学金プログラムは、日本とドイツの教会交流の促進を目的に設置され、将来にわたってエキュメニカルな働き及び宣教活動に貢献できる人材養成を目指しています。例年、募集要項は夏頃に発表され、応募締め切りは12月下旬、選考試験は1月上旬に行われています。
 また日本とドイツ語圏のプロテスタント教会間による定期協議会を開催しています。この協議会はそれぞれの教会の宣教の課題を共有し、協力関係について確認することを目的としています。2016年に第7回協議会が東京にてスイスのプロテスタント教会を交えて行われた後、2019年にはスイスのリューゲルおよびアーラウにて行われました。本来であれば2022年に次回の開催の予定でしたがコロナ禍で延期となり、現在も協議中です。
 なお2016年に宗教改革とディアコニアを主題として行われた協議会の講演等の記録は、「いま、宗教改革を生きる—耳を傾け共に歩む—」(NCCドイツ語圏教会関係委員会編・いのちのことば社2019年)として書籍化されました。宗教改革の歴史とディアコニアの関係についての入門書的1冊となっています。皆様是非お読みください。

東海教区青年会・外国人メンバークリスマス会

レリアナ・パルドシ

 皆様、メリークリスマス、神の平安が私たちの生活に常にありますように。
 私はレリアナ・パルドシです。インドネシアから来ました。私は日本に働きに来た外国人インターンです。ちょうど3年前の2019年12月10日、初めて日本に来ました。夢のようでした。大学卒業後、日本に来るとは思っていなかったのですが、神様の御心で、日本で最初の仕事をすることが許されました。恐れはありますが、私の人生における神の祝福にも感謝しています。3年前、日本での初めてのクリスマスの時、仲間の中でキリスト教徒は私だけでした。当時、私が住んでいる場所の近くに教会があり、毎週日曜日に訪問したいと祈りました。そして、私が最初に行った教会が大垣教会でした。今まで、大垣教会で成長し、教会の家族を見つけられました。日本語や日本文化を勉強するクラスで徳弘先生と出会ったのもこの場所でした。また、渡邉先生が率いる教区のユースサービスにも出会いました。このユースサービスを通じて、日本人と出会って多くのことを学びました。教区のユースサービスではZoomを介して接続しています。2021年12月のクリスマスに教会のユースと初めて直接会いました。そして、この 2022年12月は対面でのユースの2度目のクリスマスでした。
 2022年12月のクリスマスサービスは、教会の若者たちと一緒に祝いました。一緒に礼拝し、一緒に昼食をとり、一緒に歌い、ゲームをし、贈り物を交換しました。国ごとに異なるクリスマスの伝統があって、インドネシアでは若者がクリスマスを祝う時、通常、聖歌隊と伝統的な踊りで祝っていますが、日本でもクリスマスを祝うことができたので、私は幸せでした。私にとってクリスマスは単なるお祝いではありません。キリストが私たちのために生まれたからです。2022年のクリスマスには多くの祈りと希望がありました。
 神が私たちの人生の歩みと祈りを祝福し、神が最高の時に応えてくださることを願っています。

新任J3から

スレザク・ローラ

 スレザク・ローラと申します。アメリカ人です。私はテキサス州ダラスの近くで生まれました。同じ場所で育ちましたが、大人になってから住んだ場所は、日本が7カ所目です。祖父は外交官で、家族から異文化への理解と尊敬を教えられていました。
 私は九州学院高校のJ3です。ALTとして1年生を18クラス教えています。また、大江教会で毎週夕方の水曜日に英会話サークルの講師をしています。時々、熊本国際礼拝で説教をすることがあります。今年の2月19日に大江教会で説教をしました。仕事以外では、毎日日本語を勉強しています。趣味はハイキングなどのアウトドアで、特に山や森の周辺が好きです。ラーメンやしゃぶしゃぶなど、おいしいものを食べに行くことも好きです。

定年教師挨拶

野村 陽一

 本年3月で定年を迎えた野村陽一です。38年間、牧師としてお支え下さり心から感謝申し上げます。私は、神学校入学の時から、牧師への召命は神からの召命と、教会からの召命の二つがあると考えていました。当時属していたむさしの教会で、青年仲間が次々と牧師への道を選び取っていく中、私に対する教会員の期待を感じ取っていたことの影響だと思っています。二つの召命感は今でも変わっていません。
 これまで、岡崎、刈谷、名古屋めぐみ(恵・柴田)、大分、別府、日田の6教会で牧師として過ごしてきました。新卒以来、いつも複数の教会を担当するあわただしい生活で、一教会に集中できないもどかしさを感じつつも、こんな牧師を受け入れ、支え続けてくださった教会員なしには、ありえない38年間だったと思います。
 教会以外にも、保育園、児童養護施設、認定こども園での働きも与えられました。子どもたちや若い職員からたくさんのエネルギーをもらいました。こうして感謝をもって定年を迎えられたことは大きな幸いです。
「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」(一コリント15・58)。

「定年を迎えて」 小副川 幸孝

 牧師として四十有余年を過ごすことができ、これまでお支えいただいたことを心から感謝申し上げます。
 思い返せば、牧師としての按手を受けました時に、「この方のなさった事は、何もかも、すばらしい」(マルコ7・37口語訳)と告白できるような歩みをしたいと願っていました。
 しかし「教会の声は神の声」と思い、赴任先を委ね、藤が丘教会に統合された世田谷新町教会を皮切りにして与えられた場所での働きとなり、結果的には牧師人生の半分近くは学校教育の場となりました。立教大学大学院を卒業後、米国のシカゴ神学大学院に留学し、帰国して6年間は開拓されたばかりの新札幌教会、そして九州学院(宇土教会兼任)、九州女学院短大、九州ルーテル学院大学が任地となりました。また、母教会である久留米教会、そして最初の任地で設立を準備した藤が丘教会などの招聘を受け、現在は九州学院にいます。東京女子大やルーテル神学校で教壇に立つ機会も与えられました。それぞれのところでの出会いが、神から賜った大切な出来事であり、それらの方々に支えられての牧師生活でした。
 牧師としての定年を迎えるにあたり、今あらためて、そうしたことの一つひとつが去来します。すべてがうまくいったわけではありませんが、やはり、「この方のなさった事は、何もかも、すばらしい」と告白したいと思っています。

「教会讃美歌 増補 分冊Ⅰ」MIDIデータをご活用ください

 2021年に発行されました「教会讃美歌 増補 分冊Ⅰ」のMIDIデータが、日本福音ルーテル教会のWEBサイトにて公開されています。新しい賛美歌に身近に触れる機会として、是非ご活用ください。
 「教会讃美歌 増補 分冊Ⅰ」ならびに「教会讃美歌」のMIDIデータは、日本福音ルーテル教会WEBサイトの「アーカイブ」中の「礼拝関連資料」ページに掲載されています。
※「礼拝関連資料」ページはWEBサイトをご参考ください。

「神学校の夕べ~主の召しに応えて~」動画配信のご案内

 2月26日(日)17時よりオンラインにてライブ配信された「神学校の夕べ」の動画を3月末までご視聴頂けます。
 誰もが主の召しを受けています。一人ひとりに与えられた召しに応え、共に歩んでいく幸いを皆で祈り求めましょう。
説教 立山忠浩(日本ルーテル神学校校長)
司式 梁熙梅(NRK神学教育委員)、司式補佐・神学生
奏楽 湯口依子(ルーテル学院オルガニスト)
合唱・ハンドベル演奏 
ルーテル学院聖歌隊、ラウス・アンジェリカ
共催 日本福音ルーテル教会神学教育委員会・
日本ルーテル教団神学教育委員会・
日本ルーテル神学校
※こちらのWEBサイトをご参考ください。

23-03-01わたしが示す地に、祝福の源として

主はアブラムに言われた。/「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。」
(創世記12章1節)

 教会が置かれている状況の厳しさが叫ばれ続けるなか、さらにこの数年の新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに、これまでどおりの活動を続けることが難しくなった教会も多いのではないでしょうか。またカルトやカルト2世の問題が取り上げられる今、わたしたちは伝統的な教会として、献金で成り立つ教会の活動についても、子どもたちへの次世代の宣教にも、より丁寧な対応と深い配慮、神学的な検証が求められているでしょう。まさに今は教会にとって、先が見えない不安のただ中にあるときではないでしょうか。しかしそのとき、わたしたちは一体誰なのか、そしてその行く先はどなたが備えるのかということをもう一度、確認したいのです。
 この箇所で語られているのは、イスラエルの祖先となったアブラム(のちにアブラハム)が神様の召しを受けて旅立ったということです。今から約4000年前のメソポタミア、現在のイラクのあたりの大都市で裕福な生活をしていたアブラムは、75歳になったとき、それまで知らなかった主なる神様に出会い、この神様を信じ、その言葉にしたがって行き先を知らずに旅立ちます。
 その神様のご計画は、地上の氏族がすべて祝福に入るということでした。この祝福をもたらすためにアブラムは召し出され、そして神様の救いのご計画は、やがて神の子イエス・キリストが来られることへと続き、今、イエス様を信じるわたしたちへと受け継がれています。神の民であるわたしたち教会は、神様の救いのみわざに参与し、その恵みを分かち合い、すべての人に神様の祝福を伝えるために召されています。それはわたしたち教会がアブラムのように、この世の安定や繁栄に頼るのではなく神に召し出された旅の途中にあるということでもあります。現代の教会を取り巻く状況の中で、人間的には先が不安になることもあります。しかしわたしたちの行く先は、神様が「わたしが示す地へ!」と言われるところです。それはわたしたちが、神様を信頼することへ招かれているということです。
 なぜなら、教会は終わりの日、イエス様が再び来られる日まで旅人だからです。その日まで教会は途上にあり、その姿はいつも変わりゆきます。ある時点の姿が永遠に安定した理想的なものであるというわけではありません。つい、かつての教会の姿が懐かしく感じることがあるかもしれませんが、教会とはそもそも変わりゆく存在であるがゆえに、変化を恐れないのです。アブラムは神様の祝福の御計画のため、慣れ親しんだ環境から抜け出さなければなりませんでした。これまで築いた安定した地位に頼るのではなく、神様だけを頼りに彼は出発したのです。地上を旅する神様の教会は、地上では行く先を知らないかもしれません。しかし終わりの日の御国が示されており、その日に教会は完成します。その日まで、わたしたちは神様がこの世を愛しておられるその働きを実際に地域の中で表していく存在であり、祝福のご計画に召し出された者です。
 ですからわたしたちは、それぞれの教会に与えられた神様のご計画を信頼します。神様はいま、この町でわたしたちの教会を通してどんな祝福のご計画をなそうとしておられるのでしょうか。確かにわたしたちは、この世の中では小さく弱い存在かもしれません。しかし自分の力がないからこそ、そこに頼ることができないからこそ、聖霊の力が先立って進みます。小さな存在であるかもしれないけれども、そのような教会の姿にイエス様の十字架の姿が現されていきます。このイエス様の十字架こそが、神様の救いを現したのです。そしてわたしたちは、十字架の道のりが復活へとつながっていることを知っています。ですからわたしたちは、召し出されたそれぞれの場で、神様のご計画を大胆に信頼し、御国をめざし地道に目の前の宣教のわざを今日も果たしていきたいと願います。
「祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。」(一ペトロ3・9c)

23-02-01試練の中で

「人はパンだけで生きるものではない。/神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」
(マタイによる福音書4章4節b)

 教会の暦では、「顕現節」が終わると「四旬節」(受難節)と呼ばれる季節が始まり、歴史的な聖書日課では、この時、イエスが荒れ野で悪魔の試みにあわれたという箇所が読まれてきました。
 これがこの季節に読まれるのは、この誘惑の出来事が、単なる誘惑や試練に打ち勝つということではなく、私たちの生き方全体の問題だからです。
 私たちは、自分の人生や生活をより楽しい方に、出来るなら苦しいことや悲しいことではなく、豊かで、安心して、楽に暮していきたいと願います。しかし、この願いが、実は、私たちに苦しみや悲しみを起こしていることも事実です。だから、イエスの誘惑は、まず、そういう私たち自身の姿と問題をはっきりさせているのです。
 イエスの誘惑は、彼が洗礼を受けてからの出来事であると記されています。私たちで言えば、洗礼を受けてクリスチャンになってからということです。これは大変象徴的です。神を信じて生きるというのは、人生を、本当の意味で深く豊かに生きるということですが、神を信じたから苦しいことがないのではなく、苦難や試練の中でこそ、本当に深く生きる道が開かれることをイエスはここで示されたのです。
 聖書は、ここで三つの誘惑を記しています。その第一は、イエスが40日の断食後に悪魔が来て、「あなたがもし神の子なら、その石ころをパンに変えたら良かろう。そのような力があなたにはあるではないか」と誘ったというのです。これは、断食後の喉から手が出るほど食べ物が欲しい時のことです。しかし、ここで注意深く聖書を読むと、悪魔の誘惑の言葉は、パンを食べることではなく、石をパンに変えることです。つまり、生きることそのものではなく、石をパンに変えるような生き方のことが問題になっているのです。
 その他の誘惑については、誌面の都合上省きますが、これらは誘惑というより、むしろ、私たちが積極的に良いことだと思って求めていることです。少なくとも食べることに困らない生活をし、権力や権威というほどではないにしても、人から良く思われたい、認められたいと思っています。自分がないがしろにされるといって腹を立てることは沢山あります。また、安心して暮したいと願っています。だから、何とかしようとあくせくします。ここで「誘惑や試練」として記されていることは、実は、私たちが普段、願い求めていることです。むしろ、私たちがこちらからそうしてもらいたいと思うようなことばかりです。
 しかし、聖書はこれが誘惑であり試練だと言うのです。
 なぜなら、豊かになり、安心して暮したいがゆえに、そして、他の人に認められたいがゆえに、恐れや不安に捕らわれるからです。
 そこで、イエス・キリストはどうされたかを考えてみましょう。キリストは、ここで単純に神の言葉に依り頼まれています。神の言葉に立つことで、ご自分の生きる姿勢を明確にされました。「人はパンだけで生きるのではなく、神の言葉で生きる。神を試みてはいけない。仕えられるのではなく仕えること。」このイエス・キリストの誘惑への答えは、彼の生涯を見ると、その姿がはっきりしてきます。
 私たちは、無意識に、知らず知らずのうちに、聖書が誘惑として示したことを望んで、大切なものを失い、不安や恐れに駆られて生きているのかもしれません。しかし、私たちは、キリストの言葉を、今日、思い起こしたいと思うのです。
 「私はパンだけで生きるのではなく、神の言葉によって生きる。私は神を試みずに、神に信頼して生きる。私は、人から仕えられることを望むのではなく、人に仕えて生きる」(私訳)。それが、試練の中で苦難や辛さを担って、人生を切り開いて行く時の一つの姿勢であること。そのことを聖書から教えられるのです。私たちは、その神の言葉を聞きながら日々を本当に豊かな思いをもって過ごすことができればと思います。

23-02-01るうてる2023年02月号

機関紙PDF

「試練の中で」

学校法人九州学院院長・チャプレン 小副川幸孝

「人はパンだけで生きるものではない。/神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」

(マタイによる福音書4章4節b)

 教会の暦では、「顕現節」が終わると「四旬節」(受難節)と呼ばれる季節が始まり、歴史的な聖書日課では、この時、イエスが荒れ野で悪魔の試みにあわれたという箇所が読まれてきました。
 これがこの季節に読まれるのは、この誘惑の出来事が、単なる誘惑や試練に打ち勝つということではなく、私たちの生き方全体の問題だからです。
 私たちは、自分の人生や生活をより楽しい方に、出来るなら苦しいことや悲しいことではなく、豊かで、安心して、楽に暮していきたいと願います。しかし、この願いが、実は、私たちに苦しみや悲しみを起こしていることも事実です。だから、イエスの誘惑は、まず、そういう私たち自身の姿と問題をはっきりさせているのです。
 イエスの誘惑は、彼が洗礼を受けてからの出来事であると記されています。私たちで言えば、洗礼を受けてクリスチャンになってからということです。これは大変象徴的です。神を信じて生きるというのは、人生を、本当の意味で深く豊かに生きるということですが、神を信じたから苦しいことがないのではなく、苦難や試練の中でこそ、本当に深く生きる道が開かれることをイエスはここで示されたのです。
 聖書は、ここで三つの誘惑を記しています。その第一は、イエスが40日の断食後に悪魔が来て、「あなたがもし神の子なら、その石ころをパンに変えたら良かろう。そのような力があなたにはあるではないか」と誘ったというのです。これは、断食後の喉から手が出るほど食べ物が欲しい時のことです。しかし、ここで注意深く聖書を読むと、悪魔の誘惑の言葉は、パンを食べることではなく、石をパンに変えることです。つまり、生きることそのものではなく、石をパンに変えるような生き方のことが問題になっているのです。
 その他の誘惑については、誌面の都合上省きますが、これらは誘惑というより、むしろ、私たちが積極的に良いことだと思って求めていることです。少なくとも食べることに困らない生活をし、権力や権威というほどではないにしても、人から良く思われたい、認められたいと思っています。自分がないがしろにされるといって腹を立てることは沢山あります。また、安心して暮したいと願っています。だから、何とかしようとあくせくします。ここで「誘惑や試練」として記されていることは、実は、私たちが普段、願い求めていることです。むしろ、私たちがこちらからそうしてもらいたいと思うようなことばかりです。
 しかし、聖書はこれが誘惑であり試練だと言うのです。
 なぜなら、豊かになり、安心して暮したいがゆえに、そして、他の人に認められたいがゆえに、恐れや不安に捕らわれるからです。
 そこで、イエス・キリストはどうされたかを考えてみましょう。キリストは、ここで単純に神の言葉に依り頼まれています。神の言葉に立つことで、ご自分の生きる姿勢を明確にされました。「人はパンだけで生きるのではなく、神の言葉で生きる。神を試みてはいけない。仕えられるのではなく仕えること。」このイエス・キリストの誘惑への答えは、彼の生涯を見ると、その姿がはっきりしてきます。
 私たちは、無意識に、知らず知らずのうちに、聖書が誘惑として示したことを望んで、大切なものを失い、不安や恐れに駆られて生きているのかもしれません。しかし、私たちは、キリストの言葉を、今日、思い起こしたいと思うのです。
 「私はパンだけで生きるのではなく、神の言葉によって生きる。私は神を試みずに、神に信頼して生きる。私は、人から仕えられることを望むのではなく、人に仕えて生きる」(私訳)。それが、試練の中で苦難や辛さを担って、人生を切り開いて行く時の一つの姿勢であること。そのことを聖書から教えられるのです。私たちは、その神の言葉を聞きながら日々を本当に豊かな思いをもって過ごすことができればと思います。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉟「表現されること」

「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。」(一ヨハネ3・18)

 「どいつもこいつも!」
 えっなんで今…私怒られてるの?ちょうど私がもうすぐ手術で入院することを彼女に伝えた時でした。「お大事にね。」とか「大丈夫」ならまだしも「どいつもこいつも」って…彼女の言葉は怒りというか悲しみに満ちていました。そういえば私が病院で彼女に会う少し前に、友達が少ないであろう彼女がお互いの家に行くほど親しかった女性が50代後半で亡くなったばかりで、しかも彼女が亡くなった原因の病気が、私が手術を受ける病気と同じ病気でした。
 私たちの使う言葉ってなんでしょう。伝える方法としての言語を持てない方々や疲れているのに疲れていないよと言う方々。悲しみをこらえて笑う人々。そして彼女のように悲しみながら怒る人。きっと表現されることと心が良い意味でも悪い意味でも裏腹な事が多い時があるんだなぁと思います。
 一人の方の経験されてきた全てをお聞きした時、それは「命のことば」であると感じたことがあります。お一人おひとりは神様からのことばに包まれています。そのことばには裏も表もありません。それは真実であるイエス様です。
 いくら私やあなたが自分から出る言葉で取り繕って誤魔化そうとしたり隠そうとしても、神様から与えられることばは私やあなたに真実を語り包み込んでくださいます。

議長室から 大柴譲治

「ご縁〜事実は小説よりも奇なり」

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」(伝道の書3・11、口語訳)。

 「自分はキリストと出会った仏教徒だ」とはカトリックの押田成人神父の言葉です。そこまで私は言えないのですが個人的に仏教哲学を深く尊敬しています。それは2人の僧侶とご縁があったためです。1人は学生時代の恩師、サンスクリット大家の鎧淳先生(1930〜2015)。東大卒業後に欧州に渡りユネスコの仕事などをしながらオランダで研鑚を積まれました。驚いたことに先生は、欧州でラジオから流れる諸言語が分からないのは悔しいからとすべてマスターしたそうです。私の編入時には東大宗教学科の後輩・清重尚弘学長に紹介の労を取ってくださいました。その合格を喜んだ先生が話してくださったことも驚きでした。最初先生は医学部にいたそうですが、キリスト教の伝道者と出会って「魂の医者」になろうと神学校に入った。しかし結局宗教学科に入り直して仏教を学ぶことになった。引退したらどこか田舎で薬草院を開きたいということでした。友人経由で昨年5月に東神大に調べてもらったところ、確かに1948年の「日本基督教神学専門学校」(翌年東神大に改組)に鎧氏の入学記録はあるけれど卒業記録はないとのこと。インターネットで調べると当時その予科は鷺ノ宮の路帖神学校の地にあったようです。もしそうなら先生と私には不思議な接点があったことになりますね。
 もう1人は私の親族。私の父は大阪吹田の出身ですが、私の従姉妹はスキー場で出会った方と恋に落ちて結婚。お相手は高野山僧侶の後藤太栄さん(1957〜2010)。高野山は弘法大師が1200年前に開いた真言密教の聖地で、太栄さんは高野町長としてユネスコ世界文化遺産登録のため東奔西走(2004年に登録)。私たち家族は2009年8月に西禅院に泊めていただきました。精進料理と美しい庭園が印象に残っています。朝のお勤めに参加後、従姉妹の案内で奥ノ院に祖父母の墓参りをしました。そこで太栄さんが難病ALSであることを知ります。韓国の新薬を頼まれ妻の親族を通して手配することになりました。その冬に御礼を兼ねてむさしの教会にご夫妻で来訪されました。牧師館で伺った志半ばでの「無念です」という太栄さんの言葉が忘れられません。最後に「お参りさせてください」と礼拝堂の聖卓前で祈った後に帰ってゆかれました。翌年10月に遷化。合掌。実はこれには後日談があります。毎年私は上智大学グリーフケア研究所でキリスト教人間学を担当していますが、昨年10月の35名の受講生の中になんとそのお嬢さん、私の従姪がいました。この広い世界でこのような不思議なご縁があるとは…。まことに「事実は小説よりも奇なり」ですね。

「教会讃美歌 増補」 解説

㉜増補15番「恵みの平和を」・増補16番「われらのみ神は 堅い城 力」

石丸潤一(西日本福音ルーテル新田教会牧師)

 「恵みの平和を」は、ラテン語賛美「DA PACEM DOMINE」をルターがドイツ語に訳した賛美です。平和を求める、おだやかな、しかし切なる、祈りの賛美です。
 面白いことに、ルターは、この詩を「Veni redemptor gentium(来ませ、異邦人の救い主よ)」というイエス様のご降誕を賛美する曲に乗せました。「神様の平和は、人となられたイエス・キリストにより、信じる者に来る」、そんなルターの信仰告白を感じます。

 「われらのみ神は 堅い城 力」は、ルーテル教会で最も愛されている賛美でしょう。讃美歌委員会は、とりわけ大切に、慎重に、この賛美に関する作業を進めました。
 楽譜は、《オリジナル》のメロディとリズムを採用したものと、これまで親しんできた4分の4拍子の《四声》の二つを掲載しています。《四声》版は、斉唱のほか、伴奏譜を用いて四声合唱としても賛美できます。
 歌詞は、徳善義和先生の『ルターと賛美歌』を手がかりとし、ルターが作った原詩のエッセンスを生かす日本語訳を目指しました。特に、出だしの部分です。『教会讃美歌』450番では「わが」は「強きやぐら」についていましたが、原詩に忠実に「神」につけ、「われらのみ神」としました。《四声》楽譜の歌詞は、『ルターと賛美歌』に掲載された徳善先生の訳をほぼ採用しています。《オリジナル》楽譜は、徳善師の訳詞をベースとしながら、韻律に合うように委員で歌詞を作成しました。
 より味わい深く、変わらずみなさんに愛されていく賛美となるようにと願います。
 新型コロナウイルスの影響。ウクライナとロシアの戦闘。不安を覚え、心と身体の平安が脅かされる時が長く続いているように思います。
 このような時こそ、私たちは、聖書のみことばを聞き、賛美を口ずさみましょう。「恵みの平和を」は優しく、「われらのみ神は 堅い城 力」は力強く、いかなる時も揺るぎない神様の平和のうちに立ち、歩んでいくようにと、私たちを励ますでしょう。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ルター聖書翻訳500年記念ウェビナー

 世界各地のルーテル教会では2017年に宗教改革500年を記念して数多くの行事が行われましたが、宗教改革から5年後の1522年、マルティン・ルターは新約聖書をドイツ語に翻訳して出版しました。同年9月に出版されたので9月聖書とも言われます。このときルターは39歳、わずか10週間で仕上げました。2022年はルターの聖書翻訳から500年にあたり、ルーテル世界連盟(LWF)では秋からウェビナー(オンライン上のセミナー)がシリーズで行われています。第1回は東京教会協力牧師のサラ・ヒンリキー・ウィルソン博士が担当しました。もう1人の講師はモロッコのエキュメニズム研究所所長ジーン・クーランニャ博士です。

 ウェビナーが問いかけたテーマは、ルターの新約聖書翻訳が当時の人々と文化にどう影響したか、1世紀のギリシャ語で書かれた聖書テキストが21世紀にも理解されるよう翻訳する際の要点は何か、聖書が多様な言語と文化の人々に伝わるうえで大切なことは何か、などです。

 サラ博士によると「ルターが何か新しいことを始めたというわけではありません」。聖書を自国の言葉に翻訳し出版したのはルターが最初というわけではありません。「けれどもルターの翻訳は、それまでにはみられなかった力を解き放ちました」。「ルターの仕事がうまくいったのにはいつくか理由があります。彼が改革志向の神学者として名が知られていたこと、言語的才能が豊かだったこと、それに活版印刷が進歩して印刷と配布が容易になったのです」。 「ルター個人の業績に注目が集まりがちですが聖書翻訳は彼一人の手柄ではありません。ルターはその後仲間に呼びかけて、共同作業で旧約聖書の翻訳を手がけました。」ルター派は、「まことの神の言葉」としての「聖書のみ」という立場に立ちつつも、聖書は過去2000年間個人や諸派によって様々に解釈されてきたという現実があります。福音書は何世紀にもわたって多くの議論を積み重ね、書き写され編集されて今日に至っています。ルターの時代と同じく「聖書のみ」の教えを保ちつつ、聖書のことばの濫用を防ぐために教会全体が話しあいを積み重ね、知恵と工夫を凝らしてバランスを保つことがこれからの課題です。

 クーランニャ博士はアフリカの諸言語や方言に翻訳する作業について語りました。アフリカの言語が書き言葉ではなく話し言葉を基本とするため、聖書の用語にふさわしい言葉や表現を見いだすうえで技術的に課題があることを指摘しています。「もう一つの難題はアフリカが植民政策の歴史を経ているために、伝統的な言語が消えかかっていることです」。聖書翻訳者たちが直面する真剣な問いは、「(この作業を通して)私が対話するのは誰なのかということです」。

 カメルーンのルーテル教会とモロッコの福音教会の牧師でもあるクーランニャ博士は、カメルーン北部の言語、ディ語への聖書翻訳作業をしています。「御自分の民に語りかける神であるから、神は状況と文化に応じて彼らの言語で語りかけてくださるのです。」「『言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。』(ヨハネ1・14)のですから、言は私たちの言語でも語られるということです。」
「聖書翻訳は文化と言語のルネサンスをもたらします。他国からの文化のフィルターを通すことなく、人々が直接神とみことばにつながることができます。」使徒ペトロが聖霊降臨の際人々に語ったように、「聖霊の約束はあなたとあなたの子孫のためであり、聖書翻訳の作業によって神の愛のメッセージはありとあらゆる言語と文化の人々に届くのです。」

 

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから ⑪NCC東アジアの和解と平和委員会

小泉嗣(熊本教会・玉名教会牧師)

 

 日本キリスト教協議会(NCC―J)の中には、これまでこの紙面で紹介されてきたものも含め、たくさんの委員会が存在します。そしてこの委員会は大きく「宣教・奉仕部門」「神学・宣教部門」「国際部門」「総務部門」のいずれかにわけられており、「東アジアの和解と平和委員会」は「国際部門」に位置します。
 この委員会は「9条世界会議」が設立の契機となった比較的新しい委員会だったと記憶しています。国や宗教、政党を越えて「平和」のために共に集い、祈り、語るために日本において様々な宗派、団体が集められ、NCCとしてその準備に関わり、そこで組織されたのが「東アジアの和解と平和委員会」でした。そして9条世界会議終了後も、東アジアに位置する日本に生きるキリスト者として、東アジアにおけるエキュメニュカルな交流と協力を進めることを通して和解と平和の実現に寄与することを目的として活動しています。
 最近の活動としては、世界教会協議会(WCC)、アジアキリスト教協議会(CCA)に対して、また近隣アジア諸国の教会に対して、積極的に提起を行い、2019年には在日大韓基督教会と共に訪問団を結成し平壌に謝罪の巡礼を実施。2020年7月には日韓両国が和解と平和を成し遂げる本当のパートナーとなることや東アジアの平和を願い「共同の家」を建設することを目標とし発足した「日韓和解と平和プラットフォーム」に主体的に参加しています。また憲法9条や沖縄の非暴力行動、暴力と痛みの歴史の記憶、和解と共生を目指し、2018年11月には「憲法9条とキリスト教」について、2019年2月には「朝鮮学校問題」についての学習会等を開催。最近では2022年11月の「関東大震災朝鮮人虐殺に関する要請文」の提出など、国内における問題提起や啓発などに
も取り組んでいます。
 新型コロナウイルスのパンデミックによって露呈した経済グローバリズムの脆弱性の中で、改めて「手と手」を取り合い、協力し、支え合い、祈りあうことによって「平和」を目指す働きの大切さを実感しています。
 みなさまの変わらぬお祈りとお支え、連帯をお願いいたします。

西中国地区るうてる 秋の大会・2022報告

平岡博(シオン教会)

 

 2022年11月3日(木・休)その日は雲一つない晴天であった。西中国地区4教会(シオン・宇部・厚狭・下関)から約40人が宇部教会に集まり、るうてる秋の大会が開催された。実に3年ぶり、感染対策をとり午前のみの開催であった。
 合同礼拝(聖餐式)は、司式中島共生牧師、説教水原一郎牧師、奏楽阿部勝さんで行われた。聖書は詩編42編1〜12節、「枯れた谷に鹿が水を求めるように神よ、私の魂はあなたを求める」で始まる箇所であった。この3年間乾いていた私たちの魂が、主によって満たされていく瞬間を感じ、「鹿のように」の賛美歌を歌った。
 礼拝、聖餐式に引き続き、社会委員会の佐伯里英子さんから、京都府「ウトロ地区」の戦後忘れ去られた在日韓国・朝鮮人の集落のお話を伺い、その悲惨さに驚き、またそれを克服して再生された話に心動かされた。また平岡より、本日の礼拝が「ルーテル学院・神学校」を覚える礼拝であったことに深く感謝し、短くアピールさせていただいた。写真の献金箱はシオン教会大工のFさん手作りで、この度シオン教会だけではなく、西中国地区の各教会に設置されることになった。たくさんの小さな思いが、大きな支えとなりますように祈ります。
 集会が終わって、反対側の隅に座っておられるMさんに気付いた。Mさんとは実に10年ぶりの再会であった。「Mさん、平岡です。覚えちょる?」と話しかけると「当たり前だわね。私らは、あなたたち家族が宇部からおらんようになって本当に寂しかったんよ。T君元気?」と長男の名前を呼んでくださった。この時、胸に熱いものがこみ上げてくるのを抑えきれなかった。視覚障害のある彼女は、私たち家族を昨日のことのように覚えていてくれた。ああ、主は集うことをよしとされている。3年前には集うことが当たり前と思っていた私たちはそれを忘れていた。
 主が与えたもう、貴重な秋の一日を感謝します。

北海道特別教区「秋の集い」報告

太田満里子(恵み野教会)

  

 コロナ禍が収まらない中、教区としての行事を前回好評だった「春の集い」に倣って、2022年度は「秋の集い」として行いました。
 11月3日(木・休)10時30分~12時まで、参加者48名。テーマは、教区の2022年度の主題である「慈しみの主への賛美はわたしたちの希望の歌」から、教区にある信仰の仲間と共に主を賛美しようというものでした。「春の集い」同様、教会堂からはオンラインで、個人ではZoomでとハイブリットでの集いでした。全体を合同礼拝とし、新式文と讃美歌増補版を使用するという試みでした。この日を迎える為に、各教会では新式文の学びを増補版作成に携わった日笠山吉之牧師からご指導を頂き準備しました。準備の甲斐あって、当日はスムーズに行なうことができました。
 礼拝を前後半に分け、前半は小泉基教区長による説教を頂き、テーマをかみしめることができました。中間には、分かち合いの時として、1グループ4~5名に分かれ、オンラインで繋がれ、普段会うことのない他教会の方々と交わりを持つことができました。教会堂に集まった方々はその場で行いました。分かち合いの時間には、各々好きな賛美歌を持ち寄り、その理由を説明し、分かち合い、最後に各々が挙げた賛美歌を声を合わせて歌いました。多少のタイムラグはなんのその、自分たちの大きな声でなんの不都合もなく賛美することができました。初めてお会いする方とも賛美歌を共有することにより、主によって一つに結ばれているという喜びを感じました。
 分かち合いの時間の後は、再び全員での礼拝に戻り、閉会礼拝となりました。増補版の新しい賛美歌を全員で賛美できたのも喜びでした。コロナ禍で教区として、一堂に会しての集まりができない中、オンラインにより教区にある信仰の仲間と繋がれ、時間が足りないと思うほど交わりの恵みと喜びを感じる集いとなりました。

第4回神学校オープンセミナリー報告

河田優(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校チャプレン)

 

  11月13(日)、「第4回神学校オープンセミナリー」がオンラインで開催されました。教会や関連施設での献身を考えている人たちに神学校を紹介し、また参加者が互いに出会い、共に祈りあう機会をもつことを目的とします。本年度の参加者は7名でした。
 プログラムの第1部では、神学教育委員長の李明生牧師が開会礼拝で「召命」について語り、その後、互いの自己紹介がなされました。模擬講義では、旧統一教会の「原理講論」と聖書が比較され、聖書をしっかりと読む(全体を通して、深く読む)ことを学びました。
 第2部では教員や神学教育委員は外れ、JELCの森下真帆牧師とNRKの笠原光見牧師、そして神学生が加わりました。神学校での学びや牧師の働きについて質問が投げかけられ、また召命についてそれぞれの思いが交わされました。将来に向けて思いを同じくする者同士が語り合うことによって、互いに励まされ、力づけられたことでしょう。最後は神学生による閉会礼拝でプログラムを閉じました。
 これからも教会や関連施設への献身を考える者が一人でも多く与えられ、その思いが教会の思いと重なり、主の働き手として主の望まれる場所へと送り出されることを願います。

『神学校オープンセミナリーに参加して』

深町創太(箱崎教会)

 

  はじめて参加したセミナリー、2部構成のプログラムは第1部が開会礼拝に始まり、参加者紹介を経てミニ講義を受講した。今年の講義は河田先生による「聖書と統一教会原理」という内容で行われた。私たちが読んでいる聖書をどのように読み、解釈するのか?私たちもまた、自分達の都合の良いように聖書の言葉を利用してはいないか?福音とはなにか?講義を通して投げかけられているように感じた。しばらくの休憩の後、行われた第2部では神学生の方々の進行のもと、より学校生活や学びに対して重点をおいた質問や思いの分かち合いの時間を持ち、閉会礼拝を持ってプログラムを終えた。両プログラムを通して私が問われていると感じたのは「召命」である。一人のキリスト者として、そして献身について少しでも興味がある者として私はなにをすべきか、なにを求められているのか考えながら生きなければならず、また同時に私たちが考えてできる事、神様の求めだと信じて行うことも人の判断である事を忘れることなく、一切を委ねて神と人とに仕えたい。

「神学校の夕べ ─主の召しに応えて─」(オンライン)

 
 

 2023年2月26日(日)
説教:
立山忠浩神学校校長
司式補佐:神学生
ルーテル学院聖歌隊奉唱・ハンドベル演奏

 一人ひとりがキリスト者として主の召しに応える道を願い求め、皆で祈りを合わせます。
 17時からライブ配信を行います。
 視聴方法については後日ご案内いたします。

甲信地区一日神学校報告報告

野口和音(松本教会・長野教会牧師)

 

 甲信地区では毎年11月23日に甲信地区5教会が集まり、学びと交わりの時を過ごす信徒の集い「甲信地区一日神学校」を行っています。近年はコロナ禍の影響もあり、オンラインと教会に集う形でのハイブリットな開催となっています。2022年度は21名の方々にご参加いただきました。プログラムとしては信徒の求めに応じた学びの機会となるよう、甲信地区宣教協議会にて協議の上、講師の方をお招きしています。
 開会礼拝では、甲信地区担当常議員の佐藤和宏牧師の説教により、御言葉を分かち合いました。それに続き、ルーテル学院大学の教授である原島博先生より「〝生かし生かされる〟国際協力」と題した講義をしていただき、学びを深めました。ロシアとウクライナによる戦争など混乱する世界情勢の中、難民問題や国際協力のあり方を概観することから始まり、そこにある課題やルーテル教会がどのような働きを担っているのかを知ることで、新たな気づきや示唆を与えられました。講義後は甲信地区女性会の集いの時間として、今年度の担当教会である松本教会女性会から活動報告が行われました。そして最後に各教会の参加者のご紹介と近況報告を分かち合うことができました。
 長く続くコロナ禍に、甲信地区一日神学校でも以前のように集えなくなったり、出来なくなったことも多くあります。しかしそのような中でも、今できることは何か?と模索し続けていく大切さに改めて気付かされました。それは教会がこれまで続けてきた宣教の精神でもあります。「福音のためなら、わたしはどんなことでもします(一コリ9・23)」というパウロの言葉に立たされる思いです。距離は離れていようとも、各教会が互いにおぼえ、祈り、支え合いながら、これからも神様から委ねられた宣教と愛のわざに一人ひとりが仕えてまいりたいと思います。

2022年度「連帯献金」報告

  

 2022年度も多くの方々から「連帯献金」に支援を頂きました。
感謝して報告いたします。(敬称略・順不同、
複数回の献金もまとめての報告となります。)

   

■ブラジル伝道 25,000円
箱崎教会女性の会、東教区女性会

■ウクライナ人道支援 9,641,798円
大柴譲治、林雄治、タチバナサトシ、社)わかちあいプロジェクト基金、松本義宣、宮澤重徳・アマリア・輝雄、久留米教会、オオタキナオト、シンタニミサエ岸根義尚、ホソミサチコ・ノリカ、久保陽司、長谷義隆、イシモリトシユキ、藤本誠、神山伸夫、八幡真・潔子、白浜恵美子、鴨下和子、白浜真実、カワハシアイ、河野文豊・悦子、川﨑昌弘、松浦雪子、石川惠子、特別養護老人ホームディアコニア、竹内輝、江﨑啓子、丸山瑞穂、阿久根教会、犬塚協太、梅村亜恵、宮武晴昭、鈴木浩之、金田貴子、木原伊都子、岡田光穂、フジタヤスヒロ、四戸大地・二予、石井千賀子、名倉マミ、木邨仁代、西田一郎、西沢喜代美、望月隆延、本田裕子、連下千歳、佐藤昌代、雪ケ谷教会、谷口和恵、尾﨑瑞穂、小鞠須美代、伊藤美代子、佐藤義夫・福子、齋藤忠碩・惠、飯田教会、長谷川勝義、柳基相、斎藤覚・惠、森由美子、大森教会、シオン教会柳井礼拝所、岡林光志、岩田茂子、恵泉幼稚園、大牟田教会、坪本告子、近藤義之、小松康宏、オカオサム、山口和春、山中さなえ、平山新、福岡西教会、小田原教会、博多教会、穐山美也子、武村協、健軍教会灰の水曜日礼拝、鴫村真紀子、渡邉幸子、杉山準規、杉山雅子、曽武川栄一、大林惠子、秋吉亮・英理子、熊本教会有志、倉田亜紀、マツムラノリコ、日田教会、コグレマユミ、京都教会、岡崎教会、若林宏子、函館教会、小城ルーテルこども園、上原和子、川口恭子、知多教会、小林勝、佐藤紘一郎・重子、シオン教会徳山礼拝所・防府礼拝所・歌声、なごや希望教会、大江教会、南谷なほみ、杉山文隆、箕輪久子、小石川教会、唐津ルーテルこども園、玉名教会、平林洋子、市ヶ谷教会壮年会、稔台教会、ホウシマヤキヨコ、盛田義彦、竹川直子、アダチトモコ、太田泰子、聖パウロ教会教会学校、田園調布教会、松田繫雄、佐賀教会・小城教会・唐津教会、加藤俊輔・文代、保谷教会、牛津ルーテルこども園、珍部千鳥、日田ルーテルこども園、山之内正俊、西条教会、大野裕子、大野一郎、名古屋めぐみ教会、市吉伸行、土師智美、むさしの教会、HAGIWARA NOBUHISA、浜名教会、長崎教会、小倉教会・直方教会、千葉教会、北九州地区婦人会、藤田光江、大岡山教会、磯田一雄、恵み野教会、室園教会、甘木教会、松本佳子、東京教会、別府教会、浜松教会、小鹿教会、湯河原教会、藤が丘教会、高蔵寺教会、石田宏美、岐阜教会、安恒輝子、荒尾教会、大岡山教会教会学校、八幡教会、原口恵子、箱崎教会、沼津教会、神水教会、市ヶ谷教会、髙津和子、諏訪教会、東京池袋教会、松橋教会、岩永知樹チェロコンサート、札幌教会、大垣教会、聖ペテロ教会、厚狭教会、松江教会、大分教会、大林由紀、静岡教会、羽村教会、津田沼教会、神戸教会、甲府教会、村松良夫、大黒環、修学院教会、復活教会、聖パウロ教会、大阪教会、都南教会、神戸東教会、帯広教会、賀茂川教会、熊本教会、宇部教会、下関教会、板橋教会、豊中教会、日吉教会、宮崎教会、天王寺教会、蒲田教会、八王子教会、角丸智美、西宮教会、三鷹教会、岡山教会、三原教会、栄光教会、結縁美都子、市川教会、横浜教会、小岩教会、湯河原教会女性会、松本教会、金城学院ハープアンサンブル部(復活教会)、復活教会コンサート席上献金、島崎幸恵、高蔵寺教会教会学校、安藤淑子、東教区宗教改革祈念礼拝、福岡市民クリスマス実行委員会、小岩ルーテル保育園、高蔵寺教会るうてるフェスタ、高蔵寺教会CSクリスマス、蒲田ルーテル幼稚園

釜ヶ崎活動(喜望の家) 50,000円
市ヶ谷教会

世界宣教(無指定) 282,044円
シオン教会柳井礼拝所、神水教会、スズキヘイワ、出口洋子、博多教会、松本教会、湯河原教会、箱崎教会(らぶぴコンサート席上献金)、都留敬子、河村益代、千葉教会、めばえ幼稚園、大垣教会

 今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓に苦しむ方々に連帯したいと祈り願います。「連帯献金」をお捧げくださる際には、それぞれの献金目的[ブラジル伝道][メコンミッション][災害被災者支援][ウクライナ人道支援][釜ヶ崎活動(喜望の家)][世界宣教]を郵便振替用紙に明記頂き、下記の郵便振替口座にご送金ください。
郵便振替 00190−7−71734
加入者名 (宗)日本福音ルーテル教会

23-01-01るうてる2023年01月号

機関紙PDF

「みことばは、私の道の光です」

日本福音ルーテルむさしの教会・八王子教会牧師 浅野直樹Jr.

「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯」

(詩編119編105節)

  私がこのみ言葉と最初に出会ったのは十代の頃、新改訳聖書ででした。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。一目で気に入りました。
 恥ずかしながら、私は暗闇が怖いのです。それは、少年の頃の原体験にもよるのでしょう。私が住んでいたところは、村内に信号機が一つしかないような、いわゆる「ど田舎」でした。当然、街灯も少なく、夜は真っ暗です。小学生の頃、少し離れた小さな町の剣道教室に通っていたことがありました。帰りは日が暮れ、一人バスに乗って帰りました。同じバス停で降りる人はいません。たった一人で、暗い道を家まで歩いていかなければなりません。重い防具を背負って。当時は、数十メートルおきにしか街灯はありませんでした。街灯と街灯の間は真っ暗。おまけに、途中にはお墓までありました。そんな怖さを紛らわすために少しばかり声を大きくして歌を歌いながら、街灯から街灯へと猛ダッシュを繰り返したものです。さすがに家の側まで来ると明るかったので、それがどれほどの安心感を与えたことか。そんな経験があるせいか、「光」という言葉に惹かれるのかもしれません。
 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。このみ言葉は、単にお気に入りだけでなく、私を支える言葉となりました。しかし、本当にその通りだったのでしょうか。少年時代、青年時代、壮年時代、人間関係においても、家族関係においても、仕事においても、また自分自身とにおいても、辛くて、悲しくて、苦しい、暗闇の中にいるとしか思えないような出来事が度々あった。そんな時、本当に暗闇を照らす光となってくれていたのか。むしろ、祈っても叫んでも答えられずに、神さまは本当におられるのか、と意気消沈してしまっていたのではなかったか。本当にそんな時に、み言葉が助けに、力になっていたのだろうか。そうも思うからです。
 確かに、そうです。私自身、そんな体験を積み重ねてきました。しかし、それでも、やはりみ言葉は、「私の足のともしび、私の道の光」だったと思うのです。それは、み言葉の一言一句とは限らなかったのかもしれません。細々と積み重ねて内実化されたみ言葉のエッセンスと言えるのかもしれません。しかし、いずれにしても、それらが私たちの重要な、決定的な決断を導き最悪の状態を回避したり、自分だけでは見出すことができなかった気付きを与えてくれたり、予想だにしなかった未来を掴むことができたり、諦めずに希望を見出すことが出来たのではなかったか。いちいち、あのみ言葉が、このみ言葉が、と意識することはなかったかも知れませんが、確かにみ言葉が私たちの内に働いて、私たちを守り、支え、慰め、力づけ、導いてくれていたのではなかったか。その結果として、今の私たちがいる(在る)のではないか。そう思うのです。
 脅すつもりはありませんが、今年も何が起こるか分かりません。戦後日本は比較的平穏な中を歩んで来ることが出来たと思いますが、国内においても、また世界においても、経済格差の問題、安全保障の問題、気候変動の問題など、喫緊の課題が溢れています。私たちも一市民として、自分達に出来ることで励んでいく必要があるでしょう。しかし、その前に原点を確認したいと思うのです。古くて新しい原点を。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。こんなことがおとぎ話のように思えるような時代だからこそ、その力に、確かさに、立ち返りたいと思う。そして、宣教によって、この経験を私たちだけのものとするのではなくて、より多くの人々の経験となっていけるように励みたいと思っています。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉞「包まれて」

「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし/我々を打たれたが、傷を包んでくださる。」(ホセア6・1)

 「あれ、もうこんな季節か。」花の香りが運ばれてくる。
 他の部屋に行く。ふわぁーっと花の香りがいっぱいだ。窓も開けていないのにどこから入ってきたんだろう。
 ふっと、イエス様の香りってこのようなものなのかなと思うと同時に、このような話を思い出しました。「光をプラスチックや鉄板でぴっちり塞ぐと光は全く周りに漏れないかもしれないけど、光を手で囲むと、どんなにぴっちり囲もうとしても光が漏れるように、私たちが完璧ではないところからもイエス様の光が周りに漏れているんだよ。」と言う言葉でした。
 イエス様の香りって光でもあるのかなぁって、ぼーっと考えてました。
 私はうまく上が向けないので、木のように上で花が咲いているのかいないのかをうまく目では確認できませんが、その花の香りがしたり、土の上に広がってる花びらを見て、「あっあの花が咲く季節が来たんだな」って思います。
 私が働かせていただいていた施設には《匂いの散歩道》と言う道があり、目で確認できない方々でも季節がわかるように、季節ごとに咲く花の匂いがする木々が植えてあり、私はその道を車椅子をこぎながらゆっくり散歩するのが好きでした。
 私たちはイエス様の香りの中にいます。だからいつでも光や愛を感じることができます。

議長室から 大柴譲治

我ここに立つ〜Sola Scriptura

「静まれ、私こそが神であると知れ。」(詩編46・11)

 新年おめでとうございます。主の新しい年が始まりました。天よりの祝福を祈りつつ、ご挨拶させていただきます。
 新年に示された聖句は表記のみ言です。英語で言えば〝Be still, and know that I am God.〟(46・10、RSV)〝still〟とは動きのない制止状態、静寂の状態を指しています。嵐の中でも舟で安らっておられた主の姿を想起します(マタイ8・24)。そこには父と子との完全な信頼関係がありました。
 詩編46編はこう始まります。「神は我らの逃れ場、我らの力。/苦難の時の傍らの助け。/それゆえ私たちは恐れない。/地が揺らぎ/山々が崩れ落ち、海の中に移るとも。/その水が騷ぎ、沸き返り/その高ぶる様に山々が震えるとも。」(1〜4節)疫病や戦争、天変地異の中にあっても私たちはどこまでも神のみ言に依り頼みます。聖書は告げます。「草は枯れ、花はしぼむ。しかし、私たちの神の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ40・8)。主も言われます。「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」(マタイ24・35)。
 ルター作曲の「ちからなる神はわが強きやぐら」(教会讃美歌450番)は詩編46編に基づいています。その2節には詩編には出てこない主の名が刻まれています。「いかで頼むべきわが弱きちから。我を勝たしむる強きささえあり。そはたれぞや。我らのため戦いたもう、イエス・キリスト、万軍の主なる神」。これはルター自身の信仰告白でした。生ける「神の言」である主が片時も離れずに自分と共にいてくださる。そのような主の現臨がルターを捉えて放さなかったのです。
 この新しい年はどのような年となるでしょうか。先は見通せません。しかしどのような一年となるとしても私たちは知っています、主が共にいますことを。主のみ言と主との信頼関係はとこしえに揺らぐことはありません。イエスが十字架上で「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれた時にも、父と子の信頼関係は揺らぐことがありませんでした(マタイ27・46)。だからこそ私たちは静まって主こそ神であることを知ることができる。真実の信仰に生きる者は強い。困難に打ち倒されても神のみ言によって繰り返し再起してゆくことができる。パウロと共にこう告白したいのです。「私たちは、四方から苦難を受けても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、迫害されても見捨てられず、倒されても滅びません」(2コリント4・8〜9)。在主。
※文中の聖句は全て聖書協会共同訳より引用。

「教会讃美歌 増補」 解説

㉛増補13番「新しい歌を」・増補14番「おろかものは言う」

増補13番「新しい歌を」

 1523年8月、ルターの元に、アントワープのアウグスティヌス隠修修道会士2人が、宗教改革に共鳴したかどでブリュッセルで異端として火刑に処せられたとのニュースが入りました。彼の出身修道会の兄弟が、宗教改革の信仰告白の故に殉教した出来事を直ちにバラード(物語詩)にし、恐らく自分で作曲したのがこの歌です。最初は10節だった歌詞は、後に2節が追加され(増補版9、10節)、計12節の「殉教バラード」となりました。
 1529年出版のルター編による賛美歌集では、カテキズム(教理)歌群の結びに置かれました。つまり、カテキズム賛美歌が歌う信仰告白を貫くことは、殉教をも辞さないということになる、という決意表明だということなのです。
 この歌は、結びの部分(1節の最後「神の賜物」)が2種類の旋律で歌われていて、ここで採用した旋律で1~11まで歌い、もう一つの方で最終節を歌ったと推測されています。この歌集では、ルターが最後に監修した「バプスト賛美歌集」(1545年)の旋律を採用しました。会衆歌ではなくバラードだとして、現在の歌集には納められなくなっていますが、厳しい宗教改革時代の肉声が込められていて興味深い内容です。

増補14番「おろかものは言う」

 ルターによる、詩編14編に基づくパラフレーズ(聖書の言葉を自由に置き換え、内容を展開したもの)で、成立は1523年の終り頃です。1523/4年のニュルンベルクで出た歌集「八曲集」に載りましたが、別の旋律で歌われたようです。1524年の「エルフルト・エンキリディオン」では、「教会讃美歌」141番の旋律で掲載されました(それでも歌えます!)。同じく1524年のヨハン・ヴァルターの「合唱賛美歌集」では、彼の作曲によるこの増補版の旋律で掲載され、その後、この曲で歌われるようになりました。また、この増補版12番「喜べ教会よ」の旋律で歌われたとの記録もあり(そちらでも歌えます!)、ただ神にのみ従い、悔い改めと義認の信仰の歌うこの詩編歌は、よく歌われたものだと思われます。
 前述のように、賛美歌は、当時は様々な旋律で歌われるのが一般的でしたので、私たちもそれらの別の旋律で歌ってみるのも一興かと思います。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

COP27・タラノア宗教者対話

 「私たちの責務は信仰に基づいています。」ルーテル世界連盟(LWF)加盟教会のリバープレート福音教会のロマリオ・ドーマン氏は言います。「神が創造した世界の管理人である私たちは、オーナーではなくお世話係なのです。」COP27開催の前夜に開かれたタラノア宗教者間対話のパネルでドーマン氏はLWFを代表してそのように語りました。
 タラノア対話とはフィジーの先住民による問題解決法のこと。COP23でフィジーが議長国となった際に、課題に取り組む方法として採用されました。私たちはどこにいるか、どこに行きたいのか、どうやってそこへ行くのかといった問いを参加者たちに投げかけて共同作業を行います。COP27前夜もこの手法を用いて数々の宗教代表者たちが集まり、自由に意見を述べ合うことができました。
「危機に瀕している今はパスポートとか年齢といった普段のくくり方は意味をなしません。大切なことは最も影響を受けやすい人々、つまり最も苦しんでいる人の側に立つことです。」とドーマン氏。
 COP27の開催地エジプトのシャルム・エル・シェイクにあるコプト正教会、ヘブンリ・カテドラル教会の修道士アンドロエス・サミルさんは「アフリカのCOPへようこそ」と歓迎し、「COP27で人類と地球全体のための解決策を見つけることが願いです」と述べました。
 気候行動ネットワーク(ACN)のハジト・シン氏は、気候正義と気候ファイナンスを関連付けることを強調しました。「経済的に豊かな国は気候ファイナンスのためのシェア分を公平に負担しておらず、温室効果ガスの削減が十分にできていないところに問題があります。」
 全アフリカ教会協議会(AACC)と気候変動のためのアフリカ信仰者ネットワーク代表のティベブ氏は、信仰者の行動が気候正義の呼びかけに重要な役割を果たすべきと訴えます。「草の根レベルにいる私たちには、地球全体で温室効果ガスを削減することが死活問題なのです。信仰者間あるいはコミュニティレベルで力を合わせれば変えられます。」
「気候変動をどこまで抑えられるかは、私たち自身がどれだけ変わることができるかです」とブラマ・クマリス代表のモーリーン・グッドマン氏。「霊的なエネルギーがパワーと回復力の源であり、将来はその力が益々必要となります。」また暴力と支配の連鎖を奉仕と尊敬へと切り替え変えるべきだと、非暴力の重要性を訴えました。
「信仰者である私たちは、経済や政治の力をもつ人と関わっていくべき大きな責任があります。」カリミ・キノティ氏(クリスチャンエイド)。彼女はまたタラノア対話が「主流では聞きにくい声を集める場になる」と言います。
 オーストラリア先住民の聖職者レイモンド・ミニエコン氏は、自分たちの民族の先祖の知恵に言及して言いました。「適応、緩和、実施、これを私たちはやってきました。もう一度やりたいです、母なる大地のために」。
 パネルトークのあと出席者たちは対面とオンラインによる分科会で話し合いをしました。タラノア対話では最後に、異なる信仰者たちが互いに祈りあい、歌を歌い、各伝統に従って振り返りをしました。LWFのチャド・リマー牧師は箴言8章を引用して、「地球の生命を造りそれを支える知恵、これこそ私たちが探し求めている知恵です。この知恵はあらゆる信仰者が平等で平和な未来へ希望をもって共に旅をすることを呼びかけています。」

 

(COP27は11月6日から18日にかけてエジプトのシャルム・エル・シェイクで行われました。LWFは気候変動対策活動を重要な取り組み課題ととらえ、あらゆるレベルでアドボカシー活動を続けています。COP27ではLWFのユースが活躍しました。)

 

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから ⑩NCC「障害者」と教会問題委員会

小勝奈保子(聖パウロ教会牧師)

 

 日本キリスト教協議会(NCC)「障害者」と教会問題委員会の主催による「障がい者週間」の集い(Zoom)が、11月19日にあり、日高馨輔委員長(日本聖公会退職執事)による〈「障がい者週間」の祈り〉をもって始められました。
「神さま、私達みながイエス・キリストの体である教会の交わりに共に招かれていることを感謝致します。あなたから計り知れない命の恵みを与えられながら、差別し合ったり、偏見をもって互いを受け入れることができずにいます。権力や武力などの強さに頼り、経済優先の考え方によって人間の価値を決める社会や教育、偏見やゆがんだ習慣を作りだしてしまっている罪をお赦しください。どうか私達があなたのみ言葉に従い、声なき声にも真に耳を傾け、互いに聴き合い、差別のない社会を作り出してゆくことができますように。知恵と勇気と信仰をお与えください。ことに『障がい』を負う人々と共にイエス・キリストの和解と平和の福音を伝え、全ての人々が生きる喜びを見出すことのできる社会を作って行くことができますように。私達の主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。」
 第1部は、吉岡卓さんのお話です(障がいを負う人々・子どもたちと共に歩むネットワーク副代表)。吉岡さんは、先天性の身体障がいをお持ちで、日本ルーテル神学校に在籍されていたこともありましたが、30代後半に複雑性PTSDを発症されました。今までの苦闘と葛藤についてお話くださいました。10代の頃のお話でしたが、普通学級から養護学校へ行くようになった時に、通学バスに乗ることが恥ずかしくて、窓から身を隠してしまう自分に気づき、自分の中にも障がい者に対する差別意識があるということに大変悩まれたそうです。差別されるのは嫌だし、差別はいけないとは分かっていても、自分の中にも、人を差別してしまう気持ちがある、この人間の内にある二面性は拭えず、生涯持ち続けながら人間は生きるものではないか、というお話でした。
 確かに、私の内にもそのような二面性があります。そして、人と自分とを比べて劣等感や優越感、私たちは様々な感情を心に抱きます。自分の内に潜む差別や偏見を知ることはとても大切なことですが、それと共に、その自分を包んで癒し、新しい人へ創り変える救い主を私たちは共に必要としています。

社会委員会・京都府宇治市ウトロ地区フィールドワーク報告

高田敏尚(修学院教会)

 

 社会委員会が10月11日に行った報告です。これまで、オンライン(Zoom)での会議が続いていましたが、やっと対面でそれも野外で行うことができました。この成果をみなさんにお伝えしたいと思います。
 ウトロ、奇妙に思える地名ですが、ここは戦前、京都飛行場を作るために集められた在日韓国・朝鮮人の集落です。戦後、何の支援もない中、自ら生活基盤を整えながらの居住が続きました。しかし80年代末、新たな地権者から立ち退きを請求されることとなりました。この地に住み続けることを求める住民達は、裁判をおこし、30年にわたる取り組みの結果として引き続き住むことを認められました。その間に、日本の市民や韓国政府からの大きな支援がありました。この記録を残し、未来につなげるために建てられたのが「ウトロ平和祈念館」です。ここには、資料や当時の暮らしを再現した展示などがあり、副館長の金秀煥さんに説明していただきました。
 みなさんは覚えておられますか。このウトロで2021年の8月に放火事件があったことを。「韓国人に悪い感情をもっている」と主張する若者が火をつけました。この記念館のそばにその焼け跡は今も痛々しく残っています。最悪のヘイトクライムといえるでしょう。「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。」(2コリント5・18)このことが実現する未来を祈念するばかりです。
 京都、近鉄奈良線の伊勢田駅から西へ徒歩10分、機会があればぜひ訪れてください。ウトロという地名の由来もわかります。今回のフィールドワークは、社会委員全員と、先日の入管法問題学習会で講師をしていただいた佐藤信行さん(在日韓国人問題研究所)をはじめ総勢11人で行いました。ルーテル教会で、そして教派を超えて、自分と異なる他者への関心を深めていきたいものです。

東教区宗教改革日合同礼拝報告

佐藤和宏(藤が丘教会牧師・東教区伝道奉仕部長)

  

 10月31日、3年ぶりに、市ヶ谷教会に集まっての礼拝となりました。会衆は73名。以前と同じような人数というわけにはいきませんでしたが、「集まる」ことの大切さとその喜びを改めて感謝する機会となりました。
 第1部の礼拝において、新式文を用い、すべて唱える形で進められました。また今回の礼拝では聖餐式を断念いたしました。説教者には、日本ルーテル教団副議長の梁熙梅牧師(鵠沼めぐみルーテル教会)をお迎えしました。「光は闇の中に」と題して、マタイによる福音書からみ言葉が語られました。ご自身の体験談には会場から思わず笑いが起こるなど、温かいお人柄が見てとれました。司式者には、今夏副教区長に選出された、内藤文子牧師(小岩教会)、神学生も在京している3名が、奉仕してくださいました。思うように活動が出来なかった東教区聖歌隊も、一般募集に応えた方々を加えての賛美は迫力あるものでした。この他にも、たくさんの方々の奉仕と祈りに支えられて、無事に終えることができました。
 第2部は、教区長(松岡俊一郎牧師)の挨拶に続いて、礼拝献金の授与が恒例になっています。この日の献金は「ルーテル学院大学・神学校」と「連帯献金(ウクライナ支援)」に二分され、それぞれに授与されました。石居基夫学長と立山忠浩校長、滝田浩之事務局長が受け取り、それぞれ挨拶をされました。その際、3名の神学生にも前に出て、自己紹介をしてもらいました。コロナ禍にあって、神学生に会う機会もないまま過ごしてきましたから、実際に会い、声を聞くことの中に、喜びを見出しました。
 すべて終了した後は、再会を喜び合う輪が、爆発したようにあちらこちらに出来、誰もがその場を去り難い思いを抱いているようにみえました。初めから終わりまで、集まることの喜びが詰まった時間を過ごしました。

第28期第20回常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 

 11月14日(月)に開催された標記の件、ご報告いたします。

(1)第29回・30回
  定期総会の件
 第29回・第30回定期総会の同日程での開催については、2023年5月3〜5日(水〜金)に宣教百年記念東京会堂(東京教会)で対面にて開催することを確認しました。もちろん今後、COVID-19感染拡大の中でウイルスの強毒化等、不測の事態があれば再延期もあり得ますが、現段階では参集しての開催を準備していくことになります。なお新選挙システムの導入により技術的には1泊2日の開催は不可能ではないものの、5年ぶりの参集での開催であり、COVID-19下での宣教の苦悩を分かち合い、十分にフロアーからのご意見を頂くために2泊3日での開催としました。また日本同盟基督教団の大杉至牧師よりハラスメントについてのご講演を頂く予定です。総会負担金につきましては、すでに2020年に徴収済みとなっています。
(2)第31回
  定期総会の件
 来年に第29回・30回定期総会が開催された場合、第31回定期総会については2023年の2年後となる2025年の開催とすることを来年の定期総会において第4号議案として提案することを確認しました。教憲・教規において定期総会は2年に1度開催するとなっていることを鑑み、来年の総会を基点としてこれまで延期を繰り返してきた総会開催について正常化をはかるためです。また常議員の任期にあわせて2024年に連続して開催するという考え方もありますが、個々の教会の負担になること、また総会の正常化に合わせて、ここで新たな任期から始まる執行部を選出することが肝要と判断しての提案となります。この議案を議長報告の前に行うことによって、これが総会において承認された場合、現議長、副議長、事務局長については3期を超えて同一役職についてはならない(日本福音ルーテル教会規則第50条)に従い任期満了となります。よって議長報告の後に行われる総会選出常議員選挙では、それぞれ同一役職については被選挙権を持たないことを確認しているところです。

(3)協力金、教職給の件
 来年の協力金については現行8%としているところを10%に戻すのではなく9%とすることを確認しました。感染拡大の状況の中に引き続き個々の教会が置かれていること、同時に教会活動も様々な工夫の中で進められていることを加味しての判断となりました。教区活動、本教会活動については引き続き財政均衡を睨みながら運営されていくことになります。ご理解をお願い申し上げます。
 教職給につきましては18年間ベースアップが行われていないこと、昨今の急激なインフレを加味して0・5%のベースアップとすることを確認しました。この18年間で社会保険関係の支払いは増加し可処分所得が減少しています。月30万円の俸給の方で定期昇給を除いて月1500円、年2万5千円の昇給となります。教職給は生活給であることをご理解頂き、個々の教会のご協力をお願い申し上げます。
 以上、詳しくは常議員会議事録にて確認をお願い申し上げます。

熊本地区宗教改革合同礼拝報告

安井宣生(熊本地区宣教会議議長担当教会・健軍教会牧師)

  

 10月30日(日)、建築から98年となる、登録有形文化財でもある九州学院のブラウン記念礼拝堂にて、熊本地区宗教改革合同礼拝が行われました。熊本地区では県内の12教会をはじめ、学校と社会福祉、幼保こども園などの事業に取り組む関係8法人が協働して神の宣教の働きを担っています。このつながりを熊本地区宣教会議と呼び、年ごとに合同礼拝、講演会、音楽会などの集会を実施し、祈りと交わりを強められてきました。新型コロナ感染症の拡大以来、集まることを断念してきたこともあり、この度、久しぶりに顔を合わせる機会ともなりました。

 礼拝は、礼拝堂に響き渡る鐘の音に導かれて始まり、美しい旋律の新式文クラブを用いて、森田哲史牧師と安達均宣教師の司式により進められました。説教は永吉穂高牧師(ルーテル学院中高チャプレン)により「神のイメージ」とのテーマで語られました。宗教改革運動となったマルティン・ルターの取り組みはイエス・キリストに貼られたレッテルを剥がし、十字架を担われたその姿と生き方を通して、聖書の言葉を味わい直すことであると学びました。また、誰もが近寄りたくないと考えてしまうところへ赴き、すべてを許すために命をかけたキリストの覚悟と愛に支えられること、そしてキリストに従う者とされることへの感謝の祈りに導かれました。
 大勢での賛美と聖餐の分かちあいも合わせて、参加者は神の恵みに力づけられ、そしてまたこの地から始められた神学校の働きを応援する思いを表明し、再び打ち鳴らされた鐘の音に背中を押されて、それぞれの場へと派遣されていきました。礼拝堂を後にする皆さんのにこやかな表情はとても印象的でした。学校チャプレンである永吉牧師の顔をあしらったポスターは、学校はもちろんのこと、人の往来の多い商業地にある教会の掲示板でも注目され、撮影されたとの報告もありましたが、180名の参加者の中には関係学校の多くの生徒さんたちが礼拝に共に集ってくださったことも、嬉しいことでした。

2023年度 日本福音ルーテル教会 会議日程予定

公告

  

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2023年1月15日
宗教法人日本福音ルーテル教会
代表役員 大柴譲治

信徒利害関係人 各位

横浜 土地建物
売却の件

(ア)横浜 土地
所在地
 横浜市神奈川区
松ヶ丘
所有者
 日本福音ルーテル教会
地番 8番4及び
8番5
地目 宅地
地積
 8番4 248・42㎡
 8番5 797・88㎡

(イ)横浜 建物
所在地
 横浜市神奈川区
 松ヶ丘
所有者
 日本福音ルーテル教会
種類 会堂
構造 木造
 スレート葺平家建
床面積 154・21㎡
種類 教職舎
構造 木造
 スレート葺平家建
床面積 76・03㎡
理由 売却のため

23-01-01みことばは、私の道の光です

「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。」
(詩編119編105節)

 私がこのみ言葉と最初に出会ったのは十代の頃、新改訳聖書ででした。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。一目で気に入りました。
 恥ずかしながら、私は暗闇が怖いのです。それは、少年の頃の原体験にもよるのでしょう。私が住んでいたところは、村内に信号機が一つしかないような、いわゆる「ど田舎」でした。当然、街灯も少なく、夜は真っ暗です。小学生の頃、少し離れた小さな町の剣道教室に通っていたことがありました。帰りは日が暮れ、一人バスに乗って帰りました。同じバス停で降りる人はいません。たった一人で、暗い道を家まで歩いていかなければなりません。重い防具を背負って。当時は、数十メートルおきにしか街灯はありませんでした。街灯と街灯の間は真っ暗。おまけに、途中にはお墓までありました。そんな怖さを紛らわすために少しばかり声を大きくして歌を歌いながら、街灯から街灯へと猛ダッシュを繰り返したものです。さすがに家の側まで来ると明るかったので、それがどれほどの安心感を与えたことか。そんな経験があるせいか、「光」という言葉に惹かれるのかもしれません。
 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。このみ言葉は、単にお気に入りだけでなく、私を支える言葉となりました。しかし、本当にその通りだったのでしょうか。少年時代、青年時代、壮年時代、人間関係においても、家族関係においても、仕事においても、また自分自身とにおいても、辛くて、悲しくて、苦しい、暗闇の中にいるとしか思えないような出来事が度々あった。そんな時、本当に暗闇を照らす光となってくれていたのか。むしろ、祈っても叫んでも答えられずに、神さまは本当におられるのか、と意気消沈してしまっていたのではなかったか。本当にそんな時に、み言葉が助けに、力になっていたのだろうか。そうも思うからです。
 確かに、そうです。私自身、そんな体験を積み重ねてきました。しかし、それでも、やはりみ言葉は、「私の足のともしび、私の道の光」だったと思うのです。それは、み言葉の一言一句とは限らなかったのかもしれません。細々と積み重ねて内実化されたみ言葉のエッセンスと言えるのかもしれません。しかし、いずれにしても、それらが私たちの重要な、決定的な決断を導き最悪の状態を回避したり、自分だけでは見出すことができなかった気付きを与えてくれたり、予想だにしなかった未来を掴むことができたり、諦めずに希望を見出すことが出来たのではなかったか。いちいち、あのみ言葉が、このみ言葉が、と意識することはなかったかも知れませんが、確かにみ言葉が私たちの内に働いて、私たちを守り、支え、慰め、力づけ、導いてくれていたのではなかったか。その結果として、今の私たちがいる(在る)のではないか。そう思うのです。
 脅すつもりはありませんが、今年も何が起こるか分かりません。戦後日本は比較的平穏な中を歩んで来ることが出来たと思いますが、国内においても、また世界においても、経済格差の問題、安全保障の問題、気候変動の問題など、喫緊の課題が溢れています。私たちも一市民として、自分達に出来ることで励んでいく必要があるでしょう。しかし、その前に原点を確認したいと思うのです。古くて新しい原点を。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。こんなことがおとぎ話のように思えるような時代だからこそ、その力に、確かさに、立ち返りたいと思う。そして、宣教によって、この経験を私たちだけのものとするのではなくて、より多くの人々の経験となっていけるように励みたいと思っています。

22-12-01るうてる2022年12月号

機関紙PDF

「神の業に招かれる」

日本福音ルーテル帯広教会 牧師 岡田薫

「天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、
神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。
不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」

(ルカによる福音書1章35~37節)

 信仰という恵みを与えられていると自覚している私は、日々神への愛と信頼をもって誠実に生き生きと過ごしたいと願いつつも実は全くそうではないと思い知らされることが多々あります。ときには「私には荷が重すぎます」と職務を投げ出して逃げ出したくなることもあれば、疑いや迷いをぬぐい切れず、ふて寝して、翌日には奇跡が起きていることを願っても、相変わらず厳しい現実を前に深いため息から一日を始めることもあります。もしかしたら、この文章を読んでくださっているあなたも、思いがけないトラブル、痛ましい現実、信じたくないような悪意、自分の力ではどうにもならない状況を前にして立ちすくんだという経験をお持ちかもしれませんね。
 マリアが聞いた「おめでとう。」の言葉も途方もなく重たいことばであったと思います。にもかかわらず、彼女は自分の身に起きたことを引き受け、人生を神の働きに委ねていくようになりました。そこには「主があなたと共におられる。」(ルカ1・28)という約束や「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。」(ルカ1・36)という御言葉の力があったと思います。神の業に巻き込まれたのが自分だけではないという情報は、マリアにとって心の内をわかちあう他者がいるという安堵となったに違いありません。そして、エリサベトを訪ねてしばらく共に過ごした時間は彼女たちにとって豊かなものであったでしょう。
 世界的なパンデミックが私たちの日常を激変させ、気候変動による大規模な災害が各地で起こり、軍事暴力がはびこる中、福音を語る、福音を生きるということの難しさをひしひしと感じています。そのような中で、一つの祈り会に招かれました。きっかけは「親しい友人やその家族のために祈って欲しい」という個人的な呼びかけ。それまで、ミャンマーという国についての知識も関心もほぼ皆無でしたが、2021年2月1日の軍事クーデータ以降、毎週金曜日にオンラインで行われている祈り会に参加するようになって、かの国で起きている暴力が私たちの生活と地続きであることを知らされました。
 祈り会から生まれたアトゥトゥミャンマー(ミャンマーと共に)支援という小さな支援団体では、ミャンマー本国の支援と共に日本で生活されているミャンマーにルーツを持つ方々とも連帯しています。奉仕や運営に携わっている仲間たちに感謝しながら、祈り会でわかちあわれるそれぞれの思いに自分の思いを重ねます。リアルタイムでわかちあわれる情報の中には目を背けたくなるものも少なくありません。それでも嘆きや悲しみを持ち寄り、呻きと沈黙に押しつぶされそうになっても、神は、どのようなときにも人の呻きや、呟きに耳を傾け、心を向けてくださっていると信じて祈り続けることで、今日を生き抜く力を得るような思いでいます。
 神の御子は、弱く、もろく、不安定な存在として、この世界にお生まれになりました。マリアも、嬰児として生まれ、その身を人の手に委ねられた幼子の重み、ぬくもりを通して、神の業の担い手として招かれたことを感じたことでしょう。現代は、当時とはまた違った苦しみと悩みが世界を覆っています。そのような中にあって、私たちはクリスマスをどのように待ち望んでいるのでしょうか。キリストの誕生は、私たちに神の約束が必ず成就するということを教えてくれる出来事です。そして、神が御心を顕されるときに、私たちを求め、働きの中に招いてくださっているということも教えてくれています。だからこそ、自信がなくとも、しんどくても、辛くても、福音を語る、福音に生かされる幸いを伝える務めに踏みとどまりたいのです。《神にできないことは何一つない。》という御言葉に立ち、すべてをご存知の方が、命と希望へと私たちを押し出てくださることを信じて。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉝「聴く」

「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。/悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。/柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。/義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。/憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。/心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。/平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。/義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。」(マタイ 5・3〜10)

 「あなたの聖書朗読からあなたの信仰が聴こえるわ」と今回あげた聖句をお読みした時言われました。丁度言葉のスピードが遅くなり、また病気が進行したのかと心配していた時でした。また故人の好きだった聖句としても上に書いた聖句を葬儀の時読みました。
 私は神学生の時に聖書朗読の指導を受けました。その時に「礼拝で聖書が読めることは幸せよ。その時その時に与えられた神様からのみ言をあなたを通して会衆が聴くのですから。」その言葉を聞いて神学生の奉仕だからうまくすべきと思いガチガチだった私の思いは変えられ、与えられている奉仕として用いられていることを知り、神様がいつも一緒にみ言を運んで下さることに気づくことができました。一人ではありません。いつも神様が一緒です。ただ一緒なのではなくあなたをお用い下さいます。聖書朗読の時だけではなくいつも神様は一緒です。

議長室から 大柴譲治

「天使の取り分  Angels’ Share」

「すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。/『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ』」(ルカ2・13〜14)。

 クリスマスが近づくと天使に思いを馳せることが多くなります。ある方が教えてくださったユッタ・バウアーの『いつも だれかが…』という素敵な絵本があります(上田真而子訳、徳間書店2002)。その扉の裏にはこうありました。「うれしいときもかなしいときもいつもだれかがそばにいた。あぶないときにはたすけてくれた…。幸運だった一生をふりかえる祖父と、その話に耳をかたむける孫と、ふたりを『見守る存在』とを描いて、ヨーロッパを感動の渦にまきこんだ話題の絵本」。見えない天使が私たちを守ってくれているのです。
 ボンヘッファーの『善き力にわれかこまれ』という賛美歌もやはり天使の守りを歌ったものと聞きました(『讃美歌21』469番)。「善き力にわれかこまれ、守りなぐさめられて、世の悩み共にわかち、新しい日を望もう。/輝かせよ、主のともし火、われらの闇の中に。望みを主の手にゆだね、来たるべき朝を待とう。/善き力に守られつつ、来たるべき時を待とう。夜も朝もいつも神はわれらと共にいます。」(1・4・5節)「善き力」とは天使を意味しています。
 クリスマスは万物を一新させる神の再創造の出来事の始まりでもありました。そこに点された光は今も、この世の闇の中に輝き続けています。どのような深い闇も、悲しみも絶望も、神によって与えられたイエス・キリストという希望の光を消すことはできません。もしも主の御降誕がなかったとしたらあの幾多ものすばらしいクリスマスキャロルは誕生しなかったでしょうし、私たちが天使の歌声に耳を澄ませることもなかったはずです。そう思うと御子の降誕にますます感謝したくなります。キャロルにより私たちに不思議な力と慰めが与えられるからです。賛美を通して私たちもまた、天使たちの大きな喜びに参与することがきているからだと思っています。
 以前サントリー白州蒸留所を訪ねた時のこと。樽の中で熟成されるウィスキーは毎年数%ずつ減ってゆくそうです。職人さんたちはそれを「天使の取り分Angels’ Share」と呼ぶそうです。粋ですね。そのような長いプロセスを経てやがて琥珀色の液体が生まれてゆきます。私は思います。私たち人間も成熟の課程においてAngels’ Shareの喜びに与っているように思えるのです。福音の告知は無数の天使たちの喜びに裏打ちされています。お一人おひとりの上に祝福をお祈りいたします。メリークリスマス!

「教会讃美歌 増補」 解説

㉚創作賛美歌解説10
増補54番
「光ふる海原」

歌詞解説 木村満津子
(湯河原教会)

 幼心がつき始めた頃からでしょうか。青空を見上げるのが好きだったように思う。「ウミニオフネヲウカバセテイッテミタイナヨソノクニ」好きな歌を歌いながら、そのよその国へ行ってみたいと水平線をながめていた。まだ水平線との言葉を知らない頃の夏の日々。思い返すと、よその国で生を受け、大海原を行き来していた私でしたでしょうに、夏の日々に憧れていたよその国はそこには見えなかった。静岡県沼津市の千本浜の思い出です。
 大平原は、薄くれないの桜草と青空をつなげた。それが地平線だった。終戦日から約1年、中国東北地方のチチハルの郊外での思い出です。
 私の中にある水平線と地平線の2線には、今、美しく静かな旋律が流れています。

曲解説 梅津美子
(日本同盟教団中野教会)

 「光ふる海原」は、2011年6月19日に東京カテドラル関口教会マリア大聖堂で行われた第30回教会音楽祭の公募曲で、当日歌っていただいた曲です。
 この詩を手にした時、幼い頃、湘南の海で見た光景を思い浮かべました。眩いばかりに光り輝く空、見渡す限りの海原、波は光を浴びて白く輝き、海は深い色に沈む。光は何処から来て何処へ行くのだろう。光は何を照らしているのだろう。雄大な景色は言葉にならず、崇高さを覚えました。
 神は言われた。「光あれ」。こうして光があった(創世記1章3節)。長じて私の心は主に向かい、主を信頼する今、主の光あふれる慈愛のもとで歩めることに感謝し、これからも希望の朝を迎えられることを祈りつつ、音に託しました。
 曲はドリア旋法で書き、旋律線は波をイメージした上行ラインを大小組み合わせ、頂点「光よ」に繋ぎました。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ルター派とペンテコステ派の対話

 ルーテル世界連盟(LWF)とペンテコステ派の世界組織PWF(Pentecostal World Fellowship)は、2016年にフィリピンで開始した対話をそれ以後毎年続けています(2017年はドイツのヴィッテンベルクで、2018年はチリのサンティアゴで、2019年はマダガスカルのアンタナナリボで開催)。その後新型コロナウイルス感染症のパンデミックの影響で対話はオンラインとなりましたが、今年9月末にカリフォルニアのフラー神学校で対面による協議が行われ、10名の出席者たちは再開できた喜びを噛みしめました。期間中、一日の始めと終わりの祈りディボーションは、ルター派とペンテコステ派双方が担当しました。
 今回のカリフォルニア州パサデナでの対話では、ここまで積み重ねてきた協議の総括をして第1期の会合を締めくくりました。テーマはキリスト者のアイデンティティ、福音の告知、貧困層と疎外された人々への関心、癒しと解放への取り組みについてでした。第1期開催に先だって2004年から2010年まで、ストラスブールにあるLWFエキュメニカル研究所がここに向け準備してきました。LWFエキュメニカル部門と対話委員会の責任を担うランゲ教授も今回の対話に参加し、以下のようにコメントしています。「双方の代表者たちは互いに祈りあい、そしてまたお互いのためにも祈りました。礼拝と対話そして共に歩み分かち合うことで、神の御心に沿った一致への道筋を見いだそうとしています。」会期中の日曜礼拝は、黒人が中心のチャーチオブゴッドの大きなペンテコステ教会に参加しました。「ルター派とペンテコステ派の礼拝スタイルは異なるけれど、復活のキリストとキリストによる救いの御業に焦点を当てている点は同じです。」(ランゲ教授)
 第1会期を終えた出席者たちは共同作業で結果をまとめLWFとPWFそれぞれに報告、来年には出版する運びとなっています。ペンテコステ派代表のプルス氏は、今回の協議の成功を振り返りながら、報告書はこれまでに議論をしてきたテーマをある程度詳細に取り上げ、共通する関心事や証しの可能性が両教会にはあることが示されるだろうと述べています。「ぜひとも第2期の対話を手がけていきたいと考えており、次回のテーマを礼拝及びその実践、そして両教会間でのキリスト者の集まりについて焦点を当てたいと思っています。」(ランゲ教授)
 この協議会には東京教会の英語礼拝と牧会を担うサラ・ウィルソン牧師が委員として出席しています。

 

 ※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから

⑨NCC在日外国人の人権委員会
李明生(田園調布教会牧師)

 

 戦後1948年に発足した日本キリスト教協議会(NCC)の歩みは、国内外のキリスト教会のネットワークを通して対話と和解を進め、祈りを共にして連帯の実現を目指すものでした。特に在日大韓基督教会の委員たちと活動を共にする中で在日外国人の差別の実態に気付かされ、この問題に取り組むため1967年に「少数民族問題研究委員会」が発足します。しかしその後、その名称は日本の侵略・植民地化・強制連行の歴史を覆い隠してしまうような名称であることに気付き、1972年に現在の名称となりました。
 委員会発足当時は、在日韓国・朝鮮人の人権獲得、就職差別への闘いや民族教育の保証を求める活動が中心的課題でした。1980年代には外国人登録法(外登法)が定める指紋押捺への拒否運動が日本各地で起こり、当委員会も参加協力する形で1987年に各教派・団体や各地の地方組織からなる「外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会」(外キ協)が結成されます。その後外キ協は、時代の変化と共に在日外国人の構成が大きく変化したことを踏まえ、全ての人の命と尊厳が等しく守られる社会の実現を呼びかける「外国人住民基本法案」を1999年に提案、2011年に名称を「外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会」(略称はそのまま「外キ協」)とし、多文化共生社会の実現を目指して活動しています。
 残念ながら日本社会では2009年頃から「ヘイトスピーチ」そして「ヘイトクライム」が繰り返されるようになりました。こうした中、2015年に世界教会協議会(WCC)をはじめ国内外の諸教会によるエキュメニカルな協力によって第3回「マイノリティ問題と宣教」国際会議が東京で開催され、その成果として、マイノリティの差別の問題をキリスト教会の宣教課題として取り組む「マイノリティ宣教センター(CMIM)」が2017年に発足しました。
 NCC在日外国人の人権委員会は現在、外キ協、マイノリティ宣教センターと一体となって活動を行っています。2021年からは、現在の入管および在日外国人行政の問題やその背景にある歴史的問題についての連続講座などの集会を、オンラインでも実施しています。ご関心のある方はお気軽にご参加下さい。

社会委員会リレーコラム「本・出会い・教会」⑥

秋山仁(ディアコニアセンター喜望の家・豊中教会牧師)

 

 未だ日本社会に見られる外国人差別。それも国が定めた制度や公的機関において、しかも常態化しているという現実があります。
 2021年3月6日、1人のスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさんが、33歳の若さで、収監中の名古屋出入国在留管理局(名古屋入管)で亡くなりました。この事件は、遺族がスリランカから来日し、真相究明を求めたこともあって、連日報道がなされ、読者の皆さんの記憶にも新しいことと思います。
 なぜ、日本の文化に興味を持ち、日本でこどもたちに英語を教えたいという希望をもって来日した女性が、「非正規滞在者」として名古屋入管に収容されたのか。なぜ、収容中に、衰弱して、医療措置も受けられず亡くならなければならなかったのか。なぜ、真相究明を願う遺族に全ての情報が開示されないのか。
 本書の著者の一人安田菜津紀さんは、事件の経緯と背景を詳らかにしながら、こうした疑問の核心に迫っていきます。そして、そこから見えてくるのは、日本という国の戦前から変わらず続いている「出入国管理」体制全体の問題であり、その人種差別的な体質です。
 本書を読み進めていくとき、私の中に湧き上がってきたのは憤りであり、また大きな疑問でした。「どうしてこんな酷いことが、法治国家であるはずの日本で許されているのか。外国人に対してこんな扱いをしている国が、外国人の労働力をあてにするのは正しいことか。」
 日本にはすでに280万人もの外国にルーツを持つ人々が暮らしており、大勢の外国人によって、繊維産業などの中小企業や農・漁業といった根幹の産業が支えられています。今や、彼らなしには、日本の産業は立ち行かない状況になっています。にもかかわらず、日本社会は彼らに対し、まったく優しくはないのです。
 本書では、このウィシュマさんの事件の他にも、様々な現場での取材をもとに、日本政府による外国人政策の問題点が赤裸々に語られています。
 来日した外国人技能実習生の労働現場での処遇と実態。さらには、ここ十数年執拗に繰り返されるヘイトスピーチ(社会的なマイノリティに向けた差別や侮辱、排除の言葉)と排外主義の動き。その根底にある、戦前・戦中の日本「帝国」による植民地支配や侵略の事実を否認する歴史修正主義。差別を助長するメディアの問題。
 本書が指摘し、批判する日本の外国人政策の問題点を、もう一人の著者、安田浩一さんは、こう記しています。「『人権』という視点はない。まったくない。そして―いまも、ない」と。
 私たちは、すでに「共生社会」、「多文化社会」の時代に生きています。「人権」の視点から、差別的な外国人政策を終わらせ、人種や民族の壁を越えて、互いに助け合い、共に生きてゆける社会の創出を目指さなくてはならないと、本書を読んで改めて強く思わされました。

静岡市清水区台風15号災害報告

秋久潤(小鹿・清水・沼津教会牧師/東海教区台風15号災害現地部長)

  

 2022年9月24日(土)頃に静岡県を通過した台風15号により水害が生じました。本記事(2022年10月25日執筆)は、静岡市清水区の情報に偏っています。申し訳ありませんが、他の地域の被災情報は本記事に含んでおりません。
 本水害の特徴は、被災地がまばらで「チームで特定の地域に支援に出かける」のが難しいことです。お金を出せば支援物資が買えたため、ルーテル教会として支援の呼びかけはせず、東海教区災害予備費から物資購入費を出して頂きました。私は9月26日(月)から清水区の教会員を訪問し水を配りました。その後、市のボランティアに参加しています。
 被害が大きい地域では、当日深夜2〜3時頃に浸水し、高さ120㎝(胸の高さ)まで浸水しました。家財や自動車を廃棄したご家庭も多いです。次のお話が印象的でした。「最近は、町中の至る所が舗装されている。そのため、氾濫した水が土に吸われず、舗装していない我が家に集中的に流れ込んだ」。また、蛇口から飲用水が出るまでに3〜4週間かかり、暑い中で配給(公園や学校)に並ぶ必要がありました。配給に1時間以上並んでも、水が無くなり無駄足になることもあったそうです。足腰に不安のある方は、配給や買い物で困難を覚えました。そのため、風呂や洗濯、トイレ、土砂清掃が十分にできない苦しみがありました。10月25日(火)時点でも、床下の泥を除去できないお宅があり(ボランティア不足や、保険・補償の審査が遅れ片付けに着手できない等)、カビやにおい、虫に困っておられます。また、様々なご事情で「困っている」と声を上げられず(声を上げる発想をお持ちにならず)、自宅内で困ったまま何日も孤立して過ごしている方もおられます。
 ボランティアについては、フェイスブックの「静岡市災害ボランティアセンター」のアカウントで近況が写真付きで報告されています(ボランティア募集は、10月25日時点では静岡県在住者のみ)。

平和構築のための日韓青年フォーラム参加報告

 

 2020年7月、日本と韓国のエキュメニカルなキリスト教関係者ならびに市民団体の協力によって「日韓和解と平和プラットフォーム」が立ち上げられました。この「日韓和解と平和プラットフォーム」の企画による「平和構築のための日韓青年フォーラム」(8月22〜26日、韓国坡州とソウルにて)に、日本福音ルーテル教会から4名の青年が参加しました。以下、参加者による報告です。

⻆本洵(神水教会)

 今回の研修は、日韓の青年約20名ずつが招かれ、大日本帝国時代の植民地支配や、日本軍「慰安婦」についての資料館や博物館を訪ね、歴史の学びと平和交流を目的として開催された研修会でした。日本において、戦後70年経った今でも謝罪や賠償を求める韓国に対して「もうその手の訴えは十分でしょ」という風潮がありますし、私自身もそうでした。しかし、現地の資料館や博物館を赴くと、自分の無知を恥じることになりました。今回の研修の後、多くの日本側の参加者が「もっと歴史の勉強をしなきゃ」「もっと韓国語を勉強しなきゃ」と言っていました。私もその一人です。帰国後、自宅の本棚に数冊の歴史書や単語帳が並んだことは言うまでもありません。
 しかし、こと「平和」についていうなら、平和を実現するためには、歴史の知識も、言語能力も必要ないと思うのです。もちろん、これらのアビリティはあるに越したことはないでしょう。それでも一つ言えることは、平和とは、どこかの能力に優れた人たちによって成し遂げられることではないということです。例え豊富な知識や言語がなくても、相手の立場でものを考えて、間違った時には謝って、そして何より、積極的な愛をもって関係していく中に、必ず平和は実現すると信じたいのです。国家間の戦争を止める意味での「平和」を実現することは無理に等しい私達ですが、イエスのように、弱い姿であったとしても、隣人に仕えて祈る中に、必ず平和は起こると考えます。とは言っても、これを行動に移すのが難しい、というより無理なのが人間です。だからこそ、祈っていきたいと思います。同時に、神と隣人に仕えていくことができない罪人である私のために十字架にかかったイエスを思い、そして赦されていることを思い起こしたいと思うのです。キリストの平和が私達の心に宿り、私も、平和を実現するものとして変えられて、用いられたいと願います。

高濱遼太(健軍教会)

 日韓青年フォーラム参加の報告にあたりまず初めに私達の渡韓をご支援いただいた方、私達の学びが良いものとなるよう祈ってくださった方々に感謝を申し上げます。お陰様で何事にも代え難い貴重な体験をすることができました。本当にありがとうございました。今回参加しました日韓青年フォーラムの報告、感想は他の参加者からもそれぞれ素晴らしいものを書かれていますから今回私はフォーラムの後、韓国で新型コロナウイルスに感染した時のことについて書かせていただければと思います。先ほど述べた通り私はプログラム最終日の前日コロナに感染し韓国で7日間の隔離期間を過ごすこととなりました。その時私はお金もなく宿泊先もない、おまけに私は韓国語も英語もほとんどわからないという状況で頭の中は不安と孤独感でいっぱいでした。しかしそのような状況を経験したからこそ私には困難の中にある私を励まし助けてくれる仲間や、支え、祈ってくださる多くの人が与えられていたことに気づかされました。それは私にとって今回のフォーラムで経験したことと同じくらい大切な気づきだと感じました。そしてこの経験こそ今回のフォーラムのテーマであった「平和」そのものではないかと思いました。時間も空間も超えて相手を思い祈ることこそ私達が実現すべき平和なのではないかと思います。最後に、この度はご支援いただきありがとうございました。主の平和が皆様と共にあるように。

本間いぶ紀(甘木教会)

 今回のフォーラムでは、日韓両国から集まった青年がお互いのバックグランドや価値観を尊重しつつ、日韓の歴史認識の現状や、私達青年ができること、そしてこれからお互いがどう連帯していくかについて話し合うことができました。わたしは大学で国際関係学を専攻しており、戦争と平和について、安全保障について、また近代以降の日韓の歴史について学んでいるので、机の上での学びを実際に目で見て感じたい、という目的もありました。
 プログラムでは北朝鮮との軍事境界線や民間人統制線を訪れたり、日本軍「慰安婦」問題の解決を求める水曜デモに参加したりと、韓国を取り巻く歴史的・軍事的な国際関係を見ることができました。
 今回のフォーラムはグループごとに行動することが多く、わたしは拙い韓国語でグループの皆さんとお話しすることができ、言語という壁がありつつも、その壁を乗り越えようとする姿勢がとても美しいと感じました。「宣言文」作成のための意見交換の場では日本や韓国各地から青年が集まって一つの宣言文を作るための話し合いをしたのですが、このこと自体にとても意義があると感じました。私達は国の違いだけでなく、文化や宗教、そして各々違うバックグランドを持っています。そんな「異なる」ものを持つ私達がお互いを認め合い、意見を交わし、尊重し、「同じ」一つの宣言文を作成することができました。これは心を一つにして、連帯していくことの表れであり、そしてこれこそが日韓和解と平和そのものだと、振り返って思いました。
 大学で私が学んだ歴史は、多角的な歴史の中のある一側面ですが、青年の話し合いの場というのは、この一側面を繋ぎ合わせるということだと思います。自分には見えなかった観点を他の誰かから与えられ、共有する、このことを今回のフォーラムだけで終わらせずに続けていきたいです。

柳下李裕理(札幌教会)

 今回のフォーラムは、私のパーソナリティ認識に大きな影響を与えてくれました。このプログラムでは日本と韓国の双方から参加者を募っていました。私が日本福音ルーテル教会を通して参加したきっかけは、私の父親が在日韓国人3世だからです。父親は「外国人の住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会(外キ協)」での活動も行なっています。しかし自分は「日本人と韓国人の間に生まれた子ども」というアイデンティティに関していまひとつ実感や使命感を持てずにいました。しかし今回のプログラムに参加する中で、日本が朝鮮半島に行ってきた暴力の歴史を改めて知ることができました。私は日本の統治時代の朝鮮圧政の歴史を多少は知っていたつもりでしたが、現地の資料館を見る中で自分の知識の浅さに恥ずかしさを覚えました。「戦争と女性の人権博物館」にて日本軍慰安婦のハルモニ(おばあさん)たちの証言を学び、「植民地歴史博物館」で日本軍が朝鮮半島で行った圧政や差別の歴史について知りました。そして改めて歴史における日本の加害者性を学ぶにつれ、日本人がその歴史を認識していないことを感じました。そして私自身が「韓日のルーツを持つ人間」として、少しでも架け橋になるような努力をするべきなのではないかという自覚を持つことができました。プログラムの中で一番印象に残っているのはDMZ(非武装地帯)の見学です。自然の草木に覆われて非常に閑静な区域の地面に200年かかっても除去しきれない地雷が埋まっているという事実に驚くとともに、朝鮮半島の南北分断の歴史には日本の政治的・軍事的責任もあるのだと改めて思いました。次回は日本で開催される予定です。ホスト側として、より有意義な内容にできればと思います。

春の全国ティーンズキャンプ開催

  

 〈テーマ〉「reunion(再会)」

〈日時〉2023年3月28日(火)~30日(木)

〈会場〉千葉市少年自然の家(千葉県長生郡長柄町針ヶ谷字中野1591−40)

〈参加費〉1万5千円(同一家庭から複数参加の場合は1名につき1万4千円)

〈参加対象〉2001年4月2日生まれ~2011年4月1日生まれまでの人
※対面開催を見送った過去3年間の卒業生も準参加者として参加出来ます。

※その他詳細は後日ご案内いたします。

〈併せて春の全国ティーンキャンプスタッフ募集〉
▼募集人数 若干名
▼募集資格
 2001年4月1日以前生まれの方
 2023年3月27日(月)から行われる前日準備から参加できること。
▼スタッフ応募締切
 2022年12月末日
▼応募先
 s-morita@jelc.or.jp(森田哲史牧師)

22-12-01神の業に招かれる

 「天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、
神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。
不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」
(ルカによる福音書1章35~37節)

  信仰という恵みを与えられていると自覚している私は、日々神への愛と信頼をもって誠実に生き生きと過ごしたいと願いつつも実は全くそうではないと思い知らされることが多々あります。ときには「私には荷が重すぎます」と職務を投げ出して逃げ出したくなることもあれば、疑いや迷いをぬぐい切れず、ふて寝して、翌日には奇跡が起きていることを願っても、相変わらず厳しい現実を前に深いため息から一日を始めることもあります。もしかしたら、この文章を読んでくださっているあなたも、思いがけないトラブル、痛ましい現実、信じたくないような悪意、自分の力ではどうにもならない状況を前にして立ちすくんだという経験をお持ちかもしれませんね。
 マリアが聞いた「おめでとう。」の言葉も途方もなく重たいことばであったと思います。にもかかわらず、彼女は自分の身に起きたことを引き受け、人生を神の働きに委ねていくようになりました。そこには「主があなたと共におられる。」(ルカ1・28)という約束や「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。」(ルカ1・36)という御言葉の力があったと思います。神の業に巻き込まれたのが自分だけではないという情報は、マリアにとって心の内をわかちあう他者がいるという安堵となったに違いありません。そして、エリサベトを訪ねてしばらく共に過ごした時間は彼女たちにとって豊かなものであったでしょう。
 世界的なパンデミックが私たちの日常を激変させ、気候変動による大規模な災害が各地で起こり、軍事暴力がはびこる中、福音を語る、福音を生きるということの難しさをひしひしと感じています。そのような中で、一つの祈り会に招かれました。きっかけは「親しい友人やその家族のために祈って欲しい」という個人的な呼びかけ。それまで、ミャンマーという国についての知識も関心もほぼ皆無でしたが、2021年2月1日の軍事クーデータ以降、毎週金曜日にオンラインで行われている祈り会に参加するようになって、かの国で起きている暴力が私たちの生活と地続きであることを知らされました。
 祈り会から生まれたアトゥトゥミャンマー(ミャンマーと共に)支援という小さな支援団体では、ミャンマー本国の支援と共に日本で生活されているミャンマーにルーツを持つ方々とも連帯しています。奉仕や運営に携わっている仲間たちに感謝しながら、祈り会でわかちあわれるそれぞれの思いに自分の思いを重ねます。リアルタイムでわかちあわれる情報の中には目を背けたくなるものも少なくありません。それでも嘆きや悲しみを持ち寄り、呻きと沈黙に押しつぶされそうになっても、神は、どのようなときにも人の呻きや、呟きに耳を傾け、心を向けてくださっていると信じて祈り続けることで、今日を生き抜く力を得るような思いでいます。
 神の御子は、弱く、もろく、不安定な存在として、この世界にお生まれになりました。マリアも、嬰児として生まれ、その身を人の手に委ねられた幼子の重み、ぬくもりを通して、神の業の担い手として招かれたことを感じたことでしょう。現代は、当時とはまた違った苦しみと悩みが世界を覆っています。そのような中にあって、私たちはクリスマスをどのように待ち望んでいるのでしょうか。キリストの誕生は、私たちに神の約束が必ず成就するということを教えてくれる出来事です。そして、神が御心を顕されるときに、私たちを求め、働きの中に招いてくださっているということも教えてくれています。だからこそ、自信がなくとも、しんどくても、辛くても、福音を語る、福音に生かされる幸いを伝える務めに踏みとどまりたいのです。《神にできないことは何一つない。》という御言葉に立ち、すべてをご存知の方が、命と希望へと私たちを押し出てくださることを信じて。

22-11-04「我らの国籍は天にあり」

 「しかし、わたしたちの本国は天にあります。
そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」
(フィリピの信徒への手紙3章20節)

 今、私が住んでいる神水教会には、同じ敷地に社会福祉法人慈愛園があり、そのグランドの入り口付近には大きな十字架があります。クリスマスには、電飾が施され、キラキラ光ります。
 この十字架を建てたのは「愛献会」というグループです。それは慈愛園の創設者モード・パウラス宣教師に感謝し、その働きをおぼえ、伝えていくことを旨として卒園生の有志で作られた会です。
 この会の会長はIさんでした。天に召されて早10年たちました。今も生きていらっしゃったら、99歳になられます。Iさんは、生後9カ月で慈愛園子供ホームに預けられました。まだ3歳のIさんが背伸びしてピアノの鍵盤を触っている。それがまがりなりにもメロディーになっている。Iさんに音楽の才能がある事を、モード・パウラス宣教師は見ておられました。小学校を出られたあと、パウラス先生の勧めもあり、Iさんは千葉県の音楽学校に行かれます。ただ戦時下にあり中退を余儀なくされました。熊本に帰って来られ自動車整備工場や、県庁などでお勤めのかたわら、音楽仲間とバンドを結成して演奏活動も続けられました。また、晩年は高齢者施設で唱歌などの音楽ボランティアや、自身がお育ちになった慈愛園子供ホームの子供たちにピアノを教えるボランティアも続けられました。
 そんなIさんについて、びっくりする話をうかがいました。ダンスホールなどでの演奏後に、Iさんがよく立ち寄る屋台のおでん屋さんがありました。ひょんなことから、そのおでん屋のおかみさんが実の母親であることが分かったのです。何というめぐり合わせでしょう!彼女が17歳の時にIさんは生まれました。驚きつつ、「私が知らん間に連れていかれとったんよ」と教えてくれたそうです。
 思いがけない再会を果たしながら、Iさんと彼女は、その後も屋台のおかみさんとお客さんという関係でおられたらしい。「私のふるさとは慈愛園だし、私の母親は、パウラス先生だから」とおっしゃって。その後、1年半ほどしたころ、このおかみさんはご病気で召されました。
 実の母親との再会の中で、「私のふるさとは慈愛園」と言われたIさんは同時に、主を信じる信仰に生きられました。慈愛園はあくまで「地上のふるさと」であり、「本国は天」であることをよくご存じでした。そして幼い頃から「たかちゃん」と言ってかわいがってくれたパウラス先生を「お母さん」と呼んでおられましたが、本当の親は「わたしはいつもあなたと共にいる」と言われる主なる神様であることもよくお分かりでした。「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」
 当時ものをいったローマ市民権のことも、パウロの頭にあったのかもしれません。困難な日々の中で、その恩恵に与かることもあったでしょう。地上での生活は大事です。出会う一人ひとりとの関わりも尊いです。いろいろな意味の「家族」たちに助けられます。「ここも神の世界」ですから。
 その中で私たちには顔をあげて仰ぐ大いなる恵みが与えられています。「わたしたちの本国は天にあります。」墓碑などで見かける「我らの国籍は天にあり」の文語体表現も力強く、美しいですね。
 主イエスが救い主としておられる天に国籍を持つ私たち。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」と言ってくださる御方を主と仰ぎ、天を本国とすることのゆるされた私たち。感謝します。
 みこころが天で行われるように、地上でも行われますように。アーメン

22-11-04るうてる2022年11月号

機関紙PDF

「我らの国籍は天にあり」

日本福音ルーテル神水教会・荒尾教会・合志教会・松橋教会 牧師 ⻆本浩

「しかし、わたしたちの本国は天にあります。
そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」

(フィリピの信徒への手紙3章20節)

   今、私が住んでいる神水教会には、同じ敷地に社会福祉法人慈愛園があり、そのグランドの入り口付近には大きな十字架があります。クリスマスには、電飾が施され、キラキラ光ります。
 この十字架を建てたのは「愛献会」というグループです。それは慈愛園の創設者モード・パウラス宣教師に感謝し、その働きをおぼえ、伝えていくことを旨として卒園生の有志で作られた会です。
 この会の会長はIさんでした。天に召されて早10年たちました。今も生きていらっしゃったら、99歳になられます。Iさんは、生後9カ月で慈愛園子供ホームに預けられました。まだ3歳のIさんが背伸びしてピアノの鍵盤を触っている。それがまがりなりにもメロディーになっている。Iさんに音楽の才能がある事を、モード・パウラス宣教師は見ておられました。小学校を出られたあと、パウラス先生の勧めもあり、Iさんは千葉県の音楽学校に行かれます。ただ戦時下にあり中退を余儀なくされました。熊本に帰って来られ自動車整備工場や、県庁などでお勤めのかたわら、音楽仲間とバンドを結成して演奏活動も続けられました。また、晩年は高齢者施設で唱歌などの音楽ボランティアや、自身がお育ちになった慈愛園子供ホームの子供たちにピアノを教えるボランティアも続けられました。
 そんなIさんについて、びっくりする話をうかがいました。ダンスホールなどでの演奏後に、Iさんがよく立ち寄る屋台のおでん屋さんがありました。ひょんなことから、そのおでん屋のおかみさんが実の母親であることが分かったのです。何というめぐり合わせでしょう!彼女が17歳の時にIさんは生まれました。驚きつつ、「私が知らん間に連れていかれとったんよ」と教えてくれたそうです。
 思いがけない再会を果たしながら、Iさんと彼女は、その後も屋台のおかみさんとお客さんという関係でおられたらしい。「私のふるさとは慈愛園だし、私の母親は、パウラス先生だから」とおっしゃって。その後、1年半ほどしたころ、このおかみさんはご病気で召されました。
 実の母親との再会の中で、「私のふるさとは慈愛園」と言われたIさんは同時に、主を信じる信仰に生きられました。慈愛園はあくまで「地上のふるさと」であり、「本国は天」であることをよくご存じでした。そして幼い頃から「たかちゃん」と言ってかわいがってくれたパウラス先生を「お母さん」と呼んでおられましたが、本当の親は「わたしはいつもあなたと共にいる」と言われる主なる神様であることもよくお分かりでした。「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」
 当時ものをいったローマ市民権のことも、パウロの頭にあったのかもしれません。困難な日々の中で、その恩恵に与かることもあったでしょう。地上での生活は大事です。出会う一人ひとりとの関わりも尊いです。いろいろな意味の「家族」たちに助けられます。「ここも神の世界」ですから。
 その中で私たちには顔をあげて仰ぐ大いなる恵みが与えられています。「わたしたちの本国は天にあります。」墓碑などで見かける「我らの国籍は天にあり」の文語体表現も力強く、美しいですね。
 主イエスが救い主としておられる天に国籍を持つ私たち。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」と言ってくださる御方を主と仰ぎ、天を本国とすることのゆるされた私たち。感謝します。
 みこころが天で行われるように、地上でも行われますように。アーメン

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉜「今この時に」

「あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」(マルコ13・37)

 おはようございます。と言ってお隣に車椅子で近づくといつもなら無表情でいらっしゃる方が、今日はニコニコしてくださった。どうしてかと思っていたら「この方、明日結婚式なんですって。」と嬉しそうにその方のお隣に座られていた方を私にご紹介くださった。お孫さんの結婚式かしら?どうも本人のらしい。あまりにもお2人が嬉しそうだったので私は思わず「おめでとうございます。」と言いました。その私からの言葉を聞いて、シワだらけの顔がもっとクシャクシャになるくらいお2人は嬉しそうに顔を見合わせて笑いました。
 その時に「それはあり得ませんよ。何でそんなことおっしゃっているんですか?」と言うべきだったのか「式では何を着られるんですか」と話を合わせるべきだったのか。正解はありません。もしかしたら5分後には彼女たちの記憶には無いかもしれません。でも間違いなくその時彼女たちは嬉しかったのです。
 どこかで読ませてもらった「永遠の今」ってこう言うことなのかもしれない。と彼女たちに教えていただいたような気がします。
 理屈ではなくてそこには確かに喜びがありました。常識では割り切れなくてもお一人おひとりに今、確かに与えられるもの、それは神様から今与えられるあなたへの生きた真実なのです。

議長室から 大柴譲治

「メメント・モリ」

 「メメント・モリ」(死を覚えよ)。中世ヨーロッパの修道院で日々使われていた挨拶です。私たち人間の生は有限であり、生と死は表裏一体です。死を想うことは生を想うことでもありましょう。私はそれを「今ここを大切に生きよ(カルペ・ディエム)」という言葉と併せて理解しています。11月は死者を覚える月。死者の魂に平安を、ご遺族に天来の慰めをお祈りいたします。
 9月17日、オンラインで開かれた日本臨床死生学会で1人の緩和ケア医の講演を聴く機会がありました。2年前に末期ガンと診断された関本剛医師は『がんになった緩和ケア医が語る「残り2年」の生き方、考え方』(宝島社2020)を出版。関本医師は講演の中で、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが主演した映画『最高の人生の見つけ方』(原題は「バケツリスト」=「棺桶リスト」)を紹介。そこから学んだこととして自分のしたいことをリストアップします。自分が生きた証を残すことをメインに据えて、「動けるうちにしたいこと」「動けなくなったら」の二つを挙げられました。前者には「できるだけ稼ぐ(自分が楽しむために&家族が路頭に迷わないために)」「家族と一緒に過ごす時間を楽しむ」「自分が生きた証しを残す(書籍・動画)」「自分の葬式の段取りをする」「大切な人に出来るだけ多くのメッセージを残す(動画)」「大切な人に直接感謝を伝える」「『もしもの時に家族が困らないセット』を準備する(動画)」「友人、知人に感謝を伝える」「良い酒(ワイン)を飲む」「スキーを楽しむ」「キャンプを楽しむ」「音楽(バンド活動)を楽しむ」と具体的に記します。後者は「意識がはっきりしていれば」と「いなければ」の二つに分け、前半には「撮りためた海外ドラマや映画を一日中見続ける」「家族と一緒の時間を楽しむ」「大切な人に直接感謝を伝える」、後半には「妻や子どもたちのしたいように・・(負担にならぬよう)」と記す。そして最後にはこうありました。「生殺与奪はその時の家族の気持ちにまかせる(症状緩和がなされているのが条件)」。緩和ケア医として多くの命を看取ってきた経験を踏まえて記されたそれらの言葉には重みがありました。今年4月19日に関本医師は45歳で逝去されています。合掌。
 信仰の立場からはそこに「メメント・クリスティ」(復活のキリストの想起)を加えたいのです。死は終わりではなく墓は終着駅ではない。復活の光の中で愛する者と再会できることを信じています。

「教会讃美歌 増補」 解説

㉙創作賛美歌解説9
増補52番
「朝の光が聖壇に」

歌詞解説 田中栄子
(神水教会)

 キラキラと輝くあの黄金の光のなんと美しかったことか、今思い出しても胸が熱くなってきます。
 ある日曜の朝、礼拝堂の椅子に座ろうとした時、聖壇に目をやった私は動きが止まってしまいました。ステンドグラスから射し込む一筋の光、それは無数の小さな球体が一つひとつ点滅し、イルミネーションのように輝いていたのです。私は、その美しさから目が離せなくなりました。
 それから数年後、機関紙「るうてる」の光についての作詞募集が目に止まりました。私は、あの時の感動を思い出し、詩に表してみようと思い、書いて応募してみました。
 今は視力を失いましたが、あの時の光の美しさを忘れることはないでしょう。
 この賛美歌作成に携わってくださったすべての方々に感謝します。多くの皆様に歌っていただければ幸いです。

曲解説 村松一恵
(日本キリスト教団小石川明星教会)

 この賛美歌の旋律は、詞にみちびかれてうまれました。詞のテーマは「光」。第30回教会音楽祭(2011年6月19日開催)のテーマでした。この音楽祭に向けて、まず詞が公募、選出され、次に曲公募のために公開されたこの詞に出会った筆者は、強く心を引かれ、是非ともこの詞をうたに、と応募を思い立ち、詞にうたわれている情景や、言葉のリズムによって、この旋律がうまれたのでした。
 四声体や8分音符、臨時記号にとらわれることなく、言葉によって表されている情景を思い描き、詞の心を感じ取って、架け橋、語らいを目指してお用い頂けましたなら、筆者の思いに重なる賛美となることでしょう。

世界の教会の声

浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ユースが主導する平和活動

 日本福音ルーテル教会では第2次世界大戦の終戦記念日8月15日に因んで、8月の最初の主日を「平和の主日」として覚え、平和を祈り求め礼拝します。一方欧米諸国にとって忘れられないのは第1次世界大戦で、その終戦日11月11日を世界平和記念日としています。
 その世界平和記念日が近づくなか、LWF(ルーテル世界連盟)加盟教会の青年たちは2022年を平和にフォーカスして、平和を広げる様々な取り組みをしています。
 9月18日には50名のグローバル・ヤング・リフォーマーたちがオンラインで集い、アジア地区代表の11名が、一致、平和構築、世代間対話をテーマに祈りと話しあいを導きました。LWFユース部門は、ルター派の青年たちがグローバルにつながり、彼らによる新しい教会作りと、神の愛と創造を伝えるという宣教的取り組みを継続的に行っていくことを目指して、様々な企画のためのプラットフォームを用意しています。青年が担当した礼拝や、彼らが今年8月に作った「世界青年の日」のための祈り、祝福、聖書のみことばには、平和の祈りが込められました。

「伝えよう、これがオンライン集会で学んだメッセージ。このメッセージはいつも私の心にあります。」(タンザニアのニーマ・ンドネさん)

「世界は今、戦争や病への不安と恐れにあふれていて、将来のことが気がかりです。そうではなく平和が地上にあふれて、私たち一人ひとりの心が平和で満ちあふれることを祈ります。そしてあなたのなかの平和へと人々が招かれ、安らぎを得られるように祈ります。」(オーストラリアのエルザ・マティアスさん)

 地域に根ざした小規模の平和ユース活動「平和メッセンジャーズ」の1人、ブラジルのルイス・ザイデルさんは、「世界のリーダーが地上の紛争を終わらせて解決できるように」、そして「平等で公平な社会を目指して正義のために努める人に力を与えてください」と祈りました。もう1人の平和メッセンジャー、スウェーデンのマルバ・ローゼンフェルトさん、「互いに励ましあいながら、すべてのうちに良いものを見いだし、世界全体と兄弟姉妹にとってよいことができますように」と祈りました。

「今年、テーマとしてPeacebuilding(平和作り)を掲げたのは時宜に適っていたし、預言的でもありました。」(LWFユース企画担当者のサバンナ・サリバンさん)
 LWFユースデスクは、世界の青年たちが集い、そこで信仰に関すること以外にも平和やジェンダー、移民や難民の歓迎、気候問題の公平性、世代をつなぐ関係性といったトピックについて話しあう場を提供しています。
「LWFは、各地域や教会にいる青年の皆さんのこうした大切な話しあいと行動によって引っ張られているのです。」(サリバンさん)

 

 ※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから

⑧NCC平和・核問題委員会
内藤新吾 (稔台教会牧師)

 

 平和と核の問題は一体です。また核について、日本では核と原子力という言葉の使い分けがされますが、世界では区別なく(nuclear)、軍事と平和利用とは緊張関係にあり繋がっています。NCC平和・核問題委員会は、平和をつくる活動をする全国のキリスト者たちと共に、また平和と一体の問題の原発問題でも、「平和を実現するキリスト者ネット」、「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」、多宗教間での「原子力行政を問い直す宗教者の会」、「平和をつくり出す宗教者ネット」などと共に、祈りつつ行動しています。
 委員会ではこれまで、国内外の科学者や医師を招き原発問題講演会や、九条改悪反対また強行された安保関連法などについて、メディアが取り上げる前から弁護士を招き学習会を開いたりし、キリスト者だけでなく市民たちとも活動を共にしてきました。震災前より憲法問題と原発問題でそれぞれ相当数発行した冊子も絶版となっています。他にも、カトリック正義と平和協議会との共催で、「核と平和」というテーマで2日にわたり、沖縄の基地問題についてシンポジウムも開催できました。また、カトリック正平協の脱核部会の日韓交流に参加させていただいたり、聖公会の沖縄と仙台での二度にわたる脱核の国際会議に招いていただくなど、さまざまな出会いに感謝しています。
 平和は、実現していくものです。強行された悪法も、時間をかけても撤廃させ、真の平和構築へと向かわねばなりません。そしてまた、日本政府が長年ひそかに準備を続けた核武装および核商売への可能性も、完全に閉ざすことが必要です。これらは一体の問題なのです。
 これらの問題について、日本のカトリック教会、聖公会、バプテスト連盟は震災後、組織としてしっかりとした本や冊子を作り、会員にも啓蒙活動を行ってきました(日本キリスト教団は教区による)。私たちの派はそれができず、手近に全体像を学べるテキストを持っていないことは残念です。ぜひ、これからでも検討してほしいし、できないならば他の方法を考えてほしいです。
 さて、NCC平和・核問題委員会は、これまでさまざまな取り組みをしてきましたが、現在のところ、全国規模の脱核の諸団体と繋がる委員、それも教職が少なくなっていることが課題です。ご加祷くださり、その下支えとなる皆さんの積極的な関わりもお願いいたします。

社会委員会リレーコラム「本・出会い・教会」⑤

小泉基(函館教会牧師)

 

 世界から戦争のニュースが絶えないなか、侵略戦争に踏み切る政治指導者とキリスト教会の関係に思いが向きます。日本の教会も、かつて政府が行った侵略戦争に協力・加担した歴史がありますから、わたしたちもその反省の上にたって平和を追い求めているのです。
 とはいえ敗戦から77年、かつての過ちの内実について、リアリティをもって語ることが出来る人はもはや多くはありません。当時の教会の人たちは何を思って神社に参拝し、礼拝前の宮城遙拝を行い、戦闘機献納のための献金を献げたのでしょうか。当時の教会について知るために、1冊の本を紹介したいと思います。1999年初版発行と出版から少し時間がたっていますが、豊富な資料と丹念な取材によって、ひとりの牧師の視点から戦時下の教会の姿をいきいきと描き出した作品です。
 本書の主人公は、晩年を静岡教会や甲府教会などルーテル教会の牧師として奉職された池田政一牧師です。戦時中は、日本基督教団第6部(ホーリネス系)の牧師で、1943年に治安維持法違反で逮捕・収監され、抗弁の機会も与えられないまま一方的に有罪判決を受けられた先生でした。
 わたしたちルーテル教会も第5部として創立に参加した日本基督教団は、その出発から「天皇のもとにあるキリスト教」であることを強く求められ、それに応えようとしました。そのため、再臨の教理を強調し、神社参拝に反対したホーリネス系第6部9部の牧師たちの一斉検挙を歓迎すらし、文部省の通達の元にその牧師たちに辞任を求め、全国のホーリネス系教会を強制解散させたのです。日本基督教団が、これに公式謝罪を行ったのは1988年のことでした。
 このような宗教弾圧事件を扱いながら、その視点を池田牧師個人とその周辺に据えた本書はとても読みやすく、戦時下に生きたひとりの伝道者の喜びや悲しみ、苦悩や後悔をあざやかに描き出します。抗いがたい大きな力の支配下にあって、もしそれがわたしであったらと、読み進めながら幾度も自問自答しないわけにはいきません。元号、君が代、日の丸と、それらの強制をあたりまえとする風潮が強まっていくことに息苦しさを感じる昨今、どうしようもなく追い込まれてしまう前に、抗うべきものに抗い、自由な言論や信仰を守る闘いを、いま闘わなければならないのだ、と改めて思わされるのです。

オンライン一日神学校報告

 

 9月23日(金・休)にオンライン一日神学校が開催された。今年も対面開催はかなわなかったが、例年通り開会礼拝(説教「十字架の言葉が神の力」立山忠浩校長)からはじまり、シンポジウムが催された。テーマは「ルーテルのミッション~心と福祉と魂と」。シンポジウムでは市川一宏先生、ジェームス・サック先生、金子和夫先生が登壇され、先生方がそれぞれに長い年月をかけて担い伝えてきた「心と福祉と魂」のミッションについて語った。熱のこもった話しに耳を傾けつつも和やかさの漂う語らいの時となった。
 シンポジウム後は、青空の広がるキャンパスを石居学長が案内する「キャンパス探訪」を実施、その後特別プログラム①神学生を交えたオンライン懇親会(Zoom)が開催された。後援会活動を支える地区の世話人や推進委員の方々を中心に、プログラム名のとおり「神学生を囲む」交わりのひと時となった。この懇親会と並行して一日神学校のために準備された特別授業の視聴が開始された。今年は以下のとおり神学、福祉、心理と各分野から一つずつ合計三つの講義が公開された。
・平岡仁子先生「パンデミックと礼拝~神との出会い」
・原島博先生「難民・移民の生活課題と支援」
・高城絵里子先生「人を愛するためのセルフケア」
 いずれも時宜にかなったテーマが選ばれ各専門分野の講義が体験的に学べるようになっている。なお、いずれの講義も引き続き神学校HPで視聴できる。学びの秋、おひとりでの視聴をはじめ、教会やグループ、あるいは地域の方々と一緒に視聴して学びの機会に利用することもできる。

JELAイングリッシュ・バイブル&ワーク・キャンプ報告

森一樹(JELAスタッフ/市ヶ谷教会)

  

 本年「るうてる」6月号に掲載して頂いた「JELA English Bible & Work Camp」が、世界各国の学生が有機農業や農村リーダーシップについて学ぶ農村指導者養成学校、学校法人アジア学院(栃木県那須塩原市)にて開催されました。
 JELAは、2001年から奉仕者育成を目的としたボランティア派遣プログラム「ワークキャンプ」を毎年開催してきましたが、新型コロナウイルス感染症の影響で、2020年春を最後に実施することができない状況が続いておりました。その中で、今夏ついに開催された本キャンプでは、当初の予想をはるかに上回る、14名の中高生が全国から集まり、アジア学院という英語環境下での有機農業体験や持続可能な生活体験、また創世記をテーマにしたバイブルスタディが行われました。
 バイブルスタディでは、チャプレンとして同行して下さった、大江教会牧師の森田哲史先生やアジア学院チャプレンのジョナサン先生の導きの下、御言葉を読み、アジア学院で感じた事を聖書の文脈で考え、参加者同士で分かち合う時間を持ちました。わたしたちの想いがすべて伝わったかはわかりませんが、勉学や部活などで普段は忙しくしている中高生と共に、ゆっくりと聖書の御言葉に触れ、神様と自身の関係について考えることができた1週間は、御恵みと御守りに満ちた時間でした。
 また、アンダーコロナでの開催という事で、キャンプ1週間前から最終日まで、毎朝晩に検温と体調確認をしたり、事前に抗原検査キットを郵送し出発直前にそれぞれで実施したり、アジア学院内での感染対策に従い、こまめな手洗いや手指消毒、またパーテーションを介して食事をしたりと、参加者の各々が感染症予防に尽力しました。その心がけや皆様のお祈りによるお支えもあって、誰一人欠けることなく、最終日を迎えることができたのは何よりの喜びでした。
 最後にはなりましたが、JELAワークキャンプへの皆様のご協力とご支援、そしてお祈りに深くお礼申し上げます。皆さまのお支えがあって、何とかこのワークキャンプを再開することができました。また、今号1面にも掲載していただいているように、来年2月にはカンボジアのワークキャンプも実に3年ぶりに再開いたします。引き続きのお力添えとお祈りをどうぞよろしくお願いいたします。

聖書日課 頒布価格改定のお知らせ

松本義宣
(ルーテル聖書日課を読む会代表/東京教会・東京池袋教会・板橋教会牧師)

 2023年度(2023年1月・2月・3月号)より、聖書日課冊子ならびにWEB会員の頒布価格の改定をさせていただきます。何卒、ご理解くださいますようお願い申しあげます。

◆聖書日課冊子 年会費1800円
 なお、支払期日(3月末まで、施設は4月末まで)を過ぎた場合は、年会費2200円とさせていただきます。1冊のみの購入の場合は500円(+送料)です。
◆WEB会員
 年会費1200円

 お問い合わせ等がございましたら、聖書日課事務局まで、お願いいたします。
今後とも、かさねて聖書日課をご購読くださいますよう心からお願い申しあげます。
聖書日課を読む会
事務局
162─0842
東京都新宿区市谷砂土原町1─1 日本福音ルーテル教会事務局内
TEL(03)3260─8631
FAX(03)3260─8641

ルター研究所クリスマス講演会のご案内

江口再起 (ルター研究所所長)

 ルター研究所では、今年もまた「クリスマス講演会」のオンライン開催を計画しています。各教会でのクリスマス行事の一つとして、ぜひご活用ください。(昨年の「クリスマス講演会」は、全国100カ所でご視聴いただきました。感謝申し上げます。)
 視聴方法・開始時間など、詳細は各教会にあらためて連絡を差し上げます。

【日時】
12月11日(日)
午後2時~4時

【テーマ】
「ルターの聖書翻訳
500年」

【プログラム内容】
・講演
「中世後期の聖書の世界」(高村敏浩牧師)

・演奏
ルターのクリスマスの讃美歌(解説・加藤拓未さん)

・シンポジウム「聖書、ルター、翻訳、そして現代」
(立山忠浩牧師、李明生牧師、安田真由子さん)

 皆様のご参加をお待ちしています。

22-10-01るうてる2022年10月号

機関紙PDF

「善意を贈る」

日本福音ルーテル京都教会・賀茂川教会・修学院教会 牧師 沼崎勇

「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。」

(ルカによる福音書6章27節b〜29節a)

  京都市交響楽団定期演奏会が、3月12日(土)に京都コンサートホールにおいて開催され、藤村実穂子さんが、マーラーの『リュッケルトの詩による5つの歌』を熱唱しました。その中の第4曲「真夜中に」の歌詞を紹介します。
「真夜中に/私は目を覚まし/天空を仰ぎ見た/群れなす星のどれひとつとして/私に笑いかけてはくれなかった/真夜中に/真夜中に/私は思いにふけり/それは暗闇の果てにまで及んだ/真夜中に/〔だが〕私を慰めてくれるような/明るい思いつきは何ひとつなかった/真夜中に/真夜中に/私が注意を払ったのは/心臓の鼓動/たったひとつ苦悩の脈動だけが/あおり立てられていた/真夜中に/真夜中に/私は闘いを挑んだ/おお人類よ、おまえの苦悩のために/私は闘いを終わらせることができなかった/自らの力では/真夜中に/真夜中に/私は自分の力を/あなたの手に委ねた/主よ、この世の死と生を/あなたは夜通し見守っておられる/真夜中に」(山本まり子訳)。
 藤村実穂子さんは、今、このマーラーの歌曲を歌う意味について、インタヴューに答えて、およそ次のように述べています。「ウクライナの映像が、毎日流れています。昨日まで普通に暮らしていた人たちが、1日で、自分たちの国から出て行けって言われる。こんなことが起こるなんて、誰も思っていなかった。醜悪なものに対する答えは、『美』だと思うんです。大きな声をあげる方も素晴らしい。デモンストレーションをする方も素晴らしい。だけど、私は歌手なので、音楽という、天才たちが残してくれた作品を通して、自分が言いたいことも伝えられたらいいな、と思います」(『クラシック音楽館』NHK・Eテレ2022年4月17日放送)。
 私たちは、キリスト者なので、醜悪なものに対する答えは、美しい「神の言葉」である、と信じています。そして神は、この世の生と死を、夜通し見守っておられる方である、と信じています。ですから私たちは、自分の力を神の御手に委ねるのです。
 神は、「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5・45)方です。このような神の無限の愛を経験する者は、その愛に満たされて、その人自身も敵を愛する者とされます。
 だから、キリストは私たちに、こう命じられたのです。「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい」(ルカ6・27b〜29a)。そしてキリストは、教えられた通りに、自分を殺す者たちを、神に執り成しながら、彼らによって殺されました。

  このようなキリストの在り方を説明して、哲学者の岩田靖夫さんは、次のように述べています。「自分を守るために、他者を殺さない。復讐しない。不正を加えられても、不正を返さない。どのようなときでも、どのような他者にも、善意を贈りつづける。それは、他者に対して限りない畏敬の念をもつ、ということである。他者のうちに、神の似姿を見る、ということである。そこを目指して努力するのでなければ、どのような工夫をこらしても、それは、戦争の可能性の危うい隠蔽に過ぎない」(岩田靖夫著『いま哲学とはなにか』岩波書店2008、202頁)。
 神は私たちに、「殺してはならない」(出エジプト20・13)と命じておられます。なぜ人を殺してはいけないのでしょうか。それは、人を殺すことが、神の無限の愛にもとる行為であるからです。私たちはキリストにならい、他者に対して限りない畏敬の念を持ち、どのような時でも、どのような他者にも、善意を、そして美しい「神の言葉」を贈りつづけたい、と思います。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉛「今も生きて」

「しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」(マルコ10・31)

  どういう意味だったんだろう?
 私は十数年前ある礼拝で説教をさせていただきました。その礼拝に、幼い頃、私が育った教会の牧師夫婦もいらしていて礼拝後にお会いしました。
 「あなたからの説教とても良かったです。ありがとう。」と言われた後「先の者は後になり後の者は先になるとイエス様がおっしゃられた通りですね。」とおっしゃられました。
 兄弟という以上に年が離れている方だったので何を言われているのかわかりませんでした。褒められているのか。ずっと気になりつつも聖句に帰っていませんでした。
 そして今回、み言葉に向き合うチャンスをいただき私はマルコによる福音書10章23節から聴く機会をいただきました。「イエスは弟子たちを見回して言われた…」に続く話は財産を持ったまま神の国を望む者がそのまま神の国に入ることの難しさを例えた箇所でした。ここだったのか…ラクダの例えもある。
 なんで今なんだろう。その先生は亡くなって数年も経つ今、私は初めて先生を通して与えられたみ言葉に向き合ったようです。今までも何度も向き合った聖句です。でもいつも新しい出会いをいただいて「ハッ」とさせられます。
 「福音には年齢順も、お金のあるないや地位の順は関係ない。そして知識も。」と聞こえてくるような気がしました。み言葉は今も生きて一人ひとりに働かれています。

議長室から 大柴譲治

「Solus Christus〜キリストの現臨のみ」

「約束がイエス・キリストの真実によって、信じる人々に与えられるためです。」(ガラテヤ3・22b聖書協会共同訳)

 「一点突破全面展開」(鈴木浩)。この言葉は私たちの教会のアイデンティティをよく表しています。ルーテル教会は常に中心を明確にしようとするからです。「5つのソラ」と呼ばれる宗教改革原理も然り。信仰のみ・恵みのみ・聖書のみ・キリストのみ・ただ神に栄光のみ。外的奉仕のための内的集中です。一点で突破し全面で展開するのです。
 今年も宗教改革を覚える10月、自分の原点を確認する時となりました。今回はJELC『第七次綜合宣教方策』で強調される「牧会」(英語Pastoral Care/独語Seelsorge)に焦点を当てたいのです。牧会とは羊飼いが羊の世話をすること(ヨハネ21章)。聖職者が「牧師Pastor」と呼ばれるのも牧会的な働きが重視されるからです。しかし真の牧者は主キリストただお一人。私たちには迷子の羊が出ないよう群れの周囲を走り回る「牧羊犬的な働き」が求められています。そこから「全信徒祭司性」は「全信徒牧会者性」とも理解できます。教会は復活の主から相互的な「魂の配慮」という大切な使命を託されているのです。
 ルターが始めた宗教改革運動。それは様々な次元で展開されましたが、基調音は牧会にありました。人々の魂の救いの問題(贖宥状)に関して始まり、礼拝改革や教育改革など一貫して牧会的に展開されていったのです。そのことは石田順朗先生の『牧会者ルター』(日本キリスト教団出版局2007)やT・G・タッパートの『ルターの慰めと励ましの手紙』(内海望訳、リトン2006)等に明らかです。
 ルター自身も自らの魂の平安を得ようと聖書(特に詩編やパウロ書簡)と実存的に格闘し続けました。突然、詩編150編すべてが「キリストの祈り」として理解され、神の義とは御子を賜った神からの一方的な恩寵であることを知ります。ルターは「突然天国の門が開けて、自分が全く生まれ変わったように感じた」のです(塔の体験)。それは彼がキリストの現臨(リアルプレゼンス)に捉えられた主体のコペルニクス的体験でした。第二の「シュトッテルンハイム落雷体験」とも呼び得ましょうか。
 Solus Christus! 説教でも牧会でも礼拝の司式(聖礼典の執行)でも、文書執筆でも教会管理でも、すべては中心で働いておられる「キリストの現臨/リアリティ」をどう共有できるかにあります。インマヌエルの主が常に共にいて、深い憐れみをもって私たちの魂を配慮してくださる。それこそが私たちの慰めと励まし、そして喜望の源泉なのです。

「教会讃美歌 増補」 解説

㉘創作賛美歌解説8
増補45番「よろこびの歌 はずむ時」
歌詞解説 久木田恵
(帯広教会)

 この詞は「そらよ、そらよ、優しく晴れて」のフレーズが思い浮かび、書き始ました。私は北海道十勝の大空の下で暮らしています。空の青さと満点の星空にどれほど慰められてきたかわかりません。自然の中に身を置くとイエスさまを近くに感じます。十勝の気温は1月末にマイナス20度まで下がります。この時季の夕方、うす紫色の優しい空を主は見せてくださいます。厳寒の中で、グングンと日は長くなり、必ず春が来ると希望を与えてくださるのです。逝ってしまった大切な人を想いながら書きました。どのような時であっても、主の恵みと優しさの中で、穏やかな心でいられますようにという願いを込めました。
 私の詞に美しいメロディをつけてくださった油谷さんのカトリック教会でも、この曲は歌われています。新しい賛美歌集によって、さまざまな教会で歌われ、どなたかの心に触れましたなら大きな喜びです。

曲解説 油谷美佐子
(カトリック五井教会)

 2011年のある日、教会での聖書研究会を終えて、ふと手に取った「教区ニュース」に「教会音楽祭」の公募曲の記事が出ていました。この催しは、1968年に始まった、教派を超えたキリスト教一致のためのもので、3つの課題詞が添えられていました。その中のひとつに、久木田恵さんによる「よろこびの歌 はずむ時」は、あったのです。素朴な力強さ、細やかな優しさをもったこの詞を、帰り道のバス停で口ずさむうち、自然とメロディが浮かびました。不思議なことでした。
 私はカトリック教会に所属する者ですが、ヨハン・セバスティアン・バッハを尊敬してやまぬ両親のもとで育ちました。民衆のコラールに基づいた彼の教会音楽は、「オルガン小曲集」から、「マタイ受難曲」に至るまで、いつも力と希望を与え続けてくれるものです。
 このたび、ルターのコラールに日本語の歌詞を付けられた賛美歌集のなかに、この賛美歌が加えられたことに感慨を覚えます。「教会讃美歌 増補」発刊おめでとうございます。

世界の教会の声

浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

LWFウクライナ支援・半年が過ぎて

 ロシアのウクライナ侵攻から半年が過ぎましたが、ルーテル世界連盟(LWF)では戦争による被災者たちへの支援活動は続いています。まもなく冬がやって来るので、これからは損壊した家々や公共施設の復旧作業が急務です。それに加えて被災者一人ひとりへの牧会的な心のケアの必要性が高まっています。LWFは独自の直接的な支援とともに、加盟教会の協力のもとウクライナ住民と難を逃れて近隣諸国で難民生活を送っている人々にむけた支援活動を行っています。

「侵攻が始まって数日後、LWFはポーランドにチームを結成しました。まずはワルシャワに事務局を開設しそこを多目的支援センターとして、五万人以上に金銭的支援活動を始めました。ルーテル諸教会とUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)と緊密に連絡をとりながら共同作業をしています。」
(LWF支援活動責任者 シェイ・マトナー氏)

 こうした活動を可能にしているのがLWF加盟教会から惜しみなく捧げられる支援金です。LWFは地元教会や自治体と連携して、立ち上がったファンドとUNHCRからのインフラを組み合わせ、そこに独自の専門技術と開発支援に関する経験を活かすというユニークなパートナーシップ関係のなかで活動しています。

「教会からの強力な支援には頭が下がります。ウクライナとその周辺諸国のLWF加盟教会が戦禍の内にある人たちに示している連帯意識と思いやりは素晴らしいです。教会施設や個人宅を開放するなどして、国を追われた人々に対して具体的な行動をとっています。教会には長きにわたるディアコニア経験があって、それを今回の危機的状況のなかで活かしています。」(LWF宣教主事 エヴァ・ニルソン氏)

 寒い季節の到来に備えてLWFは今後、ウクライナ北部地方在住の戦争被害者への支援を開始します。さらに半年にわたり難民支援活動をしてきた教会自体がインフラ整備等の支援を必要としています。そしてウクライナの方たちが新しい地域社会での定住に向けた受け入れ作業を教会といっしょに進めていく計画です。

「この状態がいつまで続くかわかりませんが、困難な暮らしを強いられた人々に最善を尽くして仕えるという私たちの決意は変わりません。」(シェイ・マトナー氏)

 

 ※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから

 

⑦部落差別問題委員会
小泉嗣(熊本教会・玉名教会牧師)

 

 NCC部落差別問題委員会のはじまりは、NCC加盟団体である日本福音ルーテル教会の機関紙「るうてる」に掲載された文書の中の差別表現である。当時すでに「部落差別問題に取り組むキリスト教連帯会議」や「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議」などが存在し、そこにかかわるNCC加盟の諸教派、諸団体があったにもかかわらず、問題意識を共有出来ていなかった事実を重く受けとめ、あえてNCCに部落差別問題委員会を設置したのが1976年3月のNCC第27回総会であった。
 あれからおよそ半世紀、この委員会は教会が正しい認識と意識をもって部落差別問題と向き合う事ができるようになるために、細く、長く、人権学習・啓発活動を続けている。
 50年前にインターネットや技能実習制度がなかったのと同じように、「部落差別」をとりまく状況も大きく変わった。私(現在49歳)が触れ、学んだ「部落差別」は1965年に提出された「同和対策審議会答申」をもとにした「部落低位論(部落民はかわいそう、だから生きる権利をしっかりと保証しよう)」であった。もちろん劣悪な住環境に追いやられ、就職や結婚等で差別を受けて来たこと、受けていることは是正しなければならない日本の課題であることは間違いない。しかし、もっと長い目で、たとえば文化として食肉が定着した後の日本の歴史の中で部落民が担ってきた役割を鑑みると、食肉皮革産業にしろ、浅草の弾左衛門にしろ、それは決して押し付けられてきた役割ではなく、必要とされ、また受け継がれてきた社会の役割であり、そこには「かわいそう」「無理やり」というイメージは全くないのである。
 そのような視点で「部落差別」を受け止める時、今なお続く石川一雄さんの冤罪事件や、インターネットや葉書による差別事件、結婚・就職差別などは、他者を自分勝手なイメージで塗り固めた偏見以外のなにものでもないのである。NCC部落差別問題委員会は、石川一雄さんの裁判闘争への連帯、全国キリスト教学校人権教育研究会と協力して作成した「いばらの冠(人権教育のための冊子)」の活用、販売促進、年3〜4回行われる人権セミナー(関東近郊にみる被差別部落の歴史や担ってきた働き等を学ぶフィールドワーク・但しコロナ禍のため近年はリモート開催)などを主な活動としているが、それらはいずれも当事者の声を聴き、歩んできた歴史を学ぶことによって、自らの持つ偏見、自分勝手なイメージを壊し、部落差別の中で生きてきた人々を縛ってきた見えない鎖を断ち切ることを目指してのものである。それらはどれも老若男女、教派団体を問わず、(たくさんではないが)色々な人たちが集い、和気あいあい、まじめに催される。活動の詳細はNCCのホームページを見ていただきたい。そして是非一度、参加してもらいたい。

社会委員会リレーコラム「本・出会い・教会」④

 

李明生(田園調布教会牧師)

 

  東日本大震災から既に11年が過ぎました。この本では、震災後の年月を振り返る福島県内でのキリスト教諸教派からの19の証言が収録されています。その中には、福島県キリスト教連絡会とルーテル教会救援との関わりや、日本ルーテル教団との関わりが深い「キッズケアパークふくしま」の歩みなど、大変興味深い記録が収められています。しかし、今回特に紹介したいのは、佐藤信行さん(福島移住女性支援ネットワーク代表)による「福島の移住女性たちと共に十年」という項目です。
 超教派で担われている「外国人住民基本法制定を求める全国キリスト教連絡協議会」(外キ協)は、東日本大震災の翌年から宮城県を中心に外国人被災者支援活動を開始します。外キ協事務局でもある佐藤氏は、支援活動の中で福島在住のフィリピン女性たちと出会い、YWCAとの協力の中で「福島移住女性支援ネットワーク(EIWAN)」を立ち上げることとなります。
 震災以前から福島県に在住する外国にルーツを持つ移住者は決して多くありませんでした。「しかし、そうであるがゆえに、日本に暮らす外国人をめぐる『日本社会の問題』を凝縮して示してくれる」(106頁)と佐藤氏は語ります。震災後には、労働力不足を補うために技能実習生が急増することとなりました。また震災以前の福島県在住外国人は「女性100人」に対して「男性59人」という比率で、日本人男性と結婚して県内に定住し永住している国際結婚移住女性がかなりの割合をしめている、という特徴がありました。震災前、そうした移住女性たちの多くが日常的には社会との接点を持つことが難しく孤立しやすい状況にありましたが、震災後まもなく(主に出身国に基づく)自助組織を形成して、情報交換や相互支援を行う人達が現れ始めました。EIWANはそうした自助組織を支援しつつ、まだ自助組織の無いところでのグループ作りに取り組んでいくこととなりました。特に、社会参与のためには言語の習得は不可欠であることから、フィリピン女性達からの要望で2013年に「日本語サロン」を福島と白河で開始したところ、2015年には中国、韓国、南アフリカ、コロンビア、エクアドル、なかでも白河近郊で働くベトナム出身の技能実習生が多く参加するようになり、参加者が急速に多国籍化してゆきます。この日本語サロンは、孤立しがちな移住女性や技能実習生達にとって、生活の事や子どもの悩みなどを相談できる大事な場所となりました。
 EIWANはさらに移住者と地元市民が出会うための「多文化カフェ」や「多文化フェスティバル」の企画、また「やさしい日本語による防災ワークショップ」、「放射能被害の調査と情報提供」、「移住女性とその子どもの保養プログラム」、「子どもたちの日本語学習支援」、「ダブルの子どもに対する継承語教育」に取り組むこととなります。報告の最後で佐藤氏は詩編113・5〜8を引用しつつ、こう記しています。「創成期2010年代の継承語教室で学んだ子ども達は、いま高校生、大学生となった。彼ら彼女らが十年後、二十年後、三十年後の『カラフルふくしま』を担っていくだろう。それは、私たちの夢であり確信でもある。」
 本来であれば、政府や自治体が担わなければならない領域ばかりですが、あまりにも立ち後れている現状の中、新しい市民社会ネットワークが生まれることを信じて、現在も活動が続けられています。

第4回「神学校オープンセミナリー」のご案内

 

 日本福音ルーテル教会(JELC)及び日本ルーテル教団(NRK)の神学教育委員会、日本ルーテル神学校の共催として、昨年と同様にオンライン(Zoom)での開催となります。JELCとNRKの信徒で、神学校に関心のある方、教会の働きへの献身を考えている方が対象です。(参加定員10名程度)

〈プログラム〉
第1部「神学校ってどんなとこ?」(礼拝・模擬講義・ガイダンス)
第2部「交わりを広げてみよう!神学生や若手牧師と話そう」(交流会)
〈日時〉11月13日(日)
   15〜21時
〈参加費〉無料
〈申し込み〉所属教会牧師の推薦を受け、各教区長に申し込みのこと
〈締め切り〉10月31日(月)

※プログラムの詳細については、ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校チャプレン・河田優牧師(mkawata@luther.ac.jp)までお問い合わせ下さい。

カトリック第16回「シノドス」総会に向けての日本福音ルーテル教会からの応答④

エキュメニズム委員会

3 共に歩む私たち — 今後のこと
  

 シノドスが「『ともに歩む』ことは〝一緒にみことばを聴き〟聖餐をともにするとき、はじめて可能になる」と明記していることは、ルター派の伝統に根ざす私たちにとっても、大きな励ましと確認を与えられるものです。なぜなら、聖書への集中は、同時に讃美と祈りの回復でもあったことを思い起こさせるからであり、礼拝を通して、私たちは信仰を「心と口と手で」生きることを学ぶからです。シノドスが教える通り、礼拝こそが、私たちをすべての頸木から解放し、新しい命を与えるものです。
 そこでルターが「藁の書簡」と呼んだにもかかわらず、「ヤコブの手紙」を私たちルター派に立つ教会は再評価したいと思います。なぜなら「ヤコブの手紙」が激しい怒りをもって語るのは「富んだ者」によって「貧しい者」が共に礼拝することを拒んだという事実です。この事態を深く解釈するならば、「富んだ者」が「貧しい者」が聖餐に預かることを拒んだということです。この事態に対して、ヤコブは「行いのない信仰は死んだものである」(ヤコブ2・26)と語らざるを得ませんでした。聖餐を共にできないということは、『ともに歩む』ことができないということを浮き彫りにしているのではないでしょうか。そして、それを妨げる「信仰なるもの」があるならば、それは信仰ではなく、死んだ信仰ではないでしょうか。
 この事態をシノドスもまた、深刻な課題として提示していることは、福音主義に生きる私たちにとっても深刻な課題です。そして事実、私たちの教会は不寛容な側面を強く持つ集団であることを、私たちはこれもまた痛みをもって告白せざるを得ません。
 このような現実にあって、日本福音ルーテル教会と日本カトリック司教協議会が、1987年6月19日に「洗礼の相互承認」について行った合意は、高く評価されるべきです。
 その後も2004年に「義認の教理に関する共同宣言」の翻訳を記念して2004年10月31日に四谷のイグナチオ教会のマリア聖堂でカトリック教会と日本福音ルーテル教会との、最初の合同礼拝が行われました。この積み重ねの上に私たちはエキュメニズム教令50周年を2014年に記念し、日本福音ルーテル教会、日本カトリック司教協議会、日本聖公会は合同の礼拝を行い、更に2017年には宗教改革500年を記念して被爆地長崎で平和の祈りを実現してきました。日本というコンテキストを超えて、世界的にみても、これは画期的な出来事でした。そして、今後「ともに歩む」私たちに課せられていることの一つは、聖餐を共にするということではないでしょうか。恐らくそこに至るまでには長い道のりが予想されます。しかし、祈りましょう。聖餐を共にするという証があって、私たちは真実の意味で「ともに歩む」群れとして、神の道具にされていくと信じます。 

ルーテル諸学校夏の研修会が開催されました

  

小副川幸孝
(九州学院院長・
チャプレン)

 去る8月8~10日にかけて、ルーテル諸学校(聖望学園、浦和ルーテル学院、ルーテル学院、神戸ルーテル神学校、九州ルーテル学院、九州学院の6校合同)の夏の研修会が神戸ルーテル聖書学院を会場にして4年ぶりに開催されました。台風の到来や新型コロナウイルスの感染拡大のために、なかなか開催することができませんでしたが、行動制限がとられない状態でしたので、「顔と顔とを合わせての」開催となり、各学校の先生方と共に豊かな学びと交わりをすることができました。
 このルーテル諸学校の夏の研修会は、新任の先生方や中堅の先生方のために毎年行われていましたが、今年、ようやく再開されることとなり、やはり、「顔と顔を合わせる」ということがいかに豊かであるかを実感できるものでした。
 今回の開催では高等学校をもつ4校のうち、聖望学園と九州学院の2校が高校野球の夏の甲子園大会出場という快挙の中での研修会となり、それぞれの学校のエールが贈られました。また、この4年間のそれぞれの学校の動きなどの紹介が行われ、和やかな中でも豊かな研修でした。
 研修会のテーマは、「ミッションスクールで働く誇りと喜びと感謝」という主題の下で、ルーテル学院大学学長の石居基夫先生による「福音に立つ学校」、わたしの「学校教育の根本的課題とルター派キリスト教学校で働く意味」、そして九州ルーテル学院大学の田中將司先生による「LGBTQ+の課題に対する対応」という3つの講演が行われました。
 今日、現代社会そのものも学校教育を取り巻く環境も大きく変化し、それぞれの対応が必要となっていますが、キリスト教という揺るがぬ土台の上に立つ学校として、何が大切なことであるのか、「福音に立つ学校」として現代の社会状況の中で何を目指したらよいのかが示唆され、また、「多様性を認め合う」ということの具体的なこととして「LGBTQ+」の生徒や学生に対する対応に必要なことを学びました。参加された先生方にとって良い学びの時となり、また何よりも神の平和を祈りつつ、研修で学ばれたことをそれぞれの学校に持ち帰り、活かすことができればと願っています。
 予定されていた10日は、聖望学園が甲子園で試合をする日と重なりましたので、予定を早めて応援に行くという日程になりました。これもルーテル諸学校らしい在り方だと思っています。聖望学園は、その日の試合(1回戦)で見事に勝利しました。

オンライン 「ルーテル聖書日課読者の集い」のご案内

  

「ルーテル聖書日課読者の集い」が
オンラインで開催されます。
聖書日課の講読者ではない方も
ご参加頂けます。
皆様のご参加をお待ちしております。

〈主題〉 使徒言行録を学ぶ
〈講師〉 李明生牧師
(日本福音ルーテル田園調布教会)
〈日時・開催方法〉
10月10日(月・休)
10〜12時 第1講義
13〜15時 第2講義
※オンライン(Zoom)による開催です。
〈申込締切〉10月6日(木)
〈参加費用〉お1人千円
(1カ所で複数の参加も歓迎いたします。
その場合もお1人千円にご協力を
お願い申し上げます。)
〈振込先〉
郵便振替01080 — 4 — 12181
ルーテル「聖書日課」を読む会
*摘要欄に「読者の集い」とご記載いただくか、
*送金者名を「お名前 + ドクシャノツドイ」に
ご修正ください。
〈申込先〉
住所、氏名、メールアドレス、
連絡先を明記の上、
seishonikka■jelc.or.jp(■=@)
もしくは
FAX(03)3260—8641
まで送信ください。
〈お問合せ〉
聖書日課を読む会事務局
(日本福音ルーテル教会事務局内)
TEL(03)3260—8631
FAX(03)3260—8641
seishonikka■jelc.or.jp(■=@)

22-10-01「善意を贈る」

 「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。」
(ルカによる福音書6章27節b〜29節a)

  京都市交響楽団定期演奏会が、3月12日(土)に京都コンサートホールにおいて開催され、藤村実穂子さんが、マーラーの『リュッケルトの詩による5つの歌』を熱唱しました。その中の第4曲「真夜中に」の歌詞を紹介します。
「真夜中に/私は目を覚まし/天空を仰ぎ見た/群れなす星のどれひとつとして/私に笑いかけてはくれなかった/真夜中に/真夜中に/私は思いにふけり/それは暗闇の果てにまで及んだ/真夜中に/〔だが〕私を慰めてくれるような/明るい思いつきは何ひとつなかった/真夜中に/真夜中に/私が注意を払ったのは/心臓の鼓動/たったひとつ苦悩の脈動だけが/あおり立てられていた/真夜中に/真夜中に/私は闘いを挑んだ/おお人類よ、おまえの苦悩のために/私は闘いを終わらせることができなかった/自らの力では/真夜中に/真夜中に/私は自分の力を/あなたの手に委ねた/主よ、この世の死と生を/あなたは夜通し見守っておられる/真夜中に」(山本まり子訳)。
 藤村実穂子さんは、今、このマーラーの歌曲を歌う意味について、インタヴューに答えて、およそ次のように述べています。「ウクライナの映像が、毎日流れています。昨日まで普通に暮らしていた人たちが、1日で、自分たちの国から出て行けって言われる。こんなことが起こるなんて、誰も思っていなかった。醜悪なものに対する答えは、『美』だと思うんです。大きな声をあげる方も素晴らしい。デモンストレーションをする方も素晴らしい。だけど、私は歌手なので、音楽という、天才たちが残してくれた作品を通して、自分が言いたいことも伝えられたらいいな、と思います」(『クラシック音楽館』NHK・Eテレ2022年4月17日放送)。
 私たちは、キリスト者なので、醜悪なものに対する答えは、美しい「神の言葉」である、と信じています。そして神は、この世の生と死を、夜通し見守っておられる方である、と信じています。ですから私たちは、自分の力を神の御手に委ねるのです。
 神は、「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5・45)方です。このような神の無限の愛を経験する者は、その愛に満たされて、その人自身も敵を愛する者とされます。
 だから、キリストは私たちに、こう命じられたのです。「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい」(ルカ6・27b〜29a)。そしてキリストは、教えられた通りに、自分を殺す者たちを、神に執り成しながら、彼らによって殺されました。
 このようなキリストの在り方を説明して、哲学者の岩田靖夫さんは、次のように述べています。「自分を守るために、他者を殺さない。復讐しない。不正を加えられても、不正を返さない。どのようなときでも、どのような他者にも、善意を贈りつづける。それは、他者に対して限りない畏敬の念をもつ、ということである。他者のうちに、神の似姿を見る、ということである。そこを目指して努力するのでなければ、どのような工夫をこらしても、それは、戦争の可能性の危うい隠蔽に過ぎない」(岩田靖夫著『いま哲学とはなにか』岩波書店2008、202頁)。
 神は私たちに、「殺してはならない」(出エジプト20・13)と命じておられます。なぜ人を殺してはいけないのでしょうか。それは、人を殺すことが、神の無限の愛にもとる行為であるからです。私たちはキリストにならい、他者に対して限りない畏敬の念を持ち、どのような時でも、どのような他者にも、善意を、そして美しい「神の言葉」を贈りつづけたい、と思います。

22-09-10「こうされたから」と 「こうされたのに」の生き方

 「あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった。」 (申命記10章19節)

 私のいる教会の一つでは、雨漏りや耐震問題で補修工事が始まりました。トラックが2台来て、礼拝堂を覆う足場が組まれました。朝の挨拶後は牧師館で仕事をしましたが、夕刻外に出ました。気になる事があったからです。彼らの会話に、外国語風日本語も聞こえたのです。「外国人の人もおられる?」と責任者に聞くと「はい、1人います。ブラジル人です」とのこと。「紹介してよ、話してみたい」とお願いして青年に会いました。ポルトガル語で話かけると皆びっくり。彼は喜んでくれ、故郷のこと、日本での生活、家族との死別や離別、でも何とかやっていることなどを、一気に話してくれました。私もブラジルに10年いて苦楽が色々あったことなど、共有する濃厚な時間でした。「今度はいつウチに来る?いつでもおいで。おしゃべりや食事しよう!」と名刺を渡し握手しました。トラックに分乗し会釈をしながら帰っていく彼らの後を、原付バイクのブザーを数度鳴らして「チャオ!(さいなら)」と手を振って彼も帰っていきました。
 新しく日本に来た様子の外国の人を見ると、声をかけたくなります。私たち夫婦も外国で苦楽を味わった「ガイコク人」の経験があるからでしょう。日系人だけでなく技能実習生のアジア諸国の人たちにも教会で日本語を教え、手続きや仕事のことでも通訳をしたりもしています。泣いたり笑ったりする彼らとの時間は、私をも支えてくれます。

 旧約聖書で「寄留者を愛せよ」と神は言われます。「選ばれた民」は異教の他国人とは対決し、旧約の神は排他的で厳しいだけというのは思い込みのようです。その説明ともいえる続きが心にしみます。「あなたがたもかつて寄留の民だった(のだから)」とあるからです。
 飢饉で食糧危機の際、食糧を備蓄していた隣の大国に行き、感動の再会と和解をしたヨセフの兄弟や家族たちはエジプトに身を寄せました。現代の食料難民や労働難民が他国に流入するニュース映像を思い出します。時が過ぎて異国での待遇は劣悪になり、神に選ばれたモーセと共に脱出します。それを思い起こさせ、次の世代にも伝えながら、もう一度神の救いの歴史と律法を説明し、従うように決断を迫るのが申命記です。

さて、私たちの生き方はどうでしょうか。外国人に対する接し方だけの話ではありません。
 「自分がいやなことは、人にはしない」とか、「良くしてもらったから、良くしてあげよう」と教えられました。しかしそれは裏返せば、「人にひどい仕打ちをされたら、仕返しをしよう」という気持ちにもなるのです。どうしたらその連鎖は断ち切られることができるのでしょう?それは、「こうされたから」という気持ちから「こうされたのに」への転換が必要です。そのために来られたのが、イエス・キリストでした。「自分を愛する人を愛するのは当然だ。敵を愛しなさい」といわれ、その通りに生き、その通りに十字架で死んでいかれたのです。
 「敵を愛する」、それは私たちにはできません。もう一度ここで「こうされたから」という言葉が必要です。今度は、自分にひどいことをする人を思い出しながら「こうされたから」ではなく、神や人にひどいことをした何をやってもダメな自分なのに赦してくれたキリストを見上げ「キリストにこうされたから」と思うと、私の中で新しい自分が少し始まります。申命記の言葉とキリストの姿が呼応するように心で響きます。

 平和を祈り献金も送りますが、戦禍は続きます。コロナ禍で孤独や難しさを味わい生活も苦しくなります。日本で暮らす外国人の方々も影響を受けています。
 キリストが開いてくれた新しい生き方にもう一度目覚めましょう。そのために、神様はいろんな人に出会わせているのかもしれません。私は難しい政治的な活動はできませんが、身近な出会いから手を取り合いたいと思わされます。皆さんは誰に出会って生きますか?小さいことから、何かが始まります。個人にも、家庭にも、教会にも、そして世界にも。

22-09-10るうてる2022年09月号

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 「こうされたから」と「こうされたのに」の生き方

日本福音ルーテル高蔵寺教会・復活教会・掛川菊川教会・新霊山教会 牧師 徳弘浩隆

「あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった。」
(申命記10章19節)

   私のいる教会の一つでは、雨漏りや耐震問題で補修工事が始まりました。トラックが2台来て、礼拝堂を覆う足場が組まれました。朝の挨拶後は牧師館で仕事をしましたが、夕刻外に出ました。気になる事があったからです。彼らの会話に、外国語風日本語も聞こえたのです。「外国人の人もおられる?」と責任者に聞くと「はい、1人います。ブラジル人です」とのこと。「紹介してよ、話してみたい」とお願いして青年に会いました。ポルトガル語で話かけると皆びっくり。彼は喜んでくれ、故郷のこと、日本での生活、家族との死別や離別、でも何とかやっていることなどを、一気に話してくれました。私もブラジルに10年いて苦楽が色々あったことなど、共有する濃厚な時間でした。「今度はいつウチに来る?いつでもおいで。おしゃべりや食事しよう!」と名刺を渡し握手しました。トラックに分乗し会釈をしながら帰っていく彼らの後を、原付バイクのブザーを数度鳴らして「チャオ!(さいなら)」と手を振って彼も帰っていきました。
 新しく日本に来た様子の外国の人を見ると、声をかけたくなります。私たち夫婦も外国で苦楽を味わった「ガイコク人」の経験があるからでしょう。日系人だけでなく技能実習生のアジア諸国の人たちにも教会で日本語を教え、手続きや仕事のことでも通訳をしたりもしています。泣いたり笑ったりする彼らとの時間は、私をも支えてくれます。

   旧約聖書で「寄留者を愛せよ」と神は言われます。「選ばれた民」は異教の他国人とは対決し、旧約の神は排他的で厳しいだけというのは思い込みのようです。その説明ともいえる続きが心にしみます。「あなたがたもかつて寄留の民だった(のだから)」とあるからです。
 飢饉で食糧危機の際、食糧を備蓄していた隣の大国に行き、感動の再会と和解をしたヨセフの兄弟や家族たちはエジプトに身を寄せました。現代の食料難民や労働難民が他国に流入するニュース映像を思い出します。時が過ぎて異国での待遇は劣悪になり、神に選ばれたモーセと共に脱出します。それを思い起こさせ、次の世代にも伝えながら、もう一度神の救いの歴史と律法を説明し、従うように決断を迫るのが申命記です。

   さて、私たちの生き方はどうでしょうか。外国人に対する接し方だけの話ではありません。
 「自分がいやなことは、人にはしない」とか、「良くしてもらったから、良くしてあげよう」と教えられました。しかしそれは裏返せば、「人にひどい仕打ちをされたら、仕返しをしよう」という気持ちにもなるのです。どうしたらその連鎖は断ち切られることができるのでしょう?それは、「こうされたから」という気持ちから「こうされたのに」への転換が必要です。そのために来られたのが、イエス・キリストでした。「自分を愛する人を愛するのは当然だ。敵を愛しなさい」といわれ、その通りに生き、その通りに十字架で死んでいかれたのです。
 「敵を愛する」、それは私たちにはできません。もう一度ここで「こうされたから」という言葉が必要です。今度は、自分にひどいことをする人を思い出しながら「こうされたから」ではなく、神や人にひどいことをした何をやってもダメな自分なのに赦してくれたキリストを見上げ「キリストにこうされたから」と思うと、私の中で新しい自分が少し始まります。申命記の言葉とキリストの姿が呼応するように心で響きます。

    平和を祈り献金も送りますが、戦禍は続きます。コロナ禍で孤独や難しさを味わい生活も苦しくなります。日本で暮らす外国人の方々も影響を受けています。
 キリストが開いてくれた新しい生き方にもう一度目覚めましょう。そのために、神様はいろんな人に出会わせているのかもしれません。私は難しい政治的な活動はできませんが、身近な出会いから手を取り合いたいと思わされます。皆さんは誰に出会って生きますか?小さいことから、何かが始まります。個人にも、家庭にも、教会にも、そして世界にも。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉚「嬉しかったのかなぁ」

「あなたの御言葉が見いだされたとき/わたしはそれをむさぼり食べました。/あなたの御言葉は、わたしのものとなり/わたしの心は喜び躍りました。/万軍の神、主よ。/わたしはあなたの御名をもって/呼ばれている者です。」(エレミヤ15・16)

  遺品の整理をしていました。引き出しを開けた時、色々な書類の中に昔私が配った誕生日カードがしまってありました。
 しかも手で書いてあり私が手書きで字を書けたのは10年近く前のことで、なんだか懐かしいような意外なような…
 その方にカードを配るため、お部屋を訪問しお部屋のドアをノックしてもお返事はなく(それでもお部屋のドアの鍵が開いていればお構いなく入りますが)いつもベッドで寝ておられました。本当に寝ておられるのか目をつむっておられるだけなのかはわかりませんが「お誕生日おめでとうございます。カード置いておきますね」と毎年お部屋にカードを置くだけでした。
 しかも字が書けなくなっても味気ないから申し訳ないなと思いながらもパソコンで文字を打ち誕生日カードを配り続けました。まさか10年近くもたってしかもいつも無視されていたのか嫌がられていたのかと思っていた人の遺品から大切にされていたであろうかたちで示されるとは驚き半分嬉しさ半分複雑な気持ちでした。続けていて良かった。
 よく考えると私たち一人ひとりも思われ続けています。誰も気付く人がいなくても。

議長室から 大柴譲治

「突発性難聴」

「わたしは、「あなたたちのために見張りを立て耳を澄まして角笛の響きを待て」と言った。」(エレミヤ6・17a)

6月5日(日)のペンテコステに不思議な体験をしました。早朝に目覚めると左耳にかなり大きくザァーッというホワイトノイズが聞こえていたのです。テレビの放送終了時のあの音です。「耳鳴り」でした。ペンテコステですから一瞬、聖霊が降って天とのチャンネルがつながって交信が始まったのかと思いました。それはパウロの言う「第三の天」体験だったのかもしれません。
 翌日耳鼻科のクリニックに行くと外耳にも中耳にも鼓膜にも問題はなく内耳の問題とのこと。診断は原因不明の「突発性難聴」。過労やストレス、睡眠不足などで起こりやすいそうです。4分の1は治り、4分の1はそのまま、残りは悪化するとのこと。聴力検査をしてもらうと左耳の聴力がかなり落ちていて、ちょうど人の声と重なる1000㎐と2000㎐のあたりの音域が聴き取りにくい状態でした。ステロイド薬の処方を受けて1週間後に再検査。処置が早く、祈りが聴かれたのでしょう、聴力も元に戻り耳鳴りもほとんど聞こえなくなりました。「幸運な25%」に入ったのです。耳鼻科医の教会員からは「くれぐれも安静に」とアドヴァイスを受けました。改めて身体からの声を聴くことの大切さを知らされました。妻からの「安静、安静」という言葉は、私にどこかやましい気持ちがあるせいか、「反省、反省」に聞こえて苦笑いした次第です。今回の経験を通して聴覚で苦労しておられる方々が少なくないことを知りました。
 この「議長室から」の主題は「聽」です。「耳と目と心を一つにし、それを十分に用いて王(=神)の命に従う」というところにあるのです。今回耳鳴りによって人の声がかき消されてしまうことには困惑しました。それは日蝕や月蝕同様に「神の蝕」状態でした。7月18日に聖公会の修養会で「老い」について話す機会がありました。その後半には3人一組での分団の時間がありました。ある分団では3人のうち2人が最近「大動脈解離」から回復されたという貴重な体験をお話しされました。同じ部屋の中でいくつもの分団が同時に話していますのでその語がなかなか聴き取れず、2度確認してようやく分かりました。今まで気づかなかっただけかもしれませんが、私にとっては初めての「耳が遠くなる」体験でした。今「難聽」になることを怖れている自分がいます。母が晩年によく私に「譲治、歳を取るということは大仕事なのよ」と言っていたことを思い起こします。向こう側から届けられる声の響きにこれまで以上に耳を澄ませてゆきたいと念じています。

「教会讃美歌 増補」 解説

㉗創作賛美歌解説7 増補36番「わたしは祈ります」・増補38番「いつもよろこんで」
森康高(日本キリスト教団水元教会)

 私がこの曲を作ったのは2011年でした。当時の私は、芸術大学の作曲科を卒業した事もあり、賛美歌やオルガン曲を夢中で作曲しておりました。私は作詞をすることが苦手でしたので、歌詞は聖書の言葉を引用して作っておりました。そんな中、宗教改革500年を記念して『教会讃美歌増補』を作成するにあたり、オリジナルの賛美歌を募集している事を知り、書き溜めていた作品を送ったのがこの曲です。私は、結婚して家庭を持つことができないので、楽譜を通して、私がこの世に生きていた証を残すことが夢であり、目標でした。それが今回の『教会讃美歌増補』として実現され、両親が生きている間に私の作曲した楽譜を見せ、「生きた証を残すことができました」と報告でき、ささやかな幸せを感じております。私には、大好きな賛美歌があります。それと同じように、この賛美歌が、兄弟姉妹の一人にでも、大好きな賛美歌と言われるような存在になってくれれば、作曲家としてこれ以上嬉しいことはありません。

世界の教会の声

浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

バイデン大統領がオーガスタナ・ヴィクトリア病院を訪問

  アメリカのバイデン大統領が今年7月13日から15日にかけてイスラエルを訪問したことはニュースになりましたが、このときパレスチナ自治区をも訪れたことは日本ではあまり報道されませんでした。ルーテル世界連盟(LWF)によるとバイデン大統領はイスラエルとパレスチナ自治区をそれぞれ1日ずつ訪問して、その貴重な1日にパレスチナにあるひとつの病院へと出向きました。オーガスタナ・ヴィクトリア病院(略してAVH)といって、LWFが運営している病院です。

  バイデン大統領がAVHを訪れたのにはわけがあります。パレスチナ人の医療を中心的に担っているのは東エルサレムにある病院ネットワーク(EJHN)で、AVHもこのネットワークに属しています。2018年、当時のトランプ政権はそれまで継続していたこの医療ネットワークへの支援金2500万ドルを突如打ち切ると発表しました。これを受けてアメリカ福音ルーテル教会(ELCA)のイートン監督は、ポンペイオ国務長官に宛てて書簡を送り、支援を止めないよう要請したといういきさつがあります。
 バイデン大統領は今回の訪問で、複数年にわたり1億ドルを支援するという約束をしました。スピーチのなかで「パレスチナの方々に質の高いサービスと医療を提供しているのを直接目にすることができて光栄に思います。これらの病院はパレスチナの医療を支える屋台骨です」と述べました。

  ELCAのイートン監督は7月18日バイデン大統領に即座に書簡を送り、感謝の意を表しました。「パレスチナの人たちの尊厳を思う大統領の心温まる言葉と具体的な医療支援の表明に私たちも意を強くしています。」「『パレスチナ人とイスラエル人の自由、安全、繁栄と尊厳を計る物差しは等しくあってしかるべき。医療が必要なときに受けられることは、私たちすべてのいのちの尊厳にとって不可欠』とのお言葉に私も全面的に賛同します。」

  AVHは東エルサレムにおける医療の中核として、ヨルダン川西岸とガザ地区に住む500万人の人々の治療にあたっています。がん治療全般、糖尿病、腎臓病などが主な治療領域で、特にがん患者に対する放射線治療をしているのはパレスチナ自治区でここだけです。LWFは過去70年以上にわたりAVHの運営に携わっています。

 

 ※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから

 

⑥URM(都市農村宣教)委員会 秋山仁
(ディアコニアセンター喜望の家・豊中教会 牧師)

 

  URM(都市農村宣教)委員会は、1967年3月に、日本キリスト教協議会(NCCJ)の第20回総会において、UIM(都市産業宣教)委員会として設置されたのが始まりです。
 労働者伝道あるいは職域伝道への取り組みは、各教派によって戦前から行われていましたが、戦後1957年以降、関西労働者伝道委員会(日本キリスト教団)などが活動を始めました。そして、NCCJでも、1964年に「産業社会における一致のあかし」という主題で、都市と産業社会における宣教を主題として、協議会が開かれています。
 産業化・都市化が進む一方で、様々な社会の歪みや問題も浮き彫りになってきました。とりわけ高度経済成長期の日本では、工業化と公害の問題、都市における労働問題、そして農村の解体・縮小・過疎といった問題が焦点化されてきました。それはまた、日本のみならず、東アジア全体でも同様で、60年代から70年代にかけては、軍事政権下における「開発独裁」などの問題が大きく取り上げられてきました。1973年には、東アジアキリスト教協議会で、UIMをURMと改称し、都市や産業社会の問題だけでなく、改めて農村をも含めた現代の課題に取り組み始めます。こうした動きを受けて、1980年にNCCJでも、UIMを現在のNCCJ−URM(都市農村宣教)委員会へと改称して活動を継続してきました。
 さて、URM委員会は、関西を中心として、NCC加盟教会・教団によって、各地域で取り組まれている課題や運動を結んでいく、エキュメニカルなネットワーク的働きです。
 URMで取り組んでいる課題は、実に多岐にわたっています。日雇い労働者や非正規雇用労働者、移住労働者の問題、性的少数者などに対する差別、女性の問題、沖縄の基地問題や成田空港を巡る問題、核問題の廃絶、開発と農村の問題、農漁村の保全と共生社会の実現を目指す働き、等々。
 また、NCCJ−URMは、韓国のNCCK−URMと、韓国の民主化闘争や在韓日系企業の労働問題への取り組みなどを通して、深い連帯関係を築いてきました。1978年には、第1回日韓URM協議会が、「産業社会における現代宣教の課題」を主題にソウルで行われ、この日韓協議会はすでに今年で12回を数えます。日韓両国の社会に共通する課題を共有しています。
 NCCJ−URM委員会の取り組み、それは、個別の課題への取り組みを通して、キリスト教信仰に基づいた社会正義と公正の実現を目指すものです。URMでは、解放の神学や民衆の神学、あるいはフェミニスト神学などの実践に触発されながら、従来の教会の「宣教の歴史」を反省し、これからの教会の宣教の姿を考えています。
 数年に1度、全国協議会を開催し、2021年10月には、第22回目の全国協議会が、「食・農・命」を主題に、共生庵(広島・三次市)を会場に行われました。
 今後の働きにも是非ご注目ください。

日本ルーテル神学校 神学生修養会報告

 

李明生(神学教育委員長・田園調布教会牧師)

 

 日本福音ルーテル教会の神学教育・牧師養成のため、いつも本当に沢山の祈りとお支えを頂いておりますことに心より感謝申し上げます。
 2022年度前期神学生修養会が6月6日(月)・7日(火)にかけて、ルーテル教会について学びを深めることをテーマに行われました。修養会は神学生主体で計画され、河田優チャプレンをはじめ神学校教員の協力によって進められました。神学教育委員は2日目のプログラムにオンラインにて参加しました。
 1日目はJELAの働きについて知ることを中心に、東京・恵比寿のJELAミッションセンターで渡辺薫事務局長よりJELAの紹介や国際的な社会福祉の実践、課題と挑戦についてお話しを伺い、また難民支援のためのシェルター「JELA(ジェラ)ハウス」を見学しました。2日目は神学校を会場に、浅野直樹Sr.世界宣教主事からLWFの働きについて、また宣教師であり神学校の教師でもあるアンドリュー・ウイルソン先生と、サラ・ウイルソン先生から宣教師としての働き、牧会者としての教会への関わりについてお話しいただきました。講義の後にはグループに分かれて2日間を通して考えたことが分かち合われました。7名の神学生がそれぞれに、ルーテル教会の課題について、またこれから牧師となって自分に何が出来るのかを考える貴重な機会となりました。
 どうぞ引き続き、日本ルーテル神学校とそこで学ぶ神学生らを憶えて、また新たな献身者が与えられることを求めて、お祈りください。

オンライン「一日神学校」のご案内

 

今年のルーテル学院「一日神学校」は9月23日(金)午前9時から、オンラインで開催されます。「心と福祉と魂と」をテーマに、YouTubeによる配信プログラム(申込不要)と、Zoomによる懇親会(参加には申込が必要)が行われます。参加費は無料です。皆様のご参加をお待ちしております。
※視聴方法は、所属の教会の牧師にご確認ください。
※当日は祝日により職員の体制が限られている関係で、メールやお電話によるお問合せはお受けできません。また、学校も閉鎖しておりますので、ご来校はお控えいただきますようお願いいたします。

カトリック第16回「シノドス」総会に向けての日本福音ルーテル教会からの応答③

エキュメニズム委員会

2 共通の課題(前号からの続き)
  

 国内においては、各教会がすでにそれぞれ独自に活動しています。また日本キリスト教協議会には、日本福音ルーテル教会は加盟教団として、日本カトリック司教協議会はオブザーバーとして、特に教会内の支援組織とは緊密な協力体制を取りながら課題に向き合ってきた歴史があります。日本の教会はいずれも小さなものですが、小さい群れであるがゆえに、その宣教開始の時から、様々に協力し合って課題を担ってきた歴史もあります。私たちは先人たちの働きを感謝するとともに、その歴史を深く認識したいと考えます。というのは、あえて言えば、日本の教会が「小さい」ということすらも、今後の世界の教会にとって、とても大きな恵みに満ちた先例の一つになるのではないかと思うからです。なぜなら後述しますが、たとえば2014年や2017年のカトリック教会とルーテル教会や聖公会とが合同の礼拝ができたということは、世界の教会史上、画期的な出来事だったと思うからです。「小さな」教会でも、いや「小さな」教会だからこそ、心をこめて協力ができるという一つの事実を世界の教会に示すことができたのです。「小さい」ということは、「大きい」ことより、むしろ神の恵みを豊かにうけることすらありうるのです。それゆえ、小さな日本のキリスト教会は一致して、共通の課題に向き合っていくことが期待されているものと考えます。
 また、私たちがこのような課題に力を合わせる時の共通の認識は、平和の問題の大切さです。ウクライナでの戦争でわかる通り、国家は必ずしもすべての人を親切にすることはできてこなかったという事実です。そして、このことはアウグスティヌスやルターが、「神の国・地の国」という言葉で説こうとした問題の一つです。今日、政治や経済にたずさわる個人の、団体の、そして何より国家の責任は重大です。そして、このことをキリストを信じる教会の問題として捉えるならば、教会がこの社会において一市民として「憐れみの循環」、「連帯の循環」の一部として働きの場があることを意味しています。ルターが、先に引用した『キリスト者の自由』の中で、私が「隣人のために一人のキリストとなる」という時、それはまた「隣人はあなたのための一人のキリスト」となり得るということを意味しています。そこには、上から援助するという視点ではなく、自分自身も援助を必要としているという自己認識があります。憐れみと連帯は私たちのだれもが、人生の中で必要としているのです。
 その意味では、ルターが『キリスト者の自由』で明らかにした、神から私たち人間にプレゼントされた愛と自由についての壮大な弁証法的な総合命題は、今日にもそのまま妥当します。他者との共同体に生きるすべての人に妥当するのです。自由な社会とは、その中で可能な限り多くの人々が自分の能力に応じて力を発揮できる社会です。そのような社会の中で、だれもが人生のリスクに対する幅広い社会保障を必要としています。このようなとき、「可視化された愛」、「構造としての愛」の実現に、私たち教会もまた召されていることを確認する時、シノドスが指し示す共通の使命に対する、まさに共同の責務を私たちの教会も担う幸いを感じます。この働きは社会的貢献が大きいか、小さいかという量的尺度ではかられるものではありません。たとえ社会的に評価されず隠れたものであっても、「隣人のために一人のキリストとなる」、そこに私たちのディアコニアの意味があるからです。私たちに今すぐすべてが出来るわけではないかも知れませんが、キリストを信じる者としての愛の志だけは保ちつづけたいと思っています。
 これまでの共同の歩みが、さらに具体的に深まることを心から期待しています。また、同時に私たちもまた日本カトリック司教協議会のこれまでの取り組みに学び、参与する道が開かれることを願っています。
(以下次号につづく)

カトリック「シノドス第16回通常総会のテーマに関するヒアリング」および「シノドス第16回通常総会にちなむ合同礼拝」が行われました

  

  カトリックでは「世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会」に向けて各国の司教団が提出する報告書に、「ともに歩む教会のため—交わり、参加、そして宣教」というテーマに関して、キリスト教諸教派からの意見を盛り込むため、7月21日(木)東京・麹町(聖イグナチオ)教会で開催されたカトリック司教総会の中で、日本聖公会・日本福音ルーテル教会・日本キリスト教協議会の代表者からの応答のヒアリングが行われました。(日本福音ルーテル教会からの応答内容については、本紙において7月号より分割して掲載中です。)
 また同日18時より司教総会の会場であった聖イグナチオ教会主聖堂にて4者による合同礼拝が、前田万葉カトリック枢機卿の主司式のもと、菊地功カトリック東京大司教、髙橋宏幸日本聖公会東京教区主教、大柴譲治日本福音ルーテル教会議長、吉高叶日本キリスト教協議会議長の共同司式によって行われました。新型コロナウイルス感染症感染防止対策のため、出席者を限定しての合同礼拝とはなりましたが、エキュメニカルなキリスト教会の一致と連帯を確認する貴重な機会となりました。
 なお、このヒアリングならびに合同礼拝については、カトリック中央協議会のインターネットサイトにて動画が公開されています。

 

 ※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

22-08-01「永遠のいのち」と、私は書く

 「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」
(ヨハネの手紙一4章16節b)

  8月になると、昭和を代表する歌手美空ひばりさんの歌「一本の鉛筆」を思い出します。これは、第1回広島平和音楽祭(1974年)のために作られた歌ですから、反戦への思いの強い歌となっています。ロシアによるウクライナ侵攻が始まった頃に、女優の杏さんが歌い、YouTubeに動画を投稿されました。

「一本の鉛筆」(作詞・松山善三、作曲・佐藤勝)
あなたに聞いてもらいたい
あなたに読んでもらいたい
あなたに歌ってもらいたい
あなたに信じてもらいたい
一本の鉛筆があれば
私はあなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば
戦争はいやだと私は書く
あなたに愛をおくりたい
あなたに夢をおくりたい
あなたに春をおくりたい
あなたに世界をおくりたい
一枚のザラ紙があれば
私は子供が欲しいと書く
一枚のザラ紙があれば
あなたをかえしてと私は書く
一本の鉛筆があれば
八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば
人間のいのちと私は書く

 父なる神さまは、どんなお方なのでしょう? 「神は愛です」。けれども、父なる神さまのお姿を見た人はいません。父なる神さまは人間にまことの愛を伝えるために、この世にイエスさまをお送りくださいました。
 礼拝のはじめにみ名による祝福、「父と子と聖霊のみ名によって」「アーメン」と唱えます。三つにしてひとりの神、交わりの神です。「神は愛です」、愛は単独であらわし示すことができず、その本質として交わりを有します。
 具体的に言いますと、イエスさまも「アッバ父よ」と祈り、いつも心に父を覚え、父との交わりに生きられました。また、母マリアの胎に聖霊が宿り、イエスさまは誕生し、イエスさまが洗礼を受けられた時にも、聖霊が鳩のように降りました。そして、イエスさまは十字架上で「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」(ルカ23・46)と叫び、父とみ霊との交わりの内に生き続けられました。
 礼拝にも三つの交わりがあります。①父と子と聖霊の神との交わり、②み言葉・ロゴスとの交わり、聖書朗読や説教、讃美歌もみ言葉との交わりです。③聖徒の交わり、これは、礼拝に集う会衆、礼拝に招かれた神の子らの交わりです。礼拝には、この三つの交わりがあり、キリストの体・教会の内に留まり、み言葉の内に留まり、神の愛の内に留まることに、神の子たちの命があります。
 キリスト教は「神は愛です」と、愛や平和を説いています。しかし、世界に目を転じますと、戦争によってウクライナに住む多くの人々が他の国へ避難民として逃れています。他にも、アフガニスタンやミャンマーなど、紛争によって大勢の人々が苦しんでいます。私たちは、世界の悲しみをどのように受け止めたらよいのでしょうか?
 歴史や政治の問題が複雑に絡んでいます。何が正義か? 立場によって正しさは異なり、住民同士の激しい対立や憎しみ、分断の悲しい現実があります。私たちには、手に負える問題ではありません。そうかと言って、傍観者でいることにも、罪を覚えます。無関心ではいられない。けれども、人間の知恵を働かせても、罪の現実に圧倒されるばかりです。では、どうすればよいのでしょうか?
 知恵には、人間の知恵と神の知恵とがあります。そして、神の知恵は、独り子を十字架に架けました。それによって、世界のすべての罪をお赦しになりました。聖書を開いて、神の知恵に耳を傾けます。天に心を向けて、父のみ心を尋ね求めます。イエスさまは何と仰っているでしょうか?
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5・9)、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。」(マタイ5・44b〜45a)、「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ26・52b)。
 これらは神の知恵の言葉です。心を開いて、み言葉と交わります。すると、聖霊が働いて、私たちに知恵を授け、悟らせてくださいます。
 神の知恵に、私たちはより頼みます。父なる神に憐れみを乞い求め、子なるキリストに救いを求め、聖霊なる神にみ助けを求めます。私たちは交わりの神の愛の内に守られ、平和へ、命へ、導かれています。十字架のキリストこそ、この地上のザラ紙に「永遠のいのち」と書き記された、神の愛のお姿です。

22-08-01るうてる2022年08月号

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 「永遠のいのち」と、私は書く

日本福音ルーテル聖パウロ教会 牧師 小勝奈保子

「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」
(ヨハネの手紙一4章16節b)

  8月になると、昭和を代表する歌手美空ひばりさんの歌「一本の鉛筆」を思い出します。これは、第1回広島平和音楽祭(1974年)のために作られた歌ですから、反戦への思いの強い歌となっています。ロシアによるウクライナ侵攻が始まった頃に、女優の杏さんが歌い、YouTubeに動画を投稿されました。

「一本の鉛筆」(作詞・松山善三、作曲・佐藤勝)
あなたに聞いてもらいたい
あなたに読んでもらいたい
あなたに歌ってもらいたい
あなたに信じてもらいたい
一本の鉛筆があれば
私はあなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば
戦争はいやだと私は書く
あなたに愛をおくりたい
あなたに夢をおくりたい
あなたに春をおくりたい
あなたに世界をおくりたい
一枚のザラ紙があれば
私は子供が欲しいと書く
一枚のザラ紙があれば
あなたをかえしてと私は書く
一本の鉛筆があれば
八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば
人間のいのちと私は書く

 

父なる神さまは、どんなお方なのでしょう? 「神は愛です」。けれども、父なる神さまのお姿を見た人はいません。父なる神さまは人間にまことの愛を伝えるために、この世にイエスさまをお送りくださいました。
 礼拝のはじめにみ名による祝福、「父と子と聖霊のみ名によって」「アーメン」と唱えます。三つにしてひとりの神、交わりの神です。「神は愛です」、愛は単独であらわし示すことができず、その本質として交わりを有します。
 具体的に言いますと、イエスさまも「アッバ父よ」と祈り、いつも心に父を覚え、父との交わりに生きられました。また、母マリアの胎に聖霊が宿り、イエスさまは誕生し、イエスさまが洗礼を受けられた時にも、聖霊が鳩のように降りました。そして、イエスさまは十字架上で「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」(ルカ23・46)と叫び、父とみ霊との交わりの内に生き続けられました。
 礼拝にも三つの交わりがあります。①父と子と聖霊の神との交わり、②み言葉・ロゴスとの交わり、聖書朗読や説教、讃美歌もみ言葉との交わりです。③聖徒の交わり、これは、礼拝に集う会衆、礼拝に招かれた神の子らの交わりです。礼拝には、この三つの交わりがあり、キリストの体・教会の内に留まり、み言葉の内に留まり、神の愛の内に留まることに、神の子たちの命があります。
 キリスト教は「神は愛です」と、愛や平和を説いています。しかし、世界に目を転じますと、戦争によってウクライナに住む多くの人々が他の国へ避難民として逃れています。他にも、アフガニスタンやミャンマーなど、紛争によって大勢の人々が苦しんでいます。私たちは、世界の悲しみをどのように受け止めたらよいのでしょうか?

  

歴史や政治の問題が複雑に絡んでいます。何が正義か? 立場によって正しさは異なり、住民同士の激しい対立や憎しみ、分断の悲しい現実があります。私たちには、手に負える問題ではありません。そうかと言って、傍観者でいることにも、罪を覚えます。無関心ではいられない。けれども、人間の知恵を働かせても、罪の現実に圧倒されるばかりです。では、どうすればよいのでしょうか?
 知恵には、人間の知恵と神の知恵とがあります。そして、神の知恵は、独り子を十字架に架けました。それによって、世界のすべての罪をお赦しになりました。聖書を開いて、神の知恵に耳を傾けます。天に心を向けて、父のみ心を尋ね求めます。イエスさまは何と仰っているでしょうか?
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5・9)、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。」(マタイ5・44b〜45a)、「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ26・52b)。
 これらは神の知恵の言葉です。心を開いて、み言葉と交わります。すると、聖霊が働いて、私たちに知恵を授け、悟らせてくださいます。
 神の知恵に、私たちはより頼みます。父なる神に憐れみを乞い求め、子なるキリストに救いを求め、聖霊なる神にみ助けを求めます。私たちは交わりの神の愛の内に守られ、平和へ、命へ、導かれています。十字架のキリストこそ、この地上のザラ紙に「永遠のいのち」と書き記された、神の愛のお姿です。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉙「喜び」

「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ5・12)

  「先生ですか?」えっその施設で若い方に声をかけられた事が少ない私はちょっとびっくりしてキョトンとしていると「○○の娘です。いつもお世話になってます」あー○○さんの。何でわかったんだろう?
 あっあの写真だ。部屋に入ったベッドの横に私と写した写真が貼ってありました。
 〇〇さん私と写真撮って嬉しかったのかなぁ?
 最近私はどこかに集中して手を動かそうとするとあっちこっち自分が思わぬ方向に手が勝手に動いてしまうことがあって物を壊してしまったり、倒してしまうということがあります。
 急に〇〇さんのことを思い出し切なくなりました。
 いつも私が「〇〇さんおはようございます。」と言うと〇〇さんの車椅子を押されている方が「〇〇さん伊藤先生だよ」と伝えて下さると、〇〇さんは顔は笑っておられるのに体をバタバタしはじめられいつもびっくりさせられて、私は自分が声をかけて良かったのかわかりませんでした。
 いろんな感情の表現は決まったかたちでなくてもイエス様はいつもわかって下さるんですね。

議長室から 大柴譲治

「良心」

「そこで、パウロは最高法院の議員たちを見つめて言った。『兄弟たち、わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました。』」(使徒23・1)

 パウロは「良心」を大切にしていました(使徒23・1、同24・16、2コリント1・12など)。それはギリシャ語で〝συνειδησις〟、英訳は〝conscience〟で「共に知ること/共通認識」という意味。日本語の「良」というニュアンスは含まれていません。しかし「良心」と言うと不思議にストンと私たちの腑に落ちるのです。私たちがルター派だからでしょうか。
 1521年のルターのウォルムス国会での弁明を想起します。「聖書の証言か明白な理由をもって服せしめられないならば、私は、私があげた聖句に服しつづけます。私の良心は神のみことばにとらえられています。・・・良心に反したことをするのは、確実なことでも、得策のことでもないからです。神よ、私を助けたまえ。アーメン。(私はここに立っている。私はほかのことをなしえない)」(徳善義和編『ルター』平凡社1976)。
 私たちはしばしば「良心の呵責」を覚えることがあります。心がうずくのです。内面的な価値観に照らして事柄の可否や善悪を判断しているからです。私の神学校時代の卒論は「告解(ざんげ告白)」。それは四つの部分から成ります。①痛悔(良心の呵責)、②告白、③償罪、④赦免(赦しの宣言)。①が良心の痛みです。私たちが見落としがちなのは③「償罪」の部分。ルターの宗教改革運動の発端は「贖宥状(免罪符)」に関するものでした。それは諸聖人の功徳によって陰府における「償罪」を軽減するための「御札」だった。「牧会者(魂の配慮者)」であったルターは、民衆の魂の救いがないがしろにされることに黙ってはいられませんでした。ただキリストの十字架と復活によって私たちの罪は贖われ、私たちは信仰によって神の前に義とされているのであって他の何も必要なかったのです。
 マハトマ・ガンジーの「非暴力不服従」運動が大きな成功を収めたのはそれが英国人の「良心」に強く訴えたからでした。映画『ガンジー』でも壮絶な場面として描かれていますが、何も持たずまっすぐ自分たちに向かってくる無抵抗な民衆を英国兵は次第に銃撃できなくなってゆきます。若くして英国に留学したガンジーは英国人の良識/良心を信じ、それに訴えるかたちで抵抗運動を展開したのです。相手がAI兵器のように良心を持たないマシンだったらそれは功を奏することはなかったでしょう。8月の平和月間に私たちが「良心」について考えることは意味あることと思います。私たち一人ひとりが神と人の前で自らの良心に従って生きることができますように祈ります。地上に平和が来ますように。
s.d.g.

「教会讃美歌 増補」 解説

㉖創作賛美歌解説6増補31番「今 み前に」
永井幸恵(広島教会)

 ルーテルの礼拝式文にはたくさんの歌が集まっていて、とても心地いいです。まだ小さかった子どもたちにもこの礼拝を通して、神様のこと、聖書のこと、キリスト教のことなどいろいろなことを吸収してほしいと願い、足繁く礼拝に通いました。平日はいつも仕事などでバタバタと過ごしていて、週に1回、家族で参加する礼拝がホッとするひととき。聖餐の部では、前へ進み出て配餐が行われます。子どもたちはまだ受洗していませんでしたが、祝福の祈りを受けるため一緒に前に出ていました。子どもたちは、聖餐式のひとつひとつに興味津々、特に「パンとぶどう酒」に関心があったようです。このパンはなあに?この赤いのはなあに?どうしてこんなことをするの?と。礼拝中でしたけれど、一言ずつ牧師先生が子どもたちの問いかけに丁寧にお答えしてくださいました。それが歌詞の内容になっています。それは子どもたちの心に確かに届いたのだと思います。神様の時を経て、子どもたちは受洗しました。共に聖餐に与る幸せを心から主に感謝しています。

世界の教会の声

浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

暴力と分裂に疼く 世界をひとつに

 6月9日から14日にかけて年一度のLWF理事会がジュネーブで開催されました。テーマはコロサイ書1章9〜20節から「すべてはキリストに支えられ(In Christ all things hold together)」。パンデミック以後最初の対面形式での会議となりました。
 開催に先だって恒例として他教派からの挨拶があり、カトリック、メソジスト、ペンテコステ、改革派、東方正教会の代表者が冒頭で祝辞を述べました。彼らが共通して呼びかけたのは、分裂と暴力、利己主義に疼く世界に向けて、キリスト教会が信頼できる証人となるべきであり、そのために神学的な相互理解を一層深め、実のある協力関係を築くことが急務であるというメッセージでした。
 改革派を代表してハンス・レッシング氏は、ロシアのウクライナ侵攻への対応に触れつつ、正義と平和の問題に関してLWFとの協力関係の重要性を指摘しました。テーマのコロサイ書の聖句に触れてこう述べました。「多くの事柄が崩れかけている今、たとえ甚だしい矛盾とおぞましい敵意がはびこっていても、すべてをひとつに保ち支えてくれるところに注目することを今回の理事会は目指しています。そこは目に見えず我々の理解を超えているけれど、すべてを支えるお方がいるところです。すでに手元にあるこの神の賜物を私たちがさらに理解を深めて実生活でも受けとっていくようにと、この聖句は呼びかけています。」
 ペンテコステ教会の代表者ジーン・ダニエル・プルス氏は、2016年に2教会間で初の公式対話が実現したのは、過去20年にわたるLWFのエキュメニズムへの並々ならぬ決意の賜物であり、両教会の対話の最終文書が来たる2023年のポーランドでの総会には間に合うであろうこと、そしてこれが両教会にとって地域レベルでのつながりの具体的な成果になると述べました。プルス氏はまた対話の継続を呼びかけるとともに、今年10月にソウルでおこなわれるペンテコステ教会世界協議会にLWFを招待しました。「異なる実践と信仰に立ちつつも聖霊の力によって互いを理解し、価値を見いだし、生産的な関係を築くことが可能だ」と述べました。
 カトリック代表アウグスティヌス・サンダー氏は3年後に迫るニケア公会議1700年記念について触れました。「全キリスト者に馴染み深いニケア信条によって、声は違っていても同じ讃美歌で神をたたえることで、私たちはひとつにされています。2025年のニケア公会議記念大会が、『争いから交わりへ』の旅路を辿る両教会にとって有意義な憩いの時と場所となり、そこから霊的な集中へと共に向かっていけることを願っています。私たちは時に急ごうとしますが、短距離走者ではなく長距離走者ですから、焦らず一息つきながらゴールを目指しましょう。」
 メソジスト教会のイヴァン・アブラムス氏は、世界各地の紛争、殊にウクライナへの軍事侵攻の最中にLWF理事会が開催されたことに触れ、次のように述べました。「ポストコロナの今、健康管理の脆さが世界的に目立っており、不平等が増大していると実感しています。キリストの直弟子として、エキュメニカルなパートナーと共に希望と癒やしの運び役となり、公正で持続可能な未来を私たちは目指す心づもりです。」
 WCC(世界教会協議会)を代表して事務局長のルーマニア正教会イオアン・サウカ氏もロシアのウクライナ侵攻に言及しつつ、数百万人に苦しみと死、絶望をもたらしている世界のあらゆる不正、差別、抑圧について語りました。ウクライナ戦争を支援するロシア正教会を排除するのかどうかについてサウカ氏は、「WCCは集いと議論のためのプラットフォームとして、平和と和解を目指すために対話の場を提供しています。しかしながら政治と宗教の指導者が、主権国家に対して武装侵攻するために宗教の言葉を利用することには強く反対します。平和構築には保護と忍耐、傾聴と尊敬、そして調停と平和を育むための環境が必要です。」

 

 ※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから

 

⑤NCC女性委員会 安田やまと(都南教会)

 

 NCC女性委員会は毎月第2水曜日に定例委員会を開催している。
 昨年からはコロナの影響でZoomで開催しているが、Zoomの良い点としては地方の女性委員も出席できるという点である。定例会の中では各教派、団体からの活動報告がなされ、情報や課題、祈り合うことなど様々なことを共有している。
 女性委員会の大事な働きの一つには世界祈祷日の開催及び式文の作成、祈りの対象国などへの献金送金がある。今年の世界祈祷日関連の報告として以下の2点を報告する。
・2023年世界祈祷日式文(作成国・台湾)の編集作業が3月末より開始されている。
・2022年世界祈祷日献金額は、6879879円(2022年6月末日現在)。
 特に献金に関してはコロナの影響で大きな集会が開催できずにいる中でも、世界祈祷日を覚えて送ってくださる方々に心より感謝。

 それ以外の今後の具体的な活動計画としては以下のことを予定している。

・女性委員会内研修会開催
 8月24日(水)10時30分~15時30分、会場・キリスト教会館日本キリスト教団4階会議室
 テーマ「教会女性の歩みとこれから」(仮題)。
・フォーラム「女性の視点で聖書を読む」
 形式・対面/Zoom
 日程・2023年2月
・第11回日・在日・韓国NCC女性委員会連帯交流会議(2023年秋)開催に向けて準備に入る。
・WCCワークショップ企画委員会へ参加。
などである。

 13の異なる団体で構成されている女性委員会では教派が違うからこそ意見を交換し合い、話し合い、それによって社会の中で追いやられてしまう弱者(女性や子ども達)の声に少しでも耳を傾けていけることができることを願い祈っている。

社会委員会リレーコラム 「本・出会い・教会」③

内藤文子(小岩教会牧師)

  その船は今、東京夢の島公園にありました。ビキニ環礁で被爆した「第五福竜丸」です。静岡県の焼津にいたころ3月1日に参加したビキニデーで久保山愛吉さんのお墓で祈りつつ、68年前に被爆した第五福竜丸は、今平和を願う人たちの協力で東京に展示されていると聞きました。
 第五福竜丸の被爆は、戦後、1954年3月1日。米国の水爆実験(一発で何千万人も殺せる爆弾)によるもの。無線長だった久保山愛吉さんは9月に亡くなりました。紹介する絵本は、草の根の平和運動から作られた絵本。久保山さんが家族に残した手紙が紹介されています。妻すずさんと3人の娘さんに愛情あふれる言葉が綴られています。驚くことにたくさんの手紙を書くと共に、体の痛みに耐えつつ、娘さんにセーターを編んでおられたことです。
 この久保山さんの死は日本と世界に衝撃を与え「原水爆禁止」運動が広がりました。
 愛吉さんが植え、すずさんが育ててきたばらの苗木も平和の祈りを込めて広がっています。妻のすずさんは93年の2月に亡くなられました。
 第五福竜丸は、その後漁に出ることは無く、忘れられ、ぼろぼろになってごみ捨て場にありましたが、ある人々の手で掃除され、一部修復され、平和を願い、「都立第五福竜丸展示館」に安置されたのです(1976年)。
 私も、会えました!「新木場駅」から徒歩10分。時が経ち、かなり傷みが激しいですが、被爆し傷ついたその姿で、来館した人々を迎え、核のない安心して暮らせる世界への願いを大きな船体で訴えています。
 今回のウクライナ侵攻に関して、「核共有」など恐ろしい話が持ち出されます。人類の最大の問題は、核兵器ではないでしょうか。主イエスの示される平和を希求し、過去の出来事から学びたいと思います。

カトリック第16回「シノドス」総会に向けての日本福音ルーテル教会からの応答②

エキュメニズム委員会

2 共通の課題

 シノドスの問う問いを吟味する時、共通の課題があることを共有しなくてはならないと感じています。

⑴まず第一に考えたいことは、神を信じること、つまり「信仰」の問題です。

 ルターが聖書を重んじ、民衆のためにドイツ語に翻訳した動機もそこにありました。聖書に書かれていること、つまり一人一人が神の恵みを受けとめ、それをイエス・キリストへの信仰へと集中することができるようになるためでした。ルターが著わし、教会員が今も大切に学んでいる『小教理問答』もただ文言を暗記するだけでなく、ともに信仰に裏打ちされた生き方ができるように教育することを目的に書かれました。
 その視点から言えば、私たちは共通の課題としての「信仰」の問題について、共に更に深めることが求められています。先のルターの言葉を借りれば「人々と話したり、かかわりをもつ」ということです。シノドスも「共同の礼拝は、わたし(たち)自身と生活を生かしているか」と問うています。
 私たちは1998年に『カトリックとプロテスタント どこが同じでどこが違うか』を共同で出版しました。しかしもう一歩進めて、私たちは同じキリストを告白するものであると大胆に語る時が来ているのではないかと考えます。特に、日本において「キリスト教」という大きな括りにありながらも、この「同じものである」というメッセージをいまひとつ明確にすることが足りませんでした。
 同時に、信仰者一人一人が、より平易に福音の恵みを語り、確かな信仰告白に至ること、そしてそれにふさわしく生きることを祈り求めなくてはなりません。日本福音ルーテル教会は新しい宣教方策を「魂の配慮(Seelsorge)」という言葉を重要なキーワードとして組み立てました。信仰を一方的に知識として語ってきたのではないかという反省があるのです。信仰者との信仰の対話の回復の必要性は、「教会内における対話」について触れているシノドスの目指す指針とも一致するものと考えます。この点では、信仰者の教育はもちろん、教職者の共同の研修に相互に参加することも、大きな刺激を得ることができるのではないかと考えます。
 またキリスト者どうしのあり方だけでなく(エキュメニズムの課題だけでなく)、他宗教や無宗教の人々との対話も、ますます大事なことになるのではないでしょうか。なぜなら日本の地に確かに教会はありますが、多くの日本の人々が他宗教や無宗教だからです。この指摘は、多くの日本の人々を責めるために言っているのではありません。むしろ逆です。神がお与え下さった日本のこの豊かで美しい自然や、またその中ではぐくまれてきた(たとえ他宗教であっても)豊かで深い宗教的伝統に、私たちもまた深い尊敬をもって「共に歩む」必要があるからです。更に無宗教の人々の問題も、決して日本だけのことでなく、先進諸国に広く見られる傾向です。ですから、彼らがなぜ無宗教であるのかを、私たちもまた「共に歩む」者として、彼らの心や生き方にある時は寄り添いつつ、共に苦しみ考えていく必要があるのではないでしょうか。

⑵次に上げられる共通の課題は、社会にある隣人への取り組みです。

 この点では、私たちに与えられている共通の課題はあまりにも大きく、深く、困難であることを痛感せざるを得ません。グローバルな世界の中に教会が存在していることを、私たちは相互に認識しています。環境・温暖化や原発の問題、戦争・平和・難民の問題、また疫病や生命倫理やジェンダーの問題、更には電子情報技術に代表される近代科学技術の光と影等々、私たちは共通の課題として取り上げることができます。また、このような課題が国内、国外にあることを私たちは知っています。(注2)

(注2)ルーテル世界連盟(LWF)は、近年、以下のような宣教的課題を挙げている。
⑴信仰と教会の在り方に関する事柄として/教会・信仰共同体の公共空間への参与についての神学的基礎づけ、信仰共同体内における違いと対立についての理解と取り組み、教会の宣言・ディアコニア・アドヴォカシーなどの働きへの支援、教会員数の成長と減少の双方への対応、ジェンダージャスティスへの取り組み、社会と教会への青年の参加の保証、一致と協働の証しのためのエキュメニカル・パートナーとの連携、宗教間対話への取り組み、
⑵人々の尊厳、正義と平和を促進するための事柄として/緊急的な危機にある人々への支援、人々の尊厳と権利が守られるための持続可能な開発への支援、ディアコニアの働きへ継続的に取り組むための支援、人々の尊厳・正義と平和の問題に取り組むためのエキュメニカル・パートナーならびに他宗教との協働、気候変動への取り組み、周縁化された人々の人権を守るための取り組み、など。

参考:With Passion for the Church and for the World – LWF Strategy 2019-2024, The Lutheran World Federation, 2018.
(以下次号につづく)

第28期第19回常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 6月13日(月)に開催された定例常議員会についてご報告いたします。
(1)方策実行委員会の設置の件
 「第7次綜合宣教方策」の常議員会による仮承認を受けて、方策内でも確認されている「方策実行委員会」の設置が承認されました。
 常議員会では、この委員会の性格について議論が行われました。
 宣教は個々の教会の使命であること、また個々の教会の課題については、これまで通り「教区」を主体として取り組むことを改めて確認した上で、これを実際に進めていく上で日本福音ルーテル教会憲法・規則に照らして「原則」を確認していく作業、また状況に応じた規則変更の必要があれば、これに対応することを委員会の主たる任務とすることが確認されました。つまり個々の教会の宣教のあり方を、上から青写真を提示した上で落とし込んでいくというような旗振り役ではなく、あくまでも教職者の減少に伴い、個々の教会で発生するであろう課題、教区として全体の中で調整すべき課題を共有しつつ、この解決のために必要な対応をこの委員会で取っていくこととなります。つまり現実に起こってくる宣教のフロントである個々の教会の課題、そして教区の課題解決のため、これを共に担い解決に必要な手続きを整備していくことが委員会の目的となります。スムーズに規則にこれを反映させる必要も鑑み、方策実行中は、この委員会が憲法規則改正委員会も兼ねていくこととしました。
 とはいえ、方策全体の中で方策実行委員会が主体的に対応すべき課題があることも事実です。大きな課題は教職の働き方です。改めて現状に起きている様々な課題に対応していく必要があります。またディアコニアの教会として成長していくための指針作りなども方策実行委員会として取り組む課題となっていくものだと考えています。
(2)典礼委員会の設置の件
 式文委員会による主日礼拝の式文の提案、讃美歌委員会による「教会讃美歌増補分冊1」の出版を受けて、典礼委員会の設置が提案され承認されました。
 これは現行の「教会讃美歌」の増刷が、今後、出版業界のデジタル化に伴い難しくなる方向がはっきりとしており、「教会讃美歌」をどのような形で継続的に出版していくかについての大きな方針を検討する必要に対応するものです。典礼委員会から常議員会に方針を提案頂き、それに沿った形で作業部会(式文部会・讃美歌部会)を設置し、実務を委嘱していくことになります。皆様にアンケート等でご意見を頂くこともあるものと思います。その際はご協力をよろしくお願い申し上げます。
(3)総会延期に伴う、諸委員会の調整の件
 総会の延期に伴い、総会選出の常置委員会の欠員等への対応、また常設委員会、諸委員会のメンバーの確定をいたしました。委嘱された方々には委嘱状を送付しているところです。総会延期に伴い、常議員会同様、長く任務をお願いしている方々に感謝するとともに、あと1年、総会開催まで引き続きお働きをお願い申し上げます。
 その他の事柄については、送付しております議事録にてご確認頂けますと幸いです。

22-07-01「わたしの隣人」

 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。
ルカによる福音書10章27〜29節

 律法の専門家がイエスを試そうとして、「何をしたら永遠の生命が受けられるか」との問いかけをしますが、イエスから「律法にはなんと書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と聞き返されました。彼は間髪入れずに応えたようですが、「隣人とは誰か?」と、確かめようとする姿があります。同一民族で考えれば良いのか、律法学者仲間だけで考えれば良いのか。はたまた、ユダヤ教を信仰に持つ者で考えれば良いのか。
 私が初任地、シオン教会防府チャペル牧師館に住んでいた時、時折「〇〇に行こうとしていたが、途中でお金が尽きたので少し恵んで欲しい」「組の者から追われて広島から逃げてきた。大分の親類を頼りたいので、お金を出して欲しい」と相談に来る方がいました。とりあえず話を聞くのですが、現金を渡すのはどうかと考え、教会集会室で食事の提供をすることもあります。「大分に行きたい」と言った方には、「明日の朝、私の車で送りますよ。」と応えると、「大丈夫です、どうにかします」と言われ、すぐに敷地から走り去ってしまいました。そんな中、路上生活の方が訪ねてこられ、おにぎりを手渡す機会があったのですが、この方をきっかけに数日後に日本バプテスト連盟と日本基督教団の牧師、カトリック教会の神父の4名で路上生活の方々への支援活動が始まりました。この活動をきっかけに、同じ主に導かれ、キリストが示された愛を実現することにおいて、「困難を抱えている人、救いを求めている人がいるときに、教派的な相違は乗り越えられる」ことを確認しました。
 イエスは「隣人とは誰か?」を理解しやすいように、「善きサマリア人」の傷ついた人への対応の話をします。祭司は神殿に仕えていました。レビ人も祭司職に属し、一般の人々に律法を教える役割を果たしていました。この2人は、どちらも律法に精通し、ユダヤ民族としての誇りを強く持っていたことでしょう。しかし、彼らは「その人を見ると、道の向こう側を通っていった」のです。倒れた人に近寄って介抱したのはサマリア人。純潔、純粋民族を誇りとするユダヤ人によって、同じユダヤ人でありながら、異邦人の血が混じっているという理由で、蔑まれ、敵視されていた人々です。
 3人の行動は、「向こう側を通って行った」存在と、「近寄って」きた存在になりますが、傷ついた人に対し「向こう側」にあるのは、能動的な生き方であり、自分の言動は正しいと自信を持っている人でしょう。「近寄ってきた」サマリア人は、ユダヤ人でありながら蔑視され、傷つき苦しみを持って生きて来た人であり、自分自身を愛するようにではなく、自分が愛されたようにとの受動的な生き方をしたと考えられます。サマリア人とはアッシリアに連れられたイスラエル人の子孫であり、植民移住により強制的に混血を強いられたともいえます。その苦しみを通し、傷ついた人の痛みや辛さを知っており、自分の弱さを知るが故に、近寄る行動をとれたのです。
 シオン教会で最初の頃の私は、訪ねてこられる方への対応が、祭司やレビ人と同じ、「自分を愛するように」しか出来ていませんでした。何処かで自分の痛みとして捉えることへの恐れを抱いていたのだと思います。自分自身が傷ついてきたとき、慰められたにも関わらず、何か消化出来ていない部分が存在しました。そのような私に、路上生活をしていた方がきっかけを与えてくれたのです。私が近づいたのでなく、彼が私に近寄ってくださったのです。その瞬間、「支援しなければ」という驕った考えから、「支援させていただきます」の気持ちを大事にしたいと、変えられました。そして常に気をつけたいと思うのです。自分を正当化するのでなく、「自分のように、自分が神さまから愛されているように、私の隣人を愛するように。」

レンブラント作「善きサマリア人」(1630年作)ロンドン・ウォレス・コレクション所蔵

22-07-01るうてる2022年07月号

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 「わたしの隣人」

日本福音ルーテル挙母教会・刈谷教会 牧師 室原康志

彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。
ルカによる福音書10章27〜29節

  律法の専門家がイエスを試そうとして、「何をしたら永遠の生命が受けられるか」との問いかけをしますが、イエスから「律法にはなんと書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と聞き返されました。彼は間髪入れずに応えたようですが、「隣人とは誰か?」と、確かめようとする姿があります。同一民族で考えれば良いのか、律法学者仲間だけで考えれば良いのか。はたまた、ユダヤ教を信仰に持つ者で考えれば良いのか。
 私が初任地、シオン教会防府チャペル牧師館に住んでいた時、時折「〇〇に行こうとしていたが、途中でお金が尽きたので少し恵んで欲しい」「組の者から追われて広島から逃げてきた。大分の親類を頼りたいので、お金を出して欲しい」と相談に来る方がいました。とりあえず話を聞くのですが、現金を渡すのはどうかと考え、教会集会室で食事の提供をすることもあります。「大分に行きたい」と言った方には、「明日の朝、私の車で送りますよ。」と応えると、「大丈夫です、どうにかします」と言われ、すぐに敷地から走り去ってしまいました。そんな中、路上生活の方が訪ねてこられ、おにぎりを手渡す機会があったのですが、この方をきっかけに数日後に日本バプテスト連盟と日本基督教団の牧師、カトリック教会の神父の4名で路上生活の方々への支援活動が始まりました。この活動をきっかけに、同じ主に導かれ、キリストが示された愛を実現することにおいて、「困難を抱えている人、救いを求めている人がいるときに、教派的な相違は乗り越えられる」ことを確認しました。

  イエスは「隣人とは誰か?」を理解しやすいように、「善きサマリア人」の傷ついた人への対応の話をします。祭司は神殿に仕えていました。レビ人も祭司職に属し、一般の人々に律法を教える役割を果たしていました。この2人は、どちらも律法に精通し、ユダヤ民族としての誇りを強く持っていたことでしょう。しかし、彼らは「その人を見ると、道の向こう側を通っていった」のです。倒れた人に近寄って介抱したのはサマリア人。純潔、純粋民族を誇りとするユダヤ人によって、同じユダヤ人でありながら、異邦人の血が混じっているという理由で、蔑まれ、敵視されていた人々です。

  3人の行動は、「向こう側を通って行った」存在と、「近寄って」きた存在になりますが、傷ついた人に対し「向こう側」にあるのは、能動的な生き方であり、自分の言動は正しいと自信を持っている人でしょう。「近寄ってきた」サマリア人は、ユダヤ人でありながら蔑視され、傷つき苦しみを持って生きて来た人であり、自分自身を愛するようにではなく、自分が愛されたようにとの受動的な生き方をしたと考えられます。サマリア人とはアッシリアに連れられたイスラエル人の子孫であり、植民移住により強制的に混血を強いられたともいえます。その苦しみを通し、傷ついた人の痛みや辛さを知っており、自分の弱さを知るが故に、近寄る行動をとれたのです。

  シオン教会で最初の頃の私は、訪ねてこられる方への対応が、祭司やレビ人と同じ、「自分を愛するように」しか出来ていませんでした。何処かで自分の痛みとして捉えることへの恐れを抱いていたのだと思います。自分自身が傷ついてきたとき、慰められたにも関わらず、何か消化出来ていない部分が存在しました。そのような私に、路上生活をしていた方がきっかけを与えてくれたのです。私が近づいたのでなく、彼が私に近寄ってくださったのです。その瞬間、「支援しなければ」という驕った考えから、「支援させていただきます」の気持ちを大事にしたいと、変えられました。そして常に気をつけたいと思うのです。自分を正当化するのでなく、「自分のように、自分が神さまから愛されているように、私の隣人を愛するように。」

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉘「一人ではない」

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」
(1コリント10・13)

 「検査の結果は何の病気でしたか?」そう聞いた私に〇〇だったわ。とその方は平気に答えられました。えっ大変な病気なのに。その方は今回わかった病気の前に違う病気を長年患っておられました。私と同じ様な経験をされておられるんだと思った時、私にとって、もうその方はとても身近に思えました。私も昔病気がわかった時はとても苦しみましたが最近患った一般的には大病と言われる病気の診断を受けた時はそんなに苦しみませんでした。もう一人そのような人がいました。二つの病気を比べたわけではありません。一つ目の病気を乗り越えられたか乗り越えようとしているのかもしれません。
 ある人は「初めの病気を診断された時の方がショックだった。」と言われました。私もショックの中イエス様が共におられたから乗り越えられそうだと思います。私の表現を使えば「イエス様が共におられるから」と言えますが他の方の表現では色々な言葉で表現されるでしょう。
 病気の種類の比較ではなく、一人一人の経験です。一つ一つの経験という出会いの中でも必ずイエス様は共におられます。あなたは決して一人ではありません。

議長室から 大柴譲治

「小川修パウロ書簡講義録」(全10巻、リトン)完結

 同僚たちと関わってきた仕事が一つ、4月に終わりました。神学校での恩師・小川修先生(1940〜2011)が同志社大学で行ったパウロ書簡講義録を録音から起こす作業が完結したのです。11年がかかりました。走馬灯のように思い出が去来します。ガンで召された先生の納骨を小平霊園で行う最中、あの東日本大震災が起こります。ご遺族の許可を得て那須のご自宅に資料発掘に行きました。全体を10巻に分け、ご遺族の援助の下で出版が始まります。4人で始めた作業は結局7人のコラボレーションになり、各巻の巻末には関係者から貴重な文章が寄せられました。出版はローマ書3巻、コリント書3巻、論文集2巻、ガラテヤ書2巻という順でしたが、最初から最後までリトンの大石昌孝さんにはお世話になりました。
 この10巻には小川先生が50年をかけて読み解いてきたパウロの「ピスティス」理解が息づいています。天地が揺れ動こうとも決して揺らがないもの、それが「神の〈まこと(ピスティス)〉」。「ピスティス」というギリシャ語は通常「信仰」と訳されますが、先生はそれを〈まこと〉と訳し、「第一義の〈まこと〉」と「第二義の〈まこと〉」を峻別するのです。神がご自身の〈まこと(ピスティス)〉をもって私たち人間に呼びかけ、私たちは自らの〈まこと(ピスティス)〉をもって神に応答する。イニシアティブは常に神の側にある。それは滝沢克己氏の「インマヌエル」とも響き合っています。パウロはローマ1・17で「ピスティスからピスティスへ」と書きますが、先生は最初のピスティスを神のもの、第二のそれを人間のものと読み解く。新共同訳聖書では曖昧だったのが聖書協会共同訳では明確になりました。「神の義が、福音の内に、真実により信仰へと啓示されているからです」。

 1980年にルーテル神大(当時)に編入した私は先生の「宗教哲学」の講義に出会います。最初の2年はバルトの『ローマ書』、私には難しいものでした。82年の講義「現代日本のイエス・キリスト研究の検討」に目が開かれます。それはブルトマンの『イエス』、八木誠一の『イエス』、荒井献の『イエスとその時代』、田川建三の『イエスという男』、滝沢克己の『聖書のイエスと現代の思惟』を比較検討する意欲的な講義でした。聖書は読む者の心を映し出す鏡であることを悟ることになったのです。同時に「説教者」として私は、自己の思い込みを聖書に投影するのではなく聖書自体に語らしめることが肝要と知りました。「僕は間違っているかもしれませんよ。君たちは自分で聖書に当たってください」と繰り返された先生の声が私の耳に今でも残っています。

「教会讃美歌 増補」 解説

㉕創作賛美歌解説5 増補29番「主にある友よ」
日笠山太吉(博多教会)

 「ひととき、お怒りになっても/命を得させることを御旨としてくださる。/泣きながら夜を過ごす人にも/喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。」(詩編30・6)この詩人の感謝に、私は深い祈りを重ねます。急ぎ足でやって来る老いの歩みの中で、生かされている感謝と共に、自らの反省・悔いがあります。それは、若い時しっかりと聖書と向き合うべきだったということです。若い方々よ!スポーツも音楽も旅行も恋も良し。青春を謳歌しながらも「人生の灯台」・聖書を座右の銘とされることを祈ります。春夏秋冬、花咲く時、嵐の日、雪の夕べが人生の旅路。こんな節目で声をかけ励ましてくれるのが、家族・教会の主にある友です。少年易老学難成です。
 礼拝で牧師が語るみ言葉に耳を傾け、青年会やキャンプ等、教会にあなた方の声を響かせてください。そして願わくば、ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校をノックしてみてください。きっと手応えある応答があります。
 若い方々への希望と祈りを重ねた拙詩に萩森英明氏が心優しい曲を、日田教会の秋山菜穂さんがイラスト、お母さんの真由美さんがちぎり絵でイメージしてくださり感謝です。

増補40番「ひざまずけば」
西川知世(日本ルーテル教団東京ルーテルセンター教会)

 

 ある日、教会讃美歌委員の安藤政泰先生に呼ばれ、小さな譜面を教会で渡されました。教会讃美歌の増補に子どもの洗礼式の賛美歌を加えたいと熱心に話され、私が持ち帰ったのがこの作品の生まれるきっかけです。私は子どもを持ちませんので、子ども賛美歌を作詞することに躊躇と不安がありましたが、教会で子どもたちの洗礼式にたびたび立ち会いともに祈る機会を与えられていました。また、譜面も読めない者ですので不安でしたが、立ち会った子どもたちの洗礼式の様子を思い浮かべ、洗礼盤の前に立つ一人一人の子どもたちの真剣な背中に深い感銘を受けたことが拠り所となりました。洗礼式の子どもたちと、その場に立ち会う大人たちの祈りを籠めることが出来ればと願いました。安藤先生、西川亜季さんのお力でこの作品が出来上がりました。携わられた多くの皆様の力で生まれた歌と感謝します。

世界の教会の声

浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

「命の木の下に」 ~他宗教との集い~

 去る5月16日、「命の木に集う」をテーマにルター派とユダヤ教の神学者によるLWF主催のウェビナーが行われました。「命の木」とは、創世記2章に出てくる善悪の知識の木といっしょに神が創造したもう1本の木です。
 LWFは1947年の創立当初からユダヤ教社会との対話を続けていますが、これはマルティン・ルターが反ユダヤ的な文書を書いたという経緯があるからです。新型コロナウイルスの世界的大流行を契機に、欧米社会では反ユダヤ主義的な陰謀論が広がりました。ウェビナーで交わされたユダヤ教とルター派それぞれからのコメントをいくつか紹介します。ウェビナー出席者は、ルター派からはLWFや神学校、大学の教師たち、ユダヤ教側はラビや神学校教師たちです。
「ヨーロッパやアメリカでは難民や移民が増えたことでいろんな宗教が社会で存在感をもつようになり、いかに平和を保ちつつ共存するかはかつてないほど喫緊の課題となっています。反ユダヤ、反イスラム、反キリスト教主義の主張は、ときに暴力までをも正当化してしまいますが、それに対抗する手立ては謙遜、そして正直な態度でお互いの声を聞き話しあうことです。」(LWF神学・宣教・正義部門長、エバ・クリスチナ・ニルソン)
「異なる宗教間で誠実に向き合う際に必要な三つの原則があります。⑴他者自身が自らを定義すること。⑵自分たちの伝統の中の最良だと思うものを他者の良くない点と比較しないこと。⑶相手の中にうらやましいと思うことを見いだすこと、です。」(エバ・クリスチナ・ニルソン)
「米国ワシントン州にいた10代の頃、ルター派の友人との交流があり、友情、善意、尊敬を分かち合うことができました。双方の両親が、開かれた心をもって相手をもっと知ることを教えてくれたからそうできたのです。」(カナダのラビ、ジョセフ・カノフスキー)
「各宗教の指導者にお願いします。命の木の下に人々を集めてください。憎しみと争いに満ちた時代だからこそ、ここに集って尊敬と友愛の大切さを教え、希望を描いてください。そうした働きをするリーダーを育てることが最大の課題です。」(ラビ、タマル・エラド=アップルバウム)
 タマル氏は、彼女自身がユダヤ教社会で育ったためにキリスト者とのかかわりがまったくなかったことに触れて、次のようにもコメントしています。「ラビとしての最重要の務めは、公的な子育て(public parenting)のモデルを新たに作り、憎悪と分裂の歴史に終止符を打てるよう人々を導くこと。私たちが命の木をお世話する園丁の役目をはたすことです。」
「ルター派的な考え方や説教には反ユダヤ的な神学が根深くあり、このことは現代でも神学的な課題となっています。ただその一方で、教会内では反省や自己批判も高まっていて、地方の教会でもユダヤ教徒、キリスト者、イスラム教徒、仏教徒らが集まって、反ユダヤ主義をはじめ人種差別や宗教差別と戦っています」。(ルンド大学、ヤコブ・ウィレン)
「過去数十年、ユダヤ教徒とキリスト教徒の対話はめざましく進展しましたが、大学や神学校のカリキュラムのさらなる充実を期待したいです。多くのユダヤ人はルターのことを著作で知っている程度です。今日まで積み上げられてきた友好関係には気づいていません。ユダヤ教側からキリスト者のことをもっと知ろうとするべきです。またキリスト教側からも、たとえばファリサイ派などの指導者を否定的に見ていることに気づいてほしいです」。(ラビ、ダビド・サンドメル)
「ルター派信徒はこれまでの学びから、反ユダヤ主義の根深さと複雑さに衝撃を受けてきました。過去を見直し、もう一度神学を練り直して関係改善をすること、そこからしっかりした信頼できるネットワークをつくることが必要です。」(シカゴルーテル神学校、エスター・メン)
「宗教間対話と関係作りを国際レベルで行うだけでなく、世代間でも起こしていくべきです。相手を敬い相手から学ぶことを親から子へ家庭で教えてほしいです。対話することこそ未来へ向けての希望の種を蒔けるのです」。(ラビ、ジョシュ・スタンドン)

 

 ※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから

 

④NCC青年委員会 安田真由子(都南教会)・高村敏浩(三鷹教会・羽村教会牧師)

 

 日本キリスト教協議会(NCC)の青年委員会には、現在安田真由子(都南教会)と高村敏浩(三鷹教会・羽村教会牧師)が委員として関わっています。
 NCC青年委員会は自分たちを「青年の事についてあれこれいろいろ考えて、やれる事を共に色々やってみようとしている繋がり」と定義し活動しています。現在活動を担っているのは、日本聖公会、日本基督教団、日本バプテスト連盟、ウェスレー財団、そして私たち日本福音ルーテル教会からの委員であり、信徒と牧師がほぼ半々の割合の構成となっています。以前は、年に2・3度の頻度で何かしらのテーマのもとで集まり、食事と交流を伴う「エキュメニカルユースの集い」を行っていました。しかし、コロナ禍の現在は、それぞれの教派でどのような活動を行っているのかなどといった情報交換や、コロナ禍での苦労や課題を分かち合ったりして、繋がりのヒントを提供するオンラインでのイベントが中心となっています。
 オンラインでの授業などに疲れた青年にはアピールする力が弱いことは否めませんが、それでも、オンラインになったことで、これまで首都圏に住んでいなければ参加できなかったイベントに、各地からの参加者が加わったことは大きな、そして前向きな変化です。こうしてできたつながりを、ウィズコロナ、ポストコロナにどのようにつなげ、また活かして行くことができるかということが、これからの課題となります。
 もう一つ特筆すべき活動として、青年委員会は、昨年夏にNCC内で発足した「ジェンダー正義に関するポリシー策定のためのワーキング・グループ」(以下WG)と共同でジェンダー正義に関する方針を考え、文書化する働きを担っています。
 性差別などの問題は昨今、社会の様々なところで取り組まれるようになってきましたが、教会にとってこれは神の正義の実現の問題でもあります。あらゆる性別の人(男女だけでなく、ノンバイナリーやXジェンダーなど)は神の似姿につくられ、人間らしく扱われる権利があるはずですが、現状は残念ながらそうではありません。社会においても教会においても、性別やセクシュアリティを理由に差別、抑圧に直面する人は少なくありません。ですが、神は虐げられ、抑圧されている人々とともにおられる神ですから、ジェンダー正義は教会が真剣に取り組むべき正義の問題なのです。
 現在、青年委員会からは安田を含む2名がWGの定例ミーティングに参加しています。ミーティングでは、諸外国の教会でつくられたジェンダー正義ポリシーを読み、学んでいます。今後は、青年委員会からの代表2名とWGの他のメンバーでポリシーの草案を作り、できあがったものを青年委員会全体で見直していきます。ジェンダーの問題は、年齢に関係なく重要ですが、若い世代の意見や感覚をこれからの教会のありかたに反映させることもまた大事なことだからです。

社会委員会リレーコラム 「本・出会い・教会」②

佐伯里英子(シオン教会)

  「乙女峠」は、山口市の我が家から60㎞余の島根県津和野町にある。私は、ドライブで数回訪れている。今年も訪れて本書を購読し、改めてキリスト教信者の凄まじい信仰と殉教の真実を知った。なぜ、このような小都市でここまで悲惨な出来事が起きたのか、100頁に満たない本書に多くの証言が残されている。
 江戸末期に締結された「日米修好通商条約」は、信教の自由について触れている。開国後、浦上の信者は仏教徒を装うことをやめ、キリスト教徒であることを公にするようになった。明治改元の前年幕府は、信者拡大に危機を感じ、長崎で大々的な信者取り締まりをした。(浦上四番崩れ)ここで捉えた信者のうち3414人が西日本の各藩に送られた。津和野は小藩にもかかわらず、リーダー格を含めた153人の信者を受け入れ「乙女峠」に移した。信者たちは役人から改宗を迫られ、従わない者には残酷な拷問が加えられた。三尺牢に監禁、放置された安太郎は「九つ(12時)になると毎夜青い布を纏ったマリア様がお話をしに来てくださるので淋しゅうありません。」と語っている。雪の中、裸で十字架に縛られ人目に晒され、地面に捨て置かれた祐次郎は、十字架のイエスを思い、辱めを甘んじて受ける恵みを祈った。各藩に送られた3414人のうち1022人が転宗を申し出、664人が亡くなった。本書は、永井隆(被爆した放射線研究者)が、生き延びて長崎に帰った信者から聞き取とったものであり、彼の絶筆とも言える。
 閉鎖的な状況で権威者に指示されれば、人は弱者に対して限りなく残酷になり得るというアイヒマン実験を思い起こす。今、ウクライナで起きていることも重なる。
 私たちは歴史から何を学ぶのか。

ルター研究所「牧師のためのルター・セミナー」報告

宮本新(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校専任講師)

 

  2022年5月30〜31日、「牧師のためのルター・セミナー」がオンラインで開催された。テーマは「コロナとウクライナの時代~ルターが今、この時代に生きていたら」。21世紀の今、感染と戦争という二つの現実が目の前にあるが今回のセミナではこれらについて学びまた話し合う機会となった。
 「コロナとウクライナの時代」は世界大の問題ではあるが、セミナーではこれを考えるためにもうひとつ、ルター/ルーテルという観点を据えている。自らに託された教会と宣教の課題を踏まえ等身大で考える足場になると考えたからだ。
 初日ではまず、ルターの戦争文書として知られる『軍人もまた救われるか』と『トルコ人に対する戦争』について、高村敏浩牧師と立山忠浩牧師からそれぞれ研究発表があった。つづいて多田哲牧師からは「東方教会とウクライナ」について発題があった。いずれも今日の私たちに馴染みがある事々ではないが、今知りたいことを聞いて学ぶ機会となった。
 セミナー2日目は江口所長から「戦争~ルターとボンヘッファー」と題する発題講演。ルター研ならではの切り口から、こんにちのキリスト者が考えうる信仰上の構えについて考える機会となった。牧師先生方とも活発なディスカッションの時が持たれることとなった。その他セミナーではウクライナから避難する人たちを支援するルーテル世界連盟の動向についてレポートもあった。
 2日間を通じて牧師、引退教師、そして神学生など40名前後の参加者があり、あらためてこれらの主題への関心の高さが感じられた。そしてもう一つ。これらが世界大の問題であることにかわりはないが、各地で担われ取り組まれている牧会と教会の宣教、そこで重ねられている祈りもまた、これらの問題と有形無形につながっていることが全体協議の折々に感じられた。脱原発問題の取り組みや平和活動、また地域のディアコニアの活動、またたえず祈りの手をあわせ「忘れない」こと…こうした取り組みもまたセミナーで一緒に考える機会となり意義深いひと時になった。このような継続した学びへの期待と課題について意見交換もされてセミナーは終了した。
 なお、当日の発題はルター研紀要・ルター新聞などに掲載予定である。

カトリック第16回「シノドス」総会に向けての日本福音ルーテル教会からの応答①

 カトリック教会において行われるシノドス(Synodus Episcoporum/世界代表司教会議)は、提起された問題を討議し、教皇に意見を具申することを目的に第2バチカン公会議の後、1965年から設置されました。
 2023年10月ローマで、第16回シノドス総会が「ともに歩む教会のために―交わりと参加、そして宣教―」というテーマで開催されるにあたり、教皇フランシスコから世界のカトリック教会に対して、この主題について話し合い、応答することが呼びかけられました。その中には各地でのエキュメニカルな協力についての問いかけもあり、日本カトリック司教協議会から、日本福音ルーテル教会、日本聖公会、日本キリスト教協議会に対して、協力が呼びかけられることとなりました。
 日本福音ルーテル教会では、エキュメニズム委員会を中心に第16回シノドスへの応答文書を作成しました。これは日本聖公会・日本キリスト教協議会からの応答と共に7月21日に行われる日本カトリック司教協議会臨時総会で協議されます。
 以下、日本福音ルーテル教会からの応答文書を数回に分けて紹介いたします。

2022年6月7日
第16回シノドス
(世界代表司教会議)総会からの呼びかけへの応答

日本福音ルーテル教会
エキュメニズム委員会

 このたび日本カトリック司教協議会からの第16回シノドス総会に向けた呼びかけを心から感謝申し上げます。特に『第16回シノドス総会のための質問項目』に記載されている内容は、日本福音ルーテル教会におきましても宣教を考える上で重要な示唆を与えられるものでした。
 日本福音ルーテル教会エキュメニズム委員会は、この呼びかけに以下にように応答いたします。

1『キリスト者の自由』

 シノドスの目指す教会の姿を受け取る時、私たちはルターが1520年に著した『キリスト者の自由』の有名な二つの命題を思い起こしました。
「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない」
「キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、何人にも従属する」
 第一の命題は、神の恵みによって義とされ救われたがゆえに、キリスト者は自由であるということです。しかし、ここで問題にしたいのは、第二の命題です。ルターはこう語ります。「なぜなら、人間はこの地上においては、身体をもって生きているばかりでなく、他の人々の間でも生きているからである。それゆえ、人間は他の人々に対して行ないなしでいることはできないし、行ないが義や救いのために必要でないとしても、他の人々と話したり、かかわりをもったりしないわけにはいかない。だからこれらすべての行ないにおいては、…その行ないをもって他の人々に仕え、役に立とうという方向にだけ向けられていなくてはならない。つまり、他の人々に必要なこと以外は考えないわけである。」(第26節)。
 加えて「さてキリスト者はまったく自由なのであるが、自分の隣人を助けるために、かえって喜んで自らを僕とし、神がキリストをとおして自分とかかわってくださったとおりに、隣人と交わり、またかかわるべきである。…すなわち、まことに私の神は、まったく価値のない、罪に定められた人間である私に、なんの功績もなしにまったく無代価で、純粋の憐れみから、キリストをとおし、キリストにおいて、すべての義と救いのみちみちた富を与えてくださった。…そこで、キリストが私に対してなってくださったように、私もまた私の隣人のために一人のキリストとなろう。」(第27節)。(注1)
 「わたしもまたわたしの隣人のために一人のキリストとなろう」、このルターの信仰告白は宗教改革500年を迎えた日本福音ルーテル教会にとって大きな使信であり、同時に課題となっています。そして今、この課題に対して、日本のすべてのキリスト教会においても具体的に手を取り合って向き合っていく時(カイロス)が到来したものと考えます。

(注1)訳文は、『キリスト者の自由』を読む』(ルター研究所編著、リトン)所収の訳文によった(ただし、一部変更)。
(以下次号につづく)

2022年度「日本福音ルーテル教会教師試験」について

 2022年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を左記要領にて実施いたします。教師志願者は必要書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。

     記

〈提出書類〉
◇教師志願書
◇志願理由書
テーマ「なぜ『日本福音ルーテル教会の教師』を志願するのか」
書式 A4横書き2枚 フォントサイズ11ポイント
◇履歴書(学歴、職歴、信仰歴、家庭状況等を記入すること)
◇教籍謄本(所属教会教籍簿の写し)
◇成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書(法務局交付のもの。任用試験時に必要になります)
◇所属教会牧師の推薦書
◇神学校卒業(見込)証明書及び推薦書
◇健康診断書(事務局に所定の用紙があります)

〈提出先〉
日本福音ルーテル教会
常議員会長 大柴譲治宛

〈提出期限(期限厳守)〉
2022年9月16日(金)午後4時までに教会事務局へ提出すること(郵送の場合は必着とします)

◇個人で神学の研鑽を積み受験を希望する者は、必ず神学教育委員会の推薦を得ること
◇国外のルーテル教会の神学機関に学び神学修士を持ち受験する者は、願書提出前に事務局に相談すること

〈試験日及び試験内容〉
志願者本人に直接連絡します。

留学生公募のお知らせ

 神学校と協議を行い、ドイツにおいてルター神学を学ぶ意欲のある方を、「留学制度に関する規定」第3条2項(2号留学)によって一名募集いたします。留学期間は2年間になります。応募締切は8月末日といたします。提出書類等、詳しくは事務局までお問い合わせください。なお複数名の応募があった場合は、日本福音ルーテル教会内での審査を行い該当者を決定いたします。またこの留学はNCCドイツ語圏教会関係委員会の公募する留学制度を利用して派遣するものです。この委員会の行う試験等に合格することが前提となりますので、ご承知おきください。

公 告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2022年7月15日
宗教法人日本福音ルーテル教会
代表役員 大柴譲治

信徒利害関係人 各位

小田原教会牧師館解体
所在地 小田原市鴨宮字稲荷森
所有者 日本福音ルーテル教会
地番 783番
種類 教職舎
構造 スレート葺2階建
床面積 
 1階 46・26㎡
 2階 34・70㎡
理由 老朽化のため

22-06-01「友と呼ぶ―信仰の継承」

「わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。」
ヨハネによる福音書15章15節

 今年の聖霊降臨(ペンテコステ)は、どんな風が吹くのでしょうか。世界を取り巻く環境や身近なところにおいて、疫病も戦渦もなくしてほしいと願っている人は多くおられます。そのなかで、私たちは聖霊の息吹きに希望をいだいています。
 この数ヶ月、私たちの教会や幼稚園・保育園において「キリエ・エレイソン/主よ、あわれみを」(『こどもさんびか改訂版』27番/曲・ウクライナ民謡)の短い賛美をくり返し歌い続けています。そして、東方正教会でもちいるイコン(挿絵参照)も飾り、心に留めています。子どもたちから「このクリクリお目々のふたりはだあれ?」と聞かれます。「イエスさま(右)とメナスさん(左)だよ」と話しました…。
 このイコンに私が出会ったのは、以前ショートターム研修(ELCA主催)に単身で訪れたフランスのテゼ共同体でした。創立者ブラザー・ロジェ(1915〜2005)が特に心にかけていたイコンで「和解の教会」の礼拝堂に飾られています。学びのなかで気づかされたことの一つは「信仰の継承」です。ロジェに大きな影響を与えたのは、第一次世界大戦中、難民を次々と家に迎え入れていた祖母の生き方でした。彼女はキリスト者がいくつもの派に分かれて武器をとり戦っていることを憂い、キリスト者だけでも和解することが出来れば次の戦争を防げるのではないか、と思い描きます。プロテスタントに立脚しながらカトリックの人々と聖書を学び、そして改革派の牧師のロジェの父も祈りを共にしました。ロジェは、超教派(エキュメニカル)の修道会の構想をいだきます。彼もまた第二次世界対戦で戦禍を逃れてきた人々を迎え入れ、その中のロシア難民との出会いで霊性に強い関心をよせます。これらのテゼのビジョンに共鳴したのが東方正教会のコンスタンティノープル総主教アテナゴラスで、正教会内にもう一つのテゼ共同体を創立したいと願い出ました。ロジェは本来の一致への歩みとは異なることを丁寧に説明し、修道士の派遣を要請して創造的な交流を深めました。この流れなかでロシア正教会のひとりの若い神学生がテゼを訪問します。後に彼は神学校の校長、府主教となり、この人物、キリル府主教はテゼに関心を向け再訪し、ロジェの後のテゼを継いだブラザー・アロイス現院長もモスクワに招待します。2009年彼はモスクワ総主教となり、エキュメニズムに関しての展望、ロシアの青年たちへの司牧などについて会合を開きました。今この時に、もう一度それぞれに受け継がれた互いの信仰が交わるよう願い求めたいのです。
 挿し絵のイコンは「友情のイコン」(Icon of friendship)と称されます。子どもたちには…メナスさんは、ローマ帝国の軍人だったのだけれど、ある時国からイエスさまを信じてはダメと言われて立ち止まった。武 器を捨て軍隊をやめんだ。その後、捕らえられてしまったけど、メナスさんの横にはイエスさまがおられる。よく見ればイエスさまの右手がメナスさんの肩を抱いている。そしてイコンの裏には、ロシア語(キリル文字)で「わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」と聖句が書かれているよ。イエスさまは、世界のお友だちとも肩を組み「互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15・17)と言われたいのだね。いっしょに前を見つめながら…と伝えています(詳細はYouTube「ルーテル箱崎教会」こどもへのおはなし)。
 眼前の戦乱に、いち早く動いたテゼ共同体は宿を構えウクライナからスペイン、ポルトガルなどへ逃れていく人たちをコーディネートしています。テゼに関係の深いロシアにいる友は和平を望む声を総主教に働きかけています。またロシアの青年に対して積極的にテゼを訪れてほしいと呼びかけています。表立って目に映るニュースになりませんが、無力ではありません。聖霊の力は、かつて和解の歴史をつくり、今なお私たちを突き動かします。聖霊降臨(ペンテコステ)を迎える時、主は友と呼ぶ私たちに、余すことなくすべて御心を知らせるのです。

1面説教和田憲明2022年6月号図版「友情のイコン「キリストと修道院長メナ」(8世紀、ルーブル美術館所蔵)」

22-06-01るうてる2022年06月号

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 「友と呼ぶ―信仰の継承」

日本福音ルーテル箱崎教会・聖ペテロ教会・二日市教会・長崎教会 牧師 和田憲明

「わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。」
ヨハネによる福音書15章15節

 今年の聖霊降臨(ペンテコステ)は、どんな風が吹くのでしょうか。世界を取り巻く環境や身近なところにおいて、疫病も戦渦もなくしてほしいと願っている人は多くおられます。そのなかで、私たちは聖霊の息吹きに希望をいだいています。
 この数ヶ月、私たちの教会や幼稚園・保育園において「キリエ・エレイソン/主よ、あわれみを」(『こどもさんびか改訂版』27番/曲・ウクライナ民謡)の短い賛美をくり返し歌い続けています。そして、東方正教会でもちいるイコン(挿絵参照)も飾り、心に留めています。子どもたちから「このクリクリお目々のふたりはだあれ?」と聞かれます。「イエスさま(右)とメナスさん(左)だよ」と話しました…。

 このイコンに私が出会ったのは、以前ショートターム研修(ELCA主催)に単身で訪れたフランスのテゼ共同体でした。創立者ブラザー・ロジェ(1915〜2005)が特に心にかけていたイコンで「和解の教会」の礼拝堂に飾られています。学びのなかで気づかされたことの一つは「信仰の継承」です。ロジェに大きな影響を与えたのは、第一次世界大戦中、難民を次々と家に迎え入れていた祖母の生き方でした。彼女はキリスト者がいくつもの派に分かれて武器をとり戦っていることを憂い、キリスト者だけでも和解することが出来れば次の戦争を防げるのではないか、と思い描きます。プロテスタントに立脚しながらカトリックの人々と聖書を学び、そして改革派の牧師のロジェの父も祈りを共にしました。ロジェは、超教派(エキュメニカル)の修道会の構想をいだきます。彼もまた第二次世界対戦で戦禍を逃れてきた人々を迎え入れ、その中のロシア難民との出会いで霊性に強い関心をよせます。これらのテゼのビジョンに共鳴したのが東方正教会のコンスタンティノープル総主教アテナゴラスで、正教会内にもう一つのテゼ共同体を創立したいと願い出ました。ロジェは本来の一致への歩みとは異なることを丁寧に説明し、修道士の派遣を要請して創造的な交流を深めました。この流れなかでロシア正教会のひとりの若い神学生がテゼを訪問します。後に彼は神学校の校長、府主教となり、この人物、キリル府主教はテゼに関心を向け再訪し、ロジェの後のテゼを継いだブラザー・アロイス現院長もモスクワに招待します。2009年彼はモスクワ総主教となり、エキュメニズムに関しての展望、ロシアの青年たちへの司牧などについて会合を開きました。今この時に、もう一度それぞれに受け継がれた互いの信仰が交わるよう願い求めたいのです。

 挿し絵のイコンは「友情のイコン」(Icon of friendship)と称されます。子どもたちには…メナスさんは、ローマ帝国の軍人だったのだけれど、ある時国からイエスさまを信じてはダメと言われて立ち止まった。武 器を捨て軍隊をやめんだ。その後、捕らえられてしまったけど、メナスさんの横にはイエスさまがおられる。よく見ればイエスさまの右手がメナスさんの肩を抱いている。そしてイコンの裏には、ロシア語(キリル文字)で「わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」と聖句が書かれているよ。イエスさまは、世界のお友だちとも肩を組み「互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15・17)と言われたいのだね。いっしょに前を見つめながら…と伝えています(詳細はYouTube「ルーテル箱崎教会」こどもへのおはなし)。

 眼前の戦乱に、いち早く動いたテゼ共同体は宿を構えウクライナからスペイン、ポルトガルなどへ逃れていく人たちをコーディネートしています。テゼに関係の深いロシアにいる友は和平を望む声を総主教に働きかけています。またロシアの青年に対して積極的にテゼを訪れてほしいと呼びかけています。表立って目に映るニュースになりませんが、無力ではありません。聖霊の力は、かつて和解の歴史をつくり、今なお私たちを突き動かします。聖霊降臨(ペンテコステ)を迎える時、主は友と呼ぶ私たちに、余すことなくすべて御心を知らせるのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉗「主われを愛す」

「ひととき、お怒りになっても/命を得させることを御旨としてくださる。/泣きながら夜を過ごす人にも/喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。」(詩編30・6)

「先生おはようございます。一緒に歌いましょう」とその方は私が施設に来るのをいつもいつも楽譜を手にして待っておられました。そして必ず歌うのは私がコピーした賛美歌の「主われを愛す」でした。その方は100歳近い方で、幼い頃毎週のように宣教師が行う集会で歌っておられたそうです。本当は宣教師の方から配られる手作りの美味しいお菓子が目的だったと笑っていました。
 まさか今になってこの歌を歌えるなんてと喜ばれていました。
 あっそうかいつも一緒だもんね。と不思議なくらいわかったような気がしました。
 その方がクリスチャンであったのかそうではなかったのかはわかりません。ただわかっているのはその方がクリスチャンであってもなくても神様が寄り添ってその方と共に歩まれて今があることです。
 「まさか今」ということがあります。神様があなたを驚かせたいのではなくて神様はただあなたといつも共に歩まれてくださいます。あなたがそれを忘れているだけです。「あっ神様おられたんですね。」とあなたが神様を思い出す時いつも神様は「あなたを待っている。お帰りなさい。」と喜んでくださいます。

議長室から 大柴譲治

「メタ認知」と「メタノイア」

「命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。」(創世記45・5b)

 2月20日(日)の第一日課は創世記45章でした。兄たちの嫉妬により奴隷としてエジプトに売られたヨセフ。彼は天賦の夢解き能力を発揮しその宰相にまで登りつめてゆく。長引く飢饉の中で食料を求め、父ヤコブによってエジプトに派遣された兄たち。彼らとの再会を通してそこに和解がもたらされてゆくというヨセフ物語の白眉とも呼べる場面でした。
 ヨセフは自分が奴隷として売られたことの中に神の御心があるとは思いもしなかったことでしょう。期せずして兄たちに再会した時、彼は過去を思い出して怒りを抑えられなかったのではないかと思います(創42・7)。しかしヨセフは3度涙を流すのです(創42・24、43・30、45・2)。その3度の涙によってヨセフの目からはウロコが落ち、それまでは曇って見えなかった神の御心がハッキリ見えるようになる。神ご自身がこのために自分をエジプトに派遣されたのだと。
 自己を超えた視点から自身を見つめることを「メタ認知」と呼びます。鏡に写る姿が自分であることを知るにはこのメタ認知能力が必要となります。チンパンジーやオランウータン、イルカやヒトなど限られた動物にその能力は備えられているそうですが、イヌやネコなどはその力を持たないために鏡に写った自分を別の個体としか認識できないと言われます。人間でもある年齢にならなければそれが自分の姿だとは分かりません。ちなみに「メタ」という語はギリシャ語で「超越」を意味します。例えば「メタフィジクス」とは身体性や物質性を超えるところから「形而上学」と日本語に訳されます。
 ヨセフは兄たちとの再会を通して神が自分に与えた使命を知ることができました。それは神の備えられた「和解の時」でもありました。そこに至るために彼は辛く長いトンネルを通らなければならなかった。日毎のCOVID-19やウクライナ危機の報道に接し私たちは断腸の思いを持ちます。一日も早く地上に平和と和解が回復されるよう切に祈ります。
 私たちにとって大切な瞬間は常に水の中から始まります。母の胎内では羊水において、罪からの解放は悔い改めの涙において、新しい人生は主の洗礼において。神の御心に心の目が開かれるというメタ認知の視点は私の中では「メタノイア」(悔い改め)と重なります。ギリシャ語で「ノエオー」は「認識」を意味するからです。「認識を超越する」という神の視点によって私たちは涙と共に新たにされてゆく。「涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。」(詩126・5)のです。

「教会讃美歌 増補」 解説

㉔創作賛美歌解説4
友枝久美子
(二日市教会)

増補27番「イエスさま 名前」

 以前所属していた教会の日曜学校の生徒さん(当時は幼稚園児で、ともえさんというお名前でした)のために作った曲です。悲しいとき、淋しいとき、イエス様のお名前を呼んでみたくなることがあります。お名前を呼ぶだけで、イエス様がいつも一緒にいてくださることが感じられて、心が温かくなります。つらいことも、楽しいことも、全部イエス様にお話ししたくなります。そんな気持ちを歌にしてみました。

増補32番「苦しみも重荷も」
 

 この曲は、最初、全く違う曲でした。讃美歌委員会の方から、歌詞の前半と後半を入れ替えて、それに合った曲にしてください、とのお知らせをいただき、作った曲です。思い切って、歌詞に寄り添って、短調から長調へと移る曲にしてみました。もとの曲は、長調の元気の良い曲で、曲想はとても気に入っているのですが、もともとの歌詞がなくなってしまったので、その曲には新しく、詩編の言葉をアレンジして歌詞とし、「詩編歌」として再生を試みました。

増補35番「イエス様 わたしを見つめてください」

  以前所属していた教会で、同じオルガニストとしてお世話になった方のために作った曲です。その方の柔らかい、優しい雰囲気を、3拍子の曲で表現してみました。その方が、当時悩んでおられたことを知って、少しでも慰めになりますように、という願いを込めて作りました。どんな苦しい状況のもとでも、イエス様に見つめていただいているということが、生きていく力になるのではないか、と思います。

世界の教会の声

浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

LWFのウクライナ難民支援

 ロシアがウクライナに侵攻して以来、LWF(ルーテル世界連盟)は現地で救援活動をするLWF加盟教会をサポートするためチームを結成し、支援態勢を強化しています。近隣諸国の5教会との協議を受けて、まずはポーランドのワルシャワに事務局を設け、ゆくゆくはウクライナに活動拠点を設立することを目指しています。
 チームのリーダーはジェセフ・ファトナーさん。これまでヨルダン、南スーダン、チャド、中央アフリカといった国々でLWF緊急支援チームを率いてきました。もう1人がLWFの教会プログラム担当のレベッカ・マイスナーさん。彼女は最近ルーマニア、スロバキア、ハンガリー、ポーランドを訪れて現地の状況を調査しました。今回は2人の声を取り上げます。

「活動資源があまりないにもかかわらずハンガリーの教会がしていることに驚いています。難民シェルターや食糧支援、輸送、通訳、医療サポートなど、やれることをとにかくやろうという熱意、意気込み、ひたむきさがすごいですよ。教会も手一杯です。それでも困っている人を助けねばと頑張る人たちを後押しする聖霊の働きには目を見張るものがあります。」(ファトナー)

「UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の推定によると、490万人以上がウクライナから避難しており、700万人が戦闘によって現地に取り残されたままとのこと。今後のLWFの役割としては、国ごとに活動内容に地域差があるなか、既に前線で活動中の教会やディアコニア団体をどのように支援するかが重要な鍵になります。」(ファトナー)

「2月24日ロシアがウクライナに侵攻して難民が発生、そこから救援活動も始まりましたが、今は活動にあたる教会の方々への牧会的ケアとサポートも必要です。」「現地の教会は、助けを必要とする隣り人たちと思いを一つに、神様の召しに応えてもてなそうとしていらっしゃいます。ただ現状は複雑でニードが絶えず変化し続けているので、そうした変化に適切に対処して支援できるよう態勢を整えることが私たちの役割です。」(マイスナー)

 マイスナーさんが強調するもうひとつのこと、それは支援する人たちが中立性を保てるのか、対立に加担することなく人道的視点から応答するにはどのようにすればよいのか、という難しい課題です。「ヨーロッパでは今ラディカルな変化が起きていて、これまでは確かだとされていた平和と戦争に対する考え方や対応ですが、本当にこれでいいのかが問われています。殊に教会はそうした問いへの神学的な検討が求められています。」(マイスナー)

 

 ※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから

 

③アジア・キリスト教協議会(CCA)の現状と課題
藤原佐和子(仙台教会・NCC書記)

 

 大学院生の頃、アジアのフェミニスト神学運動史についての博士論文を執筆するために、タイ北部のチェンマイで研究生活を送っていたことがあります。資料収集のために訪れていたのが、アジア・キリスト教協議会(CCA)の資料室でした。当時の私はエキュメニカル運動についてよく知りませんでしたが、アジアの女性神学者たちについて調査する中で、彼女たちの多くがこの運動に深くかかわっていることに気付かされました。このような経緯から、私は2015年からプログラム委員、2018年から常議員としてCCAの働きにかかわり、アジア各地を旅し、新しく出会った人々から学ぶ貴重な機会を与えられました。「旅すること」と「出会うこと」は、エキュメニカル運動の伝統になっているという実感があります。
 歴史を振り返ってみると、エキュメニカル運動の出発点である1910年の世界宣教会議で議長を務めたジョン・R・モットという信徒のエキュメニカルリーダーが、1912年から広範囲にわたり旅をしたのは、他ならぬアジア地域でした。CCAの歴史は、1957年、前身である東アジア・キリスト教協議会(EACC)がインドネシアのプラパトで行った設立準備総会にまで遡ります。1959年、EACCがマレーシアのクアラルンプールにおいて正式に設立されたのは、ペンテコステの前の主日でした。これを記念してCCAは同じ主日を「アジア祈祷日」(Asia Sunday)と呼び、大切にしています。毎年新しく作られる式文は、日本語を含む様々な言語に翻訳されています。本稿執筆時点で、2022年の「アジア祈祷日」(5月29日)の式文はまだ発表されていませんが、過去2年のテーマは「神よ、弱いわたしたちを癒してください」(エレミヤ17・14)、「わたしはあなたをいやす主である」(出エジプト15・26)でした。その背景には、新型コロナウイルスの世界的流行があります。
 新型コロナウイルスの世界的流行以来、「旅すること」と「出会うこと」は難しくなり、CCAもこれまで通りに活動できなくなりました。2020年4月に最初のオンラインセミナーが企画された際、私は日本の様々な教派の牧会者から共有していただいた現場の声をリポートしました。日本福音ルーテル教会の対応に関しては、浅野直樹Sr.牧師(市ヶ谷教会・スオミ教会)から現状と課題を教えていただきました。CCAの活動はその後、オンラインに移行し、アジアを生きるキリスト者たちをつなぐ役割を続けていくための試行錯誤を続けています。5年に1度開催される総会もすでに2年延期されたままですが、CCAの抱える困難はこれに留まりません。
 2021年2月の軍事クーデター以降、ミャンマー軍は不服従運動に参加する市民への弾圧を続けていますが、CCAは一部の共同司牧書簡や声明を除き、平和のメッセージを強く発信できていません。CCAや世界教会協議会(WCC)が軍事政権を公に批判しがたい背景には、迫害の悪化を恐れる現地教会の意向があります。CCAやWCCが大胆に行動できない時にこそ、アジア各地、そして日本におけるエキュメニカルな交わりの働きが切に必要とされていると痛感します。

社会委員会リレーコラム 「本・出会い・教会」①

高田敏尚(修学院教会)

「人生の秋に—ホイヴェルス随想選集」(H・ホイヴェルス著/
林幹雄編、春秋社1969)

 みなさんは、日本人の平均年齢っておわかりですか?平均寿命はよくきくけど、平均年齢は…とおっしゃる方が多いのでは。調べてみると48・4歳だそうで、世界では2位。ちなみに世界の平均は30・9歳です。日本も、1960年は29歳でした。どうりで、まわりをみると老人ばかり。教会も高齢化で維持がたいへんな問題です。社会委員会でコラムを担当することになったのですが、今回はこんな話からはじめようと思います。これを書いている私も高齢者に数えられる年齢です。そんな折に読んでみたい本が『人生の秋に』です。「人生の実りのときを迎える人たちに」という帯がついています。「この世の最上のわざは何?楽しい心で年をとり、働きたいけれども休み、しゃべりたいけれども黙り、失望しそうなときに希望し、従順に平静におのれの十字架をになう」というのが「最上のわざ」という詩の一節です。この本はドイツ生まれのホイヴェルス先生が残したエッセーです。54年間の在日宣教生活、その人生のおりおりに出会った喜びや悲しみ、そのすべてに神の業を見出していく。いやそんな極端なことでなく、鳥の声、花の一輪、それが「どんなことの中にも神をみつけましょう」という小タイトルにこめられています。小さな子どものほほえみにも神のやさしさが輝いているのです。このような本が一人静かに読める、そんな心境になるのも高齢者だからでしょうか。教会や団体に人が集まらない、社会の個人化といわれています。一昔前は、組織化される社会といわれていたのに。社会委員会は、このような社会も分析をして、教会が社会のなかで果たす役割は何かを問いかけられたら。そんなことを願っています。「孤独・孤立担当大臣」をおいているこの日本でこそ求められるのではないでしょうか。

教会のコロナ禍2年間の記録─ 『教会と宣教』第26号の紹介 ─

江口再起(東教区宣教ビジョンセンター『教会と宣教』編集委員)

 

  日本福音ルーテル教会は宣教百年(1993年)を機に、各教区に宣教センターを設置し教会宣教の研究・活動をすることを決議しましたが、結局設立されたのは東教区宣教ビジョンセンターのみということになりました。その活動の柱の一つは雑誌『教会と宣教』の発行ですが、2021年度の第26号は「コロナ禍の教会」特集号です。以下、内容を紹介します。
 意外なことですが、教会の歴史(記録)において肝心な事が残っていません。たとえば戦時中の教会の様子、100年前のスペイン風邪時の様子など。そこで今回のコロナ禍の教会の歩みを、まずは客観的に記録として残しておくことが大事です。
 「コロナ禍の教会」特集号の内容は4部構成になっています。第一部は教会の動向です。教会事務局の対応(「議長談話」等を含む全国の教会への通達など)の完璧な記録、また全国の諸教会のコロナ禍における礼拝や感染対策などへのアンケートの記録。各個教会の努力奮闘ぶりがわかります。
 第二部はルーテル学院大学・神学校の動向、ルーテル関連の諸社会福祉施設の感染対策等の詳細な記録です。機関紙「るうてる」にくわしく連載されていた記事を全て再録しました。実に貴重な記録となりました。その他、青年やこどもキャンプなどの諸活動の記録等々。
 第三部は他教派・教団・海外の動向です。カトリック教会、聖公会、日本基督教団、日本ルーテル教団よりの寄稿を収録しています。そして第四部は数名の牧師先生よりの論考、エッセイを載せました。
 このように全258頁、相当大部ですが客観的記録に徹した内容になっています(なおコロナ禍をめぐる神学的考察については、ルター研究所発行の『ルター研究』17巻(特集・宗教改革と疫病)に掲載されています)。
 2020〜2021年のコロナ禍の2年間、ルーテル教会そして関連諸施設は、どのように感染対策をしたのか、どのように礼拝を守ったのか、どのように活動し信仰生活を送ったのか。恐らく日本中の他教団・教派を眺め渡しても、これほど詳しい記録はないでしょう。あの時代、ルーテル教会はどのような教会活動をしていたのか、と問う50年後100年後に、この『教会と宣教』26号はきっと役に立つと信じています。どうぞお読みください(各教会・施設に送呈させていただいております)。

第28期第18回臨時常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 4月25日に開催された標記の件について、ご報告いたします。
 第29・30回定期総会の延期を受けて、総会で扱う予定であった議案について、以下のように審議されました。詳しくは常議員会議事録でご確認ください。

「宗教法人日本福音ルーテル教会規則第26条を適用し承認した案件」
『第26条 総会の権限に属する事項で総会閉会中の緊急必要な事項は、総会に付議しないで、常議員会において決定し、及び執行することができる。』
(1)第2号議案 鶴ヶ谷教会・仙台教会合同の件
 本案件は、すでに個々の教会の総会で合同の決議が行われ、東教区総会で承認されたものである。個々の教会が合同し、共同の宣教を具体的に進める上でも、次年度の総会を待たずに正式な合同教会としての歩みを進めることが肝要と判断し、この合同について承認を行った。合同後は日本福音ルーテル仙台教会宮町礼拝堂、鶴ヶ谷礼拝堂となる。
(2)第3号議案 本教会常議員構成の件
 本案件は、各教区総会が行われ、新たな教区長、教区選出常議員の選出が行われたことを受けて、本来は総会において承認を得るものであるが、常議員会を教区議決を受けて構成するために、これを承認した。但し、九州教区においては4月29日に総会が行われるので、ここで選出される教区長、教区選出常議員については6月の第19回常議員会において承認するものとする。
(3)第8号議案 神学教育に関する協約の件
 本案件は、2022年度末をもって終了する標記の協約(ルーテル学院大学への教会からの支援を規定するもの)を間断なく継続するために、これを承認した。協約の内容は2018年締結のものと同一の内容となっており、日時の更新のみの変更となり、大きな変更がないものであることを確認している。すでにルーテル学院大学理事会において承認されている内容である。
(4)第9号議案 市ヶ谷耐震工事の件
 本案件は、2020年度総会に提案される予定であった。2018年度総会においては、すでに市ヶ谷事業所の耐震問題について何らかの対応を行うという点については承認を受けていることを踏まえ審議を行った。2022年度に入り、入居している賃貸先から耐震補強工事の実施について早急に、その実施についての返答と年度内での実施を強く要望され、かつこれを行わない場合、賃貸契約の解除の可能性を打診されたこと、またすでに2007年耐震検査において大きな地震が発生した場合、市ヶ谷事業所は中破以上の損壊を受けることは確実であり、この状況に対して法人として緊急に対応する必要を確認し、ルーテル学院大学からの借入、それに伴う担保提供、銀行からの借入を含めて、事業計画全体について、2022年度内の実施が承認された。工期は2022年7月~2023年9月初旬の予定である。

「仮承認とした案件」
(1)第5号議案 第7次綜合方策の件
 本案件は2020年度総会に提案される予定であったが、これの延期を受けて2020年度には常議員会で再考を行い、「COVID-19がもたらしたもの」を付記した形で提案される予定であった。2021年度には機関紙「るうてる」において、その内容が紹介されてきた。2022年総会の延期に伴い、2020年から3年間、方策のない状況が続くことを鑑み、常議員会において「仮承認」とした上で、次年度総会において「本承認」を求めることとした。「仮承認」を受けて「方策実行委員会(兼憲法規則改正委員会)」が発足し、予備的な準備を進めることを確認した。また方策の内容について、次年度総会で変更が求められれば「本承認」前に修正され、議場にて承認されることを確認した。
(2)第10~12号議案 決算・予算の件
 2020~2021年度決算、2022年度実行予算、2023~2024年度当初予算については、日本福音ルーテル教会規則第61条2項をもって「仮承認」を行った。

「次年度総会に提案する案件」
(1)第6号議案 アジア宣教の件
 カンボジアへの宣教、そして交流を主たる内容とする「アジア宣教」の件については、海外渡航が難しい状況においては次年度の総会に提案することがふさわしいと判断した。提案者である世界宣教委員会に、総会議決後の具体的な動きについて研究することを付託することを確認している。
(2)第7号議案 ハラスメント常設委員会設置の件
 本案件は、すでに日本福音ルーテル教会規則第61条4項を適用し運用が実施されている状況がある。これを61条3項に明記することを目的とする規則改正提案となっている。本案件は、次年度の総会において、しかるべき講師を招き、総会全体で学びを行った上で承認をうけるのがふさわしいと判断した。

「平和と共働の祈り」がオンラインで行われました

  日本国内における新型コロナウイルス感染症の拡大状況を鑑みて、5月3〜5日に東京・市ヶ谷を会場に予定されていた第29・30回全国総会を1年延期とすることが、3月28日に行われた第18期第17回臨時常議員会にて決定されました。このため、2年に1度行われる定期総会での礼拝が4年間行われていないことを踏まえ、日本福音ルーテル教会に関わるすべての方々が参加できるオンライン(Zoom)による「平和と共働の祈り」の時が5月3日(火)10時半から開催されました。
 当日は145アカウント・220人の参加者と共に、東京教会のパイプオルガンの演奏と聖歌隊による賛美、そして大柴譲治議長によるメッセージ「主の山に備えあり?!」(創世記22・1〜18)を聴き、各教区の代表による連祷を通して、ウクライナおよび世界の平和のため、新型コロナウイルスの終息のため、福音宣教の最前線で活動する個々の教会のために、また2018年以降に主のもとに召された 教職者、定年を迎えられた教職者を覚えて祈りを合わせました。
 なおLWFによるウクライナ人道支援のための連帯献金として4月末時点で503万2689円が捧げられました。感謝して報告いたします。なお連帯献金でのウクライナ人道支援は5月末にて一次受付を終了いたします。
(広報室)

公 告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2022年6月15日
宗教法人日本福音ルーテル教会
代表役員 大柴譲治

信徒利害関係人 各位

本教会所管の市ヶ谷会館耐震補強工事実施の件

・総工費
7億8603万8千円

・資金計画
自己資金(収益会計)
603万8千円
借入金
7億8千万円
借入先 ①学校法人ルーテル学院
借入額 3億円
返済期間 10年
支払利率 年利1%
借入先 ②銀行借入
借入額 4億8千万円

耐震補強を要する理由
・市ヶ谷耐震性能はIS値0・6を大きく下回り中破以上の損壊の可能性が高い。
・賃貸先テナントが耐震工事を実施しない場合、賃貸契約解除の可能性が高い。

・担保
 右記の借入に対する担保を左記の物件とする。

イ 不動産担保
 学校法人ルーテル学院から借入に対して市ヶ谷会館の土地建物(第3順位)に抵当権を設定する。
担保明細は次の通り。
・市ヶ谷会館
土地
所在 東京都新宿区砂土原町1丁目
   地番 一番
地目 宅地
地積 1669・42㎡
建物
所在 東京都新宿区砂土原町一丁目一番地
家屋番号 一番七
種類 教会 事務所
構造 鉄筋コンクリート造陸屋根地下1階付6階建
床面積 4612・65㎡
順位 3番

ロ 銀行借入分の担保設定
 借入条件決定後、この件に関する公告を行うこととする。

22-05-02「開かれた理性」

「そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて」
ルカによる福音書24章45節

  ご復活後の主イエスは、弟子たちの「心の目」を開いたと記されています。「彼らの心の目」という言葉の原文は「彼らのヌース(理性)」です。わたしたち日本人に分かり易いように「心の目」と訳されています。このヌースという言葉はパウロ書簡にも出て来ます。コリントの信徒への手紙一2章16節の「『だれが主の思いを知り、主を教えるというのか。』しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。」という箇所で、「思い」と訳されている言葉は「ヌース」です。ヌース(理性)は「心の目」と訳されたり、「思い」と訳されたりしているのです。
 第一コリント2章でパウロが語っているのは、神の事柄を理解するのは「霊の人」であるということです。最後には、「わたしたちはキリストのヌースを持っています」と語られています。「抱いています」と訳されていますが、「持っています」が原文です。「霊の人」とは「キリストのヌースを持っている」人だとパウロは語っているのです。
 このパウロの言葉から考えてみれば、ルカによる福音書24章45節で言われている開かれた理性(ヌース)とは「キリストのヌース」ではないかと思えてきます。その理性(ヌース)が閉じられたままでは、神の事柄を理解することができないということです。そのために、イエスは弟子たちのヌースを開いたのです。そして、宣教へと派遣しました。
 わたしたち現代に生きるキリスト者は、復活のキリストに出会っているのかと思う人もいるでしょう。復活のキリストを見たという人をうらやましいと思う人もいるかもしれません。自分の目で、見ていないならば、わたしは、本当は復活に与っていないのではないかと思う人もいるでしょう。見たなら、宣教できるのにとも思うでしょう。しかし、そうではないのです。復活のキリストに出会った弟子たちは、パウロが言うように神の事柄を理解するようにされたのです。それが聖書を理解するための理性が開かれることだったとルカは伝えています。また、エマオ途上で2人の弟子たちに対して、キリストご自身が聖書を理解するようにと解き明かされた出来事も、ルカは伝えています。そうであれば、聖書に記されているキリストの出来事、十字架と復活の出来事を理解する人は、理性を開かれた人であり、復活に与っている人だということになります。それが、復活のキリストに出会った人たちに起こった神の出来事だったのです。
 パウロはキリスト者を迫害していましたが、ダマスコへ向かう途上で復活のキリストが現れてくださったことによって、それまで否定していたキリストの十字架と復活を宣教する者に変えられました。彼は自らの罪を取り除いてくださった救い主としてキリストを宣べ伝えることになったのです。パウロがそのように変えられたのは、キリストによって聖書を理解するための理性を開かれたからでしょう。そのとき、パウロは復活に与ったのです。同じように、現代に生きるわたしたちキリスト者もまた、十字架と復活を神の事柄として理解するとき、復活に与っているのです。復活のキリストに出会っているのです。復活のキリストのヌースが、わたしたちのうちで働いているのです。
 神の事柄は、人間的な理解を越えています。人間的な理性では受け入れることができない事柄です。それにも関わらず神の事柄を理解するわたしがいるということは、わたしのうちにキリストのヌース、神の霊が働いているからです。キリストの十字架と復活が、このわたしのために起こった神の出来事だと理解するのは、キリストの理性である神の霊を与えられて理解することなのです。
 主のご復活を祝っているわたしたちは、聖書を理解する者としての理性を開かれています。ご復活したキリストのヌースはわたしのうちに働いておられる。キリストがわたしのうちに生きておられる。開かれた理性をもって主の十字架と復活を宣べ伝えていきましょう。

ピーテル・ブリューゲル(父)作
「聖パウロの回心」(1567年)ウィーン美術館所蔵

22-05-02るうてる2022年05月号

機関紙PDF

 「開かれた理性」

日本福音ルーテルなごや希望教会 牧師 末竹十大

「そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて」
ルカによる福音書24章45節

 ご復活後の主イエスは、弟子たちの「心の目」を開いたと記されています。「彼らの心の目」という言葉の原文は「彼らのヌース(理性)」です。わたしたち日本人に分かり易いように「心の目」と訳されています。このヌースという言葉はパウロ書簡にも出て来ます。コリントの信徒への手紙一2章16節の「『だれが主の思いを知り、主を教えるというのか。』しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。」という箇所で、「思い」と訳されている言葉は「ヌース」です。ヌース(理性)は「心の目」と訳されたり、「思い」と訳されたりしているのです。

 

第一コリント2章でパウロが語っているのは、神の事柄を理解するのは「霊の人」であるということです。最後には、「わたしたちはキリストのヌースを持っています」と語られています。「抱いています」と訳されていますが、「持っています」が原文です。「霊の人」とは「キリストのヌースを持っている」人だとパウロは語っているのです。

 

このパウロの言葉から考えてみれば、ルカによる福音書24章45節で言われている開かれた理性(ヌース)とは「キリストのヌース」ではないかと思えてきます。その理性(ヌース)が閉じられたままでは、神の事柄を理解することができないということです。そのために、イエスは弟子たちのヌースを開いたのです。そして、宣教へと派遣しました。

 

わたしたち現代に生きるキリスト者は、復活のキリストに出会っているのかと思う人もいるでしょう。復活のキリストを見たという人をうらやましいと思う人もいるかもしれません。自分の目で、見ていないならば、わたしは、本当は復活に与っていないのではないかと思う人もいるでしょう。見たなら、宣教できるのにとも思うでしょう。しかし、そうではないのです。復活のキリストに出会った弟子たちは、パウロが言うように神の事柄を理解するようにされたのです。それが聖書を理解するための理性が開かれることだったとルカは伝えています。また、エマオ途上で2人の弟子たちに対して、キリストご自身が聖書を理解するようにと解き明かされた出来事も、ルカは伝えています。そうであれば、聖書に記されているキリストの出来事、十字架と復活の出来事を理解する人は、理性を開かれた人であり、復活に与っている人だということになります。それが、復活のキリストに出会った人たちに起こった神の出来事だったのです。

 

パウロはキリスト者を迫害していましたが、ダマスコへ向かう途上で復活のキリストが現れてくださったことによって、それまで否定していたキリストの十字架と復活を宣教する者に変えられました。彼は自らの罪を取り除いてくださった救い主としてキリストを宣べ伝えることになったのです。パウロがそのように変えられたのは、キリストによって聖書を理解するための理性を開かれたからでしょう。そのとき、パウロは復活に与ったのです。同じように、現代に生きるわたしたちキリスト者もまた、十字架と復活を神の事柄として理解するとき、復活に与っているのです。復活のキリストに出会っているのです。復活のキリストのヌースが、わたしたちのうちで働いているのです。

 

神の事柄は、人間的な理解を越えています。人間的な理性では受け入れることができない事柄です。それにも関わらず神の事柄を理解するわたしがいるということは、わたしのうちにキリストのヌース、神の霊が働いているからです。キリストの十字架と復活が、このわたしのために起こった神の出来事だと理解するのは、キリストの理性である神の霊を与えられて理解することなのです。

 

主のご復活を祝っているわたしたちは、聖書を理解する者としての理性を開かれています。ご復活したキリストのヌースはわたしのうちに働いておられる。キリストがわたしのうちに生きておられる。開かれた理性をもって主の十字架と復活を宣べ伝えていきましょう。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉖「お帰り」

「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」(ヨハネ14・18)

  ここに書かせていただいた聖句は私が受洗へと導かれたみ言(ことば)です。
 なぜ今思い出したのか?私は信仰を新たにしていただいた気持ちです。
 「主われを愛す主は強ければ…」教会学校で子どもたちの賛美が聴こえてきた時、「うそっどうして私の今の気持ちをわかってくださってるの?」
 その時は入院が続き日曜日も治療があるため、しばらく教会の礼拝もお休みしなくてはいけなくて、とてもとてもいたたまれない気持ちがいっぱいのまま教会へ足を運んでいました。
 どんな顔して礼拝へ行こう?必要以上に笑って笑顔でいれば皆さんは心配されないかな?牧師だからなぁ…「主われを愛す主は強ければ…」あっ私神様にそのままを愛されているんだ。
いつも自分で語るときは「あなたは神様にそのままを愛されていますよ」と語れるのに自分自身が語られると戸惑うときがあるんですね。
 あなたが教会に行かれない時があっても、聖書が開けない時があっても、たとえ誰にも心開けない時があったとしても、神様は言われます。「あなたのそのままを愛してます。」

議長室から 大柴譲治

インマヌエル〜清濁併せ呑む信仰のリアリズム

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。/その名はインマヌエルと呼ばれる。」(マタイ1・23)

 世界状況が緊迫し混沌としているためでしょう、マタイ福音書の「インマヌエル」が強く私に迫ってきます。それはイエスの誕生予告にイザヤの預言の引用として出てくる言葉です(イザヤ7・14、8・8、8・10)。しかしマタイはその語を聖書全体の核心として捉え、それがイエスにおいて成就したことを宣言するのです。そして福音書は復活の主による弟子派遣の言葉で終わります。「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(28・18b〜20)。マタイ福音書はインマヌエルに始まりインマヌエルに終わるのです。
 この言葉は旧新約聖書全体の基調音です。「イエス・キリスト」という表現自体「イエスは私の救い主」という信仰告白です。井上洋治神父は「アッバ」(マルコ14・36)という1語の中にすべてを捉えました。マタイに従えば私たちの信仰告白はただ「インマヌエル、アーメン!」の一言だけでよいのです。

 その視点からマタイ福音書を読み直してみると、彼の伝える信仰のリアリズムが透けて見えてきます。たとえば東からの博士たち。ヘロデ訪問の場面では人間の闇がリアルに描かれます。マタイは王と全住民の持つ闇を「不安」として描くのです(2・3)。彼らは等しく「ユダヤ人の王」により自らが脅かされることを心底恐れました。その最たるものがヘロデによる嬰児虐殺です(2・16)。なんと人間の闇は深くおぞましいことか。暗澹たる思いにさせられます。しかしまさにその闇のどん底でマタイは記すのです。救い主の誕生を告げる星の光が確かに闇の中で輝いていることを。「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子がいる場所の上に止まった。博士たちはその星を見て喜びに溢れた」(2・9〜10)。マタイが記すインマヌエルのリアリティはこれなのです。その光が見る者を喜びに満たす。どのような闇もその喜びを消し去ることはできません。

 次もマタイだけが記す言葉です。「施しをするときは、右の手のしていることを左の手に知らせてはならない」(6・3)。「だから、あなたがたは蛇のように賢く、鳩のように無垢でありなさい」(10・16)。面白いですね。日本語の「清濁併せ呑む」を想起します。しぶとくしなやかに賢い、バランスある信仰をここで主は勧めているように思えます。私たちもそのような信仰のリアリズムに立ち続けたいのです。COVID-19パンデミックという現実においても、ロシアによるウクライナ侵攻という現実においても、大地震という現実においても。闇に希望の光は確かに輝いています。すべての人にインマヌエル、アーメン!
(聖句引用はすべて『聖書協会協同訳』による。)

「教会讃美歌 増補」 解説

㉓創作賛美歌解説3 「田坂さんのこと」
讃美歌委員会
北川逸英
(日本ルーテル教団
池上ルーテル教会・
杉並聖真ルーテル教会牧師)

増補25番「きょうはうれしいクリスマス」・増補28番「目を覚ましていましょう」・増補30番「いのちの花」

 この3曲の賛美歌は、NRK(日本ルーテル教団)鵠沼ルーテル教会信徒・田坂仁さんの作詞です。田坂さんは強くこの増補版の出版を待ち望んでいました。パイロット版である『教会讃美歌増補試用版宗教改革500年記念』の製作では、ボランティアとして校正作業をお手伝いくださいました。けれど残念なことに、分冊Ⅰの完成出版を見ることなく2021年1月、天に召されました。今回はこれまで共に祈り、共に歩いた北川が、田坂さんを紹介して、作品に込められた祈りに、共に思いを寄せたいと思います。
 田坂氏は1936年に東京都豊島区に生まれました。野球に打ち込むスポーツマンで、青少年教育に深い志を持って、中央大学・明治学院大学に学びます。その在学中からアメリカンスクールの臨時職員となって、宣教師との交流から信仰が芽生えました。ラジオ東京から流れていたルーテルアワーで熱心に学び、NRK東京ルーテルセンター教会で受洗します。そして成美学園(現 横浜英和)中学高等学校で、英語科教諭を長く勤めました。いつも教育に情熱を燃やして、定年後も神奈川県の学校で英語指導を続け、さらにアルゼンチンで4年間、またボリビアにも2年間赴任して、日本語と日本文化の教育に力を尽くしました。帰国後は精力的に教会活動と教育活動に邁進し、NRKの内に留まることなく、ルーテル学院大学・神学校後援会でも、大切な働きを最後まで続けました。
 NRKの青少年育成プログラムにも必ず足を運んで、子どもたちや青年たちと全く変わらない、元気な活動をされました。数年前に鵠沼教会で開かれたジュニア・ユースキャンプでも、フォークダンスを皆と一緒に楽しく踊っていました。また新年の高尾山ハイクにも参加され、ケーブルカーを使わず、青年たちと共に、自然研究路を楽しそうに最後まで歩き続けました。
 思い返せば田坂さんはいつも楽しそうでした。そしていつも誰かに熱心に話しかけていました。また田坂さんはいくつも童話を作り、本を出していました。最近の著作は2019年に上梓された『星がかがやくように』です。この短い物語は「美花園」という街角の花屋に並ぶ色とりどりのきれいな花たちが「花たちの歌」を歌っている場面からはじまります。花たちはさまざまな事を語り合い、そこにミツバチが来て詩を朗読し、感想を語り合い最後はまた花たちが歌って物語が閉じます。これにより田坂さんが、歌うこと、話し合うこと、詩をよむことを、生きる糧としていることがよくわかります。「『花開き草木も育てのびやかに愛と平和へ思いを込めて』田坂仁」これが巻末の言葉です。本当に田坂さんは、信仰に立つ、魂の教育者でした。

世界の教会の声

浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

「ウクライナと ロシアのルーテル教会 監督が共に祈る」

 3月18日、ベルリン大聖堂でエキュメニカル平和祈祷会が開かれ、そこにウクライナとロシアのルーテル教会の監督(ビショップ)が出席しました。それぞれの教会代表の監督が祈祷会の席で述べた言葉を紹介します。

ロシア福音ルーテル教会のディートリッヒ・ブラウア大監督
「今年のレント(四旬節)はとんでもなく恐ろしく、辛い試練の時となりました。眼前に広がる悪に対して、無力にただ立ち尽くすだけという経験に打ちのめされています。2月24日、私たちは闇と恐怖に埋め尽くされた現実に目を覚ましたのです。」
「戦争と涙と死。それしか見あたりません。泣きじゃくる子どもたち、逃げ惑う市民、破壊された家々と死体が辺り一面に広がっています。私たちだけでは到底立ち向かえない力に対して言葉もありません。けれども一人ではありません。お互いがあります。私たちは共に祈り、平和を求め、真実を証しし、他者の目を開いていくことができるのです。」

ウクライナのドイツ・ルーテル福音教会のパブロ・シュバルツ監督
「神は私たちから遠ざかることはありません。また無関心でもいられない方です。戦争の犠牲者たちと今苦しんでいる人々と、ここで共にいてくださるのです。神は戦争という地獄にあっても共にいて涙を流し、死の谷を共に歩いてくださいます。」
「キリストはここ、私たちのただ中で十字架にかかっておられます。そして死が最後の言葉ではないと何度も確約してくださっています。恐怖が私たちを黙らせることは永久にありません。いのちが悪の力に勝利することをキリストは約束してくださっています。そして解放と主の平和という水際へ私たちを導いてくださいます。」

 シュバルツ監督のオフィスはウクライナ東部の町ハリコフにあります。ハリコフはロシア軍の大規模爆撃によって多くの被害を受けた町。シュバルツ監督は、戦争終結に向けて尽力する人々、そしてウクライナ市民を支援するすべての人々に感謝を述べ、両手を広げて彼らを歓迎し次のように述べました。

「犠牲者の声に耳を傾け、誰が加害者なのかを明らかにしていく公平な平和へと私たちは召されています。真の和解は、そうすることによってのみ実現できます。私たちは希望を神に託しています。そして私たちが平和を作り出し、ついには和解をもらたす者となれますようにと祈っています。言葉だけでなく行いが伴うクリスチャンにしてくださいと祈っています。」

イレネウス・ルカスLWFヨーロッパ局長のコメント。
「ロシアとウクライナ両ルーテル教会の監督が、公正な平和を求めて共に祈る祈りは力強く、勇気ある証です。罪のない人々が殺され、数百万人が安住の地を求めて家を離れねばならないという困難なとき、こうした祈りがますます必要なのです。」
※この平和祈祷会の詳細については以下のサイトをご参考ください。

※ウクライナの平和を求める灰の水曜日の祈りについては下記サイトで紹介されています。
https://www.lutheranworld.org/news/ukraine-lutheran-bishops-ukraine-and-russia-join-prayer-peace

エキュメニカルな交わりから

 

②NCCジェンダー正義に関するポリシー策定のためのワーキンググループ
藤原佐和子 (鶴ヶ谷教会・NCC書記)

 

 日本キリスト教協議会(NCC)に2021年8月、「ジェンダー正義に関するポリシー策定のためのワーキンググループ」(以下、WG)が新設されました。メンバーは、日本福音ルーテル都南教会信徒の安田真由子さんと筆者を含む10名です。このWGは、「この危機の時代にこそ後退することなく、ジェンダーやセクシュアリティにおける正義、そして真実のパートナー性と多様性を問い直し、それを与えられた恵みの豊かさを感謝し具現していく道へと踏み出さなければなりません」というNCC第41回総会期活動方針に基づき、ACTアライアンス(以下、ACT)をはじめとする世界の教会・団体とのエキュメニカルな連帯に根差して活動しています。ACTは2010年に、ルーテル世界連盟(LWF)や世界教会協議会(WCC)を中心に発足したもので、これまでは人道支援で知られ、日本ではNCCとCWS Japanがメンバーになっています。ACTは、2013年のLWFに続き、2017年に「ジェンダー正義に関するポリシー(基本方針)」を採択したことでも注目され、現在、世界中のメンバーに「2026年までにポリシーを作り、実践しましょう」と呼びかけています。WGでは、既にジェンダー正義に取り組んでいる教会・団体に学びながら、この呼びかけに応えたいと考えています。
 最近のミーティングでは、スウェーデン教会の2010年代以降の文書を分析しました。スウェーデン教会は世界で3番目に大きなルター派(ルーテル教会)で、毎年秋に行われる教会会議では16歳以上のすべての信徒に選挙権が与えられるなど、民主的な教会運営で知られています。スウェーデン教会では1960年から女性牧師が誕生しており、1993年には女性の按手を拒否する権利が廃止され、「性別に基づく差別に反対します」という誓約書にサインしなければ、牧師となることはできません。現在、すべての牧師に占める女性の割合は、わずかに男性を上回っていますが、指導的地位は男性に占められたままで、賃金格差も深刻です。それでも、2009年に世界で初めてレズビアン女性の主教(エヴァ・ブルンネ)が誕生している点、同性婚の祝福を賛成多数で可決している点、2011年の国連人権理事会におけるSOGI(性的指向と性自認)に関する初めての決議にいち早く応答し、翌年には、ジェンダー平等とジェンダー正義は、すべての男性、女性、少年、少女にかかわることであって、「女性たちの問題ではない」との見方を明らかにしている点など、日本福音ルーテル教会から見ても大いに注目すべき教会です。
 スウェーデン教会が、自分たちの立場を明確にしようと心がけてきたのは、そのことが、オープンで率直な対話の場を作り出していくことにつながると信じているからです。このテーマにご関心のある方は、5月21日にオンラインで開催される修学院フォーラム(日本クリスチャン・アカデミー関西セミナーハウス活動センター)にぜひご参加ください。
 次回は、アジア・キリスト教協議会(CCA)の働きについてご紹介します。


https://www.academy-kansai.org/news/2022/03/pg-734.php

外キ協全国協議会報告

小泉基(社会委員長・函館教会牧師)

 「外キ協」とは、「外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会」という長い名前を持つエキュメニカルネットワークです。もともとは1980年代以降に闘われた在日韓国・朝鮮人の指紋押捺拒否運動に刺激されて結成された、「外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会」という団体でした。カトリック教会とプロテスタント教会が全国レベルでひとつの課題に力をあわせ、同時に各地に地方外キ連というローカルボディも有するという希有な団体なのですが、日本福音ルーテル教会は長く教派レベルでこの協議会に参加することはなかったのです。
 当初、在日が負わされた課題から出発した協議会でしたが、在日外国人の多様化に伴い、自ら立案した「外国人住民基本法」の制定運度を取り組みの中心に据えることとし、2012年から名称も変更して新しい「外キ協」として再出発しています。
 外キ協は、毎年1月に全国協議会を開催し、その年の活動を展望します。日本福音ルーテル教会も2020年にこの協議会の構成団体に加わり、現在は社会委員会を通してその活動をともに担うようになりましたので、今年の1月28日、オンラインで開催された全国協議会に、北海道からネット参加しました。昨年は、ウィシュマさんという女性が入管施設内で亡くなられた事件によって、かつてないほど日本の入国管理制度に注目が集まった年で、ルーテル教会の社会委員会も2回のオンラインセミナーを開催しました。全国協議会では、入管法の改悪案を撤回に追い込むこととなった昨年の取り組みがわかちあわれた他、今年度の活動として、韓国教会との国際シンポジウムや、平和構築のための日韓青年フォーラム、外国人住民基本法の制定を求める全国署名、冊子「カラフルな仲間たち4」の発行などが提案され、今年度も多様な取り組みをすすめていくことを確認しあいました。ルーテル教会からも、外キ協のプロクラムや各地の外キ連に参加してくださる方が増えていくようにと願っています。

第56回教職 神学セミナー報告

宮本新(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校専任講師)

 

 2月14〜15日、教職神学セミナー(日本ルーテル神学校主催、JELC協賛)が開催されました。
 主題は「これからの10年—教職論再考」。これまでの経験則ではこの先があやぶまれるとき、枝葉ではなく根幹的なことを再確認したいとき、これまでもこのような単純でいて根源的なテーマが選ばれてきたのだろうと思います。2日間のプログラムでは、3つのセッションを設けて、それぞれの発題者・発表者が、そのような再検討課題を差し出し、共に考える機会を持ちました。詳細について紙面の都合でかないませんが、以下のプログラム要旨からその一端を紹介いたします。(以下、敬称略)

★セッション①シンポジウムⅠ「教職論の現在地~職制・職務・実存の問題として」
〈シンポジスト発題〉「職制と職務を考える」立山忠浩氏、「牧師は宗教家か労働者か」滝田浩之氏、「壊れいく宣教と教職の現実に」石居基夫氏
★セッション②「現代社会における教職論~私の職務レポート」
〈レポート〉「キリストを感じてもらう」吉田達臣氏、「女性教職の働きと可能性」小勝奈保子氏、「牧師の働きについての模索」竹田大地氏、「気がついたらやっていること〜Pastoralskills(I acquired when I noticed)〜」岩切雄太氏
★セッション③シンポジウムⅡ 「これからの10年、教職論の課題と展望」
〈シンポジスト発題〉「選択と集中、その判断基準の柔軟性」李明生氏、「みことばと教会形成」後藤由起氏、「教職の預言者的使命を見直す」江本真理氏

 終わって見ると、オンライン故の残念な点はそれに上回る良い点で満たされていました。特に、全国各地・ルーテル4教団の教職の方々が多数参加してくださったのはオンラインならではのことでした。とりわけ、積極的に参加してくださったJELC九州地域教師会の方々、そして受按5年以内の先生方(現任研修)の参加はありがたくもあり、また今後のセミナーの展望を考える糧をいただきました。感謝。

ルターナイツ通算第13回(オンライン開催)

石原修(市ヶ谷教会)

 2014年に東教区に「信仰を考える会ジュニア」が作られ、教科書で誰でも知っているルターの顔、そして著名なバッハを利用して、宗教改革500年までの3年間、礼拝には呼びづらい友人や同僚にルーテルとのつながりを持てるようにと「ルターナイツ」が企画され、宗教改革500年を終えた後も継続し、12月3日、初回ボリュームゼロから数え13回目が開催されました。
 10回と11回目は東京・恵比寿のJELAホールを借りて開催しましたが、新型コロナにより、前回より完全オンラインで実施しています。司会は市原悠史牧師(横浜教会・横須賀教会)と谷口健太郎さん(市ヶ谷教会)。今回のトークは、一昨年よりコロナ禍で渡米し、アメリカミネソタ州アボットノースウェスタン病院のチャプレン(病院聖職者)として、コロナ病棟や精神科病棟で人々の魂に寄り添い、昨年9月に帰国した関野和寛牧師に、「コロナ室に入り続けた1年間」と題してお願いし、市原牧師によるインタビューやオンラインでの質疑応答を行いました。
 方波見愛さん・角本茜さんによるピアノ連弾デュオ「La Fontaine」は、「かみのみこはこよいしも」と「まきびとひつじを」を、連続出演記録更新中のユースグループ「The Beagles」は、「ハクナ ワカィタ サ イェス」と「まぶねのなかでしずか」を、予め収録した動画にてお届けしました。市原牧師は、前回同様、リアルでギターの弾き語りを披露しました。今回は、JELAによるカンボジアの子ども達への支援活動のための募金を呼び掛け、職員の下川正人さんより説明がありました(写真)。最後は、恒例となった「君は愛されるために生まれた」を皆で歌い、終了しました。ライブと同じような交流の場を設けるため、前後に15分程度Zoomを開放しました。
 徳善義和先生からルターナイツのために頂いたバッハの言葉「祈りをもってする音楽においては常に神がおられる、恵みの現臨をもって。」(徳善先生訳)を胸に、これからも続けていきます。

第28回春の全国ティーンズキャンプ(オンライン)報告

森田哲史(大江教会牧師)

  3月27日、第28回春の全国ティーンズキャンプ(通称・春キャン)が、オンラインにて行われました。今年は「自分の限界を超える」(主題聖句・ガラテヤの信徒への手紙6章2節)をテーマに、関野和寛牧師の講演を中心としたプログラムを行いました。初めに開会礼拝を行った後、青年スタッフが企画してくださったZoom上で出来るアイスブレイクで参加者間の交流を深めました。講演では関野牧師が、アメリカでのチャプレンの働きから、傷つくことを恐れず、外に飛び出し、人と出会うところに牧師としての喜びがあると分かち合ってくださいました。参加者は2名と少数でしたが、来年こそは直接会いたいね、と期待を膨らませています。

  3〈以下感想〉
「春キャンに参加することが出来てとても嬉しかったです。貴重な体験になりました。ありがとうございました。限界を超えろというテーマは初め私にとって考える機会がなかったため難しいものでしたが、牧師先生の話を伺って考えやすく身近なものに変わっていきました。周りの人に合わせるという事も大切な事ですが、周りの人に流されずに強い意志を持ってこれからの生活を送っていきたいです。来年も春キャンに参加したいと思います!」(中学2年生)。
「私は2回目の参加でした。関野先生のお話にとても心を動かされました。アイスブレイクもたのしかったです!ありがとうございました」(高校1年生)。
「なかなか対面で集まれない状況のなか、オンラインでこうして中高生の子たちがつながる機会があること、参加してくれる子がいることがとても素敵だなあと感じ、心が温まりました。ありがとうございました」(青年スタッフ)

ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校の新年度が始まりました

 2022年度のルーテル学院大学は、総合人間学部66名(編入学を含む)、大学院15名の新入生を迎えました。また日本ルーテル神学校には牧師養成コースに中山隼輔さん(JELC室園教会)の1名、また神学一般コースに2名の新入生を迎えました。4月4日、神学校入学始業礼拝が司式・河田優チャプレン、説教・立山忠浩校長によって行われ、新年度への歩みが始まりました。なお新型コロナウイルス感染症対策として、2022年度前期の講義は、昨年度に引き続き当面の間オンラインと対面を組み合わせたハイブリッド方式によって行われます。後期の授業形態については、感染状況によってあらためて検討されます。(広報室)

第35回教会音楽祭

  教会音楽祭は、キリスト教の教派を超えて神さまへの賛美をともに捧げようと、1968年から続けられています。日本最大のエキュメニカル(教会一致)活動のひとつです。
 第35回教会音楽祭は2022年10月22日(土)、オンラインで開催されます。
 また、第35回教会音楽祭では、以下の二つの項目で公募が行われます。
①オンライン音楽祭(動画)の中で皆で歌う「応答の歌」のメロディー
②コロナ禍での、新たな賛美の取り組み
 応募される方は、左記教会音楽祭インターネットサイトの公募要項をお読みください。


http://cmf.holy.jp

22-04-01「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」

「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」
ルカによる福音書24章6節a

 イースターおめでとうございます。この朝、イエス様は死からよみがえられました。私たちの罪のために苦しみを負われ、十字架で死なれたイエス様は、父なる神様によって高くあげられ、復活して永遠の命を生きておられます。イエス様が救いのみわざを成し遂げてくださったことを記念するイースターの礼拝は、教会の一年の中で最も大きな喜びの時です。
 ルカ福音書の復活物語は、イエス様に従っていた婦人たちが早朝に香料を持って墓に出かけるところから始まります。香料を遺体に塗って、葬りを完了させるためです。婦人たちはイエス様が死んでしまった悲しみを感じつつも、どこかでイエス様の死を受け入れて、しきたり通りの葬りをするために現実的に行動しています。
 しかし婦人たちが目にしたのは空の墓でした。さらに彼女たちはみ使いからイエス様の復活を知らされます。「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。」と言われた婦人たちは、イエス様が確かに「わたしは死んで復活する」と言われていたことを思い出したのです。
 そうして婦人たちはイエスの復活を確信します。彼女たちは墓から帰って、弟子たちとほかの人皆に一部始終を知らせました。イエス様の墓が空になっていたこと、み使いが現れてイエス様の復活を告げたこと、そして確かにイエス様はご自分の死と復活を約束されていたということ…彼女たちは驚きと興奮、そしてかつてないほどの喜びにあふれてイエス様の復活を告げ知らせたに違いありません。
 しかし報告を受けた弟子たちは彼女たちを信じませんでした。はじめ婦人たちがそうであったように、弟子たちもイエス様があらかじめ言われていたことを理解していなかったのです。イエス様が「わたしは死んで復活する」と言われていたにもかかわらず、死は終わりであって、復活などたわ言だと思っていました。
 これまで熱心にイエス様に従ってきた人たちであっても、イエス様が死んでしまってさすがにあきらめムードといったところでしょうか。私たちがそこにいても、多分同じような反応をしたと思います。人間の力ではどうにもならないことがあると受け入れて、現実的に行動しなければ、この世の中を生き抜いていくことはできないからです。
 私たちは生きていくうえで色々なことをあきらめ受け入れています。年を取ること、病気になること、人との別れ、どれもしんどいことですが、どこかで仕方ないと割り切って、前に進んでいるのです。新型コロナウイルス感染症が流行って今まで通りの生活が送れなくなっても、なんとかその中で折り合いをつけて、今できることを探して生きています。人間の力ではどうにもならないことがあるというのは私たちが常々実感していることです。
 なかでも死はその最たるものです。どんなに大切な人がいたとしても、みんないずれ死にます。死んでしまったら二度と地上で会うことはできません。別れの悲しみは大きく深いものですが、だからといってどうしようもないということを私たちは心のどこかで知っています。この世の中に絶対はなく、永遠に続くものもないからです。
 しかしイエス様の復活は、神様の約束だけは絶対であり永遠であるということを私たちに告げています。神様の約束通り、イエス様は死からよみがえられ、私たちを救って、私たちを永遠の命へと招き入れてくださいました。死でさえも私たちからイエス様を奪うことはできません。イエス様の愛だけは私たちがあきらめる必要のないただ一つのものだからです。
 この復活の朝、死さえも超えて、イエス様は私たちのところに戻ってきてくださいました。イエス様の愛から私たちを引き離すものは何もありません。このことだけは永遠に変わらない真理、決して取り去られることのない喜びです。イースターおめでとうございます。主の復活の喜びを共に分かち合いたいと思います。

M.グリューネヴァルト作「復活」(1511〜1515年)
コルマール・ウンターデンリンデン美術館所蔵

22-04-01るうてる2022年04月号

機関紙PDF

 「イースターおめでとう」

日本福音ルーテル小倉教会・直方教会 牧師 森下真帆

「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」
ルカによる福音書24章6節a

 イースターおめでとうございます。この朝、イエス様は死からよみがえられました。私たちの罪のために苦しみを負われ、十字架で死なれたイエス様は、父なる神様によって高くあげられ、復活して永遠の命を生きておられます。イエス様が救いのみわざを成し遂げてくださったことを記念するイースターの礼拝は、教会の一年の中で最も大きな喜びの時です。
 ルカ福音書の復活物語は、イエス様に従っていた婦人たちが早朝に香料を持って墓に出かけるところから始まります。香料を遺体に塗って、葬りを完了させるためです。婦人たちはイエス様が死んでしまった悲しみを感じつつも、どこかでイエス様の死を受け入れて、しきたり通りの葬りをするために現実的に行動しています。

 

しかし婦人たちが目にしたのは空の墓でした。さらに彼女たちはみ使いからイエス様の復活を知らされます。「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。」と言われた婦人たちは、イエス様が確かに「わたしは死んで復活する」と言われていたことを思い出したのです。
 そうして婦人たちはイエスの復活を確信します。彼女たちは墓から帰って、弟子たちとほかの人皆に一部始終を知らせました。イエス様の墓が空になっていたこと、み使いが現れてイエス様の復活を告げたこと、そして確かにイエス様はご自分の死と復活を約束されていたということ…彼女たちは驚きと興奮、そしてかつてないほどの喜びにあふれてイエス様の復活を告げ知らせたに違いありません。
 しかし報告を受けた弟子たちは彼女たちを信じませんでした。はじめ婦人たちがそうであったように、弟子たちもイエス様があらかじめ言われていたことを理解していなかったのです。イエス様が「わたしは死んで復活する」と言われていたにもかかわらず、死は終わりであって、復活などたわ言だと思っていました。

 これまで熱心にイエス様に従ってきた人たちであっても、イエス様が死んでしまってさすがにあきらめムードといったところでしょうか。私たちがそこにいても、多分同じような反応をしたと思います。人間の力ではどうにもならないことがあると受け入れて、現実的に行動しなければ、この世の中を生き抜いていくことはできないからです。
 私たちは生きていくうえで色々なことをあきらめ受け入れています。年を取ること、病気になること、人との別れ、どれもしんどいことですが、どこかで仕方ないと割り切って、前に進んでいるのです。新型コロナウイルス感染症が流行って今まで通りの生活が送れなくなっても、なんとかその中で折り合いをつけて、今できることを探して生きています。人間の力ではどうにもならないことがあるというのは私たちが常々実感していることです。
 なかでも死はその最たるものです。どんなに大切な人がいたとしても、みんないずれ死にます。死んでしまったら二度と地上で会うことはできません。別れの悲しみは大きく深いものですが、だからといってどうしようもないということを私たちは心のどこかで知っています。この世の中に絶対はなく、永遠に続くものもないからです。

しかしイエス様の復活は、神様の約束だけは絶対であり永遠であるということを私たちに告げています。神様の約束通り、イエス様は死からよみがえられ、私たちを救って、私たちを永遠の命へと招き入れてくださいました。死でさえも私たちからイエス様を奪うことはできません。イエス様の愛だけは私たちがあきらめる必要のないただ一つのものだからです。
 この復活の朝、死さえも超えて、イエス様は私たちのところに戻ってきてくださいました。イエス様の愛から私たちを引き離すものは何もありません。このことだけは永遠に変わらない真理、決して取り去られることのない喜びです。イースターおめでとうございます。主の復活の喜びを共に分かち合いたいと思います。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉕「変わらないもの」

「天は神の栄光を物語り大空は御手の業を示す。」(詩編19・2)

  「あっちにもあるよ、ああそこにも。あの赤く光って動いているのは飛行機かな。」
 普段は別に気にしていないのに入院すると何だか空を見てしまいます。何度か入院が一緒だった友達と夕食後待ち合わせて部屋を抜け出し唯一外の空気が吸える病院内の渡り廊下へ行きます。暗くなり始めた渡り廊下は人影もなく静かでした。そこで渡り廊下の手すりを両手でぎゅっと握って立ち上がり2人で毎日のように空を見ていました。そんな2人には都会の夜の空に少し遠慮がちに輝いている数少ない星を見るのが楽しみでしたし何よりも立って上を向けるなんてこの時にしかできないことでした。
 星は変わらずそこにいます。私たちが見える世界では変わりません。変わるのは見ている私たちかもしれません。
 「変化は恐ろしいことでも悲しいことでもないんだよ。変化することは私たちには当たり前のことなのさ。」昔読んだ本の中に書いてあったこのような台詞を思い出しました。成長であったり気づきであったり私たちが歓迎できる変化もあれば病気の進行や老化のように受け入れることを拒んだり受け入れることに時間がかかることもあります。でもそこには必ず変わらないイエス様が共におられます。あなたは変化する存在ですが変わらないイエス様があなたといつも一緒です。

議長室から 大柴譲治

「聖なるもの」との出会い〜おそれとおののき

「これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです』と言った。」(ルカ5・8)

 「目の前に美しい花があってもそれを美しいと感じる心が私になければ、その花と出会うことはできない」。これは学生時代に美学の集中講義で今道友信先生から学んだことでした。確かに道端に咲く花の美と出会うためにはそれに気づく感性が求められる。でなければ素通りしてしまう。逆に言えば、自らの感性を研ぎ澄ますことができれば、どこにおいても真・善・美という普遍的な価値に出会うことができるということになる。そのためにも「ホンモノとの出会い」が必要となります。それはハッと思わず息を飲むような体験、深い感動を内に呼び覚まされるような体験です。ゲーテはファウストに「時よ、止まれ。お前はそのままで美しい」と言わせました。確かにそのような至高体験は、「今・ここに・私は・生きている」という鮮烈な実感を与えてくれます。山頂での御来光、澄み切った紺碧の空、たゆたう白雲、陽光にきらめく川面、自由に飛翔する鳥たち、夜空の満天の星、突然の虹の出現、等々。絵画や音楽、映画など芸術作品や書物との出会いもありましょうし、日常生活でのさりげない思いやりの言葉やしぐさに深く感じ入ることもある。

 「聖なるもの」との出会いの場合はどうか。その時私たちは畏怖の念に打たれます。「しかしお言葉ですから」と網を打ち、思わぬ大漁に接したペトロはイエスの前にひれ伏します。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」。彼はそこで聖なるお方と出会って震撼させられたからです。私たちも同じです。強い畏怖の念に打たれると共に自分はその前に立つ資格がない、相応しくないという恥と怖れに満たされる。主日礼拝の中に二つの「告白」(罪と信仰)があるのもむべなるかなです。コインの両面のようにそれらは表裏一体、不即不離の関係にあるのでしょう。
 復活の主と出会った弟子たちも同じでした。彼らは素直にはイエスとの再会を喜べなかったはずです。主を見捨てて自分は逃げてしまったという苦い記憶が影のようによみがえってきたことでしょう。自分は裁かれると恐怖したかもしれません。まばゆい光の前では濃い影ができるのと同じです。しかし主は彼らの心の動きをよくご存じでした。「恐れるな。あなたがたに平安があるように」。復活者の確かな声は弟子たちの複雑な思いを瞬時に消し去ります。完全な赦しと受容の宣言。神の力ある声が人間の恐れとおののきを揺らぐことのない歓喜へと変えてゆきます。このような聖なるお方との出会いが私たちを根底から新たに造り変えてゆくのです。

「教会讃美歌 増補」 解説

㉒創作賛美歌解説2
石原祐子(賀茂川教会)

増補37番「悲しみのなかで」

*祈ることもできない日に

「あなたはわたしのもの。
わたしはあなたの名を呼ぶ。」(イザヤ43・1)
「見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。」(ルカ15・4)
「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」(ルカ23・42)

 四旬節に与えられた歌。
 わたしたちの中に痛みがあります。わたしたちの中に悲しみがあります。神さまがみえない、神さまを呼べない。神さまがおられるのならどうしてこんなことが起こるのかと思う。苦しくて御名を呼ぶことさえできない日があります。
 そんなときにも、主がわたしたちの名を呼び、さがし出し、とらえていてくださる。わたしたちのうめきに耳を傾けていてくださる。十字架と復活の主がすでに勝利していてくださる。
 自分の力ではなくこの主に信頼して、ゆだねてゆきたいと願います。

増補39番
「なつかしいあの場所へ」

*子どもたちと、子どもだった人たちのために

「あなたの祭壇に、鳥は住みかを作り
つばめは巣をかけて、雛を置いています。
万軍の主、わたしの王、わたしの神よ。
いかに幸いなことでしょう
あなたの家に住むことができるなら
まして、あなたを賛美することができるなら。」
(詩編84・4〜5)

 

教会学校の子どもたちの堅信式が行われ、感謝をささげるなかで与えられた、詩編84の歌。
 久しぶりに礼拝に出席することがゆるされた日、目を閉じて、皆が歌う賛美歌に耳を傾けました。わたしが賛美できなかった日にも、こうして世界中でずっと賛美と祈りがささげられていたことに気づかされ、感謝の思いがあふれました。
 主の家は帰る場所です。ひとときここをはなれることがあっても、主がわたしたちを呼びもどしてくださいますように。主の家へ。主のもとへ。あたたかい交わりの中へ。

「主の家に行こう、と人々が言ったとき
わたしはうれしかった。」
(詩編122・1)

世界の教会の声

浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

「ウクライナを覆う灰のとばり」

3月2日、四旬節の初日にあたる灰の水曜日にロシアのウクライナ侵攻に苦しむ人々を覚えて、世界のキリスト教徒が連帯と嘆きをともにしようと祈りをひとつにしました。このオンラインでのエキュメニカル礼拝には、その1週間前にロシアの戦闘機、戦車、軍隊の襲撃を受けたウクライナ東部国境地域に住む牧師や信徒たちも参加しました。礼拝はルーテル世界連盟(LWF)のほか、改革派、メソジスト、メノナイト、聖公会代表者らの共同開催で催されました。
 冒頭LWF事務局長アンネ・ブルクハルト師は、「二度と戻ってはならない時代へと世界を突き返してしまった人によるひねくれた政治」を非難しました。「灰のとばりがウクライナを覆っています。『あなたの兄弟はどこにいるのか、カイン?』、神は人類にむけて責任を求めています。この叫び声を暴挙の責任者の心に向けて呼びかけたいのです。」
 80カ国から3000人以上が礼拝に連なって各大陸から平和の祈りがささげられました。世界改革派教会共同体(WCRC)の事務局長ハンス・レッシング師がミカ書の預言「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」を取り上げ、このみことばが今日まで3000年以上平和を作る人たちに感化を与え続け、すべての教会はこの平和作りという大変な作業のために召されていると述べました。
 2014年から紛争下にあるロシアとの国境に位置する町ルハンスクのメソジスト教会牧師アレクサンダー・シェフチェンコ師が証しをして、ロシアとウクライナの平和と政治指導者の賢明な解決を祈り求めました。包囲された都市ハリコフ近郊に位置するウクライナ・ドイツルーテル教会からパブロ・シュヴァルツ監督は公正な平和を祈り求め、そのためには侵略者と犠牲者の名前を挙げることもプロセスのひとつだと語りました。
 首都キエフにあるウクライナ正教会モスクワ主教座のミコラ・ダニレヴィッチ師は、連日80人規模の人々が爆撃から逃れようと地下シェルターに避難するという現状のなか、「我々も共にいるのです」と述べながら、正教会、プロテスタント、カトリック教会の連日の祈りと支援に対して感謝しました。また南東部の町ベルジャンスクのメノナイト教会、西部地域の改革派教会、西部ウクライナのアライアンス教会、ポーランドのバプテスト教会からの参加者たちが声を挙げ、困難なこの時期に支援を提供してくれる諸教会の活動に感謝しました。
 こうした危機のときにこそ、キリスト者たちの祈りと行動が希望もたらすとの力強い呼びかけで締めくくり礼拝は終了しました。

※ウクライナの平和を求める灰の水曜日の祈りについては下記サイトで紹介されています。
https://www.lutheranworld.org/news/pall-ashes-covers-ukraine-christians-join-prayer-peace

エキュメニカルな交わりから

 

①日本キリスト教協議会(NCC)第41回総会期の主題
藤原佐和子
(鶴ヶ谷教会・
NCC書記)

 

エキュメニカル運動は「教会の一致」を目指す運動と言われてきましたが、厳密には、神によってすでに与えられている一致(しかしながら、人間による罪の結果のために見えなくされている一致)を回復させていこうとする信仰運動です。この運動には、世界レベル、地域レベル(アジアなど)、国内レベルの拠点があり、日本では、日本福音ルーテル教会を含む6教団と、多くの加盟団体で構成される日本キリスト教協議会(National Christian Council in Japan、略称NCC)がその役割を担ってきました。日本には、外国にルーツを持つ人々が多く暮らしていますから、英語名称が「日本の」(of Japan)ではなく、「日本における」(in Japan)NCCとされている点は重要です。
 前総会期には、創立70周年を記念して「NCC主催・宣教会議」が東京で開催されました。そこで採択された「NCC宣教宣言2019」では、「日本におけるキリスト者はその人口の1%以下ですが、聖霊に押し出され、自己保存的な志向から解放されて、常に開かれた共同体、より包括的な共同体でありたいと願います」との姿勢が表明されました。これを受けて、昨年3月に始まる第41回総会期は、「すべての人に命と息と万物とを与えてくださるのは、この神だからです」(使徒言行録17章25節b)という聖句に基づき、「神の与えてくださるすべての命を愛する者として」という主題のもとに活動しています。6名の役員のうち、吉髙叶さん(日本バプテスト連盟)、西原美香子さん(日本YWCA)、筆者の3名が新しく就任し、これまで牧師・男性がほとんどであった役員会に、信徒・女性が増えました。
 現在のNCCには、ルーテルの教職者がリードされている在日外国人の人権委員会(李明生牧師)、平和・核問題委員会(内藤新吾牧師)、部落差別問題委員会(小泉嗣牧師)など、この世においてキリスト者としての社会的責任を果たしていこうとする大切な働きが沢山あります。正義、平和、被造世界の修復をはじめとして、エキュメニカル運動が取り組むべき諸課題は多岐に渡る一方、一人ひとりの意欲や能力には限界があります。ですが、「すべての人を一つにしてください」(ヨハネによる福音書17章21節)という、他ならぬイエス自身の祈りに共鳴し、私たちの限界を超えて働いていて下さる神に信頼し、教派を超えて、たゆまず協働(共に働くこと)していこうとするのが、エキュメニカル運動です。次回は、NCC「ジェンダー正義に関するポリシー策定のためのワーキンググループ」を紹介します。

青年有志によるオンライン配信プログラム
「NYNCステーション」のご案内

⻆本洵(神水教会)

ルーテル青年有志団体No Youth, No Church(以下、NYNC)が、今月から新たな試みをスタートします。今回は「NYNCステーション」と題したラジオ型式の企画です。昨年は、我々NYNCが1泊2日のオンライン合宿と、Pray! Play!! Friday!!!【ぷれぷれ】と題した月に1度のオンライン集会を開催し、ルーテル青年、ルーテル学院生との交流が与えられました。オンライン合宿も「ぷれぷれ」も、非常に充実した時間を過ごすことができましたが、昨今問題となっている「オンライン疲れ」は避けられない課題でありました。また、参加対象として18歳から35歳までの年齢制限を設けたことで、対象から漏れてしまった方々もいらっしゃいました。新たな企画を始めるにあたり、スタッフで議論した結果、スタッフや参加者のオンライン疲れを回避し、なおかつ開かれた企画を発信するためには、思いきってラジオ配信にしてみてはどうか、という結論に至りました。ラジオ配信にすることで、顔と顔を合わせた交流は難しくなりますが「いつでも」「誰でも」「どこでも」聴けることがメリットとして挙げられ、青年だけでなくルーテル教会につながる全国の皆様、さらにはこれから信仰に入ろうとしている方にも聴いていただけると考えています。配信プログラムは、パーソナリティによるお便りの紹介、ゲストとしてお招きする(他教派含む)牧師や信徒による証し等を予定し、現在準備を進めています。「NYNCステーション」は「ルーテル教会はもちろん、教派や宗教を超えた神様とのつながりをラジオ型式で発信することで、信仰のかたちを再確認し、青年たちの日常生活、繋がり、信仰生活の後押しをする。」ことをミッションステートメントとして掲げ、活動してまいります。月に1度、教会の仲間に、そして神様に心を向ける時間を有志の青年たちで作っていきたいと考えます。第1回は恵み野教会牧師中島和喜先生をお招きしての配信です。私たち青年の活動をお祈りに覚え、NYNCステーションをお楽しみいただけましたら幸いです。

【NYNCステーション】
期間 4月から8月までの全5回 第1回は4月22日(金)20時配信予定
ゲスト 中島和喜牧師
配信方法YouTubeもしくはPodcast「NYNCステーション」で検索

第28期第16回 常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 

2月21〜22日にオンライン会議で開催された標記の件について、ご報告申し上げます。

⑴第29・30回定期総会の件
 5月3〜5日(火〜木)に予定されています定期総会につきましては、3月28日に開催する臨時常議員会において開催の是非を最終確認することとなりました。開催についてはまん延防止等重点措置、緊急事態宣言が発令されていないことはもちろんですが、参加者の多くが高齢であること、また教職についても社会福祉法人、学校法人、幼稚園・保育園との関りのある者が多いことを加味しつつ判断することを確認しました。顧問弁護士からの助言として、定期総会は憲法・規則に開催することが明記されており、すでに2年の延期を行っていることからも最大限、開催することが前提となること。しかし最終的には総合的な判断をもとに再度の延期を常議員会が判断することができると、すでに常議員会で承認した憲法規則改正委員会の答申を妥当とする旨の確認を頂いているところです。なお常議員会として、総会選出常議員(議長等)については2022年5月末をもって2期4年の任期を終了しているとの理解を確認しました。

⑵市ヶ谷耐震補強工事について
 財務委員会から市ヶ谷事業所をテナントとして利用されている団体より、2022年度内に可能な限り耐震補強工事の実施を強く要望されていること。また工事が延期されて以降、テナントを利用する職員の意識が高まったこともあり、事業所内の設備について特に感染症への対策を求められていることが報告されました。これを受けて、財務委員会としては一旦は工事費について1億5000万円ほどの減額を進めてきましたが、新たな要望を踏まえて工事費を4000万円増額した6億7000万円とする市ヶ谷耐震工事事業計画を常議員会に提案し、これが承認されました。
 常議員会は、この件については定期総会が延期された場合、4月25〜26日に予定している常議員会において宗教法人法第26条を適用し検討することを確認しました。検討にあたっては、耐震工事の更なる延期によるテナントとの契約解消に伴う財務的な課題、日本福音ルーテル教会所有の建物における大地震発生に伴う社会的な責任等が課題になることを確認しているところです。また耐震補強工事を実施するという点については、すでに2018年の第28回定期総会において承認されていることも検討を行う上で重要な議決であることを分かち合いました。

⑶総会提案の議案について
 総会では、「第7次綜合方策」、「アジア伝道について」、「ハラスメント常設委員の件」、「神学教育に関する協約の件」、「市ヶ谷耐震補強工事の件」、「決算・予算」について提案することを常議員会は承認しました。総会が延期された場合は、4月25〜26日に予定する常議員会において議案の扱いについて検討されることになります。総会が開催される場合は議案として提案されることとなります。ご審議をよろしくお願い申し上げます。

⑷「任用制度見直し」の件
 東教区常議員会から提案された、「任用制度見直しについての提言」を受けて常議員会では、これを教職を取り巻く働き方への全般的な問題提起と捉えた上で、憲法規則改正委員会に扱い方も含めて付託することを承認しました。今後、個別の状況にある教職からのヒアリング、また現行の「招聘と応諾」の考え方を確認しつつ検討が行われていくことになります。

 

以上、ご報告いたします。詳しくは送付されます常議員会報告をご確認ください。

2022年度日本福音ルーテル教会人事

 

〈退職〉
(2021年7月31日付)
太田一彦 (定年引退)
宮川幸祐 (退職)

(2022年3月31日付)
德野昌博 (定年引退)
杉本洋一 (定年引退)
中村朝美 (定年引退)

〈新任〉該当なし

〈人事異動〉
(2022年4月1日付)

【北海道特別教区】
該当なし

【東教区】
高村敏浩
仙台教会(兼任)、鶴ケ谷教会(兼任)、(2021年8月1日~2022年3月31日)
松岡俊一郎
仙台教会(兼任)、
鶴ケ谷教会(兼任)
小澤周平
千葉教会(主任)
中島康文
津田沼教会(兼任)
関野和寛
津田沼教会(嘱託/2021年12月1日付)
滝田浩之
小石川教会(主任・兼任)
奈良部恒平
本郷教会(主任)
三浦知夫
板橋教会(兼任)
高村敏浩
羽村教会(兼任)
浅野直樹jr.
八王子教会(兼任)
坂本千歳
八王子教会(嘱託)

【東海教区】
後藤由起
名古屋めぐみ(主任)、知多教会(兼任)
徳弘浩隆
高蔵寺教会(主任)、復活教会(兼任)
後藤直紀
大垣教会(主任)、
岐阜教会(兼任)

【西教区】
竹田大地
天王寺教会(主任)、西宮教会(協力牧師)
水原一郎
西宮教会(兼任)
神﨑伸
神戸教会(主任)、
神戸東教会(兼任)

【九州教区】
小泉嗣
熊本教会(主任)、
玉名教会(兼任)
【任用変更】
関野和寛
 一般任用から嘱託任用へ

【休職】
渡辺高伸
2020年10月14日付

【復職】
坂本千歳
(嘱託任用)

【宣教師】
Mirjam Harju
2022年5月末帰国

【J3プログラム】
〈新任〉
Laura Slezak
 九州学院
Volamala Ranaivoson 
 本郷学生センター
〈任期終了〉
Jessica Hill

○牧会委嘱(2022年4月1日付/1年間)
德野昌博
 仙台教会/鶴ケ谷教会
小山茂
 板橋教会
横田弘行
 掛川菊川教会
明比輝代彦
 新霊山教会
齋藤幸二
 知多教会
大宮陸孝
 賀茂川教会
乾和雄
 神戸東教会

白髭義
 二日市教会
黄大衛
 長崎教会
濱田道明
 合志教会

○ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校人事
立山忠浩
校長(再任/2022年4月1日~2026年3月31日・都南教会と兼務)

2022年度教会手帳住所録訂正のお願い

2022年度教会手帳住所録19頁、《引退》のV・ソベリ先生の住所が変更となりました。新しい住所は以下の通りです。

V・ソベリ
(Virpi Soveri)
Hepomäemkatu
4 B 2
80140 Joensuu
FINLAND
(電話番号・Eメールアドレスに変更はありません。)

22-03-01るうてる2022年03月号

機関紙PDF

「受難節を憶えて—あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ—」

日本福音ルーテル熊本教会・玉名教会 牧師 杉本洋一

「イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。
 神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」」
マタイによる福音書4章4節

3月2日の聖灰水曜日から、典礼色も「紫」に変わります。礼拝式文からも福音に先立って歌われていた「ハレルヤ唱」は歌われなくなり、替わって〝キリストはおのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで み旨に従われた〟との詠歌が唱えられます。この期節は、典礼色が示すとおり、真剣な〝悔い改め〟の時となります。

前年の棕櫚主日に使われた棕櫚の葉を燃やして作った灰を取っておき、この日に信仰者の額に、灰で十字のしるしをつけながら、司式者は「あなたは、塵であるから、塵に帰ることを覚えよ」とのことばを添えることも行われてきました。

この「ことば(の持つ意味)」と「灰」により、メメント・モリ(memento mori=「汝の死を忘れるな」)が意識されてきました。〝この世の美しさも、地位も名誉も財産も、しばしの栄華にすぎず、やがてそれらは夢のように消えていく。どんな人であっても、死んだときに残るのは、ただ一握りの灰である〟という死と、朽ちるものであるということを学ぶことでもあります。つまり、それはキリストの苦難と死の意味について考えることであり、その苦難と死へイエス・キリストを導いたのは、わたしの「罪」であり、真の悔い改めを心に刻むことを「灰」は教えようとするのです。灰は死のシンボルですし、生命が、もうぜんぜんないというしるしでもあるのです。

もう3年目に入りますが、私たちは、コロナ感染の不安や心配、閉塞感の中にあります。聖餐式も行いづらい中にあります。パンと葡萄酒をもって、キリストの体と血をいただくことをしてきました。それと同様に、聖灰水曜日は、額に灰をつけることを通して、自分が罪人であることを、自分が罪の中にあることを、死ぬことを憶えるのです。

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3・16)とは、神がどれほどの愛をもって、一人ひとりを愛してくださっているかを感じることのできるみ言葉です。私達の罪を私達から取り去るために、イエスさまが十字架上で死ななければなりませんでしたが、イエスさまの苦しみ、痛み、淋しさ、捨てられた事、侮辱、鞭打ち、死がその背後に裏打ちされているのです。しっかり心に留めたいのは、私達は、「灰」を通して、愛のしるしを見、いのちの神を見ることです。今年も受難節で、私達を赦すために、イエスさまがどんなに苦しみを背負われたことか、悲しい思いをされたのか、つらい思いをされたのかを思い起こし、憶えましょう。
 「灰」である私たちに、いのちの息を吹き込まれたのは神さまです。自己本位にしか生きることのできない存在の私たちと共に生き、支えてくださるのは神さまなのです。
 今、全世界が経験したパンデミックの中で、イエスさまは、語り続けます。「パンだけで生きるものではない」と。それは「パンがなくても良い、生きていける」などと荒唐無稽のことをおっしゃられたのではありません。パンは必要、パンも必要なものです。しかし、パンだけあれば、すなわち体の健康・生活の支えさえあれば私たちは良いのかという問いです。人は、心も体もあるものとして創られました。その全体において、心において生きる価値を味わっているだろうか、人としてこの世に生まれたこと、生かされている喜びはあるだろうかと尋ねておられるのです。

イエスさまは40日間の断食のあと、ガリラヤに戻って、共に食べ、飲み、喜び合う共同体を作っていきます。そこでイエスさまは、イスラエル民族が「荒れ野の40年」で学んだはずの、「人はパンだけで生きるものではない」という精神を受け継いで、貧しい者や弱っている人、あるいは罪人といわれて社会から排除されているような人びとを招いて食事をするということを実践していきました。

いま私たちは、このイエスさまの心を受け継いで、共に食べ、飲み、分け合って喜び合う関係を、つながりを、全ての人に開かれたものとして実現することが求められているのかも知れません。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉔「祈り」

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタイ7・7)

  「どうして今私はここにいるんだろう。」と良く思います。きっとあの時も命のことばであるイエス様と共にあの人が私と一緒に歩いてくれたからだ。
 生きている中で一人一人それぞれがいろんな人に出会うでしょう。そのあなたが出会う人も必ずイエス様が共におられます。私は検査入院の時に強い孤独を感じ「辛い時に話をゆっくり聴いてあげる人になりたい」とまずカウンセラーになりたいと思い資料をかき集め始めました。その時は一般的な勤めをしていたので社会人入試ができる学校を探していました。基本には必ずキリスト教があって欲しいと思いながらたくさん資料を送ってもらいましたが全然見つけられず困っていました。ある時知人が知り合いの心理学を学んでいる人に相談したところ、ルーテル学院のカウンセリングコースを紹介されました。
 その導きがなければ私は今ルーテル教会にはいません。学校でいろんな仲間や先生に出会いそしてみ言(ことば)に出会い今があります。神学校卒業の時久しぶりに会った、私に学校を紹介して下さった方が「こうなると思ってました」と言われました。それを聞いて私は「祈って下さってたんだ」と初めて気づき感謝しました。一人一人にはいつもイエス様が共におられます。それは今もこれからもずっと。「あなたは一人ではありません」

議長室から 大柴譲治

「二つのJ」を愛する〜文楽・豊竹呂太夫

 内村鑑三に「われは二つのJを愛する。即ちJesusとJapanを」という言葉があります。確かに私たちの国籍は天にあるとしても、この二つは共に天から贈り与えられている賜物。遠藤周作は「洋服のキリスト教」を「和服」にするという課題を自らに課しましたが、ともすれば異質なこの二つのJをどのように統合するかは日本に生きるキリスト者として一人一人に求められている信仰告白的な課題でありましょう。事柄としてはキリスト教の日本での「文化内開花/土着化/文脈化」ということになります。

 大阪教会員の林雄治さん(1947〜)は、2017年4月に「六代目・豊竹呂太夫」を襲名された文楽の太夫です。襲名に合わせて『文楽 六代豊竹呂太夫・五感のかなたへ』を出版(創元社2017。Kindle版あり)し、文楽の面白さを大変分かり易く伝えています。文楽は江戸時代に大阪で成立した人形浄瑠璃文楽で、日本の重要無形文化財、ユネスコの無形文化遺産。人形と太夫と三味線が三位一体のような役割を果たしますが、氏はお客さんを含めてそれを「四位一体」と言われます。「お客さんは、喜怒哀楽を巧みに演じる『意思のない人形(木片)』に自分を投影しつつ、己の想像力によって喚起される「私」自身の物語に出会うわけです。この「四位一体」総がかりのすさまじいエネルギーで物語が展開されていく文楽の舞台。これがもう300年以上続いてまして、伝統芸能、古典芸能と呼ばれる所以です」(朝日新聞社言論サイト『論座』2022年1月3日掲載記事より)。

 氏は2000年に豊竹英太夫という名で自らの信仰告白として新作『Gospel in文楽〜イエスの生誕と十字架』を創作。これまで人形入で17回公演されてきました。DVDもあって部分的にはYouTubeで鑑賞も可能です(英語字幕付)。「もろ人の罪を贖わんと十字架にかかりたもう、人となりたる生ける神なり、生ける神なり」という語りは観る者の心にダイレクトに響きます。2017年10月29日には大阪教会でも宗教改革500年を記念した楽劇『ルター〜文楽とルネサンス・ダンスの邂逅』(上村敏文作)の中で『ゴスペルイン文楽』を抄演していただきました。その記録DVDをドイツや米国の教会に持参したところ大変に喜ばれています。キリスト教の日本文化内開花を考える上で一つの貴重な実践例です。本年7月6日には兵庫県立芸術文化センターで18回目の公演が行われる予定で今から楽しみにしています。天から賜った二つのJを恵みとして深く味わいたいものですね。

「教会讃美歌 増補」 解説

㉑創作賛美歌解説1(※公募に寄せられた創作賛美歌の作者による解説を紹介いたします。)
石原祐子(賀茂川教会)

増補24「救いの主イエスよ」

*待降節に
「わたしの魂は主を待ち望みます
見張りが朝を待つにもまして
見張りが朝を待つにもまして。」(詩編130・6)
「『然り、わたしはすぐに来る。』アーメン、主イエスよ、来てください。」
(黙示録22・20)

 

主のご降誕をともに待ち望む恵みを感謝いたします。
 闇しかみえない日。絶望のなかに落ち込んで抜け出せないとき。眠ることができない長い長い夜。
 「神さま、来てください」とひたすら呼び求めます。わたしたちはあてもなく願うのではない。ひとりで待つのではない。
今このときも、同じ地上のどこかで主を求めて祈っている多くの友と共に、すでにみわざを始めてくださっている主の確かさに信頼して、待ち望みます。
 心合わせて信じ、歌い、祈り合いながら、歩ませていただきたいと願います。

増補34番「いかに幸いなことか」

*主にある友のために
「エシュルンの神のような方はほかにはない。
あなたを助けるために天を駆け
力に満ちて雲に乗られる。
イスラエルよ、あなたはいかに幸いなことか。
あなたのように主に救われた民があろうか。」
(申命記33・26、29)

友の病気を知らされ、そのつらさを思い、なんと声をかけたらよいのかわからず祈っていた日に、このみことばが与えられました。
悲しんでいるわたしたち、病のなかにあるわたしたち、うちひしがれて途方にくれているわたしたちに、主は今、「あなたは幸いだ」と宣言してくださいます。
 自分の中に人を励ます力はないけれど、この主の祝福を、心をこめて伝え合う者にならせていただきたいと願います。
主がみことばによって力強く約束してくださったように、今、盾となって大切な人たちを守り、永遠のみうでによって支えていてくださいますように。

世界の教会の声

浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

変化の時代における洗礼

 ルーテル世界連盟LWF北欧地区の5教会がプロジェクト「変化の時代の洗礼」を企画、1月末にオンライン協議を行い、異なる状況や年代層に応じた洗礼の実践と典礼をどうするかなどについて話しあわれました。
 このプロジェクトは2020年から2022年にかけて行われ、北欧5カ国のルーテル教会(デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、スウェーデン)が進める総合計画「変化の時代における教会」の第1弾にあたります。
 プロジェクトの責任者ハラルド・ヘグスタット教授によると、「北欧の状況は類似しているとはいえ違う点もあり、たとえば洗礼式は主日礼拝に教会でするだけでなく、自宅やそれ以外の場所だったりします。」
「COVID-19はこうした洗礼のやり方に確かに影響を与えています。パンデミックが始まって小児洗礼者数は減少しました。今後「ノーマル」に戻るかどうかは今の時点ではなんとも言えません。」
「洗礼式を礼拝という公共の場ではなく、個別に行うケースが増えてきました。この傾向はパンデミックが今後どうなっていくかに関わらず、北欧の教会では続く可能性があります。」
 プロジェクトはその成果として18の検討課題を提示しました。これは各教会から出されたテーマを手がかりとして、洗礼式の具体例を紹介しつつ課題や問題点を検討した結果、整理されたものです。これが各教会での洗礼の実践を規制するというわけではなく、どう活用するかは各教会の判断に委ねられます。
「プロジェクトを実施したことで思わぬ効果もありました。教会指導者や牧会者レベルでのつながりが強くなりました。これまでも北欧の各教会では様々な共同作業がありますが、お互いから学ぶという姿勢が今回は特に顕著でした。共通言語として英語を用いたのもよかったです。」(ヘグスタット教授)
 イレニウス・ルカスLwFヨーロッパ局長は次のように述べています。「LWF加盟教会の共同作業だったという点に注目しています。信仰の基礎的テーマについて共同研究できたことで、今後もっと幅広い神学的な議論と意見交換が可能になるでしょう。他の地域でもこのプロジェクトを参考にしてほしいです。」
 プロジェクトを締めくくるオンライン協議会では、洗礼に関して次の4点から全部で18の検討課題が提示されました。⑴社会変化と統計、⑵洗礼の神学、⑶洗礼のコミュニケーション、⑷洗礼の実践。

※18の検討課題は下記サイトで紹介されています。
https://churchesintimesofchange.org/recommendations

2022年度教会手帳 住所録訂正のお願い

 

「母子生活支援施設ベタニヤホーム」の電話番号が古い情報のままとなっておりました。
お詫び申し上げますと共に、謹んで訂正させて頂きます。現在の情報は以下の通りです。

母子生活支援施設
ベタニヤホーム
電話(03)6240―2785
FAX(03)6240―2795

オンラインによる全国青年の集い Pray!Play!!Friday!!!報告

髙濱遼太(健軍教会)

全国のルーテル教会につながる35歳以下の青年を対象としたオンラインでの青年の集い「Pray!Play!!Friday!!!」略称【ぷれぷれ】が昨年7月から12月にかけて月に1度、6回開催され全国から各回30〜40名ほどの参加者が集いました。
 昨今激減した青年同士の交わりや分かち合いの時を定期的に持ち、新たな同世代の信仰の友との出会いの場所を持てたらと願ってのことであり、有志の青年によって企画されました。今回の【ぷれぷれ】では、共に聖書を開き、みことばを分かちあうことで、神様との関係、教会との繋がりについて考えるだけでなく、7月16日は竹田大地先生、8月27日は角本浩先生、9月3日は和田憲明先生、10月1日は永吉穂高先生、11月26日は河田優先生、12月17日は関野和寛先生をお招きし、青年に向けた聖書のお話をしていただきました。さらに様々なレクリエーショやトークセッションを企画し、コロナ禍によって失われていた青年同士の交流の時を持つことができました。また【ぷれぷれ】では全国のルーテル教会の青年だけでなくルーテル学院大学の学生も参加の対象とし、新たな仲間との出会いの時とすることができました。
 コロナ禍によって青年活動のあり方も大きく変化しましたが、対面では簡単には会うことができない全国の仲間とオンラインでつながることができ、このような状況にあっても神様を通して私たちがつながっているということを、参加者一人一人が実感できたのではないかと思います。【ぷれぷれ】は12月をもって終了とさせて頂きますが、今回の企画が青年にとって神様や教会とのつながりについて考えるきっかけとなればと願っております。
 最後になりましたが、ゲストとして参加していただいた先生方、【ぷれぷれ】のために案内告知をしてくださった方々、スタッフとして尽力してくださった方々、何より【ぷれぷれ】を最後まで守り導いてくださった神様に感謝しこの報告を終えたいと思います。

ルター研究所〝クリスマス講演会〟報告

江口再起(ルター研究所所長)

 

1521年、ルターは珠玉の名品『マグニフィカート講解』を出版しましたが、その500年を記念して、ルター研究所では〝クリスマス講演会〟をオンラインで開催しました(2021年12月12日)。全国100カ所で視聴され盛会でした。
 マグニフィカートとは、受胎告知を受けたマリアの、神への賛美の歌です(「マリアの賛歌」、ルカによる福音書1章46節以下)。ヴァルトブルク城に保護幽閉されていた時、ルターはその解説書を著わしました。
 講演会は3部構成で行われました。第1部は江口再起(ルター研究所所長)の講演「待つということ─マリアと現代」でした。ここで「待つ」とは、神の顧みに信頼して謙虚に生きるということです。このテーマを現代ドイツの哲学者ハイデガーの「ゲラッセンハイト(放下)」という言葉を参考に考えました。
 第2部は、バッハ作曲「マグニフィカート」の見事な演奏(聖トマス教会でのT・コープマン指揮)。加藤拓未(バッハ研究者)が解説を担当しました。
 第3部は3人の発題者によるシンポジウム「ルターとマリア」でした(司会は石居基夫ルーテル学院大学学長)。最初に滝田浩之(JELC事務局長)が、ルターを尊敬していた将来のザクセンの統治者若きヨハン候との関係の中で、この名著が執筆された経緯について、自らのこの本との出会いを交えて話があり、次に多田哲(日吉教会牧師)が当時のカトリックとルターのマリア像のちがい(祈願から賛美へ、崇敬から記念へ、代弁者から共に祈る者へ)等について語りました。そして最後に安田真由子(ルーテル学院大学講師)が、専門の新約学そして女性の立場から論じました。マリアは1人の素朴な少女であった事、同じ恐れと喜びを共有していたエリザベトとの出会いの重要性、また賛歌の底流に権力への批判がある事などが語られました。三者三様、内容豊かなシンポジウムとなりました(敬称略)。
*なお、第1部と第3部の録画は、日本ルーテル神学校のホームページの「ルター研究所」のサイトから見ることができます。

公 告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2022年3月15日
宗教法人日本福音ルーテル教会
代表役員 大柴譲治
信徒利害関係人 各位

 甲佐教会牧師館 解体
・所在地 熊本県上益城郡甲佐町岩下西園
・所有者 日本福音ルーテル教会
・家屋番号 207番地
・種類 教会 牧師館
・面積 69・22㎡
・老朽化のため

定年教師挨拶

太田一彦

私は昨年の7月心臓病のため退職させていただくことになりました。年度途中の退職は、遣わされている2教会と三つの保育園にまた教区に大きな迷惑をかけることになるので3月迄は頑張りたいと思いましたが、すでに入退院を繰り返しておりその思いが単なる自己満足になって更なる迷惑をかけることが目に見えていましたので、担当医の復帰は無理だろうとの言葉もあり正規の定年まではまだ2年ありましたが退職を決断させていただきました。
 思い起こせば幼少より東京教会の教会学校で育てられ、教職として今日まで主がルーテル教会に私を生かしてくださったことにただただ感謝しております。最初の任地は仙台教会、そして三鷹教会、都南教会、再び仙台の鶴ヶ谷教会・仙台教会でした。皆様に支えられて歩んでくることができた喜びと感謝に今満たされています。草は枯れ、花は散る。しかし神の言葉は永遠に残るとのイザヤの言葉を今退職するにあたり噛み締めています。
 現在は長男の赴任先の気候温暖な静岡市で療養を兼ねて過ごしております。家の中での生活ですがもう暫くこちらで過ごし、許されれば東京に戻りたいと思っているところです。これまでありがとうございました。

「支えを感謝して」杉本洋一

 今、主のご用のために用いていただけたことを感謝しています。これまでかかわりを持っていただいた多くの方々、とりわけ、遣わされた教会の信者・関係者・地域の方々、そしてお付き合いくださった教職者に対しお礼を申し上げたいと思います。私は、神大卒業の後、キリスト教主義学校の教員として、そして牧師として働いてきました。忘れられないことばかりです。得難い経験をさせていただく時間でした。「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」は、私が洗礼を受けてからずっと響いている言葉です。今はもう天に召された教え子のK君は、再び神学校へ戻って牧師になるようにとのきっかけを作ってくれた生徒でした。棺に入った彼の顔は忘れられません。初任地の健軍で、施設を通してのつながりを持ち、育った子どもたちにとっては郷里であることに違いありません。フィンランドでは素朴で熱心な信仰に生きる人々との出会いがあり、深いつながりを今も持っています。田園調布では、地域とのつながりを教会と幼稚園で教えられました。熊本・玉名は、歴史の大事さや熊本地震を通して、人との関係をいただきました。
〈これまでの任地〉健軍教会(熊本)、フィンランド福音ルーテル協会(フィンランド・ヘルシンキ)、田園調布教会・田園調布ルーテル幼稚園(東京)、熊本教会・玉名教会(熊本)

「新たな旅立ち」德野昌博

 わたしは1980年3月に神学校を卒業し、東海教区の名古屋教会で按手を受けました。最初の任地は東海教区の岡崎教会で、5年間働きました。次に任を受けたのは、北海道特別教区の恵み野教会で10年間。そして、西教区の天王寺教会で3年間。その後、熊本の九州ルーテル学院で8年間、大学と幼稚園のチャプレンとして働きました。その後、東教区の小石川教会に転任し、16年間働いて定年退職します。42年間の現役牧師生活でした。
 「40年で終えると、聖書的でいいなぁ」なんて勝手なことを思い描いていましたが、最後の2年間は、いわゆる「コロナ禍」にあって、教会の活動も、牧師の働きも制限してきました。そのせいか、すっかり定年教師になった気分になり、小石川教会には申し訳ない思いでした。それでも、神様の恵みは牧師としての人生に働き、教会の歴史の中に働いていることを実感させられてきました。神様の恵みは、過去の歩みの中だけではありません。未知である、私の老い行く将来もまた、神様の恵みのみ手の中にあることを感謝します。思い新たに、喜んで、「牧会委嘱」の任をいただいて、旅立ちます。皆さん、ありがとうございました。

中村朝美

 40年前、ルーテル神学大学神学科神学専修コースに入学し、大学改組前の最後の卒業生です。「荒れ野の40年」とよく言われますが、私にとっても40年という年月はいろいろな変化がありました。当時、いろいろな場面で選択肢が欲しいと願っていました。今では任用形態も一般、嘱託を選ぶことができ、夫婦同居、単身赴任、通称使用の選択も自由にできるようになりました。とても嬉しいことです。また、名簿から男女の区別を撤廃したことを通して、「個」を尊重することの大切さを広く伝えてゆければ良いと願っています。按手を受けてからずっと、「定年まで牧師生活を全うしなさい」と励まし続けてくださった方がおられたことは何よりの支えとなっていました。東海教区で20年間、希望、岡崎、高蔵寺各教会、また九州教区での講壇交換を通して多くの教会で共に礼拝を守れたことは幸いでした。東海教区では炊き出しを始めとした野宿労働者支援に関わり、その後、宮崎教会を経て八王子教会を以て現職生活を終えることになりました、今までお支えに感謝いたします。

第7次綜合方策の紹介⑾

事務局長 滝田浩之

■方策本文より

第7次綜合方策主文
10.ハラスメント

⑴被害届窓口の新設
 ハラスメント事案に対処するために相談窓口を設ける。

⑵解決システムの構築
 解決に取り組むための体制を構築する。

⑶防止を目指す
 ハラスメントの解決に取り組む組織は、発生した事案に対処するだけではなく、防止することを目的とする。そのために学習の機会を設け、継続する。今後、ハンドブックの作成、啓発活動に取り組む。

1.教会財務
⑴公益会計・基金会計・収益会計

 2010年に総会において採択された「財政内容好転緊急提案」に基づき、日本福音ルーテル教会の公益会計、基金会計、収益会計は、これを持続的に運営する体制を整えてきた。今後も、この方向性を堅持する。

⑵土地・建物計画
 教区を軸として進められる教会編成を土台としつつ、持続的な建物計画に関して、収益事業の見通しから2028年以降、これを実行できる体制を整えていく。また老朽化対策の規則改正を検討する。
 この場合、地域の宣教体制が大胆に編成される時、宣教拠点となる教会建物への土地売却益の用い方について、地域を超えて教区の宣教計画の中で用いられる可能性について検討を開始する。

⑶教職退職金・教会年金
 引退教師を支える教職退職金、教会年金については、現状の体制を維持することに努める。

■解説
「ハラスメント」

 日本福音ルーテル教会は、あらゆる「ハラスメント」を許さない!ということを改めて、私たちが大切にしていく事柄として確認したいと思います。そして何よりも「ハラスメント」とは何かという学びを深めていく必要があります。また「ハラスメント」事案の特徴として、できるだけ早い段階で「相談窓口」にご相談頂くことは事柄を深刻化させないためにも重要なことです。「相談窓口」を委託しているフェミニズム・カウンセリング東京は、24時間体制で相談を受け付けてくださっています。メールでもご相談頂けます。
 また「ハラスメント」を起こさないことが一番大切なことですけれど、私たちはいつでも「ハラスメント」の当事者になり得るという自己認識が必要です。そして「ハラスメント」を起こしてしまった時に、できるだけ早く事柄の重要性に気づき適切な対応を取れる組織でありたいと願っています。個々の教会のみならず、関連する法人・施設、TNGの行うキャンプに関わる方々に、その点をご理解頂けますと幸いです。

「教会財務」
 教会の財務については1969年のアスマラ宣言から50年を経過しています。2003年からは海外からの人的支援を除くすべての直接的金銭支援が終了しています。来年で20年を経過することになります。この間、日本福音ルーテル教会として自立路線と言われる道筋を様々な方策を通して形にしてきました。これらの経験を踏まえつつ、これからも目まぐるしくかわる社会状況の変化に対応していくことになります。
 しかし財務的な経験を通してはっきり言えることは、最も確かな教会の財源は会員の皆様の貴い「献金」です。収益事業は、特に今回のコロナ禍で明らかなように大きく変動するものです。そして教会の様々な課題を解決していく糸口、それは個々の教会の確実な成長です。「確実」という言葉を用いました。この「確実な成長」のあり方について、第7次綜合方策全体は語ってきたと理解しています。
 方策の解説の場を与えられたことを感謝しつつ、日本福音ルーテル教会が、み言葉を伝え、隣人を愛し、平和を願う道を通して、地道に、そして確かに「キリストの教会」に成長することを願っています。 (了)

22-03-01イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」

イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
マタイによる福音書4章4節

 3月2日の聖灰水曜日から、典礼色も「紫」に変わります。礼拝式文からも福音に先立って歌われていた「ハレルヤ唱」は歌われなくなり、替わって〝キリストはおのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで み旨に従われた〟との詠歌が唱えられます。この期節は、典礼色が示すとおり、真剣な〝悔い改め〟の時となります。
 前年の棕櫚主日に使われた棕櫚の葉を燃やして作った灰を取っておき、この日に信仰者の額に、灰で十字のしるしをつけながら、司式者は「あなたは、塵であるから、塵に帰ることを覚えよ」とのことばを添えることも行われてきました。
 この「ことば(の持つ意味)」と「灰」により、メメント・モリ(memento mori=「汝の死を忘れるな」)が意識されてきました。〝この世の美しさも、地位も名誉も財産も、しばしの栄華にすぎず、やがてそれらは夢のように消えていく。どんな人であっても、死んだときに残るのは、ただ一握りの灰である〟という死と、朽ちるものであるということを学ぶことでもあります。つまり、それはキリストの苦難と死の意味について考えることであり、その苦難と死へイエス・キリストを導いたのは、わたしの「罪」であり、真の悔い改めを心に刻むことを「灰」は教えようとするのです。灰は死のシンボルですし、生命が、もうぜんぜんないというしるしでもあるのです。
 もう3年目に入りますが、私たちは、コロナ感染の不安や心配、閉塞感の中にあります。聖餐式も行いづらい中にあります。パンと葡萄酒をもって、キリストの体と血をいただくことをしてきました。それと同様に、聖灰水曜日は、額に灰をつけることを通して、自分が罪人であることを、自分が罪の中にあることを、死ぬことを憶えるのです。
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3・16)とは、神がどれほどの愛をもって、一人ひとりを愛してくださっているかを感じることのできるみ言葉です。私達の罪を私達から取り去るために、イエスさまが十字架上で死ななければなりませんでしたが、イエスさまの苦しみ、痛み、淋しさ、捨てられた事、侮辱、鞭打ち、死がその背後に裏打ちされているのです。しっかり心に留めたいのは、私達は、「灰」を通して、愛のしるしを見、いのちの神を見ることです。今年も受難節で、私達を赦すために、イエスさまがどんなに苦しみを背負われたことか、悲しい思いをされたのか、つらい思いをされたのかを思い起こし、憶えましょう。
 「灰」である私たちに、いのちの息を吹き込まれたのは神さまです。自己本位にしか生きることのできない存在の私たちと共に生き、支えてくださるのは神さまなのです。
 今、全世界が経験したパンデミックの中で、イエスさまは、語り続けます。「パンだけで生きるものではない」と。それは「パンがなくても良い、生きていける」などと荒唐無稽のことをおっしゃられたのではありません。パンは必要、パンも必要なものです。しかし、パンだけあれば、すなわち体の健康・生活の支えさえあれば私たちは良いのかという問いです。人は、心も体もあるものとして創られました。その全体において、心において生きる価値を味わっているだろうか、人としてこの世に生まれたこと、生かされている喜びはあるだろうかと尋ねておられるのです。
 イエスさまは40日間の断食のあと、ガリラヤに戻って、共に食べ、飲み、喜び合う共同体を作っていきます。そこでイエスさまは、イスラエル民族が「荒れ野の40年」で学んだはずの、「人はパンだけで生きるものではない」という精神を受け継いで、貧しい者や弱っている人、あるいは罪人といわれて社会から排除されているような人びとを招いて食事をするということを実践していきました。
 いま私たちは、このイエスさまの心を受け継いで、共に食べ、飲み、分け合って喜び合う関係を、つながりを、全ての人に開かれたものとして実現することが求められているのかも知れません。

日本福音ルーテル熊本教会・玉名教会 牧師 杉本洋一

W.ブレイク作「最初の誘惑」(1815-1819年)
ケンブリッジ・フィッツウィリアム美術館所蔵

22-02-01るうてる2022年02月号

機関紙PDF

「御心ならば、清くすることがおできになります」

日本福音ルーテル八王子教会牧師 中村朝美

「すると、一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、
『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と言った。」
マタイによる福音書8章2節

 ある教会でこのようなことを話してくださった方がおられました。「子どもが小さかった時、重い病気にかかり、当時通っていた教会の牧師先生にお祈りをお願いしました。『御心でしたら癒やしてください』とお祈りされました。何故、癒やしてくださいではなく、御心でしたら、と祈られたのかと、私は素直に聞けず、また非常に悲しかった思いをしました。」
 病床訪問する時、「早くお元気になってください」などと言いたくなるのが人情ですが、この方の言葉が主イエスの病気の癒やしを伝える箇所を読むたびに心を横切るのです。福音書には主イエスによる病気の癒やしの出来事がいくつも語られています。多くの場合、様々な病気を患っている人々—目の見えない人、体の不自由な人々、悪霊に取り付かれている人たち—が主イエスに憐れんでいただきたいと願い出ることから、或いはその人々を主イエスがご覧になり、深く憐れまれることによって癒やしの御業がなされています。ルカ福音書17章で語られている重い皮膚病を患っている人々の癒やしにおいても、患っている人々が、憐れみを願っています。
 しかしながら、マルコ福音書1章40節以下及びその並行箇所で語られている「重い皮膚病を患っている人の癒やし」の出来事は本人は直接憐れんでくださいと訴えてはいません。「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願い出ています。

 「重い皮膚病」とわざわざ語られていることで、この人が負わされている社会的、宗教的に差別され、負わされている苦悩は幾重にも取り巻き、絶望の日々を送っていたことが伝わってきます。この病は他の病とは異なり、ただ単に癒やされるのではなく、清められなければならない病でした。だからかも知れません。主イエスの御前にひれ伏すしかなかったのでしょう。
 癒やしの奇跡の出来事の多くが、「ご覧になって」、「深く憐れまれて」と主イエスから声をかけられているのに対して、この人は憐れみを乞う前に主イエスの意思を尊重しています。御心ならば…と、あなたがそうしようとお思いになるならばと、憐れみをこいねがう相手に対する深い信頼を込めて願い出ています。そこには自分には理解できないことでも、不可解なことであっても、神の深いご計画が隠されているならばそれを引き受けます、あなたは決して不幸のままに終わらされないからですという信頼、信仰が込められているのではないでしょうか。

 病気の時、「祈ってほしい」という願いの中には、早くよくなるように、信仰があれば癒やされる…と慰めや励ましを求めていることが多いように思えるのです。医学的に見込みがないとご本人も知っていても、奇跡を願う思いはどこかにあるように思うのです。事実、末期がんから生還した方もいらっしゃいます。信仰があれば治ると思いたいのではあります。治りたい、治る、でも治らない、という時の葛藤は、信仰を持っている場合と、そうでない場合は違ってくると思えるのです。
 そのような葛藤を主イエスはゲッセマネの園での祈りを通してご自分のものとされています。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
 病気が治る、治らない、願いが叶う、叶わないは本人にとって大きな問題であることに間違いないことです。病気の子どものために祈ってほしいと願った方は、「御心のままに」という祈りに悲しい思いをされたと語られましたが、その方にとって「御心でしたら」という言葉をずっと思い巡らされていたのでしょう。そこから、主イエスの御意思がどこにあるのか、何であるのかを問う、新しい信仰の歩みをされていったのではないかと思えるのです。その時は受け止めきれなくても、じっと見守って下さっている憐れみの中に置かれていることを信じてゆきたいと思うのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉓「寄り添って」

私はあなたを胎内に形づくる前から知っていた。/母の胎より生まれ出る前にあなたを聖別していた。/諸国民の預言者としたのだ。」(エレミヤ書1・5協会共同訳)

 「あの時もイエス様が共にいらしてて私は一人ではなかったんだ。」と最近やっと気づきました。
 私は二十数年前2週間ほど検査入院をして今の病気がわかりました。入院中はずっと一人だと思い孤独で孤独でいつも誰かに話を聞いて欲しくてどうしようもありませんでした。自分の体が変で調べて欲しいから病院に行ったのにいざ検査入院となると毎日毎日検査続きで、多い日には検査が1日に3種類も4種類も行われて、いったい自分の体で何が起こっているのかと不安で眠れない毎日でした。孤独を感じる時、そうなる人は多いような気がします。でもお医者さんも看護師さんたちも忙しそうで話を聞いて頂くどころではありませんでした。漠然とカウンセラーの方なら話を聞いて下さるのかなと思い後々学びに入ります。
 「イエス様はいつもあなたと共におられます。」と私は神様から今語られ伝えております。そう言う今の自分と過去の自分が最近自分の中で出会いました。私が検査入院で孤独を感じ誰かに話を聞いて欲しかった時もすでに私と共にイエス様がおられて私の心を聴いて下さっておられたのだと今は思えるのです。
 いつもあなたと共にイエス様がおられます。あなたは決して一人ではありません。

議長室から 大柴譲治

sola gratia〜母の胎にいる時から

「私はあなたを胎内に形づくる前から知っていた。/母の胎より生まれ出る前にあなたを聖別していた。/諸国民の預言者としたのだ。」(エレミヤ書1・5協会共同訳)

 パウロは自らの召命をエレミヤと重ね合わせています(ガラテヤ1・15)。ダマスコ途上で復活の主に呼び止められて劇的な回心をするまでパウロはファリサイ派の若きリーダー、キリスト教の迫害者でした。彼は最初の殉教者ステファノの死にも立ち会っていた(使徒8・1)。自らを「罪人の頭」(一テモテ1・15協会共同訳)と呼ぶ背後にはそのような苦い思いもあったのでしょう。しかしキリストと出会ってパウロは全く新しい人間に生まれ変わります。ローマ書で言えば7章から8章への劇的な転換を体験したのです。キリストとの出会いがすべてを不可逆的に反転させた。彼は記します。「私はなんと惨めな人間なのでしょう。罪に定められたこの体から、誰が私を救ってくれるでしょうか」(ローマ7・24協会共同訳)。それに続けて神を讃美します。「私たちの主イエス・キリストを通して神に感謝します」(ローマ7・25協会共同訳)。この二つの節の間には人間には乗り越えられない深淵がある。それを向こう側から乗り越えてくださったお方がいる。キリストと出会ったこの喜びは生涯彼を捕らえて放すことはありませんでした。フィリピ書3章には彼のキリスト以前と以後の価値の転換が告げられています。かつて「利益」と思っていたことはすべて「主イエス・キリストを知ることのあまりのすばらしさ」に色褪せてしまった(3・8)。「キリストの真実(ピスティス)」によって義とされたパウロはその根底から新たにされたのでした。そこから遡ってすべてを振り返った時にパウロに見えてきたもの、それは自分が母の胎にある時に既に恵みの神によってコールされ祝福されていたという根源的な事実でした。神は「母の胎にいるときから私を選び分け、恵みによって召し出してくださった」お方なのです(ガラテヤ1・15協会共同訳)。
 個人的なことですが私の名はその誕生日に由来し米国初代大統領から取られました。外国でも通用する名をという父の願いもあったようです。漢字は母の好きだった童話作家・坪田譲治から取られました。「譲り治める」という意味の名を私自身は気に入っていますが、大統領とは何と大それたことかと思います。総会議長のことを英語ではPresidentと呼ぶので今は不思議なシンクロを感じています。「命名」は天からの祝福を願う親の「祈り」の行為です。既に母の胎にいる時に私たち一人ひとりは神によって召し出されている。「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」という神の確かな声が一人ひとりの魂底には今も響き続けているのです。

「教会讃美歌 増補」 解説

⑳増補11番「神はほめたたえられよ」・増補12番「喜べ教会よ」
讃美歌委員会 日笠山吉之 (札幌教会牧師)

増補11番「神はほめたたえられよ」

ルターの『小教理問答』の中には、ご存知のように「十戒」「使徒信条」「主の祈り」がありますが、聖礼典である「洗礼」と「聖餐」も含まれています。それら『小教理問答』の内容を賛美歌としても歌えるように整えた一連のコラールは〈カテキズム・コラール〉と呼ばれていますが、11番もその一つ。聖餐のコラールです。ルターは、14世紀頃から既に歌われていた歌詞を第1節としてそのまま残した上で、2節と3節を新たに書き下ろしました。主イエスの体と血が、ほかでもないこの私のために与えられた恵みであることを覚え、心に刻もう、と歌われる第2節。それゆえ、隣人と共に私たちを御子の道に歩ませてください、聖霊を注いでください、と祈る第3節で締めくくられます。各節で2回ずつ歌われる「キリエレイソン」が印象的ですが、旋律はルター自身によるものではなく、14世紀から歌われていたものだと言われています。

増補12番「喜べ教会よ」

このコラールは、歌詞が10節まであることにまず驚くかもしれません。全節を歌っていたら礼拝が長くなってしまうよ…とぼやく牧師は、自らに与えられた説教時間を短くしてでも全節を歌う価値があると思います。なぜならルターが書いた歌詞は『ローマの信徒への手紙』に基づき、極めて神学的に、かつ信仰的に整えられているからです。まず第1節は「喜べ教会よ」と全キリスト者への呼びかけで始められ、神の救いの御業が成し遂げられたことを賛美します。続く第2節と3節では一転して、罪人である人間の行いの空しさが指摘されます。すると、神の憐れみに目が向けられ(第4節)、神が御子を派遣する約束をし(第5節)、御子の降誕と受肉が語られます(第6節)。第7節以下は、御子イエスが語られた恵みの御言葉です。このように見ていくと、どの節とて省くことができないことがお分かりいただけるでしょう。全節通して歌うのが難しいなら、1〜3節、4〜6節、7〜10節と分けて歌うことも可能かと思います。旅人が口ずさんでいた歌をルターが聞き取ってアレンジしたと言われる旋律も、明朗で歌いやすいものとなっています。

世界の教会の声

浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ルンド カトリックとの出会いから5年

  宗教改革500年記念(2017年)に先駆けて、2016年の宗教改革記念日(10月31日)にルーテル世界連盟(LWF)とカトリック教会の共同主催で宗教改革500年記念礼拝がスウェーデンのルンドで開催されました。ルンドは、LWF第1回総会の開催都市だったことからLWF発祥の地として知られ、今回の記念礼拝会場に選ばれました。
 500年記念礼拝のときもそして今もなおルンド教区の監督として、この歴史的事業に携わってきたのがヨーハン・テュールベルイ氏です。あれから5年、両教会のエキュメニカルな関係がルンドをどう変えたのかを振り返ったLWFによるインタビュー記事の一部を紹介します。

(参考記事のHP)

—合同記念礼拝の2年前からすでにルンドの監督でいらっしゃいましたが、あのとき以来何か変化はありましたか。

 前日の2016年10月30日が日曜日で、その日のカテドラルの礼拝は、当日以上に感動的で心に残りました。というのはカトリック教区とルーテルのルンド教区が、ルンドのカテドラル(ルーテル教会)で礼拝の最後の部分を一緒に守ったのです。これはその後もずっと話題になりました。
 ルンドのカトリック教区とルーテル教区が共同で作業しましたから、大いに変わりましたね。今でも時々日曜日に夕べの祈りや礼拝を合同でしています。もちろん聖餐式はできませんが。気候を覚える巡礼日といった特定の日に、いっしょに祈るようになりました。また私たちの教区では、晩祷でカトリック形式を用いるようになりました。これもまた隣人に一歩近づく方法なのです。相手にこうしてくださいと私たちのやり方をお願いするのではなくて、私たちが彼らのやり方を取り入れて祈ることです。こうすることで隣の扉も開き、近づいていけます。
 カールスクローナではルーテル教会が所有していた住宅をいくつかカトリックに売却しました。それによってそれまで郊外にあったカトリック教会が町の中心部へと移りました。こうしたことも2016年の合同礼拝があったからこそ実現したのだと思います。ルンド以外の教区ではさほど大きな変化は今のところありませんが、エキュメニカルな働きへの理解は広がったといえます。
 私たちの教区が位置する地域にはカトリック教会の男性修道院が六つありますが、そのうちの四つはエキュメニズムへの関心もとても強く、快く訪問者を受け入れてくれています。ルーテル教会地区の訪問者が以前よりも増えたと思います。
 もうひとつ私が気づいた変化は、ルーテル教会が若者たちのコミュニティとしても成長していることです。一定期間たとえば半年あるいは2年、3年というスパンで彼らが教会活動に参加するようになりました。カトリックとの合同礼拝が影響してそうなったのかどうかはわかりませんが、確かにそうした変化が起きています。若者が人生を真剣にみつめ始めるうちに、教会活動にも主体的に関わり祈るようになったからではないでしょうか。

東教区第26回宣教フォーラムスピンオフ版報告

2021年11月20日(土)
「信徒の信徒による信徒のための宣教フォーラム」
テーマ「コロナ禍で、信徒みんなで考えるルーテル教会の将来像」

第26回宣教フォーラム準備委員会委員長 田村忠夫(藤が丘教会)

 昨年は、コロナ感染の拡大によりやむなく休止となったフォーラムを今年は何とか実施できないかとフォーラム委員会では話し合いを重ね、初の試みとしてWeb開催をいたしました。
 今回の「宣教フォーラムスピンオフ版」の大きな特徴は、アンケート項目(第58回東教区定期総会で示された「教区長報告」及び「東教区宣教方策〝新しい教会をめざして〟」を受けて)を信徒が作成し信徒へと問いかけたことではないかと思います。それは、今まで行われてきた教職から信徒へとの取り組み方法から、新たなる一つの手立てを見出すためのアンケート調査でもありました。そこで、まずは信徒皆さまの気持ちを広く知り、その得られた結果から今の置かれている東教区の現状に対し、信徒は何が出来るのだろうか、また何が出来ないのかを把握できたらとの願いを込めたものでした。
 お陰様で、多くの方々のお力添えにより予想以上の回答を得ることが出来ました。この貴重なアンケート結果を丁寧に考察して、現状課題への不安感を解消しつつ平安の内に日々の信仰生活を歩み続ける一つの道筋として、今後の進むべき方向性を教職・信徒と共に見出すことへ活用できたらと思っています。
 調査結果の中で特に注目したのは、「『各個教会主義の脱却、これからは他の教会との協力なしには教会形成が難しくなる。』についてはどのようにお感じになられますか。/協力に賛成/協力にやや賛成/協力にやや反対/協力に反対/考えたことがなかった/その他」という設問に対しての回答率です。協力に賛成75・8%、協力にやや賛成13・6%と二つを含めると89・4%(11月20日現在)ほぼ9割の方が何らかの教会間の協力が必要であると捉えており、現状を打開する大きな手立ての一つとして見ていることが解ります。そこで信徒自らは、今後教会間の信徒交流へ前向きに取り組むことで現状改善への小さな力であるかもしれませんが、寄与することができるのではないでしょうか。ゆっくりとした歩調であったとしても、教会間の信徒交流の輪が広がってゆく事を切に願っています。
 今回の新しい挑戦(アンケート実施とオンライン開催)を期に、毎年実施されています宣教フォーラム活動が皆さまの思いや願いに沿いながら、更に豊かな活動へと繋がってゆくことを思っています。

オンライン全国教師会退修会報告

西川晶子(全国教師会相互扶助会会計・久留米教会・田主丸教会・大牟田教会牧師)

 なかなか出口の見えないCOVID―19の影響下にあって、これまで約3年に一度行われてきた全国教師会の退修会も、2017年の宗教改革500年記念の年を最後に、共に集う形での開催は見送られています。そのような中、やはりたとえ画面越しでも同労の牧師が顔を合わせる機会を持つことができればと、Zoomを用いたオンライン全国教師会退修会が2021年11月11日に開催され、全国から約60名の教師の参加がありました。
 立山忠浩教師会長による開会礼拝に始まり、今春引退される3名の先生からのご挨拶、そして「宣教、礼拝、聖餐、伝道牧会」という視点で、現状での取り組みを小勝奈保子牧師、ポストコロナに向けての展望を池谷考史牧師より、それぞれ発題していただきました。その後、発題を受けての年代別グループでの協議の時間が設けられましたが、その中で、お互いの取り組みやポジティブな成果だけではなく、難しいと感じるところを分かち合えたことは有益でした。たとえば、これまで顔を合わせて共に礼拝していたものが突然インターネット越しになり、それに伴う礼拝メッセージの内容や伝わり方の変化、また共に集うことが難しくなる中での教会運営の難しさなど、この2年間、同労の先生方が同じような難しさを感じつつ歩んでいたと知ることができただけでも、励まされました。
 退修会は3時間ほどでしたが、そのあと夕方から、自由参加の懇親会も行われました。懇親会では、世代に関係なく集まることのできるメインルームのほか、「按手年代別の部屋」や「若手教職の部屋」、「女性教職の部屋」が設定され、自由にその間を行き来できるようになっていました。「女性教職の部屋」は、私が個人的に必要性を感じて作っていただいた部屋ですが、普段、何かを相談したくとも地域的な距離もあってなかなか機会が取れなかった先生方と、ゆっくりお話しできる貴重な機会でした。
 今回の退修会は短い時間でしたが、画面越しであっても久しぶりの方々と顔を合わせることが、自分でも意外なほどに嬉しく感じられました。逆に言えば、オンラインの交わりでも嬉しく感じられるほどに、交わりの機会から遠ざかっていたということでもあります。また、やはりオンラインでは、インターネット環境などの都合で参加が難しい教師もおられましたので、また直接顔を合わせてお会いできる日が、一日でも早く訪れることを願っています。

北海道特別教区発行『み言葉に生かされて』の紹介

岡田 薫(北海道特別教区書記・財務部長・帯広教会牧師)

 長引くパンデミック下において、北海道特別教区では「主の祈りを祈りましょう」というキャンペーンを2020年の復活祭より続けています。主日礼拝ですらままならない時もありましたが、祈りをあわせ知恵と工夫を凝らしつつ共に励ましあいながら過ごしてきました。教区の財政的な支援もあり、それぞれの礼拝堂にはオンラインのための機材が備えられ、礼拝の配信だけでなく各地をつないでの集会や合同の聖書研究など新たな取り組みも進められています。
 2021年4月29日には各教会をオンラインでつないでの「春の集い」を開催。直前に感染再拡大のため札幌近郊では礼拝堂に集うことができなくなり、急遽集えるところは礼拝堂、集えない所はご自宅から参加という形式に変更せざるを得ませんでした。全道から40名ほどが参加し、それぞれが大切にしてきたみ言葉と、そのみ言葉にまつわる出会いや想い出を語りあい、短い時間ではありましたが実に豊かなひと時でした。
 しかしながら、オンラインの集まりに対応できず、参加が適わない方がおられたことも事実です。この溝を埋めるにはさらなる知恵と工夫が必要だ、ということで常議員会では協議の結果、この時に集約された愛唱聖句カードと、その後にそれぞれの教会で集めた愛唱聖句カードをひとつの冊子にまとめ発行することといたしました。嬉しいことに、各教会からたくさんの聖句が集まり100名を超える仲間たちの愛唱聖句と想いを束ねた小冊子が完成しました。
 編集長である小泉基教区長のセンスの光る明るい小冊子は、実りの秋に各教会に連なるみなさんへと配布されました。手にされた方々からは「お一人おひとりのお顔を思い浮かべながら毎日読ませていただいています。」「聖句やコメントを通して皆さまの証しを聞く思いです」などの感想も寄せられています。特に長期にわたって外出を控え、礼拝に出席できずにおられる方にとっては、手に取って繰り返し読むことのできる小冊子という形態が良かったようです。み言葉に添えられた想いは、短いひと言であっても、今この時の一人ひとりの生きた信仰の言葉。未だ一堂に会することが難しい中ではありますが、み言葉に生かされ、祈りに励まされつつ、共に歩んでいる恵みをわかちあう体験となりました。

第7次綜合方策の紹介⑽

事務局長 滝田浩之

■方策本文より

第7次綜合方策主文
7.神学教育

⑴神学校(神学教師)
 牧師養成が教会宣教にとって重要な役割をこれまでも果たし、これからも果たすものであることを改めて確認する。よって神学校として必要な、その中心的な働きを担う神学教師の後継者については、教会全体の課題として取り組む。また教職の現任教育について、信徒の研修について共同してこれを行う。

⑵機関維持(大学経営)
  牧師養成を行う神学校を継続していくためにも、大学の経営状況について教会は大きな関心を持つ。経営が適切に行われ、機関維持を行う責務は、大学にあると共に教会の課題であると認識する。これまでも三者協議会、神学校・ルーテル学院大学委員会、神学教育委員会などで密接にこれに関与してきたが、今後もこの関係を堅持する。

⑶神学生
 神学生を生み出す責務は、教会にあると理解する。今後も神学校と連携しつつ、具体的な施策を行う。

8.世界宣教
⑴海外教会

 共にキリストにより宣教に派遣された教会として、変化する世界状況の中で、関係海外教会及びLWFとのパートナーシップを堅持しつつ、世界宣教に参与する。

⑵アジア伝道
 ブラジル伝道の終了に伴い、アジア伝道に取り組むために、LWF、ELCA及びJELAとの連携を図りつつ、共同事業の可能性を探る。

9.エキュメニズム
⑴日本ルーテル教団(NRK)

 「聖餐と講壇の交わり」を持つ日本ルーテル教団とは、神学教育を中心に宣教協力を整えてきた。今後は、教会数減少も加味しつつ宣教協力をより一層進めていく。

⑵カトリック・聖公会
 カトリック・聖公会とのエキュメニズムの対話は、1967年以来、100回を数える。1989年にはカトリックとの間で「洗礼の相互承認」、1994年には聖公会との「洗礼の相互承認」が行われたことを歴史的な事柄として受けとめ、この延長線上に長崎におけるカトリックとの共同礼拝、そして今後の展開があることを確認する。

⑶NCC等との連携
 NCC、外キ協、マイノリティー宣教センター、キリスト教カルト問題連絡会、ACT-JAPANフォーラムなどエキュメニカルな働きをリソースとして活用しつつ、連携をしていく。

■解説
 宣教の内容、担い手が確認されたところで、それをリソースとして支える働きが確認されます。
 それが神学教育、世界宣教、エキュメニズムです。
 宣教の重要な担い手である牧師を育てる神学校の働きが大切なことは誰もが合意頂けることと考えます。またこれまでも教職神学セミナーにおいて教職の継続教育が行われてきましたが、今後は一層、この働きを強めていく必要があります。28期では卒業後5年以内の教職については、教職神学セミナーへの参加に対して補助を行うなど、卒業後の振り返りとリフレッシュを促しているところです。ルター派の教派神学校として神学教師の後継者については教会が派遣する責任があることは言うまでもないことです。またこれを支える学校法人を支えること、その課題を共有していくこともまた教会の役割と考えます。何よりも神学生を生み出す責任は、個々の教会、教区、全体教会にあることは繰り返し確認していく必要があります。神学校、神学教育委員会は、ここ数年「オープンセミナリー」を開催しています。
 神学教育が宣教の支え手であることは自明なこととして受けとられることと思います。しかし同じ大切さに、世界宣教、エキュメニズムがあることをしっかりと把握したいと思います。日本福音ルーテル教会は、海外の教会からの宣教によって生み出された教会であることはすでに確認した通りです(七つの宣教団体)。そして今も、私たちはLWF(ルーテル世界連盟)に参画しながら、世界宣教という大きな枠組みの中で宣教を担っているということに目を留めたいと思います。同じようにエキュメニズム、他のキリスト諸教会、諸団体と共に手を取り合って宣教を担っているのです。日本ルーテル教団は神学教育を共に担うパートナーです。カトリック教会、聖公会、NCC(日本キリスト教協議会)は神学的も宣教的にも共働の働きを担うパートナーです。
 これらの支え手を通して、私たちはいつも二つのことを教えられています。一つは、私たち日本福音ルーテル教会がキリストを宣教するという時、それは世界中の教会に祈られている働きであるということです。そしてもう一つは、私たちはいつも共に宣教を担うパートナーを通して、自分たちの宣教を見直す機会を与えられているということです。私たちの宣教は、キリストから託された独りよがりなものではないということ、同時に、私たちの宣教が独りよがりなものになっていないかという点検が、これらの支え手との関りを通して教えられるのです。支えられるだけでなく、私たちはこれらの働きに貢献することができる喜びも与えられていることを覚えたいと思います。

2021年度「連帯献金」報告

 2021年度も多くの方々から「連帯献金」に支援を頂きました。感謝して報告いたします。(敬称略・順不同、複数回の献金もまとめての報告となります。)

■災害支援 181,069円
国府台母子ホーム、神水教会、阿久根教会、JELA

■ブラジル伝道 40,149円
小城ルーテルこども園、箱崎教会女性の会、東教区女性会

■世界宣教(無指定) 375,634円
久留米教会(岩切華代、光延和賀子、原真理、里村朝子、宮原家、西川晶子、在津恵美子)、小澤周司、千葉教会、NRK福島いずみルーテル教会、箱崎教会(らぶぴコンサート席上献金)、角田健、大柴譲治、内山大地、大阪教会、シオン教会柳井礼拝所(一粒の麦・女性会)、岐阜教会、重野了子、小岩教会、帯広教会、小岩教会ルーテルキッズ、千葉教会、学校法人札幌ルター学園めばえ幼稚園、日吉教会、匿名献金

 今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓に苦しむ方々に連帯したいと祈り願います。「連帯献金」をお捧げくださる際には、それぞれの献金目的[ブラジル伝道][喜望の家][メコンミッション][世界宣教][災害支援]を郵便振替用紙に明記頂き、下記の郵便振替口座にご送金ください。
郵便振替 00190−7−71734
加入者名 (宗)日本福音ルーテル教会

「聖書日課」購読のお勧め

 聖書日課は、ルーテル教会諸派の有志が共同で作成する、ルーテル教会の教会暦にそった日毎のみ言葉の説きあかしです。
 執筆者もルーテル教会の先生方にお願いし、誰もが身近に日毎に聖書の言葉を味わうことができるように工夫されています。
 是非、会員になって頂き、み言葉に満たされ、同時に文書宣教の業を支えて頂けたらと願っています。
 刊行は年4回行われています。1月号から1年会員となって頂いた場合、年4回の配布で1600円(1冊400円)、年度途中からの会員の方は1冊450円となっています。
 いつでも入会可能です。
次回は4月号(聖書日課122号)からの受付となります。年3回の配布で1350円(1冊450円)です。(ただし、在庫にかぎり121号からのお申込みも承ります。)
 お申込みは、各教会の聖書日課担当の方にお申し出ください。
 また、WEB会員は年会費1000円でご利用いただけます。WEBサイトからお申込みください。

聖書日課を読む会事務局
〒162-0842 東京都新宿区市谷砂土原町1-1
日本福音ルーテル教会事務局内
TEL(03)3260―8631 FAX(03)3260―8641
E-mail:seishonikka@jelc.or.jp
*2021年10月より聖書日課事務局が移転いたしました。

22-02-01御心ならば、清くすることがおできになります

「すると、一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、
『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と言った。」
マタイによる福音書8章2節

  ある教会でこのようなことを話してくださった方がおられました。「子どもが小さかった時、重い病気にかかり、当時通っていた教会の牧師先生にお祈りをお願いしました。『御心でしたら癒やしてください』とお祈りされました。何故、癒やしてくださいではなく、御心でしたら、と祈られたのかと、私は素直に聞けず、また非常に悲しかった思いをしました。」
 病床訪問する時、「早くお元気になってください」などと言いたくなるのが人情ですが、この方の言葉が主イエスの病気の癒やしを伝える箇所を読むたびに心を横切るのです。福音書には主イエスによる病気の癒やしの出来事がいくつも語られています。多くの場合、様々な病気を患っている人々—目の見えない人、体の不自由な人々、悪霊に取り付かれている人たち—が主イエスに憐れんでいただきたいと願い出ることから、或いはその人々を主イエスがご覧になり、深く憐れまれることによって癒やしの御業がなされています。ルカ福音書17章で語られている重い皮膚病を患っている人々の癒やしにおいても、患っている人々が、憐れみを願っています。
 しかしながら、マルコ福音書1章40節以下及びその並行箇所で語られている「重い皮膚病を患っている人の癒やし」の出来事は本人は直接憐れんでくださいと訴えてはいません。「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願い出ています。
 「重い皮膚病」とわざわざ語られていることで、この人が負わされている社会的、宗教的に差別され、負わされている苦悩は幾重にも取り巻き、絶望の日々を送っていたことが伝わってきます。この病は他の病とは異なり、ただ単に癒やされるのではなく、清められなければならない病でした。だからかも知れません。主イエスの御前にひれ伏すしかなかったのでしょう。
 癒やしの奇跡の出来事の多くが、「ご覧になって」、「深く憐れまれて」と主イエスから声をかけられているのに対して、この人は憐れみを乞う前に主イエスの意思を尊重しています。御心ならば…と、あなたがそうしようとお思いになるならばと、憐れみをこいねがう相手に対する深い信頼を込めて願い出ています。そこには自分には理解できないことでも、不可解なことであっても、神の深いご計画が隠されているならばそれを引き受けます、あなたは決して不幸のままに終わらされないからですという信頼、信仰が込められているのではないでしょうか。
 病気の時、「祈ってほしい」という願いの中には、早くよくなるように、信仰があれば癒やされる…と慰めや励ましを求めていることが多いように思えるのです。医学的に見込みがないとご本人も知っていても、奇跡を願う思いはどこかにあるように思うのです。事実、末期がんから生還した方もいらっしゃいます。信仰があれば治ると思いたいのではあります。治りたい、治る、でも治らない、という時の葛藤は、信仰を持っている場合と、そうでない場合は違ってくると思えるのです。
 そのような葛藤を主イエスはゲッセマネの園での祈りを通してご自分のものとされています。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
 病気が治る、治らない、願いが叶う、叶わないは本人にとって大きな問題であることに間違いないことです。病気の子どものために祈ってほしいと願った方は、「御心のままに」という祈りに悲しい思いをされたと語られましたが、その方にとって「御心でしたら」という言葉をずっと思い巡らされていたのでしょう。そこから、主イエスの御意思がどこにあるのか、何であるのかを問う、新しい信仰の歩みをされていったのではないかと思えるのです。その時は受け止めきれなくても、じっと見守って下さっている憐れみの中に置かれていることを信じてゆきたいと思うのです。

日本福音ルーテル八王子教会牧師 中村朝美

ルーカス・クラナッハ(父)作「ゲッセマネの祈り」(1518年頃)東京・国立西洋美術館所蔵

22-01-01るうてる2022年01月号

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「日々新たにされて」

日本福音ルーテル小石川教会・板橋教会 牧師 德野昌博

「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、
わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」
コリントの信徒への手紙二 4・16

 私たちは、「贖われし罪人」です。ですから、日々新たにされて生きるのです。
 イザヤ書43章で、天地万物を創造された主なる神様が、いきなり、何の条件も全く付けず、「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの」(1節)と言っています。まことに驚きです。「贖う」とは、神様が、神のものとなった私のすべてを引き受けてくださる、責任をとってくださるということです。

 神様に背いて、どうにもこうにも言うことを聞かない私のために、イエス・キリストが十字架で死んで、私の罪を贖ってくださったのです。イエス様の十字架によって、決定的に重大な問題が解決されたのです。創造主である神様に背いているという、これ以上に、私たち人間にとって重大、深刻な問題はありません。その罪を、父なる神様は御子イエス・キリストにおいて解決してくださったのです。これが 、私たちに与えられた救いです。まことに有り難いことです。これこそ、わが人生最もビッグでグッドなニュースです。

 神様は続けて、「わたしはあなたの名を呼ぶ」と言っておられます。「名を呼ぶ」と言うことは、一人一人に対して、神様が一対一で向かい合い、覚えていてくださるということです。ですから、私がいかなる信仰生活をしていようと、あるいは年老いて、前後不覚に陥って、神様に向かって憎まれ口をたたいたり、突然、「主の祈り」ではなく、念仏を唱え出したりしたとしても、神様は、私のすべてを知った上で、「わたしはおまえのことを引き受けた。まかせておけ」、そう言ってくださるのです。それが「名を呼ぶ」ということです。

 「あなたはわたしのものだ」と言われる主なる神様が、私たち一人一人の名を呼んで、私のすべてを自分のこととして 引き受けてくださっています。その絶対の保証としてのイエス・キリストの十字架です。

 救いは、私たち人間の側のどのような事態、どのような問題によっても取り消されたりはしません。パウロが、「ローマの信徒への手紙」8章で、「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来 のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな 被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(38〜39節)と言っている通りです。ですから、たとえ私たちの体や心がどんな状態になっても、私たちは決して滅びることはなく、神様の愛の中にちゃんと、しっかり受けとめられているのです。

 やがて私も年老いて何も分からなくなり、信じることも、告白もできないようになる時が来ることでしょう。しかし、今はまだできます。今は、私が御言葉を聞いて信じ、そして、自分の、これからのことも含め、すべてを、「神様、あなたにおゆだねします。私を憐れんでください」と言うことができます。そう言える今、たとえこれから先どんなことがあるか分かりませんが、「絶対大丈夫」という平安が与えられています。

 神様は、無条件で、「わたしはあなたを贖う」と約束してくださっています。神様の、その絶対の恵みを知り、信じることができ、それによって本当に喜び、平安に生きることができるというのは、礼拝を通して与えられる恵みです。

 やがて、もうどうすることもできなくなるであろう時のために、今ここで、私は礼拝において神様との本当に深い交わりを持ちたいと願っています。礼拝に出席することが困難になって、初めて私たちは礼拝に出席し、仲間と顔と顔を合わせるということがどんなに幸いなことであるか、どんなに大きな恵みであるかと いうことを身にしみて思い知らされました。

 「わたしたちの外なる人は衰えても、内なる人は日ごとに新しくされていく」のです。自分で、自分の力、頑張りで新しくなるのではありません。神様が新しくしてくださいます。「だから、わたしたちは落胆しない」のです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉒「音」

「門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。」
(ヨハネ福音書10・3)

 なんだかうるさく聞こえる物音でもその原因や主(ぬし)がわかり物音をさせるその理由までわかるとうるさく感じなくなったことありませんか?私はあります。毎朝聞こえる小鳥の鳴く声が甲高くうるさく感じてました。先日観ていたテレビ番組で私が毎日聞いてうるさく感じていた小鳥の声を解説されていて何の小鳥がどのような理由で鳴いていたのかがわかりました。その小鳥の正体と鳴く理由がわかった途端、朝聞く「うるさい音」が「かわいい鳴き声」に変わりました。
 大切な大切な存在なら尚更だろうなって思います。こんなことも思い出します。ある食品売り場で、きっと迷子になったんだろうなぁと思う様な小さな子が「ママー」と呼びます。するとどこからか見えないのに「なーに?」って聞こえ「ママどこにいるの?」と子どもが安心したように走り出す光景です。
 きっと神様も同じだろうな、いやもっと一人一人を大切にされているのかもしれないと思うと私の声も神様にとってはうるさいその他大勢の声ではなく大切な大切なかけがえのない一人の私という存在の声なのかなって嬉しくなります。
 そして私を大切にして下さる神様の声は、いつもあなたと共にあなたを包んでいて下さるから、あなたに心地良い音なのでは。

議長室から 大柴譲治

〈われとなんじ〉と〈われとそれ〉

 「ひとは世界にたいして二つのことなった態度をとる。それにもとづいて世界は二つとなる。ひとの態度は、そのひとが語る根源語の二つのことなった性質にもとづいて、二つとなる。根源語は孤立した語ではない。複合的な語である。根源語の一つは〈われ〉−〈なんじ〉であり、他は〈われ〉−〈それ〉である。」(マルティン・ブーバー「我と汝」野口啓祐訳、講談社学術文庫2021、8頁より)

 安倍川上流にあった梅ヶ島ルーテルキャンプ場で、学生時代にある方から教えていただいたブーバーの「我と汝」。この本との格闘を通して私は対人関係の基本を学んできました。原著〝Ich und Du〟 (1923)がドイツ語で出版されて来年でちょうど100年。対人援助職にとって古典的名著です。
 ドイツ語には「あなた」を意味する〝Sie〟と〝Du〟という2語があり、前者は丁寧な呼び方、後者は親しい間柄で用いられる親称。冒頭のように『我と汝』は数学の公理の提示のように始まり、とても難解で18歳の私には全く歯が立ちませんでした。以来46年間、繰り返し読む中で見えてきたことは、世界は私の語る根源語の二重性に応じてその姿を変えるということです。ヘブル語の「ダバール」という語は「言葉」を意味すると同時に「出来事」を意味します。言葉を語ることは出来事が起こることでもある。根源語〈われ−なんじ〉は相手を人格的な応答関係の中に捉えるダイアローグ的で全人的な態度。根源語〈われ−それ〉は相手を徹底的に自分の経験・利用の対象として捉えるモノローグ的な態度。前者の例としてブーバーはソクラテス、ブッダ、イエス、ゲーテを、後者の例としてナポレオンを挙げます。もちろん、物質が悪ではないように〈われ−それ〉を語ること自体は悪ではありません。〈われ−なんじ〉関係は過ぎ去ってしまうと「過去の記憶」という〈それ〉になってしまう。彼はそれを「大いなる悲哀」と呼びます。〈われ−なんじ〉の出会いは天からの恩寵であって人間が探し求めることによって獲得できるものではありません。「すべての真の生とは出会いである」。
 ユダヤ人思想家であったブーバーは旧約聖書のドイツ語翻訳者としても知られています。「〈われ−なんじ〉の延長線上には〈永遠のなんじ〉が垣間見える」とか「個々の〈われ−なんじ〉の出会いの延長線は〈永遠のなんじ〉の中で交わる」という表現から分かるように、ブーバーは「なんじよ(Du)」と親しく呼びかけてくださる神を「永遠のなんじ」と呼び、個々の具体的な〈われ−なんじ〉の出会いを通して永遠のなんじが私たちに呼びかけておられると見ているのです。
 新しい年も、耳と目と心を一つにしてそれらを十全に用いて神の声に聽いてゆきたいと念じています。この主の年2022年が、皆さまお一人お一人にとって〈永遠のなんじ〉との豊かな対話という祝福のうちに置かれた1年でありますようお祈りいたします。

「教会讃美歌 増補」 解説

⑲増補9番「天にいます父よ」・増補10番「主はヨルダンに来て」
讃美歌委員会 石丸潤一(西日本福音ルーテル新田教会)

 新しい年を迎え、皆さんいかがお過ごしでしょうか。私は、新年を迎える度に、新しくなることの期待感と、一方で、移りゆく時の中でも変えずに継続していくべきものの大切さを思います。
 今回ご紹介する2曲は、神様から信仰者が与えられているその二つの相反することについて深く味わわせてくれるカテキズム・コラールではないかと思います。

 増補9番「天にいます父よ」は、「教会讃美歌」364番に収録されているなじみ深い「主の祈り」の賛美です。今回は、他のカテキズム・コラールとの関連曲として、新しい訳詞と9節を加えて収録しました。2~8節の「求め祈ります」という締めくくりの詞には、関連性とリズム感を持って、「主の祈り」の一つ一つの祈りが私たちに何を教え、何を神様に求めさせるのかをよく知ることができるようにという意図が込められています。
 イエス様が教えてくださった「主の祈り」は、私たちの信仰生活に欠かせない、継続していくものです。であるからこそ、「小教理問答」とカテキズム・コラールを通して、いつも祈りの意味をかみしめながら、祈り続けることが大切ではないでしょうか。

 増補10番「主はヨルダンに来て」は、洗礼の意味について教えるカテキズム・コラールです。1月の教会暦には「主の洗礼」を記念する主日が備えられています。この賛美は、イエス様の洗礼の場面を踏まえていますので、その頃に賛美されるのにも良い曲ではないでしょうか。
 洗礼は、神様が私たちに、みことばと聖霊と共にある水を通してみずから授けてくださる恵みの礼典です。私たちは等しく罪の中に沈み、自分の行いでは浮上することのできない者です。しかし、神様の恵みを信じて洗礼を受ける時、キリストの血潮が大波のようになって私たちの罪を押し流し、罪の深淵から命の日々へと救い出してくださいます。水のイメージが要所にちりばめられたこの賛美は、洗礼を通して、私たちの命が全く新しくされているというダイナミックな喜びのイメージを生き生きと感じさせてくれるでしょう。

世界の教会の声

浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

気候正義を求めるLWFユース

 11月英国のグラスゴーでCOP26が開催され、地球の気候変動対策が議論されました。LWFは2011年来国連の気候関連会議に青年代表を派遣していますが、今回の会議ではオンライン出席を含めると、7つのLWF区域すべてから参加者があり、過去最大の32名の代表が出席しました。
 会議では地球の気温が産業革命前より1・1度上昇したことへの警鐘が鳴らされ、気温上昇をパリ協定で定めた1・5度に抑えるという努力目標を追求することが採択されました。これについてLWF気候問題担当Elina Cedillo氏は「石炭火力を使い続ける限り達成は危うい」、さらに「各国政府が設定した2030年の温室効果ガス排出量削減目標は不十分で、このままだと2050年には2・4度に達してしまう」と述べています。

 LWFが、気候変動(climate change)とあわせて呼びかけているもうひとつの用語に「気候正義」(climate justice)があります。日本ではまだ馴染みが薄い言葉ですが、気候変動が環境問題だけでなく、倫理的、政治的問題でもあることを訴えています。経済大国による大量の排出ガスの影響で、排出量が少ない多数の国や地域が犠牲になっているといった問題が顕在化しつつあります。COP26では、そうした地域の少数民族の役割も欠かせないという認識が得られました。
 青年たちはグラスゴーの街へ繰り出し、各国リーダーに向けてさらに徹底した対策をと呼びかけました。そして青年や周辺国のリーダーにも決議に参加できる仕組みを作るよう求めました。
 会議に参加したある青年は次のように述べています。「信仰をもつ者としては今回の会議に物足りなさを感じますが、だからといって落胆しているわけではありません。エキュメニカルなパートナーとして、これからも神様が創造した世界を大切にしながら、気候正義の実現のために活動を続け、大変な被害を被っている人々に寄り添っていきます。私たちはこれからも世界の教会に向けて声を挙げていきます。」
参考記事のURL
https://www.lutheranworld.org/news/cop26-lwf-delegates-disappointed-not-disheartened-lack-results

第3回オープンセミナリー報告

河田優(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校チャプレン)

 11月14日(日)Zoomを用いて第3回神学校オープンセミナリーが開催されました。今回も日本福音ルーテル教会(JELC)、日本ルーテル教団(NRK)の両神学教育委員会と日本ルーテル神学校の共催であり、JELCから3名、NRKから1名の参加者がありました。
 第1部は、神学校での学びと生活についての紹介が中心です。特にミニ講義では平岡仁子牧師がコロナ禍におけるオンライン礼拝について取り上げ、神学校で学ぶ礼拝学は私たちの礼拝生活に直接結びついていることを話されました。
 第2部では、神学生が考えた楽しい企画に2人の若手牧師も加わり、互いの紹介やミニゲーム、質問コーナーなど和気あいあいと交わりが進められていきます。最後は、神学校1年生2人がそれぞれの証しも含めて閉会礼拝を行い、祈りを合わせました。
 神様の導きとして神学校での学びを考える人たちがいます。その人たちを支え、後押しするのはそれぞれの教会です。どうぞこれからも教会から、神の働き手としての献身者を送り出していただきますようにお願いいたします。
 以下、今回の参加者からお2人、感想を書いていただきました。

 今回、初めてオープンセミナリーに参加させて頂きました。始まる前はどのようなことを知れるのか、学べるのかと胸を躍らせておりましたが、実際はその期待を上回るほどの有意義な時間となりました。特に神学生や牧師への質問コーナーでは先に提出していた質問全てにお答えしていただき、良い情報を得ることが出来ました。ここで得たことを糧に神学校での学びの準備をしていきたいと考えております。このような機会に私を送り出して下さった崔大凡先生や室園教会の方々、企画をしてくださった神学教育委員会と神学校の先生方に感謝します。
(中山隼輔・JELC室園教会)

 私は洗礼を受けて以来献身への迷いがあったため、神学生オープンセミナリーに参加させていただきました。模擬講義では現代のコロナ禍を通して改めて礼拝の意義について考える機会を与えられ、交流会では牧師先生や神学生の方々との貴重な交わりの時を持つことができました。さらに牧師を目指す上での大切な気づきと励ましも与えられました。オープンセミナリーに参加して、今まで漠然としていた献身への思いが少しだけ形づくられた気がします。今後どうなっていくかはわかりませんが、神様に祈りつつ歩んでいきたいと思います。
(鷲見和哉・JELC大阪教会)

献身者がおこされるために
—取り組みの紹介とお願い—

三浦知夫(神学教育委員長・東京池袋教会牧師)
小林千恵子(大垣教会) 徳弘由美子(岐阜教会)

 学校の先生になりたいと思ったら、大学などに入学して、教員免許を取得できる学びを始めようとするでしょう。では、牧師になりたいと思ったらどうでしょうか。同じように神学校に入学して、その準備を始めますが、その前にキリスト者として教会生活を送っているという前提があって、所属している教会の牧師に推薦をしてもらわなければなりません。牧師は他所から採用したり派遣されるのではなくて、私たちそれぞれの教会の中からおこされるからです。各教会が献身者を神学校に送り出さなければ、牧師は誕生しないということでもあります。昨年は、私たちの教会に新しい牧師が与えられませんでした。今年の春も予定はありません。そのような状況の中で、教会と神学校が協力して、「献身者を求める祈り」の動画を作成したり、礼拝で「献身者を求める祈り」をしていただくようにお願いしたりしてきました。
 そんな中、大垣教会と岐阜教会信徒の有志の方々が「自分たちにも何かできないか」と祈り考え、写真のようなフレームを作成してくださっています。御言葉とクイリングという手芸の十字架、そして呼びかけの言葉が記されたフレームです。各教会の集会室の壁や玄関に下げたり置いたりし、いつも教会の方々の目に留まり、献身を呼掛け考えるきっかけになればと願ってのことです。
 この運動を受けて、私とこれら有志の方々からお願いがあります。この企画をお手伝いいただけないでしょうか。この取り組みを、神学教育委員として喜びつつ、祈りと奉仕が全国の教会に広がっていくことを願ってのお願いです。教会でも個人でも構いません。案内やフレームの個別の封入や発送を全国120箇所ほどにすることになりますので、4~6教会(名)が、20~30個ずつ引き受けてくださればと考えています。ご質問や参加希望は2月15日までに三浦(東京池袋教会)か岐阜教会に連絡ください。発送作業は3月頃の予定です。献身者をおこすために心をあわせて祈っていきましょう。

集計表男女区分の廃止について

小泉基(社会委員長・函館教会牧師)

 昨年11月16日の全国常議員会で、「集計表における人数表記の件」が決議され、来年度の新しい集計表から男女区分をなくすことが決まりました。今回もオンラインで行われた常議員会でしたが、議場では活発な意見交換が行われましたから、提案の背景と主な意見をご紹介したいと思います。
 今回の提案の直接的なきっかけは、昨年7月に社会委員会が提出した「本教会統計表における男女区分の扱いについて」という要望書でした。けれどもそれ以前から教会内で、礼拝の受付で男女の二者択一を迫ることが、性的マイノリティの人たちに苦痛を強いているのではないか、という声が聞かれるようになっていました。実際に、受付での男女区分をなくしたり、週報等での兄姉呼称を「さんづけ」に統一した、という報告も聞かれるようになっていました。委員会が、そうした背景をより多くの人に知っていただきたいと2020年3月に発行したのが「多様な性を知るために」という小冊子です。ひとくちに性的マイノリティといっても、その内実は、体の性、性自認(心の性)、性的指向、表現する性など、多岐にわたっています。多様な性のあり方を知りながら、そうした方々が安心して受け入れられる教会形成をしていきたいという願いがありました。また教会は、歴史的に同性愛を罪として断罪してきた経験があり、それはルーテル教会が1988年に発行した「教会員ハンドブック」にも反映されてしまっています。委員会の小冊子の発行と、常議員会への要望書は、そうした教会の歩んできた歴史に対する反省の上になされたものです。常議員会では、男女比率がわからなくなることが女性の社会進出をかえって阻むのではないか、男女の他に「X」欄を設けてはどうか、教会の宣教計画の立案に影響するのではないかといった意見も出されましたが、痛みを覚える方々に寄り添うことを優先しようとする意見が大勢を占めました。もちろん、この決定が何かをすぐに解決するというものではありません。これをきっかけに、教会内でさまざまな学びや取り組みがすすめられていくことこそが、委員会として願っていることですから、どうぞご協力お願いする次第です。(なおパンフレット「多様な性を知るために」は、日本福音ルーテル教会インターネットサイトでPDFが公開されていますのでご活用ください。また冊子版も事務局に多少残部があります。必要な方は事務局までお問い合せ下さい。)

2022年度教会手帳住所録訂正のお願い

 2021年7月31日付で引退されました太田一彦先生について、2022年度教会手帳住所録の《引退》欄への掲載がなされておりませんでした。お詫び申し上げますと共に、謹んで訂正させて頂きます。
 2022年度教会手帳住所録20頁に以下を追記ください。

太田一彦
420−0886
 静岡県静岡市葵区大岩 2−41−14

第7次綜合方策の紹介⑼

事務局長 滝田浩之

■方策本文より

第7次綜合方策主文
5. 信徒の働き

⑴信徒の役割
①宣教の働きは、教職、宣教師だけに与えられたものではなく、教会の全信徒に与えられている。信徒は宣教の担い手であり、受け身の立場ではなく、積極的・能動的に福音宣教に参与する。信徒が牧師とともに宣教に具体的に参与する道筋を整える。
②信徒の「相互牧会力」を育てることは教会成長にとって大きな意味があることを確認し、具体的な研修プログラムを神学校と共同して検討する。
③宣教を推進する担い手としての自覚の育成について、各委員会等、その専門性を生かしプログラムを策定し実施する。
④信徒説教者については、「信徒説教者実施要項」について、信徒の執事としての働きとしての「み言葉の奉仕」として位置付けると共に、信徒の執事職(信徒奉仕者)をより幅広く教会の中で理解していくことも含めて、改正を検討する。
⑤配餐補佐についても「信徒説教者実施要項」の中で、神学的な課題についても整理した上で適切に位置付けていく。
⑥教会の執事的働き(管理や事務など)については、個々の教会、あるいは教区内で今後、有給の可能性も含めて検討され位置づけられていくものと考える。
6.教職の役割
⑴現任教職
 現在、教職の働きは、多重責任・役割、多様化、孤立化の傾向にある。教職としての守備範囲が解りづらくなっており、職務の明確化が求められる。
①宣教する教会であるためには、それぞれの教職が宣教への使命と職務を的確に果たすことが重要である。そのためにも神学的自己研鑽に取り組み、宣教と教会形成への責務を自覚することが求められる。
②「牧会力の成長」を促すことは教会の責任として捉え、本教会としても按手後、5年以内の教職については継続的な研修プログラムを神学校と共同して検討していく。
③人事配置については人事委員会がその実務を担っているが、教会財政も加味しつつ、全体的宣教力を図り、個々の教会、地区の将来像について教区の方向性を加味しつつ、常議員会の責任のもと確認していく。宣教拠点は2か所(教会、または施設)までを一つの目安として用いることができる。
④牧師の重要な任務に「役員会の形成」を明記する。役員の成長こそ、牧会力の回復につながることを確認する。
⑤職務を果たしていくために、健康管理への自覚的取り組みが必要であることを認識し、必要な手立てを教師会と共に検討する必要がある。
⑥教職の立場を教会の制度と組織に正当に位置づけると共に、教職の質の向上を高めるために必要な機会を、本教会、教区及び教師会は適宜提供していく。
⑵定年教職
①資格
 日本福音ルーテル教会の教職は定年制度に従って70歳を迎えて現職の務めから退いてきたが、これまでの実態と課題を整理した上で、「牧会委嘱規定」を見直し、主任の委嘱についても検討する。また、定年後も「説教とサクラメント」を行う資格を持つ者として、教区の主体的な判断の中で日本福音ルーテル教会の教職としての責務を果たすことを期待する。
②働き
 定年教職が教区及び関連施設の要請に応じ、期間を限定して牧会委嘱、巡回説教者、チャプレン等を担い、それによって宣教の働きが補われ、支えられていることに、全体教会として感謝する。

■解説

 宣教とは何かが明確に確認されたところで、その具体的な担い手が確認されています。
 このことを考える上で重要なのは「宣教の働きは、教職、宣教師だけに与えられたものではなく、教会の全信徒に与えられている」、この文言につきます。「全信徒祭司性」です。宣教は教職と信徒の共働の業であることを確認したいと思います。
 第7次綜合方策では、これまで自明のこととのように行われてきた信徒奉仕の働きを、教会の働きとして再確認していく必要があると考えています。教会はこれまで有形無形の信徒たちの働き、献財、祈り、奉仕によって支えられてきました。そしてこれからも、その支えがなしには教会は宣教の働きをなすことができません。一つ一つのそのような働きをきちんと確認して、次の世代に手渡していく。そこで大事なことは、今まで通りの形では手渡すことは難しいということだと思います。変えられるもの、変えられないものを見定め、変えられるものは大胆に変えていくことが求められています。
 同じように教職の役割も節目を迎えています。戦後、多くの宣教師とキリスト教ブームの中で与えられた多くの牧師(両方合わせて200名)で支えられてきたルーテル教会は、現在、現役の牧師は80名となっています。この面からも持続可能な教職の働き方を考えていく時が来ているのです。
 この共働の業を担う「役員会」の働きは、これからさらに大きなものになると考えます。同時に「役員会」がきちんと機能できるか否かが、その教会を組織として維持できるか否かも担っていることになります。

第28期 第15回 常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 11月15〜16日にオンライン会議にて行われた標記の件についてご報告いたします。
⑴協力金の件
 2022年度から10%に戻す予定であった協力金ですが、2021年度のCOVID|19による非常事態宣言が想定以上に長引いたことを鑑み、引き続き8%に据え置くことが承認されました。但し、建築会計からの一般経常会計への繰入について協力金算定に含めないという措置については2021年度で予定通り終了とすることを確認しました。なお2023年度は10%に戻すことを予定しています。
⑵集計表の件
 2021年度の集計表より教勢報告について男女の区別を廃止することが承認されました。詳しくは社会委員会からの報告をご覧ください。
 またインターネット礼拝の出席者と対面による礼拝の出席者を区分して記入できるように集計表が変更されています。インターネット礼拝の出席者とは、基本的には主日礼拝にオンラインで同時参加くださっている方と理解しています。また一つのPCで複数の参加がある場合のカウントについては個々の教会のご判断に委ねたいと思います。
⑶定期総会の件
 2022年5月3〜5日に予定されております定期総会については、すでに「ガイドライン」で確認しています通り一か所に参集し、また2泊3日での開催を準備しています。会場については400名収容の会場に200名の出席議員とするなど、感染予防対策を徹底した上での開催となります。当然、感染拡大の中で開催が難しいということになれば更に延期ということも確認しているところです。
⑷ルーテル学院大学からの長期貸付の受入の件
 ルーテル学院大学の積立資金の一部を、日本福音ルーテル教会の収益会計が長期貸付金として受け入れることを確認しました。このことによって教会側は大学側に利息という形で支援することになります。教会としては予定されております市ヶ谷耐震工事について銀行からの借入を減少させることで借入に伴うリスクを軽減できることになります。契約内容については市況一般的な利息を適用することで教会と大学で合意が行われているところです。
⑸市ヶ谷耐震補強工事の件
 定期総会での議案となる市ヶ谷耐震補強工事については、収益部門の減収に伴い計画を見直し、事業費を1億5千万円ほど減少させる案が財務委員会より提案されました。事業費を当初の9億円から7億5千万円とし、耐震補強工事に特化することとしました。定期総会でのご審議をお願い申し上げます。
⑹人事案件
 教師資格者であった坂本千歳牧師が嘱託任用での復帰願いを出され、面接の後、これが承認されました。関野和寛牧師については一般任用から嘱託任用への任用変更願が提出され、これが承認されました。加えて12月1日付けで津田沼教会(主任牧師・小泉嗣牧師)に嘱託任用での任用が承認されました。関満能牧師は9月1日付けで水俣教会、八代教会、阿久根教会の主任牧師に病気休職から復職が承認されました。

22-01-01日々新たにされて

「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」コリントの信徒への手紙二 4・16

 私たちは、「贖われし罪人」です。ですから、日々新たにされて生きるのです。
 イザヤ書43章で、天地万物を創造された主なる神様が、いきなり、何の条件も全く付けず、「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの」(1節)と言っています。まことに驚きです。「贖う」とは、神様が、神のものとなった私のすべてを引き受けてくださる、責任をとってくださるということです。
 神様に背いて、どうにもこうにも言うことを聞かない私のために、イエス・キリストが十字架で死んで、私の罪を贖ってくださったのです。イエス様の十字架によって、決定的に重大な問題が解決されたのです。創造主である神様に背いているという、これ以上に、私たち人間にとって重大、深刻な問題はありません。その罪を、父なる神様は御子イエス・キリストにおいて解決してくださったのです。これが 、私たちに与えられた救いです。まことに有り難いことです。これこそ、わが人生最もビッグでグッドなニュースです。
 神様は続けて、「わたしはあなたの名を呼ぶ」と言っておられます。「名を呼ぶ」と言うことは、一人一人に対して、神様が一対一で向かい合い、覚えていてくださるということです。ですから、私がいかなる信仰生活をしていようと、あるいは年老いて、前後不覚に陥って、神様に向かって憎まれ口をたたいたり、突然、「主の祈り」ではなく、念仏を唱え出したりしたとしても、神様は、私のすべてを知った上で、「わたしはおまえのことを引き受けた。まかせておけ」、そう言ってくださるのです。それが「名を呼ぶ」ということです。
 「あなたはわたしのものだ」と言われる主なる神様が、私たち一人一人の名を呼んで、私のすべてを自分のこととして 引き受けてくださっています。その絶対の保証としてのイエス・キリストの十字架です。
 救いは、私たち人間の側のどのような事態、どのような問題によっても取り消されたりはしません。パウロが、「ローマの信徒への手紙」8章で、「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来 のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな 被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(38〜39節)と言っている通りです。ですから、たとえ私たちの体や心がどんな状態になっても、私たちは決して滅びることはなく、神様の愛の中にちゃんと、しっかり受けとめられているのです。
 やがて私も年老いて何も分からなくなり、信じることも、告白もできないようになる時が来ることでしょう。しかし、今はまだできます。今は、私が御言葉を聞いて信じ、そして、自分の、これからのことも含め、すべてを、「神様、あなたにおゆだねします。私を憐れんでください」と言うことができます。そう言える今、たとえこれから先どんなことがあるか分かりませんが、「絶対大丈夫」という平安が与えられています。
 神様は、無条件で、「わたしはあなたを贖う」と約束してくださっています。神様の、その絶対の恵みを知り、信じることができ、それによって本当に喜び、平安に生きることができるというのは、礼拝を通して与えられる恵みです。
 やがて、もうどうすることもできなくなるであろう時のために、今ここで、私は礼拝において神様との本当に深い交わりを持ちたいと願っています。礼拝に出席することが困難になって、初めて私たちは礼拝に出席し、仲間と顔と顔を合わせるということがどんなに幸いなことであるか、どんなに大きな恵みであるかと いうことを身にしみて思い知らされました。
 「わたしたちの外なる人は衰えても、内なる人は日ごとに新しくされていく」のです。自分で、自分の力、頑張りで新しくなるのではありません。神様が新しくしてくださいます。「だから、わたしたちは落胆しない」のです。

日本福音ルーテル小石川教会・板橋教会 牧師 德野昌博

レンブラント作「写字台の聖パウロ」(1629-1630年)ニュルンベルク・ゲルマン国立博物館所蔵

21-12-01るうてる2021年12月号

機関紙PDF

「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」

日本福音ルーテル教会牧師 太田一彦

「御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。」
コロサイの信徒への手紙1・17

  私はこの7月に38年間の牧師としての務めを終えることになりました。突然の心臓病のためでした。思えば最初の任地が仙台、そして最後の任地も仙台でした。
 その仙台を去る日、私は心の中に魯迅の言葉を思い巡らしていました。魯迅は仙台にゆかりの深い作家・思想家です。彼の「絶望の妄想なること、まさに希望と相同じ」(※1)という言葉をです。彼は絶望も希望も同じく妄想だと言うのです。実に衝撃的な言葉。この魯迅の言葉は、今、主のご降誕を希望の中で待っている私たちには正反対にある言葉のように感じたのではないかと思います。なぜなら希望も絶望と同じく虚しいものだと彼は言っているからです。この言葉が私の頭から消えなかったのです。コロナで閑散とした新幹線の中で私はこの言葉を思い巡らしていました。

 電車が福島にさしかかった頃、妻が隣で突然「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。智恵子抄。うふふ。」(※2)と笑うのです。長く私と一緒に教会に仕えてきてくれた妻の変わらない笑顔に私は「そうか、魯迅の絶望の妄想なること、まさに希望と相同じという言葉は絶望も希望も同じく妄想だと彼は言っているのではないぞ」と気がつかされたのです。私たちが今、何かに絶望を抱いていて、それを自分で絶望としてしまうなら、希望もまた虚しいもの、絶望と同じものになってしまうということを魯迅は言っているのではないかとそう思ったのです。逆に絶望の中に在っても、希望を失わず、希望を持ち続けるならば、絶望は決して絶望ではなくなるのです。つまり、ポイントは、何が真の希望なのかという事なのです。

 私たちにとって真の希望とは何か。それはキリストです。クリスマスに生まれ給う主イエス・キリストです。今マリアの胎に神の御心・御旨によって宿っている主イエス・キリストなのです。その御旨・御心とは私たちの救いです。それが、マリアがヨセフによってではなく、聖霊によって身ごもったということの中味なのです。主が聖霊によって宿ったのでなければ、主は私たちの真の希望とはなりませんでした。何故なら、それはヨセフとマリアの子であって、神の御子ではないからです。神の御子であるから主イエス・キリストは私たちの救い主・真の希望なのです。

 今私たちは主の来り給うを待っています。アドヴェント。それはまた、主の十字架を思うときでもあります。なぜなら、主がお生まれになったのは、十字架におつきになるためであったからです。人間には必ず誕生と死があります。命ある者には、必ず誕生と死があります。初めがあることは嬉しいことです。しかし終わりがあることはとても悲しいことです。しかしその死を打ち砕くために、キリストは十字架にお付きになられました。主は、私たちを死からお救いになるためにお生まれになられたのです。私たちの救いはこのキリストの受肉から始まります。私たちがクリスマスを待つのは、真の神が真の人となって、この世に来られるからなのです。そしてこの事実は、天の使いが「あなた方のために救い主がお生まれになった」と告げたように「民のすべてに及ぶ」のです。私たちはこの救い主・キリストを迎えるとき、罪と死から救われます。慰めと喜びが与えられます。絶望が希望へと変えられるのです。だから私たちは無残に十字架にかかって死に、その死によって私自身の罪を赦し、復活して私たちに命の約束をしてくださり、希望を与えてくださった救い主イエス・キリストの誕生を祝う。それがクリスマス。

 「御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。」これはコロサイ書1・17の言葉です。私たちの存在は、命は、キリストによって支えられているのです。キリストは私たち一人一人の内にどんな時でも共にいてくださいます。だから私たちに絶望はありません。キリストがいつも私たちと一緒にいてくださるので、たとえ私たちが「死の影の谷を歩もうとも」私たちに絶望はないのです。在るのは希望。絶望ではなく希望なのです。

編集部註
※1魯迅「希望」、「野草」(1927)所収参照
※2高村光太郎「樹下の二人」、詩集「智恵子抄」(1941)所収参照

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉑「また明日」

「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6・34)

  明日のことまで思い悩むなって言われてもいろんなことを心配してしまいます。しょうがないよと思ったりもします。逆に明日が来て当然と思うこともあります。
 このような経験があります。学生の時の実習で末期患者さんに関わる施設で実習させて頂き、早速担当する方の部屋へと看護師さんと訪ねました。看護師さんが「Aさん、今日から実習でAさんを担当されることになられた学生さん、いっぱいお話ししてあげてね」と言われました。そしてその看護師さんの目をAさんはじっと見られていました。「Aさんよろしくお願いします。」と私が言った後、看護師さんは部屋を出て行かれました。するとAさんは目を閉じられてしまい、私が何度かお呼びしても目を閉じられたままでした。他の部屋へ行くようにと呼ばれたので席を立とうとした時にAさんは目を開けられ、じっと私を見つめておられました。
 「明日こそ話そう」と思いながら他の部屋に行きました。
 Aさんどうしてるかな?今日こそ話すぞ。と思っていた私の耳に朝のミーティングで報告される言葉が聞こえてきました。「Aさんは昨夜亡くなりました。」
「えっ…」
 Aさんとの出会いはかけがえのない「今」を私に教えてくれました。今与えられる出会いを感謝します。

議長室から 大柴譲治

マリアの信仰

「お言葉どおり、この身になりますように。」(ルカ1・38協会共同訳)

  受胎告知時にマリアはおそらく13〜14歳前後。今とは単純に比較できないでしょうが、その頃は身体的にも精神的にも子どもから大人に移り変わってゆく不安定な時期。第二反抗期のまっただ中、自身のアイデンティティを確立するための大切な時期です。その意味でこの出来事は、マリアのみならず私たち自身のアイデンティティ確立の物語として捉えることもできましょう。向こう側から私たちに呼びかけてくる「永遠の汝」との関係の中に私たちは創造されています(創世記1・27、2・7)。私たちは神との対話的な応答関係の中に生きるのです。まず神が私たちの名を呼びます。「アダムよ、アダム」。そして私たちが答えるのです。「はい、主よ。私はここにおります」。
 天使の突然の来訪はマリアにとっては晴天の霹靂、さぞかし驚いたことでしょう。聖書でのイニシアティブは常に神の側にあって、神の呼びかけを人が受け止めるのです。私たちには予測はできないし、気づかないと応答できない。ノックの音が聞こえて初めて私たちは扉を開けることができるのです。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」(黙示録3・20)。目を覚まし、耳を澄ませて神からの呼びかけに備えていたいと思います。
 福音書では「天使」はクリスマスと荒野の誘惑、復活の3場面にしか登場しません(言葉としてはイエスの話にしばしば出て来ますが)。文字通り「天使」とは神からの使者であり、人と超越的な次元とをつなぐ仲介的な存在です。ボンヘッファーの獄中書簡から作られた讃美歌『善き力にわれかこまれ』(讃美歌21・469)は、教会讃美歌266「いま主のみ前を」同様、天使の存在を前提としています。
 マリアの天使への応答は私たちの魂を揺さぶります。「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように」(ルカ1・38協会共同訳)。マグニフィカート(ルカ1・47〜55)につながるマリアの信仰告白。自分の理解を超えていたとしても、黙ってすべてを神の御心として受け止めてゆく謙遜と従順。御言葉への絶大な信頼と全面降伏(サレンダー)。「信仰の父」アブラハムの姿とも重なります。天使はそのようなマリアに「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」と祝福を宣言しています。このように天からの祝福の声を聴き取ることができる者は幸いです。よきクリスマスをお迎えください。

「教会讃美歌 増補」 解説

⑱増補7番「祝福のうちに」・増補8番「われら信じます」
讃美歌委員会 松本義宣 (東京教会牧師)

増補7番「祝福のうちに」

 6番「これこそ聖なる十の戒めよ」が12節からなるルターのカテキズム(教理問答)コラール、「十戒」のフルヴァージョン版とすれば、これはその短縮版の歌です。6番と同じく1524年に作詞されて、始めは同じ旋律で歌われました。しかし、同年に出たルターの友人で協力者だった音楽家ヨハン・ヴァルター(1490〜1570)の賛美歌集に、それぞれの歌には固有の旋律が望ましいとのことで、彼の曲で収録されました。ただしここではその旋律ではなく、1525年にストラスブールの歌集に登場した、この7番のメロディを付しました。その後カルヴァンの十戒歌でも用いられたそうで、「宗教改革」へのオマージュの意味も込めました。もちろん、6番の旋律でも歌えます。
 5節の中に、序言(呼びかけ)から十の戒めを含むコンパクトな内容が込められた歌です。また、6番と同じく各節が「キリエライス」という、「キリエ・エレイソン(主よ、あわれんでください)」の短縮形が終りに使われる、通称「ライゼン」と呼ばれる様式です。十戒を学び、生きるのも、常にキリスト=「主」の助けが絶対に必要なのだ、その祈りが込められています。

増補8番「われら信じます」

  この歌もルターのカテキズム・コラールで、前曲同様1524年の作です。十戒に次ぐ信条(信仰告白)を歌いますが、小教理問答書(エンキリディオン)でお馴染みの使徒信条ではなく、「ニケア信条」に基づいています。教会讃美歌233番には、トビアス・クラウスニッツァー(1619〜1684)作の信条歌(こちらは使徒信条が下敷き?)がありますが、このルターの歌は、旋律もここに付されたオリジナルのまま、今でも米国ルーテル教会の歌集(ELW・2006年刊、411番)やドイツ福音賛美歌(EG・1994年刊、183番)でも、現役で収録されています。やっと私たちも日本語で歌えるようになった、ルターの代表的な賛美歌と言えるでしょう。
 旋律は、元は1300年頃のラテン語「クレド(ニケア信条歌)」で、15世紀初め(1417年)にブレスラウで、1500年頃にはツヴィッカウで確認できる、ドイツ語で信条を歌う際に添えられたものだと言われます。1524年のヴィッテンベルクの歌集から、このルター作詞の歌として掲載されました。慣れないと少し歌いづらいメロディですが、チャレンジしてみたいと思います。
 カテキズムの歌は、学校や家庭で、エンキリディオンの学びに際して、本文を朗読し、学びを深め覚えつつ1節ずつ歌われたそうです。また、教理を扱う連続説教礼拝(午後の礼拝等)に際して、礼拝の始めに歌われたそうです。改めて身近に接したい歌です。

世界の教会の声

浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

LWF新事務局長

 LWF(ルーテル世界連盟)の新事務局長にエストニア出身の神学者アンネ・ブルクハルト氏が選ばれました。過去11年にわたって務めたマーティン・ユンゲ氏を引き継ぎ、今年の11月から148の加盟ルーテル教会を率いることになりました(日本福音ルーテル教会も加盟教会です)。女性として初、また中東欧地域から選ばれた最初の事務局長でもあります。
 ブルクハルト氏はこれまでもLWFでエキュメニズム研究部門での働きと、宗教改革500年記念行事及びナミビアで開催された第12回総会のコーディネーターを担ってきました。
 エストニアがまだソビエト占領下だった1975年の生まれ。祖父母はルター派クリスチャンでしたが、旧ソ連時代に父親と祖母はシベリアへ強制送還されてしまいます。ソ連の機嫌を損ねてしまういかなる行動もとらないように注意しながらの暮らしだったので、宗教とは無縁の家庭で育ちました。そうしたなか、エストニアでは数少ない宗教を学べる学校へ通ったことが、彼女のキリスト教との出会いでした。そして2004年には按手を受け牧師となりました。
 「クリスチャンファミリーで育って自然に信仰の道を歩む人もいれば、使徒パウロのように突然回心して入信する人もいますが、私の場合はいろいろ問いを繰り返しながらゆっくりと徐々に信仰が育まれました。」
 今回の選出について次のように述べています。「大変な名誉に恐縮しています。理事会が私をここまで信頼してくださったことに深く感謝しています。LWFのコミュニオン(キリストにある交わり)での特別な責任を担うにあたって、神の霊の導きを祈っています。LWFは神様のミッション全領域に取り組んでいるので、理事会、加盟教会、そしてパートナー関係にある様々な教会と共に宣教に携われることを嬉しく思っています。」
「すべての人々の公平、平和、尊厳のために共に働き証しする教会、キリストを中心に集う教会というコミュニオン、それがLWFのいのちです。世界の教会がイエス・キリストを中心としたひとつのミッションに携わり、共に成長していくのにお役にたてるようにと祈っています。」

 LWF新事務局長が取り組む今後の課題は、新方策「With Passion for the Church and the World」の実行、そして2023年9月にポーランドのクラカウで開催予定の次期総会に向けて陣頭指揮を執ることです。
(了)

LWF新事務局長「アンネ・ブルクハルト氏

パンデミックの中の教会 九州教区の取り組みから

角本浩(九州教区教区長・神水教会・荒尾教会・合志教会・松橋教会牧師)

   新型コロナウイルス感染第1波が広がり始めた昨年3月の教区総会。オンライン配信を用いて礼拝等を守ることの推進を、教区宣教方策の一つとして掲げた。それは南九州地域において既に実践されていたことでもあった。・・・とはいえ、それは、ひとつのところでなされている実践であって、それが各地で行われていくのだろうか、自分のいるところで行われていくのだろうか。・・・どこか現実味を帯びていない思いで受け止められていたと思う。
 ところが、その後、わたしたちの意識とは裏腹に、配信による礼拝、会議、研修等は一気にトップギアに入って行った感がある。礼拝休止の教会が増える中、郵送などで信徒のもとへ文書が届けられていくのと並び、YouTube配信などで礼拝が行われるところが増えていく。さっと取り組んでいかれたのは、より若い牧師、信徒の方々が多かったと思う。
 その年の夏、おもに熊本南部を豪雨災害が襲った。他県ナンバーの車が走ったり、停車しているだけで、眉間にしわを寄せる雰囲気があった中で、集って会議をするには、常議員たちが県を越えて来なければならなかった。が、オンラインによってその対策会議は行われていった。「おお、これは便利ばい」「○○さん、音ば消しなっせ」慣れない感じも持ちつつ、今となっては、ごく当たり前になっている画面上での会議がことをスムーズに運ばせていった。

 今、私がこの原稿を書いているのが2021年11月であるが、つい1週間ほど前にルーテル阿蘇山荘の解体前の感謝礼拝を行った。行きたい気持ちはあっても、平日に阿蘇山荘まで行けない方々も多かったであろう。ただ、今回もYouTube配信でこれを全国の方々に配信することができた。私は会衆と、カメラの前でメッセージに集中するだけでよかった。ササッと配信設備を整えてくださる方々の頼もしいこと。
 現在も続いていることであるが、礼拝等の取り組みは基本的に各教会の判断に任されている。実施するのか、休止するのかなど。それは当初、たとえば地区ごとに相談しつつという話もしていたが、現状においては基本的に各個教会にゆだねられている。その足並みをそれぞれの判断でとしていたのは、果たして良かったのか。近隣教会が違う判断をしていることは、どう映っていただろうか。感染症という状況に限らず、検証していかねばならない課題かもしれない、と思っている。

ブックレビュー

「LAOS『神の民』としての教会」
北尾一郎著
(ヨベル・2021年)

三浦知夫(東京池袋教会牧師)

 2019年11月に東教区城北地区の五つの教会で、合同礼拝と学びの時を持ちました。その数か月前、その準備のための地区牧師会の学びの時間で、牧師が減少し教会が力を落としていくような不安を感じている、今の私たちの教会の「これからの宣教」をテーマに行いたいということになり、講師として定年教師の北尾一郎先生のお名前が挙がりました。失礼と思いながらも、その場からお電話をさせていただき、こちらも思いをお伝えしますと快諾してくださいました。その後、出席者に配布するための十数頁に及ぶレジメを用意してくださり、恵みあふれる学びの時を持つことが出来ました。その講演を聞かれた板橋教会の信徒の方が中心になり、講演を是非ブックレットにして出版したいと準備を始められ、この7月に「LAOS『神の民』としての教会」が発行されました。

 限られた時間の講演でお話くださったことに加筆をされ、ブックレットでは信徒と牧師が共に「神の民」として宣教していくことを分かりやすく教えてくださっています。北尾先生の宣教論の中で、先生がこれまで宣教牧会をされた教会での事例がいくつも紹介されており、私たちの宣教のためのヒントがたくさん詰まっているように感じます。ただ誤解を恐れずに記しますと、信徒と牧師が共に力を合わせて宣教していこうということは、これまでも幾度となく聞き、また話し合われてきたことです。問題と感じることは、実際にそのような宣教を展開している教会が多くないということです。学び、話し合うだけで一歩を踏み出すことがなかなかできていないというのが、私自身を含めた私たちの教会の現実であるように思うのです。だからこそこの「LAOS『神の民』としての教会」が私たちに、すべきことの具体的なヒントを与え、また前へ進むための後押しをしてくれると感じています。この場をお借りして北尾先生に心から感謝を申し上げます。そして皆様にお読みくださるようにお勧めいたします。

ルター 「マグニフィカート」500年記念
ルター研究所主催
クリスマスオンライン講演会のご案内

江口再起(ルーテル学院大学・神学校ルター研究所所長)

  ルカ福音書1章に、受胎告知を受けたマリアが唱った「マグニフィカート(マリアの賛歌)」が記されています。この賛歌についてルターは解説書「マグニフィカート」を著わし、今年は500年の記念の年です。
 コロナ禍のこの2年間、私たちも大きな体験をしましたが、その中でクリスマスを迎えます。聖書と ルターに学びつつ、主のご降誕を迎えたいと思います。ぜひ、クリスマスを迎える準備として、教会の プログラムの一つとして、講演会にご参加下さい。

12月12日(日)
13〜15時

オンラインで開催(オンライン参加のための情報は別途各教会にお知らせいたします。)
〈プログラム〉
◇講演「待つということ│マリアと現代」 江口再起(ルター研究所所長)

◇バッハ〝マグニフィカート〟演奏と解説 加藤拓未(音楽学者・NHK−FM「古楽の楽しみ」解説者)

◇シンポジウム「ルターとマリア」司会・石居基夫(ルーテル学院大学学長)
○ルター「マグニフィカート」紹介 滝田浩之(事務局長)
○ルターとマリア 多田 哲(日吉教会牧師)
○聖書・女性・マリア 安田真由子(ルーテル学院大学講師)

第7次綜合方策の紹介⑻

事務局長 滝田浩之

■方策本文より

第7次綜合方策主文
⒊ ディアコニア活動
⑴宣教の広がり

 ①宣教とは何か
福音宣教とは、単に伝道という枠に留まらず、広く社会に仕える働きをも宣教として理解する。平和・環境・人権に関する基本的な理念と取り組みも、この領域に含まれる。
②ディアコニア諸活動
 教区、個々の教会、関連施設での後援会組織等により、多様に実施されているディアコニア活動は、関係責任組織の主体性に委ねることを基本姿勢とする。
③釜ヶ崎活動
 釜ヶ崎ディアコニアセンター喜望の家の活動は西教区の責任下にあり、運営と教職の位置づけも含めた今後の可能性を責任教区と海外支援機関で必要な検討をしていただく。
④社会的マイノリティーの学習と支援
 教会が差別解消に取り組むことは、社会の中で福音を分かち合う働きである。痛みを聴き、認識し、共有することに努める。
⑤脱原発への取り組み
 すでに総会で承認された、脱原発の取り組みについて教区、個々の教会で学びを深め、エキュメニカルな活動へ参与していく。

⑵るうてる法人会連合における共同の可能性を探る。
①るうてる法人会連合という交わりが与えられていることを感謝する。
②一つの宣教共同体としての意識を更に強め、人材交流、人材育成について互いに連携し、その結びつきを強める具体的な展開を目指す。

⒋ 諸活動
⑴青少年育成

①次世代育成
 個々の教会及び教区の育成計画との整合性に配慮しつつ、次世代育成プログラムの継続と発展を全体的に図っていく。そのために、予算化と財源を確保し、適正なサポート態勢を継続する。
②国内・国際的プログラム
 グローバルに青少年の育成を図るため、沖縄など国内で社会の課題に触れ合う研修、あるいは海外教会及びLWF等の研修や体験学習の機会を、JELA及び海外教会の協力を得て、随時提供していく。

⑵女性会連盟
日本福音ルーテル教会に連なる重要な宣教推進と教会教育の担い手である女性会連盟に関しては、その主体性を尊重して、必要な協力関係を教区及び本教会において保ち、活動の育成に配慮する。

⑶インターネット伝道
①社会と世界に向けての教会の接点及び社会への教会の存在の告知という面から、今やインターネットの活用は有効かつ常識と受けとめる。
②インターネットによる礼拝は個々の教会の主任牧師の責任の下、すでに取り組みが行われている。今後もあくまでも主任牧師の責任のもと、教会間の協力のあり方の一つとして受けとめる。
③但し、聖餐をめぐっては教会論的、神学的検討を要する課題が残されていることを確認する。

■解説
 ここまで私たちは「個々の教会・教区・本教会」の役割について整理してきました。いよいよ日本福音ルーテル教会としての福音宣教の働きの内実が確認されていきます。
 エキュメニカルな対話を通して、「ルーテル教会はディアコニアの教会ですよね」と評されたことがありました。皆さんはどのような感想をお持ちになるでしょうか。もちろん自戒を込めて、隣人の痛みに連帯するに乏しい足りなさを私たちは告白せざるを得ません。しかし外から見れば、そのように評される側面を私たちは神学的にも、教会の体質としても持っているということは再認識されるべきではないかと考えます。事実、2017年の宗教改革500年を覚えた時、私たちはそのことを確認したところでした。第7次綜合方策を検討する委員会、また宣教会議などを通して宣教の内実を「福音宣教とは、単に伝道という枠に留まらず、広く社会に仕える働きをも宣教として理解する。平和・環境・人権に関する基本的な理念と取り組みも、この領域に含まれる」と明確に定義するに至ったことは重要なことです。この立ち位置から様々な活動が福音宣教という枠組みにしっかりとした足場を持って行われていくことが期待されます。

クリスマスに向けてペーパークラフトの作り方動画のご紹介

 現在、東教区YouTubeチャンネルには、ステンドグラス工房アスカ主宰・山崎種之さん(松本教会員)のご指導によるペーパークラフトの作り方の動画が公開されています。これらの動画は2020年と2021年の東教区のオンラインCS研修会のために東教区教育部の活動の一環として作成されました。これまでに、左記の6種類が紹介されています。
(各動画は5〜6分程度です。)
 教会学校だけでなく、様々な教会活動、また幼稚園・保育園や関係諸施設の活動にも是非ご活用ください。

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。

2021年12月15日
宗教法人日本福音
ルーテル教会
代表役員 大柴譲治
信徒利害関係人 各位

横浜教会土地一部売却
・所在地
横浜市神奈川区松ケ丘
・所有者
日本福音ルーテル教会
 地番 8番4、8番5
 地目 境内地
・地積
 8番 4 225.06㎡
 8番 5 145.79㎡
・理由 売却のため

21-12-01あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川
「御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。」
コロサイの信徒への手紙1・17

 私はこの7月に38年間の牧師としての務めを終えることになりました。突然の心臓病のためでした。思えば最初の任地が仙台、そして最後の任地も仙台でした。
 その仙台を去る日、私は心の中に魯迅の言葉を思い巡らしていました。魯迅は仙台にゆかりの深い作家・思想家です。彼の「絶望の妄想なること、まさに希望と相同じ」(※1)という言葉をです。彼は絶望も希望も同じく妄想だと言うのです。実に衝撃的な言葉。この魯迅の言葉は、今、主のご降誕を希望の中で待っている私たちには正反対にある言葉のように感じたのではないかと思います。なぜなら希望も絶望と同じく虚しいものだと彼は言っているからです。この言葉が私の頭から消えなかったのです。コロナで閑散とした新幹線の中で私はこの言葉を思い巡らしていました。

 電車が福島にさしかかった頃、妻が隣で突然「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。智恵子抄。うふふ。」(※2)と笑うのです。長く私と一緒に教会に仕えてきてくれた妻の変わらない笑顔に私は「そうか、魯迅の絶望の妄想なること、まさに希望と相同じという言葉は絶望も希望も同じく妄想だと彼は言っているのではないぞ」と気がつかされたのです。私たちが今、何かに絶望を抱いていて、それを自分で絶望としてしまうなら、希望もまた虚しいもの、絶望と同じものになってしまうということを魯迅は言っているのではないかとそう思ったのです。逆に絶望の中に在っても、希望を失わず、希望を持ち続けるならば、絶望は決して絶望ではなくなるのです。つまり、ポイントは、何が真の希望なのかという事なのです。

 私たちにとって真の希望とは何か。それはキリストです。クリスマスに生まれ給う主イエス・キリストです。今マリアの胎に神の御心・御旨によって宿っている主イエス・キリストなのです。その御旨・御心とは私たちの救いです。それが、マリアがヨセフによってではなく、聖霊によって身ごもったということの中味なのです。主が聖霊によって宿ったのでなければ、主は私たちの真の希望とはなりませんでした。何故なら、それはヨセフとマリアの子であって、神の御子ではないからです。神の御子であるから主イエス・キリストは私たちの救い主・真の希望なのです。

 今私たちは主の来り給うを待っています。アドヴェント。それはまた、主の十字架を思うときでもあります。なぜなら、主がお生まれになったのは、十字架におつきになるためであったからです。人間には必ず誕生と死があります。命ある者には、必ず誕生と死があります。初めがあることは嬉しいことです。しかし終わりがあることはとても悲しいことです。しかしその死を打ち砕くために、キリストは十字架にお付きになられました。主は、私たちを死からお救いになるためにお生まれになられたのです。私たちの救いはこのキリストの受肉から始まります。私たちがクリスマスを待つのは、真の神が真の人となって、この世に来られるからなのです。そしてこの事実は、天の使いが「あなた方のために救い主がお生まれになった」と告げたように「民のすべてに及ぶ」のです。私たちはこの救い主・キリストを迎えるとき、罪と死から救われます。慰めと喜びが与えられます。絶望が希望へと変えられるのです。だから私たちは無残に十字架にかかって死に、その死によって私自身の罪を赦し、復活して私たちに命の約束をしてくださり、希望を与えてくださった救い主イエス・キリストの誕生を祝う。それがクリスマス。

 「御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。」これはコロサイ書1・17の言葉です。私たちの存在は、命は、キリストによって支えられているのです。キリストは私たち一人一人の内にどんな時でも共にいてくださいます。だから私たちに絶望はありません。キリストがいつも私たちと一緒にいてくださるので、たとえ私たちが「死の影の谷を歩もうとも」私たちに絶望はないのです。在るのは希望。絶望ではなく希望なのです。

編集部註
※1 魯迅「希望」、「野草」(1927)所収参照
※2 高村光太郎「樹下の二人」、詩集「智恵子抄」(1941)所収参照

日本福音ルーテル教会牧師 太田一彦

21-11-01天国に旅立たれた人たち
「こう言ってから、『ラザロ、出て来なさい』と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、『ほどいてやって、行かせなさい』と言われた。」

ヨハネによる福音書11章43~44節

  全聖徒主日を迎えます。私たちより前に、天国に旅立たれた人々を覚えます。
 教会によっては、召天者のお写真を並べます。すでに天に召されていますがこの世にありし日の命が輝いていた頃のお姿が思い出されます。そして、そのおなつかしい笑顔を見ながら、私たちも、残された日々を主にあって、ありのままに安らかに歩みたいと願います。それはまるで、私たちに「死に向けての準備、心構えをしなさい」と導いてくれているようです。牧師である私であっても、死を前にすることになったら、どうでしょう。衝撃を受け、まさに真剣に祈るでしょう。死と隣り合わせの生を一日一日生きながら、十字架の贖いにすがることにより救われる恵みをまさにまのあたりにするでしょう。

 ヨハネによる福音書11章には、墓に着いたイエスさまがいます。その墓に病気で葬られたラザロが眠っています。そして、そばにはイエスさまのお出でを今か今かと待ち続けた姉のマルタ。マルタが言います。「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます。」(39節)遺体は腐り始めている状況を伝えます。イエスさまは、天を仰いで、父なる神に感謝し、その後、墓に葬られたラザロを大声で呼びます。「ラザロ、出て来なさい。」(43節)ラザロは手と足を布で巻かれたまま出て来ました。
 人間の悲しみの極み、それは愛する者の死。誰もが遭遇します。それは、すべての人の上に起きてくるのです。2千年前、ラザロという1人の人の上にその悲しみが起きました。しかし、悲しみを前に、ラザロを死から生へよみがえらせるという奇跡が起こったのです。

 私たちは、時に不条理に満ちたこの世を生き、そして命の限界を知り空しさを感じます。しかし主イエスさまと出会い、十字架と復活を信じる者は、苦難の中にも、神が共にいてくださる。終わりの日には主イエスさまと同じ栄光の体に変えられるのです。
 この約2年間、コロナ禍の中、何人かの信仰の友を天に送りました。新型コロナウイルス感染防止のため、大変親しくしていた方へ最後のお別れをすることが許されませんでした。家族さえ病室に入ることが禁止されましたので、お見舞い出来なかった近しい方々が多くいます。残念な思いは尽きませんが、信仰の友たちは、皆、主イエスさまと共に歩みひっそりと天に移った。それにより、ひとりひとりへの神のなさる救いのすべてが完結したと感じるとき、感謝にたえません。
 もう6年前になります。(コロナ禍ではありませんでしたが)私が牧会していた教会のリーダー的役割をしておられた1人の女性信徒が亡くなりました。しかし、死を覚悟してからの2年の彼女の残した最後の日々は、孤独の内にも、主と共なる歩みでした。
 「炎天下日陰日陰を選び歩き」末期のがんの闘病を続けつつ、夏から秋に厳しい暑さの中でも、なんとか前向きに一歩一歩歩いた彼女の残した俳句です。

 主イエス・キリストへの信仰を貫き、教会を愛していた彼女のそれからの、「終活」の時は、牧師の私がびっくりさせられるものでした。「もう、あと数ヶ月しか命は持ちません。今のうちに教会で、証しをさせてください。」ご自分からの申し出で、礼拝の説教の後に彼女は「主イエスさまとの出会いと、教会生活。そして、晩年、熱心に取り組んだ平和活動について。」を証しされたのです。その後は、家にあるものの整理。手編みの衣類は、サイズの合う方を尋ねて贈られる。家事道具も、教会や個人へ「使ってくださいね。」と分かち合う。自分より高齢の方のお祝いの会をどうしてもして差し上げたいと、痛む体を押して、企画・開催したその宴席は驚く程、心のこもったものでした。

 最後に病床でお祈りした時に言われた言葉が忘れられません。「こんなに長く生きるとは思いませんでした。神様に与えられた時間が残り少ないとわかったとき、短い時間をいかに質を豊かにするかを心がけました。クオリティーオブライフです。」残された時をどう生きようか。それは自分に出来ることを精一杯、神様のために、隣人のために捧げるということ。信仰により、まっすぐつながる神様の国への最後の道のりを、彼女は歩き終えたのです。

日本福音ルーテル小岩教会牧師 内藤文子

photo/カラヴァッジオ作「ラザロの復活」(1609年頃)メッシーナ州立美術館所蔵

21-11-01るうてる2021年11月号

機関紙PDF

「天国に旅立たれた人たち」

日本福音ルーテル小岩教会牧師 内藤文子

「こう言ってから、『ラザロ、出て来なさい』と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、『ほどいてやって、行かせなさい』と言われた。」(ヨハネによる福音書11章43~44節)

 全聖徒主日を迎えます。私たちより前に、天国に旅立たれた人々を覚えます。
 教会によっては、召天者のお写真を並べます。すでに天に召されていますがこの世にありし日の命が輝いていた頃のお姿が思い出されます。そして、そのおなつかしい笑顔を見ながら、私たちも、残された日々を主にあって、ありのままに安らかに歩みたいと願います。それはまるで、私たちに「死に向けての準備、心構えをしなさい」と導いてくれているようです。牧師である私であっても、死を前にすることになったら、どうでしょう。衝撃を受け、まさに真剣に祈るでしょう。死と隣り合わせの生を一日一日生きながら、十字架の贖いにすがることにより救われる恵みをまさにまのあたりにするでしょう。

 ヨハネによる福音書11章には、墓に着いたイエスさまがいます。その墓に病気で葬られたラザロが眠っています。そして、そばにはイエスさまのお出でを今か今かと待ち続けた姉のマルタ。マルタが言います。「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます。」(39節)遺体は腐り始めている状況を伝えます。イエスさまは、天を仰いで、父なる神に感謝し、その後、墓に葬られたラザロを大声で呼びます。「ラザロ、出て来なさい。」(43節)ラザロは手と足を布で巻かれたまま出て来ました。
 人間の悲しみの極み、それは愛する者の死。誰もが遭遇します。それは、すべての人の上に起きてくるのです。2千年前、ラザロという1人の人の上にその悲しみが起きました。しかし、悲しみを前に、ラザロを死から生へよみがえらせるという奇跡が起こったのです。

 私たちは、時に不条理に満ちたこの世を生き、そして命の限界を知り空しさを感じます。しかし主イエスさまと出会い、十字架と復活を信じる者は、苦難の中にも、神が共にいてくださる。終わりの日には主イエスさまと同じ栄光の体に変えられるのです。
 この約2年間、コロナ禍の中、何人かの信仰の友を天に送りました。新型コロナウイルス感染防止のため、大変親しくしていた方へ最後のお別れをすることが許されませんでした。家族さえ病室に入ることが禁止されましたので、お見舞い出来なかった近しい方々が多くいます。残念な思いは尽きませんが、信仰の友たちは、皆、主イエスさまと共に歩みひっそりと天に移った。それにより、ひとりひとりへの神のなさる救いのすべてが完結したと感じるとき、感謝にたえません。

 もう6年前になります。(コロナ禍ではありませんでしたが)私が牧会していた教会のリーダー的役割をしておられた1人の女性信徒が亡くなりました。しかし、死を覚悟してからの2年の彼女の残した最後の日々は、孤独の内にも、主と共なる歩みでした。
 「炎天下日陰日陰を選び歩き」末期のがんの闘病を続けつつ、夏から秋に厳しい暑さの中でも、なんとか前向きに一歩一歩歩いた彼女の残した俳句です。

 主イエス・キリストへの信仰を貫き、教会を愛していた彼女のそれからの、「終活」の時は、牧師の私がびっくりさせられるものでした。「もう、あと数ヶ月しか命は持ちません。今のうちに教会で、証しをさせてください。」ご自分からの申し出で、礼拝の説教の後に彼女は「主イエスさまとの出会いと、教会生活。そして、晩年、熱心に取り組んだ平和活動について。」を証しされたのです。その後は、家にあるものの整理。手編みの衣類は、サイズの合う方を尋ねて贈られる。家事道具も、教会や個人へ「使ってくださいね。」と分かち合う。自分より高齢の方のお祝いの会をどうしてもして差し上げたいと、痛む体を押して、企画・開催したその宴席は驚く程、心のこもったものでした。

 最後に病床でお祈りした時に言われた言葉が忘れられません。「こんなに長く生きるとは思いませんでした。神様に与えられた時間が残り少ないとわかったとき、短い時間をいかに質を豊かにするかを心がけました。クオリティーオブライフです。」残された時をどう生きようか。それは自分に出来ることを精一杯、神様のために、隣人のために捧げるということ。信仰により、まっすぐつながる神様の国への最後の道のりを、彼女は歩き終えたのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

⑳「思い出」

「わたしは言ったであろう。『彼らを跡形もなくし/人々から彼らの記憶を消してしまおう』と。」申命記32・26

  「あーこんなこと忘れられたらいいのに。」「これはいつまでも覚えてたいな。」でも記憶って選べませんよね。私は今、車椅子の生活がほとんどです。自分の足で歩いたり走ったりしたことを忘れたいと思ったことは何度もあります。「記憶なんて無くなればどんなに楽だろう」と。
 でもこのことは忘れたくないな、と忘れたくないことも自分にはいっぱいあることを思います。病気で記憶を失っていく人に病院などで出会いました。ほとんどの方が自分で忘れたくないことまで忘れることがあり辛そうです。覚えているからこそわかると言うことがいくつか思い出されます。自分で歩けていた時に電車で席を譲るか譲らないかとても迷い、結果席を譲ろうとして断られた経験がありました。逆に杖で歩くようになり電車で立っていたら席を譲って下さった人がいて嬉しくて「ありがとうございます。」と言って座りました。あれ私今「ありがとう」って言った。
 人から何かしてもらうと私は大抵「すいません」と言っていました。何も悪いことしていないのに。感謝が謙遜になっていたかもしれません。ただ譲る側の気持ちになると別に謙遜して欲しいわけではなく感謝されるだけでも嬉しいんだと思い「ありがとう」を伝えることが増えたような気がします。

議長室から 大柴譲治

慰められる声の力〜〝Graceful Passages〟

「地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。」(列王記上19・12)

 11月は死者を覚える月、私たちにつながる大切な人々のことを想起する時です。私たち夫婦は2006年から2017年にかけて親を見送ってきました。それ以来最も慰められてきたオーディオブックをご紹介させてください。タイトルは〝Graceful Passages – A Companion for Living and Dying〟(2003)。そこに収められているのはキリスト教、ユダヤ教、仏教、儒教等の宗教者と終末期ケアに関わってきた12人のメッセージ(英語)と音楽です。「死ぬ瞬間」で知られるエリザベス・キューブラー・ロス、ラム・ダス、ティクナット・ハン、マハトマ・ガンジーの孫等の声が文字としても記録されていて貴重な歴史証言となっています。
 このCDアルバムは私たち夫婦を深いところで慰め、支え、励ましてきてくれました。メッセージの内容は多様ですが、一つ一つがinspirationalで、声とことばと音楽が心に響きます。聖書で「霊」は「息」とも「風」とも訳されますが、その息遣いは霊の臨在をすぐ身近に感じさせてくれ、悲しむ者に不思議な慰めを与えてくれます。呼吸が楽になるのです。私たちはこれまで少なからぬ方々にこのアルバムをお贈りしてきました。
 特に最初のLew Epstein(1919〜2003)の〝Letting Yourself Be Loved〟というメッセージで、家族の一人ひとりに 〝Farewell my son, farewell my daughter. Farewell my father, farewell my mother.〟と親しく呼びかけながら「私を愛してくれてありがとう。私にあなたを愛させてくれてありがとう」と別れを告げる声は私の魂に響きます。〝Farewell(ごきげんよう)〟とはなんと美しく温かな響きを持つ言葉であることでしょうか。それが私の心に深く響いてくるのは、親にきちんと感謝と別れの言葉を告げることができなかったという悔いる気持ちが私に残っているためでしょう。御国においてもし再会が許されるならば、いろいろと話したいと思っています。
 COVID—19によって世界ではこれまで500万人もの生命が失われました。ここかしこから嘆きの声が聞こえてくるように思います。天に召された者の魂のために、そして遺された者の魂のために、主の慰めと平安とをお祈りいたします。
requiem aeternam.

「教会讃美歌 増補」 解説

⑰増補5番「いのちのさなか死に囲まれて」 増補6番「これこそ聖なる十の戒めよ」
讃美歌委員会 日笠山吉之 (札幌教会牧師)

増補5番「いのちのさなか死に囲まれて」

  この賛美歌では、誰もが避けることのできない死を前にして、人は誰に救いを願うことが出来るのか?ということがまず問われます。キリスト者は幸いなことにその答えを持っています。「主よ、あなただけ」と。それゆえ、後半では主を「聖なる神、ちからの神、慈愛の救い主、永遠の神」と呼ばわり、主に「死の淵から、助けてください」「陰府の火から、助けてください」「堅い信仰に立たせてください」と祈り、「キリエレイソン」(主よ、憐れみたまえの意)と締めくくられられます。第1節は、8世紀に作られたラテン語の応答歌をルターがドイツ語訳にしたもの。ルターは、昔から歌い継がれてきたこの賛美歌の価値を認めていたのでしょう。さらにルターは、自身で2節と3節を書き加えました。こうしてルターの手によって新たに生まれ変わった賛美歌は、1537年には早くも当時のカトリック教会の賛美歌集に収められました。良い歌は、教派を超えて広く用いられるという好例ですね。メロディーはルターによるものではありませんが、15世紀にはザルツブルクで歌われていたようです。

増補6番「これこそ聖なる十の戒めよ」

 言わずもがな「十戒」をテキストとするカテキズム(教理問答)コラールです。ルターは、子どもたちにもまた大人に対しても、生涯にわたって信仰教育が必要であると考えていました。そのために産み出されたのが、ルーテル教会員なら誰でも一度は学んだことがある『エンキリディオン(小教理問答)』です。然り、エンキリディオンとは「必携」と言う意味ですから、洗礼や堅信の時だけでなく、信仰生活を全うするまで私たちは常にこれを傍に置いて学び続ける必要があるのです。ルターもそれを強く願っていたのでしょう。『エンキリディオン』の筆頭に収録された「十戒」を歌えるようにしました。私たちは字面を追うだけではなかなか頭に入ってきませんが、それが歌になるといつの間にか覚えてしまうものです。ルターがこの賛美歌のために書き下ろした歌詞は、『エンキリディオン』のテキストそのもの。旋律は、15世紀には歌われていたエルサレムの巡礼歌に由来します。十戒を一つずつ丁寧に学んでいくように、この賛美歌も1節ずつそのつど取り上げて歌うのも良いでしょう。

世界の教会の声

浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)


「義認の教理に関する共同宣言」その後
LWF、20周年記念版の出版

今から4年前、2017年の宗教改革500年記念は、現代を生きるルター派クリスチャンの信仰の記憶に深く刻まれたことと思います。実はもうひとつ、ルター派の信仰の歴史に残る大きな出来事がありました。こちらは神学に関する話題だったために、一般にはそれほどの広まりはなかったかもしれませんが、今から22年前の宗教改革記念日、1999年10月31日にドイツのアウグスブルクで、ルーテル教会とカトリック教会が交わした「義認の教理に関する共同宣言」です(Joint Declaration on the Doctrine of Justification、頭文字をとってJDDJ)。救いは神からの賜物という信仰の根幹に関わる解釈について、これまで分裂していた歴史を解決しようと両教会が歩み寄り、署名した合意文書のことです。その後何らかの進展があったのかどうかが気になるところですが、この歴史的宣言を他教会が受け入れたことについては、あまり知られていません。
 ルーテル世界連盟(LWF)のように他教派にも世界規模の教会連合組織がありますが、世界メソジスト協議会が2006年に、全聖公会中央協議会が2016年に、そして2017年に世界改革派教会共同体がJDDJを受け入れました。そしてこれら五つの教会連合体は、1999年から20年後の2019年3月に米国ノートルダム大学に代表を派遣、共同声明を発表し、JDDJについての合意を再確認したのです。それが「義認の教理に関する共同宣言」20周年記念版です。英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語に翻訳されています。内容は、以下のような構成となっています。

・署名した各教会団体代表者連名の前書き
・元々の義認の教理に関する共同宣言と公式共同声明と公式共同声明への付属文書
・世界メソジスト協議会(World Methodist Council)の「義認の教理に関する共同宣言」についての声明
・全聖公会中央協議会(Anglican Consultative Council)の決議16.17「義認の教理に関する共同宣言」
・「義認の教理に関する共同宣言」についての世界改革派教会共同体(World Communion of Reformed Churches)の関わり
・ノートルダム協議会声明(Notre Dame Consultation Statement)

 20周年版は、教会の相互理解に向けての確かな進展があったことを証しています。
(「義認の教理に関する共同宣言」20周年記念版はこちらのサイトからダウンロードできます。)

パンデミックの中の教会 西教区の取り組みから

竹田大地(西教区書記・伝道奉仕部長・西宮教会・神戸東教会・神戸教会牧師)

  西教区においては、特に関西圏を中心に多大な影響を受けた。まん延防止等重点措置下での各教会の判断は、まちまちであったが、緊急事態宣言下においてはすべての教会が礼拝堂に集っての礼拝を自粛せざるを得ない状況となった。また、関西地区以外の東中国地区、西中国地区においても、当該地域における感染者の状況によって礼拝の自粛などの対応を余儀なくされた。

 特に2021年は関西地区における状況が芳しくなかった。2回目~4回目のいずれも多少の発令追加のタイミングのズレはあったものの200日前後であり、1年の半分以上の日々が緊急事態宣言下にあり、首都圏同様に大変な状況に置かれ、礼拝においても既に半数近くの主日が自粛となっている。
 この間、西教区内の各教会は、Facebook・YouTubeでの配信など新しいツールを用いる教会、毎週の週報・説教要旨発送、メールでのお知らせなどでカバーする教会と対応は一定ではなかったが、各教会の状況に合わせて牧師、役員会で判断されていた。

問題点として、
①新しいツール、特にインターネットを用いての礼拝は技術的差異、機材の差異などが大きく影響。
②インターネット配信をしない教会の通信輸送料の増加。
③明確な基準が無く、各教会の判断にまったく委任されていること。
④複数教会兼任の牧師の県外移動の問題(心理的、健康的不安、忌避感)。緊急事態宣言当該地域、教会の地域での患者発生のために県外の担当教会に行けない事態の発生。
 特に④については、広範な地域を担う兼牧において、緊急事態宣言地域、感染者増加地域のため思いがあっても礼拝に行けない、執行できないということが生じている。これは首都圏、関西圏の牧師とは一線を画す事態であると言える。
 いずれにしてもこのような状況下においていかに礼拝を担保するかが課題であり、各教会とも新しい取り組みを余儀なくされた。また西教区においては関西地区と東・西中国地区とでパンデミック下の在り方についてコントラストが大きかったように思う。

ブックレビュー


「わかちあいの食卓」
小泉基著(かんよう出版2021年)

秋山 仁(豊中教会牧師・喜望の家代表)

  2016年4月14日と16日、2度にわたる最大震度7の地震が熊本地方を襲いました。熊本市に隣接する益城町を中心に大きな被害がもたらされた「熊本地震」。このとき、熊本市内でも被害の大きかった東区にあったのが、著者小泉基牧師が当時牧会していた健軍教会でした。2度の大きな揺れにもかかわらず、健軍教会は、幸いにしてしっかりとした基礎工事のおかげでびくともせずに、「避難できます」という張り紙を出したそうです。
 2度目の大きな揺れの後、著者も家族共々、教会の駐車場で、近所から避難してきた人たちと一緒に、不安の夜を明かします。が、その翌日から、とりあえずの「私設」の避難所として、教会堂を開放することになります。その後四十数日間、健軍教会は、地域の避難所として、また地域への生活復旧支援の拠点として、活動を続けました。

 本書「わかちあいの食卓」は、このときの避難所開設から、その解消までの日々、牧師であった著者が経験したことを通して、聖書を読んでいった一つの記録です。著者は被災直後から、SNSを通して、被災地や避難所の様子を発信していました。それらの発信された情報が 本書の下地になっています。(小泉牧師のブログの日録は、地震発生の翌年に健軍教会がまとめた「あの時わたしは-熊本地震と健軍ルーテル教会」という文集に収録されています。)
 「わかちあう食卓」という題名から明らかなように、本書は避難所での食事や食卓の出来事、あるいは最寄りの小学校で行った炊き出しなどを中心に記述されています。印象的な記事の一つは、教会の駐車場で摂った最初の朝食です。教会の女性会の方たちが、「『何はなくともまず朝ごはん!』と食卓の準備に向か」い、「ペットボトルの水とお米とみそ、それにありあわせの乾物」で用意されたおにぎりとお味噌汁。教会の駐車場で、「避難して来られ、寒さの中で共に夜を明かしたご近所さんと信徒さんたち20人ほど」で囲む食卓で、小泉牧師は、詩篇23篇5節の言葉を連想しています。

 また、被災2日後の礼拝で行った「愛餐(アガペーミール)」でのパンのわかちあい(しかも避難者から提供されたチョコパン)も印象的です。それは、「分かち合うことで、共に支え合う存在になる」という著者の言葉とともに、教会という共同体が、原始教会以来保ってきた「パン裂き」を中心としたものであることを、想起させます。各章は、また避難所の経験を通した聖書の言葉の解き明かしにもなっています。「わかちあうこと」を中心に、避難されていた方々に寄り添いながら、健軍ルーテル「避難所」は活動していました。

 本書は、教会が本来潜在的に持っている地域の中での役割を、あらためて教えてくれます。教会が地域における防災拠点の一つとなっている、その実際の姿が垣間見られます。地域防災の観点からも、ぜひ本書を手に取られることをお勧めいたします。

JELAが財団法人として出発

古屋四朗(一般財団法人JELA理事長・日吉教会)

  このほど、JELAは日本福音ルーテル社団(Japan Evangelical Lutheran Association)という名称の社団法人から、財団法人に転換し、「一般財団法人JELA」となりました。
 ルーテル・グループには多くの法人がありますが、JELAは1909年創立の一番古い法人です。創設当初は、アメリカのルーテル教会から来た宣教師たちの社団法人でした。戦前にできた教会、学校、福祉施設などの大半は、この社団法人の中にありました。
 しかし軍国主義の足音と共に、ひとつは敵国・アメリカの影響を排除するため、ひとつは宗教をも国の統制下に置くために、教会も学校も施設も分離させられ、宣教師は追放、宣教師社団は日本福音ルーテル社団と改名させられました。戦後は、教会・学校・施設の再建が、社団を通して米国教会からの莫大な援助を得て行われました。それが一段落して、日本の教会が経済的自給に踏み切ると、社団は宣教師会の土地や建物の管理団体という存在になりました。
 1985年に一人の国際難民のお世話を始めたのが、社団が新たな存在意義に目覚める契機になりました。やがて木造アパートを購入して本格的な難民シェルターを始めました。一時は社団法人を解散してはという話もあったのですが、戦前から社会に大きな貢献をしてきた信用を活かして、教会ではできない公益活動をする団体に変身しようと決め、次々に新しいプログラムを始めました。国内外のパートナー団体との提携により、少ない職員で幅広い活動を展開しています。
 次の目標は、公益法人になることです。公益法人になると、公益団体として高い信用を得ることができ、寄付者にも税制特典を提供できます。ルーテル教会の身内の団体ではなく、隣人愛に共感するすべての方々に参画していただける組織になります。しかし一方で、理念や運営体制は今後もルーテル・グループの一員として安定させたい。そこで、法人形態を財団法人に転換した上で、幅広く継続的な寄付者を募り、この方々には「JELAサポーター」として参画していただくことにしました。また、正式名称からあえて「ルーテル」を外しました。
 「JELAサポーター」は、毎月または毎年一定額の寄付を通じて、継続的にJELAを支えてくださる方々です。金額は、高校生でもできる年額千円から、月額1万円まで、お気持ちで決めていただきます。JELAのホームページから登録できるので、あなたもJELAサポーターになっていただけませんか?


JELAミッションセンター1階ホールにあるステンドグラス。マタイ伝25章にある、飢えた人、渇いた人、旅人、裸の人、病人、牢にいる人に手を差し伸べる様子を描いている

第7次綜合方策の紹介⑺

事務局長 滝田浩之

■方策本文より

第7次綜合方策主文
2.宣教態勢
⑴個々の教会

 日本福音ルーテル教会の宣教態勢は、個々の教会の宣教活動、それを支える教区による共同の宣教活動、さらに包括的に補う形で全体教会(本教会)の宣教活動により成り立っている。
①共同宣教
 宣教の第一線は個々の教会であるが、それぞれに日本福音ルーテル教会の宣教の働きと責任を担っている。それゆえ、個々の教会と教区及び本教会が連携するために、日本福音ルーテル教会として宣教を担い合っている意識と一致が根底に保たれる必要がある。
②自給と教会形成
 個々の教会が宣教する教会であるために、基本姿勢として自給を目指すことを前提として教会形成が目指されてきたが、それぞれの置かれた状況により個々の教会の共同により自給が果たされている現状がある。包括的には教区自給の態勢で進められている。
③適正規模
 個々の教会の適正規模というものは存在しないが、宗教法人格のある教会の場合、役員の構成メンバーが3名を切った時、法人格を維持できないことを鑑み、現実的に役員の任を果たすことができる役員5名の選出が難しい状況に陥った場合を一つの目安として、あえて伝道所(集会所)となること、あるいは建物の維持に困難を覚える場合、閉鎖、家庭集会として再出発できる。何よりも牧会が充実するためのあり方として、組織のあり方、多様な礼拝の持ち方があることを確認する。教会種別のあり方も含めて、規則も整備を進める。

⑵教区
①教区の責任
 教区は与えられた地域での宣教と、そこに置かれている個々の教会の伝道を推進する責任を有する。
②宣教拠点の適正化
 各教区の歴史及びそれぞれの宣教計画の独自性を尊重しつつ、地域の協力態勢の構築と教会間の共同を進めるために、今後も教区レベルで取り組んでいくこととする。(全体教会としては個教会の編成時のガイドラインを規則化と共に整えることとする。この場合文化庁の不活動宗教法人への対応を参考とする。)
③主日礼拝
 個々の教会における共同、地区での共同による、兼牧、連立という兼任態勢にある教会の主日礼拝に関しては、日曜日のみに限定しない。また、毎週主日礼拝が行われることが望ましいが、個別の教会、あるいは地域によっては隔週、月1回程度であっても「魂の配慮の場」として礼拝が行われる場合、これを主日礼拝として理解する。

⑶本教会
①本教会事務局
 全体教会の実務を担う機能を果たすために、以下の点に留意する。
a.責任と権限の明確化(本教会、教区)
b.適正人数で処理可能な態勢の確立(効率化)
 事務局、室体制について、より一層の職員のスキルアップに取り組む。これまでの事務局2名体制の維持は困難であり、事務局長も含め個教会との兼務も視野にいれておく必要がある。
c.宣教の責任主体は個々の教会及び教区であることの堅持

■解説
 「1.基本方針」に続き「2.宣教態勢」が確認されます。
 日本福音ルーテル教会の宣教(伝道)の最前線は、「個々の教会」にあります。そして「個々の教会」は孤立無援に、それに当たるわけではありません。日本福音ルーテル教会は、この働きを「地区・教区・本教会」が支えることを確認しています。この「支え」は牧師数が教会数と合っていた時代は、特別協力金による牧師給の相互支援という態勢によるものでした。しかし経済的な相互支援は、この相互の「支え合い」が見えにくい側面もあったかもしれません。
 しかし「個々の教会」が教勢の低下の中で信徒数や献金額が減少しています。また牧師数減少もあり居住しての牧師が与えられない状況が恒常化しています。このような「個々の教会」の危機が、この「支え合い」を目に見えるものにしていることを私たちは覚えたいと思います。困難にある「個々の教会」を地区の教会と牧師は、これを支えることを自明のこととして兼牧を受け入れてきました。このようなことは「各個教会主義の連合体」ではあり得ないことです。牧師を送り出す教会も、そして兼牧を受け入れる教会も「包括的」な一つのルーテル教会であるという認識があるからこそ、これを可能にしてきたのです。もちろん、このような兼牧体制の中で、礼拝時間をずらす礼拝所もあります。あるいは主日礼拝の曜日を変更する礼拝所もあります。あるいは牧師が司式する礼拝は月1度程度になっている礼拝所もあります。礼拝所の閉鎖に伴い、家庭集会となっているところもあります。このような兼牧を通して教会合同に至った教会もあります。その後、時間の経過の中で礼拝所を1カ所に集約し、残った礼拝所を売却し、集約した場所に新たな会堂を建てた教会もあります。
 もちろん「個々の教会」が成長することが綜合方策の目指すところです。そのための綜合方策です。しかし、この成長のために必要なことは「魂の配慮」、牧会の充実にあります。その意味で本方策は、「個々の教会」、そしてそこに集う一つの魂のために、近隣の教会同士が支え合うことを宣教の後退とは捉えません。いえむしろそのように「共に集まること、共に触れ合うこと、共に分かち合うこと、共に助け合うこと、共に訪ね合う」道筋にこそ、宣教の前進があると考えているのです。

「ありがとう神さま」~みんなでつながろう! Zoomでルーテルこどもキャンプ報告

池谷考史(TNG子ども部門・博多教会・福岡西教会牧師)

 毎年夏に2泊3日で行われていたルーテルこどもキャンプは、8/9(月・祝)に、昨年に引き続いてオンラインで行われました。
 昨年から日常生活のあらゆることが制限され、直接顔を合わせることも難しい状況だからこそ、そんな日常で子どもたちが見つけた「ありがとう神さま」の気持ちを、参加者がそれぞれ持ち寄って、「つながり」を持ちたいと願ってのことでした。
 当日は、青年のリードでの讃美、アイスブレイクのゲームなどの後、参加した子どもたちと青年に「神さまありがとうと思うこと」を分かち合ってもらいました。子どもたちは画面上での初対面ということもあり、少し緊張気味ではありましたが、キャンプ卒業生の青年たちが盛り上げてくれたこともあり、楽しく過ごせたのではないかと思います。
 コロナ禍の中、こどもキャンプのあり方も大きく変わりましたが、このキャンプが子どもたちの心に残り、友達や教会、神さまにつながってくれればと願っています。
 今回のキャンプのために、案内告知してくださった方、スタッフとして快くお手伝いくださった方、お祈りに覚えてくださった方など、すべての方に感謝いたします。参加した子どもたちが感想を寄せてくれたので紹介させていただきます。

♣初参加でした。「神様に感謝すること」は毎日元気でいられることです。コロナがおさまったら今度はみんな集まって一緒に遊びたいです。(I・Hさん むさしの教会 小学5年)

♣最初は緊張したけど、色んな人と話していくうちに、緊張が解けて、楽しかった。
 みんなとの交流を深められて嬉しかった。来年のこどもキャンプはみんなと会えるといいです。(M・Mさん 栄光教会藤枝礼拝堂 小学5年)
 
♣ぼくは、ルーテルこどもキャンプに参加して、たくさんの仲間に会えて、とてもうれしかったです。主に感謝します。(A・Sさん下関教会 小学6年)

♣今までは帰省のためにキャンプに参加できませんでしたが、今回は参加できて楽しかったです。他地域の教会の皆さんと交流出来て良かったです。(I・Hさん 東京教会中学1年)

日本福音ルーテル教会作成週報用紙・チラシ・ポストカードをご活用下さい。

 昨年お知らせいたしましたとおり、在庫整理にあたり、以下の日本福音ルーテル教会作成週報用紙・チラシ・ポストカードについて特別に送料のみのご負担でお分けいたします。在庫がなくなり次第、終了となります。ご了承下さい。
★ポストカード「ベツレヘムの星」(絵・葉祥明氏)
★バンドパンフレット「ガリラヤの湖畔にて」(絵・葉祥明氏)
★B5週報用紙「ベツレヘムの星」(絵・葉祥明氏)
★B5チラシ「飼い葉桶(文字無し)」(絵・葉祥明氏)
★B5チラシ「ベツレヘムの星(文字入り)」(絵・葉祥明氏)
★A4週報用紙「飼い葉桶」(絵・葉祥明氏)
 お届けまでに2週間ほど頂きます。予めご了承ください。在庫確認等、問い合わせ・お申し込みは事務局までお願いいたします。
電話03(3260)8631

21-10-01真理はあなたたちを自由にする
「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」

(ヨハネによる福音書8章32節) 

 未曾有の感染症の危機に直面する中、自由を奪われたような毎日です。この暗闇の中で、イエス・キリストの言葉が光ります。「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」。
 この聖書の言葉は宗教改革日の日課にあります。宗教改革はおよそ500年前にヨーロッパで起きたキリスト教会の改革の出来事ですが、過去の話ではありません。信仰的な観点からは聖書を読む運動とも言われ、今なお続く改革運動だからです。その性質故に教派を超えたキリスト者の運動でもあります。このことを4年前の宗教改革500年記念事業を通して実感された方も沢山おられることと思います。

 福音書の日課において、イエス様はこの時、ご自分を信じたユダヤ人たちに向かって言いました。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」。この後の議論を通して、イエス様は罪の奴隷という事実を明らかにします。これは、私たちの奥深い部分にある根本的な不自由さのこととも言えるでしょう。そもそも、人は皆、不自由。私たちの内にある傲慢さや自己中心、神様から背く思いが、私たちを平和とは逆の世界に縛り付けてしまいます。

 この罪の奴隷からの解放は、本当の自由は、真理、すなわちイエス・キリストによって、その言葉にとどまることにおいて与えられます。ローマの信徒への手紙3章22節以下には次のように記されます。ここでは聖書協会共同訳を引用してみます。聖書の言葉の味わいが深まるかも知れません。「神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じる者すべてに現されたのです。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっていますが、キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより価なしに義とされるのです」。

 キリストによって本当の自由を得た私たちはどうなるのでしょうか。宗教改革者マルチン・ルターは、聖書から深い考察を示します。私たちは、キリストの弟子となり、キリストの務めを与えられ、祭司とされる。それ故、神様の前に立つことをゆるされ、他者のために執り成しの祈りをする者とされる。イエス・キリストは私たちの心を解放し、他者のために祈り仕える自由を与えてくださったのです。だから、本当の自由を得た私たちは、キリスト者の自由に生きる者とされていきます。

 この約1年半、私自身も自由について考えさせられました。私たちの教会でも緊急事態宣言の度に会堂での礼拝参加の自粛をお願いし、集会を見送ってきました。信仰も命も大事ですと呼び掛けながらも、耐える期間が長くなるほど、思い通りにならない不自由さを感じてしまいます。しかしある時、私は、自分の想像を超えて教会員の方から励ましを頂くことがありました。礼拝の動画配信によって、ご自宅で、ご家族と教会のことを話せるようになったということをうかがったのです。その方は、長年、教会のことを話しにくい不自由さにありましたが、昨春から始めた教会の働きによって代弁者を得ておられました。私は、人の想いを超える神様の出来事を感じました。礼拝が、キリストの言葉が、1人の信仰者の心を解放していたことを教えられました。

 私たちの目の前には、依然として困難が横たわります。しかし、神様は私たちの想いを超えて働かれます。イエス様は「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と約束します。今なお、聖書を読む運動の道半ばにいる私たち。その道しるべは、イエス・キリストの言葉です。願わくは、私たちが、イエス様の言葉にとどまり、本当の自由を得ることができますように。そして、他者のために祈り、仕え、この世に平和を成す者とされますように。

日本福音ルーテル名古屋めぐみ教会牧師 小澤周平

photo/ワイマール・聖ペーターとパウル市教会の祭壇画、ルーカス・クラナッハ(子)作、1555年

21-10-01るうてる2021年10月号

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「真理はあなたたちを自由にする」

日本福音ルーテル名古屋めぐみ教会牧師 小澤周平

「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネによる福音書8章32節)

  未曾有の感染症の危機に直面する中、自由を奪われたような毎日です。この暗闇の中で、イエス・キリストの言葉が光ります。「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」。

 この聖書の言葉は宗教改革日の日課にあります。宗教改革はおよそ500年前にヨーロッパで起きたキリスト教会の改革の出来事ですが、過去の話ではありません。信仰的な観点からは聖書を読む運動とも言われ、今なお続く改革運動だからです。その性質故に教派を超えたキリスト者の運動でもあります。このことを4年前の宗教改革500年記念事業を通して実感された方も沢山おられることと思います。

 福音書の日課において、イエス様はこの時、ご自分を信じたユダヤ人たちに向かって言いました。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」。この後の議論を通して、イエス様は罪の奴隷という事実を明らかにします。これは、私たちの奥深い部分にある根本的な不自由さのこととも言えるでしょう。そもそも、人は皆、不自由。私たちの内にある傲慢さや自己中心、神様から背く思いが、私たちを平和とは逆の世界に縛り付けてしまいます。

 この罪の奴隷からの解放は、本当の自由は、真理、すなわちイエス・キリストによって、その言葉にとどまることにおいて与えられます。ローマの信徒への手紙3章22節以下には次のように記されます。ここでは聖書協会共同訳を引用してみます。聖書の言葉の味わいが深まるかも知れません。「神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じる者すべてに現されたのです。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっていますが、キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより価なしに義とされるのです」。

 キリストによって本当の自由を得た私たちはどうなるのでしょうか。宗教改革者マルチン・ルターは、聖書から深い考察を示します。私たちは、キリストの弟子となり、キリストの務めを与えられ、祭司とされる。それ故、神様の前に立つことをゆるされ、他者のために執り成しの祈りをする者とされる。イエス・キリストは私たちの心を解放し、他者のために祈り仕える自由を与えてくださったのです。だから、本当の自由を得た私たちは、キリスト者の自由に生きる者とされていきます。

 この約1年半、私自身も自由について考えさせられました。私たちの教会でも緊急事態宣言の度に会堂での礼拝参加の自粛をお願いし、集会を見送ってきました。信仰も命も大事ですと呼び掛けながらも、耐える期間が長くなるほど、思い通りにならない不自由さを感じてしまいます。しかしある時、私は、自分の想像を超えて教会員の方から励ましを頂くことがありました。礼拝の動画配信によって、ご自宅で、ご家族と教会のことを話せるようになったということをうかがったのです。その方は、長年、教会のことを話しにくい不自由さにありましたが、昨春から始めた教会の働きによって代弁者を得ておられました。私は、人の想いを超える神様の出来事を感じました。礼拝が、キリストの言葉が、1人の信仰者の心を解放していたことを教えられました。

 私たちの目の前には、依然として困難が横たわります。しかし、神様は私たちの想いを超えて働かれます。イエス様は「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と約束します。今なお、聖書を読む運動の道半ばにいる私たち。その道しるべは、イエス・キリストの言葉です。願わくは、私たちが、イエス様の言葉にとどまり、本当の自由を得ることができますように。そして、他者のために祈り、仕え、この世に平和を成す者とされますように。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

⑲「生まれてきてくれてありがとう」

「あなたは、わたしの内臓を造り/母の胎内にわたしを組み立ててくださった。/わたしはあなたに感謝をささげる。/わたしは恐ろしい力によって/驚くべきものに造り上げられている。/御業がどんなに驚くべきものか/わたしの魂はよく知っている。」(詩編139・13〜14

  「ハッピバースデートゥーユー♪」これって神様が毎日一人ひとりに歌って下さっておられるのかもな。そう私に思わせたのは「毎日カードに光が当たるとハッピーバースデーの歌が流れてくるんだよ。」と知り合いが教えてくれた時です。
 
神様って直接話せないけどいろんなかたちで私たち一人ひとりに囁いて下さるんですね。

 私は働かせて頂いていた施設に入居されていた皆さん一人ひとりに誕生日カードをお配りしておりました。いつもご挨拶をしても下を向いて私の顔なんて見ても下さらなかった方が私の目を見て下さるようになったりしました。いつも出勤した月の一番初めの日に配るようにしていたのですが、たまたまその日にお誕生日の方がおられたので「お誕生日おめでとうございます。今日お誕生日ですね。お誕生日の歌、歌っていいですか?」と言ってハッピーバースデーの歌を歌いました。ベッドに横たわり寝ていたのかと思っていました。いつもお会いすると怖い顔を私に向けていたその方がある日ひょっと私を見て嬉しそうにされました。あまりにも意外でしたが神様が私を通して働かれたことを思いました。ハッピーバースデー。

議長室から 大柴譲治

神無月に〜魂のための時間

「順境には楽しめ、逆境にはこう考えよ/人が未来について無知であるようにと/神はこの両者を併せ造られた、と。」(コヘレト7・14)

  「健康は人を外に向かわせ、病気は人を内に向かわせる」と言われます。確かに逆境の時は、私たちを内へ内へと深く沈潜させてゆく内省の時であり、自己のレジリエンスを鍛錬する時でもある。「順境には楽しめ。逆境には考えよ」とコヘレトが告げている通りです。

 昨年2月以降のCOVID─19による世界的なパンデミックは私たちを内面深く沈潜させてゆきました。この状況はいったいいつまで続くのでしょうか。「外的奉仕のための内的集中」(ボンヘッファー)という言葉については前に触れたことがあります(2020年5月号)。確かに外に向かって奉仕するためには内的に集中して力を蓄える必要がある。何事もバランスです。

 動物写真家の星野道夫さんが紹介しているエピソードです(『旅をする木』)。南米のアンデス山脈で考古学の発掘調査のためガイドとして現地の案内人たちが雇われます。調査隊の一行はある地点までは順調に進んできたのですが、ある時にガイドたちがピタッと止まってまったく動かなくなってしまった。ストライキと思った調査隊は困ってお金をさらに支払うからと交渉する。しかし彼らは座ったまま一歩も動こうとしない。曰く、「我々はあまりにも速く来すぎてしまった。だからここで、魂が追いついてくるまで待つのだ」と。ハッとさせられます。魂がからだに追いついてくるための時間とは…私たちもこれまで急いで歩み過ぎてきたのかも知れません。魂が追いついてくるまでを待つ時間としてこの時が与えられたと受け止めることもできましょう。

 それにしても魂のための時間とはどのような時間か。コヘレトは告げています。「人が未来について無知であるようにと神はこの両者(順境と逆境)を併せ造られた」と。本来魂は神に向かって造られていますので、それは神に思いを向ける時です。詩編の言葉を想起します。「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(口語訳46・10)。〝Be still, and know that I am God!〟(NRSV)。立ち止まって沈思黙考し、自らを省みると共に神に思いを向け、祈る時。魂が追いついてくるまでの静謐の時としてこの時を位置づけたいと思います。

 10月は樹木の葉が微妙な寒暖の変化の中で美しくその色合いを変えてゆく季節。日本では古来「神無月」と呼ばれる月であり私たちの教会にとっては宗教改革の月。それはまた私たちが魂の在処を確認する月でもある。じっくりとこの時を味わってみたいのです。

「教会讃美歌 増補」 解説

⑯増補3番「今こそわたしは去りゆく」・増補4番「主は死に打ち勝ち」
讃美歌委員会 石丸潤一(西日本福音ルーテル 新田教会牧師)

 ルターの時代、ペストがたびたび流行し、またトルコがヨーロッパを攻め、すぐそばに生きている人々に死の陰が迫りました。ルター自身も、宗教改革の進展の中で敵と戦いつつ、命の危険を感じる日々を送っていました。
 「メメント・モリ」ということばをご存じでしょうか。「死を忘れない」という意味のラテン語の言葉です。死は誰にでも訪れるもの、誰も乗り越えることのできないもの、すべて生きている人が誰も知らない世界へとひとり無理矢理に連れて行かれることです。だからこそ、死は恐れるべきものであって、死に対する解決を誰もが望みます。

 古代には、このことばは、「死を忘れるな。そして、生きる今を楽しめ」というように使われたようですが、今の人生をどれだけ楽しんでも、死の解決にはなりません。
 現代はどうでしょう。私は、死にそっぽを向く時代になったように感じます。人の知らない感染症が流行し、災害や戦争が起こる。世界の様子はかつての時代とそれほど変わらないのに、死が情報や数字に変えられることで、死を自分のものとし、恐れることが薄くなっていると感じます。しかし、死から目を背けても、死は必ず自分の身に起こります。

 死に対する解決は、死を経験したことのない、生きている者には生み出せません。とはいえ、もはや死に飲み込まれた人は、解決を生み出すことができません。死の解決は、死んで、死に勝利して、生きておられる方にこそあるのです。イエス・キリストの十字架の死に私たちの死は取りさられ、イエス・キリストの復活が死への勝利を与えます。主を信じる信仰によって罪の救いと永遠の命を受ける時、私たちは死の解決と、また死を恐れつつも勝利を確信しながら力強く歩む命の日々が与えられるのです。

 「今こそわたしは去りゆく」と「主は死に打ち勝ち」は、死の恐れがいつも傍らにある世界と人々に向かって、みことばに示された解決と勝利を力強く宣言する賛美です。救い主イエス様を信じ、私の命と人生にお迎えし、永遠の命と天の御国の約束へと去りゆく日まで、主の御心に生きる毎日を送りましょう。救い主を胸に抱いたシメオンのように。

世界の教会の声

浅野 直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷・スオミ教会牧師)


スウェーデンのインターネット牧師③

 ルーテル世界連盟(LWF)がスウェーデンのシャルロッテ・フルックルンド牧師にインタビューした記事(2021年3月19日)の紹介の最終回です。

(元の記事のURL)
https://www.lutheranworld.org/news/sweden-internet-pastor-engages-faith-seekers-online

 最近は、人々が退屈してきているようで、退屈さと向き合うための祈りですとか、退屈に耐える程度のことが自分の最悪の事態で済んでいることを感謝したい、といった祈りもあります。COVID─19の間、皆さんが今感じていること、向き合っていることにオンラインでの祈りで関われることを私たちは嬉しく思っています。

—ソーシャルメディア牧師であることをどう思っていますか。
 人生における実存的な問いについて皆さんとお話しできるので、やり甲斐があります。いわば彼らの「今そのとき」に私もそこにいられるのです。通常の牧会だとそのためにわざわざ時間をつくり、腰を下ろして話すという形式ですが、そうではなく問題があったら即座に対応できるのです。困ったことや何か嬉しいことがあったらスマホから手を離すのではなく、むしろスマホを手に取って利用するのです。ピンチのときも喜びの只中でも、すぐそこに教会があって、私が関われるのです。私はそこにやり甲斐を感じています。

—オンライン牧会に期待することはありますか。
 世界のオンライン牧師たちとつながりたいと思っています。ソーシャルメディア牧会は素晴らしい召しですが、同じ働きに携わる方々との交流や学習をできるといいですね。

—オンライン牧会を教会が実施していくためのアドバイスはありますか。
 オンライン教会は、パンデミックのときに限らず良い働きです。参加しやすくつながりやすいからです。ヴァーチャルな礼拝のほうが対面する礼拝よりもたくさん出席してくれるという同僚たちの声もあります。教会へでかけることは無理でも、礼拝には参加したいという人たちのためにも、こうした牧会を今後も続ける必要を感じます。オンラインを続けましょう!Facebook、Instagram、TikTokなど利用できるメディアがなんであれ、教会がやりたいこと、必要と思うことを見つけてそこに登場してください。

—スウェーデン教会、そしてあなたの仕事、御自身にとって、教会のコミュニオンとは何か教えてください。
 ルーテルはグローバルな教会ですが、世界の人々と毎日顔を合わせているわけではありません。けれどもソーシャルメディアだとそれができます。これを用いて私たちが共に祈るなかで、コミュニオンというルーテル教会の「輪」のなかにいる1人だと気づけるのです。(了)

パンデミックの中の教会 東教区の取り組みから
東教区オンライン信徒講座

小勝奈保子(東教区教育部長・聖パウロ教会牧師)

  東教区の新しい試みとして、オンライン信徒講座が始まりました。諸集会の開催が難しい状況が続いています。聖書会の休止が続いている教会もあれば、オンラインで始めた教会もあります。単独ではネット配信の難しい教会もあるでしょう。そこで、東教区27教会を対象にZoomによる、他教会のメンバーと一緒に学ぶ、聖書講座を計画しました。全体で70分(講座60分+案内10分)です。
 第1回(6月)は「聖書日課のススメ・詩編とルター」松本義宣牧師、第2回は(7月)「求道者に伝える聖書」(フィリピとエチオピアの高官)、それぞれ約50名の参加がありました。講師の方々には、今回のテーマとして、宣教、信徒として伝えることを意識した聖書の学びをお願いしています。

 準備の段階では、申込者が100名を越えたらどうしよう?との心配もあったことから、各教会1~4名の枠を設けました。後日、希望する教会には録画(YouTube限定配信)のURLをお送りすることで、92名のお申込みがありました。
 オンライン上でも共に集い学び合えることは大きな喜びです。しかし、ネット環境の難しさも感じています。Zoomの良さは相互交流にあるのですが、出席者が50名近くになりますと、参加者一人一人の発題の提供が難しくなります。しかし、講師の一方的な講義だけ終わってしまうのは、もったいないと頭を悩ませているところです。また、資料の取り扱いに関しても、スマホによる参加者の方もおられますので、印刷の準備や画面共有の視聴にも限界があり、つながりあっているけれども、個々のニーズに応えるのはやはり難しいですね。やってみないと分からないものですが、新たな課題も与えられます。

 しかし、良い点は、他の教会の牧師から聖書の学びが受けられる、遠く離れている人々と同じ時間を共有できる、忙しい時間の合間でも遠い会場まで足を運ばずに自宅にて集いに参加できるなど、多くの利点もありました。
 牧師にとってもオンライン上で伝えることは、まだまだ慣れない状況です。だからでしょうか、参加者には教職者の姿も多く見受けられました。新しい伝え方を信徒も牧師も共に学び合っています。

〈今後の予定〉
第3回9月24日(金)19時「子どもへ伝える聖書」
朝比奈晴朗牧師
第4回10月23日(土)10時「旧約の預言者たち」
後藤由起牧師
第5回11月26日(金)19時「はじめてのパウロ」
立山忠浩牧師
 録画(YouTube限定配信)のURLに関しては、所属教会を通じて東教区教育部へお問合せください。

熱海市伊豆山地区ボランティア報告

渡邉克博(浜松教会・浜名教会牧師)

  7月3日、熱海市伊豆山地区で大規模な土砂災害が起きました。その後の7月22日、2年前の千葉県館山市の台風の被災者支援の際にお世話になったNGO団体が、発災直後から現地に入って支援活動をしていることを知りました。それから、役員会での議論を経て、ボランティア参加後2週間の自主隔離と、事前のPCR検査だけでなく自主隔離の後にもPCR検査を受けることを条件として、JELCも運営委員会に参加しているACTジャパン・フォーラムを通して、8月9日に現地でのボランティア活動に参加することとなりました。

 その団体は地域の自治会と協力して被災者支援を行っていました。その活動は二つです。一つは市などから届く生活必需品の戸別配布と住民のニーズの聞き取り、もう一つが住民のニーズを受けて、絵本の宅配、キッズクラブ(子どもたちの交流の場)、移動困難者の車での移送支援などの具体的な被災者支援プログラムの展開です。ここには彼らの提唱する「市民(ボランティアなどによる)ソーシャルワーク」という方法がとられています。

 私は戸別訪問に同行し、狭い山道を車で移動し、移動先で夏の日差しの中で汗をかきながら支援物資を徒歩で戸別配布し、住民の日ごとに変わるニーズの聞き取りを行いました。熱海市の伊豆山地区は、山地を切り開いた集落で、古くからの地域住民の住居と、別荘とが混在しています。水や食料や日用品が地域の支援拠点の公民館に届くのですが、高齢の住民は急な坂を上り下りしなければなりません。活動の最中、大雨の被害の爪あとを見たり、被災された方々の口から自然と溢れる苦しみと痛みの声に耳を傾ける場面もありました。

 コロナ禍の中での多忙な現実の状況に生きていて、自分の教会の近くや教区での次の災害に対して何をどう備え、実際に起きたときに何をすべきか、そういう問いかけを受けているのではないかということを感じつつ、今、コロナ禍の中での被災者支援について考えています。

比叡山宗教サミット34周年記念
「世界平和祈りの集い」報告「食卓を囲めますように」

竹田大地(西宮教会・神戸東教会・神戸教会牧師)

 8月4日(水)に比叡山延暦寺にて天台宗主催の「比叡山宗教サミット34周年記念 世界平和の祈りの集い」が開催され、日本福音ルーテル教会より大柴譲治総会議長(リモート)と竹田(現地参列)が出席した。
 この集いは1986年10月にヨハネ・パウロ2世の呼びかけによってイタリアのアッシジで始められた宗教間対話の催し「平和の祈り」が発端となっている。これは「平和は誰もが恒久的に求め、それは宗教の違いは関係ない共通の目標である」ということで始められた祈り会である。この理念に共感した当時の天台宗第253代座主山田惠諦氏が、これを日本でも毎年行っていこうと声を挙げ始められ、今年で34回目となった。
 キリスト教界からは日本福音ルーテル教会の他にカトリック2名、聖公会2名が現地に参集し、リモートでバチカン市国駐日大使などが出席をした。
 今回は現座主によって、戦争に限らず、新型コロナウイルス禍のことを含めて「宗教を超えて相互理解を深め博愛、利他、連帯によってともに祈り、世界平和を希求し、我々宗教者は一層の努力を積んでいく必要がある」という主旨の挨拶がされた。
 この催しで、高校生が平和を願い、色紙に言葉を書いたものが掲示されていた。その中の一つに「食卓を囲めますように」というメッセージが目に留まった。私はそのメッセージに感動を覚えた。まさに平和の姿とは、愛する家族や友と食卓を囲むことから始まる。キリストもまた弱められ、悲しみを抱え、悩んでいる人々、罪人と食卓を囲むことによって平和をお示しになったことを思い出したからである。食卓には小さな平和があり、この世の隅の小さな食卓の出来事が実は他者を思いやり、愛し、交わりを深め、喜びに満ち溢れさせる出来事であったとハッとさせられた。隣人との関りは「同じ釜の飯を食う」ではないが、そういう親しい食の交わりから生まれることは多々ある。そのしるしとして私たちは聖餐という恵みをいただいている。今はそれが奪われ、むしろ悪いことのようにされてしまっていることは悲しく、辛いことである。一日も早く共に食卓を囲む日が訪れるようにとこの高校生の祈りに思いを合わせ、この「食卓を囲めますように」という祈りが真実にこの平和でない世界に必要なメッセージだと感じた。

第7次綜合方策の紹介⑹

事務局長 滝田浩之

■方策本文より 第7次綜合方策主文

1.基本方針
(1)宣教の根拠
①基本的立場
 ルターの宗教改革で意図された「聖書のみ」、「信仰のみ」、「恵みのみ」、すなわち「キリストのみ」を基本的立場とし、今日の世界に対して神の愛と義による救いを、神の言葉と共に伝えることが日本福音ルーテル教会の宣教である。
②宣教の目的
 日本福音ルーテル教会の宣教の使命は、キリストの命に従って、すべての人に福音を宣べ伝え、教会を建て、愛による奉仕をなし、これらのことによって神に仕えることを目的とする。(日本福音ルーテル教会憲法第9条)
③教会の意義
 福音の宣教として恵みの手段(説教とサクラメント)を神より託された教会は、キリストへの信仰により、神の救いの働きを担う使命共同体であることを、教会の宣教を通して証しする。

(2)教会の使命
①伝道
 教会は、折がよくても悪くても、神の国の完成を目指し、祈りつつ、希望と確信をもってキリストと共に歩むものである。(方策を支える重要理念)
②宣教の器
 教会は、説教とサクラメントを通して、福音を伝えるためにより良い宣教の器となることを目指す。
③教会の「リ・フォーメイション(再形成)」
 今日の世界と社会及びそれぞれの地域において、自らの責任能力に応じて宣教する教会であるために、その実現に向けて教会組織の再形成を必要とする。主任牧師が、個々の教会の将来像を地区、教区と協力して描くことが重要である。「方策実行委員会」は、その方向性を支援するために、必要な規則改正等に対応する。

(3)本教会と個々の教会
①教会形成
 日本福音ルーテル教会の個々の教会がそれぞれの宣教地において、すべての人にキリストの福音を伝え、教会の一員として招き、信仰の群れとして教会を形成することが宣教の中心的働きである。
②教区の役割
 一つの教会としての日本福音ルーテル教会を構成する個々の教会こそが福音宣教の第一線に置かれるものであり、個々の教会が属する一定の地域毎に構成される地区・教区によって地域の宣教が進められる。
 また、教区は全体の一致と宣教の進展を図るための責任機関である。教区は個々の教会、地区(教会共同体、教会群)の意見をまとめ、「招聘と応諾」については基本的に堅持しつつ、具体的な招聘手続きを個々の教会、地区の描く将来像に基づき行う。一人の教職が担える範囲を、具体的に二つの宣教拠点(教会、あるいは施設)を目安に進められることが望ましいと考える。
 各教区の状況は大きく異なっている。また教会再編は、あくまでも牧会力の回復のために必要と判断されるところから検討されるべき対応策の一つである。よって一律のタイムスケジュールを組むことで力のある教会の宣教を阻害する恐れもある。よって各教区での活発な議論の開始を期待したい。
③教会間の共同
 教区は地域における教会間での協力の意義を受けとめ、牧師が複数の宣教拠点を抱える場合、積極的に地域の宣教のあり方について提案する責任を負う。
④全体は一つの教会
 日本福音ルーテル教会は一つの教会として、個々の教会、教区、本教会が宣教するための活動と維持のために、それぞれの役割分担を明確にし、これを共に担っていく必要がある。
⑤本教会の役割
 本教会は、全体を一つの教会とし、その組織・制度を維持・発展させていくために、内的・対外的な教会行政と宣教活動及び教職養成機関の維持と推進を中心的業務とする。

■解説

 第7次綜合方策の「本文」に入ります。具体的な指針を示すものとなります。
 日本福音ルーテル教会は、今、岐路に立っている、あるいは危機的な状況にあるのではないかと評価されることがあります。確かに、戦後のキリスト教ブームの時に多くの洗礼者が生まれるような状況に私たちはありません。また、その頃に洗礼を受けられた方々に、今も教会が支えられていることを否定することはできません。
 しかし、私たちは、そのような危機的な状況にあるからこそ、教会の原点にいつも立ち帰ることが必要ですし、それしか活路はないことも知っています。ルター神学の特徴が「一点突破、全面展開」と言われるならば、まさに「一点」は福音の喜びを、「折がよくても悪くても」伝えることにあります。
 この喜びを伝えるのは「個々の教会」の礼拝であることも、私たちにとって自明なことです。もちろん、私たちの教会は各個教会主義でも、あるいは各個教会の連合体でもありません。個々の教会は教区を形成し、教区は本教会を形成し「ひとつの教会」であると私たちは理解しています。このような教会理解を持つ私たちだからこそ、「個々の教会」をどのように活性化し、どのように支えるのか、群れを託されている主任牧師、そして教区の役割は大きなものがあるものと考えます。
 その時、もう一つの視点として考えたいのは、1人の教職が、十分に「福音の喜びの伝達」のために機能することのできる範囲です。第7次綜合方策では、この範囲の一つの目安として、1人の教職は二つの宣教拠点(個々の教会、施設)までは十分に担えるのではないかと考えました。もちろん、これは機械的に二つの拠点までとするというものではありません。なぜなら「個々の教会」の特性や働き、そして置かれた地域や距離、あるいは「施設」の運営形態や規模によって事情は異なるからです。ルーテル教会形成の特徴は「バトンタッチ」にあります。教職は必ず、任務を「バトンタッチ」する責務を負っています。次に働いてくださる教職が、喜んで責務を担うことができるためには、今何をする必要があるか。この課題を共に悩み、共に答えを見出していく時を私たちは迎えています。

るうてる法人会連合全体研修会(オンライン)に参加して

宮原サラ(久留米教会・日善幼稚園教諭)

 今年は新型コロナウイルス感染拡大防止の為、オンラインでの研修が行われました。講師は日本福音ルーテル教会総会議長の大柴譲治先生で、緊急事態宣言が発令されている状況の中で、色々な困難や悲しみにどう向き合うべきかを学ばせて頂きました。
 先月も5回目の緊急事態宣言が発令されましたが、発病して数週間で命を落とす方もいれば、無症状で自宅待機を余儀なくされている方もいらっしゃいます。大柴先生は、悲しみや苦しみの中におられる時、「嘆くことの大切さ」を話されました。「悲しいこと、困難なことにぶち当たった時に、嘆いて良いのです。嘆きを受け止めてくれる誰かがいることが大切です。」と述べられました。「それは、家族でも友人でも、温かい共同体(教会やサークル、いのちの電話等)でも、共に話を聴いて受け止めてくれる人がいるだけで良いのです。」と。
 子ども達も、お友だちとけんかしたり、自分の思うようにいかなくて涙がでたり、お家の人の事を思い出して寂しくなったり…そんな時に教師が子どもの気持ちを聞いて、寄り添い、悲しみを受け止めてあげる事が大切ではないかと、改めて思います。
 また大柴先生は、「レジリエンス」の重要性を話されました。この言葉は元来、ばねの回復力という意味ですが、人間も、再生能力・逆境に乗り越えられる力、すなわちレジリエンスを持っているそうです。そのレジリエンスを高めるには、①ほがらかにする。②1人でもいいから、自分のありのままを受け止める人を持つ。③家族や職場など、温かい雰囲気や、信頼関係を持てる環境の中で、祈り合える場が大切だ、と教えて下さいました。
 今、子ども達は厳しい環境の中にいますが、幼稚園で少しでも自分のありのままを出して、お友だちと楽しい時間を送ることができるよう、私も子どもに寄り添い関わっていきたいと思います。

※8月23日に行われた、るうてる法人会連合全体研修会での大柴譲治議長による主題講演「COVID―19下での悲嘆とそのケア」はhttps://youtu.be/BwINGLnsqkYでご覧頂けます。

第3回「神学校オープンセミナリー」のご案内

立山忠浩(日本ルーテル神学校校長・都南教会牧師)

 第3回「神学校オープン・セミナリー」を今年も開催します。新型コロナウイルス感染症の蔓延が収まる状況にありませんので、昨年と同様にオンライン(Zoom形式)で行います。日本福音ルーテル教会(JELC)及び日本ルーテル教団(NRK)の信徒で、神学校に関心のある者だけでなく、教会の働きへの献身を考えている者をも対象とします。18歳~30代までとし、10名程度の定員となります。

 オンラインでの開催は、直接神学校を体験することができず、参加者や神学教育の教会の責任者及び神学校教師と対面することはできませんが、自宅から参加できるというメリットがあります。全国の教会の皆さん、どうぞご参加ください。
 プログラムは第一部と第二部に分かれます。第一部では、神学校の模擬授業を体験していただきます。神学校の授業時間は100分ですが、その半分ほどの時間で神学生の授業を味わっていただきます。きっと新鮮な体験となることでしょう。受験・入学に関するガイダンスも行いますので、有益な情報を入手できると思います。

 夕食と休憩時間を挟んで、第二部は交流会です。現役の神学生の進行の下、リラックスした雰囲気で参加者が交流を深める時です。若手牧師にも参加していただき、神学校を受験するまでの葛藤や、神学生時代の生活、牧師となった今を率直に話してくださることでしょう。要は、皆さんの参加を心から歓迎し、その準備を精一杯しているということです。

開催日 : 11月14日(日)  第一部(15時~17時) 第二部(18時半~21時)
申し込み : 所属教会牧師の推薦を受け、各教区長に申し込みのこと
締め切り : 10月31日(日)
共催 : JELCとNRKの神学教育委員会、日本ルーテル神学校
問い合せ : ルーテル学院・河田チャプレン(mkawata※luther.ac.jp)※→@

21-09-01るうてる2021年9月号

機関紙PDF

「隠されている恵み」

日本福音ルーテル大森教会牧師 竹田孝一

「汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。」(マルコによる福音書7章25節)

 高校生の時、ネフローゼ症候群を発症し、長期入院を繰り返していた私の治療のために両親を心配させ、苦労をかけさせていたことを今でも申し訳なく思っています。こどもが病気であるということは親には大変に辛いもので、どうしてもこどもの病気が癒されることを願わずにはおられません。この福音書の物語の娘の癒しを願う母の必死の求めは、私の母の必死な求めと重なってきます。

 しかし、この親の必死さに対してイエスの態度、言葉は私には理解できません。「娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。イエスは言われた。『まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。』」(27節)とこの母親の願いを拒絶するのです。

 「イエスのことを聞きつけ」とはイエスの良い評判であり、福音であり、恵みの言葉であったはずです。これを聞きつけてやってきたのですが、しかし、恵みの言葉としての福音が、一見それとは思えないような現れかたをした。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」と、なんと残酷な拒絶でしょうか。これが試練です。試練は、自分が神から見捨てられたという疑問が起き、神の愛から遠ざけられたという関係が生じてきたとき起こるものです。

 しかし、この母親はこの試練をみごと超えていくのです。母親としての、自分の子どもを癒してほしいというイエスへの願いが強ければ強いほど、イエスの拒絶はどれほど辛いものであったでしょうか。母親は、自分がフェニキア人、異邦人であること、イエスの「子ども」でないことをどんなに呪ったでしょうか。しかし、全ての思いを捨て去り、ひたすらイエスの言葉をいただこうとしたのです。主イエス・キリストへの信頼しか自分には残っていないことを母親は試練の中で選び取ったのです。

 試練がある、しかし、その試練の中で、信仰者である私たちは、信仰とは何なのかと問われ、信仰を深めさせられていく恵みのときとなるのです。

 試練にあるこの母親は私たちに教えてくれているのです。信仰、それは徹底的な神のみ言葉、つまりイエス・キリストへの信頼であるということを。

 今、母親は、万事休すという試練の中にたたされている。しかし、なおもイエスに救いを求め、イエスにひたすら向かう母親に対して、「それほど言うなら、よろしい。」というイエスの言葉には、母親の願いを聞こうとする神の、イエスの、強い意志・気迫が伝わってきます。
 神の救いが私から失われ、無関係になっているのではないかと思われる試練の時・場にあって、キリストの恵みが、答えが隠されています。

 「女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた」(30節)。

 新型コロナウイルス感染症の拡大という中で、自分の命さえどうなるか分からない日々があり、礼拝もままならぬところで、自分は神の恵みと無関係ではないかという信仰の試練の内に私たちはいます。が、イエスのその足もとにひれ伏し、試練の内にこそ隠された神のみ言葉、恵みがあることを信頼して、「たとえ、明日世界が終わるとしても、それでも今日私はリンゴの木を植える」という今日の一歩を主イエスの御心の内に歩みだしましょう。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

⑱「におい」

「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。」(エフェソ5・2)

 これは秋の匂い、これは冬の匂い。私たちは匂いのないものの匂いを感じたり、匂いが思い出を運んできたりします。昔歌った歌に「おかあさん、なぁに。おかあさんていいにおい。せんたくしていたにおいでしょ。シャボンのあわのにおいでしょ。」という歌があります。季節の匂いについて思いを馳せていたら、何度も何度も心の中でこの歌が流れました。

 そしてこれから訪れる秋には金木犀が香ります。金木犀の匂いは私になぜか運動会を思い出させます。先生が鳴らすかけっこのスタートの音、子どもや親の歓声、立ち上る砂埃の匂い。冬は雪の匂い。春は紅梅や沈丁花、クチナシの花など。紅梅が香ると幼いころに親戚と集まって祝ったひな祭りを思い出します。夏は新緑や風の匂い。キリがなく広がる思い出はきっと一人ひとり違うのでしょう。

 イエス様って何の匂い?考えてもみませんでした。だから今考えてみます。
 「愛の香り?」イエス様は思い出を思い出させるような決まった匂いではありません。一人ひとりが違ってていいのです。今を生きているあなたに「あなたはそのまま生きていていいんだよ」と優しく語りかけて下さる。それがイエス様の匂いなのかもしれません。
(日本音楽著作権協会(出)許諾第2106931-101号)

議長室から 大柴譲治

左手のピアニスト~舘野泉

「後の世代のために/このことは書き記されねばならない。/『主を賛美するために民は創造された。』」(詩編102・19)

 芸術の秋。舘野泉というフィンランド在住のピアニストがいます。2002年1月のタンペレでの演奏会、最後の和音を弾き終わったところで脳溢血に倒れます。65歳。以降は後遺症のため右半身不随。リハビリに励みますが右腕は動きません。1年半ほど経った頃に米国留学中のヴァイオリニストの息子さんが「お父さん、このような楽譜を見つけたよ」と左手のためのピアノ曲をそっと傍らに置いてくれました。その時はピンときませんでしたがある時ハッとします。「そうか、両腕でなくても、片腕でも音楽は表現できるのか。」すぐに日本の友人の作曲家に電話をして、1年後に日本で復帰リサイタルを開くからと左手のためのピアノ曲を作曲依頼。2004年に東京・大阪・福岡・札幌で「左手のピアニスト」として演奏会を開きました。病に倒れて2年半後のことでした。

 舘野氏の言葉です。(40周年の演奏会が)「終わって一ヶ月も経たないうちに、演奏中にステージで脳溢血に倒れ、半身不随になった。もう、演奏家としては終わりだと思った。二年半の闘病生活を経てステージに復帰したとき、自分は左手のみで演奏するピアニストになっていた。でも、また演奏が出来るということがただただ嬉しかった。嬉しくて嬉しくて、自分が左手だけで演奏しているとか、不便不自由であるとか、そのようなことは一切感じなかった。弾いているのは音楽なのである。片手であろうが両手であろうが、手が三本であろうが、そんなことはまったく問題にならない。ただ、演奏出来る曲目が少なかったのは事実である。しかし、少なければ書いてもらえばよい。間宮芳生さんの《風のしるしーオッフェルトリウム》が邦人初めての左手の作品として埋めれ、林光、吉松隆、末吉保雄、谷川賢作など多くの作曲家達がそれに続いた。‥世界の各地からも作品が寄せられている。‥限りなく豊かな思念、詩情、情感、夢が、そして人の心を満たし動かしてくれるものが生まれ続けている。なんと有難いことだろう。」(演奏生活50周年演奏会ちらしより)

 詩編102編には「祈り~心くじけて、主の御前に思いを注ぎ出す貧しい人の詩」とありますが、その19節は深く心に響きます。「後の世代のためにこのことは書き記されねばならない。『主を賛美するために民は創造された。』」そこには苦難を味わい尽くした者だけが到達できる次元がある。主を賛美するためこの人生は与えられた!私たちも与えられた今ここを大切にしてゆきたいのです。

「教会讃美歌 増補」 解説

⑮増補1番「み使いの群れが」・増補2番「なぜ恐れるのか」
讃美歌委員会 松本義宣(東京教会牧師)

1.増補1番「み使いの群れが」
 ルターのクリスマスの賛美歌と言えば23番「天よりくだりてうれしきおとずれ」が有名です。1534年のルター家のクリスマス、幼い子どもたちと共に歌うため、当時よく知られていたなぞなぞ歌を下敷きに作ったと言われます。ルター作の今の旋律は1539年の歌集のものです。ベージェント形式で、子供たちも「天使」等の役割分担で歌っていたようです。
 この増補1番「み使いの群れが」は、いわばその続編として作られた歌です。1542年、長女マグダレーナが13歳で天に召されます。悲しみにあるルター家、その年のクリスマスは、彼女が担当した部分(天使?)を含む、これまで歌い続けていた歌が歌えなくなります。恐らく、悲しみの中でルターは、新しくこの歌を作詞したのだと思われます。旋律は同じものが使われたようですが、今回の増補版では、別の旋律を付しました。ドイツ福音主義教会賛美歌(EG)25番で採用された曲で、1535年のヴィッテンベルク歌集に載った民謡調の曲です。先の23番の別旋律として歌われているもので、どちらの旋律でも歌えるように訳してあります。お馴染みの23番(18番も!)の方を用いてもかまわないので、ルターが、楽しいクリスマスだけでなく、み子の降誕を心に刻んだこの歌、殊に4節「罪も死も消えろ。神様が味方。悪魔が襲っても、み子イエスが味方。」5節「み子は見捨てない。信じよう主イエスを。試練の時にも、委ねよう主イエスに。」を味わいましょう。

2.増補2番「なぜ恐れるのか」
 1541年12月12日に成立したという信頼にたる伝承がある歌です。証言者は作曲家であり、ルターの友人で協力者だったヨハン・ヴァルターです。14世紀から愛されてきたローマ・カトリックの賛歌(Hymnus)で、各節がアルファベットで始まる A solis ortus cardineの最後に当たる8,9と、11と13節の Hostis Herodes impie(不信心にも敵ヘロデを)を翻案したもので、ルターは1節を翻訳、2~5節を作詞して、顕現日(1月6日)の祝日の賛美歌として作られたものです。旋律は43番「もろ国びとらよ、目覚めて歌えや」と同じもので、今回はより古い形のものを採用しています。顕現日として、当方の占星術の学者の来訪が2節で歌われ、また、もともとイエス様の洗礼も覚える日であったことから3節では洗礼に言及があり、また4節ではカナの婚礼(水がぶどう酒となったしるし)も覚える内容になっています。

世界の教会の声

浅野 直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷・スオミ教会牧師)


スウェーデンのインターネット牧師②

ルーテル世界連盟(LWF)がスウェーデンのシャルロッテ・フルックルンド牧師にインタビューした記事(2021年3月19日)の続きを紹介します。

(元の記事のURL)
https://www.lutheranworld.org/news/sweden-internet-pastor-engages-faith-seekers-online

—牧師と出会える場だと気づくのはどういう人たちでしょうか。
 そうしたニードがある人たちです。オンライン上に、ソーシャルメディアで教会と会話をしたがっている人たちがいたんです。この仕事も最初はパートタイムだったのですが、オンラインで牧師と対話したい人が現実にはもっとたくさんいたのです。牧師に質問して答えがほしいという要望がさらに増えていったので、とうとうスウェーデン教会はこの働きのためにフルタイムで私を任命しました。

—オンラインでつながる人はどういう人たちでしょうか。
 スウェーデン教会のFacebookにやって来る大半の人は55歳より上で、わずかに男性より女性のほうが多いです。InstagramとTwitterですと、Facebookのような年齢差や性差はないのですが、そちらだとフォロアー(つながり続ける人)は若い世代が幾分多いように思います。
 Instagramは13~20歳より若い世代を対象に起ち上げたのですが、こちらはまだまだです。おそらく私たちが彼らの側に立って話せていないのだと思います。50歳の人よりも20歳程度の人がやったほうがうまくいくでしょう。

—COVID-19以後ソーシャルメディアの利用者は増えましたか。
COVID-19以後、教会のソーシャルメディアは大きく変わりました。なんといっても各教会がこれを利用するようになり、ライブ配信やFacebookに人が集まるようになりました。多くの人々が、オンラインにも自分の教会があると気づいたのだといえます。そこで私と広報担当チームは、週に1回Facebook上で手短な祈りを始めたのですが、これがつながるきっかけになりました。せいぜい3~4分程度のオンラインの祈りですが、利用者の方たちはFacebookの祈りの映像を大きなテレビに映して、ローソクをもってきて、たぶんコーヒーカップもそばに置きながら、ひとときを過ごしています。そうすることで礼拝しているのと同じ気分になれますからね。
 パンデミックの間に寄せられる質問内容も変化しています。悩みや不安、病人や医療従事者のための祈りが増えました。
(次号につづく)

パンデミックの中の教会
東海地区の取り組みから
東海地区伝道セミナー「Zoomでベツレヘムツアー」

徳弘浩隆(東海教区長・大垣教会・岐阜教会・掛川菊川教会・新霊山教会・知多教会牧師)

 感染症対策で礼拝や集会が難しく、健康や家族構成の違いから意見の相違もあるでしょう。しかし、「時が良くても悪くても宣教に励む」べく、代替プランを考えました。

 海外旅行はおろか旅行も難しいですが、ふさぎ込んでいないで、Zoomで楽しい外国旅行ををと思いました。ルーテル教会は世界中にありますから、聖書の地やルターゆかりの地などいくつも企画できます。

 最初はベツレヘム。2005年に日本に招いて各地で講演会をしてもらった知り合いのミトリ・ラヘブ牧師に声をかけました。当時その企画を一緒にした立野先生に相談しミトリ先生にメールするとすぐに返事が来て、3人でZoomで話し合い。「似たアイデアがあったが実行できずにいたが、先生たちが言うならやってみよう」と即決しました。

 東海地区の宣教部で話題にすると「ぜひ教区のプログラムとしても」となり、渡邉克博宣教部長が取りまとめや現地連絡を引き継いでくれました。

 ミトリ先生が公開しているYouTubeでは、イスラエルはワクチン接種が進んでもパレスチナは進まない事、ロックダウンで観光産業が止まりパレスチナ社会が経済的に大変厳しいことが報告され、このパンデミックが終わったら、ぜひベツレヘムに来てください」と。しかしコロナ禍でもZoomで「訪問と交流」はできると思ったのです。

 企画の全体像は、ベツレヘムについて聖書から学ぶことと、それ以降の世界史の中で何が起こり今どういう状況かなどを3回シリーズで学び、10月に「訪問交流会」をします。それらを通して信仰や生き方を学びます。Zoomが難しい方は教会で一緒に参加したり、日程が合わなければYouTubeで追いかけ受講もできます。

 初回までの申込者は110人程でした。期日までに申し込まれた方にはベツレヘムからお土産もあります。教区補助金があり個人負担を少なくしました。他教区の方でも適応されます。
 さあ、ベツレヘムに行きましょう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではありませんか!

コロナ禍での女性会
連盟総・大会
「できるしこですたい」

中原通江(女性会連盟24期会長・西条教会)

 3年に1度の再会を楽しみにしている会員の思いにフタをして、熊本で予定されていた総・大会開催を断念する苦渋の選択をしました。第1回総会(1949年)以来初めてのことです。それに代わり、総会の部は書面議決とし、4月中旬に総会資料と「表決書」を発送。6月8日に東京教会で開票し、正議員171名中、投票総数159票で総会が成立。25期の主題「主イエスのまなざしと出会う」、副主題「神様に、隣人に、そして社会に仕える」などの議案すべてが承認されました。

 また、併せて連盟活動に対する「提言」を募集。どのご意見も貴重なもので今後の参考になります。7年後に創立100周年を迎える連盟ですが、今日、社会情勢やルーテル教会の状況も大きく変わってきました。今、求められる女性会像を探っていかなければなりません。

 大会の部は慈愛園理事長、潮谷義子氏の講演「人生100年時代・・・未知の時代の到来」。これは6月9日に熊本の健軍協会で現地実行委員会と数名のスタッフを前にご講演いただき、YouTubeでライブ配信しました。7月末には千回を超える視聴があり、大きな反響がありました。先生の深い見識と長年にわたる現場経験に基づく講演は、女性会にとって多くの示唆を得るものでした。

 「会員が集って牧師共々会堂で聴いた」という教会も。また、「熊本までは行けないと思っていたが、家に居ながらにして大会講演が聴けて有難い」という声も寄せられました。コロナ以前には当たり前だった、集い、祈り、賛美し、メッセージを聴くこと。これらすべてが恵みの時だったことを覚えます。また同時に、「今、出来ることをする」ことも大事にしたいと思います。潮谷先生の言葉をお借りすれば、「できるしこですたい」です。(講演の動画はまだしばらくの間視聴可となっています。下記URLをご利用ください。)

https://youtu.be/iidCMOYHz_Y

ルーテル世界連盟(LWF)のセミナーに参加して

谷口和恵(東教区選出常議員・松本教会)

 今年6月27日から7月3日までの1週間、LWF主催のセミナーに参加する機会をいただきました。毎日2時間のZoomでの開催でした。本来ならドイツ・スイスへ出向いてのセミナーでしたが、昨年はコロナで延期、今年も延期だろうと思っていましたら4月の終わりごろ先方からZoom開催のメールが入り‥えっ?Zoomですかぁ?私の英語力では厳しいなぁをひるみましたが、そこは持ち前の前向きな性格(おっちょこちょいとも言えます)と好奇心の強さが先に立ち「参加します!」と返事してしまいました。
6月初旬に資料が送られてきましたが、時すでに遅し!ドイツの神学者たちのまるで論文のような資料が2部その他で計50ページ以上の英語のペーパーと格闘することになりました。錆び付いた頭の回転はすこぶる悪く、さすがに同情してくれた夫や友人の力を借りながら何とかセミナーにこぎ着けた次第です。セミナーは『Lay person Leadership in churchー教会における信徒のリーダーシップのあり方ー』を学ぶものでした。

 一般社会の在り方と違うのは、神さまの前では牧師を含む皆が等しい存在であり、特にリーダーシップをとる者は誰よりも人に仕える者にならなければいけないということ、それはイエスさまが弟子たちの足を洗う行為で率先して示してくださったことに他ならないというものでした。しかし生まれながらに人に仕えるというタラントが備わっている人はいるのでしょうか?少なくとも私には足りないところです。それでも私たちは教会の中での問題にぶち当たるたびに、祈りつつ神さまの言葉に耳を澄ませ、足りないところは神さまが補ってくださるはずと信じ進む以外方法がありません。そして、お互いに仕え合い、支え合い、許し合えばそこは神さまに祝福された場所になるのだと思います。その喜びは福音を伝える力にもなるでしょう。

 今回、ルター派の信仰を同じくする世界中の参加者と出会い意見を交換する中で、多くの学びと気づきが与えられ、また力をもらいました。特にこの厳しいコロナ禍においてどの国もたびたびの礼拝の中止、プログラムの縮小を余儀なくされています。オンラインでの試行錯誤の礼拝の持ち方も日本と同様です。そのような中、今回学びの機会を作ってくださったLWFの働きに感謝しています。

 私たちのルーテル教会は世界に繋がっていることを再認識する良い機会となりました。そしてコロナが終息した先に広がる教会の風景が、居場所のない誰かの居場所になり、神さまに用いられ、愛に満ちたものとなりますように!

 

2010年より本紙レイアウトを担当した中川浩之氏は今号をもって交代いたします。中川氏の長年にわたるお働きに感謝申し上げます。 編集部

第7次綜合方策の紹介⑸

事務局長 滝田浩之

■方策本文より

2.方策作成の意義
 個々の教会とそれを束ねる教区からなる日本福音ルーテル教会が、ルター派に立つ教会としてキリストが向かわれるところへ共に出かけて行くために、綜合方策は以下の点から必要とされる。

①「一つの教会・キリストのからだ」としてのルーテル教会の出発点を確認し、一致して共に歩むため。
②個々の教会・教区・全体教会の方向性を示すため。ルーテル教会としての歩むべき道は、来たところと行くところを認識することによって示される。
③「ポスト宗教改革500年」リ・フォーメイション(再形成)する教会。神の前に在っても、社会においても、完成された教会はない。神に生かされている教会として、絶えず新しくされなければならない。向かうべきところにふさわしく教会の使命と仕組みをリ・フォーメイションするために方策が策定される。
④グローバルな宣教を展開するために、日本福音ルーテル教会は総会において今後はアジアを視野にいれた宣教に取り組むべく方針を承認した。これを受けて具体的な展開をはかるため。同時に日本社会における在日外国人の抱える諸問題を学び、取り組む人々への支援と連帯を目指すため。
⑤日本社会におけるマイノリティーの立場の人々の側に立つキリストに出会うことを通して、私たちの向かうべき方向を絶えず確認するため。

3.方策の概要
 第7時綜合方策は、以下の表題、主題聖句、基本目標、主要課題、かつ方策前文に明記されている大前提を指針として、日本福音ルーテル教会が、日本のみならず、世界とりわけアジアの地において、キリストの体としてふさわしい宣教の器とされることを求めるものである。

期間 2022年6月から2030年5月
標題 「隣人のために一人のキリストとなる」(隣人と共にあるキリストに出会う)
主題聖句 「生きているのはもはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤ2・20)
基本目標 「教会のリ・フォーメイション(再形成)」
①「ポスト宗教改革500年」を教会のリ・フォーメイションの時とし、宣教態勢の大胆な見直しと教会の構造改革に取り組む。
②出かけていくところでキリストと出会い、留まるところでその福音を鮮やかに伝え、より良く分かち合っていく力を養う。
③教職と信徒による使命共同体の働きを推進する。

主要課題
①教会は人、魂の配慮の場(重要キーワード)
②教区による宣教態勢のリ・フォーメイション
③教区間・教会間の連携
④宣教共同体としてのディアコニア活動との連帯
⑤アジア宣教への取り組み、派遣プログラムの創出
⑥社会的マイノリティーの問題への学びと支援
⑦安心できる教会であるためにハラスメントの問題に取り組む
⑧神学教育のリ・フォーメイション
⑨教会財務のリ・フォーメイション
⑩海外のパートナーシップ教会(協会)との交流を深める

■解説

 方策の意義、概要、主要課題が確認されています。
 綜合方策は、「総合」ではなく「綜合」の文字が使われていることにお気づきでしょうか。辞書によれば、意味に大きな違いはないということになりますが、過去の方策策定時においては、そこにはこだわりがあったと伝えられています。

 日本福音ルーテル教会は、「ひとつの信仰、ひとつの神学校、ひとつの給与」という旗印のもとに「ひとつの教会」であると自身を認識してきました。そして同時に、「個々の教会」、「教区」、「全体教会」をもって「ひとつの教会」であるとも理解してきました。私たちは、すでに日本福音ルーテル教会という一つの教会があることを自明のことのように感じているかもしれませんが、私たちの教会は合同教会であるという歴史的経緯があることを知っておくことは、方策を理解する上でも重要だと考えます。市ヶ谷教会礼拝堂に釣らされている十字架のモニュメントは7つの十字架が重なり合ったものになっています。私たちの教会は7つの宣教団体の合同によって生まれた教会だからです。つまり日本福音ルーテル教会が「ひとつの教会」であるという時、それは一色の「ひとつの教会」があるのではなく、多様な国の背景、また歴史的経緯を持つ多色の(カラフルな!)「個々の教会」、あるいは「教区」が「日本福音ルーテル教会」という一つの旗印のもとに集められているということなのです。よって「特色」、「個性」のある「個々の教会」があることが自然ですし、「一色」に塗り替えていくことが方策の目的ではないのです。先輩たちが「綜合」という言葉に込めた思いもそこにあります。「ひとつの教会」としての大きな枠組み、あるいは方向性を示しつつ、「個々の教会」、「教区」の特色や個性が鮮やかにされていくために「綜合方策」はあるのです。

 その「綜合方策」にはっきりと「ディアコニア、アジア、マイノリティー、ハラスメント」という主要課題(方向性・枠組み)が列挙されていることは、本方策の大きな特徴です。様々な課題を負いつつも、私たちはキリストの教会として、小さな群れではありますがキリストの委託を果たす群れとして成長することを「綜合方策」において確認するのです。

オンライン「一日神学校」へのお誘い

石井基夫(ルーテル学院大学学長)

 今年もルーテル学院は「一日神学校」をオンラインで開催いたします。日時は9月23日午後1時半から、配信方法は、YouTubeでの限定ライブ配信となります。
テーマは、「その人を支え、ともに生きるために~『総合人間学』とは~」。

 昨年、新型ウイルスの猛威に襲われて以来、いまだに感染防止の大原則の中で、教会の礼拝も活動も大いに制限をされています。ルーテル学院でも大学、神学校ともに、学生は基本的には午後の時間だけキャンパスで授業を受けますが、オンラインでの授業も多く、またサークルなど学生活動も制限されたなかで学びを続けています。
 こうした今のキャンパスの姿を知っていただくことも含めて、何よりここに集う交わりにこそ「一日神学校」の喜びがあることを思うと、三鷹に皆さんをお招きしたいのです。しかし、感染の状況はやはり深刻で、東京の緊急事態宣言等もいつ解除されるのかわからない現実を踏まえるならば、今年も「一日神学校」はオンラインでの開催とせざるを得ないと決断するに至りました。

 ルーテル学院大学が社会福祉教育を始めたのは1976年、今からちょうど45年前のこととなります。当時の間垣洋助学長は、「福祉の仕事は、元来キリストがおこない、また弟子たちにこれをなすように命じた、教会の負うべき重大な使命」と受け止め、福祉分野への人材育成が神から与えられた使命としてこれを担うを言われました。もちろん、ルーテル教会が日本での宣教の始まりの時から、教会とともに福祉施設を作り、困難を持つ方々を支える氏名を担ってきた取り組みがこの言葉を裏付けます。そして、この教育を支えるものは「神の愛された人間」についての福音的理解にあるのだと思います。社会福祉、臨床心理と大学の教育研究の領域が広がる中で、対人支援の専門教育において「総合人間学」と呼ぶものが求めていくところを、今年の「一日神学校」を機会に、共に問い学びたいと思っています。
 開会礼拝に始まり、シンポジウム「ルーテルの総合人間学とは何か?~共生の羅針盤を求めて~」、そして、「神学生による神学校紹介」の三つのプログラムとなります。詳細や参加の方法などは大学ホームページ、また各教会に送付されている案内をご覧ください。
 皆様のそれぞれの参加をお待ちしております。

21-09-01隠されている恵み
「汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。」

(マルコによる福音書7章25節)

 高校生の時、ネフローゼ症候群を発症し、長期入院を繰り返していた私の治療のために両親を心配させ、苦労をかけさせていたことを今でも申し訳なく思っています。こどもが病気であるということは親には大変に辛いもので、どうしてもこどもの病気が癒されることを願わずにはおられません。この福音書の物語の娘の癒しを願う母の必死の求めは、私の母の必死な求めと重なってきます。

 しかし、この親の必死さに対してイエスの態度、言葉は私には理解できません。「娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。イエスは言われた。『まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。』」(27節)とこの母親の願いを拒絶するのです。

 「イエスのことを聞きつけ」とはイエスの良い評判であり、福音であり、恵みの言葉であったはずです。これを聞きつけてやってきたのですが、しかし、恵みの言葉としての福音が、一見それとは思えないような現れかたをした。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」と、なんと残酷な拒絶でしょうか。これが試練です。試練は、自分が神から見捨てられたという疑問が起き、神の愛から遠ざけられたという関係が生じてきたとき起こるものです。

 しかし、この母親はこの試練をみごと超えていくのです。母親としての、自分の子どもを癒してほしいというイエスへの願いが強ければ強いほど、イエスの拒絶はどれほど辛いものであったでしょうか。母親は、自分がフェニキア人、異邦人であること、イエスの「子ども」でないことをどんなに呪ったでしょうか。しかし、全ての思いを捨て去り、ひたすらイエスの言葉をいただこうとしたのです。主イエス・キリストへの信頼しか自分には残っていないことを母親は試練の中で選び取ったのです。

 試練がある、しかし、その試練の中で、信仰者である私たちは、信仰とは何なのかと問われ、信仰を深めさせられていく恵みのときとなるのです。

 試練にあるこの母親は私たちに教えてくれているのです。信仰、それは徹底的な神のみ言葉、つまりイエス・キリストへの信頼であるということを。

 今、母親は、万事休すという試練の中にたたされている。しかし、なおもイエスに救いを求め、イエスにひたすら向かう母親に対して、「それほど言うなら、よろしい。」というイエスの言葉には、母親の願いを聞こうとする神の、イエスの、強い意志・気迫が伝わってきます。

 神の救いが私から失われ、無関係になっているのではないかと思われる試練の時・場にあって、キリストの恵みが、答えが隠されています。

 「女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた」(30節)。

 新型コロナウイルス感染症の拡大という中で、自分の命さえどうなるか分からない日々があり、礼拝もままならぬところで、自分は神の恵みと無関係ではないかという信仰の試練の内に私たちはいます。が、イエスのその足もとにひれ伏し、試練の内にこそ隠された神のみ言葉、恵みがあることを信頼して、「たとえ、明日世界が終わるとしても、それでも今日私はリンゴの木を植える」という今日の一歩を主イエスの御心の内に歩みだしましょう。

日本福音ルーテル大森教会牧師 竹田孝一

21-08-01あなたのそばにある平和
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」

(ヨハネによる福音書15章12節)

  昨今の世界的なCOVID-19感染拡大にあって、病院や施設を訪問する機会が減ってしまいました。ご家族さえ面会が厳しく制限されている状況に在って、『お元気ですか』と訪ねてゆくことのままならない日常は、やはり平時とは異なると感ぜずにはいられません。施設によっては、市内の感染状況と照らし合わせながら面会制限の緩和がありますから、制限が緩和されたと報せを受けたならば訪ねてゆきます。

 ある施設に入るAさんを訪問した時のことです。その施設では、施設内に立ち入っての面会は許されておりませんでした。ですが、入り口の自動ドア越しにお顔を見ることができます。そして私の携帯電話と施設の電話とを繋ぎ、ガラス1枚を隔てではありますが近くに居ながらお話しすることができるよう配慮してくださいます。何度か訪問するうち、その方式にお互い慣れてきた頃のことです。面会の最後にはお祈りをするのですが、施設の職員さんが少しだけ、10センチほど自動ドアを開けてくださいました。そして私の手を消毒するよう促し、『どうぞ、Aさんの手を握ってあげてください』と言われたのです。

 驚きと同時に、喜びがこみ上げてきました。その職員さんは、いつも面会を隣で見ている中で、お祈りは特別なものだと感じられたそうです。そして、きっと手を握ったほうが良いと感じたと言うのです。
 私たちは教会で、それぞれの生活の中で、祈ります。祈りがどれほどの力を持っているか、疑うことはなくとも、どれほどその力を確信しているでしょうか。しかし、祈り合う姿を見て、確かにそこには力があるのだと感じられた隣人がいたのです。

 訪問の度に「教会の皆さんは元気ですか?」「教会は礼拝できていますか?」と繰り返し心配されるAさんの姿を見て、Aさんが本当に大切にしているもの、委ねているものが何であるかがはっきりと伝わっていたのです。

 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」この言葉は、イエスさまの告別説教と呼ばれる箇所の真ん中に記されています。弟子たちに託した、最後の教えの中心です。互いに、ですから、他者・隣人を愛することを教えています。そして隣人とは、自分の思い描く好き勝手な誰かのことではありません。イエスさまに敵意を向け十字架につけて殺した彼らを、それでもなお彼らをお赦しくださいと父なる神さまに祈るような、壁という壁を超えた先にいるような、そういう隣人です。

 憎しみに対して憎しみをもって対峙するのではなく、愛をもって向き合ってゆく姿勢は、弟子たちを通して、そして2000年の時を超えて今の私たちに語られるイエスさまの大切な教えです。それこそが平和への道であるのです。

 2000年、イエスさまが大切な教えを残されてから長い時が流れました。それでも、この世界は平和であるとは言えません。6月にはミャンマーにおいて教会を標的とした砲撃が何度もありました。平和は、どれだけ手を延ばしても届かないようなところにあるとさえ思います。

 しかしイエスさまは、隣人を愛することを私たちに最も大切な掟として、一番近くに、いつでも振り返り、立ち帰ることのできる場所に置かれました。何故なら、平和は私たちのすぐそばにあるからです。

 私たちが隣人へと愛を持って接するとき、そこには確かにキリストの平和があります。とても小さいことかも知れません。

 しかし、この小さな平和を信じられずに、どうして大きな平和を信じることができるでしょうか。イエスさまが示された、私たちにも祈り求めてゆくことのできる平和。隣人へと愛をもって接することによって、この世界に現わされてゆく平和。それは扉をたった10センチ開けることしかできないものかも知れません。

 しかし、この10センチが、確かにこの世界にキリストの平和があることを教えてくれているのだと思えてならないのです。

日本福音ルーテル下関教会・厚狭教会・宇部教会牧師 中島共生

21-08-01るうてる2021年8月号

機関紙PDF

「あなたのそばにある平和」

日本福音ルーテル下関教会・厚狭教会・宇部教会牧師 中島共生

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。
これがわたしの掟である」(ヨハネによる福音書15章12節)

 昨今の世界的なCOVID-19感染拡大にあって、病院や施設を訪問する機会が減ってしまいました。ご家族さえ面会が厳しく制限されている状況に在って、『お元気ですか』と訪ねてゆくことのままならない日常は、やはり平時とは異なると感ぜずにはいられません。施設によっては、市内の感染状況と照らし合わせながら面会制限の緩和がありますから、制限が緩和されたと報せを受けたならば訪ねてゆきます。

 ある施設に入るAさんを訪問した時のことです。その施設では、施設内に立ち入っての面会は許されておりませんでした。ですが、入り口の自動ドア越しにお顔を見ることができます。そして私の携帯電話と施設の電話とを繋ぎ、ガラス1枚を隔てではありますが近くに居ながらお話しすることができるよう配慮してくださいます。何度か訪問するうち、その方式にお互い慣れてきた頃のことです。面会の最後にはお祈りをするのですが、施設の職員さんが少しだけ、10センチほど自動ドアを開けてくださいました。そして私の手を消毒するよう促し、『どうぞ、Aさんの手を握ってあげてください』と言われたのです。

 驚きと同時に、喜びがこみ上げてきました。その職員さんは、いつも面会を隣で見ている中で、お祈りは特別なものだと感じられたそうです。そして、きっと手を握ったほうが良いと感じたと言うのです。
 私たちは教会で、それぞれの生活の中で、祈ります。祈りがどれほどの力を持っているか、疑うことはなくとも、どれほどその力を確信しているでしょうか。しかし、祈り合う姿を見て、確かにそこには力があるのだと感じられた隣人がいたのです。

 訪問の度に「教会の皆さんは元気ですか?」「教会は礼拝できていますか?」と繰り返し心配されるAさんの姿を見て、Aさんが本当に大切にしているもの、委ねているものが何であるかがはっきりと伝わっていたのです。

 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」この言葉は、イエスさまの告別説教と呼ばれる箇所の真ん中に記されています。弟子たちに託した、最後の教えの中心です。互いに、ですから、他者・隣人を愛することを教えています。そして隣人とは、自分の思い描く好き勝手な誰かのことではありません。イエスさまに敵意を向け十字架につけて殺した彼らを、それでもなお彼らをお赦しくださいと父なる神さまに祈るような、壁という壁を超えた先にいるような、そういう隣人です。

 憎しみに対して憎しみをもって対峙するのではなく、愛をもって向き合ってゆく姿勢は、弟子たちを通して、そして2000年の時を超えて今の私たちに語られるイエスさまの大切な教えです。それこそが平和への道であるのです。

 2000年、イエスさまが大切な教えを残されてから長い時が流れました。それでも、この世界は平和であるとは言えません。6月にはミャンマーにおいて教会を標的とした砲撃が何度もありました。平和は、どれだけ手を延ばしても届かないようなところにあるとさえ思います。

 しかしイエスさまは、隣人を愛することを私たちに最も大切な掟として、一番近くに、いつでも振り返り、立ち帰ることのできる場所に置かれました。何故なら、平和は私たちのすぐそばにあるからです。

 私たちが隣人へと愛を持って接するとき、そこには確かにキリストの平和があります。とても小さいことかも知れません。

 しかし、この小さな平和を信じられずに、どうして大きな平和を信じることができるでしょうか。イエスさまが示された、私たちにも祈り求めてゆくことのできる平和。隣人へと愛をもって接することによって、この世界に現わされてゆく平和。それは扉をたった10センチ開けることしかできないものかも知れません。

 しかし、この10センチが、確かにこの世界にキリストの平和があることを教えてくれているのだと思えてならないのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

⑰「目に見えなくて触れられないもの」

「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。/苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。」(詩編46・2)

 「シャーッ」いきなり目の前のカーテンが閉められました。6人部屋に入院していた私は面食らいました。慌てた様子で白衣の先生が「検査で陽性が出たんだよね」と私に言い、そして「部屋を個室に移ってもらわないとならないんだ」と何人かの看護師さんたちが私の荷物をガタガタとまとめ始めます。しかも普段どんなに私が不便そうにしていても一度も手伝ってくれなかった看護師さんまで手伝って下さって。「あら、ありがとう」と思いながらあれよあれよとあっという間に部屋を移動しました。

 部屋を移ってからは、「触れるなキケン」扱いです。なるべく部屋から出ないように言われ、部屋に入ってくる看護師さんはビニールのエプロンをかけ私の部屋を出たらエプロンを捨てていました。違う病棟に入院していた友人も私と親しく接触していたと言う理由で個室に移ったそうです。他の人にうつらないように?看護師さんのため?私が悪いの?

 これは10年前、インフルエンザの時の体験です。時々目に見えなくて触れられないものは恐怖や不安を私たちに抱かせます。私たちはあたかも見えて触れられるものだけしか安全ではないと思う時があります。でも目に見えて触れられるものも見えなくて触れられないものも全ては神様に守られています。決して恐れることはありません。

議長室から 大柴譲治

韓国・巡礼の旅

「そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。』」(ルカ23・34)

 1991年8月6日(火)〜13日(火)の「韓国・巡礼の旅」(西教区・平和と核兵器廃絶を求める委員会=PND主催)からちょうど30年。暑い夏、忘れられない夏でした。「過去に目を閉ざす者は、現在に対しても目を閉ざす」(ヴァイツゼッカー『荒れ野の40年』)。過去の過ちを繰り返さないためにも私たちは過去を心に刻み、それを想起し続けることが必要です。旅の目的は韓国ルーテル教会(KLC)池元祥(ジ ウォンサン)議長に宛てた内海望議長の書簡に記されていました。「私たちJELCの宣教百年を前にして、過去の検証と罪責告白とを目的としたメタノイアの旅です。そしてそれは過去への旅でもあると同時に、新しい未来に向かっての旅でもあります」。私たちを受け容れてくださったKLCをはじめ韓国の関係者の方々に心より感謝します。

 武村協牧師(PND委員長)が団長で私が全体の世話役、私の妻・韓国出身の金賢珠(キム ヒョンジュ)が通訳。参加者は西教区から水野登美子氏や高田敏尚氏、仙台から杉山昭男牧師と伊藤節彦氏(後に参加者同志でご結婚。後に牧師となられました)、熊本から斉藤忠碩牧師、三鷹の神学校から永吉秀人チャプレン、白川道生、三浦知夫、白井真樹(NRK)など神学生ら総勢27名(3歳と1歳の我が子2人を含む)。8月6日、当時広島平和公園の「外」にあった韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前で祈りを捧げて旅は始まりました。関釜フェリーで釜山に渡り、慶州(ナザレ園訪問)、ソウルと進みます。ソウルでは9日に三・一万歳運動が始まったパゴダ公園、景福宮を遮るように建てられていた旧朝鮮総督府の建物(当時はソウル国立中央博物館。1995年に解体撤去)、10日に天安の独立記念館と堤岩里教会を訪問。記念館では「天皇の軍隊」による拷問場面が蝋人形で再現されていて、ちょうど見学に訪れていた小学生たちと共に見ることになった心痛は忘れられません。堤岩里の生き証人の田同禮(チョン ドンネ)ハルモニにはお会いできませんでしたが、ハルモニは72年間毎日欠かさず事件のあった午後2時に日本のために「彼らをお赦しください。何をしているか分からずにいるのです」と十字架の祈りを捧げてこられた方です。そこで発せられた在日コリアン参加者の「私はどうしても日本人を赦せない」という悲痛な声と重なります。主の十字架による和解と平和を祈らずにはおれません。

 11日(日)早朝、南山にある義士・安重根(アン ジュングン)記念館を訪ね、そこから中央ルーテル教会まで歩いて主日聖餐礼拝を守りました。礼拝では私が英語で説教し、金海喆(キム ヘチョル)中央教会牧師が通訳でした。説教後に金先生が「配餐はどうぞ日本語でしてください」という言葉と差し出された手の温もりが忘れられません。私にとって一つの和解の体験でした。そして教会員との昼食交流会。午後3時にはそこで韓国原爆被害者協会会長の辛泳洙(シン ヨンズ)氏から被爆証言を伺いました。いずれの場所でも私たちは、自らが日本人であることを深く恥じいたたまれない思いになりました。しかしこれが私自身の原点となっています。アジア諸国と向かい合う時、過去の罪責を踏まえながら主の憐れみのうちに未来の和解に向かって共に歩みたいと願っています。
(韓国・巡礼の旅の報告書はルーテル学院大学図書館に収蔵)

「教会讃美歌 増補」 解説

⑭ルターのコラール
讃美歌委員会 日笠山吉之(札幌教会牧師)

 「讃美歌委員からの声」が一巡りしましたので、いよいよ「増補(分冊1)」に収められる曲目の解説に入っていきたいと思います。まずは、最初の方に収録されるルターのコラール群の全体像についてお話ししましょう。

 今回収められる全54曲のうち、23曲はルターのコラールが占めています。コラールとは、賛美歌のこと。賛美歌は言うまでもなくまず歌詞があってこその賛美歌ですから、ルターのコラールと言った場合もルター自身が歌詞を書いた賛美歌を指します。現行の「教会讃美歌」には、ルターが歌詞を書いたコラールが17曲収められていますが、それはルターが生涯に書いたと言われるコラールの半分にも満たないものでした。それで、今回はルターが作ったと言われるコラールはすべて収録しよう!という編集方針のもと、試行錯誤しつつ成し遂げました。ルターが書いたオリジナルのドイツ語の歌詞を、単に日本語に訳し直すだけでなく、賛美歌として歌えるようにする作業は本当に大変だったのです。これだけでも、ルーテル教会はもとより日本の賛美歌界にも一つの貢献が出来たのではないかと思います。

 ルターは神学者であるだけでなく、リュートをたしなむ音楽愛好家でもありましたので、作曲も出来ました。従って、ルターのコラールの中には彼自身が作詞・作曲をしたものも幾つかあります。「教会讃美歌」の中に収められた23番「天よりくだりて」や、450番「ちからなる神は」等は皆さんもよくご存知でしょう。今回の「増補(分冊1)」の中にも、ルター自身が作曲も手がけたコラールがかなり含まれています。あるいは、ルターが当時のカトリック教会で歌われていた聖歌や世俗の流行歌を編曲して歌えるようにしたものもあります。ルターといえば、当時のカトリック教会と喧嘩別れして追い出された人?というような印象があるかもしれませんが、カトリックの良いところはちゃんと認めて吸収したのです。それだけでなく、世俗的な歌まで取り入れて賛美歌に仕立ててしまうのですから、なかなか懐が深い人ですよね。それでは、次回から1曲ずつルターのコラールを取り上げていきましょう。

世界の教会の声

浅野 直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷・スオミ教会牧師)

スウェーデンのインターネット牧師①

ルーテル世界連盟(LWF)がスウェーデンのシャルロッテ・フルックルンド牧師にインタビューした記事(2021年3月19日)を何回かに分けて紹介します。

(元の記事のURL)
https://www.lutheranworld.org/news/sweden-internet-pastor-engages-faith-seekers-online

 シャルロッテ・フルックルンド(Charlotte Frycklund)牧師は、スウェーデン教会(Church of Sweden)のソーシャルメディア上で牧会する「インターネット・プリースト(司祭)」として、コミュニケーション部門のスタッフと夜昼問わずネットで人々を教会へつなぐ働きをしています。信仰、教会、神学など、簡単な質問から込み入ったものに至るまで答えながら祈り、COVID–19という未曾有の時代と向き合っています。

 フルックルンド牧師は、ウェブの場を自身の牧会地とするスウェーデン教会最初の牧師です。彼女はCOVID–19で多くの教会がオンラインを使い始める数年前から、すでにこの働きに着手しています。

インターネット・プリーストとして活動を始めたのはいつからですか。
 2016年です。スウェーデン教会が、ソーシャルメディアを利用して人々とのつながりを深めようとキャンペーンをやり始めたのが出発点です。話を進めていくうちに、信仰や教会の伝統に関する質問にオンラインで答えてみてはどうか、というアイデアが浮かびました。礼拝で祭服を着るのはなぜかとか、善と悪の問題のような牧会的な質問もあります。ソーシャルメディアは、答えを求める求道者と牧師が深く対話できる格好の場です。そういうやりとりなら、日曜日の朝の時間帯よりずっと多いですよ。(以下、次号につづく)

パンデミックの中の教会
北海道特別教区の取り組みから

中島和喜 (恵み野教会牧師 札幌教会協力牧師)

 昨年のクリスマス礼拝後、次第に教会でもオンライン化の機運が高まっていく中で、教会員が一言「これだけオンライン化が進んでいるんなら、聖研もオンラインで出来るんじゃないですか?」とおっしゃられました。なるほどと思い、教区の牧師会が開かれた際に「そういえばオンラインで聖研なんてのも面白いんじゃないですか?」と何気なく投げかけたところ、あれよあれよと話は進み、今年の4月から毎週水曜日の夜と木曜日の朝に「教区主催合同オンライン聖書研究会」がZoomを用いて開かれることとなりました。即座に決まっていったのには、皆で共にみ言葉を聞く時を渇望する気持ちが表れていたのだと思います。

 北海道には4名の牧師がいますので、春夏秋冬の4学期制にし、それぞれがテーマを定めて7回ずつ担当、年間で計28回の聖研をオンラインで開くこと となりました。初めはどれだけ人が来るのか予測もつかず、「夜の部は3名以下の場合は開講いたしません。」そんな保険をかけていましたが、蓋を開けてみると夜20名、朝20名、計40名が集まる大変賑やかな聖研となりました。

 参加される方々はオンラインに慣れている方ばかりではありません。むしろZoomを初めて使うという方が多く、初めはサポートも必要でしたが段々と慣れていき、今となっては初めのころに接続がうまく繋がらず牧師が電話越しでサポートしつつ数十分格闘して何とか出来るようになった方が、今度は誰かに設定方法を教えて聖研に参加できるようにするなんて事も起こり、人から人へ主の御業が広がっていく伝道の豊かさが表されていきました。

 年齢層もバラバラ、地域も同じ北海道とは言え端から端まで400キロ以上。中にはドイツから参加される方もおられ、まさにオンラインだからこそ実現した聖研となり、同時にそこには新しい群れが生まれました。「コロナが納まったらこの人たちと実際に集まりたい!」そんな思いが強められ、北海道特別教区の繋がりは以前よりもより深いものになったように思います。

 実際に会って集うことができない現状でありますが、北海道特別教区はそもそも距離の問題から中々集まることが難しい教区でした。だからこそ、オンライン化によって以前よりもむしろ各教会の心の距離が縮まっていったように思います。画面越しでも共に豊かに集うことが出来る。それは中心に主のみ言葉があるからでしょう。改めて、主のみ言葉の力強さを味わうひと時となりました。

神学生修養会報告と「献身者を求める祈り」の呼びかけとお願い

神学教育委員会  池永清(市ヶ谷教会)

神学生修養会(報告)

 「2021年度神学生修養会」が6月7日(月)、8日(火)いずれも9~12時にルーテル神学校で開催されました。参加者は神学校の牧師養成コースに在籍する神学生全7名(現在すべてJELCでNRKは在籍者なし)、神学校教員、神学教育委員で、オンライン参加も併用して行われました。 以下に簡単に概要だけご報告いたします。

〇修養会のテーマ
『神学すること~実存的な出会い』

〇修養会が目指すこと/
自分の信仰のルーツと思える体験を互いに分かち合い、信仰とは私の人生においてどのようなものであったのか、そして、あるのかを考える。

6月7日
テーマ『私の信仰のルーツ』
⑴証し(神学校教員1名、神学教育委員1名)
⑵協議/グループに分かれて自分の信仰のルーツを共有し分かち合う。

6月8日
テーマ『私と神学』
⑴ミニ講義「神学すること」(ルーテル学院大学学長 石居基夫)
⑵ワークショップ/グループに分かれ相互インタビュー形式により「聞く力、伝える力」を学ぶ。

「献身者を求める祈り」の呼びかけとお願い

 私たち信徒は教会でみことばを聞き、交わりを持てることを何よりの喜びとしています。牧師はさまざまな形で神さまと私たちとの取り次ぎをしてくださいます。しかしその牧師が現在も将来的にも不足しています。

 本紙4月号で三浦知夫先生(神学教育委員長・東京池袋教会牧師)が「献身者を求める祈り」について次の様に述べておられます。

〇神学校と日本福音ルーテル教会と日本ルーテル教団の神学教育委員会で「献身者を求める祈り」の動画を作成しました(中略)可能ならそれぞれの教会で動画を一緒にご覧になる機会を設けていただければと思います。

〇今年の第5日曜日となる5月30日、8月29日、10月31日の礼拝の中でともに祈りを合わせていただければと思います。

 献身者を生み出すのは教会です。お一人お一人の祈りの中に、また教会の祈りの中に献身者を求める祈りを加えていただければと思います。なお動画(約30分 YouTube)は関係者限定公開となっていますので、視聴のためのURLは所属教会にお尋ねください。

連帯献金の呼びかけ

事務局長 滝田浩之

 2021年度の連帯献金を呼びかけます。

 今年度は「世界宣教のために」、「災害支援のために」、「喜望の家の働きのために」、以上の諸課題のために献金を呼びかけます。

 「世界宣教」は「ブラジル宣教」については一区切りとなり、今後はアジアへの宣教について世界宣教委員会から提案される予定です。

 また「災害支援」につきましては、日本福音ルーテル教会はACT–JAPANに加入しています。国内外の災害に、迅速に対応していきます。このたびの豪雨被害についても「災害支援」としてお受けしています。ご支援をお願い申し上げます。

 今回は、特に「喜望の家」の働きをご紹介いたします。関心を持って頂き、貴重な働きのためご支援を頂けますと幸いです。

喜望の家の活動紹介と現状報告

秋山仁(喜望の家代表・ 豊中教会牧師)

 いつも皆様には、お祈りとお支えをいただき、ありがとうございます。紙面をお借りして感謝申し上げます。

 喜望の家は、1976年11月、大阪市西成区の日雇い労働者の町、通称「釜ヶ崎」に、日本福音ルーテル教会によって設立された施設です。当初より、アルコール依存症およびギャンブル依存症の問題を持った方々が回復していくための援助を行っています。

 活動の内容は、毎週火曜日から土曜日まで、⑴依存症の問題を抱えている方々の居場所提供、⑵カウンセリングや作業療法など、依存症からの回復のためのプログラムの提供、⑶生活保護受給並びに受給後の生活相談などを行っています。また他にも⑷厳寒期の越冬夜回りの担当など、釜ヶ崎キリスト教協友会のメンバーとして共同で地域活動をしている、⑸依存症や教会のディアコニア運動に関する啓発活動などを行っています。

 昨年は、COVID-19感染に対する最初の緊急事態宣言の際には、週5日の活動日を週4日にするなどして対応しました。ただ利用者の方から「休館日が退屈で仕方がない」という話が出てからは、マスク着用、手指の消毒、室内では3密にならないようにする、部屋の換気を心がけるなど、感染予防対策をしっかり行ったうえで通常通りの活動をしています。とはいえ、食事会や外出レクリエーションなどのプログラムは、COVID-19の流行が収まるまでは休止していますし、「宣言」が発令されればボランティアの方々の出入りも休止していただくなど、制限されることも多いのが現状です。ただ、高齢者の方々のワクチン接種も進んでいて、皆さんお元気に毎日を過ごしています。

 隔月でニュースレター「きぼう」を発行し、喜望の家の活動や様子、釜ヶ崎地域での出来事、依存症やディアコニア運動に関する啓発活動などの記事を掲載して、支援者の皆様のところにお届けしています。各教会にもお送りしていますので、是非お読みください。今後ともご支援をよろしくお願いいたします。

第7次綜合方策の紹介⑷

事務局長 滝田浩之

■方策本文より

教会のリ・フォーメイション
 第7次綜合方策は、そのキャッチフレーズを「教会のリ・フォーメイション(再形成)」として、「魂への配慮」を実現することによってルター派に立つ教会形成を行い、そこに徹底的にこだわることによって教会が成長することを信じるものである。個々の教会が宣教の最前線であり、この成長と充実が目指されるべき方向である。

 第7次綜合方策は、長年、教会の中で課題とされてきた「宣教力の低下」を、明確に「牧会力の低下」、「分かち合う力の低下」にその原因を見る。「牧会力と分かち合う力」は、牧師の責任は言うまでもないが、個々の教会の課題であると告白する。しかし戦後宣教師を加えると200名近い教職が在籍していた時の教会数を、80名前後の教職で担わなければならないという物理的な環境の変化にも原因の一因があると考える。更に、このような外的な要因は、今後教職が明らかに減少する傾向を見る時に、より一層深刻化することは間違いがない。

 もちろん、私たちは教職の与えられることを祈り、ありとあらゆる施策を実行する。一方では牧師の数を確保するため牧会委嘱のあり方についても検討を開始する。

 しかし、「目指すべき教会の姿」を実現しようとする時、牧師が個人として資質を成長させるのと同時に、一人の牧師が、どのような形で、託された群れの牧会を実現していくのか。いかにすれば、「牧会力と分かち合う力の回復」を果たし、「ルター派に立つ教会」を形成できるのか。
 
第7次綜合方策は、経済的自給を果たした今、牧会力と分かち合う力の回復を課題としつつ宣教のあり方を再考し、ルター派に立つ教会の形成を目指し教会の「リ・フォーメイション(再形成)」を行う。

■解説

 日本福音ルーテル教会は各個教会主義の連合(連盟)組織ではありません。それは規則の上でも「個々の教会」と表現するところに表れています。「個々の教会」は近隣の個々の教会と「教区」を形成し日本福音ルーテル教会を形成しているのです。そして私たちは確かに教区という単位で経済的に相互に分かち合ってきました。しかしこれから重要なことは、更に近隣の教会同士が「ルター派の教会を形成する」という旗印のもとに、どうすれば血の通った一つの宣教共同体を形成することができるのかにあります。

 よって第7次綜合方策は、トップダウン式に教会の統廃合を行うことを目指すものではありません。なぜなら教会は分かち合うことを通して本来の姿を取り戻すと考えるからです。牧師不足の中で、個々の教会が牧師によって結びつくという形から、個々の教会同士、信徒の方々が、宣教の働きを相互に分かち合うところに生まれる、宣教共同体となっていく道筋です。

 分かち合う教会への成長、この思いが「教会のリ・フォーメイション(再形成)」というキーワードには込められています。

第28期第14回 常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 6月14日、オンライン会議で行われた標記の件、ご報告いたします。

⑴人事案件
 病気休職中であった宮川幸祐牧師の退職、鶴ケ谷・仙台教会の太田一彦牧師の引退を受理しました。日本福音ルーテル教会の宣教の働きに献身くださったことを心から感謝すると共に、これからの新しい歩みが主に祝されたものになることを心からお祈りしています。

⑵「教会讃美歌 増補(分冊1)」について
 ルーテル4教派で10年以上の歳月をかけて準備をしてきた「教会讃美歌増補(分冊1)」の発行が今年の宗教改革主日に行われることが報告されました。1冊1100円(税込)での販売になります。ルターの賛美歌を多く収録し、また現代の賛美歌も収録されています。各教会での礼拝がさらに豊かにされるものになることが期待されます。各教会へはサンプルとして1冊を贈呈することを予定しています。各教会で購入をご検討頂けますと幸いです。

⑶教会関係法人関連規程の問題点と見直しの方針
 財務委員会から検討資料として標記の案件について説明が行われました。
 「関係法人」とは個々の教会の宣教の働きから生まれた幼稚園、保育園の働きが、運営の安定、あるいは地域行政の働きかけで学校法人、あるいは社会福祉法人を取得して運営されている法人を指します。規程が作成された時代から年月が経過し、現在の法律に適合していない部分、また法人化することで個々の教会の宣教の働きとしての位置づけが継続的に行われていくことができるように、そのガイドラインを改めて確認する必要が説明されました。

 今回の常議員会での説明、また今後は教区や、実際に関係法人の意見を集約しつつ議論を重ね規則改訂を進めていくことが確認されました。

 なお「議長報告」において「集計表における男女の人数」の把握について、多様な性のあり方が尊重される今日の社会的状況を加味し、男女の区分の取りやめなど 、人数の把握のあり方について適切な対応をしていくことが提案されました。事務局としては、これを受けて社会委員会に、この件に関する意見を求めることとし、それを踏まえて次回常議員会に提案する予定です。単に集計表の記載方法を変更することに留まらず、社会委員会の作成された『多様な性を知るために』などもお読み頂き、関心を深めていただけますと幸いです。またこの件に関して、ご意見を事務局までお寄せください。

 この他の案件については常議員会議事録でご確認頂けますようにお願い申し上げます。

全国ルーテル青年の集い、再び!

森一樹(市ヶ谷教会)

 今年2月に開催された全国のルーテル教会に集う青年を対象にしたオンライン合宿の好評を受けて、新たに、月に1度の青年の集い「Pray! Play!! Friday!!!」略して【ぷれぷれ】がオンラインで開催されることになりました。昨今激減している青年同士の交流や分かち合い、また新たな仲間との出会いの場を定期的に持てたらと、有志の青年らによって企画がなされました。今回の【ぷれぷれ】では、共に聖書を開き、御言葉を分かち合うことで、自身と神様、また教会との繋がりを考えるだけではなく、毎月異なる牧師をゲストとしてお招きし、青年に向けた聖書のお話をして頂く予定です。また、青年同志の交流にも重点を置き、同世代の信仰の友と出会い、親交を深められるよう準備もしております。開催方法としては今回もオンラインですので、全国どちらからでもご参加頂けます。また青年活動への参加が初めての方や久しぶりの方でも参加しやすい様、配慮をしていますので、ぜひこの記事を読んで下さっている皆さまから、お知り合いの青年にもお知らせ頂けると幸いです!そして、この先の教会を担っていく青年たちが互いに信仰を励まし合う関係を築ける様に、またこれから新たに教会の輪に加わる青年が一人でも多く与えられるようお祈りください。

 開催日時など詳しい情報は、各教会の牧師宛てにメールでお送りしている開催案内とポスターをご確認下さい。また青年向けに公式インスタグラムでも情報を発信していますので、左記QRコードからぜひインスタもご覧ください。

開催期日:毎月1度いずれかの週の金曜日21時より(今年12月まで)。
開催方法:オンライン(Zoom)
参加対象:全国のルーテル教会に集う青年(18歳から35歳まで、原則高校生不可)。

2021年度「日本福音ルーテル教会教師試験」について

 2021年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を下記要領にて実施いたします。教師志願者は必要書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。

〈提出書類〉

◇教師志願書
◇志願理由書
テーマ「なぜ『日本福音ルーテル教会の教師』を志願するのか」
書式 A4横書き2枚 
フォントサイズ11ポイント
◇履歴書(学歴、職歴、信仰歴、家庭状況等を記入すること)
◇教籍謄本(所属教会教籍簿の写し)
◇成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書(法務局交付のもの。任用試験時に必要になります)
◇所属教会牧師の推薦書
◇神学校卒業(見込)証明書及び推薦書
◇健康診断書(事務局に所定の用紙があります)

〈提出先〉
日本福音ルーテル教会
常議員会長 大柴譲治宛

〈提出期限(期限厳守)〉
2021年9月17日(金)
午後4時までに教会事務局へ提出すること

◇個人で神学の研鑽を積み受験を希望する者は、必ず神学教育委員会の推薦を得ること
◇国外のルーテル教会の神学機関に学び神学修士を持ち受験する者は、願書提出前に事務局に相談すること

〈試験日及び試験内容〉
志願者本人に直接連絡します。

21-07-01主に献げて委ねる
「さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。」

(ヨハネによる福音書6章11節)

 「パンの奇跡」は四福音書のそれぞれが物語る唯一の奇跡です。弟子たちにとってこの奇跡ほど印象深いものはなかったのでしょう。日が傾きかけた頃、ベトサイダの「人里離れた」(マコ6・35)草地で起こったあの出来事の消息を思い巡らします。それは私たちのこころざしを主に信頼して委ねたときに、主が私たちの思いを超えて豊かに用いてくださった奇跡のように思われます。

 四福音書の内でヨハネだけが主イエスと弟子のフィリポやアンデレとのやりとりを実に生き生きと伝えていて、これは現に起こった出来事だったと感じずにはおられません。

 その日、主はご自分を慕ってくる群衆を見て憐れまれ、この辺りに土地勘のある「フィリポ」(ヨハ1・44)に「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」(ヨハ6・5)と尋ねました。ヨハネ福音書は主が「フィリポを試みるため」(ヨハ6・6)にそのように問われたと述べています。

 するとフィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」(ヨハ6・7)と婉曲に断りました。200デナリオンは労働者の半年分以上の賃金に相当します。たとえ少しずつ配るとしてもかなりの金額です。フィリポは主のこの群衆への「深い憐れみ」(マコ6・34)に共感したものの、とても現実的ではないと結論したのでしょう。他の弟子たちも同じ考えだったようです。
 共観福音書では、ここで弟子たちは「人々(群衆)を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べ物を買いに行くでしょう」(マコ6・36、マタ14・15、ルカ9・12)と進言し、これに対して主は「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」(マコ6・37、マタ14・16、ルカ9・13)とお答えになります。

 主と弟子たちとのこうした会話は側にいた人たちにも聞こえたのではないかと想像します。群衆は15キロもの距離をやってきたと考えられます。群衆の中には自分や家族のためにパンや魚を持っている者がいても不思議はありません。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」という弟子たちへの言葉を、「主はこの私にも呼びかけられた」と聴きとって心を開いた家族があった。彼らは主を信じて、持っていたパンと魚を主にお委ねしようと決意した。だから一人の少年が立ち、精一杯の献げものであるパンと魚を差し出してくれたのだと思います。

 アンデレは急いで主に報告します。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます」(ヨハ6・9)。そしてつぶやきました。「けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」(ヨハ6・9)。アンデレは「これだけでは不十分だ」と思い込んでいます。私たちもついこういう見方に陥ります。

 しかし主はこの心からの献げものを喜んで受け取られた。そして弟子たちに命じておよそ5千人もの人々を座らせると「パンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた」(ヨハ6・11)。四つの福音書が異口同音に人々は満腹した、「残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった」(ヨハ6・13、マタ14・20、マコ6・43、ルカ9・17)と証言します。一体何が起こったのか?四つの福音書が、パンと魚を持っている家族がいた、それが主に献げられた、主はこの献げものを神に感謝し、祈り、人々に分け与えられたと語ります。

 「あなたがたがやしないなさい」とのみ言葉を、あの子どもの家族のように聴き取り、自分たちに出来る精一杯を、主に献げて委ねる人々が、次々と起こされたとしたらどうでしょうか。主イエスによって私たちが神につながるとき、そこにはきっといつの時代でも、今も、あの時のように「神の国」のような世界が実現します。

日本福音ルーテル湯河原教会・小田原教会牧師 岡村博雅

21-07-01るうてる2021年7月号

機関紙PDF

「主に献げて委ねる」

日本福音ルーテル湯河原教会・小田原教会牧師 岡村博雅

「さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。」(ヨハネによる福音書6章11節)

 「パンの奇跡」は四福音書のそれぞれが物語る唯一の奇跡です。弟子たちにとってこの奇跡ほど印象深いものはなかったのでしょう。日が傾きかけた頃、ベトサイダの「人里離れた」(マコ6・35)草地で起こったあの出来事の消息を思い巡らします。それは私たちのこころざしを主に信頼して委ねたときに、主が私たちの思いを超えて豊かに用いてくださった奇跡のように思われます。

 四福音書の内でヨハネだけが主イエスと弟子のフィリポやアンデレとのやりとりを実に生き生きと伝えていて、これは現に起こった出来事だったと感じずにはおられません。

 その日、主はご自分を慕ってくる群衆を見て憐れまれ、この辺りに土地勘のある「フィリポ」(ヨハ1・44)に「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」(ヨハ6・5)と尋ねました。ヨハネ福音書は主が「フィリポを試みるため」(ヨハ6・6)にそのように問われたと述べています。

 するとフィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」(ヨハ6・7)と婉曲に断りました。200デナリオンは労働者の半年分以上の賃金に相当します。たとえ少しずつ配るとしてもかなりの金額です。フィリポは主のこの群衆への「深い憐れみ」(マコ6・34)に共感したものの、とても現実的ではないと結論したのでしょう。他の弟子たちも同じ考えだったようです。
 共観福音書では、ここで弟子たちは「人々(群衆)を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べ物を買いに行くでしょう」(マコ6・36、マタ14・15、ルカ9・12)と進言し、これに対して主は「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」(マコ6・37、マタ14・16、ルカ9・13)とお答えになります。

 主と弟子たちとのこうした会話は側にいた人たちにも聞こえたのではないかと想像します。群衆は15キロもの距離をやってきたと考えられます。群衆の中には自分や家族のためにパンや魚を持っている者がいても不思議はありません。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」という弟子たちへの言葉を、「主はこの私にも呼びかけられた」と聴きとって心を開いた家族があった。彼らは主を信じて、持っていたパンと魚を主にお委ねしようと決意した。だから一人の少年が立ち、精一杯の献げものであるパンと魚を差し出してくれたのだと思います。

 アンデレは急いで主に報告します。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます」(ヨハ6・9)。そしてつぶやきました。「けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」(ヨハ6・9)。アンデレは「これだけでは不十分だ」と思い込んでいます。私たちもついこういう見方に陥ります。

 しかし主はこの心からの献げものを喜んで受け取られた。そして弟子たちに命じておよそ5千人もの人々を座らせると「パンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた」(ヨハ6・11)。四つの福音書が異口同音に人々は満腹した、「残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった」(ヨハ6・13、マタ14・20、マコ6・43、ルカ9・17)と証言します。一体何が起こったのか?四つの福音書が、パンと魚を持っている家族がいた、それが主に献げられた、主はこの献げものを神に感謝し、祈り、人々に分け与えられたと語ります。

 「あなたがたがやしないなさい」とのみ言葉を、あの子どもの家族のように聴き取り、自分たちに出来る精一杯を、主に献げて委ねる人々が、次々と起こされたとしたらどうでしょうか。主イエスによって私たちが神につながるとき、そこにはきっといつの時代でも、今も、あの時のように「神の国」のような世界が実現します。

連載コラム「命のことば」 伊藤早奈

⑯「行きたいですか?」

「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」(エフェソの信徒への手紙1・23)

 「教会へ行きたいですか?」と質問したことを私はすぐに後悔しました。なぜかと言うと、いつも明るく笑っていたその人の目からポロポロと涙が溢れていたからです。

 くしゃくしゃになった表情の口から絞り出すように言われた一言は「行きたいよ。」でした。病気で長く入退院を繰り返しておられる彼女は何年も教会には行かれておられないとのことでした。私が彼女の向かいのベッドに入院した時は嬉しそうに自分はクリスチャンだと話され私と向かい同士だと喜ばれた矢先のことでした。私は心の中で「ごめんなさい」を繰り返していました。

 自分が具合悪いからという理由だけではなく、いろんな理由で教会へ行かれないという方が多いと思います。特に昨年から拡がった感染症のために、それぞれの方々が通われる教会もいろいろな工夫をされ、教会につながるお一人お一人がいろんなかたちで礼拝を守られたことと思います。お一人お一人と共に神様はおられるのです。そのようなお一人お一人に「教会へ行きたいですか?」なんて聞けません。

 同じようにいろんな状況に置かれて、いろんな理由の方がおられます。その全ての理由や状況をわかっておられるのが神様です。あなたが隣人のために行動していることを神様はわかっておられます。

議長室から
総会議長 大柴譲治

恥と罪

「ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」(ルカ15・20b)

 私の神学校の卒論は「ルターとボンヘッファーにおける罪の赦しの神学」(1986)。当時29歳の私にはまだ「罪責感情(罪/Guilt)」という次元しか見えていませんでした。9年の牧会経験を経て米国で学ぶ機会が与えられます。2年の格闘の末辿り着いた主題は〝Ministry to the Shame-bound Japanese〟(1997)。人生の午後が始まろうとする40歳にしてようやく「羞恥感情(恥/Shame)」の次元が見えてきたのでした。

 両者は共に深い痛みを伴う感情で重なり合うことも少なくありませんが、区別が必要です。異なる対処が求められるからです。罪が行為の次元における痛み/悔いであるのに対し、恥は存在自体の次元における痛み/悔いです。存在は行為に先立ちその前提となっているように、恥は罪よりも深いところに位置する。「恥ずかしくて穴があったら入りたい」という表現が自己の存在を抹消したいというところからもそれは分かります。
 現に聖書では恥の方が罪より先に登場します(創世記3・6〜10)。また、強い恥意識を持つ人は強い誇りの意識をも併せ持ち(職人気質など)、両者は一対、表裏一体です。罪からの解放には「赦し」が必要ですが、恥からの解放にはあの放蕩息子の父親のように、「ボロボロになった惨めな(無力さをuncoverされた)自分をありのままで受容(cover)してくれる愛」が必要なのです(ルカ15・20)。そこでの父親は母性的な愛の体現者でした。そのように恥の次元が見えてきた私には福音の喜びがより立体的に見えてきました。主の十字架は私たちを罪だけでなく恥の痛みからも解放してくれる和解の出来事だということが。

 「恥の多い生涯を送って来ました」と主人公に語らせたのは太宰治(『人間失格』)。遠藤周作がキリスト教を「母なる宗教」と呼ぶ時、自らの無力さと恥に苦しむ者をそのままで抱きとめる「母なるキリスト」の姿をそこに見ているのだと私は思います。恥の研究を通して出会った二つの名言を紹介します。「高くジャンプするためには低く屈まなければならないように、恥意識の強さはその人の魂の飛翔性の高さを示している」(マックス・シェーラー)。「自分がどうしようもないと思うまさにその一点こそ、神がご自身の聖名(イエス・キリスト)を署名してくださった一点である。なぜなら神こそ私たちのために無となってくださったお方なのだから」(トマス・マートン)。

「教会讃美歌 増補」 解説

⑬讃美歌委員からの声⑻
讃美歌委員会 石丸潤一 西日本福音ルーテル 新田教会牧師)

 千葉県市川市にあります西日本福音ルーテル教会新田教会で牧師をつとめています、石丸潤一と申します。

 『教会讃美歌 増補』の編集のため、四つのルーテル派教団から讃美歌委員会が構成されました。私は、当初委員をつとめてくださった当教団の小賀野英二牧師、ハリー・フオヴィネン宣教師の後を継ぐかたちで、委員に任ぜられました。

 以来、委員の働きをつとめる間に、関西、山陰、関東と牧会の働きの場が変わりました。それだけ多くの年月がかかったにもかかわらず、「分冊Ⅰ」の発行間近である今でも、まだ作業が足りないと感じます。原曲の選定、新作賛美の募集、外国作品の翻訳、訳詞の作成、伴奏の編曲、楽譜の体裁の統一、著作権のチェック、等々。1冊の賛美歌集の背後に膨大な作業が隠されていることを、委員となって、初めて知らされました。
私は、教団の賛美委員会や韓国の賛美宣教団の奉仕(韓国語賛美の訳詞作成など)にも携わらせて頂いていますが、音楽や文学の専門的な学びを修めたわけではなく、「賛美が好き」という程度の者です。讃美歌委員のつとめには分不相応と常々感じていました。ですが、神様は、委員の働きを通して、恵みに気付かせてくださいました。様々な編集作業に携わることで、私の信仰生活が、先人のすばらしい信仰と賜物とバイタリティの上に立たせて頂いていたことを思い起こされました。また、音楽に造詣の深い他の委員の皆様からたくさんのことを学ばせて頂き、得がたい経験を重ねました。感謝です。
 賛美は、私たちから出る前に、多くの恵みに支えられています。

 父なる神様が音のある世界を創られ、音楽を与えられました。御子イエス・キリストの十字架と復活によって、神様を賛美するいのちと舌を頂きました。聖霊が私たちに働いて、私たちの賛美する信仰を導かれます。聖霊の導きのもと、多くの信仰者が、みことばに基づく賛美歌を生み出しました。

 賛美に先立つ神様の恵みにまず感謝し、さあ、ともに賛美を始めましょう。
ルターのコラールは、私たちが忘れてはならない信仰の根を教えます。新しい日本の賛美歌は、時と空間を超えて今に受け継がれてきた信仰の根から咲いた色とりどりの花のように、神様の栄光と信仰生活の喜びを証しします。

 皆さんの信仰生活が主にある喜びでますます満たされるため、また世に主の救いの恵みが広げられるため、「教会賛美歌 増補」と収録された賛美が用いられますように。

私たちの礼拝 —式文ハンドブック—

⑫信徒の礼拝奉仕
松本義宣(式文委員会委員長・東京教会牧師)

 礼拝(Liturgy)を表わすギリシャ語はレイトゥルギア、原意は「民の業・働き」です。新約聖書では、ヘブライ語の「祭儀」の訳語として用いられています。もちろん、礼拝はまず神様が人にみことばをもって奉仕してくださる出来事ですが、その恵みに応答する意味で、しかも私たち全てがその「神奉仕」の業に参与する重要性から、「(神の)民の業」である礼拝という側面が注目されてもよいでしょう。教会は「礼拝する民」の共同体です。

 そのために、礼拝において様々な奉仕、役割が私たちには与えられています。定められた時間に定められた場所に集うところから始まります。その神の民の業に仕える司式者の重要性はいうまでもありませんが、何より会衆、礼拝に集う一人一人が、恵みに与るだけでなく、応答し参与する者として、奉仕と役割を担っていることを確認しましょう。

 現在、新型コロナウイルス感染症の下、この当たり前だったことが、そうではないことを改めて知らされる経験をしています。整えられた礼拝堂で、司式者の下で共にみことばを聞き、賛美し、祈り、聖餐に与ることが、まさにかけがえのない恵みであることを痛感します。

 また、今回のハンドブックでは、これまであまり触れられてこなかった「信徒の礼拝奉仕」の項目が加えられました。もちろん、これまでも各教会で様々な奉仕がなされてきました。まず特別な賜物の奉仕として奏楽があり、信徒説教者もあります。他にも聖書朗読、献金やお祈りなどの担当等です。

 しかし、現在、常に礼拝時に牧師(教職)が司式を担当しない状況も出てきました。あるいは、この感染症下にリモート(オンライン)礼拝に、個人や家庭ではなく一定の人数が集って与るということもあり得ます(既になされてもいます)。信徒によって司式がなされ、説教原稿の代読といった重要な奉仕が担われてもいます。

 これは、礼拝を司る役目の牧師数の減少という課題に対応する側面だけでなく、もっと積極的に、本来の意味で「会衆」が参与し、神の民に仕える「信徒の礼拝奉仕」が見直され、新たに位置づけられていくことが求められているからです。

 また、それは礼拝での様々な担当だけではありません。その前後の準備、昔からなされている受付や新来会者、高齢者や子どもたちへの配慮、マイク等の整備等、すべてが大切な奉仕と役割であることを、改めて各教会で話し合い、担い合っていくことが求められていることを覚えましょう。

全国教師会オンライン集会報告

立山忠浩(全国教師会会長・ 都南教会牧師)

 連休最後の5月5日に全国教師会オンライン集会を開催しました。初めての試みでしたが、60名もの参加がありました。全国教 師会の総会は、2年ごとに開催される教会の全国総会の前日に開くことになっていますが、全国総会が来年5月に延期されましたので、それに合わせて来年に延期しました。2年に一度、教師全員が一堂に会する貴重な機会を失ったことになります。それに加え、3〜4年ごとに開催する退修会も、本来ならば今年の秋に開催する計画でしたが、断念せざるを得ませんでした。新型コロナウイルスに翻弄された形です。

 オンライン集会を開催した理由は、延期された教師会と退修会を穴埋めするためです。一堂に会することはできませんが、
画面を介して互いの音信を分かち合い、元気な姿を確認し合う恵みの機会となりました。

 教会規則には教師会の任務が記され、諸事項を適切に処理する役目が明記されています。例えば「教理、神学に関する共通の理解に関わる事項」とあります。教理や神学に関することでの教師間の共通理解を求めています。霊的修養や生涯研修、宣教に係わる事項なども列記されています。

 ただ、教師会の任務を語る前に、整えなければならない課題があることを痛感しています。以前から内在していた課題が、このコロナ禍によって顕在化しているのです。牧師不足の深刻さがさらに増し、1人の牧師が複数の教会を牧会することが当たり前です。教会と関連する諸施設や幼保園・こども園などの兼務も多くの牧師が担っています。いずれも宣教上極めて重要な働きであるゆえに、その任を託される牧師は懸命に励んでいますが、どこかでからだが悲鳴を上げているように思えるのです。私に妙案があるわけではありません。でも教会全体で考えなければならない構造的な問題です。

 宣教の地に牧師は1人で派遣されます。本来孤独は避けられません。しかし宣教の地での現実について語り合い、分かち合える仲間がいるならば、きっと孤独感や孤立感から逃れる道が見つかるのではないか。まずここから取り組みたいのです。教師会で始まった試みは、今秋のオンライン退修会へと継続されることになります。

コロナ時代の説教と聖餐
—牧師のための ルター・セミナー(2021年)報告

江口再起(ルター研究所所長)

 5月31日~6月1日にルター研究所恒例の「牧師のためのルター・セミナー」が開かれました。しかし今年のセミナーは例年とは少し違う形で開催。一つはコロナ禍のためウェブ会議方式(Zoom)で開かれたこと、そしてもう一つはセミナーの初心にもどって、牧師の真剣な討議の会としたことです。

 コロナ禍の困難の中にあって、牧師こそが先頭に立って、改めてもう一度、教会が直面している諸課題について学ぶ必要があると考えたからです。

 というわけで全国から1日目約60名、2日目約50名の牧師(現職、引退)と神学生が参加しました。
主題テーマは、ズバリ「コロナ時代の説教と聖餐」。
 教会にとって一番大切なことは、言うまでもなく「説教」と「聖餐」ですが、このコロナ禍にあって、いつも通り礼拝ができなかったり、オンライン礼拝に切り替わったり、聖餐式ができなかったり、今、全世界の教会において歴史上、体験したことのない変化が起こっています。この問題をどう考えるべきか。

 1日目午前はシンポジウム「コロナ時代の説教」。後藤由起(本郷教会)、小泉基(函館教会)、神﨑伸(天王寺教会)の各牧師より実際の教会現場からの説教事情と課題をめぐって発題がありました。
 午後は立山忠浩牧師(都南教会)より「説教と聖餐」について、ルターの著作と聖書を繙きつつ講演がありました。
 リアクターは高井保雄牧師(引退教職)。ヨハネ福音書4章にでてくるイエスとサマリアの女の問答をめぐり「まことの礼拝」とは何かが問われました。

 2日目午前は、宮本新牧師(神学校)より講演「ルーテル教会という構造~礼拝・教会・宣教」がありました。
 アメリカ福音ルーテル教会のコロナ対応の問題を糸口に、そもそもルーテル教会とはどういう教会なのか、いったい礼拝とは何か、そして改めて伝道(宣教)は今日という時代において、いかにあるべきなのかが、問いただされました。リアクターは大柴譲治牧師(大阪教会)。
 2日目午後は、全体討議「ルーテル教会はどこへ行く?~ポストコロナの時代を見すえて」。参加者全員でコロナのこと、教会の過去・現在・未来、そしてその中での牧師の使命と実存などなど、喧々諤々。もとより教科書的な正解があるわけではありません。しかし、このように信仰について、教会について、説教について、聖餐について、かくも熱く真剣に話し合い、学び合うところにこそ、ルーテル教会の伝統と、そして未来があることを実感できるセミナーとなりました。

アメリカ病院聖職者 チャプレン報告3
関野和寛

 日本福音ルーテル教会の留学制度を利用して昨年よりアメリカ、ミネソタ州の病院でチャプレンとして週5日、フルタイムで働き出し、もうすぐ1年になろうとしています。コロナ室と精神科病棟が私の担当でしたが、ワクチン接種開始から半年コロナ入院患者は激減し、コロナ患者よりも一般患者の看取りや家族のケアをする時間の方が多くなってきました。一般病棟の患者、家族のケアの中にはアメリカの社会問題が凝縮されています。アメリカの自己破産の大きな要因は医療費であり、コロナショックにより失業、車や家を売り入院費用を賄わなくてはならない人々がいます。ベトナム戦争、イラク戦争のトラウマで苦しみ入院している患者の元に駆けつける夜もあります。また非常に驚くことにこちらでは家族や近親者が殺人事件に巻き込まれ癒える事のない傷と共に闘病をしている患者がとても多く、そのような苦しむ心に向き合う働きをしています。ここミネアポリスでは犯罪率がコロナパンデミック前の何倍にも跳ね上がっています。経済が回復方向に向かっているように見えますが、格差、断絶、マイノリティーかつ貧しい人々の苦しみは日に日に大きくなっています。

 病棟を周りそのような患者と向き合うという事は、一人ひとりと向き合うということと同時に社会問題、そして世界の痛みに向き合うことなのだと感じています。そしてその大きな傷の前にチャプレンは無力で解決策を持っていません。けれどもその無力さからでる共感、そして祈りの中に神が働く事を信じて日々努めています。この秋からはここで得たものを持って日本の神学校で臨床牧会訓練の指導に参加させていただく予定です。

「ありがとう神さま」 ~みんなでつながろう!~
Zoomでルーテルこどもキャンプ

 例年8月に行われている「こどもキャンプ」の案内です。今年もコロナの影響で実際に集うことはできませんが、ウェブで全国の友達とつながろう!ということでキャンプを企画しました(小学校5・6年生、中学校1年生が対象です)。

日時 8月9日(月・祝)午後2時から1時間程度(ウェブ会議サービスZoomを使用します)
テーマ「つながり ~かみさまありがとう~」
主題聖句「いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい」エフェソの信徒への手紙5・20

 オンラインで全国の友達と顔を合わせて、神さまに「ありがとう」と思えることをグループで分かち合い、全員で一緒に楽しく讃美し、礼拝をしたいと思います。

 また、プログラムが終わった後、フリータイムも予定しています(自由参加)。対象の子どもたちにお声がけや参加できるようご協力をお願いいたします。

 キャンプ案内は日本福音ルーテル教会TNGブログをご覧ください。
https://the-next-g.blogspot.com

 また、参加申し込みは以下のサイトからお願いします。
(7月12日(月)まで)
https://forms.gle/KzVPJJk63EJEdwNJ8

 あわせて、グループリーダーなど、キャンプをお手伝いしてくれるスタッフも募集しています(18歳以上で堅信を受けている人)。
TNGブログからお申込みください。

第7次綜合方策の紹介(3)

事務局長 滝田浩之

■方策本文より

綜合方策の目指すもの

 本綜合方策の目指すものは、一つの教会として「経済的自給」を背景にしつつ、「宣教的自立」を果たすことにある。

 様々な外的要因によって右往左往する教会ではなく、牧師も信徒も互いに知恵を出し合って討議し、採択し、その合意のもとに目指すべき「教会の姿」を共有し、そこへ共に歩みだしていく自立した教会である。

 それでは、私たちが目指す「教会の姿」とは何か。それは、戦後のキリスト教ブームの再来を期待する教勢拡大にはない。それは、明確に「ルター派に立つ教会の形成」である。

 それでは「ルター派に立つ」とは何か。それは、聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ、すなわちキリストのみに生きる教会である。だから福音に生きる教会は、賛美し、祈る。つまり喜びをもって礼拝する。ルターは、私たちがひとりで祈るのではなく、すべてのキリスト教会がともに祈っていることを強調した。一つの祈りは全世界に関わる。祈りは、全世界を一つの共同体とする。

 だからルターは、信仰の喜びに生きるキリスト者の他者への愛の奉仕、つまり隣人愛を強調した。『キリスト者の自由』が語る通り、キリスト者は、すべての者の上に立つほど神によって自由にされており、同時に愛において他者のために存在する。『わたしもまた隣人のために一人のキリストになる』(『キリスト者の自由』第27項)。また私たちは知っている。「隣人と共にキリストがおられる」ということを。

 よって「隣人のために一人のキリストとなる」とは、「隣人と共にあるキリスト」に出会うことでもある。この福音の相互性、キリストの喜びを分かち合い生きる教会、ここに私たちの目指すべき「教会の姿」がある。

 この時、この「教会」という概念は、明確に「全信徒の集まり(人)」である(アウグスブルク信仰告白第7条)。教会の使命は、神の言葉によってすべての人が、この信仰へと導かれ配慮されることにある。この定義に照らす時、ここで語られる「教会」はすでに個々の教会の建物や組織を意味するのではない。むしろ重要なことは、この一人一人の教会生活への責任を誰が持つかという点である。

 私たちは、これまで自明とされてきた「正規の召し」(アウグスブルク信仰告白第14条)を受けた「牧師」の責任を改めて確認する。牧師は信徒と共働しつつ、「目指すべき教会の姿」へと導く牧会者である。

 「誰が私を福音の喜びへと導くのか」、表現をかえて言えば、「誰が私を看取り、キリストが共にあることを想起させ、死を終わりとせず新しい旅路へと導くのか」という牧会の責任の所在を明確にすることこそ宣教力の向上につながると考える。

 同時に、それは「牧師」の牧会力の向上をより一層必要とすることを意味する。もちろん牧師が信徒と協働しつつ牧会力の更なる強化が起こることが不可欠である。しかし牧会の源泉、それは「説教とサクラメント」である。そして、この方策が問うのは「説教とサクラメント」が会衆の中で「喜びの出来事」となるためには教会の分かち合う力が不可欠であるという、この同時性である。更に第7次綜合方策は、この牧会の射程を、今、礼拝に集う者はもちろん、未だ出会っていない新たな仲間へと向ける。集いし者、そしてこれから出会う者へ福音が及ぶ時、すべての必要は主によって満たされると信じる。

■解説

 説明の必要のない文章だと思います。日本福音ルーテル教会は2003年以降、18年間、海外からの財政的な支援を受けない形で運営されています。1969年のアスマラでの自立宣言を経済的な側面からは事実上果たしたと言っていいと思います。

 このような時にこそ、私たちは「ルター派に立つ教会」とは何かという、私たちの原点に立ち還ることが重要だと考えました。福音の喜びを確認するということです。この喜びの分かち合いこそ、私たちの使命です。この使命を私たちは自らの足で立って果たします。

 自立とは自らの限界を踏まえつつ、責任をもって生きるということです。経済的な自立にある時、それは自ずと極めて現実的な判断が求められることは言うまでもありません。経済だけではありません。牧師の数もまた限りがあります。このような限りの中で、できることできないことを峻別しつつ歩むことこそ「宣教的自立」であると本方策は考えるのです。

「第6回るうてる法人会連合全体研修会」開催のご案内

 2021年度、法人会連合ではオンライン(Zoom)にて全体研修会を開催することとなりました。関係法人職員の皆様、また教会員の方々のご参加をお待ちしております。なお人数把握の都合上、各法人、各教会でとりまとめてお申し込みをお願いいたします。

■日時 2021年8月23日(月)10時 〜 12時30分
■参加方法 オンライン 会議システム「Zoom」を使用
■参加費 無料(通信費は各自のご負担となります)
■主題講演「COVID―19下での悲嘆とそのケア」大柴譲治牧師
※氏名とメールアドレスを各法人・教会ごとに取りまとめて頂き、左記EメールまたはFAXにてお申込みください。お知らせいただいたメールアドレスにZoomミーティングURLのご案内を8月初旬にお送りいたします。
■申込・問合せ先
日本福音ルーテル教会事務局 担当・平野
電話(03)3260・8631
Eメール soumu08@jelc.or.jp
FAX(03)3260・8641
■申込締切 2021年7月30日(金)

21-06-01天の青空をその会堂の天井とし
「イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた。『御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます』と知らされると、イエスは、『わたしの母、わたしの兄弟とはだれか』と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。『見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。』」

(マルコによる福音書3章31~35節)

 コロナ禍の中、これまで私たちは様々な工夫をして主日礼拝に与かってきました。昨年から続いているこのウィズコロナの時代、私は、教会とは何であるのかと考え、模索してきました。私は、牧師として着任してから1年もたたない内に新型コロナウイルスの感染拡大に遭遇し、心が揺さぶられ、果たして教会とは何であるのかと、考えてきたのです。
 理解は様々です。職制や正典、信条を持ち出して教会を説明する方がいれば、ルーテル教会としては、アウグスブルク信仰告白を用いて説明する方もおられると思います。では、それらの教会論を全て踏まえた上で、私たちは教会とはいったい何であるのかと考えていくのでしょうか。この問いは、神学的な問いだけではなく実存的な問いであると思います。ウィズコロナの時代になり、教会活動の自粛がひびく中、私はあらためて教会とは何であろうかと問いたいのです。

 教会の交わりで傷つき、倒れている方がおられます。傷を負い、心の深いところに痛手をおって、それでも尚、教会生活を続けている方もおられます。このコロナ禍で、交わりが断たれ孤独のうちに暮らしている方もいれば、主日礼拝の讃美のひと時が与えられず、恵みの機会が奪われ、不安の中で過ごされている方もおられます。

 主イエスは、今日の福音書で衝撃的な言葉を告げます。母と兄弟姉妹を目の前にして「私の母、私の兄弟とはだれか」と言うのです。端的にまとめると、主イエスは周りに座っている人々を見回して、「神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ」と、私たちの常識や既成の考え方を覆すような言葉を述べるのです。主イエスは私たちの家族の垣根を壊し、神の御心を行なう人間こそが、本当の意味での家族であると言うのです。

 私はここで言われていることは、家族だけのことではないように思います。神の御心を行なう者の集まり、それは教会にも当てはまることではないでしょうか。

 ウィズコロナの時代で閉塞感が漂う中、私たちはここでの主イエスの斬新な発想を突き詰めて考えていくとき、教会に対する私たちのこれまでの既成概念をもっと越えでて、考えても良いのではないでしょうか。

 ここで再び問います、教会とは何でしょうか。この問いを胸に、コロナ禍でよたよたと歩いていた私に語りかけて来る言葉がありました。それは内村鑑三の言葉です。
「神あり、キリストあり、聖霊あり、神と人とを愛する心あり、其教会堂は上に蒼穹(そうきゅう)を張り、下に青草を布(し)きたる天然なり、其礼拝式は日々の労働なり、其音楽は聖霊に感じたる時の感謝の祈祷なり、其憲法は聖書なり、其監督はキリストなり、而(しか)して其会員は霊と真とを以て神を拝する世界万国の兄弟姉妹なり」(『新希望』74号より)

 詩情あふれる表現です。この内村鑑三の教会への視点は、私の心を揺さぶりました。ぬけるような天の青空をその会堂の天井とし、大地の豊かな青草をその会堂の床とし、森の小鳥の声を賛美の声とする教会。私は、主イエスが弟子たちとガリラヤ湖を歩く姿を思い浮かべつつ、この比類なき教会のスケールの大きさに心を奪われました。主イエスの言葉と内村の言葉が、私の中でこだましたのです。

 教会とは、私たちの垣根や想像を越え、この宇宙的な賛美の声が響いている場として存在している、そのような新たなインスピレーションが与えられました。この教会には深い喜びがある、直感的にそう感じました。閉塞感に包まれた教会の状況の中で、内村の言葉は私たちの既成の考え方を打ち壊します。星が輝き、宇宙全体を包み込んでいる壮大なスケールの内にある教会の姿を提示しているのです。広大な宇宙と教会の姿が重なりあっているのです。

 この宇宙(コスモス)の教会に私たちは包まれています。この気づきから、私たちは明日の教会のビジョンを見ていきます。私は今、いのちに溢れる教会に生きているのだ、このまばゆい大地と、静かにさえずる小鳥の讃美と共に、宇宙を感じ、神の言葉を感謝と共に聞きながら—

日本福音ルーテル甲府教会・諏訪教会牧師 筑田仁

21-06-01るうてる2021年6月号

機関紙PDF

「天の青空をその会堂の天井とし」

日本福音ルーテル甲府教会・諏訪教会牧師 筑田 仁

「イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた。『御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます』と知らされると、イエスは、『わたしの母、わたしの兄弟とはだれか』と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。『見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。』」
(マルコによる福音書3章31~35節)

 コロナ禍の中、これまで私たちは様々な工夫をして主日礼拝に与かってきました。昨年から続いているこのウィズコロナの時代、私は、教会とは何であるのかと考え、模索してきました。私は、牧師として着任してから1年もたたない内に新型コロナウイルスの感染拡大に遭遇し、心が揺さぶられ、果たして教会とは何であるのかと、考えてきたのです。
 理解は様々です。職制や正典、信条を持ち出して教会を説明する方がいれば、ルーテル教会としては、アウグスブルク信仰告白を用いて説明する方もおられると思います。では、それらの教会論を全て踏まえた上で、私たちは教会とはいったい何であるのかと考えていくのでしょうか。この問いは、神学的な問いだけではなく実存的な問いであると思います。ウィズコロナの時代になり、教会活動の自粛がひびく中、私はあらためて教会とは何であろうかと問いたいのです。

 教会の交わりで傷つき、倒れている方がおられます。傷を負い、心の深いところに痛手をおって、それでも尚、教会生活を続けている方もおられます。このコロナ禍で、交わりが断たれ孤独のうちに暮らしている方もいれば、主日礼拝の讃美のひと時が与えられず、恵みの機会が奪われ、不安の中で過ごされている方もおられます。

 主イエスは、今日の福音書で衝撃的な言葉を告げます。母と兄弟姉妹を目の前にして「私の母、私の兄弟とはだれか」と言うのです。端的にまとめると、主イエスは周りに座っている人々を見回して、「神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ」と、私たちの常識や既成の考え方を覆すような言葉を述べるのです。主イエスは私たちの家族の垣根を壊し、神の御心を行なう人間こそが、本当の意味での家族であると言うのです。

 私はここで言われていることは、家族だけのことではないように思います。神の御心を行なう者の集まり、それは教会にも当てはまることではないでしょうか。

 ウィズコロナの時代で閉塞感が漂う中、私たちはここでの主イエスの斬新な発想を突き詰めて考えていくとき、教会に対する私たちのこれまでの既成概念をもっと越えでて、考えても良いのではないでしょうか。

 ここで再び問います、教会とは何でしょうか。この問いを胸に、コロナ禍でよたよたと歩いていた私に語りかけて来る言葉がありました。それは内村鑑三の言葉です。
「神あり、キリストあり、聖霊あり、神と人とを愛する心あり、其教会堂は上に蒼穹(そうきゅう)を張り、下に青草を布(し)きたる天然なり、其礼拝式は日々の労働なり、其音楽は聖霊に感じたる時の感謝の祈祷なり、其憲法は聖書なり、其監督はキリストなり、而(しか)して其会員は霊と真とを以て神を拝する世界万国の兄弟姉妹なり」(『新希望』74号より)

 詩情あふれる表現です。この内村鑑三の教会への視点は、私の心を揺さぶりました。ぬけるような天の青空をその会堂の天井とし、大地の豊かな青草をその会堂の床とし、森の小鳥の声を賛美の声とする教会。私は、主イエスが弟子たちとガリラヤ湖を歩く姿を思い浮かべつつ、この比類なき教会のスケールの大きさに心を奪われました。主イエスの言葉と内村の言葉が、私の中でこだましたのです。

 教会とは、私たちの垣根や想像を越え、この宇宙的な賛美の声が響いている場として存在している、そのような新たなインスピレーションが与えられました。この教会には深い喜びがある、直感的にそう感じました。閉塞感に包まれた教会の状況の中で、内村の言葉は私たちの既成の考え方を打ち壊します。星が輝き、宇宙全体を包み込んでいる壮大なスケールの内にある教会の姿を提示しているのです。広大な宇宙と教会の姿が重なりあっているのです。

 この宇宙(コスモス)の教会に私たちは包まれています。この気づきから、私たちは明日の教会のビジョンを見ていきます。私は今、いのちに溢れる教会に生きているのだ、このまばゆい大地と、静かにさえずる小鳥の讃美と共に、宇宙を感じ、神の言葉を感謝と共に聞きながら—

連載コラム「命のことば」 伊藤早奈

⑮「土」

「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」(創世記1・31)

 咲いた、咲いた、チューリップの花が…赤・白・黄色…♪幼い頃よく歌った歌の一つです。でも季節やいろんな状態で彩りを変えて、私たちを和ませてくれるものは花や草木だけではありません。

 その中の一つが「土」です。「今朝は白いな。霜が降りてるんだ。」「今日は乾いてる。なんだか暑そう。」そして雨が降ると雨が染み込み黒くなります。

 草がいっぱい茂っている時は、真夏の光の中でも草の影になって黒いのに、全く影になっていない所は乾いています。「土」も生きているんですね。「土」はいろいろな思い出を運んでもくれます。

 何年か前のイスラエルへの旅でした。そのツアーに参加した皆さんが一緒に乗っていたバスでガイドさんが回すマイクを手にこのツアーに参加した理由を楽しそうに話されていました。私の番が回ってきてマイクを渡された私は「自分の足でこの国の土(土地)を踏みしめたいからです」と言いました。その時は杖をついて歩いていました。いずれ自分は車椅子になって自分の足では歩けなくなるとお医者さんから聞いていても、まさかという思いで半信半疑で言ったのを覚えています。

 私たち一人ひとりも自然の一つ一つの全ても神様に造られて「良し」とされて今があります。

「ありがとう神さま」~みんなでつながろう!~
ZOOMでルーテルこどもキャンプ

8月9日(月・祝)午後2時から1時間程度
(ウェブ会議サービスZOOMを使用します)

テーマ「つながり ~かみさまありがとう~」
主題聖句 「いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい」エフェソ5:20

※プログラムが終わった後、自由参加でフリータイムも予定しています。
詳細は次号でお知らせいたします。

議長室から
総会議長 大柴譲治

打ち砕かれ悔いる心を求める神

しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。/打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。」(詩編51・19)

 2002年でしたか、潮見のカトリック中央協議会での「インターネットと教会」という講演会に足を運びました。教会のウェブサイト立ち上げの参考にするためでした。講師はカトリック新聞の松隈康史氏。氏は現代社会の持つ三つの特徴を挙げました。①「コンビニ時代」②「多チャンネル時代」③「インターネット時代」。現代は人間の「肥大化した自我の欲望」を満足させる方向で「進化」してきたというその指摘は印象的でした。①「コンビニ時代」。必要なものがあっても以前は夜には店が閉じていて朝まで我慢しなければならなかった。しかし今やコンビニは24時間オープン。実にconvenient!いつでも必要なものが簡単に入手できる。我慢する必要はないのです。②「多チャンネル時代」。昔はテレビで野球のナイター観戦をしていても時間になると途中で終了。「嗚呼、いいとこなのに!」と慌ててラジオに切り替えたものです。しかし今や多チャンネル時代。放映が途中で終わることはありませんし、留守録にすれば好きな時にいつでも再生できる。自分のペースで存分に楽しめる。③「インターネット時代」については言わずもがな。自分の関心に沿って自在にネットサーフィンが可能です。
 確かにこれらの三つは便利にも自我の欲求を満足させてくれます。もちろんアディクティブな危険性があることにも注意しておかなければなりませんが。

 しかし氏は指摘されたのです。私たちは自我/欲望の肥大化の延長線上ではキリストに出会うことはできないのではないかと。ハッとしました。確かに私たちは「自我」が打ち砕かれる中でキリストと出会う。神は「打ち砕かれた霊/魂」を喜ばれるのです。教会のホームページは確かに教会を紹介する入口になったとしてもそこにはやはり信仰者の具体的な交わりが求められてゆきます。もちろんインターネットを通しても神の聖霊は働くことでしょう。「風は思いのままに吹く」のですから(ヨハネ3・8)。私たちは「打ち砕かれ悔いる」体験を通して独り子を賜るほど深い神の愛と憐れみを知る。私たちの教会の交わりがそのような次元を備えているかは問われることでしょうが、個々の〈われ=なんじ〉の出会いを通して悔い改めは生起するのです。

 後日談があります。2017年の宗教改革500年大会(浦上天主堂)で私は偶然松隈氏と再会しました。「神のなさることは皆、その時に適って美しい」。偶然は神の必然でもあると改めて思わされた次第です。

「教会讃美歌 増補」 解説

⑫讃美歌委員からの声⑺
日本ルーテル教団教会讃美歌委員 西川亜季(旭川聖パウロルーテル教会)

 皆様こんにちは。NRK旭川聖パウロルーテル教会の西川亜季と申します。私が讃美歌委員会に参加させていただいてから約8年が経ちました。
私が初めて参加した時には、既に他の委員の方々が出版に向けて作業を進めてくださっており、わからないことだらけの中でのスタートでした。私は当時ピアノ教室をしながら、主日は杉並聖真ルーテル教会で奏楽奉仕をしておりましたが、讃美歌集の成り立ちに関しては無知の状態でした。

 委員会の作業を振り返ると、外国語の歌詞の訳詞を、歌えるよう音符に当てる作業が最も大変だったように思います。音にただ言葉を当てるのではなく、 歌詞は神学的に正しいか、音楽的なフレーズと歌詞のフレーズが合っているか、現代的な言葉遣いか等々…配慮をしながら意見を出し合い、時にはぶつかりながら懸命に皆でまとめてきました。

 そして、創作讃美歌の完成のために作曲という形で関わらせていただいたことは、とても光栄に思っています。私は子どもの頃から作曲が大好きで、26歳の時に洗礼を受けてからは、讃美歌も作曲するようになりました。神様からいただいた「好きなこと」を生かして今回の創作讃美歌の制作に携わることができたのは、とても嬉しく、また楽しいことでした。ピアノ教室を始めた際に夫からフィナーレという楽譜制作ソフトの使い方を習い、生徒の指導のための楽譜を作っていたのですが、そのことは増補版制作の楽譜検討過程で役立ちました(同時に、増補版の楽譜制作のために、より高度な操作を頭を抱えながら説明書で調べ、そこで得たスキルが自分のレッスンの楽譜作りにも役立つという副産物も得ました)。

 4年前に旭川に転居してからはオンラインで委員会に参加していましたが、昨年出産してからは委員としての働きができておらず、申し訳なく思っています。コロナ禍で苦心しながら出版まで作業を進めてくださった委員の皆様に心から感謝致します。そして、私たちの働きを導いてくださった神様、本当にありがとうございます‼この讃美歌集が、皆様の心からの賛美へと繋がりますようにお祈りしています。

私たちの礼拝 —式文ハンドブック—

⑪礼拝式文曲について
中島康文(市川教会)

 2014年全国総会において、改訂式文のために用意された礼拝曲の一部(現在のハートバージョン)を用いてデモンストレーションを行いました。礼拝に用いられる曲の殆どが準備できていたこと、これまでにない曲調であったこと、それがハートバージョンを選んだ理由でした。

 ただ、未だ「案」の段階であったため、譜面をお手元に配布することが出来ませんでした。そのこともあってか、総会後のアンケートでは、「歌が難しく馴染めない、オルガニストがいない教会では用いられない」等の戸惑いや否定的な声が多く寄せられました。その一方、「美しい曲が多く、明るく好感がもてた、若い人たちには歌いやすい」という感想も寄せられました。

 改訂式文のために新しい礼拝曲を3名の方、現行式文の編曲での作業を1人の方(全員ルーテル教会員)に依頼しました。式文委員会には音楽の専門家はいませんので、式文曲に関しては全てお任せしました。是非はともかく、時代を感じさせる新しい発想で作曲してくださったと感じています。2014年の総会後の感想も、全く予想していなかった訳ではなく、「時間をかけ折に触れ紹介し続けるしかない」と再確認したことを記憶しています。

 2017年11月の全国教師会では、市川教会の協力を得て作成したデモ音源を紹介し、その音源をCDにして2018年定期総会前に配布いたしました。

 更に、2018年の総会では全てのバージョン(一部未完成)の紹介を行いましたが、最初のデモンストレーションから4年、触れるために様々な機会を設けてくださったこともあって、前向きなご意見を頂くことができたように思います。同年冬、校正作業を行い、2019年初冬に四つのバージョンを掲載した改訂礼拝式文を製本し、全教会へ配布することができました。

 様々なご意見を伺いながら、皆様が「式文を大切にしている」ことを実感しています。改訂式文が豊かな礼拝のための一助となりますように願っております。

教会手帳2021訂正のお願い
〈週間カレンダーの訂正〉
週間カレンダー2021年8月22日聖霊降臨後第13主日の典礼色に誤植がありました。
恐れ入りますが左記のようにご訂正をお願いいたします。
(誤)聖霊降臨後第13主日(赤)
(正)聖霊降臨後第13主日(緑)

フィンランドとの合同教会学校
榎本尚(市ヶ谷教会)

 4月25日(日)、フィンランドHelsinki Pyhän Sydämen Kappeli教会と市ヶ谷教会のオンライン(インターネット)による合同教会学校が実現しました。

 これは、市ヶ谷教会で
ご奉仕をいただいている、ミルヤム・ハルユ宣教師(LEAF)の紹介により、実現したものです。開始時間は時差を考慮して、日本時間午後4時(フィンランド時間午前10時)から開催しました。日本からは、6家族・8名、フィンランドからは、9家族・22名の参加がありました。

 内容は、点呼から始まり、「主われを愛す」を讃美、学校および教会学校の近況報告(日本、フィンランドから1家族ずつ)、フィンランドからのメッセージ、信仰告白、ゲーム、お祈り、祝福(Jari Rankinen牧師、浅野直樹Sr.牧師)、主の祈り、約1時間の内容でした。

 それぞれ、フィンランド語と日本語を交えて行いましたが、「主われを愛す」の讃美は、フィンランド語でも歌うことが出来るよう、事前の教会学校で練習をしました。

 フィンランドからのメッセージは、教会学校講師である、Kirsi Nummi先生から、ヨハネによる福音書14章6節「わたしは道であり、真理であり、命である」から、お話をいただきました。天国と永遠の命の道は一本だけある。それはイエス様だということ、世界の国、どこに住んでいても、イエス様を信じていれば、天国に入れるということを学びました。そして、「イエスは主であると信じます」という信仰告白を一緒にしました。

 ゲームでは、フィンランドと日本に関することや、それぞれの言語で「教会」はなんと言うのかスライドを見せながらクイズ形式で行いました。また、日本語とフィンランド語によるじゃんけんでは、お互いの国の言語を実際に使って楽しむことができました。子供たちは、ゲームを通して、言葉は違うけれど自分の国と同じことや違うことを知ることができました。

 市ヶ谷教会では昨年の5月から、コロナウイルスの影響で、オンラインによる教会学校を始めており、子どもたちと学んでおります。今回は初めての試みで、3月に決定し、短い準備期間でしたが、ミルヤム・ハルユ宣教師を通して、当日の進行、通訳など、多くのご奉仕により、恵みのある教会学校となりました。フィンランド、日本から参加した子どもたちにも、神さまを通して国も言葉も違うお友だちと、神さまの話を聞き、交流ができたことが、参加した一人ひとりの心に残ったことと思います。また、教会学校の教師もお互いを知り、一緒に学ぶ機会が与えられました。

 最後に、今回の合同教会学校を開催できたことを神さまに感謝するとともに、今後も交流を続けることができることを願っております。Kiitos!

アメリカ病院聖職者チャプレン報告2
関野和寛

 2020年9月より留学制度を利用しアメリカのミネアポリスでチャプレンとしてフルタイムの仕事を開始し10カ月が経とうとしています。アメリカでも特に他人種多文化他宗教の街として有名であったミネアポリスでしたが黒人市民が警察官に殺害され大暴動が起きました。先日もその裁判を巡って暴動の危険性が高まり夜間外出禁止令が発令されました。またコロナパンデミックと共に貧困や格差により治安も悪化、そのような街の病院でコロナ室と精神科病棟で毎日働いています。

 コロナ病棟の中には家庭、刑務所、路上、施設、様々な場所から患者さんたちが運ばれてきます。夫婦で運ばれてきて別々の部屋で亡くなったケースもありました。中には錯乱して隔離室で暴れてしまう患者さんたちもいます。そのような中に防護服を着て入っていきなんとか落ち着いてもらえるようにするのもチャプレンの仕事です。

 また精神科病棟にはコロナショックによる失業、リモート授業のストレス、家族関係崩壊などで心の病を負った患者さんたちが沢山居られます。また病棟内でも差別問題や暴力問題も起こります。アメリカ社会に根深く存在していた問題がパンデミックにより炙り出され、そしてそこで傷ついた人々が病院に運ばれてきています。病院で患者さんをケアするということは個人をケアする事のみならず、そこには社会と世界の歪みと傷の前に立たされる事であると実感しています。

 そのような中でも毎日、患者さんに聖餐式を届け、聖書を読み、また洗礼式もとり行います。また宗教を超えてイスラム教の患者さんにコーランを届けたたり、ネイティブアメリカンの患者さんたちが浄めの儀式を行えるように場を整える働きもいたします。ですがチャプレンと言っても宗教的な働きや会話ではなく、人としての悩みや痛みに触れていく時間の方が圧倒的に多いのが実際です。理不尽さや残酷な現実を生きる中でそれでも共に希望を探していく事そのものが宗教なのではないかと感じています。毎日、誰と出会うのか、何をするのか、何を与えられるのか想像もつかない日々ですが、この働きを日本に持ち帰れるようにと努力を続けています。

企画展図録「信仰の灯は永遠に―日本福音ルーテル池田教会と吉田康登牧師の足跡」が発行されました

岡田薫(帯広教会牧師)

 去る2019年11月から約2カ月にわたって浦幌町立博物館と日本福音ルーテル帯広教会との共催として開催された企画展「信仰の灯は永遠に:福音ルーテル池田教会と吉田康登牧師の足跡」の図録が、2021年4月に発行されました。この図録は企画展の展示図録であると同時に、2019年8月25日に惜しまれつつも祈りの家としての役目を終えた日本福音ルーテル池田教会の歩みと思い出を記録した記念誌として、浦幌町立博物館と日本福音ルーテル帯広教会が協力して作成したものです。

 企画展示をもとに再構成された第Ⅰ部を浦幌町立博物館学芸員の持田誠氏が担当され、第Ⅱ部「池田教会の想い出」の執筆・編集は日本福音ルーテル帯広教会記念誌編集委員会が行いました。また第Ⅲ部「論考・資料編」は帯広教会と浦幌町立博物館とが合同で作成いたしました。持田誠学芸員の丁寧な調査によって、池田教会の初代牧師である吉田康登氏と浦幌町および池田町の人々との交わりや、確かに紡がれてきた歴史を、あらためて深く知る貴重な機会となりました。

 今回の図録(記念誌)発行については5月12日付北海道新聞朝刊の地方欄でも取り上げて頂きました。また浦幌町立図書館の他、帯広市図書館や池田町立図書館、浦幌町立図書館、釧路市中央図書館など、各地の図書館にも所蔵され閲覧可能となります。また、国立国会図書館や北海道立図書館にも収蔵されていますので、各地の図書館から相互貸借制度により、貸出を受けることができます。

 小さな町の小さな教会は建物としてはなくなってしまいましたが、このような形で図録(記念誌)が発行され、福音を証しすることできたことは本当に大きな恵みです。ご寄稿くださった方々、資料や情報をお寄せくださった皆様、またお祈りやお心を寄せてくださった多くの方々に、心より感謝申し上げます。

 残部僅かですがご希望の方には郵送手数料込み500円で頒布いたします。帯広教会までお問い合わせください。

電話(0155)25・3665
FAX(0155)25・3664
Eメール obihiro@jelc.or.jp

第7次綜合方策の紹介(2)

事務局長 滝田浩之

COVID -19がもたらしたもの

 本綜合方策が定期総会に上程される予定であった2020年、私たちは誰もが予見しないCOVID -19のパンデミック(爆発的感染拡大)を体験することとなった。私たち一人一人の日常生活が揺さぶられると共に、教会生活もまた、その根本から揺さぶられ、問い直されることとなった。感染拡大を防止するために日曜日に教会の扉を閉めるという前代未聞の事態となり、教会形成と教会生活を根本から見直すことになった。

 集まること、触れ合うこと、分かち合うこと、助け合うこと、訪ね合うことは、キリスト者としての信仰生活上、重要な要素であり、かつ無くてはならないものである。そこが中断され、分断され、損なわれたのである。

 パンデミックを経験した世界は、その終息後、元に戻ることや元に戻すことは考えられない。それは新たなパンデミックに備えるためである。このような事態への私たちの様々な経験において、教会は以下の事柄に気づかされ、それを深め、拡げる取り組みをしたものと理解する。

⑴礼拝を配信するということの意義と責任
⑵文書伝道の見直しと展開
⑶礼拝式の再考。歌う教会としての主体性以前に、みことばの教会として最新式文の言葉の導入推進
⑷礼拝の回数や時間などの多様なあり方
⑸教会の諸活動の見直しと今後のあり方

 これらの取り組みとこれからの位置づけは、第7次綜合方策においても重要な課題となることを確認し、日本福音ルーテル教会としての共通の理解の醸成は不可欠なものと考える。

解説

 本項目は、現在も渦中にあるCOVID -19の経験を踏まえて付加されたものです。

 COVID -19は、私たちにとって未知の経験ではありますが、教会の方策という観点から考える時、それはそれまでの教会の抱えていた課題がより顕在化した出来事であると、この本文は理解しています。

 公開の礼拝を毎週行うことができないという事態は、すでに牧師数の減少に伴う事態の中で地方教会は経験していることでした。あるいは信徒の方にとってもご病気や、ご高齢のため毎週礼拝に集うことは難しくなっている状況を私たちは知っていました。つまり、私たちはCOVID -19の経験を通して、教会の本来の務めは「集まること、触れ合うこと、分かち合うこと、助け合うこと、訪ね合うこと」であることを改めて確認することになったのです。そして同時に教会の宣教という観点からいえば、「集まる、触れ合う、分かち合う、助け合う、訪ね合う」力の回復こそ、今求められている私たちの方策である。第7次綜合方策は、COVID -19の発生前から、ここに宣教力の課題を見てきました。

 では「集まること、触れ合うこと、分かち合うこと、助け合うこと、訪ね合うこと」の中心にあるものは何か、それは「み言葉(説教と聖礼典)」です。何よりも「み言葉(説教と聖礼典)」は私たちの「魂」を助け、慰め、導きます。

 教会には様々な課題があります。宣教の行き詰まりからくる、将来への不安が大きくあります。確かにこれまで通りではいかないことも多々あるでしょう。第7次綜合方策は、このような変化の中にあっても、いかにして「魂の配慮」を実現することができるか、そのような視点にたって以後、一つ一つの課題について整理していくことになります。

第27回春の全国ティーンズキャンプ報告

森田哲史(大江教会牧師)

 3月29日、春の全国ティーンズキャンプ(通称:春キャン)が、初のオンラインにて行われました。今年は「I NEED YOU!」をテーマ(主題聖句ヨハネ15章5節)に、コロナ禍で失われてしまったつながり、それでも失われることのないつながりを考えるプログラムを行いました。

 春キャンは昨年、新型コロナウイルスの影響で中止となっており、多くのティーンズが、集い、語り、賛美することが出来ないことに落胆していました。その後も新型コロナウイルスの終息が見通せない中、TNG –teens部門長である小泉嗣牧師の「オンラインで春キャンをやろう」という一声でスタッフが集められ、準備を進めてきました。

 これまで、100人以上が3日間対面で行ってきたことをオンラインに落とし込むことには多くの課題がありました。当日のトラブルに直接対応できないこともあり、事前の準備やシミュレーションにも多くの時間を費やしました。

 当日は40名弱の参加者が与えられました。実際に会うことが出来ない寂しさはありながらも、2年ぶりに開催された春キャンにティーンズからも笑顔がこぼれていました。プログラムでは、チャプレンの松本義宣牧師の「私たちが必要とする以上に、神様が私を必要としてくれている」という言葉に表されるように、どんな時も神様が私たちをしっかりとつかんでくださっていることを覚えることが出来ました。

〈以下参加者からの感想〉

「今日初めて春キャンに参加して、思っていた以上に楽しかったです。学校ではあまり話せない聖書の深い話や、コロナに対して今まであまり考えなかったことなどをたくさん話すことができたので良かったです」

「松本先生の『自分を大切にする』という言葉が心に残っています。この1年、私は私をあまり大切にできてなかったように思います。しかし、今日、グループのメンバーとたくさんの繋がりや支え合いについて話し合う中でもっと自分を大切にしよう、悩みがあったらちゃんと相談しようと思いました」

教勢報告集計表に見られるCOVID−19の影響

財務委員会 市吉伸行(日本福音ルーテル教会会計)

 2020年度の「教勢報告集計表」への各個教会のご協力に感謝いたします。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)状況下の財務的対策として行った施策に対する検証も兼ねて、財務委員会にて2019年度との比較を行いましたので、ご報告いたします。全体傾向に関する分析であり個々の教会の状況とは異なる場合もありますので、その点はご承知ください。

礼拝出席者数、召天者数、受洗者数

 感染拡大防止対策として礼拝堂に集まる礼拝を一時的に休止した教会も多く、平均主日礼拝出席は2019年度3,516名から2020年度2,751名へ22%の減少となりました(オンライン礼拝を持った時の礼拝出席者の数え方は各教会の判断に委ねています)。ご召天者数はほぼ変わりませんでしたが(143名→149名)、教会で交流し難い状況を反映してか、受洗者数は大幅に減少しました(111名→56名)。

基礎収入および支出

 集会式礼拝の休止にほぼ連動して礼拝献金は18%減少しました(12,700万円→10,400万円)。2020年6月常議員会で、協力金を規定上の「前々年度基礎収入の10%」から6%に減免することを決定しましたが、結果としてその減少額2,800万円(7,160万円→4,360万円)は礼拝献金の減少幅2,300万円減をカバーするものになりました。一方、維持献金は4%の減少(36,200万円→34,800万円)に留まりました。これは集会式礼拝休止中の分をまとめて献金されたり、振込み献金をされたりした方が多かったためと思われます。特別献金は7%増でした(27,400万円→34,200万円)。これは大口の遺贈があったほか、献金趣旨を明示していない振込み献金を維持献金・特別献金に案分する会計処理を行うこともあったためと推測されます。その他の収入も含め、「献金ほか基礎収入」の総額は2019年度の85,600万円から84,000万円と僅か2%減少に留まりました。

 支出は、上述の協力金減免や活動費17%減などがありましたが、全体では2019年度とほぼ同額でした(97,100万円→97,200万円)。

 厳しい状況の中で、2020年度も教会員の方々の献身と献財に支えられましたことを心から感謝いたします。2021年度以降も教会の宣教・財務は厳しい状況が続くと予想され、財務委員会としても引き続き注視して参ります。

21-05-01るうてる2021年5月号

機関紙PDF

「喜び祝う神」

日本福音ルーテル藤が丘教会牧師 佐藤和宏

「どうか、主の栄光がとこしえに続くように。/主が御自分の業を喜び祝われるように。(詩編104編31節)

各個教会規則(雛型)第3条には、教会の目的が次のように規定されています。

「この教会は、キリストの命に従って、信仰の交わりをなし、福音の宣べ伝え、みことばを教え、愛による奉仕をなし、これらのことによって神に仕えることを目的とする」。

 教会はキリストの命じられたことに従って、伝道をし、教え、人々に奉仕をするのですが、それらはすべて神に仕えるためである、というのです。私はこの「教会の目的」の大切さを共有するため、毎年教会宣教計画の冒頭に、前提として明記することにしています。教会が教会であるために、その目的を見誤ってはならないと思うからです。

 教会の宣教と聞くと、私たちは人数や財政といった結果に目を奪われてしまうことがあります。いかに人が増えたか、経済的にどうかなど、これらを宣教の成果としてしまうのです。しかし大切なことは、目的なのだと思うのです。私たちのなす業がいかに乏しく、成果がみえなくとも、それが神に仕えるとの目的に沿う限り、それは尊いのです。反対に、私たちのなす業がどれほど効果的にみえ、人の目に輝いて映ったとしても、神に仕えることを忘れているなら、それは虚しいのです。いずれにしても、私たちが先の教会の目的から知らなければならないのは、教会は内に向かうものではなく、外に向けて働くものであるということです。すべての人々に仕えることを通して、神に仕える。これが教会なのではないでしょうか。

 聖霊降臨を指して「教会の誕生日」と言われることがあります。それは聖霊降臨の場面(使徒言行録2章)に、教会が教会であるために欠かせない要素が示されているからにちがいありません。それは「一同が一つになって集まっている(1節)」、 「(霊が)一人一人の上にとどまる(3節)」、「〝霊〟が語らせるままに…話し出す(4節)」の三つです。「〝霊〟が語らせるままに…話し出す」ということですが、宣教は人から出るものではなく、聖霊によるということです。たとえ無力に思われても、聖霊が語らせるままに話し出す、これが教会なのです。そしてそのために、「(霊が)一人一人の上にとどまった」のでした。それは一人一人の違った個性が、それぞれに大切にされているということです。聖霊によって、その一人一人を通して宣教がなされる。これが教会なのです。

 「一同が一つになって集まっている」ということについてです。礼拝に集められる私たちは決して同じではなく、違う考えを持った者の集まりですから、違いを認め合い、赦し合いながら集まっていると言えるでしょう。これが一つになるということです。それは牧師によってでも、役員会によってでもなく、ただキリストの名のもとに、違いを尊び、一つとされるのです。そしてこの「一つになる」とは、各個教会にとどまらず、ルーテル教会全体についても、同じように言えるでしょう。ルーテル教会は一つの教会であるのですが、どうしても目に見える各個教会のことを思ってしまいます。しかしキリストの名のもとに、全国のルーテル教会が一つとされているのです。互いの違いを認め合い、大なるものも小なるものも、違いを認めつつ、一つになれる。これがルーテル教会なのだと思います。

 「改訂共通聖書日課(RCL)」によると、ペンテコステには詩編104編24節以下が選ばれています。31節に「どうか、主の栄光がとこしえに続くように。/主が御自分の業を喜び祝われるように」とありました。

 「主が御自分の業を喜び祝われるように」とは、御自分の業である私たちを含めたすべての被造物を喜び祝われるということなのでしょう。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」(創世記1章31節)という場面を思い起こします。

 私たちが神に喜び祝われるようになるのは、私たちの努力によるのでも、私たちが役に立つからでもありません。ただ、私たちがキリストの名のもとに違いを認め合って一つとされ、植えられたそれぞれの地において、ただ神に仕えるために人々に向かって宣教の業に励むようにと、聖霊が注がれたことによるのです。すべて神の御業によって、私たちは教会とされて生きるのです。神はそのような私たちを、ご自分の業として、喜び祝われるのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

⑭「生かされる」

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記2・7)

「この子生きてるのよ。この呼吸器止めたら死んでしまうの。」

 生きるって何だろう。そんなことを考えさせられました。この言葉をお母さんから聞いたのは私もその人も入院している時でした。その人に初めてお会いした入院から3カ月で車椅子に乗っておられた状態からあっという間にベッドに寝たきりになり、呼吸器をつけないと息ができなくなられました。

 その人は今、瞬きで話しておられ、昨年のコラムでも登場されておられます。

 生きるって何でしょう。息を吸うこと?笑ったり泣いたり怒ったりすること?歩くこと?空気が無くなったら生きられない。喜怒哀楽の感情は?運動能力は?私と同じ病気がわかったばかりの方が「自分で歩けなければ人間じゃない」って言っていたことを思い出します。生きるということと人間であるということも違うような気がします。この病気がいいとかあの病気は嫌とか、あの姿はいいけどこれはダメとか。それらは一体誰が決めるんでしょうか。

 こんな言葉も聞いたことがあります。「生きていればいいのよ」。自分の家族がほとんど何も食べられなくなり、眠っておられることが多い方のことを言っておられました。神様にとっては、あなたは家族。「そのまま生きていていいんだよ」ときっと言われます。

議長室から
総会議長 大柴譲治

「風のそよぎを感じたか」

「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。」(ヨハネ福音書3・8)

 風薫る五月。しばらく前の大河ドラマに宮本武蔵が描かれたことがありました(原作・吉川英治、2003年NHK)。史実かフィクションかは定かではありませんが、私には忘れられない一場面があります。若い頃の彼は大変な狼藉者で、有り余るエネルギーを持て余し、「武者修行」と称しては道場破りを繰り返している。ある時彼は藤田まこと演ずる新陰流・柳生石舟斎の道場を訪ねます。相手に果敢に挑みかかってはゆくものの素手の石舟斎に全く敵わず、完膚なきまでの敗北。茫然自失した武蔵に石舟斎はこう問うのです。「お前は風のそよぎを感じたか。鳥の声、せせらぎの音が聞こえたか」。武蔵はハッとします。言われてみれば確かに周囲には風がそよぎ、土が香り、鳥の声や水の音がしている。しかし自分は相手を打ち負かすことばかり考えていて、外界で起こっていることを何も感じていなかったことに気づく。それは打ち砕かれた武蔵にとってモノローグ的な生からダイアローグ的な生へのコペルニクス的転換を促す声でした。そこから彼はやがて「剣聖」と呼ばれる至高の歩みを成し遂げてゆくことになります。

 このエピソードは私たちに、内に閉ざされた自己完結的な生を超えた、外に向かって開かれた対話的な生の次元を教えています。マルティン・ブーバーの表現を借りれば、根源語<われ|それ>だけを語る次元から根源語<われ|なんじ>を語る次元への恩寵による突破です。私たちは何かに燃えている時にも、逆に何かに悩む時にも、周囲が見えなくなることが少なくありません。そのような時には五感を開いて周囲の世界を感じてみる。するとそれまでとは違った視点が与えられ、見えなかった次元が見えてくることがある。私の関わる「グリーフケア」や「スピリチュアルケア」はケアの中心にこのような在り方を据えています。

 イエスも言われました。「野の花、空の鳥を見よ」。五感を用いて周囲に目を向けてみる。するとそこに風のそよぎを感じることができる。風は思いのままに吹くのです。寅さんも言いました。「風の吹くまま、気の向くままよ」。かつて福山にいた時、地区牧師会の説教セミナーに関田寛雄先生をお招きしたことがありました。『男はつらいよ』をこよなく愛する先生は「これは極めて聖書的な言葉です」と言ってヨハネ3・8を引かれました。強く印象に残っています。喜びの時にも悲しみの時にも私たちも天からの風を感じて生きたいのです。聖霊降臨日を前にそのように思わされています。

「教会讃美歌 増補」 解説

⑪讃美歌委員からの声⑹
日本ルーテル教団教会讃美歌委員 井上栄子(戸塚ルーテル教会)

 「新しい賛美歌を歌えて楽しいですよ」「仕上げの段階なので一年弱しかないが、一緒にやりませんか?」というお誘いでした。私にできる事があるなら、と気軽にメンバーに加えていただきました。しかし、予想外の大役に慄き、末席を汚しながら早4年(2021年3月末現在)が経ちました。作業も第五稿に辿り着き、次回は出版社からデータではなく、冊子として整った形で、第六稿の校正が出来る運びとなりました。

 私の入会時、既に試用(パイロット)版が活用されておりました。が、継続的作業として、候補として挙げられていた230余りの曲を分類別に再度整理し、原譜、原歌詞、伴奏譜の資料を集め、作編曲者、作詞者の情報、引用聖句を調べました。 日本語以外の詩は音符の数に合わせて日本語に訳し(この作業に相当な時間を費やしました)、伴奏譜の無い曲には伴奏を作曲し、現代曲にはコードを付けました。原稿が出来上がって、レイアウトの細部に気を配り(音符の棒や付点の方向や位置、歌詞の誤字脱字、フォントなどのバランス)、赤ペンで紙面を真っ赤に染めた校正作業を繰り返し、現在に至ります。

 主は、牧会の業のみならず、その他多くの賜物を委員に備えてくださいました。辞書要らずの外国語堪能者、讃美歌編集経験者、作編曲のプロ、PCでの莫大な資料整理の達人。Zoom使用前には、各地方からの参加者とのスカイプ会議の算段。あらゆる情報を、幅広い知識や様々な手段で繰り出す専門家。初見奏(唱)も即興演奏も万能な演奏者等々…。また会議の場には居られずとも、快く相談に乗って下さった方々の存在。沢山の背後の祈りと協力…。小さな地方教会の一信徒である私には、作業の一瞬一瞬が驚きと感動の連続でした。この長く繊細な作業を、ここまでお導き下さった神に感謝します。

 間もなく完成するこの増補分冊Ⅰに、どうぞご期待下さい。これが用いられ、皆様と共に声を合わせて主の栄光と感謝を賛美できます日を、心より待ち望みます。

私たちの礼拝 —式文ハンドブック—

⑩聖書日課
浅野直樹Sr. (市ヶ谷・スオミ教会牧師)

 聖書朗読は礼拝において欠かせませんが、どの箇所を読んで礼拝すればよいのか、毎週の礼拝でどういう順番で読み進めたらいいのかという悩みは、教会が誕生した初期からありました。

 そこで朗読箇所を配分して利用するための方法として、聖書日課が考案されました。恣意的に偏らず、神の言葉全体を年間を通して満遍なく聴けるようにと工夫した結果が聖書日課だといえます。旧約聖書しかなかった時代は旧約のみの利用でしたが、2世紀になると使徒書が、さらには福音書が使われ、5世紀頃になると、時宜に適った特定の聖書箇所を読むという伝統へと発展していきます。

 20世紀中葉に行われた第二バチカン公会議でカトリック教会は、信徒が聖書により親しめるようにとミサの大改革を行い、旧約、使徒書、福音書の三つの聖書朗読からなる「3年周期聖書日課」が誕生しました。3年周期とは共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ福音書)を毎年ひとつずつ繰り返して読むためのサイクルです。

 そこに教会一致推進運動(エキュメニズム)が追い風となり、70年代になるとアメリカのプロテスタント教会諸派から、カトリックといっしょに聖書日課を作ろうという気運が高まり、ルーテル教会もそれに加わりました。こうした流れから1983年、「共通聖書日課」(Common Lectionary 略してCL)が完成します。日本福音ルーテル教会の礼拝でも、これを基本とした聖書日課をこれまで長らく使用してきました。

 その後も改訂作業は続き1992年、北米15教会の合同作業で「改訂共通聖書日課」 (Revised Common Lectionary 略してRCL)が完成し、今日多くの主要教派がこれを用いています。私たちの教会でも2020年から教会手帳に正規採用され、礼拝での利用が広がりました。筆者の教会でも昨年から利用を開始しましたが、CLと比べると三つの聖書テキストがより関連づけられているのを、説教しながら感じています。

 聖書日課があることで、キリストの生涯を一年かけて追体験できます。礼拝で朗読される毎週のみことばが系統的につながっているので、みことばを聴きながら神の救いの歴史を辿ることができます。また世界各地の主要教派がRCLを採用していることで、同じ日曜日に同じみことばを聴くという主にある一体感を共有できます。聖書日課を用いる意義はまさにそうしたところにあり、大きな恵みといえます。

ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校が新年度へと歩み出しました

2021年度のルーテル学院大学・日本ルーテル神学校は、ルーテル学院大学総合人間学部101名(編入学を含む)、大学院17名、そして神学校に4名の新入生を迎えてスタートしました。神学校の牧師養成コースの新入生は曽我純さん(JELC三鷹教会)、ネルソン・デービッドさん(JELC本郷教会)、大和友子さん(JELC大岡山教会)の3名です。また神学一般コースに1名の新入生を迎えました。4月2日には司式・河田優チャプレン、説教・立山忠浩校長による神学校入学始業礼拝が行われ、新年度へと歩み出しました。なお新型コロナウイルス感染症対策として、今年度の講義は当面の間オンラインと対面を組み合わせたハイブリッド方式によって行われます。(広報室)

パンデミックの中のディアコニア

社会福祉法人サマリヤ理事長 兼間道子(高松教会)

 コロナウイルス第3波到来で感染拡大は止まっていません。香川県は陽性患者が徐々に増え12月9日には警戒レベルに引き上げられました。なかでも高松市内では介護施設でクラスターが発生し、感染者は利用者と職員を合わせて150人を超え、香川県、高松市そして国から調査団や専門職が入り、しばらくは物々しい状況でした。が、現在は終息しています。

 介護施設では、医療機関とほぼ同等に感染対策(予防)が求められます。クラスターが発生すると罹患した患者だけでなく、一緒に暮らす利用者や職員を含めた家族までも一切が機能しなくなります。正しいマスクの装着、手洗い、ガウンテクニック、アルコール消毒、体温管理等の徹底。感染についての「学び」は職員一丸となって足並み揃えて取り組まなければ成果は望めません。当法人でも、同様にできる、限りを尽くして対策に邁進しているところです。

 最近では、動画配信など特に病院介護等の新人教育には一定レベルのスキルを求めています。今後は、さらなるスキルアップのために現場研修に加えて、画面をとおして視聴できるシステムも出回っています、このことも啓発したいと考えています。操作方法がわからない職員にはこれを機会に、分かる職員に尋ねてITに慣れてもいただこうと呼びかける予定です。

 感染者が150名を超えた施設については、利用者や職員が通常業務に加えて大勢の知恵と言動で乗り越え終息したと伺います。元の状態に戻ったものの、日常を取り戻すには、まだ時間を要するので安心できない状況のようです。

 当法人では、3月3日のひな祭り行事も家族を呼んでのお祝いは中止し、ズームで行うことにしました。集まることができないのは寂しいですが、画面で会える新しい取り組みに皆笑顔です。すべてのことに感謝を忘れません。

世界の教会の声

浅野 直樹Sr.(世界宣教主事  市ヶ谷・スオミ教会牧師)

ベラルーシの牧師、支援と祈りに感謝②
世界ルーテル連盟(LWF)がベラルーシのウラディミル・タタニコフ牧師にインタビューした記事(2021年1月15日公開)の後半を紹介します。

(元の記事のURL)
https://www.lutheranworld.org/news/belarus-pastor-grateful-solidarity-and-prayers

—教会と政権との関係について現状はどうですか。

「グロドノ市長とは今のところ良好です。しかしながら国レベルで様々な障害があり、たとえば私たちの教会は小さすぎるため、法的には教会として認められていません。そのため海外から牧師を招聘することができないのです。ロシアからもできません。ベラルーシ国内にある諸外国のルーテル教会との協約も結べません。そのうえ財政支援や物的支援といったいかなる援助も、必ず届け出しなくてはなりません。ですから支援を受けとるにしても制限されています。海外の兄弟姉妹が光熱費を支援してくださっても、そのうち18%は税金でもっていかれます。またコンサートのように礼拝以外の活動は、市の許可が必要になります。」

—ベラルーシ国内のルーテル教会の組織について教えてください。

大半の信徒はベラルーシ国籍の人たちで、宗教改革に関心をもつ人々がルーテル教会に集っています。ドイツ、エストニア、フィンランドのルーテル教会もあります。ロシアや諸外国の福音ルーテル連盟とは、霊的に結ばれていると感じています。そうしたつながりを通してLWFと関われています。
 ベラルーシで私が唯一人のルーテル教会の牧師です。ほかに2名の助祭が、グロドノとビテプスクにいます。ゆっくりとではありますが、もっと多くの教会が今後出来ていく見通しをもっています。」

—御教会にとってLWFにつながることの意義は何でしょうか
「信仰を共にする兄弟姉妹の皆さんに対して、まずもって感謝を申し上げたいと思います。手紙やメール、メッセージで多くの励ましの言葉をいただいています。祈りに覚えていただき感謝します。いずれもとても大切なひとつひとつです。
 今ベラルーシは、三つの危機を同時に抱え込んでいます。経済危機、政治危機、そしてコロナウイルスです。今後どうなっていくのかわかりません。6カ月前の2020年8月時点では、だれもこのような事態を想像できませんでした。
 世界のルーテル教会からのお支えが、私たちにとって力となります。私たちは小さな教会です。しかしながら祈られていることを感じます!私たちの教会を通してベラルーシ市民を助けてくださる方々に、精一杯の感謝を申し上げます。」(了)

ブックレビュー

コロナ禍で、ルターから学ぶ—『ルター研究』17巻(特集・宗教改革と疫病)紹介
江口再起(ルター研究所所長)

 新型コロナウイルス感染は収まるどころか、ますます深刻な事態となっています。毎年、ルター研究所は研究雑誌『ルター研究』を刊行しています。このコロナ禍の真只中、その17巻を「宗教改革と疫病」特集号として出版しました。500年前のルターの宗教改革の時代も、未曾有のペスト流行期でしたが、きっとペスト禍のルターから、コロナ禍の私たちも学ぶものがあるはずです。その内容を紹介しましょう。

 まず第一に特筆すべきは、ルターのいわゆる「ペスト書簡」の翻訳です(多田哲訳)。疫病の蔓延の中で、キリスト者はいかに生きるべきかを説いた手紙です。この書簡は疫病についての、最も重要なキリスト教文献です。今まで故内海望先生の英訳からの部分訳しかありませんでしたが、今回、原典ドイツ語から全文が翻訳されています。書簡ですから、内容は決して難しいものではありません。しかし恐ろしく深い。大変、正確でわかりやすい訳文になっています。

 宮本新「ルターの「ペスト書簡」を読む」は、まさにそのルターの書簡をめぐっての論文です。教会の指導者そして牧師としてのルターが、ペストの不安の中を生きている人々に、生きる原点である「信仰と愛」を力強くまた深々と説いています。そして実に具体的なアドバイスをしていますが、その理由を論じています。それは一人一人がみな神から務めを託されている(召命)ゆえだ、と論じられています。

 立山忠浩「「まことの礼拝」を考える—新型コロナウイルス禍の産物」は、今回のコロナ禍にあって、今までのように礼拝に出席できなくなったという事態を背景に礼拝のあり方を論じた論文です。改めて「まことの礼拝」(ヨハネ福音書4・23)とは何かを問題にしています。

 江口再起「コロナ—人類・ルター・教会」は、私たち人類にとって、今回のコロナ・パンデミックは何を意味するのか、またルターから何を学ぶのか、そして教会はどうあるべきかを論じ、「世の光・地の塩」をその結論としています。

 最後にコロナ特集とは別ですが、石居基夫「ルターの『三重の秩序と立場の教え(Drei-Stände-Lehre)』と教会の宣教」が収録されています。内容は、ルターの社会理論の二つの柱の一つ、いわゆる「三機関説」を論じたものです(もう一つの柱は「二王国論」です)。従来、わが国ではほとんど論じられてこなかったテーマであり、貴重な論考です。どうぞお読みください。

〈ご希望の方は、ルーテル学院大学・神学校 後援会事務局 電話0422(31)4611まで。定価2千円+送料。〉

(第7次綜合方策の紹介⑴

事務局長 滝田浩之

 第13回常議員会において、2022年に提案される「第7次綜合方策」についてご紹介をしていくこととなりました。
 これまで綜合方策は、委員会が草案をまとめ教区常議員会、本教会常議員会において整理されて総会に提案されるという段取りで承認されて実行されてきました。組織としては間違っていない手続きだと思います。

 しかし、私たちは今、COVID–19を経験し、キリスト教の歴史上、ある意味では初めて隣人のために公開の礼拝を閉じるという経験をしています。このような経験をしている教会として、総会に提案する前に広く、会員の方に、この内容を周知し、そして意見や思いを分かち合う時間を取ることは有意義なことだと考えます。しばらく「るうてる誌」の紙面をお借りして、その内容についてご紹介して参ります。

はじめに
本文:歴史的背景:過去の方策(第1次〜第6次まで)
 戦後のキリスト教ブームの時代はいずれの教会の礼拝堂も人があふれていた。日本福音ルーテル教会も同様である。その時代に信仰をもった方々の献身的な働き、献財によって今日の教会の基礎が出来たと言って過言ではない。
 1969年のアスマラ宣言によって、私たちの教会は第一予算(個々の教会の財政)の自給に舵を切った。第1次から第4次までこれを実現するために「総体としての自立」を求めて綜合方策が立てられた。この「総体としての自立」は、戦争を経験した教会がそうであったように「生き残れる教会のみが生き残ればよい」というサバイバルではなく、「一つの教会」として総体として自立して宣教することを選び取った。この方策は、日本経済が右肩上がりで進む社会背景に支えられて、特別協力金制度を生み出しながら、教区自給を実現する。
 しかし教会の経済的自給については、ある一定の結果を出しつつ、個々の教会の教勢は思うような成長を果たすことができなかった。そのため第5次にあたる方策「パワーミッション21」は、その目的を明確に個々の教会の教勢の右肩上がりを目指すべく、資産を宣教活動に、いわば本教会に集中し個々の教会の宣教の梃入れを目指した。
 だが、この資産注力を支えてきた海外の教会は2003年、協力教会とのスタンス(姿勢・立場)を歴史的に大きく転換した。それは支援から同伴する関係への変化であった。これにより、すべての会計において海外からの支援は終結し、日本福音ルーテル教会は、ある意味ではすべての面において自給を余儀なくなされることとなった。
 第5次綜合方策の後半から、教会は資金投下による本教会主導の宣教活動の活性化を目指すという方針から転換し、経済的自給を持続的なものにするために本教会宣教活動のスリム化、年金制度の改革を実施することとなった。第6次綜合方策は第5次綜合方策の重要な課題は継承しつつ、特に宗教改革500年事業を中心に様々な取り組みを実施し、ルーテル教会のアイデンティティー(主体性)を改めて確認する役割を果たした。本綜合方策は、この「歴史的背景」を踏まえつつ経済的自給から、一歩進めて、宣教的自立を目指すものである。

解説
 日本福音ルーテル教会は、その教会の自立と自給という決意をした後、第1〜6次まで綜合方策を策定してきました。その時代、その時代に必要な課題を確認してきたのです。
 ここで重要なことは、「第7次綜合方策」は、この歴史の上に立っているという事実です。そして見失ってはならないのは、私たちは福音宣教に絶望していないということです。
 み言葉の説教と聖礼典の執行という、イエスさまから託された、この使命に立つ教会であることを誇りに思いますし、この使命を引き続き果たしたいと考えています。
 この使命を果たすために、今必要なことは何か、これを分かち合うことに綜合方策の意義があるのです。

社会委員会「入管法改悪を考える緊急学習会」報告

小泉基(社会委員会委員長・函館教会牧師)

 4月6日、社会委員会主催の「入管法改悪を考える緊急学習会」が、委員会主催の学習会として、はじめてオンラインで開催されました。出入国管理法の改訂案は、今年の2月に閣議決定され、4月に審議入りするといわれています。この改訂案では、それが3回目以上であれば、難民申請を行っている最中であっても強制送還を可能にし、母国に帰国できない事情を抱えている外国人住民に、強制送還拒否罪を新設するなど、日本で暮らす弱い立場の外国人住民を困窮させ、その希望を打ち砕く内容になっています。委員会では、マイノリティー宣教センターなどが呼びかけた「難民申請者を追放する『出入国管理及び難民認定法』の改悪に反対する教会共同声明」に委員会として賛同するなど、教派を越えた反対運動につらなってきましたが、法案自体についてもさらなる理解を深めようと、この度緊急に学習会を企画しました。学習会では、入管施設の問題性を問うテレビドキュメンタリーをみんなで視聴した後、改訂案の問題点を学び、それぞれが置かれた立場からの感想を出しあって意見交換をしました。さらに学びを深めたいという参加者の声に応えて、委員会では5月中にも2回目の学習会を計画しています。今回は、緊急開催ということで充分な案内も出来ないままでしたから、次回はもう少し多くの人に参加していただけるよう、丁寧な呼びかけを行っていきたいと思います。

青年の青年による青年のための、全国ルーテル青年オンライン合宿が開催されました!!

森一樹(市ヶ谷教会)

 全国のルーテル教会に集う35歳以下の青年を対象とした青年合宿が、2021年2月26~27日にオンラインにて開催され、全教区から、また国を超えて、さらには教派も超えて、総勢50名が参加しました。

 合宿のテーマは『No Youth, No Church』。「青年」と「教会」をテーマに、1日目には石居基夫先生をお招きし聖書が語る教会やその歴史、またルターの教会論についてお話しして頂き、2日目には社会でご活躍される信徒の方をお迎えし、「社会で働きながら教会につながること」について証をして頂きました。また、会の終わりには教勢報告書に基づく様々な数字からルーテル教会の「今」を概観し、未来の教会について青年で考えるひとときを持ちました。この合宿を通して、青年が神様との関係を振り返り、教会活動により一層つながるきっかけとなれば幸いです。以下、参加者からの感想を掲載致します。

 私は今回初めて全国の教会青年との関わりを持ちました。参加前は、教会に通う日数もキリスト教への知識も一番少なく、話についていけるのか不安でした。しかし、そんな私をみんなは暖かく迎え入れて、教会やキリスト教について、わからないことがあればその都度説明をしてくれました。また、教会についての話だけではなく、それぞれの日常についても分かち合え、とても有意義な2日間でした。ここで出会えた青年達との関係を終わらせることなく、これからもこの繋がりを大切にしていきたいです。(神水教会・下村翔吾)

 コロナ禍により、様々な事を見つめ直す機会を神様から与えられたのかもしれないと感じています。その中の一つが今回の合宿のテーマである教会でした。強制的に人と人との繋がりが切り離されているこの状況だからこそ、教会に普通に集い、祈りを共にすることがどれ程の恵みであったのか、また、普通に集えていたときから、人と人との心の繋がり、また神様との繋がりが、私たちの中で知らず知らずのうちに薄れていたのかもしれないということを再確認する機会となりました。合宿を通して「教会」とは「神様と自分の繋がりであり、そこから自分と他者との繋がりの中へ向かうこと」だと私は考えました。自らの信仰、これからの行動を見つめるよき交わり、学びの場となりました。(箱崎教会・深町創太)

 私にとって今回の合宿は、普段接点のないルーテルの青年達と交わる凄く貴重な体験でした。教派は違えども、それと関係なしに色々なことが学べてよかったです。私は小さい頃から教会学校に通っていたため、幼なじみがたくさんいて、教会の人達もみんな仲良くしてくれます。今回の合宿を通して、そんな人たちを改めて大事にしていこうと思いました。また今回のような機会があればまた参加してみたいと思います。(日本基督教団五軒邸教会・木原有意)

21-05-01喜び祝う神
「どうか、主の栄光がとこしえに続くように。主が御自分の業を喜び祝われるように。」

(詩編104編31節)

 各個教会規則(雛型)第3条には、教会の目的が次のように規定されています。

 「この教会は、キリストの命に従って、信仰の交わりをなし、福音の宣べ伝え、みことばを教え、愛による奉仕をなし、これらのことによって神に仕えることを目的とする」。

 教会はキリストの命じられたことに従って、伝道をし、教え、人々に奉仕をするのですが、それらはすべて神に仕えるためである、というのです。私はこの「教会の目的」の大切さを共有するため、毎年教会宣教計画の冒頭に、前提として明記することにしています。教会が教会であるために、その目的を見誤ってはならないと思うからです。

 教会の宣教と聞くと、私たちは人数や財政といった結果に目を奪われてしまうことがあります。いかに人が増えたか、経済的にどうかなど、これらを宣教の成果としてしまうのです。しかし大切なことは、目的なのだと思うのです。私たちのなす業がいかに乏しく、成果がみえなくとも、それが神に仕えるとの目的に沿う限り、それは尊いのです。反対に、私たちのなす業がどれほど効果的にみえ、人の目に輝いて映ったとしても、神に仕えることを忘れているなら、それは虚しいのです。いずれにしても、私たちが先の教会の目的から知らなければならないのは、教会は内に向かうものではなく、外に向けて働くものであるということです。すべての人々に仕えることを通して、神に仕える。これが教会なのではないでしょうか。

 聖霊降臨を指して「教会の誕生日」と言われることがあります。それは聖霊降臨の場面(使徒言行録2章)に、教会が教会であるために欠かせない要素が示されているからにちがいありません。それは「一同が一つになって集まっている(1節)」、「(霊が)一人一人の上にとどまる(3節)」、「〝霊〟が語らせるままに…話し出す(4節)」の三つです。「〝霊〟が語らせるままに…話し出す」ということですが、宣教は人から出るものではなく、聖霊によるということです。たとえ無力に思われても、聖霊が語らせるままに話し出す、これが教会なのです。そしてそのために、「(霊が)一人一人の上にとどまった」のでした。それは一人一人の違った個性が、それぞれに大切にされているということです。聖霊によって、その一人一人を通して宣教がなされる。これが教会なのです。

 「一同が一つになって集まっている」ということについてです。礼拝に集められる私たちは決して同じではなく、違う考えを持った者の集まりですから、違いを認め合い、赦し合いながら集まっていると言えるでしょう。これが一つになるということです。それは牧師によってでも、役員会によってでもなく、ただキリストの名のもとに、違いを尊び、一つとされるのです。そしてこの「一つになる」とは、各個教会にとどまらず、ルーテル教会全体についても、同じように言えるでしょう。ルーテル教会は一つの教会であるのですが、どうしても目に見える各個教会のことを思ってしまいます。しかしキリストの名のもとに、全国のルーテル教会が一つとされているのです。互いの違いを認め合い、大なるものも小なるものも、違いを認めつつ、一つになれる。これがルーテル教会なのだと思います。

 「改訂共通聖書日課(RCL)」によると、ペンテコステには詩編104編24節以下が選ばれています。31節に「どうか、主の栄光がとこしえに続くように。/主が御自分の業を喜び祝われるように」とありました。

 「主が御自分の業を喜び祝われるように」とは、御自分の業である私たちを含めたすべての被造物を喜び祝われるということなのでしょう。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」(創世記1章31節)という場面を思い起こします。

 私たちが神に喜び祝われるようになるのは、私たちの努力によるのでも、私たちが役に立つからでもありません。ただ、私たちがキリストの名のもとに違いを認め合って一つとされ、植えられたそれぞれの地において、ただ神に仕えるために人々に向かって宣教の業に励むようにと、聖霊が注がれたことによるのです。すべて神の御業によって、私たちは教会とされて生きるのです。神はそのような私たちを、ご自分の業として、喜び祝われるのです。

日本福音ルーテル藤が丘教会牧師 佐藤和宏

21-04-01るうてる2021年4月号

機関紙PDF

「あらゆる形で」

日本福音ルーテル大江教会牧師 森田哲史

「それから、トマスに言われた。『あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。』トマスは答えて、『わたしの主、わたしの神よ』と言った。イエスはトマスに言われた。『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。』」(ヨハネによる福音書20章27~29節)

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴う自粛、行動制限が行われるようになって1年以上が経ちました。その間、私自身も新しい任地へと遣わされ、社会的な環境と自分自身の環境の両方が様変わりしてしまいました。そのような中で、教会において〝いつもの礼拝〟〝いつもの活動〟が出来ない。それは、自分の働きが何を拠り所として良いのか分からず、世の自粛ムードと併せ、自分自身がバラバラになってしまうような経験でした。また、そのことは同時に、どんなときにもイエス様がいるから大丈夫!と自信を持って言えない自分の弱さがあらわにされたようでもありました。

 そのような時、冒頭の聖句であるヨハネ福音書20章29節が頭に浮かびました。「イエスはトマスに言われた。『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである』」。この文章だけを取り上げるならば、何はなくともとにかく信じなさいと言われているようです。それはつまり、教会が、礼拝が、いつもと同じであろうとなかろうと信じなさいと言われているのでは…と感じるということです。そのように受け取ってしまうと、ますます落ち込んでしまいます。

 ヨハネ福音書20章24~29節は、復活した主イエスが弟子たちの前に現れた際、その場に居合わせなかったトマスが、自分は見て傷に触れなければ復活を信じないと主張する場面です。「疑い深きトマス」などとも呼ばれています。このような俗称が生まれたのは、この聖書箇所が、「見ないのに信じる」ことができない者を咎めていると受け取られたこともあったからなのでしょう。

 しかし、注目したいのは、主イエスが「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい」とトマスに見せたことです。それによって、トマスが「わたしの主、わたしの神よ」と信仰を告白することです。

 この「見て信じた」トマスと、「見ないのに信じる人は、幸い」という主イエスの言葉は、相反する事柄に思えます。しかし、このふたつの「見る」には違いがあるのです。

 「見ないのに信じる人は、幸い」とは、主イエスが昇天された後の世代、主イエスに直接出会うことが出来ない人々に向けられた言葉だと言われています。

 つまり、私たちやこれから先の未来にも、主イエスの祝福が与えられていることを示しています。その一方で、トマスが「見て信じた」とは、主イエスがトマスの信仰に必要なものは惜しみなくお与えくださることを示しています。それは、み言葉を聞くことによってだけでなく、私たちがあらゆる五感を通して主イエスを感じ、信仰への道が開かれているということです。

 そのように受け取るならば、このふたつの「見る」は相反するものではありません。実際に私たちは、洗礼の際に水を注がれることや聖餐式でパンとぶどう酒を口にすること、讃美歌を歌うこと、隣人の手を取り祈ること、あらゆる五感を通して主イエスを感じているのです。

 そのように考えるならば、私たちがコロナ禍において〝いつもの礼拝〟〝いつもの活動〟が失われていることによって信仰の危機に瀕することは、ある意味では当たり前のことなのかもしれません。そして、このようなことは、コロナ禍によって急に起こったことではありません。

 高齢になり教会に来ることができなくなってしまった、働き方が多様化し日曜日の礼拝には出席できない、教会が合併され通える範囲に教会がなくなってしまった、そのようにこれまでにも徐々に起きていた問題が新型コロナウイルスによって、改めて顕在化されたのだと思います。

 私自身、このような状況の中で、みなさんとどのように主イエスを一緒に感じることが出来るのかまだ分かりません。しかし、主イエスが十字架の死と復活を通して明らかにされた神の愛が、私たちのあらゆる働きを通してこの世界に実現されることを覚えたいと思います。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

⑬「さくら」

「しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」(マタイによる福音書6・29)

 「へぇーこの木も紅葉するんだ」って思ったのと同時にホッとしました。その年は手術と緊急の入院と続き、病院に入る前に膨らんでいた桜の莟が開くのを楽しみにしていたのに、退院して落ち着いて見た花は紫陽花の花でした。花が違ったのがいやだったわけではなかったのですが、桜を見逃したと思っていた私に、まるで「桜は花だけじゃないよ」と語りかけるように、私の目の前の桜並木が紅葉で輝いていました。そういえば冬の雪が積もった桜の木々も、春先に莟を膨らませピンク色に燃えているように見える桜の木々も新緑に湧いている木々も、どの季節の桜の木も、一本一本が命を伝えてくれていることに気付き改めて感激しました。桜の木だけに限らず、いろんな自然が私を驚かせ素敵な命を語ってくれます。

 こんなこともありました。「えっこの木、花が咲くことあったっけ?」普段は葉の紅葉を楽しむだけの木の緑色の葉の上にオレンジ色の花が咲いているように見えました。びっくりしてよく見ると隣の金木犀の花が散ってそのいつもは花を咲かせない木に花を咲かせていたのです。

 「これはこういうもの。」「こうなるはずはない。」って決めつけてた自分がどんどん解放されるように思わされる自然の姿です。

議長室から
総会議長 大柴譲治

「復活」=「キリストと共なる生命の希望」

「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。」(フィリピ1・21)

 イースターおめでとうございます。主のご復活は万物を新しい光の中に置きました。十字架ですべてが終わったと思われた中、復活の光の中ですべては反転する。死は終わりではなく墓は終着駅ではないことが宣言されるのです。復活こそ希望の光。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」(ヨハネ11・25〜26)。これは人間には語ることのできない言葉、ただ主だけが語り得た言葉です。勝利者キリストにより死は死を迎え、罪には終止符が打たれた。

 聖書は多様な死生観を示していますが今回はパウロに聽いてゆきましょう。主の復活について最古の証言は一コリント書にあります。ギリシャという土地柄もあってかコリント教会には復活に懐疑的な者が少なからずいたようです。死者の復活についてパウロはその15章で明確に語ります。(旧約)聖書に書かれている通り、イエスは死んで三日目に復活し、ケファら十二弟子に現れ、五百人の兄弟たちに現れ、主の兄弟ヤコブと他の使徒たちに現れ、最後にパウロ自身に現れた、と(15・1〜8)。これが初代教会の信仰伝承でした。彼によれば、キリストを信じて洗礼を受けた者はキリストと共に十字架に架けられてその死に与り、その復活の力に与ってキリストと共に新しい生命に生きる。そのことが確かな希望として与えられているのです(ロマ6・3〜8)。そこで復活はどこまでも「からだの復活」であって「霊魂の不滅」ではありません。 エフェソの獄中でパウロは自らの死を強く意識しつつ、キリストを死人の中から復活させた神に希望をかけます(二コリ1・8〜10)。獄中書簡のフィリピ書には死を覚悟した言葉があります。「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。」(1・21)。それが後にはこう展開されてゆく。「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも、生きている人にも主となられるためです」(ロマ14・8〜9)。そのようにキリスト者は死者と生者の双方の救い主である主を信じるのです。生も死もすべて神の御手のうちに置かれている。いついかなる時にも主が私たちと共にいてくださいます。

 主の復活の喜びを共に言祝ぎたいのです。

「教会讃美歌 増補」 解説

⑩讃美歌委員からの声⑸
日本ルーテル教団教会讃美歌委員・杉並聖真ルーテル教会牧師 北川逸英

 『るうてる』読者のみなさま、讃美歌委員会の活
動に、変わらぬご理解ご支援ありがとうございます。NRK杉並聖真ルーテル教会牧師・北川逸英です。2011年に高野公雄師から引き継ぎ、活動しております。私は他の委員のように語学・音楽・神学の専門知識を全く持ち合わせない者です。ただ30年近くMacを使って来たので、簡単なデータ処理を、大きな喜びと共に担って来ました。

 賛美歌は私の最も愛する物です。もし賛美歌と出会わなければ、教会に導かれる事はありませんでした。いつもは鬼のように厳しい父親が、12月24日の夜になると、毎年近くの子どもとパーティーを開きました。部屋を飾り、歌詞を張り、母がオルガンを弾き、父はデキシーのレコードをかけて、踊りながら、みんなで歌いました。それが最も楽しい思い出です。後にそれが賛美歌と知ります。

 私は今「日本人神学」の必要性を強く感じています。「BLM」運動が盛んになる中で、アメリカでは再び「黒人神学」に光が当たっています。今こそ日本でも「私たちの罪と贖い」に向けて、厳しい問いかけが為されるべき時です。

 この世界に吹き荒れるポピュリズムと差別主義と戦うために、迫り来る軍国主義や国粋主義と再び戦うために、私たちは自分たちの言葉による、日本の神学を生み出さなければなりません。今そのために「日本の賛美歌」が求められます。美しい日本語による、わかりやすくて、心に届く、新しい日本の賛美歌が、今の私たちに必要です。

 子どもも、若者も老人も、世界中が傷ついています。どう考えてもわからない理不尽なことが、あちらこちらで起きているからです。信じられない嘘を、大声で叫ぶ人たちがいます。本当でないことは明らかなのに、力で過ちを押し通す者たち。そこで傷付き、倒れた人たちを支え、いやしを与え、再び立ち上がらせるために、主は共におられます。

 暴力に人を駆り立てる歌でなく、人を癒して生かす歌を、私たちは求めます。主の愛があなたにありますように。

私たちの礼拝 —式文ハンドブック—

⑨1年の信仰の歩みの中で—教会暦—
白井真樹(日本ルーテル教団式文委員・大麻ルーテル教会牧師)

 1865年3月17日、大浦天主堂に「サンタ(聖)マリアの御像はどこ?」と、十数名の人々が訪ねてきました。隠れキリシタン発見の出来事です。その際、その一人が「私たちは、霜月の25日に、御主ゼスス様のご誕生のお祝いをいたします。…御主は、…私たちの魂の救いのために十字架にかかってお亡くなりになり…今は悲しみ節です」と言ったといいます。霜月(12月)の25日の主の誕生は降誕祭、悲しみ節は四旬節を表します。キリスト教禁制下にあっても、彼らは大切に信仰を守り継承してきたのとともに、降誕祭や四旬節といった教会暦をも大切に過ごし、次の世代にそれを伝えてきたのです。

 教会暦は、私たちが、神の御子、主イエス・キリストの生涯と、私たちが信仰の模範とする弟子たち、さらには私たちの信仰生活で重要な出来事を、1年の信仰の歩みの中で受け止め、心に刻むため有益です。毎年、主の降誕の祝いと再臨を待ち望む「待降節」から1年を始め、「主の降誕」と「顕現」を祝い、その後、主の十字架の苦しみと死を覚え復活の祝いに備える「四旬節」を過ごし、「主の復活」を祝います。さらに、弟子たちに聖霊が降り、宣教の働きと信仰者の集いである教会の交わりが始まった「聖霊降臨」の出来事を祝い、私たちが信じる神が「三位一体」のお方であることを覚えます。その後、待降節を迎えるまでと顕現を祝った後しばらくの間、主のなされたわざや語られた言葉をみ言葉によって聴くことで、私たちの信仰の成長を願う時を過ごします。

 このように、神が御子によってなされた救いの働きを受け止め、み言葉による成長を願う1年を過ごすのです。

 今回、新しい祝日・記念日も加わり、かつて存在してしばらく失われていた日で復活したものもあります。「主の宮詣で」、「主の誕生告知」、「マリアのエリサベト訪問」、「主の復活の証言者マグダラのマリア」などです。また、四旬節の第6主日は「主の受難」の主日とし、礼拝の冒頭に「主のエルサレム入城」を覚える典礼を行います。聖週間の「聖木曜日」「聖金曜日」「主の復活の夜」は「大いなる三日間」として過ごします。聖霊降臨後の最終主日は「永遠の王キリスト」とし、キリストこそ永遠に天と地を治められるお方であることを覚えます。詳しくは、ハンドブックの20~23頁をお読みください。

 

教会手帳2021住所録変更のお願い
【召天牧師配偶者】柏田篤子さん

パンデミックの中のディアコニア

社会福祉法人 レインボーハウス福祉会
障害福祉サービス事業所レインボーハウス 施設長・ 吉岡千鶴子

 日本で新型コロナウイルスの感染者が出始め1年。第3波の感染者数の多さには目を見はるばかりです。佐賀県は当初感染者も少なく、1人でも出るとビクビクしていましたが、慣れとは恐ろしいものです。やはり福岡の通勤圏として徐々に広がりを見せました。

 今のところB型作業所レインボーハウスもグループホームにじのいえも幸いにして陽性者は出ておりません。しかし、第3波と言われる頃から、濃厚接触者の言葉が飛び交い、真近に迫ってきたなと緊張が走りました。まだ予断を許せない状況です。

 事業所やグループホームでは、日々の検温・体調管理・マスク着用・手洗い・ドアノブ等の消毒・限られた空間での3密を避けた作業や行事(お楽しみ会)を行う等、目に見えない恐怖にさらされながら日々を過ごしています。利用者さんとの旅行を含めた外出は出来ませんが、施設内でDVD鑑賞会やゲーム大会等を行い、楽しく集う事が出来ています。

 イベントやバザーが軒並み中止となり、随分収益は減少しておりますが、それに代わるネット販売や、教会関係の方々や、支えて下さる皆様のお陰で少しずつですが、回復してきました。

 スタッフもがんばってくれています。新しい情報に戸惑いながらも、動揺を隠し平静を装いながら日々を乗り越え、マスク越しでも可能な限りの笑顔を伝え、支援を行っています。仕事にも行事にも喜んで来て下さる利用者さん。きっと沢山の我慢をしていると思いますが、表情には出さず、こちらが反対に教えられ、癒され、励まされていると感じる今日この頃です。

 利用者さんの大切な居場所を、私達には「絶対守る」と言う使命があります。世界中にはもっと苦しんでおられる方々もいらっしゃいます。仕事が出来て、使命を持って生きられる事に感謝したいと思います。

「献身者を求める祈り」

神学教育委員長・ 三浦知夫(東京池袋教会牧師)

 毎年2月の終わりに、牧師として卒業する神学生を覚えつつ、共に主に感謝をする「神学校の夕べ」が行われています。しかし今年は神学校の卒業生がいないために、またコロナ禍にあって共に集うことが難しいために、これに替わり、神学校と日本福音ルーテル教会(JELC)と日本ルーテル教団(NRK)の神学教育委員会で「献身者を求める祈り」の動画を作成しました。動画は、校長の挨拶、神学生が語る神学校の学びと生活、牧師が語る献身の思い、献身者を求める祈りという内容になっています。JELCとNRKの諸教会、神学校に連なる私たち一人一人が動画を通し、心を合わせて献身者を求め祈っていきたいと思っています。

 ご承知のことと思いますが神学校は近年、神学生が減少し、神学校で教えておられる先生方の人数も減っています。規模の縮小に不安を感じることも事実ですが、その中で神学校と教会はこれまで以上に近い存在になっているということを感じています。昨年の春から教会での働きを担う立山忠浩先生が神学校校長を兼務されていることも、そのような思いを与えられている要因の一つでしょう。牧師を養成するのは神学校ですが、その前に献身者を生み出すのは教会です。教会の中に献身者が起こされ、献身者は牧師となるために神学校に進み、そこで学び、そして教会に帰ってくるのです。教会と神学校が協力して教会の働き人を起こし、育てていくのです。そのために心を合わせて祈りたいと思っています。

 動画の中で祈られている「献身者を求める祈り」を改めて教会にお伝えしますので、今年の第5日曜日となる5月30日、8月29日、10月31日の礼拝の中で共に祈りを合わせていただければと思います。また可能ならそれぞれの教会で、動画を一緒にご覧いただく機会を設けていただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 なお動画は、動画サイトのYouTubeで視聴いただけますが、JELCとNRKの諸教会、神学校の関係者のみの限定公開とさせていただきます。視聴いただくためのURLは所属教会にお問い合わせください。

東日本大震災と福島第一原発大事故の10周年を迎えて

NPO法人キッズケアパークふくしま  理事長 栗原清一郎

 2011年3月11日の東日本大震災の直後から福島県北の教会が集まり、福島教会復興支援ネットワークを作り、協力し合いながら被災した方々への様々な支援を行いました。そして2013年にもう一度話し合い、放射線被害を避けるために外遊びができない子どもたちに、安全な屋内あそび場を提供しようと決めました。それと同時に、放射線は子どもたちにどのような害を及ぼすのかも調べて、お母さんたちに客観的な科学的に正しい情報を提供し、子育てのたすけになるようにしようと決めました。のちにNPOになるキッズケアパークふくしまを2013年7月に立ち上げ、放射線被害は長期間続くので10年間、すなわち2023年の6月までは活動を続けることも決めました。準備もあり、あそび場をスタートしたのが2014年の7月でしたがそれ以来ドイツ、アメリカ、日本のルーテル教会や各個教会、個人の皆さまのご支援をいただきながら、ほぼ毎月あそび場を開催し、2020年2月には第65回キッズケアパークふくしままで開催できました。

 しかし突然のコロナ禍により延期を決め、ホールの予約はキャンセルしながら再開を目指しましたが、結局終息が見えず無期延期にせざるを得ませんでした。
 また市内の高校のJRC部(日本赤十字部)の生徒さんたちがいつもボランティアで来てくださっていましたが、コロナ禍で活動が禁止されており、状況が一段落するまでは再開が見えない状況です。

 しかし県内教会等の牧師と信徒の有志が集まってスタートした放射能問題学習会はオンラインで続けており、放射能を客観的に科学的にとらえ対策に活用しようともしています。

 このような中で今私たちが感じていることは、この最悪とも言われた原発事故の風化です。東京電力のトップも政府も何とか補償等の責任を逃れるために、初めから放射線被害は大したことではないとの宣伝を声を大にして行ってきました。また汚染レベルが高くて避難命令を出した地域への避難解除の条件を、世界では非常時だけに成人に許容されている20ミリシーベルトにし、幼い子どものことは無視し、世界の平常時のレベルは年間1ミリシーベルトであることも無視しています。さらに汚染土の可処分レベルを世界標準の60倍にして全国にばらまけるようにしたり、甲状腺がんの統計を隠したり、直近では汚染水も結局時間をかけて福島の海に流すことを目指しています。地元から見るととんでもないことばかりやっています。さらには10万年もどこかに貯蔵しなければならない非常に危険な原発の燃えカスの処分方法も決めずに、原発の再稼働を進めようとしています。

 これらの問題がもっとフェアに話し合われ、その結果として今回の悲劇の経験を踏まえて原発問題を今後どうするのか、いかに人々を、特に子どもたちを放射線被害から守るかの方針が決められ、実行される必要があります。
誰が考えても日本のような地震大国に原発を置いておくのは危険です。一部の権益者の利益を守るためにではなく、経済成長の名目のためにではなく、再び愚かなことが繰り返されないようにするにはどうするかが、私たちの懸念であり課題です。

 皆様もどうか状況をご理解いただき、再び日本が道を誤らないようにお祈りをまたご支援をよろしくお願いいたします。

第28期第13回常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 2月25日(木)午前10時〜午後3時までウェブ会議で行われた標記の件、ご報告いたします。

⑴第29回定期総会の延期について

 2021年5月に開催される予定の第29回定期総会については2022年5月に再延期とすることを決定いたしました。200名を超える議員の方々が一同に会するリスク、またどうしても都道府県をまたぐ移動を伴うことを考慮しての判断となります。

 オンラインでの開催も検討しましたが、これも当日の通信環境で不具合があれば定足数を満たさない可能性もあり、また秋の開催も検討しましたが、休日一日では開催は難しいこと、7月の連休はオリンピック・パラリンピックと日程がかぶり開催されるとすれば混雑が予想されること、開催されないとすれば感染症拡大状況にあることから、むしろ1年間再延期することとしました。

 第29回、第30回定期総会の同日程での開催となります。総会負担金の追加徴収は行わないことを確認しました。

 また議場では、総会選出常議員のメンバーの任期の考え方についても確認され、すでに昨年の常議員会で整えた通り、第28期のメンバーが引き続き任を担うとしても、1期2年は2020年5月末で終了しているものと理解し、2022年5月末には2期4年の任期が終了しているものとして第30回定期総会において総会選出常議員を選出することといたします。

⑵神学校/ルーテル学院大学委員会

 ルーテル学院大学の石居基夫学長に陪席を頂いて、ルーテル学院大学の経営状況や今後の見通しについて報告を受けました。18歳年齢の人口減少については広く知られている通りですが、学校法人を取り巻く環境は大きく変化しており、ルーテル学院大学も入学者については定員を確保しつつも、中・長期的な経営改善方針を立てる必要が分かち合われました。

 2022年の定期総会には5年毎に見直される「神学教教育に関する協約書」の改定が行われます。ルーテル学院大学理事会、また神学校/ルーテル学院大学委員会において、経営状況を加味した改定の準備を進めていくことになります。

⑶ハラスメント防止委員会

 相談窓口を依頼しているフェミニスト・カウンセリング東京からの報告で2020年度末までに相談が10件寄せられていることが分かち合われました。

 相手の立場や思いに立っての言動や行動が求められています。議長報告でも繰り返し触れられていることですが、意識改革をさらに徹底していく必要が確認されました。

⑷るうてる法人会連合総会・研修会の件

 例年8月に開催される標記の件については、会長会において2021年度についても延期することとしました。2022年8月に九州教区のアテンドで、対面での総会開催を予定いたします。

 しかし2021年8月下旬には、大柴譲治議長から「COVID–19下での悲嘆とケア」と題して基調講演を頂き、各法人の状況を分かち合うことができる研修会の開催をZoomで行うことを確認しています。近くなりましたらご案内をいたします。ご協力、ご参加をお願い申し上げます。

⑸2020年度決算の件

 協力金を6%に引き下げたことに伴う公益会計の決算状況、またCOVID–19の影響を受けた収益会計決算の状況について分かち合われました。公益会計については収入減もありましたが、ウエブ会議などの活用のため支出減もあり例年と比べて大きな収益からの繰入を行う必要はありませんでした。

 収益会計については、ここ20年間で初めて経常利益について赤字となりました。しかし日本福音ルーテル教会の収益事業は様々な形態の事業を営んでいることもあり、ホテル部門の大きな減収は痛手ではありましたが、これまでの健全な収益状況のおかけで必要な公益会計への繰出を行うことができました。

⑹2021年度実行予算の件

 協力金を8%とすることに伴い、公益会計は引き続き会議の工夫などに努力しつつ経費削減が必要です。またCOVID–19の影響の長期化に伴い収益会計も非常に厳しい状況が続きます。

 収益会計では、総会の延期により市ヶ谷耐震本工事については2022年に着工を引き延ばします。また、他事業所を含め、必要な設備補修が必要です。 公益会計の支出については構造的な変革を検討していきます。また収益会計が適正に運用されるためには過度な収益会計からの繰入はできないことを常議員会では確認したところです。

⑺第7次綜合方策の扱いについて

 第28期常議員会の課題は、2020年5月末までとされていた「第6次綜合方策」に代わる方策の策定にありました。宣教室長を中心に、2018年から方策策定委員会を設置して2020年2月の常議員会で承認し2020年5月の定期総会に提案する運びとなっていました。

 定期総会の延期を受けて、その後2020年度、新たに教区で選出された常議員のメンバーとも常議員会の度に議論を重ねてきました。このような経過を踏まえ2022年の定期総会に提案する内容については、ほぼ確定したところです。

 第29回定期総会の延期という事態の中で、今後は、「第7次綜合方策」について広報誌等でも広くご案内をしつつ、更に意見を集約して、総会に提案していくことを確認したところです。

 特にこの間、COVID–19を経験した教会として、これを踏まえた綜合方策としていく必要があります。各教会、各教区でも、現状の打破に向けて様々な対応をしてくださっていることと思いますが、「第7次綜合方策」で示されている方向性について、必要に応じて可能なところから手をつけていくこと、また微調整が必要なところはご意見を賜りつつ、更に手を加えていくことを確認しています。

 以上、ご報告いたします。詳しくは送付されます常議員会報告をご確認ください。

2021年度 日本福音ルーテル教会人事

〈退職〉該当なし
〈新任〉該当なし

〈人事異動〉(2021年4月1日付)

【北海道特別教区】
日笠山吉之 恵み野教会協力牧師の任を解く

【東教区】
小泉嗣 津田沼教会(兼任)
内藤文子 小岩教会(主任)
德野昌博 板橋教会(兼任)
後藤直紀 羽村教会(主任)

【東海教区】
徳弘浩隆 掛川菊川教会(兼任)

【西教区】
該当なし

【九州教区】
森下真帆 小倉教会(主任)、直方教会(兼任)
安井宣生 八代教会(兼任)2021年2月1日から
角本浩 水俣教会(兼任)
2021年2月1日から
富島裕史 鹿児島教会(兼任)
和田憲明 阿久根教会(兼任)2021年2月1日から

【任用変更】
内藤文子(嘱託任用から一般任用へ/小岩教会)
森下真帆(嘱託任用から一般任用へ/小倉教会・直方教会)

【休職】
宮川幸祐
渡辺高伸 2020年10月14日付
関 満能 2021年2月1日付

【宣教師】

・九州ルーテル中学高校
Jordan Collins-Brown 退任
Erica Bryer 退任
Hannah Jensen-Reinke 2021年4月着任
Spencer Wentland 1年延長

・九州学院
Erin Ryan 退任
新規J3派遣はなし

牧会委嘱(2021年4月1日付/1年間)

田中博二 津田沼教会
小山茂 板橋教会
横田弘行 掛川菊川教会
明比輝代彦 新霊山教会
齋藤幸二 知多教会
大宮陸孝 賀茂川教会
乾和雄 神戸教会
藤井邦夫 宇部教会
白髭義 甘木教会
黄大衛 長崎教会
濱田道明 合志教会

21-04-01あらゆる形で
「それから、トマスに言われた。『あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。』トマスは答えて、『わたしの主、わたしの神よ』と言った。イエスはトマスに言われた。『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。』」

(ヨハネによる福音書20章27~29節)

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴う自粛、行動制限が行われるようになって1年以上が経ちました。その間、私自身も新しい任地へと遣わされ、社会的な環境と自分自身の環境の両方が様変わりしてしまいました。そのような中で、教会において〝いつもの礼拝〟〝いつもの活動〟が出来ない。それは、自分の働きが何を拠り所として良いのか分からず、世の自粛ムードと併せ、自分自身がバラバラになってしまうような経験でした。また、そのことは同時に、どんなときにもイエス様がいるから大丈夫!と自信を持って言えない自分の弱さがあらわにされたようでもありました。

 そのような時、冒頭の聖句であるヨハネ福音書20章29節が頭に浮かびました。「イエスはトマスに言われた。『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである』」。この文章だけを取り上げるならば、何はなくともとにかく信じなさいと言われているようです。それはつまり、教会が、礼拝が、いつもと同じであろうとなかろうと信じなさいと言われているのでは…と感じるということです。そのように受け取ってしまうと、ますます落ち込んでしまいます。

 ヨハネ福音書20章24~29節は、復活した主イエスが弟子たちの前に現れた際、その場に居合わせなかったトマスが、自分は見て傷に触れなければ復活を信じないと主張する場面です。「疑い深きトマス」などとも呼ばれています。このような俗称が生まれたのは、この聖書箇所が、「見ないのに信じる」ことができない者を咎めていると受け取られたこともあったからなのでしょう。

 しかし、注目したいのは、主イエスが「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい」とトマスに見せたことです。それによって、トマスが「わたしの主、わたしの神よ」と信仰を告白することです。

 この「見て信じた」トマスと、「見ないのに信じる人は、幸い」という主イエスの言葉は、相反する事柄に思えます。しかし、このふたつの「見る」には違いがあるのです。

 「見ないのに信じる人は、幸い」とは、主イエスが昇天された後の世代、主イエスに直接出会うことが出来ない人々に向けられた言葉だと言われています。

 つまり、私たちやこれから先の未来にも、主イエスの祝福が与えられていることを示しています。その一方で、トマスが「見て信じた」とは、主イエスがトマスの信仰に必要なものは惜しみなくお与えくださることを示しています。それは、み言葉を聞くことによってだけでなく、私たちがあらゆる五感を通して主イエスを感じ、信仰への道が開かれているということです。

 そのように受け取るならば、このふたつの「見る」は相反するものではありません。実際に私たちは、洗礼の際に水を注がれることや聖餐式でパンとぶどう酒を口にすること、讃美歌を歌うこと、隣人の手を取り祈ること、あらゆる五感を通して主イエスを感じているのです。

 そのように考えるならば、私たちがコロナ禍において〝いつもの礼拝〟〝いつもの活動〟が失われていることによって信仰の危機に瀕することは、ある意味では当たり前のことなのかもしれません。そして、このようなことは、コロナ禍によって急に起こったことではありません。

 高齢になり教会に来ることができなくなってしまった、働き方が多様化し日曜日の礼拝には出席できない、教会が合併され通える範囲に教会がなくなってしまった、そのようにこれまでにも徐々に起きていた問題が新型コロナウイルスによって、改めて顕在化されたのだと思います。

 私自身、このような状況の中で、みなさんとどのように主イエスを一緒に感じることが出来るのかまだ分かりません。しかし、主イエスが十字架の死と復活を通して明らかにされた神の愛が、私たちのあらゆる働きを通してこの世界に実現されることを覚えたいと思います。

日本福音ルーテル大江教会牧師 森田哲史

21-03-01四旬節第一主日の説教
「それから、〝霊〟はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」

(マルコによる福音書1章12~13節)

 教会の暦では今日から四旬節」とか「受難節」とか呼ばれる季節が始まります。この四旬節の最初の主日では、教会ではイエスの荒野での誘惑の記事が伝統的に読まれてきました。それは、このイエス・キリストの誘惑の出来事というのが、単なる誘惑や試練に打ち勝つというようなことではなく、私たちが生きているということの全体に関わること、特に、この世の苦しみや受難と深い関係があるからです。

 マルコはこの出来事を簡潔に表現していますが、マタイとルカによる福音書によりますと、イエスはここで三つの誘惑を受けられたと記されています。第一は、イエスが荒野で断食をされている時に悪魔がやって来て、「あなたがもし神の子なら、その石ころをパンに変えたら良かろう」と誘ったというのです。しかし、ここで注意深く聖書を読む必要がありますが、悪魔の誘惑の言葉というのは、パンを食べることではなく、石をパンに変えることです。つまり、生物的に生きることそのものではなく、石をパンに変えるような生き方のことが問題になっています。

 二番目は、高い神殿の屋根の上から飛び降りなさい。あなたが神の子なら、皆が支えてくれるだろう。神が守ってくださるだろうという誘惑です。これは簡単に言えば、私たちが、安心して生きるために神や信仰を利用してしまうという誘惑です。そして、第三番目は、あなたがもし神の子ならば、世界のすべてをあなたに委ねる。あなたは栄華の中に包まれ、高い地位を得ることが出来る。そういう誘惑です。

 しかし考えてみると、これらの三つのことは、誘惑というよりは、むしろ、私たちが積極的に良いことだと思って求めていることです。私たちは、少なくとも食べることに困らない生活をしたいと望んでいます。また、私たちは、権力や権威というほどではないにしても、人から良く思われたいし、ある程度認められたいと思っています。そして、私たちは危険を避け、出来るなら、安全で、安心して過していきたいと思っています。食べることに困らず、人から尊敬され、安心して暮らしていくということは、私たちが、むしろ、こちらから、そうしてもらいたいと思うようなことばかりです。

 しかし、聖書はこれが誘惑だと言うのです。これが何故誘惑なのかと言いますと、それは、イエス・キリストの十字架の場面に出てくる人たちのことを考えてみるとよくわかります。十字架の場面に登場する当時の宗教的・政治的指導者たち、ローマの総督や兵士、そして大勢の群衆など、その人たちの姿を見ると、こういう人たちの生活というのが、愛することではなく、あるいは信じることではなく、本当は恐れと不安に満ちていることに気づかされるのです。豊かになりたいがゆえに、安心して暮したいがゆえに、そして、他の人に認められたいがゆえに、恐れに捕らわれ、不安に捕らわれていることに気づかされるのです。
 さてそこで、イエス・キリストを見てみたいと思います。キリストの生涯というのはどういう生涯だったかを考えてみましょう。イエスの十字架と復活の生涯が示すのは、悲しみや苦しみを抱えても、なお、人は生きていけるし、貧しくても、物が無くても、たとえ病気であっても、能力が無くても、私たち人間が幸せになれるということを教えるものです。イエスは、まさに、ただ神の愛と恵みに堅く立つことで、本当に深く豊かな道を示されたのです。

 私たちは、無意識に、聖書が誘惑として示したことを望んで、大切なものを失い、不安にかられ、恐れに駆られて生きているのかもしれません。試練はいつもあります。苦しみはいつもあります。お金がない、人から良く思われない、他の人から理解されない、いつも不安定で、不安の中に生きています。しかし、その中で神の言葉に立つことで本当に豊かに生きる道がある。私たちは、その神の言葉を聞きながら日々を本当に過すことができればと思います。

学校法人九州学院副院長・チャプレン 小副川 幸孝

21-03-01るうてる2021年3月号

機関紙PDF

「四旬節第一主日の説教」

学校法人九州学院副院長・チャプレン 小副川幸孝

「それから、〝霊〟はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」(マルコによる福音書1章12~13節)

 教会の暦では今日から四旬節」とか「受難節」とか呼ばれる季節が始まります。この四旬節の最初の主日では、教会ではイエスの荒野での誘惑の記事が伝統的に読まれてきました。それは、このイエス・キリストの誘惑の出来事というのが、単なる誘惑や試練に打ち勝つというようなことではなく、私たちが生きているということの全体に関わること、特に、この世の苦しみや受難と深い関係があるからです。

 マルコはこの出来事を簡潔に表現していますが、マタイとルカによる福音書によりますと、イエスはここで三つの誘惑を受けられたと記されています。第一は、イエスが荒野で断食をされている時に悪魔がやって来て、「あなたがもし神の子なら、その石ころをパンに変えたら良かろう」と誘ったというのです。しかし、ここで注意深く聖書を読む必要がありますが、悪魔の誘惑の言葉というのは、パンを食べることではなく、石をパンに変えることです。つまり、生物的に生きることそのものではなく、石をパンに変えるような生き方のことが問題になっています。

 二番目は、高い神殿の屋根の上から飛び降りなさい。あなたが神の子なら、皆が支えてくれるだろう。神が守ってくださるだろうという誘惑です。これは簡単に言えば、私たちが、安心して生きるために神や信仰を利用してしまうという誘惑です。そして、第三番目は、あなたがもし神の子ならば、世界のすべてをあなたに委ねる。あなたは栄華の中に包まれ、高い地位を得ることが出来る。そういう誘惑です。

 しかし考えてみると、これらの三つのことは、誘惑というよりは、むしろ、私たちが積極的に良いことだと思って求めていることです。私たちは、少なくとも食べることに困らない生活をしたいと望んでいます。また、私たちは、権力や権威というほどではないにしても、人から良く思われたいし、ある程度認められたいと思っています。そして、私たちは危険を避け、出来るなら、安全で、安心して過していきたいと思っています。食べることに困らず、人から尊敬され、安心して暮らしていくということは、私たちが、むしろ、こちらから、そうしてもらいたいと思うようなことばかりです。

 しかし、聖書はこれが誘惑だと言うのです。これが何故誘惑なのかと言いますと、それは、イエス・キリストの十字架の場面に出てくる人たちのことを考えてみるとよくわかります。十字架の場面に登場する当時の宗教的・政治的指導者たち、ローマの総督や兵士、そして大勢の群衆など、その人たちの姿を見ると、こういう人たちの生活というのが、愛することではなく、あるいは信じることではなく、本当は恐れと不安に満ちていることに気づかされるのです。豊かになりたいがゆえに、安心して暮したいがゆえに、そして、他の人に認められたいがゆえに、恐れに捕らわれ、不安に捕らわれていることに気づかされるのです。
 さてそこで、イエス・キリストを見てみたいと思います。キリストの生涯というのはどういう生涯だったかを考えてみましょう。イエスの十字架と復活の生涯が示すのは、悲しみや苦しみを抱えても、なお、人は生きていけるし、貧しくても、物が無くても、たとえ病気であっても、能力が無くても、私たち人間が幸せになれるということを教えるものです。イエスは、まさに、ただ神の愛と恵みに堅く立つことで、本当に深く豊かな道を示されたのです。

 私たちは、無意識に、聖書が誘惑として示したことを望んで、大切なものを失い、不安にかられ、恐れに駆られて生きているのかもしれません。試練はいつもあります。苦しみはいつもあります。お金がない、人から良く思われない、他の人から理解されない、いつも不安定で、不安の中に生きています。しかし、その中で神の言葉に立つことで本当に豊かに生きる道がある。私たちは、その神の言葉を聞きながら日々を本当に過すことができればと思います。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

⑫「どうして」

「イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。」(ヨハネによる福音書20・16

 「皮肉な名前だね。」と病院へお見舞いに来た友達が私に言いました。「違うよ、私、心が健康だから大丈夫だよ。」と友達に答えそのように答えた私は自分で自分に驚きました。

 私の名前は「いとうさあな」です。少し早めに生まれたので生まれてからしばらくの間、保育器に入っていました。両親は健康に育ってほしいとこの名前をつけてくれました。父によく「おまえの名前の〈さあな〉はイタリア語で〈健康〉という意味だ」と幼い頃から言われ、幼い頃は子ども心にその頃流行っていた名前のほうが良かったなぁなんて思っておりましたが、今はこの名前が大好きです。

 「皮肉な名前だね。」と友達に言われたのは「この名前、イタリア語で〈健康〉って意味なんだって。」と言った時でした。私が意外に思った理由はその友達が看護師をしていることでもありました。 名前が無い方はおられるでしょうか。何らかの形で出生に関わった人から一人ひとりが名前をつけてもらっていると思います。あなたにつけられた名前には意味が込められています。そして何よりも、あなたに命を与えて下さる神様があなたに名前を与えて下さり、あなたの命の名を呼んで下さいます。

議長室から
天に向かって嘆き祈る

総会議長 大柴譲治

「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。」 (詩編130編より)

 3・11東日本大震災からちょうど10年、9・11同時多発テロから20年が経ちます。阪神淡路大震災、ルクソールテロ事件、尼崎線列車脱線事故などいずれも胸が張り裂けるほど鋭い痛みを伴う記憶です。私たちはこのような出来事が起こると「なぜこのような悲劇が起こるのか」と天に向かってその不条理を嘆きます。
 なぜ神はこのような過酷な現実を許され、嘆き祈る者たちの声に沈黙しておられるのか。これは魂の痛みを伴う〝Sacred Question〟であり神との格闘です。どこにも腑に落ちるような答えを見出すことはできない。私たちは生涯をかけて答えのない問いと格闘し続けるほかないのでしょう。
 ルクソール事件の翌日の新聞には犠牲となられた何組もの新婚カップルの笑顔の写真が掲載され、涙を禁じ得ませんでした。その後夕刊で吉田秀和氏の文章と出会いました。「私は愛する親しい人たちといっしょに幸せに生きていた時は、それを当然のように受け入れていたけれど、それがなぜ条理なのか。事故にあったのが不条理なら、たまたまその電車に乗らなかったのがなぜ条理なのか。両者は同じものの裏表、条理の上では区別できない。不条理の刃物に倒れるのが受け入れがたいというなら、その逆も本来、根拠がなかったのだ。

 何と空しいことだろう!この考えに取り憑かれ、心は閉ざされ、何十年もなりわいとしてきた音楽をきくための窓をあける気力もないまま、私は時を過ごしていた。」「その時、バッハが来た。それも《マタイ受難曲》やカンタータの類いではなく、まず《平均律クラヴィーア曲集》全二巻。これをききだして、私はこの不条理の世界にも何かの秩序がありうるのではないかという気がしてきた。その秩序がどういうものかはわからない。きいたあとは不条理、無意味の苦い思いは消えず、また戻ってくる。
 しかし、この音楽が続く限り、心が静まり、世界には何もないのかもしれないが、その空虚の中で空虚のままにひとつの宇宙的秩序とでもいうべ
きものが存在しているのかもしれないという気がしてくる」(「不条理と秩序」、『たとえ世界が不条理だったとしても』朝日新聞社2005より)。 
 バッハは自筆譜の最後にSDGと記しました(soli deo gloriaの略)。
「バッハは作曲したというより天上の音楽を写譜した」とはある人の言葉です。然り、その通りです。バッハは音楽を通して嘆く者たちのために天からの慰めを祈ったのではないか、私はそう捉えています。

〈訂正〉
 2021年2月号2面「聽・議長室から」の文中で編集過程でのミスによる誤植がありました。執筆者にお詫び申し上げますとともに、以下謹んで訂正いたします。
4段目後から3〜4行目
(誤)『口語訳聖書』(1995)
(正)『口語訳聖書』(1955)

「教会讃美歌 増補」 解説

⑧ 讃美歌委員からの声⑷
日本ルーテル教団教会讃美歌委員 安藤政泰

「言葉と音楽がひとつになる時」
懐かしい歌を聴くと、その時のことを思い出します。
 良く歌った童謡を聴くと、声を出さなくても、歌っています。

 増補版讃美歌集の特徴の一つは、ルターの讃美歌(コラール)が収納されていることです。その歌詞は神への賛美と共に、教育的にも配慮されています。
 礼拝でその讃美歌を共に歌う時、自分が洗礼を受けた時に学んだことを思い起こす歌詞に出会います。
 また、「讃美歌」は礼拝の中で自分が歌うだけでなく、他の人が歌うのを聴くこともあります。隣の人の歌うのを聴く、聖歌隊の歌う賛歌を聴く、オルガンの前奏を聴く、ということです。
 オルガン用の曲には、ルターのコラールをもとにした前奏曲が多くあります。その中で特に有名なのがJ.S.Bachのコラール前奏曲と言われ、コラールの旋律を使って作曲された楽曲です。

 例えば増補版にも収録されていますが、「主の祈り」の讃美歌(コラール)を主題とした前奏曲があります。自分で歌ったこともある曲で、その旋律も歌詞の大要も知っていると、演奏を聴いたとき、歌詞を直接聞かなくても、旋律と共に、その歌詞が思い起こされます。奏でられる旋律をとおして、自分も賛美を共にしています。
 礼拝で自分が直接声を出し、歌うのでは無くても、確実に楽器の演奏と共に、自分もその演奏の一部となり、神を賛美しているのです。
 言葉と音楽が一体となるのは、自分が直接声をだして歌う時にだけ起こることでは無く、聴いた音楽に心を寄せるときにも起こり、共に神を賛美しているのです。
 ルターのコラールと親しみ、賛美と学びを共にしましょう。

私たちの礼拝 —式文ハンドブック—

⑧み言葉の礼拝
松本義宣(式文委員会委員長・東京教会牧師)

 今回の式文改訂では、聖餐を伴わない礼拝のために「み言葉の礼拝」が新たに提案されました。現行の礼拝式文(いわゆる青式文)では、「奉献の部」の終わりに、『聖餐が行なわれないときは、ここから「派遣の部」へ続く』と指示されていました。そのように実践されていましたが、これだと、聖餐を省くイメージとなり、不完全なもの、あるいは諸般の事情で聖餐が執行されないことにやや後ろめたい思いを抱かせてしまいます。しかし、「み言葉(説教)」がメインとなる礼拝式もあることの重要性を再確認したいと思います。

 これは、礼拝での聖餐の重要性を主張する今回の改訂式文とは、矛盾のように思われるかもしれません。確かに、宗教改革以降、時代的背景から、より「説教」を重んずる傾向が強まり聖餐式を行わなくなったのも事実ですが、 それとは別に、一方ではルーテル教会でも「説教礼拝」の伝統があること、殊にこの「コロナ禍」での礼拝を再認識、再構築していく際にも重要なことだと思われます。
 基本的には、改訂式文と同じ構成ですが、聖餐の代わりに「感謝」という項を設けて、「招き」「みことば」「感謝」「派遣」となります。感謝の部分には、み言葉を聞き、神の恵みを受けたことへの応答として、「教会の祈り」を祈ります。全信徒祭司性とは、神の恵みを受け隣人に仕え、困窮する世界のために、私たちが祭司的な役割として執り成しをすることを意味します。この祈りで、恵みを受けたことを感謝し、共に祈ることで執り成しを果たします。

 続いて「主の祈り」を祈ります。主の祈りは、改めて言うまでもなく、主から弟子が受けた、私たち信仰者の「しるし」の祈りです。福音を聞き、改めて弟子とされて、新たな気持ちで派遣されていく、その決意としてここで祈られます。エキュメニカルな交わりを大切にするために、日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳(2000年)を採用しています。これまでのNCC口語訳、以前の文語訳と共に選択肢を増やしました。

 日本の教会では、伝道地での宣教でもあり、長く「聖餐のない礼拝」が行われてきましたし、また現状では、牧師が常駐しない教会での信徒礼拝も多く行われています。そんな場合も、省略ではなく、そのための「み言葉の礼拝」が守られていくことが大切です。

パンデミックの中のディアコニア

社会福祉ベタニヤホーム状況報告
理事長 綱 春子(聖パウロ教会)

1.法人としての取り組み

 2020年1月、新型コロナウイルス感染症(COVID—19)のメディア報道が耳に入り、次第に都内の感染が拡大していく中で、当法人も2月より関係機関と連携を持ちながら、新型コロナウイルスに関する情報を法人内で共有し、職員及び利用者等を含めて罹患防止に努めました。
 保育園3園・母子生活支援施設1施設の保育業務と母子の生活支援業務において、基本的習慣として検温、マスク使用、手指消毒、一定の距離を置く、不要不急の外出を控える等について保護者にも協力をお願いし、施設内及び備品・遊具の消毒にも気を配り、職員は本来の業務の合間に特に注意して皆で取り組んでいます。

 第1波のあった緊急事態宣言下においては感染は回避できました。保育を要する家庭に代わる乳幼児の生活と養護及び保護者の就労支援を担う保育園は原則として休園はできないのです。

 母子生活支援施設においても、徹底した感染予防対策を講じ利用者には守って行動することを伝え協力をお願いしました。利用者の生活の場ですから決して罹患させてはなりません。クラスターを絶対避けなければなりません。

 職員のシフトは細やかに考慮し、通勤時間帯や通勤ルート等についても非常事態になった時の勤務体制を施設長中心に綿密に対応策を講じました。園長・施設長はじめ職員たちは必死に働きました。

 しかし、残念ながら第2波のピークを向かえる頃の7月22日、本部隣接の保育園で2歳児クラス園児1名と職員3名が感染していることが、医療機関の届け出及び保健所の検査により陽性(無症状)が判明し、7月23日から8月5日までやむを得ず休園しました。

 罹患者の出たクラスの園児と全職員のPCR検査を実施し、保育再開後も利用者及び家族、職員等の健康チェック、観察を継続しながら、3密の回避、検温、マスクの着用、手洗い励行、清掃・消毒等、一層の感染予防対策徹底のうえ通常業務を行いました。

 また、職員・保護者の体調不良の連絡が入る度にPCR検査受検をお願いし、濃厚接触の可能性がある職員は2週間特別休暇で自宅待機を命じました。この間、園は毎日、職員から健康観察の報告を受け状況把握に努めました。

 感染ルートは確定できませんでしたが、多くの方の出入りがある保育園では感染拡大は避けなければならない試練の連続でした。法人内の罹患者累計は園児2名、職員3名にとどまりましたが、感染拡大を防止できたのは職員が一丸となって対応してきたこと、そして保護者・利用者のご理解とご協力をいただき、職員の働きを信頼してくださったからです。

 関係者の皆様方に多大なご心配とご迷惑をおかけしましたことを、改めて心からお詫びしますとともに、ご理解ご協力に感謝いたします。

 8月14日、職員より新型コロナウイルスに感染したご家族が亡くなられた旨の連絡が入りました。言葉で言い表せない悲しいことにも遭遇しました。その職員とご家族の上に主のお慰めと平安がありますようにお祈りいたします。

2.関係機関・関係者の皆様へのお知らせについて

①自治体、保健所との連携(相談、指導、報告)
②保護者・地域・学校等
③日本福音ルーテル教会東教区教会、関係施設等、これらへのお知らせは、法人ホームページ(第1報から第6報まで)、メール、電話、お手紙、掲示、園児連絡帳等により行ないました。法人役員、保育園・施設ともに状況報告と感染予防対応策の再確認を行うとともに共有し、各現場で職員は実践に励みました。

3.職員の働きと処遇について

 法人では、常勤・非常勤すべての職員が安心して働けるよう、有給休暇や傷病等による休暇では対応できない特別休暇の取り扱いと所得補償について早々に検討し、整えてまいりました。

 具体的には、所得補償の面では、国の既存の制度や小中学校等の休校に伴う助成金など、新たに設けられた助成制度の活用や自治体の補助金を活用して危険手当の支給等を行ってまいりました。また、休暇の取り扱いについては、法人の服務に関する既存の規程の見直し・改正を行い、様々な状況に応じて必要な休暇を付与できるよう整備し、併せて職員への周知を図りました。

 2021年に入り第3波を迎えた現在、感染経路の特定ができず労災認定の申請が行えない職員への対応、罹患後の療養期間が終わり職場復帰に際して、これまであったPCR検査受検が不要となったことで不安を抱く職員や迎え入れる職場の対応など、保健所等の対応や指示も状況が変ってきています。療養中や回復後、職場復帰後も想定できなかった状況が発生しており、法人として引き続き対応が求められています。

4.チャプレンのお支えとメンタルケアについて

 新型コロナウイルスの感染拡大第3波は収まるところを知らず、子ども達・職員自身と家族、利用者の健康と命を守ることへの緊張と恐れと不安により、誰もが経験したことのない精神的疲弊と強いストレスに襲われながらの日々を送っております。

 特に、職員のメンタル面への支援が必要ですが、私たちの法人には、傍にいてくださるチャプレンから頂くみ言葉が心の支えになっています。それでもいつ終息するか先が見えない中での保育と母子支援業務は、職員の緊張と不安感の中に今も続いています。

 新型コロナ禍の中で、教会と施設は地域社会にあって常に「感染しない、感染させない」という社会的責任が伴いますので、連携して細心の注意を払うことが大切だと考えます。やるべきことをやって後は主にお委ねするのみです。

5.ベタニヤホームと教会と地域の支援について
  • ベタニヤホームの働きを覚えて聖パウロ教会会員の祈りが毎度捧げられています。
  • 教会会員の手作りマスクに牧師手作りのみ言葉カードを添えて「シャロームマスク」を献品頂きました。
  • 近隣に住む方からも、素敵な手作りマスクが沢山届きました。
  • 主日礼拝(リモート、フェイスブック、郵便配布)の説教やCSメッセージ、牧師手作りのみ言葉カードが法人各施設及び法人本部へ届けられました
  • CSメッセージに添える絵は法人施設から保育士の描画奉仕がなされています。
  • 各保育園・施設の担当チャプレンによる子ども礼拝が定期的に行われています。また、職員の昼礼時に時折チャプレンの参加で祈りの時が持たれています。
  • 法人創立記念日・東京大空襲犠牲者追悼記念礼拝、法人職員クリスマス礼拝(永年勤続者表彰)等を聖パウロ教会及び各職場にてリモートにより実施、各施設長等が最少人数で礼拝に参加しています。
  • 母子生活支援施設の子ども祝福礼拝でプレゼントを頂きました。

 み言葉を通してのお支えは、不安と恐れと疲労でくじけそうになる人の心を癒し、立ち上がる力となります。

 新型コロナ禍にあって、教会礼拝は形を変えて継続しています。このような時にも小さなことですが、教会はみ言葉の種まきをベタニヤホームに関わる人や地域の方々に向けて行われているのです。

アメリカ病院聖職者チャプレン報告1

関野和寛

 2020年7月より日本福音ルーテル教会の留学制度と共に渡米し、ミネソタ州のAbbott Northwestern Hospital(アボットノースウェスタン病院)にて病院聖職者、チャプレンとして勤務をしています。信徒、牧師、神父、イスラム教指導者合計14名のいるチャプレンチームの一員として週
5日の勤務にあたっています。

 私が勤務している病院は860床以上の大型総合病院で、私はその中でコロナ室と子どもと大人それぞれの精神科病棟担当として働いています。

 ミネソタ州では昨年の冬前半に新型コロナウィルスの感染が爆発。その中で病院内はお見舞いを含め一切の訪問者は立ち入りを禁止されました。特にコロナの隔離病棟で患者が会えるのは、医師と看護師、そしてチャプレンだけです。

 その中で患者さんたちは自分が本当に回復できるのか、家族や周りに自分が原因で感染を広げていないか、医療費は払えるか(集中治療室だと1日あたり100万円かかるケースもあります)など幾つもの不安の中で過ごしています。

 その中でチャプレンは全身防護服を身に着け、患者さんの苦しみに寄り添います。向こうからは目元しか見えませんがそれでも手をとり祈ります。小さな祈りのひと時です。けれども患者さんが人間的なコミュニケーションをとれる唯一の時間でもあります。

 またこの半年の間に何人ものコロナ患者さんたちの死に立ち合いました。面会謝絶の為、患者さんたちの家族はスマートフォンやタブレット端末で病室内と自宅をインターネットで繋ぎ、その中で大切な家族を看取らなくてはいけない苦しい現実があります。だからこそチャプレンはその傍らで家族の代わりには決してなれないけれども、それでも人として患者さんの横に立ち続けます。そしてこの闘いはまだ続いています。

 極めて過酷な現場ですが、このような場所で多くの事を吸収し、将来的にはこの病院聖職者、チャプレンの働きを広く日本、そしてアジアに伝えて行く事が使命だと感じています。どうぞ皆様の応援をよろしくお願いいたします。

世界の教会の声

浅野 直樹Sr.(世界宣教主事  市ヶ谷・スオミ教会牧師)

ベラルーシの牧師、支援と祈りに感謝①
世界ルーテル連盟(LWF)がベラルーシのウラディミル・タタニコフ牧師にインタビューした記事(2021年1月15日公開)を2回に分けて紹介します。

(元の記事のURL)
https://www.lutheranworld.org/news/belarus-pastor-grateful-solidarity-and-prayers

 ウラディミル・タタニコフ氏は、ベラルーシ内の全ルーテル教会を牧会する唯一の牧師です。

 ベラルーシでは2020年8月の大統領選挙以後、抵抗運動が絶えません。ベラルーシの西方、ポーランドとリトアニア国境近くにあるグロドノ市内に、タタニコフ牧師が牧会する一つの教会があります。過去数か月を振り返って、タタニコフ牧師が自身の経験とベラルーシのルーテル教会の現状について語ってくれました。

—2020年8月の大統領選挙直後の状況はいかがでしたか?

「不正が疑われた選挙への抗議活動が大々的に始まりました。それに対して治安部隊が全国規模で逮捕と家宅捜査で応じたので、ここグロドノではルーテル、カトリック、正教会は、教会を避難場所として開放しました。

 聖ヨハネルーテル教会がグロドノの中心地にあります。教会に隣接して地域の警察署本庁があります。私たちの教会をはじめ市内の全教会は、そのとき鐘を鳴らしたのです。そうすることで全教会が一致して、抗議運動をする人々に対する暴力をやめるようにと呼びかけるアピールをしたのです。帰宅途中の人、散歩中の人までも暴行を受けて逮捕されていたので、それが必要でした。教会は、そうした人々のために扉を開けて保護をし、彼らのために祈りました。」

—ベラルーシではその後も抵抗運動が続いたと聞いています。現在はいかがですか?
「その通りです。抵抗運動は続きました。8月以降3万人が逮捕され収監されました。さらに多くの人々が仕事を失ったり、大学を退学させられました。 反政府運動をしたことで有罪となったのです。

 ベラルーシのいくつかの都市にルーテル教会がありますが、首都ミンスクでは抗議活動の影響で地下鉄が止まり、市街地も閉鎖され交通がストップしてしまったので、教会では通常の礼拝ができなくなりました。そのような状況なので、パンを買いに出かけただけなのに取り押さえられ、一晩留置場で過ごすなどといったことも起こりかねません。」

—ベラルーシのルーテル教会の歴史について教えてください。

「ベラルーシで最大の教会は正教会です。カトリックがそれに続きますが、大きくはありません。福音ルーテル教会はとても小さく、マイノリティの教会として複雑な歴史があります。第二次世界大戦前、グロドノの教会はワルシャワ(ポーランド)管区に属していました。戦後になって共産党が教会を解散させ、教会堂は町の歴史資料館と化し、信徒たちはスターリン政権下のカザフスタンかキルギスタンに強制送還されてしまいました。今はミンスク、ビテプスク、グロドノにあります。教会堂を所有しているのはここグロドノの教会のみです。」
(以下、次号につづく)

東教区プロジェクト3・11
2020年度報告

小泉嗣(千葉教会・津田沼教会)

 集うことが制限される中、私たちの教会では昨年8月2日の平和主日、第二次世界大戦を経験された方々に8月15日の思い出を寄稿していただき、「あの日、私は…」という小さな文集を作成しました。例年であれば教会学校の礼拝や主日礼拝の後で戦争体験や被爆体験を直接お話していただくのですが、コロナ禍の中で礼拝は続けていたものの、高齢の方に礼拝出席を強いることもできず、それでも何とか「平和」へのおもいを分かち合うための苦肉の策でした…。寄せられた文章には8月15日の空の色や音、匂いなどを思い浮かべることができるような記憶がつづられていました。

 2021年3月11日、おそらく緊急事態宣言は解除されてはいるでしょうが、だからといって新型コロナウイルスの流行が収まっているわけもなく、多くの教会が様々な感性防止対策を講じて教会活動を続けていることと思います。そのような状況下で、東教区プロジェクト3・11は一つ所に集い2011年の3月11日を憶えるプログラムを持つことを諦めざるをえませんでした。
そもそも2020年に予定していた現地訪問や研修などの活動自体出来なかったことをここに報告しなければなりません。

 にもかかわらず、各地の教会・施設から計22万円の献金が寄せられ、「いわき食品放射能計測所いのり」「いわき放射能市民測定室たらちね」「松本こども留学」「ふくしまキッズケアパーク」「福島移住女性支援ネットワークEIWAN」に送金することができました。感謝して報告させていただきます。

 50年以上前の記憶が一人一人の心に鮮明に残っているように、2011年3月11日の記憶は今もなお、それぞれの心にしっかりと刻まれていることと思います。そしてそこで刻まれた痛みや苦しみ、不安や悲しみを背負い日々を歩まれている方々がおられます。新たな重荷を負われた方々もおられるでしょう。10年目の今年、集うことはできませんが、どうかそれぞれの地で自らの「あの日、あの時」を思い起こし、また痛みや苦しみを負う人々の「あの日、あの時」に思いをはせ、祈りをあわせていただければと願います。

21-02-01祈りで支え合う
「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

(ルカによる福音書22章31~32節)

 ルカ福音書の中で、祈りは特別な意味を持っています。キリストがエルサレムへと向かう旅路の中で、大きな節目ともいえる時には必ずと言っていいほど祈るシーンが挿入されているからです。そのほかにも何度もキリストが祈りに向かう姿が描写されていきます。神の御子であるお方でさえ、その信仰に生きる歩みには祈りが欠かせないことを、キリストはその背中から語ってくれているように思います。

 昨年松本教会と長野教会では、新型コロナウイルスの感染対策のため、約2カ月間、集う形での礼拝を中止しました。会堂で共に祈りを合わせることができなくなり、家庭礼拝用の式文や説教原稿等をお送りしたり、説教音声をインターネットを通じて配信するようになりました。
 その反面で、同じ場所に集えないことで共に祈りを合わせているという実感が薄く感じたり、祈りを一つにするために何が出来るだろうかと問い続ける日々が続きました。

 そのような中、昨年一度も教会に来ることのできなかった方からお手紙をいただきました。「先生が送ってくださる説教原稿をお読みしながら、毎日祈りを守ることが出来ました」と書かれているのを読み、いかに自分が自らの思いばかりに囚われていたのか気付かされました。

 礼拝は神様から私たちへの奉仕と言われます。私たちが一堂に会することができずとも、それぞれの場所において一つの祈りへと導かれていくのは、まぎれもない神様のわざであるのだと思います。その神様の働きを信じ委ねることを通して、たとえ礼拝のかたちが変わろうとも、時間と場所を超えて一つの祈りとされているという確信が与えられた出来事でした。

 ペトロは最後の晩餐の時、力強く「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と告げています。しかし実際にはキリストの十字架から逃げ出し、信仰の挫折を味わうことをキリストは知っておられました。だからこそ先んじてキリストはペトロのために「信仰が無くならないように」祈ってくださったのです。

 ここで注目したいのは、キリストの祈りが「ペトロに降りかかるサタンの試練が取り除かれるように」祈られてはいないということです。それは、ペトロの人間的な弱さにこそキリストが寄り添ってくださったからではないでしょうか。

 「三度わたしのことを知らないと言うだろう」と予告された通りに裏切ってしまい、ペトロは後悔の中で「激しく泣いた」(ルカ22・62)と記されています。しかし同時に、そのような弱いペトロのために先んじてキリストが祈ってくださっていたことも、彼は思い出したかもしれません。

 キリストの祈りに込められた、ペトロの弱さに寄り添う愛に支えられることで、ペトロの信仰は繋ぎとめられていったのではないでしょうか。

 キリストはペトロに続けて語られます。「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」その言葉の通りに、ペトロはキリストの復活と昇天の後、迫害の中にありながらも力強く証をし、共同体を支える信仰者として立たされていきました。その共同体には絶えず祈りが溢れていたことを、ルカ福音書に続く使徒言行録は記していくのです。

 このような教会の在り方は、今なお変わってはいないのだと思います。かたちを変えながらも礼拝という祈りが守られる恵みに加え、信徒の方々に電話をかけたり、手紙を送りあうことが増えました。そこでなされる祈りと、「祈っています」という言葉が、どれだけ慰め深く私たちを今日まで支えてきたでしょうか。まさに祈りは私たちの中心にあります。この試練の中を歩み続ける私たちの信仰を支えるために、まずキリストが祈りをもって執り成してくださっています。そして、互いに力づけるようにと教えておられるのです。私たちも絶えざる祈りを通して、主によって一つとされる共同体として、この時を共に乗り越えていきたいと思います。

日本福音ルーテル松本教会・長野教会牧師 野口和音

21-02-01るうてる2021年2月号

機関紙PDF

「祈りで支え合う」

日本福音ルーテル松本教会・長野教会牧師 野口和音

「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカによる福音書22章31〜32節)

 ルカ福音書の中で、祈りは特別な意味を持っています。キリストがエルサレムへと向かう旅路の中で、大きな節目ともいえる時には必ずと言っていいほど祈るシーンが挿入されているからです。そのほかにも何度もキリストが祈りに向かう姿が描写されていきます。神の御子であるお方でさえ、その信仰に生きる歩みには祈りが欠かせないことを、キリストはその背中から語ってくれているように思います。

 昨年松本教会と長野教会では、新型コロナウイルスの感染対策のため、約2カ月間、集う形での礼拝を中止しました。会堂で共に祈りを合わせることができなくなり、家庭礼拝用の式文や説教原稿等をお送りしたり、説教音声をインターネットを通じて配信するようになりました。
 その反面で、同じ場所に集えないことで共に祈りを合わせているという実感が薄く感じたり、祈りを一つにするために何が出来るだろうかと問い続ける日々が続きました。

 そのような中、昨年一度も教会に来ることのできなかった方からお手紙をいただきました。「先生が送ってくださる説教原稿をお読みしながら、毎日祈りを守ることが出来ました」と書かれているのを読み、いかに自分が自らの思いばかりに囚われていたのか気付かされました。

 礼拝は神様から私たちへの奉仕と言われます。私たちが一堂に会することができずとも、それぞれの場所において一つの祈りへと導かれていくのは、まぎれもない神様のわざであるのだと思います。その神様の働きを信じ委ねることを通して、たとえ礼拝のかたちが変わろうとも、時間と場所を超えて一つの祈りとされているという確信が与えられた出来事でした。

 ペトロは最後の晩餐の時、力強く「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と告げています。しかし実際にはキリストの十字架から逃げ出し、信仰の挫折を味わうことをキリストは知っておられました。だからこそ先んじてキリストはペトロのために「信仰が無くならないように」祈ってくださったのです。

 ここで注目したいのは、キリストの祈りが「ペトロに降りかかるサタンの試練が取り除かれるように」祈られてはいないということです。それは、ペトロの人間的な弱さにこそキリストが寄り添ってくださったからではないでしょうか。

 「三度わたしのことを知らないと言うだろう」と予告された通りに裏切ってしまい、ペトロは後悔の中で「激しく泣いた」(ルカ22・62)と記されています。しかし同時に、そのような弱いペトロのために先んじてキリストが祈ってくださっていたことも、彼は思い出したかもしれません。

 キリストの祈りに込められた、ペトロの弱さに寄り添う愛に支えられることで、ペトロの信仰は繋ぎとめられていったのではないでしょうか。

 キリストはペトロに続けて語られます。「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」その言葉の通りに、ペトロはキリストの復活と昇天の後、迫害の中にありながらも力強く証をし、共同体を支える信仰者として立たされていきました。その共同体には絶えず祈りが溢れていたことを、ルカ福音書に続く使徒言行録は記していくのです。

 このような教会の在り方は、今なお変わってはいないのだと思います。かたちを変えながらも礼拝という祈りが守られる恵みに加え、信徒の方々に電話をかけたり、手紙を送りあうことが増えました。そこでなされる祈りと、「祈っています」という言葉が、どれだけ慰め深く私たちを今日まで支えてきたでしょうか。まさに祈りは私たちの中心にあります。この試練の中を歩み続ける私たちの信仰を支えるために、まずキリストが祈りをもって執り成してくださっています。そして、互いに力づけるようにと教えておられるのです。私たちも絶えざる祈りを通して、主によって一つとされる共同体として、この時を共に乗り越えていきたいと思います。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

⑪「どうして」

「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」(コリントの信徒への手紙二12・10)

 「あなたは強いですね。」私は入院してベッドにパジャマでいてその方と一緒にいたときにその方から言われました。「えっなんで私が?」本当に不思議でたまりませんでした。でもその方の私に向けられた真剣な眼差しは今でも忘れられません。私が強い?体が大きいから?その方の力仕事をお手伝いしたわけでもないのに。それは何年も前の入院のときの話です。その方の病状は悪くなるばかりで日に日に口数が減っていきました。一方私は年数回の入院を必要とし年々障害は重くなって行きます。

 自分が思ってもないときに「強い」って言われたとき強いのはもしかして私と共におられるイエス・キリストなのかな?と思いました。そしてしばらく後「イエス様が私を通して働かれて下さったのだ」と確信し、とても嬉しくなりました。

「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」

 私に「あなたは強いですね。」と言われた方と今は連絡はお取りしてませんが、きっとその方ともイエス様が共におられると思います。

議長室から
永遠の今~「クロノス」と「カイロス」

総会議長 大柴譲治

何事にも時(クロノス)があり/天の下の出来事にはすべて定められた時(カイロス)がある。」(コヘレトの言葉3・1 括弧内は引用者による挿入)

 ギリシャ語には「時」を表す単語が二つあります。「クロノス」と「カイロス」です。前者は時計で計測可能な「時間」を、後者は「時」や「機会」を意味します。コヘレトの言葉3章は二つの「時」を告げています。旧約のギリシャ語訳(七十訳)では前者が「クロノス」、後者が「カイロス」と訳されます。ギリシャ語は二つの語によって両者が異なる概念であることを明確にしています。

 では両者はどのような関係にあるのか。私見ですが、クロノスとカイロスは交差関係にあるように思われます。「クロノスとしての人間の歴史」を垂直に断ち切る「カイロスとしての神の時」がある。それは私たちの人生に神が垂直に天から介入してくる瞬間、「永遠の今」とも呼ぶべき「神の時」です。

 旧約の「出エジプト」や「バビロン捕囚」を想起してみてください。苦難の中でも私たちは「今、ここ」において永遠なる存在とつながって生きるのです。「永遠」とは「永続する時間」「終わりのない無限の時間」ではなく、「いつどこででも妥当する神の現実(present moment)」を意味しています。コヘレト3章はこの世の歴史や私たちの生育歴の背後に神の摂理を見てゆく視点があることを告げています。

 私は多感な青年時代に読んだ『口語訳聖書』(1995)の「神のなされることは皆その時にかなって美しい」(伝道の書3・11)という訳を忘れられないでいます。『文語訳』(1887)は「神の爲(な)したまふところは皆その時に適(かな)ひて美麗(うるは)しかり」となっていました。ですから『新共同訳』(1987)の「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる」という訳語に初めて触れた時には失望感を味わいました。慣れ親しんでいた「美しい」という語がなくなっているではありませんか。私の中ではそれは「時よ止まれ。お前は(そのままで)美しい」(ゲーテ『ファウスト』)という語と重なっていたのです。「美」という語にこだわるのは青年時代の私が「美」や「愛」の探求に夢中になっていたためでもありましょう。

 新しい『聖書協会共同訳』(2018)ではこう訳されています。「神はすべてを時に適って麗しく造り、永遠を人の心に与えた」。このように四つの訳を比較すると翻訳は一つの解釈ということがよく分かります。その奥行きが見えてくる。そこに歴史というクロノスにクロスする神のカイロスを深く感じるのは私だけではありますまい。
いかがでしょうか。

「教会讃美歌 増補」 解説

⑧讃美歌委員からの声⑶
讃美歌委員会 萩森英明(むさしの教会)

 この度、教会讃美歌の増補版の編集にあたり、讃美歌委員会の一員として末席を汚させていただきました萩森英明と申します。私自身、音楽(特に作曲)を専門に勉強しておりましたので、そのような観点から参加させて頂きました。
 委員会では、讃美歌や礼拝学、牧会学に造詣の深い諸先生方の様々なお話を伺うことができ、とても得難い経験をすることが出来ました。感謝申し上げます。
 ただ2017年頃から、私自身の仕事が忙しくなってしまったこと、また個人的にも結婚や妻の出産などで時間の余裕がなくなり、会議に出席できないことが増え、編集の仕事に穴を空けてしまい他の委員の皆さまにご負担をかけてしまったことを大変申し訳なく思っております。
 私は所属しているむさしの教会で聖歌隊指揮者として奉仕をしておりまして、奉仕曲の選曲は重要な仕事の一つです。その際に常々思うことは、もっと新しい讃美歌が欲しい、ということと、歌いやすい日本語で歌詞の内容が歌い手にも聴き手にも自然に伝わる歌が欲しい、ということです。

 もちろん既存の讃美歌集にも素晴らしい曲は沢山ありますし、内容も普遍的で、後世に歌い継いでゆくべき曲ばかりです。ただ、ややもすれば歌詞の表現が古かったり、メロディーが格式高すぎるために、少し馴染みづらく、現代の私達の自然な表現に合わないことがあることは否定できません。

 その点で、この増補版には新しい曲、我々になじみ易い内容や表現の日本語、また日本人の作詩、作曲による歌いやすい曲などが、数多く収められています。私自身も聖歌隊の選曲の幅が広がる事に大変期待しております。
 ただ、新しい讃美歌というものは、どうしても慣れ親しんだ曲に比べると不自然に感じ、歌いづらく、使いづらいと感じることもあるでしょう。私も、ただいたずらに新しい曲をどんどん使えばよい、と考えるわけではありません。
 しかし、新しい讃美歌にも普遍的な内容をもち、沢山の人に親しんでいただけるものは沢山あります。古い=普遍的、新しい=移ろいやすいもの、とは限らないのです。この曲集の中の曲が、沢山の皆さまに歌われることを願ってやみません。

私たちの礼拝 —式文ハンドブック—

⑦派遣・世界へ開かれる礼拝
式文委員会 多田 哲(日吉教会牧師)

 今回は新しい礼拝式文の派遣についてです。現行の礼拝式文(いわゆる青式文)においても礼拝の第5番目の部として「派遣の部」がありますが、今回の式文改定では派遣の意味がより明確に分かるようになっています。現行の礼拝式文の冒頭で「開会の部」となっている部分が、新式文においては「招き」となっていることにも示されているように、私たちは神によって礼拝に招かれ、そして、礼拝から祝福を携えて世界に派遣されていきます。今回の式文改定では、この点を強調しています。
 今まで、もしかしたら私たちは礼拝に「行って」、礼拝が終わったら家に「帰る」という意識が強かったかもしれません。教会の礼拝堂で行われる礼拝に参加することで完結してしまっていたかもしれません。
 しかし、神の奉仕としての礼拝は礼拝堂の外へと続いています。私たちはそれぞれの生活の場から呼び集められ、再びこの世界の中で共に生きる隣人のもとへと送り出されます。礼拝は礼拝堂の中で完結しているのではありません。私たちは「帰る」のではなく、「派遣される」のです。このことに重点を置き、新式文では「私たちは行きます。神の助けによって」、あるいは「私たちは分かち合います、恵みを。伝えます、福音を」という言葉で礼拝堂を後にします。
 現行式文では祝福の後に「終わりの歌」が配置されていますが、これは派遣の歌として祝福の前に移されました。祝福に対する応答として、私たちは喜びと希望とをもってすぐさま世界へ出ていきます。この会衆の応答という点も新式文で重点が置かれています。

 現行式文では「奉献の部」として「聖餐の部」の前に配置されていた部分が新式文で派遣のところに移されたことは、その大きな特徴です。聖餐の前に奉献を行うことは宗教改革以前からの伝統ですが、中世においては奉献が犠牲の捧げものとして扱われ、イエス・キリストの十字架の意味を不明瞭にしてしまいました。

 奉献は私たちが神に何かを捧げる行為ではありません。キリストの恵みに対する感謝の応答として、捧げものがあります。そのことを明確にするために、また、私たちが恵みを携えて送り出されるということを表すために、聖餐の後、派遣のところで感謝の捧げものをするように変更されました。私たちから神への捧げものではなく、神から私たちへの恵みを隣人と分かち合うということです。礼拝は終わるのではなく、派遣によって世界へ開かれるのです。

パンデミックの中のディアコニア

新型コロナウイルスに対する広安愛児園の取り組み
社会福祉法人キリスト教児童福祉会 広安愛児園
園長 三嶋充裕

 日本で新型コロナウイルスの感染が始まったのは昨年の2月位でした。その頃はまさか今のような状況になるなど考えもしなかったことですが。3月の初めから幼、小、中、高の休校が始まり、緊急事態宣言が発令されました。休校期間、子どもたちには外出の制限、帰省の制限、家族の面会制限、3密の回避、マスク着用と手洗い、うがいの励行等考えられるあらゆる手段を用いて感染回避に努めました。

 ここまでは幸いにしてコロナの陽性者はおりませんが、現在第3波のまっただ中。県内も毎日多数の陽性者が確認されています。しかし、こんな状況でお正月がやってきますので、本当は帰省も中止したい所ですが、子どもたちにも保護者にも、それを納得させるのはとうてい無理です。ですので、帰省できる期間を12月29日~1月4日までの間と限定し、3泊4日を最長としました。保護者の皆様には3密を避ける行動、マスク着用と手洗い、うがいを徹底するようお願いし、日々の検温と体調管理もお願いすることになります。後はそれらのことをきちんと守っていただき、何事もなく園に帰ってくるのを待つほかありません。

 熊本では0~5の6段階のリスクレベルを採用していますが、現在は上から2番目のリスク4です。園ではそのリスクに合わせて、行ける場所行けない場所などを表にまとめ、子ども、職員にその表を配り、それを守るよう伝えています。

 私たちの仕事は、子どもたちを支援し守ることです。子どもたちとその保護者、さらには職員と全ての人の意識をコロナ感染予防に向けることが重要ですので、そのことに最大限の努力をする必要があると考えています。

社会福祉法人修光学園のあゆみ
アクティブセンター統括センター長 森 亮(修学院教会)

 社会福祉法人修光学園は、1987年に社会福祉法人の認可を得て、1988年に京都市左京区修学院の住宅街に開設されました。修光学園は、その理念に、「キリスト教の愛と奉仕の精神」を掲げて活動をしています。法人としての歩みを進める前、ルーテル修学院教会の建物の一角をお借りして小さな無認可作業所を開き、そこで牧師や教会員の方々との交流が生まれましたが、障がいの有る無しにかかわらわらず、一人の人として尊重されるその姿はまさにキリストの愛の現れであったからです。

 さて、新型コロナウイルスの脅威は私たち修光学園の事業にも大きな影響を与えました。利用者は知的な障がいのある方が中心ではありますが、中には身体的な障がい、精神的な障がいを併せ持つ方もいらっしゃいます。身体的な障がいには、手足の障がいの他、内臓機能の障がいもあり、心臓や肺、腎臓など命を司る内臓に疾病を持つ方もあり、感染症に対しては高リスクの方と言えます。また、精神的な障がいのある方や、知的障がいのある方の中には、世界的な感染症の大流行に自身の身の危険を投影し、悲観的になられたり、この先どうなってしまうのかという不安に苛まれる方もあります。氾濫するテレビやネットニュースの内容も大きく影響すると言えるでしょう。

 こまめな消毒の実施や換気の実施、マスク着用は当然ながら、緊急事態宣言の発令時には、施設に通わずにご自宅で過ごせる方には自粛をお願いしたり、送迎車の密を避けるためにご家族に送迎の協
力をお願いしたりして感染予防に努めています。皆さんが楽しみにされている行事も多くは中止となりましたが、そのような中でも、クリスマス会は全ての事業所で行うことができました。2部制にしたところ、録画した映像を視聴したところ、礼拝堂を使って実施したところなど、方法は様々ですが、沼崎勇牧師の司式で礼拝し、楽器演奏を聴いたりプレゼントをもらったりと、つかの間の楽しいひと時を過ごすことができました。

 今後もしばらくは感染対策を継続することになりそうですが、利用者の皆さんの健康を守るためにも、職員が一番に健康でなければならないという考えも大切にして、神様の御恵みに寄り頼みたいと願います。

世界の教会の声

浅野 直樹Sr.(世界宣教主事  市ヶ谷・スオミ教会牧師)

「コロナ禍に高まる結束」④
世界ルーテル連盟(LWF)がドイツ・ハノーファーのラルフ・マイスター監督にインタビューした記事(2020年8月7日)の紹介の続きです。

(元の記事のURL)
https://www.lutheranworld.org/news/covid-19-new-awareness-social-cohesion-growing-crisis

「地方レベルでは、これから社会をどう造り変え維持していくべきかを、創造的に考えて作っていくときの力になれます。各教区での実践例がたくさんあります。それらは単に霊的な原動力というだけでなく、村でも都市でも社会の文化的中心地になっています。難民支援活動に熱心な教会もあれば、環境問題に取り組んだり、厳しい境遇にいる人々を助けたり、歌ったり学んだりお祝いしてもらうことが少ない人々にそうした機会を提供するなど、今挙げた例はひとつひとつの教会が行っている活動のごく一部ですが、こうした近隣の人たちへの小さなお手伝いがあります。これが社会全体へと広がっていくことが私の願いでもあります。」

—社会的距離や衛生面のルールが生活に入り込んでいますが、ホームセンターなどは開いていたりするのに、教会は閉じておく必要があったのでしょうか。それがよく理解されていないのでは?

 「行政に対して教会は生真面目すぎるという人もいるかもしれません。教会を閉鎖することを私も快く思ってはいません。けれどもどんな決断をするにせよ、納得いくことはないでしょう。かつてなく厳しい環境下に置かれているなか、様々な検討を重ねた結果、教会は人々のいのちを守ることを決断しました。」
「閉鎖を決定したときには、礼拝で歌うといった行為も危険だとは、まだ十分周知されていませんでしたが、もしも礼拝がウイルス感染のホットスポットになっていたとしたら、などと想像だにしたくないです。教会は弱腰だといった批判もあるでしょうが、そこから各教会がどれほど迅速にそして創造的に工夫をこらし、新しいやり方で福音宣教を始めたかということを、忘れないでほしいと思います。」(了)

教会手帳2021訂正のお願い

〈月間カレンダーの訂正〉
月間カレンダー2021年3月
印刷行程上のミスで教会暦の日付表示がずれてしまっておりました。恐れ入りますが左記のようにご訂正をお願いいたします。
3月30日(火)聖月曜日→3月29日(月)
3月31日(水)聖火曜日→3月30日(火)
欄外 聖水曜日→3月31日(水)

〈カレンダーの変更〉

 2021年に限り左記の祝日が移動になります。ご変更をお願いいたします。
・海の日 7月19日→7月22日
・スポーツの日 10月11日→7月23日
・山の日 8月11日→8月8日(8月9日は振替休日に)

〈住所録訂正〉
教会手帳住所録22頁【召天牧師配偶者】の森凉子さんのお名前の漢字を誤って記載しておりました。お詫び申し上げますと共に、謹んで訂正させて頂きます。
【誤】森 涼子
【正】森 凉子

オンライン「一日神学校」の感謝とご報告

ルーテル学院大学 学長 石居基夫

 例年、秋分の日に開催してきた「一日神学校」。近郊の教会から大勢の皆様に三鷹のキャンパスをお訪ねいただいてきました。しかし、2020年は新型ウイルス禍によって、11月3日(火・祝)の午後、オンラインにての開催となりました。

 「いのちを守る」をテーマとして、チャペルでの礼拝に始まり、①江口再起ルター研所長におる「パンデミックとルター・死と向かい合って生きる信仰」、②石居基夫学長、福島喜代子研究科長・田副真美学科長による大学紹介シンポジウム「いのちを守る対人援助の現場と大学」、そして③立山忠浩校長・宮本新専任講師による神学校プログラム「これからの神学校」では、現在学んでいる4人の神学生の自己紹介を含めて、新しい可能性を模索する神学校の今をお伝えいたしました。最後には竹内茂子後援会会長からもご挨拶をいただき、無事、皆様にお届けすることができました。zoomを用いた形で、全国の教会へのご案内を通して個人ででもご視聴いただけましたこと、感謝とともにご報告いたします。

 時宜にかなった講演と大学、神学校の様子を知っていただけるプログラムは、皆様からご好評をいただきました。けれども、初めての試みで課題も多く、特にチャペルいっぱいに響くオルガンの素晴らしい演奏が、zoom方式では全くお届けできなかったことは本当に申し訳ないことでした。

 同時に別撮影していたもので編集を行い、現在教会で見ていただけるようにYoutube配信しておりますものでは、オルガンも改善されてお届けできていますが、今後に向け、設備・技術を整えていく必要を確認したことでした。

 やむをえずの試みでしたが、大学・神学校から色々なプログラムをオンラインで全国の教会や信徒の方々にお届けする可能性を感じることになりた。
 三鷹の大学・神学校をより身近なものとしていただけるように、「一日神学校」の新しい形を全国の教会の皆様に向けて整えてまいりたいと思っています。

第27回春の全国ティーンズキャンプ参加者募集

昨年は残念ながら中止になってしまった春キャンですが、今年はオンラインにて開催します!ティーンズのみんなぜひ参加してね!

■日時 2021年3月29日(月)10時~18時(19時~21時で別途参加自由の懇親会を行います)※オンライン会議の特性上、途中参加、途中退席はご遠慮ください。
■対象 12歳~19歳 (2021年4月2日時点)
■テーマ 「I Need You!」
■主題聖句 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネによる福音書15章5節)
■参加費 無料
■申し込み期間 2月28日(日)まで
■申込み方法
 以下のURLへアクセスしてください。
 https://forms.gle/WV4Kx94r92mvGL2g6
・所属教会の牧師からキャンプ参加の承認を必ずもらってください。
・サイトからの申し込みができない場合、TNG-Teensブログから申し込みに際しての記載事項を確認し、次のいずれかに送ってください。
▼FAX (096)274・1222(大江教会)
▼Eメール harukyan.moushikomi2021@gmail.com(森田哲史)
▼郵便 〒862−0971 熊本県熊本市中央区大江4-20-23
日本福音ルーテル大江教会 森田哲史
■問合せ先 TNG-Teens部門 森田哲史
電話(096)371・4731(大江教会)
■主催 日本福音ルーテル教会宣教室TNG-Teens部門、各教区教育部、日本ルーテル神学校
■協賛 一般社団法人日本福音ルーテル社団(JELA)
■春キャンについて、またTNG−Teensについて詳しくは下記TNG-Teensブログをご覧ください。
https://tngteens.hamazo.tv/

2020年度「連帯献金報告」

2020年度も多くの方々から「連帯献金」に支援を頂きました。感謝して報告いたします。(敬称略・順不同、複数回の献金もまとめての報告となります。)

■2020年 災害支援 1,177,153円
豊中教会、三鷹教会、藤が丘教会、市川教会、神水教会、大分教会、別府教会、大岡山教会、小田原教会、松山教会、聖パウロ教会、静岡教会、田園調布ルーテル幼稚園、九州ルーテル学院、本郷教会、シオン教会柳井礼拝所、阿久根教会、日本ルーテル教団(NRK)、シオン教会徳山礼拝所、刈谷教会、小岩教会、蒲田教会、安藤淑子、日吉教会

■ブラジル伝道 150,000円
健軍教会女性会、小城ルーテルこども園、九州ルーテル学院クリスマス献金、日本キリスト教協議会女性委員会、女性会連盟東教区女性会、箱崎教会女性の会、女性会連盟

■メコン(カンボジア宣教・子ども)支援 20,000円
河田愛子、蒲田教会

■釜ケ崎活動(喜望の家) 30,000円
蒲田教会

■世界宣教(無指定) 157,115円
石田勉、神戸東教会、箱崎教会らぶぴコンサート席上献金、市川教会、八王子教会、国府台保育園、千葉ベタニヤホーム、神戸教会、千葉教会、関野和寛、西東京ルーテル教会、勝又勝郎、重野了子、掛川菊川教会、小澤周司、めばえ幼稚園、一粒の麦、シオン教会柳井礼拝所

 今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓に苦しむ方々に連帯したいと祈り願います。「連帯献金」をお捧げくださる際には、それぞれの献金目的[ブラジル伝道][喜望の家][メコンミッション][世界宣教][災害支援]を郵便振替用紙に明記頂き、下記の郵便振替口座にご送金ください。

郵便振替 00190−7−71734
加入者名 (宗)日本福音ルーテル教会

21-01-01神様の恵みを知るのが、知恵
「主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。』」

(マタイによる福音書20・13~14)

 激しく憤慨した口調で、不満爆発です。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』(12節)経営観点からみれば、主人に対して突っ込みどころ満載の全くわけのわからない話だ、という印象だけが残るのかもしれません。

 イエス様がこの話をなさった目的は最初の一文に見出されます。「天の国は次のようにたとえられる。」(1節)即ち、天の国=神様が主人である国とは何かについて教えよう、となってくるので、そのような理解を心がけてみます。すると、色々な事柄で従来のあり方のようにゆかぬ事態に翻弄された年が明けて、新しいあり方の探求が促されている私たちを導く天来の言葉として聞きたいと、関心が湧きました。

 夕方「五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。」(6〜7節)

 いつの時代も、個人差が人を苦しめる場面を目にします。夕方5時に広場にいた人も、朝から仕事を求め続けていたのではないか?そうなると、どれだけの人が目の前を通り過ぎたか。しかし誰一人として自分の存在を必要としてくれる人はいなかった。「誰も私を雇ってくれないのです。」この言葉に込められた思いを素通りせず、「あなたもぶどう園に行きなさい。」と声をかける、この主人=天の神様はそのようなお方だと譬えます。

 現実的課題は常にその先です。私は大胆に解釈しています。主人は、悲嘆に満ちた声を聞き流さないだけでなく、能力主義を根拠に、あなたは必要なしと宣言されてしまう現実の壁、この根源的な壁を越えるために、新しい在り方・フォーメーションを創発しよう。そう考えて、独自の農園を経営したのではないか。「片方では安心、隣では不安」でなく、皆が平安のうちに一日を終えたい、そのためにはどうしたらよいかを考え抜いたら、「賃金同一フォーメーションの農園になった」のではないか。

 主人には、騒動になるだろうと予測がつかなかったのか?といえば、そうではなく、無茶な話と反発を向けられるだろうと判っていたと思うのです。主人自らで、呼ぶ順番を指示しているからです。

 「夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。」(8節)長い時間働いてくれた、最初に来た人から呼べば、こんな話にはならなかったでしょう。賃金をもらったら先に帰る。そして後の人に、こっそり同額の賃金をあげて、黙っておけとすればわからないはずです。わざわざ労働者を呼ぶ順番を定めた指示には込められた想いがあり、つまり、敢えて見せつけているかたちをとっています。

 「主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。』(13〜14節)友よとは、同志よ、志を同じくするあなた!という呼びかけに他ならないと考えます。

 能力が無いからしょうがないよね、と諦めを促すような自己責任社会。これがどれだけ残酷か。愛と包容力に乏しい経済理論を超えて、新しい形・あり方を創発しよう。どうだろう!どんな人も取り残されない、平安の内に一日を終える。そんな時間・空間を創ろうではないか。でもこれは難問だ。だからこそ、この実現にはあなたが必要なのだ。

 朝からバリバリと働き、人一倍頑張る、その能力を分配してこそ可能になる共生のシステム、今は無い。ならば創ろう!あなたも力を貸してくれないか。あなたがいてくれれば可能になる。だから「友よ」なのではないか。このように呼びかけているイエス様を思うと、私は心が揺さぶられ、感情が高ぶってきます。

 未来を創造する思想・開発のあり方を描く聖書/福音のスケールの広さ・深さを感じるからです。

日本福音ルーテル佐賀・小城・唐津教会牧師 白川道生

21-01-01るうてる2021年1月号

機関紙PDF

「神様の恵みを知るのが、知恵」

日本福音ルーテル佐賀・小城・唐津教会牧師 白川道生

「主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。』」(マタイによる福音書20・13~14)

 激しく憤慨した口調で、不満爆発です。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』(12節)経営観点からみれば、主人に対して突っ込みどころ満載の全くわけのわからない話だ、という印象だけが残るのかもしれません。

 イエス様がこの話をなさった目的は最初の一文に見出されます。「天の国は次のようにたとえられる。」(1節)即ち、天の国=神様が主人である国とは何かについて教えよう、となってくるので、そのような理解を心がけてみます。すると、色々な事柄で従来のあり方のようにゆかぬ事態に翻弄された年が明けて、新しいあり方の探求が促されている私たちを導く天来の言葉として聞きたいと、関心が湧きました。

 夕方「五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。」(6〜7節)

 いつの時代も、個人差が人を苦しめる場面を目にします。夕方5時に広場にいた人も、朝から仕事を求め続けていたのではないか?そうなると、どれだけの人が目の前を通り過ぎたか。しかし誰一人として自分の存在を必要としてくれる人はいなかった。「誰も私を雇ってくれないのです。」この言葉に込められた思いを素通りせず、「あなたもぶどう園に行きなさい。」と声をかける、この主人=天の神様はそのようなお方だと譬えます。

 現実的課題は常にその先です。私は大胆に解釈しています。主人は、悲嘆に満ちた声を聞き流さないだけでなく、能力主義を根拠に、あなたは必要なしと宣言されてしまう現実の壁、この根源的な壁を越えるために、新しい在り方・フォーメーションを創発しよう。そう考えて、独自の農園を経営したのではないか。「片方では安心、隣では不安」でなく、皆が平安のうちに一日を終えたい、そのためにはどうしたらよいかを考え抜いたら、「賃金同一フォーメーションの農園になった」のではないか。

 主人には、騒動になるだろうと予測がつかなかったのか?といえば、そうではなく、無茶な話と反発を向けられるだろうと判っていたと思うのです。主人自らで、呼ぶ順番を指示しているからです。

 「夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。」(8節)長い時間働いてくれた、最初に来た人から呼べば、こんな話にはならなかったでしょう。賃金をもらったら先に帰る。そして後の人に、こっそり同額の賃金をあげて、黙っておけとすればわからないはずです。わざわざ労働者を呼ぶ順番を定めた指示には込められた想いがあり、つまり、敢えて見せつけているかたちをとっています。

 「主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。』(13〜14節)友よとは、同志よ、志を同じくするあなた!という呼びかけに他ならないと考えます。

 能力が無いからしょうがないよね、と諦めを促すような自己責任社会。これがどれだけ残酷か。愛と包容力に乏しい経済理論を超えて、新しい形・あり方を創発しよう。どうだろう!どんな人も取り残されない、平安の内に一日を終える。そんな時間・空間を創ろうではないか。でもこれは難問だ。だからこそ、この実現にはあなたが必要なのだ。

 朝からバリバリと働き、人一倍頑張る、その能力を分配してこそ可能になる共生のシステム、今は無い。ならば創ろう!あなたも力を貸してくれないか。あなたがいてくれれば可能になる。だから「友よ」なのではないか。このように呼びかけているイエス様を思うと、私は心が揺さぶられ、感情が高ぶってきます。

 未来を創造する思想・開発のあり方を描く聖書/福音のスケールの広さ・深さを感じるからです。

命のことば 伊藤早奈

⑩「伝える」

「わたしは主をたたえます。/主はわたしの思いを励まし/わたしの心を夜ごと諭してくださいます。」(詩編16・7)

 「あなたの笑顔は人を元気にするわ」なんて改めて言われると、恥ずかしいような、なんとも言えない気持ちになります。「あなた偉いわね他の人はどんどん退院されるのにいつもニコニコして」ん?偉いの?というより見られていたんだと初めて気付きました。

 もし道端に咲いているタンポポや野の花が自分に笑いかけているように見えても「あなた偉いわね」とは言いませんよね。でも花々も人の表情も確かに何かを伝えてます。用いられているのです。誰に?それは神様です。

 「おはよう」と挨拶されるときに真っすぐ自分を見て笑顔で言われる時と顔も見ないでそっぽ向いて言われるのでは感じ方も違うような気がします。ある施設で普通に立って歩かれている方に「おはようございます」と言ったらその方の視線は車椅子の私を通り越して私の後ろの方に立っておられる方に挨拶をされました。

 どんなに笑顔で大きな声でご挨拶しても「そこから聞こえるはずがない」と思われていては伝わらない時があります。「用いられる」と言いますがただ生えているわけではない人間には難しいように思います。でも自分が伝えたい思いではなく神様が伝えたいことなのです。だから大丈夫、今年もあなたも私も神様に用いて頂けます。

議長室から
sola fide 〜 「神の〈まこと〉」に生きる「信仰」

総会議長 大柴譲治

「神の義が、福音の内に、真実により信仰へと啓示されているからです。」(ロマ1・17)
「神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じる者すべてに現されたのです。」(同3・22)
(上記の引用は日本聖書協会共同訳より)

 新年おめでとうございます。今年は私たちの原点である「信仰」を確認することから始めたいと思います。〝sola fide〟は「信仰のみ」と訳されてきました。日本語の「礼拝」同様に「信仰」は「信じて仰ぐ」という人間の行為に力点が置かれていて、どこまでも人間が主体という感があります。しかし聖書でイニシアティブは常に神の側にある。神が呼びかけ人間が応える。神が自らを啓示し人間がそれを受け止める。召命の出来事はすべてそうです。
 アブラハム然り、モーセ然り、サムエル然り、イザヤ然り、エレミヤ然り、ヨナ然り。受胎告知時のマリアもそうでしたし、イエスが弟子たちを召し出した時もそうでした。ダマスコ途上でのパウロの場合も言うに及びません。
 神が呼びかけ人間が応答する。その意味で私たち信仰者も一人ひとりが神からの召命を受けています。そう見てくると「信仰」とは人間の業であるより私たちの中に働く神の御業であることが分かります。イニシアティブは神にあるのです。
 神学校での恩師・小川修氏は50年に渡るパウロ研究から「ピスティス」を「神の〈まこと〉」と捉え、滝澤克己が「インマヌエル」を二つに峻別したように「第一義のピスティス」と「第二義のそれ」を厳密に区別しました(『小川修パウロ書簡講義録』)。最初に「神の〈まこと〉」からの呼びかけがあり、それへの応答として「人間の〈まこと〉/信仰」が来る。冒頭に引用したように『聖書協会共同訳』(2018)がローマの信徒への手紙1・17の「ピスティスからピスティスへ」という語を「真実により信仰へと」と訳したのもそのような神学的な理解に立っていましょう。同3・22も同様です。
 「ピスティス」の形容詞形は「ピストス」で、「真実な」「忠実な」「信頼できる」と訳されます。英語ではfaithfulとかtrusty、true。「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」(ルカ16・10)。「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(一コリ10・13)。「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう」(黙2・10)。
 主の新しい年も、試練の中にあるとしても、独り子を賜るほどにこの世を愛された「神の〈まこと〉」に日々生かされる者でありたいと願っています。皆さまの上に祝福をお祈りいたします。

「教会讃美歌 増補」 解説

⑦讃美歌委員からの声⑵
讃美歌委員会 中山康子(むさしの教会)

 賛美歌を普通に歌うことができる日の再開を願いつつ、今はwithコロナですから、3密を避けて賛美する状況が多いです。このこともすべて神様のご計画の中にあると不安ながらも信じ、イエス様にお任せすれば「安心」と思える幸いを感じ、日々私に注がれる恵みのシャワーに気づき、感謝します。

 高校時代、60年近く前になりますが、『教会讃美歌』の委員会ごとに、手書き譜の資料を作り、湿式のコピー機で準備するお手伝いをしました。海外の原詩は、文字数の関係で、内容によっては3分の1程度が訳詞になることを学びました。

 2000年発行『教会讃美歌・部分改訂版』の編集時は、パソコンで楽譜を作ることを学びました。その後のパソコン讃美歌委員会では、パソコンの鍵盤で楽譜を弾いた時の指のタッチの1秒もない不一致に応じてコンピューターが示したのは、「きよしこのよる」がぎざぎざ模様で、まるでなんの曲か分からない譜になりました。奏楽者として、タッチの不正確さを知らされました。

 当時の委員会に、小学生のパソコン名人(!)が加わり、すべてデジタル化できました。今般の「教会讃美歌『増補』分冊一」では、ルターの宗教改革500年を覚えて、確かにルター作品と思われる賛美歌のうち未訳の作品すべてを収めたいと願い、諸方面の方々の協力を得、満を持して作業しました。

 広く「神はわがやぐら」で知られる歌は改訳し、「われらのみ神は堅い城、・力」となりました。それは、16世紀ペスト大流行時に詩編46編に基づいたルター作詞・作曲です。委員会は、パソコン画面上の作業になり、オンラインが多くなりました。

 パソコン・スマホ等から検索すると、発行されている『教会讃美歌』全502曲がメロデイと歌詞共に視聴できます。著作権の縛りがありますが、自室で「ひとりカラオケ」が可能です。歌詞を味わいつつ、利用していただきたいと願っています。

私たちの礼拝—式文ハンドブック—

⑥聖餐・食べる「みことば」
式文委員会 高村敏浩(三鷹教会牧師)

 カトリックの大学院での礼拝学の授業中、ベネディクト会修道士の教授がこういいました。「教会一致を目指す運動(エキュメニズ)の中で、プロテスタント教会は礼拝における聖餐の重要性を、同様にカトリック教会は説教の重要性を互いから学び合い、その理解を回復しようとしている。」実際に当時その大学院では、ルーテル教会の牧師が説教学(Homiletics)を担当していました。
 その第一義的な意味ではイエス・キリストを指す「みことば」は、先行する聖書朗読と説教を通して聴かれるだけでなく、聖餐を通して見て触れて、香り味わうことによっても体験されます。私たちは礼拝において、私たちのところへと来られる主イエスを五感を通して受け取ると言い換えられるかもしれません。聖餐は私たちが神にささげる行為ではなく、神が私たちのところへと来られる出来事であるというこの理解は、これまで直前に位置していた奉献の部(献金)が混乱を避けるために派遣へと移動させられたことからもはっきりと確認されます。
 設定辞の「苦しみを受ける前日」が「渡される夜」になるなど、改定式文ではいくつかの文言が変更されています。また、これまで派遣の部に配置されてきた「シメオンの賛歌(ヌンク・ディミティス)」は、聖餐を受けた感謝の応答として聖餐の最後の部分とされます。(「シメオンの賛歌」は、聖餐のない礼拝においては、派遣の歌に代わって用いることができるほか、「みことば」の後に感謝の応答として用いることができます。)
 コロナ禍で聖餐を行えなかったり、行っていても事前に分けられたパンやブドウ液を用いていたりすることでしょう。配餐時に一つのパンを裂く所作は、キリストの体であり教会の一致を示すパン(神の恵み)を皆で分かち合うことを意味するとされます。COVID–19終息の暁には、私たちがキリストにあって一つであることを聖餐を通してあらためて実感できるようにと祈ります。

北海道特別教区の取り組み 「ハガキで主の祈り展」開催中

北海道特別教区長・函館教会牧師 小泉 基

 北海道特別教区では昨春、新型感染症の蔓延という困難な状況にあって、ともに集いあうことの出来ない時にも、信仰の仲間と困窮の中にある方々のことを思いながら、日ごとに主の祈りを祈りあいましょうという呼びかけがなされました。復活祭によびかけられたこの祈りあいの運動を可視化するものとして、昨秋取り組まれたのが「ハガキで主の祈り展」というオンライン作品展です。

 このオンライン作品展が募集しているのは、主の祈りのペン書きでもいいし、主の祈りへの思いを込めた絵や写真でもいい。作品の形式は自由で、上手い下手を問わず葉書サイズで1人1作品のみ、というのが求められる要件です。

 教区の呼びかけに応えて、短い募集期間であったにもかかわらず80人を越える方々から作品が寄せられ、11月10日の教区常議員会を期して教区の新しいウェブサイト上で公開が始まりました。

 寄せられた作品には、おひとりおひとりが難しい状況に置かれながらも、信仰の友と困窮の中にある方々、そして隣人を通してわたしたちに働きかけてくださる神さまへの真摯な思いがあふれていて、熱い思いにされられます。ぜひ教区のウェブサイトから作品展をご鑑賞下さい。

 また教区では、引き続き趣旨に賛同してくださる方々の作品を教区を越えて求めています。ウェブサイトから要項をお読み下さり、作品の送付によって、あなたも主の祈りの輪に加わって下さるなら幸いです。

※ 作品展は教区ウェブサイトで公開中。作品提出は函館ルーテル教会(hakodate@jelc.or.jp)までメール添付か郵送で。

パンデミックの中のディアコニア

NPO法人「一粒の麦」
副理事長 小泉 眞 (シオン教会柳井チャペル)

 当法人は「就労継続支援B型」施設として、山口県柳井市で活動しています。当法人の働きの理念は「居場所」であること。実態は、利用者の方々と共に行う、焼き菓子の製造と販売、リサイクル品の回収、季節ごとの墓所清掃です。全国の教会、施設、牧師の皆様にはこれまでも、焼き菓子の購入にご協力を頂きまして、まことにありがとうございます。

 2020年2月、新型コロナウイルスの知らせが全国を駆け巡って以来、法人として整えた感染防止対策は「密集を避け、手指の消毒、マスク着用」などです。影響は、帰省が出来ない方からの依頼を受けた墓所清掃は例年通り、リサイクル品の回収も例年通り、ただ焼き菓子の販売が苦戦しています。地方都市柳井でも、小~中規模イベント等の中止、自粛が起きていました。そのことが、外部での菓子販売の機会を無くすことにもなったのです。

 利用者の心身にも今回のコロナ禍は影響を及ぼしていると見ます。その中で法人としては、「日常を平穏に保つ」ことを第一に考えました。「日常的な言葉かけ」が利用者の方にとって最も必要です。職員たちはそれぞれ、利用者の方との日常的な会話や面談などでそこに注意を向けていたと思います。職員自身にも初めての事柄でしたが、この事態の中で良く向かい合っていると思います。

 当法人では、利用者の方々と年に2度、日帰りと一泊で旅行に出かけます。旅行の時には利用者の方々が靴を新調するなど、この時を本当に楽しみにしています。ところが今年の春~夏、その機会はなくなりました。秋には、感染防止対策が施された大型バスで旅行に出かけられましたが、良い時間であったと思います。家と病院と職場(「一粒の麦」)の往復だけでは気が詰まります。非日常の喜び、レクリエーションが必要なのです。

 利用者の方にとって、当法人は大切な居場所となっています。新型コロナウイルスの脅威が中々去らない状況の中で、何が出来るかということを共に考えて行きたいと思います。

社会福祉法人 別府平和園
施設長 近藤邦子 (別府教会)

 2020年は笑顔でよい年をと願っていました。早々新型コロナウイルス感染症が発生し、全国に緊急事態宣言が発せられ、不要不急の外出自粛が求められました。施設でも感染症対策に取り組み、具体的予防策マニュアルを段階的に作成しました。3密を避けマスク着用、手指の消毒、うがい実施を子どもたちにも理解できるよう常に情報を発信しました。現況の説明、感染予防の方法、外出自粛のお願いなどを施設長、看護師、主任などがそれぞれのユニットごとに丁寧にお話をして行きました。子どもたちが楽しみにしていた園外の行事や招待はことごとく中止になりました。保護者との面会、外出、外泊も自粛を余儀なくされ、習い事や塾など外部の人たちとの交流もほとんどが自粛になりました。 徐々に日常が戻ってきたところで、10・11月には大分県にも新型コロナウイルス感染症が発生して緊張の毎日となりました。子どもたちも職員も予防対策に従って生活をしています。
 3月末から5月中旬までそれぞれの学校が休校となり、子どもたちは約2ヵ月近く一日中園内で過ごさなければなりませんでした。唯一子どもたちが交わることができるのは屋外でした。ある日、「あの子がほしい・・この子がほしい・・」と子どもたちの大きな歌声が聞こえてきました。中高生と幼児さんと一緒に職員も一列になって「はないちもんめ」をしていたのです。みんなとても楽しそうな笑顔でした。コロナ禍にあってもみんなで遊ぶ楽しさを見つけ、職員も一緒に同じ時間を過ごす関わりは子どもたちの情緒を穏やかにしてくれていました。 別府平和園の聖句「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは私にしてくれたことなのである。」そのものでした。最も小さい者が身をかがめ、寂しく、つらいときに職員は兄弟のように接し愛してくれました。日々の尊い働きに感謝です。

世界の教会の声

浅野 直樹Sr.(世界宣教主事  市ヶ谷・スオミ教会牧師)

コロナ禍に高まる結束③

世界ルーテル連盟(LWF)がドイツ・ハノーファーのラルフ・マイスター監督にインタービューした記事(2020年8月7日)の続きです。
(元の記事のURL)
https://www.lutheranworld.org/news/covid-19-new-awareness-social-cohesion-growing-crisis

—しかしながら成長の論理が社会を豊かにしてきたともいえます。成長の論理の追求で、最も影響を受けやすい社会では、どのような深刻な結末が考えられますか。
「コロナウイルスによって益々顕著になってきた社会の分断が、危険なレベルにまで深まると考えるのが妥当でしょう。コミュニティでの心配りが今後重要になると言ったのは、このことがあるからです。コミュニティの心配りのあり方として、富裕層がもっと責任を担うという考え方はあり得るでしょう。長期的な責任を彼らが担うために、もっと突っ込んだ協議をすべきだと経済学者は呼びかけています。」

—「富裕税」みたいなことですか?
「なんと呼ぼうとかまいませんが、平等な社会という観点からすれば、税制はそのひとつでしょう。」

—不確実と変化が特徴となった今、教会の役割は何でしょうか。
「希望を掲げることです。不確実な時代であっても神様が支え、守ってくれているという自信と神様への信頼を伝えることです。説教で希望を灯すことが、教会の中心的役割です。牧会的ケアは、教会本来の用語です。教会は、変化のプロセスにあっても大きな力となり得ます。教会は注意を喚起したり、和解をしたり、励ましを与えることができます。」
「施設レベルで政治家や関連団体、利害関係者たちとの協議をするに際して、教会は信頼し得る話し相手になれます。議論になったとき、地に足のついた声となるはずです。確かな真理と神の創造という視座に立ち、社会の正義の声であり、倫理的問題や込み入った事態に投げかける声となります。」

(以下、次号に続く)

ルーテル・医療と宗教の会講演会報告

小泉 嗣(東教区社会部・千葉教会牧師)

 本来5月に開催予定であった医療と宗教の会主催の講演会は、「今だからこそ」その声を届けたいと、9月4日にオンラインにて行われました。

 本年のテーマは「スピリチュアリティの視点から—『いのち』の尊厳を考える」。講師のルーテル学院大学の石居基夫学長は、①現在の医療現場の課題が、近代以降大切にしてきた「死の助けはしない」というヒポクラテスの誓いから、「命の質=Quality of Life」へと移行し、尊厳死や緩和ケアの取り組みの中で患者に対し心理的・社会的な側面に加えスピリチュアルな側面への関わりがあげられるようになったという導入から始め、②「いのち」という言葉を考えるとき、この言葉が一個人の中にだけあるのではなく、人と人、神と人という関係性、共同性の中にあるという理解と、宗教の言語であるスピリチュアルという言葉の持つ「神と人との関係」という理解との共通性から、「いのち」の尊厳と向き合おうとする時、そこにはスピリチュアルな視点が大きな働きをなすということを、その考え方の基本と、③その実践の場としての「死」の現場におけるスピリチュアリティの役割を実際のエピソードなどを交えて語り、④最後に、スピリチュアリティとは生も死も含めた大きな枠組みでとらえる「いのち」と関わりを持ち続けることであり、人格的な語り掛けを続けることであり、その関わりによって、その人の「いのちの尊厳」は守られていくことをお話しくださいました。

 コロナ禍の中で「関わり」を持つことが特に困難な現在において、私たちはいかにして「いのち」と関係を持ち続けることができるのか?という問いに対し、私たちを超えて関わりを持つ存在があるがゆえに、私たちはあきらめずに考え、問い続けることができるのだという、知恵と勇気を与えられる講演でした。

(参加出来なかった方は「医療と宗教の会」のYouTubeページhttps://youtu.be/aP1rSiZBehwにて是非ご視聴ください。)

第12回定例常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 11月17日(火)、第12回定例常議員会がウエブ会議にて開催されました。

 これまで総会の延期に関する臨時常議員会が行われてきましたが、6月に行われた定例常議員会以後の全体の動き、また教区の対応などを分かち合う時となりました。すでに行われている各個教会支援策や、このコロナ禍での各個教会、各教区の状況をお互いに確認しました。九州の豪雨の支援活動の報告も行われ、現状の被害の様子や、引続き支援が必要な状況も確認されたところでした。以下、規則改正に関する件などを中心にご報告いたします。なお詳しくは、送付しております常議員会議事録をご確認ください。

1 土地建物回転資金貸付規定改定の件
 牧師数が減少する中で、老朽化した牧師館の解体が必要な教会が今後増えてくることに備えて、これまで建物耐用年数を延長するためにのみ貸付を行ってきた「老朽対策貸付に関する規定」を改定し、牧師館解体のために貸付ができるようにしました。返済方法などについては、これまで通りとなります。

2 教会用地売却の原則改定の件
 牧師館の解体について、老朽化対策貸付金の借入を行っても返済の目途をたてることが困難であり、今後、牧師館に牧師の居住については見通しを持つことができない時に、牧師館の底地部分のみを売却することを認めることとしました。あくまでも宣教のために礼拝堂は維持していくこと。また売却益については牧師館解体のみに用いることができることとし、礼拝堂の建て替えや修繕の計画は伴わないことを条件としています。日本福音ルーテル教会は、宣教用地を一部売却する場合、売却後、残る土地が200坪を下回る売却を認めていません。この条件について牧師館解体に限り緩和をした形になります。

3 ハラスメント防止の件
 昨年の常議員会で承認を頂いた「ハラスメント防止規定」ですが、引続き相談窓口をNPO法人フェミニスト・カウンセリング東京に業務委託を行い進めています。相談件数などの報告が上がっているところです。 常議員会では改めて、この件について確認を行いハラスメント防止に向けてアサーティブな態度を教職、信徒相互で確認することとしました。他教派の情報ですが、牧師の個人のSNSの発信に対して、ハラスメント案件にまで至ったことなどが報告されています。SNSはすでに身近な情報ツールになっていますが、個人の発信なのか、牧師としての発信なのか、その受け取り方については受け取られる方の立場で様々です。写真の公開も含めて、「ネットリテラシー」の作成などガイドラインを整えていく必要を確認しました。

4 九州学院とのチャプレン出向協定について
 日本福音ルーテル教会は九州学院、九州ルーテル学院、ルーテル学院大学に対してチャプレンを派遣しています。これまでに出向元と出向先の間で、招聘手続きや処遇について協定書を結ぶことなく、これを行ってきましたが、今後、法人同士の関係を書面で表すことが大切になるものと考えています。このたび九州学院と日本福音ルーテル教会の間で議論を行い、協定書を作成しましたので日本福音ルーテル教会側の承認を求めたものとなります。

5 第7次綜合方策について
 総会の延期を受けて、新たに選任された教区常議員の先生方のご意見を取り入れつつ、標記の件の検討が行われました。基本的には大幅な修正に至るものではありませんが、コロナ禍で「第7次綜合方策」が懸念していた「牧会力の低下」が物理的にも困難な状況を生んでいることを確認し、方策上懸念されていた事柄が、より鮮明に問題化していることなどを確認したところです。このような状況の中で、より宣教的な教会になるために、今後も、議論を続け総会へ提案されていくことになります。

6 その他
 その他、今年度の統計表作成の理解、押印を不要とする書類の確認、次年度の各個教会の予算作成に関わる牧師給や協力金のことなどが議論されて承認されました。

事務局から

総務室長 滝田浩之

 常議員会において承認されたことについて、何点かお願いとご連絡を申し上げます。

1 年末調整の電子化
 すでに各教職にはお願いしていますが、年末調整について電子化を行っています。今後、可能な限り、ご協力をお願いできればと思います。ご協力頂いた教職のみなさまに感謝いたします。もちろん紙媒体での提出についても対応いたします。

2 押印不要文書、書類文書電子提出の件
 これまで認印や教区印を求めてきた書類について「署名」をもって正式書類として受理します。またPDFでの提出を認めます。具体的には「自給金報告書」、「本教会申請書類」がこれにあたります。但し、本教会との金銭証書(資金貸付等)については引き続き自書と押印を求めます。なお実印を必要とするケースなどは、押印をお願いしなくてはならないケースもあることをご了解お願いいたします。

3 今年度の統計表の件
 各教会で、公開の礼拝の中止などが行われ、礼拝回数や礼拝人数の算出について悩まれることと思います。常議員会では、教勢報告書は、あくまでも教会の「実態」を把握することにあるという大原則に立つことを確認しています。よって例年と比べてみて教会の「実態」を表す標記を心掛けてください。礼拝実施回数をどう考えるか、ネット視聴者(ライヴ配信参加者)を礼拝人数に含めるか、複数回実施する礼拝をどのような礼拝回数とするかなど、各個教会でご検討頂ければと思います。

20-12-01キリストが語る
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」

(ヨハネによる福音書1・14a)

言葉があまりに力なく思える時があります。言葉を口に出したその瞬間から空中に霧散していくような、あるいは、言葉が誰かの中に届くことなく世界の表面を滑り落ちていくような、そんな感覚があります。どれほど言葉を尽くしても空虚さが募っていくと感じることがあります。いえ、言葉を尽くすことさえ、もはやできていないのかもしれません。現代では、この世界の多くの言説について、考えたり、判断したり、掘り下げたりすることが避けられる傾向があるように思います。その原因の一つは加速する時代の変化かもしれません。情報化、グローバル化された現代社会では、あまりに多くの情報が私たちのもとに届きます。世界中の動きが時々刻々と伝わってきます。私たちの世界は、ある意味で、あまりにも拡大されてしまっています。その中では、一つ一つの情報を精査する余裕がありません。入ってくる情報をとりあえず処理していくことになります。そこで重宝されるのが、印象、単純さ、わかりやすさです。私たちは、日々、あまりに多くの情報を処理していく中で、いつしか、複雑で、わかりにくい、掘り下げた議論などを、もう受け付けにくくなってきているのです。そうなってくると、言葉は見た目だけどんどん派手になり、中身は置いてけぼりになります。言葉は重みを失い、言葉がとても空虚なものになってしまいます。現代においては、言葉、言説、語りというものが命を失っているようです。そのような世界の中で、私たちは神の言葉さえも氾濫する空虚な言葉に埋もれて見失っているのではないでしょうか。

 フランスの哲学者ミシェル・アンリは著書『キリストの言葉』の中で「今日、〈神の言葉〉は単に理解されないままであるばかりか、〈神の言葉〉なるものがありうるということすら考え及ばなくなっている。」「現代社会の絶え間ない喧騒こそが、そこから〈神の言葉〉が語り出される沈黙の領域を永久に覆い尽くしてしまったのである。われわれにはもう〈神の言葉〉が聞こえないのだ」と述べています。この本の邦題は『キリストの言葉』となっていますが、フランス語の原題は”Paroles du Christ”で、『キリストの語り』とも訳せます。フランス語の聖書ではヨハネによる福音書1章1節の「初めに言があった」のところが”Au commencement était la Parole” と書かれていますので、神の言葉はキリストの語りだと言うことができます。私たちが神の言葉を世界にあふれる情報の一つとして処理してしまううちに、それがキリストの語りであることを忘れてしまっています。語りには、語っている生きた主体があり、息遣いがあり、思いが込められていますが、その語りを聴くには静かに耳を傾ける時間と場所が必要です。語りは語られる客体ではなく、それを聴いて受け取る者の〈生〉に到来するのです。

 「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」とは、どういうことなのでしょう。どのようにして言が肉になるのでしょう。この聖句を聴いて私たちは戸惑います。しかし、この戸惑いが私たちにとって大事なのです。神の言葉は、私たちが情報処理する対象としてではなく、語りの主体としてのキリストが私たちの〈生〉に迫ってくるのです。私たちは神の言葉の主体ではないのです。神の言葉は客体として私たちの外にあるのではなく、私たちを生かす命として私たちの内にあり、常に私たちに語りかけます。人の口から出る言葉は無力だとしても、内なる神の言葉は私たちの〈生〉を揺さぶります。そして、どんなに私たちが世界に絶望しようとも、神の言葉はキリストが主体であるがゆえに、私たちに語り続けます。キリストの語りが肉となって私たちの内に宿られたのですから、もはや私たちの〈生〉はキリストと共にあります。そのことに信頼して、言葉の氾濫に埋もれてしまうことのないように、神の言葉に耳を傾けましょう。

日本福音ルーテル日吉教会牧師 多田 哲

20-12-01るうてる2020年12月号

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「キリストが語る」

日本福音ルーテル日吉教会牧師 多田 哲

「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」(ヨハネによる福音書1・14a)
言葉があまりに力なく思える時があります。言葉を口に出したその瞬間から空中に霧散していくような、あるいは、言葉が誰かの中に届くことなく世界の表面を滑り落ちていくような、そんな感覚があります。どれほど言葉を尽くしても空虚さが募っていくと感じることがあります。いえ、言葉を尽くすことさえ、もはやできていないのかもしれません。現代では、この世界の多くの言説について、考えたり、判断したり、掘り下げたりすることが避けられる傾向があるように思います。その原因の一つは加速する時代の変化かもしれません。情報化、グローバル化された現代社会では、あまりに多くの情報が私たちのもとに届きます。世界中の動きが時々刻々と伝わってきます。私たちの世界は、ある意味で、あまりにも拡大されてしまっています。その中では、一つ一つの情報を精査する余裕がありません。入ってくる情報をとりあえず処理していくことになります。そこで重宝されるのが、印象、単純さ、わかりやすさです。私たちは、日々、あまりに多くの情報を処理していく中で、いつしか、複雑で、わかりにくい、掘り下げた議論などを、もう受け付けにくくなってきているのです。そうなってくると、言葉は見た目だけどんどん派手になり、中身は置いてけぼりになります。言葉は重みを失い、言葉がとても空虚なものになってしまいます。現代においては、言葉、言説、語りというものが命を失っているようです。そのような世界の中で、私たちは神の言葉さえも氾濫する空虚な言葉に埋もれて見失っているのではないでしょうか。

フランスの哲学者ミシェル・アンリは著書『キリストの言葉』の中で「今日、〈神の言葉〉は単に理解されないままであるばかりか、〈神の言葉〉なるものがありうるということすら考え及ばなくなっている。」「現代社会の絶え間ない喧騒こそが、そこから〈神の言葉〉が語り出される沈黙の領域を永久に覆い尽くしてしまったのである。われわれにはもう〈神の言葉〉が聞こえないのだ」と述べています。この本の邦題は『キリストの言葉』となっていますが、フランス語の原題は”Paroles du Christ”で、『キリストの語り』とも訳せます。フランス語の聖書ではヨハネによる福音書1章1節の「初めに言があった」のところが”Au commencement était la Parole” と書かれていますので、神の言葉はキリストの語りだと言うことができます。私たちが神の言葉を世界にあふれる情報の一つとして処理してしまううちに、それがキリストの語りであることを忘れてしまっています。語りには、語っている生きた主体があり、息遣いがあり、思いが込められていますが、その語りを聴くには静かに耳を傾ける時間と場所が必要です。語りは語られる客体ではなく、それを聴いて受け取る者の〈生〉に到来するのです。

「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」とは、どういうことなのでしょう。どのようにして言が肉になるのでしょう。この聖句を聴いて私たちは戸惑います。しかし、この戸惑いが私たちにとって大事なのです。神の言葉は、私たちが情報処理する対象としてではなく、語りの主体としてのキリストが私たちの〈生〉に迫ってくるのです。私たちは神の言葉の主体ではないのです。神の言葉は客体として私たちの外にあるのではなく、私たちを生かす命として私たちの内にあり、常に私たちに語りかけます。人の口から出る言葉は無力だとしても、内なる神の言葉は私たちの〈生〉を揺さぶります。そして、どんなに私たちが世界に絶望しようとも、神の言葉はキリストが主体であるがゆえに、私たちに語り続けます。キリストの語りが肉となって私たちの内に宿られたのですから、もはや私たちの〈生〉はキリストと共にあります。そのことに信頼して、言葉の氾濫に埋もれてしまうことのないように、神の言葉に耳を傾けましょう。

命のことば 伊藤早奈

⑨「伝える」

「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」(ヨハネによる福音書1・4)

「あ・か・さ・た・な」「あ・い・う・え・お」ベッドや車椅子に仰向けのその人の目を見ながらヘルパーさんが言葉を読まれます。何だかわかりますか?病気で体から音による言葉を発声することが難しくなられた方との会話です。瞬きで音を選び会話をします。違う音を言うと長い瞬きをして違うと言います。いろんな言葉を見てきたような気がします。手話もその一つだと思います。音も無く口を動かしてしゃべる方。携帯電話のメールでしゃべる方。きっとまだまだたくさんの方法が私たちには与えられています。そういえば言葉を機械に打ち込んで、その機械がしゃべるという方もおられました。筆談の方も。神様であるイエス様も同じです。「私はいつもあなたと共にいるよ。」とたった一言伝えたいのに。 そのお姿さえも見えません。私も筆談を必要とされる方たちに「字が書けません。」と何度お伝えしようとしても耳がご不自由な方たちだったので言語では聞こえないようで私に何度もペンを持たせました。一人の方は時間が許されたのでPCで文字を打って伝えました。伝えたい、できない、伝わらない。思いや言葉はどちらか一方が努力しなくてはならないものではなく、伝える側も伝えられる側も両方の静かな時間が必要なのかもしれません。いろいろな方法で伝えようとするそれを聴こうとすることは相手と静かに向き合うことのように思います。

議長室から
「魂の志向性〜アドヴェント黙想」

総会議長 大柴譲治

「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」(マタイによる福音書2・10)

今年もアドヴェントに入り教会暦は新しい1年が始まりました。私たちは今ここで2千年前の「キリストの降誕」と終わりの日の「キリストの再臨」という二つの「時」の間を生きています。方位を示す磁石が地球の地磁気に対応して北を指してピタッと止まるように、「神のかたち」に造られた私たちの魂も神の愛に応じて神に向くように初めから定められています。だからこそアウグスティヌスの言葉がストンと腑に落ちるのでしょう。「あなたは私たちを、ご自身にむけてお造りになりました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのです」(『告白』、山田晶訳)。私たちの魂は神への志向性を持っているのです。ルカ福音書が記すマリアの讃歌もシメオンの讃歌もそのことを証ししています。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」(ルカ1・46〜47)。「今、わたしは主の救いを見ました。主よ、あなたはみ言葉のとおり、しもべを安らかに去らせてくださいます」(青式文「ヌンクディミティス」)。救い主と出会う喜びこそ福音の基調音であり、私たちの人生はそのような祝福に向けられています。

アドヴェントは「主の道を整え、その道をまっすぐにせよ」という「荒野の声」から始まります。「荒野の40年」であるこの人生では進むべき方向が見失われてしまうこともある。東からの博士がベツレヘムの星を目印に夜の旅を続けたように、私たちもキリストの光を目指してこの世の巡礼の旅を続けてゆきます。光は闇の中に輝いています。しかし頼りは星の光ですから、昼間は見えませんし雨や曇りの夜も見えません。夜の闇で星の方角と足下の地面の両方を確認しながらの時間のかかる手探り旅。私たちが携えるべき「黄金、乳香、没薬」とは何か。それは私たちがこれまでそれぞれに大切にしてきた宝物です。一説にはそれらは博士たちが用いた占星術の道具だったとも言われます。とすれば博士たちは自分たちの古い生き方をすべて幼子に託したということになる。彼らはそこで喜びにあふれる新しい人生を発見したのです(マタイ2・10)。

私たちもまたご一緒にキリストの日に向けて旅を続けてゆきたいと思います。クリスマスには天からみ使いたちの歌声が響いてきます。「天には栄光、地には平和」。

COVID-19のために今年は例年と少し異なる状況にありますが、ご一緒に天からの言祝ぎの声に共に耳を澄ませてゆきたいのです。

「教会讃美歌 増補」 解説

⑥讃美歌委員からの声⑴
讃美歌委員会 松本 義宣 (東京教会牧師)

委員長から5回にわたり紹介された「増補」版作成の末席に加えられ、作業に携わりました。賛美歌に関わること、訳詞をはじめ「歌」を作るという作業は初めてで、戸惑いや試行錯誤ばかりでしたが、改めて先達が歌い継ぎ、育んで来た賛美歌や歌集の大切さや重要性に思いをはせる得難い体験でした。これまでは特に深く考えもせずに、好き嫌いや易しい難しいといった範疇でしかとらえて来ませんでしたが、改めて教会で、礼拝で、私たちが共に歌うこと、そこで告げられる「信仰の言葉」、聖書から、作者の信仰や経験から紡ぎ出され、それを共有し、さらに隣人に届けていく、その賛美歌の意味と意義、何より喜びと素晴らしさを痛感しています。収録歌の紹介はいずれこの欄でする予定です。

しかし今回はやはり、この新型ウイルス感染症下の「賛美歌」について考えたいのです。「共に声を合わせて歌うこと」、これが感染リスクの面で避けねばならぬことだというのはなんと辛いことか。改めて歌うことの恵みが特別なことだと痛感します。多くの教会でやっと再開された礼拝ですが、「賛美歌は歌わない」ように、あるいはマスクの下で口ずさむ程度で」といった状況でしょう。しかし「歌のない、歌えない賛美歌」のこの状況が、かえって賛美歌の本質を私たちに教えるチャンスになったのです。それは歌詞である「ことば」に集中するということです。これまで賛美歌を歌う時、ともすれば陥りがちだったのは、自分たちが思いっきり歌えたかに関心や興味が集中し、歌詞の意味よりは馴染みの曲(旋律)に心地よくなり、好きな歌が歌えた満足や高揚感に浸りがち!裏返せば、知らない曲や馴染みのない賛美歌は、必死で歌おうとするあまり、内容なんてさっぱり心にも頭にも残らない、信仰の養いどころか、不平・不満の種にしかならない、そんな傾向が私たちの「あるある」だったのではないでしょうか?

しかし、歌わない・歌えないけど、賛美歌を「真に歌う」ことができるようになったのです。歌詞を聞く、その言葉を改めて聞くのです。ルター先生は言います。「賛美歌は会衆の行う説教である」。信仰の内面から湧き上がってきた祈り、賛美、感謝、決意、応答等々、それを味わい、歌わなくても共有したいのです。

さて、それを自分でもやってみてさらに気づかされたこと、それは、正直にあえて言いましょう。「教会讃美歌」の歌詞には、今の私たち、あるいは若い人に届かない言葉になっている、ピンこない箇所がかなり散見される、という事実!です。初版から46年、かなり「賞味期限切れ」!?増補版の作成は「教会讃美歌」を新たに編纂していく時の大切な作業であることをご理解頂ければと思います。

私たちの礼拝—式文ハンドブック—

⑤招かれ「みことば」を聴く
松本 義宣(式文委員会委員長 東京教会牧師)

前号で、礼拝の始まりが「招き」であり、私たち自らの意志ではなく、神様の招きに応じて集うことを確認しました。それは、この日の礼拝だけにとどまらず、「洗礼への招き」が内在すること、つまり礼拝が、神様の確かな救いのしるしである聖礼典(洗礼と聖餐)の出来事だということを指し示すのです。そして、それをもたらすのが「みことば」です。水やパン・ぶどう酒という物素そのものではなく、それが主の「みことば」と共にあることによって起こります(小教理問答「エンキリディオン」の洗礼と聖餐の箇所参照)。そのために、神様は私たちを招いてくださるのです。ですから、「招き」に続いて、この礼拝において「みことば」が告げられ、私たちはそれを聴くのです。

そこでは、主に教会暦に従った聖書朗読日課による聖書の言葉とその解き明かしの説教を通して「みことば」=福音を聴きます。それが究極的には、上記の意味で「救いのしるし」、それをもたらし、行う神様の御業そのものとして、私たちは受け止めるのです。

現在、COVID-19感染症下の対応で、礼拝は再開したものの「聖餐式」は自粛を余儀なくされている教会もあることでしょう。これまで当たり前と思っていたことが、まさに得難い貴重な「恵み」であることを、改めて痛感させられています。礼拝に自由に集えない、自由に賛美できず、聖餐に与れないことに後ろめたさや不満、特に聖餐式がないことに、ある種、これで礼拝かと疑問をお持ちの方もあるかもしれません。

しかし、パンとぶどう酒の聖餐に現状では与れない状況があったとしても、神の救いの出来事を指し示し行うのは「みことば」であること、このような状況であるからこそ、改めて強く「みことば」に聴くという礼拝を大切にしたいのです。集えない現状でも、各教会でそれぞれの取り組みがなされ、「みことば」に触れる手立てを講じています。

確かに「共に一つ所に集う」という形はとれなくても、「みことば」を聴き、その「みことば」を通して聖霊が働き、それぞれの場で、私たちは「一つとされていく」ことを信じましょう。

パンデミックの中のディアコニア

社会福祉法人千葉ベタニヤホーム
理事・法人施設長会会長 川口 学(国府台母子ホーム施設長 市川教会)

2021年に事業創設90周年を迎える千葉ベタニヤホームです。現在、旭ヶ丘母子ホーム、旭ヶ丘保育園、児童家庭支援センター・旭ヶ丘(千葉市内)、国府台母子ホーム、国府台保育園、こあらっここどもセンター、児童家庭支援センター・こうのだい(市川市内)、青い鳥ホーム(船橋市内)を運営しています。

毎月開催される「法人施設長会」では、新型コロナウイルスの感染拡大防止を図るために、情報交換や協議を行っています。①各施設の現況報告、②日々の消毒や除菌等の方法、③緊急事態宣言下等における職員の勤務、④虐待が懸念される家庭への切れ目の無い関わり、⑤新しい生活様式を踏まえた支援・保育・家庭訪問相談のあり方、⑥5段階程度の各ステージ(地域の感染状況)に応じた行動基準やガイドラインの策定、⑦コロナ禍における法人総合防災訓練の計画化等と、内容は多岐にわたります。全施設で同様に対応することもあります。また、他施設の工夫を自施設に持ち帰り、職員間で検討し実践に活かしていくこともあります。

感染症が世界的規模で、また施設近隣で同時に流行する社会の中で、他者に「仕える」ことの意義や方法が改めて問われます。来年2月に開催される当法人全役職員総会・研修会では「新しい生活様式に基づく保育・家族支援について〜Withコロナ時代の家族支援」と題して発表と協議を重ねてまいります。事業創設90周年を記念した新規事業へと発展させていきたいものです。

早いもので今年もクリスマスを迎える季節となりました。チャプレンの市川教会の中島康文先生は「いつもと違う・・・」という考えはやめて、「今年はどのようにして迎えようか」という発想をお示し下さいます。国府台母子ホームでは、数回に分ける礼拝スタイル、祝会の内容、お弁当のメニュー決め等、楽しんで準備をしています。でも、いつもと違わないことがあります。ホームクリスマスのテーマは昨年と同じです。
You are Loved.
まず神様が私を愛して下さっています。

社会福祉法人 あゆみの家
総合施設長 田口道治(大垣教会)

「あなたの慈しみは大きく、天に満ち/あなたのまことは大きく、雲を覆います。」(詩編57・11)

あゆみの家は日本のほぼ中央部、濃尾平野の西北端に位置しています。施設や事業所(※)は、岐阜県大垣市や垂井町、養老町に点在し、障がいのある人たちの生活支援や日中活動、就労支援、地域生活支援に取り組んでいます。来年は創立50周年を迎えます。

本年(2020)2月に岐阜県内で最初の新型コロナウイルス感染症の感染発生ニュースが報道されて以降、あゆみの家の施設・各事業所でもマスクの着用、手指消毒など標準予防策の励行、3密の回避など感染防止のための様々な取組をしてきました。また、入所施設やグループホームにおける集団感染の発生に備えて、法人全体での職員の応援体制整備も検討し、これまでにあゆみの家独自の「対応マニュアル」や月毎に異なる「感染防止対策確認一覧表」などを作成して皆で意思統一を図りながら取り組んでいます。

支援の現場では、重度の知的障がいなど支援を必要とされる方々の障がい特性により、マスク着用が難しかったり、食事や衣服の着脱、入浴の介助等、日常生活面での密接支援は不可欠で3密の回避が困難な現実があります。

外出の自粛など従来の活動や行動範囲が大きく制約、制限され、不自由で窮屈な生活が続いて8カ月以上が経ちますが、こうした中にあって、これまでに無かった活動も生まれてきました。例えば、通所事業所「デイセンターあゆみの家」では、利用者の感性を表現する絵画や書などの芸術活動に積極的に取り組み、県内の作品展に出品した作品は岐阜県知事賞を受賞しました。細やかであっても、こうした新たな活動の芽が成長し、障がいのある方々が社会とのつながりを深め、インクルーシブな社会づくりに貢献できることを願っています。
(※)あゆみの家インターネットWebサイト
https://ayumi-ie.com/

世界の教会の声

浅野 直樹Sr.(世界宣教主事  市ヶ谷・スオミ教会牧師)

コロナ禍に高まる結束②

(元の記事のURL)
https://www.lutheranworld.org/news/covid-19-new-awareness-social-cohesion-growing-crisis

—なぜこれほどまでとは思わなかったのですか?
「過去数十年は、個人主義が極端なまでに進んでしまっていたからです。個人の自由、それは裏返せば社会的意識の欠如なんですが、これが善の終着点のように見えていました。ところが今回の危機によって新たな気づきが起きていて、社会のつながりや、隣人と共に生きていくために為すべき自分の使命に気づくようになっています。こうした態度がこれまで以上に必要となっています。」

—それはなぜでしょうか。
「パンデミックは多くの深刻な問いを投げかけました。これは直面している状況をはるかに超えて、人間社会の体系そのものに対する問いでもあります。たとえば経済です。コロナ禍によって経済が今後どうなっていくのか、まだ先が見えません。政治面と財政面での大規模なてこ入れは応急的には有効で、それによって社会全体が崩壊しないよう食い止めています。
同時に問わねばならないのは、現存する数多くの長期的かつ根本的な課題です。今のやり方を今後も続けるのかどうかです。たとえば輸送、エネルギー、サプライチェーンなどの産業が持続可能なスタイルに形を変えていくようにもっと働きかけるべきか、すべきでないか。」

—これ以上悪くならないようにするにはどうしたらよいかというときに、そこまで考えるのは行き過ぎといえませんか?
「今がそのときです。これほどまでに問題意識が高まったことは、かつてないのです。ドイツの自動車業界は、この危機に面して移動と輸送のあり方を根本的に考え直しています。肉食産業は、コロナ禍で肉製品の摂り過ぎが改めて取り立たされるなか、生物、人間、環境を犠牲にしてまで消費を優先することを問題にしています。この二つは、今ドイツで懸案になっている事例です。対策をとらなければならないというプレッシャーは、コロナ禍になって高まっているわけですが、このプレッシャーが次のステップにつながります。こうした問題はもはや後回しできないので、経済の問題をもっと真剣に検討しなければなりません。また止めどもない成長の論理と、生活全般で膨れ上がる商業化、それに我々の消費主義と便利さを追求することも問題です。」(以下、次号に続く)

【報告とお詫び】
既にお伝えしております通り、機関紙『るうてる』2020年10月号1面説教における「依存症」に関する記述について、編集部ならびに教会事務局において調査と協議を行いました。執筆者と読者層との文化的・社会的文脈の相違についての必要な配慮と対応を編集部が前もって行わなかったために、翻訳ならびに構成の吟味が不充分となり、執筆者の意図しない形で読者を傷つける表現となってしまったことを確認いたしました。依存症当事者の方々ならびに支援者の方々を傷つけてしまったことを心よりお詫び申し上げます。
なお当該記事に関しては改訂版を作成し、インターネットサイト上にて再公開いたします。また今後の再発を防止するために、機関紙編集に際しての必要な対応について再確認をいたしました。以上、謹んで報告いたします。

2020年度日本ルーテル神学校オープンセミナー

河田 優(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校チャプレン)

日本福音ルーテル教会、日本ルーテル教団、日本ルーテル神学校共催の「神学校オープンセミナリー」、本年度は新型コロナウイルスの影響もあり、同時双方向通信のZoomを用いて行われました。初めての試みであり準備の段階から不安もありましたが、結果、北海道から九州まで10名(内JELCからの参加者8名)の参加があり、昨年度を超えるものでした。インターネットを用いた効果と言えるでしょう。

第1部は開会礼拝から始まり、神学教育委員長である三浦知夫先生は主にある繋がりについて話されました。その後は神学校紹介がメインです。 互いに自己紹介をした後、大串肇先生(神学校教員・日本基督教団仙川教会牧師)が「新型コロナ禍の中で神学をする—旧約聖書から—」と題して講義を行いました。短い時間ですが参加者は「神学と共に聖書を読む」体験ができたことでしょう。

神学生を中心に進められた第2部には2人の若手牧師も加わり、互いの思いを分かち合っていきました。緊張気味だった参加者も次第にリラックスしていき、話し合いが進みます。神学校での学びや生活に対する質問から、将来の進路まで互いに語りあう中、主の導きを分かち合う恵まれた時となりました。閉会礼拝で神学生が証しを行い、本年度のオープンセミナリーは終了しました。来年度以降も継続してオープンセミナリーが開催されます。教会の将来を支える催しです。これからも皆様と共に祈りを合わせ、献身へと導かれる者たちの神学校、そして牧師への道を整えていきたいと心から望みます。

オープンセミナリーに参加して
東静(保谷教会)

オンラインでのオープンセミナリー。私はオープンセミナリーに初めて参加することができた。私自身が参加したきっかけは、神学を学ぶことに興味があったからだが、神学校で学ぶという決意には至っていなかった。しかしそんな私でも参加することが許され、非常に嬉しかった。また、例年通り神学校での開催では、0歳の娘がいる為参加できなかっただろう。今年の開催がオンラインであったからこそ、参加の一歩を踏み出すことができた。

参加する前は緊張していたが、プログラムのなかで自己紹介やアイスブレイクを行って下さり、リラックスして参加することができた。参加者の皆さんのことも知ることができた。礼拝や講義、アイスブレイク等内容も盛りだくさんで、長丁場ではあったがあっという間に感じた。特に大串先生の講義では、わかりやすくお話頂き、「シンガクって難しそう」と考えていた私でも神学の世界を少し覗いた気分になりとても嬉しかった。もっと深く学んでみたいと思わされた。また、質問コーナーも設けて下さり、神学校についての質問から献身のきっかけについてまで、幅広く神学生の皆さん、現在牧師として働かれている先生方にもお答え頂き、貴重な機会となった。

「コロナ禍だから」今年は直接顔を合わせることができずオンラインでの開催だったが、しかし「コロナ禍だからこそ」、文頭でもお話したとおり幼い娘がいても参加できた。

また、遠く離れていても、パソコンの画面上でも献身の志がある参加者の皆さん、先生方と顔を合わせることで、一つのところで祈り、礼拝しているような気分になった。場所は関係なく、ともに祈り礼拝することが可能であることを再確認でき、とても心強く感じた。次回はぜひとも、オンラインではなく実際に顔を合わせてのオープンセミナリーに、是非参加したい。

コロナと「まことの礼拝」—秋のルター・セミナー報告—

江口 再起 (ルター研究所所長)

2020年はコロナの年、世界史に特筆すべき年となった。世界も個人の生活も、そして教会も激変を味わった。それを受けてルター研究所では6月に3回、ルターのペスト書簡の問題などをめぐって「臨時ルター・セミナー」を開催した(現職牧師対象、ズーム形式)。ところが秋以降もコロナは収まるどころか猛威を振るっている。教会の活動や礼拝も、やや落ち着きを取り戻したとはいえ、元通りではない。そこで10月22日、前回と同じやり方で秋のルター・セミナーを開催することにした(参加、約25名)。テーマは「コロナの時代に教会・礼拝を考える」。立山忠浩牧師の発題の後、全員で協議、学びの時を持った。

立山牧師は次のように発題した。たとえ治療薬やワクチンができても、世界はパンデミック以前には戻らないのではないか。教会もその例外ではない。そこででてくるのは「礼拝」への問いである。

日本福音ルーテル教会では、3月26日に大柴譲治議長の談話が発表され、「すべての命を守る観点から、〔礼拝など〕状況に柔軟に対処しよう」ということになった。従来どおりの対面礼拝ができなければ、オンライン礼拝や文書礼拝のすすめである。この方針を立山牧師は、ルターの著作(「大教理問答書」、「ガラテア大講解」、「会衆の礼拝式について」など)を通して丁寧に検討。もちろん聖餐式の問題についても深く検討。しかし更に、歩みを一歩すすめ、ルターにさかのぼるだけでなく、まず何よりも「聖書」に耳を澄ますことの大切さを強調した。

礼拝とは何か。そこで指摘されたのが、ヨハネ福音書4章に記されているイエスとサマリアの女の問答である。そこでイエスは「まことの礼拝」ということを語っている。「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である」(4章23節)。礼拝とは何か、「まことの礼拝」とは何か。ぜひ、聖書を開いてその箇所を読んでいただきたい。

発題の後、参加者全員で検討協議した。オンライン礼拝では、つながる人つながらない人がでてくる…。「共に」礼拝を守るという場合、それは同じ「場所」というだけでなく、たとえ離れていても同じ「時」は共有できるのではないか、等々。内容豊かなルター・セミナーであった(より詳しい報告は、「ルター新聞」75号に掲載予定)。

20-11-01喜びなさい。大いに喜びなさい。
「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

(マタイによる福音書5・11~12)

 全聖徒の日、私たちは、恵みにより、十字架と復活の主イエス・キリストの信仰によって救われた人。つまり、主に信頼して、主と共に歩みを起こし、御言葉に従い、この地上の生涯を生きて、神様の御元に召された人々を思い起こします。そして、神様が、その人々を通して、私たちに与えてくださった恵みに感謝して、主を賛美し、祈るのです。
 私たちより先に、天に召された人々は、どのような人たちだったのでしょうか?皆さんには、それぞれ様々な思い出があると思います。天国の喜びに招き入れられた人々について、聖書は何を教えているのかを聞きましょう。
 マタイ福音書5章に記されている山上の説教の冒頭で、主イエス様は、八つの「幸いである」ことについて語られました。「心の貧しい人々」(3節)、「悲しむ人々」(4節)、「柔和な人々」(5節)、「義に飢え渇く人々」(6節)、「憐れみ深い人々」(7節)、「心の清い人々」(8節)、「平和を実現する人々」(9節)、「義のために迫害される人々」(10節)は、「幸いである」と、主はいわれたのです。
 これらの幸いに、先にみもとに召された人々を、当てはめることができると、キリスト教会は、ずっと教えてきました。皆さんの家族や親しい人々も、いずれかの幸いに適合していると思います。
 実は、主イエス様が教えてくださった、これらの幸いは、主ご自身の生き方そのものだったのです。ですから、それが私たちに当てはまるということになります。使徒パウロは、「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」(2コリ3・18)と証言しています。
 つまり、主なる聖霊の働きによって、クリスチャンは、「栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられ」るのです。ですから、主なる聖霊を内に宿したクリスチャンは、この地上での一生を、「主と同じ姿に造りかえ」られつつ、最後まで生きて、その幸いな人たちが、主のみもとに召されるのだといえます。
 ここで、私たちの救い主、神の子イエス・キリストの生き方に注目したいと思います。御子イエス様は、ただ父なる神様に依り頼み、御心を実現するという、へりくだった「心の貧しい人」(3節)としての愛のご生涯を過ごされました。
 主イエス様は、人間の死を悼み、その家族と共に、「悲しむ人」(4節)であり、主は「涙を流された。」(ヨハネ11・35)のです。また、主は、人々からひどく嫌われ、無視されていた人の友となられた「柔和な人」(5節)でもありました。
 そして、私たち罪人を、恵みと憐れみによって愛し、神様の「義」(6節)を実現されたのも、主イエス様でした。主は「憐れみ深」(7節)く、貧しくされた人々や病の人々、小さくされている人々を助けられ、偽りのない誠実で、まったく罪のない「心の清」(8節)さを持っておられました。
 さらに、主は、「平和を実現する人」(9節)として、私たちの罪のために、地上生涯の最後には、十字架で命を捨てて、神との和解を「成し遂げられた」(ヨハネ19・30)のです。このように、主イエス様ご自身が、私たちの救いのために、「義のために迫害される人」(10節)として生きられたのです。
 しかも、主は、三日目に復活し、ご「自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与え」(ヨハネ1・12)てくださっています。だから、恵みにより、人生の旅路を、主と共に歩んでいる人、歩んだ人々に、「幸いである」と、主は、今日も語りかけておられるのです。
 本当の幸いは、恵みにより、悔い改めに導かれて、主に立ち帰り、イエス・キリストを信じる時に与えられます。それは、この世が与える、つかの間の幸いや慰めではなく、主に従う人に与えられる、本当の幸いと本当の慰め、そして、本当の喜びなのです。栄光在主

日本福音ルーテル高蔵寺・復活教会牧師 奈良部恒平

20-11-01るうてる2020年11月号

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「喜びなさい。大いに喜びなさい。」

日本福音ルーテル高蔵寺・復活教会牧師 奈良部恒平

「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」 (マタイによる福音書5・11~12)

全聖徒の日、私たちは、恵みにより、十字架と復活の主イエス・キリストの信仰によって救われた人。つまり、主に信頼して、主と共に歩みを起こし、御言葉に従い、この地上の生涯を生きて、神様の御元に召された人々を思い起こします。そして、神様が、その人々を通して、私たちに与えてくださった恵みに感謝して、主を賛美し、祈るのです。

私たちより先に、天に召された人々は、どのような人たちだったのでしょうか?皆さんには、それぞれ様々な思い出があると思います。天国の喜びに招き入れられた人々について、聖書は何を教えているのかを聞きましょう。

マタイ福音書5章に記されている山上の説教の冒頭で、主イエス様は、八つの「幸いである」ことについて語られました。「心の貧しい人々」(3節)、「悲しむ人々」(4節)、「柔和な人々」(5節)、「義に飢え渇く人々」(6節)、「憐れみ深い人々」(7節)、「心の清い人々」(8節)、「平和を実現する人々」(9節)、「義のために迫害される人々」(10節)は、「幸いである」と、主はいわれたのです。

これらの幸いに、先にみもとに召された人々を、当てはめることができると、キリスト教会は、ずっと教えてきました。皆さんの家族や親しい人々も、いずれかの幸いに適合していると思います。

実は、主イエス様が教えてくださった、これらの幸いは、主ご自身の生き方そのものだったのです。ですから、それが私たちに当てはまるということになります。使徒パウロは、「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」(2コリ3・18)と証言しています。

つまり、主なる聖霊の働きによって、クリスチャンは、「栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられ」るのです。ですから、主なる聖霊を内に宿したクリスチャンは、この地上での一生を、「主と同じ姿に造りかえ」られつつ、最後まで生きて、その幸いな人たちが、主のみもとに召されるのだといえます。

ここで、私たちの救い主、神の子イエス・キリストの生き方に注目したいと思います。御子イエス様は、ただ父なる神様に依り頼み、御心を実現するという、へりくだった「心の貧しい人」(3節)としての愛のご生涯を過ごされました。

主イエス様は、人間の死を悼み、その家族と共に、「悲しむ人」(4節)であり、主は「涙を流された。」(ヨハネ11・35)のです。また、主は、人々からひどく嫌われ、無視されていた人の友となられた「柔和な人」(5節)でもありました。

そして、私たち罪人を、恵みと憐れみによって愛し、神様の「義」(6節)を実現されたのも、主イエス様でした。主は「憐れみ深」(7節)く、貧しくされた人々や病の人々、小さくされている人々を助けられ、偽りのない誠実で、まったく罪のない「心の清」(8節)さを持っておられました。

さらに、主は、「平和を実現する人」(9節)として、私たちの罪のために、地上生涯の最後には、十字架で命を捨てて、神との和解を「成し遂げられた」(ヨハネ19・30)のです。このように、主イエス様ご自身が、私たちの救いのために、「義のために迫害される人」(10節)として生きられたのです。

しかも、主は、三日目に復活し、ご「自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与え」(ヨハネ1・12)てくださっています。だから、恵みにより、人生の旅路を、主と共に歩んでいる人、歩んだ人々に、「幸いである」と、主は、今日も語りかけておられるのです。
本当の幸いは、恵みにより、悔い改めに導かれて、主に立ち帰り、イエス・キリストを信じる時に与えられます。それは、この世が与える、つかの間の幸いや慰めではなく、主に従う人に与えられる、本当の幸いと本当の慰め、そして、本当の喜びなのです。栄光在主

命のことば 伊藤早奈

⑧「ありがとう」

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 主はわたしを青草の原に休ませ憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしくわたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖それがわたしを力づける。」(詩編23・1~4)

私は働かせて頂いていた施設で部屋や人を訪問させて頂いたときによく、右に書いた聖書の箇所をお読みしました。聖書の後は一曲賛美を共にし、主の祈りも共にしました。そして最後は必ず、できるだけ額に十字を切り祝福を捧げました。一般の大学病院でそのような宗教的行為は許されません。病院側で許されたとしてもなかなか個人に受け入れられないかもしれません。私が入院した時にも「神様は今もあなたと共におられるますよ。」とお伝えしたい思いは溢れています。

そのような何回かの入院の中で、いつもカーテンを閉め切ってベッドで静かに眠り、お母さんがいらした時も、カーテンの中でこそこそ話しておられる方がいました。その方が検査に行ったり治療に行ったりする時、顔を見るたびに「おはよう」と挨拶したり声を掛けたりしてましたが返事は一度もありませんでした。返事どころか目も合わせて頂けず何日かが過ぎました。ある日その方が部屋を移動すると聞き、彼女が部屋移動のために私の側を通り過ぎる時「お大事に」と言うと「ありがとう」と言われ、意外だったその言葉を今も思い出します。

いつも思います。「あなたは決して一人じゃないよ。」と

教会手帳記載
改訂共通聖書日課訂正のお願い

教会手帳記載の改訂共通聖書日課に下記の誤植がございました。

1.教会手帳2020および教会手帳   2021の2020年12月20日(日)
 待降節第四主日の第1朗読
 (誤)サム上 (正)サム下

2.教会手帳2021の2021年1月17日(日) 顕現後第2主日の第1朗読
 (誤)サム上3:1-10又は1:1-20 (正)サム上3:1-10又は1-20

 以上、謹んで訂正いたします。 誠に恐れ入りますが、上記のとおりご修正賜りますようお願い申し上げます。

日本福音ルーテル教会事務局

議長室から
「悲愛 〜 生きている死者との協同の営み

大柴譲治

「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」(マタイ5・4)
11月は死者を覚える月。生者と死者の双方の救い主であるキリストによって天と地は一つに結び合わされていると信じつつも、走馬灯のように様々な思い出が私たちの心を過ぎ去ってゆきます。カトリック信仰の立場に立つ若松英輔という文筆家に、『魂にふれる—大震災と、生きている死者』(トランスビュー)という本があります。大震災の2年前にガンで逝った最愛の妻を想起しながら、それを東日本大震災と重ね合わせるようにして言葉を刻んでいます。その意味でこの書は「生きている死者たち」のためのレクイエム(鎮魂曲)と呼べましょう。

 氏の言葉を引用します。「ここでの『死者』とは、生者の記憶の中に生きる残像ではない。私たちの五感に感じる世界の彼方に実在する者、『生ける死者』である」。「死者が接近するとき、私たちの魂は悲しみにふるえる。悲しみは、死者が訪れる合図である。それは悲哀の経験だが、私たちに寄り添う死者の実在を知る、慰めの経験でもある」。「悲しみとは、死者の愛を呼ぶもう一つの名前」。「死者と生きるとは、死者の思い出に閉じこもることではない。今を、生きることだ。今を生き抜いて、新しい歴史を刻むこと」。「死と死者は異なる。『死』は肉体の終わりを意味するが、『死者』は、すでに亡き存在ではない。死の彼方に新生する者である。それは、存続する世界を生者と異にしながら、生者に寄り添う不可視な『隣人』を意味している」。これらの声に私たちの魂が深く交響するのは、私たちにも死者たちへの尽きぬ思いが刻印されているからでありましょう。

 魂にふれるという不思議な体験を語ったあと若松氏はこう記します。「亡骸を前に私は慟哭する。なぜ彼女を奪うのかと、天を糾弾する暴言を吐く。そのとき、心配することは何もない。わたしはここにいる、そう言って私を抱きしめてくれていたのは彼女だった。妻はひとときも離れずに傍らにいる。だが、亡骸から目を反すことができずにいる私は、横にいる『彼女』に気がつかない」。「誰も自分の悲しみを理解しない、そう思ったとき、あなたの傍らにいて、共に悲しみ、涙するのは死者である」。「悲しいのは逝った方ではないだろうか。死者は、いつも生者の傍らにあって、自分のことで涙する姿を見なくてはならない。死者もまた、悲しみのうちに生者を感じている。悲愛とは、こうした二者の間に生まれる協同の営みである」。この指摘は私の心に響き続けています。

“Requiem aeternam”

「教会讃美歌 増補」 解説

⑤「増補」版の使い方など
讃美歌委員会 日笠山吉之(札幌教会牧師・恵み野教会協力牧師)

 今回は「増補」版の使い方や、歌詞や曲の記譜について委員会として心がけたことをお話ししましょう。

 まず、使い方から。「増補」版では、前半にルターのコラールを、後半に邦人による創作讃美歌を収めました。「教会讃美歌」と違って必ずしも教会暦に準じて配列されているわけではないので、「テーマ索引」を参考にしながら自由に選んで歌っていただければと思います。それぞれの歌には、内容にふさわしい聖書の引照句も記してありますので「聖句索引」と共にご利用ください。

 次に、歌詞について。子どもから大人までみんなが一緒に歌えることに留意して、なるべく文語調ではなく平易な言葉を用いました。また、すべての歌詞を譜面の中におさめ、楽譜を見ながら歌えるように工夫しました。譜面の外に書き出された歌詞には漢字にルビを打ちましたので、小さな子どもや日本語がまだ堪能ではない外国人の方でも容易に歌詞を理解できると思います。歌詞の翻訳に関しては、本委員会のメンバー以外の方々にもご協力を仰ぎましたが、それらの訳者の名前は「序文」の中に一括して記入します。

 次に、曲について。宗教改革以来ルーテル教会の礼拝では、会衆が声を合わせて讃美歌の旋律をユニゾンで斉唱することが大切にされてきました。従って「増補」版では、ほとんどの曲が旋律のパートと大譜表の伴奏譜から成る三段譜で書かれています。また、ルターのコラール以外はコードネームを付しましたので、ギターやキーボード等で伴奏することも可能です。

 最後に、作詞者・作曲編曲者について。従来の讃美歌集にならって、譜面の左上に原歌詞の初行をそれぞれの国の言語で記し、その下に作詞者の氏名、生誕年と没年を記しました。また譜面の右上には、曲名、作曲編曲者の氏名、生誕年と没年または出典を記しました。これら原歌詞の初行、曲目、作詞者名、作曲編曲者名等は、一括して巻末の索引にまとめて収録されます。

 次回からは、本委員会に関わった委員の一人一人にバトンを渡して、「増補」版に寄せる熱い思いを語っていただきます。

私たちの礼拝—式文ハンドブック—

④「招かれている私」
式文委員会 中島康文(市川・小岩教会牧師)

 今月から、式文の内容について触れていきます。

 礼拝式の始まりを「招き」と表現しましたが、私たち自らの意思ではなく、神様に招かれてここにきていることを刻み直すということです。「神が招いてくださり、私たちは招かれてここにいる」という関係性が告げられます。即ち、常に神の招きが先行するということであって、このことが変わることはありません。

 礼拝式文において「招き」とあるのですから、当然、礼拝に対して招かれているのですが、「洗礼への招き」が内在しています。洗礼は招かれたことへの応答でもあるからです。礼拝への招き、洗礼への招きを想起するために、礼拝の始まりを会堂入口から始めたり、洗礼盤を会衆が先ず目にする場所に移動したりという工夫がなされるのもそのためです。招かれて集い、洗礼を想起した私たちは、聖霊の働きによって悔い改めに導かれていきます。「人間は、聖霊の恵みや助力、その働きによらないで、神に受け入れられ、心から神を畏れ、信じ、また心の中から生来の悪い欲望を取り除くことはできない。むしろそのようなことは、神のみことばを通して与えられる聖霊によって起こるのである」と、アウグスブルク信仰告白17条にあるからです。

 ところで、悔い改めの言葉について議論を重ねている最中に、「東日本大震災」と「原発事故」に遭遇しました。私たちは自らの在り様を具体的に表現する必要性を感じ、「無関心」「怠り」という言葉を選択する一方、「生まれながら」と「けがれ」という言葉については表現しないこととしました。また「キリエ」「グロリア」の後に、その日の礼拝全体の主題を明らかにする祈りがなされますが、「招かれ集められた」ことの意味を表すために、「つどいの祈り」と呼称することとしました。

 今、私たちは感染症が蔓延する中を生きています。「信徒の集まり」を大切にしてきた私たちにとって、礼拝式の冒頭で「私たちは招かれて、ここにいます。」という応答をいたしますが、否応なく「デジタル社会で生きる」ことに巻き込まれて、改めて「ここに」という言葉が何を指しているのかを考えざるを得ません。同時に、集うことができない方(例えば病床にある方や外出できない方)が、デジタルを通して礼拝を「視聴」する機会も増えました。集うことの大切さを心に刻み直しつつ、「デジタルと礼拝」の有効性等、新たな課題として議論を深めていかなければならないでしょう。

 礼拝に集う全ての人々に、神からの祝福を祈っています。

【お詫びと報告 】
 この度、機関紙「るうてる」2020年10月号1面「説教」中の「依存症」に関する記述につきまして、説明不足であり不適切な表現があることのご指摘を読者の方からいただきました。
 病という重荷を担い、身体的にも霊的にも葛藤と苦悩の中にある方々、またこれらの方々を懸命に支えようとしておられる方々に対する配慮を欠き、深く傷つけてしまったことを心よりお詫び申し上げます。
 ご指摘を頂きました問題の究明と今後の対応について早急に取り組み、機関紙「るうてる」・インターネットサイトでご報告する予定です。ご理解、ご了解のほどお願い申し上げます。

パンデミックの中のディアコニア

社会福祉法人慈愛園
理事長 潮谷義子(神水教会)

 すでに1月末、17人の新型コロナウイルス感染症が国内に発生していたにも関わらず私には「他人事」でした。しかしこの事が「大事(おおごと)」と実感するのにさして時間は要しませんでした。2月21日熊本県内初の感染者が病院で発生したと報道。法人に近く、驚愕したものの事なきを得たことは幸いでした。

 全国に緊急事態宣言が発され不要不急の外出自粛等が求められた時点で未知の感染症、パンデミックという恐怖が頭を駆け巡りました。

 法人内11の施設長は常日頃から感染症対策は勿論、危機管理対応策に意識的に取り組み、安全安心の確保に力を尽くしていますが今回はコロナ対策に特化した対策を講じました。面会、外出、外泊、実習生、礼拝参加、ボランティア等の制限には不平、不満、失望、悲しみの訴えが続発しました。この対応は悩ましくストレスになる職員も存在しました。加えてマスク、とくに小学低学年用は入手困難、消毒液も法人内でストックしていた施設と分ち合うという状況が続きました。これらの困難を分ち合い、共に担って下さった存在について述べます。その群々は多様であり多数、その行為は、施設職員、利用者を励まし、支えられている絆に気付かせ孤立感や無情さを解き放ちました。施設ボランティアの人々は自宅で手づくりマスク、クッキー、果物、全く存じ上げない人々からの励ましの物品。何より嬉しかったのは、60才をこえた卒園者のマスク、消毒液の贈物でした。熊本県は7月に豪雨災害に見舞われ、感染症と重複することの深刻さ、悲惨さを実感しました。子ども達、職員は教会の呼びかけで衣服等の供出に関わり、職員は被害現地ボランティアとして入りました。自分達の困難さをこえて他を省みました。

 昨年、創立100年を迎えた法人に新しい聖句が与えられました。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ロマ12・15)なんと時期に適った聖句を角本、小泉、木下牧師は選んで下さったことでしょう。

社会福祉法人 東京老人ホーム
「新しい生き方」への工夫
ホーム長 髙橋 睦 (東京教会)

 東京老人ホームでは、ご利用者や地域の方々、関わる職員など幅広く、喜びをもって生きるコミュニティの実現を目指しています。感染症対策においてもこのコミュニティを対象として、各事業を超えた位置づけで「感染症対策委員会」を設置し、感染症の流行や発症に対しいち早く対策を決定し、蔓延防止に取り組んできました。今回の新型コロナウイルスによる感染症に対しても同様に、ホーム入居者、地域で関わる高齢者、職員やその家族に対し必要な対策に取り組んできました。

 職員のマスク着用や手指消毒、共有部分の消毒などを徹底した上で、外部者の入館と、施設間(フロア間)の交流を制限することを主とし、Web面会などの工夫も行い、また施設合同の行事や地域との交流、毎日の礼拝も取りやめにしてきました。お元気な利用者は、受診や買い物などの外出後には、各々が手洗いなどを行っています。

 在宅サービスでも、職員・利用者間の感染予防を徹底し、さらに事務室職員は、事業運営機能が停止するリスクを低減するためにチームを分け、在宅勤務を併用しています。

 職員の共有スペースである、食堂・会議室等は換気を行い、飛沫対策のアクリルパネルを設置し、部屋の定員見直しなども行いました。

 感染予防のためのさまざまな対策により、これまで法人関係者への感染はありません。しかし、徐々に世間の制限が緩和されても、以前の状況に戻ることはなく、適切な対策がようやく見えてきたのだと思いますし、継続する「この状況下で何をしていくか」を考える時期になりました。

 私たちにとって「安全」はとても大切なことですが、そこに「その方らしさ」を忘れてはなりません。それぞれの歴史がある高齢者の皆さんに対し、職員としてこれからもその生き方に寄り添うことが大切です。新型コロナウイルスの存在を感じつつも、工夫をして、職員も含めたそれぞれらしい「新しい生き方」を目指していきます。

プロジェクト3・11 松本子ども留学

谷口和恵(松本教会)

 長野県松本市の郊外、広い畑のある田舎家で営まれている「松本子ども留学」。今年で7年目の活動になります。今は通年の留学生はおらずひっそりとしていますが、長期休みには1週間ほどの保養に訪れるご家族で賑わいます。

 東日本大震災の原発事故から9年半が経ちました。現地では未だ放射能汚染による生活不安を抱える方が多くいらっしゃいます。終わりの見えない事故処理はいつまで続くのか見当もつきません。「だれも取り残さない」が持続可能な社会づくり『SDGs』のキャッチフレーズになっている昨今ですが、クリスチャンである私たちにはイエスさまが「だれひとり取り残しはしない」と言われ行動されたことが心に刻まれていると思います。

 東日本大震災以降も多くの災害が起きていますが、それぞれの場所に助けを必要としている多くの方がおられます。祈りつつ、隣人として何ができるかを考え行動していきたいと思います。以下松本子ども留学の事務局長からの文章です。お読みください。

『松本子ども留学基金では被災地からの留学事業のほか、体と心を休めて健康を取り戻すために、汚染から離れる「保養」が必要という理念のもとに保養事業を行ってきました。
 目的の一つ目は環境下に拡散してしまった放射性物質から離れる、二つ目は子どもを原発事故由来の放射性物質から予防的に遠ざけるため失われたものを「補う」こと、具体的には制限された外遊びや自然体験活動をできるだけ取り戻す、三つ目は事故を起因とする不安感のストレスから離れるためのリフレッシュなどです。
 34年前のチェルノブイリ原発事故後からベラルーシやウクライナにおいて日本と違うところは、国策として国が実行する保養の取り組みが現在も続けられていることです。そこでは治療に主眼をおいた、鍼灸、ハーブ、温熱療法などの自然療法を積極的に取り入れ、免疫を高めて病気を予防するための方法が実践されています。
 松本子ども留学でも昨年の保養では温熱療法の講座を取り入れ、穀物野菜を中心に手作りの食事、思い切り体を動かす、深い呼吸など健康に生きるための極ありふれたことを大切にした内容で企画実施し、参加者のご家族に喜んでいただくことができました。
 しかし今年度は新型コロナウィルス感染症の拡がりにより、被災地の方々を保養にお迎えできていません。1日も早く感染症対策が進み、被災地のご家族が安心して保養に出かけられる社会になることを願っていますし、そのためにできることを続けていきたいと思っています。』

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事  市ヶ谷・スオミ教会牧師)

コロナ禍に高まる結束①
 世界ルーテル連盟(LWF)がドイツ・ハノーファーのラルフ・マイスター監督にインタビューした記事(2020年8月7日)を何回かに分けて紹介します。

(元の記事のURL)
https://www.lutheranworld.org/news/covid-19-new-awareness-social-cohesion-growing-crisis

—ドイツでは緊急的対応からニューノーマルへと少しずつ移行していますが、今後を見据えて、今気づかされていることはありますか。

「人々の生活必需品がどうにかこうにか行き届くようになった点はよいと思います。個人の自由の制限は仕方ないと多くの人々は受け入れ、さらに信念をもって、困っている人々を自発的に気づかったりしています。コロナ禍にあって、多くの人たちが親切に温かく接しているのを見て感心しています。コミュニティで人々の心配りがこれほどまでとは思わなかったので、希望がもてます。」
(以下、次号に続く)

「今年、キャンプはないけれど、平和の祈りでつながろう!~おうちでルーテルこどもキャンプ特別編~」報告

TNG子ども部門 池谷考史 (博多・福岡西教会牧師)

 毎年8月に行われる「ルーテルこどもキャンプ」が、今年は新型コロナウイルス感染症の影響によって、やむなく中止となりました。そこで、子ども部門では、キャンプを楽しみにしていた子どもたちのために何かプログラムはできないかと考え、それぞれの場所で平和の祈りを合わせる趣旨で、標記のプログラムを行うことになりました。

 具体的には、8月10日10時から動画によって、全国から届いた手形に書いた平和の祈りを紹介し、青年たちによる賛美や、派遣礼拝を配信し、場所は離れていても共に平和の祈りを合わせました。参加者や見てくださった方から感想文をいただいておりますので、本紙面をお借りして掲載させていただきます。

 今回は初の試みでしたが、このプログラムのために、お祈りとご協力をいただいた皆様に感謝いたします。
 なお、動画は、来年3月末までYouTube「ルーテルTNG子ども部門チャンネル」にて配信していますので、ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/channel/UCxnuxYqvw4MF-ob2kDRA55A?view_as=subscriber

「小さい子は絵を描いたりと、みんなの平和への思いをみれて、良かった。しかし春キャンに行けず残念だった。神様にコロナウイルスの終息をお祈りします。」
  箱崎教会 古澤奈々子

「平和をつくりだすために私たちに出来ることについて、いろいろな教会から、みんなで仲良くしたい、戦争をしないなどのメッセージが集められました。私も、みんなで仲良く楽しい毎日にしたいと思いました。今年は、みんなで集まれなかったけど、こうしてリモートでみんなと繋がることが出来て、よかったです!」
  天王寺教会 鈴鹿莉愛菜

「山の日。教会にて総勢8人(内子ども1人)が動画視聴。中島共生牧師がスマホとテレビをつないでくださったのです。そして出演者の中に、20年前の幼子を見つけた時の驚きと喜び。まさに、主は生きて働いておられます。コロナゆえの特別企画。平和の祈りで、しっかりとつながることができました。制作・配信等にかかわってくださった全ての皆様。有難うございました!」
  厚狭教会 國吉純枝

「『おうちでルーテル子どもキャンプ』の画像を見て心が洗われるように素直な気持ちになりました。えがお・仲良く・つながる・幸い・平和、『幸せで健康な家族になれますように』、『争いのない世界でありますように』・・こどもたちのシンプルで心に響く祈りがたくさんあり、ひとつ、ひとつの祈りが丁寧に紹介される。また平和を祈る歌・礼拝へと素晴らしい映像でした。教会みんなで平和を実現する人々となれるよう神様にお祈りしましょう。」
  東京教会 森下博司

第28期 第11回 臨時常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 9月21日(月)、標記の常議員会が開催されました。特に第29回定期総会延期に伴う、諸課題について以下のように確認しましたのでご確認をお願い申し上げます。

(1)第30回定期総会について
 本来、2020年5月に開催される予定であった、第29回定期総会は延期されてい
る状況がありますが、宗教法人法に照らして第30回定期総会は、「総会は2年1回定期に開く」(宗教法人日本福音ルーテル教会規則第16条)を鑑み、2022年5月に予定通り開催することを確認しました。

(2)第29回定期総会の延期について
 第29回定期総会は、すでに第10回臨時常議員会において確認された通り、2021年5月に開催を延期することを決定しています。この第29回定期総会は、2021年5月に開催できるように最大限の努力を行う必要があります。しかし感染症によって、再度延長を余儀なくされた場合、可能な限り2021年中に開催されることが望ましいことを確認しました。しかし、そのような努力が実らず更に2022年5月まで延期せざるを得ない場合は、2022年5月に行われる第30回定期総会と同日程にて第29回定期総会を開催せざるを得ない場合もあり得ることを確認しました。

(3)総会選出の常議員について
 2018年5月に選出された総会選出の常議員(議長、副議長、事務局長、会計、財務担当常議員、総会選出常議員)については、現在、第29回定期総会が延期されていることから、宗教法人日本福音ルーテル教会規則第2章第8条3項に基づき、その職務を継続して行っている状況にあります。この「その職務を継続して行っている」状況について、この期間について任期をどのように考えるかについては、これを定めている規則がないことを確認しました。よって第28期第11回臨時常議員会として、この期間の任期について以下のように理解することを確認しました。
 2018年6月~2020年5月までの2年間について、1期を終えたものと理解する。
 第29回定期総会が開催されるまでは、2期目の任期中にあるものと理解する。
 よって第29回定期総会が2021年5月に開催され、総会選出の常議員を選出する場合は、そこで選出される常議員については2022年に開催される第30回定期総会前に辞任することを確認した上で選挙を行うこととします。つまりここで選出される常議員については1期の任期を1年とします。これは現在選出されている常議員が引き続き選出された場合も、新たに選出された常議員についても同様に理解することとしました。こうすることで1期2年(最長3期6年まで)という日本福音ルーテル教会規則第3章第50条の精神が担保されることに配慮しました。

(4)総会提案予定であった議案の取り扱いについて
 第29回定期総会で検討する予定であった議案については、以下のように対応することを確認しました。
 第2号議案の「教会組織案件」については、宗教法人日本福音ルーテル教会規則第2章第4節第26条を適用し常議員会として総会にかわり承認しました。具体的には日本福音ルーテル高蔵寺教会の種別変更、また宗教法人日本福音ルーテル益田教会の解散案件になります。
 第4号~第7号議案については、すべての議案について第29回定期総会に提案することを確認しました。「ハラスメント防止規定の件」、「アジア宣教の件」となります。また「第7次綜合方策」についてはコロナ禍の中での宣教のあり方などについて、更に常議員会で検討をしていくこと、また「市ヶ谷会館耐震工事」については財務委員会において現段階で可能な対応を検討することが確認されています。
 第8号~第10号議案については、決算、予算に関するものです。これについては日本福音ルーテル教会規則第5編第3章第61条2項を適用し、常議員会において仮承認の手続きを行いました。第29回定期総会において承認を求めることといたします。
 その他の件につきましては、お送りしております議事録にてご確認をお願い申し上げます。

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。

2020年11月15日
宗教法人 日本福音ルーテル教会
代表役員 大柴譲治
信徒利害関係人 各位

(1)益田教会 礼拝所
(ア)土地
・所在地 益田市元町
・所有者 日本福音ルーテル  教会
  地番 61番4
  地目 宅地
地積 155・37㎡
(イ)建物
・所在地 益田市上吉田字赤 城61番地4
・所有者 日本福音ルーテル  教会
 種類 礼拝堂・牧師館
 構造 ブロック造陸屋根
 床面積
 一階 79・43㎡
 二階 41・71㎡
 理由 売却のため

20-09-01るうてる2020年9月号

機関紙PDF

説教「主が共に」

日本福音ルーテル恵み野教会牧師・札幌教会協力牧師 中島和喜

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」(マタイによる福音書 1・23)

私が遣わされている恵み野教会には、教会が建てられた当初から来られていたご高齢のご夫妻がいました。どれくらいご高齢かというと、作家の三浦綾子さんと青年時代に一緒に活動していたというぐらいにはご高齢でした。「綾子さんはね…」と親しそうに話す姿に、初めは「それほどの親しみを覚えるほどにたくさんの本を読んできたのか」と思っていましたら、本人と仲が良かったと聞かされた時には大変驚きました。そのご夫妻はいつも信仰の話を穏やかに話してくださり、まさに主が伝える「平安」を体現しているようなご夫妻でした。しかし、お二人ともご高齢であったため、今年の年初めから夫婦それぞれ施設に入ることになり、教会にはなかなか来られなくなってしまいました。最初は訪問させていただきましたが、COVID–19の影響により親族以外は施設に訪問することが出来なくなり、電話や手紙でのやり取りになっていきました。いつも穏やかであったお二人からも「寂しい」という声が次第に挙がるようになり、自粛という事態に重くのしかかる「孤立」という問題に直面することとなってしまったのです。今まであった関係の方々と交わりを持てないことの痛みはとても大きいものです。私たちが思う以上に「寂しい」という感情は苦しみを伴うのです。寂しさを携えながら日々を過ごさざるを得ない中で、そのご夫妻は5月、7月と短い期間でお二人とも天に召されました。

お見舞いはおろか、臨終の際にも少しの時間しか与えられず、誰もいない病室で静かに最期を迎えることはどれほどの痛みだったのだろうかと考えずにはいられませんでした。その悲しみの淵にある中で、ご遺族の方から「葬儀の際に読んでほしいみ言葉を本人が生前に決めていた」と伝えられました。そこで与えられたみ言葉はルカ24章36節、復活の主が弟子たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と語られた箇所でありました。そのみ言葉によって、まるで「私は大丈夫ですよ」と声をかけられているような感覚を抱き、ようやく私は思い起こしたのです。たとえ最期は一人であったとしても、その場所には必ず主が共にいてくださったはずだと。そのことを通して、私は大きな慰めを受け取ったのです。

今、私たちはマタイ福音書を読み進める年が与えられています。マタイ福音書は「神が我々と共にいてくださる」という言葉と共に始まっていく福音書です。まさに今、私たちが思い起こすべきみ言葉であるように思います。「主が共にいてくださる」というみ言葉を、私たちは今どれほどの喜びをもって受け取っているかを問い直したいのです。

私たちは今、COVID–19の影響により何もかもが中止となり、活力を失っている時期かもしれません。何が出来るだろうかと考えると常に、「何もしない方が良い」という答えが付きまといます。その結果、各地で孤立の痛みが起こっているように思います。だからと言って、なり振りかまわず活動再開をすれば良いというものでもありませんから、私たちは余計に葛藤を抱かされます。そんな私たちにできることはなによりもまず「主が共にいてくださる」という喜びをまず私たちが享受することではないでしょうか。苦しみと直面すると、私たちはその豊かさを見失っていきます。だからこそ、今一度思い起こしたいのです。私たちに与えられている信仰は必ず「主が共に」という喜びを与えてくださるのです。たとえどのような状況になろうとも、私たちは孤立することはないのです。そして今度はその喜びを誰かに伝えていくことが、今の私たちにできる働きであるように思います。その方法を考えることはまた難しいものですが、いつであっても私たちはまず、自らの豊かさから出発していきたいのです。

あなたは一人ではありません。いつも主が共にいてくださるのです。今もなお苦しみの中にある方々を覚えて祈り続けていきたいと願います。あなたがたに平和があるように。

エッセイ 命のことば 伊藤早奈

⑥「叫び」

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11・28)

「失礼しまーす。おはようございます。」いつもあまり訪問しないお部屋に、なんとなく訪問しました。その時、部屋の方はベッドに仰向けのまま目を開かれておられたので、冒頭にある聖句をお読みしました。すると突然「おー!」っと叫ばれ、びっくりした私は「あっごめんなさい。うるさかったかしら?」と言って、その方を覗き込むとキョトンとされてたので、あれ違ったかなぁ、うるさいから叫ばれたんじゃなかったとしたら、じゃぁあれはなんだ?と思いながら、その方のお部屋から出て他の部屋へ行きました。
他のお部屋でも初めに訪問させて頂いたお部屋の方と同じ聖書個所をお読みしたとき、いつもはあまり反応のない、他のお部屋の方から「ありがとう。」と言われ、驚きながらももしかしてと思い、初めに訪問させて頂いた方のお部屋に行き、「先ほどは「ありがとう」って言われたんですね」と言いましたが、その方はスヤスヤ眠られておられました。
その数日後、初めに訪問し、私がマタイ11・28をお読みした時「おー!」と言われた方は亡くなられました。「おー!」って聞こえたあの言葉は「ありがとう」だったのかなと思います。なんで、あのお部屋に訪問して、あの聖書個所をお読みしたのだろう?と今でも私の中の不思議です。でも亡くなる前に訪問し聖書をお読みできて良かったと思うと同時に、その方が重荷をイエス様に捧げ、休まれておられるのだと安心できるのです。

議長室から

総会議長 大柴譲治

「人生の午前と午後」について語ったのはユングでした。午前中に私たちは遊びや勉強、仕事やボランティア、結婚や子育てなど「行為(Doing)の次元」で一生懸命頑張ります。それらが一段落してから今度は「存在(Being)の次元」を大切にする午後が始まるのです。ユングによれば「人生の午後の時間」は「魂を豊かにしてゆく時」となります。
私たちは存在と行為を二つの次元に切り分けることはできません。それらはグラデーションのように濃淡を変え、区別はできても分離はできないものとして重なっているように思われます。しかし、存在は確かに行為に先立ち、その前提です。人はどこまでも「human being」であって「human doing」ではないのです。「譲治、齢をとるということは大仕事なのよ」。これは私の母が晩年によく言っていた口癖です。私自身も齢を重ねるうちに次第にそう思うようになってきました。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう」(ヨブ1・21)とあるように、私たちは生まれた時に裸であったように死ぬ時も裸です。死後に何も持ってゆけない。どれだけ多くのものを生涯で獲得したとしても、すべてを後に置いてゆかねばなりません。「空の空、一切は空」とある通りです(聖書協会共同訳コヘレト1・2)。「空」とはヘブル語で「ハベル(ため息)」を意味し、それを「出るのはため息ばかりなり」と意訳することもできましょう。
しかし実は私は、一つだけ私たちが持ってゆくことができるものがあると信じています。それは自身の「魂」です。だからこそ魂を豊かにすることが大切になるのです。ではそのためにどうすればよいか。マザー・テレサは「人の価値はいかに多くのものを自分に獲得したかにあるのではなく、いかに多くのものを他者と分かち合ったかというところにある」と言いました。魂の豊かさは他者との連帯の中で与えられてゆくものであり、天から私たちに管理を託されたものを豊かに分かち合ってゆく喜びの中に培われるものなのです。そこには、思いのまま自由に吹く聖霊の風のそよぎがあり、天からの光の祝福があり、深い魂の喜びがあります。
人生の午後がいつ始まるかは私には分かりません。魂を豊かにしてゆくためにその時間を使うことができるならば、「一切は空」に見えるこの世の現実の中にも必ず「神はすべてを時に適って麗しく造り、永遠を人の心に与えた」(聖書協会共同訳コヘレト3・11)という喜びの次元が見えてくると期待しています。

「教会讃美歌 増補」 解説

③「増補」版の目的と意義
讃美歌委員会 日笠山吉之(札幌教会牧師・恵み野教会協力牧師)

今回は「増補」版の目的と意義についてお話ししたいと思います。まず「増補」という言葉の意味ですが、それは前に出た書物の不十分な所を補うこと。ルーテル教会において、前に出た歌集とは言うまでもなく「教会讃美歌」のことです。諸先輩方の多大なる尽力によって1974年に発行された「教会讃美歌」は、ルーテル教会内のみにとどまらず、他教団や他教派のその後の讃美歌集にも少なからぬ影響を与えました。当時、教会暦の順に収録された讃美歌集というのはまだ珍しく、また北欧のルーテル教会が産み出した讃美歌がたくさん収録されたことも特筆すべきことでした。「教会讃美歌」が産声を上げるまでは、日本基督教団出版局の「讃美歌(1954年版)」を使うしかほぼ選択肢がなかったことを考えると、ルーテル教会の伝統と神学が反映された「教会讃美歌」の誕生はまことに喜ばしいことでした。私たちは「教会讃美歌」によって、初めて私たちルーテル教会自身の讃美歌集を持つに至ったからです。
しかし、この画期的な「教会讃美歌」にも足りない部分はありました。子どもや若者が喜んで歌える讃美歌が少ないこと。諸外国の新しい時代の歌―とりわけアジアの国々の讃美歌が少ないこと。何よりも邦人の手による讃美歌がほとんどないこと。これらの点を補うべく、委員会では本紙上でルーテル教会員に向けて新しい讃美歌の公募をしました。また、委員で手分けして諸外国のルーテル教会で歌われている新しい讃美歌を探しました。そして、ルターの宗教改革500年(2017年)を機に出版されるということに鑑み、「教会讃美歌」には収録されなかったルターのコラールをもれなく紹介するという目標も掲げました。これによって「増補」版には、ルーテル教会の揺籃期と、それから500年を経た現代に生きる私たちの賛美と祈りと信仰告白とが同居することになります。
歌は世につれ世は歌につれと言われますが、讃美歌の場合、新しい歌が良くて、古い讃美歌は時代遅れということには必ずしもなりません。古くても新しくても、良いものは良い。時代を超えて歌い継がれていく讃美歌というものがあるからです。「増補」版に収録される讃美歌もそのようになってくれますように。

私たちの礼拝—式文ハンドブック—

②信徒の集まり(Assembly)
—今、この時における日本の式文改定(Renewing Worship)(ハンドブック35~38ページ)
ゴードン・W・レイスロップ(フィラデルフィア・ルーテル合同神学校礼拝学名誉教授)
(翻訳・平岡仁子)

感染症が世界的に流行するこの時さえも用いて、神は私たちに贈りものをお与えくださいます。「万事が益となるように共に働く」(ロマ8・28)。なぜなら、世界中の多くの町において、礼拝で直接会うことができない私たちは今この時、私たちが果たせないことを一層明確に捉えなおすことが出来るからです。ルター派の人々は告白します。教会とは「全信徒の集まりであって、その中で福音が純粋に説教され、聖礼典が福音に従って与えられる」(アウグスブルク信仰告白第7条)。
感染症が蔓延するしばらくの間、愛の行為において、更なる感染から私たちの隣人や町を守るために、私たちは「信徒の集まり」を実践できずにいます。しかしこの時、私たちは「信徒の集まり」がどんなに大切かを理解することになるでしょう。
では正確に、「信徒の集まり」とは何か?キリスト教の集まりとは次のことを行う人々による、公に開かれた集まりです。
—聖書朗読、詩編と讃美歌の歌唱、イエス・キリストの福音の宣言、洗礼の実践と想起、とりなしの祈り、聖餐の感謝の祈りと授与、欠席者へのパンとぶどう酒の奉仕、世界の宣教と困窮する人々のための献金、そして最後に、世界への証言と奉仕のために全信徒の集まりを派遣すること。
これらすべては牧師と共に、参加者全員によって実践され、他の誰かの行為をただ眺めることではありません。そしてこれが「全信徒の集まり」です。私自身の信仰において、少なくとも私は信徒の集まりなしに生きることはできず、キリスト者であることはできないと思います。
しかし感染症の蔓延故に、私たちの隣人への愛のために、時に私たちはそれなしに生きることを余儀なくされます。その時、私たちは真剣に「信徒の集まり」が何であり、どんなにそれを必要としているか知ることができるのです。
しかし神の憐れみによって、私たちは再び集められます。そして、「式文改定」(Renewing Worship)が意味することはキリスト者の集いを真実形作るそれらのことを際立たせ、再び「信徒の集まり」にすることです。
皆さんの新しい典礼は実際、新しいものではなく、—全てのイエス・キリストの教会との交わりにおいて—回復された「信徒の集まり」の伝統的かつ確かな中心に位置するものです。それ故、古くて新しい皆さんの典礼によって回復される「信徒の集まり」もまた、この厳しい時代に与えられる神様からの贈りものです。

パンデミックの中のディアコニア

社会福祉法人 希望園
理事長 太田一彦(鶴ヶ谷教会・仙台教会牧師)

新型コロナウイルスを巡る状況は今も懸念の一途を辿っています。私たち希望園は仙台市で三つの保育園を経営していますが、この半年の間、大きなジレンマの中に身を置かざるを得ませんでした。なぜなら保育園は休園することが出来ないからです。仕事を休めない保護者も多いため園を閉じてしまうことは出来ません。しかしこの目に見えないウイルスから子どもたちを守らなければならない、子どもたちへの感染は必ず阻止しなければならない、それが私たちの最も重要な責任だからです。
今も仙台市と連携を図りながらエビデンス・ベースに立って、緊張の中で保育を続けているところです。園としての例年のプログラムは市からの要請も踏まえつつ全て中止となりました。そんな中で日々の保育が惰性にならないように、また子どもたちが閉塞感や不安を感じないように、現状下で出来ることを模索しながら保育士の創意工夫のもと保護者と力を合わせて、保育を続けています。
このような状況下で、私が理事長として保育士に、また在園児と保護者に伝えていることはネガティヴ・ケイパビリティということです。つまり、おいそれと答えがでないような事態に耐える力、拙速な答えを求めずに耐えていく力、問題を回避せず、例え事態を見通すことができなくても、問題をしっかりと見据えて、耐え抜く力を身に付けようという事です。
そしてそこから立ち上がっていく力、レジリエンスをこのコロナ禍という状況下で大人も子どもも鍛えていこうということを話しています。短い時間で正しい答えを出すことだけが価値、目的ではないということをです。
幸い現在のところ、関係者に罹患者は出ていませんが、保育園としての使命と責任を改めて自覚して前に進んで行こうと考えているところです。

「光の子学園の報告・課題・展望」

光の子学園園長(管理者)山下学(門司教会)

光の子学園は障礙(主に知的)幼児に療育サービスを提供する児童発達支援センター(通園)です。心と体の発達を第一義に、知能と技能の発達支援を行っています。
今年1月下旬から、にわかに始まった新型コロナ禍は、何もかもが初めて経験することでした。何が正解なのか解らないまま、北九州市内に4園ある他の児童発達支援センターや市の担当課と連絡を取り合いながら情報を共有し、臨時職員会議を再々開いて、対応を協議・決定することを繰り返してきました。
ただ、「新しい生活様式」、職員のマスクの常用は、子どもに表情が伝わりにくく、心(感情)を育てる支援の阻害となる上に、ソーシャルディスタンシングも人間不信を抱かせかねないタイプの子どももいたりで、職員は歯がゆさを抱えながら保育・療育に日々奮闘しています。感染対策を講じつつ、支援の質を担保するにはどうしたら良いのか、その最善を導き出すことが、私たちに重要なテーマとなっています。
北九州市では、他に先駆けて5月末に第2波が到来。4月から6月末迄、園児・保護者に通園の自粛を呼び掛けざるを得ませんでした。園舎内外並びに通園バス設備・備品の消毒、職員・園児の手指消毒を徹底し、ほぼ半数の家庭に通園の継続を選択いただきました。残る半数の自粛家庭には、電話相談在宅支援とオンライン設定保育在宅支援を毎日実施しました。
この間、私たちが一番に心掛けたこと、それは、強迫に陥らないこと。備えに万全を期しつつ、溢れる情報に振り回されないことだったように思います。
最後になりましたが、全国支援者皆様の祈りに光の子学園の療育が支えられ守られていることに、主に心から感謝しています。

箴言16章9節「主が一歩一歩を備えてくださる」

福島移住女性支援ネットワーク(EIWAN)

李明生(田園調布教会牧師)

福島移住女性支援ネットワーク(EIWAN)は、エキュメニカルなキリスト教諸教派・諸団体からの支援によって2012年2月から始められました。EIWANでは、東日本大震災で被災した外国にルーツを持つ女性達と日本人が協働で、日本語学習の支援・地元市民と移住女性の出会いと協働の機会作り・移住女性の子どもへの支援(学習支援と継承語教育支援)・移住女性とその子どもの保養プログラムの実施と支援・移住女性グループ支援とネットワーク作りなどのプログラムを行っています。
活動の一つである、子どもが親の母語を学ぶ「継承語教育」は、子どもがアイデンティティを確認し自己の尊厳を守るために「子どもの権利条約」においても明記されている事柄です。EIWANでは、福島県内の3教室と連携して、宮城県・山形県・新潟県の中国語・韓国語の継承語教室に呼びかけ、合同学芸会としての「子ども多文化フォーラム」をこれまでに4回開催してきました。こうした催しは東北地方においては画期的であり、日本の多文化教育の可能性の一端を示すものとなりました。
しかし今年はCOVID–19の影響でプログラムを大きく変更せざるをえなくなっています。日本語サロンは休止せざるをえなくなり、現在はオンラインによる開催を試みています。また春から夏に予定されていた子ども同士の交流プログラムや他県への保養プログラムも延期となりました。無論これらのプログラムだけでなく、移住女性の家庭や移住労働者の職場にも影響が出ています。言葉の壁のために支援制度にアクセス出来ない人々、一旦出国してしまうと期限内での再入国が困難になり在留資格を喪失する危険があるため、母国に一時帰国することも出来ない人々など、様々な問題についての相談が寄せられているのが現状です。これは日本社会の中で移住者の置かれた立場がいかに脆弱なものであるかを如実に示すものであるといえるでしょう。
東日本大震災から9年が経過し、多くの政府関係団体・民間団体が被災地から撤退しています。しかし解決されていない課題はまだ多く残されているのが現実です。しかし、福島での多文化共生のためのネットワークを構築していく取り組みは、必ず日本社会全体を新たなものとするようなインパクトを持つものとなることでしょう。どうぞ引き続き、EIWANの活動を憶えてお祈りとご支援をよろしくお願い申し上げます。

日本福音ルーテル教会の出版物をご活用下さい

このたび、日本福音ルーテル教会がこれまでに作成してきた出版物の在庫確認を行い、頒価を改定いたしました。。是非各教会でご活用下さい。
詳しくは、来月号本紙にてご紹介します。

九州教区豪雨災害支援活動報告

角本浩 (九州教区長・ 神水・荒尾・ 合志・ 松橋教会牧師)

7月3日から九州で降り始めた豪雨は、特に熊本南部で大きな被害をもたらしました。熊本南部の水俣教会の関牧師と、教区の白川、安井両師ならびに 本が連絡を取り合い、支援活動を開始。熊本地震のあと、九州教区ではいざという時に教区長、副教区長、財務部長の三者のうち2名が同意すれば、100万円を上限に活動できるという積立基金を設けています。
今回その基金を用いて、初動を展開しました。詳しい内容は、「ルーテル九州教区支援情報」をブログやフェイスブックでご覧ください。安井先生が丁寧にアップしておられます。
第1クールでは、熊本南部での支援物資の情報を現地で収集し、これを全国に発信。物資支援をお願いする期間を2週間ほど設けましたが、出だしの数日で予想をはるかに超える物資が送られてきました。水俣教会を送付先にしていましたが、途中神水教会に変更。さらに神水に送られてきた物資も十分な量を超えたので一旦停止をお願いすることになりました。
物資支援をお願いしてから、一旦停止をお願いするまで、わずか5日です。全国各地の皆様の祈りと、いち早い支援物資集めと発送の動きが伝わりました。この場をお借りして、皆様のご支援、ご祈祷に心から感謝申し上げます。皆様の祈りに後押しされております。
物資を受け取りつつ、これを仕分けする作業、物資を必要とする方々との関係構築、物資輸送というのが第1クールでした。
私が今この文章を書いているのが8月3日。現在、第2クールに入ったところです。残っている物資を最後まで運ぶことと、もうひとつは、関係を作って来た芦北・津奈木地区のボランティアセンターでのボランティア活動に参加していくこと。さらに、熊本南部の豪雨に引き続き起こった筑後地区での豪雨災害への対応も、遅ればせながら始めているところです。
この原稿を皆様がお読みになるころには、また次の段階に入っているかもしれません。なにせ、感染拡大とあいまって先の長い取り組みになっていきそうだからです。
なお、今回の活動をするにあたって、「オンライン会議」が力を発揮したことは特筆すべきことかもしれません。刻一刻状況が変わる中、今日何がどこまで進み、明日は何が課題であるか。担当者がほぼ毎日オンライン上で情報を共有し、協議を進めて来ることができました。
被災された方々の上に神さまの助けが届きますように。援助活動をする方々の働きが守られますように。主に祈りつつ。

第2回オープンセミナリーのご案内

三浦知夫(神学教育委員長・東京池袋教会牧師)

日本福音ルーテル教会(神学教育委員会)では、日本ルーテル神学校と日本ルーテル教団神学教育委員会との共催で、献身者を起こすための継続的なプログラムとして、昨年より「オープン・セミナリー」を開催しています。
昨年は神学校を会場に1泊2日のプログラムでしたが、今年はオンラインでの開催として計画しました。将来神学校への進学を検討している方、教会と牧師の働きに関心を持ち将来の宣教を担う可能性のある方、教会関係諸施設で働いている方、働こうとしている方、働いて欲しい方を対象に、神学校の雰囲気を知っていただき、教会と牧師の働きについて学び、それぞれの信仰について分かち合う機会を持ちたいと考えています。
日時は、2020年10月18日(日)15~17時、休憩(夕食)、19~21時で、オンラインでの開催です。プログラムは、礼拝、模擬講義、神学校についての紹介や質問、神学校での生活の紹介、交わり、証しなどを予定しています。対象は、18才以上30代までの日本福音ルーテル教会・日本ルーテル教団の信徒で、参加者は10名までとさせていただきます。参加を希望される者は、所属教会牧師からの推薦とともに各教区長にお申し込みください。詳細は各教会牧師までお問い合わせください。申込みの締め切りは9月20日(日)とさせていただきます。

立山忠浩(日本ルーテル神学校校長・都南教会牧師)

昨年は三鷹の神学校を会場に「第1回 オープン・セミナリー」が開催されましたが、今回はオンライン(Zoom)による会となります。神学校を会場にして、皆さんと直接お会いしてのセミナリーが望ましいのですが、新型コロナウイルス禍では仕方がありません。
神学校の模擬授業、神学生との交流、質問コーナーなどのプログラムを準備しています。私自身にとって神学校は実に遠い存在でした。でもインターンに来ていた神学生から神学校の話を聞いて、実に近い存在となったのです。用意するすべてのプログラムが、皆さんが神学校をより身近に感じていただくためのものです。
神学校の教師陣が皆さんのご参加を心よりお待ちしています。

第29回定期総会延期のお知らせ

滝田浩之(事務局長)

8月6日(金)に行われた第10回臨時常議員会において、9月21日(月)に分散した会場で開催する予定であった第29回定期総会を2021年5月4〜5日(火〜水)に再延期することが決定されました。
日本福音ルーテル教会規則第4編第2章第36条に「総会議長は、やむを得ない理由により5月中に定期総会を招集することができない場合には、招集の時期を多少変更することができる」とあり、この「やむを得ない理由」と「多少変更できる」という文言に今回の状況が当てはまるかどうか常議員会は審議を行いました。常議員会としては7月後半から猛烈な勢いでCOVID–19の感染が全国に拡大していることを総合的に勘案すると再延期は「やむを得ない」と判断したところです。また感染症の状況を見極め対処していくことを確認し、開催予定を2021年5月といたしました。今後、感染症の状況によって早期開催が可能な場合は、開催を検討することとしています。また同じく、5月開催についても開催できる合理的環境が整っているかについて検討されることになります。
付帯決議として宗教法人「日本福音ルーテル教会」規則第2章第1節第8条3項「会長及び常議員は、辞任または任期満了後でも、後任者が就任する時まで、なおその職務を行うものとする」に基づき、第28回定期総会で選出された常議員が次回開催される定期総会まで任を担うことを確認しました(現段階では来年の5月末までとなります)。この条項に伴い第28回定期総会で選出されている常置委員も引き続き任にあたって頂くことになります。
丸1年、定期総会が延期されるという事態の中で、決算や予算の承認という宗教法人法上整理をしておくべき課題については宗教法人「日本福音ルーテル教会」規則第2章第4節第26条に「総会の権限に属する事項で総会閉会中の緊急必要な事項は、総会に付議しないで、常議員会において決定し、及び執行することができる」に基づき検討すること、また定期総会にて審議する予定であった議案の扱い方、常議員、常設委員の選任や任期の問題などについては9月21日(月)に臨時常議員会を開催し検討することとしました。
このように総会を「延期」という決断をする中で改めて確認されていることは、日本福音ルーテル教会は集まって審議を行い、賛否をとって、その方向性を確認することを非常に重要な意思決定のプロセスとしている点です。この点を鑑み、また日本福音ルーテル教会憲法・規則に照らして「書面決裁」での定期総会の開催は現行の憲法・規則では困難との認識を顧問弁護士、また法規委員長の意見を踏まえ共有しているところです。
総会閉会中は、引き続き第28回定期総会で選出された常議員が、その任を担って参りますが、「総会」に付託されている責任の大きさを自覚しつつ、何よりも、この感染症拡大の中で起こってくる様々な課題に各教区と対話をしつつ、一つ一つ丁寧に対処していく所存です。よろしくご理解のほどお願い申し上げます。

20-09-01主が共に

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」

(マタイによる福音書 1・23)

私が遣わされている恵み野教会には、教会が建てられた当初から来られていたご高齢のご夫妻がいました。どれくらいご高齢かというと、作家の三浦綾子さんと青年時代に一緒に活動していたというぐらいにはご高齢でした。「綾子さんはね…」と親しそうに話す姿に、初めは「それほどの親しみを覚えるほどにたくさんの本を読んできたのか」と思っていましたら、本人と仲が良かったと聞かされた時には大変驚きました。そのご夫妻はいつも信仰の話を穏やかに話してくださり、まさに主が伝える「平安」を体現しているようなご夫妻でした。しかし、お二人ともご高齢であったため、今年の年初めから夫婦それぞれ施設に入ることになり、教会にはなかなか来られなくなってしまいました。最初は訪問させていただきましたが、COVID–19の影響により親族以外は施設に訪問することが出来なくなり、電話や手紙でのやり取りになっていきました。いつも穏やかであったお二人からも「寂しい」という声が次第に挙がるようになり、自粛という事態に重くのしかかる「孤立」という問題に直面することとなってしまったのです。今まであった関係の方々と交わりを持てないことの痛みはとても大きいものです。私たちが思う以上に「寂しい」という感情は苦しみを伴うのです。寂しさを携えながら日々を過ごさざるを得ない中で、そのご夫妻は5月、7月と短い期間でお二人とも天に召されました。
お見舞いはおろか、臨終の際にも少しの時間しか与えられず、誰もいない病室で静かに最期を迎えることはどれほどの痛みだったのだろうかと考えずにはいられませんでした。その悲しみの淵にある中で、ご遺族の方から「葬儀の際に読んでほしいみ言葉を本人が生前に決めていた」と伝えられました。そこで与えられたみ言葉はルカ24章36節、復活の主が弟子たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と語られた箇所でありました。そのみ言葉によって、まるで「私は大丈夫ですよ」と声をかけられているような感覚を抱き、ようやく私は思い起こしたのです。たとえ最期は一人であったとしても、その場所には必ず主が共にいてくださったはずだと。そのことを通して、私は大きな慰めを受け取ったのです。

今、私たちはマタイ福音書を読み進める年が与えられています。マタイ福音書は「神が我々と共にいてくださる」という言葉と共に始まっていく福音書です。まさに今、私たちが思い起こすべきみ言葉であるように思います。「主が共にいてくださる」というみ言葉を、私たちは今どれほどの喜びをもって受け取っているかを問い直したいのです。

私たちは今、COVID–19の影響により何もかもが中止となり、活力を失っている時期かもしれません。何が出来るだろうかと考えると常に、「何もしない方が良い」という答えが付きまといます。その結果、各地で孤立の痛みが起こっているように思います。だからと言って、なり振りかまわず活動再開をすれば良いというものでもありませんから、私たちは余計に葛藤を抱かされます。そんな私たちにできることはなによりもまず「主が共にいてくださる」という喜びをまず私たちが享受することではないでしょうか。苦しみと直面すると、私たちはその豊かさを見失っていきます。だからこそ、今一度思い起こしたいのです。私たちに与えられている信仰は必ず「主が共に」という喜びを与えてくださるのです。たとえどのような状況になろうとも、私たちは孤立することはないのです。そして今度はその喜びを誰かに伝えていくことが、今の私たちにできる働きであるように思います。その方法を考えることはまた難しいものですが、いつであっても私たちはまず、自らの豊かさから出発していきたいのです。

あなたは一人ではありません。いつも主が共にいてくださるのです。今もなお苦しみの中にある方々を覚えて祈り続けていきたいと願います。あなたがたに平和があるように。

日本福音ルーテル恵み野教会牧師・札幌教会協力牧師 中島和喜

20-08-01るうてる2020年8月号

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説教「使命に生きる」

日本福音ルーテル大岡山教会牧師 松岡俊一郎

「そして、彼らに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。』」 ルカによる福音書10・2〜3a

新型コロナウイルスの蔓延は、国内ではいったん下火になってきたように見えます。しかし第2波、第3波が心配されていますし、世界的に見れば、南半球に感染が拡大し留まることを知りません。今や世界史的な人類の危機と言っていいと思います。現代の私たちが、かつて経験したことのないこの事態を受け入れることはなかなか難しいのですが、私たちはそれでも立ち向かっていかざるを得ません。

危機的な感染拡大と自粛ムードの中、イタリアのクレモナの病院の屋上で演奏した日本人のヴァイオリニスト横山令奈さんの姿が、ニュースやSNSで話題になりました。その美しい演奏には医療関係者への感謝と患者さんたちへの励ましの祈りが込められていたといいます。私も大変感動しました。そこでは何曲か演奏されたようですが、私が聴いたのは「ガブリエルのオーボエ」という曲でした。私はなぜこの曲が選ばれたのか不思議に思いました。これは映画「ミッション」のテーマ曲です。ここからは私の思い込みです。そこに込められたのは、「ミッション」に描かれていた宣教師の使命と医療従事者の働きと使命感を重ね合わせたのではないか、つまり「使命」に生きる者への敬意ではなかったかと思うのです。患者も医療関係者も有効な治療法のない中、命の危険に冒されながら立ち向かえるのは、この使命感をおいては何もないと思います。医療関係者には人の命を救うという使命感、患者さんたちは生きるという使命感です。

人はいろいろな生活の場、働きの場、環境に遣わされています。自分で選んだ働きもあるでしょうし、成り行きでその場にいることになったかもしれません。何かの力に押されてその場にいる人もいると思います。イエス様の弟子たちの何人かはイエス様に直接選ばれて従いました。しかし多くの名もない弟子たちは、イエス様に引き寄せられて、さほど強い決意のないままに従ったのではないかと思います。冒頭の聖句で、イエス様は72人の弟子を宣教に遣わされます。それはみ言葉の伝道だけではありません。癒しの業であり、教育の働きであったと思います。聖書を読むと、彼らにその準備が十分にあったとは思われません。「何も持っていくな」と言われ、ほとんど「手ぶら」で、託された「使命」だけが与えられて出かけているように見えます。彼らの行く手には良い結果だけが待ち受けているわけではありません。むしろ困難なことが多くあることをイエス様は予告されました。どんなに不安なことだったでしょう。

今私たち牧師が遣わされる時、多くの方の祈りと支え、そして派遣先に信徒の方々がおられることを知っていますので、安心して赴任することが出来ます。それでも不安がないわけではありません。しかしそこで支えとなるのは、按手時の聖霊の付与と派遣の命令です。遣わされる者は、時には孤独を感じます。自分の力の足りなさを嘆く時もあります。しかし遣わされる者は孤独ではありません。教会の祈りがあり、神様から与えられた使命があるのです。

72人の遣わされた人たちも孤独ではありませんでした。イエス様の心が彼らと共にあったからです。神様が与えられる使命には、イエス様が共におられるのです。そして彼らは帰って来ると、自分たちの力以上に実りがあったことをイエス様に報告するのです。そこで主イエスはその成果を喜ぶのではなく、遣わされた者の名が天に記されていることを喜びなさいと言われました。使命が与えられることを喜べと言われるのです。

私たちも生活の様々な働きに遣わされています。そこではいつも成果が伴うとは限りません。いつも喜びがあるわけでもありません。苦労しながら、もがきながら、不安や孤独と立ち向かいながら生きています。しかしその命と人生は神様から与えられ、愛の戒めを伴って託された使命なのです。私たちはこの使命を糧に喜びをもって歩みましょう。

エッセイ 命のことば 伊藤早奈

⑤「叫び」

「身を横たえて眠り/わたしはまた、目覚めます。/主が支えていてくださいます。」(詩編3・6)

「おー!」なのか「わー!」なのか。その人は目覚める度に叫んでおられました。なんでだろう?と私は思いましたがすぐにわかりました。その人が叫んでおられたのはホスピスの一室。末期の癌の方が入るホスピスの一室でした。
「おー!」あるいは、「わー!」は「いつものベッドで起きることができた。私は今も生きている。」と言われたかったのではないでしょうか? その方が、ヤッタと思っておられたのかはわかりませんが、ご自分がこの世に生きていることを確認するかのように叫ばれていたようです。
そういえば私も手術の翌朝目覚めた時「目覚めることができた、神様ありがとう」と叫びたかったのですが、ホスピスの一室で叫ばれていた方とは違い私は大部屋だったので一人ではなく、他の患者さんがいらしたので叫べませんでした。
私はいつも「天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。」とお祈りします。必ず目覚めは全ての一人ひとりに与えられます。例えそれがいつであっても、どこであったとしても。もしかしたら自分が思っていた通りの場所かもしれません。全く想像もしていなかった所かもしれません。でもご存知ですか? どこで目覚めても神様であるイエス様が全ての一人ひとりと共にいらっしゃることを。私もあなたも一人ではありません。全ての一人ひとりに目覚めを与えて下さるのは神様だからです。

議長室から

「サクラメント〜五感のリアリティ」議長 大柴譲治

「これはあなたがたのために与えるわたしのからだ。」「これは罪のゆるしのため、あなたがたと多くの人々のために流すわたしの血における新しい契約。」(聖餐設定辞)

チンパンジーなど霊長類の専門家である京都大学総長の山極寿一という方が面白いことを言っておられます。人間は視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚という「五感」を持っています。インターネットを通しての接触は双方向であっても「視覚」と「聴覚」しか使いません。そのような接触で信頼関係が形成されると感じるのは「脳の錯覚」にすぎないと山極教授は述べるのです。本来「信頼関係」というものは他者とは共有しにくい「触覚」「臭覚」「味覚」という感覚を時間をかけて共有してゆく中でしか培われないと言うのです。 なるほどと思わされました。幼児期の母子関係でのスキンシップの大切さも、「同じ釜の飯を食う」ことの大切さも、私たちは体験的に知っています。最近はリモートでの「オンライン飲み会」も流行っているようですが、それは旧交を温めたりこれまでのつながりの確認のために意味があるとしても、新たに人間関係を形成するためには五感、とくにその中の3つの共有が重要なことを改めて学びました。

「視覚」と「聴覚」は大脳皮質の側頭葉につながっていて、危険が遠くから迫ってくるのに対応するために時間がかかります。それに対し「触覚」と「臭覚」と「味覚」は直で脳幹につながっていて、何か熱いものに触れたら瞬時に手を引っ込めますし、嫌な臭いがしたら即顔を背けますし、変な味がしたらすぐに吐き出すよう私たちは反射的に行動します。瞬時に危機対応が求められるからです。その3つの感覚は特に直接的であり強烈なのです。

教会が洗礼と聖餐という2つのサクラメントを大切にしてきたことには深い意味があると感じます。そこでは水とパンとワインが用いられるからです。視覚と聴覚だけではない。洗礼時には水の注ぎを肌に感じますし、聖餐式ではパンとワインの香りをかぎ、口で受け止め、歯で噛みしめ、舌で味わい、喉で飲み込みます。そのように私たちはサクラメントにおいて触覚と臭覚と味覚という3つの感覚をも総動員して「キリストのリアルプレゼンス」を受け止めているのです。信仰生活では通常「聽く」ことの大切さを思いますが、「からだの身体性」の重要性、触れることや嗅ぐこと、味わうことを含めた「五感の持つリアリティ」をも考えさせられています。皆さまはどのようにお考えでしょうか。

「教会讃美歌 増補」 解説

②「増補」版編集の経緯について 讃美歌委員会 日笠山吉之(札幌教会牧師・恵み野教会協力牧師)

「教会讃美歌」の「増補」版の編集作業が始まって既に10年余りが経過しましたが、当初は「教会讃美歌」そのものの大改訂を求められました。日本福音ルーテル教会と日本ルーテル教団、近畿福音ルーテル教会、西日本福音ルーテル教会のルーテル4教派はお互いに緩やかな協力関係を保持していますが、それら4教派の議長会で2017年を共に祝うに当たり、「教会讃美歌」の大改訂が出来れば、という話しが出たと聞いています。そこで日本福音ルーテル教会常議員会は讃美歌委員会を設置し、委員として石居基夫牧師と日笠山(長)が指名されました。ほどなく経験豊かな中山康子さんと、ドイツから帰国された松本義宣牧師、作曲家の萩森英明さんにも加わっていただきました。当時ご健在だった石居正己先生にも委員会に時々陪席いただき、貴重なお話しを伺えたことは忘れられません。また徳善義和先生からもたくさんの助言やアドバイスと励ましをいただきました。
「教会讃美歌」の成り立ちについては、小澤周平牧師が以前連載された「讃美歌と私たち」にも詳しく述べられていた通りです。1974年に出版された「教会讃美歌」は、ルーテル教会内外から高い評価を与えられ、1999年の小改訂を経て今なお広く用いられていますが、さすがに大改訂を考える時期に差し掛かっていました。時代の変遷と共に使われる言葉も変わり、価値観も多様化する中、多くの教団や教派でも40年を目処に讃美歌集の改訂が行われてきたからです。 そう考えると、ルーテル教会も2017年を節目に現行の「教会讃美歌」の大改訂を行い、新しい讃美歌集を世に出すにはぴったりのタイミングでした。しかし、ルーテル4教派に連なる諸教会に「教会讃美歌」の大改訂に関するアンケート調査を行い、委員会として分析したところ、大改訂にはまだ時期尚早であるという結論に至ったのです。現場の教会としては、「教会讃美歌」にやっと慣れてきたところなのにもう改訂?という反応でした。実際、当委員会としても大改訂に取り掛かる自信と余力もありませんでした。そこで、『教会讃美歌』の大改訂から『増補』版の編集という方針転換をすることになりました。以上が『増補』版を編集するに至った経緯です。

私たちの礼拝 —式文ハンドブック—

①式文ハンドブック 平岡仁子 (前式文委員会委員長・神学校教員・保谷教会牧師)

2020年3月、「主日礼拝式文試用版 式文ハンドブック『主日礼拝式文』・『御言葉の礼拝』」が発行され、全国の教会に配布されました。このハンドブックは改定式文の解説と実践のために、式文委員会が作成しました。各教会に牧師用と教会保存用として2部ずつ送られましたので、信徒の皆様の目にはまだ留まっていないかもしれません。そこで、これから1年に渡り、このハンドブックを皆様に紹介してゆくコーナーが始まります。勿論、目的はハンドブックを知って頂くこと以上に、皆様に、改定式文についてより深く知って頂くことを目指します。
人は慣れ親しんだことが変わることに不安を感じます。そして、変化に不安を感じることは不思議ではありません。人は慣れ親しんだことに一番安心を感じるからです。しかし、籐の買い物かごはプラスチック袋に代わり、今はマイバック、マイバスケットへと変化しています(買い物をされる方はご存じでしょうが)。
変化は時代の必然です。けれど、絶対に変わってはいけないこともあります。
式文の改定とは逆に言えば、典礼において、この絶対に変わらないものを明確にしてゆく作業です。これから毎月このコーナーを通して、私たちの礼拝、絶対に変わることのない大切なものについて、共に考えて行ければと思います。

Ⅰルター派の礼拝(ハンドブック 1〜3ページ)
2018年秋、私は東京神学大学の全学修養会で基調講演者の一人として招かれました。ルター派の礼拝について学びたいというご要望に応えてのことでした。
ルター派の礼拝とは、「教会は、全信徒の集まりであって、その中で福音が純粋に説教され、聖礼典が福音に従って与えられる」(アウグスブルグ信仰告白第7条)
「教会」とは建物でも、牧師集団でも、教会組織でもなく、礼拝のために集められた全信徒の集まりです。神の恵みを受け取る手段と呼ばれ、見えるしるしである「御言葉・洗礼・聖餐」という礼拝の3つの中心へ招かれた人々の群れ、それが「教会」なのです。
そして、この3つの中心は時を超え、教派を超えて、キリスト教の礼拝とは何かを示し、決して変わることはありません。改定とはこの中心を真の中心にすることなのです。

日本福音ルーテル教会教師試験実施のお知らせ

2020年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を下記要領にて実施いたします。教師志願者は必要書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。


〈提出書類〉
◇教師志願書
◇志願理由書
テーマ「なぜ『日本福音ルーテル教会の教師』を志願するのか」
書式
A4横書き2枚
フォントサイズ11ポイント
◇履歴書(学歴、職歴、信仰歴、家 庭状況等を記入すること)
◇教籍謄本(所属教会教籍簿の写し)
◇成年被後見人または被保佐人と して登記されていないことの証明書(法務局交付のもの。任用試験 時に必要になります)
◇所属教会牧師の推薦書
◇神学校卒業(見込)証明書及び 推薦書
◇健康診断書(事務局に所定の用 紙があります)
〈提出先〉
日本福音ルーテル教会
常議員会長 大柴譲治宛
〈提出期限(期限厳守)〉
2020年9月18日(金)午後5時までに教会事務局へ提出すること
◇個人で神学の研鑽を積み受験を希望する者は、必ず神学教育委員会の推薦を得ること
◇国外のルーテル教会の神学機関に学び神学修士を持ち受験する者は、願書提出前に事務局に相談すること
〈試験日及び試験内容〉
志願者本人に直接連絡します。

ブラジル青年宣教ボランティアを終えて

森一樹(市ヶ谷教会)

ブラジルはサンパウロにあるブラジル日系ルーテルサンパウロ教会での、1年間の青年宣教ボランティア活動が無事に終わりました。帰国直前には新型コロナウイルスの世界的蔓延により、帰国便の運航見合わせが続き、ようやく取れた便を乗り継いでなんとか帰国ができました。

帰国後は検疫で2週間のホテルでの自主隔離を要請され、さらに歯痒い思いもしましたが、何事もなく無事に帰宅することができました。これまでの皆さまからの温かい応援とたくさんのお祈りに、そして神様の御守りに心から感謝をしております。
そんなブラジルでの活動を振り返ると、この1年間は間違いなく自分の人生に、そして神様との関係に大きな影響を与えた時間でした。実際に現地に入った当初は、ポルトガル語の分厚い壁や、日本とは全く異なる文化や社会、また入れ替わりで日本にご帰国なさった徳弘浩隆先生からの引き継ぎなど、数え切れないほどの苦労と試練が待ち構えていました。特に、そんな試練をよそに次々と舞い込む新たな活動の依頼や、まるで牧師先生や神学生のような働きを求められる周囲からの期待に、自身の能力や技量だけでは応えることができず、悲しみ、腹を立て、落ち込む日が続きました。

しかし、そんな私が再び起こされたのは、ある日の主日礼拝で聞いた御言葉でした。「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」(マタイ6・8)この箇所では、山上にて、イエス様が弟子をはじめとした民衆に対し、「神様はあなた方に必要なものをご存じなのだから、くどくどと長い祈りではなく真に大切なことをはっきりと祈りなさい。」と、その祈りを教えます。

この箇所を読んだ後から、改めて祈りによって神様と向き合い、依り頼む機会が与えられ、神様は私に必要なものは既によくご存じで、もしかしたら私が気づけていないだけで既にそれらは与えられ、備えられているのかもしれないと考えるようになりました。
それと同時に、これまでの働きのなかで自分勝手な感情に振り回され、落ち込んでいた自分の姿にも気がつかされたのです。改めて振り返ってみれば、ブラジルでの全ての働きには初めから終わりまで「神様の備え」が確かにありました。これまでの人生でなんとなくやってきたことや趣味として経験していたこと、神様から与えられた尊い賜物や、その愛を持って親身になって支えてくれた、ブラジルの信徒さんや牧師先生、同僚、友人たちの存在など、私の能力や資質ではなく、本当に必要な「神様の備え」が与えられていたからこそ、ブラジルでの働きが全うできたのだと今では振り返っています。

そんな人生における神様の備えや、御計画に対する確信が与えられ、喜び感謝をしながら御前で働く恵みを経験できたブラジルでの時間は間違いなく、私にとって大切な宝物です。
最後に、私のいたブラジルは現在、間違いなく世界的なコロナウイルス感染の中心にあり、医療的にも、経済的にも、政治的にもかつてないほどの試練に直面しています。どうかそんなブラジルのために、国民と為政者のために、祈りに覚えてくださると幸いです。

パンデミックの中のディアコニア

社会福祉法人心促協会心促福祉作業センター 管理者 田内信浩(防府教会)

当事業所は、様々な障害をもたれながらも施設内で継続して働くことを希望されている人と一般企業等への就職を目指されている人、合計約40名日々利用(通所)されています。受託しています主な作業は、印刷関係の下請け作業・自動車部品の梱包資材の組み立て・部品の袋詰めやセットアップ作業・食品の箱折り作業等を行っています。

3月中頃よりコロナウイルス感染の影響により取引企業の作業受注が減少し、4〜 5月には半減いたしました。受注量が減るということは、働かれている施設利用者の収入(工賃)減に直結いたします。収入が減ってはみなさん困られますので、僅かな積立金を活用し、収入が変わらないよう 現時点では対応しております。また、1日の生活の場所として過ごす人もいますので、受注作業が無いので今日はお休みしますということも出来ず、作業時間の短縮や施設内で利用する雑巾や手作りマスクを作る時間をとり、感染予防に気をつけながら施設の開所を維持いたました。予防策としましては、密をさけるために送迎バスの多便化、作業場所や食堂の座席の配置、換気、1日2回の消毒、検温・体調管理報告を行いました。また、自立訓練や社会との交流の場として毎年実施されているレクリエーション行事(施設対抗のスポーツ行事、地域のお祭り等)も中止のため参加できず、ストレスを発散したり、気分転換する場も無くなっています。
この度のコロナウイルス感染拡大により、今まで、当たり前のように作業を行い、当たり前のように過ごしていた日常の生活の有り難さ、感染症の恐ろしさや予防について、普段からの体調管理や健康づくりの大切さなどを学び、施設の在り方を再考させて頂く機会となりました。

社会福祉法人デンマーク牧場福祉会・特別養護老人ホームディアコニア 施設長 牧摂(浜名教会)

当施設では2月下旬から1〜2週間毎に新型コロナ対策についての話し合いを行ってきました。手洗い、マスク等の基本的な感染予防策を行なうのはもちろんですが、新型コロナという未知の感染症の特徴を確認しながらの感染対策は、日々更新される情報を収集し、いかに施設内感染を防ぐかを模索する毎日です。

当法人は、2003年に社会福祉法人を取得し、特別養護老人ホームの他に、精神科診療所、児童養護施設、就労継続支援B型事業所、自立援助ホーム、牧場事業と複数の福祉事業を行っています。

新型コロナ感染発生の初期の頃は、子どもへの感染例は少なく、高齢者へ感染させない事に重点が置かれる情報が中心でした。当初は、法人内でも施設によって感染予防への緊迫感に温度差があったように思います。しかし、感染が急速に広がり、小児や若年層での感染例、重症例も報告されるようになり、日を追うごとに各施設の感染対策への意識が高まりました。今まで各施設で使用していた消毒薬や、感染予防用品を共有、情報交換したり、感染予防の為の基礎的な手洗い、予防着の着脱方法(ガウンテクニック)の勉強会を合同で行ったりと、施設間を超えての感染対策を行うようになりました。

面会においては、オンライン面会、窓越し面会等を行っています。オンライン面会や、窓越し面会の場面に立会うと、ご家族に会った瞬間に入居者様の表情が笑顔になり、ご家族も涙を浮かべながら喜ばれるお姿を拝見します。改めてご家族との絆の大切さ、人と会う事、繋がる事の影響力の大きさを感じました。

もうしばらくはコロナ対策の毎日ですが、多くの祈りに支えながら、施設内感染を起こさない毎日を積み重ねる事が出来ればと思います。

2020年度るうてる法人会連合研修会中止のお知らせ

2020年8月25〜26日(火〜水)に熊本地区で予定しておりました標記の件、COVID—19の感染拡大に伴い中止といたしました。次年度に熊本地区にて開催する予定です。詳細が決まり次第、ご連絡申し上げます。
(るうてる法人会連合事務局 滝田浩之)

第28期第8回常議員会報告  滝田浩之(事務局長)

6月15日(月)午後1〜4時までウェブ会議において標記の会議が開催されました。新型コロナウイルス感染拡大の中で、はじめのウェブ会議システム(Zoom)での開催となりました。

1 第29回定期総会について

すでに第7回常議員会で決定された通り、第29回定期総会は9月21〜22日(月〜火)にルーテル学院大学を会場に開催する予定です。しかし感染症拡大の状況が全く見通せないことから、たとえ開催日時の直前であっても参集することが危険であると議長が判断した場合、第29回定期総会を「書面決済方式」で開催することを確認しました。
【常議員会以後の動き】
感染症拡大の傾向が大都市を中心に増加傾向にあることを鑑みて、議長の強い意向もあり、現在「分散開催(札幌・東京・名古屋・大阪・広島・博多・熊本)」を行う方向が検討されています。9月21日(月)午前9時〜午後6時(全国教師会は午後6時〜午後7時)での開催を見込んでいます。この実施のため特に報告については期間を設けて、総会前に皆様から質問、ご意見を頂く対応を取るなどを予定しています。いずれにせよ教区常議員会を中心に議員の方々には色々とご迷惑や混乱をさせることもあるかもしれませんが、リスクを最大限避けるための処置です。ご理解頂ければと思います。詳細は7月中にはご連絡申し上げることができると考えています。

2 各教区長・信徒常議員就任と代務者選任の件

本来、総会で行うべき各教区長と信徒常議員(2020年3月の各教区総会で選出)の就任を総会閉会中の決定機関である常議員会で行いました。また木村猛会計(保谷教会)の急逝に伴い、責任役員(JELC会計)として市吉伸行氏(むさしの教会)を代務者として選任しました。また責任役員であった内藤文子氏の常議員退任による資格失効に伴い谷口和恵氏(東教区信徒常議員)を代務者に選任しました。

3 緊急事態宣言発令に伴う各個教会財政課題の対応の件

各教区常議員会、全国教師会に意見聴取を行った上で、このたびの常議員会で以下の対応を確認しました。
(1)2020年の協力金を6%とする(各教会に依頼している協力金金額の60%とする)。2021年は協力金を8%とする。
(2)2020年に限り転任積立金の拠出を免除する。
(3)2020〜2021年については建築積立会計からの一般会計(経常会計)への繰入について協力金算定額から除外する。
今後、各教区が各個教会の財政状況を年末に向けて詳細を把握した上で、1 1月常議員会で必要なら追加の対応を検討することとなりました。
なおこれらの対応を実現するため、本教会も各教区も大幅な経費削減が求められることになります。議事録配布の電子化、また会議のウェブ開催などへのご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。すでに各教区では資金繰りが困難な各個教会のために貸付金の備えをしてくださっています。事務局としましても、郵税献金、奨学金献金、教会負担の社会保険料につきましては年度末までお待ちすることができます。

4 火災共済規定改定の件

火災共済を持続的に維持していくために、現在1口200円の加入金を400円に変更します。昨今の災害多発の状況の中で、火災保険料の値上げが続いているための措置です。よろしくご了解のほどお願い申し上げます。

5 信徒育成基金 長期借入の件

大阪事業所(ホテル・ザ・ルーテル)が建築後20年を経過することで全室の空調設備の更新、それに伴う居室内のリニューアル、ベッド入れ替えなどの設備更新工事のため収益会計が基金会計に長期借入を起こします。この措置の実施により収益会計から今後20年間、信徒育成基金配分金に利息相当分を繰入し安定して喜望の家、宣教室、各教区への配分を実施できることになります。

6 市ヶ谷将来検討委員会 提案の件

市ヶ谷会館事業の持続化のために、市ヶ谷将来検討委員会は、耐震補強工事を軸とする計画案を常議員会に報告してきました。このたび工事内容、工事費が確定したことを受けて第29回定期総会に常議員会として提案することが承認されました。但し、銀行借入については定期総会の議決を必要としますので、定期総会の延期を受け、当初予定していた2020年9月着工を4カ月ずらし2021年1月着工、2022年3月竣工の工事日程に変更となりました。
以上、その他の案件につきましては、ご送付しております「議事録」にて確認ください。今回の議事録配布から、可能な方には電子データーでの配布とさせて頂きました。ご協力を心から感謝申し上げます。

コロナと教会 臨時ルターセミナ—報告 江口再起(ルター研究所所長)

歴史は疫病によってつくられる。今回のコロナ・パンデミックは千年あるいは500年に一度の事態であろう。フクシマ(原発事故)とコロナ(COVID—19)で、世界史に地殻変動が起こったのである。全世界のすべてが影響を被った。
ルター研究所も毎年恒例のルターセミナーを中止した。しかし考えてみれば、こういう時にこそ皆で共に考え議論しあわねばならない。と言うわけで6月に毎週連続3回、「臨時ルターセミナー」をZoom(ウェブ会議システム)で開催した(今回は現職牧師を対象に開催)。主題は「ルター・疫病・教会」。北は北海道、南は九州まで約30名の牧師が参加した。第1回目は6月1 1日、江口所長より総論的発題があった。今、ルーテル教会として何を熟考すべきか。3点ある。

①人類にとって疫病とは何か、
②ペスト流行期におけるルターの考え、
③コロナに対して教会はどうあるべきか。

この3点を頭に置きつつ、日本(世界)の教会の現状分析がなされた。問題の焦点は、礼拝をいかにすべきか。通常のリアル対面礼拝でなく文書礼拝やオンライン礼拝の実施等々、各牧師各教会は努力奮闘工夫の数か月であった。
第2回目は19日、宮本新所員より、ルターとペストについての発題があった。ルターの生きた中世末期はペストが流行していた。そこでルターは疫病をめぐって公開書簡を書いている。その分析である。実に根源的な問題の捉え方(信仰を軸に、しかし愛の業こそが大切!)、かつまた実に実際的な提言がなされている。ルターはこう書いている。「薬を飲みなさい。助けになることは何でもしなさい。家や通りを消毒しなさい。必要もないのに人に会ったり、不必要な場所に行ったりすることは避けなさい…」。今、読んでもそのまま通用することに驚く。

第3回目は25日、2つの発題があった。多田哲牧師より日吉教会でのオンライン礼拝(ネット中継礼拝)についての実情報告。その長所と、しかしその神学的根拠の不安定さへの自問自答…。また竹田孝一牧師(東地域教師会長)より、東教区で実施した礼拝等をめぐるアンケートについての報告がなされた。礼拝をやめた教会は一つもない。ただそのやり方は様々に変化があった。
オンライン礼拝への意外にスムーズな移行と、しかしネット環境が整っていないことからの限界。ていねいな文書礼拝(説教の要旨や家庭礼拝の手引きの配布など)。また聖餐式のもつ神学的意味の深化の必要性等々。まさに教会の生きた現場からの声であった。いずれの回も前半は発題、後半は全員による感想や考察等、議論百出であった。
さて最後に、私(江口)自身の感想を書いておきたい。4点ある。

第1点、ZoomなどIT技術活用の益点である。従来私は去り行く世代として、かかる技術に対して積極的にはなれなかったが、今回のセミナーをやってみて益するところもあった。
第2点、各教会各牧師のこの間の工夫努力に心から感謝したいと感じた。
3点目は、やはりルターに学ぶことの大切さを再認識したのである。
そして第4点。今、教会は礼拝問題に集中しているが、願わくはこの信仰の心がやがては社会(隣り人)に向けての愛の業につながっていってほしいということである(その関連については紙面の都合上、書けないが)。

神は教会はもちろんのこと、全世界(被造世界)をつくったのである。キリスト者は自分の信仰心や教会のことばかりを心配していてはいけない。いや、あえて言えば私に信仰心が無くなり、たとえ礼拝が無くなっても、それでもイエス・キリストは私も教会も世界もすべてを守っていてくださるということをこそ、私たちは信じていると思うからである。

[訂正]

機関紙るうてる2020年6月号(通算870号)3面「るうてる法人会連合の取り組みから」の〈ルーテル幼稚園・保育園連合会〉執筆者である和田憲明先生の所属教会のうち、「聖ペトロ」となっているのは「聖ペテロ」の誤りです。校正時の確認が不充分でした。申し訳ありませんでした。謹んで訂正いたします。

20-08-01使命に生きる

「そして、彼らに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。』」 ルカによる福音書10・2〜3a

新型コロナウイルスの蔓延は、国内ではいったん下火になってきたように見えます。しかし第2波、第3波が心配されていますし、世界的に見れば、南半球に感染が拡大し留まることを知りません。今や世界史的な人類の危機と言っていいと思います。現代の私たちが、かつて経験したことのないこの事態を受け入れることはなかなか難しいのですが、私たちはそれでも立ち向かっていかざるを得ません。
 危機的な感染拡大と自粛ムードの中、イタリアのクレモナの病院の屋上で演奏した日本人のヴァイオリニスト横山令奈さんの姿が、ニュースやSNSで話題になりました。その美しい演奏には医療関係者への感謝と患者さんたちへの励ましの祈りが込められていたといいます。私も大変感動しました。そこでは何曲か演奏されたようですが、私が聴いたのは「ガブリエルのオーボエ」という曲でした。私はなぜこの曲が選ばれたのか不思議に思いました。これは映画「ミッション」のテーマ曲です。ここからは私の思い込みです。そこに込められたのは、「ミッション」に描かれていた宣教師の使命と医療従事者の働きと使命感を重ね合わせたのではないか、つまり「使命」に生きる者への敬意ではなかったかと思うのです。患者も医療関係者も有効な治療法のない中、命の危険に冒されながら立ち向かえるのは、この使命感をおいては何もないと思います。医療関係者には人の命を救うという使命感、患者さんたちは生きるという使命感です。
 人はいろいろな生活の場、働きの場、環境に遣わされています。自分で選んだ働きもあるでしょうし、成り行きでその場にいることになったかもしれません。何かの力に押されてその場にいる人もいると思います。イエス様の弟子たちの何人かはイエス様に直接選ばれて従いました。しかし多くの名もない弟子たちは、イエス様に引き寄せられて、さほど強い決意のないままに従ったのではないかと思います。冒頭の聖句で、イエス様は72人の弟子を宣教に遣わされます。それはみ言葉の伝道だけではありません。癒しの業であり、教育の働きであったと思います。聖書を読むと、彼らにその準備が十分にあったとは思われません。「何も持っていくな」と言われ、ほとんど「手ぶら」で、託された「使命」だけが与えられて出かけているように見えます。彼らの行く手には良い結果だけが待ち受けているわけではありません。むしろ困難なことが多くあることをイエス様は予告されました。どんなに不安なことだったでしょう。
 今私たち牧師が遣わされる時、多くの方の祈りと支え、そして派遣先に信徒の方々がおられることを知っていますので、安心して赴任することが出来ます。それでも不安がないわけではありません。しかしそこで支えとなるのは、按手時の聖霊の付与と派遣の命令です。遣わされる者は、時には孤独を感じます。自分の力の足りなさを嘆く時もあります。しかし遣わされる者は孤独ではありません。教会の祈りがあり、神様から与えられた使命があるのです。
 72人の遣わされた人たちも孤独ではありませんでした。イエス様の心が彼らと共にあったからです。神様が与えられる使命には、イエス様が共におられるのです。そして彼らは帰って来ると、自分たちの力以上に実りがあったことをイエス様に報告するのです。そこで主イエスはその成果を喜ぶのではなく、遣わされた者の名が天に記されていることを喜びなさいと言われました。使命が与えられることを喜べと言われるのです。
 私たちも生活の様々な働きに遣わされています。そこではいつも成果が伴うとは限りません。いつも喜びがあるわけでもありません。苦労しながら、もがきながら、不安や孤独と立ち向かいながら生きています。しかしその命と人生は神様から与えられ、愛の戒めを伴って託された使命なのです。私たちはこの使命を糧に喜びをもって歩みましょう。

日本福音ルーテル大岡山教会牧師 松岡俊一郎

20-07-01るうてる2020年7月号

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説教「笛を吹いたのに」

日本福音ルーテル浜松・浜名教会牧師 渡邉克博

「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。/『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。/葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』/ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」(マタイによる福音書11・16〜19)

洗礼者ヨハネの弟子たちがイエス様のところに来て帰った後のことでした。イエス様は群衆を相手にして語られています。「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』」今を生きているわたしたちからしてみたら古代のユダヤ社会に生きていた人たちは、神様に対してとても敬虔であり信仰深さを持って生きていたように思えます。しかし、そのような中にあって洗礼者ヨハネやイエス様に対して、態度を頑なに留保し、温かくもなく、かといって、冷たくもない、そのような態度で接するものが多かったようです。ここに、私たちは、今の日本における教会のある種の現代的な課題を共に感じることができます。
浜松教会・浜名教会に着任以来、浜松教会ではパソコン教室を開催しています。生徒は教会員であることが多いのですが、ある時は大学生に、また、ある時は地域の方に教えたこともあります。ずっと続けながら、参加者の方々が礼拝や洗礼に導かれるということがどれだけ難しいか、改めて気付かされました。

ところが、私がパソコン教室という働きを通しての伝道を諦めかけていたある時のことでした。しばらく休まれておられた生徒の方からお電話を頂きました。大病にかかって、牧師である私と話をしたいので訪問して欲しいとのことでした。訪問すると、闘病生活で不安そうな面持ちをされておられました。そして、その方はその場で洗礼を志願されました。私は、それまでのその方とのパソコン教室での出来事を振り返りつつ、こちらの方から「この方はキリストとの関係を求めていないだろう」という予断を持って、接していたのではないかと気付かされました。また私自身の信仰の足りないことを心から恥じました。

その方から話を伺いながら、わたしたちの世界に与えられているものの中で、病と死の恐怖に打ち勝つことができるのはイエス様の復活の福音だけであるということを改めて感じさせられました。 また、生涯の終わりの時に本当に自分を救いうるのは何かを改めて教えて頂きました。洗礼の準備、そして、洗礼式を通して、人間という存在はどれほど弱い存在であるかということ、また、そこにキリストの慰めと愛と永遠の命への招きの声が響く時に、どれだけ深い慰めがやってくるのかに気付かされました。

このような出来事を踏まえつつ、み言葉に目を移しますと、「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった」とイエス様が引用されましたが、み言葉の通りに心と体が踊っていなかったのは、私自身の方や、私たちの教会をも含むのではないか、という新たな視界も開けてくるのです。

そして、今思うことは、私たちの教会は、地域の声、社会の求めに応えることができているのかどうかということです。もちろん、人によって教会に対する求めは人それぞれでありましょう。しかし、その中にも、キリストの福音を求めておられる方がいらっしゃって、環境や機会さえ整ったら、信仰を求め始める方々もいらっしゃると思います。もちろん、大風呂敷を広げてばかりはいられませんが、教会は、これからも地道な種まきを続けなければならないと改めて決意をし、分かち合いたいと思いました。

福音書の時代のユダヤで、人々は断食をしているからとの理由で洗礼者ヨハネを見て拒み、飲み食いするからという理由でイエス様を見て拒みました。そのような当たり障りのない理由で拒絶する人々の中でイエス様は働かれ、滅びる他ない人々に復活の命、永遠の命を示し、多くの人をご自身のもとへと招きました。その福音とは、希望のないところに起こされる希望であり、滅びゆくものにとっての復活そのものです。喜びをもって福音の種蒔きをする教会でありたいと心から願います。

エッセイ 命のことば 伊藤早奈

④「チューリップ」

「イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。」(マタイによる福音書8・23〜24)

「あれっ折れていない。」ある朝、目覚めてすぐに庭のチューリップ1輪を、大丈夫かなぁと思い、おそるおそるソーッと覗き込むように見ました。その前の晩はすごい風で、せっかく1輪咲いていた庭のチューリップが今にもちぎれそうに揺れていました。それに夜中じゅうビュービュー風が吹いていたので私はてっきり折れてしまったかと思っていました。でも凛としてチューリップは太陽の光に向かって立っていました。
その時、漠然と「身を委ねて恐れないってこういうことなのかな。」っと思い、そう思った自分に驚きました。
風に抵抗して、真っすぐ立とうとするのでもなく、逆らうわけでもなく。揺れていただけ。でも立っているなんて、あの大風の中で冷静になるなんて、いったい私にはできるかしら?でもあのようにか弱そうに見える花1輪はそうしてたんだなぁって、神様の造られた自然に素直であるからこそ、の強さを改めて感じました。自分ならきっと、風が強く吹いたなら抵抗して、もし自分が倒れそうになったら踏ん張って不安にもなるでしょう。
私たちには、抵抗することも大事な時もあるし、踏ん張ることも時には必要です。
でもいつもそこにイエス様がおられるから、不安にならなくても大丈夫みたいです。

議長室から

総会議長 大柴譲治 「胃がビクビク動く」?

「主は憐れみ深く、恵みに富み/忍耐強く、慈しみは大きい。」(詩編103・8)

最近これまで自分を覚醒させてきた言葉を思い起こしています。1985年秋、神学生時代に築地の聖路加国際病院で臨床牧会教育(Clinical Pastoral Education=CPE)という3週間の訓練を受けた時のことでした。それはインパクトの強い訓練でした。私はそこで与えられた実存的な課題とそれ以来ずっと格闘してきたような気がしています。病院チャプレンでありCPEスーパーヴァイザーでもあった聖公会・井原泰男司祭が休憩時間に何気なくこう語られたのです。「僕はね、患者さんと話をしていても大切なところにくると胃がビクビク動くんだよね」。
胃がビクビク動く? 人の話を「頭」でしか聞こうとしていなかったそれまでの私にとって、それはにわかには信じることのできない言葉でした。そのような聴き方が本当に人間に可能なのか。確かに「腑に落ちる」とか「断腸の思い」という言葉はありますが、相手の思いを自分の「はらわた(ガット)」で受け止める次元があるとは衝撃的ですらあったのです。「ガットフィーリング」ですね。
聖書の中には「深い憐れみ」という重要な言葉が出てきます。それは神やイエスに用いられている語です。例えば詩編103・8(上述)やマルコ6・34、「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた」。ヘブライ語では「ラハミーム」、ギリシア語では「スプラングニゾマイ」。前者は「子宮、胎」という語に、後者は「はらわた、内臓」という語に由来します。「憐れみ」と聞くと私たちは何か「同情」とか「憐憫」という日本語を連想しますが聖書ではもっと具体的で動的であり、「はらわたがよじれるほどの産みの苦しみを伴う深い共感」という意味になります。イエスは自分の中心でもって相手の苦しみを受け止められたのです。さぞかし胃が痛かったに違いないと想像します。医者であったルカは「よきサマリア人のたとえ」や「放蕩息子のたとえ」など印象的なイエスのたとえを記録していますが、そこでもこの「深く憐れむ」というキーワードが出てきます(10・33や15・20)。
果たして私の胃がビクビク動くようになったかというと、恥ずかしながらそこまでは至ってはいません。まだ途上です。しかし、「頭」(ヘッド)だけでなく「心」(ハート)だけでもなく、「はらわた」(ガット)でも聽くという姿勢を大切にしたいと念じています。

「教会讃美歌 増補」 解説

①教会讃美歌「増補」版について 讃美歌委員会 日笠山吉之(札幌教会牧師・恵み野教会協力牧師)

新進気鋭の小澤周平牧師による「賛美歌と私たち」の連載に続いて、目下進められている「教会讃美歌」の「増補」版についても本欄に紹介するよう求められましたので、委員長の責任を担っている私がまず筆を取らせていただきます。
まず、この場を借りて皆さんに申し上げなければならないことは、「増補」版の出版が予定より大幅に遅れていることです。当初の予定では、ルターの宗教改革500年記念の年(2017年)に合わせて、新式文と一緒に発行するつもりでした。しかし、編集委員の奮闘努力にもかかわらず思いのほか編集作業が難航し、いまだ日の目を見ておりません。委員長としても大変責任を感じているところです。申し訳ありません。現在、「増補」版に収録予定の全54曲の譜面や原稿はほぼ出揃い、委員会では3回目の校正に取り掛かっている段階です。まだ、これから印刷会社との詰めの作業が控えていますが、来年には讃美歌集としての体裁を整えて皆さんのお手元に届けることが出来れば、と願っています。
さて、本欄に求められているのは「増補」版の解説と収録される賛美歌の略解です。全54曲を毎月1曲ずつ取り上げるとすると54ヶ月(4年余り)かかりますので、中には2曲まとめてご紹介することもあるかも知れません。いずれにしても長丁場になるかと思いますが、よろしくお付き合いいただければ幸いです。それぞれの収録賛美歌の解説に関しては、委員が交代で執筆いたしますのでお楽しみに!
当委員会には、日本福音ルーテル教会のみならず、日本ルーテル教団、近畿福音ルーテル教会、西日本福音ルーテル教会のルーテル4教派から委員が派遣されています。したがって他教団・教派の牧師、信徒の委員にも筆をとっていただく予定です。委員の皆様、よろしくお願いいたします。
とはいえ、収録賛美歌の解説に入る前に、「増補」版の目的や意義、編集の経過、「増補」版の構成や特徴などについて若干お話しした方が良いかと思われますので、しばらく数回は私が担当させていただきます。それでは、また次回お目にかかりましょう。

青年によるオンライン集会「#おうちで集おう」紹介と報告

森一樹(東教区市ヶ谷教会)

2020年4月上旬、世間では新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が秒読み段階にあり、それに伴って全国的に教会活動も自粛となっていました。そんな中、久しぶりにオンライン上で再会した藤崎喬史(本郷教会)、藤崎幸子(恵み野教会)、角本茜(大岡山教会)と、教会に行きたくても行けずに寂しい思いをしている全国のルーテル青年に向けて、またこの状況による青年の教会離れを少しでも防ごうと、オンライン青年会「#おうちで集おう」を企画し、緊急事態宣言の全国拡大直後の4月18日から毎週開催するに至りました。
この集いでは、毎週全国の青年の中から1人ずつ「証し」をお願いし、賛美歌を歌い、教会や青年、またコロナ騒動終息のために祈るひとときを持ちました。奏楽者や聖書朗読者、祈祷者も毎回異なる青年に依頼をして、「みんなで作る青年の集い」を目指しました。初回から27名の参加があり、5月に入ってからは毎週40名以上の参加者が与えられ、恵み豊かなひとときとなりました。緊急事態宣言解除と全国の教会活動再開を受けての6月6日の最終回まで、全8回の集いに累計300名以上の青年が全国から集いました。コロナ騒動を超えて、青年達が派遣されたそれぞれの教会、地域、社会でこれからも福音と共に在り続けることに、少しでも支えとなれたら幸いです。
以下、「#おうちで集おう」参加者による感想です。

地元を離れて約1年。ただでさえお仕事の関係で、毎週教会に行くことが難しくなっていた状況の中、公開礼拝ができないということになり、二十数年の信仰生活の中でこんなに教会に行けないという事が続くのは初めてで、先の見えない毎日に不安がいっぱいでした。そんな中、西教区青年会のLINEグループでこの「#おうちで集おう」があると聞き、知り合いも全然居ない中でしたが参加させて頂きました。画面越しだけどそこにいる人達と賛美歌を歌ったり、聖書を読んだり、証を聞かせてもらったり、共に祈ったり。私にとって毎週のこの時間は、とても大切なひと時となり、改めて信仰生活における仲間の大切さを感じましたし、大変な状況の中でしたが、私の中の信仰生活の1ページとして強く刻まれたものとなりました。毎週準備をしてくださった兄弟姉妹の行動力と実行力は尊敬の念に耐えません。次は画面越しでなく、教会でお会い出来たらいいなと思います。(西教区大阪教会・片山聴乃さん)

今回「#おうちで集おう」に参加し、奏楽のお手伝いをさせていただきました。ありがとうございました。賛美を通して神様に、私はここにいるよ!というメッセージを送るということであり、このような時だからこそ画面を通して皆で賛美し神様との対話を大事にするということの大切さを改めて感じました。今はソーシャルディスタンスを意識した生活により,会えない人たちが多いですが、こんな時でも神様の愛は自粛しておらず、いつも神様がそばにいて寄り添っていること、隣人を思いやる心を育む時を与えてくださる神様の愛に感謝します。(九州教区甘木教会・別府碧美さん)

子どもが生まれてからなかなか教会に行けなくなり、5年ほど前までルーサーリーグなどいろいろな活動をしていたのが信じられないくらい、家事育児の毎日を過ごしていました。そんな中「#おうちで集おう」に参加して、久しぶりに教会の仲間に会って「自分の居場所だなぁ」と改めて思うことができました。子どもが寝た後の時間だったので、落ち着いて賛美をして、証を聞くこともできて、企画してくれたみんなには感謝の気持ちでいっぱいです。(東教区東京教会・長谷川(高橋)奏さん)

プロジェクト3.11

いわき食品放射能計測所の現在」いわき食品放射能計測所運営委員 明石義信

毎年、いわき食品放射能計測所の働きをご支援いただき感謝申し上げます。
今は、新型コロナウイルスという目に見えないものへの恐怖と対処に全世界的な関心が寄せられております。ある意味においては放射能被害に対する危機感が薄れてきていると感じられます。
思い起こしていただきたいのは、目に見えないものへの対応がよく似ているのではないかということです。経過した時間や提供された情報量によって人々の認識は右往左往致しました。危機に対応して創り出される認識こそ慎重に吟味されることが必要であり、この認識の揺れの中で多くの人々が苦しみ、差別を受け、誤った判断が繰り返されてきました。多くの場合に比較対照され、より危険度の高いものとそうではないものとに分類され、「何々よりはましだ」という認識が作り出されます。それが量的な問題と関連して安全なものとの境界線が不明瞭化されることが多いように感じます。経済と命との天秤という発想にも似たような比較の問題が潜んでいるように感じてしまいます。
いわき食品計測は「いわきの初期被曝を追求するママの会」のスタッフに、通常の計測とサンプリングを担当していただいています。その中で、昨年の大雨被害の際に河川から大量の放射性物質が流出しているではないかと想定して、調査をしました。専門家からは流出水量が多く、希釈されて放射性物質検出は難しいだろうと言われていました。
しかし、被害者宅の汚泥を取り除く活動の最中、数軒のお宅の床下から1000ベクレルを超えるセシウムが検出されました。どこでも検出されているわけではないので、一般的な比較は適用しにくいのかもしれませんが、川底に放射能に汚染された汚泥が堆積されていたからこそ、起きた事象であると考えています。濃縮された汚染土が見つかり、被害が一部に凝縮される事実が繰り返されています。時間が経過しても、その事実から目をそらさないことが求められていると感じています。
計測所の所長をしておりました明石はこの度栃木に転勤し、後任の大川清牧師が計測所所長を引継ぎ、活動を続けています。私も計測所合同委員会の委員として引き続き参加をしております。公立小中学校の校庭や登校路の計測も行われています。
この様な状況をご理解いただき、お祈りとご支援の継続をお願い申し上げます。

パンデミックの中のディアコニア

熊本ライトハウス 施設長 緒方健一信

この春、法人内の異動により熊本ライトハウス(障がい児入所施設・障がい者支援施設)に着任し、私にとっては35年ぶりに初任地に帰ってきたことになります。当時は「盲ろうあ児施設」で、約90名の子どもたちが暮らしていました。障がい児のリハビリとしてスカウト活動が導入され、養護施設の子どもたちと共に野外キャンプを営む子どもたちに感銘を受けたことが思い出されます。現在は成人のための施設でもあります。
着任にあたり、チャプレンの安井牧師に就任式をしていただき、気持ちを新たにしたところですが、まもなく利用者に肺炎が発症、緊張が高まりました。続いて体調不良による2度の救急車要請、骨折事故の際は発熱があったことで医療機関のたらい回しに遭いました。重ねて施設内での感染リスクを抑えるために、利
用者が大切にされている家族との面会や外出、通院についても制限が求められるようになりました。利用者はもとより支え手である職員も同様です。そのような中にあって利用者の不安や淋しさ、ストレスを和らげようと、豪華なバーベキュー大会が計画され、皆さん心も身体も大満足でした。ちなみに入院中の利用者の方は回復されつつあります。非常事態宣言が解除され、今後は感染予防を徹底させ、日常を取り戻していきます。6月はじめには、利用者が讃美歌を歌い、CDによる牧師からのメッセージによって、祈りの時が持たれました。
熊本ライトハウスと健軍教会との繋がりは、歴代牧師、施設の利用者、職員によって保たれています。教会が実施した「ハナミズキの祈り」には、利用者からコロナ禍が早く収束できるようにとのメッセージが寄せられました。礼拝に集うことが許されず、私たちに出来ることはただ神様に祈ることです。
職員も支援に関わる「若枝奨学金」が施設から大学や専門学校に進学した学生たちへ緊急支援を実施しました。通常の形での奨学金も当施設を卒園する子どもたちが活用する流れを作っていきたいと思います。

新型コロナウイルス感染症に対する喜望の家と釜ヶ崎での取り組み 秋山 仁

喜望の家代表・ 豊中教会牧師

新型コロナウイルス感染症の日本国内での発生からほぼ5カ月。幸いなことに釜ヶ崎地域内では、労働者に感染者が出たということは聞いていません。
喜望の家では、4月から5月末まで、開館日を週5日から4日にして、手洗いとマスクの着用、換気に気を付けながら、活動してきました。食事会や公共交通機関を利用した遠出は自粛してきました。ボランティアの方たちも2カ月間はお休みしていただきましたが、日々のプログラム、相談活動はできる限り行ってきました。

地域内での動きです。
NPO釜ヶ崎支援機構は、釜ヶ崎内で野宿者が利用するシェルター(臨時宿泊所)を管理運営していますが、新型コロナウイルス感染症の発生時から、対策を大阪市に要求し、また独自の対策をとりました。3密を避け、シェルターの定員を200名に制限、登録制にして決まったベッドを使用してもらっています。大阪市が借り上げたアパートにも40名ほどが同様に宿泊できるようになっています。
シェルター出入りの際の体温測定、手の消毒、ベッドは間隔をあけて使用し、棟内は常時換気を行っています。発熱者が出た場合は、カーテンで仕切られた区画を利用、医療センターで受診してもらうようにしていますが、現在、まだ該当者は出ていません。
新型コロナウイルス感染症の影響で、失業したり、住居を失い新たに野宿状態に至る人たちのための緊急相談会が、野宿者支援活動を大阪市内で続けている21団体が協力して、5月末までに4回大阪市内で行われました。相談会前日に夜回りを行い、相談会のチラシを配布します。100件を超える相談があり、就労支援、居宅支援を行っています。クラウドファンディングで宿泊費と食費(弁当代)を集め、ホテルなどに一時的に宿泊できるようにしています。相談会は、今後も随時行っていく予定です。
マスク2枚と10万円の給付金申請書は、地域内で生活保護などを受給している方には届き始めていますが、野宿状態にある人たちは、まだ支援の外側に置かれています。
緊急事態宣言は解除になりましたが、コロナ感染のリスクは依然としてあります。喜望の家も、地域内の支援団体と協力して、今後も行政に有効な新型コロナウイルス対策を要求していきます。

住所・電話番号変更

スオミ教会

電話番号変更
03(6233)7109

栄光教会

住所変更(牧師居住地が、藤枝礼拝堂から焼津礼拝堂となったため。)
425—0027
静岡県焼津市栄町5の16の27
電話・FAX共用054(668)9724

高蔵寺教会

電話・FAX共用番号変更
0568(91)0244

福山教会

電話番号廃止

松江教会

電話番号廃止

松山教会

電話・FAX共用番号変更
089(923)1070

真の牧会者、園田剛牧師を偲んで

横田弘行(定年教師・義弟)

私は良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
神学生時代、トウルナイゼンの『説教は福音を普遍的に語り掛けるもの。牧会は信徒の個々の状況に即し福音を細やかに説き明かし、悩み、苦しみ、悲しみに寄り添い、慰め、新しい決断へと促すもの』と学んだものでした。Pastoral care(牧会)とは羊飼いがその羊の姿、形、性格を知り尽くし、緑の牧場、水場、命へと導く一連の行為、そこには絶大な信頼関係が存在する。
去る3月29日、園田剛牧師が89歳で召された。時節柄、近親者による告別式が博多教会で池谷考史牧師司式で執り行われた。
義兄は1950年代半ば、大町教会時代、私の実姉、朋子と恋に落ち結婚された。牧師館も与えられ、私はその牧師館の一角に居候したことがあった。
園田牧師は牧師館の縁側で在日韓国人の信徒の方々とよく語り合い、時に手紙の代筆や申請書の作成に応じられる姿を垣間見たものです。
コーヒーを飲みながら、時にたばこをふかしながら真剣に語り合う姿に真の羊飼いと羊の麗しい関係を見たものです。
仕事を終えた後、やがてその信徒の方が井戸の水汲み、マキを割り、風呂沸かしの手伝いを始められたのでした。
笑顔と優しい口調で信仰へと導かれた方々は、下関、大町、神水、豊中、アメリカ、博多と各地に点在しておられるでしょう。牧会の任務を終えられた牧師にごゆっくりお休みくださいと声かけしましょう。

「今年、キャンプはないけれど、平和の祈りでつながろう!おうちでルーテルこどもキャンプ特別編」のお知らせ

TNG子ども部門

今年は新型コロナウイルス感染症の影響で、「全国ルーテルこどもキャンプ」を開くことができません。けれども、お祈りでつながることはできます。そこで、全国のお友だちがお祈りでつながるように、「おうちでルーテルこどもキャンプ」を企画しました。皆さんにはあらかじめ、平和のお祈りなどを送ってもらい、それを動画で配信し分かち合います。そして、それぞれの場所で讃美歌を一緒に歌い、聖書のお話しを聞いて、みんなでお祈りを合わせます。通常のこどもキャンプの対象は小学5・6年生ですが、ご家族はもちろん、どなたでもどうぞご参加ください。
日時は8月10日(月・祝日)午前10時スタート。時間は大体30分くらいを予定しています。お祈りなどの締め切りは7月19日です。
ぜひ、各教会や施設で参加をお勧めください。詳しい案内は、こどもキャンプのホームページで紹介していますので、ご覧ください(「ルーテルこどもキャンプ」で検索してみてください)。
http://www.asahi-net.or.jp/~gs6m-nkns/KidsCamp/(末尾のQRコードをご利用ください。)
みなさまのご参加をお待ちしております。

ペンテコステ世界オンライン祈祷会

浅野直樹Sr.(世界宣教主事・市ヶ谷教会牧師)

今年の聖霊降臨日(ペンテコステ)は5月31日でした。聖霊が働いて、世界各国の言語で主のみことばが語り告げられるようになったという使徒言行録2章の出来事を覚えて、JELCではこの日を「世界宣教の日」としましたが、海外の教会も同じビジョンをもっています。アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)もそのひとつで、先日世界宣教部(Global Mission=GM)の石田順孝(フランクリン)先生から、ひとつのお知らせが届きました。
ELCAが宣教協力をしている国々の教会とその信徒を招いて、世界の民と共に祈るという企画、Global Companion Prayer Serviceです。オンライン接続によってそれが可能となりました。今回、JELCもこの祈りの輪に加わろうと各教会にも呼びかけをしました。
ただ、祈祷会の目的は世界宣教を覚えるということではありませんでした。「こうしてつながる私たちが、今世界が不安の只中にいることを覚え、希望、慰め、平和を求め、しばらく続くこの試練の時を共に執りなし祈りましょう。」世界が新型コロナウイルスの被害と脅威に曝される中、癒しを求めるためのオンライン祈り会という趣旨だったのです。
ペンテコステに世界の民がいっしょに祈る。これを実現できるのがまさにオンラインと言えるかもしれませんが、よくよく考えてみると時差があるので、実際にはそんなに簡単ではありません。ELCAは、世界の現地時間に合わせて複数回の祈祷会を企画しました。ラテン・カリブ海地域、中東・北アフリカ地域、アフリカ大陸、そしてアジア・太平洋地域の四区域それぞれがアクセスできる時間帯を設定しました。日本は5月31日午後8時でした。シカゴにあるELCA本部を拠点に、世界各国の教会や家庭、個人が自分たちの言語で祈りをささげました。すべての祈りは英語に訳され、画面表示されました。祈りの後しばしの沈黙が続きます。そしてテゼの歌を用いての讃美が響きます。祈りのなかで印象的だったのは、おそらくELCAが宣教協力をしている国々だと思いますが(あるいはそれ以上だったかもしれない)、ひとつひとつの国名をメロディーにのせて歌いながら祈っていたこと。想像以上に多くの国々が次々と、先唱者の歌声から流れてきました。
今、新型コロナウイルスは各地で分断と対立を引き起こしています。ELCAの本国アメリカでは、まさしくその危機に直面しています。今後為政者が行政の道筋を見誤ると、世界が分裂しかねません。「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。」(ロマ5・3〜5)パンデミックは人類にとって大きな苦難ですが、これを機にかえって人と人、国と国がつながっていけるのだという希望をこの聖句は教えています。今回の祈りはこのみ言葉の実践だったといえます。

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2020年7月15日

宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 大柴譲治 信徒利害関係人 各位

(1)栄光教会島田礼拝所

(ア)土地
・所在地 島田市大津道下
・所有者 日本福音ルーテル教会
地番 8677番1
地目 境内地
地積 1584㎡
(イ)建物
・所在地 島田市大津道下
・所有者 日本福音ルーテル教会
種類 礼拝堂・納骨堂
構造 木造平屋建
床面積
礼拝堂 170・44㎡
納骨堂 7㎡
理由 売却のため

(2)神水教会

・所在地 熊本市神水1丁目
地番 631番3、633番4
地目 宅地
地積 993・27㎡
購入価格 2千万円
理由 教会底地購入のため

20-07-01笛を吹いたのに

「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。/『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。/葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』/ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」
(マタイによる福音書11・16~19)

洗礼者ヨハネの弟子たちがイエス様のところに来て帰った後のことでした。イエス様は群衆を相手にして語られています。「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』」今を生きているわたしたちからしてみたら古代のユダヤ社会に生きていた人たちは、神様に対してとても敬虔であり信仰深さを持って生きていたように思えます。しかし、そのような中にあって洗礼者ヨハネやイエス様に対して、態度を頑なに留保し、温かくもなく、かといって、冷たくもない、そのような態度で接するものが多かったようです。ここに、私たちは、今の日本における教会のある種の現代的な課題を共に感じることができます。
浜松教会・浜名教会に着任以来、浜松教会ではパソコン教室を開催しています。生徒は教会員であることが多いのですが、ある時は大学生に、また、ある時は地域の方に教えたこともあります。ずっと続けながら、参加者の方々が礼拝や洗礼に導かれるということがどれだけ難しいか、改めて気付かされました。
ところが、私がパソコン教室という働きを通しての伝道を諦めかけていたある時のことでした。しばらく休まれておられた生徒の方からお電話を頂きました。大病にかかって、牧師である私と話をしたいので訪問して欲しいとのことでした。訪問すると、闘病生活で不安そうな面持ちをされておられました。そして、その方はその場で洗礼を志願されました。私は、それまでのその方とのパソコン教室での出来事を振り返りつつ、こちらの方から「この方はキリストとの関係を求めていないだろう」という予断を持って、接していたのではないかと気付かされました。また私自身の信仰の足りないことを心から恥じました。
その方から話を伺いながら、わたしたちの世界に与えられているものの中で、病と死の恐怖に打ち勝つことができるのはイエス様の復活の福音だけであるということを改めて感じさせられました。 また、生涯の終わりの時に本当に自分を救いうるのは何かを改めて教えて頂きました。洗礼の準備、そして、洗礼式を通して、人間という存在はどれほど弱い存在であるかということ、また、そこにキリストの慰めと愛と永遠の命への招きの声が響く時に、どれだけ深い慰めがやってくるのかに気付かされました。
このような出来事を踏まえつつ、み言葉に目を移しますと、「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった」とイエス様が引用されましたが、み言葉の通りに心と体が踊っていなかったのは、私自身の方や、私たちの教会をも含むのではないか、という新たな視界も開けてくるのです。
そして、今思うことは、私たちの教会は、地域の声、社会の求めに応えることができているのかどうかということです。もちろん、人によって教会に対する求めは人それぞれでありましょう。しかし、その中にも、キリストの福音を求めておられる方がいらっしゃって、環境や機会さえ整ったら、信仰を求め始める方々もいらっしゃると思います。もちろん、大風呂敷を広げてばかりはいられませんが、教会は、これからも地道な種まきを続けなければならないと改めて決意をし、分かち合いたいと思いました。
福音書の時代のユダヤで、人々は断食をしているからとの理由で洗礼者ヨハネを見て拒み、飲み食いするからという理由でイエス様を見て拒みました。そのような当たり障りのない理由で拒絶する人々の中でイエス様は働かれ、滅びる他ない人々に復活の命、永遠の命を示し、多くの人をご自身のもとへと招きました。その福音とは、希望のないところに起こされる希望であり、滅びゆくものにとっての復活そのものです。喜びをもって福音の種蒔きをする教会でありたいと心から願います。

日本福音ルーテル浜松・浜名教会牧師 渡邉克博

20-06-16できたしこルーテル6 2017年8月
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20-06-16できたしこルーテル5 2017年2月
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20-06-16できたしこルーテル4 2016年12月
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20-06-16できたしこルーテル3 2016年10月
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20-06-16できたしこルーテル2 2016年9月
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20-06-16できたしこルーテル 2016年8月
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20-06-162019年台風15.19.豪雨支援活動 No.4
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20-06-162019年台風15.19.豪雨支援活動 No.3
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20-06-162019年台風15.19.豪雨支援活動 No.2
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20-06-162019年台風15.19.豪雨支援活動 No.1
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20-06-03るうてる2020年6月号

機関紙PDF

説教「勇気を出しなさい」

日本福音ルーテル水俣・八 代・鹿児島・阿久根教会  関 満能

「ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。」(マルコによる福音書6・48~50)

勇気を出しなさい」
正直、『るうてる』6月号の巻頭説教に何を書いたら良いのか迷いました。
私がこれを書いているのは5月1日ですが、熊本でも感染症対策のために礼拝休止の延長を決定した教会が多数あります。そして、それは熊本に限ったことではないでしょう。この事態の中で、礼拝について、信仰生活について、またもっと広く教会について考えさせられています。
時代がコロナ以前とコロナ以降に分けられると言われることもあります。世界や社会が大きく変わっていく中で、そこに存在する教会も現に対応が求められ、礼拝のあり方など変化が必要とされてきているところだと思います。そして、それはときに不安や恐れを伴うものでもあるでしょう。この中で私たちにはどんなみ言葉が与えられていくのでしょうか。
私には、逆風のために湖の上でなかなか前に進めないでいる弟子たちに向けて語られたイエスさまの言葉が響いてきました。湖の上を歩いてきたイエスさまを幽霊だと思い、怯えて絶叫する弟子たちにイエスさまが語られた言葉です。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」(新共同訳マルコ6・50)
ところで、聖書協会共同訳では直訳として次の言葉が紹介されています。
「勇気を出しなさい。私だ。恐れることはない。」(聖書協会共同訳マルコ6・50注d)
「安心しなさい」と「勇気を出しなさい」。同じ言葉が二通りに訳されています。この二通りの翻訳から次のような印象を受けました。
「安心しなさい」との言葉からは、イエスさまのもとでホッと一息ついたり、ちょっと休んだりするようなこと。一方で「勇気を出しなさい」との言葉からは、イエスさまから強く押し出されていくようなことをイメージしました。
そして、この2つのイメージが1つの言葉に内包されていることは、安心することと勇気を出すこととのつながりを示しているのかもしれません。歩き始めたばかりの子どもが自由に世界を広げて冒険していけるのは、たとえ転んでしまっても絶対的に安心できる親という存在がいるからであるように、歩いて転んでは神の許に返り、また勇気を出して歩き始めるというサイクルが見えてきます。
そして、私は、このイエスさまの言葉に強く背中を押されるような思いになりました。
弟子たちがいたのは風が強い湖の上です。何かあったら溺れてしまうかもしれない危険や恐れがあります。また、湖の上で漕ぎ悩み、事態が思うようにいかないもどかしさやこのままでいいのかという心配もあったでしょう。しまいにはイエスさまさえも幽霊だと見間違えてしまう中で、つまり神不在のように思える中で何が神さまのみ心なのか分からない孤独と不安とがあったかもしれません。幽霊が来たと思ったときには、「もうダメだ」とすら思ったでしょう。

けれども、イエスさまはすぐに彼らに向かって開口一番言われました。
「勇気を出しなさい。」
イエスさまは、前に進めないでいる弟子たちに向かって言われます。「勇気を出しなさい。」恐れの中に取り残されてしまった弟子たちに向かって言われます。「勇気を出しなさい。」そして神さまもイエスさまも見えない中にある弟子たちに向かって言われます。「勇気を出しなさい。」
私たちは、加速していく世界の流れの中で、またそこに生きる人びとに向かっていく中でなかなか前進できないことがあるかもしれません。不安や恐れがあって新しいことに一歩踏み出せないこともあります。何よりも神さまのみ心を尋ねながら、それが分からない中で停滞してしまうことも起こりえます。
そんな私たちに向けてイエスさまは言われるのでしょう。「勇気を出しなさい。恐れることはない。私がいないように思えても、私がここにいる。私だ。私が確かにあなたと共にいるのだ。安心して、さあ、行こう。舟を漕ぎ進めていこう。大丈夫。勇気を出して、この世界を共に行こう。」

 

エッセイ 命のことば   伊藤早奈

③「月」

「神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。」(創世記1・3)

「わぁ眩しい、何の光だろう。外を見て来てくれる?」と、車椅子で簡単には外に出られない私は家族の一人に頼みました。いつもより強く感じる光が真っ暗な玄関の上の方の窓から差し込んでいたからです。あまりにも明るいと、それはそれで不安になるものですね。
「向かいの家の方何かあったのかしら?」玄関の戸を開けたまま家族の一人が外へ出てくれました。
家の人「何にも無いよ。」私「じゃぁ何だろう?」家の人「月じゃない。」私「・・・あっかるいねぇ。」
満月でも何でも無い月が暗い夜空を照らしていました。
それまでいくら月を見ても思い出さなかったのに、不思議なことにその時、私は25年前、阪神淡路大震災で震災に遭った友達がくれた文章を思い出しました。それはこのような文章でした。「(地震で)何も無くなった暗い夜、月だけは変わらずそこにいて、私を照らしてくれて、なんか場所も示してくれるし、安心しました。」
その文章を読んだとき、ニュースで観た情景や想像の中の景色がブァッと広がり、なんとも言えない気持ちになったのを思い出しました。その友達にとって、その時見た月の変わらない光がいつもある存在として確かなものに感じられたんだな、と思わされたことをまた思い出すことができました。
今もいつも変わらずそこに在る存在。安心する存在。道しるべ。それは神様もだ。
神様いつもありがとうございます。

 

議長室から 総会議長 大柴譲治

それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。」(使徒言行録2・33)

聖霊降臨については神学生時代に伺った新約学教授・間垣洋助先生の「使徒行伝」の講義での言葉を想起します。まだ新共同訳聖書が出る前でしたので「使徒行伝」と呼ばれていました。間垣先生は大学では学問としての新約学を大変厳しく指導してくださいました。しかし神学校に入った途端に「あなたたちは牧師となり、説教をするのだから」と言われて印象は一変し、とても温厚になられたことを思い起こします。私はそこから、学問的に真理を探究する際の真摯さと牧会者として温かく実存的に聖書を人々と分かち合うことの両面をバランスよく保つことを学ばせていただいたように思います。その時間垣先生は開口一番こう言われました。「使徒行伝には主として、前半はペトロの、後半はパウロの言動が記されています。しかし本当の主人公はペトロでもパウロでもなく、彼らを捉えて立て、派遣し用いてゆかれた神の聖霊です。だからそれは『使徒行伝』というよりも『聖霊行伝』と呼ばれるべき書物です」と。40年近く前の言葉ですがストンと腑に落ちました。続けてこう言われました。「使徒行伝には28章ある。しかし、聖書は閉ざされた(完結した)書物ではありません。神の聖霊があなたがたを捉え、あなたがたを用いて29章以降を書き加えてゆくのです」と。神の聖霊は今ここでも働いていて、その救いの歴史は未来に向かって開かれています。
私の専門領域の一つに「スピリチュアルケア」があります。WHOは人間のウェルビーイング(安寧)のためには「身体的」「精神的」「社会的」「霊的」なニーズに応えることが大切と説いています。そこに「知的」ニーズも加えられるでしょうか。聖書で「スピリット」とは「霊」とも「息」とも「風」とも訳される語です。そこからそれは「(向かい合う人の)魂への配慮」とも「(自分の)魂による配慮」とも、また「(自他の)呼吸に関するケア」とも理解できます。しかし「神の霊によるケア」という次元も押さえておきたいのです。「聖霊行伝」を神の聖霊による「スピリチュアルケア」の記録として読むこともできる。主なる神は私たち一人ひとりの「魂」が現実の中でどれほど飢え渇き苦しんでいるかを、そのニーズを充たすために何が必要であるかを誰よりもよくご存知です。神がその「いのちの息吹」によってお一人おひとりの今ここでのニーズを豊かに満たしてくださるようにお祈りしています。
シャローム。

 

賛美歌と私たち

賛美歌は未来予想図(12) 小澤周平(名古屋めぐみ教会牧師)

以前、私は、フィンランドでカントール(教会音楽家)をしている友人に、礼拝の「前奏」の曲選びについて尋ねたことがありました。オルガンを弾けない私は、オルガニストの方から受けた質問に上手く回答できずにいたからです。
その答えはシンプルでした。礼拝の「前奏」は、最初の賛美歌(招きの賛美歌)の旋律を基本に奏楽者が編曲するか曲集から選ぶ、基本的には教会暦にふさわしいものになる、とのこと。なぜなら、礼拝の「前奏」は、礼拝へ、そして、最初の賛美歌のことばへ、日課の聖書箇所へ、参加者の心を整えるという役割があるからです。なるほど、道理にかなっているなぁと納得しました。そして、逆算すると、礼拝の賛美歌選びこそ重要とも分かり、私自身、猛省しました。
私たちは礼拝から日々の信仰生活へ送り出されます。だから、賛美歌を通して心を整え、礼拝全体からテーマとなる聖書の言葉を受け取ることは、主にある日々の未来予想図を得ることなのです。加えて、礼拝から送り出された私たちは、福音を伝え合い、教会の未来予想図を描く者にもされていくのです。
現在の教会を考えると、確かに、課題もあります。例えば、既存の歌集への物足りなさを訴える声を聞きます。あるいは、教会音楽へのより深い理解を求める声もあります。また、全国的な教会規模の縮小ゆえに、奏楽者不在の礼拝も少なくない状況ですし、教会全体での賛美歌の議論が後回しとも聞きます。
しかし、歴史を眺めて分かる通り、今は決して悲観するような状況ではありません。わずかな工夫や変化によって、状況が改善したという話も沢山聞きます。そして、増補版歌集のことや、共通歌集の議論が進んでいることなど、希望ある情報も。
この連載は終わりになりますが、またいつか、この続きを。一年間、お付き合い頂き、ありがとうございました。そして、執筆を支えてくださった皆様に感謝いたします。神様の祝福がありますように。(終)

 

エッセイ「礼拝なき主日?あらためて主日を思う」

宮本 新(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校専任講師)

私たちは教会暦を大切に扱う教会ではあるが、時折、日々のカレンダーとの間に折り合いを要する場面がある。降誕祭はその代表例であり、年によって待降節でありながら礼拝後にクリスマス祝会を行うこともある。また兼任体制などの事情で礼拝時間を変更する場合、主日と曜日の関係が問われることもある。ルーテル教会はこれに柔軟に対応してきた。
しかしその根拠は?本稿は元々、エキュメニズム委員会における同様の議論を誌面にて紹介する趣旨であった。その柔軟性は他の教派・教会との対話の主題になることが判明したからだ。他方でその柔軟性はルターが明らかにした硬質かつ徹底した福音理解に裏付けられている。それを欠いた柔軟さは、「いい加減さ」と紙一重の関係にある。
ところが今、このようなことを考える脈絡が大きく変化している。新型コロナウイルスの対応から、教会と主日礼拝に未曽有の変化が到来しているのだ。
多くの教会が主日礼拝の休止や、その在り方を制限する事態となり、礼拝のネット中継や配信の実施が加速している。私たちは今悩みと試行錯誤の渦中にある。しかし本稿の主題に関連して気付かされたこともある。
今回のことは私たちにとって未曽有な体験であるが、教会史において未曽有とは言い切れるものではない。むしろ繰り返し経験されてきた脅威であり、宗教改革の背景でもあり、そこで教会人は終末的な出来事に向き合い、不安や恐れに飲み込まれ、時に脅迫めいた言説に惑わされる失敗を繰り返しながら、「み言葉に聞く」や「礼拝を守る」が一体何を意味するのか身をもって証言し、命がけでつかんだ言葉がある。ルターの鋭意な主日理解はそのような証言と解するのが今は自然に思える。
1527年、ある町に腺ペストが来襲し、牧師たちの間で「キリスト者はペストに際会し逃げるべきか否か」をめぐり意見の相違が生じた。
ルターは公開書簡をもってこれに応じ、心をこめて励まし、逃げる人も逃げない人もなすべきことがあることを伝える。それが、祈りだ。まず、自らの命を神の御手にゆだね、その守りを祈る。そして家や通りを消毒し、きちんと薬を服用すること。そして自分が感染源にならないよう用心し、自分と隣人の身体の健康を真剣に配慮すること。そしてひとたび誰かに必要とされるなら、「そのために大胆に行動しよう」と。
そしてこういった一つ一つの事柄こそが「神を畏れる信仰」の内実である、とつづっている。人はルターに「あれか、これか」を尋ねるが、ルターはいわば人が逃げても逃げなくても変わらない中心事を指し示している。この場合、(神)信仰と(隣人)愛がそれにあたる。主を深く信頼し、恵みのみ業を思いめぐらし、期待する。
そこで考え抜かれた主日礼拝の捉え方はこの自然的・世界的脅威に面しても色あせることはない。むしろ耳を傾けるみ言葉があり、祈るべき事柄を教え、目撃する恵みのみ業へと向かわせる。
これが私たちに今なお約束されていることであり、また逸れないよう託せられている事柄でもある。それにしても、こう思う。早く主日礼拝を共にしたいものだ、と。

 

るうてる法人会連合の 取り組みから

日本でのルーテル教会の宣教はその初期から教育・社会福祉の分野と深く関わってきました。2002年、伝道(宗教法人)・教育(学校法人)・奉仕(社会福祉法人)の働きをこの世全体に向けられたものとして綜合的に捉え直し、福音的信仰に立って新たな宣教の展開へと向かうことを目指して、「るうてる法人会連合」が結成されました。各分野の現在の取り組みを紹介いたします。

〈ルーテル学校法人会〉石居基夫(ルーテル学院大学学長)

ルーテル学校法人会は、2003年に日本福音ルーテル教会関係のルーテル学院、九州学院、九州ルーテル学院の3つの学校法人がその教育的宣教の目的において 協働していくために設立されました。当初は、法人一本化なども視野に入れつつ教職員間で研修・研究なども行ないましたが、結論としては、現状において合同にメリットはないと判断されています。それぞれの自主自立を堅持した中での協働を生み出していくことがより現実的であるとして活動を続けているのが実情です。
実際には、この3法人にとどまらず、日本ルーテル教団関連の2つの学校法人、聖望学園と浦和ルーテル学院とを含めた5法人で40年以上続けてきた「ルーテル諸学校」において、日本におけるルーテル教会の教育宣教の具体的協働を実現してきています。「代表者会」をもってそれぞれの経営の責任を負う者たちが現状を報告し合い、共に学び、与えられた使命を実現できるように具体的協働活動を生み出してきたのです。
その一つは、夏に神戸ルーテル神学校を会場に行われる夏期研修会で、「ミッションスクールで働く誇りと感謝と喜び」を主題に掲げ、現場を取り巻く様々な課題について研修を行ってきました。 今一つは、キャンパスミッション協議会であり、学校のキリスト教教育活動と地域教会との連携を強化しつつ、青少年にキリストの福音を伝える働きを強化する取り組みを重ねてきています。

〈ルーテル社会福祉協会〉中島康文(ルーテル社会福祉協会 会長・市川・小岩教会牧師)

協会の発足は1976年1月14日です。発足当初の会則には、以下のような前文が記されています。「神の恩寵豊かならんことを祈ります。従来、日本福音ルーテル教会常議員会の決議によって、米国のルーテル教会の援助をうけて設立された社会福祉法人が1975年から完全に自給経営することになりました。つきましては、各法人が日本福音ルーテル教会設立の施設として、設立の精神を高揚し、教会の要請に応答するのは勿論のこと、新しい時代に即応して、さらに日本の社会福祉界に貢献する新態勢をつくりだす必要性を痛感します。共通の問題、協同の活動にとりくみ、連絡、調整、調査、研究、その他の協議をおこない、神の委託の実現に万全を期するため『ルーテル社会福祉協会』を結成するものであります。」この主旨は今も変わらず堅持され、神と人とに仕えつつ、教会・社会に貢献すべく法人となるために、信仰を同じくする社会福祉法人が共働していこうとしています。
協会を発足させたものの、活動が活発に行われるようになったのは、1995年以降のことです。社会福祉関連8法が改正され、社会福祉の在り方に更に大きな変化が見られたことから、協会も定期的に総会が開催されるようになり、また、ルーテル教会内の「法人会連合」、他のキリスト教社会福祉を実践している組織等と協力体制を整えてきました。現在は11の法人が加盟し、会報を発行し運営委員会を組織して、「ルーテルの信仰を土台とする働き」を結集しようとしています。

〈ルーテル幼稚園・保育園連合会〉和田憲明(ルーテル幼稚園・保育園連合会会長・箱崎・聖ペトロ・二日市・長崎教会牧師)

ルーテル幼稚園・保育園連合会の組織は、日本福音ルーテル教会内の49園で構成されています。内訳は幼稚園15園、認定こども園11園、保育園23園(『教会手帳』住所録参照)です。役員(会長、書記、会計)は、10年前まで教区毎に持ち回りで交代を行っていました。しかし園の減少や人材不足の課題などにより現在、およそ2年毎のペースで東教区と九州教区の間を行き来しています。
昨年10月より「子ども・子育て支援新制度」が始まり、保育料無償化が行われ事務的対応を迫られました。そのため昨夏の研修においては、キリスト教保育の立場から新教育、保育要領にむけて「新キリスト教保育方針」の学びを深めました。
今夏も年に1度の全国夏期研修会を広島で行う予定でしたが、新型コロナウイルスの対応で中止を余儀なくされました。保育の現場も変わらざるをえない今、新たなかたちを模索しなくてはなりません。SNSを駆使した取り組みを、それぞれの園で試行錯誤している状況ではないでしょうか。私どもの園も事始めに周囲の園をリサーチしたところ、「田園調布ルーテル幼稚園」のサイトに目が留まりました。早速園にお聞きしたところ、より広く園でのキリスト教保育の実践を知ってもらうためにスタッフで議論し、チャレンジしているとのこと。すでに私たちの大きな問題ですから、一見に如かず、でぜひ一度サイトをご覧ください。感想をわかちあい、試みを互いにシェアし、新たなミッションを生み出していく会になれればと願います。

 

パンデミックの中のディアコニア

「明日へ命をつなぐ『日ごとの糧』を届ける」久保彩奈  (ちかちゅう給食代表・本郷教会)

3月下旬、野宿の方に「いつもありがとう。でも今回のことばかりは…。俺たちのために本当にありがとう」と涙ながらに言われ、私も泣きそうになりました。
東京都渋谷の炊き出しは3月で半減、緊急事態宣言を受けさらに半減しました。野宿を余儀なくされている人々は何日も食べられず「コロナの前に餓死する」と口々に言うほどの状況です。私自身渋谷で12年間活動してきましたが、今まで見たことがないほどの壮絶な飢えが路上にあります。また「住所」(住民票)がないためマスクも届かず、現行案では給付も受けられません。支援者たちと連携し行政と交渉中です。
現状を鑑みて4月からは通常月2回の活動を、週2回実施すると決定した直後に、冒頭の出来事がありました。通常は10人以上の仲間と準備していましたが、現在ボランティアは募集せず、代表の久保、連れ合いの片岡平和、前代表の3人で活動しています。食事を届ける小さな活動ですが、明日へ命をつなぐ「日ごとの糧」を届けています。すでにお支えくださった皆さんへ、心から感謝申し上げます。
ただ月2回の活動を週2回の4倍に増やし、毎回120人以上の方が給食に来られる為、費用が嵩んでいます。本来すべての人が日ごとの糧を得られる社会になることが私たちの夢です。しかしこの状況がいつまで続くのか不透明ですし、引き続きご支援いただけると幸いです。

ゆうちょ振替口座
00110―3―456889 ゆうちょ銀行口座 支店019 当座0456889
名義「聖公会野宿者支援活動・渋谷」
(名義は以前の活動名のままですが、ちかちゅう給食の献金として使われます)

 

「ほしくずの会の活動」安藤淑子(ほしくずの会活動委員会会長・蒲田教会)

30年ほど前に荒川と台東両区に跨る 「さんや」の路上生活者を対象に、カトリックの中村訓子シスターが中心になり「ほしのいえ」の活動を始めました。その後、ルーテル教会員がほしのいえを支える「ほしくずの会」を発足させ1992年12月に毎週火曜日の夜にはさんやでお握りを配り始めました。
数年前まではお握りは750個ほど即ち370人位の方にお味噌汁と一緒に配っていましたが、現在はその半分以下300個ほどを準備しています。お握りの数が半減した理由の一つはさんやの路上生活者が高齢化し、生活保護受給者になったからと言われています。
今回のコロナウイルス拡散はほしのいえの活動にも影響を及ぼしています。お握りとお味噌汁作りは、30平方メートル程の狭い部屋で10人、時には15人もの人々によってなされているからです。狭い部屋で、肘と肘が触る程の間隔でのお握り作りはいわゆる3密の危険を冒すことになります。ルーテル教会員のボランティア女性達は高齢者や基礎疾患持ちが多いこともあり、お味噌汁作りは4月から休止となりました。お握り作りは、さんや地区近隣の炊き出しで中止になっているところが多いこと、また地元の男性が続けて参加されている等の理由で、続けています。
数年前からのほしのいえとほしくずの会の会報を見ますと、献金をお寄せくださっている方々は高齢者が多くまた献金額も減少していることがわかります。ボランティアは多いのですが食材購入及び家賃を払う資金が不足しています。

 

これからの各教区の課題と展開

北海道特別教区 小泉 基(北海道特別教区長・ 函館教会牧師)

北海道特別教区の40年目のあゆみが始まりました。今期からは、6つの会堂をもつ4つの教会による一致したあゆみです。規模が小さいことのメリットを活かして、フットワークよく取り組みをすすめていきたいと思います。
さっそくウェブ会議システムを導入して定期的な牧師会をはじめました。隣の教会まで車で5時間もかかるような地域にあって、IT技術も大きな助けになると実感しています。
さて、現在の教区の最大の課題は、全体教会からの支援金が減少していく中でも教区財政を破綻させないことです。そのため今期からさらに緊縮財政が徹底されます。お金が足りない分は創意と工夫で乗り切っていきたいと思います。
これは今回のコロナ禍以前からの計画だったのですが、今期の取り組みの主眼は各教会の足腰の強化におかれています。そのため今期は教区全体の行事の開催を見送り、各個教会の宣教強化プランを教区が支援する計画が立てられました。
一方で、離れているからこそ共に集って思いをあわせることの必要性も感じています。しかし各個教会においてすら集って活動することが難しい今、困難な中にある世界と信仰の仲間のことを思って、教区に属する全員で1日1回主の祈りを祈りましょう、との呼びかけがなされています。 教区の仲間の顔を思い浮かべながら祈る主の祈りによって、祈りによる一致が生まれていくと信じています。

 

東教区 松岡俊一郎(東教区長・ 大岡山教会牧師)

東教区は、来年度から始まる新しい第7次宣教方策「新しい教会を目指して」の作成の準備を進めています。37教会を教会現場では31人の教師+3信徒宣教師で牧会しており、この他ルーテル学院・神学校、教会事務局、本郷学生センター等で10名が働いています。またこれらの教師が福祉施設や幼児教育の場で働いています。
これからの10年、教区内の定年を迎える牧師が多いことと牧師の充足率の公平感を考えると、これまでの1教会1牧師の人事配置が難しくなることが見えており、これにどのように対応するかが直近の課題となっています。
兼牧体制は当然のこと、中・長期的には教会や地区の再編も視野に入れています。各教会・各地区の意見を聞きながら、それぞれの立場で考えていただき、集約する形での宣教方策としたいと思います。
今年に入り、新型コロナウイルスへの対応が急浮上しました。感染増加が著しい首都圏を抱える教区として、各教会への礼拝と集会休止の提案、受難週と復活祭のための「個人・家庭礼拝のしおり」を発行、東教区NEXTと教育部の共同で教会学校と子ども礼拝への働きかけを行っています。
この感染症がいつ収束するのかまだ見えていませんが、状況次第によっては、1つの場所に集って礼拝をするというこれまでの教会と礼拝の概念を見直す必要があるかもしれません。
その先駆けになるかどうかは分かりませんが、常議員会をウェブ会議で始める準備をしています。

東海教区 徳弘浩隆(東海教区長・大垣・ 岐阜・ 新霊山・知多教会牧師)

昨年帰国し、初めての東海教区。今までの所属は、西教区、東教区、教会事務局、ブラジルです。帰国1年で教区長に選出され、驚きと恐縮の気持ちです。
働き場の違いはあれど、危機感は同じ。むしろ、より現実のものとなりました。また、10年外国で働き、宣教師の教会の良さとそれに慣れ「自立した教会」になることの難しさを、宣教師の側からも見、考えさせられました。
東海教区は「宣教共同態勢」と「福祉村構想」が両輪です。「人件費共同拠出金制度」で他教区の「特別協力金」を超えた、より実質的な支え合いの制度で宣教に当たっています。
しかし牧師充足率は48%となり、1教会に2~3の礼拝所を持つ所や施設併設のところもあり、牧師の兼任は激務です。一方、信徒の方々は大きな宝で、教会を支え、信徒説教者にも教区で取り組み、司式や説教奉仕をする方もおられます。
課題と取組みは、①牧師が無理なく働ける環境づくり、霊肉の健康維持への対策、②信徒の育成と更なる奉仕の場整備、③次世代育成と献身者育成、④福祉を宣教に生かせる流れ作り、⑤教会事務や文書管理の電子化による事務負担軽減・経費削減による伝道費確保で伝道の振起、⑥必要なら教会再編や老朽化教会・牧師館対策、⑦地区見直しの可能性、⑧教区規則見直し、⑨災害対応キットと 救援チームの設置、⑩日本在住外国人宣教などを挙げ、常議員会で話し合いました。新型コロナウイルス感染症(COVID?-19)対策もあり、ウェブ会議や各層メイリングリストでの会議、文書電子化のためのグループウエア利用も取組み始めています。COVID-19で思い知らされるSDGsへの教会としての悔い改めや取り組みも必要です。丁寧に話し合い、より良い教会の在り方を共に夢見ながら歩みたいと思っています。

西教区 水原一郎(西教区長・シオン教会牧師)

先の教区総会に於いて、西教区長に選出されました。出身は板橋教会、これまで、千葉県の稔台教会が3年、福岡県の久留米/田主丸/大牟田教会が7年でした。現在は山口・島根県のシオン教会(柳井・徳山・防府・六日市、「一粒の麦(柳井)」、「心促協会(防府)」で7年目の春を迎えています。趣味は縄飛び。30分で3千5百回跳べるようになりました。
さて、「教区の課題と展望」をこの場で問われました。教区の役割とは、各教会が直面する課題や地域の事柄を担い、祈り、そして共に歩んで行くことにあると思います。教会を起点・基点として生活されている信徒の方の思いと願いを、これまでの教区常議員会が丁寧に寄り添い、聞いて行ったことに倣い、今後の歩みを共に整えて行くこと。畿内・中国・四国地域で、複数の教会(礼拝所)をカバーする教職とその家族が配置されている現実を、その生の息吹において理解すること。それらを大切にしたいと思います。 そして「釜ヶ崎活動」については、信徒の皆さま・教会・教派を含め全国の皆さまからのご支援を頂いております。本当にありがとうございます。今後もどうぞ続けてお支えをよろしくお願いいたします。
教区の今後の展望は、同じ総会で選出され、信任されたお一人おひとりと共に担うものであると思います。共に担ってくれる大切な仲間です。困難な時代ではありますが、主から託されたものを引き継ぐために努力していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

九州教区 角本 浩(九州教区長・神水・荒尾・合志・松橋教会牧師)

今期、宣教方策として、「20年後に持続可能な教会へ ワンチーム九州」と銘打ち、牧師が住んでいない教会を、互いにカバーし合っていく方向を目指しています。昨年、久留米教会、田主丸教会、大牟田教会、日善幼稚園の働きを、たくさんの人々の協力で担い合ったことで、ひとつとなる力を改めて感じたことも契機と言えるでしょう。ひとつの方法として、すでに阿久根教会、鹿児島教会、大江教会で展開されているテレビ中継による礼拝を広げていけるか、検討していきます。
牧師数減少に伴って、新しい形になった具体的な1つは、室園教会の牧師が、九州ルーテル学院大学チャプレンを兼務するということです。関わる牧師の労力は多くなるでしょう。働き方改革も必要です。でも、学校と教会をこれまで以上に強く結び付けていくことができます。その意義を、積極的に受け止めています。
「九州教区はまさに法人会連合」です。ほとんどの地域で、社会福祉法人、学校法人、宗教法人が入り混じって宣教を行っています。実に恵まれたことです。今後も、その連携を大切にして行きたいと願っています。
新型コロナウイルスの影響によるものとはいえ、今春、およそ20年ぶりに教区総会で教職授任按手式が行われました。この厳粛な儀式に初めて参列した方々も多かったと思います。新しい息吹を多くの方々で共有できたことを感謝しております。
これからも九州教区をよろしくお願いします。皆様のうえに祝福がありますように。

20-06-01「勇気を出しなさい」

「ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。」          (マルコによる福音書6・48〜50)勇気を出しなさい」

 正直、『るうてる』6月号の巻頭説教に何を書いたら良いのか迷いました。
私がこれを書いているのは5月1日ですが、熊本でも感染症対策のために礼拝休止の延長を決定した教会が多数あります。そして、それは熊本に限ったことではないでしょう。この事態の中で、礼拝について、信仰生活について、またもっと広く教会について考えさせられています。
時代がコロナ以前とコロナ以降に分けられると言われることもあります。世界や社会が大きく変わっていく中で、そこに存在する教会も現に対応が求められ、礼拝のあり方など変化が必要とされてきているところだと思います。そして、それはときに不安や恐れを伴うものでもあるでしょう。この中で私たちにはどんなみ言葉が与えられていくのでしょうか。

 私には、逆風のために湖の上でなかなか前に進めないでいる弟子たちに向けて語られたイエスさまの言葉が響いてきました。湖の上を歩いてきたイエスさまを幽霊だと思い、怯えて絶叫する弟子たちにイエスさまが語られた言葉です。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」(新共同訳マルコ6・50)

 ところで、聖書協会共同訳では直訳として次の言葉が紹介されています。
「勇気を出しなさい。私だ。恐れることはない。」(聖書協会共同訳マルコ6・50注d)
「安心しなさい」と「勇気を出しなさい」。同じ言葉が二通りに訳されています。この二通りの翻訳から次のような印象を受けました。
「安心しなさい」との言葉からは、イエスさまのもとでホッと一息ついたり、ちょっと休んだりするようなこと。一方で「勇気を出しなさい」との言葉からは、イエスさまから強く押し出されていくようなことをイメージしました。

 そして、この2つのイメージが1つの言葉に内包されていることは、安心することと勇気を出すこととのつながりを示しているのかもしれません。歩き始めたばかりの子どもが自由に世界を広げて冒険していけるのは、たとえ転んでしまっても絶対的に安心できる親という存在がいるからであるように、歩いて転んでは神の許に返り、また勇気を出して歩き始めるというサイクルが見えてきます。
そして、私は、このイエスさまの言葉に強く背中を押されるような思いになりました。
弟子たちがいたのは風が強い湖の上です。何かあったら溺れてしまうかもしれない危険や恐れがあります。また、湖の上で漕ぎ悩み、事態が思うようにいかないもどかしさやこのままでいいのかという心配もあったでしょう。しまいにはイエスさまさえも幽霊だと見間違えてしまう中で、つまり神不在のように思える中で何が神さまのみ心なのか分からない孤独と不安とがあったかもしれません。幽霊が来たと思ったときには、「もうダメだ」とすら思ったでしょう。

けれども、イエスさまはすぐに彼らに向かって開口一番言われました。
「勇気を出しなさい。」
イエスさまは、前に進めないでいる弟子たちに向かって言われます。「勇気を出しなさい。」恐れの中に取り残されてしまった弟子たちに向かって言われます。「勇気を出しなさい。」そして神さまもイエスさまも見えない中にある弟子たちに向かって言われます。「勇気を出しなさい。」
私たちは、加速していく世界の流れの中で、またそこに生きる人びとに向かっていく中でなかなか前進できないことがあるかもしれません。不安や恐れがあって新しいことに一歩踏み出せないこともあります。何よりも神さまのみ心を尋ねながら、それが分からない中で停滞してしまうことも起こりえます。

 そんな私たちに向けてイエスさまは言われるのでしょう。「勇気を出しなさい。恐れることはない。私がいないように思えても、私がここにいる。私だ。私が確かにあなたと共にいるのだ。安心して、さあ、行こう。舟を漕ぎ進めていこう。大丈夫。勇気を出して、この世界を共に行こう。」

日本福音ルーテル水俣・八 代・鹿児島・阿久根教会  関 満能

 

20-05-22

わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。」  (民数記11・29)

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
「突然、天の中から外へ音が来た。猛烈な息のようであった。そして、彼らが座っている家を満たした。」(使徒言行録2・2より私訳)と記されています。「天の中から外へ音が来た」とあるように、聖霊は「音」であり、それが「猛烈な息」だったと表現されています。詩編には「あなたの顔をあなたが隠せば、彼らは恐れる。あなたが彼らの息を取り除けば、彼らは枯れ、塵に返る」(詩編104・29より私訳)と記されています。
またエゼキエル書37章の預言にも、谷のおびただしい枯れた骨が、預言すると集まり肉と皮が付いたが、彼らの中には霊は無かったとあります。そして、更に霊に預言すると、それらの中に入り、生き返ったとあります。

人間の創造においても、塵から象った人間に鼻から息を吹き込むと生きる者となったと記されています。このようにして、神の霊、息こそが私たちを生かす源であると聖書は証ししています。

この私たちを生かす息が、教会を教会とするのです。「一同が一つになって集まっている」とあるようにそこにはキリストの弟子たちは集っていました。そんな彼らに主は「猛烈な息」を送り、神の御心を語る者へと造り変え、新しい命の道へと遣わし、教会という神の御心を世に証しする人々を召
し出したのです。
しかしこれは新奇なことではありません。「わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望している」(民1・29)と語られているように、神は私たち一人ひとりが主の御ことばを人々に語り、伝えることをずっと心から望んでおられることです。
ですから、それは今を生きる私たちに対しても神が望んでおられる思いです。私たち一人ひとりが神から召された預言者であり、神の御ことばを世に宣べ伝えることによって教会は教会とされる。この神の出来事こそが教会が教会として立つ本質です。

私たちは、様々に対策を講じ、宣教とは、伝道とは何かと考えます。しかし、それが人間の知恵によるものに陥っていないか。私たちに与えられている猛烈な息を感じない状態にないか。その息は、何をせよと、何を語れと命じているでしょうか。この事を改めて神から問われています。神の御ことばを伝えること、そのままに、私たちの思いを混ぜて語るのではなく、神の御ことばそれ自身を語ること。これこそが主が切望し、命じられていることです。

ですから御ことば(神)を信じ、委ねていくことによって初めて教会は、キリストを、世に主を証しすることができます。その時、先に述べた私自身の思いに加えて、それを止めさせようとする同胞も居ます。嫉む者や妨害する者もあります。酒に酔っていると嘲笑する者も現れます。
時には教会は世の通説や、言説、慣例などと反発する時もあります。しかし、それが神の御ことばであるならば、私たちは「わたしの言葉に耳を傾けてください」と叫ぶのです。主はこう語られている。全ての人が主の御心を知るために世に語り続けねばなりません。私たちは主の猛烈な息に生かされているのですから、それらの者には決して殺されません。

この源である息をキリストは受けなさいと命じられています。私たち自身では語りえない言葉を語らせ、成し得ない行いを成し遂げるための力をキリストの息を受けることによって与えられるのです。キリストを語るためにキリストから与えられている息が私たちを真に生かし、預言者としています。
息をしなければ語れないように、この息が無ければ御心を語りえない、成し得ないこと。主が私たち一人ひとりに猛烈な息を吹き込んで臨み、私たちを満たしています。

「主の民すべてが預言者になればよいと切望している」神の御心が現実となることを私たち自身の祈りとし、神からの息に導かれ、強められながら福音宣教が成ることを信じていきましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

日本福音ルーテル西宮・神戸・神戸東教会 牧師 竹田大地

 

20-05-03るうてる2020年5月号

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説教「息」

日本福音ルーテル西宮・神戸・神戸東教会 牧師 竹田大地

「わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。」(民数記11・29)

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

「突然、天の中から外へ音が来た。猛烈な息のようであった。そして、彼らが座っている家を満たした。」(使徒言行録2・2より私訳)と記されています。「天の中から外へ音が来た」とあるように、聖霊は「音」であり、それが「猛烈な息」だったと表現されています。詩編には「あなたの顔をあなたが隠せば、彼らは恐れる。あなたが彼らの息を取り除けば、彼らは枯れ、塵に返る」(詩編104・29より私訳)と記されています。
またエゼキエル書37章の預言にも、谷のおびただしい枯れた骨が、預言すると集まり肉と皮が付いたが、彼らの中には霊は無かったとあります。そして、更に霊に預言すると、それらの中に入り、生き返ったとあります。
人間の創造においても、塵から象った人間に鼻から息を吹き込むと生きる者となったと記されています。このようにして、神の霊、息こそが私たちを生かす源であると聖書は証ししています。
この私たちを生かす息が、教会を教会とするのです。「一同が一つになって集まっている」とあるようにそこにはキリストの弟子たちは集っていました。そんな彼らに主は「猛烈な息」を送り、神の御心を語る者へと造り変え、新しい命の道へと遣わし、教会という神の御心を世に証しする人々を召し出したのです。
しかしこれは新奇なことではありません。「わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望している」(民1・29)と語られているように、神は私たち一人ひとりが主の御ことばを人々に語り、伝えることをずっと心から望んでおられることです。
ですから、それは今を生きる私たちに対しても神が望んでおられる思いです。私たち一人ひとりが神から召された預言者であり、神の御ことばを世に宣べ伝えることによって教会は教会とされる。この神の出来事こそが教会が教会として立つ本質です。
私たちは、様々に対策を講じ、宣教とは、伝道とは何かと考えます。しかし、それが人間の知恵によるものに陥っていないか。私たちに与えられている猛烈な息を感じない状態にないか。その息は、何をせよと、何を語れと命じているでしょうか。この事を改めて神から問われています。神の御ことばを伝えること、そのままに、私たちの思いを混ぜて語るのではなく、神の御ことばそれ自身を語ること。これこそが主が切望し、命じられていることです。
ですから御ことば(神)を信じ、委ねていくことによって初めて教会は、キリストを、世に主を証しすることができます。その時、先に述べた私自身の思いに加えて、それを止めさせようとする同胞も居ます。嫉む者や妨害する者もあります。酒に酔っていると嘲笑する者も現れます。
時には教会は世の通説や、言説、慣例などと反発する時もあります。しかし、それが神の御ことばであるならば、私たちは「わたしの言葉に耳を傾けてください」と叫ぶのです。主はこう語られている。全ての人が主の御心を知るために世に語り続けねばなりません。私たちは主の猛烈な息に生かされているのですから、それらの者には決して殺されません。
この源である息をキリストは受けなさいと命じられています。私たち自身では語りえない言葉を語らせ、成し得ない行いを成し遂げるための力をキリストの息を受けることによって与えられるのです。キリストを語るためにキリストから与えられている息が私たちを真に生かし、預言者としています。
息をしなければ語れないように、この息が無ければ御心を語りえない、成し得ないこと。主が私たち一人ひとりに猛烈な息を吹き込んで臨み、私たちを満たしています。
「主の民すべてが預言者になればよいと切望している」神の御心が現実となることを私たち自身の祈りとし、神からの息に導かれ、強められながら福音宣教が成ることを信じていきましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

 

エッセイ 命のことば  伊藤早奈

②「紅梅」

「朝早く、都に帰る途中、イエスは空腹を覚えられた。道端にいちじくの木があるのを見て、近寄られたが、葉のほかは何もなかった。そこで、「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と言われると、いちじくの木はたちまち枯れてしまった。」(マタイによる福音書21・18~19)

今年、庭の紅梅が1月の中旬に咲き始め、2月の中旬までには満開になりました。
嬉しく思うやら、驚いてしまうやら。勘違いをしたのかしら?間違えたのかしら?暖冬だったから。やはり、地球の温暖化が進んでしまっているからかしら?見ている私たちはいろいろな理由を常識から引っ張り出そうとするかもしれませんし、いろいろな意味でそういう理由からなのかもしれません。
でも、ちょっと待って下さい。「梅の木がイエス様に出会ったのかな。」と思うと私たちはイエス様が一人一人に与えられる「とき」を感じることができないでしょうか。どんなに常識的に見て理解出来ないことであっても。信じられないほど変でも、突然でも、それは神様であるイエス様が与えて下さる「とき」なんだなぁと私は思いました。私もイエス様に出会う「とき」に向き合う準備はできているのかが不安だけど、そのように頼りない私とでも、イエス様は共にいてくださるんだな、だから大丈夫かなって思います。
今年は暖冬とはいえ、気候がどうなっていくのか私たちは不安になったり反省したりします。でも、神様であるイエス様が与えて下さる「とき」は、ふさわしい「とき」です。

 

議長室から

「外的奉仕のための内的集中」(ボンヘッファー)  総会議長 大柴譲治

危機的な状況になればなるほど私たちの意識は覚醒します。サバイバルのために全力を尽くさねばならないことを本能的に察知するためでしょう。現在世界中で新型コロナウイルスとの壮絶な闘いが展開されています。予断を許さないことは刻々と伝えられる諸外国の現実からも分かります。日本もその渦中にあります。先が見えない恐れと不安の中に私たちは置かれていて、「教会(エクレシア)」に集うこと自体が困難となっています。「すべてのいのちを守る」ために私たちが今求められていることは何か。私は思います。それは、神の御言にひたすら聽くことであり、神の御心を知るために無心に祈ることだと。特に詩編と「主の祈り」を相互に声に出して祈ることは有用です。「キリストの声」には私たちを落ち着かせる神の力が宿っているからです。
ドイツ教会闘争という危機的状況にボンヘッファーは「ブルーダーハウス」(牧師補研修所)設立のために「外的奉仕のための内的集中」と言いました。「彼らは、常に兄弟の交わりから出発し、またそこへと帰って行くことができるなら、そこに、彼らの奉仕のために必要な故郷と交わりを見出すのです。そこで目標とされているのは、修道院的な隠遁の生活ではなく、外に向かって奉仕するための、内的に最も深められた集中の生活です」(選集VI『告白教会と世界教会』)。ボンヘッファーは「交わりの生活」を通して「教会」において現臨するキリストにどこまでも集中してゆきます。「自分の心の中のキリストは、兄弟の言葉の中のキリストより弱い」(『共に生きる生活』)とまでも言うのです。私たちは相互に御言を伝えてくれる他者の「声」を必要としています。
今回のことで私たちは、礼拝に集う兄弟姉妹の交わりが決して自明ではないということを認識しました。それは神の恩寵です。「エクレシア」は「キリストに呼び集められた者の群れ」のことですが、それは「一つに集められたかたち」(主日礼拝や聖研・祈り会等)と「散らされた(ディアスポラ)かたち」(日々の生活)の両者において存在します。「共にある日」にも「独りでいる日」にも、私たちはキリストの身体の一部分として結び合わされていて、顕在と潜在を通して私たちはひとつの教会であり続けるのです。私たちは今この時を「外的奉仕のための内的集中の時」として位置づけ、それぞれの場で祈りを合わせてゆきます。お一人おひとりに神の恵みが豊かにありますように祈ります。シャローム。

 

讃美歌と私たち

賛美歌と私たちの今(11) 小澤周平(名古屋めぐみ教会牧師)

『教会讃美歌』の編集当時には興味深い話題も。それは、歌の最後に付ける「アーメン」のこと。
すべての賛美歌の最後に本来その歌に含まれない「アーメン」を付ける習慣は、19世紀後半の英国に始まりました。日本では、1931年と1954年に出版された『讃美歌』でのみ採用されました(*)。 この習慣は、聖歌等では認められませんし、『讃美歌第二編』も踏襲していません。ルーテル教会について言えば、ドイツや北欧では元来、そして、米国でも約半世紀前から、この習慣は見られません。
賛美歌の最後に「アーメン」を付ける場合、その賛美歌が礼拝においてどのような役割を担っているかを事前に検討する必要があります。この事は『教会讃美歌』の編集中にも議論されました。ぜひ、序文後の「解説」を読んでみてください(興味のある方は『讃美歌21』も参考に)。
このように、教会暦、口語、超教派、アーメン等々、『教会讃美歌』は様々な挑戦を試みてきたことが分かります。そして、その挑戦は「サンビカ」の系譜の中で、連綿と継承されてきた取り組みであり、かつ、後世に継承してきた取り組みでした。
さて、私たちの今を見つめてみましょう。2008年に実施されたルーテルの讃美歌委員会のアンケートによると、JELCのほぼ全ての教会が、『讃美歌』(1954年版)、『教会讃美歌』、『讃美歌21』の単独使用か、ないし、二つ以上の複数併用となっています。従って、この三冊が「サンビカ」の系譜にある、私たちの教会の主要な使用歌集と確認できます。
それでも、各個教会には独自の歴史と伝統があります。他教派の歌集や、外国の歌集を用いる教会もあります。同じ歌集であっても、歌唱法、奏法、運用方法まで及んで細部まで検討すると、様々な状況が存在しています。この多様性は在って然るべきもの。なぜなら、賛美歌と礼拝と信仰生活がつながっているのだから。それが、賛美歌と私たちの今です。
次回は最終回。私たちの将来に目を向けてみたいと思います。(続く)
*水野隆一「「礼拝における歌」を知る ―リテラシーの重要性」『礼拝と音楽 178号』日本キリスト教団出版局、2018 、49 頁)

 

プロジェクト3.11  9回目の3・11を憶える礼拝 久保彩奈(本郷教会)

2011年3月11日。あの日、あの時、あなたはどこにいましたか。わたしもあなたも、そして大切な人の命も脅かされた東日本大震災。大地が揺れ、大津波が襲来したあの日からもう9年が経ったというのに、わたしたちの嘆きは消え去ることはありません。たとえ記憶の鮮明さは欠いたとしても、あの震災を思い起こしたいと願います。 あの日の悲しみと不安、そしてその後を生きる人々の懸命さと出会い、つながり続けることの意味を想います。
しかし、この9年で一体何が変わったでしょうか。被災者、避難者が納得する形での賠償はされないまま、「命」を最優先しない怒りと嘆きがあります。この痛みを、今、感染症拡大という違う形ではありますが、多くの人が味わっていると思います。このような大きな不安の中でも集い、祈りを寄せ合えたことを、感謝をもってご報告いたします。
わたしたち「東教区プロジェクト3・11」は、これまで毎年「3・11を憶える礼拝」を行ってきました。今年も礼拝の準備をしていたところ、新型の感染症が拡大。東京都内でも感染症拡大防止を考慮した主日礼拝の方法が検討され、各個教会で決断を迫られていました。これらの状況を鑑みて、今年は3月11日19時から小石川教会にて、礼拝は短縮させ、web中継も実施しました。中継も含めて約30名が礼拝を共にしました。
説教は小石川教会の?野昌博牧師が「助けは来る、主のもとから」と題し9年前の震災を振り返りつつ福音を語ってくださいました。それは、いかなる災害も神の摂理だからこそ、神様の警告と約束があること。傍若無人な開発と発展を推し進めた人間が立ち止まり、神様の恵みの統治に方向転換することが、あの災害を無意味にしないことだと語られました。
わたしたちは、その警告と約束を主の恵みの中で、改めて受け取りたいと思います。それは「今」に目を向け、声を聴き、共に歩むことです。そこにこそ希望があると信じています。

 

ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校が新年度へと歩み出しました

今年度のルーテル学院大学・日本ルーテル神学校は、ルーテル学院大学総合人間学部104名(編入学を含む)、大学院12名、そして神学校に2名の新入生を迎えてスタートしました。神学校の牧師養成コースの新入生は河田礼生さん (JELC三鷹)と坂口晴実さん(JELC大岡山)です。昨年度から開設された神学一般コースには1名の新入生を迎えることとなりました。
そして今年度よりルーテル学院大学学長には昨年度まで日本ルーテル神学校の任を負っておられた石居基夫先生が就任、神学校校長には都南教会との兼任として立山忠浩先生が就任され、新しい体制での大学・神学校運営が始まりました。
新型コロナウイルス感染症拡大防止対策のため、既に2019年度末に行われた神学校の夕べや卒業式では感染防止に留意しながら実施されておりましたが、新年度にあたっては、東京都内での感染拡大さらには緊急事態宣言を受けて、予定されていた様々な行事・プログラムを急遽変更せざるを得なくなりました。
入学式は中止、神学校入学始業聖餐礼拝、また学長・校長就任式は延期となり、5月7日までは大学・神学校校内への立ち入りが制限され、大学窓口も閉室となりました。新学期のオリエンテーションなどは5月8日以降に延期され、授業開始は5月11日からとなる予定です。

 

JELAカンボジアワークキャンプに参加して 本間いぶ紀(甘木教会)

初めて行ったカンボジア。それがJELAのワークキャンプで良かったと心から思っています。もし単なる観光でカンボジアを訪れていたら、カンボジアが抱える問題に気づくことができなかったと思います。
首都プノンペンで過ごした1週間は貧富の差を目の当たりにしました。ビルが立ち並び、人々が近代的な暮らしをする街から、ワークのために車でほんの少し移動すると、舗装されていない道路や清潔な水を使うことのできない環境、女性や子どもが安心して暮らすことのできない環境がありました。事前に大学の授業や自身で調べて知っていたことではありましたが、とてもショックでした。
近年のカンボジア経済は高成長していますが、そこから弾かれた人々が多く存在することを実感しました。わたしたちが行った時はちょうど干ばつで多くのため池が干上がっていました。また、少数派のイスラム教信仰者が多い地域では幹線道路にも関わらず、政府の支援が少ないため、あまり整備されていませんでした。
LWD(Life With Dignity)で聞いた話の中の「カンボジアの平等な開発」がいかに重要なことかを考えさせられました。その「カンボジアの平等な開発」をする上で、わたしたち日本人ができる支援は何だろうと考えたときに、現地で活かすことのできる技術や知識の提供がすぐに思い浮かびました。しかし、それらはわたしのような技術も知識もお金もない大学生ができるものではありません。支援をしたいけど、難しい状況にもどかしくなりました。
そんな中でも、ひとりの人間として、クリスチャンとしてできることがありました。この現状を世の中の人に「知ってもらう」ことです。わたしは今回の渡航で、カンボジア国内の経済格差やポル・ポト政権が行った残虐な行為をこの目で見て深く知りました。キリングフィールドやトゥールスレン拷問博物館、地雷博物館では、海外から来た人たちにカンボジア国内でポル・ポト政権が何をしてきたか、どんな残虐な行為をしてきたか、見るに耐えない事実を教えてくれました。 「知る」「知らせる」ことで支援の輪が広がること、知らなくては何も始まらない、正しく知ることで正しい支援ができるのだと強く感じました。そして、今自分にできることをしたいです。
将来、カンボジア支援に携われる機会が与えられたときのための備えをしていきたいです。学びある濃い10日間をありがとうございました。

 

慈愛園創立100周年を振り返って 潮谷義子(社会福祉法人慈愛園理事長)

モード・パウラス女史の宣教師としての信仰に基づいて始められた慈愛園は、2019年創立100周年を迎えることができました。
まず、11月9日に法人内の3か所の保育所合同のお祝い会を開き、教会堂いっぱいに幼な子たちの声が楽しく元気に響き渡りました。11月16日に記念式典、ホーム・カミングデーの集い、17日に?本浩牧師、大柴譲治総会議長により記念礼拝を行いました。各々の会には卒園生、地域、旧職員、現職員の出席があり、自分たちが過ごした頃の園生活を懐かしみ、思い出話で満たされていました。
何より100年を迎えるにあたっての大きな喜びは、法人慈愛園の統一聖句として、3人のチャプレンの先生(?本、小泉、木下)に主題聖句「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマの信徒への手紙12章15節)を決めていただいたことです。
100年を振り返りますと、まさにパウラス先生の信仰の結晶「散らされた人々を集め、ひとりも失われないようにする」この道標をめざして歩き続けてきた歴史であったことを実感します。
現在、寄附金等を活かした取り組みも進めています。その一つ、里親・養子縁組の支援や家庭福祉相談の窓口の設置については既に取り組みを始めており、障がい者を中心に「誰もが集い、楽しみ、学べる場づくり」として、「地域交流施設」の建築の準備を進めています。
今後とも、神様の祝福、多くの方々の祈りと御支援のもと、人知では計り難い歴史に向かって歩んでまいりたいと願っています。

 

なごや希望教会新礼拝堂竣工報告「神集め給う教会として」 末竹十大(なごや希望教会牧師)

新型コロナウイルス感染予防のために、2020年3月8日に予定していた献堂式を延期する決断をして、3月1日から新礼拝堂での礼拝が開始された。何となく、けじめのない新礼拝堂での礼拝開始と思ったが、礼拝は特別の出来事ではない。いつも週の初めには一人ひとりが集められ、みことばの糧に与る。教会がこの歩みを止めることはない。終わりの日に至るまで、礼拝を起点としつつ、神の民として歩み続ける教会。如何なることがあろうとも礼拝は守られていく。建物があろうとなかろうと、礼拝は守られていく。
献堂式延期を決断したとき、喜びに溢れた晴れの場が失われたように感じた。しかし、我々が歩んできた建築の歩みを考えれば、これも神のご意志と思える。15年の歳月を新礼拝堂で礼拝する日を望み見ながら、あっちに行き、こっちに行きと迷いつつ歩んできた。いつになれば、建築に取りかかることができるのだろうかと落胆したときもある。資金が足りず、牧師館は既存のままにしようと考えたこともあった。鉄筋コンクリート造にはさらにお金がかかるということで木造の礼拝堂となり、収容人数は以前より少なくなった。そして、最後に献堂式の延期である。我々の望むようにはならなかった。しかし、神の意志がなっている。
礼拝堂がなくとも、幼稚園園舎で礼拝を守り、我々はなごや希望教会であり続けた。そこにあったのは、ただ神が一人ひとりを集め給い、語り給う礼拝であった。そして、新礼拝堂が竣工し、けじめもなく普通に礼拝場所を新礼拝堂に移すだけの礼拝開始。考えてみれば、これで良いのだ。礼拝堂が如何に素晴らしくとも、礼拝堂はただの建物。教会は建物ではない。集め給う神がおられて教会が存続する。このお方に、我々はすべてを献げてきた。これからも献げて生きる。神が喜び給う悔いた心をもって、これからも神によって集められる教会、エクレーシアとして歩み続けて行きたい、来たり給う主を待ち望みつつ。

 

TNG・ユース部門リーダー研修キャンプin沖縄のご案内

TNG・ユース部門で昨年から始まった「リーダー研修キャンプ」を本年も開催いたします。新型コロナウイルスの影響など懸念されていますが、開催する予定です。本年は、9月7日(月)~10日(木)の予定で沖縄での開催となります。沖縄の歴史と現在を見つめ、私たちが神の御ことばを聴き、与えられた御心にそって社会に何を語るべきかを考えます。沖縄の戦前、戦中、戦後を見つめる実地研修を踏まえながら、黙想を深め、祈りの時を持つプログラムです。どうぞ教会の青年たちにこのプログラムをご紹介くださり、将来ルーテル教会を担う人材の育成を共に担っていただければ幸いです。各教会に募集要項を送付していますので詳細についてはそちらを参照してください。

開催日程 2020年9月 7日(月)~10日(木)
参加費 3万円(交通費・宿 泊費込み)
対象年齢 18歳(学生以上) ~35歳
募集人数 最大14名
申込締切 2020年6月7日(日)
申込先
〈Eメール〉lt.tngyouth※gmail.com (※は@に変換してください)
もしくは 〈ファクス〉(0798)23・1735
受付担当 竹田大地宛

※航空チケットの手配のため締切厳守とさせていただきます。締切以降の申し込みについては、別途航空機代を頂く可能性があります。
※応募者多数の場合はこちらで選考させていただきます。
※新型コロナウイルスのため開催の可否は2週間前までに判断いたします。

 

スオミ教会移転報告2 吉村博明(スオミ教会派遣 SLEY信徒宣教師)

(前号より続く)
その後これ以上改修しても問題は解決しないとの結論に至り、2017年の臨時総会で「賃貸物件に移転してそこで教勢拡大に努め、土地建物の売却金プラス自己資金をもって自前の教会を目指す」という決定がなされました。
賃貸物件探しは難航を極めました。宗教目的はどこでも敬遠されたからです。臨時総会から2年、やっとひとつ早稲田大学の近くに見つかりました。契約、引越し、改修等の初期費用は半額近くをフィンランドの国教会からの支援に負いました。改修して、小さいけれど明るく慎ましい感じの礼拝堂と集会室を備えた教会が出来上がりました。昨年9月、?野東教区長(当時)をお迎えして献堂の祝福をしました。今後は臨時総会で決めた目標を目指して、この早稲田の地で伝道に励み教勢を拡大していかなければなりません。

 

日本福音ルーテル教会財務委員会からのお知らせとお願い

主のみ名を讃美いたします。
感染症拡大の中で、すでに2月下旬から公開の主日礼拝、また週日の集会等を中止されている教会が多いことと思います。また4月9日の「議長談話」にある通り、「緊急事態宣言」が出されたことによって、今後も、この傾向は続くものと理解しております。このような状況の中で各個教会におかれましては、献金収入が大幅に減少していることと思います。財務委員会では、このような状況を把握しつつ、以下の対応を検討していること、また各個教会にお願いしたいことをまとめました。ご協力をよろしくお願い申し上げます。
財務委員会としては、今後、各教区、神学校と協議、調整を進めつつ、以下の施策をもって、この事態に対応することを検討しています。(日本福音ルーテル教会常議員会にて最終的に決定されます。)

(1)協力金の減免
(2)「建築積立会計」から の「繰入金」の参入を認 める(協力金の対象額から除外する)

また各個教会には以下のことを当座の対応としてお願いいたします。

(1)「牧師給」につきましては、これを堅持して頂きたくお願い申し上げます。
(2)このために社会保険料 の牧師負担分、教会負担 分につきましては2020年度末まで猶予することができます。加えて協力金、転任積立負担金、郵税献金、神学生奨学金負担金等についても同様に2020年度末まで 猶予することができます。
(3)また各個教会の積立金、「一般積立会計」、「建築積立会計」に資金の留保がある場合、これを用いて対応をお願い申し上げます。
(4)それでも資金的に困難な場合、各教区に資金貸付をお願いしています。その際は、遠慮なく教区長にご相談くださいますようにお願いいたします。

未曽有の出来事の中で、信徒の方の中にも生活に困窮を覚える方も多くおられることと推察いたします。また感染症への対応が長期化することが予見されます。今後も、財務委員会は状況に応じて柔軟に対応していく所存です。
日本福音ルーテル教会の宣教の屋台骨を支える教職の生活を支えることが、主の御業の進展を支えると信じて、すべての信徒の力を合わせて、この難局を乗り越えていきたいと考えます。ご協力をよろしくお願い申し上げます。

2020年4月10日
日本福音ルーテル教会
会計 木村 猛
財務委員会委員長 古屋四朗

 

第29回日本福音ルーテル教会総会延期のお知らせ  滝田浩之(事務局長)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大に伴い
標記の件、日程が変更されたことをお知らせいたします。

開催日時
2020年9月21日午後1時~9月22日午後3時半まで。
開催場所
ルーテル学院大学
東京都三鷹市大沢3-10-20

第28期第7回常議員会にて承認されました。9月までの行政は、新たな教区常議員を加え第28期総会期が継続するものとします。

20-04-03るうてる2020年4月号

機関紙PDF

説教「聖鐘に導かれて」

日本福音ルーテル教会牧師 鈴木英夫

「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。」 (詩編119・105)

まことに小さく曖昧な国に、再び確かな主の御復活が告げられようとしている。イエス・キリストの十字架の出来事により人類は贖われるのだ。まことにありがたい。
我が国の復活祭はおおよそ、春、桜の頃となる。卒業や進学、就職や引退など人生節目の時、何かワクワクする季節…。新しい教科書を手に、どんな師や友と出会うのか、期待と不安の中にいた記憶が甦ってくる。
中学2年の美術の授業で老先生が1枚の絵を掲げ、「ある部分が無かったら絵の命が失われるが、それは何か?」と質問された。…数人が答える、が正解は出ない。初対面の絵に私の思考は止まったまま? すると先生が「こ・れ・」と夕暮れの地平線の小さな影を指で隠した。…「教会堂」だった。
やがてその絵が、平原を鳴り渡る鐘の音を合図に、農民が手を休め夕べの祈りを捧げる様子を描いたミレー作「晩鐘」だと知る。へー、そんな人たちがいるんだ、そんな国があるんだ…と不思議に思った。…暗闇に住む私の中に福音の光が指し込み、希望の種が蒔かれた瞬間だ。

30歳を過ぎた頃、友の自死に遭遇、人生を憂い、市川教会に出会う。T先生は私の話に熱心に耳を傾け、夜の聖研集会へ導いて下さった。ありがたかった。…やがて主日礼拝にも列席し、洗礼を賜ることになる。
教会には確かに「あの鐘」が備わっていた。礼拝前と聖餐(省く場合は主の祈り)の際に鳴らされる。時折、鐘打ちを託され、緊張しながら奉仕したことを忘れない。
「日本福音ルーテル教会宣教百年」の折、合志教会リニューアルに際し、大町教会に移築されていた日本宣教第1号教会堂(旧佐賀教会)の骨組みを再継承し、「創立記念会堂」を称することになった。が鐘楼に鐘がない。…すると、かつてフィンランド留学されたM先生の御尽力であろうか、シベリウスの国から新調の鐘が届く。鐘には詩編の一節が刻印されていた。

『VEISATKAA HERRALLE UUSI VIRSI(ハレルヤ、新しい歌を主に向かって歌え、詩149・1)』。
西条教会には、1962年にジョン・F・ケネディー米国大統領から贈られた「愛の鐘」が備えられていた。由来はこうだ。ジョージ・オルソン宣教師を通じ、西条教会に鐘がないことを知った米国の14歳の少年が、「大統領に頼もう」とホワイトハウスに手紙を出した。「兄弟愛の証しとして贈りたい…」という少年の思いに心を動かされた大統領は、退役駆逐艦の鐘を届けさせたという。それから半世紀、2013年、大統領の長女、キャロライン・ケネディー駐日米国大使が教会を訪れ、亡き父所縁の鐘と対面された。教会・幼稚園の礼拝等で用いられ、日米友好と兄弟愛を証する鐘が西条盆地に鳴り響いている。

聖書の時代、「鐘」はなかった。わずかに「どら」(1コリ13・1)がみえる。教会に鐘を導入したのはノーラの聖パウリノ主教(354~431)だと言われる。6世紀、鐘はイタリアからフランスに広まり、ローマ教皇サビニアヌス(在位604~606)が定時の礼拝や聖餐開始を告知するのに聖鐘の使用を公認したという。
初期の鐘は手ぶりで鳴らす小さなもの(nola)、大きな鐘(campana)が造られるようになるのは11~12世紀、現代のような鐘が普及するのは15世紀以降のことである。
中世の「聖なる天蓋」が解き放たれ、その後、教会は「世俗化」の中を漂っている。宗教に、理性や科学が対峙する社会が広がってきている…。
しかし教会は、永く継承してきた伝統から安易に離れることには慎重でありたい。「聖鐘」をはじめ「所作(十字を切る等)」、「香」などの事柄は、神学的検証と共に、再考してゆくべき事柄ではないだろうか。
教会はイエス様の十字架の愛の出来事を、あまねく世界に宣べ伝える使命を委ねられ、2千年に渡り、担い、果たしてきた。その結果、今、私たちはここに立っている。
最後の一歩に躊躇する兄弟よ、信仰の道に迷う姉妹よ…、恐れるな!主の御言葉が私たちの歩みを照らし、やがてすべてを引き受けて下さるから。光の子よ、共に歩もう。(S.D.G.)

エッセイ「命のことば」伊藤早奈

①「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」
(ヨハネによる福音書1・1)

この春からしばらく、このコラムを担当させていただきます伊藤早奈と申します。よろしくお願いします。
「命のことば」をテーマにコラムを連載させていただきます。
神学生の時に実習させて頂いて、色々な方々の人生における経験を聞かせて頂いた時は言語化されたこれこそが、「命のことば」なんだな、と漠然と思っておりました。
しかし、書字がうまくできず、賛美もできないことが多くなって、自分がしゃべる言葉さえもが人にうまく通じないと言う恐怖にも似た悲しみを感じる今、「あっ『命のことば』は言語だけじゃないんだ」と思うようになりました。
そうすると、あちらこちらにちりばめられた「命のことば」であるイエス様が、自分と共におられることを実感できるようになり、嬉しくなりました。そのように、自然の中や家族の中、色々な施設や病院で自分に語りかけられた「命のことば」を、これから皆さんと分かち合いたいと思います。

議長室から

「十字架と復活のリアリティー~ディディモのトマス」 総会議長大柴譲治

ディディモのトマス。「ディディモ」はあだ名で「双子」を意味しますが、誰と双子であったかは不明です。聖書は私たちを映し出す鏡で、そこに自身の姿が映っていると感じることは少なくありません。特に十字架と復活の場面がそうです。例えば、鶏の鳴き声に泣き崩れたペトロ。彼はイエスの否認予告とそのまなざしとを思い出したのです(ルカ22・61~62)。そしてトマス。彼の名は共観福音書と使徒言行録の十二使徒リストにありますが、第4福音書は「ディディモ」という名と共にその姿を印象深く伝えています。彼は「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」(ヨハネ20・25)と言ったことで「疑いのトマス」とも呼ばれます。そのエビデンスを求める実証主義的な態度には私たち自身の姿が重なります。トマスはこの私と「双子」だったのかもしれません。
復活したイエスが最初に弟子たちにその姿を現された時、彼はなぜかその場にはいませんでした。「主と出会った」と喜ぶ弟子たちの中で彼は1週間疑い続けたのです。8日目の日曜日。再びイエスが「シャローム」と弟子たちの前に立たれます。イエスはトマスの疑いを拒絶することなく受容するかたちで、「十字架のスティグマ(傷痕)」の残る手を彼に向かって差し出されました。トマスが実際にそこに触れたかどうかは記されていませんが、復活のキリストのリアリティ、主の現臨が彼をその根底から新たにしたのです(トランスフォーメイション)。トマスは新約聖書で最大・最高の信仰告白をする者に変えられました。「わが主、わが神」。復活の主に向かって直接「神」と告白した箇所は他にはありません。
復活の主はご自身の側から弟子たちに近づかれました。そのリアリティが「弱虫」であった弟子たちを「殉教の死をも恐れぬ確固とした信仰者」に造り変えたのです。遠藤周作は「復活は蘇生とは違う。」「復活は『事実』ではないとしても『魂の真実』だった。イエスは弟子たちの心の中に確かに復活したのだ」と言います(『キリストの誕生』)。
十字架と復活はワンセットです。トマスの深い疑いの背後には、自己の罪にただ独り苦しみ続けた真摯な人間の姿がありました。トマスは自分を赦すことができなかったのです。復活のキリストがトマスに対してその十字架のスティグマを示されたことは、「罪の赦し」と「新生(復活)」への招きであったと私は信じる者です。

 

連載 讃美歌と私たち⑩

『教会讃美歌』再考 小澤周平(名古屋めぐみ教会牧師)

『教会讃美歌』の編集過程は約十数年に渡るものでした。パソコンは普及していない時代です。手書きの楽譜(図)、英文タイプの議事録、巻末の細かい索引を眺めながら当時を想うと胸が熱くなります。ただ、寄り道が多い本連載は早くも第10回。編集委員の方々の後日談はまた別の機会に…。
先述の通り、歌集の編集は式文や教会暦等、ルーテル教会の伝統的な礼拝形式に調和することを目指しました。一方、教会全体の動きに重ねて考察すると別の特徴も見えてきます。
編集期間に当たる1960年代は、日本国内のルーテル教会同士の協力について、議論が深まった時期でもありました。実際1963年にJELCは教会合同を経験。従ってこの時代背景は歌集編集にも影響したことでしょう。
編集はJELCのみならず、日本ルーテル教団・近畿福音ルーテル教会・西日本福音ルーテル教会のメンバーが関わり、信徒・教職・宣教師から委員が選ばれ、聖文舎の事業として行われました。このルーテル内の超教派的な事業は当時としては先進的でした。もちろん、ルーテル教会外の教派との関わりもありました。そして歌集の事前調査段階では、5カ国1世界連盟から集められた計17の歌集が分析されました。
『教会讃美歌』は、ルーテル「独自」の歌集であっても、「孤立」させる歌集ではありませんでした。例えば『教会讃美歌』は、『讃美歌』(1954年版)の30の歌を転載し、それ以外にも、詞や曲で重なるものを多く含みます。両歌集を併用すると、『讃美歌』(1954年版)の賛美歌の約3分の2がカバーされます。これは、共同体において新しい歌集を導入するための数的な目安を満たします。あるいは、雑誌『礼拝と音楽』を読むと、『教会讃美歌』の働きは他教派の研究者からも高く評価されていることが分かります。
このように、『教会讃美歌』は「サンビカ」の系譜にある歴史の中で、「もっと豊かな礼拝を守る」(序文)ために世に出たことが分かります。(続く)

 

新式文導入実践報告

中島康文 (式文委員会・市川教会牧師)

〈市川教会での実践報告〉
2017年8月、市川教会では新式文ダイヤバージョンで礼拝を行いました。(新式文の典礼曲の承認は、2018年5月の総会ですから、半年前での試用となります。それが可能となったのも、典礼曲編集の責任を主任牧師中島が担っていたことによります。)ダイヤバージョンを選んだのは、これまでの式文(以下現行式文)の編曲であり、馴染みがあるということが理由でした。実践まで礼拝後に数回練習を行い、主日礼拝に試用しました。その際、礼拝の順序は変更いたしませんでした。式順まで変更すると、典礼曲についての率直な感想・印象を伺いにくいのではないかと思ったからです。2回の試用でしたが、「所々違うというのは、逆に歌いにくい」という感想を数名の方からいただきました。「式文はそらで歌えるもの」であって、音符を見ながら歌うということは殆どないのですから、当然の感想でしょう。
その後、有志の方々と共に他のバージョンを練習し、録音したものは2018年総会前に皆様に配布しました。総会にて承認後、新式文実施に向けて練習を重ね、先ずは「歌い易いハートバージョン」を使用することとしました。ただし、現行式文への思いもありますので、月末の主日以外をハートバージョンで行うこととしました。実施は2019年6月9日ペンテコステからでした。
実施に当たって気を付けたことは、①十字架に心を集中できるように、牧師の動きは聖壇中央部の位置は避けること、②スムーズな進行のために細かな説明は行わないこと(ハートバージョンの殆どは前奏が1小節あるために案内不要が可能である)でした。しかし、現行式文の動きとは若干異なりますので、統一した聖壇上の動きを行うことは、月末に現行式文で行っていることもあって困難がありました。(これは司式者の意識の問題だとは思いますが。)
実施して先ず指摘されたことは、「手渡された式文が4バージョンのものなので、ページを探すのが大変だ」ということでした。急遽ハートバージョンだけの式文を作成しましたが、編集者であったためにその変更が可能であったことを鑑みると、バージョン毎の式文作成が必要であろうと思えます。それは奏楽者についても同様で、「伴奏曲のみでは常に2冊必要となり、難しい」という指摘は真摯に受け止めなければならないと感じています。しかし、ほぼ1年を経過しようとする今、違和感なく礼拝を行えています。ひたすらに式文を通して、神の恵みを受け止め、会衆が讃美をささげるものになっているからだと実感できています。

〈信徒の感想から〉

新式文使用に向けて練習を開始し、実際に用いるようになりほぼ1年が経過しました。戸惑いや使いにくさが指摘されれば、その都度対応してきました。その上で、次のような感想が寄せられました。「曲がきれいで、心地良く歌うことができる。長い曲(グロリア)もあるが、慣れたらスムーズに歌うことができる。このまま用いてほしい。」と、肯定的な意見を多く伺いました。「歌(賛美歌も含めて)が多いので、礼拝の後半は疲れてくる。終わり方が今までと違うので、なんとなくバラバラな気持ちで終わってしまう。」等、否定的ではありませんが、もう少し工夫・配慮が必要という意見もありました。
(ハートバージョンでの感想ですから、「他の3バージョンでは異なる感想もあるだろう」ことを、付記しておきます。)
製本に関して、「礼拝で用いない箇所も多くて、まごついてしまう」という意見も頂きました。これは「招き・主の祈り・祝福」に2パターンあることが原因でしょう。その他、「冒頭、牧師先生が歌う部分が多いので、その日の先生の声の調子が分かる」という声もあり、ちょっと苦笑いでした。また市川教会はピアノで伴奏が行われるので、「(悪い意味ではなくて)なんだか音楽会に来たみたい」と感想をいただいたこともありました。また司式者の動き、礼拝の流れなどについての意見は特にありませんでした。

 

エッセイ 揺れる教会

新型コロナウイルス感染拡大の只中で 石居基夫 ルーテル学院大学学長

新型コロナウイルスの感染拡大を防止するという目的で、政府は要請という言葉を用いて、緩やかに、しかしはっきりと国民生活の中に自粛を求めている。それによって小・中・高の休校のみならず、幼稚園から大学に至るまで臨時の対応へと押し流されているかに見える。
教会でも週日の祈祷会や集会を取りやめたり、また聖餐式のあり方を工夫したり、これをやめたり、さらには主日礼拝そのものを休止する、教会施設を閉鎖する、など様々な対応が生まれてきている。
もちろんそうした潮流には懸念の声も多くある。そもそも、その判断が何に基づいているのかと問うものもあれば、教会の使命や本質論から礼拝の中止を嘆くものもある。
私自身もいろいろと思うことがある。けれど、自分の言葉は一度飲み込んだ。まず、聞かないといけない。どういう判断がなされたのか。どんな対応を本当に教会として考えているのか。
それぞれが声を上げ、議論する。いいことだと思う。皆が考えてみたらいい。
多様で良いと思うのだ。こうしなければならないという外面的なことで縛ってみても何にもならない。むしろ、この時にこそ、御言葉にきき、祈り、共に信仰の共同体として生きるということを各教会で考えるべきだと思う。そうして、礼拝の意味も、聖餐の豊かさも、信仰とは何かということも、改めてそれぞれが学び、受け取っていく。
教会は、牧師も信徒も、一つひとつについてどう対応するか、そんなに軽々に判断していないし揺れていると思う。そういう揺れや問い続ける心が大切なのだし、その中で、現代において自分たちが教会に集うこと、礼拝にあずかることの恵みを今一度確かめればよい。大事なことは、この時こそ、不安な信徒一人ひとりを孤立させないこと、そして牧師たちもそれぞれが考えて、手立てを作ること、支え合うことだと思う。
集う信徒の年齢層や地域性によっても異なる思いがそこに見出されるだろうし、悩みがあるのだ。牧師たちはそういう具体的なことを考えている。教団が号令をかけてしまって、全国津々浦々で一律のやり方を決めたり、神学的権威(そんなものはどこにも認められていない時代かもしれないが)がこうすべしと大上段に構えては、本当に必要な宣教、御言葉の喜びと平和を分かち合うこと、教えと学びを深めていくこと、一人ひとりに仕えていくこと、癒しととりなしを祈ること、他者のために苦難を負うこと、そうして共に生きていくことの実際は無視されてしまうように思う。(まあ、必要以上の混乱を避けるように教団が決断すべきこともありうるけれど)むしろ、それぞれの地で、牧師と信徒が格闘していることに耳を傾け、祈り支え合う。そして、それぞれのあり方や判断を確認したり、その苦しさを支援する。そういう教団、教会でありたいものだ。どのような時にも、キリストはあなたのそばにあって、それぞれ一人ひとりを見捨てず、裁かず、悔い改めと恵みのいのちへと導かれるのだから。
今の時代は複雑だし、本当に多様な可能性がある。それだからこそ、この時にこそ、それぞれの地域にたてられ、遣わされている自分の教会の性格を診断しながら、皆でこれからの自分たちの教会や礼拝のあり方、社会との関係、宣教のあり方を見直してみてはどうだろう。

 

九州地域教師会退修会報告「牧師として考える 今の韓国と日本」

杉本洋一(九州地域教師会会長・熊本教会・玉名教会牧師)

毎年8月に、どの教会も「平和の祈り」を篤くします。2017年の宗教改革500年のテーマであった「争いから交わりへ」は、国家間の相互理解のずれをも含んだ、今なお続く人間の課題です。「罪」や「弱さ」の根深さを気づかせます。
昨年7月、日本からの輸出をめぐって隣国・韓国との関係は極度に悪化しました。私たちは、小さな器でありながらも、特に「平和を作り出す者は幸いである」との言葉から勇気と力を与えられて、宣教と牧会に押し出され、市民としても歩んでいます。平和とはかけ離れた状況に”憂い”を憶えたのは、どのキリスト者も同じだったのではないでしょうか。これによって九州地域教師会役員は、訪韓の趣旨・主題(牧師として考える今の韓国と日本~隣国との葛藤から対話を求めて~ ) ・内容を地域内の牧師に提起しました。計画を練りに練り、今冬2月10日から2泊3日で、教区と協力のもとソウルにて教職退修会を行いました。15名の参加者でした。韓国の長老教会2教会を訪ね、2人の先生は趣旨に賛同し、講演をお引き受けくださいました。モクトンピョングァン教会主任牧師、チョ・ソンウク牧師、講演題「ユダヤ人、パレスチナ人、日本人、韓国人」、セムナン教会ナ・グネ牧師、講演題「牧師として見る日韓関係」です。お二人の講演は、現在の日韓関係を、広く高い視座に立って、旧約からの理解と韓国の教会の歴史、霊性をお話しくださるものでした。
おりしも私たちは、コロナウイルスのために訪問先変更をしなければなりませんでしたが、慰安婦像の前に立ち、その抗議活動を知る機会を持ちました。今なお心の傷が癒えぬ人がいることを知りました。その中でも、宣教師らが眠る楊花津外人墓地を訪れた時、韓国の孤児の父と呼ばれた曽田嘉伊智(そだかいち)という日本人を知りました。平和を作り出す働きを担った人がいたことに胸を熱くしました。下準備と同行してくださった朴用和牧師(全州新興高校チャプレン)に感謝したいと思います。

 

日本ルーテル神学校第54回教職神学セミナー報告 小泉基(函館教会牧師)

2年に1度、ルーテル諸教会の教職を中心に行われてきた教職神学セミナーが、今年は2月10~12日に、日本ルーテル神学校を会場に行われました。テーマは「明日の教会のために~わたしたちの教会・神学・神学教育」。JELCからの参加者減少がみられた近年の傾向から一転。今年は本教会事務局の協力もあって按手5年未満の若手教職が多数参加し、全国から50名の参加者が集う賑やかな集いとなりました。
意図されていたのは、神学の現場である教会からの声を聴きつつ、教会と神学教育のめざす方向性について討論を積み重ねること。石居基夫神学校長、ルター研究所の立山忠浩牧師・江口再起牧師、聖公会の西原廉太司祭、大岡山教会の橋爪大三郎さんらによる講演を受けた他、JELCの第7次宣教方策案や4人の牧師による教会形成についても発題を受けました。教会現場の現在地と将来についての葛藤と希望をわかちあうなかで、神学教育に対する期待についても熱い討論がなされました。
最終日に、神学校の宮本新牧師から、神学教育の歴史とビジョンにかかわる感銘深いまとめの講演を受け、参加者は再びそれぞれの現場へと派遣されることとなりました。準備と運営に関わってくださった方々に深く感謝いたします。

 

第54回教職神学セミナーに参加して 築田仁(甲府・諏訪教会牧師)

第54回教職神学セミナーに本教会及び教区の補助を頂き、参加することができました。新卒1年目に、研修の一環として学ぶ機会が与えられ大変感謝しております。
「明日の教会のために~わたしたちの教会・神学・神学教育」というテーマのもとに、ルーテル教会に於ける宣教とは、教会のあり方とは、そして教会形成をどのように行っていくのか等、講演者の熱い発題に耳を傾けるとともに、教会の本質とその意味にについて深く考えさせられる機会となりました。教会に委ねられている宣教のみ業の大きさとあり方の多様性を確認しました。
教会がよりこの多元的社会に開かれた存在になることの大切さ、そして、地域で様々な問題を抱える人々と共に宣教を担っていくことが、さらに教会に求められていると改めて学びました。同労者との出会い、再会を果たし、また気持ちを新たに宣教のフロンティアに立っていく動機付けが与えられました。
セミナーを主催してくださった日本ルーテル神学校に感謝します。ありがとうございました。

 

新任牧師あいさつ 森下真帆(小倉・直方教会牧師)

森下真帆と申します。このたび神学校を卒業して、4月から福岡県の小倉教会・直方教会で牧師としてご奉仕させていただくことになりました。どうぞよろしくお願いします。はじめに少しだけ自己紹介をさせていただきたいと思います。
私は1988年に奈良県で生まれました。家庭は日蓮宗の檀家でしたが、ルーテル学院大学に入学したことをきっかけに教会に通い始めました。大学生の時に受洗し、その頃から牧師になりたいと思うようになりました。自分自身がイエス様に出会って救われた喜びを一人でも多くの人に伝えたいと思ったのがその理由です。さらに牧師である先生方の姿を見て、伝道と牧会に生きることに憧れたことも大きな理由でした。
その後アメリカ留学と短い社会人生活を経ましたが献身の思いは変わらず、28歳の時に神学校に入学しました。出身教会は東京教会、これまでの実習先は市ヶ谷、三鷹、札幌、東京池袋です。これから始まる九州での新しい生活を楽しみにしています。まだまだ未熟でご迷惑をおかけすることも多いかと思いますが、信徒のみなさまと先輩牧師のみなさまに教えていただきながら精一杯つとめてまいります。今後ともお祈りとご指導のほどよろしくお願いいたします。

 

新任宣教師あいさつ ジェシカ・ヒル

わたしが今、日本にいることにとても感謝しています!私はバージニア州キングジョージで育ちました。バージニア州リッチモンド近くのランドルフ・メイコン大学に通い、そこで社会学と人類学を学びました。
四年生のときに、イスラエルとパレスチナへの修学旅行に行き、その地域の宗教の歴史を勉強する機会がありました。エルサレムにいるときに、私はELCA牧師と出会い、彼女はYAGM(グローバルミッションの若い青年)プログラムについて話してくれました。私は応募し、セルビアのベオグラードに派遣されました。そこでは、ドロップインシェルターで青少年のための社会復帰施設で1年間働きました。
ルーテル教会での仕事を楽しんで いたので、日本でのJ3プログラムに応募しました。本郷学生センターで英語の授業をリードします。よろしくおねがいします。
Thank you!

 

ディアコニアセミナー報告「主権在民」 小泉 嗣(千葉教会牧師)

2020年2月11日、本年も人権・平和・環境を掲げたディアコニアネットワークの名古屋セミナーが全国から33名の参加者が集い、名古屋めぐみ教会にて開催されました。今回のテーマは「原発」と「SDGs」。一見バラバラな取り合わせのようにも思えますが、図らずも両者の学び、そしてワークショップから浮かんできた言葉が「主権在民」という言葉でした。午前中は掛川市で農業を営んでおられる藤田理恵氏の講演を聞きました。浜岡原発のお膝元の掛川に住み、人の口に入る食べものの生産者として放射能の危険性を認識し、中部電力のモニターに応募し、説明会や交渉等、原子力行政の不誠実さを目の当たりにし、農業にも原子力発電所にも誠実に向き合う生き方を選択し、生きておられる藤田氏の「市民」としての生き方に襟を正される思いでした。
午後はNPO法人SDGsコミュニティーの代表を務めておられる新海洋子氏の講演とワークショップを体験しました。クリスチャンの母親のもとで教会生活を送り、教会を通して貧困や戦争などの社会問題と出会い、様々なフィールドで働き、行きついたのが現在のお仕事であるということ、それらは「誰一人取り残されない社会をつくる」ことを目指してのことであるというブレない新海氏の生き方に刺激を受けました。SDGsは特別なことではなく、自分たちの日常を「意識」すること、「言葉」にすることからはじまる、「地球市民」として生きる第一歩ということを、ワークショップで語り合う中で確認することができました。そして「2030年までにどこまで出来るか?神さまに試されていると思う」という新海氏の決意に、私たちが市民として、キリスト者としてここに集い、そしてここから出て行こうとしていることに改めて気づかされたセミナーとなりました。

 

スオミ教会移転報告 1吉村博明(スオミ教会派遣 SLEY信徒宣教師)

スオミ教会は東京の中野区に1990年に建てられました。礼拝堂、集会室、台所は地階にあり、地上1階は事務室、図書室、オルガン室、2階にはSLEYの宣教師住宅が家族用と独身用2つあり、その他にも客室やサウナ室まで備えた贅沢な造りの建物でした。
ただ、開拓伝道しないで先に教会を建ててしまったことや、宣教師たちの在任も2013年まで平均3年位の短期だったことが影響して、教会はなかなか成長を遂げられませんでした。それでも、2000年代頃からようやく現在の教会員の中核になる部分が形成され始めました。
2000年代はまた建物の欠陥が表面化した時でもありました。かつて川が流れていたところを埋め立てた土地に地階を掘ってしまったため、建物は常時湿潤の問題を抱え、カビの大量発生に悩まされました。健康被害も起きてしまいました。2013年に私とパイヴィが赴任してから最初の3年間は大きな改修が2つあり、その他にも館内のカビ濃度の検査と業者による除染を毎年のように繰り返さなければなりませんでした。アルコール噴霧や燻煙剤の設置が宣教師の日常業務でした。(続く)

 

2020年度  日本福音ルーテル教会人事

〈退職〉(2020年3月31日付)
・松田繁雄(定年引退)
・高井保雄(定年引退)
・中川俊介(定年引退)
・鈴木英夫(定年引退)
・黄 大衛(定年引退)
・花城裕一朗(退職)

〈新任〉
・森下真帆(嘱託任用)

〈人事異動〉
(2020年4月1日付)
【北海道特別教区】
・該当なし
【東教区】
・中島康文 小岩教会(兼任)
・内藤文子 小岩教会(嘱託)
・松本義宣 東京教会(主任)
・後藤直紀 東京教会協力牧師の任を解く
・竹田孝一 羽村教会(兼任)
・中村朝美 八王子教会(主任)
【東海教区】
・光延 博 静岡教会(主任)、富士教会(兼任)
・伊藤節彦 栄光教会(主任)、掛川菊川教会(兼任) 新東海教区長 新霊山教会 知多教会
・野口勝彦 岡崎教会(兼任)
・室原康志 刈谷教会(兼任)
【西教区】
・沼崎 勇 修学院教会(兼任)
・竹田大地 神戸教会(兼任)、神戸東教会(兼任)、大阪教会 協力牧師の任を解く
・宮澤真理子 西条教会(主任)、三原教会(兼任)
・立野泰博 広島教会(主任)、松山教会(兼任)
【九州教区】
・岩切雄太 小倉教会(兼任)、直方教会(兼任)
・森下真帆 小倉教会(嘱託)、直方教会(嘱託)
・西川晶子 久留米教会(主任)、大牟田教会(兼任)、田主丸教会(兼任)
・崔 大凡 甘木教会(兼任)、室園教会(兼任)
・森田哲史 大江教会(主任)
・富島裕史 宮崎教会(主任)
・関 満能 鹿児島教会(兼任)、阿久根教会(兼任)
【出 向】
・ 永吉穂高 九州ルーテル学院(中高)
・崔 大凡 九州ルーテル学院(大学)
・立山忠浩 日本ルーテル神学校
【J3プログラム新任】
・ジェシカ・ヒル 本郷学生センター 2020年4月着任

【任用変更】
・内藤文子(一般任用から嘱託任用へ/小岩教会)
【休職】
・宮川幸祐
【留学】
(2020年5月から2年間)
・関野和寛

○牧会委嘱
(2020年4月1日付/1年間)
・明比輝代彦 新霊山教会
・齋藤幸二 知多教会
・渡邉 進 修学院教会
・谷川卓三 賀茂川教会
・乾 和雄 神戸教会
・渡邊賢次 松山教会
・藤井邦夫 宇部教会
・白髭 義 甘木教会
・黄 大衛 長崎教会
・濱田道明 合志教会

○ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校人事
・石居基夫学長 2020年4月1日~2024年3月31日
・立山忠浩校長 2020年4月1日~2022年3月31日 都南教会と兼務

20-03-11英文レポート 2011.3.11 Tohoku Earthquake and Tsunami Report
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20-03-11JLERニュースレター JLERnews2.pdf
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20-03-11JLERニュースレター JLERnews No.1
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20-03-11東日本大震災 日本福音ルーテル教会救援 活動記録 (総合版)

PDF141.2MB

下欄1および2の内容を含んでいますが、
これらをカラーでご覧になりたい場合は
下欄の該当項目をお開き下さい。

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20-03-01るうてる2020年3月号

説教「キリストを知る」

機関紙PDF

「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」(フィリピの信徒への手紙 3・7~11)

「真理は、あなたがたに自由を得させるであろう。(口語訳)」(ヨハネ8・32)というキリストの言葉をご記憶の方も多いと思います。若い頃何よりも自由を渇望していた私はひたすらこの言葉に感激していたわけですが、やがて社会の現実を生きることの中で「自由への道」を諦めかけた時、今思えば神様の導きであったと言うしかないのですが、神学校へ進む道が開かれたのです。
 神学校に来てみると、そこで頻出する「罪と罰」、「契約」「律法」等の神学用語は、法学部出身の私にはほぼ馴染み深かったのですが、ただ聖書の示す「真理」概念は、それまでの自分の「真理」理解とは大きく異なるものでした。
 現代に生きる私達は、ほとんど無意識の内に、西洋近代において発達した科学的「客観性」を「真理」の基準であると考えています。そこでは宗教論など人間の主観性を帯びる議論などは、どこか胡散臭いと思われがちです。ところが、聖書の「真理」概念は、古代旧約聖書ヘブライ語の語感の影響のため、極めて宗教的、倫理的色彩の濃い「人格的」概念であると言われているのです。
 ヨハネによる福音書1・14の「・・・恵みと真理とに満ちていた。」は口語訳では「・・・めぐみとまこととに満ちていた。」と「真理」を「まこと」と訳しています。日本語の「まこと」は「真理」の意味に加えて「誠」という人格的、倫理的な意味を含んでいてヘブライ語の語感と同じです。この方が聖書の「真理」の本来の意味内容に相応しい訳だと思うのです。
 同様に注目したいのが「わたしは道であり、真理であり、命である。(ヨハネ14・6)」というキリストの言葉です。ここに出てくる「道」と「真理」と「命」は言うまでもなく、別々の三つの概念ではなく、一体のものとして捉えられなければなりません。キリストは、明確に「わたしは道であり、かつ同時に真理、かつ同時に命である。」と言われているからです。この「道と同時に真理、同時に命である」キリストをどう理解すれば良いのでしょうか。
 聖書は、ここからもう一段「人格的概念」から更に「世界的」な広がりをもったかたちのキリスト論を展開しています。それがパウロの「(キリストの)体」の思想です。
 パウロは生前のキリストを知りませんでしたが「復活のキリストの体」の神学によってキリストを論じます。今日の私達が信徒の交わりや個々の教会間のつながりを、一つの「キリストの体」として捉えることができるのは、この思想によるのです。
 更にパウロは1コリント15・40で「天に属するからだもあれば、地に属するからだもある。(口語訳)」として、この「キリストの体」は宇宙論的な世界と広がりをもつことを述べています。このことは、現代の地球環境問題を「キリストの体」の立場から考察することを私達に促しているように思うのです。
 ところで、復活のキリストの体にはなぜ傷があるのでしょうか?それは第一にはキリストの十字架と復活を不可分の事柄として結びつける「しるし」であるわけですが、同時に、私たちの個々の現実の弱さや痛みや傷の存在が、実は「キリストを知る」ことへの「道」として備えられているのだということを示されるためではないでしょうか。パウロが自分の肉体の棘を取り去って欲しいと願った時、主は、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。(口語訳)」(2コリント12・9) と言われたのも、やはりパウロの傷は、実は彼の傷がキリストを知るための「恵みの道」であることを示されるためだったのだと思うのです。
 今、私たちの生きる世界環境は大きく傷ついていますが、それが「傷ある復活のキリストの体」であるなら、私達は、もはや自分自身の弱さや傷を嘆くのではなく、この世界に参与することを通して、更に「キリストを知る」ことを求める者でありたいと思うのです。

コラム直線通り 久保彩奈

㉔「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」(マルコ16・7)

  クラスの子と進路を考える面談をしていた時のこと。「先生、俺には何もないんだよ」と言った生徒がいました。その日の面談では結局まとまらず、どうしたものかと心にひっかかっていました。
 しかし数日後、そっと近寄ってきて「先生、進路決めたよ。俺は、誰かのために生きることにした!」と教えてくれました。自分のための努力は苦手だけれど、誰かのためとなれば頑張ることができた自分に気付いたというのです。もしかしたら、いかに生きていくかを考えることは将来を考えるのと同時に、実は原点を探すことでもあるのかもしれません。大切なことを生徒を通して教えられました。そして、誰かのために生きる、そう決心したこの生徒は今、障害者福祉の道に進んでいます。
 そういえば、今は教師のわたしにも原点がありました。大学生の頃インドのエイズホスピスでボランティアをしたとき、現地の保健師さんに「大人に伝えても社会は変わらない。でも子どもに伝えたら社会は変わる。あなたはなぜ教師にならないの?」と言われ、教師という仕事を考え始めました。
 わたしたちのキリストも墓に留まらず、冒頭の言葉通りガリラヤで弟子たちと再会しました。わたしたちも「わたしにとってのガリラヤ」でキリストと出会い、約束したその原点に立ち帰ることで未来を描けるのかもしれません。
 あなたにとってのガリラヤはなんですか?わたしたちに与えられたそれぞれのガリラヤでキリストに出会い、希望のうちに歩む者でありたいのです。

議長室から 総会議長 大柴譲治

「イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」(マルコ1・13)
 牧師という仕事をしていると生育歴やライフレビューというかたちでこれまでの人生を振り返ることがあります。人生は山あり谷ありで、「荒野の40日」と呼ぶ他ないような試練の時もあります。私自身は二つの時を想起します。
 一つ目は小学校2年のクリスマス直後。突然リウマチ熱という病気にかかり、40度の高熱が1週間続き、3ヶ月の絶対安静の入院生活を送ることになりました。その時には親が与えてくれた『少年少女世界文学全集』50巻を貪るように読みました。私が「本の虫」になった原点です。
 二つ目は高校2年生の暑い夏。脊椎分離症の手術を受けて70日間の入院。多感でエネルギッシュな思春期、石膏ギブスに入ったまま40日間天井を見上げて身動きが取れませんでした。手術前に背中をかたどって造られた石膏ギブスは2つ。1週間に1度それを交換してもらうのですが、背中がかゆくてもかけず寝返り一つ打てません。忍耐力と頑固さ、俯瞰力(メタ認知能力)が鍛えられました。同時に、肉体はがんじがらめに縛られていたとしても人間の精神は全く自由なのだということを知ることができました。「主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ40・31)とある通りです。私は夢うつつの中で、自分の魂が自由に羽ばたいて鷲のように空高く飛翔し、自分の身体を含めて「世界」を上から俯瞰するような幻視をしていたのかもしれません(人間の記憶は後から再構成されるようですが)。私が病院チャプレンにこだわる背景にもそのような原体験があるようです。コインに両面があるように「荒野の40日」は「サタンの誘惑」であると同時に「神の鍛錬」です。あの時には二度と戻りたくはありませんが、今の私には必要な「時」であったと思っています。
 今はレント。荒野での主の試練を思います。そこに「天使たちが仕えていた。」(マルコ1・13b)という語が添えられていることに気づきます。17歳の私には全く見えていませんでしたが、その時私の傍らには入院を支えてくれた母と父、そして妹と弟がいました。医療従事者や学校や教会を通して祈ってくださった方々がいました。「仕える天使たち」がいたのでした。その時には気づかなくとも後から気づかされる次元があります。それもまた大切な一つのメタ認知であり、信仰の覚知なのでありましょう。多くの天使たちに支えられてきたことを感謝したいと思っています。

讃美歌と私たち⑨「歌集の神学」

小澤周平(名古屋めぐみ教会牧師)
 様々な想いを受けて、新たな歌集や増補の歌集が求められます。この時、歌集を整えるのが編集者(例えば、讃美歌委員会)です。
編集者は、作者の献身を尊び、かつ、権利関係を踏まえます。加えて、使用者側である共同体にも配慮します。研究者の水野隆一は、歌集編集の基本的な四つの過程を示します。①選曲。②詞と曲、その組合せの確定。③歌集の項目と配列方式。④歌の配置。編集過程を経て、歌集に信仰理解や礼拝観などが反映されるようになります。これが「歌集の神学」です。一般に、歌集の序文や解説では編集意図などが述べられています。ぜひ、一度、読んでみてください。
 「歌集の神学」とは、少し難しい感じがしますので、実際の出来事から考えてみましょう。例えば、他教派の礼拝に参加し、歌や音楽に驚かれた経験があるという方もおられるかと思います。私自身、正教会では明治時代の日本語の歌を聴き、また、あるカトリック教会ではラテン語の歌を聴き、とても驚いたことがあります。そして、そのような伝統を守る理由や歴史をうかがい、感銘を受けました。
 他方、ルーテル教会の歴史を学んでみると、私たちの教会は伝統を尊びながらも、同時に、それぞれの地に相応しい礼拝を模索し、次世代にとって理解し易い言葉を用いて信仰継承に取り組んできたという様子が分かります。
 同様の特徴は、「サンビカ」の系譜にある教会としての歴史にも認められます。例えば、1950年代後半以降は、口語訳の聖書と文語体の歌集が共存。その後、『讃美歌第二編』、『教会讃美歌』、『讃美歌21』 と口語の詞の導入が進められてきました(背景等、ぜひ、各歌集の序文解説を一読ください)。あるいは、歌詞中の不快語の訂正や、また、日本人自身が作詞・作曲する取り組みなども確認できます。
 すでに交わりにある方々と、そして、これから交わりに加わる方々と、どのように聖書の言葉を分かち合い、伝え合うのか。歌集の編集者は共同体の信仰の涵養と継承を見据えて務めを果たします。この時さらに、時代に合った編集を経て、賛美歌自身も新しいいのちを得ます。こうして歌集は整えられ、時満ちて世に生まれます。(続く)

カンナリレー・ 球根をお送りください

人が人を含む生命を根こそぎ奪う爆弾により深く傷つけられ嘆きに満ちた焼け跡に、青々とした葉が萌え、そこに真っ赤な花が開花しました。この花の存在と佇まいは、人々に生きる勇気と希望を与えました。人類が最初に経験した原子爆弾の爆発からひと月が経った、爆心地から820メートルのところに咲いたカンナの花です。

 それを撮影した写真に心動かされた橘凛保さんが、長野県の園芸家により育てられるカンナの球根を広島の地に植え、平和をつなぐプロジェクトを始められました。現在、「カンナ・プロジェクト」は、75年は草木の生えないと言われた地に咲いたカンナを、原爆投下から75年となる2020年に開催されるオリンピック・パラリンピックの会場に植えるメッセージフラワーとするようにと交渉を続けているようですが、現時点では未定です。併せてカンナの種を子どもたちの平和を願うメッセージとともに宇宙へと打ち上げる取り組みもなされています(今年3月1日が打ち上げ予定日)。
 このプロジェクトの協力を得て、ローマ・カトリック教会とルーテル教会との宗教改革500年共同記念のシンボルフラワーとして平和のカンナを用いて和解の祈りを紡ぐ歩みをはじめました。共同記念礼拝の出席者に配布された球根は全国各地で祈りと共に育てられています。カンナリレーの「里親」として育成に関わってくださった方々と教会に感謝します。
 さて、カンナリレーとして受け取られたカンナの球根を掘り出していただく時が来ました。その球根を祈りと共にリレーのバトンとして届けていきたいと思います。地中で育った球根の半分はどうぞそのまま、次の開花を待ち、それぞれの場で平和のために祈るために用いてください。
 あとの半分を掘り出し、乾燥しないようにビニール袋に入れて封をしていただき、佐賀県へお送りください。すべての球根を一旦、佐賀教会に集約し、カンナ・プロジェクト指定の地へ転送します。どこかで再び平和と希望を告げる花として、芽吹いてゆくことでしょう。どうぞよろしくお願いします。

手順① 球根の半数ほどを掘り出す。
手順② 乾燥しないようにビニール袋に入れて封をする。
手順③ 郵便や宅配便を用いて、以下の住所へ送付する。送料は各自でご負担をお願いします。

○送付先住所
〒840l0054 
佐賀県佐賀市水ケ江2の3の15 
日本福音ルーテル佐賀教会
電話0952(65)2808

お問い合わせは
joint.commemoration@gmail.comへお願いします。

「ハラスメント防止への取り組み」事務局長 滝田浩之

 昨年の第5回本教会常議員会で「ハラスメント防止規定」が承認されました。これを受けて事務局としては「ハラスメント防止パンフレット」を作成し、相談窓口について、またハラスメントがあった場合の解決の道筋についてお知らせしたところです。ハラスメントは、事柄が起きて対応する体制を整えることはもちろんですが、本来、教会が「慰めの共同体」である限り、これが起きない体制にすることは非常に大切です。
 今後、各教区、各地区、各個教会で取り組みや学びが深まることを何よりも期待しているところです。また教会だけでなく、今回の規定は、関係法人(付属幼稚園、保育園)、関連法人(独立した社会福祉法人、学校法人)、また教会の行う災害支援活動、キャンプにまで及ぶことが大きな特徴です。
 1月7日に行われた、「るうてる法人会連合代表者会」でも話題になり、各法人、団体は、教会の姿勢を高く評価してくださり、今後も連帯して、ハラスメント防止に取り組むことを確認したところです。大きな法人は、法人内部に「ハラスメント防止委員会」を常設できますが、行政からの指導があっても、小さな保育園や幼稚園では、これに対応できない悩みもあり、今回、教会がハラスメントに対して積極的に行動を起こしてくれたことを前向きに受け止めてくださっていることは感謝です。ハラスメントの認定、裁定について、教会という第三者組織、特に今回の規定で裁定を行う委員会は専門家からなる、より客観性の高い構成員で対応する体制になっていることも好意的に受け止められていることは喜ばしいことだと思います。「ルーテル・ファミリー」として、この防止に努めていきたいと願います。
 東教区では、首都圏牧師代議員会で学びの時を持ってくださることになりました。また東教区女性会会長会は、相談窓口であるフェミニスト・カウンセリング東京から講師をお呼びして学びを行う予定とのことです。フェミニスト・カウンセリング東京は本教会と業務委託契約を結びましたが、この契約の範囲内で交通費の支弁さえあれば、どこにでもハラスメント防止のための講義を行ってくださるとの申し出を頂いています。
 2月の本教会常議員会、また全国総会でも時間をとって、今回の「ハラスメント防止規定」に基づいた研修を持つ予定です。問い合わせは事務局までお願い申し上げます。

「外国人住民基本法」の 制定を求める第34回全国 キリスト者集会報告

李明生(田園調布教会牧師)
 全ての人の命の尊厳が守られ、共に生かし合う社会を目指して、日本キリスト教協議会(NCC)の加盟諸教会・諸団体にさらにカトリック教会、日本キリスト教会も加わって、在日外国人の人権を守る取り組み「外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会」(略称・外キ協)が1987年以来続けられて来ました。(2012年からは「外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会」に改称)。日本福音ルーテル教会は2018年より「外キ協」に教派として参加することとなりました。
 34回目となる今年の全国集会は「共生への新しいチャレンジ~隔ての壁をこえて~」という主題で1月31日に在日大韓基督教会名古屋教会を会場に開催されました。第1部の礼拝では、渋澤一郎主教(日本聖公会中部教区)によってエフェソの信徒への手紙2・14~19をもとに「敵意の壁を取り壊す」と題してメッセージが語られました。第2部リレートーク「隔ての壁をとりのぞこう~生きづらさから新たな希望へ」では、日本カトリック難民移住移動者委員会委員長の松浦悟郎司教(カトリック名古屋教区)の司会によって、ネストール・プノさん(国際子ども学校)、徳弘浩隆牧師(日本福音ルーテル岐阜・大垣教会)、李正子さん(在日大韓基督教会中部地方会女性会連合)の3人の方々から、お話しを伺いました。
 ネストール・プノさんは、日本の自治体で幼児教育・義務教育を受けることを拒否された、名古屋在住のフィリピンにルーツを持つ子どもたちの教育を支援するために日本聖公会が中心となって98年から始められた「国際子ども学校」の、これまでの活動とこれからの課題について報告されました。
 徳弘浩隆牧師は、10年間のブラジル・サンパウロでの牧会の中で、日系ブラジル人の親の日本への「デカセギ」と共に幼少時に来日して日本で成長した青年が、日本経済の景気後退の煽りを受けてポルトガル語も充分に出来ないままブラジルへと帰国したものの自分の生きる場所を見いだせずに涙を流す姿に出会ったこと。また貧困層の多い地域であるジアデマ集会所での地域の子どもたちへの給食・教育活動等を通して、新たな宣教の在り方が示されていったこと。そして現在は岐阜・大垣の地域でブラジル国籍の子どもたちの教育支援の活動へと取り組み始めていることなどを報告されました。また、そうした外国にルーツを持つ子ども達への支援の取り組みのために、世界の教会のネットワークを活用して互いに協力していく可能性についてもお話しされました。
 李正子さんからは、女性の声が反映されにくい現在の教会組織の問題、差別に加担しかねない制度や価値観に教会の中で私たちも浸かっていることについての問題提起と、世界の教会と連帯しつつキリスト者としてそれぞれが生きている社会に関わることの必要性について、また在日韓国人3世として考えるこれからのアイデンティティの課題についてお話し頂きました。
 司会の松浦司教からは、1987年にカトリック教会では教会生活に関わる大きな方針転換があり、それまでの「信仰的視点から、社会にどのように関わるかを問う」というものから、「具体的な生活が私の信仰のあり方を問う、社会の現実が教会のあり方を問う」という見方に変わったことが紹介されました。このリレートークを通して、社会の様々な現実と出会うことが教会の宣教を新たに、開かれたものへと変えてゆく可能性があることを考えさせられました。
 集会の最後には「集会宣言」が読み上げられ、全ての人の命と尊厳が守られる多文化共生社会の実現をキリスト者として求めて続けてゆくことが確認されました。
 また集会に先立つ1月30日からは、「外キ協」全国協議会が開催され、日本福音ルーテル教会から大柴譲治議長、小泉基社会委員長も出席されました。

東教区プロジェクト3・113月11日を憶えて

 小泉嗣(千葉教会牧師)
 最近楽しみにしているテレビドラマがある。「心の傷を癒すということ」という阪神淡路大震災の際に精神科医として現場で生きた安克昌氏の同名の書籍がもとになったドラマである。放送時間が土曜日の夜ということ、また他の理由もあり、日曜日の夜に観ることになるのだが、子どもたちが眠ったあと、一人静かに画面を見つめる。近親者が亡くなったわけでも、大けがをしたわけでもないが、あの日、あの時、あの場にいた者として、痛みや苦しみが沸き起こってくる。しかしそれでも見つめ続ける。あの日、あの時を、あの日から続く今日を、あの場で生きる人たちがいるということを覚えておくために。
 東教区プロジェクト3・11はプロジェクト開始から6年を経過した。当初集まったメンバーも少し入れ替わり、またそれぞれの立場も変わり、出来ることは年々少なくなっていく。震災関係の支援金も2019年度より教区会計に予算の計上はせず、お献げいただいた献金のみを配分して支援先に送り届ける方法に変更した。そのような状況の中で12口の献金と2口の席上献金、あわせて26万5223円が支援金として献げられ、「いわき放射能市民測定室たらちね」「いわき食品放射能計測所いのり」「夏休み北海道寺子屋合宿」「福島移住女性支援ネットワークEIWAN」「キッズケアパークふくしま」「松本こども留学」にそれぞれ送ることができた。感謝である。また昨年秋には、元ルーテルとなりびと専従の野口勝彦牧師と共にプロジェクトのメンバーが宮城県の元支援先等を訪問することができた。あの日、あの時から続く日々を生きる人々との交わりが私たちにもたらす気づきと示しは小さくない。
 もちろんではあるが、あの日、あの時から続く日々は「被災地」に限ったことではない。私たちもまた、それぞれの地で、それぞれのあの日、あの時から続く日々を生きている。そして今年も東教区プロジェクト3・11は3月11日に「3・11を憶える礼拝」を守る。礼拝当日が平日ということもあり震災発生時刻の開催ではないが、各々の「あの日、あの時」を振り返り、各々の「あれから」を持ち寄り、共に歩む「これから」を主に祈る時となればと願う。お近くの方は是非、ご参加いただきたい。
「3・11を憶える礼拝」
日時 2020年3月11日(水)19時より
会場 日本福音ルーテル東京教会

定年教師挨拶

鈴木英夫

 3月末に引退。技術者生活の後、献身・授按。43歳で教師に加えられる(stole No.381)。
 出発はオウム事件や阪神淡路大震災で混乱の年。三鷹の地に一礼し、任地を目指すもJRは未だ混乱の中。バスの振替輸送も経て、夕方、福山駅着。大柴師が迎えて下さる。
 室園では着任早々伴侶を迎え、新ステージへ…。創立記念会堂合志教会献堂や学校聖書教諭等、宣教資源豊かな熊本地区を体験する。
 松本・長野では雪国の教会兼任に苦労する。雪かき、冬用タイヤを初体験。厳冬の飯綱ロッジでの葬儀では教会往復の度に、「ボクシシテルナー」を実感。余暇、百名山も忘れず。
 挙母では「幼児教育・保育」に関わる。これは誠に楽しい。建物の老朽化と認定こども園化に伴う教会・幼稚園リニューアルは力仕事となったが、神様に支えられ完遂する。
 西条・三原では「賜った恵みをお返しする」最後の3年間となった。
 我がモットーは「碇泊の港を持たず」。パウロの如く定住せず宣教し、招聘ある所には迷わず赴く。それで良かった。係わった諸兄姉に感謝します。
 第三の人生。主の僕として歩みながら、飽く無き探求心を持ち続け、我が道を往く。「ONE・ルーテル」での健闘を祈りつつ。

高井保雄

 この度、日本福音ルーテル教会牧師としての39年間の牧師生活を終えることとなりました。その間、西宮教会に9年、ドイツのライプツィヒに2年留学、久留米教会に2年、八王子教会に8年、羽村教会と羽村幼稚園に18年お世話になりました。いずれの地にあっても、主の恵みの下、良き師、良き友、良き隣人との交わりを与えられ、振り返れば唯々感謝あるのみです。思い出深いのは、西宮教会の会堂建築でした。場所は川縁の元沼地だったので、基礎杭を10m打ち込んでも、岩盤に辿り着かないのです。この辺りは千年間大地震が無いと言われたり、高さ10mの会堂建築ならそれで十分と思ったりしたのですが、聖書に「岩の上に家を建てよ(マタイ7・24)」とあり、結局20m杭打ちをして「岩の上に建てた」のです。その8年後、阪神・淡路大震災が起こり、ガラス1枚割れなかった教会は救援活動の拠点として役立ったことを聞きました。あの時、聖書に聴いていなければどうなっていたか・・・。正に「神の慈愛と峻厳(ローマ11・22)」を見る思いでした。

中川俊介

本郷教会出身のわたしは、米国留学から帰国後、丹澤先生、栗原先生のもとで研修し、1983年に按手を受け、別府教会に赴任しました。そこでは6年間牧会しましたが、児童養護施設の平和園があって活気がありました。次の赴任地は板橋教会でした。初めて訪問した時に独身の松隈先生がお手拭きを出してくれましたが、汚れているので驚くと、先生は「心配しないでください、洗ってあります(笑)」と言いました。排ガス規制のない当時の板橋は洗濯物が黒ずむくらい交通量の多い場所でした。その後、ルーテル教会を離脱し、千葉県印西市で12年間開拓伝道しました。困難でしたが、妻の尽力もあり4人の子供たちも元気に成長しました。その後、ルーテルに復帰させていただき、八王子教会で13年間牧会しましたが、社会福祉施設の「あけぼの会」が伝道の大きな助けとなりました。退職に際し、母教会の方々の励ましとお支え、歴任した教会の信徒の方々、先輩の先生方に心から感謝します。ただ一つの心残りは、ルーテル教会の伝道力が弱いことです。会社でも団体でも人に喜びを与え得ない組織は衰退します。次の世代の教職には、福音の喜びを今以上に伝えてほしいと願っています。

黄大衛

あっと言う間に定年を迎え、横須賀教会、東京教会・板橋教会、鹿児島教会の牧師として12年間、その後九州ルーテル学院大学・認定こども園ルーテル学院幼稚園のチャプレンとしての11年間の働きが終わります。これから新しい歩みが始まります。私の性格の故か、慣れた生活を一旦変えようとすると、すごく不安になります。
 さて不安について、私はいつも面白く考えていました。もし何も計画しないなら、未来に不安を感じるのは当然のことですが、一方予め周到に計画しても、周到であるほどまた、不安の気持ちを抑えられません。これは不思議です。
 人は結局不安を大なり小なり感じて生きています。そんな私たちにイエス様はこう励ましています。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」と。この言葉は神様に頼る必要性を示しています。
 さて、かつて私は「牧師になって多くの人に伝道したい」と夢を描きました。そして今「23年間で何ができたのか」と実りの少なさを想います。しかし用いてくださった神様に感謝して、牧師としてやはりイエス様の平安に向き合いたいのです。

松田繁雄

 いつの間にか70を越え、いつの間にか定年退職をする、これが今の実感です。私は、それこそ団塊の世代に生まれ、全共闘の時代の余波の中をくぐってきました。国際基督教大学という紛争の辺境で、田川健三氏の教えを受け、却って聖書の奥深さに気付き、これに聴くという姿勢を身につけたように思います。どこかで、キリスト教世界を変革していきたい、という不遜な心を若気の至りに持ちながらも、学ぶに従い主イエスの存在に引き込まれていったのです。こういう私でしたが、迷いつつも献身の決断をし、按手を受けて初めて遣わされた教会が、信州の松本教会でした。小さな群れでしたが、つたないなりに、牧師としての責任を負い関わっていく、それを覚えた時間でした。少ないなりに多士済々の信徒さん方と、真剣勝負のお付き合いをする、その際に、まず「聴く」という事ができなければ、伝うることも何もない、ということを学びました。その後、約2年の米国留学を経て、静岡教会、釧路教会、本教会広報室、東京教会、小岩教会と歩みを重ねてきました。どこに行っても、これは大切だな、と思える体験をしました。そして、そういう出会いを通じて、主に従うこと、人の心を聴く事の大切さを学んできたような気がします。あっという間の40年でもあり、重い歩みのぎっしり詰まった40年でもありました。
 終わりに当たり、出会えたたすべての人に感謝をささげたいと思います。

公  告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2020年3月15日
宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 大柴譲治
信徒利害関係人 各位

(1)牛津集会所 土地売却
所在地 佐賀県小城郡牛  津町字杉篭
所有者 日本福音ルーテル教会
地番 563番2
地目 宅地
地積 331・06㎡
理由 売却のため

(2)大岡山教会 古屋解体と園舎建設
所在地 大田区南千束3丁目
所有者 日本福音ルーテル教会
地番 360番13、14
建物 古屋3棟
理由 幼稚園事業拡大の ため

20-02-15るうてる2020年2月号

説教「藁の書に学ぶ」

日本福音ルーテル八王子教会牧師 中川俊介
機関紙PDF

「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」 (ヤコブの手紙 1・22)

本郷教会出身のわたしは、米国のルーテル神学校と三鷹のルーテル神学校で学んだ後、別府教会、板橋教会で牧会しました。そのころ、ルーテル教会の伝道不振に不満を感じ、「さあ出ていこう」の合言葉のように教会を出て、幼い子どもたち4人を養いながら単独で開拓伝道を行いました。困難ではありましたが、これは自分には良い経験でした。しかし、思うところあって、ルーテル教会に復帰し、これまで八王子教会で13年間牧会をさせていただきました。いままで、「るうてる」に寄稿したことはありませんが、今回は、定年退職前の最後の機会を用いさせていただいて、支えてくださった方への感謝も込めて、伝道という視点から、聖書に耳を傾けたいと思います。
さて、ヤコブ書はルターが「藁の書」として正典から排除しようとしたことでも知られています。ただ八王子教会での聖書研究で学んでみて別の面も感じさせられました。この書で、ヤコブは聞くだけの者になってはいけないと注意しています。しかし、信仰はむしろ聞くことから始まるのではないでしょうか。イエス様がマリアとマルタの家を訪問した際も、忙しく立ち働くマルタとは対照的に、じっとイエス様の話を聞いていたマリアにたいして、イエス様は「マリアは良い方を選んだ」(ルカ10・42)、と言われました。この謎を解くのは、「聞く」と訳されているギリシア語の違いでしょう。ヤコブが禁じているのはギリシア語のアクロアテス(聞く)という言葉であり、これは講堂や法廷などで聴衆がとる態度のことです。一方、マリアが「聞いた」のにはアクオーという言葉が用いられ、「聞き従う」という意味があります。み言葉に胸を刺され、罪を悔い改め、イエス・キリストに従うように導かれるのが、「聞き従う」ということです。例えば、教会や家庭での人間関係に問題が起こった場合でも、「汝の敵を愛せよ」というイエス様の教えに聞き従い、互いに赦しあっていけば、神は解決を与えて下さると思います。
イエス様の教えの中でも、聞くことと、それに伴う服従という行動は切り離されないものです。「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ7・24)ですから、ある聖書学者は、「真の信仰は、行いなしに存在することができない」、と述べています。ヤコブが禁じているのは、前述したように、聴衆のような態度でみ言葉に接することなのです。また、こう書いている学者もいます。「ルター自身は、もし別の時代に生きていたならば、ヤコブが語るメッセージをもっと強調したのではないかと思われる。」
現在のルーテル教会はしっかりした教理を持ってはいますが、伝道に関しては教会行政の決定を優先し、聖書は会議の冒頭に儀式的に読まれるだけにすぎません。わたしたちの伝道が聖書から敷衍されていません。広島会館建設問題に関しての臨時総会が開かれた時にも、それを感じました。神学校の教授さえも経済の安定を第一に主張していました。こうした伝道方策は聖書の教えと矛盾はしないのでしょうか。
また、わたしたち日本人を見ると、日本的信仰は、あくまで「信心」であって、信仰は自分の心の問題に集中します。み言葉に従うという信仰の応答が出てこないのです。ですから「聞き方」に問題があるとヤコブが指摘するのは当然です。それはイエス様の教えと共通するものです。イエス様の教えと行動は、形骸化されて神の愛を失った儀式的宗教にプロテストするものでした。
このヤコブ書が、正典に残されたことは感謝です。わたしたちの信仰とその応答である伝道も、聖霊の働きなしには実践できません。ですから、生涯、悔い改め、求め続けたいものです。今は既に天に召された恩師の宣教師ハイランド先生に、「幸せなクリスチャン生活の秘訣」を尋ねた時「中川さん、それは日々の悔い改めです」、と教えてくださいました。

コラム直線通り 久保彩奈

㉓ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。(創世記 32・31)

ある日炊き出しを手伝いに来た生徒に活動後「今日はありがとう。どうだった?」と感想を聞きました。すると「先生、俺、どうしよう…」と言葉を詰まらせ「先生、俺はちゃんと努力して結果だして、ちゃんと生きてきたと思ってきたんだ。だから俺と野宿の人たちは違うって思ってた。だけど今日初めて炊き出し手伝って、俺、間違ってたことに気づいた」と言い、こう続けました。「ご飯を食べて、友だちとしゃべって、笑って…野宿の人たちも俺と同じ人間なんだって気付いたら、俺、どうしたらいいのかわからないよ」。 新しい気づきに戸惑いながらも、交錯する感情を必死に言葉にしてくれました。
これまで自分の生きる世界とは関係のなかった「野宿者」が、〇〇さんと名前を呼び対面し、まさに「顔」を向き合わせる瞬間が彼の心を揺さぶったのでしょう。哲学者レヴィナスがいった「『顔』は、神の言葉が宿る場所である」ということばを思い出しました。「顔」を背けずに対面したことで、生徒は神の言葉に出会ったのかもしれません。それは神との出会いだったといえるでしょう。そして「知っている人だけ」の世界から飛び出し、出会うことで、イエスのいう本当の意味の「隣人」を知ったのです。あらゆる人と恐れずに出会うことの大切さを改めて感じました。
ヤコブも神との一対一の対面をし、徹底的にもがき、苦しい闘いをし、生き方を変えられました。その先にあったのは永遠の祝福です。恐れずに向き合い、神と対面する先にある祝福に、わたしも与る者でありたいのです。

議長室から

「根拠のない自信」

総会議長 大柴譲治
あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マルコによる福音書1・11)
これはイエスの受洗時の天からの声です。この天の声を私は、洗礼に与る者には明示的に等しく与えられている「神からの究極的な存在是認の声」であると捉えています。「根拠のない自信」という言葉があります。それはあるカナダ人宣教師の口癖でもあったようですが、『花子とアン』という朝ドラや東洋英和女学院でも伝えられていました。ミッションスクールに限らず、学校や家庭、教会という場は、子どもたちの中に「根拠のない自信」を育むところなのでしょう。
3・11大震災の直後のことでした。当時私が牧していたむさしの教会で、『子どもへのまなざし』でよく知られたクリスチャン児童精神科医・佐々木正美先生(1935~2017)の講演会がありました。先生はこう言われました。「人を愛するためには、まず自分が愛されるという体験が必要です。愛されることを通して子どもたちの中には『根拠のない自信』が育まれてゆきます。私たちは通常は『根拠のある自信』を持っていますが、『根拠のある自信』はその『根拠』が揺さぶり動かされると容易にガラガラと崩れていってしまう。けれども『根拠のない自信』は、根拠がないゆえに、決して揺れ動くことがないのです」。その実践に裏打ちされた温かい言葉は、今でも一つの確かな声として私の中で響いています。
「根拠のない自信」を持つ者には「迷い」がありません。いや、たとえ「迷い」があったとしても、その「根拠のない自信」のゆえに、「泣くのはいやだ、笑っちゃえ」と周囲を巻き込みながら逆境を乗り越えてゆくことができるのでしょう。培われた「自尊感情」がその人の「レジリエンス(折れない心)」を支えているのです。普段はあまり意識されませんが、いざという時にはその「根拠のない自信」が大きく事を左右します。いかにも逆境に強かった信仰の諸先輩を思い起こします。
「根拠のない自信」とは逆説的な表現ですが、考えてみればそこにはやはり「根拠」があるだろうと私は思います。そもそも「自信」とは「自己に対する信頼」を意味しますが、「根拠のない自信」とは「自己に対する信頼」ではありません。「自己を支えているものに対する信頼」です。自らの外に自分を支える「確固とした足場・基盤」を持つということ。万物は揺らぐとも確かに神の言は永久に立つのです。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」。この声が私たちを捉えて放しません。この天来の声に拠り頼むことができる者は幸いです

千葉県館山市災害ボランティア報告

 水原一郎(シオン教会牧師)
屋根をブルーシートに覆われた家々。そのブルーシートも所々剥がれ、飛ばされ、ほころびていた状況。度重なる雨漏りによって2階が浸水した家屋、部屋の天井にびっしりと生えたカビ、被災から2カ月そのままの冷蔵・冷凍庫の中身、浸水家財。持ち山から公道に流出した大量の倒木。今回、千葉県館山市に遣わされた者たちが見たのは、そのような光景でした。9月の災害発生から2カ月後の被災地入りでした。
昨年、2019年も様々なところで災害が発生しました。長期にわたる停電、堤防越水、風による家屋損壊や水害。その度ごとにテレビやネットニュースは、突然、被災地とされた地域の光景の一部を切り取って私たちに届けます。被災者とされた方々の声も届けられます。その映像や証言は確かに、自然の驚異を知らせるものでした。報道は一瞬、せいぜい数分のことですが、被災された地域やそこに住む方々には「その後」の日々があります。「その後」とは、被災後、報道後の日々です。
日本福音ルーテル教会は2019年の諸災害では、NCCIJ(日本キリスト教協議会)の働きであるACT・JAPAN・FORUMに加わっての支援活動を行いました。ACT・JAPANは、災害が発生した際の、キリスト教の教派を越えて協力する運動体ということです。発生当初から千葉県館山市で活動していたACT・JAPANからの呼びかけに、近隣の信徒・牧師と声を掛け合って現地入りし、目の当たりにしたのが冒頭の景色、その景色のもとに生きることを余儀なくされた方々でした。
ACT・JAPANの方々は、近未来に起こるとされている災害に危機意識を抱いていたことが印象的でした。教会の現場にいる時は、災害への危機意識にまで至ることは少ないのです。しかしいざという時には、近隣の教会や教職と、発生した出来事に祈りをもって関わりつつ、出来ることを今後ともに行っていきたいと思います。
今回の支援活動は述べ6日間、参加者延べ21名。現地での活動は「連帯献金」を用いさせて頂きました。感謝いたします。

賛美歌と私たち 小澤周平 (名古屋めぐみ教会牧師)

⑧ことばを唱える
歌集や式文は、その教会の礼拝を表します。その中には、礼拝で唱える聖書の言葉や教会の信仰告白があふれます。典礼歌、詩編唱、賛美歌などは、共通して「ことばを唱える」という性質を持ちます(*1)。実にこの性質が、歌集の必要性を考えるキーワードにもなります。
余談ですが、賛美で大きな声や美しい声が出ないことを気にされる話をよく聞きます。確かに残念です。でも、悩む前にぜひ、賛美では「ことばを唱える」ことが最優先だということを思い出してください。「ことば」が心に響くか、味わえているか、他の人に伝わるか。信仰生活の長短に関わらず、時に、歌詞に戸惑い、歌えなくなることだってあるでしょう。「ことば」と向き合う故、それも自然な反応です。デジタル全盛期の今、音量や美声は機械にも助けてもらえます。この時代に、私たちの教会は、肉声、手話、まなざし、呼吸といった、アナログの手段で礼拝を進めます。
同様に、奏楽においても、会衆の心を「ことば」に向ける配慮が優先されます。このため、楽譜通りの全ての音符が奏でられることより、ユニゾンの奏楽や、歌唱でリードする方法なども用いられるのです。また、例えば賛美歌の前奏などは、奏楽者と会衆とが呼吸を合わせ、今まさに唱えようとする「ことば」に意識を向ける時なのです。
脱線から戻ります。「ことばを唱える」のが賛美です。だからこそ、賛美における「ことば」の吟味は必須です。賛美される「ことば」が、聖書に、キリスト教会の伝統に、「私たちの」信仰に、ふさわしいか否か。この段階での「ことば」の吟味は、後の信仰継承にも影響します。
毎回の礼拝準備において、この作業を繰り返すのは大変です。星の数ほどある既存の賛美歌の中から選ぶのか、それとも、創作するのか。私たちの言葉が移り変わる故に歌詞の調整も必要です。五百年前のドイツの賛美歌をそのまま歌うのは難しいですから。このような背景から、適切に編集された歌集が求められるようになります。(続く)
*1「唱う(うたう)」とも書かれますが、今回は、『ルーテル教会式文』9頁等も参照し、「唱える(となえる)」で統一しました。)

浦幌町立博物館企画展 『信仰の灯は永遠に―福音ルーテル池田教会と吉田康登牧師の足跡―』

榊原政裕(池田教会)
十勝を舞台にしたNHK朝ドラ「なつぞら」が好評のうちに9月完結した。その1か月前、東十勝の池田教会は静かに短い歴史を閉じた。学芸員持田誠氏の表現では「ひとつのキリスト教会が消えました」とある。「浦幌で芽生え、池田で結実した小さな教会」が、確かに小さな歴史を重ねてきた。そして、ついに、2019年「この夏、ひっそりと歴史を終えたのです。」と言い換えて、持田氏は「この『ひっそりと』というところが、博物館にとっては重要な論点です。」と主張し、次のような設問を投げかけている。
ある時代、その地域にキリスト教が根付いていたという史実、人々の篤い信仰心という歴史を、誰が記録するのでしょう?
これには頭をガツンとやられました。我が家のプライベートな事柄として受け止めていた感覚とは違う視点を与えられたからだ。ビジネス用語で?人手不足・顧客減少・少子高齢など四字熟語を羅列。池田営業所閉鎖やむなし。寺院消滅と同じ括りで教会消滅と総括しており「これで一件落着」のつもりであった。その浅はかな姿勢を一喝されたのだ。
今、私は毎日、姿を消したはずの池田の礼拝堂に会いに、浦幌博物館詣でをしている。持田さんによってよみがえった池田の礼拝堂に招かれているからだ。2度訪れる日も多い。
11月22日企画展前夜、博物館の展示ホールに足を運んだ私はその光景に仰天した。姿を消した池田教会が、聖壇、ステンドグラス、座席が、そのままに再現されているではないか。我が三男の落書きまで残っている。12月22日には、展示会場でクリスマス讃美歌コンサートを開催。地域の方から教会や吉田牧師に関する新たな情報が寄せられたり、地方史における教会史の現状について声が寄せられるなど、博物館にも思わぬ効果を生んだようだ。来訪者名簿でも十勝圏外の方の来場が散見されている。『信仰の灯は永遠に』は単なる画餅ではない。心が動き、足を踏み出すことに直結している。

プロジェクト3.11 まつもと子ども留学」便り

谷口和恵(松本教会)
先日、福島県立相馬高校放送局制作の「福島から伝えたいこと」という上映会に行きました。映画の中では、友人同士であっても震災の事を何の遠慮もなしに語り合うこととが難しいという現実がありました。そして長い月日がかかっても伝え合うことの意味と大切さをみんなで分かち合える日が来てほしいと願う高校生の等身大の今が伝わってきました。
原発事故はまだまだ終わりが見えません。私たち一人一人の問題としてしっかり考えていくにはどうしたらよいのでしょうか?今回は松本の郊外で保養のプログラムを行っているまつもと子ども留学の理事、中野瑞枝さんに文章を寄せてもらいましたので掲載させて頂きます。
このたび、台風19号により被災した皆さまにお見舞いを申し上げます。
8年前に東日本大震災と福島第一原発の事故により、大量の放射性物質が放出された福島県も再び甚大な水害に見舞われました。
私たちは「まつもと子ども留学」を、東日本大震災の被災地の子どもたちが放射能の不安から逃れ、普通の学校生活を送り、その時にしか出会うことができない楽しみを経験してもらうための居場所を作りたいという一心で6年前に立ち上げ、この6年間に10人のお子さんを留学生としてお預かりしてきました。6年前に中学1年生で松本へ留学してきて現在高校3年生になった2人が来春卒業すると、留学生がいなくなる状況ですが、その一方で、「保養」のために訪れてくる母子は後を断ちません。保養に来るお母さんたちは「放射能のことは考えないようにしています。考えたら生活できないから。」「自分が住んでいるところでは放射能を心配していることを話すことはできません。被災地を離れて、保養に来た時だけ気持ちを話すことができます。」と話してくれます。
東日本大震災から8年が経ち、被災地では復興が進んでいますが、原発事故のリスクについて不安な気持ちを隠しながら生きている人たちが今でも少なからずいるのです。子どもの命を守りたい、健やかに成長してほしい、そのためにリスクと向き合うことが必要だという気持ちを発信することすら、復興に水を差すことになると否定的な目を向ける社会になっている現状があります。
チェルノブイリ原発事故の後、ベラルーシとウクライナでは、現在でも汚染地域に暮らす子どもの健康を維持するために「国家の予算」で保養を行っていますが、日本では「保養」について行政からの支援を受けることは難しく、善意ある市民の努力によってなんとか成り立っているような状況です。
私たち「まつもと子ども留学」も、寮生の募集、寮を探したり、スタッフを探したり、「保養プログラム」の運営など、子どもたちが安心して生活できるよう地域の皆さまがサポートしてくれたことがとても心強かったです。また資金ゼロからのスタートでしたが、応援してくださる全国の皆さまからのご寄付がどれほど私たちを励ましてくれたことか、感謝してもしきれません。
私たちは引き続き保養の受入れや、留学や移住をしたいご家族のサポートなど、これからも、子どもたちが安心して生活できる場所を守っていけるように活動を続けていきます。
どうぞこれからも温かいご支援、応援のご協力をお願い致します。

東教区のプロジェクト3・11では現在も被災地との関わりを持ち続けています。全国からの募金をもとに、子ども留学をはじめ、数団体に支援ができていますことを感謝します。これからもお祈りのうちに憶えて頂ければ幸いです

「宗教改革500年共同記念」報告書が発行されました

安井宣生
(健軍教会・甲佐教会牧師)

単なる節目ではありません。もてはやされた「改革」は、教会に分裂を引き起こした事実と表裏一体なのです。それゆえ、ローマ・カトリック教会とルーテル教会の両者が時間をかけて和解へと導かれた恵みを感謝し、キリストを共に賛美する歴史的機会でした。そしてそれはキリスト教会のみならず、様々な形で存在する世界の分断を繕う平和のための糸口として貢献するという期待の内にありました。宗教改革500年を共同で記念することにはそのような意味がありました。
長崎からキリシタン弾圧、戦争・原爆を踏まえての言葉、私達の罪と罪人である私達に託された平和の役割への言葉、人の住む全世界(オイクメネー)での共生を促す言葉が交差したシンポジウムがありました。日本における両教会の代表者による御言葉の説教が告げられました。分裂の始まりの地であるドイツの教会から和解の祈りが届けられました。それらへの応答としての祈りの言葉が織りなされた礼拝から、一人ひとりが平和のシンボルとしてのカンナの球根と祈りの折り鳩を携えて派遣されました。この礼拝の解説と合わせて、その内容のすべてを感謝と共に報告します。加えて共同記念の意義と歴史的経過を公式記録としてまとめました。
記録は未来を紡ぐものでもあります。その重要性を理解しつつも、発行まで2年もの時を経ることとなり、担当者としてお詫びします。当日の参加者と各教会へと届けられています。ぜひ手にとってくださり、そこから発せられている言葉をあなたの祈りに添えて、未来へつなぐ歩みとしていただきたいと願っています。
希望される方は事務局へお申し出いただければ、印刷実費と送料でお分かちします。

ワートバーグ神学校からの訪問団

高村敏浩(三鷹教会牧師)

1月7~23日、米アイオワ州にあるアメリカ福音ルーテル教会(以下、ELCA)のワートバーグ神学校から訪問団がありました。秋学期と春学期の間に位置する1月はJ-Termと呼ばれ、多くの大学・神学校で短期集中コースが行われます。訪問団は、、ELCAの牧師でもあるマーティン・ローマン(Martin Lohrmann)教授に引率された、日本での異文化体験を目的としたJ-Termコースを受講する7人の神学生たちとその子ども(未就学児2名)です。前半はルーテル市ヶ谷センターに宿泊して東京で過ごし、後半は長崎を中心に、広島、熊本、大阪、京都を訪れました。
東京では、神学校の協力でルーテル学院の施設を使って午前中を講義、午後は教会や寺社仏閣の見学をし、観光地をいくつか訪問しました。長崎では、浦上天主堂に隣接する長崎カトリックセンターのホステルに宿泊し、長崎市内、外海地区、雲仙・島原地区を、キリシタンの史跡を中心に巡りました。広島と長崎それぞれの平和公園にも行きました。熊本では、健軍教会の主日礼拝と熊本教会の英語礼拝に参加し、九州学院や慈愛園を見学、同地で働くELCAの宣教師たちとの交わりのときを持ちました。ローマン教授の呼びかけで、ワートバーグ神学校の同僚やルーテル教会の出版社Fortress Press、学術誌Lutheran Quarterlyなどがルターやルーテル教会に関する本をくださることになり、30冊以上がルーテル学院大学図書館に寄贈されました。
滞在中、グループはELCAからの準公式の使節として、市ヶ谷の事務局を訪問しました。さまざまなかたちで関わり、訪問団の日本滞在を助けてくださった皆さまに、この場をお借りして感謝いたします。
3~4年に一度くらいの頻度で、このような訪問が継続されていくことを望んでいます。どうぞ、ワートバーグ神学校とルーテル学院・神学校の関係が発展し、よい実を結んでいくようにお祈りください。

2019年度「連帯献金」報告

2019年度も多くの方々から「連帯献金」に支援を頂きました。感謝して報告いたします。(敬称略・順不同、複数回の献金もまとめての報告となります。)

2019年 災害支援 3,476,551円
シオン教会防府礼拝所、豊中教会、田園調布教会、小石川教会、NPO一粒の麦、栄光教会、室園教会、田園調布ルーテル幼稚園、大岡山教会、挙母ルーテル幼稚園、P.Ken Phin、千葉教会、湯河原教会、シオン教会柳井礼拝所、熊本地区壮年会連盟第51回総会席上献金、西中国地区ルーテル秋の大会礼拝献金、阿久根教会、宮崎教会、東海教区女性会会長会、大林由紀、都南教会、保谷教会女性会、大森教会、東教区宗教改革記念礼拝席上献金、東教区、小栗正紀、松本教会、長野教会、津田沼教会、高蔵寺教会、稔台教会、刈谷教会、保谷教会、飯田教会、函館教会、なごや希望教会、東教区女性会、ELCA、博多教会、福岡西教会、福岡市民クリスマス実行委員会、神水教会学校、神戸教会、挙母教会、岩?純子、松江教会、名古屋めぐみ教会、厚狭教会、大垣教会教会学校、日田ルーテルこども園、清水教会、下関教会、甲府教会、岡崎教会、蒲田教会、小岩教会、恵み野教会、札幌教会、藤が丘教会女性会、博多教会バザー委員会、千葉ベタニヤホーム国府台母子ホーム・ホームクリスマス参加者ご一同、市ヶ谷教会、近畿福音ルーテル教会、浜松教会、大阪教会、宇部教会、山本啓子、挙母教会教会学校、帯広教会、小鹿教会、日吉教会、東京池袋教会、匿名献金
ブラジル伝道 160,330円
九州ルーテル学院、大岡山教会、小城ルーテルこども園、恵み野教会、札幌教会北礼拝堂、恵み野教会、箱崎教会女性の会、東教区女性会、女性会連盟、健軍教会

メコン(カンボジア宣教・子ども)支援 65,000円
神水教会、蒲田教会

釜ケ崎活動(喜望の家) 20,000円
蒲田教会

世界宣教(無指定) 493,753円
箱崎教会らぶぴチャリティコンサート、小泉基、パウラス師ご遺族、NPO一粒の麦、2019JELAチャリティコンサート寄附金、めばえ幼稚園、伊藤百代、匿名献金

今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓に苦しむ方々に連帯したいと祈り願います。「連帯献金」をお捧げくださる際には、それぞれの献金目的[ブラジル伝道][喜望の家][メコンミッション][世界宣教][災害支援]を郵便振替用紙に明記頂き、下記の郵便振替口座にご送金ください。
郵便振替 00190-7-71734
加入者名 (宗)日本福音ルーテル教会

20-01-15るうてる2020年1月号

説教 「揺らぎつつ信じる信仰」

機関紙PDF

「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』」(マタイによる福音書 28・16~20)
マタイ福音書巻末の宣教命令へと続く段落の中で、《主イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた》と書かれている事に、昔から興味をひかれて来ました。ここに集っている者は、裏切ったユダを除いて、十一人の主だった弟子たちです。その誰が、「疑う者」なのか、最初の関心は、その様なものだった気がします。ところが、神学校に入り、ギリシャ語の勉強をし、改めてこの部分を自分なりに読み直してみると、どうしても、「彼らはひれ伏して礼拝したが、同時に疑ってもいた」になってしまうのです。
これはどういう意味だろう?と考えているうちに、ふと、「疑う」という訳は、本当にそれで良いのか、という疑問が生まれてきました。調べてみると、まず、この単語は、新約聖書では、2カ所にしか出てこない事が分かりました。そしてそのもう1カ所も、マタイ福音書の中なのです。この単語は、やがて、2世紀の使徒教父時代には、盛んに使われる様になり、明らかに、「疑う」という意味を持ってきます。しかし、旧約聖書のギリシャ語訳(七十人訳)では、この語はむしろ「躊躇う」という意味で用いられています。この七十人訳聖書では、「疑う」の訳には、また別の語が使われており、はっきり区別されているのです。また、古典ギリシャ語の用例で見てみると、原義は「2つの世界に立ち、決めかねている心の状態」なのですが、発展して、優柔不断、揺れ動く心、ためらう、などと訳されています。つまり、「疑う」とはっきり訳せるような例は、紀元1世紀までは皆無です。それで、1世紀末に使用されたマタイ福音書のこの二つの箇所についても単純に「疑う」と訳すわけには行かなくなります。
以上、弟子たち全部が「疑っていた」かもしれない、また、この「疑う」という訳は本当にそれで良いのだろうか、という二つの視点が出てきました。これらを考慮に入れ、改めてこの16節を、私なりに解釈し直してみると、「弟子たちは主イエスを見て、ひれ伏し礼拝した。しかし、同時に彼らは、揺れ動いていた」となるでしょう。弟子たちは、信仰の世界へと入ろうとしつつ、まだこの現実世界に重心を残しているのです。中途半端な信仰だった、とも言えますが、主イエスは、その彼らを宣教へと派遣して行くのです。彼らが持っている現世への拘り、その部分は弱さでもあるのですが、同時に、そこがなければ宣教も空しいとさえ言える程、重要な何かでもあるのです。
そもそも、信仰というものは、神の与えたもうもの、という視点も、ここで重要になります。強固な信仰も、ぐらついた信仰も、神が与えてくださった信仰という意味では、優劣ないという事です。私たちの周囲に居る人々を考えてみても、強い人も居れば弱い人も居ます。そういう多種多様な人間たちに語りかける教会は、それなりの柔軟性、多様性を持っていなければならないのです。
そこで主イエスは、揺れ動く弟子たちに一つの方向性を与えられます。すなわち、天と地一切の権威を持って、《あなたがたは行って、すべての民を弟子としなさい》と言われるのです。《父と子と聖霊の名によって洗礼を授け》《命じておいたことをすべて守るように教えなさい》と命ぜられた時、《信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する》というヘブライ人への手紙11章の冒頭の言葉が実現します。ここでの「見えない事実」、それは主イエスの与えられる、天地一切の権威、また、主イエスは《世の終わりまでいつも共にいる》という事柄をもって、望みつつ確信する信仰、揺らぎつつも信じる信仰へと彼らを導いてくれているのです。その信仰が「躊躇い」を含むものであるからこそ、それは、長い歴史を隔てた私たちの心にも共鳴し、波紋を広げ、やがて、望み、確認し、そして救いに至らせる力を持つのです。
新年にあたり、各教会では、今年の宣教方針を考え、練っている事と思われます。その際、主イエスは、揺らぎつつ信じる弟子たちを選び、あの宣教命令を下された、その事実をも覚えていてほしいと思います。そして、弱い私たちにこそ、その命令が受け継がれている事を信じつつ、現在の各教会をめぐる、厳しい状況へと、また一歩踏み出していければ、と思うのです。
日本福音ルーテル小岩教会牧師 松田繁雄

コラム直線通り 久保彩奈

「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。」(ヨハネの手紙第一5・14)

冬になるとつい、毎朝学校近くの自動販売機で温かい飲物を買ってしまいます。「今日は甘いミルクティーにしよう」と思い150円入れてボタンを押し、ガコッという音と共に出てきたのは、なんと緑茶でした。えっ?と目を疑いながらペットボトルに触ると、更に残酷なことに冷たい緑茶だったのです。こんなにも寒い朝、よりによって冷たい緑茶とは!と打ちひしがれるのと同時に、ふと、わたしの祈りもこの出来事のようだったかもしれない、と思いました。欲しいものを願えば当然のように神様に与えてもらえるだろう、と祈っていたのです。思っていたものと違うものが自販機から出てきて、うろたえたことで初めて自分の弱さや、小ささに気づかされました。わたしたちの神様は温かいミルクティーを求めてる人に冷たい緑茶を与える自由をお持ちです。また、お金を入れず求めることもしない人にも与えることがおできになる方なのです。
ケセン語訳聖書を執筆した山浦玄嗣さんは新約聖書に出てくる「祈り」という言葉の意味を次のように解説します。それは「願う」「賛美する」「感謝」が約3割、あとの約7割が「祈る」で「神様の言葉を聞く」という意味ではないか、といいます。つまり聞こえない神様の言葉を聞くことこそが本来の祈りだ、と。そしてそれは自分の身の回りに起きている出来事にあらわれるというのです。
新しい年、わたしたちも神様がおっしゃりたいことに目を向け、耳を澄ましたいと思います。もしかしたら願っている通りのものが与えられなくても、その出来事の中にある神様の言葉を、聞き取れる人でありたいのです。

議長室から 『Can you celebrate?』 ~ 祝宴への招き 大柴譲治

「『この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』
そして、祝宴を始めた。」(ルカ15・24)

新年おめでとうございます。今年もみ言葉の光の中に新しい一歩をご一緒に踏み出してまいりましょう。年の初めに思いを馳せたいのは「祝宴(セレブレイション)」という事柄です。
ルカ福音書15章には失われたものが見出された時に天上で開かれる盛大な祝宴について3度も記されています。特に3番目の放蕩息子のたとえには印象的です。自分の帰るべき場所(関係)に気づきそこに戻ってゆくこと。遠くから息子の存在に気づき、走り寄って抱き留めてゆく父親の姿の中に、私たちは親なる神の深い愛を見ることができましょう。
1996年の夏、私はフィラデルフィアのJeanes Hospitalで400時間の臨床牧会教育を受けました。あることで深く落ち込んでいた私に、個人面談でスーパーヴァイザーのDann Ward師(牧師・詩人)はこう告げられました。「George needs to celebrate George.(譲治は譲治を喜び祝う必要がある)」。目からウロコが落ちるような体験でした。自分で自分を喜び祝う? セレブレイトする? そのような発想はそれまでの私には全くありませんでした。いや、気づかなかっただけなのかもしれません。声には扉を開く不思議な力があります。翌年帰国した時に流行っていたのが安室奈美恵の『Can you celebrate?』であったことも不思議なシンクロニシティでした。
私たちは自分を支える外からの存在是認の声を必要とします。イエスは受洗時に一つの声を聽きました。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マルコ1・11)。これは神からの究極的な存在是認の声であり、「よし、行け!わたしはあなたと共にいる」という促しの声でした。イエスはその道の途上で繰り返しこの根源的な声に立ち返ったに違いありません。私たちも皆、この声に与るよう招かれています。
礼拝はキリストの祝宴です。過酷な現実が私たちを幾重にも取り巻いていたとしても、私たちは主日ごとに天の祝宴に招かれているのです。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11・28)。この祝宴は終わりの日の天における祝宴の先取りであり前祝いです。それは私たちの揺らぐことのない希望です。そこに与ることができる者は何と幸いでありましょうか。
Can you celebrate? 新しい一年もご一緒にこの祝宴に与りたいのです。神さまの祝福が豊かにありますように。シャローム!

プロジェクト3・11東北訪問プログラム報告 野口勝彦 (みのり教会牧師・元東日本大震災ルーテル教会救援派遣牧師)
11月4~5日、「東北訪問プログラム」に同行しました。少ない参加者でしたが、深い交流の機会となりました。
訪問1日目は仙台駅を出発し、石巻市の二子団地を訪問しました。この団地は敷地面積19・4ヘクタール、市半島沿岸部で最大規模の被災者向け集団移転団地で、自己再建用135区画、復興公営住宅用237区画の計372区画が整備されました。その団地に住む元支援先のお宅を訪問し、現在の生活などのお話をお伺いしました。ちょうど大川小学校裁判の判決が確定した時で、その判決が新たな地域の分断を生み出していると心配する声もありました。その後、ワカメ養殖のお宅を訪問し、震災後再開したペンションに宿泊をしました。
2日目は、最大の支援先であった東日本大震災復興記念前浜マリンセンターを訪問、現在の活用状況などの話をお伺いしました。現在は市の施設ですが、地域で運営がなされ、地域以外の団体も利用するなど多彩な交流がなされています。また、この日は偶然にも「世界津波の日」。本来は休館であった気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館が特別開館していたので、初めて訪問しました。そこで私たちは震災発生から10日後に避難所で行われた卒業式の衝撃的な映像に出会いました。その後、震災遺構として整備が進む南三陸の防災対策庁舎と被災した学校で最大の犠牲者74人を出した大川小学校を訪問しました。多数の訪問者がいましたが、来訪者の中には物見遊山的な人も見られ、今後に課題を残すことになりそうに感じました。その後、1地区最大の犠牲者400名を出した石巻市南浜地区を見下ろす日和山に着いた頃にはすっかりと日も暮れ、震災遺構となる門脇小学校、来年度末を目途に整備される国営追悼・祈念公園建設地を確認し、それぞれ帰路に就きました。
今回の訪問は、復興が進む、変わりゆく被災地を実感できるものとなりました。訪問の詳細は「ルーテルとなりびとブログ」でご覧いただけます。

賛美歌と私たち

�F『教会讃美歌』小澤周平 (名古屋めぐみ教会牧師)
1955年のJELC総会で『讃美歌』(1954年版)の使用が話題に出ています。私たちの教会は「サンビカ」の伝統を継承しました。同時に、ルーテル教会発の歌集への取り組みも継続されました。
最大の動機の一つは、式文や教会暦といったルーテル教会の礼拝の伝統を、歌集において補うことでした。例えば、現在、私たちの教会の主日礼拝では、教会暦に合わせて賛美歌を選ぶのが一般的です。季節の花と、聖卓の布の色と、時季にあった賛美歌を、重ねて思い出す人も多いでしょう。ただ、この伝統は、1950年代のJELCにおいてはそれほど定着していませんでした。
このような時代背景の中、1962年に『教会学校さんびか』(聖文舎)が発行。3年掛かりで編集。式文合本、教会暦に沿った配列、口語調の歌集です。
同時期、主日礼拝用の歌集編集も始まりました。十数年の時を経た1974年、『教会讃美歌』(聖文舎)発行。歌集の序文などには、ルーテル教会の伝統的な礼拝形式に調和した典礼の道具としての期待が記されます。加えて、ドイツや北欧の賛美歌、あるいは、礼拝以外のキャンプや家庭集会等で用いる賛美歌を紹介する試みも語られます。また、これらの歌集は、日本のキリスト教会全体にルーテル教会の伝統を紹介することも目標としていました。
当時の教会員にとっては、礼拝観について大きな変化を求められたことも確かです。戸惑いの声の記録も残っています。それでも結果的には、JELCの多くの教会がこれらの新しい歌集を用いるようになりました。同時に、各個教会において、教会暦などの伝統が具体性をもって礼拝に取り込まれたことでしょう。
この時代を振り返ると、『讃美歌』(1954年版)も『教会讃美歌』も当時としてはかなりのチャレンジでしたから、様々な葛藤と祈りの中で先輩方が変化を受け入れていたことが分かります。それ故、今の私たちの信仰生活があるのですね。
もちろん、戸惑いの声は当然のこと。そこで、次回は、歌集が生まれる必要性について考えてみましょう。(続く)

第54回教職神学セミナーのご案内
第54回目を迎える教職神学セミナー(日本ルーテル神学校主催)では、例年、日本福音ルーテル教会はじめルーテル諸教団の教職者が集い、自己研鑽と相互の交わりの機会となっています。
今回のテーマは、「明日の教会のために―わたしたちの教会・神学・神学教育」。私たちの教会は、教会たり得ているのか。苦悩する人々に福音を届けているのか。教会の厳しい現実に耐え、主の働きを守っていかれるのか。今日の宣教と神学、また教会内外の急速な環境変化をふまえながら、私たちの牧会と教会形成の基軸を確かめること、そして新しい時代を見据えた「明日の教会」を思い描きたいと考えています。
特別講演として、西原廉太師(日本聖公会司祭・立教大学教授)の「聖公会からみたルーテル教会」(仮題)、また橋爪大三郎氏(東京工業大学名誉教授)の「現代世界と宗教者の役割」(仮題)を予定しております。そのほか、講義や参加者からの発題などを通して皆で考え、ディスカッションをして参りたいと考えております。
日程は、2020年2月10日(月)~12日(水)の3日間、会場は日本ルーテル神学校です。 お申し込みにつきましては、各教会に送付いたしますセミナーのご案内に従って、お申し込みください。

カンボジア宣教に向けて 浅野直樹Sr.(世界宣教主事・市ヶ谷教会牧師)
日本福音ルーテル教会(JELC)が宣教方策パワーミッション21(通称PM21)を手がけたのは2002年。その中のひとつに「アジア宣教への参与」がありました。国内宣教に専念するあまり、過去17年間これが後回しになったのは事実ですが、あきらめたわけではありません。ようやく今、機が熟してきたと言いたいと思います。
世界宣教委員会から派遣され10月20日から1週間、アジア宣教の候補地カンボジアを視察しました。JELCにもできるアジア宣教を探るためです。アジア宣教といっても、見知らぬ土地に教会を新たに建てるというような計画ではありません。既にある現地の教会をJELCが宣教サポートすることが主眼です。
カンボジアルーテル教会の歴史は新しく、2010年に誕生しました。シンガポールの教会が手がけ、それを海外諸教会が支援して発足しました。ここで重要なのは、そうした複数の海外ルーテル教会のネットワークが出来たことです。そのハブ(軸)になったのが世界ルーテル連盟(LWF)のメコンミッションフォーラム(MMF)です。カンボジア宣教を自転車にたとえるなら、わたしたちもこの軸につながり、一本のスポークになろうというわけです。
キリスト教宣教をふたつにまとめると、福音の宣べ伝えとキリストの手足になることです。伝道と奉仕、もしくは言葉とわざと言い替えることもできます。現地のルーテル教会は、仏教伝統の根強い地域に溶け込もうと、教育や農業支援などの社会支援活動をしながら人々を礼拝に招いています。こうした働きを海外諸教会と連携しながら、JELCもサポートしていけるのではないかと考えます。一度だけでなく継続できることが重要ですので、牧師のみならず信徒も参加できたらと思います。
「たとえ大きく豊かな教会でも、他の教会の賜物を必要としない教会はありません。たとえ小さく貧しい教会でも、他の教会を豊かにできない教会はありません」。これは1978年からLWF総会議長を務めたタンザニアのキビラ監督の言葉です。この声はLWFで今もこだましています。小さな教会の私たちにも、なにかできることがあるはずです。

メコン・ミッション・フォーラム報告 森田哲史(新霊山教会牧師)
2019年11月19~21日にタイのバンコクで行われたメコン・ミッション・フォーラム(以下、MMF)に、日本福音ルーテル教会(以下、JELC)から私と関野和寛牧師(東京教会牧師・世界宣教委員)とで参加いたしました。
MMFは、メコン川流域の各国(タイ、ベトナム、カンボジア、ミャンマー、ラオス)のルーテル教会および関連諸施設と、それらを支援する世界中の教会が一堂に会し、現地の宣教や支援についての情報を共有し、さらなる発展を目指す会議体です。MMFにより、支援元の教会が各国の状況を把握し、支援の優先順位の決定に役立てたり、支援の重複を避け、相互補完的な支援を調整したりすることが出来ます。会議の中では各国から「牧師と信徒指導者のための指導者養成」、「青年育成」、「地域の教会の建設支援」「牧師・神学者の派遣・交換プログラム」などのニーズが挙げられていました。
会議は英語で行われ、英語力の稚拙な私は、すべての内容を正確に理解できたわけではありませんが、各国の代表者の情熱を感じました。中には私より若く、今年按手を受けたというカンボジアの牧師もおり、大変刺激を受けました。
残念だったのは、各国からの報告の中にJELCからの報告がなかったことです。現状ではJELCからMMFに拠出されている年間1500ドル以外の支援はされていません(各個教会や個人での支援はあるかと存じます)。JELCでは2018年の全国総会において、今後アジア宣教に力を入れていくことが示されました。支援を具現化していくために、アジア宣教についてご理解いただき、お祈りいただき、お知恵をいただき、そして働き手となってくださる方が必要です。アジアの一員として共に歩んでいきましょう。次年度のMMFは、11月17~19日、カンボジアのプノンペンにて開催される予定です。

聖書日課セミナー「読者の集い」報告 乾和雄(日本福音ルーテル教会定年教師・神戸東教会牧会委嘱)
『家庭礼拝のための聖書日課』も29年目を迎えます。そして年に1回、「聖書日課セミナー(読者の集い)」も開催されてきました。2019年の「聖書日課セミナー」は10月21~23日、神戸市の「しあわせの村」で開催され、全国から43名の参加がありました。講師として、ルカによる福音書や使徒言行録に造詣の深い李明生先生(JELC田園調布教会牧師・写真)をお招きし、聖書が正典化された経緯、写本からオリジナルの聖書が復元されてきた歩み、ルカによる福音書の構成とその内容等について、とても丁寧に、分かりやすくお話しをして下さいました。
セミナーに並行して「聖書日課執筆者研修会」がもたれ、4月から新たにご執筆いただく2名の先生方が参加して下さいました。学びの時だけではなく楽しいひとときも。ソプラノ歌手の池上彩香さん(西日本福音ルーテル新田教会員)による賛美の時もあり、アフロ・アメリカン・スピリチュアルなど、心に響く演奏を聴くことができました。
以下、参加者の感想の一部です。
○ルカによる福音書は、物語りとしても構成が計算しつくされ、「神理解」が容易になるように書かれていることを知らされました。また、社会的に弱い立場の人々への視点に気づかされました。
○最初に福音を受け取った人々の思い、何を大事にしてきたのか、何を読みとったらよいのかを、あらためて教えていただきました。ほんとうに嬉しそうにお話しをされる李先生のご様子を拝見しているだけで幸せな気分になりました。引き続き、使徒言行録の説き明かしを期待しています。
○ルカによる福音書を、こんなに専門的に深く学ぶ時がありませんでした。まずルカという人物にたいへん興味を持ちました。祈りが好き、旅が大好きという姿は、イエスさまとそっくりです。人生という旅の中で、イエスさまが常に同行して下さっていることにあらためて感謝します。
2020年は10月19日から2泊3日の予定です。皆さまのご参加をお待ちしています。

TNGみことばカード2021年度イラストレーターボランティアスタッフ募集します!
TNG子ども部門では、CSみことばカードのイラストレーターを募集しています。あなたのタラントを生かして、教会学校や信仰の継承のために働きませんか?
〈募集内容〉
下記のみことばから1つ選び、イラストを描いて送付してください。(PC・手書き、いずれもOKです)
カードの大きさは縦87�@×横63�@です。(断裁の関係でイラストの大きさは縦83�@×横59�@となります。)
イラストは、縦×横の倍率があっていれば書きやすい大きさで結構です。
完成したイラストはデータでお送りいただいても、郵送でもかまいません。
部門委員会で検討の上、連絡いたします。採用となった方には、お1人6~8枚のイラストを担当していただきます。11月中旬に担当箇所の依頼をさせていただき、2021年2月中旬提出となります。
(みことば)
・マタイ2・11 彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を 贈り物として献げた。
・ヨハネ20・19 あなたがたに平和があるように
・ルカ1・38 「お言葉どおり、この身に成りますように。」
・マルコ1・21 イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。
※イラストは聖書の一場面であったり、イメージ(羊とイエス様など)であったり、その聖書箇所からイメージされる日常生活での一場面(おばあさんの手を引く子どもなど)であったり、子どもに親しみのもてるイメージで自由に描いてください。
締切 2020年3月末まで
応募先・お問合せ TNG子ども部門 池谷考史
〒812l0028福岡市博多区須崎町3l9
t-ikeya@jelc.or.jp

「諏訪教会の宣教100年」の星野幸一牧師の笑顔 垣内恵子(諏訪教会)
星野幸一牧師の召天を聞き、思い出すのは諏訪に赴任しての最初の説教である。―わたしはトラブルを解決するために来たのではない。み言葉を伝えるためにきたのです―ときっぱり述べる星野先生。これからの牧会を象徴するひとことであった。
星野先生は2002年から2007年まで甲府と諏訪の2教会牧会をつとめてくださった。
星野先生と過ごした年月の中でも「諏訪教会の宣教100年」の日を共に迎えることができたのは何より大きな喜びであった。
1905年にフィンランドの宣教師によって開かれた諏訪教会。2005年は宣教100年の記念祭を計画。いよいよその日が来た。2005年11月23日。全国の教会関係の方々120名の来賓出席者を得て、諏訪オーケストラの弦楽器に合わせ、小さな諏訪教会は喜びと熱気であふれた。
「宣教100年にあたる年に諏訪教会の牧師でいることの幸い」と率直に喜んでくださったあの日の笑顔が忘れられない。
文集『諏訪教会100年の歩み』に幸一牧師は次のように記す。
―草木は1年で育つ。材木にする木は50年かかる。さて人を育てるには何年かかるか。人を育てるには100年かかる―と語る星野先生は地味だがやさしく真心の人だった。また知子夫人は―聖書には長い間には教会の分裂、混乱した時代があった。諏訪教会も100年の間には語りつくせない様々なことがあったであろう。しかし群は残って今100周年を迎えようとしている。―と、一度しかない100年の節目に出会えた幸いと述べてくださった。星野先生のみ言葉を語るときの深い喜びと苦しみを私は忘れない。

第28期第5回常議員会報告 事務局長 滝田浩之
11月11~13日、ルーテル市ヶ谷センターにて第28期第5回本教会常議員会が開催されました。以下、主な協議事項について報告いたします。
(1)ハラスメント防止規定
第28期より本教会常議員会で学びを積み上げ準備してきました、「ハラスメント防止規定」が承認されました。規定を確認して頂き、ハラスメントについて理解を深め、誰もが「安全で安心できる」教会造りをしていきたいと思います。各教会には、この規定に沿った「パンフレット」もお送りいたします。相談窓口は、フェミニストカウンセリング東京(FC東京)に依頼しています。FC東京との業務委託契約の中では、交通費等の経費を各教会、各地区、各教区で負担いただければ、「ハラスメントの研修」について講師派遣が可能です。是非、ご活用ください。詳細は事務局までご連絡ください。
(2)市ヶ谷会館大型修繕計画の件
市ヶ谷会館の耐震工事を含む大型修繕計画について、市ヶ谷将来検討委員会から経過報告と、概算見積もり、また工事工程表が本教会常議員会に提出されました。3階の宿坊部分のユニットバス化なども計画されていることが報告されました。今後、11月末に完了する詳細設計をもとに、詳細見積もりを進め、工事費の圧縮を行う作業を年明けの1月末までには終え、最終的な工事内容を確定していきます。並行して銀行との借入交渉を行い、2月の本教会常議員会までに5月全国総会に提案する内容を固めていくことになります。
(3)第7次綜合方策
9月の宣教会議、その後の人事委員会、社会委員会等の意見を踏まえた形で「第7次綜合方策」の試案が提案されました。今後、各教区常議員会の意見を伺いながら、2月の本教会常議員会に提案され、5月の総会に上程してくことになります。ポスト宗教改革500年を歩み出す教会として、改めて「ルター派の教会を形成する」という明確な目標を設定し、この「ルター派の教会」の中身を、広範囲な角度から検証するものとなっています。これまで取り組んできた、ルター派としての大切な信仰理解をきちんと継承すること、同時に、現代における「ルター派の役割」を包括しつつ、今後8年間の教会の歩むべき方向性を確認するものになることを目指しています。これまで課題とされてきた「宣教力の低下」を「牧会力の低下」と理解し、「牧会力(分かち合う力)」の回復を目指すために、今、手をつけていかなくてはならないことを「方策実行委員会」を中心に進めていくことになります。
(4)総会日程と負担金の件
次年度の全国総会は、2020年4月29日(水)~5月1日(金)に実施することを改めて確認しました。総会負担金は1人あたり3万5000円となります。東教区を中心とした総会準備委員も選出されました。今からご予定ください。
なお第5回本教会常議員会の詳細については、後日送付される議事録にて確認ください。

教皇ミサに出席して 古屋四朗(JELC常議員・日吉教会)
11月25日、東京ドームでの教皇ミサに、カトリック教会のご招待を受けて、私も出席する機会が与えられました。5万人もの礼拝はめったに体験できるものではありません。素晴らしい機会を与えられたことを感謝しています。教皇ミサで一番の印象に残ったのは、全国からこのために集まったカトリック教会の信徒の皆さんの、喜びに満ちた表情でした。
ミサの前に教皇がアリーナを巡回するためにオープンカーで登場すると、ドーム全体が大きな歓声に包まれました。それは、差し出された幼児に教皇が祝福のキスをするたびに最高潮になりました。これは、「イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れてきた」という福音書の記事を思い出させました。これがハプニングだったのか予定だったのか分かりませんが、この日の行事に欠かせない風景だったと思います。また、ふだんは敬虔なイメージのシスターたちが、教皇に近づこうと駆け寄って行く姿にも、喜びが伝わってきました。
教皇の説教は、「すべてのいのちを守るため」をテーマとした、内容のあるものでした。「午前の若者との対話で気づいたのは、日本は発展した国だが、社会で孤立して、いのちの意味が分からなくなっている若者がいること」と切り出し、すべてのいのちを守るためには、世界のすべてをまるごと受け入れる態度が必要と結びました。世界の経済や政治の指導者の態度が益々自己中心になっている時代に、いのちの福音を告げるというキリスト者の役割は、教派を超えて共有すべきと感じました。
今回の教皇ミサには、キリスト教各派が招待されましたが、ルーテル教会の招待枠は多く、伝統的教派として重視されているのでしょう。そして、キリスト教だけでなく、仏教や新宗教の指導者も招かれて、参加していました。日本のキリスト者は少ないけれど、社会の中で少なすぎも弱すぎもしないということではないでしょうか。

2020年度日本福音ルーテル教会会議日程(主な予定のみ)

1月16日(木)教師試験(市ヶ谷)
1月17日(金)任用試験 (市ヶ谷)
2月17日(月)~19日(水)28-6常議員会(市ヶ谷)
2月23日(日)神学校の夕べ(宣教百年記念会堂)
3月1日(日)教職授任按手式(宣教百年記念会堂)
3月2日(月)神学教育委員会(市ヶ谷)
3月4日(水)新任教師研修会(市ヶ谷)
3月13日(金)ルーテル学院大・日本ルーテル神学校卒業式(三鷹)
4月1日(水)ルーテル学院大・日本ルーテル神学校入学式(三鷹)
4月29日(水)~5月1日(金)第29回全国総会
6月15日(月)~17日(水)29-1常議員会(市ヶ谷)
8月25日(火)~26日(水)るうてる法人会連合研修会(九州地域)
8月28日(金)~29日(土)るうてる幼保連合研修会(広島)
9月23日(水)~24日(木)宣教会議(市ヶ谷)
9月30日(水)教師試験委員会(市ヶ谷)
11月16日(月)~18日(水)29-2常議員会(市ヶ谷)
※会議日程の詳細については、JELCニュースブログ (jelc-news.blogspot.com)をご覧ください。

20-01-14揺らぎつつ信じる信仰

「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』」(マタイによる福音書 28・16~20) 「

 マタイ福音書巻末の宣教命令へと続く段落の中で、《主イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた》と書かれている事に、昔から興味をひかれて来ました。ここに集っている者は、裏切ったユダを除いて、十一人の主だった弟子たちです。その誰が、「疑う者」なのか、最初の関心は、その様なものだった気がします。ところが、神学校に入り、ギリシャ語の勉強をし、改めてこの部分を自分なりに読み直してみると、どうしても、「彼らはひれ伏して礼拝したが、同時に疑ってもいた」になってしまうのです。

 これはどういう意味だろう?と考えているうちに、ふと、「疑う」という訳は、本当にそれで良いのか、という疑問が生まれてきました。調べてみると、まず、この単語は、新約聖書では、2カ所にしか出てこない事が分かりました。そしてそのもう1カ所も、マタイ福音書の中なのです。この単語は、やがて、2世紀の使徒教父時代には、盛んに使われる様になり、明らかに、「疑う」という意味を持ってきます。しかし、旧約聖書のギリシャ語訳(七十人訳)では、この語はむしろ「躊躇う」という意味で用いられています。この七十人訳聖書では、「疑う」の訳には、また別の語が使われており、はっきり区別されているのです。また、古典ギリシャ語の用例で見てみると、原義は「2つの世界に立ち、決めかねている心の状態」なのですが、発展して、優柔不断、揺れ動く心、ためらう、などと訳されています。つまり、「疑う」とはっきり訳せるような例は、紀元1世紀までは皆無です。それで、1世紀末に使用されたマタイ福音書のこの二つの箇所についても単純に「疑う」と訳すわけには行かなくなります。

 以上、弟子たち全部が「疑っていた」かもしれない、また、この「疑う」という訳は本当にそれで良いのだろうか、という二つの視点が出てきました。これらを考慮に入れ、改めてこの16節を、私なりに解釈し直してみると、「弟子たちは主イエスを見て、ひれ伏し礼拝した。しかし、同時に彼らは、揺れ動いていた」となるでしょう。弟子たちは、信仰の世界へと入ろうとしつつ、まだこの現実世界に重心を残しているのです。中途半端な信仰だった、とも言えますが、主イエスは、その彼らを宣教へと派遣して行くのです。彼らが持っている現世への拘り、その部分は弱さでもあるのですが、同時に、そこがなければ宣教も空しいとさえ言える程、重要な何かでもあるのです。
 そもそも、信仰というものは、神の与えたもうもの、という視点も、ここで重要になります。強固な信仰も、ぐらついた信仰も、神が与えてくださった信仰という意味では、優劣ないという事です。私たちの周囲に居る人々を考えてみても、強い人も居れば弱い人も居ます。そういう多種多様な人間たちに語りかける教会は、それなりの柔軟性、多様性を持っていなければならないのです。

 そこで主イエスは、揺れ動く弟子たちに一つの方向性を与えられます。すなわち、天と地一切の権威を持って、《あなたがたは行って、すべての民を弟子としなさい》と言われるのです。《父と子と聖霊の名によって洗礼を授け》《命じておいたことをすべて守るように教えなさい》と命ぜられた時、《信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する》というヘブライ人への手紙11章の冒頭の言葉が実現します。ここでの「見えない事実」、それは主イエスの与えられる、天地一切の権威、また、主イエスは《世の終わりまでいつも共にいる》という事柄をもって、望みつつ確信する信仰、揺らぎつつも信じる信仰へと彼らを導いてくれているのです。その信仰が「躊躇い」を含むものであるからこそ、それは、長い歴史を隔てた私たちの心にも共鳴し、波紋を広げ、やがて、望み、確認し、そして救いに至らせる力を持つのです。
  
 新年にあたり、各教会では、今年の宣教方針を考え、練っている事と思われます。その際、主イエスは、揺らぎつつ信じる弟子たちを選び、あの宣教命令を下された、その事実をも覚えていてほしいと思います。そして、弱い私たちにこそ、その命令が受け継がれている事を信じつつ、現在の各教会をめぐる、厳しい状況へと、また一歩踏み出していければ、と思うのです。

 日本福音ルーテル小岩教会牧師 松田繁雄

19-12-15幸いを実感できるか?

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイによる福音書5・3)

待降節になり、クリスマスのシーズンになりました。周囲の喜ばしいクリスマスソングやイルミネーションに囲まれると、私は嬉しくなります。この季節、私は自然に「心の貧しい人々は幸いである」というイエス様の祝福の約束を思い出します。不思議なことに、この言葉の文脈を合わせてみると、祝福される対象は全部弱い者なのです。
さて「心の貧しい人」の中の「心」というギリシャ語原語は、聖書のほかの箇所に「霊」と訳されているもので、「神様の霊」というふうにも用いられる言葉です。つまり、「神の霊との関わりにおいて貧しい人々」という意味です。

私はこの「貧しさ」について深く自覚しました。私は人に「なぜクリスチャンになったのか」と聞かれると、よく「クリスチャン家庭で生まれたゆえです」と答えます。しかし私は3代目のクリスチャンですが、自分の信仰をいつも弱く感じます。それは自分の信仰が親に依存して形成されたものではないかという劣等感があるからです。神様との関係の中で体験しつつ、確信を深めた信仰が私の中にあるのでしょうか?私の場合、パウロのように神様に奇遇されるような経験もありません。人生で辛いと気持ちが落ち込みます。そんな自分の信仰を貧しく思います。しかしそのように弱くても幸いだと信じ難くても神様を信じています。

さて信仰について考える時、印象的に思い出す光景があります。それは一方通行の狭い道で、工事をしているトラックの光景です。トラックは正面から来た乗用車に道を譲るために、横の道に曲がって止まりました。トラックは乗用車が通ってから元のところに戻るつもりだったのでしょう。そのトラックは運転のシフトレバーをバックのところにしたままでよけていたのです。ですから、トラックのスピーカーはずっと『バックします』『バックします』と鳴っていました。それで、警備の人がどんなに乗用車を誘導しても、乗用車はトラックのスピーカーの音を聞き、トラックがバックしてくると思い、全然動かなかったのです。このことから、乗用車の運転手はたとえ常識的に正しく判断したとしても、道を誘導してくれた工事の誘導員を信頼しなかったゆえに、受けることのできた厚遇をはじいてしまい、時間を浪費し、周囲にも残念な思いをさせてしまいました。

さて、幸いの話に戻りましょう。何が幸いかと言えば、私たちの考えでは、やはり富んでいて、力があり、自分を開花させれば幸いと思うのです。しかし、イエス様が言う幸いは、世の常識をひっくり返しているのです。先程の乗用車とトラックの話と同じように、私たちは常識に傾くのか、本質を見て判断するのか、自問したいものです。たとえイエス様の教えを聞いても、私たちの目が今までの常識に縛られて受け入れないなら、この「幸い」を理解できずに終わるでしょう。

ですから、イエス様を低く地上に送られた神様に感謝します。イエス様が人間の低さ弱さを知るからこそ、いつも人の側に立って共感し、弱い者も忍耐強く支えてくださるのです。そして誰もが自分の弱さを認め低くなるならば、いつでもイエス様に助けてもらえるのです。これこそ、私の信仰の励みです。
これから定年を迎え、バトンを若い世代に渡すのは寂しいことです。しかし依然として神様のそばにいるなら、小さな歩みでも、自分のできることでお役に立てるという希望は消えません。貧しく弱い者の幸いを身をもって喜び分かち合うことを続けていきたいものです。
九州ルーテル学院大学 チャプレン 黄大衛

19-12-10るうてる2019年12月号

「幸いを実感できるか?」

九州ルーテル学院大学 チャプレン 黄大衛

機関紙PDF

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイによる福音書5・3)

待降節になり、クリスマスのシーズンになりました。周囲の喜ばしいクリスマスソングやイルミネーションに囲まれると、私は嬉しくなります。この季節、私は自然に「心の貧しい人々は幸いである」というイエス様の祝福の約束を思い出します。不思議なことに、この言葉の文脈を合わせてみると、祝福される対象は全部弱い者なのです。
さて「心の貧しい人」の中の「心」というギリシャ語原語は、聖書のほかの箇所に「霊」と訳されているもので、「神様の霊」というふうにも用いられる言葉です。つまり、「神の霊との関わりにおいて貧しい人々」という意味です。
私はこの「貧しさ」について深く自覚しました。私は人に「なぜクリスチャンになったのか」と聞かれると、よく「クリスチャン家庭で生まれたゆえです」と答えます。しかし私は3代目のクリスチャンですが、自分の信仰をいつも弱く感じます。それは自分の信仰が親に依存して形成されたものではないかという劣等感があるからです。神様との関係の中で体験しつつ、確信を深めた信仰が私の中にあるのでしょうか?私の場合、パウロのように神様に奇遇されるような経験もありません。人生で辛いと気持ちが落ち込みます。そんな自分の信仰を貧しく思います。しかしそのように弱くても幸いだと信じ難くても神様を信じています。
さて信仰について考える時、印象的に思い出す光景があります。それは一方通行の狭い道で、工事をしているトラックの光景です。トラックは正面から来た乗用車に道を譲るために、横の道に曲がって止まりました。トラックは乗用車が通ってから元のところに戻るつもりだったのでしょう。そのトラックは運転のシフトレバーをバックのところにしたままでよけていたのです。ですから、トラックのスピーカーはずっと『バックします』『バックします』と鳴っていました。それで、警備の人がどんなに乗用車を誘導しても、乗用車はトラックのスピーカーの音を聞き、トラックがバックしてくると思い、全然動かなかったのです。このことから、乗用車の運転手はたとえ常識的に正しく判断したとしても、道を誘導してくれた工事の誘導員を信頼しなかったゆえに、受けることのできた厚遇をはじいてしまい、時間を浪費し、周囲にも残念な思いをさせてしまいました。
さて、幸いの話に戻りましょう。何が幸いかと言えば、私たちの考えでは、やはり富んでいて、力があり、自分を開花させれば幸いと思うのです。しかし、イエス様が言う幸いは、世の常識をひっくり返しているのです。先程の乗用車とトラックの話と同じように、私たちは常識に傾くのか、本質を見て判断するのか、自問したいものです。たとえイエス様の教えを聞いても、私たちの目が今までの常識に縛られて受け入れないなら、この「幸い」を理解できずに終わるでしょう。
ですから、イエス様を低く地上に送られた神様に感謝します。イエス様が人間の低さ弱さを知るからこそ、いつも人の側に立って共感し、弱い者も忍耐強く支えてくださるのです。そして誰もが自分の弱さを認め低くなるならば、いつでもイエス様に助けてもらえるのです。これこそ、私の信仰の励みです。
これから定年を迎え、バトンを若い世代に渡すのは寂しいことです。しかし依然として神様のそばにいるなら、小さな歩みでも、自分のできることでお役に立てるという希望は消えません。貧しく弱い者の幸いを身をもって喜び分かち合うことを続けていきたいものです。

コラム「直線通り」久保彩奈

㉑その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」
(ルカによる福音書2・8-11)

学生の頃、「あなたは何もわかっていない。一度路上で寝てみなさい」と教授に言われたことがありました。横浜の野宿者や日雇い労働をはじめとする「貧困」をテーマにした授業中のことでした。今思えばトンチンカンな発言をしたわたしに対して、教授は冒頭の言葉をかけたのです。
躍起になったわたしは、横浜の路上で寝てみました。11月下旬、晴れてはいましたが夜は寒く底冷えしていました。どこなら寝られるか、夜の街を彷徨い歩きました。段ボールを敷き横たわると、アスファルトから伝わるキンとした冷たさが身体に刺さるようでした。しばらくすると靴の音がしました。そして夜中ずっと誰かが通ったような気がして安心して眠ることはできませんでした。日が昇りはじめ明るくなる街に、安堵の涙が出そうになりました。首都圏の路上で生きる厳しさを痛感、その後現在に至るまでの12年、野宿者支援活動にかかわってきました。また、その日は必死だったので気づきませんでしたが、まるでクリスマスのような体験だったことに後になって気付きました。
そして、今ならわかるのです。泊まる場所を探し彷徨うヨセフとマリアの気持ちを。夜通し野宿をしながら羊の番をした羊飼いが感じた寒さや、不安の中で天使に導かれた喜びを。家畜小屋でキリストの誕生を祝い、小屋を出て浴びる朝日の眩しさを。
わたしたちのキリストは、誰もがお祝いにかけつけられる場所でお生まれになったことを心に留めたいと思います。今年もすべての人とともに、クリスマスをお祝いしましょう。
メリークリスマス!

議長室から「アポロ13号」総会議長 大柴譲治

「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」(ヨハネによる福音書1・5)

アドヴェントの時期になると映画『アポロ13』(1995)を想起します。アポロ13号は1970年4月11日に打ち上げられた3人乗りの月面探査船。しかし宇宙船は2日目で電源がショート、火花が飛んで酸素タンクが爆発・損傷という事態が発生。電力と酸素が断たれたら生命維持は困難で、月面着陸のミッションどころか地球に戻ることも不可能となります。3人は着陸船を救命ボートに見立てて乗り移り、地上のNASAと手に汗を握るやり取りを通してあらゆる手立てを尽くすのです。消費電力を限界にまで抑え飲料水の摂取を極力控え、遂に無事地球に帰還することができたのでした。その対応の鮮やかさによってそれは「成功した失敗」とも称されます。
トム・ハンクス演じるジム・ラヴェル船長は発射前のインタビューで、かつて海軍のパイロットだった時の体験について触れています。日本海での夜間飛行中、電気系統の故障でコックピット内のライトが突然すべて消えてしまう。マッハを超える速度です。水平に機が保たれているかを示す水準器も、方向を示すコンパスも、残りの燃料量も何も見えない絶体絶命のピンチ。彼は一瞬祈るような気持ちになります。自分の平衡感覚に頼りつつ何とか機を水平に保ちながら飛んでいると次第に眼が闇に慣れてくる。すると不思議なことに海がボーッと青白く光っているのが見えてきた。それは海面に浮かぶ夜光虫でした。コックピットが明るいうちは見えなかったかすかな光が見えてきたのです。さらによく目を凝らすとそこには数時間前に航空母艦が通った跡がくっきりと一筋の黒い線として見えてきました。母艦が夜光虫を押しのけて通った跡です。ラヴェル船長は「それを道標として母艦に帰艦することができました」と淡々と答えていました。どのような危機の中でも沈着冷静さを失わない宇宙飛行士。だからこそアポロ13号の場合も無事生還することができたのでしょう。印象に残りました。
この世の闇にも1本の確かな道筋が敷かれています。それは目を凝らさなければ見えてこないようなかすかな光の道かも知れません。傷ついた葦を折ることなく暗くなってゆく灯心を消すことのないお方のゴルゴダの十字架へと続く道です。東方の博士たちの旅もまた星を道標とする夜の旅でした(マタイ2・1-12)。 その道こそ私たちを喜びに溢れる救いに導く主の道です。心の目を凝らしてご一緒にその道標を辿りたいのです。皆さまのために祈ります。メリー・クリスマス!

プロジェクト3.11
「北海道寺子屋合宿」について内藤新吾(稔台教会牧師・ 原子力行政を問い直す宗教者の会)

毎年、覚えていただき感謝です。放射線の影響が心配される地域の子どもたちの保養事業、原子力行政を問い直す宗教者の会の「北海道寺子屋合宿」は9年目の夏も、非常に有意義なときを過ごすことができました。
今年の参加者は子ども104人、保護者47人の計151人でした。あと、ここにスタッフやボランティアも加わります。参加者は主に福島県から仙台港よりフェリーで苫小牧港に着き、その日は札幌へ移動して真宗大谷派の青少年センターを借りて1泊2日のガイダンスを共にします。そのあと各自レンタカーで、お世話になる寺や教会へ散って行きます。
期間は北海道滞在1週間、半月、1ヶ月と選んでいただき、家族や団体などで何期かに分けています。往復フェリーにもスタッフが同行します。すべての交通費と滞在先への貸布団代などは宗教者の会が負担し、参加者は自炊費用や動物園へ行ったりなどの余暇代を負担します。
内部被曝の心配のない空気・水・食事のもと、ゆったりとした時間をある期間過ごすことによって、子どもたちは確実に免疫力を回復します。実際、行く前と行った後の尿検査をした年もありますが、それは数値で表われます。あと、何よりガイダンスのとき、お母さん方が、ふだん口にできない苦悩や苦労話を互いに話し合えることが大きな慰めや力となっているようです。リピーターも多い所以です。
福島県では今、どんどん増える小児甲状腺がんを隠すためか検査縮小(志願制にすること)が責任者たちにより口にされていますが、とんでもないです。「3・11甲状腺がん子ども基金」は、手術を受けられたお子さん家族への支援を行っています。
また、手術を受けられたお子さん方のご家族どうしの交流の会も自分たちで作られ、互いの励ましとなっておられます。「甲状腺がん支援グループ・あじさいの会」といいます。どちらもホームページがあります。こちらも、お祈りに覚えていただければ幸いです。

賛美歌と私たち

⑥『讃美歌』(1954年版) 小澤周平(名古屋めぐみ教会牧師)

1954年出版の『讃美歌』(写真)こそ、日本基督教団出版局発行の今でも現役の歌集です。(本連載では「『讃美歌』(1954年版)」と表記します。これは他の『讃美歌』と区別するためで、『讃美歌21』のまえがきに準じました。他の資料では「昭和29年版『讃美歌』」や「54年版」とも記されますので、「54年版『讃美歌』」と呼んでも良いでしょう)。
第二次世界大戦を経て、沢山の聖書、歌集、そしてオルガンまでもが失われました。戦後、人々の歌集の求めに対しては、アメリカからの援助物資や、暫定的な改訂をした1931年版の『讃美歌』が頼りでした。
それでも、1931年版の『讃美歌』や戦中に発行した歌集は、在来の皇室中心的な歌詞や古風で難解な表現が多く、そこからの脱却が課題となっていました。歌詞の吟味、左開き、公募賛美歌。編集期間の約5年間、当時の日本基督教団の賛美歌委員会は様々な挑戦を続けました。また、会衆の歌い易さを求めて記譜法や音程など、曲についてもかなり手を入れました。
『讃美歌』(1954年版)は、日本のプロテスタント教会の代表的歌集としての責任をも担って編集が進められました。教派を超えて共通に用いられる役割(「共通歌集」としての役割)です。現在の日本のキリスト教界を眺めると、当初の想いが実現されている様子もうかがえます。
ただ、編集においては限界もありました。委員長の由木康は後に語ります。「何をうたうか、どういう讃美歌集を編集するかということを、あまり古い、おじいさんやおばあさんに遠慮しないでやらないと、讃美歌はなかなか進歩しませんよ」(*1)。様々な課題と向き合いながら、それでもなお後進の指導に取り組んだ由木。自身が年を重ねてからの言葉だからこそ深い意味を感じます。歴史を想いつつ、『讃美歌』(1954年版)の序文と凡例を読むと、意外な発見があるかも知れません。(続く)

(*1 『礼拝と音楽180号』日本基督教団出版局、1970年、14頁)

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2019年12月15日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
代表役員 大柴譲治
信徒利害関係人 各位

スオミ教会土地建物売却
(ア) スオミ教会 土地
・所在地 東京都中野区上 高田1丁目
・所有者 日本福音ルーテ ル教会
地番 36番1
地目 宅地
地積 330・57m³
(イ)スオミ教会 建物
・所在地 東京都中野区上 高田1丁目36番地1
・所有者 日本福音ルーテ ル教会
種類 礼拝堂・教職舎
構造 鉄筋コンクリー  ト3階建
床面積
1階 109・81m³
2階 161・35m³
UG 207・83m³
・理由 第28回総会期第5回常議員会承認 宣教地移転計画のため

全国ディアコニアネッ ト ワーク「秋のセミナー」に参加して

岩切雄太(八幡教会・門司教会牧師)
第27回秋のディアコニアセミナーが、10月13日(日)~14日(月)に、博多教会(特別養護老人ホーム「よりあいの森」の見学含む)で行われた。 今回のメイン講師は、特別養護老人ホーム「よりあいの森」代表の村瀬孝生さん。村瀬さんは温厚な声で「よりあい」という介護施設の成り立ちから今日に至るまでの経緯を語られた。
それは、高齢者の問題を、ゴルディアスの結び目を一刀両断するようなものではなく、「一人のお年寄りの生活を支えること」から始まった「一人ひとりを大切にする」という支援のあり方(より沿い方)であった。
こうして言葉にすると、「そんなことあたりまえじゃないか」と思われるかもしれない。しかし、村瀬さんが穏やかな語り口で話されるお年寄りたちとの出来事は、「一人ひとりを大切にする」ということ、それがあたりまえではない社会のなかで繰り広げられる冒険譚のように聞こえたのだった。
村瀬さんは言われる。「私たちが大切にしていることは、お年寄りを、縛らない、閉じ込めない、薬づけにしないことです」と。これまた「そんなことあたりまえじゃないか」と思われるだろう。
しかし、私たちの社会は、認知症で徘徊し始めたお年寄りの生活を制限するだろう。また、自然な老いによって脚が弱り転倒のリスクがあるお年寄りの生活は限定されたりもする。そんなふうに私たちの社会は、お年寄りの生活を「制限」し「限定」することを、「しかたないよね」的に受け入れているのではないだろうか。
そうであるなら、…「制限」「限定」に対置される言葉は「普通」なんだけど…、私たちの社会は、お年寄りに、「普通」に生きられないことを強いていると言えるのだろう。村瀬さんは言われる。
「私たちにできることは、いなくなったら探すこと、転んでいたら早く見つけることです」と。私たちは(いくつになっても)迷子になり転んだりする。それが「普通」なんだ。考えさせられ励まされる、すてきなお話でした。

Fアジア指導者会議 浅野直樹Sr(市ヶ谷教会牧師・世界宣教主事)

10月4日から7日にかけて、ルーテル世界連盟(LWF)アジア指導者会議が開かれ出席しました。アジア19カ国の45加盟教会の代表と地元から、総勢173名がインドネシアの北スマトラにあるペマタンシアンタに集まりました。この会議はアジアのルーテル各教会のビショップや議長たちの協議の場として2年ごとに開催されますが、JELCからは大柴議長の日程調整がつかず、私が代理出席することになりました。テーマはPursuing Peace Through Interfaith Relations in Asia「他宗教と共に目指すアジアの平和」。会場国インドネシアは、イスラム教徒の人口が世界最大でありながら、パンチャシラという方針をスカルノ大統領政権以来大切に守っており、これが宗教の自由を保障しています。そのためにキリスト教人口は2番目に大きく、北スマトラには大きなルーテル教会のコミュニティがあります。宗教間対話も盛んに行われており、今回の会議でもこの分野に関する専門家でジョコ大統領特別大使の講演がありました。イスラム教はじめ、伝統的な部族の宗教の代表者も参加しました。今回のテーマに最もふさわしい場所が選ばれたと言えます。信教の自由があるとはいえ、イスラム教徒過激派による迫害はインドネシアでも深刻で、教会が各地で焼き討ちされています。そうした現実は他国にもあり、マレーシアでもイスラム教、インドはヒンドゥー教徒による差別と迫害の声を聞きました。
JELCはアジアでの宣教に着手しようとしていますが、今回の協議会ではアジアの各ルーテル教会が取り組んでいる海外宣教について聞くこともできました。JELCよりも小さな教会でありながら、世界宣教をアジア各地で展開している数々の教会の活動に触れ、驚きと大きな刺激を受けました。
日本からの参加はJELCの私一人だけで、やや存在感が薄かった感は否めません。私は初日の礼拝を担当しましたが、それだけではだめだと思い、カルチャーイベントの夜はなんとかアピールしようと浴衣と下駄で登場したら、これが大受け。ベストドレッサー賞をいただいてしまいました。礼拝と話し合いだけでなく、楽しい交わりの大切さをも実感しました。

ルターナイツ「耳を澄ませばカンボジア」 石原 修 (市ヶ谷教会)

2014年に東教区に「伝道を考える会ジュニア」が作られ、教科書で誰でも知っているルターの顔、そして著名なバッハを利用して、宗教改革500年までの3年間、礼拝には呼びづらい友人や同僚にルーテルとのつながりを持てるようにと「ルターナイツ」が企画されました。500年を終えた後も継続し、10月11日、初回ボリュームゼロから数え11回目が開催されました。
昨年からホールをお借りしているJELA(日本福音ルーテル社団)がカンボジアの子供支援をしていることに、市原悠史牧師の甲府時代の音楽仲間でカンボジアを支援しているシンガーソングライター岩崎けんいちさんとaroさんの出演が決まったことをあわせて、「耳を澄ませばカンボジア」というタイトルとなりました。
二人は、毎年カンボジアの各地を訪問し子どもたちの支援するため、履かなくなったきれいな運動靴(裸足で破傷風で亡くなる子どもが多いため)、 未使用の歯ブラシ・石けん(歯が無い子どもが多いため)、ギター・ハーモニカなどの楽器類、未使用のノート・ペン・鉛筆を集めており、呼び掛けたところ、たくさんの品物が集まりました。また在日カンボジア人の高校生と中学生アヤカさんとモモカさんによるクメール伝統舞踊、唯一連続出演を続けている市ヶ谷教会ユースを中心とするThe Beaglesも参加し、最後は、皆でカンボジアの童謡「アラピヤ」を岩崎さんの訳で歌いました。 また、JELAからはカンボジアの村に水道設備を設置したプロジェクト、日本国際ボランティアセンター(JVC)からはカンボジア子ども支援の話をお聞きし、当日の売り上げより、JELA、JVC、岩崎さん・aroさんのカンボジア子ども支援のために捧げられました。徳善義和先生からルターナイツのために頂いたバッハの言葉「祈りをもってする音楽においては常に神がおられる、恵みの現臨をもって。」(徳善先生訳)を胸に、これからも続けていきます。

春の全国ティーンズ キャンプのお知らせ

宣教室TNG委員会ティーンズ部門と各教区教育部が主催する今年度の春の全国ティーンズキャンプを千葉市少年自然の家において開催します。ぜひ、対象となる子どもたちを送り出してください。

第27回春の全国ティーンズキャンプ
●テーマ イエスさま は「いつメン」
●主題聖句 マタイに よる福音書1・23
●日程 2020年3月 24日(火)~26日(木)
●対象 12歳~18歳
(2020年4月2日
時点)
●会場 千葉市少年自 然の家(千葉県長生 郡長柄町)
●参加費 1万5千円
(バス代込み)
*東京でのバス乗車集合 場所までの交通費は別 途必要。
*3月24日以降のキャン セルは参加費の半額の キャンセル料がかかり ます。
●申し込み締め切り   2月23日(交通の手配 がありますので早目に お申込みください。詳 しい移動方法等は各教 区担当者からご連絡し ます。)
●申込み方法
tng.jelcs.net/teenscamp/ から申し込んでくだ さい。
*下記のQRコードか らもアクセスできま す。
*所属教会牧師の承認 を受けてください。
*正式登録されると  TNG-Teensブログに 教会名とイニシャル が表示されますので ご確認ください(申 込みから数日かかり ます)。
●TNG-Teensブログ
tngteens.hamazo.tv
●問合せ 永吉穂高牧 師(小倉教会) 電話 093(921)7 715 携帯話08 0(6106)07 94
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●持ち物 聖書、筆記 用具、保険証、参加費、 洗面用具、着替え、防 寒着、入浴用品
(ボディーソープ・リン ス インシャンプー・ドラ イ ヤーは施設にありま
す)、3月24日用の昼  食・飲み物。
*今回の春キャンでもバラエティショーをおこないます。バラエティショーとは、ティーンズのみんなが演奏やコントなパフォーマンスを披露する時間です。時間は1グループ約5分。個人での参加でもグループでの参加でも大歓迎!出演者をキャンプ1日目に募集します。みなさんのご参加を待っています。

日本ルーテル神学校オープンセミナリー報告 宮本 新(日本ルーテル神学校)

10月13~14日、JELCとNRKの両教会(神学教育委員会)、そして日本ルーテル神学校が次世代の教職養成を祈りとし、オープンセミナリーを開催しました。折しも台風直撃の日と重なり、全員の参加(申込み9名)はかないませんでしたが、各地の青年、教職者が神学校に集まり、模擬講義などのプログラムを通して、学びと交わりのひと時をもちました。キリスト者として生きること、神学を学ぶこと、そして自分たちと教会の将来など、さまざまなことを学び語り合う恵まれた2日間でした。
牧師を志し、神学校に進むことには個々人の決意も大切な点ですが、もう一つの側面があります。献身者は単独者ではなく、祈られてきた人たちでもあります。信仰者の群れ、教会の存在があります。その祈りと使命に応じて、神さまは人を立て、人は神の召しに応えます。今回の企画の原点にもなりました。参加者一同と祈りを深める機会を今後も継続したいと考えています。引き続き、教会の祈りに覚えていただけたら幸いです。

「オープンセミナリーに参加して」

上田泰洋(大江教会)
10月13日から14日にかけて、ルーテル学院大学でオープンセミナリーが行われました。台風の影響により、参加者の中にも来られない方が数名おられましたが参加することができたことを感謝します。
現在、大学3年生であり、神学について学んでいます。来年4年生となり、将来について考える時期にあります。
その中で、この度、神学校のオープンセミナリーで、神学校での様々な先生方のお話を聞くことによって、神学校の中でどのような学びをしているのかなんとなくですが、実感することができました。特に宮本新先生の「聖書と世界」についての話はこれからのキリスト教について学ぶことができ、興味深い学びの時間となりました。
今回のオープンセミナリーでは自分の将来について一面的ではなく多面的に考えることができる、良ききっかけになりました。初の試みとして行われたオープンセミナリーでしたが、非常に実りある学びとなり、自分自身にとって良き経験となりました。

第3回「えきゅぷろ」報告 谷口 愛 (市ヶ谷教会)

カトリック教会、日本福音ルーテル教会、日本基督教団の有志の青年たち(=エキュメニカルプロジェクト実行委員会)が企画した、青年のためのエキュメニカルの集い「えきゅぷろ!」が10月19日、日本福音ルーテル東京教会で開催された。
宗教改革500年を機に誕生した「えきゅぷろ」は、教派を超えた青年同士の「出会い」のきっかけ作りを軸としている。昨年は「信仰」をテーマに、多様性の中の一致を見出すことを目指した。
3回目を迎えた今回のテーマは「PrayStation3」。主題聖句には「だから、こう祈りなさい」(マタイ6・9)を取り上げ、個人のシェアから、共に祈ることへの発展までを深める構成とした。
ゲストには佐藤直樹神父(カトリック・サレジオ修道会司祭)、関野和寛牧師(東京教会)、増田将平牧師(日本基督教団青山教会牧師)をお招きし、勢いある開会の祈りに先立ち、セッションではグループに分かれて3つのテーマ『�@いつどこで祈っているか�A何を誰のために祈っているか�B「だからこう祈りなさい」―どう祈る?』について分かち合った。その後、登壇者の3人がトークセッションを行い、身近な話から祈りの方法まで幅広く、分かち合いの内容を深め盛り上がりを見せた。
「聖餐と向き合うプログラム(仮)」は、1回目より挑んできている問題提起である。「仮」とあるように毎年模索を続け途上段階だが、いつか聖餐の恵みを共に分かち合える日が来ることを願い、今回も展開された。
プログラム最後では、各グループが祈りをつくり、その後行われた合同礼拝の中で祈った。また、教派別に異なる訳の「主の祈り」を、聖書の通り同じ言葉で祈ったことも恵みのひとときとなった。(マタイ6・9?13)
ある参加者の言葉が印象に残っている。「キリスト者を一つにしてくれるもの、それが祈り」。教派の異なる私達が、大事なものは同じであるという実感、この共通体験が出来たことはえきゅぷろの醍醐味だといえよう。共に祈れる恵みに感謝し、ここでの繋がりが益々育まれていくことを願っている。

19-11-15にもかかわらず

「これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」
(マタイによる福音書26・28)

全聖徒の日を意識して本寄稿の準備をし始めた頃、神水教会一信徒の門脇愛子さん(門脇聖子牧師のお姉様)が突然召され、聖徒となられました。一連の葬儀において、角本牧師とともに愛子さんが過去に神水教会の月報に寄稿されていた内容や人生の記録として残されていた事柄を分かちあいました。愛子さんにとっては空気のようで生ぬるい信仰であった一面を書かれていました。たとえば牧師家庭に育ったため洗礼を受けるのはあたりまえで感動はなく、教会が空気のようだったとか、山に行くといっては礼拝を休んでいた事。また教会役員に選出されてしまい辞退したが辞退を認められなかったため教会出席を半年間ボイコットした等々です。にもかかわらず神は愛子さんを愛しつづけました。周りにはやや不真面目にも見えてしまう愛子さんの姿に共感を覚える方がいて、洗礼を受ける決心をしたそうです。神が愛子さんと周囲の人々をすべて良きに導いてくださっていたことを確信するのです。そして、生前の愛子さんを知る人々は、愛子さんとの天国での再会を楽しみにできます。
しかし、この世から天への旅立ちにはいろいろなケースがあり、天国での再会を楽しみに待つような気持ちにはなかなかなれない方もいます。アメリカで牧会中、メアリさんという方が50年ほど前に体験した事件を聴くことになりました。当時メアリさんは30代になったばかり、幼い長男、長女、次男の3人の子育てに大忙しでした。彼女の父母もいっしょに暮らしていて、自分を育ててくれた愛情豊かな両親なので、大好きだったのです。

しかし、メアリさんの父は仕事を引退したころから、アルコールを飲みすぎるようになり、またドラッグにも手を出していたようです。ある日、彼は突然、銃をとり、娘のメアリさんと孫たちがいる前で、自分の妻、つまりメアリさんの母親を銃で撃ち殺し、さらに銃で自死したのです。銃声はひびきわたり、隣人、警察、そして、新聞社もつめかけてきました。メアリさんは、どうやって対応できたのか、数週間をどうやりすごす事ができたのか、今でも思い出せないそうです。しかし、両親が血だらけになったことは、はっきり彼女の記憶に残り、トラウマとなり続けました。そのときのことを話せるようになるには、何十年もかかりました。彼女は定期的にイエスの体と血をいただく信仰生活を何十年も続けました。現在は、あれほど悲惨な両親の死を体験したにもかかわらず、イエスの血により自分も天国にいる両親も赦されて平安を得ていることを確信できると言うのです。

イエスは人々に仕え、自らを無にし、十字架刑で人類の罪の赦しのための捧げものとなってくださいました。その十字架刑の前の晩には弟子たちに聖餐式をしています。それは、その場にいた弟子たちだけのためではなく、わたしたちを含む将来の弟子たちのための、罪の赦しの契約でありました。しかし弟子たちには、そのイエスの体と血をいただく意味はすぐにはわかりませんでした。翌日、ユダヤ人も異邦人も共謀して、神の子イエスを十字架刑につける時、弟子たちは、逃げ出してしまいました。そのような弟子たちであったにもかかわらず、三日目にイエスは復活され彼らの前にあらわれ、何ら咎めることもされずに赦し、聖霊を送り、あなた方に平安があるように、と言われます。
一度洗礼を受け、繰り返し受ける聖餐式を通して、この世に生きている者も、すでに天に召された者も、これからこの世に生まれてくる者も、罪の赦しと平安が約束されます。聖餐式の際、罪の赦しをメアリさんのように実感できるようになる人もいれば、空気を吸うように無意識に聖餐式を受けている人が多いのも事実でしょう。どのような人が聖餐式を受けていようが、人知を超えた全治全能なる神は、時代を超えて徹底的に一人一人を愛し、赦し、よき道へと導かれており、イエスの体である教会も強くなります。

日本福音ルーテル神水教会・松橋教会派遣宣教師 安達 均

19-11-10るうてる2019年11月号

説教 「にもかかわらず」

日本福音ルーテル神水教会・松橋教会派遣宣教師 安達 均

機関紙PDF

全聖徒の日を意識して本寄稿の準備をし始めた頃、神水教会一信徒の門脇愛子さん(門脇聖子牧師のお姉様)が突然召され、聖徒となられました。一連の葬儀において、角本牧師とともに愛子さんが過去に神水教会の月報に寄稿されていた内容や人生の記録として残されていた事柄を分かちあいました。愛子さんにとっては空気のようで生ぬるい信仰であった一面を書かれていました。たとえば牧師家庭に育ったため洗礼を受けるのはあたりまえで感動はなく、教会が空気のようだったとか、山に行くといっては礼拝を休んでいた事。また教会役員に選出されてしまい辞退したが辞退を認められなかったため教会出席を半年間ボイコットした等々です。にもかかわらず神は愛子さんを愛しつづけました。周りにはやや不真面目にも見えてしまう愛子さんの姿に共感を覚える方がいて、洗礼を受ける決心をしたそうです。神が愛子さんと周囲の人々をすべて良きに導いてくださっていたことを確信するのです。そして、生前の愛子さんを知る人々は、愛子さんとの天国での再会を楽しみにできます。
 しかし、この世から天への旅立ちにはいろいろなケースがあり、天国での再会を楽しみに待つような気持ちにはなかなかなれない方もいます。アメリカで牧会中、メアリさんという方が50年ほど前に体験した事件を聴くことになりました。当時メアリさんは30代になったばかり、幼い長男、長女、次男の3人の子育てに大忙しでした。彼女の父母もいっしょに暮らしていて、自分を育ててくれた愛情豊かな両親なので、大好きだったのです。しかし、メアリさんの父は仕事を引退したころから、アルコールを飲みすぎるようになり、またドラッグにも手を出していたようです。ある日、彼は突然、銃をとり、娘のメアリさんと孫たちがいる前で、自分の妻、つまりメアリさんの母親を銃で撃ち殺し、さらに銃で自死したのです。銃声はひびきわたり、隣人、警察、そして、新聞社もつめかけてきました。メアリさんは、どうやって対応できたのか、数週間をどうやりすごす事ができたのか、今でも思い出せないそうです。しかし、両親が血だらけになったことは、はっきり彼女の記憶に残り、トラウマとなり続けました。そのときのことを話せるようになるには、何十年もかかりました。彼女は定期的にイエスの体と血をいただく信仰生活を何十年も続けました。現在は、あれほど悲惨な両親の死を体験したにもかかわらず、イエスの血により自分も天国にいる両親も赦されて平安を得ていることを確信できると言うのです。
 イエスは人々に仕え、自らを無にし、十字架刑で人類の罪の赦しのための捧げものとなってくださいました。その十字架刑の前の晩には弟子たちに聖餐式をしています。それは、その場にいた弟子たちだけのためではなく、わたしたちを含む将来の弟子たちのための、罪の赦しの契約でありました。しかし弟子たちには、そのイエスの体と血をいただく意味はすぐにはわかりませんでした。翌日、ユダヤ人も異邦人も共謀して、神の子イエスを十字架刑につける時、弟子たちは、逃げ出してしまいました。そのような弟子たちであったにもかかわらず、三日目にイエスは復活され彼らの前にあらわれ、何ら咎めることもされずに赦し、聖霊を送り、あなた方に平安があるように、と言われます。
 一度洗礼を受け、繰り返し受ける聖餐式を通して、この世に生きている者も、すでに天に召された者も、これからこの世に生まれてくる者も、罪の赦しと平安が約束されます。聖餐式の際、罪の赦しをメアリさんのように実感できるようになる人もいれば、空気を吸うように無意識に聖餐式を受けている人が多いのも事実でしょう。どのような人が聖餐式を受けていようが、人知を超えた全治全能なる神は、時代を超えて徹底的に一人一人を愛し、赦し、よき道へと導かれており、イエスの体である教会も強くなります。

コラム直線通り 久保彩奈

⑳「笑っていても心の痛むことがあり 喜びが悲しみに終ることもある。」箴言14・13
 スポーツ特待生のクラスに授業をしに入ると、突然「先生!聖書の授業は超大切で大事な話してるって分かるんだけど、最近ずっと重い話ばかりだから、少し遊んでから授業してよ!」と言われました。扱っていた授業内容は「災害とキリスト教」、東日本大震災の話をしていました。重たくとも大切な話だと分かっていたのか、と思うと胸が熱くなりました。でもとりあえず注文通り少しの間、雑談。しばらくすると1人の生徒が「先生、もう授業していいよ!」と声をあげました。「みんな、もうちゃんと授業聞こうぜ!俺のばあちゃん、被災者なんだわ!みんなにもちゃんと聞いて欲しいんだよ!先生、震災の話、任せたよ!」
 この生徒と家族が痛みを抱えていたことを初めて知りました。「そうだったんだね。知らなかったよ。ありがとうね」と言うと、優しくて強くて、本当に素敵な笑顔をくれました。みんな笑顔でいても、人知れず痛みを抱えていることを、生徒のこの笑顔を通して改めて気づかされたのです。
 また、その痛みを思い起こすことで心が痛くなろうと聖書の言葉に耳を傾ける勇気をもつこと。大切な姿勢をこの生徒から教えられました。ちなみにこの生徒の授業への感想文には「聖書の授業で東日本大震災を思い出して、ばあちゃんに久しぶりに会いたくなった。大学に合格したら、絶対に会いに行く!」とありました。わたしも彼のように痛みを痛みのままで終わらせない、悲しみの先に与えられるキリストの喜びに与る者でありたいのです。

議長室から 総会議長 大柴譲治

 11月1日は「全聖徒の日」。信仰を持ってこの地上の生を終えてゆかれた方々を覚える月です。11月の第一日曜日を「全聖徒主日」「召天者記念主日」としている教会も少なくないことでしょう。死者を復活のキリストにおいて想起することは大切なことでもあります。
 思い起こすエピソードがあります。もう20年以上も前のことです。神学校で開かれた教職神学セミナーで、当時北里大学医学部教授であった小児科医、坂上正道(さかのうえまさみち)医師から伺った話です。先生はご自身が心筋梗塞のためCCU(心臓血管疾患集中治療室)に緊急入院した体験をお話しくださいました。その時すぐ自分が属するプロテスタント教会の牧師がお祈りのために駆けつけてくださったそうです。そこで牧師はこう祈られました。「この方は家族にとっても教会にとっても、また病院にとっても社会にとってもとても大切な存在です」と言いつつ、病気からの回復を祈ってくださったのです。その祈りが耳に届いて坂上先生はこう思われたそうです。「そうか、自分はそれほど周囲にとって大切な存在なのか。であれば、まだ自分は頑張らなければいけない」。その途端に心電図が乱れて、モニターを見ていた医師が慌てて飛んで来て祈りを中断させました。自分が頑張ろうとする気持ちが絶対安静を乱す事態を招いたのでしょう。牧師としては複雑な気持ちになります。そのように祈ることもあるからです。今度は、何日かして自分の妻が所属するカトリック教会から年配の外国人神父さまがお見舞いに来てくださいました。その神父さまは、祈るわけでもなく、ただただニコニコしながら手を握ってこう言ってくださった。「あなたは死んでもいいですね。でも生きているともっといいですね」。「その言葉を聞いた時、『ああ、そうか。自分は(主にあって)死んでもいいんだ』と思うと、心底その言葉にホッとしたのです」。坂上先生はそう語って下さいました。私の心に深く刻まれたエピソードでした。
 パウロはこう言っています。「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです」(ロマ14・8―9)。イエスは生者と死者の双方の救い主です。 だから私たちは安心してすべてを主に委ねることができます。何と幸いなことでしょうか。

福島移住女性支援ネットワーク(EIWAN)李明生 (田園調布教会牧師)

 福島移住女性支援ネットワーク(EIWAN)は、東日本大震災で被災した、福島県在住で外国にルーツを持つ女性達と日本人が出会い、共に生き共に生かし合う社会を一緒に作っていくことを目指して、エキュメニカルなキリスト教諸教派・諸団体からの支援によって2012年2月から始められました。現在活動は第2期(2018年~2022年)に入りました。
 震災から8年が経過し、支援内容も長期的な視点で新しい地域共同体のあり方を模索していくものへと変化してきました。現在は、日本語学習の支援・地元市民と移住女性の出会いと協働の機会作り・移住女性の子どもへの支援(学習支援と継承語教育支援)・移住女性とその子どもの保養プログラムの実施と支援・移住女性グループ支援とネットワーク作りが活動の中心となっています。また近年外国からの技能実習生や外国人労働者が急増し、EIWANで実施している日本語教室に参加される方も増加しています。最近では、実習先での給料遅配に対して工場に文句を言ったら解雇と寮退出を命じられたというケースで、交渉にあたっての通訳の紹介を依頼されることもありました。震災後に外国から来られた方々とのネットワークづくりも新たな課題となっています。
 これらの活動を続ける中では、この社会の中には外国人差別・女性差別が深く潜んでいて、見えないところで既に深い分断を造り出してしまっていることにあらためて向き合わされます。しかしこれは単に被災地だけではなく、この日本社会全体が今直面している大きな問題であるとも言えます。この社会の周辺に追いやられ、弱く小さくされた人々の声に耳を傾け、多様な人々と共に歩む地域社会を造っていくことは、現代の日本社会を生きるキリスト者の使命としてより一層重要となっているのではないでしょうか。
 EIWANの活動については以下のサイトもご覧ください。
http://gaikikyo.jp/shinsai/eiwan/index.html

賛美歌と私たち

⑤『新讃美歌集 第一集』小澤周平 (名古屋めぐみ教会牧師)
 1941年、旧JELCは日本基督教団へ参加。戦中、オルガンや賛美歌もまた戦意高揚のための道具として使われてしまいました。戦後、教団を離脱。その頃、JELCは過去を反省し、ルーテル教会としてのあり方を再確認しました。そして、ルーテル教会として継承してきた信仰にふさわしい礼拝を整えることが急務と考えました。式文委員会や神学校の先生が中心となって、礼拝改革を呼びかけました。その歴史の断片は、当時の『るうてる』から見つかります。この時、歌集について言えば、ルーテル教会で中心的に用いられていた1931年版『讃美歌』自体に、教派を超えて課題が指摘され始めていました。
 このような中、1954年、当時の式文委員会は『新讃美歌集 第一集』を編集(ルーテル社発行、写真)。私たちの教会の礼拝に「ふさわしい」賛美歌を紹介しようと試みました。1954年にルーテル教会が歌集を発行していたと聞くと、驚く方がおられるかも知れません。実際、この歌集自体は広く知られておらず、現在は入手困難な様子。今の所、ルター研究所に保管されていた一冊を確認しています。
 1953年の『るうてる 第68号』を読むと、礼拝で用いる賛美歌への問題意識が語られています。そして、特に、1931年版『讃美歌』の使いにくさが指摘されています。教会暦や典礼的な要素を大切にするルーテル教会の礼拝と、歌集との調和をみるには不足があったようです。『るうてる』には「我々の理想を云えば、ルーテル教会の完全な讃美歌集が欲しい」とも。68号と69号には教会暦から選んだ1931年版『讃美歌』の番号が列記。この作業に並行して、『新讃美歌集 第一集』の編集も行われたことが推測されます。
 当初、『新讃美歌集』は、第二、第三と発行される計画でしたが、結局、第一集にとどまりました。恐らく、理由は二つ。一つは、同年に口語訳の新約聖書が発行され式文委員会の活動が忙しくなったから。もう一つは、1954年版の『讃美歌』が発行されたから…。(続く)

キリストの心を生きる教会 日本福音ルーテル教会社会委員会

「神様はその人の性を祝福してくださる」佐伯里英子(シオン教会)
 人間の性は人格と深く結びついていることから、その性別をセックスではなくセクシュアリティと表現する。人のセクシュアリティは�@「身体の性」�A「心の性(性自認)」�B「好きになる相手の性(性指向)」�C「表現する性」の組合せによって一人一人が生物学的に異なる。100人いれば100通りのセクシュアリティがあると言われている。まさに多様。ただ、中でも少数派と言われているのがLGBT等の方々で、様々な生き辛さを感じておられる。性指向、性自認で整理すると、
〈性自認〉
・シスジェンダー(性別違和感はない)
・トランスジェンダー(性別違和感がある)
・クエスチョニング(性別が決められない)
・エックスジェンダー(男女の枠に入らない)
 一つ一つの性自認について、様々な性指向の人がいる。
〈性指向〉
・ヘテロセクシュアル(異性愛)
・ホモセクシュアル(同性愛)
・バイセクシュアル(両性愛)
・アセクシュアル(無性愛)
・パンセクシュアル(全性愛)
 少数派(性的マイノリティ)の立場の方々が、多数派に比べて自殺、自殺念慮、自殺未遂の割合が著しく高いことから、強いストレスや生きづらさを抱えている方が多いことが分かる。当事者の方々はどのような思いで生きてこられたのだろうか。
・長い間、自分は普通ではないと思い、うつ病やアルコール依存症になった。
・ずっと着ぐるみを着ているみたい。
・毎日が罰ゲーム。
・みんなでお風呂に入る修学旅行や宿泊学習が、ホントに嫌だった。
・二次性徴で自分の体が変化することに耐えられない。
・将来が見えない。
 一人一人のセクシュアリティは神様が与えてくださったもので、神様はそのすべてを祝福されていると信じています。

NCC教育部教会教育フェスティバル報告

三浦知夫(東京池袋教会牧師・TNG委員長) 
 9月15日と16日に日本キリスト教協議会(NCC)教育部による教会教育フェスティバル「みんな集まれ!―キリストにつながれて多様であるわたしたち―」が、日本福音ルーテル東京教会と新宿区西早稲田の日本キリスト教会館を会場に開催されました。教会学校のスタッフ、人権や平和教育に関心のある人々など約90名が、在日大韓教会、日本基督教団、聖公会、ナザレン教団、バプテスト連盟、バプテスト同盟、ルーテル教会などから集められたフェスティバルで、共に礼拝し、学びと交わりの時を持ちました。
 関田寛雄牧師(日本基督教団巡回教師)の説教による開会礼拝で始まり、1日目は「ゴスペルを叫ぼう!」「讃美歌をボーッと歌っていませんか?」「エキュメニカル教育って何だろう?」「パステル画の聖句カードを作りましょう」「共に読み、共に分かち合う教会学校」の分科会に分かれて学びの時を持ちました。夕食と交流会の後は会場となったルーテル東京教会の夕礼拝に出席しました。

 2日目は「多様な性/LGBTと子どもたち」「こどもと楽しむゲーム」「ミャンマーの文化に出会おう」「自分ごととしての人権」「潜伏キリシタンについて」の分科会が行われ、昼食はミャンマー料理を囲んでの楽しいひと時でした。 日本基督教団早稲田教会・スコットホールで行われた派遣礼拝では、ゴスペルの讃美がなされ、説教者は同教会の古賀博牧師でした。
 2007年に第1回が東京で開催され、松本、仙台を経て、今回が4回目となるフェスティバルということですが、私自身はこれまで参加したことがなく今回TNG委員会に関わる中で、フェスティバル実行委員として運営のお手伝いをさせていただきました。

 教派を超えて集められ、集められた方々とキリストにあって結び合わされていることを感じ、また社会の中では小さな存在であっても主に結び合わされていることによって平和への一歩を踏み出していく力が与えられることを感じられた恵まれた時でした。

フィンランド研修旅行の報告 日笠山吉之(札幌教会牧師)

 元スオミ教会の宣教師ポウッカ先生ご夫妻が企画された「南西フィンランドで学習・文化・余暇を楽しむ一週間の旅(8月11~17日)」に、めばえ幼稚園の先生たち3人と一緒に参加しました。参加者は他に、大岡山教会の竹内皓さん、三鷹教会のKさん親子、日本基督教団白鷺教会のY夫妻、スオミ教会のフィンランド語講座に出席されている二人の姉妹の計11名でした。ポウッカ先生ご夫妻の配慮に満ちた温かい引率のもと、まるで一つの家族のようになって一週間を共に過ごしました。
 研修の拠点となった町は、首都ヘルシンキから車で2時間ほど北西にあるロイマー。滞在したホテルの周りは、辺り一面金色に輝く小麦畑でした。1週間のプログラムは、「歴史の一日」「自然の一日」「文化の一日」「フィンランドの夏の一日」等のテーマにしたがって構成されていました。いずれもよく練られた内容で、今日はどんなことがあるのかな?と、毎日が待ち遠しかったです。特に、「文化の一日」の日に行われた竹内皓さんによる『フィンランド箱柱式教会』の講演と、星加達夫さん兄弟のアトリエ見学は興味深かったです。森の中でのベリー摘みは童心に返りましたし、サウナで全身汗まみれになったまま湖に飛び込んだのも気持ちよかった! ポウッカ先生ご夫妻と共に、プログラムを立案された私立ロイマー福音国民高等学校校長のランキネン氏にも感謝いたします。
 個人的にはロイマーでの研修が始まる前に、作曲家シベリウスが家族と共に晩年(と言っても50年余り)を過ごしたアイノラを訪れることが出来たこと、また札幌教会の初代宣教師V・サヴォライネン先生とめばえ幼稚園初代園長のT・ニエミ先生のお墓参りをすることが出来たことも大きな収穫でした。札幌教会のみならず日本福音ルーテル教会のために、100余年前から今に至るまで祈り支えてくださっているフィンランドのルーテル福音協会(LEAF)に心から感謝しつつ、報告とさせていただきます。

森一樹のブラジル青年宣教ボランティア

 今年の2月からブラジルはサンパウロで、日系パロキア(日系サンパウロ教会・ジアデマ教会・南米教会の3教会から成る現地の共同体)と日本福音ルーテル社団(JELA)から支援を受けて、1年間の青年宣教ボランティアとして活動しています。主日にはポルトガル語・日本語礼拝での奉仕や牧師の補助、また今年3月にご帰国された徳弘牧師(現岐阜・大垣教会牧師)から引き継いだ、その他の日系人居住地への出張訪問などを行っています。平日には、ポルトガル語学校に通いながら、ブラジル人を対象にした日本語教室、英会話教室、ジアデマ教会でのギターやピアノ教室、日系の方を対象とした日本語でのパソコン・スマホ教室など、計8つの教室を運営しています。特にこれらの教室を教会で開催することで、信徒さん以外にも子どもから大人まで、どなたにも開けた教会になるよう心掛けて活動しています。
 他方、日本での青年活動経験を生かし、青年会の活動にも力を入れています。8月には、所属教会の市ヶ谷教会の青年会が毎年11月末に行っている「Young Festival」を参考に、「Young Festival in S?o Paulo」と題して、同じ教区の他の教会を巻き込んでの音楽イベントを日系パロキア青年会主催で開催をし、約50人のブラジル人青年がこの日系教会に集まりました。会では、ブラジルの賛美歌やクラシック音楽を通じての青年同士の交流を図る一方で、ブラジルでは珍しい日系のルーテル教会を知ってもらおうと、教会活動のアピールや手巻き寿司の体験会も行いました。現在は、日系パロキア青年会主催での教区青年修養会も企画しています。
 地球の反対側に位置する日本とは言葉も文化も物も社会も国民性も違うブラジル。感謝なことに、大きな病気や事件に巻き込まれることなく活動ができています。来年2月の帰国まであと3ヶ月。残りの活動のために、そして国は違えども、同じ式文で同じ日本語で礼拝を守っているこの日系パロキアのために引き続きお祈り頂ければ幸いです。

宣教会議報告 滝田浩之(事務局長)

9月24~25日、市ヶ谷センターを会場に第28期第2回宣教会議が開催されました。第28期は互いの働きの恵みを「分かち合う」ことを大切にしようという思いの中で、昨年は「TNGの働き」について働きの学びを行いました。今年は「NCCについて知ろう」というテーマで、70周年を迎えたNCC(日本キリスト教協議会)の働きについての学びと分かち合いの時を過ごしました。
 はじめに総幹事である、金性済牧師より「宣教は聖霊の風に吹かれ」という題で基調講演を頂きました。使徒言行録1・8の「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」という一節を手がかりに、私たちの宣教のベクトルが、どこから、どこへ向かってく道なのかを鮮明に示してくださいました。地の果てにおられるキリストに出会う道、それが聖霊が私たちを送り出すということだという呼びかけは、集った者一人一人の上に聖霊の炎が降るような励ましを与えてくれました。何よりも、NCCは一つの教派では成し遂げられないような働きを、そこに関わり、祈りを合わせることで、『平和のきずなで結ばれて』、私たちはそこで連帯している、その恵みを分かち合う働きでありたいと先生は結んでくださいました。
 その後、NCCの幹事として働かれた経験を持つ小泉基牧師、またNCCの常議員である李明生牧師から、NCCの成立と現在の働きと今後の展望について、またルーテル教会は小さな所帯ながら多くの委員会に委員を派遣していますが、そこで委員長の責務を担ってくださっている内藤新吾牧師から「平和と核問題委員会」について、そして「部落差別問題委員会」、「在日外国人の人権委員会」、「ドイツ語圏教会関係委員会」に続いて、藤原佐和子姉(ルーテル鶴ヶ谷教会会員)からは「CCA(アジ・アキリスト教協議会)の働き」についてお話を聞く時を持ちました。それぞれの委員の働き、何よりも、これからの委員会に関わられる方が、どのような出会いと導きの中で、NCCの働きの輪に加わっていかれたのかというお話は、私たちの身近な問題意識を大切にするなかで、神さまの導きの中で出会いが与えられ、そして働きが広がっていくという道筋を示されたようでした。
 2日目は、初日のあまりにもたくさんのインプットを、ワークショップという形で参加者同士で分かち合う時となりました。現実の教会の礼拝生活の中では気づくことの少ない事柄に、NCCの働きが気付きを与えてくれるという思いや、社会的な働きについて聞くと、正直に、自分がそのような働きをなしていないことに申し訳なく感じてしまうなど、ルーテル教会らしく、素朴に、それぞれが思い感じたことを、これまた「分かち合う時」となりました。
 2日目の午後のセッションは、宣教室長が中心となり「第7次綜合方策(第3案)」についての分かち合いを行いました。多くの参加者が、教会の現状について共通理解をもって受け取っていること、また課題としては、そのような現実の中で、どのように成長していくかということが描かれていくことが期待として語られたことでした。ここでの意見を踏まえつつ常議員会での議論、来年の総会には提案されることになる道筋が示されました。
 詳しくは、宣教会議議事録を参照ください。

ルーテル学院110周年記念大会のご案内 石居基夫(日本ルーテル神学校校長)

 いよいよ、来たる11月30日に、ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校の110周年記念大会が催されます。大学の研究所や様々な部署でも、その活動に110周年の冠を持って、記念事業を行ってきていますが、今回の記念大会は、大学全体の特別な企画です。牧師養成としてスタートした神学校の長い歴史に裏付けられながら、時代の中で大学は新しい使命を担い、大学院まで設置して公共社会に人材を送り出してきました。
 神学校、大学そして大学院が、何を大切なことと考え、教育事業を行ってきているか。この機会に確認し、社会にしっかりと発信をしていきたいと思っています。
【記念講演会】
 この大会では、特別記念講演をメインプログラムとしています。講演者は向谷地生良氏。テーマは、「共に生きる社会を目指す~『浦河べてるの家』の実践を通して」。向谷地氏は、北海道日高にある浦河で、長年にわたりソーシャルワーカーとして働かれ、統合失調症などの精神疾患を持つ人たちへの支援に関わってこられました。
 古い教会堂を拠点として「浦河べてるの家」を設立し、共同生活をして共に支え合って生きる実践を生み出してきたのです。この取り組みの経験を通して、様々な困難を抱える私たちが共生する社会をどのように実現していくのか、ご講演をいただきます。
【いのちと尊厳を守る社会を】
 ルーテル教会は、日本における宣教の初めから、教会と共に学校と社会福祉施設を作り、またそれぞれの地域社会において幼稚園や保育園の実践に携わってきました。そうした教会の広い宣教の働きを受け、その働きを担う人材を育成しようと、ルーテル学院大学は対人援助の専門職を養成する教育を展開してきたのです。
 ルーテルが目指す、いのちと尊厳を守り、また共に生きる社会を実現する人材育成の使命と意義を、この記念大会において、皆さんとともに確認することができればと願っています。

公 告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2019年10月15日
宗教法人日本福音ルーテル教会
代表役員 大柴譲治
信徒利害関係人 各位

一、土地取得
所在地 大田区南千束三丁目360番13、14
地番 360番13、14
地積 245・19m³
理由 宣教地拡大のため
「和解と平和を求める日韓キリスト者の共同祈祷会」報告

 10月9日(水)、東京・北新宿の日本キリスト教会柏木教会を会場に「和解と平和を求める日韓キリスト者の共同祈祷会」が行われました。この共同祈祷会は、深刻化する日韓関係に深く心を痛める韓国と日本のキリスト者が信仰と心を合わせて祈りの時を持つために、去る8月11日に韓国ソウルにおいて「東北アジア平和のための韓日共同祈祷会」が韓国NCCによって急遽計画され、韓国の諸教派と共に日本のキリスト教会からの5名の代表者が参席し開催されたことに応えて、在日大韓基督教会からの呼び掛けによって計画されたものです。
 今回の共同祈祷会では韓国NCCと諸教派からの約20名のゲストを合わせて、180名を超える参加者を迎えて行われました。石橋秀雄牧師(日本基督教団総会議長)と李鴻政(イ・ホンジョン)牧師(韓国NCC総務)より代表メッセージ、今回の主題エフェソ2・14―22の朗読に続いて、13の日本と韓国の教派・団体(以下祈祷順に、在日大韓基督教会、日本聖公会、大韓聖公会、日本基督教団、韓国正教会、日本キリスト教会、韓国キリスト教長老教会、日本バプテスト連盟、基督教大韓監理会、日本福音ルーテル教会、日本カトリック正義と平和協議会、韓国基督教青年会、日本NCC東アジアの和解と平和委員会)が交互に祈りを捧げました。
 また祈祷会後には、去る7月、和解と平和の実現のために日本NCC東アジアの和解と平和委員会を中心に行われた、朝鮮民主主義人民共和国・朝鮮基督教連盟訪問報告が行われました。(事務局)

19-10-15お支え

「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」(創世記1・31)

宇多田ヒカルさんの歌に「Beautiful World」という曲があるのを知りました。「もしも願い一つだけ叶うなら 君の側で眠らせて どんな場所でもいいよ」。深い思いがうたわれていると思います。神様の思いを映していると思いました。思い出してほしいと神様は祈られていると思います。

 ある学校で少し聖書の学びをしました。「信じている人は天国、信じていない人は…。私は救われている人、あの人たちは救われていない人」と言われていました。私たち人間の思い上がりが本当の悲しみです。
 神様と私たちは一つだと、インマヌエルだと聖書は教えてくれます。離れ離れだけれどもなにかこう繋がっているというようなことではなくて、まったく神様と一つだと。このことが「最初で最後のこと」(滝沢克己『聖書を読む マタイ福音書講解』岩切政和編、創言社)だと。初めからあったこと、最後の最後まであること。神様は救いを決定し、その約束の内にいのちを創造され、そこに生かしてくださっている。誕生が与えられ帰ることを与えられるまで、いつも「脚下で」(同書)支えていてくださっている。私たちのこれまでの歩みに御支えが確かにあったと思います。今もこれからも神様の光に包まれている。

 私たちは神様ではありません。当然ですが見失いやすいことです。神様がつくってくださった「極めてよい」と宣言されている、愛していてくださる存在、子です。いの
ちもなにもかも神様がお与えくださったもの、一切は「恵みのみ」(ルター)無条件で受けていることです。そして人間の限界はちゃんと置かれている。できることもあればできないこともある。限りはありますが映している。それで十分だし、幸いです。
 救いもまた神様が与えてくださっていることです。私たちの側の何か(持っていると考えているもの)が勝ち取るというようなことでは決してありません。恵みがすべて。神様が私たちすべての人と共におられるという、この私と一つだという「生命の根元、故郷・根本事実・存在の事実そのもの・神の愛、真実・絶対に単純無条件に実在する支え・絶対平等・生きられる根拠、拠り所・絶対に確かな生命の足場、基礎、土台・無条件の祝福・人間の生の充実・本当の安らぎ、幸せ、身軽さ・生の姿の美しさ・本当の主体、一者・復活の生命」(同書)、そういう救いの「神の決定・絶対無条件の決定」(同書)に在る。
 
 救い主がそのことを現わしてくださいました。「私たちは御父と一つだ」と。苦しみの極限においてもそうだと。私たちに先立って共に私たちの苦しみを嘆きいたんでおられると。十字架を負う私たちは、「人間は、捨てられたままで・救いのないままで、ちゃんと救われる」(同書)。そこに神様が一つでいてくださっている。ぼろぼろになってもどうなっても。そのことを示してくださるためにイエス様が来てくださった。「本当の生命の故郷に立ち帰らせるために、自分自身の生命の根元に本当に目を覚まさせるために」(同書)来てくださった。イエス様はその根元で「苦悩の叫び・悲嘆」「神人一体の中で、無条件の恵みに無条件に感謝・信・讃美」(同書)する、それが私たちにできると、与えられていると、インマヌエルなる神様の中に在ると、明らかにしてくださった。

 私たちはこの福音(「神の原音」同書)の中にいます。「福音とは、人間は、実はイエス・キリストの〈まこと〉・第一のピスティスの中にあって、義とされているという喜ばしき知らせ」(『小川修パウロ書簡講義録 ローマ書講義Ⅰ』2011、リトン、12頁)です。「ピスティス」は、「〈まこと〉、真実、信、信仰」等の意。すべての人にある御守り、御支え。そこに「十字架即復活」(同書)がある。

 永遠に神様の世界に在る。そこに、キリストが包み、内より励ましていてくださっている。光がある。主は我が牧者なり。「裸になって元に還れ」(滝沢先生)。「幸福なるかな」が響いている

日本福音ルーテル修学院教会牧師 光延 博

19-10-10るうてる2019年10月号

説教 「御支え」

機関紙PDF

「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」(創世記1・31)
 宇多田ヒカルさんの歌に「Beautiful World」という曲があるのを知りました。「もしも願い一つだけ叶うなら 君の側で眠らせて どんな場所でもいいよ」。深い思いがうたわれていると思います。神様の思いを映していると思いました。いのちの励ましを子が今忘れていれば思い出してほしいと神様は祈られていると思います。
 ある学校で少し聖書の学びをしました。「信じている人は天国、信じていない人は…。私は救われている人、あの人たちは救われていない人」と言われていました。私たち人間の思い上がりが本当の悲しみです。
 神様と私たちは一つだと、インマヌエルだと聖書は教えてくれます。離れ離れだけれどもなにかこう繋がっているというようなことではなくて、まったく神様と一つだと。このことが「最初で最後のこと」(滝沢克己『聖書を読む マタイ福音書講解』岩切政和編、創言社)だと。初めからあったこと、最後の最後まであること。神様は救いを決定し、その約束の内にいのちを創造され、そこに生かしてくださっている。誕生が与えられ帰ることを与えられるまで、いつも「脚下で」(同書)支えていてくださっている。私たちのこれまでの歩みに御支えが確かにあったと思います。今もこれからも神様の光に包まれている。
 私たちは神様ではありません。当然ですが見失いやすいことです。神様がつくってくださった「極めてよい」と宣言されている、愛していてくださる存在、子です。いのちもなにもかも神様がお与えくださったもの、一切は「恵みのみ」(ルター)無条件で受けていることです。そして人間の限界はちゃんと置かれている。できることもあればできないこともある。限りはありますが映している。それで十分だし、幸いです。
 救いもまた神様が与えてくださっていることです。私たちの側の何か(持っていると考えているもの)が勝ち取るというようなことでは決してありません。恵みがすべて。神様が私たちすべての人と共におられるという、この私と一つだという「生命の根元、故郷・根本事実・存在の事実そのもの・神の愛、真実・絶対に単純無条件に実在する支え・絶対平等・生きられる根拠、拠り所・絶対に確かな生命の足場、基礎、土台・無条件の祝福・人間の生の充実・本当の安らぎ、幸せ、身軽さ・生の姿の美しさ・本当の主体、一者・復活の生命」(同書)、そういう救いの「神の決定・絶対無条件の決定」(同書)に在る。
  救い主がそのことを現わしてくださいました。「私たちは御父と一つだ」と。苦しみの極限においてもそうだと。私たちに先立って共に私たちの苦しみを嘆きいたんでおられると。十字架を負う私たちは、「人間は、捨てられたままで・救いのないままで、ちゃんと救われる」(同書)。そこに神様が一つでいてくださっている。ぼろぼろになってもどうなっても。そのことを示してくださるためにイエス様が来てくださった。「本当の生命の故郷に立ち帰らせるために、自分自身の生命の根元に本当に目を覚まさせるために」(同書)来てくださった。イエス様はその根元で「苦悩の叫び・悲嘆」「神人一体の中で、無条件の恵みに無条件に感謝・信・讃美」(同書)する、それが私たちにできると、与えられていると、インマヌエルなる神様の中に在ると、明らかにしてくださった。
 私たちはこの福音(「神の原音」同書)の中にいます。「福音とは、人間は、実はイエス・キリストの〈まこと〉・第一のピスティスの中にあって、義とされているという喜ばしき知らせ」(『小川修パウロ書簡講義録 ローマ書講義Ⅰ』2011、リトン、12頁)です。「ピスティス」は、「〈まこと〉、真実、信、信仰」等の意。すべての人にある御守り、御支え。そこに「十字架即復活」(同書)がある。
 永遠に神様の世界に在る。そこに、キリストが包み、内より励ましていてくださっている。光がある。主は我が牧者なり。「裸になって元に還れ」(滝沢先生)。「幸福なるかな」が響いている。

コラム 直線通り 久保彩奈

⑲「神様のお弁当」
 「神様のお弁当」と聞いて、どんなイメージをもつでしょうか。おにぎりでしょうか。サンドウィッチでしょうか。それともあたたかいスープでしょうか。
 ある日の炊き出しで、教会で作ったお弁当を受け取った野宿の人に「今日も神様のお弁当ありがとう」と声をかけられました。
 「神様のお弁当」は鮭わかめの混ぜご飯、漬け物、大きなウインナーでできたかんたんなお弁当ですが、たくさんの人の思いが詰まっています。時間と働きを差し出してくれる仲間たちの思いはもちろん、心を寄せてくださる人たちがたくさんいます。「この重さなら持って来られるから」と教会に来るたびにお米を買ってきてくださる人。使い捨てのお弁当パックや割り箸の経費を気にしてくださり、知り合いの問屋さんを通して寄付してくださる人。お弁当作りの休憩の時に食べてね、とお菓子をくださる人。「座ってやる作業ならできるけど、何かできることある?」と声をかけてくださる人。ここには書ききれないほどの、たくさんのあたたかさと、共に生きようという思いが「神様のお弁当」には詰まっているのです。
 食べるということは、ただ単に生命の維持ということだけではなく、何のために、誰によって生かされているのかを知る瞬間でもあります。わたしたちが労して作ったお弁当の背景に、神様の愛があることを野宿の人びとが感じとってくれていたことに心が震えました。わたしも彼のように、その先にある神様の愛を感じとりながら生きる者でありたいのです。

議長室から 「変えることができるのは『自分』と『未来』」大柴譲治

 カウンセリングでよく言われる言葉があります。「過去と他人は変えられない。変えることができるのは自分と未来だけ」。確かにその通りです。しかし同時に本当にそうだろうかとも思います。
 「覆水盆に返らず」と言うように、私たちは「過去」に起こった出来事を変えることはできません。また、親子喧嘩や夫婦喧嘩を思い起こしてもそうですが、「他人」を変えることなど不可能に近い。その意味で確かに「過去」と「他人」は自分の思い通りにはなりません。
 「変えることができるのは自分と未来だけ」という文言もまた真理と思われます。もちろんそれは容易なことではありません。しなやかに自分を変化させて柔軟に現実に対処したいと思いつつ、そのようにできないことが少なくない。どこか無意識的に私たちは馴染みのある「自分」を変えたくないと思っているのかもしれません。「交流分析」では私たちが持つ「人生脚本」に焦点を当てますが、幼い子どもの頃から私たちがサバイバルのために自ら選び取ってきた生き方にはそれなりの理由と意義とがある。自己を変えるというのは生半可なことではできません。しかしそれでも「過去」と「他人」は変えることができないとしても、再決断によって「自分」を変えてゆくことはできます。「自分」が変われば、そこから新しい「未来」を創造してゆくこともできましょう。
 しかし本当に「過去」と「他人」を変えることはできないのか。確かに過去の「出来事」は変えることはできません。しかしその出来事をどう受け止めるか、その出来事の「意味」を受け止め直すことは可能です。「意味」が変われば「過去」の位置づけも変わります。また、人間関係は相互的な「関係」です。ケネス・デール先生はいつも家族システムを、モビールを持って説明しておられました。モビールは全体が一つにつながっていて、どこかを少しでも触ると全体が動きます。同様に、自分の相手に接する姿勢が変わればその「関係」も変わります。「関係」が変わると相手の私に対する接し方も変わります。こう考えてくると、「過去」も「他人」も「自分」と「未来」同様に変えることができるのではないでしょうか。
  ラインホルト・ニーバーのSerenity Prayerを思い起こします。「神よ、変えることができないことを受け入れる心の静謐さを与えてください。変えることができることを変えてゆく勇気をお与えください。そしてその両者を識別するための智恵をお与えください。アーメン。」

第21回ルーテルこどもキャンプ報告 高村敏浩(キャンプ長・三鷹教会牧師)

 8月6日~8日の二泊三日の日程で、TNGのこどもキャンプが行われました。東京三鷹のルーテル学院キャンパスに、全国から27人の5・6年生が集まりました。21回目となる今回は、フィリピンを取り上げました。近年日本でも知られるようになりましたが、フィリピンの国民的デザートにハロハロというかき氷のような食べ物があります。 ハロハロは「ごちゃまぜ」という意味ですが、このデザートもその名の通り、フィリピンの被植民地としての歴史を反映したものとなっています。 このハロハロをヒントに「ハロハロの国フィリピン~ごちゃまぜのハーモニー~」というテーマでプログラムをたて、キャンプでは多種多様な民族や文化、言語を持ち、同時に被植民地として諸外国からの影響を受けて成り立つフィリピンという国を、いろいろな体験を通して学びました。
 もう一つテーマの手掛かりとなったのは、バニーグという伝統的な織物です。土着の植物を使って織られるこのマットは、フィリピン人の生活の様々な場面で用いられ、日本でいう畳のように、フィリピンの生活の象徴となっています。縦と横に織られているため、このバニーグはときに、人と人とのつながりから織りなされる人生にもたとえられるようです。私たちは、キャンプの聖句であるコリントの信徒への手紙一12章20節「だから、多くの部分があっても、一つの体なのです」をこのバニーグと重ね合わせ、キリストは私たち一人ひと生であったことを、喜びと感謝をもって報告いたします。女性会やJELAをはじめとして、さまざまなところから経済的・物質的・人的なサポートとお祈りをたくさんいただきました。ご支援、心から感謝します。

訂正

2019年8月号2面「サウスカロライナ・シノッド総会、ELCA本部を訪れて」4段目5行目「セントジョーンズ教会」は「セントジョン教会」の誤りでした。謹んで訂正いたします。

住所変更

スオミ教会
〒162l0041東京都新宿区早稲田鶴巻町511の4 スカイコート早稲田106号
電話03(6233)7109(FAXなし)

リーダー研修キャンプ報告 竹田大地(TNGユース部門担当・西宮教会牧師)
 8月19日(月)から21日(水)の2泊3日でTNGユース部門主催の「リーダー研修キャンプ」が西宮教会を会場にして行われました。例年は神学校を会場に開催していましたが、西宮教会の開催となり東教区以外での初の開催となりました。
 昨年までは「バイブルキャンプ」と称して、聖書から神の御声に聴き、証しを作成する学びをし、教会での奉仕者養成を趣旨として催されていました。今年から「リーダー研修キャンプ」とキャンプ名の変更に至りました。
 理由として、TNG部門リーダー会議において春のティーンズキャンプ(Teens部門)、こどもキャンプ(こども部門)において、両キャンプの卒業生がスタッフとして関わる人数が多くなってきたことが確認されました。直近の両キャンプにおいても参加者を導くリーダーは、ほぼ両キャンプの卒業生で構成されています。こうした現状を踏まえて、ユース部門でのキャンプを、他部門の大切な次世代育成プログラムをより一層充実させるために「リーダー研修キャンプ」と位置付けて開催の運びとなりました。
 今回のリーダー研修キャンプには、北海道特別教区から九州教区まで計18名の参加者が与えられました。各教区から参加者があったこともあり過去最高人数の参加者が与えられました。この背景にはティーンズキャンプ、こどもキャンプでの奉仕に対して力になりたいという意識の現われかと思います。
 当キャンプでは、聖書からリーダー像を学び、その学びを受けてKJ法を用いてTNG部門のキャンプにおけるリーダー像とは何かを考え、学びました。また、キャンプ期間中の準備日を含めた4日間だけが大切なのではなく、残りの361日をどうキリスト者として生きるかということの方が大事だということを確認しました。活発な意見交換がされ、参加者たちはリーダーとしての在り方は勿論のこと、自分自身のキリスト者としての生き方も深く考える機会となったキャンプとなりました。

第13回るうてる法人会連合総会報告 小勝奈保子(東教区社会部長・聖パウロ教会牧師)

 第13回るうてる法人会連合総会が8月22日(木)~23日(金)、三鷹のルーテル学院で開催されました。テーマは「ルーテルを語ろう」、宮本新先生に基調講演を頂きました。なぜルーテルなのか?ルーテルらしさとは?ルーテルの諸施設で働く者にとって、キリスト教理念は学びこそすれ、ルーテルって何?「ルーテルさん」と呼ばれる働きの特徴とは?ルーテルとは何かを語り合うことが今回のテーマです。そこで一方的に話を聞くばかりではなく、それぞれの思い「知らない」「考えてみたこともない」でもよいし、「こんな風に思っている」等々、分かち合いを通して生まれる…何か、気づきへの“期待”。12のグループに分かれて、グループディスカッションも行いました。
 他に教会信徒のディアコニア活動の紹介として、3つのグループ「ほしくずの会」の安藤淑子さん(蒲田教会)、「ちかちゅう給食」の久保彩奈さん(本郷教会)、「東京老人ホーム・ボランティア」の大森はつ子さん(むさしの教会)からの発題もありました。施設職員にとっては専門職とは違う草の根の働きの思いを知る機会となりました。 
 また東京開催に際し、東教区の応援と諸教会からの参加を呼びかけました。信徒の参加も多くあり、「このような集い、交流があることを初めて知りました」、「宣教の業が教会だけではなく、伝道(宗教法人)、教育(学校法人)、奉仕(社会福祉法人)、バランスよくつながり合って展開していることが分かりました」、「開会礼拝で『網仕事(ネットワーク)』と題し、大柴牧師がお話くださいましたが、その通りですね」とのお声も聞かれました。
 近年、世界のルーテルの流れは、ポスト宗教改革(2016年ルンド、2017年長崎)、共同宣言(2017年)と続き、共生へと向かっています。そして、国連の打ち出したSDGs(世界を変えるための17の目標)は、その作成にあたりルーテル世界連盟の参加と働きがあったことを宮本先生がご紹介くださいました。SDGsとルーテルのつながりを初めて知った人も多く、参加者からは良い反応が起こりました。すでにルーテル社団とチャイルド・ファンド・ジャパンではSDGsに取り組み、その活動をご紹介くださいました。
 宣教の未来ビジョンを描く上でたくさんの示唆を頂いたように思います。目の前の課題に日々追われながらも、望み仰ぎつつ、おおらかな気持ちで、一人のルーテルさんとして互いに自由な愛によって仕え合っていこうと、心を新たにしました。

ルーテル社会福祉協会 総会報告 中島 康文(市川教会牧師)

 8月21日から22日にルーテル社会福祉協会の研修会及び総会を行いました。例年、るうてる法人会連合の総会あるいは研修会に併せて開催されているもので、会場となったルーテル学院大学に、会員12法人中10法人から45名が集いました。
 社会福祉協会はここ数年、「教会と法人」の関係について様々な角度から学び・考えてきました。2017年の「宗教改革500年」が契機でした。ルターについて学び、現場での教会・チャプレンの働きを見つめてきました。今年は、「教育の場の思い」を伺いつつ実践に生かしていくことを考え、市川一宏ルーテル学院大学学長を講師にお招きし、21日に研修を行いました。「地域社会が抱える問題」「社会福祉の動向」をご講義いただき、更にこれからのキリスト教社会福祉実践に関し、「共に生きること、共感することの大切さが、明日に向かって生きる力になる」と力強く語ってくださいました。講演の中で、ルーテル学院(ルーテル教会)の福祉教育の歴史、ルーテル学院が現在目指していることなどもお語りくださいました。教会・社会福祉・教育が共に祈りつつ、一つになって働くことの素晴らしさを実感したひと時でした。
 22日の総会では、昨年発足した「運営委員会」の位置づけと具体的な働き、会報・次年度開催の件などを協議し散会しました。
 尚、21日夜、武蔵境のお店を貸し切って開かれた懇親会では、MC森田哲史デンマーク牧場チャプレンより「新しい名刺を3枚以上獲得する」というテーマが出され、旧交を温めつつ新しい出会を頂けた楽しい時となりました。
 ルーテル教会の皆様の祈りとご奉仕に支えられて、今日のルーテル社会福祉協会に属する法人が働き続けられました。これからも、お祈りにお覚え頂ければ幸いです。

 

ルーテル幼稚園・保育園連合会夏季研修会報告「元気に明るく、 輝いて現場で」 竹田孝一(大森教会牧師)

 「ルーテル幼稚園・保育園連合会夏季研修会」が8月23日~24日の2日間、福岡ガーデンパレスを会場に開かれました。全国から121名の参加者がありました。
 「こども子育て新制度」が始まり国から出された、幼稚園、保育園、認定こども園の新教育、保育要領をキリスト教の立場からどう現場で捕らえ、解釈していくか、「新キリスト教保育指針」の作成委員の一人である西南学院大学の深谷潤先生から、「『幼児期の終わりまでに育ってほしい姿』をどう捉えるか―キリスト教保育の立場から―」という題でお話を聞きました。国の要領は、「作りだす」、「しなければいけない」、「自分の力」というように子どもたちが到達目標に達するように能動的保育をするような指針に対して、キリスト教保育は「受け入れられる」、「与えられる」というように受け身ですが、こどもを中心とした、それは神を中心として、国が示した「姿」の次元を超えて、一人ひとりの存在を大切にし、互いに隣人となりつつ、平和を作りだす人間を育成する受動的能動を目指すものであるとのお話を聞いて、キリスト教保育の指針の意味を新たに気づかされました。
 2日目の講師は柴田愛子先生でした。お母さんがルーテル教会の会員で、先生はルーテル幼稚園での保育者の経験もあり、その後、「りんごの木」保育園を創設、多くの保育書を出されています。先生からは「『子どもの心に添う保育』―保育は子どもが主役といいながら、保育者の気持ちが優先されていませんか?寄り添うことで子どもの気持ちが見えてきます。子どもたちのドラマがみえてきます」というお話を聞きました。
 柴田愛子先生からのお話を聞きながら、保育者は、笑い、泣き、頷き、勇気を与えられました。元気に明るく、輝いて保育者一人ひとりは、保育の現場に派遣されていきました。
 2020年の研修会は、8月28日~29日、広島で開催予定です。

春の全国ティーンズキャンプ2020 スタッフ募集のお知らせ

 2020年の春の全国ティーンズキャンプは、3月24日(火)~26日(木)に「千葉市少年自然の家」にて開催されます。現地で行われる前日準備日と、春キャンの2泊3日を参加者と一緒に過ごしてくださるスタッフを募集します。募集スタッフは、次のとおりです。
◎リーダー ティーンズと共に行動し、信仰的に導きます。
◎オーディオ キャンプのプログラムを支えるスライドの作成や機材管理をします。
◎マネジメント 裏方としてキャンプの運営に関わります。
◎賛美 楽器の演奏や歌で、賛美を導きます。
☆募集条件
1 前日準備日とキャンプ3日間の全日程に参加できること。
2 リーダー応募者は20歳以上の受洗者であること。(幼児洗礼の場合は堅信者)
☆申し込み
左記①~⑥についてすべて記入し、メールでお申し込みください。(スタッフの決定は人数や予算の関係でご要望に添えない場合もあります。ご了承ください。)
①名前、教会名、応募について承諾をもらった牧師名②受洗日・堅信日(未受洗者は未受洗と書く)③上記の募集スタッフの中からあなたが希望する役割④現在あなたは1ヶ月に何回ぐらい教会の礼拝に参加していますか⑤愛唱聖句(好きな聖書箇所)はどこですか?⑥イエス・キリストはあなたにとってどんなお方ですか?
☆申し込み先harukyan.moushikomi@gmail.com 永吉まで☆締め切り:2019年12月1日(日)必着

「いぶき、こんな様子です」 就労継続支援B型事業所 いぶき 刑部隆一

〈静岡県袋井市にある社会福祉法人デンマーク牧場福祉会では今年4月より新たな障害者福祉サービスとして就労継続支援B型事業所「いぶき」が開始されました。「いぶき」の今の様子をご寄稿頂きました。〉
 いぶきが始まり、5ヵ月になります。利用者の数も徐々に増え、現在は11名が所属しています。その中には、特別支援学校からの卒業者もおれば、気持ちがしんどくなり、家に引きこもっていた方もいます。それぞれに、居場所、仕事を求め、少しでも社会に慣れようと集まってきた人達、仲間達です。
 仕事は、馬の糞掃除、草刈りをし、草を運び、柵の修理をする環境整備作業、草刈りの機械や、針金を巻き付けるハッカー等の機械、工具を使う仕事もしています。室内での羊毛の加工作業では、デンマーク牧場産の羊毛を使い製品作りをしています。いぶきでは、その人に合った仕事を選び、成長できるような仕事を提供していきたいと考えています。
 いぶきでは、雰囲気作りを大切にしてきました。居場所として安心できなければ、安定し仕事をする事はできないと考えるからです。ただ、気持ちがつらくなり、途中で作業を中断し、休憩したり、職員と話をする時間をとるような利用者が出てきています。また、「~あの人はトイレによく行く」「~から話しかけられて嫌になってしまう」と、ちょっとした不安、不満は聞こえてくるようになりました。ただ、それについては、安心できる場所になったから、発言、行動できるようになったと前向きに考えています。職員は、それらに対して向き合い、解決に近づけることで、利用者との関係を繋ぎ、障害や利用者との関わりについて勉強させていただいています。勉強させてもらうとなると、「言い方が悪いのではないか、利用しているのか、」と思われるかもしれませんが、一方的に与えられる関係ではなく、お互いに与えられる関係であり、良い関係なのだと考えています。利用者は未熟、職員集団も手探りで未熟、お互いまだまだでありますが、5ヵ月のいぶきはこのような状況にあります。焦らずに、皆で一緒に成長していきたいと思う今日この頃であります。

ルーテル学院110周年ルター研究所秋の講演会「ルターと日本」 石居基夫(日本ルーテル神学校校長)

 今年のルター研究所の秋の講演会は、ルーテル学院110周年を記念して「ルターと日本」をテーマにしています。11月10日の午後2時から、かつての神学校教会、日本福音ルーテルむさしの教会を会場に行います。
 日本におけるルター受容は、内村鑑三を始め明治のプロテスタント信仰の中で、比較的早くから起こっています。そのなかで、ルーテル教会、そして特に神学校が独特の役割を果たしてきました。日本における様々なルター受容の道筋を確認しつつ、本学のルター神学の意義を考えたいと思います。
【ルター研究の歴史から】
 江口再起先生は、まさに「ルターと日本」を講演タイトルとして、ルターがどのように日本に紹介され、また受け止められてきたのか、その研究史とともに、日本人にとってルターとはどのような存在であるのかに迫ります。とりわけ、本学の佐藤繁彦や北森嘉藏、徳善義和らが、単にルターを学問対象とするのではなく、ルター自身の信仰的格闘に学び、教会で語られるみことばを共に聞く信仰の中に受け取っていきました。江口先生は、本学のルター研究の伝統の中に、日本における生き生きとしたルター受容の姿を辿られます。
【一級の資料から】
 青田勇先生は、「佐藤繁彦とルーテル教会」をテーマにご講演をくださいます。戦前に本学で教えた佐藤繁彦は、石原謙と並んで日本でのルター研究の草分け的存在です。テュービンゲン大学に留学し、カール・ホルのもとでルター神学を学び、帰国後にルーテル教会に移って研究を重ねます。代表著作は『ローマ書講解に現れしルッターの根本思想』。青田先生は、近年ご遺族から本学に寄贈された留学当時の日記や研究ノートなどの一級資料を整理されています。佐藤繁彦のルター研究とルーテル教会との関係に迫ります。

聖公会・ルーテル教会合同エキュメニカルキャンプ報告 野口和音(松本教会・長野教会牧師)

 8月8日~10日にかけて、長野県湯ノ丸高原にありますシャロームロッジにて、聖公会と日本福音ルーテル教会合同の第2回エキュメニカルキャンプが行われました。昨年出版された黙想集『神の恵みによる解放』を用いた合同黙想会として企画され、今年も両教派の若い世代同士の交わりと黙想を深めるキャンプとなりました。
 プログラムの中心となる黙想の時間では、黙想集を皆で読み、1時間程度の個人での黙想の後、2~3人での分かち合いの時を20分程度持ちます。これを1セットとして、第1回のキャンプでは計5回の黙想の時を持ちました。個人黙想や分かち合いの時には、室内で落ち着ける場所を探したり、あるいはロッジの外、自然の中を歩きながらみ言葉を味わうひと時となります。私にとってそれは、普段の主日の説教準備などで「語る為にみ言葉を読んでいた自分」に気付かされるときでもありました。私たちに与えられているみ言葉に向き合い、深く捉えていくこと。本来み言葉との関わりとはそこから始まるのだと思います。牧師一年目にして語るべき職務に行き詰った思いを感じていたからこそ、その時の気付きは深い悔い改めと感動を呼び起こすものとなりました。
 今年のキャンプでは副題を「主の食卓に招かれて」として、聖餐をテーマとした聖書の箇所で礼拝をし、黙想を深めました。黙想と分かち合いも行いながら、今回は池の原湿原へハイキングを兼ねた黙想のプログラムも実施することが出来ました。このプログラムを担ってくださった聖公会の全盲の方は、「教会にとって隣人とは」という問いと黙想を、障がいを持つ人々の現実や様々な視点から導いてくださいました。
 み言葉はキリストと共に生きている、ということを知ることができるキャンプであったと思います。生きているからこそ、み言葉は私たちを招き、満たし、そして再び送り出していくのだと思います。是非あなたも、この豊かな黙想の時に加わってみませんか。

賛美歌と私たち

④賛美歌の神学 小澤周平 (名古屋めぐみ教会牧師)

 1920年、旧JELCの第一回総会。この頃、1903年版『讃美歌』、大正改訳の文語訳聖書、そして式文と、礼拝が整えられていきました。1931年、新版の『讃美歌』が出版。この歌集は、中世ラテン語聖歌、ギリシャ語賛美歌、ドイツ・コラール、フランス語詩編歌、そして、アメリカの社会福音的賛美歌を取り入れ、より超教派的な歌集になったと評価されています。
 ところで、賛美歌や歌集に、超教派だの教派独自だの、そんな性質があるの?と、疑問に思う方もおられるかも知れません。少し脱線して、その辺りのことについて触れてみます。
 礼拝は神様が私たちに奉仕(サービス)する出来事であり、私たちの信仰が養われる神様との交わり(祈り)の時です。礼拝は中心を保ちながら、それぞれの歴史や文化の中で多様に発展してきました。だから、礼拝には自ずと、共同体が継承してきた信仰・信仰生活の内容が表れます。普段の礼拝の中で「私」と言う時、それは同時に、連綿と続く「私たち」の信仰を言い表しているのです。式文、聖書、説教、そして、賛美歌などには、それぞれの教派や各個教会における「私たち」の特徴を見出せます。
 礼拝奉仕を経験したことがある方は、「私たち」の信仰へのふさわしさについて吟味したことがあると思います。祈りの言葉、子ども向けの説教、花の色、服装など。その信仰的な問答・吟味・考察こそ「神学」です。賛美歌も同じです。一つ一つの賛美歌には、作者が養われ継承してきた信仰が、自ずと表現されます。そこに表現される神学が「賛美歌の神学」です。その神学が、歌集の性質を決めています。
 普段の私たちの礼拝では、日課の聖書箇所と説教と賛美歌が、神学的に整えられるように準備されます。加えて、式文中の順番、全ての節を歌うか数節選んで歌うか、口語か文語か、斉唱か交唱か聖歌隊の合唱か等々、共同体への細かな配慮も行われます。
 もし、共同体が継承してきた礼拝のあり方から賛美歌だけがズレてしまうなら、礼拝の調和は崩れてしまいます。それは、信仰生活のリスクです。実に、戦後すぐ、このことに警笛を鳴らした信仰の先輩たちがいました。(続く)

19-09-15いつもあなたがたと共にいる

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」 (ヨハネによる福音書15・5)

だいぶ前から、私は長い時間を庭の植物や木の世話に費やしてきました。ほとんど毎日庭に出て、調子はどうか、ちゃんと生きているか確認しています。様々な木について、多くのことを学びました。どのように新しい葉が伸び、古い葉が黄色になって、地面に落ちるのかも学びました。
 私たちにとってなじみ深い枝のイメージによって、キリストにつながっていることの大切さを改めて教えてくれます。ぶどうの木と枝のイメージは特定の時代や場所に限定されていません。
 イエスは弟子たちに対して(つまり私たちに対して)こう語ります。イエスと弟子たちとの関係はぶどうの木と枝のようなものです。とても単純なイメージです。単純でありながら、神秘的でもある表現だと思います。
 木と枝のイメージは、とりのぞく、手入れをすることとの対比を通じて「つながっている」ことについて語ります。ここで「つながる」と訳されている聖書の言葉は、単なる物理的なつながりだけではなく、ちょうど母親の胸に抱かれる赤子のように、全てを委ねて安らぐという意味があります。
 

聖書箇所をよく読んでみますと、ぶどうの木と枝一本一本は、弟子たちと(私たちと)キリストとの親しい関係が、実を結ぶ力(神を愛することと隣人を愛すること)の源であることを表しているのです。
 生きているものはみな実を結ぶものだという事実が分かります。キリストは私たちが実り多い人生を送ることを期待しているのです。ここでイエスが弟子たちに語っている言葉は単なる励ましのことばではありません。実を結ぶためには栄養が必要だということを思い起こさせているのです。枝は木から命を得て実を結びます。イエスは必要な栄養を与えると約束しているのです。その栄養とは、イエスの言葉です。私たちがぶどうの木につながり、一体となっていれば、私たちも成長できます。
 
 つながっている命は豊かな命です。つながっていれば、神様を愛し、隣人も愛するのは自然な結果と言えます。
 ぶどうの木と枝のイメージから、私たちはキリストに頼っていることを改めて思い起こします。枝が木から切り離されれば、多かれ少なかれ、枝は死にます。枝は木によって支えられ、養われていればこそ実を結びます。
 ここで私が申し上げたいのは、私たちが命の源、イエスと私たちとの関係のうちに見出される命とつながっていれば、「神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださる」(一ヨハ4・13)。このことによって信仰と愛が可能になるのです。
 

聖書の言葉によれば弟子たちは実を結ぶよう命じられていますが、「枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたし(キリスト)につながっていなければ実を結ぶことができない」(口語訳15・4)のです(つまり愛すること自体が無理なのです)。つまるところ、始まりは神にあるのです。神が私たち一人一人に愛の種をまいて下さいます。それは私たちが実を結ぶのに役立つのです。

 ぶどうの木は枝まで含んだぶどうの木全体です。枝はぶどうの木の一部ですが、成長したところで木の幹の代わりになることはできません。枝自身のうちには命はありません。命と愛はぶどうの木にあり、私たちが木につながっていれば、その命と愛がわたしたちの命と愛になるのです。
 イエスの「私は木である」という言葉には、約束が含まれています。私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。この言葉が命令や断定ではなく、招き、そして約束であるのは明らかです。「もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」(口語訳)という言葉です。そしてそれに続いて「わたしから離れては、あなたがたは何一つできない」(口語訳)とあります。イエスにつながっていることは、豊かな実を結ぶ上でとても大切なことなのです。

ジェームス・サック(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校教授)

19-09-10るうてる2019年9月号

説教「いつもあなたがたと共にいる」

機関紙PDF

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネによる福音書15・5)

だいぶ前から、私は長い時間を庭の植物や木の世話に費やしてきました。ほとんど毎日庭に出て、調子はどうか、ちゃんと生きているか確認しています。様々な木について、多くのことを学びました。どのように新しい葉が伸び、古い葉が黄色になって、地面に落ちるのかも学びました。
 私たちにとってなじみ深い枝のイメージによって、キリストにつながっていることの大切さを改めて教えてくれます。ぶどうの木と枝のイメージは特定の時代や場所に限定されていません。
 イエスは弟子たちに対して(つまり私たちに対して)こう語ります。イエスと弟子たちとの関係はぶどうの木と枝のようなものです。とても単純なイメージです。単純でありながら、神秘的でもある表現だと思います。
 木と枝のイメージは、とりのぞく、手入れをすることとの対比を通じて「つながっている」ことについて語ります。ここで「つながる」と訳されている聖書の言葉は、単なる物理的なつながりだけではなく、ちょうど母親の胸に抱かれる赤子のように、全てを委ねて安らぐという意味があります。
 聖書箇所をよく読んでみますと、ぶどうの木と枝一本一本は、弟子たちと(私たちと)キリストとの親しい関係が、実を結ぶ力(神を愛することと隣人を愛すること)の源であることを表しているのです。
 生きているものはみな実を結ぶものだという事実が分かります。キリストは私たちが実り多い人生を送ることを期待しているのです。ここでイエスが弟子たちに語っている言葉は単なる励ましのことばではありません。実を結ぶためには栄養が必要だということを思い起こさせているのです。枝は木から命を得て実を結びます。イエスは必要な栄養を与えると約束しているのです。その栄養とは、イエスの言葉です。私たちがぶどうの木につながり、一体となっていれば、私たちも成長できます。
 
 つながっている命は豊かな命です。つながっていれば、神様を愛し、隣人も愛するのは自然な結果と言えます。
 ぶどうの木と枝のイメージから、私たちはキリストに頼っていることを改めて思い起こします。枝が木から切り離されれば、多かれ少なかれ、枝は死にます。枝は木によって支えられ、養われていればこそ実を結びます。
 ここで私が申し上げたいのは、私たちが命の源、イエスと私たちとの関係のうちに見出される命とつながっていれば、「神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださる」(一ヨハ4・13)。このことによって信仰と愛が可能になるのです。
 聖書の言葉によれば弟子たちは実を結ぶよう命じられていますが、「枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたし(キリスト)につながっていなければ実を結ぶことができない」(口語訳15・4)のです(つまり愛すること自体が無理なのです)。つまるところ、始まりは神にあるのです。神が私たち一人一人に愛の種をまいて下さいます。それは私たちが実を結ぶのに役立つのです。
 ぶどうの木は枝まで含んだぶどうの木全体です。枝はぶどうの木の一部ですが、成長したところで木の幹の代わりになることはできません。枝自身のうちには命はありません。命と愛はぶどうの木にあり、私たちが木につながっていれば、その命と愛がわたしたちの命と愛になるのです。
 イエスの「私は木である」という言葉には、約束が含まれています。私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。この言葉が命令や断定ではなく、招き、そして約束であるのは明らかです。「もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」(口語訳)という言葉です。そしてそれに続いて「わたしから離れては、あなたがたは何一つできない」(口語訳)とあります。イエスにつながっていることは、豊かな実を結ぶ上でとても大切なことなのです。
ジェームス・サック(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校教授)            

コラム「直線通り」久保彩奈

⑱「あなたがたは世の光である」(マタイによる福音書5・14)

 ある日の炊き出しで配食の列に初めて見る人がいたので「初めてですよね?」と話しかけました。わたしと年齢がさほど離れていないであろうこの若い男性は「食事だけでも助かります」と言って去って行きました。
 次の炊き出しの日。また同じ男性が列に並んでいたので、近づくと「今日2回目なんです」と言われたので「覚えていますよ」と返すと「この前はありがとうございました。何かお返ししたいんだけど、何もできないから。これを作ったから、受け取ってくれませんか」そう言って彼が差し出したのは3枚の紙でした。童話を書くことが好きらしく、炊き出しで感じたことを1つの物語にしてくれました。
 この童話はウミガメくんと深海魚さんの物語。光を感じられないため世界が見えない深海魚さんのために、ウミガメくんは世界を見るための装置を作ります。互いのちからを信じ合い、様々な工夫を凝らしてついに世界をはじめて見ることができた深海魚さんは「生きてる」ことを実感します。そして物語のさいご、2人を温かく見守ってきた太陽さんは、彼らの友情をみて「希望という名にふさわしい」と語ります。
 光を共有すること、これこそ希望なのだと語るこの物語に、イエスの冒頭の言葉が思い起こされました。わたしも、都心の雑踏の中、貧しく低くされた者とともに光を感じ、希望を共有する者でありたいと願うのです。

 東京都渋谷で野宿者支援活動に12年携わり、ここ6年は代表として月2回の炊き出しと法律の専門家による生活支援を行っています。私が属する本郷教会や勤務する聖望学園の生徒や卒業生、早稲田奉仕園の学生や近隣教会の人びとと一緒に活動しています。名前は「ちかちゅう給食」。15年前地下駐車場で始めたことから、野宿の人びとからそう呼ばれています。)

議長コラム9月号[議長室から] 大柴譲治「パラダイムシフト~コップ半分の水」

ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。」(二コリ4・7)

 「パラダイムシフト」という言葉があります。「それまで(当然と思っていた)考え方や価値観、構造の基本的な枠組みを劇的に別のものに組み替える、シフトさせる」という意味の言葉です。私たちが人生の途上でキリストと出会い、キリストを信じる信仰を神から賜るということもまた、それまでとは全く違った生き方・価値観へと招き入れられるという意味で「パラダイムシフト」でありましょう。それは聖書では「メタノイア(回心・悔い改め)」と呼ばれる出来事と重なります。
 例えばここにコップ半分の水があります。「50%の水」という現実は一つなのですが、それを受け止める仕方には実は二通りある。50%の水を「もはや半分しかない」と見るか、「まだ半分もある」と見るか、二つの見方です。前者は100%を基準として見ていて、そこからマイナスしてもう半分しか残っていないと判断しているのです。実はその時に見ているのは水が入っている部分ではなくて水が入っていない空っぽの上半分です。後者は0%を基準としつつ水の入っている下半分を見ていて、水はまだ半分あると判断しています。英語で言うと事柄はさらにはっきりします。「もう半分しかない」というのは「half empty(半分空っぽ)」、「まだ半分もある」というのは「half full(半分いっぱい)」と言うのです。コップ半分の水という現実を巡っても二つの対極的な見方があることを押さえて起きたいと思います。自分の拠って立つ足場によって世界は二つの様相を呈するのです。
 日々の生活の中で私たちは、ともすれば「あれもない、これもない」、「あれが欲しい、これも欲しい」と無い物ねだりをしがちです。無意識的に100%を基準にしてすべてをマイナスで見てゆく捉え方をしている。だから頑張れるという面もありましょう。しかし、打ち砕かれる中でキリストとの出会いを経験した者は、自らが空っぽの存在でしかないこと、神の前に無でありゼロでしかないということをとことん知らされます。自分が空の器でしかないことを知った者は同時に、パウロと共に、そのような土の器である自分自身の中にこそイエス・キリストという神の宝が収められているという神の恵みの事実を知らされます。その意味でキリストにおいて常に神の私たちに対する恵みは「full」なのです。この「並外れて偉大な力」は神から出たものであって、人から出たものではないことを私たちは知っています。これを「神の恩寵によるパラダイムシフト」とも呼ぶことができましょう。まさに「恩寵義認」ですね。

プロジェクト3・11 いわき食品放射能計測所の現在

明石義信(日本基督教団常磐教会牧師・いわき食品放射能計測所代表)

 東京電力福島第一原子力発電所水素爆発事故から8年を経過し、オリンピックまで残り1年となった今、復興オリンピックの象徴的な場所として福島に注目が集まっています。
7月24日に福島第二原発の廃炉が福島県に正式通告され、県民健康調査の検討委員会の評価が発信されました。健康調査自体が取りやめになる可能性も検討されています。
 ICRP(国際放射線防護委員会)勧告が見直される動きがあり、年間1ミリシーベルトという被曝制限値が引上げられようとしています。これにより帰還者が増えて、復興が進んでいる様子が「見える化」されるという仕組みです。福島県民の私たちは、この流れに従って、復興した姿を受け入れなければならないのでしょうか?一方では廃炉の計画は大きく遅れ、トリチウム水の処理の方法も決定していません。いわき食品放射能計測所では毎月のように、市内の路上のコケの計測をしています。セシウムの数値が300~3500ベクレル以上も計測されています。18名の子ども達が、甲状腺がんの罹患者数から抜け落ちていたことが明らかになったのもつい先日のことです。時間の経過が「もう大丈夫」という認識を広める裏付けとなり、オリンピックで注目を集めることで風評被害や被災地という印象を変えてくれるというのでしょうか。事実として汚染が無くなったわけではないこと、汚染物の中間処理も予定通りに進んでいないこと、最終処分の方法が決まらないままになっているのです。あの大きな被害から感じ取ったはずの、「大切にし、優先しなければいけないはずの人の命」と「安心できる生活の場の確保」が後回しにされてゆく図式が、この復興オリンピックという一大イベントの背後に隠されていると感じるのです。ですから「いわき食品放射能計測所」は、この働きを続けていかなければならないのです。警告の灯を燈し続けなければならないのです。

賛美歌と私たち

③明治版『讃美歌』小澤周平(名古屋めぐみ教会牧師)
 『新撰讃美歌』(1888年)の後、さらに、複数の教派が合流したプロテスタント教会の超教派による潮流は、『讃美歌』(1903年)を発行するに至りました。この歌集は、改訂や第二編との合本等を経て、当時、広く使われた歌集の一つとなりました。今でも「明治版『讃美歌』」として知名度は高く、当時、多くの日本のルーテル教会でも用いられていたと考えられます。あの、「かみはわがやぐら」も収録(図は国会図書館のデジタルアーカイブより)。興味深いのは、485番の「十戒」の後、日本語ページの巻末に、「君が代」が収められていること。収録理由は、現在、研究者の間でも確たる根拠を見出していません。
 各個教会では、その他の小歌集も確認されています。その一つ、1910年にミンキネン、溝口弾一らが編集した『あがなひの歌』が、諏訪地方の教会で使われていました。歌詞のみ、約40曲収録。1903年11月に佐賀に到着したフィンランド人宣教師らは、アメリカのルーテル教会の宣教活動に協力しながら、自らの活動を模索。きっと、賛美歌の情報も集まっていたことでしょう。1905年7月には諏訪に至り、当時の機関誌『救の証』で同国の歌集から翻訳を試み始めたようです。
 『あがなひの歌』自体には引用情報がないため、現在のフィンランド福音ルーテル教会の歌集から推測します。すると、『教会讃美歌』の「力なる神は」や「あめよりくだりて」に似た歌詞が確認できます。また、同歌集の「附録 ダビデの裔ホザナよ」は、現在、「ダビデのこ、ホサナ」として知られる賛美歌のことでしょう。これは、18世紀末のスウェーデンの福音ルーテル教会にルーツを持つ賛美歌です。『教会讃美歌』には収録されませんでしたが、『教会学校さんびか』や『こどもさんびか』(1966年以降で確認)を経て、『讃美歌21』では307番に収録。
 しみじみ、歴史を感じます。もし、皆様の地域で、独自の賛美歌や歌集が見つかりましたら、是非、ご一報を。(続く)ご支援ご協力をお願い申し上げます。

全国ディアコニアネットワーク秋のセミナーのご案内
 今回のセミナーでは、今日の日本社会においても私たちの教会においても向き合い、取り組まなければならない「高齢化」を取り上げ、学びます。
 テーマ「今日という日は、あなたの生涯の残された第一の日である」
日時 10月13日(日)16時~14日(月)12時
会場 13日(日)博多教会・14日(月)特別養護老人ホーム「よりあいの森」
プログラム(予定)
13日 開会礼拝・岩切雄太牧師/講演�「よりあい」が大切にしているもの・村瀬孝生氏「よりあいの森」
施設長/講演�「教会と高齢化、そして地域」・角本浩牧師 14日 施設見学(よりあいの森)
参加費 4000円(交通費・食費・宿泊費は各自手配・実費負担となります。)
申込先 FAX043(244)8018(千葉教会)
Eメールchiba@jelc.or.jp
※氏名(ふりがな)・住所・所属教会または施設・連絡先電話番号・メールアドレスをお知らせください

問合せ 電話043(244)8008(千葉教会)・t-koizumi@jelc.or.jp小泉嗣(全国ディアコニアネットワーク代表)まで

NCC(日本キリスト教協議会)主催・宣教会議報告 永吉秀人(蒲田教会牧師・宣教室長)

 2019年7月14~16日、NCC創立70周年記念礼拝に始まるNCC宣教会議が東京・水道橋の在日本韓国YMCAならびに西早稲田の日本キリスト教会館にて行われた。日本福音ルーテル教会執行部では今年をNCC活動についての学習年と意識しており、NCC主催による宣教会議への出席は好機となった。学習すべき理由は、NCC諸部門の働きに対して主に東教区の教職と信徒が委員として貢献されてきたが、担当者の派遣に留まり、分かち合いが不充分であったとの反省からである。
 そもそもNCCとは、前身は1923年にプロテスタント教界のつながりと海外教会の窓口として日本基督教連盟が設立されたが、1941年に国家の宗教政策で日本基督教団が設立されると共に解散した。戦後、日本基督教団から旧教派が離脱することによって、再び国内教会間の連絡役と海外教会との窓口が必要となり、1948年5月に日本基督教協議会(後に日本キリスト教協議会)が発足した。NCCの活動は30の加盟教団(教会)と団体により、「命の痛み」に共感することを基本姿勢とし、一致、平和、人権、国際協力、諸宗教との対話を課題として取り組まれている。
 NCC創立70周年記念礼拝では、総幹事の金性済牧師より45分間にわたる熱いメッセージが語られた。特に印象に残ったのは、「原稿にはないのですが」と前置きされた上であえて語られた、「人と人とのつながりが希薄になっている」との警鐘の言葉であった。大いに共感するところである。
 また、礼拝に続くパネルディスカッションでは、エキュメニカル運動について語られた。エキュメニカルとは、様々な教派や団体が一致連帯して宣教を考えることである。命の痛みに共感し、生きにくい世界を変えるためには、まず「わたし」から変わらなければならない。そのための一歩を象徴する言葉がパネラーから語られた、「わたしが変わるためには隣人が必要。だからNCCが必要」と。

ブックレビューNCCドイツ語圏教会関係委員会編

「いま、宗教改革を生きる―耳を傾け 共に歩む―」(いのちのことば社 2019) 江口再起(ルーテル学院大学教授・ルター研究所所長)
 2016年春(宗教改革500年の前年)、ドイツとスイスのプロテスタント教会(ルター派および改革派)の使節団が来日した。教会で説教し、講演を行い、コンサートを開き、各地を訪問した(4月24日にはルーテル東京教会でも説教をした)。
 改めて宗教改革の意義を問い共に考えるためである。日本側は日本キリスト教協議会(NCC)の主催で開催された日独教会協議会。本書はその報告書である。多くの説教、講演、そして訪問先での研修の報告が収録されている。約280頁、けっこうな大冊である。
 さて今日、宗教改革の意義を問うとは、どういうことか。ズバリ一口で言えば、教会と社会との関係ということである。別の言葉で言えば、現代社会の中で教会の使命はどこにあるのか、という問題である。もっとハッキリ言えば「ディアコニア」の問題である。使節団の訪問先が、千葉にある先の戦争で暴力や売春の被害にあった女性を保護してきた施設「かにた婦人の村」や、フクシマであったことに、それは表れている。
 「ディアコニア」という言葉はふつう「仕える・奉仕・福祉活動」と訳されるが、やや語感が古くさくわかりづらい。今日風に考え簡単に言えば「助ける」ということであろう。みんなで共に助け合うということである。
 講演の中から一つ紹介しておこう。マルゴット・ケースマンさんの「信仰と霊性のディアコニアとの関わり」である(彼女の肩書きは、ドイツ福音主義教会連盟宗教改革記念事業特命大使、元同連盟議長。長すぎる!ドイツ的?)。彼女はディアコニアの意義を、ルターの『キリスト者の自由』に基づいて説く。つまり神によって解放され自由にされたがゆえに、自由に隣人を助けることができる存在(仕える僕)、それが人間である、ということに注目する。当を得ていると思う。
 多くの方に、本書を読んでいただきたいと思う。

教区長会報告 内藤 文子(栄光・掛川菊川・知多教会牧師・東海教区長)

 2019年7月8~10日、教区長会(第1回人事委員会を含む)が沖縄キリスト教センターを宿泊地として開かれた。初めて教区長となった私としては少し緊張気味に出席したが、沖縄の熱い暑い海風に抱かれて、胸に刻まれる貴重な経験となった。
 人事委員会は例年にも増して、牧師減に直面し不安が増すが、ただ一心に「神よ、この困難に直面する教会を救いたまえ。御心が成りますように。」と願い祈るのみだ。
 来春までに、宣教協力体制を整え、人事計画を推し進めねばならない。
 場所が「沖縄」となったのは、平和研修として、激しい戦争の傷跡をもち、復帰後、さらに軍事基地がもたらす命が脅かされている現場を知るフィールドワークが必要とされたからである。どれだけの犠牲が沖縄県民にのしかかっているか、胸が押しつぶされる思いだった。行ったのは「嘉手納基地」「普天間基地」「チビチリガマ」「辺野古新基地・ヘリ基地を反対する協議会の5000日余りを継続して座り込む人たちとの交わり」、「南部戦跡」を巡った。佐喜眞美術館では、丸木位里・丸木俊夫妻の「沖縄戦の図」の前に体を動かすことが出来なくなった。沖縄の牧会者との交流として、神谷武宏牧師(普天間バプテスト教会)より、教会付属の緑ケ丘保育園の上を飛ぶ米軍機との訴訟で園の母親たちと神谷牧師が、命を守る戦いを続けている現状のお話頂いた。
 私にとって一番の記憶は、1日目「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」。夕方6~7時、(毎週行われている超教派・時には仏教の方も)。みんなで聖書のみ言葉を読み、讃美歌を歌った。祈りを頼まれ、「NOオスプレイ!NOレイプ!NO基地」と掲げられたのろし(琉球語で「ぬるし」)のことばを平和の思いで捧げた。
 3日間を通じて、車を運転し、沖縄のガイドを務めてくださったのは、セミナーハウスの館長である又吉京子さん。小柄ながら、溢れんばかりのパワーを受けた。日本キリスト教団首里教会の信徒の方。首里教会も見学。沖縄戦でぼろぼろに銃撃を受けた教会。銃撃された十字架が改築された教会の上に掲げられている。

日本福音ルーテル教会教師試験実施のお知らせ

2019年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を下記要領にて実施いたします。
教師志願者は必要書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。
  記
〈提出書類〉
◇教師志願書
◇志願理由書
・テーマ「なぜ『日本福音ルーテル教会の教師』を志願するのか―あなたが考える宣教課題をふまえてー」
・書式 A4横書き
 フォントサイズ11ポイント
◇履歴書(学歴、職歴、信仰暦、家庭状況等を記入すること)
◇教籍謄本(所属教会教籍簿の写し)
◇成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書
(法務局交付のもの。任用試験時に必要になります)
◇所属教会牧師の推薦書
◇神学校卒業(見込)証明書及び推薦書
◇健康診断書(事務局に所定の用紙があります)

〈提出先〉
日本福音ルーテル教会
常議員会長 大柴譲治宛

〈提出期限(期限厳守)〉
2019年9月25日(水)午後5時までに教会事務局へ提出すること

〈試験日及び試験内容〉
志願者本人に直接連絡します。

改訂共通日課(RCL)の2020年版教会手帳への記載について

 2019年版教会手帳までは教会暦の日課については1996年版「ルーテル教会式文(礼拝と諸式)」(以下、「青式文」)巻末に掲載されている教会暦の聖書日課に基づいて記載され、日々の聖書日課については、JELC式文委員会で作成したものが記載されてきました。今年10月発売予定の2020年版教会手帳からは、教会暦ならびに日々の聖書日課について、改訂共通日課(Revised Common Lectionary 以下、RCL)に基づいて記載されることとなります。
 これまで教会手帳に記載されてきた3年周期の教会暦の聖書日課は「青式文」と共に式文委員会によって作成されましたが、その原型となったのは1983年に北米のエキュメニカルな諸教派の協働によって作成された共通日課(Common Lectionary 以下、CL)でした。その後9年間の試用期間を経て、1992年には若干の修正を加えた改訂共通日課(RCL)が作成され、さらに2005年には3年周期の「日々の聖書日課」が作成されました。現在では北米に留まらず世界中の多くの教会で日々の聖書日課を含む改訂共通日課(RCL)が用いられ、主日の礼拝において、また日々の祈りにおいて、共通のみ言葉によって養われる恵みに与っています。
 共通日課(CL)から改訂共通日課(RCL)への変更点をいくつか挙げると、まず主日の3つの朗読箇所の関連性を深めることが求められ、特に旧約の日課について見直しがなされました。また女性が活躍する箇所が省略されがちであるという指摘を受け、全体として見直されました。同時に、キリスト教会における反ユダヤ主義を助長しかねない選択の仕方について見直しがなされました。また全体としてヨハネ福音書の配分が増やされました。これらの情報については、インターネットWEBサイト、lectionary.library.vanderbilt.edu(英語)でより詳しく知ることが
できます。
 なお改訂共通日課(RCL)では聖霊降臨後の主日の旧約朗読箇所として、その日の福音の朗読との関連性を重視した従来の主題型に加えて、期節の主題に関連する比較的長い旧約の箇所を継続して読み進めることを目的とした通読型も選択肢として提示されています。しかし式文委員会で検討の結果、その日の福音の朗読との関連を重視し、引き続き主題型が採用されることとなりました。また日々の聖書日課について、改訂共通日課(RCL)に基づいて記載することとなりました。
 これまでのルーテル教会3年周期聖書日課は2020年版以降の教会手帳には記載されませんが、今後3年分については事務局で一覧表を作成し、各牧師に配信いたします。それ以降については、「青式文」の巻末に記載されている聖書日課表でご確認ください。(事務局)

ルーテル学院創立110周年記念一日神学校 こどもしんがっこう・TEENSプログラムのご案内

 恒例の幼児から小学生までのこどもを対象とした「こどもしんがっこう」、そして中高生世代を対象のTEENSプログラムが創立110周年記念となる今年の一日神学校においても開催されます。
 「こどもしんがっこう」では「きみにできること」をテーマに、大学や神学校の学生とともに。イエス様のなさったことを学び、自分達のできることを考えてみます。
 TEENSプログラムでは、JELC東教区教育部NEXTとNRK関東地区ジュニア・ユースとの共催として、「でぃあこにあ」(奉仕)をテーマに、JELA海外ワークキャンプ参加者の報告会やわかちあいプロジェクトスタッフによるワークショップを通して、今を生きる自分にとっての「でぃあこにあ」
について考えます。
 いずれも事前申し込み不要・当日受付となります。たくさんの子どもたち・ティーンズの参加をお待ちしています。

NCC(日本キリスト教協議会)主催・宣教会議報告 永吉秀人(蒲田教会牧師・宣教室長)

2019年7月14~16日、NCC創立70周年記念礼拝に始まるNCC宣教会議が東京・水道橋の在日本韓国YMCAならびに西早稲田の日本キリスト教会館にて行われた。日本福音ルーテル教会執行部では今年をNCC活動についての学習年と意識しており、NCC主催による宣教会議への出席は好機となった。学習すべき理由は、NCC諸部門の働きに対して主に東教区の教職と信徒が委員として貢献されてきたが、担当者の派遣に留まり、分かち合いが不充分であったとの反省からである。
 そもそもNCCとは、前身は1923年にプロテスタント教界のつながりと海外教会の窓口として日本基督教連盟が設立されたが、1941年に国家の宗教政策で日本基督教団が設立されると共に解散した。戦後、日本基督教団から旧教派が離脱することによって、再び国内教会間の連絡役と海外教会との窓口が必要となり、1948年5月に日本基督教協議会(後に日本キリスト教協議会)が発足した。NCCの活動は30の加盟教団(教会)と団体により、「命の痛み」に共感することを基本姿勢とし、一致、平和、人権、国際協力、諸宗教との対話を課題として取り組まれている。
 NCC創立70周年記念礼拝では、総幹事の金性済牧師より45分間にわたる熱いメッセージが語られた。特に印象に残ったのは、「原稿にはないのですが」と前置きされた上であえて語られた、「人と人とのつながりが希薄になっている」との警鐘の言葉であった。大いに共感するところである。
 また、礼拝に続くパネルディスカッションでは、エキュメニカル運動について語られた。エキュメニカルとは、様々な教派や団体が一致連帯して宣教を考えることである。命の痛みに共感し、生きにくい世界を変えるためには、まず「わたし」から変わらなければならない。そのための一歩を象徴する言葉がパネラーから語られた、「わたしが変わるためには隣人が必要。だからNCCが必要」と。

社会委員会コラム「教会と在日外国人の人権」李明生(田園調布教会牧師)

 日本福音ルーテル教会は、今年度より外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会」(略称「外キ協」)に加盟しました。外キ協は1987年に発足した全国的協議会で、NCC(日本キリスト教協議会)加盟の教派・団体だけでなく、カトリック教会や日本キリスト教会も発足当初から加わり、日本のエキュメニカル運動としては最も古くから全国的なネットワークを形成しているものの一つです。全ての外国人住民と日本人住民との共生社会の実現を教会の宣教課題として、発足当初は「外登法」改正運動に取り組みましたが、法制度の変更に伴って1998年から「外国人住民基本法」の制定運動に取り組んでいます。
 最近の日本社会では技能実習生が暴力や搾取に晒されているケースが明らかになってきました。今年4月から改定入管法がスタートしましたが、国際的な人権条約の見地から多くの問題が残されていることが指摘されています。日本は1995年に人種差別撤廃条約に加入し、その後の国連からの再三の勧告にもかかわらず、未だに条約に対応する包括的な人種差別を禁止する法律も、また外国人の人権の保護を規定する法律も整備していません。こうした現状の中で、外キ協は外国人住民基本法の制定を求める署名運動を約20年にわたって続けています。
 こうした運動は個々の信仰生活には関係無いのではないか、むしろ教会に人が集うことを邪魔するものではないか、という疑問もあるかもしれません。しかし、聖書で語られる主イエスの歩みに従い、一人一人の信仰生活が希望と恵みを分かち合うものとなるためには、欠かすことが出来ないものなのです。というのも、この社会で排除され痛みを負わされながらも声を挙げることの出来ない一人一人とキリスト者が真摯に向き合い、その痛みを分かち合う時こそ、希望と恵みが分かち合われる時であり、主イエスが共におられる時であることを聖書は様々な箇所で伝えているからです。キリストの教会の始まりの時から、多様な人々がそこに集い、希望と恵みを分かち合う群れとなってゆくことは常に宣教の課題であり続けているのです。

図版説明:多文化共生社会を考えるために、外キ協・マイノリティ宣教センター・NCC在日外国人の人権委員会が協働で発行したブックレット「からふるな仲間たち 第1集」。外国にルーツを持ちながら日本社会で暮らす方々のライフヒストリーと思いを「まんが」で紹介。現在第2集まで発行されている。

改訂共通日課(RCL)の2020年版教会手帳への記載について

 2019年版教会手帳までは教会暦の日課については1996年版「ルーテル教会式文(礼拝と諸式)」(以下、「青式文」)巻末に掲載されている教会暦の聖書日課に基づいて記載され、日々の聖書日課については、JELC式文委員会で作成したものが記載されてきました。 今年10月発売予定の2020年版教会手帳からは、教会暦ならびに日々の聖書日課について、改訂共通日課(Revised Common Lectionary 以下、RCL)に基づいて記載されることとなります。
 これまで教会手帳に記載されてきた3年周期の教会暦の聖書日課は「青式文」と共に式文委員会によって作成されましたが、その原型となったのは1983年に北米のエキュメニカルな諸教派の協働によって作成された共通日課(Common Lectionary 以下、CL)でした。その後9年間の試用期間を経て、1992年には若干の修正を加えた改訂共通日課(RCL)が作成され、さらに2005年には3年周期の「日々の聖書日課」が作成されました。
 現在では北米に留まらず世界中の多くの教会で日々の聖書日課を含む改訂共通日課(RCL)が用いられ、主日の礼拝において、また日々の祈りにおいて、共通のみ言葉によって養われる恵みに与っています。

共通日課(CL)から改訂共通日課(RCL)への変更点をいくつか挙げると、まず主日の3つの朗読箇所の関連性を深めることが求められ、特に旧約の日課について見直しがなされました。 また女性が活躍する箇所が省略されがちであるという指摘を受け、全体として見直されました。同時に、キリスト教会における反ユダヤ主義を助長しかねない選択の仕方について見直しがなされました。また全体としてヨハネ福音書の配分が増やされました。これらの情報については、インターネットWEBサイト、lectionary.library.vanderbilt.edu(英語)でより詳しく知ることができます。
 なお改訂共通日課(RCL)では聖霊降臨後の主日の旧約朗読箇所として、その日の福音の朗読との関連性を重視した従来の主題型に加えて、期節の主題に関連する比較的長い旧約の箇所を継続して読み進めることを目的とした通読型も選択肢として提示されています。しかし式文委員会で検討の結果、その日の福音の朗読との関連を重視し、引き続き主題型が採用されることとなりました。また日々の聖書日課について、改訂共通日課(RCL)に基づいて記載することとなりました。
 これまでのルーテル教会3年周期聖書日課は2020年版以降の教会手帳には記載されませんが、今後3年分については事務局で一覧表を作成し、各牧師に配信いたします。
 それ以降については、「青式文」の巻末に記載されている聖書日課表でご確認ください。(事務局)

ルーテル学院創立110周年記念一日神学校 こどもしんがっこう・TEENSプログラムのご案内

 恒例の幼児から小学生までのこどもを対象とした「こどもしんがっこう」、そして中高生世代を対象のTEENSプログラムが創立110周年記念となる今年の一日神学校においても開催されます。
 「こどもしんがっこう」では「きみにできること」をテーマに、大学や神学校の学生とともに、イエス様のなさったことを学び、自分達のできることを考えてみます。
 TEENSプログラムでは、JELC東教区教育部NEXTとNRK関東地区ジュニア・ユースとの共催として、「でぃあこにあ」(奉仕)をテーマに、JELA海外ワークキャンプ参加者の報告会やわかちあいプロジェクトスタッフによるワークショップを通して、今を生きる自分にとっての「でぃあこにあ」
について考えます。
 いずれも事前申し込み不要・当日受付となります。たくさんの子どもたち・ティーンズの参加をお待ちしています。

市ヶ谷会館大型修繕(耐震)工事に伴う過去の教会出版物の取り扱いについて

 本教会常議員会報告にもありますように、市ヶ谷会館の大型修繕(耐震)工事の計画が進んでいます。この計画に伴い倉庫を大幅に整理整頓する必要が生まれています。
 よって日本福音ルーテル教会の出版してきた様々な出版物について、アーカイブ(記録)として残すものについては5部程度とし、その残りについてはリストを作成し、広く各個教会に廉価ないし無償でお分かちしたいと考えております。また、これまで保管されてきた事務局の資料についても、必要なものについては電子データー化し、現物については整理することが必要になります。事務局にあります写真等も、同じ扱いとなります。あらかじめご承知おきして頂けますと幸いです。
        (事務局)

19-08-15神さまの平和

愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。 あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。 できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。   (ローマの信徒への手紙12・9―18)

 日本福音ルーテル教会では、8月の第1日曜日を平和の主日としています。私は牧師となって今年で15回目の平和の主日を迎えますが、毎年この主日を迎える時、平和とは何かについて考えさせられます。特に2011年、つまり東日本大震災が発生してからは、毎年被災地の平和について考えています。
 今から約8年5ケ月前に発生したこの震災によって15897名の方々が一度に天に召され、未だに2532名の方が行方不明です。(2019年6月10日警察庁調べ)そして、震災後に震災関連により天に召され方は3723名に上ります。(2019年3月31日復興庁調べ)また、仮設住宅等に避難されている方は50665名、内36674名の方が県外避難を余儀なくされています。(2019年6月11日復興庁調べ)
 あらためてこの数字を見る時、その数字の大きさに驚くと共に、その数字一つ一つに隠されたひとり一人の人生が私の平和への思いをより強くさせます。
 平和、それは、やすらかにやわらぐこと。おだやかで変わりのないことです。
 今から、約8年5ケ月前、東日本大震災の被災地では、この平和が一瞬にして奪われ、多くの人の命や人生も奪われてしまったのです。そして、遺された人たちの人生をも大きく変えてしまったのです。
 私はこの震災発生後、ルーテル教会救援派遣牧師としてルーテル支援センター「となりびと」で2年間、支援活動を担当しました。そしてその活動が終了してからは、個人的な支援・交流を含めて、毎年のように女性会連盟や東教区女性会の方々と共に「となりびと」の支援先を訪問しました。昨年は、夏休みを利用してはじめて個人的に訪問もしました。(詳しくはルーテル教会救援「となりびと」ブログlutheran-tonaribito.blogspot.comをご覧ください。2019年7月1日現在アクセス数364162)
 昨年6月、女性会連盟総・大会で報告の機会が与えられた時、その報告のために現地の支援先にお電話をし、仮設住宅に住まわれている方々がいよいよ災害復興公営住宅に入ることができるという福音に与かりました。皆さんにも沢山購入していただきました布草履を制作していた「石巻なごみ会」の方が住む仮設追波川河川団地の方々は、昨年6月9日(土)に災害復興公営住宅の新しい部屋の鍵を受け取り、順次引越しを開始されていました。この団地に住まわれる方々は、一つの学校としては最大の犠牲者(児童74名、教職員10名が死亡)を出した大川小学校校区の方々が住む仮設団地です。また、つるしびなを製作・販売していた雄勝「華の会」の方々が住む仮設追波川多目的団地の方々も昨年の7月末には災害復興公営住宅に入居することができました。昨年、自立再建の一部の方を除いて、「となりびと」の支援先の仮設住宅入居者は全員、災害復興公営住宅に入居できたのです。
 先日、今回の説教を担当するにあたり、支援先の方々にその後の生活についてお尋ねしました。そのお応えからは、今から約8年5ケ月前のあの出来事とは正反対のまさに、やすらかな、やわらぎのある、おだやかな生活、つまり、平和な日々を過ごされていることを私は、実感したのです。
 私は、この約8年5ケ月の間、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」のみ言葉により、被災地の方々と共にありました。そして、これこそが神さまの平和の在り方なのです。
 最後に昨年、雄勝「華の会」の方からいただいたお手紙(一部抜粋)を紹介し、この説教を閉じたい思います。

 「あの東日本大震災から7年がたちますが、長い年月、野口さまにはいっぱいご支援をいただき誠にありがとうございました。感謝でいっぱいです。私達お陰様で仲間と楽しくつくれることの幸せを感じました。失った物も大きかったが皆様方から暖かい心で見守ってくださり、どんなにか勇気づけられたことでしょう。いつまでも忘れることはないです。これからも頑張って生活していきます。なお、来石の際はお声をかけて下さい。華の会一同感謝しています。まずはお礼まで」

日本福音ルーテルみのり教会 牧師 野口 勝彦

19-08-10るうてる2019年8月号

説教「神さまの平和」

機関紙PDF

 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。 あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。 できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。                  (ローマの信徒への手紙12・9―18)

日本福音ルーテル教会では、8月の第1日曜日を平和の主日としています。私は牧師となって今年で15回目の平和の主日を迎えますが、毎年この主日を迎える時、平和とは何かについて考えさせられます。特に2011年、つまり東日本大震災が発生してからは、毎年被災地の平和について考えています。
 今から約8年5ケ月前に発生したこの震災によって15897名の方々が一度に天に召され、未だに2532名の方が行方不明です。(2019年6月10日警察庁調べ)そして、震災後に震災関連により天に召され方は3723名に上ります。(2019年3月31日復興庁調べ)また、仮設住宅等に避難されている方は50665名、内36674名の方が県外避難を余儀なくされています。(2019年6月11日復興庁調べ)
 あらためてこの数字を見る時、その数字の大きさに驚くと共に、その数字一つ一つに隠されたひとり一人の人生が私の平和への思いをより強くさせます。
 平和、それは、やすらかにやわらぐこと。おだやかで変わりのないことです。
 今から、約8年5ケ月前、東日本大震災の被災地では、この平和が一瞬にして奪われ、多くの人の命や人生も奪われてしまったのです。そして、遺された人たちの人生をも大きく変えてしまったのです。
 私はこの震災発生後、ルーテル教会救援派遣牧師としてルーテル支援センター「となりびと」で2年間、支援活動を担当しました。そしてその活動が終了してからは、個人的な支援・交流を含めて、毎年のように女性会連盟や東教区女性会の方々と共に「となりびと」の支援先を訪問しました。昨年は、夏休みを利用してはじめて個人的に訪問もしました。(詳しくはルーテル教会救援「となりびと」ブログlutheran-tonaribito.blogspot.comをご覧ください。2019年7月1日現在アクセス数364162)
 昨年6月、女性会連盟総・大会で報告の機会が与えられた時、その報告のために現地の支援先にお電話をし、仮設住宅に住まわれている方々がいよいよ災害復興公営住宅に入ることができるという福音に与かりました。皆さんにも沢山購入していただきました布草履を制作していた「石巻なごみ会」の方が住む仮設追波川河川団地の方々は、昨年6月9日(土)に災害復興公営住宅の新しい部屋の鍵を受け取り、順次引越しを開始されていました。この団地に住まわれる方々は、一つの学校としては最大の犠牲者(児童74名、教職員10名が死亡)を出した大川小学校校区の方々が住む仮設団地です。また、つるしびなを製作・販売していた雄勝「華の会」の方々が住む仮設追波川多目的団地の方々も昨年の7月末には災害復興公営住宅に入居することができました。昨年、自立再建の一部の方を除いて、「となりびと」の支援先の仮設住宅入居者は全員、災害復興公営住宅に入居できたのです。
 先日、今回の説教を担当するにあたり、支援先の方々にその後の生活についてお尋ねしました。そのお応えからは、今から約8年5ケ月前のあの出来事とは正反対のまさに、やすらかな、やわらぎのある、おだやかな生活、つまり、平和な日々を過ごされていることを私は、実感したのです。
 私は、この約8年5ケ月の間、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」のみ言葉により、被災地の方々と共にありました。そして、これこそが神さまの平和の在り方なのです。
 最後に昨年、雄勝「華の会」の方からいただいたお手紙(一部抜粋)を紹介し、この説教を閉じたい思います。

 「あの東日本大震災から7年がたちますが、長い年月、野口さまにはいっぱいご支援をいただき誠にありがとうございました。感謝でいっぱいです。私達お陰様で仲間と楽しくつくれることの幸せを感じました。失った物も大きかったが皆様方から暖かい心で見守ってくださり、どんなにか勇気づけられたことでしょう。いつまでも忘れることはないです。これからも頑張って生活していきます。なお、来石の際はお声をかけて下さい。華の会一同感謝しています。まずはお礼まで」
 日本福音ルーテルみのり教会 牧師 野口 勝彦             

コラム「直線通り」久保綾奈

⑰ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。すると、主はいわれた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」(使9・10)
 
 アメリカ留学を考える生徒から相談があるといわれ、何事かと思いました。留学したこともなく、アメリカに行ったこともないわたしを選んで相談したいとは。人選ミスも甚だしいと思いながらも話を聞くと「アメリカで使う英語名を先生につけて欲しいんです」と。しかも聖書の中から選んで欲しい、とのこと。「わたしに似ている聖書の人物っていますか?」と聞かれました。
 嬉しい相談でした。生徒はクリスチャンではありませんが、学校でキリスト教に出会えたことに神様の導きを感じていました。礼拝も聖書の授業も好きなことは知っていましたが、聖書に自分を重ね合わせながら読み、自分自身を見つけたがっていたことに心が震えました。またこの生徒の姿勢は、大切なことを思い出させてくれました。
 わたしには洗礼名があります。それは使徒言行録9章の「アナニア」で、直線通りにあるユダの家にいたパウロに恐れつつも逢いに行き、祝福し、目を見えるようにした人物です。わたしはパウロのように大きなことはできない、でもパウロのような神様の選んだ器を導く人になりたかったのです。
 候補をいくつか上げ、生徒は少しの時間考えてから「パウラがいいな」(パウロの女性形)と言いました。
 キリストの声に応えて「直線通り」を行き、ユダの家に入ったアナニアの気持ちを追体験する思いがしました。世界に羽ばたく生徒を後押しできる喜びを、このような形で神様が与えてくれるとは。神様の与えてくださる喜びはバラエティに富み、これほど豊かなものかと実感し、わたしの目からもウロコが落ちました。

るうてる法人会連合第13回総会開催のご案内

■2019年8月22日(木)13時~
      23日(金)13時
■ルーテル学院大学(東京都三鷹市)
■主題 「ルーテルを語ろう」
■基調講演講師 宮本新牧師
      (日本ルーテル神学校)
 正会員登録費    2,000円
 正会員以外の参加費 1,000円
 参加申込締切  7月26日(金)
 問い合わせ・申し込み先 
るうてる法人会連合事務局
(日本福音ルーテル 教会事務局)
※詳細はJELCニュースブログ  jelc-news.blogspot.comをご覧ください。

「議長室から」総会議長 大柴譲治

6月18日に西地域教師会で福山教会を訪ねました。私の初任地でしたので懐かしく瞬時に様々なことを思い出しました。福山教会にとっては今回4人の歴代牧師が一堂に会するという歴史的な瞬間となりました。松木傑(1979~1986)、大柴譲治(1986~1995)、鈴木英夫(1995~2000)、加納寛之(2017~現在)という4人並んだ姿の中に、歴史を貫く神の複数共同牧会の御業が可視的に示されていたと思われます。
 福山教会の聖具庫に1枚の碑文のコピーが飾られていました。「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」。(写真下)広島市平和記念公園の記念碑の言葉です。それは当時「西教区・平和と核兵器廃絶を求める委員会(PND委員会)」の活動を通して毎年5月に開催された「広島平和セミナー」の中で得たものでした。これは誰が誰に向かって語った言葉なのでしょうか。私はこう思います。「安らかに眠ってください」と祈るのは碑文の前に立つ私たち自身です。そこで覚えられているのは直接的にはヒロシマ・ナガサキで原爆の犠牲となった人々のことでしょうが、同時にそれは先の戦争で無念のうちに生命を奪われたすべての人を指していると受け止めています。戦争という「過ち」を私たちは決して繰り返さないという「罪の告白」であり、平和と和解の実現のために私たちはその責任を担ってゆきますという「信仰の告白」なのです。古財克成牧師からだったでしょうか、広島平和セミナーの中で「昭和天皇の軍隊」の名の下に行われた太平洋戦争の犠牲者数が「日本では240万人、アジア諸国ではその10倍」と学び衝撃を受けたことを思い起こします。「敗戦記念日」である8月15日はアジアでは「解放記念日」であり、韓国では「光復節(クァンボクチョル)」と呼ばれています。今JELCはアジア宣教を視野に入れていますが、私たちはアジアの脈絡の中でこれまでの歴史を深く心に刻みつつ、和解と平和の実現のためにキリスト者として託されている使命を担ってゆきたいと願っています。「壁」を作ることではなく「橋」を架けてゆくことが求められています。これまでアジアとのネットワークのためにコツコツと努力してこられた方々の貴い働きを覚えます。
 神は人々の「無念の声」に耳を澄ませ、「我が民の叫びを聞けり」と告げてくださるお方です(出エジプト3・7)。「何ということをしたのか。あなたの弟の血が土の中から私に向かって叫んでいる」(創世記4・10、聖書協会共同訳)。神は平和のために私たちをどのように用いてゆかれるでしょうか。「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」。初任地以来、この声は私の中で通奏低音のように、時空を超えた鎮魂の声として響き続けています。

サウスカロライナ・シノッド総会、ELCA本部を訪れて 八木久美 (世界宣教委員・むさしの教会)

5月28日から6月5日にかけて牧師8名と信徒1名一行がアメリカ福音ルーテル教会(ELCA)のサウスカロライナ・シノッド(SC)総会出席と世界宣教局シカゴ本部訪問を目的に渡米しました。到着翌日に訪れた神学校は自然豊かなキャンパスの中、24時間開放型図書館やトレーニングマシン・エリア、談話・自習空間がゆったりと確保されて神学生の感性や特性を伸ばす全人教育が可能となる環境に感銘を受けました。陽気にリュートを奏でるルター像の前で写真を撮ったその足で向かったタボル山教会では、八王子教会の創成期から長く御用をされたジェリー・リビングストン宣教師とジャニス夫人が「10年以上日本語を話していません」と流暢な言葉と柔和な笑顔で歓迎してくださいました。
 第32回総会―SC教会共同体第194回大会『Joining God in the Neighborhood~隣人たちの中で神と交わる』の初日では、「日本からの仲間を歓迎します」と驚きの中一行が登壇を促され紹介を受けました。 総会は諸報告と協議進行の随所に祈りと賛美が組み込まれており各教会代議員・教職の投票等は端末を用いて時間短縮と作業の軽減化が顕著でした。
 聖餐夕礼拝はハーマン・ヨース監督の説教と大柴譲治総会議長・浅野直樹世界宣教主事が司式・配餐を担われました。開期中のリフレッシュタイムとして選択制で映画「The Hate U Give」「Won’t you be my Neighbor?」を鑑賞後に「コミュニティ、隣人、人種主義、大量消費社会での子どもとの対話」などの討論タイムや夕食後の自由参加でBeer & Music sessionが用意されていたことや、女性会・男性会・青年会・海外宣教・教育などの 諸機関・運動体ブースの充実が印象的でした。
 総会を終えてチャールストンへ移動、米国内で最古(270年以上)のセントジョーンズ教会と旧奴隷市場を見学。お世話になったボニー&フランク・ボウグナイト夫妻へ別れを告げシカゴへ移動しました。
 ELCA世界宣教局シカゴ本部では石田フランクリン順孝アジア太平洋州部長が各部署を案内してくだり、南米・アフリカ・アジア各国からの教職・職員とのトークショウに参加。西川晶子牧師(室園教会)、野口和音牧師(松本・長野教会)はじめ日本の若い牧師たちがパネリストとして参加、各国の宣教状況の違いや信徒人口減少への教会としての取り組みなどを共有できました。
 渡米2日目に神学校の庭で見た「円形の迷路 ラビリンス ウォーク」は、歩く瞑想・黙想として迷路を進む過程で『3つのR、リリース・中心へ向かいながら心身の開放、レシーブ・中心で体験を受け取る、リターン・外へ戻る』を体感できるものと言われていますが、振り返ると今回の訪問が正しくその道程であった恵みを覚えます。
 主なる神と、準備をしてくださったアメリカ福音ルーテル教会サウスカロライナ・シノッド、ELCA世界宣教局シカゴ本部、訪問団関係各位に感謝いたします。

賛美歌と私たち②「サンビカ」とは? 小澤周平 (名古屋めぐみ教会牧師)

 私たちは普段、式文以外の「礼拝で用いる歌」を「サンビカ」と呼びます。でも、これはキリスト教会の常識ではありません。なぜなら、「聖歌」や「ワーシップソング」など他にも呼び方があるからです。ちなみに、ルーテル教会にゆかりのある諸外国を見てみると、例えば、アメリカのルーテル教会(『ELW』)では「ヒム」とあり、これは賛美歌とも聖歌とも訳せる語。ドイツや北欧諸国においては、礼拝用の歌集の呼び方は「歌の本(詩の本)」です。
 実は、私たちが「サンビカ」と呼ぶのは、私たちの継承した信仰が「サンビカ」のルーツにあるからです。その歴史は、佐賀での宣教開始までさかのぼります。JELCの『百年史』によれば、当時、礼拝で使った歌集は、『讚美歌 全』(1881年、日本基督一致教会系)、あるいは、『新撰讃美歌』(1888年、一致教会系と組合教会系の共通歌集)を含むと推定されます。小さな群であった当時のルーテル教会は、プロテスタント教会の超教派の取り組みとしての「サンビカ」の流れに沿って礼拝を整えていきました。
 このような歴史を尊重し、日本基督教団讃美歌委員会の見解や研究者(原恵や水野隆一)の意見を参考にして、本連載では「礼拝で用いる歌」の一般名を「賛美歌」と表記します。特定の歌集名を指す場合はそれらの名前で記します(例、『讃美歌』や『教会讃美歌』)。
 現在の日本で、賛美歌は広く市民権を得たことでしょう。クリスマスソングや結婚式場での一こまを思い出すと、賛美歌が日本文化に溶け込んでいるとわかります。実に奥が深い話。それでは、日本のルーテル教会独自の歌集の歴史は?調べてみると興味深い資料が。それは、佐賀から遠く離れた諏訪での話…(続く)

ブラジル伝道の区切りと将来(3) 徳弘浩隆

〈1 0年にわたるブラジル・サンパウロ教会での宣教師派遣から日本へ戻られた徳弘浩隆牧師よりブラジル伝道についての報告をご寄稿いただきました。今回はその第3回・最終回です。〉
4 将来
 ブラジル人牧師にバトンタッチしましたが、他教派の日系教会もそうですが、言葉の壁、文化の壁、感受性の違いは殊に教会の中では大きく響きます。より良く折り合い、日本の伝統も守りながら日系教会が発展するよう祈っています。
 翻って日本に目を向けると、ここにも日系ブラジル人がたくさんおられますし、再度増加中です。4月からは「外国からの労働人材」受入れも大幅に増え、変化の時代に入ったようです。異国で言葉や労働条件で苦労をし、家族内でも言語の壁ができ、不就労や不就学の子どもたちの苦労もあります。外国人支援は行政では手が回らず大変と聞きますが、世界中にネットワークがある教会なら、すぐにでもできるはず。彼らの出身国からルーテルの牧師を招いて共に働けばよいのです。
 私は帰国赴任後、岐阜市と大垣市でブラジル人のお店やレストラン、学校を訪ね始めました。在日ブラジル人のための就職情報新聞を作っている会社の方も帰国した私に会いに大垣教会を訪ねてくれ、「外国人材の方々への日本語学習の支援、子どもたちの支援が、彼らの幸せな生活のために必須だ」と意気投合しました。
 外国人材抜きでは日本社会は機能しない時代だそうです。ならば教会の中にも、率先して外国人を招き、共生していくのが理想ではないでしょうか。教会も信仰も豊かにされるはずです。ブラジルのルーテル教会の中に正式に日系教会があるように、日本のルーテル教会の中にブラジル人コミュニティができたらどんなに良いでしょう。英語礼拝や英語コミュニティは既にあるのです。日本で日系人牧師が生まれ、交換牧師として働くことも夢でないかもしれません。
 そんな夢をもって、従来の教会の働きに取り組みながら、ブラジルの日系教会の支援も続け、国内で外国人と出会い支援や伝道もしていきたいと願っています。JELCのブラジル伝道の歴史とあゆみが、今の社会のニーズに合わせて、そんな形で広がるのも神様のご計画なのかもしれません。

第10回日韓NCC協議会報告 小勝奈保子(聖パウロ教会牧師)

 第10回日韓NCC協議会が5月28~31日、在日本韓国YMCA(水道橋)で開催されました。1日目は開会礼拝と総幹事報告、2日目は基調講演として「北東アジアの平和構築と日韓教会の役割・韓半島の非核化と市民国家」と題し、イ・キホ氏(韓国神学大学、平和教養大学)、続いて「近代日本のナショナリズムと日韓関係構築への課題と展望・エキュメニカル運動の視点から」と題し、山本俊正氏(関西学院大学)が発題されました。午後はパネルディスカッション形式で「平和構築と教会の役割」と「移民・難民問題」をテーマに話し合われました。3日目は4つの分科会「原発・非核化問題」、「日韓関係と教会」「教会の問題・課題」「ジェンダー」に分かれてグループディスカッションを行いました。午後は全体討議と声明文作成に関する討議が行われました。4日目は声明文の採択と閉会礼拝で終了となりました。
 心に残ったことは、在日キリスト者たちが日本社会の中で様々な差別に出会いながらも、自己のアイデンティティを確立し、韓国と日本との橋渡しとして平和構築のために対話の努力を重ねてきたことです。北東アジアの平和に関しては、日本の戦争責任の曖昧さが信頼を損なう要因になっています。また、加害者責任を学ぶ機会を得なかったために、他者の人権を侵害していることに気づかない、それは現代の社会問題、DV、虐待、いじめにも通じます。更に、外国人の就労問題を考えますと、人権が重んじられず不当な搾取が行われています。人権に基づく法整備と社会政策を展開する必要がありますが、必ずしも国家にとっては都合のよい制度の構築ではありません。ひとたび内政に混乱が生じれば、外国人、そして、私たちの人権は守られるのでしょうか。韓国の人々が徴用工に関して声を上げていますが(日本社会の中には今さら過去を蒸し返してもという声も聞かれますが)、日本の国策の行方を日本人以上に韓国の人々が敏感に感じ取っているからなのでしょう。内側からは見えない外側から指摘されることによって、「ああ、やっぱりそうなのか」と、改めて自国の課題を認識する機会となりました。

池田礼拝堂仕舞にあたって 髙井 康(帯広教会)

 十勝ワインの町として広く知られている池田町は十勝平野中央よりやや東に位置しています。かつては十勝第2の町として活気に満ちあふれていましたが、例に漏れず少子高齢化の波にのまれ、現在は人口7千人の町となっています。
 戦後まもなく家庭集会から発展した池田教会は63年にわたり、時代の流れと共に歩んで来ました。折々に様々なプログラムが実行され、子どもをはじめ多くの方々が恵みに与り、特にバザーには管内各地から大勢の方が足を運んで下さっていました。小高い場所に建つ教会は、四季折々美しく変わりゆく自然に調和し、夜には十字架のイルミネーションが人々の心を一時の安らぎへといざなってくれていたように思います。
 このように地域に根ざし、多くを語っていた教会が今閉じられると思うと寂しさを禁じ得ません。しかし、これも神の時なのだと理解できます。
 仕舞いに向けての作業は祈りの内に進められており、6月30日が最後の合同礼拝となりました。地域の新聞にも取り上げられ、多くの方がご参集下さいました。礼拝後の交わりでは、和やかな雰囲気の中で旧交を温め合う姿が随所に見られ、幸いな一時となりました。
 今後は8月25日の礼拝を最後に礼拝堂の解体、ステンドグラスの帯広礼拝堂への移築が予定されています。この池田教会のシンボルを見るにつけ、歴代牧師・宣教師そして信仰の先輩達の祈りと尊い労が思い起こされ、今の時を生きる私たちの責任を痛感させられます。
 時代そして状況の変化により、集会の有り様も変化せざるを得なくなりました。《二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。》(マタイ18・20)のみ言葉にあるように、建物を手放しても今後も実施可能なところで集会を続けてゆきたいと願っています。設立当初の志を継承し、帯広を拠点とした今後の宣教の展開を覚え、これまで同様に道東の新たな歩みのためにお祈り頂ければ幸いです。栄光在主。

第28期第4回 本教会常議員会報告 滝田浩之(日本福音ルーテル教会事務局長)

 6月10~12日、市ヶ谷センターを会場に行われた標記の件について、主なトピックをご報告いたします。

1 ハラスメントの学び
 フェミニストカウンセリング東京の与語淑子先生を講師に「二次被害を防ぐために、相談窓口の心得」として常議員会としては4回目の学びを実施しました。ワークショップ形式で事例をもとに、相談者、行為者、相談窓口、それぞれの気持ちの動きなどを5つのグループに分かれて体験する機会となりました。先入観を持たないことはできないけれど自分の先入観の傾向を知っておくべきこと、相談を受けた者が拙速にハラスメントと認定しないで客観的に相談者からの聞き取りを行うことの大切さを学ぶことができました。
 ハラスメントは相談者の不快、あるいは不当であるという認識が最も尊重されるべきではあるが、調査委員会によってすべてがハラスメントを認定されるものではないことなど実際の取り組みの中で起こるケースも分かち合われました。
 次回常議員会までに、フェミニストカウンセリング東京の監修のもと、規程を事務局にて提案することが承認されました。規則が承認される前に起こるケースについては、これまで通り各教区常議員会が対応しますが、これまで学んだ他教派の事例等も参考にしながら本教会常議員会として対応していくことも確認されました。

2 市ヶ谷会館将来検討委員会
 設計事務所のリーダーシップのもと、耐震工事実施を円滑に進めるために施工業者の選定作業が行われました。3社のプレゼンテーションを受けて、浅沼組のリフォーム専門チームが選定されたことが報告されました。今後、浅沼組と技術支援業務契約を行い詳細な工事工程、実施見積もりを作成、これをベースに総会にて実施計画が提案されることになります。

3 ACT・JAPANフォーラムへの参加について
 ルーテル世界連盟(LWF)と世界教会協議会(WCC)によって組織された国際援助連合体であるACTアライアンスが、2018年総会で地域毎のナショナル・フォーラムに権限を移譲する方針を決定したことを受けて、JAPANフォーラムが日本キリスト教協議会(NCC)を中心に立ちあげられることとなりました。このACT・JAPANフォーラムに日本福音ルーテル教会も参加することが承認されました。災害発生時の緊急対応と共に、毎年のように起こる災害に対して日頃から各教派の連絡を密に行い備えることを目的としています。これまで各地の災害で協力してきた経験を通して、日常の地域の超教派の牧師会や共同のクリスマス会などで顔を合わせた関係があると、いざという時にそこでの信頼が支援活動のベースとして働くことが分かっています。これらのすでにあるネットワークに働きかけを行うところから活動が開始される予定です。

4「天皇『代替わり』関連行事に関する見解」
 社会委員会の作成してくださった標記の「見解」を本教会常議員会として承認しました。またそれに伴い、11月に行われる大嘗祭にむけて日本福音ルーテル教会として声明をだすことが承認されました。社会委員会に案の作成を依頼しました。

5 オープンセミナリーについて
 神学教育委員会とルーテル神学校の共催で、10月13~14日、ルーテル学院大学を会場に「オープンセミナリー」を開催することが承認されました。今後、少なくとも5年継続して開催することになります。神学校を身近に感じて頂いて、神学生あるいは教会関係施設の働き人の育成を目的としています。
6 戒規執行に伴う責任者減給の件
 日本福音ルーテル教会の現役教師が戒規に付されたことを受けて、組織としての再発防止への決意、また戒規を受けた者との連帯のため総会議長、副議長、事務局長、当該教区長の給与の減額(3か月)を決定しました。
以上、ご報告いたします。詳細は常議員会議事録にてご確認ください。

ご協力感謝。未来につなぐカンナリレー。

宗教改革500年を契機に「お互いがお互いを想う心で平和をつなぐ」ため、被爆地ヒロシマにいち早く咲いた平和のしるしである赤いカンナを育て、分かち合う歩みに連なりました。
 2017年11月23日に長崎のカトリック浦上教会で行われた共同記念の折に、和解のシンボルとして参加者に配布されたカンナの球根は全国津々浦々に植えられました。大きく育つものもあればそうではないものもあり、各地から届けられる生育の様子をホームページでも紹介してきました。
 2度の開花の時期(およそ2年)を過ぎる今年11月中旬には、球根を掘り出していただき、株分けして半分ほどをお送りいただきたいと思います。残りの半分は、改めて植えていただいてかまいません。お送りいただいた球根は、さらに他の場所で平和のしるしとして咲かせるために植えられます。送付先や送付手順については、改めて案内をいたします。(広報室)

ルーテル学院創立110周年記念 一日神学校のご案内

石居基夫(日本ルーテル神学校校長
【ディアコニアのこころと実践】
 110周年を迎えた、今年の一日神学校のテーマは「ディアコニアのこころと実践」。大学と神学校は、三鷹に移転してからの50年、社会福祉や臨床心理の分野に教育の幅を広げて来ましたが、その原点に「ディアコニア」があるのです。
 ディアコニアとはギリシャ語で「仕えること」という意味ですが、教会による地域社会の人々のための福祉的働きのことを表します。福祉国家として知られる北欧の国々は、ドイツに始まるルーテルのディアコニアを社会の中にしっかりと位置付けて来たのです。
 その「ディアコニア」を日本の中に展開したい。そんな願いが、三鷹移転後のルーテル学院に新しい展開を起こしました。
【教会の宣教の広がり】
 ルーテル教会は、日本宣教の当初からキリストを伝える宣教を、教会による伝道活動のみでなく、広く日本社会の中に教育と福祉の働きを展開しながら、推し進めて来ました。
 特に、1920年代には、熊本には慈愛園、東京でも東京老人ホームや母子生活支援施設のベタニヤホームが始められます。社会の中で具体的な困難を抱える方々と共に生きる社会を実現する社会福祉を、キリストの福音宣教の業として取り組んできたのです。
 そして、全国に広がっていく教会においても、幼稚園や保育園が建てられていくのです。
【地域社会に生きる人々のために】
 ルーテル学院は、この教会の大きな宣教の働きに応えるよう、地域社会において様々な困難、苦しみを抱えて生きる人々に向けて、具体的援助を作り出し、働く人材を養成して来ました。それが、すべての人にキリストの福音をもたらす宣教に仕えることと考えたからです。

 9月23日に行われる今年の一日神学校では、このルーテルの「ディアコニア」とは何かを学び、また、実践教育に力を入れて来た本学の福祉・心理教育の原点を皆さんと共に考えたいと思っています。
 どうぞ、一日神学校においでください。

19-07-15時の中にある神の導き

「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある」
コヘレトの手紙3.1

3年前の熊本地震では、篤い祈りとご支援が寄せられましたことを感謝いたします。すっかり、熊本教会も、元気な姿に戻り、水道町交差点の行き交う人々や車の動きを見守るように、しっかりと、ここに建っています。あの4月16日深夜に起こった2度目の地震・本震の時、私は、てっきり木造の会堂が倒壊したと思ったのでした。事実、この近所では鉄筋コンクリート建物や家屋の倒壊がありました。第二次世界大戦も終わろうとする1945年7月1日未明、空襲でこの熊本市内中心部、水道町一帯を含めて、焼け野原になったのです。

 現在、この地域では、戦前・戦後の建物として残っているのは、熊本教会と隣の手取カトリック教会の他はありません。それですから、すぐ飛び起きて教会を確認しました。幸いなことに、木造であったことがよかったのか、しなやかに強い揺れに耐えたのかもしれません。その代わりに塗壁は崩落し、これまで見つからなかった雨水による柱の腐り、建築当初の白アリ被害が露見しました。聖壇で金色に輝く十字架も、大きな説教台も落下し、会堂の後方にかかって居た時計も落下し、「1時25分」をさしたまま、記念の時計として残っています。

 聖書は私たちにすべてに「時」があることを教えます。地震が起こったように、人生にも、受け止めることができないことがあります。これまでの歩みから、歩んだことのない歩みへと変えられることが起こります。そして、今立っている場所を見失うことさえあります。筋の通った理解もできず、理屈が通らないこともしばしばあるのです。解決することや、答えを見つけることさえできないで立ちすくむばかりです。
 「とき」と私たちが口にするとき、受け止める感覚は人それぞれでしょうが、しかし、不思議なもので、時間が経って、起こった出来事を受け止めた時に、よくても悪くても、「ふさわしい時間」だったのだということを教える言葉にもなるのではないでしょうか。もちろん、今でも、つらく、悲しみを持ちつつ歩むこともあります。
 地震後1年のあいだ、修復もできずに、何もできない時間が過ぎました。「時」は止まったままでした。ブルーシートで屋根を覆ったままでした。しかし、実に幸いなことに、一番ふさわしい施工業者が与えられました。
 震災による教会修復の経過の中で、私の気になっている「時計」があります。これは前田貞一先生も気にかけていた時計です。熊本教会の「教会七十五年のあゆみ」(昭和48年10月2日発行)に石松量蔵先生がこんな文章を残されています。

 「熊本の大空襲は七月一日の夜更けであった。その日はあだかも日曜日、・・・途中教会の前を通った時教会の消失もやっと知った位、その後会堂の後の壁にかかって居た二米ちかくもあるロシア捕虜兵の記念の大時計も運命を共にした事を特に淋しく感じた。」(「熊本教会堂焼失の事」)。また同じく「教会七十五年のあゆみ」の中で他の方も次のように記しています。「七月一日 七十五周年記念として大、山口、許田の三人は教会のために時計を寄附した。(昭和48年)今会堂の後方にかけてある。旧会堂にも後方中央(玄関上がって頭上)に大時計がかかっていた。あれは明治三十七、八年(1904―5年)日露戦争のロシア人捕虜のうちルーテル教会員の三十数人が日本を去る時の記念の時計であったが空襲のおり教会堂と共に焼失した。」(「熊本教会略史」・ロシア人捕虜とは当時ロシアの支配下にあったフィンランド人兵士。)

 会堂修復を契機として、これに近い古時計を入手し、玄関部に、設置しました。教会員にとっても、私にとっても、「時」やこれまで刻まれた「歴史」や「教会で生活をした人々の生活のこと」を忘れないためです。うれしかったことも、悲しかったことも、みんな神のみ手の中で、まなざしの中で、過ごした時間だったということ思い起こし忘れないためです。

 信仰をもって生きるということは、生活の中で起こる出来事を、神の視点で見つめることであり、たった一人でとらえるのではないということではないでしょうか。
 神さまの祝福が豊かにありますように。

日本福音ルーテル熊本・玉名教会 牧師 杉本洋一

19-07-10るうてる2019年7月号

説教「時の中にある神の導き」

機関紙PDF

「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある」 コヘレトの言葉3・1
3年前の熊本地震では、篤い祈りとご支援が寄せられましたことを感謝いたします。すっかり、熊本教会も、元気な姿に戻り、水道町交差点の行き交う人々や車の動きを見守るように、しっかりと、ここに建っています。あの4月16日深夜に起こった2度目の地震・本震の時、私は、てっきり木造の会堂が倒壊したと思ったのでした。事実、この近所では鉄筋コンクリート建物や家屋の倒壊がありました。第二次世界大戦も終わろうとする1945年7月1日未明、空襲でこの熊本市内中心部、水道町一帯を含めて、焼け野原になったのです。現在、この地域では、戦前・戦後の建物として残っているのは、熊本教会と隣の手取カトリック教会の他はありません。それですから、すぐ飛び起きて教会を確認しました。幸いなことに、木造であったことがよかったのか、しなやかに強い揺れに耐えたのかもしれません。その代わりに塗壁は崩落し、これまで見つからなかった雨水による柱の腐り、建築当初の白アリ被害が露見しました。聖壇で金色に輝く十字架も、大きな説教台も落下し、会堂の後方にかかって居た時計も落下し、「1時25分」をさしたまま、記念の時計として残っています。
 聖書は私たちにすべてに「時」があることを教えます。地震が起こったように、人生にも、受け止めることができないことがあります。これまでの歩みから、歩んだことのない歩みへと変えられることが起こります。そして、今立っている場所を見失うことさえあります。筋の通った理解もできず、理屈が通らないこともしばしばあるのです。解決することや、答えを見つけることさえできないで立ちすくむばかりです。
 「とき」と私たちが口にするとき、受け止める感覚は人それぞれでしょうが、しかし、不思議なもので、時間が経って、起こった出来事を受け止めた時に、よくても悪くても、「ふさわしい時間」だったのだということを教える言葉にもなるのではないでしょうか。もちろん、今でも、つらく、悲しみを持ちつつ歩むこともあります。
 地震後1年のあいだ、修復もできずに、何もできない時間が過ぎました。「時」は止まったままでした。ブルーシートで屋根を覆ったままでした。しかし、実に幸いなことに、一番ふさわしい施工業者が与えられました。
 震災による教会修復の経過の中で、私の気になっている「時計」があります。これは前田貞一先生も気にかけていた時計です。熊本教会の「教会七十五年のあゆみ」(昭和48年10月2日発行)に石松量蔵先生がこんな文章を残されています。「熊本の大空襲は七月一日の夜更けであった。その日はあだかも日曜日、・・・途中教会の前を通った時教会の消失もやっと知った位、その後会堂の後の壁にかかって居た二米ちかくもあるロシア捕虜兵の記念の大時計も運命を共にした事を特に淋しく感じた。」(「熊本教会堂焼失の事」)。また同じく「教会七十五年のあゆみ」の中で他の方も次のように記しています。「七月一日 七十五周年記念として大、山口、許田の三人は教会のために時計を寄附した。(昭和48年)今会堂の後方にかけてある。旧会堂にも後方中央(玄関上がって頭上)に大時計がかかっていた。あれは明治三十七、八年(1904―5年)日露戦争のロシア人捕虜のうちルーテル教会員の三十数人が日本を去る時の記念の時計であったが空襲のおり教会堂と共に焼失した。」(「熊本教会略史」・ロシア人捕虜とは当時ロシアの支配下にあったフィンランド人兵士。)
 会堂修復を契機として、これに近い古時計を入手し、玄関部に、設置しました。教会員にとっても、私にとっても、「時」やこれまで刻まれた「歴史」や「教会で生活をした人々の生活のこと」を忘れないためです。うれしかったことも、悲しかったことも、みんな神のみ手の中で、まなざしの中で、過ごした時間だったということ思い起こし忘れないためです。
 信仰をもって生きるということは、生活の中で起こる出来事を、神の視点で見つめることであり、たった一人でとらえるのではないということではないでしょうか。
 神さまの祝福が豊かにありますように。
日本福音ルーテル熊本・玉名教会 牧師 杉本洋一 

コラム直線通り 久保彩奈

⑯「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」(ヨハネによる福音書6・9)

 学校にいて「わたしはなんて無力なのだろう」と打ちひしがれる瞬間があります。生徒たちとかかわる中で「教師」という仕事の限界に、またわたし自身の限界に向き合わざるを得ないのです。
 かつて非常に困難な状況におかれた生徒がいました。生徒本人の力、わたしの力ではどうしようもない状況に、ただ寄り添うしかできませんでした。また、何もできない無力さを感じながらも、どこかで自分なら助けてあげられるかもしれないと思い上がっていたことにも気付かされ、激しく打ちのめされました。
 卒業後しばらくして、その生徒から連絡がありました。久しぶりに再会し「先生、ずっと会いたかった」と言われ、思わず涙がこみ上げました。元気に、なんとか生き抜いてくれて本当に良かった、ただそれだけでした。「あの時は何もできなくてごめんね」と言うと、「わたしは、先生が話を聞いてくれただけで十分でした」と。何年もくすぶっていた悔しさや後悔が、ゆっくり溶けていくような気持ちになりました。また同時に冒頭の聖句を思い出しました。
 少年が差し出した食べ物を見て、弟子たちは「何の役にも立たないでしょう」と言いました。しかし、それさえもイエスは用いて祝福し、みんなで共に食します。それを人びとは「奇跡」と受け止め語り継ぎました。少年は、自身の精一杯をイエスに受け止めてもらえて、嬉しかっただろうな。
 わたしも、わたしの精一杯を差し出し、できることであれば「役に立たないなんて、そんなことないよ」というイエスの声を聞きたいのです。そして、わたしの小さな精一杯の積み重ねが、誰かを生かす働きとして用いられることを願い、委ね祈りながら生きる者でありたいと思うのです。

第1回オープン・セミナリー

2019/10/13(日)-14(月・休)
日本ルーテル神学校(東京・三鷹市)にて
●参加定員10人
●参加費無料・交通費補助あり
 牧師の働きや教会関連施設での働きに関心を持つ方々が集まり、これからの教会のあり方について共に学び、生き方と信仰について分かち合うプログラムです。参加希望者は、所属教会牧師からの推薦とともに各教区長にお申し込み下さい。
●申込締切9月8日 
 ※詳細は各教会牧師までお問い合わせ下さい。 

議長室から 総会議長 大柴譲治 

爲ん方つくれども希望を失はず」文語訳コリント後書(2コリント)4・8
 「レジリエンス」という語があります。本来はバネの復元力を意味する語でしたが、そこから「逆境力」とか「折れない心」とも訳されるようになりました。私はそれを「七転び八起き」と理解しています。この言葉は1995年の阪神淡路大震災以降に次第に日本でも用いられるようになってきましたが、特に2011年の3・11以降は大切な概念として強調されるようになりました。しぶとくしなやかに「再起する力」を意味します。
 復活のキリストを信じる信仰は、私たちに究極的なレジリエンスの力を備えてくれるのだと思います。パウロは言います。「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」(ローマ5・3b―4)。苦難を耐えるためにはどうしても希望が必要です。ヴィクトール・フランクルも言いました。強制収容所で最初に倒れていったのは体力のない身体の弱い人たちではなく、希望を見失った人、絶望した人たちであったと(『夜と霧』)。希望がなければ私たちは片時も生きられません。パウロは別の言い方でもそれを表現しています。「爲ん方つくれども希望を失はず」と。なぜか。復活の主が私たちを捉えていてくださるからです。復活されたキリストこそが私たちの希望です。
 私たちの内外の現実世界では様々なことが起こります。私たちは心が引き裂かれるような悲嘆や断腸の思いを体験します。しかしそのような中にあっても私たちは復活のキリストを見上げるのです。すべてをその希望の光の中で見ることが許されている。それが私たちの慰めです。「地の塩」「世の光」としてのキリスト者の使命とは、この暗い世界の中でこの希望の光を証しし続けることでありましょう。
 ある米国人の研究者からレジリエンスには3つの重要な要素があると聞いたことがあります。�@明るい性格、�A1人でよいので傍に自分の思いを聴いてくれる人を持つこと、�B温かい共同体に属すること、の3つです。なるほどと思いました。暗い性格よりは明るい性格の方がより逆境力は強いでしょうし、自分のありのままの気持ちを受容してくれる人が傍にいる人の方がいない人よりもレジリエンスは強いと言えます。互いに厳しく裁き合う集団に属するより相互に支え合う温かな集団に属する者の方がその力は高いのです。そのような意味でも現代社会の中で私たちの教会が共同体として果たすべき役割は小さくないと思います。聖霊なる神がその豊かな力を注ぎ、それぞれの場で私たちを希望の証人として用いてくださいますように祈ります

キッズケアパークふくしまのこれから 〈日本ルーテル教団(NRK)が中心となって始められた、毎月福島市で子どものための遊び場の運営を行っている「NPO法人キッズケアパークふくしま」の今を、理事長の栗原清一郎さんよりご寄稿頂きました。〉

 皆様にはいつもご支援とお祈りをいただいていますことを感謝申し上げます。
 おかげさまでこの5月18日には、第56回目の子どもあそび場を、大変楽しく終了することができました。
 終了時間になったとき帰りたくなくて泣き出す子どもがいたり、帰り際にボランティアの高校生のお姉ちゃんをぎゅっと抱きしめて、またね!と言って帰る子どもたちを見ていると、この活動を続けてきたのが報われるような気がします。
 今年、高校1年生になりボランティアとして参加している生徒さんたちは、原発大事故の2011年3月にはまだ小学1年生でした。まだまだ放射線の悪影響を受けやすい時期にかなりの被ばくをしています。その悪影響が現れないことを願いつつ、その子どもたちが元気に楽しく幼い子どもたちと遊び世話をするのを見ると嬉しくもあり、これからも健康であることを祈らざるを得ません。
 政府はオリンピックのソフトボールと野球を福島で行い、聖火リレーも福島からスタートすることにし、福島の風評被害を一掃し、原発事故からの完全復興を世界に向けて発信したいようですが、福島は復興からはまだまだ程遠い状況です。
 このような状況の中で真の復興につながるキッズケアパークふくしまの活動はどうあるべきかを話し合いました。
 今福島県には中国、フィリピン、ベトナム、韓国、ネパール、などの国々からの人々が増えています。 福島大学教授の菅家礼子先生の教えを受け、あそび場は全人教育の場だと理解し活動を進めてきましたが、これからの時代を生きていく子どもたちのためには、ますます国際化する時代を考えて、国際全人教育の場を意識していこうということになりました。
 子どもたちが、肌の色が違っても、言葉が違っても、ハンディキャップがあっても、同じ仲間なのだと自然に受け入れるような場にしていきたいと思っています。そのためには親たちもそうする必要があります。一歩一歩進めていきたいと思いますので、どうかこれからもご支援とお祈りをよろしくお願いいたします。

ルーテル・医療と宗教の会 公開講演会報告 原仁(むさしの教会) 

 生命倫理、ターミナルケア、自死の問題、精神障害者支援、発達障害児の理解など、今までのルーテル・医療と宗教の会が取り組んできた主なテーマです。対象の領域を広げようと、昨年度はDV(ドメスティックバイオレンス)への理解と支援、そして今年度は海外医療支援を取り上げました。
 5月11日土曜日の午後、東京教会の会議室をお借りして、長年ネパールでの医療支援に携わってこられた楢戸健次郎先生に「医療支援・なぜネパールなのか?私の思いと願い」と題したご講演をお願いしました。
 楢戸先生は千葉大学医学部で学ばれ、学生時代より日本キリスト者医科連盟の活動に関わられました。大学1年目に受洗された、日本福音ルーテル札幌教会の会員でもあります。大学を卒業後、家庭医を目指し、独自に研修を積まれています。日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)の常務理事(医療従事者を送り出す仕事)も10年務められています。そして2005年、ついにご自身がネパールに派遣されることになりました。
 ご講演は楢戸先生の魅力の詰まったあっという間の90分でした。40名ほどの聴衆が皆楽しく聴き入っていました。その会場の雰囲気の明るさをまずご報告したいと思います。
 内容を振り返れば、決して軽いお話しではないのですが、とにかく一度ネパールに行ってみたいなという興味を引き出されるのです。いままでの公開講演会の聴衆よりも若い方々、ネパールに関心のある、楢戸ファンが多数参加されたためかもしれません。ネパール観光大使を自認されている楢戸先生の面目躍如というところでしょうか。
 楢戸先生のご推薦があり、講演会の前後の時間でネパールのご婦人方が造られた衣服や小物、ネパールの子どもたちの写真集の紹介と販売も行われました。いつもの硬いまじめな講演会というより楽しいイベントになりました。
 楢戸先生のインタビュー記事は、 W E Bサイト
doctor.mynavi.jp/doctory/29/ 
でご覧になれます。海外医療支援にご興味のある方は是非アクセスしてください。

るうてる社会委員会コラム

脱原発に向けて~2011年春をふりかえり~内藤文子(栄光・掛川菊川・知多教会牧師)
 2011年4月、夫・内藤新吾牧師が東教区稔台教会へ着任した。これは、2011年3月11日に東日本大震災が起きた直後。静岡から千葉・松戸に向かいながら、東北と関東圏の大変な状態の中を見つめていた。福島第一原発の事故が起き、放射能被害が日本での初の経験として取り沙汰されていた。私たち家族は息子高校1年生、猫1匹・犬1匹(大型犬)。犬のジローは稔台教会の3階牧師館のテラスで犬小屋を置いて、空のもと過ごしていた。1ヵ月もせずに、白い毛のジローが、何だか、すすけてきた。「あ、放射能の影響だ!」大型犬なので、部屋の中で飼うことは無理で、小屋で昼寝させ、たびたびシャワーで洗ってやった。
 私は4月より松戸の民間保育園に保育士として勤め始めた。クラスは0~2歳児担当。福島よりちょうど200キロメートル、千葉の松戸と柏は、「放射能のホットスポット」として大変な不安と危険が叫ばれた。特に小さな乳幼児ほど甲状腺に影響を受けやすいことが知られているので、行政も動き、働きかけがあった。乳児へは汚染されないよう「ミネラルウオーター」の支給があった。1年以上をかけ、松戸市すべての乳幼児施設の園庭は、3センチほどの表面をはがす。うちの園は滑り台の下が一番放射線量が高かった。保育士も交代で「放射能測定」も行った。保育園ではおさんぽ・外出をストップした。半年は室内遊びだった。散歩を再開した時も、保護者に連絡し着替えを多めに準備してもらい、散歩後は下着以外を全部着替えさせた。小さな子どもの命を守るため、保護者も保育者も必死だった。
 現在私は東海教区にいるが、「脱原発」については教区女性会が率先して学びを進めている。片岡輝美氏を呼んで開いた講演会では、「危ない」と感じたら、国の御用学者が「安全」と言っても、自分で判断して逃げて良いと勇気を与えられた。誰がかわいい幼子たちを危険な目にあわせようとするだろうか!環境汚染の真実を知りたい。被害者にできる限りの支援をしたい。命を優先することは主イエスによって示された私たちの生き方である。
 また、先日行われた教区女性会の集いでの夫・新吾師の講演会では、福島の子どもたちの甲状腺がん・異常についての報告があり心が痛んだ。また原発事故後、骨のガンを発病し死んだ犬のジローについても触れ、獣医より、「こんな骨太で元気な犬の背骨一つだけがガンになるとは考えられない」と指摘されたことを話した。日本は、初の被爆国であり原発事故の未曾有の被害を受けつつも、国家権力の圧が強い。しかし、近年その危険性から、世界で原発開発・日本からの原発輸出にストップがかかってきた。最後に、近頃発売されたDVDを紹介したい。
「モルゲン、明日」(監督・坂田雅子、ドキュメンタリー・71分、2018年 日本語・英語・ドイツ語)。
 

ブラジル伝道の区切りと将来(2)  徳弘浩隆

〈10年にわたるブラジル・サンパウロ教会での宣教師派遣から日本へ戻られた徳弘浩隆牧師よりブラジル伝道についての報告をご寄稿いただきました。今回はその第2回です。〉

3 たくさんの出会いと恵み
 
 教室の壁に鏡を設置しサンバ教室に貸し、月に1度シュラスコ会(ブラジル風バーベキュー)を続け、日本語教室は2~4世の日系人やブラジル人中国人も。パソコン教室もご高齢者も楽しくスマホをいじってお茶を飲んでお喋りする場に。ご高齢日系人のひとり暮らしも増えてきましたから、礼拝後の教会食堂も大切な場でした。
 「もう1世は少ないから」と思われますが、この数年にも1世が数人受洗されました。日本語の説教が聞ける、心の安らぎが得られる貴重な場所です。ブラジル最南の州にも日本人集落があり、先輩宣教師の時代から日本語礼拝旅行に行っています。「私はイタリアでも留学や仕事もし、ブラジルのカトリック大学でポルトガル語で医学の教鞭もとっている医者ですが、聖書の話だけは、ブラジル人神父さんのお話は心に響かない。日本語で聖書を語り祈ってくださるのがとても楽しみなんです」といわれる方もおられます。
 ブラジルは治安が悪く、先輩宣教師も泥棒やピストル強盗にあいましたし、私も強盗に襲われたりパソコン一式のカバンを盗まれたことも。そんななか教会ゲストルームはポルトガル語も日本語も通じて安心だと、地方学生や日本人旅行者に喜ばれました。景気後退で利用者が減った時は、民泊サイトに登録をして世界中から招き復調しました。家族のように過ごし「教会は異国で心細く暮らす私の第二の家でした」と感謝されています。
 ジアデマ集会所は大野先生が貧民街住民を支援するために始めましたが、大野先生が亡くなった後停止していました。メロ先生が音楽教室を始め子どもたちも数人集まり礼拝も再開しました。彼の日本研修の間また閉鎖するのもよくないと、私と妻とで引継ぎました。インターネットを引き、古いPCを修理してパソコン教室、英語教室、日本語教室、妻がリズム体操や音楽教室、お絵かき教室などをやると、珍しさもあったのか、みるみる参加者が増えて、3~4人が30~40人に。食糧事情もよくない様子で、軽食も提供しました。日本と違い協調性に欠ける子どもたちとのバトルは大変でした。騒いだり塀を登ったり、喧嘩をしたり物を壊したり、時には大声で叱り、一時出入り禁止にするなどした子どももいましたが、少しずつ良くなり、助け合い、手伝いもしてくれるようにもなり、彼らの学校の先生からも感謝されました。洗礼を受けたり転入した生徒も現れました。教会員も手伝い、寄付や、英語やパソコンを教える人、「食育」をと料理教室や手作りの料理をする人も。日本福音ルーテル社団(JELA)も楽器購入や環境整備費用を支援してくれ、みんなのおかげで、子どもたちへの支援と伝道ができたことは、本当に感謝でした。彼らの将来が、勉強と信仰でより豊かなものになればと祈らされます。
 これらのことを考えると、私はブラジルに行かせていただいて、本当に良かったと感謝しています。

NCC日独瑞教会協議会に参加して 秋久 潤(小鹿・清水・沼津教会牧師)

スイスでは2019年からはじまる10年にもわたる時が宗教改革500年にあたります。2019年4月29日~5月6日にスイスにて、ツヴィングリの宗教改革とディアコニア(奉仕)をテーマに、NCC日本・ドイツ・スイス教会協議会が行われました。約30名が出席し、日本福音ルーテル教会からは秋久が出席しました。喜望の家をサポートしてくださっているブランシュヴァイク領邦教会のオラフ・ノイエンフェルト氏と出会えたことも喜びです。
 日程の前半はツヴィングリと改革派神学を学び、後半はチューリヒ・バーゼル・ベルンのディアコニア施設と教会、神学者K・バルトの家を見学しました。社会的・政治的事柄への取組みと福音とが結びつくことを知りました。ヨーロッパで小山晃佑や栗林輝夫が読まれていることや、移民の増加が印象的でした。
 2日にチューリヒのリマット河畔に行き、約500年前に再洗礼派が迫害された場所で和解の祈りを行いました。日本バプテスト連盟の吉高叶牧師がメッセージと祈りを担当され、バプティストとして迫害を受けた歴史を持つ自分たちが、形を変えて異質な者や少数者と見なされる人々を排除しようとしてしまう課題に言及されました。歴史を知り、他者と出会う中で私たちが砕かれ、神が「私たちのなすべきこと」を導かれると語られました。
 明石義信牧師(日本基督教団 常磐教会〔いわき市〕)がスイスのラジオと新聞から取材を受けたことも印象的です。スイスは、原子力発電所を5基持ちながらも、福島の事故以降に脱原発を決めました。このことからも原発事故が人類への挑戦であると再認識しました。
 5日にウンターエントフェルデンの教会にて、秋久が主日説教を担当致しました。準備をしてくださったスイス・プロテスタント連盟(SEK)と、ドイツ・プロテスタント教会(EKD)、Evangelisches Missionswerk in Deutschland (EMW)、日本キリスト教協議会(NCCJ)ドイツ語圏教会関係委員会(委員長・菊地純子氏)に感謝致します。

CCA「アジアにおける無国籍と人身売買」会議に参加して 藤原佐和子(鶴ケ谷教会・CCA常議員)

 2019年5月21日から23日にかけて、タイ北部のチェンマイにあるアジア・キリスト教協議会(CCA)において、世界教会協議会(WCC)と共催する「アジアにおける無国籍と人身売買」に関する会議が開かれました。1954年以降の国連条約は、無国籍者(どの国によっても国民とみなされていない者)が差別なく基本的人権を享受することを保証するものですが、統計によれば、世界には約1000万人の無国籍者が存在し、約45%がアジアで暮らしています。その多くは、タイ北部の山岳少数民族をはじめとする民族的マイノリティに属する人々です。
 この会議で出会った若い女性キリスト者で、チェンマイのNGOで働くアカ族のオームさんに話を聞きました。彼女は4人目のアカ族の弁護士として、山岳地帯で暮らしている無国籍の人々が、バットプラチャーチョンというタイ国籍の証明書を得られるように支援しています。これがないと学校に通えず、就職できず、自由に移動することもできません。無国籍者は法律に保護されていないため、特に女性たちや少女たちは人身売買の被害に遭う危険性が増します。オームさんは村々を訪ね、相手がキリスト者かどうかを問題にすることなく、「あなたが国籍を持つ正当な権利のために立ち上がるなら、全力で支えます」と語りかけています。
 他国と国境を接していない日本で暮らす私たちにとって、「無国籍」は想像のつきにくい問題かもしれません。ですが、この社会において「見えなくされている人々」と言い換えてみれば、どうでしょうか。CCAは毎年、「アジア祈祷日」のための礼拝式文を作っており、今年のテーマは「無国籍と人身売買」です。日本キリスト教協議会(NCC)のウェブサイトに日本語版がありますので、ぜひご覧になってください。
 マイノリティの人々の人権を大切にするために、私たちは何ができるでしょうか。アジアの諸教会と心を合わせて、「祈り」と「課題」を分かち合いませんか。

本教義先生を偲んで 逸見義典(定年教師)

 松本教義先生の訃報を聞き、さびしさとなつかしさで胸が一杯です。「教義」と言うお名前は、キリスト教の専門用語「教義(ドグマ)」と同じ名なので、わたしたちは「松本ドグマ」先生とお呼びしていました。
 先生の若い日、わたしは九州甘木に松本先生を訪ねました。教会の入り口で、手拭いで顔を覆い、麦藁帽子を深くかむり、草取りをする人がいます。「松本先生はいらっしゃいますか」と尋ねると、「松本先生はお出かけです。」と、笑いながら立ち上がった、その人が松本先生でした。教会も幼稚園も、先生のお人柄が浸透して、素晴らしい雰囲気でした。小都市で、青年を中心に、伝道に励まれる姿に胸打たれた事を思い出します。
 松本先生は佐賀教会、防府教会などで牧会に励まれた後、晩年体調を崩され、故郷熊本に引退されました。引退後も、病人とは思えぬ明るいご性格はそのままで千鶴子夫人の介護を受けながら、明るく楽しい老後を過ごされました。
 ご長男義宣氏をすぐれた牧会者として残されたことも忘れてはなりません。松本先生の「ご逝去」は「巨星落つ」と言うより「大好きだった兄さんが旅に出て、今お留守」という思いです。「ドグマ先生、わたしも間もなく、そちらに行くから」と言いたい気持ちで一杯です。
 松本先生は例のあのお顔で「あんたは、神さまの国には、ちょっと無理バイ」と笑うお顔が、心に浮かびます。

(写真)2017年12月、入居先の老人ホームにて大江教会の方々と。中央が松本教義師、左から岩?良子さん、谷口美樹さん、インターン中の中島共生神学生(当時)

内海望先生を偲んで 小 副川 幸孝(九州学院チャプレン)

 なんだか大きな穴がぽっかり空いてしまったような気がしている。昨年(2018年)の秋に久留米教会の献堂100周年でお会いし、その後また大江教会の礼拝にご夫妻でお見えになった時は、普段の思いやり溢れる笑顔に接することができたのに、突然の訃報で、なんともやりきれない思いがする。そして、自分自身がいかに不肖の弟子であったかを痛感している。
 内海先生との出会いは、わたしの人生を大きく変える出来事であった。16歳の冬、、わたしは生まれて初めて教会の敷地に足を踏み入れ、礼拝に出席した。格調高い文語式文を使った礼拝での先生の説教は衝撃的で、その広くて深い知識に驚嘆し、自分が何を考え、何をしなければならないかに大きな示唆を与えられた。それから毎週土曜日に教会堂の掃除をし、日曜日に礼拝に出席する日々が続き、それがわたしのキリスト者としての生涯の基となった。牧師として何を大切にしなければならないかも先生から教わった 
 内海先生が勉強家であり、ルーテル教会を代表する名説教家であったことは言うまでもないことであるが、ルターと同じように、いつも心に御言葉があり、人と共に歩む姿があり、人を包む包容力をもたれた名牧師であったと、今更ながらに思う。
 先生の足跡は大きく、多くの重責を担われてご苦労も大きかっだろうが、先生から「愚痴」を聞いたことは一度もなかった。今、その先生を天に送り、本当に寂しい。しかし復活の希望の中で、お世話になった悌子夫人やご家族の平安を祈るばかりである。

益田チャペル最終礼拝の報告 水原一郎(シオン教会牧師)

 2019年3月30日(土)12時から、シオン教会益田チャペルに於いて最終礼拝が行われ、約25名が集いました。礼拝後の感謝会では、召天会員が教会に託した「トーンチャイム」演奏など、音楽も教会に捧げられました。この報告を目にされた方の中には、このニュースを始めて知って驚かれた方もおられるかもしれません。しかし今回の決断は、益田チャペルに集う者、シオン教会の信徒達が、教会のあり方を祈りつつ知恵を出し合い辿り着いたものとご理解下さい。
 1950年代より、「アウガスタナルーテル教会」は広島を起点として中国地方の伝道を行いました。1957年、同教会はR・カニングハム宣教師を益田に派遣します。教籍番号1番はH姉。2016年に召天された方のご母堂でした。以降、教籍番号は107番まで続きました。姓が変わられても益田を思い続けていた方。召天を間近にして教会を思い出し、近畿のルーテル教会でご葬儀を上げられた方もおられました。
 1970年代、益田では主日礼拝に加え、益田市内の小浜地区、県内の七日市、六日市での家庭集会、英語塾、「益田親子劇場」「ヤングフォークの集い」「サムエル会」等が行われました。当時の記録を見ると、様々な集会名称が記載されています。これらの集会から洗礼に導かれた方、ルーテル教会教職への志が与えられた方もおられました。
 2013年、私の赴任当時から、益田での礼拝は牧師を交えて2~3人の礼拝でした。徳山からは車で2時間。冬季は豪雪の中国山脈を横断する旅程でした。それでも礼拝を待ち望む方々に支えられた日々を懐かしく思い出します。ただ、築61年に至る教会建物の保全上の問題、経済的な問題を踏まえ、最終礼拝という決断を2019年の定期総会で行いました。最終礼拝後も、益田の礼拝堂では月に1度祈祷会を行い、「シオン教会」に繋がる方々が集う時となっています。
 これまでの、邦人牧師13人、宣教師2名、そして前記を含む教会員107名の方々のお働きに感謝し、最終礼拝の報告といたします。

TNG‐Youth部門 
リーダー研修キャンプ
開催のご案内

 ユース部門のキャンプは、これまで聖書からメッセージを作成し、み言葉を取次ぎ、分かち合うスキルを学ぶプログラムを通して、他のTNG部門のキャンププログラム、教会学校などでの働き人となるような学びができる機会を提供してきました。本年、TNG部門全体で話し合い、ユース部門のキャンププログラムは、こどもキャンプ、ティーンズキャンプのリーダー養成キャンプへと舵を切ることとなりました
 本キャンプでは、こども・ティーンズキャンプの理念・歴史を学び、どのようなリーダー像が期待されているかを感じ取り、こども・ティーンズキャンプがより一層「次世代育成プログラム」として充実することを念頭に置いて開催いたします。もちろんこの学びを通して各教会における同様のプログラムの学びにとっても十分に役立つプログラムとなることと考えています。
 こども・ティーンズ両キャンプのスタッフを目指している方々、各教会におけるプログラムに関わっている方々の参加をお待ちしています。
 各教会へのご案内は既にお知らせさせていただいています。どうぞポスター、案内文を御覧ください。お問い合わせは竹田大地牧師(西宮教会)まで。
電話0798(23)5611
Eメール lt.nishinomiya@gmail.com
開催日程 2019年8月19日(月)‐21日(水)
会場 日本福音ルーテル西宮教会 (阪神電鉄「香櫨園」下車3分)
参加費 1万円(交通費補助有)
内容 TNGこども・ティーンズキャンプにおけるリーダー研修、キャンプの理念・歴史の理解、求められるリーダー像とは何か、各教会プログラムの充実など。

公 告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2019年7月15日
 宗教法人
 日本福音ルーテル教会
    代表役員 大柴譲治

信徒利害関係人 各位
一、札幌教会新札幌礼拝堂牧師 館 解体
 所在地 札幌市厚別区厚別 中央3条6丁目
 所有者 日本福音ルーテル 教会
 家屋番号 2番地
 種類 教会
 牧師館
 面積
 (1)50・51㎡
 (2)52・17㎡
 老朽化のため

二、別府教会牧師館 解体
 所在地 別府市大字鶴見字 鶴見原
 所有者 日本福音ルーテル 教会
 家屋番号 4546番地79
 種類 教会
 牧師館
 面積
 (1)133・90㎡
 老朽化のため

三、日田教会牧師館 解体
 所在地 日田市三本松2丁 目
 所有者 日本福音ルーテル 教会
 家屋番号 787番地
 種別 教会
 牧師館
 面積
 (1)78・22㎡
 園舎建て替えのため

四、久留米教会牧師館 解体
 所在地 久留米市日吉町
 所有者 日本福音ルーテル 教会
 家屋番号 16番地3
 種別 教会
 牧師館
 面積
 (1)57・22㎡
 (2)32・69㎡
 老朽化のため 

19-06-15聖霊の働きを信じて生きる―使徒言行録第29章

こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。(使徒言行録6・7)

 使徒言行録は口語訳聖書では「使徒行伝」と言われていましたが、「聖霊行伝」とも呼ばれていました。使徒たちの働きを記した書物ではなく、聖霊の働きを記した書物だからです。

 聖霊の働きによって福音が進展していく、とすれば、28章で使徒言行録は終わっていますが、使徒言行録29章に「私」の歩みを付け加えて読むことができるのです。(ただし29章は聖書にはなりませんが…)
ということで、使徒言行録29章(市川教会会堂編)を辿ってみましょう。

 私は2000年に赴任しました。市川教会会堂はW・M・ヴォーリズ建築の一つで、1956年に献堂されました。赴任当時の会堂は44年を経、外観は建築当初の姿を保持していましたが、内部には至る所に老朽化による傷みが見られました。床は傾き、会堂前面と後方では数センチの差があり、白い壁面には無数のひび割れがありました。もちろん教会員も手をこまねいていたばかりではなく、建築当初の赤瓦は建物の傷みを早めるということで撤去しスレートに替え、外壁も塗り替え、地下に残る防空壕には、地下水からの湿気を防ぐために泥を掻き出し除湿器を取り付けたりと、必要な処置を行ってきましたが、いかんせん軟弱な地盤ゆえに、根本からの対策をとることが出来ずにいました。

 このままでは会堂の傷みは増すばかりで、やがては耐えきれなくなり崩壊するのではと素人の私にも分かるほどでした。役員会でも度々協議し、更に近隣の工業高校の協力を得て耐震検査を行い、別途に地盤の強度を測る平板耐荷検査も実施しました。

 それらの結果は、いずれも「大地震で倒壊する可能性が高い」というものでした。しかし危機感はあったものの補修の資金もなく、役員の間にも「崩れ落ちるのを待つしかない」という思いが占めつつありました。
 
 2007年9月の日曜日の午後のことでした。国府台近辺の建物を見学しておられた三人の先生方(他に数名の学生さん)が教会に立ち寄られました。会堂には後片付けをして来客を待っていた妻が一人でいましたが、その三人の先生方も来客の連れだと勘違いして中に通したのが、N大の建築科の教授、後に修復の設計監理を請け負ってくださることになるI氏と登録有形文化財申請を担ってくださったK氏でした。会堂がヴォーリズの手によるものであることは既にご存知で、私は諦めかけていた会堂の修理についてお尋ねしました。「軟弱な地盤で資金も余りないのですが、何とか残したいのです、この会堂を!」と。すると即座に「大丈夫ですよ、修復できます。」という返事をいただきました。暗雲に覆われた日々に、急に光が射しこんだようでした。

 その後、登録有形文化財に登録され、本教会からも借入の目途が立ち、さらに東日本大震災によって傷んだことにより県や国からも若干の補助金をいただきました。また、会員の熱意による献金、全国から献金が寄せられ、「資金的にも無理」であった修復工事でしたが、2011年10月に着工に至ることができました。

 イエス誕生の折に贈り物を携えて訪ねてきた東の国の三人の博士を思い出します。博士たちは時を超えて私たちの会堂にも「修復の道」という贈り物を携えて来てくれたのです。いえ「あの来訪は、聖霊が働いてくださった出来事に違いない」と、1年1ヶ月を要した工事を終え、2012年12月に竣工感謝礼拝を行いつつ、会員一人ひとりが心に深く刻んだものでした。

 使徒言行録29章(市川教会会堂編)は最後に「こうして市川の地の宣教は、聖霊の働きによってますます広がり、教会を愛する人々が増えていきました。」と締めくくられています。

 もちろん、この後も30章、31章と書き続けられることでしょう。なぜなら、聖霊は今も後も、私にもあなたにも、世の終わりまで働き続けてくださるからです。

 あなたの「使徒言行録29章」には何が書かれていますか?
主の平安を祈りつつ。

日本福音ルーテル市川教会 牧師 中島 康文

19-06-10るうてる2019年6月号

説教「聖霊の働きを信じて生きる―使徒言行録第29章」

機関紙PDF

こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。(使徒言行録6・7)

使徒言行録は口語訳聖書では「使徒行伝」と言われていましたが、「聖霊行伝」とも呼ばれていました。使徒たちの働きを記した書物ではなく、聖霊の働きを記した書物だからです。
 聖霊の働きによって福音が進展していく、とすれば、28章で使徒言行録は終わっていますが、使徒言行録29章に「私」の歩みを付け加えて読むことができるのです。(ただし29章は聖書にはなりませんが…)
ということで、使徒言行録29章(市川教会会堂編)を辿ってみましょう。
 私は2000年に赴任しました。市川教会会堂はW・M・ヴォーリズ建築の一つで、1956年に献堂されました。赴任当時の会堂は44年を経、外観は建築当初の姿を保持していましたが、内部には至る所に老朽化による傷みが見られました。床は傾き、会堂前面と後方では数センチの差があり、白い壁面には無数のひび割れがありました。もちろん教会員も手をこまねいていたばかりではなく、建築当初の赤瓦は建物の傷みを早めるということで撤去しスレートに替え、外壁も塗り替え、地下に残る防空壕には、地下水からの湿気を防ぐために泥を掻き出し除湿器を取り付けたりと、必要な処置を行ってきましたが、いかんせん軟弱な地盤ゆえに、根本からの対策をとることが出来ずにいました。
 このままでは会堂の傷みは増すばかりで、やがては耐えきれなくなり崩壊するのではと素人の私にも分かるほどでした。役員会でも度々協議し、更に近隣の工業高校の協力を得て耐震検査を行い、別途に地盤の強度を測る平板耐荷検査も実施しました。
 それらの結果は、いずれも「大地震で倒壊する可能性が高い」というものでした。しかし危機感はあったものの補修の資金もなく、役員の間にも「崩れ落ちるのを待つしかない」という思いが占めつつありました。
 
 2007年9月の日曜日の午後のことでした。国府台近辺の建物を見学しておられた三人の先生方(他に数名の学生さん)が教会に立ち寄られました。会堂には後片付けをして来客を待っていた妻が一人でいましたが、その三人の先生方も来客の連れだと勘違いして中に通したのが、N大の建築科の教授、後に修復の設計監理を請け負ってくださることになるI氏と登録有形文化財申請を担ってくださったK氏でした。会堂がヴォーリズの手によるものであることは既にご存知で、私は諦めかけていた会堂の修理についてお尋ねしました。「軟弱な地盤で資金も余りないのですが、何とか残したいのです、この会堂を!」と。すると即座に「大丈夫ですよ、修復できます。」という返事をいただきました。暗雲に覆われた日々に、急に光が射しこんだようでした。
 その後、登録有形文化財に登録され、本教会からも借入の目途が立ち、さらに東日本大震災によって傷んだことにより県や国からも若干の補助金をいただきました。また、会員の熱意による献金、全国から献金が寄せられ、「資金的にも無理」であった修復工事でしたが、2011年10月に着工に至ることができました。
 イエス誕生の折に贈り物を携えて訪ねてきた東の国の三人の博士を思い出します。博士たちは時を超えて私たちの会堂にも「修復の道」という贈り物を携えて来てくれたのです。いえ「あの来訪は、聖霊が働いてくださった出来事に違いない」と、1年1ヶ月を要した工事を終え、2012年12月に竣工感謝礼拝を行いつつ、会員一人ひとりが心に深く刻んだものでした。

 使徒言行録29章(市川教会会堂編)は最後に「こうして市川の地の宣教は、聖霊の働きによってますます広がり、教会を愛する人々が増えていきました。」と締めくくられています。
 もちろん、この後も30章、31章と書き続けられることでしょう。なぜなら、聖霊は今も後も、私にもあなたにも、世の終わりまで働き続けてくださるからです。

 あなたの「使徒言行録29章」には何が書かれていますか?
主の平安を祈りつつ。
日本福音ルーテル市川教会 牧師 中島 康文            

連載コラム 直線通り 久保彩菜

⑮「だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。」(二テモテ3・14~15)

 初めて聖書を手にした時のことを覚えていますか。気づいたら傍らにあった人、苦しみの中で手渡された人、ふと読みたく
なり書店で買い求めた人。その出会いは千差万別でしょう。
 毎年中学1年生を教えてきたので、4月に聖書と讃美歌を、教室で手渡す役を担ってきました。聖書を手渡された子ども
たちの反応も千差万別。
「うわぁ!これが聖書かー!初めて見たー!」「聖書って辞書みたいだね!」と大騒ぎ。聖書をめくりながら「こんなに
薄い紙、初めて見たよ!」と興奮する子どももいれば「先生、これ全部読むの?!」と涙目になる子ども。「先生!わたしのおばあちゃん、聖書持ってるんだよ!」「僕は幼稚園で見たことある!」という子どもたちもいます。
 また「はじめに神は天地を創造されたー!」と大声で読み始め、叫び出す子どももいました。何より毎年感動するのは、聖書を手渡された子どもたちの目がキラキラと光り輝くこと。聖書を手渡され、嫌がる子どもは1人もいません。聖書をめくり、お気に入りの聖書箇所を見つけることを楽しんでいます。
 聖書との出会いは神様、そしてわたしたちのキリストとの出会いです。あの日、あの時、聖書との出会いが与えられたか
らこそ、わたしたちは今日もキリストの愛の中で生きられるのです。そしてそれは、空の墓には留まらない、新しい歩みの始まり。今年も子どもたちが、聖書を通して、また生活のなかで、復活のキリストと出会っていけますように。

議長室から 総会議長 大柴譲治

漢字で「息」は「自らの心」と書きます。息遣いには自ずとその心が表れるということでしょう。自他の呼吸を観察することは対人援助においてもとても大切です。呼吸に意識を向けることで見えてくる次元がある。それは「今、ここ」のリアリティです。自分の呼吸音は通常聞こえません。聞こえていても意識されていないのでしょう。それほどまでに呼吸と意識は一つになっています。

 聖書ではヘブル語でもギリシャ語でも「息」は「風」とも「霊」とも訳されます。ですから「息」に意識を向けることは「神の霊」に心を向けることでもあるのです。

 「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記2・7) 「生きる」と「息する」とは同源語です。赤ちゃんはオギャーと泣く前に大きく息を吸い込みます。それまで圧迫されていた肺が大きく拡がるためです。そして最初の吐く息で泣き始める。昔の人は新生児の最初の吸気の中に神の呼気を観て取ったのです。鋭い観察力ですね。

 神はご自身の霊を私たちに吹き入れてくださる神です。ヘブル語では神を「YHWH(ヤハウェ)」と書きますが、それは「ヤッハッフゥー」という息を吹き込む音から来ているとも言われています(リチャード・グローヴス)。

 ちなみに人がこの地上で一番最後にすることは、腹式呼吸か胸式呼吸かでヴァリエーションがあるかもしれませんが、基本的には息をフウーッと吐くことです。息を吸うところに始まった私たちの地上での人生は息を吐くところで終わるのです。その最後の息をも責任もって引き取ってくださるお方がおられる。それが天の神です。主の十字架上の7番目の言葉もそれを証ししています。(ルカ23・46。 教会讃美歌86番)。

 実は最初と最後の息だけではないのです。私たちの今ここでの一呼吸一呼吸は神の息とつながっています。インマヌエルの神は私たちと呼吸を合わせてくださる神だからです。月曜日から土曜日までの週日、様々な理由で私たちの呼吸は乱れたり、息詰まったりしています。それが礼拝に集うことを通し、讃美歌や式文の交唱、告白や祈りにおいて共に会衆が息を合わせることで、私たちの呼吸は神ご自身の息によって次第に整えられてゆきます。真の安息がここにはあるのです。何という恵み、何という慰めでありましょうか。お一人おひとりの上に天からの風をお祈りしています。

プロジェクト3.11「いわき放射能市民測定室たらちね」 小泉 嗣

 2014年にはじまった東教区プロジェクト3・11、2019年からは活動の規模は縮小されたものの、今年も「いわき放射能市民測定室たらちね」(以下「たらちね」)の支援を続けます(細々とですが…)。 2011年11月に開所された「たらちね」は、被災地に暮らす母親たちの食材放射能測定からはじまった活動で、現在では「放射能測定」「たらちねクリニック」「甲状腺検診」「たらちねこども保養相談所」等の活動を展開しています。
 今回は2018年夏、東教区宣教ビジョンセンターの研修旅行「7年目のフクシマ」(詳細は「教会と宣教」第24号)に参加させていただいた際に訪問した「たらちね」の報告をさせていただきます。
 私自身は少なくとも4度目となる「たらちね」の訪問ですが、訪問するたびに部屋のレイアウトが変わり、設備というか機材が増えているように感じる「たらちね」の事務所兼クリニック兼測定所です。市民の持ち込みは以前よりは減ったというものの、持ち込み以外にも土壌や浜辺の砂など定期的な測定を行う放射能測定器に囲まれる中、「たらちね」広報の飯田さんよりお話を伺いました。
 飯田さんのお話しの中で印象的だったのは、2017年5月よりはじめた「たらちねクリニック」の運営方針についてでした。このクリニックは内科・小児科の診療科目に加えて「こどもドック」の健康診断を用意し、診察時間の制限を設けず診療をしているとのことでした。病気を診るというだけではなく、病気や健康に不安をおぼえる方々の思いを診る(寄り添う)、このクリニックの存在が地域に与える安心は計り知れないものであると実感しました。
 見えない放射能に目を向け数値にしていく作業と、診察した人数や点数(医療)ではない言わば見えないものに耳を傾けていく作業、一見相反するように思える両者が、現在の福島に必要な支援であり、そしてそれを形にしている「たらちね」という大切な存在の継続支援の必要性を強く感じた訪問となりました。変わらぬご支援、よろしくお願いします。

賛美歌と私たち①イントロ♪ 小澤周平(名古屋めぐみ教会牧師)      

 「主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。」(詩編95)
 こんにちは!小澤周平です。これから、「賛美歌と私たち」という連載を書きます。どうぞよろしくお願いします。
 突然ですが質問です。あなたは普段、どんな賛美歌を歌っていますか?好きな賛美歌は?使っている賛美歌集は何ですか?なぜその歌集を使うのですか?毎週、礼拝では賛美歌を何曲歌いますか?選曲の理由は?その賛美歌があなたの不慣れな歌や嫌いな歌だったらどうしますか?
 きっと、十人十色の答えがあると思います。私たちの信仰生活で、とても身近な賛美歌です。礼拝で、集会で、家庭で、会議で、キャンプで、学校で、ベッドの上で、一人で夜道を歩く時も、賛美歌はいつも共にある。だから皆多様な想いを持っているはず。
 私はこれまで、若い世代に向けた伝道の現場で少なからず賛美の事柄に関わらせて頂きました。その中で、今日の日本福音ルーテル教会(JELC)の礼拝は、特に賛美歌は、若い世代の求めに充分に応えられているか、という問いを持ちました。問いを前に、先ずは背景が知りたいと思い、神学校の卒業論文ではJELCの賛美歌の歴史をかじりました。とは言っても、大半は私が生まれる前の話。信仰の先輩方から証言と、貴重な史料を頂き、事実を整理する所から始めてみました。
 歴史を紐解いてみると驚きの連続。継承されてきた信仰生活と賛美歌との密接な関係を知りました。まさに、「礼拝の法は信仰の法」、つまり、礼拝と信仰生活は表裏一体。同時に、私の心にあった素朴な疑問にも答えが。賛美歌の役割、数々ある歌集のこと、同じ曲なのに歌詞が違う訳、賛美歌の終わりのアーメン、などなど。
 最近、聖書や式文といった、礼拝に関わる新しい取り組みが見られます。賛美歌も同じです。そんな今だから、私たちの歴史を振り返ることに意味があると思います。そして、過去と今を知ることで、未来に起きる変化への不安も少なくなるかも知れません。こんなことを念頭に本連載を記します。どうぞお付き合いください。もちろん、私自身まだまだ分からないことばかり。もしご意見、ご感想などがありましたらお伝え頂けますと幸いです。
 ところで、先ほどから当然のように使っている「賛美歌」という言葉。他教派の方とお話してみると…つ、通じない?なんてことも?(つづく)

留学生公募のお知らせ

ELCA(米国福音ルーテル教会)は教会指導者のための短期研修を目的とした国際奨学金を提供しています。いずれも個人的研究ではなく、将来日本福音ルーテル教会および関連施設に資することを目的としています。今回は特に、臨床牧会訓練(CPE)に関する研究と研修を望む牧師留学生を求めます。期間は2年以内となります(二号留学)。留学を希望する者は日本福音ルーテル教会事務局にお申し込みください。締切は6月末日といたします。

ブラジル伝道の区切りと将来(1)  徳弘浩隆

 【10年にわたるブラジル・サンパウロ教会での宣教師派遣から日本へ戻られた徳弘浩隆牧師より、ブラジル伝道についての報告をご寄稿いただきました。2回に分けて掲載いたします。今回はその前半です。】

1 ご挨拶
 2019年3月12日にブラジル福音ルーテル教会(IECLB)議長と歴代教区長に離任の礼拝をして頂きました。27日に教会員に見送られて帰国しました。これが、日本福音ルーテル教会(JELC)が正式に宣教師派遣を終了した日となるでしょう。10年ぶりの日本の生活もひと月、逆カルチャーショックも楽しんでもいます。依頼されましたので、ご挨拶がてらブラジル伝道の歴史や思い出、将来について、私の体験と記憶に基づいてご報告します。

2 歴史
 最初の宣教師・藤井浩先生が日本語礼拝をしたのが1965年10月31日。その後は、塩原久先生、土井洋先生、竹田孝一先生、塩原久先生が再び、紙谷守先生、渡邉進先生、私という7名、8代にわたって牧師が送られました。それぞれの先生やご家族の、時には想像を絶するご苦労もあり、ブラジルの日系教会は続いてきました。開拓期、移民青年たちが若く活況の時、教会学校も盛況の時、1度目の教会移転、駐在員の増えた時、移民1世の高齢化、2世や非日系ポルトガル語世代の増えた時、不景気で「日系人デカセギ」が日本へ流入する時など。その後、日本の景気後退でブラジルへ大量帰国、という時に私が赴任しました。
 当時JELC常議員会は牧師不足と予算不足を理由に宣教師派遣終了を決議しIECLBや日系教会と交渉し了承を得ていました。JELCで研修も受けた日系人牧師大野健先生がいましたし、ブラジル人青年が牧師を目指していたので、彼らにバトンタッチし、別の方法の支援と交流にするという計画でした。その交渉に当たったのは事務局にいた私もその一人でした。
 しかし、翌年のJELC全国総会で現地からの悲痛な訴えを受けて「再度宣教師を派遣」という決議がされ事態は変わりましたので、私が手を上げ行かせていただきました。
 サンパウロ教会は良い立地でしたが民家の教会で、牧師も牧師給もJELC頼みでした。赴任直後、駅前開発で立退き提案があり、「将来のある教会になるには、教会成長し自給教会になるしかない。そのために広く活動ができる教会を神様が準備してくださる」と教会メンバーを説得。「売却益と皆の献金で移転できる、よい所があるなら」と同意を得て、地下鉄沿線を歩き回り、リベルダージという日系人の中心地に良い物件を見つけ価格交渉の末移転しました。ポルトガル語礼拝や日本語教室、パソコン教室や諸イベント、ゲストルームなど活動が活発化し、礼拝メンバーや献金も増えました。
 「これならJELCの支援金を断って自給教会になれる」と「4年計画で2015年の宣教50周年までに自給する」と宣言をし、会員の祈りと努力で実現しました。
 次はバトンタッチですが、ブラジルの教会には日系人の神学生や牧師はいません。日系教会自らが育てなければいないのです。候補者は数人いましたが実現しませんでした。日系人の大野健先生は定年年齢に近づき闘病中でしたし神学を学び始めたブラジル人青年も断念しました。
 すべてが白紙に戻りました。日本からの牧師招聘を交渉しましたがJELCも人材不足で無理でした。サンパウロ教会は私に延長をと願い、JELCは「後継牧師にバトンタッチし、将来を盤石にするために」と了承し、私の任期は合計10年となりました。
 2名牧師体制の経済基盤ができたのでブラジル人の若い牧師を招聘し、1年一緒に働き、1年日本で研修、1年引継をして教会を託す計画で、メロ牧師を招聘したのです。並行して日系人青年伝道のためにも、青年ボランティアをJELCから募集し活躍してもらいました。
(後半に続く)

ルーテル学院 創立110周年 記念事業

日本ルーテル神学校 石居基夫
 ルーテル学院は今年創立110周年を迎えました。1909年に九州は熊本に始まった本学の教育は、牧師とキリスト教指導者の育成を目的として始められました。以来、神の恵みと多くの方々のお支えをいただいてまいりましたこと、心より感謝申し上げます。
 ルーテル学院の教育の原点は宣教に仕えることです。しかし、その使命は、建学当初から単に牧師を育てることだけでなく、ルターの「全信徒祭司」の教会として信徒の賜物を生かして他者に仕えていくような奉仕者を育成することにありました。それぞれの節目に教育の幅を広げ、キリスト教的人間理解に立ち、福祉や臨床心理の専門性を深め、社会に貢献する対人援助の専門職を養成する教育を展開してまいりました。
【教会から地域社会へ】
 今年は、また本学が中野区鷺宮より現在の三鷹市大沢へと移転をした1969年から、ちょうど50年目にも当たります。これを境に、教会の牧師養成とともに、むしろ地域社会の様々なニーズに応えていく福祉や心のケアを担っていく人材育成へ教育の使命を自覚していくこととなりました。
 本学付属の様々な研究所やセンターの公開講座やサービスとともに、現在では三鷹市、武蔵野市、小金井市で「新たな支え合い」活動を企画・実践する中核となる市民を育てる働きも担っています。
【記念事業】
 110周年の記念事業は、9月の「一日神学校」をはじめ、例年本学が取り組んできています付属の研究所などの講演会企画を、記念の取り組みとして整えて開催させていただきます。また、特に11月30日には記念大会を企画して、本学の使命を確認し、将来に向かう私たちの教育を多くの方々にお伝えしたいと考えております。それぞれにご紹介、お招きをしてまいります。ぜひ、お祈りに覚え、お支えいただき、本学へと足をお運びいただけますようにお願い申し上げます。

サバ神学院名誉教授P・ケンピン先生が教会事務局を来訪されました

石原京子(市ヶ谷教会)
1993年、海外の教会からの支援と祈りに支えられながら、日本福音ルーテル教会は宣教百年を迎えました。女性会連盟(当時は婦人会)はアジア宣教のお手伝いをすることで感謝の気持ちを表したいと、かつて日本兵が使っていた壕の中にエンユー先生が設立した「サバ神学院」の神学生に奨学金を贈ることを決めました。
 交流から26年間、連盟とサバ神学院の架け橋役をしてくださったのが神学博士・サバ神学院名誉教授P・ケンピン先生です。先生は女性会連盟の会員の方々をサバに招いてくださり、奨学生から牧師になり、ジャングルや農村の教会で、まだイエス・キリストの愛を知らない人々に宣教している姿に会わせてくださいました。
 暖かく、主に向かって行動して行くケンピン先生に、訪れた方々は感動し、献金額がたとえ少なくなっても続けていくことに意義があり、支援の気持ちから感謝の気持ちに変わり、今では女性会連盟の活動の一つとなっています。
 ケンピン先生夫妻は神学院を停年退職後、中国の伝道に力を入れていらっしゃいます。今まで日本には連盟総会と講演会に招かれて来日されていますが、今度は私的に富士山と桜の花を見に日本に行きたいというご希望で4月4日に来日されました。千鳥ヶ淵の桜、芦ノ湖から望む富士山、放射能汚染で帰宅困難地域に寂しく咲く桜並木を先生にゆかりのある方々と訪れることができました。
 いつくしみの会ではゲストとしてお話をしてくださいました後、関西に向かわれ、西教区の女性会の方々、札幌から駆け付けた姉妹と5日間、過ごされました。
 4月7日には市ヶ谷教会、14日は京都教会に出席されました。私的な旅なので公的なご挨拶は遠慮させて頂くと仰っておられた先生でしたが、ルーテル教会の皆さんから熱い歓迎を受け、事務局の先生にご挨拶しないで帰国することはできないと言われ、お忙しい滝田事務局長に時間を作って頂きました。事務局長にお会いでき、大変喜ばれていらっしゃいました。

日本初のシェアハウス型難民シェルター「ジェラハウス」が完成しました

日本福音ルーテル社団(JELA、森下博司理事長)が老朽化のため建て替えを進めていた日本初の民間による難民シェルター「ジェラハウス」が4月5日に完成し、建物の祝福式と内覧会を開きました。
 祝福式では、大岡山教会の松岡俊一郎牧師が「平和と祝福に満たされる家」と題して説教し、「頼るべきものは、私たちを用いてくださる神様と聖霊の力です。そこに神様の祝福が与えられます。それは、ジェラハウスに集う一人ひとり、そして世界で助けを必要としている人に向けられているのです」と語りました。
 JELAの難民支援事業は1984年にスタートし、日本国内の難民支援では先駆的な役割を果たしてきました。今回新しく生まれ変わったジェラハウスは、日本初のシェアハウス型難民シェルターとなり、運営・管理はNPO法人WELgee(ウェルジー)が担います。ジェラハウスには、「TOKIWA(トキワ)」という愛称が付けられました。由来はもちろん手塚治虫をはじめ漫画家が切磋琢磨したトキワ荘から来ています。日本にやって来た難民の方々が、トキワ荘の漫画家たちのように、能力やスキルを生かして活躍できるようにとの思いが込められています。
 新しいジェラハウスでの活動が祝されますようお祈りとご支援をいただければ幸いです。また、難民の方へ日本語を教えるボランティアも募集しています。ご興味のある方は、JELA難民支援係 電話03(3447)1521、 ファックス03(3447)1523、Eメールjela@jela.or.jpまでお問合せください。どうぞよろしくお願いいたします。
※ジェラハウスとは、日本初の民間による難民(申請者を含む)のためのシェルターハウスです。難民の方へ無償で提供し、電気・ガス・水道などの光熱費も無料で使用いただいています。

ルーテルこどもキャンプのおしらせ

小学5・6年生対象のルーテルこどもキャンプ。今年のテーマは「ハロハロの国フィリピン♪ごちゃまぜのハーモニー♪」、主題聖句は「多くの部分があっても、一つの体なのです」(一コリント12・20)に決まりました。
 ハロハロ?コンビニで売ってるアイスのことでしょうか。フィリピンの心を表す食べ物がハロハロです。キャンプでは、ハロハロを食べたり、フィリピンの遊びをしながら、フィリピンの人々が何を大切にしているのかを楽しく学びます。
 もし、「知っている人がいないから不安だな」と参加を迷っているお子さんがいたら、「優しいお兄さんやお姉さんがいるし、お友達ができるから安心して行ってらっしゃい」と背中を押してあげてください。
 また、キャンプのスタッフも必要としています。リーダーは18歳から、ジュニアリーダーは高校生から応募できます。キャンプを裏方で支えてくださるスタッフも募集しています。知識や経験が無くても大丈夫です。
 開催日程は8月6日(火)~8日(木)、場所は東京のルーテル学院大学・日本ルーテル神学校です。
詳しくは、以下のURLからご確認ください。the-next-g.blogspot.com

19-05-15あなたがたに平和があるように

イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。(ルカによる福音書24・36)

弟子たちが主の復活を信じる信仰をもっていたのであれば、キリストは何度も復活の姿を弟子たちに見せるには及びませんでした。復活は人類の歴史上かつてない大きな出来事でしたから、弟子たちが復活を容易に信じることができなかったのも無理はありません。それにしても、弟子たちにご自分の復活を信じさせようとするキリストの努力は、並々ならぬものでした。

 主イエスの復活を信じてエマオから引き返してきた2人の弟子と、エルサレムに残っていた弟子たちとが、互いに復活のイエスについて語り合っていると、イエスご自身が再び復活の姿を現されました。
 そしてイエスは、弟子たちの真ん中に立って、「あなたがたに平和があるように」と言われました。弟子たちは恐れて幽霊だろうと思いました。イエスは、そんな弟子たちに、「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある」と語られました。 
 それでもなお不思議がっている弟子たちに、イエスは「ここに何か食べ物があるか」と言われました。弟子が焼いた魚を一切れ差し出しますと、イエスはその魚を彼らの前で、いつものように食べられました。復活の体に、空腹を満たす必要はありません。焼魚を弟子たちの前で食べられたのは、復活を彼らに確信させるための、愛と憐れみの行為であったと思います。

 ところで、使徒言行録9章3節以下には、パウロが回心へと導かれたときのことが記されています。「サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウルは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」と、呼びかける声を聞きます。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがありました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」とあります。パウロは生前のイエスと生活を共にしていた、いわゆる弟子ではありません。しかし彼は、「イエス・キリストとキリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロから」と、ガラテヤの信徒に宛てて手紙を書きました。パウロに回心を迫った復活の主の言葉は、彼をキリストの迫害者から、キリストの全権大使とも言える使徒へと大きく方向転換させるほど、強いインパクトがありました。

 主イエスを裏切ってしまった弟子たちからすれば、後ろめたい気持ちがあったはずです。それなのに、主イエスは「わたしはあなたがたに裏切られてとても悲しかった」とは言わないで、「あなたがたに平和があるように」と言ってくださいました。この言葉がなかったら、弟子たちは不安な気持ちを持ったまま、一生を過ごさなければならなかったでしょう。良心がとがめるような心の状態で、福音を全世界の人々に伝えるために立ち上がることは出来なかったと思います。
 「あなたがたに平和があるように」との言葉は、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」とパウロを回心させた言葉と同じように、弟子たち一人ひとりに、強い影響を与えた言葉でした。この言葉が彼らの心に生きて働くために、主イエスは何度も何度も復活の姿を弟子たちの前に現わし、自分の手足を見せ、魚を食べて、自分が復活したことを証明してくださいました。並々ならぬ、主イエスの努力です。わたしたちは、キリストご自身の証しを、素直に信じたいと思います。
 「あなたがたに平和があるように」という言葉は、2千年前の弟子たちにだけ語られた言葉ではありません。歴史を通して、現在を生きているわたしたち一人ひとりに語られている言葉です。主イエスは今も、わたしたちの生活しているところに出かけて来て、日常茶飯事と思われるような平凡なことがらを通して、わたしたちに話しかけてくださいます。また、職場や家庭での色々な問題を通して、ご自分が復活されたことを示してくださいます。この主イエスに接するならば、わたしたちの心は穏やかにされるに違いありません。
 キリストは、今も説教者や証し人や奉仕者を用いて、「あなたがたに平和があるように」と伝え続けておられます。皆さんお一人おひとりのうえに、主の平和がありますように。

日本福音ルーテル教会 牧師 木下 理

19-05-10るうてる2019年5月号

説教  あなたがたに平和があるように  日本福音ルーテル教会 牧師 木下 理

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イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。(ルカによる福音書24・36)
弟子たちが主の復活を信じる信仰をもっていたのであれば、キリストは何度も復活の姿を弟子たちに見せるには及びませんでした。復活は人類の歴史上かつてない大きな出来事でしたから、弟子たちが復活を容易に信じることができなかったのも無理はありません。それにしても、弟子たちにご自分の復活を信じさせようとするキリストの努力は、並々ならぬものでした。

 主イエスの復活を信じてエマオから引き返してきた2人の弟子と、エルサレムに残っていた弟子たちとが、互いに復活のイエスについて語り合っていると、イエスご自身が再び復活の姿を現されました。
 そしてイエスは、弟子たちの真ん中に立って、「あなたがたに平和があるように」と言われました。弟子たちは恐れて幽霊だろうと思いました。イエスは、そんな弟子たちに、「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある」と語られました。 
 それでもなお不思議がっている弟子たちに、イエスは「ここに何か食べ物があるか」と言われました。弟子が焼いた魚を一切れ差し出しますと、イエスはその魚を彼らの前で、いつものように食べられました。復活の体に、空腹を満たす必要はありません。焼魚を弟子たちの前で食べられたのは、復活を彼らに確信させるための、愛と憐れみの行為であったと思います。

 ところで、使徒言行録9章3節以下には、パウロが回心へと導かれたときのことが記されています。「サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウルは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」と、呼びかける声を聞きます。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがありました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」とあります。パウロは生前のイエスと生活を共にしていた、いわゆる弟子ではありません。しかし彼は、「イエス・キリストとキリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロから」と、ガラテヤの信徒に宛てて手紙を書きました。パウロに回心を迫った復活の主の言葉は、彼をキリストの迫害者から、キリストの全権大使とも言える使徒へと大きく方向転換させるほど、強いインパクトがありました。

 主イエスを裏切ってしまった弟子たちからすれば、後ろめたい気持ちがあったはずです。それなのに、主イエスは「わたしはあなたがたに裏切られてとても悲しかった」とは言わないで、「あなたがたに平和があるように」と言ってくださいました。この言葉がなかったら、弟子たちは不安な気持ちを持ったまま、一生を過ごさなければならなかったでしょう。良心がとがめるような心の状態で、福音を全世界の人々に伝えるために立ち上がることは出来なかったと思います。
 「あなたがたに平和があるように」との言葉は、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」とパウロを回心させた言葉と同じように、弟子たち一人ひとりに、強い影響を与えた言葉でした。この言葉が彼らの心に生きて働くために、主イエスは何度も何度も復活の姿を弟子たちの前に現わし、自分の手足を見せ、魚を食べて、自分が復活したことを証明してくださいました。並々ならぬ、主イエスの努力です。わたしたちは、キリストご自身の証しを、素直に信じたいと思います。
 「あなたがたに平和があるように」という言葉は、2千年前の弟子たちにだけ語られた言葉ではありません。歴史を通して、現在を生きているわたしたち一人ひとりに語られている言葉です。主イエスは今も、わたしたちの生活しているところに出かけて来て、日常茶飯事と思われるような平凡なことがらを通して、わたしたちに話しかけてくださいます。また、職場や家庭での色々な問題を通して、ご自分が復活されたことを示してくださいます。この主イエスに接するならば、わたしたちの心は穏やかにされるに違いありません。
 キリストは、今も説教者や証し人や奉仕者を用いて、「あなたがたに平和があるように」と伝え続けておられます。皆さんお一人おひとりのうえに、主の平和がありますように。

コラム 直線通り 久保彩奈

⑭「そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます」(使徒言行録20・32)

 船で旅立つ友人を港で見送りました。東京から北九州まで運航する、そのフェリーの全長はなんと191m、想像を超える大きさでした。フェリーの後ろ姿は真四角でまるで箱のよう。創世記のノアの箱舟を思い出させました。
 ノアの箱舟はその名の通り、まさに「箱」で、舵も帆もありません。つまり行きたいところに自らの力では行けないのです。また箱舟に動物たちと家族が乗り込み、最後にノアが乗り込むとき、その戸を閉めたのは神様でした。強い主導権をもって、神様はノアとその家族を導いていくのです。
 わたしたちの歩む人生も、まさに箱舟の船旅のようではありませんか。自分で選択し決断したと、あたかも舵を握って運航しているのは自分だという思いを捨て、全てを委ねて生きていく。そして委ねた先の新しい地で、神様の与える希望と祝福があり、虹がかかるのです。
「そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです」(使徒言行録20・32)
かつてノアがしたように友人も、まだ見ていない事柄を恐れかしこみながら受け継ぎました。わたしも、わたし自身の人生を神様に委ねながら生きる者になりたい、と切に願うのです。恵みのひだまりを受け継いで。

議長室から 「 網仕事(ネットワーク)」  総会議長 大柴譲治

「話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。シモンは、『先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう』と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。」(ルカ5・4~6)

 「大柴先生、イエスさまがなぜ漁師を最初の弟子とされたかをご存知ですか。」「・・・?」「漁師は網を仕事道具にしているでしょう。だから主の弟子たちである私たちもまた『網仕事(ネットワーク)』に従事するように召し出されているのです」。
 按手式でも紹介させていただきましたが、これは昨秋宣教協力50年を記念してドイツのブラウンシュヴァイクを訪問した際の、ドイツ人と結婚されたある日本人女性(Ms. Huwe Hisae)とのやりとりです。ドイツにも日本の宣教のために長く熱く祈り続けてきてくださったグループが存在します(すべてのパートナーチャーチにはそのような祈りのネットワークがあります)。その言葉を伺って私の中では「なるほど!」とすべてがストンと腑に落ちました。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マルコ1・17)という主の召命の言葉の意味が分かったように感じたのです。 確かにそうですね。私たち弟子の仕事はキリストのセイフティネットワークという網の中に人々をすくい上げる仕事なのです。それは本当の意味で一人ひとりを生かすネットワーク構築の仕事です。
 日本社会は確かに物質的に豊かになり便利になりました。しかし同時に、社会では多くの人々が孤立感を深めています。「こころ/魂」に焦点を当てるならば、その飢え渇き(スピリチュアルニーズ)はこれまで以上に大きくなっています。現在61万人もの「中高年のひきこもり」がいると最近伝えられていました。SOSを発する声がそこかしこから聞こえてきます。私たちのいのちの網を紡いでゆく務めはさらに重要になっています。
 既に関わっておられる方も少なくないと思いますが、様々な次元でネットワークの構築が求められているのでしょう。
 夜通し努力したにもかかわらず、何の収穫もなく徒労と失望の中にある弟子たちに復活の主は命じました。「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」(ルカ5・4)。「沖」とは「さらに深いところ」という意味です。「お言葉ですから」というペトロの言葉には「お言葉ですが」というアンビバレントな気持ちをも感じます。
 しかし、主はそのようにためらう私たちを信頼して、その網仕事を託してくださった。そのことを覚えつつ今ここを大切に歩みたい

登録有形文化財へ「日本福音ルーテル久留米教会礼拝堂」及び「煉瓦塀」

 昨年11月、日本福音ルーテル久留米教会礼拝堂は献堂百周年を迎えました。そして更にこの度、礼拝堂及び煉瓦塀が国の登録有形文化財に登録されることとなりました。多くの喜びを皆様と分かち合えますことを、本当に嬉しく思います。
振り返れば数年前、中島康文牧師から文化財登録を薦められ、手続きに詳しい大学の先生をご紹介頂き、色々とご教授頂きました。 それから半月ほど、今度は近所の設計事務所の方が訪ねて来ました。連絡を受けたのかと思いきや、そうではなく、全くの偶然。曰く、文化財に関するワークショップで文化財登録の書類を書くことになり、その題材を探しているとのこと。渡りに船とはこのことと、実際に申請を書いて頂くことになりました。
 そしてその翌週、今度は国・県・市の文化財関連の方が3名一緒に教会にやってきました。随分と早い対応だと思い驚いていると、これまた全くの偶然で、市内の歴史的な建造物を見て回っているとのこと。経緯を話すと文化庁の方も、「素晴らしい建物です、これなら登録は間違いない」と太鼓判を押してくださいました。一か月も経たない内にこれだけの事がありますと、「あぁこれは文化財登録をせよとの神様の導きだ」と、もはや疑う余地はありませんでした。
 そして、今回の登録です。思いがけないこともありました。献堂百周年の講演会の講師の先生や文化財登録の為に調査に来た方が、教会の塀を見て「これは貴重なものだ」と言うのです。この塀は煉瓦積みの表面に擬石づくりで装飾が施されており、大正時代のものがこうして現存しているのはとても珍しいとのこと。実は壊してフェンスにしようかなどと話していたのですが、慌てて撤回し、今回「煉瓦塀」も併せて文化財登録されることとなりました。
 今回の文化財登録によって、より多くの方に教会を知っていただけることに感謝すると共に、それを通して神様と出会う方が一人でも増えてくれればと、久留米教会一同、心より願っています。
昨年11月、日本福音ルーテル久留米教会礼拝堂は献堂百周年を迎えました。そして更にこの度、礼拝堂及び煉瓦塀が国の登録有形文化財に登録されることとなりました。多くの喜びを皆様と分かち合えますことを、本当に嬉しく思います。
 振り返れば数年前、中島康文牧師から文化財登録を薦められ、手続きに詳しい大学の先生をご紹介頂き、色々とご教授頂きました。 それから半月ほど、今度は近所の設計事務所の方が訪ねて来ました。連絡を受けたのかと思いきや、そうではなく、全くの偶然。曰く、文化財に関するワークショップで文化財登録の書類を書くことになり、その題材を探しているとのこと。渡りに船とはこのことと、実際に申請を書いて頂くことになりました。
 そしてその翌週、今度は国・県・市の文化財関連の方が3名一緒に教会にやってきました。随分と早い対応だと思い驚いていると、これまた全くの偶然で、市内の歴史的な建造物を見て回っているとのこと。経緯を話すと文化庁の方も、「素晴らしい建物です、これなら登録は間違いない」と太鼓判を押してくださいました。一か月も経たない内にこれだけの事がありますと、「あぁこれは文化財登録をせよとの神様の導きだ」と、もはや疑う余地はありませんでした。
 そして、今回の登録です。思いがけないこともありました。献堂百周年の講演会の講師の先生や文化財登録の為に調査に来た方が、教会の塀を見て「これは貴重なものだ」と言うのです。この塀は煉瓦積みの表面に擬石づくりで装飾が施されており、大正時代のものがこうして現存しているのはとても珍しいとのこと。実は壊してフェンスにしようかなどと話していたのですが、慌てて撤回し、今回「煉瓦塀」も併せて文化財登録されることとなりました。
 今回の文化財登録によって、より多くの方に教会を知っていただけることに感謝すると共に、それを通して神様と出会う方が一人でも増えてくれればと、久留米教会一同、心より願っています。

新入生を迎えて日本ルーテル神学校が 新年度へと歩み出しました

4月2日、ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校入学式が行われ、ルーテル学院大学総合人間学部136名、大学院21名、そして神学校としては2年ぶりに新入生6名を迎えました。
 神学校の牧師養成コースの新入生は新井航さん(NRK杉並聖真ルーテル教会)、笠井春子さん(JELC田園調布教会)、三浦慎里子さん(JELC室園教会)の3名です。そして今年度から開設された神学一般コースには3名の新入生を迎えることとなりました。 翌4月3日には、司式・河田優チャプレン、説教・石居基夫校長による神学校入学始業聖餐礼拝が行われ、2019年度の歩みが祈りとともに始められました。(広報室)

「3・11を覚える
礼拝」に出席して

  ?野昌博
(東教区長・小石川教会)

 3月10日、四旬節第1主日の午後3時から、東京池袋教会において東教区主催の「3・11を覚える礼拝」が持たれ、約50名が集いました。礼拝では、日本聖公会の信徒で聖公会東京311ボランティアチーム代表の楡原民佳さんが、ご自身が現在も関わっておられる活動について語られました。それは、被災地からの避難者、特に子どもたちが避難先で体験させられている過酷ともいえるいじめの実態、そして、その子を支える母親をはじめとする家族の追いつめられている現状、そして、周囲の無関心、あるいは排除といった厳しい現実でした。天災を人災へと変質させ、拡大していく、私を含む人間の罪の真相を突きつけられ、胸をえぐられる思いで聞いたのは、私だけではないでしょう。
 司式者のリードによって、私たちは、8年前のあの日の出来事を思い起こし、今なお悲しみの続いていることを再認識し、「わたしたちは決して恐れない。地が地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも、海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも。」(詩編46)との御言葉を聞き、創造主なる神様に深く信頼を寄せることを促され、励まされると共に、復興への厳しく、困難な道を歩んでおられる方々に思いを馳せました。
 礼拝では、リラ・プレカリア(祈りのたて琴)に支えられながら、全員で黙想の時を持つ機会も与えられました。8年の歳月を振り返る中で私は、当初は自然災害の脅威を目の当たりにし、恐れをなし、人間の小ささ、弱さを痛感させられていましたが、やがて時の経過と共に、人類の文明の在り方そのものを直視せざるを得ないことを知り、深刻な反省と、主なる神の前での悔い改めが必要であることに気づかされていったように思います。神の前での悔い改めは方向転換であって、そこには再出発の希望があります。
 この先、過ぎた8年よりも、長い長い道のりになるでしょうか。挫折することもたびたびであると思いますが、希望を失わず、どこまでも粘り強く、手を携えて共に歩んでいきたいと願わされ、祈りを一つにしました。

日本福音ルーテル教会社会委員会 ③ヘイトスピーチを考える 社会委員会  秋山 仁

 ヘイトスピーチ、それは人種や民族、国籍、宗教、あるいは性別、障がい等を理由とした、個人や集団への差別や憎悪を表現した発言・言動をいいます。およそ2009年頃から社会問題化してきました。ヘイトスピーチを行っているのは、主に「ネット右翼」と呼ばれる人たち、もしくはその考えに賛同する人たちです。彼らは「愛国」を掲げ、在日韓国・朝鮮人をはじめとする在日外国人が「日本で特権を享受している」との嘘・デマの情報をインターネット上で流布させ、偏見や排斥感情を煽っています。彼らは、「嫌韓(韓国)」、「嫌中(中国)」といった言葉を生み出し、それらの書籍が本屋の店頭で売られるようにもなりました。
 彼らの攻撃対象は在日外国人だけにとどまらず、被差別部落出身者や障がい者、同性愛や性同一性障がい者等の性的少数者、あるいは、生活保護受給者にも及びます。「福祉にただ乗りしている」「生活保護を不当に受けている」というのが彼らの言い分です。さらに「反原発」や「沖縄の基地建設反対」を主張する人々に対しても、「反日」というレッテルを貼り、しきりと誹謗中傷を繰り返すのです。
 そうした風潮の中で、ネット上だけでなく、大阪や東京等の都市部を中心に、街頭での、あからさまなヘイトスピーチ「デモ」が行われるようになっていきました。「市民団体」を名乗り、毎週のように各地の在日外国人多住地区等に集まっては、マイクをもって極めて差別的な罵詈雑言を浴びせかけるのです。京都では 朝鮮初級学校(幼稚園・小学校)の校門前で、「スパイの子は日本から出て行け」「朝鮮人は人間以下」などの発言を繰り返した事件もありました。
 2016年に国会でヘイトスピーチ規制法が成立し、また大阪や東京でもヘイトスピーチを規制する条例が制定
されていますが、法的に取り締まる効力はありません。「言論・表現の自由」を妨げてはならないというのです。
 ヘイトスピーチは、言葉の暴力です。言葉による「人間の尊厳」の殺人です。対象とする相手の人格を無視し、尊厳を踏みにじることによって、社会的に葬ろうとする行為です。それはかつてナチス・ドイツが犯した犯罪にも通じるものです。
 私たちは、差別や憎悪を煽る言葉に対して、立ち向かわなければなりません。差別や偏見を根絶するためには、先ず「人間の尊厳」を大切にする価値観に拠って立つことです。
 それを聖書は教えてくれています。なぜならイエス様は、人を偏り見ることなく、一人一人をかけがえのない存在として大切に愛されたからです。そして社会や歴史について、嘘・デマに惑わされない正確な知識を身につけることと、様々な人たちとの出会いと対話を通して、相手を思いやる共感力を養うことが必要です

宣教の取り組み 九州教区「天皇代替 わりにあたって」文書発行

 九州教区には、多くの社会福祉施設と学校が存在し、日常的に教会と共に宣教を担っています。このことから、九州教区常議員会はこの度の「天皇代替わり」とそれを取り巻く社会の動きに際し、キリスト教会として大切にしたいと思われることをまとめ、各施設などへ送付しました。その内容を分かち合い、それぞれの考えや歩みへの参考にしていただければと考えています。(広報室)

天皇代替わりにあたって
 日本福音ルーテル教会九州教区に属する社会福祉法人、学校法人、ならびに、各幼稚園、各保育園、各認定こども園、乳児保育園、各学校、各施設の皆様
 主のみ名をほめたたえます。皆様にありましては、日ごろから、主の愛のみわざのためにご尽力いただいておりますこと、心より感謝し、敬意を表するものであります。
 さて、今年の4月30日に現天皇が退位し、5月1日に新天皇が即位することが決まり、代替わりに伴い、様々な儀式が執り行われることになっています。
 聖書の信仰によって、「神の御前に皆等しく愛され、尊ばれている」ことを旨とする私たちは、「同じ人間である誰かを特別に奉ること」に抵抗をおぼえます。
 私たちがほめたたえるべきは、主なる神様のみです。
 30年前の代替わりの際に、様々な「自粛」や「奉祝」が求められたことが思い出されます。それぞれの置かれている状況などは違うと思いますが、キリスト教主義に立つ私たちは、それらの日を、ある意味、何もない日として普通に過ごす、あるいは、このような時だからこそ、主なる神様をほめたたえる礼拝を(チャプレンなど)牧師らと一緒に過ごしていただければ、と願います。
  また、キリスト教の信仰に生きる者にとっては、「平成」や「新しい元号」よりも、「2019年」こそ、意味のある年です。それはわが国では「西暦」と呼ばれていますが、A.D.(Anno Domini)は「主(イエス・キリスト)の年」の略です。
 天皇の代替わりによって新しい元号への関心もおありかもしれませんが、この機会に、改めてキリスト教主義の法人、キリスト教主義の学校、キリスト教主義の幼稚園、キリスト教主義の保育園、キリスト教主義のこども園、キリスト教主義の乳児保育園、キリスト教主義の社会福祉施設として、何よりも「2019年の今」であることを大切にしていただきたいと思います。
 また日常的にも、皆様の施設、学校、園において、「平成◯◯年」と用いることを習慣にしておられるところもおありかもしれません。でも、これを機会に、キリスト教主義の法人、諸学校、諸施設、諸園においては、「2019年◯月◯日」と書くことを習慣づけていただければと思います。
 何気ないことのように思われるかもしれませんが、そのようなところにおいてこそ、「私たちの法人、私たちの施設は、キリスト教の施設です。」ということを意識し、また伝えることにもなっていきます。
 卒園式、入園式等において、保護者の方々から言葉をいただく時にも、「私たちの園はキリスト教主義の園ですから、2019年◯月◯日としてください」とお願いすることも大切なことです。
 ちなみに、官公庁などへの提出書類においては、日本の元号を用いなければならないと思われがちですが、それも協力を要請されているに過ぎないことですので、私たちはいかなる時でも「主の年」を重んじて、「2019年」と書くことができます。 
 さらに、天皇家の中からも疑義が出されているのを見るまでもなく、30年前の代替わりの際に「大嘗祭」をはじめとする一連の儀式が憲法の定める「政教分離」を無視したものであることなどに対しても、私たちは、少なからず疑問を持っておりますし、それらの過剰な動きがかつての軍国主義へと進んでいくことをも懸念しています。
 今年行われる代替わりの諸儀式等をどのように受け止めるのか、個人個人においては自由です。
 しかし、「ただひとりの神を信じ、その神様の愛はすべての人に等しく注がれている」ことを信じるキリスト教の法人、学校、施設、保育園、乳児保育園、幼稚園、こども園にあっては、職員だけでなく、園児、生徒、学生、利用者、そのご家族の方々に、私たちの立つべきところはどこにあるか示していくためにも、 今回の代替わりにおける過ごし方をお考えいただければと思います。
 九州教区の常議員たちで話し合い、この手紙を送ることにしました。
 皆様の上に、神様の恵みと平安がありますように。
主のみ名によって。
2019年3月15日 日本福音ルーテル教会 九州教区常議員会

第26回 春の全国ティーンズキャンプ報告

関 満能(宣教室TNG委員会 Teens部門)
 本年も各教会を始めとする多くの方の祈りと、日本福音ルーテル社団、各教区、女性会連盟などの皆さまのお支えによって、第26回春の全国ティーンズキャンプを開催し、恵みのうちに終了することができました。本年はキャンパー75名、スタッフ39名が当日参加しました。感謝と共に報告いたします。
 本年のテーマは、「創造」でした。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1・31)とのみことばを主題聖句とし、神さまが私たちの「存在」そのものを肯定してくださっていることをキャンパーとともに分かち合いました。
 プログラムでは、キャンパー一人ひとりがグループリーダーや牧師から名前を呼ばれ、「あなたは極めて良い」との言葉をかけられる場面がありました。そこでは、涙するキャンパー(そしてスタッフも)少なくありませんでした。12歳から18歳までのキャンパーは、この3日間を通してそれぞれに「極めて良い」という神さまからのみことばを受けとっていったことと思います。
 最後に、キャンプ中のキャンパーの声をお分かちします。プログラムに神さまからの「極めて良い」というメッセージを受けとめられないことを考える時間があったのですが、その際多く見られた意見を紹介します。
 「問い/神さまからの極めて良いとのメッセージを受けとめるにはどうしたらいいか」
 「答え/教会へ行く」
 これは、あくまでも答えのすべてではなく多く見られたものです。しかし、春キャンに関わるスタッフの思いは、教会の働きである春キャンを通して、キャンパーが教会につながっていくことです。キャンパーが教会へ行くことに対する思いを少しでも持ってくれたことは、スタッフとして大変嬉しいことでした。芽が出るには時間がかかるかもしれませんが、着実に種は蒔かれていると思います。

第26回 春の全国ティーンズキャンプ概要

開催日程/2019年3月26日~28日
会場/千葉市自然少年の家
テーマ/創造
主題聖句/「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1・31より)
キャッチフレーズ/
Very Good!
参加者/75名(北海道1、東27、東海12、西8、九州27)
スタッフ/42名(準備だけのスタッフ含む)
キャンプ長/関 満能牧師
チャプレン/野口和音牧師
プログラムのねらい/神さまが私たちの「存在」を肯定していることを受けとめる。

宣教の取り組み  本郷ルーテルおいしいじかんフェスタ

本郷教会と本郷学生センターは、アメリカからの宣教師による英会話クラスを中心にした宣教が行われてきました。それを継続しながら、近年、より一層地域に奉仕することを目的とし、子育てサロンや野宿者支援、そして街のイベントとして「本郷ルーテルおいしいじかんフェスタ」を開催しています。
 平日夜に開かれていたキリスト教入門に参加する、いわば教会の「外」の人たちが、教会がこのあたたかな場を積極的にアピールしないのはもったいなく、地域や教会外の人にも知ってもらいたいという思いを得たことが始まりとのこと。当初、近隣の大学の学園祭に出店することも考えたそうですが、それ以上に教会の建物と交わりが持つぬくもりを味わっていただける場とすることを考え、教会を会場として街のフェスティバルを行うことになったのは5年前のことでした。
 音楽の演奏や日々の暮らしに役立つお話し、近隣の飲食店による出店、手作り雑貨やお菓子、ワークショップ、また教会や教会員が取り組んでいる様々な活動の紹介など、地域の方々と教会に連なる人たちとが一緒に「おいしい時間」を味わうことになればと計画し、町会や消防団などの協力も得ることができたそうです。
 教会が与えられている数えきれない恵み(宝)を「外」の人たちが掘り起こし、それを地域でわかちあうことが、従来行われてきたバザーとは少し雰囲気の異なる機会となり、大勢の人がそこに集うこと自体を楽しみ、出会いを喜ぶ良い機会となっています。地域に「居場所」を提供する宣教活動は、地域社会からも期待されています。6回目となる今年の「本郷ルーテルおいしいじかんフェスタ」は、5月12日(日)に行われます。 (広報室)

新たな聖書日課の導入について

 改訂礼拝式文の公式使用が開始され、3月の按手式でも礼拝前の短い練習を経て、これを用いて礼拝が行われました。新たな礼拝式文と共に作成が進められていたものに「聖書日課」と「特別の祈り」(改訂礼拝式文では「集いの祈り」と呼称)があります。
 
 改訂礼拝式文は、新たな聖書日課と共に使用されることを想定していますが、それが改訂(Revised)共通(Common)聖書日課(Lectionary)であり、略してRCLと呼びます。これは主要なプロテスタント教会やカトリック教会が共同で取り組んで作ったエキュメニカルな聖書日課です。世界の各教会が教派を越えて、主日に同じ聖書テキストから同じみことばを聴こうという思いから、1992年に完成しました。世界の多くのルーテル教会もこの日課を採用しています。 主日礼拝の聖書日課は3年周期で構成され、共観福音書といわれるマタイ、マルコ、ルカ福音書を3年ごとに繰り返し読みます。共観福音書ではないヨハネ福音書は、四旬節や聖週間、復活節を中心に随所に組み込まれ、いずれの年にも読まれるようになっています。この構成は、現行の共通聖書日課もRCLも同じですが、これまでと比較してヨハネ福音書が多く取り上げられる傾向にあります。
 特別の祈りは、主日の聖書日課のために整えられ、その日の朗読聖書が指し示すみことばの中心テーマを簡潔に示します。ですから、聖書日課の変更に伴い、特別の祈りも、よりふさわしく整えることとなります。これまで教職には数年にわたり、RCLに基づく新たな特別の祈りの案を提示し、意見を聴取しながら、日本語表現としての適正や用語の統一、礼拝で声に出して祈るといった様々な使用法を考慮して、作成が行われてきました。
 この度、RCLを公式に導入することとなり、2019年12月の待降節から、現行の聖書日課からRCLへ切り替えることとなりました。教会手帳へも反映していくこととなります。諸委員会や関係団体等で必要な場合には本年6月中旬から、週日の日課を含む情報をお渡しすることが可能です。事務局へお問い合わせください。(事務局)

公 告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
  2019年5月15日
  宗教法人
  日本福音ルーテル教会
  代表役員 大柴譲治

信徒利害関係人 各位

帯広教会池田礼拝堂建物取壊・売却
 所在地 北海道中川
 郡池田町旭町3丁目
 所有者 日本福音ルーテル教会
 家屋番号 47番地1、2
種類 
 教会
  面積
  ①140・87㎡
  ②37・91㎡
 牧師館
  面積
  ①72・90㎡
  ②28・35㎡

19-04-15「マリア!」「ラボニ!」

 イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。(ヨハネによる福音書20・16)

今年もイースターを共々に祝えますことを心から感謝しています。主のご復活の喜びを、ヨハネ福音書第20章1節から18節までを通して、ご一緒に味わってみたいと思います。

 マグダラのマリアは、七つの悪霊を主イエスによって追い払っていただいた女性で、主イエスの一行に従って、エルサレムにやって来た女性の弟子たちのうちの一人でした。ヨハネ福音書によれば、彼女は週の初めの日、すなわち、安息日の終わった一日目のまだ暗いうちにやって来て、主イエスの納められていた墓の石が取りのけてあるのを目にします。そして、シモン・ペトロともう一人の主が愛された弟子のもとに走って行って告げます。だれかが、主イエスを運び去りましたと。

 ペトロともう一人の弟子は墓へと出かけ、走りますが、主の愛された弟子の方が速く走り、先に着きます。彼は墓を覗き込みますが、中には入りません。続いて到着したペトロは中に入り、主イエスの着せられていた亜麻布と、それとは別のところにたたまずに置いてある顔覆いを目にします。そして、続いて中に入った別の弟子は、見て、信じたとありますが、彼らは、主が復活することになっているという聖書をまだ知らなかったからであると記されています。弟子たちは空の墓にぶつかり、更に、復活の主が彼らに何度も顕現することを通して、初めて主の復活を信じるに至るのです。

 さて、その後、マリアは墓に戻って、主イエスのことを思って泣いていました。墓とは、地上の生の一切が無に帰するところであり、しかも主イエスの体まで奪われ、虚脱感に包まれていたからです。そして、彼女が不意に墓を覗き込むと、二人の天使が、主イエスの遺体が置かれてあった頭の部分と足の部分に座っているのが見えます。天使の二人は、なぜ泣いているのかと尋ねると、マリアは、人々が彼を運び出しました、彼らがどこに置いたのか私には分かりませんと答えます。そして振り向くと、主イエスが立っておられるのが目にとまりますが、彼女は主とは分かりません。主は、なぜ泣いているのか、だれを捜しているのかと聞きますが、彼女は園丁だと思って、もしあなたが運び去ったのであれば言ってください、私が引き取りますと言います。

 主はその時、「マリア」と呼びかけるのです。そして、マリアは「ラボニ」(先生)と言葉を返します。文芸評論家の亀井勝一郎は、故人の声を思い出す者こそ、故人を最も愛した人であると書いていますが、マリアは、復活の主から名前を呼ばれて初めて、主イエスであることを知るのです。マリアが主イエスに触れようとすると、主は私に触れないように、私はまだ父のもとに上ってはいないのだからと言われます。そして、私の兄弟たちのところに行って言いなさい。「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る」(17節)と。福音書記者ヨハネにとって、主イエスが十字架に上げられ、苦しみを受け、また、天に上げられることは、栄光なのです。上から来た者以外に、上に上げられる者はいないのであり、その方以外に、私どもを天に上げることのできる者はいないのです。

 ある介護施設で暮らしている、既に90歳を超える高齢の方は、自分が教会につながり、洗礼を受け、不思議な救いの道に与ったことを感慨深げに話され、別れ際に、「復活があるということを納得させられなければ、人々を主キリストにつなぐことは不可能です。その肝心なところを、先生、ぜひとも人々にお伝えください」と遺言のように語ってくださいました。

 主イエスから、じかに語りかけられたマリアは、もはや以前のマリアではありませんでした。復活の主との新しい関係が始まり、マリアは教会で最初のキリストの伝道者へと変えられたのです。そして、マリアからその知らせを聞いた弟子たちもまた、この後、幾度も復活の主にまみえることを通して、復活の命、永遠の命を証しする者とされていくのです。アーメン。

日本福音ルーテル教会牧師 渡邊賢次

19-04-10るうてる2019年4月号

説教『マリア!』『ラボニ!』

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イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。(ヨハネによる福音書20・16)
今年もイースターを共々に祝えますことを心から感謝しています。主のご復活の喜びを、ヨハネ福音書第20章1節から18節までを通して、ご一緒に味わってみたいと思います。
 マグダラのマリアは、七つの悪霊を主イエスによって追い払っていただいた女性で、主イエスの一行に従って、エルサレムにやって来た女性の弟子たちのうちの一人でした。ヨハネ福音書によれば、彼女は週の初めの日、すなわち、安息日の終わった一日目のまだ暗いうちにやって来て、主イエスの納められていた墓の石が取りのけてあるのを目にします。そして、シモン・ペトロともう一人の主が愛された弟子のもとに走って行って告げます。だれかが、主イエスを運び去りましたと。
 ペトロともう一人の弟子は墓へと出かけ、走りますが、主の愛された弟子の方が速く走り、先に着きます。彼は墓を覗き込みますが、中には入りません。続いて到着したペトロは中に入り、主イエスの着せられていた亜麻布と、それとは別のところにたたまずに置いてある顔覆いを目にします。そして、続いて中に入った別の弟子は、見て、信じたとありますが、彼らは、主が復活することになっているという聖書をまだ知らなかったからであると記されています。弟子たちは空の墓にぶつかり、更に、復活の主が彼らに何度も顕現することを通して、初めて主の復活を信じるに至るのです。
 さて、その後、マリアは墓に戻って、主イエスのことを思って泣いていました。墓とは、地上の生の一切が無に帰するところであり、しかも主イエスの体まで奪われ、虚脱感に包まれていたからです。そして、彼女が不意に墓を覗き込むと、二人の天使が、主イエスの遺体が置かれてあった頭の部分と足の部分に座っているのが見えます。天使の二人は、なぜ泣いているのかと尋ねると、マリアは、人々が彼を運び出しました、彼らがどこに置いたのか私には分かりませんと答えます。そして振り向くと、主イエスが立っておられるのが目にとまりますが、彼女は主とは分かりません。主は、なぜ泣いているのか、だれを捜しているのかと聞きますが、彼女は園丁だと思って、もしあなたが運び去ったのであれば言ってください、私が引き取りますと言います。
 主はその時、「マリア」と呼びかけるのです。そして、マリアは「ラボニ」(先生)と言葉を返します。文芸評論家の亀井勝一郎は、故人の声を思い出す者こそ、故人を最も愛した人であると書いていますが、マリアは、復活の主から名前を呼ばれて初めて、主イエスであることを知るのです。マリアが主イエスに触れようとすると、主は私に触れないように、私はまだ父のもとに上ってはいないのだからと言われます。そして、私の兄弟たちのところに行って言いなさい。「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る」(17節)と。福音書記者ヨハネにとって、主イエスが十字架に上げられ、苦しみを受け、また、天に上げられることは、栄光なのです。上から来た者以外に、上に上げられる者はいないのであり、その方以外に、私どもを天に上げることのできる者はいないのです。

 ある介護施設で暮らしている、既に90歳を超える高齢の方は、自分が教会につながり、洗礼を受け、不思議な救いの道に与ったことを感慨深げに話され、別れ際に、「復活があるということを納得させられなければ、人々を主キリストにつなぐことは不可能です。その肝心なところを、先生、ぜひとも人々にお伝えください」と遺言のように語ってくださいました。

 主イエスから、じかに語りかけられたマリアは、もはや以前のマリアではありませんでした。復活の主との新しい関係が始まり、マリアは教会で最初のキリストの伝道者へと変えられたのです。そして、マリアからその知らせを聞いた弟子たちもまた、この後、幾度も復活の主にまみえることを通して、復活の命、永遠の命を証しする者とされていくのです。アーメン。

コラム 直線通り 久保彩奈

⑬あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。(ヨハネによる福音書15・16)

 桜の花が満開の頃、わたしの勤務校は入学式を迎えます。新入生は新しい学校生活に、進級した在校生もクラス替え発表に緊張しながら敷地内にある桜並木を潜るようにして登校します。しかし胸を高鳴らせるのは生徒だけではなくわたしたち教師も、です。冬の入試の時には「神様のこの学校で学ぶべき子どもたちを導いてください」と祈ります。その祈りを込めた出会うべきこの子どもたちがやってくるのです。新しい出会いに胸を弾ませる季節がやってきます。
 しかしすべてのキリスト教学校は私立のため受験を経て入学するので、子どもたちの中には第1志望ではなく入学する子どもたちもいます。「こんな学校に来るはずじゃなかったんだ」とふてくされたように、授業中に言われたこともありました。
 「ごめん!わたしたちはものすごい勢いで祈ってたの!君の学ぶべき場所はこの学校だって神様が導いたのだから絶対大丈夫!わたしは君に出会えて良かったよ!」と返すと「なんで先生祈ったんだよ~」と笑いながら言われてしまいました。
 自分の思いを遥かに超えて働かれる主に人生を委ねる、その生き方をこの学校で教えてあげるね。大丈夫、君は導かれるべくして導かれた神様の子どもだよ。安心して、この学校で歩んでいこう。わたしたちの愛する神様は失敗を知らない、素晴らしい方なんだよ。

議長室から 総会議長 大柴譲治  「新しいエクソドス」

今年私たちは礼拝でルカ福音書を読んでいます。3月3日にはルカ9章から主の山上の変容について学びました。これはイエスが十字架へと具体的に踏み出してゆくタイミングで起こった出来事で、マルコにもマタイにもありますが、ルカにしかない大事なキーワードがあります。ルカは律法を代表するモーセと預言者を代表するエリヤがイエスと語り合った内容に直接触れているのです。「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた」(29~31節)。
 ここで「最期」と訳されているのはギリシャ語で「エクス・ホドス」という語です。新しい聖書協会共同訳では「最後のこと」と訳され、注に別訳として「終幕」とありました。「エクス」とは「~から外に」を意味する前置詞、「ホドス」とは「道」ですから、原義は「外に向かって出るための道」という意味になります。「突破口」または「脱出路」とも訳せますし、「出発」という意味もあります。英語はExodus、この語を聞いてピンとくる方も少なくないと思います。そうです、「エクソドス」とは「出エジプト(記)」のことを意味しています。つまり三人はここで、エルサレムでイエスが成し遂げられる「最期」を「新しいエクソドス」として話していたというのです。
 モーセがイスラエルの民を引き連れ、真っ二つに割れた紅海の底を通って乳と蜜の溢れる神の約束の地に向かってエジプトの奴隷状態を脱出したのが「エクソドス」の出来事でした。その「古いエクソドス」に対して、イエスの十字架と復活とは「新しいエクソドス」であり、私たちを究極的に罪と死と滅びから解放する出来事であることがここでは宣言されているのです。
 確かに、イエスを主と信じ、私たちは「洗礼」という水をくぐって神の約束の地(天)に向かって出発します。それは刻々と「天とつながる旅」でもありましょう。もしかするとそれは「荒れ野の40年の旅」かもしれません(聖書で40とは人の一生を意味する完全数)。真の神を見失って金の子牛を拝み、エジプトの肉鍋が恋しいと不平不満をもらすような迷い旅であるかもしれません。しかしそのような民を神は見捨てず日毎のマナと岩清水、そしてうずらをもって過不足なく養ってくださる。神、われらと共にいます、です。復活のキリストに導かれつつ、この旅を皆さまとご一緒に歩んでゆきたいと願っています。

戸教会宣教百周年を迎えて 家合 直(神戸教会百周年準備委員会)

 1918年(大正7年)秋、ネルセン宣教師が神戸伝道を計画。同年12月の亀山萬里牧師による当時の神戸市外原田村、現在の神戸市灘区王子公園付近での伝道開始をもって神戸教会は歩み始めました。翌1919年(大正8年)8月に33歳の若さで召天された亀山牧師の後を受けたリッパード宣教師と竹谷勝爾伝道師の手により同年11月19日、現在の神戸教会所在地(神戸市長田区寺池町2丁目)にほど近い神戸市五番町に講義所が開設されました。その後、1935年(昭和10年)5月19日に、寺池町1丁目に最初の会堂が献堂。また、阪神淡路大震災から5か月後の1995年(平成7年)6月24日に2代目の会堂が献堂し現在に至っています。
 この五番町の講義所開設の日にちなんだ昨年11月18日の主日、現教会員以外にも、戦後間もなくの時代に受洗された方々、あるいは、55年の歴史を刻み1992年(平成4年)に閉園した神戸教会附属のぞみ幼稚園の卒園生や教諭の方々など50数名が神戸教会に集い、宣教百周年の記念礼拝を守りました。松本義宣牧師および神戸教会出身の乾和雄牧師が司式を務め、説教は神戸教会出身の斎藤忠碩牧師が担いました。前日の記念演奏会に出演された松江教会出身の光野孝子さんによる詩編95編1~7節の独唱があり、また、「神戸教会宣教百周年感謝の連祷」が献げられました。礼拝後には感謝会の場がもたれ、和やかな雰囲気の中で、旧交を温め合う姿が随所に見られました。こうして、天候にも恵まれ、祝福された一時を過ごすことが出来、感謝の思いを抱きつつ閉会となりました。
 大正から昭和を経て平成に至る時代の流れの中で、神戸教会は百年間歩み続けました。ただ感謝あるのみです。そしてこれからも、いつまでも歩み続けます。
 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書28章20節より)

インドワークキャンプで得たこと 三浦ことの(東京池袋教会)

 大学での学びに生かすため、世界を見て視野を広げようと考え、私は今回初めてJELAのワークキャンプに参加しました。キャンプはインドのマハラシュトラ州ジャムケッドにあるThe Comprehensive Rural Health Project(=CRHP)の施設で行われ、私は主に義足作りと幼稚園舎のペンキ塗りに従事しました。その中で義足や園舎が、今まで私とは接点のなかった人たちが、これからの生活で使用するものだということに気づき、奉仕への責任を感じました。人々の交わりに喜び、気づいたら多くの人と触れあっていました。
 キャンプでは、祈る時間が毎日与えられました。神様からの多くの導きがありました。現地の言語で祈ってもらった時、意味は理解できなくても、心を合わせて神様にむかうということに変わりはないなと感じました。共に祈ることの素晴らしさを改めて感じ、また、その出来事に喜びました。これはきっと世界中で感じられることではないかと思います。そうであってほしいと願います。また、輪になって祈る場面もあり、私たちが繋がって祈ることは素晴らしいと心から感じました。
 農場を訪問した時に、考えさせられることがありました。それは、「手を洗う」ことについてです。大人たちは、衛生面から手洗いの重要性を説いても、理解が得られないというのです。理由は、手洗いに使う水のお金で、どれくらい食料が買えるだろうと考えるからだそうです。価値観の違いを知り切なくなりました。他方、保育園では日課として「手洗いの唄」を歌い、その意味を学んでいます。このことは意識を改革するために意味があることだと思います。
 また、農場では新鮮な時間の流れを感じました。それは、焦らずに、のんびり過ごすというものです。私は日本で、とても忙しく、常に時間に追われていました。農場で感じた時間の流れはとても大切なものだと思います。それは、忙しいと見逃してしまう自分の中の感情と向き合い、心と体を休めることができ、これからの力になるからです。日本の生活でも生かしたいです。

 日本福音ルーテル社団(JELA)の主催するインドワークキャンプが、2月9~19日まで13名の参加を得て行われました。チャプレンは小泉嗣牧師。教会関係者より、感想を寄せていただきました。

「教会手帳」における「日の丸」の表示について
2019年の「教会手帳」に、本年限りの「国民の祝日」と定められた5月1日「天皇即位の日」、10月22日「即位礼正殿の儀の行われる日」、またこれに伴い、祝日法により「休日」となる4月30日につきまして、それぞれ決定される前ではありましたが記載を行いました。しかし、併せて当該日程に日の丸を模したマークがついてしまいました。これについての確認が不十分でした。
 日の丸は明治以降天皇崇拝儀礼と結びつき、戦意高揚と侵略戦争の象徴として用いられてきましたが、戦後そのことが充分に反省されることのないまま1999年に国旗として法制化されました。そして今日でも、国家権力への無条件の従属を強制するシンボルとして用いられることがあります。
 そうした状況を鑑みる時、日の丸マークを教会手帳に用いることは、当教会としてその負の歴史とそれによる苦しみを受けた人々、また現在もその痛みの内にある人々への配慮を欠くことと受け止めています。深く反省し、ここにお詫びいたします。(事務局長 滝田浩之)

 

第28期第3回 常議員会報告 事務局長 滝田浩之

 2月18~20日、ルーテル市ヶ谷センターにて第28期第3回常議員会が開催されました。以下内容について報告いたします。

(1)ハラスメントの学び
 日本バプテスト連盟常務理事である、吉高叶先生からご講義を頂きました。連盟のこれまでの取り組みを具体的にお聞きするとともに、取り組みの中での課題を分かちあって頂きました。今後、「ハラスメント防止規定」の作成に向けて準備をしていくことになります。また聖公会の発行した『自分を愛するために』を送付しました。各教会での学びにお用いください。
(2)礼拝式文の発行
 2月上旬に各教会に礼拝式文が送付されました。今後、諸式の提案を式文委員会から受け、10年かけて各教会で試用を頂き、提案、訂正を受け整えていくこととなります。音符の部分で修正がありますが、もうしばらく確認をして各教会に訂正の案内を行う予定です。式文委員会の10年をこえる働きに感謝したいと思います。今後、日本福音ルーテル教会主催の礼拝でも用いていくことになります。また2020年の教会手帳より、現行の主日の聖書日課に変えて、改訂共通聖書日課(現在、手帳巻末に記載)を用いることも確認されました。
(3)ELCA本部・サウスカロライナ教区公式訪問
 5月28日~6月6日、サウスカロライナ教区の総会に議長が招かれたことを受けて、公式訪問を行うこととなりました。各教区長の推薦を受けた方々が参加されます。浅野世界宣教主事を中心に準備が進んでいます。日本福音ルーテル教会は1892年に米国南部一致ルーテル教会(現在のELCAサウスカロライナ教区)から送られた2組の宣教師によって1893年より宣教が開始されました。ルーツを訪ねることで、宣教への思いが新たにされることが期待されます。
(4)特別貸与奨学金規定改定
 日本ルーテル神学校が新たな牧師候補者を広く求める一環として、授業料の減額を決断してくださいました。これを受けて、日本福音ルーテル教会としても神学生支援の拡充のため、特別貸与奨学金規定の改定を行いました。また秋には神学教育委員会を中心に神学校で「献身者のためのオープンキャンパス」を実施します。身近な年齢の牧師たちと交わりを深め献身の思いを強めることができる時になればと願っています。
(5)信仰と職制委員会からの答申
 式文委員会から答申を求められていた件について、いくつかの諮問が行われました。詳しくは、常議員会議事録をご確認ください。

(6)第7次綜合方策委員会設置の件
 2020年の全国総会に提案する、第7次綜合方策委員会が設置されました。今後10年、日本福音ルーテル教会が一つの教会として持続していくこと、同時に、この世に仕える群れとなることを目指して教会形成の全体の方向付けを確認するものとなります。
(7)即位の礼・大嘗祭への公費支出反対の件
 即位前の4月末までに社会委員会を中心に、これまでのように「見解」を作成して頂くことになりました。「見解」は作成次第、ホームページに記載し、日本福音ルーテル教会の「姿勢」として表明されることになります。
(8)市ヶ谷会館将来検討委員会
 次回の全国総会へ、市ヶ谷事業を継続していくための必要な提案を行うため委員会が行われています。具体的な耐震補強案を作成するとともに、複雑な利害関係者(市ヶ谷教会の宣教、本部機能、貸室業、ホール業等)が事業を継続しながら工事を実施することを踏まえ、設計事務所の強い要望もあり国交省が採用するECI方式(プロジェクトの設計段階より施工者の技術力を反映させることでコスト縮減や工期短縮を目的とした方法)で施工業者を決定して進める方向が確認されました。
(9)新翻訳聖書の「試用」について
 2018年12月に発行された新たな翻訳の『聖書』聖書協会共同訳を「試用」することができることを確認しました。過去の日本福音ルーテル教会での新翻訳聖書への対応については、まずは「試用」として聖書研究会等で用いたのち各個教会に、その移行の判断は委ねられていることが確認されています。試用されてみての意見や感想については、各教区長、事務局にお寄せください。

神学生のための奨学金制度が拡充されました

 2019年度から、神学校の学費が引き下げされた一方、教会からの奨学金が拡充されて、学費については4年間すべてを奨学金でまかなえるようになりました。ぜひこの制度改正を活用して、各教会からもっと
献身者を送り出しましょう。
 日本福音ルーテル教会の牧師は、日本ルーテル神学校で4年間学ぶのが基本です。特別貸与奨学金制度では、1、2年生と3、4年生で扱いが違います。
 1、2年生では、その年の入学金、施設費、学生納付金、入寮費・寮費(又は住宅費)の全額が貸与されることになりました。更に、諸事情で寮に入れない神学生も寮費相当額の奨学金を受けられることになりました。この1、2年生の特別奨学金は、牧師になってから15年かけて返済していただきます。
 3、4年生では、上記の額に、食費として月額4万円が追加される上、牧師になってから定年まで15年以上ある方は、全額返還が免除されます。定年まで15年未満の方は、一部だけ返還していただきます。
 今度の制度改正でも、生活費の支援は不十分です。各神学生には、神学生を送り出した教会を中心にして、経済的な支援をしていただければ幸いです。

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2019年4月15日
 宗教法人
 日本福音ルーテル教会
    代表役員 大柴譲治

信徒利害関係人 各位

なごや希望教会建物取壊

所在地 名古屋市千種区今池 3-5-19
所有者 日本福音ルーテル教会
家屋番号 501番
種類 
 教会
  面積 (1)238・01㎡
     (2)27・66㎡
 牧師館
  面積 (1)87・60㎡
     (2)34・71㎡

新会堂・牧師館建築のために旧礼拝堂・牧師館部分を取り壊すため。

新任牧師あいさつ

小澤周平
 皆様のお祈りとお支えに感謝いたします。この度、名古屋めぐみ教会にて牧師の働きを与えられました。いよいよ現場だ、と期待を胸に過ごしています。神学生の間を振り返ると、何度も迷い、何度も道が見えなくなりました。苦しい中で受けた助言に、困難にあってこそ気付く福音の輝きがある、というものがあり、確かにそのとおりだと思いました。どのような時も共におられるキリスト、与えられる信仰。魂に響く聖書の希望の言葉。キリストにあって、祈り、支えてくださる方々の愛。「弱いときにこそ強い」(2コリント12・10)。私が伝えることは、むしろ、弱さの中にある。いざ!福音を取り次ぐために遣わされます。どうぞよろしくお願いいたします。
筑田 仁
「小さなキリストとして」
 教職授任按手式を経て新任の牧師となりました。これから牧会の現場に派遣されて行きます。これまで沢山の人々からお祈り頂き、支えて頂き、心から感謝しております。皆様のお祈りと神様の導きがあり按手礼を受けることができたことを深く感謝しております。すでに47歳になりますが、これから新しい人生を歩む思いを抱き、身が引き締まる思いと緊張感を感じています。甲府教会・諏訪教会が新しい任地です。 様々な人にこれからお世話になります。ルターの言葉にある通り、私自身が隣り人にとって小さなキリストになりたいと願っています。これからがスタートラインです。どうぞよろしくお願いいたします。
中島共生
 この度、無事に受按を終えました中島共生と申します。4年間の神学校での学びを終え、4月から宣教の現場へと遣わされます。喜びと、期待を胸に抱きつつ備えの時を過ごしております。
 「どんな牧師になりたいですか」。その問いと4年間向き合いました。たった一つの答えは無いと思います。その時、その場で与えられる役割や職務があると思います。時には、難しいこともあるでしょう。けれど安心しています。私が一人で牧師として立たされるわけではありません。信頼の置ける先輩たち、仲間たち、信徒の皆様。その関わりの中で私は牧師として立たされて行くのです。共に神様の御用のために歩んでいきましょう。どうぞよろしくお願いいたします。

着任宣教師あいさつ

私たちウィルソン一家は、アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)から派遣され、2018年8月初旬に来日しました。
 アンドリュー・ウィルソンは神学の博士号をもっていますので、教会史の正規の教員となるために、このたび三鷹の日本ルーテル神学校に任ぜられました。日本語の勉強は来日前から始めましたが、今はさらに本格的になってきました。2018年から19年度の2学期には神学校や大学の講義にも出席し、日本語の語彙と教授法の取得に努めました。新年度の第1学期からは、神学生に宗教改革史を英語で教える予定です。翌年には日本語でも教えるようにできればと思っています。日本語の習得と同時に、私は16世紀カリブ地方に対するスペインの植民地政策に抵抗したドミニコ会の司祭、バルトロメ・ドゥ・ラ・カサスの研究を継続中です。

 サラ・ヒンリキー・ウィルソンは、牧師として東教区付で東京教会に任命を受けました。主な働きは東京教会の英語部の礼拝担当です。だいたい20から35名ほどの礼拝出席で、集まる人たちは日本在住の教会員だけでなく、他国からの旅行者や頻繁に出席する方たちもいます。子どもの礼拝や、月に2回は日本語礼拝でも司式の手伝いをしています。日本語がもっと流暢になって日本語の礼拝でも牧師としてしっかり奉仕できるようにと、日本語勉強の日々です。教会の皆さんがあたたかく迎えてくださいましたし、関野和寛牧師、後藤直紀牧師ともしっかり協力しながらできているので、とてもありがたいです。東京教会の働きに加えて、私は1年に数週間ですが、フランスのストラスブールにあるエキュメニズム研究所での勤務もします。また英語の神学雑誌の発行と神学ポッドキャスト(インターネット放送)のホスト役もしています。
 私たち夫婦と一緒に来日してくれたのがエゼキエルです(ジークと呼んでください)。13歳の彼は、日本のクリスチャンアカデミーの7年生です。日本での新しい生活にも馴染んで、学校では今、日本語初級を勉強中です。よろしくお願いします。

退任宣教師あいさつ

ハンナ・ペンティネン(フィンランドルーテル福音協会)
 神様の導きと恵みによって6年前に日本へ参りました。自分の力は弱くても、神様のみ言葉とイエス様の血が私たちの力であることを信じて働きました。日本福音ルーテル教会 の皆さんには6年に亘りお世話になったことを心から感謝致します。日本で働いている期間はいつの間にか経過しました。私たちの人生の時の流れはいつでも早いものと思いますが、日々天の神様は罪を許してくださり、新しい心を与えてくださいます。神様を信じる心を持っていたら、どんな時にも望みと平和と喜びがあります。
 帰国しても、日本福音ルーテル教会の皆さんのことをお祈りの中で覚えてまいります。神様の恵みと祝福が豊かにありますように。
 
 「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(2コリントの信徒への手紙5・17)
 「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」(同5・21)

2019年度 
日本福音ルーテル教会人事
○退職
(2019年3月31日付)
・木下 理(定年引退)
・小山 茂(定年引退)
・齋藤幸二(定年引退)
・渡邊賢次(定年引退)
・渡邉純幸(定年引退)
○新任
・小澤周平
・筑田 仁
・中島共生

○人事異動
(2019年4月 1日付)
【北海道特別教区】
・ 小泉 基 函館教会(主任)
【東教区】
・ 朝比奈晴朗 飯田教会(主任)
・伊藤早奈 東教区付(嘱託)
東教区メディア伝道
・後藤由起 本郷教会(主任)
・筑田 仁 甲府教会(主任)、諏訪教会(主任)
・永吉秀人 蒲田教会(主任)
【東海教区】
・秋久 潤 沼津教会(主任兼任)
・小澤周平 名古屋めぐみ教会(主任)
・徳弘浩隆 大垣教会(主任)、 岐阜教会(主任)
・内藤文子 知多教会(主任・ 兼任)

【西教区】
・ 沼崎 勇  賀茂川教会(主
任・ 兼任)
・ 神? 伸  天王寺教会(主
任)
・竹田大地 西宮教会(主任)、
大阪教会 (協力牧師・兼任)
・松本義宣 松山教会(主任・ 兼任)
・中島共生 下関教会(主任)、 厚狭教会(主任)、宇部教会 (主任)
【九州教区】
・安井宣生 健軍教会(主任)、
甲佐教会(主任)
・ 角本 浩 合志教会(主任・
兼任)、荒尾教会(主任・兼任)
・ 崔 大凡 甘木教会(主任・ 兼任)
・和田憲明  二日市教会(主任・兼任)、長崎教会(主任・兼任)
○休職
・山田浩己 待機から規則による休職へ(規則第91条二 項)
◯任用変更
・後藤由起 嘱託から一般への任用変更
○復職
・伊藤早奈 休職から嘱託任用へ
〇宣教師
・スコット カルズニ(ルーテル学院中学・高校)2018年11月退任
・ポール フォーサイス(本郷教会)2018年12月退任
・ハナ ジェンセン ラインキ(ルーテル学院中学・高校)
2019年3月退任
・エマ ネルソン(ルーテル学
院中学・高校)2019年3月退任
・ランダル タレント(九州学院)2019年3月退任
・ハンナ・ペンティネン(東教区付)2019年3月退任
・スペンサー ウェントランド(ルーテル学院中学・高校)
2019年着任予定
・エリン・ライアン(九州学院)2019年4月着任
・ジョーダン・コリンズ-ブラウン(ルーテル学院中学・高校)2019年4着任
・エリカ・ブライヤ(ルーテル学院中学・高校)2019年4月着任

○その他
▽牧会委嘱(2019年4月1日付/1年間)
・明比輝代彦 掛川菊川教会
・斉藤忠碩  復活教会
・谷川卓三  賀茂川教会
・乾 和雄  神戸東教会
・渡邊賢次  松山教会
・藤井邦夫  宇部教会
・白髭 義  甘木教会
・濱田道明  合志教会

           以上

19-03-15オンリーワン

 ある日、マザー・テレサのところに小さな女の子がやって来て、「これをね、マザーのかわいそうな子どもたちにあげてちょうだい」と握りしめていた片手を差し出して、そおっと開きました。そこには、角砂糖一粒が乗っています。この子にとっては宝物以上に大事なお砂糖でした。それを、自分よりもっと貧しい子どもたちに分け

てあげたいという、その心にマザー・テレサは感動したのでした。
 このことを通して、シスター菊池多嘉子さんは、「自分の口には、もう入らないかもしれない貴重なお砂糖だからこそ、独り占めにするのではなく、もっと貧しい子どもたちに分けてあげたいと思ったのです。でも、『これさえあれば』という極限状態にあって、それを隣人と分かち合えるのは、神様への信頼と愛のなせるわざではないでしょうか」と言われます。(心のともしび・2004年4月「明日のことを思い煩うな」より)

 さて、ぶどう園の労働者のたとえとして有名な聖書の冒頭は、「ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、1日につき1デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った」で始まります。朝早く雇われた労働者の1日の労働賃金が1デナリオンという取り決めが成立しています。これは当時の1日の報酬としては普通の金額でしたので、労働者は納得したことでしょう。それから遅れること3時間、朝9時に雇われた人も同じ思いであったでしょう。

 しかし、仕事を終え、1時間しか働かなかった人々が同じ1デナリオンの賃金を手にしたときから変化が生じてきます。そして、1時間働いた者も、3時間の者も、6時間、9時間、12時間の者も、まったく同じ1デナリオンだったのでした。ただ、ぶどう園の主人は、自分から一方的に約束を不履行にしたのではありません。みなそれぞれに、1デナリオンと約束し、それを履行したに過ぎません。

 そこで、夕方5時に雇われた人について考えてみましょう。あと1時間でその日の労働が終わり、夕闇迫る時間を迎えようとした時です。まだどこにも行かないでいる人々がいました。彼らは「誰も雇ってくれないのです」と答えたので、主人は「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と言ったのでした。彼らの夕方5時に雇われるまでの11時間という長い時間は、彼らには絶望と不安でしかなかったかもしれません。それが夕方5時に雇われた人々です。
 この5時に雇われた人々の姿は、他人事ではなく、私たちも何時そのような立場に置かれるか分かりません。そして、いつか自分たちもそうであったことを忘れてしまっていないでしょうか。今、私たちがこのぶどう園の主人の報酬計算が不合理だと感じるとき、私たちはすでに、朝早く雇われた者の側に立っていると言えるでしょう。朝早く雇われた人々には、その1日の保証と安心が伴っていました。6時間を働いた人、3時間の人々もそれぞれに労働時間外の不安と苦悩を背負っていました。しかし、ぶどう園の主人は労働時間に加えて、その背負っている苦悩や絶望という悲しみの時をも計算しているのです。

 ぶどう園の主人は、この不安と絶望の11時間をも見てくださいます。そして、私たち一人ひとりの持つ苦しみや悲しみをも計算に入れて1デナリオンという豊かな恵みを与えてくださっているのです。

 先ほどの幼い少女が、一粒の角砂糖を、「マザーのかわいそうな子どもたちに上げてちょうだい」と差し出す姿には、一番遅く雇われた者の苦しみや悲しみを共にしている姿があります。

 SMAPによって大ヒットした「世界に一つだけの花」(詞曲・槇原敬之)は、「そうさ 僕らも、世界に一つだけの花、……NO.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one」と歌います。神さまは、5時に雇われた人々の11時間という絶望と悲しみの時をも、「オンリーワン」として受け入れ、救いの御手を差し伸べてくださるのです。感謝をもって日々過ごしてまいりましょう。

日本福音ルーテル蒲田教会 牧師 渡邉純幸

19-03-10るうてる2019年3月号

説教「オンリーワン」

機関紙PDF

「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。」
                 (マタイによる福音書20・1~16より)

 ある日、マザー・テレサのところに小さな女の子がやって来て、「これをね、マザーのかわいそうな子どもたちにあげてちょうだい」と握りしめていた片手を差し出して、そおっと開きました。そこには、角砂糖一粒が乗っています。この子にとっては宝物以上に大事なお砂糖でした。それを、自分よりもっと貧しい子どもたちに分けてあげたいという、その心にマザー・テレサは感動したのでした。
 このことを通して、シスター菊池多嘉子さんは、「自分の口には、もう入らないかもしれない貴重なお砂糖だからこそ、独り占めにするのではなく、もっと貧しい子どもたちに分けてあげたいと思ったのです。でも、『これさえあれば』という極限状態にあって、それを隣人と分かち合えるのは、神様への信頼と愛のなせるわざではないでしょうか」と言われます。(心のともしび・2004年4月「明日のことを思い煩うな」より)

 さて、ぶどう園の労働者のたとえとして有名な聖書の冒頭は、「ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、1日につき1デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った」で始まります。朝早く雇われた労働者の1日の労働賃金が1デナリオンという取り決めが成立しています。これは当時の1日の報酬としては普通の金額でしたので、労働者は納得したことでしょう。それから遅れること3時間、朝9時に雇われた人も同じ思いであったでしょう。
 しかし、仕事を終え、1時間しか働かなかった人々が同じ1デナリオンの賃金を手にしたときから変化が生じてきます。そして、1時間働いた者も、3時間の者も、6時間、9時間、12時間の者も、まったく同じ1デナリオンだったのでした。ただ、ぶどう園の主人は、自分から一方的に約束を不履行にしたのではありません。みなそれぞれに、1デナリオンと約束し、それを履行したに過ぎません。
 そこで、夕方5時に雇われた人について考えてみましょう。あと1時間でその日の労働が終わり、夕闇迫る時間を迎えようとした時です。まだどこにも行かないでいる人々がいました。彼らは「誰も雇ってくれないのです」と答えたので、主人は「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と言ったのでした。彼らの夕方5時に雇われるまでの11時間という長い時間は、彼らには絶望と不安でしかなかったかもしれません。それが夕方5時に雇われた人々です。
 この5時に雇われた人々の姿は、他人事ではなく、私たちも何時そのような立場に置かれるか分かりません。そして、いつか自分たちもそうであったことを忘れてしまっていないでしょうか。今、私たちがこのぶどう園の主人の報酬計算が不合理だと感じるとき、私たちはすでに、朝早く雇われた者の側に立っていると言えるでしょう。朝早く雇われた人々には、その1日の保証と安心が伴っていました。6時間を働いた人、3時間の人々もそれぞれに労働時間外の不安と苦悩を背負っていました。しかし、ぶどう園の主人は労働時間に加えて、その背負っている苦悩や絶望という悲しみの時をも計算しているのです。
 ぶどう園の主人は、この不安と絶望の11時間をも見てくださいます。そして、私たち一人ひとりの持つ苦しみや悲しみをも計算に入れて1デナリオンという豊かな恵みを与えてくださっているのです。
 先ほどの幼い少女が、一粒の角砂糖を、「マザーのかわいそうな子どもたちに上げてちょうだい」と差し出す姿には、一番遅く雇われた者の苦しみや悲しみを共にしている姿があります。
 SMAPによって大ヒットした「世界に一つだけの花」(詞曲・槇原敬之)は、「そうさ 僕らも、世界に一つだけの花、……NO.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one」と歌います。神さまは、5時に雇われた人々の11時間という絶望と悲しみの時をも、「オンリーワン」として受け入れ、救いの御手を差し伸べてくださるのです。感謝をもって日々過ごしてまいりましょう。日本福音ルーテル蒲田教会 牧師 渡邉純幸

コラム「直線通り」久保彩菜

⑫「かかわらなければ」(「胸の泉に」塔和子)

 教師を目指し免許取得に向けて励んでいた学生の頃、その思いとは裏腹に「現場に出ることが怖い」と感じていました。それはわたしが多くの教師から影響を受け、変えられ、生かされたからでした。わたしが影響を受けたように、子どもたちの人生を変えてしまうかもしれない。「聖書科の教師になりたい」と思ってしまったこと自体に畏れのような気持ちを抱いていました。
しかし現場で子どもたちと出会い、かかわらなければ気付くことができなかった様々な思いを知ることができました。愛しさや寂しさ、甘い思いや悲しみ。そして、かかわったがゆえに起こる幸や不幸を積み重ね、繰り返すことで磨かれ、思いを削り、思いをふくらませ、生をつづってきたのです。
あぁ、「あなた」に出会えて本当に良かった。かかわらなければ、何億の人がいようとも路傍の人。すべてはあなたと出会い、かかわることからはじまりました。思えばあの喜びの日も、笑いあったあの日も、涙したあの日も、すべての瞬間に主が共にいてくださいました。あなたの人生にほんの少しの時間、かかわれて本当に良かった。
そんな思いを交わし合う、別れの3月。お別れは寂しいけれど、ずっとずっとあなたのために祈っているよ。喜びがあればまた教えてね。そして挫けたとしてもわたしはあなたの味方だから、いつかまたこの学校に帰っておいで。あなたの帰ってくる場所は、いつもここにあります。
(塔和子「胸の泉に」より引用)

地域イベント「いくいくみしる」と復活教会

 名古屋市に江戸時代からの歴史を残す「文化のみち」で、探検、体験、発見!と銘打ち、地域にある仕事やお店などを開放して行われる街のイベント「いくいくみしる」が3月23日(土)と24日(日)に開催されます。復活教会(名古屋市東区徳川町2303)は、地域に対する関わりのひとつとして今回もこのイベントに参加します。
 「うたうた♪みしる」としてイースターのお話しと賛美歌を歌う機会を、そして「つくってみしる」としてイースターエッグを作る体験が提供されます。礼拝も公開し参加を歓迎するとのこと。教会と街が一緒になり人と人、人と文化が出会う場が豊かに用いられるよう願っています。(広報室)

議長室から 総会議長 大柴譲治

レント断想~ブルックナーとマーラー

 「ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』」(ルカ18・13)
 「ブルックナーは神を見たが、マーラーは神を見ようとした」。 これはマーラーの弟子であった指揮者ブルーノ・ワルターの言葉で、アントン・ブルックナー〔1824~1896〕とグスタフ・マーラー〔1860~1911〕という対照的な作風を持った二人の偉大なオーストリア人作曲家の特質をよく言い表した言葉です。
 二人は師弟関係でした。ブルックナーは幼い頃からの敬虔なカトリック信徒で、教会のオルガン奏者。作品はミサ曲などのほかに9曲の交響曲があり、いずれもオルガン的な響きを持ち重厚で規模壮大。それは彼自身の信仰をよく表していてその音楽には揺れがありません。それに対してマーラーはユダヤ教からカトリックに改宗した作曲家で、生前は優れた指揮者としてヨーロッパ中に名をなした人物。歌曲や9曲の交響曲、そして「大地の歌」など、その音楽は華麗なオーケストレーションと、美しい天上の響きがあるかと思うと次の瞬間には苦悩に充ちた不協和音があるというようにダイナミックな揺れ動きでよく知られています。
 先の「ブルックナーは神を見たが、マーラーは神を見ようとした」というワルターの言葉は、二人の音楽に対する深い共感に充ちた言葉ですが、言い得て妙であると思います。マーラーは作曲家としては不遇な生涯を送りましたが、「やがて必ず私の時代が来る」という預言的な言葉を残しています。
 北陸の古都・金沢で過ごした学生時代、数こそ多くありませんでしたが私の周囲はブルックナー派とマーラー派とに二分されていました。圧倒的な神存在の栄光を顕現して動じることのないブルックナーの壮大な音楽と、信仰と疑いの間をダイナミックに揺れ動くアンビバレントな人間の現実に立ちつつ最後まで永遠なるものを希求し続けたマーラーの音楽。 私はなぜか後者に強く魅かれます。苦しみや悲しみという嵐の中で水に浮かんだ木の葉のように揺れ動く小さな人間存在。神殿から遠く離れた所に立ち、ただうつむいて、心痛む胸を打つ以外にはできない自分がいます。「キリエ、エレイソン」。これしか言葉になりません。
 時はレント(四旬節)。典礼色は悔い改めを表す紫。主の十字架への歩みを想う40日間を共に過ごしたいのです。

キリストの心を生きる教会 日本福音ルーテル教会 社会委員会

②道徳の教科化 社会委員 高田敏尚
 道徳の教科化が始まりました。これまでは「特別の教科」として「各教科」のあとに「道徳」とぽつりと置かれていたものが、新しい学習指導要領では「各教科、道徳科」と教科として位置づけられています。教科となると2つこれまでとは違う扱いになります。教科書を使うことと、先生が評価をすることです。
 今のところ評価は4とか5の数値ではなく記述なのですが。小学校では2018年度から、中学校でも2019年度から道徳科が始まります。
 各教科書会社の6年生の教科書には「6千人の命のビザ」の杉原千畝かマザー・テレサのどちらかが、青の洞門や和歌山沖で難破したエルトゥールル号も定番です。どれもいい話なのですが、はたして国が教えることなのでしょうか。
  この教科の目標である「善悪の判断」や「誠実」、「国や郷土を愛する態度」が先生によって評価されるのです。模範的な答えを出すことによって個性が失われないでしょうか。全体のことを重んじて個人を軽視する風潮に拍車がかからないでしょうか。私たちは、ただ神と向かい合って自分の良心を問い直す、そんな個人を理想としているのですが。
 高校でも、これまでの『現代社会』がなくなり『公共』という教科が登場します。「公共的な空間に生きる」人間としての資質や能力を身につけるのですが、ただでさえ同調圧力が強い日本で、世間や学校、家庭というしがらみから自由に生きられるでしょうか。お手本を国に教えてほしくはありません。
 しっかりした個人こそがこれからの社会では求められています。こんな教育の現場の変化にも、みなさんに注目しておいていただきたいと思います。
*社会委員会委員によるコ ラムを6回掲載します。

『自分を愛するように~教会におけるハラスメントを防止するために~』をご活用ください

 第28期常議員会では全国総会での要望を受けて、ハラスメント防止に取り組むことを基本方針として議長が提案し、これを承認しました。
 常議員会のたびに、すでに2回の学びを行い、6月には与語淑子先生(フェニミストカウンセリング東京)からハラスメントの定義について、また11月には日本聖公会の矢萩新一司祭(総幹事)から日本聖公会での事例と取り組みを聞きしました。いずれも送付済みの常議員会議事録に資料と共に報告がされています。
 日本聖公会からは、その取り組みの中で発行された『自分を愛するように』という書物が紹介されました。役員会、そして教会全体で学ぶのにとても有益だという声が多く、各教会への配布を求められましたので、このたび日本聖公会のお許しを得て印刷し、送付いたします。是非、教会でご活用ください。
 日本福音ルーテル教会では、2月の常議員会でバプテスト連盟の取り組みを吉高叫牧師(常務理事)から伺い、その後ハラスメント防止規定、また相談窓口の設置等を検討していくことになります。それまでは、現行の通り教区長を中心とした教区常議員会が窓口となることを確認しています。
 信徒、牧師、牧師家族はもちろん、誰もが安心して教会生活を送れるように、いつも自他を尊重する関わりや言葉かけをすることができるように学びを深めていきたと思います。

2019米国ワークキャンプ参加者募集

2019年7月24日(水)~8月6日(火)14日間
◆内容:イリノイ州で一週間のワークキャンプ(家 屋修繕、聖書の学び 等を通して参加者の信仰的・人間的成長を促す催し)に参加し、近隣の州でホーム ステイもします。
◆参加費用:20万円
 ※お友達を誘って参加いただいた方には、それぞれの参加費から5千円割り引き ます!
◆問合わせ・申込用紙請求先:
  150-0013 東京都渋谷区恵比寿1-20-26
日本福音ルーテル社団(JELA)アメリカ・ワークキャンプ係
電話:03-3447-1521 FAX:03-3447-1523 E-mail:jela@jela.or.jp
◆申込締切:2019年4月末日
 ※募集要項の詳細は、ホームページ(www.jela.or.jp)でもご覧に なれます。
  http://jelanews.blogspot.com/2019/01/2019.html
  皆さまの参加をお待ちしています。

プロジェクト3・11活動報告

プロジェクト3・11企画委員 小泉 嗣
 東日本大震災と福島第一原子力発電所事故の発生から8年が経とうとしています。
 東教区プロジェクト3・11の立ち上げから5年目を迎えようとしています。「最低でも5年間は継続しよう」という祈りをもってはじめられて5年が経過します。
 この5年間でプロジェクト3・11として成されたプログラムは決して多くはありません。しかし、様々な場で祈り、被災地を支援している方々が集まって委員会が結成され、東教区を越えてJELCを越えて、被災地を支援している教会や個人の祈りが集まって続けられたプロジェクトです。
 「3・11」を憶えつづける、その痛みや悲しみに直接寄り添うことはできなくとも、想いを馳せ、心を寄せる。そのような方々の祈りと心に支えられた活動でした。この5年間に集められた祈りと心は決して小さくはありません。
 しかしながら、この5年間で震災によって生じた痛みや苦しみが無くなったかと言えば、決してそうではありません。むしろ隠されているような気にさせられる今日であるように思います。今なお、痛みや苦しみを負う方々は多く、新たな不安や痛み、苦しみもまた、日々生まれているのです。
 プロジェクト3・11の企画委員会は、この5年間の活動を「この委員会の働きを通して、一人では連なることができなかった多くの人々が、被災地やそこに生きる人々、そこから出て生きる人々につながったのではないか」と総括しました。そして「たとえ更に活動の幅が小さくなったとしても、委員やプロジェクト3・11につらなる人々が被災地やそこに生きる人々とのかかわりを持ち続ける限り、この活動を続けてきたい、続けていくことが可能ではないか」という結論に至りました。
 先述の通り、活動の規模は縮小しますが、東教区を活動の拠点とし、できる限り現地に足を運び、それぞれの思いを受け止め、そしてその思いを伝えていきたいとの思いを強めています。
 今年も3月11日が巡ってきます。

改訂礼拝式文が発行 されました

2016年総会においてテキストが、そして2018年総会において典礼音楽が承認され、これまでの礼拝式文に加えて、各教会の主日礼拝などで使用できる改訂礼拝式文が発行されました。2月には各教会へ配布しました。ぜひ、新たな選択肢として提供された式文を使用してみていただきたいと思います。
 今後、必要な修正を加え、主日礼拝以外の諸式の式文と合わせ、2026年には現行の最新の式文集である「青式文」(1996年)以来の新たな式文として出版の運びとなります。折しも、日本聖書協会共同訳『聖書』の出版と重なりました。新たな翻訳の聖書からも刺激を受けて、礼拝のために吟味されることを期待しています。
 日本聖書協会共同訳『聖書』は朗読されるみ言葉ということにも一層の配慮がなされたものです。「信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まる」(ローマ10・17)とのパウロの言葉にもあるように、文字を読むことによって言葉が味わわれる以前より、み言葉は空気の振動とそれによって響く声として届けられるものでもあります。そこから、朗読により適した言葉や文節が選択されることには大きな意味があるでしょう。
 同時に現代社会においてその重要性が叫ばれる多様なあり方を尊重する姿勢(ダイバーシティ)を教会内においても推進するために、長く当たり前のように用いられてきた言葉を、例えばそこに差別や排他的な感覚が含まれていないかを点検し、そうではない言葉に置き換えるなどの作業が必要であると思います。そのような立場から、目で読むことに偏重せず、聞くことや聞かれることへの意識を高めていくことも大切なことであると思いますから、新たな翻訳の活用は伝道的な側面も持つと言えます。
 これらは礼拝式文にもそのまま当てはまります。言葉の変化や神学的な研究の成果を反映させるべく、継続的に礼拝式文を見直していく必要がありますが、2007年にアンケートを実施し、具体的に改訂式文作成へと歩みだすきっかけとなったのは、式文の中で用いられている「生まれながら罪深くけがれに満ち」という言葉への問いでした。それは原罪を表現すると共に日本の歴史的かつ具体的な状況下における差別的な表現ともなるのではないかとの問いかけが、式文を生きたものとして用いていくために大切なものでした。
 また改訂式文の作成中には、国民という言葉について、国境線で区切られた従来の国家を想定しているのであれば、難民を始めとする世界の課題と現実から目を背けることになるのではないかとの指摘を受けました。委員会にとってそれは大切な気づきを得ることとなり、「諸国民」としている言葉について、検討を続けています。
 つまり、30年ほどの時間は一つの目安にしつつも、より重要なことは、30年を経過するならば、自分たちの用いている言葉そのものを点検、評価し、修正すべきは修正するということです。変化は私たちの姿勢を問い、動かすものであり、容易なことではありません。しかし、教会は世に存在し、世に福音を伝えていく使命を与えられているのですから、自身の正しさを疑わないということではなく、世に語る神に聞く群れとして、ふさわしく整えられていきたいと思います。
 さて、改訂式文として用意されたものは4種類です。テキストは共通であり、洗礼という恵みを思い起こすこと、ヌンク・ディミティス(シメオンの賛歌)を聖餐への応答と位置づけたこと、献げものを聖餐と切り離し派遣の意味を強めたことなど、いくつかの特徴があります。
 典礼音楽は、3つの新曲と「青式文」の礼拝式Aの音楽を編曲したものを含め、ルーテル教会に連なる4人の作曲家が作成ました。それぞれに個性を持った音楽を楽しみながら、礼拝を形作っていただければと思います。なお、各教会の礼拝のテンポなどに合わせて、音源データを作成することも可能です。楽器がなくともスマートフォンやパソコンなどで演奏が可能です。それぞれの状況に合わせて用いていただければと思います。

四旬節の黙想に

 2019年の四旬節は、3月6日の灰の水曜日より始まります。十字架へと歩むイエスの受難を覚え、それは罪人であるわたしたち一人ひとりへの赦しのためであることを深く味わう時です。この日々を過ごすのに、昨年、日本語版が出版された黙想集『神の恵みによる解放』の使用をお勧めします。2017年に四旬節などでの使用を想定し、世界のルーテル教会と聖公会の信徒により執筆されました。両教会における宗教改革500年の記念の取り組みでもあります。「神の宣教」、「神の恵みによる解放」、「救いは売り物ではない」、「人間は売り物ではない」、「創造は売り物ではない」、「仕えるための自由lディアコニア」とのテーマに基づき、1日ごとに聖書本文と黙想、祈祷書など両教会の16世紀以降の伝統的な文書が示されます。

定年・退職にあたって

木下 理
 熊本・大分で大地震がありました。また、福岡や広島・岡山でも大雨による甚大な被害が出ました。被災地に入って懸命に作業をされている、ルーテル教会の牧師や信徒の方々の様子を見聞きするたびに、いつも感動をおぼえます。
 「先生、何をしたら永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」と問う律法学者に、主イエスは、善いサマリア人のたとえを語って、「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカ10・37)と言われました。
 わたしは身体の不調から、被災された方々のところに行くことができませんでした。行って、同じように出来なかった自分をもどかしく思います。
 引退をしますけれども、健康を回復させ、再び伝道・牧会の現場に立てるようにと願っています。
 行く道が閉ざされようとするときがあるかもしれません。そのようなとき、「主は人の一歩一歩を
定め 御旨にかなう道を備えてくださる。」(詩編37・23)の御言葉に希望を見出して、主と共に歩んでいきたいと思います。
 わたしは、2008年に按手を受け、シオン、宮崎、合志、荒尾の各教会で11年間伝道、牧会いたしました。多くの兄弟姉妹の方々に助けていただきました。心より感謝いたします。

小山 茂
 50代に入ってから神学校に入学を許され、牧師を目指して学びました。当時、榎津重喜さんが4年生にいらして、自分より年上の神学生が入って来た、とたいそう喜ばれました。若くないのに船出の機会をいただき、心から感謝をしています。私は自宅から通学しましたが、最後の年に入寮させてもらいました。3階の男子寮は満杯になり、共に学んだ仲間が身近な同労者になりました。
 初任地の鹿児島と阿久根で7年、西郷隆盛の座右の銘「敬天愛人」にどこか惹かれました。最初のイースター直前、桜島の噴火に迎えられ、代議員から新任牧師へ祝砲ですと言われました。函館で3年、新島襄が鎖国令を破り出航した町、箱館戦争の五稜郭に働きの場を与えられました。永吉秀人先生より函館教会は聖霊の降る教会と伺ったように、この地は強い風〔ギリシア語プネウマ〕が吹き抜けています。
 定年を迎える他の先生方と比べ、10年での退職は申し訳ない気持ちです。体調が整えられ、宣教の働きの隅に加えて頂けたら幸いです。牧会は精一杯したつもりでしたが、振り返ってみると足りないことばかりで、主と皆さまに助けていただきました。私の生涯にとって、思いがけない恵みを与えられました。

齋藤幸二      
みことばに仕える喜び

 私は20歳の時洗礼を受け、25歳で牧師への召命をいただき、31歳で最初の任地である焼津教会、藤枝教会に派遣されました。 
 それから今日まで、人間的に欠けの多い私が働きを続けることができたのは、神様の憐れみと兄弟姉妹の愛と寛容によるものと思っています。病気や事故などで日曜日の礼拝での御用を一度も休むことなく続けられたのも、主の憐れみと支えがあったからです。
 牧師として最も幸せだったことは、何よりも尊い神のみ言葉のために働くことができたことです。神の言葉を聞き、学ぶ人々の内に神への愛と信仰が生まれ、洗礼へと導かれてゆく様子を見ることは大きな喜びでした。
 「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マタイ24・35並行)と主が語られたように、主の言葉は朽ちない種として、受け取る人の内に永遠の命を与えます。これからも私に許される形でこの尊いみ言葉に仕えてゆきたいと思います。
 任地は焼津教会(途中まで藤枝教会兼任。1981年~1995年)、大垣教会、岐阜教会(1995年~2019年)でした。

渡邊賢次
 私はこの度、牧会25年で引退することになりました。出身教会はルーテル京都教会です。1994年3月に按手を受け、4月より神水教会に1年、結婚して水俣教会で4年、続いて焼津教会で4年、津田沼教会で13年、そして飯田教会で3年、牧会に従事することがゆるされました。
 その期間に出会いを与えられました、信仰を通しての兄弟姉妹に心から感謝しています。この期間に多くの試練や失敗もありましたが、与えられました出会いや恵みはそれらをはるかに上回るものでありました。
 私は27歳で受洗し、最初は、ルーテル教会は地味な教会だと思っていましたが、年を経ると共に、その伝統の豊かさ、神学の確かさを徐々に知らされてきました。主たる牧会として、5つの教会を中心に使命が与えられましたが、振り返りますときに、それぞれの教会が、他にはない持ち味を有し、牧師として教え導くというよりも、共々に学び合い、信仰を培っていただくという体験をすることができました。 
 25年間の牧会・伝道が守られましたのも、多くの先輩牧師や宣教師の先生、また同僚の先生方の励ましとお支えによるものと感謝しています。私はまだ3月31日で、ようやく64歳を迎えようとしている若輩でありますので、健康と体力の許す限り、ルーテル教会につながって奉仕をしたいと念願していますので、今後ともよろしくお願いします。皆様のご健勝を祈りつつ、退職のご挨拶とさせていただきます。

渡邉純幸
 この度、2019年3月31日付けで、44年間の牧会生活を終えることになりました。
 1975年4月、初任地は四国松山でした。昨日のように当時の情景が浮かんできます。「若いって素晴らしい」と、今になって痛切に感じます。許される限り、青年たちと語り合った3年でした。着任早々、教会の境内地で町内会との共催で生ビール大会を開催して、教会役員からこっぴどく叱られ、色々な失敗を重ねたことが、爽やかに鮮やかによみがえって参ります。
 その後、柳井教会での4年間。この地も素朴で素晴らしい信徒の方々との出会いがあり、今も支えられています。そして、ドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル領邦教会での5年間は、青年担当専従牧師として、なお青春時代が続きました。ここでも生涯通しての人々との出会いがあり、続いています。
 任を終えて帰国し、市ヶ谷教会に着任しました。この教会での18年は、これまでの私の浅薄な経験をすべて受け入れてくださり、牧会生活の充足感を日々感じた青春時代でした。
 そして、最後の任地は蒲田教会です。私は開口一番、「田舎の教会」と発しました。それは、都内にありながら、素朴な信仰生活を送る方々との出会いでした。
 そして今、青春の第一幕が降りようとする定年のカーテンを前に、欠け多き私を、これまで忍耐と寛容と優しさで育んでくださった主なる神と、皆様方のお祈りとお支えに、心より感謝申し上げます。これからは、邪魔にならないよう、静かに青春の第二幕を過ごして参りたいと思います。心からの感謝を込めて!

退任宣教師挨拶

ハナ・ジェンセン・ラインキ
 お別れの言葉は簡単ではありませんが、ひとつのみ言葉が与えられています。「わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか」(テサロニケの信徒への手紙一3・9)。使徒パウロと同じように、ここでの働きと交わりが将来にどのような実を結ぶのか分かりませんが、皆さんの未来に希望を抱いています。神様が皆さんと共におられること、そして皆さんの豊かな愛がお互いの内に、そしてこの世界で豊かに分かち合われることを祈っています。キリストの故に霊的に成長されることも祈っています。
 日本で過ごした4年間はあっという間に過ぎ去りました。こうして日本に来て、教育の働きに加えられたことを感謝しています。九州ルーテル学院と熊本地区の教会ではすばらしい体験が与えられました。
 皆さんの健康と幸いとをお祈りしています。ありがとうございました。そして、さようなら。
 

19-02-15この名のほかに救いはない

 「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒言行録4章12節)

使徒ペトロは大祭司や議員たちを前にして、「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの(イエスの)名のほか、人間には与えられていないのです。」と大胆に宣言しました。
 この救いとは「罪からの救い」です。世界の歴史と私たちの経験は、人間はどんなに教養があり、高い地位にあっても罪の力と死の力に勝てないことを教えています。世の中に起きている犯罪や問題を見る時、同じ罪の力が私の内に働いていることを認めなければなりません。

 聖書は人間の罪の原因として、神と人間との間にある「破れ」を見ています。人間は自分の創造者である神を認めず、自分が自分の「主」であり、人生の中心でありたいと願い、自分の欲望に従って生きてきました。こうして積み重ねてきた罪のために、本当の神を受け入れることができず、自分の人生から締め出し心の中で神に敵対していたのです。しかし神はご自分に背いたこの世界を見捨てず、救いの御働きを実現されました。

 私は、日本語の「すくい」という言葉は素晴らしい言葉だと思います。私たちが何かを「すくう」という動作を考える時、例えば水の中の魚をすくいあげるとき、網を上から水の中に投げ入れます。そして網の上に魚が来ると舟に引きあげます。その時、水の中の魚には自分で舟に上がる力はありません。同じように、神の救いも人間の世界からではなく、上から、神のもとから来ます。救いの手が神の世界にとどまっていたら救いは実現しません。それは人間の世界にやって来なければなりません。そしてその救いの手は救われるものの下に置かれます。キリストも神の世界から私たちの世界に来られ、すべての人を救うために、十字架という、すべての人の中で一番低いところにご自分を置かれたのです。人間は現実に罪を犯したので、罪の償いと赦しも現実の世界で実現しなければならなかったのです。

 そしてイエスは死の中から復活し、私たちを罪と死の世界から神との交わりの世界に引き上げてくださいました。私たちは相変わらず罪と死の力に支配されているようであっても、それ以上に強いキリストにしっかりと包まれているのです。

 人間が魚と異なり、更に恵みを与えられているのは、イエスにおいて示された神の愛の働きを信仰を通して受け入れることができるということです。神と敵対しているこの世の力に留まる生き方ではなく、キリストに信頼して生きるという愛による救いの招きに根差す生き方へと喜びと感謝をもって一歩を踏み出す恵みが人間には与えられています。

 イエスの名を信じるということは、神がイエスという方によって上から私たちの世界に来られ、現実に罪を赦し、復活して、今も信じる者と出会ってくださることを信じ、洗礼によってイエスに結ばれることです。洗礼はイエス・キリストが私にしてくださることとルターが繰り返し語ったことは大きな恵みです。なぜなら「私が信じることができない」時も、洗礼の約束が私の信仰を超えて私を捉えていてくださるからです。洗礼は教会を通して与えられた神さまの恵みの賜物です。
 

このようなイエスの救いは決して人間が考え出したものではありません。というのはこの救いは旧約聖書の中で長い間約束され、予告され、実現してきたものだからです。例をあげれば、創世記49章8節では、救い主はイスラエルの12部族の内、ユダ族から生まれることが予告されています。それから1500年の間、何度かイスラエルが他国によって滅ぼされ、ほとんどの部族が消滅する中で、ユダ族だけが救い主の到来まで存続しました。これは神の意思による奇跡でした。

 しかしこの神の救いの奥義は聖書全体の中で影絵のように示され、その実体は隠されてきました。もし具体的にイエスの出来事が記されていたとしたら、数多くの人々が「それが実現した」と吹聴し、人々を惑わすことが十分予想されるからです。そこでこの救いの出来事はそれが実現するまで秘められ、その実体は見えませんでした。しかし救いを実現した方、イエスによってその影の実体が示され、神の救いが開示されたのです。イエスの十字架と復活の出来事という光に照らして旧約聖書を見る時、それはまさしくイエスを証しする書物であることが分かるのです。

 私たちはイエスの救いに対する確信を持ち、ペトロのように、「この名による以外に救いはない」と大胆にイエス・キリスの福音を宣言してゆきたいと思います。

日本福音ルーテル大垣教会、岐阜教会 牧師 齋藤幸二

19-02-10るうてる2019年2月号

説教

機関紙PDF

「この名のほかに救いはない」「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒言行録4章12節)
使徒ペトロは大祭司や議員たちを前にして、「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの(イエスの)名のほか、人間には与えられていないのです。」と大胆に宣言しました。
 この救いとは「罪からの救い」です。世界の歴史と私たちの経験は、人間はどんなに教養があり、高い地位にあっても罪の力と死の力に勝てないことを教えています。世の中に起きている犯罪や問題を見る時、同じ罪の力が私の内に働いていることを認めなければなりません。
 聖書は人間の罪の原因として、神と人間との間にある「破れ」を見ています。人間は自分の創造者である神を認めず、自分が自分の「主」であり、人生の中心でありたいと願い、自分の欲望に従って生きてきました。こうして積み重ねてきた罪のために、本当の神を受け入れることができず、自分の人生から締め出し心の中で神に敵対していたのです。しかし神はご自分に背いたこの世界を見捨てず、救いの御働きを実現されました。
 私は、日本語の「すくい」という言葉は素晴らしい言葉だと思います。私たちが何かを「すくう」という動作を考える時、例えば水の中の魚をすくいあげるとき、網を上から水の中に投げ入れます。そして網の上に魚が来ると舟に引きあげます。その時、水の中の魚には自分で舟に上がる力はありません。同じように、神の救いも人間の世界からではなく、上から、神のもとから来ます。救いの手が神の世界にとどまっていたら救いは実現しません。それは人間の世界にやって来なければなりません。そしてその救いの手は救われるものの下に置かれます。キリストも神の世界から私たちの世界に来られ、すべての人を救うために、十字架という、すべての人の中で一番低いところにご自分を置かれたのです。人間は現実に罪を犯したので、罪の償いと赦しも現実の世界で実現しなければならなかったのです。
 そしてイエスは死の中から復活し、私たちを罪と死の世界から神との交わりの世界に引き上げてくださいました。私たちは相変わらず罪と死の力に支配されているようであっても、それ以上に強いキリストにしっかりと包まれているのです。
 人間が魚と異なり、更に恵みを与えられているのは、イエスにおいて示された神の愛の働きを信仰を通して受け入れることができるということです。神と敵対しているこの世の力に留まる生き方ではなく、キリストに信頼して生きるという愛による救いの招きに根差す生き方へと喜びと感謝をもって一歩を踏み出す恵みが人間には与えられています。
 イエスの名を信じるということは、神がイエスという方によって上から私たちの世界に来られ、現実に罪を赦し、復活して、今も信じる者と出会ってくださることを信じ、洗礼によってイエスに結ばれることです。洗礼はイエス・キリストが私にしてくださることとルターが繰り返し語ったことは大きな恵みです。なぜなら「私が信じることができない」時も、洗礼の約束が私の信仰を超えて私を捉えていてくださるからです。洗礼は教会を通して与えられた神さまの恵みの賜物です。
 このようなイエスの救いは決して人間が考え出したものではありません。というのはこの救いは旧約聖書の中で長い間約束され、予告され、実現してきたものだからです。例をあげれば、創世記49章8節では、救い主はイスラエルの12部族の内、ユダ族から生まれることが予告されています。それから1500年の間、何度かイスラエルが他国によって滅ぼされ、ほとんどの部族が消滅する中で、ユダ族だけが救い主の到来まで存続しました。これは神の意思による奇跡でした。
 しかしこの神の救いの奥義は聖書全体の中で影絵のように示され、その実体は隠されてきました。もし具体的にイエスの出来事が記されていたとしたら、数多くの人々が「それが実現した」と吹聴し、人々を惑わすことが十分予想されるからです。そこでこの救いの出来事はそれが実現するまで秘められ、その実体は見えませんでした。しかし救いを実現した方、イエスによってその影の実体が示され、神の救いが開示されたのです。イエスの十字架と復活の出来事という光に照らして旧約聖書を見る時、それはまさしくイエスを証しする書物であることが分かるのです。
 私たちはイエスの救いに対する確信を持ち、ペトロのように、「この名による以外に救いはない」と大胆にイエス・キリスの福音を宣言してゆきたいと思います。

コラム直線通り 久保彩奈

⑪「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。」(創世記18・32)

 聖書の授業中に突然「先生!俺、お祈りしたけど叶わなかったよ。神様はやっぱりいないよ!」と言われました。語気の強い言い方に驚きましたが、ふと、旧約聖書のアブラハムのエピソードを思い出しました。

 その罪のためにソドムの町を滅ぼす決意をした神様に向かい、アブラハムは「あの町に正しい者が五十人いるとしても滅ぼされるのですか」と問うと、神様は五十人の正しい者がいるならば滅ぼさないと答えます。アブラハムは次々にその数字を下げ、ついに正しい者が十人いるなら滅ぼさないという神様の譲歩を引き出します。
 この交渉はソドムにいた甥ロトへのとりなし(その人に代わって祈ること)とも言われていますが、誰かのために求めることの大切さだけでなく、「もう一度だけ言わせてください」としつこいくらいに諦めず、求め続ける姿勢を教えているようにも感じるのです。

 わたしは生徒に「ところでどのくらい祈ったの?」と聞き返すと少し照れながら「けっこう祈ったよ…」と答えました。「けっこうってどれくらいの回数祈ったの?毎日祈ったの?何年祈ったの?」としつこく質問返しをしていると呆れたように「もう俺は祈れないから先生が代わりに祈ってよ!」と言われてしまいました。
 わかった!わたしが代わりに祈るから任せて!と約束を交わしてすでに数年が経ちました。祈りは叶えられたかなぁ。今も毎日しつこく、君のために祈っているよ。

「議長室から」向こう側から届けられるものに耳を澄ませる 総会議長 大柴譲治
善の研究』で知られた哲学者の西田幾多郎(にしだきたろう、1870-1945)と金沢の旧制四高で同級生であった鈴木大拙(すずきだいせつ、1870-1966)。大拙は禅仏教学者として英文で世界に禅仏教を紹介した人物としてもよく知られています。彼はまた「20世紀最大の霊的師父」と目される米国トラピスト会修道士のトマス・マートンとも親交を結んでいました。大拙の高弟のお一人(加藤智見師)から彼の最晩年のエピソードを伺ったことがありました。神学校での教職神学セミナーでのことです。とても印象に残っているのでご紹介したいと思います。
 大拙は夜寝る際に自分の枕元に電気スタンドと紙と鉛筆を用意していたそうです。そして夜寝ていてパッと閃きが与えられると、彼はガバッと床に起き上がってライトを点け、鉛筆を取って紙にサラサラとそれをメモするのだそうです。そしてメモが終わると再び就寝する。そのようなことが夜の間に何度もあって朝になると枕元にメモがたまっている。それがそのまま出版社に回されて本になっていったのだそうです。そして大拙曰く、「私は何もしていない。ただ(無の)向こう側から届くものを書き留めているにすぎない」。驚くべきエピソードだと思いました。説教作成でいつも苦労している私の身としては何とも羨ましい限りです。
 「向こう側から屆けられる声」に耳を澄ませること。それはとても大切なことであると思います。私たちが睡眠から目覚める時、それは私たちの意識が戻る時ですが、それはちょうど向こう側から声が聞こえてくるのと同じ状況です。バッハのカンタータではないのですが、確かに「目覚めよと呼ばわる者の声がする」のですね。 声は言を運ぶ器であり乗り物なのです。「聽く」という旧字体は、王なる者の声を目と耳と心を一つにしてそれを十全に用いて聴き従ってゆくという意味であると以前に申し上げました。睡眠は私たちが脳に蓄えた記憶を整理統合する役割を持つと言われていますが、私たちもまた力を抜いたかたちで五感を開き、向こう側から届けられるものを待ちたいと思います。聖書では夢で神のお告げが伝えられることも少なくないのですから。 もしかすると皆さんの中にも鈴木大拙禅師と似たような体験をお持ちの方もおられるかもしれませんね。

キリストの心を生きる教会 日本福音ルーテル教会社会委員会

①憲法改正論議に思う 小泉 基(社会委員長)

 ヴァイツゼッカーの名言をひくまでもなく、わたしたちは歴史に学ばなければ、よりよい未来をつくり出すことは出来ません。そしてその過去の経験を誰から学ぶのかによって、歴史に対するわたしたちの見方が変わってくるのだと思います。健軍教会ではこの10年ほど、聴き取りプロジェクトという取り組みを続けています。教会におられる信仰の先輩方に、その人生と信仰の来歴について語っていただき、それを聴き手担当者が文章にまとめて教会内でわかちあっていく、という取り組みです。 熊本は多くの移民を送り出してきた県であり、健軍教会のある場所も戦後に引き揚げ者住宅が建ち並んだ地域でした。そういう背景からか、1916~37年生まれの16人の語り手さんのうち、実に9名が移民先で生まれるか、幼い頃に「外地」での生活を経験してこられた方々でした。こうした方々の物語は、まさに戦争によって翻弄されてきた人生の記録です。家族を失い、転居を余儀なくされ、仕事を転々とし、国家戦略のために多くを犠牲にしてきた方々の歴史です。そしてこの方々が、一様に平和への思いを口にされるのです。
 現政権は憲法改正に熱心で、来年にも改正憲法を施行させたいという意向を持っているようです。しかし、政治の役割は、つきつめるなら「国民を飢えさせないことと、戦争に巻き込まないこと」の二つだといわれます。そうであるならば、戦争に翻弄されてきた市井の人たちの声にこそ耳を傾け、この方々の歴史から学ばなければ、と思います。
 軍事基地を強化し、最新鋭の軍備をそろえ、 憲法を改正し、戦争が出来る国になることによって近隣諸国を軍事力で押さえ込もうとする。こうした国家戦略によって、生活が翻弄されることになるのは、わたしたち市民だからです。ですから憲法の改正ではなく、戦争にならないように近隣諸国との友好な関係をつくり出していく。そうした地道な外交努力をこそ、わたしたちの政府に求めていきたいと思うのです。

*社会委員会委員によるコ ラムを6回掲載します。

メコン川流域宣教会議報告 関野和寛(世界宣教委員)

 2018年11月14、15日とミャンマーのヤンゴンで行われたメコン川流域宣教会議に日本福音ルーテル教会からは私と安藤風さん(健軍教会/ルーテル世界連盟理事)とで参加しました。
 メコン川流域にあるカンボジア、タイ、ベトナム、ミャンマー、ラオスの各国にはルーテル関係の教会や諸施設があります。そしてこのメコン流域、アジアの教会は大きな成長の中にあります。ですが、それらの教会や施設は他国の人的、経済的援助がなければ成り立たないという現状があります。 
 具体的には新しい教会や福祉施設を建てていく資金が必要です。教会のリーダーを育成するための神学校を充実させる事も大きな課題です。神学書などをそれぞれの言語に翻訳する事、また神学教育を担っていく神学教員も必要です。様々なニーズに対し人や資金をただ送るのではなく、現地の人々と共に歩む宣教が求められています。
 そして実際に宣教支援を行っている欧米、アジアの諸ルーテル教会の代表、メコン流域の各国の教会の代表者たちが年に一度集まり、宣教の共同について協議するのがメコン流域宣教会議の役割です。日本福音ルーテル教会も約15年以上この宣教会議に代表を送っています。そして日本福音ルーテル教会は今後、国内だけでなくアジアに向けて宣教を行っていく方針を持っています。
 近い将来、このメコン流域をはじめアジアの宣教に具体的に関わっていく事を決断しなくてはいけない時期に来ています。それぞれの各個教会の維持だけでも大変な困難があります。けれども教会は外に向かって宣教していく時にはじめて生きる共同体になって行くのではないでしょうか。そしてアジアの諸教会から学び、共に宣教していく事は私たちの成長に繋がっていくのだと感じています。 新しい1年、アジアの教会の一員として、是非皆で具体的にアジアの宣教に参与していく年にしていきましょう。

松本だより

  プロジェクト3・11
  企画委員 谷口和恵      (松本教会)

 昨年、東教区常議員会の活動の一環として、東北の震災被災地を訪ねる機会がありました。
 宮城県南三陸町の防災センターは、最後まで住民に避難を呼びかけた若い職員が津波で何人も命を落とした場所として記憶に残っています。今では土地のかさ上げが進み、その防災センターも一番上の鉄塔が見られるばかりでした。沿岸部の様子はどこも一変し、高く積み上げられた地面、海が見えないほどの高いコンクリートの防波堤で遮られた海岸、未だにひっきりなしに行き交う大量の土砂を積んだ大型トラックなどなど。それは他の場所でも同様でしょう。これが復興と呼ばれるのでしょうが、そこに住む人々の癒えぬ心の傷を思うとなんだかやるせない気持ちになりました。
 さて、福島に目を移すと、そこにはこの先ずっと、途方もなく長く続くであろう放射能汚染の災害が横たわっています。放射能が人間に、特に幼い子どもにもたらす被害の大きさは科学的にも立証されていますが、それでも安全宣言をして帰還を促す国のやり方はどうなのだろうと疑問を持ちます。その子どもたちの命を、人生をどのように考えているのでしょうか。
 そんな中、自主避難をして放射能の心配のないところで子育てをしたいと松本に移り住む親子が何組もいます。その受け皿にもなっているのが「松本子ども留学」です。5年前に被災者の有志が立ち上げたこのプロジェクトに、当初は福島から子どもたち数名が移り住み、そこから現地の学校へ通っていました。
 現在中学を卒業した子どもたちには、地元へ帰った者がおり、また子ども留学から松本の高校へ通っている者がいます。そしてこれからは長期の移住と共に、短期間の保養の場として親子を受け入れる場所へと移行しています。また前述のような自主避難の親子さんを支援する取り組みにも力を入れています。
 
 プロジェクト3.11
 プロジェクト3・11では、昨年11月23日、24日と松本で研修会を持ちました。23日の夜は、原子力発電の問題に長く取り組まれている小出裕章さんにより「フクシマが映す日本」との講演がありました。小出さんがその中で「福島で行われているのは除染ではなく、単なる移染でしかない。人間の力では消すことができないのが放射能である。この先100年以上日本は原子力緊急事態宣言下にあり続ける。大人たちには原子力の暴走を許し、事故を引き起こした責任がある。自分が被爆しても子どもたちを被爆から守るのが大人の責任である」と言われたことが胸にズシンと響きました。
 日本の原子力政策がどれだけの人々を辛い立場に追い込んでいるかということを改めて痛感するとともに、現状を見て自分のできる関わりを続けることが大事だと考えています。
 翌24日、プロジェクト3・11の支援先の一つでもある「松本子ども留学」を訪れました。松本の郊外の一軒家で営まれている子ども留学は、里山に囲まれ家の前には畑もあり、子どもたちが伸び伸びと生活するのに相応しい環境です。会話の中で事務局長さんが「私達のことを憶え支援を続けてくださるルーテル教会さんには本当に感謝しています。またこうして訪ねてくださり、寄り添って頂けていることが何より嬉しいです」と言われたことが心に残っています。  
 私達には関わり続け、寄り添い続けることしかできませんが、プロジェクト3・11の活動を通して主の平和が少しでも実現できるよう、皆さまにもお祈りに覚えて頂き、活動にご参加頂ければと思います。

ブックレビュー1

『ルターの脱構築l宗教改革500年とポスト近代』(江口再起、リトン、2018年)
 本書における著者の狙いは、宗教改革500年にあってルターと宗教改革を、「ルターの昨日・今日・明日」を視座に考察することである。それは、ルター派の牧師・神学者として建設的に批判と検討を行うことだと言える。その中心は、プロテスタント教会の旗印となった「信仰義認」の誤解を解くことである。
 日本のプロテスタント諸教会に「信仰義認」という言葉は定着している。しかし、ルーテル教会の教職と信徒を含めどれだけの人がその内容を正しくとらえているだろうか。私たちは何か理解の難しいことに直面すると、自分が分かるところに引き寄せて考え受け止めようとする。実際に多くの場合、「信仰義認」も「私たちの信仰によって救われる」というように曲げて理解されてきた。著者はどまった部分もあるが、それらを含めて、私たちは江口先生からの宿題としてこの挑戦を受け止めるべきであろう。牧師をはじめとするルーテル教会の信徒に、じっくりと、考えながら読んでもらいたい一冊である。
高村敏浩(三鷹教会)

香港のルーテル教会の代表団が来訪

 2018年11月30日に香港のルーテル教会の代表団(香港ルーテル連盟)が日本福音ルーテル教会を訪れ、祈りと交流のひとときを与えられた。今回の訪問は、LWF(ルーテル世界連盟)アジアデスクの働きかけで実現したものである。団長はELCHK(香港福音ルーテル教会)のチャン・チュンワ監督で、彼はLWFアジア代表理事でもある。6つある香港のルーテル教会から議長、事務局長、信徒代表ら9名(日本人通訳含む)の来日となった。JELCからは大柴議長、滝田事務局長、浅野世界宣教主事、メコンミッションフォーラムJELC代表の関野牧師が出席した。
 グローバル・ノースとグローバル・サウスという大まかな区分けをすることがあるが、アフリカと共にアジアはサウスに属する。ノースが衰退する中、アフリカに次いで教会が伸びている地域としてアジアは認識されている。そんなアジア各国のルーテル教会の扇の要になっているのが、香港のルーテル教会である。
 香港の道風山にあるルーテル神学校には、アジア各地から神学生が集まり、ルーテル教会以外の教派の学生も学ぶ。またアジア諸国での伝道も積極的に展開している。
 今回の訪問の目的は、LWFアジアの宣教方策に基づき日本の4つのルーテル教会との関係を築くこと、ひいてはアジア地域全体のルーテル教会の連帯と、教会としてのアイデンティティーを強めることであった。
 教会規模はJELCとさほど変わらないが、このように大きな役割を担う香港のルーテル教会との関わりをもつことは、私たちにとっても意義深く学ぶところ大である。昼食を交えての短い対話だったが、アジアへと私たちの目を開かせてくれる貴重な時間だった。
(世界宣教主事 浅野直樹)

ブックレビュー2「ママ、おねがい」

(原作/Hugh Thomson Kerr『What Bradley Owed』、文/渡邉純幸、絵/片山静、英訳/野澤育代)
 るうてる絵本館から「ママ、おねがい」(Please, Mommy!)が出版されました。文執筆者のわたなべすみゆき先生は、日本福音ルーテル蒲田教会牧師で、教会付属の蒲田ルーテル幼稚園の園長をしておられます。2008年から2012年まで、総会議長をされている時に、日本キリスト教連合会でお世話になりました。当時私は、日本カトリック中央協議会の事務局長として、同連合会のメンバーだったのです。その時からすでにリーダーシップがあり多才な方でありましたし、著書や訳書も多く出版されてこられました。特に、「人生に締切はありません」、「跳び込め、深くはない」、「人生の峠は山の下」など、福音書の説教集ですが、どういうことかと読みたくなり、読んだら、なるほどそうかとなるような題名の著作が特徴です。
 今回の絵本も、絵/かたやましずか先生、英語訳/のざわいくよ先生の協力のもと、子どもたちが素直に気づくような感謝と愛の大切さを説く文を執筆しておられます。子どもたちが親しみやすい熊さん親子の絵と、親子で英語あるいは日本語の習得にも役立つような訳文が「ママ、おねがい!ありがとう」の大切さをますます引き立ててくれています。おねがいしたものの、「自分がしてもらったことを忘れていた」ことに気づき、感謝の心を呼び覚まして愛と奉仕の生活に変わっていくのです。
 そして、大人にとっても、数々の聖書に基づく言葉が自然に浮かんでくるような絵本になっています。例えば、「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」(ローマの信徒への手紙3・24)から来る、「無償で頂いたのですから無償で与えなさい」がそうです。また、「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。」(ルカ7・47参照)からも、「感謝の気持ちが愛の強さにつながる」ということです。両親のありがたさを知れば知るほど兄弟・姉妹を大切にし、神さまの愛を知れば知るほど神さまの家族であるすべての人を大切にすることが出来るようになることでしょう。前田万葉(カトリック 大阪大司教・枢機卿)
 *お問い合わせは、蒲田教会へ

2018年度「連帯献金」報告

2018年度も多くの方々から「連帯献金」に支援を頂きました。感謝して報告をいたします。(敬称略・順不同、複数回のご献金もまとめての報告です)
■2018年 災害支援(西日本豪雨、北海道胆振東部地震、インドネシア津波)  9,716,712円
青い鳥ホーム、青山和子、秋山 仁、厚狭教会、阿南ルーテルキリスト教会、アネモス群修養会、甘木教会、アメリカ福音ルーテル教会、飯田教会、池松綾子、イシダトモコ、板橋教会、市ヶ谷教会、市ヶ谷教会壮年会、市川教会、イデナワケイスケ、岩?純子、上田ミヤ子、上田玲子、宇部教会珈琲コンサート席上献金、宇部教会、大分教会、大岡山教会、大阪教会、大垣教会、大垣教会教会学校、大阪教会女性会、大柴譲治・金賢珠、オオノユウコ、大野義定、大林由紀、大森教会、岡崎教会、岡山教会、小城ルーテルこども園、小城教会、小沢千江、小鹿教会、小田原教会、帯広教会、掛川菊川教会、金田貴子、蒲田教会、紙谷 守、賀茂川教会、唐津教会、刈谷教会、河本香代子、川村千代江、岐阜教会、九州教区壮年連盟、京都教会、京谷信代、近畿福音ルーテル教会、久留米教会、神水教会、神水教会学校、恵泉幼稚園、小岩教会、小石川教会、小泉 眞、甲府教会、神戸教会、国府台母子ホーム児童家庭支援センター、高蔵寺教会、小山 茂、挙母教会、西条教会、坂梨晶信・スズヱ、佐賀教会、札幌教会、サトウコノモ、慈愛園子供ホーム園児職員一同、シオン教会徳山礼拝所、シオン教会防府礼拝所、シオン教会柳井礼拝所、静岡教会、清水教会、下関教会、下関教会シャローム会、下田美代子、修学院教会、女性会連盟、スオミ教会、鈴木佐惠、砂田京子、鷲見達也、諏訪教会、聖パウロ教会、聖パウロ教会教会学校、聖ペテロ教会、仙台教会、タカオタカシ、高松教会、武井順太郎、谷川卓三、知多教会、筑田 仁・坂本千歳、津田沼教会、堤 雪子、鶴ケ谷教会、天王寺教会、田園調布教会、東海教区女性会の集い、東京教会、東京池袋教会、東京池袋教会キリエ実行委員会、都南教会、ナカヨシトモコ、中村圭助、中村桂子、中野邦子、長野教会、なごや希望教会、名古屋めぐみ教会、奈多愛育園、西宮教会、西教区西中国地区るうてる秋の大会、日本ルーテル教団、日本福音ルーテル社団、沼津教会、ノガミキヨミ、博多教会、博多教会バザー委員会、箱崎教会、函館教会、浜名教会、浜松教会、浜松教会古楽器演奏会、林 雄治、ハラダヤスヒコ・ユウコ・ミチル、東教区女性会、東垂水ルーテル教会クリスマスコンサート募金、日吉教会、日田教会、平塚登美子、福岡西教会、福山教会、藤が丘教会、二日市教会、ベタニヤホーム、ベタニヤホームおひさま保育室、別府教会、保谷教会、本郷教会、本郷学生センター、正井義隆、益田チャペル平和礼拝、松江教会、松原悦子、松本教会、松本千鶴子、松山教会、松橋教会、三鷹教会、水俣教会、みのり教会、三原教会、宮崎教会、むさしの教会、村上三枝、室園教会、室園教会女性会、恵み野教会、門司教会、八代教会、八幡教会、山本純一・幸子、湯河原教会、横須賀教会、横浜教会、?川信一・純子、ルーテル保育園、るうてる法人会連合、レインボーハウス、渡邉克博・直美、NPO一粒の麦
■ブラジル伝道 508,560円
安藤淑子、大岡山教会、大阪教会、健軍教会、小城ルーテルこども園、帯広教会十勝豆会計、佐々木裕子、女性会連盟、総会ブラジル朝食会売上金、総会ブラジル朝食会席上献金、玉名教会、田園調布・都南・雪ケ谷教会共同体、箱崎教会女性の会、東教区女性会、古川文江、恵み野教会
■熊本地震 建築支援 30,262円
むさしの教会
■世界宣教(無指定) 795,681円
2018JELAチャリティコンサート協賛寄附金、NPO一粒の麦、市ヶ谷教会、
大垣教会、大垣教会女性会、大阪教会、蒲田教会、挙母幼稚園、総会開会礼拝席上献金、日本福音ルーテル社団、箱崎教会らぶぴコンサート席上献金、東教区、本郷教会、めばえ幼稚園、ルーテル保育園

今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓に苦しむ方々に連帯したいと願い祈ります。「連帯献金」を捧げてくださる場合には、それぞれの献金目的[ブラジル伝道][喜望の家][メコンミッション][世界宣教][災害支援]を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。
 郵便振替 00190-7-71734 名義(宗)日本福音ルーテル教会

公告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
 2019年2月15日

宗教法人
日本福音ルーテル教会
   代表役員 大柴譲治

信徒利害関係人 各位

釧路 土地建物売却

(ア)釧路 土地
 ・所在地 
  釧路市若竹町15番の6、  15番の3
 ・所有者 日本福音ルー  テル教会
 ・地番 15番の6及び15
  番の3  
 ・地目 境内地
 ・地積 514㎡
(イ)釧路 建物
 ・所在地 釧路市若竹町 15番地6
 ・所有者 日本福音ルー  テル教会
 ・種類 礼拝堂
 ・構造 木造・亜鉛葺、   2階建
 ・床面積 
  1階 178・2㎡
  2階 132・03㎡

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
訂 正
本紙2019年1月号4面の重野信之牧師の追悼記事の一部を訂正致します。
「静岡大学工学部へ入学」→「静岡大学工学部(夜間部)へ入学」

19-01-15ユダヤ人の王はどこに

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(マタイによる福音書2章2節)

新年あけまして、おめでとうございます。正月に礼拝に出席し、讃美歌49番「新しい年を迎えて」と賛美し新年を迎えられたことでしょう。

 東方のペルシアから、占星術の学者たちが不思議な星に導かれて、エルサレムにやって来ました。彼らは高い学問を受けた天文学や薬学の博士で、ユダヤ人の王が生まれたと知りました。王に初めて会いに来た異邦人は、イスラエルの神と縁もゆかりもない占い師で、東方から夜に長旅をして来ました。 彼らは王であるキリストと出会う、全ての人々の代表です。
 学者たちはエルサレムに来て尋ねます。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と。ヘロデ王とエルサレムの人々は不安になりました。ヘロデが王であると誰も疑わなかったからです。ヘロデは祭司長や律法学者を集め、王の生まれる地を問い、「ユダヤのベツレヘムです」と答えを得ました。彼は占星術の学者たちを呼び、星の出現した時を確かめて言いました。「その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ」。ヘロデは学者たちの報告を受けて、次の手を打つ手はずを整えます。

 再び星が学者たちを導き、幼子の家の上で止まりました。 家に入ると幼子は母マリアと共におられ、学者たちは幼子にひれ伏し、黄金・乳香・没薬を献げます。遥か彼方から夜間に輝く星を頼りに、長い旅を続けて来たユダヤ人ではない異邦人が、初めて幼子メシアに出会ったのでした。
 ヘロデとイスラエルの人々をうろたえさせた「ユダヤ人の王」は、マタイ福音書27章でも語られます。主イエスは十字架にかけられる直前、総督ポンティオ・ピラトから「お前がユダヤ人の王なのか」尋問されます。これに対して主は「それは、あなたが言っていることです」と言われました。主は自らを「ユダヤ人の王」とは言いませんが、十字架の罪状書きに「ユダヤ人の王イエスである」と書かれました。それが真実でした。
 夢のお告げが「ヘロデの所に帰るな」と学者たちに示したので、彼らはヘロデに会わずに別の道から国に帰り、ヘロデの悪巧みは打ち砕かれました。福音書記者マタイは、メシア誕生の目撃者に占星術の学者たちを選びました。その証言は主イエスが救い主である、との信仰が生まれる発端になりました。学者たちは知恵を絞ってメシアをベツレヘムに見出したのではないのです。輝く星に導かれなければ、彼らはベツレヘムで、幼子に出会うことはありませんでした。

 東方の博士の訪問から、ヴァン・ダイク作「もう一人の博士」を思い出します。マタイ福音書に登場した学者は、3人とは書かれていません。この物語には4人目の博士アルタバンが登場します。 
 彼は輝く星からユダヤ人の王の誕生を知り、財産を売り払ってサファイア・ルビー・真珠を買い求め、王に宝石を献げようと旅立ちます。他の博士たちとの集合場所に急ぐ途中、王はベツレヘムに生まれると知らされますが、瀕死の男性を介抱するのに手間取って、約束の時間に遅れてしまいます。その後、砂漠を先行する仲間を追い、疲れた馬の代わりにラクダを買うためにサファイアを売り、3日遅れでベツレヘムに着きました。しかし、他の博士たちは既に帰路に着き、救い主と両親はエジプトに逃げ去っていました。
 彼はヘロデが幼子の王を殺すため、兵隊を差し向けた混乱にも遭遇します。そこで世話になった母親と赤ちゃんを助けるため、ルビーを兵士に差し出してしまいます。
 その後、彼は30年、救い主を捜し求め、エジプトからエルサレムに戻ります。捜していた救い主が十字架にかけられると聞き、王を救う身代金に真珠を差し出そうとしますが、借金のため奴隷として売られる娘を助けるために真珠を差し出してしまいます。王に差し出す宝物はすべて無くなってしまいました。
 救い主が息を引き取り大きな地震が起きた時、アルタバンと娘は天の声を聞いたのでした。「私の兄弟である小さな者のひとりにしたのは、私にしたのである。」
 彼は救い主に出会い、宝物は小さな者を通して、ユダヤ人の王に受け取られたのです。4人目の博士の望みはかなえられ、ユダヤ人の王は喜ばれたに違いありません。

日本福音ルーテル函館教会 牧師 小山 茂

19-01-10るうてる2019年1月号

説教「ユダヤ人の王はどこに」

機関紙PDF

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(マタイによる福音書2章2節)
新年あけまして、おめでとうございます。正月に礼拝に出席し、讃美歌49番「新しい年を迎えて」と賛美し新年を迎えられたことでしょう。
 東方のペルシアから、占星術の学者たちが不思議な星に導かれて、エルサレムにやって来ました。彼らは高い学問を受けた天文学や薬学の博士で、ユダヤ人の王が生まれたと知りました。王に初めて会いに来た異邦人は、イスラエルの神と縁もゆかりもない占い師で、東方から夜に長旅をして来ました。 彼らは王であるキリストと出会う、全ての人々の代表です。
 学者たちはエルサレムに来て尋ねます。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と。ヘロデ王とエルサレムの人々は不安になりました。ヘロデが王であると誰も疑わなかったからです。ヘロデは祭司長や律法学者を集め、王の生まれる地を問い、「ユダヤのベツレヘムです」と答えを得ました。彼は占星術の学者たちを呼び、星の出現した時を確かめて言いました。「その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ」。ヘロデは学者たちの報告を受けて、次の手を打つ手はずを整えます。
 再び星が学者たちを導き、幼子の家の上で止まりました。 家に入ると幼子は母マリアと共におられ、学者たちは幼子にひれ伏し、黄金・乳香・没薬を献げます。遥か彼方から夜間に輝く星を頼りに、長い旅を続けて来たユダヤ人ではない異邦人が、初めて幼子メシアに出会ったのでした。
 ヘロデとイスラエルの人々をうろたえさせた「ユダヤ人の王」は、マタイ福音書27章でも語られます。主イエスは十字架にかけられる直前、総督ポンティオ・ピラトから「お前がユダヤ人の王なのか」尋問されます。これに対して主は「それは、あなたが言っていることです」と言われました。主は自らを「ユダヤ人の王」とは言いませんが、十字架の罪状書きに「ユダヤ人の王イエスである」と書かれました。それが真実でした。
 夢のお告げが「ヘロデの所に帰るな」と学者たちに示したので、彼らはヘロデに会わずに別の道から国に帰り、ヘロデの悪巧みは打ち砕かれました。福音書記者マタイは、メシア誕生の目撃者に占星術の学者たちを選びました。その証言は主イエスが救い主である、との信仰が生まれる発端になりました。学者たちは知恵を絞ってメシアをベツレヘムに見出したのではないのです。輝く星に導かれなければ、彼らはベツレヘムで、幼子に出会うことはありませんでした。
 東方の博士の訪問から、ヴァン・ダイク作「もう一人の博士」を思い出します。マタイ福音書に登場した学者は、3人とは書かれていません。この物語には4人目の博士アルタバンが登場します。 
 彼は輝く星からユダヤ人の王の誕生を知り、財産を売り払ってサファイア・ルビー・真珠を買い求め、王に宝石を献げようと旅立ちます。他の博士たちとの集合場所に急ぐ途中、王はベツレヘムに生まれると知らされますが、瀕死の男性を介抱するのに手間取って、約束の時間に遅れてしまいます。その後、砂漠を先行する仲間を追い、疲れた馬の代わりにラクダを買うためにサファイアを売り、3日遅れでベツレヘムに着きました。しかし、他の博士たちは既に帰路に着き、救い主と両親はエジプトに逃げ去っていました。
 彼はヘロデが幼子の王を殺すため、兵隊を差し向けた混乱にも遭遇します。そこで世話になった母親と赤ちゃんを助けるため、ルビーを兵士に差し出してしまいます。
 その後、彼は30年、救い主を捜し求め、エジプトからエルサレムに戻ります。捜していた救い主が十字架にかけられると聞き、王を救う身代金に真珠を差し出そうとしますが、借金のため奴隷として売られる娘を助けるために真珠を差し出してしまいます。王に差し出す宝物はすべて無くなってしまいました。
 救い主が息を引き取り大きな地震が起きた時、アルタバンと娘は天の声を聞いたのでした。「私の兄弟である小さな者のひとりにしたのは、私にしたのである。」
 彼は救い主に出会い、宝物は小さな者を通して、ユダヤ人の王に受け取られたのです。4人目の博士の望みはかなえられ、ユダヤ人の王は喜ばれたに違いありません。日本福音ルーテル函館教会 牧師 小山 茂

コラム 直線通り 久保彩奈

⑩「主の家に行こう、と人々が言ったとき わたしはうれしかった」(詩篇122・1)

 帰りのホームルームが終わり、当番の子どもたちと掃除を始めようとしていた時のこと。部活のユニフォームに着替えたクラスの子どもたちが「先生、いってきまーす」と元気に声をかけてくれました。「部活がんばってね、さようなら」と言うと「先生違うよ。ここはホームルームで『ホーム』だから、先生にいってきますって言ったんだよ」、「先生、ここはみんなのもう一つの家なんだからさ!」と言われました。なるほど!と感心しているとまた他の生徒が言いました。 「だからさ、先生は、これからはいってらっしゃいって言ってね!」と。子どもたちとの何気ないやり取りは、改めてもう一つの「ホーム」の大切さを気付かせてくれるのと同時に「いってらっしゃい」という言葉の温かさを感じる出来事でした。
 社会で生き抜くために努力し続けることを強要されがちな10代の子たちがかけて欲しい言葉は、もしかしたら「頑張りなさい」ではなく、そっと背中を押してくれる「いってらっしゃい」という言葉なのかもしれません。みんな、気付かせてくれてありがとう。これからは「いってらっしゃい」って言うようにするね。
 思えばキリストにつながるわたしたちは毎週温かな「いってらっしゃい」を礼拝を通して神様から受け取っています。もう一つのホームである教会から、それぞれの生活の場へと「派遣」される、その温かく優しい神様からの「いってらっしゃい」はわたしたちを労い、励ましてくれるのです。
 「おかえりなさい」
 「いってらっしゃい」
 温かな恵みを感じるこの言葉を、今年も変わらず神様とみなさんと「もう一つのホーム」で交わしたいのです。

議長室から 大柴譲治 「千年を視野に入れて今を生きる」

新年おめでとうございます。1992年にヒロシマで開かれた宗教者平和会議での相馬信夫カトリック司教の言葉を思い起こします。司教は1993年のJELC宣教百年記念熊本大会のゲストでもありました。司教は「カトリック正義と平和協議会」の会長を務め、1991年の湾岸戦争の際には自衛隊機の派遣に反対し民間機をチャーターしておよそ3000人の避難民を母国に移送したことでも知られています。
 ヒロシマでの講演を司教は次のような言葉で始められました。「私たち宗教者は20年、30年を視野に入れているだけではダメです。一千年を視野に入れて、今を生きなければなりません」と。私にとってそれは度肝を抜かれるような、目からウロコが落ちるほどスケールの大きな衝撃的な言葉でした。
 「千年を視野に入れて今ここを生きる」 ?具体的にそれが何を意味するのか、以来ずっと考えさせられてきました。今この場所で永遠なるお方(神)とつながって生きるということなのか(「永遠の今」を生きる)。確かに聖書には「千年といえども御目には、昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません 」 (詩編90・4)、「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです」と記されています(2ペトロ3・8)。神の視点を持って生きるということなのか。
 詩編90編が告げるように私たちの人生は70年ないしは80年ほどの儚いものにしか過ぎません。労苦に充ちたこの世の人生においては「瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ってゆく」(10節)のです。 モーセと共に私たちも「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」と祈りたいと思います(12節)。
 司教の言葉を思い巡らせることの中で一つ気づいたことがあります。人が活動できる一生を仮に「40年」(聖書的な数字ですが)とすれば「千年」は「25世代」です。神はその御心を実現するために「世代」を超えて私たち一人ひとりをその平和の道具として用いてゆかれるのです。新年も共に主の御心の実現を祈り求めてゆきたいと願います。皆さまの上に神の祝福をお祈りいたします。

ユースナイト報告 市ヶ谷教会 森一樹

2018年10月にフィンランド・ルーテル福音協会(SLEY)の青年部である福音学生連合(EO)から、日本への宣教キャラバンのために、青年10名が来日しました。約10日間の滞在の中で、東教区のいくつかの教会を訪問し、賛美や礼拝の奉仕をしてくれました。 そして、同月27日には、日本のルーテル青年と是非とも交流したいという彼らの提案の下、フィンランド青年チームと日本福音ルーテル教会東教区青年会(ルーサーリーグ)が共同で企画したイベント、『Youth Nightユースナイト』が開催されました。
 会の前半では、フィンランド青年によるコンサート形式の集会がわれ、関係を深めるためのゲームをしたり、フィンランドで親しまれている賛美歌や彼らが熱心に練習をしたという日本語での賛美に耳を傾けたり、彼らの救いについての証を聞いたりと、その日初めて出会い、住む場所も使う言葉も違う彼らと、神様を通して繋がることができたと心から感じるひとときとなりました。
 また、会の後半にはフィンランドと日本のお菓子を囲んでの懇親会が行われ、文化や言語の違いについて話をしたり、オススメの観光地を教えあったり、互いの日常生活や教会生活について分かち合ったりと、こちらも恵み溢れるひとときとなりました。
 日本での生活の中で、特に私のように大学生として教会生活を送っていると、周りの友人との考え方や価値観にはっきりと違いを感じる時や、クリスチャンとして生きていく難しさに心が折れそうになる時があります。
 しかし、遠く離れた地でも同じように教会生活を送っている信仰の友と出会い、交流をし、そして祈り合うことができた今回の『Youth Nightユースナイト』は、そんな私にとって大きな励ましであり、大きな恵みでした。最後に、このイベントのために準備をし、祈りに覚えてくださった方々ひとりひとりに、そして何よりも、この出会いと交わりを備えてくださった神様に心から感謝をして、報告を終えたいと思います。

脱原発社会のための推薦図書 日本福音ルーテル教会社会委員会編

「日本福音ルーテル教会は、…一刻も早く日本にある原発が廃止されることを…総会声明として社会と教会に呼びかけます。…学びを含めて取り組みを開始していきます」、と謳った全国総会での声明(2012年)にもとづき、社会委員会から下記推薦図書による学びを呼びかけます。

『原発と宗教 未来世代への責任』冨坂キリスト教センター編 2016年 いのちのことば社
 現代に生きる私たちは否応なしに核の問題に直面している。とりわけ3・11の東京電力福島第一原発の事故は、そのことを明らかにした。現在に至るも事故は収束していない。この事態に宗教は、キリスト者は、どのように向き合っていくのだろうか。核の問題に対して、「宗教、教会の倫理的責任とは何か」が問われているのだ。本書は、この課題への一つの取り組みである。神学者、牧師、弁護士、チェルノブイリ被害者支援を行っている女性、小児科医、市民科学者、市民運動家、漫画家、僧侶といったそれぞれの立場から、核兵器と原発の問題について専門的な論考と提言が寄せられている。「科学技術」に対する「宗教・信仰」の姿勢はどうあるべきなのか、興味深い示唆を与えてくれる一冊である。(秋山仁)

『核の戦後史 Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』

木村朗+高橋博子 2016年 創元社
本書では、日米政府は広島・長崎の原爆投下後、ビキニ環礁での水爆実験後、被爆者調査をしたにもかかわらず、放射能の人的被害を巧妙に隠蔽してきたという事実を、克明な調査により明らかにしている。なぜ隠蔽が行われたのか?現在の福島でも同じことが起きており、小児甲状腺癌の検出数増加も、スクリーニング効果と説明されている。また、原発事故後も再稼働を止めることができないのは、1988年の日米原子力協定があるからと書かれている。著者は、なぜ放射能の人的被害は軽視されるのか? 人権がないがしろにされているのでは?これ以上のグローバルヒバクシャを生まないために何ができるのかと問いかけている。本書の中に確実にヒントがある。(佐伯里英子)

『福島・被曝安全神話のワナ』

DAYS JAPAN 2018年8月号増刊号 わたしたちの良心を取り戻すためにシーベルト、あの時は気にしていたのに。たった7年でどこか遠くのことみたいに感じてしまいます。その一方で、次々に各地の原子力発電所が再稼動し、被曝安全論が語られるようになりました。福島で、「保養」にでかける家族、放射線測定や甲状腺がんの実態など実際に寄り添っているライターが現場の様子を伝えてくれます。
 自主避難をする人と帰還をする人、お互いが被害者なのに対立する差別する構造、それも家族のあいだでも。今一度、私たちもあの日に立ち返って、忘れないようにしたいものです。社会正義の実践を愛の精神で行っていくキリスト者の良心にかけて。(高田敏尚)

ブラウンシュヴァイク領邦教会公式訪問報告

今年2018年は日本福音ルーテル教会(JELC)とドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル領邦教会(ELKB)のパートナーシップ締結50年にあたります。それを記念して大柴議長が招待され、合わせて西教区を中心に訪問団が組まれました。議長の他に西教区長、喜望の家代表、そして各教区から推薦された牧師4名、信徒とるうてるホームの職員合わせて7名の計14名がメンバーでした。
 訪問団は10月25日(木)から11月2日(金)までの日程で、ブラウンシュヴァイク福音ルーテル領邦教会を訪ねました。日記風に振り返ってみます。
 10月25日(木)関西空港からアムステルダムを経て、ハノーバー空港へ。現地時間の夕方、同地でワルター元宣教師の出迎えを受け、列車でブラウンシュヴァイクへ。
 翌日の26日の午前中「アウグスティヌム」事業団の高齢者住宅の見学。かなりハイグレードな施設でしたが、「ただ死を待つ場所ではなく、生きることを楽しむための場所」というコンセプトが印象的でした。
 神学センターで昼食後、海外宣教主事のノイエンフェルト牧師によるオリエンテーション。今回の訪問で期待していることや質問、また課題としていることの確認と共有をしました。参加者のそれぞれの目的が明確化されました。その後、ELKBのマインス監督による夕礼拝後、訪問団の歓迎会がヤーパン・アルバイツ・クライス(日本協同委員会)のメンバーも交えて行われました。
 27日(土)は市内のブラウンシュヴァイク大聖堂でオルガンによる祈りの時に出席。大聖堂の見学と集会所での昼食。
 その後、都市部における教会の働きについての短い紹介があり、続いてパウル・コッホさんによる「世界的な課題の脈絡からみたブラウンシュヴァイク地域の原発・被曝問題」という講演を聞きました。 これは、ELKBの領域にある四か所の「放射性廃棄物の処理場」問題について、地元の教会での取り組みを紹介したものでした。コッホさんはチェルノブイリの原発事故以降に原発被災者の支援活動を行っている方ですが、講演の中でフクシマの問題についても触れ、「放射性廃棄物の処理場」の問題が単に一地域の限られた問題ではなく、世界的な広がりを持ったことであることを強調されていました。私たち訪問団にとっても、大変刺激になりましたし、フクシマに代表される原発の問題への日本の教会における取り組みを考えさせられる機会となりました。

 28日(日)ブラウンシュヴァイクから車で30分ほど離れたフェッヒェルデの教会で、パートナーシップ締結50年記念礼拝が催されました。マインスELKB監督による説教、大柴譲治総会議長が挨拶。礼拝後、昼食。ブラウンシュヴァイクに戻ってから宿舎の近くの教会で行われている「排除に抵抗する芸術」展を見ました。
 29日(月)ヴォルフェンビュッテルのELKBの本部を訪問。朝の祈りのあとマインス監督とホーファー高等教会参事と共に、「パートナーシップ締結50年の評価と今後の展望について」懇談のときを持ちました。話題は、釜ヶ崎「喜望の家」の活動の総括と展望、ディアコニア奉仕者や牧師の交換プログラム、幼児教育や堅信教育といった信仰教育の課題、高齢者に対する課題など多岐にわたりましたが、 両教会が共通の課題を抱えていることを認識した時間でした。
 その後、ザルツギッター・バートの民間NGO「母のセンター」を訪問しました。一人の女性が始めた働きでしたが、大きな動きに発展し、母親の子育て支援に始まり、若者と高齢者の出会いの場であり、また難民の最初の受け入れ場の場所にもなっています。保育園なども併設されている他、子どもたちが放課後に過ごす場としても解放されています。職業訓練や資格取得教育なども行っています。
 昼食後は、同じくザルツギッター・バートのノア教会を訪問し、シュタットタイル・トレッフェ(街角の出会いの場)という施設での公的な福祉と教会のディアコニア活動によるネットワークの働き、たとえば地域に住む高齢者や生活困窮者、難民支援への取り組みを見学しました。ELKBが行っているディアコニー活動を知るよい機会でもありました。
 その後は、ノア教会で日本協同委員会と懇談のときを持ちました。パートナーシップをサポートするための活動を続けている日本協同委員会との交流は、人と人のつながりの大切さを思わせてくれました。
 30日(火)は知的障がい者の施設、ノイエルケローデ事業団の総合福祉村を訪問しました。ここは、こどもから高齢者までの知的障がい者が、安全に自立して生活できるように様々な福祉施設が整えられ、一つの村を形成しています。
 昼食後、ブラウンシュヴァイク郊外のリッダクスハウゼンにあるノイエルケローデ事業団の園芸部門を見学しました。その後、リッダクスハウゼンの修道院教会を見学、オルガンの演奏を楽しみました。
 31日(水) ブラウンシュヴァイク聖ブラジイ大聖堂で行われた宗教改革日の記念礼拝に出席しました。この日は特にエキュメニカルな礼拝で、説教はカトリック教会のヒルデスハイム教区のハイナー・ヴィルマー司教でした。福音書の朗読を大柴譲治議長が担当し、挨拶もしました。
 午後はまとめの会。今回の旅で参加した一人一人が得たもの、未消化に終わったことなどを分かち合い、またJELCとELKBの両教会の今後の課題について確認することができました。大変よく考えられ準備されたプログラムでした。準備くださった海外宣教主事のノイエンフェルト牧師に感謝。
 11月1日(木)早朝、列車でハノーファー空港駅へ。ワルター元宣教師に見送られ、午前10時45分の便でアムステルダムを経由し関西空港に向かいました。翌日2日(金)関西空港に到着し、訪問団の解散となりました。お疲れさまでした。
 今回、参加者一人一人の関心や動機が高かったことで、充実した時間を過ごすことができました。皆さんに感謝です。そして、今回の訪問を通して、改めてJELCとELKBとのパートナーシップ50年の歴史に感謝するとともに、両教会が共に手を携えて共通の課題に取り組み、現代の世界・社会に福音宣教を行っていくことを期待しました。このパートナーシップがこれからも続いていくようにと願わずにはいられません。(団長 秋山 仁) 

「あるがままの姿で受け入れたい」~重野信之牧師を天国に送る~ 

定年教師 明比輝代彦
重野信之牧師
 1939年12月19日生まれ
 1962年12月23日受洗
 1971年 按手
 2018年11月26日召天
重野信之牧師が2018年11月26日、78年の地上の歩みを終え、天に召されました。
 奄美大島の出身で、地元の高校卒業後、浜松の静岡大学工学部へ入学、英会話の取得のため浜松ルーテル教会へ行き、導かれて受洗。その後、鷺宮時代のルーテル神学校・神学大学に入学。
 1971年、按手を受け牧師に。東海教区の半田、常滑教会に派遣されました。1977年から7年間、大阪釜ヶ崎伝道に奉仕、「喜望の家」設立の土台作づくりをされました。
 その後、室園、名古屋、ひかり、鹿児島、阿久根、神水の諸教会で奉仕され、2010年3月、満70歳で引退、39年間の伝道者生活を全うされました。
 神学生時代から労働者伝道に関心を持ち、夏の「関西労働者伝道」にも一ケ月間参加されました。釜ヶ崎での働きでは、キリスト教7団体が組織する「釜ヶ崎協友会」の代表となりました。
 朝日新聞の「この人登場」で紹介され、こう語っておられます。「私はいつも心の中で言い聞かせているのです。あるべき姿ではなく、あるがままの姿で受け入れたい」。まさに「DoイングではなくBeイング」を示唆しています。
 総会副議長、東海教区長として忠実に奉仕してくださったことに心から感謝します。天国でゆっくりお休みください。ご遺族に神様の慰めをお祈りしています。

着任宣教師の紹介 安達 均 牧(神水教会、松橋教会/熊本県)
  主イエスの不思議な導きにより2018年5月よりアメリカ福音ルーテル教会から宣教師として派遣されました。もともとは横浜の日吉に生まれ、当時は新宿にあった聖ニコライ正教会にて幼児洗礼を受けました。
 日本光電という会社で技術者として勤務している時、新宿に生まれ普連土学園(クウェーカー)を通して導かれた さと子と知り合い結婚しました。結婚後は日本基督教団野方町教会での信仰生活が始まりました。3人の子どもに恵まれる中、会社から派遣されロサンゼルスで勤務することになり、日本語礼拝も行われていた復活ルーテル教会へ導かれました。
 癌になった同僚への伝道に神が大きく働かれて、ミネソタ州セントポールにあるルーサーセミナリーにて学び始めました。6年を要しましたが2010年に按手を授かりました。神の恩寵、洗礼と聖餐の御業のために、日本福音ルーテル教会のメッカ(?)でも奉仕できますこと、身にあまる光栄に感じております。神に感謝!

お知らせ 奨学金制度が拡充されました

 日本福音ルーテル教会には以前から、将来は教会の関係で働こうという志を持った若者を、応援する奨学金制度がありましたが、今回その内容が拡充されて使いやすくなりました。
 他の多くの奨学金や教育ローンと違って、利子が不要です。保育者、聖書科教諭、社会福祉者、牧師になる夢を持っている高校生などにお勧めください。
 「1号貸付」は、キリスト教学校教育同盟加盟の大学、短大又は専門学校の、幼児教育、聖書教育及び社会福祉の資格が取れる課程で学ぶ人が対象です。「クリスチャンの働き人が欲しい」、という幼稚園、保育園、学校及び社会福祉施設の声を受けてできた制度です。今回の改正で、�@受洗後すぐに申し込めます、�A対象に聖書科教諭免許が加わりました、�Bまた貸付金額が上がりました。4年制大学なら121万円まで、短大・専門学校なら73万円まで借りられます。
 「2号貸付」は、牧師の子弟が対象です。高校から大学までをカバーします。今回の改正で、貸付金額が上がりました。高校なら36万円まで、高等専門学校なら60万円まで借りられます。他は1号と同じです。
 「3号貸付」は、卒業後に日本ルーテル神学校に進学するために、ルーテル学院大学で学ぶ人が対象です。今回の改正で、貸付金額の上限が121万円に上がりました。大学卒業後に神学校に進学した人には、神学校卒業まで返還開始が猶予されます。
 どの貸付も、申請はいつの時点でもできますし、上限金額の範囲内で必要な金額をまとめて借りられます。そこでたとえば、1号貸付では受洗が条件ですが、高校3年のクリスマスに受洗した人は対象の学校に入学後すぐに借りられますし、在学中に受洗した人が他の有利子ローンからの借り換えに使うこともできます。
 それぞれの貸付には、条件や書類が決められていますので、詳しいことは「奨学資金貸付規定」(2018年12月施行)をご覧ください。

着任宣教師の紹介

安達 均 牧師(神水教会、松橋教会/熊本県)
  主イエスの不思議な導きにより2018年5月よりアメリカ福音ルーテル教会から宣教師として派遣されました。もともとは横浜の日吉に生まれ、当時は新宿にあった聖ニコライ正教会にて幼児洗礼を受けました。
 日本光電という会社で技術者として勤務している時、新宿に生まれ普連土学園(クウェーカー)を通して導かれた さと子と知り合い結婚しました。結婚後は日本基督教団野方町教会での信仰生活が始まりました。3人の子どもに恵まれる中、会社から派遣されロサンゼルスで勤務することになり、日本語礼拝も行われていた復活ルーテル教会へ導かれました。
 癌になった同僚への伝道に神が大きく働かれて、ミネソタ州セントポールにあるルーサーセミナリーにて学び始めました。6年を要しましたが2010年に按手を授かりました。神の恩寵、洗礼と聖餐の御業のために、日本福音ルーテル教会のメッカ(?)でも奉仕できますこと、身にあまる光栄に感じております。神に感謝!

2019年度 日本福音ルーテル教会 会議日程
【2019年】
1月16日(水)   教師試験委員会(市ヶ谷)
1月17日(木)  教師試験(市ヶ谷)
1月18日(金)  任用試験(市ヶ谷)
2月12~13日  会計監査(市ヶ谷)
2月18~20日  第28期第3回常議員会(市ヶ谷)
2月24日(日)  神学校の夕べ(宣教百年記念東京会堂)
3月 3日(日)  教職授任按手式(宣教百年記念東京会堂)
3月 4日(月)  神学教育委員会(市ヶ谷)
3月 6日(水)  新任教師研修会(市ヶ谷)
3月 8日(金)  日本ルーテル神学校卒業式(三鷹)
3月21日(木)  教区総会(各教区)
4月 2日(火)  日本ルーテル神学校入学式(三鷹)
5月 日程調整中  LCM会議
6月10~12日  第28期第4回常議員会(市ヶ谷)
8月22~23日  るうてる法人会連合・総会(三鷹)
9月24~25日  宣教会議(市ヶ谷)
10月2日(水)  教師試験委員会(市ヶ谷)
10月 日程調整中  新任教師研修会(日本キリスト教連合会主催)
11月11~13日  第28期第5回常議員会(市ヶ谷)

【2020年】
1月15日(水)  教師試験委員会(市ヶ谷)
1月16日(木)  教師試験(市ヶ谷)
1月17日(金)  任用試験(市ヶ谷)
2月11~12日  会計監査(市ヶ谷)
2月17~19日  第28期第6回常議員会(市ヶ谷)
2月23日(日)  神学校の夕べ(宣教百年記念東京会堂)
3月 1日(日)  教職授任按手式(宣教百年記念東京会堂)
3月 2日(月)  神学教育委員会(市ヶ谷)
3月 4日(水)  新任教師研修会(市ヶ谷)
3月 日程未定   日本ルーテル神学校卒業式(三鷹) 
3月21日(土)  教区総会(各教区)

※「事務処理委員会」は、教会規則に基づき、処理すべき事項が発生した時に、随時、開催とする。

18-12-18闇の中に現れる光

「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。 」(ヨハネによる福音書1・4〜5、14)「

日本福音ルーテル教会の降誕祭の聖書日課(福音書)は、毎年、ヨハネによる福音書の1章1〜14節です。光と暗闇の対比が印象的なこのロゴス讃歌ですが、クリスマスでは、ここに「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」(9節)とあることから、まことの光が世にやって来たという出来事(降誕物語)の方に焦点があるように思います。しかし思うのですが、ここには「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(5節)ともあるわけで、「暗闇」にピントを合わせてみることも、クリスマスの季節には必要なことなのではないでしょうか。

 さて、ジャン・バニエは、『コミュニティー』(一麦出版社)の中で、「人は、光と闇の混合体(です)」と言っているのですが、そうであるならば、自分の内にある暗闇を見つめることからはじめてみよう、と思います。「自分の内にある暗闇」と聞いて思い出す詩があります。それは、岩田宏さんの「住所とギョウザ 」という詩です。この詩を初めて読んだのは、ずいぶん昔のことで、たしか、茨木のりこさんの『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)に収められていたものでした。その本が見つからないので、平川克美著『言葉が鍛えられる場所』(大和書房)から引用させてもらいます。

《大森区馬込町東四ノ三○
大森区馬込町東四ノ三○
二度でも三度でも
腕章はめたおとなに答えた
迷子のおれ ちっちゃなつぶ
夕日が消える少し前に
坂の下からななめに
リイ君がのぼってきた
おれは上から降りていった
ほそい目で はずかしそうに笑うから
おれはリイ君が好きだった
リイ君おれが好きだったか
夕日が消えたたそがれのなかで
おれたちは風や紙風船や
雪のふらない南洋のはなしした
そしたらみんなが走ってきて
綿あめのように集まって
飛行機みたいにみんなが叫んだ
くさい くさい 朝鮮 くさい
おれすぐリイ君から離れて
口ぱくぱくさせて叫ぶふりした
くさい くさい 朝鮮 くさい

今それを思い出すたびに
おれは一皿五十円の
よなかのギョウザ屋に駆けこんで
なるたけいっぱいニンニク詰めてもらって
たべちまうんだ
二皿でも三皿でも
二皿でも三皿でも!》。

 平川さんは、この詩を紹介した後、次のように言われます。「この詩が描き出した世界は、わたしが小学生のときの体験そのままであり、わたしもまた「くさい 朝鮮 くさい」と叫ぶふりをしていた子どもだったことをありありと思い出させてくれるのです。そして、今でも、この詩を読むと、なんだか泣きたい気持ちになります。その泣きたい気持ちは、ほとんど言葉にすることができません」。 私は、この詩が描いている時代を体験したわけではありません。しかし、この詩が描いている「おれ」の心の動きを、自分のことのように感じることができます。そしてそのあたりに、自分自身の内にある暗闇を見つけ、平川さんと同じように「なんだか泣きたい気持ち」になってしまうのです。

 ところで、田川健三さんは、ヨハネによる福音書1章5節を次のように訳されています。「そして光は闇の中に現れる。そして闇はそれをとらえなかった」(『新約聖書 訳と註5 ヨハネ福音書』作品社)。

 自分の内にある暗闇を見つけ「なんだか泣きたい気持ち」になっている私としては、この気持ちをすっきりさせて欲しいと思ったりするわけですが、聖書は、闇は光をとらえることができない(「なんだか泣きたい気持ち」はなくならない)と記します。 私たちは、できることなら、「なんだか泣きたい気持ち」を抱いたまま生きたくはありません。けれども、私たちの社会において、光をとらえたと自称する人たちが排外主義的な言葉を発していることを、私たちは心に留めなければいけないのではないでしょうか。

 「光は闇の中に現れる」のです。「なんだか泣きたい気持ち」を抱える〈わたし〉と「なんだか泣きたい気持ち」を抱える〈あなた〉の間に、み子イエスの光は灯るのです。

日本福音ルーテル門司教会、八幡教会牧師 岩切雄太

18-12-01るうてる2018年12月号

機関紙PDF

説教「闇の中に現れる光」

「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。 」 (ヨハネによる福音書1・4~5、14)

本福音ルーテル教会の降誕祭の聖書日課(福音書)は、毎年、ヨハネによる福音書の1章1~14節です。光と暗闇の対比が印象的なこのロゴス讃歌ですが、クリスマスでは、ここに「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」(9節)とあることから、まことの光が世にやって来たという出来事(降誕物語)の方に焦点があるように思います。しかし思うのですが、ここには「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(5節)ともあるわけで、「暗闇」にピントを合わせてみることも、クリスマスの季節には必要なことなのではないでしょうか。
さて、ジャン・バニエは、『コミュニティー』(一麦出版社)の中で、「人は、光と闇の混合体(です)」と言っているのですが、そうであるならば、自分の内にある暗闇を見つめることからはじめてみよう、と思います。「自分の内にある暗闇」と聞いて思い出す詩があります。それは、岩田宏さんの「住所とギョウザ 」という詩です。この詩を初めて読んだのは、ずいぶん昔のことで、たしか、茨木のりこさんの『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)に収められていたものでした。その本が見つからないので、平川克美著『言葉が鍛えられる場所』(大和書房)から引用させてもらいます。

《大森区馬込町東四ノ三○
大森区馬込町東四ノ三○
二度でも三度でも
腕章はめたおとなに答えた
迷子のおれ ちっちゃなつぶ
夕日が消える少し前に
坂の下からななめに
リイ君がのぼってきた
おれは上から降りていった
ほそい目で はずかしそうに笑うから
おれはリイ君が好きだった
リイ君おれが好きだったか
夕日が消えたたそがれのなかで
おれたちは風や紙風船や
雪のふらない南洋のはなしした
そしたらみんなが走ってきて
綿あめのように集まって
飛行機みたいにみんなが叫んだ
くさい くさい 朝鮮 くさい
おれすぐリイ君から離れて
口ぱくぱくさせて叫ぶふりした
くさい くさい 朝鮮 くさい

今それを思い出すたびに
おれは一皿五十円の
よなかのギョウザ屋に駆けこんで
なるたけいっぱいニンニク詰めてもらって
たべちまうんだ
二皿でも三皿でも
二皿でも三皿でも!》。

平川さんは、この詩を紹介した後、次のように言われます。「この詩が描き出した世界は、わたしが小学生のときの体験そのままであり、わたしもまた「くさい 朝鮮 くさい」と叫ぶふりをしていた子どもだったことをありありと思い出させてくれるのです。そして、今でも、この詩を読むと、なんだか泣きたい気持ちになります。その泣きたい気持ちは、ほとんど言葉にすることができません」。 私は、この詩が描いている時代を体験したわけではありません。しかし、この詩が描いている「おれ」の心の動きを、自分のことのように感じることができます。そしてそのあたりに、自分自身の内にある暗闇を見つけ、平川さんと同じように「なんだか泣きたい気持ち」になってしまうのです。
ところで、田川健三さんは、ヨハネによる福音書1章5節を次のように訳されています。「そして光は闇の中に現れる。そして闇はそれをとらえなかった」(『新約聖書 訳と註5 ヨハネ福音書』作品社)。
自分の内にある暗闇を見つけ「なんだか泣きたい気持ち」になっている私としては、この気持ちをすっきりさせて欲しいと思ったりするわけですが、聖書は、闇は光をとらえることができない(「なんだか泣きたい気持ち」はなくならない)と記します。 私たちは、できることなら、「なんだか泣きたい気持ち」を抱いたまま生きたくはありません。けれども、私たちの社会において、光をとらえたと自称する人たちが排外主義的な言葉を発していることを、私たちは心に留めなければいけないのではないでしょうか。
「光は闇の中に現れる」のです。「なんだか泣きたい気持ち」を抱える〈わたし〉と「なんだか泣きたい気持ち」を抱える〈あなた〉の間に、み子イエスの光は灯るのです。
日本福音ルーテル門司教会、八幡教会牧師 岩切雄太

コラム 直線通り 久保彩奈

⑨H「I have a dream」(キング牧師)

キング牧師の演説「I have a dream」を取り上げた授業中、突然 「先生の夢は何ですか?」と質問されました。
多くの子どもたちは「教師になる夢を叶えた人」として教師を見るので、「なぜ聖書科の先生になったの?どうやったらなれるの?」とは聞かれます。そのためか、わたし自身が夢を叶えたと思っていました。しかし教師には教師の夢があると考えるこの質問に思わずドキリとしました。わたしもまだ、夢の途上にいる…そう考えるとなんと希望に満ちた質問でしょう。あなたなら何と答えますか。
思えばキリストにつながるわたしたちは、いつも夢の途上にいます。神様の夢は途方もなく実現不可能に感じるときもありますが、それでもなお実現しなさい、と背中を押されているように感じます。「平和を実現する人々は幸いである」、この祝福に与ることができるような夢の途上を歩みたいのです。
ちなみに冒頭の質問に答えようとした時、他の生徒が「俺、先生の夢、知ってるよ」と言うのです。驚いて「何だと思うの?」と聞き返すと「だれも炊き出しに来なくていい世界になって欲しい、でしょ?」と。東京・渋谷で野宿者支援活動に10年ほど携わってきました。またわたしが属す本郷教会もこの活動に連なっています。生徒たちには礼拝などを通してこの活動の話をしてきましたが、まさかわたしの夢をわかってくれていたとは。夢があるからこそ、夢を分かち合う喜びがある。夢の途上にも神様からの恵みがあることを、生徒たちを通して教えられました。

2019年度教会手帳 住所録について

住所録に下記の誤りがありました。深くお詫びし、ここに訂正いたします。

P.7 東教区付嘱託任用
【誤】後藤由紀 →【正】後藤由起

この他、下記の修正がありますので、あわせてお知らせいたします。

[表記の変更]
P.7 東教区付信徒宣教師
P.65東教区付信徒宣教師/東京教会
【旧】セーラ・ウィルソン →
【新】サラ・ウィルソン

[住所表示の変更]
*2019年2月4日より、変更となります。
P.10 岐阜教会
【現】岐阜県岐阜市鷺山緑ヶ丘新町 1768-92
【新】岐阜県岐阜市鷺山南21-43

 

議長室から「初めに言があった。」 総会議長 大柴譲治

聖書には二つの「初め」が記されています。創世記とヨハネ福音書の冒頭部分です。両者とも極めてダイナミックで、味わい深い描写です。これらの言葉は私たちに世界の初めを想起させてくれると共に、私たち人間存在が初めから神の言の中に造られていることを想起させてくれます。私たちの魂は太初から神の呼びかけに応答するようにと造られているのです。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」(ヨハネ福音書1・1~3)。
「言」はいつも「声」によって伝達されてゆきます。声を抜きにして言葉は考えられません。声は言葉を乗せる器であり車です。そうであるとすれば私たちは先の言葉を次のように読み替えることもできましょう。調べてみるとここで「言」と訳されているギリシャ語の「ロゴス」という単語には「声」という意味もあるからです。
「初めに声があった。声は神と共にあった。声は神であった。この声は、初めに神と共にあった。万物は声によって成った。 成ったもので、声によらずに成ったものは何一つなかった」。
この方がストンと私の腑に落ちます。私たちを取り囲む現実世界の闇がどれほど深く見えようとも、そこには「光あれ」という太初からの神の声が響いている。どのような時にも私たちはこの神の声に耳を澄ませてゆきたいのです。

アドヴェントを迎えます。クランツの4本のローソクが1本ずつ点されてゆきます。点されるローソクの光が増えてゆく中、私たちは救い主イエス・キリストの到来を待ち望みます。その光は私たちの希望を表しています。
希望がなければ私たちは生きてゆくことができません。希望の光に向かって私たちは目を上げてゆくのです。Lift up your heart!
従って先の言葉は次のように読み替えることもできましょう。「初めに光があった。光は神と共にあった。光は神であった」。お一人おひとりがこの希望の光の中に良きクリスマスを迎えられますようにお祈りいたします。シャローム。

開かれた神学校へ 神学一般コースの新設

2019年度に、日本ルーテル神学校は新しくなります。
1909年に熊本で建学以来、神学校は牧成とキリスト教の信徒リーダーを育てることを使命としてきましたが、来年度110周年を迎えるにあたり、「神学一般コース」を新規に開設します。

従来の「牧師養成」を堅持し、これに加えて、信徒の方々やキリスト教に深い関心を持っている方々に神学の学びができる場を提供するため、2年間の
プログラムを新設するものです。礼拝や聖書、信仰や人間、文化について深

く学びができるようにカリキュラムを工夫しています。
またチャペルのパイプオルガンを用いたオルガン実習や関連研究機関(ルター研究所、デール・パストラル・センター)とあわせて多様な学びができます。教派を問わず、様々な方に学んでいただけるコースです。2019年4月に開始されます。

入試要項など入学について、ご関心のある方はルーテル学院・神学校ホームページ、または学院に直接、お問合せください。
電話0422(31)4611。

釧路教会・新しい ステージへ  岡田 薫(帯広教会牧師)

9月22日に釧路教会(現・帯広教会釧路礼拝堂)において感謝礼拝が行われました。釧路教会は1966年より国内外の方々の祈りと献財によって生まれ、今日まで支えられてきましたが、今年の11月24日に行われる聖霊降臨後最終主日の礼拝をもって礼拝堂を閉じることになったからです。このような決断に至るまで、教会に連なる一人ひとりの心のうちには様々な葛藤もありました。しかしながら、足掛け10年の準備期間を経て「建物の維持管理の責任から解かれ、新しいステージに踏み出そう」という決意へと導かれたのです。
昨年4月に仕舞いの業を託された牧師として遣わされてきた私は「教会に連なる方々のご苦労と痛みがわかるのか?」と問われるならば、正直なところどこまで理解できているかわかりません。ただ、重い決断をした教会の皆さんに可能な限り寄り添い、しっかりと受け止め、なすべきことをしっかりとなしつつ、この痛みを超えて主が示しておられる道に目を向け、共に歩みたいと願い、希望につながる仕舞いとなるように折に触れて話し合いを重ねてきました。
教会(礼拝堂)を閉じるといっても帯広を拠点とした宣教体制に移行するわけですから「気候のよい時に感謝の礼拝を行いましょう」ということになりました。普段は4~5名での礼拝ですが、当日は39名の老若男女が道内外から集い、礼拝堂も集会室もいっぱいになりました。市川から駆けつけてくださった中島康文牧師は合田俊二牧師との思い出を中心にお話くださり、遠方におられる歴代牧師からは在任中の思い出が寄せられ、折々のご苦労や主の計らいと導きにあらためて思いを馳せることができました。
「予想を超えて本当に大勢の皆さんが釧路を覚えて祈り、集ってくださったことに、ただただ感謝」と言われるのは長年に渡って会堂守を担ってくださった岩瀬洋子さん。「限られた時間と予算の中でどれほどのおもてなしができるか不安でしたが、皆さんが美味しそうに食べてくださる姿、笑顔を見ることができて、料理人としては嬉しいです」とは腕を振るって昼食を準備くださった岩瀬真由さん。また、代議員の石田リツ子さんは「私は礼拝堂ができる前にこの教会で最初に洗礼を受けた者の一人です。こうして出身教会の最後を湿っぽいものではなく晴れやかに迎えることができて嬉しいです」と言われました。
記念品として配られたのは、かつて一人の会員が河原から拾い丁寧に磨き上げ、道内の教会に送られた小さな十勝石。建物としての教会は手放しますが、主によってたてられた信仰者の群れは健在です。 新たなステージへと導きだされた私たちの歩みは頼りなくおぼつかないこともあるかもしれません。共におられる主に信頼し一歩一歩進んでゆきたいと願っています。これからも祈りに覚えてお支えくださいますならば幸いです。主の平和が共にありますように。

第28期第2回本教会常議員会報告 事務局長 滝田浩之

11月5~7日、ルーテル市ヶ谷センターを会場に第28期第2回日本福音ルーテル教会常議員会が開催されました。以下、3点のご報告をいたします。

(1)ハラスメントの学びの件
矢萩新一先生(日本聖公会管区事務所総主事)をお招きして、聖公会のハラスメントに対する取り組みについてお聞きし、学びを深める時を持ちました。相談窓口を各教区に設置し、また各教区の教職・信徒が対応していたが、ケースを重ねる内に相談窓口を外部委託も可能な体制に整え、問題が大きくなる前に利害関係のない第三者委員会に事実関係の確認を委ねることの大切さ、教区の相談能力の向上のために管区(全国)にも機能を開設したことなど、具体的な事例を伴った学びを行うことができました。日常的にアサーティブコミュニケーション(自他を尊重した自己表現・意見表現)を行うことが重要であることが分かち合われました。今後も学びを継続します。

(2)教区における「原発問題」学習会の件
社会委員会から、「教区における『原発問題』学習会の件」が提案されました。これは2012年の総会で承認された声明「一刻も早く原発を止めて、新しい生き方を!」に基づき、各教区での原発に関する継続的な学びを促すものです。社会委員会からは推薦図書(声明と合わせホームページでもダウンロード頂けます)が紹介されました。議場では、各教区のこれまでの学びや活動が確認されつつ、この学びの必要性、また重要性を共有し承認されました。

(3)諸規定の改正
財務委員会から「奨学金貸付規定」、「旅費規定・牧会委嘱実施規定」、「信徒育成基金規定」改正について提案が行われました。
「奨学金貸付規定」改正は、貸付金額の増加、貸付対象の拡大によって教職子女、また信徒の幼稚園・保育園従事者、社会福祉従事者、聖書科教師を目指す学生への支援を手厚くするためのものです。何よりも大学卒業用件を必要とする神学校を目指す学生への支援については、献身を促す契機になることが期待されます。
「旅費規定・牧会委嘱実施規定」改正は、牧会委嘱を受けられる定年教師が教職転任制度を利用できるようにするものです。これまで牧会委嘱の教職の転任費は招聘教会の負担となっていましたが、これの80%を教職転任制度でカバーできるようになります。
「信徒育成基金規定」改正については、TNG委員会の働きを支えるために宣教室会計に利金配分を可能にするものです。これによって、現状のTNG委員会の働きを継続的に行うことが可能になります。
その他の案件につきましては後日送付されます議事録をご確認頂きますようにお願いいたします。

母子生活支援施設ベタニヤホームについて  施設長 伊丹 桂

母子生活支援施設ベタニヤホーム(社会福祉法人ベタニヤホーム/旧称・本所ベタニヤ母子寮)は今年度から建て替え事業に入りました。と言いますと「あの施設がなくなったの?」と思われるかもしれませんが、実はまだこの「特徴的な」建物は残っています。
社会福祉施設の建て替えは、行政からの補助金が大きな財源となり進められるもので、この補助金はかなり大きな金額となります。そのために数多くの手続きが必要です。今年度から3カ年度での建て替えと言っても、その多くが工事ではなく「打ち合せ」が主となります。もちろん、補助金だけで賄えるものではなく、資金面においては更に工夫が必要です。
私どもが利用者と関わり、その課題を解決していく場としての現在の施設は、1967年(昭和42年)に建てられました。建築学の研究者からはこの建物の思想に強い関心が寄せられ、建て替え前に既存施設の設計図はもちろんのこと、写真、実践報告書等、日本女子大学の定方教授のゼミにより資料化が進められています。
建物の歴史は約50年ですが、現在地で母子支援を始めた歴史は古く、1923年(大正12年)の関東大震災にさかのぼります。歴史的な評価としては、母子を支援の対象と位置づけた日本における最も古い施設とされていますが、戦後、児童福祉法が制定された際に児童福祉施設として位置づけられ、現在に至ります。この長い歴史の端緒を開いたのがルーテル教会でした。
関東大震災に端を発し、太平洋戦争では職員、利用者共に空襲で命を落とし、それでもなお支援の意思を持ち続けた先達の思いを、改めて今、新施設に活かす計画として、防災対策の拠点化、児童福祉の新たな課題への対応、地域社会との協働を軸としました。
なお、この建て替えが完了する2020年、社会福祉法人ベタニヤホームは創立100周年まで2年となります。大きな節目を迎える法人、母子生活支援施設共に、ベタニヤホームへのお祈りをいただければ幸いです。
所在地 東京都墨田区江東橋5l4l1
ホームページhttps://bethanyhome.jimdo.com/

第26回全国ディアコニア・セミナー報告「よかったよ!愛農高校」
高田敏尚(修学院教会)

このセミナーの案内がきたとき、これは行きたいと思っていた場所だと思い、すぐに申し込みました。その理由は、少し前に『日本一小さな農業高校の学校づくり』という岩波書店からでている新書を読んだからです。
今回のセミナーの主題は「土に生きる」。愛農高校の場所は三重県伊賀市、決して便利な場所ではありません。この高校は「神を愛する、人を愛する、土を愛する」という三愛精神を教育の土台においていました。一学年25名定員の全寮制の学校です。ここを会場にして、中井弘和さんの食の倫理、土を愛するという立場から農薬を使うことの危険性、現場の泉川道子さんのこの学校での20年の勤務を経た間の生徒たちとの格闘、といっても触れ合う生徒との愛情はたっぷり、卒業生の村上真平さんは放射能で汚染された飯館(福島)から逃れ、愛農高校の近くで再び自然農法による農業をされているお話でした。それぞれの立場から、土(農業)について熱く語ってもらえました。
2日目は、早朝から牛の搾乳や鶏のえさやりなど生徒の実習を見学できるということで、10時就寝、5時起床という実際の農家のような生活も体験しました。鶏は動き回れる比較的余裕のある鶏舎に千羽いるとか。卵はどこにあるのかとみていると、1メートルくらいの高さの所に横1列に巣箱があるのです。世話をしている生徒さんに「どこで卵を産むのですか」と尋ねると「ニワトリは飛べるから」といってその巣箱を指さすのです。「エッ!飛べるの!?」、それからは羽をばたばたさせて飛ぶニワトリをじっとみていました。

参加者は全国の教会から30名。建学の精神を紹介しましょう。「神を忘れた良心は麻痺し、土を離れた生命は枯渇する」という文言で始まります。そして「聖書の神の言葉に呼びかけられることによって人間の良心は覚醒される」と続きます。忖度や打算で良心を省みる余裕もないのが現在でしょうか。いま一度、土と向き合い、人と向き合い、そして神と向き合い良心を失わないようにしたいものです。

トーマス・スティンバーグ先生を偲んで  大野比奈子(なごや希望教会)

1980年、東海教区の東部開拓伝道にスティンバーグ牧師が任命され、名古屋市名東区の地において伝道が始められた。宣教師館で礼拝が行われ2~3年後に何人かが洗礼を受けた。1988年に宣教師館が増改築され名東教会となり、様々な伝道活動が行われた。
2001年、スティンバーグ先生は定年によりアメリカに帰国される迄の21年の間、神の愛とその絶対性が説教で語られ、またどのような事にも、いかなる時にも一貫して祈ることから始まり、まさに祈りの人であった。
寡黙でいらしたがユーモアがあり、「赤ちゃんはミルクも飲ませ、おむつもきれいにしてあるのに何故あんなに泣いて困らせるのか?」「それは原罪があるから」とか、「私はイエスさまの囚人、でも妻の主人」などウインクしながら言われたりして・・・。

今年3月、先生夫妻とご家族が来日され、なごや希望教会の礼拝に出席されて何十年?ぶりの再会をした。お二人ともお元気そうで雰囲気は当時のままであった。
10月15日に先生の娘さんからメールが来た。先生が9月21日にホスピスに入られ、月末にご家族が全員揃われたときに、自ら聖餐式をされた。そして父はこう言ったとテサロニケ信徒への手紙一5・16~18の箇所が書いてあった。
そして10月20日スティンバーグ先生召天・・・。 神さま、先生と出会わせてくださってありがとうございました

福島における原発震災の今と、教会にお願いしたい支援
内藤新吾(稔台教会牧師)

原発事故による影響は小さく放射能もそんなに心配ないことにしたい国と、県民流出を防ぎたい福島県との利害の一致、また農産物などの販売の妨げになるからと、福島では放射能に関する不安を人々が口にできない状況があります。さらに、昨年3月で自主避難者への住宅支援は打ち切られ、その前からもですが仕方なく帰った人たちが少しして、一度里を離れたことで冷たい視線を受けるというのが実情です。しかも、苦渋の決断の上で暮らしている人々に追い打ちをかけるように、せめて夏休みや春休みに子どもを保養に出したい親御さんたちへの非難が、公の立場にある人からも発せられるようになっています。
一例を挙げると、これは福島大学名誉教授の清水修二先生ですが、「子どもを〈安全な場所〉に保養に出すという行動は、福島が〈危険な場所〉であることを認める行動でもあります。それは農産物の生産者を苦しめ、保養に子どもを出していない親を苦しめ、福島で子育てをしているすべての親を苦しめることになりはしないか。」(『しあわせになるための「福島差別」論』)などです。事故による経済損失は電力会社と国が負うべきものであり、また年20ミリシーベルト以下で住めるというチェルノブイリの4倍も緩い基準(世界から非難がある)は、心配する親御さんたちにとって到底認められるものではありません(先日の国連人権理事会の声明も)。
本紙前号の「北海道寺子屋合宿」報告で、現在の福島県内の子どもの甲状腺がん発症者数は記したので重ねませんが、恐るべき比率です。この非常に稀なはずの病気の他にも、様々な疾患が心配されます。それは福島県内に留まりません。教会には、行政の及ばない医療や保養の間接的支援に終らず、不当な仕打ちを受けている人々の苦悩や状況がわかるよう、彼らと共に歩んでいる幾つもの機関に個教会や個人でも繋がりを持っていただければと願います。それは私たちの団体に足りない支援です。

 春の全国Teensキャンプ参加者募集

宣教室TNG委員会テーンズ部門と各教区教育部が主催する今年度の春の全国ティーンズキャンプを千葉市立自然の家において開催します。ぜひ、対象となる子どもたちを送り出してください。
第26回 春の全国ティーンズキャンプ
○テーマ ©very good
○主題聖句 創世記1章31節
○日程 2019年3月26日 ~28日
○対象 12歳~18歳(2019年4月2日時点)
○会場 千葉市少年自然の家 (千葉県長生郡長柄町)
○参加費 1万5千円(バス代込み)
*交通費別途必要。
*3月24日以降のキャンセルは参加費の半額のキャンセル料がかかります。
○申し込み締め切り
2月24日(交通の手配がありますので早目にお申込みください)
○申込み方法
専用URL(上記)から申し込みをしてください。
左記のQRコードからもアクセスできます。

*所属教会牧師の承認を受けてください。
*正式登録されると、TNGティーンズブログに教会名とイニシャルが表示されますのでご確認ください(申込みから数日かかります)。
TNGティーンズブログ    http://tngteens.hamazo.tv
○移動について
詳しい移動方法等は、各教区担当者からご連絡します。
○問合せ
永吉穂高牧師(小倉教会/福岡県北九州市小倉北区三郎丸1l2l
電話093(921)7715
携帯電話
080(6106)0794
メールアドレス
harukyan.moushikomi@gmail.com
○持ち物
聖書、筆記用具、保険証、 参加費、洗面用具、着替え、防寒着、入浴用品(ボティーソープ・リンスインシャンプー・ドライヤーは施設にあります) 、3月26日の昼食・飲み物。

☆お知らせ☆
今回の春キャンでもバラエティショーを行います。バラエティショーとは、ティーンズのみんなが演奏やコントなどパフォーマンスを披露する時間です。時間は1グループ約5分。個人での参加でもグループでの参加でも大歓迎!出演者をキャンプ1日目に募集します。みなさんのご参加を待っています。

私たちの宗教改革500年

【熊本・10月28日・手取カトリック教会】
熊本地区宣教会議による宗教改革記念プログラム。「カトリック教会の新しいあゆみl第2バチカン公会議と近年のカトリック教会l」として櫻井尚明司祭(手取カトリック教会)が楽しくお話しくださいました。カトリック教会からも多くの方が参加され、両教会から120名を超える方々が参加されました。

【半田・10月31日・ルーテル知多教会】
尾張岐阜地区宣教委員会による宗教改革記念集会。花城裕一朗牧師が司式し、礼拝説教を「真理l主の十字架・恵み、自由、生命」と題して斎藤忠碩牧師が取り次いでくださいました。また「ルターの宗教改革神学l聖書のみ」lルターとプロテスタントたちの聖書解釈の方法lとの講義を奈良部恒平牧師が担当してくださいました。

【市ヶ谷・10月31日・ルーテル市ヶ谷教会】
東教区による宗教改革合同礼拝。礼拝説教を清川泰司神父(カトリック高槻教会、元カトリック中央協議会担当)が担当し、人間を愛することを諦めない神に導かれ、違いを持った私たちが共にあることを互いに喜び、またそれを生み出す役割が与えられていると語られました。新式文による礼拝の司式を平岡仁子牧師が担当されました。

18-11-18イエス様が共にある十字架を背負って

「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、
わたしに従いなさい。」         (マルコによる福音書8章34節)「イエス様が共にある十字架を背負って」

 車の運転を始めた頃、父に「牽引ロープとバッテリーケーブルを常に携行するように」と言われました。助けてもらうだけでなく、助ける側になることもあるから、心構えと準備をとの親心だったのでしょう。実際、北海道の冬場、雪に埋まった車の救助を何度もし、自分も助けられました。父の言葉に従って良かったと思い、準備の大切さを実感したものです。
7月の豪雨の後、岡山県内の倉敷真備地区に災害支援ボランティアとして何度か参加しました。河川の氾濫で4500戸以上が浸水し、5メートル(2階の窓付近)まで水が来た地区です。岡山のキリスト教会の群れや聖公会のチームに加えていただき、日本各地また海外からのメンバーとも共に働きをしました。炎天下、重たい泥を家からかき出したり、大きな荷物を搬出したり、思い出の品を綺麗にしたり。水に浸かってしまったものは臭いとの戦いでもありました。時には何週間も溜まっていた水を被ったこともありました。まさに泥と塵を被ることが奉仕であると実体験する時でした。
また一ヶ月ほど経ってからは作業だけでなく、その時のお話を聴くことが寄り添う大切な時にもなりました。働く者一人一人が言葉でなく、その姿を通して、キリストを証しする生き方がありました。隣人として立たせていただく時でありながら、重たいものを背負う、大変な作業が続く中で頭の中に「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と何度も浮かんできました。

 十字架とひと言で言っても意味や表現のされ方は様々です。感謝すべきことに礼拝堂の十字架が特徴的な教会で働きを担い、思い出深いものがいくつかあります。釧路教会は真っ黒い十字架で、人の罪を象徴する十字架。帯広教会は重厚な木で掘られた手が見える十字架で、それは罪の赦しを与えるイエス様の愛を示す十字架。広島教会の十字架は柔らかい曲線の十字架で、キリストの愛と恵みを無言のうちに表現する十字架。そして、岡山教会の十字架は陽の入る時間によって影が変わる十字架で、常に変わる弱さを持つ人を思わせ、その変わる心ゆえにイエス様の十字架が必要と教える十字架。十字架そのものが多様な意味を持つものですから、イエス様が言われる「自分の十字架」にもいくつもの意味があるのです。

 「自分の十字架」はもう一歩踏み込みます。十字架は元来、罪人の処刑に用いられるものですから、罪の象徴、弱さの象徴、重さや困難さと言えます。わたしが今抱えているもの、現実そのもの、時として過去や未来が一つの自分の十字架です。しかし、私たちが背負うのは決してただ重たいだけのもの、背負うことを拒否したくなる十字架ではありません。なぜならば「空の十字架」ではないからです。キリスト者は常に「イエス様が共にある十字架」を背負って歩んでいきます。イエス様が共にある十字架は「愛の十字架」に他なりません。イエス様がなさった働きに倣う、倣おうと志す私たちは愛の十字架、キリストその方を背負うよう呼びかけられています。使命はそこに喜びがなければ背負うことはできません。ボランティアとしての働きは楽なものではありませんでした。それでもキリストの愛を届ける働き、使命、イエス様が共にあると信じ、仕え合う中にある喜び、互いに愛しあう中に感謝があったから愛の十字架を背負えたのだと振り返っています。

 大きな災害を目の当たりにし、準備をしていてもそれを用いることができない事態があることも教えられました。けれども、心だけはいつも準備しておくことができます。その時にどうするかを考えることではなく、何があっても主は共におられると心に留めることが心の準備です。
イエス様が共にある十字架、愛の十字架を背負うことは、助ける・愛を届ける準備と共に、助けられる・愛を受け取る準備です。互いに愛しあうことを教えてくださった方に従う喜びの道を、イエス様が共にある十字架を背負って歩んでまいりましょう。
日本福音ルーテル岡山教会、松江教会、高松教会、福山教会    牧師 加納寛之

18-11-01るうてる2018年11月号

機関紙PDF

説教「イエス様が共にある十字架を背負って」

「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マルコによる福音書8章34節)

車の運転を始めた頃、父に「牽引ロープとバッテリーケーブルを常に携行するように」と言われました。助けてもらうだけでなく、助ける側になることもあるから、心構えと準備をとの親心だったのでしょう。実際、北海道の冬場、雪に埋まった車の救助を何度もし、自分も助けられました。父の言葉に従って良かったと思い、準備の大切さを実感したものです。
7月の豪雨の後、岡山県内の倉敷真備地区に災害支援ボランティアとして何度か参加しました。河川の氾濫で4500戸以上が浸水し、5メートル(2階の窓付近)まで水が来た地区です。岡山のキリスト教会の群れや聖公会のチームに加えていただき、日本各地また海外からのメンバーとも共に働きをしました。炎天下、重たい泥を家からかき出したり、大きな荷物を搬出したり、思い出の品を綺麗にしたり。水に浸かってしまったものは臭いとの戦いでもありました。時には何週間も溜まっていた水を被ったこともありました。まさに泥と塵を被ることが奉仕であると実体験する時でした。
また一ヶ月ほど経ってからは作業だけでなく、その時のお話を聴くことが寄り添う大切な時にもなりました。働く者一人一人が言葉でなく、その姿を通して、キリストを証しする生き方がありました。隣人として立たせていただく時でありながら、重たいものを背負う、大変な作業が続く中で頭の中に「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と何度も浮かんできました。

十字架とひと言で言っても意味や表現のされ方は様々です。感謝すべきことに礼拝堂の十字架が特徴的な教会で働きを担い、思い出深いものがいくつかあります。釧路教会は真っ黒い十字架で、人の罪を象徴する十字架。帯広教会は重厚な木で掘られた手が見える十字架で、それは罪の赦しを与えるイエス様の愛を示す十字架。広島教会の十字架は柔らかい曲線の十字架で、キリストの愛と恵みを無言のうちに表現する十字架。そして、岡山教会の十字架は陽の入る時間によって影が変わる十字架で、常に変わる弱さを持つ人を思わせ、その変わる心ゆえにイエス様の十字架が必要と教える十字架。十字架そのものが多様な意味を持つものですから、イエス様が言われる「自分の十字架」にもいくつもの意味があるのです。

「自分の十字架」はもう一歩踏み込みます。十字架は元来、罪人の処刑に用いられるものですから、罪の象徴、弱さの象徴、重さや困難さと言えます。わたしが今抱えているもの、現実そのもの、時として過去や未来が一つの自分の十字架です。しかし、私たちが背負うのは決してただ重たいだけのもの、背負うことを拒否したくなる十字架ではありません。なぜならば「空の十字架」ではないからです。キリスト者は常に「イエス様が共にある十字架」を背負って歩んでいきます。イエス様が共にある十字架は「愛の十字架」に他なりません。イエス様がなさった働きに倣う、倣おうと志す私たちは愛の十字架、キリストその方を背負うよう呼びかけられています。使命はそこに喜びがなければ背負うことはできません。ボランティアとしての働きは楽なものではありませんでした。それでもキリストの愛を届ける働き、使命、イエス様が共にあると信じ、仕え合う中にある喜び、互いに愛しあう中に感謝があったから愛の十字架を背負えたのだと振り返っています。

大きな災害を目の当たりにし、準備をしていてもそれを用いることができない事態があることも教えられました。けれども、心だけはいつも準備しておくことができます。その時にどうするかを考えることではなく、何があっても主は共におられると心に留めることが心の準備です。
イエス様が共にある十字架、愛の十字架を背負うことは、助ける・愛を届ける準備と共に、助けられる・愛を受け取る準備です。互いに愛しあうことを教えてくださった方に従う喜びの道を、イエス様が共にある十字架を背負って歩んでまいりましょう。

コラム直線通り 久保彩花

⑧「鉄は鉄をもって研磨する。人はその友によって研磨される」(箴言27章17節)

かつて非常にやんちゃな生徒がいました。授業をサボろうとするのを見つけ、猛ダッシュして捕獲したこともありました。怒りを抑えられず暴れ回るのを必死に制したこともありました。「大人の都合」を嫌い、真理を求めるが故に大暴れしていた彼は、まるで研ぎすまされた刃のようでした。正面から向き合うことは正に真剣白刃取り。叫ぶように祈りながら闘い、またわたし自身が教師として試される日々でした。
そんな彼が卒業後、突然学校に遊びに来ました。友人が多い彼に似合わない1人での訪問を不思議に思っていると、人生相談をしに来たとのこと。「先生さ、礼拝のお話しで卒業しても助けるから必ず相談しろって言ってたじゃん。だから来たよ。俺、助けて欲しいって言える人がいることが、こんなに幸せなことなんだって、今わかったよ。」
神様は永遠ゆえにその導きも永遠なのだと実感しました。卒業し、わたしの手から離れた今でも、彼を導こうとされる主の息吹を感じて心が震えました。
ひとしきり話し「あの時は大変だったけど良い思い出だよね。君も大人になったね」と言うと「先生も変わらないね。言いたいことハッキリ言って、正面きって闘う、そんな大人でいつまでもいてよ」と言われてしまいました。少し大人になった彼に今も曇りなき眼は健在。あぁ、神様は彼を通してわたしを磨いてくださっていたのですね。もし許されるならばこの箴言に付け加えたいのです。「教師は生徒によって研磨される」と。

JELAインド・ワークキャンプ 参加者募集

◆期間:2019年2月9日(土)~19日(火)11日間
◆派 遣 先:インド、マハラシュトラ州ジャムケッド村にある医療福祉施設 CRHP(総合的地域健康プロジェクト)
◆ 内容:義足作り/児童とのふれあい/毎日の学びの分かち合い
◆参加費用:18万円
※「友達割引」複数で申し込んだ場合、1人につき5千円を割引きします。
パスポート、海外旅行保険費用、派遣確定者説明会と出発・帰国時の集合場所から居住地までの交通費や、前泊・後泊する場合の宿泊費用については、上記の参加費とは別に個人負担となります。
◆問い合せ・申込用紙請求先:JELAインド・  ワークキャンプ係
〒150-0013東京都渋谷区恵比寿1-20-26
電話: 03-3447-1521 FAX : 03-3447-1523
◆申込書類(下記からダウンロードできます)
http://jelanews.blogspot.com/2018/09/2019.html
◆申込期限:2018年11月26日(必着)

議長室から 総会議長 大柴譲治

「教会は天国に一番近いところ」

今年も11月1日の全聖徒の日を迎えました。私が牧会する大阪教会ではイースターと11月の第1日曜日の2回を毎年召天者記念主日として守っています。また、イースターの翌週と11月第2主日の午後には西教区の能勢記念堂に足を運び墓前礼拝を行っていますので、年に4回召天者を覚えて礼拝をしていることになります。宣教102年目を踏み出している大阪教会には100人を超える召天者のお写真が納められていて、年に2回はそれを前に並べて共に礼拝に与ります。毎週私たちは主日礼拝で聖餐式を行っていますが、キリストの食卓を中心に目に見えるこちら側には私たち生ける者たちが集い、見えない向こう側は天に召された聖徒の群れが集っていると理解しています。キリストは「生者と死者の双方の救い主」であり、主の食卓は私たちにとって終わりの日の祝宴の先取り、前祝いでもあります。パウロの言う通り、私たちは生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。生きるとしても死ぬとしても、私たちは主のものだからです(ローマ14・8)。

「教会は天国に一番近いところ」とは、私が出会ったある女性信徒の言葉でした。義人ヨブと同じようにその姉妹は「スモン病」のためそれまでの幸せな家庭生活を突然失ってしまいます。絶望の中で彼女はキリストと出会い、キリストを自らの救い主と信じて洗礼を受けられました。やがて彼女は新しいご伴侶と再婚されます。最後はガンのためにこの地上での生涯を終えてゆかれたのですが、先の「教会は天国に一番近いところ」とはその末期に最愛のご伴侶に対して告げられた言葉でした。
実はそこにはもう一言添えられていました。「だからあなたも洗礼を受けてね。そして教会に行ってね」。その言葉の通り、彼女の死後、ご伴侶は忠実に毎週教会に通い洗礼を受けられました。やがてそのご伴侶も病いのため天に召され、今はお二人とも天国で主のもとで安らっておられると信じます。地上の教会は天上の教会とつながっています。パウロは「われらの国籍は天にあり」と言いましたが(フィリピ3・20)、私たちは今ここで地上と天上の二重国籍を同時に生きています。
天/神とつながる「永遠の今」を今ここで生かされている。「わたしは復活であり、命である」という主の言葉は、キリスト者はその信仰を通して死によっても決して揺らぐことのない「永遠の生命」の中に招き入れられていることを宣言しています。この言葉は復活者しか語り得ない言葉です。主と同じくキリストを信じる者はたとえ死んでも生きる(復活する)し、いつまでも決して死ぬことはありません。11月という「死者を記念する月」を迎え、ご一緒にそのようなみ言の慰めと幸いとを深く噛みしめたいと思うのです。

宣教会議報告 宣教室長 永吉秀人

9月25日~26日に宣教会議が行われました。執行部と信徒常議員の他、各教区から教区長を含む3名ずつが出席し、「第6次綜合方策の展開~ポスト宗教改革500年~」をテーマに協議しました。

①「ハラスメントの予防と解決のために~組織としてハラスメントにどう対応するか~」と題する講義を受けました。講師は与語淑子(よごよしこ)さん。当教会としての目的はハラスメントに対応するシステムの構築です。ハラスメントの定義を理解し、事例に学び、ハラスメント事象への対応に留まらず防止体制を目指しての学習を重ねていきます。ハラスメントの学習は、同時にマイノリティへの理解にも通じており、今後は他教会における体制や「二次被害」についての学習を予定しています。

②宣教方策の振り返りでは、教職が世代交代された現状で、改めて1969年にエチオピアのアスマラでのJCM会議(旧日本伝道協議会)において、内海季秋議長による1974年を期して自給するとの発言が日本福音ルーテル教会の公式な自給宣言とされた経緯を確認しました。
アスマラ宣言に伴い、第1予算の教職給与と全体活動の自給、第2予算の施設支援は凍結、第3予算の建築関係、教職退職金・年金の自立のための収益事業開始、かつ海外の支援による開拓伝道が行われました。このように第1次~第4次綜合方策が自給路線であったことに対し、第5次としてのパワーミッション(PM)21方策は伝道と教育の推進でした。現行の第6次綜合方策は、社会経済の長期低迷ゆえに教会財政も縮小を強いられる中、希望を抱いて明日の教会形成を目指すものとされています。
教会の財政改革の進捗状況は適正化されつつあり、公益会計、基金会計、収益会計それぞれに自立を果たし、持続可能な方向性は確保されています。土地建物回転資金の返済も順調であり、今後新たな教会建築の可能性となるプランが提示されました。

③各教区の建築計画について、まずそれぞれの会堂、牧師館の老朽状況が報告されました。新築計画も紹介される中、教会合同による土地売却金の規定を確認し、活用の可能性について協議しました。また、教職が居住しない会堂、牧師館管理の現状報告を受け、解体資金を教区の借入とする手段が事務局より紹介されました。

④他施設との兼務における教職給与の実態について、その問題点、解決方法の事例が挙げられました。従来は教会が主であった形態が逆転する傾向にあり、また施設長人事が教職人事にも影響しています。

⑤北海道伝道の総括と今後について、岡田教区長より詳細な資料が提出されました。1916年に始まる北海道伝道は、1966年からの全国レベル開拓伝道、1977年からの東教区北海道伝道強化推進計画、1981年からの北海道伝道推進計画マスタープラン、1996年からの北海道伝道長期計画と2002年からのPM21による教会合同体制を経て、現在に至っています。 また、1980年第9回全国総会において東教区の分区であった北海道を「北海道特別教区」として独立させることが承認され、1981年から北海道特別教区として歩み出しています。今後については、北海道特別教区固有の課題ではなく、当教会の課題であることがすでに共通の認識とされています。

⑥第7次綜合方策の指針については、大枠が確認されました。今後、教区長会で課題を共有しつつ、2019年2月の常議員会において10年後を担う若手教職を含む策定委員会の設置を議する予定です。

⑦TNG活動は、幼児・こども・ティーンズ・ユースの4部門。ティーンズは宣教100年以来、他部門はPM21で推進され、現在に至ります。これらは当教会の使命と責任において、各部門に委託された活動であることを確認し、議場は拍手をもって活動と担当者への感謝を表明しました。

ルター研究所 秋の講演会へのお誘い

ルター研究所(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校/所長 江口再起)では毎年秋に東京都内の各教会を会場に講演会を開催しています。
今回の講演は小田部進一先生(玉川大学教授)による「宗教改革から500年後の人間の自由と不安と希望」です。小田部先生は一昨年『ルターから今を考える』(日本キリスト教団出版局)を出版されました。500年前のルターでなく、現代人である私たちに今、語りかけるルターです。先生は社会問題をも視野に収めつつ研究されている気鋭のルター研究家です。現代とルターを考えるまたとない機会になることでしょう。講演の他、ルターの「神はわがやぐら」をめぐるミニ演奏とレクチャーも計画しています(演奏・高橋のぞみさん、レクチャー・加藤拓未さん)。

災害被災地支援

西日本を中心に広範囲を襲った豪雨と台風、そして北海道胆振東部地震と大停電、加えてインドネシアのスウェラシ島での地震、津波と、自然の猛威に翻弄される厳しい状況が続き、心を痛めています。被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げ、神よりの慰めと励ましとを、また復旧のために尽力する方々も神に支えられますようお祈りいたします。

●連帯献金について
西教区による豪雨被災の方々への支援活動、北海道での被災された方々への支援活動への支援を頂き、感謝いたします。それに加えて、アメリカ福音ルーテル教会を通してインドネシアのバタックキリスト教会(ルーテル世界連盟加盟教会)の支援活動への支援を目的とし、「2018災害支援」連帯献金へのご協力をお願いしております。(献金総額 約700万円)

すでにお寄せ頂いた献金から、現地教会や現地教区の意見を聞き、第一次の支援として西教区による支援活動とは別に下記の送金を行いました。

・くれ災害ボランティアセンター(呉市社会福祉協議会)100万円
・日本YWCA北海道支援活動(女性と子どもの安全・安心のために)100万円
・アメリカ福音ルーテル教会のインドネシア教会支援 50万円

●西教区からの報告
(西教区書記 水原一郎)
9月の基本的な作業日は14日、21日、28日でした。このうち14日と21日は雨により中止となりました。これらの日々にも複数名からボランティアの申し込みを頂いていましたが、「二次災害(土砂崩れ)」を懸念しての休止措置とさせて頂きました。
9月6日は池の土砂上げと床下泥上げ、19日、27日、28日も床下泥上げでした。

9月28日は、國吉さん(厚狭教会/西教区女性会会長)にボランティアをして頂きました。ボランティアに先立ち、國吉さんには当初支援の広島教会員Tさん宅に寄って頂き、Tさん宅の現状を見て頂きました。「あなたが生きていて良かった!」國吉さんがTさんに繰り返し語られた言葉に、目頭が熱くなりました。広島教会の伊藤牧師を介して、Tさんからは、長年連れ添った家族の「猫」さんが、被災後2カ月の9月8日に、自然な形で召天したという知らせを頂いていました。被災のその瞬間と、その後を共に過ごした家族の召天の喪失はどれほどであるか。み言葉のみが語る瞬間でした。水原牧師が創世記1・25から説教し、國吉さんにはTさんと猫さんとを覚えて祈って頂きました。
10月いっぱいまで、呉市安浦町の「安浦ボランティアセンター」では、同町内の「被害甚大地区」へのボランティア派遣を念頭に置いております。それを受けて私たちも9月中は、「被害甚大地区」での作業に協働して作業させて頂きました。「被害甚大地区」は安浦町内の山間部です。 様々なご家庭がありましたが、概してご高齢の方、独居の方がお一人で復旧作業をなしておられました。

咲いているコスモスは秋を思い起こさせます。しかし背後には手付かずの瓦礫が広がっています。彼岸花が咲いています。季節は移ろいますが、被災の現実は変わりません。むしろ、いわゆる「被災者間の格差」が目立つ時期です。「格差の是正」を、当事者である被災された方々ご自身が、関係機関に再申告することを期待し、お話をお伺いすることが多い9月でした。
11月以降は、当初支援のTさん(広島礼拝所)からのニーズに応える作業を予定しております。今のところ、「電設工事」(蛍光灯の配線)、「土壁の補修」といった作業が必要ということを把握しております。

●北海道での支援活動
10月1日、札幌YWCAによる北海道胆振地方地震被災者支援活動に、札幌教会の日笠山牧師が加わり、むかわ町での働きに従事してきました。むかわ町と厚真町での震災被害状況の視察、そしてむかわ町の「子ども発達支援センターたんぽぽ」に来所するこどもたちと一緒に遊ぶ機会を与えられました。札幌での超教派のネットワークにより、この支援を継続していく予定であるとのことです。

●祈り合う交わり
9月28日に行われた九州教区女性会長会&熊本地区秋の集いにおいて、地震と停電でご苦労されている北海道の方々を覚えて祈りが献げられました。そして祈りを届ける寄せ書きが道内の各教会へ届けられました。共に主に連なり、祈り、支え合う仲間があることに感謝しますと、帯広教会のフェイスブックページにおいて紹介されました。

久留米教会献堂100年の喜び  宮川幸祐

礼拝堂の片隅にあるハート型の銘板には、献堂を記念する銘文が刻まれています。日付は、大正7年11月9日。この11月、久留米教会の礼拝堂は、いよいよ築100年を迎えます。
設計は、W・M・ヴォーリズ。大正から昭和にかけて活躍した西洋建築家であり、近江兄弟社の創立者の一人としても良く知られています。久留米教会の礼拝堂は、そんなヴォーリズ建築の中でも初期の作品の一つに数えられ、九州に現存する中では最古のものです。

そしてまた、赤煉瓦の礼拝堂は久留米の歴史の生き証人でもあります。戦争末期、1945年8月11日、久留米は空襲を受けます。油脂焼夷弾による爆撃は、市街地の約7割に被害を与えます。火災は教会の間近まで迫りますが、信徒達はこれを食い止めようと消火活動を行います。結果、火の手は隣の建物まで及びましたが、礼拝堂は延焼を免れます。
近年、同様に戦火を免れた建物が相次いで取り壊されており、戦前から残る建物は僅かとなりました。そうした意味でも久留米教会の礼拝堂は貴重な建物となっています。

しかし、教会にとって何より意義深いことは、100年間ここで礼拝が守られてきたということです。毎週日曜日の主日礼拝、また、併設する日善幼稚園の幼稚園礼拝、その他折々の機会に多くの人々がここに集い、聖書の御言葉を聞き、祈りを合わせてきました。この献堂100周年は、そのようにして神と民が共に歩んできた歴史のしるしとして与えられた出来事です。そして、その歴史は、未来に向かって続いています。これからも、この場を通して多くの人々に神様との出会いが与えられ、共に祈り、共に歩んでゆくことでしょう。

11月11日には記念礼拝もあります。12月にはコンサート、またその後も様々な記念行事を行ってゆければと考えています。神様から与えられた献堂100年というこの喜びの時を用いて、教会の働きが益々盛んに行われてゆくよう、祈り求めています。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より  伊藤早奈

不完全なあなただから

〈祈り〉
一人一人の存在を愛し、一人一人を必要としてくださる神様、今日一日を、そして与えられている一瞬一瞬を、神様、あなたに感謝できる喜びをありがとうございます。
当たり前にできることや、当たり前にあるものは何もありません。一つ一つが神様に与えられ
ています。失ってみて初めて気づくものや、失ってすぐは自分に何が起こったのかさえ、受け入れることができないときもあります。このような無力な私たち人間ですが、どうかよろしくお願いします。この祈りを、主イエス・キリストのお名前によってお祈り致します。アーメン。

「主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り、聖なる山に住むことができるのでしょうか。それは、完全な道を歩き、正しいことを行う人。」(詩編15・1~2a)

詩編15編には、完璧な行いをする人こそ、神様に選ばれた者として、聖なる宮に入ることがふさわしいと詩われています。

「わかってはいるけどその通りできないわ」というのが人間です。
今も小さい子どもたちが楽しむゲームに『王様ゲーム』というのがあります。ゲームの中心になった人が「王様の命令です」と言って、次々とゲームに参加している他の子どもたちに動作を指示します。指示された子どもたちが、王様の命令通り行動することを楽しむゲームです。
私が急にこのゲームのことを思い出したのは、ある宗教の方がこのようなことを言われていると聞いたからです。「人に親切にするのはそれがイエス様のご命令だからです」と。

私たち一人一人には意思もあり、感情もあります。私たちはイエス様の思い通りに動く操り人形ではないのです。何よりも神様は、私たち人間に選ぶ自由をくださいました。「きっとこっちを選ぶ方が神様は喜ばれるだろうな。」と、分かっていても、私たちには選べる時と選べない時があります。

なぜなら、私たちは不完全な存在だからです。だからこそ、私たちにはイエス様のゆるしが必要なのです。私たちのために祈られるイエス様が必要なのです。
今、詩人の言う完璧な行動を私たちが求めることは必要です。でも、できない自分を責める必要はありません。イエス様があなたに代わって成し遂げてくださいます。あなたはそのままでいいのです。

「北海道寺子屋合宿」について
原子力行政を問い直す 宗教者の会 内藤新吾

原子力行政を問い直す宗教者の会では、原発震災の放射線影響が心配される地域の子どもたちを対象に2011年より毎夏、お寺や教会を借りて北海道寺子屋合宿という保養事業を続けています。今年の参加者は子ども102人、保護者44人の計146人でした。
期間は9日、半月、1ヶ月と選べ、家族や団体など何期かに分けています。期ごとにガイダンスを持っていますが、参加の保護者の方々は普段タブーになっている放射能のことや不安を参加者同士やスタッフと話しをされます。

原発事故から7年過ぎても、全然問題は解決していません。国が年20mSv(ミリシーベルト)以下の地域へ帰還させる政策はとても安心できないものです。チェルノブイリでは年5mSv以上で強制避難とされました。また今なお年5mSv未満でも1mSv以上であれば移住の保障が行政より与えられています。それでも大半の子どもたちが何らかの健康影響を負っているのです。
日本ではしかし、原発事故は無かったかのようにしようとしています。9月5日時点で、福島県では甲状腺がんの確定した子が164人、疑いのある子が38人となっています(38万人対象)。他にも調査枠で把握していない甲状腺がんの子が11人います。通常100万人に1人か2人といわれた病気ですが、どうみても異常な人数です。しかも一巡目の検査で大丈夫だったのに二巡目でがん診断された子が52人もいたことは(プラス疑いが19人)、事故の影響が否定できないと思うのですが、国はそれを認めません。
また、調査の度に人数が増えるからでしょうか、検査も縮小しようとしています。事故による影響は福島県に留まらず、特に県外に発見が遅れ、肺転移までしている重篤な子が増えています。
甲状腺がん以外の疾患も心配です。ドイツの教会や市民グループはずっとこれらの問題を覚えてくれています。日本の教会も支援と共にこうした問題にも意識を持っていただければさらに感謝です。

わたしたちの宗教改革500年

レポート「ルターナイツvol.9」を味わう

宗教改革の始まりから500年の機会をとらえて、待っているのではなく「でかけていく教会」となり、人々が神の恵みである音楽と食べ物と交わりを楽しむ場を提供し、加えて災害被災者などの支援に連なる機会とする。それが9回を数えるルターナイツである。今回は10月12日に東京恵比寿のJELA(日本福音ルーテル社団)ミッションセンターのホールにて行われた。
第1部は、リラ・プレカリアを主宰するキャロル・サック宣教師による演奏。JELAのプログラムの一つであるリラ・プレカリアは、病の苦しみを担う人、また地上の生涯の結びを過ごす人の心に寄り添う祈りの竪琴。音楽死生学に基づく1対1の祈りの関係の中で終末期を過ごす人のベッドサイドで奏でられる祈りが、その人ばかりか、家族や医療者をも包みこみ、慰めをもたらすものとされるのは、筆者にもある経験。今回も、竪琴から発せられるぬくもりが、集まった聴衆それぞれに与えられている心の琴線にそのまま共鳴し、一人ひとりが慰められた者として新たにされ歩み始めることを味わった。
数度に渡って協力を得ているのは、一般の飲食店。東京都内に店を構えるドイツビールの専門店が今回も出店。食品に関する現在でも有効な最古の法律であるビール純粋令は、宗教改革の始まりに先立つこと1年、1516年に制定された。これに基づくビールを共に味わうこともルターナイツの醍醐味である。
第2部ではかつて松本教会を中心に演奏活動をしていたノコギリソウ、またメンバーは重なるが、2人編成の牧師Rocks、さらに市ヶ谷教会の学生青年たちによるコーラスグループThe Beagles。それぞれの演奏そして賛美は、音楽という賜物を深く豊かに味わう時。中でもノコギリソウのメンバーである谷口真実さんは3年をかけて行った世界一周の旅について写真と日記で報告した。大きな荷物を2つ抱えて自分の足とヒッチハイク、そして野宿や知り合った人の家に泊まるなどの時間に縛られない自由かつ過酷な旅で、各地の文化や習慣、風土や人を深く味わうことは自分の限界を超える経験の連続であったと述べた。加えて、自分の定めた線引きを超える経験のために旅することを勧め、旅の途上で作った歌を演奏した。現在は和歌山県内で地域おこし協力隊の一員として地域コミュニティの活性化のために働く教会青年。
会場を提供したJELAによる社会貢献活動について、また教育プログラムについても紹介がなされたが、それを担った職員たちもまた教会に育てられた若者たちであったことは印象的であった。入場料にも含まれたチャリティ募金と収益は、西日本豪雨と北海道胆振東部地震の被災地支援などに贈られた。でかけていく教会の歩みは「500年」から先へと続いていく。

18-10-18宗教改革501年 福音の表現者に

ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」(ヨハネによる福音書2・13〜16)

 宗教改革500年の時にあなたは何をしただろうか?教会で色々と勉強会や催しをしたであろう。そこでもう一つ質問をしたい。その機会を通してキリストの福音は教会の外に拡がったであろうか?

 そのような問いと共に私はここ数年、福音を携え教会の外へ外へと向かうようにしてきた。
その中で昨年とあるバーにて異業種間の交流会が行われ出向いた。コンサルタントをしているビジネスマンが「牧師さん!聖書の話をひとつ説法してくださいよ!」と言うので、私はヨハネ福音書8章を朗読した。律法学者たちが姦淫の罪を犯した女性を捕らえ、石打ちの刑に処すか否かの問いに主イエスが「罪が無いものからこの女に石を投げよ」と答える有名な物語である。

 朗読を終え、メッセージの冒頭に「皆さん、今読んだ聖書の物語は理解できましたか?」と尋ねると、「意味が分からなかった 」とほぼ全員が答えた。この物語は比較的、物語として分かりやすく、その意味合いも深く、そして伝わりやすいと考えていたのは私の勝手な思い込みだった。

 これは象徴的な出来事であったと思う。そしてこれは聖書の翻訳云々の問題ではなく、聖書とそこに書かれている物語、そしてそれを語る者が外の世界に全く晒されていないからだと私は直感した。
時は違えど、ルターが見、衝撃を受けた光景。当時大変貴重であった聖書が、大学の図書室に鎖で固定されていたというその衝撃を私も受けた。人々に救いと自由を与えるべき聖書の言葉は、狭いキリスト教界の中で、鎖で締め付けられているのだ。読み上げて相手に届かない聖書の物語に対し、私が更に難解な専門用語で解説しても、残念ながらそれは他者の魂には届かない。その現実をバーにて肌で感じた。それなりに他者に伝わる言葉や行動を選んでいたつもりであったが、私は知らず知らずのうちに教会を小さな村社会、そして分かる人にだけ分かるというようにタコ壺化させていたように感じた。

そして福音の評論家よりも福音の表現者でありたいと強く願った。主イエスもルターもまず神の言葉の表現者であった。ヨハネ福音書のイエスはその布教活動の冒頭から神殿の中で大暴れをしてしまう。生贄の販売や両替も祭儀に必要な事であった。だが主イエスは過ぎ越しの祭りという解放と自由を祝う奇跡の祭りが近づく中、形骸化した宗教をひっくり返さずにはいられなかったのであろう。反感を買っただけでは済まされず命を狙われ、そして弟子たちからも理解されなかった。それでも真の自由を人々に届ける為にそうせざるを得なかったのだろう。「誰にも理解されない。けれどもやらずにはいられない」これこそ福音の表現であり、アートであり、そしてキリストによる宗教改革であったのではないだろうか。

私もこのキリストに出会い、そしてこんなキリストに救われた一人であった。そしてこのキリストに貰った自由を人々に届けたいと願っていた。だが気が付けば当たり障りのない言葉で無難に福音を語り、できるだけ批判されずに教会を発展させるという調子のよいスタンスで働いて来た気がするのだ。大胆に福音を語り、そして教会の外に出かけて行く時、それは批判の対象になるだろう。けれどもそれが福音であれば、改革を止める事はできない。キリスト教の専門用語だらけの説教や祈り、日曜日10時半に行われる礼拝、これまでのフォルムで福音を届ける限界はとうの昔に来てしまっていたのではないか。教会の中に鎖で縛られた聖書、信者の心の中に閉じ込められた福音、それを解放するのはいつだろうか。

宗教改革501年の時に生きる私たちは福音の為に何をしているだろうか。そしてそれは私たちの社会にどんな意味を与えているだろうか。宗教改革の教会に生きる私たちは福音の表現者であり、アーティストだ。その表現はひとつであり得ない。何をも恐れずキリストの福音を表現し、世界に発していきたいのだ。

日本福音ルーテル東京教会 牧師 関野和寛

18-10-01るうてる 2018年10月号

機関紙PDF

説教「宗教改革501年 福音の表現者に」

ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」(ヨハネによる福音書2・13~16)

宗教改革500年の時にあなたは何をしただろうか?教会で色々と勉強会や催しをしたであろう。そこでもう一つ質問をしたい。その機会を通してキリストの福音は教会の外に拡がったであろうか?
そのような問いと共に私はここ数年、福音を携え教会の外へ外へと向かうようにしてきた。
その中で昨年とあるバーにて異業種間の交流会が行われ出向いた。コンサルタントをしているビジネスマンが「牧師さん!聖書の話をひとつ説法してくださいよ!」と言うので、私はヨハネ福音書8章を朗読した。律法学者たちが姦淫の罪を犯した女性を捕らえ、石打ちの刑に処すか否かの問いに主イエスが「罪が無いものからこの女に石を投げよ」と答える有名な物語である。
朗読を終え、メッセージの冒頭に「皆さん、今読んだ聖書の物語は理解できましたか?」と尋ねると、「意味が分からなかった 」とほぼ全員が答えた。この物語は比較的、物語として分かりやすく、その意味合いも深く、そして伝わりやすいと考えていたのは私の勝手な思い込みだった。
これは象徴的な出来事であったと思う。そしてこれは聖書の翻訳云々の問題ではなく、聖書とそこに書かれている物語、そしてそれを語る者が外の世界に全く晒されていないからだと私は直感した。
時は違えど、ルターが見、衝撃を受けた光景。当時大変貴重であった聖書が、大学の図書室に鎖で固定されていたというその衝撃を私も受けた。人々に救いと自由を与えるべき聖書の言葉は、狭いキリスト教界の中で、鎖で締め付けられているのだ。読み上げて相手に届かない聖書の物語に対し、私が更に難解な専門用語で解説しても、残念ながらそれは他者の魂には届かない。その現実をバーにて肌で感じた。それなりに他者に伝わる言葉や行動を選んでいたつもりであったが、私は知らず知らずのうちに教会を小さな村社会、そして分かる人にだけ分かるというようにタコ壺化させていたように感じた。
そして福音の評論家よりも福音の表現者でありたいと強く願った。主イエスもルターもまず神の言葉の表現者であった。ヨハネ福音書のイエスはその布教活動の冒頭から神殿の中で大暴れをしてしまう。生贄の販売や両替も祭儀に必要な事であった。だが主イエスは過ぎ越しの祭りという解放と自由を祝う奇跡の祭りが近づく中、形骸化した宗教をひっくり返さずにはいられなかったのであろう。反感を買っただけでは済まされず命を狙われ、そして弟子たちからも理解されなかった。それでも真の自由を人々に届ける為にそうせざるを得なかったのだろう。「誰にも理解されない。けれどもやらずにはいられない」これこそ福音の表現であり、アートであり、そしてキリストによる宗教改革であったのではないだろうか。
私もこのキリストに出会い、そしてこんなキリストに救われた一人であった。そしてこのキリストに貰った自由を人々に届けたいと願っていた。だが気が付けば当たり障りのない言葉で無難に福音を語り、できるだけ批判されずに教会を発展させるという調子のよいスタンスで働いて来た気がするのだ。大胆に福音を語り、そして教会の外に出かけて行く時、それは批判の対象になるだろう。けれどもそれが福音であれば、改革を止める事はできない。キリスト教の専門用語だらけの説教や祈り、日曜日10時半に行われる礼拝、これまでのフォルムで福音を届ける限界はとうの昔に来てしまっていたのではないか。教会の中に鎖で縛られた聖書、信者の心の中に閉じ込められた福音、それを解放するのはいつだろうか。
宗教改革501年の時に生きる私たちは福音の為に何をしているだろうか。そしてそれは私たちの社会にどんな意味を与えているだろうか。宗教改革の教会に生きる私たちは福音の表現者であり、アーティストだ。その表現はひとつであり得ない。何をも恐れずキリストの福音を表現し、世界に発していきたいのだ。
日本福音ルーテル東京教会 牧師 関野和寛

コラム 直線通り  久保彩奈

⑦「静かにささやく声」列王記上(19・12)

授業で手を焼くほど、やんちゃなサッカー部の生徒たちが聖書科研究室にやってきました。
「先生、今度試合観に来てよ!今、俺たちすごい頑張ってるからさ。絶対に勝つよ!先生が来たら、神様も味方してくれる気がする!」
いやいや、神様は君たちをいつも応援してくれているよ。だけど、わざわざお願いに来てくれたので応援に行きました。負ければ引退となる大事な試合。天気はあいにくの雨でした。いつものプレーをピッチで発揮できず、惜しくも敗れてしまいました。雨でずぶ濡れの姿は全身で泣いているようで、とても悲しい引退試合となってしまいました。
試合翌日、抜け殻のようになった彼らは再び聖書科研究室にやって来ました。 「先生、昨日は応援ありがとうございました」と深々とお辞儀をし、ソファに座るも重苦しい空気が漂っていました。「俺たち、なんで負けたんだろう」、「祈りが足りなかったのかな」 。
そんなことない、と言おうとしましたが、遮られる形で他の生徒が言いました。「いや、俺たちはたくさん祈ってきたよ。それでも負けたんだ。俺は今、悔しいけど、神様にこの悔しさを乗り越えろって言われてる気がする」
勝つか負けるかのスポーツの世界。優勝チーム以外は全てのチームが負けを体験します。しかしスポーツの厳しさ、悔しさからも神様の声が聴こえることを、生徒から教えられました。
わたしも、人生のあらゆる場面で、神様の静かにささやく声が聴こえる人でありたい、そう願うのです。

議長室より 大柴譲治

か・え・な・い・心

各地で災害が続いていることに心を痛めています。尊い命を奪われた方々、被災された方々、救援活動に関わる方々のために、ご一緒に祈りを合わせたいと思います。
2014年の春から私は上智大学のグリーフケア研究所に関わらせていただいています。それは2005年に起きたJR福知山線脱線事故を契機に設置された研究所で、グリーフ(悲嘆)を抱える方々のためグリーフケア/スピリチュアルケアの専門家を養成する研究所です。私は自分の専門である臨床牧会教育の立場からスーパーバイザーの一人として大阪のサテライトに関わっています。ケアをするためにはまず自らケアされる経験が大切ですが、まず自分が生育歴で体験してきた「悲嘆」を深く見つめてゆく必要があります。それを共感的な受容と傾聴を基調とするグループの中で共有してゆくのです。このことについては別の機会に記したいと思いますが、今回は昨年7月に105歳で召され、長く研究所の名誉所長を務められた日野原重明医師の言葉をご紹介したいと思います。それは「か・え・な・い・心」という対人援助職の基本姿勢です。
「か・え・な・い」とは「かざらず、えらぶらず、なぐさめず、いっしょにいる」ことです。悲嘆は人の五感を研ぎ澄ませてゆきますから、相手がどのような姿勢で自分に向かい合ってくるかを敏感に察知します。そのためにまず、飾らず正直に相手に向かい合う真摯さが求められます。そしてそこでは偉ぶらず、上から目線でもなく、謙虚に相手に向かい合うことが求められるのです。
三番目の「慰めない」という言葉に私は一番ハッとしました。相手は慰めのないところで悲しんでいるにもかかわらず、私たちはすぐに慰めを求めてしまいがちです。安易な慰めに逃げようとしているのは私たち自身かもしれません。深い「沈黙」の中で、自分の無力さを感じながらも相手と一緒にそこに留まり続けることが求められているのです。最後の「いっしょにいる」を私は「相手と息を合わせる」という意味で理解しています。聖書でspiritは「息」とも 「霊」とも「風」とも訳されますが、スピリチュアルケアとは実は「神の息によるケア」でもあります。「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」(ローマ12・15)と聖書にありますが、喜ぶ者には喜びの息があり悲しむ者には悲しみの呼吸がある。呼吸を意識しながら向かい合う相手と息を合わせ、私たちは悲しみの中に降り立って一緒にいるのです。慰めの主の霊の臨在を祈りながら。この「か・え・な・い・心」を大切にしながら、今ここを生きてゆきたいと願っています。

第5回 るうてる法人会連合全体研修会報告
石倉智史(るうてるホーム常務理事)

8月21日~22日、大阪教会を会場に標記研修会が行われました。過去4回の研修会においては、日本におけるキリストの福音理解からはじまり、私たちのミッションについての学びを深め、それをどのように将来へ繋げていくかを共有してきました。今回は日本で起こっている様々な社会的状況から、法人会のそれぞれの事業を取り巻く環境の変化を知り、将来予測を立てるための気づきを得るため、「30年後の日本に必要とされる『私たちの働き』とは」というテーマにより開催しました。
1日目、開会礼拝の後、社会福祉法人慈愛園の潮谷義子理事長より「歴史にピリオッドとエポックがある―未来の鍵を求めて―」との講演をいただきました。内外の歴史上の出来事から、現在を読み解き、今後起こりうる社会的状況や法人会連合をとりまく様々な課題など、示唆に富む講演となりました。この講演を受けて、業務関連法人ごとのグループワークにおいてSWOT分析に取り組みました。事業をとりまく内外の環境要因について意見を出しあいながらまとめていき、「外部環境の変化に対して自組織の強みを活かしてどのような手が打てるか」という観点で戦略の候補について話し合いました。
2日目は、法人会連合の視点から新しいグループを作り、今回のテーマ「30年後に必要とされる事業となるために」を目標として、「戦略マップ」の作成に取り組みました。 手法としては、バランススコアカードの4つの視点(財務の視点、事業対象者の視点、業務プロセスの視点、人材と組織の成長の視点)について検討し、目標に向けて進むべき道筋を確認し、それぞれ発表しました。時間的な制約もありましたが、参加者全員が真剣に自分たちの事業の将来や法人会連合の可能性について話し合うことができたのではないかと思います。結びに閉会礼拝が行われ、西日本豪雨の被災者支援への献金をし、プログラムを終了しました。
今回は63名の参加者(講演会には84名)が与えられ、1日目の交流会へもほぼ全員が参加し、楽しい時間を過ごすことができました。私たち法人会連合が共同体としての存在   意義を高め、将来への意欲をもって事業に取り組んでいけるよう、研修の成果に期待したいと思います。

全国青年バイブルキャンプ報告
竹田大地(TNG委員会ユース部門担当)

8月20日から22日の3日間、東京三鷹の神学校を会場にして第6回全国青年バイブルキャンプが開催されました。今年は3名と参加者は少なかったものの充実したプログラムとなりました。
今年は、森優先生の著書『だれにでもできる楽しい聖書研究法―聖書研究の手引き』を参考図書にして、み言葉から神様のみ心を受け取り、メッセージにするということにチャレンジをしました。
青年たちが教会において教会学校、礼拝での証言などの奉仕をするにあたって、その方法の一つとして学びを深めました。また、TNGのルーテルこどもキャンプ、春の全国ティーンズキャンプ、各教区の夏のキャンプなどでスタッフを担うにあたって、み言葉との向き合い方を学ぶことによって、リーダーとして、プログラムスタッフとしての働きの助けになると考えています。
参加者は、与えられているみ言葉を、黙想を通してみ心を受け取り、そこからキリスト者としてどのように応え、歩んでいくかということをメッセージにしました。三者三様のメッセージとなり、同じみ言葉から聴いても、神が豊かにそのみ言葉に恵みを顕してくださっていることを参加者は味わう機会となったと思います。
TNGの最終段階であるユース部門は、青年たちが教会の奉仕者として成長することの一助となれるようにプログラムを考案、実施しています。教会では、青年の働きが期待されています。しかしながら、そのような中でどのように働けばいいのか分からないという声を聞きます。手法や教会組織について何も知らずにいる青年が多いというのが現状です。青年が、各教会の宣教の一翼を担う人材として成長できるようにTNGユース部門として支えていければと考えています。どうぞそのために皆さんの教会の青年を送り出してください。これからもご一緒に教会成長、宣教を担いあっていければと考えています。最後に、皆さまのお祈り、お支えをこの場を借りて心より感謝申し上げます。

西日本豪雨災害の現場から 西教区書記 水原一郎

「生きるも地獄、死ぬも地獄じゃねえ」。7月13日、海路2時間で広島湾の瀬戸を越え、呉市安浦町の被災宅に入ることが出来ました。外の街道は未だ泥水が流れる状況でした。被災家屋内は、水こそ引けど「泥の海」状態でした。作業中、緊急アラームが携帯電話を持参していた全ての人の胸元から響きました。背筋が凍り、足が震え、作業の手を止め、携帯を開いて速報を見ました。呉市が近郊での「避難指示(緊急/土砂崩れ)」を発令していました。被災宅の方も通知を見、嘆きながら叫ばれた言葉が冒頭のものです。
7月上旬、梅雨前線と台風による長雨は「西日本豪雨」と名を変え、歴史に名を刻み、各地につめ跡を残しました。安浦町の山裾では今も文字通りの「つめ跡」が目視できます。松本義宣西教区長の指示によって、日本福音ルーテル教会西教区は7月7日の初動情報収集から支援活動をさせて頂いています。加えて、日本福音ルーテル教会はもとより、アメリカ福音ルーテル教会、日本ルーテル教団、西日本福音ルーテル教会、九州ルーテル学院高校、ルーテル学院大学の方にもボランティア協力を頂きました。
8月30日までの活動人数を手元の記録でまとめれば、延べ89名の方々が安浦町にてご助力をくださいました。しかし初動からの物資集積を含めれば、110名を超える方のご助力があったことは確かです。そして、祈りと連帯献金にご協力くださっている上記団体を含む皆さま、私たちは皆さまの祈りの果実として働いているだけのものに過ぎません。
教会関係者そして安浦町に来られたボランティアの方々のご助力で、大正中期建築、広大な敷地と間取りの被災宅は徐々に整えられていきました。九州教区や「わかちあいプロジェクト」からの高圧洗浄機は、浸水家具の洗浄や、目詰まりした道路清掃に役立ちました。7月下旬からは、被災宅を中心としたその周辺宅にもお声掛けさせて頂き、給水や泥上げ支援など、必要とされていることの手伝いをさせて頂いています。
当初支援の被災宅では今も整理が進められていますが、生活復旧に向けた取り込みも少しずつ始められています。一方で被災宅の方は、今後も住まわれることになる安浦町のために、何か出来ないかという思いもお持ちのように見受けます。また安浦町では、特に山間部を中心に「ほぼ手付かず」のお宅が8月下旬でも見受けられましたし、さまざまなご事情で支援の申し出自体をためらっておられる方も見受けます。
ご高齢の男性がお一人で床下の泥上げをなさり、お一人の女性が浸水植木を前に途方に暮れ、地元の小学生が一人で一輪車を押して泥を捨てる後ろ姿に心が痛みました。復旧を独力でなさろうとするご家庭はまだ日本各地にも安浦町にも点在していることは確かです。安浦の方々の日々の労に長く寄り添うことで、安浦町に仕えていきたいと思います。

日本聖公会とのエキュメニカルキャンプ報告

宗教改革500年を記念し、ルーテル世界連盟と世界の聖公会とが共に祈ることを目指し、黙想集『神の恵みによる解放』が作成されました(本紙6月号、7月号に掲載)。8月19~21日、この黙想集を実際に用いて集う機会を持ち、スタッフを含めて両教会から青年層を中心に12名が集いました。信州の森の中で語り合い、賛美し、食卓を囲み、毎日聖餐を分かち合う、豊かな祈りの交わりを過ごしました。ルーテルの参加者から寄せられた感想をお分かちします。
●エキュメニカルに関連する活動に参加するのは初めてでしたが、クリスチャンというバックグラウンドを共有するせいか、初対面の方々にもどこか親戚に感じるような親近感があり、共に喜びを分かち合って有意義な時間を過ごすことができました。日々の喧騒から離れ、自然の中で心静かに聖書を味わい、神様と向き合う時間を持つことができたことも収穫だったと思います。このひと時を守り祝福してくださった神様に感謝します。(江浦瑛子)
●緑豊かな中、神と、御言葉と向き合った後、ペアの相手と語り合いました。自分一人では辿り着くことの出来ない新たな気付きがあり、祈りが豊かにされました。私は「神の愛を伝える者として歩みたい」と改めて決心しました。繰り返し御言葉や祈りから神の愛と力を頂き、歩んでいかなければと考えます。印象的だったのは聖餐式。 一つの杯から共にぶどう酒を受けました。教派を超えて一つとされる神の愛の働きを感じました。神に繋げられる働きがこれからも豊かに与えられるようにと祈ります。(小石澤麻美)

ポスタープレゼント

宗教改革500年記念事業の際に作成されたポスターを差し上げます。
一般の方々にルターとルーテルの関係を示し、宗教改革の始まりから500年を告げる目的でバナーの設置に協力いただきました。また、それを設置した様子を撮影した写真をお送りいただき、それを用いてひとつの木に連なる私たちであることを表現するポスター�@を作成し配布しました。多めに作成したこともあり在庫があります。教会・施設、個人を問わず、ご希望の方に送料実費にてプレゼントします。
また、長崎で行われたローマ・カトリック教会との共同記念のポスター�Aも差し上げることができます。事務局へお申し込みください。在庫がなくなり次第、配布を終了いたします。

北海道での地震災害と連帯献金について 事務局長 滝田浩之

9月6日に震度7を記録した北海道胆振東部地震とそれによる大停電により、大きな被害が生じました。被害に遭われた方々のご苦労とお悲しみに、心よりお見舞い申し上げ、主の慰めと励ましとをお祈りいたします。また復旧のために尽力する方々も主のみ腕に支えられますように。
幸いにも北海道特別教区の全ての教会(帯広教会/池田・帯広・釧路、札幌教会/札幌・札幌北・新札幌、函館教会、恵み野教会)とめばえ幼稚園、そこに連なる方々に甚大な被害が及ぶことはありませんでした。日本ルーテル教団の諸教会も無事であったとのことです。当教会の各礼拝堂の停電は9月8日夕方までにはすべて解消され、「多少の不便はあっても、いつもの場所でいつもの時間にそれぞれ礼拝の恵みを分かち合う事ができたとの、嬉しい報告がありました」(岡田薫教区長)。電話などで安否確認はできていても、顔と顔とを合わせての礼拝の交わりに大いに力づけられる時とされたとのことです。尚、恵み野教会(恵庭市)で9月8日に予定されていた教会バザーは9月29日に延期しての開催となりました。
7月以降、西教区西中国地区の牧師と信徒を中心に支援活動を開始し、「豪雨被災者支援」募金による連帯を呼びかけ、皆様のお祈りとご協力を頂いてきました。感謝いたします。9月8日現在で、570万5224円の連帯献金が寄せられました。
この度の北海道での大地震を受け、教区長会において協議がなされ、西教区での活動の継続的な応援と北海道の地震による被災者の支援活動への支援として重ねてのご協力を呼びかけることとなりました。寄せられた募金に残余が発生した場合は、今後の災害緊急支援に使わせていただきます。

■募金期間 2018年7月13日~12月31日
■送金先 ゆうちょ銀行  振替口座  00190-7-71734  口座名義 (宗)日本福音ルーテル教会
他銀行のからの振込の 場合(口座名義は同じ です)
ゆうちょ銀行 〇一九 (ゼロイチキュウ)支店、 当座預金、口座番号0071734
振替用紙に「被災者支援」と記入、もしくはネット送金の際には、お名前に続けて、カタカナで サイガイ と記入してください。恐れ入りますが、振込手数料はご負担ください。

ブックレビュー
『ルターはヒトラーの先駆者だったかl宗教改革論集』
(宮田光雄著/新教出版社)

「神の寛容」沼崎 勇

著者によれば、宗教改革500年記念をめぐって、近来、再燃してきたのは、ナチズムに対するマルティン・ルターのユダヤ人文書の影響、という問題である。特に批判されているのは、晩年の著作『ユダヤ人とその虚言について』(1543年)である。ルターは、この文書の中で、領主に対して、ユダヤ教の会堂や学校を焼き、住居を壊し、祈祷書を取り上げ、ラビに教えることを禁じ、領内から追放せよ、と訴えていた。しかも、領主が行動を起こさない場合には、牧師たち自身が必要な対処をとるように求めていたのだ。
哲学者のカール・ヤスパースは、すでに1950年代初めに、こう記していた。「ヒトラーが実行したことはルターが勧告していた通りだった、ガスかまどで直接に殺害することを別にすれば」と。実際、ナチ主義者たちは、ルターのユダヤ人文書の言葉を、ユダヤ人迫害の正当化のために援用したのである(245~251頁)。
しかし著者は、ルターのユダヤ教批判を、ルター自身の信仰義認論から読み直す。そして、「人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰による」(ローマ3・28)というパウロの言葉を解説した論文(1536年)の中で、ルターが「神の寛容」という言葉を用いていることに注目する。
著者はこう述べている。「神のみ前にあって、さまざまの偽善や不正、悪をなすにもかかわらず、人間は信仰によってのみ義と認められ、神によって受け入れられる。この出来事をルターは、『理解し難い神の寛容と知恵』と呼んでいる。この圧倒的な恩恵は、すでにわれわれが神の『敵であったときでさえ』(ローマ5・10)妥当するとされている……。してみれば、ルターの信仰義認論がユダヤ人を適用外として除外することは本来ありえないはずである」(259頁)。ルターはヒトラーの先駆者ではない、という著者の結論に、私たちは同意する。

春の全国Teen’sキャンプ 2019 in千葉 スタッフ募集のお知らせ

来年の春の全国ティーンズキャンプは、2019年3月26(火)~28日(木)に、千葉県長生郡長柄町にある「千葉市少年自然の家」にて開催されます。
3月25日(月)に現地で行われる前日準備日と、春キャンの2泊3日を参加者と一緒に過ごしてくださるスタッフを募集します。
募集スタッフは、リーダー、オーディオ、マネジメント、賛美です。
◎リーダー
ティーンズに心をくばり対話し、信仰的に導きます。
◎オーディオ
キャンプのプログラムを支えるスライドの作成や 機材管理をします。パソコンが使える人、カメラが得意な人、編集に興味のある人など。
◎マネジメント
裏方としてキャンプの運営に関わります。
◎賛美
楽器の演奏や歌で、賛美を導きます。
募集条件
1.前日準備日とキャンプ 3日間の全日程に参加で きること。
2.リーダーについては、20歳以上の受洗・堅信者で あること。
申し込み
下記①~⑥についてすべ て記入し、メールで申し 込んでください。
(応募の結果により、ス タッフの決定は人数や予 算の関係でご 要望に添 ない場合もあります。ど うぞご了承ください。)

①名前、教会名、応募について承諾を受けた所属教 会牧師名
②受洗日、堅信日(未受洗者は未受洗と書く)
③募集スタッフの中から、あなたが希望する役割
④現在、あなたは1ヶ月に何回ぐらい教会の礼拝に参加していますか
⑤好きな聖書箇所
⑥「創造」と聞いてあなたは何を思い浮かべますか。また、「創造」はあなたや社会とどのように関係がありますか。自由に書いてください。

申し込み先  harukyan.moushikomi @gmail.com(永吉)
締め切り2018年 12 月2日必着
注意事項
なお、キャンパーへの影響を考え、キャンプ中や引率時の喫煙は控えてください。
主催 宣教室 TNG委員会 ティーンズ部門、北海道特別教区、東海教区、西教区、九州教区
協賛 日本福音ルーテル社団

18-09-18どこにいるのか

また、 イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる」    (マルコによる福音書4・26〜28)

私は幼い頃、父親と教会に通っていました。その後、私たちは教会を離れ、キリスト教とのつながりは途切れます。地質学が好きな父は、私を山登りにも連れていってくれたのですが、趣味を無理強いすることはありませんでした。最近になって私も「地」や「土」に関心を持つようになりました。
「土」といえば、土と人の間には密接な関わりがあると創世記に書かれています。土から人は造られ、神が地に命じると草木が生えました。神のようになろうとして善悪の知識の木の実を人は食べますが、自分が裸であることを知り、いちじくの葉で腰を覆います。隠れるアダムに神は「どこにいるのか」と呼びかけるものの、アダムもエバも責任転嫁をしてしまいます。人が罪を犯すと土が呪われ、作物が実らなくなります。その後、土地(居場所)を求めてイスラエルの民はさまよい、そこに神が同伴されます(創世記から申命記)

 私自身の話 になりますが、20歳の頃、「理想の自分」と「実際の自分」の差に耐えられなくなったことがあります。「大切なもの(私にとっては家族)を守るためには強くならなければならない」と自らを駆り立てたものの、思うように強くはなれないことへの幻滅と、大切なものを守れない罪悪感がありました。誰かに相談したり、自分をありのままに受け入れたりすることができれば楽だったのですが、取り繕うことを続け、閉塞感に押しつぶされそうになりました。そんなとき、三浦綾子さんの『塩狩峠』を読み、引用されていた「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死ねば、多くの果を結ぶべし」(ヨハネ伝12・24)に心が揺さぶられました。
「一粒の麦」は本来キリストを指しますが、「私自身」のことだと解釈し、キリストを信じる者には死を越えた先にも希望があると感じました。また、キリスト教について知るうちに「立派だから救われるのではなく、ありのままの私が神にゆるされ、受け入れられている」と感じました。そして、キリストに賭けてみようと思いました。教会に行かなければキリスト教は分からないと三浦綾子さんがおっしゃっていたので、以前とは別の教会に行ってみました。そこで居場所ができ 、洗礼を受け、満たされた気持ちになりました。
ところが「キリスト教に求めるものが居場所だけでいいのか」という不安が湧いてきました。居場所さえあれば危険な宗教団体でも良かったのではないか、たまたま先にキリスト教と出会ったから良かったものの、順序が逆ならその宗教団体に入っていたのでは、と思ったのです。「キリスト教の信仰内容より、居場所の有無を私は重視しているのでは」という疑問です。
そのとき、冒頭の聖句に出会いました。土に種を蒔くのは人ですが、成長させてくださるのは神です。人の努力は、成長の促進も妨害もできない。土が人の手を離れて「ひとりでに」実を結ばせるからです。この成長が、神の国にたとえられています。神の国は「神が支配しておられるところ」であり「キリストのゆるしと愛が支配するところ」なのです。ゆるしと愛は、私の努力によって獲得するのではなく、神が恵みとして与えてくださる。「どこにいるのか」と問われれば「私は、キリストのゆるしと愛が支配しているところにいる」と答えることができます。
キリストがゆるしてくださっていても、私たちの確信はたびたび揺らぎます。私たちは、良くも悪くもアダムと似ており、神のようになって物事をコントロールしようとし、ゆるしと愛から離れようとしてしまいます。しかしその私たちを、父なる神は「どこにいるのか」と探し求め続けてくださいます。愛のゆえに、御子イエス・キリストを十字架につけて死なせ、私たちの内にイエスが生きるようになりました。御子イエスが父なる神に愛されているように、私たちはゆるしと愛を受け継ぐ神の子なのです。私たちのこの希望は、イエス・キリストです。
日本福音ルーテル小鹿教会、清水教会 牧師 秋久 潤

18-09-01るうてる2018年9月号

機関紙PDF

説教「どこにいるのか」

日本福音ルーテル小鹿教会、清水教会 牧師 秋久 潤

また、 イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる」(マルコによる福音書4・26~28)

私は幼い頃、父親と教会に通っていました。その後、私たちは教会を離れ、キリスト教とのつながりは途切れます。地質学が好きな父は、私を山登りにも連れていってくれたのですが、趣味を無理強いすることはありませんでした。最近になって私も「地」や「土」に関心を持つようになりました。
「土」といえば、土と人の間には密接な関わりがあると創世記に書かれています。土から人は造られ、神が地に命じると草木が生えました。神のようになろうとして善悪の知識の木の実を人は食べますが、自分が裸であることを知り、いちじくの葉で腰を覆います。隠れるアダムに神は「どこにいるのか」と呼びかけるものの、アダムもエバも責任転嫁をしてしまいます。人が罪を犯すと土が呪われ、作物が実らなくなります。その後、土地(居場所)を求めてイスラエルの民はさまよい、そこに神が同伴されます(創世記から申命記)。

私自身の話 になりますが、20歳の頃、「理想の自分」と「実際の自分」の差に耐えられなくなったことがあります。「大切なもの(私にとっては家族)を守るためには強くならなければならない」と自らを駆り立てたものの、思うように強くはなれないことへの幻滅と、大切なものを守れない罪悪感がありました。誰かに相談したり、自分をありのままに受け入れたりすることができれば楽だったのですが、取り繕うことを続け、閉塞感に押しつぶされそうになりました。そんなとき、三浦綾子さんの『塩狩峠』を読み、引用されていた「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死ねば、多くの果を結ぶべし」(ヨハネ伝12・24)に心が揺さぶられました。
「一粒の麦」は本来キリストを指しますが、「私自身」のことだと解釈し、キリストを信じる者には死を越えた先にも希望があると感じました。また、キリスト教について知るうちに「立派だから救われるのではなく、ありのままの私が神にゆるされ、受け入れられている」と感じました。そして、キリストに賭けてみようと思いました。教会に行かなければキリスト教は分からないと三浦綾子さんがおっしゃっていたので、以前とは別の教会に行ってみました。そこで居場所ができ 、洗礼を受け、満たされた気持ちになりました。
ところが「キリスト教に求めるものが居場所だけでいいのか」という不安が湧いてきました。居場所さえあれば危険な宗教団体でも良かったのではないか、たまたま先にキリスト教と出会ったから良かったものの、順序が逆ならその宗教団体に入っていたのでは、と思ったのです。「キリスト教の信仰内容より、居場所の有無を私は重視しているのでは」という疑問です。
そのとき、冒頭の聖句に出会いました。土に種を蒔くのは人ですが、成長させてくださるのは神です。人の努力は、成長の促進も妨害もできない。土が人の手を離れて「ひとりでに」実を結ばせるからです。この成長が、神の国にたとえられています。神の国は「神が支配しておられるところ」であり「キリストのゆるしと愛が支配するところ」なのです。ゆるしと愛は、私の努力によって獲得するのではなく、神が恵みとして与えてくださる。「どこにいるのか」と問われれば「私は、キリストのゆるしと愛が支配しているところにいる」と答えることができます。
キリストがゆるしてくださっていても、私たちの確信はたびたび揺らぎます。私たちは、良くも悪くもアダムと似ており、神のようになって物事をコントロールしようとし、ゆるしと愛から離れようとしてしまいます。しかしその私たちを、父なる神は「どこにいるのか」と探し求め続けてくださいます。愛のゆえに、御子イエス・キリストを十字架につけて死なせ、私たちの内にイエスが生きるようになりました。御子イエスが父なる神に愛されているように、私たちはゆるしと愛を受け継ぐ神の子なのです。私たちのこの希望は、イエス・キリストです。

連載コラム 直線どおり」久保彩菜

⑥「なんのために生まれて、なにをして生きるのか、答えられないなんて、そんなのはいやだ」(やなせたかし)

困って泣いている子がいたら必ず立ち止まり、顔(パン)を分け合う、そんなアンパンマンに魅了された幼い頃のわたしの夢は「アンパンマンになりたい」でした。中学生で聖書と出会ったわたしはアンパンマンとキリストを重ね「イエス様ってアンパンマンみたい」と感じたほど。誰よりも傷つき、痛みを知り、優しく微笑み、強さを誇らない。大好きなアンパンマンを感じさせるキリストとわたしの出会いは「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」に答える歩みの始まりでもありました。

そんなアンパンマンは、ジャムおじさんが「勇気の花」を用いて「心のあるパンを作ろう」とした時に、偶然「命の星」が吹き込まれてできた特別なパンでした。そして、ある時ジャムおじさんが崖から落ちそうなところを助けたことで、アンパンマンは人のために生きる意味を見出し、困っている人に自らの顔を分け合う決心をします。特別なアンパンマンでさえ生まれながらにして「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」を知っていたわけではなく、生きていく歩みの中で、命の意味に気づきました。そんなアンパンマンの姿に励まされた日もありました。
しかし教壇に立つ今、わたしが子どもたちと一緒に考えることは、もはや「なんのために生まれ、なにをして生きるのか」ではありません。キリストの希望の1つは「なんのためにわたしは生かされているのか」を問うこと。それぞれに与えられた祝福に目を留め、思い巡らせることなのです。
わたしは、あなたは、なんのために生かされていますか。その問いは希望のはじまり。すでに生かされて歩んできたこの恵みを、感謝をもって受け取り、喜びをもって精一杯歩んでいきたいのです。

ルーテル聖書日課 読者の集い

毎年優れた講師が分かりやすくお話しくださり、信仰に力が与えられます。
全国にルーテル教会の友人ができる喜びもあります。
■日程/10 月22日(月)~24日(水)
■主題/律法から福音へ
■講師/石居基夫先生(日本ルーテル神学校校長)
■参加費/19,000円(2泊6食)(個室は1,000円増)
■場所/軽井沢フェローシップバイブルキャンプ(長野県軽井沢町発地1061-54)
北陸新幹線「軽井沢」から、しなの鉄道で2駅の「信濃追分」より送迎。
■申込み・問合せ/ルーテル聖書日課事務局
申込みはハガキでお願いします。
〒514-0823 三重県津市半田3424-81-204
FAX.059-253-8789、TEL.090-2685-7355
■申込金/10,000円(参加費の内金)
■振込先/郵便振替01080-4-12181
ルーテル「聖書日課」を読む会
■締切/10 月13 日

聴議長室から 大柴譲治

二人または三人が集まるところには

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」と主イエスは言われました(マタイ18・20)。主は二、三人という小さな交わりの中にもご臨在すると約束してくださっています。この御言に慰め励まされてきた方は少なくないことでしょう。特に地方で少人数で礼拝を守っている教会にとってこの御言は切実です。自分たちの教会がこれからどうなってしまうのだろうという先の見えない不安の中に置かれているかもしれません。しかし主は小さな群れの中にも必ず共にいてくださるのですから、心配はいりません。教会(エクレシア)とは建物や制度ではなく、イエスによって呼び集められた聖徒の群れです。教会は基本的には「人」なのです(もちろん建物や制度も大切ですが)。アウグスブルク信仰告白の第7条に「教会は聖徒の群れであって、そこにおいて福音が純粋に説教され、 サクラメント(聖礼典)が福音に従って正しく執行される」とある通りです。
6月30日にユネスコは「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を世界遺産としてリストに記載することを決定しました。 初代教会や日本の潜伏キリシタンたちは厳しい迫害下、礼拝堂のないところに秘かに集まってみ言葉とサクラメントを分かち合いながらその信仰を守り続けたのです。 二人または三人がキリストの名によって集まる中、生ける復活のキリストの現臨(リアル・プレゼンス)が信仰者たちを根底から支え続けたと申し上げることができましょう。
7月10日から12日の3日間、北海道特別教区の帯広教会(宣教開始1977年)、池田教会(同1956年)、釧路教会(同1966年)を教区長会で訪問してきました。各個教会としてこれまで多くの信徒・教職がその信仰の歴史を刻んできたことを説教台や洗礼盤、壁に飾られた写真や御言は証ししていました。
組織的に現在は帯広教会に属する帯広礼拝堂、池田礼拝堂、釧路礼拝堂となっています(主任は岡田薫牧師)。これらの教会との深い関わりを熱い思いをもって思い起こす教職・信徒、「北伝推」参加者なども少なくないことでしょう。建物の維持管理が困難となる中、帯広教会は池田礼拝堂と釧路礼拝堂を閉じるという決断を何年ものプロセスを経て祈りをもって行いました。家庭集会というかたちで信徒の方々を定期的に訪問して礼拝を守り続けることを選択されたのです。これも一つの「リ・フォーメイション」です。
二人または三人を大切にしてくださる復活の主が、関係者のお一人おひとりの上にその恵みと祝福とを豊かに注いでくださるように心からお祈りいたします。

宣教百年記念東京会堂 大規模修繕完了

東京教会役員会

およそ3ヶ月の時間をかけて、7月末に日本福音ルーテル教会宣教百年記念東京会堂(東京教会)の大規模修繕工事が無事完了しました。1996年6月に日本福音ルーテル教会全体の会堂として建て替えられ、早22年の歳月が経過しました。そのため全体的な経年劣化による大規模修繕時期を迎えており、昨年4月から設計者の西村晴道さん(静岡教会員)の協力を得て修繕の検討を始めました。

昨年7月、専門業者に建物全体の劣化状況の調査を依頼した結果、建物外装の亀裂やサビ、内外のタイル浮きが多数あり、できるだけ早期の修繕が必要であると判定されました。
22年前の建て替えにあたっては、宣教百年記念会堂として多くの方々により神学的な検討が重ねられて設計され、また全国のルーテル教会の皆様の祈りに支えていただきました。

寄せていただいた思いを後世へと責任をもって引き継ぐべく、今回の調査結果に基づき早期修繕が必要な外装全体と礼拝堂正面タイルの補修を含む大規模修繕を実施することにいたしました。およそ4千万円をかけての修繕により新築当時の外観がよみがえり、新たな気持ちで礼拝ができますことを感謝しています。引き続き、宣教百年記念会堂として皆様にご利用いただきたくお願いします。

ルーテル世界連盟(LWF)理事会報告

LWF理事 安藤 風

先日ジュネーブで行われたLWFの理事会に参加してきました。LWFはルーテル世界連盟の略で、98か国145のルーテル教会が加盟し、世界の平和と和解を目指して共に働く共同体です。年に一度の理事会で教会が直面している課題について話し合います。理事会の48人のメンバーは男性4割、女性が4割、青年が2割となるように、また地域や牧師と信徒の割合なども決まっています。日本福音ルーテル教会もこのLWFに加盟しており、私は女性で青年の信徒として昨年理事に選ばれました。

任命された当時、私はこの会議で何が行われるのかほとんど知らず、その過酷さに驚きました。会議は1週間に及び、その期間は毎日朝9時から18時、遅ければ20時まで話し合います。もちろんすべて英語で行われ、会議の内容は各地域の年次報告、神学や教会同士の関係、LWFの組織経営や財政、女性や青年の参加についてなど多岐にわたりました。
会議の内容はやはり理解できない部分も多くありましたが、それでもその中で気付いたことはヨーロッパのようないわゆるキリスト教先進国と、日本のようなキリスト者が少数派の国とでは状況の差が大きすぎるということでした。青年の話を挙げても、ヨーロッパでは青年の神学教育や教会におけるあらゆる決議への参加を課題にしていましたが、日本はまだそのレベルに達してはいないでしょう。日本では教会に、また神様に繋がり続けることすら難しいと感じる青年も多いはずです。世界の抱える課題をここで共有する前に、日本には日本の抱える課題があります。しかしわたしはそれすら理解していませんでしたし、その必要性すら考えたこともありませんでした。
理事の任期は残り5年間、来年の理事会はウガンダで開催されることが決定しています。それまでに英語も勉強しつつ、日本福音ルーテル教会の組織について、特に青年の抱える課題について教会の中で考える機会を持てればと思います。

LWFのウェブサイトhttps://www.lutheranworld.org

西日本豪雨災害と支援活動について

豪雨災害でご苦労される方々に仕えるべく、西教区が支援活動に取り組んでいます。連帯献金へのご協力にも感謝いたします。8月当初時点で300万円を超える支援が寄せられています。
西教区では、シオン教会徳山礼拝所の支援のもと、ルーテル徳山ボランティアセンターを開設しました。活動の中心となる牧師たちは、それぞれ複数の教会の責任を負っていますので、毎日被災地へ通うことはできませんが、広島県呉市の社会福祉協議会による呉市安浦のボランティアセンターとの連携により、現地で求められる具体的な作業に取り組みながら、寄り添う歩みを続けてきました。教区内はもとより、九州や東京などからもボランティアの参加を得ています。
以下、7月26日にボランティアに参加したルーテル学院高等学校の生徒さん(9名)と引率教諭の感想から部分的におわかちします。

・私自身も熊本地震を経験しましたが、今回の災害は水害ということで、車で移動している時も外を見ると家が泥だらけになっているところが多く、想像以上の光景でした。今まで嗅いだことのない臭いを経験しました。
・泥の中から子どもの靴やおもちゃ、キッチン用品などの生活感ある物がとりだされるたびに、胸に刺さるような痛みを感じました。
・被災者の方から「泥にうなされている感じ」と聞いて驚きましたが、共感もしました。「やってもやっても終わらない」ということも聞いて、もっとお手伝いしたいと思いました。
・心に傷を負っている方は少なくないと想像しています。泥だし等の作業ボランティアと同様に被災者への寄り添いなど、ニーズへの対応を中心とした活動も大切だと思います。機会があればそういったボランティアに参加してみたいです。
・受け入れて頂いた牧師の方々、ボランティアセンターの方々、本当にありがとうございました。被災者の方々のお心遣いも生徒たちには大変ありがたいものでした。

西教区による活動報告や連帯献金への情報は、以下のURLよりご確認いただけます。
https://jelc-news.blogspot.com/

プロジェクト3.11「いわき放射能市民測定室たらちね」の歩みとわたしたち

企画委員 小泉 嗣

私たちが細々とですが支援を続けている「認定NPO法人いわき放射能市民測定室たらちね」は設立7年を迎えています。従来より続けられている全身放射能測定、食材、土壌、資材・植物、海水等の放射能量測定に加え、海洋調査や子どもたちが日常多くの時間を過ごす学校や保育園などの埃の測定、また昨年5月よりはじまったクリニックの事業など、その活動は多岐にわたり、地域に生きる人々の「日常」に寄り添うものになっています。
活動の詳細は事業報告から決算報告にいたるまでウェブサイトに詳細に記載されているので、ここであえて取り上げることはしませんが、展開される事業は個人・母親グループ・教育委員会等と、そこに生きる人々としっかりと顔を合わせ、そこに生きる人々の思いをしっかりと受け止めたものであるように思います。

その真摯な姿勢は「被ばく後の世界」(事業報告に記された重い、厳しい言葉でした)に生きる現実のゆえの姿勢であるのだと思います。そしてこの「被ばく後の世界」という言葉は、決して「被ばく前の世界」に戻ることはできないという現実を突きつける言葉であり、また福島やいわきに生きる人々だけの言葉ではなく、「後の世界」にしてしまった私たちの責任を問う言葉であるようにも思いました。

プロジェクト3・11は2014年3月にルーテル教会救援よりその活動の思いを引き継ぐ形で東教区ではじめられ、その活動の節目と定めた5年を2019年3月に迎えます。災害支援としてはじまった活動は同時に「被ばく後の世界」を生きる私たちの生き方を自らが問う活動であったと改めて思い返しています。

2012年5月の全国総会で採択された「一刻も早く原発を止めて、新しい生き方を! 日本福音ルーテル教会としての『原発』をめぐる声明」の末尾に記された言葉をもって結びます。
「この呼びかけを手始めとして、日本福音ルーテル教会の各教会・教区・全体教会レベルで『原発の安全性に関わる問題性』、『放射能被曝に関わる問題性』、『放射能廃棄物処理の問題性』、『核兵器廃絶との関係』、『世界のエネルギー政策とそれに関わる生活様式について』、『環境問題』等に関しての学びを含めての取り組みを開始していきます」

第20回ルーテルこどもキャンプ報告

キャンプ長 池谷考史

8月7日から9日まで、広島教会を会場に標記のキャンプが行われました。
テーマは「来んさい広島Peaceじゃけん」、主題聖句は「平和のきずなで結ばれる」エフェソ4章3節。全国から集まった27名の小学5、6年生が5つのグループに分かれて、3日間生活を共にし、様々なプログラムを通して平和について考えました。
初日、伊藤節彦チャプレンによる開会礼拝からキャンプ開始。その後、アイスメルティングでゲームを楽しむことで、緊張気味だった子どもたちの心が少しほぐれました。
2日目は朝からグループごとに平和記念公園へのハイキングへ出発。そこでは、平和記念資料館や原爆の子の像(被爆が原因で亡くなった12歳の少女の像)、韓国人原爆犠牲者慰霊碑、原爆ドームなどの各ポイントを、シールを集めながら見て回りました。キャンプに来るまで、原爆やそれにまつわる悲惨な出来事を知っていた子も知らなかった子もいましたが、原爆投下の現実に向き合ってみて、皆、柔らかい心で何かを感じ取ったようです。
当日は、暑さが厳しい中でのハイキングでしたが、全員の健康が無事に守られました。そして、その日の夜のプログラムで、平和と平和ではないとはどういうことなのかをそれぞれが考えた後、チャプレンから聖書の語る平和についてのメッセージを聞きました。
最終日には、このキャンプを通して学んだことや感じたことをそれぞれが皆の前で、発表しあいました。子どもたちは戦争の恐ろしさを思いつつも、平和を大切にし、それを求める自由な気持ちや、キャンプ中に楽しかった思い出などを一人一人の言葉で表現してくれました。最後に「平和の鐘」を鳴らして帰途につきました。
キャンプにおいて子どもたちが平和について考えを深めたことと共に、友達や年上のリーダーと一緒に過ごしたことも忘れられない素晴らしい思い出となって、きっと子どもたちの中にこれからも残っていくことと思います。皆様のお祈りとお支えに感謝いたします

追悼 ルンド宣教師

浅見正一(定年教師)

ルンド先生。なんとも懐かしいお名前である。
私が札幌教会より甲府教会に転任してきたときには、ルンド先生はすでに甲府教会で伝道についておられた。甲府というような地方の小都市において、アメリカ人は極めて珍しかったに違いない。それ故、町中のほとんどの人々がルンド牧師というアメリカ人をよく知っていたものと思われる。つまり甲府の有名人であった。人柄もよく、町中の人々に愛されていたと言っても決して過言ではないであろう。
教会の牧会の合間にはよく猟に出かけておられた。県内の牧師会のクリスマス会には狩りたての鹿の肉をご馳走してくれたりした。教会ではバイブルクラスを担当しておられ、バイブルクラスを通して熱心に伝道されていた。
あの物静かなルンド先生のお人柄を今でも懐かしく、はっきりと思い出している。

総会で選出された常議員の他、室長、主事に加えて以下の委員が、第1回常議員会において承認されました。ご奉仕を感謝し、主のお支えを祈ります。

第28回総会期 諸委員一覧

▼常設委員会(常議員会選出)

機関紙委員会
安井宣生/宮本新/滝田浩之/中嶋羊子/日笠山吉之/内藤文子/水原一郎/小泉基
神学校/ルーテル学院大学委員会
石居基夫/坂根信義/氏家純一(2018年10月から2022年9月まで)
青田勇/松岡俊一郎/橋爪大三郎(2016年10月から2020年9月まで)
神学教育委員会
三浦知夫/李明生/宮本新 /石居基夫/滝田浩之/青村ゆかり/池永清/木村猛
財務委員会
古屋四朗/木村猛/管田恵一郎/竹田孝一/滝田浩之
社会委員会
小泉基/秋山仁/李明生/内藤文子/高田敏尚/佐伯里英子

▼常置委員(総会選出)

法規委員
白川道生/伊藤節彦/岩切雄太/古財武久/久保彩奈
資格審査委員
田島靖則/西恵治
監査委員
沼崎勇/川口学
教師試験委員
小副川幸孝/田島靖則/沼崎 勇/神谷智子(第27回総会選出、2020年5月末まで)  浅野直樹Sr./末竹十大/小林恵理香(第28回総会選出、2022年5月末まで)
人事公平委員
秋山仁/内藤新吾/太田一彦/小出聡子/池田富雄
信仰と職制委員
宮本新/小副川幸孝/三浦知 夫/石原修/竹村洋子/小口むつみ
報告審査委員
小勝奈保子/加納寛之/榎本尚/尾田明子

▼その他の委員会
エキュメニズム委員会
永吉秀人/石居基夫/宮本新/安井宣生/江口再起/滝田浩之
世界宣教委員会
永吉秀人/浅野直樹Sr./関野和寛/八木久美/宮本新/滝田浩之
LWF/WICAS委員
望月通子
宣教師・J3オリエンテーション・ケア委員会
浅野直樹Sr./高村敏浩
熊本地区推薦=杉本洋一
メディア伝道委員会
加納寛之/滝田浩之/安井宣生/宮川幸祐
任用試験委員
大柴譲治/永吉秀人/滝田浩之/古屋四朗/木村猛/伊藤百代/教師試験委員長
憲法規則改正委員会
白川道生/末竹十大/岩切雄太/沼崎勇/西川晶子/松岡俊一郎/滝田浩之
教会史資料編纂委員会
滝田浩之/宮本新
式文委員会
平岡仁子/石居基夫/浅野直樹Sr./松本義宣/中島康文/多田哲
讃美歌委員会
日笠山吉之/松本義宣/中山康子/萩森英明/ ハンナ・ペンティネン
TNG委員会
委員長 三浦知夫
ルター研究所 運営委員
滝田浩之
DPC運営委員会
関野和寛

▼派遣理事役員
日本福音ルーテル社団
浅野直樹Sr./森下博司
日本キリスト道友会役員
滝田浩之/斎藤幸二
日本キリスト教連合会
滝田浩之
日本聖書協会評議員
滝田浩之
部キ連常任委員
沼崎勇
マイノリティー宣教センター
滝田浩之/李明生

※ここに記載されていない教会推薦理事は、その都度常議員会等で推薦する。

日本キリスト教協議会
・常任常議委員 滝田浩之
・常議員 滝田浩之/李明生
・教育部理事 佐藤和宏
・信仰と職制委員 石居基夫
・神学・宣教委員 宮本新
・財務委員 木村猛
・女性委員 安田やまと
・ ドイツ教会委員 李明生
・ 「障害者」と教会問題委員 小勝奈保子
・ 盲人伝道協力委員  本 浩
・在日外国人委員 李明生
・平和・核問題委員 内藤新吾
・部落差別問題委員 小泉嗣
・都市農村宣教委員会 秋山仁
・青年委員 渡辺  伸
・靖国問題委員 松田繁雄
・エクロフ委員 木村猛
・東アジアの和解と平和委員 小泉嗣
・キリスト者平和ネット 小泉嗣

▼TNG委員会
幼児部門
朝倉三枝子/浅野聖子/立野照美 /本多尚美/江崎愛/竹田拓巳
こども部門
河田晶子/小泉嗣/松本奈美/ 加納寛之/池谷孝史/宮川幸祐
Teens部門
岡田薫/永吉穂高/関満能/森田哲史
Youth部門
竹田大地/渡辺高伸/大和由祈/多田哲

第26回 秋のディアコニアセミナーのご案内

人も、食物も、すべての「命」は「土」からつくられます。そして土からつくられたものを食し、私たちは命を育みます。しかし私たちは往々にして「人はパンだけで生きるものではない、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」というイエスさまの言葉の後半部分に重きを置いて聖書を読むことが多いのではないでしょうか。「パン(食物)」に、そしてそのパンを生み出す「土」に耳を傾け、思いを巡らしてみましょう。
神を愛し、人を愛し、土を愛するとの三愛精神を掲げ、キリストの愛を基に農業を通して隣人を愛し、平和な未来を願う人を育む教育に取り組む、日本で一番小さな農業高校である愛農学園高等学校が会場です。

■テーマ/土に生きる
■主題聖句/主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人 はこうして生きる者となった。(創世記2・7)
■日時/2018年10月7日(日)19時~8日 (月・体育の日)13時30分
■会場/愛農学園高等学校 (三重県伊賀市別府690)
https://ainogakuen.ed.jp/
近鉄名古屋より近鉄大阪線で約2時間「青山町」徒歩15分
■参加費/3千円(会場使用料・茶菓・8日食事代など)
交通費、宿泊費は自己負担となります。
(学内大部屋2500円程度、近隣ビジネスホテル8千円程度)

■プログラム(予定)
10月7日(日)
各自夕食を済ませてから、会場にお集まりください。
18時30分受付(小講堂)
19時 開会礼拝メッセージ 泉川道子さん (愛農学園教頭)
20時 発題 中井弘和さん(小鹿教会)
21時 終了

10月8日(月)
6時 農作業の見学
7時 朝食
8時 愛農学園の見学
10時 主題講演 上村真平さん(全国愛農会会長)
12時 昼食
13時 閉会の祈り

■主催/日本福音ルーテル教会全国ディアコニア・ネットワーク
■申込み・問い合わせ/
日本福音ルーテル千葉教会(FAX.043-244-8018 、メールchiba@jelc.or.jp)
申込みは以下を記入の上、お知らせください。
名前(ふりがな)、住所(郵便番号も)、希望宿泊先(ビジネスホテル・学内大部屋)、教会名または他の所属、連絡先電話番号、連絡先メールアドレス。

日本福音ルーテル教会 教師試験実施のお知らせ

2018年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を下記要領にて実施いたします。教師志願者は必要書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。

1.提出書類
①教師志願書
②志願理由書
・テーマ「なぜ『日本福音ルーテル教会の教師』を志願するのか」―あなたが考える宣教課題をふまえて―
・書式 A4横書き フォントサイズ11ポイント
③履歴書(学歴、職歴、信仰歴、家庭状況等を記入すること)
④教籍謄本(所属教会教籍簿の写し)
⑤成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書(法務局交付のもの。任用試験時に必要になります)
⑥所属教会牧師の推薦書
⑦神学校卒業(見込)証明書及び推薦書
⑧健康診断書(事務局に所定の用紙があります)
2.提出先
日本福音ルーテル教会 常議員会長 大柴譲治 宛
3.提出期限(期限厳守)
2018年9月21日金)午後5時までに教会事務局へ提出すること
4.試験日及び試験内容
志願者本人に直接連絡します。

18-08-18小さな平和

主は多くの民の争いを裁き/はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。           (ミカ書4章3節)

 前任地の新霊山教会では、デンマーク牧場福祉会のチャプレンとしての働きも与えられていました。施設の一つである特別養護老人ホーム「ディアコニア」では毎朝、礼拝が行われています。デンマーク牧場のある地域は、茶畑と緑の丘に囲まれた自然豊かなところで、お茶の収穫の時期には、地域の人々はお茶を収穫する道具を抱えて大忙しです。また、お茶を収穫する車両が畑を往復するのが日常の風景となっています。車の運転中には窓を全開にして、漂うほのかなお茶の香りを楽しみました。「ディアコニア」の礼拝を行う部屋からの風景には牧場があり、たくさんの風車が回る緑のお茶畑が広がっていました。武器を農具に持ち替え、土を愛する平和な世界そのものであり、またミカ書の示す先の理想の世界のようにも感じました。

去年の今頃、冒頭の聖句を用いて「ディアコニア」での礼拝に与りました。青い空が広がる外の風景を譬えに話をしました。礼拝の後、入居されているある女性が思い出話をしてくださいました。それはその方の弟さんは無線技士の学校に通っていたそうですが、戦地に赴いたというお話でした。女性のお母様が「戦争に行かないでくれ」と弟さんを必死に止めたにも関わらず、彼は「同級生皆が志願しているのに自分だけ行かないわけにはいかないんだ!」と泣いて押し切り、17歳で海軍に志願したのでした。出征の日に家族と共に駅に着いた時、彼は列車までの見送りは断ったそうです。そして、仕立てたばかりの軍服に身を包んだ彼は改札口で満面の笑顔で敬礼をして、プラットホームへ消えて行ったのでした。 2年後、彼はボルネオ島付近の海域で深夜に攻撃を受け戦死しました。引き揚げて来た戦友の話では、彼は通信兵として最後まで司令部への打電をし続け、退艦することなく暗い海に沈んでいったそうです。

戦死の連絡に家族皆で一晩中泣いたこと、辛い気持ちを押し殺しながら戦中戦後を生きたこと、家族と畑を耕し懸命に働いたこと、神様との関わりといえば祭りを手伝うくらいだったことなどをお話しくださいました。そして「今、静かな生活の中で神様のお話を聴いて、お祈りできることが本当に幸せです」とも。
辛い経験に始まり、そして今、生かされて神様のみ言葉に触れていることを「幸せ」だとおっしゃったのでした。私は、戦争はこの地上に残された人々に深い悲しみしか残さないことを痛感しつつ、同時に神様のみ言葉が彼女に小さな平和を与えているのではないかと感じました。

 ミカ書を通して語りかけられていることは、神様は私たち一人ひとりを愛しておられるからこそ、互いに愛し合うことを望まれたということです。神様は憎しみと悲しみの道具となる武器を捨て、地を耕し、神様から糧を与えられて共に生きていくことを望まれたのです。それは、私たち人間が互いに愛し合うことを忘れて争うならば、どのような悲劇が起こるのかを神様は誰よりもご存じだからです。
「もう二度と、少年が、未来ある若者が、悲しみを押し殺して笑顔で出征することがないように」、「もう二度と、国と国との争いに、愛する子どもたちが巻き込まれ、暗く冷たい海で命を落とすことがないように」、そのような神様ご自身の強い祈りが込められたものだと思います。

 み言葉を宣べ伝え、神を愛し、隣人を愛していくこと。そして戦争のない世界を願い求め、「土」を愛していくことも、これからの宣教のあり方だと思うのです。

 去年のカトリック教会との宗教改革500年共同記念では、平和を祈り、その象徴としてカンナの球根を分かち合いました。津田沼教会でも元気に育っていますが、そのような小さな形でも、土を愛し、平和を祈るリレーを続けていくことが大切なのではないでしょうか。同時に、一人ひとりが心の内に、神様から幸せという名の小さな平和を味わうために、神様のみ言葉を宣べ伝え続けていくことが大切なのではないでしょうか。紛争の絶えないこの世界において、多様な小さな平和の積み重ねが、やがて本当の平和となることを祈りつつ

日本福音ルーテル津田沼教会 牧師 渡辺髙

18-08-01るうてる2018年8月号

機関紙PDF

説教「小さな平和」

日本福音ルーテル津田沼教会 牧師 渡辺高伸

主は多くの民の争いを裁き/はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。(ミカ書4章3節)

前任地の新霊山教会では、デンマーク牧場福祉会のチャプレンとしての働きも与えられていました。施設の一つである特別養護老人ホーム「ディアコニア」では毎朝、礼拝が行われています。デンマーク牧場のある地域は、茶畑と緑の丘に囲まれた自然豊かなところで、お茶の収穫の時期には、地域の人々はお茶を収穫する道具を抱えて大忙しです。また、お茶を収穫する車両が畑を往復するのが日常の風景となっています。車の運転中には窓を全開にして、漂うほのかなお茶の香りを楽しみました。「ディアコニア」の礼拝を行う部屋からの風景には牧場があり、たくさんの風車が回る緑のお茶畑が広がっていました。武器を農具に持ち替え、土を愛する平和な世界そのものであり、またミカ書の示す先の理想の世界のようにも感じました。
去年の今頃、冒頭の聖句を用いて「ディアコニア」での礼拝に与りました。青い空が広がる外の風景を譬えに話をしました。礼拝の後、入居されているある女性が思い出話をしてくださいました。それはその方の弟さんは無線技士の学校に通っていたそうですが、戦地に赴いたというお話でした。女性のお母様が「戦争に行かないでくれ」と弟さんを必死に止めたにも関わらず、彼は「同級生皆が志願しているのに自分だけ行かないわけにはいかないんだ!」と泣いて押し切り、17歳で海軍に志願したのでした。出征の日に家族と共に駅に着いた時、彼は列車までの見送りは断ったそうです。そして、仕立てたばかりの軍服に身を包んだ彼は改札口で満面の笑顔で敬礼をして、プラットホームへ消えて行ったのでした。 2年後、彼はボルネオ島付近の海域で深夜に攻撃を受け戦死しました。引き揚げて来た戦友の話では、彼は通信兵として最後まで司令部への打電をし続け、退艦することなく暗い海に沈んでいったそうです。
戦死の連絡に家族皆で一晩中泣いたこと、辛い気持ちを押し殺しながら戦中戦後を生きたこと、家族と畑を耕し懸命に働いたこと、神様との関わりといえば祭りを手伝うくらいだったことなどをお話しくださいました。そして「今、静かな生活の中で神様のお話を聴いて、お祈りできることが本当に幸せです」とも。
辛い経験に始まり、そして今、生かされて神様のみ言葉に触れていることを「幸せ」だとおっしゃったのでした。私は、戦争はこの地上に残された人々に深い悲しみしか残さないことを痛感しつつ、同時に神様のみ言葉が彼女に小さな平和を与えているのではないかと感じました。
ミカ書を通して語りかけられていることは、神様は私たち一人ひとりを愛しておられるからこそ、互いに愛し合うことを望まれたということです。神様は憎しみと悲しみの道具となる武器を捨て、地を耕し、神様から糧を与えられて共に生きていくことを望まれたのです。それは、私たち人間が互いに愛し合うことを忘れて争うならば、どのような悲劇が起こるのかを神様は誰よりもご存じだからです。
「もう二度と、少年が、未来ある若者が、悲しみを押し殺して笑顔で出征することがないように」、「もう二度と、国と国との争いに、愛する子どもたちが巻き込まれ、暗く冷たい海で命を落とすことがないように」、そのような神様ご自身の強い祈りが込められたものだと思います。
み言葉を宣べ伝え、神を愛し、隣人を愛していくこと。そして戦争のない世界を願い求め、「土」を愛していくことも、これからの宣教のあり方だと思うのです。 去年のカトリック教会との宗教改革500年共同記念では、平和を祈り、その象徴としてカンナの球根を分かち合いました。津田沼教会でも元気に育っていますが、そのような小さな形でも、土を愛し、平和を祈るリレーを続けていくことが大切なのではないでしょうか。同時に、一人ひとりが心の内に、神様から幸せという名の小さな平和を味わうために、神様のみ言葉を宣べ伝え続けていくことが大切なのではないでしょうか。紛争の絶えないこの世界において、多様な小さな平和の積み重ねが、やがて本当の平和となることを祈りつつ。

コラム「直線通り」久保彩奈

⑤「わたしの名によって集まるところには」マタイによる福音書18・19~20

 

夏の甲子園に向けた県予選を控え、野球部の生徒たちと壮行礼拝をしました。この礼拝の最後、祝福の時には一人ずつ礼拝堂の壇上に進み出て、ひざまずきます。いつもは威勢よくアーメン!!と叫ぶ彼らも、チャプレンの「大会において怪我をすることなく、あなたが持っている力を十分発揮できるよう祝福します」という温かい声に、小さなかわいい声で、そっとアーメンと返していました。幼い頃からの夢を叶えたい、甲子園に行きたい! 。十分努力してきた彼らが、神様の前で頭を垂れ、必死に祈る顔は本当に美しく、目を奪われました。どうかこの子たちの努力が報われますように!。隣りでサポートしていたわたしも、その祈りに心を合わせました。
礼拝後、野球部の生徒たちが声をかけてくれました。「先生、正直言って今まで神様はいないって思ってたんだけど、祝福でチャプレンが頭の上に手を置いてくれた時、すごい感動したんだよ!」、「神様も応援してくれてるって嬉しいね!」、「祝福の力、マジでスゴイわー!」と目を輝かせながら語りました。本当に嬉しい告白でした。
礼拝の中で、祈りの中で神様に出会えた生徒たち。キリストの名で集うとき、主が共にいてくださることを実感しました。わたしはこの感動を忘れていたように思います。日々の慌ただしさに流され、問題なく礼拝や授業を行うことばかり考えていました。生徒たちの神様に出会えた新鮮な喜びに、わたしも大切なことを思い出させてもらいました。どんな時も、どこにいても、神様を中心にして集い祈るとき、わたしたちは神様に出会えるのです。
この文章が掲載される頃には、すでに高校野球の県予選は終わっています。生徒たちが結果にかかわらず、生涯記憶に残る夏を過ごせますように。神様とともにプレーするこの熱い夏が、できれば長く続いていますように。

議長室から 総会議長 大柴譲治

王なる神に聽くという信仰の基本姿勢

感的な受容と傾聴」。カール・ロジャースの有名な言葉ですが、この態度が対人援助職においては基本とされています。私は一信仰者としてこの姿勢を大切にしたいと念じてきました。
神学生時代、飯田橋のルーテルセンターで「いのちの電話」のボランティア訓練を受けた時に、斎藤友紀雄先生から「聴く」ことの大切さを学びました。「聞く」という字とは異なり、「聴く」とは「耳に十四の心」と書きます。既に35年以上経っているのですが、「そのくらい丁寧に、心を配りながら相手の声に耳を澄ませることが大切」という先生の声は今でも私の耳の中に響き続けています。
5年ほど前のことですが「聴」には「聽」という旧字体があることを知りました(NHK『こころの時代』)。「耳」の下に「王」という字があり、数字の「四」だと思っていたのは実は「目」が横たわっている姿であると知り、ストンと腑に落ちました。すなわちそこには「耳と目と心を一つにし、それらを十全に用いて王なる者の声を聽け」という意味があるというのです。
旧約聖書の申命記6章4節には、有名な「シェマー、イスラエル」という語があります。4節と5節を読んでみましょう。「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして 、あなたの神、主を愛しなさい」。
私としてはここに「聽け」という字を当てたいところです。神のみ言に聽くことを第一にしながら、耳と目と心を尽くして王なる神の声(御言)に耳を澄ませてゆきたいのです。
5月の全国総会で立山忠浩前議長の後任として総会議長に選出されました。相応しくない者を神はその恵みによって選び立て、その御用のために用いてゆかれるのだと信じます。「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。『あなたの真実はそれほど深い。』」(哀歌3・22~23)とある通りです。皆さまとご一緒に主の御言に忠実に聽き従ってまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

新常議員挨拶

しなければならないことを

財務担当常議員 古屋四朗(日吉教会)

JELCの会計と財務担当常議員を8年間務めていったん解放されたのが18年前です。前回は普通の会社員にとって嵐のような毎日でした。そして、今年2年ぶりにフルタイムの仕事についた途端の再登板。ルカによる福音書17章に仕事で疲れて戻ってきたら、次は夕食の給仕を命じられる僕の話がありますね。あれが身につまされます。
財務担当常議員の仕事は、会計や管財室長と協力して、JELCの財務会計を運営することです。宣教活動の財務だけでなく、収益事業や各個教会の土地建物の案件も入ります。財務の専門家でもない私がそんな大役について、何ができるか分かりません。しかし神様は容赦なくいろいろな課題を与えてくださるでしょう。それらに何とか正面から取り組んで、「しなければならないことをしただけです。」(ルカ17・10)と言って終わることができればと思います。ご協力をお願いします。

喜びのメッセージを発する

 信徒常議員 伊藤百代(東京教会)

全国総会の信徒代議員は3分の1が女性であり、世代交代に合わせ変わりつつある矢先のこと、私はこの役に相応しくなく切実な思いで任命されました。
「故きをたずね、新しきを知る」と言われるように先達からの学びを大切にし、新しき時代に努力を重ねています。60年前の東京教会は、蔦の絡まる赤い三角屋根で、欠けた石階段を上った先の小さなオルガンの礼拝堂でした。その後、「宣教百年記念東京会堂」として皆さまと献堂に至りました。全国の教職、信徒が一同に会し、「神学校の夕べ」、「教職授任按手式」、「全国総会」など、新しき歴史に『霊による命』を頂いています。重責ある会堂は、古き日から今日まで、ルーテル教会の次世代育成と献身者を神学校へとの教会の使命を繋ぎとめています。
教会から喜び溢れるメッセージを発し、主題である「キリストに支えられ、育てられ成長し、社会に仕える教会となる」ことを目指して歩みたいものです。

第24回女性会連盟総・ 大会報告

 芳賀美江

6月7日、8日と名古屋メルパルクホテルにおいて、日本福音ルーテル教会女性会連盟第24回総・大会が行われました。240名程が、久しぶりに名古屋の地に集められました。受付後の会場では各地から持ち寄られた販売の賑やかな声に迎えられ、それも楽しいひと時でした。
開会礼拝は、なごや希望教会のハンドベル演奏により始まりました。また、この3年間に天に召された128名の方々のお名前を聞きながら、それぞれに想いを馳せました。各教区の女性会担当牧師、総会議長、東海教区の牧師の13名による聖餐式では厳粛な中で共に配餐に与り思いを一つにすることができました。
基調講演として「主に喜ばれることを吟味する~福島原発核事故7年目のメッセージ~」と題して、会津放射能情報センター代表、子ども脱被ばく裁判共同代表の片岡輝美さんにお話しをしていただきました。映像を交えて福島の現状を語り、聖書のみことばに沿っての講演は参加した私たちに大きな感動を与えるものでした。
「キリスト者として具体的に何ができるのでしょうか」、「まずこの社会と政治に関心を持ってください。そして、メディアを育てましょう」、「教会や地域でこの社会の課題を話すことができる仲間を作りましょう」との言葉に、歩む道筋が示されたように思います。
分科会では連盟のこれからのあり方について経験豊かな方から初めて参加した方まで8人ずつのグループで真剣に話し合いました。若い方が女性会に入ってほしいとの声も多く聞かれました。
愛餐会ではおいしい料理を味わいながら旧交を温め、初めてお会いした方とも話が弾みました。最後は女性会連盟の歌を合唱し、尽きぬ話しの時も終わりです。
総会では、次期に委ねられた議案もあります。とりわけ北海道特別教区女性会の解散については痛みを覚えましたが、次期総会までは札幌教会と函館教会は連盟と直接つながることになりました。2日間を通して連盟に連なる諸教会と女性たちのつながりの強さを感じた時でもありました。

西日本豪雨災害と支援活動について

西日本豪雨にあたって

  総会議長 大柴譲治

キリストの平安
このたびの西日本豪雨によって多くの被害がもたらされたことに深く心を痛めています。ご家族を失って悲嘆の中にある方々のために、また被災された方々のために慰めと支えとをお祈りいたします。
また、救援活動に当たっている方々の上に守りと支えとをお祈りいたします。この窮状を乗り越えて行くためにご一緒に祈りと力とを合わせてまいりましょう。主が苦難の中にある者と共に歩み、その恵みの御手をもってその者たちを守り導いてくださいますように。
「主よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる。座るのも立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分け、わたしの道にことごとく通じておられる。わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに、主よ、あなたはすべてを知っておられる。前からも後ろからもわたしを囲み、御手をわたしの上に置いていてくださる。」(詩編139・1~5)
在主             (2018年7月14日)

2018年6月28日から9日にかけて西日本を中心に広い範囲で深刻な被害をもたらした西日本豪雨災害(「平成30年7月豪雨」)では、7月18日正午現在217名の犠牲者が確認され、未だ行方がわからない方があります。
その甚大な被害に心を痛め、亡くなられた方々の平安と、被害を受けられた方々、悲しみの中にあるすべての方々に慰めを、また被災者の支援に尽くす人々に主の支えをお祈りいたします。
幸いにも当該地域の教会と幼稚園などの関係施設に大きな被害はありませんでしたが、関係者宅には浸水被害があり、7月16日現在では、未だ自宅に戻ることのできない方もあります。
当教会では西教区、西中国地区が中心となり、支援活動に取り組んでいます。緊急支援として連帯献金より一時的に20万円を送金しました。水原一郎牧師と加納寛之牧師、竹田大地牧師が開通しつつある陸路の混雑を避け、ボートにより海路から呉に入り、1・2メートルほどの浸水被害を受けた信徒宅において、泥を家屋からかき出す作業、また屋外では泥に混ざった日用品を仕分ける作業などを行いました。九州教区より、永吉穂高牧師も加わりました。広島教会を担当する伊藤節彦牧師は、いち早く海路により呉へ入りました。その後、信徒宅の訪問を行い、掃除などの必要な支援を続けています。西条教会には幼稚園があり、夏休みまで平常通りの保育環境を継続し、子どもたちとその家庭の安定を図っています。それぞれの活動に広島教会の信徒が深く関与し共に労していますし、牧師たちを現地へと送り出しています。被災された方々と共に様々な形で支援に携わる方を心において、主の励ましをお祈りください。
今後の支援についても状況は変化していくと思われますが、現状では物資支援よりも、連帯献金と祈りによって、支援に連なっていただけますと幸いです。
【連帯献金】西日本豪雨災害被災者支援募金
■募金期間 2018年7月13日~10月31日
■送金先
ゆうちょ銀行
振替口座 00190-7-71734
口座名義(宗)日本福音ルーテル教会
他銀行からの振込の場合(口座名義は同じです)
ゆうちょ銀行 〇一九(ゼロイチキュウ)支店
当座預金 口座番号 0071734

振替用紙に「豪雨被災者支援」と記入、もしくはネット送金の際には、お名前に続けて、カタカナでゴウウと記入してください。恐れ入りますが、振込手数料はご負担ください。

プロジェクト3・11 EIWAN Fukushimaについて

 プロジェクト3・11 企画委員 李 明生

福島移住女性支援ネットワーク(EIWAN Fukushima)は、東日本大震災で被災した外国籍住民への支援を行っているグループです。東日本大震災で被災した外国にルーツを持つ女性達の多くが、充分な情報や支援を得ることが困難な状況の中で精神的にも現実的にも孤立を余儀なくされるケースは少なくありません。そのような中で、2012年2月からエキュメニカルなキリスト教諸教派・諸団体からの支援によって、福島県在住の移住女性と日本人が出会い、共に生き共に生かし合う社会を一緒に作っていくことを目指して、この活動は始められました。そして震災から7年、活動の開始から5年が経過した現在、その活動は第2期として次の5年間へと進むこととなりました。

2018年3月までの第1期の中で取り組まれてきた活動内容は大きく分けて次の10の分野に渡りました。①日本語学習の支援、②地元市民と移住女性の出会いと協働をめざす、③放射能被害に関する情報提供、④移住女性の子どもへの支援(学習支援と継承語教育支援)、⑤移住女性とその子どもの保養プログラムの実施と支援、⑥移住女性「ふくしまMy Story」記録化、⑦労働・生活・DV・在留問題の相談活動と手引書、⑧移住女性グループ支援とネットワークづくり、⑨共同研究(ふくしま多文化共生研究会)、⑩情報発信、です。

これらの支援活動の中では、社会の中に構造的な問題としての外国人差別・女性差別にぶつかることが少なくありません。そしてそれは単に被災地だけの問題ではなく、この社会全体が抱えている大きな問題でもあります。神が造られた一人一人の命の尊厳が守られ、命の喜びを分かちあうことに向き合ってゆくことができるかどうか、今わたしたちキリスト者に問われているのではないでしょうか。
EIWANの活動の詳細は、http://gaikikyo.jp/shinsai/eiwan/
ならびに https://www.facebook.com/eiwanfukushima/をご覧ください。

第28期 第1回常議員会報告

 事務局長 滝田浩之

6月11~13日まで、ルーテル市ヶ谷センターにて日本福音ルーテル教会(JELC)常議員会が開催されました。
全国から16名の常議員が集まり、初日は前議長である立山忠浩牧師、また前事務局長である白川道生牧師から第27期の総括と第28期常議員会の課題の引継ぎが行われました。また夜には、ささやかではありますが、6年間重責を務められたお二人を労う感謝会が行われました。以下、重要事項について報告いたします。

・市ヶ谷会館将来検討委員会の件
第28回定期総会で承認された市ヶ谷会館の今後のことについて、常議員会として「将来検討委員会」の設置を承認しました。市ヶ谷教会、東教区、JELC、KTL(株式会社ザ・ルーテル)のメンバーで構成され、この委員会から常議員会に答申され、次期総会における事業継続のための措置と工程が上程されることになります。

・ドイツ公式訪問の件
今年10月に予定されているドイツ・福音ルーテルブラウンシュヴァイク領邦教会(ELKB)への公式訪問について、西教区長である松本義宣牧師を日本側の窓口とすることを承認しました。宣教パートナー関係締結50年を記念するにふさわしい訪問となることが求められています。

・事務局室長・主事任命の件
協議事項で、表記の件について承認されました。宣教室長には永吉秀人牧師、広報室長には安井宣生牧師、世界宣教主事には浅野直樹Sr.牧師が選任されました。また総務室長、管財室長は滝田が兼務することになりました。今後、事務局業務の見直し等を議論しながら事務局教師2人体制については継続して議論されることとなりました。

・第28期の課題と第6次綜合方策の総括
まずは大柴譲治議長が今期の方針について、特に理念的なことについて発題を行いました。何よりも「聽く(聴く)」ということを大切にする教会でありたいという言葉を分かち合いました。私たちは「神のことば」にききます。信徒の方々の声をききます。そして社会の人々、何よりも様々な重荷を担う隣人たちの声をききます。この声を「きく」ところで、私たちは大胆に教会のあり方を「リ・フォーメーション」していくところに、ポスト宗教改革500年の歩みを置きたいという指針が明確に打ち出されました。
また永吉秀人副議長も、第6次綜合方策に残された課題として「社会に仕える教会」へ一歩を踏み出していく大切さを確認し、議長が方針として述べた「教会は人である」という教会理解をもう一度深く教会が認識するところから、信仰のリバイバルが生まれることを期待したいと語りました。
第6次綜合方策は2020年までの計画となっており、この2年間で第7次の宣教方策が策定されることになります。この準備のために、まずは第六次方策の残された課題の抽出と全体の総括を行うことが、議長方針として確認されました。前執行部の方針と同様にトップダウンの方策実施ではなく、ボトムアップでこれを進めることを確認し、まずは各教区において議論を行って頂き、9月の宣教会議等で意見集約を行い、これを進めていくこととなりました。
合わせて、昨今の社会状況の中で教会として早急に「ハラスメント」の課題に取り組む必要が共有され、今後、議長が方針として述べたJELC主催の会議等で継続的に学びを行っていくこと、また全国教師会にも呼びかけて、この取り組みを進めていくことが確認されました。
詳細につきましては、各教会へ郵送された常議員会議事録の確認をお願い致します。

私たちの宗教改革500年

岡崎教会「オリジナルカード」

岡崎教会では、宗教改革500年を近隣の方に知らせる目的でオリジナルカードを作成しました。その経緯や活用について、宮澤真理子牧師に聞きました。

コンサートにおいでくださる方々に伝えたい
岡崎教会では毎年JELAの「世界の子ども支援チャリティコンサート」を開催しています。このコンサートに来てくださる方に宗教改革500年をお知らせしようと考えました。

宗教改革は「聖書を読む運動」
普段は礼拝には来られない方で、教会にも聖書にもなじんでおられない方が、一読されただけで宗教改革について理解していただけるものになればと思いました。宗教改革は「聖書を読む運動」です。そのためにカードを読んでくださった方が聖書を手にしていただけるように小型の新約聖書を添えることにしました。また、カードの裏面にはヨハネによる福音書8章12節の聖句を印刷しました。

伝道に活用する
はがき大のカードで文章も短いものとしました。牧師が原案を作りましたが、イラストやレイアウトはパソコンができる信徒が担当し、文章については役員会で確認しました。新来会の方に差し上げたり、信徒が伝道に使ったりすることができるものを目指し、皆で作り上げました。

喜んでいただけた
コンサートでの演奏終了後に来場くださった方々に、このカードと前述の新約聖書、そして「主の祈り」のしおりとお祝いのお菓子を袋に入れて差し上げました。例年、コンサートには近隣の中学校の吹奏楽の生徒さんが大勢来てくださるのですが、今回は学校行事と重なり、おいでいただけませんでした。そこでその分を日頃お世話になっている教会の近所の方々にお配りしました。どなたも喜んで受け取ってくださいました。
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教会や施設・学校、家庭などにおける宗教改革500年を意識した企画の報告や生み出された交わりや作品などを写真と共にお分かちください。「わたしたちの宗教改革500年」として紹介していきます。事務局広報室宛にメールもしくは郵便でお送りください。

定年教師

江藤直純牧師
〒241-0826
神奈川県横浜市旭区東希望が丘15-11-104
電話(FAX共用)045(465)6301
Eメール naozumieto@gmail.com

佐々木赫子牧師
〒042-0916
北海道函館市旭岡町78 特養旭ケ岡の家
電話080(3424)3758

高塚郁男牧師
〒156-0044
東京都世田谷区赤堤3-20-4  マリア保育園方

公  告
この度、左記の行為をいたしますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告いたします。2018年8月15日

宗教法人
日本福音ルーテル教会  代表役員 大柴譲治

信徒・利害関係人 各位
知多教会常滑礼拝所  土地建物売却

(ア)常滑 土地
所在地 常滑市山方町6丁目27番
所有者 日本福音ルーテル教会
地番 27番及び13番2 及び190番2
地目 境内地及び宅地
地積 237・15㎡

(イ)常滑 建物
所在地 常滑市山方町6丁目27番
所有者 日本福音ルーテル教会
種類 礼拝堂・居宅
構造 木造亜鉛メッキ 鋼板葺2階建
床面積
1階 105・91㎡
2階 41・86㎡

種類 物置
構造 ブロック造 亜鉛メッキ板葺平屋建
床面積 5・41㎡

18-07-18隣人として生きる

て、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」(ルカによる福音書 10・36〜37)

「善きサマリア人」の譬えは、ルーテル学院大学新入生必修である「キリスト教概論」で必ず取り上げます。聖書を読んだこともない学生も多くいますから、この聖書個所からミッションスクールである本学の使命を学び、対人援助を行うための専門的な学びの土台としてもらっているのです。
この譬えは「何をしたら永遠の命を受け継ぐことができるか」というある律法の専門家の質問から始まります。その問いにイエスは「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と問い直されます。律法の専門家は、申命記、レビ記にもあるように「主を愛すること」「隣人を愛すること」と満点の回答をしますが、悲しいことに彼はイエスの2つの問いのうち、「どう読んでいるか」ということには答えられていないのです。そこでイエスは「善きサマリア人」の譬えを語り出します。

 主な登場人物は、祭司とレビ人、そしてサマリア人です。祭司とレビ人は、どちらも宗教的儀礼、祭儀を行う責任を神から与えられた人たちです。神を礼拝するユダヤの人々に対しては指導的な立場にあったと言えるでしょう。 これに対してサマリア人は、ユダヤ人と同じイスラエルの民でありながら長い歴史の中で分裂が起こり、この時は険悪な関係にありました。

 譬え話は、ある旅人が追いはぎに襲われ、半殺しにされ、倒れている場面から始まります。「エルサレムからエリコに向かう途中で」との前置きがあるので、この旅人とはユダヤ人を表します。倒れている旅人のそばを、最初に祭司、続いてレビ人が通りかかりますが、これらの人々は「その人を見ると道の向こう側を通って行く」のです。彼らは急いでいたのかもしれない、また倒れている様子に恐れをなしたのかもしれない。さらに、律法では血や傷は汚れたものとされているゆえに、律法を重んじるあまり、関わりを持とうとしなかったとも言えます。つまり、律法を知っているが行えない、律法に縛られた人々をイエスはこの譬えで浮き彫りにしたのかもしれません。その後で、傷ついて動けない旅人のそばを通ったのがサマリア人でした。彼はその人を憐れに思い、近づいて応急処置をし、ろばに乗せ宿屋へと連れていき、泊りがけで介抱します。
このようにイエスは譬えを語られ、律法の専門家に言われるのです。「行って、あなたも同じようにしなさい」。この言葉こそ「あなたは律法をどう読んでいるか」ということであり、「あなたが隣人になりなさい」というイエスの教えです。

 私は授業でこのように話した後、学生たちに尋ねます。「ところでサマリア人が倒れているユダヤ人と出会ったのは、行きだった?それとも帰りだった?」と。答えはすぐには出てきませんが、やがて学生たちは「費用がもっとかかったら、帰りがけに払います」というサマリア人の言葉を見つけます。つまり、このサマリア人はどこかに出かける時に倒れているユダヤ人と出会ったのです。出かける時とは、仕事にしろ誰かに会いに行くにしろ、自分に与えられているはずの時間であり、余った時間ではありません。サマリア人は自分の時間を捧げたのであり、主イエスはそのことこそ「隣人になることである」と教えているのです。

 キリスト者として105歳の生涯を全うされ、聖路加国際病院の名誉院長であった日野原重明先生はその著書『十歳のきみへl九十五歳のわたしから』で、読者である子どもたちに次のように語ります。
「できることなら、寿命というわたしにあたえられた時間を、自分のためだけにつかうのではなく、すこしでもほかの人のためにつかう人間になれるようにと、わたしは努力しています。なぜなら、ほかの人のために時間をつかえたとき、時間はいちばん生きてくるからです。」
私たちもそのように告白するものになりたい。与えられたこの生涯は限られたものですが、その生涯を「隣人となって生きる」ことに精いっぱい捧げて生きていきたいのです。

ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校チャプレン 河田 優

18-07-01るうてる 2018年7月号

機関紙PDF

説教「隣人として生きる」

ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校チャプレン 河田 優

さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」    (ルカによる福音書 10・36~37)
「善きサマリア人」の譬えは、ルーテル学院大学新入生必修である「キリスト教概論」で必ず取り上げます。聖書を読んだこともない学生も多くいますから、この聖書個所からミッションスクールである本学の使命を学び、対人援助を行うための専門的な学びの土台としてもらっているのです。
この譬えは「何をしたら永遠の命を受け継ぐことができるか」というある律法の専門家の質問から始まります。その問いにイエスは「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と問い直されます。律法の専門家は、申命記、レビ記にもあるように「主を愛すること」「隣人を愛すること」と満点の回答をしますが、悲しいことに彼はイエスの2つの問いのうち、「どう読んでいるか」ということには答えられていないのです。そこでイエスは「善きサマリア人」の譬えを語り出します。

主な登場人物は、祭司とレビ人、そしてサマリア人です。祭司とレビ人は、どちらも宗教的儀礼、祭儀を行う責任を神から与えられた人たちです。神を礼拝するユダヤの人々に対しては指導的な立場にあったと言えるでしょう。 これに対してサマリア人は、ユダヤ人と同じイスラエルの民でありながら長い歴史の中で分裂が起こり、この時は険悪な関係にありました。

譬え話は、ある旅人が追いはぎに襲われ、半殺しにされ、倒れている場面から始まります。「エルサレムからエリコに向かう途中で」との前置きがあるので、この旅人とはユダヤ人を表します。倒れている旅人のそばを、最初に祭司、続いてレビ人が通りかかりますが、これらの人々は「その人を見ると道の向こう側を通って行く」のです。彼らは急いでいたのかもしれない、また倒れている様子に恐れをなしたのかもしれない。さらに、律法では血や傷は汚れたものとされているゆえに、律法を重んじるあまり、関わりを持とうとしなかったとも言えます。つまり、律法を知っているが行えない、律法に縛られた人々をイエスはこの譬えで浮き彫りにしたのかもしれません。その後で、傷ついて動けない旅人のそばを通ったのがサマリア人でした。彼はその人を憐れに思い、近づいて応急処置をし、ろばに乗せ宿屋へと連れていき、泊りがけで介抱します。
このようにイエスは譬えを語られ、律法の専門家に言われるのです。「行って、あなたも同じようにしなさい」。この言葉こそ「あなたは律法をどう読んでいるか」ということであり、「あなたが隣人になりなさい」というイエスの教えです。

私は授業でこのように話した後、学生たちに尋ねます。「ところでサマリア人が倒れているユダヤ人と出会ったのは、行きだった?それとも帰りだった?」と。答えはすぐには出てきませんが、やがて学生たちは「費用がもっとかかったら、帰りがけに払います」というサマリア人の言葉を見つけます。つまり、このサマリア人はどこかに出かける時に倒れているユダヤ人と出会ったのです。出かける時とは、仕事にしろ誰かに会いに行くにしろ、自分に与えられているはずの時間であり、余った時間ではありません。サマリア人は自分の時間を捧げたのであり、主イエスはそのことこそ「隣人になることである」と教えているのです。

キリスト者として105歳の生涯を全うされ、聖路加国際病院の名誉院長であった日野原重明先生はその著書『十歳のきみへl九十五歳のわたしから』で、読者である子どもたちに次のように語ります。
「できることなら、寿命というわたしにあたえられた時間を、自分のためだけにつかうのではなく、すこしでもほかの人のためにつかう人間になれるようにと、わたしは努力しています。なぜなら、ほかの人のために時間をつかえたとき、時間はいちばん生きてくるからです。」
私たちもそのように告白するものになりたい。与えられたこの生涯は限られたものですが、その生涯を「隣人となって生きる」ことに精いっぱい捧げて生きていきたいのです。

連載コラム 直線通り 久保彩奈

④「神の国はこのような者たちのものである」ルカによる福音書 18・16

「聖書は世界のどの地域で書かれたと思う?」と中学1年生の授業で問題をだした時のこと。生徒たちはスイス、イギリス、アメリカ…と口々に言うので「ブー!違うよ~」と言っていると、ある生徒が「わかった!神の国だー!」と言いました。「なんで神の国だと思ったの?」と聞くと、「だって大切な神様のことだから、神の国で書かれたはず!」と言うので、思わず感心してしまいました。神の国という言葉をどう理解しているかはさておき、その感性に心奪われました。
続けて、わたしは「聖書ははじめから文字で残されたわけではないんだよ。文字を使わずに、どうやって残したと思う?」と違う問題を出しました。答えは、口伝…の予定でしたが、子どもたちは、ここでも想像力を発揮してくれました。ジェスチャー、手話、ダンス、ラップ、テレパシー…いろんな答えが飛び出し、思わず笑ってしまいました。神様のことを必死に残そうとするとき、人はあらゆる手段をもって伝えようとするはず!という子どもの豊かな発想に驚くと同時に、わたしの中でも改めて、聖書がより躍動感ある色彩豊かな本として輝き出しました。
教師は己の知識があってこその仕事なので、わたし自身が「正解」を導き出すことにこだわっていたのかもしれません。いかに聖書と向き合うか、その素直で自由な姿勢の大切さを子どもたちから教えてもらいました。
それにしても、神様のことをジェスチャーで伝えようとするなんて、なんだか想像しただけでワクワクしませんか?そんな必死さが、わたしには欠けていたのかもしれません。今度、子どもたちと一緒に挑戦してみようかな。

新常議員あいさつ

私は何者なのか

副議長 永吉秀人

「これは何者か。 知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは。」(ヨブ記38・2)

先月号の議長、事務局長の挨拶に続き、自己紹介と副議長としての指針を求められています。
私は久留米教会で生まれ、天王寺教会で育ち、献身した者です。すでに牧師となって久しい頃、天王寺教会初代牧師であられた森勉牧師から、「お前はどこから来たのか」という問いを受けました。なるほどルーテル教会はファミリーであり、久留米閥や天王寺閥などのルーツを問われるのかと感じたものです。この問いへの私の答えは、「久留米教会で渡辺潔牧師より洗礼を授かった者です」でありました。
では、副議長とは何者か。もちろん、議長以上のものではなく、異なる思想は求められておらず、危機管理下での議長の影であります。ポスト「500」、宗教改革500年を通して「来た処」を振り返った今、新たに常議員とされた方々と共に、「行く処」を見定めて参りたい。

福音の香りに包まれる教会

会計 木村 猛

この度、全国総会において会計に選出されました木村猛です。日本福音ルーテル保谷教会に所属する平凡な信徒の一人でありますが、これも「召し」の一つかと折り合いをつけて、皆さまの支援を受けながら、任期を全うしようと考えております。
幸いにも私たちの教会の経済状態は、諸先輩方が築いた献金体系と収益事業を柱に小康を得ております。しかし、各個教会を支える献金は、残念ながら、漸減傾向です。マイナスの要因は多く数えることができますが、卓越した解決策を持ち得ません。共に取り組む課題と考えます。収益事業は現在、順調に推移し、今までできなかった大型修繕に取り組み、事業の安定化を目指せる時期です。
ポスト宗教改革500年の時に居あわせています。この時期に学んだ福音(救い)を信じ続けていたいものです。私たちの各教会・教区・全体教会がそれぞれ福音の香りに包まれることが、経済の課題の解消につながることと信じております。

LCM会議報告

5月23日から25日にかけて東京において、LCM会議が開催されました。本会議について、その内容と成果について、浅野直樹世界宣教主事と滝田浩之事務局長(るうてる法人会連合事務局長を兼任)より報告が寄せられました。

喜びと感謝

日本福音ルーテル教会(JELC)は、海外諸教会や宣教団体の福音宣教活動によって誕生、成長し今日に至っています。そして今も引き続き支援をしてくれているのが、アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)、フィンランド・ルーテル福音協会(SLEY)、ドイツ・福音ルーテルブラウンシュヴァイク領邦教会(ELKB)です。ELCAが1892年より126年、SLEYが1900年から118年、ELKBが今年でちょうど50年の節目を迎えました。いずれもJELCの生みの親、育ての親と言えます。各国代表者が来日しJELCと宣教について話しあう場が、LCM(Lutheran Cooperative Mission)会議です。個別の話し合いは毎年ありますが、各国代表者たちが一堂に会してJELC代表と協議するのは3年ぶりのことでした。
今回のテーマ「社会におけるルーテルの宣教/信仰と教会、世界と福音」に基づき、フランクリン石田牧師(ELCAアジア太平洋局長)、ヴィッレ・アウヴィネン牧師(SLEY海外伝道局長)、ディルク・グルフケ牧師(ELKBエキュメニズム委員)が、各国における教会のディアコニア活動について講演しました。JELCからは立山忠浩総会議長が基調講演、白川道生宣教室長がるうてる法人会連合と一体となったJELCの宣教方策について講演しました。社会における宣教がテーマということで、今回は特に、るうてる法人会連合にも呼びかけたところ3法人から出席があり、従来にも増して活発な意見交換ができました。
会議は日本語中心ですが、英語、ドイツ語、フィンランド語の通訳が入るので、初めて参加された方々は少し戸惑いがあったかもしれません。それでも聞き慣れない言語で講師たちが福音宣教とディアコニアについて熱く語る様子は心に響くものがあったのではないでしょうか。殊に法人会連合からの出席は、なんといっても現場の声なので、それを各国の代表者に届けることができたという意義は大きかったと思います。
いずれもかつてはキリスト教国と呼ばれた国々ですが、等しく聞こえてきたのは福音宣教の難しさです。規模こそ違え、その点ではJELCと同じ視点から議論ができたといえます。厳しい状況にありながらも、これら3カ国の多くの信徒がJELCのために祈り、献金を献げてくださっていることを私たちは忘れることができません。そうして今も宣教師を派遣して、宣教活動を経済的にも支援してくださっていることを思うと、喜びと感謝があふれます。(世界宣教主事 浅野直樹)

るうてる法人会連合の視点から

今年のLCM会議は、例年1月に行われる「教会推薦理事研修」と合同で行われました。2日目には法人会連合に属する学校法人、社会福祉法人の関係者が参加してくださり、ドイツ、フィンランド、アメリカの教会と教育や福祉の現状について、各代表の方から報告をお聞きする時となりました。
ドイツでは、いわゆる社会保障としての働きとして公の教育と福祉がありますが、その働きでは手の届かないところに教会のディアコニアの働きが教会制度として存在すること。そこでの働きを行うためには、公で働くことのできる資格を必要とすることはもちろん、それに加えて2年ほどのキリスト教の学びが必要であるとのことでした。
フィンランド(SLEY)の報告では、SLEY自らの中心的な役割を伝道と位置付けながら、キリスト者一人一人は教育や福祉など積極的に社会の働きに参与していることを聞きました。人口の70%を占める国教会の信徒(SLEYも国教会の一部)は、教会法でディアコニアの働きに参与することが義務付けられています。このことは、改めてルター派の「キリスト者の自由と愛」のあり方について確認する時となりました。また個別の教会内の信徒相互の支え合いについても、この理解のもとで、週日の子どもたちの居場所確保、あるいは独居の高齢者の訪問等、積極的に行われている印象を持ちました。
アメリカ(ELCA)の報告では、ELCAの持つ多くの教育機関、福祉機関、医療機関の存在を知ることができました。アメリカ社会では、公の教育や福祉と対等に、いやむしろ質については、それ以上の働きをこれらの施設が担っており、その担い手は、日本同様、すでにキリスト者ではない人たちに支えられていることを知りました。このような中で、教会内、あるいは教会発信のディアコニアの働きを強めていくために、牧師按手とは別に、ディアコニアのミニストリーを担う者に「按手」を行う方向があるとのことでした。専門性を持つ働き人が、更にキリスト教の学びを行った上で、社会に仕えていく道を開こうとしているのです。
報告の後の協議のセッションでは、法人会連合に属する、「現場」の方々からも多くの質疑、意見が出されました。そこで問われる具体的な質問は、学びをさらに深めるものになりました。周知のタイミングや、研修の学びの狙い等をオリエンテーションでしっかり確認する必要等、課題は残りましたが、今後も、このような学びの時を「教会推薦理事研修」の一環として整えることは重要だという認識では一致できたのではないでしょうか。
いずれにせよ刺激的だったのは、全体的に「キリスト教に根差した教育、福祉」に自信と誇りを持っているということでした。これは表現を代えて言えば、キリスト者として職業に従事にすることの大切さとも言えると思いました。教育、福祉の働きにキリスト者として働くことはもちろん、一人のキリスト者がその信仰に基づいて社会で、あるいは教会の中で隣人を愛するというディアコニアの働きに召されていることの意味を改めて心に刻む時となりました。感謝して、報告いたします。  (事務局長 滝田浩之)

カトリックと宗教改革500年⑨

日本福音ルーテル教会・日本カトリック司教協議会『平和と実現する人は幸い』
日本のカトリック教会とルーテル教会は、2017年の11月23日に、長崎の浦上教会にて共同の記念の集いを催します。
現代世界の共通の経験は、社会と文化、宗教の混乱と脅威、そして暴力の爆発でしょう。キリスト教のネットワークは、今こそ、国境、民族、人種、宗教を越えて、愛の福音、正義と平和、自由など、真にグローバルな価値を示さねばなりません。
「神」という言葉は、現代人には意味の分からない言葉になりつつあるかもしれません。ルターの改革は、当時の社会と教会に「福音」が見えなくなったことへの異議申し立てでした。それゆえ、今年の記念の課題は、分断されたこの世界において、今一度共通の救い主イエス・キリストのもとに集い、いつくしみの神の証人となる歩みを始めることでしょう。1571年は、分裂の始まりでしたが、2017年は、一致への道を歩み始めるスタートです。
「カトリック」とは、全地に行きわたる神の愛、キリストの新創造の協働者になることです。迫害から復活へ、破壊から平和への道を歩んできた長崎から、キリスト教が人類の新たな一致の道標となるように、共に祈りましょう! (終)
カトリック教会は、日本のカトリック教会の皆さんに宗教改革500年共同記念の意義を知らせるため、2017年にリーフレット『カトリックと宗教改革500年』(発行・カトリック中央協議会、制作・宗教改革500年記念行事準備委員会)を作成しました。編集責任を負われた光延一郎神父(イエズス会・上智大学教授)よりご提供いただき、紹介しました。今回で最終回となります。

第6回 全国青年バイブルキャンプのご案内

バイブルキャンプは、宣教室TNG委員会ユース部門により2013年に始められ、ルーテル教会に属する青年への信仰継承のプログラムとして開催されています。その目的は以下の3点です。
①「春のティーンズキャンプ」の卒業生への継続的な関わりを持つこと
②聖書に聴き、神様からのメッセージを受け取ったことをアウトプットする作業を通して、所属教会などでの奉仕(教会学校、奨励など)に繋げていくこと
③ルーテル教会が設立した学校、社会福祉施設などについて知りディアコニアについての理解が育まれること
これらのことに触れる機会を創出し、ルーテル教会の信徒としての自覚を励ましていければと願っています。
今年は、②を軸にプログラムを計画しており、具体的には、聖書を読み、み言葉を通して与えられた福音を他者に宣べ伝えることを、実践を通して学びます。東京の日本ルーテル神学校・ルーテル学院大学を会場に3日間のプログラムを行います。青年の皆さんには、ぜひ参加いただきたいと思っています。教会の皆さんには対象の青年たちを送り出してくださいますよう、よろしくお願いいたします。
宣教室TNG委員会  ユース部門  代表 竹田大地
スタッフ 大和由祈(大岡山教会)、 多田 哲(日吉教会)、渡辺高伸(津田沼教会)
開催要項
【日程】2018年8月20日(月)15時・集合~22日(水)12時・解散
【会場】日本ルーテル神学校・ルーテル学院大学(東京都三鷹市)
【内容】「福音を宣べ伝えよう!!」
聖書を通して与えられた福音を他者に伝える(宣教する)ことを実践的に学びます
【対象年齢】18歳(大学1年生相当)~35歳
【参加費】1万円(交通費補助有)
【持ち物】聖書(旧新約聖書)、着替え等宿泊用具、ご当地お土産大歓迎
【テキスト】『だれにでもできる楽しい聖書研究法―聖書研究の手引き』(森優・著、聖文舎)
*テキストは古い資料のため、当日必要ページのみを配布します。アマゾンなどでも販売していますので、購入してくださっても構いません。
【申込み・問い合わせ】[メール]lt.tngyouth@gmail.com[FAX]083(242)6980(竹田大地)
申し込み締切は7月31日(火)です。

ディアコニア・キャンプのご案内

東教区が主催するディアコニア・キャンプに参加しませんか。障がいのある教会の仲間と夏を過ごします。昨年参加した小澤周平神学生の感想と共にご案内します。
初参加のキャンプ。それでも、当初の私の緊張は参加者の皆さんの笑顔と優しい言葉であっという間に吹き飛びました。3日間、とても楽しくて、時間を忘れて過ごしました。特徴を持った仲間が寝食を共にし、困っていることを助け合う。キャッチボールをして、DVDを鑑賞して、ショッピングに出かけて、驚いたり笑ったり。まるで夏休みに帰省したような和やかな生活。そして、賛美歌を歌い、み言葉に耳を傾け、キリストの体と血を分かち、手を繋いで祈りを合わせる。キリストに繋がる兄弟姉妹が共に座っている、なんという恵み、なんという喜び。私は、ただそこに居るだけで、涙が出るほど嬉しくなりました。
介助等も初めての体験でしたが、互いを尊重し合うという視点から丁寧に教えていただきました。実際には、私は上手くできないことの方が多く、大切な兄弟姉妹に辛い思いをさせてしまったと反省しています。それでも、「ありがとう」、「大丈夫」という言葉をかけていただき、このような未熟な私を受け入れていただいているのだと感じました。感謝しつつ支え合う、その姿勢を学びました。
夜には有志で、ディアコニアとは聖書の語るよき知らせを具体的に伝え、実りあるものにしていくことだと学び、それぞれの思いを語り合いました。私たち一人ひとりは神様にとってかけがえのない存在。それでも社会の荒波は容赦ない。時に、各々の特徴を差別し、個人の存在さえも認めない思想まで生まれ、悲惨な事件となって表出してしまう。私自身もその社会を生きる一人。聖書は、そんな社会に、そんな私の心に問いかけている。ディアコニアとはキリスト者として生きることそのものだと学び、私の生き方を見直す大切な機会となりました。そして、ヨハンナ・ヘンシェル宣教師のことや半世紀以上に渡るディアコニア・キャンプの思い出話もとても興味深くうかがうことができました。キャンプで与えられた恵みのすべてを神様に感謝いたします。(小澤周平)

第5回 東所沢ディアコニア・キャンプ参加者募集
~障がいのある仲間と過ごす~

【日程】2018年8月9日(木)~11日(土)2泊3日
【場所】埼玉県所沢市東所沢(民家)
【参加資格】キリスト教会員または求道者で16才(高校生)以上の方
【募集人数】3~4名
【費用】2000円(参加者の教会で補助していただければ幸いです)
【スタッフ】チャプレン・小勝奈保子(聖パウロ教会牧師)、キャンプ責任者・原田積夫(保谷教会)
【申込締切】7月末日
【申込・問合せ】電話または郵便にて、責任者の原田まで
[電話]04(2945)8769(18時~22時のみ)
〒359ー0021 所沢市東所沢3ー9ー13
* 申込時に名前、住所、電話、年齢、所属教会をお伝えください

追悼 緒方一誠牧師

緒方牧師に仕えた事は私にとって人生で最も素晴らしいことでした

竹内一臣(合志教会)

緒方先生に、「先生の説教集を出したい」とお願いしたことがあります。その時、「いかん、いかん、説教集なんか出されると、自分が実際よりよく書かれたり、神様に栄光を帰するのではなく、自分が神様よりも偉くなったりする」と言われて、なかなか許していただけませんでした。
先生は、先の大戦で一瞬にして視力と左手を奪われ、絶望と苦しみの中で、石松量三牧師に出会い、キリストに出会われました。その時のことを、「洗礼の水が注がれ、頬を伝わった涙、それは失明の苦しみの涙ではなく、罪赦され、新しい命に召してくださった神様への感謝と、心に満ちる平安の涙だった」と書き残されています。
自分に残された体の働きを通して神様を証していきたいという強い思いを持って神学校へ入学され、35年に亘り挙母教会に、その後、名誉牧師として20年間、合志教会に仕えられました。
人びとに福音を伝え、信仰を育てる伝道者としての人生は、多くの問題を抱え、現実は苦労の人生でもありました。しかし、キリストにあって、生きる目的を極めていた人生でしたから、一人の孤独な人生ではありませんでした。深い愛と信頼で周りの者を包んでくださいました。必ず、神が共にいてくださり、イエス様の深い憐れみの御手に抱かれていることに感謝を持ち、自らの罪深さを忘れない謙虚な信仰と、十字架の罪の贖いによって生かされている神の恩寵の感度の深さから生まれてくる言葉の一つ一つに信仰の命を感じさせるお方でした。人生は、死で終わることのない希望に満ちた喜びの世界が存在することも良く知っておられ、5月17日、平安のうちに天に帰って行かれました。
緒方一誠牧師:1925年、熊本県生まれ。熊本師範学校在学中に第2次世界大戦に召集され、両眼を失明し、左前腕を失う。1947年、熊本盲学校聴講生となり、同年、神水教会で受洗。1950年、日本福音ルーテル神学校入学。卒業後、1957年に按手を受け、挙母教会で35年牧会した後、2001年、合志教会名誉牧師に就任。2018年5月17日帰天。

ドイツ・福音ルーテルブランシュバイク領邦教会/日本福音ルーテル教会
宣教パートナー関係締結50年

③両教会の協力の意義と今後
日本福音ルーテル神戸、神戸東、西宮、松山教会 牧師 松本義宣

本紙5月号の当欄で紹介された百年史論集篇所収の「ブラウンシュヴァイク・ルーテル教会と日本福音ルーテル教会との交流と共働」に、上席総幹事ベッカー先生による詳細な両教会の2000年までの歴史と経緯が記されています。人的な交流の大きなものが、いわゆる「交換牧師」でした。故谷口博章牧師、渡邉純幸牧師、秋山仁牧師に続いて、2003年より2008年までの5年間、私もELKBで働く機会が与えられ、得難い貴重な経験をしました。
その際、ELKBの教会行政関係、特に海外教会との協力を担う方々から言われました。これまで海外教会との人的交流は、主にドイツで学んでもらうことが目的だった。しかしこれからは、自分たちも海外教会から「学ぶ」という姿勢で牧師を迎えたい。世俗化で低迷するドイツの教会こそが、改めて宣教に真剣に取り組まねばならず、交換牧師には、まさにドイツに来た「宣教師」として働いてもらいたい、と。
同じく交換牧師として来ていた海外(インド、タンザニア、ナミビア、南アフリカ等)の牧師達と共に、「ドイツ教会に率直に物申す」といった会に招かれたりもしました。もちろん、普段教会で接する方々には、「君は何を学びに来たのか」としばしば聞かれ、自分の課題や興味を語り、それに邁進もしました。残念ながら、教会財政の悪化でELKBとの交換牧師は、私の後は行われていません(それとも評判が悪かったせい?)。
しかし、先日来日されたメインス監督とホーファー上席総幹事との懇談では、期間は以前より短く(3年程度?)なるが、交換牧師の再開も検討したいとの意向も聞けました。私自身は、やはり貢献よりは多くの学びを頂いただけで終わりましたが、これからは、こちらからも何か(伝道のパッション!)をもたらす人的貢献ができればと願います。一方で、主にディアコニア関係の短期研修の機会も広げて行きたいものです。
昨年は、宗教改革500年の記念企画の「特別演奏会」に、JELCからも聖歌隊メンバーが参加しました(本紙2017年11月号既報)。滞在中、ELKB「日本共働会(Arbeits Kreis Japan)」(本紙5月号参照、6月号紹介のワルター師が代表)との交流会を持ちましたが、JELCからの若い参加者があったことに、大きな期待と喜びがあったとAKJから伺いました。
そうなのです。両教会の協力関係の今後、それは日本でも「ブラウンシュヴァイク共働会」(略称はAKB!)を結成して、さらなる人的交流を強め深める以外にないのではないかと思います!

新刊案内

『すべての壁をぶっ壊せ!Rock’n 牧師のまるごと世界一周』
関野和寛(2018/6/25、日本キリスト教団出版局)

月刊新聞『こころの友』において好評を博した関野牧師(東京教会)の連載コラムが、書き下ろし原稿と旅の写真を加えて出版されました。20数カ国を旅する途上で、人を隔てる「壁を取り壊す」(エフェソ2・14)キリストを共に味わった出会いの経験を綴っています。キリスト教に馴染みのない方へ向けた内容となっており、お勧めします。
1冊1,080円(税込)

『神の恵みによる解放 聖公会-ルーテルの黙想』
日本聖公会・JELCエキュメニズム委員会(2018/5/20)

宗教改革500年に「現代を生きる教会」について、世界各地の聖公会とルーテル教会員が共にこの問いに向き合いました。そこで表現された黙想と両教会の伝統的文書・聖書の引用による、6週間分の日々の黙想集です。個人、またそれぞれの教会で、またエキュメニカルな交わりの場で「キリスト者としてこの世界で生きる」ことを考えるのにふさわしい内容です。自由にダウンロードできる電子版(PDF)に加えて、書籍版(無料)も送料300円にて頒布します。以下に連絡ください。

聖公書店 [TEL]04-2900-2771[FAX]04-2900-2722
[E-mail]seikoshoten@bible.or.jp
ダウンロードと詳細は、以下まで。
https://jelc-news.blogspot.jp/2018/05/blog-post.html

公告

左記の通り、土地建物の売却をすることになりましたので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告します。 2018年7月15日

信徒その他利害関係人各位

宗教法人
日本福音ルーテル教会
代表役員 大柴譲治

東習志野 土地建物売却

(1)東習志野 土地
所在地 千葉県習志野市東習志野6丁目
所有者 日本福音ルーテル教会
地番 2142番16及び25
地目 宅地
地積 124・62㎡

(2)東習志野 建物
所在地 千葉県習志野市東習志野6丁目16
所有者 日本福音ルーテル教会
家屋番号 2142番16
種類 礼拝堂・居宅
構造 木造軸組2階建
床面積
1階 108・89㎡
2階  42・23㎡

18-06-18立ち止まり、共に歩み出す

イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。(マルコによる福音書2章13〜17節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

 与えられた御言葉には、主イエスが徴税人レビを弟子として招かれた場面が記されています。
主イエスの時代、ローマ帝国は、イタリア半島からパレスチナに至るまで支配圏を伸ばしていました。各地の権力者に統治を任せ、ある程度の自由と引き替えに上納金を課し、ローマ帝国からは監督者を配置するにとどめることで広範囲の掌握を実現していたようです。パレスチナ周辺の管理は、ヘロデ大王の3人の息子たちに任されました。そして、上納金の回収への怒りがローマに向かないように、ユダヤ人の中から徴税人が雇われたのです。

 ルカ福音書に「ザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった」(ルカ19・2)とあるように、徴税人の中にも序列があったようです。定められた金額以上を集めれば、余剰を懐に入れることができるため、徴税人の頭は金持ちだったのでしょう。

 しかし、下っ端の回収者たちは、決して裕福ではなかったようです。決められた金額以上に回収しようものなら、民の怒りは真っ先に彼らにぶつけられ、それでも上乗せ分は頭に吸い上げられてしまう。同胞から「利子も利息も取ってはならない。」(レビ25・36)との律法に背き、異教の神を信じる外国人との交流を持つという理由で、宗教的な罪人と囁かれつつも、彼らは生きるために仕事を続けなければならなかったのです。
レビは「収税所に座っている」(マルコ2・14)とあるように、徴税人の中でも下っ端の回収者だったと考えられます。収税を理由に人を呼び止めることはできます。しかし、しぶしぶ税金を支払った人々が世間話をするはずもなく、日常でも、徴税人のレビと深く関わろうとする村人は極めて少なかったことでしょう。生きるために働こうとも、道端の石ころのように無視され、通り過ぎられる人生とは空しいものです。

 そこに、主イエス一行がやってきたのです。群衆が後に従うほど主イエスの噂は広まっていましたから、レビ自身も興味をもって様子を窺っていたことでしょう。すると、人々の注目の的である主イエスはレビの前で立ち止まり、なんと「わたしに従いなさい」(2・14)と招かれたのだというのです。

 通り過ぎられる日々の中で、たったお独り、自らの前で立ち止まり、共に一緒に行こうと招いてくださる方と出会った。この出来事が、レビを立ち上がらせ、彼の内に全て捨てて従う想いを起こさせたのだと受け取りたいのです。
罪人というレッテルを貼られた者と共に旅をし、同じ釜の飯を食うとは、主イエスもまた、今後の人生において罪人の一人として数えられていくということを意味します。それを御存知の上で、主イエスはレビの手を取られました。決して偶然の出来事などではなく、今後の人生を視野に入れた覚悟をもって、主イエスが彼を弟子として招かれたのだと気づかされます。このレビの召命の出来事こそ、社会の価値観とは異なり、神が彼を必要としておられること、そして、御国の宴に招かれることの証明であることを覚えたいのです。

 他の弟子たちは、主イエスの徴税人を仲間に加える決断を受け入れられずに沈黙しました。人が他者を罪人と定める時、その裏で、罪人ではない自分の評価が高められます。それは、他者よりも上に立つ「特別」こそ成功であるかのように語る競争社会の在り方と通じる理解です。

 しかし、人が人の上に立ち、下に置かれる者が押しつぶされる構造と対峙し、主イエスは十字架へと続く道を歩まれました。私たちは、通り過ぎるのではなく、立ち止まることから始められた主より学びたいのです。
望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン

小倉教会、直方教会 牧師 永吉穂高

18-06-01るうてる 2018年6月号

機関紙PDF

説教「「立ち止まり、共に歩み出す

小倉教会、直方教会 牧師 永吉穂高

イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。(マルコによる福音書2章13~17節)

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

与えられた御言葉には、主イエスが徴税人レビを弟子として招かれた場面が記されています。
主イエスの時代、ローマ帝国は、イタリア半島からパレスチナに至るまで支配圏を伸ばしていました。各地の権力者に統治を任せ、ある程度の自由と引き替えに上納金を課し、ローマ帝国からは監督者を配置するにとどめることで広範囲の掌握を実現していたようです。パレスチナ周辺の管理は、ヘロデ大王の3人の息子たちに任されました。そして、上納金の回収への怒りがローマに向かないように、ユダヤ人の中から徴税人が雇われたのです。
ルカ福音書に「ザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった」(ルカ19・2)とあるように、徴税人の中にも序列があったようです。定められた金額以上を集めれば、余剰を懐に入れることができるため、徴税人の頭は金持ちだったのでしょう。
しかし、下っ端の回収者たちは、決して裕福ではなかったようです。決められた金額以上に回収しようものなら、民の怒りは真っ先に彼らにぶつけられ、それでも上乗せ分は頭に吸い上げられてしまう。同胞から「利子も利息も取ってはならない。」(レビ25・36)との律法に背き、異教の神を信じる外国人との交流を持つという理由で、宗教的な罪人と囁かれつつも、彼らは生きるために仕事を続けなければならなかったのです。
レビは「収税所に座っている」(マルコ2・14)とあるように、徴税人の中でも下っ端の回収者だったと考えられます。収税を理由に人を呼び止めることはできます。しかし、しぶしぶ税金を支払った人々が世間話をするはずもなく、日常でも、徴税人のレビと深く関わろうとする村人は極めて少なかったことでしょう。生きるために働こうとも、道端の石ころのように無視され、通り過ぎられる人生とは空しいものです。
そこに、主イエス一行がやってきたのです。群衆が後に従うほど主イエスの噂は広まっていましたから、レビ自身も興味をもって様子を窺っていたことでしょう。すると、人々の注目の的である主イエスはレビの前で立ち止まり、なんと「わたしに従いなさい」(2・14)と招かれたのだというのです。
通り過ぎられる日々の中で、たったお独り、自らの前で立ち止まり、共に一緒に行こうと招いてくださる方と出会った。この出来事が、レビを立ち上がらせ、彼の内に全て捨てて従う想いを起こさせたのだと受け取りたいのです。
罪人というレッテルを貼られた者と共に旅をし、同じ釜の飯を食うとは、主イエスもまた、今後の人生において罪人の一人として数えられていくということを意味します。それを御存知の上で、主イエスはレビの手を取られました。決して偶然の出来事などではなく、今後の人生を視野に入れた覚悟をもって、主イエスが彼を弟子として招かれたのだと気づかされます。このレビの召命の出来事こそ、社会の価値観とは異なり、神が彼を必要としておられること、そして、御国の宴に招かれることの証明であることを覚えたいのです。
他の弟子たちは、主イエスの徴税人を仲間に加える決断を受け入れられずに沈黙しました。人が他者を罪人と定める時、その裏で、罪人ではない自分の評価が高められます。それは、他者よりも上に立つ「特別」こそ成功であるかのように語る競争社会の在り方と通じる理解です。
しかし、人が人の上に立ち、下に置かれる者が押しつぶされる構造と対峙し、主イエスは十字架へと続く道を歩まれました。私たちは、通り過ぎるのではなく、立ち止まることから始められた主より学びたいのです。
望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン

コラム 直線通り 久保彩奈

③「すべてのキリスト者は、 小さなキリストである」 (ルター)

 

授業を終えて職員室に戻ると、わたしの机上に手紙がありました。差出人は生徒。慌ただしく過ごすわたしとなかなか会えないからと手紙に書かれていたのは受洗予定日と教会名。生徒が受洗するという、良き知らせを告げる手紙でした。手紙の最後の「待ってます!」の一言に胸が熱くなりました。洗礼式の日。生徒は証しの中で「年に数回教会に行くのは学校の宿題だからでしたが、ある時何もせずに日曜日を過ごすより、教会で神様のことを知りたいと思い、毎週通うようになりました」と語りました。聖霊に押し出されるように導かれた生徒。キリストに出会ったのは学校でしたが、育ててくださったのは神様と教会の方々の祈りと愛でした。教会の方々のキリストの香りによって結ばれた、神様につながる新しい命の誕生に思わず号泣、感無量でした。
そんなわたしも、かつてキリスト教主義学校に通い、宿題で教会に行く中学生の1人でした。教会学校の教師の女性は毎週両手を広げて「おはよう!よく来たね」と迎えてくれました。高校生になりに洗礼を願い出ると、牧師は「やったー!」とガッツポーズ。なぜこんなにも喜んでくれるのか、当時はよくわかりませんでしたが、時を経て、わたしが教会で共に過ごしていたのは小さなキリストだったことに気づきました。温かくて優しい彼らが放つキリストの香りに、わたしも育てられていたのです。
かつてわたしを育ててくれたあの女性も牧師も天国にいますが、彼らのキリストの香りは天国からも放たれています。キリストの香りは永遠なのですね。今でもその芳しい香りの力を得て、わたしも彼らと同じように、教会で、学校で、小さなキリストになりたいと願うのです。

第28回日本福音ルーテ ル教会定期総会報告

白川道生(第27総会期 総会書記)

第28回日本福音ルーテル教会定期総会が5月2日から4日にかけて、日本福音ルーテル教会宣教百年記念東京会堂(東京教会)において開催された。総会議員となる教職、信徒212名が全国から参集した。
聖餐礼拝から始まった総会は、続いて、来賓挨拶(日本キリスト教協議会、日本ルーテル教団)、更に退任・召天・新任教師の紹介があった後、議事に入り、「キリストに支えられ、育てられ、成長し、社会に仕える教会になろう」との標語のもと、12の議案が審議された。

◆第27総会期活動報告承認
まず、立山忠浩議長による議長報告では、2012年策定の第6次綜合方策の中から、「震災支援・社会に仕える教会」、「財政課題への対応」、「宗教改革500年」の三つを優先課題と絞り込み取り組んだ実施状況が説明された。続いて、事務局長~各室長報告、世界宣教~各教区、諸委員会、諸施設、関係団体からの活動報告が行われた。この部分は実に4時間にもおよぶ長時間を要したが、伝道・教育・奉仕と、広範多様な働きが展開されている、ルーテルの共同体が示されたところでもあった。
議題は「宗教改革500年記念事業」、「これからの世界宣教」、「礼拝式文の改定・典礼曲の公式使用承認」「収益事業のあり方」等々の審議と選挙であった。

・礼拝式文の改定
2年前の前回総会で「主日礼拝式文の文言」の公式使用が承認された。本総会での提案は、「主日礼拝式文の曲」の公式使用の開始であった。作曲者との協議を経て作業を担ってきた式文委員会(平岡仁子委員長)により、4パターンのメロディ案が議場で実演され、質疑と意見交換の後、使用開始が承認された。
なお、引き続き、洗礼式や結婚式、葬儀などの「諸式」の作成を進め、すべてが出揃う新たな式文の採決には期間をおいて、2028年開催(予定)の定期総会において決議する、との工程も承認された。

・市ヶ谷会館収益事業
同建物の経年劣化と耐震性の確保を課題に、対応方針の決定が総会に諮られた。まず積み上げた調査と所見を示しながら提案説明が行われた。そして採決の結果、事業継続のため対策を実施することの承認と、次回総会までに対策を立案し、実施計画として2020年に提案する、との工程が承認された。

・役員選挙
立山議長の任期満了を迎えた今期、選挙により第28総会期議長には大柴譲治牧師が選出された。また、副議長に永吉秀人牧師、書記は滝田浩之牧師、会計に木村猛さん(保谷教会)が選出された。加えて、2名の信徒選出常議員、各教区長及び教区選出常議員によって構成される、新常議員会の組織も承認された。

・2016、2017年度決算書・会計監査報告及び2018年度実行予算、2019、2020年度当初予算
豊島義敬会計より、27期の全体教会並びに諸部門の財務状況が報告され、好転した収益事業と、累積の欠損金の減少などの状況が説明された。
また木村猛財務委員長より、予算説明がなされた。
いずれも採決の結果、承認された。
* 詳細については、後日発行される定期総会議事録を参照ください。

総会議長に選出されて

大柴譲治

このたび立山忠浩議長の後を受けて総会議長に選出され、その重責に怖れとおののきを抱いています。担当する大阪教会ではちょうど5月よりヨナ書の聖研が始まりましたが、ヨナのように逃げ出したい気持ちもあります。しかし、総会での就任式の際に背後から力強く響く会衆の歌声『力なる神はわが強きやぐら』に押し出されるようにして覚悟を決めました。「主の山に、備えあり(イエラエ)」(創世記22:14)というみ言葉と「わが恵み、汝に足れり」(2コリント書12:9)というみ言葉に拠り頼みながら、共に選出された永吉秀人牧師、滝田浩之牧師、木村猛さん、古屋四朗さん、伊藤百代さん、5教区の新常議員、事務局の皆さんとその責任を担ってまいりたいと思います。
どうか皆さまの日々の祈りに覚えてください。復活の主の洗足の模範に倣いつつ、心を込めて神と隣人とに仕えてゆきたいと願っています。よろしくお願いいたします。

事務局長に指名されて

滝田浩之

第28回日本福音ルーテル教会総会において、大柴譲治総会議長より事務局長に指名され、議場にて信任を受けました。これから2年間、どうぞよろしくお願い申し上げます。
1995年に按手を与えられ、板橋教会で5年、大阪教会で16年、2年前からは管財室長の任を与えられてきました。牧師の同労者、そしてたくさんの信徒の方々の後ろ姿を通して「仕える」ということを学ばせていたいだいてきました。この職務を通しても、また深く「仕える」ことを教えられていくのだと思います。
大柴議長の就任の挨拶に、「ルーテル教会はみ言葉の教会だ」という言葉がありました。私も「み言葉には力がある」と信じています。事務局長として何ができるか、まったく白紙の状況ではありますが、ルーテル教会が大切にしてきたものをきちんと継承し、現代における「み言葉に立つ教会」をみなさまとご一緒に形作っていくことができればと願っています。

全国教師会報告

石居基夫(前総会期会長)

宗教改革500年を終えて、ルーテル教会はエキュメニカルな交わりの中で、いよいよ新しい時代の宣教を担うこととなります。その節目となる今年、2018年5月1日から2日にかけて、全国の教師会総会が宣教百年記念東京会堂を会場に開かれました。
総会は、2016年に行われた前総会以後の教師会の活動について、会長、安井宣生書記、和田憲明会計が報告を行いました。
折しも2年前の総会は熊本地震直後で熊本地域の諸教会の被災状況やまた救援の働きについての報告がなされたことでしたが、その5月末に全国教師会では被災牧師家族の慰問とお見舞いを実施しました。そして、執行部は今後のために、「教職家族見舞金」規定の改変を今総会で提案し、死亡や重大疾病への見舞いだけでなく、被災にも対応する改正案が可決されました。

宗教改革500年の教師会としての記念事業について、1.説教集は作成の最終過程にあること、2.牧師たちが自由に「ルターを語る」ネット企画は、寄せられたエッセーは少なかったけれどもすでに公開されていること、そして3.宗教改革500年のカトリックと日本福音ルーテル教会の共同企画に会わせた全国の教師退修会は、末竹十大師、内藤新吾師、沼崎勇師、宮本新師の4名の協力委員と講師選考や企画についての意見交換を行いながら実現することが出来たことが報告されました。

会長は次年度以降に向けての課題を挙げ、1.レヴュー制度の実施とそれに伴う牧師の自己研鑽に関する課題、2.教会でのジェンダーやハラスメントについての取り組み、3.急変する現代社会の現実に応答する教会の課題についての神学的考察などに取り組む必要があることを確認しました。

任期満了の書記、会計と共に会長も任を解かれ、新会長には立山忠浩師、書記に三浦知夫師が選任され、会計には池谷孝史師、そして相互扶助会会計に西川晶子師が会長からの推薦を受けて承認されました。

ドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル教会/日本福音ルーテル教会
宣教パートナー関係締結50年

②喜望の家とディアコニア

釜ヶ崎ディアコニア・センター喜望の家 牧師 秋山 仁

エルスべート・ストロームとボド・ワルター。喜望の家と福音ルーテル・ブラウンシュヴァイク領邦教会の関わりを語る上で、この二人の宣教師の名前は欠かせないでしょう。
ストローム宣教師は、当初ドイツのミッドナイト・ミッションから日本に派遣されていました。そして、1963年に釜ヶ崎に隣接する山王地域で保育所「西成ベビーセンター」の活動を始めました。当時の大阪教会の内海季秋牧師が責任を持つ形で、ストローム師の活動は始まりました。
釜ヶ崎で働くことを決めた理由について、ストローム師は、「社会福祉事業(教会の言葉で言いますと『ディアコニー』という活動)をやりたければ、『陰のところで始めないとうその仕事になる』と心の中で感じていたからです」と著書の中で書いています。日本滞在10年目で、活動場所を模索していた彼女は、たまたま大阪で西成区の釜ヶ崎を訪れ、「日本の社会の一つの陰の所」と思い、そこで働くことを希望したわけです。
ドイツ福音ルーテル教会連合では、釜ヶ崎でのストローム師の活動を支援することを、1968年の段階で決定し、ドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル領邦教会がストローム師を宣教師として改めて派遣することになりました。そして、1974年にブラウンシュヴァイク福音ルーテル教会がドイツ福音ルーテル教会連合の仲介で、日本福音ルーテル教会と正式の姉妹関係を締結するのです。
これに前後して1970年にはストローム師は、釜ヶ崎で活動していた神父や牧師、シスターたちと釜ヶ崎キリスト教協友会を結成して、共同で地域の問題に取り組み始めます。1973年ごろからは、彼女は釜ヶ崎のアルコール問題とかかわるようになりました。1975年には断酒サークル「むすび会」を始め、翌年1976年1月に古い倉庫兼住居を購入し、同じ年の11月に開設されたのが、喜望の家でした。
1977年には、喜望の家に日本福音ルーテル教会から初代の邦人教職として重野信之牧師が派遣されました(~1984)。それから42年、喜望の家は釜ヶ崎の中でアルコール依存症の方々の回復のための支援を継続的に行っています。ストローム師がいなければ、喜望の家は存在しなかったでしょう。ストローム宣教師は、1983年に引退され、ドイツに帰国されました。保育所「西成ベビーセンター」は、その2年後に「山王こどもセンター」として自立、教会の手を離れました。
1986年ストローム師の後任として来日したのがボド・ワルター宣教師です。ワルター師は、ブラウンシュヴァイクにあるルーカス・ヴェルク事業団から、アルコール依存症に関するソーシャル・セラピストとして派遣されてきました。そして、喜望の家は、1988年以降、同事業団でおこなわれているセラピー・プログラムをモデルとした「自立生活支援プログラム」を、ワルター師の指導と助言のもと始めていきます。この「自立生活支援プログラム」は、利用者が断酒決断を維持していくことを支援し、入院治療に代わる社会的リハビリテーションを行うことを目的として考えられたもので、現行の社会保障制度や医療制度では適切なリハビリテーションの可能性を持つことができない日雇い労働者の実情にあわせたものでした。ワルター師は、セラピーの実践を通して、職員の利用者に対する関わりを指導していきました。1992年にワルター師は任期を終えてドイツへ帰国されました。
ディアコニア、それは新約聖書の「給仕する」という言葉を語源として、人と社会に「仕えていく」というキリスト教の働きで、特に19世紀にプロテスタント教会で実践的に、また理論的に発達してきたものです。当時のあらゆる社会問題に関わった教会の取り組みでしたし、現在もまたそうです。
ストローム師とワルター師が伝えようとしたディアコニアの心は、釜ヶ崎における様々な働きとして、定着しています。

※ 前号掲載①「歴史と感謝」のドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル(州立)教会をドイツ・福音ルーテルブラウンシュヴァイク領邦教会へ、また総幹事ヘンニェ・ベッカーを上席総幹事ヘンニェ・ベッカーへ訂正します。

カトリックと宗教改革500年⑧

現代のルター像

ルターが異端者であり、西方教会の分裂の責めを負う者と見る時代は過ぎ去りました。現代カトリックのルター研究においては、ルターが抱いていた真の宗教的な意図を理解することにより、彼がプロテスタント、ローマ・カトリック共通の教会博士であると認識されています。
ルターによる宗教改革の意図とは、福音によるキリスト教の再生でした。恵みの神、神の義、信仰について問うことで、停滞していた当時の教会に対して、キリスト教信仰に関する、より核心的で実存的な問いを提起したのです。ヨーゼフ・ロルツという カトリックの学者は、ルターは「本来のカトリック的なもの」に 戻ろうとしたのだと言います。
ルターの根本的な意図が「福音主義的であると同時にカトリック的」であろうとしたものであるならば、ローマ・カトリック教会は、2017年の記念を自らのアイデンティティの深化・再発見の機会とすべきでしょう。

現代のローマ・カトリック教会のエキュメニズム

ローマ・カトリック教会の教皇たちは、第二バチカン公会議以後、教会一致への強い責任感を示してきました。「教会はキリストにおけるいわば秘跡、すなわち神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」(『教会憲章』1項)だから。それは「すべての人を一つにしてください」(ヨハネ17・21)とのイエスの言葉にさかのぼる使命です。
・「すべてのキリスト者間の一致を回復するよう促進することは、聖なる第二バチカン公会議の主要課題の一つである」(『エキュメニズムに関する教令』第1項)。
・「キリストを信じる人々は、ともに結ばれて殉教者たちの跡を追おうとすれば、 分裂したままでいることはできません。あがないの秘義を空洞化しようとする世界の動きを、真に、また効果的に阻みたいなら、十字架についての同一の真理を、手を取り合って告白しなければならないのです」(ヨハネ・パウロ2世 教皇回勅『キリスト者の一致 Ut Unum Sint』1995年、1項)。

カトリック教会は、日本のカトリック教会の皆さんに宗教改革500年共同記念の意義を知らせるため、リーフレット『カトリックと宗教改革500年』(発行・カトリック中央協議会、制作・宗教改革500年記念行事準備委員会)を作成しました。編集責任を負われた光延一郎神父(イエズス会・上智大学教授)よりご提供いただき、紹介します。

ルーテル子どもキャンプへ行こう!

甲斐友朗(シオン教会)

毎年恒例のルーテルこどもキャンプが今年も行われます。今年は記念すべき20回目です。こどもキャンプは東京と広島、毎年交互に行われており、今年は広島で行われます。
広島でのキャンプのテーマは、ずばり「平和」です。キャンプでは、原爆資料館や平和の門、原爆ドーム、原爆の子の像などを巡ります。実際に被爆地ヒロシマの街を歩くことで、平和の尊さを肌で感じることができることでしょう。またキャンプでは、聖書が語る平和についても学びます。
今年の主題聖句は「平和のきずなで結ばれる」(エフェソ4・3)です。キャンプでは、この主題聖句を含め、平和についてのいくつかの聖書の御言葉を読み、聖書が語る平和について共に考えます。

何だかちょっと難しそう、そう感じるお友だちもいるかもしれません。でも、大丈夫です。キャンプにはちゃんと楽しみも用意されています。お好み村で本場広島のお好み焼きが食べられるのも楽しみのひとつです。
だから、みんな、どしどし申し込んでね!知り合いが誰もいなくて不安だなあというお友だちも大丈夫です。街を一緒に歩いたり、お好み焼きを一緒に食べたりするうちに、いろいろなお友だちと仲良しになれるよ。安心して申し込んでね。

また、同時にスタッフも募集しています。「甲斐さん、もうキャンプ来なくていいです」という連絡が来るくらい、スタッフが集まることを期待しています(笑)。リーダーは18才から、ジュニアリーダーは高校生から申し込めます。知識や経験がなくても、周りのスタッフがサポートしてくれますので、安心して申し込んでください。また、裏方としてキャンプを支えてくださるスタッフも募集しています。キャンプの対象は小学5、6年生です。日程は8月7日(火)~9日(木)、場所はルーテル広島教会です。ヒロシマで会いましょう!

オルガンは地域の財産

野村陽一(大分教会)

4月18日、大分教会にパイプオルガンが完成し、聖別式に続き試奏が行われました。平日午後の開催で出席者は限られたものの、その多くは新聞報道により集まった一般市民でした。オルガンは、足鍵盤付き手鍵盤2段、10ストップという大きめの小型オルガン、最低音は16フィートの重低音です。
礼拝堂には最初からオルガン用バルコニー(耐重2トン)があり、そこに設置するため、礼拝堂内に大がかりな足場が天井近くまで必要でした。オルガンは、イタリア北東部の谷間にあるアンドレア・ゼーニ工房が製作し、日本の教会に納入した最初のオルガンになりました。
イタリア国内の教会にはゼーニ・オルガンがありますが、日本の教会では初めて聞く名前であり、価格が非常に安く、CDで聴く音は明るいが多少軽い感じなどの不安はありました。しかし、決め手になったのは、オルガン製作の要ともいえるパイプの音色や響きの整音に非常に高い評価を得ている工房だったことです。予想通り、残響の多い礼拝堂にしっかりと対応した素晴らしい音色のオルガンが完成しました。
4月9日から10日間、組立・整音作業が行われ、これを地域に公開しました。数年前、大学の同窓生で地元民間放送局の幹部に、オルガンを導入するが組立作業など興味はあるかと打診すると「ぜひ撮らせて」との答えでした。大分ではめったに見られない光景だからです。それで今回、事前に大分県庁記者クラブにある各報道機関のメイルボックスに案内を投げ込みました。報道各社の取材、新聞を見た見学者が相次ぎ、関心の高さは予想以上でした。「自分の身近にパイプオルガンがあるなんて…」「ぜひ演奏会を」と近所の人。オルガンを聞きたくて礼拝に出席する人も…。オルガンによって無料で教会を宣伝してもらったようです。
もはや1教会の礼拝だけのオルガンにはできません。世間の関心の高さにオルガンが地域の財産でもあることを教えられました。

プロジェクト3・11キッズケアパークふくしま ご支援に感謝

栗原清一郎 (NPO法人キッズケアパークふくしま理事長、福島いずみルーテル教会員)

2011年3月11日の原子力発電所大惨事を伴った東日本大震災の発生直後から、福島県北の教会が集まり、様々な形の被災者支援をしました。また2013年の話し合いで放射線被ばくを恐れて外遊びができない子どもたちのために、安心して思いっきり遊べる場を無料で提供しようということになりました。
主の導きをいただき、アドバイザーとして専門家の福島大学教授の先生、ボランティアには、高校生と顧問の先生、大学生、教会関係者、子どもヨガを教えるお母さんグループなどに恵まれ、また日本ルーテル教団、日本福音ルーテル社団、日本福音ルーテル教会、ドイツ福音主義ルーテル教会、日本聖書協会、日本基督教団などの多くの皆さまからのご支援を受け、今では月に1回の、安心して自由に楽しく思いっきり遊べ、お母さんたちもホッとする移動式あそび場として喜ばれています。感謝しています。
お母さんたちから寄せられた声を紹介します。「お兄さん、お姉さんたちが本気になって遊んでくださり、子どもは本当に楽しみました。ありがとうございました」「市内の他の遊び場には、管理者はいても一緒に見てくれる人はいない。ここはボランティアの皆さんが気を配って温かく見てくださり、のびのびと遊べるので本当に嬉しそうです」「安心して遊べる楽しい遊び場なので、これ以上何もいらないから回数をふやして欲しいです」「赤ちゃんを連れてきてホッとして楽しめるのが嬉しいです。このような場所はあまりありません」
この遊び場は子どもたちの追加被爆を少なくするだけでなく、本当に楽しい、次のような場になっています。
・自然にできた年齢関係なく一緒に遊べる場
・年齢を問わずに人と交われる場
・小さい子も大きい人もお互いを認め合っている小規模な実社会のような場
私たちはこれからも福島の子どもたちと保護者の方たちのために、より良い成長の場、より魅力的な子育ての場を工夫し提供していきたいと思います。皆様からのお祈りとご支援を今後ともよろしくお願いいたします。
こどもあそびば

18-05-18復活の日の再会の希望

「死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、彼らが、人間の見方からすれば、肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるためなのです。」
(ペトロの手紙一 4章6節)

 新共同訳のこの御言葉は、福音を告げ知らされずに死んだ者も皆、永遠の命に与るという誤解を招きかねない。ギリシャ語原文を見ると、死者にも福音が告げ知らされたのは二つの目的のためだとはっきり書いてある。一つは、「肉体を有する人間と同じように裁きを受けるため」という目的、もう一つは、「神と同じように霊的な者として生きるため」という目的だ。新共同訳では最初の目的が抜け落ちてしまっている。そして、「裁きを受ける」の意味をどう捉えるかが重要だ。「(有罪無罪を決める)審判を受ける」と解すれば、死者に福音が告げ知らされたのは「人間と同じように審判を受け、(無罪とされた者が)神と同じように生きるため」ということになる。

 また、「有罪判決を受ける」と解すれば、「死者のある者は人間と同じように有罪判決を受け、別の者は神と同じように生きるため」ということになる。この二つの意味を合わせてみれば、死者にも福音が告げ知らされたのは、「人間と同じように審判を受け、その結果、ある者は有罪判決を受け、別の者は霊的な者として生きるため」ということになる。

 イエス様は十字架の死から復活までの間、死者が安置されている陰府に下ってそこで福音を告げ知らせた。その結果、そこでも死と罪に対する勝利が響き渡り真理として打ち立てられることとなった。死者も審判の結果次第で永遠の命に与れるようになるために福音が告げ知らされた 。これは、生きている者の場合と全く同じである。つまり、福音の告げ知らせについても審判や判決についても、死んだ者は生きている者と同じ立場に置かれることになったのだ 。従って「この世で福音を告げ知らされずに死んだ者は全員、炎の海に投げ込まれる」と言うのも、「全員が天国に行ける」と言うのも同じくらい真理に反する 。

 ここで大きな問題が立ちはだかる。死んだ人というのはルターの言うように復活の日・最後の審判の日まで安らかな眠りについている者である。その眠っている人がどうやって福音を告げ知らされてイエス様を救い主として受け入れるか否かの態度決定ができるかということだ 。福音を告げ知らせたというのは、告げ知らせる側が相手に態度決定を期待するからそうするわけだ 。態度決定が生じないとわかっていれば、告げ知らせなどしないだろう。しかし、眠っている者がどうやって態度決定できるのか?ここから先は、全知全能の神の判断に委ねるしかない。生きている者が行う態度決定に相当する何かを神は眠っている者の中に見抜かれるのであろう 。それは人間の理解を超えることなので我々は手を口に当てるしかない。神は最後の審判の日に生きている者と死んだ者全てについて記された書物を開き、イエス様との関係がどのようなものであるか一人一人について見ていかれる 。

 キリスト信仰者も信仰者でなかった者もこの世を去ると、福音が響き渡って真理として打ち立てられたところに行って眠りにつくのであり、全てを見抜かれる神は最後の審判で最終判断を下す。果たして、信仰者でなかった方との復活の日の再会は叶うのか? しかし、そう心配する信仰者本人はどうなのか?神はこの私にはどのような判断を下されるのか? この、まさに足元が崩れそうになる瞬間こそ、キリスト信仰者の特権を思い出すべき時である 。それは、この世の生の段階でイエス様を唯一の救い主と信じて告白すれば、復活の日に新しい体と永遠の命を与えられるという希望を持って生きられる特権である 。そして、その希望の内にこの世を去ることができるという特権である。この希望は、主の十字架と復活に根拠を持つ、揺るがない希望である。

 もしあなたが復活の日に誰かと再会する希望を持つならば、この世で福音を告げ知らされてイエス様を救い主と信じた以上は、最後までその信仰に留まるしかない。再会を願ったその人が天の祝宴の席に着けて、肝心のあなたが着けなかったら、元も子もないではないか?
フィンランド・ルーテル福音協会 信徒宣教師 吉村博明

18-05-01るうてる2018年5月号

機関紙PDF

説教「復活の日の再会の希望」

「死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、彼らが、人間の見方からすれば、肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるためなのです。」(ペトロの手紙一 4章6節)

新共同訳のこの御言葉は、福音を告げ知らされずに死んだ者も皆、永遠の命に与るという誤解を招きかねない。ギリシャ語原文を見ると、死者にも福音が告げ知らされたのは二つの目的のためだとはっきり書いてある。一つは、「肉体を有する人間と同じように裁きを受けるため」という目的、もう一つは、「神と同じように霊的な者として生きるため」という目的だ。新共同訳では最初の目的が抜け落ちてしまっている。そして、「裁きを受ける」の意味をどう捉えるかが重要だ。「(有罪無罪を決める)審判を受ける」と解すれば、死者に福音が告げ知らされたのは「人間と同じように審判を受け、(無罪とされた者が)神と同じように生きるため」ということになる。また、「有罪判決を受ける」と解すれば、「死者のある者は人間と同じように有罪判決を受け、別の者は神と同じように生きるため」ということになる。この二つの意味を合わせてみれば、死者にも福音が告げ知らされたのは、「人間と同じように審判を受け、その結果、ある者は有罪判決を受け、別の者は霊的な者として生きるため」ということになる。
イエス様は十字架の死から復活までの間、死者が安置されている陰府に下ってそこで福音を告げ知らせた。その結果、そこでも死と罪に対する勝利が響き渡り真理として打ち立てられることとなった。死者も審判の結果次第で永遠の命に与れるようになるために福音が告げ知らされた 。これは、生きている者の場合と全く同じである。つまり、福音の告げ知らせについても審判や判決についても、死んだ者は生きている者と同じ立場に置かれることになったのだ 。従って「この世で福音を告げ知らされずに死んだ者は全員、炎の海に投げ込まれる」と言うのも、「全員が天国に行ける」と言うのも同じくらい真理に反する 。
ここで大きな問題が立ちはだかる。死んだ人というのはルターの言うように復活の日・最後の審判の日まで安らかな眠りについている者である。その眠っている人がどうやって福音を告げ知らされてイエス様を救い主として受け入れるか否かの態度決定ができるかということだ 。福音を告げ知らせたというのは、告げ知らせる側が相手に態度決定を期待するからそうするわけだ 。態度決定が生じないとわかっていれば、告げ知らせなどしないだろう。しかし、眠っている者がどうやって態度決定できるのか?ここから先は、全知全能の神の判断に委ねるしかない。生きている者が行う態度決定に相当する何かを神は眠っている者の中に見抜かれるのであろう 。それは人間の理解を超えることなので我々は手を口に当てるしかない。神は最後の審判の日に生きている者と死んだ者全てについて記された書物を開き、イエス様との関係がどのようなものであるか一人一人について見ていかれる 。
キリスト信仰者も信仰者でなかった者もこの世を去ると、福音が響き渡って真理として打ち立てられたところに行って眠りにつくのであり、全てを見抜かれる神は最後の審判で最終判断を下す。果たして、信仰者でなかった方との復活の日の再会は叶うのか? しかし、そう心配する信仰者本人はどうなのか?神はこの私にはどのような判断を下されるのか? この、まさに足元が崩れそうになる瞬間こそ、キリスト信仰者の特権を思い出すべき時である 。それは、この世の生の段階でイエス様を唯一の救い主と信じて告白すれば、復活の日に新しい体と永遠の命を与えられるという希望を持って生きられる特権である 。そして、その希望の内にこの世を去ることができるという特権である。この希望は、主の十字架と復活に根拠を持つ、揺るがない希望である。
もしあなたが復活の日に誰かと再会する希望を持つならば、この世で福音を告げ知らされてイエス様を救い主と信じた以上は、最後までその信仰に留まるしかない。再会を願ったその人が天の祝宴の席に着けて、肝心のあなたが着けなかったら、元も子もないではないか?

コラム 直線通り 久保彩奈

②「神様、あなたに、会いたくなった」八木重吉

 

学校の宿泊行事で移動するバスの中は、大いに盛り上がっていました。しかし交通事故による渋滞発生の情報が入ると熱気は一気に急降下。すると「先生!お祈りして!」と急に声があがり、続いて「事故渋滞だから事故にあった人がいるんだよね。その人のためにも祈らなきゃ!」と。
誰かの痛みに思いを寄せる姿に、心を熱くしたのも束の間。今度は「先生、そういえば私ね、キリスト教の学校に入れば、神様に会えると思っていたの。だけど、やっぱり見えないし、会えなくて超残念。やっぱり会えないの?」と言われました。
思わずドキリとしました。 また詩人でありキリスト者だった八木重吉の「神さま あなたに会いたくなった」という詩を思い起こしました。
わたしたちはどんな時に神様に会いたくなるでしょうか。喜びを伝えたい嬉しい時でしょうか。それとも朝が遠く感じる悲しく苦しい夜でしょうか。誠実で優しいこの子の背景に、神様に会いたいと呼び求めるどんなことがあったのでしょう。これからこの生徒がキリスト教主義の学校に導かれた意味を、共に味わいたいと感じる出来事でした。
わたしは生徒に聞き返しました。「ところで神様に会って何がしたかったの?」生徒は「生きるのって大変だけど、ありがとうって伝えたいんだよね」と。
大丈夫、もう十分伝わっていると思うよ。これからは、わたしたちの間にいてくださる神様を感じ、共に歩んでいこう。わたしも、神様、あなたに会いたくなった。

議長室より

6年間のお支えに感謝して

総会議長 立山忠浩

 

今月上旬に第28回定期総会が開催されます。今総会は、総会議長としての6年間の任を執らせていただいた私にとりましては、この間の活動を総会議員に報告する会になります。第6次綜合方策(2012~2020年)が6年間でどこまで遂行できたのかを報告し、残された諸課題についても協議していただくことになります。
6年間に様々なことがありましたが、特筆すべきことは、ブラジル伝道、熊本地震、そして宗教改革500年記念事業でした。
2014年にブラジル伝道50周年を迎えましたが、大きな方向転換を迫られました。サンパウロの日系パロキアの皆様には辛い転換でしたが、現職の邦人牧師の派遣を来年の春をもって終了することになります。ただ、ブラジル伝道はこれからも継続されていきます。ブラジル人牧師のルイス・メロ牧師の日本研修を支援したことはその一例でした。ブラジル伝道という海外宣教の精神をどう継承し展開していくのかが今後の課題ですが、新たな宣教への挑戦と考えるならば、課題は希望に満ちたものに変わっていくことでしょう。
熊本地方を襲った地震は多大な被害をもたらしました。教会、学校、施設なども例外ではありませんでした。傷跡は簡単に癒せるものではありませんが、教区内の信徒と教職、そして学校や諸施設が協力し合い、ディアコニア(仕えること)の働きを目に見える形で実践してくださったことは意義深いことでした。全国の教会も祈りと募金に協力してくださいました。災いの中に灯火を見る思いがしたのは私だけではなかったことでしょう。
宗教改革500年記念事業は宣教室と広報室が中心に担いました。皆さんにバナーを掲げていただき、出版物も精力的に刊行しました。各教区で開催された記念礼拝は、ルーテル諸派との合同で行われた教区もありました。11月のカトリック教会との共同企画には、全国のルーテル教会員が一堂に集うことができ、記念すべき会となりました。記念事業は宗教改革の過去の遺産を振り返るだけではなく、これからの私たちの教会の歩むべき道を見い出すことがより重要でした。「争いから交わりへ」という標語を具現化し、ルターの『キリスト者の自由』に記された「この世に仕えること」を宣教の使命とすることを確認したのです。
最後に、不十分ではありましたが、皆さまの祈りとご協力に支えられ6年間を終えられますことを感謝申し上げます。

プロジェクト3.11大震災後8年目に入って

いわき食品放射能計測所「いのり」所長 明石義信

 

いわき市は、水素爆発事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所から45�Hの距離にあります。そして、約2万4千人の原発事故の避難者が移り住んだ土地でもあります。
8年目に入った現在、国の帰還政策や故郷に戻りたいという願いを持つ人々の動向、廃炉拠点の移動の問題などにも影響されて、住民構成は変動しています。福島県の人口が著しい減少傾向にある中、県内でも珍しく2%の人口増を示していたのですが、現在では減少傾向に転じているようです。一般的に言うならばいわき市は被災地なのですが、そこに住む人々の意識は被災地であって、被災地ではない「安全な」土地を志向しています。
ですから、いわき市が汚染されている認識はとても希薄なのです。一方で、東京や関西の都市と比較すると汚染の度合いは明白です。そのことはいわき市民も認知していることです。
このような意識の重なりが、8年目に入った現実を反映しているように感じています。
実際に汚染された土や食物を計測し、不安に応えることを使命としているいわき食品放射能計測所の利用者数も減少しています。この意識が反映されていることは間違いない事実です。でも、不安が無くなり汚染が無くなったという事象ではないのです。
計測を継続していて強く感じていることですが、汚染という事実が比較の問題として扱われ、以前の状況からすると減衰しているという傾向に隠されてしまっていると考えています。最近は、東京や九州のお母さんたちからの依頼数が増加しています。いわき市の住民の意識とは違う形で、不安を受け止めています。これも比較の問題としてとらえられるかもしれませんが、それは少しでも汚染物質があるのかどうか、また、僅かでも増えているのではないかという関心を背景としての依頼と言えるかもしれません。どこまでが安全でどこからが危険なのか人の体に明らかに影響が出て、傷つく人が大勢出るまで明確にならないのかもしれません。否、190名を超える甲状腺がんに侵された子どもたちが福島県にいても、私たち日本に住む多くの人には、その事実は受け止められてはいません。原発事故との関係が深いことが証明されるその時になって、声を大きくしても傷ついた命を元の状態に戻すことはでないことをわかっていても。
ですから、被災地に在るからこそ、できるだけ長くこの働きを継続したいと願っております。被害を受け、不安を抱えている人々の声の証人として、神様の愛がここにも注がれていることの証人として在り続けたいと願っています。

カトリックと宗教改革500年⑦

宗教改革小史(3)

5 宗教改革の政治化
このころヨーロッパでは、諸侯や王が神聖ローマ帝国から離れた自前の国家を形成しつつありました。宗教改革運動は、この社会的・政治的過程、すなわち帝国からの独立をもくろむ諸侯たちの思惑に巻き込まれていきます。1555年のアウグスブルク宗教和議において「領主の教派は領民の教派」が原則となり、神聖ローマ帝国に依拠するローマ教会の普遍(カトリック)主義の代わりに、ルーテル教会は勃興するナショナリズムに結びつくことになりました。ドイツの国家教会的状況は1918年の君主制の終焉で終わりましたが、北欧では弱められた国家教会制がいまだに続いています。
6 宗教戦争
封建時代末期の矛盾が深まる社会的・政治的状勢において、宗教改革はまた反封建闘争という社会改革と結びつくこととなります。ルターは、武装闘争に反対しましが、キリスト教信仰をめぐる対立は、戦争にまでいたりました。
没落しつつあった騎士たちが大領主に起こした騎士戦争(1522年)、また領主に対する不満をつのらせる農民がルターを支持して蜂起したドイツ農民戦争(1524年)などです。
皇帝カール5世は、一時ルター派を公認しましたが、再び否認したため、ルター派諸侯は結束して皇帝に抗議し、そこから「抗議する者=プロテスタント」との名称も生まれました。
ローマ教皇とカトリック教会を支持する諸侯は結束し、シュマルカルデン戦争(1546~47年)という宗教戦争が引き起こされ、それはフランスでのユグノー戦争(1562~98年)、17世紀前半の三十年戦争(1618年~1648年)にまで波及します。

カトリック教会は、日本のカトリック教会の皆さんに宗教改革500年共同記念の意義を知らせるため、リーフレット『カトリックと宗教改革500年』(発行・カトリック中央協議会、制作・宗教改革500年記念行事準備委員会)を作成しました。編集責任を負われた光延一郎神父(イエズス会・上智大学教授)よりご提供いただき、紹介します。

ドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル教会 日本福音ルーテル教会
宣教パートナー関係締結50年

①歴史と感謝

渡邉純幸

 

2018年の今年は、ドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル(州立)教会(ELKB)と日本福音ルーテル教会(JELC)との宣教パートナー関係(いわゆる姉妹関係)締結50年の記念の時を迎えました。
その一環として、4月にはELKBよりクリストフ・メインス監督と上席総幹事トーマス・ホーファー牧師が来日されました。また日本からは宗教改革500年記念の一環として、参加者約25名のルターツアーが計画されています。その旅程の中で、ドイツのELKBを訪ねての姉妹関係締結50年の感謝会が、6月13日に計画されています。
両教会の姉妹関係締結に関しては、今から遡ること54年前の1964年4月2日、当時のJELC総会議長岸千年牧師が、ドイツ福音ルーテル教会連合(VELKD)のG・クラッパー氏に宛てた手紙 、「我々はVELKDともっと密接な関係を持ちたい。」に対して、VELKDがその仲介役として、ELKBとJELCとの姉妹関係向けての協議が始まり、そのために 1967年
4月、VELKDは岸議長を招請し、両教会間の姉妹関係が大事なテーマとして話し合われました。そして、その翌年の1968年4月4日付けの岸議長の手紙をELKBに送り、それにより、直接の姉妹教会関係が動き始めました。
相前後して、1960年代まで、ドイツからの日本への働きは、幾つもの派遣団体が活動していたものの、多くの場合、日本キリスト教協議会(NCC)ドイツ委員会が、その受け皿を担っていました。1974年3月29日付けのVELKD宣教委員会の推薦を受けて、ELKB執行部は、E・ストローム氏とJ・ヘンシェル氏に関するJELCとの協約を同年6月21日に締結しました。JELCは、日独英3カ国語で書かれたこの協約にすぐに同意をし、同年10月3日にELKBのハインツェ監督が、JELCの宝珠山議長に対してこの署名に感謝し、姉妹関係が更に進展することを願う書簡が送られています。この内容は、ドイツ・ミッドナイトミッションから派遣されたE・ストローム氏が、また、北ドイツミッションからJ・ヘンシェル氏が、日本で個々の活動をしていましたが、この両氏を、彼女たちの財政をも含めて、ELKBは宣教師として受け入れ、JELCに正式に派遣するということこともその一つでありました。
それ以外にこれまでの50年にわたる姉妹関係の中で、ドイツから釜ヶ崎にB・ワルター氏がアルコール依存症のスペシャリストとして長期にわたり日本に派遣され、それは、今も毎年、数ヶ月にわたって派遣され、釜ヶ崎での働きの一助となっています。そしてドイツには、日本の教会と釜ヶ崎の働きを支援するための「Japan Kreis」(ヤーパンクライス)が、1980年代にドイツで立ち上げられ、今も定期的にその集いが継続され、日本への大きな支援母体として活動しています。
姉妹関係締結以降、日本から交換牧師として、また留学生として多くの教職が受け入れられ、良き研鑽の機会を得ることができました。これらの財政的な支援は、すべてELKBに拠るところであることを最後に付し、これまでの支援と協働に心より感謝の意を表すと共に、両教会間における交流(人的なものも含めて)が、更に深まり、半世紀の時を超えて100年に向かっての新たな歩みを共に始めたいものです。 なお、両教会の姉妹関係の経緯等については、当時のELKB総幹事ヘンニェ・ベッカー氏の著書[Die Partnerschaft zwischen der ELKB und der JELC]の翻訳(渡邉純幸・徳善義和訳)が、「日本福音ルーテル教会百年史論集編・ブラウンシュヴァイク・ルーテル教会と日本福音ルーテル教会との交流と協働」に収録されています。

改定礼拝式文の典礼曲案について

5月に行われる、日本福音ルーテル教会第28回総会において、「改定礼拝式文」について協議されます。2年前の第27回総会において使用が承認された礼拝式文の言葉に添える典礼曲が紹介され、それについての協議です。総会承認により公式使用が認められると、各教会で楽譜が入った改定礼拝式文を実際に使ってみていただくという過程に進みます。そもそも礼拝式文の選択は各教会に委ねられており、改定礼拝式文の使用も、選択肢のひとつに過ぎませんが、積極的に活用されることを願っています。
典礼曲は4セットが準備されています。今回の改定式文のために新たに作曲された3セット(スペード、ハート、クラブ)。これらの新曲は日本のルーテル教会のメンバーでもある3人の音楽家がそれぞれ作曲したものです。そして、青式文と呼ばれている1996年に出版された(その10年ほど前に公式使用が承認された)ものの中から、多くの教会で親しまれているA式文をベースに、改定礼拝式文の言葉に合わせて編曲されたもの(ダイヤ)です。尚、アルファベットや番号を振ることにより順序がつくことを避けるために、トランプのマークで分類しています。
歌を含めたデモ演奏を収めたCDが作成されました。総会資料として牧師と代議員に配布されていますので、各教会でお使いくださり、今後の改定礼拝式文の使用検討に役立ていただきたいと思います。
改定礼拝式文は典礼曲も含め、今後も微調整を続けて完成させていく途上にあります。著作の権利保護に問題が生じないように、SNSを始め、インターネットで共有することはおやめください。

私たちの宗教改革500年

九州教区・南熊本群 初夏の集い「なりきりルター礼拝」

南熊本群は、神水教会、健軍教会、松橋教会、甲佐教会、水俣教会、八代教会の6つの教会で構成されている教会共同体です。毎年初夏の頃に、ともに集って礼拝し、学びや交わりを深めています。2017年は、宗教改革500年の年でしたので、みんなで「なりきりルター礼拝」という楽
しい礼拝を守りました。
2017年6月11日の主日の午後、会場となった健軍教会に集い、礼拝を通してルターの言葉を味わいました。礼拝が始まる前に、参加者にはランダムに封筒が配られました。そして各々その中に入っているルターやその周辺の人物のセリフを、即席のスタンツ形式で読み上げながら、ルターの生涯の大切な局面を振り返っていきました。
その際、ルターの演じ手は前に出て黒いベレー帽を被ります。11人のルターが、次々にベレー帽をリレーしながら、11のルターの言葉を読み上げていったのですが、その迫真の演技は、会場のどよめきや温かい苦笑を誘いました。
礼拝の合間の休憩時間には、ひとりひとりに配られたさまざまなルターの言葉をお互いに共有しあい、最後に角本浩牧師と関満能牧師からルターの言葉との出会いをお聞きして、楽しい礼拝は閉会となりました。書籍の中に書かれたとっつきにくいルターの言葉も、それを生活や対話の文脈の中に戻してやることで、いきいきと心に届いていくものとなる。そんな恵まれた礼拝をともにわかちあった、南熊本群の初夏のひとときでした。
報告/小泉 基

教会や施設・学校、 家庭などにおける宗教改革500年を意識した企画の報告や生み出された交わりや作品などを写真と共にお分かちください。「わたしたちの宗教改革500年」として紹介していきます。事務局宛にメールもしくは郵便でお送りください。(広報室)

第25回 春の全国ティーンズキャンプ報告

本年も各教会、教区を始めとする多くの方の祈りと、日本福音ルーテル社団、各教区、女性会連盟などの皆さまのお支えによって、第25回春の全国ティーンズキャンプを開催し、終了することができました。感謝と共にご報告いたします。
本年はキャンパー88名、スタッフ32名が当日参加しました。12歳から18歳までのキャンパーたちは、11のグループに分かれ、3日間を通して「私たちはキリストの手である」ということをサブテーマに「奉仕」についてみことばから聞き、考え、派遣されていきました。
ここでいくつかキャンパーの声を分かち合います。

「罪について、こんなにも深く考えたことは経験したことがなかったので、最初は色々と混乱していたのですが、最終的にはわかることができてよかったと思います。」
「春キャンのテーマは『奉仕』でした。人にとっての良いこと、自分にとっての良いことについて考えました。私が『良いことをした』と思うものは、ほとんど『自分にとって』のいいことでした。これからは、自分にとっても、人にとっても良いことをたくさんしていきたいです。」
「受難週においてイエス様が経験されたことを自分でも体験することで、聖書に書かれている言葉の意味や、イエス様が私たち人間の罪を許すために受けた苦しみについて重く受けとめることができました。」
「私は2年連続春キャンに行けてなくて、教会にも全然行けてなくて、今年の春キャンは行かないでおこうと思っていました。でも、やっぱり諦めきれなくて、締め切り日にギリギリで申し込みました。春キャンまでの間はずっと緊張して怖くて、楽しみ半分不安半分という感じでした。でも行っているとやっぱり楽しさしかなくて。勇気をもって参加して良かったなと思いました。」
たくさんのお支えのもとで、次世代が育っています。これからも神さまのみ心の内にこのキャンプが続けられることを祈るものです。

第25回 春の全国ティーンズキャンプ概要

日程/2018年3月27日(火)~29日(木)
会場/神戸市立自然の家
テーマ/奉仕
主題聖句/「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」(エフェソの信徒への手紙2章10節)
キャッチフレーズ/We Are Christ’s Two Arms!
参加者/88名(北海道特別教区3名、東教区26名、東海教区14名、西教区13名、九州教区32名)
スタッフ/35名(準備のみのスタッフ含む)
キャンプ長/沼崎勇牧師
チャプレン/関満能牧師
プログラムのねらい/奉仕について学ぶ。ルターの信仰から、私たちが赦され、誰でも神さまの働きに召されているのだと知る。

めばえ幼稚園(学校法人札幌ルター学園)が メディアに紹介されました

1900年、当時は帝政ロシアに併合されていたフィンランドから、若き牧師とその家族、そして、まだ10代であった信徒が長崎に到着します。現在まで長きに渡る大切な関係を与えられている、フィンランドの宣教団体であるフィンランド・ルーテル福音協会の宣教師です。その後、東京を経て、信州、そして北海道へと宣教を展開します。見たこともない地の果てへの宣教活動でしたが、それは海外宣教に投入する財的な余裕に支えられてのものではなく、大変な苦労を伴うものでした。それでもなお、「日本へ、日本へ」と歌いつつ、宣教師を送り出したのでした。
その活動を支えるために、それぞれの教会(集会)で工夫が凝らされたそうですが、子どもたちが森へ出かけていき摘んだ木の実を使ってジャムを作って販売し、その収益を献げるということが行われました。他にも、新しい服の購入を辞退し、その分を日本宣教に献金してほしいと親に申し出る子どもたちもいたと伝えられています。フィンランドのキリスト者が世代を超えて祈りを合わせ、また労してくださったことが現在の私たちの教会の礎となっています。
現在の札幌教会とめばえ幼稚園は、その宣教の働きの北海道における大きな実りのひとつと言えます。1916年に開始された札幌での伝道により、現在の礼拝堂が献堂されたのは1934年。そしてその3年後に、フィンランドより幼児教育の専門家が派遣され、めばえ幼稚園が開園します。子どもたちに充実した教育の機会を提供すること、そして子どもたちを通して福音を宣教することとの目的を果たしていくために整えられた幼稚園舎は築80年を超えて現在に至るまで、温もりと包容力を湛えた建築物として活用され、多くの子どもたちを迎え、また育てています。
この度、このめばえ幼稚園(学校法人札幌ルター学園)を、「北海道を探しに行こう」をコンセプトとして北海道の人々の営みから生まれる価値や魅力を発信するウエブマガジン「カイ」が特集「札幌建築鑑賞会と歩く・愛され建築」に取り上げてくださいました。教会堂と合わせて、札幌市の景観重要建造物に指定されてもいる幼稚園の歴史と精神、それがこめられた建物が建築学の視点から、美しい写真と共に詳しく説明されています。(広報室)
北海道マガジン「カイ」http://kai-hokkaido.com/architect006/

 

18-04-18赦され生かされて、生きる

三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」・・・「このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。(ヨハネによる福音書21章17、19節)

 死者の復活、あってほしいと切に願いつつも、ありえないのがこの世の現実。だから、死を受け入れたくなくても、そうするほかない。すべての終わりとしての死、やり残したことがあっても、やり直したいと願っても人生に終止符が打たれる。赤字決算でも変えられない。これが誰もが経験する人間の宿命。
しかし、ゴルゴダの丘の上で苦しみと屈辱の果てに絶命し、墓に葬られたその方を、神は「復活させられた」「高く引き上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになった」と聖書は宣言します。代々の教会は「三日目に死人のうちから復活し」と告白します。誰もが最初は信じられなかった出来事を神は起こされたのです。

 この奇想天外な告知が福音である所以は、「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられ」たから。キリストだけでなく「アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになる」からです。つまり、わたしもそうですが、復活させていただくのに値しない罪人である者も含めすべての人が、キリストの復活のゆえに、復活と新しいいのちに与らせていただくようになるというのです。死の束縛から解き放ち、これこそ福音です。

 四つの福音書は、復活は「終わりの時」に完成するけれど、すでに今このときに始まることを語っています。その証人の一人がペトロ。熱血漢で、純朴で、命懸けで主イエスに従っていたのに、あまりにもろく、弱く、無様にも三度否認して裏切り、刑場からも逃げ出すという取り返しのつかない過ちを犯したペトロ。あの三日目の夕方とその一週間後に他の弟子たちと共に復活の主にお会いしたのに、それだけでは驚きはしても、いのちは萎えたまま、生きる力は枯渇したままでした。生ける屍です。

 ヨハネ21章が描いているのは、元の漁師に戻りかけたペトロたちに復活の主がみたび姿を現してくださり、決定的な会話を彼となさった場面です。「ヨハネの子シモン」と親しく呼び掛け、「わたしを愛しているか」と尋ねられます。そうです、その通りです、もちろんご存じでしょう、わたしはあなたを愛しています――ペトロはそう答えます。愛の告白あるいは信仰の告白を三度します。
二人の会話に大変興味深い言葉が用いられています。新共同訳では主イエスの問いは三度とも「愛しているか」であり、ペトロの答えも「愛している」です。

 最新のルター訳ドイツ語聖書でも六つともリーベン(愛する)という訳語が採られています。しかし、ギリシャ語原典ではイエスさまの最初の二回は「アガパオー」という動詞、最後の問いは「フィレオー」で、ペトロの答は三回とも「フィレオー」でした。どちらも「愛する」と訳すことができますが、ここで神の無償の愛アガペーと通じる動詞アガパオーと、友愛フィリアにつながるフィレオーは意図的に区別して使われたのでしょうか。通説は単なる言い換えと見ますが、岩波訳はフィレオーを「ほれこんでいる」と思い切って訳しています。そうならば、この会話でイエスさまは、主が期待されたアガパオーとは違うペトロの愛フィレオーが持つ人間的限界を赦し、受容してくださったのだと、わたしには思えるのです。

 主イエス・キリストはわたしたちの人間的な弱さも罪も十字架と復活で赦し、未だ不十分さを抱えたままの生を受け容れて、新たに生かしてくださいます。「わたしに従いなさい」と招かれます。ここに赦され生かされながら、終末での復活の完成を望みつつ今を生きる新しい信仰者の生き方が可能になります。ペトロは弱さを背負いつつ使徒としての生涯を全うしました。

 わたし自身の69年間の人生、42年間の牧師とされての歳月は、弱さと罪にもかかわらず、赦され生かされて生き、及ばずながら神と教会と人々にご奉仕させていただく恵みに浴した幸いの時でした。十字架と復活は神の愛です。主の力です。ただただ感謝。アーメン

日本福音ルーテル教会 牧師 江藤直純

18-04-01るうてる 2018年4月号

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説教「赦され生かされて、生きる」

日本福音ルーテル教会 牧師 江藤直純

 

三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」・・・「このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。       (ヨハネによる福音書21章17、19節)
死者の復活、あってほしいと切に願いつつも、ありえないのがこの世の現実。だから、死を受け入れたくなくても、そうするほかない。すべての終わりとしての死、やり残したことがあっても、やり直したいと願っても人生に終止符が打たれる。赤字決算でも変えられない。これが誰もが経験する人間の宿命。
しかし、ゴルゴダの丘の上で苦しみと屈辱の果てに絶命し、墓に葬られたその方を、神は「復活させられた」「高く引き上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになった」と聖書は宣言します。代々の教会は「三日目に死人のうちから復活し」と告白します。誰もが最初は信じられなかった出来事を神は起こされたのです。
この奇想天外な告知が福音である所以は、「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられ」たから。キリストだけでなく「アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになる」からです。つまり、わたしもそうですが、復活させていただくのに値しない罪人である者も含めすべての人が、キリストの復活のゆえに、復活と新しいいのちに与らせていただくようになるというのです。死の束縛から解き放つ。これこそ福音です。
四つの福音書は、復活は「終わりの時」に完成するけれど、すでに今このときに始まることを語っています。その証人の一人がペトロ。熱血漢で、純朴で、命懸けで主イエスに従っていたのに、あまりにもろく、弱く、無様にも三度否認して裏切り、刑場からも逃げ出すという取り返しのつかない過ちを犯したペトロ。あの三日目の夕方とその一週間後に他の弟子たちと共に復活の主にお会いしたのに、それだけでは驚きはしても、いのちは萎えたまま、生きる力は枯渇したままでした。生ける屍です。
ヨハネ21章が描いているのは、元の漁師に戻りかけたペトロたちに復活の主がみたび姿を現してくださり、決定的な会話を彼となさった場面です。「ヨハネの子シモン」と親しく呼び掛け、「わたしを愛しているか」と尋ねられます。そうです、その通りです、もちろんご存じでしょう、わたしはあなたを愛しています――ペトロはそう答えます。愛の告白あるいは信仰の告白を三度します。
二人の会話に大変興味深い言葉が用いられています。新共同訳では主イエスの問いは三度とも「愛しているか」であり、ペトロの答えも「愛している」です。
最新のルター訳ドイツ語聖書でも六つともリーベン(愛する)という訳語が採られています。しかし、ギリシャ語原典ではイエスさまの最初の二回は「アガパオー」という動詞、最後の問いは「フィレオー」で、ペトロの答は三回とも「フィレオー」でした。どちらも「愛する」と訳すことができますが、ここで神の無償の愛アガペーと通じる動詞アガパオーと、友愛フィリアにつながるフィレオーは意図的に区別して使われたのでしょうか。通説は単なる言い換えと見ますが、岩波訳はフィレオーを「ほれこんでいる」と思い切って訳しています。そうならば、この会話でイエスさまは、主が期待されたアガパオーとは違うペトロの愛フィレオーが持つ人間的限界を赦し、受容してくださったのだと、わたしには思えるのです。
主イエス・キリストはわたしたちの人間的な弱さも罪も十字架と復活で赦し、未だ不十分さを抱えたままの生を受け容れて、新たに生かしてくださいます。「わたしに従いなさい」と招かれます。ここに赦され生かされながら、終末での復活の完成を望みつつ今を生きる新しい信仰者の生き方が可能になります。ペトロは弱さを背負いつつ使徒としての生涯を全うしました。
わたし自身の69年間の人生、42年間の牧師とされての歳月は、弱さと罪にもかかわらず、赦され生かされて生き、及ばずながら神と教会と人々にご奉仕させていただく恵みに浴した幸いの時でした。十字架と復活は神の愛です。主の力です。ただただ感謝。アーメン

コラム 直線通り

①「あなたの言葉は、わたしの足のともしび、わたしの道の光」(詩編119)

 

埼玉県飯能市。川と湖がある自然豊かな山あいに位置する私の勤務校には中高合わせて1300名ほどの生徒がいます。日々もがきながら懸命に生きる10代の子どもたちとともに過ごす日々は、笑いあり、涙ありの毎日です。
ある日、受験を控えた高校3年生の生徒2人が祈って欲しいと聖書科研究室にやってきました。お祈りした後「先生、キリスト教のお守りが欲しいです」と言われ、「キリスト教にお守りはないんだよね」と返すと、もう1人の生徒が「お守りがないから、祈ってもらいに来たんじゃないか。先生、キリスト教のお守りは神様の言葉ですよね」と言いました。授業では寝ていた生徒ですが、居眠りの中でさえ神様は導いてくださったんですね。この子の核心を突く言葉に、心が震えました。
果たしてわたしたちはお守りのように、神様の言葉をいつも携えているでしょうか。日々の慌ただしさの中で、言葉の存在さえ薄れ、言葉の光で照らし励ましてくださる神様を忘れている時さえあるのです。またこの光は時に眩し過ぎて直視することさえできず、わたしたちは目が開けられないままに歩み、路頭に迷ってしまうのかもしれません。
神様の言葉はわたしたちの人生を照らしてくださっています。その照らされた道を、御言葉のともしびを携え歩んでいきたいのです。
共に祈った彼らもこの春、晴れて大学生。新しい道の途上で復活の主に出会うことができますように。

議長室から

「途上の旅」

総会議長 立山忠浩

主の復活を祝うイースターを迎えました。先日、絵画集を眺めた時、イースターを主題にした絵が少ないことに気づきました。クリスマスや十字架を題材にしたものに比べると明らかに少ないのです。音楽もきっと同じでしょう。
さらに広げれば、文学もそうです。例えば、芥川龍之介が自死の直前までイエス伝をしたためていたことが知られていますが、十字架の出来事で終わり、復活に思いを向けることはなかったのです。
どこに理由があるのか詳しく調べたことはありませんが、死からの甦りという使信があまりにも荒唐無稽に思えるからではないかと私には思われます。使徒言行録(17・32~)のアテネの人々が、パウロの話が死者の復活に及んだ途端にあざ笑い、耳を閉じてしまったことを想起します。
珍しく復活を主題にした絵として、フランス人画家のルオーの描いた「聖書の風景」に目が留まりました。エマオの途上の出来事です。道行く人と一緒に歩むことになった2人の弟子は、その方が復活されたイエスであることを知らず、エマオという村へと向かうのです(ルカ24・13~)。だからこの復活の日の午後の出来事を「エマオの途上」と呼ぶことがあるのです。
ルオーの絵からは2人の弟子たちの思いを察することはできませんが、しかし聖書に目を落とすならば、2人にとっても復活の出来事は実に荒唐無稽だったことが分かります。しかしエマオの途上の道中、見知らぬ姿のイエスと共に歩むことで少しずつ変化して行ったのです。聖書の説き明かしをイエスから聞くことによって、彼らは心を燃やされ、夕食の時に裂かれたパンをイエスからいただいたときに、その方が復活のイエスだと悟ったのです。そこから彼らの宣教が始まって行くのです。
「途上」という言葉にとても深い響きを私は感じるのです。私たちの歩みも「途上」と言うことができるからです。「わたしたちの本国は天にあり」(フィリピ3・20)とパウロが言うように、この世に生きる私たちの誰もがいま、本国への途上にあるのです。その途上の歩みはエマオの弟子たちと同じように、主イエスとの旅なのです。イエスの姿は見えずとも、信仰の仲間の語る聖書の説き明かしは、信仰を燃やし、宣教へと奮い立たせるイエスの声と信じるのです。
4月は年度替わり、新しい歩みの始まる時です。皆さんの歩みに神様の祝福をお祈りいたします。

全国ディアコニア・ネットワーク 第1 6回「環境・人権・平和名古屋セミナー」に参加して

長谷川卓也(市川教会)

 

2月18日に名古屋めぐみ教会で開催された『「憲法改正問題」について考え「国民投票」について学ぼう!』というセミナーに参加した。私は弁護士であり、法律家としての仕事と、キリスト者としての自分をどう関係付けていくのか、という長年の課題へのヒントを求めての参加であった。
開会礼拝、小泉嗣牧師(千葉教会)の「隣人を愛するという聖書の土台と、憲法という国の土台を学び、日本におけるキリスト者として何をなすべきなのかを考えよう」という核心をとらえた言葉から、セミナーが始まった。前半は、愛知大学法学部教授の長峯信彦さん(名古屋めぐみ教会)による憲法の講義。憲法は「神の目から見てどんな人間も平等に個人として尊重される」というキリスト者の感覚のものであるという人権論の本質、憲法学は人の心を必要とする血の通った学問であるということ、そして9条をめぐる現在の日本及び国際情勢が語られた。
後半は、講師の長峯さんの体調のご都合で予定を変更し、まず稔台教会の内藤新吾牧師から、原発問題の現況についてお話しをいただいた。その後、弁護士の内河惠一さん(なごや希望教会)、小泉牧師、内藤牧師による「教会が社会にどのように関わっていくか」というパネルディスカッションになった。「教会の地域社会での役割・存在価値が必要になっている」、「教会として社会問題や平和問題を考えていくことが必要」、「教会では社会問題を論じてほしくないという雰囲気もある」、「教会単位でなく個々人として活動すればよく、その人々が一致して力を合わせていけば強い」、「『世の光』だけでなく『地の塩』の働きを」など、率直かつ活発な意見交換がされた。
私にとっては課題へのヒントを多いに得られ、社会に仕え活動するキリスト者が教会の単位を超えてつながるディアコニア・ネットワークの活動の意義を強く実感する有意義なセミナーとなった。

カトリックと宗教改革500年⑥

宗教改革小史(2)

3.ルターの宗教改革
ルターは、人間の外面的なわざではなく、キリストの贖罪のわざに示された神の恵みとあわれみを全面的に受けとる「信仰のみ」において人は救いにいたるという「福音主義」を唱えました。この福音主義は、その源泉と正統性を「神の言葉」である「聖書のみ」に求めます。そこから教皇の権威や教会の伝承、ローマ教会の既存の組織、教会秩序への改革が訴えられます。
こうした変革は、ドイツに大きな混乱をもたらしました。しかしルターの呼びかけはローマ当局と司教たちには聞きいれられず、教会と結ばれて政治的権威を代表する神聖ローマ皇帝カール5世は、1521年にヴォルムス勅令を発してルターを異端と断定し、追放しました。
これに対してルターは、破門状と『教会法大全』を焼き、ザクセン選帝侯フリードリヒの保護のもとで、聖書のドイツ語訳を完成させました。また主著である『キリスト者の自由』が活版印刷により流布しました。
4.宗教改革の拡大
ドイツにおけるルターの改革運動に並行して、スイスでは、ツヴィングリやカルヴァンがジュネーブを中心に改革運動を進めました。それは、オランダ、イギリス(清教徒〈ピューリタン〉)、スコットランド(長老派〈プレスビテリアン〉)、フランス(ユグノー)など、ヨーロッパ各地に拡がっていきました。また、幼児洗礼を否定する再洗礼派〈アナバプテスト〉の運動もスイスから起こりました。さらにイギリスでは英国国教会〈アングリカン〉が成立しました。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より

いつも一緒
ヨハネ21・1~14

伊藤早奈

 

〈祈り〉神様。私たちは「今年の4月は◯◯だ」と前年と比べてみたり、自分の記憶にあるかつて4月と比べたりします。小学校や中学校の入学式であったり、就職したときであったり、様々な春の思い出がよみがえってきます。それらが映像として残っていたり、香りや音で残っていたりと、心に残るそれぞれの4月は一人一人違います。その一人一人のかけがえのない瞬間に神様あなたは共におられ、一人一人の心に寄り添ってくださいます。あなたと共にある今を私たちは勇気を持って精一杯生きることができますように。この祈りを主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
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あなたはこれまでに何度イエス様と出会いましたか?
ヨハネ福音書21・14では「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である」と語られます。
「へぇー、三度もイエス様と出会ったのかぁ」と思われる方も「三度しかまだお会いできないのか」と思われる方もあり、お一人お一人の反応はいろいろであると思います。それら一つ一つが全て大切な反応であり、神様にとって尊いものです。しかし、イエス様とのいろいろな出会いや回数で語られるイエス様との出会いは私たちの側からのことです。
では、イエス様による私たちとの出会いは何回でしょうか。それは1回です。1回で充分です。だってその1回は私たちの命が造られてずっと続いているのですから。回数では少ないけれど、長いのです。
ペトロは漁師としての日常の生活に飛び込みます。そこにもイエス様は立っておられます。イエス様は日常の中にあってもあなたと共におられます。たとえあなたが気付いていなくても、いつも共に立っておられます。イエス様はボーッと立っておいででも、ただ立っておられるのでもなく、あなたと共におられるのです。
いつも愛の眼差しで溢れさせて、あなたと共におられ、共に歩んでくださいます。

カンボジアワークキャンプ 大きなものを与えられ

廣瀬知登(大江教会)

 

カンボジアのワークキャンプに参加していろいろなことを経験でき、多くの人と出会う中でとても自分を成長させてもらったと感じています。現地へ行く前にはワークをしてカンボジアの人の役に立てればいいと思っていました。しかし、子どもたちと遊んだり、カンボジアでいろいろな人たちに出会ったりしていく中でその考えは少しずつ変わっていきました。カンボジアは日本より発展してないから、不自由で窮屈な生活をしていると思っていました。しかし、子どもたちと遊んでいるときに、子どもたちの笑顔を見ているとこの子たちは希望にあふれていると感じました。
自分は大きな勘違いしていました。自分が与える側だと思い込んでいた私は子どもたちに対して何も与えられず、とても自分が無力だと感じました。子どもたちの笑顔から学ばせてもらったのに、何も返せない自分がとても無力に感じ、もっと勉強し経験を詰み、またこの地に来たいと思いました。
また、同じ年代のクリスチャンの青年と交流を持てたことはとてもいい経験でした。国も違うし言葉も文化も違うけれど、一緒に交わりの時を持ち、祈りの時を持てたことで、同じ神様にあってつながっているということを強く感じることができました。
ルーテル教会の主日礼拝に参加させてもらった際に、20人を超える人が洗礼を受ける姿を見ました。言葉も通じないし、日本から遠く離れている地であっても、こうして神様を信じる家族が増える瞬間に立ち会えたことは本当にうれしかったです。
夜の分かち合いでも成長させてもらいました。杉本牧師の話にはとても支えられました。ワークキャンプ中には多くの困難にぶつかりましたが、いつも杉本牧師の言葉に支えられ、また、一緒に行ったキャンパーのみんなに支えられて困難を乗り越えていけました。
本当にカンボジアで神様から与えられたものは大きなものでした。この与えてもらったものをまずは自分の周りに少しでも分けることができたらいいと思います。

※2月14~24日に日本福音ルーテル社団のカンボジア・ワークキャンプ(チャプレン 杉本洋一牧師)が開催されました。harukyan.moushikomi@gmail.com)
○持ち物 聖書、筆記用具、保険証、参加費とバス代、洗面用具、着替え、防寒着、入浴用品(ボティーソープ・リンスインシャンプー・ドライヤーは施設にあります)、3月27日の昼食・飲み物。
☆お知らせ☆
今回の春キャンでもバラエティショーを行います。バラエティショーとは、ティーンズのみんなが演奏やコントなどパフォーマンスを披露する時間です。時間は1グループ約5分。個人での参加でもグループでの参加でも大歓迎!出演者をキャンプ1日目に募集します。みなさんのご参加を待っています。

第27回総会期第6回常議員会報告

事務局長 白川道生

2012年策定の「第六次綜合方策」の6年目、期中3度目となる全国総会を5月に控えた、第27回総会期の第6回常議員会でした。年間予定では2月20日から22日にかけて日程が組まれていましたが、この期間中に、人事委員会を開催することになったため、変則的な3日間の会議となりました。しかしながら、審議と決定を必要とする事項はすべて決議されました。主な事項を以下に記します。
▼諸報告の承認
立山総会議長の議長報告にはじまり、教区長報告並びに室長報告を含む役職報告、これに諸委員会を加えて20の報告があり、一日目が終了しました。常議員会の役割は、それぞれに取り組んできた方策の進捗状況と課題を共有し、聖書が示すあり方に導かれながら、申請や計画の承認や決定することで、この会議を通して「ルーテル教会がひとつ」であるように整える、重要な位置づけである点は一貫して変わりません。
▼人事と教職態勢
教職任用を望む3人から出願があり、「教師試験」並びに「任用試験」が実施され、全員が合格となりました。本年は4名の教職が定年退職を迎えましたが、いわゆる教職大量引退期に入っている認識をもっています。一方で、神学校の学生数が減っている現状と合わせて、宣教態勢をいかに組んでゆくのか、課題協議がなされました。
そして、新任3名を含む18件からなる2018年度人事提案が常議員会で承認されました。これにより新年度の教会任命教師は、現職74名と出向・海外関係10名となり、ここに牧会委嘱・宣教師が加わる新年度の宣教態勢が定まりました。加えて、前任者の帰国に伴う宣教師の派遣決定も本年の特記事項です。人事内容は別項に記しましたので、ご確認ください。
▼決算と予算の審議・承認、教会土地建物の改築申請
2017年度収支決算報告と2018年度予算協議では、各個教会の財政力の減少が進み、更に献金の減少が続く基本認識、収支好転した収益事業の現状について情報を共有しながら審議が行われ、決算・予算ともに承認されました。
宣教の進展の道筋に生じる課題のひとつである教会建物の老朽化に対しても、計画申請が複数あがってきました。宣教の器を整えるべく、適切な規模と確実な計画という観点で審議がなされました。
▼第27総会期-第1回事務処理委員会の開催(継続開催)
27総会期第6回常議員会は、1日目、2日目ともに、常議員会を夕方でいちど終えて、引き続き「人事委員会」を間に挟んで開催する変則形態になりました。その影響で決議を必要とする事柄が若干残ったため、常議員会終了後に「事務処理委員会」を開催して、とりわけ全国総会に係る事務的な事柄について審議し決定をしました。ここで決定した総会に関するお知らせは順次、全国の教会にお届けをはじめています。
なお常議員会の詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。
▼第27総会期第1回事務処理委員会の開催(継続開催)
なお、本常議員会は、1日目、2日目共に、常議員会を夕方に終えて、夜に「人事委員会」を開催する変則形態をとったため、決議を必要とする事柄を審議するため、常議員会終了後に「事務処理委員会」を開催して、全国総会に係る事務的な事柄を協議しました。内容は、総会に関するお知らせでお届けしてゆきます。
なお常議員会の詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。

新任牧師 挨拶

多田 哲(たださとし) 日本福音ルーテル日吉教会

主に感謝します。今年度、新しく日本福音ルーテル教会の牧師になりました多田哲です。西教区・豊中教会出身で、4月1日から神奈川県横浜市の日吉教会へ派遣されることになりました。
私は大阪府吹田市で生まれ、大学時代にKGK(キリスト者学生会)の聖書研究会を通して教会に通い始め、2004年のクリスマスに近畿福音ルーテル川西教会で受洗。3年後、日本福音ルーテル教会へ転籍しました。大学院では歴史言語学を専攻し、後期博士課程まで進みましたが、献身の召命が与えられ、神学校へ入りました。
これまでずっと学生で社会に出たことのない未熟者ですが、福音宣教のため、みなさんと一緒に歩んでいきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

野口和音(のぐちかずね)日本福音ルーテル長野教会、松本教会

4月から日本福音ルーテル長野教会と松本教会に赴任することになりました、野口和音です。熊本教会の教会学校「サムエル・ナイト」で幼稚園の頃からお世話になり、その後、神学校へと導かれることとなりました。その道のりの中で、多くの方々に愛をもって育てられ、支えられてここまで来られましたことを感謝いたします。
2教会の兼牧という働きを与えられました。両教会では主日の礼拝を共に守るために様々な試みをしています。私も皆様がよりいっそう恵み深く神さまの恵みに与れるよう、新しい試みも取り入れつつ、精一杯賜物を生かして仕えて参りたいと思います。日本福音ルーテル教会の皆さまに神さまの祝福と恵みとがありますように、お祈りいたします。

森田哲史(もりたさとし) 日本福音ルーテル新霊山教会

この度、日本福音ルーテル教会の牧師として任用されました森田哲史と申します。4月1日より、新霊山教会に派遣されることとなりました。教会の皆さまと福音を分かち合う恵みを嬉しく思います。また、教会だけではなく、社会福祉法人デンマーク牧場福祉会のチャプレンとしての責任も与えられました。特別養護老人ホームや児童養護施設など、教会と社会を繋ぐ最前線の現場を通して、福音を広く宣べ伝えることが出来るよう主に仕えていきたいと思います。社会福祉の分野につきましては未知の領域ですが、また学校に入り直した気持ちで一から勉強させていただければと思います。これからも皆さまのお祈りとお支えを賜ることが出来れば幸いです。

教職授任按手式2018

当教会の教師試験と任用試験に合格した多田哲さん、野口和音さん、森田哲史さん3名への教職按手式が、3月4日に当教会宣教百年記念東京会堂(東京教会)にて行われました。主司式は岡田薫北海道特別教区長が担当し、按手には立山忠浩総会議長を始め、副議長、各教区長、全国教師会長、宣教師代表が加わりました。
礼拝説教において立山議長は、日曜日の夜に行われる按手式をイースターの夕方に弟子たちが集まっているところにイエスが姿を現されたことになぞらえて、牧師は平和のために派遣されること、そのためにイエスご自身によって「聖霊を受けなさい」と聖霊を授けられると新任牧師への励ましを語り、祝福を祈りました。
3名はそれぞれのご家族、ご友人、出身教会をはじめ研修などで特にお世話になった教会、そして神学校の関係者など、これまで祈り続けてくださった多くの方に押し出されるようにして、十字架の前にひざまずき、「主の恵みと助けによって聖なる職務を果たすことを約束します」との誓約へ導かれました。そして、職務のしるしとして、任地(別記の通り)の教区長よりその肩にストールを授与されました。

東教区「3・11を覚える礼拝」

東日本大震災の発生から7年となる3月11日。東京教会と会場として標記礼拝が行われました。
震災後ボランティア活動を続けている聖望学園高等学校の方々より、現地のこれまでと今について、そして被災者とひとくくりにせず、そこで暮らすお一人おひとりとのつながりを持ち続けることについてお話しを伺いました。礼拝では元ルーテル教会救援派遣牧師であった野口勝彦牧師により創世記9章のみ言葉が分かち合われ、共に黙想し祈りを合わせました。

日本福音ルーテル教会人事(2018年度)

○退職(2018年3月31日付)
・青田 勇(定年)
・江藤直純(定年)
・齊藤忠碩(定年)
・谷川卓三(定年)
○新任
・多田 哲
・野口和音
・森田哲史

○人事異動(2018年4月1日付)
【北海道特別教区】
・日笠山吉之 恵み野教会(協力牧師・兼任)
・中島和喜  恵み野教会(主任)、札幌教会(協力牧師・兼任)
【東教区】
・市原悠史  横浜教会(主任)、 横須賀教会(主任)
・河田 優  三鷹教会(主任・兼務)※5月30日まで
・高村敏浩  三鷹教会(主任)※6月1日付
・多田 哲  日吉教会(主任)
・野口和音 長野教会(主任)、松本教会(主任)
・松岡俊一郎 甲府教会(主任・兼任)、諏訪教会(主任・兼任)
・三浦知夫 東京池袋教会(主任)
・李 明生 田園調布教会(主任)
・渡辺高伸 津田沼教会(主任)
【東海教区】
・野口勝彦 みのり教会(主任)
・森田哲史 新霊山教会(主任)
【西教区】
・秋山 仁  喜望の家(主任・兼務)
・加納寛之  福山教会(主任・兼任)
・鈴木英夫  三原教会(主任・兼任)
・松本義宣  松山教会(主任・兼任)
【九州教区】
・白川道生  唐津教会(主任)、小城教会(主任)、佐賀教会(主任)※6月1日付
【出向】
・宮本 新  ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校
○待機
・山田浩己
○復職
・後藤由起  ※一般から嘱託への任用変更/東教区付

▽宣教師
【ELCA長期宣教師】
・アンドリュー・ウィルソン ルーテル神学校(8月1日職務開始)
・セーラ・ヒンキリー・ウィルソン 東教区付/東京教会(8月1日職務開始)
・安達 均 神水教会、松橋教会(4月1日職務開始)
【ELCA信徒宣教師〈特別契約〉】
・ポール・フォーサイス 本郷学生センター(4月1日)
【LEAF信徒宣教師】
・ミリュアム・ハリュユ 東教区付/市ヶ谷教会(4月1日任地変更)
【J3宣教師プログラム】
・ブレント・ウィルキンソン ルーテル学院中学・高校(3月31日退任)
・スコット・カルズニー ルーテル学院中学・高校 (4月1日新任)

○その他
▽牧会委嘱(2018年4月1日付/1年間)
・明比輝代彦 掛川・菊川教会
・乾 和雄 神戸東教会
・北尾一郎   甲府教会
・齊藤忠碩  復活教会
・渡邉 進  沼津教会
・藤井邦夫  宇部教会
・谷川卓三  松山教会
・白髭 義  甘木教会                  以上

18-03-18エロイ エロイ レマ サバクタニ

昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である(マルコによる福音書15・33〜

 エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ!この印象的な主の最後の言葉がなぜ原語で採録されたのか。それは、マルコが「これが福音の神髄である」と確信したからである。

 今年はマルコ福音の年。マルコ典礼を奉ずるコプト教会が昨年日本に初めての礼拝堂を開いた。その時の記念礼拝がコプト教会の教皇を迎えて開催された。2時間に及ぶ礼拝は鐘太鼓も含め終始喜びの調べにあふれていた。
コプト教会は1世紀以来、エジプトでマルコの伝統を伝えている。そのマルコの福音書の1章1節に「神の子の福音の初め」とあり、そして最後の15章39節「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『本当に、この人は神の子だった』と言った」とあり、神の子の福音が語られている。「神の子」の福音である。

 コプト教会が今なお多くの殉教者を出しながら、喜びをもって耐え忍んでいるのは、彼らが人間的イエスではなく神の子としてのイエスを信じているからだと思う。しかし、そのマルコが福音書の中では「人の子」イエスを描いているのだ。その子イエスが「神の子」として奉じられる。これが私たちの主イエス・キリストである。

 「人の子」として罪びとの仲間になられた。だが「罪びとの仲間」はまだ罪びと自身ではない。だが、十字架のあの叫びは、神の子が罪びとの一人に数えられた瞬間であった。神に捨てられ独りにされることが神の子における罪びとの標識である。この時のためにイエスの生涯は導かれた。そしてそれが神のご計画であった。神なき世にあって苦しむ人々との一致がこの瞬間に成った。神の子が私のために、もはや正しい事を言われず、ただ、同じ罪人となられた!

 ボンヘッファーは「深いこの世性」と言った。それは「この世の一致」である。これには「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」が絶えず共振している。これによって、垂れ幕が裂け、二つの分裂したものが一つにされた。神と人とが共に生きる地平が開かれた。神の子が罪びととされた絶望のこの叫びによって、教会は仮現説から決別し、真の神の子の告白を選び取った。この世の一致とは罪びとの一致であることがわかった。

 民族、宗教、人種、階級、能力、気質などの異なりを超えて人々を一致へと導く可能性は、それぞれの痛みや苦しみを寄せ合う交わりと連帯にあるのではないか。この点を出発点として全ての人が一致出来る。そしてその一致は神ご自身がその真ん中に立たれる一致である。そのことがイエスの十字架のあの叫びで成就したと、マルコはそう思ってあの叫びを、原語を残しつつ、福音の終わりとして、ローマの百人隊長をして「この人こそ神の子だった」と言わしめ、異邦人を含め全ての神の民を神の子とする福音を語り終えた。

 神が私たちのために罪びととなられたことによって神の堕落論のロックが解除され始動する!絶望は悪魔の分断のしるしから神の恵みのしるしへと変えられた。神の子であるイエスにおいて、義人の矜持という自分をガードする何ものもなくなり、神の恵みが自由に出入りできるようになった。神の子の絶望によって!神の子が罪びととなることによって!罪びとは神的普遍性を獲得した。恵みによってのみ生かされる普遍性である!

 その十字架の叫びから、全ての人間の苦しみを担い支える恵みが磁力線として発せられる。ヒロシマ―ナガサキ―アウシュビッツを経験した人類は、個人の罪に限定された十字架の神学の地平を、苦しむ人々全てと連帯することへと全面的に突破しなければならない。それは苦しむ一人ひとりが、自ら罪びととなって私たちをご自身へと結びつけてくださる方により、蘇る恵みに迎えられたからだ。

 そうして全ての人は一つとされ、神と共に生きる者となる。神の福音はイエスの十字架の「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」から永遠に発せられる光である!
日本福音ルーテル三原教会、福山教会 牧師 谷川卓三

18-03-01るうてる2018年3月号

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説教「エロイ エロイ レマ サバクタニ」

日本福音ルーテル三原教会、福山教会 牧師 谷川卓三

昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マルコによる福音書15・33~34)

エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ!この印象的な主の最後の言葉がなぜ原語で採録されたのか。それは、マルコが「これが福音の神髄である」と確信したからである。
今年はマルコ福音の年。マルコ典礼を奉ずるコプト教会が昨年日本に初めての礼拝堂を開いた。その時の記念礼拝がコプト教会の教皇を迎えて開催された。2時間に及ぶ礼拝は鐘太鼓も含め終始喜びの調べにあふれていた。
コプト教会は1世紀以来、エジプトでマルコの伝統を伝えている。そのマルコの福音書の1章1節に「神の子の福音の初め」とあり、そして最後の15章39節「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『本当に、この人は神の子だった』と言った」とあり、神の子の福音が語られている。「神の子」の福音である。
コプト教会が今なお多くの殉教者を出しながら、喜びをもって耐え忍んでいるのは、彼らが人間的イエスではなく神の子としてのイエスを信じているからだと思う。しかし、そのマルコが福音書の中では「人の子」イエスを描いているのだ。その子イエスが「神の子」として奉じられる。これが私たちの主イエス・キリストである。
「人の子」として罪びとの仲間になられた。だが「罪びとの仲間」はまだ罪びと自身ではない。だが、十字架のあの叫びは、神の子が罪びとの一人に数えられた瞬間であった。神に捨てられ独りにされることが神の子における罪びとの標識である。この時のためにイエスの生涯は導かれた。そしてそれが神のご計画であった。神なき世にあって苦しむ人々との一致がこの瞬間に成った。神の子が私のために、もはや正しい事を言われず、ただ、同じ罪人となられた!
ボンヘッファーは「深いこの世性」と言った。それは「この世の一致」である。これには「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」が絶えず共振している。これによって、垂れ幕が裂け、二つの分裂したものが一つにされた。神と人とが共に生きる地平が開かれた。神の子が罪びととされた絶望のこの叫びによって、教会は仮現説から決別し、真の神の子の告白を選び取った。この世の一致とは罪びとの一致であることがわかった。
民族、宗教、人種、階級、能力、気質などの異なりを超えて人々を一致へと導く可能性は、それぞれの痛みや苦しみを寄せ合う交わりと連帯にあるのではないか。この点を出発点として全ての人が一致出来る。そしてその一致は神ご自身がその真ん中に立たれる一致である。そのことがイエスの十字架のあの叫びで成就したと、マルコはそう思ってあの叫びを、原語を残しつつ、福音の終わりとして、ローマの百人隊長をして「この人こそ神の子だった」と言わしめ、異邦人を含め全ての神の民を神の子とする福音を語り終えた。
神が私たちのために罪びととなられたことによって神の堕落論のロックが解除され始動する!絶望は悪魔の分断のしるしから神の恵みのしるしへと変えられた。神の子であるイエスにおいて、義人の矜持という自分をガードする何ものもなくなり、神の恵みが自由に出入りできるようになった。神の子の絶望によって!神の子が罪びととなることによって!罪びとは神的普遍性を獲得した。恵みによってのみ生かされる普遍性である!
その十字架の叫びから、全ての人間の苦しみを担い支える恵みが磁力線として発せられる。ヒロシマ―ナガサキ―アウシュビッツを経験した人類は、個人の罪に限定された十字架の神学の地平を、苦しむ人々全てと連帯することへと全面的に突破しなければならない。それは苦しむ一人ひとりが、自ら罪びととなって私たちをご自身へと結びつけてくださる方により、蘇る恵みに迎えられたからだ。
そうして全ての人は一つとされ、神と共に生きる者となる。神の福音はイエスの十字架の「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」から永遠に発せられる光である!

連載コラムenchu

(24)【 MacGuffin 】

 

映画監督のアルフレッド・ヒッチコックは、自分の映画について語るとき「マクガフィン」という言葉を使うことがあります。そのヒッチコックが、フランソワ・トリュフォーによるインタビューの中で、「マクガフィン」とはスパイ映画などで敵味方が奪い合う「砦の地図」や「密書」のようなもので、それ以上の意味はないと答えた後、こんな小咄を紹介しています。『ふたりの男が汽車の中で会話を交わした。「棚の上の荷物は何だね」とひとりがきくと、もうひとりが答えるには、「ああ、あれは、マクガフィンさ」。「マクガフィンだって?そりゃなんだね」。「高地地方(ハイランド)でライオンを捕まえる道具だよ」。「ライオンだって?高地地方にはライオンなんていないぞ」。すると相手は、「ほら、マクガフィンは役に立っているだろ」』『定本 映画術』晶文社)。
この小咄が面白いのは、「ライオンが存在しない」という事実を実体の伴わない「マクガフィン」なるもののせいにしていることですが、この小咄は、私たちに大切なことを思い出させてくれます。それは、私たちの居場所を「ライオンのいない」場所…ライオンのいない場所とは、いつライオンに襲われるかという不安に怯えなくてもいい場所…にしていくためには、「マクガフィン」なるものが必要だということです。それは、直接目に見える高性能な武器(銃器やミサイル)のようなものではなく、パウロの言う「霊の結ぶ実」のようなものであり、「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(ローマ5・22~23)のことなのだと思います。(了)岩切雄太(門司教会、 八幡教会、 佐賀教会、 小城教会牧師)

議長室から

「それぞれの十字架を」

総会議長 立山忠浩

 

十字架を覚える季節になりました。諸教会の十字架の形が様々であるように、その意味もひとつではありません。もっとも重要なものは主イエスが負ってくださった十字架です。ご自身のためではなく、私たちの罪や弱さなどを背負ってくださった贖罪の十字架です。
それだけでなくイエスは「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マタイ16・24)と言われました。誰にでも、他者とは異なる自分自身の十字架があるのです。これも十字架の大切な意味です。
新約聖書では、十字架は別の言葉で表現されることがあります。パウロは「めいめいが、自分の重荷を担うべきです」(ガラテヤ6・5)と記しています。重荷という言葉です。さらに「互いに重荷を担いなさい」(同6・2)と命じるのです。
このように言うと、十字架はまるでアクセサリーのように、よりどりみどりで、自分で好きなものだけを選び取ることができるように聞こえるかもしれません。しかしそうではありません。どの十字架も欠けてはならない重要な価値を持っているからです。私たちは時として、それらのひとつだけを選び取り、その意義だけを強調し、他のことが疎かになってしまっているのです。
例えば、福音書の十字架について詳しく、熱心に語ることがあります。聴衆の心を強く動かすほどに十字架を宣べ伝えたとしても、自分の背負うべき十字架についてあまりにも無感覚であるならば、それは聖書の十字架を受け止めたことにはならないでしょう。特に牧師たちの見落としがちな点であり、私自身においても忘れがちな課題です。
自分の十字架を他者やある出来事から突き付けられ、深い気づきを与えられることもあるでしょう。心砕かれるときであり、恵みの体験です。でもそれで終わるのであれば悲しいのです。そこから隣人や社会、自然界の十字架を少しでも担うことへと向かうことが期待されているのです。
それとは逆に、自分以外の他の十字架の存在を人々に知らせ、それを担うように啓蒙することに尽力することもあるでしょう。重要な働きです。しかし自分自身の十字架を見つめ、受け止めることが疎かになるならば、それも悲しいのです。
四旬節、それはそれぞれの十字架が自分のものであることを心に刻み、それらを担いながら毎日を生きることです。いずれの十字架もその中心には主イエスがいてくださること忘れずに。

プロジェクト3・11

今年度の活動報告

プロジェクト3・11企画委員   小泉 嗣

 

忘れられない一日がある。忘れてはならない一日がある。しかしその一日は過ぎた一日であり、そこから更に新しい一日を積み重ね、私たちは今を生きている。
2011年3月11日、あれから私たちは2500日ほど一日を積み重ねた。被災地に生きる人、その地を離れ新しい土地に生きる人、被災地を訪れた人、今なお訪ね続ける人、それぞれの積み重ねた一日がある。ある人は悲しみが増し、ある人は苦しみや痛みが増し、ある人は自らを悔い、ある人は悩みを深める…。希望を見いだした一日、不安が増した一日、笑った一日、泣いた一日、悩んだ一日、みんな色んな一日を積み重ねてきた。
プロジェクト3・11はルーテル教会救援(JLER)の活動終了に伴い始められた東教区の被災地支援活動である。といっても具体的な大きな活動をすることは出来ず、募金を呼びかけることと、東日本大震災によって出会った人々、あの時同じ一日を過ごした人々と出会う機会を一年に一度もつことを目指して活動を続けている。それは被災地に生きる人々の一日と、被災地を思う人々の一日をつなぎ合わせる活動であるともいえる。
残念ながら当プロジェクトとして東北に足を運ぶ機会を設けることはできなかったが、関わりを持つ学生や女性会の被災地訪問にメンバーが同行させていただいた。また本年も全国の個人、教会、集会から59万6543円の献金が献げられ、教区の支援金と合わせ、いわき放射能市民測定室「たらちね」、いわき食品放射能計測所「いのり」、キッズケアパークふくしま、北海道寺小屋合宿(原子力行政を問い直す宗教者の会)、松本こども留学、福島移住女性支援ネットワークの6か所を支援させていただいた。感謝と共に報告させていただく。
また東教区では今年も3月11日に「東日本大震災を憶える礼拝」を持つ。一日を積み重ねることが叶わなかった人々を憶え、今なお厳しい一日を積み重ねる人々を想い、私たちが積み重ねてきた一日を思う。祈りをあわせる一日としたい。

カトリック教会は、日本のカトリック教会の皆さんに宗教改革500年共同記念の意義を知らせるため、リーフレット『カトリックと宗教改革500年』(発行・カトリック中央協議会、制作・宗教改革500年記念行事準備委員会)を作成しました。編集責任を負われた光延一郎神父(イエズス会・上智大学教授)よりご提供いただき、紹介します。

カトリック宗教改革500年⑤

宗教改革小史(1)

1.近代の幕開け
中世末期、教会は分裂(1378~1417)し、その権威は失墜していました。 他方、この時代は新しい時への過渡期でもありました。新大陸の「発見」、ビザンツ帝国滅亡(1453)、イベリア半島のレコンキスタ運動終結(1492)、グーテンベルクによる活版印刷術の発明、コペルニクスらによる自然科学の台頭です。またルネサンス人文主義という、人間性の追求とその尊厳の自覚を促す思想が広がっていました。 そんな中、キリスト教会においてもすでに15世紀には、教会改革が勢いを増していました。免償状売買悪弊改善や聖書の多国語翻訳、また「デボチオ・ モデルナ(新信心)」と呼ばれる信徒運動などです。ルターが入会したアウグスティヌス隠修士会も改革修道会の一つでした。宗教改革の先駆的な運動も、英国のウィクリフ(1320頃~1384)やボヘミアのフス(1369頃~1415)、イタリアのサヴォナローラ(1452~1498)などにより始まっていました。

2.ルターの問題提起
1517年、マルティン・ルターが『九十五ヵ条の論題』において、ドイツにおける免償状販売の不当を訴えつつ、当時のローマ教会のあり方への討論を呼びかけたことから、ドイツの宗教改革が始まりました 。彼の主張の根本は、人が救われるのは、免償状を買うことによってではなく「信仰によってのみ義とされる」(信仰義認)ことでした。
・第37条「真のキリスト教徒はだれでも、生きている者であれ死んでいる者であれ、免償状がなくとも彼自身への神からの賜物として、キリストと教会のすべての財宝にあずかっている」
・ 第62条「教会の真の宝は、神の栄光であり、恵みである最も聖なる福音である」

JELAアメリカ・ワークキャンプ2018 参加者募集

1977年にアメリカのキリスト教青年書専門出版社である「グループ」社がはじめたボランティアキャンプに、2001年より日本から毎年青少年を派遣しています。キャンプでは全米から集まる200~400人の青少年と共に、高齢者、障碍者や低所得者などが自力では難しい家の修繕を支援しながら、クリスチャン向きのプログラムを提供します。ノンクリスチャンの方でも参加できます。
日程:2018年7月25日(水)~8月7日(火)14日間
対象:2018年8月1日現在で14歳~20歳の方
募集人数:5~10名前後(人数調整のため、選考があります。)
内容:ペンシルベニア州で1週間のワークキャンプ(家屋修繕、聖書の学び等を通して参加者の信仰的・人間的成長を促す催し)に参加し、近隣の州でホームステイもします。
参加費用:20万円
*割引き制度あり。海外旅行保険、パスポート・ビザ取得費用、派遣確定者向け説明会会場や出発・帰国時の集合場所(成田空港)から本人の居住地までの交通費及び前泊・後泊する場合の宿泊費は、上記の参加費とは別に個人負担となります。
申込方法:所定の申込書に必要事項を記入の上、JELAアメリカ・ワークキャンプ係まで、メールjela@jela.or.jpまたはFAX 03-3447-1523にてお送りください。
締切:2018年4月30(月)必着(選抜を行い5月上旬までに参加の可否をお知らせします)
参加者説明会:2018年6月中の予定。場所はJELAミッションセンター(東京都渋谷区恵比寿1-20-26)

*参加者の都合により日程等を変更する場合があります。
*この他、注意事項などの詳細は、以下のURLからご確認ください。
http://jelanews.blogspot.jp/2017/09/2018_20.html

 

宗教改革500年共同記念の意味

ローマ・カトリック教会の青年たちの手によって制作されている、インターネットラジオ番組「カトラジ!!」が毎週土曜日に配信されています。番組内の「出張!えきゅぷろ!」というコーナーで、昨年11月に長崎で行われた「共同記念企画」について、白川道生宣教室長のインタビューが配信されました。聞き手は、2017年夏にルーテル教会、カトリック教会、日本キリスト教団の青年有志が企画したエキュメニカルプロジェクト「えきゅぷろ!」の実行委員の青年たちです。

【インタビュアー】宗教改革500年共同記念を長崎で行われましたが、この意味と意義についてどのように感じていますか。将来、この日はどのように見えてくると思いますか。

【白川】寄せられた感想としては、「こういう時間や空間を作ることができるのだと驚きと喜びを感じた」、「それぞれの教会が別々な感じがしなくて、とてもいい時間だった」といった声が多くあります。
色々と相違を抱えている両者ですが、別々なものではないと感じる時間を体験した、これはこれからの歩みに大きな意義をもつのではないかと思います。

【インタビュアー】カトリック教会から参加した青年からは「同じように、祈ることができるのだなと思った」、「普段の礼拝とは違うものと感じたとは想像しますが、同じ方向を向いているのだなと強く感じられた」、「雰囲気がとても温かくて、一緒の家に住んでいるのだと感じた」(笑)といった感想を聞きました。

【白川】「双方がこのような体験を持った、そこに意味があるのではないか」と印象を語られた方も多かったですね。すべてが一致しているわけではなく、あい変わらず違いがあるわけです。それでも一緒にいられるようにと努めた。これについては、今回の宗教改革500年共同記念の取り組みを通して学ばせてもらいました。
『争いから交わりへ』の中に繰り返し出てくるのですが、過去の宗教改革の記念を振り返って見えてくるのは、どちらの教会も、今こそ自分の正しさを語ろうとエネルギーを注ぎ、新たな緊張というか衝突が生まれていったのだという気付きです。
確かに「正しさは何か」とは大事な問いであるのですが、一方で、「どうしたら他者と共に居られるのだろうか」と考えるのは、もっと大切だと思います。今回、その問題意識を両教会が共同で考えた、これはものすごく大きな意味があったと考えています。どう思いますか。

【インタビュアー】これまでカトリックとルーテルに、お互いの交流はありませんでした。無関心というのか、「向こうは向こう、こっちはこっち」、そんな感じでした。でも長崎に集まって空間・時間を共有できました。また、私たちは夏に「えきゅぷろ!」を開催したのですが、同時代に生まれた同年代の人々が集まって、結構同じようなことを考えているってわかりました。信じているものは同じという安心感もあって、共に神に造られた存在なのだ、私はそう感じました。

【白川】私たちは教会の外の人から「キリスト教さんは愛の宗教だから、いつも仲良くやっているのでしょう」と見られているように思います。そこが現代社会からの宗教に対する期待でもあると感じるのですが、果たしてこの期待にキリスト教会は応えられているのだろうかと疑問を持ちました。ですから、同じ時代を生きている人が一緒にいるためにはどうしたらよいのか、反対にどうなると一緒にいられなくなるのか?たくさんの違いが存在している今の時代に、違いを持ちながら一緒にいるにはどうしたらよいのだろうかと考えました。イエスさまの「平和を実現する人は幸い」とのみ言葉に重なってゆくように感じられました。
平和の実現をたずね求め、対話し、一緒に祈る。そこにみんなが意味を見出して集った。この姿を通して一つの証しができたのではないかと思っています。

【インタビュアー】対話の前に、難しさをイメージしてしまう感覚があります。向き合うこと自体が難しいのではないかと感じてしまうのです。今回、「えきゅぷろ!」とか「共同記念礼拝」を実現できた、そのこと自体に意味があったと思います。教皇フランシスコが「外へ出てゆきなさい。自分たちが外に出てゆく、そこに意味があるのだ」と訴えています。そしてルーテル世界連盟のユナン前議長さんもそれを訴え、実践しています。私自身はそれを知ったのは大きいかなと。

【白川】今回の共同記念の成立要件を挙げるとすれば、そのひとつは世界規模で呼びかけられたメッセージの存在です。カトリックの教皇フランシスコとルーテル世界連盟のムニブ・ユナン議長が、2016年10月31日にスウェーデンのルンドにおいて共同主催で礼拝を行いました。ここから発せられたエネルギーは世界に向けて一つの希望になりました。
かつて争った両者は既に争いを克服して、共通の責務に立って共に歩んでゆきます、とその姿を目に見えるかたちにして発信したのです。この道に今回の日本での企画もありました。このポジティブなエネルギーを絶やさないように心がける、それがこれからの課題ではないかと思っています。
長崎での共同記念のような大きなレベルだけでなく、全国の様々なレベルに拡がってゆき、各地からの呼びかけが響きあうようになれば、もっとエネルギーが大きくなり、意義も強く感じられてくるのではないでしょうか。「えきゅぷろ!」も、その点では一つのシンボリカルな意味があると感じます。全員が出席できるわけではないし、「所詮、東京でしょ」、などと言われてしまうかもしれないけど(笑)、そこは希望のシンボルでしょう。

【インタビュアー】「えきゅぷろ!」は宗教改革500年だからという背景で実施できました。けれど、今後続けていってよいものなのか、次回に続けてゆくべきなのだろうか、そうであればどのような方向でしていけるのだろうかと悩んでいるのです。ですから、たとえ小さな動きでも行う、そこには意義があると言われると嬉しい思いがします。

【白川】いいですね。そうやって、答えがわからないけれど、どうせわからないからとやり過ごさず、立ち止まって一緒になって「これってどうよ?」と話を交わしてゆく、若いうちにそのような体験があるのは大事だと思うのです。若いうちに悩むべきことに悩む。悩まなくなると無関心になり、もうこの現状でもいいとなって、流れてしまうことが少なくないと思うからです。
今の時代には、沢山の「これってどうよ?」という問題が起きているでしょう。悩む感性を持っていれば、悩まざるを得ないと思います。一人で悩んでも解決できない難問の前で、それを解決してゆくために誰と一緒に悩むか。求められる役割や使命に共通性を見つけられるか。ここも今回、教会に問われた点だと感じています。
「エキュメニズムに関する教令」(1964年)からも学ばせてもらいました。「教会を外に開く」というとき、いったい何のために開くのか。伝道によって人を教会に引っ張り込むために開くのか。そうではなくて、この社会、時代、世界にある現実の中に、福音がどういう風に証しされているのか、福音の実践は拡がっているのか見つけてゆく、そのための開放ではないかと思います。

【インタビュアー】私はカトリック教会のメンバーなのですけれど、カトリックの中だけではなくて、違う立場の青年が同じ悩みを共有してくれるというか、一緒に悩んでくれ、一緒に答えを出してくれる。それはありがたいし、凄く力になります。「えきゅぷろ!」のトークセッションで語られたのですが、宗教改革運動当時のルターも青年だった。そして伝道をしたイエスもまた青年だったということにとても励まされます。

【インタビュアー】ひとつの課題を共有しようとする時、そこに考え方や立場の異なる人が一緒に考えることで、それまで自分が見えなかった考えが多角的に見えるようになると思います。「えきゅぷろ!」もそのような場であってほしいし、今後もがんばって続けてゆこうと思います。

【白川】とてもいいなと思いますね。というのは、もし、回答を持っている人だけが集まるのが「えきゅぷろ!」という感じになったら、人は来なくなるのかなと思うのです。答えがない人もそこに一緒に居て、みんなで「どうよ?」と話ができる、そのような場を若者に提供してくれる、それは大きな役割だと思うので、応援しています。

【インタビュアー】多様な立場を持ちながら一致をしていくために何が必要なのか。私たちはどうやったら一致していけるのか、そのことを考えるためにも「えきゅぷろ!」を続けていこうと思います。今日はありがとうございました。

退職にあたって

青田 勇

1975年より聖ペテロ教会、その後、二日市教会、大江教会で、計17年、九州教区での働きを与えられました。その後、広報室長の任を受け、事務局長に選ばれ、7年間全体教会の職務を担わせていただきました。その後、再度教会の現場に戻り、稔台教会、静岡教会を歴任させて頂き、また2008年からは副議長及び宣教室長、次いで管財室長、そして2015年からは管財室長・参与との兼務で東京池袋教会の牧師とさせていただきました。
今から52年前のクリスマスに湯河原教会で洗礼を受けましたが、その礼拝後、教会の中心的存在の女性に語られた言葉を今でも忘れません。「青田君、今からはこの教会はあなたのものですよ」という言葉です。それから9年後、九州の教会の牧師として赴任していった時に、その言葉の意味がよく分かってきました。「この教会はあなたのものですよ」という言葉は単に教会の建物、組織を言ったものではありません。「あなたはこの教会の群れに招かれ、神の救いのみ業に召されているのだから、与えられた教会の職務と神の宣教のみ業を担うものとしての自覚を持つのです」という願いと祈りが、その言葉の中に込められていたと思っています。
今まで長い間支えてくださった多くの方々に感謝いたします。

江藤直純

締め括りの時が来ました。ふさわしくないにも拘わらず、罪の赦しの福音に生かされ、神様と教会の忍耐に支えられ、牧師として42年間ルーテル教会の働きに加えていただき、幸いでした。健康上の理由で一年早く退きます。
ルーテル神大・神学校と大学院で準備をし、1976年春に按手。初任地は熊本の大江教会。シカゴ留学の後、母校での神学教育とキリスト教に基づく他者援助の専門職養成を任じられました。34年間に百人余が牧師となり今のルーテル教会を担っています。福祉や臨床心理を学ぶ多くの学生・院生にもキリスト教倫理を中心に多くの科目を教授。12年間は神学校長、最後の4年間は学長。ご後援に深謝します。
教会担当は大江と兼務した三鷹だけでしたが、その代わり、宣教百年記念事業室長を4年併任、その後、全国伝道セミナー、聖書日課、パワーミッション21等に関わり、また長年の講壇奉仕で全国の信徒の方々と親しく交われ、信仰と教会の成長に携われて大きな喜びでした。信仰職制やエキュメニズム委員、ルター研究所員を務め、宗教改革500年を共に記念できました。
福音はますます必要とされます。皆様に主の祝福と力づけを祈ります。心から感謝しつつ。

齊藤忠碩

神戸教会のぞみ幼稚園で「主の祈り」を教えていただき、70歳に至るまで、救い主イエス様に恵みに次ぐ恵みをいただき、36年間の牧師生活を送ることができました。皆様のお支えと祈りに感謝します。
思い返せば、初任地の松山教会では夏休みの間、教会の庭でラジオ体操を行なったこと、ルーテルズという小学生野球チームを作り子ども達と汗を流したこと、進行性側索硬化症という難病患者の全国組織を結成したこと、また室園教会ではタイの女性を一年間牧師館で預かったこともありました。それから札幌教会、次いで市ヶ谷教会そして日吉教会とそれぞれに充実し、恵まれた牧師生活を送らせていただきました。
この間、心に決めて取り組んだことがあります。初任地での最初の役員会でのこと、代議員より「漫然と牧師をせず、目標をしっかりと持ってやってください」と言われ、「はい、分かりました」と答えました。それを今も思い出します。そして「今年はあの人、この人に洗礼を」、「今年はこんなプログラムを」と祈りながら牧師生活を送ってきました。
私は教会で神の愛をいただき、救われ、教会生活で喜びをいただきました。そして宣教へと押し出され、喜びの日々を過ごしてきました。もちろん家族の支えがあってのことでした。「敬天愛人」まさに恵みの人生が与えられました。感謝。

谷川卓三

42年間の牧師職の定年を迎えるにあたり、これまでに任ぜられた、掛川・菊川、清水、神戸東、高蔵寺、拳母・元町、大江・宇土、三原・福山の7つの諸教会群の天使たちに書き送ろう。
①教会は聖徒の交わりである。聖徒の交わりとしての教会は主の教会として永遠に続く。その教会は主が守り導く聖徒の交わりである。②霊的な義務を自覚してこそ力強いキリスト者となる。献身献財はその意識化を促すために重要である。③「私は洗礼を受けた者」との誇りを持ち、主と共に、主と一つとなって、主に委ねて雄々しく歩め。④礼拝はキリスト者にとって地上の天国である。その力によってキリスト者の日毎の生活は確かなものとされる。⑤牧師はそのために奉仕する者である。教会共同体に仕えた歴代牧師たちの連綿と継続された主の業を信徒共同体として大切にすること。⑥牧師の不足がある今、牧師の教会から信徒共同体としての教会へと意識変革の良き時が到来している。聖徒の交わりとして共に喜び泣く者たれ。⑦一致の主と共に、世界の民の一致のために存在する教会たれ。民族も宗教も人種も貧富も相性も異なる者が、争いではなく一致するために教会とキリスト者は霊において一つとなってひたすら尽くせ。

J 3 退 任 ・ 着 任 挨 拶

ブレント・ウィルキンソン

あっという間の4年間でしたが、そろそろアメリカに帰ります。2016年6月、熊本に戻った時に、初めて震災の被災地を見ました。完全な復興はまだですが、あの時に比べると、皆の努力で、大変進歩してきたのではないかと思います。
アメリカに帰ったら、教師になるために就職活動をするつもりです。日本で体験したこと、そして日本人の友達や生徒、同僚、教会のメンバーを絶対に忘れません。4年間、ありがとうございました。

スコット・カルズニー

私が日本での生活に慣れ、神さまが用意された働きをするために、お支えくださることを感謝します。私はキリストの福音を分かち合い、英語を教えるために来日しました。学生時代、聖書研究の顧問でもあった日本人教授にお世話になりました。教授は地球上のこの場所で神の国が前進するために私の研究を用いることを励ましてくれました。私は学校での仕事に加えて、熊本教会の仲間と夕食会を開き、まだ神の愛を知らない人との交わりを作りたいと思っています。あなたの人生に神の愛が豊かに示されることを祈ります。

 

ブックレビュー『ルーテル教会の信仰告白と公同性』(石田順朗著/リトン)

宮本 新(田園調布教会・日本ルーテル神学校)

 

2015年11月5日、石田順朗先生が召天された。翌月の本紙で清重尚弘先生による「実践する神学者」と題された追悼文を拝読した。あれから2年。この度の刊行により、再び「神様の元気」を取り次ぐ石田先生の肉声に触れる思いがした。
内容はルーテル教会について、知っているつもりで知らないことばかりであった。戦後ルーテル教会再編の頃のこと、開拓期の稔台教会はじめあちこちで起こった「神の出来事」、そして世界とその歴史と共にあるルーテル教会の姿など、折々の宣教の断面が「臨場感」をもってつづられている。 いずれも石田先生ご自身が身を投じて関わられた宣教の現場であった。それ故に「神学的自伝」である。しかしいわゆる回顧録とは趣を異にしている。本書の焦点は生ける神の働き(恵み)に向けられ、しかもそれが世界とそこに生きる人々に介在するという信仰の証言となっている。それ故に未来への励ましと提言に満ちている。先生のご活躍と多方面にわたる貢献もさることながら、本文から伝わる一貫した調子は神の恵みへの絶対的な信頼と期待であり、出会った人々への温かなまなざしであった。 是非、手に取って確かめていただきたいゆえんである。
ところで本書は『神の元気を取り次ぐ教会―説教・教会暦・聖書日課・礼拝』(2014年刊行)の続編にあたるという。未完のご遺稿をご伴侶グロリアさんと、ご遺志を形にしたいと願った方々によって世に出された。一人のキリスト者の生涯になんと多くの人が関わり、なんと多くのことが起こるものかと思わされた。刊行会の寄稿が含まれているのはそのためであり、これも恵みの証言となっている。
感謝!

18-02-18恐れからの救い

「その日の夕方になって、イエスは、『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、『先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか』と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、『黙れ。静まれ』と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。『なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。』弟子たちは非常に恐れて、『いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか』と互いに言った。」          (マルコによる福音書4・35~41)

「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」これは、2000年前に嵐の中で震えていた人たちに対するイエス様の問いかけです。もしもイエス様が今日、肉体をとって地上に来られるなら、同じ問いがイエス様の口から発せられるでしょう。
ルイス・ブラウンという学者が、石器時代の原始人について、こう語っています。「はじめに、恐れがありました。恐れは人の心のうちにありました。そして人を支配していたのです。恐れはいつも人を圧倒して、人に安らぐことを赦しませんでした。風の激しいざわめき、雷鳴の轟き、待ち伏せする野獣の唸り声が、人を恐れで揺さぶりました。人の毎日は恐れで塗りつぶされていました。人の世界には危険が充満していました。原始人は、すきま風が吹き込む穴倉で傷を癒しながら、恐れに震えるほかなかったのです。」
さて、現代人である私たちは、いろいろな面で進歩発展を遂げてきました。快適な家に住み、車に乗り、文化的な生活を送れるようになりました。しかし、それでもなお、古代人と同じように心に恐れと不安を持ちながら生きています。何故なのでしょうか。

 イエス様は、私たちに恐れるな、怖がるなと言われます。イエス様は一人一人が持っている恐れを取り除いてくださる方です。キリスト教は「恐れからの救い」を与えてくれます。

 神さまが救い主の誕生を知らせるために、天使を遣わされましたが、その天使はたった一回だけ説教する機会が与えられました。その説教の言葉が「恐れるな」でした。ルカによる福音書2章10節の言葉です。

 人生の最悪の敵、それは間違った恐れです。しかし、基本的には、恐れは良いことです。神さまは、人間に自らを守るために恐れるという能力を備えてくださいました。愚かな者は恐れるということを知りません。旧約聖書の箴言1章7節に「主を畏れることは知恵の初め」とあります。

 さて、マルコによる福音書4章35節以下を読みますと、イエス様と弟子たちはガリラヤ湖を渡ろうとしていました。すると突然、嵐になり、波が高まって、船に水が入ってきました。彼らは怖くなりました。どうしてでしょうか。彼らは嵐に比べて自分たちの力が小さすぎると思ったのです。それで沈みかけたのです。自分は小さい者だ。自分にはかなわない。その思い、それが、誰もが恐れる理由です。人はいろいろな出来事に出会って恐れと不安と心配をいつも感じながら生活しているものです。どうすれば恐れ・不安から癒されるでしょうか。

 イエス様は「まだ、信じないのか」と言われました。恐れを癒すたった一つの方法、それは「信仰」です。信仰は恐れを取り除いてくれます。しかし、間違ってはなりません。

 この信仰とは、嵐が起こるたびごとに、神を呼び求めると神はすぐ嵐を静めてくださるという意味ではありません。イエス様は、時には波風に向かって「静まれ、黙れ」と言われます。ある時には私たちの状況を変えられることもあります。また別の時には、私たち自身を変えてくださいます。私たちの人生にはいろいろな苦しみ不安、心配などが次から次へと出て来ます。それが自分で解決できない時、舟に乗っている弟子たちのように「先生、私たちが、おぼれてもかまわないのですか」と恐れから不平、不満を神さまに、時には回りの人たちにぶつけてしまうことがあります。

 その時、イエス様は嘆かれます。「なぜ、信仰がないのか」と。イエス様はいつも私たちと共にいてくださる方です。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイによる福音書28章20節)とイエス様は言われます。このみ言葉を信じる信仰が、私たちをすべての恐れから救い、恐れを取り除いてくれるのです。アーメン
日本福音ルーテル日吉教会 牧師 齊藤忠碩

18-02-01るうてる 2018年2月号

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説教「恐れからの救い」

日本福音ルーテル日吉教会 牧師 齊藤忠碩

 

「その日の夕方になって、イエスは、『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、『先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか』と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、『黙れ。静まれ』と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。『なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。』弟子たちは非常に恐れて、『いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか』と互いに言った。」(マルコによる福音書4・35~41)

「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」これは、2000年前に嵐の中で震えていた人たちに対するイエス様の問いかけです。もしもイエス様が今日、肉体をとって地上に来られるなら、同じ問いがイエス様の口から発せられるでしょう。
ルイス・ブラウンという学者が、石器時代の原始人について、こう語っています。「はじめに、恐れがありました。恐れは人の心のうちにありました。そして人を支配していたのです。恐れはいつも人を圧倒して、人に安らぐことを赦しませんでした。風の激しいざわめき、雷鳴の轟き、待ち伏せする野獣の唸り声が、人を恐れで揺さぶりました。人の毎日は恐れで塗りつぶされていました。人の世界には危険が充満していました。原始人は、すきま風が吹き込む穴倉で傷を癒しながら、恐れに震えるほかなかったのです。」
さて、現代人である私たちは、いろいろな面で進歩発展を遂げてきました。快適な家に住み、車に乗り、文化的な生活を送れるようになりました。しかし、それでもなお、古代人と同じように心に恐れと不安を持ちながら生きています。何故なのでしょうか。
イエス様は、私たちに恐れるな、怖がるなと言われます。イエス様は一人一人が持っている恐れを取り除いてくださる方です。キリスト教は「恐れからの救い」を与えてくれます。
神さまが救い主の誕生を知らせるために、天使を遣わされましたが、その天使はたった一回だけ説教する機会が与えられました。その説教の言葉が「恐れるな」でした。ルカによる福音書2章10節の言葉です。
人生の最悪の敵、それは間違った恐れです。しかし、基本的には、恐れは良いことです。神さまは、人間に自らを守るために恐れるという能力を備えてくださいました。愚かな者は恐れるということを知りません。旧約聖書の箴言1章7節に「主を畏れることは知恵の初め」とあります。
さて、マルコによる福音書4章35節以下を読みますと、イエス様と弟子たちはガリラヤ湖を渡ろうとしていました。すると突然、嵐になり、波が高まって、船に水が入ってきました。彼らは怖くなりました。どうしてでしょうか。彼らは嵐に比べて自分たちの力が小さすぎると思ったのです。それで沈みかけたのです。自分は小さい者だ。自分にはかなわない。その思い、それが、誰もが恐れる理由です。人はいろいろな出来事に出会って恐れと不安と心配をいつも感じながら生活しているものです。どうすれば恐れ・不安から癒されるでしょうか。
イエス様は「まだ、信じないのか」と言われました。恐れを癒すたった一つの方法、それは「信仰」です。信仰は恐れを取り除いてくれます。しかし、間違ってはなりません。
この信仰とは、嵐が起こるたびごとに、神を呼び求めると神はすぐ嵐を静めてくださるという意味ではありません。イエス様は、時には波風に向かって「静まれ、黙れ」と言われます。ある時には私たちの状況を変えられることもあります。また別の時には、私たち自身を変えてくださいます。私たちの人生にはいろいろな苦しみ不安、心配などが次から次へと出て来ます。それが自分で解決できない時、舟に乗っている弟子たちのように「先生、私たちが、おぼれてもかまわないのですか」と恐れから不平、不満を神さまに、時には回りの人たちにぶつけてしまうことがあります。
その時、イエス様は嘆かれます。「なぜ、信仰がないのか」と。イエス様はいつも私たちと共にいてくださる方です。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイによる福音書28章20節)とイエス様は言われます。このみ言葉を信じる信仰が、私たちをすべての恐れから救い、恐れを取り除いてくれるのです。アーメン

連載コラム enchu

(23) not favor but love

キルケゴールは、『哲学的断片』の中で「貧しい女性を愛した王の話」を物語ります。その中でキルケゴールは、王が女性に莫大な財産を与え自分と同等の者に引き上げることは、「本物の愛」ではなく「恩恵」を与えるにすぎない、と記すのです。王の愛が「本物の愛」であるならば「自分が相手のもとまで降りてゆくことが試みられなければならない」と。キルケゴールは、この物語を通して「愛」と「恩」は違うと言っているのです。
しかし、昨今の日本では、少なからずの人たちが、「愛」と「恩」を混同しているように思えます。なかでも「愛国心」という言葉を高圧的な口調で語る人たちは、明らかに、「愛」と「恩」を混同しています。というのも、彼らが叫ぶ「愛国心」とは、主人(国)のために尽くせ、ということだからです。「恩」とは、身分の高い者が身分の低い者に与えるものであり、主従関係を前提にしたものです。そして、「恩」を受けた者が主人に返すものは「愛」ではなく「忠誠」です。だから、高圧的に「愛国心」を語る人たちは、「国を愛する」ことではなく、「国に忠誠を尽くせ」と言い募っているのです。
それで彼らは、国に忠誠を尽くすことのできない(戦争になっても兵士になれない、武器を買うためのお金を差し出せない)人たちを、愛国的でない存在として排除します。彼らに「恩」を与えても仕方ない、という具合に。
しかし、主イエスが「貧しい人々は幸いである」と言われたように、国に忠誠を尽くすことのできない人たちこそが、私たちに「本物の愛」を開示してくれるのです。
岩切雄太(門司教会、 八幡教会、 佐賀教会、 小城教会牧師)

議長室から

「教会にあった鳥の巣」

総会議長 立山忠浩

 

一番寒い季節を迎えています。都南教会に植えられている花水木やぶどうの木は、枝だけがむき出しになっています。冬の風景はやはり寒々しいものです。ところが最近、どことなく温かい気持ちにされることがありました。
花水木の葉はぜんぶ落ちたはずなのに、なぜか一葉だけ残っているではありませんか。不思議に思い近づいて見上げると、野球ボールほどの小さな鳥の巣であることがわかりました。敷地の駐車場の真上にあったにもかかわらず、葉が生い茂っている時にはまったく気づかなかったのです。いや、人に気づかれないことを知っているから、何かの鳥がそこに巣を作ったのでしょう。それにしても、都心の教会でも命を育んでいる自然界の営みを身近に見ることができ、嬉しいことでした。
主イエスが「空の鳥をよく見なさい」(マタイ6・26)と言われたことを思い出しました。「よく見なさい」と言われたのですから、人々がいかに日常の風景の中に見逃していることが多いのかを喚起されたのです。私の場合も日常の営みをよく見ていなかったことに気づかされたのですが、遅まきながら、今は風雨に晒されているその巣をよく見てみたのです。
様々なことが思い巡らされて来ました。その一つが、なぜ人通りの多いところに巣を作ったのだろうかということです。都心には人のいない所などないという事情もあったことでしょう。でもそれだけでなく、木の下を通り過ぎる人たちが危害を加えることはないことを独特のセンサーで感じ取ったに違いありません。だから安心して巣作りと子育てを行ったのです。
この「安心」という言葉は、鳥の巣作りだけのことではないと思います。それは「平安」とか「平和」という言葉に言い換えることができるでしょう。人が生きて行くためには欠かせないものです。しかし、いつの時代でも、人々の生活では、それが危機に晒されているという現実から逃れることはできないのです。
教会の敷地に鳥が巣をこしらえたことは偶然かもしれません。でも私には、教会の存在の意味を改めて喚起しているように思えるのです。それは、キリストの平和を外に向かって宣教し、その平和の姿が少しでも目に見えるように、教会の内でも実現していかなければならないという使命の存在です。気高い使命ですが、臆することなく、期待と励ましの言葉と受け取りたいのです。

聖望学園における被災地生産物販売支援

プロジェクト3・11企画委員 久保彩奈

 

聖望学園では文化祭とクリスマス礼拝で毎年被災地の生産物販売支援を行っています。中でもボランティアでお世話になっている、石巻十三浜の西條さんのわかめとトロロ昆布を毎回販売してきました。この販売を行うのは、ボランティアを主な活動とするハイスクールYMCA部の生徒たちです。嬉しいことに、昨年の文化祭の日、他の教員から「さっき『わかめはどこで売っていますか?』と聞かれたよ。聖望の文化祭で東北のわかめ、定着したね!」と声をかけられました。生徒や卒業生、保護者の方々や教職員はじめ、今では毎年約200名ほどの方に購入していただいています。しかし初めから物販支援がうまくいったわけではありませんでした。
2012年の夏、初めてハイスクールYMCA部の生徒たちと共に東北の被災地へボランティアに行きました。生徒たちは被災地の痛みに触れ、「きっとみんな被災地支援のために買ってくれるだろう!」と文化祭のために強気な数のわかめ等を仕入れました。しかし、十分に周知されていなかったこともあり、残念ながら販売数は伸びず、文化祭終了間際に生徒たちは大量のわかめを持って職員室に行き、なじみの教員に「お願いします。買ってください」と頭を下げてお願いしました。クリスマス礼拝の際も他の生徒たちから「何でクリスマスなのにわかめなの?」と訝しげに聞かれた時もありました。しかし諦めずに説明と販売を続け、何より、このわかめがおいしいことが決め手となり、今では教員や保護者の方々、また卒業生から事前に「取り置きして欲しい」と依頼されるまでになりました。生産物販売支援を始めた当初より、販売数が伸び続けていることも嬉しい限りです。
この活動を通して、丁寧に説明を続けることや簡単に諦めないことの大切さを生徒から教えてもらいました。また「少しでも力になりたい」と願う、若く熱い心に励まされています。東日本大震災から7年が経とうとしていますが、温かい繋がりをこれからも大切にしていきたいと思います

カトリック教会は、日本のカトリック教会の皆さんに宗教改革500年共同記念の意義を知らせるため、リーフレット『カトリックと宗教改革500年』(発行・カトリック中央協議会、制作・宗教改革500年記念行事準備委員会)を作成しました。編集責任を負われた光延一郎神父(イエズス会・上智大学教授)よりご提供いただき、紹介します。

カトリックと宗教改革500年④

教会一致運動(エキュメニズム)の進展(2)

日本においても、日本福音ルーテル教会とローマ・カトリック教会の間で1984年から「ルーテル/ローマ・カトリック共同委員会」において対話が続けられています。その対話の実りとして『カトリックとプロテスタント―どこが同じで、どこが違うか』(教文館、1998年 写真�@)が編纂され、また2014年には、第二バチカン公会議『エキュメニズムに関する教令』の50周年を記念して、ローマ・カトリック教会、日本福音ルーテル教会、日本聖公会による合同礼拝も行われました。2017年の宗教改革500年記念の準備として、一致に関するルーテル=ローマ・カトリック委員会による報告書『争いから交わりへ』(2013年)も翻訳・出版されました(2015年、教文館  「エキュメニズム」(教会一致の推進)という言葉は、「家」を意味するギリシア語「オイコス」から派生する「オイクメネー」、すなわち「人の住む全世界」に由来し、全地に広がっていく教会を示します。「公会議(シノドス・オイクメニケー)」とは「全世界会議」であり、民族や国家的区別を越えた、キリストにおける人類共同体建設を展望しています。「エコロジー」も同じで、フランシスコ教皇は、 回勅『ラウダート・シ』の副題を「共に暮らす家をたいせつに」としました。

新刊案内『東京の名教会さんぽ』

光の存在による神の臨在を表現する美術家である鈴木元彦さんにより、『東京の名教会さんぽ』が出版されました。東京を中心に73の礼拝堂の写真が掲載され、建築学的視点とそれが祈りの場として用いられてきた経緯を含め、見どころを解説しています。
出版社のエクスナレッジは、建築やデザイン関連の書籍を中心に取り扱う一般の出版社であり、教会に来たことのない方が教会を訪ねるためのガイドとして用いられることでしょう。
カトリック東京カテドラル関口教会や聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂といった著名な礼拝堂に加え、日本福音ルーテル教会の市川教会、本郷教会、三鷹教会(ルーテル学院大学チャペル)、むさしの教会が取り上げられています。一般書店、オンライン書店でも入手可能です。

宗教改革500年に向けてルタ―の意義を改めて考える」を締めくくるにあたって

ルター研究所所長 鈴木 浩

 

どのくらい続けて書いてきたのか自分でも忘れてしまったが、毎月「るうてる」紙上をお借りして、宗教改革とそれに果たしたルターの役割やその背後の事情などを一貫性や連続性をあまり考えずに、その都度、大事だと思ったままに書き連ねてきた。短い文章をそれなりのポイントに絞って毎月まとめ上げるのは、文筆の才にいささか欠けのある身にとっては、正直、辛い仕事でもあったが、ルターに対する自分の思いを読者の皆さんと共有できるという喜びもあった。
昨年は日本でも「500年」を記念してさまざまなイベントが企画され、実行されてきた。11月には、長崎で「500年」を記念したカトリック教会との「合同礼拝とシンポジウム」の集いが開かれた。初めての企画であったと思うし、準備や調整にも大変なご苦労があっただろうと思うが、画期的な出来事であった。また、その実情には触れることはできなかったが、当事国のドイツでは「500年記念」がある種の国民規模の「社会現象」にもなっていたのかもしれない。
「500年」の様々なイベントが取りあえず最後を迎えつつあるこの時期、こうした様々な対話集会やイベントが「単なるお祭り」に終わらないためには、改めて「宗教改革」とは何であったのかを確認する必要があるであろう。その点は、そうした集会やイベントでは必ず強調されていたと思うが、何よりもルターが強調したのは、「神の福音を本来の姿に取り戻す」ということであった。「福音」とはそもそも、「神の憐れみは、何よりもまず罪人に向けられており、神が罪人と連帯してくださった」ということであった。それが、「クリスマスの出来事」であった。それは、「神が人間になった」という出来事であった。それを普通「受肉」と言うが、要するに「神の人間化」のことである。さらに言い換えれば、「神が人間と同じ立場に立った」ということであった・・・イエスも食事をしなければ腹が減るし、歩き続ければ疲れるし、弟子たちがわけの分からないことを言ったり、やったりしたときには、腹を立てるし、世の有様を見て涙を流すこともあった。「言は肉となり、わたしたちのうちに宿った」(ヨハネ1・14)とは、そういうことであった。
そのイエスの受肉を「福音」(素晴らしい知らせ)という言葉で言い表したのは、パウロである可能性が高い。教会の伝統も、イエスの生涯を描いた文書を「イエスの生涯」と呼ぶのではなく、「福音書」と呼んできた。最初の福音書であるマルコ福音書の原文は、「始め、福音の、イエス・キリストの、神の子の」と書き出されている。日本語の並び方とは正反対であるが、マルコが書いた文書のテーマが(イエス・キリストの)「福音」であったことは明白である。
「宗教改革」という運動はその福音を「再発見し」、福音の意味を「いっそう深い理解」をもって受け止めた運動であった。その発端に立っていたのが、マルティン・ルターであった。日本福音ルーテル教会、西日本福音ルーテル教会、近畿福音ルーテル教会など、教会名に「福音」を特に付加したそれぞれの教会の創立者たちのグループは、そのことを意識していたに違いない。
「宗教改革500周年」は、それを「記念した」諸教会や、それを「祝った」諸教会に一つの課題を与えた。「宗教改革の内実」を正しく継承し、それを深化させるという課題である。中世カトリック教会が福音の内実を見失っていたという事実は、他の教会にもその危険がないわけではない、という警告を与えている。
ここで必要なのは、(諸教会の動きも含め)世間の動向に右顧左眄(うこさべん)することなく、ひたすら神の言葉に耳を傾け、神の言葉に忠実であろうとする努力であるに違いない。わたしたちは、「見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ」と語ったのは、パウロであった。カール・バルトはルターのことを「あの大パウロ主義者」と呼んだ。
『キリストにならいて』という中世後期のベストセラーがあったが―日本語訳が何種類もあり、入手は簡単だと思うが―「キリストにならって」というのは少々恐れ多いにしても、わたしたちも福音に忠実に生き抜いた「パウロにならって」、福音に忠実な日々を送りたいと願っている。(完)

希望のうちに共に ―藤が丘の取り組み―

清野智佳子(藤が丘教会)

宗教改革500年を記念する行事が各地で催される中、2017年11月12日にカトリック藤が丘教会との交わりの時をもちました。この日、藤が丘教会から東急田園都市線の藤が丘駅を挟んで街の反対側に建つカトリック教会の聖堂で、まず当教会の佐藤和宏牧師による講演会が行われました。
第二バチカン公会議に端を発し、スウェーデンでの宗教改革500年共同記念礼拝に至る、カトリックとルーテルの半世紀にわたる対話や、新共同訳聖書の編纂作業、そして地元での協同の働きを模索するお話に、2教会合わせて100名を超える参加者が熱心に耳を傾けました。
講演に続き、カトリック教会が準備してくださった懇親会がもたれました。教会における信徒活動や教会暦に沿ったイベントなど、どちらの側にも知らないことが数多くあり、尚かつ共通理解の容易なことも見いだせて、話題に欠くことのない和やかな懇親会でした。
実はカトリック藤が丘教会との交流は2年前に遡り、主任司祭である小笠原優神父と教会員の当教会バザーへの来場をきっかけに始まりました。
交流を深めるに相応しい宗教改革500年の今年をスタートの時にしようと、手始めに春の教会ピクニックにカトリック教会の会員をお誘いしました。何人の参加があるか不安と期待の交流計画でしたが、当日は世代を超えて20人を超える参加があり、バーベキューや「藤が丘杯」をかけたパターゴルフを楽しみながら、良き交わりの時を持ちました。
7月の信徒音楽礼拝はカトリック教会の会員の友情出演を受け、当教会有志の藤が丘バンドの演奏が深まりました。10月にはカトリック教会バザーに当教会女性会が招待を受け、定評の手作りカードはバザー来場者に大変喜ばれました。
今回、会場を提供してくださったカトリック藤が丘教会に感謝しつつ、藤が丘の地での今後の2教会の交流が地域伝道の機会となり、喜びの満ちる働きとなるよう祈っています。

ブックレビュー『原発問題の深層 一宗教者の見た闇の力』(内藤新吾著/かんよう出版)

「いのちを愛し、 平和をつくりだす」

沼崎 勇(京都教会)

チェルノブイリ原発事故の翌年、西ドイツでは緑の党が連邦議会で躍進し、イタリアは国民投票で脱原発を決定した。そして、2011年に東京電力福島第一原発事故が起きると、ドイツ・スイス・台湾などが脱原発を決定した。しかし日本は、原発を維持している。
本書の著者、内藤新吾師が原発問題に関わるようになったきっかけは、「日雇い労働のおじさん」との出会いだった。彼は、原発に関する資料を入れたファイル2冊を、「これは自分が持っているより、先生が持っていてくれたほうが役に立つと思うから」と言って、内藤師に託した。この人は、生きていくために、放射線バッジを外して原発で働いていた。それを着けているとすぐにブザーがなり、「お前は明日から来なくていい」と言われるからだ。
現場を去った後も、いつガンになるかという恐怖がつきまとう。さらに、被曝労働は差別されるので誰にも言えず、悔しくて仕方がなかった、と内藤師に打ち明けたそうだ。内藤師は、こう述べている。「私は彼のファイルとともに、被曝労働者たちの恨みつらみを一緒に背負って生きていくことを、その日から決断した」(本書69~70頁)。
2016年、政府は、高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉と新型高速炉の開発を決定した。それは、高純度のプルトニウムを生み出すのに不可欠の技術だからだ。原子力技術は、平和利用も軍事利用も、どちらも可能である。そして、原子力技術をどちらに用いるかは、国の政策の問題である。だから内藤師は、本書の結びにおいて、こう主張するのだ。原発問題は、「いのちの問題であり、平和の問題であり、深く人間の倫理が問われている問題だということである。特に、私たちはキリスト者として、いのちを愛し、平和をつくりだす者として歩むことが、神様から期待され、私たちもまたそのように願っている」(本書120頁)。私たちには、今、為すべきことがある。

追悼 山本 裕牧師

特別な愛で

三浦知夫(みのり教会)

「山本先生には特別にお世話になりました」。東海教区におりますとこのような思いをもっておられる方にしばしばお会いします。人を大切にされる先生でした。一人一人に心を配り、その人の賜物や長所を見つけ、またその賜物や長所が生かせる教会の働きを見つけて教会を整えていく、そんな宣教をされた先生でした。そのようにされながら「『主の山に備えあり』、神様は次にどんなことを備えていてくださるのか、楽しみだ」とよく言っておられました。
山本先生の許で宣教研修をさせていただいた頃も、その後、先生がアメリカから帰国され同じ地区の牧師として働く機会を与えられた中でも、一人一人を大切にされる姿を間近で見てきました。私も先生から特別にお世話になったと感じている一人です。
みんなが特別だとしたらそれはもう特別ではないのに、そのように思わせてしまうほど人を大切にされる先生でした。そして、それはイエス様の私たちへの関わりと似ていると思いました。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」というイエス様の言葉に従い、主のために、主から託された教会のために、教会に連なる一人一人のために歩まれた山本先生だったと思うのです。
2年前に大きな病気をされた後は、主が備えられたご家族との時間を大切にしながら過ごされ、昨年12月に主が備えられた天の国に旅立っていかれました。今、山本先生も、特別な主の愛の中におられるのだと感じています。

第27回総会期 第5回常議員会報告

事務局長 白川道生

第27回総会期第5回常議員会が、11月6日から8日にかけて、ルーテル市ヶ谷センターで行われました。
会議出席の常議員らは、教会行政の立場から、来る2018年に予定される全国総会を視野に入れ、提案すべき事柄を整理し取りまとめてゆく時期にさしかかっているとの認識を共有しながら諸々の協議を行いました。
▼報告事項
宗教改革500年となった2017年は、様々な場面でこの意義を汲んで諸行事・企画が展開されてきましたが、北海道から九州まで、5教区いずれにおいても教区を挙げて行事が実施されたとの報告がありました。
立山議長が「ルーテル教会のアイデンティティーを学ぶ機会にする」、「伝道の好機とする」等、いくつかの狙いを示して推進してきた一連の計画が、宗教改革の足跡を受け継ぎつつ、現代の教会の姿を探求する機会になったという振り返りに合わせて、感謝とこれからの宣教への決意が分かち合われる雰囲気が印象的でした。
また、この常議員会では、宣教会議と同様に、式文委員会によって進められてきている礼拝式文の文言につける典礼曲が紹介され、これに対する意見交換の時間を持ちました。これも全国総会での提案事項とするために、引き続き制作を積み重ねる工程が確認されました。
▼申請・提案及び協議事項
2018年度の行事・会議予定が決定しました。中でも、「全国総会」の日程は、5月2日(水)から4日(金)にかけて、宣教百年会堂(東京教会)を会場に開催すると決定しました(全国教師会総会は5月1日から2日。すでに通年の予定は本紙1月号に年間予定表として掲載しておりますので、ご確認ください)。
また、次年度の各個教会予算に連動する2018年度教職関連費並びに2018年度協力金が審議され、本常議員会にて決定しました。基本表は前年に変更なし(ベースアップ無し)、協力金は基礎収入の10%という算定原則に従って確定した額で決定しました(この情報も各個教会へと送付された「常議員会記録」に掲載されています)。
その他の協議事項では、大阪・広島事業所の建物大型修繕に伴う既存長期借入金の返済計画変更の件、来る第28回定期総会の提案事項及び準備工程、準備委員会の組織の件などを承認し、3日間の審議を終了しました。
加えて、三役並びに各教区長らは引き続いて翌日正午まで「人事委員会」を開き、常議員会により付託されている次年度教職人事の調整協議を行いました。

2017年度「連帯献金」報告

2017年度も多くの方々から「連帯献金」に支援を頂きました。感謝してご報告いたします。(敬称略・順不同)

■熊本地震 建築支援 3,564,000 円
厚狭教会、甘木教会、飯田ルーテル幼稚園(保護者等)、板橋教会、宇部教会、栄光教会、及川のり子、大分教会、大牟田教会、岡崎教会、小鹿教会、小田原教会、唐津ルーテルこども園、九州教区女性会、京都教会、キリスト教保育連盟九州部会佐賀地区研修会、小岩教会、甲信地区、国府台母子ホーム、神戸東教会、神戸ルーテル聖書学院学生会、小倉教会教会学校、佐賀教会、シオン教会防府チャペル、シオン教会柳井チャペル、静岡教会、清水教会、下関教会、修学院教会、杉山紘子、聖パウロ教会、関満能、捜真女学校中学部高等学部、田主丸教会、知多教会、千葉教会、中央線沿線7教会協議会、辻谷静子、田園調布教会(関係団体)、小城ルーテルこども園、都南教会、長尾博吉、長?教会、名古屋めぐみ教会、名古屋ルーテル幼稚園父母の会、奈多愛育園、新潟のぞみルーテル教会、西教区宗教改革500年記念大会「花みずきの集い」バザー売上、日本FEBC、日本ルーテル教団、沼津教会、博多教会、函館教会、濱田良枝、浜松教会女性会、東教区女性会、東教区総会、日田教会、一粒の麦、広島教会、福岡市民クリスマス実行委員会、福岡西教会、藤が丘教会女性会、別府教会、増島俊之、松江教会、松本教会女性会、三鷹教会、三原教会、室園教会、湯河原教会、横須賀教会、横浜教会

■ブラジル伝道  741,750円
厚味勉、栄光教会、小城ルーテルこども園、京都教会、神水教会、健軍教会(女性会含)、小石川教会、小泉基、甲佐教会、佐々木裕子、札幌教会、女性会連盟、女性会連盟東海教区、立山忠浩、玉名教会、都南教会教会学校、博多教会、箱崎教会女性の会、東教区女性会、古川文江、保谷教会女性会、北海道特別教区、恵み野教会、メロ師歓迎会、ルーテル学院中学高校、帯広教会十勝豆会計

■喜望の家 10,000円
博多教会

■メコンミッション支援(カンボジア) 10,000円
博多教会

■世界宣教(無指定)  472,950円
神水教会、フィンランド100周年CD売上金、箱崎教会チャリティコンサート、大垣教会教会学校、桝田智子、日本福音ルーテル教会北海道特別教区・日本ルーテル教団北海道地区、博多教会、室園教会、めばえ幼稚園、芳賀明子(敏)

■宗教改革500年  4,346,289円
栄光教会、岩田典子、大石エツ、大阪教会、大野義定、岡崎教会、岡山教会、甲斐友朗、小泉眞・百合子、神戸教会、斉藤正恵、札幌教会、シオン教会女性会リーストコイン、修学院教会、谷川卓三・文江、谷川テエコ、田園調布・雪ケ谷・都南教会 合同礼拝席上献金、東海教区、中西典子、中村桂子、中村好子、西教区宗教改革500年記念大会、函館教会、東教区、福山教会、保谷教会女性会、森涼子、山川泰宏、吉田憲司、特定非営利活動法人一粒の麦

今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓に苦しむ方々に連帯したいと願い祈ります。「連帯献金」を捧げてくださる場合には、それぞれの献金目的[ブラジル伝道][喜望の家][メコンミッション][世界宣教]を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。
郵便振替 00190-7-71734 名義(宗)日本福音ルーテル教会

18-01-18良い地に播かれた種

「イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。『種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て 食べてしまった』」。
(マタイによる福音書 13・3 ~4)

主イエスは聖書の中で、神の真理を伝えるために、多くの譬え話を語っています。身近な風景あるいは物語によって、一つの神の真理を伝えるのが譬え話です。ですから、大事な中心の真理をきちんと受け止めなければなりません。
この「種まきの話」の中心的メッセージは何かと言いますと、それは神の国は決して人間の力によるものではなく、神の計り知れない御業により、成長するということです。
主イエスの言われる『成長』はこの世的な単なる量的拡大ではありません。成長は隠されていたものが明らかに開かれ、現れ、発展していくということです。明らかにされていなかった固有のあり方が神の御業により開かれ、発展していくこと、これが神による成長です。その意味でも、この神の御業と成長は私たちの思いを超えています。ですから、大切なのは、私たちが神のみ業をひたすら素直に受け入れ、心を開くことです。
この譬えにあるように種はいろいろな所に播かれます。この当時の、バレスチナの種まきの方法は二通りあったと言われています。一つは、種を播く人が畑を行ったりきたりしながら種を撒き散らすやり方です。この場合には、風が吹いていると種は風に乗って四方に運ばれていき、あるものは畑の外に落ちてしまいます。第二の方法は種を入れた袋の角に穴をあけて、それをロバの背に乗せ、袋の種が無くなるまで、畑の中をロバが歩く方法です。こちらの方が一般的な種まきの方法として用いられていたと言われています。
パレスチナの畑は細長くなっていて、その畑の中を誰もが通れるようになっていました。この聖書の箇所で、「ある種は道端に落ち」とは、人が通る道端は踏み固められ、種が根付きにくくなっていたのです。
このように種は良い地だけには播かれることは限りません。むしろ、それ以外の所にも播かれるのです。道端や石灰岩が土の下にあるような土地にも、さらに畑の脇の茨の中にも種は風に乗って広域的に播かれます。良い土地に播かれて多くの実を結ぶ種だけをこの譬えは語っているのではありません。むしろ、実を結ばないところに播かれた種についても語っています。

 実を結ぶ種だけでなく、実を結ぶことなく消滅した種も、神のはたらきそのものです。何の成果も上がらない、「休眠状態」と思えるような所にも、神は働いています。たとえ、人間的判断で小さな成果しか挙げられないと思えるような所でも、私たちの思いを越えたものが生まれるのです。とても神の働きがないと思えるような所であったとしても、そこにふさわしい神の実りが備えられていることをこの譬えは語っています。
神の業は、その働きを真から求めるところで開かれ、生成していくのです。譬えが語る、神の実りがある「良い地」とはこの世的に、物質的に、自然的に何もかも整っている場ということではありません。そうではなく、神を心から求める思いと信仰があるところ、それが「良い地」となるのです。
ローマの信徒への手紙8章22~23節でパウロはこう言います。
「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、〝霊〟の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。」
ここでパウロが「体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます」と言うように、神を信仰的に自覚的に受け入れる前に、無意識の中にしても、私たちが呻きながらも神を求める思いが信仰の前にあることが大事です。神を求める思いがないところには神のみ業は根付かないとも言えます。
キリストの教えを受け入れるには、それなりの信仰を求める心がそこになければなりません。そうでなければ、キリストへの信仰も育っていかないのです。ただ、聖書を教えれば信仰が根付くというものではありません。「教える」ことと、「育てる」ことは別です。意識的にせよ、無意識であれ、心動かされた神への問いがあることにより、信仰は私たちの内において、み言葉と共に育つのです。

日本福音ルーテル東京池袋教会 牧師 青田 勇

18-01-01るうてる 2018年1月号

機関紙PDF

説教「良い地に播かれた種」

日本福音ルーテル東京池袋教会 牧師 青田 勇

「イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。『種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった』」。             (マタイによる福音書 13・3 ~4)

主イエスは聖書の中で、神の真理を伝えるために、多くの譬え話を語っています。身近な風景あるいは物語によって、一つの神の真理を伝えるのが譬え話です。ですから、大事な中心の真理をきちんと受け止めなければなりません。
この「種まきの話」の中心的メッセージは何かと言いますと、それは神の国は決して人間の力によるものではなく、神の計り知れない御業により、成長するということです。
主イエスの言われる『成長』はこの世的な単なる量的拡大ではありません。成長は隠されていたものが明らかに開かれ、現れ、発展していくということです。明らかにされていなかった固有のあり方が神の御業により開かれ、発展していくこと、これが神による成長です。その意味でも、この神の御業と成長は私たちの思いを超えています。ですから、大切なのは、私たちが神のみ業をひたすら素直に受け入れ、心を開くことです。
この譬えにあるように種はいろいろな所に播かれます。この当時の、バレスチナの種まきの方法は二通りあったと言われています。一つは、種を播く人が畑を行ったりきたりしながら種を撒き散らすやり方です。この場合には、風が吹いていると種は風に乗って四方に運ばれていき、あるものは畑の外に落ちてしまいます。第二の方法は種を入れた袋の角に穴をあけて、それをロバの背に乗せ、袋の種が無くなるまで、畑の中をロバが歩く方法です。こちらの方が一般的な種まきの方法として用いられていたと言われています。
パレスチナの畑は細長くなっていて、その畑の中を誰もが通れるようになっていました。この聖書の箇所で、「ある種は道端に落ち」とは、人が通る道端は踏み固められ、種が根付きにくくなっていたのです。
このように種は良い地だけには播かれることは限りません。むしろ、それ以外の所にも播かれるのです。道端や石灰岩が土の下にあるような土地にも、さらに畑の脇の茨の中にも種は風に乗って広域的に播かれます。良い土地に播かれて多くの実を結ぶ種だけをこの譬えは語っているのではありません。むしろ、実を結ばないところに播かれた種についても語っています。

実を結ぶ種だけでなく、実を結ぶことなく消滅した種も、神のはたらきそのものです。何の成果も上がらない、「休眠状態」と思えるような所にも、神は働いています。たとえ、人間的判断で小さな成果しか挙げられないと思えるような所でも、私たちの思いを越えたものが生まれるのです。とても神の働きがないと思えるような所であったとしても、そこにふさわしい神の実りが備えられていることをこの譬えは語っています。
神の業は、その働きを真から求めるところで開かれ、生成していくのです。譬えが語る、神の実りがある「良い地」とはこの世的に、物質的に、自然的に何もかも整っている場ということではありません。そうではなく、神を心から求める思いと信仰があるところ、それが「良い地」となるのです。
ローマの信徒への手紙8章22~23節でパウロはこう言います。
「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、”霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。」
ここでパウロが「体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます」と言うように、神を信仰的に自覚的に受け入れる前に、無意識の中にしても、私たちが呻きながらも神を求める思いが信仰の前にあることが大事です。神を求める思いがないところには神のみ業は根付かないとも言えます。
キリストの教えを受け入れるには、それなりの信仰を求める心がそこになければなりません。そうでなければ、キリストへの信仰も育っていかないのです。ただ、聖書を教えれば信仰が根付くというものではありません。「教える」ことと、「育てる」ことは別です。意識的にせよ、無意識であれ、心動かされた神への問いがあることにより、信仰は私たちの内において、み言葉と共に育つのです。

連載コラム enchu

(22)【 perspective 】

「否定と肯定」という映画が12月8日に公開されました。これは、歴史学者のデボラ・リップシュタットが、ホロコースト否定論者のデイヴィッド・アーヴィングに名誉毀損で訴えられた裁判を描いたものです。ホロコーストとは第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺を指します。
さて、この映画の中でホロコースト否定論者の作戦は次のようなものです。「(大衆に)二つの見方があると思わせること。そうしたら皆がこう考えるようになる。そうか、ガス室の肯定派と否定派がいるんだ、と」。 ホロコースト否定論者は、「ホロコーストには肯定派と否定派がいる」と考える「中間(に立つ者)」を作ろうとします。なぜでしょう。それはたぶん、「中間(に立つ者)」は自分たちに異議を唱えたりしないからです。 彼らは言います。「まぁ、右も左も両方の意見があるよね」と。また別の「中間(に立つ者)」は言います。「面倒なことにはまきこまれたくないよね」と。それに加えて、いつのまにか彼らは、自分はどちらの側にも片寄っていない(右と左の真ん中に立っている)、と「いい気持ち」になってしまったりするのが厄介なことです。ホロコースト否定論者が、事実ではなくエモーショナルな言葉で「いい気持ち」になる者を求めていることを知らずに…。
新年のコラムに心楽しくない内容ですみません。だけど、み子イエスは、右でも左でもそして中間でもなく、低きに立たれた方(「(主は)低く下って天と地をご覧になる」詩編113・6)であることを心に留め、新しい年を歩んでいきたい、と思うのです。
岩切雄太(門司教会、 八幡教会、 佐賀教会、 小城教会牧師)

議長室から

「キリストに新しくされて」

総会議長 立山忠浩

 

新年を迎えました。「新しい」という言葉に目が向かう時です。
新約聖書の中にも「新しい」という言葉がしばしば出て来ますが、二つの言葉が用いられているようです。一つは時間や月日の流れのような意味の言葉です。「新しい年」という場合です。もう一つは、質的な変化を表すような言葉です。年月を重ねるとは古さを積み重ねることですが、しかし新しく変わって、新たな歩みを始めることができるはずです。厳密ではありませんが、聖書で重要なのは後者の方です。
以前、作家の大江健三郎さんが、テレビ番組に出演しているのを見たことがありました。彼がテレビに生出演することは極めて珍しいことと聞きましたが、万年筆を取り出して色紙に「新しい人」と書いたのです。インタビュアーが「どういう意味ですか」と尋ねると、「これは聖書にある言葉で、そこからヒントを得ました」と答えたことに驚きました。
すぐに聖書をめくり、エフェソ、そしてコロサイの信徒への手紙にある言葉であることを確認しましたが、既述のように「新しい」という言葉はもっとたくさん聖書には記されていることも確認しました。大江さんは、「平和を作り出すためには、これまでの考え方を止め、新しい人として始めなければならないのではないか」と説明したのです。理想論にも聞こえなくはありませんでしたが、しかしやはり正しいことだと思いました。
その「新しい」という聖書の言葉をさらに調べてみました。使徒パウロが「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく創造された者である」(2コリント5・17口語訳)と言っていることに目が留まりました。自分で新しくなるのではないのです。新しい人へと、キリストによって創造されるのです。これはキリスト者にとって外してはいけない言葉です。
ある人がこの「キリストにあるならば」というのは、「キリストにあるのだから」と訳すべきだと言いました。キリスト者は、いつも、どんな時も「キリストの恵みとお守りの中にあるのだから」と、このことを忘れてはいけないのです。それゆえに、キリストによって日々新しくされて行くことを信じるのです。その後に、キリストが教えてくださった平和のために、自分にできることを精一杯行えば良いのです。
最後になりましたが、皆さまの新しい歩みが神様に祝福され、幸いなる年となりますようお祈りいたします。

EIWAN Fukushimaについて

プロジェクト3・11 企画委員 李 明生

 

東教区プロジェクト3・11では、東日本大震災で被災した外国籍住民への支援を行っているEIWAN Fukushima(福島移住女性支援ネットワーク)への募金も行っています。
東日本大震災で被災した移住女性達の多くは、その後も充分な情報や支援を得ることが困難な状況に置かれ、精神的にも現実的にも孤立を余儀なくされるケースは少なくありません。そのような中、2012年2月からエキュメニカルなキリスト教諸教派・諸団体からの支援によって、移住女性と日本人が出会い、共に生き共に生かし合う社会を一緒に作っていくことを目指して、福島県在住のフィリピン移住女性、中国移住女性たちと恊働して様々なプログラムが行われてきました。
福島市と白河市での日本語サロンの継続開催の他、移動日本語サロン、シングルマザーのパーソナルサポート、移住女性の子どもたちの就学支援、継承語教室支援、地域サポーター研修、移住女性グループへの支援などが行われています。
今年7月には白河市で、福島県国際交流協会との共催で日本語ボランティアスキルアップ講座が開催され、9月には福島市国際交流協会主催の国際交流イベント「結・ゆい・フェスタ2017」に日本語サロンの参加者のひとことメッセージのブース展示と「日本語サポーター入門講座」も行われました。
震災から既に6年が経国人は日常的に日本人と接していながらも、日本人の友人を得ていない状況にあると言えます。
この日本社会全体の中で、友無き人の友となり、泣く人と共に泣き、喜ぶ人と共に喜ぶことが、今まさにわたしたちに求められているのではないでしょうか。

EIWANの活動の詳細は、http://gaikikyo.jp/shinsai/eiwan/
ならびにhttps://www.facebook.com/eiwanfukushima/ をご覧ください。

カトリック教会は、日本のカトリック教会の皆さんに宗教改革500年共同記念の意義を知らせるため、リーフレット『カトリックと宗教改革500年』(発行・カトリック中央協議会、制作・宗教改革500年記念行事準備委員会)を作成しました。編集責任を負われた光延一郎神父(イエズス会・上智大学教授)よりご提供いただき、紹介します。

カトリックと宗教改革500年③

教会一致運動(エキュメニズム)の進展

17~20世紀初めまでは、ローマ・カトリックとプロテスタント諸教会は、自教派の正当性を主張し合い、互いを無視するような時代が続きました。
キリスト教が超教派で対話と和解、一致を目指す「教会一致運動」は、プロテスタント諸派が1910年に開催したエジンバラ世界宣教会議から始まったといえます。プロテスタントと正教会が加わる世界教会協議会(WCC)は、この会議の精神を受け継いで、長年、教会一致運動に取り組んでいます。
ローマ・カトリックもこれに呼応し、第二バチカン公会議(1962年~1965年)で『エキュメニズムに関する教令』を布告しました。パウロ6世教皇は、1965年にコンスタンティノープル総主教アシナゴラスとともに、1054年以来続いていた東西教会相互の破門宣告を取り消しました。
ルーテル世界連盟とローマ・カトリック教会の間では、1967年よりさまざまな対話が重ねられてきました。1980年の『アウグスブルク信仰告白』450周年と1983年のマルティン・ルター生誕500周年記念の際には、ローマ・カトリック教会とルーテル教会は、ルターの中心的関心事を共に容認・支持しました。そしてそれらの対話の実りとして、1999年には、教理論争の中心にあった義認問題の理解にはもはや齟齬はないとする歴史的な『義認の教理に関する共同宣言』(邦訳2004年)が調印されました。

日本福音日本福音ルーテル教会・日本カトリック司教協議会

宗教改革500年共同記念「平和を実現する人は幸い」

マルティン・ルターの投げかけに端を発し、世界のキリスト教会に分裂を引き起こすことになった宗教改革の始まりから500年。「すべての人を一つにしてください」とのイエスの祈りを歩もうと、第二バチカン公会議を契機として始められた対話の積み重ねにより、日本福音ルーテル教会と日本カトリック司教協議会が共同で宗教改革を記念することへ導かれました。
会場として備えられたのは、長崎県のカトリック浦上教会。キリシタンへの苛烈な迫害、そして原子力爆弾による被爆に代表される様々な悲しみと苦しみを負い、そこから平和の祈りを紡いできた祈りの地。この地において、11月23日、両教会が過去の分裂と対立を乗り越え、交わりと共生の一歩を踏み出す祈りをささげました。
ローマ・カトリック教会とルーテル教会の関係者を中心に、長崎のキリスト教と諸宗教の代表者、国内の関係キリスト教団体の代表・教派の代表、平和カンナ・プロジェクトの代表、宗教改革の始まりの地であるドイツから大統領の意向によるティース・グンドラッハ牧師(ドイツ福音主義教会)やフランク・ロンゲ博士(ドイツ・カトリック司教協議会)、駐日ローマ教皇大使ジョセフ・チェノットゥ大司教などの来賓、1300名の会衆が、浦上教会の聖堂を埋め尽くしました。
2部構成となった今回の共同記念は、記念シンポジウム「平和を実現する人は幸い」から始まりました。共同記念に至る宗教改革から500年の歴史が短い動画で紹介され3人のシンポジストにより、講演がなされました。

はじめに長崎の地から、橋本勲神父(カトリック中町教会主任司祭)により、「長崎からの声―苦難の歴史を踏まえて―」との講演が行われました。先日行われた教会のバザーで「免罪符」を販売すれば収益に貢献できたかもしれないとの冗談で会場をわかせた後、キリシタン迫害を「崩れ」と表現する流れに被爆、そして第二バチカン公会議をも位置づけ、十字架のキリストの復活への道筋にあることを提示し、そこにある神による平和づくりに共に参与する意義を語りました。
続いて、石居基夫牧師(ルーテル/ローマ・カトリック共同委員会委員)より、「『罪について』~それにも拘わらずをいただく福音」と題して、平和を祈る私達自身の罪に注目する重要性が示されました。ルターも罪人である自己を見つめ、歴史的限界を抱えつつ神の救いの約束を確信したことが紹介されました。そして戦争における被害者性と加害者性、また原子力の負の遺産と言うべき被造世界の破壊など形をとって存在する罪の現実と、それにも拘らずキリスト者として愛する者とされると語りました。
最後に、光延一郎神父(イエズス会司祭、ルーテル/ローマ・カトリック共同委員会委員)により、「エキュメニズム、わたしたちの祈り求める平和と共生の未来」との講演がなされました。昨今、「○◯ファースト」という言い方がされるが、一部の狭いところに閉じこもるのではなく、考えや行動を全体に対して開いていく責任が両教会にあると指摘し、そのために福音に立ち戻る時として、この宗教改革500年という時を意識したいと語りました。また「人の住む全世界」という意味の言葉に由来するエキュメニズムが示すことを、世界に回復していく責任と可能性が私たちにあることを示しました。
司会を務めた小泉基牧師(九州教区長)は、500年前に分裂を作り出した私たちは教会のみならず、様々な破れを抱える世界の全体性の回復のための役割を担うものとして遣わされていることを学んだと感想を述べました。そして本日の開催に至る神学的対話の成果と共に、破れや痛みを抱える現場において共同の働きが続けられていることに触れ、現場で共に働くことにより、世界の回復が導かれるのであり、そのことへと私たちも遣わされていると結びました。
浦上教会のご厚意により参加者全員に対して提供された昼食を頂いた後、「すべての人を一つにしてください」とのテーマによる共同記念礼拝が行われました。前田万葉大司教(日本カトリック司教協議会副会長)と大柴譲治牧師(エキュメニズム委員会委員長)をはじめ、両教会の牧師、司教、司祭の100人以上が司式の任を負いました。
ヨハネによる福音書17章と15章におけるイエスの言葉が朗読され、説教を?見三明大司教(日本カトリック司教協議会会長)と立山忠浩牧師(総会議長)が行いました。?見大司教はエキュメニズムの歴史的意義をその経過と共に後述の「共同声明」に触れて述べました。禁教と迫害そして被爆の地である浦上において、両教会が分裂と争いから一致と交わりへと転換しようと努力する姿を発信することで、教会に限らず世界の平和と和解に寄与する道を歩むようにひとつの体とされている私たちは招かれていると告げました。
立山牧師は、「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」との詩篇133編の言葉を掲げ、大きな喜びがあることを噛み締めた後、歴史的にはルターはカトリック教会への反抗者であり、宗教改革は分裂を生じさせた忌まわしいことであったことに触れました。その後の教会が「すべての人を一つにしてください」との主イエスの祈りを口にしながら、教会内での争いと分裂とに鈍感となっていた事実を認め、それを悲しみ悔いることへと導かれ、今や共に集う希望へと至ったことを感謝し、ルターの「この世を動かす力は希望である」とあるように、共同記念礼拝にはこの世を動かす希望があると述べました。また、今回の日本における共同記念に用いられたシンボルマークは、恵みを受け取り、祈りを合わせる手であると共に、それで留めることなく、隣人へと開き、分かち合われているものであり、そのことが私たちに託されていると告げました。
回心の祈りに続いて「共同声明」の分かち合いが行われました。この「共同声明」は昨年10月31日にスウェーデンのルンド大聖堂で行われたルーテル・カトリックの宗教改革共同記念礼拝においてルーテル世界連盟ユナン議長とフランシスコ教皇が署名したものであり、両教会の姿勢が表されているものです。続く共同祈願では、ドイツからのゲスト、教皇大使などが、教会の一致と世界の平和のために祈りました。讃美歌作者でもあるルターのコラール、またエキュメニカルの背景を持つ多くの歌により賛美を共にし、参列者と全国からの祈りを込めた折り鳩も奉納され、平和への決意を確認し合いました。
平和を実現するための具体的なしるしとして、広島の原爆投下ひと月後に真っ赤な花が咲いたカンナの事実を語り伝える球根が分かち合われました。これを祈りと共に育て、育てることと増えたものをさらに分かち合うことで、戦争とその後の平和を語り継ぐ役割を担い、礼拝から派遣されました。すでにカンナの球根を植え、発芽を楽しみに育てるとの報告が各地から寄せられてもいます。 シンポジウムと共同記念礼拝は、ライブ配信されましたが、終了後も公開されています。

違いを豊かさに変える

全国教師会退修会報告

教師会長 石居基夫

2016年5月、日本福音ルーテル教会の全国教師会総会は、宗教改革500年に計画されたカトリック教会との共同の事業に全面的に協力して、長崎で行われる「共同記念」の礼拝に皆で参加することを決めた。
ルーテル教会とカトリック教会は、両教会にとっての事柄としてのみ「共同記念」を行うのではなく、「争いから交わりへ」と進んできた歩みを、「平和」を実現するメッセージとして現代社会へ発信するものとしていくこととなった。
キリシタン時代からのカトリック信仰の伝統のなかにある長崎で、宗教改革500年の記念をカトリック教会が日本の司教協議会レベルでこれに取り組むことを決定された。もちろん、日本福音ルーテル教会も教会総会でこれに取り組む決議をしてきた。ただ、組織の大きさの違いもあり、私たち全国教師会は少なくとも教師全員でこれに必ず参加することで、歴史を刻む教会の取り組みとしての意義を表そうと、数年に一度開催する退修会を「共同記念」に合わせることとしたのである。
平和と歴史に対して何かを発信しようというのであれば、責任ある取り組みとしなければならない。そこで、退修会では「平和」について深く学び、それを実現する教会とはなにか、活動への確かな研修となるように計画しようということになった。
プログラムは11月21日から23日までの2泊3日。第1日目は、宗教改革500年の意義を深く捉えるために「ルターの原点と可能性―恩寵義認と3つのE」と題して江口再起先生の発題をいただいた。ルターの宗教改革は、神と人間との根源的関係について問い直す信仰の改革であったが、教会の枠を超えて福祉や教育など社会の構造を変えていく力を持っていた。神の恩寵的働きとそれをいただく人間の生の有り様の信仰的自覚が、互いに愛し合う、人間が共生する世界実現の可能性をしめすものであることを教えられた。ルターの限界を超えて、現代のなかで神の恩寵を生きる生を新たに捉えていくことで、地球規模の創造、救済、そして維持という大きな課題でのキリスト教の使命を示されたように思う。
2日目の午前は、鹿児島大学で平和学を担当されている木村朗先生をお招きし「原爆神話からの解放と核抑止論の克服」と題して講演をいただいた。戦争の早期終結など原爆を正当化する「言説」、あるいは核の平和利用という「神話」の裏に潜む、世界支配の欲望と国家的エゴの構造について改めて学ぶことができた。現代の私たちを取り囲む状況の厳しさに、それだからこそ、宗教的な取り組み、特に信仰のまなざしと祈りが必要であることを学んだ。
また、午後は熊本大学の教員で、平和、特に修復的正義に造詣の深い石原明子先生(本郷教会員)から、「平和と和解をもたらす者となるために」というワークショップによって、日々の教会や施設における牧会的状況の中における「平和」を造り出す実践について深い学びをいただいた。日々の教会や施設のなかにも問題はたくさん起こってくる。問題がないことがよいのではなく、むしろ課題が発見されてよりよい関係をつくっていくきっかけとして捉えること、そして課題の只中でその人の魂の傷や痛みに寄り添う実践の必要を学ぶことができた。
退修会は、3日目に「共同記念」を共にすることで締めくくられた。礼拝を終えたあとのカトリックの司祭たちと写った、牧師たちの笑顔の写真は、今回の取り組みの大きな成果を示すものと言ってよいだろう。

ルーテル・カトリック宗教改革500年共同記念礼拝に参加して

久保彩奈(本郷教会)

 

「今日のこの礼拝の実現は決して容易ではありませんでした。またそれは違いにではなく、同じところは何かに目を留める作業でした。」と告げられた言葉を重く、深く受け止めたいと思います。
500年前の争いから現在に至るまでの歴史を見れば、違いと争いは明らかです。またその違いが、わたしたちの教会のアイデンティティの大きな部分を形成した時代があったことも事実でしょう。
しかし、長崎での礼拝は人の知識と思いをはるかに超える、キリストの愛がなければ実現し得ない瞬間となりました。カトリックとルーテルの人々が自由に座り、礼拝堂は柔らかな空気と期待で満たされました。「シャローム」とシスターと握手した時の手の温もりに、嬉しさと喜びで心くすぐられる思いがしました。また、降り注ぐステンドグラスの光により白いアルバを色とりどりに彩られたカトリックとルーテルの聖職者たちの姿は、違いを豊かさに変える姿そのものでした。キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さはこれほどまでに、わたしたちを喜びで満たしてくださるのか、と改めて知り、実感した礼拝でした。
愛すること、共に生きようとすることは容易なことではないことをわたしたちは知っています。また新たな歴史を作る歩みも平坦ではないでしょう。しかし、だからこそキリストに立ち返り、カトリックとルーテルの違いを豊かさに変える働きをこれからも続けて考え、新たな「和解」の歴史を作っていく力を与えられる礼拝でした。

2017年 宗教改革500年⑤-2、⑥「カトリックとルーテルの共同声明」に学ぶ

石居基夫(日本ルーテル神学校校長)

 

【前回の続き】
そして、この理解を基にして、リマ式文なるものが作成され、教派をこえて聖餐をともにする礼拝を可能にしようという画期的な取り組みなのだ。現実にこの式文を用いての一致の礼拝をもつにはまだまだ課題が多いといわなければならないが、少なくともこうしたエキュメニカルな交わりと神学的な対話の大きな流れが20世紀のはじめから続いていたことが、カトリック教会の第二バチカン公会議、エキュメニズム教令に影響を与えたに違いないし、実際にカトリックとルーテルの対話もこうしたWCCでの取り組みということと重なっていたからこそ成果をあげることが出来たのだと言える。
従って、この声明ではこうした多くのエキュメニズムの取り組みをしてきているキリスト教世界に対する感謝を述べ、またそうした大きな教会一致への願いを祈り続けてもらえるように願っているわけだ。そして、この宣言だけでなく、カトリックとルーテルの両教会のエキュメニズムの成果がそうした世界のキリスト教会の一致運動との深い関係のなかにおぼえられることに大きな意味があると言ってよいだろう。

「カトリックとルーテルの共同声明」に学ぶ⑥

【本文から】
●世界中のカトリックとルーテルの人々への呼び掛け
わたしたちはすべてのルーテルとカトリックの教会員と教会に、わたしたちの前にある大きな旅を続けることに加わって、大胆であり、創造的であり、喜びをもち、希望をもつよう呼び掛けます。過去の争いよりもむしろ、わたしたちの間における一致という神の賜物が協働を導き、わたしたちの連帯を強めてくださるでしょう。キリストを信じる信仰において近付けられ、互いに耳を傾け合い、わたしたちの関係においてキリストの愛を生きることによって、わたしたち、カトリックとルーテルの者たちは、三位一体の神の力に心を開きましょう。キリストに根ざし、キリストを証しして、すべての人に対する神の限りない愛の信実の使者となるという定めをわたしたちは新たにするのです。

【学び】
この声明は最後に今一度世界のカトリック教会、ルーテル教会の人々に呼びかけている。「争いから交わりへ」という一つの言葉(コンセプト)によって象徴的に現すこの両教会の歴史的取り組みが、単に一過性のお祭りに終わることのないように、それぞれの地域、社会のなかでこの信仰を証し、具体的な生活や世界の課題のなかで互いに神のみこころに生きることを支え合い、「愛の真実の使者」たるべく、自らを整えていこうとよびかけるのだ。
それを可能にするのは、私たち人間の力によるのではなく、洗礼によって結び合わされた三位一体の神の力によるのだし、また私たちが生かされているキリストのいのちがこれを進めていく具体的な働きを産み出すという確信を伝えている。
コリントの信徒への手紙一の12章に語られているように、一つの洗礼、一つの霊の賜物にあずかって一人のキリストの体として結び合わされている私たちが、キリストを証しするように生かされていく。それは神のみことばによる神ご自身の御業なのだから、大胆にこれに信頼をするように呼びかけている。私たちは時に絶望しそうになることがたくさんある。政治的状況を見ても、環境の問題においても、とても解決できそうにない課題を目の前にみているのだ。しかし、神が決してあきらめることなく私たちに働いていてくださる信仰に立つとき、私たちの中に新しい希望が与えられる。
信仰と希望と愛をキリストにいただくことから、歩み続けるようにと呼びかけることばで締めくくられているのだ。(おわり)

立ち止まり感謝、そして前進、共に

日本ルーテル教団関東地区との宗教改革500年合同礼拝

実行委員  木村 猛(保谷教会)

 

東教区では、宗教改革500年のこの機会を捉え、身近なルーテル教会として交わりのある日本ルーテル教団(NRK)関東地区と合同して企画を立てました。
11月4日の午前に、ルーテル学院大学・神学校の学園祭「愛祭」に合流させて頂き、子どもプログラムと青年プログラム、そして展示ブースではドイツ外務省が制作された宗教改革500年を伝えるパネルの展示を行いました。
午後は、隣接する国際基督教大学のチャペルにて両教団での合同聖餐礼拝を聖望学園・浦和ルーテル学院・ルーテル学院大学/神学校合同聖歌隊、ハンドベルクワイアによる賛美を得て行いました。礼拝の後、NRK有志が加わった東教区合同聖歌隊のバッハ作曲「我らの神は固き砦」の演奏、東京バッハ・カンカータ・アンサンブルによるメンデルスゾーン交響曲「宗教改革(今回の演奏のために室内楽に編曲されたもの)」の演奏を楽しみました。神を讃える澄んだ音色・合唱は礼拝後だけに快く響きました。
合同礼拝は、両教団の教職・信徒、諸学校の生徒・保護者ら736名の参加者と共に、同じルーテル教会の流れにあり、ルターの信仰に立ちながら、信徒レベルでは互いに顔を知らず、疎遠であった方々と一緒に礼拝でき、説教を聞き、聖餐の交わりの中で、共に「恵みのみ、信仰のみ、聖書のみ」の信条を確認できた礼拝でした。NRKとJELCの牧師がペアになったパンと葡萄液の聖餐では共にひとつの信仰に立っていることを知ることができました。私たちクリスチャンに与えられている聖餐の恵みが形になって顕れている実感がありました。
これら一連の宗教改革500年の行事により、私たちはルターの業績の光と影と現在に伝わる影響の数々を学ぶことができました。そして、すでに始まっているポスト500年の歩みに、受け取ったものを私の人生に、教会にどのように反映させてゆくかとの大きな宿題もいただく機会となりました。

東海教区「宗教改革500年記念大会」報告

実行委員長 朝比奈晴朗  (名古屋めぐみ教会)

 

この度の大会では、日本福音ルーテル教会東海教区と名古屋キリスト教協議会の主催、金城学院大学の協力という形で、300人を越える参加者が集いました。
当日は、始めに東海教区長・齋藤幸二牧師と名古屋キリスト教協議会議長・松浦剛牧師が挨拶をし、その後、カトリック名古屋教区司教・ミカエル松浦悟郎司教から祝辞を頂きました。
基調講演は石居基夫牧師(日本ルーテル神学校校長)の『「信仰によって義とされる。」とは、どういうことか』。これに続いて宗教改革500年記念大会宣言を行いました。
ここまでが前半で、カトリック教会とプロテスタント教会が分裂、対立する事で引き起こされた過去の悲劇への反省と、時代的な分析をふまえての共通理解、これからの自分達のスタンスを確認する内容となりました。
後半は、3つのグループに分かれて自由に参加出来るよう準備しました。①宗教改革を深く学ぶ会(石居基夫牧師)、②パイプオルガン演奏会(大木麻理さん)、③ハンドベル演奏会(金城学院大学ハンドベルクワイア)。それぞれの参加者から充実した時を過ごすことができたとの感想を頂きました。
参加された方々がどの教会に所属しているか、一人一人の確認はしませんでしたが、日本福音ルーテル教会員だけでなく、プロテスタント教会諸派、カトリック教会からの参加も見受けられました。信徒レベルでは、互いに対立してきた歴史を知りつつも、各自はそれほどこだわりを持たず、和気あいあいと過ごしている様にも見えました。
各教職は準備開始当初、やや緊張感がありましたが、大会が迫るにつれて協力の度合いが濃くなる恵みを体験しました。関わった方々の心には成し遂げた安堵感と、次の時代に召し出されていく実感を得たように思えます。
振り返れば、参加人数に物足りなさを覚えたのも事実ですが、神の言葉は教派を問わず、すべての人に与えられていることを強く感じることができました。

追悼

慈父のような藤井浩牧師

江藤直純(ルーテル学院大学学長)

「慈父のような」「慈しみ深い」、藤井浩先生を思い出すとき、この表現が自然と
浮かんできます。言葉、表情、先生の存在そのものが会う人にそう感じさせるのです。誰をも無条件に受け容れ、あたたかく包み込み、その人をしっかり支える、そのような関わり方をなさった牧師でした。
しかし優しいだけではなく、強い信念を持ち、大胆な選択をなさる方でした。海軍兵学校、一橋大学、保険会社勤務の間にキリスト教に入信、受洗、献身。選ばれた神学校はアメリカのオーガスタナ神学校。日本の神学校で学んでいない稀な方でした。
最初の任は九州学院のチャプレンという若者への伝道。JELCがブラジル伝道を決断したら宣教師第1号に。ご伴侶の禮子さんと二人のお子さんを伴っての赴任は、さまざまな苦労があったでしょうが、サンパウロだけでなくはるか南部であっても日系人のいる所にも赴き、福音宣教のために労を惜しまれませんでした。
帰国後、田園調布と大森の二つの教会で伝道牧会と幼児教育に専念。定年後もやはり開拓的なお仕事をなさいました。ホスピスのチャプレンの務めです。地上の生を全うする際の暫くの期間、キリスト教信仰の有無にかかわらず、どなたにも寄り添い、魂への配慮者として旅立ちを支えられました。若くして天に召されたご長女への思いが蔭の力ではなかったかと思います。亡くなる少し前まで牧会委嘱として三つの教会に仕え続け、生涯牧師でいらっしゃいました。心から尊敬する先輩でした。

カイス・ピーライネン先生を偲んで

札幌教会 森川利一

 

ピーライネン先生は1987年、札幌のめばえ幼稚園創立50周年記念式典に長年の病を克服されてフィンランドから参列くださり、元気に式辞を述べられました。「子どもたちと一緒に生活をした時、いつも太陽が照っていた」との真に子どもを愛する一言は印象深く感謝でした。
1955年、園長に就任された先生は、社会の幼児教育に対する関心の高まりの中で、子どものための環境作り、園児の家庭との連携など多くを実践され、その成果は現在に受け継がれています。また、信仰に生きる先生は、講演やサークル活動を通して北欧の生活文化の紹介など地域社会に貢献され、高い評価を得ました。
1975年、2度の手術の後、奇跡的に回復され、翌年、退任されました。送別会では長年の交わりと働きに対する感謝と労いの言葉に笑顔で目を潤ませながら挨拶を交わされました。
今年、幼稚園は創立80周年の喜びを迎えました。園舎が市の重要建造物に指定されたこと、園舎内部を耐震化したこと、園児の定数を充足していることなどをきっと先生も喜び、天国から応援してくださることでしょう。

ジョン・デヤング宣教師を悼む

鈴木雅康(小鹿教会)

 

デヤングさんの静岡学生センターでの働き、ご伴侶と共に30年に渡った日本での宣教活動、特に大学生や若者にキリストとの出会いの場を提供し続けたその働きに、言葉では表せない感謝を申し上げますと共に、ご伴侶のアナマリーさん、またご家族の皆様に神様からの慰めと平安が与えられますようお祈り申し上げます。
学生センターでの語らいは、いつもユーモアに溢れ、また時にはウイットに富んだ語り口、そして若者が大好きだったこと、玄人はだしの写真撮影の趣味、沢山の思い出があります。
デヤングさんの訃報に接し、宣教師の方々が種を蒔き育んだ日本のキリスト教を次の世代にどのようにバトンタッチしていくか、私たちが課せられたミッションを改めて感じています。11月に次女のリサさんがご伴侶のデイヴィッドさんと来日され、静岡にも立ち寄られました。デヤングさんはもう少しで生まれてくる初めてのひ孫の顔を見るまでは頑張るとおっしゃって、本当にこれを実現したとのことでした。

2018年度 日本福音ルーテル教会 会議日程

【2018年】
1月10日(水)教師試験委員会(市ヶ谷センター)
1月11日(木)教師試験(市ヶ谷センター)
1月12日(金)任用試験(市ヶ谷センター)
2月13~14日 会計監査(市ヶ谷センター)
2月19~21日 第27総会期第6回常議員会(市ヶ谷センター)
2月 25日(日)16時 神学校の夕べ(宣教百年記念東京会堂)
3月 4日(日)19時 教職授任按手式(宣教百年記念東京会堂)
3月 5日(月)神学教育委員会(市ヶ谷センター)
3月 7日(水)新任教師研修会(市ヶ谷センター)
3月 9日(金)ルーテル神学校卒業式(東京三鷹)
3月 21日(水)教区総会(各教区)
4月 3日(火)ルーテル神学校入学式(東京三鷹)
5月1~2日 全国教師会総総会(宣教百年記念東京会堂)
5月2~4日 第28回全国総会(宣教百年記念東京会堂)
未定 LCM会議
6月11~13日 第28総会期第1回常議員会(市ヶ谷センター)
8月21~22日 るうてる法人会連合・総会(関西地域)
9月25~26日 宣教会議(市ヶ谷センター)
10月2日(火)教師試験委員会(市ヶ谷センター)
未定 新任教師研修会(日本キリスト教連合会主催)
11月5~7日 第28総会期第2回常議員会(市ヶ谷センター)

【2019年】
1月 16日(水)教師試験委員会(市ヶ谷センター)
1月 17日(木)教師試験(市ヶ谷センター)
1月 18日(金)任用試験(市ヶ谷センター)
2月12~13日 会計監査(市ヶ谷センター)
2月18~20日 第28総会期第3回常議員会(市ヶ谷センター)
2月 24日(日)神学校の夕べ(宣教百年記念東京会堂)
3月 3日(日)教職授任按手式(宣教百年記念東京会堂)
3月 4日(月)神学教育委員会(市ヶ谷センター)
3月 6日(水)新任教師研修会(市ヶ谷センター)
3月 8日(金)ルーテル神学校卒業式(東京三鷹)
3月21日(木)教区総会(各教区)
※「事務処理委員会」は、教会規則に基づき、処理すべき事項が発生した時に、随時、開催とする。

17-12-17一人の歌声にあなたの歌声を合わせよう

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカによる福音書2・14)

 その夜、天使と天の大軍が賛美しました。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」神にあれ、人にあれ。「あるように」という願望や祈りのようです。まだ無いから「あるように」なのでしょうか。 
 確かに今は「地には平和」があるようには思えない。しかし、「いと高きところ」、つまり神様のところにも「栄光あれ」というのはどういうことなのでしょうか。神の栄光とは、神様のすばらしさのことですそれも「あれ 」と願うべきものなのか。天の使いの賛美にしては奇妙です。

 実は、ここを「あれ・あるように」と訳すのは単なる慣習で、元々は「いと高き所には神に栄光、地にはみ心に適う人に平和」という名詞だけです。むしろ、天使のお告げですから、「ある」との宣言のようでもあります。
 直前に天使は「救い主がお生まれになった」と喜びを知らせます。ですから、もし動詞を補うならば、「天に栄光がある。(だから)地にも御心に適う人に平和があれ」か、さらに言えば、「御心に適う人」とは、神のみ旨に聞き従う者ですから、今お生まれになるみ子イエスを「救い主」として聞く者、受け入れる者が、御心に適う人です。従って、このキリストこそが天使たちが歌う「平和」であり、それが御心に適う人にある。それは「あれ」、ありますようにとの願望ではない、もう既に「ある」、今「実現した「地には」平和がある」との告知なのではないでしょうか。
 
 もちろん、私たちの地には、平和とは程遠い現実があります。一方、イエス様は「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5・9)と語ります。御心に適う者、平和であるキリストに従う者、平和を実現する者は「神の子」と呼ばれます。つまり、何より神の栄光を、その人々が表し、実現させるのです。神の栄光は、その子とされた御心に適う者が実現させる平和によって現れる。むしろ「地には平和がある。それが天の栄光を現わす」のです。そのために、神様は救い主を、地の平和として贈られたのです。それだけではない。平和の実現のために、あなたを、私を、隣人を造られた。真の平和のために、私たち一人一人が造られ、栄光を現わすために私たちがいる、そう天使は告げます。天の栄光と地の平和はそこで実現する。その意味で、逆に、天使ではなく私たちが真剣に祈り、行動すべきです。「地には平和あれ。そして天の栄光が実現されますように」と。

 ドイツに「クリスマスの天使の歌」というお話があります。
 『クリスマス、天では天使たちの賛美が響いていた。しかし、一人の天使がその歌声に加わっていなかった。それに気づいた聖ペトロはその天使を呼んで尋ねた。「どうして君は歌わないのだい?」。天使は答えた。「戦争やテロ、抑圧や貧困、病や孤独が満ちている時に歌っている場合じゃないでしょう。とてもそんな気になれません」。すると聖ペトロは「それなら君はここにとどまってないで地上に行くべきじゃないかな」と言う。天使は地上に降り、最悪の状況を見て回った。誰も歌ってはいなかった。人々はお金がなく苦しいとか、仕事がないか、あればあったで悩みが尽きないと語り合っていた。人間は憂慮すべきことばかりを話し、誰もが歌を歌う気力を失っていた。ところが天使は、ある通りでたった一人歌っている人を見つけた。天使はその人に尋ねた。「こんな時になぜ歌えるのですか」。その人は答えた。「世界を見回してごらん。戦争、テロ、抑圧、貧困、それに孤独。でも、だからこそ私は歌うのだ。困窮に対し、闇に対し。この世を支配する暗闇に私は歌声を上げないではいられない。」天使は言った。「君と一緒に歌わせてもらえないかい?その歌声を二つにしたいから」。』

 平和のために、私たち一人の力は本当に小さいものです。何をするか、どうすべきか途方に暮れます。しかし、最初の一人にはなれなくても、見渡せば私たちの隣に、既に歌い出している誰かの歌声がある。私たちはそこに歌声を合わせていくことはできるのです。「あなたと一緒に歌わせてください。歌声を二つ、三つ、四つにしよう」と。一人の歌声にあなたの、私の声を合わせましょう。クリスマスの平和と祝福がありますように。アーメン。
 神戸教会、神戸東教会、西宮教会 牧師 松本義宣

17-12-01るうてる2017年12月号

説教「一人の歌声にあなたの歌声を合わせよう」

機関紙PDF

神戸教会、神戸東教会、西宮教会 牧師 松本義宣

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
                      (ルカによる福音書2・14)

その夜、天使と天の大軍が賛美しました。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」神にあれ、人にあれ。「あるように」という願望や祈りのようです。まだ無いから「あるように」なのでしょうか。 
 確かに今は「地には平和」があるようには思えない。しかし、「いと高きところ」、つまり神様のところにも「栄光あれ」というのはどういうことなのでしょうか。神の栄光とは、神様のすばらしさのことですそれも「あれ 」と願うべきものなのか。天の使いの賛美にしては奇妙です。
 実は、ここを「あれ・あるように」と訳すのは単なる慣習で、元々は「いと高き所には神に栄光、地にはみ心に適う人に平和」という名詞だけです。むしろ、天使のお告げですから、「ある」との宣言のようでもあります。
 直前に天使は「救い主がお生まれになった」と喜びを知らせます。ですから、もし動詞を補うならば、「天に栄光がある。(だから)地にも御心に適う人に平和があれ」か、さらに言えば、「御心に適う人」とは、神のみ旨に聞き従う者ですから、今お生まれになるみ子イエスを「救い主」として聞く者、受け入れる者が、御心に適う人です。従って、このキリストこそが天使たちが歌う「平和」であり、それが御心に適う人にある。
 それは「あれ」、ありますようにとの願望ではない、もう既に「ある」、今「実現した「地には」平和がある」との告知なのではないでしょうか。
 
 もちろん、私たちの地には、平和とは程遠い現実があります。一方、イエス様は「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5・9)と語ります。御心に適う者、平和であるキリストに従う者、平和を実現する者は「神の子」と呼ばれます。つまり、何より神の栄光を、その人々が表し、実現させるのです。神の栄光は、その子とされた御心に適う者が実現させる平和によって現れる。むしろ「地には平和がある。それが天の栄光を現わす」のです。そのために、神様は救い主を、地の平和として贈られたのです。それだけではない。平和の実現のために、あなたを、私を、隣人を造られた。真の平和のために、私たち一人一人が造られ、栄光を現わすために私たちがいる、そう天使は告げます。天の栄光と地の平和はそこで実現する。その意味で、逆に、天使ではなく私たちが真剣に祈り、行動すべきです。「地には平和あれ。そして天の栄光が実現されますように」と。

 ドイツに「クリスマスの天使の歌」というお話があります。
 『クリスマス、天では天使たちの賛美が響いていた。しかし、一人の天使がその歌声に加わっていなかった。それに気づいた聖ペトロはその天使を呼んで尋ねた。「どうして君は歌わないのだい?」。天使は答えた。「戦争やテロ、抑圧や貧困、病や孤独が満ちている時に歌っている場合じゃないでしょう。とてもそんな気になれません」。すると聖ペトロは「それなら君はここにとどまってないで地上に行くべきじゃないかな」と言う。天使は地上に降り、最悪の状況を見て回った。誰も歌ってはいなかった。人々はお金がなく苦しいとか、仕事がないか、あればあったで悩みが尽きないと語り合っていた。人間は憂慮すべきことばかりを話し、誰もが歌を歌う気力を失っていた。ところが天使は、ある通りでたった一人歌っている人を見つけた。天使はその人に尋ねた。「こんな時になぜ歌えるのですか」。その人は答えた。「世界を見回してごらん。戦争、テロ、抑圧、貧困、それに孤独。でも、だからこそ私は歌うのだ。困窮に対し、闇に対し。この世を支配する暗闇に私は歌声を上げないではいられない。」天使は言った。「君と一緒に歌わせてもらえないかい?その歌声を二つにしたいから」。』
 平和のために、私たち一人の力は本当に小さいものです。何をするか、どうすべきか途方に暮れます。しかし、最初の一人にはなれなくても、見渡せば私たちの隣に、既に歌い出している誰かの歌声がある。私たちはそこに歌声を合わせていくことはできるのです。「あなたと一緒に歌わせてください。歌声を二つ、三つ、四つにしよう」と。一人の歌声にあなたの、私の声を合わせましょう。クリスマスの平和と祝福がありますように。アーメン。

連載コラム ㉑【 hospitality 】

 本コラムの10月号で「平和は、ことばを語ることができる能力として生起する」というレヴィナスの言葉を紹介したところ、「それはどの本にありますか」というお尋ねがありました。これは、エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』(熊野純彦訳、岩波書店)からの引用です。難解な本ですが、神学生のみなさんには読んでもらいたいなぁ。さてレヴィナスは、ここで、絶えず主体(私)を飲み込もうとする力(全体化する力)に抗する「無限なものとの関係」を説いています。
 全体化する力とは、例えば、「私」という主体を、「日本人とは」と全体の一部にして意味付けてしまうことです。だから、戦時中の「非国民」、最近よく耳にする「反日」という言葉は、全体化する力によって発せられるものです。
 ところで、キリスト教会の暦はアドベント(待降節)に入りました。アドベントとは、クリスマスまでの期間のことですが、賀来周一先生は『サンタクロースの謎』(講談社)の中で、次のように言っています。「クリスマスほどキリスト教にとって他宗教異文化を取り込んだ祝祭はない。極端に言えば、クリスマスは本来キリスト教とは無関係のものだと言ってよいほどである」。
 ではなぜ、私たちはキリスト教会の祝祭でなかった日を大切な日として守っているのでしょうか。それがある時代には全体化を目指すものであったとしても、本来それは、「無限なもの(み子主イエス)との関係」の中で「Merry Christmas」と他者に呼びかけ他者を迎え入れる日であり、そして、それこそが全体化する力に抗することだからではないでしょうか。
 岩切雄太(門司教会、 八幡教会、 佐賀教会、 小城教会牧師)

議長室から

ポスト宗教改革500年 総会議長 立山忠浩

待降節(アドベント)に入りました。クリスマスを迎えるための準備の期間となりますが、市井の暦に先立って教会の暦は新しくなりました。宗教改革500年の2017年が終わり、新たな歩みが始まったことになります。
 「ポスト」宗教改革500年という言い方があります。宗教改革500年の「後」とか「次」という意味です。この言葉には、記念事業を終えた「後」が重要だという思いが込められています。もうすぐクリスマスを迎えることになりますが、宗教改革500年後の最初の重要な行事となります。
 日本では、人々の目が教会に向けられる唯一の時がクリスマスだと言われます。礼拝堂の椅子が一年で最も埋まるのがクリスマス・イブ礼拝という教会も多いことでしょう。まさに一大行事です。そこで語られるメッセージは何かが重要です。500年事業を経た私たちルーテル教会では、宗教改革者たちが説いた聖書の福音がしっかりと語られることが期待されています。
 さらに言えば、ルターやルーテル教会にとっての特徴的なメッセージとは何かを問い、それを今日の人々に届く言葉で語ることが大切なのです。
 北欧やドイツでは社会福祉制度が他国に比べ充実し、しかもそれらの国はルーテル教会を中心としていることを指摘する社会学者がいます。偶然なのか、あるいはルーテル教会の特徴的な教えに根源があるからなのか、まだ学問的に裏付けられた解説を読んだことがありません。しかしとても重要な指摘であると思います。なぜなら、いま世界中で課題となっていることのひとつが貧富の差であり、偏った富をどのように分配するかということだからです。社会福祉制度の充実はこれらの課題の行政的な取り組みなのです。
 ここでこれ以上立ち入ることはできません。ただ、ルターのクリスマスの説教を思い起こすことは意義深いと思うのです。占星術の学者たちのことです。ベツレヘムの輝く星に導かれ幼子イエスに出会い、彼らは宝物を献げました。この行いは、貧しい人たちに自分の富を分配した行為だと言い、そしてこの宝物が、ヘロデの迫害を避けてエジプトに避難した聖家族の生活を助けたに違いないと説くのです。
 ルターのこの説教が今日も耳を傾けるべき重要なメッセージであるように、彼の言葉はいつも時代に問いかけるのです。
 私たちの宣教の言葉もそうでありたいものです。

2017年『宣教会議』報告事務局 事務局長 白川道生

 「宣教会議とは決議をする場でなく、課題から目をそらさずに向き合い、認識を共有して、どのような対策が必要なのかを皆で議論する、具体的な取り組みの方向やアイデアを見いだすのが狙い」。 
 立山忠浩総会議長から会議の趣旨説明が述べられた後、第27期では2回目となる宣教会議は始まった。9月26~27日の2日間にわたり、各教区の常議員並びに全体教会四役、信徒選出常議員と各室長、教職・信徒の22名が東京のルーテル市ヶ谷センターに集まった。

 協議は、セッションを五つに区切り、それぞれに発題者をたて、テーマを巡って参加者全体での討議とした。全体を通して「第六次綜合方策」の目標項目を確認し、開始した2012年からここまでの検証と評価を行う議論を積み重ねた。
取り扱った内容は、
・式文委員会が作業を進める、礼拝式文の「典礼曲」の協議。
・日本福音ルーテル教会にとって「これからの海外宣教」の在り方をどうするのか。
・教会任命の教職人数の推移予測と教職態勢。
・教職の人事、全国を見渡した教職配置、個教会の財政自給力と招聘のバランス。
・教職が、教会付属施設ではない施設や幼児教育事業等の働きに参与する「兼務」を巡る基本認識。
・引退教師にかかる牧会委嘱の規則と課題予測。
・専任教師のいない教会の拠出金規則に関して。
・日本福音ルーテル教会の「ポスト宗教改革500年」等々となった。
 とりわけ、前回総会で使用が承認された「礼拝式文」の文言につける典礼曲の制作が式文委員会によって進められており、本会議では、製作中の4種の曲を聞いて、しばし全体での意見交換も行った。
 また、各教区長からそれぞれの教区が展開している宣教の現状、講じている対応に関して、予め準備された資料を基に発表がなされた。総じて苦闘する教会の様相であったが、共有する課題を見出しながら、取り組み実践の工夫や実例について、活発な質問が続くところに宣教への思いの強さが伺われた。
 最後のまとめでは、出席者全員がそれぞれに、2日間の討議からの感想や対策アイデア等が述べられたが、苦難を通しても連帯が想起できる、教会論に「ひとつ」を標榜する、ルーテル教会らしさが感じ取られる時間となった。
 この会議を通して共有された課題への意見や方向性を含んで、対策が常議員会に求められていくことになる。
(詳細は後日発行の宣教会議報告書を参照ください。)

カトリックと宗教改革500年②

世界のカトリック教会とルーテル教会による宗教改革500年記念

 ローマ・カトリック教会とルーテル教会は、宗教改革を共同で記念するという過去に前例のない取り組みを世界各地で進めています。かつて激しく対立した両者が、いまや一致と協力のためにひとつのテーブルを囲み、その声を世界に届けようと する気運が高まっています。 2013年には、共同文書『From Conflict to Communion』(邦訳『争いから交わりへ』)を発表しました。

ルンド声明

 2016年10月31日には、ローマ・カトリックのフランシスコ教皇とルーテル世界連盟のユナン議長が、この記念の年の幕開けとして、ルーテル世界連盟発祥の地であるスウェーデンのルンド大聖堂において共同の記念を行いました。
 「わたしたちは神に祈ります。ローマ・カトリックの者たちとルーテルの者たちが、イエス・キリストの福音を共に証しし、神の救いの働きを受け入れるべく人々を招くようになることを。わたしたちは共に奉仕の務めに立って、特に貧しい人々のために、人間の尊厳と権利とを高め、正義のために働き、あらゆる形の暴力を斥けることにおいて共に奉仕に当たることができるよう、霊の導きと勇気と力とを神に祈ります。尊厳、正義、平和、和解を切に求めているすべての人々に、わたしたちが近づくようにと神は呼びかけておられます。暴力や過激主義を終わらせるよう、わたしたちは声を挙げねばなりません。知らない人々を受け入れ、戦いや迫害のゆえに逃れることを強いられた人々に助けの手を差し伸べ、難民や亡命を求める人々の権利を守るよう、共に働くことを強く求めます」(ルンドにおける共同声明より)
 カトリック教会は、日本のカトリック教会の皆さんに宗教改革と長崎での500年共同記念の意義を知らせるため、リーフレット『カトリックと宗教改革500年』(発行・カトリック中央協議会、制作・宗教改革500年記念行事準備委員会)を作成されました。編集責任を負われた光延一郎神父(イエズス会・上智大学教授)よりご提供いただき、紹介します。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より

あなたと共に生きるために  伊藤早奈

「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」(ルカによる福音書2・7)

 私が思い描くキリスト誕生の場面は、幼い頃から、暗い小屋の中に笑顔の馬や牛を背景に座っているマリアさんと立っているヨセフさんと天使たちに囲まれて、飼い葉桶の藁をクッションにして布にくるまれて寝かされて微笑む、赤ちゃんのイエス様の絵です。またそこへ羊飼いが驚いた表情で訪れる絵や、博士たちがひざまずいて贈り物を赤ちゃんに捧げる絵です。
 
幼い頃から教会へ通われていた方や、キリスト教主義の幼稚園に通われた方は、ページェントと呼ばれるクリスマスの劇、イエス・キリストの聖誕劇をやった思い出があるかもしれません。
 ふと、イエス様がもっといい部屋や宿屋に泊まれていたら、どうなったのだろう?と思いました。明るくて綺麗で暖かい場所。きっと貧しい羊飼いは、イエス様の誕生のお祝いになんて駆けつけることもできず、警備の人や宿屋の従業員に追い返されたんだろうな、なんて思いました。

 これは遠い昔の物語ではありません。今を生きている私たちも、暗くて寂しい闇を持っています。それは心の中かもしれません。一人一人が奥にしまいすぎて忘れてしまっているかもしれません。でも、イエス様は忘れないで、あなたの持つ暗闇の中にもおられます。なぜなら、あなたが大切だから。
 他の人が見向きもしないあなたでも、あなた自身が呆れて見捨ててしまうような自分であっても、イエス様は共におられます。
 イエス様は一般常識ではとうてい考えられない家畜小屋でお生まれになりました。それは大切なあなたのためです。
 どんなあなたとも共におられるためです。歴史的には二千年以上も前にこの世にお生まれになられた方。でも、今も私たちと共におられる方なのです。
 クリスマスはイエス様が大切なあなたと共に生きるためにお生まれになられた日なのです。あなたはかけがえのない存在です。

春キャン2018のお知らせ

 宣教室TNG委員会ティーンズ部門と各教区教育部が主催する今年度の春の全国ティーンズキャンプを神戸市立自然の家において開催します。ぜひ、対象となる子どもたちを送り出してください。 

第25回 春の全国ティーンズキャンプ

○テーマ ~We Are Christ’s Two Arms.~
○主題聖句 エフェソの信徒への手紙2章10節
○日程 2018年3月27日~29日
○対象 12歳~18歳(2018年4月2日時点)
○会場 神戸市立自然の家(神戸市灘区)
○参加費 1万円(1月28日までの申込み。以降1万1千円。期限後は要相談1万5千円)
*交通費別途必要。
*3月24日以降のキャンセルは参加費の半額のキャンセル料がかかります。
○申し込み締め切り 
2月18日(交通の手配がありますので早目にお申込みください)
○申込み方法
http://tng.jelcs.net/teenscamp2018/
から申し込んでください。
左記のQRコードからもアクセスできます。
*所属教会牧師の承認を受けてください。
*正式登録されると  TNG-Teensブログに教会名とイニシャルが表示されますのでご確認ください(申込みから数日かかります)。     TNG-Teensブログ   http://tngteenshamazo.tv

○スケジュール 
 3月27日(火)13時45分「JR三ノ宮」集合、バスで会場へ。3月29日(木)14時20分「JR三ノ宮」にバス到着。基本的に教区ごとにまとまって移動します。詳しい移動方法等は、各教区担当者からご連絡します。JR三ノ宮と会場間のバス代金は、参加費とあわせて当日持参いただきます。
○問合せ
 永吉穂高牧師(小倉教会/福岡県北九州市小倉北区三郎丸
電話093(921)7715
携帯電話080(6106)0794
メールアドレスharukyan.moushikomi@gmail.com  
○持ち物 
 聖書、筆記用具、保険証、参加費とバス代、洗面用具、着替え、防寒着、入浴用品(ボティーソープ・リンスインシャンプー・ドライヤーは施設にあります)、3月27日の昼食・飲み物。

☆お知らせ☆
 今回の春キャンでもバラエティショーを行います。バラエティショーとは、ティーンズのみんなが演奏やコントなどパフォーマンスを披露する時間です。時間は1グループ約5分。個人での参加でもグループでの参加でも大歓迎!出演者をキャンプ1日目に募集します。みなさんのご参加を待っています。
 harukyan.moushikomi@gmail.com)
○持ち物 聖書、筆記用具、保険証、参加費とバス代、洗面用具、着替え、防寒着、入浴用品(ボティーソープ・リンスインシャンプー・ドライヤーは施設にあります)、3月27日の昼食・飲み物。
☆お知らせ☆
 今回の春キャンでもバラエティショーを行います。バラエティショーとは、ティーンズのみんなが演奏やコントなどパフォーマンスを披露する時間です。時間は1グループ約5分。個人での参加でもグループでの参加でも大歓迎!出演者をキャンプ1日目に募集します。みなさんのご参加を待っています。

「カトリックとルーテルの共同声明」に学ぶ

日本ルーテル神学校校長 石居基夫
【本文から】
●キリストにあってひとつ
 この喜びの時に、わたしたちは、世界のキリスト教諸教会や交わりを代表してここに同席し、わたしたちと祈りを共にしている、わたしたちの兄弟姉妹にわたしたちの感謝を申し上げます。争いから交わりへ進もうと取り組むに当たって、わたしたちは洗礼によってそこに加えられている、キリストのひとつのからだの一部分としてそうしているのです。わたしたちはわたしたちの努力を思い起こさせ、また、わたしたちを励ましてくださるよう、エキュメニカルな同志にお願いします。わたしたちはこの同志に、わたしたちのために祈り、共に歩み、今日表明している、祈りを込めた努力を生き抜くに当たってわたしたちを支え続けてくださるよう求めます。

【学び】
 この声明は、カトリックとルーテルの50年にわたる対話がそれぞれの取り組みにおいて成果を積み上げてきたことの結果として産み出されたものだ。異なる二つの教派という事だけではなく、ある意味で歴史のなかで最も激しく争い、キリスト教西欧世界を二分するような結果をもたらした両教会が、こうして今、この記念の年に共同して一つの声明を現すことになったことは意義深い。
 しかし、こうしたエキュメニカルな交わり、その対話と和解、共同ということはカトリックとルーテルという2教会間だけのものではない。むしろ20世紀はエキュメニズムの世紀であるといわれるほどに、世界のキリスト教が対話を重ねて、具体的な協力関係を作ってきたし、一致に向けての成果も産み出してきた。
 1910年の世界宣教会議(エディンバラ)、1921年の国際宣教師協議会(IMC)結成、1925年「生活と実践」委員会、1927年「信仰職制」委員会など、プロテスタント教会間での教派をこえた交わりと共同が進み、第二次世界大戦を経て、1948年には世界教会協議会(WCC)の発足となる。信仰職制委員会には、発足当時から実はローマ・カトリック教会からのメンバーを正式に迎えていて、教会一致のための神学的な学びを積み重ねてきたのだ。 
 あるいはまた、19世紀から続いていたカトリック教会での典礼復興運動はプロテスタント諸教会にも影響し、礼拝についての学びと実践が教派を超えてなされていくようなことも起こっていた。そして、特筆すべきは1982年に公にされたリマ文書、BEM文書が産み出されたことだ。これは、WCCに加盟する各教派の
 洗礼(Baptism)
 聖餐(Eucharist)
 職務(Ministry)
に関する神学的な違いを乗り越えていくための対話を重ね、相互理解と受容を推し進めて、ここまでは一つの理解に到達しているという収斂させた成果を公にしたものだ。(つづく)

宗教改革500年合同修養会in北海道

北海道特別教区長 岡田 薫
 10月8~9日に「宗教改革500年合同修養会in北海道」が行われた。道内にある日本福音ルーテル教会と日本ルーテル教団の教会が合同でこのような会を催すのはまさに四半世紀ぶりのことである。遠方からの参加者は宿泊が必須となるため、会場を教会ではなく宿泊可能な施設(札幌市保養センター駒岡)とし、39名の兄弟姉妹が前夜祭さながら親睦と交わりの時を楽しんだ。フレッシュパスターズによる夕べの祈り、続く夕食交流会では大皿料理を分け合いグラスを傾け合いながら和気あいあい。ことに生演奏での「さんびか大会」は大盛況であった。
 9日には、藤女子大学の阿部包教授から「パウロの福音理解の変遷」と題して講演をいただいた。信仰義認とは私たちの行いや業績としての信仰ではなく、真の人であったイエスの神に対する信仰とその恵みを受け入れることであること。イエスもパウロもルターも「信仰」というとき、それは愛を通して働く信仰、つまり信仰とは愛の業なしにはない(信仰を与えられた者たちは愛の業へと押し出される)ということを伺った。また、記念礼拝には日本聖公会の広谷和文司祭(旭川聖マルコ教会)を説教者として迎え、「宗教改革500年を記念するということは、祝い事ではなく、むしろ私たちが当時の教会の堕落と教会の分裂に痛みを覚えることであり、いま改めて各々が自己義認と闘い、プロテスト(抗議)することの大切さを心に刻むためである」ということを胸に刻んだ。
 ルーテル教会の集いに、カトリック信徒の研究者が講演し、聖公会の司祭が礼拝説教を担当した。みことばと聖餐の恵みを分かち合いながら、分裂と痛みの時代から和解と教会の一致を目指す貴重な一歩がここにあったように思う。
 ふたを開けてみれば当初の予想をはるかに上回る120名を超える参加者が道内各地から集い、大いに励まされる集会となった。恵みと祝福に満ちたときとしてくださった主に心から感謝する。

九州教区・宗教改革500年

九州教区長 小泉 基
 10月28日と29日、台風近づく熊本地区において、九州教区における宗教改革記念行事が「真理はみんなを自由にする!」をテーマに、にぎやかに開催されました。
 九州ルーテル学院の大学チャペルを会場に、まず講演会から記念行事がスタート。江口再起先生による「宗教改革の現代的意義」と題された講演では、500年前のルターの宗教改革がどのようにわたしたちの苦悩とつながり、そこに力を与えるものとなっていくのかが、深い洞察のうちに語られました。
 続いて、メンデルスゾーン作曲による交響曲第5番「宗教改革」の記念演奏会。演奏は、熊本でオペラの上演に取り組んでいるラスカーラ・オペラ管弦楽団です。31名という小編成のオーケストラながら迫力のある演奏で、第4楽章で「神は我がやぐら」の旋律が高らかに響き渡ると、聴衆の顔がひときわ輝いたようでした。夕刻から大学食堂に会場を移しての前夜祭。九州各地から参集した教会員をはじめ、カール・フォン・ヴェアテルン駐日ドイツ大使夫妻や熊本市の多野副市長といったゲストも共に、和やかに祝祭の食卓を囲みました。
 翌29日の記念合同礼拝には500名を超える参列者が、熊本地震からの復旧工事を終えた九州学院ブラウンチャペルに集いました。台風の影響で朝まで降り続いた雨も礼拝前にはすっかり上がり、空にかかる虹もこの時を祝福しているかのようでした。この日のために、熊本だけでなく九州各地で練習を重ねてきた宗教改革500年記念唱団に、九州学院・ルーテル学院合同合唱団と合同吹奏楽部が加わり、なんとも豪華な奏楽・賛美のチームが力強く会衆賛美をリードしてくれました。
 礼拝後には、教会女性会や福祉施設が出店するルターマーケット。2日間にわたった記念行事の名残を惜しむかのように、いつまでも買い物を楽しむ人々の姿が見られました。角本委員長以下、実行委員の方々をはじめ、会場となった両学院、また熊本に集うことのできなかった方々も含めて、多くの人々の奉仕と祈りが形となった、恵まれた記念行事となりました。

 

17-11-17神によって変えられる

 「もし彼らの捨てられることが、世界の和解となるならば、彼らが受け入れられることは、死者の中からの命でなくて何でしょう。麦の初穂が聖なるものであれば、練り粉全体もそうであり、根が聖なるものであれば、枝もそうです。」(ローマの信徒への手紙11・15〜16)

 10月31日は何の日でしょうか。このように問うたならば、これをお読みのみなさんはおそらく迷うことなく「宗教改革記念日」と答えることでしょう。特に今年は500年目という記念の時であり、今月23日には長崎でカトリックと合同で記念礼拝も行われます。ただしかし、世間の人々に同じ質問をしたら、十中八九、いや100人に99人は「ハロウィン」と答えることでしょう。
 近年では日本でも盛んで、子どもや若者が仮装を楽しんでいます。これは元々はケルト(ヨーロッパ)の新年のお祭りに由来して……という説明はしばしば耳にしますが、それだけでなく、そこにキリスト教も深く関係しているということは、あまり教会の中でも知られていないのではないかと思います。

 ケルトの暦では10月31日は大晦日で、その夜は地獄の釜の蓋が開き、悪霊や先祖の霊がこの世に溢れると信じられていました。先祖の霊ならば歓迎しそうなものですが、もし境目が閉じてしまったらこの世で悪霊化してしまう為、篝火を焚いたり恐ろしい格好をしたりして悪霊も先祖の霊もあの世に追い返すということが行われていました。この「サウィン祭(死神祭)」が、今日のハロウィンの仮装の元となっています。恐ろしい扮装は、本来は言わば戦装束であったのです。

 しかし、キリスト教の伝来により、この行事は大きく変化します。死者の祭りがその時期に行われるということは変わりませんでした。むしろ、その点ではキリスト教の側が影響を受け、元々は5月に行われていた死者の礼拝が11月に行われるようになります。今私達の教会の暦で11月に召天者記念礼拝を行うのはその為です。変わったのは、死者との関わり方です。サウィン祭においては、先祖の霊は恐怖の対象であり追い払うべきものでした。しかし、聖書の教えにより、私達には永遠の命が与えられており、死者もまた神様の愛を受け、共に同じ主の平安の内にあることを知ります。死者の祭りは、生きる者も召された者も共に唯一なる主の元にある、その喜びを知る時となったのです。死者を覚えるという出来事は同じでも、キリストの教えにより、その在り方、意味するところは180度変わりました。そこには不安や争いではなく、平安と喜びが与えられることとなりました。恐怖のサウィン祭は過ぎ去り、希望と安らぎに溢れる召天者記念の時が与えられたのでした。

 ところで、キリスト教では死者を弔う日の事を「諸聖人の日」(All Hallows Day)と呼びます(謂れは先月号の鈴木先生の記事をお読みください)。そしてこの記念日は、クリスマスと同じように、前日の日没から祝われたそうです。Hallows dayのEvening、Hallows’een。これが「ハロウィン」となるのです。
 神様の働きにより、恐ろしいサウィン祭は、喜びのハロウィンに変わりました。恐怖や不安を前にしても、たとえ死という恐ろしい出来事と向き合う時であっても、神様が共にいてくださる時、そこには喜びが溢れてゆくのです。

 さて、今年は宗教改革500年という年です。この宗教改革という出来事も、100年前と今では、大きく意味を変えています。100年前は、カトリック教会とプロテスタント教会の分裂の象徴でもありました。
 しかし今、カトリックと合同で、この宗教改革を覚える礼拝が行われるところまで来ています。そこには確かに、和解させてくださる神様の力が働いています。神様の力は、世界に働き、歴史に働き、今を生きる私達にも働いています。

 神様の恵みによって、世界は、私達の在り方は、大きく変化してゆきます。不安や争いが取り払われ、安らぎと喜びが満ちあふれてゆくのです。死者の記念日が恐怖ではなく喜びの時となったように、宗教改革が争いではなく和解の象徴となったように、神様は私達の人生の只中にも働き、私達にまことの平安を満たしてくださるのです。

 日本福音ルーテル久留米教会、田主丸教会、大牟田教会 牧師 宮川幸祐

17-11-01るうてる2017年11月号

「神によって変えられる」

機関紙PDF

日本福音ルーテル久留米教会、田主丸教会、大牟田教会 牧師 宮川幸祐

「もし彼らの捨てられることが、世界の和解となるならば、彼らが受け入れられることは、死者の中からの命でなくて何でしょう。麦の初穂が聖なるものであれば、練り粉全体もそうであり、根が聖なるものであれば、枝もそうです。」(ローマの信徒への手紙11・15~16)

10月31日は何の日でしょうか。このように問うたならば、これをお読みのみなさんはおそらく迷うことなく「宗教改革記念日」と答えることでしょう。特に今年は500年目という記念の時であり、今月23日には長崎でカトリックと合同で記念礼拝も行われます。ただしかし、世間の人々に同じ質問をしたら、十中八九、いや100人に99人は「ハロウィン」と答えることでしょう。
 近年では日本でも盛んで、子どもや若者が仮装を楽しんでいます。これは元々はケルト(ヨーロッパ)の新年のお祭りに由来して……という説明はしばしば耳にしますが、それだけでなく、そこにキリスト教も深く関係しているということは、あまり教会の中でも知られていないのではないかと思います。

 ケルトの暦では10月31日は大晦日で、その夜は地獄の釜の蓋が開き、悪霊や先祖の霊がこの世に溢れると信じられていました。先祖の霊ならば歓迎しそうなものですが、もし境目が閉じてしまったらこの世で悪霊化してしまう為、篝火を焚いたり恐ろしい格好をしたりして悪霊も先祖の霊もあの世に追い返すということが行われていました。この「サウィン祭(死神祭)」が、今日のハロウィンの仮装の元となっています。恐ろしい扮装は、本来は言わば戦装束であったのです。

 しかし、キリスト教の伝来により、この行事は大きく変化します。死者の祭りがその時期に行われるということは変わりませんでした。むしろ、その点ではキリスト教の側が影響を受け、元々は5月に行われていた死者の礼拝が11月に行われるようになります。今私達の教会の暦で11月に召天者記念礼拝を行うのはその為です。変わったのは、死者との関わり方です。サウィン祭においては、先祖の霊は恐怖の対象であり追い払うべきものでした。しかし、聖書の教えにより、私達には永遠の命が与えられており、死者もまた神様の愛を受け、共に同じ主の平安の内にあることを知ります。死者の祭りは、生きる者も召された者も共に唯一なる主の元にある、その喜びを知る時となったのです。死者を覚えるという出来事は同じでも、キリストの教えにより、その在り方、意味するところは180度変わりました。そこには不安や争いではなく、平安と喜びが与えられることとなりました。恐怖のサウィン祭は過ぎ去り、希望と安らぎに溢れる召天者記念の時が与えられたのでした。
 ところで、キリスト教では死者を弔う日の事を「諸聖人の日」(All Hallows Day)と呼びます(謂れは先月号の鈴木先生の記事をお読みください)。そしてこの記念日は、クリスマスと同じように、前日の日没から祝われたそうです。Hallows dayのEvening、Hallows’een。これが「ハロウィン」となるのです。
 神様の働きにより、恐ろしいサウィン祭は、喜びのハロウィンに変わりました。恐怖や不安を前にしても、たとえ死という恐ろしい出来事と向き合う時であっても、神様が共にいてくださる時、そこには喜びが溢れてゆくのです。
 さて、今年は宗教改革500年という年です。この宗教改革という出来事も、100年前と今では、大きく意味を変えています。100年前は、カトリック教会とプロテスタント教会の分裂の象徴でもありました。
 しかし今、カトリックと合同で、この宗教改革を覚える礼拝が行われるところまで来ています。そこには確かに、和解させてくださる神様の力が働いています。神様の力は、世界に働き、歴史に働き、今を生きる私達にも働いています。
 神様の恵みによって、世界は、私達の在り方は、大きく変化してゆきます。不安や争いが取り払われ、安らぎと喜びが満ちあふれてゆくのです。死者の記念日が恐怖ではなく喜びの時となったように、宗教改革が争いではなく和解の象徴となったように、神様は私達の人生の只中にも働き、私達にまことの平安を満たしてくださるのです。

連載コラムenchu

⑳【 Elpis 】

 ギリシャ語で希望を「エルピス」といいますが、この言葉には関連する物語があります。
 ゼウスは、人間に災いをもたらすために、一人の女性(パンドーラー)を、ニュクスの子どもたち(復讐、欺瞞、不和と争いなど)が閉じ込められた箱を持たせて人間のもとに送ります。パンドーラーは、その箱を絶対に開けるなといわれていたのですが、好奇心に負け開けてしまいます。すると、その箱からニュクスの子どもたちが飛び出し、世界には災厄が満ち人々は苦しむことになった、と。しかし、箱の底には「エルピス」だけが残っていた。そう、これは「パンドラの箱」の物語です。
 この物語、災厄があっても最後には希望が残るとも読めますが、一方で、ここに描かれている希望はニュクスの子どもたちを必要としていた、と読むこともできるでしょう。というのも、それらが箱から飛び出さなければ「エルピス」は現れないからです。でも、ニュクスの子どもたちを必要とするような希望は御免蒙りたい。
 ところで、宗教改革500年記念事業でつくられた「ヤツオリ」に、「たとえ明日、世界が滅びようとも、わたしは今日りんごの木を植える」というルターの心を表す言葉が印刷されています。ルターはここで、私はその時その時を明日世界が滅びるつもりで生きる、と言っているのだと思います。なぜなら、そのような人は、「蓄積してきた過去(反省と感謝)」を大切にし「(それ故に)かけがえのない現在」を生きる人であり、ニュクスの子どもたちを必要としないからです。そして、そのような人(たち)に植えられたりんごの木を希望と呼びたいのです。
岩切雄太(門司教会、 八幡教会、 佐賀教会、 小城教会牧師)

議長室から

平和と一致への願い 総会議長 立山忠浩

宗教改革500年記念事業も大詰めを迎えました。今月23日に長崎のカトリック浦上教会で開催される共同企画を残すのみとなりました。「平和を実現する人は幸い」(マタイ5・9)という主題のもとにシンポジウムを、「すべての人を一つにしてください」(ヨハネ17・21)という主題で礼拝を共同で行うことになります。
 この二つの主題に両教会の思いが込められています。平和、そして一致への願いです。マルティン・ルターの「95ヶ条の提題」を契機にした宗教改革は、私たちルーテル教会にとっては恵み深いことでしたが、ここからカトリックとプロテスタントの分裂と対立が生じたのです。それだけでなく同じプロテスタント内で、ルター派内でも分裂が起こったのです。宗教改革の副産物、恵みの出来事の裏にある現実でした。500年をルーテル教会の中でお祝いするだけでなく、この歴史の現実に目を向け、新たな未来に道を切り拓くために何をなすべきか、これが私たちの問いでした。
その答えのひとつが、平和と一致への願いを共同で表現することでした。いま世界で起こっていることは国家間、あるいは民族や宗教間の対立のエスカレートです。ベクトルは争いと対立の方へと向かっているとしか思えない。しかし両教会は主題に込められたイエス・キリストの教えに立ち、それを目に見える形で原爆投下の地、長崎で証しするのです。
 当日参加できない方々には鳩の折り紙を参加者に託してくださることを呼びかけます。その紙に祈りの言葉や聖句を書き添えることも出来るでしょう。参加できる一部の人だけでなく、皆さんの祈りが集められることを願っています。
 カトリック教会との対話を重ねる中で教えられることがありました。彼らにとっての対話はキリスト教会内に留まらないのです。仏教など他宗教との対話も視野に置き、実際に実践を積み重ねていることです。
 同様の取り組みは、ムニブ・ユナン ルーテル世界連盟前議長のエルサレムでのイスラム教やユダヤ教との宗教間対話にもみられます。また日本でも個人レベルでの実践が「試みられていることは喜ばしいことです。
 この今日的な課題に積極的に取り組むためにも、ルーテル教会にとって外してはいけない視点があるのです。聖書です。イエス・キリスト、パウロがどう教えているか。新たな問いをもって読み直してみようと思うのです。

日本福音ルーテル教会と協力関係のあるドイツ福音主義教会のブラウンシュヴァイク福音ルーテル(州立)教会による宗教改革500年記念、オラトリオ『天地創造』の公演に日本から15名の聖歌隊員が参加しました。演奏会は9月10日にフォルクスワーゲンホールにて行われました。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

すべての声よ、
主に向かって歌え
 ドイツ訪問団
 「ELKB聖歌隊」参加報告

        松本義宣
(神戸教会、神戸東教会、西宮教会牧師)

9月10日、姉妹教会であるドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル教会(ELKB)の宗教改革500年記念演奏会が行われました。合唱団への参加招待を受けて、JELC派遣メンバー15人が、約800名の合唱団一員として参加しました。 曲は、J・ハイドンのオラトリオ『天地創造』、C・E・へッカーELKB音楽監督の指揮、地元ブラウンシュヴァイク州立歌劇場管弦楽団と4名のソリストが加わり、数千人が入る大ホールでの、大変印象的な演奏会でした。 合唱団は、地元各教会の聖歌隊に加え、ELKBと協力関係にある海外から、JELC以外にもインド、ナミビア、シュレジエン(チェコ)、イギリスから「派遣聖歌隊」が参加し、その方々とも見学、観光やレセプション等での交わりのプログラムがありました。
 私たちJELCは常設の合唱団ではなく、広く公募で集ったメンバーです。宗教改革500年の意義をアピールするため、教会教派はもちろん、受洗の有無も問わず、現地集合現地解散を基本とし、歌の貢献ではなく今後の交流や教会活動への理解を願っての派遣団結成でした。現地で初めて全員が顔を合わせ、滞在も現地の都合でホームステイとホテルに分かれて、練習の合間に行われた様々な行事参加等、もしかすると「演奏会」だけを期待していた方々には、少々ストレスのあるプログラムだったかもしれません。しかし、以後「ライン」で連絡を取り合い、次の「出番?」を楽しみにするという嬉しい交わりが生まれました。
 本番前、聴衆の前で、司会が指揮者に「500年記念なら、ルター派にはバッハを始め相応しい作品があるのに、どうしてハイドン(カトリック)の『天地創造』なのか」と意地悪な質問をしました。へッカーさんはこう応じました。「終曲合唱はこう歌います。『すべての声よ(創造のみ業を讃えて)主に向かって歌え』と。今はカトリックもプロテスタントもなく、すべての人が創造主に声を合わせて歌うべき時なのです」と。宗教改革500年の意義が明瞭でした。

宗教改革500年から思うこと

坂井めぐみ(カンバーランド長老派教会・希望ヶ丘教会)

私は昨年から声楽の勉強のために、オーストリアのウィーンに滞在しています。ルーテル教会の派遣聖歌隊のメンバー募集を知り、ドイツでハイドンのオラトリオ『天地創造』を歌えるなんてなんだか楽しそうと軽い思いで応募しましたが、今は、なんと恵みある機会を与えられたのだろうと実感しています。ドイツに集合して2日目から、記念演奏会に向けた練習と同時に、ルターに関連する場所巡りが始まりました。
 今回、特に興味深かったのが、州立ブラウンシュヴァイク博物館で催されていたルターに関する展覧会です。

 宗教改革以前の人々が、伝染病のペストに苦しめられていたこと、救いを求めて贖宥状(免罪符)を求めたこと、それらが教科書で学んだ机上ことではなく、実際起きた現実のこととして私の中に入ってきました。また、ある教会を訪ねたとき、案内の方がこの様なことをおっしゃっていました。「教会の建物、芸術に興味をもって訪れる人はいるが、その中でどれくらいの人が信仰をもって来ているのか」と。
 オーストリアでも、表面上は人口の約70%はキリスト教徒とされていますが、その中のどれくらいの人が教会に行っているかとなると、本当に微々たる数になってしまうのが現実です。
 この訪問を通して私が考えたことは、『伝える』ということです。ルターは、聖書を理解できない人たちのために母国語に訳して、皆が理解できるように尽力しました。ルターが一生懸命、聖書の内容を伝えてくれた、それを、現代を生きる私たちはどう次の世代に伝えていくか。きっとそれは私たち一人ひとりが、それぞれにふさわしく神様から与えられた賜物を用いてできることなのかもしれません。私自身も、その与えられた賜物をどう主のために生かせるのか、まだまだ探していきたいと思います。

*日本のカトリック教会の皆さんに宗教改革と長崎での500年共同記念の意義をお知らせするため、カトリック教会がリーフレットを作成しました。発行部数は8万部です。編集責任を負われた光延一郎神父(イエズス会・上智大学教授)よりご提供いただき、紹介します。

カトリックと宗教改革500年①

発行 カトリック中央協議会
制作 宗教改革500年記念   行事準備委員会

●宗教改革500年

 今年は、マルティン・ルターが『95か条の論題』を発表(1517年)してから500年の記念の年です。この16世紀の宗教改革は、キリスト教の信仰改革を図ったものでしたが、ヨーロッパ近代という時代の社会と政治の変動に巻き込まれ、 結果的にキリスト教会に分裂をもたらし、プロテスタント諸教会を生み出した出来事でした。

●宗教改革 その後? 

 多くの人は、この事実については、歴史の教科書で学んだでしょう。けれども、知識はそこで止まってはいないでしょうか?分裂したキリスト教は、その後どうなったのでしょうか? 
…歴史はこの500年の間も動いてきたのです。

●2017年、長崎からの新たな出発 

 2017年11月23日に、日本のカトリック教会とルーテル教会は、長崎のカトリック浦上教会に集まることを決断しました。宗教改革から500年を記念し、「祈り」と「対話」において過去から未来へ導かれ、現在の姿を証しすることが目的です。「平和を実現する人は幸い」において、世界の平和と和解の実現に向かって歩み出す現代の両教会の姿を示します。
 長崎は、キリスト教の弾圧と迫害を経験した町。そして20世紀の世界の悲劇を象徴する原爆被爆の地です。受苦と堅忍、信仰と希望と復活の町、長崎。この地を日本のカトリック教会とルーテル教会は、平和を実現する未来への歩みの出発点とします。

「北海道寺子屋合宿」について 原子力行政を問い直す宗教者の会

  内藤新吾
 2011年より毎夏、原発震災の放射線影響が心配される地域の子どもたちを対象に、原子力行政を問い直す宗教者の会では、お寺や教会を借りて「北海道寺子屋合宿」という保養事業を続けています。
 2017年の参加者は子ども116人、保護者53人の計169人でした。去年までより少し減ったのは、引率の当会スタッフを長期に確保することが困難で、スポーツ少年団など団体以外の家族枠受け入れ期間を絞ったためです。決算も1千万円を超えていたのが900万円少しとなりました。
 それにしても大きな額を毎年奇跡的に、個人や宗教団体からの募金でまかなっています。ルーテル教会「プロジェクト3・11」からも募金をいただき感謝です。
 子どもたちは親御さんと共に10日間ほど被災地を離れ、福島ではできない外遊びや自然体験などをし、大人たちも普段タブーになっている放射能のことや不安を参加者同士やスタッフと話すことができ、安堵のときを過ごします。また日を選んで医師による甲状腺検査も受けることができます。
 事故後6年を過ぎますが、心配はずっと続くことはチェルノブイリからの教訓です。福島県だけで去年末の時点で、甲状腺癌または癌疑いの子どもが184人、うち144人が手術を終えて癌が確定しています。この中には、検査の一巡目で癌と診断されず二巡目で癌または癌疑いの見つかった子が68人もあり、内44人が手術を終え癌確定しています。国と県は「事故の影響とは考えにくい」とし、今後の検査も縮小しようとしていますが、因果関係が定かでなくても、検査を続けることは必要ではないでしょうか。そのことを訴える専門家の方々も少なくありません。また甲状腺癌以外の疾患も心配です。教会には、こうした事情の歴史的な背景も知っていただきたいと、教会の教職の一員としても願っています。

リック・スティーヴスと歩むルターと宗教改革(音声英語・日本語字幕版・55分)

 アメリカの著名なトラベルライターであり、テレビパーソナリティーでもあるリック・スティーヴスさんによる「ルターと宗教改革」の日本語字幕版が完成しました。アメリカ福音ルーテル教会が提供してくださいました。
 リック・スティーヴスさんは「これまでルターについては、良い映画がありましたが、私は宗教改革の歴史的、経済的、社会的状況を説明し、ヨーロッパが中世から離れて近代化するために、どれほど驚異的な時代があったのかを届けたい」と述べています。
 脚本については、ルター派ばかりでなく、カトリック教会の神学者、また神学以外の研究者も加わって吟味を重ね、現代の人々に広く関心をもってもらうことができるように努めたそうです。ルターと宗教改革とその時代、またその現代的な意義を知る旅に出かけませんか。
※各教会にDVDを配布します。またパソコンやスマホでも視聴できます。
右掲の2次元コードもしくは https://youtu.be/E_yKTF95sHI 

2017年 宗教改革500年「カトリックとルーテルの共同声明」に学ぶ

石居基夫(日本ルーテル神学校校長)

【本文から】

 以前に増して一層わたしたちは、この世界におけるわたしたちの共同の奉仕が開発や飽くことを知らない欲望にさらされている神の創造へと拡張されねばならないことを認識しています。わたしたちは将来の世代が神の世界をその可能性と美しさのすべてにおいて享受する権利を認めます。わたしたちは、この被造の世界のために愛と責任をもってこれを導くよう、心と思いが変わっていくように祈ります。

【学び】

 この声明は、世界の争いや差別、迫害という課題を見据えながら、その奥に隠された現代世界を生きる人間の根本的な問題にまで切り込んでいる。
 人間の経済・文化が人間の「開発と飽くことをしらない欲望」に支配されていて、それが本来、人間が神の創造に参与し、世界を守り、ケアするつとめを負っているにも拘らず、むしろ、被造物全体を傷つけ、損なってしまっている現実を見つめている。だからこそ、この世界そのものに対する奉仕ということを地球規模において全面的に展開していかなければならないというのだ。「神の世界の可能性と美しさ」が失われていく。その危機感を持っているからこそ、いま、それを次の世代に、またその次の世代へと引継ぎ、守らなければならないと表明する。
 20世紀の後半、人間の健康をも損なうような深刻な環境破壊を体験してきた。また、平和利用という神話のかげで、核による取り返しのつかない放射能汚染の危機を抱きかかえてきたのだ。それは近い将来に人間のいのちそのものを脅かすものであることを予想させるのだ。だからこそ、いま、この問題から目を背けることのないように、この世界に対する「愛と責任」を心にきざむのだ。
 昨年、教皇フランシスコは回勅「ラウダート・シ」を明らかにし、次の世代の子どもたちに神の創造された世界を引き継いでいく責任を語った。具体的に環境問題に深く言及するばかりではなく、基本的にこの世界のなかで人間が生きる意味や価値が失われていくような現実に対してキリスト教の果たすべき使命を語っている。
 この声明も、回勅が明らかにしている課題を共有し、両教会が被造世界全てに対する責任を分かち合うということを確認しているのだ。

ステファノのように

 神崎伸(賀茂川教会)
私たちは、神がお与えになった人生の旅路で、肉体的にも、精神的にも、社会的にも、スピリチュアルにも、それぞれに経験する危機があります。そのただ中にあって、そのひとが今感じている思いにフタをせず向き合うことができるように「寄り添う」。自らも信仰と聖霊に満たされつつ、あのステファノのように(使徒言行録6・5)、「キリストならどうなさるか」を絶えず心において相手の痛みのプロセスに「共感する」。これが「ステファンミニスター」の働きです。

 今回、その「ステファンミニスター」を養い導くリーダー研修のため、東京教会の仲間に、賀茂川教会牧師と日本聖公会のメンバーを加えた9人が、7月の9日間をアメリカテキサス州のダラスにて過ごしてきました。

 信頼関係構築のための具体的かつ状況に即した傾聴方法、必要なことをアサーティヴに伝えるスキル、守秘義務の取り扱い方、各専門家につなぐタイミングの見極め方、ケアの適切な終わらせ方、スーパーヴィジョンの導き方―― 。 段ボール箱を満たす沢山のリーダーマニュアルを用いてこれらの演習を繰り返す日々でした。あまりの情報量にたじろぐこともありましたが、本紙の昨年11月号において関野和寛牧師が報告されていたとおり、創始者であるアメリカ福音ルーテル教会のケネス・ハーグ牧師を中心に、40年以上の時をかけて整え練られた、明確な神学に基づくものです。

 私たちは日本の地で、おもに日本語で祈り、対話し、ケアをします。その意味では今回集った300人と共に学んだすべてをそのまま適用することはできません。しかし、広大なアメリカの地で、同じ現代に生き、傷つき痛む隣人の現実を直視しながら、信仰と神学のすべてを注ぎ込むようにして対話を重ねてきたこの働きは、私たちにかけがえのないものとなりました。
 ぜひあなたにもこの働きに加わっていただきたいと考えています。関心を持たれた方は、お気軽に東京教会までお問い合わせください。

連帯献金のお願い

メロー牧師の日本研修を支えるために 世界宣教委員長  大柴 譲治

 ブラジル・ルーテル告白福音教会(IECLB)牧師のルイス・カルロス・メロー牧師(34歳)が5月22日に来日し、来年2月末までの予定で現在、大垣において日本語研修を受けています。
 学校法人HIRO学園で週2回の日本語個人レッスンを受け、自分で見つけてこられた大垣市のボランティアサークルでの日本語会話個人レッスンに週に1度通い、日曜日は大垣教会での主日礼拝の司式補佐を担当し、教会員との交流を深めています。
 また、大垣教会の聖研や名古屋地区や東海教区の集まりを中心に参加して一生懸命に日本体験を深めています。その一端は本紙8月号にご本人の言葉で紹介されていました。この12月からは各教区からの招請を受けて説教者として順次各地を訪問することが予定されています。
 JELCは1965年より50年間、ブラジルの「サンパウロ日系人パロキア」(IECLBに所属)に宣教師を送り続けてきましたが、昨年5月の総会において宣教師派遣を2019年春に完了することを決議しました。
 メロー牧師には徳弘浩隆牧師の後に日系人パロキアを引き継いでゆくことが期待されています。そのためにもぜひ今回の日本研修が実り豊かなものであって欲しいと願っています。本人も一生懸命に頑張っています。JELCは連帯献金を用いてメロー牧師の生活費と住居費、そして通信費等をカバーしています(月額12万円)。日本語研修の部分は日本福音ルーテル社団(JELA)が費用を支援しています。つきましては、どうかサンパウロの日系パロキアのためにお祈りいただき、併せてメロー牧師の今回の日本研修のために連帯献金をお捧げいただけますようお願いいたします。
 

連帯献金送金先

ゆうちょ銀行
振替口座00190-7-71734 
口座名義 宗教法人日本福音ルーテル教会
 *通信欄に必ず「ブラジル伝道」と記載くださるか、事務局へ、その旨お 知らせください。

 

 

 

 
  

 

 
 
 
  

  

17-10-17絶えず新たに開始する教会

「自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。」  (テモテへの手紙二 3・15)

「牧師は総辞職せよ」。私の人生で衝撃を受けた言葉の一つです。
 事務局勤務だった頃、日本キリスト教連合会主催の宣教講演会に出席しました。講師は牧師、宣教師、信徒(ビジネスマン)が集まり、福音宣教の拡大を目指しキリスト者の人口比1%越えを目指している信徒リーダー達でした。テーマは「日本のキリスト教界の現状と展望」。副題に(エリヤのように、私は変わる、あなたも変わる、日本が変わる)、ユニークで力強い講演でした。
 その中で「牧師は総辞職せよ」と提言されたのです。この百年いまだ人口の1%以下しかキリスト者になってない状況の責任は牧師にある。「牧師は、戦後の働きを自ら深思し、先ず一度、総辞職せよ」と言われたのです。業績をあげられないなら会社ではクビなのですとも。教会と会社は違うという意見もありますが、真摯に受けとめようと思いました。

 教会、牧師信徒は、宣教に本気で取り組んでいるか。人々に届くキリストのみ言葉を語っているか。そのために努力し、創意工夫しているか。どうせ1%だからとあきらめてないか。教会の維持、内向的なことばかりになってないか。全世界に福音を宣べ伝えているか。聖書を読んでいるか。かなりチャレンジを受けました。

 その時、大切なことは「ミッション」であると教えられました。使命です。遣わされた教会が、何を神様から与えられたミッションにするか。それで教会も牧師信徒も変わってくる。そのミッションを「最優先事項(トップ・プライオリティー)にする」こと。神様から与えられた私の使命は何か。それが分かれば、今やるべきことは見えてきます。他のすべてのことを停止してでも、その一時に集中する。それが最優先事項という意味です。その一時を聖書の中から見つけることです。
 そこでルターの『キリスト者の自由』を読んでいます。教会の信徒の願いで、しぶしぶ読みはじめたというのが本音です。読み進めていくうちに、ぐんぐん引き寄せられ、毎週1回の読書会が待ち遠しいです。教会の生きた現場で読みました。
 ルターの言葉で衝撃を受けた言葉を一つ。「使徒はキリスト者に対し、目覚めよ、と言って、勧めている。なぜなら彼らは目覚めていないならキリスト者ではなく、神の道に立ち止まっていることは後退していることだからである。前進するとは、つまり絶えず新たに開始することである」という言葉です。

 キリスト者に大切なのは過去ではなく、今どうするかです。昔はということは、キリストの前からだんだん後退していることです。自分に出来ることを何かひとつでも絶えず新たに始めることです。教会の宣教のために祈ることもまた、新たに自分が開始することなのです。
 宣教の現場に戻って新しいことをたくさん始めました。中高生がいる教会、楽しい教会、人が絶えず溢れる教会、未来にむけて成長する教会を目指しました。まず教会集会室をカフェスペースに。扉は24時間オープン。様々な楽しいカフェ企画。毎日の朝礼拝。礼拝堂を聖なる空間に変える。礼拝に来られる方が毎週何か変わっていると言われます。絶えず新しく始まっている教会でありつづけました。とにかく外へ向けての宣教を最優先事項にしてきました。結果はどうぞ大江教会にいらしてください。

 しかし、一番大切にしたのは「み言葉」と「祈り」です。宗教改革500年にむけて何をするか。まずは「聖書のみ」に立ちました。礼拝堂にある講壇用聖書の通読を始め、3年間で3回の通読。毎日3章ずつ礼拝堂で読み続けています。まもなく3回目が終了します。さらに礼拝堂で祈る。毎日誰かが礼拝堂で祈る。これだけのことで教会は改革されていくのです。物置状態であった礼拝堂が聖なる空間となります。

 宗教改革500年の10月をむかえました。私たちの教会にとっては501年が大切です。記念とならないように。そして「絶えず新たに開始する教会」でありたい。それぞれのミッションに従って。

日本福音ルーテル大江教会、鹿児島教会、阿久根教会 牧師 立野泰博

17-10-01るうてる2017年10月号

説教「絶えず新たに開始する教会」

機関紙PDF

「自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。」(テモテへの手紙二 3・15)

「牧師は総辞職せよ」。私の人生で衝撃を受けた言葉の一つです。
 事務局勤務だった頃、日本キリスト教連合会主催の宣教講演会に出席しました。講師は牧師、宣教師、信徒(ビジネスマン)が集まり、福音宣教の拡大を目指しキリスト者の人口比1%越えを目指している信徒リーダー達でした。テーマは「日本のキリスト教界の現状と展望」。副題に(エリヤのように、私は変わる、あなたも変わる、日本が変わる)、ユニークで力強い講演でした。
 その中で「牧師は総辞職せよ」と提言されたのです。この百年いまだ人口の1%以下しかキリスト者になってない状況の責任は牧師にある。「牧師は、戦後の働きを自ら深思し、先ず一度、総辞職せよ」と言われたのです。業績をあげられないなら会社ではクビなのですとも。教会と会社は違うという意見もありますが、真摯に受けとめようと思いました。

 教会、牧師信徒は、宣教に本気で取り組んでいるか。人々に届くキリストのみ言葉を語っているか。そのために努力し、創意工夫しているか。どうせ1%だからとあきらめてないか。教会の維持、内向的なことばかりになってないか。全世界に福音を宣べ伝えているか。聖書を読んでいるか。かなりチャレンジを受けました。

 その時、大切なことは「ミッション」であると教えられました。使命です。遣わされた教会が、何を神様から与えられたミッションにするか。それで教会も牧師信徒も変わってくる。そのミッションを「最優先事項(トップ・プライオリティー)にする」こと。神様から与えられた私の使命は何か。それが分かれば、今やるべきことは見えてきます。他のすべてのことを停止してでも、その一時に集中する。それが最優先事項という意味です。その一時を聖書の中から見つけることです。
 そこでルターの『キリスト者の自由』を読んでいます。教会の信徒の願いで、しぶしぶ読みはじめたというのが本音です。読み進めていくうちに、ぐんぐん引き寄せられ、毎週1回の読書会が待ち遠しいです。教会の生きた現場で読みました。
 ルターの言葉で衝撃を受けた言葉を一つ。「使徒はキリスト者に対し、目覚めよ、と言って、勧めている。なぜなら彼らは目覚めていないならキリスト者ではなく、神の道に立ち止まっていることは後退していることだからである。前進するとは、つまり絶えず新たに開始することである」という言葉です。

 キリスト者に大切なのは過去ではなく、今どうするかです。昔はということは、キリストの前からだんだん後退していることです。自分に出来ることを何かひとつでも絶えず新たに始めることです。教会の宣教のために祈ることもまた、新たに自分が開始することなのです。
 宣教の現場に戻って新しいことをたくさん始めました。中高生がいる教会、楽しい教会、人が絶えず溢れる教会、未来にむけて成長する教会を目指しました。まず教会集会室をカフェスペースに。扉は24時間オープン。様々な楽しいカフェ企画。毎日の朝礼拝。礼拝堂を聖なる空間に変える。礼拝に来られる方が毎週何か変わっていると言われます。絶えず新しく始まっている教会でありつづけました。とにかく外へ向けての宣教を最優先事項にしてきました。結果はどうぞ大江教会にいらしてください。

 しかし、一番大切にしたのは「み言葉」と「祈り」です。宗教改革500年にむけて何をするか。まずは「聖書のみ」に立ちました。礼拝堂にある講壇用聖書の通読を始め、3年間で3回の通読。毎日3章ずつ礼拝堂で読み続けています。まもなく3回目が終了します。さらに礼拝堂で祈る。毎日誰かが礼拝堂で祈る。これだけのことで教会は改革されていくのです。物置状態であった礼拝堂が聖なる空間となります。

 宗教改革500年の10月をむかえました。私たちの教会にとっては501年が大切です。記念とならないように。そして「絶えず新たに開始する教会」でありたい。それぞれのミッションに従って。
日本福音ルーテル大江教会、鹿児島教会、阿久根教会 牧師 立野泰博
 

連載コラムenchu

19【peacemaking 】

「国民を戦争に巻き込むのは、常に簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。この方法はどの国でも同じように通用するものだ」。これは、ナチス政権の国家元帥であったヘルマン・ゲーリングの言葉として知られているものです。
 私たちの社会では、今、人々を戦争に巻き込むための言葉がたくさん飛び交っているように思えます。先日も、「自分はなにがあっても銃は持ちたくない」とコメントしたお笑い芸人の村本大輔さんが、「お前の頭の中はお花畑か」と非難の的になりました。しかし、そんな非難を受けた後、村本さんはこう言っています。「お花畑が出来るには肥料が必要。その肥料は過去の広島長崎原爆や特攻隊、過去の戦争で亡くなっていった人の悲しさじゃないの。もう一度荒地にするってのは一番過去に失礼なんじゃないのか」。
 私たちが戦争に巻き込まれない「わたし」でいるには、悲しみを抱きつつ生きることが必要なのではないでしょうか。それは、いろんな意味で、泣きたくなるような気持ちを抱えて生きるということです。不安を煽る言葉や排他的な言葉が飛び交う中で、私たちは、蛮勇となるのではなく、また、思考を停止するのでもなく、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6・33)と教えられた主イエスの言葉を胸にとめ平和の言葉を発していきたい、と思います。そう、レヴィナスは言っています。「平和とは、ことばを語ることができる能力として生起する」と。
岩切雄太(門司教会、八幡教会、佐賀教会、  小城教会牧師)

議長室から

宗教改革の原点の日 総会議長 立山忠浩

いよいよ10月31日を迎えます。宗教改革500年を記念する会がすでに終わった教区があれば、10月31日の前の主日に、あるいは11月に予定している教区もあります。日本福音ルーテル教会とカトリック教会との合同企画も11月後半になりますが、やはりこの日を特別な日と感じるのは私だけではないでしょう。
 ではこの500年前のこの日に何が起こったのか。周知のように、修道士であり、ヴィッテンベルク大学の教授であったマルティン・ルターが「95か条の提題」なる文書を貼り出したのです(諸説あるようですが)。歴史的に見れば、この日を契機にして、ヨーロッパを中心に世界を揺るがす大きな変革が起こって行くわけですが、しかしその文書に記された95か条に目を通すならば、意外な気がするのです。特別なことが書いてあるのではなく、難しい内容でもないのです。その中心となっていることは「悔い改め」です。キリスト者にとって悔い改めは生涯続くものであって、その赦しはキリストの十字架によることを力説するのです。
 神学生時代にこの「95か条の提題」の文言を読んだときに、やや拍子抜けしたことを思い起こします。確固たる決意と勇気をもって、カトリック教会に戦いを挑むかのような文書を貼り出したのかと勝手に想像していたからです。ルターの生涯は波乱に満ちたものであり、国会に審問されたときには、「我ここに立つ」と命の危機を顧みないほどの勇ましい面があったことは間違いありませんが、10月31日の宗教改革の始まりの日はそうではなかったのです。宗教改革の原点の日。ルターは、キリスト者にとって当たり前のことを訴えたのです。
 でも、この一見凡庸に聞こえるこのことを決して軽んじてはいけないのです。なぜなら、悔い改めの生涯を続けることは実は難しいからです。悔い改めるためには生涯謙遜でなければならないからです。
 私たちが「95か条の提題」を貼り出すことはないでしょう。しかし教会の看板に何かを掲示するとすれば、自己愛が肥大し、謙虚さがないがしろにされていることに警鐘をならすのです。その罪の現実を打ち破り、赦しを与えるのはキリストの十字架であることを記すのです。
 なすべきことをなし、後は神様に委ねましょう。神様の御心であれば、宗教改革はさらにこの地でも前進することでしょう.

ルーテルこどもキャンプ報告

チャプレン  秋久 潤(小鹿教会、清水教会)
 第19回ルーテルこどもキャンプ「ルターってどいつだ?!」が8月8日~10日にルーテル学院大学・日本ルーテル神学校で行われました。全国から小学5、6年生のキャンパーが、今年は30名集まり、共に3日間を過ごしました。
 初日は台風の接近が懸念されましたが、無事に全員集合し開会礼拝に与りました。主題聖句「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(ローマ3・24)から、キャンプの2つのテーマである、①ルターが再発見した「恵みのみ」の福音、②ルターがどのように神のことばを伝えたか、が示されました。また、「ルーテル」は「ルター」のこととも教わりました。緊張していたキャンパーもゲームやルターさんの登場で盛り上がり、互いに少しずつ打ち解けてきました。
 2日目は、ルターが「どうやって伝えたか」を体験しました。近所の公園へハイキングに行き、贖宥状の写真を見たり、ドイツ語翻訳、教育改革ジェンガ、「君に届け!神さまの愛のフリスビー」ゲームを行いました。

 最高気温37度の猛暑日でしたが、スタッフらの細やかな配慮によって、誰も体調を崩すことなく過ごせたことに感謝です。学校に戻ってからはソーセージ作りやプレッツェル試食、ボウリングの原型と言われる「ケーゲル」、夜は「ルタークイズ」や「ルター音頭」で盛り上がりました。
 3日目は、キャンプの感想やルターが行ったことを振り返り、お別れパーティと閉会礼拝をしました。6年生には卒業証書と「春の全国ティーンズキャンプ」の招待状が手渡されました。

 内容が濃密なため、限られた時間内でどれだけ理解を深めることができたか気になりましたが、感想文からは「私たちはイエスさまから愛されている家族だ」と感じてくれていることが伝わりました。
 最後になりましたが、キャンパーを送り出してくださった各教会、教区、スタッフのみなさま、そして神さまに感謝いたします。

全国青年バイブルキャンプに参加して

河田礼生(三鷹教会)

今回のバイブルキャンプでは『「キリスト者の自由」を読む』をテキストとして扱ったわけであるが、私はこのテキストを初めて読み、『キリスト者の自由』の内容にも初めて触れた。端的に述べると、このテキストから、また江藤先生のお話から「ルーテルの理念」について学ぶことができた。そしてそれはルターだけでなく、パウロがそしてキリストが私たちに教えてくれていたことであった。
「キリスト教的人間はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、だれにも服さない。キリスト教的人間はすべてのものに仕える僕であって、だれにでも服する。」
 キリストが私たちの罪を背負ってくれ、キリストの祝福を私たちに与えてくださった。なんて嬉しいことなのだろうと私は思った。そして、キリストによって自由とされた私たちはキリストのようにへりくだって他の人に仕えることができる。
 2日目の午後には、東京老人ホーム特養めぐみ園施設長の高橋睦さんから、実際に「ルーテルの理念」に則って行われている「愛の奉仕」すなわち具体的にどのように他の人に仕えているかを学ぶことができた。 社会福祉の制度が確立していくことそのものが重要なのではなく、必要があるところに行って手を差し伸べることが大切なのだと教えてくれた。これは施設だからというわけではなく、個人が行っていけることである。
 またキャンプ中全体を通して私たち参加者は、「ルーテルの理念」が表された聖書箇所から子どもたちにメッセージをするという設定で、証しを作った。一人一人が黙想し、その箇所を深く考え、その言葉を通してキリストが何を教え、何をしてくださったのかを考えることができた。
 私たちが人に何かするときに全く見返りを求めないのは、難しいかもしれない。でもそんな私たちの罪をわかって、キリストは赦してくれた。だから私は他の人のため、そしてキリストのために仕えるキリストのような人になりたいと願う。
* 8月14~16日、第5回全国青 年バイブルキャンプが、日本 ルーテル神学校にて開催されました。

宗教改革500年に向けて、ルタ―の意義を改めて考える 64

 ルター研究所所長 鈴木浩

2017年の10月になった。1517年の10月にルターが、ヴィッテンベルクという小さな大学町の教会(城教会)の北側ドアに貼り出した1枚のビラが、宗教改革の発端になった。なぜ、その場所か? 理由は簡単で、その場所がヴィッテンベルク大学の「広報掲示板」だったからである。
 それでは、なぜ、その10月31日か? 同じように理由は簡単である。翌日が「全聖徒の日」(古いカトリックの呼び方では「万聖節」)だったからである。有名な聖人には特定の祝日があって(例えば、アウグスティヌスは8月28日)、1年364日、そういう聖人の祝日で満杯だった。そこで、それ以外の聖人(この場合は、亡くなった人)は、すべてこの日が祝日になっていたからである。
 だから、11月1日が「先祖供養」のための「お墓参りの日」になっていたので、その前日に貼り出したのである。前例はいくらもある。同じ年の4月26日には、大学の神学部長だったカールシュタットが、同じようにもっと長い153条の提題を掲げていた。翌日が同じようにお墓参りの日だったからである。
 「わたしたちの主であり、師であるイエス・キリストが『悔い改めよ』と言いたもうた時、主は信じる者の全生涯が悔い改めであることを望みたもうたのである」と『95か条』は書き出されていた。この一行目が人々に衝撃を与えた。なぜなら、「悔い改め」(ペニテンティア)という言葉が、その当時は「懺悔のサクラメント」を意味するようになっていたからであった。つまり、「悔い改めよ」というイエスの言葉が、教会が行う「懺悔のサクラメントを行え」と理解されていたからである。
 ルターは、「悔い改め」という言葉の本来の意味(「神に立ち帰る」)を回復しようとしたのである。それは、常に神から離れ、さまよい行く人々に、あの放蕩息子のように、もう一度、神のもとに「立ち帰ろう」という呼びかけであった。

プロジェクト3.11「女性会・被災地訪問」に参加して

東教区女性会 岸田多希子     (田園調布教会)

 仙台駅に降り立った私はかなりの緊張感を覚えておりました。私にとって震災後初めての訪問であること、そして、何の働きもしてこなかった自分への後ろめたさを抱えていたからでもあります。
 初めて目にした震災の爪痕は、大川小学校跡でした。廃墟といえる校舎を前に、ご自身も6年生のお嬢さんを亡くされた、語り部の佐藤さんのお話しは、本当に胸に迫るものでした。同時に、ただ哀しみと怒りをぶつけるだけではなく「なぜあれほどたくさんの子どもたちが命を落とさなければならなかったか」を伝えていこうとする遺族の方々の辛い思いを、涙と共に心に留めました。
 訪問最終日には、日和山公園の高台にも立ちました。当時テレビのニュースで流れた、あの場面。沢山の方々が、押し寄せる津波が町を飲み込むのを、なすすべもなく茫然と見つめていた、あの場所です。目の前に穏やかに広がるその土地は、まだ建物は少ないものの、真新しい道路が整備された、希望溢れる発展途上の造成地に見えました。ここだけでなく、あちらこちらで新しい道路と盛り土をした造成地を目にしました。復興が進んでいると同時に、6年経っているのにまだここまでしか進んでいない、という復興の困難さも感じました。 今回私たちを迎えてくださった石巻と気仙沼の方々、仮設住宅で手仕事に励まれる方々など、本当に皆さんが私たちを歓迎し、温かくもてなしてくださいました。当時の様子を穏やかに語ってくださるその言葉の中にも、私の想像できない深い悲しみと心の傷があることを思います。初めて被災地を訪れる経験をした私ですが、これから私にできることが何かあるのだろうかと考えさせられます。無力な私にできることがあるとすれば、「忘れない」ということでしょうか、そして、この経験を語ること。今、心からの祈りと共に進みたいと思います。

* 2017年6月20日から 22日にかけて、日本福音 ルーテル教会女性会連盟 主催の被災地訪問が、全 国から12名に大学研究者 と現地支援者を加えた総 勢16名で行われました。

ルーテルアワー さあなの部屋 「一緒に帰ろう」伊藤早奈

〈祈り〉
 神様、あなたに与えられている「今」というかけがえのない時の中を、私たちは精一杯生きているでしょうか。なんとなく過ごす時もあれば、たくさんの不平や不満を抱いたまま過ごす日があったりもします。神様、あなたに与えられる全てを、かけがえのないものとして、感謝して生きることができますように。この祈りを主イエス・キリストのお名前を通して、み前にお捧げします。アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「神をたたえよ。神はわたしの祈りを退けることなく、慈しみを拒まれませんでした。」(詩編66・20)

 神様に心を向け、願いごとをするときに、私たちは何か捧げ物をしないといけないのでしょうか?神様に祈る人はたくさんいるから、その中でも目立たないと、祈りは聴いてもらえないのでしょうか?
 いいえ、そのようなことはありません。神様は一人一人に心を傾け、一人一人の祈りを聴いてくださいます。たとえ他の人から見て、取るに足らない思いや祈りであっても、神様に向けられるあなたの思いや祈りは、大切な大切なものだからです。
 親や目上の人に願い出たり、何かを買ってもらいたい時に、いつも以上に親やその目上の人の言うことを聞いたり、肩を揉んだりして気に入られようとすることはありませんか?はたから見ていると「ん?何か魂胆があるのか?」と思われるくらい、必要以上に親やその人に気を遣ってみたり。
 しかし、神様に祈る時はそのような必要はありません。神様が喜ぶような何かをしなくても、あなたの心が神様のもとへ帰る。そのことがもう神様にとっての喜びなのです。そして神様のもとへ、あなたと共にいつもイエス様が一緒に帰ってくださいます。
 神様に祈ること、それはあなたの心がイエス様のとりなしと共に神様へと帰ることです。一生に一度だけの人もおられるかもしれませんが、何度でもいいのです。
毎回、その一回一回を神様はいつも迎えてくださいます。「よく帰ったね。待っていたよ。」と。
 その時もあなたは一人ではありません。いつもイエス様があなたと一緒です。「大丈夫、一緒に帰ろう。」

2017年宗教改革500年 「カトリックとルーテルの共同声明」に学ぶ

石居基夫(日本ルーテル神学校校長)

【本文から】

 わたしたちは神に祈ります。カトリックの者たちとルーテルの者たちがイエス・キリストの福音を共に証しし、神の救いの働きを受け入れるべく人々を招くようになることを。わたしたちは共に奉仕の務めに立って、特に貧しい人々のために、人間の尊厳と権利とを高め、正義のために働き、あらゆる形の暴力を斥けることにおいて共に奉仕に当たることができるよう、霊の導きと勇気と力とを神に祈ります。尊厳、正義、平和、和解を切に求めているすべての人々にわたしたちが近づくようにと、神は呼び掛けておられます。今は特に、多くの国々や社会で、またキリストにある数え切れないほどの姉妹や兄弟たちに影響を及ぼしている暴力や過激主義を終わらせるよう、わたしたちは声を挙げねばなりません。

【学び】

 この声明は、単にこの二つの教会の和解と一致ということに終始せず、むしろ、それが両教会が共同・協働して宣教の責任を担うように決意し、また両教会に属している人々に強く呼びかけている。
 中心はキリストの福音を分かち合うこと。しかし、信仰への招きだけを語るのではなく、この世界に神のみこころである正義・公平・平和を実現していく務めを重く受け止め、その責任を担っていくべきことを語っている。特に、現代世界という文脈をしっかりと見つめ、今も多くの人々が差別や争いや暴力によって人間として生きる尊厳を奪われていることを課題としていることがわかる。
 声明は、そういういのちの尊厳と正義、平和と和解を求めている人々に「近づく」ことへと神が呼びかけておられると招いている。「近づくこと」は、具体的に問題に関わり、人々の苦しみに触れるということだ。それは、この招きに応えて近づくものたちに、傷つき、痛み、哀しみや怒りをもたらすことでもある。それでも、そうやって共に生きることを神が求めている。福音を限られた人々の中にとどめるのではなく、貧しい人や苦しみの中にある一人ひとりへと届けること、逆にいえば、そうした人々のところに出ていき、受け入れ、招くことを両教会、いやキリストの教会の務めとして深く見定め、信仰者を押し出しているのだ。
 ことにも、難民受け入れの問題に揺れる伝統的キリスト教世界である欧米社会にとって、この語りかけがなされた意味は大きい。現状はといえば、いわゆるポピュリズムの大きな流れは一定の限られた人々の利益にだけ結びついてる保護主義・排他主義が力を得ているようだ。あのとき、多くの群衆が「イエスを十字架につけよ」と叫び出したことを思い起させる。煽動する者たちがあったに違いないが、人間の愚かしさはいつの世も変わらない。けれども、その大きな流れが、たとえ人からあらゆる尊厳を奪い取っていこうとも神がそのいのちを愛される。それを、主の十字架の出来事が示している。だからこそ、イエスを主と仰ぐ者たちは共にこのキリストを証しするように招かれているのだ。

ぶどうの木につながって「えきゅぷろ」報告

 谷口健太郎(市ヶ谷教会)
8月19日、カトリック成城教会において、カトリック教会、日本福音ルーテル教会、日本基督教団の青年有志から成るエキュメニカルプロジェクト実行委員会の主催で、「えきゅぷろ!~教派をこえた青年の集い~」が開催された。
 ここ数年、教派を超えた青年の交流が盛んなことを背景に、「宗教改革500年に何か一緒にやりたいね」と、ある種軽いノリで始まったこの企画。気が付けば、当日の参加者は20~30代の青年を中心に、120名を越えていた。
 福島一基神父(カトリック千葉寺教会・西千葉教会)、浅野直樹牧師(市ヶ谷教会)、堀川樹牧師(日本基督教団亀戸教会)を司式者としてお招きして、各教派の特徴を融合した合同礼拝が守られた。式文から音楽まで全てを企画することは大きなチャレンジであった。様々な礼拝に出席し、教義について学び、何が一緒にできるのか何度も議論を重ねた。
 特に難題だったのが聖餐の扱い。礼拝の中では難しいとの結論に至り、その代わりとして、聖餐の恵みを分かち合える日が来ることを祈りつつ、教会の原点である食卓を囲むスタイルで、パンの分かち合いプログラムを行った。
 トークセッションでは、司式者3名に原敬子シスター(援助修道会)が加わり、宗教改革とエキュメニズム、恋愛・結婚・日本社会とキリスト者をテーマに本音トークを展開。ある登壇者はこう語る。「宗教改革の当時、ルターは34歳だった。教会関係者は、ついに若者がやってしまったと思ったことだろう。しかし、彼の信仰は真っ直ぐで本物だった。今回のイベントにも同じものを感じる。君たちはやってしまった。」
 各教派に枝分かれした我々だが、主のもとでは同じぶどうの木から命を与えられ、ぶどうの木につながる存在である。我々に与えられた使命があるとすれば、「えきゅぷろ!」の輪を、教派そして時代を越えて広げていくことなのだろう。宗教改革600年のその時に向かって、今回関わった青年一人ひとりが、与えられたぶどうの実を、愛をもって育んでいくことを祈ってやまない。

献堂のよろこび

 日吉教会 斎藤忠碩
 日吉教会は、神さまからの祝福をいただき、1962年からこの日吉の地で宣教の歩みを始めました。そして今日まで宣教55年の歳月を歩んでまいりました。
 日吉教会の旧礼拝堂は、東京・中野区鷺宮にあった神学校の礼拝堂を1969年に移築したもので、建物自体は1935年(昭和10年)に建築されたものです。また、教会のステンドグラスは1907年(明治40年)に建築されていた米国ネブラスカ州フリーモントファーストルーテル教会で使用されていたものであり、1953年(昭和28年)の改築の際、取り外され、日本ルーテル神学校に寄贈され、神学校の鷺宮から三鷹への移転に伴い、日吉教会に寄贈されたものです。
 この間教会員より献金が献げられ、教会独自で隣接の土地の購入が出来、駐車場スペースを確保出来ました。大きな喜びでした。このように多くの恵みを戴いて、福音宣教のわざに励んでまいりました。
 そして、今日まで多くの方々がイエス・キリストの福音に触れ、キリストに繋がる者となり教会は成長してまいりました。皆様の祈りとお支えに感謝いたします。
 しかし、先の東日本大震災により耐震診断をしたところ、耐震の数値から見て教会・牧師館は危険でもあり、今後建て替えることも含めて検討した方がよいという診断結果が出ました。そのような時、教会員より教会建築のためにと多額の献金が献げられました。ここに教会員の力を結集して新しい日吉教会が誕生することになりました。これまで旧礼拝堂で使用してきました聖卓・説教台・聖書台・ステンドグラスはこれからも使用していきます。
 日吉教会の主題としています、イエス・キリストにある「やすらぎの泉をとなり人へ」を伝えていく教会を目指してまいります。皆さまのお祈りとお支えをお願いします。

JELAカンボジア・ワークキャンプ2018

 2007年に派遣開始以来これまで4回、毎回6~8名のボランティアを派遣し、学校建築関連の奉仕を行いました。カンボジアの歴史、文化や人々の活動にも触れながら、ボランティア活動と現地の人々との交流などを行います。

◎日程:2018年2月14日(木)~24日(土)11日間 
◎対象:キャンプ実施時点で18歳以上の健康な方(高校生不可)
◎募集人数:5名~10名程度(人数調整のため選考があります)
◎内容:現地の団体の活動支援と交流、学校校舎修復や設備設置、キリング・  フィールド等の歴史的に著名な土地や博物館訪問など。
◎参加費:13万円
 *海外旅行傷害保険、パスポート申請の費用、説明会会場(JELA)と出発・帰国時の集合場所(成田空港)から居住地までの交通費や、前泊・後泊する場合の宿泊費用については、上記の参加費とは別に全額個人負担となります。
◎申込方法:申込書に必要事項を記入の上、JELAカンボジア・ワークキャ   ンプ係まで、
 メール:(jela@jela.or.jp)、またはFAX:(03-3447-1523)にてお送りください。
◎締切:11月30日(木)必着(12月4日までに参加の可否をお知らせします)
 参加者説明会:2017年12月9日(土)13:00~17:00
 場所はJELAミッションセンター2F(東京都渋谷区恵比寿1-20-26)

※参加者のご都合により日程等を変更する場合があります。
※この他、注意事項などの詳細は、以下のURLからご確認ください。
 http://http://jelanews.blogspot.jp/2017/09/2018.html

17-09-17安心して水の上を歩く

「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、『幽霊だ』と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。『安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。』すると、ペトロが答えた。『主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。』イエスが『来なさい』と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、『主よ、助けてください』と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、『本当に、あなたは神の子です』と言ってイエスを拝んだ。」(マタイによる福音書14・22~33)     
 この夏、まるでSF小説のような警告が人類に向けて発せられた。「いずれ地球の気温は250度まで上昇し硫酸の雨が降る。地球温暖化は後戻りできない転換点に近づいている」。著名な理論物理学者スティーブン・ホーキング博士はそう指摘し、「第2の地球」となる他の惑星への移住を提案した。

 そう言えばもう30年近く前に、温室効果ガスに適切に対処しなければ、その行先は地球の金星化だというようなエッセイを読んだ。しかし、まだその頃は昨今のような暑さの高まりや気象の熾烈化はなかった。
 しかし、今は違う。確実に地球表面と地球全体の温度が連動してどんどん暑くなっていることが確認されたという調査結果がでた。1000年先と言わず100年先、いや10年先を思うだけで、なんだか目がくらむような気さえする。

 「人間の生というものには、たとえ原水爆で滅びるというように、ある時滅びるということがあっても、あるいは地球に寿命がくるということがあっても、確かな基礎があるんだということ、本当に実在する永遠の命の現れとして、人生というものはちゃんとあるんだということ、そういうことが事実なんですね。そういうことだから、水の上を歩くどころではないんです。・・・誤魔化さないで、自己欺瞞をやらないで、落ち着いて安らかな心で元気を失わないで暮すということは、これは本当に驚くべき奇跡と言っていいようなことですね。」
 この言葉は滝沢克己さんの『聖書を読む』の一節だ。主イエスが水の上を歩かれたこの聖書の箇所を引きながら、まったく神の愛の証しであるこの星で、人類が歴史を刻んでこられたのは、水の上を歩くどころではない奇跡であって、神の恵みそのものだという滝沢さんのこの言葉にはっとさせられる。

 この物語は、多くの場合、教会に関する教えとして語られてきたと言われる。古い教会の天上を見上げると、その梁は船底のようになっている。これは教会がこの世を行く舟であることを象徴している。「主イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸に行かせた」とあるように、主に招かれて、私たちは「舟」に乗り向こう岸へ向かう。向こう岸とは、この世界で主が私たちのために定められた目的地と言えるかもしれない。神の国と言っていいと思う。主のご命令ならば、きっと「向こう岸」に達すると確信していいのだが、ほどなく「舟」は逆風に襲われる。「逆風」は教会が忍耐強く戦い続けなければならない私たちの罪の現実、宣教のさまざまな困難、神に逆らう混沌の象徴と言えるだろう。

 弟子たちは主イエスからちょっと目を離すと、たちまち沈んでしまう。そして、主にもう一度助けられて、主に捕まえられて、やっと舟に乗った。主が舟に乗られると、嵐は静まった。主の教会は主イエスを置き去りにして、弟子たちが勝手に振る舞うとき、もはや平安な航海ができないという教えだと受け止めることができる。
 また、この物語は私たちを生涯を通して支え続けてくれるとのメッセージでもある。自然災害や事故のとき、病苦や死別、失意のとき、さまざまな人生の「逆風」が吹き荒れ、怒涛逆巻くとき、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」とのみ声に、私たちはどれほど励まされ続けることだろうか。私たちは土の塵で作られた。水の上では沈むというのが当然なのに、その私たちが沈みもせずに、こうして生かされているということは、恵み以外にはありえない。まるで水の上を歩くような奇跡なのではないか。

 神の愛の証であるこの星の自然破壊が進んでいるという。もう、待ったなしなのかもしれない。しかし、私たちは主の永遠の命という確かな拠りどころを持って、安心して水の上を歩かせていただいている。

日本福音ルーテル小田原教会、湯河原教会 牧師 岡村博雅

17-09-01るうてる2017年9月号

説教「安心して水の上を歩く」

機関紙PDF

「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、『幽霊だ』と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。『安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。』すると、ペトロが答えた。『主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。』イエスが『来なさい』と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、『主よ、助けてください』と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、『本当に、あなたは神の子です』と言ってイエスを拝んだ。」                         (マタイによる福音書14・22~

この夏、まるでSF小説のような警告が人類に向けて発せられた。「いずれ地球の気温は250度まで上昇し硫酸の雨が降る。地球温暖化は後戻りできない転換点に近づいている」。著名な理論物理学者スティーブン・ホーキング博士はそう指摘し、「第2の地球」となる他の惑星への移住を提案した。
 そう言えばもう30年近く前に、温室効果ガスに適切に対処しなければ、その行先は地球の金星化だというようなエッセイを読んだ。しかし、まだその頃は昨今のような暑さの高まりや気象の熾烈化はなかった。
 しかし、今は違う。確実に地球表面と地球全体の温度が連動してどんどん暑くなっていることが確認されたという調査結果がでた。1000年先と言わず100年先、いや10年先を思うだけで、なんだか目がくらむような気さえする。
 「人間の生というものには、たとえ原水爆で滅びるというように、ある時滅びるということがあっても、あるいは地球に寿命がくるということがあっても、確かな基礎があるんだということ、本当に実在する永遠の命の現れとして、人生というものはちゃんとあるんだということ、そういうことが事実なんですね。そういうことだから、水の上を歩くどころではないんです。・・・誤魔化さないで、自己欺瞞をやらないで、落ち着いて安らかな心で元気を失わないで暮すということは、これは本当に驚くべき奇跡と言っていいようなことですね。」
 この言葉は滝沢克己さんの『聖書を読む』の一節だ。主イエスが水の上を歩かれたこの聖書の箇所を引きながら、まったく神の愛の証しであるこの星で、人類が歴史を刻んでこられたのは、水の上を歩くどころではない奇跡であって、神の恵みそのものだという滝沢さんのこの言葉にはっとさせられる。
 この物語は、多くの場合、教会に関する教えとして語られてきたと言われる。古い教会の天上を見上げると、その梁は船底のようになっている。これは教会がこの世を行く舟であることを象徴している。「主イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸に行かせた」とあるように、主に招かれて、私たちは「舟」に乗り向こう岸へ向かう。向こう岸とは、この世界で主が私たちのために定められた目的地と言えるかもしれない。神の国と言っていいと思う。主のご命令ならば、きっと「向こう岸」に達すると確信していいのだが、ほどなく「舟」は逆風に襲われる。「逆風」は教会が忍耐強く戦い続けなければならない私たちの罪の現実、宣教のさまざまな困難、神に逆らう混沌の象徴と言えるだろう。
 弟子たちは主イエスからちょっと目を離すと、たちまち沈んでしまう。そして、主にもう一度助けられて、主に捕まえられて、やっと舟に乗った。主が舟に乗られると、嵐は静まった。主の教会は主イエスを置き去りにして、弟子たちが勝手に振る舞うとき、もはや平安な航海ができないという教えだと受け止めることができる。
 また、この物語は私たちを生涯を通して支え続けてくれるとのメッセージでもある。自然災害や事故のとき、病苦や死別、失意のとき、さまざまな人生の「逆風」が吹き荒れ、怒涛逆巻くとき、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」とのみ声に、私たちはどれほど励まされ続けることだろうか。私たちは土の塵で作られた。水の上では沈むというのが当然なのに、その私たちが沈みもせずに、こうして生かされているということは、恵み以外にはありえない。まるで水の上を歩くような奇跡なのではないか。
 神の愛の証であるこの星の自然破壊が進んでいるという。もう、待ったなしなのかもしれない。しかし、私たちは主の永遠の命という確かな拠りどころを持って、安心して水の上を歩かせていただいている。
日本福音ルーテル小田原教会、湯河原教会 牧師 岡村博雅

連載コラム enchu

⑰【 Small start 】

 この原稿を書いている8月3日は、朝から改造内閣の人事ばかりが報道されていたのですが、そのなかで、「人づくり革命担当大臣」なる不思議なポストができたことを知り唖然としてしまいました。「革命」という言葉をときの政権が大臣名に使うという感覚に…。しかも、「人づくり」とは…。
 ところで、内田樹さんはブログの中で、『「世界を一気に慈愛深いものにしようとする」企ての挫折をレヴィナスはスターリン主義のうちに見た』と言われた上で、レヴィナスの次の言葉を紹介しています。「スターリン主義とはつまり、個人的な慈悲なしでも私たちはやっていけるという考え方なのです。慈悲の実践にはある種の個人的創意が必要ですが、そんなものはなくてもすませられるという考え方なのです。そのつどの個人的な慈愛や愛情の行為を通じてしか実現できないものを、永続的に、法律によって確実なものにすることは可能であるという考え方なのです。スターリン主義はすばらしい意図から出発しましたが、管理の泥沼で溺れてしまいました」(内田樹訳『暴力と聖性』国文社)。
 さて、私たちの日本福音ルーテル教会には、教会だけでなく、そこに連なる学校や幼保(こども園)、そして福祉施設があります。それらが運営の中で困難に直面するとき、私たちは、問題を一気に解決する(と大きな声が主張する)ナニカに飛びつきたくなったりすることがあります。しかしそんなときこそ、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25・40)という主イエスの言葉を大切にする私たちでありたい、と思います。
岩切雄太(門司教会、 八幡教会、 佐賀教 会、小城教会牧師)

第25回 秋のディアコニアセミナー

ヒロシマで、主から与えられた「自由において奉仕する人間」、霊の一致において「教派を超えて共同で証しする未来」を祈り求めます。

日時:10月8日(日)17時~9日(月)12時
会場:日本福音ルーテル広島教会

プログラム
 8日 17時 開会礼拝
    19時 語り部「原爆の話」朴南珠さん
 9日 9時15分 
主題講演
    「未来:ヒロシマ後のキリスト者の祈り」
    福田誠二神父(フランシスコ会修道士 岩国カトリック教会司祭)
    パネルディカッション

参加費 2,000円(部分参加1,000円)
※旅費・宿泊は各自手配・自己負担
申込締め切り 10月1日(日)

申込・問合せ 全国ディアコニア・ネットワーク(谷川卓三牧師) TEL/FAX 0848-62- 2518

議長室から

「喜びの体験を報告し合おう 」総会議長 立山忠浩

9月に入り、今年も余すところ4ヵ月となりました。宗教改革500年の記念すべき年もいよいよ大詰めです。日本福音ルーテル教会及び各教区での記念事業への参加と協力を改めて呼びかけます。
1.記念礼拝
 記念礼拝は各教区で開催予定ですが、西教区では近畿、西日本両福音ルーテル教会との合同の礼拝と講演会が7月に行われました。合同で聖餐式を伴った礼拝を行ったことは初めてのことでした。今後、九州教区(10月28~29日)、東海教区(11月3日、記念大会)、東教区(11月4日、日本ルーテル教団との合同)と続きます。北海道特別教区では日本ルーテル教団との合同修養会が企画されています(10月8~9日)。
 カトリック教会(日本カトリック司教協議会)と日本福音ルーテル教会との合同の礼拝とシンポジウムは、11月23日に長崎のカトリック浦上教会で開催されます。7月末にルーテル世界連盟前議長のムニブ・ユナン監督が来日された際には、両教会合同で同師の記念講演会をカトリックのイグナチオ教会で開催し、11月の合同企画に向かっての弾みとなりました。
2.ギフト・キャンペーン
 ルターの顔をデザインしたバナーは、一昨年の秋に全国の教会、学校、施設、幼保園等に配布しました。残りの「ヤツオリ」と「プレゼントブック」が8月に出来上がりました。間もなく皆様の教会にも届けられると思います。これはぜひ伝道に用いていただきたいものです。
 宗教改革の歴史はルターが「95か条の提題」を貼り出したときから始まりましたが、その運動を後押ししたのが印刷技術でした。ルターの主張がすぐに印刷され、瞬く間に広がったのです。教会に来ていただくために、この印刷物が大いに用いられることを願っています。
3.募金
 記念事業のための募金を行っています。800万円の目標を立てましたが、まだ達していません。ご協力をお願いします。
 「ルーテル」という名を冠する私たちにとって、これらの記念事業に参画出来ることはとても意義深いことです。それぞれが参加し、体験したこと。その結果得られた喜びについて、来年5月の全国総会で報告し合えることを楽しみにしています。

プロジェクト3・11 「支援」をつづけることの意味

 プロジェクト3・11 企画委員 小泉嗣
 私たちプロジェクト3・11は2016年、献げられた90万の募金の中から25万円をいわき放射能市民測定室「たらちね」に寄贈した。
 年間予算5000万を超える大きなNPO法人に対し、東教区プロジェクト3・11を通して全国のルーテル関係の教会や学校から集められた献金を25万円を送ることの意味を考えるとき、気分はもう「ハチドリのひとしずく」以外の何物でもない。しかし、私たちルーテル教会は「ハチドリ」でありつづけたいと思うし、「ハチドリ」でありつづけなければならないとも思う。食品残留放射能測定からはじまった「たらちね」の活動は、甲状腺検診を経て、2017年6月に保険診療ができるクリニックを開設した。もちろん食品の残留放射能の測定、砂浜の砂、海水、家庭ゴミの測定、ガンマ線とベータ線の測定を続けながらの活動である(「たらちね」のリアルタイムの活動報告はホームページに記載されるニュースや総会資料、たらちね通信に詳しく記されるので、そちらをご覧いただきたい)。
 「たらちね」の理事長である織田好孝さんは2017年総会資料の中で「復興が進むとともに、『安全だ』『大丈夫』の声がより強まる中、お母さんお父さんたちはますます声を上げづらくなっています。その不安感にていねいに寄り添い、「たらちね」が皆さんの心の埠頭的な存在になれるようより精進してまいります」と語っている。東日本大震災、それによって生じた原発事故、放射能汚染、不安を抱え、痛みを抱え、未来に向かって今日を生きる人がいて、それを支えようと尽力する人がいる。埠頭になろうとする人がいる。その「人・人・人」を支える多くのハチドリが日本中に、世界中にいる。私たちルーテル教会もその「ハチドリ」の一匹となり4年目を迎えている…。
 2017年6月現在、プロジェクト3・11には23万9130円の献金が全国から献げられている。

ムニブ・ユナン牧師来日講演

 2017年7月24日、カトリック麹町聖イグナチオ教会聖マリア聖堂において、ルーテル世界連盟(LWF)前議長のムニブ・ユナン牧師をお迎えしての講演と祈りの時が持たれました。ルーテル/カトリック共同委員会が主催し、立山忠浩総会議長、大柴譲治副議長・エキュメニズム委員長、カトリック教会から司教協議会会長の?見三明大司教、エキュメニズム部門担当の岡田武夫大司教を始め、両教会の関係者約120名が出席しました。
 ユナン牧師はパレスチナの出身であり、「ヨルダンと聖地 福音ルーテル教会」のビショップとして宗教間対話に取り組み、7年に渡りLWFの議長も務めました。カトリック教会との神学的対話の積み重ねは『争いから交わりへ』との文書に結実し、それを元に昨年10月31日にはLWFの発祥の地であるスウェーデンのルンドにおいて行われたカトリックとの宗教改革共同記念礼拝において、教皇フランシスコと共に共同声明に署名しました。
 今回の来日は、エルサレムにおいて聖地宗教評議会を立ち上げるなど、ユダヤ教徒・キリスト教徒・ムスリムの対話促進に献身し、他の教派や宗教との対話と和解を目ざすエキュメニカル運動を進める地道な宗教間対話の取り組みが評価され、庭野平和賞を受賞するためでした。
 講演では、過去の50年のエキュメニズムの進展に注目し、その歩みの意義とそこに導かれたことへの感謝と述べると共に、ルンドでの成果を過去に閉じ込めず、次の宗教改革500年を共に進めていくために、聖霊が私たちを形作り、変化させ、導くことを受け入れていくことを呼びかけました。そして「神の恵みによる自由」を与えられている私たちは、もはや過去も未来も恐れることなく、「我ここに立つ」とルターにあわせて唱えるだけでなく、「ここから教会は旅立つ」と唱えて、「すべての人を一つにしてください」(ヨハネ17・21)というキリストの祈りが実現することを祈ると語り、日本の教会の歩みを励ましてくださいました。

関西地域ルーテル教会 3教団 合同宗教改革500年記念聖餐礼拝
「ルターセミ ナーイン 大阪」報告

  永吉秀人(天王寺教会)
  2017年7月17日(月)、日本福音ルーテル大阪教会を会場にして、関西地域のルーテル教会3教団(日本福音ルーテル教会、近畿福音ルーテル教会、西日本福音ルーテル教会)合同での宗教改革500年記念聖餐礼拝が行われました。
 参加者は、日本福音ルーテル教会より86名、近畿福音ルーテル教会より75名、西日本福音ルーテル教会68名、その他、主にカトリック教会などから21名の参加を得、総勢250名での記念礼拝がもてましたことは感謝です。
 プログラム第1部は、ルターセミナーとして講演者に江口再起先生(ルーテル学院大学教授、ルター研究所副所長)をお招きし、主題「ルターが今日の日本に生きていたら」、副題「神のすばらしき創造の世界との共生」のもとにお話をうかがいました。「ルーテル教会はふるわない!」という赤裸々な発言から始まる講演は刺激的でありつつ、ルターの「信仰義認」の神髄は「恩寵義認」にありという、絶対的な神との平和を示唆するものでありました。
 第1部終了後、ルーテル学院大学と日本ルーテル神学校のアピールが石居基夫校長より映像付きで行われ、関西でも牧師や福祉従事者への献身者が起こされることを欲する呼びかけがなされました。
 第2部は、特別賛美「オルガン演奏による賛美のひと時」と題して、近畿福音ルーテル泉北教会員である小島尚美さんの演奏をお聴きしました。バッハ作曲の「来たれ聖霊よ」、「天にいます父よ」、「われらが神はやぐら」の選曲は、記念礼拝にふさわしいものでありました。
 第3部として合同聖餐礼拝が行われました。司式は3教団から議長と副議長の2名ずつが担当し、6名での司式団として携わったことは500年記念として意義あることでありました。説教は江口師より重ねて「恩寵義認」の福音をお聴きしました。聖餐式では、ワイン、ぶどう液、祝福のみの列が設けられ、それぞれが属する教会の慣習に従って配餐に与りました。この礼拝を通して、一人一人が改めて社会に派遣される喜びをいただく時とされました。

宗教改革500年に向けて ルターの意義を改めて考える 63

 ルター研究所長 鈴木 浩
 前回は、「聖書によってのみ」、「恵みによってのみ」、「信仰によってのみ」という総じてプロテスタント諸教派によって共有されてきた「原理」に触れておいたが、「聖書によってのみ」という言葉の意味について考えてみたい。
 問題は何よりも「神認識」に関わっていた。「どのようにしたら、われわれは神を知ることができるのか」というこの問いは、神学の根本問題であって、キリスト教信仰を体系的に論じる「組織神学」(具体的には「教義学」という分野)では、多くの場合、冒頭に置かれる問いである。それに対するルターを初めとする改革者たちの回答が、「聖書によってのみ」であった。
 伝統的には神の知るためには三つの手段があると考えられてきた。
1.自然神学/神が創造した自然界から、「何となく」であれ、神の存在に触れる。
2.哲学上の推論/あらゆる出来事は、「原因と結果」の連鎖で起こる。しかし、この連鎖を無限に辿ることはできないから(「自然は無限を嫌う」というアリストテレスの原理)、そもそもの初めに、他から原因を与えられずに、この連鎖の出発点となる起点があるに違いない。それが神だ、という主張である。
3.啓示神学/神の啓示(具体的には聖書)によって神を知る。
この三つが、伝統的な神認識の手段であった。
 ルターは、しかし、「聖書によってのみ」と唱えた。真の神を知る手段は、聖書しかない、というのである。それは当時の人々から見れば、かなり過激な主張であったが、ルターはさらに踏み込む。「十字架に付けられたイエス・キリストの苦難と死以外の場所では、われわれは神を知ることができない」。それがルターの主張であった。

 献堂のよろこび

 小岩教会 日本福音ルーテル小岩教会・ルーテル保育園       松田繁雄
  同建築委員長  小泉 嗣
 2017年5月21日、東教区から集まった牧師や信徒、小岩教会の会員、保育園関係者が会堂を埋め尽くす中、立山総会議長の聖別により小岩教会の新会堂はその歩みをはじめました。教会創立から79年、旧会堂建設から55年ぶりの献堂式です。
 小岩教会は東京都江戸川区南小岩に位置し、その歴史は教会設立と同時に開園した小岩ルーテル保育園と共に、地域の中で育てられ、今日まで守られてきました。保育園は築65年、会堂は築55年、二つをあわせるとゆうに100歳を超える小岩教会は、これまでたくさんの卒園児とキリスト者を世に送り出し、そして召天者を神さまのもとに送ってきました。半世紀を超える二つの建物は、これまでも小さな改修工事や耐震工事などを施してきましたが、さすがに老朽化のスピードには抗えず、全面的な建て替えを余儀なくされる状況になりました。
そのような折、教会の前を通る都道が東京都の都市計画都市防災不燃化推進事業の対象となったことも手伝って、保育園・教会の新築事業が2014年に具体的な計画として持ち上がり、保育園は江戸川区・都に、教会は東教区・全体教会に申請が認められ、 2015年11月より解体工事が、2016年の2月より建築がはじまりました。
 工事を始めるにあたり、もちろん地域の方々に挨拶をするのですが、町内会長はルーテル保育園の卒園児であることは言うに及ばず、小岩教会の代議員と同窓生であるということからも、小岩教会とルーテル保育園が、これまで地域の中でどのような歩みをしてきたが伺えるのではないかと思います。1年半以上に及ぶ工事期間中、お叱りを受けた回数より励ましとお支えの言葉を受けた回数の方が大きく上回ったことも嬉しい出来事でした。
 最後になりましたが、日本福音ルーテル教会の一人ひとりのお支えによってこの日を迎えられたことを感謝し、地域の中にしっかりと根を張る小岩教会とルーテル保育園の歩みが神さまによって支えられ導かれるように、皆様のご加祷を願いつつ、献堂のご報告とさせていただきます。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より
心を高く 伊藤早奈

 「わたしの神よ、わたしを敵から助け出し、立ち向かう者からはるかに高く置いてください。」(詩編59・2)
〈祈り〉
 神様、立ち止まり、ゆっくりと深呼吸をすることを、私は日に何回できているでしょうか。今、生かされているのは、多くのものに支えられているからだと思い巡らせる時は、どのくらいでしょうか。
 たとえ私が忘れていたとしても、いつも私のことを慈しんでくださる神様に、心を向けられますように。
この祈りを主イエス・キリストの御名により捧げます。アーメン。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 詩人は「敵から助け、高く置いてください。」と詩います。「高い所」ならば、かえって目立ち、敵に見つけられてしまうのではないかと思い、いったい何をこの詩人は祈っているのかと、考えました。
「待っていてくださったのだ。」
 先日、亡くなった方との最後となったひと時を、その方の姿勢を思い起こして今、私が思う想いです。
 共に神様へ心を向ける時を持つために、いつものようにお部屋を訪ねると、たいていはベッドに仰向けになられたままだった方が、その日に限ってベッドに座っておられました。
 「トイレに行かれるのですか?」と聞いた私に、その方は「いいえ」と言われただけでしたので、そのまま共に祈り、聖書に聴き、賛美をし、祝福を祈らせて頂きました。次の訪問日にお部屋に伺おうとすると、その方はすでに亡くなったことを知らされました。
 頭で考えても解決できない問いが、祈りをもって神様と共に考える(想う)ことで、気付きへと導かれることがあるのではないかと思います。「トイレに行きたかったのですか?」「どうしたのですか?」という思いから、「待っていてくださったのですね。」「ありがとう。」と私の想いが変えられたように。
 詩人は、神様に「敵から高い所へ逃れさせてください。」と祈っているのではなく、「敵がどんなに迫って来る中でも、神様へ私の心を高く向けさせてください。」と祈っているのではないでしょうか。
 いつも共にいてくださる神様に心を高く向けていられるように、神様はいつもあなたの心を支えてくださいます。

宗教改革500年ギフトキャンペーン
「ヤツオリ」「ブック」完成

 宗教改革は神が与えてくださる恵みという贈り物の発見であった。私たちも、この贈り物を自分が受けるだけでなく分かち合ってゆきたい。これが《ギフトキャンペーン》となりました。第1弾であったルターの顔のバナーに加え、この程、プレゼントブック・キャンペーンのための「ブック」とヤツオリ・キャンペーンのための「ヤツオリ」パンフレットが出来上がりました。
 学校や施設、教会などを通して、手渡しできる関係の中で、キリスト教のことをあまりご存じない方々へ宗教改革500年のギフトとしていただくために作成しました。

 「ヤツオリ」は古くて新しいメディアです。宗教改革の精神も印刷されたパンフレットで広がりました。新聞紙大の紙を3回折ると週刊誌のサイズになり、裏表で8ページずつの冊子になります。ここに「宗教改革とは?」、「ルターとルーテル教会」、「500年間の広がりとつながり」をイラストとコメントで紹介するパンフレットです。アートディレクションを行う「銀座文平」がデザインしました。
 「プレゼント・ブック」はそのタイトルを「悩み多き人生に答えはあるのか? マルティンに聞いてみよう」としました。誰の人生も問いの連続のようなものですが、特に若い世代に対して、悩み続けてよいのだと語りかけるように、マルティン・ルターの生涯とその言葉から寄り添うような本です。「ヤツオリ」と併せて、出版社のミシマ社の編集プロダクション「オフィス1975」が編集を担いました。
皆さんから寄せられた宗教改革500年記念事業募金により完成できたことを感謝します。順次、配布しますのでどうぞご活用ください。(宣教室)

2017年宗教改革500年 「カトリックとルーテルの共同声明」に学ぶ

日本ルーテル神学校長 石居基夫

【本文から】

 わたしたちの共同体の多くの会員たちは、十全な一致の具体的な現れとして、ひとつの聖卓で聖餐を受けることを心から願っています。全生活を共にしながら、聖餐の聖卓において神の救いの現臨を分かち合うことができない人々の痛みを経験しています。わたしたちはキリストにあってひとつとなるという人々の霊的な渇きと飢えとに応えるべき、わたしたちの牧会的な共同の責任を認識しています。わたしたちはキリストのからだにおけるこの傷が癒されることを切に願っています。これは神学的な対話へのわたしたちの関わりを新たにしていくことによってもまた、わたしたちのエキュメカルな努力の目指すところなのです。

【学び】

 キリスト教の教派を超えた交わり、対話と共同・協働の関係を築いていくことをエキュメニズムと呼ぶが、これは「教会一致運動」とか「世界教会主義」などと訳される。
 もともとイエス・キリストを救い主と信ずる信仰者は、それぞれに違いがあっても父と子と聖霊の一つの神を信じ、一つの洗礼によってキリストの体に結ばれているものであって、その体はそれぞれを尊重し、それぞれの働きが結び合わされて成長し、この世界に働くものと教えられている。だからこそ、歴史の中で一つの教会ということが絶えず求められてきたといってよい。
 しかしながら、一つであることを求めることは、間違ったものや異なるものと判断されると、それを排除していくということと裏腹の関係となることは避け難い。現実には時代や場所、状況の違いがそれぞれの信仰に特徴をもたらすものだし、言葉や文化が異なれば信仰の理解にも違いが生まれる。人間の世界に存在する限り、政治的な力関係の中で異なるグループが分裂したり、影響し合ったりすることも当然起こる。それが、今日のキリスト教世界のなかに多様な教派の存在を造り出してきたといってよいだろう。
 その違いを改めて認め合いながらも、やはりキリスト教は本来の一つのものとして一致していこうというのがこのエキュメニズムということになる。カトリックとルーテルもお互いを認め合い、一致のためにこの対話を重ね、交わりを深めている。
 あらゆるエキュメニズムの目指すところは、必ずしも組織的な完全なる一致、融合ではない。むしろ、それぞれの教派の違い、その存在を確かに認め、それをキリスト教の豊かさとしていけるように考えているといってよいだろう。その時に、具体的に目指している姿は、共に聖餐にあずかる一つの礼拝をもつことと言われている。主の食卓を共に囲むことは、やがて神の国が実現するときの一致、その祝宴の先取りを今・ここに経験することに他ならないからだ。
 カトリックとルーテルは、今、これだけ対話を重ね、お互い理解し、これからもその歩みを重ねていくことを宣言しているのだが、それでも、まだ聖餐を共にすることは出来ないでいる。実は、カトリック教会はどんな教派ともまだこの共なる聖餐というところまで一致を実現してはいない。一つの聖餐ということが一つの教会ということを現すということが本当に大切なことと理解されているが故に、教会とはなにか、聖餐とはなにかということの理解に一致がなければ、聖餐を共にすることは出来ない。それを曖昧にして聖餐を共にすることは、結果として相手を尊重しないということにもなってしまうからだ。だからこそ、共に聖餐にあずかるということについては、本当に慎重になっている。この聖餐は、単なる食事でなく、特別な意味をもっているからこそ、この食卓を一つに交わりをもつためにはお互いにその意味を理解することが必要なのだ。
 しかし、この声明は、その「共なる聖餐」を目指していることをはっきりと示している。そこに向かっているのだと表明するのは、その実現がそんなに遠いことではないと理解されているのだと信じたい。
 お互いを認めているのであれば、一つの食卓を囲むというそんな単純なことがどうしてできないの?そんなのおかしいよ。と、素直に思うことは決して間違っていない。それがエキュメニズムの原点だといってよいだろう。だから、そんなのおかしいと思う痛み、哀しみ、あるいは悔しさ、そういうものが、一つの聖餐を実現する時に、本当に癒されていくことであることを思わずにはいられない。だから、それを渇望する。これがエキュメニズムを進める力だと思う。
 たとえば、今、同じ町にカトリック教会もルーテル教会も普通に存在しているのだから、そのカトリック教会に行っている人とルーテル教会に行っている人が友となって、お互いの教会を行き来するということは普通にあっておかしくない。でも、その相手の教会の礼拝に出席しても、そこで祝われる聖餐、ミサにはあずかれない。たとえば、カトリックの人とルーテルの人が結婚したら、いずれかの教会に完全に転籍してということでなければ、一つの礼拝、一つの聖餐にあずかることは出来ない。これが分かたれているということの痛みなのだ。
 だから、「ひとつの聖卓で聖餐を受けること」が本当に願われているのだし、その実現は必ずや大きな証になる。争い、分かたれてきたところに、交わりが、和解が、慰めが与えられること。この願いは、実現へとむかっているのだ。

日本福音ルーテル教会 各地での宗教改革500年記念イベント

[札幌]ともに学び 交わり 礼拝して新しい出発を!

日時/10月8日(日)18時 夕べの祈り・宗教改革500年記念交流会
/10月9日(月・祝)10時 記念講演・宗教改革500年合同礼拝
会場/札幌市保養センター駒岡
講演/「パウロの福音理解の変遷」 
講師/阿部 包先生(藤女子大学教授)
礼拝説教/ミカエル広谷和文司祭(日本聖公会旭川聖マルコ教会牧師)
参加費/あり
問合せ/北海道特別教区各教会
主催/北海道特別教区・日本ルーテル教団北海道地区

[熊本]真理はみんなを自由にする!

①レクチャーコンサート
日時/9月30日(土)14時 
会場/ルーテル学院高校チャペル
講師:加藤麻衣子先生(ルーテル学院中学高等学校オルガニスト)
入場料/500円
②講演会&演奏会
日時/10月28日(土)15時 講演会
/10月28日(土)16時45分 演奏会
講師/江口再起先生(ルーテル学院大学教授)
演奏/ラスカーラ・オペラ協会/メンデルスゾーン交響曲第5番「宗教改革」
参加費/2000円(大人)
③前夜祭
日時/10月28日(土)18時15分
会場/九州ルーテル学院大学食堂
参加費/2000円
④九州教区合同主日礼拝
日時/10月29日(日)10時30分 
会場/九州学院ブラウンチャペル
説教/小副川幸孝牧師(九州学院チャプレン)
問合せ/神水教会(角本牧師)
主催/日本福音ルーテル九州教区

[名古屋]神の言葉はすべての人のために

日時/11月3日(金・休)13時~16時 宗教改革500年記念大会 
会場/金城学院大学アニー・ランドルフ記念講堂
基調講演/「信仰によって義とされる」とはどういうことか 
講師/石居基夫先生(日本ルーテル神学校長)
分科会/①宗教改革を深く考える会「座談会&貴重本1606年版絵入りルター聖書鑑賞」
②パイプオルガン演奏会/大木麻理さん(開場時整理券配布250名限定)
③ハンドベル演奏会/金城学院大学ハンドベルクワイア―
参加費/なし
問合せ/東海教区
主催/東海教区、名古屋キリスト教協議会

[東京]立ち止まり感謝、そして前進、共に

日時/11月4日(土)10時~17時
会場/ルーテル学院大学、国際基督教大学礼拝堂
①子どもプログラム(宗教改革を楽しめ!)
②青年プログラム(牧師ROCKSライヴ&トーク)
③パネル展示
④記念合同聖餐礼拝
説教/柴田千頭男牧師
奉献賛美/ルーテル学院大学、聖望学園、浦和ルーテル学院合同聖歌隊、ハンドベルクワイア/ハイドン「Glorious Things Thee are Spoken」
⑤記念コンサート
演奏/東教区合同聖歌隊・NRK有志/バッハ≪ロ短調ミサ曲≫より「Dona Nobis Pacem」、我らの神は堅き砦
演奏/ソプラノ柳沢亜紀さん、合唱アンサンブル・クライス(吉田真康さん主宰)/メンデルスゾーン「Hear My Prayer」
演奏/東京バッハ・カンタータ・アンサンブル/メンデルスゾーン交響曲第5番「宗教改革」
参加費/なし(開催賛助金要請あり)
問合せ/大岡山教会(松岡牧師)
主催/日本ルーテル教団関東地区・日本福音ルーテル教会

※他のイベント情報等は以下のURLよりご確認ください。
http://luther500.wixsite.com/jelc

17-08-17すべてをご存じの方に

「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ福音書6・31〜33)

イエスさまが山上で語られた説教です。ここでイエスさまは、何度も「思い悩むな」と言われます。イエスさまの説教を聞いていたのは弟子たちであり、また群衆でした。彼らは、みな思い悩む者たちです。日々の生活の中で、何を食べ、何を飲み、何を着ようか、と思い悩む市井の人々です。当時イエスさまの福音に喜んで耳を傾けた人々は、貧しく、権力者から虐げられ、罪人として社会の隅に追いやられていた人たちでしたから、思い悩みに事欠くことはありませんでした。人々は、本当に身も心も思い悩んでいたのです。

 そのように思い悩める人々を前にして、イエスさまは叱責されたわけではありません。自分の思い悩みにとらわれて視線が定まっていない人々に対して、空の鳥を見よ!野の花を見よ!神が創られたありとあらゆる被造物を見よ!と促されたのです。彼らは人間のように種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしないのに、神は美しく装い養ってくださるではないか!と。

 この御言葉によって、イエスさまと一緒に山上までやって来た人々はハタと気がつくわけです。足元で咲き誇っている名も無い草花に、頭上でさえずっている鳥たちの声に。彼らの美しさと、たくましさに。神から与えられた命を懸命に使って、はばたき、咲き誇っている彼らに。

 私も最近山登りをするようになって、この御言葉が実感できるようになりました。神が創られた素晴らしい被造物にあふれた山に登っていると、自分が悩んでいたことは実はたいしたことではなかった…と、気付かされることがあります。然り、思い悩みをことさらに大きくしていたのは、他ならぬ自分自身だったのだ、と。

 とはいえ、私たちの思い悩みには思いがけず外から降り掛かってくる出来事もあります。自分の願いに反して押し寄せてくる社会的な状況もあります。はからずもそれらに遭遇してしまった時に、私たちはまた思い悩むことになります。私の目下の思い悩みは、先日、政権与党の強引なやり方によって成立してしまった「共謀罪」です。人の内心にまで踏み込もうとするあの法案は、個人の尊厳を奪うだけでなく、人と人との信頼関係も損なってしまうでしょう。今でさえ自分の意思を押し殺して相手の顔色を伺う忖度がまかり通っているのに、もっと物が言えない社会が到来してしまうのではないかと危惧します。

 イエスさまは、このような思い悩みまでを一笑に付されたのでしょうか?そんなことはないでしょう。当時ユダヤ社会の権力者であった祭司長、長老、ファリサイ派たちと常に激論を交わし、彼らによって抑圧されていた人々のために福音を語られたイエスさまでした。人々の思い悩みに耳を傾け、彼らが負っている悲しみや苦しみをつぶさになめられ、最後にはご自身の身に担われたイエスさまでした。だから、イエスさまは言われたのです。「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである」と。あなたがたの思い悩みもその解決のために必要なものも、神はすべてご存じなのだ!だからまず、神の御言葉に耳を傾けなさい!神のご支配がこの世に広がり、神の義がこの世に実現するように祈り求めなさい!そうすれば、すべてのものはみな与えられる!と。

 私たちは、思い悩みに押しつぶされてしまってはなりません。なぜなら、私たちの思い悩みのすべてを神はご存じで、私たちに必要なすべてのものを神は与えてくださるからです。だとすれば、私たちはむしろ大いに思い悩みましょう。自分にも、他者にも、この社会、この国、この世界に対して思い悩みましょう。そして、それらの思い悩みを分かち合うのです。自分の内に隠すことなく、他人に忖度することもなく、共に思い悩みを分かち合うのです。そうして、それらすべての思い悩みを神に伝える。私たちに必要なすべてのことをご存じの神に伝え、訴え、祈りましょう。イエス・キリストの御名によって。

日本福音ルーテル札幌教会・恵み野教会牧師 日笠山吉之

17-08-01るうてる2017年8月号

説教「すべてをご存じの方に」

機関紙PDF

 「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ福音書6・31~33)

イエスさまが山上で語られた説教です。ここでイエスさまは、何度も「思い悩むな」と言われます。イエスさまの説教を聞いていたのは弟子たちであり、また群衆でした。彼らは、みな思い悩む者たちです。日々の生活の中で、何を食べ、何を飲み、何を着ようか、と思い悩む市井の人々です。当時イエスさまの福音に喜んで耳を傾けた人々は、貧しく、権力者から虐げられ、罪人として社会の隅に追いやられていた人たちでしたから、思い悩みに事欠くことはありませんでした。人々は、本当に身も心も思い悩んでいたのです。
 そのように思い悩める人々を前にして、イエスさまは叱責されたわけではありません。自分の思い悩みにとらわれて視線が定まっていない人々に対して、空の鳥を見よ!野の花を見よ!神が創られたありとあらゆる被造物を見よ!と促されたのです。彼らは人間のように種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしないのに、神は美しく装い養ってくださるではないか!と。
 この御言葉によって、イエスさまと一緒に山上までやって来た人々はハタと気がつくわけです。足元で咲き誇っている名も無い草花に、頭上でさえずっている鳥たちの声に。彼らの美しさと、たくましさに。神から与えられた命を懸命に使って、はばたき、咲き誇っている彼らに。
 私も最近山登りをするようになって、この御言葉が実感できるようになりました。神が創られた素晴らしい被造物にあふれた山に登っていると、自分が悩んでいたことは実はたいしたことではなかった…と、気付かされることがあります。然り、思い悩みをことさらに大きくしていたのは、他ならぬ自分自身だったのだ、と。

 とはいえ、私たちの思い悩みには思いがけず外から降り掛かってくる出来事もあります。自分の願いに反して押し寄せてくる社会的な状況もあります。はからずもそれらに遭遇してしまった時に、私たちはまた思い悩むことになります。私の目下の思い悩みは、先日、政権与党の強引なやり方によって成立してしまった「共謀罪」です。人の内心にまで踏み込もうとするあの法案は、個人の尊厳を奪うだけでなく、人と人との信頼関係も損なってしまうでしょう。今でさえ自分の意思を押し殺して相手の顔色を伺う忖度がまかり通っているのに、もっと物が言えない社会が到来してしまうのではないかと危惧します。
 イエスさまは、このような思い悩みまでを一笑に付されたのでしょうか?そんなことはないでしょう。当時ユダヤ社会の権力者であった祭司長、長老、ファリサイ派たちと常に激論を交わし、彼らによって抑圧されていた人々のために福音を語られたイエスさまでした。人々の思い悩みに耳を傾け、彼らが負っている悲しみや苦しみをつぶさになめられ、最後にはご自身の身に担われたイエスさまでした。だから、イエスさまは言われたのです。「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである」と。あなたがたの思い悩みもその解決のために必要なものも、神はすべてご存じなのだ!だからまず、神の御言葉に耳を傾けなさい!神のご支配がこの世に広がり、神の義がこの世に実現するように祈り求めなさい!そうすれば、すべてのものはみな与えられる!と。
 私たちは、思い悩みに押しつぶされてしまってはなりません。なぜなら、私たちの思い悩みのすべてを神はご存じで、私たちに必要なすべてのものを神は与えてくださるからです。だとすれば、私たちはむしろ大いに思い悩みましょう。自分にも、他者にも、この社会、この国、この世界に対して思い悩みましょう。そして、それらの思い悩みを分かち合うのです。自分の内に隠すことなく、他人に忖度することもなく、共に思い悩みを分かち合うのです。そうして、それらすべての思い悩みを神に伝える。私たちに必要なすべてのことをご存じの神に伝え、訴え、祈りましょう。イエス・キリストの御名によって。
日本福音ルーテル札幌教会・恵み野教会牧師 日笠山吉之

連載コラムenchu 17

【 Democracy2 】

 高橋源一郎さんは、朝日新聞に連載していた「論壇時評」(2014年5月29日)で、台湾の学生たちが立法院(議会)を占拠した出来事にふれています。
 〈占拠が20日を過ぎたころ、学生たちの間では占拠を継続するか撤退するかで意見が分かれます。『その時、ひとりの学生が、手を挙げ、壇上に登り「撤退するかどうかについて幹部だけで決めるのは納得できません」といった。
 この後、リーダーの林飛帆がとった行動は驚くべきものだった。彼は丸一日かけて、占拠に参加した学生たちの意見を個別に訊いて回ったのである。最後に、林は、妥協案の受け入れ(撤退)を正式に表明した。すると、再度、前日の学生が壇上に上がった。固唾をのんで様子を見守る学生たちの前で、彼は次のように語った後、静かに壇上から降りた。「撤退の方針は個人的には受け入れ難いです。でも、ぼくの意見を聞いてくれたことを、感謝します。ありがとう」』。〉
 このエピソードを紹介した後、高橋さんはこう言われます。『学生たちがわたしたちに教えてくれたのは、「民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも、「ありがとう」ということのできるシステム」だという考え方だった』と。
 そして僕は思うのです。福音書の中に描かれている主イエスの業とは、社会の中で、「最も小さい者の一人」(マタイ25・40)が、それでも、自己を肯定し受け入れ「ありがとう」ということのできる関係(コミュニティー)を築くことだったのではなかったか、と。僕は、自分の意見が少数派のときに、自分が病気になったり障がいを負ったりしたときに、それでも、「ありがとう」といえる社会で生きていきたい。
岩切雄太(門司教会、 八幡教会、 佐賀教 会、小城教会牧師)

議長室から

平和の発信者たち 総会議長 立山忠浩

 私の牧する都南教会の牧師室の壁には、「二人が描いた日々」というタイトルのカレンダーが掛かっています。丸木美術館の開館50周年を記念して作成されたものです。
 その「二人」とは丸木位里・俊夫妻のことです。すでにご夫妻は天に召されていますが、ある月のページには、絵を描く心得として、上手に描くとかなんとかいうことを考えてはいけないという位里さんの言葉が添えてあります。「下手でもええ。下手のほうがええ、その方が面白いんだ」とユーモアに富んだ言葉は、絵心のまったくない私にとっては実に慰めです。
 ただ、二人は「原爆の図」を水墨画を基調にして描いた夫妻として有名なのです。埼玉県は東松山市にある同美術館にそれらは展示されていますが、初めて鑑賞したときの衝撃は忘れることはありません。中でも心を揺り動かされたのは「からす」という題の図でした。積み上げられた原爆の被害者たちの遺体にからすが止まり、ついばんでいるのです。目を背けたくなるような酷い光景ですが、丸木夫妻は敢えてそれを描いたのです。それが原爆の現実だからです。
 この図にはもうひとつの辛く、悲しい現実が描かれています。からすがついばんでいるのは朝鮮人の遺体なのです。日本人の遺体が先に埋葬され、朝鮮人の遺体が後回しにされて、より長く放置されていたからなのです。
 暑い真夏の8月を迎えるたびに憶えなければならないことは、過去の戦争の過ちの歴史であり、原爆に代表される人の命をいとも簡単に奪ってしまう兵器の存在です。そこで生まれる辛く悲しい現実。しかもそれが今このときにも世界中のどこかで生じていることを忘れてはいけないのです。
 キリスト者にとって、「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイ5・9)という主イエスの教えは大切です。では、平和の実現のために何をすれば良いのでしょうか。まず、イエスの平和の教えとその生き方に少しでも近づけるようにと願い、たゆまず祈るのです。そこから生まれた信仰と良心に基づいて、自分にできることをたとえわずかでも行うのです。
 ただ、実際の行いはそれぞれが異なることでしょう。私にとっての行動のひとつは、この図の存在を忘れず、平和のために発信し続けている人を支援することなのです。

広がる「まつもと子ども留学」の働き

東教区プロジェクト3・11 谷口和恵(松本教会)

 自主避難をしてきた福島の子どもたちが生活をする松本市郊外の一軒家。年月が経ち、子ども留学の形も少しずつ変わってきました。長期での生活を受け入れながら、休みの時に一時保養をする家族の受け入れが始まっています。今回は子どもたちのサポートをされている現地スタッフのレポートをお届けします。子ども留学の働きを祈りに覚えて頂き、ご支援いただければ幸いです。

 東日本大震災による原発事故で放射能に汚染されてしまった被災地を離れ、安心して学校生活を送ることができる場所を作りたいという一心で、この「まつもと子ども留学」を立ち上げて4年目を迎えました。この間10人の子どもたちが、福島の親元を離れて松本へ来て暮らしました。現在は「子ども寮」で暮らす女子3人と一般のご家庭にホームステイという形で暮らす2人の男子中学生を受け入れています。
 原発事故さえなければ家族との生活があったであろう子どもたちは、様々な悩みを抱えながらも地域にあたたかく迎え入れて頂き、たくましく成長しています。私も3年前に被災地を離れて松本へ移住し、子ども寮で子どもたちの生活のサポートに携わってきました。日々、子どもたちの持つ生きる力の大きさを目の当たりにして、支えてくださる周りの人たち、世界中の皆さまからの温かいご支援は勿論のこと、子どもたちの力の大きさに深く感謝する毎日です。
 今年の3月には、政府による自主避難者への住宅支援が終了しました。けれども、放射能とそれによる健康の不安はまだ残っています。今の福島へは子どもを連れて帰れないという母子2組が、この春自主避難先から松本へ移住して来て、子どもたちのサポートを手伝ってくれるようになり、とても心強く思っています。
 3年前、松本へ来た時は中学1年生だった子どものうち2人は、松本での進学希望をかなえ高校1年生になりました。小学6年生だった子は中学3年生となり、同じく長野県での高校進学を希望しています。高校受験を機に、福島へ帰る子どもたちもいます。
 どんな道を選んでも、子どもたちが持つ力、その可能性を大切にできる、そんな社会であってほしいと切に願います。
 (まつもと子ども留学   スタッフ 中野瑞枝)
「まつもと子ども留学」のウェブサイトURLhttp://www.kodomoryugaku-matsumoto.net/

愛する皆さんへ

ブラジル・ルーテル告白福音教会牧師 ルイス・メロ

「神なき人はなし。」とはドイツの神学者・牧師であったカール・バルトの言葉です。
 私はルイス・メロです。ブラジル人であり、ブラジル・ルーテル告白福音教会の牧師です。日本語と日本文化の研修のため、そして日本のルーテル教会を知るために来日しました。
 いま私は、岐阜県の大垣教会におり、信じられないほど豊かな経験をしています。母国から遠く離れたこの地で、我が家にいるような気持ちを味わい、同じ歌を歌い、喜びと神への賛美に満ちているからです。
 私たちは異なる言語を用い、見た目の姿にも違いがありますが、同じ信仰に生きる兄弟姉妹です。神は私たちを、異なる国で、異なる文化を持つ者であるにも関わらず、弟子として生きるように招き、兄弟姉妹とするのです。
 私は日本のルーテル教会について多くのことを知り、味わっています。それは私にとって、神の恵みが今こ確かにあることのしるしです。こにおいて私はみなさんから本当に多くのことを学んでいるのです。
 ここで教えられ得たことをサンパウロ日系ルーテル教会で生かそうとするならば、それはとても良いことになると信じます。
 日本の兄弟姉妹である皆さんと一緒に、日本のルーテル教会で生活する機会をいただき、ありがとうございます。主の恵みと平安がみなさんにありますように。
 ルイス・メロ牧師は、今年5月に来日され、来年2月まで、大垣教会を中心に、日本研修を継続されます。ぜひ、研修のために、その背後にあるブラジルの教会の皆さんに主の支えをお祈りください。

公 告 

 

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。

2017年8月15日
宗教法人 
 日本福音ルーテル教会  代表役員 立山忠浩

信徒利害関係人 各位

日吉教会会堂・集会室・牧師館建築
・所在地 横浜市北区  下田町1丁目670番 地2、670番地3
・家屋番号 670番2
・種類 教会堂・教職舎
・構造 鉄筋コンクリート 造陸屋根・ルーフィングぶき2階建
・床面積
 1階 391・ 95㎡
 2階 139・26㎡
・理由 新たな会堂・集 会室・牧師館が完成した。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

〈連絡先変更〉

西条教会
新電話番号
082(430)4343
*FAXは変更なし
新メールアドレス slk-1517@aurora.ocn.ne.jp

※「カトリックとルーテルの共同声明に学ぶ」は、紙面の都合により休載いたします。

宗教改革500年に向けて、ルターの意義を改めて考える 62

ルター研究所所長 鈴木浩
 「聖書(によって)のみ」と語ったルターは、「恵みに(よって)のみ」、「信仰(によって)のみ」とも語ったし、「キリストのみ」とも語った。ルターの神学はこのように、端的に「のみの神学」であった。
 対照的に当時のカトリック神学は、「恵みと人間の業(わざ)」、「聖書と伝統」という具合に「◯◯と◯◯の神学」であった。
 ここにそれまでの神学とルターの神学との違いが鮮やかに示されている。ルターはこの「のみの神学」を最後まで貫いた。
 この「のみ」は、通常、「聖書のみ」、「信仰のみ」、「恵みのみ」とされることが多いが、厳密に言うと「聖書によってのみ」、「信仰によってのみ」、「恵みによってのみ」である。
 この「◯◯によってのみ」とは、われわれは、「どのようにして、神を知り、そのことで神の救いにあずかることができるのか」という問いに対するルターの答えである。
 わたしが中学生の時であったが、伯父が無線長をしていた新造のカツオ漁船で、伊勢神宮に連れて行ってもらったことがあった。伊勢神宮で新造船を「お祓い」してもらうためであった。
 境内は、荘厳な雰囲気に包まれ、あくまでも透き通った小川には、勢いよく鮎が泳いでいた。その神秘的で森厳な雰囲気に圧倒される思いがした。
 だから、その広大な場所が神の臨在する「神域」とされていることも、納得できるような気がした。しかし、今思えば、それは単なる「雰囲気」に過ぎなかった。
 ルターが知りたかったのは、そんな「雰囲気」ではなく、「神ご自身」のことであった。辿り着いた答えが、「聖書によってのみ」、「信仰によってのみ」、「恵みによってのみ」であった。

第27回総会期第4回常議員会報告

事務局長 白川道生
 標記の定期常議員会が6月10日から12日にかけて、市ヶ谷センターにて開催されました。主な報告を記します。

▼各報告事項

 この常議員会では、5月にアフリカで開催された「ルーテル世界連盟総会」に係る議長報告をはじめ、LCM会議(宣教協力関係にある海外教会と定期的に行う、日本宣教を考える会議)等、とりわけ、JELCが今まで保ってきた世界的な関わりの現状と課題に係る報告が重なった。質疑応答は、単に教会相互の歴史的パートナーシップの継承に留まらず、こんにち世界で、教会の外に起こっている様々な現実問題、変化する課題に取り組むための連携・学び合う関係を築く方向に進んだ。報告事項を巡る特徴として、この様子を記しておきたい。

▼協議事項

 まず、熊本地震に係る支援活動の態勢に関する協議が行われた。地震発生から1年を経てなお残る被害と生活する方々の様子に関して、九州教区と救援対策本部の判断が伝えられた。この態勢の検討に際しては、東日本大震災の体験を通じて常議員会でとりまとめられた「災害時におけるJELC活動基本方針」を考慮して協議を行った。そして、救援対策本部とJELC緊急募金の終了を決定し、6月より対策本部に託された課題の実現と九州教区に移管すると決定した。なお、九州教区常議員会では、この方向を既に承認していること、学校施設の復旧を含む募金実施の方針決定は審議中であると述べられた。
 帰国の相次いだ、宣教師の後任派遣に関する協議も行われた。既に昨年、神学教育並びに教会任命の派遣申請をしたが、現在までに米国でのリクルートに進展がないとの報告が共有された。しかし、生起している影響の大きさを鑑み、密接な連携をとって実行を図る姿勢の堅持が確認された。
 「宗教改革500年記念事業」は、各教区で展開されている取り組みの相互報告があった。加えて宣教室から、全国から積みあがってきている募金への感謝と更なる情報配信、カトリック教会との共同記念企画の拡散的な進展、ブラウンシュバイク教会の招待による合同聖歌隊への派遣公募の選考結果、宣教室担当のキャンペーン実施予定(8月にパンフレットと本を刊行する予定)と頒布計画等の情報共有と意見交換が行われた。

▼その他の事項

 2017年の人事委員会組織が提案され、例年同様の行程で進め、議長以下三役と各教区長による構成が決定した。
 この他に、るうてる法人会連合総会に係る教会代表正会員公募の実施、宣教会議の開催、日本福音ルーテル教会教師試験の実施、ブラジルから来日されたルイス・メロ牧師の日本研修期間の変更等につき承認された。
 詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より
善い業のために 伊藤早奈

〈祈り〉神様、年々暑さが増している気がしますが、それでもあなたから与えられる季節の恵みを受け入れています。文句や不平を言うこともあれば、感謝の思いが溢れることもあります。しかし、どんなにちっぽけでもどんなに迷惑に感じることがあっても、神様、あなたからの愛は私たちに注がれていることに感謝します。イエス・キリストのお名前を通して祈ります。アーメン
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 「わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたし、たちは、その善い業を行って歩むのです。」(エフェソ2・10)
 今朝はイエス様のお話を聴いたから、一日私は善い行いができるわ、と張り切ったとしても、自分の理想通りに動けなかったり思っていたような結果が出なかったりして「やっぱり今日もダメだったわ」とか「私ってやっぱりダメね」と思ったりしたことがありませんか。原因を周りの人たちのせいにして自分を正当化してしまうこともあるかもしれません。
 私は高校生のときに洗礼を受けました。それこそ洗礼を受けるということは、それまでの自分とは違わなくてはならないのではないかと緊張しました。たとえば、あまり怒らずいつもニコニコしてなくてはいけないとか、イエス様のように生きなくてはいけないとか。洗礼を受けてクリスチャンと呼ばれるようになったら、こうならなければいけない、私は変わるんだ、とどこかで意気込んでいました。
 本当にそうなのでしょうか。イエス・キリストによって生きるようになるとは外見や行いが今までとは違う人間になることではありません。でも変わります。何が変わるのでしょうか。 それは「自分が生きていてもいいんだ」、「私は神様に大切にされているんだ」、「イエス様と共に生かされているんだ」と受け入れる生き方への変化です。神さまが私を通して善い業をなさることを受け入れる生き方です。そのために神様はあなたを造り、今もあなたがあなたらしく、そのままを生きるようにと包んでくださいます。

宗教改革500年記念ルーテル『聖書日課』読者の集い

日時 2017年10月16日(月)15時~18日(木)13時
講師 橋本昭夫先生(神戸ルーテル神学校元校長)
賛美 池上彩香さん(ソプラノ)
会場 日本福音ルーテル大阪教会
   (大阪市中央区谷町3-1-6)
宿泊 ホテル・ザ・ルーテル(同)
参加費 3万円
申込・問い合わせ 
  ルーテル聖書日課事務局
  〒514-0823 三重県津市半田3424-81-204 
  FAX 059-253-8789  (宿泊のシングル・ツインを明記)
申込金 内金として1万円
  郵便振替 01080-4-12181 ルーテル聖書日課を読む会
締め切り 10月3日

追悼 刈谷教会と野口先生

平岡仁子(保谷教会・日本ルーテル神学校)

 手元に刈谷教会宣教40周年記念文集があります。そこに「17年間の思い出」と題された野口先生の文章があります。「1958年(昭和33年)の3月、宣教師館を訪ねたのが、刈谷教会との最初の出会いでした。・・・伊勢湾台風の思い出、碧南集会、緒川集会などに行ったこと、・・・特に、伊勢湾台風の後、静岡の聖書学院に行くまでの間、教会の屋根裏を借りて居候をしていたことなど懐かしい思い出がいっぱいです。・・・もうひとつの思い出は、1972年から1984年までの12年間、牧師として母教会で御奉仕をさせて頂いたことです。まだ駆け出しだった私たち家族を暖かく迎えてくださった教会員の皆様との思い出は、終生忘れることのない思い出です」。
 そして、1971年より刈谷教会に在籍した故平岡正幸は同じ40周年記念文集に、野口牧師との思い出を次のように綴っています。「神学校へ行くまでの2、3年、毎日教会に通ったことなど、昨日のように感じます。よく野口先生と共に、皆さんの御家庭を突然訪問したりと、燃える思いで過ごしました」。  
 野口幹夫牧師は、刈谷教会2代目宣教師アルトン・クヌートソン牧師より受洗。東海ルーテル聖書学院、日本ルーテル神学校卒業後、高蔵寺教会、刈谷教会、ロスアンゼルス教会、徳山教会、松江教会。葬儀は花城裕一朗牧師の司式により、知多教会半田礼拝所にて、執り行われました。きよ子夫人を始め、ご遺族の上に主の慰めをお祈り申し上げます。

甘木教会百周年

   梶原 潔(甘木教会)
初めに、7月の九州豪雨で被災され困難な状況の中にある方々に主の慰めがありますように祈ります。
 2017年は宗教改革500年。そして、実は甘木教会の100年でもあります。
 6月3日に80名の出席者で記念礼拝、併設する聖和幼稚園で祝会を行いました。1950年に献堂された礼拝堂は満席で主の恵みにあふれたひと時でした。司式を 本浩主任牧師、白髭義牧会委嘱牧師、森部信引退牧師が、説教を江藤直純ルーテル学院大学学長にしていただきました。同じ信仰を持つ方々と、共に歌う讃美歌は礼拝堂をふるわせ、ささげる祈りで心一つとなりました。その光景に甘木教会員20名は胸を熱くし百年の信仰の歴史の豊かさをいまさらながら感じることができました。礼拝後の祝会では、昔を知る方々に多方面からコメントをいただき、それぞれの時代の教会の姿に思いを馳せました。
甘木教会の初めて礼拝が行われたのは1917年6月2日です。初代「武藤醇」牧師が現在の礼拝堂からさほど遠くない川原町で礼拝をおこなったと記録が残っています。それから33年後に礼拝堂が献堂され10年後には今の恵比須町へ移築しています。さらに1952年には保育園の認可、翌年、幼稚園の認可を取得するなど社会事業にも力を注いできました。100年の歩みにつきましては、来年、記念誌を作成し詳しくご紹介したいと思っています。
 百年記念事業の取り組みも行っています。老朽化してきた礼拝堂は床下防湿工事、外壁の塗り直しと玄関の全面改修を行いました。またチェロのコンサートや記念ポロシャツ、バッグの作成にも取り組みました。今後、聖壇の明り取り窓にみんなでアクリル板を使ったステンドグラスを作成しはめ込む予定です。
 100周年は新たな始まりでもあります。教会が生き生きと地域の中でこれからも証ができるように会員が一つなって歩み続けたいと思います。
 皆様に主の平和がありますように。

大阪教会 宣教百年の歩み

 犬飼 誠(大阪教会)

①宣教開始時期

 日本福音ルーテル大阪教会は、1917年(大正6年イースターに、天王寺村脇ヶ岡の地で、ヘプナー宣教師の開拓伝道により始まりました。1927年(昭和2年)、天王寺区真法院(現在の天王寺教会の場所)に敷地を購入し、近隣の開拓伝道を試みながら、1939年(昭和14年)に会堂を新築し、1941年(昭和16年)に自給しました。

②戦争期

 1942年(昭和17年)、ヘプナー師は、太平洋戦争の影響により帰国。小泉昂牧師も病状が悪化し、休職して静養を余儀なくされ、その代務者として神学校を卒業した吉崎三郎牧師が着任しましたが、赴任後まもなく出征し、フィリピンにて戦死されました。

③戦後

 1954年(昭和29年)、稲富肇牧師は立地条件の良い、大阪市東区谷町に鉄筋の新会堂を建立します。天王寺にあった旧大阪教会礼拝堂は、1960年(昭和35年)に天王寺教会として株分けをしました。

④大阪会館建築

 日本福音ルーテル教会の経済的自立等のため、大阪教会は土地と建物をささげて、収益事業のホテルを併設した大阪会館の建築を決意しました。建築中、放浪しながら礼拝を守り、1975年(昭和50年)に大阪会館がオープンしました。収益は上がりましたが、宣教目的の教会(9階)と収益目的のホテル(1~8階)の同居には多くの問題がありました。

⑤大阪会館建替

 1997年(平成8年)、耐震構造等の問題により、大阪会館の建替えが検討されていたその矢先、松原清牧師が病に倒れられました。しかし、総会で建替は決議され、一方、後任の牧師は決まらず、大阪教会は礼拝堂がなくなり、牧師も不在となりました。この危機を隣の貸ビルの一角を借用して礼拝堂とし、引退されていた石居正己牧師に牧会委託することによって乗り越え、滝田浩之牧師を招聘し、2001年(平成12年)12月に新大阪会館がオープンしました。

⑥宣教100年とこれから

 ざっと、大阪教会の歴史を記載しましたが、この行間には、書き尽くせない試練と喜びのドラマがありました。歴代牧師の御尽力、信徒の貢献、全体教会や近隣教会の支援、そして何より神様が伴にいてくださり、2017年イースターに宣教100年の節目の「時」を迎えることができました。
 大阪教会は歴史に感謝し、「神様の恵みが教会員一人一人に増し加わり、それが教会を発展させ、ひいては日本福音ルーテル教会全体に貢献し、神様の御国の建設に役立つ働きができるように」と祈りつつ進んでいきたいと思います。

 

 

17-07-17信じる人の基準

 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイによる福音書9・9~13)

 「自分の好きな単語と、嫌いな単語を一つずつ挙げるなら何ですか?」ある有名な人がこう質問される場面を見ながら、面白い質問だなと思い、自分なら何と答えるだろうと考えたことがありました。
 好きな単語はいくつも候補が思い浮かびましたが、自分が嫌いな単語は意外とすぐに絞られました。私の中では「先入観」もしくは「偏見」がそれです。
外国での生活がそう思う原因なのか、先入観や偏見に苦しんだことがあったのか、あるいは先入観が自分の成長を妨げると感じたのか、とにかく私は「先入観」という概念を嫌う一人でした。しかし自分ではそう思うものの、私もある種の先入観に囚われている一人に過ぎないことも認めざるを得ません。厳密に考えれば考えるほど、そうです。

 私たちはこの世に生まれた瞬間から、ある人種、ある民族、ある国に属する一人となりました。決してすべての世界を公平に見渡すことは出来ず(一生出来ないかもしれない)、限定された地域、社会、文化の下で、さらに自分が誰と触れ合って、どういう教育を受け、どういう価値観と情報に影響されたかによって、自分のアイデンティティや自分の考えを持つようになります。

 その意味で、私たちが世界や他者を見つめる場合、その殆どは自分が置かれた立場からそれらを見つめることであって、自分以外の視点から物事を考えることはなかなか難しいことかと思います。だから私たちは自分を超えた視点として神を求めているのかもしれません。
 
 私はマタイ福音書9章の記録を、神から遣わされたイエスが世の人々の思い込みを引っ繰り返す物語として読みます。

 その時代や場面では周囲から優れた人間として見られ、自分たちもそう自覚していたファリサイ派の人々、そしてその真逆に、人々から軽蔑される立場として徴税人や罪人と呼ばれていた人がいました。本当は彼らがどのような原因で悪者とされていたのか、なぜ悪者なのか説明がつかないのが、この世の現実かもしれません。

 その中で、イエスは敢えて罪人と呼ばれる人々の方に行かれ、彼らを招き、彼らの友となります。それがイエスを通してこの世界に示された神のみ心であり、憐みです。しかしその姿を見ていたファリサイ派の人々は理解できず、イエスを受け入れられません。彼らの基準では、徴税人や罪人が悪いのは当然であり、その徴税人や罪人と一緒にいるイエスも、彼らにとっては優れた先生ではなく、疑わしい存在なのです。その基準は、神の名を借りているけれども彼ら自身であり、あくまでも正しいのは自分たちだからです。 

 私たちに届いている福音は、一時の限られた人々の判断ではないからこそ、私たちに普遍的な、不変の光を与えます。そしてそれが人間によるものではなく、神からのものであるからこそ、私たちには赦しであり、世にあって私たちを縛るものではなく、自由をもたらすものとなります。

 神を信じるとは、まさに人知を超えている自由な神のみ心と導きに私たちを任せることです。場合によっては自分が担っていた自分の思い、世の事情がつくりあげてきた思いなどを降ろさなければならないでしょう。神の思いは私たちのそれをはるかに超えていて、自由で、しかも憐みに満ちているからです。

 もしも今と違う立場に置かれるなら変わってしまうかもしれない自分の思い、あるいは時間が過ぎ、状況が変わったら今のままではないかもしれない世の様々な思い。私たちの心の基準となるものがどれなのかによって、私たちの命の姿も変わっていくことでしょう。

 「わたしに従いなさい」。あのとき徴税人マタイを呼ばれたイエスの招きと憐みは、み言葉と聖霊の働きを通して今の「私」にも、ひょっとしたら自分の思いで好きではない「あの人(たち)」にも届けられているものかもしれません。
 自分の思いではなく、神のみ心に生きる。別の意味での「信仰のみ」、新たな改革です。

ルーテル学院中学・高等学校 チャプレン 崔 大凡

17-07-01るうてる2017年7月号

説教「信じる人の基準」

機関紙PDF

イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイによる福音書9・9~13)

「自分の好きな単語と、嫌いな単語を一つずつ挙げるなら何ですか?」ある有名な人がこう質問される場面を見ながら、面白い質問だなと思い、自分なら何と答えるだろうと考えたことがありました。
 好きな単語はいくつも候補が思い浮かびましたが、自分が嫌いな単語は意外とすぐに絞られました。私の中では「先入観」もしくは「偏見」がそれです。
外国での生活がそう思う原因なのか、先入観や偏見に苦しんだことがあったのか、あるいは先入観が自分の成長を妨げると感じたのか、とにかく私は「先入観」という概念を嫌う一人でした。しかし自分ではそう思うものの、私もある種の先入観に囚われている一人に過ぎないことも認めざるを得ません。厳密に考えれば考えるほど、そうです。

 私たちはこの世に生まれた瞬間から、ある人種、ある民族、ある国に属する一人となりました。決してすべての世界を公平に見渡すことは出来ず(一生出来ないかもしれない)、限定された地域、社会、文化の下で、さらに自分が誰と触れ合って、どういう教育を受け、どういう価値観と情報に影響されたかによって、自分のアイデンティティや自分の考えを持つようになります。
 その意味で、私たちが世界や他者を見つめる場合、その殆どは自分が置かれた立場からそれらを見つめることであって、自分以外の視点から物事を考えることはなかなか難しいことかと思います。だから私たちは自分を超えた視点として神を求めているのかもしれません。
 
 私はマタイ福音書9章の記録を、神から遣わされたイエスが世の人々の思い込みを引っ繰り返す物語として読みます。
 その時代や場面では周囲から優れた人間として見られ、自分たちもそう自覚していたファリサイ派の人々、そしてその真逆に、人々から軽蔑される立場として徴税人や罪人と呼ばれていた人がいました。本当は彼らがどのような原因で悪者とされていたのか、なぜ悪者なのか説明がつかないのが、この世の現実かもしれません。
 その中で、イエスは敢えて罪人と呼ばれる人々の方に行かれ、彼らを招き、彼らの友となります。それがイエスを通してこの世界に示された神のみ心であり、憐みです。しかしその姿を見ていたファリサイ派の人々は理解できず、イエスを受け入れられません。彼らの基準では、徴税人や罪人が悪いのは当然であり、その徴税人や罪人と一緒にいるイエスも、彼らにとっては優れた先生ではなく、疑わしい存在なのです。その基準は、神の名を借りているけれども彼ら自身であり、あくまでも正しいのは自分たちだからです。 
 私たちに届いている福音は、一時の限られた人々の判断ではないからこそ、私たちに普遍的な、不変の光を与えます。そしてそれが人間によるものではなく、神からのものであるからこそ、私たちには赦しであり、世にあって私たちを縛るものではなく、自由をもたらすものとなります。
 神を信じるとは、まさに人知を超えている自由な神のみ心と導きに私たちを任せることです。場合によっては自分が担っていた自分の思い、世の事情がつくりあげてきた思いなどを降ろさなければならないでしょう。神の思いは私たちのそれをはるかに超えていて、自由で、しかも憐みに満ちているからです。
 もしも今と違う立場に置かれるなら変わってしまうかもしれない自分の思い、あるいは時間が過ぎ、状況が変わったら今のままではないかもしれない世の様々な思い。私たちの心の基準となるものがどれなのかによって、私たちの命の姿も変わっていくことでしょう。
 「わたしに従いなさい」。あのとき徴税人マタイを呼ばれたイエスの招きと憐みは、み言葉と聖霊の働きを通して今の「私」にも、ひょっとしたら自分の思いで好きではない「あの人(たち)」にも届けられているものかもしれません。
 自分の思いではなく、神のみ心に生きる。別の意味での「信仰のみ」、新たな改革です。
ルーテル学院中学・高等学校 チャプレン 崔 大凡

連載コラム enchu

16【 Imagination 】

 ハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房)は、アイヒマン裁判の「一つの報告」です。アイヒマンとは、ナチス政権によるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)で、数百万人のユダヤ人を強制収容所へ移送する指揮的役割を担った人物です。
 1961年に始まったこの裁判は国際的な注目を集めました。というのも人々は、ホロコーストの中心的な働きを担った人物がどんな残忍非道の悪魔であるかを目撃したかったからです。しかしアイヒマン裁判は、彼がふてぶてしい大悪人というよりは小役人的凡人であることを明らかにしました。アイヒマンは、「自分は命令に従っただけで無罪である」と主張し、「私の罪は従順だったことだ」と語ったのです。 ハンナ・アーレントは次のように言っています。「アイヒマンはイヤゴーでもマクベスでもなかった。(略)自分の昇進にはおそろしく熱心だったということのほかに彼には何らの動機もなかったのだ。(略)俗な表現をするなら、彼は自分のしていることがどういうことか全然わかっていなかった。まさにこの想像力の欠如のために…(略)。完全な無思想性、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ」。時代を超えていろんな意味で考えさせられる指摘(言葉)です。
 ところで、主イエスは多くのたとえ話を語られました。それはきっと、私たちの想像力を豊かにするためだったのではないでしょうか。想像力とは遠いものを見つめる力のことです。遠いものを見つめ、遠いものをめざすとは、未来(希望)をめざすことです。そう、私たちはそれを「祈り」と呼ぶのです。
 岩切雄太(門司教会、 八幡教会、 佐賀教 会、小城教会牧師)

議長室から

  

総会議長 立山忠浩

前号のこの機関紙で報告されたように、5月10~16日にルーテル世界連盟(LWF)の第12回総会がナミビア共和国の首都ウィントフックで開催されました。限られた字数ですから、印象に残った一つのトピックについてここで記させていただきます。
 新しい議長にナイジェリアのムーサ・フィリバス監督が選出されました。ムニブ・ユナン前議長はパレスチナ出身でしたから、アジアに続きアフリカから選出されたことになります。これは何を意味するのでしょうか。
 ここで頭に浮かんだ記憶がありました。3年前にフィンランド福音ルーテル教会(以下フィンランド教会)が主催する国際会議に招かれた時のことです。そこには、フィンランド教会が宣教師を派遣しているアジアやアフリカの代表者もたくさん招かれていました。 フィンランド教会にとっても初めての企画だったようです。そこで話題となったことは、これまではフィンランドを始め北半球の教会が南半球の教会に宣教し、支援して来たけれども、しかしこれからは逆になって行くに違いないということでした。その南半球とはアフリカとアジアのことです。
 事実世界のルーテル教会では、日本を含め先進国と呼ばれる欧州と米国の北半球の国々の宣教はおしなべて頭打ちで、教勢の伸展は乏しく、大きな壁にぶつかっています。これとは対照的に、アフリカとアジアの国々の教会は成長を遂げているところが多いのです。北半球の教会が南半球の国々にキリスト教を伝え、教会の支援も行って来たという流れは、すでに曲がり角を迎えているのです。
 北半球から南半球へ、あるいは南半球から北半球へというどちらかの流れを強調することは適切な表現ではないようにも思います。フィンランドの会議で考えたことは、互いが尊敬し合い、学び合い、そして協力し合うというフラットな教会の関係の重要さでした。
 私たち日本の教会はこれまで、欧州や米国から学ぶことやそこから支援を受けることに中心を置いていたように思います。無論それを否定する必要はありませんし、感謝すべきことでした。でも、それだけではなく、アジアやアフリカの教会からも学ぶのです。宣教の視野を彼らの教会にも置いて、何か共働できることことを模索し、実行する時が来ているのです。
 LWF総会の新しい潮流。日本の教会も敏感でありたいと思うのです。

2017年宗教改革500年「カトリックとルーテルの共同声明」に学ぶ4-1

石居基夫(日本ルーテル神学校校長)

【本文から】

●共に証しすることに向けてのわたしたちの参与
 わたしたちの重荷となっている、歴史上のこれらのできごとを乗り越えて進むとき、わたしたちは十字架にかかり、挙げられたキリストにおいて見えるものとされている神のいつくしみ深い恵みに応えて、相共に証しすることを堅く誓います。わたしたちが堅く関わりをもつあり方こそが福音へのわたしたちの証しを形作ることを意識して、完全な一致を得ることからわたしたちを妨げている、まだ残っている妨げを取り除くことを求めて、わたしたちは洗礼に根拠づけられている交わりにおける更なる成長に深く関わります。キリストは、わたしたちがひとつとなって、この世が信じるようになることをお望みです(ヨハネによる福音書17章23節参照)。

【学び】

 カトリックとルーテルの両教会が確かな一致への歩みを重ねてきた中で、最も重要な鍵となったのはキリストの福音についてであった。宗教改革は、まさにその一点を問題にして争われたといってよいのだ。だからこそ、いまその歴史を超えて進むという時に、その問題を避けて通るわけにはいかない。そして、その福音を語るということをもっとも大切な使命とするならば、その二つの教会は「争い」の中に留まるべきではないのだ。両教会がそれぞれに相手を非難攻撃しながら、イエス・キリストによって与えられる神の恵みの出来事を証するなどということはありえない。だから、カトリックとルーテルの関係の在り方そのものの中でこそ、福音が証されるはずだというのだ。これが、長い対話を辛抱強く重ねきた力になっている。
 1999年、両教会は「義認の教理に関する共同宣言」を明らかにする。「義認の教理」こそが、その福音の理解をめぐって「争い」を産み出した神学的なテーマなのだ。その教理について、両教会が一致して共有される理解を告白宣言したということだ。この宣言こそ、長い対話のなかで最も大きな成果であり、宗教改革500年を共同で記念することを可能にした文書だといってよいだろう。
 その「義認の教理に関する共同宣言」は、両教会の一致とともに、まだ残されている神学的な相違や課題も示している。今回のこの声明においても、その相違や課題をこれからの歴史を歩む中で克服していくことが、キリストを証する両教会の使命であるとの理解を示しているのだ。

宣教の取り組み  広島教会痛みを知るパイプオルガンで歌う

伊藤節彦(広島教会)
 1996年に広島教会が建て替えられた時から、パイプオルガンの導入は教会員の夢でした。しかし経済的事情を考えると具体化は困難でした。しかし電子オルガンも電子楽器ならではの故障が目立ってきました。そこで5年前から、パイプオルガン導入のための委員会を組織し、どのようなオルガンが相応しいのかを検討しつつ、新品は無理でも譲って頂く可能性はないものかとあたっていました。
 仙台教会出身の佐々木勝彦先生(東北学院大学名誉教授)のご伴侶の佐々木しのぶ先生は『教会オルガニスト教本』の著者としても有名な方です。佐々木先生はご自宅に練習用のパイプオルガンをフィンランドのエローラ社から2000年に購入され愛用しておられましたが、2011年に発生した東日本大震災において被災され、オルガンも損傷を免れませんでした。ご子息のおられる広島にオルガンを避難させるも、その音色を響かせる機会はあまりありませんでした。それを譲っていただけないかとお願いしたところ、「ルーテル教会で使って頂けるならオルガンにとっても一番幸いなことでしょう」と快諾くださったのです。
 オルガンそのものは無償で頂きましたが、オーバーホールと移設、礼拝堂の響きに合わせてチューニングするために450万円ほどの費用がかかることが分かりました。協議を重ね宗教改革500年にもあたる2017年のペンテコステに導入を実現しようと総会で決議しました。そのための献金目標額を500年に合わせて500万円としましたが、総会から2ヶ月ほどで目標額を達成することが出来、教会員の期待と喜びの大きさを感じました。
 人間の声と同じように風によって音を響かせるパイプオルガンは、讃美の歌声にとてもマッチし、教会の典礼楽器として共に歩んできた理由が良く分かります。聖壇上に設置されたことで、司式と奏楽の息を合わせることが可能となり、会衆も讃美しやすくなりました。オルガンとのアンサンブル等、これから様々な可能性が広がっていくことと思います。また、このオルガンは広島教会の礼拝堂の床の色とぴったりであり、サイズも合わせて礼拝堂のデザインに溶け込む、オーダーメイドのような素晴らしいマッチングです。
 このオルガンが仙台から広島に来た理由は東日本大震災でした。あの地震でダメージを受け、持ち主の許を離れて避難してきたこのオルガンは痛みを知っています。そのオルガンを神さまは宗教改革500年の年に蘇らせてくださり、恵みの賜物として与えてくださいました。だから、私たちはこのオルガンと共に、歴史的な痛みを負っているヒロシマの地で、これから更に喜びも悲しみも主の御前に注ぎだしていくことが出来るのではないかと思います。
 広島教会の今年の主題聖句は詩編149編の「新しい歌を主に向かって歌え」です。このみ言葉にあるように、私たちの歌声を通して益々、福音の幸いを宣べ伝えていきたいと願っています。

ルーテル世界連盟 第12回総会に参加して

安藤 風(健軍教会)

 4月のある日、一本の電話がかかってきました。「来月、ナミビアに行かない?ルーテル教会の代表として、LWFの会議に出席してほしいんだけど。」正直よくわからないことばかりで驚きましたが、私はこの依頼を引き受け翌月ナミビアへと飛び立ちました。
 LWFという団体ですが、正式にはThe Lutheran World Federation(ルーテル世界連盟)といい、世界中のルーテル教会が様々な問題に取り組んでいます。恥ずかしいことに、私はつい先日までLWFの存在すら知りませんでした。私は今回ここで多くのことを学び、感じ、私の中の多くのことが変わりました。
 最も印象深かったのは教会の持つ大きなエネルギーと、青年の高い意識や存在感でした。日本のキリスト教徒人口は人口の1%以下です。ましてルーテル教会はさらに少なく、正直、現実社会で教会のエネルギーを感じることは多くありません。しかし私は、世界中の仲間に出会い、語り合う中で確かに教会には社会を動かすほどの力があるということを感じました。人が多かったからとか、世界各地から集まっていたからとか、そんなことではなく、それぞれの人の信仰心や社会問題に対する意識に触れ、大きなエネルギーに満ちた安心感に包まれました。
 LWFの総会では青年たちも総会中に発言をします。夜は青年のミーティングがあり、そこでも自分たちが総会への関わり方を話し合ったり、教会や社会が抱える問題に対する解決策を考えたりしました。日本の青年はどうでしょう?総会で発言するどころか、教会に行くことが難しくなり、やがては教会を離れてしまう青年も少なくないはずです。私は世界中の同年代の青年たちの姿に衝撃を受けました。
 私は今年から7年間LWFの理事を務めます。7年間で何ができ、何をすべきなのか、まだわかりません。しかし一青年でも教会を動かせること、教会が世界を動かせることを私は知りました。この先何が起こるか分かりませんが、思いのままに吹く風に身を任せて7年間の理事を全うしたいと思います。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より
天の国はあなたがいるところ

伊藤早奈

〈祈り〉天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。今日はどんなことが起こるだろうかと、わくわくしたり、恐れてみたり、なんとなく一日を迎えてみたり、なんだか当たり前に新しい日を迎えることが多いような気がします。このように私たち一人一人が当たり前のように感じるほどに神様あなたは私たち一人一人に命を与えてくださいます。いつも私たち一人一人に命を与えてくださる神様に心を向けて感謝することができますように。このお祈りを主イエス・キリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。アーメン。
 

 「イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。『天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。』」(マタイ13・31~32)
 天の国には必要なものがあります。「種を蒔く人」や「パン種を粉の中に入れる人」で例えられるように人間が必要です。また「種を育む存在」や「パン種を発酵させる存在」それは自然や菌の働きなのかもしれませんが、それらを用いる神様の存在が必要です。種を蒔く勇気もパン種を入れればパンの生地が発酵すると思う心も、種を育む存在でありパンの種を発酵させてくださる存在である神様への信頼がなければ、どちらもできません。
 イエス様が聖書で例えておられる「天の国」というものは、難しいものでも届かないものでもないのです。「天の国」には、あなたが必要です。「天の国」では神様への信頼が必要です。「神様への信頼なんて、難しいなぁ」と思われるかもしれませんが。種を蒔けば草は育つよ。パン種を入れればパンは発酵するよ。と当たり前に思う安心がある日常が神様と共にある天の国なのではないでしょうか。
 ただ、日常に起こる出来事一つ一つに心を留めて、この一つ一つの出来事に神様が働きかけてくださるのだと、あなたが思い起こす時を神様は待っておられます。
神様は言われます。「ここが天の国であるために、あなたが必要です。」と。

追 悼 ヌーディング先生を偲んで

中川浩之(市ヶ谷教会)
 市ヶ谷教会の創立時に宣教師として深く関わられたノーマン・ヌーディング先生が2017年3月25日、サウスカロライナ州の老人ホームで天に召されました。、オハイオ州生まれ。92歳。
 バーバラ夫人と共に来日して間もないヌーディング先生は、1952年6月1日(日)に初めての礼拝を田坂惇巳牧師と共に宣教師館のリビングルームで行い、市ヶ谷教会では後にこれを教会創立の日と定めました。
 1953年5月に東京学生センターが献堂され、先生は学生センター総主事として、田坂先生、牧瀬先生、内海先生、折田先生、石田先生、石橋先生など歴代の牧師と協力して、特に学生伝道に尽力され、夫人と共に多くの学生に慕われました。
 1967年の帰国後は、ELCA本部で宣教師の人事を担当されました。ゴルフが大変お好きでホールインワンを2度達成したことがご自慢でした。

ムニブ・ユナン牧師、庭野平和賞を受賞

 ムニブ・ユナン牧師が、庭野平和財団による庭野平和賞を贈呈されることになりました。庭野平和賞は、宗教的精神に基づいて、宗教協力を促進し、宗教協力を通じて世界平和の推進に顕著な働きをされた個人や団体に贈られ、今年で第34回となります。
 ユナン牧師は、エルサレムでパレスチナ難民の家庭に生まれ、ヘルシンキ大学で神学を修め、パレスチナのルーテル教会で牧師となります。1998年にヨルダン及び聖地福音ルーテル教会のビショップとなり、2010年から今年5月までLWF議長を務めました。
 この間にエルサレムでの聖地宗教評議会を立ち上げるなど、ユダヤ教徒・キリスト教徒・ムスリムの対話促進に献身し、他の教派や宗教との対話と和解を目ざすエキュメニカル運動を進め、多くの宗教指導者との幅広い交流と対話を通して、根気強く諸宗教対話に取り組んでいることが評価されました。
 贈呈式は7月27日に東京で行われ、それに合わせて来日されます。

 

日本福音ルーテル教会  教師試験実施のお知らせ

 2017年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を下記要領にて実施いたします。教師志願者は下記書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。
    記
1.提出書類
 ①教師志願書
 ②志願理由書
 ・テーマ「なぜ『日本福 音ルーテル教会の教師』 を志願するのか」―あな たが考える宣教課題を ふまえて―
 ・書式   横 書き、  フォントサイズ11ポイント
 ③履歴書(学歴、職歴、 信仰歴、家庭状況等を 記入すること)
 ④教籍謄本(所属教会 教籍簿の写し)
 ⑤成年被後見人または 被保佐人として登記さ れていないことの証明書 (法務局交付のもの。任 用試験時に必要になり ます)
 ⑥所属教会牧師の推薦 書
 ⑦神学校卒業(見込)証 明書及び推薦書
 ⑧健康診断書(事務局 に所定の用紙があります)
2.提出先
 日本福音ルーテル教会 常議員会長 立山忠浩 宛
3.提出期限(期限厳守)
 2017年9月15日  (金)午後5時までに教 会事務局へ提出すること
4.試験日及び試験内容
 志願者本人に直接連絡 します。

※「宗教改革500年に向けてルターの意義を改めて考える」は都合により休載します。

青年バイブルキャンプへのお誘い

TNG委員会ユース部門      竹田大地

 TNGユース部門では、数年前から毎年夏にバイブルキャンプを開催しています。今年は、8月14日(月)から16日(水)に日本ルーテル神学校を会場に開催します。宗教改革500年という機会が与えられていますので、「『キリスト者の自由』を読む」をテキストにして、奉仕についてみ言葉から聴き、学んでいきたいと考えています。
 TNG部門では、ルーテルこどもキャンプ、春の全国ティーンズキャンプが、次世代育成の大切な働きとして続けられています。小学5年生から高校3年生までの子どもたちに向けて聖書に則ったプログラムを実施し、当該キャンプに参加したことによって、洗礼、堅信に導かれ、また牧師として召された子どもたちや青年たちがいます。継続的な働きが、神様からの賜物を豊かに顕してくださっているということをTNGに属する者として感じていますし、大きな喜びが与えられています。
 しかしながら、TNGの最終段階であるユース部門には、長年そのような継続的なプログラムはありませんでした。そこで問題となったのは、ティーンズキャンプまで参加し卒業した子どもたちのフォローができずに教会と青年を結びつける働きが不十分であることです。この反省を踏まえてバイブルキャンプは、春のティーンズキャンプ卒業生のフォローアップをする企画として考案されました。またそれだけに留まるのではなく、青年たち自身がキリスト者として成長することを目標としました。
 そのために聖書に親しみ、神様のみ言葉に聴く働き人として歩む喜びを感じてもらえるようにプログラムを考えています。それだけでなく信仰の友との再会、出会いを大切にしています。
 また今回は、日本福音ルーテル教会の宣教の歴史の中で、教会が主体、母体となって立ち上げられた施設などを知る機会ともしたいと考えています。
 皆様の教会にいらっしゃる青年たちをお誘いくださり、当キャンプに遣わしてくださいますようお願いします。

ディアコニア・キャンプのご案内

 東教区が主催するディアコニア・キャンプに参加しませんか。障がいのある教会の仲間と夏を過ごします。昨年参加した東谷清貴神学生の感想と共に、ご案内します。
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 重度の障がいのあるメンバーの方と寝食を共にし、介助をすること自体初めてのことで、何かと戸惑ってばかりでしたが、貴重な経験をさせていただいたと思っています。
 私の役割は、主に車椅子での移動や食事のときの介助でした。しかし車椅子から別の椅子へ移動する際、メンバーの方をどのように抱えたら良いのか、というところで早速立ち止まりました。子どもとは違って、大人の方を抱きかかえるわけですから当然のことかもしれませんが、実際に抱えたとき、こんなにも重くて力が要るのかと驚きました。万が一のことがあっては大変だと思うと、緊張を覚えて固くなってしまいました。
 何か心の中に壁ができて、相手の方とどう接していいのか、わからなくなってしまったのだと思います。医師でもあるキャンプ長や介護施設で働いている方からのご指導を仰ぎながら懸命に抱きかかえましたが、ぎこちない動きを繰り返すばかりで、なかなかうまくいきません。相手の方に苦痛を与えているのではないかと思うと辛くなりました。
 しかし、スプーンを使って食事の介助をしたり、食後にその方が好きな塗り絵をしたりするうちに、言葉でのコミュニケーションが図れなくても、その方の気持ちがわかってくるようになりまえていくと、体重を私に預けてくれるようになり、私もしっかりと受け止めて抱きかかえることができるようになりました。体力は限界でしたが、ディアコニア・キャンプの中で与えられた恵みの時だったと感謝しています。     (東谷清貴)

第4回東所沢ディアコ ニア・キャンプキャンパー募集

【日程】2017年8月11日(金)~13日(日)
【場所】埼玉県所沢市東所沢2 46 12(民家)
【参加資格及び募集人数】キリスト教会員または求道者で16才(高校生)以上の方6名
【費用】3000円(参加者の教会で補助していただければ幸いです)
【チャプレン】小勝奈保子(聖パウロ教会牧師)
【キャンプ責任者】原田積夫(保谷教会会員)
【申込締切】8月6日
【申込・問合せ】 電話または郵便にて以下へ
原田積夫 電話04(2945)8769(夜間18時~22時のみ)
〒359 0021 
所沢市東所沢3 9
*申込時に氏名、住所、電話、年齢、所属教会をお伝えください。
 

春の全国ティーンズ キャンプ2018 スタッフ募集

 来年の春の全国ティーンズキャンプ(春キャン)は、2018年3月27~29日に、兵庫県神戸市にある「神戸市立自然の家」にて開催します。
 春キャンの2泊3日を参加者と一緒に過ごしてくださるスタッフを募集します。

【募集スタッフ】
リーダー、オーディオ、マネジメント、賛美です。
[リーダー]ティーンズに心を配り、対話し、信仰的に導きます。
[オーディオ]キャンプのプログラムを支えるスライドの作成や機材管理をします。 パソコンが使える人、カメラが得意な人、編集に興味のある人など。
[マネジメント]キャンプの運営に関わります。
[賛美]楽器の演奏や歌で、賛美を導きます。

【応募条件】
①前日準備日(3月26日)とキャンプの3日間の全日程に参加できること。
②リーダーへの応募者は、20歳以上の受洗者であること。(幼児洗礼の場合は堅信者)

【申し込み方法】
左記①~⑥についてすべて記入し、メールで申し込んでください。(応募の結果により、人数や予算の関係でご要望に添えない場合もあります。どうぞご了承ください。)
①名前、教会名、応募について承諾を受けた牧師の名前。
②受洗日、堅信日。(未受洗者は未受洗と書く)
③右記のスタッフ役割の中から希望する役割。
④現在、月に何回ぐらい教会の礼拝に参加していますか。
⑤ルターやルーテル教会について知っていることを一つか二つ書いてください。
⑥教会に通っていてよかった、また嫌だった(通っていなければよかった)ということを、その理由も一緒に教えてください。それらの出来事が、あなたと神さま・家族・友だち・教会の人たちとの関係に、どのような影響を与えたかということにも触れて書いてください。

【申し込み先】harukyan.moushikomi@gmail.com
(担当・永吉穂高)

【締め切り】
2017年8月31日必着

【注意事項】
なお、キャンパーへの影響を考え、キャンプ中や引率時の喫煙は控えてください。

日本福音ルーテル教会宣教室TNG委員会ティーンズ部門

17-06-17説教「対話と協働をもたらす力」

 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、〝霊〟が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」 (使徒言行録2・1〜11)

 使徒言行録2章に描かれる聖霊降臨は、教会の誕生の出来事と呼ばれることも少なくありません。主イエスが弟子たちを地上に残して天へと昇られた後、聖霊を受けた弟子達は、イエスが救い主キリストであることを世に宣べ伝えてゆくこととなります。

 しかしそれは客観的に考えるならば大変奇妙な展開であったと言わざるを得ないのではないでしょうか。なぜならば、彼らが宣べ伝えるイエスとは、仲間から見捨てられ処刑された世の中の敗北者でしかなかったからです。そしてこの弟子たちこそ、都を目指してイエスとやって来たものの、自分たちの期待通りにはならなかったイエスを見捨てた者たちでした。そればかりではなく、この後、都で始まった最初の教会は、まもなくして追い散らされてしまうのです。一体なぜ、生まれたばかりの教会は消滅してしまうことなく、その後も生き残り、広がり続けることが出来たのでしょうか。

 使徒言行録2章では、弟子たちの上に「炎のような舌」が現れ、一人一人の上にとどまると、聖霊に満たされ、口々に「ほかの国々の言葉」を話し始めます。原文では「舌」と「言葉」は同じ語が用いられていることから、この炎が弟子たちに様々な国の言葉で語らせる力だったということを、この物語は伝えています。9〜11節では、ユダヤの周辺の国々から、そしてさらにはローマからもやって来た者達までもが、その言葉を聞き驚いたことが語られています。

 言葉が通じないこと、それは相互に信頼を築くことを阻み、人と人とを分断する見えない壁の最たるものでありました。しかし見えない神の力である聖霊に満たされた弟子たちは、その見えない壁を乗り越えるのです。そしてまたそのために、全ての人が皆同じ一つの言葉を話すようになったのではなく、弟子たちが様々な国の言葉で語り始めたということはとても興味深い点であるように思うのです。

 聖霊を与えられた弟子たちは、見た目の上ではばらばらに語り始めます。それを内向きの視点で見るならば、分裂であり、調和が失われた状態であるように受け取られるかもしれません。けれども聖霊に満たされた彼らは、部屋の中には留まらず、外へ新しい世界へと押し出されてゆくのです。弟子たちが様々な国の言葉をが都において話し始めた時、内へ内へと向かっていた弟子たちは、外なる世界へと開かれることになるのです。そしてこれまで出会ったことのない人々と福音を分かち合うこと、社会の周縁へと追いやられた人々と喜びを分かち合うことへと押し出され、部屋の中から踏み出してゆくのです。それはまさに弟子たちの集団にとって決定的な転換点であり、教会の出発点となったのでした。 

 分裂のようにすら見えた様々な言葉を語る弟子たちの姿は、実は新しい命に生きる共同体が生まれたこと、そこから新しい時代が始まったことを表すものとなったのでした。この新しい共同体はやがてエルサレムから散らされてゆくことになります。しかし新しい命へと押し出された彼らは、散らされた先でまた福音の喜びを分かち合うために共に働くこととなるのでした。

 かつて弟子たちが新しい命へと押し出されて新しい時代が始まったことによって、今私たちの教会があります。かつて弟子たちに新しい命を与えた力は、今を生きる私たちをもまた、新しい時代、新しい命を生きさせる力でもあります。それは壁を乗り越え喜びを分かち合い、多様なあり方を通して共に働くことが出来る、まだ誰も知らない道へと私たちを導く力なのです。

 ルターの宗教改革から500年となる今、分断され傷けられた世界の中で共に働くために、教会の対話と協働とが大きな主題となっています。それはまだ誰も体験したことのない、新しい挑戦です。けれども、弟子たちを満たした聖霊によって今も私たちキリストの教会は支え導かれているのです。だからこそ今、対話と協働を作り出す、新しい時代へと歩みだしてゆきたいと思います。

日本福音ルーテル三鷹教会 牧師  李 明生

17-06-01るうてる 2017年6月号

説教「対話と協働をもたらす力」

機関紙PDF

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」 (使徒言行録2・1~11)

使徒言行録2章に描かれる聖霊降臨は、教会の誕生の出来事と呼ばれることも少なくありません。主イエスが弟子たちを地上に残して天へと昇られた後、聖霊を受けた弟子達は、イエスが救い主キリストであることを世に宣べ伝えてゆくこととなります。しかしそれは客観的に考えるならば大変奇妙な展開であったと言わざるを得ないのではないでしょうか。なぜならば、彼らが宣べ伝えるイエスとは、仲間から見捨てられ処刑された世の中の敗北者でしかなかったからです。そしてこの弟子たちこそ、都を目指してイエスとやって来たものの、自分たちの期待通りにはならなかったイエスを見捨てた者たちでした。そればかりではなく、この後、都で始まった最初の教会は、まもなくして追い散らされてしまうのです。一体なぜ、生まれたばかりの教会は消滅してしまうことなく、その後も生き残り、広がり続けることが出来たのでしょうか。
 使徒言行録2章では、弟子たちの上に「炎のような舌」が現れ、一人一人の上にとどまると、聖霊に満たされ、口々に「ほかの国々の言葉」を話し始めます。原文では「舌」と「言葉」は同じ語が用いられていることから、この炎が弟子たちに様々な国の言葉で語らせる力だったということを、この物語は伝えています。9~11節では、ユダヤの周辺の国々から、そしてさらにはローマからもやって来た者達までもが、その言葉を聞き驚いたことが語られています。
 言葉が通じないこと、それは相互に信頼を築くことを阻み、人と人とを分断する見えない壁の最たるものでありました。しかし見えない神の力である聖霊に満たされた弟子たちは、その見えない壁を乗り越えるのです。そしてまたそのために、全ての人が皆同じ一つの言葉を話すようになったのではなく、弟子たちが様々な国の言葉で語り始めたということはとても興味深い点であるように思うのです。
 聖霊を与えられた弟子たちは、見た目の上ではばらばらに語り始めます。それを内向きの視点で見るならば、分裂であり、調和が失われた状態であるように受け取られるかもしれません。けれども聖霊に満たされた彼らは、部屋の中には留まらず、外へ新しい世界へと押し出されてゆくのです。弟子たちが様々な国の言葉をが都において話し始めた時、内へ内へと向かっていた弟子たちは、外なる世界へと開かれることになるのです。そしてこれまで出会ったことのない人々と福音を分かち合うこと、社会の周縁へと追いやられた人々と喜びを分かち合うことへと押し出され、部屋の中から踏み出してゆくのです。それはまさに弟子たちの集団にとって決定的な転換点であり、教会の出発点となったのでした。 
 分裂のようにすら見えた様々な言葉を語る弟子たちの姿は、実は新しい命に生きる共同体が生まれたこと、そこから新しい時代が始まったことを表すものとなったのでした。この新しい共同体はやがてエルサレムから散らされてゆくことになります。しかし新しい命へと押し出された彼らは、散らされた先でまた福音の喜びを分かち合うために共に働くこととなるのでした。
 かつて弟子たちが新しい命へと押し出されて新しい時代が始まったことによって、今私たちの教会があります。かつて弟子たちに新しい命を与えた力は、今を生きる私たちをもまた、新しい時代、新しい命を生きさせる力でもあります。それは壁を乗り越え喜びを分かち合い、多様なあり方を通して共に働くことが出来る、まだ誰も知らない道へと私たちを導く力なのです。
 ルターの宗教改革から500年となる今、分断され傷けられた世界の中で共に働くために、教会の対話と協働とが大きな主題となっています。それはまだ誰も体験したことのない、新しい挑戦です。けれども、弟子たちを満たした聖霊によって今も私たちキリストの教会は支え導かれているのです。だからこそ今、対話と協働を作り出す、新しい時代へと歩みだしてゆきたいと思います。
日本福音ルーテル三鷹教会 牧師  李 明生

連載コラムenchu

15【 identity 】

 主イエスが十字架で処刑されたとき、罪状書きには「ユダヤ人の王」と記されていました(マルコ15・26)。これは、主イエスが政治犯として処刑されたことを意味しています。なぜなら、それがユダヤの地を支配していたローマ帝国に対する敵対者であることを意味するからです。しかし、ローマ帝国の提督ピラトが、「(彼は)いったいどんな悪事を働いたというのか」(マルコ15・14)と言っているように、宗主国はそう考えてはいませんでした。また主イエス自身、「それは、あなたが言っていることです」(マルコ15・2)と尋問に答えているように、「ユダヤ人の王」を自称し、国民的統合を目指したのでもありません。
 主イエスを、政治犯として宗主国に引き渡し、国民的統合を阻害した者と断罪したのは、当時のユダヤの地において社会的利益を享受していた支配層と受益機会から疎外されていた弱者層の人たち、つまり同胞の人たちだったのです。本来、利害が一致しない支配層と弱者層が、犯人を名指し「十字架につけろ」と憎悪を梃子(てこ)に強く結びついたのです。
 私たちは現在、これと同じ構造を目の当たりにしています。生活保護受給者、在日韓国・朝鮮人、沖縄基地問題や原発問題を訴える人たちへ向けられる憎悪を梃子にしたナショナリズム、他者を「反日」と攻撃するヘイトスピーチとして。また現在審議中の「共謀罪」法案は、それらにお墨付きを与えるものになるのではないでしょうか。これからの伝道は、憎悪を燃料に共同体への帰属感を抱く人たちに対して、「おのおのの必要に応じて、皆が分け合う」(使徒2・45)共同体へ帰属することの喜びを伝えていくことなのかもしれません。
岩切雄太(門司教会、 八幡教会、 佐賀教 会、小城教会牧師)

 

議長室から

 

「足元のエキュメニカルから」 総会議長 立山忠浩

 先月、日本ルーテル教団(NRK)の宗教改革500年を祝う祝典に招かれました。記念事業の一環として、聖書通読運動、『現代に語りかけるルター』などの出版事業、神学生や皆の祈りの場として新築されるルターハウスのことが紹介され、たくさんの刺激を受けました。
 私たちの教会は500年事業として、他教派との共同プログラムを企画しています。その一つが11月23日に長崎で開催されるカトリック教会との共同記念礼拝とシンポジウムです。これは世界ルーテル連盟とカトリック教会の世界的なエキュメニカル(教会一致促進運動)の流れを汲んだもので、視野を大きく広げた企画と言えるでしょう。
 ところが、私たちの視野はまだまだ狭いことを改めて教えられることがありました。カトリックの教皇がエジプトのカイロを訪問したとの報道を目にしたからです。そこでは、イスラム教の指導者たちと宗教間の対話を求めて会談をする姿が映し出されていました。キリスト教会内の対話や一致のみを視野に置くのではなく、イスラム教など他宗教との対話を実践しているのです。また日本のカトリック教会の中にも、仏教などとの対話を地道に積み上げて来た歴史を見ることができます。
 カトリック教会に比べると私たちの教会は小さな組織ですが、宗教改革500年の歴史を継承する私たちの視野も、本来大きいものでなければならないと感じています。私たちの基盤である聖書が、限りない大きな視野を提示しているからです。
 ただここで、あまりにも現実離れした大きな視野を持つべきだと言いたいのでありません。目標までは遠くとも、今の足元の歩みを大切にしながら、一歩一歩進むことが重要なのです。その一つが同じ「ルーテル」という名を冠する教会とのエキュメニカルの実践です。
 NRKとは共にルーテル学院大学・神学校を支援して来ましたし、北海道には合同のプログラムがあり、11月には東教区との500年記念の合同礼拝が行われます。それだけでなく、近畿福音ルーテル教会と西日本福音ルーテル教会とも7月に、西教区との合同礼拝が企画されています。『聖書日課』は4ルーテル教会・教団に留まらず、さらに広がりをもったエキュメニカルな活動です。
 500年事業を通して、足元のルーテル派内での共同の業がさらに促進され、より広い視野に向かう一歩が踏み出せるなら幸いなことでしょう。

「いわき食品放射能計測所」の現在の働き

 明石義信(いわき食品放射能計測所所長・ 日本基督教団常磐教会牧師)

 「いわき食品放射能計測所」は2012年5月に、東北ヘルプの食品放射能計測所として、いわき市小名浜に事務所を借りスタートしました。そこから、業務の内容(測定や談話の場の提供など)や経済的理由から2013年7月より白水のぞみ保育園(いわき市内郷白水町)に移り、次に現在の日本基督教団常磐教会(いわき市内郷綴町)に移ったのが2014年の3月のことです。
 現在の計測所の活動は、時間の経過と共に取り残された危険をいかに見つけ
出し除染するかという働きです。ごく最近では、九州での放射能に危機感を持
つ母親たちと、同じ機材を用いた計測値の比較と変化をいち早くとらえるシス
テムづくりに力を注いでいます。
 また放射能計測の必要性は食品の放射性物質含有量への不安に対応するということから、新しく家を建てた生活環境の土の計測による不安の払拭、被災移住者の帰還準備に当たって除染後の自宅の細かな部分に対する「空間線量」、「土壌汚染計測」、「流水環境の確認」などの要請が増加してきています。このことについては既存の計器では対応に困難をきたす事態も出てきています。依頼品の土壌の線量があまりに高い数値を示した場合、そのサンプルの移動や取扱い、検査後の廃棄に関しての制約が大きくなるという点です。
 計測所が併設されている、常磐教会の集会室・会堂を用いた被災者受け入れのプログラムも盛んに行われています。主なものは、双葉町からいわき市に移住してきている「いわきまごころ双葉会」という140世帯ぐらいが参加するヨガや裁縫料理教室などが行われる月2回のグループです。この方々を対象として呼びかけられるコンサートも1年に2~3回は開催されるようになりました。
 これらの活動が定着してきた要因は、教会に駐車スペースがある程度確保出来る点と木造の建物が、ふるさとの生活環境を想像させ落ち着くという要素に加えて、教会員など同じ人が対応するという安定感にあるのではないかと考えます。このような、時間の制約を気にせず、ゆったりと過ごせる集合施設は少なく、ニーズがあるものと想定していました。
 また、いわき市に居住する母親たちの「初期被爆や低線量下での生活に不安を覚える人々と連帯する」活動にも活動の場を提供し、また、対話を始めています。震災から6年が経過し、活動に参加する母親達、避難者達の活動も、関心を示して支える人々が激減しています。その中で、活動の維持が困難になっているグループもたくさん出てきています。
 被災地における「絆」を作り出す場としての働きも、あと何年ぐらい必要とされるか分かりませんが、区切りを定めた活動目測と同時に、区切りを定めない、安心できる場所の提供が必要となってきております。
 このような実情についてご配慮くださり、継続してご支援いただけますと感謝です。※東教区プロジェクト3・11では、いわき食品放射能計測所の活動を支援しています。

ポスター展「#HereIstand我ここに立つ―マルティン・ルター、宗教改革とそれがもたらしたもの」 を活用しませんか

宗教改革500年の時にルターと宗教改革の意義や価値を学ぶと同時に、ルターを英雄視せず、宗教改革は「信仰の異なる者を排除、迫害、殺害していった傷つけ合いの歴史でもある」(ポスター本文より)ことを振り返ることは、ここから平和への道を紡ぎ出していくために必要なことであろうと思います。
 またこれまであまり注目されることがなかった女性たちの活躍など、宗教改革がもたらした社会的意義を確認することも意味あることでしょう。
 ドイツのハレ州立先史博物館が中心となり作成された30枚のポスターセットは、そのために役立つものであり、芸術性の高いものでもあります。すでにドイツ国内で展示会が開催され、またアメリカにおいても展開されています。ドイツ外務省は世界各地に分かち合うことにも取り組んでおり、この程、ロシア語、フランス語、スペイン語、ポーランド語、そして日本語と複数の言語での版も作成されました。
 日本ではドイツ大使館・領事館が窓口となり、美術館や博物館、図書館などでの展示会を開いています。加えてこのポスター展は、それぞれの教会や施設・学校、地域の交流スペースなどでも開催することが可能です。
http://here-i-stand.com/en/order で表示されるホームページの下の部分の「OTHER LANGUAGES」というコーナーからデータをダウンロードすることができます。
大きなサイズのデータであるため、ダウンロードに少し時間がかかりますが、
これをプリントしてそのまま壁に貼り付ける、またパネルに貼って掲示するという形で展示ができます。各地で行うことのできる宗教改革500年記念の学びや展示の機会であり、また伝道活動ともなることでしょう。展示会を開催される折には、期間と場所などをお知らせください。広報室よりドイツ大使館に実施事例として連絡します。
 また、大使館・領事館へ大型パネル(A1サイズ)の貸出を依頼するという形を取ることも不可能ではありません。九州教区では、10月に予定されている記念礼拝時に会場となる学校での展示のために貸出を受ける調整がなされているようです。
 5月14日に本郷教会で行われた「おいしいじかんフェスタ」の際には礼拝堂にてA3サイズのパネルを並べての展示会が行われました。

宗教改革500年に向けてルターの意義を改めて考える 61

ルター研究所所長 鈴木浩

「聖書(によって)のみ」(sola scriptura/ソラ・スクリプトゥーラ)という言葉によって、ルターは何を言いたかったのであろうか。
 第1には、教会における究極的な権威は、「神の言葉」つまり聖書にある、ということであった。ルターが聖書を手にしたのは、修道院に入ってからのことであった。それまでは、教会で何かの折に聖書を見たことはあったかもしれないが、それを手にとってじっくり読む機会は、事実上、なかったのである。
 中世カトリック教会は、信徒が聖書を読むことに極めて抑制的であった。「個人的で、勝手な解釈」をされることを極度に恐れたからである。聖書の究極的解釈者は、「教導職」つまり教皇であった。だから聖書は、事実上、「閉ざされた書物」であった。
 ルターは「神の言葉の神学者」であった。「神の言葉」とは端的に聖書のことであった。当時、聖書と言えば、ラテン語訳聖書(ウルガータ)のことであった。
 当時のヨーロッパでは、知識人は総じてラテン語を読み書きすることができた。江戸時代の日本の知識人が漢文を読み書きできたのと同じことである。しかし、一般の人はそうではなかった。
 だから、ルターはまず新約聖書をドイツ語に翻訳し、その後、協力者たちの支援も受けて、旧約聖書のドイツ語訳も完成させたのである。「閉じられていた文書」であった聖書を「開かれた文書」にするためであった。
 ルターのドイツ語訳聖書は、当時はいくつもの方言に分かれていたドイツ語の標準化にも役立ったと言われている。英語の標準化に貢献したと言われている「欽定訳」(KJV、1611年)と同じような役割をルター訳ドイツ語聖書も果たしたのだった。

ルーテル世界連盟 総会を開催

 2017年5月10~16日に、ルーテル世界連盟(LWF)は、アフリカ南部のナミビア共和国の首都ウィントフックにて第12回総会を開催しました。世界98カ国、145の加盟教会からの代表が集い、若者や女性たちのためのプレ集会に始まり、「神の恵みによる解放」をテーマに「創造・救い・人間」は神の恵みであってお金では買えない (原題では「not for sale」売り物ではない)ことを確認し、環境や人権、貧困など世界的な課題の解決への歩みを共にしていく決意へと導かれました。
 主日となった5月14日には、宗教改革500年記念礼拝がスタジアムにて行われ、数千人が集いました。
 新たな議長として、ムーサ・フィリバス牧師(ナイジェリア キリスト ルーテル教会大監督)が選出されました。
 JELCより立山総会議長、浅野世界宣教主事が参加しました。詳細の報告は次号に掲載します。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より
今を生かされて

伊藤早奈

〈祈り〉神様。こうあるべき・こうしたいと理想を描く時、私たちはいつしか完璧を求め、人や自分に厳しい目を向けたりします。できない人や自分を否定してしまうこともあります。私を含め、どの命も大切な存在です。あなたに愛され生かされている今を、いつも神様あなたに心を向けて感謝できますように。
この祈りを主イエス・キリストのお名前を通してみ前に献げます。アーメン。
 ・・・・・・・・・・・・・・・
「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6・34)
 私はこの仕事を始めた頃、何年仕事が続けられるのか、とても不安でした。それまでの仕事を辞めて勉強し、牧師として教会に再就職して、普通でしたら前途洋々かもしれません。しかし、私にとっては自分の病気が現代の医学では治す方法がないとされている進行性の難病であることがわかってからの学びと就職であったので「できて2、3年かなぁ」という気持ちでした。
 ある会議の会場でのことでした。二人の牧師が自分たちの定年後の生活について話しておられるのを聞きました。お二人の話を伺いながら、何十年後かの定年後の話ができるお二人がとても羨ましかったのを覚えています。数年後、定年をお迎えになることなく、お二人はそれぞれの時に天に召されました。そして当時「2、3年働ければいい」と思っていた私は牧師になって15年目を過ごしています。
 神さまから静かに語りかけられているように思います。「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」と。
 誰が私たちに命を与えてくださっているのでしょうか。誰が一人ひとりに時を与えているのでしょうか。
 全ての人が神様から命を与えられています。神様があなたにかけがえのない一瞬一瞬を与えてくださっています。かけがえのないあなたという存在が今、生かされているのです。

ルーテルこどもキャンプへのお誘い

中島結実枝(恵み野教会)

 今回で19回目を迎えるルーテルこどもキャンプ。小学5、6年生のこどもたちを対象に〈平和について学ぶキャンプ〉と〈世界の国々について学ぶキャンプ〉が交互に行われています。
昨年は広島で平和について学びました。そして、今年のテーマはもちろん!宗教改革から500年ということでルターのふるさと【ドイツ】です。それにちなんでキャンプのタイトルも『君に届け、神さまの愛!~ルターからの贈り物~ルターってどいつだ?』に決定しました。
 ドイツと聞いてまず浮かぶものといえば何でしょう?(「ビール」と答えたそこのあなたは正真正銘のルター派です! ルターさんもビール好きとして有名ですからね。)
 今回こどもたちと学ぶのは、ドイツという国についてはもちろんですが、宗教改革者ルターが伝えたかったこと、現代を生きている私たちに遺したものは何かということです。「知らなかったけど実はこれってルターが広めたことだったんだ」という新しい発見がきっとあるはず。
 もし「誰も知っている人がいないから不安だな」と参加を迷っているお子さんがいたら「優しいお兄さんやお姉さんがいるし、絶対お友達が出来るから安心して行ってらっしゃい」と背中を押してあげてください。
 また、共にキャンプを支えてくださるスタッフも必要としています。リーダーは18歳からですが、ジュニアリーダーは高校生から応募が出来ます。チャプレンを始め、周りのスタッフの協力もあるので知識や経験が無くても大丈夫です。そしてキャンプを裏方で支えてくださるスタッフも募集しています。
 開催日程は8月8日(火)~10日(木)、場所は東京のルーテル学院大学/日本ルーテル神学校です。全国から集う仲間と一緒にドイツやルターのことを楽しく学びましょう。
 詳しくは、以下のURLから、ご確認ください。
http://urx.blue/DrO0

追悼 キリストの心を心とした働き人

 北尾一郎(定年教師)
 フィンランド・ルーテル福音協会(SLEY)から日本福音ルーテル教会に派遣された宣教師牧師、敬愛するペンティ・カリコスキ先生が、2017年2月6日 、ヘルシンキにおいて 、慕っておられた主の御許に招かれ、天の教会に移籍された。彼の「本国」である。
 多くの人を愛し、多くの人から愛されたペンティはその88年の生涯のうち1955年から1987年までの33年間、北海道、長野県、東京都で同労者と共に主と教会に仕えた。
 ペンティはスオミの人間であることに誇りを持ち、民間外交に大いに貢献した。彼は温かく柔軟な心で日本人と日本文化を愛し、二つの文化の架け橋となった。
 約22年間、大岡山教会のために働き、日本人の伴侶となった多くのフィンランド人女性のために、「スオミセウラ」を組織して相談を受けた。教会内外の人が皆、先生とご伴侶のピルッコさんとお子さんたちに心を開いた。
 葬儀と記念礼拝は、3月11日、ピュハン・シュダンメン(聖心)礼拝堂で行われた。

追憶 ラーソン宣教師

 岡田曠吉(元教師)
 ライル・ラーソン先生と初めてお会いしたのは1965年、私が本郷教会の牧師として着任した時でした。先生は本郷学生センター主事として東大の学生たちや、有力な教授方と英語による交流を毎週していました。それらはただの英会話クラスというよりも、「日本文化と西欧文化の接触と学びあい」というもので、かなり奥深いものでした。
 先生のもう一つの大仕事は現在の本郷教会・学生センターの建設でした。幸いヴォーリス建築設計事務所の尽力を得て現在の建物ができました。 
 完成後まもなく、休暇帰国の間、ミシガン大学院で日本研究をし、学位を取得されます。本郷へ戻られた頃から「学園闘争」が東大医学部から始まり、それは安田講堂攻防と1年間の休講状態で静かになっていくのですが、その間、多くの人がやってきて黙って集会に参加していました。
 1970年、先生は大学講師として帰国するも、翌年再来日して東京教会の宣教師となります。2000年の夏、アメリカに先生を訪ねた折に私が共に働いた日々の自分の至らなさを謝罪すると、「罪の赦しがなければ私たちは共に働くことはできないのです」と言われたことが心に残っています。

ウエンツ先生のこと

 宇野正徳(定年教師)
  エドウィン・ウエンツ先生は、1951年にアメリカ・ルーテル教会(現ELCA)の宣教師として来日し、鹿児島教会の初代の宣教師として派遣され、鹿児島、阿久根両教会の宣教に力を注ぎました。
 終戦から間もない頃、戦争によって傷ついた多くの日本人の魂を救うために、アメリカ及び北欧の各教会から多くの宣教師が派遣され、魂の飢え渇きを覚える人々に福音を届けました。これらの宣教師の影響を受けた人も少なくなく、後の教会形成にとって大きな力となりました。
 ウエンツ先生は、当時の宣教師としてはめずらしく、物静かで優しく教会員と共に宣教を考え、教会を形成していくことを考える先生でした。鹿児島教会から阿久根教会(当時は伝道所)へ移った先生は、阿久根の町に「地の塩、世の光」となる教会を作ろうと教会員と共に祈り続け、その努力が実って市民の目に触れる所に教会堂を建てました。ウエンツ先生の意思を継いだ教会の皆さんは、今もその教会を守り続けています。
 長い間、日本の宣教に仕えた先生のお働きに心から感謝する共に、主のみ許で平安な日々を送られますようお祈りいたします。

2017年宗教改革500年「カトリックとルーテルの共同声明」に学ぶ3

石居基夫(日本ルーテル神学校校長)

【本文から】

●争いから交わりへと変わっていく
 宗教改革によって受けた霊的、また神学的な賜物に深く感謝しながら、わたしたちはまた、ルーテル教会もカトリック教会も教会の目に見える一致を傷つけてきたことをキリストのみ前でざんげし、悲しみます。神学的違いには偏見と争いとが伴いましたし、宗教は政治的な結果に至る手段となりました。イエス・キリストを信じるわたしたちの共通の信仰とわたしたちの洗礼はわたしたちに日毎の悔い改めを求めています。それによってわたしたちは、和解の務めを妨げる歴史的な争いと不一致とを捨て去ることができるのです。過去は変えることができないのですが、何が記憶されるのか、それがどのように記憶されるのかは変えられうることです。わたしたちお互いの見方を曇らせてきた傷と記憶の癒しをわたしたちは祈ります。わたしたちは過去と現在のすべての憎しみと暴力、特に宗教の名によって言い表されてきたそれらを強く斥けます。今日わたしたちはすべての争いを捨てるようにとの神のご命令を聴いています。わたしたちは、神が絶えずわたしたちを召しておられる交わりへと向かうように、恵みによって自由にされていることを確認しています。

【学び】

 宗教改革の歴史を見るというとき、カトリック教会から見る場合とルーテル教会の側から見る場合とでは全く異なるものであったということを考えておかなければならない。ルーテル教会にとっては、宗教改革こそ自らのアイデンティティーを確認する神学的・霊的なルーツであり、福音の「正しい」理解を回復した出来事、カトリック教会側から見れば、それは教会の一致を乱し、多くの人々が「真の」教会から奪い取られていくような出来事として記憶されてきたと言えるだろう。
 しかし、この声明ではカトリック教会もルーテル教会もともに、この出来事を「霊的、また神学的な賜物」をもたらしたと言い、また「教会の目に見える一致を傷つけてきた」と言うのだ。こうしたことを両教会が共に告白できることこそ、長い対話の積み重ねのなかで、宗教改革という出来事を教派の視点というよりも神の教会の歴史のなかに見る視点に開かれて見出すことができた地平を示しているということだろう。
 そして、そういう地平にたって神の前に深く懺悔しなければならない自らの罪をしっかりと見出し、告白することへ導かれているのだと思う。ただ、神の前に打ち砕かれて自らを告白する時にだけ、私たちには未来への確かな歩みをはじめる力を得るのではないだろうか。そして、そういう歩みをする時に、「過去は変えることができないのですが、何が記憶されるのか、それがどのように記憶されるのかは変えられうる」と大胆に語り、新しい歴史への責任を見出していくこととなっている。
 「過去と現在のすべての憎しみと暴力、特に宗教の名によって言い表されてきたそれらを強く斥け」ると宣言する時に、両教会は単に自分たちの過去についてのみ語っているのではなく、「今の世界」への責任を語っているのだ。神のみことばに聞き、神の前に自らをかえりみることが、私たちの今への責任とそこへ生かされる力とを恵みのうちに見出すことへと向かわせるのだ。

連絡先変更のお知らせ

■伊藤文雄牧師(定年教師)
 電話番号
 045(877)5243
■箱田清美牧師(定年教師)
 〒813-0032 
 福岡県福岡市東区土井 3l l
 電話番号
 092(691)1168
■山田浩己牧師
 〒862-0918   熊本県熊本市東区花立 6l  l
…………………………
訂正 本紙5月号1面、「説教『天に昇られる時も』」(内藤新吾牧師)の文中に「月本昭さん」とあるのは、「月本昭男さん」の誤りでした。編集時に脱字してしまいました。お詫びし、訂正します。

 

 

17-05-17説教「天に昇られる時も」

イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き 、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。
(新約聖書ルカによる福音書24・50~51)

主イエスの昇天の出来事を伝えるルカは、主が弟子たちをエルサレムから《ベタニアの辺りまで連れて行き》、《祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた》と記しています。ベタニアはエルサレムの東、約2・7㎞に位置し、オリーブ山の南東斜面にある小さな村です。ご存知、マルタ、マリア、ラザロの村です。主イエスは十字架にかかる前、エルサレムに通うのにここを拠点とされ、連日都に行かれても、わざわざいつもこの村に戻って泊まっておられます。そして昇天の場も、この村入り口辺りです。これは単なる偶然でしょうか。
 死海文書の発見は、都の東方にハンセン病患者を隔離するよう規定があったことを示しました。このベタニアがその隔離村であった可能性は極めて高いです。エルサレムから見て山に隠れる場所であり、マルコ14章にもこの村に《重い皮膚病の人シモンの家》があったことが記されていて、それを裏付けます。主イエスは地上を歩まれた時もそして天に昇られる時も、人々から疎外されまた虐げられている人たちの側にいつも心をおかれ、それを弟子たちに託されたと見ることができるのではないでしょうか。滝澤武人さん(『イエスの現場』世界思想社)や月本昭男さん(『目で見る聖書の時代』日本基督教団出版局)、他にも同じ見方の方々はあり、私もそのように受け止めています。

 すべての人は神に愛されています。しかし、最も助けの必要な人々は誰か。そのことを私たちは思い起こすよう、主イエスから託されています。聖書が隣人について私たちに告げる教えは、一日一善的な優しさではなく、「正義と公平」という言葉にも集約されるように、誰が最も悲惨な状況に追いやられているか。それを解放し、また虐げる悪のくびきを折るようにということが第一となっています。そしてさらに、あなたのパンを裂き与えということも、大切であると示されています(イザヤ58・6、7)。これは主が言われた「地の塩」「世の光」の教えおよび順序とも符号します。

 ルター先生の時代、神が私たちにくださった救いの真理が歪められてはならないということが、何よりも再確認されなければならない重要な事柄でした。しかしそれはもはや解決されています。今や、神の救いの恵みに捕えられ、その愛に押し出されて、私たちは隣人に仕えていくということが、共に声かけ合い大事な時代となっています。

 パンを必要としている人は隣人であり、追いはぎに襲われて倒れている人も隣人です。どちらも助けが必要です。しかし、人によって苦しみを与えられるほど辛いものはなく、さらに、苦しみを与える側が大きな権力であったりする場合、受ける者の苦痛は何重もの悲しみや孤独も加わり絶望的となります。神様からも人々からも教会の関わりが待たれるなか、最も手薄となっている領域です。たぶん反発を恐れてでしょうが、経費と共に、個人で負うには大変です。私が出会ったのは原発廃止を訴える立地住民や被曝労働者の声でしたが、震災後さらに新たな様相を増しています。苦しめられている人々との連帯が求められます。他にもいくつも同様な課題がありますが、深刻度と緊急度を考えることが必要でしょう。

 私たちの教会は、社会的な問題には無色透明であろうとする傾向があります。しかしそれはルター先生の願ったこととは違うと思います。ドイツの教会が第二次大戦後、その反省と検証をしました。隣人のため、社会をよりよくしようと努めていくことは、ルター先生も説く聖書の教えです。

 人間の世界で、絶対なものはありません。何がより望ましいことか、時代や状況によって選ぶ答えが違うこともあるでしょう。白黒つかないものも多いです。でもそれを、能動的に選んでいくことが私たちに許され、またその責任が問われています。現代のベタニア、主イエスが最も心をおかれている方々に、私たちも寄り添って歩んでいけるよう、祈っていきましょう。

日本福音ルーテル稔台教会、津田沼教会 牧師 内藤新吾

17-05-01るうてる2017年5月号

説教「天に昇られる時も」

機関紙PDF

日本福音ルーテル稔台教会、津田沼教会 牧師 内藤新吾

イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き 、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。(新約聖書ルカによる福音書24・50~51)

 主イエスの昇天の出来事を伝えるルカは、主が弟子たちをエルサレムから《ベタニアの辺りまで連れて行き》、《祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた》と記しています。ベタニアはエルサレムの東、約2・7kmに位置し、オリーブ山の南東斜面にある小さな村です。ご存知、マルタ、マリア、ラザロの村です。主イエスは十字架にかかる前、エルサレムに通うのにここを拠点とされ、連日都に行かれても、わざわざいつもこの村に戻って泊まっておられます。そして昇天の場も、この村入り口辺りです。これは単なる偶然でしょうか。
 死海文書の発見は、都の東方にハンセン病患者を隔離するよう規定があったことを示しました。このベタニアがその隔離村であった可能性は極めて高いです。エルサレムから見て山に隠れる場所であり、マルコ14章にもこの村に《重い皮膚病の人シモンの家》があったことが記されていて、それを裏付けます。主イエスは地上を歩まれた時もそして天に昇られる時も、人々から疎外されまた虐げられている人たちの側にいつも心をおかれ、それを弟子たちに託されたと見ることができるのではないでしょうか。滝澤武人さん(『イエスの現場』世界思想社)や月本昭男さん(『目で見る聖書の時代』日本基督教団出版局)、他にも同じ見方の方々はあり、私もそのように受け止めています。

 すべての人は神に愛されています。しかし、最も助けの必要な人々は誰か。そのことを私たちは思い起こすよう、主イエスから託されています。聖書が隣人について私たちに告げる教えは、一日一善的な優しさではなく、「正義と公平」という言葉にも集約されるように、誰が最も悲惨な状況に追いやられているか。それを解放し、また虐げる悪のくびきを折るようにということが第一となっています。そしてさらに、あなたのパンを裂き与えということも、大切であると示されています(イザヤ58・6、7)。これは主が言われた「地の塩」「世の光」の教えおよび順序とも符号します。

 ルター先生の時代、神が私たちにくださった救いの真理が歪められてはならないということが、何よりも再確認されなければならない重要な事柄でした。しかしそれはもはや解決されています。今や、神の救いの恵みに捕えられ、その愛に押し出されて、私たちは隣人に仕えていくということが、共に声かけ合い大事な時代となっています。

 パンを必要としている人は隣人であり、追いはぎに襲われて倒れている人も隣人です。どちらも助けが必要です。しかし、人によって苦しみを与えられるほど辛いものはなく、さらに、苦しみを与える側が大きな権力であったりする場合、受ける者の苦痛は何重もの悲しみや孤独も加わり絶望的となります。神様からも人々からも教会の関わりが待たれるなか、最も手薄となっている領域です。たぶん反発を恐れてでしょうが、経費と共に、個人で負うには大変です。私が出会ったのは原発廃止を訴える立地住民や被曝労働者の声でしたが、震災後さらに新たな様相を増しています。苦しめられている人々との連帯が求められます。他にもいくつも同様な課題がありますが、深刻度と緊急度を考えることが必要でしょう。

 私たちの教会は、社会的な問題には無色透明であろうとする傾向があります。しかしそれはルター先生の願ったこととは違うと思います。ドイツの教会が第二次大戦後、その反省と検証をしました。隣人のため、社会をよりよくしようと努めていくことは、ルター先生も説く聖書の教えです。

 人間の世界で、絶対なものはありません。何がより望ましいことか、時代や状況によって選ぶ答えが違うこともあるでしょう。白黒つかないものも多いです。でもそれを、能動的に選んでいくことが私たちに許され、またその責任が問われています。現代のベタニア、主イエスが最も心をおかれている方々に、私たちも寄り添って歩んでいけるよう、祈っていきましょう。

連載コラム enchu

14[What Is2+2?]

 ジョージ・オーウェルの『1984年』という小説は、近未来の全体主義国家の恐怖を描いたものです。この小説の主人公は、国家の発表が常に正しくなるように様々な記録(報道や歴史)の改竄を行う真理省で働くウィンストン・スミス。改竄された記録(報道や歴史)は間違った記録(報道や歴史)ですが、ほぼすべての行動を当局によって監視されている国民は、それらを正しいもの(真理)だと信じる思考を植え付けられていきます。またこの国家は、国民の思考を単純化し、国民が国家に反対する思想を持つことがないように、語彙の数を減らした新しい言語(ニュースピーク)を作り支配を盤石なものにするのです。もちろんこれは小説上の架空社会のお話です。
 しかし、今この小説を読むとき、背筋に冷たいものが走る感覚を覚えます。というのも、弁護士の渡辺輝人さんが昨今の日本の状況を簡潔にツイート(つぶやき)しているのですが、…「首相が国会で虚偽答弁をし行政が説明責任を負っている資料を破棄したと強弁。一方で学生には道徳を教えるという。そして、歴史学の発展は拒絶し、銃剣道なる旧日本軍へのノスタルジー満載のものを体育でやらす」…、私たちの社会が『1984年』的社会に近づきつつあるのではないかと思えるからです。
 「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの家の見張りとする。わたしの口から言葉を聞くなら、あなたはわたしに代わって彼らに警告せねばならない」(エゼキエル3・17)。「イエス」は不道徳だから「家巣」とせよ、となる前に…。
( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会、小城教会牧師)  岩切雄太

議長室から

 

「空気に流されることなく」総会議長 立山忠浩

 最近「教育勅語」という言葉を耳にすることがあります。戦前は用いられていたという死語かと思っていましたが、そうではないことが分かって来ました。この春に新設して出発することを目指していた小学校では、「教育勅語」を毎日唱える予定だったとのことでした。
 過去の歴史への反省から国会でも排斥されたはずの勅語が生きていることにも驚きましたが、もっと衝撃を受けたのは、現政権を担っている主だった面々が「教育勅語」の活用を非難するどころか、むしろ擁護するような発言をしていることでした。家族愛や公共に尽くすことの教えなどは、評価すべきではないかという見解があるようです。
 私自身が「教育勅語」なるものの内容を正確につかんでいませんので、良い機会と思い調べてみました。確かに断片的には、現代人がもっと大切にすべきではないかと思える教えが散見されることが分かりました。ただ、多くの識者が指摘しているように、根源的な問題が「教育勅語」には存在することも確認したのです。独特の皇室観を精神的支柱にしていること、過去の戦争へと邁進した原因がこの勅語にあることはどうしても否定できないのです。
 「この教えの一部は評価すべきではないか」という部分的な肯定論であったとしても、このような社会的な風潮に対しては警戒しなければなりません。暗雲が垂れ込めているような空気に押し流されることなく、その流れに抗し、自分自身が立つべき教えをしっかりと据えていなければならないと思います。「教育勅語」に限らず、諸思想や意見が渦巻く現代社会においては、自分自身の拠り所とする基盤を見失ってはいけないのです。
 もし、「教育勅語には今見失われている家族愛の教えがあるではないか」と強弁する声があるとすれば、私たちはそのためにわざわざ「教育勅語」を持ち出す必要はないのです。十戒があり、その十戒を実に適切に解説したマルティン・ルターの『エンキリディオン 小教理問答』があり、何にも増して主イエスの愛の教えがあるからです。
 ここから私たちの立つべき基盤に改めて気づかされるのです。家族愛はもちろん大切なものです。でもそれを強調し過ぎるときに生じる陰の部分も聖書は教えているのです。家族愛に留まらない愛の教え、そこに立ち続けるのです。

2012年に出版された『マルティン・ルター ―ことばに生きた改革者』(徳善義和著/岩波新書/宗教改革500年推奨図書)がフィンランドにて出版されました。翻訳の労を取られた引退教師のビリピ・ソベリ牧師よりの寄稿です。

「日本人のルター」

  ビリピ・ソベリ(引退牧師)

 2015年の秋、フィンランドルーテル福音協会(SLEY)ミッションの歴史委員会より派遣されて、6週間の日本旅行をすることになりました。主な目的は、SLEYの日本伝道の歴史について資料を集めることでした。フィンランド系の教会を訪問したり、古くからの会員をインタビューしたりすることは、日本伝道史を書いている私にとって大きな励ましになりました。
 いただいたプレゼントの中に、札幌教会の日笠山牧師、そして徳善義和先生ご自身からも『マルティン・ルター ―ことばに生きた改革者』という本がありました。面白くて、読みやすいと感心して、フィンランドに帰国してからSLEYの出版部にも紹介しました。
 どこがフィンランドの神学と違うのか、そして何が魅力的なのか、はっきりとは分析できませんでしたが、日本の神学者による「日本人のルター」が、私たちに近い存在、生き生きした人間であることに惹かれたのでしょう。徳善先生の許可を得て、フィンランド語に翻訳することになりました。
 ところが、「読みやすい」と思った文章が、翻訳となると、全くそうではありませんでした!日本語の微妙なところを正しく理解できているかどうか、頭が痛い時が少なくありませんでした。一つの単語について何日も工夫を重ねる時がありました。
 徳善先生がお手紙に「自分で本を書くより、翻訳の仕事はずっと大変だと思います」と書いてくださった通り、それは大変な作業でした。ですから翻訳が完成、2016年末にSLEYーMEDIAによって出版されたことは、とても嬉しいことでした。
 日本、そしてフィンランドにおいても、この本がより多くの人に読まれることを期待しています。
 ルターはまことに「ことばに生きた改革者」で、その修道士の生活は「詩編漬け」でした。それに学んで、私たち一人一人もことばに生きるキリスト者となり、私たちの生活も「詩編漬け」または「聖書漬け」であるようにと祈ります。

第24回春の全国ティーンズキャンプ  空っぽの手を神さまに

  チャプレン 市原悠史

 3月28~30日、春の全国ティーンズキャンプ(通称・春キャン)が、高尾の森わくわくビレッジで行われました。キャンパー88名、スタッフ41名、引率してくださった方を含めるとそれ以上という、とても大きな規模になりました。
 宗教改革500年ということで、春キャンもテーマを「マルチン・ルター~空っぽの手を神さまに~」、主題聖句を「あなたがたは皆、信仰により、キリストイエスに結ばれて神の子なのです」(ガラテヤ3・26)とし、ルターの生涯を取り扱うことになりました。目的は「ルターを知る」、「ルターを身近に感じてもらう」、「ルターにそれ(宗教改革に関する様々なこと)をさせた方がいることを知る」の3つです。
キャンパーは新中1から高3にまたがる世代と幅広く、ルターに関する知識も教会との距離感もそれぞれ違います。そこに対して、どのようにルターを伝え、身近に感じてもらうか、様々な工夫を凝らしました。劇、聖書、クイズやゲーム・・・徳善義和先生がティーンズのために書かれた冊子も何度も読みました。詳しくは後日送付される感想文集にある、実際の声や写真などをご覧いただければと思います。
 プログラムの山場は2日目の夜でした。「ルターはどんな自分になりたかったのか」、「自分はどんな自分になりたいのか」などのテーマで話し合いました。神に認められるとは、親に認められるとは、義とされるとは・・・限られた時間の中で、今まで学んできたことや、普段経験していること、感じていることを振り返りながら、真剣に話し合いました。学校などでは出会えない友達と出会い、一緒に過ごし、普段の生活では話せないことを真剣に話し合えることが春キャンの良さです。
 このように集まって、交わりを持ち、一緒に御言葉を聞き、祝福されて派遣されていく。キャンパーたちにとって、春キャンもひとつの教会なのです。今回のキャンプで蒔かれた種が大きく豊かに成長するようにお祈りください。今回も子どもたちを送ってくださり、ありがとうございました。

宗教改革500年に向けてルターの意義を改めて考える 60

 ルター研究所所長 鈴木浩

 「信仰のみ、恵みのみ、聖書のみ」という言葉は、宗教改革の標語のように受け取られて、広く知られている。ルターの使ったラテン語では、sola fide、sola gratia、sola scripture(ソラ・フィデ、ソラ・グラティア、ソラ・スクリプトゥーラ)である。日本ルーテル神学校の校章は、ルターがデザインしたバラの花の周りをこの言葉が取り巻いている。
 ところで、ラテン語は名詞がいくつもの形に変化する。この場合は、フィデもグラティアもスクリプトゥーラも、「奪格」(だっかく)という格である。奪格の機能は、「手段、方法、離脱、分離」など、多様な意味を持っている。
 sola fide、sola gratia、sola scripturaは、厳密に言えば、「信仰によってのみ、恵みによってのみ、聖書によってのみ」という意味になる。
 ルターが意図せずに始めてしまった宗教改革は、「人はどうしたら救われるのか」という問いを回転軸とする運動であった。だから、sola fide、sola gratia、sola scripturaは、その根本的な問いに対する端的な回答であった。
 ルターがsola(それだけ)と言うとき、それは文字どおり「それだけ」なのだ。
 『95箇条』の少し前、ルターは『97箇条の提題』という極めて重要な文書を明らかにしていた。その第1箇条は、「異端者に反対して語っているとき、アウグスティヌスには誇張があると語ることは、アウグスティヌスがどこででも嘘をついていたと語ることに等しい」となっている。
 もし、わたしがルターを擁護して箇条書きの文書を書くとしたら、その書き出しは、「ルターが『のみ』と言うとき、ルターの言葉には誇張があると言うことは、ルターがどこででも嘘をついていたと語ることに等しい」となるだろう。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より
わたしがあなたを選んだ

  伊藤早奈

 土の香りや風の音、太陽の光の中で生きていると感じる時、ちっぽけに見え、孤独を感じていた自分がそのまま大切な存在として、神様あなたに生かされていることを感じます。
 「私はあなたにとって大切な存在なのでしょうか」と不安になる時があり、疑いを向けることが何度もあります。それでも神様は必ず私に「あなたを愛しているよ」と語りかけてくださいます。神様、あなたに疑いよりも信頼を向ける勇気を持てますように。アーメン。

「行け、あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。」(使徒9・15)

 神様は特別な人だけ選び、まるでその人を物であるかのように扱う方なのでしょうか。いいえ違います。世界中にいる全ての一人一人が神様に必要とされ、その一人一人は神様に造られた存在として大切に大切に用いられているのです。
 私は青年の頃に通っていた教会で話される、教会へ通われている一人一人がイエス様と出会われた体験の話を聞くのが好きでした。ただ、心の中では漠然と「この人は特別な体験をするように神様が選ばれた人なんだろうな」と思っていました。
 聖書からみ言(ことば)に聴き思いを馳せる今、「特別な人」とは神様にとっては全ての人へ向けられているのだと思います。私たちが一般的な価値観で「特別な人」と考える時は、どうしても誰かと比べて優れた人とか、大勢の人の中の誰か一人を指すのではないかと思います。
 しかし、神様にとってはあなたが特別な存在なのです。その他大勢の中から選ぶのではなく、神様に造られたあなた自身が神様に選ばれているのです。そして神様はご自分で造られた大切な器であるあなたを用いられます。
 器の中には何を入れればよいのでしょうか。それは一人一人違います。神様から一人一人に与えられる賜物によってあなたはあなたらしく神様の前で輝くのです。神様は全ての一人一人へ呼びかけます。「生きなさい。あなたのままで、あなたは私が選んだ器です。私にあなたが必要です。」と。

ディアコニア環境・人権・平和 名古屋セミナーに参加して

 嶋 昭江(なごや希望教会)

 第15回ディアコニア環境・人権・平和・名古屋セミナーが2月11日に名古屋めぐみ教会で開かれた。『農業の視点から暮らしと平和を考える』というテーマで中井弘和さん(農学者)が基調講演をされた。
 農業の本質は自然の摂理に従い土本来の力を生かすことにある。生態系の要である土を軽視すると食料や健康問題、ひいては人類の深刻な問題を引き起こしかねない。また、生産性や美しさを追及するあまり農薬を使いすぎ健康問題にまで及んでいる。EUで全面禁止の有機リン剤が日本では解禁されている。残留農薬の基準値もEUよりずっと甘い。私たちはあまり知らされていないので日本の野菜は世界一安全で美しいと思っているが違っている。栄養面でも化学肥料の使いすぎで土に力がなく、昭和20年代に比べると半分以下といわれている。遺伝子組み換え(GM)作物も問題だ。これもEUでは撤退しつつあるといわれていると話された。
 このように考えると日本の農業政策は、やはり永続可能な農業をもう一度立ち止まってよく考えるべきだと思う。剣を鋤に槍を鎌に替えたのだから。
 午後は「グローバリズムと国民主権」と題して岩月浩二弁護士と「TPPと人々の暮らし・人権」と題して長峯信彦さん(憲法学者)より、お話しを伺った。
 関税をゼロにすれば日本が儲かるかといえばそうではない。安い輸入食品により食料自給率は下がり、薬漬けの食品や遺伝子組み換え食品が入ってきて健康が脅かされるのも心配である。国家の関税自主権を否定し、市場原理主義を最優先させるものとなる。グローバリズム=自由貿易も基本原則があり、ISDS条項も定められているが国家の主権を侵害する問題を引き起こしかねないと話された。
 報道だけではわからない問題を知ることができた。多くの人々が平和に永続的に暮らせるためには何が大切で必要なのか、神のみ心を祈り聞かねばならない。

 

第27回総会期 第3回常議員会報告

 事務局長 白川道生

▼宣教態勢

 27期常議員会は「人事委員会」を設置して、教職人事提案の検討と調整を付託しました。執行部3役と各教区長の8名からなる同委員会は、常議員会への上程を任務に、7月から最長翌年2月まで協議を積み重ねる、この筋道は例年同様でした。
 日本福音ルーテル教会の教職人事調整は、5つの教区から教区長を通して挙がってくる招聘を応諾につないでゆく、これを原則に進めますが、今年度は難航した経緯が常議員会に報告されました。
 3月をもって定年退職なさる教職が3名、新任教師2名を迎え、2017年の教職態勢は、現任教師・宣教師(J3含む)、牧会委嘱を合わせて102名に、そのうち87名が各個教会での働きとなる宣教態勢が承認されました。
 ルーテル教会はひとつ。この理念を堅持しつつ、全国の教会がつながっているとの相互理解を保ち、ひとつのからだとしてのあり方(フォーメーション)をどう組むか、教職数の減少、各個教会と各教区の財政減少傾向、複数教会の兼牧増加が及ぼす具体的影響は、人事委員会で繰り返し議論されます。関連する教職の他職務兼務のありかたも「ルーテル法人会連合」並びに「憲法規則改正委員会」との協議を視野に、検討の取り組みが指示されています。

▼収益事業に関する協議

 本常議員会では、収益事業の将来計画に関する協議を行いました。この協議は、市ヶ谷会館の老朽化を背景に持つものですが、立山議長は、当初の出発から営んできた収益事業の歴史には是非の議論も含んでおり、次に進む検討を行う際には、きちんと評価と議論をしなければならないと意向を示し、議事設定となりました。
 協議は、収益事業開始からの収支成績の確認に始まり、過去の合意から継承する収益事業に設けた制限事項や基本形態の確認、総体予算における適正な比重、資産の有効活用と用途、収益事業と宣教の定義など、JELCにとって収益事業の必要性の根本的な位置づけに関して、活発な意見交換が行われました。
 協議の終わりに立山議長は「これまで進めてきた収益事業によって得られた収益と、このために労した方々の働きに対して感謝を表すべきであるが、しかし、収益への依存には節度を欠いてはならず、教会が過剰に収益事業に頼るようなあり方とならぬように留意すべき」と、認識を示されました。
 詳細は教会宛送付の議事録をご覧ください。
(本稿では主要な協議のみ報告を記しています。)

2017年宗教改革500年「カトリックとルーテルの 共同声明」に学ぶ2

 石居基夫(日本ルーテル神学校校長)

【本文から】

●感謝の心をもって
 この共同声明をもってわたしたちは、宗教改革500年を覚える年の始まりに当たり、ルンドの大聖堂において共同の祈りを捧げるこの機会のゆえに神に喜びをもって感謝していることを表明いたします。カトリックの人々とルーテルの人々との間にもたれた、実り多いエキュメニカルな対話の50年がわたしたちにとって多くの違いを乗り越える助けとなり、わたしたちの相互理解と信頼を深めてきました。同時にわたしたちは、しばしば苦難や迫害の中で苦しんでいる隣人に対する共同の奉仕をとおして互いにより近しい者となりました。対話と分かち合った証しとをとおしてわたしたちはもはや他人同士ではなくなりました。 むしろわたしたちは、わたしたちを結び付けるものがわたしたちを分かつものよりも大きいことを学んできました。

【学び】

 この「共同の祈り」がもたれるということは、先に記したようにこの50年間の両教会の代表によって積み重ねられてきた粘り強い取り組みがなければ、決して実現できなかったものだ。それまでも、もちろん互いの神学的主張についてはそれぞれに研究対象であったが、どちらかと言えば批判的傾向が強かったと言えるだろう。しかし、この対話の時期に入ってからは、お互いをより深く学び、認め合うものとなった。
 折しもルーテル教会の大切な信仰告白である「アウグスブルク信仰告白」450年やルター生誕500年などのきりの良い時がこの50年の歩みの中に重なっていて、それでなくてもルターやルーテル教会について神学的検証が起こることが必然でもあった。その時期に、この両教会間の対話がなされることは特別な恵みであったといってよいかもしれない。

 50年に渡る「エキュメニカルな対話」は今までのところでは5つの期に分けられている。
 第1期(1967~1972年)この時期に、今一度、それぞれの教会の福音理解を共にしていることを確認した。その果実が1972年の「福音と教会(マルタレポート)」。
 第2期(1973~1984年)この時は、「聖餐」、「一人のキリストのもとにあること」、「教会の職務」などのトピックが取り上げられた。
 第3期(1986~1993年)ここでは「教会と義認」をテーマに対話を重ねた。
 第4期(1995~2006)第3期をうけて、1999年「義認の教理に関する共同宣言」と、2006年の「教会の使徒性」を成果とする実りある対話がなされた。そして、
 第5期(2009年~)2017年を両教会で迎えるための準備をかさねてきた。2013年に「争いから交わりへ」の文書が出され、両教会の歴史の中の過ちを告白し、これからの両教会の宣教の責任とまた教会一致への歩みを宣言している。
 つまり、この対話においては実践的な協力という側面よりもむしろはっきりと神学的課題を正面に据えてきたものだということがわかる。言葉を換えるなら、自分たちの信仰の内実、とりわけ福音の理解ということでの一致を確認するための歩みだったといってよいだろう。
 しかし、その一致を求める対話の中でこそ、それぞれの信仰の具体的な姿、内容が共有され、自らの伝統をよりよく理解することにも、またそこでの特徴や課題についても気づかされていくものとなったといってよい。そして、相手の姿の中に、信仰の新しい発見も導きも見出していくことにもなった。エキュメニカルな対話はそれぞれに教会を豊かに実らせているように思う。
 そして、こうした対話とともに、より具体的な世界の課題で協力し合う、実践的交わりももちろんあったのだ。具体的な協力関係がお互いを本当によく理解し合う原動力になったことも確かなことだといわなければならない。

西教区宗教改革500年 記念大会報告

 伊藤節彦(広島教会)

 全国で行われる宗教改革500年関連行事の皮切りとして3月19~20日にかけて大阪教会を会場に西教区記念大会が開催されました。初日は106名が集い、西教区女性会「花みずきの集い」が持たれました。
 開会礼拝に続いて、日本キリスト教団讃美歌委員会の委員長である水野隆一師により「私たちが信じ、歌うこと~宗教改革500年は讃美歌誕生500年~」と題して講演を頂きました。最初に「食物が私たちの肉体を形成しているように、礼拝こそが私たちの信仰を形づくっている」と話され、「歌う教会」であるルーテル教会と教会讃美歌の特徴を14曲もの讃美歌を実際に歌いながら分かりやすく説明され、改めてその豊かさを認識する機会となりました。更に、21世紀を生きる教会は、「どんな歌を誰と一緒に歌うのか?」が問われているという課題提起もあり、心新たにされる思いでした。
 講演の後は懇親会が行われ、旧交を温め新しい出会いを感謝する喜びの時となりました。また、来日されていたサウスキャロライナ・シノッドのヨース監督をはじめとする訪問団も加わり、124年に亘るパートナーシップを深める機会ともなりました。
 2日目は180名が集い、教区全体の記念大会礼拝が行われました。この日は1日通して礼拝という構成で、午前中は「開会~み言葉の部~奉献の部」まで、説教は鈴木浩師。昼食の交流タイムを挟んで、午後は釜ヶ崎ディアコニア活動・喜望の家の報告。また昨秋ルンドで行われたルーテル=カトリック合同礼拝の報告がなされました。続いて大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団による特別演奏会が行われ、最後に派遣聖餐式をもって終了致しました。
 今回の大会を通して、改めてルーテル教会が福音の喜びに満ち溢れ「歌う教会」となっていくことの中に、宣教の希望があるように感じました。最後に、企画から運営まで担ってくださった女性会役員の皆さまのお働きに感謝します。「新しい歌を主に向かって歌え!」(詩149・1)

 

 

 
  

 

 
 
 
  

  

      

17-04-17わが喜び、わが望み

「主の家にわたしは帰り、生涯そこにとどまるであろう。」(詩編23・6)

 ルーテル教会の仲間に加えていただき、ルーテル教会を通じて福音の何たるかに触れ、牧師としてそれを語ってきました。ついに、引退の日を迎えました。ただまだ道半ばという気分でいます。大した働きもない者でしたが、感謝の言葉としてこの文章を送ります。

 京都で法学の学徒でいたころ、岸井敏師の牧しておられた教会に導かれました。大学まで身をおいても、何か生きることの本質にまだ触れていないという気がしていたわが身にとって、それは狭き門より入るような感じでした。この世界に触れてみて、そして実際に生きてみて、感謝をしています。

 最後の説教として詩編23編を選びました。この詩人は、生涯の中で苦しいときを過ごしたことが多々あったのでしょう。「死の陰の谷を行くときも」と言い、「わたしを苦しめる者を前にしても」と言う。前途に光を見出せない日々を過ごしたこともあったのだろうか。しかし、この詩人は、「主」という神を、わが牧者として見出し得たときに、変貌をします。自分の生涯の喜びをただ一つ挙げるとすれば、「主」を「牧者(「羊飼い」と言っています)」として見出したことにあるというのです。 この詩人がそれまでどのような人生の模索をしてきたかは分かりませんが、「主」を命の導き手として信頼して生きていけると確信したことから湧き上がる喜びが、この詩全体を覆っています。

 わたしたちのそれぞれの人生には、喜びもあり苦悩もあり、山あり谷ありですが、特に先に希望を見出し得ないとき、「わが助けはいずかたより来るや」と煩悶したくもなります。しかし、「主」が導き手であることを確信できたとき、詩人は「わたしには何も欠けることがない」と言うのです。もうその時、この詩人には人の世にある、通常の憂いの陰はどこにもありません。

 この詩人も、人間として通常の生活をしているはずですから、それがないはずはないのですが、「主」に従う生活の喜びの中では、それは自分にはなんの陰でもないと言うのです。これはこの詩人の人生の実感だったでしょう。

 今日の人の世は、専門家となった社会人の世ですから、互いにエゴが渦巻き、エゴとエゴの衝突は絶えず起こります。現代のように能力主義がひどくなり、自己の権利を自分で主張していくことが強くなると、みんな時間に追われる社会になります。 教会にはそれに疲れた人が癒しを求めて集まることもしばしばです。みんな疲れているので、許し合うという教会の交わりの本質を構成している、「聖徒の交わり」が揺らぐことさえ出て来ます。正直受け止めきれなかったことも、しばしばであったことを告白しなければなりません。

 この詩人は、主を牧者として生き、主が共にいてくださったという確信において、「わたしには、(人生において)何も欠けることがな」かったと断言するのです。信仰者の日々の生活を、これ程に率直に感謝するこの詩人は、どんなに満ちたりた生涯を過ごしただろうか。

 23編は旧約の詩人ですが、新約ではイエス・キリストを「主」と呼ぶようになりました。十字架の死に至るまで、父なる神に従順であったナザレのイエスというお方を、使徒たちがそのように呼ぶようになったのです。

 初代教会の人々の信仰の息吹が、この用語変化のなかに現れています。聖書とは、そのような信仰者の霊的息使いを読み取ることによってしか、わたしたちに語りかけて来てくれません。教義ではないのです。

 わたしがそのように聖書を読みとっているかというと、まだ道半ばですが、宗教改革500年祭とは宗教改革そのものに帰ることではなく、宗教改革を起こした初代教会の信仰者の霊的息使いを読み込むことにもあるのではないだろうか。初代教会の信仰の遺産が聖書ですから、それは「聖書のみ」ということでもありましょう。
 

詩人は、この詩を「主の家にわたしは帰り、生涯そこにとどまる」と結びました。
 退職後何をしますか?とよく聞かれるのですが、この詩人の締めをもってそれへの応えとし、ルーテル教会で牧師として職にありましたことを、感謝して筆を置きます。

前日本福音ルーテル唐津教会・小城教会牧師  箱田清美

17-04-01るうてる 2017年4月号

説教「わが喜び、わが望み」

機関紙PDF

前日本福音ルーテル唐津教会・小城教会牧師  箱田清美

「主の家にわたしは帰り、生涯そこにとどまるであろう。」(詩編23・6)

ルーテル教会の仲間に加えていただき、ルーテル教会を通じて福音の何たるかに触れ、牧師としてそれを語ってきました。ついに、引退の日を迎えました。ただまだ道半ばという気分でいます。大した働きもない者でしたが、感謝の言葉としてこの文章を送ります。
 京都で法学の学徒でいたころ、岸井敏師の牧しておられた教会に導かれました。大学まで身をおいても、何か生きることの本質にまだ触れていないという気がしていたわが身にとって、それは狭き門より入るような感じでした。この世界に触れてみて、そして実際に生きてみて、感謝をしています。
 最後の説教として詩編23編を選びました。この詩人は、生涯の中で苦しいときを過ごしたことが多々あったのでしょう。「死の陰の谷を行くときも」と言い、「わたしを苦しめる者を前にしても」と言う。前途に光を見出せない日々を過ごしたこともあったのだろうか。しかし、この詩人は、「主」という神を、わが牧者として見出し得たときに、変貌をします。自分の生涯の喜びをただ一つ挙げるとすれば、「主」を「牧者(「羊飼い」と言っています)」として見出したことにあるというのです。 この詩人がそれまでどのような人生の模索をしてきたかは分かりませんが、「主」を命の導き手として信頼して生きていけると確信したことから湧き上がる喜びが、この詩全体を覆っています。
 わたしたちのそれぞれの人生には、喜びもあり苦悩もあり、山あり谷ありですが、特に先に希望を見出し得ないとき、「わが助けはいずかたより来るや」と煩悶したくもなります。しかし、「主」が導き手であることを確信できたとき、詩人は「わたしには何も欠けることがない」と言うのです。もうその時、この詩人には人の世にある、通常の憂いの陰はどこにもありません。
 この詩人も、人間として通常の生活をしているはずですから、それがないはずはないのですが、「主」に従う生活の喜びの中では、それは自分にはなんの陰でもないと言うのです。これはこの詩人の人生の実感だったでしょう。
 今日の人の世は、専門家となった社会人の世ですから、互いにエゴが渦巻き、エゴとエゴの衝突は絶えず起こります。現代のように能力主義がひどくなり、自己の権利を自分で主張していくことが強くなると、みんな時間に追われる社会になります。 教会にはそれに疲れた人が癒しを求めて集まることもしばしばです。みんな疲れているので、許し合うという教会の交わりの本質を構成している、「聖徒の交わり」が揺らぐことさえ出て来ます。正直受け止めきれなかったことも、しばしばであったことを告白しなければなりません。
 この詩人は、主を牧者として生き、主が共にいてくださったという確信において、「わたしには、(人生において)何も欠けることがな」かったと断言するのです。信仰者の日々の生活を、これ程に率直に感謝するこの詩人は、どんなに満ちたりた生涯を過ごしただろうか。
 23編は旧約の詩人ですが、新約ではイエス・キリストを「主」と呼ぶようになりました。十字架の死に至るまで、父なる神に従順であったナザレのイエスというお方を、使徒たちがそのように呼ぶようになったのです。 初代教会の人々の信仰の息吹が、この用語変化のなかに現れています。聖書とは、そのような信仰者の霊的息使いを読み取ることによってしか、わたしたちに語りかけて来てくれません。教義ではないのです。
 わたしがそのように聖書を読みとっているかというと、まだ道半ばですが、宗教改革500年祭とは宗教改革そのものに帰ることではなく、宗教改革を起こした初代教会の信仰者の霊的息使いを読み込むことにもあるのではないだろうか。初代教会の信仰の遺産が聖書ですから、それは「聖書のみ」ということでもありましょう。
 詩人は、この詩を「主の家にわたしは帰り、生涯そこにとどまる」と結びました。
 退職後何をしますか?とよく聞かれるのですが、この詩人の締めをもってそれへの応えとし、ルーテル教会で牧師として職にありましたことを、感謝して筆を置きます。

連載コラムenchu

  

14【 shadow 】

 昨年の10月にデンマークで開かれたハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞の授賞式で、村上春樹さんは、アンデルセンの小説『影』を取り上げながら、自らの「影」と向き合うことの重要性について語りました。全文を紹介したいところですが字数の関係で少しだけ…。
 『(略)影と向き合わなければならないのは、ひとりひとりの個人だけではありません。社会や国家もまた、影と向き合わなければなりません。すべての人に影があるのと同じように、すべての社会や国家にもまた、影があります。明るく輝く面があれば、そのぶん暗い面も絶対に存在します。(略)影を生み出さない光は、本物の光ではありません。どんなに高い壁を築いて侵入者が入ってこないようにしても、どんなに厳しく異端を排除しようとしても、どんなに自分の都合のいいように歴史を書き換えようとしても、そういうことをしていたら結局は私たち自身を傷つけ、滅ぼすことになります。影とともに生きることを辛抱強く学ばなければいけません。自分の内に棲む闇を注意深く観察しなくてはなりません』。
 ところで、「アロンの祝福」の中に次の言葉があります。「主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように」(民数記6 25)。私たちを照らす光が本物の光であるならば、そこに、私たち自身の影があらわれるのでしょう。私たちは、その影と向き合い、受け入れ、共に歩んでいかなければいけないのだと思います。そこに恵みが与えられるという祝福を胸に抱いて。
 さて、村上さんの新刊を読もう。   
( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会、小城教会牧師)  岩切雄太

【連続講演会】

(全9回)。参加無料

「宗教改革500年~ルター、その光と影」

日本福音ルーテル教会 東教区東教区宣教ビジョンセンター 共催
時間 16:30~18:00 会場 日本福音ルーテル小石川教会?

■3月13日 
 ①宗教改革500年とは何か(江口再起)
■4月10日
 ②キリスト教信仰のルター的骨格(鈴木 浩)
■5月 8日 
③ルターとエキュメニズムの前進(石居基夫)
■6月12日
 ④「二王国論」とは何か(江口再起)
■7月10日 
 ⑤ルターのユダヤ人問題(立山忠浩)
■9月11日 
 ⑥北欧ディアコニアのルター的水脈
  (江藤直純)
■10月16日 
 ⑦ルターと公共世界(宮本 新)
■11月13日 
 ⑧ルターと農民戦争(高井保雄)
■ 12月未定 ⑨ まとめ ※すべて月曜日

議長室から

 

「神様の方からの声 」総会議長 立山忠浩

 個人的なことですが、2年前に還暦を過ぎました。日本人の平均的寿命からすれば、いま8合目あたりに立っていることになります。また、牧師に召されて32年が過ぎました。定年を10合目の頂とすれば、これまた8合目に到達したことになります。山登りに例えれば、人生おいても、牧師に召されてからの年月においても、自分が何合目にいるのかで見える光景が異なるように思いますので、いまは8合目からの眺めをここで書かせていただいているのであり、また、この機関紙「るうてる」の一読者として、このような視点で読ませてもいただくのです。
 3月号では退職される牧師たちの声に、10合目に到達したからこそ言える感謝と後進たちへの重みのある言葉を感じ、4月号では、これから登り始める山を見つめ、目標に向かって邁進しようとする新鮮で、力強い声に力づけられるのです。牧師たちの説教、コラムなど様々な中堅牧師や信徒の声からも多くのことを学んでいます。新しい知識を得るだけでなく、私と同じものを見ていながら、異なるところに立って見えていることを教えてもらえるからです。
 このことは他教派や他のルーテル教会、さらに広げれば他宗教や様々な思想にも敷衍できることでしょう。今年はいくつかの他教会との合同礼拝を予定しています。互いに異なる歴史や教理を持っているわけですが、それらはそれぞれのところで見て来たものの結晶なのです。学ぶことはきっとたくさんあるのです。このことは聖書についてはなおさら言えることです。
 いま私たちは四旬節を送っています。十字架を主題にした絵画を鑑賞することがありますが、フランス人画家のサルバドール・ダリの描いた十字架は実に印象的です。通常は人々の目線から十字架を描くのですが、彼の場合には十字架の上から見える光景となるのです。主イエスの顔や全体の姿ではなく、頭を垂れたイエスの頭の上から見える十字架がモチーフになっているのです。
 聖書は、神様の方からの視点で書かれているのです。「十字架の神学」を標榜するルーテル教会は、なおさら十字架の方から聞こえて来る声を敏感に聞くのです。自分の苦しみだけでなく、この世の苦悩や悲しみを一身に背負う苦痛の声。愚かな私たちの罪のためのとりなしの声。外からの真摯な声に耳を澄ますことを大切にしたいものです。

宗教改革500年に向けて、ルタ―の意味を改めて考える59

   ルター研究所所長 鈴木浩

 ここで宗教改革の発端となった『95箇条の提題』を見てみよう。それは95個の箇条書きからなっている1枚の大きなビラで、それが掲示されたヴィッテンベルクの「城教会」のドアには現在、その全文が刻印されている。
 『95箇条』は、「私たちの主であり師であるイエス・キリストが『悔い改めよ』と言われたとき、主は信じる者の全生涯が悔い改めであることを望みたもうたのである」という第1箇条から始まっている。「悔い改めよ」という言葉は、ラテン語で「ペニテンティアム・アギテ」となっている。
 もともとそれは「悔い改めよ」という意味であったのだが、中世の「七つの秘跡」(洗礼、堅信、結婚、叙解、聖体拝領、告解、終油)という体系が出来上がると、「ペニテンティアム・アギテ」は「告解(ざんげ)を行え」という意味で受け取られるようになった。
 ルターは第1箇条で「ペニテンティアム・アギテ」という言葉の本来の意味を回復しようとしたのである。だから、続く第2箇条は、「この言葉はサクラメントとしての改悛(すなわち、司祭の職務によって執行される告解と償罪)についてのものであると解することはできない」となっている。
 ルターの行ったことの相当部分は、「本来の意味やあり方を回復する」ということであった。ギリシャ語の聖書本文をドイツ語に翻訳したことも、その一環であったし、教会組織の改変もそうであった。
 『95箇条』は、当時人々が競って購入していた「贖宥状」(いわゆる免罪符)を攻撃することに目的があった。贖宥状は、「罪の償い」を不要にする「おふだ」であった。『95箇条』がドイツであっという間に広まったのは、一般民衆も贖宥状の問題に関心を抱いていたからである。

2017年度 日本福音ルーテル教会人事〔敬称略/50音順〕

○退職
 (2017年3月31日付)
・市原正幸(定年引退)
・箱田清美(定年引退)
・長岡立一郎(定年引退)

○新任
・奈良部恒平
・中島和喜

○人事異動
 (2017年4月1日付)
【北海道特別教区】
・岡田 薫  
 帯広教会(主任)
・中島和喜  
 札幌教会(副牧師)、
 恵み野教会(副牧師)
・日笠山吉之 
 恵み野教会(主任・兼任)

【東教区】
・?野昌博  
 横浜教会(主任・兼任)、 横須賀教会(主任・兼任)

【東海教区】
・齋藤幸二  
 沼津教会(主任・兼任)
・奈良部恒平 
 復活教会(主任)、
 高蔵寺教会(主任)
・室原康志  
 挙母教会(主任)

【西教区】
・加納寛之  
 岡山教会(主任)、
 松江教会(主任)、
 高松教会 (主任)
・鈴木英夫 
 西条教会(主任)
・松本義宣  
 西宮教会(主任・兼任)
・秋山 仁  
 豊中教会(主任)、
 喜望の家(兼務)

【九州教区】
・小泉 基  
 唐津教会(主任・兼任)
・岩切雄太  
 小城教会(主任・兼任)
・中村朝美  
 宮崎教会(主任)      
○待機
・山田浩己 

○休職(継続)
・後藤由起 

▽宣教師
【LEAF信徒宣教師】
・ミルヤム・ハリュユ  東教区付
 (2016年12月1日付)

【J3宣教師新任】
(2017年4月1日付)
・エマ・ネルソン    ルーテル学院中学・高校
・ランダル・タレント  九州学院 

▽宣教師退任
【長期宣教師退任】
 (2017年3月31日付)
・ティモシー・マッケンジー ルーテル学院大学・日 本ルーテル神学校

【J3宣教師退任】
 (2017年3月31日付)
・ザック・コービン   九州学院
・ディーン・ホルツ   ルーテル学院中学・高校

○その他
▽牧会委嘱
 (2017年4月1日付 1年間)
・明比輝代彦 
    掛川・菊川教会
・乾 和雄 西宮教会
・北尾一郎 横浜教会
・鷲見達也 横須賀教会
・中村圭助 復活教会
・渡邉 進 沼津教会
・藤井邦夫 宇部教会
・白髭 義 甘木教会
・ 内海 望 津田沼教会

お知らせ

 日本福音ルーテル教会と日本カトリック司教協議会とが共同主催し、「宗教改革500年共同記念 ~平和を実現するものは幸い~」が2017年11月23日(木)10時~15時、カトリック浦上教会にて開催されます。ご参加に際して、入場整理券が必要となります。お申込みはインターネットで受付けます。
http://500peace.jelcs.net/

日本福音ルーテル教会九州教区 熊本地震救援対策本部活動報告

 日本福音ルーテル教会九州教区 救援対策本部 岩切雄太・ 小泉 基

熊本地震の2度の大きな揺れ(2016年4月14日・16日)は、被災住宅18万棟以上という甚大な被害をもたらしました。202名(2月14日現在)の尊い命が奪われ、県下で4万人以上の方々が、現在も仮設住宅やみなし仮設等での不便な仮暮らしを余儀なくされています。
 今回、日本福音ルーテル教会九州教区救援対策本部(以下「できたしこルーテル」)の1年間の活動報告にあたり、今なお悲しみのうちにある方々が一日も早く癒されることを、また困難な生活を余儀なくされている方々が一日も早く安心した生活を送られることを祈ります。
 また、被災地である熊本に寄せられました皆さまからの厚いご支援に、心より感謝いたします。
 2017年2月末現在の熊本地震支援募金は3624万534円で、その内訳は、生活支援451万7848円、建築支援3172万2686円となっています。
 これまでの活動を振り返り、以下、時系列にそって報告します。

第1期:緊急支援

(2016年4月14日~4月20日)
①地震直後から九州全域の被災状況の確認を行い、被害の大きかった熊本市内を中心に支援活動を開始。
②熊本市内のルーテル教会・施設から求められた緊急支援物資を北部九州等で購入し運搬(5便)。
③日本福音ルーテル教会と協議し、現地救援対策本部(「できたしこルーテル」)を組織(4月17日)。
④熊本市内のルーテル教会(5教会)、ルーテルの学校(2学校)・幼稚園保育園(7園)・社会福祉法人(2法人)との情報共有。
⑤国際協力NGOわかちあいプロジェクト/認定NPO法人チャイルド・ファンド・ジャパンと連携して行う生活支援について協議。

第2期:広安愛児園・こどもL.E.C.センター内避難所/健軍教会避難所支援(4月21日~6月30日)

①広安愛児園・こどもL.E.C.センター内避難所(最大400名)/健軍教会避難所(最大50名)。
②わかちあいプロジェクトの専従スタッフ(牧野孝さん4月24日~、東ゆきみさん6月1日~)と恊働(編集注・心を合わせて共に働く)し、広安愛児園・こどもL.E.C.センター内避難所にカフェを設置し、副菜の提供を行ったほか、避難者の相談に対応。
③罹災証明書(災害義援金)の申請手続き同行支援/自宅の片づけ・仮設住宅等への引越支援。
④全国のルーテル教会関係に片付け支援のための物資の呼びかけを行う。
⑤ボランティアを受け入れ、上記避難所及びルーテル教会関係者の片づけ支援等を行う。
※5月・126名/6月・64名(延べ人数・救援対策本部メンバー含む)

第3期:片づけ支援等

(7月1日~8月31日)
①広安愛児園・こどもL.E.C.センターに設置させていただいたプレハブを拠点にし、わかちあいプロジェクトと恊働して、益城を中心に瓦礫撤去等の片付け支援を展開。
※7月・50名/8月・35名(5月~8月の延べ人数は275名)。
②チャイルド・ファンド・ジャパンによる小冊子「被災地の親と子どもの心のケア」(熊本県内500園の約5万世帯に配布)の製作に、、熊本ルーテル幼保連と連携して協力。
③熊本のルーテル教会の建物修復に関する(費用等)聞き取りを行い、熊本地震支援募金の建築支援(第1期分:1821万6163円)の配分を決定。
 以上、主な活動について報告したが、ここに記した活動以外にも、現地である熊本のルーテル教会・ルーテル幼保・九州学院/九州ルーテル学院・社会福祉法人(慈愛園/キリスト教児童福祉会)が、震災直後から様々な支援活動を展開なさり、また現在も継続しておられます。[岩切記]

第4期:被災障がい者支援(9月以降)

 益城町での片付け支援などの事業が終了していった後の、第4期の働きをどうしていくのか、いくつかの選択肢があるなかで、「できたしこルーテル」が取り組むことにしたのは、被災地において特に困難な状況にある被災障がい者の支援でした。熊本では、すでに組織されていた「被災地障害者センターくまもと」による先行的な取り組みがありましたが、日々寄せられる支援要請に充分に応えきれないという困難な状況がありました。
 そこでわたしたちは、健軍教会に避難者として一時身を寄せておられた大山直美さんを雇用して、専従ボランティアとして同センターに派遣する、という取り組みを始めました。
 センターには、日本障害フォーラムに参加する障がい者施設から1週間程を単位に組織的にボランティアが派遣されていましたが、熊本の地理がわかり、継続して事務局機能を担うことの出来る大山さんは、程なくセンターの中心的な役割を担うようになられました。
 被災地における障がい者の生活は、避難所で列に並べないために支援物資を受け取れない。車イスで入ることのできる仮設住宅がない(後にバリアフリー仮設住宅を6戸のみ建設)、などの理由で、健常者の避難者とは比べものにならない多様な苦労があります。
 そのため避難所や仮設住宅に入れずに、家族と、あるいは単身で、危険な半壊住宅での生活を続けざるをえない、といった難しい状況に陥りがちなのです。
 そんな中、特に大山さんの働きが始まった9月以降に支援の要請が多かったのは、精神障がいの方の生活再建の課題でした。精神障がいの方々は、他者との人間関係づくりが難しいこともあって、地域の中で孤立しがちで、、見た目に障がいがあるとは判りにくいため、さまざまな支援からも見過ごされがちなのです。大山さんも、事務局の働きをこなしながら積極的に現場にもかかわり、役場への同行、不動産屋廻りから、家の片付け、引越の荷物運びなどにも汗を流してくださっています。
 また、ルーテル教会からも、「できたしこルーテル」のメンバーや九州教区内の信徒さんなど、ボランティアとしてセンターに関わってくださる方がおられることは心強いことです。
 なお、センターへの大山さんの派遣はまもなく終了しますが、今後も大山さんはセンターの事務局員として働かれる予定です。
 被災地では、まもなく震災から1年を迎えようとしています。市内を車で走っても、もはや被災地であることを感じにくくなりつつあります。
 しかし、益城や阿蘇へと目を移せば、あちこちに空き地が広がりつつあるのに、2月現在で公費解体がすんだ家屋はまだ5割に届きません。また建築費用の高騰などから家屋の補修や改築もままならず、仮設で暮らしながら生活再建の見通しの立たない方々、こまやかな支援を必要とされる「災害弱者」の方々が大勢おられるのです。
 また、仮設団地やみなし仮設に入居して、地域から切り離されてしまった方々の心のケアも、大きな課題となっています。
 熊本も、これから長い「震災後」の生活を生きていきます。しかし、ここにこそ教会の役割があると信じますから、どうぞ息の長い、多様な支援と見守りをお願い致します。[小泉記]

「カトリックとルーテルの共同声明」に学ぶ 1

  石居基夫(日本ルーテル神学校校長)

2016年10月31日、スウェーデンのルンドにて行われたローマ・カトリック教会(以後カトリック教会)とルーテル世界連盟(LWF)の「共同の祈り」の礼拝において、2017年の宗教改革500年を共同で覚えるに当たっての声明文が公にされた。この声明はフランシスコ教皇とユナンLWF議長が署名をして発表されたのだ。少しずつ、この声明文を読んで学んでみよう。
 はじめに、この記念礼拝でのテキストとされたヨハネ福音書が記される。

【本文から】

「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」(ヨハネによる福音書15・4)

【学び】

 みことばを記すことにはじまる声明。みことばによってこそ導かれるという基本的な姿勢を示しているといってよいだろう。これは、この宗教改革500年の記念ということに留まらず、近年のエキュメニカルな交わりの基本を示している。それぞれの教会の神学的な主張からはじまるのではなく、伝統に縛られるのではなく、みことばによってこそ導かれるべきなのだという意味を示している。
 さて、このヨハネ15章のみことばが示されることで、カトリック教会とルーテル教会とが、互いを等しくキリストに結ばれ、キリストに生かされて豊かな実を結ぶものであるよう主に呼びかけられている存在として認め合っていることが示されている。
 当然のことのように思われるかもしれないが、決してそうではない。宗教改革者マルティン・ルターはカトリック陣営と論争した末に自説を撤回することのなかったために断罪された。その信仰に連なるルーテル教会はもちろん、カトリック教会からたもとを分かつこととなったプロテスタント教会は、カトリックから見れば教会として認められない異端とされてきたわけだ。
 逆にルターをはじめプロテスタント教会は、聖書に基づく福音主義を掲げて、カトリック陣営、特に聖書の解釈の正当性を独占するような教皇主義を徹底的に攻撃した。中世から近代へと移り変わる歴史の中で、両方の勢力は政治的な意味での対立と重なり西欧世界においては争いと対立が繰り返されてきた。
 この対立関係は、近代国家の成立の歴史とともに比較的穏やかになっていくけれども、基本は変わらない。そうした関係を決定的に変えたのが、カトリック教会の大転換だったと言ってよいだろう。1962年から65年まで開かれた第二バチカン公会議は、カトリックのみならず世界のキリスト教会に大きな影響を与える会議となった。カトリック教会は、この4年にわたる公会議で、現代世界のなかに新しい教会の姿を求めて大きく舵を切ったのだ。
 その中で、1964年にエキュメニズム教令を公にしてプロテスタント教会にも真理が示されていることを否定しないこととなった。難しく言うとカトリック教会の包括主義的な立場(最終的に救いについての確かな真理があるのはカトリック教会の他にはないのだけれども、部分的には他の場所においても神の普遍的真理を示すものがあることを否定せず、それを認めていこうということ)を示している。しかし、実質的に大切なことは、中世の時のようにルーテル教会を「断罪する」という考えを改めて、兄弟としての教会と認めていく可能性を示したということだ。
 そこからはじまる対話の歴史こそ、みことばによって導かれたものだ。その歴史があって、カトリックの立場からも、ルーテル教会が確かにキリストに連なるものと認められるようになったといってよいのだろう。
 ルーテル側からすれば、はじめから一つの教会を飛び出すことが目的の改革の呼びかけであったわけでもなく、こうした積み重ねられる対話によって、福音が明らかに示されていく教会の本来の姿として示されていく道筋にカトリック教会も立っていると認められることだっただろう。
 一つのキリストに連なる枝、互いに違いを認めつつ、その働きを尊重し、世界に向かって福音を示していくキリストの体としての教会を、教派を超えて連なり、ますます宣教の働きを担うものとなっていくように、みことばが招いているのだ。
 だからこそ、今、改めてこのみことばに聞くことが示されている。教会はたとえ教派が異なっても、キリストに連なるものとして認め合えることが何よりも大切なのだ。

新任教師あいさつ

中島和喜(なかじま かずき)

(日本福音ルーテル札幌教会・恵み野教会)
 この度、日本福音ルーテル教会に任用されました中島和喜です。任地は北海道特別教区の札幌教会(札幌市)と恵み野教会(恵庭市)になりました。生まれ故郷である北海道が牧師として歩む最初の任地として示されたことを嬉しく思います。教会が受け入れてくださったこと、そして何よりもその場所に召し出してくださった神様に感謝し、キリストがもたらす平和の実現のため一所懸命にやっていきたいと思います。
 現在私は26歳ですので、最初の数年は恐らく最年少牧師として過ごすことになります。知識も経験も不足していますが、若さを生かして北海道の広い大地に福音を届けるため元気一杯に駆け回っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

奈良部恒平(ならぶ こうへい)

(日本福音ルーテル高蔵寺教会・復活教会)
主の尊い御名を讃美いたします。
 4月1日をもちまして、復活教会(名古屋市)と高蔵寺教会(春日井市)へと赴任することになりました、奈良部恒平でございます。妻と2人の子どもたちを連れて、愛知県に到着いたしました。
 神様の助けによって御言葉の働きに、誠心誠意、励んで行く所存であります。つきましては、牧師がよい説教者―忠実な説教者―であるようにお祈りくださいますよう、お願い申し上げます。
 日本福音ルーテル教会の皆様及び読者の方々に、主の豊かな御祝福と恵みがありますように祈願いたします。お近くへお越しの際は、ぜひ教会にお立ち寄りください。皆様のお越しを教会員一同、心からお待ちしております。 在主

J3新任あいさつ

ランダル・タレント

はじめまして。私はタレント・ランダルです。今年の4月から九州学院で英語を教えています。また熊本の教会のコミュニティにも加わりました。私の仕事は英語を教えることだけではありません。日本福音ルーテル教会(JELC)とアメリカ福音ルーテル教会(ELCA)にはすでにパートナー関係がありますが、JELCとELCAのメンバー同士はなかなか会うことはできません。ELCAのJ3プログラムは、JELCのコミュニティの中で世界のクリスチャンとの仲間づくりをしています。ですから私は日本福音ルーテル教会でクリスチャンの友情を作りたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

エマ・ネルソン

 熊本から、はじめまして! エマ・ネルソンといいます。4月より、ルーテル学院中学高等学校で英語の教師の仕事に就任します。英語以外は、神水教会の牧師や会員と共に働き、色々なバイブルスタディーを担当します。熊本のコミュニティに参加するのを楽しみにしています。出身のフロリダ州の教会員たちも日本の人や文化について学びたいと願っているので、私は日本にいるうちにたくさんの手紙を書いたり、写真やビデオを撮ったりして送りたいと思います。もしこの二つの教会が一緒に礼拝をすることができたら、すばらしいと思います。日本に来てとても嬉しく、この2年間を楽しみにしています。

17-03-17憐れみを受け、恵みにあずかって、大胆に

 さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
(新約聖書ヘブライ人への手紙4・14~16)

 召されている現場で、種々の事態を、何とかして冷静に受け止めようと立ち止まる、その時々に、幾度となく励まされている聖書箇所は数多くありますが、その一つがこのメッセージです。

 神学校を卒業し、按手礼を受けて牧師とされて赴任する時、育ててくださった先輩牧師や神学校教師たちが、「激励歓送会」を設けてくださいました。その折に、「み言葉を取り次ぎ、語る使命を頂いたのだから、果たすためには、語る前にまず、あなたがみ言葉(聖書)を読むだけでなく、じっくりと聴くことを大切にして欲しいな。」と助言くださいました。1971年でしたから、46年も前になります。以来、私なりに色んな取り組みを続けています。
 その一つは、福音書の場合ですと、その記述に登場する人々のどの人に自分が該当するだろうかと思い巡らせることです。ここでは引用できない節数なので、どうぞ、お手元の聖書を実際に開いてみてください。マルコによる福音書9章14節以下です。

 登場するのは、群衆の中で「病気の子を持つ父親」、「イエス様の弟子たち」、それに「弟子たちと議論している律法学者たち」がいます。弟子たちは人々に問いかけられ、子どもの病気に癒しを求められ、さらに、専門家である律法学者に議論を吹きかけられています。返答に詰まり、散々な目に遭っています。そこには、イエス様はおられませんでした。

 神学校を出たての新米牧師の私にそっくりです。人生経験も、深い信仰体験もなく、聖書もよく分からないまま、教会に遣わされて、何かにつけおろおろするばかりでした。イエス様が不在で働いている気持ちになっていたのかも知れません。まず、自分を弟子たちに当てはめて読んでみました。

 そこへ、イエス様が戻って来られて、その場の事情をお知りになると、三つのことを言われました。①「なんと信仰のない時代なのか。」 ②「いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。」 ③「いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。」これらの言葉は誰に向けられたのでしょう。そこにいたみんなにと考えてもいいし、「信仰のない時代」というのは、群衆と父親に対してだろう。「いつまでも共に」というのは弟子たちに。「我慢しなければならないのか」というのは律法学者たちに向かってと読むと、分かるような気がします。

 私は、当初、不甲斐ない弟子たちに自分を当てはめていました。しかし、牧師として日々を重ねるうちに、いや、それだけではなくて、この病気の子を持つ父親でもあると気づかされていきました。「大祭司・イエスの憐れみ」を受けなければならない者であった父親は、まさしく、「信じます。信仰のないわたしをお助けください」(24節)と叫ばなければならない私です。

 この箇所は、「大祭司の憐れみにお委ねします。大祭司の恵みにあずかって歩ませてください。」そう叫ばなければ前に進めない自分を見つめることのできた気のする福音書の箇所です。
 ありのままの私を見つめ、弱さに同情の眼差しを送り、知っていてくださる「大祭司・イエス様」の前に大胆に進み立ち、「主よ、憐れみたまえ。」と、心から告白して、恵みにあずかって、新しい日々を、新しくされたいのちで生かされていきましょう。

日本福音ルーテル西宮教会 牧師 市原正幸

17-03-01るうてる2017年3月号

説教「憐れみを受け、恵みにあずかって、大胆に」

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 日本福音ルーテル西宮教会 牧師 市原正幸

さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。(新約聖書ヘブライ人への手紙4・14~16)

召されている現場で、種々の事態を、何とかして冷静に受け止めようと立ち止まる、その時々に、幾度となく励まされている聖書箇所は数多くありますが、その一つがこのメッセージです。
 神学校を卒業し、按手礼を受けて牧師とされて赴任する時、育ててくださった先輩牧師や神学校教師たちが、「激励歓送会」を設けてくださいました。その折に、「み言葉を取り次ぎ、語る使命を頂いたのだから、果たすためには、語る前にまず、あなたがみ言葉(聖書)を読むだけでなく、じっくりと聴くことを大切にして欲しいな。」と助言くださいました。1971年でしたから、46年も前になります。以来、私なりに色んな取り組みを続けています。
 その一つは、福音書の場合ですと、その記述に登場する人々のどの人に自分が該当するだろうかと思い巡らせることです。ここでは引用できない節数なので、どうぞ、お手元の聖書を実際に開いてみてください。マルコによる福音書9章14節以下です。
 登場するのは、群衆の中で「病気の子を持つ父親」、「イエス様の弟子たち」、それに「弟子たちと議論している律法学者たち」がいます。弟子たちは人々に問いかけられ、子どもの病気に癒しを求められ、さらに、専門家である律法学者に議論を吹きかけられています。返答に詰まり、散々な目に遭っています。そこには、イエス様はおられませんでした。
 神学校を出たての新米牧師の私にそっくりです。人生経験も、深い信仰体験もなく、聖書もよく分からないまま、教会に遣わされて、何かにつけおろおろするばかりでした。イエス様が不在で働いている気持ちになっていたのかも知れません。まず、自分を弟子たちに当てはめて読んでみました。
 そこへ、イエス様が戻って来られて、その場の事情をお知りになると、三つのことを言われました。①「なんと信仰のない時代なのか。」 ②「いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。」 ③「いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。」これらの言葉は誰に向けられたのでしょう。そこにいたみんなにと考えてもいいし、「信仰のない時代」というのは、群衆と父親に対してだろう。「いつまでも共に」というのは弟子たちに。「我慢しなければならないのか」というのは律法学者たちに向かってと読むと、分かるような気がします。
 私は、当初、不甲斐ない弟子たちに自分を当てはめていました。しかし、牧師として日々を重ねるうちに、いや、それだけではなくて、この病気の子を持つ父親でもあると気づかされていきました。「大祭司・イエスの憐れみ」を受けなければならない者であった父親は、まさしく、「信じます。信仰のないわたしをお助けください」(24節)と叫ばなければならない私です。
 この箇所は、「大祭司の憐れみにお委ねします。大祭司の恵みにあずかって歩ませてください。」そう叫ばなければ前に進めない自分を見つめることのできた気のする福音書の箇所です。
 ありのままの私を見つめ、弱さに同情の眼差しを送り、知っていてくださる「大祭司・イエス様」の前に大胆に進み立ち、「主よ、憐れみたまえ。」と、心から告白して、恵みにあずかって、新しい日々を、新しくされたいのちで生かされていきましょう。

連載コラムEnchu

  

12  Call

聖書には召命物語がいくつも記されていますが、召命のことを英語で「call」と言います。これの原義は「呼ばれること」です。
 さて、パウロが信仰の父としているアブラハム、彼の召命物語は創世記12章1節以下に記されています。主なる神は「あなたは故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」とアブラムに告げ、彼はその言葉に従って旅立った、と。アブラハムのように「自分が呼ばれている声」をはっきり聞けたらよいのですが…。
 しかし、そもそも神の声はそんなふうに聞こえるのでしょうか。「私は神に呼ばれた(声をはっきり聞いた)」と主張することは、ややもすると、召命(call)と「私は総理大臣だからただしい」というふるまいを矛盾なく結びつけてしまうことになってしまうのだと思います。
 ところで、アブラハムの召命物語を注意深く読むと、これは、彼が75歳の頃の出来事であったことが分かります。聖書の年齢を現在の年齢と同じように考えることはできませんが、それでも、アブラハムが十分に成熟した大人であったことは分かります。成熟とは、たぶん、他者の声なき声を聞き取ることができるようになることです。それは「うめき声」や「(自分に)異を唱える声」のようなものです。聖書は、そんなアブラハムが「主なる神からの召命(call)」を聞いた、と描いているのではないでしょうか。
 本日按手を受けられるお二人が、それぞれの場所で、「(声なき声のように)I need you」と呼びかけられる声に耳を澄ましていくことを通して、その働きが「calling」になっていくことを祈ります。
岩切雄太( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会牧師)

議長室から

 

異なるからこそ、共に祈る 総会議長 立山忠浩

先月7日、カトリック教会の列福ミサに参列しました。ユスト高山右近(ユストは洗礼名で「義の人」の意味)が福者に加えられることになり、白川道生事務局長と共に招待に与ったのです。大阪城ホールには1万人が集いました。
 高山右近は戦国時代の荒波を生き抜いた武将ながらも、江戸幕府によるキリシタン禁教令発布の後は、地位を棄てマニラへと向かい、そこに到着後40日で天に召された傑人でした。
 私たちはカトリック教会に属する者ではありませんが、日本のキリスト者はどんな教派であろうと、高山右近を初めとした、キリスト教伝来から間もない時代のキリスト者たちの苦難の歴史の上に立っていることに感謝を覚える時となりました。
 さらに認識を新たにしたことがありました。私たちは今年を宗教改革「500年」の特別の年と位置付けていますが、カトリック教会にとっては「500年」と言えば、むしろキリスト教が日本に伝来した時代のことなのです。宣教師ザビエルが、宗教改革運動に対抗するために海外伝道に目覚めたことの方なのです。
 ところが、私たちは11月23日に長崎のカトリック浦上教会を会場にして、カトリック教会との合同の礼拝、シンポジウムを開催しようとしています。私たちは「特別な記念の年だから」と思っていますが、カトリック教会は違うのです。それぞれの歴史や立っているところが異なっている。列福ミサに参列しながら、その壮大さへの感嘆と共に、このことを改めて感じたのです。
 では、なぜ異なる二つの教会が合同の礼拝を行うのでしょうか。この疑問が頭をもたげるからこそ、その目的を繰り返し確認しなければならないのです。それは、両教会で積み上げて来た神学的対話の結晶である『争いから交わりへ』や、昨年秋のルンドでの両教会の共同の祈りの式と共同声明にも表現されたことでした。互いが背を向け、しばしば互いを非難し合って来た歴史を悔い改め、互いに向き合い、対話と祈りを共にする道へと方向転換するためなのです。和解へ、平和への道を刻むのです。
 「平和を実現する人々は幸いである」(マタイ5・9)という主の教えに従い、両教会が共に祈り、学び合うのです。国家・民族・宗教の争い、自分・自国中心、不寛容、絶望の蔓延するこの世に、希望の証しとなることを願って。

プロジェクト3・11活動報告

 東教区社会部長 小勝奈保子

 プロジェクト3・11では東日本大震災・福島原発事故における被災者支援を行っています。委員会を年6回開催し被災地を覚えて祈り、各自が携わる活動の報告や情報交換を行いました。また、「るうてる」に諸団体の活動内容を掲載し、その働きを紹介しています。昨年は10団体にご協力を頂きました
 また、東教区の諸教会をはじめ、様々な教区行事の機会に献金を呼びかけ、昨年は合計で72万1162円が集められました。ことにルターナイツでの取り組みは大きな助力となりました。結果、昨年度は以下の通り支援金を送金しました。
 いわき放射能市民測定室「たらちね」25万円、いわき食品放射能計測所「いのり」25万円、北海道寺子屋8万円、福島移住女性支援ネットワーク8万円、松本子ども留学8万円、合計74万円。
 なお、独自に実施することは叶いませんでしたが、東北被災地への訪問は女性会連盟(仙台・石巻・気仙沼/6月21~23日)や東教区常議員会(福島・いわき/5月31日~6月2日)で行われました。女性会連盟では熊本の震災から一か月後のことでしたが、九州教区からの参加者もあり、その交流は特別なものとなりました。東北と熊本の体験者の分かち合い、また連盟のつながりとして全国の女性の祈りと支えに感慨を覚える時でした。
 2016年、原発廃止を訴える書籍が2冊出版されました。『原発と宗教ー未来への責任』(いのちのことば社)、『今こそ原発の廃止をー日本カトリック教会の問いかけ』(カトリック中央協議会)。支援活動という視点だけでなく、社会に変革を求めていく情報等についてもお伝えできればと思います。
 今後も独自の活動だけでなく、個人や各教会で行っている活動や支援をご紹介し、共なる祈りとしていきたいと願っています。情報提供をお待ちしています。
〈3・11を憶える礼拝〉
2017年3月11日(土)14時。東京教会にて。説教として野村治牧師(福島いずみルーテル教会)をお迎えします。

2017年各教区の総会について

■北海道特別教区 第37回定期総会 3月20日(月)9時開始~14時30分終了予定 日本福音ルーテル札幌教会札幌礼拝堂・スオミホールにて
 ■東教区 第54回定期総会 3月20日(月)午前9時受付 9時30分開会礼拝~16時30分終了予定 日本福音ルーテル東京教会(宣教百年記念会堂)にて
■東海教区 第54回定期総会 3月20日(月)10時開始~16時終了予定 日本福音ルーテル挙母教会にて
■西教区 本年は未開催 西教区宗教改革500年 記念大会/西教区女性会教区花みずきの集い
■九州教区 本年は未開催
※ 詳細については、各教区事務所へお問い合わせください。

宗教改革500年にむけて ルターの意義を改めて考える58

 ルター研究所 所長鈴木浩

 時に隠されている」(ハイデルベルク討論、1518年)と語るルターは、何を言おうとしているのだろうか。「隠された啓示」などは、形容矛盾ではないのだろうか。「啓示」とは「隠されていたものを明らかに示す」という意味だからである。
 ルターは、「イエス・キリストの十字架での苦難以外の場所では、神は決して認識されない」とも語っている。しかし、十字架の上に見られるのは、ナザレ出身の大工の苦難と死の姿だけである。どう見ても、それが「神の姿」であるとは思えない。
 なぜか。われわれは神について、漠然としているかもしれないが、一定の「事前理解」を持っている。神は「全知全能」であるとか、「万物の創造者」であるとかいった考えである。つまり、神について何らかのイメージを持っているのだ。
 そのイメージからすると、十字架の上で苦難を受け、死んでいったナザレの大工の姿は、少しも「神らしくない」のである。しかし、ルターは、そのような姿以外には、神を知ることはできない、と主張する。
 モーセに対する神顕現の場面でも、エリヤに対する場面でも、神は「通り過ぎて行く」。だから、モーセもエリヤも、「神の背中」しか見ることができない。だから、それは「間接的な」啓示でしかない。
 イエス・キリストの十字架での苦難と死も、「間接的な」啓示でしかない。しかし、そこにしか神を知る場はない。だから、神の姿は、「啓示されていると同時に隠されている」のだ。
 少しも「神らしくない」ナザレのイエスの苦難と死の中に、神の啓示を見ることを可能にさせるのは、「信仰のみ」だ、とルターは主張する。

日本福音ルーテル教会・カトリック教会 宗教改革500年共同記念行事 入場整理券 申し込みのご案内

 
 日本福音ルーテル教会と日本カトリック司教協議会とが共同主催し、「宗教改革500年共同記念 ~平和を実現するものは幸い~」が2017年11月23日(木)10時~15時、カトリック浦上教会にて開催されます。ご参加に際して、入場整理券が必要となります。
 お申し込みはインターネットで受け付けます。
以下のURLより、必要事項を入力の上、お申し込みください。
http://500peace.jelcs.net/
スマートホンなどでは左記2次元コードからもアクセスできます。
・インターネット環境をお持ちでない方には、教・名前(よみがな)
・連絡先電話番号
・連絡先住所
・連絡先メールアドレス
・所属教会名
・車椅子での参加有無
・手話通訳希望有無
・ 羽田空港発着のツアー(上五島観光含む、11月21日~24日)参加希望有無

宗教改革500年記念聖歌隊員ドイツ・ブラウンシュヴァイク派遣について

 日本福音ルーテル教会とまもなく50年に至る協力関係を与えられているドイツ福音主義教会のブラウンシュヴァイク州教会では、宗教改革500年記念事業のひとつとして、ハイドンのオラトリオ『天地創造』の公演を企画されました。このためにオーケストラの他、700人の聖歌隊を編成する大きな演奏会です。
 ブラウンシュヴァイク州教会では、この聖歌隊のメンバーとして、日本福音ルーテル教会の他、関係する海外諸教会にも参加を呼びかけ、神が創造された世界に住む私たちが共に神とその業を賛美する時を持とうとしています。
 日本福音ルーテル教会にも15名のメンバーを招待くださることになりました。つきましては、教会員はもちろん、関係者を含む、一般の方々にも呼びかけて、派遣することとしました。
 オラトリオ『天地創造』は、ハイドンの晩年に当時の職業作曲家として珍しく、自身の発案により制作された大曲であり、オラトリオ『四季』と並びハイドンの作曲家としての頂点にあるものと評されます。1798年にウィーンにおいて初演されました。「創世記」と「詩編」、そしてミルトンの『失楽園』を題材とし、混沌からアダムとエバまでが描かれ、「全ての声よ、主に向かって歌え!」との賛美で締めくくられます。
 公演は今年9月10日であり、派遣期間は、現地での練習と公演後のヴィッテンベルクへのツアーを含めて、9月6日から12日を予定しています。参加費用を含む募集要項などの詳細につきましては、決定次第、各教会へ、また日本福音ルーテル教会のホームページでもお知らせします。

教区宗教改革500年 記念大会/西教区女性会 教区花みずきの集い 

日時 2017年3月19日(日)16時~20日(月)15時30分
場所 日本福音ルーテル大阪教会/ホテル・ザ・ルーテル(大阪市中央区谷町3l1l6)
 宗教改革により、賛美することが限られた人に許されたものから会衆の宝物となったことを覚えて賛美歌を味わい、学び、み言葉に養われる時が計画されています。
■3月19日
15時30分 受付
16時~16時30分 教区花みずきの集い 開会礼拝
16時30分~18時15分 教区花みずきの集い 講演と讃美『賛美歌誕生500年!~賛美歌を通してみ言葉に養われる~』
 講師 水野隆一先生(関西学院大学神学部教授・日本基督教団正教師・日本基督教団賛美歌委員長)
■3月20日
10時~11時30分 記念感謝礼拝 説教 鈴木浩先生(ルター研所所長)
11時30分~11時45分 釜ヶ崎ディアコニア活動・喜望の家報告(ワルターさん、園田さん)
13時15分~13時45分 ルンドでのルーテル・カトリック宗教改革500年共同記念礼拝報告(鈴木浩先生)
14時~15時 特別演奏会大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団
15時~15時30分 宗教改革500年記念大会 派遣聖餐礼拝

J3退任挨拶

ディーン・ホルツ

ルカ18・28~30を贈ります。
九州学院での働きを終えた今、私の心は喜び・悲しみ・興奮・感謝などの多くの感情で満ちています。イエスの言葉は真実です。イエスに従うならば、私たちの命はより豊かで満たされたものとなり、新たな兄弟姉妹と共に祝福されます。この2年間、私の人生を充実させ豊かにしてくださった、主にある日本の兄弟姉妹の皆さんに感謝します。皆さんはいつも私の心の中に住み、私の祈りの中にとどまることでしょう。私はいつでも九州学院の生徒と先生たちを思い起こし、大江教会と熊本教会の美しくて世話好きな人たちに会えないことを寂しく思うことでしょう。去らねばならないことは悲しいことですが、私の心は熊本での思い出と、大好きなすばらしい人々で満たされることでしょう。

ザック・コービン

私は日本で素晴らしい経験をし、決して忘れることのできない出会いとつながりを与えられました。日本の教会と学校とが私に与えてくれたすべての愛と支援に感謝しています。本当にありがとうございました!

退職にあたり

市原正幸

 1965年4月、「日本ルーテル神学大学」第2期生として入学が許されました。高校を卒業したばかりの18歳でした。送り出し、ご支援を続けてくださったのは、天王寺教会、授洗は森勉牧師でした。まだ東京オリンピックの余韻が残る大都市の中で中野区鷺宮の敷地は静寂でした。満開の桜が校舎とルター寮を抱いてくれていました。鷺宮のキャンパスで4年、三鷹に移転して2年、計6年間の研鑽の日々は、大阪弁丸出しの生意気な神学生でしたが、多くの方々に出会い、包んでいただきました。1971年3月、24歳で「按手礼」。九州教区・延岡教会(宮崎県)に派遣されて、牧会者とされました。在任は3年間だけの短期となりました。妻と出会い、結婚を機に、西教区・徳山教会に転任して、二人三脚での働きをスタートするためでした。以来、徳山教会で8年間、岡山教会を8年間、現任の西宮教会では27年間を数えて、定年引退を迎えました。それぞれに、会員をはじめそのご家族、お交わりを許されたみなさんたちの、忍耐の大きさに支えられての46年間です。今、任を与えられて教会にお仕えする務めは終わります。しかし、牧師としての召命は生涯にわたると感謝して受け止めたい。夫婦二人だけでなく、家族を含めてのご奉仕がこれからもどの様に開かれていくのか、主の召しに応える日々を重ねたいと祈りつつ。ありがとうございました。

乾 和雄

 太田先生や江藤先生はじめ、多くの皆さまのお導きをいただき、64歳で按手に与かり、定年までの5年間、神戸東教会で信徒の皆さまのこまやかなお支えをいただきました。ルターがペスト流行の町に留まり続けたことを例にあげ、「るうてる」紙上で新任の挨拶をさせていただいた日のことが、まるで昨日のようです。本当に短い間でしたが、神さまが日々生きて働いておられることを、奇跡とも思える数多くの恵みの出来事を、目の当たりにさせていただいたことは有難いことでした。
 また『聖書日課』のメッセージを通して、各地の皆さまからご質問やあたたかなお励ましをいただきました。また、毎年10月に行なわれる「聖書日課セミナー」で、全国の読者の皆さま方と親しいお交わりをいただいたことも有難いことでした。
 昨年は私の不注意から少し体調を崩しましたが、今はとても元気です。4月から神戸の聖書学院で、ルター神学の講義も仰せつかっています。主のお守りのうちに、これからもさまざまな場で、与えられたみ言葉のご奉仕をさせていただきたいと切に願っております。どうか引き続き、このような小さな者のためにお祈りに覚えてくださいますように心よりお願い申し上げます。

長岡立一郎

       
45年前、つまり1972年に按手礼を受け、最初の任地は熊本の八代教会(人吉教会も兼務、8年間)でした。その後、広島の呉教会(3年間)、京都教会副牧師(実際は大津ルーテル病院チャプレンとして1年間)、久留米教会(6年間)、本郷教会と学生センター(11年間)の働きへと遣わされ、博多教会から招聘を受け、8年間の宣教・牧会活動に従事することを許されました。その間、本郷教会と学生センターでは、宣教40周年記念、また博多教会の宣教100周年の節目の時を迎えることができ、日本福音ルーテル教会史の中での博多教会が果たしてきた役割の一旦を担わせていただけて光栄でありました。最後に、2009年7月から学校法人・九州学院の理事長(専従)として遣わされ、2011年には、創立100周年事業を終えることができました。いよいよ私自身、着陸態勢に入ったところです。
 45年間の歩みを振り返ります時、私自身、一つのテーマがありました。それは日本社会への宣教という課題の中で、「日本人の福音の受肉」がいかに実現できるかという問題意識で取り組んでまいりました。ですから常に日本社会の歴史や文化に関心を持ちつつ、社会の中の病院、学生センター、そして学校へと赴いた歩みでした。これらの歩みを導かれたことに対して、神さまと多くの方々に感謝しつつ。

箱田清美

        
いよいよ退任の挨拶をさせていただく順番になりました。
 1980年4月に沼津教会・下土狩教会から始まって、2017年3月に唐津教会・小城教会で閉じようとしています。出会いもあり、失敗もあり、助けられ、日本福音ルーテル教会の組織の中で、「神の国」を求めながらの道でありました。ルーテル教会組織は、アスマラ宣言後の「自給路線」の方策の時期でしたが、未熟のままの新任牧師としてそれに加えられました。赴任教会の集まりを通して、多くの信徒方との出会いを与えられ感謝をしています。 
 初任地で出会ったあるご家族は、牧師家庭の生活を慮ってか、毎年贈り物を届けてくださいました。30数年過ぎた今でも、それは続いています。初任地は新婚でしたが、いつしか5人家族となりました。贈り物は、その時々にわたしたち家族の必要としている服や日用品でした。リサイクルの品でしたが、子どもの成長に連れてその服も大きくなり、わたしのお腹に合わせてカジュアルなものも入れてあり、しかも、1品だけは、流行の新品が添えられていたのです。遣わされた地で、この贈り物にわたしたちはどれほど励ましを受けたことか。
 今後も、聖書によって立てられた霊的集まりを求めて、失敗の連続がわたしには続くでしょう。再び、旅の衣を整えたいと願っています。お祈りをお願いします。

教会推薦理事研修会

 副議長 大柴譲治

 1月9日、市ヶ谷センターにおいて「教会推薦理事研修会」が行われた。これは、るうてる法人会連合の2007年総会で決議されて以来、毎年1月に日本福音ルーテル教会(JELC)主催というかたちで行っているJELC教会規則第74条に基づく教会推薦理事に関する研修会で、今回で9回目となる。宗教法人、学校法人、社会福祉法人、 幼稚園・ 保育園から19名の代表が集まり、「2017年 Lutheran formation~Reformationを継承する共同体」という主題の下に協議を重ねた。立山議長の開会礼拝に始まり、JELC(立山忠浩)、ルーテル学校法人会(九州学院理事長・長岡立一郎)、ルーテル社会福祉協会(るうてるホーム常務理事・石倉智史)、幼稚園・保育園連合会(大森ルーテル幼稚園園長・竹田孝一)が発題し、それを受けて4つの分団に別れて協議し、最後に全体で分かち合ってまとめとした。
 今から500年前に始まった「宗教改革Re-formation」運動が当時の民衆の魂の(スピリチュアル)ニーズに聖書のみ言(ことば)をもって応えるかたちで展開されていったことを想起しつつ、これまで同様、私たちのそれぞれが置かれた具体的な状況と働きを通して変化してゆく現代社会・地域のニーズに、信徒以外のサポートも得ながら、今後も応えてゆくべきことが確認された。
 「宣教」を「伝道」「教育」「奉仕(ディアコニア)」と包括的に受け止めてゆくところから「るうてる法人会連合」は2002年に組織されたが、それもまた「信仰のみ」「恵みのみ」「聖書のみ」という核心的な原理を常に意識することでニーズに応えるために「Formation」(形態/隊形/陣容)を変えてきた宗教改革の伝統を受け継いでいるからであろう。
 私たちは中心的なものを常に見据えるがゆえに、状況に応じて自らのかたちを自由に変えてゆくことができる。そのためにも、それぞれが置かれた現実をリアルに見てゆく必要がある。個人の価値観も社会の態勢も多様化し激変してゆく中で、これから時代がどうなってゆくかを予測することも困難になってきているが、そのような中で私たち「るうてる法人会連合」に属する諸団体は、創設の精神(ミッションスピリット)を大切にしつつ、プロ集団としての論理と倫理と技能とを高く保ちながら、誠実に現場のニーズに関わってゆくことになる。どのように社会が変化してゆこうとも、私たちは自らの最初の Call(主の召命)に忠実に歩んでゆきたいと思う。このような他職種横断的な研修会は私たちに課題と共に目標を立体的に描き出すことを助けてくれるし、現場での誠実な取り組みが相互に刺激と励ましを与えてくれるものであったことを感謝したい。

17-02-17人知を超えた神の選び

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。・・・
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」
(ヨハネによる福音書15・12、16a)

1.若者の進路を巡って
  いつも春の訪れとともに若者が旅立っていく季節、それぞれの進路に向かって歩み出す姿を見て、思うことがある。ある者は、夢かなって志望している大学に進学し、心躍っている者もあれば、他方、第1志望の大学への進学かなわず、第2、第3の志望した大学へと進学し、少々気落ちしている学生たちもいる。これは学生たちに限ったことではなく、すべての人々が、自分の進路や行くべき方向性を選ばざるを得ない経験をする。そして、いずれの者も与えられたところで自分の花を咲かせていくしかないのである。

 人は誰でも自分で、自分の進路を選んでいるつもりでいる。しかし、後で気づくことでもあるが、元々、何一つ自分で選んだものなどないのではないか。
 高校や大学への進学をはじめ、人生の進路の分岐点に立った時、人知を尽くして選ぶ作業は大事であるが、それ以上に、自分の思いを超えた世界に、思いを馳せ、身を委ねる姿勢はとても重要ではないか。

2.人の思いの選択から神の選びへ
 信仰の世界は、まさに自分の思いを超えた次元で、物事が動くこと、つまり神の導きや選びの中で人の時と生涯があることを受け止めるところに特徴がある。
 例えば、自分が隣人を愛するということ一つとっても、自分の思いや願望から出た愛にはもろさや限界がつきまとうものである。

 私たちが「愛する」とか「自分で選ぶ」という行為に先立って示される神の導きと選びがあることを聖書のみ言葉は、繰り返し語っている。冒頭に引用したみ言葉がそうである。
 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」、また「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」と。
 近代から現代に至る社会においては、特に人間の主体性や自己主張の世界が強調され、人間の人工的な力で、すべてが処理でき、また完結できるかのような思い込みに陥ってきたのではないだろうか。そのために、私を超えた次元、つまり神の支配、神の選びを無視して、神なしの世界に生きているのである。

 神の選びは、私たちにとって思いがけず、想定外であり、人知を超えたかたちで起こっている。その代表的な姿は、処女マリアに起こった受胎告知であり、また、神の選びを受け止めるマリアの信仰に読み取ることができよう。しかも母マリアはマグニフィカートの中で「身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです」(ルカ1・48)と、目を留められた者の感謝と喜びをあふれ出させるように歌うのである

 またパウロはコリントの信徒への手紙の中で次のように勧めている。
「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。これは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです」(コリントの信徒への手紙一1・26~29)。以前の口語訳聖書では最後のみ言葉は、このように訳されていた。「無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間も、神のみまえに誇ることがないためである」と。

3.無に等しい者の選び
 神の選びの業は、人間の常識や一般的価値を超えたものであり、無に等しい者を、あえて選び、用いたもうということを痛感するのである。 個人的なことではあるが、事実、無に等しい者であるこの私を牧師ならびに教育の場の働き人として選び、44年間、用いてくださったことに神にただ感謝するものである。

九州学院理事長 長岡立一郎牧師

17-02-01るうてる2017年2月号

説教「人知を超えた神の選び」

機関紙PDF

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。・・・あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」(ヨハネによる福音書15・12、16a)

1.若者の進路を巡って
 いつも春の訪れとともに若者が旅立っていく季節、それぞれの進路に向かって歩み出す姿を見て、思うことがある。ある者は、夢かなって志望している大学に進学し、心躍っている者もあれば、他方、第1志望の大学への進学かなわず、第2、第3の志望した大学へと進学し、少々気落ちしている学生たちもいる。これは学生たちに限ったことではなく、すべての人々が、自分の進路や行くべき方向性を選ばざるを得ない経験をする。そして、いずれの者も与えられたところで自分の花を咲かせていくしかないのである。
人は誰でも自分で、自分の進路を選んでいるつもりでいる。しかし、後で気づくことでもあるが、元々、何一つ自分で選んだものなどないのではないか。高校や大学への進学をはじめ、人生の進路の分岐点に立った時、人知を尽くして選ぶ作業は大事であるが、それ以上に、自分の思いを超えた世界に、思いを馳せ、身を委ねる姿勢はとても重要ではないか。

2.人の思いの選択から神の選びへ
 信仰の世界は、まさに自分の思いを超えた次元で、物事が動くこと、つまり神の導きや選びの中で人の時と生涯があることを受け止めるところに特徴がある。 例えば、自分が隣人を愛するということ一つとっても、自分の思いや願望から出た愛にはもろさや限界がつきまとうものである。
 私たちが「愛する」とか「自分で選ぶ」という行為に先立って示される神の導きと選びがあることを聖書のみ言葉は、繰り返し語っている。冒頭に引用したみ言葉がそうである。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」、また「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」と。 近代から現代に至る社会においては、特に人間の主体性や自己主張の世界が強調され、人間の人工的な力で、すべてが処理でき、また完結できるかのような思い込みに陥ってきたのではないだろうか。そのために、私を超えた次元、つまり神の支配、神の選びを無視して、神なしの世界に生きているのである。 神の選びは、私たちにとって思いがけず、想定外であり、人知を超えたかたちで起こっている。その代表的な姿は、処女マリアに起こった受胎告知であり、また、神の選びを受け止めるマリアの信仰に読み取ることができよう。しかも母マリアはマグニフィカートの中で「身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです」(ルカ1・48)と、目を留められた者の感謝と喜びをあふれ出させるように歌うのである
 またパウロはコリントの信徒への手紙の中で次のように勧めている。「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。これは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです」(コリントの信徒への手紙一1・26~29)。以前の口語訳聖書では最後のみ言葉は、このように訳されていた。「無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間も、神のみまえに誇ることがないためである」と。
3.無に等しい者の選び
 神の選びの業は、人間の常識や一般的価値を超えたものであり、無に等しい者を、あえて選び、用いたもうということを痛感するのである。 個人的なことではあるが、事実、無に等しい者であるこの私を牧師ならびに教育の場の働き人として選び、44年間、用いてくださったことに神にただ感謝するものである。九州学院理事長 長岡立一郎牧師

連載エッセー11.【settlement】

「the power of reconciliation(和解の力)」。これは、昨年12月27日ハワイの真珠湾で行われた安倍首相の所感の中で繰り返され、報道を通して何度も耳にした言葉です。また、今年は宗教改革500年ということで、ローマ・カトリック教会とルーテル教会との「和解」という言葉を耳にすることも多くなるでしょう。仲違いしていたものが仲直りすることはすてきなことです。  しかし、この「和解」という言葉が、それを発する者の誇りや名誉や自尊心の高揚を目的に用いられるならば、違和感を覚えます。「和解」を辞書で引くと「争いをやめ、仲直りすること・互いに譲歩し合って争いをやめ、互いのわだかまりが解けること」とあります。 そして「和解」の英単語には、「reconciliation」の他に「settlement」があります。この原義は、(住居を定めて)身を落ち着けることです。つまり「和解」とは、相手が落ち着いて生きていけるように場所を譲る、ということでしょう。  ところで、米軍普天間飛行場の移設に関して、昨年3月に沖縄と国の和解が成立したにもかかわらず、現在、移設工事が再開されたことはご存じの通りです。 誰が誰のために身を引き落ち着いて生きていける場所を設けたらいいのでしょうか。神は、み子イエスを私たちのもとに送り、その生涯、十字架と復活を通して人間と「和解」されました。
 聖書は、全知全能の神が力を奮うことを放棄し、み子自身が身を引かれた出来事を「和解」と教えているのではないでしょうか。力の強い者が、自分の場所の確保だけを考えることを「和解」とはいわないのです。
 岩切雄太( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会牧師)

議長室から 総会議長 立山忠浩

昨年11月中旬、浅野直樹世界宣教主事と共にブラジルに向かいました。ブラジルルーテル告白福音教会(IECLB)のフリードリッヒ議長及びグラーフ教区長、そして日系パロキア(小教区)を訪問するためでした。
 この日系パロキアに徳 弘浩隆牧師が日本福音ルーテル教会(JELC)から派遣され、ルイス・メロー牧師がブラジル人の牧師として招聘されているのです。パロキアは、日本語の礼拝を行うサンパウロ教会とポルトガル語の礼拝のジアデマ集会所で組織されています。 ジアデマ集会所はサンパウロから車で40分ほどの距離で、故大野健牧師が開拓された集会所とのことでした。
 訪問の目的は、昨年5月の全国総会で承認されたブラジル伝道に関することをお伝えし、理解を求め、今後のことを協議することでした。徳弘牧師の2019年3月までの派遣をもって、現職教師の派遣を終了するということが主な内容でした。菅和夫代議員を中心とする日系パロキアの役員会皆さんにとっては歓迎すべき内容ではありませんでしたが、しかし最終的にはJELCの窮状をご理解くださり、今後について実り多い協議ができたことは幸いなことでした。
 今後のこととして、人的な交流について様々な意見を交わしました。引退教師や信徒説教者の奉仕を受けられないだろうか、神学生の研修の場として提供できないかなどです。当事者の協力なしにはできないことですが、実現の可能性のあることを検討しました。
 現地で招聘したブラジル人の牧師の日本研修についても協議しました。日本語を学び、日本の文化や習慣に触れるための研修です。日系ブラジル人と接する機会もあることでしょう。すでに準備が整い、メロー牧師が今年一杯東海教区を中心に研修することになります。音楽の賜物を持つ陽気な若い牧師です。秋には他教区でも奉仕していだきますので、積極的に招いていただければ幸いです。
 日系パロキアの皆さん、IECLBの暖かい歓迎を受けました。徳弘牧師・由美子さん夫妻の実に献身的な働き、信徒の皆さんの生き生きとした姿がとても印象的でした。宿泊した日系ホテルの土曜日の夜、日本の演歌を熱唱している方々の姿も印象的でした。互いの距離は遠くても、祈り合うこと、主によって一つにされている信仰の友の存在を決して忘れないことがいかに大切なことかを心に刻む旅となりました。

プロジェクト3・11南カリフォルニアからの支援

 アメリカ福音ルーテル教会 復活教会 牧師 安達 均

 南カリフォルニアからも東日本大震災の被災者のことを覚えています。 当地にある復活ルーテル教会では、東日本大震災1周年の折、中学生時代に阪神大震災で被災経験がある新進気鋭のピアニスト、平原誠之さんを応援する方々から東日本大震災の被災者のためのチャリティコンサートを催したいが、復活ルーテル教会を会場として使えないかという話をいただき、第1回のコンサートが実現しました。
 その後2015年、2016年にも2回目、3回目のチャリティコンサートを開き、2回目以降は、復活ルーテル教会としても主催者の一団体となりました。 特に第3回は、復活ルーテルよりアメリカ福音ルーテル教会を通して寄付金を日本福音ルーテル教会に送ることにしましたが、私自身が2月に日本に行く機会があり、当時東教区社会部長の小泉嗣牧師をお尋ねし、具体的に二つの放射能測定施設、「いのり」と「たらちね」、さらに「夏休み北海道寺子屋合宿」、「まつもと子ども留学」、「福島移住女性支援ネットワーク」への支援をしておられると伺いました。
 当日のチャリティコンサートのプログラムに、具体的にこれらの支援先を掲載しました。結果的に、第3回では第1、2回の金額を上回る2900ドル(30万円)以上を送ることができ、感謝でした。 
 ほぼ同じ頃、オバマ大統領の核軍縮政策から打って変わって核増強、また日本も核を持ったら良いとまで発言した大統領候補者がいました。年末にはその候補者が当選しました。福島に住んでいる方々のことを思い、正直、身の毛もよだつような出来事でした。
 しかし、本来なら赦されない民の過ちをも赦され、出直しへと導かれる憐れみ深い主イエスの体の一部である教会として、広島、長崎、スリーマイル、チェルノブイリ、そして福島が教えてくれていることが何であるかに思いを巡らせるようなチャリティコンサート開催を、今後も継続できればと祈っています。

主にあってわれらはひとつ ヤング・フェスティバル2016を終えて

 市ヶ谷教会ユース

 2016年11月27日、市ヶ谷教会において「ヤング・フェスティバル2016(通称:ヤンフェス)」が行われた。
 「ヤンフェス」は音楽を中心としたユース(青年)の集いである。そのルーツは古く1970年代に遡る。途中一度幕を下ろしたヤンフェスであったが、2012年、市ヶ谷教会宣教60周年を記念して再開。復活後4回目の開催となった。
 今回のテーマは「エキュメニズム(キリスト教の超教派による対話と和解、一致を目指す運動)」。宗教改革500年を一年後に控えた去る10月31日、スウェーデンにおいてカトリック教会とルーテル教会の合同記念礼拝が執り行われ、教派の枠を超えた多くの関係者が列席したことは記憶に新しい。教会が連帯へと向かう、この喜ばしい潮流に微力ながら加わる形で、今回、カトリック教会・日本基督教団のユースを多くお招きすることができた。
 ステージでは、バンド演奏、ピアノ連弾、落語などが披露された。中でも、エキュメニカル運動として有名な「テゼ」のひとときを持てたことは豊かな恵みであった。
 最後は出演者全員が肩を組んでの大合唱、会場全体が一体となって幕を閉じた。終演後の懇親会もよき交流の場となった。日頃はそれぞれの場所で輝く「タラント」を結集することで、主の御業を実感できるエキュメニカルな催しとなった。
 今回の「ヤンフェス」開催にあたっては、他教派との連携、集客など苦労も多かったが、市ヶ谷ユースそれぞれが役割を担い何とか形にすることができた。 直接の呼びかけの他に、フェイスブック広告を取り入れるなどの工夫を凝らし、結果、目標であった参加者100名を達成した。多くのお支えとお祈りに感謝したい。
 いよいよ宗教改革500年。「ヤンフェス」を通して与えられた繋がりを活かし、「ヤンフェス2017」はもちろんのこと、様々な共同企画を検討中である。教派は違えども、主にあってわれらはひとつ。主の聖名を賛美いたします!Hallelujah!!
 市ヶ谷ユースのフェイスブックページで当日の様子をご覧いただけます。https://www.facebook.com/ichigayaYouth/

宗教改革500年に向けてルタ―の意義を改めて考える57

ルター研究所所長 鈴木浩

「キリスト者は義人にして同時に罪人である」というルターの有名な言葉をもう一度考えてみよう。その際に必要なのは(先月号で見たように)、ルターが「神の前で」(つまり、神の判断によれば)という視点と、「人々の前で」(共有されている社会倫理的判断によれば)という視点を重ねて語っているという点を理解することである。
 キリスト者は信仰者である。だから、神の意志が示されている律法を当然ながら神からの要請事項とみている。その律法に照らして自分を振り返ってみれば、自分が罪人であることを認めざるを得なくなる。だから、「キリスト者は罪人である」ということになる。そしてそのことは、自分の目に見える事実である。
 他方、神はそのような罪人をその恵みと憐れみによって、赦し、義とし、救ってくださる。それが神の福音が宣べ伝えていることである。キリスト者は神の恵みによって義とされているのだから、義人である。だから、「キリスト者は義人にして同時に罪人である」ということになる。ところが、自分が義人であるという事実は、残念ながら目に見えない。ここでは、そう語る福音を信じることしかない。
 パウロは、「わたしたちは目に見えるものではなく、見えないものに目を注ぐ」と語っている。それは、自分が義人であるという神の言葉が示す事実を、罪人であるという目に見える事実以上に確かな事実として、感謝をもって受け入れる、という意味である。
 言い換えれば、罪人であるという自分の判断以上に、神の恵みによって義とされているという神の判断を優先させる、ということである。自分が罪人であるという事実は残っている。しかし、神はその罪人を恵みによって、召し、赦し、義としてくださっているのだ。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より
「あなたと共におられるために」詩編18:32-46

伊藤早奈

神様。「何のために生きているのだろうか。」とか、「新しい目覚めが感謝できない、どうしよう」と思う時でも、あなたは変わらず私に新しい目覚めを与えてくださいます。そして私がその目覚めや恵みを、どう受け取り、どう感じているのかもご存知です。 そのあなたに生かされている今を、勇気を持って生きられますように。この祈りをイエス・キリストのお名前を通してみ前にささげます。アーメン。

 「あなたは自ら降り、わたしを強い者としてくださる。」(詩編18・36)と詩人は詩います。
 私はいつかテレビの番組で観たシーンを思い出します。それは真っ暗な洞窟の中で火が焚かれ、その火に向かって一生懸命祈っている白い着物を着た祈祷師らしき人と、その人を必死で拝んでいる人がいるというものです。そして急に祈祷師らしき人が倒れるのですが、すぐに起きると今までとは全く違う口調で、拝んでいた人へ喋り出したのです。死者の霊が祈祷師に乗り移ったと説明されていました。子ども心に「すごいな」と感心しました。
 さて、神様が自ら降ってくださる、とはどういうことでしょうか。祈っている人に乗り移り、奇跡を行ってくださることなのでしょうか。「お前が祈ったから来てやったよ」とずかずかと神様が心に入って来られることなのでしょうか。どちらも違います。心を開くのはあなたです。 ただ 、神様はあなたの心の戸が神様の方へ開くのを待っておられます。あなたの心の戸のノブはあなたの方にしかありません 。 戸を開くのはあなたです。
 神様が自ら降ってくださる、とは、神様があなたの側にいてくださり、あなたが心の戸を開くのを待っておられるということです。神様が乗り移ることでも、あなたが祈ったからどこか遠くからわざわざ来るのでも、あなたが神様をお参りするためにどこかに行かなくてはならないのでもなく、すでに神様はご自分から私たち一人一人と共におられるために降り、一人一人の心の戸が開くのを信じ、待っておられるのです。「私はあなたを信じ、待っています。大丈夫、私があなたと共にいます。」と言いながら。

泊まりdeエキュユースに参加して

 牧野奉子(湯河原教会)

2016年9月30日から10月1日にかけて、日本キリスト教協議会(NCC)青年委員会の「泊まりdeエキュユース」が行われました。
 1日目は徐々に参加者が集まり、新築の在日大韓基督教会横浜教会のテラスでサムギョプサルを食べ、銭湯に行き、テーマに分かれてのディスカッション「エキュトーク」をして、就寝となりました。
 2日目はデボーションの時が設けられ、バプテスト同盟の参加者がルワンダのフィールドトリップでの経験を話してくれました。
 高校生の頃、『ホテルルワンダ』という映画を観て、ルワンダという国の存在を知り、大量虐殺の起こった近い過去の事実に驚かされました。当時はとてもショックでしたが、時が過ぎるにつれ、関心は薄れ、今や遠い国の出来事でした。
 けれども争い合うことになってしまった2つの民族が、現在様々な分かち合いの場を持っていることを聞き、「互いのことを想い、必要な支援をする」そのような活動に、互いに支えるとは、何があっても愛するとは、こういうことなのだと感じました。
 午後には歩いて寿地区へフィールドトリップに出かけました。かつて横浜市内の高校に通学していましたが、寿という地名は初めて耳にしました。関内駅・石川町駅から徒歩10分以内、中華街からは5分以内の場所に位置していますが、よく知る表通りから道を1本入るだけで、どこか違う国に来たような、タイムスリップしたような錯覚に陥る一角でした。
 元々は日雇い労働者の街、現在は生活保護受給高齢者の街と化しているということ、有り得ない程高い人口密度、暖をとることができず越冬できない人がいるという話を聞きました。
 実際に街に出てみると、ドヤと呼ばれる簡易宿泊施設が立ち並び、昼間にもかかわらずジャージのような格好でアルコールを持つ人を多く見かけました。また、宿泊施設の入口には大抵、酒類の自動販売機が設置されていることにも驚きました。
わたしにとって新しい世界で、助けを必要とする人もいることを知りました。今のわたしには知る(知らせてもらう)以上に、何かをする余裕がもてないように思いますが、そんな中でもできることを探していきたいと思います

【2017年度 日本福音ルーテル教会 会議等日程表】

2017年

1月 9日(月)法人会連合推薦理事研修会(市ヶ谷センター)
1月11日(水)教師試験委員会(市ヶ谷センター)
1月12日(木)教師試験(市ヶ谷センター)
1月13日(金)任用試験(市ヶ谷センター)
2月14~15日 会計監査(市ヶ谷センター)
2月20~22日 27総会期第3回常議員会(市ヶ谷センター)
2月26日(日)16:00 神学校の夕べ(宣教百年記念東京会堂)
3月 5日(日)19:00 教職授任按手式(宣教百年記念東京会堂)
3月 6日(月)神学教育委員会(市ヶ谷センター)
3月 8~9日 新任教師研修会(市ヶ谷センター)
3月10日(金)ルーテル神学校卒業式(東京三鷹)
3月18日(土)アメリカ福音ルーテル教会サウスカロライナシノッド訪日団歓迎会
3月20日(月)教区総会(各教区)
3月20日(月)西教区宗教改革500年記念大会(大阪教会)
4月 4日(火)ルーテル神学校入学式(東京三鷹)
5月 LCM会議(詳細未定)
6月12~14日 27総会期第4回常議員会(市ヶ谷センター)
7月 第1回教区長会(人事委員会)
7月17日(月)宗教改革500年記念ルーテル教会合同聖餐礼拝(大阪教会)
8月22~23日 るうてる法人会連合・総会(九州ルーテル学院)
9月 ドイツ福音ルーテル教会ブラウンシュヴァイク州教会へ聖歌隊員派遣
9月26~27日 宣教会議(市ヶ谷センター)
10月4日(火) 教師試験委員会(市ヶ谷センター)
10月8~9日 北海道特別教区・ルーテル教団北海道地区宗教改革500年合同修養会
10月 新任教師研修会(日本キリスト教連合会主催)
10月28~29日 九州教区宗教改革500年記念合同礼拝(九州学院)
11月6~8日 27総会期第5回常議員会(市ヶ谷センター)
11月3日(金)東海教区宗教改革500年記念合同礼拝(金城学院)

11月4日(土)東教区・ルーテル教団関東地区宗教改革500年記念合同礼拝(国際基督教大学)
11月21~23日 全国教師会退修会(カトリック浦上教会)
11月23日(木)ルーテル・カトリック宗教改革500年共同記念(カトリック浦上教会)

2018年

1月 8日(月)法人会連合推薦理事研修会(市ヶ谷センター)
1月10日(水)教師試験委員会(市ヶ谷センター)
1月11日(木)教師試験(市ヶ谷センター)
1月12日(金)任用試験(市ヶ谷センター)
2月13~14日 会計監査(市ヶ谷センター)
2月19~21日 27総会期第6回常議員会(市ヶ谷センター)
2月25日(日)16:00 神学校の夕べ(宣教百年記念東京会堂)
3月 4日(日)19:00 教職授任按手式(宣教百年記念東京会堂)
3月 5日(月)神学教育委員会(市ヶ谷センター)
3月7~8日  新任教師研修会(市ヶ谷センター)
3月 9日(金)ルーテル神学校卒業式(東京三鷹)
3月21日(月)教区総会(各教区)
※「事務処理委員会」は、教会規則に基づき、処理すべき事項が発生した時に、随時、開催とする。

2016年度「連帯献金」報告

2016年度も多くの方々から「連帯献金」に支援を頂きました。感謝してご報告をいたします。(敬称略)

■「熊本地震」第一期募金  合計22,713,884円
4月14日に発生した熊本地震の地域生活支援、建物支援のために教会、施設・団体、個人から多くの献金が捧げられました。地域生活支援金は九州教区に設置された現地対策委員会を通して、現地の様々な支援活動に用いられています。建物支援金につきましては、被害の状況にあわせて再建計画がたてられているところです。

【地域生活支援】4,497,721円
日本福音ルーテル社団、近畿福音ルーテル教会、岐阜教会、宮井元、鈴木佐恵、徳井仁子、大木國子、市川教会、上嶋睦美、藤崎喬史、天山ルーテル学園、田中七保子、西岡研介・吉川貴子・まこと、三鷹教会、木原伊都子、江口雅男、本郷教会・学生センター、港キリスト教会、後藤辰之・圭子、池松綾子、博多教会、日吉教会、旭川聖パウロルーテル教会、直方教会、石巻市社会福祉協議会板澤靖男、夢工房・木山妙子、新潟のぞみルーテル教会、一色誠子、内田弘美、石郷岡玲未、田村浩一、牧師ROCKS、東京教会、ルーテル学院大学大学院社会福祉学専攻在学生修了生有志一同、長崎教会、田園調布教会、加地佐恵子、千葉教会、東京老人ホーム職員利用者一同、京都教会・メグミ幼児園、帯広教会、ルーテル神学校神学生一同、保谷教会、湯河原教会、シオン教会防府礼拝所、甘木教会、清水教会、挙母教会、刈谷教会、岡崎教会、名古屋めぐみ教会天王寺教会、博多教会、稔台教会、函館教会、仙台教会、栄光教会、横須賀教会、松山教会、掛川菊川教会、藤が丘教会、松山東雲女子大学・松山東雲短期大学キリスト教センター、福岡西教会ルデア会、唐津教会、復活教会、富士教会、原田靖彦・裕子・満留、小田原教会、板橋教会、東京池袋教会、市川範子、静岡教会、秋山幸美、神戸国際支援機構、飛騨雄一、馬渡祐子、堤雪子、髙濵洋一、亀井正子、捜真女学校中学部・高等学部奉仕委員会、山之内里冴、横浜英和学院、原みさこ後援会、馬渡祐子

【建築支援】 18,216,163円
NPO一粒の麦、原正幸、久保陽司、諏訪教会、藤崎喬史、長佑樹、広島教会、聖母愛児園、岐阜教会、大垣教会、石川玲、南清之、南成子、三原教会、馬渡祐子、藤田光江、本郷教会・学生センター、後藤圭子、なごや希望教会、市ヶ谷教会青年会、在日大韓基督教会、八幡教会、小石川教会、わいわいワーク・クッキー販売、財津悠子、服部晴美、上田直子、博多教会、山崎眞由美、大牟田教会、日本ルーテル教団、直方教会、浜名教会、芳賀明子、佐賀教会、林雄治・眞理子、高木一登、小倉教会婦人会、美濃部詠子、小石川教会婦人会、西日本福音ルーテル教会、静岡教会、横浜教会、阿部冨美子、知多教会、田村浩一、穂坂文博、東京教会、森口由美、田園調布教会、長崎教会、宇部教会、レインボーハウス福祉会、三鷹教会、タカオタカシ、馬渡祐子、金由香、髙浜澄、千葉教会、The Basel Christian Church(マレーシア)、帯広教会、小松良春、長野教会、神戸東教会、大野一郎、今村佐和、甲信地区、山中博史、ルーテル神学校神学生一同、神戸教会、都南教会、都南教会教会学校、湯河原教会、札幌教会、厚狭教会、三原教会、シオン教会防府、新霊山教会、甘木教会、吉田純子、広島教会、挙母教会、雪ケ谷教会、挙母ルーテル幼稚園、八代教会、松本教会、聖ペテロ教会、名古屋めぐみ教会、鶴ケ谷教会、下関教会、稔台教会、芳賀良、水俣教会、小鹿教会、甲府教会、芳賀恵子、仙台教会、栄光教会、上田玲子、横須賀教会、K.デール、大阪教会、本橋悦子、宮崎教会、森数美、長野教会、八王子教会、大垣教会、天山ルーテル学園、恵み野教会、福岡西教会、シオン教会徳山礼拝所・益田礼拝所・六日市礼拝所、シオン教会柳井
礼拝所、豊中教会、津田沼教会、濱田良枝、河田玲子、河田洋、復活教会、東教区女性会、サウスカロライナSYNOD、ルーテル教会オーストラリア、原田靖彦・裕子・満留、小田原教会、東海三遠地区修養会、板橋教会、みのり教会、奈多愛育園、聖パウロ教会、東京池袋教会、神水教会、大森教会、静岡教会、柳原行雄、京都教会、大岡山幼稚園、蒲田教会、二日市教会、箱崎教会、箱崎教会教会学校、恵泉幼稚園、甲信地区女性会、日本基督教団神戸イエス団教会、(福)イエス団、有泉芳史、東九条のぞみの園ボランティア会、希望の家カトリック保育園、健軍教会有志、松浦泰志、在日大韓基督教会総会、修学院教会、多羅尾毅、藤原健久、原尤子、矢野真由美、ルーテル学院熊本地震支援委員会、虹の家バザー、比企敦子、馬渡祐子、むさしの教会、賀茂川教会、小岩教会、市ヶ谷教会、東教区宣教フォーラム、聖パウロ教会・教会学校、日田教会、新潟のぞみルーテル教会、高蔵寺教会、高蔵寺教会こひつじ園ひつじの会、日田ルーテルこども園、木下順、松江教会、日本同盟基督教団事務所、浜松教会、金田貴子、庄田真唯、蒲田幼稚園、蒲田教会女性の会、市川教会、五十嵐美紀子

■ブラジル伝道  600,558円
唐津教会、神戸東教会、大岡山教会、千葉教会、熊本地区宣教会議、天山ルーテル学園、帯広教会、恵み野教会、箱崎教会女性会、博多教会、ケネス・ロビンソン小坂、京都教会、小石川教会、佐々木裕子、東教区女性会、健軍教会、女性会連盟、保谷教会、ルーテル学院中学高校、佐々木祐子、小山茂

■喜望の家 2,476,000円
ブラウンシュバイク領邦教会、博多教会

■メコンミッション支援(カンボジア) 38,000円
九州学院中学・高等学校、神戸教会、博多教会

■世界宣教(無指定)  327,760円
 舛田智子、神水教会、箱崎教会、博多教会、めばえ幼稚園、阿久根教会
今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓に苦しむ方々に連帯したいと願い祈ります。「連帯献金」を捧げてくださる場合には、それぞれの献金目的[熊本地震][ブラジル伝道][喜望の家][メコンミッション][世界宣教]を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。
郵便振替 00190-7- 71734 名義(宗)日本福音ルーテル教会合わせて、宗教改革500年記念事業募金へのご協力を感謝し、2016年末
までの献金の報告をいたします。

■宗教改革500年  4,770,401円
 田園調布教会、津田沼教会、伊藤孝雄、九州学院、九州教区、津田沼教会、総武地区、ビリピ・ソベリ、岡崎教会、知多教会、尾張地区、本郷教会、東海教区、宮森喜代子、恵み野教会、犬飼誠、浅野洋子、宮崎澪子、大柴譲治・金賢珠、林雄治・眞理子、大阪教会、神戸教会、林恵子、田中善正、小石川教会、東教区、湯河原教会、権藤久喜、加藤みゆき、市川教会、宇部教会、函館教会、拳母ルーテル教会

17-01-17自分のそばに置くため

「イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。」(マルコによる福音書3・13~15)

 ルーテル神学校の創設に尽力されたスタイワルト先生は、この『馬子傳福音書』をいつも手もとに置いておられたと伺っています。この聖書はヘボンとブラウンがひそかに世に送った木版刷りのもので、マルコ福音書で現存する最も古い日本語訳です。

 明治のはじめ、1872年といえば、まだキリシタン禁制の高札が掲げられていた、いわば迫害のときでした。長崎の浦上の人たちが捕えられ、津和野をはじめ各地に送られ、多くの人が殉教された時代でもありました。スタイワルト先生はいったいどのような思いで、この『馬子傳福音書』のページをめくっておられたのでしょうか。

 今回与えられました御言葉ですが、『馬子傳福音書』では次のようになっています。「さて山にのぼりて こころにかなふものをよびしかば 彼にきたれり すなわちおのれとともにをり また教をのぶるためにおくり かつ病をいやし 鬼をおひいだすの権威をもつために 十二人を立たり」。実に簡潔ですが、とても正確に翻訳されています。

 新共同訳には「使徒と名付けられた」という文章がありますが、実はギリシャ語の本文(ほんもん)では、この部分は[かっこ]に入っています。それは、もともとこの文章はなかったのに、後代に付け加えられた可能性が高いとされているからです。『馬子傳福音書』にも「使徒と…」という文章はありません。なぜこのようなことを書かせていただいているのかと申しますと、イエスさまは12人に限らず、私たちをも招き、私たちの名を呼んでくださっているからです。それは、「そばに置く」および「派遣し」という言葉が、原文で「現在形」によって表現されていることからもわかります。

 つまりイエスさまは「今・ここで」、ご自身のそばに私たちを置きつづけ、神さまご自身のご宣教の御業に与からせていただくために、私たちを派遣していてくださるのです。そのために、私たちの名を呼んでくださっているのです。何という恵みでしょうか。

 今年、私たちは「宗教改革500年」を記念いたします。ルターはいわゆる「95箇条の提題」と呼ばれる神学討論を提示しましたが、その第1条に、「私たちの主であり師であるイエス・キリストが、『悔い改めなさい・・・』と言われたとき、彼は信じる者の全生涯が悔い改めであることをお望みになったのである」と記して、日ごとの悔い改めを勧めています。 

 「悔い改め」という言葉を聞くとき、「遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら・・・神様、罪人のわたしを憐れんでください」(ルカ18・13)と祈った徴税人のことを思い起こします。この徴税人と対照的なあのファリサイ派の人のようではない、と私たちは思い込んでいないでしょうか。

 日常生活の中で、私たちは神さまの御前にいつも罪を犯しています。他人をねたんだり、自分が正しいと思うときには親しい人とも言い争ったりします。その人のためにと思っての一言やちょっとした態度が、相手の心を傷つけてしまう場合も多いのです。しかしながらイエスさまは、そんな弱い私たちの全ての罪をご自身の十字架において担ってくださり、私たちを罪と死から自由にしてくださいました。主イエス・キリストに結ばれ、主ご自身を身にまとう者としてくださいました。宗教改革を記念するこの年は、「日ごとの悔い改め」の大切さを、主から教えていただき、日々赦しの恵みのうちに生かされるときでもあるのです。

 「自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ・・・」との御言葉を聴くとき、主が私たちの罪をいつも赦し、私たちと共に居てくださり、私たちのまわりの方々に仕えることができるように、私たちを慰め、励まし、整えていてくださることを思うのです。自分が苦しい状況に置かれているときにも、その相手の人に、「主なる神さまの平安がありますように」、と祈ることがゆるされているのです。

日本福音ルーテル教会 引退教師 乾 和雄

17-01-01るうてる2017年1月号

説教「自分のそばに置くため」

機関紙PDF

「イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。」       (マルコによる福音書3・13~15)

ルーテル神学校の創設に尽力されたスタイワルト先生(写真左下)は、この『馬子傳福音書』(同)をいつも手もとに置いておられたと伺っています。この聖書はヘボンとブラウンがひそかに世に送った木版刷りのもので、マルコ福音書で現存する最も古い日本語訳です。 明治のはじめ、1872年といえば、まだキリシタン禁制の高札が掲げられていた、いわば迫害のときでした。長崎の浦上の人たちが捕えられ、津和野をはじめ各地に送られ、多くの人が殉教された時代でもありました。スタイワルト先生はいったいどのような思いで、この『馬子傳福音書』のページをめくっておられたのでしょうか。
 今回与えられました御言葉ですが、『馬子傳福音書』では次のようになっています。「さて山にのぼりて こころにかなふものをよびしかば 彼にきたれり すなわちおのれとともにをり また教をのぶるためにおくり かつ病をいやし 鬼をおひいだすの権威をもつために 十二人を立たり」。実に簡潔ですが、とても正確に翻訳されています。
 新共同訳には「使徒と名付けられた」という文章がありますが、実はギリシャ語の本文(ほんもん)では、この部分は[かっこ]に入っています。それは、もともとこの文章はなかったのに、後代に付け加えられた可能性が高いとされているからです。『馬子傳福音書』にも「使徒と…」という文章はありません。なぜこのようなことを書かせていただいているのかと申しますと、イエスさまは12人に限らず、私たちをも招き、私たちの名を呼んでくださっているからです。それは、「そばに置く」および「派遣し」という言葉が、原文で「現在形」によって表現されていることからもわかります。
 つまりイエスさまは「今・ここで」、ご自身のそばに私たちを置きつづけ、神さまご自身のご宣教の御業に与からせていただくために、私たちを派遣していてくださるのです。そのために、私たちの名を呼んでくださっているのです。何という恵みでしょうか。
 今年、私たちは「宗教改革500年」を記念いたします。ルターはいわゆる「95箇条の提題」と呼ばれる神学討論を提示しましたが、その第1条に、「私たちの主であり師であるイエス・キリストが、『悔い改めなさい・・・』と言われたとき、彼は信じる者の全生涯が悔い改めであることをお望みになったのである」と記して、日ごとの悔い改めを勧めています。 
 「悔い改め」という言葉を聞くとき、「遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら・・・神様、罪人のわたしを憐れんでください」(ルカ18・13)と祈った徴税人のことを思い起こします。この徴税人と対照的なあのファリサイ派の人のようではない、と私たちは思い込んでいないでしょうか。
 日常生活の中で、私たちは神さまの御前にいつも罪を犯しています。他人をねたんだり、自分が正しいと思うときには親しい人とも言い争ったりします。その人のためにと思っての一言やちょっとした態度が、相手の心を傷つけてしまう場合も多いのです。しかしながらイエスさまは、そんな弱い私たちの全ての罪をご自身の十字架において担ってくださり、私たちを罪と死から自由にしてくださいました。主イエス・キリストに結ばれ、主ご自身を身にまとう者としてくださいました。宗教改革を記念するこの年は、「日ごとの悔い改め」の大切さを、主から教えていただき、日々赦しの恵みのうちに生かされるときでもあるのです。
 「自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ・・・」との御言葉を聴くとき、主が私たちの罪をいつも赦し、私たちと共に居てくださり、私たちのまわりの方々に仕えることができるように、私たちを慰め、励まし、整えていてくださることを思うのです。自分が苦しい状況に置かれているときにも、その相手の人に、「主なる神さまの平安がありますように」、と祈ることがゆるされているのです。日本福音ルーテル教会 引退教師 乾 和雄

連載コラム enchu

10【dialogue】

 永井均さんの『子どものための哲学対話』(講談社)という本は、「ぼく」の問いに猫の「ペネトレ」が答えるという対話の形で進んでいくのですが、その本の中にこんな対話があります。
 ぼく「こまっている人や苦しんでいる人がいたら、助けてあげるべきだよね?」
 ペネトレ「いや、こまっている人や苦しんでいる人を、やたらに助けちゃいけないよ」。
 さて、この頁には3コマの挿絵があるのですが、それがペネトレの返答の補足になっています。①女の子がクラリネットのドとミとソとラの音がでなくなってしまい泣いています。②そこに、男の子がやってきて泣いている彼女に声をかけます。「ちょうどよかったボク(のクラリネット)は、レとファとシの音がでなくて困ってたとこなんだ。協力してくれない」と。③そして2人は仲良く笑顔でクラリネットを奏でる、というものです。この挿絵が補足しているメッセージは、「相手が助けてもらったことに気がつかないような助けかた」の大切さ、です。
 ところで、インマヌエル(神は我々と共におられる)を信じるキリスト者は、このように自分が助けられていることを知っている人と言えるでしょう。「私が気づいていないときも、主は共にいてくださる」と。そうであるならば、私たちは、ペネトレの最後の言葉を心に留めておきたいと思うのです。「これだけは覚えておいてくれよ。自分が深くて重くなったような気分を味わうために、苦しんでいる人を利用してはいけないってこと…」。
岩切雄太( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会牧師)

議長室から

福音の射光に浴する一年を 総会議長 立山忠浩

明けまして、おめでとうございます。皆さまの新しい年の歩みの上に、神様のお導きとお守りをお祈り申し上げます。
 今年の元旦は日曜日と重なりました。み言葉と共に、聖餐に与る礼拝をもって今年を始められた方も多いことでしょう。
 個人的なことですが、私は元旦礼拝や年頭の主日礼拝の聖餐の歌として、教会讃美歌262番を選曲することにしています。「朝日に向かい、ひざまずくわれを、主よ、あわれみたまえ」と繰り返される歌詞に惹かれるからです。日本古来の元旦の習慣のひとつに「ご来光を拝む」というものがありますが、もちろんそういうことを強調したいからではありません。ただ、新年に思いを新たにして、太陽の光に思いを馳せることはむしろ相応しいことだと考えるからです。
 今年1年間読むことになるマタイによる福音書は、イザヤ書を引用して、「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」(4・16)と記しています。この「光」とは太陽の光のことですが、それはイエス・キリストのことであり、福音そのものであると教えているのです。
 私たちは自分の生きている時代のことしか実感できませんので、この時代だけが特別だと考えてしまいがちです。世界的な政情や経済の不安が増大し、紛争やテロが勃発するたびに、この時代だけが特別に暗闇と死の陰が蔓延していると思い込んでしまいますが、そうではありません。聖書はいつの時代もそうであると教えているのです。
 ただ、その現実だけを聖書は見つめているのではありません。たとえそのような厳しさがあったとしても、もっと重要で、もっと幸いに満ちた事実を忘れてはいけないことを喚起しているのです。それが暗闇と死の陰に射し込んでいる太陽の光だと聖書は教えているのです。
 この1年間も様々なことが起こることでしょう。喜びごともあれば悲しみもある。個人的にも、日本でも世界中でもそうでしょう。教会においても同様です。特に私たちルーテル教会は、今年は宗教改革500年の記念すべき年を送ることになりますので、喜びと感謝に満ちた年になることを願っています。
 何ごとをなすにしても太陽の光がそうであるように、私たちの歩みにはイエス・キリストによる福音の恵みが射し込んでいるのです。この安心の中で新しい1年を過ごしてまいりましょう。

「松本こども留学」これからの展望

  プロジェクト3・11企画委員       谷口和恵

 11月22日、また福島で震度5弱の地震がありました。4月には熊本・大分地震、10月には鳥取地震と、私達は地震列島に住んでいる現実を突きつけられています。
 そんな中、福島の原子力発電所や放射能汚染のことがメディアに取り上げられることがめっきり減ってきました。現地には子どもたちを安心して外で遊ばせられないお母さん達がおり、結婚して子どもを持つことはできないのではないかと心配している若い女性達がいます。ものすごく長いスパンでしか減っていかない放射能が未だあるのです。そして放射能の人体への影響は、チェルノブイリ原発事故のデータにもあるように、これから増えていくと思われます。
 「松本子ども留学」に関わりだして3年が経とうとしています。自分たちの意思で、また親御さんの思いで、放射能の心配の無い所で学校に通いたいと福島を離れた当初8人の女の子達。この間、中学を卒業して福島へ戻った子、また松本での高校生活を選んだ子がおり、現在寮生は3人となりました。寮のスタッフも福島へ出向き、安全な場所に子どもたちを送ってもらうよう広報活動に頑張っていますが、数年の長期間となると二の足を踏む親御さんが多いのが現状です。
 しかしこの間、短期の保養プログラムに力を入れており、この夏も約10家族が滞在し、安心できる場所で夏を満喫しました。福島では保養の必要性を理解する親が確実に増えているとのこと。松本子ども留学がその受け皿になっていくことが今後増々求められるでしょう。
 先日寮に行った際、心に残る話を聞いてきました。それはここで数年を過ごした子たちが日本のみならず海外からも多くの支援を受けいろいろな人と関わる中で、自分の将来を考える時に人の役に立つ生き方をしたいと模索し始めているということでした。それは私達にとっても希望です。「松本子ども留学」は多くの人のご支援、ご協力で成り立っています。どうぞお祈りにお覚えください。(プロジェクト3・11は「松本子ども留学」を支援しています。)

東海教区2016年信徒大会を終えて「聞いて見て歌って ルターを感じて!」

浅川 広(岡崎教会)

 7時50分、集合時間より20分も早いがスタッフはすでに到着していた。「おはようございます」と少し緊張して挨拶をした。全員でお祈りをする。ロビーの扉はまだ開いていないが、ホールのはからいで予定時刻前に準備にかかることが出来た。
 タイムスケジュールを受け取り、各担当に分かれ、それぞれの場所に向かう。壇上の確認をして、横断幕を吊る。オルガンが運ばれて来た。指示された場所を持って慎重に運ぶ。意外に軽い。立て看板の設置、壇上、ロビー、玄関を確認する。
 講師の中川浩之さん、小杉由子さん、柳沢知津江さんが到着。挨拶をして担当が楽屋まで案内した。
 10時25分予鈴が鳴る。オルガンが鳴り会場が静かになった。開会礼拝の始まり。聖書を読む、賛美歌を歌う、説教を聞く。教会を感じるひと時。
 礼拝が済み、壇上は講演会の準備が整う。中川さんの講演が始まる。「絵画でたどるルターの生涯」。ご自身の描かれた絵と集められた資料をプロジェクターで映して話しをされた。シュトッテルンハイムで雷に打たれた所、贖宥状、献金箱、95箇条の提題、アウブスブルクの信仰告白は特に興味を持って聞くことが出来た。資料は多いが話される内容はわかりやすい。ずいぶん時間をかけて準備されたものと思う。「1時間では短い」と思われた方もいるのではないか。
 休憩中、壇上では午後の準備の音が響く。
 午後は小杉さんと柳沢さんのコンサート。舞台裏では、空調の音、厚いカーテン、反響板に遮られ、余り聞こえない。しかし場内の反応は良くリハーサルから本番まで小杉さんと柳沢さんにはただ感謝。
 閉会礼拝が済み、片付けになった。ホールの方の手助けもあり順調に進んだ。片付けが済んでから感謝のお祈りをして解散した。しかし講師の方々を見送ることを忘れてしまった。中川さん、小杉さん、柳沢さんにはとても失礼をしてしまった。こんな私達を使った神様は緊張の連続で胃が痛かったのではないか。欠けの多い私達が神様に守られた2年と1日が終わった。

宗教改革500年にむけて「ルターの意義を改めて考える」56

 ルター研究所所長 鈴木浩

 「義人にして同時に罪人」と語るルターは、「健康にして同時に病気」とも言い、「イエス・キリストの十字架での苦難と死という場所以外では、神は決して認識されない」と言い、そしてその場所でも、「神は啓示されていると同時に隠されている」とも言っている。
 どれも正反対の事態を「同時に」という言葉で結び付けている。『キリスト者の自由』では、冒頭に「キリスト者は誰にも服さない君主であると同時に、誰にでも服す僕である」という命題が掲げられている。一般化して言えば、「白であると同時に黒である」ということになる。
 これは、どうしたことであろうか。ルターの神学的発言の中では、いつも 「二つの視点」が交差している。「神の前で」という視点と「人々の前で」という視点である。「神の前で」とは「神の判断によれば」という意味であり、「人々の前で」とは、「社会倫理的判断によれば」という意味である。
 13世紀最大の神学者トマス・アクィナスの名著『神学大全』では、「義人とは罪人でない人」のことであり、「罪人は義人でない人」のことだから、ルターの発言は端的に矛盾そのものである。
 ルターは「人々の前で」最善のことは、「神の前で」は、最悪の事態だと語る(ハイデルベルク討論)。人々の前で最善のことをなせば、人々の称賛を浴びることになる。称賛を浴びれば、どんな人も高慢な思いに取りつかれる。しかし、高慢は、救いにあずかる最大の障害になる。だから、「人々の前で」最善のことは、「神の前で」は最悪の事態を引き起こす、というのだ。
 ルターの発言を理解するポイントは、常に「神の前で」という視点と、「人々の前で」という視点とが交差していることを念頭に置いて読む、そのことに尽きる。

「キリスト者の自由」を読む』を紹介します

 ルター研究所 江口再起

 2017年、宗教改革500年の年を迎えました。ルターの年です。ということは、ルーテル教会に集う者にとって、ルターを改めて学ぶ絶好の年です。
 では、ルターの書物の中で、何を読むべきでしょうか。ルターといえば、やはり『キリスト者の自由』ということになります。不朽の名著です。ルターの本の中でというよりも、キリスト教2000年の中で最も大切な書物の一つなのです。
 しかし、難点があります。いくら名著といわれても500年も昔の書物です。現代人には簡単に読めない。しかも内容が重厚、手ごわい書物です。読むためには、手引きが必要なのです。そこでルター研究所が総力をあげ手引きとなる本を執筆編集し出版しました。それが『「キリスト者の自由」を読む』です。
 では、そもそも『キリスト者の自由』とは、どんな本なのか。書名に自由という言葉が使われていますが、実は単なる自由論ではありません。自由を切り口に、そこで論じられていることは、人間存在の、あるいはキリスト者であることの意味です。真正面から論じられています。神によって義とされ(救われ)、自由となり、それゆえいわば一人のキリストとなり、隣人への奉仕(愛)に生きる。まさにルターの思想の真髄です。だから名著なのです。
 さて、この名著の手引きの書、それが今回出版された『「キリスト者の自由」を読む』ですが、三つの特長があります。一つは、六つの主要テーマ(自由、律法と福音、信仰義認、全信徒祭司性、信仰と行為、愛の奉仕)がわかりやすく解説されています。
 二つ目は、21世紀に生きる私たちにとって『キリスト者の自由』のもつ意義を語り合った座談会が収録されていることです。現代人の視点で『キリスト者の自由』を読むためです。そして三つ目の特長は、この本は一人で読んでもよいし、また教会などで学習会を開く時にテキストとして用いてもよいということです。ぜひ手にとり読んでいただきたいと思っています。

日本福音ルーテル教会とカトリック教会 宗教改革500年共同記念企画

 日本福音ルーテル教会と日本カトリック司教協議会は、宗教改革500年を共同で記念するため、2017年11月23日にカトリック浦上教会において、共同企画を行います。
 マルティン・ルターの問題提起に端を発した宗教改革運動は、結果として世界に分裂をもたらしましたが、もはや「対立から和解へ」との歩みの中にあります。宗教改革から500年の節目の年に、現代世界の争いを想起しながら、対立から平和の実現に向かうモデルを伝え、祈りを合わせる記念企画を構想しました。
 これに先立ち、大柴譲治牧師(日本福音ルーテル教会総会副議長)と高見三明大司教(日本カトリック司教協議会会長)とは、2016年11月18日、カトリック浦上教会において、宗教改革の始まりの地であるドイツから来日中であったヨアヒム・ガウク ドイツ連邦共和国大統領と面談し、同企画について説明し、親書を手渡し、協力を要請しました。ドイツ福音主義教会牧師でもあるガウク大統領は、両教会の歩みに祝福をお祈りくださいました。

宗教改革500年共同記念
〈平和を実現する人は幸い〉
シンポジウムと記念礼拝

日時 2017年11月23日(木/祝)10時~15時
会場 カトリック浦上教会(浦上天主堂)
共同主催 日本福音ルーテル教会・日本カトリック司教協議会

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より
知っていてくださる マタイ6・5~8 

伊藤早奈

〈祈り〉神様あなたに心を向けて、たくさんのものを与えられていることを感謝できる今を与えてくださりありがとうございます。空を見上げるとなんだか自分の心を映しているように見えたりします。しかし全てがあなたに与えられている恵みであることを思い起こすとき、空にある星が道しるべになったり、道ばたに咲く花が命の色であるように思えたり。私たちの周りがあなたからの恵みで満ちていることに気がつきます。あなたに与えられている全てを感謝できますように。このお祈りを主イエス・キリストのお名前によってお祈り致します。アーメン

 イエス様は言われます。「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なのだ。」(マタイ6・8)と。
 さすが神様。私が祈る前からわかってくださっているのか、じゃあ祈らなくてもいいか。というように考えてしまう人も少なくないような気もしますが、どうでしょうか。
 お祈りは手紙のようです。宛名がなければ届きません。たとえどんなに思っていたとしても、相手にわかる言葉で自分自身も納得した内容であったとしても、自分が手紙を出したいと希望する相手の宛名や住所が記されないと、その相手には届きません。そして手紙には切手が必要です。それと同じように祈りにも必ず加えるものがあります。それはイエス・キリストの御名です。
 イエス様が言われるように、神様は祈る前からあなたの願いをご存知であり、あなたに何が必要なのかもご存知です。あなたが願う通りのものでも願いと違うものでもなく、あなたに必要なものをご存知なのです。だからあなたが神様を宛名として祈るということは、その願い事やいろんな思いをも神様にお委ねすることなのです。
 そしてあなたが神様に心を向けて祈るとき、神様はあなたに必要なものを与えてくださいます。なぜならあなたの信じている神様は、あなたを大切にしておられるからです。そのことに信頼し、祈りたいのです。「神様」と。

……………………

公告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。

2017年1月15日
宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 立山忠浩
信徒利害関係人 各位
なごや希望教会土地売却・建物解体
(ア)自由ヶ丘礼拝所土地
・所在地 名古屋市千種区鍋屋上野町字汁谷
・所有者 日本福音ルーテル教会
  地番 3530番221
  地目 境内地
  地積 484㎡
(イ) 自由ヶ丘礼拝所建物
・所在地 名古屋市千種区鍋屋上野町字汁谷3530番地221
・所有者 日本福音ルーテル教会
  家屋番号 3530番221
  種類 礼拝堂・居宅
  構造 木造スレート葺2階建
  床面積 1階187・87㎡
      2階143・86㎡
(ウ)名東礼拝所土地
・所在地 名古屋市名東区高柳町
・所有者 日本福音ルーテル教会
  地番 708番
  地目 宅地
  地積 296㎡
(エ) 名東礼拝所建物
・所在地 名古屋市名東区高柳町708番地
・所有者 日本福音ルーテル教会
  家屋番号 708番
  種類 会堂・居宅
  構造 木・鉄骨造スレート葺2階建
床面積 1階 176・90㎡
      2階 155・13㎡
・理由  なごや希望教会会堂・牧師館の建築資金に充当するため。

第27回総会期第2回常議員会報告

 事務局長・白川道生
 第27回総会期の第2回常議員会が、11月7日から8日にかけて、市ヶ谷センターにて開催されました。

▼諸活動、委員会報告

 定例常議員会であり、本年6月以降の取り組みにつき、議長以下、事務局長、宣教・広報・管財・総務の4室、世界宣教、各教区、常置委員、常設委員その他委員会よりそれぞれの報告がなされ、いずれも承認されました。

▼審議事項

 人事案件では、ELCA(アメリカ福音ルーテル教会)に対する長期宣教師の派遣要請(熊本地区)、2017年任命となるJ3宣教師2名の任地(九州学院並びにルーテル学院中学・高校)、LEAF(フィンランドルーテル福音協会)信徒宣教師の任地(東教区付/小岩、市ヶ谷、東京池袋)が決議されました。
 申請事項では、九州教区より、熊本教会・登録有形文化財登録に関する承認申請、学校法人九州ルーテル学院からの教会推薦理事変更申請が承認されました。
 提案事項では、2017年度教職給与、同年協力金について決定がなされました。また、2017年の公式行事・会議日程も決定されていますので、ご確認を願います。

▼協議事項

 本常議員会では、先の第27回全国総会での決議に基づき、これからのIECLB(ブラジル告白福音ルーテル教会)とJELCにおける宣教協力について協議がなされました。
 11月の立山忠浩議長ブラジル訪問を前にして、宣教師派遣終了に伴い、これまでとは違った両教会の宣教協力の在り方を描き、2018年に「宣教協約」を締結するための意見交換が行われました。加えて、現任の徳弘宣教師の後任となるルイス・メロ牧師の研修来日(最長1年)を受け入れる概要計画が協議されました。
 4月の熊本地震から現在までの宣教活動についても話し合われました。これまで第1期の連帯献金は1800万円が献げられました。 熊本地区の教会建物被害は、復旧費用が計上されているだけで約3800万円の規模、加えて未だ見積もりが確定しない被害もあるとの報告を共に聞きました。  また、教会と密接な関係の学校にも甚大な被害が出ており、九州学院チャペルと阿蘇山荘の被害が、学校に対する補助制度で対象外とされた状況が説明され、九州教区常議員会から支援に加える願いがありました。
 常議員会では、2017年4月末までの、連帯献金「熊本地震支援第2期募金」実施を決議しました。
 常議員会の詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。

ルーテル教会・カトリック教会 宗教改革共同記念「共同の祈り」

2016年10月31日 ルンド(スウェーデン)にて開催

 そのとき、エキュメニカルな対話がとうとう形をとった。「ラウダーテ・ドミヌム」(主をたたえよ)、テゼ共同体の讃美歌とオルガン伴奏が、カテドラルのチャペルにこだまする。その中をゆっくりと進む司式団。それは過去500年の教会史を見渡しても、あり得ない光景だった。
 先頭を進むのは色鮮やかな絵画をあしらった十字架。緑の大地と青い空を背景に、世界の人々がイエスの周りに集っている。フランシスコ教皇とユナン議長、それぞれカトリックとルーテルを象徴する聖職者が並んで入堂してきた。他の司式者たちも皆、赤いストールを肩にかけている。赤は宗教改革の色だ。同じ色を教皇も身につけていた。カトリック教会がこうした祝祭に赤を用いるとは聞いたことがない。
 あり得ない光景は、もうひとつあった。カトリックが女性聖職者を認めていないのはよく知られているが、一人の女性アンチェ・ジャケレン総監督がその中にいたことだ。彼女はスウェーデン国教会(ルーテル)を代表する聖職者である。赤のストールと女性聖職者の姿は、宗教改革500年記念というルター派の出来事の意義をカトリック教会が認め、それを好意的に受け入れ、共に喜んでいるという何よりの証拠といっていい。これは過去50年に及ぶ両教会の一致運動による大きな成果であり、これ無くしてこの日の礼拝はあり得なかった。
 私はこの行事を「礼拝」と表した。みことばがあり、賛美があり、祈りがあるこの集いを、ルーテル教会はそう言ってなんら差し支えない。だが今回正式には、ミサあるいは礼拝という言葉は用いられなかった。その代わり「共同の祈り」(Common Prayer)という記念行事として行われたことも付しておくべきだろう。そして翌日カトリック教会は寒空の下、野外「ミサ」を行い、LWF代表者を招いた。そのことの意味も忘れてはなるまい。
 世界各国から詰めかけたメディアの数は500を超えた。インターネットでライブ中継も行われた。スウェーデン国王と王妃、そして首相をはじめ大臣も列席するとは前日まで知らなかった。私の想像を遙かに超えて、これは画期的で歴史的な「礼拝」だった。

第24回 春の全国ティーンズキャンプ参加者募集

■期間 2017年3月28日(火)~30日(木)
■対象 12歳~18歳 (2017年4月2日時点)
■会場 高尾の森わくわくビレッジ( 東京都八王子市 川町55)
■テーマ ルター(予定)
■主題聖句 「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。」(ガラテヤの信徒への手紙3章26節)
■参加費 1万円(1月29日までの申込み。それ以降は1万1千円。期限後は要相談1万5千円)
・交通費別途必要。キャンセルの場合、キャンセル料が発生します。
・参加者は各教区・地区ごとに集合してからの移動となります。集合先から会場までの切符はまとめて購入いたします。費用額は詳しい移動方法等とともに申込み者に各教区担当者からご連絡いたしますので、参加費とあわせて当日ご持参ください。
■申し込み期間 2月19日まで
(飛行機、新幹線の手配のため、早めにお申込みください)
■申込み方法
以下のURLへアクセスしてください。
http://tng.jelcs.net/teenscamp2017/ 
左の2次元コードからでもアクセスできます。
・所属教会の牧師からキャンプ参加の承認を必ずもらってください。その上で、教会もしくは牧師のメールアドレスを聞いてください。メールアドレスが無い場合は、電話番号でも可能です。
・正式登録されると下記のTNGーTeensブログに教会名とイニシャルが掲示されますのでご確認ください。申込みから数日かかります。
・サイトからの申し込みができない場合、「申込書&アンケート」に必要事項を記入し、次のいずれかに送ってください
▼ファクス03-3814-6845(本郷教会)
▼メールharukyan.moushikomi@gmail.com(永吉穂高)
▼郵便 〒133-0033 東京都文京区本郷6ー5ー13
本郷教会 安井宣生 
■問合せ先:TNG-Teens部門・永吉穂高 (電話080-6106-0794)
■主催 日本福音ルーテル教会宣教室TNG-Teens部門、各教区教育部、日本ルーテル神学校
■協賛 JELA
■春キャンについて、またTNG-Teensについて、詳しくはTNG-Teensブログ
http://tngteens.

16-12-17イエスがお生まれになったとき

 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。その時、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 (マタイによる福音書2章1節~3節)

クリスマスページェントは、
♬ 昔ユダヤの人々は神さまからのお約束、貴い方のお生まれを嬉しく待っておりました。
 貴い方のお生まれを皆で楽しく祝おうとその日数えて待つうちに、何百年も経ちました ♬
という歌から始まることが多いと思います。

 マタイによる福音書1章では、イエス・キリストの誕生の次第を、聖霊によって宿ったこと、そして、その誕生は700年以上前から預言者イザヤによって「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ書7・14)と告げられていたと伝えています。私たちもユダヤの人々はメシアの誕生を待望していたと聞いています。けれどもマタイによる福音書が語るクリスマスの出来事は違うのです。

 イエスさまがお生まれになった時に、東方の占星術の学者が星に導かれてヘロデ王のいる宮殿に訪ねて来ました。そして、「ユダヤ人の王」として主イエスがお生まれになったと東方の学者たちから聞かされて、ヘロデ王だけではなく、エルサレムの人々も、喜びどころか不安を抱いたと語るのです。生まれたばかりの主イエスは、泣き声をあげるだけで、何を語ったわけでも、何をしたのでもないのです。それにもかかわらず、多くの人々に動揺を与えたのでした。
 
 ここにイエスさまの誕生を巡る2通りの人間のドラマを見ることができます。東方の占星術の学者たちと、ヘロデ王とエルサレムの人々です。
 マゴスと呼ばれる東方の占星術の学者たちとは、天文学が盛んなペルシアやメソポタミアあたりの学者であろうと言われています。ユダヤから見れば遠い国です。彼らはユダヤ人ではなく異邦人です。他宗教の学者たちです。キリストとは縁もゆかりもないその人たちが、「ユダヤの王」として生まれたキリストを礼拝するために、星の導くままに旅をしてきました。どれほどの長旅だったのかわかりません。

 しかし、分かっていることは、その旅は危険に満ち、困難の伴う命がけの長旅であったということです。驚き以外何ものでもありません。マタイによる福音書ではイエスさまを礼拝したのは、この異邦人の学者たちだけです。彼らがイエスさまを「ユダヤ人の王」と認めたということは、イエスさまもまた異邦人の王でもあるということを意味しています。彼らはメシア(キリスト)に最も近い存在となっていたと言えるでしょう。

 他方、エルサレムの人々は預言者の言葉を聞いていた人々でした。預言者の言葉を身近に聞いていたはず、知らされていたはずです。にもかかわらず、それらの言葉を受け入れることができませんでした。祭司長たち、律法学者たちはユダヤ教の指導者、代表者であったのです。彼らはヘロデに問われ、聖書からメシア(「ユダヤ人の王」)が生まれる場所がベツレヘムであることを即座に言い当てています。しかし、それだけです。自分たちで確かめようとはしませんでした。メシア(キリスト)に近い存在であったにもかかわらず、実際には最も遠く離れた存在だったと言えるでしょう。
 「あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。」(エペソ人への手紙2・13/口語訳)

日本福音ルーテル高蔵寺教会牧師 中村朝美

16-12-01るうてる2016年12月号

説教「イエスがお生まれになったとき」

機関紙PDF

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。その時、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。        (マタイによる福音書2章1節~3節)

クリスマスページェントは、
♬ 昔ユダヤの人々は神さまからのお約束、貴い方のお生まれを嬉しく待っておりました。
 貴い方のお生まれを皆で楽しく祝おうとその日数えて待つうちに、何百年も経ちました ♬
という歌から始まることが多いと思います。

 マタイによる福音書1章では、イエス・キリストの誕生の次第を、聖霊によって宿ったこと、そして、その誕生は700年以上前から預言者イザヤによって「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ書7・14)と告げられていたと伝えています。私たちもユダヤの人々はメシアの誕生を待望していたと聞いています。けれどもマタイによる福音書が語るクリスマスの出来事は違うのです。
 イエスさまがお生まれになった時に、東方の占星術の学者が星に導かれてヘロデ王のいる宮殿に訪ねて来ました。そして、「ユダヤ人の王」として主イエスがお生まれになったと東方の学者たちから聞かされて、ヘロデ王だけではなく、エルサレムの人々も、喜びどころか不安を抱いたと語るのです。生まれたばかりの主イエスは、泣き声をあげるだけで、何を語ったわけでも、何をしたのでもないのです。それにもかかわらず、多くの人々に動揺を与えたのでした。
 
 ここにイエスさまの誕生を巡る2通りの人間のドラマを見ることができます。東方の占星術の学者たちと、ヘロデ王とエルサレムの人々です。
 マゴスと呼ばれる東方の占星術の学者たちとは、天文学が盛んなペルシアやメソポタミアあたりの学者であろうと言われています。ユダヤから見れば遠い国です。彼らはユダヤ人ではなく異邦人です。他宗教の学者たちです。キリストとは縁もゆかりもないその人たちが、「ユダヤの王」として生まれたキリストを礼拝するために、星の導くままに旅をしてきました。どれほどの長旅だったのかわかりません。
 しかし、分かっていることは、その旅は危険に満ち、困難の伴う命がけの長旅であったということです。驚き以外何ものでもありません。マタイによる福音書ではイエスさまを礼拝したのは、この異邦人の学者たちだけです。彼らがイエスさまを「ユダヤ人の王」と認めたということは、イエスさまもまた異邦人の王でもあるということを意味しています。彼らはメシア(キリスト)に最も近い存在となっていたと言えるでしょう。
 他方、エルサレムの人々は預言者の言葉を聞いていた人々でした。預言者の言葉を身近に聞いていたはず、知らされていたはずです。にもかかわらず、それらの言葉を受け入れることができませんでした。祭司長たち、律法学者たちはユダヤ教の指導者、代表者であったのです。彼らはヘロデに問われ、聖書からメシア(「ユダヤ人の王」)が生まれる場所がベツレヘムであることを即座に言い当てています。しかし、それだけです。自分たちで確かめようとはしませんでした。メシア(キリスト)に近い存在であったにもかかわらず、実際には最も遠く離れた存在だったと言えるでしょう。
 「あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。」
(エペソ人への手紙2・13/口語訳)
日本福音ルーテル高蔵寺教会牧師 中村朝美

連載コラムenchu

9【 Sacra Familia 】

 今年もいろいろありましたが、待降節の季節になりました。
 さて、待降節を迎えると、教会によっては聖家族(をモチーフにした置物)を飾ったりします。そこには、たぶん、飼い葉桶に寝かされている幼子イエスを中心に、その両側に母マリアと父ヨセフがいます。それ以外の人物(及び動物)として、並べ方の違いはあるかもしれませんが、羊飼いと羊、占星術の学者とラクダ、そして、馬(ロバ?)、牛がいます。また、馬小屋の上には天使もいることでしょう。
 しかし、少し考えてみると、聖家族の登場人物たちは、私たちの社会が考える「家族」と異なる集団であることに気づかされます。「家族」を辞書で引くと、「夫婦とその血縁関係にある者を中心として構成される集団」と説明されていました。けれども、マリアとヨセフはまだ夫婦ではありません。そしてもちろん、羊飼いたちは、マリアとヨセフの血縁関係者ではありません。また、占星術の学者たちは、マリアとヨセフにとっては、明らかに外国人です。宗教も文化も違ったことでしょう。 そして何よりも、彼ら(彼女)の真ん中にいる幼子イエスは、聖霊によって処女マリアから生まれたと聖書は記しています。そう、キリスト教会は、私たちの社会が「家族」として想定していない構成メンバーによる集団を、聖家族と呼び、大切にしているのです。
 社会制度、血縁、民族、文化、宗教の違い超えて、最も小さい者(幼子イエス)を中心に集まった聖家族、私たちを固定概念から解き放し、大切なコトを教えてくれているようです。
岩切雄太  門司教会、 八幡教会、 佐賀教会牧

議長室から

ルターは「ルーテル」のこと 総会議長 立山忠浩

 2016年10月31日。宗教改革記念日の夜、インターネット放送をご覧になった方がいらっしゃることでしょう。スウェーデンはルンドで開催されたルーテル教会とローマ・カトリック教会の「共同の祈り」の放映です。鈴木浩牧師(一致に関するルーテル=ローマ・カトリック委員会委員)、浅野直樹Sr.牧師(ルーテル世界連盟理事)も参列し、歴史的できごとに立ち会われました。またこの日に宣言された「共同声明」の翻訳の労を徳善義和牧師がいち早く進んでとってくださいました。今号に間に合うことができ、感謝すべきことでした。
 『義認の教理に関する共同宣言』や『争いから交わりへ』という共同文書に代表される世界レベルでの両教会による共同の取り組みがあって、今回の「共同の祈り」へとたどり着くことができたのです。携わってきた奉仕者たちの長年の労を覚えずにはおられません。  この対話の流れを汲んで、日本でも来年の11月23日には長崎の浦上天主堂(カトリック浦上教会)で、日本福音ルーテル教会と日本カトリック司教協議会による合同礼拝とシンポジウムが開催されることになっています。記念すべき会に皆さんが参加くださり、歴史的証人になっていただければ幸いです。
 この「共同の祈り」が日本のある新聞の記事になりました。教皇フランシスコの名前はあっても、ルーテル世界連盟のユナン議長の名がないことにやや不満が残りましたが、全国版の新聞社が取り上げてくれたことは感謝であり 、「宗教改革500年」への追い風が教会の外でも吹き始めていることを感じました。
 その記事で「ルーテル派」という呼称に目が留まりました。私たちは通常「ルーテル教会」と自らを名乗りながらも、教派を名乗る場合には「ルーテル派」とは言わず、「ルター派」と呼んでいるからです。そして「私たちルーテル教会のルーテルとは、宗教改革者ルターのことですよ」と、「ルーテル」の名を説明しようとしているはずです。しかし一般紙が「ルーテル」という名称を認知していることは新鮮でした。ここから、「宗教改革者ルターは、私たちルーテル教会のルーテルのことですよ」と語り始めるべき時が来ているように感じたのです。
 いよいよ来年は宗教改革500年の年。「ルーテル」の名をさらに日本中で認知していただくこの上ない機会です。教会に招くための第一歩。その働きに私たちが用いられるものでありたいのです。

プロジェクト3.11  気仙沼・前浜マリンセンターより

気仙沼市本吉町前浜地域 畠山友美子(KEPPAPPE)

 2011年3月11日のあのときから6年が経とうとしています。
 ルーテル教会のみなさまには多大なるご支援を頂き、現在でも応援頂いていること、とても心強いです。ありがとうございます。
 最近は、災害が日本のいたるところで発生し、発生直後は災害の様子が多く報道されますが、徐々に様子が見えなくなるというのが現状です。前浜地域の現在について、ほんの一部ですが、伝えさせて頂きたいと思います。
 まず、私の住んでいる前浜地域の仮設住宅についてです。当初50軒の入居がありましたが、現在は10軒をきり、防災集団移転での自宅再建や災害公営住宅などへの引っ越しが、やっと本格化してきています。一方で、まだ新居がみつからない方もいらっしゃり、「仮設住宅に住めただけでもいいほうだと思いつつ、今が一番辛いとも思う」とおっしゃる方もいました。引っ越し先では、再度コミュニティのつくりなおし。日々の積み重ねでつくられるコミュニティは、そう簡単につくることはできません。

 ご支援いただき再建された、前浜地域の自治会館「東日本大震災復興記念前浜マリンセンター」は、相変わらず、前浜地域の役員会やイベントなど、順調に住民の方々に利用されています。
 前浜地域の住民に限らず、気仙沼で子育てサークルを行っている若いお母さんや子どもたち、障がいのあるお子さんがいらっしゃる保護者の方々の交流会、ピアノ教室など、2~3日に1回のペースでセンターが利用されています。建物の中は仕切りがあるので、2つの団体が同時に利用したり、1日に3回以上利用されることもあります。利用は予約制ですが、1ヶ月前の予約でも取れないことがあります。また、被災した両隣の地域の自治会館も、今年落成式を終えました。
 震災から思うと、確実に復興に近づいていることを実感します。震災の影響はまだ続いていますが、気仙沼はみんな一生懸命がんばっています。元気な気仙沼を見に、ぜひ気仙沼にいらしてくださいね。

 

NCC主催・宣教会議2018に向けた取り組み

佐藤和宏(NCC主催・宣教会議2018プレ集会準備委員)

 NCC(日本キリスト教協議会)は、1948年に設立されたプロテスタント諸教派が属する組織で、私たちの教会もその一員です。私たちの教会からも、諸委員会に多くの委員を派遣し、協力しています。
 NCCでは、2018年に設立70年を迎えるにあたって、「宣教会議」を主催することとなり、現在、それに向けてプレ集会を計画しています。

 9月24日、第1回のプレ集会が早稲田にある日本キリスト教会館にて開催されました。テーマは「〈宣教=ケリュグマ〉×〈青年〉―み言葉に聴き、伝えること」でした。各教派と諸団体による、テーマに即した取り組みの報告とパネルディスカッションを中心に、プログラムは進められました。
 日本福音ルーテル教会からは、本郷教会の取り組みの報告が安井牧師によってなされました。孤立しがちな子育て世代に目を向けたプログラムの展開や地域にある教会としての様々な試みはたいへん興味深い内容でした。特にフェスタは、地域の商店等を巻き込んで展開されていることで、地域とのつながりが強くなっていることがわかりました。

 今後、2018年の宣教会議までに、プレ集会が第2回「〈奉仕=ディアコニア〉×〈いのち〉」(2017年2月4日)、第3回「〈証し=マルトゥリア〉=〈世代間協働〉」(2017年9月9日)、第4回〈「祈り・礼拝=レイトゥルギア〉×〈多様性〉」(2018年2月3日)が予定されています。これら4回のプレ集会を経て、宣教会議は「〈交わり=コイノニア〉×〈包括的な宣教〉―主にある交わり、共同体となること」というテーマで、2018年4月以降に開催される予定です。

 また今回注目したいのは、加盟教派だけではなく、カトリック教会や日本福音同盟からも青年担当者が参加し、発題があったということです。教派間の違いを越えて課題を共有し、キリスト教界全体で祈りを合わせる機会になることを願っています。

「熊本地震」支援募金(第2期)へのご協力お願い

 皆さんからの厚いご支援に感謝致します。熊本県内の教会の建物損傷への補修を進めていますが、さらなる支援を必要としています。また教会に加えて、ブラウンチャペル(九州学院)並びに阿蘇山荘(九州ルーテル学院大学)の復旧を合わせ「被災建物設備の建築支援」として募金の呼びかけを致します。
■募金期間 
 2017年4月30日まで
■送金先 
 郵便振替00190-7-71734  宗教法人日本福音ルーテル 教会
※ 「熊本地震」と明記ください。

宗教改革500年に向けて、ルターの意義を改めて考える

ルター研究所所長 鈴木浩 

 前号でも書いたように、「義認」という言葉は、ルターにとっては、救いの出来事全体を指す言葉であった。
 しかし、救いの出来事は救われた人に、何らかの変化をもたらすはずだ、と誰しも考える。聖書では、「生まれ変わり」、「刷新」、「新しい命」など、その変化を表す言葉が使われている。パウロも、「キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」(ローマ6・4)と語っている。
 「義と認められた」とは、「救われた」という意味である。だから、そこには大きな変化が起きている。ルターは使わなかったが、その後、その変化を「義認と聖化」と呼ぶ傾向が出て来た。「聖化」とは「聖なる存在になる」という意味である。
 ルターの場合には、「義認」という言葉の中にその変化を表す「聖化」という言葉の意味も含まれていたが、「義認と聖化」という具合に横並びになると、「義認」という出来事と「聖化」という出来事とが区別されて考えられるようになる。
 そうするとどうなるか。「義認」は、「聖化」という出来事の入り口になる。やがて、それは「入り口でしかない」と思われていく。アウグスティヌスと激しい論争をしたペラギウスはそう考えた。
 つまり、「義認」は「無試験での入学許可」であり、「聖化」は一生懸命学んで「卒業する」ということになる。大事なのは、こちらの方になる。
 「義人にして同時に罪人」というルターの言葉を考えてみよう。律法に照らせば、自分はどう見ても罪人でしかない。しかし、神はそのような罪人を義人と見なし、汚れたこの身を「聖なる存在」であると見なしてくださる、というのだ。

全国ディアコニア・セミナーに参加して

松岡俊一郎(大岡山教会)

 10月9日~10日、「第24回全国ディアコニア・セミナー」が熊本市の健軍教会で開かれた。テーマは「和解~キリストにおける愛と平和を学ぶ」。
 小副川幸孝牧師による「響きあう者たちー和解から和解へ」の講演、石原明子さん(熊本大学教員/本郷教会)による講演「和解と正義による再生と希望ー水俣と福島が出合い、熊本へつながる希望」と、水俣でのスタディ・ツアーと語り部・杉本肇さんの証言を聞いた。水俣病と言えば「闘争」と「環境問題」しか思い浮かばなかったが、むしろ「ゆるし」について深く思索を求める旅となった。
 水俣病は発生から60年が経ち社会の関心は薄くなっているが、水俣病患者とそのご家族の苦痛と苦悩、差別は依然として続いており、認定と損害賠償の有無、保障額の違い、それによるコミュニティーの分断が存在する。
 しかし、水俣病が極めて宗教的な問いを我々に投げかけていることを知った。それは「ゆるし」の問題である。私たちの今の社会はバッシングと責任追及が盛んな「ゆるし」のない社会である。今回、語り部・杉本さんから、患者であったお母様杉本栄子さんが何十年という水俣病の苦痛と苦悩の中で、「国を許す。県も許す。チッソも許す。」と言われたこと、また同じように水俣病で家族を亡くしご自身も患者であった緒方正人さんが、苦しみからの変容体験を経て、「わたしがチッソだった。この世で最も許されなければならないのはチッソである」と言われ、闘いから祈りの生活に変わられたことを聞いた。そこに「キリストの受難とゆるし」が重なると言われていることも教えられた。
 私自身はまだそれは未消化で本当の意味で理解はできていないが、頭から離れない。苦しみの体験は、恨みや憎しみ、攻撃に変わる。それは復讐の連鎖を生み出す。しかしお二人の言葉は、その苦しみの極みからその連鎖を止める願いに変わり、願いが祈りとなって赦しへと変えられたと受け止める。大きな問いを与えられた有意義なセミナーであった。

100歳を迎えた札幌教会

栗原朋友子(札幌教会百周年委員会事務局長)

 2016年10月10日、札幌教会宣教100年を記念して聖餐礼拝が札幌礼拝堂において行われました。収容能力150人の礼拝堂に出席者が200人を超える盛会でした。
 総合司式は岡田牧師、説教は日笠山牧師、配餐補助は加納牧師、小山牧師と、まさに北海道内の宣教力を結集しての記念礼拝でした。200人を超える出席者全員が整然と順序をなして聖餐あるいは祝福を受けました。
 礼拝で歌われた『教会讃美歌』の213番は北海道で生まれ、291番、337番、「喜びはむねに」(『ともに歌おう』)は、フィンランドで生まれた賛美歌です。「喜びはむねに」は『教会讃美歌』にはありませんが、シベリウスの作曲、歌詞は江口武憲牧師と牛丸省吾郎牧師の共訳によるもので、特に百年記念礼拝のために選ばれ、数か月前から毎週礼拝において歌われてきた美しい賛美歌です。札幌教会形成の基盤を築いたフィンランドのルーテル教会への感謝を込めて歌われました。
 礼拝出席者には記念品として『宣教100年記念誌』と増田友子さん作画の3礼拝堂の絵はがきを渡しました。記念誌は全国のルーテル教会に郵送されますから、札幌教会の100年の歴史についてはそれによってご理解ください。
 記念礼拝に続いて祝賀会が隣接のめばえ幼稚園を会場として昼食を共にして行われました。歴代牧師の武村協、賀来周一、浅見正一、内海望、星野徳治、宮澤真理子、ビリピ・ソベリの諸牧師、総会議長の立山忠浩牧師、それに久米芳也牧師のご伴侶がご参加くださいました。諸先生からはそれぞれ温かい有意義な挨拶のお言葉を頂戴いたしました。
 札幌教会100年は過去を懐かしむ記念碑ではなくて札幌・札幌北・新札幌の3礼拝堂が一致団結して宣教2世紀へ向かう最初の道標です。大輪眞理子さん作成の次世代へのバトンタッチを表すロゴマークはそのことを意味しています。

ルーテル世界連盟ーローマ・カトリック教会
宗教改革共同記念「共同声明」

 キリスト教会の2000年の歴史において、重要な到達点、そして出発点とも言うべき礼拝が、宗教改革499年となる10月31日、ルーテル世界連盟(LWF)とカトリック教会により、スウェーデンのルンド大聖堂で行われました。礼拝では、世界の様々な地域からのそれぞれの服をまとう、世代もまちまちの人々による聖歌隊が賛美し、両教会の代表者が共に祈りを合わせました。LWFのユンゲ事務局長と教皇フランシスコが「まことのぶどうの木」(ヨハネ15・1~5)からそれぞれ説教を語り、日本福音ルーテル教会から鈴木浩牧師(一致に関するルーテル=ローマ・カトリック委員会委員)と浅野直樹Sr.牧師(ルーテル世界連盟理事)も出席しました。
 礼拝の中で、LWFのユナン議長と教皇フランシスコとが署名した「共同声明」を紹介します。
………………………………

共同声明

2016年10月31日、ルンドにおいてカトリックとルーテルが宗教改革を共同で覚えるに当たって

「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」(ヨハネによる福音書15章4節)

感謝の心をもって

 この共同声明をもってわたしたちは、宗教改革500年を覚える年の始まりに当たり、ルンドの大聖堂において共同の祈りを捧げるこの機会のゆえに神に喜びをもって感謝していることを表明いたします。
 カトリックの人々とルーテルの人々との間にもたれた、実り多いエキュメニカルな対話の50年がわたしたちにとって多くの違いを乗り越える助けとなり、わたしたちの相互理解と信頼を深めてきました。同時にわたしたちは、しばしば苦難や迫害の中で苦しんでいる隣人に対する共同の奉仕をとおして互いにより近しい者となりました。対話と分かち合った証しとをとおしてわたしたちはもはや他人同士ではなくなりました。 むしろわたしたちは、わたしたちを結び付けるものがわたしたちを分かつものよりも大きいことを学んできました。
 

争いから交わりへと変わっていく

 宗教改革によって受けた霊的、また神学的な賜物に深く感謝しながら、わたしたちはまた、ルーテル教会もカトリック教会も教会の目に見える一致を傷つけてきたことをキリストのみ前でざんげし、悲しみます。 神学的違いには偏見と争いとが伴いましたし、宗教は政治的な結果に至る手段となりました。イエス・キリストを信じるわたしたちの共通の信仰とわたしたちの洗礼はわたしたちに日毎の悔い改めを求めています。 それによってわたしたちは、和解の務めを妨げる歴史的な争いと不一致とを捨て去ることができるのです。過去は変えることができないのですが、何が記憶されるのか、それがどのように記憶されるのかは変えられうることです。わたしたちお互いの見方を曇らせてきた傷と記憶の癒しをわたしたちは祈ります。
 わたしたちは過去と現在のすべての憎しみと暴力、特に宗教の名によって言い表されてきたそれらを強く斥けます。今日わたしたちはすべての争いを捨てるようにとの神のご命令を聴いています。わたしたちは、神が絶えずわたしたちを召しておられる交わりへと向かうように、恵みによって自由にされていることを確認しています。

共に証しすることに向けてのわたしたちの参与

 わたしたちの重荷となっている、歴史上のこれらのできごとを乗り越えて進むとき、わたしたちは十字架にかかり、挙げられたキリストにおいて見えるものとされている神のいつくしみ深い恵みに応えて、相共に証しすることを堅く誓います。
 わたしたちが堅く関わりをもつあり方こそが福音へのわたしたちの証しを形作ることを意識して、完全な一致を得ることからわたしたちを妨げている、まだ残っている妨げを取り除くことを求めて、わたしたちは洗礼に根拠づけられている交わりにおける更なる成長に深く関わります。キリストは、わたしたちがひとつとなって、この世が信じるようになることをお望みです(ヨハネによる福音書17章23節参照)。
 わたしたちの共同体の多くの会員たちは、十全な一致の具体的な現れとして、ひとつの聖卓で聖餐を受けることを心から願っています。全生活を共にしながら、聖餐の聖卓において神の救いの現臨を分かち合うことができない人々の痛みを経験しています。
 わたしたちはキリストにあってひとつとなるという人々の霊的な渇きと飢えとに応えるべき、わたしたちの牧会的な共同の責任を認識しています。わたしたちはキリストのからだにおけるこの傷が癒されることを切に願っています。これは神学的な対話へのわたしたちの関わりを新たにしていくことによってもまた、わたしたちのエキュメカルな努力の目指すところなのです。
 わたしたちは神に祈ります。カトリックの者たちとルーテルの者たちがイエス・キリストの福音を共に証しし、神の救いの働きを受け入れるべく人々を招くようになることを。
 わたしたちは共に奉仕の務めに立って、特に貧しい人々のために、人間の尊厳と権利とを高め、正義のために働き、あらゆる形の暴力を斥けることにおいて共に奉仕に当たることができるよう、霊の導きと勇気と力とを神に祈ります。
 尊厳、正義、平和、和解を切に求めているすべての人々にわたしたちが近づくようにと、神は呼び掛けておられます。今は特に、多くの国々や社会で、またキリストにある数え切れないほどの姉妹や兄弟たちに影響を及ぼしている暴力や過激主義を終わらせるよう、わたしたちは声を挙げねばなりません。
 わたしたちはルーテルやカトリックの人々に、知らない人々を受け入れ、戦いや迫害のゆえに逃れることを強いられた人々に助けの手を差し伸べ、難民や亡命を求める人々の権利を守るよう、共に働くことを強く求めます。
 以前に増して一層わたしたちは、この世界におけるわたしたちの共同の奉仕が開発や飽くことを知らない欲望にさらされている神の創造へと拡張されねばならないことを認識しています。 わたしたちは将来の世代が神の世界をその可能性と美しさのすべてにおいて享受する権利を認めます。わたしたちは、この被造の世界のために愛と責任をもってこれを導くよう、心と思いが変わっていくように祈ります。

キリストにあってひとつ

 この絶好の機会にわたしたちは、ここに同席し、わたしたちと祈りを共にしている、世界のキリスト教諸教会や交わりを代表しているわたしたちの兄弟姉妹にわたしたちの感謝を申し上げます。
 争いから交わりへ進もうと取り組むに当たってわたしたちは、洗礼によってそこに加えられている、キリストのひとつのからだの一部分としてそうしているのです。
 わたしたちはわたしたちの努力を思い起こさせ、また、わたしたちを励ましてくださるよう、エキュメニカルな同志にお願いします。 わたしたちはこの同志に、わたしたちのために祈り、共に歩み、今日表明している、祈りを込めた努力を生き抜くに当たってわたしたちを支え続けてくださるよう求めます。

世界中のカトリックとルーテルの人々への呼び掛け

 わたしたちはすべてのルーテルとカトリックの教会員と教会に、わたしたちの前にある大きな旅を続けることに加わって、大胆であり、創造的であり、喜びをもち、希望をもつよう呼び掛けます。
 過去の争いよりもむしろ、わたしたちの間における一致という神の賜物が協働を導き、わたしたちの連帯を強めてくださるでしょう。キリストを信じる信仰において近付けられ、互いに耳を傾け合い、わたしたちの関係においてキリストの愛を生きることによって、わたしたち、カトリックとルーテルの者たちは、三位一体の神の力に心を開きましょう。
 キリストに根ざし、キリストを証しして、すべての人に対する神の限りない愛の信実の使者となるという定めをわたしたちは新たにするのです。

(ローマ・カトリック教会) 教皇 フランシスコ
(ルーテル世界連盟)   議長 ムニブ・ユナン

(訳・日本福音ルーテル教会エキュメニズム委員会)

16-11-17イエスは涙を流された

 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。
(ヨハネによる福音書11章33節~35節)

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

 今年の3月、3歳の男児が急逝しました。猛威を振るったインフルエンザによるのです。4月には天王寺教会併設の真生幼稚園に入園予定でありました。2歳上の兄が在園しており、職員一同、驚きと痛みに襲われました。職員共々、仏式での通夜に参列し、小さな小さな棺に納められた男児とお別れをすべく、その亡骸の傍らに佇んだ時、もはや涙をこらえることはできませんでした。なぜなら、棺の彼は、入園式のために用意された晴れ着であろう、ブレザーと蝶ネクタイを身にまとい、頭には園の制帽を被っていたからです。
 翌朝早く、霊安室を訪ねると、父親が棺に寄り添っていました。夫婦交代で寝ずの番をしていたものの、途中から妻は起き上がれなかったとのこと。告別式に参列できないので祈りに来たことを伝えると、父親は、「祈りだけでなく、説教をしてください」と求めたのです。今ですか?と聞き返すと、「今ここでです!」と言う。そこで、聖書の死生観と救いを語り、神の御手に委ねる祈りを捧げました。
 しかし、何ということか! さらに悲しみは覆い被さります。幼子の死からひと月も経たぬうちに父親が逝去したのです。訃報を聞いた時、まさか子の死を嘆いてかと不安を拭えませんでしたが、病身ゆえの死でありました。
 母親は子の死から50日後、遺骨を教会に納めました。その後、求道を始め、降誕祭には長男との受洗を望んでいます。人が隣人に慰めの言葉を持たぬ時、ただ寄り添うことのみ残されます。しかし主は、なお御言葉をもって福音を語り、救いを約束してくださいます。

 ラザロの死に際して、イエス様は涙を流されました。この涙のわけを聖書は語らず、秘められています。だからと言って、イエス様はラザロの死に間に合わなかったから涙を流されたのだという、聖霊が関わらず、祈りも無き想像は退けられるべきです。
 死者が復活するという出来事でありながら、このことはヨハネによる福音書だけが伝えます。ラザロはマルタとマリア姉妹の兄弟です。この姉妹については、ルカによる福音書10章が伝えるところの、「働き者のマルタと信仰深いマリア」という評判が知られますが、ヨハネが伝える姉妹の様子は、また別の印象です。姉妹はイエス様にラザロが重篤であることを伝え、癒しを求めますが、主の到着は墓に葬ってから4日後でした。
 まずマルタが出迎え、イエス様と復活について問答し、最後に、「主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております」との告白に至ります。遅れてマリアも迎えますが、主の足元にただただ泣き崩れるばかりでした。イエス様は、マリアと一同が泣いているのを見て心に憤りを覚え、そして、涙を流されます。
 イエス様の憤りは、何に対するものであったのか。涙のわけがここにあります。イエス様は、ラザロが病気であると伝えられた時、「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」と語られています。そして、死が公然と人々の希望を中断し、ラザロの人生を終わらせようとするのを見て、死の領分をわきまえない暴挙に憤られたのではないか、と受け取ります。
 キリストの教会は、葬儀の務めを神より託されています。この務めは、キリスト者として召された者が天国へと迎えられたことを宣言することではないとわきまえます。また、死によって人生を中断された者を喪った悲しみへの慰めに終わるものでもないと心得ます。キリストの十字架が神の栄光であるごとく、復活の望みにおいて、人の死も神の栄光を証しするものであることを伝えたい。
 望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださいます。 アーメン。

日本福音ルーテル天王寺教会牧師、喜望の家責任者 永吉秀人

16-11-01るうてる2016年11月号

説教「イエスは涙を流された」

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 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。              (ヨハネによる福音書11章33節~35節)

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

 今年の3月、3歳の男児が急逝しました。猛威を振るったインフルエンザによるのです。4月には天王寺教会併設の真生幼稚園に入園予定でありました。2歳上の兄が在園しており、職員一同、驚きと痛みに襲われました。職員共々、仏式での通夜に参列し、小さな小さな棺に納められた男児とお別れをすべく、その亡骸の傍らに佇んだ時、もはや涙をこらえることはできませんでした。なぜなら、棺の彼は、入園式のために用意された晴れ着であろう、ブレザーと蝶ネクタイを身にまとい、頭には園の制帽を被っていたからです。
 翌朝早く、霊安室を訪ねると、父親が棺に寄り添っていました。夫婦交代で寝ずの番をしていたものの、途中から妻は起き上がれなかったとのこと。告別式に参列できないので祈りに来たことを伝えると、父親は、「祈りだけでなく、説教をしてください」と求めたのです。今ですか?と聞き返すと、「今ここでです!」と言う。そこで、聖書の死生観と救いを語り、神の御手に委ねる祈りを捧げました。
 しかし、何ということか! さらに悲しみは覆い被さります。幼子の死からひと月も経たぬうちに父親が逝去したのです。訃報を聞いた時、まさか子の死を嘆いてかと不安を拭えませんでしたが、病身ゆえの死でありました。
 母親は子の死から50日後、遺骨を教会に納めました。その後、求道を始め、降誕祭には長男との受洗を望んでいます。人が隣人に慰めの言葉を持たぬ時、ただ寄り添うことのみ残されます。しかし主は、なお御言葉をもって福音を語り、救いを約束してくださいます。

 ラザロの死に際して、イエス様は涙を流されました。この涙のわけを聖書は語らず、秘められています。だからと言って、イエス様はラザロの死に間に合わなかったから涙を流されたのだという、聖霊が関わらず、祈りも無き想像は退けられるべきです。
 死者が復活するという出来事でありながら、このことはヨハネによる福音書だけが伝えます。ラザロはマルタとマリア姉妹の兄弟です。この姉妹については、ルカによる福音書10章が伝えるところの、「働き者のマルタと信仰深いマリア」という評判が知られますが、ヨハネが伝える姉妹の様子は、また別の印象です。姉妹はイエス様にラザロが重篤であることを伝え、癒しを求めますが、主の到着は墓に葬ってから4日後でした。
 まずマルタが出迎え、イエス様と復活について問答し、最後に、「主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております」との告白に至ります。遅れてマリアも迎えますが、主の足元にただただ泣き崩れるばかりでした。イエス様は、マリアと一同が泣いているのを見て心に憤りを覚え、そして、涙を流されます。
 イエス様の憤りは、何に対するものであったのか。涙のわけがここにあります。イエス様は、ラザロが病気であると伝えられた時、「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」と語られています。そして、死が公然と人々の希望を中断し、ラザロの人生を終わらせようとするのを見て、死の領分をわきまえない暴挙に憤られたのではないか、と受け取ります。
 キリストの教会は、葬儀の務めを神より託されています。この務めは、キリスト者として召された者が天国へと迎えられたことを宣言することではないとわきまえます。また、死によって人生を中断された者を喪った悲しみへの慰めに終わるものでもないと心得ます。キリストの十字架が神の栄光であるごとく、復活の望みにおいて、人の死も神の栄光を証しするものであることを伝えたい。
 望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みに溢れさせてくださいます。 アーメン。
 日本福音ルーテル天王寺教会牧師、喜望の家責任者 永吉秀人

連載コラム enchu

8【Japan】

 「日本」は「にほん」「ニッポン」のどちらの読みが正しいのだろう。結論、どちらでもかまわない、以上。
 ところで皆さんは、「日本」「日本人」「日本語」「日本代表」を、どう読みますか。これはネットで見つけたアンケートですが、その結果が興味深いので紹介します。日本:にほん(69%)/ニッポン(31%)、日本人:にほん(90%)/ニッポン(10%)、日本語:にほん(97%)/ニッポン(3%)、日本代表:にほん(45%)/ニッポン(55%)というもので、他国と相対するときに用いる「日本代表」だけ「ニッポン」と読む人が多いようです。もちろん、このアンケート結果だけで判断することはできませんが…。
 さて、現在では「にほん」という読み方のほうが定着しているのに対して、戦前は「ニッポン」という読み方のほうが多かったようです。きっと、戦前は「大ニッポン帝国」だったからでしょう。憲法もそうですね。戦前は「大ニッポン帝国憲法」で、現在は「にほん国憲法」です。僕は、「にほん」という読み方のほうが好きです。というのも、「ニッポン」という読みは、「大ニッポン帝国」を想起し、そこから、他者より自分が優れていることを誇示しようとする姿勢を感じてしまうからです。しかしこれは個人的な感想です。
 「にほん」「ニッポン」のどちらを用いるにせよ、主イエスは、「長い衣」をまとって歩き回ること(者)を批判されていたわけで(マルコ12章38~40他)、私たちは、自らを誇示する「ことば」ではなく、穏やかに他者に語りかける「ことば」を用いたいものです。
岩切雄太 ( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会牧師)

議長室より

「より健全な人事制度のために」 総会議長 立山忠浩

 9月下旬、2日間にわたり宣教会議が開催されました。常議員会と違い、何かを決議する会ではありませんので、自由に意見交換のできる貴重な会となりました。
 「宣教会議」という名称から、宣教の仕方など教会の教勢の伸展に直結することを話し合う会を皆さんは想像されるかもしれません。もちろんその課題を常に念頭に置いていますが、宣教するために整えるべきことについても議論しなければならないのです。
 そのひとつが牧師の人事に関することでした。私たちの教会の人事制度は「招聘(しょうへい)と応諾」を基本原則としています。牧師を招く教会があり、それに牧師が応諾することで成り立つのですが、今この制度一本やりではうまく機能しない状況が生まれているのです。その原因は牧師不足から来るものです。招聘と応諾の原則だけで推し進めていきますと、ある教区の牧師たちが次から次に他教区の教会から招聘され、それを応諾した場合、空いた教会に新たな牧師を招聘しようにも、牧師不足のゆえに牧師が見つからないという事態が起こり得るのです。その教区にとっては大変な痛手となります。
 このような不測の事態を避けるためにも、会社や公務員のように任命制に変更すべきではないかとの意見をしばしば耳にしますが、それはそれで一長一短がありますので、現在の人事制度を変更する予定はありません。ただ、私たちの教会の人事制度が諸状況に十分対応できない部分があるのであれば、そこを補う必要があるのです。
 幸いにして、慢性的な牧師不足に対応するために、各教区間の人事交渉にはある程度の調整が必要であるとの認識が、各教区長が出席する人事委員会では共有されています。人事制度に互いの配慮を加えることで補っているのです。牧師不足は今がほぼ底を打った状態で、これ以上の極端な牧師不足を想定する必要はないことも確認できたことは幸いでした。
 また東教区以外の教区に若い牧師が配置され、東教区に年齢の高い牧師が多いことが顕著です。一概には言えませんが、財政力が十分でない教会は、給与の低い若い牧師を招聘する傾向があるのです。多くの教区が財政的支援を行う力が弱まっていることが、この傾向に拍車をかけてもいます。より選択の幅を広げるための協議が今後も継続されていきます。

 

キッズケアパークふくしまへの支援

 北澤 肯(日本ルーテル教団東日本大震災支援対策担当スタッフ)

 いつもプロジェクト3・11のためにお祈りくださりありがとうございます。私は日本ルーテル教団(NRK)で災害支援を担当している竹ノ塚ルーテル教会の北澤肯です。今回は 「るうてる」の紙面をお借りして、私たちの支援している活動を紹介します。
 今回紹介しますのは「キッズケアパークふくしま」です。これは福島教会復興支援ネットワークという福島市内の超教派の教会の働きで、NRK福島いずみルーテル教会の野村牧師と栗原さん(元JELC蒲田教会員)が中心となって活動しています。
 福島第一原発の事故は、深刻な放射能汚染を引き起こしました。色々な情報がある中で、福島や近隣県の汚染がどのくらい危険なのか、現段階で断定するのは難しいですが、客観的な手法で答えを出そうとするなら、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故による低線量被曝により悲劇と苦しみに見舞われた人々の記録やデータや研究を参考にすることができるのではないでしょうか。福島市にはウクライナで健康被害があった地域と同程度の汚染度の地域があり、除染は進んでいるものの、このままではウクライナと同じように子どもたちに健康被害が出るかもしれません。
 不安から、子どもたちは十分に外遊びもできず、福島県の子どもの肥満率が全国1位になったり、体力測定の結果が著しく悪化していたりするという現実もあります。キッズケアパークふくしまでは、子どもたちが安心して遊べる機会を作るために、定期的に屋内での遊びのイベントを企画し、また、そこでは放射能やお子さんの健康に悩みをもつ親御さんがお互いに思いを分かち合い、相談し合う機会を提供しています。
 私自身、幼少を福島市内で過ごしており、震災以降、約35年ぶりに訪問した母校の中庭においてある放射能測定器を見て愕然としました。
 既にJELAによる支援も始められていますが、月日が流れ、事故が風化するなかで、福島の子どもたちの健康のために活動してくれている「キッズケアパークふくしま」のためにお祈りくだされば幸いです。

教会×公共

7開いて結ぶ

宮本 新(田園調布教会牧師、日本ルーテル神学校講師)

▼ 一般的に説教などで音読み(漢語)を中心にすると新聞記事のような書き言葉となり、逆に訓読み(和語)を多用したら話し言葉となり聞きやすくなると言われています。言葉を平易にして分かりやすくなるのはとても良いことですが、時に言葉の硬さを崩さないことに固有の意味を込めている場合もあります。公共とはそのような言葉のひとつです。
 言語学者の渡辺浩さんによると、和語の「おほやけ」は、「お上」や「下々」といった上下関係に区切られ、しかも上から下へと統制作用が働くそうです。他方で漢語の「公」には「共」(common)につなげて、普遍的な世界を開いていく開放性が含まれていると言われ、前回述べたとおり、「パブリック」にも「人々」という意味合いがしっかりとあります。〈教会×公共〉で追ってきた「開いて結ぶ」線と重なります。
▼今年の宗教改革記念日、スウェーデンのルンドでローマ・カトリック教会とルーテル世界連盟、そしてスウェーデンの管区、教会の共催で共同祈祷が行なわれました。恐らくキリスト教史に残る出来事になるでしょう。他方でその背後には50年にわたる対話の積み重ねがあり、日本福音ルーテル教会からも先人たちのご奉仕が刻まれています。
 またアジアにおいては宗教改革500年にあわせて香港、フィリピンなどで「公共性」をテーマにルーテル世界連盟主催の国際シンポジウムが開かれました。アジア各地の極めてローカルで流動的、そして多元的な貧困と紛争、摩擦や対立に身を置く人々の声が取り交わされていました。どの発題者も個人として立ちながら、ローカルな教会の「顔」が自然と見えてくる印象深い集まりでした。 「ルーテル」というときにすでに国境、そして教派や宗教を越えたネットワークの形成が進んでいます。ルンドで記念された『争いから交わりへ』はそこでもキーワードになっていました。
▼新約聖書でキリスト者という呼称が登場する前に、それが何であるのかを福音書記者ルカはイエスの言葉として記しています。「(あなたがたは)地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1・8)。「証し」の語源は目撃者。証し人とは聖霊を受けて、見て聞いて話す者のことです。
 私たちは何を見る者と招かれ、召されているのでしょうか。この言葉は未来形として私たちの手元にも届く約束の福音だと思います。(了)

春の全国ティーンズキャンプ2017スタッフ募集のお知らせ

 2017年3月27~30日に、高尾の森わくわくビレッジ(東京都八王子市)にて開催される「春の全国ティーンズキャンプ」を、ティーンズと一緒に過ごしてくださるスタッフを募集します。募集するスタッフは、リーダー、オーディオ、マネジメント、賛美です。
 詳細は、ホームページにてご確認ください。 http://the-next-g.blogspot.jp

宗教改革500年に向けて、ルターの意義を改めて考える 54

ルター研究所所長 鈴木 浩

「義認」という言葉はラテン語ではiustificatio(ユスティフィカティオ)という。語尾がtioという単語の場合、それにnを加えると大概の場合、英語になる。だから、justificationとなり、conditio(コンディティオ)は、conditionとなる。
 「義とする」という動詞はiustificare(ユスティフィカーレ)である。これは、ラテン語の古典時代にはなかった言葉で、キリスト教の神学用語として作られた言葉である。iustum(ユストゥム、義を、義人を)+facere(ファケレ、作る)から成る合成語である。
 「義とする」とか「義認」という言葉には実はかなりの意味の幅がある。かつては、プロテスタントが「宣義」という訳語を好み、カトリックが「義化」という言葉を使ったのも、もともと意味の幅が広いからであった。
 「宣義」とは、法廷の場が背景にあって、裁判官が「義である」と宣告することを意味している。他方、「義化」の場合には、「義人とされる」という意味で、人間存在が実際に義人になることを意味している。だから、実際には「聖化」という言葉とその意味がかなり重なって来る。
 ルターの場合、「義認」という言葉は「救いの出来事全体」を指している。プロテスタントは後に「義認と聖化」という言い方をするようになるが、ルターはそのようには考えなかった。それは、「入学と卒業」と同じようになって、「義認」が救いの出来事の「入り口」になってしまい、やがては「入り口でしかない」と思われてしまうからである。
 ルターと論敵との議論が噛み合わないですれ違うことが多かったのは、同じ言葉を使いながら、その中身が違っていたからである。fides(フィデス、信仰)という言葉の場合もそうであった。

ルターとバッハ、宗教改革500年。

徳善義和

13終末を見詰めて

起きよ、エルサレム、 時こそ来たれり(教会讃美歌137番)

 教会暦の最後の主日はマタイ25章と「起きよ、エルサレム、時こそ来たれり」と結びついて、歴史の中に生きるわれわれに終末という視点を気付かせる(物見とおとめたちとのやり取りはマタイ受難曲第1曲にも使われて、イエスの生涯の終わり、実は十字架と復活を告げて、終末を先取りしていると聴くことができる)。いずれもそれぞれの仕方で、人の日常に起こるはずのない神のできごとと、それによる完成の時を告げて、人を驚愕させるのである。フィリップ・ニコライの3節からなるコラールは「時こそ来たれり」とその祝宴の喜びを歌い上げる。
 バッハは1731年の教会暦の終わり、三位一体(聖霊降臨)後最終主日のためにこのコラールとマタイ25章とを織り交ぜて、終末の到来とその喜びを歌い上げた(歌詞第1節を歌う合唱曲はオルガンのためのコラール前奏曲としても残されている)。花婿キリストと信仰者の魂(花嫁)のやり取りが美しく歌い上げられて、コラール3節と共にこれはバッハのカンタータの中でも名曲とされるものの一つである。
 われわれはキリスト者であると言っても、この世界の中の、罪の人間の歴史のただ中で生きることしかできない。われわれ自身がその火中の者たらざるを得ない。しかしイエスのことばと、それを歌う歌はわれわれの眼をこの歴史を超えたところへと向けさせてくれる。この終末の告知を含めて福音の真理に注目し、それによってルターは教会を改革した。その福音の真理は今も教会を改革し続ける。
 まさしく「改革された教会は常に改革されるべきである」という言葉はこの福音の真理に即して宗教改革500年のわれわれの歩むべき方向を指し示していると言えよう。          (了)

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より 
喜びに溢れて今 ヨハネ1:10-13

伊藤早奈

  【祈り】「私はここにいていいのだろうか。」と急に不安になり、自分を追いつめてしまうことがあります。そのような私に神様あなたは「ここにいていいんだよ。」とやさしく愛で包んでくださいます。神様あなたが共におられ、私を必要とし、ここにいる「時」を与えてくださいます。あなたがいつも共にいてくださるので私は決して一人ではありません。それを感謝して生きる毎日でありますように。アーメン。

 「あなたから言葉は決してとられない。」
 前にお医者さんから言われた言葉です。私は病気の診断を受けたばかりで、いずれは自分の話す言葉も人には伝えにくくなるだろうという不安から、お医者さんに「いったい何年後くらいに喋り辛くなりますか」と聞いた時の答えでした。
 先日、私はいつも一人でいらっしゃる方に「どうしてお一人の時が多いんですか」とお聞きしました。その方は「こんな喋り方だから。」と言われました。思わず同感すると同時に、お医者さんに言われた先ほどの言葉を思い出したのでした。
 ヨハネ福音書1章に言(ことば)という言葉が繰り返されています。これは単なる言葉のことではなく、真理や愛であるキリスト教で言われる神様、イエス・キリストのことを表現した言葉です。
 昔、日本に来たばかりの宣教師たちがそこに生きている農民に「神の愛」を伝えるのに「デウスのご大切」と表現したように、その時代にそこに生きている人々に、イエス・キリストを言(ことば)という言葉を用いて表現されたようです。それはそこまでして神様は今も私たち一人一人と共に生きて働いておられる存在であるのを知って欲しいからです。それが神様の喜びなのです。
 私への「あなたから言葉は決してとられない。」。お医者さんは、それほど深い意味で言われたのではないかもしれません。しかし、恐れていた病気の進行が現実になって来ている今、言(ことば)である神様が今、私と共に歩んでくださっていることを喜び、また確信しています。
 お一人お一人と共に今、言であるイエス・キリストは喜びに溢れ、生きておられます。

2017年 教会音楽祭のテーマ曲作詞の選考結果と作曲の募集

 2017年の6月、第33回教会音楽祭の開催を予定しています。
 今回のテーマは「心ひとつに~争いから交わりへ~」ということで、テーマ曲の歌詞の募集を行い、17作品の応募がありました。ありがとうございました。
 選考の結果、熊田なみ子さんの「心ひとつに」が入選となりました。

心ひとつに


心ひとつに 祈ろう
心ひとつに 歌おう
互いのいのち 輝かせ
共に生きるこの日のために

われらの痛み 祈ろう
ゆるしといやし もとめて
互いのいのち 抱(いだ)きあい
共に生きるこの日のために

3 
われらの願い 祈ろう
あらゆる民に 平和を
互いのいのち ささえあい
共に生きる 明日(あした)のために

4 
心ひとつに 主イェスを
心ひとつに 信じて
われらに愛を くださった
共に生きる 主イェスのいのち

 この歌詞によって共に歌うための曲を募集します。音楽祭参加者がみんなで歌うことを想定しております。尚、採用作品は広くの教派を超えて自由に用いられるものであることを理解の上、ご応募ください。 審査は、教会音楽祭実行委員会にて行います。
詳しい応募要件は、ホームページをご覧ください。
https://goo.gl/IZaZNn   

「心配センデヨカ」の森勉先生

定年教師 賀来周一

 森勉先生の葬儀が終わった次の日曜日、むさしの教会で森先生のご子息のお連れ合いに会った。教会への挨拶のためであった。目に一杯涙をたたえながら「父は、何時も私たちに言っていました。『大丈夫、大丈夫、心配しなくていいよ。』私たちは、その言葉で安心して生きてきたのです。先生を見たら急に父を思い出して悲しくなって」と。こちらもついウルウル…。
 森先生とは、神学校が中野区鷺宮にあった時代からの仲間である。当時は熊本出身者が多く、神学校では熊本弁が飛び交っていた。夕方、近くの銭湯「亀の湯」に行くと「今日のお前の説教はナー…云々」と朝の日課(matin)での説教批判を神学生たちが熊本弁を交えて大声で話し、そこへ時々北森嘉蔵先生が入って来ては、ひとしきり神学談義が始まるという始末。同じ湯船に浸かっている近隣の人たちを驚かせた。
 やがて、卒業。森先生は山口県柳井を皮切りに伝道を開始した。その後、天王寺教会を牧会し、この間、先生は多くの献身者を送り出した。市原正幸、渡邉純幸、山之内正俊、渡邊賢次の4牧師に加え、途中、福祉事業等へ転身したが、田内豊氏、河島公美氏らがいる。
 1975年、JELCは海外教会からの財的支援を断り、自立した。先生は1976年、広報室長、書記、事務局長と歴任。4年後の1980年に総会議長に選任された。その間、神学教育や会堂の老朽化対策、開拓支援などは不足するので、収益事業を起こすこととなった。その事業が市ヶ谷センター、ホテル・ザ・ルーテル、女子学生会館カテリーナである。 当時「伝道し、奉仕する神の民」というスローガンを立て、宣教の自立とした。森先生は、これに加えて広島会館を建てたのである。この時期、オニの前田、トボケの森、ホトケの賀来と言うコトバが流行った。オニの前田はきっちり仕事を果たし、トボケの森は懐深く、「ヨカ、ヨカ」と人々を安心させ、ホトケの賀来は野仏のように立っていたからであろう。今は感謝に尽きる。

互いに支え合う教会を目指して

関野和寛(東京教会)

 人は誰しも人生の危機を経験します。人間関係の破綻、失業、離婚、病、死別…。そのような試練の中にいる人を教会はどのようにサポートすることができるでしょうか。その役割を担うのは牧師だけでしょうか。
 東京教会では、ステファンミニストリーという1975年にアメリカのルーテル教会牧師であり精神科医でもあるケネス・ハーグさんがはじめた働きを取り入れ、実践しようとしています。
 ステファンミニストリーでは、25回(70時間)のトレーニングを牧師と信徒が共に行います。トレーニングでは聖書をベースに、傾聴の方法、守秘義務の守り方、死別を経験した人への寄り添い方、相手の問題に巻き込まれないための境界線の守り方、心の病を持った方々を正しく専門家へ繋ぐことなどを学びます。そしてこのトレーニングを修了した人はステファンミニスターとして認定され、教会内外で様々な問題を抱えた人々に寄り添います。この働きは全米に広がり、40年間で教派を超えて1万2千教会、7万人が関わっています。
 東京教会では、4月からこのトレーニングを開始しました。夏には牧師と信徒11名がアメリカのカリフォルニアにて約10日間、アメリカの復活教会と共にトレーニングを受けてきました。日本ルーテル神学校で長きに亘りカウンセリングを教えておられたケネス・デール先生も、ステファンミニスターとしてカリフォルニアで奉仕しておられ、現地では私たちに講義もしてくださいました。
 東京教会では、来年の春までにトレーニングを修了したステファンミニスターが誕生し、牧師だけでなく信徒も共に重荷を持った人々に寄り添うことを目指しています。
 来年は宗教改革500年の年。全信徒祭司を掲げるルーテル教会としてこの新たな宣教・牧会に取り組んでいきたいと思います。またステファンミニストリーの学びと実践が他の教会にも広がることを願っています。興味のある方は、是非ご連絡ください。

全国青年修養会報告

 9月17~19日に箱崎教会にて24名が参加し、「タラントをさがせ!」とのテーマで開催された、第20回全国青年修養会の報告を参加者の感想からお届けします。

森 一樹(市ヶ谷教会)

 私にとっては2度目となる修養会でした。今回の期間ではっきりと自分のタラントについて認識できた訳ではないけれど、自身のタラントとは、また隣人のタラントとは、そしてそもそも「タラント」とは何かという本質的なところまで掘り下げて考え、意見を交換できたことは本当に幸いでした。
 また同年代の青年たちとの新たなつながりや、普段はなかなかお話しする機会がない多くの牧師の皆さんとの交わりは大変貴重なものでした。自身の「強さ」を活かすことはもちろん、自身の「弱さ」の中にもタラントが存在するのでは、という、ある参加者からの意見は特に印象深く残っております。
 今回の修養会をきっかけとして、自身のタラントを自分のためだけに使わず、神様の導きのもと、他者のため、教会のために心から捧げられる日が一人一人に訪れることを心から願います。

松本義輝(神戸教会)

 教会のキャンプには「ルーテルこどもキャンプ」、「春の全国ティーンズキャンプ」にも全て皆勤で参加していました。この春にとうとう最後のキャンプを終えて卒業してしまい、キャンプに参加するにはスタッフになるしかないんだと思っていたら、ずっと一緒にキャンプに行っていた同級生の深町くん(箱崎教会)から修養会の開催の連絡をもらいました。
 でも、ひとりで行くにはちょっと気が引けるなと思ってやめようと思っていたら母親に「後悔してもしらんで~」という風に言われ、キャンプに一緒に行っていた同級生たちに声を掛けてギリギリながら何とか3人集まることができました。
 こういう全国の教会のつながりというのは集まらないと何も始まらないし、集まらなければなくなってしまうと思います。だから来年は僕と同い年の同級生みんなで参加して集まりたいと思っています。
 テーマは「タラント」について、最初は何も分からなかったけれど、今では自分のだけではなく友達のまで分かります。勉強会や証しを通じて色々なことを学ばせていただきました。

      

 

 

 

16-10-17それでも赦しを語る

 ぶどう園の主人は言った。「どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。」(ルカによる福音書20章13節)

 ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して旅に出ました。収穫の時期になり、主人は収穫を受け取るために僕を送りますが、僕は袋だたきにされ、追い返されてしまいます。二人目の僕も、三人目の僕も同じでした。それで主人は愛する息子を送るのですが、農夫たちはぶどう園を自分たちのものにしようと考え、跡取りである主人の息子を殺してしまったというのです。

 最初の僕が袋だたきにされた時点で主人は、農夫たちが信用できる相手ではないと分かったはずです。それなのになぜ主人は、農夫たちにぶどう園を預けたままにし、彼らを信じて僕を送り続けたのでしょうか。私たちは、信用できない人、それも既に裏切られたというような人に再び何かを頼もうとはしないでしょう。
 主人に人を見る目がなかったということではありません。この主人は、信用できない者であっても信じ続ける、裏切られても相手を信じて待ち続ける人だったのです。

 ぶどう園は神様と神の民の関係を表しています。ぶどう園の主人は神様、農夫たちは民の指導者たちであり、また神の民のことです。人々は神様から任されたこの世界で自分勝手に罪を犯して暮らしていたので、神様は人々が悔い改めるように何人もの預言者を遣わしたのですが、人々は預言者を退け続けたのです。

 それで神様は「わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう」と独り子であるイエス様をこの世界に送られたのです。人々が信用に足る者たちではないとよく分かっていても、それでも神様は人々を信じ続けてくださったということです。

 たとえでは、主人が「戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない」となっています。それでは実際のその続きはどうだったのでしょう。聖書は、イエス様を殺してしまった者たちも、すべての罪に生きる者が、神様の許に立ち返り、罪の赦しを受け取るように招かれていると私たちに告げています。そして、私たちは神様の前に繰り返し罪を犯し、神様を裏切り続けている人々の中に自分自身の姿を見いださなければなりません。信用できない者たちを信じ続け、徹底して赦しを与え続けようとされている神の愛にもう一度心を向けなければならないと思うのです。

 宗教改革から500年を迎えようとしています。私たちの在り方をもう一度見直し、恵みを確かめる時です。私たちルーテル教会がこれまでこだわり続けてきたこと、これからもこだわり続けていかなければならないことは、赦しを語り続けることだと、私は思っています。

 自分の罪に気づき、十字架の赦しを受け取った者であっても再び罪を犯します。その度に私たちは何度でも赦しの言葉を聞くのです。十字架の赦しを伝える務めは、牧師だけにではなく、教会に連なるすべての信徒にも与えられています。

 赦しの言葉を語り続けるところに留まるのではなく、赦された者が成長するための言葉に、語る言葉の重心を移していくべきだという考えもあるでしょう。赦された者として成長していくことは、もちろん大切なことです。しかし、信仰者としての成長の妨げになるから赦しを語ることはもう卒業しようとは考えないのがルーテル教会だと思うのです。

 赦しを語り続けることによって、私たちの中に甘えが生じてしまう危険があることも事実です。そのことは素直に認め、そうならないように気をつけていかなければなりません。けれども、だから赦しを語ることは少し控えようとはならないのです。それでも「あなたは赦される」と繰り返して語り続けるのがルーテル教会です。十字架の赦しを語り続けることが何よりも大切だからです。ただ神様の恵みにより、十字架をとおして私たちの罪は赦されるのです。私たちは赦しの言葉に「はい」とうなずくだけでよいのです。

 何度でも赦しに立ち返り、感謝と喜びに満たされ赦しの言葉を携えて神様から遣わされていきたいと思います。

日本福音ルーテルみのり教会 牧師 三浦知夫

16-10-01るうてる2016年10月号

説教「それでも赦しを語る」

機関紙PDF

日本福音ルーテルみのり教会 牧師 三浦知夫

 ぶどう園の主人は言った。「どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。」(ルカによる福音書20章13節)

 ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して旅に出ました。収穫の時期になり、主人は収穫を受け取るために僕を送りますが、僕は袋だたきにされ、追い返されてしまいます。二人目の僕も、三人目の僕も同じでした。それで主人は愛する息子を送るのですが、農夫たちはぶどう園を自分たちのものにしようと考え、跡取りである主人の息子を殺してしまったというのです。
 最初の僕が袋だたきにされた時点で主人は、農夫たちが信用できる相手ではないと分かったはずです。それなのになぜ主人は、農夫たちにぶどう園を預けたままにし、彼らを信じて僕を送り続けたのでしょうか。私たちは、信用できない人、それも既に裏切られたというような人に再び何かを頼もうとはしないでしょう。
 主人に人を見る目がなかったということではありません。この主人は、信用できない者であっても信じ続ける、裏切られても相手を信じて待ち続ける人だったのです。
 ぶどう園は神様と神の民の関係を表しています。ぶどう園の主人は神様、農夫たちは民の指導者たちであり、また神の民のことです。人々は神様から任されたこの世界で自分勝手に罪を犯して暮らしていたので、神様は人々が悔い改めるように何人もの預言者を遣わしたのですが、人々は預言者を退け続けたのです。
 それで神様は「わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう」と独り子であるイエス様をこの世界に送られたのです。人々が信用に足る者たちではないとよく分かっていても、それでも神様は人々を信じ続けてくださったということです。
 たとえでは、主人が「戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない」となっています。それでは実際のその続きはどうだったのでしょう。聖書は、イエス様を殺してしまった者たちも、すべての罪に生きる者が、神様の許に立ち返り、罪の赦しを受け取るように招かれていると私たちに告げています。そして、私たちは神様の前に繰り返し罪を犯し、神様を裏切り続けている人々の中に自分自身の姿を見いださなければなりません。信用できない者たちを信じ続け、徹底して赦しを与え続けようとされている神の愛にもう一度心を向けなければならないと思うのです。
 宗教改革から500年を迎えようとしています。私たちの在り方をもう一度見直し、恵みを確かめる時です。私たちルーテル教会がこれまでこだわり続けてきたこと、これからもこだわり続けていかなければならないことは、赦しを語り続けることだと、私は思っています。
 自分の罪に気づき、十字架の赦しを受け取った者であっても再び罪を犯します。その度に私たちは何度でも赦しの言葉を聞くのです。十字架の赦しを伝える務めは、牧師だけにではなく、教会に連なるすべての信徒にも与えられています。
 赦しの言葉を語り続けるところに留まるのではなく、赦された者が成長するための言葉に、語る言葉の重心を移していくべきだという考えもあるでしょう。赦された者として成長していくことは、もちろん大切なことです。しかし、信仰者としての成長の妨げになるから赦しを語ることはもう卒業しようとは考えないのがルーテル教会だと思うのです。
 赦しを語り続けることによって、私たちの中に甘えが生じてしまう危険があることも事実です。そのことは素直に認め、そうならないように気をつけていかなければなりません。けれども、だから赦しを語ることは少し控えようとはならないのです。それでも「あなたは赦される」と繰り返して語り続けるのがルーテル教会です。十字架の赦しを語り続けることが何よりも大切だからです。ただ神様の恵みにより、十字架をとおして私たちの罪は赦されるのです。私たちは赦しの言葉に「はい」とうなずくだけでよいのです。
 何度でも赦しに立ち返り、感謝と喜びに満たされ赦しの言葉を携えて神様から遣わされていきたいと思います。

連載コラムenchu

7【society】

 「東京2020大会協賛くじ」なるものが発売されていたのですが、そのキャッチコピーをご存じでしょうか。それは、「私たちも、ニッポンのお役に立ちたい。」というものです。 この宝くじは、2020年に東京で開催する五輪を応援する目的で販売されたものです。ですので、「東京オリンピックを応援しよう」みたいなものであれば、「トホホ」と笑って販売所の前を通り過ぎることができたでしょう。
 けれども、「私たちも、ニッポンのお役に立ちたい」というキャッチコピーを前にして、なんともいえない嫌な気持ちになりました。それは、このキャッチコピーが、東京五輪を応援することと日本という社会の役に立つことを同義に考えているからです。そしてここには、ニッポンの五輪を応援しない者はニッポンの役に立たない者という排除の考えが含まれています。たぶん企画者はそこまで考えてはいないのだと思いますが…。
 しかし、昨今の社会には、人間の価値を、「社会(ニッポン)のために役立つかどうか」で評価するという空気が充満してきているのではないでしょうか。
 主イエスは、安息日に麦の穂を摘む弟子たちが批判されたとき、食べ物がなく空腹のダビデと共の者たちが、祭司のほかは誰も食べてはならない供えのパンを食べたことを話した後に言われました。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」(マルコ2・27)と。
 私たちは、ここに住む一人ひとりが、生きていくために「結びつき」「分かち合う」ために社会ができたことを、肝に銘じたいのです。
岩切雄太( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会牧師)

議長室から

「ルターの正と負の遺産」 総会議長 立山忠浩

宗教改革500年まであと1年となりました。これからは、全国総会や常議員会を経て皆で決めた記念事業を実行するのみです。各自がそれぞれのやり方で、500年に一度の記念事業に積極的に参加いただければ幸いです。
 企画された記念事業の他にも、取り組むべき課題がまだまだたくさんあることを最近改めて気づかされました。それらは、各自あるいはあるグループで取り組んでいただき、それを全体に分かち合っていただくことが期待されていることです。
 8月に開催された「第4回るうてる法人会連合全体研修会」で基調講演をしてくださった阿部志郎先生(神奈川県立保健福祉大学名誉学長)は、北欧を中心に社会福祉政策が充実している国々はいずれもルーテル教会を基盤としているが、何か関連があるのだろうかと問われました。カトリックやカルヴァン派が主流の地域では見られないことだと言われるのです。
 この問いを耳にしてすぐに思い起こしたのが、ある日本の社会学者のこの社会現象の分析でした。それは、ルター自身が貧者の救済に尽力したこともさることながら、誰もが貧者になり得るし、失業する可能性があることをルター派は肯定する性格がある、これが主因だと言うのです。だから、誰にも一様に適応できるような社会制度、つまり福祉社会へとつながったという解釈です。
 さらに重要なことは、このルター派的な性格がキリスト教の本来的な条件だと述べていることでした。キリスト者ではない社会学者がルター派の性格を評価するのです。ならば、ルター派の教会こそが教会の立場から、神学的立場からこの問いに答えることが課題であり、期待されていることだと思ったのです。
 課題はルター派の肯定的なことだけではありません。ある著名な執筆家はつい最近出した本の中で、農民戦争の際のルターの言動が、多くの農民を殺戮することにつながったことを指摘し、驚くべきことに、日本のあるカルト集団の指導者と似ているとさえ書いているのです。
 さすがにそれは言い過ぎとしても、ルターのユダヤ人への言動など、その時代の状況を差し引いたとしても好ましくない負の遺産があることも事実です。
 ルターの優れた遺産を大切に受け継いで行く。でもそれは、負の遺産にも目をそらさないものでなければならないのです。

 

ルーテルこどもキャンプ報告

キャンプ長 甲斐友朗

 8月8日~10日、第18回ルーテルこどもキャンプが広島教会を会場に行われました。今年は、小学5、6年生のキャンパー32名、スタッフ28名、総勢60名がキャンプに参加し、恵み深い3日間となりました。
 今年、広島では大きな出来事がありました。オバマ大統領の来訪です。そのため、原爆資料館や平和公園内には大勢の海外の方の姿が見受けられました。子どもたちも、原爆資料館や原爆の子の像、原爆ドームなどをめぐりながら、原爆の被害や平和について思いをめぐらせました。そして、教会に帰ってからは、「平和なこと」と「平和でないこと」を、それぞれ紙に書いて模造紙に張る作業をしました。予想以上に様々な意見が出て、子どもたちの考えの深さに驚かされました。
 しかし、ここで終わらないのが教会のキャンプです。2日目の夜には、聖書が語る平和についても学びました。チャプレンの伊藤節彦牧師からは、聖書が語る平和(キリストの平和)は、ジャイアンのように、人を威圧し、支配することによってもたらされたものではなく、顔をあげるアンパンマンのように、自らを犠牲にし、自ら弱くなることによってもたらされたものだということを聴きました。
 子どもたちにとっては、「広島のこと」と「聖書のこと」、2本立てで平和について考えることになり、大変だったことでしょう。でも、子どもたちは最後まで、自分の頭で考え、自分の言葉で意見を言おうとしていました。きっと、この3日間の経験は、子どもたちにとってかけがえのない財産になったことでしょう。
 最後に、子どもたちを送り出してくださった各教会、教区の皆様、場所を提供し、献身的にご奉仕してくださった広島教会の皆様、やる気と賜物に満ちたスタッフの皆様、このキャンプを覚えてお祈りくださっていた全国の皆様に心より感謝申し上げます。

教会・公共

6レイトゥルギア(礼拝する民)その(2)

宮本 新(田園調布教会牧師、日本ルーテル神学校講師)

 アメリカの教会を訪れたとき、敷地のフェンスにprivate property(私有地)と書いてあり驚いたことがあります。そこで営まれているのはpublic worship(公の礼拝)だからです。
 その公(public)は「官」や「お上」ではなく、ここでは人々と「共(common)に」を標榜するというユニークな公私の組み合わせが見られます。
 ルターの宗教改革もこのパブリックとしての公共論に一役買っています。ルターのドイツ語訳聖書は「民衆訳聖書」と言われ、讃美歌(コラール)や小教理問答には人びとの日常世界で経験的に習得されていく「礼に宿る超越性」が秘められています。ルーテル教会が街角にあるのも偶然ではないでしょう。
 伝道といえば教会へ「人を招く」と考えられがちですが、もう一面に「人が遣わされる」が組み合された宣教論が求められています。
 一般的にプロテスタントでは「巡礼」旅行はしても、それを宗教行為として行わないし、礼拝に行くといって山の頂きや深い森の中に行きません。世俗(地域・日常)の真っただ中にある町の教会に集います。人々の日常生活に宿る「聖」、つまり「俗」における「聖」へと心眼を開いて、み言葉に耳を傾けます。そこでは昇天と再臨のキリストよりも、むしろ馬小屋に生まれ、市井の人々と共に歩んだイエスを黙想する機会が多となることでしょう。私たちは天の高みに昇るのではなく、地の低みに降りてこられる神の愛と憐れみに触れて讃美の声を挙げます。人々の暮らしの中に「教会」は信じる群れとなって「生まれる」。あのパンと葡萄酒にキリストが現臨されるのを信じて集うように、「今、ここで」み言葉を求めます。
 礼拝では日常の言葉で神のことばが語られ、讃美し、生かし生かされるリズムを整えます。プロテスタントは巡礼の神学を持たないのではなく、より深く「俗」なる世界を巡礼的に生きる舞台を見つめます。俗のただ中に「聖なるお方」が共におられることを信じるからです。「ここは神の世界」と「俗」のまっただなかにおいて聖を祝い、この世の国のまっただなかで「神の国の宣教」に身を投じているのが町の教会の姿のようにも見えます。祝福をもって「派遣」で結ばれる礼拝はそれを物語っています.

宗教改革500年に向けて ルターの意義を改めて考える (53)

ルター研究所長 鈴木 浩

 どこの大学でも、すべの授業がラテン語で行われていた。だから、外国で学ぶことも特別なことではなかった。例えば、ヴィッテンベルク大学の学長になるショイルは、法学研究が進んでいたイタリアのボローニャ大学で学び、そこで法学博士の学位を得ていた。
 大学生は誰でも、ラテン語で話し、読み、書いた。ルターもそうであった。中国文化圏のもとにあったどの国でも、かつては、知識人は漢文を読み、書くことができたのと同じである。ただ、漢文では話すことができなかったのとは違って、ラテン語では会話も可能だった。
 ラテン語はときどき奇妙な表現をする。例えば、大学を首席で卒業すると、「スンマ・クム・ラウデ」(最大の称賛をもって)と呼ばれた(アメリカでは今でもそうである)。しかし、語順を単純に英語に置き換えると、the highest with praiseとなる。同様に「この箇所で」は「ホック・イン・ロコ」(this in place)となる。前置詞がどういうわけか「前に」置かれず、「中に」置かれるのだ。ルターには、数は多くないが、同じ本文をラテン語でもドイツ語でも書いたものがある(例えば『キリスト者の自由』)。比べて読むと、ラテン語本文はいかにもラテン語風の響きがし、ドイツ語本文はいかにもドイツ語の特徴が出ている。メランヒトンが書いた『アウグスブルク信仰告白』もその点では同じだ。
 ルターもメランヒトンも完璧にラテン語をものにしていた証拠である。当時の大学生は、みんなそうであった。だから、ルターのおかげでヴィッテンベルク大学が一躍「有名校」になると、外国からも大勢の入学者が出て来るようになった。そのせいだろうか、ルターの給料は突出していたようである。それでも生活は大変であった。

ルター、バッハ、宗教改革500年。

徳善義和

12.慰めと励ましの歌

力なる神は わが強きやぐら(教会讃美歌450番)

 どの教会でも宗教改革主日や記念日の礼拝では必ずこの讃美歌を、それも力強く歌うだろう。ほとんどの人がこの讃美歌はルターによるものだと知っているだろうが、その背景や歴史を考えてみたことはあまりあるまい。
 これは元々このような勇ましい歌ではなかった。反対者に囲まれ、改革は停滞し、いわば四面楚歌の中で自らはうつ傾向に陥っていたルターが自らを慰め、励ますために詩編46編の始めを歌詞とし、さらに敵に囲まれなす術がなくとも、自分に代わってキリストが戦ってくださるから、最後の勝利は神のみ手にあると歌ったものだった。従って原曲はテナーのソロ曲、もっとゆっくり慰めと励ましを込めて歌うものだった。似てはいるが元気のよい、宗教改革行進曲のような現在のメロディーになったのはルターから100年か150年経ってのことだったろう。ドイツ北部から北欧にかけてルーテル教会が揺るぐことのない位置を占めるようになった頃である。
 バッハもその勇ましいメロディーを使って、カンタータ80番を作曲した。死後その息子の一人が演奏したときにはさらにトランペットまで加えて、勝利の歌の響きを強めたという。
 原詩をできれば直訳ででもよいから静かに読んでみると、作詞当時のルターの姿をいささかなりと心に浮かべることができるだろうか。これを原曲で静かに歌って信仰の励ましとするということもまた、ルターに即して意味深いことだろう。教会讃美歌改訂版にはこの原曲をぜひ並べて載せて欲しい。
 罪ゆえに無力のわがために、キリストが一人で戦って勝ちを収めてくださると歌う意味を噛み締めたい(教団讃美歌がこの箇所で「われと共に」と歌うのは誤訳も誤訳、神学的にも誤りである)。心してルターのこの信仰歌を心に刻みつつ歌いたい。

敬愛する兄弟姉妹へ、退任にあたり

ボーマン・ナタン

 私の日本との関わりはその誕生以前からものでした。父ジョン・ボーマン牧師は、当初は進駐軍として終戦直後に日本に着任し、軍警察として日本人を米兵から守る役割に就きました。また母の弟はその前に沖縄戦で戦死しています。仙台のある教会の教会学校の子ども達が父に、「日本に戻って、子ども達にイエス様の話をしてください」と呼びかけたことが、その後の父の人生を大きく変えることになりました。そしてそれはまだ生まれていなかった私の人生を方向づけることになりました。
 東京で生まれ、湯河原、大垣、東京で過ごし、その後29年にわたり神水教会、松橋教会、熊本教会の国際礼拝、慈愛園など様々な宣教の場に関わる恵みが与えられました。
 熊本地震により、宣教師館が耐震性に乏しく、安心して生活を続けることができないことが分かりました。最初は野宿し、雨が降り出すと車に、暑くなると別棟の倉庫に宿りました。こんな時には宣教地を離れるものではないと確信しました。関わりのある3つの教会はひどい被害を受けており、施設も学校も同様でした。地震の度にグラウンドに集まり、一緒に避難する生活が続きました。
 同時に教会や施設を通して、周りの方々を守る大切な絆作りの時ともなりました。コミュニティーは被災の副作用である「人震災害」を止める大事な予防線です。コミュニティーを失えば、希望も残らず、人としての基盤が揺れることを「人震災害」と名付けました。災害時に人々の心が繋がらなければ、人はその災害に負ける。このことは阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地方大震災などから学びました。被災者に対するゴールデンルールは、被災者の選択権を先ず認め、応援することです。
 そのような中、私は重大な決断をしなければならなくなりました。派遣元のアメリカの教会より辞任を命じられたのです。結果、8月1日付で辞し、渡米しました。
 皆様の愛と励ましを受け、深く感謝しています。教会と慈愛園と近所のコミュニティーを通して子どもが3人与えられ、合わせて5人の子ども達とその家族も日本の影響を受け育つことができました。
 新しい出発をしますが、熊本と日本のことを忘れることはありません。高倉師、末竹師、重野師、 本師という素晴らしい先生方と共にイエス・キリストの愛を証し、福音宣教に生きる歩みが許されたことを光栄に思います。
 この度皆様が熊本の教会、施設、学校のためにささげてくださった祈りと励ましと支援にも感謝します。
 自分よりも神様を愛する者、人に仕える者、そして、神様の憐れみに生かされた者として歩んでください。
 皆様に聖霊が豊かに注がれますように。愛する日本の国が癒され、神の愛に導かれますように祈っています。

るうてる法人会連合第4回全体研修会報告

事務局 滝田浩之

 8月23~24日、ルーテル学院大学を会場に「るうてる法人会連合」の主催で第4回の全体研修会が行われました。全国から80名の方々が参加してくださり「るうてるグループ」の一員としての思いを新たにし、再び現場へと帰っていく力を与えられる時でした。
 基調講演は阿部志郎先生(神奈川県立保健福祉大学名誉学長)にお願いして「わたしたちが大切にしているもの」という題でお話しを頂きました。先生は「なぜルーテル教会のある北欧は福祉の最先端の実践を世界に示してきたのか」ということを、ルーテルの方からお答えをお聞きしたいとおっしゃいます。今回は、真正面からご自身がそれに答えてくださる形で講演をしてくださいました。教会、社会福祉施設、教育施設が一体となってキリストの愛を伝えようとする「るうてる法人会連合」の可能性と責任を示してくださる内容で、先生からたくさんの宿題を頂くような思いでした。
 原島博先生(ルーテル学院大学)のワークショップでは、目の前の隣人を支える時、時に限界を感じてしまう私たちの目を、そこに仕えることによって世界の苦しみを支える働きをなしているのだというダイナミックな、そして開かれた視点を与えて頂くことができました。
 宮本新牧師は、私たちが目の前の人を「支える」ということは、実は一方的に私たちが隣人に愛を注ぐということではなく、その隣人に自分も「支えられている」という気づきと感謝が生み出されていくところに、キリスト教らしさがあり、「るうてる」らしさがあるのだという視点をお話しくださいました。
 2度行われた分科会では、活発にそれぞれの抱える現場の課題が共有されました。どの課題も深刻であり特効薬はないことも分かち合われました。しかし、それを担い続ける勇気が、互いにそれを支え続けている仲間がいることを知ることで与えられました。
 来年は宗教改革500年を意識しつつ、熊本にて総会を開催する予定です。今からご予定ください。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より
9 救いは主のもとにあります。(詩編3)

伊藤早奈

 神様、新しい目覚めをありがとうございます。自分が目覚めたその現実を喜ぶこともあれば、こんな現実の中なら目覚めたくなかったとあなたを恨むこともあります。しかし神様、あなたは本当に必要な「時」を今、与えてくださっています。感情的に出したり引っ込めたりするような駆け引きはあなたの愛にはありません。当たり前に見えるような些細なことも、丁寧に与えられる恵みとして感謝できますように。主イエス・キリストのお名前を通して祈ります。アーメン
——————————————–
 もし、自分が透明人間だったらどうしますか? 考えたこともないわ、という方もおられるかもしれませんが考えてみてください。私は幼い頃、反抗期の真っ最中だった時くらいに「透明人間になりたい」と思いました。そうしたら誰にも干渉されず、監視されず、自由になれるような気がしたからです。
 でもどうなのでしょうか。本当に今、誰からも見えなくなり、誰からも干渉されず誰にも監視されなくなったら。「ただいま」と家に帰っても誰にも気付かれず、何か失敗しても誰もわからない。笑っても泣いても怒っても自由ですが誰にも解ってもらえない。それは孤独です。
 実際に姿が見えていてもそのようなことは起こります。特に現代には多いのかもしれません。「無関心」という世界です。「愛」の反対は「無関心」です。
 しかし、神様はあなたが誰かから見えても見えなくても、たとえ自分の存在を否定して自分を見ないようにしていても、あなたが透明人間のようであっても、あなたというかけがえのない一人の存在を愛されます。だから誰も孤独ではありません。
 聖書にある「救い」とは孤独からの解放との意味もあります。助けを得ることや物を与えてもらうというような一時的な助けより深く、神様は私たち一人一人に関心を持ち、愛してくださっています。
 たとえあなたが透明人間になったとしても、神様の眼差しに影響はありません。一人一人がそのまま神様に愛されていることをいつも感謝できますように。

     

プロジェクト3.11 「北海道寺子屋合宿」について

原子力行政を問い直す宗教者の会 大河内秀人
 
 「原子力行政を問い直す宗教者の会」では、福島第一原発事故の被曝の影響を受ける地域の子どもたちを対象とした保養事業「北海道寺子屋合宿」を、寺院や教会の協力を得て、2011年から毎年夏休みに実施しています。
 6年目の今年は、チェルノブイリでも子どもの甲状腺疾患が増加し始めたといわれる5年が経過する時期に当たり、すでに福島だけでも172人が癌または癌の疑いと診断され、131人が手術を受けました。さらにリンパ節転移や遠隔転移、再発など、深刻な症例も報告され、福島県外でも子どもたちの甲状腺癌が報告されています。
 一方、国は「原発事故の影響とは考えにくい」とし、不安や風評被害につながるとして甲状腺検査の縮小の動きもあり、人々が不安を口にしにくい状況です。
 今年事業の実施に当たり、2月に札幌と旭川で、福島の現状とチェルノブイリでの対応について詳しい独立メディア「アワー・プラネットTV」の白石草さんを講師に、受入先関係者や地元協力者と共に学び、あらためて保養事業の意義を確認し合いました。
 今年も3期に分けて実施し、地域や学校のスポーツ団体や教会などのグループ、家族単位の一般参加、引率者も合わせて206名が参加しました。基本的な日程は、仙台港集合、フェリーで苫小牧へ渡り、初日は札幌の東本願寺青少年研修センター宿泊、アイヌ文化を知る講座や交流会などの後、それぞれの受入先施設で過ごしました。また、北海道の協力医療機関とボランティアで同行いただいた医師による甲状腺エコー健診も行いました。
 子どもたちは、福島ではできない外遊びや自然体験などのびのび過ごし、大人たちもタブーになっている放射能対策や不安に関する話題を口にすることのできる開放感を味わいました。
 被曝環境や健康状況などを見ても、より重要になる保養事業ですが、国の原発推進政策や関心の薄れにより、全国的に保養事業が縮小されつつあります。そのため、当会の事業は抽選で多くの希望者にお断りをしなくてはならないことにもなりました。今後一層のご支援、ご協力をお願いいたします。
(プロジェクト3・11では本プログラムへの支援を行っています。)

「宗教改革(499年)記念日」各地の集会の情報

<北海道特別教区>
 宗教改革合同礼拝(JELC道央地区・NRK札幌地区)
 日時:10月30日(日)15時
 会場:日本ルーテル教団札幌中央ルーテル教会
 司式:粂井豊牧師
 説教:日笠山吉之牧師

<東教区>
 宗教改革合同礼拝
 日時:10月31日(月)19時
 会場:ルーテル市ヶ谷センター

<東海教区>
 宗教改革合同礼拝(尾張・岐阜地区宣教委員会主催)
 日時:10月31日(月)14時
 会場:岐阜教会
 説教者:末竹十大牧師
 司式者:斎藤幸二牧師

 東海教区 第41回信徒大会
 日時:11月3日(木)10時30分~15時
 会場:愛知県岡崎市せきれいホール
 テーマ:「聞いて見て歌って ルターを感じて」
 
<九州教区>
 2016年宗教改革記念行事(熊本地区宣教会議)
 日時:10月30日(日)14時
 場所:ルーテル学院中高チャペル
 オルガン演奏:加藤麻衣子さん
 講演:「宗教改革とオルガンの歴史・構造
    ~オルガンの歴史から見た礼拝改革(宗教改革)~」    中井邦夫さん(中井オルガン工房)

 

16-09-17だいじょうぶ だいじょうぶ

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。(詩編23・1~4)

 詩編23編は、わたしたちが、いつもくちずさみ、味わい、その度に力づけられる詩であると思います。「主は(わたしの)羊飼い。わたしには、何も欠けることがない。主は、わたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」。

 神さまから造られたわたしたちが、神さまに守られている者だと言うのです。主は羊飼い、わたしたちはその群れの羊。わたしたちは、自分で自分を守るのでなく、ただただ、飼い主に守り抜かれる存在です。しかし、守られるのは、主の群れにあってです。すると、主の守りを分かち合う、守り合うということが起こります。どのように、わたしたちは守り合うのでしょうか。

 柳田邦男というノンフィクション作家がいますが、『みんな、絵本から』(講談社)という本の中で、幼いころに読んだ絵本が、悲哀や辛苦の人生経験と重なってきて、病いや老いのときに、その絵本が深い癒しを与えてくれると言います。

 実は、わたしにも、そのような絵本があります。
 その絵本は、『だいじょうぶ だいじょうぶ』(いとうひろし作・絵/講談社)というものです。主人公の「ぼく」が、ようやく歩けるようになった頃から、おじいちゃんは、毎日のように散歩に連れ出してくれました。散歩は楽しく、新しい発見や出会いがありました。困ったことや怖いことにも出会いましたが、そのたびに、おじいちゃんが、「ぼく」の手を握り、おまじないのようにつぶやくのです。「だいじょうぶ だいじょうぶ」。こうして、「ぼく」は、何があっても、「だいじょうぶ だいじょうぶ」の言葉に支えられて、大きくなりました。
 やがて、「ぼく」は成長し、おじいちゃんも年をとってきました。あるとき、おじいちゃんは具合が悪くなり、入院することになりました。さあ、今度は「ぼく」の番です。「ぼく」は点滴を受けてベッドに寝ているおじいちゃんの手を握り、何度も何度も繰り返して言うのです。「だいじょうぶ だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、おじいちゃん。」
 この絵本を見たのは私の父が亡くなった後でしたので、「ぼく」がおじいちゃんの手を握り「だいじょうぶ、だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、おじいちゃん」という場面では涙が止まりませんでした。
 
 詩編23編は、神さまの守りと、わたしたちの神への深い信頼を歌っています。「死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」 「わたしを苦しめる者を前にしてもあなたはわたしに食卓を整えてくださる」。
 この詩人は、平穏な日々の中で神さまへの信頼を歌ったのではないようです。現実の状況は「死の陰の谷」を歩み、「わたしを苦しめる者」が前にいるのです。しかし、それでも羊飼いがわたしと一緒にいてくれるという信頼を持ちながら歩んでいくのです。きっとそこには、「だいじょうぶ、だいじょうぶ、主が共にいてくださるから」と、語りかける仲間がいたことでしょう。「ぼく」がおじいちゃんから「だいじょうぶ」を聞き、「ぼく」がおじいちゃんに「だいじょうぶだよ」と声をかける。これが、大切なことだと思います。

 友人から送られてきた手紙に、作者不詳の詩が紹介されていました。
「主よ、あなたが、あの人のことを、引き受けてくださいますから、一切をお任せいたします。私の力ではなく、あなたの力で、私の愛ではなく、あなたの愛で、私の知恵ではなく、あなたの知恵で、お守りください。主よ、抱きしめてください。私の代わりに。」
 この詩の「あの人」とはだれのことでしょうか。
「ぼく」にとっては、入院しているおじいちゃんでしょう。わたしたちにも、主に委ねるべき「あの人」がいることでしょう。守られた者が守る者となる。これがわたしたちの生き方でしょう。「だいじょうぶ だいじょうぶ だいじょうだよ!」と呼びかけあう。そこに主の羊たちの群れの姿があるのです

日本福音ルーテル静岡教会 牧師 富島裕史

16-09-01るうてる2016年9月号

説教「だいじょうぶ だいじょうぶ」

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日本福音ルーテル静岡教会 牧師 富島裕史

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。(詩編23・1~4)

詩編23編は、わたしたちが、いつもくちずさみ、味わい、その度に力づけられる詩であると思います。「主は(わたしの)羊飼い。わたしには、何も欠けることがない。主は、わたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」。
 神さまから造られたわたしたちが、神さまに守られている者だと言うのです。主は羊飼い、わたしたちはその群れの羊。わたしたちは、自分で自分を守るのでなく、ただただ、飼い主に守り抜かれる存在です。しかし、守られるのは、主の群れにあってです。すると、主の守りを分かち合う、守り合うということが起こります。どのように、わたしたちは守り合うのでしょうか。
 柳田邦男というノンフィクション作家がいますが、『みんな、絵本から』(講談社)という本の中で、幼いころに読んだ絵本が、悲哀や辛苦の人生経験と重なってきて、病いや老いのときに、その絵本が深い癒しを与えてくれると言います。
 実は、わたしにも、そのような絵本があります。
 その絵本は、『だいじょうぶ だいじょうぶ』(いとうひろし作・絵/講談社)というものです。主人公の「ぼく」が、ようやく歩けるようになった頃から、おじいちゃんは、毎日のように散歩に連れ出してくれました。散歩は楽しく、新しい発見や出会いがありました。困ったことや怖いことにも出会いましたが、そのたびに、おじいちゃんが、「ぼく」の手を握り、おまじないのようにつぶやくのです。「だいじょうぶ だいじょうぶ」。こうして、「ぼく」は、何があっても、「だいじょうぶ だいじょうぶ」の言葉に支えられて、大きくなりました。
 やがて、「ぼく」は成長し、おじいちゃんも年をとってきました。あるとき、おじいちゃんは具合が悪くなり、入院することになりました。さあ、今度は「ぼく」の番です。「ぼく」は点滴を受けてベッドに寝ているおじいちゃんの手を握り、何度も何度も繰り返して言うのです。「だいじょうぶ だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、おじいちゃん。」
 この絵本を見たのは私の父が亡くなった後でしたので、「ぼく」がおじいちゃんの手を握り「だいじょうぶ、だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、おじいちゃん」という場面では涙が止まりませんでした。
 詩編23編は、神さまの守りと、わたしたちの神への深い信頼を歌っています。「死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」 「わたしを苦しめる者を前にしてもあなたはわたしに食卓を整えてくださる」。
 この詩人は、平穏な日々の中で神さまへの信頼を歌ったのではないようです。現実の状況は「死の陰の谷」を歩み、「わたしを苦しめる者」が前にいるのです。しかし、それでも羊飼いがわたしと一緒にいてくれるという信頼を持ちながら歩んでいくのです。きっとそこには、「だいじょうぶ、だいじょうぶ、主が共にいてくださるから」と、語りかける仲間がいたことでしょう。「ぼく」がおじいちゃんから「だいじょうぶ」を聞き、「ぼく」がおじいちゃんに「だいじょうぶだよ」と声をかける。これが、大切なことだと思います。
 友人から送られてきた手紙に、作者不詳の詩が紹介されていました。
「主よ、あなたが、あの人のことを、引き受けてくださいますから、一切をお任せいたします。私の力ではなく、あなたの力で、私の愛ではなく、あなたの愛で、私の知恵ではなく、あなたの知恵で、お守りください。主よ、抱きしめてください。私の代わりに。」
 この詩の「あの人」とはだれのことでしょうか。
「ぼく」にとっては、入院しているおじいちゃんでしょう。わたしたちにも、主に委ねるべき「あの人」がいることでしょう。守られた者が守る者となる。これがわたしたちの生き方でしょう。「だいじょうぶ だいじょうぶ だいじょうだよ!」と呼びかけあう。そこに主の羊たちの群れの姿があるのです。

連載コラムENCHU

6【 Democracy 】

 野村修也さん(中央大法科大学院教授)の書かれた東京新聞のコラム「多数決のパラドックス」(2014年2月19日)を紹介します。『こんな問題もある。5階建てのマンションで、エレベーターの改修費が議論となった。普段エレベーターを使わない1階の住民は負担を拒んだが、5階の住民は均等割を主張した。多数決で決めることになり、過半数ではしこりが残るので5分の4が賛成する案に従うことになった。一見良さそうだったが、腹を立てた5階の住民の提案と、負担したくない他の住民の思惑が合致し、1階の住民だけが負担する案に5分の4が賛成したという。笑えない話だ。多数決の結果が常に正義とは限らない。多数派になった時こそ肝に銘じたい教訓だ』。
 障がい者施設で働く者の一人として、この話は本当に笑えない話です。受益者が少数派で負担者が多数派である「障がい者支援など」の住民投票が実施されたら、このパラドックスがそのまま再現されかねません。いや、今、起こっている沖縄・高江のヘリパッド建設問題は、まさにパラドックスそのものではないでしょうか。日本の人口比0・0001%の高江の住民が反対しても、民主主義の名のもとに暴力さえも黙認されているのだから。
 主イエスは、神の国を「成長するからし種」にたとえられました。神の国とは、小さなからし種が成長し、葉の陰に空の鳥が憩える場所ができるようなものだ、と。「み国が来ますように」と祈る私たちは、からし種のような声に耳を澄ます者でありたい、と思います。岩切雄太 ( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会牧師

第24回 全国ディアコニア・セミナー

テーマ「和解~キリストにおける愛と平和を学ぶ」

●日時:2016年10月9日(日)16時
 ~10日(月)15時
●会場:10月9日/健軍教会(熊本市)、10月10日/水俣スタディツアー
●おもなプログラム:<健軍教会にて>
 開会礼拝(小泉基牧師)、学び1「響きあう者たち―和解から和解へ」(小副川幸孝牧師)、学び2「和解を正義による再生と希望の連鎖:水俣と福島が出会い、熊本へつながれる希望」(石原明子さん/熊本大学)
 <水俣にて>水俣の資料館と水俣病の史 跡めぐり。水俣の食材・味を通して水俣 の哲学を体感。語り部のお話し。
●参加費:1,000円。スタディツアーバス代3,000円(健軍教会までの交通・宿泊は各自手配、合わせて食事なども自費)
●申込み締切り:9月30日
●申込み・問合せ:ディアコニア・ネットワーク代表 谷川卓三(三原教会・福山教会)
 詳細は、以下のURLへ
http://goo.gl/rGg0RX

議長室から

教会の「敬老の日」 総会議長 立山忠浩

 9月になり、季節は秋に向かうことになりました。各教会で様々な行事や集会を企画されていることでしょう。その一つが「敬老の日」に関することで、教会によっては特別な行事を予定されているかもしれません。
 日本の祝日にはその他、成人と子どもの日がありますが、なぜか敬老の日だけが「敬老」と、「敬う」という言葉が添えられています。成人と子どもにも「敬う」という言葉を添えるべきだと思いますが、なぜこの日だけが「敬老の日」なのか、色々な意図を思い巡らすのです。
 日本の平均寿命は世界でもトップクラスで、「高齢化社会」という言葉が定着しています。最近は「下流老人」なる新語まで登場していますが、これらの言葉からは、あまり好意的な印象が響いて来ないのは私だけではないでしょう。「高齢化社会」という言葉が語られる時にはいつも、年金や医療費問題に象徴されるように、国の財政をひっ迫させている負の部分が強調されがちだからです。
 では、教会ではどうでしょう。教会員や礼拝出席者の年齢構成を見れば、ルーテル諸教会のほとんどが「高齢化社会」を反映しています。いやそれどころか、日本社会全体以上に高齢化は進んでいると言えるでしょう。ここから、教会でもしばしば「高齢化」という言葉を口にするのですが、それは日本社会で響いて来るような印象があってはならないのです。
 では聖書はどう語っているか。聖書をめくりながら気づかされることは、聖書の書かれた時代は今ほどの高齢化社会はなく、筆者も予想すらしていないということです。当然と言えば当然ですが、今日の教会が、自分たちで答えを見つけ出して行かなければならない課題であることが分かります。
 ただ時代や社会は変わっても、聖書の場合には、人を見る目は一貫していることを忘れてはいけません。それは子どもであれ、若者であり、高齢者であれ、どの年齢層であろうとも等しく見つめている神様の眼差しがあることです。それだけでなく、誰もが生涯を通して、神様の働き人として用いられていることです。
 聖霊降臨の日にペトロは、神様の霊はすべての人に注がれており、息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る(使徒2・17)と説教したのです。この世の生涯を閉じるまで、聖書に親しみ、賛美と祈りを絶やさず、自分にできる奉仕をする者でありたいと思います。

公開講演会「いのちの光のなかで~スピリチュアルケアの実際~パストラルケアを背景として」

原 仁(ルーテル・医療と宗教の会 世話人代表)

今までもターミナルケアは医療と宗教の会のキーワードのひとつでした。そこでは医療者側と患者家族の思いが語られました。もう一つの視点 、病院チャプレンの働きが今回のテーマです。医療からみればターミナルケアですが、病院チャプレンの担う、死を目前にした人へのスピリチュアルケアを公開講演会で取り上げるのは極めて当然の成り行きでした。
 7月9日に東京四谷の幼きイエス会ニコラバレホールで開催された公開講演会は「いのちの光のなかで~スピリチュアルケアの実際~パストラルケアを背景として」と題して、田中良浩牧師にご講演いただきました。ご存知のように、田中先生は稔台教会や熊本教会などで牧会されています。米国での牧師としてのご奉仕の後、独立型ホスピスのピースハウス病院のチャプレンを7年間勤められ、2015年5月より救世軍ブース記念病院チャプレンとして、主にホスピス病棟でのケアに従事されています。まさにスピリチュアルケアの実際をお話しいただける最適な牧師です。
 ご講演は田中先生ご自身の信仰の原点を語られ、そして私は何故、この務めに向かう衝動にかられるのか、という問いに答えるように「人ではなく、キリストが癒してくださる」ことを宣言されます。キリスト教徒が多くない日本人の心にも、霊的な意識は確かにあると民族学や歴史学の文献を基に指摘されました。チャプレンの職務は、患者様と共にいること、聴くこと、そして祈ること、と続けられ、後半の5事例の紹介へと展開されました。事例に連なるご家族が何人も来会されていました。田中先生の真摯なお働きの結果なのでしょう。重く、そして深いお話しでした。
 日曜の礼拝後に教会堂で行うことが常であった公開講演会でしたが、初めて土曜の午後に開催いたしました。いつものように40名弱の参加者が得られて感謝です。なお、田中先生のご講演の内容を冊子にして公開する予定です。ご期待ください。

教会×公共

5レイトゥルギア(礼拝する民)その(1)

宮本 新(田園調布教会牧師、日本ルーテル神学校講師)

 明治の初期、キリスト教を警戒した政府が密かに人を遣り監視した資料が残っています。その中
に次のような記録が残されています。「初メニ歌ヲトナヘ、次ニバイブルヲヨミ、祈?ヲシ、神ニ約シテノチ、事ヲ議ス」。ある宣教師たちの会議の模様です。讃美をし、祈り、そして神に約束をして物事を決めていたのです。このような礼拝や集会の光景は今日まで津々浦々の教会で見られるものです。当時それを目撃した人が安堵したのか、危険を察知したのかは想像するほかありませんが、私たち自身は「礼拝する」ことにどんな意味や次元を見出しているでしょうか。
 著名な宗教学者・島薗進は、アジアの広範にわたる「礼」の伝統はプロテスタントの宗教理解と異なることを指摘しました。キリスト教とりわけプロテスタントから派生した世俗化論が聖と俗を分けることに力点があるのに対し、礼の文化は両者を結合し調和する文化だと論じ、「礼に宿る超越性」に意義を認めているのです。とても興味深い論ですが、そのプロテスタントの教会もまた営々と続けているのは礼拝です。
 キリスト教の礼拝を形づくる言葉にレイトゥルギアがあります。リタジー(典礼)の語源にあたりますが、元々はギリシャ・ローマ時代に人々が共同で行う公の奉仕や務めを意味する言葉でした。キリスト者の群れは、各々「私」を神の前に差し出し、祈り、讃美し、み言葉に聴くことをもって「つとめ」としたのです。そのようなキリスト礼拝には世俗の公/私の意味すらも根源から組み替えていく力があることが見出されました。この世界や命あるものは天において何であり、はじまりに何があり、終わりに何が待っているのかを主イエス・キリストを礼拝することを通じて、知らされてきたのです。
 ルターは「そのような信仰は人間の力によるのではない。神がわたしたちのうちに信仰をつくるのである」と言ったといいます。この世の真っただ中で行われる礼拝もまた同じことであるように思います。

熊本地震支援第1期募金報告

 「熊本地震」により被害を受けられた方々に慰めがありますように。復興への道のりは始まったばかりであり、多くの困難が伝えられておりますが、立ち上がる方々に励ましと、それに寄り添う教会の歩みに祝福が、神から豊かにありますよう祈ります。
 支援募金(第1期)のご報告をいたします。8月3日現在、国内外より、連帯献金として、①生活支援4,307,171円、また②建物支援17,865,088円が寄せられました。被災地と全国各地の強い連帯を感謝いたします。今後、建物支援に絞っての支援の呼びかけをいたします。(事務局)
 神を前にして生きることは究極のパブリック・パフォーマンスなのかもしれません。主を知ることを通して、世界を知り、自分たちを見つめていくことでもあるからです。

宗教改革500年に向けてルターの意義を改めて考える(新シリーズ5・通算52)

ルター研究所所長 鈴木 浩

 ペラギウス主義とは、アウグスティヌスと激しい論争を交わした5世紀の異端であった。その主張は、人間は救いに与るのにふさわしい働きをしなければならないし、することができる、という点にあった。そのような力を人間に与えてくれたのが、神の恵みであった。
 他方、オッカム主義の義認論は、人間の行いうること は非常に些細なことで、到底救いには値しないが、それでも、神はそれを義認にふさわしいものとして受け入れてくれる、という点にあった。それが、神が恵みによって人間と交わしてくれた「契約」であった。
 しかし、それでも人間の側には、「やらなければならないこと」があった。「人事を尽くす」ということである。それが、義認の恵みにあずかる「条件」であった。ルターも当初は、救われるためには、人間にはしなければならないことがある、と考えていた。
 ただし、巡礼に行くとか、聖遺物を拝観するとか、施しをするとかいった、当時の教会の「功績」をめぐる教えは何の役にも立たないとも考えていた。
 ルターが考えた「人事を尽くす」とは、律法の前での自分の無力さを痛感し、ひたすら神にすがりつき、神に叫び声を上げることであった。しかし、それでもそれは「人間がなすべきこと」という枠内に入っていた。だから、「人事を尽くす人に、神は恵みを拒むことはない」という構想の枠内に留まっていたことになる。
 ルターは、この枠をいかにして突破したのか。突破口はどこにあったのであろうか。何をきっかけとして、その突破が実現したのであろうか。それが、ルターの神学の発展の物語となる。
 ルターは神学博士となった翌年、神学部で詩編の講義を始めた。1513年のことである。そして、それが1515年まで続く。

ルタ―、バッハ、宗教改革500年

徳善義和

⑪主にあって生き、また死ぬ

「神の時はいともよき時」

  中世のラテン語の歌をドイツ語にして、「生のただ中にあってわれわれは死のうちにある」という讃美歌をルターは残したが、他方『詩編90編講義』の序文では、この歌を律法の歌と呼び、「しかし『死のただ中にあってわれわれは生の内にある』とわれわれは福音の歌を歌おう」と書いて、生と死の福音的逆説を説いた。
 生から死へ、愛する者を送るとき、哀惜の念強く、悲しみにうち沈むのは人の常である。愛娘を天に送って、今は神の身許にいると知っていても悲しい、とルター自身も友人に漏らした。
 しかしバッハにも葬儀を背景とするものには、葬儀の讃美歌「イエスよ、わが喜び」(教会讃美歌322)に基づきつつ、ローマ8章の聖句を配したライプツィヒ時代のモテットが残っている。
 「神の時はいともよき時」(KK106)を初めて聴いたのは鈴木雅明のバッハコレギウムジャパンが活動を始めた初期、御茶ノ水の小さいホールだったが、その後大ホールでカンタータ全曲の演奏を続けて、それを完成させた。
 この「神の時はいともよき時」はバッハのごく若い日の作品、ミュールハウゼン時代で22歳の頃と考えられている。愛する伯父の葬儀に臨んでのカンタータだったが、少年の日に母と父を相次いで失った青年バッハの、死といのちへの思いのこもったカンタータである。古い契約によるのではなく、イエスのみ手に委ねて、「今日あなたは私と共にパラダイスにある」というみ声を聴く、というそのみ声を心に聴きたい。
 訃報に接すると、バッハのこの2曲のいずれかを心に想い、あるいは聴いて祈るのを私は常とする。自らが身許に召される時も、会衆讃美歌は「イエスよ、わが喜び」、そして、このカンタータが響くことを願ってもいる。

熊本地震 九州教区対策本部活動報告

九州教区長 小泉 基

 震災から4ヶ月がすぎ、熊本の被災地支援は新たな局面を迎えようとしている。これまで緊急支援として行われてきた活動は、避難者さん方が避難所から仮設住宅に移っていくにしたがって、少しずつ中期的な生活支援に形を変えていくことになるだろう。
 ルーテル教会の救援対策本部である「できたしこルーテル」の働きも、被災直後の緊急支援物資の配布からスタートして、5月~6月は諸教会のカフェ活動や掃除用具の配布、炊き出し活動、健軍教会・広安愛児園/LECセンターの避難者さん方の支援、ルターバックスカフェの運営等に力が割かれてきたが、7月から8月にかけては、自宅の片付けが出来ない方、引越の支援を求めておられる方、ガレキの処理に困っておられる方々をサポートする働きをその活動の中心としてきた。
 8月現在、国際協力NGOわかちあいプロジェクトと協働し、わかちあいプロジェクトが雇用している専従者と、福岡地区(および下関)から交替で熊本入りする牧師らがチームを組み、被災家屋の片付け、危険なブロック塀を解体しダンプでガレキ処理場に運搬するなどの肉体労働に取り組んでいる。
 熊本市内は、少しずつ危険家屋の解体がすすん で更地が増え、建物の補修工事がすすんでいく様子が伺える。しかし建物の9割が被害を受けたといわれている益城町では、被災から4ヶ月を経た今でも、 震災直後の惨状がそのまま 晒されているし、仮設住宅の戸数も絶対的に不足している。「できたしこルーテル」は、この新しい局面に対応した生活支援のあり方を模索しつつある段階である。
 一方で、被災教会の支援については、全国のみなさんがお送りくださった建物支援募金(一次募金)の配分が決定したので、これから被災教会の補修工事がすすめられていく見込みである。
 みなさんの温かいご支援に感謝するとともに、これからも被災地にある教会と被災者の方々のために、ご支援とお祈りをお願いする次第である。

教会讃美歌増補版について

中山康子(讃美歌委員・むさしの教会)

「歌は世に連れ、世は歌に連れ」という言葉で始まる歌番組がありました。賛美歌にしても同様です。2000年近く歌い継がれている賛美歌もありますが、生まれてすぐ消える賛美歌もあります。
 2017年のルターの宗教改革500年の記念事業の一環として讃美歌委員会は『教会讃美歌増補版』作成のためにおもに以下の3分野を念頭において作業中です。
1.マルティン・ルター作と考えられている賛美歌を極力和訳し歌えるようにします。日本で発行されている賛美歌集は多々ありますが、ルター作の賛美歌がすべて収められているわけではなく、ルーテル教会が手がけなければならない作業だと考えます。
2.日本語の新作賛美歌を募りました。地球環境保護、災害からの復興支援、女性の社会進出、いじめ、海外宣教など、40年前の『教会讃美歌』作成後に必要になった分野の賛美歌を補充します。
3.アジア・ヨーロッパ・米国など海外の新しい賛美歌を紹介します。海外の歌集から推薦され選択した賛美歌は、賛美の課題および内容への意識を一層広げます。
 これらの翻訳作業には多くのかたの加勢をお願いしています。

 そのほか、教会暦に沿った賛美歌の補充、こどもたちが歌える歌、鍵盤楽器用の伴奏譜にギターコードを付けるなど多種類の分野にわたって200曲程度を検討しています。
 今年5月の全国総会に合わせて、作業が整った32曲を載せた『教会讃美歌増補版 試用版』を発行し、全国の牧師・代議員に配布しました。
 『教会讃美歌増補版 試用版』を手にとってご覧になりたい方は若干残部がありますので、教会事務局にお問い合わせください。
 東教区では9月19日13時半から小石川教会を会場に、「教会讃美歌増補版を知ろう」というテーマで 〈秋の礼拝と音楽セミナー〉を予定しています。参加費無料、申し込み不要です。
 詳細は、東教区教育部長の市原悠史牧師にお尋ねください。

ルーテルアワー「さあなの部屋」より
⑧神様は今もあなたを大切にされています

伊藤早奈

「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」(創世記1・31)
「私は生きていていいのだろうか。」そのような問いが溢れてくる時があるのは私だけでしょうか。あれもできない、これもできなくなった。何も役に立たない私なんかがどうして生きているのだろう、と。
 私の個人的なことを言えば、だんだん自分の足での歩行が困難になり、今は車椅子の助けを必要とし、言葉も早く話せなくなり何度も言い直さないと解ってもらえないもどかしさを感じることも増えて、書字も困難になって・・・と、できなくなっていくことがたくさんあります。それでも生きちゃっていると思うと辛くて辛くて。
 でも、立ち止まって考えると、そのような自分にさえも、新しくできるようになったことも実はたくさんあることにも気付きます。
 失っていくことばかりに心が捕われてしまうと、どんどん自分が惨めになるかもしれませんが、与えられていたことがたくさんあるから多くを失うのだと思う時や、今新たにできることが与えられていると思うと、今あるたくさんの与えられているものに感謝できます。
 神様は一人一人の人を造られましたが、「私が立派に造ったのだから勝手に育ちなさい」と言って放っておかれるわけではありません。「あなたは私にとってかけがえのない大切な存在だよ」と言われ、今もずっとあなたを愛し、共におられるのです。あなたの存在も、そして神様に造られたもの全ては、神様にとって今も極めて良いものなのです。
 たとえあなた自身が自分を否定したくなるほど惨めな時でも、誰にも存在を認めてもらえない時でも、神様にとってあなたは大切な大切な存在です。
 神様は造られた全ての一つ一つを大切にしておられることを知っている私たちだからこそ神様は支え、全てに愛の心を配るようにと、全てを人に委ねられたのです。
 私たちは今を生かされています。私たち一人一人を大切にしてくださる神様と共に今、生きています。

プロジェクト3.11 心の復興を後押し「祈りのコンサート・大分」

野村陽一(大分教会)

 東日本大震災から5年半、今も大分教会を会場に開催されている支援コンサートがある。宮城県東松島市にある「すみちゃんの家」を支援してきた。これまで45回の開催、出演した個人・団体は60超、人数にすれば300人を超える。聴衆にいたっては少なくとも3500人を超す。義援金も400万円を超えた。被災地から遠く離れた九州の小さな教会が、なぜ今も支援し続けられるのか、その経緯を紹介したい。
 2011年、震災2週間後に渡邉麻実子さんという一人のピアニストが教会を訪れた。聞けば震災被災者のための支援コンサートをするため教会を会場に借りたいとのこと。私はこれを承諾しながら言った。「支援は長期戦です。コンサートは1回でいいのでしょうかね。毎月やってみませんか。」
 仲間と相談してみると答えた彼女が数日後やって来た。「とりあえず4月と5月は私たちがやります」。「私たち」とは、このため臨時に編成された「アンサンブル・ルーチェ」であり、大分県下のトップクラスの声楽家、管楽器奏者、弦楽器奏者、ピアニストで編成されていた。皆、自分にできることは何かを模索していた。彼らは出演者の中核をなしていくが、以降の出演者も同様で、自分にできることは何かを問いつつ、こぞって出演してくださることでコンサートは継続できた。
 総額で400万円を超えたとはいえ、毎回のコンサートで寄せられる寄付金は、高齢者施設の必要額に比べればとるに足りないほどの少額である。しかし、5年間で40回以上送り続けたことが、額面では量りきれない大きな働きになった。
 「明日が見えず心折れそうな時、大分の人たちが応援している!」。このことが慰めに、励ましや力になると、施設の方が言ってくださる。支援する、される関係というより、目に見える互いに支え合って生きる関係をつくれたのかもしれない。

16-08-17傷ついた癒し人

 71年前、アメリカは人類史上初の原子爆弾を広島と長崎に落としました。この原爆を積んだ爆撃機は、戦争を終結させる平和の使者として、従軍チャプレンによって祝福祈祷を受けて送り出されていきました。悲しいことに、広島に飛び立ったエノラ・ゲイを祝福したのはルーテル教会の牧師。長崎の場合はカトリックの神父でした。浦上天主堂の真上で原爆が炸裂した時、礼拝堂では罪の懺悔告白の最中でした。
 人間同士の憎悪や不信、恐怖の結晶が原爆です。その破壊力は天地万物をお創りになり、命を生みだされた神さまへの反逆、その罪の深さを表しています。
 今年5月、現職大統領として初めてオバマ氏がヒロシマを訪問しました。そこで誠意あるスピーチをしましたが、現実は大統領が絶えず携行する「核爆弾のスイッチ」を平和記念公園に持ち込み、「核なき世界の実現は、私の生きている間には無理かもしれない」と告白せざるを得ませんでした。ここに武力を背景とした「パックス・アメリカーナ(アメリカの平和)」の限界があります。
 主イエスは最後の夜、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15・12)と命じられました。なぜなら、もし互いに愛し合わなければ、私たちの前にあるのは破滅だからです。私たちはヒロシマ・ナガサキをはじめとする、戦争による多大な犠牲の痛みを共に担うことへと十字架の主によって招かれています。それは日本人だから、広島に住んでいるからということではなく、この痛みを通して、他国の、そして他者の悲しみ、苦しみ、傷を負っている人たちと連帯することを、主が求めておられるからです。

 平和主日の旧約の日課は、「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」というミカ書(ミカ4・3)ですが、同じ言葉がイザヤ書にもあります。どちらもバビロン捕囚の時代のものです。国破れ、神殿に火がかけられ、民は奴隷の有様でバビロニアへ強制連行される民族の悲劇。かつて味わったことのない痛みと絶望が襲いました。

 そして捕囚からおよそ50年が経った頃、キュロスという王様がペルシャに登場します。ペルシャはバビロニアの敵対国。そこで、囚われていたユダの民はかすかな希望を持つのです。イザヤは45章で「主が油を注がれた人キュロス」と語ります。つまりこの段階で、キュロスこそが我々を救う神からのメシアなのだと語っているのです。そして現実に、ユダの民はキュロスによって解放され、祖国への帰還が許されるのです。

 イザヤの預言は成就し、平和が訪れ、祖国を再建できる。神さまは私達を見捨てていなかった。多くの人たちはそう思ったことでしょう。ところが一番に喜ぶべきイザヤはこれを良しとしませんでした。むしろ立ち止まり、疑うのです。人間の武力によってもたらされる平和の中に、真の救いはあるのだろうかと。 そして彼はこの末に、遂にイザヤ53章の「苦難の僕」と呼ばれる預言へと辿り着くのです。イザヤは人間の強さの中に救いを求めません。むしろ救いは弱さの中に現れる。人間的な弱さの極みに立って、黙々と隣人の罪と痛みを負う人、傷ついた癒し人こそメシアだと告げるのです。

 この平和の君は、十字架の上で苦しみを担われた神でありました。聖書が語る救い、癒しとは痛みや悲しみを取り去ることではありません。そうではなく、私たちが悲しみ、苦しんでいるこの痛みの経験は、より大いなる痛み、すなわちキリストの痛みに連なっているということを指し示すのです。

 それが象徴的に示されているのが聖餐式です。エフェソ書にあるように、敵意や隔ての壁、私たち人間の破れを全て包みこんで、主は和解と平和を実現してくださいます。その時私たちは、ご自身の傷をもって私たちに仕えてくださったキリストの愛を心に刻み直すのです。
 礼拝から派遣され、「御国を来たらせ給え」と祈りつつ行動する勇気と知恵が与えられていくのです。

日本福音ルーテル教会広島教会 牧師 伊藤節彦

16-08-01るうてる2016年8月号

説教「傷ついた癒し人」

機関紙PDF

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し・・・双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(エフェソの信徒への手紙2・14~16)

71年前、アメリカは人類史上初の原子爆弾を広島と長崎に落としました。この原爆を積んだ爆撃機は、戦争を終結させる平和の使者として、従軍チャプレンによって祝福祈祷を受けて送り出されていきました。悲しいことに、広島に飛び立ったエノラ・ゲイを祝福したのはルーテル教会の牧師。長崎の場合はカトリックの神父でした。浦上天主堂の真上で原爆が炸裂した時、礼拝堂では罪の懺悔告白の最中でした。
 人間同士の憎悪や不信、恐怖の結晶が原爆です。その破壊力は天地万物をお創りになり、命を生みだされた神さまへの反逆、その罪の深さを表しています。
 今年5月、現職大統領として初めてオバマ氏がヒロシマを訪問しました。そこで誠意あるスピーチをしましたが、現実は大統領が絶えず携行する「核爆弾のスイッチ」を平和記念公園に持ち込み、「核なき世界の実現は、私の生きている間には無理かもしれない」と告白せざるを得ませんでした。ここに武力を背景とした「パックス・アメリカーナ(アメリカの平和)」の限界があります。
 主イエスは最後の夜、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15・12)と命じられました。なぜなら、もし互いに愛し合わなければ、私たちの前にあるのは破滅だからです。私たちはヒロシマ・ナガサキをはじめとする、戦争による多大な犠牲の痛みを共に担うことへと十字架の主によって招かれています。それは日本人だから、広島に住んでいるからということではなく、この痛みを通して、他国の、そして他者の悲しみ、苦しみ、傷を負っている人たちと連帯することを、主が求めておられるからです。
 平和主日の旧約の日課は、「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」というミカ書(ミカ4・3)ですが、同じ言葉がイザヤ書にもあります。どちらもバビロン捕囚の時代のものです。国破れ、神殿に火がかけられ、民は奴隷の有様でバビロニアへ強制連行される民族の悲劇。かつて味わったことのない痛みと絶望が襲いました。
 そして捕囚からおよそ50年が経った頃、キュロスという王様がペルシャに登場します。ペルシャはバビロニアの敵対国。そこで、囚われていたユダの民はかすかな希望を持つのです。イザヤは45章で「主が油を注がれた人キュロス」と語ります。つまりこの段階で、キュロスこそが我々を救う神からのメシアなのだと語っているのです。そして現実に、ユダの民はキュロスによって解放され、祖国への帰還が許されるのです。
 イザヤの預言は成就し、平和が訪れ、祖国を再建できる。神さまは私達を見捨てていなかった。多くの人たちはそう思ったことでしょう。ところが一番に喜ぶべきイザヤはこれを良しとしませんでした。むしろ立ち止まり、疑うのです。人間の武力によってもたらされる平和の中に、真の救いはあるのだろうかと。 そして彼はこの末に、遂にイザヤ53章の「苦難の僕」と呼ばれる預言へと辿り着くのです。イザヤは人間の強さの中に救いを求めません。むしろ救いは弱さの中に現れる。人間的な弱さの極みに立って、黙々と隣人の罪と痛みを負う人、傷ついた癒し人こそメシアだと告げるのです。
 この平和の君は、十字架の上で苦しみを担われた神でありました。聖書が語る救い、癒しとは痛みや悲しみを取り去ることではありません。そうではなく、私たちが悲しみ、苦しんでいるこの痛みの経験は、より大いなる痛み、すなわちキリストの痛みに連なっているということを指し示すのです。
 それが象徴的に示されているのが聖餐式です。エフェソ書にあるように、敵意や隔ての壁、私たち人間の破れを全て包みこんで、主は和解と平和を実現してくださいます。その時私たちは、ご自身の傷をもって私たちに仕えてくださったキリストの愛を心に刻み直すのです。
 そして礼拝から派遣され、「御国を来たらせ給え」と祈りつつ行動する勇気と知恵が与えられていくのです。
日本福音ルーテル教会広島教会 牧師 伊藤節彦

連載コラムenchu

5『 ambiguity 』

 『エジプト語のkenは、もともと「強い」と「弱い」という二つの意味をもっていました。対話の際、このように相反する二つの意味を合わせもつ言葉を用いるときには、誤解を防ぐために、言葉の調子と身振りを加えました。また文章では、いわゆる限定詞といって、それ自体は発音しないことになっている絵を書きそえたのです。すなわち、「強い」という意味のkenのときは、文字のあとに直立している男の絵を、「弱い」という意味のkenのときは力なくかがみこんでいる男の絵を書きそえたのです』(「フロイト著作集1」人文書院)。
 ところで、ある言葉が相反する意味を持つということ、これは教会の中でよく使われる言葉にも当てはまります。例えば、「神さまが守ってくださった」という言葉も、ある状況の中で使うとき、相反する意味を表します。この言葉を大きな災害の後、被害を免れた人が、被害を受けた人が隣にいるときに「神さまが(私を)守ってくださった」と発したとします。当人としては、正直な気持ちを吐露しただけで、誰かを傷つけようとは思ってもいないでしょう。しかし、この言葉はこのとき、「神さまはあなたを守らなかった」という反対のメッセージとして隣の人に届くこともあるのです。
 「優しい」という言葉には、「思いやりが合って親切、心が温かい」という意味に加え、「身もやせるような思いでつらい」という意味があります。他者の痛みを「言葉の調子と身振り」で共感しようとする優しさを身につけたい、と思います。
岩切雄太( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会牧師)

議長室から

「二つの8月15日」 総会議長 立山忠浩

日本国にとって特別な意味をもつ月を迎えました。71年を経た今年も、広島、長崎に原爆が投下された悲劇を忘れることはできません。そしてアジアの国々の人々に甚大な苦悩を与え、国民自身にも苦難を強いた戦争が終わった8月15日を覚える時だからです。
 この過去の過ちを反省し、未来に平和を築き上げるために据えた憲法9条が、戦後の日本の平和に貢献して来たことはまぎれもない事実でした。しかし、近隣国や世界情勢がこの70年余の間に大きく変化し、いま憲法9条の存在が大きく揺り動かされています。現政権による憲法9条改正の動きが顕著だからです。昨年の集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法も、憲法改正の動きを後押ししていることは確かです。
 日本福音ルーテル教会の基本方針はこれまで、総会での声明文(2006年)や社会委員会の見解(2014年、2015年)などで表明して来たように、憲法9条の改正の動きに反対し、危惧する立場に立っています。この方針は今後も堅持されて行くことになります。
 ただ、この世に関することは政治的見解も含め、教会の判断であっても絶対的なものはありませんので、異なる意見にも耳を傾けながら、その都度判断する姿勢を大切にしなければなりません。また、ルーテル教会に属する個々の信徒の判断は自由なものであり、日本福音ルーテル教会の基本方針は強制されるものではありません。
 しかしながら、その際に忘れてはならないことは、最後の判断の根拠となるのは聖書の言葉、ことにも主イエス・キリストの教えであるということです。これが宗教改革の精神に立つ私たちルター派教会の、決して揺るがしてはいけない点です。
 さらに8月15日にはもう一つの意味があることを覚えなければなりません。日本にキリスト教を初めて伝えたイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが、鹿児島の地を踏んだのがこの日なのです。宗教改革のうねりに危機感をもったカトリックの修道士たちが力を入れたのが海外宣教でしたが、私たち日本のルーテル教会にとっても意味あることと理解しなければなりません。
 終戦の日にまつわるすべてのことが、もともと主イエスの平和の福音の中に置かれていたのです。私たちの判断もその教えに導かれるのです。

母の聖書

竹村陽子(藤が丘教会)

 ある時、本棚の奥から1冊の古びた聖書が出てきました。大切にしまっておいた母の遺品です。文語で書かれた聖書を懐かしく眺めながら、ふと、この聖書にまつわる不思議な出来事を思い出しました。
 1945年4月15日の夜、東京の蒲田でB29の爆撃を受けた時のことです。その夜もいつものように空襲警報のサイレンで庭の防空壕に入りましたが、同時に頭の上には編隊で飛んでいるB29の重く押しつけるような爆音がきこえ、ヒューと爆弾の落ちてくる音、そして突き上げられるような地響きにただならぬものを感じました。
 先に避難するようにと父に言われ、私は妹を連れて避難場所になっている池上本門寺に向かいました。焼夷弾により、あちこちで火の手が上る中、妹を庇い励ましながら夢中で歩きましたが、その道のなんと遠かったことでしょう。坂道を登り丘の上の避難場所にたどり着いてふり返ると、私たちが通ってきた道も含めて街全体が火の海になっていました。激しく燃えている街にB29はそれでもまだ焼夷弾を落としていきました。そんな光景を目にした時、両親は逃げ遅れたのではないかと不安になりました。
 避難した所も安全ではなく、焼夷弾の直撃を受けて大きな本堂は火柱となって勢いよく燃え上がっていました。百段程ある石段の両側の大木も根元に焼夷弾が突き刺さって燃えているのが見えました。そこで亡くなった方もいたそうです。大勢の人が右往左往している中、駆け寄ってきた母を見てやっと緊張がほぐれました。その後、父とも遇い家族は無事であったことを喜びました。
 翌朝、街は見渡す限り焼け野原になっていました。様子を見てくると出かける父について私も焼け跡に足を踏み入れました。目印がなく方角すらわからない焼け跡の道から靴底を通して熱が伝わってきました。何とか家のあった場所を探し当てましたが、2人とも言葉もなくただ瓦礫の上に立ち尽くしてしまいました。
 防空壕も崩れ落ちて中のものは燃え尽きて何一つ残っていませんでした。しかし母の聖書だけが表紙は黒こげになり、触るとぼろぼろはがれましたが中身は無傷で残っていました。何故、聖書だけがあのような状況の中でと考えると本当に奇蹟としか言いようのない出来事でした。
 戦災ですべてを失った私たちには何年もの間、思い出したくないような貧しい不自由な日が続きました。でも神様はどんな時にも私たちと共にいて慰め、励まし、支えていてくださったことを今しみじみと感じています。そして焼け跡に残っていた母の聖書は、神様の深い愛を私たちに教えているような気がします。

教会×公共

3グローバル・チャレンジ

宮本 新(田園調布教会牧師、日本ルーテル神学校講師)

 私たちはグローバル時代を生きています。ヒト・モノ・コトバが行き交う広がりだけでなく、それはローカルな生活者の個々の暮らしにも深く浸透しています。
 かつて世俗化を熱心に論じた神学者ハーヴィ・コックスは近年のグローバル市場にひそむ宗教的世界観に警鐘を鳴らしています。今日のグローバル市場は誰かれのものではなく、「人間の支配を越えた力」と見なされ、「個人としてあるいは国家として、私たちがなすべきことはそれに頭を垂れることしかない。その要求は問答無用なのだ」と一見、神学とは無関係な世界で擬似神学的な様相が見られることを指摘しました。
 文化が宗教を生み出すのか、宗教が文化を形成するのか、古くて新しい問いがここにもあるし、主イエスが教えた〈マモン  〉の誘惑は生々しい  ルカ16・13)。一体、世界大に広がる貧困や社会的公正といった問題に取り組み、軌道修正をはたす倫理的基盤が人類にあるのだろうか。これも公共論が宗教問題に行き着く道筋のひとつです。
 コックスに呼応して社会学者ロバート・ベラーはこんなことを言っています。「真に地球規模での連帯の感覚を強化して一般化する能力が宗教にあるのであれば、それは自己批判において、自己批判を通してのみなしうる」。
 ベラーは、グローバル市場における倫理問題、環境問題や紛争問題には人類共通の分かち合える共通善の感覚が必要だと主張します。この場合の宗教とは端的に世界の問題であると同時に世界の解決にもなるものです。社会学者の知性は人間の貪欲と自己の絶対化へとまなざしを向けているかのようです。グローバルな統治と連帯にはある「宗教的な動機」が必要だと明言します。しかしそれはどんな動機でしょうか。そしてキリスト者はなんと応えることができるでしょうか。
 ルターは地上の三領域(政治、経済、教会)を分けて考える一歩を踏み出しました。それは世界の根源に「神の言葉」を位置づけ、「み言葉に聞く」ことに固有の場と役割を見出したからでした。それと同時に「神の言葉」が他(政治 経済)と分離されもしないことにも気付いていました。  不可同にして不可分。この世界で教会はどんな根源語を聞いていけるでしょうか。

宗教改革500年に向けてルターの意義を改めて考える(新シリーズ4・通算51)

ルター研究所所長 鈴木 浩

 ルターはエルフルト大学でこの「ヴィア・モデルナ」の学風に馴染んだ。
 「ヴィア・モデルナ」を代表した人物の一人が、イングランドのフランシスコ会士、オッカムのウィリアムであった。ルターの時代には、オッカム主義の代表的な神学者にガブリエル・ビールという人物がいた。
 ルターはオッカム主義の義認論……どうしたら人は救われることができるのかという問い……をガブリエル・ビールの著作から学ぶ。要するに、「救われるためには、人は何をしなければならないのか」という問いに対する回答、それが「義認論」なのだ。
 神は人を偏り見ることはしないのに、どうしてある人は救われ、ある人は救われないのか。その理由はどうも「人間の側」にありそうだ、とは誰しもが考えそうな道筋である。回答は、「人事を尽くす人に、神は恵みを拒むことがない」であった。「人事を尽くす」とは、「人事を尽くして天命を待つ」という日本の諺の前半である。
 問題は「どこまでやれば、人事を尽くしたことになるのか」ということであったオッカム主義の義認論は、ここで絶妙な説明をした。「金貨と鉛の貨幣」のたとえである。金貨は額面と金貨自体の価値が等価である。(紙幣ではなおそうだが)鉛のコインは、額面とコイン自体の価値には大きな違いがある。しかし、鉛のコインが額面通りに流通するのは、通貨発行当局に対する信用があるからである。
 同様に、神はどんなに小さな働きでも、それを義認にふさわしいと認める「契約」を恵みによって人間と結んでくれた。だから、それを果たせば、人間は神の救いに与る。こうしてオッカム主義の義認論は、ペラギウス主義の嫌疑を見事にすり抜ける。ルターの立ち位置も最初はここにあった。

 

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より
⑦あなたの記念も思いも全て抱きしめて 詩編90編

伊藤早奈

 詩編に「人の子よ、帰れ」(詩編90・3)と語られています。私たちはどこに帰ればいいのでしょうか?
 8月15日に終戦の日を迎えます。生まれた国や時代によってその意味に変化があるかもしれませんが、一般的に日本国内では「終戦記念日」として記念式典があり、戦争をテーマにした多くのテレビ番組が放映されます。戦中を生き抜き、今も歩み続ける方々にとっては「記念日」という言葉では抱えきれない思いがあると思います。
 「人の子よ、帰れ」とのみ言を聴くと、同時に思い出すことがありました。
 一つは広島に行った時のことです。平和公園に来た記念にと原爆ドームを写真に収めようとシャッターをきろうとした瞬間に、カメラを落とし壊してしまいました。「ドジだなあ」と思うと同時に、「カメラで撮らなくても今、鮮明な映像が私の心に残るのだ」と思いました。そしてもう一つは、数年前ベルリンに行った時、ベルリンの壁跡の前で肩を組んで笑顔で記念写真を撮る子どもたちと、その横に、壁のあった当時、壁を越えようとして命を落とされた人のために立てられていた白い十字架の風景です。不思議とこの二つのことが同時に思い出されたのです。何故でしょうか。 
 原爆ドームもベルリンの壁も記念です。後世の人々にも覚えていてもらうためにと残されています。もちろん記念として一人一人が覚え残して行くことも大切です。でも「ああ、あの時代は大変だったのね」と歴史を思い出すのとは違ったところで一人一人が感じることや思いもあるのです。それらも大切なのではないでしょうか。記念として収める写真だけではなく、それらを見たり聴いたりして感じる一人一人の心や思いも大切なのです。
 私たちの帰るところ。それは記念日を大切にする私と、記念を思うその思いを大切にする私との、どちらの私も大切にしてくださる神様のところなのです。
 「思い」や「感情」は見えず、言葉にしないとわかってもらえないじゃないか、と思われるかもしれませんが、神様はわかっています。例えあなた自身がわかっていない思いがあったとしても、神様はあなたの全てをわかって、あなたを愛されています。それは間違いなく、あなたが神様に造られた大切な存在だからです。

ルターとバッハ、宗教改革500年

徳善義和

⑩詩編を歌う

悩みのなかより われは呼ばわる(教会讃美歌300番)

 ルターは修道士の時代、修道院の、主日を除く毎日7回の祈りの時に詩編をあるいは歌い、あるいは祈って、その150編全部を毎週唱えていたという。
 聖書教授になって最初の講義も詩編だったが、その途中で、裁きではなく、恵みとしての「神の義の福音の発見」をしたと思われる。だからそれ以後、講義でも、信仰著作でも詩編を取り上げることが多かった。
 しかし詩編を基にしたルターの讃美歌は意外に少ない。直接詩編に基づく讃美歌は7編に過ぎない。詩編150編を讃美歌にし、これだけを会衆に斉唱させ、会衆の願いがあっても合唱は歌詞ではなく、音楽に気を奪われるからという理由で許さなかった、ジュネーヴのカルヴァンとは対照的だったように思われる。

 戦後すぐ、当時の神学校教会が羽村で出張伝道を始めた頃、14歳で初めてキリスト教に接した私は、ルターの讃美歌と聞いて、なぜか「貴きみ神よ、悩みの淵より」という古い歌詞も、慣れないメロディーも全曲暗記した記憶がある。導かれてルターから生涯学び続けることになった不思議な始まりである。
 讃美歌を整え始めた初期、1525年にこの讃美歌を作詞作曲したとき、ルターは自らが恵みの神を求めて葛藤した日々と、キリストにおける恵みの発見とを心に思い浮かべていたことだろう。
 1724年バッハはコラールカンタータのシリーズの一つとして、聖霊降臨後第22主日に当たる主日にカンタータ38としてこれを作曲し、その各曲を小編成の合唱で始め、大編成の合唱で終わるという対照的な形で、罪の悩みとそこからの解放を、ルターの歌詞に重ねて表現しようとした。
 この21世紀、罪について、また罪からの赦しと解放について説教し、また歌うことはもう古いのだろうか。むしろ罪はより深く身内に根を深めてはいないだろうか。

第27回総会期第1回常議員会報告

事務局長 白川道生

 第27回総会期の第1回常議員会が、6月13日から15日にかけて市ヶ谷センターにて開催されました。去る5月の全国総会にて選出された第27回総会期常議員による最初の常議員会で、まず、3期連続で総会議長に選出された立山忠浩議長は、重点的な課題を抽出した「第27回総会期常議員会基本方針」を提示し、来る2年間に向かう基本姿勢を表明されました。
 2012年から推進している第6次総合方策の中から、優先すべき課題である事柄を、三つに絞り込み、特に、この4年間で取り組んできた課題の現状分析を述べました。同時に、2年後の次期総会での提案を射程に、取り組むべき事柄として、教職給与の在り方、収益事業建物の老朽化対策、るうてる法人会連合の理念協議と教会規則の整備を挙げられました。
 また、2017年に向けて宗教改革500年記念事業の概要計画がほぼ決定したので、積極的な担い手を募りながら、宣教の好機と受けとめ、意味ある時にしてゆこうと、全国に向けた期待が語られました。主な協議事項については以下の通りです。
▼諸活動、委員会報告、審議事項
 本年2月以降の3役、各教区、教会事務局各室及び諸委員会、関係諸団体、等の活動について各々報告がなされ、協議の後に、承認されました。
 続いて審議事項では、学校法人並びに福祉法人に対する教会推薦理事の決定、人事(事務局長関係含む)、教会建物の新築に関する申請、幼稚園の土地使用に関する申請等の案件が協議されました。
▼諸委員任命と委員会の組織
 総会選出の常置委員に加えて、常議員会で選出する7つの常設委員と、その他諸委員が選任されました。総勢120名ほどの委員となりますが、これによって宣教を推進するために、具体的作業に取り組むJELCの態勢が組織されました。
▼熊本地震に関して
 会議3日目は、熊本地震への対応を集中的に協議しました。熊本地域の被災状況では、生活への影響と支援活動の報告に加えて、教会、学校、幼稚園保育園、社会福祉を合わせたルーテルグループで、15億円規模の建物被害が出ている状況が報告されました。
 東日本大震災の経験を通して決議された、JELCの災害時における活動基本方針を押さえながら、連帯献金の展開、教会建物の修繕補修資金確保、土地建物回転資金の特別適応など、今後の対応方針を確認しました。九州教区長からは引き続き、全国での祈りと支援の要請が呼び掛けられました。
 詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。

ルーテル世界連盟(LWF)理事会と記念植樹
@ヴィッテンベルク

世界宣教主事 浅野直樹

 2011年シュトゥットガルトでの総会が、LWF理事としての私の初仕事だった。以後毎年6月に理事会が開かれてきた。来年開催の総会直前の理事会を除けば、いよいよ今回が最後となった。そういう意味でも感慨深かったが、宗教改革500年記念の時期とも重なったため、ヴィッテンベルクで開催されたというのもまた格別だった。マルティン・ルターがこの町で生活し活動、そしてここから宗教改革が始まったことを思うと、その思いはさらに高まった。だが高まりはそれだけではなかった。
 LWF理事会は「町教会(Stadtkirche)」での開会礼拝で始まった。毎週日曜日にルターがここで説教したと思うだけで胸が高まる。開始前から教会周辺がなんだか物々しい。入り口では手荷物検査があった。いかつい体格の男性が、片耳にイヤホンを入れて会堂前列に数人陣取っている。やがてオルガンの音色とともに、後方から入堂した列の中にいた一人の人物、すべてはその人のせいだった。ドイツのガウク大統領がその中にいた。聞くところによると、ガウク大統領は東ドイツ出身のルーテル教会の元牧師。牧師を大統領に選ぶのがドイツという国だと知り、これにも驚いた。大統領と一緒に礼拝し聖餐を受けるという光栄に与ることができ幸いだった。
 かつては軍事利用地だったヴィッテンベルク街の一角が、今はルターガーデンと呼ばれる。上空からでないと気づきにくいが、ガーデンの中心にルターの紋章がかたどってある。赤土のハート、花びら型に敷き詰めた芝生。紋章の中心を占める十字架は完成したばかりで、白布がかけてあった。開会礼拝を終えたあと、一行は歩いてガーデンへ移動、ガウク大統領とともに除幕式をおこない完成を祝った。
 このガーデンに500本の植樹を、という宗教改革500年記念をドイツの教会が企画した。LWF加盟教会も招かれて、既に広大な敷地に数多くの木々が植えられている。今回の理事会の折、カナダルーテル教会とJELCが植樹した。木の学名は「Sorbus aria Magnifica」というナナカマドの一種。登録番号は87番だった。このあと各教会が自国にも植樹して企画は完成する。ヴィッテンベルク訪問の際はぜひ立ち寄ってみていただきたい。

女性会連盟東日本大震災被災地訪問

柳井悦子(女性会連盟役員)

 去る6月21日~23日、教区女性会会長、連盟役員と共に野口勝彦牧師(元ルーテル教会救援派遣牧師/長野・松本)、小勝奈保子牧師(女性会連盟担当/聖パウロ)の案内にて東北の被災地を訪問しました。 参加者の多くは2度目の訪問で復興の様子も解りやすい中、私は初めての現地訪問であり、復興の様子を報道される映像でのみ理解していたために、実際の様子との違いに愕然としました。土の盛られた、またある所はコンクリートで築かれた巨大な防潮堤。海の景色や様子は全く見えず、肝心の避難道は築かれている所もありますが、そのための工事なのかダンプカーなどが往来している状況に、未だ課題や問題があることを思いました。
 東松島、南浜、門脇、石巻市にある「なごみの会」、「河北友の会」、「華の会」を訪問しました。先行きの見えない不安が立ちふさがり、また何かを失いつつ、その中で働いておられる方々の「現在自分の置かれている境遇で色々学んでおります。それはルーテルさんが私たちを強めてくださったお陰です」というお言葉に、また励まし支え合い、困難な中にあっても押し潰されることなく生きておられる強さに触れました。そして現在の状況に応えておられるルーテル教会の長期にわたっての支えを感じ、今後、私たちは何をなさなければならないのかを深く考えさせられています。明確な答えは出てこないかもしれません。しかし、側面的であり、熊本も未だ余震の続く状況ですが、この震災の被害を忘れることなく、祈り続けていくことが現在の私たちの働きの中心であることを心に留めていかなければならないですし、この祈りに実りの時が与えられることを信じています。
 門脇小や大川小にもまいりましたが筆舌に尽くし難いのが実情です。被災された皆様の励まし合い、支え合いを覚えつつ、被災された方々のために日々共に祈っていきたいと思います。現地でお世話になりました斎藤さまご夫妻、西條さまに、心から感謝申し上げます

日本福音ルーテル教会 教師試験実施のお知らせ

 2016年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を左記要領にて実施いたします。教師志願者は左記書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。

    記

Ⅰ.提出書類
 1 教師志願書
 2 志願理由書・テーマ「なぜ『日本福音ルーテル教会の教師』を志願するのか」 ―あなたが考る宣教課題をふまえて ―
 ・書式 A4横書き フォントサイズ11ポイント
 3 履歴書〈学歴、職歴、信仰歴、家庭状況等を記入すること〉
 4 教籍謄本(所属教会教籍簿の写し)
 5 成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書   (法務局交付のもの。任用試験時に必要になります)
 6 所属教会牧師の推薦書
 7 神学校卒業(見込)証明書及び推薦書
 8 健康診断書(事務局に所定の用紙があります)
Ⅱ.提出期限(期限厳守)
  2016年9月16日(金)午後5時までに教会事務局へ提出すること
Ⅲ.提出先
  日本福音ルーテル教会常議員会長 立山忠浩 宛
Ⅳ.試験日及び試験内容
  志願者本人に直接連絡します。

16-07-17エンキリディオン・必携

「そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』」 (ルカによる福音書15・20~21)

 宗教改革500年を記念して、ルターの「エンキリディオン小教理問答書」が新たな翻訳によって出版されました。そのまえがきには次のように書かれています。
 「ルターはこの小冊子を『エンキリディオン』、『必携』と名付けました。・・・キリスト者が個人でも家庭でも必携として、聖書と共に身近に置き、機会ある毎にこれに目を通すだけでなく、これに従って生活を整えることを願ってのことでした。」
 そして、解説ではこのように語られます。「1503年にキリスト教的人文主義者エラスムスがラテン語で『エンキリディオン』という本を出版した。これは『キリスト教戦士必携』として知られている。・・・恐らく「エンキリディオン」(必携)という言い方は当時流行語になっていたのかも知れません。」

 エンキリディオンとは護身用の武器である「短剣」を意味し、後にそれが「必携マニュアル」という意味で用いられるようになりました。そして、私たちはエンキリディオンがキリスト者の命を守る短剣であることを、レンブラントが描いた「放蕩息子の帰郷」の絵の中に見ることができます。

 ルカによる福音書15章の放蕩息子の物語によれば、放蕩の限りを尽くした弟息子は最も惨めな姿で父の元に帰ってきます。レンブラントはこの物語を描いた絵の中で、父の前に跪く息子を、片方の靴は脱げ、もう一方の靴のかかとも破れ足が剥き出しになり、土と汗にまみれぼろぼろになった服を荒縄で締めるというまことに惨めな姿で描いています。

 しかし、そのような姿にもかかわらず、見る者が驚くほどのものをその息子は身に付けているのです。それは、ぼろぼろのいでたちの息子が腰に携えている、惨めさとは対照的なほど立派な短剣です。そして、この短剣こそがエンキリディオンなのです。

 レンブラントが描いた「放蕩息子の帰郷」の絵に関する著書の中で、ヘンリ・ナウエンはこの短剣について次のように語ります。「ユダはイエスを裏切った。ペトロはイエスを否定した。二人とも、道に迷った子どもだった。ユダは、神の子どもであることを思い起こさせる真理をしっかりと握り続けることができず、自殺した。放蕩息子に置き換えて言えば、息子である証しの短剣を売ってしまったのだ。」(『放蕩息子の帰郷』)と。

 レンブラントが放蕩息子の腰に描いたこの短剣こそ、父の子であることのしるしであり、しかも、父の子どもであることを思い起こさせる真理をしっかり握り続けるために必須のものであったと語るのです。

 そして、ルターはエンキリディオンを教理問答と結びつけ、小教理問答書を『エンキリディオン(必携)』と名付けました。父の子であることを思い起こさせる神の言葉の真理を捨て、失わないために。そして、この真理をしっかりと握り続けるために。

 レンブラントは、敬虔なプロテスタントの信仰者であり、「オランダ人はレンブラントによって、聖書の精神を教えられた。」と言われたほどの人物でした。だから、レンブラントが描いた腰の短剣は、息子に父の子としての記憶を持ち続けさせるものであったに違いありません。

 すなわち、信仰深かったレンブラントは、短剣・エンキリディオンを、父の子であることを思い起こさせ、真理を保ち続けるものとして、息子の身に帯びさせたに違いないのです。だからこそ、放蕩の限りを尽くした息子は父のもとに、再び帰ってくることができたのだと。

 父の家へ帰る道を私たちに教え、常にこの道をたどるようにその手に、神の子としての約束を握り続けさせるエンキリディオンを私たちもまた、身に帯び、主イエス・キリストの十字架と復活によって示された命の道を、共に歩んで行きましょう。

「『だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」(ルカによる福音書15・32

日本福音ルーテル保谷教会牧師・日本ルーテル神学校 平岡仁子

16-07-01るうてる2016年7月号

説教「エンキリディオン・必携」

機関紙PDF

「そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』」 (ルカによる福音書15・20~21)

宗教改革500年を記念して、ルターの「エンキリディオン小教理問答書」が新たな翻訳によって出版されました。そのまえがきには次のように書かれています。
 「ルターはこの小冊子を『エンキリディオン』、『必携』と名付けました。・・・キリスト者が個人でも家庭でも必携として、聖書と共に身近に置き、機会ある毎にこれに目を通すだけでなく、これに従って生活を整えることを願ってのことでした。」
 そして、解説ではこのように語られます。「1503年にキリスト教的人文主義者エラスムスがラテン語で『エンキリディオン』という本を出版した。これは『キリスト教戦士必携』として知られている。・・・恐らく「エンキリディオン」(必携)という言い方は当時流行語になっていたのかも知れません。」

 エンキリディオンとは護身用の武器である「短剣」を意味し、後にそれが「必携マニュアル」という意味で用いられるようになりました。そして、私たちはエンキリディオンがキリスト者の命を守る短剣であることを、レンブラントが描いた「放蕩息子の帰郷」の絵の中に見ることができます。

 ルカによる福音書15章の放蕩息子の物語によれば、放蕩の限りを尽くした弟息子は最も惨めな姿で父の元に帰ってきます。レンブラントはこの物語を描いた絵の中で、父の前に跪く息子を、片方の靴は脱げ、もう一方の靴のかかとも破れ足が剥き出しになり、土と汗にまみれぼろぼろになった服を荒縄で締めるというまことに惨めな姿で描いています。
 しかし、そのような姿にもかかわらず、見る者が驚くほどのものをその息子は身に付けているのです。それは、ぼろぼろのいでたちの息子が腰に携えている、惨めさとは対照的なほど立派な短剣です。そして、この短剣こそがエンキリディオンなのです。
 レンブラントが描いた「放蕩息子の帰郷」の絵に関する著書の中で、ヘンリ・ナウエンはこの短剣について次のように語ります。「ユダはイエスを裏切った。ペトロはイエスを否定した。二人とも、道に迷った子どもだった。ユダは、神の子どもであることを思い起こさせる真理をしっかりと握り続けることができず、自殺した。放蕩息子に置き換えて言えば、息子である証しの短剣を売ってしまったのだ。」(『放蕩息子の帰郷』)と。
 レンブラントが放蕩息子の腰に描いたこの短剣こそ、父の子であることのしるしであり、しかも、父の子どもであることを思い起こさせる真理をしっかり握り続けるために必須のものであったと語るのです。
 そして、ルターはエンキリディオンを教理問答と結びつけ、小教理問答書を『エンキリディオン(必携)』と名付けました。父の子であることを思い起こさせる神の言葉の真理を捨て、失わないために。そして、この真理をしっかりと握り続けるために。

 レンブラントは、敬虔なプロテスタントの信仰者であり、「オランダ人はレンブラントによって、聖書の精神を教えられた。」と言われたほどの人物でした。だから、レンブラントが描いた腰の短剣は、息子に父の子としての記憶を持ち続けさせるものであったに違いありません。
 すなわち、信仰深かったレンブラントは、短剣・エンキリディオンを、父の子であることを思い起こさせ、真理を保ち続けるものとして、息子の身に帯びさせたに違いないのです。だからこそ、放蕩の限りを尽くした息子は父のもとに、再び帰ってくることができたのだと。
 父の家へ帰る道を私たちに教え、常にこの道をたどるようにその手に、神の子としての約束を握り続けさせるエンキリディオンを私たちもまた、身に帯び、主イエス・キリストの十字架と復活によって示された命の道を、共に歩んで行きましょう。

「『だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」(ルカによる福音書15・32)
日本福音ルーテル保谷教会牧師・日本ルーテル神学校 平岡仁子

連載コラムenchu

4『 Rock ‘n’ Roll 』

 先日、なぜだかふと、ジョン・レノンの言葉を思い出しました。「ロックは死んだよ。宗教みたいになってしまったんだ。セックスピストルズが最後のロックンロールバンドだったんだ」。
 中学生の頃聴いたセックスピストルズのシド・ヴィシャスは「 I am an antichrist !
I am an anarchist !」と叫んでいた。だからでしょうか。今でも私にとって、「Rock」と「anti(アンチ)」精神は深く結びついています。もちろんこれは、とてもとても個人的な感想です。ボブ・ディランも歌っているように「今新しいことも明日には古くなる。時代は動いている 」(『 The Times They Are A-Changin’』)からです。
 ところで、聖書には、主イエスがエルサレムに入っていかれるとき、人々が熱狂的に彼を迎えた様子が記されています。「前に行く者も後に従う者も叫んだ。ホサナ」(マルコ11・9)と。 しかしこのとき、主イエスが乗っていたのは「子ろば」でした。熱狂する人々の間を子ろばに乗って進んでいく主イエスの姿は、熱狂するファンに対して拳を突き上げ煽動するロックスターのそれとは正反対の姿のように思えます。そんな主イエスの姿は、熱狂を煽るのではなく、熱狂を鎮めようとされているかのようです。
 では、なぜ熱狂を鎮める必要があるのでしょう。それはきっと、ある種の熱狂は暴力に結びついているからです。主イエスはそのような熱狂と結びついた暴力によって十字架につけられたのですから。
 けれども、主イエスの示された平和に結びついたふるまいは、死んで最後になったりせず、今も生きているのです。
岩切雄太 ( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会牧師)

議長室から

「たとえ少数派であっても」総会議長 立山忠浩

「ビッグイシュー」という雑誌があります。月2回発刊されている30ページの小雑誌ですが、表紙には「ホームレスの仕事をつくり自立を応援する」という副題的な言葉があります。350円が売値ですが、そのうちの180円が販売者、つまりホームレスの方の収入になるのです。政令指定都市のような町でしか入手できないのですが、駅前付近で雑誌を手で掲げながら立っている姿を東京では時々見かけることがあります。先日も出くわしましたので、少しでも自立応援のお手伝いをと思い、何冊か買い求めることにしました。
 実は、この雑誌を買い求めている理由はもうひとつあって、それは記事がとても面白いからなのです。
 先日の号には、水草の研究者へのインタビュー記事が掲載されていました。水草の生態は「水から陸へ、そしてまた水へ」という進化の歴史を辿って来たというのです。進化の主流に逆行したのですから、水草は異端の植物なのです。今、陸上には35万種の植物が存在するらしいのですが、水草はそのうちのわずか1%にも満たず、2800種に過ぎないそうです。
 この1%という数字から自ずと連想するのが、日本のキリスト者の割合です。実際の正確な数字では人口の1%にも満たないと言われていますから、水草と同じような少数派と言えるでしょう。
 ではなぜ水草は「水から陸へ」という通常の進化とは逆の方向を目指したのか。その研究者によると、その理由はまだ十分に解明されていないそうですが、遺伝子を残すためには、ライバルの多い陸上よりは水中の方がより生き延び易かったのではないかという仮説が紹介されていました。ここから、日本のキリスト者にとっても教会は、より安心して生きられる居心地良い空間ではないかと感じるのは私だけではないでしょう。
 さらに興味深い文章が続きました。水草は水中の二酸化炭素を使って光合成を行い、その時に生み出される酸素によって魚やバクテリアが活動するという生態系が出来上がっているのです。
 キリスト者で言えば、教会の中でみ言葉をいただき、そこから生み出される言葉や働きが隣人を助け、命の息を与え、社会への貢献にもなる。
 少数派でも使命は大きいのです。

いわき放射能市民測定「たらちね」とその働き

プロジェクト3・11企画委員 小泉 嗣

 東教区プロジェクト3・11が継続的に支援を続ける「認定NPO法人いわき放射能市民測定室『たらちね』」は、「わたしたちは、『いわき放射能市民測定室』を設立します。 原子力発電所の事故による広範な放射能被害の下で、不安な生活を強いられているわたしたち自身が、よりよく、より強く、生きていくために、それを設立するのです。」という設立の趣旨と、放射能の不安と闘う地域の人々と共に生きるという基本姿勢はそのままに、震災から5年の経過と共に地域の人々のニーズにあわせてその活動は少しずつ姿を変えています。
 私たちが支援をはじめた3年前は食品放射能の測定と子どもたちの甲状腺検診だけでしたが、 現在ではβ線の測定、 ママベク測定 (子育てをしている母親達による学校敷地などでの測定)、砂浜放射能測定、土壌放射能測定、全身放射能測定と、時間が経つごとに薄れていく「見えない放射能をしっかり見つめていく」という意識をしっかりと保っています。
 先日、いわき市の教会の空間線量測定会に参加する機会が与えられました。結果は空間線量が0・1マイクロシーベルト以下の場所から、当たり前のように0・4マイクロシーベルトまで高くなる場所まで様々でしたが、震災から5年経過した今でも、国の基準として設定されている0・23マイクロシーベルトを超える場所が「ある」ということに立ち会った者は皆、驚きました。原子力発電所の事故から5年が経った被災地は「私たちはいつまで放射能に怯えて暮らさなければならないのか」という思いと、「安心して暮らすことの出来る地域は自分たちの手でつくる」という思いのはざまで揺れ動いているように感じます。
 しかし、 人の気持は揺れ動いたとしても、放射線量は人の気持ちで変わるものではありません。やはり、意識をもって「見えない放射線に目を向けていく」視点の大切さを改めて感じます。
「たらちね」の活動報告、会報等は法人ホームページ(http://www.iwakisokuteishitu.com/)に詳細が掲載されています。
かわらぬ支援をどうぞよろしくお願いします。

教会×公共

3 宣教と公共性

 
宮本 新(田園調布教会牧師、日本ルーテル神学校講師)

 イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患
いをいやされた。(マタイ福音書9・35)

 JELC公式ホームページには教育や福祉など様々な関連事業・団体が紹介されています。その他の草の根活動も含めると、相当なネットワークを形成しているように見えます。しかしなぜ教会はこれらにかかわるのでしょうか。JELCの場合、伝道(宣べ伝え)、教育(教え・育ち)、奉仕(いやし)といった包括的な宣教理解を育んできました。「教会×公共」の強力な接点は宣教にあります。それだけに、自分たちが何を宣教だと思っているのかは欠かせない考察になります。
 ルター派の傾向として、「キリスト者として生きる」や「世に仕える教会」というとき、市民社会で公共善を求める宣教活動が重視されてきました。市民社会の基礎にはリベラル・デモクラシーがありますが、国内の宗教全般を取り囲む事情もあります。1960年代以降、国内外の宗教界全般に「教団ばなれ」という現象が起こりました。その後のカルト問題もあり、キリスト教の福音伝道も「教団ばなれ」と複雑な絡みを見せています。他方で、〈愛〉や〈公正〉や〈義〉を社会で実現することも宣教だと考えられました。「社会の福音化」などと言われることもあります。
 しかし宣教や奉仕と公共善を重視することにズレが生じることはないのでしょうか。これは難問のひとつだと思います。もし「ズレ」が生じるならば、それは埋められるべき「ミゾ」なのか、それとも埋めてはいけない何かなのか、その見極めは難しいのです。公益性の高い内容ほど信仰を越えた賛同者や仲間が増えてきます。宣教はいつも揺らぎの中に置かれています。
 キリスト教はそのはじめから「世界」を強く意識してきました。しかし実際に「全世界」や「すべての人々」という聖書の言葉をグローバルな現実として教会が考え始めたのは20世紀のことです。普遍や世界性は数や範囲の問題よりも互いのコミュニケーションとネットワークの問題として考え直されています。ウェブ状に広がる公同性。まだまだその模索ははじまったばかりです。「信仰は聞くこと」(ローマ10・17)も新しい釈義の時代を迎えようとしています。

宗教改革500年に向けてルターの意義を改めて考える(新シリーズ3・通算50)

ルター研究所所長 鈴木 浩

 ルターは1501年の4月にエルフルト大学に入学し、翌年の秋には教養学士となり、次いで1503年には教養学修士号を受け、法学部へと進む。それが学費を出している父親の希望でもあった。
 日本や韓国と比べると、ヨーロッパでは今でも大学生の数はずっと少ないが、当時はもっと少なかった。父親が事業に成功し、町の名士になり、経済的余裕もあったから、学業に秀でていたルターは大学に進むことができた。
 エルフルト大学はいわゆる「有名大学」で、この大学に行ったことが、ある意味でルターのその後の人生を決定した。この大学は「ヴィア・モデルナ」(現代の道)という学風で知られていた。
 当時のヨーロッパには、「ヴィア・アンティクワ」(古い道)と「ヴィア・モデルナ」という二大学風があって、伝統的な学問的態度と新たな態度とが対立していた。大きな違いは「認識論」にあった。「ヴィア・アンティクワ」は、「普遍」は実際に存在していると考えたのに対して、「ヴィア・モデルナ」は、「普遍」は単なる名称に過ぎず、実在してはいない、と考えた。
 「普遍」とは、「太郎」や「花子」 という具体的な人のことではなくて、太郎や花子を人間たらしめている「人間性」のことである。美しい花や美しい音楽を美しくしている原理、つまり「美そのもの」が「普遍」ということになる。それが実在しているのか(実在論)、単なる名前に過ぎないのか(唯名論)、中世ヨーロッパの哲学の最大の問題であった。エルフルト大学はこの唯名論の大牙城であった。
 実在論は、「真理」「美」「正義」といった抽象的な事柄に関心を集中し、唯名論は、個々具体的な事柄に関心を集中するという違った学風を持っていた。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より
⑥まるごとのあなたが 2コリント5・16~21

伊藤早奈

 神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。この目覚めを淡々と迎えてはいけないのでしょうか?だるい気持ちで面倒だなぁと思いながら迎えてはいけないのでしょうか?神様から与えられるものは全てありがたくお受けしなくてはいけないのでしょうか?私たちにはいろんな思いがあり、いろんな出来事に出会います。それらを一番わかってくださり、一番、私たちの気持ちに寄り添ってくださるのも神様です。神様、あなたに全てを打ち明けられる私たちでありますように。神様、あなたに全てをお委ね致します。このお祈りを主イエス・キリストのお名前によってお祈り致します。アーメン
  – — — — — — — — — –
「神はキリストによって世を御自分と和解させ」(2コリント5・19)とあります。 「別に神様と和解しなくても私は生きていけるよ。聖書は何を言ってるのかしら?」と戸惑いがあるかもしれません。

 ある朝、私は新聞の二つの記事の大きさの差にとても驚ました。記事の一つは「人の命を考える」というもので、もう一つの記事は劇場で行われる公演の宣伝記事でした。劇場の記事は紙面の半分ほどを占めているのに対して、「人の命を考える」という記事はとてもとても小さいものでした。
「随分と差があるなぁ。小さい記事だけど、とても大切なことが書いてあるのに。」と思った時でした。ふと「そうか、この記事には深さがあるんだ。」と気づきました。
 私たちは目で見えず手でも触れられないものと、目で見えて手で触れられるものとの両方持っています。その価値観は時と場合によっても違い、人によっても違ってきます。ただ、どちらかと言うと目で見えて手で触れられるものの影響を受けやすく、目で見えず手で触れることのできないことを後回しにすることが多いような気がします。
 神様も、今は目で見えず手で触れることもできません。「神様が世と和解される」とは「目には見えず触れることのできないものを信じていいのだよ」と伝えてくださることでもあるのではないでしょうか。
 目で見えず触れることのできないものは、良いものなのか悪いものなのか判断が難しいことがあります。その基準として「イエス・キリスト」という存在が私たちに与えられました。イエス・キリストは祈る人でした。イエス・キリストは必ず神様へと祈りました。それにより、あなたも神様によって造られ大切にされていることを知ることができます。
 たとえ新聞の紙面に取り上げられないような小さな出来事だとしても、一人一人が持つ心の深さに寄り添って必ず神様がおられます。目に見えて手で触れるものも、目に見えず手でも触れられないものも今、神様にとってかけがえのないあなたという存在に与えられる大切なものなのです。

ルター、バッハ、宗教改革500年。

徳善義和

9 逆らうものに面して

「みことばによりて 主よ、われを支え」(教会讃美歌240番)

 私は教会讃美歌の編集には関わらなかった。ドイツ留学から帰国した頃には、もう有名な、めぼしい讃美歌の訳者は先輩たちに占められていた。 しばらく経ってから、訳のめどが立たないドイツ語の讃美歌が出てくると、それは私のところに回ってきて、結局全部で24曲も訳すことになった。その内の一つが「みことばによりて 主よ、われを支え」である。
 宗教改革を弾圧しながら勢力争いを続けていた教皇と皇帝の絡むヨーロッパの政治情勢、十字軍の報復として大軍を送って再三ヨーロッパ侵入を試みる大国トルコという、一見どうにもならないように思えた情勢の中で、ルターは三位一体の神の守りを歌う短い讃美歌を1541年頃に作詞し、「今こそ来ませ」(教会讃美歌1番)のラテン歌詞に付されたメロディーをこの場合は別に展開してメロディーとした。
 ルターの原詩には時代を反映して「教皇とトルコ」と出てきて、バッハの時代もそう歌われていた。近代になってようやくこれは「仇をなすもの」に変えられたのである。
 バッハは1724年、当時の受難前節の主日のために、このコラールを軸に、不明の詩人の詩を加えた上、ルターの「恵みをもってわれわれに平和をお与えてください」というコラールで結びとするカンタータを作曲した。
 いつの時代にも、神に逆らうものは形を変え、装いを変えて登場してくるものである。近年の日本自身、日本をめぐる状況もその明らかで、深刻なケースであろう。平和と唱えて逆への道を進もうとし、繁栄を唱えて貧しい者からの収奪すらはばかるところがないのが見えている。
 いつの時代も逆らうものに面して、主の恵みを信じつつ、この歌を歌い続けねばならないことだろう。

宗教改革500年プレイベント「ドイツフェスタ」報告

 宗教改革運動は、それによって神の言葉への注目を促し、当時の社会に大きな変革をもたらしていくこととなりました。それは1517年に始まりましたが、一方でその前年に定められたある法律が、多くのものに変化を生じさせる宗教改革による激動をくぐり抜け、変わることなく受け継がれました。そしてそれは現代においてもドイツ社会に大きな影響を与えています。「麦芽、ホップ、水」(後に酵母も)のみを原料としなければならないと定められた法律、「ビール純粋令」です。
 つまり、今年2016年は「ビール純粋令」制定から500年となる記念の年となります。そのことを知ったのは東京都内でドイツビール専門店を運営する業者の方との打ち合わせでのことでした。「500年」、そして「ドイツ」というキーワードで、ビール専門店がこの日本においてルーテル教会と結びつくことになりました。
 4月24日、「純粋令」の制定500年記念日の翌日に、日本福音ルーテル東京教会を会場として「ドイツフェスタ」が催されました。これは日本キリスト教協議会(NCC)日独協議会のために来日されたドイツ福音主義教会(EKD)宗教改革500年事業特命大使であるマルゴット・ケースマン牧師をお迎えしての集会でもありました。
 ケースマン牧師は、主日礼拝において「私たちは国際的な信仰共同体、世界的・エキュメニカルな交わりの中で、これを祝おうとしている。神の出来事がそこにある。神の目が私たちをとらえ、愛、正義、和解の業に、私たちを招く。この霊の働きの中に私たちも自らを委ねることができるように。」と宗教改革500年が私たちに与えられた意味について、お話くださいました。
 午後からは宗教改革500年への関心を広げるために、教会内に限らず一般に開かれた機会とすべく企画しました。
 ケースマン牧師を含めたトークセッションでは、ケースマン牧師より、かつての改革を感謝するのではなく、争いから交わりへというプロセスを歩んでいること、また歴史的には1600年代の30年戦争、またルターが反ユダヤ教であったのをナチスがホロコーストを正当化するために使ったことを踏まえ、宗教改革500年を和解と癒やしの祈りを合わせる機会とすることなどが述べられました。
 加えてユダヤ教・イスラム教とのエキュメニカルな対話を進める計画について、また当時ルターが活版印刷というメディアを使ったように現代の新しいメディアを使い宣教の機会としていきたいとの計画についても伺いました。
 数名の若者たちからの問いかけの時間では、ケースマン牧師自身の挫折の経験から、それにもかかわらず神に生かされていることへの喜びを証ししてもくださいました。
 この他、ルーテル教会関係者を中心とした音楽家による演奏、宗教改革とルターに関するクイズ、ルーテル世界連盟による宗教改革500年運動を担うヤングリフォーマーからの報告。それに500年守られた伝統が引き継がれているビール、そしてドイツ料理が専門店の協力を得て楽しむこととなりました。
 200名弱の参加者を得、東教区と東京教会の協力もいただき、恵まれたひと時を過ごすことができたことを感謝してご報告します。(広報室)

熊本地震支援活動報告

「2016年6月10日付対策本部報告6」

日本福音ルーテル教会九州教区救援対策本部対策本部長 岩切雄太

 熊本地震から2ヶ月が過ぎようとしています。熊本県災害対策本部が発表している熊本県の避難者数及び避難所数の状況を見てみると、避難者数及び避難所数が最も多かったのが、4月17日です。その日の熊本県内の避難者は18万3882名、避難所として開放されたのが855箇所です。同様の対策本部の発表を見ると、6月7日現在、147箇所の避難所に6904名の方が避難されています。
 数字だけを見ると、避難者数は約1/27に、避難所数は約1/6に減少したことになりますので、復旧が進んでいるように思えます。
 しかし、被害の大きかった地域のひとつである益城を見てみると、4月17日時点では、7910名の方が12箇所の避難所に避難されていましたが、6月7日現在でも2132名の方が15箇所の避難所に避難されています。もちろん少しずつ避難されていた方々が自宅(その他)に戻られているわけですが、県全体の1/27の減少に対して、益城は1/4の減少に止まっています。また、避難所数は5/4と増えています。
 地震に伴う困難を数字だけで比較するのは適切ではありません。けれども益城のこの数字は他の地域と比較しても突出しています。
 さて、日本福音ルーテル教会九州教区救援対策本部は、震災直後から、益城にある公的避難所のひとつ、広安愛児園・こども L.E.C.センター内避難所を拠点として、NPO法人わかちあいプロジェクトと連携して支援を続けています。ここでの主な支援活動は、休憩所(カフェ)を通した支援と地域支援(片づけ・引越支援)です。休憩所(カフェ)には、避難されている方々だけでなく、避難所を運営している町役場の職員、またキリスト教児童福祉会の職員の方々も休憩に来られます。そこでの会話を通して、避難者の困りごとや地域のニーズを聞き取り、そのニーズに対して地域支援(片づけ・引越し)を行っています。また、地域の自治会長(区長)からの要請を受け、ボランティアセンターからなかなか人が送られて来ない場所に入り、瓦礫処理等の支援が本格化してきました。

 私たちルーテル教会が行う支援活動は、「困っている」「助けてほしい」という声に、公平(均質)や効率という名の格差をつけることなく、耳を澄ませ寄りそっていくものでありたいと取り組んでいます。引き続きお祈りとご支援をよろしくお願いいたします。
熊本地震日本福音ルーテル教会九州教区対策本部「できたしこ ルーテル」サイトhttps://www.facebook.com/kumaeqhq/

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2016年7月15日 宗教法人 日本福音ルーテル教会   代表役員 立山忠浩
信徒利害関係人 各位

日吉教会建物取壊
所在地 
 横浜市港北区下田町
 1丁目670番地2
所有者 
 日本福音ルーテル教会
家屋番号 670番2
・種類 教会・居宅
・面積 
 1階 231・59㎡
 2階 121・16㎡
理由 
 新会堂・牧師館建築の ために旧礼拝堂部分を取り壊すため。

連絡先情報
■横浜教会 メールアドレスyokohama@jelc.or.jp
■清重尚弘牧師(定年教師)住所〒223-0064神奈川県横浜市港北区下田町4-サンヴァリエ日吉12棟410 電話045-594-8535

16-06-17信仰における耐震構造

「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。(ルカによる福音書6・46〜49)

 イエス様は信仰を建築に例えています。特に49節は深く考えさせられる言葉です。「聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった」と。

 この例えからは、イエス様という岩に信仰の家の土台を置くなら、たとえ洪水のような意外な挫折をも乗り越えられると教えられます。それは誰もが理解できる教えだと思います。要するに、土台の重要性が当然だということです。

 ところで、私は熊本地震を体験して、信仰における挫折を洪水ではなく、地震と繋げて考えてみました。4月14日から、大きな地震が2回起こりました。特に2回目の本震がとても怖かったのです。夜中に激しい揺れが10分間以上続いたからです。さて翌々日、勤務先に行くと、被災は家より酷かったのです。本棚が重ねて倒れており、本は山のように散乱し、ドアも開けられないほどでした。学内の噂では、私の部屋の被災状態はワーストスリーに入っていました。もしこの地震の発生が昼だったら、私はこの危険な場所にいた可能性が高くなり、命を失ったかもしれません。夜の被災は私にとっては命拾いとなりました。

 その後、学内で復旧対策を相談する時、ある先生がこう言いました。「建物の耐震構造には二つのタイプがあります。一つは揺れないタイプですが、もう一つは揺れるタイプです。5棟の建物の内1棟はその揺れるタイプです。ですから、地震の時、揺れることは必ず悪いことではないことを覚えて欲しいのです」と。私はこの言葉を聞いて、建物によっては揺れても、建物を倒さない許容範囲の揺れであるのだと初めて分かりました。確かに、この二つのタイプはいずれも、建物が地震に耐える目的です。でも揺れると、その中にいる者に不安が増えるのも確かなことでしょう。

 ところで、私は牧師であるせいか、すぐそれを信仰に繋げて考えました。「信仰上でも、耐震構造と似たような二つの反応があるのではないか?」と。

 一つは揺るがない信仰です。試練に遭っても、動揺しない反応です。それは一番理想的ですが、現実の生活の中ではなかなか難しいことでしょう。
 

もう一つは挫折によって揺れる反応です。試練に遭って、土台と一緒に揺れますが倒れません。つまりしばしば挫折に遭って信仰が動揺しますが、結果としては信仰を続けている状態です。過去を振り返ると、私も多くの場合その範疇に入っていたようです。揺るがない反応はもちろんイエス様がくださる強さです。しかし一方、揺らぐ反応もイエス様に許されている反応ではないでしょうか。例えば、ペトロの信仰にそういうものが見られます。

 一つ挙げれば、3回「イエス様を知らない」と言い切ったことは取り返しのつかない裏切りです。しかしイエス様はあらかじめ彼にそれを知らせていました。しかも引き続きこう言っていました。「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22・32)と。言い換えれば、イエス様はペトロの裏切りを事前に知った上で、容認したのです。しかもただの容認ではなく、ペトロがそれを乗り越えて、立ち直ることすら期待し、更に先を見据えていました。つまり弱さを乗り越えて、聖霊によって大胆に伝道していく強いペトロの姿を、です。

 ですから、この御言葉を聞く時、私たちはまず神様の先行した恵みに目を留めましょう。自分の信仰の揺らぎや弱さを嘆くより、むしろそれは既に神様に容認され、支えられていることなのだ、と。そして感謝しましょう。その揺らぎや弱さを経てこそ、他者に届くことのできる器とされているのです。このイエス様に信仰の土台を据え、主の僕として仕える歩みを新たにしましょう。

九州ルーテル学院大学チャプレン 黄 大衛

16-06-01るうてる2016年6月号

説教「信仰における耐震構造」

機関紙PDF

 「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。」(ルカによる福音書6・46~49)

 イエス様は信仰を建築に例えています。特に49節は深く考えさせられる言葉です。「聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった」と。
 この例えからは、イエス様という岩に信仰の家の土台を置くなら、たとえ洪水のような意外な挫折をも乗り越えられると教えられます。それは誰もが理解できる教えだと思います。要するに、土台の重要性が当然だということです。
 ところで、私は熊本地震を体験して、信仰における挫折を洪水ではなく、地震と繋げて考えてみました。4月14日から、大きな地震が2回起こりました。特に2回目の本震がとても怖かったのです。夜中に激しい揺れが10分間以上続いたからです。さて翌々日、勤務先に行くと、被災は家より酷かったのです。本棚が重ねて倒れており、本は山のように散乱し、ドアも開けられないほどでした。学内の噂では、私の部屋の被災状態はワーストスリーに入っていました。もしこの地震の発生が昼だったら、私はこの危険な場所にいた可能性が高くなり、命を失ったかもしれません。夜の被災は私にとっては命拾いとなりました。
 その後、学内で復旧対策を相談する時、ある先生がこう言いました。「建物の耐震構造には二つのタイプがあります。一つは揺れないタイプですが、もう一つは揺れるタイプです。5棟の建物の内1棟はその揺れるタイプです。ですから、地震の時、揺れることは必ず悪いことではないことを覚えて欲しいのです」と。私はこの言葉を聞いて、建物によっては揺れても、建物を倒さない許容範囲の揺れであるのだと初めて分かりました。確かに、この二つのタイプはいずれも、建物が地震に耐える目的です。でも揺れると、その中にいる者に不安が増えるのも確かなことでしょう。
 ところで、私は牧師であるせいか、すぐそれを信仰に繋げて考えました。「信仰上でも、耐震構造と似たような二つの反応があるのではないか?」と。
 一つは揺るがない信仰です。試練に遭っても、動揺しない反応です。それは一番理想的ですが、現実の生活の中ではなかなか難しいことでしょう。
 もう一つは挫折によって揺れる反応です。試練に遭って、土台と一緒に揺れますが倒れません。つまりしばしば挫折に遭って信仰が動揺しますが、結果としては信仰を続けている状態です。過去を振り返ると、私も多くの場合その範疇に入っていたようです。揺るがない反応はもちろんイエス様がくださる強さです。しかし一方、揺らぐ反応もイエス様に許されている反応ではないでしょうか。例えば、ペトロの信仰にそういうものが見られます。
 一つ挙げれば、3回「イエス様を知らない」と言い切ったことは取り返しのつかない裏切りです。しかしイエス様はあらかじめ彼にそれを知らせていました。しかも引き続きこう言っていました。「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22・32)と。言い換えれば、イエス様はペトロの裏切りを事前に知った上で、容認したのです。しかもただの容認ではなく、ペトロがそれを乗り越えて、立ち直ることすら期待し、更に先を見据えていました。つまり弱さを乗り越えて、聖霊によって大胆に伝道していく強いペトロの姿を、です。
 ですから、この御言葉を聞く時、私たちはまず神様の先行した恵みに目を留めましょう。自分の信仰の揺らぎや弱さを嘆くより、むしろそれは既に神様に容認され、支えられていることなのだ、と。そして感謝しましょう。その揺らぎや弱さを経てこそ、他者に届くことのできる器とされているのです。このイエス様に信仰の土台を据え、主の僕として仕える歩みを新たにしましょう。
九州ルーテル学院大学チャプレン 黄 大衛

連載コラムENCHU

3『 Sola scriptura 』

 
 「Sola scriptura(聖書のみ)」は、ルター神学の中心のひとつです。しかし同時に、ルターが「ヤコブの手紙」を「藁の書」と評し、「(この書は)何ら福音的な性質をそなえていない」(石原謙訳『聖書への序言』岩波文庫)と批判したこともよく知られています。
 これは、ルター神学と「ヤコブの手紙」の相性があまりよくないことに起因するのでしょう。けれども、そのようにルターが批判したからといって、ルーテル教会の聖書から「ヤコブの手紙」がなくなったりはしませんでした。このことは、「ヤコブの手紙」を福音的でないと考える者がいたとしても、そこに記されていることも「みことば」である、ということを意味しています。
 そして思うのですが、このようなことのなかに、「Sola scriptura(聖書のみ)」という定理の素晴らしさ、というよりも「聖書」の豊かさが示されているのではないでしょうか。だから、ある箇所を引用し「聖書にはこう記されているから」と自らの正当性を主張するのは、「聖書」の豊かさを否定することになるのでしょう。
 きっと私たちは、「聖書」には前言撤回的な言明があり、そこに、汲みつくせぬ豊かさがあるということを踏まえて、「繊細な精神@パスカル」で耳を澄ます必要があるのだと思います。
 そうそう、ルターが福音書の中で最も好きだったヨハネには、主イエスの洗礼と最後の晩餐における聖言(ベルバ)が除かれ洗足の出来事が描かれていることを、礼拝への理解を豊かなものにするために申し添えておきます。
岩切雄太( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会牧師)

議長室から

総会で見えた様々な面 総会議長 立山忠浩

第27回定期総会が無事終わりました。予定されていた議案の他に、熊本・大分地区の地震災害に関する報告が加わることになりました。
 被害の甚大さから、総会そのものを延期すべきではないかとの声も上がりました。しかし九州教区長、現地の対策本部長などから、 予定通り開催した方が良いとの返答をいただきましたので、開催に踏み切りました。
 総会を開催して本当に良かったと感じたのは私だけではなかったと思います。各教会、学校、施設などの被害状況と現地の支援活動について報告していただきました。被災者でありながら支援活動に尽力する現地の皆さんの姿や献身的にディアコニアの精神を実践する教区内の信徒と教師の働きは、心に響くものがありました。全国の議員がさらなる支援の思いを強くしたに違いありません。
 本総会の最も重要な議案は「宗教改革500年記念事業」に関することでした。いよいよ来年は2017年になります。カトリック教会との合同礼拝も含め、ようやく記念事業のすべてが確定しましたので、一同に全体像を説明する最後の機会となりました。後は実行するのみ。皆さんの積極的な参画を願っています。
 議案の中には、痛みを伴うものがありました。ルーテル学院に対する教会支援とブラジル伝道に関することがそれでした。限られた教会の財政力と人材しか持ちえない状況で、どれほどルーテル学院の要請に応えることができるか、難しい判断が求められました。教会からすれば精一杯の支援を行っているつもりですが、ルーテル学院からすれば我慢を強いられる面があったことは否めません。
 ブラジル伝道に関する議案は、宣教50周年を節目に、 日系人への伝道の使命がひとつの節目を迎えたとの認識に立つものでした。徳弘浩隆宣教師の任期をさらに3年間延長し、自給・自立の基盤をさらに固め、現地の牧師への確実な引継ぎの任を託すものでした。JELCの現職牧師派遣も3年後には終了しますが、他の面での宣教協力は継続して行きます。ただ、これも現地の教会(日系パロキア)と徳弘牧師には痛みを伴うものでした。総会のもう一面を心に留めることになりました。
 最後になりましたが、あと2年間よろしくお願いいたします。

プロジェクト3・11「石巻の十三浜とのつながり」

プロジェクト3・11企画委員 久保彩奈 (聖望学園、本郷教会)

 聖望学園では石巻市十三浜の「西條さんちのわかめ」の物販支援と、年2回春と夏に西條さん宅でボランティアをしています。聖望学園の生徒にはどのような思いでボランティアに参加してきたのかを、西條きく子さんからはルーテル教会救援「となりびと」をはじめ、これまで関わりのあったボランティアに対するコメントを頂きました。

佐藤真愛さん(聖望学園卒業生)

 
 ボランティアにできることは少ないけれど、行き続ければ出来ることの可能性が増えることを信じて、卒業までに5回、ボランティアに参加してきました。
 被災地に行くことで、震災の恐ろしさ、また震災後に様々な支援が必要とされることを知りました。きく子さんに名前を覚えてもらえたことは本当に嬉しかったですし、きく子さんが被災されているにも関わらず、逞しくわかめ生産業に携わっていることに勇気をもらいました。
 私自身が防災意識をもてたことも大きな変化の一つです。きく子さんとはこれからも関わり続けていけたらと思っています。いつもありがとうございます。

西條きく子さん(十三浜・わかめ生産業)

 震災時からずっと温かい支援をもらい、本当にありがたく思っています。感謝の気持ちでいっぱいです。
 今はだいぶ落ち着きましたが、今まで一緒に作業をしていた人たちが津波により流されてしまったので作業はまだまだ大変です。震災があったことは大変でしたが、みなさんとの繋がりができたことは嬉しく思っています。
 また、ボランティアに来ていただくことで、わかめがどういう風にできているのかを知ってもらえたこと、わかめの美味しい食べ方を知ってもらえたこと、十三浜を知ってもらえたことも本当に嬉しいことです。繋がりがあるのは嬉しいことです。いつもボランティアさんを楽しみに待っています。また来てくださいね。

教会×公共

2 ポスト・1995

宮本 新(田園調布教会牧師、日本ルーテル神学校講師)

 4月14日に熊本地方を襲った地震では、現地のLINEやフェイスブックを介した情報発信と共有の速さが特徴的でした。広範な支援活動は社会全体で被災の記憶をつなげてもいるようでした。
 『震災ボランティア』という言葉が生まれたのは1995年のことです。〈サリン事件〉と〈阪神淡路大震災〉のあったその年、京都で仏教界や新宗教の指導者らが参集したシンポジウムがありました。著名な宗教学者が「被災地にボランティアの姿はあったが宗教者はいなかった」と述べ、震撼する者、反発する者様々でした。当時、京都教会にいた小泉潤牧師も登壇者のひとりでした。学者や世論が何をいうのであれ、黙々と被災地で働く若者のたちの姿に未来図を見たという先生らしいお話でした。
 あれから20年。「市民」ボランティアと「宗教者」支援・奉仕の関係は変遷を続け、東日本大震災では臨床宗教師やカフェ・デ・モンクなどの活動も見られました。他方で宗教は水や空気のようなもの、「ないと駄目だがあまり話題にならない方がいい」とも言われました。 その他に脳死やES細胞など命の問題から自死問題や貧困格差、また昨今の安保法制や脱原発をめぐり「宗教の役割」が広く議論されています。宗教者自らが問答を繰り返すのではなく、様々な公共圏からの問いかけが目立ち、徐々に従来の宗教のカテゴリーも見直しと変容が迫られています。
 このような宗教公共論のプロセスでは、別掲の問いかけ�Cのように宗教の役割や有用性が論じられる際に潜む危うさも問われています。人間(その集団)は本来的な個性があり「共約不可能」な存在でもあるからです。 パウロが「十字架のことば」に言及した脈絡とも重なり、前回紹介したシンガポール会議から京都会議まで多大な時間が割かれたのはこの点についてでした。

公共圏からの問いかけ

①信仰はどこまで個人・私的な領域に留まりうるのか?
②宗教は立場や見解を越えた連帯・共生の共通基盤を示せるか?
③社会(共同体)が閉塞感に至るとき、宗教は外に開く力を発揮できるか?
④公共性が“みんな”や“わかちあい”の言葉で他を呑み込もうとするとき、 宗教はそれを防ぐことができるか?

宗教改革500年に向けて ルターの意義を改めて考える(新シリーズ2・通算49)

ルター研究所 所長 鈴木 浩

 今回はルターの子ども時代に戻って、彼が受けた教育のことを考えてみたい。ルターは1483年11月10日にアイスレーベンという町で生まれた。父ハンスと母マルガレーテの間に生まれた長男であった(次男だったという異説もあるらしい)。その後、一家はマンスフェルトという町に引っ越していく。
 両親はルターが5歳になると、地元の学校に入れた。学校と言っても、日本の「寺子屋」と同じだ。地元の司祭が子どもたちを集めて、「読み書き算盤」を教えた。ドイツでは日本ほど「算盤」は普及していなかっただろうから、「読み書き算術」と言うべきか。数年後、父親はルターをマグデブルクという町の学校に入れる。もう少しレベルの高い学びをさせるためである。1年後、ルターはアイゼナッハという町の学校に移る。この町には母親の親類縁者が多くいたようである。
 「読み書き算術」と言っても、「読み書き」は母国語以上に、ラテン語の読み書きであった。ルターはこれを徹底的にたたき込まれる。当時のヨーロッパでは学問はラテン語で行われ、教会の礼拝もラテン語であった。
 ラテン語の発音は、ほぼ「ローマ字読み」でいいので日本人にも難しくはないが、文法はほとんど「複雑怪奇」だ。「バラ」という言葉は、「ロサ」(バラは)、「ロサエ」(バラの)、「ロサエ」(バラに)、「ロサム」(バラを)、「ロサー」(バラで)と変化する(以上、単数)。複数は「ロサエ」(主格)、「ロサールム」(属格)、「ロシース」(与格)、「ロサース」(対格)、「ロシース」(奪格)となる。名詞はこのように変化するタイプの他に、4つの別な変化パターンがある。形容詞も同じように変化する。辛いのは動詞の変化だ。動詞には5つのタイプの違った変化パターンがあり、それぞれ一つの動詞が、200ほどの形に変化する。不規則動詞でもgo, went, gone, goingが変化のすべての英語とは大違いだ。
 だから、ルターはただひたすら名詞、形容詞、動詞の変化を学ばされた。ラテン語の学びとは、要するに「一に暗記、二に暗記、最後の最後まで暗記・暗記」である。ものの本によると、子どもたちが変化を間違うと、教師はその子どもを鞭で叩いたというから、大変だ。
 ルターはそれに耐え、大学に入る頃にはラテン語を完璧にマスターしていた。

ルター、バッハ、宗教改革500年。

8 主を「大きくする」

マグニフィカト(マリアの賛歌)

 ローマ・カトリック教会の信徒研修に東京カテドラルの信徒会館に招かれて、「ルターとマリア」について講演したことがあった。
 中世以来マリア崇敬を深めてきたカトリック教会が、第2バチカン公会議『教会憲章』で、「マリアを教会の優れた1人」とした後のことであった。ルターは「マリア崇敬」は斥けた。しかし福音書に基づき、イエスとの関わりのある限りにおいて、マリアを「イエスの母」として注目し続けた。
 ところでカトリックが「マリアの訪問日」としている5月31日はわれわれの教会暦では関係ないとしても、マリアのエリザベト訪問や、特にそれに続く「マリアの賛歌」はルーテル教会でどう見られ、取り上げられ、注目されているだろうか。
 伝統に従って典礼的には「夕の祈り」で「マグニフィカト」が唱えられ、歌われることもあろうが、その「夕の祈り」が守られる例はルーテル教会ではほとんどない。A年の待降節第4主日の日課となっていても、その日にクリスマス礼拝をする教会が多いから、これが読まれ、説教されることはないと言ってよい。
 ルター自身は『「マグニフィカト」講解』を民衆のために書いて、中世のマリア崇敬から離れた、マリアへの宗教改革的な注目を民衆に示した。私自身もキリスト教信仰の中でこのマリアの賛歌に適切な位置を示させたいと思っている。突き詰めるとポイントは一つである。「マグニフィカト」の本来の意味は「大きくする」である。「私の魂は主を大きくする」のである。
 バッハ自身ライプツィヒの夕の礼拝のために「マグニフィカト」を作曲しているが、「マリアの賛歌」を「主を大きくする賛歌」として心にとらえておくことはエキュメニカルな時代、カトリック教会や聖公会との信仰の交わりの中でも大切なことだと思っている。

今年もやります!ルーテルこどもキャンプ

ルーテルこどもキャンプ スタッフ 中村沙絵(千葉教会)

6月に入り、そろそろ夏休みのスケジュールを考え始めるころですね。小学5、6年生、そして保護者のみなさま、ぜひ8月8~10日は「こどもキャンプ」とカレンダーへ書き込んでください。18回目の今年は、ルーテル広島教会にて行われます。
 毎年夏に行われているルーテルこどもキャンプ。1999年に開催されたルーテル国際少年少女キャンプから始まり、2006年からルーテルこどもキャンプと名前を変え、平和について学ぶキャンプと外国について学ぶキャンプが毎年交互に行われています。
 今年は、平和について学びます。「来んさいヒロシマ ピースじゃけん」をキャッチコピーに、全国から集まる小学5、6年生と「平和とは何か?」「平和ではないとは何か?」「聖書では平和についてどのように語られているか」など、考えていきたいと思っています。
「平和」という言葉はよく耳にするけれど、しっかり考えたことはないな、難しいかな?と思うかもしれませんが、安心してください。キャンプ中ずっとそばにいて、寝食を共にし、一緒に笑い、考え、悩んでくれるリーダーのおにいさん、おねえさんがいるからです。困ったり、不安になること、疑問に思ったりすることがあれば、いつでも聞いてもらえますよ。
 そんな子どもたちの憧れのリーダーには18歳から、ジュニアリーダーは高校生から応募することができます。春キャンの卒業生はもちろん、キャンプに参加したことのない方でも大丈夫。チャプレンをはじめ、周りのスタッフも協力します。またキャンプを裏方で支えてくださるスタッフのみなさんも募集中です。
 子どもも大人も一緒になって、祈り、讃美し、平和と向き合う3日間。それが糧となり、それぞれの地に戻った子どもたちはその場所で平和について考え続け、実行できる大人へと成長していくことでしょう。
 どうぞ1人でも多くの子どもたち、そしてスタッフを送り出してください。みなさまからのお申込み、お待ちしております。

全国教師会2016年総会報告

前総会期全国教師会長  永吉秀人

 宗教改革500年に備え、変革される全国教師会。2016年5月2日から3日にかけて、全国教師会総会を宣教百年記念会堂にて行いました。課題は宗教改革500年への取り組みについて。第一に、説教集の出版。電子書籍化の要望も出され、安価で実現可能と判断します。第二に、今年の秋に500年への気運を高める退修会を京都にて予定していましたが、これを見直すこととなる事案が日本福音ルーテル教会宣教室より提出されました。役員会で協議の上、今総会の議案と致しました。
 「2017年11月23日に長崎の浦上天主堂にてカトリック教会(司教協議会)と日本福音ルーテル教会の共同企画として公式に合同礼拝を行うことについて」を上程。500年記念としてふさわしく思えますが、議場では全国教師会の立ち位置を問う厳しい意見が交わされました。というのは、カトリック司教協議会は「集団的自衛権行使容認の閣議決定についての抗議声明」を、カトリック正義と平和協議会は「安全保障関連法の強行採決への抗議声明」を発してきたのに対し、全国教師会ではこれまで社会問題に対する明確な姿勢を示しておらず、声明も発してこなかったからです。
 神学論争や社会問題への取り組みは、分裂や離脱を起こしかねない要素を含むため、教師会の慣習として積極的な譲歩によって強硬派と穏健派の調和を図ってまいりましたが、今総会での協議を通して、カトリック教会との共同企画の如何を問わず、まずは教師会として社会問題に対する学習と決断を重ねて行く方向性を打ち出し、これを前提としてカトリック教会との共同企画についての採決に臨みました。結果、行うことに可決致しました。
 会長の任期満了に伴い、新会長に石居基夫師が選出されました。書記には安井宣生師が再選され、会計には和田憲明師が再推薦されました。加えて4名の委員が推挙され、末竹十大師、内藤新吾師、沼崎勇師、宮本新師が承認されました。

熊本地震支援活動報告

4月14日そして16日に熊本・大分を中心に発生し、今なお続く地震災害により、悲しみと嘆き、不安の中にあるお一人お一人に主のお慰めと励ましをお祈りします。
 岩切雄太牧師を本部長として発足した「熊本地震 日本福音ルーテル教会九州教区救援対策本部」は、自身が被災者でありながら、地震発生直後からそれぞれの地域の方たちに対する支援活動を続けている教会・学校・福祉施設・幼稚園・保育園を応援するとの方針のもと活動を始めました。熊本の言葉で「できることをせいいっぱい」を「できたしこ」といい、「(わたしたちに)できることをせいいっぱいやっていこう」という意味を込めた名称を合言葉に歩んでいます。必要な支援活動と全国の教会とつなぐ役割です。
 具体的な取り組みとして、①室園教会による済々黌高等学校内避難所支援(終了)、②熊本教会の会堂補修への取り組み他、③大江教会の物資支援、カフェなど、④神水教会の慈愛園利用者への支援、カフェ(終了)、全国からの支援物資基地、⑤健軍教会の教会避難所及び近隣避難所への支援があります。
 また九州ルーテル学院と九州学院では、それぞれに学生たちへの支援、補修への取り組みなどがなされています。そして慈愛園(ライトハウス)は福祉避難所として、キリスト教児童福祉会も避難所として、それぞれの役割を担っています。関係幼稚園・保育園では子どもたちとその家庭への支援にも取り組んでいます。
 それぞれの働きに加えて、①片付け支援、そして②NPO法人わかちあいプロジェクトと連携し、広安愛児園・LECこどもセンター内避難所の支援(炊き出しなど)を担います。以下のURLより情報を得ることができます。
https://www.facebook.com/kumaeqhq/
 JELCでは活動を支援するため、あわせて大きな被害を受けつつ公的支援を得られない教会堂・牧師館などの修復支援のため、支援募金を呼びかけています。すでに多くのご協力をいただき感謝します。
 

ルーテル連帯献金[熊本地震 支援募金]のご案内

①「地域生活支援」できたしこルーテルによる被災者の地域生活支援活動費用に充当。
②「被害を受けたルーテル教会の建築支援」熊本県内ルーテル教会の建物補修支援。  
 第1期募金は5月末日に締め切られましたが、第2期も予定。上記の①、②のいずれかを明記しご送金を。郵便振替の場合、振込用紙に「熊本地震」と記し①、②のいずれかを明記のこと。[郵便振替00190―7―71734 宗教法人日本福音ルーテル教会]

第27回日本福音ルーテル教会定期総会 報告

事務局長 白川道生

 日本福音ルーテル教会第27回定期総会が5月3日から5日にかけて、日本福音ルーテル教会宣教百年記念東京会堂(東京教会)で開催された。全国各地から参集した教職、信徒を合わせた総会議員は218名を数えた。
◆議事に先立って
 総会招集後の4月14
に熊本地震が発生し、九州教区との相談を軸に関係諸事を鑑みた結果、総会開催を変更せずとの判断に至った。それ故、当初からの議事を一部変更し、熊本・大分の被災状況と震災救援について報告を加える議事日程が承認された。熊本と議場を通信映像で結び、立山議長が祈り、ルーテル教会がつながって取り組む姿を共有する時が与えられた。
◆第26総会期活動報告
 まず立山議長より、2012年から8年間にわたる第6次綜合方策に基づいて26期に取り組んだ事項を抽出して報告がなされた。
 続いて書記~各室長報告、各教区~諸委員会、諸施設、関係団体の2年間の報告が行われ、多岐にわたる務めがルーテルグループで実践されているあり方が印象付けられた。議場による審議の後、諸活動報告はすべて承認をうけた。
◆役員選挙
 執行部4役には、総会議長に立山忠浩牧師、副議長に大柴譲治牧師、書記に白川道生牧師、会計に豊島義敬さんがいずれも再選された。加えて信徒選出常議員が選出され、各教区長及び教区選出常議員による新常議員会の組織も承認された。任期は6月から2年間である。
◆礼拝式文の改定
 常議員会より、式文改定の工程変更が提案された。従来の完成年度を改め、段階的な承認を積み重ねる方針とし、本総会では主日礼拝式文の文言のみ承認を諮り、2年後に曲の付いた主日礼拝式文の公式使用を提案する。そして主日礼拝並びに諸式の揃った「すべての式文」改定の採択は、承認までに期間を置き、2028年の総会で決議する、との提案があり、審議の後に提案は承認された。
◆宗教改革500年記念事業
 白川宣教室長より、2017年に向けて取り組まれた「推奨4冊の出版を通した活学運動の展開」や「バナーキャンペーン企画」等に関する進捗報告がなされた。教会が教会のために行う祝祭イベントとせずに「宗教改革の発見を現代に活用する」と、理念を定めて展開する姿勢が強調された。
 また、この機会を通して「ルーテル教会がひとつ」である認識の共有を意図し、全国各地の教会と教会、加えて学校・幼保、施設を視野に含め、ルーテルグループをつなげる展開を指向する路線も確認された。
 議場からは宣教の機会とするため、提言や要望が挙がった後、記念事業の推進が募金活動を含む本事業予算と共に承認された。
◆決算報告及び予算
 豊島会計より、26期の全体教会財政と諸部門の財務状況に関する決算、木村財務委員長から、予測される課題と対応を見込んだ予算提案がなされた。
 審議では、減少する教会財務状況への対処を巡って審議がなされた後、財務関連提案は承認された。
◆その他
 紙面の制限により報告記載はできないが、「海外宣教に関する件」、「神学教育支援の件」、「第28回定期総会に関する件」は、提案のとおり承認された。
  詳細は、発行される定期総会議事録を参照ください。

※「ルーテルアワー・さあなの部屋より」は、紙面の都合によりお休みします。

 

 

16-05-17「いのち」を与える聖霊

「イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。』 ニコデモは言った。『年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。』 イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。』」(ヨハネによる福音書3・3〜6)

 聖霊降臨の期節です。今日は、私たちの救いのために必要不可欠な聖霊のお働きについて、ご一緒に見て参りましょう。 イエス様は言われました。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。」

 ここでの「霊」は「聖霊」のことを意味しています。ですからイエス様の言葉によれば、《私たちは、聖霊によって新しく生まれるのでなければ、神の国に入ることができない》、ということです。

 今、「霊から生まれたものは霊である」という言葉に注目してみましょう。聖霊は三位一体における第三位格の神であられます。ですからこの言葉は、「神から生まれたものは神である」とも言い換えることができます。人間から生まれたものは人間です。しかし、神から生まれたものは神です。それでは、もしも私たちが、聖霊なる神によって新しく生まれるならば、その時私たちは、人間なのか?神なのか? その答えは、聖書に求めることができます。「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1・12〜13)

 つまり、私たちが聖霊によって新しく生まれること、そのことは、《神の子となる資格を与えられること》を意味しているのです。私たちは普段、当たり前のように「父なる神様」とお呼びします。しかし、実はそれは、自分自身を「神の子」とするに他ならない行為であって、もしも時代が時代なら、死罪に当たる冒とくの罪です。イエス様ご自身、「神の子と自称した」(ヨハネ19・7)という罪で訴えられている通りです。しかし私たちは、聖霊によって新しく生まれているがゆえに、「アッバ、父よ」と呼びかけることができるのです。 パウロもまた、次のように証ししています。「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。」(ローマ8・15〜16)

 聖霊を受けるということは、また、水を飲むことにも似ています。聖書に次のように書いてある通りです。(ヨハネ7・37〜39)「『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。』イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている〝霊〟について言われたのである。」
また、イエス様が与える水(聖霊)を飲むなら、そこから永遠の命が生まれて来ます。次のようにイエス様が言われている通りです。「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ4・14)

 こうして私たちは、聖霊によって新しく生まれることにより、私たちの内に新しい《いのち》を宿すことになるのです。それをこそ、《永遠の命》と言うのです。このことは、私たちがいつも信仰告白しているニケア信条でも言われています。「主であって、いのちを与える聖霊をわたしは信じます。」その通りです。聖霊によって私たちは、《いのち》が与えられるのです。この《いのち》は、神によって生まれさせられた《いのち》であって、この《いのち》があるからこそ、私たちは神の子と認められ、神の国に入ることができるのです。

 どうか主が、この聖霊降臨の期節に、聖霊についての知識を少しでも私たちの内で増し加え、信仰を強め、豊かにしてくださいますように。

日本福音ルーテル知多教会牧師 花城裕一朗

16-05-01るうてる2016年5月号

説教「『いのち』を与える聖霊」

機関紙PDF

「イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。』 ニコデモは言った。『年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。』 イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。』」(ヨハネによる福音書3・3~6)

 聖霊降臨の期節です。今日は、私たちの救いのために必要不可欠な聖霊のお働きについて、ご一緒に見て参りましょう。 イエス様は言われました。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。」
 ここでの「霊」は「聖霊」のことを意味しています。ですからイエス様の言葉によれば、《私たちは、聖霊によって新しく生まれるのでなければ、神の国に入ることができない》、ということです。
 今、「霊から生まれたものは霊である」という言葉に注目してみましょう。聖霊は三位一体における第三位格の神であられます。ですからこの言葉は、「神から生まれたものは神である」とも言い換えることができます。人間から生まれたものは人間です。しかし、神から生まれたものは神です。それでは、もしも私たちが、聖霊なる神によって新しく生まれるならば、その時私たちは、人間なのか?神なのか? その答えは、聖書に求めることができます。「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1・12~13)
 つまり、私たちが聖霊によって新しく生まれること、そのことは、《神の子となる資格を与えられること》を意味しているのです。私たちは普段、当たり前のように「父なる神様」とお呼びします。しかし、実はそれは、自分自身を「神の子」とするに他ならない行為であって、もしも時代が時代なら、死罪に当たる冒とくの罪です。イエス様ご自身、「神の子と自称した」(ヨハネ19・7)という罪で訴えられている通りです。しかし私たちは、聖霊によって新しく生まれているがゆえに、「アッバ、父よ」と呼びかけることができるのです。 パウロもまた、次のように証ししています。「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。」(ローマ8・15~16)
 聖霊を受けるということは、また、水を飲むことにも似ています。聖書に次のように書いてある通りです。(ヨハネ7・37~39)「『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。』イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている�T霊�Uについて言われたのである。」
また、イエス様が与える水(聖霊)を飲むなら、そこから永遠の命が生まれて来ます。次のようにイエス様が言われている通りです。「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ4・14)
 こうして私たちは、聖霊によって新しく生まれることにより、私たちの内に新しい《いのち》を宿すことになるのです。それをこそ、《永遠の命》と言うのです。このことは、私たちがいつも信仰告白しているニケア信条でも言われています。「主であって、いのちを与える聖霊をわたしは信じます。」その通りです。聖霊によって私たちは、《いのち》が与えられるのです。この《いのち》は、神によって生まれさせられた《いのち》であって、この《いのち》があるからこそ、私たちは神の子と認められ、神の国に入ることができるのです。
 どうか主が、この聖霊降臨の期節に、聖霊についての知識を少しでも私たちの内で増し加え、信仰を強め、豊かにしてくださいますように。
日本福音ルーテル知多教会牧師 花城裕一朗

連載コラムENCHU

2『sympathy』

 

「臨床哲学」を提唱する鷲田清一さんは、『「聴く」ことの力』という著書の中で、次のようなことを言われています。臨床哲学とは、「臨床」という、人々の「苦しみの場所」とでもいうべき場所において、わたしが、名前をもった特定のだれかとして、別のだれかある特定の人物にかかわってゆくなかで、問題としての「苦しみ」を解体するのではなく、問題をともに抱え込み、分節し、理解し、考えるといういとなみをつうじてそれを内側から超えてゆくこと、あるいは超えでてゆく力を呼び込むことである、と。鷲田さんの言葉を聴いて、私ははっとさせられました。自分はどこに立って「神学」なるものと向き合っているだろうか、と考えさせられたからです。
 また、ジャン・バニエは『コミュニティー』という著書の中で、「コミュニティーを愛する者は、コミュニティーを壊す。兄弟を愛する者は、コミュニティーを創る。」というボンヘッファーの言葉を紹介しています。私たちが、神学をアイデンティファイの方法としてだけ用いるとき、きっと、大切なナニカが損なわれてしまうのでしょう。
 主イエスは、たとえ話の中で、「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ福音書25・40)と言われました。宣教について考えるとき、礼拝について考えるとき、私たちは、まず、傷つきうめき声を上げている生身の人間の前に立つことから始めたい、と思います。
岩切雄太( 日本福音ルーテル門司教会、八幡教会、佐賀教会牧師)

議長室から

「宣教へジャンプした後に」総会議長 立山忠浩

春になりました。英語でspring。これには「飛び跳ねる」という意味があるようですが、動植物が春を待ちわびて跳び出して来る姿を連想します。
 教会はいま復活節を過ごしていますが、主イエスが大きな岩で塞がれていた墓から跳び出して来て、新しい生命を回復してくださったことにもつながるように感じられます。私たちの教会も同様に、隣人に対し、社会に向かって復活の喜びを伝えるべく、宣教へと跳び出して行く季節でありたいと思います。
 『ジャンプ・ブック』という写真集があります。ずいぶん古いものとなりましたが、ラトビア生まれで、米国で活躍したフィリペ・ハルスマンというカメラマンの作品です。政治家から芸能人まで 、様々な分野の著名人のジャンプした姿を収めたのです。
 人はカメラを前にすると、どうしても綺麗に写ろうとしてポーズをとり、自分を飾ってしまいます。著名人であればなお更でしょう。だからジャンプしてもらうのだそうです。ジャンプすることの方に集中しようとしますから、その瞬間には、飾らない本当の姿が表れるというのです。写真そのものから、著名人たちの虚飾のない本当の姿が見られるかどうかは、眼力のない私には分かりませんが、しかし面白い発想だと思いました。
 私たちキリスト者が宣教のために集中してジャンプしようとするときに、虚飾のない本当の姿として表れるものとは何であろうかと考えるのです。きっとそれはイエス・キリストなのです。使徒パウロの言葉から学ぶならば、それは「私たちの内に生きておられるキリスト」(ガラテヤ2・20)なのです。いや、宣教へのジャンプでは、何よりも自分を生かしてくださっているキリストの存在が見えなければならないのです。
 普通ジャンプという言葉からイメージすることは、どれだけ高く、遠くへ跳んだかということでしょう。これもパウロの手紙に「賞を得るように走りなさい」(コリント一9・24)とありますので、宣教も高さという成果を目指して跳ぶことが大切なことです。でももっと大切なことを忘れてはいけない。
 草花が香りを漂わせています。これに譬えるならば、自分なりに精一杯宣教へとジャンプした後に、キリストの香りが漂う者でありたいのです。

プロジェクト3.11 3・11を憶える礼拝

小泉 嗣(前東教区社会部長)

 2011年3月11日より5年目を迎える2016年3月11日の14時より、東教区「プロジェクト3・11」主催による「3・11を憶える礼拝」が持たれました。そう、あれから5年が経ったということです。「節目」と言われれば「節目の5年」ですが、私たちは5年前を振り返るのではなく5年経った「今」を見つめようと礼拝の準備をはじめました。
 震災後すぐに立ち上がったルーテル教会救援(JLER)も一昨年活動を終了しました。30代だった私は40代になりました。中学生は大学生に、高校生は社会人になっています。しかし日本ルーテル教団(NRK)は現在も支援活動を続けており、聖望学園は今年も高校生がボランティア活動に向かいます。日本福音ルーテル教会も東教区が窓口となり被災地支援を続けています。
 教会単位でもそれぞれの方法で活動を続けています。団体だけでなく個人で震災を憶え、ボランティアをしたり、物品を取り寄せたり、祈ったり、様々な形で、様々な5年を過ごした「今」があります。何より、痛みを負い、悲しみを負い、東北で、新しい土地で、生活を続けるそんな一人一人の「今」があります。
 そんな「今」を思い礼拝をおこないました。元JLER派遣牧師であり、今も東北大学で臨床宗教師の講座で語る伊藤文雄牧師が説教を行い、NRK東日本大震災支援対策責任者の安藤正泰牧師がオルガン奏楽を担当し、今年も被災地でボランティアをした聖望学園の学生が聖書を朗読しました。
 そして、14時40分頃から50分頃までのおよそ10分間、それぞれの「今」を持ち寄り、さまざまな「今」を思い、祈るためにリラ・プレカリアの2人の奉仕者にハープを奏でていただきました。76名の「今」が集められました。ちょっと前の「今」のワカメが販売されました。多くの方々の祈りが集められた「今」となりました。
 そして「今」はこれからも続きます。

教会×公共

1 研究現場の今

宮本 新(日本福音ルーテル田 園調布教会牧師、日本ルーテル神学校講師)

 「俗っぽい」とはこの世の習いに浸りきっている様をいいます。では、反対語はなんでしょうか。神学なら聖―俗であり、生活感覚ならば公―俗(私)を暗黙としています。これは、キリスト者がこの世を生きる際の悩ましいことの一つでもあります。私たちは実感として、俗(私)―聖(信仰)―公(世)の三角関係に悩まされることがあるからです。
 また、「世俗化」という言葉がありますが、こちらは教会だけでなく、公共世界や社会を組み立てる際にここ数百年間用いられてきたキーワードです。元来、ヨーロッパで教会から国家へ、また宗教的な知識や価値観から自由に解放された社会の仕組み作りに用いられてきましたが、今、これが揺らいでいます。
 今年3月、『他者論的転回|宗教と公共空間』(ナカニシヤ出版)という学術論集が刊行されました。2013年春にシンガポールで開催されたシンガポール国立大学と東京大学共催の国際会議を発端に、シンガポールから京都、東京へと人と場所が変わりながら継続して話し合われてきました。それをまとめたものが論集として刊行されたのです。
 一部にキリスト教、とりわけルターの十字架の神学の考察が盛り込まれることになりました。いずれの討議も宗教と公共性の難しさを体現する会議でした。概念や論はある程度理解できても、それぞれの社会的背景や個人的な体験は異なるからです。
 多くの人はリベラル・デモクラシーを土台に、政教分離や信教の自由を社会の基本的枠組みと考えてきました。宗教や信仰は個人の心の内を豊かにするものだと考えてきたのです。しかし実際は「多くの人」とは曖昧で、また多くが「同じ」ともかぎりません。公共世界は多彩で、時代は刻々と変化し、多様性は広がるからです。
 私たちはいったい、どんな世界を生き、どんな社会で暮らしているのか。そして街場の教会はどんなかかわりでそこに立っているのでしょうか。私たちは変わらずイエス・キリストを主と告白し礼拝しています。
 「教会×公共性」。問いが問いを生む難問をひも解く糸口を探してみたいと思います。

宗教改革500年に向けてルターの意義を改めて考える(新シリーズ1・通算48)

ルター研究所 所長 鈴木 浩

 機関紙「るうてる」でのこの欄の字数を増やしていただきましたので、今までの記事を念頭に、新たに書き続けることになりました。
 「ルターの意義」については、様々な立場から様々な評価があり得るだろうと思います。例えば、経済史の立場からすれば、それまで一貫して禁止されてきた商取引における「利子」を公然と認めた画期的な人物ということになるでしょう。マルクス主義の歴史観に立てば、エンゲルスの『ドイツ農民戦争』という著作に見られるように、ブルジョアとプロレタリアートの中間にいて、どちらの立場にも立てずに、様子見をしているばかりのプチブルということになるでしょう。
 ここでの「ルターの意義」は、無論「信仰者としての立場から見たルターの意義」ということになります。一言で言えば、ルターは埋もれていた「福音」を再発見し、その福音を鮮やかに、力強く、喜びに溢れて語った人ということになるでしょう。無論、「福音」という言葉が語られていなかったということではありません。しかし、「福音」という言葉がどれだけ語られていても、そこに「内実」が伴っていなければ、無意味になります。ルターはその「内実」を再発見したのです。
 もう一つの意義は、再発見された福音の内実を鮮やかに、力強く、喜びに溢れて語った、ということにあります。この点は非常に大事です。なぜなら、人々の共感を得るためには、誰もが「なるほど」と心の底から納得しなければならないからです。ルターはそれに成功したのです。その成功の裏には、様々な条件が必要でした。ルターの場合には、そうした条件がほとんど奇跡的に重なり合い、人々の共感が寄せられ、それに後押しされるようにして、宗教改革運動が進展していきました。
 そうした条件の一つをあげれば、印刷技術の発展です。グーテンベルクが発明した印刷技術が定着し、各地に印刷工房ができました。印刷で本が出版されるようになると、出版コストは飛躍的に低下しました。いわゆる『九五箇条の提題』は、たった一枚のパンフレットですが、一週間でドイツ中に知れ渡るようになった、と言われています。手書きよりもはるかに迅速に印刷し、発行できたからです。

ルター、バッハ、宗教改革500年

徳善義和

7 みことばを守る

み霊よ くだりて われらの心に(教会讃美歌122番)

 ラテン語からドイツ語の礼拝にした改革の中で、ルターは1523~1524年に会衆讃美歌を教会暦に従って次々と導入していった。それらは教会暦に応じて会衆と共に歌う宗教改革の信仰の歌だった。
 聖霊降臨日のためには2曲も残している。「み霊よ くだりてわれらの心に」はその2曲目のもので、14世紀から歌われていた1節だけのものはドイツ語にもなっていたが、ルターはこれに2、3節を加えた。
 第2節は特に聖霊とみことばと正しい信仰とを強調して、こう歌う。「あなた、聖なる神、尊い宝よ/いのちのことばをもってわれわれを照らし/われわれが正しく神を知り/心から神を父と呼ぶよう教えてください/主よ、異なった教えから守り/正しい信仰をもってイエス以外には/ほかの師を求めず/全力でイエスを信頼するようにさせてください」(直訳)と歌うのである。
 バッハは多分ライプツィヒに着任してすぐの、1723年(あるいは翌年)聖霊降臨節第1日の礼拝のためにカンタータ59を作曲した。「わたしを愛する人はわたしのことばを守る」(ヨハネ14・23)の合唱をもって始めて、このコラールを中心に置き、この世がいかに逆らおうと、聖霊に従ってみことばを守る信仰の生がどれほど祝福されたものであるかを歌い上げたのだった。
 「小教理問答」の使徒信条第3項「聖霊」の部分も読み返し、新たに心に刻むとよい。聖霊の導きを歌う讃美歌共々、信仰によって立つと言っているわれわれの信仰がいかほどこの聖霊によって支えられ、導かれているか、いささかなりと見えてこよう。
 聖霊、聖霊、とその働きばかりを強調する教派もあるが、ルター以来ルーテル教会は、三位一体の信仰の中に聖霊をしっかり位置づけ、その聖霊による信仰の導きを熱心に祈り、求め続けてきた教会なのである。

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より 
5 今、生きて働かれる イエス様 ヨハネ14・15~21

伊藤早奈

 神様、不安で眠れなくて十分に睡眠が取れない時、心配で心配で変な夢ばかりみてしまう時、一人一人が様々に迎える今があります。しかし神様あなたから与えられる目覚めは変わることがなく、またあなたから与えられる愛は確かなものです。私たち一人一人が誰にも変わってもらうことのできない、かけがえのない今を、精一杯生きられますように。このお祈りを主イエス・キリストのお名前によってお祈り致します。アーメン

「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」(ヨハネ14・18)とイエス様は語られます。
 乱暴な聖書の読み方だなと思われる方もおられるかもしれませんが、私はよく何かに悩んだり、行き詰まりを感じたり、悲しくて誰にもわかってもらえないのではないかと心が追いつめられた時、聖書を適当にパッと開いてそこにある、み言(ことば)を読むことがあります。この聖書の箇所もそのような時に与えられ、私を洗礼へと導いたみ言でもあります。
 「何で今なの?」「今私がこれを必要としているの?」と理解が難しいこともありますが、聖書のみ言は私たち一人一人に今、生きて働かれる聖霊と共に語られます。「何年も前に同じ言葉を聞いたよ。」と思われる方がおられても、聖書からのみ言に限らず、あなたの身近な文章や香りや音、物が今を生きるあなたに、そっと語りかけて来る時があります。「あなたは決して独りではないんだよ。」と。
それが今もあなたと共におられるイエス様の語られる声なのです。「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」
 聖霊というと何だか理解しにくい方もおられると思います。それは共におられるイエス様の、私たち一人一人に働かれる愛の形を表現したものです。
 あなたがイエス様を知らなくてもイエス様はあなたをご存知です。かけがえのないあなたと共におられます。あなたは決して独りぼっちではありません。

日本福音ルーテル教会九州教区 平和を求める声明を採択

 日本福音ルーテル教会九州教区は、3月20~21日に行われた第45回定期総会において、「平和を求める」声明を採択しました。
 これは、昨今の日本社会において、平和憲法を改悪し、この国を戦争が出来る国に改変していこうという動きが強まっていることを受け、平和を求める決意を表明するためです。

声明「平和を求める」

 わたしたちは、平和を愛するキリスト者として、平和憲法の精神を貴び、すべての軍備増強と基地建設に反対するとともに、近隣諸国と、信頼と和解に基づく平和的な関係を築くことを希求します。 日本福音ルーテル教会九州教区

キリストへの信頼と祈りの人 故松隈貞雄牧師を偲んで

長岡立一郎(九州学院理事長)

 今から51年前、松隈牧師は九州学院高校を卒業し、日本ルーテル神学大学に入学されました。同時代を共に歩んだものとして私は、神学大学入学時のことを思い出しています。
 かつて桜並木のあった鷺ノ宮の神学大学ならびに神学校のキャンパスは閑静な住宅地にありました。神学校の学舎も寮も同じ場所にありました。松隈牧師とは、寮生活もご一緒でしたので、毎朝6時30分からの寮生による朝祷会から一日中、苦楽を共にした仲間でした。松隈牧師は、思春期に長期闘病生活をされたので、高校入学が遅くなり、私と同時代を共に歩むこととなりました。年齢は私より10才も先輩のお兄さんでしたが、いつも同じ目線に立って共に歩もうと努力しておられたことを思い出します。若い時期に苦しい闘病体験をされた松隈牧師は、人一倍日々の食生活や規則正しい生活をすることに気をつけておられたように記憶します。

 1971年に日本ルーテル神学校を卒業され、その後、バルト神学全盛期の時代でもありましたので、東京神学大学大学院での学びを深められ、研鑽を積まれました。1975年按手を受けられ、同年4月板橋教会に任命を受け、宣教・牧会の職務にあたられることとなりました。それから32年間、板橋教会をはじめとして三原教会、福山教会を兼務され、2007年3月には定年を迎えられたのです。その後、宇部教会でしばらく嘱託で牧会を務められた後、故郷の熊本に戻られ、健軍教会で引退教師として、また一信徒としてご奉仕を全うされました。
 私の心に深く刻まれている松隈牧師の姿は、一貫してキリストへの信頼と服従の歩みであり、祈りの人であったということです。またルーテル教会の業として「ディアコニア」の働きに強く関心を持ち、その活動に積極的に参加され、貢献されたことは印象深いことでした。松隈牧師の働きに感謝しつつ。

教会音楽祭テーマ曲「歌詞」募集

 2017年6月に開催が予定されている第33回教会音楽祭のために、テーマ曲の歌詞を募集します。テーマは「心ひとつに~争いから交わりへ~」です。
ふるってご応募ください。なお、審査は教会音楽祭実行委員会にて行います。
■応募要件
1.1人1作品とし、未発表のものに限る。
2.歌詞の題は「心ひとつに」とすること。
3.応募作品が採用候補作品とされた場合でも、作者と相談の上、教会音楽祭実行委員会で添削する場合がある。
4.入選作品の著作権は教会音楽祭実行委員会 に帰属するものとする。
5.応募の際、いずれかの教派・教会に所属し ている場合は、教派・ 教会名を明記すること。
 尚、採用作品は広く教派を超えて自由に用い られるものであることを理解の上、ご応募ください。 
■提出先
 〒105 0011 東京都港区芝公園3-18  
 日本聖公会 東京教区事務所内
 礼拝音楽委員会(「教会音楽祭 歌詞応募」と 明記のこと)
■応募締切
 2016年8月1日(月)〔消印有効〕
■発表
 採用作品の作者には8月末日までに直接通知 します。一般には「曲 募集」を持って発表にかえさせていただきま す。
■問い合わせ先
・「教会音楽祭」ホームページ http://cmf.holy.jp/
・松岡俊一郎(大岡山教会)
 電話 03(3726)7317
 メール matsuoka@d06.itscom.net      

※曲の募集は、採用された歌詞の発表と同時に行います。第33回教会音楽祭の日時、場所等の詳細は決まり次第お知らせします。
※「教会音楽祭」は、キリスト教の教派を超えて神さまへの讃美をささげようと、1968年から続けられている音楽祭で、日本最大の教会一致(エキュメニカル)礼拝です。

日本福音ルーテル社団(JELA) 世界の子ども支援チャリティコンサート

 JELAは世界の様々な地域の助けを必要としている子どもたちやその家族を、経済的・精神的に支えています。その働きを紹介し、また支援の輪に連なる機会として、各地の教会を会場として、チャリティコンサートを開催しています。
 第13回となる今年は、真野謡子さん(ヴァイオリン。オランダ・デンハーグ王立音楽院卒業。オランダ弦楽四重奏アカデミー、ロッテルダム音楽院にて研鑽を積む。パレスチナにてバレンボイム・サイード財団の教育プロジェクトに携わる。)と前田勝則さん(ピアノ。東京芸術大学大学院音楽研究科首席修了。ピティナ・ピアノコンペティションデュオ部門特級最優秀賞受賞をはじめ、数々の賞を受賞。)のデュオによる演奏です。
 曲目は「歌」と「踊り」をテーマとして演奏される予定です。・エルガー「愛の挨拶」・クライスラー「3つの古いウィーンの舞曲」・ショパン「ポロネーズ 第3番 イ長調 作品40-1『軍隊』」・バルトーク(セーケイ編曲)「ルーマニア民俗舞曲」・J.S.バッハ「G線上のアリア」・山田耕筰(矢代秋雄編曲)「中国地方の子守唄」他 どうぞおでかけください。また、お知り合いにもお声がけくださり、宣教の機会としてください。

<日程と開演時間・会場>
5月 7日 (土)14時  日本福音ルーテル松本教会
5月 8日 (日)13時30分 日本福音ルーテル大森教会
5月14日(土)14時 日本福音ルーテル岡崎教会
5月15日(日)14時 日本福音ルーテル沼津教会
5月21日(土)14時 日本福音ルーテル熊本教会
5月22日(日)14時 日本福音ルーテル宇部教会
6月12日(日)13時30分 日本福音ルーテル保谷教会

日本福音ルーテル教会2016年度人事(追加報告)

●人事異動(2016年4月1日付)
【西教区】松本義宣 三原教会(主任)、福山教会(主任)
※西教区総会での教区長選任後の決定となったため、本号においての報告となりました。

 

 

 

 

 

16-04-17イエスは傍らに

ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。
 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。(ルカによる福音書24・13〜15、28〜35)

イエスさまの復活後、それを信じることのできない二人の弟子がエマオの村へ向かって歩いています。   
 彼らはもともと、救い主イエスさまに「イスラエルを解放してくださる」と期待していましたが、その期待は見事に外れ、ご自身は十字架であっけなく死んでしまい、その上、葬ったはずの墓にも見当たらなかったというのです。

 この時の二人のことを想像するに、「これまで信じてきた物が失われてしまい、これから一体何を信じて生きて行けばいいのだろうか」と深い失望と戸惑いの中にあったに違いありません。

 とはいえ、この弟子たちは、あらかじめ知らされていた復活を信じられないので す か ら、不信仰者といえば、そういえるのかもしれません。しかし、神さまの慰めは人間のありようを超えてもたらされます。今日の箇所でも、イエスさまはこの弟子たちの傍らに共に歩み、ご自分について聖書全体にわたり説明をされました。それによって二人の弟子は「心が燃えていた」のです。

 わたし自身、かつて献身する以前に、自らの力ではどうにも抗うことの出来ない重荷を背負う中で、そこから何とか脱しようともがいていた時、いくらもがいても出口が見えることはありませんでした。むしろ、もがくほどかえって不安は増幅し、深みにはまっていく感覚にすら陥りました。

 けれどもそのような時に光となったのは、いくつかの聖書の言葉でした。といっても、わたしに揺るぎない信仰があった、と胸を張るほどの自信があるわけはありません。むしろ、弟子たちと同じように、完全な信仰など持ち合わせてはいなかったのです。ですから、聖書の言葉は救いを確信させる言葉というよりも、あくまで手の届かないところにある小さな希望でした。例えて言うならば、トンネルの暗闇の中で遠くに見える小さい光のようなものにすぎなかったかもしれません。

 けれどもその光があることこそが、沈んだ心を湧き立たせ、トンネルの中を歩む力となりました。状況は何も変わりませんが、光があることの大切さと、その光を見つめることの恵みを思いました。

 後になってそのことを思い返したとき、今日の二人の弟子と自分自身が重なる思いがしました。復活のイエスさまが二人の弟子の傍らに伴って聖書を説明したように、あの時、わたしの傍らにも伴って、聖書の言葉を通して希望を見せようと働きかけておられたのでしょう。
 イエスさまはその後、弟子たちに(あの「過越の食事」を思い出させるように)パンを裂いて渡されると、「二人の目が開け、イエスだと分かった」というのです。復活の主をはっきりと認識し、受け止めたのです。

 イエスさまが十字架の死から復活された、という出来事は、自らの力でどうしようもない失望の中にある弟子たちに、新しい希望の光が現された出来事です。

 イエスさまという方は、「お先真っ暗だ」と失望し何の希望を見出せないでいた弟子たちの傍らでこそ共に歩み、ご自身を現されました。ご自身は決して死んで滅びたのではなくて、そこから甦って永遠の命を生きるのだと示されました。それによって、弟子たちに希望を取り戻させたのです。この復活の主との出会いは彼らにとって、この上ない大きな慰めであり、喜びであったに違いありません。

日本福音ルーテル博多教会・福岡西教会 牧師 池谷考史

16-04-01るうてる2016年4月号

説教 「イエスは傍らに」

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ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。
 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。(ルカによる福音書24・13~15、28~35)

イエスさまの復活後、それを信じることのできない二人の弟子がエマオの村へ向かって歩いています。   
 彼らはもともと、救い主イエスさまに「イスラエルを解放してくださる」と期待していましたが、その期待は見事に外れ、ご自身は十字架であっけなく死んでしまい、その上、葬ったはずの墓にも見当たらなかったというのです。
 この時の二人のことを想像するに、「これまで信じてきた物が失われてしまい、これから一体何を信じて生きて行けばいいのだろうか」と深い失望と戸惑いの中にあったに違いありません。
 とはいえ、この弟子たちは、あらかじめ知らされていた復活を信じられないので す か ら、不信仰者といえば、そういえるのかもしれません。しかし、神さまの慰めは人間のありようを超えてもたらされます。今日の箇所でも、イエスさまはこの弟子たちの傍らに共に歩み、ご自分について聖書全体にわたり説明をされました。それによって二人の弟子は「心が燃えていた」のです。
 わたし自身、かつて献身する以前に、自らの力ではどうにも抗うことの出来ない重荷を背負う中で、そこから何とか脱しようともがいていた時、いくらもがいても出口が見えることはありませんでした。むしろ、もがくほどかえって不安は増幅し、深みにはまっていく感覚にすら陥りました。
 けれどもそのような時に光となったのは、いくつかの聖書の言葉でした。といっても、わたしに揺るぎない信仰があった、と胸を張るほどの自信があるわけはありません。むしろ、弟子たちと同じように、完全な信仰など持ち合わせてはいなかったのです。ですから、聖書の言葉は救いを確信させる言葉というよりも、あくまで手の届かないところにある小さな希望でした。例えて言うならば、トンネルの暗闇の中で遠くに見える小さい光のようなものにすぎなかったかもしれません。
 けれどもその光があることこそが、沈んだ心を湧き立たせ、トンネルの中を歩む力となりました。状況は何も変わりませんが、光があることの大切さと、その光を見つめることの恵みを思いました。
 後になってそのことを思い返したとき、今日の二人の弟子と自分自身が重なる思いがしました。復活のイエスさまが二人の弟子の傍らに伴って聖書を説明したように、あの時、わたしの傍らにも伴って、聖書の言葉を通して希望を見せようと働きかけておられたのでしょう。
 イエスさまはその後、弟子たちに(あの「過越の食事」を思い出させるように)パンを裂いて渡されると、「二人の目が開け、イエスだと分かった」というのです。復活の主をはっきりと認識し、受け止めたのです。
 イエスさまが十字架の死から復活された、という出来事は、自らの力でどうしようもない失望の中にある弟子たちに、新しい希望の光が現された出来事です。
 イエスさまという方は、「お先真っ暗だ」と失望し何の希望を見出せないでいた弟子たちの傍らでこそ共に歩み、ご自身を現されました。ご自身は決して死んで滅びたのではなくて、そこから甦って永遠の命を生きるのだと示されました。それによって、弟子たちに希望を取り戻させたのです。この復活の主との出会いは彼らにとって、この上ない大きな慰めであり、喜びであったに違いありません。
日本福音ルーテル博多教会・福岡西教会 牧師 池谷考史

連載コラムenchu

1『ツィムツム』

中世のユダヤ教ルリア派カバラーの中心的な理説の一つに「ツィムツム」というものがあります。ルリア派、カバラーの説明は字数の関係で省略するとして、ここでは「ツィムツム」という思想についてふれてみたいと思います。
 「ツィムツム」とはヘブライ語で「神の収縮」を意味しているのですが、ゲルショム・ショーレルはそれを次のように説明しています。「ルリアによれば、神は世界のために空間を作り出すことを余儀なくされた。それはいわば、神ご自身の内部の一領域を放棄することによって果たされたのである」(内田樹著「レヴィナスと愛の現象学」)。つまり、「ツィムツム」が教える創造の起源(の起源)とは、神が自ら積極的に何かを為すに先だって、自らの領域を放棄し他者(被造物)のために「ここどうぞ」と場所をあけたことに始まる、というものです。
ところで、「ツィムツム」の思想から、福音書に記されている主イエスの振る舞いを思い出しました。それはマタイ福音書の「子供を祝福する」場面です。「(イエスは)子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた」(19・15)。私たちは「何かを為す」ということばかりに目がいきがちですが、自らの領域を放棄(我慢)し、他者のために「ここどうぞ」と場所をあけるという働き(の前の働き)の大切さを心に留めたい、と思います。
 そうだ、このたび「るうてる」に「ここどうぞ」と場所をあけてもらったのだ。どうぞよろしくお願いします。
 岩切雄太( 日本福音ルーテル門司教会、八幡教会牧師)

議長室から

牧師として『遣わされる』総会議長 立山忠浩

3月6日に按手が執行され、1人の牧師が誕生しました。4月1日に小鹿教会、清水教会に着任しましたが、これからの働きにエールを送ります。
 按手式という厳かな式に参列し、新しい牧師が誕生する瞬間に立ち会えることは実に恵み深いことですが、 例年、東京での開催になりますので、首都圏近郊以外の方々は参加しにくい状況になってしまい、残念な思いです。ただ、各教区長をはじめ全国教師会長や宣教師会長も按手執行に加わっていただいていますので、この式には全国の教会の皆さんの思いが込められていることを覚えていただければ幸いです。
 この式での説教を担当することが総会議長の大切な任務になっていますが、使徒パウロのローマの信徒への手紙10・14以下から、「遣わされる」ということについて語りました。ルターの『ローマ書講義』も引用し、まず遣わされる牧師の心構えについて話しました。 牧師は、神から遣わされていることを忘れることなく、説教するという権威に謙虚になり 、 自分の思いや考えでなく、託されたことを語らなければならない。これがルターの教える「遣わされる」ことなのです。
 これらのことを按手に与る新任牧師に語りながら、これは按手を授ける側の 私たち自分自身にも向けられているような思いがしてきました。さらに言えば、新任牧師が派遣されることになる教会、つまり今春から牧師を迎えることになる信徒の群れも、この「遣わされる」ことの意味を心に刻まなければならないように思えてきたのです。
 このように考えるならば、この式は単に新任牧師のための式ではないことが分かります。按手を施す側、按手に与った牧師を迎える側もパウロの教え、ルターの言葉をしっかりと心に留めなければならないのです。
 このことは、人事異動により4月から新たな教会に着任する牧師はもちろん、各教会で任に当たるすべての牧師や宣教師にも及ぶのです。派遣されていることを忘れてはいけない。信徒の群れも同様なのです。学校と施設、事務局で奉仕する牧師ももちろんそうです。
 復活された主は、このことを認識した教会の群れを用いて、「あなたがたを遣わす」(ヨハネ20・21)と、この世へ派遣されるのです。
 諸教会の宣教の働きのためにお祈りいたします。

覚え続けたい

松岡俊一郎(大岡山教会)

 「ルーテル教会救援」の活動は、震災から3年で区切りを迎え、その働きは東教区に委ねられた。東教区は軸足を福島の放射線被害支援に置き支援活動を続けている。大岡山教会は震災発生直後から他の教会と同様「ルーテルとなりびと」のリードに応えて、救援・支援物資提供、各種ボランティア活動を続けた。また、震災後1年間は毎月牧師を現地にボランティアとして送る一方、震災時最前線で活動の指揮をとられた石巻市社会福祉協議会(社協)の災害復興支援担当者を招いて講演会を行い、被災地の海産物をバザーで売り、「祈りの旅」を実施した。「ルーテルとなりびと」の活動が終わった後、支援を続けたいがどうしたらよいかわからず、社協に相談したところ、当時まだ法人格を持たず、手弁当で活動している団体を応援してほしいと紹介された。現在は、被災地の子どもに、遊び場を提供している NPO法人「こども∞感ぱにー」 (むげんかんぱにー)を支援している。
 昨年11月、大岡山教会は、石巻市社協より「篤志寄付団体」として表彰された。通知をいただいた時、「すべきことをしたにすぎません」「右の手のしたことを左の手に教えてはならない」という気持ちであったが、この表彰はこれまでの「ルーテルとなりびと」をはじめとする「ルーテル教会救援」の働き全体に対する石巻市社協の思いであるとして喜んで受けた。
 「3月11日」には注目されても、しばらくすると人々の心に登らなくなるだろうが、依然として多くの方々が仮設住宅で厳しい生活を余儀なくされており、原子力発電所の事故により避難されている方々の帰郷のめどは立っていない。それを無視するかのような政府や電力会社の姿勢に 怒りを覚えることもある。しかし、被災された方々に心を寄せ、応援したいと思う方々は多くいると思う。海産物など現地の物を購入する、小さな団体でも活動を続けているところを応援する、今はすっかり様変わりしているが被災地の美しい自然を観光するなど、何でもいいから覚え続けたい。それが「ルーテルとなりびと」の精神だと思う。

全国ディアコニアセミナーに参加して

鈴木光治(名古屋めぐみ教会)

 第15回ディアコニア環境・人権・平和セミナーが2月11日に名古屋めぐみ教会で開催されました。  テーマは「今、憲法学者に聞く! 教会で」として、開会礼拝の後、長峯信彦さん(愛知大学教授、名古屋めぐみ教会)に「日本国憲法第9条を世界共通の価値理念に」の題で講演をしていただきました。また参加者は45名でした。会場の関係で東海地区の参加者が多かったのですが、関東、中国、九州からの参加もありました。
 講演は客観的な歴史認識をベースに次の5つのパートに分けてなされました。内容は、�@過去に対する責任、普遍的な道義・倫理として �A日本軍の性奴隷制問題 �B「憲法9条を現実に合わせて変えた方がよい」論について �C集団的自衛権行使の危険性 �D日本国憲法の先進的な価値原理でした。これらの問題を正面から捉えながら、時折ユーモアを交えてのわかりやすい講演は時間を忘れさせ、参加者は皆、熱心に聞き入りました。
 講演の後、質問の時間になり、10数名の方が積極的に意見や質問をされ、予定時間をオーバーするほどの盛り上がりでした。いかに問題意識を持ってこのセミナーに参加されたかが伺われました。 
 セミナーの最後に25ページからなる「現行憲法と自民党憲法改正草案対象表」が配布され、憲法問題においても活躍されている内河惠一さん(弁護士、なごや希望教会)から、参加者が持ち帰り、各自で確認ができるようチェックポイントのプレゼンが行われました。
 私達のよって立つところは「国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(イザヤ書2・4)、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈る」(マタイ福音書5・44)であり、一連の問題を考えるとき、おのずと私たちの言動の軸足の位置が決まってくると思います。今、生きている憲法9条の条文こそ、日本が世界に向かって平和への希求を発信している条文でもあるということを再認識した、たいへん有意義なセミナーでした。
〈ディアコニアネットワークのサイト〉
https://www.facebook.com/diakonianetwork

新任教師あいさつ

秋久 潤(日本福音ルーテル 小鹿教会・清水教会)

 この4月から牧師として働かせていただきます秋久潤(あきひさじゅん)と申します。24歳まで工学の勉強をして、茨城県のショベルカー製造会社に2年間勤めた後、神学校に入学しました。
 献身のきっかけは、20歳で教会に来始めた時に誘われたティーンズキャンプで「このような場はいいなあ」と感じたこと、そして東日本大震災です。被災された方たちを目の当たりにして、私自身は圧倒されて何もできなかったのですが、神のことばがどのように働いていくのかを宣べ伝えるのが私のテーマだと感じています。
 神学校の卒業論文ではヨブ記38章以下の神とヨブとの対話が何であったのかを研究しました。これからも祈りつつ励んでいきたいと思います。よろしくお願いいたします。

J3新任のあいさつ

カイリー・ホワイトヘッド

 雨は多いのですが、山々と豊かな木々を見ることのできるワシントン州シアトルから来日しました。
 私には2人の弟、20歳のティムと17歳のニックがいます。若い彼らはふざけてばかりいますが、私の最高の友人でもあります。
 私は書くこと、読むこと、絵を描くこと、キャンプをすることが好きです。私はルーテル教会で育ちました。それは私の知るかぎり、もっとも小さな群れであり、家族のようなものです。
 私は2015年の6月にウエスタンワシントン大学を卒業しました。大学ではクリエイティヴ・ライティングを学んできました。詩やノンフィクションなど人の心を動かし豊かにする作品に強い関心があります。
 いつか私は自分の本屋を持ちたいです。大好きな読書を誰かとわかちあうために。 その本屋にはコーヒーの香りが漂い、猫が住んでいることでしょう。
 私は日本食、特に緑茶と寿司が大好きです。そしてたくさんの新しいことへの挑戦を楽しみにしています。

ジェニファー・ジャーヴィー

私は、日本で神さまの仕事をすることを夢として持ち続け、ジョージア州アトランタから来日しました。美術大学でファッションマーケティングと経営、また写真を学び、また哲学、文化研究、ライティングにも取り組みました。
 子どもの頃、私は自分に誓いました。神さまの子どもである世界中の人々と会い、その文化を学ぶということを。そのきっかけとなったのは、11歳の時のちさよさんとの出会いです。彼女は岐阜県から私の家にホームステイに来たのでした。同世代だった私たちは、それぞれの文化について語りあい、いつか必ず日本に行くことを約束しました。私はもう長く、ちさよさんに会えていないのですが、世界に対するわたしの情熱は育ち続けました。
 私は香港に留学し、その後、イタリア、中国、スペインなどで英語を教え、世界を巡りましたが、日本への憧れが失われることはありませんでした。中国での経験は私の人生を変えるものでした。私は自分がアジアで過ごすことを強く願っていることに気づき、その実現を神が導いてくださるように懸命に祈りました。
 東京で働くことを示された時、私はそれが自分の運命だと受け止めました。夢は叶えられたのです。日本で学ぶこと、みなさんと共に成長することを心から楽しみにしています。

ルターとバッハ 宗教改革500年。

十字架の主は復活と勝利の主

主死にたまえり(教会讃美歌97番)

 民衆のために讃美歌を整えながら、ルターは生涯にわたって、主の受難の讃美歌を作詞しなかった。キリストは十字架で終わることなく、受難の主は同時に復活と勝利の主であることを確信していたからである。その意味では、十字架についてどれほど強調しても、ルターは中世に見られた受難神秘主義の立場ではなかった。だからここに選び出した讃美歌のように、主の死をもって歌い出した讃美歌は、死に打ち勝ったキリストの勝利を歌って、祝いの讃美歌となっていく。
 バッハは恐らく1714年以前、30歳にならないうちにカンタータ第4番を作曲し、以後ライプツィヒでも何度か演奏したらしい。ルターの讃美歌の全7節のみを歌詞としながら、短い前奏を除けば、第4曲の合唱を中心に合唱、二重唱、独唱がシンメトリーに配されるから、この第4曲を中心のメッセージとしてとらえた構成だったと言えよう。つまり「これはすばらしい戦いだった」と歌い出し、「死がいのちと戦い、いのちが勝ちを収めた」と続くのである。私のことを言えば、第5曲のバリトンソロがルターの原詩に即してすばらしい。最終節では復活日の祝会にまで及ぶ歌詞である。
 ルターが信仰的にも、説教者としても、この歌詞にどれだけ信仰の思いを込めたかが分かるし、これに応えてまだ若いバッハがこれまたその音楽的表現に力を注いだことも分かる。
 この讃美歌こそは主の復活を祝うルーテル教会の、欠かすことのできない讃美歌である。イースターの福音を説き明かす説教の、喜びに溢れた力強さと共に、それぞれの教会でもたれる祝会の喜びと賑わいもまた、ただ一途に、死に対するキリストの勝利をわれわれのためのものとするものでなければなるまい。

ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より 
④愛されているから ヨハネ13:31-35

伊藤早奈

 神様。私たちはいろいろな物を通して、この世は神様から与えられる命に溢れていることを感じ、感謝ができます。年末に庭に植えた球根が年明けには芽を出して葉が伸び、今は黄色いチューリップの花を咲かせて心を和ませてくれています。一つの種が土の中で芽を出し、生かされている命を感謝いっぱいに咲かせます。この命もあの命も、そしてこの私の命でさえ、あなたに造られ愛されていることに感謝します。主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 皆さんにとって愛は何色ですか?どんな形をしていますか?
 愛には決まった色も形もありません。一人一人にとって違うように感じられるかもしれませんが、愛は確かなものです。
 では神様に愛されていない人はいますか?
 私は神様に愛されていないかもしれないと思う人はいるかもしれませんが、その人をも神様は愛されています。安心してください。全ての人は神様に愛されているのです。イエス様は語ります。「わたしがあなたがたを愛したように」と。私たち一人一人は間違いなく神様から愛されています。
 昔、私はこんなことを言われました。「自分を愛せない人は、他の人を愛せるはずがない」と。その人は「愛し方がわからない人に他の人を愛することはできないよ」と言いたかったのかもしれません。
 神様から愛されていることを知るならば、他の人をも愛することができるのではないでしょうか。神様の愛は人を束縛しません。色も形も決まっていません。私たちは神様にはなれませんが、神様に愛されている人間として生きることができます。神様から愛されて生かされていることを伝えることができます。 
神様は全ての人を愛しておられます。そしてそればかりか、「互いに愛し合いなさい」と一人一人を大切にしておられるイエス様を真似るようにと私たちを招いておられます。

日本福音ルーテル教会2016年度人事〔敬称略〕

●退職(2016年3 月31日付)
 大宮陸孝(定年引退)
 鈴木 浩(定年引退)
 東 和春(定年引退)
 坂本千歳(自己都合)
●新任
 秋久 潤
●人事異動(2016年4月1日付)
【北海道特別教区】
 小山 茂 函館教会
【東教区】
 浅野直樹Jr むさしの教会
 浅野直樹Sr  スオミ教会(主任)
 佐藤和宏 横須賀教会(主任)、横浜教会(主任)
 内藤新吾 津田沼教会(主任)
 渡邊賢次 飯田教会
【東海教区】
 秋久 潤 小鹿教会、清水教会
 富島裕史 沼津教会(主任)
【西教区】
 大柴譲治 大阪教会
 次期教区長 三原教会(主任)、福山教会 (主任)
【九州教区】
 立野泰博 鹿児島教会(主任)、阿久根教 会(主任)      
【教会事務局】
 滝田浩之 管財室長
 青田 勇 管財室参与(兼任)

●宣教師
【LEAF信徒宣教師】
ハンナ・ペンティネン 東教区付(2015年12
 月1日付)
【J3プログラム退任】(2016年3月31日付)
 ジェニファー・ロバーツ 文京カテリーナ、本郷 学生センター
 ブレント・ウィルキンソン ルーテル学院中学・高 校
【J3プログラム新任】(2016年4月1日付)
 カイリー・ホワイトヘッド ルーテル学院中学・高校
 ジェニファー・ジャーヴィー 文京カテリーナ、本郷 学生センター

●牧会委嘱(2016 年4月1日付/1年間)
 明比輝代彦 掛川・ 菊川教会
 内海 望 津田沼教会
 北尾一郎 横浜教会
 佐々木赫子 松山教会
 白髭 義 二日市教会、甘木教会
 鷲見達也 横須賀教会
 中村圭助 復活教会
 藤井邦夫 宇部教会
 渡邉 進 沼津教会

第26回総会期 第6回常議員会報告

事務局長 白川道生

 第26回総会期の第6回常議員会が、2月22日から24日にかけて、ルーテル市ヶ谷センターにて開催されました。

▼第6次綜合方策の進捗報告
 本常議員会は、来る5月の全国総会開催にあたり、2014年から協議を重ねてきた第26回総会期の道のりを常議員みなで振り返りました。
 2012年から2020年までを方策期間としてとりまとめられた「第6次綜合方策」では半分の4年を迎えたところです。広範に列挙された諸課題ですが、優先事項を絞って実現に取り組んできた実践報告が、総会議長以下教会事務局関連で8部門、5つの教区、そして7つの委員会、関連6団体からなされました。

▼人事事項
 2016年度の教職人事について。退職者が4名、新任が1名となりました。4月からの教職数は、国内外の宣教師と出向教師含め、現職が94名となりました。ここに9名の牧会委嘱の協力を加えた態勢で宣教に踏み出す決定をしました。

▼申請・提案・協議事項
 提案事項の承認では、会計年度の区切りに合わせ、決算・予算を審議しました。2015年度収支決算報告では、収益事業の増益が際立ち、財務状況は好転しました。
 他方、2016年度予算及び2017年度・2018年度の予算協議では、総じて、各個教会の基礎的財政力の減少傾向の認識が共有されました。
 しかしながら、必要な教会建物の保全・老朽化対策は各地で対処・実施されつつある現状も報告されています。
また、今期当初に、方針立案から実行計画の策定まで進めると具体的に取り組んできた事項について提案をしました。
「神学教育支援のあり方(2018年以降)」、「礼拝式文改定に関する件」、「海外宣教に関する件(ブラジル伝道)」、「宗教改革500年記念事業に関する件」と、いずれも将来像に大きく影響する重要な事項の審議となりました。
 積極性を保ちながら、同時に現実から目を離さず、主に託された宣教を推進するためと、今回のみならず議論を重ねてきました。
 適切な目標と根拠をもつよう意識した、常議員会としての提案が承認されました。これを来たる総会に諮ります。

▼第27回全国総会に向けて
 最終日3日目の協議では、第6次総合方策の主題に掲げられた「キリストに支えられ、育てられ、成長し、社会に仕える教会となろう」の実現に向けて、祈りと行動を結集してゆく、継承してきた「ひとつの日本福音ルーテル教会」を確認する総会となるように、議案と概要がまとまりました。
 詳細は、順次、教会宛に送付される資料を確認ください。合わせて本常議員会議事録もお読みください。

宗教改革500年「隠された宝を明るみに」

 音楽ジャーナリストがルターと宗教改革に触れ「『聖書を読もう』とドイツ語翻訳したことで印刷技術を進化させ、賛美歌までつくった。免罪符がまかり通っていた時代に、『ただお説教を聴くだけではなく、みんなで参加しよう』という『参加型ミサ』がどれだけ革新的だったことだろう。」(高野麻衣オフィシャルサイト「Salonette」http://www.salonette.net/)と書いています。その記事を読み、改めて宗教改革の意味を考えさせられ、また私たちが当たり前にしていることがどれほど貴いことであるのかを思いました。そして教会には福音・聖書・賛美歌・主にある交わりなど、多くの宝があるのに、それをなかなか教会外の方々に自信を持ってお分かちできていないことを思わされました。
 宗教改革500年は、教会が意図せず隠してしまっている宝を明るみに出すまたとない機会であると思います。そして一緒に味わうことへ参加を呼びかける機会としていきたいと思います。
 宗教改革500年推奨図書の指定はその一環です。また教会と福祉施設や教育施設へと広がるその働きのつながりを知らせるバナーキャンペーンでは、全国各地にてバナー掲示にご協力をいただいています。現在、準備が進められているのは、ヤツオリキャンペーンとプレゼントブックキャンペーンです。ヤツオリとは、新聞全紙大の紙を折り畳んでつくる新しいメディアです。この道具を用いて、ルターと宗教改革の精神と現代との関係を楽しく面白く眺める機会を広く提供したいと考えています。プレゼントブックは、ルターの心また発見からのメッセージを、特に若い世代に対して人生の励ましとして届ける本です。どちらもキリスト教に馴染みの薄い方々に、そしてばらまくのではなく、大切な関係の中で届けていきたいと考えています。手に取ることのできるもので、隠された宝を届けていきたいと思います。
 また、インターネットというメディアも活用し、500年を機に寄せられる関心に応えることにも取り組んでいます。情報サイト「Info Reformation500」(http://luther500.wix.com/jelc)も用いて、500年前の出来事とその意義ばかりか、その後に紡がれてきた「争いから交わりへ」との歩みをも宝として明るみに出して行きます。皆で取り組むこれらの事業への募金にも連なっていただけますと幸いです。(広報室)

公 告

   この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2016年4月15日
 宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 立山忠浩

信徒利害関係人 各位

挙母教会会堂・集会室・牧師館建築
 所在地 豊田市桜町1丁目78番地2、79番地
  家屋番号 79番
 ・種類 教会
 ・構造 鉄骨造ステンレス銅版ぶき・陸屋根3  階建
 ・面積 1階214・77㎡
     2階 67・26㎡
     3階 90・65㎡
 ・理由 新たな会堂・集会室・牧師館が完成した。
 

16-03-17忘れていた祈り

 天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。」
 そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」(ルカによる福音書1・13、18〜20)

 この頃、私はしきりに、定年で退職されたある2人の牧師の言葉を思い起こします。1人は私が牧師になって3年目のこと、退職され、遠い地方にいる息子さんのところへ身を寄せて行かれました。退職後、程なくしてお手紙をいただきました。手紙には「こんなに遠く離れたところに来てしまいました。暗闇のトンネルの中に入ってしまいました。」と記されていました。2人目は一緒に働いた宣教師の方です。やはり定年でアメリカに帰られ、その年の暮れにいただいたクリスマスカードのメッセージは「アメリカの教会では今クリスマスのいろいろな催しで、みんな楽しそうに過ごしています。しかし、ここでは私は傍観者に過ぎません。」というものでした。
 このお2人のお手紙を読んだ時に、まるで、松尾芭蕉の「野ざらし紀行」を読んだ時のような、胸を突かれる思いを持ちました。と同時に現役を退く際の試練と課題の大きさに圧倒されて、何と返答すればよいか分からず、言葉に詰まってしまいました。そして、そのことがあって以来、時折、自分が高齢になった時にどうしていくかを少しずつ考え、積み重ねていくように心がけてきました。

 「あなたの願いは聞き入れられた」(ルカ1・13)と天使に告げられた1人の老人を思い起こします。エルサレム神殿の聖所で香をたき、祈りを捧げるという大事な務めを果たしていたザカリアに天使の声が響いてきます。その願いとは、「あなたの妻エリサベトは男の子を産む、その子をヨハネと名付けなさい」(同)というものです。ザカリアはこの突然の告知に驚いて
「何によって、私はそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」(同1・18)と応えています。このザカリアの驚きと、信じられないという思いは、当然のことと思われます。しかし、天使はこのザカリアの応答を不信仰として、子が生まれるまで「話すことができなくなる」と告げたのです。そして事実そのようになります。
 ザカリアが神殿で祈っていたことは、後にシメオンについて「イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた」(ルカ2・25)、つまりイスラエルが救われることを待ち望んでいたと言われているように、当然ザカリアもそのことを祈りつつ神殿での務めを果たしていたということでしょう。それに対する神さまの答えが「その願いは年老いたザカリアの家にやがて生まれる子の働きを通して達成されるのだ」ということでした。
 
 ザカリアにしてみれば、神がイスラエルの救いをもたらしてくださるのは喜ばしいことではありますけれども、年老いた自分たち夫婦に子が与えられることを通して起こるなどということが、どうして信じられましょうか。それがその時のザカリアの心にあったことだったと思います。そして、その結果ザカリアは沈黙を強いられることになります。けれども、この沈黙が今までのザカリアの生き方を見直すきっかけとなっていきます。

 子どもが与えられること、それは、ザカリア夫妻が若い頃に願っていた個人的な心からの祈りであったかもしれません。年老いた今では、すっかり忘れてしまった、今では全くあきらめてしまっていたことではなかったかと思います。

 聖書を読んでいきますと、至るところで不思議な言葉に出会います。たとえば「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え」(創世記50・20)、「ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く」(ローマ8・28)などです。
 ここに来て神のご計画について考えさせられます。「万事が益となる」ということは最悪のことからも善が引き出される、どんなに悲劇的な状況も、神はそれを創造的な業に展開する力があるということを言っているのです。
 
 退職という人生の転機を神はどのように導いてくださろうとしているのか、思いを巡らせます。主が示してくださる道をなお信頼して。

日本福音ルーテル飯田教会 牧師 大宮陸孝

16-03-01るうてる2016年3月号

説教「忘れていた祈り」

機関紙PDF

 天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。」
 そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」(ルカによる福音書1・13、18~20)

 この頃、私はしきりに、定年で退職されたある2人の牧師の言葉を思い起こします。1人は私が牧師になって3年目のこと、退職され、遠い地方にいる息子さんのところへ身を寄せて行かれました。退職後、程なくしてお手紙をいただきました。手紙には「こんなに遠く離れたところに来てしまいました。暗闇のトンネルの中に入ってしまいました。」と記されていました。2人目は一緒に働いた宣教師の方です。やはり定年でアメリカに帰られ、その年の暮れにいただいたクリスマスカードのメッセージは「アメリカの教会では今クリスマスのいろいろな催しで、みんな楽しそうに過ごしています。しかし、ここでは私は傍観者に過ぎません。」というものでした。
 このお2人のお手紙を読んだ時に、まるで、松尾芭蕉の「野ざらし紀行」を読んだ時のような、胸を突かれる思いを持ちました。と同時に現役を退く際の試練と課題の大きさに圧倒されて、何と返答すればよいか分からず、言葉に詰まってしまいました。そして、そのことがあって以来、時折、自分が高齢になった時にどうしていくかを少しずつ考え、積み重ねていくように心がけてきました。

 「あなたの願いは聞き入れられた」(ルカ1・13)と天使に告げられた1人の老人を思い起こします。エルサレム神殿の聖所で香をたき、祈りを捧げるという大事な務めを果たしていたザカリアに天使の声が響いてきます。その願いとは、「あなたの妻エリサベトは男の子を産む、その子をヨハネと名付けなさい」(同)というものです。ザカリアはこの突然の告知に驚いて
「何によって、私はそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」(同1・18)と応えています。このザカリアの驚きと、信じられないという思いは、当然のことと思われます。しかし、天使はこのザカリアの応答を不信仰として、子が生まれるまで「話すことができなくなる」と告げたのです。そして事実そのようになります。
 ザカリアが神殿で祈っていたことは、後にシメオンについて「イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた」(ルカ2・25)、つまりイスラエルが救われることを待ち望んでいたと言われているように、当然ザカリアもそのことを祈りつつ神殿での務めを果たしていたということでしょう。それに対する神さまの答えが「その願いは年老いたザカリアの家にやがて生まれる子の働きを通して達成されるのだ」ということでした。
 
 ザカリアにしてみれば、神がイスラエルの救いをもたらしてくださるのは喜ばしいことではありますけれども、年老いた自分たち夫婦に子が与えられることを通して起こるなどということが、どうして信じられましょうか。それがその時のザカリアの心にあったことだったと思います。そして、その結果ザカリアは沈黙を強いられることになります。けれども、この沈黙が今までのザカリアの生き方を見直すきっかけとなっていきます。

 子どもが与えられること、それは、ザカリア夫妻が若い頃に願っていた個人的な心からの祈りであったかもしれません。年老いた今では、すっかり忘れてしまった、今では全くあきらめてしまっていたことではなかったかと思います。

 聖書を読んでいきますと、至るところで不思議な言葉に出会います。たとえば「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え」(創世記50・20)、「ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く」(ローマ8・28)などです。
 ここに来て神のご計画について考えさせられます。「万事が益となる」ということは最悪のことからも善が引き出される、どんなに悲劇的な状況も、神はそれを創造的な業に展開する力があるということを言っているのです。
 
 退職という人生の転機を神はどのように導いてくださろうとしているのか、思いを巡らせます。主が示してくださる道をなお信頼して。
日本福音ルーテル飯田教会 牧師 大宮陸孝

宗教改革五〇〇年に向けてルターの意義を改めて考える(47)

ルター研究所所長 鈴木 浩

 中世後期のスコラ神学には、「ファキエンティ・クオゥド・イン・セ・エスト」という定理があった。「人事を尽くす人に、神は恵み(救い)を拒むことはない」という意味だ。日本語の「人事を尽くして天命を待つ」という言葉よりも、ずっと積極的である。
 問題は「人事を尽くす」ことが果たしてできるか、ということだ。ペラギウス主義者は「できる」と答え、アウグスティヌスは「できない」と答えた。
 14世紀の神学者オッカムは、金貨と鉛のコインを例に、この袋小路を抜け出る。金貨は額面と同じ価値があるが、鉛のコインには固有の価値はほとんどない。しかし、通貨発行当局がその価値を保証すれば(兌換硬貨)、鉛のコインは額面の価値と等価として流通する。
 神は同様に、人間の行いは小さくても、それを救いにふさわしい行いとして認める約束を人間にする。すると人間は、本来的には救いには当たらない小さな行いを行えば、義とされるということになる。これがオッカム主義の義認論だ。
 ルターは当初、この義認論に立っていた。ルターが学んだエルフルト大学は、オッカム主義の牙城だったからである。

議長室から

「牧師不足という難問のために」

総会議長 立山忠浩

 2月末に開催された常議員会で、今年度の人事が承認され確定しました。
 人事委員会は各教区長と全体教会の3役の8名で構成されますが、常議員会に提案する人事案を確定するまで、多くの労力を要します。
 人事に際し、何に一番頭を悩ますのか。 それは慢性的な牧師(教師)不足です。今年度は新任教師1名が与えられますが、今月末で4名の教師が退職しますので、最終的に3名減(1名は教務教師)となりました。この減少分をどこかの教会が負わなければなりません。
 慢性的な牧師不足は今年度に限ったことではありませんので、毎年苦慮しながらも、その都度現実的な対応をして来ました。具体的には、1人の牧師に複数の教会や礼拝所の任を負っていただくか、引退教師に牧会の委嘱や説教の応援をお願いすることなどで対応しているのです。 今回はそのあおりの多くを東教区に引き受けていただきました。
 深刻な牧師不足。実は、これにはもう一つの側面があることを指摘しなければなりません。確かに牧師の絶対数が不足しているのですが、では牧師が増えればそれで解決するのかと言えば、そうではないのです。各個教会の財政力には限界があり、しかも縮小傾向が否めないからです。
 例えば、来年牧師が10名増えるとしましょう。この上ない喜びですが、しかし人事委員会は、全員をどこに配置するか大いに頭を悩ますことでしょう。牧師を招聘したくても 、 各個教会だけでは無理な場合があるでしょうし、不足分を補うだけの教区の支援も限られているからです。
 牧師数の減少、財政力の厳しい現状について率直に書かせていただきましたが、私はいわゆる悲観主義者ではありません。ただ、単なる楽観主義でもないのです。
 牧師として生きることへの高い志を持った献身者を1人でも多く迎え入れるためには、何らかの財政的な裏付けも必要で、そこへ向かう努力も欠かせないと考えるからです。

 

「教会推薦理事研修会」報告

  
事務局長 白川道生

 1月11日、東京のルーテル市ヶ谷センターで、「教会推薦理事研修会」が開催されました。近年は、名称にある「教会推薦理事」から範囲を広げて、広く参加可能な研修会となっていますが、働きの母体に教会があった事業運営者が集まるとの枠組みは継承されています。今回は、日本福音ルーテル教会、学校、幼稚園・保育園及び社会福祉の運営に携わる14法人から、参加がありました。
 冒頭の開会礼拝、立山忠浩連合会長は、「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」(1コリント12・27)との聖書の言葉を通して、連合に属する諸団体がみな、キリストのからだである意味の重要性を語りかけられました。
 今回はテーマを「法人格を超えた共同の新しいあり方」と掲げました。この研修のためにお迎えしたのは北海道で40年間にわたり、教会と幼稚園の運営に携わってこられた粂井豊先生(元日本ルーテル教団総会議長)でした。
 「体験を通して考えている結論を先に述べますと」と切り出された先生は「教会と学校・幼稚園教育の連携こそが大切」、「幼稚園は宣教の最前線である」と切り出されました。
 創立から時を経た変遷の中で、独立していた4つの幼稚園を1つの法人に、それも経営判断から学校法人化を教会総会で決議。その際、法人格の変更を必ず連携強化の機会にするとの考えで、各園に運営委員会設置、牧師の園長就任を規則に定める等、当時の新たな施策を進めた背景を紹介してくださいました。
 また、教諭こそが最も重要で、採用時にあらかじめキリスト教精神に基づく運営を求め続ける園の方針を説明すること、形だけにならぬため、毎日毎年こだわって繰り返している等々、長年の実践紹介は、続く分団に分かれた話し合いを活発にさせた、熱き息遣いに満ちていました。

プロジェクト3・11  感謝とご報告

東教区社会部長 小泉 嗣

  2014年3月のルーテル教会救援の活動終了を受けてはじまった東教区プロジェクト3・11は、昨年も皆さまの祈りとお支えによって活動を続けることができました。   この活動はこれまでルーテル教会救援等を通じて出会った宮城や福島の方々との交わりであり、「忘れないでください」と言ってくださる方々との出会いであり、「忘れたくない」というルーテル教会の皆さんの思いという「糸」をつなげることだと思っています。上手につなげることができない糸もたくさんありますが、これからも少しずつ、つなげていきたいと思います、どうぞよろしくお願いします。
 昨年は「3・11を憶える礼拝」にはじまり、毎月の本紙面上での活動報告、ほぼ各月の企画委員会等々、慌ただしく時が過ぎていたようにも思えますが、複数回予定した現地訪問は1度しか実施できませんでしたし(その分、おいしく深い出会いの時となりましたが…)、募金箱プロジェクトもうまくみなさんにお伝えすることができませんでした。
 それでも多くの教会・団体・個人がプロジェクト3・11が行っている募金活動に協力してくださいました。目標額を越えて、99万9184円もの献金が寄せられ、「いわき食品放射能計測所いのり」と「いわき放射能市民測定室たらちね」「まつもと子ども留学」「夏休み北海道寺子屋合宿」「福島移住女性支援ネットワーク(EIWAN)」に届けることが決定しました。感謝をもって報告させていただきます。
今年もまた70万円の募金目標を設定し、現地訪問や「3・11を憶える礼拝」等の活動を予定しています。また本紙面を利用して、みなさんの教会で行われている被災地支援活動の紹介等をできればと思います。
 「忘れないでください」と言ってくださる方々と「忘れたくない」と思っているみなさんの思いをつなげるだけではなく、「忘れたくない」と思っているみなさん同士をつなげることができれば、それぞれの糸がさらに長く、太くなるのではないかと考えております。
※ 「忘れたくない」思いを見える形にする「募金箱プロジェクト」も絶賛進行中です、募金箱ご入用の方はお気軽にお問い合わせください。  

鈴木浩 日本ルーテル神学校教授 最終講義

 1月30日、ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校教授、鈴木浩牧師の最終講義が行われ、多くの聴衆を前に「97箇条のルター」と題しての講義がなされました。ルターは95箇条の前に著した「スコラ神学を論駁する討論」によって、宗教改革に至る神学を明らかにしていることを説かれました。
 続く懇親会では、神学生時代から教育者であったこと、また恩師である吉永正義先生との深い交わりの一端が紹介されました。

礼拝式文の改定

22 個教会における礼拝式 文改定への取り組み

式文委員 安井宣生 (本郷教会)

 かつての東海福音ルーテル教会の伝道によって本郷学生センターが設置された60年前、当初より、主日礼拝は本郷学生センターの活動の一環であり、どの程度礼拝式文が用いられていたか定かではありません。しかし1960年発行の現存する最古の週報には、礼拝式に「十戒」との記載がありますので、この時には東海福音ルーテル教会の式文(1949年のいわゆる黒式文とは少し異なる)が用いられていたことがわかります。その後、全国の教会では、茶式文、白式文・青式文と新たな選択肢が提供される中で、それらの影響を受けつつも2003年まで、この文語の式文を用い続けました。
 ある時、礼拝に初めて出席した大学生達に、礼拝の感想を聞きました。 すると口を揃えて、外国語クラスに参加した感じがしたと話してくれました。もちろんこれは式文に限ったことではなく、礼拝での言葉の多くが日常には聞き馴染みの薄いものであったということかと思います。この反応はそれまでも教会内にあった、式文が文語のままでよいのかという思いを大きくさせることになりました。
 そこでまず、礼拝について学び始めました。当該牧師だけではなく、神学校の先生方の協力もいただいて理解を深めていきました。その過程で「礼拝は誰のためのものか」を考え、「礼拝についての議論、刷新への取り組み自体が伝道である」ということに気付かされました。礼拝は誰のためとの問いに、それは神のため、そして礼拝に集う会衆1人ひとりのためであるということまでは想像できました。しかしこの学びを通して、「礼拝は礼拝に来たことのない人のためでもある」という認識を与えられることになりました。
 そして、学生の隣人にと歩んできた教会として、文語の美しさへのこだわりを一旦手放すこととし、式文を新たにする作業に入りました。青式文をベースに十戒を加えて、試行第1版が作成されました。試行にあたっては、①ためらいがあってもまず使用する、②数ヶ月は毎週使用して慣れるよう努める、③使用してから議論し必要な変更を行う、という点を確認しました。
 さて、第1版ですが、これまでは馴染みのないチャントの練習もした上で使い始めましたが、4回(1ヶ月)の使用で不採用になりました。チャントへの抵抗感がありました。次に、なるべくチャントを入れずに言葉を唱える形とする第2版を作成しました。唱えることで言葉が心に残る反面、音が添えられれば流れていく言葉も、唱えると不自然な感じを受けることもありました。第3版は従来の文語式文をベースに、短い口語で表現する形に整えました。これは概ね受け入れられ、3年試行することを決めました。以来10年を超えてこれを用いています。自分達の教会の礼拝にふさわしい形について、「時代の流れに沿って」と「時代の流れにも関わらず」との両面から議論し自分達で選び取っていくこと、そして初めは慣れなくても繰り返し用いることにより、礼拝と式文が信仰の血肉となっていく経験をしています。慣れることは大切ですが、習慣化することで意味を忘れることのないように、慣れないものに挑戦する時期が近づいているとも思います。

ルター、バッハ 宗教改革500年

5 主の深い愛に打たれて

血しおに染みし(教会讃美歌81番)

徳善義和

 主の受難を心に留める伝統的な讃美歌としては「血しおに染みし 主のみかしら」がよく知られている。長いことクレルヴォーのベルナールの作詞とされてきたが、最近ではその弟子ルーヴァンのアルヌルフの作詞とされていて、四旬節の礼拝でこれを歌わない教会はあるまい。受難曲にも欠かせない讃美歌だった。
 ところで、バッハの死後の遺産目録には「カロフ聖書」と呼ばれたルター訳旧新約聖書3巻や2種のルター全集計15巻のほかに聖書注解や説教集などの蔵書が多く含まれていた。当時名を知られた牧師ハインリヒ・ミュラーの『受難節説教集』などは愛読したらしい。 ライプツィヒ着任後4年目に当たる1727年の聖金曜日のために「マタイ受難曲」を構想したときには、この説教集に依拠しようと思い、ピカンダーと呼ばれた作詞家にもこの説教集を読んで自由詩を作詞するよう求めた。このことがこれら2つの本文を綿密に調べた研究によって明らかになったのは比較的最近のことである。
 バッハの「マタイ受難曲」でもこの受難讃美歌はもちろん歌われるのだが、ミュラーの説教集に基づいて作詞されたバッハの「マタイ受難曲」では、この讃美歌ではなく、ソプラノのひとつのアリアが全体の中心テーマになっていると研究者は結論し、この歌詞を自らの研究書のタイトルとした。すなわち、「マタイ受難曲」の終わりに近く、第49曲のソプラノのアリア「愛ゆえにわが救い主は死のうとなさる」である。高音で、物悲しい調子で歌われるこのアリアの趣旨が説教者のメッセージの中心であり、バッハのメロディーはそれを伝えている。
 これを公演で聴きに行く人は(私もいつもそうするのだが)、日本の聴衆と違い、ライプツィヒのトマス教会の聖金曜日の聴衆と同じように、終曲を聴き終えたなら、静かに祈って席を立つようであってよいと思う。いずれにしても「主の深い愛」を心に刻むのである。

           

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より 
③「神の御心に」

伊藤早奈

 「イエスを裏切ろうとしていたユダは、『わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け』と、前もって合図を決めていた。ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、『先生』と言って接吻した。人々は、イエスに手をかけて捕らえた。」(マルコ福音書14・44~46)

 神様。この季節、私たちには沢山の別れがあり、また出会いも与えられ、その一つ一つに私たちは悲しみを覚えたり喜びを感じたりします。しかし、神様、私たちは決してあなたと別れることはありません。たとえ私があなたを忘れることがあっても、あなたは私をお忘れにならないからです。ありがとうございます。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン
 「ユダが合図をしなければ、誰がイエスかわからなかったのか?」  この箇所を読む度に私はそう思いました。「イエスはいつも自分の身を隠していたのか」と思う方も少なくないと思います。でも、イエスは言われます。「わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていた」(マルコ14・49)と。また「聖書の言葉が実現するため」(同)とも。イエスは逃げも隠れもしていません。ならばイエスは何を大切にしておられたのでしょう。
 それは神の御心です。「聖書の言葉が実現するため」というのは「神の定める時を大切にする」ということでもあります。
 ユダもイエスを大切にしていました。しかし、ユダが大切にしていたのは神の御心に従うイエスではなく、奇跡を起こす英雄イエスだったのかもしれません。ユダは自分が合図するまではイエスに手を触れさせないと取り決めをすることで、イエスに「奇跡を起こして逃げてください」と期待をしたようにも思えます。 私も祈り願うとき、ユダと同じように自分に都合よい奇跡を求めていないかと考えさせられます。
 ユダの合図も空しくイエスは捕えられます。しかし、イエスは従われます。神の御心に。群衆や兵士たちではなく、神の御心に。神の御心、それは私たち一人一人が神に大切にされているということを、イエスとの出会いを通して思い起こさせるものです。神の御心がこの身になりますように。

(※原文のタイトル「あなたのために」を改題・編集しました。)

杉山昭男牧師を偲ぶ

逸見義典(定年教師)

 杉山昭男牧師は、去る1月30日ご家族に見守られて召天された。今は、新しい国で、あの笑顔で、わたしたちを見つめておられるであろう。召された杉山師を偲び、残されたご家族に、神さまの「慰め」があることを祈りつつ、思い出を書き残したい。

 杉山師は、熊本の健軍教会、小田原教会、横浜の日吉教会、仙台の鶴ヶ谷教会を牧会された。特に最後の任地、鶴ケ谷では、教会設立時の諸問題を解決、足跡を残された。厚生大臣賞受賞もその一例である。
 聖書の詩編に、こういう言葉がある。
「あなたがわたしの右の手を取ってくださるので、常にわたしは御もとにとどまることができる。」(詩編73・23)
 杉山師は、牧会・伝道の働きの中で常に温顔を崩さず、大胆に御言葉をかたり、行動し、思い煩うことなく定年退職。退職後の仙台のキリスト教界におけるご奉仕はめざましいものがあった。この詩人の言葉と杉山師の心境は同じであったと思う。誠実に生きた人であった。
 東京鷺ノ宮にあったルーテル神学校で同室であったわたしは、杉山師の真剣な生活態度に驚いた。仙台のご自宅を度々訪ねたが、笑顔で歓談する杉山師を思い出す。彼は「神さまは」ということばを数多く口にした。わたしどもの恩師、平井清先生の薫陶である。
 東北の美しい山や有名な温泉を旅したことも忘れ得ない。タオルを頭に、長湯を楽しむ杉山師にもう会えないのかと思うと寂しさでいっぱいである。しかし、杉山師の蒔いた「福音の種」は今日も育ち続けていると思う。老兵がまた一人去った。

退任教師ごあいさつ

大宮陸孝牧師

 1979年から37年の牧師生活でした。その間、掛川・菊川教会、高蔵寺教会、賀茂川教会、飯田教会の4つの教会の牧会をして参りました。
 イエスは、福音をこの世に伝える宣教の働きを、種蒔きのたとえで語られました。そしてそれは様々に解釈されていますけれども、私は、イエスの語る本来のたとえの意味は、主イエスの語る言葉を聞く者は、その人の人生に豊かな実りをもたらすということ、何らかの尊い、その人に固有の役割を果たすために神に召し出されているのだと、受け止めてきました。
 また様々な理由で、蒔かれる種は失われていきます。いろいろな場所に落ちて、実を結ぶ前に失われてしまう種のことが語られます。それは使命感を喪失した者のことであろうと私は理解して来ました。
 失われていく多くの種がある、にもかかわらず、種蒔く主は、実を結ぶことを期待して種を蒔き続けている。多くの困難にもかかわらず、また、自分がどんなに弱く、欠けの多い存在であっても、その困難に後ろ向きにならず、神の期待と、与えられた使命になお応えて歩む信仰の道を、退職した後のこれからの人生にも示されていると改めて強く認識させられています。 長きにわたり皆様のお祈り、お支えをいただきましたことを感謝申し上げます。

鈴木浩牧師

 この3月末日で最後の勤務地になったルーテル学院大学を定年退職になります。同時に日本福音ルーテル教会の引退教師の身分になります。
 1981年に大岡山教会に赴任して8年間、次いで教会の指示でミネソタのルーサー・ノースウェスタン神学校に留学し(4年間)、帰国後は諏訪教会で約2年、次いで名古屋教会で3年間、牧師としての働きをさせていただきました。諏訪教会の時は「特急あずさ」で、名古屋教会の時は「新幹線」で通勤し、学校の非常勤講師としても働きました。1998年に専任教員となって、説教壇に毎週立つという機会を奪われましたが、学生たちと一緒に学ぶ機会が与えられました。
 また「講壇奉仕」では、北海道から鹿児島まで、各地の教会からお招きを受けて、そこで説教や講演をする機会を与えられました。ですから、大勢の方と主にある出会いを持つことができました。その度に後援会の世話人の方々にもお会いし、後援会の力強いご支援を肌で感じることができました。いま皆さんに一番に申し上げたいのは、「お世話になり、ありがとうございました」の一言です。

東和春牧師

 1977年、今は主のみもとに召された2人の同労者、合田俊二牧師と村松由紀夫牧師と共に按手を受けさせていただきました。
 その後、厚狭教会、玉名教会、延岡教会、直方教会、池田教会、函館教会、横浜教会、横須賀教会で奉仕させていただきました。いずれも素晴らしい信徒に恵まれた、立派な教会でした。
 今の私の信仰は、これら信徒の方お一人おひとりとの出会いと信仰によって育てられたものです。これらの諸教会で奉仕させていただいたことは、私の誇りであり、大きな喜びです。感謝申し上げます。
 残された時を日本福音ルーテル教会諸教会ための祈りの時とさせていただきます。
 主の平安を祈ります。ありがとうございました。

J3退任ごあいさつ

ジェニファー  ロバーツ宣教師

 来日した2年半前、私の心は期待に満ちていました。今はもうそれらを覚えていませんが、日本で働くことは私の人生において最善の決断であったと言えます。時は去りましたが、喜びに満ちています。生徒や同僚、教会の皆さんから沢山の愛情を受けました。帰国する楽しみもありますが、私にとって日本は第2の故郷であり、必ず日本を恋しく思うことでしょう。JELC、ELCA、JELA、文京カテリーナ、そして本郷教会の支援に感謝します。日本の教会の働きが祝福され、神の栄光を運ぶものとなるよう祈っています

ブレント ウィルキンソン宣教師

 この2年半は、あっという間でしたが、よい経験と出会いに満たされた時間でした。日本語や日本の文化について、皆さんの援助に助けられました。友人を作ったり、教会や学校のコミュニティーに参加したり、日本人の生活を知ることができてよかったです。日本の多くの素晴らしい面を見せてくださり、ありがとうございました。アメリカに帰ってからも、沢山のよい思い出があり、家族と友人に日本の素晴らしさについて話ができます。心から感謝します。

 

 

 
        

16-02-17大きな淵を越える

「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』

 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」(ルカによる福音書16・19〜31)

 今から40年以上前のことだが、わたしは1冊の小説を読んでいた。ギリシャの作家・詩人であるニコス・カザンツァキスが書き、英語に翻訳されていた『キリストの最後の試練』(The Last Temptation of Christ)という小説である。かなり分厚いペーパーバックだったが、物語に引き込まれて一気に読んだ。きわどい描写がいくつもあって、カザンツァキスがギリシャ正教会を破門されたのも理解できるような気がしたのだが、その中に忘れられない一場面があって、その場面に押されるようにして神学校の願書を取り寄せた。

 それは、イエスが「金持ちとラザロ」の話を弟子たちにしている場面であった。イエスは弟子たちの前でこの話をしているのだが、「アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう』」とこの話を締めくくった。それが締めくくりだと弟子たちは思ったし、そこで語られている警告も理解することができたと弟子たちは思っていた。
 ところがイエスは、この話にはまだ続きがあるのだという雰囲気で、弟子たちを見回し、イエスの目がフィリポに注がれる。そしてイエスはこう言う。「フィリポ、フィリポ、お前がラザロだ。お前がラザロならさあどうする」。フィリポは動転し、どう言っていいのか分からずにドギマギするばかりだ。すると、イエスはさらに「どうしたフィリポ、どうしたんだ。お前がラザロだ。お前がラザロなら、さあどうする」とフィリポに迫る。

 イエスに迫られたフィリポは蚊の鳴くような声で、「主よ、もしわたしがラザロなら、陰府にまで降りていって、指先を水に浸し、あの方の舌を冷やしてやりたいと思います」と語り、更に「わたしも食卓から落ちたあの方のパン屑をいただきましたから」と続ける。すると、それを聞いたイエスは満面の笑みを浮かべ、「よく言ったフィリポ。よく言った。お前は神の国から遠くない。アブラハムにはできないが、神におできにならないことはない」と答える。あの金持ちにも救いの道が開かれた。ラザロはイエスその人なのだ。

 わたしはこの小説のこの場面にいい知れない衝撃を受けた。そして、これこそ「福音」だと思った。わたしはいつしか泣き出していた。「言は肉となり、わたしたちの間に宿った」(ヨハネ1・14)というヨハネの証しは、このことなのだと思った。イエスは、神の世界と人間の世界の間の「越えることのできない大きな淵」を越えて来てくださったのだ。ラザロはイエスだ。

 アブラハムの言葉は「最後通牒」のように響く。物語そのものもそこで終わっている。しかし、他のたとえ話と違ってこのたとえ話は異例だ。神が王とか主人の姿で現れて語る他のたとえ話と違って、最初から最後まで、語るのはアブラハムという 一 人物である。登場人物がこのように具体的に特定されるたとえ話は、多分、これだけだ。つまり、この物語には神が出てきていないのだ。何らかの意味でアブラハムが神の代理のような役をしていて、それこそ「最後通牒」のように響くアブラハムの言葉も、言ってみれば「最後から 一 歩手前の神の言葉」(スイスの神学者カール・バルト)なのだ。「最後から 一 歩手前の神の言葉」、それは「律法」だ。このたとえ話は、「神の最後の言葉」(福音)が語られる余地を残した話なのだ。わたしはそう思った。福音の神髄に少しだけ触れた気がした。

 それから40数年、いつの間にか定年退職の時期になった。病弱だったから長生きでないと思い込んでいたが、いつの間にか主イエスの没年(30代前半)を越え、ボンフッファーの没年(39歳)を越え、愛するトマス・アクィナスの没年(49歳)を越え、ルターの没年(62歳)さえ越えた。この間、わたしなりに「福音とは何かの説明」を語る機会を与えてくださった日本福音ルーテル教会には、いい知れない感謝の思いを持っている。
感謝!

ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校 鈴木 浩 牧師

16-02-01るうてる2016年2月号

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説教「大きな淵を越える」

「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」(ルカによる福音書16・19~31)

今から40年以上前のことだが、わたしは1冊の小説を読んでいた。ギリシャの作家・詩人であるニコス・カザンツァキスが書き、英語に翻訳されていた『キリストの最後の試練』(The Last Temptation of Christ)という小説である。かなり分厚いペーパーバックだったが、物語に引き込まれて 一 気に読んだ。きわどい描写がいくつもあって、カザンツァキスがギリシャ正教会を破門されたのも理解できるような気がしたのだが、その中に忘れられない 一 場面があって、その場面に押されるようにして神学校の願書を取り寄せた。 それは、イエスが「金持ちとラザロ」の話を弟子たちにしている場面であった。イエスは弟子たちの前でこの話をしているのだが、「アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう』」とこの話を締めくくった。それが締めくくりだと弟子たちは思ったし、そこで語られている警告も理解することができたと弟子たちは思っていた。 ところがイエスは、この話にはまだ続きがあるのだという雰囲気で、弟子たちを見回し、イエスの目がフィリポに注がれる。そしてイエスはこう言う。「フィリポ、フィリポ、お前がラザロだ。お前がラザロならさあどうする」。フィリポは動転し、どう言っていいのか分からずにドギマギするばかりだ。すると、イエスはさらに「どうしたフィリポ、どうしたんだ。お前がラザロだ。お前がラザロなら、さあどうする」とフィリポに迫る。 イエスに迫られたフィリポは蚊の鳴くような声で、「主よ、もしわたしがラザロなら、陰府にまで降りていって、指先を水に浸し、あの方の舌を冷やしてやりたいと思います」と語り、更に「わたしも食卓から落ちたあの方のパン屑をいただきましたから」と続ける。すると、それを聞いたイエスは満面の笑みを浮かべ、「よく言ったフィリポ。よく言った。お前は神の国から遠くない。アブラハムにはできないが、神におできにならないことはない」と答える。あの金持ちにも救いの道が開かれた。ラザロはイエスその人なのだ。 わたしはこの小説のこの場面にいい知れない衝撃を受けた。そして、これこそ「福音」だと思った。わたしはいつしか泣き出していた。「言は肉となり、わたしたちの間に宿った」(ヨハネ1・14)というヨハネの証しは、このことなのだと思った。イエスは、神の世界と人間の世界の間の「越えることのできない大きな淵」を越えて来てくださったのだ。ラザロはイエスだ。 アブラハムの言葉は「最後通牒」のように響く。物語そのものもそこで終わっている。しかし、他のたとえ話と違ってこのたとえ話は異例だ。神が王とか主人の姿で現れて語る他のたとえ話と違って、最初から最後まで、語るのはアブラハムという 一 人物である。登場人物がこのように具体的に特定されるたとえ話は、多分、これだけだ。つまり、この物語には神が出てきていないのだ。何らかの意味でアブラハムが神の代理のような役をしていて、それこそ「最後通牒」のように響くアブラハムの言葉も、言ってみれば「最後から 一 歩手前の神の言葉」(スイスの神学者カール・バルト)なのだ。「最後から 一 歩手前の神の言葉」、それは「律法」だ。このたとえ話は、「神の最後の言葉」(福音)が語られる余地を残した話なのだ。わたしはそう思った。福音の神髄に少しだけ触れた気がした。 それから40数年、いつの間にか定年退職の時期になった。病弱だったから長生きでないと思い込んでいたが、いつの間にか主イエスの没年(30代前半)を越え、ボンフッファーの没年(39歳)を越え、愛するトマス・アクィナスの没年(49歳)を越え、ルターの没年(62歳)さえ越えた。この間、わたしなりに「福音とは何かの説明」を語る機会を与えてくださった日本福音ルーテル教会には、いい知れない感謝の思いを持っている。感謝!
ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校 鈴木 浩 牧師

宗教改革五〇〇年に向けてルターの意義を改めて考える(46)

ルター研究所所長 鈴木 浩

人間の考える「義」(正義)と「神の義」との違いは、「ぶどう園の労働者のたとえ」(マタイ20・1以下)に示されている、とアウグスティヌスはペラギウス主義者との論争で語った。
ぶどう園で働く労働者を雇うために、主人は「夜明け前」に出かけ、次には「9時ごろ」、次いで「12時ごろ」、最後に「5時ごろ」に出かけて労働者を雇う。夜明け前から働いた人と、仕事が終わり近くになる5時ごろから働いた人では、労働時間の大きな差がある。ところが、賃金を支払う時になると、全員が1デナリオンの賃金で、それも最も少ししか働かなかった人から支払いが行われる。夜明け前から働いた人は、主人に抗議するが、聞き入れられない。
人間の正義からすれば、これは明らかに不正で、「同一労働同一賃金」を定める日本の労働基準法では、明らかに「不当労働行為」に該当する。
ところが、これが「神の正義」だとアウグスティヌスは指摘する。神の正義を人間の判断基準で判断してはならない、というのである。これがルターの「神の前で」という判断基準と「人々の前で」という判断基準の峻別に繋がっている。

議長室から

「十字架の声」総会議長 立山忠浩

いい時節になりました。しかし日増しに日照時間が延び、太陽の光も少しずつですが力強くなって来ました。「春遠からじ」と感じ始める月です。
春の到来は教会にとっては、イースターを迎えることを意味しています。今年は3月末になりますので、この時期はイースターを迎えるための備えの時と言えるでしょう。教会の暦で言えば四旬節、主の十字架を覚える時をこれからしばらく過ごすことになります。
四旬節に40日を設けることにはもちろん意味があります。モーセらの荒野の40年、主イエスが悪魔から誘惑を受けられた40日などにちなんでいますが、40という「長い期間」にも意味があるのです。
何ごとにも長い時間を要することがあります。自然界の実りを得るには春から秋までの長い月日を待たなければなりませんし、人の成長もそうです。信仰の実りとなればなおさらです。実りあるイースターを迎えるためには、40日という長い期間が必要なのです。
主イエスの十字架に想いを傾けること、これがこの期間に、何にも増して大切なことです。聖書に記された主の十字架の出来事を改めて読み直し、そして十字架をしっかりと見つめるのです。いつでも礼拝堂で祈り、黙想できることは牧師にとって恵まれたことのひとつですが、説教準備に行き詰まり、礼拝堂に静かに座り込むことがあります。神様に助けを求めながら十字架をじっと見つめていると、自ずと道が開かれるという体験を繰り返しているのはきっと私だけでないでしょう。痛みに耐える主の声や慈しみに満ちた赦しと励ましの声が聞こえて来るような気がするのです。
それだけではありません。人々の悲しみ、病気や将来への不安、人間関係や様々な課題に直面している苦悩の声。差別、暴力、不義などこの世の矛盾の中で辛酸をなめている方々の声があり、その悲しみを共に苦しんでいる主の呻きの声がある。まさに重層的な叫びが十字架から響いて来るように思えるのです。
それらの幾多の声を聞いたとしても、私たちに出来ることは限られている。でも、出来ることの一歩を踏み出すことはとても大切で、それも十字架の声を聞くことから始まるのです。
実り多い四旬節の日々をお祈りいたします。

早蕨幼稚園新園舎完成報告

関 満能(水俣教会)

「岩走る 垂水の上の早蕨の 萌出ずる春になりにけるかも」(万葉集巻8より)。この一首は、早蕨幼稚園の名前の由来と言われているものです。岩の上を激しく流れる滝のほとりで蕨が芽を出す春を詠んだものです。
早蕨幼稚園の新園舎は、2015年12月7日に完成しました。それは、前の園舎が使用できなくなったからではなく、再出発に備えてのことでした。
早蕨幼稚園は、来年度から幼保連携型認定こども園の認可を受けて、「さわらびこども園」として新たな出発をする予定です。創立86年という歴史の流れを経て、「早蕨」という名に相応しく新しい歩みを始めます。

さて、新園舎で初めて行われたことは、12月5日のクリスマス会でした。クリスマスから新園舎での歩みが始まったことは、何か意味があるような気がします。クリスマスは、神様がキリストにおいて私たちと一緒に歩んでくださる出来事の始まりと言えます。新園舎での保育がクリスマスから始まったことは、これからの「さわらび」の歩みにも神様が共にいてくださることを約束しているように思えました。

こどもたちは、新しい園舎と新しい遊具で遊び、楽しい日々を過ごしています。こどもたちを保育するに相応しい器が神様から与えられました。そして、この器がこどもたちを愛し、育んでくださる神様の恵みで満たされることを祈るものです。幼稚園のこどもたちが大人になる頃には世界や日本がどのような状況になっているのか不安を覚えますが、神様が共におられることを伝え、こどもたちと共に歩んでいきたいと思います。
これまでの歩みが守られたことを神様に感謝し、お祈りに覚えてくださったことを感謝申し上げ、報告とさせていただきます。

献堂の時を迎えて

鈴木英夫(挙母教会)

日本福音ルーテル挙母教会は会堂・牧師館の建築を終え、12月12日に献堂式を挙行した。説教を立山忠浩総会議長、聖別を三浦知夫建築委員長が担当してくださった。
建築報告会では地元自治会・商店街組合・幼稚園保護者会の方からご祝辞をいただいた。認定こども園挙母ルーテル幼稚園園舎及び園庭の建築も含め、6年に及ぶ事業を締めくくることができた。
何度か試練が訪れた。認定こども園化に伴う牧師館移築、工事費高騰による予算不足と仕様変更、鉄骨手配の難航など、予期しない出来事が起こった。しかし、すべてを神様に委ねることで支えられ、導かれ、計画した工期で献堂することができた。設計士の柘植健志さん、施工の宮川建設株式会社に感謝している。
早速、新会堂で初のクリスマスを迎えた。降誕祭でピアノ聖別式、祝会で奉献演奏が行われた。降誕祭前夜に特別集会「献堂記念コンサート&クリスマスイヴ礼拝」を開催した。
幼稚園卒園生によるヴァイオリンとピアノの演奏で新会堂での初コンサートとなった。会堂が良い演奏空間であることが確認された。百数十名の方々と共に、献堂の喜びとイエス様御降誕の恵みを覚えることができた。
今後は宣教70周年に向けて、「挙母教会宣教5ヵ年計画2015」を着実に実施してゆく必要がある。3階から1階に移された会堂をいかに有機的に用いて行くか、幼稚園との「ハイブリッド(複合的)」な関係をどう強めてゆくかが最大のテーマである。何より近隣との関わりが大切となろう。引き続き「福音の種蒔き」は続く。教会と幼稚園が共に宣教の道を歩みたい。
「種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌を歌いながら帰ってくる。」 (詩編126・6)

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礼拝式文の改定

21 式文の規範性について

式文委員 石居基夫

昨年は、1年を通じてそれぞれの教区、教会で私たちルーテル教会の礼拝について学び、考える時が与えられました。礼拝式文の改定準備が進む中、あらためて礼拝、そして式文を用いるということについて、理解を深めていただけたのではないかと思います。
日本福音ルーテル教会では、礼拝に式文を用いていますが、式文という形式に縛られた堅苦しさや不自由さ、あるいは、信仰の形骸化を思われることもあるのかもしれません。
しかし、それ以上に、式文を用いることによって、私たちはキリスト教会の二千年に及ぶ長い信仰の伝統に連なる恵みをいただいているのです。聖書のことばや教会の中で大切にされてきた賛美や祈りのことばが式文に取り入れられているので、私たちはそれを唱えることで、自然にその伝統に包まれ、信仰も育まれていくのです。(ルーテルらしさは、式文によってこそ培われる!)
もちろん、式文は、信仰伝統の継承だけが目的ではありません。現代の日本、そして、それぞれの地域で信仰を生きる私たちの中に、そしてこれから教会に招かれる人々のために、神様が礼拝において働いてくださるわけです。

ですから、ルターは、聖書だけではなく礼拝そのものにおいて、そこに集められる人々の生きたことばによって福音が味わわれるようでなければならないと、当時ラテン語でしか行われていなかった礼拝をドイツ語であずかれるように準備しました。そしてまた、自らが作った礼拝式が唯一絶対の形なのではなく、それぞれの地域で教会がより福音的な礼拝にあずかれるようにと、定まった一つの礼拝形式を強制することはなかったのです。
ですから、式文は全国のどこにおいても全く同じ画一化した礼拝を行なうように強制するためのものではありません。礼拝は、神のみ業が会衆の中で具体的に働いていくために、それぞれの時と所、礼拝の大きさ、そこに集まる人々の特徴、また礼拝そのものの持つテーマや性格によって工夫されてよいのです。
歌われるキリエやグロリアなどは賛美歌の中から別のものが用いられてもいいし、歌わずに唱えられることもあり得ます。礼拝の基本的な考え方をもとにして、アレンジを加えることもできるのです。
もちろん、全国いずれの教会においても一つの日本福音ルーテル教会として、信仰の一致をあらわす礼拝式を実現するという意味で、全体で礼拝式文について学び、考え、採択し、それによって私たちの礼拝がそれぞれに整えられることは大切なことです。
ですから、式文の主要なことばついて、独自にに変更を加えることは、教会の一致を見失わせる危険性があるので、神学的な理解と牧会的な配慮をもった手続きが必要になるでしょう。

いずれにしても、自分たちの教会の礼拝を福音宣教に仕えるよう整える責任に共にあずかり、礼拝を豊かに味わえるように学びつつ、取り組んでいただければと思うのです。

ルター、バッハ、宗教改革500年

徳善義和

4 主は真の人で、神

ルカ18章31~43節

この福音書箇所は古くからの聖日日課として顕現節と四旬節の間の受難前節、2月頃の主日に読まれた(現在の教会暦では、C年の今年は四旬節第2主日の日課である)。その福音書日課のルターの説教(私訳近刊の予定)も残っているし、バッハのカンタータもいくつかある。
この日課はイエスによる死と復活の3度目の予告の段落と、目の不自由な人のいやしの段落からなっていて、説教者をしばしば困惑させる。どちらか一つの段落だけを選んで説教する場合も少なくあるまい。しかし古くから用いられてきた日課の指し示すところは、二つの段落をはっきり見通して、そこに貫かれている福音のメッセージである。
ルターの説教の一つにはその線がはっきり示されている。イエスの3度にわたる受難予告にもかかわらず、12人の弟子たちにはその意味が隠されていて、なにも分からないのである。しかし道端の目の不自由な人には、前を通り過ぎるイエスがどのような方かがなにほどか分かった。
イエスご自身はそれを見て、彼を癒されるのであり、彼もイエスに従う。イエスに癒された人がそのままイエスに従うのはこの場合だけである。この明らかなコントラストが福音として明白に語られねばなるまい。
この日課の主日のためにバッハが作曲したカンタータ127「主イエス・キリストは真の人で神」を私はよく聴く。一方ではイエスの受難予告に対する弟子たちの12通りの疑いやためらいが低音部で密やかに演奏される。 他方ではイエスのいやしを信じ、それを得た目の不自由な人の喜びが音楽的に表現される。こうして「真の人」でありながらまた「真の神」であるキリストが指し示されるのである。
C年に登場するこの日課、説教者もその聴き手である会衆も、この2段落の福音から「真の人であって、真の神」であるキリストへの注目を迫られるのである

「まつもと子ども留学」の働き

プロジェクト3・11企画委員 谷口和恵

松本市郊外に里山に囲まれた四賀地区があります。そこに福島から自主避難してきた中学生の女子6人が常駐スタッフと共に生活している寮があります。多感な年頃の子どもたちが親元を離れ、放射線障害の心配の少ない安全な場所で学校生活を過ごすという選択をしました。
東日本大震災と原子力発電所事故の発生から5年近い歳月を経た現在も、福島では育ち盛りの子どもたちが制約の多い暮らしを余儀なくされ、精神的にも苦しい思いをしているのが現状です。
この「まつもと子ども留学」の運営をしているのは、同じく福島から自主避難をしてきた方々です。2013年4月より1年間の準備期間を経て、翌年4月よりスタートさせました。私は運営スタッフと知り合ったことをきっかけに、スタート直前より時折キッチンボランティアとしてお邪魔するようになりました。
スタッフはご自分たちも震災で生活が激変し大変な中、「当事者が行動しないと、何も変わっていかない。この何年か本当に悔しい思いをしてきた。その悔しさが原動力になってはいるけれど、1人でも多くの子どもたちの安全な生活をサポートしたい。この地で沢山の人たちと出会えたことは嬉しい事。皆さんの協力のもとで、形になっていくものがある。」と話してくれました。
プロジェクト3・11の支援先の一つにこの「まつもと子ども留学」があります。子どもたちが新しい土地に馴染み、元気一杯楽しく生活ができるよう祈りたいと思います。
震災からもうすぐ丸5年が経ちます。強制退去でいまだに故郷に帰れない人、故郷を離れ他所の土地で暮らす選択をした人、放射線障害の心配の中で暮らす人、胸中を察するとかける言葉が見つかりません。私達にできる事は何なのでしょうか?寄り添い続ける思いを伝えることから始めたいと思います。
●「まつもと子ども留学」のサイトhttp://www.kodomoryugaku-matsumoto.net/
※プロジェクト3・11では、東日本大震災のためにご苦労されている方々に心を寄せていくための支援を募っています。詳細は東教区(担当・小泉社会部長)へ。

ネービー宣教師 91歳で召天 ひたすら伝道、一途に神学教育

江藤直純(ルーテル学院大学)

懐かしい、そしてお世話になった先生がまた1人地上の生を走り終えて、天に凱旋された。昨年5月28日だったと伺った。91歳の伝道一筋の方だった。
戦後間もない1948年、25歳の若さで来日。翌年、日本語の研修の後に遣わされたのは九州、久留米地方。その働きは目覚ましい。久留米教会を拠点に北は鳥栖、二日市、甘木、南は柳川、大牟田、東には田主丸、吉井、千足。機動力を駆って10年間開拓伝道に邁進。松崎保育園も設立。人呼んで「ネービー・キングダム」。
その後、ニューヨークのユニオン神学校で旧約聖書の博士号を取得、鷺宮と三鷹で牧師養成に当たられた。1年次の旧約緒論で絞られたのが懐かしく思い出される。学問的な厳密さと宣教への意欲が一つとなった授業だったと思う。

子どもさんたちを育て上げたら、北海道・帯広の開拓伝道に赴任。どこまでも伝道者魂に生きた方だった。邦人牧師にあとを託すと、乞われて再び三鷹のルーテル学院大学・神学校で旧約を講じた。1986年まで奉仕された。

現在もそのチャペルにある、見る人を圧倒する「派遣」と題する巨大なレリーフは、ネービー先生が日本を去るときに、友人で札幌にいた宣教師・彫刻家ルドルフ・カイテンに制作を依頼し、寄付していかれたものだ。先生の生涯をかけた福音宣教(伝道も奉仕も)の熱情とヴィジョンが、静かに伝わって来る。

先生はご自宅でウサギやニワトリ、山羊を飼われ、神学生たちにも質素、無駄のない食生活を身をもって勧められた。引退後も「世界にパンを」という運動に協力しておられたと聞く。ご伴侶のムリエルさんもメソジストの宣教師だった方。おしどり宣教師だった。感謝の一言しかない。

「ルーテルアワー」のサイト さあなの部屋より
「お帰り」

伊藤早奈

「彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」(ルカ15・20~21)

天の神様。季節は少しずつ春に向かって変わって来ています。「砂も地球のかけら」と言葉が心に響きます。 私たちは日常の様々なことに悩んだり、悲しんだり、喜んだりします。その 一 つ 一 つは、命が与えられている今があるからこそ与えられる感情です。春を迎えようとしている木々の命溢れる姿や砂の 一 粒 一 粒のような小さな存在にさえも命を与えてくださる神様に心を向けて 一 瞬 一 瞬を歩んでいけますように。この祈りを主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン
─・─・─・─
「お帰り」と言われる時、あなたはどんな気持ちになるでしょうか? ホッと安心したり、私なんかを待っていてくれたんだ「ありがとう」と思ったり、当たり前のことに思えたり。
「お帰り」と言われる場所は、あなたを待ってくれている存在のあるところです。そして、私たちは待ってくれていると信じるから、帰ることができます。家にお母さんが待っているから。家には子どもが待っているからというように。そして、待っているほうも帰って来ることを信じています。
神様も同じです。あなたを待っておられます。
何かをしでかしたから、その罪を償ってからじゃないと帰って来るななどと、神様は条件をつけません。
どういう生き方をしていても、どのような状態にあっても、あなたが神様を思い起こしたのなら、それは神様があなたを信じて待っていてくださることなのだと思います。あなたのことは神様がもっともよくご存知なのです。自分で自分自身さえも信じられない、辛く悲しいどうしようもない時でさえ、神様はあなたを信じておられます。
私たちに何ができるでしょうか。何もできなくていいのです。神様があなたを通して証しされます。あなたは神様から信じられています。あなたは何度でも神様の元へ帰ることが許されています。神様はいつでも「お帰り」と言ってあなたを抱きしめてくださいます。

2015年度「連帯献金」報告

2015年度の「連帯献金」は各個教会・団体及び教会員・教会関係者の方々から、8,340,215円の献金を、それぞれの宣教・奉仕の活動のために捧げていただきました、感謝して報告いたします。(敬称また複数回のご献金については、省略させていただきます。)

■ブラジル伝道 821,497円

大岡山教会、帯広教会十勝豆会計、京都教会、熊本地区宣教会議、小石川教会バザー委員会、小石川教会婦人会、神戸東教会、小山茂、塩原久、下関教会、女性会連盟、高橋、都南教会教会学校、なごや希望教会今池礼拝所、博多教会バザー委員会、東教区女性会、東教区総会、古川文江、保谷教会、保谷教会女性会、恵み野教会、めばえ幼稚園、ルーテル学院中学・高校

■喜望の家 2,843,835円

市ヶ谷教会、唐津教会、関口佳子、高橋、田園調布幼稚園、博多教会バザー委員会、函館教会、ブラウンシュヴァイク領邦教会

■メコンミッション支援(カンボジア)21,000円

高橋、博多教会バザー委員会、日吉教会

■ネパール地震被災者救援 3,604,106円

阿久根教会、厚狭教会、板橋教会、市川教会、市ヶ谷教会、牛丸禮子、宇部教会、大分教会、大江教会、大牟田教会、大森教会、岡崎教会、小城ルーテルこども園、小鹿教会、岡山教会、小田原教会、帯広教会、蒲田教会、蒲田幼稚園、唐津教会、刈谷教会、岐阜教会、京都教会、久留米教会、神水教会、恵泉幼稚園、健軍教会、健軍教会女性会、健軍教会壮年会、甲府教会、小倉教会、小山茂、挙母教会、神戸教会、神戸東教会、札幌教会、シオン教会防府礼拝所、シオン教会柳井礼拝所、清水教会、下関教会、修学院教会、女性会連盟特別献金 、女性会連盟総大会、新霊山教会、諏訪教会、聖パウロ教会、聖ペテロ教会、高橋、滝本保子、知多教会、千葉教会、津田沼教会、田園調布教会・幼稚園、東京池袋教会、東京教会、都南教会、都南教会学校、豊中教会、なごや希望教会、名古屋めぐみ教会、西中国宣教協議会、西日本福音ルーテル大田教会、西宮教会、日本福音ルーテル社団、仁摩福音ルーテル教会、直方教会、博多教会、箱崎教会、箱崎教会学校、函館教会、八王子教会、浜名教会、浜松教会、原尤子、東教区、一粒の麦、平島信子、広島教会、日吉教会、福岡西教会、藤が丘教会、藤田光江、二日市教会、復活教会、別府教会、保谷教会、本郷教会、松本教会、松本大策、三鷹教会、水俣教会、三原教会、宮崎教会、むさしの教会、室園教会、恵み野教会、八代教会、大和友子、大和洋一、湯河原教会、匿名

■世界宣教(無指定) 1,049,777円

青山善彦、大岡山教会、大垣教会、帯広教会、小石川教会婦人会、挙母幼稚園、高橋、東京池袋教会、日本福音ルーテル社団、博多教会バザー委員会、箱崎教会、箱崎教会ゴスペルグループチャリティコンサート、箱崎教会らぶぴ愛と平和のコンサート、一粒の麦、桝田智子、水上利正、めばえ幼稚園、ルーテル学院中学・高校、匿名
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今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓に苦しむ方々に連帯したいと願い祈ります。「連帯献金」を捧げてくださる場合には、それぞれの献金目的[ブラジル伝道][喜望の家][メコンミッション][世界宣教]を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。
郵便振替 00190-7-71734 名義(宗)日本福音ルーテル教会

16-01-17師二人

「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」(エフェソの信徒への手紙4章5~6節)

 私は2人の師に出会ったことを感謝しています。1人は主イエス・キリスト、もう1人はH医師です。
 幼いころから病弱であった私は、よく病院に通いました。今のように自家用車があるわけでもなく、バスがあったわけでもありません。容体が悪くなれば、子どもの足で小1時間かけて歩きます。途中にお店や休憩する所もありません。家に戻ると容体が悪くなってもおかしくありません。

 牧師になり帰省した折に、H医師をお尋ねしました。すでに引退しておられましたが、名前を覚えていてくださり、ご自宅に招いてくださいました。そして帰り際に菓子折りをくださいました。それを見ていた看護師がそっとつぶやきました。「先生に菓子折りを持ってくる患者さんはようけいおらすばってん、先生から菓子折りをもらったのはあんただけばい」。それほどいつも病院に通っていたということかもしれません。

 病院に着くとH医師は真っ白な診察台に寝かせ、手でお腹を触ります。真っ白で、冷たく、私のお腹より大きいと思われる手でした。この手が触ると病気が治るんだ、幼い私はそのように思いました。それが終わると、私の腕より大きな注射器が待っていました。「坊やは豪傑ばい」。ただ痛さを我慢しただけなのに、H医師はいつもこう言ってほめてくださいました。

 後に、私は教会に導かれました。 そして聖書にも同じようなことがあることを知りました。イエスさまのお弟子は、人々に手を当てて癒しを祈ります。イエスさまは子どもたちに手を置いてこう言われます。「天の国はこのような者たちのものである。」(マタイ19・14)

 教会に導かれてH医師の存在の大きさが分かりました。単に肉体の病を治してくださっただけではない。私が救われるために治してくださったのだ。バプテスマのヨハネのように、H医師も語っておられるように思えたのです。「あの方を見なさい。そのために私は病気を治しているんだよ」。

 先に触れた帰省の折り、H医師はこうも言われました。「今なんばしおっと(どのような仕事をしていますか)」。「教会で牧師ばしおっです(牧師をしています)」。「よか仕事ったい。がんばらんばばい(良い仕事だからがんばりなさい)」。

 H医師が教会や牧師についてどのような理解をもっておられたかは定かではありません。でも、私はうれしかったのです。幼い私がこの病院に導かれたのは、体も心も元気になり、神さまの御用をするためであった、そう確信したからです。

 今は分裂の時代です。神のみ国とこの世が引き裂かれ、生と死が、人と自然が、そして体と心が引き裂かれています。そこに本当の平安はありません。
 
すべては主にあってひとつ、そのために働くことは教会の大切な務めではないでしょうか。聖書もそのことを示しています。イエスさまが十字架に死なれた時、神殿の幕は真っ二つに裂けました。天地を隔てていたものは取り除かれ、天の恵みが地に降り注いだのです。そしてクリスマスの日、天使は歌います。天には栄光、地に平和。
 これまで日本福音ルーテル教会でご奉仕させていただいたことを心から感謝し、誇りに思います。教会のお働きの上に、主のお導きと平安を祈ります。アーメン。

日本福音ルーテル横浜教会、横須賀教会 牧師 東 和春

16-01-01るうてる2016年1月号

説教「師二人」

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「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。」(エフェソの信徒への手紙4章5~6節)

私は2人の師に出会ったことを感謝しています。1人は主イエス・キリスト、もう1人はH医師です。
 幼いころから病弱であった私は、よく病院に通いました。今のように自家用車があるわけでもなく、バスがあったわけでもありません。容体が悪くなれば、子どもの足で小1時間かけて歩きます。途中にお店や休憩する所もありません。家に戻ると容体が悪くなってもおかしくありません。
 牧師になり帰省した折に、H医師をお尋ねしました。すでに引退しておられましたが、名前を覚えていてくださり、ご自宅に招いてくださいました。そして帰り際に菓子折りをくださいました。それを見ていた看護師がそっとつぶやきました。「先生に菓子折りを持ってくる患者さんはようけいおらすばってん、先生から菓子折りをもらったのはあんただけばい」。それほどいつも病院に通っていたということかもしれません。
 病院に着くとH医師は真っ白な診察台に寝かせ、手でお腹を触ります。真っ白で、冷たく、私のお腹より大きいと思われる手でした。この手が触ると病気が治るんだ、幼い私はそのように思いました。それが終わると、私の腕より大きな注射器が待っていました。「坊やは豪傑ばい」。ただ痛さを我慢しただけなのに、H医師はいつもこう言ってほめてくださいました。
 後に、私は教会に導かれました。 そして聖書にも同じようなことがあることを知りました。イエスさまのお弟子は、人々に手を当てて癒しを祈ります。イエスさまは子どもたちに手を置いてこう言われます。「天の国はこのような者たちのものである。」(マタイ19・14)
 教会に導かれてH医師の存在の大きさが分かりました。単に肉体の病を治してくださっただけではない。私が救われるために治してくださったのだ。バプテスマのヨハネのように、H医師も語っておられるように思えたのです。「あの方を見なさい。そのために私は病気を治しているんだよ」。
 先に触れた帰省の折り、H医師はこうも言われました。「今なんばしおっと(どのような仕事をしていますか)」。「教会で牧師ばしおっです(牧師をしています)」。「よか仕事ったい。がんばらんばばい(良い仕事だからがんばりなさい)」。
 H医師が教会や牧師についてどのような理解をもっておられたかは定かではありません。でも、私はうれしかったのです。幼い私がこの病院に導かれたのは、体も心も元気になり、神さまの御用をするためであった、そう確信したからです。
 今は分裂の時代です。神のみ国とこの世が引き裂かれ、生と死が、人と自然が、そして体と心が引き裂かれています。そこに本当の平安はありません。
 すべては主にあってひとつ、そのために働くことは教会の大切な務めではないでしょうか。聖書もそのことを示しています。イエスさまが十字架に死なれた時、神殿の幕は真っ二つに裂けました。天地を隔てていたものは取り除かれ、天の恵みが地に降り注いだのです。そしてクリスマスの日、天使は歌います。天には栄光、地に平和。
これまで日本福音ルーテル教会でご奉仕させていただいたことを心から感謝し、誇りに思います。教会のお働きの上に、主のお導きと平安を祈ります。アーメン。

宗教改革五〇〇年に向けて ルターの意義を改めて考える(45)

ルター研究所所長 鈴木 浩

ルターは本格的な講義として、「第1回詩編講義」を1513年に始めるが、それに先立って1508年にアリストテレスの『ニコマコス倫理学』を講じている。その第5巻では、「正義」が論じられている。
 アリストテレスは、人間社会で貫かれねばならない正義(義)とは何かを、例によって緻密な定義と説得力のある論理で論じている。トマス・アクィナスに代表されるスコラ神学は、その基礎構造としてアリストテレスの哲学を使っているので、「神の正義」の理解に、アリストテレスの「人間の正義」の定義が浸透していくのは避けられなかった。その結果、「神の正義」が「人間の正義」との類比の中で理解されていくことになった。
 「神の義」をめぐる本格的な論争は、5世紀にアウグスティヌス(430年没)とペラギウス主義者の間で行われていた。宗教改革は、この論争の「拡大再生産」であった。同じ問題、「神の恵みと人間の自由意志の関係」が論争の中心にあった。過激なアウグスティヌス主義者であったルターは苦闘の果てに、アウグスティヌスのように「人間の義」に正面から対立する「神の義」の理解に到達する。

議長室から

総会議長 立山忠浩

「神様の時の流れに生きる」

新しい年を迎えました。この1年間も皆さまの上に、諸教会、施設、学校、幼稚園、保育園の上に、神様の祝福をお祈り申し上げます。
 さて、お正月を迎えるたびにやや落ち着かない感覚を覚えることがあります。教会には相変わらずクリスマスツリーが飾られ、クリブ(飼い葉おけ)などが置かれているからです。教会の外はイブの翌日から正月モードに切り替わり、新年にはクリスマスはもう遠い過去の出来事になっているのに、教会だけが時の流れから取り残されたかのように、顕現日(1月6日)までクリスマス一色だからです。まるで巷の時の流れに抵抗しているかのようです。
 夏目漱石の『草枕』の冒頭の言葉は有名です。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される 。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」。時代の流れに抗した文豪であり、求道者でもあった漱石の偽らざる言葉に、ある種の共感を覚える日本のキリスト者は少なくないでしょう。
 もちろん、キリスト者はいつも巷の流れに抵抗しなければならないわけではありません。窮屈な生き方を常に強いられているのでもない。むしろ、暖かい福音の中で自由に、伸びやかに生きることが許されていることを忘れてはいけません。
 でも、いつも心に刻んでおかなければならないことがあると思うのです。それは、聖書がふたつの時を記していることです。平たく言えば、まず日常的な時の流れがある。2016年というような暦の年月、時計の時間のことです。いわば横軸の流れで、巷の時の流れはこれです。
 ところがもうひとつの時がある。神様に関する時です。イエス・キリストの誕生の時があり、復活された時があった。私たちにも生まれた時があり、洗礼を受ける時がある。信仰が鍛錬される時があり、信仰をもって終える時がある。いわば横の流れにくさびが打ち込まれたような特別な時のことです。
 礼拝の時、祈りと讃美を献げる時もこれと同じです。信仰者にとっての時を大切にするときに、結果として巷の流れに抗することになるのかもしれません。無論この世の流れにうまく乗ることも必要でしょう。でも、何にも増して、神様に関する時を大切にする1年を送りたいと思うのです。

「イエス様と出会う」

伊藤早奈

 「シメオンが”霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。『主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。』」(ルカ2・27~29)

 天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
 新しい年を迎えて、お一人お一人がいろいろな思いの中にあります。「今年こそは」と目標を新たにされる方、一日一日が健康であることを祈る方。その一人一人にいつも主が共におられ一人一人が一瞬一瞬を大切に生かされますように。このようにみ言葉から聴くことができる「今」が与えられていることを感謝します。このお祈りを主イエス・キリストのお名前を通してお祈り致します。アーメン。

 皆さん明けましておめでとうございます。
 ルカによる福音書2・25~35はこの新年に初めて読む聖書の箇所として、ふさわしい箇所です。というのはこの「シメオンの賛歌」とされている賛歌は毎回礼拝の中で皆さんと歌う「ヌンクディミティス」そのものだからです。
 祭司であったシメオンは救い主に出会うまでは死ぬことはないと神様からのお告げを受けていました。現代に生きる私たちは人間としてこの世に生まれたイエス様に出会うことはできませんが、み言葉を通して聖霊として働かれるイエス様に出会うことができます。
 イエス様と出会い感激し、祝福されたシメオンが思わず「神様ありがとう」という気持ちで神様を賛美したように、私たちもみ言葉を通し聖霊として働かれるイエス様に「ありがとう」の気持ちを込めて、礼拝の度にヌンクディミティスを歌いましょう。
 そして、自然や人やみ言葉を通して出会うイエス様に「ありがとう」の気持ちが溢れる年でありますように。

インターネット聖書講座「ルーテルアワー」の人気コーナーである、伊藤早奈牧師による「さあなの部屋」より、おすすめ記事をお届けします。
http://biblestudy.jp

福島における日本ルーテル教団(NRK)の働き

日本ルーテル教団東日本大震災支援対策担当スタッフ    北澤 肯

 東日本大震災に際して始まった4つのルーテル教会による「ルーテルとなりびと」の活動が終了した後、NRKでは特に福島の放射能被害に焦点を当てて支援活動を行ってきました。最も力を入れているのは「福島県の児童養護施設の子どもの健康を考える会(ICA福子)」の支援です。
 ICA福子は医療の専門職にある2人のクリスチャンにより、震災後に創設されたNPOで、福島県内にある7つの児童養護施設の健康管理の支援を行っています。福島県内では健康診断実施の通知が親元に送られてしまうために、児童養護施設の子どもたちは、他の子どもたちのように甲状腺がん検査や他の健康診断を受けることができません。また、児童養護施設の子ども達は予防接種の記録がなかったり、健康や心の問題を抱えているなど、特に健康管理の必要性が高いのです。しかし、勤務形態や待遇の問題から、児童養護施設は常にスタッフ不足で、児童の健康管理が十分行われているとは言えない状況でした。
 そこで、ICA福子は、記録が簡単で使いやすい健康管理プログラムの開発を行い、児童養護施設への導入を行ってきました。NRKはプログラムの開発費用や、版権の法的な管理の支援をしてきました。この働きが昨年、企業とNPOとの協働を評価する「パートナーシップ大賞」の優秀賞をいただきました。
 他には、福島から長野県松本市へ移住した中学生の共同生活を支援する「松本こども留学」の子どもたちにインドカレーを作りに行ったり、放射線測定器とGPSを組み合わせたホット・スポット・ファインダーを福島県キリスト教連絡会に寄贈したりと、小さな働きですが、福島への関わりを続けています

教会手帳住所録の修正

 2016年版教会手帳住所録につきまして、次の通り表記に誤りがありました。お詫びして訂正いたします。また、住所録校正後に変更のご連絡をいただきました件につきましても併せてお知らせいたします。

■P15教会 水俣教会 電話・FAX変更→共用(096)684-9372
■P16引退 白石郁夫 住所変更→〒865-0016 熊本県玉名市岩崎382湯と里館
■P18引退 V.ソベリ 電話変更→+358-400-963828
■P20召天牧師配偶者 石居美智 住所変更→〒181-0015 三鷹市大沢
■P49学校 浦和ルーテル学院 住所、電話、FAX変更 →〒336-0974 さいたま市緑区大崎3642
同 藤倉二三男(校長)→福島宏政(校長) 〒343-0035 越谷市大道767
同 小澤聖一(事務長)→小澤聖一(法人事務局長)
同 小中校事務長追加→斉藤義和(小中高事務長) 〒349-0106久喜市菖蒲町菖蒲5013│365

礼拝式文の改訂

20 改定式文説明会報告

式文委員会委員長 平岡仁子

 4月に行われた西教区西中国地区を皮切りに、各教区・地区における改定式文説明会は、左記の通り全国10カ所に式文委員を派遣し、実施されました。
 4月29日(水)西教区西中国地区説明会(宇部教会)/6月20日(土)西教区関西地区一日神学校(大阪教会)/7月4日(土)東教区宣教フォーラム(東京教会)/7月11日(土)南部九州教区役員研修会+信徒(神水教会)/7月12日(日)北部九州教区役員研修会+信徒(博多教会)/8月30日(日)北海道特別教区帯広教会改定式文説明会(帯広教会)/9月12日(土)東海教区伝道セミナー(みのり教会)/9月23日(水)西教区東中国・四国地区式文講習会(広島教会)/10月10日(土) 北海道特別教区函館教会改定式文説明会(函館教会)/10月11日(日)札幌(札幌教会・恵み野教会)改定式文説明会(札幌教会)

 教会の皆様の積極的な取り組みに感謝すると共に、各教区・地区における説明会で聞かれましたご意見の一部を、ここに記します。
●音楽に関して
 口ずさみ易く、親しみ易く、歌いやすい曲を。奏楽者のために複雑でない曲を。/伝統的な音楽を用いてほしい。/メロディーは現在のものを生かしてほしい。
●改定式文に関して
 全体的な推敲、言葉の統一性(漢字の使用等)が必要である。/バラエティーに富むのは良いが、高齢化により、選択作業がしんどく感じられる。/洗礼は決意である。洗礼想起は洗礼を強いるものであり、現状を理解していない。/配餐において、未信者に対する配慮を。また洗礼に与ることへの招きのことばも必要。/未信者への祝福に関して、信仰と職制委員会に見解を尋ねることが必要。/主の祈りは文語訳、NCC訳、カトリック聖公会訳の3訳併記を望む。/派遣の祈りの文言に選択肢を加え、自由祈祷に換えることができるように。「集めるもの」よりも、「感謝のささげもの・感謝の献金」の方が望ましい。/文脈から推測(誤りを恐れずに)すると、み民イスラエルは「神を信じ、従い、神に愛される人」と解してもよいのではないか。/式文はルーテル教会のアイデンティティーだからこそ、古いもの、伝統を大切に。/言葉をその時代に相応しく伝えるため、また学術的な発展と共に、なされる重作業の上に改定式文が作成されていると思うと、無下に評価するのは如何なものか。/茶、黒、青式文どれを使用してもいいという通達があり、改定式文も同じような姿勢で進められるのは、改定目的や意図を、全体的にも個人的にも見失うばかりだ。/派遣の部の奉献は恵みを頂き、献金し、神様に仕えて行こうという気持ちが湧く。/式文が改定されたら早い時期に今回のようなセミナーを企画してほしい。理解を深めることにより、神様への応答が内から出、礼拝に出席できる喜びの気持ちも多くなる。

● 今後、式文委員会は更なる検討を加え、改定式文案の第2版を作成していきます。

ルター、バッハ、宗教改革500年。

3 主の洗礼と私たちの洗礼

キリスト、われわれの主はヨルダンに来られた

 ルターの会衆讃美歌の中には一連のカテキズム讃美歌がある。礼拝でも歌っただろうが、とりわけカテキズム教育の機会に、特に子どもたちと歌ったことだろう。小教理問答に見られる、本来子どもの問いと親の信仰告白の答えに示される短い解説に比べると、歌うのだからかなり長いものの、子どもたちは歌いながらそれぞれの讃美歌が示す信仰を心に留めたに違いない。
 洗礼に関するカテキズム讃美歌は他のものより遅く1541年に作詞されたが、翌年には低地ドイツ語にも訳されて歌われているから、待たれていた讃美歌だったと思われる。 ヨハネによるキリストの洗礼から歌い始めて、われわれ人間の洗礼の意味が歌われる。決して短くはない各節だが、それが全7節も続くという長い讃美歌に込められたルターの信仰の思いが伝わってくる。キリストの洗礼は神からの委託の場、われわれ人間の洗礼はキリストによるその委託の実現であって、これによってわれわれ罪人が罪赦されて、キリストと共なる者とされるという恵みがはっきりと伝えられる。
 教会讃美歌にこれが訳されて載っていないのは誠に残念というほかはない(『礼拝と音楽』に載る私の訳詩が目に留まるなら、ぜひ見ていただきたい)。教会讃美歌の改訂の際には、このようにルーテル教会にぜひ必要と思われる讃美歌を加えて欲しいと願う。
 バッハはこの讃美歌に基づくカンタータや、これを中に含めたカンタータを残していない。しかし晩年のクラヴィア練習曲集第3部にはこれらのカテキズム讃美歌が大小の教理問答になぞらえて作曲したか、大小2曲ずつのコラール変奏がある。手鍵盤で演奏できる小曲の方はぜひとも主の洗礼日の礼拝でオルガニストに演奏してもらい、聞く会衆は自らの洗礼を新たな恵みとして心に刻みたいものである

第23回全国ディアコニア・セミナー報告

箱田清美(唐津教会・小城教会)

 今回のセミナーは『聖書の学びとディアコニア~天におけるように地の上にも~』と題して、大阪のるうてるホームの改築に合わせて、大阪教会とるうてるホームを会場として行われた。内容は、3つ。①「福祉の立場から教会に期待すること」と題して、施設長の石倉智史さんから基調講演。日本の福祉行政の危うさと現場の苦悩、 まただからこそ教会への期待が大きいのだが、現実の教会の宣教の中での福祉の位置づけは、小さいのでは?との考えさせられる提起もいただいた。②「迷走・暴走する日本の安全保障~一人ひとりが日本の将来を考える~」と題して、内河惠一さん。ここでは最近の安保関連法成立に関しての日本の安全保障の危うさにつき、豊富な資料に触れながらの話を戴いた。ご承知のとおり講師は実践家であり、自己の生活体験からの発言であり、聴く側も真摯に成らざるを得ない重みがあった。この発題を聞きつつ、憲法9条の曲解、集団的自衛権のこと、内閣法制局長官更迭、NHK会長据替、砂川事件判決の結論のすり替えなど、現在の政府の動きは、一つひとつがバラバラのものではなく、現在の日本の国家権力機構の中枢にいる「人」の問題なのだと思わされた。議論には至らなかったが、キリスト教会は?クリスチャンは?この一連のうごめきの向こうにある、人間の闇のようなものに、どう対峙するべきか考えさせられた。最後は③岡愛子さんが、ご自分の人生を振り返りつつ、ルーテル教会に身を置いてきた神の恵みの生涯を証しされた。ルーテル・アワーに導かれ、苦悩の中でのいろんな職場での体験、教会での働きの場、そして昨年から、るうてるホームに生活の場を与えられているという。溢れるようなにこやかさと澄み切った張りのある声での証しに慰めを受けた。
 今回の集まりは、20名ほどの参加に過ぎなかったが、内容は教会がその働きの中で、神の国の宝としなければならないことの琴線に触れたものであった。それだけに大阪地区の教会の信徒方との交わりの機会がなかったことは、地方から集った者にとってはまことに残念でもあり、今後のネットワークの呼びかけの在り方に課題を残した。

野口泰介先生を偲ぶ

定年教師 宇野正徳

敬愛する野口泰介先生は、11月14日に主のみ許に召されました。その2日前、松本義宣牧師から「野口泰介先生の容体があまり良くなく、野口先生と同期の先生方に連絡を取ろうと思いますが、どなたに連絡を取ってよいか分かりませんので……」との知らせを受けました。野口先生が入院されていることも、病状がそこまで進んでいるとは知りませんでしたので、とにかく会って少しでも元気を取り戻してくれればと、急ぎ、お見舞いに行くことにしました。その矢先、「野口先生は今日の午後、お亡くなりになりました」との報せを受け、一瞬、言葉につまりました。まさか、こんなに早くに逝くとはと信じられない気持ちです。鷺宮の神学校で4年間、机を並べ、寮生活を共にしてきたクラスメートだけに惜別の思いです。
 野口泰介先生は、1936年(昭和11)に北九州市で生まれ、熊本大学教育学部心理学科を卒業後、1959年に日本ルーテル神学校(鷺宮)に入学し、引退までの41年間、松本、室園、甘木、三原、神戸、日田の各教会で伝道・牧会に従事し、多くの人々に福音を説き、キリスト教信仰へと導きました。
 そうした活動の傍ら現在の教育問題や子育てに見るいじめや虐待を憂え、その問題に悩む人たちに少しでも役に立つならばとペンを執りました。『ほんとうの私が生きたい』、『子育てと聖書』、『負けて勝つ神』などです。そこには野口先生自身が子どもの頃に受けた父親からのあらぬ疑いと厳しさにより心に痛手を受け、人間不信に陥ったのですが、そうした人間不信からどのようにして立ち直ったのかという体験が滲み出ています。その間、人として生きるには何が大切かを模索しつつ、聖書に出会い、献身し、人間関係に悩む人々に神の愛とゆるしを伝えようと牧師の道を選んだのです。
 野口先生に与えられた数々の恵みを覚えつつ、79年の生涯を終えた野口先生の上に主の平安を祈ります。

第26回総会期 第5回常議員会報告

事務局長 白川道生

 第26回総会期の第五回常議員会が、11月9日から10日にかけて、市ヶ谷センターにて開催されました。
▼諸活動、委員会報告
 初日は、立山忠浩議長から今期の基本姿勢として提示されている「第6次総合方策の実践、特に実質を伴った推進を目指し、重点的課題を抽出した取り組み」に関する議長報告、以下、事務局長、宣教・広報・管財・総務の4室、世界宣教主事、各教区、常置委員、常設委員その他委員会、それぞれの活動報告、加えて今回は、9月に行われた事務処理委員会の決議(宗教改革500年記念事業の件)承認を含むすべての報告が承認されました。
 重点的に協議された事項としては、日本福音ルーテル教会(以下JELC)事務局でのマイナンバー制度への対応、収益事業検討小委員会の設置、今後の世界宣教、式文改訂の進捗と見通しなどがあげられます。
▼審議事項
 審議事項では、米国より来日した短期信徒宣教師(J3)の派遣が決定しました。熊本のルーテル学院中学・高校と、文京カテリーナ及び本郷学生センターへ2年間の派遣となります。
 教会建物に関する建築申請が2教会より提出されました。東教区の小岩教会は、東京都による災害対策道路拡幅に伴い、教会堂・牧師館と保育園舎を合築で2017年3月までに新築する計画です。同じく、東教区の東京池袋教会は、老朽化により、牧師館を2016年6月までに新築する計画です。いずれも承認されました。
 毎年11月常議員会で決定するのが「次年度教職給与」、「次年度協力金」、「次年度JELC会議日程」です。加えて2016年5月に開催される「第27回全国総会」のため総会準備委員会設置を決定しました。
 協議事項では、「宗教改革500年記念事業」で計画の一部変更、補正予算が宣教室より提案され、承認されました。
 当初の「全国巡回展示企画」から「ギフトキャンペーン」への代替により、いま各個教会が建っている、その地域での展開を模索してゆきます。また、記念事業を通して生み出そうとする、ルター・ルーテル・宗教改革の結び付けを、教会だけでなく、指向してきた連携の枠組みである「宣教共同体」(ルーテル教会を母体とする歴史をもつ諸学校、福祉施設、幼稚園保育園)へと呼びかけて行く方向性が共有されました。
 これに基づいて、2015年宗教改革主日までに、第1弾として《バナーキャンペーン》が実施されました。193箇所、216本の統一バナーが全国各地で掲げられるところになりました。続いて、2016年10月発行予定で《ヤツオリキャンペーン》、《本の贈り物キャンペーン》の準備に入っています。
 また本記念事業を確実に推進するための全国募金活動(2017年末迄に800万円)においては、なお一層の情報提供の強化が必要と指摘されました。合わせて、カトリック教会と共同でこの時を記念するために対話の積み重ねが継続されているとの報告に期待が寄せられました。
 常議員会の詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。

第23回 春の全国ティーンズキャンプ参加者募集

■期間 2016年3月28日(月)~30日(水)
■対象 12歳~18歳 (2016年4月1日時点)
■会場 神戸市立自然の家 
〒657-0101神戸市灘区六甲山町中一里山1の1

■テーマ 
聖霊~振り返れば神様の導き~
■主題聖句
「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。」(フィリピの信徒への手紙1章6節)
■参加費 1万円
 (1月31日までの申込み。それ以降は1万1千円)
 ※交通費別途。間際のキャンセルの場合、キャンセル料が発生します。
■申し込み 2月21日まで
 (飛行機、新幹線の手配のため早目にお申込みください)
■申し込み方法
 こちらのURLへアクセスしてくださいhttp://tng.jelcs.net/teenscamp2016/ 
 携帯・スマホからは、2次元コードからもアクセスできます。
 ・所属教会の牧師から参加の承認を必ずもらってください。その上で、教会  もしくは牧師のメールアドレスを聞いてください。メールアドレスが無  い場合は、電話番号でも可能です。
 ・正式登録されると下記のTNG-Teensブログに教会名とイニシャルが表  示されます。申込みから数日かかります。
 ・サイトからの申し込みができない場合、「申し込み書&アンケート」に必  要事項を記入し、次のいずれかに送ってください
  電話&FAX 078-691-7238(神戸教会)
  メール harukyan.moushikomi@gmail.com
  郵便 〒653-0804 神戸市長田区寺池町2-4-7神戸教会 松本義宣 

問合せ先 電話 080-6106-0794(永吉穂高)

春キャンについて、またTNG-Teensについて、
詳しくはTNG-Teensブログ 
 http://tngteens.hamazo.tv/ へ

15-12-17罪人たちのクリスマス ~All I want for Christmas is You Sinner!

「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、 そのまま受け入れるに値します。」(テモテへの手紙一1章15節)

クリスマスが近づいて来ると、1994年にヒットしたマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス(原題「All I want for Christmas is You」クリスマスに欲しいもの、それは〝あなた〟)という曲が自然とわたしの頭の中に流れてきます。でも本当は「恋人たちのクリスマス」ではなくて「罪人たちのクリスマス」というのが真実なのではないでしょうか。キリストがこの世にお生まれになったその意味を考えると、そのように思えてくるのです。

 スウェーデンの作家で1909年にノーベル文学賞を受賞したセルマ・ラーゲルレーヴという人がいます。この人はキリストに関する伝説のようなものを題材にして小説を書いていて、その中に『わが主とペトロ聖者』という小さな短編があります。芥川龍之介の有名な『蜘蛛の糸』のお話の元になったとされる作品で、大変興味深いお話です。

 お話をわかりやすく要約しますと、イエス様とペトロとが天国に行って、天上から下界を見ていると、ペトロが下界の様子を見て泣くのです。「自分はこうやってイエス様と一緒に天国に来て大変幸福だ。でも自分の母親はじつは地獄で苦しんでいる。だからぜひ、母親を天国へ連れてきてほしい」とイエス様にお願いをします。イエス様はその時ペトロに「なぜ、お前の母親が天国に来られないのか?きっと、お前の母親は大変お金にうるさくて、欲が深いから天国に来られないのだ」と言います。ペトロは「そんなことはありません。あなたは必ず人をお救いになることだから、ぜひわたしと同じように天国へ母親を連れてきてほしい」そう願います。そこでイエス様は、天使に命じて、「お前は地獄へ下りて行ってペトロの母親を迎えに行きなさい」と言います。そのイエス様の言葉を受けて、天使は羽を広げて矢のように地獄へと下って行き、ペトロの母親を迎えに行くのです。ペトロはしばらく地獄を覗き込んでいますが、なかなか天使が上がって来ません。しばらくして、天使が勢いよく下から母親を連れて上って来るのが見えてくるのですが、よく見ると、その母親の肩と言わず腕と言わず足と言わず、大勢の人がしがみついています。そして大勢の人たちがしがみついているにもかかわらず、天使は勢いよく天国に向かって上って来るのです。「おお、すごい!」

 しかし、よく見ると、ペトロの母親が途中で、自分にしがみついているその人間をどんどんと振り落としていっています。そして不思議なことに、人が下へ下へと落ちて行くにしたがって天使はだんだん上ってくる力が弱くなってくるのです。とうとう、最後の一人が母親に必死にしがみついていますと、天使は喘ぎ喘ぎ上ってくるようになる…そして天使が喘ぎ喘ぎ上って来る途中に、最後に残った一人を母親が振り落とすと天使は力を失って、とうとう上りきれなくなってしまい、結局天使はペトロの母親を振りほどいて下りて行ってしまうのです。それを見てイエス様がペトロにむかってこういうふうに言いました。「お前はこの有り様を見たか?だからわたしが下界へ下りて行ったのだ」。

 キリストは天国から下界を見下ろしていて、人々が天国に自分の力で上ってくるのを待っている…そういうお方ではなく、人間のこの罪の世界に自ら下りて行くお方である…そのことをラーゲルレーヴはこのお話から語っているのです。

 「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します」と聖書はわたしたちに告げています。クリスマスにイエス様がお生まれになった。罪人を救うためにこの世に来られたイエス様のご降誕を「罪人たちのクリスマス」としてお祝いしたいものです。イエス様もきっとこのように言いたいのではないでしょうか。「All I want for Christmas is You Sinner! 疲れはてし罪人よ、われにとく来よ!」。メリー・クリスマス!

日本福音ルーテル板橋教会・東京教会 牧師 後藤直紀

15-12-01るうてる2015年12月号

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説教「罪人たちのクリスマス~All I want for Christmas is You Sinner! 」


「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実あり、そのまま受け入れるに値します。」(テモテへの手紙一1章15節)

クリスマスが近づいて来ると、1994年にヒットしたマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス(原題「All I want for Christmas is You」クリスマスに欲しいもの、それは”あなた”)という曲が自然とわたしの頭の中に流れてきます。でも本当は「恋人たちのクリスマス」ではなくて「罪人たちのクリスマス」というのが真実なのではないでしょうか。キリストがこの世にお生まれになったその意味を考えると、そのように思えてくるのです。
 スウェーデンの作家で1909年にノーベル文学賞を受賞したセルマ・ラーゲルレーヴという人がいます。この人はキリストに関する伝説のようなものを題材にして小説を書いていて、その中に『わが主とペトロ聖者』という小さな短編があります。芥川龍之介の有名な『蜘蛛の糸』のお話の元になったとされる作品で、大変興味深いお話です。
 お話をわかりやすく要約しますと、イエス様とペトロとが天国に行って、天上から下界を見ていると、ペトロが下界の様子を見て泣くのです。「自分はこうやってイエス様と一緒に天国に来て大変幸福だ。でも自分の母親はじつは地獄で苦しんでいる。だからぜひ、母親を天国へ連れてきてほしい」とイエス様にお願いをします。イエス様はその時ペトロに「なぜ、お前の母親が天国に来られないのか?きっと、お前の母親は大変お金にうるさくて、欲が深いから天国に来られないのだ」と言います。ペトロは「そんなことはありません。あなたは必ず人をお救いになることだから、ぜひわたしと同じように天国へ母親を連れてきてほしい」そう願います。そこでイエス様は、天使に命じて、「お前は地獄へ下りて行ってペトロの母親を迎えに行きなさい」と言います。そのイエス様の言葉を受けて、天使は羽を広げて矢のように地獄へと下って行き、ペトロの母親を迎えに行くのです。ペトロはしばらく地獄を覗き込んでいますが、なかなか天使が上がって来ません。しばらくして、天使が勢いよく下から母親を連れて上って来るのが見えてくるのですが、よく見ると、その母親の肩と言わず腕と言わず足と言わず、大勢の人がしがみついています。そして大勢の人たちがしがみついているにもかかわらず、天使は勢いよく天国に向かって上って来るのです。「おお、すごい!」しかし、よく見ると、ペトロの母親が途中で、自分にしがみついているその人間をどんどんと振り落としていっています。そして不思議なことに、人が下へ下へと落ちて行くにしたがって天使はだんだん上ってくる力が弱くなってくるのです。とうとう、最後の一人が母親に必死にしがみついていますと、天使は喘ぎ喘ぎ上ってくるようになる…そして天使が喘ぎ喘ぎ上って来る途中に、最後に残った一人を母親が振り落とすと天使は力を失って、とうとう上りきれなくなってしまい、結局天使はペトロの母親を振りほどいて下りて行ってしまうのです。それを見てイエス様がペトロにむかってこういうふうに言いました。「お前はこの有り様を見たか?だからわたしが下界へ下りて行ったのだ」。
 キリストは天国から下界を見下ろしていて、人々が天国に自分の力で上ってくるのを待っている…そういうお方ではなく、人間のこの罪の世界に自ら下りて行くお方である…そのことをラーゲルレーヴはこのお話から語っているのです。
 「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します」と聖書はわたしたちに告げています。クリスマスにイエス様がお生まれになった。罪人を救うためにこの世に来られたイエス様のご降誕を「罪人たちのクリスマス」としてお祝いしたいものです。イエス様もきっとこのように言いたいのではないでしょうか。「All I want for Christmas is You Sinner! 疲れはてし罪人よ、われにとく来よ!」。メリー・クリスマス!
日本福音ルーテル板橋教会・東京教会 牧師 後藤直紀

宗教改革五〇〇年に向けてルターの意義を改めて考える(44)

ルター研究所所長 鈴木 浩

ヘブライ語のツェダカー(義)には、神の救いと強い関連があった。神はイスラエルの敵からイスラエルを守り、圧迫する者から個人を救い出す。それが、神のツェダカーであった。
 ところが、ラテン語のユスティティア(義)は、もともと世俗的な単語で、ツェダカーが持っていた救いと関連したニュアンスはなかった。その上、ユスティティアという言葉には、「ローマ法」の定義に基づいた理解が重なっていた。
 ユスティティアは、「各々の人に、その人自身が権利として持つものを与えること」としての義(正義)を意味していた。そして、その意味合いが、神学の領域に忍び込んで来ることは避けられなかった。
 「神の義」をめぐる本格的な論争は、アウグスティヌスとペラギウス主義者の間で行われた。ペラギウス主義者によれば、神は「正しい人を義とする」方であった。アウグスティヌスは「神は罪人を義とする」方であると反論し、「神の義」は、人間の正義とは違うと論じて、「ぶどう園の労働者」のたとえを持ち出す。神の義は、朝早く働き出した人にも、遅く働き出した人にも、等しく向けられる。たとえ話はそう語っている。

議長室から

「備えの日を積み上げよう」

総会議長 立山忠浩

待降節、アドベントに入りました。アドベントとは、「少しずつ近づく」という意味。クランツ(リース)のろうそくに主日ごとに1本ずつ火を灯していくことは、アドベントの意味を目に見える形で表現しています。1週間ごとに相応しい備えの日を積み重ね、そしてクリスマスを迎えたいものです。
 準備すべきことは様々でしょう。クリスマスは道行く人々が教会に目を向ける唯一の時と言っても過言ではありません。キリスト教に興味を持ち、教会を1度覗いてみたいと思っていても、その1歩を踏み出すことがどんなに勇気のいることか、私自身が学生時代に体験したことでした。教会の近くまで何度か行きながら、なかなか入ることが出来なかったのです。そんな思いを抱いている人にとっては、クリスマスほど教会の敷居が低くなる時はありません。事実私自身が初めて教会に足を踏み入れたのがクリスマスイブでした。もっともそれはルーテル教会ではなく、カトリック教会でしたが。 道行く方々を一人でも教会に招くために、私たちはそのような方々の目線を意識して準備をしていくのです。
 そのような教会の外に向けての準備があるのと同じように、教会の内に向けての準備もあることでしょう。教会の内とは、信仰者の群れであり、教会の中にいる自分のことです。この時期は何かと教会の行事が多くなる時。集会も増え、その準備のために何かと慌ただしくなるのです。食事を共にするにしても誰かが準備をしなければなりません。教会学校のクリスマス会の準備があり、教会によっては聖歌隊の準備もあることでしょう。その準備のためにもっとも心を騒がせているのは牧師なのかもしれません。
 でも、もっとも大切な準備はそれらではありません。様々な準備は無論重要なことですが、その前にしなくてはならない備えがあるのです。それはみ言葉を思い巡らすことです。マリアは受胎告知の天使の言葉を思い巡らし、心に留め続けたのです。私たちは主日ごとに語られる説教を思い巡らし、聖書日課で与えられたみ言葉を心に留めるのです。
 内に向けて、そして外に向けての相応しい備えの日を積み上げましょう。後はすべて神様の働きに委ねれば良いのです。

神の教会 下関教会宣教100周年の喜び

岡本隆子(下関教会)

 10月31日10時30分に鐘が鳴り、オルガンの前奏と共にろうそくに火が灯され、下関教会宣教100周年記念礼拝が行われました。120名近い方々の出席があり、懐かしいお顔も大勢ありました。
 前奏を聞きながらこれまでの事が心に浮かんでは消えていきました。昨年久しぶりに開催された春と秋のバザー、記念コンサート、練習に明け暮れた聖歌隊、記念誌発行の作業、教会建物の改修、教会内外の整理と清掃、直前の準備など、本当に忙しい日々でした。特に今年は連日打ち合わせ、準備作業、聖歌隊練習が重なり、「出勤簿があればみんな皆勤賞だね」と笑い合いました。信徒一同、本当に一丸となって準備をしてきました。
 考えてみれば、個性豊かな人々が誰に命じられるのでもなく、できることを無理なく、心を込めて仕事をしているというのは不思議なことです。皆が同じ目標に向かって歩んでいる強さを感じました。神様の交わりによって皆が動かされているとしか思えません。私自身、一つ一つの準備で確かに神様が共にいてくださると感じ、この恵みのうちにあることを神様に心から感謝しました。
 説教は小泉基牧師に担っていただき、下関教会の歴史、ご自身の下関教会での思い出を交えながら、神様のみ言葉をとりついでくださいました。滝田西教区長が「50周年は一人一人の顔が見え、人で成り立つ感のある教会だが、100周年となると真に神様の教会と感じる」とおっしゃり、100年とは確かにそういうことだと思いました。歴代の牧師、信仰の先達のご苦労を感謝しつつ、神様の下に一つになった気がしたのは私だけではなかったでしょう。
 記念講演会で、立山総会議長から「宗教改革500年に向けて 日本福音ルーテル教会の取り組み」とのお話を伺いました。ルターの教会として500年に向けての準備が始まることに、胸の高鳴りを覚えました。
 こうして、喜びと感謝に満ち溢れた一日が終わりましたが、祝賀会最後の挨拶に立った市河代議員の「念願の100人礼拝がこのようなかたちで実現するなんて感謝です」の言葉に、信徒一同は、この恵みと感謝の気持ちを伝道へつなげてゆきたい、神様はそれを望んでいらっしゃると感じました。

主よ、あなたはわたしの希望 なごや希望教会・宣教100周年

松隈芳久(なごや希望教会)

 ハンドベルが奏でる「わが神は、やぐら」が、満堂の今池礼拝所に記念礼拝の始まりを告げる。10月18日、福音書記者ルカの日。
 1915年、この地方最初のルーテル教会として名古屋教会が誕生した。10年後には幼稚園が併設され、教会と共に主のご用に仕えてきた。希望教会の誕生は1965年、その15年後に名東教会が生まれた。この3つの教会が6年前に一つになった。今はそれぞれの礼拝所に集いつつ、合同礼拝を重ね、女性会、壮年会など組織の一元化にも努めてきた。近い将来、宣教的に優れた今池の地に新会堂を建て、そこに集結する。有能な建築アドバイザーのもとで学習会を重ねてきたが、建築費の高騰という逆風の中、勇気を、冷静さを、知恵を、と祈り求めつつ進める事業となろう。
 記念礼拝前日には、淀川キリスト教病院の柏木哲夫先生の講演会。聴く者を和ませながら、終末医療のあるべき姿が語られた。記念イベントは、この先、アドベントとイースターにコンサートが予定されている。100周年記念誌「エルピス(希望)」も発行された。合同前の個々の教会の通史と、なごや希望教会6年の歩みに添えて、教会員44名の未来に向けた投稿が綴られている。
 記念礼拝の福音書の日課はルカによる福音書10章。「私たちの名が、キリストの血によって、神の掌に『書かれてしまっている』」と、神様の思いを伝える末竹十大牧師の言葉が熱を帯びる。礼拝後は記念撮影。聖壇のまわりに溢れる約120名が、どうにかカメラにおさまり、祝会へ。
 にぎやかに時が過ぎ、国際礼拝バンドの演奏が始まる。国際礼拝は、この地に住む多国籍の人々が霊的に新たにされる場所。日曜日の夕に礼拝を持つ。名東礼拝所から2年前に今池礼拝所に移ってきた。フィナーレの「主よ、みもとに近づかん」の演奏に声をあわせる。宣教2世紀も、希望の主が導いてくださる。

2015年宣教会議

事務局長 白川道生

 第26総会期2回目となる「宣教会議」が9月29~30日にかけて、東京ルーテル市ヶ谷センターにて開催されました。この会議の出席者は、全体教会執行部4役、各教区から常議員が3名、教会事務局の室長2名(総務室長、宣教室長は兼任のため)加えて、信徒選出常議員の合計22名でした。
 はじめに立山忠浩総会議長より、「日本福音ルーテル教会 第六次総合方策の主要課題」に関する所見が、会議の導入として述べられました。
ここで列挙された事項は、①「財務課題」②「世・社会に仕える=ディアコニア活動」③「宗教改革500年記念事業」④「その他の課題」(収益事業の継続、教職給与、他法人への支援)と分類され、いずれも課題指摘の解説に留まらず、2012年以降に積み上げてきた足跡と課題解決への道筋の提案を含むものでした。
 続いて、事務局長より、JELCの教勢と考慮するべき基礎予測の分析結果がデータで説明されました。ここでは「教職の大量引退」の実態を「向こう10年で32名が定年引退を迎え、2025年に最も教職数が減少し、80名強となる予測」を基礎動向と示し、これを考慮した討議が促されました。
 全体教会事務局を構成する各室からは、管財室よりJELCの財務状況全般と教会建物の適切な保全管理、加えて収益事業の見通し分析の説明、宣教室と広報室は前後半につないで、宗教改革500年記念事業の中で、全体教会が展開する、3つに分類した企画、①学習運動の推進、②ギフトキャンペーン、③カトリック教会と共同して実施するプログラムの可能性等々について、記念事業へと関心を集める広報面での効果的なやり方と展開について発題がありました。
 また、各教区には本会議に先立って「各教区における優先的な課題とこの後に続く課題予測」と「宗教改革500年記念事業への取り組みを通して教区に生み出そうとする事柄」の2点について発題レポートが要請されていました。各教区での方策、直近の報告と発題があり、相互に宣教の実践を学びあうと共に、現状認識を共有しつつ、問題点そして解決方法を適切に実行するため、どのように自立と連帯をバランスさせるかといった、踏み込んだ討議につながっていきました。
 加えて今回の会議には、平岡式文委員会長にも出席を要請し、現在進行中の「礼拝式文改訂」に関する討議時間を設けました。既定決議に沿って、2016年全国総会に向けて進んでいる式文作成作業のペース及び神学、実施中の全国説明会で挙がった課題事項、規範性等など、意見交換により認識を深めました。
本会議の終わり、まとめの時間では出席者全員が思いを述べましたが、困難な状況に直面している各教会の情況を直視しながら、重い悩みを上回って、宣教の進展に向かう意思と実行への決意が語られたのが印象に残りました。
なお、この「宣教会議記録」は各教会に送付されてまいります。

ルター、バッハ、宗教改革500年

②十字架の主、同時に勝利者キリストの降誕

天よりくだりて 嬉しきおとずれ(教会讃美歌23版)

徳善義和

 1737年降誕日の12月25日から新年の1月6日(顕現日)までの6回の礼拝のためにそれぞれカンタータを作曲したバッハはこれをまとめて「クリスマスオラトリオ」とした。「主の命名日」(1月1日、ヘ長調)のほかの5つのカンタータはニ長調を基調として統一されている。
 もちろん降誕日のカンタータではルターの作詞作曲の「天よりくだりて」が歌われる。ルターが自分の家庭のクリスマスで、子どもたちもよく知っている「海の向こうから私は来ました」というなぞなぞ歌のメロディーに載せて作詞し、恐らく口伝えで子どもたちに歌わせたのだから、その原詩を直訳して「空高くから私は来ました」と歌うのがよいと私は思っている。全15節の歌詞はそれ自体クリスマスの寸劇の趣きをもっている。後になってルターは現在のメロディーを自ら作曲したのである。カンタータでもこれを聞くと「ああ、クリスマス」と思うのだ。
 しかし意外な曲も響く。第1のカンタータの第5曲のコラールが歌われると、心ある会衆はハッとさせられる。歌詞は「どのように私はあなたを迎えましょうか」だが、メロディーはまぎれもなく受難節の「血しおに染みし 主のみかしら」(教81)だからである。主の降誕日に迎える方は十字架への道を歩む方であるから、人はこの方をどうお迎えすればよいのかと問い掛けているのである。
 しかもバッハはこのメロディーを、顕現日のカンタータで、全体の最終曲の合唱でも使うのである。伴奏には祝祭にふさわしいトランペットまで用いられて、この主は十字架によって私たちのために勝利をもたらされたという明らかなメッセージを伝える。
 降誕節の礼拝に語るべきメッセージの核心をバッハはルターから引き継いでこのオラトリオによっても私たちに告げていると聞くべきだろう。

聖書日課セミナーに参加して

米田節子(大阪教会)

 10月19~22日、今年は姫路城の近くのホテルを会場に第24回となる聖書日課セミナーが行われました。講師には、西日本福音ルーテル教会の教職であり、ルーテルアワーのラジオ牧師として活躍されている有木義岳先生がおいでくださいました。
 学んだのは「列王記」です。聖書研究会でもなかなか学ぶ機会のない「列王記」は、きっと難しいに違いないとドキドキしながら講義が始まりました。
 先生は、列王記が神の民イスラエルの700年に及ぶ栄華盛衰を描くものであることをお話ししてくださいました。その後は、特徴的な王様を取り上げてくださり、その一人一人のあり方の中に、私たちの信仰のあり方もあることに気づかせてくださいました。人間の表も裏も神さまの愛に捉えられ用いられているということをとても身近に教えられました。
 また先生は、聖書をサラっと読んではいけないと教えてくださいました。分からない地名が出てくれば聖書地図や辞典で調べてみましょうと。そうすることで、たとえば登場人物が町を移動したというとき、どのくらいの距離を移動したかを知るだけでも、その旅の過酷さを心に留めて聖書を読めるでしょうとおっしゃるのです。
 そのような仕方で、有木先生は、さすがラジオ牧師ということもあり、まるで「み言葉を聴く」ように、「列王記を学ぶ」というよりも、「列王記を聴く」という経験を私たちにさせてくださいました。
 食事毎の参加者の方々の「証し」にも励まされる3日間でした。全日程、素晴らしい天候に恵まれ、2日目には姫路城を参加者で訪問。ゆっくりと観光もできました。
 来年は10月17~19日、熱海を会場に、鈴木浩先生により「マルコによる福音書」を学びます。今から是非、ご予定ください。

実践し続けた神学者 石田順朗先生を偲ぶ

清重尚弘(九州ルーテル学院院長)

 敬愛してやまない石田順朗先生のご逝去を悼み、ご家族の皆様の上にお慰めをお祈り申し上げます。
 先生は、生涯「実践し続けた神学者」でいらっしゃいました。象牙の塔にこもらず、どこでもオープンに交わり行動なさり、さらに広い世界の地平へと歩み続けた希有の存在でした。
 何よりのご貢献は、ルーテル世界連盟でのご活躍。7000万人会員の組織の3部門の1つ、神学部門の長として、慕われ、存在感を示されました。例えば、南アフリカのアパルトヘイトへの明確な批判宣言を「信仰告白的事態」として表明した背後に、先生の並々ならぬご尽力がありました。また、連盟の機構改革問題。単なる制度変更でなく、連盟は、キリストの体たるコンミュニオンの表現であるとする自己理解へ飛躍するプロセスで、神学的対話に尽くされました。ローマカトリック教会との対話もご在任中に伸展しました。連盟を退かれて母校シカゴ神学校から招聘され、グローバルミッション研究所を設立、長となって、エキュメニカルな宣教師養成の責任を負われました。その後、前田貞一理事長の招きに応えて、九州女学院短大の4年制大学化を見事に達成。ユニークなグローバル教育を作り上げました。さらに刈谷で牧会委嘱として10年間にわたる宣教牧会に専心されました。
 若き日に岸千年牧師の熱烈な説教に霊感を受けて献身を決意。その初心を忘れず、東京の神学校教授時代に仙台市鶴ヶ谷での新しい伝道の理論をフィールドリサーチを踏まえて構築、信徒運動と共に歩まれました。その時代こそ東教区が宣教に燃えて、まさしく「元気」(ご近著より)を伝える教会の姿を示したのでした。
 生涯「実践し続けた神学者」として、優しい笑顔で周りを包みつつ歩まれた先生の足跡を偲びつつ「元気」を分けていただけることを深く感謝致しています。

ブラジル宣教50年記念訪問団報告

       
団長・副議長 大柴譲治

 「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」(コヘレトの言葉3・1)とあるように、10月9日より22日までの2週間、私たちは総勢6名でブラジルを訪問しました。日本福音ルーテル教会(JELC)が宣教師を派遣して50年という節目の「時」を記念し、共に祝うためです。 JELCはこの間、藤井浩、塩原久、土井洋、竹田孝一、塩原久、紙谷守、渡邉進、徳弘浩隆(現在)という8組の宣教師とその家族を派遣してきました。JELCのブランチとして始まったサンパウロ教会は1987年にブラジル福音ルーテル告白教会(IECLB)に加入。1997年に南米教会が加わり日系パロキアを形成します。ブラジル人牧師である大野健師(2013年に召天)とルイス・カルロス・メロー師(現在)を加え10人の教職がその歴史に関わってきたことになります。
 10月11日にサンパウロ教会の前にある佐賀県人会館で行われた記念聖餐礼拝と祝会には300名を超える参加者が与えられ大いに盛り上がりました。塩原牧師も来伯しておられました。その後私たちは、メロー牧師とアリセ・サノさん、徳弘牧師・由美子さんご夫妻、稲垣敦さんを加え、サンパウロ、リオデジャネイロ、ポルトアレグレ、イヴォチ、イタチ、グラマド、イグアスと足を運び、ブラジルという国の広大さと多様性とエネルギーと日系移民たちが積み重ねてきた歴史の重みなどを感じつつ、そこに確かに神の「祝福の時」が備えられてきたことを味わいながら旅を続けました。10月18日にポルトアレグレ教会の主日礼拝で麻生正治さん(92歳)のお孫さんラファエルさん(8歳)の洗礼式と聖餐式に立ち会えたことは「神の時」を現す意味でも大変に印象的かつ象徴的なことでした。私たちを温かく受け入れてくださった徳弘牧師をはじめ現地の諸教会に感謝すると共に、祝福をお祈りいたします。

ルーテル「連帯献金」のお願い

 日本福音ルーテル教会は、今日の社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓に苦しむ方々に連帯したいと願い祈ります。そのために「連帯献金」の呼びかけを致します。今年度も各個教会及び教会員・教会関係者の皆様から、多くのご献金を感謝致します。今後ともご協力をお願いいたします。

[ブラジル伝道]

 1965年から日本福音ルーテル教会の海外伝道として誕生した、サンパウロにある日系人教会の宣教支援と2009年4月より宣教師として派遣されている徳弘浩隆牧師夫妻の働きを支えるために、毎年200万円の募金目標を掲げています。ブラジル人牧師との協働などにより活発に活動が続けられています。

[喜望の家]

 1976年に開設された大阪の「釜ヶ崎ディアコニアセンター喜望の家」は日本福音ルーテル教会のセンターです。アルコール依存を抱えた方々の支援・相談、アルコールを飲まない生活を支えるための「自立生活支援プログラム」の提供、病院訪問、さらに「路上生活相談」として、路上生活を余儀なくされている方の生活や医療の相談を行い、路上生活から脱出を手助けする支援を展開しています。

[メコン流域支援]

 日本福音ルーテル教会は「メコンミッション活動」として、メコン川流域の人々のための宣教・教育・奉仕事業を香港、シンガポールのルーテル教会と共同で展開しています。

[世界宣教のために]

 緊急の支援を必要としている人々の救援活動及び宣教・奉仕活動に対応するために「無指定献金」を設けています。無指定献金の配分・送金先はJELC常議員会に委ねられています。

▼上記献金の送金先▼
「連帯献金」を捧げてくださる場合には、それぞれの献金目的を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。
郵便振替:00190-7-71734
名義:(宗)日本福音ルーテル教会

公告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。

2015年12月15日
   宗教法人 
   日本福音ルーテル教会
    代表役員 立山忠浩

信徒利害関係人 各位

◎東京池袋教会牧師館建物 解体
■所在地 東京都豊島区池袋3丁目1633番地1
■所有者 日本福音ルーテル教会
■種類 牧師館
・家屋番号 
    1633番1の2
・構造 木造亜鉛メッキ銅板葺2階建
・面積 
 1階 79・31㎡
 2階 71・91㎡
■理由 老朽化により牧師館を新築するため。

◎天草旧教会用地一部売却
■所在地 上天草市大矢野町上字豊後谷
■所有者 日本福音ルーテル教会
■地番 5915番2
 地目 宅地
 地積 41・70㎡
■ 理由 主要道路拡張のために上天草市に用地の一部を売却するため。

◎小岩教会土地一部収用
■所在地 東京都江戸川区南小岩三丁目
■所有者 日本福音ルーテル小岩教会
■地番 1202番
 地目 境内地
 地積 34・49㎡
■理由 道路拡張のために東京都に教会用地の一部を供するため。

◎小岩教会建物解体
■所在地 東京都江戸川区南小岩三丁目
■所有者 日本福音ルーテル小岩教会
■種類 教会堂
・家屋番号 1202番
・構造 木造・亜鉛メッキ鋼板葺平家建
・床面積 134・42㎡
・地番 1203番、 1204番
■種類 保育所
・家屋番号 1203番
・構造 木造・亜鉛メッキ鋼板葺2階建
・床面積
1階 215・00㎡
2階 50・40㎡
・地番 1204番
■種類 居宅
・家屋番号 1204番
・構造 木造・亜鉛メッキ鋼板葺2階建
・床面積 1階 55・29㎡
    2階 28・09㎡
・地番 1204番
■理由 道路拡張による土地収用と老朽化による建て替えのため。

教会手帳住所録の修正

 2016年版教会手帳住所録につきまして、表記に誤りがありました。お詫びして訂正いたします。また、住所録校正後に変更のご連絡をいただいた件についても併せてお知らせいたします。スペースの都合上、詳細については次号へ掲載いたします。内容については、事務局(電話03・3260・8631)へお問い合わせください。
 P15教会・水俣教会→電話FAX
 P16引退・白石郁夫→住所
 P18引退・V.ソベリ→電話
 P20召天牧師配偶者・石居美智→住所
 P49学校・浦和ルーテル学院→住所、電話FAX校長等

15-11-17主人と僕 あなたにもタラントンが与えられています

 「主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』」(マタイによる福音書25章21節)

 「タラントンのたとえ」(マタイ25・14以下)は、イエス様の語られた有名なたとえです。主人が旅行に出かける前に、3人の僕たちに各々の力に応じて5タラントン、2タラントン、1タラントンのお金を預けます。この主人は、普段からよほど僕たちのことを気にかけ、一人一人のことをよく見ていたに違いありません。それぞれにちょうどよいタラントンを預けたのですね。

 さて、主人から5タラントンと2タラントンを預かった僕たちは、そのお金を元手に、一生懸命商売をして倍の額に増やし、主人に差し出します。すると主人は、「忠実なよい僕だ。よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」と言います。この時、主人は嬉しさのあまり、僕の肩をポンポンッと叩いたか、僕をギュッと抱擁したか、ニコニコとうなずいたか…。聖書には詳しくは描かれていないのですが、とにかく満足と喜びいっぱいの様子が彼の言葉から伝わってきます。主人と2人の僕たちは、とてもよい関係なのですね。

 この2人は、主人から預かったものを増すために一生懸命励んだことでしょう。彼らは頭も心も手足も、主人を喜ばせるために動かしたのです。そして苦労し、工夫し、積極的に活用して預かったものを倍に増やすことができました。主人としては、彼ら2人がこんなにも一生懸命、しかも自分を喜ばせようとして励んでくれたことが何よりも嬉しくてたまらないのです。「主人と一緒に喜んでくれ」とは、最高の褒め言葉ではないでしょうか。「私の喜びはお前の喜び!私たちは同じ喜びを分かち合える仲なんだよ」ということです。これほどの言葉をかけられて2人の僕は非常に恐縮したでしょうけれど、主人がこんなにも喜んでくれ、こんなにも自分を信頼してくれて、まるで身内かなにかのように「同じ喜びを分かち合おうよ!」と言ってくれるのですから、本当に嬉しかったでしょうね。「主人と僕」という主従関係を超えた、温かな交わりと固い絆が両者の間に結ばれていることが伝わってきます。

 さて一方、1タラントンを預かった僕ですが、彼はそれをそのまま主人に返しながら言います、「恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました」。この言葉からは、主人に対する信頼や愛情は少しも読み取ることができません。この僕が主人に対して恐れや疑いを抱いていたこと、それゆえ萎縮して動けなくなってしまった様子が伝わってきます。主人は「怠け者の悪い僕だ。銀行に入れておけば利息付きで返してもらえたのに」と怒ります。

 先ほどの2人が 主人を喜ばせることだけを考え、預かったお金を活かして増やしたのとは反対に、この僕は主人を喜ばせることなど少しも考えなかったようです。彼が考えていたのは、ひたすら自分自身のことで、自分が主人から叱られないように、失敗しないように、そればかりを考えて結局は何もできなかった、いや、何もしないほうを選んだのです。もしも、彼に少しでも主人を思う気持ちがあったら、おそらく金を土の中には埋めなかったでしょう。主人が言うように、銀行に入れておけば少しであっても利息が付きますから、「土に埋めておくよりはちょっとはマシ、少しはご主人のためになる」と考えることができたでしょうね。土に埋めておくのも、銀行に預けておくのも、自分は何もしない点では同じですが、しかし主人のためには、少しでもよい方を選ぶのが預かった者の務め、とは残念なことに思い至らなかったのです。

 私たちも恐れや疑い、落胆や失望に囚われてしまって、神様の御心は何か、神様を喜ばせる道はどれか、ということが考えられなくなる時があります。ついには、「やはり私にはできない。私には可能性も能力も力もないのだから」と落ち込んでしまう。そして、意識しないことが多いのですが、落胆そのものの中に、神様への反発が潜んでいるのではないでしょうか。私たちが「結局、こんなことになったのは神のせいだ。私がこんな性格になったのは神がこのように創ったからではないか。この困難な状況に私を置いたのは神ではないか。能力と才能を与えてくださらなかったのは神ではないか」などと言って神様を責めてしまうとき、造り主なる神様を最も悲しませるのではないでしょうか。

 しかし、それでもなお神様は「あなたを造ったのは私だ。あなたに困難な道を通らせたのは私だ。あなたに弱さを与えたのは私だ。それらを天からの賜物、チャレンジとして受け止めてほしい。土の中に埋めてしまわずに活用してほしい。そして、最後に一緒に喜びを分かち合ってほしいのだ」と、絶えることなく私たちを招かれるのです。
 神様の賜物は全て最善と信じ、与えられたタラントンを用いることができるよう祈りつつ歩みましょう。

日本福音ルーテル函館教会牧師 坂本千歳

15-11-01るうてる2015年11月号

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説教「主人と僕 あなたにもタラントンが与えられています」 

「主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』」(マタイによる福音書25章21節)

 「タラントンのたとえ」(マタイ25・14以下)は、イエス様の語られた有名なたとえです。主人が旅行に出かける前に、3人の僕たちに各々の力に応じて5タラントン、2タラントン、1タラントンのお金を預けます。この主人は、普段からよほど僕たちのことを気にかけ、一人一人のことをよく見ていたに違いありません。それぞれにちょうどよいタラントンを預けたのですね。
 さて、主人から5タラントンと2タラントンを預かった僕たちは、そのお金を元手に、一生懸命商売をして倍の額に増やし、主人に差し出します。すると主人は、「忠実なよい僕だ。よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」と言います。この時、主人は嬉しさのあまり、僕の肩をポンポンッと叩いたか、僕をギュッと抱擁したか、ニコニコとうなずいたか…。聖書には詳しくは描かれていないのですが、とにかく満足と喜びいっぱいの様子が彼の言葉から伝わってきます。主人と2人の僕たちは、とてもよい関係なのですね。
 この2人は、主人から預かったものを増すために一生懸命励んだことでしょう。彼らは頭も心も手足も、主人を喜ばせるために動かしたのです。そして苦労し、工夫し、積極的に活用して預かったものを倍に増やすことができました。主人としては、彼ら2人がこんなにも一生懸命、しかも自分を喜ばせようとして励んでくれたことが何よりも嬉しくてたまらないのです。「主人と一緒に喜んでくれ」とは、最高の褒め言葉ではないでしょうか。「私の喜びはお前の喜び!私たちは同じ喜びを分かち合える仲なんだよ」ということです。これほどの言葉をかけられて2人の僕は非常に恐縮したでしょうけれど、主人がこんなにも喜んでくれ、こんなにも自分を信頼してくれて、まるで身内かなにかのように「同じ喜びを分かち合おうよ!」と言ってくれるのですから、本当に嬉しかったでしょうね。「主人と僕」という主従関係を超えた、温かな交わりと固い絆が両者の間に結ばれていることが伝わってきます。
 さて一方、1タラントンを預かった僕ですが、彼はそれをそのまま主人に返しながら言います、「恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました」。この言葉からは、主人に対する信頼や愛情は少しも読み取ることができません。この僕が主人に対して恐れや疑いを抱いていたこと、それゆえ萎縮して動けなくなってしまった様子が伝わってきます。主人は「怠け者の悪い僕だ。銀行に入れておけば利息付きで返してもらえたのに」と怒ります。
 先ほどの2人が 主人を喜ばせることだけを考え、預かったお金を活かして増やしたのとは反対に、この僕は主人を喜ばせることなど少しも考えなかったようです。彼が考えていたのは、ひたすら自分自身のことで、自分が主人から叱られないように、失敗しないように、そればかりを考えて結局は何もできなかった、いや、何もしないほうを選んだのです。もしも、彼に少しでも主人を思う気持ちがあったら、おそらく金を土の中には埋めなかったでしょう。主人が言うように、銀行に入れておけば少しであっても利息が付きますから、「土に埋めておくよりはちょっとはマシ、少しはご主人のためになる」と考えることができたでしょうね。土に埋めておくのも、銀行に預けておくのも、自分は何もしない点では同じですが、しかし主人のためには、少しでもよい方を選ぶのが預かった者の務め、とは残念なことに思い至らなかったのです。
 私たちも恐れや疑い、落胆や失望に囚われてしまって、神様の御心は何か、神様を喜ばせる道はどれか、ということが考えられなくなる時があります。ついには、「やはり私にはできない。私には可能性も能力も力もないのだから」と落ち込んでしまう。そして、意識しないことが多いのですが、落胆そのものの中に、神様への反発が潜んでいるのではないでしょうか。私たちが「結局、こんなことになったのは神のせいだ。私がこんな性格になったのは神がこのように創ったからではないか。この困難な状況に私を置いたのは神ではないか。能力と才能を与えてくださらなかったのは神ではないか」などと言って神様を責めてしまうとき、造り主なる神様を最も悲しませるのではないでしょうか。
 しかし、それでもなお神様は「あなたを造ったのは私だ。あなたに困難な道を通らせたのは私だ。あなたに弱さを与えたのは私だ。それらを天からの賜物、チャレンジとして受け止めてほしい。土の中に埋めてしまわずに活用してほしい。そして、最後に一緒に喜びを分かち合ってほしいのだ」と、絶えることなく私たちを招かれるのです。
 神様の賜物は全て最善と信じ、与えられたタラントンを用いることができるよう祈りつつ歩みましょう。
日本福音ルーテル函館教会牧師 坂本千歳

宗教改革五〇〇年に向けて ルターの意義を改めて考える(43)

ルター研究所所長 鈴木 浩

 「神の義」とは、「神にとって正しいこと」という意味である。ヘブライ語では、「ツェダカー」という言葉がそれにあたる。
 ところで、本国に住むユダヤ人以上に、外国に居住するユダヤ人(ディアスポラ)が増えてくる。イエスの時代には、ディアスポラの人口は本国のユダヤ人の4倍から7倍だったと推定されている。
 当時の世界は地中海世界だから、ヘレニズム文化圏で、言葉はギリシャ語である。当然のように、ディアスポラのユダヤ人はギリシャ語を使うようになって、旧約聖書のギリシャ語訳(70人訳)が作られた。
 ギリシャ語では、「義」は「ディカイオシュネー」と訳された。その後(3世紀頃)、地中海世界の西半分の言語はラテン語になる。すると、「義」は、「ユスティティア」という言葉になる。
 サンスクリット語の仏典が漢訳され、さらに日本語に訳されたのと同様である。知恵を意味するパンニャーが漢訳で「般若」となって、日本に来ると、2本の角を持つ怖い顔つきになったように、翻訳の際には、ニュアンスの違いが出て来ることは避けられない。
 「神の義」のニュアンスについても、同じことが起こった。

宗教改革500年事業献金にご協力ください。

 2017年に宗教改革500年を迎えるにあたり、記念事業の宣教活動として、●学習運動 ●記念礼拝 ●ギフトキャンペーンに取り組みます。
 特にギフトキャンペーンは「バナー」「ヤツオリ」「本の贈り物」を教会がギフトとして差し上げるキャンペーンです。この事業を祈りと献金で支えてください。 すでに専用献金袋を活用くださっている教会もあります。
献金袋については、ご連絡いただけましたら必要枚数をお送りします。
 口座番号含め、ご質問はなんでも宣教室にお寄せください。
電話03-3260-86メール jelc@jelc.or.jp

議長室から

「平素の信仰生活を大切に」

総会議長 立山忠浩 

 教会の暦が慌ただしい時となりました。聖卓と説教台のクロス(布)の色が宗教改革主日には赤になり、翌週の全聖徒主日には白に。そして今月末には待降節の紫に変わります。クロスを頻繁に変える度に、今年の暦も終わりを迎えようとしていることを覚えるのです。
 教会ではこの時節に終末、つまりこの世の終わりのことを想起するのが習わしです。主キリストが、いつか再び現れてくださることを信じるのです。初めがあり、終わりがある。ゆえに教会の時間軸は直線的であり、キリスト者は終末という確かな目的に向かって歩んでいると考えるわけです。
 これに対し仏教では、丸い円の理解をすると聞きます。禅宗の僧侶が墨の筆で円を描いた絵を目にすることがあります。円には始まりも終わりもありませんから、輪廻(りんね)の思想にもつながって行くのでしょう。直線的な時の理解とずいぶん違うものだと、改めて思わされます。
 確かに教会の1年間の暦は、待降節(アドヴェント)に始まり、四旬節、復活節を経て、聖霊降臨後最終主日をもって終わりを迎えますから、直線的と言えるのでしょう。でも、また今月末には新しい1年が始まるというサイクルを毎年繰り返していることを考えると、私たちの暦も終わりのない円の運動をしているようにも思えます。「仏教とキリスト教の時間の理解は違う」と、ことさら違いにこだわる必要はないのかもしれません。
 でも時間の流れ、暦の流れを覚える時に、私たちがこだわらなければならないことがあると思います。それは自分にとって極めて重要な「時」のことです。それぞれの日々の歩みは、何の変哲もない、いつもと変わらない時の流れが多くを占めていることでしょう。しかし人生には危機が襲いかかることがあり、重大な決断をしなければならない時、あるいは決定を下される時があります。直線的な時でも、円のような時であったとしても、その人にとってくさびを打ち込まれるような重要な時があるのです。
 その時に、自分の信仰にどれほどこだわり、力にするのか、それはキリスト者にとって極めて重要なことです。にわか信仰には難しいのです。揺るぎない信仰を培うためにも、平素の信仰生活を大切にする新しい年に踏み出したいものです。

宣教の取り組み 安全保障関連法についての学習会

森本典子(賀茂川教会)

 8月21日、賀茂川教会を会場に、京都地区三教会有志(京都教会・竹森、修学院教会・高田、賀茂川教会 ・石原、塩谷、森本)により、「平和を考える|安全保障関連法案についての学習会」が開催されました。
 安保法案についてもう少し詳しく知りたい、平和についてもう少し考えてみたい、キリスト者としてどう考えたらいいのかなど、基本的な事柄をお話してもらうために、恵泉女学園大学で教鞭をとっておられる憲法学者の齊藤小百合先生をお招きしました。
 齊藤先生のお話は、憲法の基本が主権在民であり、憲法は本来、政治家をはじめ公務員など国家権力に縛りをかけるものであるということから始まりました。
 続いて、憲法のみならず国連憲章をも引用して、法というものが弱者を守るためにあること、そして、なぜ安保法案が憲法に反すると考えられるのかをお話されました。キリスト者として、また憲法学者として先生が日本の民主主義を、そして平和を守っていかなければいけないと真摯に考えておられることが伝わる内容でした。
 ルーテル教会以外の方にも参加していただきたいと考え、近隣教会や教会周辺のお宅にはチラシを配布し、インターネットを通しても参加を呼びかけました。単立、カトリック、バプテストなどの近隣の教会、学生団体、実行委員の口コミなど様々なところから、年齢や性別を超えて30名弱の参加者があり、この問題への関心の深さが窺えました。
 近隣教会の牧師さんは「キリスト者としてどう関わったらいいか、教会員にどのように説明すればいいかを考えたかった」と足を運んだ理由を語られました。別の方は「憲法が弱者を守るものであることを教えられた」と感想を述べられました。
 法案は法になりましたが、これが終わりなのではなく、これからもこの世の法である日本国憲法ともどう向き合っていくのかをしっかり考え続けなくてはいけないと思います。

前浜マリンセンター訪問プログラム報告

東教区社会部長 小泉 嗣

 8月28~29日に東教区「プロジェクト3・11」の気仙沼市にある前浜マリンセンター訪問プログラムが実施されました。このプログラムは、ルーテル教会救援の支援活動が終結した2014年夏に、東教区としての今後の支援活動を探るため、ルーテル教会救援の前スタッフの佐藤文敬さんにルーテル教会救援が関わりを作った団体や地域を案内していただいた際に、前浜地域振興会の菊池敏男さんに言われた「とにかく来てください」という言葉に素直に応じて実現したプログラムです。同センターの建設に、ルーテル教会救援は関わらせていただきました。
 当時の私はというと、ルーテル教会救援から比べると人も規模も全く違う日本福音ルーテル教会東教区が果たしてどのような「支援」ができるのか、またすべきなのか、「支援したい」という思いをもった東教区の人たちと福島や宮城をどのようにつなげていくことができるのか。そんな思い先行の頭でしたので、「せめて何かお手伝い出来ることを…」と言葉を繋いだのですが、菊池さんは「いや、来ていただくだけで結構です」と静かにおっしゃいました。
 当日は、お昼から日本ルーテル教団(NRK)の訪問団により、前浜マリンセンターでワークショップ「本格カレーづくり」や「牧師ROCKS」の東北コンサートが開催され、それに続く形で「プロジェクト3・11」の訪問プログラムの参加者がセンター入りし、コンサート終了後の懇親会へとプログラムが続きました。 地区のみなさんの一品持ち寄り(実際にはたくさんの差し入れがありました)の新鮮な魚介類が縁側の長机(手作りのベンチ)に並べられ、月明かりの下でおいしく楽しい懇親会となりました(締めは大谷大漁唄い込み)。
 翌日は地区の方々との「お茶っこ」の集まりが持たれ、地区の方々に現在の前浜の情況や震災当時のお話を聞き、地区に住む大谷里海づくり検討委員会の三浦友幸さんから現在の気仙沼の様子を伺ったり、菊池さんを訪ねて桜の植樹を行うNPOの方々も参加したりと、本当に中身の濃い、それでいて和やかな時を過ごしました。
 「雲丹を食べたいなら初夏、牡蠣を食べたいなら冬か春においで」という言葉に強くうなづきながら、「あぁ、またこの人たちに会いに来よう、前浜で生き、集う人たちとテーブルを囲もう」と思いながらセンターを後にし、あっという間の訪問プログラムは終了しました。来年もまた「とにかく行く」訪問プログラムは開催する予定です、どうぞご参加ください。
 今回の訪問プログラムとは直接の関係はありませんが、「プロジェクト3・11」では、これまで報告したように福島に暮らす人々の不安に寄り添う働きに、経済的な支援を継続しています。東教区内の諸教会には、募金箱を設置して支援を呼びかけています。他の教区の教会などで、募金箱にご興味がおありの方は、お気軽にお問い合わせください。まだ続く震災と原発事故でご苦労される方々につながる歩みに連なっていただければ幸いです。(連絡先 小泉 嗣 t-koizumi@jelc.or.jp)

礼拝式文の改訂

19 諸式式文について

共同式文委員 白井真樹

 現在、主日礼拝式文の改訂並びに教会暦と聖書日課の見直しの作業と共に、諸式式文の改訂と作成の作業も進められています。
 主日式文の作業は、日本福音ルーテル教会の式文委員会に日本ルーテル教団の式文委員も参加して行い、諸式式文の作業は、ルーテル共同式文検討委員会(以下、共同式文委員会)が担当しています。共同式文委員会は、日本福音ルーテル教会と近畿福音ルーテル教会、そして日本ルーテル教団の委員によって構成されており、西日本福音ルーテル教会もオブザーバーとして参加しています。 諸式式文とは、教会や個人の信仰の歩みに必要とする様々な祈りを式文の形に成文化して、一つのモデルとしてお示しするものです。
 まず、教会に必要な祈りとは、洗礼並びに洗礼に至るまでの志願者と教会の準備の祈り、堅信、他教会からの転入、牧師の按手や就任に関する祈り、教会役員や奉仕者の就任の際の祈り、教会堂の建築や献堂に関する祈り、教会の創立周年記念の祈りなどです。
 また、個人の歩みに必要な祈りとは、新生児誕生と保護者の感謝と祝福の祈り、子どもの成長を感謝して祝福を祈る祈り、人生の折々の節目のための祈り(還暦、喜寿、米寿等)、個人的な罪の告白の祈り、婚約や結婚を祝福する祈り、病気や悲嘆の癒しを願い求める祈り、家屋の建築に関する祈り、臨終から葬儀、召天後の記念の祈りなどです。
 この他にも、農村地帯では、農作業に用いる車輌を購入した際に、特別な祈りをしないならば、家族や親戚が神社から神主を招き、お祈りをお願いするという事例もあるようですから、そうしたことに対応するために、車両の祝福と安全を祈る式文など、今までにはなかったけれど、幅広いニーズに応じた祈りを作成することも検討しています。
 建築の際に、建築業者などとの関係で、いわゆる鍬入れや上棟等の儀礼を行わなければならないという習慣がある地域もあるでしょう。それらに対応する祈りも考えています。火葬を終えた後に、葬儀を行う習慣の地域もありますから、そのための式文も検討すべきと考えています。
 果たして式文委員会がそこまで用意する必要があるのかという、ご意見もあるでしょう。もちろん、教会や牧師が信徒とのかかわりの中で、心を込めて祈り、必要ならば自分で成文化した式文を作成すればよいですし、そのことはとても大切な姿勢です。
 しかし、それを考えて準備する際の一つの参考資料として、あるいは緊急の際に必要に応じて利用するために、さらには牧師がすぐに駆けつけることができない場合に信徒の奉仕者や家族が祈るときに用いることもできる等の理由から、さまざまな式文を用意できればと考えています。
 四旬節から復活祭に至る礼拝のための式文(灰の水曜日、枝の典礼、聖木曜日、聖金曜日、復活徹夜祭等)も、共同式文委員会が担当して作成をしています。朝や夕の祈りも必要であろうと考えます。

ルター、バッハ、宗教改革500年 1

徳善義和

「待望、憧れと喜びをもって今こそ来ませ」(教会讃美歌1番)

 11月の最後の主日から待降節が始まる。礼拝では教会讃美歌1「今こそ来ませ」を歌う教会が多いことだろう。オルガニストがこのルターの讃美歌の、バッハによるコラール前奏曲の一つを前奏に弾く教会があるかも知れない。いくつかの前奏曲の中には、主の来臨を待ち望んで、これを待つ憧れる思いが切々と伝わってくるものもある。この讃美歌に基づく、これまたいくつもあるバッハのカンタータを聖歌隊が歌う教会はないかもしれないが、カンタータ61などは、待ち望んでいる主が来られる喜びを合唱が声高らかに歌うのである。
 宗教改革が始まって5年、ワルトブルクでの9ヶ月からヴィッテンベルクに戻ったルターは翻訳した新約聖書の出版に続いて、礼拝改革を始め、礼拝への民衆参加を促した。そのためにそれまでのラテン語の礼拝はドイツ語に変わり、司祭や修道士だけが歌っていた歌は、ドイツ語で民衆みなが歌うことになる。着手したのは教会暦の順に歌う会衆讃美歌だった。その最初の一つがこの「今こそ来ませ」である。ルターは中世以来歌われてきたこの賛歌のメロディーにも歌詞にも手を加えて、会衆讃美歌としたのだった。
 バッハはルターから200年、ルターゆかりの地で生まれ、その辺りのいくつものルーテル教会、最後には27年もライプツィヒのルーテル教会の教会音楽家として活動した。ルター訳の聖書を読み、その注解を手にして、ルターやその流れを汲む作詞者や作曲者の会衆讃美歌を中心に据えたオルガン曲やカンタータを軸に教会音楽活動を続けたのである。
 「今こそ来ませ」を待降節の礼拝で歌うとき、ここにもその背景にあるルターの宗教改革、その信仰を継承した作詞者、作曲者、バッハたちの教会音楽活動の流れの中に私たち日本のルーテル教会も立っていること、それを私たちなりに今日に展開していくことを心に留めたい。

第19回全国青年修養会「R498th」に参加して

平井瑤子(市ヶ谷教会)

 9月20~22日に稔台教会を会場にして全国青年修養会が行われました。今回の修養会では、ルターについて学ぶ機会が多く与えられました。
 私自身、ルターは確固たる信仰を持ち続けてその生涯を過ごした神様みたいな凄い人というイメージを持っていましたが、講師である江口再起先生のお話「ルターの生き方」を聞き、私たちと同じように信仰に悩み苦しんでいたことに触れ、ルターはこんなに面白い人だったのかと親近感と興味が沸きました。
 私は、信仰が揺らぎやすく、日々の生活の中で神様と向き合う時間を持つことを忘れがちの未熟者ですが、ルターを通して神様が沢山の恵みをくださる存在だと再認識することが出来ました。
 ルーテル教会に通っていて、ルターのことは身近に感じつつも、これまであまり詳しく知ろうとしなかった自分が恥ずかしく思え、これを機会に学びたいと考えるきっかけとなりました。江口先生のお話はとても分かりやすく、私以外の参加者もルターに興味を深く抱くきっかけになったことと思います。
 そして、私たちの仲間である下川正人くんが参加した、ドイツで行われたLWF(ルーテル世界連盟)のヤングリフォーマーの会議についての報告の機会も持てました。
 宣教500年に向けて盛り上がるドイツの写真や世界のルーテル教会の若者たちによる会議での内容を聞いて、ルターの起こした宗教改革によって、 多くの人が長い月日をかけて、同じ信仰を持つ者として繋がってきたことの凄さを実感しました。
 3日間を通して、参加者同士が交わる多くの時を持ち、様々なことをシェア出来て、とても密度の濃い時間を過ごすことが出来ました。
 この修養会のために働いてくださった方々、出会ってくださった方々に感謝をしています。またお会いできるのを楽しみにしています!

LWF青年会議「ワークショップ・ヴィッテンベルク」報告

下川正人(市ヶ谷教会)

 8月下旬から2週間、ルーテル世界連盟(LWF)主催の青年国際会議「ワークショップ・ヴィッテンベルク」に参加しました。ルターによる宗教改革発祥の地であるドイツのヴィッテンベルク市で開催されたこの会議には、LWF加盟教会の青年代表者ら140人超が集い、私は日本福音ルーテル教会の代表として出席しました。
 LWFは、2017年の宗教改革500年に向けて、様々なプロジェクトを進めています。そのうちの一つが「グローバル・ヤング・リフォーマーズ・ネットワーク」というもので、「2017年に備えて、世界中の『若き改革者』(ヤング・リフォーマー)が連携するためのネットワークを作ろう」というのがその趣旨です。今回の会議は、このプロジェクトにおける最大のイベントであり、全世界のヤング・リフォーマー同士が直接顔を合わせる最初で最後の機会でした。
 会議では、神学、人権・環境などの国際問題、エキュメニズム(超教派主義)など多岐にわたるテーマについて、講演やパネルディスカッションなども交えて、充実した話し合いが行われました。
 その根底にあったのは、「宗教改革は現在も進行中である」という思想であり、ルター派の教会に連なり、ルターの改革を受け継いでいく者として、現代の世界で何が出来るのか、深く考える貴重な時となりました。
 異なる文化を持つ参加者が一堂に会し、共に議論をするのは、 非常に刺激的な体験でした。 同じルター派でも、参加者それぞれの意見は多様ですが、その多様性から学び、また一致点を見出していくことが、私たちの「改革」の第一歩だと感じました。
 また多くの教会の仲間を得たことは、2017年に向けて力強い後押しになると思います。

関西地区秋の修養会報告「細川ガラシャと玉造教会」

坂梨スズヱ(大阪教会)

 秋晴れの快晴の中で、関西地区宣教協議会主催の秋の修養会が、大阪カテドラル玉造教会聖マリア大聖堂で行われました。
 司祭の神林宏和神父からお話を伺うことができました。 カテドラルとは椅子の意味で、司教さまの座る椅子が置かれている聖堂だということ。 1963年に聖堂が出来た頃はラテン語の礼拝が行われ(神林神父もラテン語でお話ができたそうです!)、聖職者中心の考え方だったから聖壇は会衆席から遠く離れていたけれど(何と3段も上に聖卓があり、会衆席の一番前から10メートルは離れているのです!)、第2バチカン公会議以後、すっかり考え方がかわり、苦労して聖壇を会衆席に近づける工事をしたことなど、聖堂の歴史からお話は始まりました。
 聖堂の中心には、安土桃山時代の衣装を着た聖マリアが描かれ、その右側には細川ガラシャが自死できないため小笠原秀清によって殺されようとする場面、左側には高山右近が流刑される場面が描かれています。この絵画は京都の故堂本印象画伯によるもので、あまりの大きさのため耐震工事の実施の時、聖堂から出すことも考えましたが、出す窓がないため慎重に工事が行われたそうです。
 帰り道には、聖堂すぐ近くにある「越中井戸」(細川忠興邸宅内の井戸とされている)にもみんなで寄り、細川ガラシャの辞世の句である「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」が石碑に刻まれているのを確認することができました。
 カトリック教会では長く、結果的に自死した細川ガラシャよりも高山右近の方が評価が高かったというお話しをお聞きしながら、何だか、一気に400年ほど前にひとっ飛びしたような思いの中で、キリシタンとして生きた人たちの当時の信仰に思いを寄せるひとときでした。

宗教改革500年記念 バナーキャンペーン、始まります。

 「ヨーロッパの街並みに溶け込むアート作品のようなデザインは、日本でも関心を呼ぶのではないか。」と広告やブランディングの専門家からのアドバイスをいただきました。それを受けて、当初の日本福音ルーテル教会の宗教改革500年記念事業のために作成されたシンボルマークをバナーとして各地に掲げる計画から路線変更を行うことになりました。
 クラナッハの書いたルターの肖像を現代風にアレンジし、ドイツのナショナルカラーである黒・赤・黄でまとめられたこのデザインは、ドイツのルーテル教会を含むプロテスタント教会の共同体であるドイツ福音主義教会(EKD)による宗教改革500年ロゴです。ドイツ語版と英語版が発表され、用いられていますが、これの日本語版を作成しました。
 ルターの顔は、小さな子どもたちには怖いという印象を与えてしまうのではないかとの声も受けましたが、多くの人が中学や高校時代に歴史の教科書で見たことのある顔を前面に出すことでのアピールの効果を期待しています。
 これを掲示する教会や学校、幼稚園、保育園、社会福祉施設などが、ルターと関係のある団体であること、またルーテルとはルターと関係があることを知り、また世界が宗教改革の始まりから500年の節目に立つことをお伝えすることになればと願っています。
 今回、全国の134教会・礼拝所(堂)と学校や幼稚園、保育園、社会福祉施設などにご協力をいただくことになり、193の拠点に同じデザイン(サイズは大小の2種)のバナーが設置されます。追加の申し込みもお受けします。設置されましたら、ぜひ写真をお撮りくださり、ホームページや個人のSNSなどでもお分かちください。また、その写真データを広報室へお寄せください。ルーテルグループの互いのつながりを味わうことにもなろうかと思います。
 ポスターやステッカーを作るためのデザインのデータも配布できます。ご利用ください。
広報室 koho06@jelc.or.jp

   

 

 

 

 

 

 
  

 

 
 
 
  

  

 

      

15-10-17これはいったいどういうことなのか

「人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。」 (使徒言行録2章12節)

 人には自分の力(理性)で知ることができるものとそうでないものとがある。
 ルターが気づいたことでした。宗教改革に身を置いて聖霊だけが教えるものがあるとルターは悟ってゆきます。「私は何もしなかったのだ。みことばがこのすべてを引き起こし、成就したのである」(「四旬節第2説教」1522年3月10日※)と述べたのはそのような思いからであったのでしょう。その思いはルターその人のものでありながら、同時にいつの時代のキリスト者にも共通する体験となります。実際、それは教会のはじめからあったものでした。使徒言行録2章に記されている聖霊降臨の出来事です。そこで〈教会の誕生(聖霊降臨祭)〉から〈教会の歩み直し(宗教改革記念)〉を結び合わせる聖霊の働きに思いを向けたいと思います。

 使徒言行録2章にある聖霊降臨には「一同」と呼ばれる聖霊が降ったという人々のほかに、その傍で「これはいったいどういうことなのか」と驚き戸惑う人たちがいました。この日から人々は聖霊を受け、宣教に本格的に乗り出します。主の言葉を伝え、信仰の伝播がはじまります。しかし、そこに別の人たちがいたことも使徒言行録はきちんと述べています。最初の聖霊体験にこの人たちの戸惑いと驚き、意外性とつまずきの体験が含まれていることには大切な意味があったと思います。

 もし仮に聖霊降臨が「一同」と呼ばれる一部の人たちだけの話なら、当人に重要であっても、他の人々にはほとんど関わりのない話です。聖霊降臨が誰にあったかではなく、次に何が起こったのかが使徒言行録の関心事です。そうして2章から「一同」と、驚き戸惑う人たちの物語がはじまります。私たちはみな、この物語を生かされているものでもあるのです。

 聖霊が注がれてこの人たちが気づいたことがありました。事の始めに、自分たちの言葉と思いと計画を超えているものがあるということをです。宣教のはじめに良い思いがあり、その終わりに良い業がある。私たちの業ではありません。旧約聖書のはじめに「光あれ」(創世記1・3)といった御業についてです。

 私たちには教会の門をくぐったり、洗礼を受けたり、新しい何かをはじめるときに自分なりの動機やきっかけがあります。いろんな出会い、導き、出来事があります。いずれも大切ですが、聖霊を軸に考えるとさらに大切なことに気づきます。

 そのはじめに神が事を起されていた。それを測りがたいものとしてキリスト者は受け入れます。時に口ごもりながら、時に迷いながらです。そして信じた通りに生きて歩んでいこうとします。そこに人の行き交いがあり、神の導きがあることを心の眼で互いに見ようとします。

 最初の聖霊降臨祭には異なる人たちがいて、その日の出来事にはつづきがありました。同様に、信仰生活には自分を超えて、他者がいて、相手があることに気づく時があり、使命や託せられたものがあることを心で受け止める時があります。それがなかったら教会や信仰生活は、片方の翼で飛んで行こうとするようなものです。初代教会でいえば、弟子たちや周囲の人で、聖霊が降った、恵まれたといって喜び祝い、やがてその人たちがいなくなれば終わってしまう信仰です。

 使徒言行録は人から霊へと視線を転じます。聖霊の行先へと自らの歩みを重ねてゆきます。2章12節のつまずきは、続く41節の教会の誕生へと跳躍します。「ペトロの言葉を受けいれた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒2・41〜42)。 使徒言行録は28章で終わりますが、この聖霊の働きは終わっていません。そのつづきが次の世代の人々によって担われ、さらに福音は手渡しされ、ここまできています。そのはじめに主の言葉があり、聖霊の導きがありました。宗教改革500年の時を刻むとき、「聖霊だけが教える」ものがあることを心に留めたいと思います。

日本福音ルーテル田園調布教会・日本ルーテル神学校 宮本新牧師

15-10-01るうてる2015年10月号

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説教「これはいったいどういうことなのか」

 
「人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。」 (使徒言行録2章12節)

日本福音ルーテル田園調布教会・日本ルーテル神学校 宮本新牧師 

人には自分の力(理性)で知ることができるものとそうでないものとがある。
 ルターが気づいたことでした。宗教改革に身を置いて聖霊だけが教えるものがあるとルターは悟ってゆきます。「私は何もしなかったのだ。みことばがこのすべてを引き起こし、成就したのである」(「四旬節第2説教」1522年3月10日※)と述べたのはそのような思いからであったのでしょう。その思いはルターその人のものでありながら、同時にいつの時代のキリスト者にも共通する体験となります。実際、それは教会のはじめからあったものでした。使徒言行録2章に記されている聖霊降臨の出来事です。そこで〈教会の誕生(聖霊降臨祭)〉から〈教会の歩み直し(宗教改革記念)〉を結び合わせる聖霊の働きに思いを向けたいと思います。
 使徒言行録2章にある聖霊降臨には「一同」と呼ばれる聖霊が降ったという人々のほかに、その傍で「これはいったいどういうことなのか」と驚き戸惑う人たちがいました。この日から人々は聖霊を受け、宣教に本格的に乗り出します。主の言葉を伝え、信仰の伝播がはじまります。しかし、そこに別の人たちがいたことも使徒言行録はきちんと述べています。最初の聖霊体験にこの人たちの戸惑いと驚き、意外性とつまずきの体験が含まれていることには大切な意味があったと思います。
 もし仮に聖霊降臨が「一同」と呼ばれる一部の人たちだけの話なら、当人に重要であっても、他の人々にはほとんど関わりのない話です。聖霊降臨が誰にあったかではなく、次に何が起こったのかが使徒言行録の関心事です。そうして2章から「一同」と、驚き戸惑う人たちの物語がはじまります。私たちはみな、この物語を生かされているものでもあるのです。
 聖霊が注がれてこの人たちが気づいたことがありました。事の始めに、自分たちの言葉と思いと計画を超えているものがあるということをです。宣教のはじめに良い思いがあり、その終わりに良い業がある。私たちの業ではありません。旧約聖書のはじめに「光あれ」(創世記1・3)といった御業についてです。
 私たちには教会の門をくぐったり、洗礼を受けたり、新しい何かをはじめるときに自分なりの動機やきっかけがあります。いろんな出会い、導き、出来事があります。いずれも大切ですが、聖霊を軸に考えるとさらに大切なことに気づきます。
 そのはじめに神が事を起されていた。それを測りがたいものとしてキリスト者は受け入れます。時に口ごもりながら、時に迷いながらです。そして信じた通りに生きて歩んでいこうとします。そこに人の行き交いがあり、神の導きがあることを心の眼で互いに見ようとします。
 最初の聖霊降臨祭には異なる人たちがいて、その日の出来事にはつづきがありました。同様に、信仰生活には自分を超えて、他者がいて、相手があることに気づく時があり、使命や託せられたものがあることを心で受け止める時があります。それがなかったら教会や信仰生活は、片方の翼で飛んで行こうとするようなものです。初代教会でいえば、弟子たちや周囲の人で、聖霊が降った、恵まれたといって喜び祝い、やがてその人たちがいなくなれば終わってしまう信仰です。
 使徒言行録は人から霊へと視線を転じます。聖霊の行先へと自らの歩みを重ねてゆきます。2章12節のつまずきは、続く41節の教会の誕生へと跳躍します。「ペトロの言葉を受けいれた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒2・41~42)。 使徒言行録は28章で終わりますが、この聖霊の働きは終わっていません。そのつづきが次の世代の人々によって担われ、さらに福音は手渡しされ、ここまできています。そのはじめに主の言葉があり、聖霊の導きがありました。宗教改革500年の時を刻むとき、「聖霊だけが教える」ものがあることを心に留めたいと思います。

宗教改革五〇〇年に向けてルターの意義を改めて考える(42)

ルター研究所所長 鈴木 浩

「義」という言葉は、ルターにとって「つまずきの石」であった。「義」とは正しさ、正義のことなので、人一倍罪の意識が強かったルターにとっては、この言葉は「裁き」という言葉と直ちに重なった。「裁き」は地獄の永遠の炎をイメージさせた。
 修道会は、学歴が突出し、しかも真面目な修道生活を積み重ねているルターを新設のヴィッテンベルク大学の教師になるよう命じた。修道士には、上司からの命令に黙って従う他に選択の余地はなかった。
 旧約聖書学教授になったルターは、1513年から詩編の連続講義を始めた。朝の6時からの授業である。その間の事情は徳善先生の『マルティン・ルター』(岩波新書)に詳しいが、ルターはこの講義の際に、この「つまずきの石」に文字どおりつまずいてしまう。詩編31編2節(ラテン語版)でのことである。
 そこには、「あなたの義によってわたしを解放してください」とあった。「罪人である自分が神の正しさによってどうして解放されるのか」。彼にはどうしても分からなかった。
 しかし、長い苦闘の末に、この「つまずきの石」が「神学的突破」のきっかけとなった。

議長室から

「ルーテルはルターのこと」

総会議長 立山忠浩

10月はルーテル教会に属する者にとっては特別な月です。1517年のマルティン・ルターによる宗教改革が10月31日に始まったからです。
 2017年の宗教改革500年まであと2年と迫って来ました。この記念事業は、すでに出版物の取り組みなどは始まっていますので、購入いただいた方や学習会で用いていただいた教会もあることでしょう。
 今後の2年間の記念事業の活動の骨子がようやく確定し、これから具体的な動きが本格化して行くことになります。 第1弾として近々「統一バナー」が皆さんのお手元に届けられる予定です。全国の教会、施設、学校、幼稚園・保育園で、このバナーを2年間設置していただくことをお願いします。
 この宗教改革500年事業を行う狙いをいくつかの切り口で説明して来ましたが、より皆さんに理解していただくために、「教会の内」と「教会の外」と二つに分けて説明することにしました。
 「教会の内」とは、教会に属し、教会の内にいる私たちのことです。私たちは、ルーテル教会に属していることの誇りと感謝の思いを強める機会としたいのです。ルターの書物と思想を学び直し、彼が指差した聖書のまことの福音に出会う喜びを、一緒に分かち合うことを目指すのです。
 「教会の外」とは、教会、施設や学校、幼稚園や保育園を外から眺めている方々のことです。教会に限れば、私たちの伝道の対象であり、 教会に招きたい方々のことです。道行く方々に教会の門をくぐってもらうためには、まず教会の存在に気づいてもらい、さらに「入ってみようかな」という興味を持っていただかなければなりません。ここの狙いは、教会の外の人が門をくぐり、聖書の福音に出会ってもらうことです。
 もちろんこれは容易なことではありませんが、宗教改革500年の風は、私たちにとって追い風となるに違いありません。道行く方々の中には「宗教改革者ルター」の名前は知っている方も多いからです。でもそれが「ルーテル」という名とつながっていないのです。バナーによって、「ルーテルとはルターのこと」というメッセージが発信できることでしょう。私たちの宣教の第一歩となることを願っています。

「共に、未来を切り拓くために」第11回るうてる法人会連合総会報告

現地準備委員 髙橋睦 (東京老人ホーム)

 本総会は、「新しい宣教の展開」の先にある望む未来を、私たちは共にどのように切り拓いていくか、をテーマとして8月25~26日に、ルーテル学院(東京・三鷹)を会場に開催されました。 
 連合会会長である立山忠浩議長の「神の霊が宿る器として」と題する説教で幕を開け、基調講演は「少子長寿社会に求められる教育機関及び民間機関の役割~三鷹市での協働の事例からの期待~」と題し、三鷹市長であり、ルーテル学院大学客員教授でもある清原慶子さんをお迎えしました。三鷹市長として、未来に大きく明確なビジョンを掲げ、地域社会が一体となる協働を推進してきた実践とその成果をさまざまな例から示していただきました。法人会連合の課題解決に向けて、連携・協働を考えさせられる講演でした。
 初日後半は、まずルーテルグループの4つの法人の実践報告で、キリスト教精神を理念に掲げたそれぞれの活動実践と、望む未来の目標、さらにそこに向かう現在に取り巻くさまざまな課題が報告され、現実の厳しさを実感しました。望む未来の実現について、ルーテルグループはどのように取り組めばよいのか、さらなる議論が望まれましたが、続きは翌日の分科会に引き継がれています。
 レセプションでは、ブラウンホールを会場に、50名の参加者が自己紹介をして、和やかに交流が深められました。
 2日目、参加者は6グループに分かれ、それぞれの働きを踏まえながら、前日からの課題や未来について話し合い、相互に発表と話題共有がなされました。
 総会協議では、各法人会及び連合会諸委員会の活動報告がなされ、相互理解を深めた後、分科会からの提案や要望の実現に向けて、今後の各法人会・諸委員会、宗教法人などで検討されることが決議されました。
 次回連合会総会は、宗教改革500年の年になるため、宗教法人からは、連合活動を全国的に展開・推進する総会になること、そのための準備委員会を立ち上げること、さらに、記念のさまざまなキャンペーンを企画していることが報告され、連合会の協力が決議されました。また、次回の会場は九州ルーテル学院(熊本)を会場とすることが決定されました。
 2日に渡った報告、討議、課題の共有と祈りは、大柴譲治副議長による閉会礼拝で祝福を受け、「宣教共同体」として派遣され、それぞれの地域社会に新たに出かけて行きました。

認定NPO法人 「いわき放射能市民測定室 たらちね」について

プロジェクト3・11企画委員 李 明生

 東日本大震災での福島第1原子力発電所事故から約3ヶ月後、地域住民の願いによって「いわき放射能市民測定室 たらちね」が発足しました。発足に際してはNCC(日本キリスト教協議会)ドイツ教会関係委員会委員長の菊地純子さんが海外教会への支援の呼びかけに尽力され、JEDRO(日本キリスト教協議会エキュメニカル震災対策室)による最初の支援先となりました。ドイツをはじめ、北米、韓国、香港、オーストラリア、スイスの教会からの支援を受けて測定器が設置され、活動が開始されました。
 「たらちね」事務局は子どもを持つ母親達を中心に運営され、安全な食と生活を望む地域住民の求めに応じて、食材に内在する放射能の測定、人体の全身放射能測定、生活領域の土壌測定などを行い、そのデータを公開する活動が続けられています。
 地域の生活に寄り添う中で事実を明らかにし、内部被曝の問題に正面から取り組むことで、一人一人の不安を乗り越えてゆくことが目指されています。また子どものための甲状腺健診や、沖縄での保養プログラムの募集なども行われています。 2012年12月には認定NPO法人となり、現在も全国からの寄付金および会費によって運営がなされており、プロジェクト3・11も支援に加わっています。
 東日本大震災から4年余りが経過し、日本社会の中では震災と原発事故の記憶は日々薄れつつあるようにも思います。しかし原発事故の影響はわずか数年で解消されるものではなく、これから何年も何十年もかけて向き合ってゆかなければならない問題です。それは自然環境の中に残された問題であると同時に、被災地域に生きる人々の心にも大きな爪痕を残していることを私たちは覚えてゆくことが必要だと思います。

礼拝式文の改訂

18「礼拝式文の音楽」(その3)

式文委員 松本義宣

 中世の美しく華麗な「教会音楽」を司祭や音楽専門家が独占し、会衆はその視聴(とパンのみの聖餐)に終始し、いわば礼拝の傍聴者にすぎない時代の中で、ルターの宗教改革が起こります。詳細は省きますが、会衆も参加できる教会音楽の創出、専門家でなくても、音符や字すら読めなくても、聞いて覚え復唱して「神の奉仕」たる礼拝に主体的に参与することができるようになります。
 その際、すべて創作したのではなく、馴染みある伝統的な典礼歌の翻訳と改作、簡潔化から始まり、そこから、後に讃美歌に発展する「衆参歌=コラール」も生まれます。複雑な「ミサ曲」から、会衆も一緒に歌うための試みは、『教会讃美歌』231~235番にありますし、『讃美歌21』の86番はルター作の「神の小羊(アグヌスデイ)」です。同じく『讃美歌21』の25番(「小栄唱」=グロリア・パトリ)も、1524年の式文(ストラスブルク)で既に用いられたものですが、この二つは現在のドイツでも礼拝で用いられています。
 ただ、重要なのは、式文もですが、当然音楽も強制や規範化、固定化をするものではなかったということです。福音、神の言葉の中心性を中心に置き、後はそれぞれの教会が、地域や文化や伝統に従って、歴史的経過によってその時に相応しく整え、用いていくのです。
 そのような経過の中で、私たち日本のルーテル教会は、アメリカのルーテル教会の影響を大きく受けて「式文の音楽」を持って来ました。が、そのアメリカ教会も、移民国家として様々な影響下で成立、合同してきた経緯があります。 多くは北欧の教会に由来し、その北欧の音楽も、中世来のグレゴリオ聖歌やアングリカンの「チャント音楽」に起源があるようです。この小文で詳述はできませんが、現行の「青式文」Aに採用された、今最も馴染みのある音楽は、そのアメリカの「1958年版式文」から、以前の「茶式文」に採用されたものを、新たに編曲流用したもので、そのために現行の式文が広く普及するのに寄与したと思われます。Bは、近代以降の調性を用いた小節線がある「有拍音楽」でフィンランドに由来しています。Cは、この青式文のために日本的な旋法を用いて創作された新曲でした。
 さて、今回の式文改訂にあたり、多くの方々の関心と興味が音楽にもあるようです。結論からいうと、創作をお願いしているセットは幾つかありますが、結論は出ていません。というより、出すのは教会、会衆の皆さんというしかないのではないかとも思います。
 そもそも、現在、ほとんどの教会で用いているA、これも絶対ではなく、私たちの文化や現状から見て、そのままでいいのかという問題があります。また「日本語を歌う」、このことにも重要な課題が多々あります。式文を歌うとはどういうことなのか?そもそのAを私たちは正しく相応しく歌えているのでしょうか。せっかくのBやC、これも、その存在も知らない現状すらある私たちの「式文の音楽」。もっと自由闊達に様々なものを使用(試用)し、固定化ではなく「新しい伝統を造る」、私たちはまだその途上にあるのではないか、そう思えてしかたがありません。

連載 マルティン・ルター、人生の時の時(9)

江口再起

これまで、ルターの人の時を、7つの局面に区切って学んできました。  

(1)誕生(1483年、0 歳)―「近代」という時代の幕開け
(2)落雷(1505年、22歳)― 青年の危機(信仰の葛藤)
(3)塔の体験(1513年 ~1516年?、30歳ころ)―神の恵みへの開眼
(4)95ヶ条(1517年、34歳)―宗教改革運動の 開始
(5)ヴォルムス国会(1521年、38歳)―改革運 動の前進(「われ、ここに 立つ」) 
(6)結婚(1525年、42歳)―生きることは、山あり谷あり
(7)死(1546年、63歳) ―「それでも、リンゴの木を植える」

 さて、最後に全体をまとめておきましょう。三点あります。
 第一点、神の恵みがすべてだということです。「恩寵義認」です。
 第二点。人生そして信仰も教会も山あり谷あり、その中で人間は生きることも死ぬことも受けとり受け入れ、それでもリンゴの木を植える。「受動的能動性」ということです。
 そして第三点目。それはこの世界が「神のすばらしき創造の世界」だ、ということです。いろいろある、人生も信仰も教会も世界も。それでも人は生きてゆく、生きてよい(「受動的能動性」)。したがって、この世界はすばらしいということです。神が創造し、それゆえ救済してくださるこの世界。だからヒロシマとフクシマの後でも、明日はとても明るい日がくるのです。「恩寵義認」、「受動的能動性」、「神のすばらしき創造の世界」。ルターを学ぶということは、神の恩寵の下、明るく生きるということです。     (了)

第22回東教区宣教フォーラム報告

準備委員長 木村 猛

 東教区宣教フォーラムは、2017年の宗教改革500年を踏まえ、昨年から『宗教改革を語れる信徒になろう!』をテーマに開催しています。前回はこの「るうてる」にも掲載された江口再起先生のルターの信仰の人生をめぐる講演「マルティン・ルター、人生の時の時」でした。今回は、その第2弾として「礼拝にいきるルターの心」を学ぶことにしました。
 梅雨空の7月4日、会場の東京教会に120名余の信徒が参加しました。私たちの信仰生活の中心の礼拝が宗教改革でどのように変わり、今に続いているのか、そして、現在検討されている式文改訂案をどう考えるのかが興味深い課題でした。
 主題講演を担当してくださった松本義宣牧師から、当時の礼拝の様子と、ルターが提唱し、実施された信徒の礼拝参加、神への応答の賛美、祈りとしての讃美歌等々、今に繋がるルーテル教会の礼拝が語られました。500年続くルーテル教会の礼拝の成り立ち、その中に宗教改革の真髄である「信仰のみ、恵みのみ、み言葉のみ」が生かされ、式文によって伝えられてきたことへの理解が、参加者のアンケートの回答によって確認されています。
 検討中の式文改訂案に基づいた礼拝は、チャント(交唱)のメロディが完成していないので、言葉を唱えることによって進めました。アンケートの回答では、言葉を大事に受け取れた、おおむね良いというものが大部分であり、一部で順序(奉献の位置)について違和感があるというものがありました。500年を記念して、もう一つの式文が与えられることを感謝したいと思います。
 午後のワールドカフェ(6名単位の少人数での語らい)では他教会の礼拝の様子、信仰生活の披露で話に花が咲き、旧交をあたため、他教会を知る良い機会でした。また、ルターが作詞・作曲したいくつかの讃美歌を松本牧師の解説とともに歌い、音楽のルーテル教会を感じる一時をも過ごすことができました。
 次回は信仰の中心である「聖書」を取り上げたいと考えています。

「春の全国ティーンズキャンプ2016」 in 神戸 スタッフ募集のお知らせ

2016年3月28~30日に神戸市立自然の家にて開催される、「春の全国ティーンズキャンプ」をティーンズと一緒に過ごしてくださるスタッフを募集します。 募集するスタッフは、リーダー、オーディオ、マネジメント、賛美です。
 詳細は、以下のサイトよりご確認ください。 
http://the-next-g.blogspot.jp宣教室TNG委員会ティーンズ部門

ルーテルこどもキャンプ報告

キャンプ長 高垣嘉織(三鷹教会)

 第17回ルーテルこどもキャンプ「フレンドリーアイランド ~トンガ王国へようこそ~」が8月6~8日にルーテル学院大学にて行われました。今年は全国から小学5、6年生のキャンパーが26名、リーダーやスタッフ、ボランティアも合わせると総勢約60名の仲間と一緒に3日間を過ごしました。
 プログラム内容は「クイズdeトンガ」「トンガ王国体験ハイク」「トンガ王国クッキング」「トンガ人takaiさんファミリーのおはなし」など、出会う・考える・体験する・味わう・聞く・祈るという様々な働きを通して学びました。とても暑い中でのキャンプとなりましたが、こどもたちの笑顔がいっぱいの3日間となりました。
 キャンパーのみなさんには、ひとつ宿題を出しました。「あなたの大切なものは何ですか?」という宿題です。家族、ペット、友だち、命、神さま・・・ たくさんの大切なものを考えてきてくれました。私たちは、日々の生活に追われて自分の大切なものを忘れてしまいがちです。このキャンプでトンガ王国について学びながら、トンガに住んでいるまだ会ったことのない友だちが大切にしているものは何か、私たちの大切にしているものは何かを今一度考える大切な時間となりました。そして、最後の礼拝では、神さまの大切なものは何かを思いおこし、主題聖句の「我らは神の中に生き、動き、存在する。」(使徒言行録17章28節)というみ言葉から、それはここにいる私たちや、トンガにいる友だち、この同じ空の下にいるすべてのものなんだという思いをひとつにしたのです。みんなで神さまの恵みを分かち合うキャンプとなりました。
 また、こどもキャンプはジュニアリーダーとリーダーの存在が大きな力となっています。若い彼らにとっても、キャンプでの経験は信仰の糧となったことでしょう。彼らの尊い働きに、心から感謝です。来年ぜひ、”あなた”をお待ちしています!
 最後になりましたが、キャンパーを送り出してくださった各教会、教区のみなさま、スタッフのみなさま、そして神さまに感謝いたします。

全国青年バイブル

河田礼生(三鷹教会)

 今回のバイブルキャンプでは聖書について深く学ぶことができ、僕の聖書観や礼拝に対する考え方が大きく変わりました。
 僕は生まれてすぐ洗礼を受けたクリスチャンだったため、教会でいろんな人のお話を聞いてきましたし、大学でもキリスト教学科に属し、キリスト教や聖書について学んでいます。 また高校生までは、ティーンズキャンプにも参加してきました。しかし、今回のキャンプはそのどれとも違う新鮮な学びのときとなりました。
 まず旧約聖書を読むにあたって、今までは律法とか契約とか言われるたびにつまらなさを感じていたのですが、背景と結び付けながら読むと、これまでとは違ったとらえ方ができとても楽しく読むことができました。キャンプ後、旧約を読もうという意欲が掻き立てられました。
 また、講師の久保彩奈先生のお話しでは新約の世界観を変えられました。聖書の人物に自分を当てはめることはよくしてきましたが、自分の生活に聖書の出来事を結びつけることは、なかなかしてこなかったことでした。聖書の話を寸劇で再現することは昔からよくやってきたことですが、そのたびに新たな気づきや思いが生まれるので、とても良かったと思います。
 二日目夜の聖書黙想では一人で何度も同じ個所を読み、新しい発見をしたり、細かい疑問を見つけたり、また学んだことを実践してみたりととても有意義に過ごせました。とても長い時間をとっているなと思ったのですが、足りないくらいでした。ただ黙想の後にもう一度意見を提示する時間が欲しかったと思いました。同世代のクリスチャンと学べたこのキャンプはとても有意義でした。このようなキャンプに参加できたことを神に感謝いたします。

「卒寿」 なお「現役」

市丸清江、太田基、清野智佳子 (藤が丘教会)

「わたしは、皆さんのお支えのおかげで、教会へ通い続けられていられるのよ」そう語る田中易子さんは、2月23日に90歳のお誕生日を迎えられました。田中さんのクリスチャン人生は、そのまま教会オルガニストの人生であり、藤ヶ丘教会の礼拝には、いつも田中さんの姿とお働きがあったのです。教会の玄関には、ずっと以前から田中さんの描いた絵が飾られていて、皆さんを優しく迎えています。 藤が丘教会の30年以上の歩みと共に教会生活を守られ、今なお自在に讃美歌を奏でてくださる現役のオルガニストですが、その田中さんが話してくださったエピソードをご紹介しましょう。
 1925年(大正14年)、熊本生まれの田中さん。時が時だけに、軍国少女へと育てられたそうです。10歳の時に右ひじを骨折し、そのあと指が動かなくなり、ご両親も田中さんも困っていた時、教師であったお母様のオルガンで覚えたての唱歌を歌っていたら、少しずつ鍵盤に触れる指が動いたそうです。お母様は大変喜ばれ、すぐピアノの先生を探してくださったとか。一時期は、神水教会のチーフオルガニストからも、ピアノの指導を受けていたそうです。お母様の友人がクリスチャンだったことから、女学校時代にはお母様に連れられて聖書研究会へも出席しました。
 その頃、神水教会の牧師であった太田先生のご子息で、現在は藤ヶ丘教会会員の太田さんは当時中学生。若き日の田中さんが、お姉様と同じピアノ教師に習っていらしたことを覚えています。
その後、女学校から芸大への進学を目指した田中さんですが、時代と人々の考え方は若い田中さんの味方をしてくれず断念。その後、結婚と同時に西宮へ。でも教会とのつながりは絶えることなく、出産の際には牧師家庭のご協力を受けて、天王寺にいらしたこともあったそうです。
 ご伴侶の転勤で上京。落ち着いたところは大岡山教会の一本裏の通り。「神さまは行く先々で、いつもうちのすぐそばに教会を用意していらしたの。」そう話す田中さんは、27歳で受洗。以後、大岡山教会で長くオルガニストを務められ、藤ヶ丘ではピアノ教師として自宅で指導にあたりながら、献堂当時から教会を支え、毎週の礼拝に与りました。田中さんのご奉仕に改めて感謝すると共に、田中さんにすばらしい才能を与えてくださった神様に感謝します。
 2月15日の女性会の席上では、教会員の水野さんの手による紅白の絹地の折鶴と、皆さんからの寄せ書きのお祝いカードが、卒寿のお祝いとして送られました。ご自身について、いつも控えめにお話しになる田中さんを、同席された方々は、人生の素晴らしい先輩と受け止めたことでしょう。
 「卒寿」という言葉に相応しく、「子どもたちのことは、もう何も心配していないの。毎日、心穏やかに暮らしているのよ。」と優しくお話しになる田中さんは、立派に親業を遂げられ、思い煩う人生を卒業され、信仰生活の総仕上げの時期を迎えられたのですね。
 文頭の言葉にあるように、礼拝への送り迎えをお手伝いする者にも心を砕いてくださる田中さん、クリスチャンのお手本の田中さん、そして先輩オルガニストの田中さん、いつまでもますますお元気で「現役」でいらしてください。

15-09-17主よ、ください。

「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」
そこでイエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい」。
(マルコによる福音書第7章28、29節)

 何とはげしい、ことばとことばによるぶつかり合いであろう!  まさに火花飛び散る〈論争〉というにふさわしい。
 しかも、驚くなかれ。ここで、主イエスは――これまで、ファリサイや律法学者たちと論争をし、ことごとくその相手を打ち負かして来た主イエスが――負けておられるのである!  主は、この人のことばに負けてしまった…。いや、むしろ負けることを喜んでくださった。

 主イエスとがっぷり四つに組んでこの方を負かしてしまったのは、ファリサイや律法学者たちが「この者に触れたならばどうしたって手を浄めなければ食事が出来ない」と考えていた異邦人、しかも女性である。どう見ても当時は軽んじられていたに違いない。
 しかし、その女性が――ほんとうに小さな女性が――主イエスを説得してしまったのである!

 主イエスはこのとき、一人ガリラヤを離れ、地中海沿岸の地方の「ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられた」(マルコ7・24)。ある人は、主イエスもお疲れになったのでバカンスを取られたのだ、という。その当否はともかくとしても、ここに、そのように隠れてしまおうとなさる主イエスを引っぱり出してしまった人が出て来たのであった。「すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏し・・・娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ」(同7・25〜26)。
しかし、しかし――。必死の思いで飛び込んで来たこの母に対する、主イエスの応えのなんとつれなきことか。
「子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」(同7・27)。

 犬――。よくもこのような言葉を主はお使いになったものだと思う。異邦の民に対する明らかな卑称である。主イエスは「小犬」と仰ってその鋭さを和らげているのだと言う人もいるが、その厳しさにはいささかの変わりもない。

 主イエスに願っても、そのみ名を呼んでも、主が、神がみ顔を隠しておられる。想い起こしたらよい。舟を漕ぎ出して、突風の中で舟が大揺れに揺れる。ところが主イエスは黙ったまま、しかも熟睡しておられた。あるいは「先に向こう岸に行きなさい」と遣わされて、主イエスだけが陸地におられると逆風のために漕ぎ悩んでしまう――。主イエスを呼びたくても、呼べない。そういう悲しみと苦しみが、そこにある。

 ここも同じだろう。いくら呼んでも、叫んでも、主イエスはわれわれの願いを退けておられるように思える。主イエスはここでハッキリとこの者の願いを拒絶なさる。一線を引いておられる。しかし、この女性、「もうこの方は駄目だ、他の所へ行こう」、そうではないのだ。

 「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます」(同7・28)。

 彼女は言い返した。
 
 主よ、アーメン、その通りです!  しかし、食卓の下に、あなたのパン屑はこぼれ落ちる筈でしょう。確かにあなたはユダヤ人の救いのために来た。けれども、あなたの力はユダヤ人の救いのためだけに用いるには、まだまだ有り余るでしょう。あなたの恵みは実に豊かな筈でしょう。
 その僅かな部分、わたしにも頂けますね――。あなたはそれほどに豊かなお方です。

 そう、この人は、神に脅しをかけない。もしもわたしの願いを聴き容れてくださらなければあなたを神としません、イエスよもうあなたを信じません、そういう短気ではないのだ。 まさしく、神を神とする――。彼女はただ、主イエスの豊かさを見抜き、それに信じた。信じ動いた。全霊をもって。そして、顔を上げるのだ。

 「主よ・・・!  あなたは豊かなお方です」。

 どこまでもご自身を見上げる者に、主イエスは負けてくださる――。そして、彼女と同じく、神の子の前にひれ伏し、跪き続けるわたしたちにむかってこぼれ落ちてくるのは、この主のことば――。わたしたちが今も溢れるほど戴くのは、この主のことばをおいてほかにない。

 「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい」(マルコ7・29、口語訳)。 

日本福音ルーテル賀茂川教会牧師 神﨑 伸

15-09-01るうてる2015年9月号

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説教「主よ、ください。」

「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」そこでイエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい」。(マルコによる福音書第7章28、29節)

何とはげしい、ことばとことばによるぶつかり合いであろう!  まさに火花飛び散る〈論争〉というにふさわしい。
 しかも、驚くなかれ。ここで、主イエスは――これまで、ファリサイや律法学者たちと論争をし、ことごとくその相手を打ち負かして来た主イエスが――負けておられるのである!  主は、この人のことばに負けてしまった…。いや、むしろ負けることを喜んでくださった。

 主イエスとがっぷり四つに組んでこの方を負かしてしまったのは、ファリサイや律法学者たちが「この者に触れたならばどうしたって手を浄めなければ食事が出来ない」と考えていた異邦人、しかも女性である。どう見ても当時は軽んじられていたに違いない。 しかし、その女性が――ほんとうに小さな女性が――主イエスを説得してしまったのである!
主イエスはこのとき、一人ガリラヤを離れ、地中海沿岸の地方の「ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられた」(マルコ7・24)。ある人は、主イエスもお疲れになったのでバカンスを取られたのだ、という。その当否はともかくとしても、ここに、そのように隠れてしまおうとなさる主イエスを引っぱり出してしまった人が出て来たのであった。「すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏し・・・娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ」(同7・25~26)。
しかし、しかし――。必死の思いで飛び込んで来たこの母に対する、主イエスの応えのなんとつれなきことか。
「子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」(同7・27)。
 犬――。よくもこのような言葉を主はお使いになったものだと思う。異邦の民に対する明らかな卑称である。主イエスは「小犬」と仰ってその鋭さを和らげているのだと言う人もいるが、その厳しさにはいささかの変わりもない。

 主イエスに願っても、そのみ名を呼んでも、主が、神がみ顔を隠しておられる。想い起こしたらよい。舟を漕ぎ出して、突風の中で舟が大揺れに揺れる。ところが主イエスは黙ったまま、しかも熟睡しておられた。あるいは「先に向こう岸に行きなさい」と遣わされて、主イエスだけが陸地におられると逆風のために漕ぎ悩んでしまう――。主イエスを呼びたくても、呼べない。そういう悲しみと苦しみが、そこにある。
 ここも同じだろう。いくら呼んでも、叫んでも、主イエスはわれわれの願いを退けておられるように思える。主イエスはここでハッキリとこの者の願いを拒絶なさる。一線を引いておられる。しかし、この女性、「もうこの方は駄目だ、他の所へ行こう」、そうではないのだ。
 「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます」(同7・28)。 彼女は言い返した。
  主よ、アーメン、その通りです!  しかし、食卓の下に、あなたのパン屑はこぼれ落ちる筈でしょう。確かにあなたはユダヤ人の救いのために来た。けれども、あなたの力はユダヤ人の救いのためだけに用いるには、まだまだ有り余るでしょう。あなたの恵みは実に豊かな筈でしょう。
 その僅かな部分、わたしにも頂けますね――。あなたはそれほどに豊かなお方です。
 そう、この人は、神に脅しをかけない。もしもわたしの願いを聴き容れてくださらなければあなたを神としません、イエスよもうあなたを信じません、そういう短気ではないのだ。 まさしく、神を神とする――。彼女はただ、主イエスの豊かさを見抜き、それに信じた。信じ動いた。全霊をもって。そして、顔を上げるのだ。
「主よ・・・!  あなたは豊かなお方です」。
 どこまでもご自身を見上げる者に、主イエスは負けてくださる――。そして、彼女と同じく、神の子の前にひれ伏し、跪き続けるわたしたちにむかってこぼれ落ちてくるのは、この主のことば――。わたしたちが今も溢れるほど戴くのは、この主のことばをおいてほかにない。
「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい」(マルコ7・29、口語訳)。
日本福音ルーテル賀茂川教会牧師 神崎 伸

宗教改革五〇〇年に向けて ルターの意義を改めて考える(41)

ルター研究所所長 鈴木 浩

ローマ書3・22には、「イエス・キリストを信じる信仰による神の義」(口語訳)という言葉がある。日本語訳の聖書はほぼ一貫してこのような読み方をしてきた。文語訳も、口語訳も、新共同訳も同じ趣旨の訳し方になっている。
 ところが、もともとの表現は「イエス・キリストのピスティス」となっている。この「ピスティス」は通常、「信仰」と訳される言葉である。すると、ここは「イエス・キリストの信仰」となって、日本語では「イエス・キリストが持っていた信仰」という意味に受け取られてしまう。そこで「信じる」という言葉を付け加えたのだ。
 しかし、この箇所は、「イエス・キリストの生涯、死、復活を通して示された神の義」という意味である。その「イエス・キリストの生涯、死、復活」を「ピスティス」という一語で表したのだ。
 こうしたことはこの欄でもすでに指摘したが、非常に重要なので、改めて考えたい。キーワードはこの「ピスティス」と「神の義」である。ルターにとっては「神の義」という言葉が決定的に重要であった。そして、宗教改革はこの「神の義」をどう理解するのか、という点をめぐって始まっていたのだ。

議長室から

「実り多い秋の行事のために」

総会議長 立山忠浩

4月に赴任した都南教会は都会の町中に位置する教会です。小さな花壇ですが綺麗な花が目を楽しませ、立派なぶどうの木も植えられています。都会は自然界の営みとはほど遠い印象がありますが、意外と小さな自然が生きていることに気づかされる毎日です。
 先日から庭のこおろぎが鳴き始めました。夜になるとガマガエルがのし歩く姿も目にするのです。メダカの水槽に植えた蓮の葉っぱには、いつも小さなバッタが止まっていることに気づきました。 顔を近づけても逃げることなく、堂々としているのです。小さな存在であっても与えられた命に誇りを持ち、狭い庭の自然の中で健気に生きているように感じられ、思わず一礼したくなりました。
 主イエスの自然界の営みの教えから すぐに思い起こすのが「野の花を見よ」(マタイ6・25以下)という山上の説教でしょう。野の花や空の鳥を慈しまれる神様の愛を覚え、そこから、人間へのなおさらの神様の恵みを思い起こすのです。
 先日小さな文章をしたためた際に、私たちが礼拝ごとに用いる式文について改めて想起することがありました。礼拝はいくつかの部に分けられています。その始まりごとに「主が共におられるように」と司式者が会衆に唱え、会衆は「また、あなたと共に」と応唱しますが、これは神様の恵みがみんなに注がれていることを確認し合うためであることを覚えました。礼拝全体において、神様とイエス・キリストのご臨在があることを繰り返しからだに刻むのです。このことをルーテル教会では特に、説教と聖餐・洗礼によって刻印することは言うまでもありません。
 季節は秋に向かいます。各教会で伝道のための集会やバザーなど、地域に開かれた行事が企画されていることでしょう。また、教会によっては高齢者や子どもたちを覚えた礼拝、召天者を覚える記念礼拝など、一人ひとりのかけがえのない存在を神様が大切にし、慈しんでいらっしゃることをみんなで覚える礼拝も準備されていることでしょう。
 神様から与えられた自らの尊い命に誇りを持ち、それを互いが確認し合い、神様に感謝の思いを強めるための、そして神様と隣人に奉仕するさらなる歩みのための秋の行事や集会の上に、神様の祝福をお祈りいたします。

生涯つながる信仰の友と」ELCAユース大会報告

秋元ゆりあ(藤が丘教会)

 今回、私を含め世界から招かれた人々は15の国々からの30人でした。始めの1週間はシカゴでこの30人のために行われたオリエンテーションに参加しました。その後の10日間はサウスカロライナにて、4つの教会をまわって過ごしました。大会会場のデトロイトでの5日間は、コミュニティの日、 サービスの日、シノッドの日とに分かれ、コミュニティの日はマウントホーレブ教会(リビングストン先生の教会)の人々と過ごし、サービスの日には世界各地からの参加者全員でツアーに出かけました。 シノッドの日にはサウスカロライナから参加していた全員とイエス様が癒した体の不自由な人のお話について考えました。
 最も印象に残ったのは、同じ信仰を持つ3万人もの人が集まっていたということです。そのことに圧倒されましたが、とても楽しかったです。講演をしてくれる方々の話に参加者が感銘を受け、拍手をした時は、皆が一体となっていることを感じました。
 サウスカロライナでは4つの家庭にホームステイしました。 色々な種類のアメリカ南部の食べ物を食べてみたり、トランポリンパークに出かけたり、プールで泳いだりしてすごしました。神学校も見学できましたし、教会でオルガンを弾かせてもらいました。またチャールストンでは、牧師先生とユースディレクターが市内を案内してくれ、6月に襲撃事件のあったエマニュエル教会の記念会にも行くことができました。その後、マウントホーレブの教会の人たちと一緒にデトロイトに移動しました。
 ユース大会に参加して、アメリカで素晴らしい時間を過ごすことができ、多くのことを学びました。新しい友人もでき、言葉の壁を乗り越えて交流することができました。 また、 初めてベビーシッティングを経験し、サウスカロライナの人々の旗に対する思いも学びました。
 ものの見方が大きく変わるような体験をすることができ、 誰もが神様のお話を共有し、 神様の手となって働くのだから、一人ではないのだと実感することができました。
 素晴らしい時間を3万人の人々と一緒に過ごし、生涯つながれる友達と出会える機会を与えられたことに感謝しています。

諸教派との対話と理解の講話『日本福音ルーテル教会に聴く~宗教改革とは…~』報告

池谷考史(博多教会/福岡西教会)和田憲明(箱崎教会/聖ペテロ教会)

 6月28日、「カトリック福岡地区キリスト者一致推進の集い」の呼びかけにより、標記の集いが福岡市内のカトリック大名町教会にて行われました。
 この集いの趣旨は(エキュメニカル運動の一環として)「議論ではなく、知るということから始めたい」というもので、今回は前年までの日本キリスト教団、日本バプテスト連盟の講話に続き、3回目となりました。当日、会場にはカトリック信徒の方が多かったようですが、ルーテル教会からも20人ほどが参加し、全体でおよそ90名が集まりました。
初めに、2人の発題者がルターの生涯を切り口に宗教改革について話しを進めました。ルターはカトリック側から見れば教会に背く異端者でしたが、もともとルターは当時の教会に抵抗するために宗教改革を起こしたのでなく、人間の魂の救いを真剣に求めた結果であること、また、その彼を無条件で「あがめる」のではなく、彼自身、限界がある(ユダヤ人やトルコ人に対して心の狭い態度で接したなど)一人の人間だったことも率直に受け止めていることなどが分かち合われました。

 質疑の時間には「新教より旧教の方がよい、と教わったが、このような話を聞けたことは感謝だ。この日を夢見ていたから。」、「聖礼典など聖公会はカトリックに近いように思うがルター派の位置づけはどうか?」など、多くの質問が挙げられ、ルターや宗教改革、ルーテル教会への関心の高さが印象的でした。
 この集いが宗教改革500年に向けて、地域へのアピールだけでなく、目に見える歩み寄りの機会となったことはとても喜ばしく、実り多い時でした。

礼拝式文の改訂

17「礼拝式文の音楽」(その2)

式文委員 松本義宣

 以前、ヒーリングミュージック(癒しの音楽)ブームで、「グレゴリオ聖歌」のCDがベストセラーになりました。どこかで耳にした方も多いと思いますが、縁遠いどこかの修道士が歌っている別世界の音楽と感じる方もあるでしょう。でも、実はまったく同じではなくても、あなたも毎週礼拝で歌っているのですと言われると、少し興味が湧きませんか?
 ラテン語を用いる西方ローマ教会に「グレゴリオ聖歌」が登場し、礼拝音楽の源泉となります。むしろ、これはいわゆる西洋音楽の起源の一つと言ってもよいかもしれません。教皇グレゴリウス1世(在位590~604)に由来する名称ですが、実際は、それまで各地域で発展してきた様式が、9世紀以降にまとめられ、偉大な教皇名を冠して呼ばれるようになりました。特徴は、ラテン語を歌詞とする単旋律、無伴奏の歌で、拍子の感覚が弱く(無く?)、現在の調性音楽とは異なる「教会旋法」という音組織です。専門的なことは省きますが、ごく大雑把に言って、私たちの現行式文音楽「A」の(ロ)や、「サンクツウス(聖なる)」、「アグヌスデイ(神の子羊)」、それに聖餐式冒頭の「序詞」は、その伝統に基いているものです。
 また、散文としてラテン語訳された詩編を歌うために、独特な詩編唱定型が発展します。詩編の詩行の前半を「発唱句」で始め、「保持音」(一定の音程で歌う)で続け、「中間終止句」でいったん半終止させ、さらに詩行の後半で再び「保持音」に戻り、最終的には「終止句」で閉じる歌い方です。これも先に挙げた「教会旋法」に応じて様々なものがあり、やがて、詩編の前後に短い「答唱句」が付けられます。紙面ではなかなか分かりにくいのですが、『讃美歌21』の118番や、カトリック教会の『典礼聖歌』にある詩編歌などを参照ください。
 また、極めて大雑把ですが、後に、英語圏でやはりこの様式を土台にして「詩編」を歌うようになってできた「アングリカン・チャント」と呼ばれる形式があります。これは、私たちにも親しい例があります。式文「A」の「グロリア」がその典型です。さらに広く言えば、司式と会衆が交唱する形式、式文の(イ)や「キリエ」の(二)等もこの流れを汲みます。ちなみに「A」の「キリエ」(一)は、ボヘミヤ兄弟団によって歌われ、ルーテル教会により継承されてきた伝統的なものです。様々な伝統が、私たちの式文音楽にはあるのです。
 さて、音楽の歴史としては、単旋律のグレゴリオ聖歌に、同じ旋律を違う音程で重ねたり、繰り返しや新しい旋律を挿入したり、やがて別の対旋律を付けて、複数の旋律を歌ったりという試みがなされて教会音楽は発展し、豊かになっていきます。礼拝式文では「ミサ」と呼ばれる通常文(毎週不変の部分)と、固有文(その日特定の詩編や祈祷文)に音楽が付けられていき、「ミサ曲」が誕生します。中世にはポリフォニー(複数の旋律が独立して調和を保つ)全盛の時代を迎えます。しかし当然、音楽は複雑化し高度化します。専門家や訓練を受けた聖歌隊以外は、礼拝に参画できない時代が長く続くことになります。(続く)

連載 マルティン・ルター、人生の時の時(8)

死(1546年、63歳)―「それでも、リンゴの木を植える」

江口再起

 やがてルターは死を迎えます。体調が悪かったのですが、マンスフェルト伯家の遺産争い調停のために旅に出かけその途中で客死します。63歳。死のテーブルには「わたしは神の乞食」というメモが残されていました。神の恵みに乞いすがる、ということでしょう。いささかあっけない幕切れでしたが、人生、こんなものかもしれません。しかし、それよりもルターの死生観を見事に表現している二つの言葉を紹介しておきましょう。
 一つは、14歳の娘マグダレーネ(愛称レニッヘン)が亡くなった時の言葉です。「愛するレニッヘンよ、お前はよみがえって、星や太陽のように輝くだろう。お前は安らかにしているし、万事申し分はない。と、いうことを知っていながら、しかも実に悲しいなんて、なんと不思議なことだろう」。すべてを神様にゆだねる、しかし、ルターは生涯、この娘の死を悲しんでいました。
 もう一つ。「たとえ明日世界が終るとしても、それでも今日、わたしはリンゴの木を植える」。この言葉はルターの言葉として伝えられている言葉ですが、ルターの「生きる」姿勢を、そして「死ぬ」姿勢をよく表しています。 死は好むと好まざるにかかわらず向こうから迫ってくるもので、その意味で人間は受動的である他ない。しかし、そうしたことも含めて、それでも「リンゴの木を植える」。その意味で人間はどこまでも能動的でありうるのです。つまり「受動的能動性」、これがルターの人生・信仰・思想・神学の根本基調です。

宣教の取り組み「豊かにされる~聖霊をいただいて」

宮澤真理子(岡崎教会)

 岡崎教会では、毎月第3日曜の礼拝後「ミニ信徒会」を開いています。ひとつのテーマを自由に語り合います。昨年は憲法について弁護士の先生から学んだり、牧師館解体・敷地整備について語り合いました。
 今年のミニ信徒会は、年間テーマを「終わりの日を迎えるにあたって‥‥より良く今を生きるために」としました。5月は終活、6月は相続、7月は介護サービス、8月は健康づくり、9月は家族関係、10月は教会の葬式についてとテーマを絞りました。
 5月は地元の葬祭業者の方に来ていただいて「なぜ今終活か」のお話を伺いました。高齢者夫妻世帯の増加、地域コミュニティの減少、介護保険・税制の改定など、 不安の少なくない社会の中で、死や葬式をタブー視するのではなくきちんと向き合い、自分らしいエンディングに向かって今をより良く生きるための活動が終活です。そのためにエンディングノートを書きませんかと勧めてくださいました。
 葬祭業者さんから伺った「終活」と教会のミニ信徒会の趣旨と重なる点が多くありました。一方で、わたしたちはエンディングをゴールとしていないことも知らされました。わたしたちは自分のより良い生涯を求めますけれども、すでに神さまの恵みの中で生かされています。わたしたちの思いを越えた愛で支えてくださる神さまにゆだねることを聖書から聞き続けています。
 6月以降は、税理士やケアマネジャー、保健師として専門分野で働かれる信徒の賜物が用いられます。9月はルーテル学院大学の福山和女先生より「家族(夫と妻、親と子、嫁と姑)の関係をよりよくするために」をテーマにお話を伺います。毎月の開催が楽しみです。
 「たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの 『内なる人』は日々新たにされていきます。」(コリントの信徒への手紙二4・16)

小さな説教集出版『アンデルセンに聞く聖書の言葉』

田島靖則(雪ヶ谷教会)

 昨年から今年にかけて、私が牧師を務める雪ヶ谷教会の主日説教にたびたびアンデルセン童話が登場していたことは、雪ヶ谷教会に集うごく限られた人たちしか知らなかったことです。
 岩波文庫の『完訳アンデルセン童話集』は実に7巻にわたる大部で、まさに話題の宝庫。ルーテル教会の国デンマークの童話作家の作品ですから、ルーテル教会の礼拝説教で取り上げるのにこれ以上最適な素材はないと言っても良いくらいです。つまり私は昨年から今年にかけて、礼拝説教の「産みの苦しみ」に際して、何度もアンデルセンに助けられたというわけです。
 せっかくこれだけ「アンデルセンづくし」の説教が産み出されたのだから、これをまとめて小さな説教集にしたら、教会には縁遠い人たちにも手にとってもらえるのではないかと考え、出版社を経営する大学の先輩に相談し、このたびの出版にこぎ着けました。大学の恩師の一人には、「まだ説教集は早いんじゃないか?」と言われましたが、これはもちろん牧師生活の集大成としての説教集ではなくて、牧師生活の「折り返し地点」で出す「小さな説教集」なのです。
 私が幼稚園園長として関わっているキリスト教保育連盟では、何度か礼拝奉仕を行っていますが、よく日本基督教団に属する先生方から、「先生のショートメッセージは分かりやすい」とお褒めの言葉をいただきました。しかし私は内心、「これが普通の説教なんだけど・・・」と「ショート」という部分に異議を申し立てたい気持ちに駆られたものです。つまりこの説教集は、「簡潔」「平易」を旨とした「薄くて」「軽くて」「小さい」説教集です。挿絵は、そのキリスト教保育連盟での同労者である幼稚園の園長先生の作品です。
 もし書店で見かけることがあれば、ぜひ手にとってご覧ください。

夏休み北海道寺小屋合宿について

東教区社会部長 小泉 嗣

 東教区プロジェクト3・11は、本年度70万円の募金目標を立て、被災地支援への参与を呼びかけている。支援先は5ケ所。それぞれ届けられる支援金額は決して多くはない。しかし、どれも個のつながりの中から出会った団体であり、現在もなお支援を続けるプログラムである。
 「夏休み 北海道寺小屋合宿」もそんな中の一つである。このプログラムは、子どもたちが少しでも放射能による被害から守られることを願い、宗教宗派を超えた全国ネットワークである 「原子力行政を問い直す宗教者の会」(代表世話人・内藤新吾牧師/稔台教会)が、福島第1原子力発電所事故の影響による放射線量の高い地域に住む子どもとその家族、またその地域から避難している子どもと家族を対象にした11日間(長期は35日間)の保養プログラムである。2014年は、実に285名の参加者が36箇所の受入先(主に寺院)でプログラムに参加した。
 会は「保養の意義」として、〈水・空気・食べ物の不安が、日常より少ない所で一定期間過ごす。子どもたちの新陳代謝が促され、健康な体を取り戻せる。太陽の下で土に触り、風を受け、草木や水に触ることによって心の解放を得る。そんな子どもたちの姿に接し、保護者の気持ちも解放される。また、共通の不安や願いをもつ保護者同士、受入先の方が出会うことにより、安心と希望を得ることができる。〉とする。
 この意義から見えてくるものは、2011年3月11日にたまたま福島に住んでいたというだけの理由で、4年が経過した今でもなお、子どもも親も 「安心と希 望」が奪われた日常に生きているという現実である。昨年のプログラムへの申し込みが受付開始初日で定員を超えたということもまた私たちが知るべき現実であろう。 今年の夏もまた、たくさんの子どもや親が、受け入れる諸施設が、支援する私たちが「保 養の意義」をそれぞれの日常から深く受け止める。

宮崎育ちのオルガン、九州ルーテル学院中学・高等学校へ

秋山綾子(宮崎教会)
 南国情緒溢れる宮崎に建つ宮崎教会。1998年に、ここにひとつのパイプオルガンが与えられました。オークの木の風合いを生かした外観で、その両側には可愛らしい一対のラッパを持つ木彫りの天使の装飾が施され、見た目は小ぶりながらも、華やかな音色も重厚で荘厳な音色も兼ね備えつつ、礼拝では、人の魂にそっと寄り添う暖かくて繊細な音色を響かせます。建造者は、オランダ生まれでスイスに工房を持つオルガン建造家ベルンハルト・エツケス。数々のヨーロッパの歴史的オルガンの修復でも名高いエツケスが建造したオルガンは、日本にはあと一つ、東京三鷹の日本聖公会ナザレ修女会聖家族礼拝堂にあるだけです。
 この17年間、教会を訪れる方々の涙をぬぐい、慰めと生きる勇気を与え続けてくれたエツケスオルガンですが、この度、熊本のルーテル学院中学・高等学校に、学校創立90周年を記念して、移設されることになりました。より多くの若い人達に、音楽の持つ力を通して神様の愛が伝わるようにとの、教会員一同の願いと祈りがあります。
このオルガンと共に過ごすことのできた年月への感謝を表し、今年の5月に制作された一枚のCDが、雑誌『レコード芸術』(音楽之友社)7月号で、特選盤に選ばれました。タイトルは、『宮崎育ちのオルガン~J・S・バッハの音楽と~』[クー・レコーズ品番COO 041]。弾き手は、当教会の会で教会音楽監督を務める松波久美子さん。
 松波さんは、長年ドイツで世界的に有名なオルガン演奏家H・フォーゲルに師事し、ドイツにおける教会音楽家としての最高位資格を得て、現在も海外でも活躍中です。
 CDの中では、バッハのコラールの歌詞の邦訳が演奏と交互に牧師によって朗読され、より深くバッハの世界を味わうことが出来ます。
  胸が熱くなる一枚。オンラインショップなどでも入手できます

訂正

 本紙8月号の4面、女性会連盟総大会の報告に、大塚野百合先生の所属について「恵泉女子大学名誉教授」とあるのは、「恵泉女学園大学名誉教授」の誤りでした。お詫びして訂正します。
…………………………
電話番号変更 吉村博明宣教師 03(6883)5634

15-08-17「平和の基がここに」~平和主日を覚えて

「主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」(ミカ書4・3)

 聖書は珠玉の言葉に溢れている。この預言者ミカの言葉もその一つだ。初めて出会った時の不思議な感動を今でも覚えている。『剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする』。ここに平和を求める人間の姿が、鮮やかに示されている。

 今年は戦後70年、あの夏に生まれた人も古稀を迎える。戦争には人間の罪が100%現れる。隠れていた人間の罪が伝染病のように広がり、闇が光を覆い尽くし、人を狂気へと駆り立てる。勝利を得ようと「何でもあり」 に堕ちてゆくことが、深刻な問題だ。70年前、沖縄戦に続く無謀な作戦の継続によって、多くの人命が失われていった。特に、若き命が散らされたことに心が痛む。最終的には全軍へと変貌した特別攻撃(特攻)、広島と長崎への原爆投下、そして降伏へと突き進んだのである。

 あの悲劇的な戦いの中、命を慈しんだ一人の軍人がいたことをご存知だろうか。愛知県豊田市出身の旧海軍芙蓉部隊長、美濃部正である。全軍特攻が至上命令となる中、抗命による死を覚悟しつつ、 最後まで航空特攻を拒否した指揮官だ。彼の部隊は必死の特攻に代え、決死の夜間攻撃に徹した。部下たちも指揮官の捨て身の姿に報い、特攻に劣らぬ多大な犠牲を払いながら、最後まで運命を共にしたのである。

 箴言は「憎しみはいさかいを引き起こす」( 10・12a)と教える。その通りだ。憎しみがいさかいを引き起こし、いさかいが新たな憎しみを生み出してゆく。憎しみの連鎖が人間の歴史を形作った。それはミカの預言とは正反対の出来事である。憎しみが『鋤や鎌』を『剣や槍』に打ち直し、恐怖が梵鐘や金属像を武器へと鋳直させた。愚かである。本当に人間は愚かで罪深い。その愚かな人間の罪の世界は今も続き、その中に私はいる。あなたもいる。私たちはここに置かれているのである。

 10年程前、8月になると私の心の中で一つの声が響いたことがあった 。 「私は人殺しの子なのか」と。多分、父が太平洋戦争に4年程従軍したことが関係している。父が戦争で人を殺めたかどうかは定かでない。その可能性は否定できない。だから、後に国際公法が戦争における殺人行為に罪科なしと定めても、心にストンと落ちない。神様との関係は一体どうなのか。そのことが気になっていたのである。父の罪を子は負うのだろうか?

 十戒等に「・・・わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問う」(出エジプト20・5他)とあり、「アコルの谷」(ヨシュア7・24〜26)の出来事は父の罪が子に及んだことを示唆する。一方、後の預言者エゼキエルは「子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負うことはない。正しい人の正しさはその人だけのものであり、悪人の悪もその人だけのものである」(エゼキエル18・20)と語る。どういうことなのか。時の経過と共に 「罪理解」 に変化が生じたのか。

 いやそうではない。大切なポイントを私が見失っていたのだ。救いは律法ではなく福音にあることを。イエス様もそのことをお教えくださった(ヨハネ9章、ルカ13章)。父祖の罪の規定には、加えて「・・・戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみが与えられ、罪と背きと過ちが赦される」と明記されているのだ。三代、四代どころではない。幾千代である。信じる者にはとこしえに神様の慈しみと罪の赦しが与えられるという。ここに神様の愛の絶大さがある。ここに私たち人類の救いの道が示されているのである。もう、私の心にあの声は響かなくなった。

 イエス様の十字架の愛により、人類すべての罪は覆われ、贖われていると信じる。「愛はすべての罪を覆う」(箴言10・12b)とある。その通りだ。イエス様の十字架の苦難を信じる者には、とこしえの慈しみと赦しが与えられるのである。ここにすべての平和の基がある。戦争を悔い改めつつ、平和を実現する者として歩みだすための基が。共に福音宣教の道を歩もう。

日本福音ルーテル挙母教会牧師 ミカエル鈴木英夫

15-08-11るうてる2015年8月号

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説教「平和の基がここに」~平和主日を覚えて

「主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」(ミカ書4・3)

聖書は珠玉の言葉に溢れている。この預言者ミカの言葉もその一つだ。初めて出会った時の不思議な感動を今でも覚えている。『剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする』。ここに平和を求める人間の姿が、鮮やかに示されている。
 今年は戦後70年、あの夏に生まれた人も古稀を迎える。戦争には人間の罪が100%現れる。隠れていた人間の罪が伝染病のように広がり、闇が光を覆い尽くし、人を狂気へと駆り立てる。勝利を得ようと「何でもあり」 に堕ちてゆくことが、深刻な問題だ。70年前、沖縄戦に続く無謀な作戦の継続によって、多くの人命が失われていった。特に、若き命が散らされたことに心が痛む。最終的には全軍へと変貌した特別攻撃(特攻)、広島と長崎への原爆投下、そして降伏へと突き進んだのである。
 あの悲劇的な戦いの中、命を慈しんだ一人の軍人がいたことをご存知だろうか。愛知県豊田市出身の旧海軍芙蓉部隊長、美濃部正である。全軍特攻が至上命令となる中、抗命による死を覚悟しつつ、 最後まで航空特攻を拒否した指揮官だ。彼の部隊は必死の特攻に代え、決死の夜間攻撃に徹した。部下たちも指揮官の捨て身の姿に報い、特攻に劣らぬ多大な犠牲を払いながら、最後まで運命を共にしたのである。
 箴言は「憎しみはいさかいを引き起こす」( 10・12a)と教える。その通りだ。憎しみがいさかいを引き起こし、いさかいが新たな憎しみを生み出してゆく。憎しみの連鎖が人間の歴史を形作った。それはミカの預言とは正反対の出来事である。憎しみが『鋤や鎌』を『剣や槍』に打ち直し、恐怖が梵鐘や金属像を武器へと鋳直させた。愚かである。本当に人間は愚かで罪深い。その愚かな人間の罪の世界は今も続き、その中に私はいる。あなたもいる。私たちはここに置かれているのである。
 10年程前、8月になると私の心の中で一つの声が響いたことがあった 。 「私は人殺しの子なのか」と。多分、父が太平洋戦争に4年程従軍したことが関係している。父が戦争で人を殺めたかどうかは定かでない。その可能性は否定できない。だから、後に国際公法が戦争における殺人行為に罪科なしと定めても、心にストンと落ちない。神様との関係は一体どうなのか。そのことが気になっていたのである。父の罪を子は負うのだろうか?
 十戒等に「・・・わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問う」(出エジプト20・5他)とあり、「アコルの谷」(ヨシュア7・24~26)の出来事は父の罪が子に及んだことを示唆する。一方、後の預言者エゼキエルは「子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負うことはない。正しい人の正しさはその人だけのものであり、悪人の悪もその人だけのものである」(エゼキエル18・20)と語る。どういうことなのか。時の経過と共に 「罪理解」 に変化が生じたのか。
 いやそうではない。大切なポイントを私が見失っていたのだ。救いは律法ではなく福音にあることを。イエス様もそのことをお教えくださった(ヨハネ9章、ルカ13章)。父祖の罪の規定には、加えて「・・・戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみが与えられ、罪と背きと過ちが赦される」と明記されているのだ。三代、四代どころではない。幾千代である。信じる者にはとこしえに神様の慈しみと罪の赦しが与えられるという。ここに神様の愛の絶大さがある。ここに私たち人類の救いの道が示されているのである。もう、私の心にあの声は響かなくなった。

 イエス様の十字架の愛により、人類すべての罪は覆われ、贖われていると信じる。「愛はすべての罪を覆う」(箴言10・12b)とある。その通りだ。イエス様の十字架の苦難を信じる者には、とこしえの慈しみと赦しが与えられるのである。ここにすべての平和の基がある。戦争を悔い改めつつ、平和を実現する者として歩みだすための基が。共に福音宣教の道を歩もう。
日本福音ルーテル挙母教会牧師 ミカエル鈴木英夫

宗教改革五〇〇年に向けてルターの意義を改めて考える(40)

ルター研究所所長 鈴木 浩

だから、ルターはマルコ福音書のその箇所を正確に理解したのだ。「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『本当にこの人は神の子だった』と言った」(マルコ15・39)。
 「このように」とは、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と絶望の声を上げたことを指している。だから、あのように絶望の声を上げて死んだからこそ、イエスは神の子だった、と百人隊長は言っていたのだ。 ルターはこのようなイエスの姿の中にしか、神を知ることは絶対にできない、と言った(ハイデルベルク討論、1518年)。激しい言い方であるが、そのような見方をルターは「十字架の神学」と呼び、それまでの神学を「栄光の神学」と呼んで、徹底的に批判した。
 ルターは、神は「反対の相」のもとに、真実を啓示すると指摘した。神の栄光は、十字架の上のあのイエスの姿に啓示されている、というのだ。
 「人間の行いは、常にりっぱで、よく見えるが、しかしそれが死に至る罪であることは確かである」(第三提題)。「神の働きは、常に醜く、悪いように見えるが、しかし真実は不滅の功績である」(第四提題)。こうした発想が「十字架の神学」である。

議長室から

「教会の声、祈りの声」

総会議長 立山忠浩

8月に入りました。平和への思いを強くする月です。終戦から70年となる今年はなおさらそう感じます。日本の政治の動きが大変気になるからです。憲法九条改正のトーンがひとまず後退したと思いきや、安保法制という法案にとって代わり、また一部国会議員によるマスコミへの懲罰論まで飛び出してしまう状況を目のあたりにしているからです。
 もちろん同じキリスト者であっても、支持政党が異なり、憲法九条の改正や安保法制などの法案についての意見がそれぞれであることは当然のことです。どの新聞を購読しているのか、どのテレビチャンネルやインターネットからの情報を好んで得ているのかなどで、意見が異なって来ることはある意味健全なことです。
 ただ、このような平和について危惧される状況が生じている時に、教会が、すなわち日本福音ルーテル教会がどのような見解に立ち、どんな対応をしているのか、このことを明らかにすることは 重要なことです。幸いに、日本福音ルーテル教会のホームページから、社会的、政治的問題に対するこれまでの教会の宣言や意見表明を見ることができるようになりました。また、社会委員会は定期的な会合を重ねながら、矢継ぎ早に生じる課題に可能な限り迅速に対応し、必要に応じて意見表明をしてくださっています。
 宣言や意見表明が出されるたびに申し上げていることですが、これらは日本福音ルーテル教会の会員に強制するものではありません。この世のことをどう考え、いかに対応するかはそれぞれ自由であることは言うまでもありません。中には、「教会の声はこの世の現実とあまりにもかけ離れている」 という印象を持たれる方がいらっしゃるかもしれません。確かにそのような「この世の声」にも教会は耳を傾けることが重要なことでしょう。しかし「教会の声」は、何よりも主イエス・キリストの教えに耳を傾け、祈りの中から生まれた声であることを覚えていただければ幸いです。
 教会の声を基本にし、自分で考え、自分にできる具体的な行動をとるのです。主イエスの教えを丁寧に尋ね求め、個人で、そして教会で祈ることを通して得られた考えと行いとを神様は祝福してくださることでしょう。

ルーテル・医療と宗教の会公開講演会報告

ルーテル・医療と宗教の会世話人代表  原 仁

 6月14日にむさしの教会を会場に33名の参加を得た講演会のテーマは「今知っておきたい子どもの頭痛~片頭痛、そして心がからむ頭痛~」でした。頭痛はありふれた症状で、片頭痛でお悩みの方は多い(子どもの15%程度)のですが、頭痛の治療を専門とする医師は少ないのが現状です。
 講師の藤田光江先生(稔台教会会員)はこの分野のパイオニアのお一人です。小児神経科医として30年以上頭痛の治療に取り組んでおられます。
 医療従事者側からすると、頭痛治療のノウハウがぎっしり詰まったご講演でした。片頭痛の分類はもちろんのこと、その程度を診るためには、本人や親からどのくらい痛いかを聞き取るだけでなく、行動を診るとよい、本当に痛いときはテレビを見ることもできなくなるとの説明は納得できます。
 片頭痛が発生する脳内の仕組みはかなり分かってきています。 まずは治療のための正しい診断が必要です。誘発因子(光刺激、チーズやチョコレート、化学調味料など)が分かれば避ける、規則正しい生活、特に睡眠を十分に取ることが大切とのご指摘がありました。本人と親と担当医が協力して治療に当たるために、藤田先生ご考案の頭痛ダイアリーの記録が有用です。鎮痛剤をタイミングよく使うことで、また最近は予防薬を上手に服用することで生活の質を向上できると強調されました。
 ご講演の後半は心がからむ頭痛の話題に移ります。 頭痛が単なる症状に止まらず、生活全般に悪影響をもたらすきっかけとなります。具体例として、不登校や引きこもりを挙げられました。このような状態からいかに回復するか、またそうならないための工夫はなにかを熱く語られました。
 「スマホに子守をさせないで!」とは日本小児科医会のキャンペーンの標語ですが、やはり頭痛の悪化を防ぐための工夫のひとつです。子育て ・ 孫育て中の方々にも是非実践していただきたいと願います。 テレビを見ながらの食事はもっての外、4人のお子さんを育て上げた藤田先生の言葉は迫力満点でした。

外国人被災者支援プロジェクト・EIWAN(福島移住女性支援ネットワーク)

プロジェクト3・11企画委員 李 明生

 東日本大震災発生時、青森・岩手・宮城・福島・茨城の5県には7万5281人もの在日外国人(主な出身国は、中国、韓国・朝鮮、フィリピンなど)が暮らしていました。しかし外国人被災者の状況について一般にはほとんど何も知られていません。東北在住の外国人住民は圧倒的に女性が多く、震災後は孤立した状況の中で、経済的にも非常に不安定のまま、支援と復興から取り残されてゆく人は少なくありませんでした。
 こうした状況の中、「外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト者連絡協議会」(外キ協)は 2011年9月「仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク」(通称・東北ヘルプ)と市民団体と共に「外国人被災者支援プロジェクト」を立ち上げました。2012年4月に仙台市には「外国人被災者支援センター」を設置、石巻市、気仙沼市、南三陸町で外国人実態調査を行いながら、生活支援や子どもたちの就学支援などを続けました。その後、宮城県での活動は地元市民団体へと引き継ぎ、2012年7月からは「福島移住女性支援ネットワーク(EIWAN)」を立ち上げ、白河市、須賀川市、郡山市、 いわき市、 福島市に住む移住女性とその子どもたちへの支援を地元のキリスト者・市民と共に続けています。
 現在EIWANでは日本語サロンの他、移動サロン、シングルマザーのパーソナルサポート、移住女性の子どもたちの就学支援、継承語(親の母語など、親などから継承する言語)教室支援、地域サポーター研修、移住女性グループへの支援などを行っています。
 既に震災支援は中長期支援の段階へと入っています。これらの活動を通じて、移住女性と日本人が出会い、真に「共に生き共に生かし合う社会」を一緒に作っていくことが、最終的な目標です。
 皆様のお祈りとご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

礼拝式文の改訂

16「礼拝式文の音楽」(その1)

             
式文委員 松本義宣

 初代教会の「礼拝の音楽」については何も分かりません。楽譜がなく記録もないからです。しかし、最後の晩餐の後「一同は賛美の歌を歌ってから、オリーブ山へ出かけた」(マタイ26・30)とあるように、イエス様や弟子たちは、賛美の歌を歌っていたに違いありません。それは恐らく詩編で、旧約聖書時代以来のユダヤの旋律だったでしょう。
 では、その旧約時代の音楽がどうだったか、それももちろん分かりません。詩編150編には「角笛、琴、竪琴、太鼓、弦、笛、シンバル」といった楽器が登場しますし、随分と賑やかな神殿礼拝だったのかもしれません(歴代上16・5以下)。シナゴーグ(ユダヤ教会堂)も各地の信仰生活の中心で、いわゆる礼拝の前身ともいえる集会が行われていました。ここでも詩編の賛美があったようですが、詳細は不明です。ただ、後の時代の「詩編唱」から類推すれば、先唱者(司式?)が歌い、会衆(あるいは聖歌隊?)が応唱するといったことだったかもしれません。
 キリスト教会が、そのユダヤ教の影響下に「詩編」の賛美を引き継いだのは間違いありません。しかし独自の歩み、新しい礼拝共同体を形成する中で、別の音楽も獲得していったでしょう。
 まず、キリストの出来事は最初、口伝伝承でした。読み書きが自在にできる者ばかりではない中で、長大な福音伝承を口頭で伝えるために、何らかの節が付けられたかもしれません。覚えて歌うための音楽が、ごく原始的に存在したはずです。
 加えて「詩編と賛歌と霊的な歌」(エフェソ5・19、コロサイ3・16)という記事があります。「賛歌」は特定できませんが、新約聖書にみられる様々な賛歌ではないかと考えられています。「マリアの賛歌」(ルカ1・46以下)、「ザカリアの賛歌」(ルカ1・67以下)、「シメオンの賛歌」(ルカ2・29以下)等、その他歌われていたのではないかと思われる箇所は幾つもあります。 「霊的な歌」もよく分かりませんが、それらとは別に、自由創作的ないわゆる讃美歌(「祈り」等を歌った?)もあったのです。キリスト教会の「礼拝の音楽」の源泉はここにあります。
 この礼拝の音楽は、それぞれの土地でそれぞれの地域の言語や音楽伝統と結びつき継承されていきます。迫害の時代には、大きな声での賛美が一時消えたかもしれませんが、やがてローマ帝国で教会は公認され、公然とキリスト教の賛美が歌えるようになり、礼拝式の整備、聖職者がリードする典礼へと変化していきます。
 ローマ帝国が東西に分かれ、ギリシャ語が残った東方教会とラテン語を公用語とする西方教会は、それぞれ独自の伝統を形成していきます。詳述する紙面はありませんが、やがてローマ教会を中心にして典礼と聖歌が整備、制定されて、記譜資料として手にできる最初の礼拝の音楽として「グレゴリオ聖歌」が登場してくることになります。私たちルーテル教会は、大雑把に言えば、その西方ローマ教会の「礼拝の音楽」の伝統を源泉とすることになります。(続く)

連載 マルティン・ルター、人生の時の時(7)

江口再起

いつの世も、わたしたち人間は柔軟さや努力に欠けた存在です。その人間の集まりである「教会」も、またしかり。古い考え方の習慣が抜けない、形式主義がはびこる、 また無知に基づいた新しさがもてはやされ、はたまたいささか感情過多で自己中心的な熱狂的思い込みが幅をきかせる・・・。そういう意味で、教会ぐらい厄介な集団はないかもしれません。 カトリック教会を厳しく批判し、改革を断行し、新しいプロテスタント教会を形成したルターではありましたが、しかし、その教会は必ずしも理想通りではない。いや、本当にがっかりさせられるような現実の連続でした。ルターは怒り、諭し、慰め、守ってきましたが、本当に疲れました。今も昔も教会形成は難しい。しかし、それでもルターはあきらめない。
 神はこの世界をつくりました。教会だけをつくったわけではありません。それゆえ当然にも、教会はこの世界のただ中に立っている。そして、そこに実に様々な問題が惹起するのです。ルターも様々な社会問題の全面に立たされました。たとえば農民戦争(1524年)。当時、農民は虐げられていた。そして、ついに領主に対して一揆に立ち上がる。ルターははじめ農民の味方でした。農民もルターの改革運動に期待し共鳴していました。 ところが一揆は過激になっていく。暴力の応酬。ルターはやがて領主の側に立って農民を口汚く罵り始めました。 ルターの汚点です。 またユダヤ人(ユダヤ教)やトルコ人(イスラム教)に対しても心の狭い態度で接しました。いずれもルターの時代的限界というものでしょう。ルターほどの人にして、そうです。もちろん後世の我々が笑っていいようなことではありません。人生はむずかしい、山あり谷ありです。(つづく)

2015年度日本福音ルーテル教会教師試験実施のお知らせ

 2015年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を実施いたします。教師試験を受けようとする志願者は左記書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。

  記

Ⅰ.提出書類
 1 教師志願書
 2 志願理由書    テーマ「なぜ『日本福音ルーテル教会の教師』を志願するのか」(あなたが考える宣教課題をふまえて)
 ・書式 A4横書きフォントサイズ    11ポイント
  3 履歴書  学歴、    職歴、信仰歴、家庭状況等を記入すること
 4 教籍謄本(所属教   会教籍簿の写し)
 5 成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書(法   務局交付のもの。任用試験時に必要になります)
 6 所属教会牧師の推薦書
 7 神学校卒業(見込)証明書及び推薦書
 8 健康診断書(事務局に所定の用紙があります)
Ⅱ.提出期限(期限厳守)
  2015年9月11日(金)午後5時までに教会事務局へ提出すること
Ⅲ.提出先
  日本福音ルーテル教会常議員会長 立山忠浩 宛
Ⅳ.試験日及び試験内容 直接本人に連絡します

連帯献金 ネパール地震被災者救援募金報告

      
 4月25日に発生したネパール地震によって被災された方々に主のお慰めがあり、生活の再建が導かれますようお祈りいたします。日本福音ルーテル教会では、世界ルーテル連盟(LWF)が世界キリスト教協議会(WCC)と共に設立した緊急支援組織「ACTアライアンス」の救援活動を通して、被災された方々への祈りと支援を届けることに取り組みました。当初目標とした金額を超えて、多額の支援が寄せられたましたことをご報告します。7月13日現在、3,561,866円が寄せられました。ご協力に感謝いたします。
 日本福音ルーテル教会事務局。

公 告

  
 この度、左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2015年8月15日
信徒・利害関係人各位
 宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 立山忠浩

    記

岡崎教会牧師館 建物取壊
 所在地 岡崎市伝馬通4丁目54番地
 所有者 日本福音ルーテル教会
 家屋番号 54番(付属建物)
 ・種類  居宅
 ・構造 木造瓦葺平屋建
 ・面積 71・16㎡
・ 理由 老朽化のため

「キリストが望んでおられる」 第23回女性会連盟総・大会報告

日本福音ルーテル教会女性会連盟 第22期書記 野村加寿子

 女性会連盟は、6月2日から4日まで東京代々木の「国立オリンピック記念青少年総合センター」で第23回総・大会を開催し、全国の79教会から延べ341名が集まりました。
 1日目は午後1時半の鈴木直子連盟会長の開会宣言から始まり、立山忠浩総会議長の挨拶をいただきました。開会礼拝では司式を平岡仁子牧師に、み言葉の取り次ぎを白川道生牧師にしていただきました。また、この3年間に天に召された122名のおひとりおひとりのお名前が読み上げられ、祈りがささげられました。
 基調講演は恵泉女子大学名誉教授である大塚野百合先生により「主イエスの深い愛を知る」と題して行われました。90歳の先生は張りのあるお声で「イエス様を知り、信じることで大きな喜びが私の心に溢れています」と話され、 特に親しんだ5曲の讃美歌を共に歌い、解説を聞きながら、讃美歌による信仰の深さに参加者ひとりひとりの魂が揺り動かされる豊かな時間を持つことが出来ました。そして「神様があなたのことを愛してくださっていることを、お帰りになられたら3人の方に伝えてください」とおっしゃいました。まさにこの時代に、教会が世に発信しなければいけないことだと強く思いました。
 夜には一同が集う愛餐会が開催され、石居基夫ルーテル神学校校長と現在神学校で学ぶ10名の神学生が参加され、 自己紹介の後、野口神学生のバイオリン演奏で会場全体が歌う楽しいひと時。地方の教会にとっては神学校も神学生も遠い存在であるかもしれませんが、少しでも身近に感じることが出来たのではないでしょうか。また「共に生きる」代表の松澤員子さん、「喜望の家」後援会長の秋山仁牧師からそれぞれのアピール。そして市ヶ谷教会の中川浩之さんが監修してくださったこの3年間の連盟感謝献金先7カ所の紹介をしたスライドショーを鑑賞。お食事も美味しく和やかにいただいたひと時でした。
 2日目は朝から夕方5時過ぎまで総会が開かれ、3年間の連盟、教区、協力委員の活動報告、そして会計決算がそれぞれ承認されました。その後、審議事項が話し合われ、「規約の改正『役員の任期3年後の再任は出来ない』」、「次世代育成の支援をより積極具体的にするため経常会計支援献金項目に『TNG支援』を加え、年間20万円を目標とする」、「22年間継続しているサバ神学院神学生の奨学金支援を継続する」、「次期3年間の予算大綱」が承認されました。 そして各教区から 選出された連盟担当から選挙により東海教区小鹿教会の芳賀美江さんが次期連盟会長に選出されました。また次期23期の主題を「共にいてくださる主を信じて」とし、主題聖句にコリントの信徒への手紙一13章13節を提案。共にいてくださる主が行く道を示してくださると信じて、全国の女性会が共に信仰と、希望と、愛をもって進んでいきたいとの提案が承認されました。
 女性の社会進出が進む現在は、女性会連盟の在り方もいろいろな面で問われています。しかし女性会連盟の規約に掲げられている「教会に協力して、福音の宣教に努力することを目的とする」は変わることはありません。次期総会までの3年間、今期の積み上げたものの上に新たな歩みを進めてほしいと願う総会でした。
 最終日は、2年後に訪れる「宗教改革500年」に心を向けて、宗教改革の意義と今こそ教会が一致するための歩みについての講演をルーテル学院大学教授・ルター研究所所長である鈴木浩先生より伺いました。
 閉会聖餐礼拝は司式を内藤文子牧師、み言葉の取り次ぎを坂本千歳牧師、そして役員就任式は西川晶子牧師の司式により執り行われました。共に聖餐の恵みに預かることによって心を一つにし、3年後の再会を約束して第23回総・大会は午前11時半をもって鈴木連盟会長の閉会宣言で散会となりました。

 この3日間、会場の至る所で再会を喜ぶたくさんの華が咲き、天に移された方への想い、共に過ごす喜び、女性会連盟を支えるたくさんの貴重な意見・討議、それぞれが織りなす恵まれた3日間であったことをご報告いたします。

【第26総会期 第4回常議員会報告】

第26回総会期の第4回常議員会が、6月8日から10日にかけて開催された。

 まず、総会議長以下、担当報告と諸委員会活動の報告が行われた。ここでは、質疑を行った中から、主な幾つかについて記してゆく。
 総会議長より、ここからの世界宣教を、JELCはアジア地域において、すでにパートナー関係を有する教会と協働で行う可能性があるかとの関心をもってLWF関係のアジアで開催する国際会議へ参加した報告があった。
 副議長が委員長を務める世界宣教委員会からは、現在の宣教師派遣任期が終了を迎えるブラジルの教会の在り方に関する合意の具体化に向けて、インターネットを使用した電話会議(スカイプシステム)を重ね、協議を詰めている経過が報告された。
 財務委員会からは、今期の重点課題と設定した事項への取り組みが報告された。今26期における課題認識のうち、収益事業建物の継続的経営環境を整える課題対応について、中でも東京の建物設備の見通しと対応方策を立てるための取り組み状況が説明され、議場では認識の共有と質疑が行われた。
 また、日本ルーテル神学校への財政支援の規模を考えるに際しては、その財源検討はJELCの財政課題全体に視野を向けての検討抜きには考えられないと委員会の見解が常議員会に伝えられた。
 諸報告と報告承認に続いて協議事項に移ったが、今回の常議員会では3日目を「宗教改革500年記念事業」に絞り、ほとんどの時間をあてた。
 はじめに宣教室と広報室から、ここまでの準備作業の進捗状況と内容が説明されると、出席者により、意欲的で建設的な意見交換が行われた。
 学習運動の枠では、「推奨4冊」のうち2冊が出版され、これにもう一冊、一致に関するルーテル=ローマ・ カトリック委員会が2013年に発表した「争いから交わりへ」の日本語翻訳本が完成して、厚みが増した。また、各地でこれらを用いた企画がもたれている様子を相互に聞いた。
 世界各地と同様に、カトリック教会とは合同礼拝の2017年開催に向けてルーテル側の意向を伝え、エキュメニズム委員会での対話が続いている。
 この計画を通じて「宗教改革」の情報を発信する好機にする意向だが、宗教の範疇を超えて、広く一般社会、 市民にどうやって話題を提供するかとの狙いを実現するために、全国の学校、幼稚園・保育園、社会福祉施設、その他、ルーテルグループに規模を広げて展開する企画提案に対して、活発な意見交換がなされた。課題としては、全国に向けて、本事業の全体像に関する情報提供の不足が指摘され、その要因である企画の具体化を急ぐ確認がなされた。
なお常議員会の詳細は、すでに送付された議事録をお読みください。

15-07-17心動かされて

 イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(マタイによる福音書9章35~38節)

 
 弟子たちとガリラヤ地方を巡り歩くイエス様。イエス様は方々の町や村で福音を宣べ伝え、病を癒すわざを行っていきます。そこでイエス様は、人々が飼う者のない羊のようなありさまであるのを見ます。世話をするもののない羊に例えられる姿、それは、生活に疲れ果て、不安や心細さ、あるいは苦痛を抱え、訴えながらも、どうしたらその状態から脱出できるのか判らない人々を表しています。
 

 その状態を見て、イエス様は「深く憐む」のです。この深く憐れんだという言葉は、「彼らのことで腸のちぎれる想いに駆られた」ということを意味します。それは上から見下ろすような同情とは違うのです。腹の底から突き動かされるような衝撃を受けたということです。この思い、体験。それがイエス様を次の行動へと突き動かしていくのです。12人の弟子たちを宣教と癒しのわざを行うために派遣するのです。

 その弟子の派遣。およそ現実的とは思われない勧めがなされています。つまり、弟子たちは身に付けた衣類以外の物は、何も持つことを許されないのです。そこでは手ぶらで出発するようにといわれています。

 ここで、この手ぶらで出かけるということの意味を、少し自分のこととして考えてみたいのです。
 人が何かを始めようとするとき、資格や技術があることは、確かに役に立つことのように思えます。しかし実際のところ、過去の経験の中では、「私にはこんなことが出来る」とか、「こんな技術を持っている」ということは、さほど私を助けてはくれませんでした。むしろ「自分はまだまだだなぁ」と思うことの方が多かったし、今もそうです。だから「私は何かを持っている」とか、あるいは「他の人に上げることのできる何かが自分にある」と考えることは、おこがましいのかもしれません。

 実際、そのとき必要だったことは、「私が教えてあげる」という姿勢ではありませんでした。あるいは自分自身の技術や資格に対する自信でもありませんでした。むしろいろいろな人たちとの出会いの中から、私自身が何かを学ぶ、教えられることの方が多かった、ということです。ですから、たぶん弟子たちが出かけるときに、手ぶらでいることを求められているのは、そうした「出会って、聴き、学ぶ」姿勢を持つことを意味するのです。

 イエス様が語る「収穫」とは、「人々の思いを聴くこと」であるともいえます。人々の感じる苦痛や悩み、怒り、あるいは喜び、それを聴いて集めていくこと、それが収穫なのではないか、と思うのです。弟子たちがなすべきことは、人々の思いを携えてイエス様の前に差し出すことです。そのことが癒しを起こすし、癒しそのものであるといえます。それはまた、派遣された弟子たちにだけ命じられていることではない。 今の教会に対しても、私たちに対してもまた、命じられていることなのです。私たちが出会う人たちの思いを、また私たち自身の思いを聴き、集め、イエス様の前に携えていくこと、その「収穫」と癒しのわざが求められているのです。

 最後に、弟子たちは、自分たちだけが派遣される者として立てられているのではないということも重要です。弟子たちに求められているのは、働き手が増し加えられるようにと祈ることです。そのために心を砕き、思いを巡らして祈ることです。この働き手が与えられるように祈るとは、決して「誰か他の人がやってくれる」と任せっきりにしてしまうこととは違います。ふさわしい働き手を、信頼に足る働き手を、探し育てることでもあります。

 それゆえに弟子たちは、イエス様自身が感じたように、出来事や出会いの中で、心深く憐れみ、心突き動かされる体験から感じとることを、やはり求められているのです。

 今、現代に生きる私たちが、弟子たちのように、伝道へ、福音宣教へ、癒しのわざへと召し出されていくことを望むならば、私たちもその感性を磨くことを忘れてはならない、そう思うのです。

日本福音ルーテル宮崎教会牧師  秋山 仁

15-07-01るうてる2015年7月号

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説教 「心動かされて」 

           
 イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(マタイによる福音書9章35~38節)     
 
 弟子たちとガリラヤ地方を巡り歩くイエス様。イエス様は方々の町や村で福音を宣べ伝え、病を癒すわざを行っていきます。そこでイエス様は、人々が飼う者のない羊のようなありさまであるのを見ます。世話をするもののない羊に例えられる姿、それは、生活に疲れ果て、不安や心細さ、あるいは苦痛を抱え、訴えながらも、どうしたらその状態から脱出できるのか判らない人々を表しています。
 その状態を見て、イエス様は「深く憐む」のです。この深く憐れんだという言葉は、「彼らのことで腸のちぎれる想いに駆られた」ということを意味します。それは上から見下ろすような同情とは違うのです。腹の底から突き動かされるような衝撃を受けたということです。この思い、体験。それがイエス様を次の行動へと突き動かしていくのです。12人の弟子たちを宣教と癒しのわざを行うために派遣するのです。
 その弟子の派遣。およそ現実的とは思われない勧めがなされています。つまり、弟子たちは身に付けた衣類以外の物は、何も持つことを許されないのです。そこでは手ぶらで出発するようにといわれています。
 ここで、この手ぶらで出かけるということの意味を、少し自分のこととして考えてみたいのです。
 人が何かを始めようとするとき、資格や技術があることは、確かに役に立つことのように思えます。しかし実際のところ、過去の経験の中では、「私にはこんなことが出来る」とか、「こんな技術を持っている」ということは、さほど私を助けてはくれませんでした。むしろ「自分はまだまだだなぁ」と思うことの方が多かったし、今もそうです。だから「私は何かを持っている」とか、あるいは「他の人に上げることのできる何かが自分にある」と考えることは、おこがましいのかもしれません。
 実際、そのとき必要だったことは、「私が教えてあげる」という姿勢ではありませんでした。あるいは自分自身の技術や資格に対する自信でもありませんでした。むしろいろいろな人たちとの出会いの中から、私自身が何かを学ぶ、教えられることの方が多かった、ということです。ですから、たぶん弟子たちが出かけるときに、手ぶらでいることを求められているのは、そうした「出会って、聴き、学ぶ」姿勢を持つことを意味するのです。
 イエス様が語る「収穫」とは、「人々の思いを聴くこと」であるともいえます。人々の感じる苦痛や悩み、怒り、あるいは喜び、それを聴いて集めていくこと、それが収穫なのではないか、と思うのです。弟子たちがなすべきことは、人々の思いを携えてイエス様の前に差し出すことです。そのことが癒しを起こすし、癒しそのものであるといえます。それはまた、派遣された弟子たちにだけ命じられていることではない。 今の教会に対しても、私たちに対してもまた、命じられていることなのです。私たちが出会う人たちの思いを、また私たち自身の思いを聴き、集め、イエス様の前に携えていくこと、その「収穫」と癒しのわざが求められているのです。
 最後に、弟子たちは、自分たちだけが派遣される者として立てられているのではないということも重要です。弟子たちに求められているのは、働き手が増し加えられるようにと祈ることです。そのために心を砕き、思いを巡らして祈ることです。この働き手が与えられるように祈るとは、決して「誰か他の人がやってくれる」と任せっきりにしてしまうこととは違います。ふさわしい働き手を、信頼に足る働き手を、探し育てることでもあります。
 それゆえに弟子たちは、イエス様自身が感じたように、出来事や出会いの中で、心深く憐れみ、心突き動かされる体験から感じとることを、やはり求められているのです。
 今、現代に生きる私たちが、弟子たちのように、伝道へ、福音宣教へ、癒しのわざへと召し出されていくことを望むならば、私たちもその感性を磨くことを忘れてはならない、そう思うのです。

宗教改革五〇〇年に向けてルターの意義を改めて考える(39)

ルター研究所所長 鈴木 浩

 預言者のエレミヤは「主よ、わたしがあなたと論じ争う時、あなたは常に正しい。しかしなお、わたしはあなたの前に、さばきのことを論じてみたい。悪人の道がさかえ、不信実な者がみな繁栄するのはなにゆえですか。」(エレミヤ書12章1節・口語訳)。エレミヤはこの世の不条理に腹を立て、神に異議申し立てをする。
 ヨブ記は苦難の問題を真正面から取り上げる。不条理な苦難に苦しむヨブの問いは、「なぜだ!」 ということに尽きる。 人は「意味」が分かれば、かなりの苦難・苦痛に耐えられる。しかし、その意味が分からないとき、「なぜだ!」と問わずにはいられないのだ。
 しかし、神は沈黙したまま、肝心の答は出さない。旧約の問いは答えられないまま、事実上、放置される。
 イエスは十字架の上で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と絶望の声を上げて死んでいく。ここでも「なぜだ!」という問いが響く。
 神は、イエスの姿の中で不条理を背負い込んで、「なぜだ」と問う人間に連帯する。神は、「なぜだ!」と自分も苦しむことによって、回答としたのだ。ルターはそこに真の神を見た。

議長室から

地道な、足元からの信仰告白

総会議長 立山忠浩

 6月上旬に「ルターセミナー」(ルター研究所主催)が開催されました。テーマは「アウグスブルク信仰告白」。諸発題は『宗教改革五〇〇周年とわたしたち 3』にまとめられる予定です。
 セミナーのテーマに合わせて、昨年は『エンキリディオン 小教理問答』が出版されましたし、今年は『アウグスブルク信仰告白』が刊行される予定です。いずれも私たちルーテル教会の信仰的遺産を学び直し、それを信仰生活の励みにできる優れた書ですから、牧師の指導をいただきながら、あるいはグループでの学習会の題材として用いていただければ幸いです。また、今年初めに出版されたルーテル教会とカトリック教会が共同で発行した『争いから交わりへ』も同様に有効に用いていただけることを期待しています。
 「アウグスブルク信仰告白」に戻りますが、「信仰告白」という言葉からすぐに頭に浮かぶことは「信仰告白文書」ではないでしょうか。神学校で学んだ牧師たちは第二次世界大戦下の『バルメン宣言』を挙げるかも知れません。身近なところでは「宣教百年信仰宣言」(1993年)や「原発をめぐる『声明』」(2012年)を思い起こす人もいるでしょう。さらには、憲法改正や戦後70年の首相談話などに対して、教会が積極的に「信仰告白文書」を世に表わすべきだと考える方もいらっしゃるに違いありません。
 そのような文書を作成することの重要性は論を待ちませんが、信仰告白の原点を見失ってはいけません。それは、キリスト者であるならば誰にも共通していることです。使徒パウロは「心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです」(ローマの信徒への手紙10章10節)と教えました。心の中にキリストを閉じ込めているのではなく、それを隣人に分け与えることで、私たち自身に救いの喜びが実現すると言うのです。
 このような信仰告白は「証し」という言葉に言い換えることができるでしょう。この言葉はもともと「殉教」という意味を持っていたと言われます。見た目の麗しい言葉を並べるのではなく、欠けた器を神様に用いていただいて、生涯をかけて証しするのです。地道な、足元からの信仰告白の上に、神様の祝福をお祈りいたします。

宣教の取り組み 小教理問答の学び

伊藤節彦(広島教会)

 昨年、『エンキリディオン 小教理問答』が発行されたのに伴い、西教区が購入価格の半額補助をしてくださることになりました。そこで、「善は急げ、この機会を逃すな!」とばかりに早速40冊を購入しました。
 広島教会の広島礼拝所では、既に前年に旧版『小教理問答』をもとに4ヶ月かけて学んだばかりでしたので、多くの皆さんが関心をもってお求めになりました。また、教区の補助を受けた分は、受洗希望者や堅信教育用に無料で差し上げられるように教会在庫として揃えることが出来、早速、この4月に高校に進学した4名の若い兄弟姉妹にプレゼントしました。
 一方、呉礼拝所では毎週水曜日に聖餐礼拝を守り、昼食を挟んで午後から6名ほどで聖研を行っています。昨年までは石田順朗先生の『神の元気を取り次ぐ教会』を学んでいましたが、今年の1月からはいよいよ『エンキリディオン』を学んでいるところです。
 学べば学ぶほど味わい深いなあというのが感想です。牧師は本書を通して、現代に生きる私たちの生の現場のど真ん中で、信仰とは何かを改めて問い、その答えを教会の皆さんと共に紡ぎ出していくことが求められるのだと思います。信仰に生きようとすればするほど「これはなんですか?」という信仰の問いは真剣なものとなってくるからです。
 本書は伝統的に洗礼教育に用いられますが、繰り返し学び直すことでその真価が鮮やかさを増してくる不思議な書です。 呉礼拝所では近年受洗者もなく、何十年も前に小教理を学ばれた方ばかりです。しかし、様々な信仰の旅路の経験が、ルターの言葉を立体的に浮かび上がらせ鮮やかなイメージで迫ってくるのです。また小さな群れだからこそ、毎回皆さんの表情や息づかいを感じながら、時に楽しく、時に厳しく学びを行っています。
 聖書のみ言葉と『エンキリディオン』は、まさに信仰の戦いに「必携」な神の武具です。これからも心に刻み込むほどに学びを深めていきたいと願っています。

ルーテル教会救援 支援先の現状

元ルーテル教会救援 派遣牧師 野口勝彦

 震災から4年4ヶ月、ルーテル教会救援の活動終了から1年4ヶ月が過ぎようとしています。私は、ルーテル教会救援の活動終了後、個人的に支援先の支援を継続してきましたが、その中から最近いただいたお便りの抜粋をご紹介します。

石巻市・仮設追波川(川前)河川団地 武山久仁男さん

 「此方、川前河川団地は当時91戸分の部屋も昨今は70戸分足らずとなりました。・・・私は集団移転を希望しまして、その土地はここからおよそ2キロメートルの所ですが、田んぼですので地盤改良・盛り土中で来年半ばまでその工事が続くらしいです。その後、区画を整備し完了は3~4年後とのことで、老人達は「俺ァそれまで生き延びられるかなあ」などと苦笑しています。・・・この頃はいささか冷えてしまいまして、支援物資の配布会、またカラオケ会もほとんど来てくださらなくなりました。さびしい限りです」

石巻市・宮城県漁業協同組合石巻地区支所 役職員ご一同

 「震災から4年、浜の現状は、岸壁等完全に復旧はしておりませんが、かき、海苔、漁船漁業共に震災前に近い水揚げをすることができました。今回お送り致しますかきですが、震災後一番品質の良いかきを作ることができましたのでご賞味いただければと思います。まだまだ浜は復興途中ですが、組合員、役職員一同一丸となり、浜の早期復興を頑張りたいと思います。」

 また、先日は、仮設住宅で「つるしびな」の製作指導を行った「河北ボランティア友の会」の方も信州に来られ、復興公営住宅完成後の支援についてのお話もしていかれました。支援品の販売も継続していますので、引き続きお祈りとご支援をお願いいたします。

式文の改訂

14 教会暦と聖書日課の検討

日本ルーテル教団式文委員 白井真樹

 式文委員会では、礼拝式文の改訂に伴い、礼拝を行う際の暦(教会暦)と、礼拝で聴く聖書日課(朗読配分)の検討も進めています。その資料として、2012年より教会手帳の巻末に、「共通改訂聖書日課」(RCL)という表を掲載しており、その一覧表に記載されているものが、現在検討している暦と日課です。
(1)教会暦
 現行の教会暦と比べて大きく目立つ変更点は、主に二つあります。まず一つ目は、現行の暦では、顕現主日の次の週を「主の洗礼日」とし、さらにその翌週を「顕現節第3主日」とし、以下、「顕現節第○主日」としてきました。これを改め、「主の洗礼日」の後は「顕現後第2主日」とし、以下も 「顕現後第○主日」とすることを検討しています。これは、救い主の顕現を祝い記念する特別な日は、主の洗礼で一旦終わり、その後は典礼色も緑となり、通常の期節を過ごすとの理解からです。聖霊降臨を祝った後の緑の期節が「聖霊降臨後第○主日」と位置付けられるのと同じです。この変更に伴い、顕現節第○主日の現行の暦と比べ、顕現後第○主日のほうが、○の中の数が一つ少なくなります。
 二つ目は、現行の教会暦では、復活祭の次の週は「復活後第1主日」となり、以下も「復活後第○主日」となります。これに対し、復活祭の翌週を「復活節第2主日」とし、以下も「復活節第○主日」とすることを検討しています。 これは、顕現とは逆に、復活祭当日の後もご復活を祝う期節は、なおも続くとの理解からです。ですから、典礼色も白のままです。現行の復活後第○主日と比べ、検討されている復活節第○主日のほうが、○の中の数は一つ多くなります。
 この他、「聖木曜日」、「聖金曜日」、「復活徹夜祭」の「聖なる3日間」を重要視します。また、現行で「聖霊降臨後最終主日」としてきたものを、①現行のままとするか、②『王なるキリストの日』、『キリストの支配』、『終末主日』、『永遠の主日』などの位置づけにするか、③『教会暦最終主日』と呼称するか、現在、協議を重ねています。
(2)聖書朗読配分(聖書日課)
 主日礼拝での聖書朗読配分として、新たに『改訂共通聖書日課』(RCL)の導入を検討しています。RCLは、最初、北米で、カトリック教会の朗読配分をもとに、聖公会、プロテスタント諸派で協議を重ねて策定したエキュメニカル(教派横断的)な聖書日課です。その後、世界的にも様々な教派で用いられるようになり、日本でも、カトリック教会と聖公会は、基本的にRCLで定める同じ福音を毎週の礼拝で聴いています。
 今回、日本のルーテル教会でも、これを用いることで、世界中の多くの信仰の兄弟姉妹と共に、同じ日に、同じ聖書のみことばを聴く恵みに与かることが可能になります。また、RCLは日曜以外の月曜から土曜日の聖書日課も定めており、主日(日曜日)を中心に、日々、みことばに聴き従う生活をするように構成されています。これについては、機会ある時に改めて紹介します。

連載 マルティン・ルター、人生の時の時(6)

江口再起

 さて、ここで宗教改革の神学(思想)をまとめておきましょう。3点です。
 第1に「信仰義認」というか「恩寵義認」です、つまり「恵みのみ」です。(「恵みのみ」と「信仰のみ」は同じことですが、「恵みのみ」は神の側から、「信仰のみ」は人間の側から表現しているのです)。第2に「聖書主義」、つまり「聖書のみ」です。先述しました。そして第3に「万人祭司」です。 万人祭司主義の要点は次の2点です。
 第1に、当たり前ですが、すべての人は神の前に平等だということです。そして第2に、どんな人であれ神様に対してはまるで祭司のように真剣に生きようということです。(ですから、牧師と信徒の間には当然、役割上の区別はあるのです。ちょうど「八百屋さん」と「時計屋さん」は、人間としての存在価値は全く同じですが、仕事には区別があるのと同じです)。
(6)結婚(1525年、42歳) 生きることは、 山あり谷あり
 人生、生きることは山あり谷ありです。ルターもそうでした。
 まず結婚。ルターは42歳のとき、元修道女だったカタリーナ・フォン・ボラと結婚しました。従来、 神に仕える修道士は独身制でしたから、この結婚は歴史的結婚です。その結果、形成された家庭は、しかし、どこにでもあるごく普通の家庭でした。いろいろ楽しいこともあり、また苦しいこともある。特別に「聖家族」というわけではありません。しかし、そこがいい。
 残された肖像画などを見ますと、ルターはがっちりしていて健康そうに見えますが(ややメタボ)、実は人生の後半、3分の1は病いの人でした。便秘、胃の不快感、耳鳴り、めまい、腰痛、腎臓結石、狭心症、痛風、頭痛それに鬱。ルターの人間論を表す有名な言葉に「罪人にして同時に義人」という言葉がありますが、その説明として「病気にして同時に健康」ということもルターは言っています。ともかく、いろいろ大変でした。それでもルターは生きていく。(つづく)

申し込みがはじまりました!2015ルーテルこどもキャンプ

ルーテルこどもキャンプ  スタッフ 中村沙絵 

 毎年夏に行われているルーテルこどもキャンプ。1999年に開催されたルーテル国際少年少女キャンプから始まり、2006年からルーテルこどもキャンプと名前を変え、平和について学ぶキャンプと世界の国々について学ぶキャンプが毎年交互に行われています。
 17回目の今年は、「フレンドリーアイランド トンガ王国へようこそ!」をテーマに8月6~8日の2泊3日間、東京のルーテル学院大学で行われます。
 今年のテーマ国はトンガ。オセアニアに位置し、青い海に囲まれ、緑の椰子の木が並ぶ南の島、トンガ。キリスト教国で、あちこちに教会があり、日曜日は安息日として法で守られ、家族そろって教会へ行きます。私は2年間トンガで生活し、家族を大切にして助け合って生きることの素晴らしさ、何より神さまに支えられて日々生かされていることに気づきました。
 キャンプではテーマ国についてはもちろん、3つの伝えたいことがあります。 
(1)いのちの大切さ。日本と離れていて、違いもたくさんある国だけど、全ての命が大切で、命はつながっていること。(2) 友だちの大切さ。言葉は違っても、神様に愛されている同じ友だちであること、その国の子どもたちが何を大切して生きているのか、子どもたちの目線で世界の友だちに何ができるだろうか?と考えるきっかけになっていくことでしょう。
(3)信仰の大切さ。友達や家族、自然に感謝する気持ちから、神さまへの感謝の気持ちが芽生え、どんな時も共に神さまが歩んでくださっていることを確認できる時間となります。
 主題聖句である「我らは神の中に生き、動き、存在する」(使徒言行録17章28節)のとおり、トンガを通して子どもたちは、”わたし”だけではなく様々な国で生活をする”わたしたち”が神さまによって生かされ、存在していることに気づくことでしょう。どうぞたくさんの子どもたち、そしてスタッフを送りだしてください。私たちと共に、トンガを知り、楽しみ、味わいましょう! キャンプの詳細は、各教会宛に送付済みの案内、もしくはhttp://bit.ly/1c1zakJからご確認ください。

LCM会議報告

世界宣教主事 浅野直樹

 6月12日から14日にかけて海外宣教協力会議LCMが開催されました。これは、Lutheran Cooperative Missionの略で、JELCの宣教を支援する海外教会や宣教団体との合同会議のことです。
 現在JELCは、アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)、フィンランド福音宣教会(LEAF)、ドイツのブラウンシュバイク教会(ELCB) の三つから宣教協力をいただいています。 近年、ブラウンシュバイクの参加がなかったのですが、今回久しぶりにトーマス・ホーファ事務局長が出席できたことで関係団体がすべてそろいました。各教区からも選ばれた代表者が1名ずつ参加し、全体会議は総勢15名となりました。また各国との個別協議も行われました。
 今回のテーマは、「宗教改革500年へ、これからの宣教」です。まずは宮本新牧師が「われわれはなぜ集まるのか?」と題して基調講演をしました。宣教によって「何を伝えるのか」を考えるためには、日本がそして世界が、今どういう状況なのかを踏まえて論じることの必要性、今日の世俗化の問題とそれに対処するための「文脈の神学」という考え方、教会の個別性は互いに浸食しあうプロセスの中で絶えず変化していくことを、宗教改革500年とこれからの宣教を考えていく際に踏まえておくべきこと、アウグスブルグ信仰告白はルター派教会のアイデンティティであると同時に、ここにこそ世界への広がりをもった宣教的原点があること、公同性を捉える新たなキーワードとして、複数の歴史が重なり合う現実を包む「共棲」(cohabitation)という概念、さらにはウェブ上の公同性の可能性へと及びました。
 講演に引き続き、JELCからは白川事務局長、ELCBからはホーファ事務局長 、LEAFはフフィティネン伝道局 長、ELCAは石田アジア・太平洋局長が発表し、宗教改革500年にむけての具体的取り組みを紹介、それぞれの脈絡における国内宣教の課題、海外伝道の進展、10~20年後の自分たちの教会の姿と宣教ビジョンを展望してもらいました。
 久しぶりの全体会議でしたが、各教区代表者の顔ぶれが幾分若返り、「これからの宣教」に取り組むのにふさわしかったといえます。

全国教師会 宗教改革 500年記念事業

 全国教師会として宗教改革500年を記念し、教師会として意義があり、また教会や社会に対して責任を果たしていくために、2つの事業を推進することとしました。
 このことを通して、教師間の連帯を励ますことになることを期待し、また宗教改革500年の節目に教師の働きの今を切り取る「説教」と「ルターを語る」という作業を通して、ルーセランアイデンティティを表現することになればと考えています。現任教師の皆さんにはすでに依頼をしており、数件の原稿が寄せられています。教師の皆さんはご協力をよろしくお願いいたします。

①説教集の作成

 この節目に、み言葉に立つ教会の教師集団として説教に取り組み、後世に残すために説教集を編纂し、発行します。

■執筆依頼対象 
 2015年度時点での 現職全教師、牧会委嘱を 受けている教師
■募集期間
 2015年5月~20 16年3月末
■内容 
 説教(とっておきの1 編。あまり古いものでな ければ、過去のものでも 可能。主日礼拝でなされ た説教と限らない(例え ば『るうてる』へ寄稿さ れたもの)。テーマは自 由。宗教改革をテーマと する必要はありませ ん。)
■文字数  
 本文4000字以内
■体裁   
 タイトル、聖句(説教の 中心となる1~2節)、 執筆者名(実名)
 

②ルターを語る

 宗教改革やルターについてのリソースとして社会に貢献するべく、「街のルター博士」としての役割を果たす。そのために、全教師が「ルターを語る」とのテーマで自由に執筆し、それを順にJELCのウェブサイト上において公開します。

■執筆依頼対象 
 定年教師を含む全教師
■募集期間 
 2015年6月~20 17年3月末
■内容   
 「ルターを語る」
■文字数  
 無制限(あまりに長いも のは読んでいただけな いと思われるので、ご配 慮ください。)
■体裁   
 タイトル、執筆者名(実名)
 いずれも、 ワードやテキ ストなどのデータ形式  とし、Eメールにて提出 をお願いします。

■宛先
jelc.kyoushikai@gmail.com  (全国教師会書記:安井)

 尚、寄せられた原稿につきまして、全国教師会の編集方針に従い、不快語、差別語を中心に修正と編集を行ないますこと、ご了承ください。

ひかり工芸舎新舎を与えられて

社会福祉法人 光の子会 理事長 岩切雄太

 光の子会の働きは、日本福音ルーテル門司教会付属門司幼稚園の園庭を、知的障がい児の遊び場として開放したことに始まります。その出会いから、教会が中心になり1972年に社会福祉法人光の子会を設立、翌年、知的障害児通園施設光の子学園を開園しました。
 ところで、当時の光の子学園には0歳から18歳の方が通園していました。そのような中、光の子学園の卒園者が ( また地域の障がい者が)仲間と一緒にいきいきと働くことのできる場所として、1976年に知的障害者通所授産施設ひかり工芸舎を、また在宅の障がい者を受け入れていくために、1998年にひかり工芸舎谷町分場(現:たにまち光舎)を開設しました。
 現在は、法制度が変わり、光の子学園は児童発達支援センターになり、ひかり工芸舎は就労移行支援事業・生活介護事業を行う多機能型事業所、たにまち光舎は就労継続支援B型事業を行う事業所になりましたが、子どもたちや利用者が、遊び働くことを通して成長していく場所であることに変わりはありません。
 さてこの度、ひかり工芸舎の新舎が完成し、引っ越しをしました。新舎は、光のたくさん差し込む素敵な建物です。またそこは関門海峡を望む気持ちのよい場所です。
 そしてまた、私たち光の子会は、子どもたち、利用者の遊ぶ場所・働く場所に加え、安心して生活できる場所として、ひかり工芸舎の隣にグループホームを開設するための準備をしています。
 私たちは、 法人設立からこれまで、子どもたち、利用者一人ひとりが「この世の光である」という思いを大切に守ってきました。というのも、パウロは次のように言っているからです。「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」(コリントの信徒への手紙一12章22節)。
 この社会の中で、(知的)障がい者は、弱い存在かもしれません。しかし、力や強さというものが、人々を分裂させてしまうのに対して、周りの助けを必要とする彼(彼女)たちは、人々を集めて一つにします。そして、助け合うこと、思いやり、心を開くことの大切さを呼び起こしてくれるのです。
 これからも、一人ひとりの命の光を輝かす灯台のような場所として、光の子である彼(彼女)たちと歩んでいきたい、と思います。

 

 

 

 

  

15-06-17主からの一歩、そして主に従う一歩

イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコによる福音書2章13〜17節)

 板橋教会出身の私が、山口県と島根県にまたがるシオン教会に赴任し3年目の春となります。この原稿は、山口県の徳山礼拝所、20人程の礼拝出席の教会で書いています。現在、朝9時です。あと1時間で島根県の益田礼拝所に向かいます。その距離片道100キロ。中国山脈の横断です。今の時は、大変に素晴らしい時期です。「目に青葉、山ホトトギス、初鰹」の江戸の俳句は確かだと思います。白雲青空の下、葉桜や山藤、山ツツジが映えます。益田教会では、3、4人での礼拝を守り、確かな喜びを抱きます。益田の次は、徳山との中間地、 島根県吉賀町六日市です 。こちらも5、6人ながらも豊かな礼拝です。帰りは22時過ぎです。木曜の走行距離は210キロ。高速道路でなく、峠道を行く往還です。冬季は、路面凍結やシャーベット状の道路を行くこともあります。帰路、ダム湖の傍を通る時には一年中、センターラインも見えない濃霧に困ります。しかし無事に帰り着くと、「今日も僕は、無事故、無違反という意味だけの安全運転を心掛けた」という感想を抱き、そして「守られ、導かれた」と思わされます。

 冒頭の聖書は、徴税人レビの物語です。レビは「収税所に座っている」と記されています。 収税所という場所、 制度は、現在の税務署の役割がそのまま当てはまるということではありません。市民からの税金徴収と、上級官庁への献納は、役割としては今日と確かに同じです。しかし「税金徴収」の際に収税人たちは自分の利得分を上乗せして多く集金していたということがあったのです。いきおい、厳しい視線を集める職業ということになりました。仕事として腹を括る、つまり「自分の仕事だからしょうがない」と諦めていたでしょう。だからといって、人々からの厳しい視線は、経験を重ねてもこたえるものです。針のむしろに坐すような心持ちで仕事の合間の休息を取っていたのでしょう。それがレビでした。

 レビは、イエスさまから弟子入りの言葉を頂きます。するとレビはイエスさまに従うものとなるのです。 イエスさまの言葉の力強さと共に、レビの鮮やかな転身が印象に残る聖書箇所です。レビの転身の出来事に、私自身、思いを傾け、 その心境に至った時期もありました。レビは、人々から厳しい視線を集める仕事を捨て、神さまに仕え、その働きをなす仕事に至った、と。レビがイエスさまの世界に入った。言い方を変えれば、俗なる者が聖なる空間へと至ったと、かつてそのように聖書を読み、今も折にふれてそんなことを思います。

 しかし、改めて聖書を読むと、「俗から聖」ではなく、むしろその反対かと思わされます。つまり「聖から俗へ」なのです。イエスさまは、聖書全体を通して、徴税人など、当時としては白眼視された方々と交流を深められます。とやかく言う人々は登場しますが、イエスさまはその白眼視をものともされませんし、時にはそれと戦います。ここでは、イエスさまは、自ら、レビの世界に入られたのです。結果を見れば、レビは弟子となり、収税所の仕事とは距離を置いたのでしょう。しかしその契機は、イエスさまがレビに近づき、その生活の中に入ったが故に、レビの生き方が変化したということです。

 レビは、確かに頑張りました。今までの生活を脇に置いてイエスさまに従うという決断は、並大抵のことではありません。けれど、そのような生き方を決断させたのは、他でもないイエスさまの言葉があるが故なのです。「私は頑張っている、しかし主はそれを越え、計り知れない所での恵みを増し加えてくださる」のです。そして、今までのレビの生き方も無駄ではない、ということも覚えたいのです。今までの生活、生き方があったがために、レビにはイエスさまの言葉が響いたのです。「あなたの今までの人生に、無駄なものは何一つもない。イエスさまはそれをも用いてくださる」のです。 

この6月、イエスさまの言葉によって導かれるルーテル教会の群れとして、過ごしたいものです。

日本福音ルーテルシオン教会牧師 水原一郎

15-06-01るうてる2015年6月号

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説教「主からの一歩、そして主に従う一歩」

イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコによる福音書2章13~17節)

板橋教会出身の私が、山口県と島根県にまたがるシオン教会に赴任し3年目の春となります。この原稿は、山口県の徳山礼拝所、20人程の礼拝出席の教会で書いています。現在、朝9時です。あと1時間で島根県の益田礼拝所に向かいます。その距離片道100キロ。中国山脈の横断です。今の時は、大変に素晴らしい時期です。「目に青葉、山ホトトギス、初鰹」の江戸の俳句は確かだと思います。白雲青空の下、葉桜や山藤、山ツツジが映えます。益田教会では、3、4人での礼拝を守り、確かな喜びを抱きます。益田の次は、徳山との中間地、 島根県吉賀町六日市です 。こちらも5、6人ながらも豊かな礼拝です。帰りは22時過ぎです。木曜の走行距離は210キロ。高速道路でなく、峠道を行く往還です。冬季は、路面凍結やシャーベット状の道路を行くこともあります。帰路、ダム湖の傍を通る時には一年中、センターラインも見えない濃霧に困ります。しかし無事に帰り着くと、「今日も僕は、無事故、無違反という意味だけの安全運転を心掛けた」という感想を抱き、そして「守られ、導かれた」と思わされます。
 冒頭の聖書は、徴税人レビの物語です。レビは「収税所に座っている」と記されています。 収税所という場所、 制度は、現在の税務署の役割がそのまま当てはまるということではありません。市民からの税金徴収と、上級官庁への献納は、役割としては今日と確かに同じです。しかし「税金徴収」の際に収税人たちは自分の利得分を上乗せして多く集金していたということがあったのです。いきおい、厳しい視線を集める職業ということになりました。仕事として腹を括る、つまり「自分の仕事だからしょうがない」と諦めていたでしょう。だからといって、人々からの厳しい視線は、経験を重ねてもこたえるものです。針のむしろに坐すような心持ちで仕事の合間の休息を取っていたのでしょう。それがレビでした。
 レビは、イエスさまから弟子入りの言葉を頂きます。するとレビはイエスさまに従うものとなるのです。 イエスさまの言葉の力強さと共に、レビの鮮やかな転身が印象に残る聖書箇所です。レビの転身の出来事に、私自身、思いを傾け、 その心境に至った時期もありました。レビは、人々から厳しい視線を集める仕事を捨て、神さまに仕え、その働きをなす仕事に至った、と。レビがイエスさまの世界に入った。言い方を変えれば、俗なる者が聖なる空間へと至ったと、かつてそのように聖書を読み、今も折にふれてそんなことを思います。
 しかし、改めて聖書を読むと、「俗から聖」ではなく、むしろその反対かと思わされます。つまり「聖から俗へ」なのです。イエスさまは、聖書全体を通して、徴税人など、当時としては白眼視された方々と交流を深められます。とやかく言う人々は登場しますが、イエスさまはその白眼視をものともされませんし、時にはそれと戦います。ここでは、イエスさまは、自ら、レビの世界に入られたのです。結果を見れば、レビは弟子となり、収税所の仕事とは距離を置いたのでしょう。しかしその契機は、イエスさまがレビに近づき、その生活の中に入ったが故に、レビの生き方が変化したということです。
 レビは、確かに頑張りました。今までの生活を脇に置いてイエスさまに従うという決断は、並大抵のことではありません。けれど、そのような生き方を決断させたのは、他でもないイエスさまの言葉があるが故なのです。「私は頑張っている、しかし主はそれを越え、計り知れない所での恵みを増し加えてくださる」のです。そして、今までのレビの生き方も無駄ではない、ということも覚えたいのです。今までの生活、生き方があったがために、レビにはイエスさまの言葉が響いたのです。「あなたの今までの人生に、無駄なものは何一つもない。イエスさまはそれをも用いてくださる」のです。 
この6月、イエスさまの言葉によって導かれるルーテル教会の群れとして、過ごしたいものです。
日本福音ルーテルシオン教会牧師 水原一郎

宗教改革五〇〇年に向けて ルターの意義を改めて考える(38)

ルター研究所所長 鈴木 浩

どのようにしたら、人間は神を知ることができるのだろうか?
 ルターはここでも、無論「聖書によってのみ」と言うのだが、実はもっとずっと刺激的な言い方をした。「神はイエス・キリストの十字架の苦難と死以外の場では、決して認識されない」。これが、1518年に修道会の総会で、ルターが司会した討論の際の発言である。
 ルターは、十字架の上で「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫んで死んだイエスの姿にこそ、真の神が「啓示されている」と断定した。
 しかし、そこにいるのはナザレ出身の大工であり、見えるのは、その大工の無残な死である。
 どうしてそこに、神が啓示されているというのだろうか。そこには、われわれが考える神らしい姿はどこにもない。だから、「神は隠されている」。
 神は「信仰の目で見れば」十字架で啓示されているが、「人間の判断では」隠されたままなのだ。だからルターは「神は十字架の上で啓示されていると同時に隠されている」と語る。
 ここでも、真実を見抜くのは「信仰のみ」である。人間の絶望の底にまで降りていった方、その方こそ真の神なのだ。

議長室から

信仰の栄養を蓄えるとき

総会議長 立山忠浩

4月の引っ越しに伴い、ため込んでいた本の整理をしました。本棚の奥にしまい込んでいた本を見つけ、「こんなところにあったのか」と宝物を探し当てたような気分になったり、同じ本があることに気づき落胆したりの連続でした。
 処分した本は資源回収日に何回にも分けて出し、古本の購入業者へ宅配便で送ったこともありましたが、古本の価値が驚くほど低いことを改めて認識することにもなりました。
 当たり前のことですが、古本の買取り値は、その本にどれほど需要があるかで決まるようです。「神学書が売れない」というキリスト教出版業界や販売店の嘆きを耳にすることがありますが、古書にいたってはなおさらのことでしょう。
 神学書やキリスト教関連の本はキリスト教専門店に並べられているということが定番ですが、最近の傾向として目につくことは、一般書店にキリスト教や神学的なことを正面から論じている本がよく並んでいることです。しかも著者が神学者や牧師ではありません。中にはキリスト者ではない著者もいるのです。しかし実際に手にして読んでみると、教えられることが多いのです。
 教会の中にどっぷり浸かっていると教会のことが見えなくなってしまい、むしろ教会の外の人の方が、教会がよく見えているということがあります。これと同じで、聖書の読み方、教会の長所と弱点について、今日期待されている教会の働きについてなど、様々な面で刺激的な視点を提供してくれているように思います。
 もちろん私たちは基本的な立ち位置を見失ってはいけません。礼拝を大切にし、牧師の説教をきちんと聞かなければなりません。聖書を読むことをおろそかにせず、祈りを欠かさないことが重要です。それに加えて、様々な真摯な声に耳を傾け、アンテナを張るのです。

 教会は聖霊降臨後の暦に入りました。昨年末のクリスマスを経て復活節が終わり、主イエスのご生涯をたどる暦が終わりました。これからは信仰的な成長を目指す期節を過ごします。植物が根元からだけでなく葉からも栄養を取り入れるように、私たちも様々なアンテナを張り、信仰の栄養を蓄えてまいりましょう。

新しい「こどもの家」竣工

福祉村委員会 内藤文子

 4月6日、東海教区の福祉村にて、新しい「こどもの家」(自立援助ホーム)の竣工式が行われました。昨年の10月7日に起工式が行われ、半年をかけ工事は進み、鉄筋2階建ての建物が完成しました。竣工式には、袋井市長(代理 )、市議会議長、自治会長、そしてデンマーク牧場福祉会一同、まきばの家・こどもの家後援会、そしてこれまでこどもたちをしっかり支えてくださった暖かい篤志の方々も。「こどもの家」が、いかに地域や教会の多くの方々に支えられ、施設長・職員が交わって来たかを、感激をもって知ることができました。
 施設長の松田正幸さんは「7年前に完成したまきばの家(児童養護施設)とこどもの家を比べると老朽化がこどもたちに申し訳なく、改築したいと思ったのです」と話しています。 
 具体的な話が始まったのは、2年前。農地から宅地への変更、広大な敷地ゆえの接道条件、建築資材の高騰、ライフラインの確保などなど困難は少なくありませんでしたが、準備の中で関係者に助けられ、「夢」は完成したのです。
 「こどもの家」の歴史は建物に、こどもたちとスタッフは、お礼の手紙を書いています。
 「長い間、雨風に耐え、私たちの生活を支えてくれましたね。壁に穴を開けてごめんなさい。小奇麗なカレンダーやポスターでつぎはぎしたのだけれど、私たちの思い・怒り・孤独・後悔をいつも静かに受け止めてくれました。”本当にありがとう”」

つながり続ける

プロジェクト3・11企画委員   久保彩

「となりびと」になろうと一歩を踏み出す時は、突き動かされるような「断腸の思い」が原動力になるのでしょう。しかし、継続的に共に歩もうと信頼関係を築いていく時に大切なことは、意外とシンプルなのかもしれません。
 2011年8月、私はルーテル教会救援「となりびと」を介し、 ボランティアとして石巻市十三浜を訪ねました。壊滅的な被害を受けた地域は多くありますが、自分が出会った人と場所とつながり続けたい、そして出来ることなら、子どもたちと一緒に訪れたいと感じました。ボランティアに出来ることはわずかですが、それでも出会って、つながることで次の新しい可能性が見えてくると私は信じています。
 勤務する聖望学園(埼玉県)の高校の生徒たちと十三浜を訪れたのは2012年。わかめ生産者の西條きく子さんにお会いし、ボランティアをして、学校では物販支援をするというかたちで現在もつながっています。夏にはわかめ漁に使用するロープにわかめの種をつける作業、春にはわかめの芯抜きの作業のボランティアを担当しています。いつも「先生、またきく子さんに会いたい」と生徒たちに言われ、「じゃあ、一緒に行こう」とのやりとりを繰り返しています。
 震災から4年が経ち、ボランティアを必要とする人がいるのか、とお思いの方もいるかもしれません。しかし震災によって西條さん宅のわかめ漁を手伝ってくれていた方々が被災され、亡くなられたこともあり、人手が足りないとのこと。微力ながらもつながり続け「あの震災を忘れていません。応援しています。」という想いを伝え続けたいと思うのです。
 つながる方法はいろいろあります。物販支援をすること、またそれを購入すること、実際に訪ねボランティアをすることなど。そしてつながり続けることの原動力は「また会いに行きたい」「また食べたい」という率直な思いでいいと思うのです。

礼拝式文の改訂

現行式文と改訂式文案の式順

式文委員 中島康文

 式文改訂の作業を開始する際、現行式文の使用状況についてアンケートを行ったのが2007年末でした。その後、2012年全国総会の折に一部改訂した式文を開会礼拝に用い、2013年全国教師会では改訂式文をテーマに協議していただきました。更に2014年全国総会では式文曲の一部案を試演しました。また協議内容に関する概要は、常議員会にて報告してまいりましたし、各地で改訂式文についての説明が始まっています。
 しかしながら、式順案を皆様にお知らせする機会をもたないまま現在に至っておりましたので、不手際をお詫びしつつ、ここに現行式文と改訂式文案の式順を掲載いたします。これまで掲載してまいりました「礼拝式文の改訂」を参照しつつ、見比べていただければと思います。

現行式文

[開会の部]
初めの歌
み名による祝福
罪の告白の勧め
罪の告白
赦しの祈願祝福
キリエ
グロリア
[みことばの部]
祝福の挨拶
 特別の祈り
 第一の日課
 第二の日課
(ハレルヤ唱又は詠唱)
 (詩編唱も可)
 福音の朗読
 みことばの歌
 説教
 感謝の歌
 信仰の告白
[奉献の部]
 祝福の挨拶
 奉献と奉献唱
 奉献の祈り
[聖餐の部]
 聖餐の歌
 序詞・その日の序詞
 サンクツウス
 設定
 主の祈り
 平和の挨拶
 アグヌス ディ
 聖餐への招きと聖餐
 聖餐の感謝
[派遣の部]
 祝福の挨拶
 ヌンクディミティス
 教会の祈り
 祝福
 終わりの歌

改訂式文(2014年全国総会)

[招き]
 (洗礼の想起)
 招きのことば
 告白
 (黙祷)
 赦し
 つどいの歌
 キリエ
 グロリア
 集いの祈り
[みことば]
 第一の朗読
 その日の詩編
 (詩編の後に栄唱)
 第二の朗読
 (ハレルヤ又は詠歌)
 福音の朗読
 説教
 みことばの歌
 信仰告白
 とりなしの祈り
 平和の挨拶
[聖餐]
 聖餐の歌
 序詞・その日の序詞
 サンクツウス
 設定
 主の祈り
 アグヌス ディ
 聖餐への招きと聖餐
 聖餐の感謝
 ヌンクディミティス
[派遣]
 派遣の祈り
 感謝のささげもの
 派遣の歌
 祝福
 派遣の言葉

連載 マルティン・ルター、人生の時の時(5)

江口再起

ヴォルムス国会(1521年、38歳)― 改革運動の前進(「われ、ここに立つ」)

 「95ヶ条」以後、ルターと(カトリック)教会との間に様々な論争(「ハイデルベルク討論」、「ライプツィヒ討論」など)がありましたが、結局ルターは「破門」されました。しかし、改革運動は前進する。改革陣営は独自の道を歩む。そして、とどのつまりは教会分裂。カトリック教会とは別の、プロテスタント教会が誕生しました。
 こうした事態を最も鮮やかに示しているのが、1521年のヴォルムス国会でのルターの発言です。ルターは神聖ローマ帝国皇帝カール5世の前に呼び出され、自説の取り消しを求められました。しかしかれは拒否、そしてこう叫びました。「われ、ここに立つ」。この言葉は、ルターによって切り開かれた近代的個人主義の曙として有名ですが、しかしそれ以上の意味を内包しています。「われ、ここに立つ」の「ここ」とはどこか。カール5世の前ということか。それもあるが、それ以上に、この「ここ」とは実に「神の前」ということです。人間とは、「人の前」で生きていくのみならず、実に「神の前」に生きていく存在なのです。
 さて、その後のプロテスタント陣営の歩みですが、その内部でも、今日から考えていささか細かな論争もいろいろありました(「聖餐論争」など)。そして、またまた分裂。その結果、同じプロテスタント教会でも、いろいろな教派があるのです。しかし、それはともあれ、プロテスタント教会の主張の一応のまとめとして、1530年、「アウグスブルク信仰告白」が発表されました。そして、その歩みの中で、ルターは数々の著作を残しました(「キリスト者の自由」、「大教理問答書」、「奴隷意志論」など)。
 ところで、こうした改革運動の中でも特筆すべきは、ルターの「聖書」への取り組みです。注目すべきことが2点あります。一つは、聖書に対する徹底したこだわりです。「聖書のみ」。この「聖書のみ」の真意は、聖書に書いてあることだけがすべて真実だということではなく、聖書はその中心点(イエス・キリストに示された神の恵み)をこそわがものにすべきだ、ということです。そして、もう一つは、ルターによる聖書のドイツ語訳です。聖書はラテン語やギリシア語がわかる特権的な人たちだけの書物でしたが、ルターの翻訳以降、すべての人の書物となりました。(つづく)

第22回春の全国ティーンズキャンプを終えて

小澤実紀(宣教室TNGティーンズ)

 3月26~28日千葉市少年自然の家にて第22回春の全国ティーンズキャンプが開催されました。テーマは「…おかえり、いってらっしゃい…」。礼拝について学ぶプログラムに、81名のティーンズと32名のスタッフが参加しました。全国の教会の皆様の祈りとお支えにより、無事に終えることができましたことを心から感謝いたします。ティーンズ世代の子らが礼拝について疑問を出し、考え、知る時となりました。後ほど発送されるキャンプ思い出集に感想文をすべて掲載します。どうぞお楽しみに!

(参加者の感想文と証の一部)

 「私たちはイエス様に愛され、祝福され、支えられている。あたり前のことかもしれないが、再確認できて良かった」「礼拝に行くことがだんだんと減ってきていた中で、このようなことを学んで改めて礼拝に参加することの大切さを実感しました」「いつもは、何気なくやっている礼拝の歌や、言葉、聖句に、ひとつひとつ意味があって、それぞれがとても大切だということがわかりました」「私は今まで礼拝を流れるように聞いていただけでしたが、礼拝が・ ・・おかえり、いってらっしゃい・・・をする場だと知り、見方が変わりました。自分にはいつも迎えてくれる場所、帰る場所があるんだと思うと安心できるし、教会を出ていくときも神さまが背中を押してくださって、いつもそばにいてくださると分かって、とても心強いと思いました」「私は幼い頃からずっと教会へ通ってきました。でも、何のために礼拝に出ているのか、礼拝とは何か、ひとつひとつのことを意識したことがあまりありませんでした。でも今回の春キャンを通して、自分は神様に招かれていること、礼拝に出ることの大切さを実感することができました。私はまだ洗礼を受けてないですが、神様に招かれていることを知った今は受けてみようかと思えることができました」「イエス様はどんな時も私を愛してくださると春キャンで学びました。だから私もイエス様を愛します。私は、春キャンは『愛』でできていると思います」

第3回常議員会報告

事務局長 白川道生

2月20日から22日にかけて第26回総会期の第3回常議員会が開催された。すでに議事録は送付されているので、本稿では時間を割いた協議事項の論点と対応を組み合わせて記したい。
まず、2014年度収支決算の承認があった。教勢(集計表は各教会に配布済)は、会員数が2万1988人に増加(受洗者数は昨年と同じ 150人)した。反面、基礎収入では1500万円弱の減少となった全体教会の姿が見えた。
 財務課題として経営改善に取り組む収益事業には好転が見られた。2008年に発生した、いわゆる「リーマンショック」以降、大幅な減収が生じていたが、本年度の経常利益は2008年以前の数字に回復した。大阪会館、広島会館の稼働率向上が要因となった。
他に「礼拝式文の改訂」、「神学教育に関する協約」、「ブラジル伝道」、「2015年度人事」へ協議の時間を割いた。
 礼拝式文の改訂では、本改訂作業が総会決議によるとの確認を鑑み、常議員会の取り組みを再検討した流れに沿って、各教区に説明会の実施を依頼した。結果、本年中に、式文改訂の作業を担う委員がすべての教区を訪問し、説明の機会を設ける日程が決まった。
 神学教育に関しては、2017年に現行の神学校支援方式満了を迎えることを念頭に、その後の神学教育の在り方、わけても支援の規模や方法等について等、当事者協議を重ねている。JELC(日本福音ルーテル教会)のスケジュールとしては2016年全国総会への提案を予定してゆく。 JELCの海外宣教では、伝道開始から50年を迎えるIECLB(ブラジル・ルーテル告白福音教会)との協議が望まれている。本件はJELCとIECLB間の宣教協力の歴史の経緯を保ちつつ、在り方を定める課題との認識が共有され、現地の現状も踏まえながら、JELCの対応方針につき、協議が行われた。5月からはインターネット環境を通じた現地との会議も実施している。 なお加えて、ブラジル宣教50周年に際して本年10月に訪伯団を派遣する提案が承認された(大柴譲治団長)。前号でも訪伯団の案内を掲載し、 記念すべき旅行への参加者を募っているのでご覧いただきたい。
最後に2015年度の人事について、すでに本紙4月号に記したが(5名の定年引退、新任4名、ほか人事異動情報)、宣教師及び出向教師含め、103名の教師で宣教体制を組む人事となった。宣教師、牧会委嘱を除く現任教師に限るならば、国内教会への派遣教師数は現職79名となった。

LWF/WICAS 日韓女性研修会議&公開セミナー報告

日本福音ルーテル教会WICAS協力委員  俵 恭子
                   
 表記の会議が4月7日から9日まで、東京のルーテル市ヶ谷センターと東京ルーテルセンター教会(日本ルーテル教団)を会場に開催されました。 今回の会議は2013年にLWF(ルーテル世界連盟)理事会で採択された「ジェンダー・ジャスティス・ポリシー(ジェンダー公正基本方針)」の周知と推進の働きを担うリーダー研修を目的とするものでした。WICAS(教会と社会における女性部)担当主事のイレイン・ノンフェルト牧師を講師に迎え、韓国ルーテル教会から5名(うち男性牧師1名)、日本キリスト教団から5名(うち男性牧師1名)、日本福音ルーテル教会から6名の女性たちが参加しました。
 最終日の9日は、会場をルーテル東京教会に移して関野和寛牧師のご奉仕による英語礼拝を守り、続く公開セミナーで30数名の参加者がイレインWICAS主事の、基本方針についての深くてわかりやすい説明に耳を傾け、熱心な質疑応答がくりひろげられました。
 LWFはジェンダー(社会規範や慣習によってつくられた性差)に起因する諸問題(性差別や女性への暴力等)の解決を神の正義として達成すべきこととして2017年の宗教改革500年に向けた重要な取り組みの一つとして、ジェンダー公正基本方針を世界の加盟教会に示しました。
 男性優位の考え方が共通して色濃く残る北東アジア地域にある教会は、社会に率先して男女の不平等をなくし、宣教や奉仕のわざを男性と協働してすすめていくこと、女性のリーダーシップを強め、決議機関への参画の割合を4割にしていく必要があることなどが話し合われました。
 JELCのウェブサイト上に掲載されている学びの教材「信徒のためのジェンダーとパワー」や今回新しく翻訳された冊子「ジェンダー公正への道―LWF基本方針」等の各教会での活用が期待されています。
「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分のものもなく、男も女もありません。あなた方は皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3・28)

『聖書日課』ホームページリニューアル

ルーテル『聖書日課』を読む会 代表 須田博之 (近畿福音ルーテル教会引退教師)

 今年4月1日から、これまで10年以上無料で提供してきました『聖書日課』のホームページをリニューアルいたしました。
 リニューアルに伴い、日課をPDFで提供することでスマートフォンでも利用して頂けるように、また音声もお楽しみ頂けるようにコンテンツを充実させ、年会費を頂いて運営する形に衣替えをいたしました。年会費は1000円となっております。
 『聖書日課』は、聖文舎が発行できなくなった後、当時、京都教会の牧師であった小泉潤牧師の呼びかけで、関西に拠点を置くルーテル諸派から委員が集まり、「ルーテル『聖書日課』を読む会」として会員から会費を集め、これに対して会報をお送りする形で運営されてきました。現在では4000名を超える方々が会員となってくださっています。創刊当時から点字会報、テープ会報も作成してきましたが、これについても会費を頂いてきました。このたびは、ホームページや携帯電話などへのメルマガをご利用してくださっている方からも会費を頂き、この運営にご協力を頂くこととなりました。
 すでに100名近い方々が登録をして、『聖書日課』の働きを支えてくださっています。ホームページの会員登録のボタンから登録ができるようになっています。
 書物版についても案内をし、個人でも申し込み可能となりました。是非、リニューアルされたホームページをご利用ください。http://seishonikka.org/

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
5月号のブラジル宣教50周年記念訪伯団募集の情報を修正します。

①申込締切 8月25日
②申込先FAX(事務局)  03‐3260‐8641
③追加オプション代金8万円

各教会へ配布されている案内パンフレット、ならびにJELCウエブサイトに記載の情報は正確です。 広報室

 

15-05-17違うけれど同じ

「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。」
(コリントの信徒への手紙一12章14節) 

 早いもので、牧師になって20年が過ぎました。思い起こせば「阪神淡路大震災」や「オウム地下鉄サリン事件」など、日本社会の転換点にあたる年に、私は牧師としての歩みを始めたわけです。前任地は大学でしたが、現任地は附属幼稚園をもつ教会です。右も左も分からない状態からスタートした幼稚園の園長職も、8年経ってようやく板についてきたのではないかと思っています。

 また不思議なことに昨年度から、私が卒業した二つの大学より兼任講師の依頼を受け、久しぶりに大学の教壇でキリスト教倫理を講じる機会をいただいています。生殖補助医療や人工妊娠中絶、安楽死・尊厳死の問題をあらためて論じる必要に迫られて、この20年間の経験を通して、私の視点も変化してきたことを実感しています。この8年間、幼稚園で出会った様々な園児たちと保護者たちとのかかわりが、私を成長させてくれています。

 世界で最初の幼稚園を創立したのは、ドイツ人フリードリッヒ・フレーベルです。彼はその著書 『人間の教育 』のなかで、こう述べています。「遊戯すること ないし遊戯は、幼児の発達つまりこの時期の人間の発達の最高の段階である。というのは、遊戯とは‥‥内なるものの自由な表現、すなわち内なるものそのものの必要と要求に基づくところの、内なるものの表現にほかならない‥‥あらゆる善の源泉は、遊戯のなかにあるし、また遊戯から生じてくる。力いっぱいに、また自発的に、黙々と、忍耐づよく、身体が疲れきるまで根気よく遊ぶ子どもは、また必ずや逞しい、寡黙な、忍耐づよい、他人の幸福と自分の幸福のために、献身的に尽くすような人間になるであろう‥‥母親よ、子どもの遊戯をはぐくみ、育てなさい。父親よ、それを庇い、護りなさい」。

 私の園では毎年、卒園する年長さんとのお別れ焼きそばパーティーを行っています。年中・年少児が野菜を刻み、先生たちが大きなフライパンで作ってくれた山盛りの焼きそばを、皆で食べるのです。
 ある年のパーティーでのこと、年少さんのRくんとKちゃんが、同じテーブルに着いて2人で泣いています。Rくんはダウン症児。ちょうどそのそばを通りかかった私は、頭の中で勝手に想像を膨らませ、Rくんは泣いているKちゃんに共感し、一緒に泣いているんだろうと考えました。実際、Kちゃんはちょっとしたことで泣いてしまうことが多い園児でした。まさしく「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマ12・15)という聖書の言葉を、Rくんは自然に実践しているのだろうと。

 後になって、クラス担任の先生から事のいきさつを聞きました。Rくんはいたずら好きで、テーブルに置いてあったKちゃんのランチョンマットをわざとテーブルから落としたというのです。泣いて訴えるKちゃんに気づいた先生がRくんを注意したので、2人そろって泣いていたというわけです。もちろんRくんに特別な悪気があったわけではなく、ちょっとしたいたずらのつもりだったことは明らかです。しかしこの一件を通して、KちゃんはRくんに悪気がなかったことを学び、Rくんは自分のいたずらが他人を傷つけることがあることを学んだのだと思います。そして私は、ダウン症児はいつも無垢で善意に満ちているという、ステレオタイプの障がい観の間違いに気づかされました。園児たちも、園長先生も、こうして成長していきます。

 もしもこの幼稚園に、テーブルからわざとランチョンマットを落とすような園児が1人もいなくなったら、園児たちも先生たちも成長する機会を奪われるということに気づく人は少ないと思います。
 「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。」(コリント一12・14)

 多様性の担保される社会は、豊かな社会です。教会はぜひ、多様性の擁護者であって欲しいと思っています。

日本福音ルーテル雪ヶ谷教会牧師 田島靖則

15-05-01るうてる2015年5月号

機関紙PDF

説教「違うけれど同じ」 

                    
日本福音ルーテル雪ヶ谷教会牧師 田島靖則

「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。」(コリントの信徒への手紙一12章14節)

早いもので、牧師になって20年が過ぎました。思い起こせば「阪神淡路大震災」や「オウム地下鉄サリン事件」など、日本社会の転換点にあたる年に、私は牧師としての歩みを始めたわけです。前任地は大学でしたが、現任地は附属幼稚園をもつ教会です。右も左も分からない状態からスタートした幼稚園の園長職も、8年経ってようやく板についてきたのではないかと思っています。
 また不思議なことに昨年度から、私が卒業した二つの大学より兼任講師の依頼を受け、久しぶりに大学の教壇でキリスト教倫理を講じる機会をいただいています。生殖補助医療や人工妊娠中絶、安楽死・尊厳死の問題をあらためて論じる必要に迫られて、この20年間の経験を通して、私の視点も変化してきたことを実感しています。この8年間、幼稚園で出会った様々な園児たちと保護者たちとのかかわりが、私を成長させてくれています。
 世界で最初の幼稚園を創立したのは、ドイツ人フリードリッヒ・フレーベルです。彼はその著書 『人間の教育 』のなかで、こう述べています。「遊戯すること ないし遊戯は、幼児の発達つまりこの時期の人間の発達の最高の段階である。というのは、遊戯とは‥‥内なるものの自由な表現、すなわち内なるものそのものの必要と要求に基づくところの、内なるものの表現にほかならない‥‥あらゆる善の源泉は、遊戯のなかにあるし、また遊戯から生じてくる。力いっぱいに、また自発的に、黙々と、忍耐づよく、身体が疲れきるまで根気よく遊ぶ子どもは、また必ずや逞しい、寡黙な、忍耐づよい、他人の幸福と自分の幸福のために、献身的に尽くすような人間になるであろう‥‥母親よ、子どもの遊戯をはぐくみ、育てなさい。父親よ、それを庇い、護りなさい」。
 私の園では毎年、卒園する年長さんとのお別れ焼きそばパーティーを行っています。年中・年少児が野菜を刻み、先生たちが大きなフライパンで作ってくれた山盛りの焼きそばを、皆で食べるのです。
 ある年のパーティーでのこと、年少さんのRくんとKちゃんが、同じテーブルに着いて2人で泣いています。Rくんはダウン症児。ちょうどそのそばを通りかかった私は、頭の中で勝手に想像を膨らませ、Rくんは泣いているKちゃんに共感し、一緒に泣いているんだろうと考えました。実際、Kちゃんはちょっとしたことで泣いてしまうことが多い園児でした。まさしく「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマ12・15)という聖書の言葉を、Rくんは自然に実践しているのだろうと。
 後になって、クラス担任の先生から事のいきさつを聞きました。Rくんはいたずら好きで、テーブルに置いてあったKちゃんのランチョンマットをわざとテーブルから落としたというのです。泣いて訴えるKちゃんに気づいた先生がRくんを注意したので、2人そろって泣いていたというわけです。もちろんRくんに特別な悪気があったわけではなく、ちょっとしたいたずらのつもりだったことは明らかです。しかしこの一件を通して、KちゃんはRくんに悪気がなかったことを学び、Rくんは自分のいたずらが他人を傷つけることがあることを学んだのだと思います。そして私は、ダウン症児はいつも無垢で善意に満ちているという、ステレオタイプの障がい観の間違いに気づかされました。園児たちも、園長先生も、こうして成長していきます。
 もしもこの幼稚園に、テーブルからわざとランチョンマットを落とすような園児が1人もいなくなったら、園児たちも先生たちも成長する機会を奪われるということに気づく人は少ないと思います。
 「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。」(コリント一12・14)
 多様性の担保される社会は、豊かな社会です。教会はぜひ、多様性の擁護者であって欲しいと思っています。

宗教改革五〇〇年に向けて ルターの意義を改めて考える(37)

  ルター研究所所長   鈴木 浩

ルターが、罪が赦された人は、「義人にして同時に罪人」だと言ったのは、よく知られている。『ローマ書講義』の中では、人間は「健康にして同時に病人」だとも言っている。
 『キリスト者の自由』の冒頭には、キリスト者は「すべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも服さない」と同時に「すべてのものに仕える僕であって、だれにでも服する」とある。
 互いに真っ正面から矛盾する概念を「同時に」という言葉で結び付けるのが、 ルターの思想の目立った特徴である。論敵が戸惑ったのも理解できる。
 1518年、ハイデルベルクで開かれた修道会の討論会で司会をしたルターは、神はどのようにして知られるのか、という問題を取り上げて、神は「イエス・キリストの十字架の苦難と死以外には決して認識されない」と言い切った。
 ルターは、しかし、同時にこうも言った。「神は十字架において啓示されていると同時に隠されている」。「啓示されている」のなら、隠されてはいないはずだし、「隠されている」というのなら、啓示されていないはずなのに、これはいったいどうしたことか。この謎めいた発言の真意は何なのか。

議長室から

「宗教改革500年という風」

総会議長 立山忠浩

 5月に入りました。私の暮らす地では新緑の季節を終えつつありますが、教会の暦は今月下旬に聖霊降臨日を迎えることになります。
 聖霊を、私たちの肉体の目は見ることができませんので、イエスは様々なものに譬えて語られました。議員であったニコデモには風に譬えて説明されましたが(ヨハネ3・1以下)、聖霊は人の理解をはるかに超えた神の働きであることを教えるためでした。
 総会議長を務められた故小泉潤牧師が「るうてる」の紙面で 、 聖霊の働きを鯉のぼりに譬え、鯉のぼりは強い風が吹くほど勢いよく泳いでいるではないかと記されたことを思い起こします。逆風に漕ぎ悩んでいる私たちの教会を鼓舞する内容でした。
 教会の宣教は聖霊の働きなしには語り得ないことを教えているのが、使徒言行録です。ここに記されていることは、聖霊の働きによって使徒たちの宣教が力強く前進したことですが、ただ時として使徒たちは、聖霊によって御言葉を語ることを禁じられたことも見落としてはいけません(使徒16・6)。もちろん宣教することへの怠慢を勧めているのではありませんが、時として宣教に実りがないことも聖霊の働きとしているのです。
 私たちの教会、施設、学校、幼稚・保育・こども園の宣教も同じだと思います。宣教に誠実に一生懸命に取り組んでも、いつも成果があるわけではありません。聖霊の働きによる宣教の実りは 人間の働きに応じて量られるものではなく、神様がお決めになることだからです。鯉のぼりで譬えるならば、一生懸命に鯉のぼりを吊るしたとしても、風が吹かないことには泳ぐことはないわけですから、聖霊の風が吹くことを待つしかないのです。
 このように宣教の実りは聖霊の風を待つしかないのですが、しかし私たちの教会にはこれから確実に吹く風があるように思うのです。それは2年後の2017年に吹く宗教改革500年の風です。500年に一度しか吹くことはないのですから、これを用いない手はありません。 2年後に備えて、これから福音という鯉のぼりの絵を自分たちなりに描き、縫い合わせ、吊るす竿も皆で準備していくのです。この準備の輪への皆さんの参画を願っています。

インドに行って考えるようになったこと

森 奈生美(むさしの教会)

 私は、何を期待してインド・ワークキャンプへ行ったのか。クリスチャンホームに生まれ、幼い頃からルーテルの暖かな環境の中で育ったが、何のために人はキリスト教を信じ教会へ行くのか、自身の感覚としては理解できずにいた。その答えを求めるため、具体的に言えば、いつかするかもしれない「堅信」の意味を知りたくて、申込用紙を手にした。
 私たちは、CRHP(総合的地域健康プロジェクト)の施設に1週間滞在した。病院を拠点としたCRHPの働きは、医療の提供にとどまらない。衛生管理や幼児教育等、幅広いアプローチを通じ、地域改善に取り組む。CRHPは仕組み作りの役割を担っており、実際に貧困を解決していくのは村の人々だ。
 例えば、活動の要となるソーシャルワーカーは、村の低カーストの女性から選出し育てる。それにより、彼女たちは知識と職を得るだけでなく、自尊心を高め、村の他者からの信頼も勝ち得る。ひいては、女性差別やカーストといったインドの文化的問題に対する草の根の活動となる。上手いシステムだ。
 ある日のディボーションで、仲間の一人がCRHPを「天国のような場所」と言った。私は心から共感した。そこには確かに、神様の働きがあったのだ。挙げればきりがないほどに、私たちは日々、様々な愛の行為に触れた。貧困の中にありながらも最善の生き方をしようとする人々の姿を目にし、彼らに手を差し伸べ続けるCRHPの働きを学び、その一員としてワークをした。
 ここでいう「天国」とは、キリスト教に限らないと思う。世界には様々な宗教
や考え方が存在し、それぞれに確かな価値がある。CRHPも、現地の人々にキリスト教を押し付けることはしない。大切なのは、何をどう信じるかではなく、その信心の上に何をどう生きるかだと、気付かされた。それを踏まえて尚考えさせられたのが、ではキリスト者としてどう生きるのか、だ。
 インドで答えを得ることはできなかったが、キリスト教における「愛の働き」の感覚は掴めた。キリスト者として真に他者のために働くことができた時、私はこのキャンプに参加した意味を理解するだろう。
(インド・ワークキャンプは、日本福音ルーテル社団が主催し、2月12~22日に行われた。)

「3・11」を憶える礼拝報告

プロジェクト3・11企画委員  高垣嘉織

「”あなたは2011年3月11日のその時、どこにいましたか”という問いが投げかけられ、何度となく、なされてきました。その問いが色々な意味をもって問い続けられているのではないかと思います。」という投げかけから、日本基督教団常磐教会の明石義信牧師の説教が始まりました。
 東日本大震災より4年を憶え、5年目を歩むために、3月15日に東京教会で”「3・11」を憶える礼拝”が行なわれました。50名以上の方々とともに、思いを共有することが出来ました。礼拝式文では会衆の言葉が交互に交わされ、あの日の出来事を思い起こし、その苦しみの中でも共におられた主を思い、被災地との連帯を感じるものでした。未だに続く、放射線被害の恐怖や一向に解決へと進んでいるとは思えない福島第一原子力発電所事故の問題は、被災地ばかりではなく、今を生きる私たちに問いかけています。
 礼拝後は、元ルーテル教会救援スタッフの佐藤文敬さんによる被災地報告に耳を傾けました。現地の映像や具体的な数字を通して、現在の情報を得ることができました。出会った方々から元気な印象を受ける反面、4年が経った今、未来のことに対する不安や苦しい現実があることも知りました。その中で2人の10代のメッセージを聞き、その率直な思いを分かち合いました。佐藤さんは「これからも”となりびと”になり続けることができるだろうか、あるいは、なろうとするかどうか、私たちは問われている。」 と言います。
 私たちは、問われ続けています。その時のこと、今までのこと、これからのこと。その問いにどのように応答するのが”正しい”のかは分かりません。
 明石牧師は被災地に向かったとき、ひとつの思いを持ったそうです。それは「笑かしてやろう」という誰にでもできる、普通のことでした。一緒に泣き、一緒に笑い、日常の中でふれあうことで信頼関係が作られること、そして「被災地の教会に向けられた問いに、向き合い続けることができるのは、被災地を見つめ続けていてくださる主のまなざしであり、主のまなざしが重なっているように見える被災地以外の方々からのまなざし、その暖かさによるものです。」と語られました。
 私たちが様々な問いと向き合い、考え、互いに支えながらともに生きることがひとつの応答なのではないかと思います。

礼拝式文の改訂

「アンケートQ&A」(その2)

式文委員  松本義宣

 今年の春の全国ティーンズキャンプでは「礼拝」を共に学び分かち合いました。テーマは「おかえり、いってらっしゃい」。難しいことはさて置き、とにかく礼拝には意味があること、招きから派遣へ、そして再び招かれること、ティーンズが各個教会の礼拝に連なっていくことを目指しました。
 参加申込書のアンケートに、自分の教会の「洗礼盤」がどこにあり、どんな形か、という設問をしました。詳細報告はこの場の責任ではありませんが、前号の続きで言えば、普段ほとんど目にせず、置いてあってもそれが何か知らないでいる実態が垣間見えました。改訂案が礼拝の始めに「洗礼の想起と洗礼への招き」を入れたゆえんです。未受洗者の排除ではないかという側面も大切ですが、配慮すべきなのは、「神があなたをここ(礼拝)に招かれたのは、何より洗礼による赦しを与え神の子とするため」。そのことをまず伝えることではないか、という提案であることをご理解いただきたいのです。
 「聖餐」序詞の「心を高くあげて」にも、なぜ現行の「心をこめて」を変更したのかというご意見がありました。確かに日本語的には、心は人が主体的に「こめる」ものです。しかしその内在的方向性ではなく、自分の心がそれほど熱く信じている訳でなく、相応しい姿勢ではなくとも、そのありのままを神の出来事である聖餐に向ける、いえ向けさせられる、その神の働きの先行性を、あえてストンと来ない表現で示したいとの提案です。
 その働きによって私たちも「心=存在すべて」を上げることができるのです(哀歌3・41やコロサイ3・2参照)。また、設定辞の、十字架の贖いである受難を強調した「苦しみを受ける前日」から、「渡される夜」に戻されました。ルターの設定辞に従ったことと、キリストの十字架が私たちの裏切り(背きの罪)のためということを強調するためです。
 「ヌンク・ディミティス」の詩句や位置へのご意見もありました。「異邦人」 は「諸国民」になりましたが、「イスラエル」は、これが新約聖書から採られた賛歌(カンティクル)であり、現行聖書訳から大きく逸脱しないことを前提に変更せず、現代の同名の国ではなく新約聖書では「新しい神の民」のメタファー(隠喩)の用語であることの解説付記を載せる方向で検討中です。
 それに、この賛歌は礼拝式本来の構成要素から言えば、絶対に省けない部分ではなく、詩句を独自に改変するより、むしろ省略する方向で考えてよいのではないでしょうか。位置も「派遣の部」となったのは現行式文からであり、伝統的には「聖餐後」に置かれたのですが、連続して「派遣」になり、従来との変更はそう大きくはありません。
 また、「アタナシウス信条」の「三位一体主日」へのオプション提示は、現行式文の「取扱い原則」にもあることの注意喚起ですが、確かに「呪詛の言葉」があり繰り返しが多く長いので、典礼に用いるため、専門家によって簡略に整える可能性はあるのではないでしょうか。
 最後に「毎週聖餐」前提の是非もありました。教職減少の現状は十分承知していますし、決して聖餐のない礼拝の排除ではありません。現行式文の「聖餐を伴わない礼拝」の可能性や「取扱い原則」を参照していただければと思います。
 限られた紙面では十分な説明、回答はできませんが、各地で予定される説明会や、式文委員会への直接のお問い合わせ等で、より良い改訂案となることを願っています。

連載 マルティン・ルター、人生の時の時(4)

江口再起

 なぜなら、人間は「神の義」を無償でいただくことによって(恩寵)、義と認められる(義認=救済)からです。人間が努力して信仰することによって救われるのではないからです。ただ、ひたすら「恵みのみ」です。そして、この体験によって、ついにルターは宗教改革運動への地固めができたのです(ですから「塔の体験」のことを、神学用語では「宗教改革的転回」と呼んでいます)。ここがルターの信仰(思想)の最大ポイントです。

(4)95ヶ条(1517年、34歳)― 宗教改革運動の開始
 1517年10月31日、ヴィテンベルクの城教会の門の扉に、ルターは「95ヶ条の提題」を掲示しました。これが宗教改革運動の始まりです。贖宥状(免罪符ともいう)の是非をめぐる討論会の呼びかけでした。
 ルター本人としては地方都市ヴィテンベルク内でのささやかな呼びかけのつもりでしたが、しかしそれは60年ほど前にグーテンベルクによって発明されていた活字印刷術によって、たった2週間で全ヨーロッパに拡がっていきました。1000年間も続いた(カトリック)教会への挑戦と受け止められたのです。ヴィテンベルクの一介の修道士ルターは、今や、全ヨーロッパで最も有名な人物となりました。
 「95ヶ条」は何を問題としているのか。第1条には、「全生涯が悔改めである」と書いてあります。信仰とは、単に生活上の習慣ではなく、まさにその人の全生涯をかけた神との関係だ、というのです。そして全体を通じて贖宥状を問題にしました。贖宥状とは、それを買うと天国が約束されるという証書のようなものです。ローマ教皇庁は財政上の必要からもその販売を許可したのです。
 しかし、そこをルターは問題にしました。贖宥状を購入するといったような人間の行為(善行)で人が救われるのではない、人が救われるのは神の恵みのみによる(「恩寵義認」)。こう考えたルターは、それゆえその是非を問う討論会を呼びかけたのです。
 それは小さな一歩でした。しかしやがてこのささやかな一歩が全ヨーロッパを宗教改革の渦の中に巻き込み、結果としてプロテスタント教会を誕生させ、結局は「近代」という時代を準備することとなる世界史上の出来事となったのです。(つづく)

第1回臨床牧会セミナー報告

それでも、主を見上げて ~牧会の光と闇~

デール・パストラル・ センター所長  石居基夫

 昨年、日本ルーテル神学校のもとに創設されたデール・パストラル・センター(DPC)主催で、第1回の臨床牧会セミナーが、2月9日から11日まで、三鷹の神学校を会場として開催されました。毎年開かれているルーテル4教団のための「教職神学セミナー」を拡大したかたちで行われ、他教派の牧師にも広く呼び掛け、全体で40名を超える参加者を得ることができました。
 現代を生きる私たちには様々な困難があり、悲しみや痛み、苦しみが心をとらえてしまいます。教会で、社会で共に生きようとしても、その人間関係においてさえ、傷つき、私たち自身の破れを経験します。そうした、牧会の闇ともいうべき実情にもかかわらず、私たちが養われ、生かされていく信仰の歩みを照らす光を確認し、牧会者として立つために、癒しと慰めと励ましを学び、分かち合うためのセミナーとなりました。
 基調講演には、鈴木浩ルター研究所所長に「ルターと牧会」と題し、改革者・神学者とは違った牧会者としてのルターを、その牧会的書簡の紹介から浮き彫りにしていただきました。
 2日目の分科会は、4つ。「グリーフケア」については、DPCの運営委員でもある大柴譲治牧師(上智大学グリーフケア研究所客員所員)にご担当いただきました。「教会と人間関係」については、ルーテル学院の非常勤講師でもある鶴瀬恵みキリスト教会の堀肇牧師(日本パストラルケア・カウンセリング協会事務局長)、「牧師のメンタルヘルス」については、放送大学教授の石丸昌彦医師(精神科医。日本基督教団柿ノ木坂教会員)、そして「高齢者と教会」は賀来周一牧師(キリスト教カウンセリングセンター理事長)にご担当いただくことができました。
 礼拝やディボーションの時間も含めて、参加いただいた方々には大変好評で、他教派からの参加者にもルーテルの神学と実践の豊かさに高い評価をいただきました。

神学生道東研修報告 現場のエキュメニカル

森田哲史 (日本ルーテル神学校2年)

 3月3日から9日の1週間、神学生の3人(多田・野口・森田)は、帯広教会の三つの礼拝堂を巡る道東研修を行いました。初日、帯広礼拝堂に向かうと、前日に降った雪が駐車場に積もっており、早速除雪作業を行いました。北海道の雪は、本州のそれと比べて軽いと言われていますが、慣れない除雪作業、春の湿気を含んだ雪に3人とも四苦八苦でした。
 研修中は様々な教派のキリスト教会を訪問しましたが、その中で日本メノナイト足寄キリスト教会を訪問しました。足寄町は香川県ほどの面積にキリスト教会がメノナイト教会しかなく、様々な教派の信徒が集まり、礼拝を守っています。教職不在の中で、信徒同士がそれぞれの出身教派の礼拝を取り入れながら、礼拝を守っているとのことでした。もし自分がこのような教会にルーテル教会の牧師として派遣されたら、どのように教会形成をしていくことが出来るのかを想像しました。地域の唯一のキリスト教会として、集められた方々に対して、どこまで柔軟に対応出来るのか、 また出来ないのか。神学校で学ぶ理論以上の判断が求められているように思いました。
 また期間中、世界祈祷日の礼拝があり、そこでも他教派との関わりを強く意識させられました。世界祈祷日の礼拝は都市部では多くの場合、NCC(日本キリスト教協議会)の加盟教派を中心に守られることが多いと思います。しかし、帯広では日本メノナイト帯広教会で、メノナイト教会の牧師によって執り行われました。さらにNCC加盟教派以外にも、いわゆる福音派と呼ばれる教派も数多く参加しているのが印象的でした。
 昨年、カトリック・ 聖公会・ルーテルでの合同礼拝に参加させていただきました。そこからは綿密に議論されたエキュメニカルの成果が見受けられました。しかし、帯広で見たエキュメニカルは、お互いの伝統を超えて、同じキリスト者として臨機応変に支え合う姿でした。
 最後になりましたが、神学生を受け入れてくださった帯広教会の皆様に感謝を申し上げます。

ディアコニア・セミナーに参加して

鳥飼勝隆(名古屋めぐみ教会)  

 2月11日に、第14回ディアコニア、環境・人権・平和セミナーが、名古屋めぐみ教会で開催された。東海地区を中心として、遠くは熊本、広島、千葉などから、総勢45名が、何を学ぼうかとの期待を胸に参加した。
 開会礼拝(谷川卓三牧師、三原教会)に始まり、次いで、参加者への活性剤として、 二つの講演が続いた。そのひとつは、浦野聖さん(名古屋めぐみ教会員)による「コーヒー1杯からの身近な国際協力」。気軽に楽しむ1杯のコーヒーの中に、生産流通過程の不公正さや、環境へのしわ寄せなどが潜んでいることが指摘された。その是正に働くフェアトレードネットワーク(フェアトレードラベルジャパンhttp://www.fairtrade-jp.org)が紹介され、参加者の関心を集めた。
 第2の講演は、山内恵美さん(小石川教会員)の「沖縄旅行からディアコニアを考える」。訪問した沖縄で、丸木位里・俊夫妻が画く沖縄戦の苦悩の絵画(佐喜眞美術館)や平和祈念公園の慰霊碑を前にして、胸に湧き上がった平和への熱い思いが語られ、それは会場に拡がった。
 セミナー後半は、全員参加方式で、太田立男さん(復活教会員)の指導で、小グループに分かれ、各人が「自分とディアコニアとの関わり」や、「今、何が自分にできるか」などを紹介し合った。さらに、それらを地球環境、貧困、人権等々の分野に分類し、集約する作業に入ったが、時間の制約もあり、結論を充分に集約しきれない面もあった。しかし、各人がそれぞれにディアコニアへの思いを新たにしたことは確かだ。
 この社会を見廻すと、様々な痛みに溢れている。災害や病いによるもの、あるいは人為的なもの。その中で、私たちはどこまでこれらの痛みと共にできるかを考えれば、それは至難のことである。しかし、イエス様のご生涯を想い、み言葉に耳を傾けることから再び出発しなければなるまい。

新任宣教師 ミルヤム・ハルユさんの紹介

 昨年9月、フィンランドの宣教団体SLEYの宣教師として日本に派遣されたミルヤム・ハルユです。現在、2年間に渡る日本語研修を受けています。
 フィンランド国教会の各個教会の職員の基本構成は、牧師、音楽担当、ディアコニア担当、青年活動指導者、給与会計、事務員から成っています。私は大学で勉強してディアコニア担当及び社会福祉士の2つの資格を取得し、5年程、国教会のディアコニア担当職員を務めました。ディアコニアの仕事は、病気、高齢、障碍等により支援が必要な人たちに対して信仰的、経済的なサポートを、時に自治体とも協働して行います。
 私の実家は、国教会の中でSLEY派が伝統的に強い地域にあり、私の信仰もその伝統に培われたと思います。宣教師養成学校の修了後に、派遣先が日本と決まりました。神様の導きと信じ、決定を受諾しました。将来の働きについて神様のみ旨が示されることを祈りつつ、今は日本語の習得に努めています。

世界宣教委員長 大柴譲治ブラジル宣教50年 記念訪伯団募集

世界宣教委員長 大柴譲治

 今年は宣教師として最初にブラジルに派遣された藤井浩牧師が1965年10月31日にサンパウロで宣教を開始して50年目の節目を迎えます。私たち日本福音ルーテル教会(JELC)にとっては世界宣教50周年の年でもあります。そして、この記念すべき年の4月からサンパウロ教会では経済自給も達成されます。これまで私たちはブラジルに8人の牧師を派遣してきました。
 藤井浩(1964~71) 塩原久(1972~76) 土井洋(1976~83) 竹田孝一(1983~88) 塩原久(1988~95) 紙谷守(1995~2000) 渡邉進(2002~09) 徳弘浩隆(2009~16)の各牧師とそのご家族です。
 10月11日に行われる記念聖餐礼拝に参加するために、JELCは訪伯団を派遣します。
 期間は10月9日から22日までの13日間で、費用は43万円。訪問先はサンパウロ、 リオデジャネイロ、ポルトアレグレ、イヴォチ、イタチという関わりの深い場所です。募集人員は25名で、団長は大柴が務めます。
 なお、追加オプションとしてイグアスの滝まで足を伸ばされる方は帰国が23日となり、費用は8万円増となります。
申込先はJELC事務局(Fax.03-3260-8641)。申込締切は8月25日です。
 旅行についての詳細は募集要項をご覧くださり、ツニブラトラベル
 担当・佐藤さん
  電話03-3272-2865
  Fax.03-3271-5319   sato@tunibra.co.jp
までお問い合わせください。
 ブラジルの教会員と共に、神さまの救いの御業に感謝し、宣教50年の歴史を心に刻みつつ、ご一緒に50年を喜び祝い、日伯それぞれの地での世界宣教へのさらなる出発の節目としましょう。ふるってご参加ください。

15-04-17神の新しさで

 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。(マルコによる福音書16章1〜8節)

 主イエス・キリストの復活を喜び、祝うことができますことを心から嬉しく思っています。復活は、新しい生命の始まりであり、キリストの復活を祝うことは、私たち自身が新しい希望をもって生きることを意味しています。イエスの復活は、私たちに「神の新しさ」が与えられて、その「神の新しさ」の中で生きることができるということのしるしです。

 聖書が伝えるイエス・キリストの復活の出来事は、大変意味深い象徴的なことに満ちています。たとえば、墓の入り口をふさぐ「大きな石」は、私たちの願いや思い、将来の希望を妨げるものと言ってもいいでしょう。入り口をふさぐ大きな石は、自分の力ではどうすることもできないこと、不可能に思われることの象徴に他なりません。

 私たちも、ずいぶんとそんな思いで生きることがあります。自分の将来がふさがれてしまっている。何かにふさがれて閉じ込められている。そんな状態が、「入り口をふさぐ大きな石」です。現代人の多くは、未来の展望がない閉塞感を感じながら生きているといわれています。まことに「大きな石でふさがれている状態」といってもいいかもしれません。

 ところが、行ってみると、この「大きな石」は、その日の朝には転がされていました。キリストのもとに行く者に、その石は取り除けられ、入り口は開いていたのです。このことは重要な復活のメッセージです。キリストのもとに行く者には、その石が取り除けられ、入り口は開いている。復活の朝の出来事を伝える共観福音書は、こぞって、このことを伝えてくれます。

 また、婦人たちが準備した香油や「空の墓」は、生きることの徒労と空しさを表しています。彼女たちが準備したものは無駄に終わりました。イエスの遺体が そこには なかったからです。 準備した香油が無駄になり、墓には何もなく、空虚でした。これは、私たちが生きることの「空しさ」そのものでもあります。それは、私たちの人生の根幹に関わることです。

 人生は徒労の連続であり、生きる意味や充実感もなく、空しくさびしい。私たちは、ずいぶんとそんな思いで生きることがあります。一所懸命準備したことが無駄に終わり、何の意味もなくなる。私たちは、自分の日常でも、そのことを度々経験しますし、どんなにがんばっても、どうせ老いて、やがてひとりで寂しく孤独のうちに死ぬだけではないかという暗い不安に襲われたりもします。人生は徒労の連続で、空しい。私たちの心の奥底にはそういう思いが常に潜んでいます。空しさは絶望につながります。

 聖書が伝える「無駄に終った香油」 や 「空の墓」は、 そうした空しさと絶望の象徴です。言うまでもなく、「墓」は、絶望と死そのものに他なりません。しかし、この復活の朝、空しさと絶望の空の墓の中で途方に暮れている婦人たちに、神の言葉が伝えられます。そして、キリストの復活が告知されるのです。それはまさに「新しい朝」なのです。

 言い換えれば、私たちが自分の人生の中で求めているものは、絶望と死の中にあるのではない、ということです。つまり、神の告知を聞き、復活を信じる者は、自分の人生が、どんなに苦労が多くても、絶望と死のうちには終わらないのです。復活を信じる者は、自分の心の奥底にある空しい思いや絶望的な思いの代わりに、キリストの復活を置くことができる。どんなに徒労や空しさが襲ってきても、私たちは神の復活の強さで生きることができるのです。復活の出来事を伝える聖書の言葉は、そのようなことに満ちているのです。ですから、イエス・キリストの復活を祝う私たちも、自分の中にあるどうしようもないことや暗いことをキリストの復活に置き換えて、神の復活の力、「神の新しさ」で生きていきましょう。

九州学院チャプレン 小副川幸孝

15-04-01るうてる2015年4月号

機関紙PDF

説教「神の新しさで」

        
 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。 (マルコによる福音書16章1~8節)

主イエス・キリストの復活を喜び、祝うことができますことを心から嬉しく思っています。復活は、新しい生命の始まりであり、キリストの復活を祝うことは、私たち自身が新しい希望をもって生きることを意味しています。イエスの復活は、私たちに「神の新しさ」が与えられて、その「神の新しさ」の中で生きることができるということのしるしです。
 聖書が伝えるイエス・キリストの復活の出来事は、大変意味深い象徴的なことに満ちています。たとえば、墓の入り口をふさぐ「大きな石」は、私たちの願いや思い、将来の希望を妨げるものと言ってもいいでしょう。入り口をふさぐ大きな石は、自分の力ではどうすることもできないこと、不可能に思われることの象徴に他なりません。
 私たちも、ずいぶんとそんな思いで生きることがあります。自分の将来がふさがれてしまっている。何かにふさがれて閉じ込められている。そんな状態が、「入り口をふさぐ大きな石」です。現代人の多くは、未来の展望がない閉塞感を感じながら生きているといわれています。まことに「大きな石でふさがれている状態」といってもいいかもしれません。
 ところが、行ってみると、この「大きな石」は、その日の朝には転がされていました。キリストのもとに行く者に、その石は取り除けられ、入り口は開いていたのです。このことは重要な復活のメッセージです。キリストのもとに行く者には、その石が取り除けられ、入り口は開いている。復活の朝の出来事を伝える共観福音書は、こぞって、このことを伝えてくれます。
 また、婦人たちが準備した香油や「空の墓」は、生きることの徒労と空しさを表しています。彼女たちが準備したものは無駄に終わりました。イエスの遺体が そこには なかったからです。 準備した香油が無駄になり、墓には何もなく、空虚でした。これは、私たちが生きることの「空しさ」そのものでもあります。それは、私たちの人生の根幹に関わることです。
 人生は徒労の連続であり、生きる意味や充実感もなく、空しくさびしい。私たちは、ずいぶんとそんな思いで生きることがあります。一所懸命準備したことが無駄に終わり、何の意味もなくなる。私たちは、自分の日常でも、そのことを度々経験しますし、どんなにがんばっても、どうせ老いて、やがてひとりで寂しく孤独のうちに死ぬだけではないかという暗い不安に襲われたりもします。人生は徒労の連続で、空しい。私たちの心の奥底にはそういう思いが常に潜んでいます。空しさは絶望につながります。
 聖書が伝える「無駄に終った香油」 や 「空の墓」は、 そうした空しさと絶望の象徴です。言うまでもなく、「墓」は、絶望と死そのものに他なりません。しかし、この復活の朝、空しさと絶望の空の墓の中で途方に暮れている婦人たちに、神の言葉が伝えられます。そして、キリストの復活が告知されるのです。それはまさに「新しい朝」なのです。
 言い換えれば、私たちが自分の人生の中で求めているものは、絶望と死の中にあるのではない、ということです。つまり、神の告知を聞き、復活を信じる者は、自分の人生が、どんなに苦労が多くても、絶望と死のうちには終わらないのです。復活を信じる者は、自分の心の奥底にある空しい思いや絶望的な思いの代わりに、キリストの復活を置くことができる。どんなに徒労や空しさが襲ってきても、私たちは神の復活の強さで生きることができるのです。復活の出来事を伝える聖書の言葉は、そのようなことに満ちているのです。ですから、イエス・キリストの復活を祝う私たちも、自分の中にあるどうしようもないことや暗いことをキリストの復活に置き換えて、神の復活の力、「神の新しさ」で生きていきましょう。

宗教改革五〇〇年に向けて ルターの意義を改めて考える(36)

ルター研究所所長 鈴木 浩

ルターがアウグスティヌスの原罪論を強化して、原罪論にあった曖昧さから決定的に決別し、「自由意志などは、真っ赤な嘘、単なるフィクション」と言い放ったことが、「信仰のみによる義認」の出発点であった。無論、ここでもルターの発言の前提は、「神の前で」というあの座標軸である。
 ルターの罪の理解が、あれこれの悪事のことを指すのではなく、「絶えざる自己正当化」であったことは、繰り返し指摘してきた。「転んでもただでは起きない」 のが、人間の底知れない罪性だというのだ。
 これもすでに指摘したように、われわれは目的地(天国)を目指して車を運転する運転手ではなく、サタンに運転された自動車だというのが、ルターの基本的人間理解だった。だから、われわれは、サタンの意のままに、操られている。無論、われわれはそんなことは悟っていない。パウロによれば、サタンは「光の天使」に偽装しているからである。
 さあ、どうしたらいいのか? 運転席でわれわれを操っているサタンをキリストが追い出し、そのキリストにハンドルを握っていただく、それしか手段はない。まさに「キリストのみ」なのだ。 

議長室から

感謝をもって始め、そして終える

  
総会議長 立山忠浩

4月は教会にとりましても人事異動の季節です。私ごとになりますが、東京池袋教会での21年間の働きが終わり、この4月から都南教会でご奉仕させていただくことになりました。感謝をもって前任教会の働きを終えられ、そしてまた感謝をもって新たな教会の働きへ赴けることを喜んでいます。
 3月には5人の牧師が定年をお迎えになりました。それぞれの説教が機関紙「るうてる」に連続して掲載されましたので、毎回楽しみにして読ませていただきました。 これまでのお働きや辿り着いた福音理解がよく伝わって来るようでした。長年の良きご奉仕、本当にお疲れ様でしたという思いを新たにしました。
 3月に定年をお迎えになる牧師が 毎年いらっしゃるわけですが、締めくくりの説教や挨拶を読む際に、私にとって一番気がかりなことは、牧師の職務に感謝をもって終えられたのかどうかということです。お働きの内容、奉職の年月が異なったことは当然ですが、 神様への感謝、教会や関連施設や園への感謝は同じであって欲しいのです。同様に、奉仕された教会や関係者の感謝をもって退任されたことをただ願うのです。 今年もそれぞれの牧師から感謝を込めた言葉を聞くことができ、心から嬉しく思っています。
 4月には4人の新任教師を迎えることになりました。昨年は新卒牧師がいませんでしたので、喜びもひとしおです。本人たちはもちろんですが、赴任教会や関係施設の方々は着任を心待ちにされていたことでしょう。
 牧師の職務、働きは多様です。若い牧師たちゆえに様々な働きへの期待も大きいことでしょう。ただ、最も重要な牧師の働きはみ言葉を宣教し、聖礼典を執り行うことです。按手式の説教で申し上げたことですが、特に新任教師の数年間は、説教作成、聖書会などの準備には時間と労力を必要とするものです。本人の努力と心構えは当然のことですが、適切な備えの時間を確保するために、信徒の皆様のご協力と励ましをいただければ幸いです。
 やや気の早い話ですが、4人の新任教師の定年の時を私は見届けることはできないでしょう。でもその時の私の願いは、感謝をもって迎えて欲しいということです。

九州教区「礼拝と音楽講習会」

九州教区教育部長 立野泰博

 九州教区では隔年で、「教会学校研修会」と「礼拝と音楽講習会」を行ってきました。今年は「礼拝と音楽講習会」の年でした。2月11日午後1時より、日本福音ルーテル博多教会のオーバーホールされたパイプオルガンの演奏で講習会がはじまりました。
 今回のテーマは「礼拝式文を学ぼう」でした。講師として、式文委員会の松本義宣牧師(西教区)をお招きしました。日本キリスト教団出版局「礼拝と音楽」の編集委員である松本師に、「とにかくわかりやすく式文を学ぶ」ことをお願いしました。 
 九州教区ではこれまでも式文の学びをしてきました。しかしとても難しい話という印象でした。また現在作業が進んでいる式文の改訂に関しても混乱があり、「新式文」「改訂新式文」「新改訂式文」等など受け取り方が様々でした。
 松本牧師は「礼拝よもやまばなし、式文うらばなし」と題して、「宗教改革までの礼拝の歴史概観」から「宗教改革における礼拝改革」、「日本福音ルーテル教会の式文史」をわかりやすく興味深く話してくださいました。
 宗教改革500年を迎える私たちが、宗教改革は礼拝改革であり、それは福音の再発見と回復、それに基づく改革であったこと。ルターの礼拝改革は、典礼思想の大転換であり「神の奉仕、神が奉仕」の礼拝とし、伝統に則った形式を「信仰義認」「恵みのみ」に基づいて構成したものであることを学びました。
 参加者の感想からは「とっつきにくい式文が興味あるものとなった」「式文の意義がよくわかった」「はじめて式文の神学が学べた」というものでした。参加者は九州各地から46名。宮崎から飛行機で参加された方もありました。ただし、改訂新式文の内容についてまでは話がいかなかったことが心残りでした。
 九州教区では7月に教区主催で改訂新式文についての学びを行う予定です。次期総会で提案が行われる式文について学びを深め、教区としての意見が言えるように準備したいと思っています。

プロジェクト3・11より いわき食品放射能計測所「いのり」について

プロジェクト3・11企画委員  安井宣生

 不安に寄り添う。
 この地で生きていくこと、収穫された作物を食べること、子ども達を外で遊ばせること、その成長のこと、健康のこと、そのひとつひとつに対して、深い不安を抱え続けています。そして、その不安のひとつを口にすることさえ、家族の中に溝を生じさせることになりかねず、ためらわねばならない辛さがあります。見えず、匂いもしないものに壊され続ける恐怖と痛み、そして深刻な分断。それが、東日本大震災により引き起こされた原子力発電所事故がもたらしたことであり、4年という時間の経過も、未だ不安の軽減とはならない厳しい現実です。
 仙台キリスト教連合の「東北ヘルプ」と「いわきキリスト教連合震災復興支援ネットワーク」 が協力し、「食品放射能計測プロジェクト運営委員会」を立ち上げました。2011年9月のことです。このプロジェクトは、放射性物質による汚染に不安を覚える一人ひとりの魂をケアするために、仙台といわきの両市に食品放射能計測所「いのり」を立ち上げ運営しています。
 震災発生から早い時期のこと、福島で三世代が同居する家族で祖父が作った作物を、食卓においてその孫にあたる自分の子どもたちに食べさせることへの不安を抱える母親がいました。心配はないとマスコミも地元生産者も報告していると言う義父に対し、母親は不安を口にすることができません。 その作物の安全を確認しようにも、公的機関での計測は名前こそ伏せられても様々な情報が記録・公表されるため利用できず、不安は募るばかりです。
 まさにそのような人の不安に寄り添うために、民間計測所である「いのり」は必要とされ、無料で計測を担っています。1時間を要する計測時間は、ようやく不安を口にする方の心を受けとめるケアの時間ともなります。こうして不安に寄り添われることが、生きることへの力となることでしょう。これこそ、教会の業です。その歩みに?がり、少しでも支えることになればと、年間25万円の支援を祈りと共にお送りすることを継続していきます。

式文の改訂

「アンケートQ&A」(その1)

式文委員 松本義宣

 前号で紹介したアンケートで頂いたご質問やご意見に、限られた紙面ですがお答えいたします。ただその前に、これまでご紹介した試案の基本的なコンセプトを改めて整理します。幾つかの不明点やなんとなくの「もやもや感?」の払拭に繋がれば幸いです。
 全体の構成が「招き」「みことば」「聖餐」「派遣」となったこと、これは初代教会以来の基本構成で、エキュメニカルな視点でも、その長短や強調点の違いや内容の濃淡は別にして、共有されているものです。ことに私たちルター派として、宗教改革の基本理念たる「礼拝は神の業」、人が神に奉仕するのではなく、まず神が人に奉仕してくださる出来事(もちろん、だからこそ人は感謝をもって応じるのですが)、その神の主体性、先行性が根本です。この4部構成も、すべて神が主語です。つまり、神が「招き」、「みことば」を語り、いのちの糧「聖餐」で養い、この世に「派遣」する。派遣から再び神に招かれて礼拝に集う(帰る)、その派遣から招きへの間も、私たちは礼拝で受けた恵みと祝福を携えて生きるのですから、私たちの全生涯がある意味「礼拝」そのものとなる、そんな理解です。
 さて、現行式文の「奉献の部」がなくなったこと、とりわけ献金が「派遣」に置かれたことにご意見がありました。献金の持つ感謝、自己献身の思いが薄れる、あるいは、この世の奉仕ではなく、具体的には「教会のため」に捧げていて(実際全部そうなのに?)、その意欲が削がれるし、ある種の偽善ではないか等です。それはまず、この連載(「聖餐」(12月号))にあるように、奉献が、聖餐における「人が神に捧げる犠牲」と結びついてきたことを完全に払拭し、人が主語となる要素を主要構成とはしないためです。自分自身を神に感謝をもって捧げるのであれば、それは「派遣」にこそ相応しいのです。確かに私たちは持ち物の一部を献金しますが、本来それは100%神から頂いているものです。捧げるなら、お返しするなら「すべて」です。その場ではとても無理!でも、私たちは「この世」 に (それもまた神のもの!)分かち合い奉仕するために派遣されるのです。何よりイエスの「すべての民を…弟子にし…、…洗礼を授け、…教えなさい」(マタイ28・19~20)との委託を担う、この世に仕える最先端が教会なのですから、貴い献金先としてお許し頂きたいものです。また、具体的には、献金後の「奉献の祈り」と「教会の祈り(執り成しの祈り)」が混乱したり省かれたりする慣行をなくし、区別する意図もあります。
 「招き」における「洗礼」の想起や言及が、未受洗者の排除にならないかというご指摘もありました。教会が教会であるのは、福音の宣教と聖礼典の正しい執行です。そのしるしが礼拝です。これまで聖礼典=聖餐が礼拝の中心だったのに比べ、本来「救い」のしるしである「洗礼」の重要性を礼拝であまり強調されなかったきらいがあります。しかし私たちは、常にこの原点に立ち返る必要があるのではないでしょうか。それがこの提案です。神は、すべての人を、まず悔い改めと「洗礼」へと招かれます。すべての人を待っておられます。(続く)

連載 マルティン・ルター、人生の時の時(3)

江口再起

 何が起きたのか。後年、ルターはこの体験を回想しています(『ラテン語著作全集・第1巻の序文』)。それによると、大きな声では言えないが、実は「神の義」ということを、ルターは憎んでいた。神様は義しいということを聞くと、不安になった。なぜなら、神が義しければ当然、その神は人間にも義しさを期待し要求する。それに答えようと人間は努力し、がんばる。しかし、いくらがんばっても「怒りの神」の前では人は安心できない。神への信仰の不全感は増すばかり。 ところが塔の一室でローマ書1章17節を読んでいたら驚くべきことが記されていた。「福音には、神の義が啓示されている。それは始めから終りまで信仰を通して実現される」。つまり、「神の義」は「呪い」でなく、「福音」だと書いてある。目からウロコが落ちた。開眼。どういうことか。神は「怒りの神」ではない。いやそれどころか、神は自らの「義しさ」を人間に無条件で贈与(プレゼント)してくださる。これこそ、福音。ならば人間はその与えられた「義しさ」をそのまま素直に受けとればいい(これが「信仰」ということなのである)。「神の義」をただそのまま受けとる(「受動的な『神の義』」という)。つまり少しも義しくない私ではあるが、神が自らの「義しさ」をそのままただでプレゼントしてくださるがゆえに、この私は義しいと認められる。そして、これが「救い」ということなのだ。
 神は「怒りの神」でなく、「恩寵の神」である。神への信仰の不全感は全く解消し、いやそれどころか、ルターはほんとうの意味での神との一体感を感じたのです。信仰の確立です。
 以上が「塔の体験」の中身です。神は「恩寵の神」である。まさに「恵みのみ」です。それがすべてです。このことをルーテル教会では「信仰義認」と呼んできました。しかし、考えてみれば、より正確には「恩寵義認」と言うべきでしょう。(つづく)

新任教職あいさつ

甲斐友朗(かい ともあき)

 赴任先が決まる前、私はある召天された牧師のご伴侶から、その先生が使われていたというストールをいただきました。そして赴任先が発表になりました。するとそこは、その先生が牧師として働かれていた場所だったのです。私はいま、シオン教会が、神様が私に用意してくださった任地だということをひしひしと感じているところです。この今の思いを忘れず、与えられた地で精いっぱい神様の愛を宣べ伝えていきたいと思います。

関 満能(せき みつちか)

 全国諸教会の皆様。3月に按手を受け、この4月から水俣教会と八代教会に赴任します関満能です。神学校での学びを終えてとうとう牧師となる日が来ました。しかし、牧師となると言ってもこれからが牧師とされていく日々の始まりです。今、私の心に響いている言葉は、「福音のためなら、わたしはどんなことでもします」というパウロの言葉です。教会と地域社会に生きる人々と共に福音の喜びを分かち合う牧師とされたいと思います。

渡邉克博(わたなべ かつひろ)

 4月より浜松教会と浜名教会へ赴任することになりました。遣わされる教会では、活気ある教会を教会員の皆さまと共に形成していきたいと思います。これまでは神学校での備えの時でしたが、これからは現実の教会の中に身を置き、私を必要とする方々のために、牧者としての働きに従事して参ります。
 不慣れなこともたくさんあり、ご迷惑をお掛けすることもあろうかと思います。何卒ご指導のほど、お願い申し上げます。

渡辺髙伸(わたなべ たかのぶ)

 この春から新霊山教会の牧師となります、渡辺髙伸です。按手を受けて、辞令を頂いたとき、新たにスタートラインに立ったという気持ちでした。これから出会う方々との交わりと、そこから賜る学びによって、牧師として成長していきたいと思います。
 そして、どこまでも福音を宣べ伝え、そこに生きる人に仕えて、共に喜び、共に泣く人生をキリストと歩んでいくことを、これからの自分の夢としていきます。

お詫びと訂正

 3月号の記事につきまして、筆者の意図とは異なる編集を行い、確認が十分でないまま発行してしまいました。筆者の松木傑牧師と読者の皆さんにご迷惑をおかけしたことをお詫び致します。以下、該当箇所を訂正します。
 3月号1面4段11行「一見すると同じですが、99・9%神様の絶対に従うことと、それを100とし、理性を無視する態度には大きな違い」を「一見すると同じですが、99・9%理性を尊重し、0・1%の神様の絶対に従うことと、理性を無視する態度には大きな違い」と致します。  広報室長 安井宣生

九州地域教師会報告

九州地域教師会会長 杉本洋一

九州地域教師会退修会が、2月16〜17日、熊本教会を会場にして行われた。会員21名中、19名が出席した。今回のテーマは、「ルター教会と信仰義認、そして、日本人」。それは、 宗教改革の教会が、歴史的に宗教改革を経験していない国の教会として、宣教に遣わされた場所で、どのように、神の言葉を伝えていくのか という問題意識に立ってのことであり、来る2017年の宗教改革500年を意識してのことである。 信仰義認を根幹に据える教会が、この世とこの地域において、どのように、共に歩んでいけるかということである。これは、九州で宣教が開始されてからずっと持ち続けている宿題でもある。
 九州地域教師会では、昨年の夏、中国教会を訪問する貴重な機会を得た。退修会では中国を訪問した全員がそれを報告し、出席者と分かち合った。中国教会は、いくつかの信条を持つ私たちのルーテル教会とは、 対極にある教会ともいえるだろう。教派性を持たない教会であり、主の祈りと使徒信条をのみ信仰告白文書として重要視する教会である。
 訪問プログラム参加者一人一人の体験の発表は、広範囲な気づきを与えられる機会となった。礼拝について、典礼の上でも自由に行われているという感想が多く、国家を中心とする教会という制約がある中でも、事実、あふれる若者の姿を目の当たりにして、率直な驚きの感想が報告された。中国は中国、日本は日本ということも、軽々には言えない中、励まされた部分も多かった。途中の休憩時間も惜しんで報告と質問意見が交わされた。
 講師の江口再起先生より「信仰義認と日本人」と題して、講演をしていただいた。日本人が受け止める「信仰」の理解とルターの言う「信仰」の理解、そして、親鸞にも触れられた。価値観が多様化する中で、価値観の共有化は、共に生きていこうとすることであり、エキュメニズムの方向でもある。
 九州地域は広い。日ごろの交流の難しさがあるが、この教師会において、1泊2日の時間と場所を同じくすることによって、自分の課題や問題を語り合う大事な機会とすることができたと思う。

第7回 教会推薦理事研修会報告

事務局長 白川道生

1月12日、ルーテル市ヶ谷センターにて標記研修会が開催された。出席者は、JELC(宗教法人)より4名、学校3法人より9名、福祉8法人より12名、幼保連合より2名、講師と職員2名の計27名であった。
 7回目を数える今回は、「教会推薦理事は創立の精神を継承する役目を担い、またそのために創立目的(出発の祈り)の完成を目指して実践する人」との視点から 理事等の役割を考える研修とした。
 基調講演として、山本誠さん(聖隷福祉事業団)により「創業の祈りの実現に向けて~人の力と理念の力~」と題されたお話しを伺った。以下、その講演の内容の要約をもって、研修報告とする。

 聖隷福祉事業団は1930年に創立され、全国1都8県で139施設286事業を運営する日本最大の社会福祉法人。職員1万3326人。年度決算額999億円。
 基本理念は「キリスト教精神に基づく『隣人愛』」。シンボルマークには、 医療・福祉・教育の3つの円が描かれ、重なる中心部に十字架がある。それを囲む2重の円はイエス洗足の桶を表している。
 創立者の長谷川保は、浜松聖隷病院の開所式でこう祈った。「今日ここにこの病院を神にささげます。もし、事業が御心にかなわなくなったならば、この病院をつぶしてください。」長谷川は衆議院議員として憲法の成文に関わった。有名なのは第25条。「すべての国民は、健康で文化的な」との水準の定義に「文化的な」を押し込んだとの逸話が残されている。さらに、「制度では救えない人のために」第13条「幸福追求」の権利を意識して、必要に応じて次々と働きを興していった。
 そのためか、後世の評価には、独断と言われる声も存在する。競馬や競輪の益金から資金を得て、事業を作ってきたのも長谷川が始めたことであり、批判に対しては「祈ってから使えばいい」と応じ、「隣人愛」に尽力した。
 現在は3代目の理事長。ノンクリスチャンであるが故に、理念の「隣人愛」について、「この言葉だけでは分からない」と悩み抜き、「聖隸の理念」が読んでわかるような表現とするために、特別のチームが組まれた。そして2年後、「隣人愛」に、 使命・ビジョン・ 職員行動指針から構成された説明が全職員に配布された。キリスト教を土台とする法人の理事長にノンクリスチャンを選ぶことを危惧する意見もあったそうだが、研修体系を厚くし「係長以上の職員は理念を明確に語れる」ように努めているとの紹介が、出席者の心に残った。

日本福音ルーテル教会2015年度人事(敬称略/50音順)

○引退(2015年3月31日付)
 ・鐘ヶ江昭洋
 ・佐々木赫子
 ・鷲見達也
 ・松木 傑
 ・吉谷正典
○新任
 ・甲斐友朗
 ・関 満能
 ・渡邉克博
 ・渡辺髙伸
○異動
(2015年4月1日付)
【北海道特別教区】
 該当なし
【東教区】
 ・青田勇 東京池袋教会、事務局管財室長(兼任)
 ・太田一彦 仙台教会、鶴ヶ谷教会
 ・小勝奈保子 聖パウロ教会
 ・後藤直紀 板橋教会、東京教会(兼任)
 ・立山忠浩  都南教会
【東海教区】
 ・内藤文子   掛川・菊川教会(主任)
 ・渡邉克博   浜松教会、浜名教会
 ・渡辺?伸   新霊山教会
【西教区】
 ・甲斐友朗   シオン教会
 ・滝田浩之   三原教会(主任)、 福山教会(主任)
 ・竹田大地   宇部教会(主任) 
 ・松本義宣   豊中教会(主任)
 ・室原康志   西条教会
【九州教区】
 ・関 満能   水俣教会、八代教会

○休職
 ・後藤由起(2015年4月1日付)
○その他
 ▽任用変更(2015年4月1日付)
 ・小勝奈保子
 ・後藤直紀
  (嘱託任用から一般任用へ)
  
▽宣教師
(2015年3月31日付)
【J3プログラム退任】
 ・キャロリン・キーナン  九州学院中学・高校 
 ・モーガン・ディクソン  ルーテル学院中学・高校
 ・ローラ・フェントレス   ルーテル学院中学・高校
(2015年4月1日付)
【J3プログラム新任】
 ・ザック・コービン  ルーテル学院中学・高校
 ・ディーン・ホルツ  九州学院中学・高校 
 ・ハナ・ジャンセン・  ラインキ ルーテル学院中学・高校
▽牧会委嘱
(2015年4月1日付、1年間)
・ 明比輝代彦 富士教会     
・佐々木赫子 松山教会
 ・白髭 義  二日市教会、甘木教会
 ・中村圭助  復活教会
 ・藤井邦夫  宇部教会     
 ・横田弘行  掛川・菊川教会  
 ・渡邉 進  沼津教会

公 告

この度、左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2015年4月15日
 宗教法人 日本福音ルーテル教会代表役員 立山忠浩

信徒・利害関係人 各位

小城教会土地一部売却
・所在地 小城市小城町字東小路
・所有者 日本福音ルーテル教会
  地番 169番6
  地目 宅地
  地積 31・90㎡
  地番 169番7
  地目 宅地
  地積 53・11㎡
・理由 通学道路拡張のために小城市に教会用地の一部を売却するため。

15-03-17信じ、従うこと

神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」(創世記22章2節)

神さまと信徒のみなさまのお支えと寛容さにより、40年のルーテル教会での務めを終え、退職することになりました。ありがたく感謝いたします。

 本稿のために掲げました聖書の言葉は、私の信仰生活と今に至る歩みの原点ともいえます。私は18歳で大学生活のために広島の田舎から京都に移りました。当然ながら、自分は何のために生きるのかと自らに問いかけました。何を目標にするかと思い悩みました。能力もなく、情熱もない! 大学を辞めて、船乗りになって海外にでも行ってみようかと思い、船会社まで行ったこともあります。しかし、その勇気もない! ないないずくめで、下宿先でこたつにあたってFM放送を聞いていました。そのとき朗読の時間だったと思いますが、旧約聖書のこのアブラハムがイサクを献げる話が聞こえてきました。 強烈に感動させられました。生きるとは「これなんだ」と気づかされました。

 長年待ち望んで与えられた、最愛の一人息子を犠牲にささげるなど、これほど理にかなわないことはありません。人間の感情と理性からするとありえないことに対して信じ、従う。「何故」の論理を超えることが語られています。唯一の理由は、神が命じられた、ということにあります。

 新約聖書には、弟子たちの間で誰が一番偉いだろうか、と議論が起こり、主イエスが「偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい」(マタイ20・26)とお応えになる場面があります。結局、一番偉くなりたいという、人間の欲望を手に入れるために、その手段として奉仕するということなのかと疑問に思ったことがあります。他者に向かって奉仕しているように思えるが、それは結局 、 迂回して自分に向かうという、ルターの指摘する二重の罪です。しかし、この疑問についても、最後は主イエスがお求めになるから、それに従い奉仕すると理解することで、論理の空回りから自由になります。

 カルト宗教はこの論理を悪用して、信者を従わせています。一見すると同じですが、99・9%理性を尊重し、0・1%の神様の絶対に従うことと、理性を無視する態度には大きな違いがあります。また、本物と偽物の判別にとって重要な点は、どのように教えを実践し、証をするかということにあります。自分の絶望を主に委ね、主に従うという方向へと歩みだすことは、私にとって救いでした。

  ちょうどそのような時に、アフリカのビアフラ(現在のナイジェリア)で内戦が起こり、200万人の餓死者がでる悲劇が起こり、京都市内の3つのルーテル教会の青年会で募金活動を行いました。同じ時代に同じ地球に住んでいるのだから、私たちは何かなすべきことがあるのではないかと、その時強く思いました。その思いが、私のその後の教会での活動で形になったのが、「非営利活動法人フェアトレード・ラベル・ジャパン」と「一般社団法人わかちあいプロジェクト」の設立です。フェアトレードによって世界の課題に取り組む働きです。
 
 南と北の国の間に広がる貧富の差は、同じ地球に住む私たちの緊急の課題です。インターネットは難民キャンプでも接続でき、情報が一瞬にして世界の隅々に配信される中で、努力しても貧しさから抜けられない南の国の人たちの苛立ちと絶望感は、人々をテロリズムに駆り立てる要因の一つとなるとも言われています。
 現在の世界の混乱状態は、この不公平さが要因とも考えられます。単に途上国を支援するという発想を越え、私たち自身の存続にもかかわっています。その中でフェアトレードは、誰もが参加できる身近な貧困問題への取り組みです。 
 牧師は引退しますが、フェアトレードの働きは続きます。今後ともお支えください。

日本福音ルーテル聖パウロ教会牧師 松木 傑

15-03-01るうてる2015年3月号

機関紙PDF

説教 「信じ、従うこと」 

      

日本福音ルーテル聖パウロ教会牧師 松木 傑
 
神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」(創世記22章2節)

神さまと信徒のみなさまのお支えと寛容さにより、40年のルーテル教会での務めを終え、退職することになりました。ありがたく感謝いたします。
 本稿のために掲げました聖書の言葉は、私の信仰生活と今に至る歩みの原点ともいえます。私は18歳で大学生活のために広島の田舎から京都に移りました。当然ながら、自分は何のために生きるのかと自らに問いかけました。何を目標にするかと思い悩みました。能力もなく、情熱もない! 大学を辞めて、船乗りになって海外にでも行ってみようかと思い、船会社まで行ったこともあります。しかし、その勇気もない! ないないずくめで、下宿先でこたつにあたってFM放送を聞いていました。そのとき朗読の時間だったと思いますが、旧約聖書のこのアブラハムがイサクを献げる話が聞こえてきました。 強烈に感動させられました。生きるとは「これなんだ」と気づかされました。
 長年待ち望んで与えられた、最愛の一人息子を犠牲にささげるなど、これほど理にかなわないことはありません。人間の感情と理性からするとありえないことに対して信じ、従う。「何故」の論理を超えることが語られています。唯一の理由は、神が命じられた、ということにあります。
 新約聖書には、弟子たちの間で誰が一番偉いだろうか、と議論が起こり、主イエスが「偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい」(マタイ20・26)とお応えになる場面があります。結局、一番偉くなりたいという、人間の欲望を手に入れるために、その手段として奉仕するということなのかと疑問に思ったことがあります。他者に向かって奉仕しているように思えるが、それは結局 、 迂回して自分に向かうという、ルターの指摘する二重の罪です。しかし、この疑問についても、最後は主イエスがお求めになるから、それに従い奉仕すると理解することで、論理の空回りから自由になります。
 カルト宗教はこの論理を悪用して、信者を従わせています。一見すると同じですが、99・9%理性を尊重し、0・1%の神様の絶対に従うことと、理性を無視する態度には大きな違いがあります。また、本物と偽物の判別にとって重要な点は、どのように教えを実践し、証をするかということにあります。自分の絶望を主に委ね、主に従うという方向へと歩みだすことは、私にとって救いでした。
  ちょうどそのような時に、アフリカのビアフラ(現在のナイジェリア)で内戦が起こり、200万人の餓死者がでる悲劇が起こり、京都市内の3つのルーテル教会の青年会で募金活動を行いました。同じ時代に同じ地球に住んでいるのだから、私たちは何かなすべきことがあるのではないかと、その時強く思いました。その思いが、私のその後の教会での活動で形になったのが、「非営利活動法人フェアトレード・ラベル・ジャパン」と「一般社団法人わかちあいプロジェクト」の設立です。フェアトレードによって世界の課題に取り組む働きです。
  南と北の国の間に広がる貧富の差は、同じ地球に住む私たちの緊急の課題です。インターネットは難民キャンプでも接続でき、情報が一瞬にして世界の隅々に配信される中で、努力しても貧しさから抜けられない南の国の人たちの苛立ちと絶望感は、人々をテロリズムに駆り立てる要因の一つとなるとも言われています。
 現在の世界の混乱状態は、この不公平さが要因とも考えられます。単に途上国を支援するという発想を越え、私たち自身の存続にもかかわっています。その中でフェアトレードは、誰もが参加できる身近な貧困問題への取り組みです。 
 牧師は引退しますが、フェアトレードの働きは続きます。今後ともお支えください。

宗教改革五〇〇年に向けて ルターの意義を改めて考える(35)

ルター研究所所長 鈴木 浩

ルターは1525年の暮れ、『奴隷意志論』という非常に刺激的で挑発的なタイトルの大論文を出版した。前年にルターを批判して出されたエラスムスの『自由意志論』に対する反駁論文であった。
 それは、これまで取り上げてきた「奴隷的拘束下にある意志」について詳細に論じた論文であった。幸か不幸か、ルターは攻撃的な論文になればなるほど、切れ味が鋭くなる。ルターはこの論文の中で、「自由意志などは、真っ赤な嘘、単なるフィクション」と言い放つ。
 『九七箇条』の第一提題でルターがあれほど強く擁護したアウグスティヌス(430年没)は、自由意志の問題で極めて曖昧な発言をしていた。「われわれの意志は原罪によって著しく損なわれたので、自ら進んで善を選択することはできないが、自ら進んで悪を選択する程度の自由は残されている」というのだ。だから、名目的には自由意志はある。しかし、その意志は一貫して悪を選択するのだから、実質的には自由はないことになる。
 ルターはこの曖昧さから決別し、名目的にも実質的にも自由意志を否定した。それはアウグスティヌスが提起したあの原罪論の強化であった。

議長室から

日本のキリスト者への期待

総会議長 立山忠浩
イスラム国」による日本人2名の殺害は、日本だけでなく世界中に衝撃を与えました。痛ましい結末でした。後藤健二さんは日本キリスト教団に属するキリスト者であったこともあり、この方の講演を聞いたり、直接話をしたことのある人がルーテル教会の中にもいらっしゃることを耳にしました。
 このような事件が起こる度に耳にするのは「宗教は恐ろしい」という市井の声です。ひとつの宗教に拘らないことを良しとする多くの日本人に、「だから一神教は怖い」という印象をさらに植え付けることにならないかと案じています。そこにキリスト教も容易に入れられてしまうからです。もちろん誤解ですし、イスラム教と「イスラム国」もまったく別ものであることも言うまでもありません。しかしながら、過去の歴史を振り返るならば、キリスト教も他宗教との争いに積極的に加担したことがあったことも忘れてはならないと思います。
 日本に暮らす者にとっては、仏教や神道という宗教には馴染みがあっても、イスラム教はどこか遠い国や民族の宗教という印象が否めません。私もそのひとりでした。しかし今回の事件にまつわる報道から、私の牧する教会がある東京の豊島区にイスラム教の方々の礼拝所があることを知りました。 先日は、保育園や幼稚園にもイスラム教の子供たちが通っているということは珍しいことではないと聞きました。学校や職場でもきっと同じでしょう。恥ずかしい話ですが、遠い存在と思っていた方々が、すでに身近な所に隣人として暮らしていることを今気づいたのです。
 ではキリスト者として何をすればよいのか。決して大袈裟なことではないでしょう。偏見を持たず、ごく自然に接し、興味を持つこと。そして他の宗教に敬意を払うことだと思います。中東を中心とした民族や国家間の戦争や紛争が起こる度に、日本ではそれは宗教戦争と理解され、「だから宗教は怖い」というそしりや陰口を耳にすることがありますが、「自分の宗教を大切にするからこそ、他の宗教も大切にできる」ことを肝に銘じなければなりません。日本のキリスト者への期待は大きいと思うのです。

宣教の取り組み 野宿者支援活動 ともにいきる ともにたべる

           
久保彩奈(本郷教会)
 
 2014年6月から本郷教会では野宿を余儀なくされている人々へ食事を配る給食活動を始めました。この活動は10年間、主に東京渋谷で活動を展開していた「聖公会野宿者支援活動・渋谷」が6月で終了することに伴い、 よりエキュメニカルな形で引き継ぎ、本郷教会も担うこととなりました。 新たに始めたばかりですが既に16回(2月1日現在)の給食活動を行いました。毎月第1日曜日は本郷教会、第3日曜日は日本基督教団早稲田教会を準備会場にして、渋谷で配食しています。
 礼拝後に教会の内外を問わず、10数名の有志で200食以上のお弁当を準備し、缶詰などの保存食と一緒にお渡ししています。また未使用の歯ブラシや石鹸などを集め、生活に必要な消耗品などとお配りしています。
 この活動の名前は「ちかちゅう給食」といいます。「ちかちゅう」とは、東京都渋谷区の区役所「地下」にある「駐」車場のことで、そこにいた野宿の人々との出会いをきっかけに始められたからです。野宿の人々は襲撃(暴力)や排除(追い出し)、福祉事務所による生活保護の「水際作戦」などにさらされており、あらゆる形で尊厳をふみにじられ、いのちを脅かされています。持たざる者が更に苦しみを背負わなければならない現状に、真心をもってひたむきに寄り添うことがこの活動の使命です。
 イエスが社会の中で低く貧しくされた人々と食事を分かち合い、共に生きた姿に倣いつつ、渋谷で待っている人がいる限り活動を続けていきたいと思っています。この活動は月に2回、しかも1食分しか届けられない小さなものですが、多くの方からの祈りと支えがなければ成り立ちません。みなさんがこの記事を読んでいる今も、路上で過ごさざるをえない人々がいることを覚え、思いを寄せてくだされば幸いです。
 活動に参加を希望される方、またお米や歯ブラシ、石鹸などのおすそわけやカンパのお申し出など、お問い合わせは、shibuya.chikachu@gmail.comまで、ご連絡ください。

プロジェクト3・11より

小泉嗣(東教区社会部長)

 私たちは日々新たな災害や事件、事故に出会います。それが直接の体験であれ、見聞きし心に刻まれたものであれ、時と場が離れれば離れるほど、記憶は曖昧になり、気持ちの振幅も小さくなっていきます。だから前に進めるという声と、だから人は弱いという声、それぞれに頷いてしまう私がおり、それではだめだという私がいます。
 あの日、私たちは皆、何らかの形で東日本大震災を体験し、心に刻みました。そして何か奉仕できればとの思いが力となり、ルーテル教会救援の働きが2014年3月まで継続されました。
 その後、東教区では社会部が中心となって「プロジェクト3・11」を立ち上げ、細々と震災支援の活動を続けてきました。今この時も、あの大震災を現在のこととして体験を重ね、痛みや苦しみをその心に刻みつづけている方々がおられるからです。
 専属スタッフのない働きですが、被災地で生きる人々や被災地から避難して生きる人々の歩みをほんの少しでも支えること、「3・11」を過去ではなく、現在のものとし続けることがその目的です。
 昨年は福島の民間食品放射能計測所(2カ所)と子どもの保養プログラムに支援金を送り、そのための募金呼びかけ、現地の保育園で掃除ボランティア、被災地訪問プログラムへの参加呼びかけなどを行いました。
 本年も経済的な支援とあわせて人的な交流プログラムを計画しています。つきましては教区内外を問わず、皆様の教会や教区で継続されている被災地支援の情報をお寄せいただければ幸いです。支援や体験を、キリストの体である教会全体でわかちあうことができれば、その苦しみも喜びもまた、わかちあえると思うからです。
 3月15日(日)15時半より東京教会にて、いわき食品放射能計測所「いのり」の明石義信所長(日本基督教団常磐教会牧師)を説教者に、また元ルーテル教会救援スタッフの佐藤文敬さんを報告者に迎え、「3・11を憶える礼拝」を守ります。覚えて祈り、ご参加ください。

礼拝式文の改訂

✝ アンケートのまとめ

式文委員 中島康文

 昨年行われた全国総会の折、改訂式文試案に候補曲を付けて紹介しました。時間の関係でこれまでとは少し雰囲気の違う曲を主に、式文委員が司式と会衆に分かれてデモンストレーションを行いました。そのことを踏まえて、改訂式文へのアンケートに82名の方(総会出席議員の3分の1強に当たる)がご回答くださいました。感謝申し上げます。式文委員会では頂いたご意見ご質問を、その後の検討作業の参考とさせていただいています。
 アンケートの詳細を記述するスペースはありませんが、式文改訂の作業は新しい時代に添う豊かな礼拝となることを願って行っています。しかし、アンケートではこの作業への不安や疑問、ご批判が多く寄せられました。「従来の式文で何が問題なのか分からない。変更に抵抗を感じる。歌が難しく馴染めない。オルガニストがいない教会では用いられない。洗礼の想起は未受洗者を疎外することにならないか。宣教の力になると思えない。」等々の否定的な意見がありました。一方、「美しい曲が多く、明るく好感がもてた。若い人たちには歌いやすい。改訂が必要であることは理解できる。選択肢があるのは良い。」等々の肯定的なご意見もいただきました。また多くの要望も寄せられました。「全面的改訂ではなく部分改訂を。難しくなく、歌いやすいものを。女性の意見を聞いて欲しい。牧師集団で十分議論して信徒に示していただきたい。現行式文と改訂式文の違い、変えたい理由などを文章で示して欲しい。牧師不在の礼拝や小さな教会の礼拝等にも配慮を。丁寧な説明、子どもや高齢者にも分かるように。宣教の前線の多様性を考慮した改訂を。」等、その他にも多くの要望をいただきました。
 アンケートの結果をもって常議員会と協議をいたしました。式文改訂を通して信徒の学びの良い機会とすること、式文委員会と常議員会が協力して全国で説明を行うこと、次世代への信仰継承にもなることなどを確認しました。改訂についての責任と意義は常議員会が考えることですが、内容についての質問には式文委員会が責任をもって応答すべきでしょう。また改訂の進め方については更に協議する必要がありますが、「総会で承認するということは公式に用いてよいということであり、改訂式文のみを使用しなければならないという意味ではない。」ことを説明して行く必要があることも理解しています。
 多くのご意見をお寄せいただいたことは、皆様がルーテル教会の礼拝(式文)をとても大切にしてくださっている証しだと委員一同、とても嬉しく感じています。式文改訂作業が、皆様の宣教の力となり、信仰の喜びの一助となりますように願いつつ、これからも作業を進めてまいります。どうぞお祈りください。感謝しつつ。

礼拝全体を検討し見直すために設置された式文委員会の働き「式文改訂」について、日本ルーテル教団と共に、その解説をお届けします。

連載 マルティン・ルター、人生の時の時(2)

江口再起

 実際、後にルターは父親宛の手紙の中でこう書いています。「私は、自分の願望によって修道士になったのでなく、突然の死の恐怖に囲まれて、強いられて、請願をたてたのです」。
 ですから、彼の中には何か燃えるような信仰がないのです。いわば行きがかり上、修道士になってしまった。ところが周りの修道士はみな熱心な信仰の持ち主にみえる。ルターは焦り、不安になりました。何とか熱い信仰を持たねばならない・・・。そこで一生懸命、祈ったり断食したりしました。つまり彼は人一倍、模範的な修道士になりました、外見上は。しかし、心の中は、信仰への不全感と不安でいっぱいでした。試練の時です。
 そして、もう一つルターには問題がありました。父親との葛藤です。親にしてみれば、息子が法律の勉強をして、この世で成功することが願いです。そのため大学にまで行かせたのです。ところが大学を退学し修道士になって、この世から身を引いた。父親は激怒しました。ルターに向かって十戒の「汝の父と母を敬え」を忘れたのか、と怒鳴りました。この怒っている父の姿が、ルターにとって「怒りの神」のイメージと二重写しになって、心に浮かんでくるのです。
 親との葛藤、信仰の不全感、青年の危機。今日風に言えば、修道院でのルターは鬱のようでした。
(3)塔の体験(1513年~16年? 30歳ころ)―神の恵みへの開眼
 修道院で一生懸命努力したルターは、やがて修道院や大学で聖書を教える学問僧になりました。しかし、信仰の不全感は解決していない。ルターにとって神とは依然、「怒りの神」でした。
 そんなある日、ルターは「塔の体験」をするのです。ヴィッテンベルクの修道院の塔の一室(この体験の日付や、それが突如生起したのか、徐々に熟してきた体験なのか、についてはよくわかっていません)。「塔の体験」とは一言でいうと、ローマ書1章17節の「神の義」をめぐる信仰の開眼体験です。その結果、聖書の語っていることが、本当に腑に落ちるようになったのです。(つづく)

「ルーテルアワー 聖書通信講座」いよいよ本格始動!

賀来周一(定年教師)

 ルーテルアワーという名称をお聞きになっただけで、懐かしい思いに駆られた60代以上の方は多いことでしょう。この伝道放送を通して、信仰に導かれた人、そして献身して牧師になった人も多く、教派を越えて聴取された伝道放送だったことがよく知られています。
 この名を冠して、日本福音ルーテル教会東教区では、 現代のメディアであるインターネットを利用し、多くの人を教会に招こうと内容を一新。誰にでも分かる聖書通信講座を開設するに至りました。インターネットを利用する以上、誰でも見ることができますので、全国の皆さまにも知っていただきたく、この番組の紹介をすることになりました。
 まず、インターネットで www.biblestudy.jpにアクセスしてください。「かけがえのない自分という存在を安心して生きていますか」というキャッチコピーが飛び込んできます。聖書にはじめてふれる人の心を引き付ける美しい画面です。
 さらに読み進むと内容が4つの部門に分かれます。一つ目の「人生の問い」は、私たちが人生の中で必ず経験するであろう問いが取り上げられ、これにカウンセラーが丁寧に答えています。さらに「聖書よみログ」では、旧約から新約まで聖書66巻の中から、聖書の中の信仰主要項目を解説する部門です。はじめて聖書を読む人、聖書の内容を整理したい人には絶好の読み物となっています。3番目に「Q&A」の項目が出てきますが、はじめて教会へ行く人が、 戸惑うことがないようにとの、よく分かるガイドとなっています。4番目の新シリーズ「さあなの部屋」という部屋を覗いてみましょう。難病と闘いながら牧師の道をひたすら歩む伊藤早奈牧師の心を打つエッセイが書かれています。
 サイドページに「ルーテルアワー」というバナーがありますが、もし、皆さんがフェイスブックやツイッター、ご自身のブログを持っておいででしたら、自由にリンクしていただきたいのです。それが伝道を担うことになることでしょう。

白川清牧師を偲ぶ

長尾博吉(定年教師)

 1956年の夏、西南学院の山の家で開催されたルーサー・リーグ(ルーテル青年連盟)の修養会に参加した折に、初めて私は白川清師にお目にかかりました。ルーサー・リーグの委員長として、見事な修養会全体のリーダーシップを取っておられました。
 その時の第一印象は、大変エネルギッシュな青年というものでした。声も大きく、体躯に恵まれた白川師の統率力は目を見張るものがあり、受洗して間もなかった私には、教会には素晴らしい人材が居られるものだと感心したのを今も忘れられません。
 そして、私が神学校3年目(教養科3年)の時に、白川師は献身して東京中野の日本ルーテル神学校に入学してこられました。後輩にこんな方が来られたのでは、うかうかしておられないと脅威に感じたことも今は懐かしい思い出のひとつとなりました。
 白川師は、若い頃、福岡のルーテルアワーセンターで働かれた経験から、ラジオ伝道にはことのほか熱意があふれ、静岡のSBS放送におけるルーテル・アワー「こころの広場」の制作、フォローアップに3年間没頭されました。
 また、静岡市には静岡キリスト教連合会があり、そこには日本基督教団を始め、カトリック教会、日本聖公会、バプテスト教会、ルーテル教会、ホーリネス教会、2つの単立教会、その他の約20の教会が参加し、毎年市民クリスマスを開催していましたが、その世話役等にも献身的に奉仕しておられました。
 これらの一事をとってもよくわかりますように、白川師は何事にも全力でぶつかり、まじめに反応する努力家でした。この1~2年、大病に罹患し入院されていても、新薬開発のために必要な製薬事業に協力し、積極的に治験(医薬品の承認を得るための薬物臨床試験)を受け入れられていました。
 正に最後まで成すべきことを遣り抜き、生き抜かれ、主の御許に帰られたのでした。

退職にあたり

鐘ヶ江昭洋

 この度、定年を迎えるにあたり、感慨が一層、深まりました。この44年間の間、愛するルーテル教会のみなさま方と、深い絆に結ばれて、大変有意義な人生を歩ませていただきました。
 ルーテル教会は最高の教会です。マルチン・ルターの流れの本流として、おおらかで、それなりに充実した、極めて真実に従った教会です。 ことに『万人祭司』という、ルターの「万人は、直接神さまに結び合っていて、そこに誰も介在しない」という教えは、素晴らしいものです。常に、この『万人祭司』の原点に立ちつつ、歩みましょう。

佐々木赫子

 主のみ名を賛美します。小学生で教会に導かれて以来、牧師と立てられてからも「主、我を愛す。主は強ければ、我弱くとも恐れはあらじ。」(こどもさんびか)と歌いつつ、心に響かせつつ歩み、定年を迎えました。58歳で献身し、東京、保谷、名古屋、蒲田の各教会にお世話になり、63歳で按手後、広島、名古屋、そして宇部教会での奉仕は、教会の皆さんに支えられてのものでした。厚狭、下関教会の皆さんと同労者にも励まされました。感謝の気持ちでいっぱいです。
 現職として短い期間しか奉仕できませんでしたが、これからも神への奉仕で生涯を貫きたいと願っております。

鷲見達也

 20歳で受洗しましたが、真の信仰が与えられたのは、神学校で神を信じ切る方々の中で鍛えられたことにおいてだと思います。6年間の牧師生活で真剣に取り組む中で神のなさることの素晴しさを改めて知りました。なぜ?と思われることがあっても神は私たちを最も良いようにしてくださることを、牧師の定年になる今になってやっと得心しております。
 キリスト教は真理ですし、聖書は素晴らしいです。もし、あなたが受洗を勧められたら思い切ってなさることをお勧めします。短い期間でしたが牧師としての召しに心から感謝しております。

松木 傑

「日本の教会ほど日本の社会のなかで貴重な存在はない」と常々、わたしは教会の方に申し上げてきました。教会に行く、行かないかは、まったく各自の自由である。この世的には何の得もなく、献金するだけである。熱狂的でないルーテル教会はまさにその典型です。
 教会を維持することが目的になっている厳しい現実に直面しながらも、この自主性、自由、利得なしの価値をもっともっと生かすことが、教会の務めだと思います。それが主イエスに倣って、人々の必要に応えることだと思います。

吉谷正典

 教会から43年前に頂き、今や手垢で汚れたガウンとストールを眺めていると過去の色々な事が頭に浮かびます。でもやはり、最後の言葉としては「われは聖なるキリスト教会を信ず」以外にありません。他者はもとより、自分が信じられない私です。
 「この世」の中で、「自分」という存在の身の置き所として、何を信じ、何により頼むのか。それはやはり、自分自身も、その一員とされている、主にある兄弟姉妹の交わりとしての集まり以外にはありません。
これからもよろしくお願いいたします。

J3退任挨拶

キャロライン・キーナンCaroline Keenan

 この2年という時間は、私の人生にとって最も意味深い日々となりました。日本について、教会について、自分自自身について、そして神さまがこの世界と私の人生において働いてくださることについて学ぶことになりました。着任した頃はとても緊張し、時にホームシックになりました。しかし、皆さんが暖かく迎えてくださいました。まさに神さまは私に
3つの家族をくださったと感じました。それは九州学院、健軍教会、熊本教会の英語礼拝という家族です。皆さんの存在が私の人生にとってどれほど大きな影響を及ぼしたことでしょう。帰国後、私は神学校で学び、牧師になりたいと思っています。そして、わたしがこの地でいただいたような愛情と配慮を他の人たちに示していきたいと思います。この2年という時に心から感謝します。私はみなさんのことを決して忘れません。

モーガン・ディクソンMorgan Dixon

 私は宣教師として日本に来ましたが、たくさんの人々に支えられてきました。そのことにとても感謝しています。
 2年間でとても貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。この経験をこれからの私の人生にいかすことが出来るようにがんばります。
 本当にお世話になりました。

ローラ・フェントレスLaura Fentress

 この2年間大変お世話になりました。J3として色々な大切な経験ができ、心から感謝します。
 ルーテル学院中高では英語を教えたり、優しい先生たちや元気な生徒たちと話をしたりして楽しかったです。
 毎週日曜日に神水教会の皆様と共に礼拝をして嬉しかったです。また、日曜日の夜の熊本教会の国際英語礼拝では母国語で礼拝できてよかったです。アメリカに帰国することになりますが、日本でつくった貴重な思い出をいつまでも忘れません。

15-02-17内面の太陽

天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」(マタイによる福音書13章44節)

陽気でいよう。陰気にならないようにしよう。神さまとの出会いは、常にセレブレーション(祝宴・祭典)だから。そしてまた、陽気であることは、祈りでもあるのだから。神さまの世界は、祝宴の舞台である。ゆえに、常に喜びに満ちていよう。そして、 その喜びを自分の祈りにしよう。イエスの譬え話は、人間が祝宴に招かれる話で満ちている。

 陽気であるための手短な経験は、笑いである。笑いは、最も神聖な経験の一つである。しかし、人々の笑いは浅い。事実、子どもの方がよく笑う。完全に笑う。しかし、子どもも成長するに従って笑いが浅くなり、笑いを抑えるようになってしまう。笑うべきか、笑うべきでないかの判断を下すことを躊躇するようになる。笑ってよい状況か否かを、考えるようになる。小さな子どもたちの笑いをもう一度思い出し、意識的にトータルに笑おう。そして、他人に対してだけではなく、自分に対しても笑おう。笑う機会を逃してはならない。笑いは、祈りだ。神への祈りなのだ。

 聖書によれば、私たちは、極めて局部的な人生、中途半端な人生を生きている。それは生ぬるい生き方であり、 熱くも冷たくもない。 その人生には、情熱がない。だから、今この時を、パラダイスにしよう。これを先延ばしにしないように。決して、延期してはならない。あなたが手にした唯一の瞬間なのだ。だから陽気でいよう。もっと笑おう。これは実に、具体的で現実的な体験である。そのためにも、イエスの譬え話は背後から私たちを励ましている。

 そのひとつが「天の国の発見の喜び」である。イエスの言う「天の国」とは、パラダイス、そして祝宴のことである。そしてそれが大きな喜びになるのは、自分の内面にある「生命の根源」すなわち、「永遠の命」を発見する時である。それは例えて言うならば、「内面の太陽」の発見である。
 私たちの外側に太陽があるように、その内側にも太陽がある。外の太陽は昇り、そして沈む。しかし、内側の太陽は、いつもそこにある。それは昇ることもなく、沈むこともない。 それは永遠である。内側の太陽と、その源泉を知らなければ、人は暗闇の中に生きることになる。しかし、その源泉を発見すれば、たちまちそれは人を深い深い至福の国、パラダイスに連れてゆく。そして今日、その旅は始まるのだ。

 宝のある「畑」とは、私たち一人一人である。神さまの働きがなされている、神の道具としての人間である。そこに、「宝」・「内面の太陽」がある。その宝は深刻に生きる人には、隠されている。神さまの働きの源泉を見つけた人は、幸いだ。イエスは言う。「幸福(さいはひ)なるかな、心の貧(まづ)しき者」(マタイ5・3、文語訳)。心の内面が空っぽの人こそ、パラダイスにいる。

 さらに「神の畑」とは、言い換えれば「神の手の中」・「神の加護の中」・「神の保障」を意味している。それゆえ、人間はこの世界について、何一つ心配する必要がなく、ただ、おゆだねするだけである。信頼するだけで充分なのである。

「神の」という言葉は、「神のもの」を強調している。イエスは「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ17・21、口語訳)と言う。私たちは「神のもの」であるがゆえに、私たちの中に宝物があるのだ。「内面の太陽」が、燦々と輝いている。

日本福音ルーテル西条教会牧師 鐘ヶ江昭洋

15-02-01るうてる2015年2月号

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説教「内面の太陽」

「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」(マタイによる福音書13章44節)

陽気でいよう。陰気にならないようにしよう。神さまとの出会いは、常にセレブレーション(祝宴・祭典)だから。そしてまた、陽気であることは、祈りでもあるのだから。神さまの世界は、祝宴の舞台である。ゆえに、常に喜びに満ちていよう。そして、 その喜びを自分の祈りにしよう。イエスの譬え話は、人間が祝宴に招かれる話で満ちている。
 陽気であるための手短な経験は、笑いである。笑いは、最も神聖な経験の一つである。しかし、人々の笑いは浅い。事実、子どもの方がよく笑う。完全に笑う。しかし、子どもも成長するに従って笑いが浅くなり、笑いを抑えるようになってしまう。笑うべきか、笑うべきでないかの判断を下すことを躊躇するようになる。笑ってよい状況か否かを、考えるようになる。小さな子どもたちの笑いをもう一度思い出し、意識的にトータルに笑おう。そして、他人に対してだけではなく、自分に対しても笑おう。笑う機会を逃してはならない。笑いは、祈りだ。神への祈りなのだ。
 聖書によれば、私たちは、極めて局部的な人生、中途半端な人生を生きている。それは生ぬるい生き方であり、 熱くも冷たくもない。 その人生には、情熱がない。だから、今この時を、パラダイスにしよう。これを先延ばしにしないように。決して、延期してはならない。あなたが手にした唯一の瞬間なのだ。だから陽気でいよう。もっと笑おう。これは実に、具体的で現実的な体験である。そのためにも、イエスの譬え話は背後から私たちを励ましている。
 そのひとつが「天の国の発見の喜び」である。イエスの言う「天の国」とは、パラダイス、そして祝宴のことである。そしてそれが大きな喜びになるのは、自分の内面にある「生命の根源」すなわち、「永遠の命」を発見する時である。それは例えて言うならば、「内面の太陽」の発見である。
 私たちの外側に太陽があるように、その内側にも太陽がある。外の太陽は昇り、そして沈む。しかし、内側の太陽は、いつもそこにある。それは昇ることもなく、沈むこともない。 それは永遠である。内側の太陽と、その源泉を知らなければ、人は暗闇の中に生きることになる。しかし、その源泉を発見すれば、たちまちそれは人を深い深い至福の国、パラダイスに連れてゆく。そして今日、その旅は始まるのだ。
 宝のある「畑」とは、私たち一人一人である。神さまの働きがなされている、神の道具としての人間である。そこに、「宝」・「内面の太陽」がある。その宝は深刻に生きる人には、隠されている。神さまの働きの源泉を見つけた人は、幸いだ。イエスは言う。「幸福(さいはひ)なるかな、心の貧(まづ)しき者」(マタイ5・3、文語訳)。心の内面が空っぽの人こそ、パラダイスにいる。
 さらに「神の畑」とは、言い換えれば「神の手の中」・「神の加護の中」・「神の保障」を意味している。それゆえ、人間はこの世界について、何一つ心配する必要がなく、ただ、おゆだねするだけである。信頼するだけで充分なのである。
「神の」という言葉は、「神のもの」を強調している。イエスは「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ17・21、口語訳)と言う。私たちは「神のもの」であるがゆえに、私たちの中に宝物があるのだ。「内面の太陽」が、燦々と輝いている。
日本福音ルーテル西条教会牧師 鐘ヶ江昭洋

宗教改革五〇〇年に向けて ルターの意義を改めて考える(34)

ルター研究所所長 鈴木 浩

「神の前で」の判断(信仰に基づく判断)と「人々の前で」の判断(一つの社会が共有する価値観)は、確かに重なる場合も少なからずある。「殺すな」という十戒の命令は、「社会倫理」の判断と重なる。だから、われわれはついつい「神の前で」と「人々の前で」とを無意識に混同する。
 「真理はただ一つ」という確信に立つトマス的スコラ主義は、「神の前で」と「人々の前で」という判断領域を体系的に重ねるので、『神学大全』の中には、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』からの引用も多い。つまり「信仰」と「理性」とは究極的には調和している、というのがトマス的スコラ主義の確信であった。
 エデンの園の出来事は、「善悪を知る木」の実を神の命令に背いて食べたことであった。それは、人間が踏み込んではならない「判断領域」に踏み込んでしまった、ということを象徴的に示している。それが「理性の横暴」であった。
 神と人間が向き合う場では、すべては神の判断、つまり神の言葉が基準になる。神の前での「善悪の判断」も神の言葉がすべてである。『九七箇条』の過激な言葉は、この基本姿勢からの発言である。

議長室から

「教会の総会」となることを願って

総会議長 立山忠浩

2月は各教会にとっては総会の開催時期です。昨年の活動を振り返り、決算の承認を行い、そして今年の宣教活動について話し合い、予算案の決議や役員選挙も行われることでしょう。
 「総会」という言葉から真っ先にイメージすることは多くの会社で開催される株主総会です 。青年時代に教会に通い始めた時に教会でも総会があることを知り、いささか驚いたことを記憶しています。教会はこの世のこととは異なることを行っている所と思っていましたので 、会社と同じような総会が開かれていることに違和感を覚えたのです。しかし、教会の総会も株主教会と同様にとても大事なものであることを後に知りました。
 ただ、教会の総会は、株主総会とはどうしても異なる点があることにも思いを馳せなければなりません。もちろん総会でも教会の経営とも言えることが協議されることでしょう。礼拝出席者数や受洗者の数を気にし、 献金など会計上のことも話し合われ、教会経営に関する事柄が主要な議題となることが避けられないかもしれません。
 しかし、大切な点を忘れてはいけません 。 教会の総会には、神様への祈りがあり、讃美があり、感謝がなければなりません。そして互いの奉仕の業を労い、1年の成果を感謝し合うのです。様々な課題や大きな壁に直面した問題が話題に上った時にも、あれこれと対策を論じる前に、まずキリスト者としてなすべきことを思い起こすのです。
 ドイツのルター派の牧師であったブルームハルトが、 教会を襲った深刻な危機に直面した時に取った行動は意外なものでした。役員と共に定期的に集まり、聖書を開き、そこから自分たちがなすべきことを互いが確認し、これから実行することへの神様の助けを祈ったのです。しかもそれは短時間であったのです。キリスト者にとっては当然のことであり、しかもどの教会でも、誰もがなし得ることでした。しかし、ここから道が開けていったのです。
 
 各教会の総会が神様に祝福され、教会として相応しい会となりますようお祈り致します。

宣教の取り組み信仰発「地域活動」

名嘉匡安(藤が丘教会)

 子どもを介して大岡山教会に導かれ、その後、開拓伝道の藤が丘教会へ転籍し、現在に至っています。教会では「ビスケット(美・助っ人)隊」を組織し、教会で必要な道具を作ったり、修繕をしたりしています。流しそうめんの台やアルミ製の折たたみ椅子収納台車が最近の作品です。
 地域活動を始めて13年になります。当初は障碍者や高齢者の通所・通院等の送迎ボランティアを行っていました。その後、地域の高齢化が深刻であることを知り、見守りと助っ人の必要を感じて知人と独居高齢者・体の不自由な方々への対応として、微少な助っ人の会「ビスケットの会」を発足して相談活動をスタートしました。程なく社会福祉協議会から地域の高齢者を対象に多角的なものとして欲しいとの要請があり、9年前に「はっぴ~くらぶ」 として再スタートしました。
 現在「はっぴ~くらぶ」は56名の地域メンバーと共に次のような活動をしています。(写真)
①相談窓口:高齢者を対象に生活上の相談への対応。当方の力を越える作業については他グループか業者に依頼することもある。照明機器の手入れ、網戸の張り替え、耐震用具取付け、庭木の剪定・伐採・草取り、住宅の整理整頓・重量物の移動・資源ゴミの搬出等。
②心のケア・ガイドボランティア:買い物ヘルプ、話し相手(傾聴)等。
③ぼけ防止 ・ ロコモ解消・脳トレ活動:スポーツ麻雀教室は、高齢者の外出交流の場、また団塊世代が地域デビューするきっかけの場となっている。囲碁将棋・ニュースポーツ等、趣味の共有にも取り組む。
④学校教育サポート:昔の遊び(10種目)を子どもたちに伝える。昔の暮らし体験(火起こし・紙芝居)や戦争体験語り部。その他工作(昔の遊具)、農作物作り 、 囲碁将棋教室、 ニュースポーツ(5種目)を楽しむ。

 高齢者パワーが地域で喜ばれ、「はっぴ~くらぶ」があるから安心して暮らせると、役に立っていることに感謝しています。学校・保育園・高齢者施設からも、今まで出来なかったことが出来るようになったと好評です。信仰者として心を尽くして対応することを心掛けています。
 聖書を直接語らなくてもクリスチャンの心の奥にあるキリストを感じてくださることを願っています。

いまここから Light for LIMA報告

浅野ゆり(市ヶ谷教会)

 昨年12月7日にLight for LIMAという集まりがありました。これには、同月にペルーのリマで開催されたCOP20(第20回 国連気候変動枠組条約締約国会議)に合わせて、宗教を越えて気候変動を心に留めようという想いが込められています。そして、その会議でよい方向に進むようにという願いはたちまち世界中に広まり、同じ時間に日本以外の国でも気候変動を覚える祈りを合わせる時がもたれました。
 日本での集まりは、東京都内のマンションの屋上で、ろうそくの灯火とソーラーライトの明かりを囲んでひっそりと行われました。(写真)その日集まったのは私を含め6人。参加されていた方の中には普段の職業においても環境問題に積極的に取り組まれている方もいらっしゃいました。正直に言いますと、私が想像していたのは数十人の人がこぞって参加しているような大きな集まりだったので少々拍子抜けしてしまったところもあります。しかし、何事も初めは小さなところから始まること、同時に人々の気候変動への関心の薄さの表れであるのかもしれないとも思わされました。

 さて、そもそも私が今回の集まりに参加しようと思ったきっかけは、ルーテル教会の青年が火付け役となったFast for Climateです。これは「気候変動を考え、温暖化を止めるために、気候変動の影響を受ける人々に連帯し、毎月1日に断食する」というものです。日本のルーテル教会でも大和由祈さんが中心となって呼びかけをしており、私も彼女の発信からこの運動を知り気候変動への意識を向け始めたところでした。そして、Light for LIMAの集いにも興味を持ったのです。
 それぞれまったく別の団体の取り組みであるけれども、向いている先はどちらも気候変動への危機感や、影響を受けて困難の中にある人々とのつながりであると言えます。神様が創造された素晴らしい地球を世界中の人々と共に祈り、行動することで守っていく必要があります。まずは私自身が環境問題をより身近に捉え、アクションそして発信へとつなげます。私たちの住む大切なこの星のために。

礼拝式文の改訂

*改訂共通聖書日課 (RCL)と特別の祈り

式文委員 浅野直樹Sr.

 主日礼拝では聖書朗読の直前にひとつの祈りをささげます。これを「特別の祈り」と呼んでいます。多くの教会では会衆も声を合わせてこれを祈ります。何が特別なのかというと、その日の主日の聖書箇所のために特に整えられた祈りだからです。特別の祈りが、その日の朗読聖書が指し示すみことばの中心テーマを簡潔に示してくれます。
 そういうわけでこの祈りは主日ごとに読む聖書箇所の影響を大きく受けます。聖書日課が変われば、特別の祈りも変更することになります。そして今、式文委員会は改訂式文に向けて、礼拝のための新しい聖書日課の使用を検討しています。それが改訂(Revised)共通(Common)聖書日課(Lectionary)、RCLです。これは主要なプロテスタント教会やカトリック教会が共同で取り組んで作ったエキュメニカルな聖書日課です。世界の各教会が、しかも教派を越えて、主日に同じ聖書テキストから同じみことばを聴こうという思いから、1992年に完成しました。世界の多くのルーテル教会もこの日課を採用しています。現在日本福音ルーテル教会が使っている聖書日課は、かつてアメリカのルーテル教会や他の主流プロテスタント教会が共同で編纂使用し、後に(改訂前)「共通聖書日課」(Common Lectionary略してCL)として編纂されていったものです。世界の多くの教派は、すでにCLから改訂版RCLへと切り替えており、これが今最も広く用いられている主日用の聖書日課といえます。
 主日礼拝の聖書日課は3年周期で構成されています。そして共観福音書といわれるマタイ、マルコ、ルカ福音書を3年ごとに繰り返し読みます。共観福音書ではないヨハネ福音書は、四旬節や聖週間、復活節を中心に随所に組み込まれていて、いずれの年にも読むように編まれています。こうした構成は、共通聖書日課)(CL)も 改訂版のRCLも同じです。教会手帳の最終欄にはRCLが掲載されていますので、現行のものと比較することができます。
 日本福音ルーテル教会が聖書日課を従来のものからRCLに切り替えるとなると、特別の祈りもそれに併せて作り直すことになります。現行の青式文にある特別の祈りは、3年周期の各年いずれにも共通の祈りですが、RCL採用にあたっては年ごとに個別の祈りを設ける予定です。過去3年間にわたって各教会へメール配信でお届けしてきたRCLに基づく祈りは、アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)の祈りの邦訳で、日本福音ルーテル教会が正式採用する最終版ではありません。今後これをもとに日本語表現としての適正や用語の統一、礼拝で声に出して祈るといった様々な使用法を考慮しながら、さらに検討を重ねていく予定です。

礼拝全体を検討し見直すために設置された式文委員会の働き「式文改訂」について、日本ルーテル教団と共に、その解説をお届けします。

連載 マルティン・ルター、人生の時の時(1)

江口再起

 ルターによって開始された宗教改革500年を2017年に迎えます。ルターはとても有名な歴史上の人物で、キリスト教と聞いて日本人が思い浮かべるベスト・スリーに入ります。1位はイエス・キリスト、これは当たり前です。2位がザビエル、そして3位がルターでしょう。ところが、それほど有名ですが、しかしその人生や思想はどことなく曖昧にしか知られていません。
 そこで私たちはルターをしっかり学びたいのですが、その際、留意点が2つあります。
1つは、ルターを学ぶとき、その最重要なポイントを、まずはくっきりと学ぶことです。抽象的な込み入った教理に頭を突っ込んだり、二次的三次的なエピソードに深入りする前に、まずはルターの一番大事なところを重点的に学ぶことが大切です。
 2つ目は、ルターを学ぶためには、彼の人生をたどることが一番、早道だということです。ルターという人は、その生き方(人生)と思想(信仰)がとても深く結びついていた人でした。頭の中や、感情だけの信仰ではなかったのです。彼が人生のただなかで悩み苦闘した問題と、信仰(思想)が結びついていたのです。まさに「実存的信仰」です。
 この2点に留意しながら、以下、ルターの人生の時を、7つの局面に区切って、学んでゆくことにします。マルティン・ルター、人生の時の時です。

(1)誕生(1483年、0歳)―「近代」という時代の幕開け

 ルターは今から500年前の人ですが、時代は1000年間続いた中世が終わり、近代という時代が始まろうとしている、そのまさに中間の時に当たります(日本で言えば、室町時代から戦国時代)。よくイタリアの「ルネサンス」とドイツの「宗教改革」が近代の幕を開いたと言われていますが、近代を特徴づける(初期)資本主義の勃興期です。事実、ルターの父親はいうなれば初期資本家の一人です。彼はもともと銅山の作業員でしたが、よく働き立身出世し、のちには鉱山の所有者、市の参事会員にまでなったのです。そういう家庭にルターは生まれました。
 したがって、ルターの教育環境はとてもめぐまれたものでした。5歳でマルスフェルトのラテン語学校、14歳からはマグデブルクやアイゼナッハの学校、そして18歳でエルフルト大学で法律を学ぶための勉強を始めます。当時の大学生はエリート中のエリートでした。

(2)落雷(1505年、22歳)― 青年の危機(信仰の葛藤)

 ところが、そういうルターに突然、危機が襲いかかるのです。1505年7月2日、両親の下への帰省からエルフルト大学へ戻る途中、シュトッテンハイム村の近郊で落雷にあうのです。死の恐怖。ルターは守護聖人アンナ様に命ごいをします。とっさのことでしたので彼は思わず、命さえ助かれば生涯を神に捧げる、つまり修道院に入りますと叫んだのです。雷はおさまりました。命は助かった。ならば、修道士にならざるを得ない・・・。
 落雷から2週間後、ルターは本当に大学をやめてエルフルトの「アウグスティヌス隠修黒修道院」に入ってしまったのです。22歳のときでした。 さて、ここで二つの問題が生じます。一つは、彼の心の問題、もう一つは親との関係です。

 もともとルターは、特に信仰に関心を持っているような青年でなく、ごく普通の大学生でした。ところが落雷にあい、いわば引くに引けなくなって修道士になってしまったのです。(つづく)

 宗教改革500年へ向けて、2014年7月5日に開催された、第21回東教区宣教フォーラム「宗教改革を語れる信徒になろう!」において江口再起師(日本福音ルーテル教会牧師・東京女子大学教授)によってなされた基調講演(写真)を連載の形でお届けします。

公 告

  

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
 2015年2月15日
 宗教法人日本福音ルーテル教会 代表役員 立山忠浩
信徒・利害関係人各位

    記

挙母教会桜町礼拝所 建物取り壊し

所在地 
 豊田市桜町1丁目78番 地、74番地1
所有者 
 日本福音ルーテル教会
家屋番号
 78番の2
・種類 礼拝堂
・構造 鉄筋コンクリート造2階建て
・面積 
 3階 173.76㎡
 4階 8.41㎡
・ 理由 新会堂・牧師館 建築のために旧礼拝堂 部分を取り壊す。

宗教改革500年記念事業。いよいよはじまります。

いよいよ、わたしたちの記念事業がはじまります。事業の構成は内と外の区分を意識し、内に盛り上がりがあって外に向かうイメージで進めます。宣教的な側面は必須であり、内輪の祭りとならぬように「聖書が示しているものやルーテルが大事にしている事柄を、一般社会にも価値を発見いただき大事だと受け取ってもらう機会とすべく」、広い対象に視野を向けていきます。
 既にお知らせしましたように、シンボルマークが確定しました。ぜひ活用いただき、500年に一度の記念の歩みをご一緒に進めて参りましょう。

〈ねらい〉
Ⅰ.宗教改革500年記念の機会を活かして、ルーテルの特色や役割の検証、基本的姿勢の確認と確立につなげます。ルーテルに属する良質の誇りや感謝の思いを深める機会となるように努めます。
Ⅱ.ルーテル教会、ルーテルグループ諸事業体(幼保、学校、福祉)から、改革の志を宿して、未来へ向かう日本・世界のあり方に関することばを語り、その創造に取り組みます。

〈記念事業計画の3つの柱〉
①学習運動
 記念事業の展開の一つとして、2013年~2016年にかけて推奨図書を提供し、さまざまな場に応じて用いていただき、学習から活学への企画を呼びかけてゆきます。
 推奨図書は「宗教改革500年 推奨4冊」と呼び、すでに2013年には『マルティン・ルター』(岩波新書/徳善義和著)、2014年に『エンキリディオン 小教理問答』(リトン/ルター研究所訳)が出版されました。
続いて2015年には(仮)『アウグスブルグ信仰告白 翻訳と現代的解説』、2016年は『キリスト者の自由』(を取り上げて、現代の出来事を論ずる主旨となる予定)を刊行する準備に取り掛かっています。推奨図書の活用が、宗教改革の精神と現代的意義を考える気運を高める刺激となってくれることを期待しています。

②全国巡回企画
 全国の会場を巡回する、マルティン・ルターと宗教改革をテーマにした企画展を実施します。この企画は、宗教的な枠組みを越えて人々の関心につなぐのが狙いです。企画に際しては、一般企業とのパートナーシップにより、思想、音楽、芸術等の要素を盛り込み、宗教改革の価値をアピールできる内容と水準にしたいと考えています。
 並行して、市民とキリスト教会関係者の両者にとって宗教改革の価値が実感できるような、シンポジウムやフォーラム、ビブリオバトルなどの企画を組み、同時開催も計画しています。

③記念大会
 北海道地域、関東地域、東海地域、関西地域、九州地域それぞれで、2017年10月に合同礼拝が予定されてゆきます。カトリック教会及びルーテル3教会との連携を中心にしつつ、エキュメニカルな拡がりをもって500年の記念を分かち合う時になるよう、各教区と宣教室で協働して計画を進めます。

〈募金について〉
Q.この事業を進める予算はどのように考えられていますか。
A.「宗教改革500年記念事業」の予算を690万円と定め、その内、500万円を募金とし、JELC予算会計より190万円を繰り入れると2014年全国総会で決議されました。

Q.募金は、どのように使用されますか?
A.費用内訳の規模からみれば、最大は「全国巡回企画展の開催」と予測されています。(※詳細は、各教会に配布されています「第26回日本福音ルーテル教会総会」資料[宗教改革500年記念事業予算書]をご覧ください。)

Q.募金をどのように集めるのですか?
A.従来のように各教会での募金委員や世話人を選出していただく要請は考えておりません。あくまで各教会の事情に応じて、それぞれの仕方で実施してくださればと願います。ご要望に応じて献金袋をお送りすることもできます。

Q.募金期間はいつからいつまでですか?
A.2015年3月より2017年12月末までの3年に渡る期間です。
 全国総会で既に決議をいただいた募金計画ではありますが、各個教会の2015年度教会総会において、推進する価値のある取り組みだと主体的な声があがり、そこから「やってみようではないか!」とスタートされるようにと願っています。この間、いつでも受け付けます。

Q.募金の送金先はどこですか?
A.現在、「ルーテル連帯献金」で使用している、日本福音ルーテル教会の郵便口座と致します。この口座に新たに区分を設けます。送金の際に、振込用紙へ「宗教改革500年記念事業」と記載してくださいますようお願いします。なお送金は、現在と同じように、教会(団体)、個人、いずれでも結構です。また、事務局に、現金書留で送ってくださる方、持参くださる方もありますが、こちらも今まで同様に受領させていただきます。

■郵便振替:
 00190-7-71734
■ 名義:(宗)日本福音 ルーテル教会

     

2014年度「連帯献金」報告

2014年度の「連帯献金」は各個教会・団体及び教会員・教会関係者の方々から、5,627,906円の献金を、それぞれの宣教・奉仕の活動のために捧げていただきました、感謝して報告いたします。(敬称略)
■ブラジル伝道  690,170円
 大岡山教会、熊本地区宣教会議、東教区、大垣市内信徒会、 
 帯広教会、 天山ルーテル学園、保谷教会、東教区女性会、
 小石川教会、千葉教会、乙守望、 下関教会、女性会連盟、
 保谷教会女性会、京都教会、めばえ幼稚園、博多教会、本郷教会

■喜望の家 2,907,200円
 ブラウンシュバイク領邦教会、西条教会、市ヶ谷教会

■メコンミッション支援(カンボジア) 160,000円
 九州学院中学・高等学校、保谷教会、市ヶ谷教会

■フィリピン台風救援 775,750円
 小倉教会、恵泉幼稚園、大分教会、別府教会、箱崎教会、太田福音ルー テル教会(西日福)、蒲田教会、大岡山教会、沼津教会、 武蔵野教会、
 東京教会、小岩教会、千葉教会、三鷹教会、林民夫・直子、唐津教会、 堤雪子、札幌教会

■世界宣教(無指定)  774,136円
 舛田智子、沼津教会、箱崎教会、帯広教会、一粒の麦、久留米教会、
 日本福音ルーテル社団、太田立男、千葉教会、 小石川教会、
 めばえ幼稚園、 博多教会、神水教会、蒲田教会

特記「東日本大震災救援献金」報告
 震災発生の2011年度から2013年度に至るまで、3年間、宮城県の現地にて、復旧・復興のための支援活動を3年間継続してきました、4つのルーテル教会の共同による「ルーテル教会救援」(JLER)活動は2014年3月末をもって終結いたしました。2014年度においても、以下の教会、信徒の方々、教会関係者・団体から支援活動のために献金がありましたので、ここに感謝して報告します。

■東日本大震災救援献金 320,650円
 恵泉幼稚園、箱崎教会、日田教会、大森教会、堤雪子、千葉ベタ ニヤホーム、西日本福音ルーテル教会、横浜英和学院、沼津教会、 羽村教会

 今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓に苦しむ方々に連帯したいと願い祈ります。「連帯献金」を捧げてくださる場合には、それぞれの献金目的[ブラジル伝道][喜望の家][メコンミッション][世界宣教]を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。
 郵便振替 00190-7-71734 名義(宗)日本福音ルーテル教会

15-01-17希望

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。コリントの信徒への手紙一13章13節

 定年を控えて振り返ると、私は高校3年生の春に洗礼を受けました。家庭の事情により心の中に空しさがあり、イエス・キリストに従う生き方に希望を見出したからです。洗礼を受けた頃は昂揚感に包まれ、楽しかったのですが、年を取るにつれ、別の空洞があるのに気づきました。早い話、自分が悪いのに、あなたが悪いと人を傷つけて、その事に気づかない浅はかさ。想うべきでない事を喜んで想い、為すべきでない事は、これを喜んで為す卑しさ、愚かさ。 このような心の闇が徐々に深くなっていくのです。

 教会の1日神学校で、ボンヘッファーの獄中詩を学びました。彼は「私は何者か」と問い、次のように語ります。「人は、私が平然と微笑み、誇らしげに不幸の日々を耐えていると云う。しかし、私は籠の中の鳥のように落ち着きをなくし・・・些細な侮辱にも怒りのために体を震わせ、祈りにも思索にも疲れ果てる」。そして「偽善者」と「哀れな弱虫」のどちらなのかと、自問自答を繰り返し、最後を「わたしが何者であるにせよ、あなたは私を知っている。神よ、私はあなたのものである」と結びます。私は、冷静な心で、内面を真摯に見つめる彼に心が魅かれると共に、そのように、ただ自分を深く掘り下げ続けるだけでは意味がない事を教えられ、肩の荷が降りた気持ちでした。確かに、私の中には「惨めさ」しか見出せません。しかし、この私を、神がどのように思われるのか。私の私に対する思いではなく、神の私に対する思いが大切なのです。 彼は誠実な歩みを続けて、最後には処刑されますが、死に臨み、「これが私の最後です。しかしまた私の始まりです」と語ります。

 ここには絶望ではなく、希望があります。それは、あの詩の最後に、彼が「神よ、私はあなたのものです」と告白をする通り、 自分はあくまでも神のものであるという、神への強い信頼から来るものに違いありません。このように神を深く信頼する心は、あの厳しい状況にもかかわらず、最後まで神に従おうとする試練を通して、神から彼に与えられた恵みなのかもしれません。

 遅かれ早かれ、人は誰でも死と向き会う時が来ます。ボンヘッファーが身をもって示す通り、神に対して誠実に歩む人は、確信を与えられ、最後まで希望の中を歩むことが出来るのでしょう。翻って自分を顧みると、私の歩みは神と人に対して正しく向き合う厳しさに欠けています。生ぬるいだけでなく歪んでいます。心の闇は、やはり抱え続けています。ですから私は、自分の死に臨み、彼のような確信に立ち、澄んだ瞳で神と向き合う事が出来るのかと自分に問えば、ただ沈黙をして、下を向くだけです。

 イエスと共に 十字架に付けられた、あの犯罪人が頭に浮びます。彼にもそれなりの事情があり、あのように空しく最期を迎えることになったのでしょう。外側はともかくとして、歩みの中身を神から見たら、私と彼の歩みには違いがあるとは思えません。あの詩の言葉を借りれば、私は間違いなく「偽善者」と「哀れな弱虫」の両方を併せ持つ人間に見えるでしょう。結局のところ、私は彼と同じなのです。彼はイエスに「わたしを思い出してください」(ルカ23・42)と憐れみを乞います。
 

私も、神に対して不誠実な歩みしか持たない、ありのままの自分を差し出して「このままの私を、どうぞあなたの御心に留めてください」と願うだけです。彼はイエスから「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23・43)と約束の言葉を頂きました。私も、御国へ向かう人々の、最後の列の一人として「お前は私のもの」と神に呼び出されるなら、これに優る喜びはありません。

 このように、確かに私にも神から慈しみと憐みが与えられることに希望を抱き、これから先、頭を挙げ、1日1日を歩むことが出来れば幸いです。

日本福音ルーテル水俣教会・八代教会牧師 吉谷正典

15-01-01るうてる2015年1月号

機関紙PDF

説教「希 望」

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。 コリントの信徒への手紙一13章13節

定年を控えて振り返ると、私は高校3年生の春に洗礼を受けました。家庭の事情により心の中に空しさがあり、イエス・キリストに従う生き方に希望を見出したからです。洗礼を受けた頃は昂揚感に包まれ、楽しかったのですが、年を取るにつれ、別の空洞があるのに気づきました。早い話、自分が悪いのに、あなたが悪いと人を傷つけて、その事に気づかない浅はかさ。想うべきでない事を喜んで想い、為すべきでない事は、これを喜んで為す卑しさ、愚かさ。 このような心の闇が徐々に深くなっていくのです。
 教会の1日神学校で、ボンヘッファーの獄中詩を学びました。彼は「私は何者か」と問い、次のように語ります。「人は、私が平然と微笑み、誇らしげに不幸の日々を耐えていると云う。しかし、私は籠の中の鳥のように落ち着きをなくし・・・些細な侮辱にも怒りのために体を震わせ、祈りにも思索にも疲れ果てる」。そして「偽善者」と「哀れな弱虫」のどちらなのかと、自問自答を繰り返し、最後を「わたしが何者であるにせまでも神のものであるという、神への強い信頼から来るものに違いありません。このように神を深く信頼する心は、あの厳しい状況にもかかわらず、最後まで神に従おうとする試練を通して、神から彼に与えられた恵みなのかもしれません。
 遅かれ早かれ、人は誰でも死と向き会う時が来ます。ボンヘッファーが身をもって示す通り、神に対して誠実に歩む人は、確信を与えられ、最後まで希望の中を歩むことが出来るのでしょう。翻って自分を顧みると、私の歩みは神と人に対して正しく向き合う厳しさに欠けています。生ぬるいだけでなく歪んでいます。心の闇は、やはり抱え続けています。ですから私は、自分の死に臨み、彼のような確信に立ち、澄んだ瞳で神と向き合う事が出来るのかと自分に問えば、ただ沈黙をして、下を向くだけです。
 イエスと共に 十字架に付けられた、あの犯罪人が頭に浮びます。彼にもそれなりの事情があり、あのように空しく最期を迎えることになったのでしょう。外側はともかくとして、歩みの中身を神から見たら、私と彼の歩みには違いがあるとは思えません。あの詩の言葉を借りれば、私は間違いなく「偽善者」と「哀れな弱虫」の両方を併せ持つ人間に見えるでしょう。結局のところ、私は彼と同じなのです。彼はイエスに「わたしを思い出してください」(ルカ23・42)と憐れみを乞います。
 私も、神に対して不誠実な歩みしか持たない、ありのままの自分を差し出して「このままの私を、どうぞあなたの御心に留めてください」と願うだけです。彼はイエスから「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23・43)と約束の言葉を頂きました。私も、御国へ向かう人々の、最後の列の一人として「お前は私のもの」と神に呼び出されるなら、これに優る喜びはありません。
 このように、確かに私にも神から慈しみと憐みが与えられることに希望を抱き、これから先、頭を挙げ、1日1日を歩むことが出来れば幸いです。
日本福音ルーテル水俣教会・八代教会牧師 吉谷正典

宗教改革五〇〇年に向けて  ルターの意義を改めて考える(33)

ルター研究所所長 鈴木 浩

九七箇条の提題の第四提題には、人間は「悪い木になったので、悪いことしか考えない、悪いことしか行わない」という主張があった。
 しかし、われわれは善いことも考え、善いことも行っている。そうでなければ、社会は成り立たないからである。だから、ルターの主張には同意できないと考えるのが普通である。
 ルターの発言を理解する際に重要なのは、「神の前で」と「人々の前で」というルターの厳格な区別である。
 「神の前で」とは、「神の判断基準に立てば」という意味であり、「人々の前で」とは、「社会倫理的判断基準に立てば」という意味である。
 われわれが通常「善い、悪い」というとき、人間の倫理的基準で判断をする。この基準に立てば、時には悪いことをしてしまうことがあっても、通常は、善いことを考え、善いことを行っている。
 ルターは、そのような判断基準は一旦棚上げし、すべてを「神の判断によれば」という視点で考え、発言する。
 われわれは、「神の前で」という判断領域と「人々の前で」という判断領域を無意識に重ねてしまっている。ここが分かれ目である。
 

議長室から

神さまの夢、そして私たちの夢

総会議長 立山忠浩

お正月といえば初夢です。富士山や鷹、あるいはなすの夢を1月2日に見るとその年は縁起が良いとされていますが、巷での新年の話題の一つでしょう。
 すべての人の自由と平等を訴え、公民権運動の指導者となったマーティン・ルーサー・キング牧師が、ワシントン大行進の演説で「わたしには夢がある」と語ったことは有名です。多くの人の共感する夢は目標となり、行動する力を与えることになりました。
 キリスト者にとっての夢とは何でしょうか。 聖書にはたくさんの夢が記されています。旧約聖書のヤコブは先端が天に達する階段の夢を見ました。ヤコブの息子のヨセフもたくさんの夢を見る人でした。
 新約聖書にも夢見る人が登場します。クリスマスを迎えたばかりの私たちの記憶に新しいのは、ヨセフの夢でしょう。天使のお告げを見る夢でした。姦淫の女と罵られることを恐れ、密かに婚約を破棄しようと心に決めていたヨセフにとっては歓迎したくない夢だったのです。マリアを妻として迎え入れるようにとの命令でした。
 私たちが「夢」という言葉から連想することは、希望であり、願望であるように思います。しかし聖書の夢はそれとは異なっているのです。時として決して歓迎すべきものではないのです。さらに学ぶべきことは、神さまのみ心が夢を通して語られることです。「私の夢」ではなく「神さまの夢」なのです。
 新年を迎えました。私自身の夢を語り、また教会や諸施設、諸学校の夢を語ることがあるでしょう。キング牧師の夢と同じように、 互いが共感し目標となる夢、行動する力となる夢を持つことはとても重要です。でも、それらの夢の前に、「神さまの夢」があることを忘れてはいけません。神さまの夢はしばしば戸惑いを覚え、歓迎したくないものであるかもしれません。しかし、そのような不安や不信の霧はいつか必ず晴れていくのです。
 神さまの夢、神さまのみ心を、私たちはこの1年間も聖書の言葉から、礼拝の言葉から受け取って行きましょう。皆さまの新しい年の上に、神さまの祝福をお祈りいたします。

ルーテル昆布で結ばれて

北海道特別教区女性の会 会長 近藤雅子

「ルーテル昆布」は北海道特別教区において、1995年より20年程続いている活動です。
 私たち北海道特別教区の女性の会は他の教区に比べて圧倒的に規模の小さな群れです。会費のみでは活動費もさることながら、広い教区内で集う交通費補助を工面するのは厳しい状態でした。 何とか自分たちで活動費を生み出すことが出来ないかと思案し、会員のご紹介で北海道の特産の昆布を生かす道が開かれました。
 「ルーテル昆布」で取り扱っている「長長切昆布」(ながながきりこんぶ)は、もともと7m程の長さがあります。当初はそれを乾燥して材木のように重ねた形で届いていたので、キッチン鋏で切ってパックするなど、慣れぬ仕事に難儀していました。ある時から、苦労を見兼ねた男性教会員がチェーンソーで切ってくださるようになって随分効率良くなりました。その後、生産者がパックに入れるばかりの長さに切り揃えて送ってくださるようになって難題は解決しました。
 毎年9月と10月の一日ずつをパック作業日に充てて、延べ50名程の方が奉仕されます。札幌圏の教会の兄弟姉妹が集って賑やかに会話を楽しみながら手を動かし、昼食タイムも良き分かち合い良きい交わりの時となっています。
 このように生産者のかたのご理解はもとよ り 、ご購入くださる全国の多くの皆様のお支えがあってこの活動が続けられてきたことを感謝しています。遠いブラジルのサンパウロ教会に献品してバザーに役立てて頂いていますが、昆布が届くたびにブラジルでは手に入りにくいこの食材に望郷の思いを巡らされているとも聞きました。
 北海道の大地からの産物がまさに「結び昆布」となって皆様とつながりが強められているように感じます。神様の大きな御業に改めて感謝しつつ、この活動を続けていけたらと願っております。

現在(いま)、宣教する教会として

東海教区第40回信徒大会報告 山田英幸(栄光教会)

 昨年、11月3日、隔年開催になって初めての信徒大会が栄光教会藤枝礼拝堂で行なわれました。実行担当は駿遠地区(新霊山、掛川・菊川、栄光教会)です。 目的のひとつは、教区内の教師と信徒が出会いと再会を喜び、共に学びかつ親交を深めることです。参加者が楽しく過ごしていただくよう、スタッフと設備が整えられた会場での開催としました。
 当日は秋晴れに恵まれ、東は沼津、西は大垣から20教会より、こども11名を含めて155名が参加しました。
 後藤由起牧師(新霊山教会)の説教による開会礼拝に続き、藤藪庸一牧師(白浜バプテスト基督教会、白浜レスキューネットワーク理事長)による講演「キリスト者の良心を問う」がなされました。牧師への決意、チームプレイの大切さ、惜しまぬ行動など、多岐に渡りパワフルかつソフトに話され、頷くことの絶えないひと時でした。
 昼食時には屋外で物品販売が行われ、各ブースも盛況でした。午後は多くのチャリティ活動に参加されている上野由恵さん(フルート)と圓井晶子さん(ピアノ)によるコンサートです。フルートの名曲や抒情歌演奏を始め、賛美歌演奏においては2曲を全員で合唱し、会場が一体になった素晴らしい会でした。
 次いで地区宣教委員会の活動報告に移りました。地区(駿遠、尾張岐阜、東静、三遠)ごとに活動状況を報告し、課題や悩み、喜び、希望などを知り、教区内での共有化を図れました。
 三浦知夫牧師(教区長、みのり教会)の説教による閉会礼拝の初めに子どもたちによるトーンチャイム演奏と賛美(振付あり)があり、子どもプログラムの成果が発揮されました。参加者は再会を願いつつ帰路に着きました。
 次回は2016年、担当は三遠地区です。尚、開会礼拝の席上献金はルーテル学院大学・神学校後援会とデンマーク牧場福祉村に捧げました。大会のために多くの働き人を備えてくださり、絶えず導きと祝福を与えてくださった主に感謝します。

礼拝式文の改訂

派遣

式文委員 安井宣生

 現行の式文は、30年ほどの時間をかけて「私たちの」礼拝として浸透しました。式文改訂作業は歴史を踏まえつつ、今できることを反映することで、将来の礼拝を作るものであるように思います。その作業で感じることは、礼拝の基本的構造は、過去からほとんど変化が無く、ほぼ完成しているということです。ですので、改訂作業の先に、これまでのものと全く異なるものができあがるということはありません。
 そしてまた、招かれて集い、み言葉に耳を傾け、聖餐を分かち合い、派遣される、という礼拝の構造は、演劇や音楽、キャンプやイベントなどの構造とも似ています。礼拝の構造がそれ以外の諸プログラムの基礎になっているのです。それを起承転結と表現してもよいでしょう。
 その際に、その内容が重要であることは言うまでもりません。しかし、その結びもまた、それをなす大きな目的であります。つまり、礼拝において、その内容である福音の説教と聖礼典によって神の恵みを受け取ることと共に、派遣されるという結びが、その目的となるということです。「礼拝とは派遣されるためにある」と言って過言ではありません。世界における典礼刷新の動きの中で、ルター派もまた礼拝の結びの部分に、古くて新しい強調を与えました。それが「閉会」から「派遣」への変化でした。私たちは派遣されるために礼拝に集い、福音による養いを受けることを念頭において、派遣の部を過ごします。

 青式文との相違点について触れます。
 「ヌンク・ディミトゥス」は、他の新約聖書における賛歌と共に、夕の祈りの際に親しまれたものの一つです。これを16世紀にスウェーデンの教会が聖餐への感謝として用い、広がりました。その伝統に回帰し、聖餐との関係をより豊かに味わうために、礼拝における順番には変りはありませんが、派遣から聖餐へと位置を変える形を取っています。

 「奉献」は、その言葉が示すように、神への献げものです。同時に神の恵みによって生かされている私自身を献げることでもあります。それは私たちが神に犠牲を献げる行為ではありません。神は、み子イエスをただ一度だけ十字架において犠牲としてくださったことで、救いを完成しているのであり、私たちからの犠牲など必要とされないのです。ゆえに私たちは犠牲ではなく、みことばに与った恵みを分かち合うために献げます。これは「サクラメントを十分に理解するように民衆に教えたので、人々は外的な食物や資産をも持ち込み、必要とする者たちに分け与えた。ミサにはコレクタということばが残っており、共同に集めるという意味である。貧しい人々に与えるために、共同金を集めるのと同じ。」(『キリストの聖なる真のからだの尊いサクラメントについて、及び兄弟団についての説教』)というルターの言葉とも重なります。そのため、困難の中にある人々と分かち合うための奉献であることを「派遣の祈り」の中心に据えました。

 祝福に続き、「派遣の言葉」を言い交わします。主と隣人に仕え、分かち合い、伝える決意を神に助けていただくことを願い、私たちは礼拝から押し出されるのです。
礼拝全体を検討し見直すために設置された式文委員会の働き「式文改訂」について、日本ルーテル教団と共に、その解説をお届けします。

ブックレビュー「祈りの輝き」

長谷川(間瀬)恵美 (藤が丘教会)

主にあって平安
 この度、皆様の祈りに支えられて『祈りの輝き Fralsarkransen』の第2版が増刷されました。機関紙「るうてる」で再度ご紹介させていただく機会を与えられ感謝です。
 「祈りの輪」を使って祈る、という試みはスウェーデン・ルーテル教会の監督マーティン・ルネボー師(1930~)によって、今から20年ほど前に発案され、世界各国の教会に取り入れられました。18個の珠から出来た輪には、その一粒一粒に祈りが託されて、珠を繰りながら祈ります。その補助として『祈りの輝き』を使うのですが、私はこの本をスウェーデンの留学生活の終わりに、ドミニコ会の修道女カトリン・アーメル博士から贈られました。彼女は、若い頃、日本の禅道場で修行された方でもあります。私はこの本との出会いを、神さまからいただいた尊い出会いだと感謝しています。
 その後、日本に帰国してから翻訳を始めました。やさしく心あたたまる挿絵は、たかみね・みきこさんにお願いすることができました。2008年、初版の自費出版が叶いました。そして、2014年、第2版が完成し、ルーテル学院大学の講座「五感のクリスチャン・スピリチュアリティ」のテキストとしても使用されることになりました。こうして、少しずつ日本にも祈りの大切さ、五感(目・耳・鼻・口・そして魂)で祈ることの大切さが浸透していることをとても嬉しく思います。心からの感謝と祈りをこめて。
 入手希望の方は、Eメールemhase@obirin.ac.jp[長谷川(間瀬)恵美]まで、お知らせください。

カトリック教会/日本聖公会/日本福音ルーテル教会
合同礼拝報告

 11月30日、日本福音ルーテル教会とカトリック教会、日本聖公会の3つの教会が共に集い、東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂を会場に、初めての合同礼拝が行われました。礼拝に先駆けてシンポジウムが行われ、3教会より「『エキュメニズム教令』50年の実り」とのテーマで 講演がありました。続いて合同礼拝が行われ、岡田カトリック東京大司教、大畑日本聖公会東京教区主教、JELCより大柴エキュメニズム委員長が司式し、徳善義和牧師が説教しました。礼拝では、一つの洗礼を共有している私たちがそれを思い起こす水、また、ただ一人であるキリストの光を共に分かち合う火が象徴的に用いられました。合わせて630人程の人々が共に集い、賛美し祈る声は会堂全体を揺さぶる力強いものであり、共に集められていることへの祝福を思いました。(広報室)    

宗教改革500年記念事業シンボルマーク決定。 

応募総数108作品。宗教改革500年記念事業シンボルマークのために、海外からの応募も合わせ、全国各地から作品が寄せられました。教会関係者のお名前もありましたが、それ以外にも広く多くの方が関心を持ち、500年を記念する歴史的な歩みへと連なってくださいました。感謝致します。
 機関紙「るうてる」紙上、JELCのウェブサイト、フェイスブックページ、加えて全国5教区それぞれのウェブサイトで公募を展開しました。さらに、一般のインターネット公募サイト、公募情報専門誌、また、キリスト新聞といったメディアも活用することが出来ました。Eメールや郵便で次々と個性に富んだ作品が届けられるのは、嬉しいことでした。そして、それぞれに宗教改革やルターについて、また聖書や信仰などを豊かに表現していました。
 宗教改革日である10月31日に募集を締め切り、選考に入りました。1つを選ぶことは簡単ではありませんでしたが、有識者を交えた選考委員会を組織し、ようやく優秀賞を選定しました。あわせてJELC常議員会において承認をうけ 正式にこのマークを用いていくことが決定しました。
 優秀賞に選ばれた作品は、二人の方の合作で制作されました。作者は大阪府に在住の坂本信也さんと南端久也さんです。企業ブランドや商品の企画やデザインにコンビで携わって来られたそうです。お二人には表彰状と共に賞金500ユーロが贈られます。
 デザインはシンプルさの中にキリスト者の群れである教会が大切にしてきたこと、加えてこれからも大切にしていきたいことが表現されています。十字架と祈りの手で構成され、カラー版ではオリンピックのシンボルにも用いられ全世界を表現する5色を用いています。青の部分だけがおなじみの色と少し異なりますが、これは世界ルーテル連盟のシンボルマークにも用いられているフェイスブルー(信仰の青)と名付けられた色を使用しています。教会内だけではなく、一般の社会においても受け入れられるものと思います。
 今後、各教会や施設、学校などでも積極的に活用いただけるよう、ルーテル教会と関連づけた他の素材とあわせて提供します。宗教改革500年の恵みを感謝のうちに味わい、希望をもって共に歩むために、用いてください。      (広報室)

宗教改革500年 記念事業 シンボルマーク

【十字架】
十字架はキリストの苦しみのしるし。しかし、それは、神の愛と恵みのしるし。
十字架は、つながりのしるし。垂直には神と人、水平には人と人。
そして十字架は、私たちの希望のしるし。交わる点には希望の灯がともる。

【手】
神の恵みを受け取った手。それは、感謝と平和を求める心を宿し、導かれて祈りの姿とされる。そして祈りは、恵みを分かち合うための手とされる。

【色】
5つの色は、全世界。神の恵みと福音が全世界へと伝えられた歴史を証しする。500年前に起きた改革の世界史的な意義を思い起こし、世界中で共に記念する時となる。
日本福音ルーテル教会

第26回総会期 第2回常議員会報告

事務局長 白川道生

第26回総会期の第2回常議員会が、11月4日から6日にかけて、ルーテル市ヶ谷センターにて開催された。

▼諸活動、委員会報告
今回、報告をもとに協議がなされた主な事項は、世界宣教と式文改訂に関連するものであった。
 世界宣教の関係では、現在まで宣教師を派遣してきたブラジル伝道に関して、既定の宣教師派遣の満了と現地教会との協議の必要性を確認した。加えて、現地教会及び派遣宣教師との、これからの在り方を含む調整が執行部に委ねられた。
 また、常議員会より付託した式文改訂の作業に関しては、本年5月の全国総会での中間報告をめぐる諸意見をふまえ、今後、常議員会と式文委員会が協力して、全国・各教区において、説明の機会を実施してゆくと取り組みを定めた。
▼審議事項
 審議事項では、まず、3名のJ3(任期は3年)宣教師を九州学院及び九州ルーテル学院へ派遣することが決定された。近年は、常議員会の議場で発表して、祈りをささげる時が持たれているが、本年も若者たちに向けた福音宣教の働きに、神の祝福が祈られた。
 現在、全国に138の会堂、113の牧師館を有する日本福音ルーテル教会だが、宣教開始より121年を数えると同時に、教区成立から50年を迎えた歴史の経過と共に、多くの建物に老朽化や耐震性の課題が生じてきている。これに対応する「土地建物回転資金貸付制度」は、そのうち、大型建築を対象とする3号貸付のみ2010年の第24回全国総会で財務方策の一つとして、「5年間の貸付凍結」が決議されていたが、2015年からの貸付再開を決議した。一方で、各教区に対する「教区土地建物準備金への繰出しの中断」は、なお5年の延長を決議した。
 今回、老朽化対策及び耐震工事を実施すべく、土地建物回転資金の申請を行ったのは2教会で、いずれも承認された。
 
 来る2017年に向けての宗教改革500年記念事業については、概要計画に沿って「推奨4冊」のうち、『エンキリディオン小教理問答』が10月31日に出版される等、ほぼ予定通りに準備作業が進捗している現状を出席者一同で確認した。何より肝心なのは、各教会・学校・幼保・施設などでの活用であり、記念事業の積極的な展開を図るための意見交換がなされた。 また、本記念事業のシンボルマーク作成を進め、実施した公募は大きな反響を呼び、応募108点にのぼった。これらを選考委員会で絞り込み、本常議員会で記念事業シンボルマークの採用作品が決定した。
なお常議員会の詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。

14-12-25ディアコニアニュースNo.41

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14-12-17隠れなき光

その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。ヨハネによる福音書1章9節

 人間の視覚は光に依存している。光がなければ、我々は見ることができない。我々が自分で見ていると思い込んでいるものは、それ自体が光を反射し、我々の網膜に像を映さなければ見ることができないのである。見えないものは、我々が視覚的に見ていないというだけであり、それが存在しないということではない。存在するということは、現れているということではない。しかし、人間は現れていることだけがすべてであると考えてしまう。我々が感覚によって認識する世界は狭い世界である。

 反対に、信仰によって認識する世界は広い世界である。信仰によってこそ、神の世界、神の支配、神の国を見るのである。信仰によってみる世界が真理である。ヨハネが言う「まことの光」で見る世界である。

 この光は「まことの」と言われている。真理と同根の形容詞である。真理がア-レーテイア「隠れなきこと」であるから、「まことの光」とは隠れなき光、あるいは隠さない光ということになる。この光自体は「隠れなく」光り、照らすものを「隠さない」光である 。自ら隠れなくあり、自らと関わる存在を隠さないのである。その光自体がすべての人を照らすということは、誰もこの光から逃れることができないということである。隠れなき光に照らされるならば、隠れなくあらざるを得ない世界となる。これがヨハネが見ている世界、信仰の世界である。

 ところが、我々人間の世界は常に隠し、見過ごしてしまう世界である。人間の恣意によって真実は隠され、都合の良いものだけが提示される。こうして、人間は自らの罪に従った世界を作りだしてしまうのである。そうであってもなお、真理は隠れなくあるのだが。

 まことの光に照らされる存在は、隠れることができないだけでなく、見過ごすこともできない。互いに、 裸の自分をさらし合っている世界が、まことの光が照らす世界である。だからこそ、人間はまことの光を嫌うのである。他人の隠していることを見たいと願うが、自分の隠していることは見せたくない。自分だけは隠れていたい。それが人間の罪の姿である。

 そのように罪の中に身を潜めている存在であろうとも、来たりて照らすのが「隠れなき光」、「まことの光」なのである。この光こそ、隠れなく生きてくださったイエス・キリストである。キリストは、十字架の死に至るまで、ご自身を隠されなかった。捕らえようとするユダと捕縛者たちにご自身を現された。十字架の上で、すべてをさらして生き給うた。パウロは弱さから十字架に架けられたキリスト(2コリント13・4)を語ってもいる。弱さもありのままに見せ給うお方がキリストである。 このお方に照らされるとき、我々は弱さも、恥と思えることも、すべてをさらしてもなお、神の前に生きる者とされる。キリストの光に照らされることを受け入れる存在だけがそのように生きるのだ。受け入れない者は、闇に逃げてしまう。そして、自らを神の世界の外に追い出してしまうのである。そこに選びがある。照らされたくないと、隠れることを選ぶ者が自らの選びによって、自らを選ばれざる者としてしまう。隠れることを選ばず、神が照らすままに隠れなくあることを受け入れる者は、選ばずに選ばれている。光を反映する存在となり、光と一体となっているのである。

 我々キリスト者と呼ばれている者は、真実に光を反映しているか否かを常に問われている。何故なら、まことの光は常に我らを照らし続けているからである。「わたしの十字架の言を聞いているのか。」とキリストは問う。「わたしの光を受け入れているのか」と問う。自らを省み、来たり給う光を、喜びをもって受け取ろう、「来たりませ御子よ、隠れなき光よ、まことの光よ」と歌いつつ。あなたのクリスマスが、隠れなき光に照らされたまことのクリスマスとなりますように。

日本福音ルーテルなごや希望教会牧師 末竹十大

14-12-15るうてる2014年12月号

機関紙PDF

説教「隠れなき光」

その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。ヨハネによる福音書1章9節

人間の視覚は光に依存している。光がなければ、我々は見ることができない。我々が自分で見ていると思い込んでいるものは、それ自体が光を反射し、我々の網膜に像を映さなければ見ることができないのである。見えないものは、我々が視覚的に見ていないというだけであり、それが存在しないということではない。存在するということは、現れているということではない。しかし、人間は現れていることだけがすべてであると考えてしまう。我々が感覚によって認識する世界は狭い世界である。反対に、信仰によって認識する世界は広い世界である。信仰によってこそ、神の世界、神の支配、神の国を見るのである。信仰によってみる世界が真理である。ヨハネが言う「まことの光」で見る世界である。
 この光は「まことの」と言われている。真理と同根の形容詞である。真理がア-レーテイア「隠れなきこと」であるから、「まことの光」とは隠れなき光、あるいは隠さない光ということになる。この光自体は「隠れなく」光り、照らすものを「隠さない」光である 。自ら隠れなくあり、自らと関わる存在を隠さないのである。その光自体がすべての人を照らすということは、誰もこの光から逃れることができないということである。隠れなき光に照らされるならば、隠れなくあらざるを得ない世界となる。これがヨハネが見ている世界、信仰の世界である。
 ところが、我々人間の世界は常に隠し、見過ごしてしまう世界である。人間の恣意によって真実は隠され、都合の良いものだけが提示される。こうして、人間は自らの罪に従った世界を作りだしてしまうのである。そうであってもなお、真理は隠れなくあるのだが。
 まことの光に照らされる存在は、隠れることができないだけでなく、見過ごすこともできない。互いに、 裸の自分をさらし合っている世界が、まことの光が照らす世界である。だからこそ、人間はまことの光を嫌うのである。他人の隠していることを見たいと願うが、自分の隠していることは見せたくない。自分だけは隠れていたい。それが人間の罪の姿である。
 そのように罪の中に身を潜めている存在であろうとも、来たりて照らすのが「隠れなき光」、「まことの光」なのである。この光こそ、隠れなく生きてくださったイエス・キリストである。キリストは、十字架の死に至るまで、ご自身を隠されなかった。捕らえようとするユダと捕縛者たちにご自身を現された。十字架の上で、すべてをさらして生き給うた。パウロは弱さから十字架に架けられたキリスト(2コリント13・4)を語ってもいる。弱さもありのままに見せ給うお方がキリストである。 このお方に照らされるとき、我々は弱さも、恥と思えることも、すべてをさらしてもなお、神の前に生きる者とされる。キリストの光に照らされることを受け入れる存在だけがそのように生きるのだ。受け入れない者は、闇に逃げてしまう。そして、自らを神の世界の外に追い出してしまうのである。そこに選びがある。照らされたくないと、隠れることを選ぶ者が自らの選びによって、自らを選ばれざる者としてしまう。隠れることを選ばず、神が照らすままに隠れなくあることを受け入れる者は、選ばずに選ばれている。光を反映する存在となり、光と一体となっているのである。
 我々キリスト者と呼ばれている者は、真実に光を反映しているか否かを常に問われている。何故なら、まことの光は常に我らを照らし続けているからである。「わたしの十字架の言を聞いているのか。」とキリストは問う。「わたしの光を受け入れているのか」と問う。自らを省み、来たり給う光を、喜びをもって受け取ろう、「来たりませ御子よ、隠れなき光よ、まことの光よ」と歌いつつ。あなたのクリスマスが、隠れなき光に照らされたまことのクリスマスとなりますように。日本福音ルーテルなごや希望教会牧師 末竹十大 

宗教改革五〇〇年に向けて ルターの意義を改めて考える(32)

ルター研究所所長 鈴木 浩

 ここであまり知られていない『九七箇条の提題』を見てみよう。この文書は、先月号で指摘したように、「異端者に反対してアウグスティヌスが語る言葉には誇張があると言うことは、アウグスティヌスがほとんどどこででも嘘をついていた、と語ることに等しい」という言葉で始まっていた。
 第四提題はこうなっている。「悪い木になった人間は、悪いことしか考えないし、悪いことしか行わない」。ここでは「悪い木になった人間は」とあるので、「悪い木になっていない人間」もいるかのように思われるが、実はそうではない。「人間は(誰しも)悪い木になったので」という意味である。しかし、わたしたちは良いことも考え、良いこともやっている。だから、これは言い過ぎだ、誇張だと考えてしまう。
 第五提題は、「善悪の選択に際して、人間は善を選択することもできるし、悪を選択することもできるというのは嘘で、人間の意志は奴隷的拘束状態にある」となっている。
 これは、一五二五年に発表されることになる『奴隷意志論』の内容である。ルターは、その主張をこの『九七箇条』で先取りしていることになる。この過激な主張はいったいどういうことなのであろうか。

議長室から

買って、読んで、そして用いてください

総会議長 立山忠浩

 『エンキリディオン小教理問答』(リトン)が宗教改革記念日に刊行されました。マルティン・ルターの代表書であることは言うまでもありません。日本福音ルーテル教会による「宗教改革500年記念」事業はほぼ順調に準備が進んでいますが、事業の一環として目に見える形で皆さまのお手元にお届けする最初の書となります。
 宣教室は、ルター、及びルターに関する出版物の中から特に4冊を「推奨4冊」と称することにしました。 推奨4冊のひとつはすでに出版され、重版を重ねている『マルティン・ルター』(徳善義和著、岩波新書)です。この度の書が2冊目の推奨本ですが、来年以降『アウグルブルク信仰告白』、『キリスト者の自由』と毎年の刊行を予定しています。ルター研究所に訳や解説等を担っていただきますが、本書は徳善義和先生が記念事業のために新たに訳してくださったもので、解説も担当してくださいました。
 そこで皆さまには3つのことをお願いしたいのです。まず買っていただくことです。手ごろな値段に設定してあるのはそのためです。次に読んでいただきたい。気になる本を買い求めたまでは良いのですが、本棚に飾ることで終わるなどいうことが私にもありますが、そうではなく手にとって読んで欲しいのです。
 3つ目が用いていただくことです。『小教理問答』というと、洗礼や堅信準備会で用いられるという印象がありますが、信仰生活の長い方々にも用いていただきたいのです。1年に1冊の刊行を企画している理由は、「来年は『エンキリディオン小教理問答』を」という具合に、それぞれの書を1年の間に各教会で学んでいただくことを期待しているからです。
 記念事業の重要な目的は、ルターの福音的、信仰的、教会的遺産を学ぶことです。自分自身の信仰を問い直し、教会の中で互いが吟味し合い、そして答を見つけ出すことで新たな励みとしていただくことです。
 さらに言えば、今日の教会とキリスト者の宣教の使命を見つけ出していただきたい。推奨4冊はそのための力強い助けになるに違いありません。

「泊まりdeエキュユース」に参加して

石川可南子(三鷹教会)

 10月3日から1泊2日の日程で、在日大韓基督教会川崎教会で行われたエキュメニカルユースの集いに参加にしました。これは日本キリスト教協議会(NCC)青年委員会が主催する、加盟各教派・団体に所属する青年の交流の場です。今回行われた「泊まりdeエキュユース」にも、 私たち日本福音ルーテル教会の他、日本聖公会、日本基督教団、在日大韓基督教会等、9つの教派や団体の青年、約50人が参加しました。
 初日は、夜8時に集合して開会礼拝を行った後、各教派が自己紹介し、交流会へ。翌朝はそれぞれに持たれた夏のプログラムの報告を行った後、屋上でバーベキュー、最後にメインである「在日と多文化共生」をテーマとしたフィールドワークを行いました。
 夏のプログラム報告会では、私たちは、9月に日本福音ルーテル新霊山教会で行われた「全国青年修養会」について報告しました。午後のフィールドワークでは、在日大韓基督教会川崎教会の元牧師で故李仁夏牧師が創立した、社会福祉法人青丘社の運営する各施設も見学し、在日コリアンが多く暮らす川崎の街で、多文化共生の理念の元に力強く運営されていることを知りました。
 私は今回、初めてこのような他教派の集まりに参加しましたが、各教派の自己紹介や夏のプログラム報告を聞いて、同じキリストに連なる青年であっても、教派や民族的背景が異なることでそれぞれ個性があり、雰囲気が違うと感じました。
 しかし、夜通しおしゃべりをしたり1泊2日の時間を共有したりすることで、互いの教会や青年会のことはもちろん、青年一人ひとりのクリスチャンとしての生活を理解し合い、これからも続く関係を築くことができました。また、初めて自分の所属する日本福音ルーテル教会について客観的に考え、 改めて同じ教派のたくさんの青年に囲まれている幸せを感じる機会となりました。

ルターナイツVol.0

谷口和恵(松本教会)

  宗教改革500年の記念すべき年まで3年となりました。その時に向けて全体教会で、教区で、各個教会で様々な伝道プランがこれから練られることでしょう。
 今年の全国総会のプログラム終了後に、一人の信徒の呼びかけに応じ、30代から50代の数名の有志が集まり、「伝道を考える会Jr.」が発足しました。数回のミーティングを重ねる中で、 周りの人を渋谷区代官山の「山羊に、聞く?」というオシャレなカフェバーを借り切っての開催となりました。結果、私達の心配をよそに、立ち見が出るほどの沢山の参加者が与えられました。クラシックからロック、ゴスペルと音楽のジャンルも幅広く、いろいろな楽器の演奏や歌を聴きながら語らう、笑い声に溢れた楽しい夜となりました。
 「祈りをもってする音楽においては常に神がおられる、恵みの臨在をもって。」とは、ルーテル教会の音楽家であるバッハの言葉です。今回のこの小さな音楽の夜にも、確かに神様がいらしてくださいました。音楽をする人も聴く人も、共に神様の祝福のうちにあることが実感できました。
 「教会が外に出て行き、皆が集う場を提供する」という今回の試みは、新しい形の伝道の小さな一歩かもしれません。しかし「集会から礼拝へ」をテーマに持ちながら、神様の福音に触れてもらえる場としての「ルターナイツ」のこれからが楽しみです。
 次回は2015年3月13日19時より、同じく「山羊に、聞く?」で行う予定です。お友達を誘って是非お越しください。

礼拝式文の改訂

聖餐

式文委員 石居基夫

 前回、「みことば」の部についての説明にもありましたように、教会では最も古い時代から、主日の礼拝において「みことば」と「聖餐」の2つを神の恵みに与るための大切な要素としてきました。
 現行式文でも、この考えに基づいて、説教ばかりではなく聖餐の恵みにも与ることを通常の主日礼拝の姿としています。
 実際には、月1回の聖餐を守っている教会が多いことでしょう。以前は年に数回のみという時代もありましたから、それに比べて、聖餐の喜びが日常的に受け止められてきているわけです。実践的な課題があることも考慮されなければなりませんが、しかし、礼拝における神様の働きとして、本来そなえられた「みことば」と「聖餐」によって、ゆるしと永遠の命に与る恵みの豊かさを確認していただければと思います。
 この「みことば」と「聖餐」は、神様からの恵みの働きとして一貫し、連続したものと理解されます。そのことを確認する意味で、今回の改訂案では「奉献」をこの間におくことを避けました。奉献というと、私たち人間が神様に捧げものをする、人間の神様に対する業という方向性を強く示すようになるからです。
 実際、ルターが礼拝順序を書いた『ラテン・ミサ』、『ドイツ・ミサ』いずれにも、「奉献」あるいは「献金」は礼拝順序には置かれていません。
 そもそも礼拝の歴史の中で「奉献」は独立した一構成要素とは考えられてはいません。むしろ、聖餐の部のなかに組み入れられていて、聖餐そのものが神に繰り返し捧げられる犠牲・奉献と考えられてきたのです。
 ルターはその聖餐の理解を180度ひっくり返し、神の恵みの業として理解したのです。ですから、この聖餐の中に奉献を残さなかったのです。
 つまり、礼拝を神様の人間に対する奉仕の業と理解するルター派の信仰に基づいて、この説教と聖餐の一貫性をまず大切にしたいのです。
 奉献についてはそれが教会の宣教の働き、奉仕の働きに用いられるものだから、 派遣の部におくことを提案しています。
 聖餐に祈られる「主の祈り」については、現在のNCC訳、そして以前の文語訳いずれも用いられてよい祈りです。今回新たに、カトリック教会と日本聖公会との共同訳の祈りを加えようとしています。エキュメニカルな交わりにおいて、「主の祈り」を共に祈ることができるように、この翻訳を採用したいと提案しています。
 「ヌンク・ディミティス」は、老シメオンが幼子キリストにまみえたときの賛歌で、救いを見た喜びに、安らかに去ることが出来ると感謝を歌います。古くは、晩祷で歌われていました。それをルーテル教会では聖餐の応答歌としたのです。聖餐が真のキリストの体と血であるとの信仰から、主にまみえた感謝として歌うことが最もふさわしいとされたのです。
 聖餐は、神の恵みに生かされる主の食卓です。終末の救いを先取りし、召された者も地上にある者もすべて、共にこの恵みを喜びいただき、キリストの体に与りましょう。

 礼拝全体を検討し見直すために設置された式文委員会の働き「式文改訂」について、日本ルーテル教団と共に、その解説をお届けします。

宣教の取り組み神戸東教会

乾和雄

 神戸東教会では、今年の7月から毎週土曜日に、「中学生《なんでなんで》理数教室」を開いています。
 中学校からの帰り道に教会の前で、お友だちとわかれがたく、明るくおしゃべりをしている子どもたちの声がときおり聞こえてきます。多くの子どもたちが、部活動をはじめ、楽しい学校生活を過ごし、学習塾にも通って、かなり忙しい日々を送っています。
 しかしながらその一方で、中には塾にも行けず、また学校にも通うことができない子どもたちもいるのです。「ケータイ」や「スマホ」も、いじめの道具になる場合があります。そのような苦しく辛い思いをしている子どもたちの、癒しの時、慰めと励ましの場になればと思い、「中学生《なんでなんで》教室」を開きました。
 わたし自身は小学校2年生の時、腎臓病のためにほとんど1年間学校を休みました。3年生で学校に復帰したとき、勉強もまったくできず、体力的にもひょろひょろとしたわたしは、かっこうのいじめの的になっていました。その時の担任の先生が、放課後にわたしを1人残して、あたたかく関わってくださいました。掛け算の「九九」からはじめて、まず学習面から自信をつけるように、と導いてくださったのです。今でも、ほんとうに感謝しています。
 子どもたちは、エネルギーが足りないことが多いのです。「来週、また来ますね」といって帰って行っても、次の週に来てくれるかどうかはわかりません。ひたすら神さまに祈りながら待っています。ですから「開店休業」の時が多いのも事実です。
 しかしながら、そのような時も、きっと神さまが生きて働いていてくださると信じながら、じっと待たせていただいています。

宗教改革記念行事報告

九州教区熊本地区宣教会議議長   西川晶子(室園教会)

 熊本地区では例年、宗教改革記念主日に「合同礼拝」「講演」「コンサート」を、3年間で一巡する構成で記念行事を行っています。
 今年はコンサートの年に当たっていたのですが、企画段階で「ただコンサートを行うより、3年後に迫った宗教改革500年に向けて弾みがつくようなものにしたい」「できれば地区の教会が一つになれるようなものを」という意見がありました。その中で提案されたアイデアが、日本では上映されないままだった2003年の映画「ルター」の翻訳でした。
 まず、それぞれの教会や学校で語学の賜物をお持ちの方に担当場面を割り振って、翻訳を進めていただきました。単純な直訳ではなく、場面や会話の流れに合わせた翻訳、また宗教改革前後の時代背景や、ルターとその周辺の状況や人物についての知識が必要な作業でもあったのですが、それぞれにかなりのご苦労と工夫を重ね、担当部分の翻訳を仕上げてくださいました。
 各教会からの翻訳が出そろったところで、全体の編集に入りました。用語や登場人物の敬称などの統一、またルターがウォルムス国会で語った言葉など、史実とすり合わせながら調整をして行くところに、実行委員の苦労がありました。
 九州学院で行われた上映会当日には、熊本地区の教会・学校・施設から、165名が集まり、翻訳の成果を楽しみました。上映の前に九州学院のチャプレン小副川幸孝牧師から、ルターについてのお話をいただき、その余韻のまま、上映開始。もちろんプロの作業ではありませんので、十分ではないところもありつつ、しかしルターのことをよくご存知でなかった方からも「面白かった」という声をいただいたりもして、ホッとしました。
各教会からのミニバザーも出店され、和やかな会でした。
 地区全体で一つのものを作り上げ、また、翻訳の過程でルターの宗教改革とその時代についてより深く学ぶことができた、とても意義深いプログラムになったと感じています。携わってくださった方々に、心から感謝いたします。

ようこそ!共に主のために

アメリカ福音ルーテル教会からの短期信徒宣教師(J3)の皆さんが来日されました。任期は2015年4月からとなり、現在は日本語研修を受けています。
Hanna Jensen-Reinke(ハンナ ジェンセン?ラインキ)さん、
Dean Hoelz(ディーン ホルツ)さん、
Zachary Corbin(ザック コービン)さん、
 ジェンセン?ラインキ師とコービン師はルーテル学院中学・高等学校に、ホルツ師は九州学院に、それぞれ派遣されることが第26総会期第2回常議員会にて決定しました。そのお働きに主のお支えをお祈りいたします。

2014年宣教会議

事務局長 白川道生

 「これからの教会の姿。これをどう描き、どうやってそれを実現してゆくのか?」
 言うまでもなく極めて重要な事柄で、十分な議論を必要とする。
 本年も、宣教の進展に絞って討議を行う「宣教会議」が東京市ヶ谷で開催された(9月30日~10月1日)。各教区より常議員3名、議長以下4役、信徒選出常議員と各室長、合計21名が出席した。

 まず、立山忠浩総会議長は、主要課題への取り組みを説明した。中でも優先してきた3つの事柄、宗教改革500年に向けての宣教強化、全体教会及び各個教会の財政課題と解決策、社会に仕える教会のあり方に言及され、継続して注力すると意向を述べた。
 次に、白川事務局長は、JELC宣教方策の変遷を振り返りながら、近年の推移を報告した。1893年の宣教開始から全国146まで規模拡大した教会と会員数だが、近年はマイナスに転じ、この教会活動全般にわたる規模減少はこれより後も続き、中でも教職数と各個教会の財政規模の減少は確実との予測を推移表にして提示した。その上で、JELCが向かおうとするこれからの方向性を鮮明にする討議となるよう本会議への期待を述べた。
 教会事務局を構成する4室も職域からの発題を行った。広報室安井室長は、インターネット環境と伝道に関する提言と考察を述べた。
 管財室青田室長は、全礼拝堂・牧師館の改築・新築実績をと土地建物回転資金の経緯をそれぞれ一覧表にして配布した。また、過去2度あった給与改定検討委員会の主たる論点を発表した。
 宣教室からは、現行方策の「標題」「基本目標」の再定義と、実践する教職の働きのあり方に関する議論を要請した。
 加えて、会議に先立って依頼されていた、これまでの教区宣教方策の分析、教区の役割と機能に関する現状レポートが各教区長よりなされた。
 この後、全体での意見交換となったが、議論は多岐に及んだ。教区内での相互支援のあり方、各個教会における建築決断の主体性と教職配置の関係、牧会委嘱に対する体験的な評価、具体的事案から見える土地建物関係現行制度への要望、教職の働きの多様化傾向、収益事業の見通しと収益使途等々、課題の山積も実感されたが、宣教の進展を目指す熱気漂う時間でもあったのは本報告に記したい。
 本宣教会議は当然、会議出席者のみならず、教会全体での一定の理解と共感があって、初めて意味あるものになると考える。詳細は、送付される「宣教会議記録」をご覧願いたい。

徳善義和牧師 キリスト教功労者として顕彰される

 徳善義和牧師(日本福音ルーテル教会定年教師、ルーテル学院大学名誉教授)が、キリスト教功労者として顕彰されました。
 キリスト教功労者顕彰は、公益財団法人日本キリスト教文化協会(代表理事 近藤勝彦さん)により、キリスト教関係の宣教・教育・社会・福祉・出版など文化の発展やキリスト教思想の普及に貢献のあったキリスト教信仰者の方々を顕彰するものです。
 今回、45回目となる顕彰者として徳善義和牧師と松居直さん(児童文学者、編集者)が選ばれました。これまでに日本福音ルーテル教会の牧師として顕彰されたのは、岸千年師(第10回 1979年)、山内六郎師(第16回 1985年)、 青山四郎師(第21回 1990年)です。
 顕彰式典は、2014年10月20日、東京銀座の教文館ウェンライトホールにて行われ、大勢の関係者が集いました。徳善牧師の長年にわたるルター研究、神学教育、牧師養成、エキュメニカル運動のリーダーシップ、そして牧師、説教者としての歩みに共に感謝するひと時となりました。
 多岐にわたるご活躍の中でも、ご自身、牧師としてその歩みをなしてきたことへの言及がもっとも栄誉なことであると話されました。かつて、ルーテル学院大学・神学校のチャプレンを兼任された際、祈るという役割を担えることを喜んでいると学生たちに挨拶されたことを思い起こします。そして、学院における牧会の役割を担われました 。 学生たちは教授が牧師として活躍するのを目の当たりにしたのです。 牧師と教会を養い育てる牧師。今回の顕彰はそのことの確認でもありました。心からお慶び申し上げ、これからの歩みに主の豊かな祝福をお祈りいたします。 (広報室)

2014年度ルーテル 「連帯献金」のお願い

日本福音ルーテル教会は、今日の社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓に苦しむ方々に連帯したいと願い祈ります。そのために「連帯献金」の呼びかけを致します。今年度も各個教会及び教会員・教会関係者の皆様から、多くのご献金を感謝致します。今後ともご協力をお願いいたします。

[ブラジル伝道]

 1965年から日本福音ルーテル教会の海外伝道として誕生した、サンパウロにある日系人教会の宣教支援と2009年4月より宣教師として派遣されている徳弘浩隆牧師夫妻の人件費を補うために、毎年200万円の募金目標を掲げています。ブラジル人牧師との協働、 日本からの宣教ボランティアにより活発に活動が続けられています。

[喜望の家]

 1976年に開設された大阪の「釜ヶ崎ディアコニアセンター喜望の家」は日本福音ルーテル教会のセンターです。アルコール依存を抱えた方々の支援・相談、アルコールを飲まない生活を支えるための「自立生活支援プログラム」の提供、病院訪問、さらに「路上生活相談」として、路上生活を余儀なくされている方の生活や医療の相談を行い、路上生活から脱出を手助けする支援を展開しています。

[メコン流域支援]

 日本福音ルーテル教会は「メコンミッション活動」として、メコン川流域の人々のための宣教・教育・奉仕事業を香港、シンガポールのルーテル教会と共同で展開しています。

[世界宣教のために]

 緊急の支援を必要としている人々の救援活動及び宣教・奉仕活動に対応するために「無指定献金」を設けています。無指定献金の配分・送金先はJELC常議員会に委ねられています。

▼上記献金の送金先▼
 「連帯献金」を捧げてくださる場合には、それぞれの献金目的を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。
郵便振替 
00190-7-71734 名義(宗)日本福音ルーテル教会

2015 年度版教会手帳住所録 正誤・変更

2015年版教会手帳住所録につきまして、下記の通り表記に誤りがありました。お詫びして訂正いたします。また、住所録校正後に変更のご連絡をいただきました件につきましても併せてお知らせいたします。 事務局
ページ 誤・変更前 → 正・変更後
P4 教会 聖パウロ教会 FAX →電話・FAX共用:03-3634-7867
P6 教会 長野教会 共用 →FAX新設:026-217-8520
P8 教会 掛川・菊川教会 齋藤幸二(兼) →後藤由起(兼)
P11 教会 岡山教会okayama@jelc.or.jp →
                okayama.lutheran@gmail.com
P15 教会 宇土教会 立野泰博 住所:大江4-21-17 →
                 大江4-20-23
P18 引退 田中良浩 電話→ 電話番号変更:03-6318-7278
P60 社会事業 社会福祉法人 
       レインボーハウス福祉会(理事長)→ (施設長)

14-11-17神様をどのように知るのでしょう

神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。(ヘブライ人への手紙1章1〜3節)

「神様は本当におられるのでしょうか、夫と子どもが病気になって不安なのです。」という質問がありました。私は「おられますよ」と答えましたが、私たちは神様の存在をどのように知ることができるのでしょうか。
 モーセが神について尋ねたとき、神は「わたしはある、あるという者だ」(出エジプト3・14)とお答えになりました。そしてまた「あなたはわたしの顔を見ることはできない」(同33・20)と言い、人に姿を見せないで「通り過ぎる」神だとご自分を表現されました。

 全世界の創造主なる神は、私たちが見ようとしても捉えどころがないのです。しかし、私たちにご自分を示すために、御子、すなわち主イエスをお送りくださいました。

 冒頭の聖句にありますように、全権委任された御子によって神は私たちに語られるのです。神は御子イエスによって私たちに神を示し、御子を見れば神が分かるようにしてくださっています。
 
 イエスは、誰からも相手にされない者のところに来て親しく交わり、病む人のところに来て癒してくださったお方です。 弱い人のことを特に気にかけてくださる、本当に 愛に満ちたお方です。しかし、その反面、大変厳しく正義を求めるお方です。ですから、義に照らして正しくない祭司長や民の長老たちに立ち向かい、ついには十字架に付けられて殺されてしまいました。実は十字架は、義を実現するためのものでした。

 神は創造のとき、全てを良いものとしてお造りになりました。人は神によって造られた者です。従って、神の僕として神に導かれ、徹頭徹尾、神のあわれみと恵みの中に生きるべき者です。しかし、そのことを忘れ、自分たちで何でもできるなどと思い、様々な悪い現実をもたらしました。
 
 私たちは、飽食にうつつを抜かし、一方で飢えている人々のことを忘れるなど、他人の痛みを感じることなく自分本位の生活を送っています。分をわきまえず、エネルギーを使い放題で地球を荒らし、それゆえに異常気象などがもたらされていると言われます。また、大小の紛争はいつまでも尽きません。

 それらは全て、私たちが神をないがしろにすることにより生じているのではないかと、私は自らを省みるのです。その私たちの傲慢さを、神はそのまま許すことはできないのです。

 しかし、神はご自身の御子イエスを私たちの身代わりとして十字架の上で血を流させ、その血の代償によって、私たちの罪を許してくださいました。そして、私たちを罪許された者として本来のエデンの園に住まわせ、本当の命を回復させようとされたのです。

 主イエスは父なる神によって定められた働きを終えて、復活により天の父の家に戻られました。十字架を負ってくださった主イエスは、愛をもって天において私たちを待っておられます。主イエスのおられる所は、本当の命のある所です。昇天された御子は、一人一人のために場所を用意して待っておられます。
 
命の源である神は、たえず人間の救いのために働いてくださり、いつも私たちに呼び掛けておられます。
 私たちは自分の方から、神を発見することはできません。私たちにできるのは、イエスによって示されている神の愛の呼び掛けに応じることだけです。神様を分かろうとするのには、主イエスの生き様を見、心を開いて主イエスの呼びかけに応えることです。それによって存在しておられる真実の神を知ることができます。

 聖書の神は、私たちを超越して絶対者なる唯一の神ですが、私たちとの交流を望む、人格的な神です。そして、私たちが本来の姿に立ち返るべく主イエスの愛を受け入れ真実の神に委ねたところに、神にある本当の命と平安が与えられます。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ福音書3・16)とあるとおりです

 牧師の定年に至ろうとする今、私は心底思います。どなたもが独り子イエスを信じ、真実の神に依り頼んで主にある平安の内に生きていただきたく願うのです。

板橋教会牧師 鷲見達也

14-11-15るうてる2014年11月号

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説教「神様をどのように知るのでしょう」

       
神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。(ヘブライ人への手紙1章1~3節)

  「神様は本当におられるのでしょうか、夫と子どもが病気になって不安なのです。」という質問がありました。私は「おられますよ」と答えましたが、私たちは神様の存在をどのように知ることができるのでしょうか。
 モーセが神について尋ねたとき、神は「わたしはある、あるという者だ」(出エジプト3・14)とお答えになりました。そしてまた「あなたはわたしの顔を見ることはできない」(同33・20)と言い、人に姿を見せないで「通り過ぎる」神だとご自分を表現されました。
 全世界の創造主なる神は、私たちが見ようとしても捉えどころがないのです。しかし、私たちにご自分を示すために、御子、すなわち主イエスをお送りくださいました。
 冒頭の聖句にありますように、全権委任された御子によって神は私たちに語られるのです。神は御子イエスによって私たちに神を示し、御子を見れば神が分かるようにしてくださっています。
 イエスは、誰からも相手にされない者のところに来て親しく交わり、病む人のところに来て癒してくださったお方です。 弱い人のことを特に気にかけてくださる、本当に 愛に満ちたお方です。しかし、その反面、大変厳しく正義を求めるお方です。ですから、義に照らして正しくない祭司長や民の長老たちに立ち向かい、ついには十字架に付けられて殺されてしまいました。実は十字架は、義を実現するためのものでした。
 神は創造のとき、全てを良いものとしてお造りになりました。人は神によって造られた者です。従って、神の僕として神に導かれ、徹頭徹尾、神のあわれみと恵みの中に生きるべき者です。しかし、そのことを忘れ、自分たちで何でもできるなどと思い、様々な悪い現実をもたらしました。
 私たちは、飽食にうつつを抜かし、一方で飢えている人々のことを忘れるなど、他人の痛みを感じることなく自分本位の生活を送っています。分をわきまえず、エネルギーを使い放題で地球を荒らし、それゆえに異常気象などがもたらされていると言われま 命の源である神は、たえず人間の救いのために働いてくださり、いつも私たちに呼び掛けておられます。
 私たちは自分の方から、神を発見することはできません。私たちにできるのは、イエスによって示されている神の愛の呼び掛けに応じることだけです。神様を分かろうとするのには、主イエスの生き様を見、心を開いて主イエスの呼びかけに応えることです。それによって存在しておられる真実の神を知ることができます。
 聖書の神は、私たちを超越して絶対者なる唯一の神ですが、私たちとの交流を望む、人格的な神です。そして、私たちが本来の姿に立ち返るべく主イエスの愛を受け入れ真実の神に委ねたところに、神にある本当の命と平安が与えられます。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ福音書3・16)とあるとおりです。
 牧師の定年に至ろうとする今、私は心底思います。どなたもが独り子イエスを信じ、真実の神に依り頼んで主にある平安の内に生きていただきたく願うのです。板橋教会牧師 鷲見達也

宗教改革五〇〇周年に向けて ルターの意義を改めて考える(31)

ルター研究所所長   鈴木 浩

『九五箇条の提題』がまたたく間に国中に広まったのは、前回指摘したように、民衆が競って購入していた『贖宥状』を取り上げていたからであった。対照的に、内容的には『九五箇条』よりもはるかに重要なのに、当時ほとんど無視された文書がある。『九七箇条の提題』と略称される『スコラ神学を論駁する討論』である。発表されたのは、『九五箇条』よりも八週間ほどまえの九月四日のことであった。
 その第一提題は、「異端者に反対してアウグスティヌスが語る言葉には誇張があると言うことは、アウグスティヌスがほとんどどこででも嘘をついていた、と語ることに等しい」となっていた。
 ここで「異端者」と呼ばれているのはペラギウス主義者のことである。アウグスティヌスが死ぬまで闘った論敵である。この論争でアウグスティヌスは「原罪論」を明確に語った。人間は生まれつき「罪を犯す苛酷な必然性」のもとに立たされており、誰しも「罪を犯さないことができない」と言うのだ。いくら何でもこれは言いすぎだ、というのが中世後期の定説であった。
 ルターはその定説に逆らい、「原罪論」を真剣に受けとめねばならない、と異議を申し立てたのだ。

議長室から

本当の祭りを祝う

総会議長 立山忠浩

 晩秋となりました。初秋から様々な果物が店頭を賑わしていましたが、実りの秋、収穫の秋ももうすぐ終わろうとしています。諸教会、諸施設でも実りと収穫を感謝して特別な行事や集会が企画されていることでしょう。神様の祝福をお祈りいたします。
 収穫の後は祭りが付きものです。私の暮らす池袋では、この時期にいくつもの祭りで賑わいます。皆さんの地域でも同じことでしょう。先日、行きつけの理髪店で興味深い話を聞きました。日本の祭りは神社の神輿が切り離せませんが、最近は商業ベースの祭りが盛んになり、神社とは関係ない祭りもあるというのです。神輿を出してよいものかと、神主さんが困惑しているとのことでした。祭りの肝心なものが骨抜きになりつつあるわけです。
 旧約聖書を開くと、イスラエルの民も様々な祭りを祝ったことがわかります。特に三大祭りと呼ばれる祭りは 有名です。それらは、農作物の収穫と深い関係があることが指摘されるようです。元もと遊牧民だったイスラエルの民は、異教徒である農耕民の土着の祭りを取り入れたのです。しかし、それらの祭りをただ継承したのではなく、そこに大切なことを注入したのです。神様の救いの歴史です。エジプトからの脱出、荒野の旅の中でも、日々の歩みを支え、守り、導いてくださった神様の救いの出来事を思い起こす祭りにしたのです。
 福音書を開いて気づかされることもありました。旧約の三大祭りのひとつ、過越の祭りがイエスさまの時代にも継承され、それがさらに新しい意味を持ったということです。それが聖餐式に表れているのです。聖餐「式」と言うと、やや形式ばった響きがありますが、これは本来楽しい祭りですから、聖餐「祭」と言った方がよいのかもしれません。キリストによる救いの出来事を覚え、その出来事が私たちにも及んでいることを喜び、祭りを楽しく祝うのです。このように考えると、私たちこそが本当の祭りを祝っていることに気づくのです。礼拝の意味を心に刻み、そこに集えることを誇りにしたいと思うのです。

全国青年修養会報告

全国青年修養会実行委員長  末吉潤一(神水教会)

9月13日から15日の3日間、静岡県の新霊山教会を会場として、第18回全国青年修養会が開催されました。今回は、「REJOICE~喜びをみつけに~」をテーマに全国から21名の青年(牧師を含む)が集められました。
 まず、3日間を通して一人ひとりが見つけた「喜び」を付箋に書きとめ、模造紙にどんどん貼っていくようにしました。
 初日には、「新霊山教会とデンマーク牧場福祉会の歴史」を学ぶことができました。
 2日目には「神さまから与えられる喜び」について学び、感情的あるいは物質的な喜びではなく、神さまに繋がっていることそのものが「喜び」なのだとわかりました。 また、これらの「学び」に加えて、今回は「自分たちで動く」ことにも取り組みました。バーベキューでの食材の処理から火起こし、配膳もすべて自分たちで行いました。 また、新霊山教会の方が作ってくださった折りたたみ式間仕切りで、礼拝堂に男女別の寝室も設営しました。夜には、恒例となった交流会で楽しいひと時を過ごすことができ、仲間との繋がりに感謝することができました。
 2日目の主日礼拝では、受付・アコライト・聖書朗読・賛美の礼拝奉仕をさせていただきました。礼拝後には、東海教区の皆さんと合同で、草刈りやペンキ塗り、道路わきの草木集め、そうめん流し用の竹加工、夕食作りなどの奉仕作業(ワーク)も行いました。
 最終日、3日間の活動を振り返り、みんなで分かち合うこともできました。そして、派遣礼拝をもって、それぞれの場所へ派遣されました。
 今回の修養会は、学び・ワーク・交流と盛りだくさんの充実した3日間でした。今回の修養会のためにご尽力くださった、後藤由起牧師をはじめ新霊山教会の皆様に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

九州教区壮年連盟修養会・総会報告

九州教区壮年連盟会長山口邦久(箱崎教会)

 第46回壮年連盟修養会・総会が「福祉と教会」の主題のもと、9月22日夕から23日午前の日程で、第1日目はホテル、第2日目は箱崎教会を会場として開催されました。今回は、壮年会だけでなく女性会、青年会にも呼びかけ、延べ59名の参加がありました。また、ルーテル学院大学・神学校後援会の益田哲夫さんがご参加くださり、アピールがありました。
 第1日目は、開会礼拝のあと、総会が行われました。この修養会・総会は、1968年に第1回が開催され、以来各地区が持ち回りで担当し、毎年、開催されてきています。しかし、この数年、各教会とも壮年会員の高齢化、少数化が進み、地区によっては担当できなくなってきている実情があります。総会では、そうした問題にどう対応していくか熱心に協議された結果、その実施方法などをいろいろ工夫しながら今後も開催していくことが確認されました。
 総会後の懇親会では、それぞれの教会や自己の現況を報告し合い、長年の信仰の友との旧交を温め、信仰を確かめ合うことができました。ただ、直前になって体調を崩され、参加を見送った方が数人おられたことから馴染みのお顔が見えない寂しい思いをしました。
 第2日目の修養会では、講師としてルーテル学院大学の金子和夫先生をお招きし「映画『三丁目の夕日』から地域福祉を学ぶ」と題したご講演をいただきました。先生のお話しをとおして地域に存在する問題を知り、地域の中での教会の存在、働きのあり方について示唆を与えられ感謝です。最後に、閉会派遣礼拝に与かり、それぞれの地、教会に派遣されて行きましたが、礼拝での席上献金は、パイプオルガン設置献金と合わせてルーテル学院大学・神学校に捧げました。
 限られた時間でしたが、主のお導きのもとに「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」(詩編133・1)というみ言葉を改めて実感する集いとなった恵みを感謝します。

礼拝式文の改訂

「みことば」

式文委員 松本義宣

 神様の「招き」に応えて集う私たちが与る礼拝の第2部は、「みことば」と題されます。神様が招くのは、私たちにみ言葉を語り掛けるためです。私たちは、神の言葉を聞く必要がある存在であり、それを聞き、それに与ることなしに、福音による義を受け取る信仰は生まれません。何より「みことば」なしに、礼拝そのものが成立しないのです。
 キリスト者は、その初めから聖書を読むこと、神の言葉を聴くことと「パンを裂くこと」(聖餐)を礼拝の中心に据えました。主日礼拝を具体的に記録した最古のものと言われるユスティノス(2世紀前半)の『第一弁証論』にこうあります。「太陽の日と呼ぶ曜日には、…一つところに集まり、使徒達の回想録か預言者の書が時間のゆるす限り朗読されます。 朗読者がそれを終えると、指導者が、これらの善き教えにならうべく警告と勧めの言葉を語るのです。…一同起立し、祈りを献げます。そしてこの祈りがすむと…パンとブドウ酒と水とが運ばれ、指導者は同じく力の限り祈りと感謝を献げるのです。…会衆はアーメンと言って唱和し、一人一人が感謝された食物の分配を受け、これに与ります」。改訂式文の「みことば」と次の「聖餐」の繋がりが良く分かります。というより、これまでのどの時代のどんな礼拝でも、基本は、この2世紀の記録そのままであったことがお分かりでしょう。
 この普遍性故に、今回の改訂案で最も現行式文との変化が少ないのが「みことば」です。変更点は、現行の「特別(主日)の祈り」が、その礼拝全体の主題を明らかにするという意味で、直前の「招き」の最後に移行すること、「信仰告白」の後に、現行では「派遣の部」にあった「とりなしの祈り(教会の祈り)」を置いたこと、それに続けて「平和の挨拶」をすることぐらいです。「とりなしの祈り」をここに置いたのは、先のユスティノス以来の説教に続けて行われた伝統の回復と、現在、しばしば起こる献金(奉献)の祈りとの混同を避ける意図があります。平和の挨拶は、パウロが言う「聖なる口づけ」(1コリント16・20、2コリント13・12、ローマ16・16)が、その後の会食(聖餐)に与る前の「和解の挨拶」だったと思われることから、「聖餐」の中ではなく、そこに移行する直前としたものです。
 3つの聖書朗読と、そこでの「聖書日課」については、ここで詳しく触れる紙面がないので、石田順朗先生の新著『神の元気を取り次ぐ教会』(2014年、リトン)8、9章を是非ご参照ください。改訂案が目指したひとつのことは「詩編の回復」です。現行でも「詩編」を用いる可能性は幾つか示唆されていますが、改訂案では、第1朗読後に旧約日課の続きとして置き、さらにその他の幾つかの可能性を示して、礼拝の素晴らしい伝統である詩編を用いたいのです。単なる朗読となると4つも日課が連なることになりますが、交読や交唱、歌唱や詩編歌(讃美歌)など、様々な工夫によって、より豊かな礼拝を守りたいものです。
  礼拝全体を検討し見直すために設置された式文委員会の働き「式文改訂」について、日本ルーテル教団と共に、その解説をお届けします。

近くてよく知らなかった教会の仲間たち―中国教会訪問―

九州地域教師会会長 杉本洋一

 日本語では、大げさに聞こえることさえある「熱烈歓迎」の「熱烈」との言葉が、今回の中国教会訪問では、まさにしっくりと馴染んで響きました。九州地域教師会では、8月20日~25日、中国教会を訪問しました。参加した教師は、九州からは6名、東・西・東海から各1名の計9名でした。そのほとんどは佐賀空港より上海に向けて出発しました。
 中国国内では新幹線を除き、ほぼ全行程、陳牧師や複数の牧師 、 中国教会による案内と移動、そして宿泊場所の配慮がありました。深く感謝を申し上げなければなりません。
 上海へ到着早々に出席した、毎水曜日の夜に行われている青年のための礼拝では、会堂に溢れるほどの青年と賛美の声の大きさに圧倒され、大きな驚きと感動を覚えました。理屈では説明できない、確かな若者の祈りと力強い賛美の声でした。礼拝での熱き姿というのは、日頃接することの少ないものです。
 また、どの教会でもそうでしたが、新来会者に対して、 ひとりひとりへの握手・歓迎の言葉かけが丁寧になされ、フォローアップもしっかりしていることを目の当たりにしました。
 中国基督教協議会(CCC)への訪問では、誠実な対応を受け、公式なものとして私たちの訪問を受け入れてくださったことを感じる機会となりました。中国では、牧師の数は少なく、信徒数の増加と正比例していません。あの戦後の日本の教会の伸展ぶりのようでもあります。
 キリスト教会は、国家の管理の元におかれ、その宣教活動は認められていますが 、日本における信仰の自由と同じものではありません。教会の外では、人を誘うことすら禁じられています。このような中にあっても教会の扉をたたく人々は多く、教会がどのような人々に対しても福音が届けられるべく働き、「神の宣教」に取り組んでいることを教えられ、この国への祈りを篤くしました。
 神学校、聖書協会・印刷所、病院、そして、一万人の教会。どれも、驚きの声を挙げながら見たり聴いたりした中国教会訪問でした。黄大衛牧師の導きがなければ実現することのない訪問でもありました。感謝。

書評『魔法の粉』 谷口恭教著  (キリスト新聞社)

柔らかく温かな心の中学教師、徹底して平和にこだわるキリスト者

江藤直純

 こんな先生に習いたかった‥‥本書を読んだ人なら、だれもがこう感じるだろう。なんと生徒を愛し、その成長のために心を砕かれたことか。しかも、多くの場合ユーモラスに表現しながら。読んでいて、何度声をあげて笑ったか。そして、何度胸が熱くなったことか。
 谷口恭教先生、母校の九州学院(中学部)で英語を教え、そして人間であることを深く教えて43年。3歳で小児麻痺に罹り、右足と左腕に障がいを抱えながら、若い魂を育て続け、退職後も住まいのある大江・ 白川 ・ 託麻原九条の会を足場に 平和のために働き、一昨年、81歳の生涯を全うされた。柔らかなだけでなく 芯 は 生 徒 へ の 愛 と キ リ ス ト へ の 信 と 平 和 へ の 望 み を 確 固 と し て 持 ち 、 温 か なだけでなく熱い思いと涙をもった方だった。かけがえのないルーテル教会員(大江教会所属)だった。
 生前書き溜めておられた文章を2人の娘さんがまとめたのが本書である。5部構成は、属す9条の会の機関誌に寄せられたエッセー 「ゴマメの歯ぎしり 」 36本、 ルーテル教会のラジオ放送で語られた2分半の話「ワンショットコラム」27本、教室での生徒との絶妙のやりとり、学校生活のスナップショットとも言うべき「学級あれこれ」、さらには、こんな言葉で送られたいと思わせる弔辞3本「弔辞――亡き友へ」、そして英語教師のスピーチコンテストや人生の恩人である宣教師との思い出を語った2本の「英語スピーチ」。
 人間 谷口の思想、信仰 、教育観 、 人間観 、 死生観など 人生と社会にとってとても大切なことが、けっして大上段に振りかぶってではなく、実にさりげない話題から始めて、あるいは日常の出来事を通して、ごく自然に、267ページにわたって語られている。
 障がいゆえのいじめも「麦踏み」として肥やしにし、生徒の愛情に涙して喜ぶこの方に出会えて良かったと、心底感謝している。一読をお勧めする。

白髭市十郎先生の召天に際して

鈴木 浩

 白髭市十郎先生の訃報を聞いたのは、10月6日 (月) の昼前のことであった。直ぐに考えたのは、万難を排して葬儀に出席しなければ、ということであった。白髭先生はわたしの師匠だったからである。葬儀に出席できなかったのは、痛恨の極みである。
 先生は教会手帳の引退教職の欄では長い間、いつも先頭に置かれていた。一番年長だったからである。北森嘉蔵牧師、坪池誠牧師、牛丸省吾郎牧師ら、同世代の牧師の召天後も長い間お元気で、最初は九州でご長男の家族と共に、その後は大阪でご次男の家族と共に暮らしておられた。
 1975年から1981年までの6年間、つまり神学生時代を通じて、わたしは先生が牧師をしておられた保谷教会で先生のご指導を受けて過ごした。最初にお会いしたときの先生は60代の前半であった。それから6年間、先生が牧師として一番脂ののりきった時期に、牧師と神学生という関係でご指導を受けたのはまことに幸いであった。わたしには3人の牧師のモデルがある。その1人が白髭先生である。
 「学ぶ」という言葉は「まねぶ」つまり「真似る」から来ているそうだが、わたしの説教のスタイルも牧会のスタイルも、考えてみればそのモデルをひたすら真似る中で作られたのだと思う。「この聖書箇所は白髭先生だったらどう説教されるだろうか」「こういう状況に直面したら白髭先生ならどう対処されるだろうか」というところから、わたしの発想は始まっていた。先生の説教は、正統的であった。余計な脇道にそれず、聖書のテキストに固着した説教であった。それは、心の中に静かにしみ込んでくるような説教であった。今となってはただひたすら懐かしい。
白髭先生、本当に長い間、主の教会のためにお働きいただき、ありがとうございました。

全国ディアコニア・セミナー報告

全国ディアコニア・ネットワーク代表 谷川卓三

 第22回秋のディアコニア・セミナーの参加者総数は53名。内、2日目のバスツアー参加者30名でした。今回のテーマはズバリ「田中正造とキリスト教」でした。このように個人を取り上げたセミナーは初めてであったように記憶します。
 今回このテーマとなったのは、田中正造のことを愛してやまない今回の講師であり道先案内人となってくださった芳賀直哉先生の故です。先生は小鹿教会員で静岡大学名誉教授、専門は宗教哲学です。先生ご自身、行動の人で、静岡市では毎週金曜日に反原発の街頭行動を続けています。田中正造に関心をいだき、研究し始めたのは「3・11」が契機となったとのこと。田中正造の熱情と芳賀先生の熱情が渾然一体となり、今回、私たちはたくさんの刺激を受けることが出来ました。
 田中正造。明治の民権運動家、国会開設とともに衆議院議員として連続6回当選の身にもかかわらず、足尾銅山鉱毒事件の直訴のため国会議員を辞し、犠牲とされた谷中村に入って村民と共に生活すること12年。最後は河川の実地調査行の中、行き倒れになって逝った義人。彼は洗礼こそ受ける機会を得ませんでしたが、聖書をたえず携行し、 その信仰は谷中村の生活の中でますます深められてゆきました。
 芳賀先生の案内で現地に行き、実際にこの目で正造の直訴状を見、遺品のズタ袋の中の聖書、特にマタイ福音書と憲法、それに三つの小石を見、現地の人から義人であり変人扱いされた正造の様子を聞きました。
 彼の有名になった言葉、「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」も、最後の日記の中に毛筆で書かれているのを見出すことが出来ました。この世に絶望しつつも、なお希望を持つ、キリストのような不屈の信仰からの言葉であったのだと思います。 広大な谷中村跡に佇んで、何故、彼があえて全てを投げ打ってそこに入って行ったのか、問いの前に立たされました。彼はただ実践において主に「真似ぶ」信仰の持ち主でした。その信仰の姿勢にこれからますます学び、私たちも主の前に立ち、なすべきことを捉えようとする、 ディアコニアの旅でした。

始動。宗教改革500年記念事業

 宗教改革。世界史に刻まれた神の出来事から500年。その節目に私たち教会は、自身の歩みを問われるだろう。そして、私たち教会はその意味を証しするのだ。その中心にあるのは神の言葉である。マルティン・ルターがそうであったように、私たちもまた神の言葉に立ち、また神の言葉を指差すのである。
 日本福音ルーテル教会は、記念事業として「出版から活字」「全国巡回企画」「記念大会開催」との3本柱を立て、この節目に立ち、そこから歩みだそうとしている。そのためのシンボルマークの選考も行われた。計画されていることは、全体でなすべき最低限と考えられていることであるが、当然、各地の教会や関係施設が、大げさに言えば社会に対してルターとその精神を提示する拠点として生き生きと存在することが500年の一度の機会にふさわしいことだろう。
 企画展は、宗教改革が当時の印刷技術の発明と発展との深い関わりのうちに進められたことから、印刷業界との協同を模索している。ルターとルターの指差した神の言葉を広く一般に呼びかけるものとしたい。記念大会は、対立から交わりへと移行してきた500年の歴史を意識し、和解のしるしをわかちあうものとしたい。そして、それらのために私たち自身が宗教改革とその遺産に学び、その信仰を養われ、育てられ、それをもってさらなる対話を進めるために、共通の文書を土台として学ぶことを推奨したい。それはあたかも、改革者たちが刷り上がった文書から吸収し、変革をもたらす力を得たのと同じように。
 本事業では、み言葉へと導かれる4つの図書を提示する。すでに第1の推奨図書となる 『マルティン・ルター』(徳善義和著)は出版され、広くわかちあわれている。今年の宗教改革日には第2の推奨図書として『エンキリディオン小教理問答』(ルター研究所訳)が出版された。本書は、「小教理問答」の新訳である。「必携」という意味のエンキリディオンという言葉が付せられた。「子ども達に繰り返し教え、家に座っている時も道を歩く時も寝ている時も起きている時も、これを語り聞かせなさい」(申命記6・7)とは、モーセが次の世代の人々へと発した律法と共にある生活への奨めであるが、ルターはまさに「小教理問答」を携えて、それをいつでも思い起こし、信仰の要点を味わい、それに養われ、今、直面することに対してどう生きるべきかを定める力を得るようにと考えたのではないだろうか。本書がそのように活用されることを期待している。(広報室)

新訳『エンキリディオン小教理問答』マルティン・ルター著 ルター研究所訳
B6版115頁 教会内限定価格900円(税込) 発売元リトン
注文方法など詳細は各教会宛に配布される案内を参照ください。

14-10-17悲しみの預言者

 見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。
(エレミヤ書31・31〜34)

私たちの人生には様々な局面があります。天災や人災によって、私たちのごく平凡な毎日さえ、一瞬にして破壊されることのある今日、神様の愛を信じ、示し続ける事は容易ではありません。しかし、信仰があるかないかで人生が大きく変わることを、聖書は示しています。

 例えば、旧約聖書には、王と預言者という対決の図式があります。歴代の王たちは、国を守ろうとするあまり、結果的にしばしば神から離れてしまいます。このような彼らは、『信仰の確信が得られず迷いの多い人生を送る人々の代表』と見ることができます。一方、それに命がけで意見する預言者達は、『神に従おうとする人々の代表』と言えるでしょう。

 神の言葉を真っ正直に取り次いだがゆえに、預言者たちは王や民から忌み嫌われるのですが、中でも、紀元前7世紀末から6世紀初頭にかけて活動したエレミヤは「悲しみの預言者」と呼ばれた人物でした。

 エレミヤは、堕落した祖国に滅亡を告げるのですが、その内容があまりに恐ろしかったため、口を封じようとする人々によって、彼はたびたび命の危険に曝されました。

 やがて祖国がエレミヤの預言通り敵国との戦いに破れ、神殿すら崩壊した時、エレミヤは一転して慰めの言葉を伝え始めました。人々が立ち直る気力も無いほど打ちのめされた時、神はエレミヤの口に希望の言葉を授けられたのです。
 「あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くして私を求めるなら、私に出会うであろう。」(エレミヤ29・12〜14)

 神はエレミヤを通してもう一つのお姿を現されました。それは掟を破れば罰が下るという、支配的で恐ろしい神のイメージではなく、涙を流しながら自分たちを罰し、愛を持って一人一人を正しい道に導こうとする父なる神の姿でした。
 この愛の神の姿をさらに極限まで示してくださったのが私たちの主イエスです。イエスは命を捨てて神の真実を示してくださり、人々に愛されている信仰をしっかり持つように呼びかけられました。

 イエスは自分を信じ、神の愛を受け入れた全ての人々に「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。」(ヨハネ福音書8・31)と言われました。

 世の中は、「神が居るなら、なぜこのような悲劇が起こるのか」という問いかけで満ちています。災いが起きるたび、「神など居ない!」という嘆きと叫びが響きます。
 
 しかし、イエスの言葉にとどまると決心した私たちは、自分の感情に流されてはなりません。心の内に不信の嘆きや憤りが湧きあがろうとも、嘆き悲しむ人から厳しい言葉をぶつけられようとも、その苦しさ悲しさをイエスとともに受け止めるのです。イエスが十字架で血を流しながら示されたように「それでも神は愛だ」と踏みとどまるのが私たちの役目なのです。

 世間から「何を虚しいことを」と蔑まれる時、私たちは「悲しみの預言者」です。しかし、それが私たち一人一人の役割であり、それぞれの地に置かれた教会の役目でもあります。悲しみを肯定する訳ではありませんが、人が生きる限り、地上から悲しみがなくなることはありません。ただ、悲しむ人に寄り添うことは私たちにも出来るのです。

 神から離れた人々の傲慢さに警鐘を鳴らしつつ、個人的に関わる人々の悲しみをイエス・キリストにあって深く受け止めましょう。この10月は信仰にとどまる人としての自分を見つめ直す時にしたいと祈ります。

名古屋めぐみ教会牧師  朝比奈晴朗

14-10-15るうてる2014年10月号

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説教「悲しみの預言者」

見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。
(エレミヤ書31・31~34)

私たちの人生には様々な局面があります。天災や人災によって、私たちのごく平凡な毎日さえ、一瞬にして破壊されることのある今日、神様の愛を信じ、示し続ける事は容易ではありません。しかし、信仰があるかないかで人生が大きく変わることを、聖書は示しています。
例えば、旧約聖書には、王と預言者という対決の図式があります。歴代の王たちは、国を守ろうとするあまり、結果的にしばしば神から離れてしまいます。このような彼らは、『信仰の確信が得られず迷いの多い人生を送る人々の代表』と見ることができます。一方、それに命がけで意見する預言者達は、『神に従おうとする人々の代表』と言えるでしょう。
神の言葉を真っ正直に取り次いだがゆえに、預言者たちは王や民から忌み嫌われるのですが、中でも、紀元前7世紀末から6世紀初頭にかけて活動したエレミヤは「悲しみの預言者」と呼ばれた人物でした。
エレミヤは、堕落した祖国に滅亡を告げるのですが、その内容があまりに恐ろしかったため、口を封じようとする人々によって、彼はたびたび命の危険に曝されました。
やがて祖国がエレミヤの預言通り敵国との戦いに破れ、神殿すら崩壊した時、エレミヤは一転して慰めの言葉を伝え始めました。人々が立ち直る気力も無いほど打ちのめされた時、神はエレミヤの口に希望の言葉を授けられたのです。
「あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くして私を求めるなら、私に出会うであろう。」(エレミヤ29・12~14)
神はエレミヤを通してもう一つのお姿を現されました。それは掟を破れば罰が下るという、支配的で恐ろしい神のイメージではなく、涙を流しながら自分たちを罰し、愛を持って一人一人を正しい道に導こうとする父なる神の姿でした。
この愛の神の姿をさらに極限まで示してくださったのが私たちの主イエスです。イエスは命を捨てて神の真実を示してくださり、人々に愛されている信仰をしっかり持つように呼びかけられました。
イエスは自分を信じ、神の愛を受け入れた全ての人々に「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。」(ヨハネ福音書8・31)と言われました。
世の中は、「神が居るなら、なぜこのような悲劇が起こるのか」という問いかけで満ちています。災いが起きるたび、「神など居ない!」という嘆きと叫びが響きます。
しかし、イエスの言葉にとどまると決心した私たちは、自分の感情に流されてはなりません。心の内に不信の嘆きや憤りが湧きあがろうとも、嘆き悲しむ人から厳しい言葉をぶつけられようとも、その苦しさ悲しさをイエスとともに受け止めるのです。イエスが十字架で血を流しながら示されたように「それでも神は愛だ」と踏みとどまるのが私たちの役目なのです。
世間から「何を虚しいことを」と蔑まれる時、私たちは「悲しみの預言者」です。しかし、それが私たち一人一人の役割であり、それぞれの地に置かれた教会の役目でもあります。悲しみを肯定する訳ではありませんが、人が生きる限り、地上から悲しみがなくなることはありません。ただ、悲しむ人に寄り添うことは私たちにも出来るのです。
神から離れた人々の傲慢さに警鐘を鳴らしつつ、個人的に関わる人々の悲しみをイエス・キリストにあって深く受け止めましょう。この10月は信仰にとどまる人としての自分を見つめ直す時にしたいと祈ります。

宗教改革五〇〇周年に向けてルターの意義を改めて考える(30)

ルター研究所所長 鈴木 浩

教会の歴史を振り返ってみると、論争が繰り返し起こっていたことが分かる。しかし、そうした論争は神学者の間での論争であったり、一部地域に限定された論争であったりしたことが多かった。
そうした中で、広範な地域で民衆まで巻き込む論争になった出来事が、二件あった。一六世紀以降の宗教改革と、七世紀から九世紀まで続いたイコン破壊論争である。宗教改革は西方教会全域に及び、イコン論争はビザンティン帝国全域に及んでいた。
ルターの場合、『九五箇条の提題』に先立って、はるかに重要な問題を提起していた『九七カ条の提題』を明らかにしていたのだが、ほとんど何の反響を引き起こさなかった。 理由は簡単である。『九七カ条』は高度な神学問題が主題だったが、『九五箇条』は、民衆が身近に接していた「贖宥状」を取り上げて、それを問題視していたからである。
イコン論争の場合には、ビザンティン帝国の民衆の家庭にまで浸透していたイコン崇拝を、皇帝が強圧的に禁止させようとしたからである。
どちらも、民衆にとっては「自分の問題」であった。宗教改革の拡大には、広範な民衆の支持という背景があったのだ。

議長室から

秋に想い、聖書に耽る

総会議長 立山忠浩

秋を想い、秋に耽る季節になりました。都心といえども、牧師館の周りにはたくさんのコオロギが住み着き、夜には賑やかな演奏会を繰り広げてくれています。小川のせせらぎなど、自然界の音は人間の耳には心地よい響きをもたらしてくれると言われますが、虫の音もこれと同じで、不思議と耳触りの良い音として聞こえて来るのです。
虫の音について、聖書がどう記しているか気になり調べてみました。意外にどこにもないのです。 主イエスの譬え話にもありません。空の鳥や草花を譬えられた説教は有名ですが、どこにもないのです。イスラエルを訪ねたことのない私には分かりませんが、四季折々の自然の豊かさに囲まれた日本とは随分と違うのかも知れません。虫の音に秋を想い、ここから聞こえて来る何かの声を感じて行く。これは日本に暮らす者にとっては、ごく自然な感性であり、感情であると思います。
あるインド人のカトリックの司祭は、蛙の鳴き声から神を讃美する声を聞き取ろうとしました。もしイエスがこの日本に地にいらしたら、虫の音を耳にしてどんな譬えを語られたであろうか。もしルターがここにいたら、どんな説教をするだろうか。このように想像を膨らますと楽しい思いになりますが、きっとイエスは、空の鳥や草花の譬えと同様に、虫の音を譬えながら、神を賛美することの大切さや、この世の思い煩いにとらわれることなく生きている自然な姿を讃えられたに違いありません。
虫の音に限りません。私たちの耳には、様々な音が届いているのですが、実は多くを聞き逃しているのです。騒音や不愉快な噂話など聞き逃した方が良い音もありますが、聞き逃していけない音もあるのです。助けを求める人々の叫びがあり、耳に届かない呻きの声もあることでしょう。自然界の音もそうだと思います。そして聖書も表層的な声だけを聞きとり、最も重要な本当の福音の音を聞き逃しているかも知れないのです。
秋に想い、そして聖書に耽る。これまで聞き逃していた様々な声や音に想いを馳せ、そして聖書に耽るのです。恵みに満ちた新しい福音の「音」が聞こえて来ることを期待しながら。

ルーテルこどもキャンプ報告

キャンプ長 伊藤節彦

8月7日~9日、「第16回ルーテルこどもキャンプ」が広島教会を会場に行われました。今年は全国から小学5・6年生のキャンパーたちが33名、スタッフも入れて総勢60名が共に「キリストの平和」について学びました。「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい」(エフェソ4・3)を主題聖句に、69年前に実際に起きたヒロシマの出来事を学びながら、聖書が伝える平和とは何か、罪とはどういうことなのかを子どももスタッフも共に真剣に考える貴重な体験となりました。
8月は広島にとっては特別な月ですが、今年は異常気象が心に残った年となりました。8月6日の平和記念式典には43年ぶりに雨が降りましたし、ルーテルこどもキャンプも初めての雨天を経験。そして8月20日には大規模な土砂災害が発生しました。こどもキャンプは単なる平和学習ではありません。戦争の惨禍を心に刻むと同時に、キャンプで出会った仲間たちと一緒に「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」ということがどういうことなのかを考え、キリストのお心に触れる機会でもあると思います。歴史を見つめ、被災者の声なき声に耳をすまし、友の声に耳を傾ける。共に賛美し、共に学び、時に言葉にならないものに思いを馳せる3日間を過ごすことで、「共感」することや「想像」する力も養われたのではないでしょうか。
この学びは1回きりではなく、生涯にわたって続けられていくものです。その学びの中で、今回出会った仲間やスタッフたちが大きな支えとなってくれることでしょう。こどもキャンプは、この後ティーンズキャンプやTNGの各プログラムに引き継がれていくスタートに他なりません。信仰継承のまたとない機会として、これからも引き続きご支援くださいますようお願い致します。
最後に、キャンパーを送り出してくださった各教会、教区の皆様、そして素晴らしいスタッフの皆様に感謝!

宣教の取り組み「点訳教室ななほし会について」

前田司(神水教会)

日本福音ルーテル神水教会の「ななほし会」は、40年にわたり活動しています。今回で40回となる点訳教室を開催し、昨年だけでも100冊を越える点字本を作製し、熊本の盲学校(視覚特別支援学校)などに寄贈しています。
その働きのひとつとして、「ルーテル『聖書日課』を読む会」発行の「聖書日課」を、20年以上前から完全点訳し、全国の視覚障害をもつ信徒40数名に喜ばれています。一般購読者の皆さんと同額の購読料にて、毎日み言葉に接する機会を提供しています。
また、毎週の礼拝で使用される礼拝式文も、週ごとの特別の祈りも含めて点訳しています。視覚障害の信徒のために、各教会でお備えいただけたら幸いです。簡易製本で1500円、バインダー製本で2000円の実費で作製しています。注文をお受けします。
お問い合わせは、神水教会内「ななほし会」、電話096-369-0017(担当・前田)までお願いします。

書評「被災地に立つ寄り添いびと」(立野泰博著、キリスト新聞社)

小泉嗣(東教区社会部長)

私の前には2冊の書籍が置かれている。一つは先日出版された立野泰博牧師の「被災地に立つ寄り添いびと」、そしてもう一つは「東日本大震災ルーテル教会救援活動記録」。「記録」と「記憶」の書籍である。
「活動記録」はその題名の通り、ルーテル教会救援が取り組んだ東日本大震災に対する被災地支援の「記録(将来のために物事を書き記しておくこと。また、その書いたもの)」であり、その名の通り行ってきた支援の概要や課題等が記録され、また発生が予想される南海トラフ大地震対策も記されている。
対して立野師の「被災地に立つ寄り添いびと」は、立野師が被災地に出会い、被災地に寄り添い、祈り、考え、そして体験した「記憶(過去に体験したことや覚えたことを、忘れずに心にとめておくこと。また、その内容。)」が記される。そこにはまるで「活動記録」の記録と記録の間を埋めるように、被災地に寄り添う立野師が悩み、苦しみ、祈り、み言葉に問うた「記憶」が記されている。
その記憶は立野師が本文の中で「ルーテル教会救援活動の基本は『人と出会う』ということ」と語っているように、被災地で生きる人々との出会いの記憶でもある。それは先遣隊として2011年3月末から被災地に入り「となりびと」のスタッフとしての任を終えるまでの一年間に出会った数えきれないほどの被災者やボランティアとの出会いの記憶であり、涙を流し、憤り、苦悶した「記憶」であり、またみ言葉との出会いという「記憶」である。
「記憶」の積み重ねが「記録」であるとするならば本書もまた記録の書籍であると言えるのかもしれない、しかし、私はあえてこの書を「記憶」の書と位置付けたい。なぜならこの書は人との出会い、み言葉との出会いの書であるからである。そしてなにより、今なお被災地に足を運び支援を続けておられる立野師の「出会い」、「記憶」は現在も積み重ねられているのである。
東教区も本年7月より日本ルーテル教団と共に被災地支援「プロジェクト3・11」の活動を開始した、少しずつでも「出会い」と「記憶」を積み重ねていきたい。

礼拝式文の改訂

「招き」について

式文委員 中島康文

現行の式文は始まりを「開会の部」、終わりを「派遣の部」と説明します。あまりにも漠然とした区切りの言葉ですから、私は大雑把ですが「礼拝は『懺悔(罪の告白)』に始まり『祝福』で終わる」と説明してきました。礼拝の中心を説明した言葉ではありませんが、きっかけになるものと考えたからです。 しかしこの説明では誤解を招く心配もあります。つまり「礼拝は懺悔から始まる」と。確かに、懺悔は始まりの要素として重要ですが、始まりではありませんし、礼拝の準備行為として礼拝式の外に置かれてきた歴史もあります。また、現行式文においても「開会の部」には「初めの歌(入祭頌)からキリエ、グロリアまで」豊かな要素が沢山あるのです。
式文委員会では、「始まり」に含まれる項目を、時間をかけて検討してきました。特に「罪の告白」の言葉については、信仰と職制委員会より答申された検討の課題(2006年6月10日付)を中心に議論しました。議論を重ねる中で、「東日本大震災」に遭遇し、私たちの有り様を具体的に表現することを痛感し「無関心」という言葉も選択しました。その上で、礼拝の始まりを表現する言葉として何が相応しいかを考えました。
「罪の告白=懺悔」は礼拝の始まりではないと前述しましたが、そのことはまた礼拝出席の可否の条件でもありません。しかしながら「キリスト者の一生は心を入れ替え、自己の罪を憎むものである」とルターが言うように、悔い改めが大切なことは言うまでもありません。その悔い改めに私たちが導かれるのは、聖霊の働きによってです。アウグスブルク信仰告白第17条に「人間は、聖霊の恵みや助力、その働きによらないで、神に受け入れられ、心から神を畏れ、信じ、また心の中から生来の悪い欲望を取り除くことはできない。むしろそのようなことは、神のみことばを通して与えられる聖霊によって起こるのである」とあることからも理解できます。礼拝の始まりを、アメリカでは「Gather」と表現されていますが、「集い、共に集う」では状態が強調されているだけのように感じられます。むしろ「神の招き」によって礼拝に集っていることを覚え、礼拝の始まりには、「神の招きが聖霊によって私たちにもたらされることが不可欠である」ことと受け止め、「招き」としました。
最後になりますが、この「招き」は全ての人に、すなわち洗礼の有無、信仰生活の長短に関わらず与えられています。「招き」への応答が、「礼拝への出席、罪の告白、赦しの求め、福音に与る」等の行いとなります。また、礼拝の終わりに祝福を受け派遣された私たちは、一週間の歩みの後に再び「招き」をいただくという、恵みの循環の中で日々を過ごしていくのです。
招かれて、神様のサービスをいただきに、主の日に教会へお出かけください。

礼拝全体を検討し見直すために設置された式文委員会の働き「式文改訂」について、日本ルーテル教団と共に、その解説をお届けします。

「死刑制度に関する答申」その要旨及び解説

前期(第25期)信仰と職制委員長 江藤直純

2009年に裁判員制度が導入されたときにその総会期の「信仰と職制委員会」は、信徒・牧師は「信仰の良心に従って、一人ひとりの判断で裁判員になることを受けることも拒否することもできる」旨見解を示しました。そのとき合わせて諮問されていた「死刑制度」について時間が空きましたが、去る6月の常議員会に答申し、受理されました。全文は議事録やホームページに公表されています。以下、その要旨を紹介し、解説します。
1.死刑制度について
(1)現状
①日本であまり取り上げられていませんが、死刑制度の廃止は世界的潮流です。1989年の国連の議定書採択以後、今日では欧米先進諸国では日本とアメリカを除き、執行猶予・差し止めを含め「事実上死刑を廃止している国」は139ヶ国、世界の3分の2を超えています。この傾向の根底にあるのは、あらゆる人間に対して保証されるべき基本的人権の思想です。
②しかし、日本では特に被害者感情が強調され、世論調査は国民の8割超が死刑制度を支持しています。
(2)死刑存置
①極刑による犯罪の抑止、被害者およびその家族への償いと救済、被害者への同情と犯罪者への怒りの民意ヘの対応などが存置の理由に挙げられてきました。
②しかし、死刑廃止によって犯罪が急増したという結果はみられませんし、被害者感情が強調されますが、遺族は死刑執行で本当に癒されるのか、彼らの望みは一様ではないのではないかと、存置への疑問も出されています。被害者側に保証されなければならないことも、また犯罪の背景、加害者の人権やその家族の苦しみもさらに取り上げられる必要があります。
③さらに、冤罪だった場合には取り返しがつかないことも指摘されています。1980年代に4件、2010年以降だけでも4名の死刑囚が再審無罪となった例があります。
④死刑判決や執行に関わる者への過度の負担も見過ごされてはならないでしょう。
(3)聖書的理解
①聖書は神のことばでありかつ歴史的書物ですから、死刑制度についての直接の回答を引き出すことは慎重にしながらも、キリストによって示された福音理解と人間に対する神の愛の眼差しから、聖書に支えられつつ、以下の点を確認しました。
②私たちの命は、基本的に神の領域に属しているものです。人間がこの命を勝手に扱い、殺すことは許されていません。
③キリストが赦しへと招いてくださっています。復讐は神に委ねるべきことです。死刑のような報復的な処置は私たち自身の手には任されてはいません。
④現実的に、この世の秩序をたてる国家とその権威とは認められていますが、それも人間の手によるものである以上、権力が過ちを犯すことへの警戒をもっていなければなりません。
⑤そして、どのような場合にも、悔い改めの機会を奪ってはならないのです。
(4)結論
以上の検討から、①委員会は死刑制度について反対の立場に立ち、制度廃止に向けた取り組みが必要と考えます。
②裁判による刑罰は応報的でなく、罪を犯した者にも基本的人権を認め、悔い改めと償いの生涯を生きる道を奪うべきではないと考えます。
③死刑をなくしたときの社会の秩序と安全のための現実的対応として「仮釈放の許されない無期刑」(いわゆる終身刑)の創設と、「被害者及び被害者家族に対する具体的な癒しの手立てとして必要とされる支援の仕組み」を作ることを必要だと考えます。
2、裁判員候補に選ばれた場合の対応
①裁判員になって自分の信じるところを述べることは大切です。
②ただし、絶対に死刑反対という者は選ばれない可能性もありますから、多数決の判断に一定の傾きが生じることもありえるでしょう。
③もしも死刑制度そのものに反対の場合は、それを明確に示し、選ばれないようにするという対応もありえるでしょう。
④もちろん、裁判員となってその任を負う選択も尊重されるべきです。

死刑制度そのものについて、様々な立場の考え方があり、議論が続けられていることを承知しています。その上で、今回の答申が社会に責任を持って関わるキリスト者として、秩序を保ちつつ、新しい世界を造っていくための学びの素材となることを願っています。

●電話番号変更

聖パウロ教会
電話・FAX共用
03(3634)7867
田中良浩牧師(定年教師)
電話
03(6318)7278

●メールアドレス変更

岡山教会okayama.lutheran@gmail.com

東海教区ティーンズサマーキャンプ 報告

 
中村朝美(東海教区青年伝道顧問)

東海教区では毎年夏にティーンズを対象とした1、2泊のキャンプが行われてきました。数年来、参加者が少なくなっているのが実情です。それに対して「春キャン」(春の全国ティーンズキャンプ)には東海教区からも多くのティーンズが参加し、リピーターもたくさんいます。その参加者が夏にも集まれないかということで、「春キャン」のリユニオン(同窓会・親睦会)としてデイキャンプを計画しました。
ティーンズは夏休みに入るとすぐに連日の部活動です。特にスポーツ部に属している子どもたちは試合に勝ち進んでいくと8月に入ってもそれが続きます。それでお盆休みはどうかということで8月16日(土)に設定し、場所も名古屋駅からも地下鉄で行ける「なごや希望教会今池礼拝所」としました。
参加者は、ティーンズと異なる年代の元ティーンズの計6名でした。
テーマは「ノアの物語」。プログラムは12時の開会礼拝から始まり、昼食は奮発して「ビーフカレー」と果物。その後、聖書の学び、賛美とおやつタイム、そして分かち合い、閉会の祈りをもって17時で解散としました。
私が主に学びの部分を担当し、朝比奈晴朗牧師と教区常議員の末竹十大牧師がギター、そしてカホン、マラカスなどでの賛美を楽しみました。今回、今池礼拝所の牧師館に小さなスタジオがあることが判明しました。
閉会の祈りの後、スタジオに移動。教会員さんの持ち物ということですが、ドラムセットやギター、ベースギター、カホンなどがあって皆の目が輝きました。名古屋周辺のティーンズは2、3カ月に1度位は集まれるのではないか・・という声も上がりました。
今回、受験や体調不良などの事情で人数は少なかったのですが、夏キャン、秋キャン、冬キャンを計画していきたいと考えています。定着していくには時間がかかるかもしれません。けれども「春キャン」の参加者を青年会へとつなげてゆく上で大切なことだと考えています。

るうてる法人会連合第3回全体研修会 報告

内村公春(現地実行委員長、慈愛園 理事長)

るうてる法人会連合第3回全体研修会は、”「ミッションに生きる」~私たちの働きは、何を目指すのか、どう実現していくのか~”という主題のもと、8月25日と26日の2日間にわたって、九州学院を会場に行われた。参加者は、1日目約120名、2日目約70名であった。
1日目は、まず立山忠浩総会議長の「賢く、しかし素直になりなさい」という奨励題での開会礼拝より始まった。講演Ⅰは、学校法人アイオナ学園長でキリスト教保育連盟前理事長である原和夫先生が、今回の研修会主題と同じく「ミッションに生きる」という講演題で話された。
先生の豊富な経験をもとに、私たちが神さまよりミッションを与えられていること、つまり「神の大切な働きの場に相応しい人として召しだされている」からこそ、「いのちを輝かせて生きる子どもと共に輝いて生きる」働きであって欲しい。様々な問題を抱える現代社会だからこそ、「見えないものに目を注ぐ」こと、「見えない神の存在、愛」を感じ取り、「癒しのある」働きであって欲しい。このことは、「子どもを愛する能力をもつ人を育て、他人のために思いやりが持てる人を育て、信頼の心を持つ人、自律した人を育てることにつながる意義深い」働きであることを確信すべきであると述べられた。まさに出席者の心に沁み通る講演だった。
1日目の後半は、「教会との関わり」について、それぞれの法人会からの実践報告があった。字数の関係で紹介できないが、どれも素晴らしい発表であった。1日目の最後にルーテル学院大学の市川一宏先生より、喫緊な問題である「社会福祉法人改革・新しい社会福祉の動向」について報告があった。その夜は、会場を変え楽しい交流のひと時をもった。
2日目は、5つの分団に別れ、主題講演について、それぞれの働きの場の問題等について協議を行った。どの分団とも活発な意見交換が行われた。
講演Ⅱは、「われここに立つ-ルターと現代」という題で、NPOコミュニティカレッジ理事長である内村公義先生よりの話を聞いた。われわれルーテルグループの原点であるルター、特に青年ルターのスピリチュアルペインと呼ぶ苦しみ、「否定すべき存在」、「罪人としての存在」である絶望感から、「私はもう罪人であるよりほかはない」という180度の転換としての「神の義の再発見」の意味、「われここに立つという宣言」の持つ意味について辿り、このことは、現代の多くの若者たちの苦しみ、自分自身の存在の否定ともいうべきものと重なりあうのではないかということについて、不登校生や大学生との関わりを通して述べられた。
最後に、神水教会牧師である角本浩先生による、「与えられた恵みによって」という奨励題での閉会礼拝をもって、この研修会を終了した。
今回も、あらためて私たちに与えられた「ミッション」について深く学ぶことができ、参加者にとり充実した研修会となった。

宗教改革500年記念事業シンボルマーク募集

マルティン・ルターによる宗教改革運動は1517年10月31日に始まり、2017年には「宗教改革500年」を迎えます。
日本福音ルーテル教会でも、様々な記念企画がなされており、今後、広く社会の注目を集め、親しんでいただけるような、本事業のシンボルマークを募集します。
●募集要項(詳細は必ず公式HPで確認ください)
1.募集内容
宗教改革500年記念事業 シンボルマーク
①マルティン・ルターによる宗教改革と500年の歴 史的経過がイメージできること
②キリスト教会の伝統や品位が感じられること
③「1517―2017   マルティン・ルター 宗教改革500年」 の文字をマークと含めてデザインすること
④単色加工また、縮小拡大 加工にも対応できること
⑤自作の未発表作品に限る
2.日程
応募締切 2014年10月 31日必着
3.応募方法
提出物(作品とその解説  住所、氏名、電話番号)を提 出先まで郵送・持参・ もし くはメールにて送付
4.賞
優秀賞1名
賞金500ユーロ
5.提出先・問合先
〒162l0842東京都 新宿区市谷砂士原町1l1
日本福音ルーテル教会
宗教改革500年
シンボルマーク募集係」  メール koho@jelc.or.jp
6.結果発表
2014年11月27日
受賞者本人へ連絡
7.公式ホームページ    http://www.jelc.or.jp/
bosyu.html

公   告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。

2014年10月15日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
代表役員 立山忠浩
信徒利害関係人 各位

①挙母教会土地無償貸与
・所在地 豊田市桜町1丁目
・所有者 日本福音ルーテル  教会
地番 74番1
地目 宅地
地積 202・76㎡
地番 74番2
地目 宅地
地積 18・14㎡
地番 74番9
地目 宅地
地籍 31・23㎡
地番 78番1
地目 宅地
地積 185・19㎡
・理由  学校法人愛知ルーテル学院「挙母ルーテル幼稚園」の 園舎新築のために土地を無償貸与する。貸与期間は契約締結日から10年間とする。

②挙母教会元町礼拝堂無償譲渡
・所在地 豊田市柿本町5丁  目31番1
・所有者 日本福音ルーテル  教会
家屋番号 31番地1
種 類 礼拝堂
構 造 木造瓦スレート葺  平屋建
床面積 109・30㎡
・理由 社会福祉法人オンリーワンへの用地売却(公告済み) に伴い、建物を無償譲渡するため。

14-09-17人生に必要な荷物

自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、
わたしにふさわしくない。(マタイによる福音書10章38節)

引越しをしました。
荷造りをしていると、見慣れないものや不明の箱、懐かしい品々が出て来て、しばし作業する手が止まることがありました。それらは前回、引越しをしてから一切手をつけていない荷物でした。私たちは余剰な荷物をたくさん抱えて生きている現実を、引越しをするたびに思い知らされます。しかし、余分な荷物をすぐに処分出来るかというと決してそうではなく、また使うときがあるかもしれないと次に持ち越してしまう私がいます。今回の引越しで見いだした余分な荷物も、そのまま引越しの荷物となり、開けられないまま物置に入ることになってしまいました。

 私たちは人生を生きるにあたって、荷物を抱えていると言えるでしょう。生きるためにあれもこれも必要であると思えるため、日に日に私たちの人生の荷物は膨れ上がっています。それでも、余分な荷物を手放すことができず、ましてだれかと分かち合うこともできない私たちがいます。

 不必要な荷物はそこに残して、人生を新たに歩み始めるならば、その足取りはこれまでより軽くなり、その後の人生は生きやすくなるはずです。本当はそのことがわかっているのですが、人は重さを増して行くばかりの荷物に押しつぶされそうになりながらも必死になり、その足取りは重くなるのです。

 「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない」と言われています。主イエスは人生に必要な荷物としてあれこれ抱え込んでしまう私たちに、必要な荷物はただ「自分の十字架である」と明らかにしているのです。

 「自分の十字架」について考えるとき、私は自らの罪だけを思い描いていました。しかし、「あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい」(ローマ書6章11節)というパウロの言葉は「キリストに結ばれて、キリストの十字架に結ばれて、キリストと共に死に、キリストと共に生きる」ことを教えています。つまり「自分の十字架」とは、まずキリストが担ってくださったものなのです。そしてその十字架を自分のものとして担って行く。私たちはこうしてキリストに結ばれて生きるのです。

 ある日の聖書日課で、次のメッセージが目にとまりました。
「『どんな時にも人生には意味がある。誰かがわたしを待っている。何かがわたしを待っている。その誰かのために、その何かのために、わたしには出来ることがある』。
 主イエスが言われた《自分の十字架を背負って》を考えるとき、このフランクルの言葉をわたしは思い起こします。自分の十字架とはけっして重荷のことではありません。主ご自身がその人のために備えてくださるものが自分の十字架です。それはわたしを必要としている誰かのために、またわたしを必要とする何かのために、主がこのわたしを用いてくださるためのものです(部分)」。(高橋誠・ディコンリー福音教団豊浜教会牧師)

 「自分の十字架」とは、自分のためのものでも、自分に課せられたものでもなく、「主ご自身がその人のために備えてくださるもの」であると言われています。 私たちのために主は十字架の死を遂げてくださいました。これによって私たちは、もはや自分の人生のために多くの荷物を抱え込む生き方から解放されたのです。そして今や主は、この私を通して一人でも多くの人々に、神の恵みを与えようと望まれているのです。これが私たちが担う「自分の十字架」です。 そしてそれは苦しみではなく、「自分が生きていることに深い喜びを感じる、真の生きがいのある歩みである」と言われているのです。「自分の十字架」とは、この小さく弱い私が主に必要とされているしるしです。そのためにキリストはまず十字架を負われたのです。このキリストに結ばれて私たちは、自分の十字架を担って歩み始めることができるのです。

 キリストの十字架に結ばれた「自分の十字架」が私たちには備えられているのです。キリストの十字架に結ばれて、このキリストの十字架に結ばれた「自分の十字架」は、私たちがだれかのために少しずつ担って行く、あらゆる人々に等しく与えられる神の恵みです。そしてこれこそ、私たちの人生に必要な荷物であり、その他の何ものでもないのです。

藤が丘教会牧師 佐藤和宏

14-09-15るうてる2014年9月号

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説教「人生に必要な荷物」 藤が丘教会牧師 佐藤和宏

自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。 (マタイによる福音書10章38節)

 引越しをしました。
荷造りをしていると、見慣れないものや不明の箱、懐かしい品々が出て来て、しばし作業する手が止まることがありました。それらは前回、引越しをしてから一切手をつけていない荷物でした。私たちは余剰な荷物をたくさん抱えて生きている現実を、引越しをするたびに思い知らされます。しかし、余分な荷物をすぐに処分出来るかというと決してそうではなく、また使うときがあるかもしれないと次に持ち越してしまう私がいます。今回の引越しで見いだした余分な荷物も、そのまま引越しの荷物となり、開けられないまま物置に入ることになってしまいました。
 私たちは人生を生きるにあたって、荷物を抱えていると言えるでしょう。生きるためにあれもこれも必要であると思えるため、日に日に私たちの人生の荷物は膨れ上がっています。それでも、余分な荷物を手放すことができず、ましてだれかと分かち合うこともできない私たちがいます。
 不必要な荷物はそこに残して、人生を新たに歩み始めるならば、その足取りはこれまでより軽くなり、その後の人生は生きやすくなるはずです。本当はそのことがわかっているのですが、人は重さを増して行くばかりの荷物に押しつぶされそうになりながらも必死になり、その足取りは重くなるのです。
 「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない」と言われています。主イエスは人生に必要な荷物としてあれこれ抱え込んでしまう私たちに、必要な荷物はただ「自分の十字架である」と明らかにしているのです。
 「自分の十字架」について考えるとき、私は自らの罪だけを思い描いていました。しかし、「あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい」(ローマ書6章11節)というパウロの言葉は「キリストに結ばれて、キリストの十字架に結ばれて、キリストと共に死に、キリストと共に生きる」ことを教えています。つまり「自分の十字架」とは、まずキリストが担ってくださったものなのです。そしてその十字架を自分のものとして担って行く。私たちはこうしてキリストに結ばれて生きるのです。
ある日の聖書日課で、次のメッセージが目にとまりました。
「『どんな時にも人生には意味がある。誰かがわたしを待っている。何かがわたしを待っている。その誰かのために、その何かのために、わたしには出来ることがある』。
 主イエスが言われた《自分の十字架を背負って》を考えるとき、このフランクルの言葉をわたしは思い起こします。自分の十字架とはけっして重荷のことではありません。主ご自身がその人のために備えてくださるものが自分の十字架です。それはわたしを必要としている誰かのために、またわたしを必要とする何かのために、主がこのわたしを用いてくださるためのものです(部分)」。(高橋誠・ディコンリー福音教団豊浜教会牧師)
 「自分の十字架」とは、自分のためのものでも、自分に課せられたものでもなく、「主ご自身がその人のために備えてくださるもの」であると言われています。 私たちのために主は十字架の死を遂げてくださいました。これによって私たちは、もはや自分の人生のために多くの荷物を抱え込む生き方から解放されたのです。そして今や主は、この私を通して一人でも多くの人々に、神の恵みを与えようと望まれているのです。これが私たちが担う「自分の十字架」です。 そしてそれは苦しみではなく、「自分が生きていることに深い喜びを感じる、真の生きがいのある歩みである」と言われているのです。「自分の十字架」とは、この小さく弱い私が主に必要とされているしるしです。そのためにキリストはまず十字架を負われたのです。このキリストに結ばれて私たちは、自分の十字架を担って歩み始めることができるのです。
 キリストの十字架に結ばれた「自分の十字架」が私たちには備えられているのです。キリストの十字架に結ばれて、このキリストの十字架に結ばれた「自分の十字架」は、私たちがだれかのために少しずつ担って行く、あらゆる人々に等しく与えられる神の恵みです。そしてこれこそ、私たちの人生に必要な荷物であり、その他の何ものでもないのです。

宗教改革五〇〇周年に向けて ルターの意義を改めて考える(29)

ルター研究所所長   鈴木 浩

 当時、人々が競って(罪の償いを免除する)贖宥状を買っていたことに見られるように、中世後期の人々にとっては、「罪の赦し」以上に「罪の償い」の方が事実上、大きな意味を持っていた。石を投げて窓ガラスを割ってしまった。その行為は赦されても、窓ガラスを元の状態に戻す責任は窓ガラスを壊した人にある。壊れた窓ガラスの補修、それが償いの行為に相当する。それが済まない限り、事は決着しないのだ。
 この償いの行為がなかなか大変で、大部分の人は、現世でそれを果たすことができない。その場合は、死後、煉獄で償いの行為を続けねばならないことになる。ダンテの名作『神曲』の「煉獄篇」は、この煉獄の世界を描いたものだ。地獄、煉獄、天国、この三つが死後の人を待つ世界であった。
 煉獄で償いの行為を続けている先祖の霊は、あなたがこの贖宥状を買えば、瞬く間に天国に昇るのだ、と販売人は宣伝していた。人々の心理を巧みについた宣伝だった。
 ルターは、痛烈な皮肉でそれに反論する。「銭が箱の中へ投げ入れられて、チャリンと鳴るや否や、魂が(煉獄から)飛び立つという人たちは、人間的な教えを宣べ伝えている」(第二七条)。

議長室から

「ちょうどいい数」

総会議長 立山忠浩

 日本福音ルーテル教会の全国の教会数は119です。この数字をどう見るか、意見が異なることでしょう。救急車を呼ぶ時のダイヤル数ですから、「我が教会は緊急事態に陥っている」と揶揄する人がいるでしょう。ある人は逆に、「助けを必要としてい700ですから、私たちの教会の15倍の数になりますし、日本聖公会は約350ですから3倍という具合に、比較するに便利な目安になる数字です。ただ、このような比較に用いることで、私たちの教会はこの二つの教派に較べると、まだまだ小さい規模であることをあぶり出すことにもなるのです。
 119という数字は、さらに別の見方もできるように私は思います。「ちょうどいい」、この見方です。より正確に言えば、この数の有利さがあるということです。この数であれば互いの音信を交わし合い、協力し、助け合うことができるのです。この数であれば、全国のすべての教会がどこにあるのか把握できますし、牧師数もこれに近い数字ですから、互いの顔を知ることが可能なのです。顔と顔が見える交流とか、血の通った関係という言い方がありますが、まさにこれを可能にし得る数ではないかと思うのです。
 私たちの教会が、この数字の有利さを十分に生かすことができるなら、さらにこの数字の意味が広がっていくに違いありません。その可能性を秘めているのが「るうてる法人会連合」です。ルーテルの社会福祉協会、学校法人会、幼稚園保育園連合会、そして教会が手を取り合っているグループです。連合会の総会や研修会にお招きした他教派の講師の方々が、共通して言われた言葉がありました。「この規模がちょうどいい」。このように直接言われたのではありませんが、要はこれほどのまとまりを持ったグループは珍しいということでした。教会の貢献はまだ十分ではないかもしれませんが、希望を持って共に歩みたいと願っています。

世界ルーテル連盟(LWF)の「Fast for the Climate」キャンペーンに対するリアクション

大和由祈(大岡山教会)

「気候変動を考え、温暖化を止めるために、気候変動の影響を受ける人々に連帯し、毎月1日に断食する」という“Fast for the Climate”キャンペーンの存在を私が知ったのは、去年の秋でした。4年前のLWFの世界会議で知り合った仲間たちが、COP19(国連気候変動枠組条約第19回締約国会議)の会議に出席し、かつ彼らが先頭に立ってこの活動を始めたというのは、私にとって衝撃でした。ニュースで耳にしたCOP19の会議に、まさかルーテルの青年が参加しているとは思ってもいなかったですし、このような活動を日本のルーテルの青年たちで思い付き実行するなんてことは考えられないからです。
 確かに私たちも教会の行事や個人的に集まって色々な話をしたり聖書を読んだりはしていますが、そこで環境破壊や格差社会といった社会的問題について考える機会はほとんどないのが現状です。さらにそれらの社会的問題を私たち自身の信仰と結びつけて、「クリスチャンの青年として」考えるといったことは、ほとんどないと言えます。
 また、日本のルーテルの青年たちが、このような世界の活動に乗り遅れてしまうのに、言語の壁があると思います。現在、この活動に関する記事は主に英語で書かれていますが、 私たちがそれらの記事を読み、世界の動きについていくというのは厳しいのが現状です。私もせっかくの機会なのでと思い、いくつかは日本語に翻訳しましたが、全てを扱うことはとても出来ません。
 そしてやはり、日本の青年にとって、この「気候変動」「断食」といった事柄はなかなか身近なものではないのです。確かに日本にも、衣食住が充分でなくその日暮らしを余儀なくされている人はいますが、青年自身はほとんど苦労していないからです。 よってこの活動の意義がよく分からないという声もあるのです。
 しかし、世界のルーテルの青年たちが始めたこの活動に、私も日本のルーテルの青年として関わりたいと思っています。1日断食ではなくまずは1食、そして1人ではなく何かイベントを通してみんなでという風に、活動の可能性を探っていきたいです。
(LWF-Youthに掲載された記事の日本語要約です。原文はこちらで。  http://urx.nu/aJTY)

ルーテルの東北支援は変わらない

石原明子(本郷教会 熊本在住)

 熊本のルーテル学院中学・高等学校ハンドベル部の19名と教員2名が、7月29日から5日間、東北の被災地を訪問した。一行は、茨城県で開かれた「全国高総文祭 器楽・管弦楽部門」に出演し、その足で最初の訪問地であるいわき市を訪れた。 地元教会の住吉牧師のご案内で、双葉町の方が入居する仮設住宅、キリスト教会が連携して運営する食品放射能測定所「いのり」、そして保育園を訪問し交流した。
 仮設住宅と保育園で行われたハンドベルの演奏の音色は、神様の呼吸のようにやさしく、ときにこれがハンドベルかと思うほどの躍動感にあふれた。「技術よりも祈りを届ける演奏を」と顧問の常定先生。「涙そうそう」の演奏が始まると、それまで宗教曲の音色に静かに耳を傾けていた仮設住宅に避難する皆さんが、静かな声で自然と歌詞を口ずさみ始めた。 誰が指示したわけでもない、こころから自然に湧き出た熊本の中高生と福島のおじいちゃんやおばあちゃんの合奏・合唱に、私は涙が止まらなかった。
 熊本からの天使たちは、神様の呼吸をいわきに届け、また受け取り、次の訪問地、「となりびと」が支えた石巻に向かっていった。

宣教の取り組み「うたうた♪みしる」(復活教会)

 名古屋城から徳川園一帯は「文化のみち」と呼ばれる。そこには歴史的建造物が多く残されているからだ。しかし、文化とは建造物ばかりでなく、人々が醸成するものでもある。
 そこに注目し、その街に暮らす人が持つ得意なことを一緒に探検、体験、発見しながら、共に「育」まれ、文化の輝きを盛んに(「郁」)するために「見」て「知る」という企画が愛知県と名古屋市などの後援を受けて今年も開催された。それが「いくいくみしる(育郁見知る)」である。8月2、3日に行われたこのイベントに、11の体験ゾーンのひとつ「うたうた♪みしる」として復活教会が参加した。
 プログラムは、日ごろ何気なく口ずさむ歌が実は賛美歌由来のものであるとの驚きを味わい、礼拝堂で共に歌うというものであった。また参加者は同じメロディで歌詞が異なる歌の歌くらべ、手話での歌、ルーテル教会とクラシック音楽家の関係についての話しなどを楽しんだ。運営の中心になったのは、3人の求道者と3人のオルガニスト、そして若い会員家族。
 復活教会は、人がいない、高齢化、施設もないなど条件が整わないことを理由に何もしないのではなく、行動を起こすことが祈りとの思いで教会学校を再開し、また礼拝堂を登録有形文化財認定を受けた上で活用することに取り組んできた。
 都合により他教派の会堂を使用したことが、却って、伝道とは個別の教会にではなく、いかにキリストにつなぐのかとの、意識の劇的な変化を与えられることになり、今、喜びにあふれている。  (広報室)

礼拝式文の改訂

式文改訂の理由について

白井真樹(日本ルーテル教団式文委員)

 「言葉が軽い」「荘厳さに欠ける」。私たちが用いている現行の式文が発表された際に、また、使徒信条や主の祈りの口語化に対して、各地の教会で聞かれた感想です。現行の式文が初めて発表されたのが1982年ですが、私が所属する日本ルーテル教団の各教会では、ようやく最近定着したという印象があります。当初、冒頭のような批判的な感想もあった現行の式文ですが、長い歳月を経て、現在、私たちは、誇りを持ってこれを用いています。
 さて、現行式文の発表からおよそ30年経った現在、ルーテル教会は、式文の改訂作業に取り組んでいます。今なぜ式文を改訂する必要があるのでしょうか。
 まず、前回の改訂から礼拝式文の改訂30年以上の歳月が経過しているということ自体が大きな理由です。
 先ほど、私たちの教団では現行の式文がようやく定着したと述べました。発表から定着まで実に30年を必要としたのです。今、改訂しておかなければ、この先、現行の式文をさらに30年も40年も、見直しせず用い続けることになります。
 もちろん良いものが長く用いられることは素晴らしいことです。同時に、この30年の間に、様々な変化がありました。まずは日本語です。かつて使われていた言葉が、現代の人たちには通じなかったり、違った意味を持つようになったりしています。
 私たちが用いている日本語聖書も、『明治元訳』(1887年)、『大正改訳』(1917年)、『口語訳』(1955年)、『新共同訳』(1987年)と改訂が重ねられ、さらに、2016年に『標準訳』が発行される予定です。30年が改訂の一つのサイクルとなっています。
 礼拝の神学の研究も進んでいます。私たちが生きる社会の状況も変化しています。大震災と原発事故を体験し、平和憲法が危機に晒されている今日です。 音楽もまた、古きよき伝統的なものとともに、新しいよいものがたくさん生み出されています。
 現行式文に対する課題もいくつか指摘されています。そうした中で、今ここで、私たちが改訂作業をしておかなければ、そのような様々な変化や課題を踏まえないまま、毎週の礼拝を続けていくことになりかねません。
 また、キリストの教会は、「今」の私たちのために存在しているのとともに、「未来」の次の世代の人たちのために存在しているものでもあります。私たちが慣れ親しんでいるものが変わることに、寂しさを感じたり、新しいものをなかなか受け入れることができなかったりすることは、よくわかります。だからこそ、30年前も、現行の式文に、必ずしも肯定的とは言えない受け止めもなされ、定着するまでに長い歳月を要したのでしょう。
 けれども、私たちが宣教的な視点に立つとき、絶えず「今」と「未来」を同時に見つめなければなりません。「今」のものを大切にしつつ、「未来」のために見つめ直し、新たなものを生み出すことの大切さを思います。
 宣教100年を機に、次世代の若者たちへの信仰の継承と宣教を目標に掲げ、取り組んでおられる日本福音ルーテル教会から、式文改訂の呼びかけがなされたことに敬意を表します。これは、500年を迎える宗教改革の精神に実にふさわしいことであるとも言えるでしょう。
 礼拝全体を検討し見直すために設置された式文委員会の働き「式文改訂」について、日本ルーテル教団と共に、その解説をお届けします。

キリスト教手話と出会って

原田満留(小石川教会)

 地域で手話を学び始めた頃、本屋で小嶋三義先生の「やさしい手話―キリスト教手話入門」(キリスト教視聴覚センター)に出会いました。冊子のような薄いものでしたが、教会手話の魅力にグングン引き込まれていきました。手話で「福音」は「神」+「愛」+「教え」。「信仰」は「主」+「受け入れる」と表すのです。いつも見聞きする聖句も、手話にすると生き生きと心に迫ってくるのを感じました。
 ろう者がおられること、手話通訳があることに惹かれ、私は小石川教会に導かれ、それまでの所属教会から転会をしました。そして教会手話研修の場で、小嶋先生ご本人との出会いも与えられました。
 小嶋先生には教会手話通訳をイロハから教えていただきました。「教会手話通訳は説教を聞き、心で感じて自分の内に絵を描き、それを手で表すのですよ。ろう者はあなたの手話の中に絵を見ているのです。」「手話通訳者は、牧師と同じストールをかけているのです。手話をしている時、イエスさまと繋がっているのですよ。」との教えは、私の教会手話通訳の原点になっています。
 通訳は、大変でないと言えばウソになりますが、事前に送られてくる徳野昌博牧師の説教を何十回も読むものですから、いつも祝されている自分に気づかされます。
 通訳の時、自分では分からない手話表現は礼拝前にろう者の方に教えていただいたりします。頷きながら温かく見守ってくれるろう者の方。手話が見やすいように照明に心を配ってくださる方。「通訳ご苦労様。ありがとう。」と笑顔の方。できたての原稿と共に「質問でも何でも聞いて!いつでも力になりまっせ!」と、ひょうきんにサポートしてくださる徳野牧師。励まし合える通訳仲間など、多くの方々に支えられながら、手話通訳者として立たせていただいています。
今回、小嶋先生の新刊「手話で福音を伝えよう」(キリスト教視聴覚センター)の発刊により、新しく手話通訳者が起こされることを祈っています。

第2回全国青年バイブルキャンプ報告

竹田大地(TNG―YOUTH)

 7月11日から13日、2泊3日の日程で、日本ルーテル神学校を会場として第2回全国青年バイブルキャンプが行われた。青年10名、スタッフ4名の計14名で聖書と向き合い、メッセージを作成した。
 このプログラムの目的は信徒育成である。参加者の中にはすでに教会学校などで奉仕をしている者もいるが、 将来的に教会学校、幼稚園、保育園、諸施設そしてキャンプでの伝道の業を担う青年たちが、メッセージを語るために、そのヒントとなる聖書の読み方を学んだ。
 高村敏浩牧師を講師として、『だれにでもできる楽しい聖書研究法―聖書研究の手引き―』(森優牧師著)から「深層法」と「経験法」を学び、それを手がかりにして、み言葉から、イエス・キリストが私に何をしてくださったのかということを聴き、味わい、それを受けて参加者それぞれが5分程度のメッセージを作成した。
 このキャンプは、参加して終わりではない。むしろ始まりである。キャンプからそれぞれの生活の場に戻り、その歩みの中で聖書により一層親しみ、神が私にしてくださったこと(福音)をいつでも、どこでも問いながら信仰生活を送ってほしいという願いを込めている。そして受け取った福音を証しする者として歩むことへと遣わされるのだということを。
 最終日、三鷹教会での主日礼拝の説教を聞く参加者の佇まいから、説教に対する姿勢もまた変えられていくだろうと思わされた。福音を受け取ろうと聴く者へ、み言葉による神の養いが鮮やかに示されていることを実感した。
 手法を学ぶという気軽さをイメージしていたかもしれない参加者にとって、み言葉との関わり方を根本的に変えられる機会となったことは大きな恵みであった。思いがけない恵みを神が備えてくださった。
 教会にとって重要なこのプログラムをこれからも継続していきたいと考えている。この働きを覚えて、福音の宣教とルーテル教会を担う人材が育まれる豊かなキャンプとなるよう祈りで支え、また参加者を送り出していただきたい。

「日本福音ルーテル教会における社会問題への関わり方」について(下)

事務局長 白川道生

 前回は「信仰者として、一人ひとりが、それぞれに暮らしている社会の中で、まず祈り、そして行動し、発言する。」これがJELCの基本理解であるという考えについて説明しました。これを踏まえた上で、続いて二つの事柄を考えてみたいと思います。ひとつは、どのようにして「信仰と良心に基づく考え」をもってゆこうとするのか、との疑問です。
 個人の判断に任せられているとする以上、個々人が諸々の情報から判断してゆくのが基本になります。聖書を読み、書物等から学び、メディアを通した諸々の意見を聞きながら考えるわけです。その一方で、暮らしに影響を及ぼしている社会問題に対して、「信仰者にとっても大事であるから、個々人でしっかりと考えてください」と呼びかけるだけで良いのか、といった議論を、昨第25回総会期のJELC常議員会で行いました。現実的に考えると、社会問題とは、人々の意見や態度が分かれる「問題」なので、容易には答えが出にくい難問となっているのが通例だからです。
 そして昨年、 「 社会委員会規定」の改訂がありました。社会委員会の任務で、「(教会の内に向けて)JELCに連なる人々が、考えるべき『信仰と良心に基づく視点』について関連する学習情報を提供し、問題に対する理解や涵養を促すための役割を負う」と規定されました。すなわち、考える主体は個々人であるが、問題への理解が深められるように、信仰者及びJELCとの二要素を意識した専門委員会から速やかに一定の見解が示され、これを取り掛かりとして、出発するために活用してもらうよう意図されました。
※直近では2014年8月 に、「真の平和を実現する ために―集団的自衛権の 行使容認を鑑みて―」と の表題で、社会委員会見 解がでました。
 もう一つは、個人でなく、全体教会として信仰的決断による発言や行動をするような事態への対処です。
 教会全体の意志形成となれば、信仰者がそれぞれにおかれている立場・状況の異なりがあることは理解されるべきであり、全員一致ということには大変な難しさがあるのは事実でしょう。しかしながら、時に社会問題の深刻さや緊急度が高じてきて、看過しえない状況に進むならば、個人を超えて社会的・政治的な発言をするという姿勢をとってきました
 2008年の答申にも、「正義や平和、人間の尊厳については、これが欠けたら神の意志に添わなくなると判断し、あるいは、その増進が神の意志に叶うことだと判断すれば、その信じるところを世に向かって教会が語ることを躊躇してはならない。」とあり、社会的・政治的な発言をする教会の姿が想定されています。
 また、改訂された社会委員会規定にも、「(教会を超えた外に向けて)生じている事案や行為に対して問題性の指摘など、直接的な発言を行い、事態の解決に向けて速やかに発言と行動するための役割を負う。」と、教会の名をもって意思表明や行動をしようとする場面に関する言及が含まれました。
 これは、単に声を合わせて発言すれば、当然、個人よりも大きな声として影響をもつことになるといった意味合いというよりも、深刻さや緊急度が高まる状況とは、およそ社会全体に混乱も生じている状況ですから、そこで教会はその特性上、苦難を抱えている社会のただ中で共に歩む姿を取り、社会との関わりに必然をもつ、その表現であると理解されます。
 なお、全体教会の見解や立場の表明に際しては、「教会の一致は『福音の核心部分についての一致のみ』によって図られるものであって、社会的・政治的な見解の一致によるのではない。見解の相違は、教会を分裂させることに用いられてはならず、少数意見の者を排除する作用をしてはいけない」と、厳にルーテル教会の一体性と一致が保たれないことのないよう配慮と慎重さが求められるとの指摘が繰り返されております。

第21回 東教区宣教フォーラム報告「宗教改革を語れる 信徒になろう!」

準備委員会副委員長 金子直美(蒲田教会)

 7月5日に東教区宣教フォーラムが蒲田教会で行われた。今年で21回目を迎えるこの企画は「信徒の、信徒による、信徒のためのフォーラム」として発足し、第13回以降は中央沿線・総武・城北・城南神奈川の地区の教会が2年毎にもちまわって続けてきたものだそうだ。というのも私自身が今回この企画に初めて携わった者の1人だからだ。他に2人を新たに迎え、今年は12名の準備委員で企画を進めてきた。
 毎年テーマや内容を変えていたが、昨年の東教区50年記念大会を第20回目とし、それを区切りに、今後3年間を宗教改革500年へ向けてシリーズ化したものを企画しようということになった。そのテーマこそ「宗教改革を語れる信徒になろう」人生で起きた印象的な出来事の数々、その中で培われた信仰と思想を分かりやすく講義していただいた。
 午後は『ワールドカフェ』という手法で、各々講義の感想や考えを自由に語り合った。特にゴールも無い語らいの中からどんなものが生み出されるのか個人的にはとても楽しみにしていたが、各グループの発表を聞くとなるほどと頷くものばかりであった(10月に報告書発行予定)。そしてもう一つ参加して良かったと感じたことは信徒が信仰について語る姿を間近にできたことだ。私のような若輩者は普段の教会生活では興味があっても大先輩の信徒の方々に、信仰とは、教会とは、はたまたルーテルとは!などという話題はなかなかもちかけにくい。しかし同じテーブルで互いに笑顔で、時に熱くそして時には虚空を見つめ呟くように語るその姿からは、ひしひしと感じるものがあった。164名の参加者に感謝したい。来年の第2弾も、乞うご期待!

宗教改革500年記念事業シンボルマーク募集

 マルティン・ルターによる宗教改革運動は1517年10月31日に始まり、2017年には「宗教改革500年」を迎えます。
 日本福音ルーテル教会でも、様々な記念企画がなされており、今後、広く社会の注目を集め、親しんでいただけるような、本事業のシンボルマークを募集します。
●募集要項(詳細は必ず公式HPで確認ください)
1.募集内容
 宗教改革500年記念事業シンボルマーク
 ①マルティン・ルターによる宗教改革と500年の歴史的経過がイメージできること
 ②キリスト教会の伝統や品位が感じられること
 ③「1517-2017  マルティン・ルター 宗教改革500年」 の文字をマークと含めてデザインすること
 ④単色加工また、縮小拡大加工にも対応できること
 ⑤自作の未発表作品に限る
2.日程
 応募締切 2014年10月31日必着
3.応募方法
 提出物(作品とその解説 住所、氏名、電話番号)を提出先まで郵送・持 参・ もしくはメールにて送付
4.賞 
 優秀賞1名 
 賞金500ユーロ
5.提出先・問合先
 〒162l0842東京都 新宿区市谷砂士原町1l1
 日本福音ルーテル教会 宗教改革500年
 シンボルマーク募集係」
 メール   koho@jelc.or.jp
6.結果発表 
 2014年11月27日  受賞者本人へ連絡
7.公式ホームページ   http://www.jelc.or.jp/bosyu.html
  

    

14-08-15るうてる2014年8月号

機関紙PDF

説教「主にある平和」

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」(ヨハネによる福音書15・9~12)

日本福音ルーテル教会は宣教百年を期に8月の第1日曜日を「平和主日」と定め、特に平和を祈り求める時としました。
さて、この日のために与えられた日課には「わたしの愛にとどまりなさい」、「わたしがあなたを愛したように、互いに愛し合いなさい」という二つの命令が記されています。内容は同じです。平和を造り出すにはこれしかない、というのです。
「隣人愛」についてイエスさまは教えてくださっているわけですけれど、戦争という歴史を持つ私たちは「隣人愛」という言葉に奇妙な違和感を覚えます。同じ宗教、同じ民族の人々のみを隣人として愛する時、そこには必ず異邦人を軽蔑し憎むという結果が出てくるからです。またその結果として今度はその人たちから憎まれるという悪循環が生まれることを私たちはよく知っています。私たちが腹を立てる、その人から、私たちは同じように憎しみを受けている者でもあるのです。イエスさまの時代もそうでした。サマリア人の譬はそのよい例だと思います。
その悪循環を断ち切ったのがイエスさまの愛でした。「自分が愛したい人を愛する」、 「自分を愛してくれる人を愛する」のではなく、「自分を迫害する者」、「自分を十字架につける者」、「最後まで強情に自分に反対する人」に対する愛を、イエスさまは示してくださったのです。イエスさまが十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください」と自分を殺す者のために祈られた時、新しい愛が示されたのです。
このような素晴らしい愛を教えられているにも関わらず、この世界が平和であった時代はありません。世界という大きな視点だけなく、私たちの身近には目を覆いたくなるような出来事がひっきりなしに起こっています。
しかし、私たちは今日、イエスさまの命令を改めて受けているのです。この時に私たちはこの命令を心の底からごまかさないで受け取りたいと思います。
私たちは愛について教えられていながら、 真剣にそれを実行していません。世界の人々のために祈っても、 「あの人は別だ」、「あの事は別だ」と考えています。本気でこの命令を受け取り、本気で今私を憎んでいる人、私と遠い人、家族であれ、近所の人であれ、職場の人間であれ、何よりも教会の人、それらの人たちを「赦されているが故に赦す」、そのような歩みをもう一度取り戻したいと思うのです。自分の意見に強情に反対する人と忍耐強く対話をする者となりたいのです。世界の痛み、被造物の呻きの大きさからすれば、あまりにも小さな一歩かもしれませんけれど、ここから始めたいと思うのです。
私は、その意味では教会という群れは、イエスさまからのチャレンジの中にあると信じています。教会とは何かということを聖書は明瞭に説明しています。「洗礼によりキリスト・イエスに結ばれ、 神の子とされた群れであり、もはやユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も、自由な身分の者もなく、男も女もありません。キリスト・イエスにおいて一つなのです」(ガラテヤ3・26~29より)。 教会はイデオロギー、思想、民族、家族において一致するのではなく、キリスト・イエスに結びついていることにおいて一つであること、それが教会の一致なのです。
主の祈りはキリスト教の小さな学校です。「われらに罪をおかす者を われらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ」と心から祈るところに教会が生まれるのです。
もちろん、それでもなお、世界の問題は尽きません。私たちもまた、「祈りしかなさない」と批判されることもしばしばです。しかし私たちの一人でも多くの方に福音をのべ伝えるという働きを、大海の一滴にすぎないと言うのをやめましょう。
教会に来られる様々な方々と、いかにして共に歩むことができるかということに心砕き祈ること、そのような本当に身近な小さな一歩にイエスさまは期待してくださっているのです。イエスさまはおっしゃいます。「平和を造り出す人々は幸いである」(マタイ5・9より)。
大阪教会牧師 滝田浩之

宗教改革五〇〇周年に向けて ルターの意義を改めて考える(28)

ルター研究所所長 鈴木 浩

懺悔のサクラメントは、犯された罪を痛烈に悔いる「痛悔」、その罪を司祭に告白する「懺悔」、司祭による罪の「赦免」、そして、最後にその罪に対する償いの行為である「償罪」からなっていた。時に不正確に「免罪符」と呼ばれる「贖宥状」は、「罪の償い」を免除するものであった。贖宥状を購入すれば、罪の償いの行為が免除される、というのだ。
この地上で罪の償いを完全に果たすことのできなかった人は、死後「煉獄」で引き続き罪の償いをしなければならなかった。聖人を別にして、大部分の人は、罪の償いを地上で完全に果たすことができないので、煉獄で引き続き償いの行為をしなければならなかった。
贖宥状は、煉獄で罪の償いをしている先祖の霊にも適用される、と宣伝されていたので、人々は先祖供養のために、競って贖宥状を購入していた。贖宥状はいくらでも印刷することができたから、教会にとっては、「おいしい金儲けの手段」になった。「地獄の沙汰も金次第」ということだ。
ルターは、「贖宥の宝は網である……今ではこれで人々の富をすなどっているのである」(第六六条)と断定する。贖宥が搾取の手段になっていたのだ。

議長室から

総会議長 立山忠浩

8月、平和を覚える時

8月は平和を特に覚える時です。広島、長崎の原爆投下、そして終戦を覚える時だからです。東京では毎年15日の午前7時から、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で超教派による「平和祈祷会」が開催されていますが、できるだけこれに参加するようにしています。過去の戦争の過ちを覚え、戦争のない平和を願い、説教に耳を傾けた後に大きな輪になって各自が祈りを献げるのです。平和のためにキリスト者として貢献できることは何かを問い、具体的に行動できるようにと神様に助けを求めるのです。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑の近くには靖国神社があります。祈祷会に一緒に参加した年輩の方との帰り路に、ご自分の父親がここに祭られているということを耳にしたことがありました。私個人は靖国神社に参拝することはありませんし、日本のキリスト教会のほとんどが参拝に反対していることは周知のことですが、中には教会の方針を複雑な思いで受け止めているキリスト者がいることを知りました。
ドイツにしばらく滞在した時のことでした。小さな田舎町の教会に通っていましたが、 教会の敷地には二度の世界大戦で戦死した兵士の名前を刻んだ記念碑があることに気づきました。昨年米国の教会を訪ねた時にも、南北戦争で命を落とした南軍の兵士の幾人もの名前が教会墓地の墓に刻まれていたのです。日本の教会では見たことのない光景でしたので、実に驚きを覚えたのでした。
日本の教会は、戦争の過ちや加害者としての戦争責任について語ることには意識を傾けてきました。まだ十分でないという意見があるかもしれませんが、この取り組みは間違っていなかったと私は思います。しかし、もう一方で、国のためと戦地に向かい、戦死した兵士やその家族について語ることは避けて来た面もあったように感じています。
いま、集団的自衛権行使容認など、教会が対応しなければならない、平和を脅かす新たな問題が生じていますが、見逃していた様々な課題もあることを覚えなければならないと思います。

地球の反対側で出会った神様

ブラジル青年宣教ボランティア 山田麻衣(室園教会)

日本からは地球の反対側、ブラジルでの生活にも慣れました。多くの祈りに支えられ、ブラジル・ルーテル日系サンパウロ教会のボランティアとしての働きを終え、今は、日系人が運営する私立小学校で日本語を教えています。
サンパウロ教会でのボランティア活動は青年伝道という目的がありました。しかし実際には、なかなか教会内の青年活動は活発にはならず、ブラジルでたくさんの友人ができても、私の焦りから、友達と福音を分かち合う難しさに直面し、悩む日々が続きました。
私の中に、クリスチャンでなければいけないという、変なこだわりがありました。しかし、コヘレトの言葉の『神様が定める時がある』(コヘレト3・1より)という言葉に気付かされ、「とにかく心から分かち合える友達になればいいじゃないか」と思い直したら、友達の輪がさらに広がったように思えました。
近くに住む、いつか日本に留学する夢を持っている女の子、他教派の韓国系ブラジル人のクリスチャン、同じゲストハウスに住むみんな、私が気付いていないだけで、神様は出会いという恵みをたくさん用意してくださっていました。
私はサックスという楽器を吹いていますが、青年伝道のためならと、ある方の献金でブラジルでサックスを購入していただき、 礼拝やシュラスコ会など、様々な交流の場で活躍することができました。おかげさまで、ブラジル在住の日本人のブラジル音楽家の方と仲良くさせていただき、ライブにも数度出させていただきました。
サンパウロ教会の皆様にも、娘や孫のようにかわいがっていただきました。全く知る機会のなかった移民当時の話を聞き、同時にいかに信仰が支えになったかを直接聞くことができ、大きな学びと励ましになりました。
ブラジルは、治安などの問題を多く抱えていることも事実ですが、多くのブラジル人はやさしく、大らかです。私もそこにもイエス様の姿を見、学ばされました。
日本に帰ってから、神様が用意されている新しいミッションを楽しみにしています。オブリガーダ!(ありがとう)

デール・パストラル・センター開設

所長 石居基夫

このたび、日本ルーテル神学校は、「デール・パストラル・センター(DPC)」を開設致しました。教会を力づけ、牧師の牧会力を高め、信徒の霊性を養うことを目的とし、宣教の力となることを目指すものです。
このセンターの働きには三つの分野があります。一つ目は、パストラル(牧会的)の分野です。今日の教会における牧会の課題についての研究とプログラムの展開を目指します。二つ目は、スピリチュアル(霊的)の分野です。教会と現代社会の中における霊性・スピリチュアリティーについての研究と、それぞれの教会において霊的成長のためのプログラムを担っていくことを計画しています。三つ目は、隣人のニーズに仕えるソシアル(社会的)な分野です。社会の様々なニーズの中で、具体的には、大切な人を亡くした子どもと家族のグリーフ・ケアの働きなどの取り組みを行っていきます。
こうした各分野について、神学校の人材だけでなく教会の牧師や信徒の方々の力もいただきながら、研究会、公開講座、講演会、セミナーなどを開催していく計画です。ルーテル教会に奉仕すると同時に、エキュメニカルな広がりも視野にいれ、現代日本に生きる私たちの深い霊的な求めを探求していきます。そこに教会がどういうメッセージとアプローチをつくっていくか。牧会と宣教の一番の核に迫っていきたいのです。
お気づきのように、このセンターの名前には、日本ルーテル神学校およびルーテル学院大学の実践神学の部門で長く研究と教育にご尽力いただいたケネス・デール名誉教授(写真)の名前をいただいています。半世紀にわたる日本での宣教師としてのお働きの中で、デール名誉教授は、1982年に開設された「人間成長とカウンセリング研究所(PGC)」の中心となって働いてくださいました。この研究所は、キリスト教界ばかりでなく、宗教界、また一般社会に対し、キリスト教のホーリスティック(全人的)な人間理解を基盤にしたカウンセリングの重要性を説き、認定カウンセラーの養成と実際のカウンセリング活動などを通して、対人援助のための大切な働きを先駆的に展開してきたものです。同研究所は2012年の30周年を迎えたおり、その働きに区切りをつけて閉所せざるを得ませんでした。しかし、その閉所にあたって、研究所の精神、研究と教育の成果を今日の教会の牧会、また宣教全体に生かして欲しいとの声を多くいただきました。

本センターは、そうした声にも応え、今の教会に少しでも寄与するものとなりたいと考えています。毎年計画する予定の講演会も、「デール記念講演」と名付け、国内外からパストラル、スピリチュアル、看取り、死生学などの分野の著名な講師を招き、教会や社会へ貢献できるメッセージを発信していきたいと思っています。

現実には、まだ準備段階にあるセンターです。皆様のご理解を頂きながら、一つひとつ確かな歩みになるよう努めて参りたいと思っています。よろしくお願い致します。

礼拝式文の改訂

④ルーテル教会式文(礼拝と諸式)1996年版「青式文」について

樫木芳昭(日本ルーテル教団式文委員)

1 青式文完成に至る流れ
青式文刊行の準備は日本福音ルーテル教会と日本ルーテル教団両者の機関決定を経て1981年に始まったが、その前史に1970年代の神学セミナーでのアメリカにおけるルーテル教会合同の式文委員会が提案した3年周期の聖書朗読日課と主日の祈りの紹介がある。その後、アメリカの合同式文委員会が提案した礼拝を含む諸式文を研究し、日本版の式文を模索することが同セミナーで提案され、ルーテル4教会の有志による研究が開始された。その中で以下の暗黙の合意事項が生まれた。
①各々の教会が宣教母体から受け継いだ慣行を尊重し、その当否を論じない。
②アメリカの合同式文委員会が提案した礼拝を含む諸式文の精神を尊重しつつ、できるだけ日本の精神風土に馴染むものを模索する。
こうして、セミナーの後続研究から、青式文の素案に近いものがまとまった。当初は、これからの式文に寄与することを願う自主的作業であり、教会・教団の正規の手続きを経たものではなかったが、やがて前述の機関決定を経た共同の式文編纂作業となった。
1960年代初頭に使用が開始された口語の「茶式文」の採択から20年あまりを経て、各個教会で使用する聖書も口語訳から共同訳、そして新共同訳へと移行しはじめた状況を踏まえ、10年程の作業を経て完成したものである。

2 編纂作業で取り上げられた諸事項
①ローマを中心に発展したラテン教会のミサを基にした。
②和訳に際し、式文の文言は聖書に基づいており、限りなく聖書本文に近いが、教会の歴史の中で典礼文として磨き上げられた文言であることに留意した。
③茶式文になかった〈部〉を設けて式文全体を大きく区分し、各項目に番号を振って、礼拝の流れを把握しやすいよう計った。
④茶式文までの日本語式文では、開会の讃美歌、ざんげと赦免、讃美頌、挨拶、特祷となっていたが、開会の讃美歌と讃美頌は元々同じもので、始まりは司式者群の入堂、すなわち礼拝の開始時に歌われた讃歌に由来するので「初めの歌」とし、「讃美歌、詩篇唱を用いてもよい」と註書きをつけた。
続くざんげと赦免は、その起源が司式者群の相互のものに由来し、礼拝の外の事柄だったのを、罪の告白は神に、赦しは「福音の説き明かし」と「聖礼典」を通して与えられるという立場に拠り、礼拝式本体に位置づけた。
⑤茶式文では福音書朗読の前に指定されていたグラジュアルを「詩篇唱」として「讃美唱」を用い、「栄唱」で結ぶよう提案した。
⑥聖餐の「設定辞」、茶式文では「わたされる夜」となっていたのを「苦しみを受ける前日」とキリストの十字架の贖いを強調する文言にした。
⑦「文語式文」には採用され、「茶式文」で削除されていた「ヌンク・ディミトゥス」を罪赦されて世に出て行く喜びの歌として回復した。
⑧3種類の「派遣の祝福」を用意し、その礼拝の性質に合わせて選択可能とした。
⑨冒頭の『一般的取り扱いの原則』と『礼拝のための取り扱い』によって、個々の教会の礼拝における実践について示唆する。

3 結び
編纂作業を開始する際、ルーテル教会の式文は会衆に理解されることを大前提にしており、どんなに優れていると自負する式文であっても、2、30年の時間が経過すると、常用の言葉遣いや神学の潮流が変化し始めることもあり、その完成は次の式文編纂の準備の始まりだと聞いた。それを踏まえると青式文の評価がどうあれ、着手以来30年余の時が過ぎた今、新しい式文の編纂が行われることは極めて当然のことと思う。

西地域教師会退修会報告

西地域教師会長  谷川卓三

6月23日~25日、鳴門市岡崎海岸の絶景パノラマを臨む老舗旅館を貸切状態で、西教区の教職17名中15名が参加して、2泊3日の退修会が開かれた。

テーマは「私とルター」。宗教改革500年を前に、弟子としての牧師の在り方を問うテーマであった。 恒例に従い新任教師の二人が、伊藤節彦牧師は「全信徒祭司性としての信徒使徒職」、神崎伸牧師は「説教職」について、熱意ある良い発題をされた。また、来年定年を迎えるお二人、佐々木赫子牧師はご自分の人生における主の導きの不思議を証しされ、鐘ヶ江昭洋牧師は説教職としての牧師の総括をされた。さらに、JELCの教師集団としての共通課題である式文の件では、新しい変化として、新式文の規範性・拘束性の強化が最近の常議員会にて方向づけられたことが確認された。また、式文委員会と各教職、教師会と常議員会のより活発なフィードバックが必要なことも強調された。
「退修会」と言われるが、しかし大事なことは「修める」こと以外のところにあった。何故、主イエスは「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われたのだろうか。イエスは弟子たちだけでしばらく休むことにどのような意義を託されたのだろうか。牧師たちは日ごろ、イエスの福音を世に伝えるために「蛇の如く、鳩の如く」緊張の日々を送っている。その弟子たちがしばらく弟子たちだけで人里離れた静まった所で一緒に過ごす時を、特別な配慮をもって、恵みの賜物を与えて祝福されたのだと思う。ありのままの教職の素の姿のままに共にある2泊3日は、何があろうともそれでもやはり、リラックスの時、主の賜る祝福の時であった。
たしかに肉体的には遠い旅をし、濃密な交わりに疲れを覚えるのだが、しかし、それが明けた時、新しい元気が与えられている。主のご配慮の素晴らしさである。

東海地域教師会退修会報告

東海地域教師会長  浅野直樹Jr.

東海地域教師会は年に一度、退修会と総会とを行っています。今年は『かんぽの宿焼津』を会場に6月23日~25日の日程で行いました。テーマは「ルターを語るために―宗教改革500年に向けて」ということで、神学校校長の石居基夫先生を講師としてお招きして行いました。
ご存知のように2017年の宗教改革500年に向けて全体教会を中心に様々な取り組みがなされていますが、地域教会の牧師集団としても、それぞれの地域において、またそれぞれ遣わされている教会において、ルターを語る機会を大いに用いるために、その備えのための企画でした。
はじめに石居先生より「ルターを語るキーワード」、「時代の中で」、「ルターにおける福音の再発見」、「教育・福祉への貢献」、「ルターの歴史的限界」といったテーマ・項目で基調講演をしていただき、基本的な理解を深めていきました。その中でも「現代的視点」といったことが問われ、単なる「歴史上の」ではなく、現代日本という中で、前述にあるようなルターの功績・貢献をいかに語り、また浸透させていくことが出来るか、などの活発な議論もなされました。
2日目は課題図書の『ルターを学ぶ人のために』から、朝比奈晴朗牧師、後藤直紀牧師のお二人に、それぞれの関心事から発表をしていただき、ここでも活発な意見交換がなされました。
また、東海教区は4つの地区に分れていますが、その中の尾張・岐阜地区では合同礼拝とルター神学を学ぶ宗教改革記念集会が行われています。その取り組みを末竹十大牧師に紹介していただき、他の地区での取り組みを考える機会ともなりました。
今回のもう一つ特筆すべきことは、1日目の懇親会です。今回は朝比奈牧師の発案で、幾つかのチームに分かれてルターにちなんだオリジナル即興劇を行いましたが、皆さんの役者ぶりはもう圧巻でした。
総会では各研究グループからの近況報告がなされましたが、今回は特に社会問題の担当の内藤文子牧師から被災地訪問の報告がなされました。

「日本福音ルーテル教会における社会問題への関わり方」について

事務局長 白川道生

我が国の現政権が、去る7月1日の臨時閣議で決定した「集団的自衛権の行使容認」を巡って、抗議を表明する人々が声を上げる状況を目の当たりにしています。抗議の中には、多くのキリスト教会や宗教者が関わる協議会からの意見表明や行動が含まれています。このような情勢の中で、日本福音ルーテル教会(以下JELCと略す)に属する私たちは、どのようにこの時を生きればよいのか?と自問しておられる方もあることでしょう。
そこで、現在の情勢に関する内容を考えるに際して、この度、「JELCのホームページ」上へと過去に発表された見解や表明、宣言等を掲載して、皆様にご覧いただけるようにしました。これらの中で提供されている視点や課題認識を通して、各々が考えを深めていただければと願っております(※ネット環境をお持ちでない方には不十分で、まことにすみません。各個教会での補いをお願いできれば幸いです)。
合わせて、 本稿では、 比較的最近なされた、JELCにおける議論の積み重ねを振り返りながら、考えてみたいと思います。
2008年の全国総会において「教会が社会問題への発言をする場合の基本的考え方」が承認されました。ここにひとつ、JELCの公式的な表明があります。加えて、第25回総会期常議員会で承認された、社会委員会による「現在の社会的・政治的状況における問題への見解」(2014年2月21日)が出されております。この審議では、付帯的に、段階分類による社会問題に関する教会の基本姿勢と意見表明の仕方についてのとりまとめもなされました。
まず、2008年の基本的考え方は、JELCの機関によってなされた同年以前の社会に向けた発言(社会委員会によるイラク戦争反対声明、全国総会による「日本国憲法」改正に反対する声明、信仰と職制委員会による、首相の靖国神社参拝反対声明など)に対しての疑問に呼応して、今後の指針とするためにまとめられたものです。それ故に、個別事案の内容そのものへの見解でなく、教会が教会としての立場・見解を出す基本的事柄と、信仰者としての在り方についての言及となっています。

社会的な発言についての基本理解として「社会の中に生き、また社会を構成している一員として、信仰者の立場から、絶えず社会のあり方につき、祈り、関心を払っていくべきである。ことに正義や平和、人間の尊厳については、これが欠けたら神の意志に添わなくなると判断したら、その信じるところを世に向かって語ることを躊躇してはならない」と説明されています。

ここでは、社会との関係性を「社会を構成している一人」と表現し、その自覚ゆえに、社会のあり方について絶えず祈り、関心を払ってゆくべきと、促されています。つまり、信仰者が社会の出来事から距離を置いてしまわず、この社会の中に生きるのが基本と理解しています。
また2014年の社会委員会見解では、「わたしたちキリスト者としての具体的な行動は、深く、全身全霊をもって『平和を求める』ことが第一の行動と考えています。そこから押し出されて、まずは各々が『信仰と良心』に基づいて考え、言葉と行いによって平和の維持と形成を目指していく道をあゆむことが重要である」と述べられています。
両方ともに、信仰者として、一人ひとりが、それぞれに暮らしている社会の中で、まず祈り、そして行動し、発言する 。これがJELCの基本理解として記されています。
同時にこれは、どのように行動し、発言するかについては、信仰と良心に基づいて、個人の判断に任せられることを基本理解とする、という見解でもあります。
これらを踏まえた上で、次号では、なお、二つの事柄を考えてみたいと思います。ひとつは、どのようにして「信仰と良心に基づく考え」をもってゆこうとするのか?もう一つは、個人でなく、全体教会として社会的・政治的な発言をすることが避けられない事態での対応についてです。(続く)

東教区ディアコニア講演会報告

東教区ディアコニア委員会代表 牟田青子(大岡山教会)

ディアコニアの心を日本の教会に伝えられたドイツからの宣教師、ヨハンナ・ヘンシェル師を記念し、毎年、講演会を開催している。今年も東教区ディアコニア委員会と社会部の共催で6月29日に東京教会において「イエスを信じる私が結構まじめに日本国憲法について考えた」と題し、全国ディアコニアネットワーク副代表であり、愛知県弁護士会憲法問題委員長である内河惠一さんの講演会が、70名近い参加者を得て行われた。
講演は公害弁護士となった「証し」に始まった。浜松で戦災に遭い、経済的理由から中学卒業後に就職、16歳で受洗、22歳で上京し、福音ルーテル教会日本伝道部(東海教区の前身)で働きながら大学夜間部在学時、お父様の死を契機に「恩返し」の気持ちと「一匹の羊の物語」から、聖書と社会での生き方との結びつきを意識するようになり弁護士を志す。そして司法修習生時代、四日市公害訴訟問題と出会い、公害弁護士の道を選び今がある。イエスご自身、人間の問題、社会の問題と密接な関わりの中で活動され、イエスに従うキリスト者もまた「人と社会に仕える」ディアコニアの観点を常に意識することが求められると力強く語られた。
ついで、日本国憲法、特に集団的自衛権について述べられた。憲法とは権力者が守らねばならない法律であること、日本国憲法、特に第9条は徹底した戦争放棄を前提にしており、戦力も交戦権も認めていないこと、しかし世界の冷戦構造の中で自衛のため、最小限度の実力は保持できるとの解釈から米国や多国籍軍と一体となって、イラク戦争をしていたことが確認された(名古屋高裁判決)こと。
他国の防衛のために外国に出かける集団的自衛権には最小限度という概念はあてはまらない。やられればやり返すのが戦争であり「歯止め・限度」を仮想した集団的自衛権は国民に対するまやかしである。それゆえに、社会問題を常に意識の中に入れておくこと、またこれから始まる法整備に対して、良心的な議員や反対の声をあげた人を応援すること、有権者の一人として行動することなど、集まった老若男女の熱気を受け止めつつ語ってくださった。あっという間の2時間超であった。

重富克彦牧師の写真集が出版されました

「神さまが創造された世界を切り取るということは、僕の傲慢かもしれない。けれど、この素晴らしい世界に僕は圧倒されカメラを向けずにはおられない。もしも僕の写真を喜んで手に取ってくださる方があれば、よろしく頼む。」との遺言に従い、この度「重富克彦写真集」が完成いたしました。ご遺族と相談した結果、生前のお交わりに感謝し希望される方にはお分かちすることとなりました。
なお、販売は固く禁じられているため、希望される方には送料のみご負担いただきます。メールかファックスにて下記までお申し込みください。お一人1冊とさせていただきます。
メールkaoru-okada@jelc.or.jp  Fax 011(726)3245
岡田薫(恵み野教会・札幌教会牧師)


住所変更

召天牧師配偶者 高倉矩子 様
〒202-0022 東京都西東京市柳沢4-1-3
東京老人ホームめぐみ園

同 萩原ヒサ子 様
〒202-0022 東京都西東京市柳沢4-1-3
東京老人ホームめぐみ園

FAX番号変更

長野教会 026(217)8520

14-08-01主にある平和

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」(ヨハネによる福音書15・9~12)

 日本福音ルーテル教会は宣教百年を期に8月の第1日曜日を「平和主日」と定め、特に平和を祈り求める時としました。
 さて、この日のために与えられた日課には「わたしの愛にとどまりなさい」、「わたしがあなたを愛したように、互いに愛し合いなさい」という二つの命令が記されています。内容は同じです。平和を造り出すにはこれしかない、というのです。

 「隣人愛」についてイエスさまは教えてくださっているわけですけれど、戦争という歴史を持つ私たちは「隣人愛」という言葉に奇妙な違和感を覚えます。同じ宗教、同じ民族の人々のみを隣人として愛する時、そこには必ず異邦人を軽蔑し憎むという結果が出てくるからです。またその結果として今度はその人たちから憎まれるという悪循環が生まれることを私たちはよく知っています。私たちが腹を立てる、その人から、私たちは同じように憎しみを受けている者でもあるのです。イエスさまの時代もそうでした。サマリア人の譬はそのよい例だと思います。

 その悪循環を断ち切ったのがイエスさまの愛でした。「自分が愛したい人を愛する」、 「自分を愛してくれる人を愛する」のではなく、「自分を迫害する者」、「自分を十字架につける者」、「最後まで強情に自分に反対する人」に対する愛を、イエスさまは示してくださったのです。イエスさまが十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください」と自分を殺す者のために祈られた時、新しい愛が示されたのです。

 このような素晴らしい愛を教えられているにも関わらず、この世界が平和であった時代はありません。世界という大きな視点だけなく、私たちの身近には目を覆いたくなるような出来事がひっきりなしに起こっています。

 しかし、私たちは今日、イエスさまの命令を改めて受けているのです。この時に私たちはこの命令を心の底からごまかさないで受け取りたいと思います。

 私たちは愛について教えられていながら、 真剣にそれを実行していません。世界の人々のために祈っても、 「あの人は別だ」、「あの事は別だ」と考えています。本気でこの命令を受け取り、本気で今私を憎んでいる人、私と遠い人、家族であれ、近所の人であれ、職場の人間であれ、何よりも教会の人、それらの人たちを「赦されているが故に赦す」、そのような歩みをもう一度取り戻したいと思うのです。自分の意見に強情に反対する人と忍耐強く対話をする者となりたいのです。世界の痛み、被造物の呻きの大きさからすれば、あまりにも小さな一歩かもしれませんけれど、ここから始めたいと思うのです。

 私は、その意味では教会という群れは、イエスさまからのチャレンジの中にあると信じています。教会とは何かということを聖書は明瞭に説明しています。「洗礼によりキリスト・イエスに結ばれ、 神の子とされた群れであり、もはやユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も、自由な身分の者もなく、男も女もありません。キリスト・イエスにおいて一つなのです」(ガラテヤ3・26~29より)。 教会はイデオロギー、思想、民族、家族において一致するのではなく、キリスト・イエスに結びついていることにおいて一つであること、それが教会の一致なのです。

 主の祈りはキリスト教の小さな学校です。「われらに罪をおかす者を われらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ」と心から祈るところに教会が生まれるのです。

 もちろん、それでもなお、世界の問題は尽きません。私たちもまた、「祈りしかなさない」と批判されることもしばしばです。しかし私たちの一人でも多くの方に福音をのべ伝えるという働きを、大海の一滴にすぎないと言うのをやめましょう。

 教会に来られる様々な方々と、いかにして共に歩むことができるかということに心砕き祈ること、そのような本当に身近な小さな一歩にイエスさまは期待してくださっているのです。イエスさまはおっしゃいます。「平和を造り出す人々は幸いである」(マタイ5・9より)。

大阪教会牧師 滝田浩之

14-07-18根拠のない自信

「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」(ローマの信徒への手紙8章35節)

 最近、朝のテレビ小説『花子とアン』で「根拠のない自信」という言葉を耳にしていくつかのことを思い出した。四年ほど前に東洋英和女学院(花子の母校)でのクリスマス礼拝に招かれた時のこと。保護者会の世話役であるお母さんから「子供たちはこの学校が大好きなのです。この学校は子供たちの中に根拠のない自信を育ててくれました」という言葉を伺った。そういえば三鷹のルーテル神大時代にも東洋英和出身の学生がいて、行動派の彼女がいつも「自分には根拠のない自信があるのよ」と語っていたっけ。東洋英和に限らず、学校や家庭というものは子供たちの中に「根拠のない自信」を育むという使命を持つものなのであろう。

 「根拠のない自信」を持つ者には「迷い」がない。いや、たとえ「迷い」があったとしても、その「根拠のない自信」のゆえに周囲を巻き込みながらも逆境を乗り越えてゆくことができるようだ。「自尊感情」がその人の「レジリエンス(回復力 復元力)」を支えているのだ。いかにも逆境に強かった故小泉潤牧師の生き方をも思い起こす。ふだんの日常生活ではあまり見えてこないが、いざという時には私たちが持つ「根拠のない自信」が大きく事を左右するのであろう。

 2011年の4月、大震災の後というタイミングになったが、『こどもへのまなざし』で著名なクリスチャン児童精神科医の佐々木正美先生を私たちの教会にお招きしたことがあった。先生はそこで子供たちの内に「根拠のない自信」を育むことの大切さを語られた。そのために「子供たちに溢れるほどの愛情を注いで、大いに甘やかせてあげて欲しい」と言われたのである。

 人を愛するためにはまず自分が人に愛されるという体験が必要となり、愛されることを通して子供たちには「根拠のない自信」が育まれてゆくのだという。先生は続けられた。「私たちは普通『根拠のある自信』を持っています。しかし『根拠のある自信』はその根拠が揺れ動くとガラガラと崩れてしまう。けれども『根拠のない自信』は根拠がないがゆえに決して揺れ動くことがないのです」。その実践に裏打ちされた温かい言葉は今でも私の中で一つの確かな声として響いている。

「根拠のない自信」という逆説的な言い方であるが、考えてみればそこにはやはり「根拠」があると私は思う。そもそも「自信」とは「自分に対する信頼」を意味するが、その「自信」の「根拠」が自分の「内」ではなく「外」にあって、それが「外」から「私」を支えているということなのであろう。そこでの「自信」とは「自分を支えるものに対する信頼」という意味となる。自らの外に自分を支える「確固とした足場・基盤」を持つということ。万物は揺らぐとも主の言は永久に立つ。自己を支えるそのような足場を持つことができる者は幸いである。

 キリスト教作家の椎名麟三は受洗の後に、「ああ、これでオレは安心して、ジタバタして死んでゆける」と言ったという。洗礼において主が私を捉えてくださった。罪と死との格闘の中で自分はどこまでもジタバタせざるをえない弱い存在。しかしそのような自分をキリストが捉えて離さないがゆえに、安心してもがいてよいという主の愛に対する絶対的な信頼がある。

 「我ここに立つ」と言ったルターも「キリストの現臨(リアルプレゼンス)」という基盤の上に立ち続けた。その基盤を「インマヌエルの原事実」(滝沢克己)と呼び、「神の〈まこと(ピスティス)〉」(小川修)と看破した先人たちもいる。

 「たとい明日世界が滅びようとも、わたしは今日リンゴの木を植える」というルター的な言葉も、また次のように語ることができたパウロの信仰も、確かにそのような「根拠のない自信」に裏打ちされていたと思うのは私だけではあるまい。 「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ローマ8・38〜39)。

 神の〈まこと(ピスティス)〉が私たちの信仰(ピスティス)を支えている。私たちに贈り与えられている「根拠のない自信」を共に喜び祝いたいと思う。

むさしの教会・スオミ教会牧師  大柴 譲治

14-07-15るうてる2014年7月号

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説教黙想「根拠のない自信」

むさしの教会・スオミ教会牧師  大柴 譲治

「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」(ローマの信徒への手紙8章35節)

 最近、朝のテレビ小説『花子とアン』で「根拠のない自信」という言葉を耳にしていくつかのことを思い出した。四年ほど前に東洋英和女学院(花子の母校)でのクリスマス礼拝に招かれた時のこと。保護者会の世話役であるお母さんから「子供たちはこの学校が大好きなのです。この学校は子供たちの中に根拠のない自信を育ててくれました」という言葉を伺った。そういえば三鷹のルーテル神大時代にも東洋英和出身の学生がいて、行動派の彼女がいつも「自分には根拠のない自信があるのよ」と語っていたっけ。東洋英和に限らず、学校や家庭というものは子供たちの中に「根拠のない自信」を育むという使命を持つものなのであろう。
 「根拠のない自信」を持つ者には「迷い」がない。いや、たとえ「迷い」があったとしても、その「根拠のない自信」のゆえに周囲を巻き込みながらも逆境を乗り越えてゆくことができるようだ。「自尊感情」がその人の「レジリエンス(回復力 復元力)」を支えているのだ。いかにも逆境に強かった故小泉潤牧師の生き方をも思い起こす。ふだんの日常生活ではあまり見えてこないが、いざという時には私たちが持つ「根拠のない自信」が大きく事を左右するのであろう。
 2011年の4月、大震災の後というタイミングになったが、『こどもへのまなざし』で著名なクリスチャン児童精神科医の佐々木正美先生を私たちの教会にお招きしたことがあった。先生はそこで子供たちの内に「根拠のない自信」を育むことの大切さを語られた。そのために「子供たちに溢れるほどの愛情を注いで、大いに甘やかせてあげて欲しい」と言われたのである。
 人を愛するためにはまず自分が人に愛されるという体験が必要となり、愛されることを通して子供たちには「根拠のない自信」が育まれてゆくのだという。先生は続けられた。「私たちは普通『根拠のある自信』を持っています。しかし『根拠のある自信』はその根拠が揺れ動くとガラガラと崩れてしまう。けれども『根拠のない自信』は根拠がないがゆえに決して揺れ動くことがないのです」。その実践に裏打ちされた温かい言葉は今でも私の中で一つの確かな声として響いている。
 「根拠のない自信」という逆説的な言い方であるが、考えてみればそこにはやはり「根拠」があると私は思う。そもそも「自信」とは「自分に対する信頼」を意味するが、その「自信」の「根拠」が自分の「内」ではなく「外」にあって、それが「外」から「私」を支えているということなのであろう。そこでの「自信」とは「自分を支えるものに対する信頼」という意味となる。自らの外に自分を支える「確固とした足場・基盤」を持つということ。万物は揺らぐとも主の言は永久に立つ。自己を支えるそのような足場を持つことができる者は幸いである。
 キリスト教作家の椎名麟三は受洗の後に、「ああ、これでオレは安心して、ジタバタして死んでゆける」と言ったという。洗礼において主が私を捉えてくださった。罪と死との格闘の中で自分はどこまでもジタバタせざるをえない弱い存在。しかしそのような自分をキリストが捉えて離さないがゆえに、安心してもがいてよいという主の愛に対する絶対的な信頼がある。
 「我ここに立つ」と言ったルターも「キリストの現臨(リアルプレゼンス)」という基盤の上に立ち続けた。その基盤を「インマヌエルの原事実」(滝沢克己)と呼び、「神の〈まこと(ピスティス)〉」(小川修)と看破した先人たちもいる。
 「たとい明日世界が滅びようとも、わたしは今日リンゴの木を植える」というルター的な言葉も、また次のように語ることができたパウロの信仰も、確かにそのような「根拠のない自信」に裏打ちされていたと思うのは私だけではあるまい。 「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ローマ8・38~39)。
 神の〈まこと(ピスティス)〉が私たちの信仰(ピスティス)を支えている。私たちに贈り与えられている「根拠のない自信」を共に喜び祝いたいと思う。

宗教改革五〇〇周年に向けて ルターの意義を改めて考える(27)

ルター研究所所長 鈴木 浩

  「メタノエイテ」(悔い改めよ)というギリシャ語は、「ペニテンティアム・アギテ」とラテン語に訳されていた。それが一番適格な訳語だったからである。ところが、中世神学の発展の中で、「ペニテンティア(ム)」という言葉が専門的な意味を持つようになっていた。「懺悔のサクラメント」という意味である。
 西方教会は中世後期に「七つのサクラメント(秘跡)」という教理体系を築き上げていた。洗礼、聖餐(聖体拝領、ミサ)、懺悔(告解、改悛)、結婚、聖職叙階(按手)、終油の七つである。この懺悔の秘跡が「ペニテンティア(ム)」と呼ばれるようになっていた。「アギテ」とは行えという意味だから、「ペニテンティアム・アギテ」とは、「懺悔の秘跡を行え」という意味になる。その秘跡にあずかれば、悔い改めたことになる。それは完全な誤解、全くの間違いだ、と『九五箇条』は指摘する。
 「私たちの主であり師であるイエス・キリストが、『悔い改めよ』と言われたとき、主は信じる者の全生涯が悔い改めであることをお望みになったのである」。言い換えれば、「悔い改め」とは、繰り返し新たに神の御もとに立ち帰ることだ、とルターは言っているのだ。

議長室から

宣教師のお働きに感謝して

総会議長 立山忠浩

 6月8日に聖霊降臨祭を迎えました。聖霊の降臨によって使徒たちの宣教が始まり、教会が築かれていきました。この日が教会の誕生日だと言われるゆえんです。その聖霊は、「言葉を伴なう」ことをマルティン・ルターは強調しました。礼拝ごとに語られる説教は、もっとも重要な具体的な表れであることは言うまでもありません。
 使徒言行録2章に記された不思議な出来事を読むごとに、 私たちルーテル教会の聖霊理解が正しいものであることを確認できるのです。聖霊降臨を契機にして、使徒たちが神の言葉を語り始めたからです。
 そこで起こった不思議な出来事とは、使徒たちがこれまで話したことのない様々な言語で語り始めたことでした。しかし重要なことは、そこに居合わせた人々が、自分の母国語で神の言葉を聞くことが出来たということでした。そして、この聖霊降臨の出来事がいつの時代も、身近なところで起こっていることを体験できることは幸いなことだと思います。
 先日、私の牧会する教会で葬儀が行われました。フィンランドLEAF(SLEY)の牛丸ヒルダ元信徒宣教師が82歳で亡くなられたからです。
 日本で宣教師としてご奉仕くださる方々は、日本語で神の言葉を語ってくださいます。外国に少し暮らした体験のある私にも想像できることですが、他国の言語を習得することは大変なご苦労でありましょう。たとえ十分ではないとしても、私たちのために、一生懸命に日本語で語ってくださることに意味があるのです。
 使徒言行録には「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」と書いてあります。「神の偉大な業」を語ることは、礼拝の説教だけではないでしょう。ヒルダ元宣教師の場合もそうでしたが、日本のために人生を献げ、生き方を通して「神の偉大な業」を証ししてくださったのです。 
 宣教師の方々への感謝を献げる機会となりました。

ルターセミナー報告

ルター研究所 所長 鈴木 浩

 今年度の「牧師のためのルターセミナー」は、6月2日から4日にかけて、いつものように「マホロバマインズ三浦」で開かれた。参加者は全体で26名であったが、今年の特徴は信徒の参加者が7名もいたこと、そのうち女性が3名いたことであった。教派別の内訳は、日本福音ルーテル(22名)、日本ルーテル教団(2名)、西日本福音ルーテル(1名)、日本基督教団(1名)であった。総合主題は昨年度に引き続き、「宗教改革500周年とわたしたち」で、第2回目の今回は、とくに「教理問答」を中心に学んだ。
 発題のタイトルと担当者は以下のとおりである。
1、『大教理問答書』におけるルターの神信仰(江口再起)
2、教理問答の時代(高井保雄)
3、ルターにおける「私」の問題の所在(石居基夫)
4、1917年の宗教改革400周年……日本の諸教会における記念行事とその意義(ティモシー・マッケンジー)
5、『エンキリディオン』の実践的意味と現場からの問題提起(徳善義和、渡邊賢次)
6、『小教理問答』の聖礼典における赦しの問題(立山忠浩)
 それぞれ2時間枠で、質疑や討議の時間も十分に取ったので、議論は活発に行われた。今回の成果は『ルター研究』別冊2号で発表される予定である。なお、「秋の講演会」は11月9日(日)の午後4時から日本福音ルーテル本郷教会で開催される。

2014年度 日本福音ルーテル教会教師試験実施のお知らせ

 2014年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を左記要領にて実施いたします。教師試験を受けようとする志願者は必要書類を整え、教会事務局にご提出ください。
 記
Ⅰ.提出書類
 1 教師志願書
 2 志願理由書 テーマ 「なぜ『日本福音ルーテル 教会の教師』を志願するの か」―あなたが考える宣教 課題をふまえて―
 ・書式 A4横書き フォ ントサイズ11ポイント
 3 履歴書〈学歴、職歴、信 仰歴、家庭状況等を記入す ること〉
 4 教籍謄本(所属教会教 籍簿の写し)
 5 成年被後見人または 被保佐人として登記され ていないことの証明書(法 務局交付のもの。任用試験 時に必要になります)
 6 所属教会牧師の推薦 書
 7 神学校卒業(見込)証 明書及び推薦書
 8 健康診断書(事務局に 所定の用紙があります)
Ⅱ.提出期限(期限厳守)
 2014年9月12日(金) 午後5時までに教会事務 局へ提出すること
Ⅲ.提出先
 日本福音ルーテル教会常 議員会長 立山忠浩 宛
Ⅳ.試験日及び試験内容
 本人に直接連絡します。

ろう者と手話通訳者のための手話研修会報告

東教区障がい者伝道  委員会委員長  神田 惠

 障がい者伝道委員会では、年に2回、春は小石川教会、秋は1泊2日で埼玉県にある「国立女性教育会館(ヌエック)」で手話通訳者とろう者の共同の手話研修会を開いています。今年の春の研修会は5月25日の午後に、21名の参加を得たこともない人もいたりして、手話がなかなか見つからず苦労しました。手話通訳者とろう者の方の共通の理解が必要ですので、時間がかかります。
 研修を終えると夕方です。美味しい夕食をみんなでいただきながら、楽しい懇談の時を持ちます。
 秋の研修会は、9月14日の午後から、前述の「国立女性教育会館」を会場に開催します。緑多く静かな広々としたところなので、学びにはとても良い環境です。1泊2日、聖書を手話で学び、讃美歌を手話で歌い、徳野昌博牧師のお話を手話通訳を介して聞き、恵まれ、感謝して帰宅します。
 ろう者会も高齢化が進み、参加したくても出来ない人が増えてきていますが、神さまはいつも私たちを助け、守っていてくださることを信じて、研修会を続けていきたいと思います。
 ここまで続けてこられたのは、東教区の皆様のお祈りとご支援のお蔭であると感謝いたします。これからも障がい者伝道を覚え、見守ってくださいますよう、お願い申しあげます。

礼拝式文の改訂

③ルーテル教会の式文

式文委員会委員長 平岡仁子

  世界のルーテル教会の典礼は、ルター自身の典礼の取り組みに深く現されているとゴードン・W・レイスロップ博士は、著書「21世紀の礼拝―文化との出会い」 の中で語ります。そしてその典礼実践の中心と言える特徴を「保護と批判」と呼ぶのです。
 ルーテル教会は典礼の伝統を受け入れると同時に、その伝統がイエス・キリストの福音を妨げる時、鋭く批判します。ルターは神が与えることと、私達が行うことを区別し、しかもそれを一緒に持ち続けることを求めました。
 ルター派の人々は「ミサを保持する」とアウグスブルク信仰告白(24条)において告白しただけでなく、実際そのように保持しました。ルターにとって、福音的実践における会衆参加の礼拝は、 歴史的かつカトリック的伝統から離れて存在することはなかったのです。言い換えるなら「ルター派の典礼」というものはなかったと言えるのです。
 ルターが書いた「ヴィッテンベルグ教会のためのミサと聖餐の規範」Formula missae et communionis pro ecclesia Wittembergensi 1523) と 「ドイツミサ」Deutsche Messe (1526) は典礼書でも、また全く「新しい典礼」でもありませんでした。それはむしろ、変革された福音的仕方による伝統の用い方について書かれたものでした。
 ルターはルター派の礼拝儀式書あるいは典礼書と呼ばれるものを書かなかったと言えます。そうではなく伝統的ミサを祝うための福音的方法として二つの実例を与えたのでした。しかも詳細において異なる二つであり、一つではなかったのです。どちらか一方に「権威」を与えてしまう危険を避けるために。「私たちはミサを保持します。」、しかも二つは並はずれて批判的でした。
 ルター派が今に至るまで持ち続けてきた、典礼について最も中心となる重要な二つの原理があります。それは神の御言葉の明瞭さ、そして会衆参加の重要性です。また続く第3の原理には強制の排除が含まれます。ルターは改革は強いられるのではなく、愛し、教えることによってもたらせられなければならないと説教しました。
 ルターの典礼に関する文書は、「これを義務づける法を生み出してはならない!」という警告に満ちていたのです。だからルター派の伝統は強制して行うことを批判し、愛すること教えることによる改革へと私たちを招きます。
 典礼における強制の拒否という批判は、カトリック教会のミサ典礼書や聖公会の祈祷書のような規範となる礼拝式文集を、歴史的にルーテル教会が承認してこなかったことに現れました。そして、教派を超えた多様な文化の時代において、このことは新たな伝統となっています。
 ルター派は偉大な典礼の伝統に通じた礼拝・聖餐式を失いません。しかしその礼拝・聖餐式は、多様性において確かに実践され得るのです。そしてルターのこの伝統もまた、キリスト教の教派を超えた宝と言えるのです。

ルーテルこどもキャンプ 参加者からスタッフへ

高橋 奏(東京教会)

 私が「こどもキャンプ」を知ったのは小学5年生の時です。当時は、「少年少女国際キャンプ」という名前であり、アメリカについて学びました。今からちょうど10年前のことなのに、キャンプが始まってグループ名を決める時のことから、最後のグループ発表でリーダーが泣いていたことまで鮮明に覚えていることに自分でも驚きます。
 ブラジルについて学んだ6年生では、自然と自分から参加すると言ったような気がします。私は地元の公立小学校に通っていましたが学校には教会に行っている友達はいませんでした。だから、キャンプに参加して全国にたくさんの同世代のクリスチャンがいることに驚いたし、それと同時に「私だけじゃないんだ」と思うようにもなりました。 そこから、「春の全国ティーンズキャンプ」(春キャン)にも参加するようになってクリスチャンの友達がたくさんでき、教会にもずっと繋がっています。「こどもキャンプ」に参加していなかったら私のクリスチャンとしての今の生活はなかっただろうな、と考えるくらい、私にとって「こどもキャンプ」の存在はとても大きいです。
 そんな「こどもキャンプ」に今、スタッフとして関わらせていただけていることが嬉しいです。今まで3回スタッフをさせていただきましたが、一番感じることはキャンパーたちの3日間での変化です。初日は緊張してあまり自分から話さなかった子が、たくさん自分の意見を言うようになったり、人の話をしっかり聞いてよく考えるようになったり…。段々とそれぞれの個性が出てきて、3日間でこんなにも変わるのだなと思い、本当に毎回驚きます。
 「こどもキャンプ」は「春キャン」とは違い、人生で2回しかキャンパーを経験することができません。その2回で、仲間とともに神様やイエス様のこと、平和についてたくさん学んで考えられる3日間は、一生の糧になると思います。これからもキャンプに参加する子どもが増えていってほしいです。今年も多くの5、6年生が広島に集まり、どんなことを経験して、何を感じる3日間を過ごすのか、今からとても楽しみです。
 ルーテルこどもキャンプ 7月7日(月)申込〆切
日本福音ルーテル教会ホームページのTNGより、お申込できます。
お問い合わせは 松本奈美(神戸教会) TEL078‐691‐7238

ルーテル阿蘇山荘清掃奉仕に参加して

寺本 晟(大江教会)

  5月24日(土)、毎年恒例となっている阿蘇山荘の清掃奉仕作業が行われました。今年度は大江教会が地区の女性会の当番ということもあって、九州ルーテル学院の方と一緒に準備しました。この清掃は熊本地区女性会を中心に行われてきましたが、各教会の壮年会からも参加されるようになり、現在では、九州ルーテル学院の学生・教職員も加わって規模も大きくなっています。
 今年の参加者は、地区の教会関係が67名、九州ルーテル学院が大学・高校生を含めて78名、合わせて145名でした。
 当日は9時30分の開会礼拝(大江教会 立野牧師)から始まり、昼食をはさんで14時30分の閉会礼拝(ルーテル学院中・高チャプレン 崔牧師)まで、熱心に作業が行われました。
 全員での布団干し、その後各グループに分かれて、建物の内外、外回りの樹木の伐採・草刈りなど作業は隅々にわたりました。どのグループも教会と学生が協力して取り組みました。参加者が多かったので、多くの作業をこなし、見違えるようにきれいになりました。 昼食の親睦のときは、楽しい語らいがあちこちで見られました。また、教会・学院ごとの紹介をして互いの交流もしました。ルーテル学院の古屋事務局長からは、阿蘇山荘の歴史と現状についての話がありました。50年前に広大な自然の中に創設されたこの施設は、ルーテル教会のキャンプ場として唯一現存していることなど、また、この施設のために尽力いただいた方々がいることも知りました。
 現在は九州ルーテル学院の管理下にありますが、貴重な施設の清掃をこれからも続けていかなければと改めて思いました。晴天に恵まれた初夏の阿蘇で、多くの方々と一緒に作業をして、いい汗をかき、恵みの多い一日でした。きれいになった阿蘇山荘では、8月に九州教区の中高生キャンプや夏期聖書学校が予定されています。皆さんもどうぞ、団体でも、家族でもご利用ください。
 (お問い合わせは九州ルーテル学院まで)

日本福音ルーテル教会 常議員会報告

 6月9日から11日にかけて3日間、4月末の全国総会で選任された常議員が市ヶ谷センターに集まった。第26回総会期最初の常議員会であった。 
▼総会議長の基本方針
 前期に引き続いて、総会議長に選出された立山忠浩議長は、まず、今期の基本方針を議長報告に沿って述べた。  
 「第一は、第六次綜合方策(2012~2020年)を遂行するのが使命と考える。具体的な実行のために優先事項を絞り込む。[宗教改革500年記念事業]、[震災支援]、[財務問題]の三項目へと優先的に取り組む。
 更に、先の全国総会で出された意見や要望のなかで、[新式文に関すること]、[社会問題についての姿勢]は懸案事項として、今期にそのあり方を取りまとめる」。
▼諸活動及び委員会報告事項
 事務局長及び事務局4室長、各教区長、諸委員会から、合わせて22の報告がなされた。いずれも重要な要素となるが、あえてこの紙面では、今回の特記事項として五つを列挙して報告を説明したい。
①新体制になった各教区長報告=全国5教区でも3月に実施された教区総会を経て、常議員交代が生じ、新組織の構成が記されている。
②信仰と職制委員会からの「死刑制度に関しての答申」=2009年に常議員会より二つの事柄が委員会に諮問された。当時、裁判員裁判制度の開始を巡る状況に対し、教会員がどのように処するべきかが課題となり、日本福音ルーテル教会(JELC)としての立場を定めるために、一つは「裁判員制度について」、もう一つは「死刑制度について」のとりまとめを委員会に求めた。前者の答申は速やかに提示されたが、死刑制度に関する教会の対応は、課題のまま残った。そしてこの度、第25期委員によりその答申がまとめられた。常議員会では、若干の修正を加えた上で、JELCの基本方針としてこれを受理した。
③世界宣教委員会=「ブラジル伝道」に関する報告において、委員長が受け取った現地からの現状報告に加えて、宣教師の派遣延長を願う意向が示されてきており、この経緯が説明された。常議員会は、これまでの経緯を確認して、現地関係教会等に伝える方向性を定めてゆくものとした。
④式文委員会=全国総会では、改訂作業を続けてきた新式文案に、試案の一つとなるメロディをつけて、実演がなされた。この改訂作業は、2007年に常議員会より10年を目標にして式文を改訂するための委託を同委員会が受けて、既に7年を積み重ねてきており、その進捗報告となった。総会の議場では複数の意見や要望が出され、これに対する対応と今後の進行を協議すべく、本常議員会には、平岡仁子委員長に出席を願って、課題確認とこれからの進め方についての協議が行なわれた。
⑤LCM会議報告=JELCは、その開設母体となった海外の教会、諸団体と宣教協約を結び、連携を保ってきた。アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)、フィンランド・ルーテル福音協会(LEAF)、ドイツ・ブラウンシュバイク州福音ルーテル教会(ELCB)とは、教会間相互の交流と可能な宣教協力の推進について協議するため「宣教協力会議」(LCM会議)を重ねてきた。2014年はELCA及びLEAF代表者とJELC執行部間での個別協議会が日本で開催され、その内容を報告している。なお、ドイツとは2017年を念頭に、連携の保持を意図した交流に努めた。
▼申請事項・協議事項
 まず、今期の宗教法人責任役員8名と、事務局の中におかれる4室長が決定された。総務室と管財室に青田勇師、広報室を新たに安井宣生師(本郷教会)、宣教室を白川道生師(事務局長兼務)が担当する。
 続いて、教会建物の老朽化に伴う対策に類する申請が審議された。宣教の歴史の進展は、その礼拝堂及び牧師館建物の経年劣化という課題と並行する。これに対処する「土地建物回転資金」の借入等の申請が4件あり、いずれも承認された。
 また、全国総会で事業計画提案がなされた「宗教改革500年記念事業」において、事業会計に関して「特別会計の設置」が決議された。当初、出版事業に多額の準備金確保が必要と予測されたが、出版社との事前調整の結果、販売委託方式を取る合意によって、初期の資金準備を抑えることが可能になり、事業予算の規模は690万円となった。
 なお、全国総会で承認された事業計画の概要は、今後「機関紙るうてる」をはじめ、順次各教会にも説明がなされてゆく予定となっており、全教会的な広がりを指向した取り組みが始められていく。
  なお、この他の事項を含む詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。 事務局長 白川道生

ルーテル・医療と宗教の会 公開講演会報告

 子どもが「お父さん〇○ってどうして?」と尋ねてきた際の「その仕組みはね、△△から始まって、だから□□となって、●●になってしまう。分かったね。以上、おしまい。」という父親の説明は極めて科学的(形而下的)です。しかしそれでは、子どもの「なぜ?」、例えば、なぜ人は病気になるのか、なぜ人は死んでしまうのかなど、形而上的問いにはまったく答えておらず、そこに科学の限界があるとの指摘から講演が始まりました。
 ルーテル・医療と宗教の会の公開講演会は、6月15日、ルーテル市ヶ谷センターで開催されました。お招きした講師は信州大学教授の谷口俊一郎先生です。谷口先生は分子腫瘍学という、がん研究の最先端をいく研究者であると同時に松本教会のメンバーでもあります。
 講演テーマ「がん研究から学んだこと―がんとの闘いから共生へ」から想像して、かなり難解な内容かと覚悟していましたが、眠くなるどころか、絶えず興味が湧き上がってきて、あっという間の2時間でした。
 谷口先生は「がんは遺伝子の病気です。がん細胞は遺伝子の構造変化やその働きの異常が蓄積して生じます。」と結論をまず述べられます。ドッキリしますが、個人としては病気でも、人類が進化して今にいたるプロセスに重ね合わせると、遺伝病とはある種の個性であり、かつ進化の必然にもなると説明を聴けば納得するのです。
 最後に、「ガリレオ以降、科学は『How?』を追及してきたが万能ではない。『Why?』には応えられないけれど、科学の不思議を学ぶ中でそれを超える存在も知ることができた。冷たいと思われる科学から得た、温かい情報です。」と述べられました。谷口先生の信仰告白のように感じたのは私だけでしょうか。
 ルーテル・医療と宗教の会は1993年の宣教100年をきっかけに、ルーテル教会に所属する医療従事者と牧師有志によって結成されました。毎年、医療にかかわる様々なテーマで公開講演会を開催しています。
ルーテル・医療と宗教の会世話人代表 原 仁(むさしの教会)

公   告

 この度、左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2014年7月15日
 宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 立山忠浩
信徒利害関係人 各位

合志教会土地無償貸与
・所在地 熊本県合志市合生
・所有者 日本福音ルーテル教会
 地番 3937番4
 地目 宅地
 地籍 1,639.91㎡
・理由  社会福祉法人菊池愛泉会「愛泉保育園」の幼児保育事業のために土地を無償貸与する。貸与期間は契約締結日から10年間とする。

14-06-18ふりそそぐ主のまなざし

イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。マタイによる福音書九章九節

徴税人マタイはいつものように通りの収税所に座って仕事をしていました。そこをイエス様がお通りになりました。マタイはイエス様のお姿にいつ、気づくでしょうか。

イエス様は直前の箇所で、中風の人を癒されました。自分で起き上がれない中風の人は、寝かされたまま友達にイエス様のところに連れて来られました。イエス様は中風の人に向かって「あなたの罪は赦される」という言葉で癒されましたから、律法学者の反感を買いました。「この男は神を冒涜している」。見ていた群衆は大騒ぎです。

この騒ぎですから、イエス様は大勢の群衆に取り囲まれながら通りを歩かれたことと思います。マタイはいつ、イエス様に気づくでしょうか。マタイはいつ、イエス様の方に顔を向けるでしょうか。

イエス様がこんなに近くに来てくださったのに、マタイは気づかないのです。気づいていても顔を向けなかったのかもしれません。マタイ自身にとって、イエス様は自分には関係がないと思ったのかもしれません。マタイは徴税人として自分が世間ではどう見られていたかをよく承知していました。自分の仕事は同胞に嫌われ、罪びととさげすまれている毎日。自分のことをだれかが心に留めてくれることは久しくなかったのかもしれません。

このマタイに転機が訪れました。イエス様のたったひとことでした。
「わたしに従いなさい」。
このイエス様のひとことで、マタイは人生が変わるのです。これまで何年と同じところに座っていたマタイは立ち上がってイエス様に従うのです。

同じところに座りっぱなし。それはマタイが自分の力で、今の現状をどうすることもできないとあきらめていた心をあらわしているかのようです。毎日同じことの繰り返し。だれからも声をかけられない。だれからも頼りにしてもらえない。だれからも自分の存在を喜んでもらえない。かたくなにしていたマタイの心のカギをイエス様が開けてくださいました。
「わたしに従いなさい」。

イエス様に従うということ、それは、今までマタイが自分の方にだけ向けていた心を、イエス様の方に向きを変えるということです。イエス様の方に心の向きを変えることを、マタイは自分の力でできませんでした。イエス様の方から心の向きを変えるように声をかけてくださいました。たった一言です。イエス様の一言には、マタイの生き方を変えるほどの大きな力、権威がありました。

続く十章三節には、十二弟子のひとりとして「徴税人のマタイ」が数えられています。マタイはほかの弟子たちと同じように、汚れた霊を負い出し、病気をいやす権能を授けられました。イエス様の教えを身近に聞き、奇跡を見るのです。

次にマタイの名前が聖書に登場するのは使徒言行録一章十三節です。マタイはイエス様の十字架の死と復活を目撃することになります。マタイもイエス様を裏切ったひとりでした。にもかかわらずマタイもイエス様のご復活、昇天、聖霊降臨を経験していくのです。 聖書は弟子としてのマタイの働きを詳しく記しません。けれどもイエス様の「罪のゆるし」の文脈で、マタイはイエス様のお声掛けによって立ち上がり、全く新しい生き方へと招かれた人として大事な位置に置かれています。

雑踏の中でイエス様から声をかけられるまで、徴税人マタイのそばを数多くの人々が通り過ぎたことでしょう。けれどもイエス様はマタイのそばを通り過ぎることはなさいませんでした。
「わたしに従いなさい」。
このイエス様のみ言葉をわたしたちも人生の途上で聞きました。わたしたちも心の向きをイエス様の方に変えるのです。わたしたちもイエス様の不思議な選びに与っています。
「前からも後ろからもわたしを囲み、御手をわたしの上に置いてくださる。」(詩編一三九編五節)

刈谷・岡崎教会牧師 宮澤真理子

14-06-15るうてる2014年6月号

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「ふりそそぐ主のまなざし」

イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。マタイによる福音書九章九節

徴税人マタイはいつものように通りの収税所に座って仕事をしていました。そこをイエス様がお通りになりました。マタイはイエス様のお姿にいつ、気づくでしょうか。
 イエス様は直前の箇所で、中風の人を癒されました。自分で起き上がれない中風の人は、寝かされたまま友達にイエス様のところに連れて来られました。イエス様は中風の人に向かって「あなたの罪は赦される」という言葉で癒されましたから、律法学者の反感を買いました。「この男は神を冒涜している」。見ていた群衆は大騒ぎです。
 この騒ぎですから、イエス様は大勢の群衆に取り囲まれながら通りを歩かれたことと思います。マタイはいつ、イエス様に気づくでしょうか。マタイはいつ、イエス様の方に顔を向けるでしょうか。
 イエス様がこんなに近くに来てくださったのに、マタイは気づかないのです。気づいていても顔を向けなかったのかもしれません。マタイ自身にとって、イエス様は自分には関係がないと思ったのかもしれません。マタイは徴税人として自分が世間ではどう見られていたかをよく承知していました。自分の仕事は同胞に嫌われ、罪びととさげすまれている毎日。自分のことをだれかが心に留めてくれることは久しくなかったのかもしれません。
 このマタイに転機が訪れました。イエス様のたったひとことでした。
「わたしに従いなさい」。
 このイエス様のひとことで、マタイは人生が変わるのです。これまで何年と同じところに座っていたマタイは立ち上がってイエス様に従うのです。
 同じところに座りっぱなし。それはマタイが自分の力で、今の現状をどうすることもできないとあきらめていた心をあらわしているかのようです。毎日同じことの繰り返し。だれからも声をかけられない。だれからも頼りにしてもらえない。だれからも自分の存在を喜んでもらえない。かたくなにしていたマタイの心のカギをイエス様が開けてくださいました。
「わたしに従いなさい」。
 イエス様に従うということ、それは、今までマタイが自分の方にだけ向けていた心を、イエス様の方に向きを変えるということです。イエス様の方に心の向きを変えることを、マタイは自分の力でできませんでした。イエス様の方から心の向きを変えるように声をかけてくださいました。たった一言です。イエス様の一言には、マタイの生き方を変えるほどの大きな力、権威がありました。
 続く十章三節には、十二弟子のひとりとして「徴税人のマタイ」が数えられています。マタイはほかの弟子たちと同じように、汚れた霊を負い出し、病気をいやす権能を授けられました。イエス様の教えを身近に聞き、奇跡を見るのです。
 次にマタイの名前が聖書に登場するのは使徒言行録一章十三節です。マタイはイエス様の十字架の死と復活を目撃することになります。マタイもイエス様を裏切ったひとりでした。にもかかわらずマタイもイエス様のご復活、昇天、聖霊降臨を経験していくのです。 聖書は弟子としてのマタイの働きを詳しく記しません。けれどもイエス様の「罪のゆるし」の文脈で、マタイはイエス様のお声掛けによって立ち上がり、全く新しい生き方へと招かれた人として大事な位置に置かれています。
 雑踏の中でイエス様から声をかけられるまで、徴税人マタイのそばを数多くの人々が通り過ぎたことでしょう。けれどもイエス様はマタイのそばを通り過ぎることはなさいませんでした。
 「わたしに従いなさい」。
このイエス様のみ言葉をわたしたちも人生の途上で聞きました。わたしたちも心の向きをイエス様の方に変えるのです。わたしたちもイエス様の不思議な選びに与っています。
 「前からも後ろからもわたしを囲み、御手をわたしの上に置いてくださる。」(詩編一三九編五節)
刈谷・岡崎教会牧師 宮澤真理子

宗教改革五〇〇周年に向けて ルターの意義を改めて考える(26)

ルター研究所所長   鈴木 浩

宗教改革のきっかけとなったのは、よく知られているように、『九五箇条の提題』と呼ばれる文書であった。もともとは『贖宥(しょくゆう)の効力を明らかにするための討論』という題が付けられていたこの文書は、一五一七年一〇月三一日にヴィッテンベルクの城教会の扉に掲示された、と言われている。『九五箇条の提題』と略称されるのは、九五項目の箇条書きで書かれた文書だからである。
 この文書で問題にされていたのが、「贖宥状」である。「贖宥」とは、「罪の償いの免除」という意味である。
 ルターは、この文書を「わたしたちの主であり、師であるイエス・キリストが、『悔い改めよ』と言われたとき、主は信じる者の全生涯が悔い改めであることを望みたもうたのである」という一文で始めた。
 問題は「悔い改めよ」というマタイ福音書四章一七節の言葉のラテン語であった。「悔い改めよ」という言葉は、ラテン語で「ペニテンティアム・アギテ」となっていた。無論、もともとは「悔い改めよ」という意味であった。
 ところが、中世後期になると、その意味がすっかり変わってしまっていたのである。

議長室から

全国総会を終えて

総会議長 立山忠浩
 第26回全国総会が開催されました。議案のひとつが「宗教改革五〇〇年記念事業案」でした。無事に承認されましたので、今後白川道生宣教室長を中心に具体的な活動が展開されて行きます。皆さまのご協力、ご参画をお願いいたします。
 課題も与えられました。議長報告には「社会に仕える教会の姿を提示して欲しい」との意見が複数寄せられました。
 三年間の震災支援活動には評価をいただきましたが、今後の活動や社会問題への積極性を促されました。
 二年後の全国総会での採択を目指す新式文は、議案とするまでに諸調整を図らなければならないことが明らかになりました。
 その他にいただいた意見や質問には、各個教会の厳しい財政事情を窺わせるものが多々ありました。教勢不振、会員の高齢化が進んでいる現状から、財政面の不安感が伝わって来ました。
 収益事業の好転傾向、子供たちや青年伝道の着実な成果は希望を与えるものでしたが、財政の課題は今期の懸案事項となるでしょう。
 総会は報告を聞き、議案を審議するだけではありません。私にとっての総会の楽しみのひとつは、牧師の説教をたくさん聞けることでした。
 引退を間近にされた牧師の説教があり、五千人の食事の奇跡を 思わせるような証と新教区長の説教もありました。それぞれに説教の味があり、心に響くものであり、感謝でした。
 私自身は開会礼拝を担当させていただきました。総会の主題聖句から(Ⅰテサロニケ五・一六~)「喜びと感謝、そして祈り」について語りました。ルーテル教会の現状は厳しく、明るい話題だけではありませんので、そこに喜びと感謝を見出すことはなかなか難しいことです。しかし「主が共にいてくださる教会」であることを忘れなければ、それは喜びであり、感謝なのです。
 この「主にある喜びと感謝」を大切に、皆さんの祈りに支えられながら、議長としての二年間の職務を務めさせていただこうと思います。

春キャンを契機に私は去年の12月15日、堅信をしました。

健軍教会 安藤 風
 私は父が牧師であるにもかかわらず、高校生になっても堅信する気が全くありませんでした。私は教会でも、教会学校にしか出席していなかったし、大人の礼拝は少し堅苦しくて、よくわからない部分もいくつかありました。でも、いつか分かる日がくるだろう、そして自分から堅信しようと思える日がきたら、そのときにすればいいと思っていました。
 だけど、父は少し焦っていたのかもしれません。私は次の年から受験生で、あまり時間がありませんでした。でも私は自分が納得できないうちから堅信するのはおかしいと思っていました。
 私は、早く堅信しなきゃいけないような、でもまだしたくないような、そんなもやもやした気持ちをずっと抱えていました。

 このもやもやが消えたのは、去年の「春キャン」のときでした。イエス様が十字架にかかるまでの追体験をして、その中で十字架の代わりに重い木を背中にのせました。
 背中に重みがかかったその瞬間、その重みは同時に私の心にのしかかりました。こんな瞬間は生まれて初めてでした。私の中のもやもやがすっと消えたのです。今まで、礼拝って良くわかんないとか、教会に行かないことを許してもらえないとか、早く堅信しなきゃいけないのかな、とか、もういろんなことがグチャグチャになっていたのが、ただ、「イエス様、今までごめんなさい。そしてありがとう。」という気持ちでいっぱいになりました。そしてその直後、私は堅信しようと決めました。

 それ以来、私は教会に行くとき、時々このことを思い出します。イエス様に、ごめんなさい、ありがとう、という気持ちになると、素直な気持ちで礼拝にでることができます。

 もし今、堅信のことを考えているteensがいるなら、私は何も心配しなくていいと思います。最後は神様がきっといいようにしてくださいます。

 最後に、春キャンのスタッフやteens、そして神様、イエス様に改めて感謝します。

蒲田教会オルガンCDが完成

蒲田教会牧師 渡邉 純幸

 「教会にパイプオルガンを!」という蒲田教会の長年の夢が叶い、2013年12月1日(待降節第一主日)、待ちに待ったオルガンの奉献聖別礼拝が執り行われました。そしてその日の午後、フランシス・ヤコブ氏によるオルガン奉献演奏会が盛会のうちにもたれました。教会近隣の方々は言うに及ばず、遠く九州、広島、関西、甲信からお越し下さり、300人以上の方々と共に、オルガン演奏に酔いしれました。
 パイプオルガンはフランスの西、ジュラ地方に位置する、オーベルタンの工房で制作されました。このオルガンは、フランスの名工、ベルナール・オーベルタン氏の手によるものです。837本のパイプは14ストップに操られ、これからどれだけ鳴り続けることでしょう。神さまへの讃美の音色として、きっと多くの人々の耳を心を貫くことでしょう。
 ヤコブ氏は、1972年生まれ。1987年ブローニュ・シュール・メール・A・ギルマン記念コンクールに第1位入賞。1997年ベルギーのブリュージュ国際オルガン・コンクール最高位入賞。ソロ活動はもとより、ヨーロッパ内外の器楽、声楽アンサンブルと共演し、2001年よりシュトラスブール音楽院教授として現在に至っています。 氏の演奏は、深井李々子氏の言葉を借りれば、「バッハを中心に、イタリア初期バロックからフランス古典、バッハの弟子に至るオルガンの音色の可能性をオーベルタン・オルガンから引き出す。」とのことです。
 オルガンについては、「14ストップの小規模のオルガンながら、14の音色はそれぞれ個性があって良く歌う。さまざまに組み合わせても互いに溶け合って新しい個性の音色が生まれ、美しく鳴り響く。837本のパイプは天の声を伝える道具として人々に喜びを与える。」(CDジャケットの解説より)とありますように、コンサートにお越しいただいた方々の感動を呼びました。
 当日の演奏曲目を収録したものが、この度のCD「フランシス・ヤコブ オルガン演奏会」です。この作品が、多くの人々の魂の慰めと安らぎとなり得れば幸いです。
 CDについてのお問合せは、左記のとおりです。
ルーテル蒲田教会 
電話:03-3731-6777   E-mail: jelckama@yahoo.co.jp

礼拝式文の改訂

②生きた水の流れ

式文委員会委員長 平岡仁子

 「救われるためにどうすべきでしょうか」(使徒言行録16・30)この問いは長い迫害の時代を生きたキリスト者にとって、試金石であったかもしれません。何故なら答えは次のようであるからです。「『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。』」弟子たちは主の言葉を語り、そしてそれを聞いた人たちは迷わず洗礼を受けました。(使徒言行16・31~33)信仰は洗礼へと導き、そして洗礼は信仰によって受け入れられます。言い換えるなら、信じることは現実において形となって現れると言えるかもしれません。だからこそ迫害の時代、洗礼は日本人として生きるのか、それとも洗礼によってキリスト者として生きるのかということを選ばなければならない試金石になったのではないかと考えるのです。
 しかし反対に、だからこそ洗礼を受ける人々は彼らの信仰を人々に示すことができたと言えるでしょう。しかし洗礼とは実際、このようなものなのでしょうか。故郷の美しい思い出を諦め、人を孤独へと追いやるものなのでしょうか。
 先ほどの続きにこう書かれています。「この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。」(使徒言行録16・34)受洗した後、彼らは弟子たちを家に招き食事をし、神の恵みを頂いたことを一緒に喜んだと書かれています。
 彼らはそもそも、お互い友人ではありませんでした。そうではなく、囚人と看守という対立する関係にある人たちでした。にもかかわらず、彼らは食事を共有し、一緒に喜んだのです。そして私たちはここに、信仰の形成を、そして洗礼によって始まる新たな現実を見い出すことができるのではないでしょうか。即ち、私たちを他者から引き離したり、あるいは私たちを孤独の中に置くのではなく、洗礼が神の恵みを共有する他者との出会いを生み出すことを。
 みことばは洗礼へ、そして洗礼は聖餐へと私たちを導きます。この全てはこの世の苦しみのただ中におられる神であるお方との出会いの中へ私たちを運びます。そしてこれが、キリスト教共同体において共に生きる第一に大事なことと言えるでしょう。みことばを聞き、洗礼を思い起こし、聖餐に与ることはキリスト者にとって飢え渇く心が生きた水によって潤されることです。そしてそのような礼拝への参加はみことばを聞き、まだ洗礼の恵みに与っていない神を求める人々の心にも、きっと洗礼や聖餐への飢え渇きを生じさせることでしょう。
 ハワイにバニヤンツリー(Banyan Tree)という木があります。(写真左)火山灰の地層は水分が少なく、そのため木の根は水を求め地上に上り、まるでクリスマスツリーの電飾のように気根という長い根が木全体を覆います。木は水を求め続けるのです。 私たちもまた生きた水の流れを絶やさず、洗礼によって真に他者と出会い、共に渇きを潤して頂きましょう。
 

ルーサーリーグ・ウェルカムパーティ開催

 去る4月20日に日本福音ルーテル東京教会にて、ルーサーリーグWelcomePartyを行い、36名もの青年が参加してくれました。中には、この春、「春キャン」を卒業した卒業生や、ルーサーリーグの活動初参加の子も来てくれました。
 役員紹介、自己紹介、アイスブレイク(人間知恵の輪、自己紹介ビンゴ)、二月に行われたJELAカンボジアワークキャンプ報告会、その他報告、歓談タイムと非常に濃い内容になりました。最初の緊張した雰囲気は時間が経つうちに、温かい雰囲気へと変わり、いい雰囲気の中カンボジアワークキャンプの報告会を行うことが出来ました。
 報告会はプログラムの説明、竹田大地牧師が作成してくださったムービーをみんなで鑑賞し、その中には日本では見ることのない地雷の写真等があり参加者を通して分かち合う時間を持つことが出来ました。最後になりましたが、 今回忙しい中参加してくださった皆様、お祈りの中に覚えてくださった皆様、そしてなにより私たちを導いて集めてくださった神様に感謝いたします。
 今年度も、ルーサーリーグ並びに全国にある青年会のことをよろしくお願いいたします。
 市ヶ谷教会 平井瑶子
 
4月20日に東京教会で東教区青年会(ルーサーリーグ)の歓迎会が行われました。私はこの春高校を卒業し、春の全国teensキャンプで青年会のお誘いを受け、初めて参加しました。
 普段それぞれの教会に通っている青年がひとつの場所に集まり、お祈りしたり分かち合いの時間を持ったり、とても楽しく実りある一時でした。東教区の方々に温かく迎えていただき、すぐに打ち解けることができました。
 この春高校を卒業された方をはじめ、少しでも青年会の活動に興味を持った方、是非各教区の青年会に参加してみてください。きっと温かく迎えてもらえることでしょう。
若者ならではの力で、一緒に教会の活動を盛り上げていきましょう!
  大岡山教会 角本茜

第16回ルーテル子どもキャンプ

チャプレン 市原悠史

今年も第16回ルーテルこどもキャンプの季節がやってきました。1999年に全国の小学5・6年生を対象にした「ルーテル国際少年少女キャンプ」が誕生し、2006年に「ルーテルこどもキャンプ」と名前を変えバージョンアップ! 近年は平和について考えるキャンプと外国について学ぶキャンプを交互に行っています。
 今回は8月7~9日、ルーテル広島教会を会場に、「平和とは何か」「わたしたちはどう行動すべきか」を、様々なプログラムを通し共に学び、 考えます。
 テーマ「来んさい ヒロシマ ピースじゃけん」主題聖句「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。」(エフェソ4・3)です。
 イエス様は言われました。「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5・9)イエス様に結ばれているものとして、教会につながっているものとして、聖書が語っている平和とは何なのかを考え、またそれを実現するためにはどうすればいいのかを考えていくことは、とても大切なことです。69年前に原子爆弾が落とされた街・ヒロシマで、様々な歴史資料を見ながら、触れながら、訪れながら、思いを深めていこうと思います。  過去のキャンプで、たくさんの子どもたちが祈り、賛美し、御言葉を受け止めてきました。毎回、全国から集まる子どもたちが、初対面とは思えないほど”平和の絆で結ばれて”いくのです。そこに神様の御業が働いていることを深く感じます。
 また、 ここで与えられた”霊による一致”は、小学校卒業と共に終わるものではありません。毎年3月に行われているティーンズキャンプや、各教区で行われているティーンズのためのプログラムへと引き継がれています。成長と共に、より大きな絆、一致へと広がっていくのです。子どもたちが心から生き生きとしている姿は、大人たちにとっても大きな希望となるでしょう。
 どうか、一人でも多くの子どもを送り出してください。聖書を通して、過去に学び、未来へ向けて、現在を歩むために。
お問い合わせは松本奈美(神戸教会) TEL078‐691‐7238

26回 日本福音ルーテル教会 定期総会

総会書記 白川道生

 日本福音ルーテル教会第二十六回定期総会が四月二九日から五月一日にかけて、日本福音ルーテル教会宣教百年記念東京会堂(東京教会)において開催された。総会議員として全国各地から参集した教職、信徒の人は220名を数えた。
 本総会では、「キリストに支えられ、育てられ、成長し、社会に仕える教会になろう」との標語のもと、全部で12号の議案が協議された。
聖餐礼拝から始まった総会は、来賓挨拶(日本キリスト教協議会、日本ルーテル教団)、続いて退任・召天・新任教師の紹介が行われた後、議事に入った。
◆第25総会期活動報告承認
 まず、議長報告から過ぐる二年間の活動と課題・対応が報告された。二〇一二年から八年間に渡る宣教方策をまとめた第6次綜合方策の中で、二十五期は優先的に「震災支援」、「財政」、「宗教改革500年」と三つに絞り込んだ課題への取り組みが報告された。そして事務局長~各室長報告、世界宣教~各教区、諸委員会、諸施設、関係団体報告が続き、ルーテルグループが全体として多岐にわたる務めを実践している姿が浮かび上がった。審議では「社会に仕える教会」のあり方を巡り、実際に起こる事柄に関する、ルーテル教会の会員及び信仰者としての理解と行動等の議論がなされた後、活動報告は、議場より承認をうけた。
◆役員選挙
 執行部選挙が行われた結果、第二十六総会期議長には立山忠浩氏が再任された。副議長・大柴譲治氏(新任)、書記・白川道生氏(再任)、会計・豊島義敬氏(新任)が選出され、これに信徒選出常議員、各教区長及び教区選出常議員を加えた新常議員会の組織も承認された。
◆教会組織の変更
 九州教区・大江教会と宇土教会「教会連立」の件が承認された。
◆東日本大震災救援活動
 二〇一一年三月から活動してきた「ルーテル教会救援」につき、青田本部長、野口勝彦派遣牧師、佐藤スタッフより、諸々の組織(全国の各個教会・他教派・初動から現地拠点づくり、ボランティア等)、海外からの支援受け入れ態勢、会計執行、現地での要請と活動内容など、震災支援の広範な実践報告がなされ、感謝をもって承認された。
◆礼拝式文の改訂
 来る二〇一七年の完成を目指して改訂作業を担ってきた式文委員会(平岡仁子委員長)により、改訂式文案が解説と共に議場で実演された。変更はメロディ、言葉、順序に及ぶ内容であり、全国の教会の実情に照らして多数の議員から意見や提言が出された。またアンケートも実施されて、引き続き、同委員会にこの調整がゆだねられた。
◆宗教改革五〇〇年記念事業
 マルティン・ルターの宗教改革から五〇〇年を迎える二〇一七年、これに向けて、日本福音ルーテル教会全体として策定した記念事業計画案が宣教室より提案された。単なる祝祭イベントに終わらせずに、この機会を通して、教会の内に向けては「ルーテル教会に属することの誇りや感謝の思いを深める」、教会の外に向けては「改めて聖書が指さしている事柄に広く、人々が目を向ける事をめざす」と、事業の狙いを定めて展開する姿勢が強調された。
 全体教会で企画実施する主要な三つは「推奨四冊の出版を通した活学運動の展開」、「全国巡回企画の実施」、「記念大会の開催」。また記念事業が教会だけでなく、学校・幼保、施設等広くルーテルグループで取り組まれていく展開と募金活動の実施も含めた提案内容であった。議場からは有益な宣教の機会となる期待を前提にした更なる提言や要望が積極的に挙がり、記念事業計画は共に承認された。
◆二〇一二・十三年度決算書・会計監査報告及び二〇一四年度実行予算、二〇一五・一六年度当初予算の承認
 森下博司会計より、二十五期の全体教会の財政と諸部門の財務状況が説明された。規模の大きなものとしては在京の収益事業建物で耐震工事を実施した影響が報告された。
 また豊島義敬財務委員長からは、過去40年間の収益事業の経営推移が紹介され、変遷はあったが宣教に益する収益事業となっていた事実を確認した。反面、収益事業建物の老朽化に伴う更新を課題と指摘がなされた。
 緊急の課題とされ、全体的な対応を取ってきている退職教職退職金・年金制度は、収益事業と各教会の財政拠出によりぎりぎり成立している現状が報告された。
 議場では、ひっ迫する各教会の財務状況を背景にした意見も出され、協議の後、財務関連提案は承認された。
(※詳細は、発行される定期総会議事録を参照ください。)

2014年 日本福音ルーテル教会全国教師会報告

全国教師会は宣教師を含む現任教師97名が会員として、神学的研鑽や諸課題についての神学的検討を行っている。全国教会総会に先がけて全国教師会総会が開催され、2年の歩みを振り返り、また各地域教師会の取り組みを分かち合う時をもった。

 期間中4度の礼拝が行われ、開会礼拝において永吉秀人会長は、エレミヤ書17章14節から教師集団の使命を告げた。晩祷では、沼崎勇師により、連続テレビ小説にも取り上げられている村岡花子の信仰に学び、二日目の朝祷では現在の最年少牧師である永吉穂高師より、教会のみならず関係施設の利用者の方々と共にあるという宣教について教えられた。
 閉会礼拝では今年度定年引退が予定されている最年長牧師である吉谷正典師により、その牧師生活を振り返り、神の前における誠実さを探求してこられたその歩みについてお話しいただいた。

 教会総会でも協議された、新式文、また宗教改革500年記念についても教師会として意見交換をし、その取り組みへの理解を深めた。また式文委員会からの問いかけを受け、キリストのからだとして設定されたパンとぶどう液を主日礼拝後に配達する可能性、また信徒奉仕者による聖餐式の司式の可能性、緊急聖餐の可能性、堅信の意味付けについて意見交換を行った。
 これらについては、いずれも時間をかけて議論を尽くしていく必要が確認された。

 宗教改革500年記念については、宣教室が主導する全体教会の取り組みの他に、各地域教師会などにおいて「ルターを語るために」といった観点からの研究によりこの宣教の機会を教師集団として生かすことについて検討がなされた。
 また立山議長よりの期待として、教師会として宗教改革に関連する出版、また語学の研鑽を積み、世界のルーテル教会のネットワークを豊かにしていくことなどが寄せられた。

 なお、役員選挙が行われ、永吉秀人(会長)、安井宣生(書記)、和田憲明(会計)、石居基夫(無任所)が選出された。
 全国教師会書記 安井宣生


《奨学金のおしらせ》

 ELCA(米国福音ルーテル教会)は教会指導者のための短期研修及び女性指導者養成のための国際奨学金を提供しています。いずれも個人的研究ではなく、将来日本福音ルーテル教会および関連施設に資することを目的としています。受給希望者は所属教会、施設等の所属機関を通して、JELC事務局へお申し込みください。
 締め切りは7月7日。


[連絡先変更]

■藤が丘教会メールアドレスfujigaoka@jelc.or.jp
同ファックス
045‐479‐7009
■星野幸一先生メールアドレス:hoshino33@outlook.jp

 

14-06-15ディアコニアニュースNo.40

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14-05-18遅れてきた夜明け

「十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。『あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない』」
ヨハネによる福音書20章25節

十二弟子のひとりトマスは、この聖書に記された出来事から、「疑いのトマス」という不名誉な称号で呼ばれることがあります。しかし、中学校の授業などで弟子の話をするとき、このトマスは人気のある一人です。 心身ともに多感な成長期を迎えている彼ら・彼女らにとって、このトマスの「疑い」は非常に共感しやすく、「疑ってもよいのだ」と安心できるのでしょう。実際、このトマスは、後にイエス様の彼に対する言葉の中に「見ないのに信じる人々は幸いだ」(29節)とあるように、主イエスを実際に見たことのない世代の代表でもあるのです。

「見ないのに信じる人々は幸いだ」…これは逆に、見えないもの、見たことがないものを信じることがどんなに難しいことかを表します。ましてや、トマスは自分一人だけ、主イエスの復活に居合わせることができなかったのです。
このトマスはもともとかなり熱心な弟子であり、十字架前のイエスがエルサレム方面に赴かれる際には「俺たちもイエス様と行って、一緒に死のうじゃないか」(ヨハネ11章16節)と勇ましく他の弟子たちを鼓舞するようなところもある人でした。
復活の主が最初に他の弟子たちに現れたときになぜトマスがそこに居なかったのか、その理由は記されていません。もしかするとトマスはその熱心さの分、主の十字架の衝撃、またその十字架の前から逃げ去った自分自身への後悔から、仲間に合流できずにいたのかもしれません。

するとその間に、自分以外の弟子たちに、復活の主が現れた。他の弟子たちは「俺たちは主を見たぞ」と喜び、盛り上がっている。「イエス様の手の釘跡とわき腹の傷を見、そこに触れてみなければ、わたしは決して信じない」…この言葉からは、トマスの懐疑と共に、信じる輪の中に入ることのできない哀しみ、周囲の喜びから自分だけが弾き出されたトマスの強い孤独も感じられます。

しかし、そこに再び現れた復活の主イエスは、他の弟子たちも共にいる中を、トマスただひとりに向かって語りかけられます。「手を伸ばして、あなたが言っていたとおり、私の釘跡、わき腹の傷に触れてみなさい」という主の言葉には、このときだけではなく、トマスが復活の主に出会う前、他の弟子たちから取り残されたように感じていたとき、しかしその彼の言葉が確かに主イエスに届いていたことを示します。トマス自身が誰からも見捨てられ、暗闇の中にいるように感じていたときですら、主は確かにトマスを心に留めてくださっていたのです。
遅れてきたトマスの復活体験は、そのできごとを聞く私たちを慰めてくれます。トマスのことを覚えておられた主は、あなたのことも確かに覚えていてくださる。そのことを、直接主を見ることができない世代に伝えるために、このできごとは福音書に書き残されました。 復活が頭では分かっても、心が信じられないときがあります。また今もなお、恐れや不安が支配する場所があります。

しかし、主は「すべてが終わった」と誰もが思ったあの十字架の死から、起き上がってくださいました。「戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち」…私たちの理性や常識、恐れや孤独、固く閉ざされた扉、それをものともせずに超えて来て、私たちと出会おうとしてくださる方が、確かに生きておられるのです。
その方こそ「わたしの」主、どこまでも私たちを追い求め、心に留めてくださるお方です.

室園教会牧師 西川晶子

14-05-15るうてる2014年5月号

機関紙PDF

説教「遅れてきた夜明け」

「十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。『あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない』」ヨハネによる福音書20章25節

 十二弟子のひとりトマスは、この聖書に記された出来事から、「疑いのトマス」という不名誉な称号で呼ばれることがあります。しかし、中学校の授業などで弟子の話をするとき、このトマスは人気のある一人です。 心身ともに多感な成長期を迎えている彼ら・彼女らにとって、このトマスの「疑い」は非常に共感しやすく、「疑ってもよいのだ」と安心できるのでしょう。実際、このトマスは、後にイエス様の彼に対する言葉の中に「見ないのに信じる人々は幸いだ」(29節)とあるように、主イエスを実際に見たことのない世代の代表でもあるのです。
 「見ないのに信じる人々は幸いだ」…これは逆に、見えないもの、見たことがないものを信じることがどんなに難しいことかを表します。ましてや、トマスは自分一人だけ、主イエスの復活に居合わせることができなかったのです。
 このトマスはもともとかなり熱心な弟子であり、十字架前のイエスがエルサレム方面に赴かれる際には「俺たちもイエス様と行って、一緒に死のうじゃないか」(ヨハネ11章16節)と勇ましく他の弟子たちを鼓舞するようなところもある人でした。
 復活の主が最初に他の弟子たちに現れたときになぜトマスがそこに居なかったのか、その理由は記されていません。もしかするとトマスはその熱心さの分、主の十字架の衝撃、またその十字架の前から逃げ去った自分自身への後悔から、仲間に合流できずにいたのかもしれません。
 するとその間に、自分以外の弟子たちに、復活の主が現れた。他の弟子たちは「俺たちは主を見たぞ」と喜び、盛り上がっている。「イエス様の手の釘跡とわき腹の傷を見、そこに触れてみなければ、わたしは決して信じない」…この言葉からは、トマスの懐疑と共に、信じる輪の中に入ることのできない哀しみ、周囲の喜びから自分だけが弾き出されたトマスの強い孤独も感じられます。
 しかし、そこに再び現れた復活の主イエスは、他の弟子たちも共にいる中を、トマスただひとりに向かって語りかけられます。「手を伸ばして、あなたが言っていたとおり、私の釘跡、わき腹の傷に触れてみなさい」という主の言葉には、このときだけではなく、トマスが復活の主に出会う前、他の弟子たちから取り残されたように感じていたとき、しかしその彼の言葉が確かに主イエスに届いていたことを示します。トマス自身が誰からも見捨てられ、暗闇の中にいるように感じていたときですら、主は確かにトマスを心に留めてくださっていたのです。
 遅れてきたトマスの復活体験は、そのできごとを聞く私たちを慰めてくれます。トマスのことを覚えておられた主は、あなたのことも確かに覚えていてくださる。そのことを、直接主を見ることができない世代に伝えるために、このできごとは福音書に書き残されました。 復活が頭では分かっても、心が信じられないときがあります。また今もなお、恐れや不安が支配する場所があります。
 しかし、主は「すべてが終わった」と誰もが思ったあの十字架の死から、起き上がってくださいました。「戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち」…私たちの理性や常識、恐れや孤独、固く閉ざされた扉、それをものともせずに超えて来て、私たちと出会おうとしてくださる方が、確かに生きておられるのです。
 その方こそ「わたしの」主、どこまでも私たちを追い求め、心に留めてくださるお方です。
室園教会牧師 西川晶子

宗教改革五〇〇周年に向けて ルターの意義を改めて考える(25)

ルター研究所所長 鈴木 浩

予定論はもともとアウグスティヌスが初めて本格的に提示した教理であった。しかし、抜きがたい「運命論的響き」が理由になって、アウグスティヌスの死後一〇〇年経ったオランジュ教会会議で予定論は公式に断罪された。しかし、その後も急進的アウグスティヌス主義者が時々現れることになった。
 アウグスティヌスには、もう一つ運命論的に響く教理があった。それが「原罪論」である。「人間は罪を犯さないことができない」とか「罪を犯す必然性」といった強い表現が原罪論の特徴であった。
 その後の西方教会の歴史では、この二つが重荷になっていた。いわば「負の遺産」だったのである。しかし、予定論は公式に断罪され、原罪論は骨抜きにされた。ルターが見るところ、それが中世神学の特質であった。こうして、二本の教理的棘が抜かれた「穏健なアウグスティヌス」が正統的伝統として継承されていった。
 そうした伝統の中で、一六世紀にひときわ急進的なアウグスティヌス主義者が現れた。ルターとカルヴァンである。ルターは骨抜きにされていた原罪論を強化し、カルヴァンは沈黙させられてきた予定論を復活させた。それが宗教改革であった。

 時代が少しさかのぼりますが、日本福音ルーテル教会の歴史の中に「アスマラ宣言」と呼ばれるものがありました。エチオピアのアスマラで開催された日本伝道に関する協議会で、当時の総会議長であった内海季秋牧師が、海外からの一般会計への補助金を五年後にはゼロにするという発言でした。 内海議長の個人的、かつ非公式の発言であったのですが、日本福音ルーテル教会の公式の自給宣言と国内外に受け止められて行ったのです。一九六九年四月のことでした。
 帰国後に議長報告を聞いた常議員会は戸惑いを覚えたことでしょう。しかし教会運営の海外依存からの脱却という方向性がここに定まったのです。
 日本福音ルーテル教会にとっての分岐点となったこの歴史的出来事は、議長発言の重さを象徴するものでした。議長の個人的、かつ非公式の発言が、結果として重要な政策上の方向転換へと導くことがあるのです。
 

議長室から

議長発言の重さを活かして

総会議長 立山忠浩

二年前の議長就任以来二回、パートナーシップを持つ海外教会からの招待を受け訪問する機会がありました。いずれも重要な政策を協議するための訪問ではありませんでしたが、「アスマラ発言」の出来事をどこかに意識しながらの旅でした。
 議長の個人的、非公式の発言は、海外訪問時だけ影響を及ぼすということではありません。失言や勇み足の類で教会にご迷惑をおかけすることもあるでしょうから、不用意な発言は戒めなければならないと肝に銘じています。
 同時に、日本福音ルーテル教会の方向を決めて行く力にもなり得ると考えています。もちろん教会の方策を常議員会、総会の決議を経て決定して行く手順は踏み外してはいけませんが、そこで様々な情報を十分に把握し、その上で審議を尽くすことは現実的に難しいのです。
 もっとも、「アスマラ宣言」のような大転換は念頭にありませんが、議長の発言が教会の宣教の前進のために益するのであれば、それを大いに活かして行きたいと思います。

ハンナ・ペンティネン宣教師の紹介

1.ご自身について
 私は、カルストラというフィンランド中部の5千人程の町の出身です。家族は両親の他、妹と弟二人がいます。専門は教会音楽で、ピアノ教師の資格もあります。シベリウス音楽大学を卒業後、いくつかの教会で教会音楽担当の職員をしていました。主としてオルガン奏者の仕事です。趣味は、読書、自然散策や旅行です。
2.日本の教会の印象は?
 今、市ヶ谷教会がオリエンテーション教会です。日本語は研修中なため、まだまだですが、同じルター派なので、礼拝ははいっていきやすかったです。
 市ヶ谷教会の皆様は、私をとても暖かく愛をもって受け入れて下さいました。フィンランドにあっても日本にあっても、教会とは、全世界の救い主であるイエス・キリストの福音を宣べ伝えるところだとの思いを新たにしています。
3.将来宣教師としてどんな働きをしたいですか?
 音楽は、天のみ神が教会に与えた賜物だと思います。讃美歌は神への祈りでもあり、信仰の大事な事柄を教えてくれます。礼拝音楽は、耳で聞いた御言葉を心で深めてくれます。音楽が専門なので、音楽を用いて教会に新しい人を招く伝道を希望しています。フィンランドでは子供を対象にした音楽の教会活動もしていたので、同じことが出来たらと思います。もちろん、教会のオルガン奏者の育成も出来ます。
4.ご自身の信仰について
 私は、信仰ある家庭で育ったので、小さい時からお祈りすることや、聖書を読むことや、教会に通うことは自然でした。私を今あるものに造られた天のみ神は、本当に私を愛して下さり、イエス様を救い主と信じる信仰のゆえに私の全ての罪を赦して下さいます。イエス様こそ、私たちを永遠の命へ 導いて下さる唯一の方です。
 彼こそが、私たちが困難にある時に世話をして、私たちの心に本当の平安を与えて下さいます。だから、彼のことをまだ知らない人たちに伝えたいのです。
     (吉村博明訳)

春の全国ティーンズキャンプ報告

チャプレン 岡田薫

 3月26(水)~28日(金)にかけて、「以神伝信(いしんでんしん)~それでもキミを愛してる」というテーマのもと千葉市少年自然の家にて第21回春の全国ティーンズキャンプが開催されました。
 主題聖句である《あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です》(エフェソ2・8)を中心に、全国から集まった88名の参加者と33名のスタッフが、心と体と思いを尽くして信仰についての考察を深めました。
 普段私たちは信仰生活の中で耳にしたり口にする”神さま””聖霊””イエスさま””罪””ゆるし”などの言葉について、言葉としては知っていても実際のところ、その意味するところや自分とのかかわりについてじっくり考えることは少ない、あるいは、なんとなくわかったつもり、知っているつもりで過ごしているのではないでしょうか。今回、キャンプ実行委員会はその部分にあえて取り組み、苦悩しながら企画しました。
 グループディスカッションのテーマは”救いのイメージ”、”罪ってなに?”、”わたしは罪人?””罪人を見る目、救おうとする神””救いと新しい歩み”と展開してゆきます。
 プログラムが進行するにしたがって、12のグループの足並みにもばらつきが生じ、人生経験の少ない若年層にとって”罪”と”ゆるし”については特に難しさもあったようですが、二日目の晩に行われた参加者の堅信の証しなどを通して、それぞれの心に得るものがあったようです。後日、報告書が発行されますので、皆さんもぜひご覧ください。
 信仰というテーマには明確な答えがあるわけでありません。今回のプログラムで考えたかったことは、信仰とは私たちの努力や行いによるのではなく”神さまの恵みのみ”という点です。この世の価値観の直中に生きるティーンズ世代にとって、それとは全く違う神さまの視点に心を向けるという作業は難しかったかもしれません。それゆえに、心にもやもやしたものが残ってしまう部分もあったでしょう。しかし、彼らがいま感じていること、感じ始めたことがこれからの信仰の歩みの糧となる、と私は確信し、嬉しく思っています。ポスターに描かれているように、私たちは大いなるお方の御手の内にどんな時もしっかりと包まれているからです。
 最後になりましたが、女性会連盟、ルーテル社団そして全国の教会の皆さまのご支援と祈りに心から感謝いたします。

礼拝式文の改訂

①洗礼と洗礼盤

式文委員会委員長 平岡仁子
 
 私の手元に1冊の小さな本があります。「古代から現代へ、洗礼盤を巡って」、著者はアニタ・スタウファー牧師(ELCA、LWF神学研究部門・2007年召天)。フィラデルフィアルーテル神学校の学位授与式を目前に控えた2004年5月、日本での学びと働きのためにと指導教授のゴードン・W・レイスロップ博士が、ご自身の蔵書の中から私にプレゼントして下さったたくさんの本の中の1冊でした。
 本は過去から現代までの洗礼盤を概観し、そこから洗礼の意味を、そして典礼刷新の進むべき道を検証しようとしたものでした。聖書には洗礼をイメージする表現が重層的に現れます。ロマ書6章3節~6節では誕生・新しい命、死・葬りを。ヨハネ3章5節では水と霊による誕生をもたらす洗礼は子宮をイメージさせます。洗礼は誕生であり、そして洗礼盤は子宮のようです。ロマ書6章3節~5節でパウロは洗礼に死と復活をイメージさせます。コリントⅠ6章11節やペトロⅡ1章9節は罪の洗い・清めを、またペトロ13章20節では水の中を通って救われることをイメージさせます。そしてこれら聖書から与えられるイメージは洗礼に関わる儀式の中で祈られる祈りの言葉に映し出されてきました。
 「箱舟によって、あなたが選ばれたノアとその家族を救われ、再び人間を滅ぼさないと約束されました。あなたは雲と火の柱によってイスラエルの民を海の中で導き守り、‥‥あなたの愛するみ子はご自身の死と復活の洗礼によって、私たちを罪と死のなわめから解き放ち、‥‥聖霊の力によって、私たちをあらゆる罪から清め、私たちに新しい命を賜り、私たちが日ごとに、私たちの洗礼の恵みを経験できるように導いてください。」  (イースターヴィジル洗礼感謝の祈り)
 そしてこのイメージはまた、洗礼の形式を作り出しました。下ること(死)と上ること(復活)、そして水を通りぬけること(救い)――洗礼におけるこの3つの動作は、洗礼の意味を示す象徴的な行為となったのです。そしてその行為は洗礼盤そのものに反映されていくことになるのです。
 20世紀の典礼刷新運動の流れの中で世界のキリスト教会は、改革の柱の一つである洗礼の儀式そのものが持っている豊かさを、もう一度回復させようと取り組んできたのではないでしょうか。そこでこの世界の動向を受け、改訂式文試案では各教会の洗礼盤にその意味を明確にする確かな場所を与えることを試みました。
 保谷教会では今年洗礼盤が完成しました。(写真①)日本を代表する陶芸家のお一人吉川正道氏が製作してくださいました。依頼する際、吉川正道氏にこの本に掲載されている紀元後4~5世紀の古い洗礼盤の写真(写真②)をお見せしました。すると吉川氏は写真を見るなりうなって、叫ばれたのです。「すごい!洗礼は命そのもの。ここに命が躍動している!」

春のティーンズキャンプ

キャンプ長 徳野昌博

 今年で21回目となる「春の全国ティーンズキャンプ」、会場は広大な丘陵地帯にあり、施設周辺の木々や芝生はちょうど芽吹きの時期で、今にもはじけそうでした。そんな早春を思わせる光景は、全国から集まったティーンズの秘めたるエネルギーとだぶって感じられました。
 今回のテーマは、「以神伝信 ~ それでもキミを愛してる」。その意図するところは、「神様によって信仰は伝えられる」と言うことで、信仰は神様からの恵み、愛の賜物であって、人間のわざ、人間が造り出すものではないということです。そして、神様が与えてくださる信仰を、賜物、プレゼントとして、感謝して、喜んで、そして、遠慮せず、恐れずにいただこうということを、スタッフは「手を変え、品を変え」ではありませんが、工夫して、苦労して伝えようとしていました。そのための準備、打ち合わせにかけた時間は半端なものではないと思いました。さらにキャンプ本番では、絶えざる軌道修正と臨機応変の微調整が必要になることは避けがたいわけですが、チームとしてまことに連携良く、見事にはまっていました。
 キャンパー、スタッフ合わせて120名からの大人数、大所帯でしたが、統率がとれて、まとまりのあるキャンプとして遂行されるのは、スタッフが心を一つに、がっちりとスクラムを組んでいたからでしょう。彼らは常に情熱的、精力的でした。 それは、次代を担うティーンズへの愛であり、期待であろうと思います。その中心にチャプレンがおり、そしてディレクター、賛美リーダーがいて、さらにはキャンパーに、直接向き合うグループリーダーがいるのです。このリーダーの多くは「春キャン」卒業生と言いますか、中高生の時代に自ら参加していた人たちです。信仰が継承され、その歴史が作られつつあるのです。
 「春キャン」に集ったティーンズの中から、次代の日本福音ルーテル教会を担っていってくれる人材が必ずや現れることでしょう。

ブックレビュー 石田順朗著『神の元気を取り次ぐ教会』の編集の手伝いをして

森  優

聖書は、物語でつづられています。正確には、物語が「語られ」ているのです。物語はイエスさまとの出会いであり、その出会いの物語が語り伝えられているのです。聖書だけでなく、聖書を読むわたしたちにも、物語は起こります。
 本書は、教会の物語と石田順朗先生の物語です。仏門の家庭に育ち、疎開先でキリスト教に出会い、さらに稀有の説教者に出会って、自分も説教者を志す。胸が躍るような物語です。その物語を、ご自分で「語り」をしてくださったものです。それにしても、感涙にむせぶほどの説教の力。ここから、石田先生は、本書の中で「説教作法」を説きます。説教者だけでなく、説教を聞く会衆にも向けられた、神の力、神のエネルギー、すなわち「神の元気」を受けるようにという圧倒的な気迫に満ちたものです。 
 手伝いをして、編集の手伝いというのは、膨大な原稿を、人々が買い求めやすい定価を設定し、その際のページ数に圧縮する作業です。本書の場合は、多くの教会での説教がそのまま採録されていたものを、説教体を文章体にする。文体は著者の人格なので、傷つけないようにする。用語の統一以上のことなので、かなりの精神の集中がいります。
 いちばんの喜びは、教会暦の整備から聖書日課の誕生へという、初代教会以来、二千年にわたるキリスト教会の絶え間ない努力(物語)のことを知ったことです。
 いまでも聖餐についての理解の違いから、聖餐式に教派によっていっしょにあずかることができません。一九九二年に発表された、カトリック教会と一五のプロテスタント諸派が共同で開発した『改訂共通聖書日課』を、日本福音ルーテル教会も整理して、二〇一六年から採用していくという流れを本書によって学び、聖餐の一致はまだなくても、みことばの一致が実現するという、新しい教会の時、新しい物語のはじまりを知るのです。
 石田先生は、説教、教会暦、聖書日課、礼拝と、教会の大きな物語の「語り」をここで実行されたのです。

 『神の元気を取り次ぐ教会』、定価一二〇〇円。著者頒布価千円。
お求めはファックスにてリトン社へ。ファックス番号〇三-三二三八-七六三八。

戸田裕牧師・追悼「豪快さと繊細さ」

定年教師 山本 裕

『あなたに向って両手を広げ、乾いた大地のような私の魂を、あなたに向けます』詩編143・6
 2014年3月18日、戸田裕牧師が、天に召されたとの連絡を受けました。 私が名古屋の病院に訪問したのが、10日位前でした。戸田先生と呼びかけても深く眠っていました。
 奥様が耳元で『山本裕先生がいらっしゃいましたよ」と‥‥。その時、少し、口元が動いたようでした。 しかし、彼に会ったのが、これが最後でした。 
 児童伝道に従事していた彼が、召しを受け神学校に入りました。 そして卒業後の任地は、静岡県焼津でした。遠洋漁港・焼津気質の豪快さと、彼の豪快さがマッチして、教会に、牧師館に、青年たちが多く集まりました。夕食を一緒にして、教会の一室で、夜を徹して語りました。彼らの間に熱いものがありました。 その彼らが今、各教会の中核となっています。 
 彼はまた、東海教区の動きに深く関わりました。疲れた牧師がいると、おいしい牛肉を持って車で走り、奥さまや子どもたちと、にこやかに話し、そして牧師とは、また夜を徹して話し、支えました。 伝道への熱情と真剣さ、そして優しさは、多くの人に力を与えました。 アメリカでの伝道も、ご家族にとっては、大変だったと思いますが、帰国後は、名古屋の復活教会での働きがなされました。 「名前の字も、読み方も、全く同じ私たち」‥‥、互いに祈り、支え合い、語り合った、信頼の同労者でした。  
 主イエスへの熱い思いを「豪快さと繊細さ」で、持ち続けた彼の大きな声が、今も聞こえてきます。
 そして、彼を支え続けた奥様に、心から感謝します。 子どもさんの上に神さまの祝福が、ゆたかにありますように。

東地域教師会「春の研修会」

大岡山教会 松岡俊一郎

 去る3月10日(月)、東地域教師会「春の研修会」が東京教会を会場に開催されました。ご案内が遅かったにもかかわらず、18名の牧師たちが参加しました。
 今年は引退教師の石田順朗牧師を迎え、「感謝のみ、教会生活還暦を迎え、もう一つsola(第六感?)を加えて」と題してお話を伺いました。
 先生は長い牧会での経験と学び、ルーテル世界連盟神学研究局長、シカゴ・ルーテル神学大学院、日本ルーテル神学校、九州ルーテル学院での奉職の経験から生み出された多岐にわたる神学的課題を、ルーテル教会の五つの「聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ、キリストのみ、神にのみ栄光」に「感謝のみ」を加え、整えて語られました。これは、先生が最近著わされた著書「神の元気を取り次ぐ教会」(LITHON、1200円+税)に基づくものです。
 石田先生のお話は、説教、地域会衆、教会暦と聖書日課、律法と福音について語られ、特に各個教会について「教会は、現実的には『(そこに集合し、根付き、開かれた)地域教会』であるとの主張を強調され、最後には、「有限は、有限のままで、無限を体現する」とのルター神学に触れられ、「私たちキリスト信徒は各人、あくまで有限(土の器)のままで、無限化(全知万能化)するのではなく、神の言葉(聖書)にとりつかれ、罪ゆるされ、義人となり、全能の神の御恵みと御恩寵が「いま、ここで」わが身に充溢し体現されるようになる。それは『わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるため』である。(コリントⅡ四・七~)」と締めくくられました。内容の詳細については著書をご覧ください。
 研修会後は、近所の韓国料理店で親睦の時をもちました。日頃は散らされて牧会に取り組んでいる牧師たちが、おいしい料理に舌鼓を打ちながら語り合い、笑いあいました

14-04-18神はあなたの名を呼んでいる

使徒言行録10章39〜45節 コロサイの信徒への手紙3章1節〜5節
ヨハネによる福音書20章1節〜18節

第四福音書と呼ばれるヨハネによる福音書は、他の福音書とは異なった視点からイエスを伝えます。日課もその例にもれません。
この福音書にはいくつかの特徴がありますが、特に二つ紹介します。一つは、繰り返し起こる信仰(発生)の枠組みです。弟子たちを含むユダヤ人たちは「しるし」と呼ばれるイエスの不思議な業を見て信仰へと至ります。つまり「見る」ことが「信じる」ことなのです。福音書の大部分でこのパターンが繰り返されますが、最後には、復活したイエスを見て触れるまで信じないと言ったトマスに語るイエスの次の言葉が、信仰が「見る」ことからではなく「聞く・聴く」ことからはじまることを顕かにします。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる者は、幸いである」(20・29)。

 もう一つは旧約聖書、特に創世記1〜3章との関係です。私たちが、「つれづれなるままに」と聞いて『徒然草』を、「祇園精舎の鐘の声」と聞いて『平家物語』をすぐに思い浮かべるように、「初めに」で始まるこの福音書が同じ言葉で始まる創世記を聞き手・読み手の心に呼び起こしたであろうことは、想像に難くありません。ある種「本歌取」のように、創世記で語られる出来事を枠組みとしてイエスを語り直していると言えるかもしれません。

 福音書の日課は、最初のイースターの出来事を語ります。朝、まだ薄暗いうちにイエスの墓へと行ったマグダラのマリアは、墓が空であることを発見し、弟子たちに伝えました。ペトロともう一人の弟子はそれを聞いて墓へと急ぎます。墓へ着き中へと入った二人は、マリアの言った通りであることを「見て信じました」。二人がしかし、空の墓の意味するところ―復活であり、 イエスが神の子メシア(キリスト)であること―を信じたのではないことは、9節から明らかです。二人は家へと戻ります。マリアだけが残されました。

 一人になったマリアが再び墓の中を覗くと、そこには二人の天使がいました。そして振り返ると、イエスが立っていたのです。しかしマリアはまだ、イエスであることには気付いていませんでした。イエスはマリアを「婦人」と呼んで話し掛けます。マリアはそれでも気付かず、園丁だと思ってイエスと話しました。イエスは、今度は彼女を「マリア」と呼びます。すると、マリアはそれがイエスだと分かったのです。

 この話は創世記3章を想起させます。神のことばにではなく、蛇のことばに耳を傾け従ったアダムと女は、エデンの園で二人を探す神から隠れます。そして女は裁きのことばを与えられました。日課は逆に、園の中で姿を隠す神であるイエス(園丁)と、そのイエスを探すマリアとを伝えます。彼女は熱心にイエスを探し求めますが、見つけることはできませんでした。「婦人」と呼ばれるマリアは、イエスを探し求めていても実は、自分から姿を隠したエデンの園での「女」だったからです。しかしイエスは、マリアを名前で呼びました。曖昧な、誰でもいい「女」や「婦人」としてではなく、イエスは「マリア」に呼びかけたのです。マリアその人を呼び求めたのです。そして彼女には、福音のことばが与えられました。

 私たちの神は、最初のイースターにマリアにそうされたように、私たち一人ひとりを呼び、求めておられます。曖昧に「女」や「男」としてではなく、「あなた」を、あなたの名を呼んで求めておられるのです。私たちはともすると、日課のマリアがそうであったように、神を探し見つけることが信仰のすべてであるかのように錯覚していないでしょうか。

 しかしイースターの出来事は、私たちの信仰が、神がキリストを通して私たちの名を呼び、求め、見つけることであると伝えます。たとえあなたが見つけられなくても、神はあなたを見つけ、あなたを名前で呼んでおられます。 イースターの朝、私たちはその声を福音として聴き、信仰を与えられるのです。主キリストの復活、おめでとうございます。

日本福音ルーテル教会牧師 高村敏浩(フィラデルフィア ルーテル神学校留学中)

14-04-15るうてる2014年4月号

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説教 「神はあなたの名を呼んでいる

使徒言行録10章39~45節 コロサイの信徒への手紙3章1節~5節 
ヨハネによる福音書20章1節~18節

日本福音ルーテル教会牧師 高村敏浩(フィラデルフィア ルーテル神学校留学中)

 第四福音書と呼ばれるヨハネによる福音書は、他の福音書とは異なった視点からイエスを伝えます。日課もその例にもれません。
 この福音書にはいくつかの特徴がありますが、特に二つ紹介します。一つは、繰り返し起こる信仰(発生)の枠組みです。弟子たちを含むユダヤ人たちは「しるし」と呼ばれるイエスの不思議な業を見て信仰へと至ります。つまり「見る」ことが「信じる」ことなのです。福音書の大部分でこのパターンが繰り返されますが、最後には、復活したイエスを見て触れるまで信じないと言ったトマスに語るイエスの次の言葉が、信仰が「見る」ことからではなく「聞く・聴く」ことからはじまることを顕かにします。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる者は、幸いで(キリスト)であること―を信じたのではないことは、9節から明らかです。二人は家へと戻ります。マリアだけが残されました。
 一人になったマリアが再び墓の中を覗くと、そこには二人の天使がいました。そして振り返ると、イエスが立っていたのです。しかしマリアはまだ、イエスであることには気付いていませんでした。イエスはマリアを「婦人」と呼んで話し掛けます。マリアはそれでも気付かず、園丁だと思ってイエスと話しました。イエスは、今度は彼女を「マリア」と呼びます。すると、マリアはそれがイエスだと分かったのです。
 この話は創世記3章を想起させます。神のことばにではなく、蛇のことばに耳を傾け従ったアダムと女は、エデンの園で二人を探す神から隠れます。そして女は裁きのことばを与えられました。日課は逆に、園の中で姿を隠す神であるイエス(園丁)と、そのイエスを探すマリアとを伝えます。彼女は熱心にイエスを探し求めますが、見つけることはできませんでした。「婦人」と呼ばれるマリアは、イエスを探し求めていても実は、自分から姿を隠したエデンの園での「女」だったからです。しかしイエスは、マリアを名前で呼びました。曖昧な、誰でもいい「女」や「婦人」としてではなく、イエスは「マリア」に呼びかけたのです。マリアその人を呼び求めたのです。そして彼女には、福音のことばが与えられました。
 私たちの神は、最初のイースターにマリアにそうされたように、私たち一人ひとりを呼び、求めておられます。曖昧に「女」や「男」としてではなく、「あなた」を、あなたの名を呼んで求めておられるのです。私たちはともすると、日課のマリアがそうであったように、神を探し見つけることが信仰のすべてであるかのように錯覚していないでしょうか。
 しかしイースターの出来事は、私たちの信仰が、神がキリストを通して私たちの名を呼び、求め、見つけることであると伝えます。たとえあなたが見つけられなくても、神はあなたを見つけ、あなたを名前で呼んでおられます。 イースターの朝、私たちはその声を福音として聴き、信仰を与えられるのです。主キリストの復活、おめでとうございます。

宗教改革五〇〇周年に向けて ルターの意義を改めて考える(24)

ルター研究所所長 鈴木 浩
 
 予定論を断罪したのは、アウグスティヌスの死後百年経った五二九年に開かれたオランジュ教会会議であった。ここでは、アウグスティヌスの名前は出さずに、「滅びへの予定」という「二重予定」の教理を唱える者は「呪われる」と宣言された。
 「二重予定論」とは、「選びへの予定」と同時に「滅びへの予定」を唱える教理である。しかし、予定論はすべて「二重予定」に通じている。「救いへの選び」といったん口にすれば、「選ばれない人」が暗黙のうちに前提されるからである。「不合格」の人がいるから、「合格者」が出る入試と同じである。全員が合格なら、入試は無用になる。「上」と言えば、「下」があるのと同じである。
 「予定」が強く主張されれば、「自由」がなくなることもすぐに分かる。
 長い間沈黙させられていたその予定論を復活させたのが、カルヴァンであった。それ以後、カルヴァン派の伝統の中では、予定論の教理が、「堕落後予定論」とか「堕落前予定論」など、煩瑣なものになっていく。
 しかし、「律法の第三用法」と同様、ルターはここでも深入りはしなかった。

議長室から

「るうてる」の貴重な紙面枠をいただくことになりました。これまでにも歴代の議長が紙面を借りてご自分の見解を表明されたり、諸教会に期待することを述べられたことがありました。私自身も歴代の議長に倣いたいと思います。
 ただ、公式の表明や見解というものではありません。二年間議長職に身を置かせていただき、これまで見えていなかったことに気づかされ、様々な課題に直面し、あるいは意外な可能性を感じたことの議長を担うという意味が込められているのです。総会は二年ごとの開催ですから、閉会期間中は常議員会が教会行政を担います。「常議員会会長」とは、その常議員会の長も担うことを意味しています。
 この説明だけでもきっと皆さまは、「議長はなんと会議好きなんだろうか」と思われることでしょう。「会議は踊る、されど進まず」と、無駄な会議を重ねた歴史を揶揄した言葉がありますが、これと似た印象をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。会議で踊ることはありませんが、手帳を見ると、たくさんの会議があることに気づきます。
 実はこの二年間で減らした会議もありました。回数を減じるべき会議もまだあるように思いますが、逆に回数の増えた会議もありました。要は、会議のための会議ではなく、福音が一歩でも前進するための会議を行いたいと考えているのです。
 実りある諸会議のために、会を組織する教職、信徒のためにお祈り下されば幸いです。
 総会議長 立山忠浩

「2・11にディアコニアをおもう」

第13回ディアコニア・ネットワーク名古屋セミナーは、2月11日(火)信教の自由を考える日に、なごや希望教会今池礼拝所を会場に開催されました。
 谷川卓三牧師(ネットワーク代表)の開会礼拝にはじまり、午前中は、造られた「自由」のもとに進められようとしている憲法改悪に警笛をならす内河惠一氏(弁護士・なごや希望教会員)による「日本国憲法の危機と自民党の憲法改正草案の思想を探る」と題する基調講演がおこなわれました。
 続いて午後には、問題提起として、ルターの二王国論をもとに語られた末竹十大牧師による「社会の右傾化とルーテル教会論」、日本キリスト教団の「宣教基礎理論」改訂の動きなどを踏まえての中村朝美牧師による「戦争責任告白の現代的意味と課題」がそれぞれ発題されました。
 参加者は、部分参加も含めて47名となり、関心の高さがうかがえました。
 いずれも2月11日にふさわしい、「日本という社会の中に生きるキリスト者の現実を如何に受け止めるか?」という発題でした。昨年おこなわれた大阪・釜ヶ崎でのセミナーが社会の中に生きる「キリスト者」に焦点をあてたセミナーであるとするならば、今回のセミナーはキリスト者が生きる「社会」に焦点をあてたセミナーとなりました。そして、日本に生きるキリスト者である「私」を考える時に、どちらか一方のみではありえないのだという思いが、参加者の声から伝わってきたセミナーとなりました。
 なお、今年の秋のセミナーは、9月14日(日)~15日(月・休)に田中正造をとりあげて東教区小石川教会を会場に開催される予定となりました。ひとりでも多くの方が共に集って、ディアコニアについて思いを深めるときとなるようにと願っています。
 千葉教会 小泉 嗣(東教区社会部長・東教区ディアコニア委員)

九州地域教師研修会が開かれました

 九州地域教師研修会が教区牧師会との合同研修会として、2014年2月17日~18日まで、熊本教会とメルパルクを会場に開かれました。九州地域教師会員は22名全員参加(急きょ病気欠席あり)の開催でした。現任牧師は18名、学校関係教師4名です。いまこの人数で広い九州教区の宣教と牧会にあたっています。
 研修会の一番の目的は、箱田会長の「牧師たちがゆっくり語り合い、交わりの時間を多くとる」というものでした。熊本地区の教職もすべてメルパルクに宿泊しました。いつもは遠く離れている教職たちが、共にゆっくり集う時間を設けること。共に語り合うことで、ルーテル教会の教職としての一致を目指すものでした。多くの教職が本当にゆっくりと自分たちの課題を語り合い、あるメンバーは朝4時まで語り合っていたそうです。翌朝の集いで出会った顔が清々しく見えました。
 今回のテーマは「宗教改革500年にむけて」でした。立山忠浩総会議長をお迎えし、明日の宣教へ踏み出すために「過去に学び」「今を問い」「明日に踏み出す」という基本理念をお聞きしました。また各地域の教師会に期待することをお聞きしました。 
 またそれだけでなく、「宣教の目標としての洗礼?」というテーマで、小教理問答書を手掛かりとした「洗礼」についての課題にも言及されました。2名の教職からのリアクションがあり、地域教師会としても500年にむけて取り組んでいくことが協議されました。
 また、今回の研修会では教師会メンバーから提言があり、首相の靖国参拝をうけて、いま靖国神社の何が問題となっているかを協議する時間を設けました。秋山仁牧師、岩切雄太牧師が発題を担当し、崔大凡牧師がリアクションをし学びと協議の時間を持ちました。
 地域教師会としてもこの問題をどのように受け取り、何をしていくのか。多くの意見が出され、今後も継続してこの問題を取り扱っていくことになりました。(九州地域教師会 書記 立野泰博)

速報 JLER、最後の本部会議

 3月14日(金)、東京のルーテル市ヶ谷センター会議室にて、「ルーテル教会救援」活動の最後の本部会議が開催されました。現地から派遣牧師の野口勝彦先生とスタッフの佐藤文敬さん、そして日本福音ルーテル教会から6名、日本ルーテル教団から3名。近畿福音ルーテル教会から2名。西日本福音ルーテル教会から2名。ルーテル学院大学から2名、日本福音ルーテル社団から1名が出席しました。会議では、3年にわたる活動の報告がなされ、そして、それぞれの教団、教会、団体独自の今後の活動計画、予定が語られました。最後に、本部長青田勇先生が、「海外から多大な募金をいただき、教会としてはまれな大規模予算で、待ったなしに開始されたプロジェクトでしたが、事故もなく終えることができました」と報告。一同感謝。祈りをもって始めたこの事業、3月末の主日には、全国のルーテル教会で共通の祈りをささげて、締めくくりました。広報室長 徳野昌博

牧会者ルターに聞く 12

石田順朗

第四章 ルーテルDNA
最終回・「有限は、有限のままで、無限を体現する」

 度重なる海外出向の最終期は、大学院の母校シカゴルーテル神大での八年間。赴任して二年目(一九八七年)、はからずも、近接のシカゴ大学ロックフェラー記念チャペルを式場にして挙行された学位授与式でのコメンスメント・スピーチを仰せつかった。長男の卒業に因んでセントオラフ・カレッジでのスピーチ(一九七四年)の経験はあったが、身にあまる大役。 六月六日、日曜の夕べ、説教壇に立って、仏教から改心、他教派より転会、牧師への献身、十五年に及ぶLWF勤務など過ぎ来し方を回顧しつつ、「Finitum capax infiniti(有限は無限を包摂)」を主題にしたメッセージを、壮大なチャペルを埋め尽くす会衆へ精一杯、伝えた。
 ルターの宗教改革に深く関連するパウロ書簡(ローマ、ガラテヤ)で神学的に強調される信仰義認、即ち「聖書、恩恵、信仰のみ(sola)」から暫し離れて、コンリント二の基盤にある「神の恩恵はあなたに十分である」(一二・九)の「十分・充足 (safficit)」に目を移しながら論を進めた。
 まず、この「十分・充足」は『アウグスブルグ信仰告白』の第七条「教会について」の文脈でも大事な用語 (satis ) であることを指摘し、「聖書、恩恵、信仰のみ」は「神の恩恵はあなたに十分である」との現実を大前提にすること。
 第二には、「のみ」だけの強調では「他力本願」に陥り「無精、無策、無気力」で 姑息な宗教人へと(教会をも含めて)なりかねないこと。
 それに第三点、神の恵みが充溢する他人ごとならぬ「わが身のこと”生活の座”」を真剣に見つめ、召された自分自身の存在意義を前向きに捉えて、積極意欲的に発揮すること、これらが肝要であり、正に、その時機到来だと懸命に訴えたしだい。
 実は、この「有限と無限の実り多い包摂」を言い出したのはルター。そもそも、スイスの改革者ツヴィングリやカルヴァンとの「聖餐論争」で、ルターが、いわゆる「現在説」を根拠づけたのがこの「有限は無限を包摂」。それは、J・S・バッハの Mass in B Minor(ミサ曲 ロ短調)でも、theologia crucis(十字架の神学)や simul justus et peccator(義人にしてなお罪人)と並んで奏でられる。

 私たちキリスト信徒は各人、あくまでも有限(土の器)のままで、無限化(全知万能化)するのではなく、神の言葉(聖書)にとりつかれ、罪赦され、義人となり、全能の神の お恵みとご恩寵が「いま、ここで」わが身に充溢し体現されるようになる。それは、「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるため」である(コリントII 四:七~ )。
 何の紛いもなく「ルーテル DNA」の成果であると、わたしは信じて止まない。
いしだ よしろう 引退牧師、九州ルーテル学院大学名誉学長 LWF元神学研究局長

「ルーテル教会救援」JLER 活動終結

 東日本大震災の発生から3年を経て、「ルーテル教会救援」、JLERの活動は終結します。日本にある四つのルーテル教会の共同の活動でしたが、三つの教会、教団の代表者、担当者と、現地スタッフの代表者から、ご挨拶をいただきました。 広報室

日本ルーテル教団 
東日本大震災支援対策責任        安藤政泰

 女子高校生が被災者のお年寄りの話に熱心に耳を傾ける。美しいハープの演奏に思わず涙する演奏会の聴衆。話すお年寄り、演奏を聴く聴衆、慰められたと思います。しかし、訪問した高校生、演奏した音楽家も神様の祝福を受けたと信じます。この他、様々な活動を、奉仕を、キリストの愛の業として、教会から外に向かって行うことができたのも、4つのルーテル教会を中心とし、社団、大学が協力したことによる祝福を思います。労されたJLERの働き人に感謝します。

近畿福音ルーテル教会    総会議長 末岡成夫

 主の御名を崇めつつ、東日本大震災で犠牲になられた方々に心より哀悼の意を表します。また今もなお悲しみと苦しみの中に懸命に歩んでおられる皆様の上に主の慰めと平安をお祈り申し上げます。ここまで各ルーテル教会が互いに協力し、祈りを一つにして活動できたことは、主のあわれみと御導きによる事だと思います。これからもお一人お一人が主の愛と希望に満たされますように祈り続けます。JLER活動のことを祈り、そしてお支え下さいました皆様に心から感謝いたします。

西日本福音ルーテル教会  総会議長 松村秀樹

 2011年3月11日の東日本大震災から、日本は大きな悲しみに包まれました。西日本福音ルーテル教会は、地理的に遠く離れているとはいえ、阪神大震災を身近に体験した教団です。私たちも何かできることはないだろうか、と祈る毎日でした。
そのような中、JLERの働きが始まり、その働きに参加させていただくことが出来る幸いを本当に感謝いたしました。これまでの働きが、これから後に伝えられ、生かされて、この日本のために、用いられていくことを心から祈っております。

ルーテル教会救援 現地スタッフ 佐藤文敬

この3年の活動を振り返ると、雑巾プロジェクトが象徴的ですが、いずれの活動も教会のみなさんの支えと協力があってできたものばかりでした。そうした「支えがある」といつも感じられることが力となり、様々な支援活動を展開できたように思います。現地の状況はまだまだですが、これを一つの区切りとしつつも、ここで得たつながりは大事にし、これからも何らかの形で関わっていくつもりです。これまで本当にありがとうございました。

第25回総会期 第七回常議員会

 第25回総会期第七回常議員会が、二月十九日から二十一日にかけて、東京の市ヶ谷センターにて開催されました。

▼人事事項
 二〇一四年度の人事が決定しました。本頁左項に記しております。本常議員会一日目の夜に人事委員会を開催する異例の展開になり、ようやくの決定となりました。これからの人事の在り方に課題認識を引き継ぐ要素が浮き彫りになりましたので(※25-7議長報告にて言及がなされております)、次年度までに要因を踏まえた熟考が求められます。
 4名の教師が退職をなさいます。本年は神学校卒業者がおらず、新任教師はおりません。 全体として、宣教師/出向教師及び牧会委嘱/留学含めて、一〇六名の教職が、宣教の務めに任じられております。
▼申請・提案及び協議事項
 申請事項では教会規則の変更、土地建物の貸借の申請がいずれも承認されました。
 二〇一三年度収支決算と二〇一四年度当初予算、更には二○十五・二○十六年予算案が会計より提案されました。本教会の収益事業関係はやや好転、しかし財政規模は今後、減少に向きを変える方向での予算とされました。とりわけ教職数の減少、全国的な各個教会における財政力の減少が予測される認識での協議を経て、当初予算が可決されました。
 提案事項では、「社会委員会規定」の改定、「教職・職員共済会厚生見舞金規定」の改定、讃美歌再販調査委員会の設置等が決定されました。中でも社会委員会に関しては、我々ルーテル教会は、社会の事柄にどのように関わるのか、その基本認識について協議され、一定の合意形成が表現される改定となりました。
 協議事項では、教会推薦理事の推薦(交代)、来る第26回定期総会に関する協議、宗教改革500年記念事業の件、JLER活動終了後の宣教活動の件につき、協議されました。
 前回より継続審議となった、今後予想される災害に際しての教会の動き方について「災害時における活動基本方針」が宣教室より提示されました。協議の後、これを基本指針と決議し、常議員会全体でイメージが共有されました。
本常議員会の詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。

日本福音ルーテル教会2014年度人事

●提案者 人事委員会(委員長:立山忠浩常議員会長)

〔敬称略/五十音順〕
○引退
(2014年3月31日付)
 ・髙塚郁男
 ・濱田道明
 ・藤井邦昭
 ・藤井邦夫

○新任
 ・該当なし
○人事異動
 (2014年4月1日付)
【北海道特別教区】
 ・該当なし
【東教区】
 ・佐藤和宏        藤が丘教会
 ・徳野昌博        仙台教会(主任)、鶴ヶ谷教会(主任)
 ・野口勝彦      長野教会・松本教会
【東海教区】
 ・朝比奈晴朗     知多教会(主任)
 ・後藤由起        掛川・菊川教会(主任)
 ・富島裕史        静岡教会、富士教会(主任)
 ・花城裕一朗       知多教会
 ・三浦知夫        浜松教会(主任)、浜名教会(主任)
【西教区】
 ・神﨑伸         賀茂川教会
【九州教区】
 ・教区長預かり       長崎教会(主任)
 ・教区長預かり      佐賀教会(主任)
 ・教区長預かり      二日市教会(主任)
 ・教区長預かり       甘木教会(主任)
 【出向】
 ・小副川幸孝       九州学院
○休職
 ・該当なし
○その他
 ▽任用変更
 (2014年4月1日付)
 ・後藤直紀 
  (一般任用から嘱託任用へ/浜松教会)
 ・花城裕一朗
  (一般任用から嘱託任用へ/知多教会)

▽宣教師
 (2014年3月31日付)
【J3プログラム退任】
 ・パトリック・ミアーズ   ルーテル学院中学・高校
 ・ルーカス・シャテレン  本郷学生センターと文京カテリーナ
▽牧会委嘱
 (2014年4月1日付 /一年間)
 ・明比輝代彦    富士教会       
 ・伊藤文雄     復活教会
 ・勝部 哲      沼津教会     
 ・白髭 義     二日市教会、甘木教会 
・藤井邦昭      仙台教会、鶴ヶ谷教会 
・横田弘行      掛川・菊川教会        以上

  

J3の働きを終えて

ルーカス ・シャテレン

 今、私はJ3の仕事を完了しました。もう三年間になったこと、本当に信じられません。「光陰矢の如し」でしょう。でも、東京に住んでいる時を思い出せれば、嬉しみが一杯になります。
 本郷では私が色々な学生に教えられました。3歳から86歳までの学生がいました。私が教師でしたのに、学生にたくさん面白いことを習いました。
 カテリーナ女子学生会館でも教えました。留学できるように英会話クラスをしました。そんな希望ある学生を励ましたり、手伝ったりするのが大好きでした。
 これから、私は一ヶ月間ぐらいアメリカに家族と友達に会いに帰るつもりです。そのあと、日本に戻って、仙台の日本語学校に入ることが決まっています。将来を楽しみにしているけど、J3の経験は忘れられません。どうもありがとうございました。

パトリック・ ミアーズ

 私は2012年3月から2014年3月まで熊本のルテール学院高校と中学校の宣教師でした。私は多くの素晴らしい経験をしました。言語と文化の違いは、多くの難しさをもたらしましたが、それ以上の価値ある経験をしました。
 私は日本に住んでいる間、多くのことをする機会に恵まれました。私は高校一年と三年生と、中学校の二年生、三年年の生徒を教えました。また高校の英語クラブで教えたり、年間を通じて様々な宗教的な活動をしました。また、水曜日の夜には英語聖書研究会のため、室園教会に出席しました。日曜日の夜には、熊本教会で英語の礼拝をリードしました。
 私が経験したことの良い面と共に悪い面をも忘れてはいけません。私は人間の心に住んでいる悪を見てきました。私は広島の原爆の震源地に立った時に、この悪の実体を見ました。私は戦争という人間の悪が起こした破壊に恐れを抱くと共に、極端な悲しみだった。しかし銀の裏地があります。私は未来への希望として、東北で見た愛が私に力を与えた。私は神が働いて、この希望を与えてくれました。この体験は初めてではないが、それらはすべて同じく素晴らしいです。強さを与え、時代の最も暗い中で、私たちを助け、神はあなたと常にあることを覚えておいてください。

公 告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します  二〇一四年四月一五日
宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 立山忠浩
信徒利害関係人 各位

     記

水俣教会土地建物無償貸与
(ア)水俣教会土地無償貸与
 ・所在地 水俣市陣内2丁目
 ・所有者 日本福音ルーテル教会
  地番  80番1
  地目  宅地
  地籍 506.88㎡
(イ)水俣教会建物無償貸与
 ・所在地 水俣市陣内2丁目80番地1
 ・所有者 日本福音ルーテル水俣教会
  家屋番号80番1
  種類 教会堂
  構造 鉄筋コンクリート造屋根
  床面積 
  1階 95.06㎡
  2階 22.70㎡
    
 ・理由  
  学校法人水俣ルーテル学園早蕨幼稚園の園庭・園舎のために土地建物を無償貸与する。貸与期間は契約締結日から一〇年間とする。      以上

14-03-18死と再生のドラマ

「だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。」 (ルカによる福音書 十五章三十二節))

『聖書』と言う本に魅せられて、もうかれこれ五十年以上も読み続けているが、未だに厭きないし、また未知の部分が余りにも多すぎて、神様からあと百年の命を与えられて読み続けたとしても、なお「読み足りない」だろうと思う。「聖書」は実に不思議な本である。

旧約と新約を含む「聖書」の主題を一言で表現すれば、それは「死と再生」であると思う。聖書巻頭の書「創世記」は、「初めに神は天と地を創造された」と言う言葉で始まっているが、神が天地を創造する前の宇宙は、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」。これはつまり、「無」の世界を意味するのだろう。その無の世界に「光あれ」と光を創造した神は次々に諸々の物を創造されるが、これは「無から有の創造」である。つまり「無」の意味するところは「死」であり、「有」の意味するところは「命」である。神は「無という死の世界」から、「有という命の世界」を創造されたのである。

アブラハムはどうであろうか。彼らには「子」を設けることができなかった。妻のサラは「不妊」であり、既に「年老いていた」。つまり、彼らが死ねば、彼らの命を繋ぐものは誰もいなくなる。その彼らが「子孫」が与えられる約束を聞くのである。アブラハムの人生は波乱に満ちたものであったが、約束通り「子(孫)」を与えられたのである。これもまた、子がいないという象徴的な意味での「死」から、子孫を与えられるという「再生」の物語なのである。

モーセの出エジプトも然りである。奴隷状態である民とは、いわば「死せる民」であり、そこから脱出し荒野の放浪の後、約束の地に辿りつく過程は、まさに「死せる民」から「生ける民」への「死と再生」の物語である。ダビデも取り返しのつかない大きな罪を犯して一度は人間的な死を経験するが、悔い改めることによって、新しい人間として生まれ変わる(再生)のである。

このように、聖書の物語は「死と再生」を語る。新約聖書の「放蕩息子のたとえ」でも示されているように、弟息子は放蕩により「死んでいたのに生き返った」と言う、死と再生のテーマが明示されている。聖書は、人間の死を罪の結果としているが、それは原初の人間アダムとエバの物語に示されているとおりである。アダムとエバは、罪を犯すことによって「死ぬべき存在」として、エデンの園の外で生きる者となったのである。

死と再生の物語のクライマックスは、イエスの十字架と復活である。イエスの十字架はアダムの罪責を継承する私たちの罪を赦免することであると共に、実際日々に犯し得る罪をも赦すものである。私たちはイエスの十字架の死によって得られた罪の赦しを受けている者であり、これはまさに「罪によって死んでいた者」から、「赦されて義に生きる者」にされたということである。これは、私たちが「罪に死に、義に生きる」という、死と再生を経験することなのである。

イエスは十字架で死ぬが、三日目に復活する。まさに、死と再生のクライマックスを迎える。陰府にまで下るがーそしてそこからは誰一人生還することは不可能であるにもかかわらずーイエスは生還するのである。全能の神の力に「不可能はない」。イエスの復活は、私たちに「死は終わりではない」ことを告げている。私たちはこの地上にあっては必ず死ぬが、それは復活するために死ぬのである。復活のために死ぬのであれば、死は恐怖でもなく、絶望でもない。死の苦しみは誰も免れないだろうが、復活(再生)のための死であるゆえに、希望を持って死ぬことができるのである。

毎年「四旬節」を経て「復活祭」が訪れる。私たちはこの時期、イエス・キリストの十字架と復活に思いをはせながら、自分の人生の終わりを希望を持って見つめつつ過ごすのである。死のその先には、復活と言う命があるのだ!

『聖書』は、あらゆる「死」の状態にあるものに「命」を与え、再生させる『命の書』なのである

日本福音ルーテル鶴ケ谷教会・仙台教会牧師 藤井邦昭

14-03-15るうてる2014年3月号

機関紙PDF

説教「死と再生のドラマ」

日本福音ルーテル鶴ケ谷教会・仙台教会牧師 藤井邦昭 

「だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。」 (ルカによる福音書 十五章三十二節))

『聖書』と言う本に魅せられて、もうかれこれ五十年以上も読み続けているが、未だに厭きないし、また未知の部分が余りにも多すぎて、神様からあと百年の命を与えられて読み続けたとしても、なお「読み足りない」だろうと思う。「聖書」は実に不思議な本である。
 旧約と新約を含む「聖書」の主題を一言で表現すれば、それは「死と再生」であると思う。聖書巻頭の書「創世記」は、「初めに神は天と地を創造された」と言う言葉で始まっているが、神が天地を創造する前の宇宙は、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」。これはつまり、「無」の世界を意味するのだろう。その無の世界に「光あれ」と光を創造した神は次々に諸々の物を創造されるが、これは「無から有の創造」である。つまり「無」の意味するところは「死」であり、「有」の意味するところは「命」である。神は「無という死の世界」から、「有という命の世界」を創造されたのである。
 アブラハムはどうであろうか。彼らには「子」を設けることができなかった。妻のサラは「不妊」であり、既に「年老いていた」。つまり、彼らが死ねば、彼らの命を繋ぐものは誰もいなくなる。その彼らが「子孫」が与えられる約束を聞くのである。アブラハムの人生は波乱に満ちたものであったが、約束通り「子(孫)」を与えられたのである。これもまた、子がいないという象徴的な意味での「死」から、子孫を与えられるという「再生」の物語なのである。
 モーセの出エジプトも然りである。奴隷状態である民とは、いわば「死せる民」であり、そこから脱出し荒野の放浪の後、約束の地に辿りつく過程は、まさに「死せる民」から「生ける民」への「死と再生」の物語である。ダビデも取り返しのつかない大きな罪を犯して一度は人間的な死を経験するが、悔い改めることによって、新しい人間として生まれ変わる(再生)のである。
 このように、聖書の物語は「死と再生」を語る。新約聖書の「放蕩息子のたとえ」でも示されているように、弟息子は放蕩により「死んでいたのに生き返った」と言う、死と再生のテーマが明示されている。聖書は、人間の死を罪の結果としているが、それは原初の人間アダムとエバの物語に示されているとおりである。アダムとエバは、罪を犯すことによって「死ぬべき存在」として、エデンの園の外で生きる者となったのである。
 死と再生の物語のクライマックスは、イエスの十字架と復活である。イエスの十字架はアダムの罪責を継承する私たちの罪を赦免することであると共に、実際日々に犯し得る罪をも赦すものである。私たちはイエスの十字架の死によって得られた罪の赦しを受けている者であり、これはまさに「罪によって死んでいた者」から、「赦されて義に生きる者」にされたということである。これは、私たちが「罪に死に、義に生きる」という、死と再生を経験することなのである。
 イエスは十字架で死ぬが、三日目に復活する。まさに、死と再生のクライマックスを迎える。陰府にまで下るがーそしてそこからは誰一人生還することは不可能であるにもかかわらずーイエスは生還するのである。全能の神の力に「不可能はない」。イエスの復活は、私たちに「死は終わりではない」ことを告げている。私たちはこの地上にあっては必ず死ぬが、それは復活するために死ぬのである。復活のために死ぬのであれば、死は恐怖でもなく、絶望でもない。死の苦しみは誰も免れないだろうが、復活(再生)のための死であるゆえに、希望を持って死ぬことができるのである。
 毎年「四旬節」を経て「復活祭」が訪れる。私たちはこの時期、イエス・キリストの十字架と復活に思いをはせながら、自分の人生の終わりを希望を持って見つめつつ過ごすのである。死のその先には、復活と言う命があるのだ! 
 『聖書』は、あらゆる「死」の状態にあるものに「命」を与え、再生させる『命の書』なのである。

宗教改革五〇〇周年に向けて ルターの意義を改めて考える(23)

ルター研究所所長 鈴木 浩

 ルターは「律法の第三用法」には深入りしなかった、と指摘した。そこに内在する危険をルターの「神学的センス」が察知していたからである。
 さて、ルターも同僚のメランヒトンも、若い頃から「すべては必然性によって起こる」と語っていた。神の支配が行き渡っていない空間や時間はありえないのだから、何であれ「偶然に」起こることはないからである。
 すべては必然性によって起こるという事態を神学的に整理した教えが、「予定論」という教理である。これまた、あのアウグスティヌスが本格的に築き上げた教理である。
 ここでは基本的に言って「偶然」とか「自由」とかの余地はなくなる。神がすべてを「予定」するからである。教会はアウグスティヌスの死後百年経って、予定論を公式に断罪した。
 当初、予定の教理を強調したルターであったが、途中から、それを止めた。ここでも深入りは危険だという気配がしたのだ。予定論に深入りすれば、人間には絶望しか残らない、彼はそう察知した。 義認論では猛然と突き進んだルターだが、彼は踏み留まることも知っていた。ルターの「神学的センス」が光るところだ。

牧師の声岡崎教会 「登録有形文化財指定のその後」

岡崎教会 宮澤真理子

岡崎教会の礼拝堂は、昨年七月十九日に開かれた文化審議会にて登録有形文化財となりました。献堂六十年目を迎えた記念の年でした。この礼拝堂を地域の方に見ていただきたいという願いは、すぐにかなえられました。
 七月二十七日(土)岡崎市教育委員会による一般公開に二十名の方が参加されました。十一月上旬にケーブルテレビが「情報特急」という十五分の番組を放映、同時期に岡崎市美術博物館が「古今東西の祈りの風景」という展示の企画としてバスツアーのコースに入れていただきました。(写真下)
 町内会では、町内活性化のためのイベントとして十一月三十日(土)に、ゴスペルコンサートが実施され、町内から百名の方が来てくださいました。さらに町内で、子どもたちを対象にもちつきを計画してくださいました。十二月二十一日(土)の当日は、中学生による吹奏楽、大学生によるバルーンアート、小学校保護者による影絵話、地元新聞社のゆるキャラの企画も行われました。「ルーテル教会で遊ぼう」というチラシを作ってくださり、この日も百名の方が教会に来てくださいました。
 文化財になる直前の六月には四十名が集まる学校の同窓会の会場として使われ、同月開かれたルーテル社団のフルートコンサートには、地域の方を中心に六十名が来てくださいました。
 こうして昨年だけでも、のべ三百名を超える近隣の方が教会の中に入ってくださいました。
 「教会の建物は知っていたけれど、初めて入った」という方や、「中に入ることが念願でした」と自作のスケッチをもってきてくださった方もいました。
 わたしは、思いをはるかに超えるたくさんの出会いを経験しました。
 文化財になったことで、これからも建物を見に来られたり、町内会で使われることと思います。教会の中に入ってくださることがきっかけとなって、神様との出会い、聖書との出会いに結びつきますようにと、祈りの課題が与えられています。

信徒の声「おしゃべり広場」

大岡山教会 河西照美

大岡山教会は東京都大田区の北西、洗足池と東京工業大学に近い環境の良い住宅地にあります。信仰を育み、教会を愛した先輩方の思いが、教会の建築やアートに表れています。
 家族による信仰継承の賜物により、若者が活躍しています。政治や環境を見ると未来に不安ばかり感じますが、大岡山の若者を見ると夢や希望が見えてきます。

 そんな大岡山教会では、「おしゃべり広場」と名付け、地域のたまり場として、また交流の少ない高齢の方が気軽に集える場所を提案できたらとの思いで、2012年5月より女性会有志により集まりを始めました。火曜日の午後、教会に来れば誰かいて、お茶を飲みながらおしゃべりが出来る、そのような趣旨で、現在までほぼ休まず開いて2012年延34回、2013年51回を数え、8名~16名の参加になっています。
 ご近所の方や教会員が集まり、季節に合わせ編み物、手芸、ブローチ造り、カード作りなどを楽しんでいます。壮年が集まるときは、碁やマージャンも楽しんでいます。特に編み物は、ご近所の方が高度な技術を教えてくださいます。
 方言を使い昔話を朗読してくださる地域の方は、買い物のついでに「おもしろい会があるから来ない?」と気軽に声をかけ、おしゃべり広場を宣伝してくださいます。12月にはクリスマス用にフラワーアレンジをご近所の先生が教えてくださり、ロビーが華やかになりました。昨年最後のおしゃべり広場では、参加された方々の生い立ちや洗礼に至る思いなどを伺う機会を得て、涙や笑いで盛り上がったプチクリスマス会を行うことができました。
 このように思いもしない恵みが与えられ、教会員同士もゆっくりと話をする時間になっています。ほとんど宗教色を出さない会ですが、少しずつ地域に定着してきています。暑い日も寒い日も、案内のために玄関にイーゼルを出し、喜んで奉仕してくださる女性会のメンバーに心から感謝しています。また、立ち上げ当初のメンバーである姉妹の体調を主が守られるように皆で祈っています。
 「この大岡山に小さなたまり場がある。そして開かれた教会がある。」このメッセージをこれからも発信できたらと思います。

「東日本大震災ルーテル教会救援」(JLER)への支援に感謝して

JLER救援対策本部長 青田 勇

2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地での救援・支援活動のために、日本福音ルーテル教会は3月14日、本教会に東教区の協力を得て救援対策本部を設置し、各個教会・関係施設及び多くの海外教会からの支援に応えるために、日本における4つのルーテル教会及び関連施設(社団・大学等)の協力・協同の救援組織「東日本大震災ルーテル教会救援」(英語表記Japan Lutheran Emergency Relief)をルーテル4教団の議長の下に2011年3月24日に発足させました。
 同時に現地活動事務所として「ルーテルとなりびと」を仙台教会に置き、宮城県を中心に被災された多くの人々への多角的な救援活動を、現地スタッフの働き、各教会からの支援とボランテイアの人々の奉仕活動、世界の教会からの多額の援助により、3年間にわたるルーテル教会としての救援活動を滞らせずに継続できたことを心から感謝いたします。

 これまでJLERの支援活動を支えて来た基本指針は以下の通りです。
①「キリストにおける愛の奉仕」の業に基づき、東日本大震災で被害を受けた被災者の復旧・復興のために可能な限りの多角的な救援活動をルーテル4教会の共同事業として取り組む。
②霊的にも、心理的にも、身体的にも苦しんでいる被災された人々に深く関わり、その生命の声を聞き取り、「希望と喜び」の内に共に生きる道を見出すための必要な支援を行うことは神の憐れみの宣教そのものであり、これに参画する召しが神の民に呼び求められている。
③日本のルーテル教会の宣教力を結集した支援事業である「ルーテル教会救援」活動は、日本国内だけでなく、LWFを中心に世界のルーテル教会・団体と強く結びつき、知恵と支援を得つつ、開かれた救援活動として可能な限り長期的に取り組むこととする。

 2014年3月末をもってJLERの活動は終結しますが、神の恵みと導きにより、この支援活動が被災地域の人々の将来に向けての新たなる希望の道を開くための一助となったことをキリストにおいて信じるものです。それと共に、3年間、この支援活動を日々支えくださった、本部の4教団議長、委員、全国の牧師、現地スタッフの方々、数多くのボランティアの方々、ルーテル教会である諸教会・施設、信徒の方々、教会関係者、それに世界の教会・団体の方々に心より感謝いたします。

牧会者ルターに聞く11

第四章ルーテルDNAその二・「いま、ここで」の臨場感に浴して

石田順朗

再度、『アウグスブルグ信仰告白』第七条を読む。「それ[教会]は全聖徒の集まりであって、その中で福音が純粋に説教され、聖礼典が福音に従って与えられる」。
 前回は「聖書のみ」の「のみ」が、その排他、独善的な響きとは裏腹に、聖書が読まれ、み言葉が説教されるとき、神の言葉が会衆を包み込み、その一人びとりに結合する包括性をもつことを知った。今回は、「聖礼典が福音に従って与えられる」とき、「恵みのみ」の「のみ」が、幻想や偶発事ではなく、「いま、ここで」という臨場感をもって神のお恵みを丸丸現体験し満喫する陪餐者の喜悦であることを学び取りたい。
  「いま、ここで」といえば、ニュースで「今現在の為替レートは」などと報じる目下はやりの重ね言葉、「今現在」。同語を重ねることで意味を強調する言い回しは多いが「今現在」もその一つに定着したようだ。言葉の乱れを嘆くふしもあるが、「近いうちに」が政界の論点ともなる昨今、「過ぎ去らない過去」、「明日なき今日」とか「見通せない未来」と時の流れを把握できず、絶えず「安全とはいい切れない不安」に囲まれ、世の終末の切迫さえ聞かれる。なるほど「今現在」は、誰もが渇望する「確かさ」の象徴になった。 国際ネット化した情報網の「リアルタイム」に制御される時間意識からも直感的に共鳴できるし、即刻短絡的な便利さを享受できる。でも実際には、視点が薄れ視野が狭くなり余裕を失う姑息な生活が繰り広げられて行く。ぜひとも踏ん張りが利いて頼り甲斐のある「いま、ここで」が欲しい!
 こうしたなか、主日礼拝で聖餐に与るときの感激を何とか上手に表現したい。幸い、「第十条 聖晩餐について」の言葉がある。「すなわち、キリストの真実のからだと血とは、晩餐におけるパンとぶどう酒の形態のもとに真に現在し、またそこで分与され、受けとられる」。「肉体的な飲食が、どうしてこのような大きなことをすることができますか」繰り返し疑問が湧くかも知れない。
 しかし、ルターは明瞭に答える、「もちろん、それをするのは飲食ではなく、ここにしるされた『これは、罪のゆるしを得させるようにと、あなたがたのために与えられ、流される』とのみことばです。‥そしてこのみことばを信じる者は、このみことばが語り宣言すること、すなわち罪のゆるしを得るのです」(『小教理問答書』)。
  「主の晩餐」における実態変化の「化体説」から「象徴説」、いや「共存、現在説」と、かつて聖餐論で学んだことも役立つが、まさに「いま、ここで」どっぷりとそのご恩寵に浴する「恵みのみ」の臨場感に、この身の至上の悦びを重ね合わせている。これまた「ルーテルDNA」の所為(せい)だ!

勝利の小羊の栄光

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

このステンドグラスは、和歌山県橋本市の、聖公会橋本基督教会にあります。
イスラエルのヨルダン川のほとりで洗礼者ヨハネは、ナザレ人イエスのお姿を見て、「見よ、世の罪をとりのぞく神の小羊」と叫びました。

 いけにえの小羊は、無垢、純潔、柔和、謙虚、忍耐の象徴で、主イエス・キリストを示します。主イエスは、神の国の福音を宣教されたのですが、人々はその主イエスを逮捕し、尋問した上で、屠り場に引かれる小羊のように、十字架の磔刑にし、死の床に埋葬したのです。

 しかし主は、聖書にしめされたとおり、三日目に復活なさったのです。
「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に感謝しよう」。(『コリントの信徒への手紙一』15章55~56節)
勝利の旗を打ち振る小羊に栄光あれ! 神の小羊、主イエス・キリストをすべての人々と共に讃えます。

BOOK REVIEW『ルター研究』別冊第一号の出版

ルター研究所所長  鈴木 浩

 近づく宗教改革五〇〇周年を前に『ルター研究』別冊第一号が出版された。収められているのは、以下六本の論文である。

一問題提起:ルターの現代的意義を問えば……「宗教改革五〇〇周 年と私たち」を考えるために……徳善義和

二ルター・プロテスタンティズム・近代世界……宗教改革五〇〇周年のために
 ……江口再起

三ルターの宣教の神学と今日のルター派の宣教理解(一)……江藤直純

四『ルーテル教会信条集一致信条書)』の邦訳の歴史的背景と意義……T・マッケンジー

五ルター、エラスムス、エンキリディオン、悔い改め……高井保雄

六ルターの讃美歌考……『バプスト讃美歌集』(一五四五年)に見る……徳善義和

 この別冊は、二〇一七年の第五号まで順次出版していくことにしている。内容は毎年開催している「牧師のためのルターセミナー」の講演である。

 書店では入手しにくいので、ファックスまたはメールでルター研究所宛てにお願いしたい。(送料込み、二〇〇〇円)
ファックスは、0422・33・6405、メールは、hsuzuki1945@yahoo.co.jp

 なお、このセミナーは「牧師のための」と銘打たれているが、信徒の参加も歓迎している。日程は毎年、六月の第一月曜日から水曜まで、会場は、「マホロバマインズ三浦」で固定している。詳細は春先に教会にお知らせすることにしている。

石田順朗著『神の元気を取り次ぐ教会 説教・教会暦・聖書日課・礼拝』

 日本福音ルーテル久留米教会、稔台教会、市ヶ谷教会で牧師として勤め、ルーテル神学大学、九州ルーテル学院大学で教鞭を取り、そして、ルーテル世界連盟神学研究部門の局長でもあられた石田順朗博士の新著です。
 四六判美装186頁、定価1200円(ルーテル教会の会員には、著者によって、頒価1000円でお分かちしてくださいます)
 所属教会でまとめて取り寄せ、または版元の「リトン社」にファックス(〇三―三二三八―七六三八)で注文して下さい。
 この本については、本紙2月号で日本ルーテル神学校の石居基夫先生のご紹介がありました。元気を失ったかのように見える私たちの教会に、「神の与える元気」を分かち合おうという呼びかけです。
 特に、教会暦から聖書日課への流れは、私たちの目を開いてくれるのではないでしょうか。  広報室

神学校・大学に新しい展開

日本ルーテル神学校長 江藤直純

創立百十五年の日本ルーテル神学校、五十年目の節目のルーテル学院大学(東京・三鷹)でこの春大きな変化が起こります。
 まず、大学ですが、学科を再編します。神学部神学科で出発し(現在はキリスト教学科)、社会福祉学科、さらに臨床心理学科の三学科体制をルーテルの特徴としてきました。
 それが、少子化はじめ外部環境が厳しくなる中で、生き残りさらに新たな発展をするためのユニークな大学にするために、「一学科五コース」体制を選び取りました。
 人間福祉心理学科とし、キリスト教人間学、福祉相談援助、地域福祉開発、臨床心理、子ども支援コースを揃え、従来のルーテルの教育・研究の蓄積を出口をはっきりさせながら再編しました。一学科であることから、コース間の壁は低く、学生の関心に応じて幅広い学びができます。
 神学校も入学資格を大卒とし、宣教を主題にカリキュラムを充実させます。大学の旧課程の移行に合わせ三年かけて新カリキュラムに移ります。
 教学態勢の改革と同時に四年に一度の学長・校長選挙で長の顔ぶれが変わりました。神学校長は江藤が十二年務めた後、新たに石居基夫教授が第十代の校長に就任します。新しい感覚で牧師養成の先頭に立ちます。
 大学は、やはり十二年間学長を務めた市川一宏教授のあとには現神学校長の江藤が選ばれました。神学教師の二人が二つの重責を担うので、神学教育が手薄にならないように、多くの方の協力をいただきながら、大学の改革路線を推し進めつつ、神学校で牧師養成に励んでいきたいと思っております。
 教会が立てたこの教育機関の存続と発展のために皆さまのお祈りとお支えをよろしくお願いいたします。
 ルーテル学院は後援会の支援を得て、二年間かけてパイプオルガン設置のための献金(千百万円)もお願いすることになります。
 キリスト教精神がより豊かに満ちるためにこちらもお力添えください。

LWF地球温暖化対策で断食キャンペーンをよびかけ

 昨年11月にポーランドのワルシャワで開かれたCOP19(気候変動に関する国際連合枠組条約会議)に、ルーテル世界連盟LWFは青年の代表団を派遣しました。青年たちは、会議の席で地球温暖化対策が急務であることを力強く訴え、自分たちにできることとして断食キャンペーンを呼びかけ、まずは自ら行動を起こしました。呼びかけに対してはキリスト者だけでなく非キリスト者も数多く加わり、気象変動の影響を受けやすい人々と連帯していく覚悟を断食によって示しました。これを聞いたLWF議長と事務局長もすぐさま賛同し行動を起こしました。
LWFは加盟教会に向けて、青年代表が主唱した断食キャンペーンへの参加を次のように呼びかけています。

 今後増え続ける極端な気象変動の影響を著しく受ける人々と、断食をして連帯しましょう。宗教の違いや信仰の有無を問わないひとつの声を見える形にするために、一人でも多くの人がこの呼びかけに賛同することを願っています。
 みなさんの教会でもこのシンボリックな声を真摯に受け止め、毎月一日に断食することを検討してみてください。今年の12月1日にペルーのリマで開催されるCOP20までこれを続けていきます。
世界宣教主事 浅野直樹

女子学生会館「文京カテリーナ」入館者募集中!

小石川教会牧師 徳野昌博

 JELCの収益事業の一つであり株式会社ザ・ルーテルが経営する「女子学生会館文京カテリーナ」は耐震工事後、初めての新年度を迎えます。
 再び満室にしてスタートしたいと、職員さんたちは張り切っています。 職員さんたちは、本当に親身になって在館生さんたちのお世話をし、よき相談相手になっておられます。在館生さんたちへの心配り、健康面への気遣いは、実に細やかで、学生向けマンション等とは全く違う家族的な温もりを感じます。
 館内は実に掃除が行き届いており、清潔で、安心感を与えています。そして、便利なところにありながら、他の学生会館に比べて、室料が決して高くない、いや安いというのも人気を得ている要素のようです。
 全国のルーテル教会の方々にも、カテリーナのことをもっとよく知っていただき、東京で学生生活を送ろうと考えている女性がいれば、紹介してほしいと願っています。ルーテル教会の関係者がもっと増えるといいなぁと思っています。
 小石川教会に来ている在館生にお願いして、感想文を書いていただきました。

文京カテリーナの特長
●基本的なアイテムが揃ったワンルームタイプの個室
●都心の立地で、どこへでも便利にアクセス
●食堂もサインひとつでOK
●共用スペースでネットワーク作り
●24時間体制のセキュリティで、親御様も安心
●身体の調子が悪いときにも、しっかり対応
●万一の際のために、避難訓練を実施
【立地条件】
都営三田線千石駅徒歩5分/JR山手線巣鴨駅徒歩13分/都営バス「千石2丁目 」バス停前
【施設概要】
所在地:東京都文京区千石2‐30‐12
建物概要:鉄筋コンクリート造・地下1階・地上9階
学生個室:160
【1ヶ月にかかる費用】
A 室料 33,000円~75,000円)
B 共益費24,000円
C 食券代 2,400円(税別)・・・夕食4回分の食券
その他、 個室の電気代、朝食代、夕食代(5食目以上)、インターネット使用料など
詳しくはホームページでhttp://www.katerina.gr.jp

14-03-02JLER月報2014年3月号−最終号

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14-02-18イエスの激しい祈り

(イエスは)ひざまずいてこう祈られた。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください。すると、天使が天から現れてイエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」。(ルカによる福音書22章39節~46節)

 イエスは十字架につけられる前日、弟子たちと最後の食事をしました。その後、血の滴るような汗を流して祈ります。聖木曜日夜の出来事です。
イエスが汗を流しながら祈られたのはゲツセマネでした。そこは旧約聖書にも出ているオリーブ山(ゼカリヤ14・2)のほぼ中央にあります。

 イエスはそこで「ひざまずいて」(ルカ22・41)祈り始めます。ユダヤ人は立って祈るのが習慣です。現在でもそうですが、特に大事な祈りになると立ったまま手を上にあげ祈ります。イエスがひざまずいて祈るのは極めて不思議な光景です。
イエスの祈りは「汗が血の滴るように地面に落ち」(ルカ22・44)ると、ある写本が書き残しているように、極めて激しいものでした。ゲツセマネには「実を粉々に粉砕する油絞り器」の意味がありますから、イエスはまさにご自分の体を粉々に砕き、血を体の中から絞り出すかのように祈ったのでしょう。

どうしてそれほど激しい祈りをされたのでしょうか。それを探る為に私は気づいたら十回もイスラエルに足を運んでいました。大半は個人で行きましたが三回はグループを引率しました。

一九八七年だったでしょうか、グループ旅行の時、ゲッセマネの園の教会で、「今日は一日祈りの為に取っていますからここで思う存分祈って下さい。但し閉門が四時ですからそれまでには出て来るように」と言って各自自由に祈る時間を取りました。最後の婦人が出てきたのは四時ぎりぎりでした。何と六時間祈っていたことになります。涙ながらに激しく祈ったことがすぐ分かりました。眼は真っ赤、顔の形が変わったようにも見えましたが晴れ晴れしていました。「先生、イエス様は本当に私の為に汗を流しながら祈ってくれたのがわかりました」と喜びに満ち輝いていました。 私がイエスの祈りが私の為であったことを身にしみたのは何度も何度もここを訪れ、長時間祈ってやっとのことでしたが、彼女はたった一回でそれを体験したのでした。

 イエスが祈って下さることが本当に分かることは私たちの信仰にとって実に大事なことです。イエスが祈って下さるから私たちは救われます。世の中には私たちを神から引き離そうとする非常に強い力があります。毎日その誘惑にさらされています。イエスは弟子たちに「誘惑に陥らないように祈りなさい」(ルカ22・40)と命じますが、弟子たちは誘惑に負けてしまいます。私たちも同じです。私たちは弟子たち以上に誘惑に負け、罪に負けやすい弱い人間です。このままでは救われません。イエスはそんな私たちを、一人や二人ではありません、全人類のためです、全ての人を救う為にこの世に来られたのですから(第一テモテ1・15)、全ての人の罪を背負っています。全人類の罪を一身に負っているのですから余りにも重すぎます。ですから祈りは激しさを増さざるを得ません。

 そして遂に「父よ、御心なら、この杯をわたしからとりのけてください」と訴えざるを得ません。「杯」は私たちの罪すべてです。神はその訴えを聞き入れません。聞き入れたら、私たちはいつまでも救われることはありません。イエスがどんなに苦しくても、悶えても、飲み干して下さったから私たちは今赦しの中で生きていられます。

 主イエスは私たち人間の罪を赦すために激しい祈りをされました。激しい祈りだからこそ習慣的な祈りの姿勢ではなく跪いて祈りました。そろそろ受難の季節に入り、ゲツセマネのイエスの祈りに出会います。この祈りはあなたを救うための祈りです。今年はそのことをいつも以上に身にしみて、イエスの前にひざまずいて下さい。

日本福音ルーテル賀茂川教会  高塚郁男

14-02-15るうてる2014年2月号

機関紙PDF

説教「イエスの激しい祈り」

日本福音ルーテル賀茂川教会  高塚郁男

(イエスは)ひざまずいてこう祈られた。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください。すると、天使が天から現れてイエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」。(ルカによる福音書22章39節~46節)

イエスはそこで「ひざまずいて」(ルカ22・41)祈り始めます。ユダヤ人は立って祈るのが習慣です。現在でもそうですが、特に大事な祈りになると立ったまま手を上にあげ祈ります。イエスがひざまずいて祈るのは極めて不思議な光景です。
 イエスの祈りは「汗が血の滴るように地面に落ち」(ルカ22・44)ると、ある写本が書き残しているように、極めて激しいものでした。ゲツセマネには「実を粉々に粉砕する油絞り器」の意味がありますから、イエスはまさにご自分の体を粉々に砕き、血を体の中から絞り出すかのように祈ったのでしょう。
 どうしてそれほど激しい祈りをされたのでしょうか。それを探る為に私は気づいたら十回もイスラエルに足を運んでいました。大半は個人で行きましたが三回はグループを引率しました。
 一九八七年だったでしょうか、グループ旅行の時、ゲッセマネの園の教会で、「今日は一日祈りの為に取っていますからここで思う存分祈って下さい。但し閉門が四時ですからそれまでには出て来るように」と言って各自自由に祈る時間を取りました。最後の婦人が出てきたのは四時ぎりぎりでした。何と六時間祈っていたことになります。涙ながらに激しく祈ったことがすぐ分かりました。眼は真っ赤、顔の形が変わったようにも見えましたが晴れ晴れしていました。「先生、イエス様は本当に私の為に汗を流しながら祈ってくれたのがわかりました」と喜びに満ち輝いていました。 私がイエスの祈りが私の為であったことを身にしみたのは何度も何度もここを訪れ、長時間祈ってやっとのことでしたが、彼女はたった一回でそれを体験したのでした。
 イエスが祈って下さることが本当に分かることは私たちの信仰にとって実に大事なことです。イエスが祈って下さるから私たちは救われます。世の中には私たちを神から引き離そうとする非常に強い力があります。毎日その誘惑にさらされています。イエスは弟子たちに「誘惑に陥らないように祈りなさい」(ルカ22・40)と命じますが、弟子たちは誘惑に負けてしまいます。私たちも同じです。私たちは弟子たち以上に誘惑に負け、罪に負けやすい弱い人間です。このままでは救われません。イエスはそんな私たちを、一人や二人ではありません、全人類のためです、全ての人を救う為にこの世に来られたのですから(第一テモテ1・15)、全ての人の罪を背負っています。全人類の罪を一身に負っているのですから余りにも重すぎます。ですから祈りは激しさを増さざるを得ません。
 そして遂に「父よ、御心なら、この杯をわたしからとりのけてください」と訴えざるを得ません。「杯」は私たちの罪すべてです。神はその訴えを聞き入れません。聞き入れたら、私たちはいつまでも救われることはありません。イエスがどんなに苦しくても、悶えても、飲み干して下さったから私たちは今赦しの中で生きていられます。
 主イエスは私たち人間の罪を赦すために激しい祈りをされました。激しい祈りだからこそ習慣的な祈りの姿勢ではなく跪いて祈りました。そろそろ受難の季節に入り、ゲツセマネのイエスの祈りに出会います。この祈りはあなたを救うための祈りです。今年はそのことをいつも以上に身にしみて、イエスの前にひざまずいて下さい。
(イエスは)ひざまずいてこう祈られた。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください。すると、天使が天から現れてイエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」。(ルカによる福音書22章39節~46節)

宗教改革五〇〇周年に向けて ルターの意義を改めて考える(22)

ルター研究所所長 鈴木浩

 律法の第三用法の続きだが、人間には人間として生きていく上で、ガイドラインは必要であろう。ところが、ガイドラインは「物差し」として機能することになる。
 だから、ガイドラインが指し示すモデルと、自分との「比較」がここで生じることになる。この物差しは、自分だけでなく、他人にも適用されることにもなるだろう。
 比較すれば、そこで「進歩したか、後退したか」という判断が生じる。「進歩の積み重ね」が「実績の積み重ね」と思われたらどうなるのか。この場合、「実績」とは「功績」と同義語になる。すると、そこに現れているのは、「変装した律法主義」ということになる。
 教会史家のゴンサレスが、律法の第三用法を強調したカルヴァン派の伝統について、「極端なルター主義に常に存在する危険が反律法主義であるのに対して、改革派の伝統に常に存在する危険は、律法主義、厳格主義、更にはわざによる義認へと落ち込む危険である」(『キリスト教神学基本用語集』教文館、二七〇頁)と言うのも、うなずける。ルターが「律法の第三用法」について、控え目な発言しかしなかったのは、その危険を察知していたからである。

牧師の声 海外研修報告 第二回
「ラルシュ共同体」について

箱崎教会・聖ペテロ教会 和田憲明

 ラルシュ共同体(以下、「ラルシュ」と記す)は、ジャン・バニエ(1928年 カナダ生まれ)が知的ハンディを持ち苦しんでいる人と共に、祈りを中心とした生活を始めたことに端を発する。1964年最初のラルシュがフランスで設立され、現在約40ヶ国、150ヶ所に大小さまざまなラルシュが存在する。ちなみに日本では静岡の「かなの家」のみ。前号で紹介したフランスのテゼ共同体(以下、「テゼ」と記す)で行われる祈りのスタイルが、このラルシュにも取り入れられている。(参照:『テゼ-巡礼者の覚書』黙想と祈りの集い準備会編、一麦出版社)

 昨夏私が訪れたバングラディッシュのラルシュは、近くのテゼハウス(テゼ共同体の分院)で暮らす5人のブラザー(修道士)の働きが基盤となって始められ10年目を迎えた。現在NGOの日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)から派遣されている、女性ワーカーの看護士、作業療法士のお二人が積極的に支援を行っていた。

 この国のおよそ9割がイスラム教徒だが、先進的な共同体としてラルシュの中でも特に注目されている理由は次のようなことである。
 祈りの時間の様子――施設の小部屋正面の机上にキャンドル、香、花が置かれ、まずイスラム教徒がコーランの一節を唱える。続いてキリスト者が聖書朗読を行う。それぞれの単純素朴な讃美。そして沈黙の時間。これにヒンズー教徒のギーターの朗読が入ることもある。

 テゼは超教派。バングラディッシュのラルシュを「超宗教」と呼ぶ向きもあるが、現地のワーカーのお一人は 、 「人間なので当然意見の相違も起こる。でも、知的ハンディをもった子どもたちの存在に助けられ、互いに和解の体験を何度もしてきた」という。
こちらが、「・・・愛し、尊敬を持って互いに相手を優れた者と思いなさい」(ロマ12:10)なのですか?と聞き返すと、「イスラム、ヒンズーにも同様の教えがあり、今晩ブラザーを囲んで学ぶところです」と。帰国の日に話してくれた日常が、今日も祈り、繰り返されていることだろう。

※ 「ラルシュ」とはフランス語で「箱舟」の意 

Book Review
石田順朗著「神の元気を取り次ぐ教会」

ルーテル学院大学 石居基夫

 「神の元気を取り次ぐ」こと。書名に記されたこのユニークな表現は、福音によって信仰に導かれ、その福音を分かち合う牧師へと召しを受け、長くその働きを担ってこられた筆者石田順朗先生が、今こそ教会の使命としてどうしても確認したかったものだといえるだろう。
 進歩した科学技術がこんなにも私たちの日常を便利で快適なものにし、世界の新しい可能性を示しているのに、人々は孤立し、社会全体は先行きの不透明さに大きな不安を抱いている。教会もまた宣教に行き詰まり、子どもたちの姿が少ない現実の中で明るい未来を描けず、元気がない。
 けれども、本当の元気は私たちの内からはけっしてわき上がっては来ない。筆者は、それはただ「神の元気」から来ると確認する。「神の元気」とは、神から被造物に与えられる「いのちの息吹」のことと聖書は示しているのだ。このいのちの息吹は、神の言葉として私たちに向けて語りかけられ、私たちを生かす力として働く。
 ご自身が説教によって「元気をもらった」という原体験を長い信仰生活を通し確認し、また説教者として人々がそれによって生かされ、導かれるのを目の当たりにしてこられた筆者だからこそ、その真実を率直に示してくださっている。確かに説教を通して語られる神のみことばが、人を元気にし、世界に神の御心を実現していく。
 その説教がどのように準備され、分かち合われ、伝えられてきたのか。教会の暦や聖書日課、聖礼典や礼拝のことなどについてやさしく説明を加え、細やかな配慮のなかに神のみことば、「神の元気」が用意され分かち合われて来た教会の知恵を教える。その知恵によってこそ、信仰者がこの歴史的世界のなかでどう生きるべきかを確かに受け取っていくのだといえるのだろう。
 九・一一、三・一一という二つの大きな出来事を体験してきた現代には沢山の課題がある。その現代を生きるキリスト者に与えられている恵みと使命を「神の元気」において私たちは分かち合うものと教えられる。

『神の元気を取り次ぐ教会―説教、教会暦、聖書日課、礼拝』
予価1200円、
2月中旬リトン社より刊行

JLER(ルーテル教会救援)対策本部
現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦
 
 これまで、毎月、この紙面をお借りして「現地からのレポート」を皆様にお届けしてきましたが、今月号で最後となりました。これまでお読みいただいた皆様に感謝いたします。
 その最後は、記念礼拝・感謝会と実務研修会のご案内(詳しくは左欄をごらん下さい)およびコミニュティセンター再建後の利用状況についてご報告いたします。

【コミニュティセンター再建後の利用状況】
チーフ・スタッフ 佐藤 文敬
 2013年9月15日に落成式をして無事に完了した気仙沼市本吉町の前浜コミュニティセンター再建支援。建物完成後、このセンターは気仙沼市に寄贈され、同年11月から前浜地域振興会(自治会)が指定管理者になり施設を運営しています。
 前浜地域では、震災前からセンターを使った地域活動が1年間に50回以上行われていたのですが、新しく再建されたセンターも完成後、頻繁に使われています。敬老会などの自治会行事以外にも防潮堤問題の勉強会など復興に向けた取組や子ども向けのお楽しみ会など様々に活用されています。
 ルーテル教会救援でも12月21日に、日本福音ルーテル社団のボランティア青年たちが地元の女性グループと一緒に、センターを使って子どもたちのためのクリスマス会を開催しました。
 子どもたちは、大きな声で歌ったりゲームをしたりと楽しい時間を過ごしていました。今後も地域復興の拠点としてたくさん使ってもらえればと思っています。

東日本大震災ルーテル教会救援記念礼拝・感謝会

1.日時:2014年3月11日(火)  14時46分18秒~17時
2.会場:日本福音ルーテル仙台教会
3.内容: 14時46分18秒~15時30分 記念礼拝
 15時30分~17時    感謝会(お茶会)
4.対象者:どなたでもご出席いただけます。
5.申込:2014年2月28日(金)までにメールにて
担当者(野口:k-noguchi@jelc.or.jp)までお知らせ下さい。

南海トラフ大震災対応実務研修会
1.日時:3月11日(火)  14時46分18秒~13日(木) 16時頃
2.会場:仙台教会及び支援先、被災地 他
3.対象者:ルーテル教会救援構成四教団  所属牧師

牧会者ルターに聞く

第四章ルーテルDNA
その一 神の言葉に「とりつかれる」

石田順朗

 本シリーズ最終章のこの標題は、時の話題にあやかる造語ではない。ほぼ三年前の米国訪問中、娘家族が在籍する教会の牧師ジェームズGコブ先生から署名入りで戴いた『Lutheran DNA, 「アウグスブルグ信仰告白」を会衆と共に検証して』(二〇一〇年)の書名拝借による。
 教会から破門されたルターは、やむなく同調者らと共に明確な信仰基準や組織を必要とし、一五三〇年には、「アウグスブルグ信仰告白」の陳述が行なわれてルター派が結成された。ルターの死後、一五五五年には「宗教和議」の結果ルター派は、ドイツ国内での法的権利が認められた。漸次、福音主義教会と呼び交わされ、ルター自身の初志に逆らうルーテルの名を冠する教会形成へと国際的に発展したのである。そこで、いったいルーテル教会の素性とは?をたずねてコブ博士は、都合四十年間牧した会衆と共に、その『信仰告白』を読み続け、一年の研究休暇を得て上梓した好著だ。
 この『信仰告白』は当初、多くの論議を誘発し、『改正』や『弁証論』の刊行が続いた。ところで冷静に読んでみれば、それは時の教会への挑戦状的な檄文ではなく、むしろ『使徒、ニケヤ信条』に則り、あくまでも聖書に誠実たろうと明瞭簡潔に告白する福音的な信条書。「唯一の聖なるキリスト教会は、つねに存在し、存続すべきである」の第七条が「それ[教会]は全聖徒の集まりであって、その中で福音が純粋に説教され、聖礼典が福音に従って与えられる」と記述するのはその範例で、いわゆる宗教改革原理の「聖書のみ・恵みのみ・信仰のみ」を条文化したものである。
 言葉といえば、ふつう、ある概念や思いを伝達する媒体として考えられるが、ルターが聖書を指して「神の言葉」というときの言葉には、言葉そのものが一つの恵みの出来事であり、力であり、彼自身に迫り、彼を?みこむものであった。「… 神のこの約束は、聖なる、真なる、義なる、自由なる、平和ならしめる、またあまねく善に満ちたる言葉であるから、堅き信仰をもってこの言葉に固着する魂が、ただに言葉の一切の力に与るのみでなく、その力に飽き足らせ酔わせられるというように、言葉に融合せしめられる、否、完全に言に呑まれるということが起こる。… いかに言葉のもつ一切を魂に共有せしめることであろう」。
 この「とりつかれる」さま、「呑みこまれる」さま、さらに「結び合わせられる」さまは、ルターが、名著『キリスト者の自由』の中で婚姻関係の親密さに譬えて描き出すほどに、極めて奥行きが深く密度の高いものである。
 キリスト信徒が神の言葉に「とりつかれるさま」は、まさに「ルーテルDNA」のもたらす成果だ!

いしだ よしろう 引退牧師、九州ルーテル学院大学名誉学長、LWF元神学研究部長

春キャンに集まろう!

 まだまだ寒い日が続いていますが、確実に春も近づいています。ルーテルの春といえば? 春キャン! そう、春の全国ティーンズキャンプです。 
 「神様を信じて、愛してやまない若者がこんなにたくさんいるんだ…」初めて春キャンに参加した時の感動と驚きを未だに覚えています。21歳で教会に通うようになり、洗礼を受けスタッフとして参加した春キャン。自分の通っている教会には中学生、高校生は1人2人だったこともあり、体育館いっぱいに集められた子どもたちが真剣に神様について語り合い、考える姿を見て衝撃を受けました。
 今年は21回目を迎え、千葉市少年自然の家にて行われます。テーマは「信仰」。私たちの信じる力によって救いを勝ち取るのではなく、神様からの救いが全て。私たちがどのような罪びとであっても、私たちを愛してくださる神様に自分自身をゆだねることが信仰であるのだということを様々なプログラムを通して、体験的に学びます。
 そして、「以神伝信―それでもキミを愛しているー」というキャッチコピーの通り、・それでもキミを愛しているという・神様をもって(以って)、(罪ある私たちに)信仰が与えられる(伝わる)、こんなことを感じられるキャンプです。
 共に祈り、賛美し、寝て、食べて、語り合う。一つ一つを通して、私たちの想像をはるかに超えたプレゼントを神様は準備してくださることでしょう。そして、プレゼントはもらって終わりではありません。それぞれの教会に戻ってから、日常生活の場においても、神様からのプレゼントによって、つながり、強められます。また贈る側になることもあるでしょう。
 スタッフはプレゼントの中身を少しずつ準備しているところです。どうぞ子どもたちを送り出してください。スタッフ一同、お待ちしております。
春キャンスタッフ 石井沙絵

申し込み方法

★申し込み期限:2014 年2月23 日まで
★申し込み方法:
・インターネットから申し込んでください。( 携帯、ス
マホからも申し込めます)
TNG-Teens のブログ
http://tngteens.hamazo.tv/から またはFacebook
https://www.facebook.com/JelcTeens から

・インターネットからの申し込みができない場合は、FAX、Email、郵便などで 申し込んでください。  
・〒263-0032 千葉市稲毛区稲毛台町23-7
日本福音ルーテル千葉教会気付  春キャン2014 申込受付担当: 小泉嗣宛
FAX:043-244-8018( 千葉教会)TEL:043-244-8008( 千葉教会)・  E-Mail: harukyan.moushikomi
@gmail.com

★申し込み確認方法: 申し込み受付後、TNG-Teen プログで教会名と名前の イニシャルを表示します。各自、申し込まれたかを御確認く ださい。( 受付が表示に反映されるまでに数日かかります)
その他キャンプに関する一般的問合せ先:
TNG-Teens 部門小澤実紀
TEL:090-1098-2466
主催: 日本福音ルーテル教会宣教室TNG 委員会Teens 部門 各教区教育部 協賛:JELA

この方こそ救い主

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

 長野県北の栄村秋山郷は新潟の津南町からやっと車で入れる山間僻地の豪雪地です。この地方では、徒歩で行商担ぎ屋をする人が近年までいました。
 その一人、小林Kさんは夫に先立たれ、七人の子を行商で育て上げました。労苦を重ねた上やはり生涯を終えたのですが、いつの間にか教会に通い、受洗していたのです。持ち歩いていた聖書は古び、星野富弘さんの「詩画葉書」がしおりのように挟んでありました。
 子たちは母親の信仰を重んじ、周りの仏教のしきたりではなく、教会で葬式をし、母を覚えて自宅内にチャペルを作ろうと思い立ち、遥遥アスカ工房に相談に来訪。
 八畳の床の間を改造してステンドグラスの窓を新設し、「良い羊飼いイエス」と『この方こそ救い主』の二列取付を決め、救い主を指差す行商姿の母を入れることになりました。
JR飯山線の踏切近くの家には列車からも見える位置にこの窓はあります。
 母の通った秋山郷の山道はNHKの「小さな旅」でも紹介されました。

新任「J3」(短期信徒宣教師)からのごあいさつ

ブレント・ウィルキンソンさん

出身はアメリカのミシガン州です。出身教会は、セントラルウエスレアン教会です。
 来る前、大学から卒業しました。アルバイトを図書館でしました。趣味はギターとスポーツと釣りです。
 日本では日本語を習って、文化を見て、教会を手伝いたいです。大学では歴史と経済とドイツ語を勉強しました。
(日本語で書いてくださったあいさつ文をそのまま掲載しました)

ジェニファー・ロバーツさん

わたしはアメリカのウイスコンシン州のLuckから来ました。その町のボーンレイクルーテル教会の会員です。
 日本に来る前、アイオワのルーテル大学で歴史とアフリカについて学びました。
 日本では、日本語について十分に学び、しっかり会話できるようになりたいです。
 神様が私のために、そして、日本の国で私を用いて神様がなさろうとする働きを覚えて、興奮しています。

2013年度 連帯献金報告

2013年度の「連帯献金」は各個教会・団体及び教会員・教会関係者の方々から10,218,526円の献金が、それぞれの宣教・奉仕の活動のために捧げていただきました。
                                  
■ブラジル伝道  1,058,237円
 帯広教会、日吉教会、札幌教会、大岡山教会、長野教会、田園調布幼稚園、東教区総会、 熊本地区宣教会議、東教区宗教改革礼拝、京都教会、小石川教会、千葉教会、横須賀教 会、竹田孝一、東教区女性会、保谷教会、水俣教会、下関教会、厚狭教会、厚味勉、寺 田幸代、小山茂、宇部教会、恵み野教会、博多教会、めばえ幼稚園、ルーテル学院中学・高校、 本郷教会・本郷学生センター、なごや希望教会、女性会連盟

■メコンミッション支援(カンボジア) 232,000円
 日吉教会、小山茂、長野教会、保谷教会、市ヶ谷教会

■喜望の家 2,721,320円
 サウスカロライナ・シノッド、ブラウンシュバイク連邦教会、小泉眞、長野教会、小石川教会、横須賀教会、 保谷教会、水俣教会、 宇部教会 、博多教会

■世界宣教(無指定)  799,948円
 高蔵寺教会、蒲田教会、箱崎教会、帯広教会、桝田 智子、日本福音ルーテル社団、室園教会、 長野教会、高安洋子、刈谷教会、杉岡浩二、湯河原教会、大垣教会、千葉教会、市ヶ谷 教会、博多教会、神水教会、挙母ルーテル幼稚園、小山茂

■フィリッピン台風救援金 2,441,360円

【教会】
 岐阜教会、小田原教会、津田沼教会、阿久根教会、シオン教会柳井礼拝所、武蔵野教会、大江教会、東京池袋教会、市川教会、京都教会、なごや希望教会、板橋教会、健軍教会、横須賀教会、熊本教会、保谷教会、小岩教会、藤が丘教会、帯広教会、静岡教会、室園教会、宇部教会、雪ケ谷教会、西宮教会、市ヶ谷教会、刈谷教会、大牟田教会、恵み野 教会、松本教会、博多教会、神水教会、合志教会、二日市教会、小石川教会、大阪教会、日吉教会、函館教会、シオン教会益田礼拝所、本郷教会、岡崎教会、浜名教会、札幌教会、厚狭教会、豊中教会、福山教会、岡山教会、甘木教会、神戸東教会、下関教会、久留米教会、湯河原教会、三原教会、大垣教会

【団体】
 日本福音ルーテル社団、甲信地区信徒の集い、西日本福音ルーテル伊丹教会、門司幼稚園、清泉保育園、田園調布幼稚園、「共に生きる」集い、西日本福音ルーテル青谷教会、二見福音ルーテル教会、西条ルーテル幼稚園、めばえ幼稚園、国府台保育園、愛泉保育園、挙母ルーテル幼稚園、ルーテル学院、本郷学生センター

【個人】
 鐘ヶ江昭洋、中尾巴香、小町志乃、小山茂、仲吉智子、山﨑眞由美、星野幸一、相本剛、山本真理子、村上要子、梅北美智子

特記  「東日本大震災救援献金」報告
 東日本大震災の救援活動のために、震災発生の2011年度から2013年度に至るまで、3年間、全国の教会、関連施設に支援募金をいただきましたので、「連帯献金」と併せて感謝して報告させて頂きます。宮城県の現地にて、復興・復旧のための支援活動を3年間継続してきました、4つのルーテル教会の共同による「ルーテル教会救援」(JLER)は、2014年3月末をもって終結いたします。この救援活動のために、多額の献金を捧げてくださった全国の教会、信徒の方々、教会関係者・団体、並びに全世界の教会に心より感謝いたします。

■東日本大震災救援献金 2,965,671円

【教会】
 神水教会、日田教会、都南教会、武蔵野教会、日吉教会、高蔵寺教会、熊本教会、東京 池袋教会、広島教会、箱崎教会、大森教会、羽村教会、札幌教会、三鷹教会、恵み野教 会、千葉教会、挙母教会、甲府教会、湯河原教会、博多教会、宇部教会、市ヶ谷教会、 下関教会、松本教会、小鹿教会、大分教会、健軍教会、小石川教会、室園教会、シオン教会 柳井礼拝所、保谷教会、大岡山教会
【団体】
 東教区、東京ベタニヤホーム、九州学院、東教区女性会、熊本地区女性会、門司幼稚園、大阪るうてるホーム、千葉ベタニヤホーム、九州教区信徒大会、東教区総武地区、大船ルーテル教会、愛知ルーテル学院、一粒の麦、横浜英和学院、めばえ幼稚園、ルーテル学院中学・高校、東海地区女性会
【個人】
 木村修・千恵、宮川幸祐、寺田幸代、メイトウクリストインターナショナルチャーチ、小山茂

2014年度 ルーテル「連帯献金」のお願い

 今日の社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓への支援活動として日本福音ルーテル教会がお願いしている「連帯献金」のために、各個教会及び教会員・教会関係者の皆様から、献金を捧げていいただいていますので、ご協力をお願いいたします。

■指定献金[ブラジル伝道]■
1965年から日本福音ルーテル教会の海外伝道として誕生した、サンパウロにある日系人教会の宣教支援と2009年4月より宣教師として派遣されている徳弘浩隆牧師夫妻の人件費を補うために、毎年200万円の募金目標を掲げています。ご支援と献金をお願いします。

■指定献金[喜望の家]■
釜ヶ崎「ディアコニアセンター喜望の家」の活動の支援をお願いします。アルコール依存を抱えた方々の支援・相談、アルコールを飲まない生活を支えるための「自立生活支援プログラム」の提供、病院訪問、さらには「路上生活相談」として、街で路上生活者に声をかけ、生活や医療の相談をし、路上生活から脱出を手助けする支援を展開しています。

■特定献金[メコン流域支援]■
日本福音ルーテル教会は「メコンミッション活動」として、メコン川流域の人々のための宣教・教育・奉仕事業を香港、シンガポールのルーテル教会と共同で展開しています

■無指定献金■[世界宣教のために]
緊急の支援を必要としている人々の救援活動及び宣教・奉仕活動に対応するために「無指定献金」を設けています。無指定献金の配分・送金先は本教会常議員会に委ねられています。

▼上記献金の送金先▼
「連帯献金」を捧げてくださる場合には、それぞれの献金目的を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。
郵便振替:00190-7-71734   
名義:(宗)日本福音ルーテル教会

14-02-02JLER月報2014年2月号−28号

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14-01-15るうてる2014年1月号

機関紙PDF

「おめでとう」と交わし合う一年を

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
ルカによる福音書 1章26~28節

 あけまして、おめでとうございます。新年もよろしくお願い致します。また日本の風習に従うならば、喪中の中お正月をお迎えになった方もいらっしゃることでしょう。主の慰めをお祈り申し上げます。
 新年を迎え、ご家族、ご近所や知人との間で「おめでとうございます」という挨拶を交わされたことでしょう。教会も同じです。元旦礼拝で、あるいは新年の初めての礼拝で互いに「おめでとうございます」という言葉を交換されたことでしょう。教会の中でも外でも日本に暮らすキリスト者は、区別することなくこの挨拶の言葉を交わしますが、しかしそれには違いがあるのではないかと思います。
 すでに教会の暦はクリスマスを迎えていますが、主イエスの誕生の前には様々な事が起こりました。その一つはマリアへの受胎告知です。天使ガブリエルはマリアに「おめでとう」と告げました。それはマリアにとってはとんでもない事で、おめでたくもないものでした。でも天使はそれを「おめでとう」と告げたのです。もっとも、この日本語訳は適切ではなく、「幸いあれ」という程度の日常的な挨拶であったと指摘する神学者もいるようです。そうなのかも知れませんが、この言葉の次には「恵まれた方」と言っていますので、いずれにせよ「おめでたさ」を伝える挨拶であったことには変りありません。「おめでとう」という挨拶は、マリアにはやっかいで、余計なものを背負わされたという思いがあったでしょうし、よりによってどうして「私が?」というやるせなさを覚えたことでしょう。
では、どうして恵まれた者なのでしょうか。その理由は「主があなたと共におられる」からなのです。
 私は、「主があなたと共におられる」という言葉ほど重要な言葉はないと思います。天使の告げたこの言葉が耳にした人の中で結実し、「本当にそうだ」と実感した時にこの言葉は力を持つのです。その人を励まし、希望を与え、喜びと感謝をもって生きる力を与えて行くのです。
 マリアが幸いだったことは、お腹の中でみ子の成長を実感できたことでした。「主があなたと共におられる」という言葉が結実していたのです。初めの不安と動揺は次第に小さくなり、「おめでとう」と告げられた言葉を実感していったのです。
 新年を迎えた私たちにもマリアと同じように、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」という祝福の言葉が語られています。ただ、私たちのお腹に神の子が宿ったのではありませんので、この言葉を実感することができません。でも幸いなことに、礼拝の際に与る聖餐がこの働きを担うのです。パンとぶどう酒にイエス・キリストがまことに現臨して下さっているのですから、それをいただくことによって、私たちもこの言葉を実感するのです。
 「主があなたと共におられる」という祝福は、マタイによる福音書では「神は我々と共におられる」と記されています。祝福はマリアだけに向かうのではないのです。すべての人に語られています。ですから、教会は主のご臨在を互いが確認し合う群れであり、それを第一に礼拝で体験していると言えるのでしょう。
 この一年間も礼拝において牧師の説教が語られ、讃美と祈りが唱えられることでしょう。諸集会で聖書が読まれることでしょう。家庭集会や病床訪問においても同様です。主のご臨在をみんなが実感でき、「おめでとう」という挨拶の言葉がいつも喜びとなり、生きる力となり、宣教の励みとなるような皆さんの一年をお祈りいたします。
日本福音ルーテル東京池袋教会  立山忠浩

宗教改革五〇〇周年に向けて ルターの意義を改めて考える(21)

ルター研究所所長 鈴木浩

 ルターは、律法の第一義的機能は、神の義の前での人間の罪と無力さを暴露することにある、と考えていた。その事実に直面した人間は、福音に寄りすがる以外には、この絶望的な事態から逃れる道はない、と悟るようになるためである。
 しかし、律法には二義的な意味がある。それは、罪に陥って堕落したこの世界が、これ以上悪くなることがないように、市民的秩序を維持するための機能である。ここでは、その秩序を、せめて我慢のできる枠内に収めるために、警察のような強制力が必要だとされた。
 ところが、そのうちに福音によって義とされた人が、義とされた人として、そのような社会の中で生きるためのガイドラインが必要ではないのか、と考えられるようになった。それが、いわゆる「律法の第三用法」と呼ばれる機能である。
 ここで一つの「判定基準」が導入される。ルターの盟友メランヒトンも、カルヴァンも、この第三用法の重要性を認識した。ところが、ルター自身は、この「第三用法」には、(多分、意識的に)深入りしなかった。それは、なぜであろうか。ルターがここで踏み留まったのは、ここである種の「神学的センス」が機能していたのだと思われる。

海外研修報告 第一回「テゼ共同体」について

箱崎教会・聖ペテロ教会 和田憲明

 昨夏、私はELCA主催のショートターム海外研修で、独りフランスのテゼ共同体とバングラディッシュのラルシュ共同体を訪れた。一回目は前者についての報告をしたい。

 テゼ共同体はフランスの小村テゼにある超教派の男子修道会である。年間を通じ、世界中から多くの人々が巡礼のごとく訪れ、そこで歌われる賛美は国々の間で歌われている。
 創始者となったブラザー・ロジェは第二次世界大戦中、戦火を逃れてやって来る難民を迎え入れ、黙想の時、沈黙の場として教会を開放した。この時訪問客が泊めてくれた見返りに礼拝に出ようとすることを彼は恐れ、一切強制をしなかったという。
 すると信じるものが違うとも、人々が集い共に座り始めた。今日テゼ共同体は25ほどの国々から集まったプロテスタント教会の諸派やカトリック教会を出身とする約100人のブラザーたちから成り立ち、分裂された教派や人々の和解の印となっている(参照『すべての人よ主をたたえよ-テゼ共同体の歌』サンパウロ)。
 ところでこのテゼの本質が十分理解されないまま模倣されたり、祈りの形が新奇なものとして敬遠されたりすることも少なくない。しかし回数を定めず繰り返される簡素なメロディーは、初代教会の伝統を再発見することで生み出された。そして歌詞は、聖書や初代教父たちの言葉から取られている。
 私自身の現場においても、礼拝や「黙想と祈りの集い」、園の子どもたちの間で用いている。これまでもお腹にいる我が子に母親が子守り歌のように聴かせたり、天の国に迎え入れられる方の最期の時、耳元で歌われたりしてきた。この歌を通じて、何事にも何者にも決して奪われることのない信仰を感じずにはいられない。
 今世界や個々のレベルで教会の教勢が伸び悩み、その度毎に信仰継承がテーマにあがる。キリスト者は折がよくても悪くてもみ言葉を宣べ伝えるというが、どう遺すのか。このテゼの記憶される歌・み言葉・祈りをゆたかに用いて宣教に生かせないだろうか。
今世界や個々のレベルで教会の教勢が伸び悩み、その度毎に信仰継承がテーマにあがる。折がよくても悪くてもキリスト者はみ言葉を次代に託すという。ではどのように遺すのか。まだひと工夫必要な面もあるだろう。しかしこのテゼの記憶される歌・み言葉・祈りに宣教の可能性が秘められているのではないだろうか。

全国ディアコニア・ネットワーク 第21回秋のセミナー報告

ネットワーク事務局長 山内恵美

 去る11月17、18日の二日間、大阪・釜ヶ崎喜望の家を会場に、全国ディアコニア・ネットワーク第21回秋のセミナーが開催された。関東から九州まで20名の教職信徒が集まり、「私たちの平和」をテーマに学びと活発な意見交換が行われた。
 一日目は来日中のワルター元宣教師より、1950年代から始まるJELCとドイツ教会とのディアコニアに関する交流の歴史やドイツでのディアコニアの働きなどについてスライドを交えお話を伺った。
 二日目は、名古屋めぐみ教会員の内河惠一弁護士から、「今こそ平和を考える」と題して、世界金融(資本)の力が支配している世界の動向や、日本の国が今どこに向かおうとしているのか、また憲法改正案の問題点などについて学んだ。
 ワルター氏は講演の中で、ディアコニアの働きは、専門職の働きだけではなく、教会員各自が隣人の困窮に関心を持ち、自分で課題を見出してその「人」に関わることだ、と示してくださった。このことは、「ディアコニアはイエス・キリストであること。仕えるために来た主であること。…ディアコニアは、特殊な領域の業でなく、キリスト者の全生活である。それは教会全体の中で捉えなおさなければならない。信仰は、常に生きて働く運動である。その運動こそ、ディアコニアである…」(森勉、第五回定期総会諸報告)の言葉と重なることも覚えたい。
 今回のセミナーの中で、当ネットワークの代表であった故三浦謙牧師の後任として、谷川卓三牧師を代表とする新体制が承認された。三浦前代表の姿がみえない淋しさを感じつつも、その遺志を受け継いで、教会にとって両輪の片側を担うディアコニア(私は、これを「愛の実践」と同義と捉える)の働きがますます広がることを願って、心熱くされたセミナーとなった。
 また、、当ネットワークのホームページやフェイスブックを立ち上げることとなった。より身近にディアコニアについて語り合い、学び合い刺激し合える場となることを願っている。
 当ネットワーク機関紙『緑豊かな国に』をぜひお読みいただき、次のセミナーにはぜひ一人でも多くの参加者が与えられることを祈り願っている。  

JLER(ルーテル教会救援)対策本部現地からのレポート

 
JLER派遣牧師 野口勝彦  

 新年あけましておめでとうございます。ルーテル教会救援の活動もいよいよ残り3ケ月となりました。これまでの皆様のお支えとお祈りに改めて感謝いたします。
 さて、ルーテル教会救援では、活動終結後も地元団体等が継続的な支援ができるよう支援者支援活動を行っています。今月号では、昨年の11月から始まった支援者支援活動と長期的な支援が可能な新たな支援品販売(仮設支援)についてご報告いたします。
【支援者支援】
 先月号でご報告しました、石巻市社会福祉協議会所属の仮設住宅の見守り活動を行っている訪問支援員の方を対象としたカラーセラピー講習会の第1回目が、昨年の11月28日に石巻市社会福祉協議会河北支所会議室で行われました。
 当日は、仙台市の色彩心理カウンセラーお二人の指導により、12名の訪問支援員と2名の地域福祉コーディネーター・地域福祉アドバイザーの合計14名の方が受講されました。最初は緊張気味であった皆さんも講習が進むにつれリラックスした雰囲気となり、講習の最後には個性あふれる作品ができあがりました。(写真上)講習会は来年2月まで計5回行われます。
【支援品販売(仮設支援)】
 先月号でご報告しました通り、これまで、ルーテル教会救援が各支援先と各教会等との間を仲介して行ってきた支援品販売については、今月から、各支援先と各教会等との直接販売に切り替わります。それに伴い、新たに二つの仮設団地で製作されている支援品の販売を開始します。
 その一つは現在、女性会連盟を通じて、材料支援を行っている「布草履」(写真右)とその隣の仮設団地で製作している「つるしびな」です。仮設団地の方が新たな住居である災害公営住宅(復興住宅)等に全員入るまでにはまだ5年近くの時間が必要と言われています。
 各種支援品販売を通じて、ルーテル教会救援の活動終了後も長期的な支援をよろしくお願いいたします。詳しくは、担当者(野口k-noguchi@jelc.or.jp)までお問い合わせください。

牧会者ルターに聞く

第三章「家庭の食卓」から
その三 ちゃぶ台での「教理問答」を生活の跳躍台に

石田順朗
   
一九四九年春、他教派より京都のルーテル教会へ転会を願い出たところ、早速にルターの『小教理問答書』と『キリスト者の自由』を読むように言われた。後者は偶々テキストになっていた青年会の読書会で、『問答書』の方は自宅で、声を出して、できれば家族と共に、ということだった。 「問答無用」の戦争も末期、疎開で遠縁の仏寺に身を寄せていた頃「禅問答」など意にも介せず、むしろ座禅を幾分心得て読経の経験もあったせいか、素直に納得した。でも「自宅で家族と共に」には少々戸惑ったように覚える。

 問答書といえば、『日曜日に読む荘子』、『もしも老子と出会ったら』、『下から目線で読む「孫子」』や『孔子はこう考える』の著者、山田史生弘前大教授の最近作『はじめての『禅問答』自分を打ち破るために読め! 』を思い出す。著者は禅問答理解の鍵に「いま・ここで」を挙げているようだが、全く同感。それに「わが家」でという場所、つまり「生活の座」を付け加えて強調したいのが今の心境である。

 農民戦争によって疲弊した教会再建のためザクセン候の指名でルターは、同僚たちと一五二六から二九年にかけて領土内の宗教情勢を数回巡視した。信徒の多くがキリスト教の教えに疎く、それに牧師たちの指導力不足を目撃した挙句、まず牧師向けに『ドイツ・カテキズム』(後に『大教理問答書』と呼ばれる)信仰書を著し、続いて一般信徒向けに、十戒、使徒信条、 主の祈り、洗礼、罪の告白、聖餐式などの意味を問答形式で「一家の主人がその家族に教えるために」極めて簡潔平明に編纂、一五二九年『小教理問答書』として出版された。
 読み通しての感慨を集約したい。それは『十のいましめ』での「なにものにもまして、」、「むしろ」の繰り返しと、『主の祈り』における「わたしたちの祈りがなくても、」、「しかし ・・」の執拗な反復だ。「第一のいましめ」への答「わたしたちは、なにものにもまして、神を恐れ、愛し、信頼すべきです」が、「第二のいましめ」以降 すべての「答」の筆頭に繰り返される。  ついで「それで、むしろ」に導かれる「肯定、積極化した能動的な答」の列記である(例,「第五のいましめ」の意味への答、「殺すな」�「助け、励ませ」)。『主の祈り』の第三のねがいへの答は、「わたしたちの祈りがなくても、神のよい、恵みあるみこころは、たしかに実現するのです。しかしわたしたちはこの祈りにおいて、みこころがわたしたちのところでもまた実現するように祈るのです」。  
 これはキリスト教入門、信仰の手引き、教理解説を超えて、まさに信徒必携。『十のいましめ』と『主の祈り』に至ってはそれこそ「座右の銘」よろしく、万人の日常生活への跳躍台となる「人生必携」である。
いしだ よしろう 引退牧師、九州ルーテル学院大学名誉学長、LWF元神学研究部長

聖夜(羊飼いと天使)

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

 晩秋になると早くも商業主義に毒されたクリスマス商戦が始まります。
 噪音と華美な装飾がくり広げられ、聖夜が掻き消されてしまいます。聖書の聖夜は清く貧しく静寂の中でありました。
 アジアの片隅の小さな田舎町ベツレヘムです。
 住民登録令で遠くナザレ村から旅してきた二人の若者、大工ヨセフとマリアには宿がなく、家畜小屋に泊まりました。身重だったマリアは月満ちて初子を生みました。明かりも火もなく、水さえ乏しい家畜小屋には助け手もありません。神にすべてをゆだね、信頼するしかありません。
 みどり児を包んだのはヨセフの上着だったでしょうか。ゆりかごには飼い葉おけでした。この夜ベテンドグラスに制作しました。家庭で親や祖母たちから静かにクリスマスを語り伝えてほしいと願いながら。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」。
ルカ福音書2章14節

ブックレビュー 「ルターの祈り」石居正己 編訳、 出版:リトン

定年教師 田中博二

三年後の2017年は、宗教改革500年の記念の年です。ご紹介する「ルターの祈り」はその時を覚え、備えていくのにふさわしい一冊です。もともと聖文舎から「ルター選集1」として出されたのを、今回リトン社より復刊されたものです。
 ルターの宗教改革者としての働きと教えについては知られているところが多いのですが、そのルターの背後にある祈りの人としてのあり方は見過ごしにされてきたのではないでしょうか。ルターが日々の暮らしの中、現実の生活の只中で祈ることを通して、みことばに仕える姿を示していることが明らかにされています。ルターがまことに砕かれた祈りの人であったことをよくよく知ることが出来るのです。
 「単純な祈りの仕方」「魂の神との対話」そして折々の「礼拝の中での祈り」などの項目が記されています。その中で、「罪人への恵みを願って」で次のように述べています。
 「罪のゆるしと救いを求め、神の恵みの中に生きようとする信仰そのものを願う祈り」。ルターにとって、信仰は個人のなかにあるものではなく、神へ願う祈りそのものだということです。また、説教者として召された者が神のみ前にて執り成しを願う「牧師控え室での祈り」など具体的な祈りのことばが語られています。神のみ前でへりくだり、謙遜であった改革者ルターの姿が彼の祈りのなかに込められています。
 ルターの祈りのことばは、黙読するだけではなく、ことばに出し音読して全身で聞くことによって、より豊かな実りとなります。ぜひ、あなたの声に出して祈ってください。
 翻訳・編集された石居正己先生のお人柄も伝わってきます。神学校で熱意を込めて語られた日々を思い出します。
 出版社リトンはルーテル教会関係の著作を多数出してくださりその努力に心から感謝します。

蒲田教会にオルガン設置

蒲田教会 渡邉純幸 

私たちの日本福音ルーテル蒲田教会は、1999年にあるご家族から貴重なパイプオルガン指定献金が捧げられました。そして、2001年の臨時総会で、蒲田教会へのパイプオルガン搬入設置が決議され、オルガン献金が始まりました。その後、諸般の事情により中断しておりましたが、一昨年の2011年1月に開催された年次総会にてオルガン搬入設置が再決議され、長年来のパイプオルガン搬入設置計画がやっと実現する運びとなりました。
 ご存知の通り、オルガンは百年単位で音を奏でる楽器であり、このオルガンもメインテナンスにより数百年は十分に持つもので、建物が壊れても、オルガンは生きるのです。そして、オルガンはそれ自体のすばらしさを持つ楽器です。その特性は次世代への信仰の継承のためにも、また、地域の文化的財産としても貴重なものとなり得るものです。
 ルーテル教会のオルガニストでもあったJ・S バッハの宗教音楽をはじめ、バロック音楽、またフランス古典音楽に至る楽曲を奏でるに相応しい楽器として、礼拝はもとより、蒲田ルーテル幼稚園をとおしての幼児情操教育、音楽教育、更には地域の方々への音楽の発信地としての役割を担いつつ、癒しの空間と場所を分かち合いたいと願っています。
 直近では、奉献聖別感謝礼拝の翌日の12月2日午後1時過ぎより、蒲田ルーテル幼稚園児94名とその保護者、そして授業の一環として、大田区立仲六郷小学校5、6年生の生徒約120名と校長先生はじめ担任教師をお迎えしての、フランシス・ヤコブ氏(フランス・ストラスブルク国立音楽院教授)の演奏によるミニコンサート(公開演奏会)が開催されました。
 これから更に、蒲田教会のパイプオルガンを通して、教会はもとより、地域の方々も含めて、多くの人々の魂の慰めの場となることを願っています。
 ところで、パイプオルガン設置についてですが、教会役員会では、パイプオルガンの様々な制作会社の検討に入り、機種選定等の準備を具体的に進めて参りました。礼拝音楽から一般コンサート用としても幅広く用いられることを基本に入れ、質的要素および実績、そして購入金額等、大所高所から検討した結果、最終的に、フランスのオーベルタン社のパイプオルガンの購入が確認されました。オルガン仕様は、14ストップの837本のパイプ(金属パイプ737本、木管パイプ100本)からなっています。
 詩編150篇最終篇には、「息あるものはこぞって」とあります。当時は角笛、琴、竪琴、太鼓、シンバルや踊りで神を賛美をしました。蒲田教会ではパイプです。
 この837本、一本一本のために全国各地から、祈り支えて下さったお一人おひとりを覚えます。パイプオルガンの購入決定から、すでに14年もの歳月を経過しました。しかしこの「時」を、神さまは今日のために、時空を越えて備えて下さいました。14年前の始まり、選定、契約、搬入設置、そしてこの奉献のために、蒲田教会信徒のみならず、面識のない多くの方々までも、この奉献に向かって祈り、支えて下さいましたことを覚えるとき、837本によって奏でられていることの大きな意味を、私たちは知ることができます。これからも、この地域に、全国に、このオルガンの音と共に高らかに救いの喜びを歌いたいと思います。

全国教師会退修会二〇一三報告 主題「神学する教会」教会の苦悩と神学

全国教師会会長  永吉秀人

 去る二〇一三年一一月一八日~二〇日、千葉県幕張にて四年ぶりとなる全国教師会による退修会(リトリート)が行われました。一〇一名中、九〇名の参加を得て、盛会とされました。全国レベルでの退修会は三年から四年に一度開催されて来たもので、その都度、全国教会総会に先駆け、教職者集団として宣教の現場(教会)における旬の神学的課題や社会問題への取り組みについて情報を共有し、進むべき方向の確認がなされてまいりました。
 今回は、「神学する教会」教会の苦悩と神学と題し、日本福音ルーテル教会としての神学(考えと方向)は誰が決めるのか、どのようにして決定されて来たのかについて、まずは初代教会に始まるキリスト教会の神学成立の歴史に学び、さらにここ三〇年来取り組まれて来た、日本のルーテル教会の神学的変遷とその成果を辿りました。
 この作業が必要であると全国五地域(教区)の教師会長を交えながら全国教師会拡大役員会として設定したのは、近年、教会の(特に教会を牽引すべき牧師の)考える力、行動する力が弱まってきたのではないかと危惧されるところによるものです。 神学は、教会の在り方、活動を決定します。教会は、その神学がなければ一歩も身動きはとれないのです。ゆえに、神学を鍛えることにより、教会の宣教力を深め、拡げて行こうとするのが第一義的狙いでありました。
 また、現在に至る数年来、本教会常議員会の下で式文委員会が設置されており、「主日礼拝式文改定試案」の検討が重ねられています。 この作業日程として、ルターによる宗教改革五〇〇年祭となる二〇一七年に出版が目指されているため、今回の全国教師会での試行、協議、調整、共有が必要となりました。何よりも、これからの日本のルーテル教会として、その神学の方向性が式文の内容と構成、そして派遣という展開に色濃く反映されるため、現在の、そしてこれからの神学が問われているのです。
 第一日目、開会礼拝は主日礼拝式文改定試案によって行いました。 続く主題講演は、神学校の鈴木浩氏により、先に述べましたように講演をいただきました。
 第二日目、朝祷では安井宣生氏より本郷教会の礼拝改革における伝道的視点の紹介。午前の発題は、神学校で礼拝学を担当する平岡仁子氏より、礼拝式文改定の指針とアウトラインについてと、それに伴う検討課題について聴き、議場からも大いに活発な発言をいただきました。
 午後、初めの発題は、神学校校長である江藤直純氏より神学校の将来計画と改革について聴き、従来の認識とこれからの神学教育の使命を新たにしました。
 午後の後半は、退修会の中心であるパネルディスカッション。「神学教育における宣教的視点と宣教の現場における神学の営み」というテーマの下、三者の立場から発題を受けました。三者とは、神学校の立場から石居基夫氏、教会を持ちつつ神学校の立場から宮本新氏、教会の立場から小副川幸孝氏の三氏。これらに対して一名ずつリアクターを立て、順に角本浩氏、太田一彦氏、西川晶子氏の応答をいただきました。
 続く分団協議では、①式文改定、②神学校将来計画、③牧師の神学的研鑽、④原発問題、の四組に分かれ、それぞれに熱心な討議が展開されました。晩祷は和田憲明氏によりフランスのテゼ共同体での体験の紹介。
 第三日目、朝祷はエリック・ロス氏。残された午前中に、①牧師レビュー制度の東教区実施状況について大柴譲治氏、②となりびと活動について野口勝彦氏、③核問題について内藤新吾氏、の各氏より活動報告を受けました。閉会礼拝は、岡田薫氏。
 日本福音ルーテル教会の教職者集団として、教会に託された課題は多く、使命は重いものばかりでありますが、絶えず情報を発信し合い、共有を怠らず、頭と心と体というそれぞれに与えられた分を駆使して、課題に取り組んでまいりたい。

訃報

ラッセル・サノデン牧師 1111月27日逝去。享年89。
アメリカの「福音ルーテル教会」(ELC)の宣教師として1952年に来日。ELC日本伝道本部であった小石川教会に、1954年から1958年まで宣教師として働き、その後東海福音ルーテル教会、そして東海教区で働き、九州教区の宮崎教会を最後の任地として、1988年に離日、帰国されました。

14-01-02JLER月報2014年1月号−27号

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14-01-01「おめでとう」と交わし合う一年を

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
ルカによる福音書 1章26〜28節

 あけまして、おめでとうございます。新年もよろしくお願い致します。また日本の風習に従うならば、喪中の中お正月をお迎えになった方もいらっしゃることでしょう。主の慰めをお祈り申し上げます。

 新年を迎え、ご家族、ご近所や知人との間で「おめでとうございます」という挨拶を交わされたことでしょう。教会も同じです。元旦礼拝で、あるいは新年の初めての礼拝で互いに「おめでとうございます」という言葉を交換されたことでしょう。教会の中でも外でも日本に暮らすキリスト者は、区別することなくこの挨拶の言葉を交わしますが、しかしそれには違いがあるのではないかと思います。

 すでに教会の暦はクリスマスを迎えていますが、主イエスの誕生の前には様々な事が起こりました。その一つはマリアへの受胎告知です。天使ガブリエルはマリアに「おめでとう」と告げました。それはマリアにとってはとんでもない事で、おめでたくもないものでした。でも天使はそれを「おめでとう」と告げたのです。もっとも、この日本語訳は適切ではなく、「幸いあれ」という程度の日常的な挨拶であったと指摘する神学者もいるようです。そうなのかも知れませんが、この言葉の次には「恵まれた方」と言っていますので、いずれにせよ「おめでたさ」を伝える挨拶であったことには変りありません。「おめでとう」という挨拶は、マリアにはやっかいで、余計なものを背負わされたという思いがあったでしょうし、よりによってどうして「私が?」というやるせなさを覚えたことでしょう。
では、どうして恵まれた者なのでしょうか。その理由は「主があなたと共におられる」からなのです。

 私は、「主があなたと共におられる」という言葉ほど重要な言葉はないと思います。天使の告げたこの言葉が耳にした人の中で結実し、「本当にそうだ」と実感した時にこの言葉は力を持つのです。その人を励まし、希望を与え、喜びと感謝をもって生きる力を与えて行くのです。
 マリアが幸いだったことは、お腹の中でみ子の成長を実感できたことでした。「主があなたと共におられる」という言葉が結実していたのです。初めの不安と動揺は次第に小さくなり、「おめでとう」と告げられた言葉を実感していったのです。
 新年を迎えた私たちにもマリアと同じように、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」という祝福の言葉が語られています。ただ、私たちのお腹に神の子が宿ったのではありませんので、この言葉を実感することができません。でも幸いなことに、礼拝の際に与る聖餐がこの働きを担うのです。パンとぶどう酒にイエス・キリストがまことに現臨して下さっているのですから、それをいただくことによって、私たちもこの言葉を実感するのです。
 

「主があなたと共におられる」という祝福は、マタイによる福音書では「神は我々と共におられる」と記されています。祝福はマリアだけに向かうのではないのです。すべての人に語られています。ですから、教会は主のご臨在を互いが確認し合う群れであり、それを第一に礼拝で体験していると言えるのでしょう。

 この一年間も礼拝において牧師の説教が語られ、讃美と祈りが唱えられることでしょう。諸集会で聖書が読まれることでしょう。家庭集会や病床訪問においても同様です。主のご臨在をみんなが実感でき、「おめでとう」という挨拶の言葉がいつも喜びとなり、生きる力となり、宣教の励みとなるような皆さんの一年をお祈りいたします。

日本福音ルーテル東京池袋教会  立山忠浩

13-12-18平和を求めてこれを追え

いと高きところには栄光、神にあれ、 地には平和、御心に適う人にあれ。」
ルカによる福音書  2章 14節

2020年のオリンピックの開催地が東京に決定しました。今から7年後の2020年、日本はオリンピックに大いに盛り上がるのでしょう。このオリンピックは「平和の祭典」と言われます。武器を手に戦うのではなくスポーツで戦うことにその理由があると私は単純に考えていたのですが、これは半分しか正解でなかったことをつい先日知りました。日本オリンピック委員会のホームページにあるオリンピックの歴史という項に「聖なる休戦」というタイトルがあり、そこには次のように語られていました。

オリンピックの聖なる休戦
古代オリンピックにはギリシア全土から競技者や観客が参加しました。当時のギリシアではいくつかのポリスが戦いを繰り広げていましたが、宗教的に大きな意味のあったオリンピアの祭典には、戦争を中断してでも参加しなければならなかったのです。これが「聖なる休戦」です。
当時のオリンピックがギリシア一国のプログラムであったこと、また選手の参加が半ば義務付けられていたこと等の違いはあるものの、およそ「戦い」と名のつくものの手を止め四年に一度集まり、競う。この休戦こそが「平和の祭典」と言われる理由となったのです。そしてこの「平和の祭典」であった古代オリンピックが終焉を迎えたのは393年、ギリシアはローマ帝国に支配され、ローマ皇帝の信仰したキリスト教に馴染まなかったためだと言われています。
各地の教会、特にギリシア地方の教会に送った手紙の中で(おそらく)オリンピック競技を引用した伝道者パウロが、オリンピックを好んでいたか否か、観戦したことがあるのかないのか、聖書は何も語ってくれませんが、まさかキリスト教の信仰が古代オリンピックの幕を閉じることになるとは、彼も思ってもいなかったことでしょう。

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」
クリスマスの夜、羊飼いたちは主イエス・キリスト誕生の知らせと共に天使の歌声を聴き、幼子と出会い、そして彼らは賛美しながら帰っていきます。彼らは救い主の到来の喜びと共に、平和の訪れもまた声たからかに歌い、人々に告げ知らせたに違いありません。
さて、冒頭に挙げさせていただいた説教題は1968年にプラハで行われた第三回世界キリスト者平和会議の開会礼拝で語られた鈴木正久牧師の説教題です。この中で氏は「イエス・キリストによって、世界と歴史の畑の中に、平和の種子が確実にまかれており、終末的には成就するものの、現実の世においても、人間のあらゆる怠慢や誤りにかかわらず、神ご自身の業として平和の種子は成長し広がっており、すぐ近くに迫ってきているとし、私たちの課題は、ここで与えられている神の恵みと賜物を空しくしないこと」であると語ります。

「平和の祭典」がお題目となるのであれば、そこには空しさを禁じ得ません。「平和の祭典」が行われる日本の憲法から9条が奪われようとしている今日、そこには空しさを禁じ得ません。羊飼いたちの歌声が「みことば」としてではなく「歌詞の一節」としてのみ存在しているのならば、そこには空しさを禁じ得ません。「平和を求めて、これを追う」、鈴木師は「真理の言葉に固く立つこと、自由であること、大胆に生きること」この三つが互いに関連し、私たちが共に生きる道を探求し、追求させていくと語ります。パウロは私たちが教会に招かれた理由を「キリストの平和のため」であるとはっきりと語ります(コロサイ3・15)。
「平和」が空しく聞こえないために、私たちは今この時、平和のみ子の誕生を喜び歌い、もちろん7年後もかわらず「平和を求め、これを追い」続けるのです。

日本福音ルーテル千葉教会 小泉 嗣

13-12-02JLER月報2013年12月号−26号

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13-12-01るうてる2013年12月号

機関紙PDF

説教 「平和を求めてこれを追え」

日本福音ルーテル千葉教会 小泉 嗣

「いと高きところには栄光、神にあれ、 地には平和、御心に適う人にあれ。」
ルカによる福音書  2章 14節

2020年のオリンピックの開催地が東京に決定しました。今から7年後の2020年、日本はオリンピックに大いに盛り上がるのでしょう。このオリンピックは「平和の祭典」と言われます。武器を手に戦うのではなくスポーツで戦うことにその理由があると私は単純に考えていたのですが、これは半分しか正解でなかったことをつい先日知りました。日本オリンピック委員会のホームページにあるオリンピックの歴史という項に「聖なる休戦」というタイトルがあり、そこには次のように語られていました。

オリンピックの聖なる休戦
古代オリンピックにはギリシア全土から競技者や観客が参加しました。当時のギリシアではいくつかのポリスが戦いを繰り広げていましたが、宗教的に大きな意味のあったオリンピアの祭典には、戦争を中断してでも参加しなければならなかったのです。これが「聖なる休戦」です。
当時のオリンピックがギリシア一国のプログラムであったこと、また選手の参加が半ば義務付けられていたこと等の違いはあるものの、およそ「戦い」と名のつくものの手を止め四年に一度集まり、競う。この休戦こそが「平和の祭典」と言われる理由となったのです。そしてこの「平和の祭典」であった古代オリンピックが終焉を迎えたのは393年、ギリシアはローマ帝国に支配され、ローマ皇帝の信仰したキリスト教に馴染まなかったためだと言われています。
各地の教会、特にギリシア地方の教会に送った手紙の中で(おそらく)オリンピック競技を引用した伝道者パウロが、オリンピックを好んでいたか否か、観戦したことがあるのかないのか、聖書は何も語ってくれませんが、まさかキリスト教の信仰が古代オリンピックの幕を閉じることになるとは、彼も思ってもいなかったことでしょう。

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」
クリスマスの夜、羊飼いたちは主イエス・キリスト誕生の知らせと共に天使の歌声を聴き、幼子と出会い、そして彼らは賛美しながら帰っていきます。彼らは救い主の到来の喜びと共に、平和の訪れもまた声たからかに歌い、人々に告げ知らせたに違いありません。
さて、冒頭に挙げさせていただいた説教題は1968年にプラハで行われた第三回世界キリスト者平和会議の開会礼拝で語られた鈴木正久牧師の説教題です。この中で氏は「イエス・キリストによって、世界と歴史の畑の中に、平和の種子が確実にまかれており、終末的には成就するものの、現実の世においても、人間のあらゆる怠慢や誤りにかかわらず、神ご自身の業として平和の種子は成長し広がっており、すぐ近くに迫ってきているとし、私たちの課題は、ここで与えられている神の恵みと賜物を空しくしないこと」であると語ります。

「平和の祭典」がお題目となるのであれば、そこには空しさを禁じ得ません。「平和の祭典」が行われる日本の憲法から9条が奪われようとしている今日、そこには空しさを禁じ得ません。羊飼いたちの歌声が「みことば」としてではなく「歌詞の一節」としてのみ存在しているのならば、そこには空しさを禁じ得ません。「平和を求めて、これを追う」、鈴木師は「真理の言葉に固く立つこと、自由であること、大胆に生きること」この三つが互いに関連し、私たちが共に生きる道を探求し、追求させていくと語ります。パウロは私たちが教会に招かれた理由を「キリストの平和のため」であるとはっきりと語ります(コロサイ3・15)。
「平和」が空しく聞こえないために、私たちは今この時、平和のみ子の誕生を喜び歌い、もちろん7年後もかわらず「平和を求め、これを追い」続けるのです。

宗教改革五〇〇周年に向けて

ルターの意義を改めて考える(20)

ルター研究所所長 鈴木浩

律法という言葉にはいくつかの意味があって、まず「トーラー」(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の五文書で「モーセ五書」と言われる)を指している。イエスが「律法と預言者」という言い方をしているとき、律法とはこの「モーセ五書」を指している。
パウロが「律法」と言うとき、それは「人間に対する神の要求」を意味している。その中心にあるのが、十戒である。ルターも律法という言葉をパウロのように理解した。
パウロが「律法にしたがって生きる」と言うとき、それは「ユダヤ人として生きる」ことを意味した。その象徴が割礼であった。その結果、律法主義者とパウロの論争は「割礼の有無」が中心となっていた。
ルターのところでは、もはや割礼の有無が問題になることはなかった。ルターでは、「律法の業による義認」か「信仰による義認」か、という形で対立が先鋭化した。
神の要求としての律法は、人間の罪と無力さを暴露する。律法の要求に真剣に直面した人間は、自分の無力さを痛感し、絶望するしかない。ルターによれば、それが律法の本来の機能であった。

2013年8月10日・11日の両日、
厚狭教会、下関教会で市ヶ谷教会青年会の
伝道キャラバンとして両教会でコンサートが開催されました

牧師の声

何故そのような運びになったというならば、私が神学校4年次に教会実習を市ヶ谷教会でさせていただき、その縁で彼らの伝道キャラバンの声が上がったときに厚狭・下関教会に行きたいという要望があったからであった。
5月(6月?)頃にその話を代表者から連絡があり、その後はメール等での連絡を取り合いながらの準備であった。その間受け入れる側として、教会での告知、ティーンズ礼拝という中高生の礼拝を毎週守っているのでその中での告知ということに徹してきた。
残念ながら当日のコンサートでの会衆は、信徒の方々が殆どであった。もっと告知について見直す必要があったであろう。もっと広く告知の幅を広げられれば良かったと反省している。
しかし、彼らの信仰の証し「わたしと神様」(?)と歌というコンサートの内容は大変すばらしく、そこに集った人たちの心に響くものであったし、ご高齢の方が多い両教会にとって希望を持って宣教に励む力を与えられ、教会の未来は明るいと思わせてくれるような時を与えられた。
また、東京と山口県とは1000キロ離れているが、同じ信仰によって結び合わされた兄弟姉妹が、よき交わりの時を与えられる機会となり、それぞれに信仰を新たにされたと感じている。
最後に訪ねてくれた市ヶ谷教会の青年会一人一人に感謝すると共に、送り出してくださった市ヶ谷教会の方々にも感謝である。
このキャラバンを通して次のイザヤ書52章7節のみことばを思う。
「いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。」
彼らの働きが、神様の福音を告げ知らせるものであったことは間違いない。そして、その働きに神様の恵みが豊かに顕されていた。中々、難しいことかもしれないが、今後もこのような働きが色々な教会で起こりルーテル教会全体が活性化し、互いに励まし合う群れとなっていくことを祈っていきたいと思わされた。
厚狭教会・下関教会牧師  竹田大地

信徒の声

「伝道キャラバン?なんか面白そう!ならやってみよう!」故佐藤邦宏先生の時代に青年会メンバーだった市ヶ谷教会員
の方々から当時の想い出話を伺い、それなら我々ユースも!と盛り上がったのをきっかけに全てが始まりまりした。そして今思い返せば、そこに神さまのお導きが確かにあったのだと思います。
猛暑の中、信仰とボストンバッグを両手に新幹線に駆け乗りました。まるで夏休みを心待ちにしていた小学生が田舎へ向かうように、全てを神様に委ねてワイワイと語らいながら大人6人で山口を目指したのです。
今回コンサートで扱ったのは10数曲。これまでユース礼拝等でレパートリーを蓄積してきましたが、その半分以上はキャラバン用の新譜です。何とかなるだろうと神さまに委ね過ぎたこともあり、限られた準備期間の中での練習は大変でしたが、聴衆の皆さんの笑顔と拍手に力を頂き好い賛美のときとなりました。
また、証しと祈りのときをメンバーの一人ひとりが持ちました。神さまと向き合う豊かな機会になったのは勿論、他の仲間たちとストーリーをシェアし合えたことは本当に恵みでした。
キャラバンを終えた今、私たちは確実に心が満たされています。今回得られたこの幸福感こそが信仰の証しと言えるのかもしれません。「伝道」と銘打っておいて何が出来るのか、当初畏れ多さと不安もありましたが、練習に励んだこと、共に旅をしたこと、賛美したこと、教会の方々と交わりのときを持てたこと、その一つひとつに神さまのお働きがあり、そして全てが神さまとの対話だったのです。
今回の経験を通し、私たちの絆と信仰は更に深められました。かつての市ヶ谷青年会の働き=種は、神さまの愛によって育まれ、現ユースへと確実に引き継がれています。この貴重な恵みに感謝して、これから幅広く神さまの愛の種蒔きのお手伝いが出来れば幸いです。そして、私たちの活動が全国の青年たちへと繋がり、それぞれの環境にあって多種多様な働きへ広まっていくことを心から願います。皆さん、主にあって連帯しましょう!
最後に、竹田先生、浅野先生はじめ各教会員の皆さんに心から感謝申し上げます。(当日の動画はhttp://www.jelc-ichigaya.org/news/2013dendocaravan.htmlでごらん下さい)
市ヶ谷教会 谷口健太郎

JLER(ルーテル教会救援)対策本部現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦

教会の暦も待降節に入り、ルーテル教会救援の活動も残り4ケ月となりました。これまでの皆様
のお支えとお祈りに改めて感謝いたします。
さて、ルーテル教会救援では来年3月の活動終結に向けて、現在、様々な調整・引き継ぎ活動等を行っています。
今月号では、その中から二つの支援活動の調整・引き継ぎ状況等についてご報告いたします。

【応急仮設住宅団地支援(仮設支援)】
ルーテル教会救援では現在、主に石巻市河北地区において仮設支援を行っていますが、同時に、この地区の仮設では、地元の社会福祉協議会所属の訪問支援員の方が毎日、見回りによる訪問支援活動も行っています。ルーテル教会救援では、現在、仮設で行っているサロン活動等を、来年4月以降も継続できるよう、この訪問支援員の方への引き継ぎ活動を始めています。 その一環として、10月9日には仮設追波川多目的団地で共同プログラムを実施し、11月から来年2月までは、訪問支援員の方を対象としたカラーセラピー講習会も地元の指導者に依頼し実施中です。
また、仮設での地元NPO等による子ども支援プログラム支援も継続的に行っており、来年4月以降も地元主体で継続的に仮設支援が行える体制づくりを目指しています。

【支援品販売】
これまで、ルーテル教会救援が各支援先と各教会等との間を仲介して行ってきた支援品販売については、来年1月から、右図の通り各支援先と各教会等との直接販売に切り替わります。これは、ルーテル教会救援の活動終了後も長期的に支援ができる体制づくりの一環として行うものです。詳しくは担当者(佐々木j-sasaki@jelc.or.jp)までお問い合わせください。

牧会者ルターに聞く8

石田順朗

第三章「家庭の食卓」から  その二 「筆まめ」 なルター

「ふでまめ」を辞書で引くと「筆忠実」と出た。約二千五百八十通のルターの手紙が現存するという。手許のアメリカ版『ルター著作集』四八から五十巻までの三冊には、よく選択された三二五通の手紙が収録されている。ワープロ、パソコンやスマホのない時代、聖書翻訳、説教、討論、講義、会議出席、著作、作詞・作曲から社会活動にわたって多忙極まるなかで、牧会に忠実なルターがよくぞ書き送った書翰の数々!
ルターは、一五二一年十一月二一日付で父親のハンス・ルター宛に、キリストの言葉を引用して書き送った。「『わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない』と言われていますが、この言葉は何ら両親の権威をこわすものではありません。その証拠に、弟子たちはしばしば、子供たちが彼らの両親に従うべきことを主張しているからです。しかし、万一にも両親の権威がキリストの権威や招きに矛盾した場合には、そのときこそはキリストの力だけがすべてに勝らなければならないのです」。ルターは親子の孝行関係を否定しないばかりか、むしろ明確にそれを神の創造秩序に位置づけており、こうも書き添えている。「いったい今何をお考えですか。あなたはそれでも私を修道院から出そうとなさるのですか。あなたは私の父親です。私はあなたの息子に変わりありません。私の誓いはすべて無価値のものです。あなたの側に神の権威はあって、私の側には人間的な推測があるだけです」と。
こうした立場から、子供の婚約などをめぐる親子関係や、そのほか家族の事柄についてルターは、適切な牧会的配慮と指導をなしえた。つまり、家庭牧会の適切性は、両親の権威を拒否することによってではなく、それを神が創造された自然秩序にある神の究極的権威のもとに位置づけることにあった。ルターはその脈絡で、子供たちを両親の権威の下におくと同時に両親を神の権威の元においた。結婚間題に関するルターの手紙の中に、ウィッテンベルグ大学の学生ハンス・シュナイデヴァインの母親に宛てた書簡がある(一五三九年六月四日付)。「前にもお便りしたとおり、子供たちは、両親の同意なく婚約すべきであるとは思いません。しかし同時に両親もまた、子供たちがただ両親を喜ばせるように、彼らを強要したり拒絶したりすべきではありませんし、そうあってはならないことも書きました。息子はその両親の同意なしに一人の娘を自分の親に差し出してはならないし、父親は息子に妻を強要すべきではありません。両親と子供たちは、あくまで賛同するようにしなければなりません」。
「筆まめ」 なルターは忠実な牧会カウンセラーだった。
(いしだ よしろう 引退牧師)

チャペルに瑞々しい霊の息吹
遺贈で新しいステンドグラス設置される
ルーテル学院大学・神学校

文化勲章受章の故村野藤吾氏の設計になるルーテル学院(東京・三鷹)で、建築後四十四年目に新しい風が吹いている。この夏にチャペルとブラウンホールの外壁がすべて美しく塗装されて生まれ変わったのに加え、チャペル内部にも入った者をハッとさせる変化が起こった。
聖壇背後の十字架の更に背後には、際立って高い天井に向けて両側に並ぶ細いガラス窓には独特のガラスの装飾が施されていたが、歳月と共にくすみも目立ってきていた。そこに全く新しいステンドグラスが設置されたのだ。
青を基調とし、水をモチーフにしたこの作品は、はるか高い所から流れ下る二つの水の流れを描いている。向かって左側の流れは、神の創造のときの水を鮮やかに示している。右側の最上部には、イエス・キリストを象徴する深紅の十字架から渇きを潤す「命の水」が絶えることなく流れ下っている。時間や天候、光の加減によって微妙に変化するその色の美しさは、礼拝する者たちに無言で霊感を降り注ぐ。
全国の教会や学校、幼稚園や保育園、福祉施設に多くの作品を提供してきた山崎種之氏(ステンドグラス工房アスカ主宰、松本教会員)が祈りを込めて制作した(詳しくは本紙先月号の制作者のことばを参照)。
新しいステンドグラスの設置が可能になったのは、一年前に天に召された前田正子氏(拳母教会員、井上幼稚園前理事長、元園長)が夫、故前田幸男牧師の母校に九百万円という多額の遺贈をしてくださったことによる。お二人の気持ちが一番生きる道を考えた学院は、河田優チャプレンを長とする宗教委員会で検討の末、入学式や卒業式はもとより毎日の礼拝が行われるチャペルに新しいステンドグラスを設置することを選び、山崎氏に依頼した。山崎氏は、施工に当たる高野昭次氏とともに再三安曇野の工房から出向いて、チャペルにふさわしい作品の想を練り、学院と協議を重ねた。
九月二十三日の一日神学校で初めて披露され、同二十七日の創立記念礼拝の際に奉献の祈りが捧げられた。「水の流れ」と題されたこの一対のステンドグラスに込められた作者の思いと聖書の言葉はプレートに刻まれ、チャペル入口近くの柱に掲げられている。前田幸男牧師の母校と後輩たちへの思い、それを叶えた正子夫人の強い思い、精根傾けて制作にあたった山崎氏の思いは、ステンドグラスに結晶した。それは、日々行われる礼拝に集い、また一人静かに祈りに来る学生や教職員に、神の創造の恵みとご自身が命の水であるイエス・キリストの愛とを伝え続けるだろう。

第17回全国青年修養会報告

実行委員長 中島共生(市川・三鷹教会)

 

10月12日~14日の2泊3日で東京教会を会場に「第17回全国青年修養会」が行われました。全国各地から40名を超える参加者が東京教会に集められ、それぞれの信仰を語り合いとても充実した時間を共有することができました。
今回は「礼拝」をテーマとし、主題聖句を「あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。」(ヨハネによる福音書4・22)としました。私たちが普段参加している礼拝について深く知り、体験した事の無い礼拝を体験するという機会が与えられました。
プログラム内容としましては、初日に開会礼拝、平岡仁子牧師をお招きしての講演会、癒しの祈り会を行いました。開会礼拝では7つの言葉(祝福、平和、招き等)を自分が感じたままに語りあい、シェアしました。その後の平岡牧師の講演会では礼拝のもつ意味や歴史についてしっかりと学ぶ時間がもたれました。癒しの祈り会では、ギターの音色をバックに、香油を使った今まで体験したことのない雰囲気の中での祈り会を体験することができました。
翌日は、東京・保谷教会への主日礼拝参加、その後各教会の教会員の方からお話を伺いそれぞれの教会の大切にしていることや歴史を教えていただきました。そして再度東京教会に集まり、それぞれの教会で学んだことをシェアしました。夜には、ルーテル学院大学の学生の協力の下、Holden Evening Prayerが行われました。これは音楽と礼拝とメッセージとが一体となったもので、素敵な時間を過ごすことが出来ました。
最終日は「私にとって礼拝とは」についてそれぞれ思ったまま紙に書いてもらい、閉会礼拝の中でそれをシェアしました。正に十人十色でした。私たちは自分の意志においてではなく、神様によって集められたのだと感じた瞬間でした。それぞれの色が混ざり合って、とても素敵な修養会となったことを、たくさんの方々のお祈りとご協力への感謝と共にご報告させていただきます。

「何かで有名にならねば」真木政次先生を偲んで

日本福音ルーテル教会引退牧師 野口泰介

 

私は十一月九日に、真木政次先生が十一月八日、召天されたとの報に接しました。八十七歳だったとのことのことです。哀悼の意を表します。
私が真木先生に最初にお会いしたのは、私が甘木教会の牧師をしていた時、息子が耳を悪くして先生に日田教会員で九州でも有名な名医の耳鼻咽喉科医院の藤原哲夫氏を紹介していただいた時でした。
先生は純朴で、物事にあまり拘らないという印象でした。そういう先生でしたから、最初にお会いした時でしたが、私は単刀直入に「先生はどうして牧師になられたのですか」と尋ねました。すると、先生は「戦争当時、軍隊で船が難破して海に放り出され、大きな木にしがみついて三昼夜飲まず食わずの日を過ごし、気づいたら砂浜に打ち上げられていた。その時、自分は何か大きな力に支えられているのだということを実感した」と言われました。これが先生の召命だったのでしょう。
先生は、日田で四十年近く牧会をされたのですが、私が後年、日田教会に赴任した時、当時は全国で園児数が減少傾向にあったにもかかわらず、日田ルーテル幼稚園の園児は三百人近くいました。そのために、バス三台で送迎しなくてはなりませんでした。また、父母、祖父母、兄弟、姉妹二千人から応援にかけつける運動会は園庭では狭すぎて出来ず小学校の運動場を借りたり、クリスマスお遊戯会も園舎では出来ず市営の公会堂を借りてやっていました。ですから、日田ルーテル幼稚園は日田市内では誰もが知る幼稚園でした。その基礎を作られたのが真木先生だったのです。それまでには他人には分からぬご苦労があったことでしょう。 先生がよく言っておられた言葉に「何かで有名にならねば、誰からも注目されない」ということでした。
まさに、先生は日田では誰もが注目する存在となられたのです。最後に、み国でのご平安が先生の上に豊かでありますようにお祈り申し上げます。

第25回総会期 第六回常議員会

第25回総会期の第六回常議員会が、十一月五日から七日にかけて、市ヶ谷センターにて開催されました。

▼諸活動、委員会報告
定例常議員会である今回は、本年六月以降の取り組みにつき、議長以下、事務局長、宣教/広報/管財/総務の四室、世界宣教、各教区、常置委員、常設委員その他委員会より各活動報告がなされ、いずれも承認されました。同時に、十月に開催された宣教会議報告は、更に、この常議員会でも協議時間がもたれました。
また、るうてる法人会連合は、来年の夏に熊本で全体研修会を開催するべく現地委員会が発足し、準備が開始された報告がありました。(2014年8月25~26日予定)

▼審議事項
審議事項では、人事で2名のJ3プログラム派遣(本郷センター/九州ルーテル学院中学・高校)、土地建物使用、売却に関する申請、教会建物の建築に関する申請、宣教支援金に関する申請等が審議されました。
提案事項では、2014年度教職給与、協力金について決定がなされました。なお、2014年の全国総会開催の日程が決定しました。
◇2014年4月29日~5月2日 /於・東京教会

▼協議事項
本常議員会では、二つの諮問事項に対する答申が出て、これを基に協議がなされました。
ひとつが「SLEY信徒宣教師に対する任地を限定した按手執行の可能性について」です。諮問の背景には、違いを抱えつつも日本の地で福音宣教において協働を実現する課題認識がありました。答申は、信条集からの判断、JELCの教職授任按手という観点、教会間の信義という観点等から、本諮問の按手の可能性はないとの内容であり、常議員会では全体教会として答申を受理しました。同時に、この見解に立ったこれからの対話は執行部に委ねられました。
もう一つは、「社会における教会の意見表明の仕方について」の諮問でした。答申は、教会からの意志表明のレベルに関する分類、JELCに社会の問題に関する事柄を恒常的に取り扱う機関がない現状を述べる内容でした。これを受けて、常議員会では、方針と実行提案を次回常議員会にはかるように取り組む決議をしました。
この他に、来る二〇一七年に向かう宗教改革五〇〇年記念事業について、JLER活動終了後の宣教活動について、日本キリスト教協議会の常議員について等の協議がなされました。この常議員会の詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。
(事務局長・白川道生)

フィリピン台風救援 緊急募金のお願い

11月9日頃からフィリピン南部を襲った大型の台風により、大きな被害が出ました。これに対して、世界ルーテル連盟(LWF)が世界キリスト教協議会(WCC)と共に設立した緊急支援組織ACTの専門チームが現地入りし、救援活動を始めています。
日本福音ルーテル教会では、ルーテル連帯献金の中の緊急支援分から50万円をまず送金し、今後の支援のために、以下の要領で全教会に募金を呼びかけることといたしました。皆様のお祈りとご協力をお願いいたします。

1.募金期間 2013年  11月17日~12月末日
2.募金目標額 百万円
3.送金先 次のいずれかに、「フィリピン台風 救援」と明記してください。
◆三井住友銀行新宿西口支 店 普通預金口座501597 宗教法人日本福音ルーテル教会予算会計
◆郵便振替00190-7-71734
宗教法人日本福音ルーテル教会
4.ACT-Allianceの救援活動を支援するために、JELCでまとめ、一括して指定口座に送金します。

〒162-0842東京都新宿区
市谷砂土原町1-1
日本福音ルーテル教会

公  告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。

二〇一三年十二月一五日
宗教法人日本福音ルーテル教会
代表役員 立山忠浩
信徒利害関係人 各位

①挙母教会元町礼拝所土地売却
・所在地 豊田市柿本町5丁目
・所有者 日本福音ルーテル教会
地番 30番1
地目 雑種地
地積 479㎡
地番 31番1
地目 宅地
地積 477㎡
・理由 挙母教会会堂・牧師館 の建築資金に充当するため。

②佐賀教会旧幼稚園用地売却 と園舎無償譲渡
(ア)佐賀教会旧幼稚園用地売却
・所在地 佐賀市水ケ江2丁目
・所有者 日本福音ルーテル教会
地番 86番
地目 幼稚園敷地     地積 813㎡
(イ)佐賀教会旧幼稚園園舎無  償譲渡
・所在地 佐賀市水ケ江2丁目86番
・所有者 日本福音ルーテル教会
家屋番号 86番
種 類 幼稚園舎
構 造 木造スレート葺 2階建
床面積 1階
240.74㎡
2階
40・39㎡
・理由 社会福祉法人レインボーハウス福祉会に旧幼稚園の用地売却と旧幼稚園園舎を無償譲渡するため。

③広島教会宇品集会所土地無 償貸与
・所在地 広島市南区宇品神田 4丁目
地番 624番7
地目 境内地       地積 820㎡
・理由  学校法人広島ルーテル学園「谷の百合幼稚園」の園庭・園舎のために土地を無償貸与する。貸与期間は契約締結日から一〇年間とする。

④小城教会土地建物無償貸与
(ア)小城教会土地無償貸与
・所在地 小城市小城町字東小路
・所有者 日本福音ルーテル教会
地番  169番6
地目  宅地
地籍  214.27㎡
地番  169番7
地目  宅地
地積  373.87㎡
地番  170番8
地目  宅地
地積  300㎡
(イ)小城教会建物無償貸与
・所在地 小城市小城町字東小路170番地8
・所有者 日本福音ルーテル教会
家屋番号 170番8の1
種類 保育室・居宅
構造 木造セメント瓦葺     2階建
床面積 1階
167.60㎡
2階
59.96㎡
家屋番号 同所170番
8の2
種類 礼拝堂
構造 木造セメント瓦葺  平屋建
床面積 78.97㎡
・理由  学校法人天山ルーテル学園「認定こども園小城幼稚園・わかば保育園」の園庭・施設のために土地建物を無償貸与する。貸与期間は契約締結日から一〇年間とする。

13-11-18わたしが道である

‥‥イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」 ヨハネによる福音書14章1~6節

最後の晩餐。その名の通り、この世で過ごす最後の食卓です。今日が最後という状況。私たちも経験することがあるかもしれません。
たとえば、大切な人が旅に出なくてはならない。それも、ちょっとやそこらの旅ではなくて、骨を埋めるつもりで遠い国へ旅立つとか。その日を前にして共にする夕食。あるかもしれません。

SFストーリーなら、明日、世界が終わるなどという状況も。昔なら、本当にそれに近かったのは、戦争に行く時ではないでしょうか。赤紙が来て、戦地へ赴く。「バンザイ、バンザイ」と手を振って。その日の前夜。大切な息子さんをお送りするお母さんたち。どんな思いで、その夜の食事をしたでしょうか。普段は食べられないようなご馳走も、何とか用意したかもしれません。
ヨハネ福音書十四章は、その最後の晩餐の席上でのことです。いろいろな思いを胸にしながら、主イエスは弟子たちと夕食を共にされました。主はその席で「心を騒がせるな」とおっしゃいます。

心を騒がせるな。それは、まさに弟子たちの心境を物語っています。彼らの心は、この状況の中で、騒いでいる。不安でいっぱい。
でも考えてみれば、私たちの心というのはいつも不安に押しつぶされそうな時間がいっぱいです。一難去ってまた一難という言葉もあるとおり、私たちの心は、休まる暇がないのかもしれません。

あの日、弟子たちは、どんな心境だったのでしょうか。
主イエスは言葉を続けられます。「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住むところがたくさんある。」心騒ぐのを落ち着かせるために、信じることを主は教えられました。

暴風雨に悩まされていたときもそうです。湖上を歩く主を見ておびえる弟子たちに向かって、イエスは言われました。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」(マルコ六章四十五|五十二節)

最後の晩餐の席上で言われた「心を騒がせるな。わたしを信じなさい。」もこれとよく似ています。
舟をひっくり返そうとする嵐ばかりを見ていると、心は騒ぎます。明日でおしまいだ、これが最後の晩餐だと思うと、心が騒ぎます。でも、主はそこでおっしゃる。「安心しなさい。わたしは場所を用意しに行くのである。あなたがたと一緒にいるために。信じなさい。」と。

そこでトマスは口を挟みました。「どの道かわかりません」。「電車通り沿い、熊商前を過ぎると、左に健軍神社の鳥居が見えます。これをくぐってすぐ左の坂を上ると、右に見えてくるのが神水教会です。」トマスも、そのくらい分かりやすい道案内をして欲しかったのでしょう。

しかし、それに対してイエスははっきりとおっしゃった。「わたしが道である!」と。
道とは、何かと何かをつなぐものです。二つの間に溝があって渡れない。そこに両者をつなぐ橋を通せば大丈夫。歩道橋ができる。地下道ができる。それで渡ることができる。

父なる神と私たちの間には大きな隔たりがある。行きたくても行けない。もしもそれがつながるとすれば、そこにどんな橋が架かるのか。どんな道が通るのか。

「わたしがその道だ」とイエス様はおっしゃいました。心配するな。その橋になるために、わたしは今から父のもとへ行く。そして、あなたがたのために場所を用意して帰って来る。神を信じなさい。そして、わたしを信じなさい、と。

へその緒でつながって生まれてきた私たちですが、死を迎えるときは、孤独です。
でもそこで思い起こしたい。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」との御声を。それは、道となって私たちを父なる神のみもとへと導いてくださる主の御声です。「恐れるな、わたしを信じなさい。わたしのいる所に、あなたがたもいる。」
道なる主を、命なる主をご一緒に信じて、歩んでいきましょう。
日本福音ルーテル神水教会 角本 浩

13-11-02JLER月報2013年11月号−25号

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13-11-01るうてる2013年11月号

機関紙PDF

説教「わたしが道である」

 日本福音ルーテル神水教会 角本 浩

 

‥‥イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」 ヨハネによる福音書14章1~6節

 

最後の晩餐。その名の通り、この世で過ごす最後の食卓です。今日が最後という状況。私たちも経験することがあるかもしれません。
たとえば、大切な人が旅に出なくてはならない。それも、ちょっとやそこらの旅ではなくて、骨を埋めるつもりで遠い国へ旅立つとか。その日を前にして共にする夕食。あるかもしれません。
SFストーリーなら、明日、世界が終わるなどという状況も。昔なら、本当にそれに近かったのは、戦争に行く時ではないでしょうか。赤紙が来て、戦地へ赴く。「バンザイ、バンザイ」と手を振って。その日の前夜。大切な息子さんをお送りするお母さんたち。どんな思いで、その夜の食事をしたでしょうか。普段は食べられないようなご馳走も、何とか用意したかもしれません。
ヨハネ福音書十四章は、その最後の晩餐の席上でのことです。いろいろな思いを胸にしながら、主イエスは弟子たちと夕食を共にされました。主はその席で「心を騒がせるな」とおっしゃいます。
心を騒がせるな。それは、まさに弟子たちの心境を物語っています。彼らの心は、この状況の中で、騒いでいる。不安でいっぱい。
でも考えてみれば、私たちの心というのはいつも不安に押しつぶされそうな時間がいっぱいです。一難去ってまた一難という言葉もあるとおり、私たちの心は、休まる暇がないのかもしれません。
あの日、弟子たちは、どんな心境だったのでしょうか。
主イエスは言葉を続けられます。「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住むところがたくさんある。」心騒ぐのを落ち着かせるために、信じることを主は教えられました。
暴風雨に悩まされていたときもそうです。湖上を歩く主を見ておびえる弟子たちに向かって、イエスは言われました。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」(マルコ六章四十五|五十二節)
最後の晩餐の席上で言われた「心を騒がせるな。わたしを信じなさい。」もこれとよく似ています。
舟をひっくり返そうとする嵐ばかりを見ていると、心は騒ぎます。明日でおしまいだ、これが最後の晩餐だと思うと、心が騒ぎます。でも、主はそこでおっしゃる。「安心しなさい。わたしは場所を用意しに行くのである。あなたがたと一緒にいるために。信じなさい。」と。
そこでトマスは口を挟みました。「どの道かわかりません」。「電車通り沿い、熊商前を過ぎると、左に健軍神社の鳥居が見えます。これをくぐってすぐ左の坂を上ると、右に見えてくるのが神水教会です。」トマスも、そのくらい分かりやすい道案内をして欲しかったのでしょう。
しかし、それに対してイエスははっきりとおっしゃった。「わたしが道である!」と。
道とは、何かと何かをつなぐものです。二つの間に溝があって渡れない。そこに両者をつなぐ橋を通せば大丈夫。歩道橋ができる。地下道ができる。それで渡ることができる。
父なる神と私たちの間には大きな隔たりがある。行きたくても行けない。もしもそれがつながるとすれば、そこにどんな橋が架かるのか。どんな道が通るのか。
「わたしがその道だ」とイエス様はおっしゃいました。心配するな。その橋になるために、わたしは今から父のもとへ行く。そして、あなたがたのために場所を用意して帰って来る。神を信じなさい。そして、わたしを信じなさい、と。
へその緒でつながって生まれてきた私たちですが、死を迎えるときは、孤独です。
でもそこで思い起こしたい。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」との御声を。それは、道となって私たちを父なる神のみもとへと導いてくださる主の御声です。「恐れるな、わたしを信じなさい。わたしのいる所に、あなたがたもいる。」
道なる主を、命なる主をご一緒に信じて、歩んでいきましょう。

宗教改革五〇〇周年に向けて

 ルターの意義を改めて考える(19)

ルター研究所所長  鈴木浩

 

ルターは「神の言葉」は二重の仕方で、つまり一つは「律法」という形で、もう一つは「福音」という形で語りかけてくる、と繰り返し語った。そして、この二つを明瞭に区別することが重要だと強調した。
その際、律法と福音の違いは、形式以上に、内容の違いであった。だから、旧約聖書が律法で新約聖書が福音だということではない。内容に即して言えば、旧約にも福音があるし、新約にも律法があり、もっと言えば、同一の本文が、ある時には律法として響き、ある時には福音として響くこともありうるのだ。
神の戒めを破ってアダムが園の木の間に身を隠したとき、神は「あなたはどこにいるのか」(創世記三・九、口語訳)と尋ねられた。アダムはこの呼び掛けを、自分を非難する律法と受け取った。
他方、イエスは「九九匹と一匹の羊」の譬えで、「○○○、どこにいるのだ」と名前を呼んで、失われた一匹の羊を必死に探し回る羊飼いの姿を描いた。
どちらも神からの同じ呼び掛けだが、聞き方によって、律法として響くこともあれば、福音として響くこともあるのだ。

合同礼拝日本福音ルーテル教会 日本聖公会 合同礼拝
東京と広島で開催

東京で

去る9月14日土曜日の昼下がり、日本福音ルーテル教会宣教百年記念会堂において、日本聖公会と日本福音ルーテル教会が合同礼拝をもちました。東教区浅野直樹教区長の主司式のもと、日本聖公会東北教区の加藤博道主教に説教をいただき、それぞれの教区聖歌隊をはじめ信徒、教職の方々のご奉仕を得て、大変恵まれた礼拝となりました。礼拝後には両教会のエキュメニカルな関係についての学びとすばらしい交わりのときが与えられました。
聖公会とルーテルの国際的な対話の諸文書が翻訳出版されたのが二〇〇八年。記念として、そのペンテコステ主日の午後に、初めての合同礼拝が日本聖公会聖アンデレ教会で行われました。その後も委員会レベルでは聖餐に関する学びや交わりを重ね、また震災後の被災地支援の働きでも協力を進めて来ました。神学校でも継続的な交わりを持ち、両教会の若い牧師たちにそれぞれの地域での協働を育む素地を作って来ています。
5年前の礼拝も、今回も聖餐礼拝を祝うことが出来ました。教派を超えたエキュメニカルな礼拝で聖餐を祝うことは、「見える一致」として望まれる姿であるにも拘らず、簡単に実現出来ません。 日本聖公会と日本福音ルーテル教会は、それぞれユーカリスティック・ホスピタリティといって、自分の教会の聖餐に他教会での受洗者を招く実践があります。その考え方に基づき、神学的な「完全な一致」の議論に先立ち、実践的な「見える一致」を可能としました。こうしたやり方は世界的にも大変意義深い取り組みです。
来年は、カトリック教会のエキュメニカル教令50周年ということで、カトリック、聖公会、そしてルーテルの三教会合同の礼拝も考えられています。キリスト教会が一つになって礼拝を祝う。来る宗教改革500年の記念も含めて、教会は世界にむけて一致や平和のメッセージを発信出来るのではないでしょうか。そのためにも、こうした交わりを各地域で展開してゆきたいものです。
ルーテル学院大学教授 石居基夫

広島で

去る9月14日(土)に、日本福音ルーテル東京教会において、第2回目となる日本福音ルーテル教会・日本聖公会合同聖餐礼拝が約150名の出席を得て実施されたとお聞きしました。
そしてその翌日となる9月15日(日)に、ここ広島の地でもルーテル広島教会と広島復活教会(聖公会)の第2回合同聖餐礼拝が、両教会から約80名集まって行われたことは、神さまの奇しき御業と思わざるを得ない出来事でした。
本教会レベルでの聖公会との対話は長年続けられてきましたが、その結実として日本聖公会は2002年総会において、「日本福音ルーテル教会との協働に向けた提案」を承認し、洗礼及び聖餐の相互承認、eucharistic hospitality(聖餐における相互の友好的な歓迎)、講壇交換、またお互いの礼拝を体験しあうこと、神学教育における交流等を積極的に行うことが表明されました。
聖公会では教区レベルでもルーテルとの協働を積極的に行うように指示が出されていたそうです。ですから私がこの4月に広島に着任後、聖公会を表敬訪問した際に、すぐに今回の話がまとまりました。そして実は、2011年6月5日に第1回の合同聖餐礼拝が既に広島で実施されていたことも知りました。但しその後、なぜか交流が続かなかったとのことで、これを機会に改めて継続的な交流を図っていくことを確認した次第です。 このことからもお分かりのように、本格的な協働関係を築いていくためには地道な交流を続けなければ、単発イベントで終わってしまいかねません。そのためには教職は勿論のこと信徒の皆様に関心を持って頂くことが重要となってきます。
次回は来年の聖金曜日の受苦日礼拝を合同で開催したいと計画中です。 また現在、広島では聖公会とカトリック教会が合同で8月に平和ミサを行っています。今後はそれにルーテルも参加する形でエキュメニカルな協働を広島の地で更に展開できればと願っています。
広島教会・松山教会牧師       伊藤節彦

JLER(ルーテル教会救援)対策本部 現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦

 

ルーテル教会救援の諸活動も残り5ケ月となり、これまでの支援活動の成果が具体的な形となって表れています。
今月号では、その中から二つの支援成果について各担当者から報告させていただきます。

【コミニュティセンター再建支援】現地(前浜)スタッフ畠山友美子

ルーテル教会救援の皆様を始め、多くの方のご支援を頂き、気仙沼市本吉町前浜地区のコミュニティセンター「東日本大震災復興記念 前浜マリンセンター」の落成式が9月15日に行われました。天候が不安定な中、落成式には支援者の方や地域の方等約200名が集まりました。
落成式の中では、経過報告や祝辞等の他に祝宴がありましたが、祝宴では地域でお馴染みの方々の踊りが披露されました。お越し頂いた支援者の方々にも盛り上がって頂いたようでしたが、地域の人たちからすると、�Tまたこの踊りをこのマリンセンターでみることができた�Uというような想いで、前浜住人の司会者は「これをするためにセンターを建てました!」と、やっとやりたいことをまたできたという言葉にとても感動的な時間でした。
前浜マリンセンターですが、世界中のたくさんの想いが詰まった宝箱です。その想いを伝えられるように、たくさんの方にお越し頂ければと思います。本当にありがとうございました。

【共同利用倉庫再建支援】チーフ・スタッフ 佐藤文敬

ルーテル教会救援では、2012年9月から石巻市の牡鹿半島の付け根近く、宮城県漁協石巻地区支所管轄の10か所の浜で共同利用倉庫の再建支援を進めてきました。震災前には共同作業をする際に使う道具や資材などを保管する倉庫が各浜にあったのですが、津波ですべて流されたため、震災後に新しく買い揃えた道具や資器材も野ざらしにしておくしかない状況になっていました。
そうした状況をなんとかしようとドイツ・ルーテル教会のDKH(ディアコニア災害救援部)からの支援を受けて再建を進めてきたのですが、漁港の修繕工事の遅れに伴い、なかなか進みませんでした。
しかし、ようやく予定している10棟のうちの8棟が完成し、9月15日にはドイツDKH担当者のミヒャエル氏も完成した倉庫の見学に来石されました。その日は漁協の代表者の方から震災当日のお話や復興の現状などをお聞きした後、倉庫に設置するネームプレートの贈呈式を行いました。

牧会者ルターに聞く 7

第三章「家庭の食卓」から  その一 なつかしい「食卓での会話」

石田順朗

 

ジュネーブのルーテル世界連盟・世界宣教部および神学研究部で通算一五年勤めたが、一九六七年十月下旬、ウイッテンベルグ市の宗教改革四五〇周年記念祝典参加に先立つ一週間を、アイゼンナッハから北上、その途次ライプチッヒを訪れて祝典に辿り着くという今でも思い出に残る(当時は東独での)旅路。バッハゆかりのトマス教会を埋め尽くした壮大な記念礼拝参与についで深く脳裡に残るのはウイッテンベルグのルターハウス、「ルターの部屋」で見た『卓上語録』の あの大きな食卓。一九八〇年の家族旅行でも再び訪れ、都合三回は見届けて、その版画は目前の本棚に据わりついている。
一五四〇年九月一七日、ヨハン・マテシウスが記録したルターの卓上語録。「牧師や説教家は、いったい政府を叱責する力をもっているものかどうかについてマルチン・ルター博士に尋ねたところ、ルターは『まことに然り。政府は神の設けられたものではあるが、神は不徳や非行を罰する権利を保留していたもう。  従ってこの世の統治者が、もしも貧しい市民たちの財産を高利貸や悪質な管理によって浪費したり破産させたりしているならば、大いに叱責すべきである。しかし、説教者が、こまごまとパンや食肉などの値段をとり決めたりすることは適当ではない。一般に、牧師たちは人びとに対して、神がそれぞれに命じ給うことを、各人の召命に応じて忠実に信仰をもって行いうるように指示し、その結果、人びとが盗んだり、姦淫したり、物をまきあげたり、人をこきおろしたり、だましたり、隣人を利用したりしないようになるためである』。
傍らルターは、政治の任にある者には、「君主諸侯たちは、偽証や公の神冒涜などの犯罪を抑圧しなければならないが、ただ、その人たちが信ずべきか、信ぜざるべきか、あるいは、ひそかに呪うのかどうかを強制的に調べるようなことがあってはならない」とも語っている。
いつの世でも宗教と政治、教会と国家の関係は重大な課題。ルターにも『この世の権利について、人はどの程度までこれに対し服従の義務があるのか』(一五二三年)ほか多くの著作もあり、研究者の間で「二王国(統治)論」や「律法と福音」の論題がルター神学にとって重要であり続けることも事実だ。ただそのような神学的課題が、円卓会議どころか、それこそ身辺事よろしくルター家の食卓を囲んでの話題であったことにもぜひ着目したい。アリストテレスの「逍遙学派」や孔子の『論語』と較べても興味ぶかい。
百巻を超える『ルター著作全集・ワイマール版』のうち、六巻にも亘って七千余のルターの語録が収められ、その『卓上語録』には牧会者ルターの面目躍如たるものがある。

水の流れ

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

 

集中豪雨などの地表をすべる水は大きな災害をもたらします。本来の水の流れはおだやかです。
大自然の山々に降る雨や雪は巨大な三角錐の中にしみこみます。安曇野の高嶺には11月頃から積雪があり、積算すると二十メートルを超えます。半年かけてゆっくり溶け、岩間にしみこみ、人の血管のように、地下の水脈をたどります。
その水は数十年かけて濾過され、山麓の岩間に湧水となります。その美しいきれいな水のおいしいこと、渇いたのどには最高の潤いとなります。一滴一滴が集まり、谷のせせらぎとなり、小川となり、合流して大川となって海にいたります。
その水は生きとし生きるものすべてを生かし育み支えます。主イエスは言われました。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる(ヨハネ福音書7章37~39節)。
ルーテル学院大学・神学校のチャペルには、この主題のもとに新しいステンドグラスが9月27日に奉献されました。

西教区五十周年記念大会 盛大に開催

九月二十二日~二十三日、大阪教会を会場に西教区五十周年記念大会が西教区女性会修養会と合同という形で開催されました。二十二日午後四時から女性会修養会の開会礼拝を皮切りに、聖公会教職候補生大岡佐代子氏から「一人ひとりが大切にされていますか」という題で、ジェンダーに関わる教会の課題について学びました。たくさんの男性も参加してくださり、百名を超える方々が、講演に耳を傾けました。
午後七時からは遠方からの仲間と共に総勢九十名を超える方々とホテルの宴会場で懇親会を開催しました。教区が五十周年を迎えるということ、それは、一つひとつの交わりに感謝することであることを教えられました。
翌日、午前十時から記念大会の基調講演は徳善義和牧師。テーマは、ずばり「いつやるの、今でしょ!」というテーマで、これまでの五十年と、そして何よりもこれからの五十年を、ルターの言葉を手掛かりに二百名をこえる方々と学ぶことができました。「たとえ明日世界が滅びても、わたしは今日りんごの木を植える」。ルターの真正の言葉であるかどうかは別として、まことにルターらしい生き方の響きがここにあるならば、我々にとって、この言葉は、今日福音を喜んで生きるということであり、それは全く目標のない今日ではなく、二○一七年宗教改革五百周年に向かっての計画的な一歩を踏み出す「今だ!」という言葉は、諸先輩方がいかに宣教の困難な時代でも、決してなるようになるということではなく、具体的な目標を掲げ、それを見直し、新たな視点を盛り込み、また取り組んでいく、そのような歩みの上に、「今」があることを教えられ、「希望」を生きることの大切さを共々に共有することとなりました。
午後からは、教区聖歌隊による、素晴らしい演奏を聴くことができました。指導をしてくださった方々に心から感謝したいと思います。また、関西のCSキャンプの子供たちの「ルター劇」も上映されました。教会の子供たちの取り組みを、ただ、ただ、喜んで見入ってくださり、彼らの最後の挨拶の時には大きな拍手を頂くことができました。
教区内の一つ一つの教会、そして喜望の家、るうてるホーム、ナレーションに耳を傾けて、各教会の映像を共にすることで、改めて神さまが西教区を導いてくださっていることを感謝する時も持つことができました。
記念大会のもう一つの山である、派遣礼拝は、教区内のすべての教会のバナーが参集し、十七名すべての教職による礼拝となりました。
新卒、最年少の竹田大地牧師の説くみ言葉は、教職と信徒が「み言葉の場」を作るということを確認する時となり、西教区が今後も「み言葉の教会」として歩むことを心に刻む時となりました。
(実行委員長 松本義宣)

2013年宣教会議報告

「この宣教会議では、課題認識を共有し、それに対してどのような対策が必要なのかを議論し、できる限り具体的な取り組みを見いだすことを狙いとする」。
立山忠浩総会議長が冒頭に会議の狙いを述べて、第25期では2回目となる宣教会議は始まった。出席者は各教区常議員より3名づつ、加えて本教会四役、信徒選出常議員と各室長の合計22名。

二日間を四つの会期に分けて、第�会期では、二〇一二年全国総会で採決された広範な「第6次綜合方策」のうち、優先的に推進してきている三つの主要課題に対する取り組みの報告がなされた。
最初は、東日本大震災へのルーテル教会救援の振り返りとこれから。
青田対策本部長はスライドを交えて、震災当日からこれまでの足跡を説明した。続いて白川氏は宣教室長として、2017年に向けた宗教改革500周年記念事業計画の、ここまでの取り組み概要を説明した。ここで、しばし全体での意見交換が行われた。
そして、この宣教会議で最も多くの時間設定を充てた、教会の財務に関する討議に入った。
はじめに青田管財室長から日本の人口動態推移、会員構成、基礎収入及び維持献金と教職給与との対比等、種々の説明がなされた。今回は、立山議長の発案により、各個教会の財政状況から将来を予想する目的で、事前に各教区で集計と分析作業をしてもらっていたので、この全国15の教会を抽出したデータ結果を持ち寄り、討議に臨んだ(詳細は、後日発行の報告書参照)。
協議は主として、会員の年齢内訳と維持献金額内訳に視点が向けられ、教会員数の年齢別分類によれば60歳代より上の会員層が全体構成比で60%に達している教会の現状と、昨今の推移から見て確実に10年後には現在の運営規模を下回るだろう予測が出席者共通の認識となった。
また社会状況の推移も見込む将来の教会財務予測でも、維持献金の金額が下落する見方でおおむね一致をした。
所得水準の減少傾向、総じて教会員の「献げる」という意識が従来よりも乏しく感じられる傾向、ひいては、単純に教会の財政運営にのみ連動する形にならないような「献身・献金教育」への反省と必要性など、議論は多岐に拡がった。財政規模が下落する見通しへの現実的対策を切り口として、教職給与の基本水準や教職退職年齢の見直し、給与と年金の組み合わせ方等々、様々な視点から、宣教を推進するこれからの教会の在り方が議論される時間となった。

第1会期は、各室長による発題で、徳野広報室長は「機関紙るうてる」の充実を一層図るために、各教区、各個教会からの積極的な情報提供が不可欠であること、加えてインターネットによる情報発信に通じた担当者確保について提言がなされた。
総務室と宣教室を兼ねた発題として白川室長からは、所謂「教職の大量引退」試算、教職の兼任状況、学校/幼保/施設等の兼務率といった教職の基礎動向が説明され、その上で、教職数には制限を設けるのが良いのか?   教職の他法人における働きを積極的に定義すべきか? との発題があった。

引き続いて第1会期では、後藤由起牧師より、米国留学の学びについて発表していただいた。「宣教」の分野、特に教会の成長やリーダーシップに焦点を当てた研さんを深められてこられ、その成果は今後、現在の任地で、そして、広く日本福音ルーテル教会に分かち与えられることになるだろう。
留学中の学びから、ルーテル教会を含む伝統的な教会が、自分たちのその伝統的な部分を新たに取り込み、また、意図的に実践することによって「教勢」を回復しつつあることや、現代人がスピリチュアリティに興味を示しつつも、それが教会的、聖書的なものとはかならずしも一致していない現状などを語ってくださったことも印象に残った。

最後の第1会期は、出席者全員がそれぞれに、二日間の討議から感じ取った問題提起と対策案を述べた。そして会議は閉会礼拝をもって終了した。
今後、この会議で課題掌握が進んだ事柄への対策が常議員会に求められていくことになる。
なお今回の会議は、従来の二泊三日から短縮を図り、9月30日~10月1日にかけて、東京教会と市ヶ谷センターで開催した。従前の実質審議時間は保ちながら、二日間で開催する模索であったが、無理なく実施できたとの感想をもった。
宣教室長 白川道生

2013年度 ルーテル連帯献金のお願い

今年度も宣教活動として、日本福音ルーテル教会が呼びかけをしている「連帯献金」につき、広く各個教会及び教会員、諸施設、教会関係者の皆様より献金をささげていただいております。指定献金は以下の働きのためとなっております。私たちの献金が、主の御心にそって用いられていくことを祈ります。
■指定献金
[ブラジル伝道]
■指定献金[喜望の家]
■指定献金
[メコン流域支援]
■無指定献金
[世界宣教のために]
上記献金の送金先「連帯献金」を献げてくださる場合には、それぞれの献金の目的を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金してくださるようにお願いします。

□【郵便振替】
00190|7|71 734  名義:(宗) 日本福音ルーテル教会

社会福祉法人るうてるホーム いよいよ完成!

十月十四日(月)秋晴れの中、るうてるホーム竣工式が行われました。昨年の十月二十六日の起工式の時のまったく何もない場所から、一年でこの日を迎えることができたことを神さまに心から感謝したいと思います。
竣工聖別礼拝は、理事である永吉秀人牧師が司式をしてくださいました。説教は、前ルーテル社会福祉協会会長であった内海望牧師から「キリストの愛に包まれて」という題でみ言葉を頂きました。四條畷市長をはじめ地域の自治会会長や福祉関係者などはもとより、何より近隣のルーテル教会から多くの方々がかけつけてくださいました。総勢百五十人をこえる方々と、このるうてるホームが神さまの愛の使命を果たす場となり、何よりキリストの愛の香り、そして音色のする場となるために「父と子と聖霊のみ名において」聖別されたことに、職員を代表して感謝したいと思います。これから聖別にふさわしい場になるように、すべてをキリストの愛に委ねて事業を進めて参りたいと思います。
竣工式典においては、前理事長の市原正幸牧師からお祈りを頂き、今回の建築に多大な貢献をしてくださった株式会社双星設計、株式会社フジタ大阪支店に対して感謝状をお渡ししました。また水野登美子理事・後援会長の「感謝の言葉」においてはホームの設立の精神「高齢者を敬い、お仕えする」に徹した事業運営を営むことの決意が語られ、新たな船出として気を引き締めていきたいと思います。
これまで多くの方々に支えられて、今日があることを改めて感謝する一日となり、これからも皆さま方からのご指導、ご鞭撻によりるうてるホームを育ていただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
常務理事 石倉智史

13-10-18神様の恵みによって弟子となる

「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。 自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。…」
ルカによる福音書14章25~33節

ある安息日、イエス様はファリサイ派の議員の家に招かれて食事をされました。食事を終えてその家を出られると、大勢の群衆が一緒に付いてきました。そこで、イエス様は振り返って彼らと向き合い、弟子であろうとする者の覚悟を語られます。
今、イエス様はエルサレムへの旅の途中です。それは十字架に向かう旅です。十字架の死を経て、復活し、天国へと帰っていかれたイエス様は、エルサレムへの旅の途中、折に触れ、天国への旅の心得を教えてくださいました。

旅の秘訣は、「荷物は少なく、身軽に」と言うことですが、今日、イエス様は「自分の十字架を背負ってついて来る」ようにと言われます。これは難題です。ですから、「腰を据えて計算」するように、「腰を据えて考えて」みるようにと教えてくださいます。
「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、さらに自分の命であろうとも、これを憎まないなら・・・」とは実に厳しい。イエス様は、家族の係累をあげつつ、父から始まって、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、さらに自分の命にまで及んで、それを憎み、拒否することを要求されます。「家族」の全員で、一人の例外もないのです。これができないなら、イエス様に従う者としてはふさわしくないのです。
これは、一人ひとりの中にあるエゴイズムへの警鐘、挑戦です。家族のエゴ、国家のエゴ、人類のエゴがあります。それはどんなところにも顔を出しています。神の国で生きるために、エゴイズムとの、まことに厳しい、妥協することのない戦いが求められます。それは、父なる神様のお心に従って、すべての人を救うために、ご自身を十字架に渡されたイエス様の生き方そのものでした。
今、イエス様は、自分の十字架を負って従って来るのでなければ、わたしの弟子ではありえないと断言して、イエス様の弟子であることを、つまり、ご自分と同じように生きることを弟子たちに、愛する者たち、私たちに期待されたのです。
「自分の命を憎み、自分の十字架を背負ってついて来る」よう教えてくれるイエス様は、大切な家族、そして、身近であれば身近であるほど心通わせる仲間に対してなおも、私の主体性、自主性、自由を保つことができるかと問うておられます。
「愛には恐れがない」とヨハネは教えてくれましたが、そのように、本物の愛はすべての恐れ、委縮から、私たちを解き放し、自由にします。それと同時に、真実の愛は、最愛の者に対しても、抵抗する、あらがう力を持つ者とします。
イエス様は「まず腰を据えて」と言われます。それはイエス様に従う覚悟があるかどうか、そのために一切を捨てる覚悟があるかどうか、前もって計算し、じっくり考えなさいということでしょう。人生について、将来について、真剣に考えるべきです。しかし、思い悩んではいけません。

弟子たちは、すべてを捨ててイエス様に従いました。しかし、ある時、ペトロはこう言いました。「この通り、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか」と。ペトロは何もかも捨てて従っていたつもりでしたが、どっこい、自分自身は捨てていなかったのです。 結局、私たちも、どこまで行ってもそうなのです。自分を捨てきれないのです。それでもいいのです。そのままでイエス様の十字架のもとへ行くのです。イエス様のもとに、自分の十字架を抱えて行くことが許されています。
イエス様の厳しい言葉は、裏を返せば、神様の恵みがすべてであり、それだけを頼みとすればよし、他のものは一切必要無しとのよき知らせなのです。神様の恵み、慈しみによってのみ、私たちは救われ、今日も生かされています。

日本福音ルーテル小石川教会 徳野昌博

13-10-02JLER月報2013年10月号−24号

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13-10-01るうてる2013年10月号

機関紙PDF

説教「神様の恵みによって弟子となる」

 日本福音ルーテル小石川教会 徳野昌博

「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。 自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。…」
ルカによる福音書14章25~33節

 

天国へと帰っていかれたイエス様は、エルサレムへの旅の途中、折に触れ、天国への旅の心得を教えてくださいました。

旅の秘訣は、「荷物は少なく、身軽に」と言うことですが、今日、イエス様は「自分の十字架を背負ってついて来る」ようにと言われます。これは難題です。ですから、「腰を据えて計算」するように、「腰を据えて考えて」みるようにと教えてくださいます。
「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、さらに自分の命であろうとも、これを憎まないなら・・・」とは実に厳しい。イエス様は、家族の係累をあげつつ、父から始まって、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、さらに自分の命にまで及んで、それを憎み、拒否することを要求されます。「家族」の全員で、一人の例外もないのです。これができないなら、イエス様に従う者としてはふさわしくないのです。
これは、一人ひとりの中にあるエゴイズムへの警鐘、挑戦です。家族のエゴ、国家のエゴ、人類のエゴがあります。それはどんなところにも顔を出しています。神の国で生きるために、エゴイズムとの、まことに厳しい、妥協することのない戦いが求められます。それは、父なる神様のお心に従って、すべての人を救うために、ご自身を十字架に渡されたイエス様の生き方そのものでした。
今、イエス様は、自分の十字架を負って従って来るのでなければ、わたしの弟子ではありえないと断言して、イエス様の弟子であることを、つまり、ご自分と同じように生きることを弟子たちに、愛する者たち、私たちに期待されたのです。
「自分の命を憎み、自分の十字架を背負ってついて来る」よう教えてくれるイエス様は、大切な家族、そして、身近であれば身近であるほど心通わせる仲間に対してなおも、私の主体性、自主性、自由を保つことができるかと問うておられます。
「愛には恐れがない」とヨハネは教えてくれましたが、そのように、本物の愛はすべての恐れ、委縮から、私たちを解き放し、自由にします。それと同時に、真実の愛は、最愛の者に対しても、抵抗する、あらがう力を持つ者とします。
イエス様は「まず腰を据えて」と言われます。それはイエス様に従う覚悟があるかどうか、そのために一切を捨てる覚悟があるかどうか、前もって計算し、じっくり考えなさいということでしょう。人生について、将来について、真剣に考えるべきです。しかし、思い悩んではいけません。

弟子たちは、すべてを捨ててイエス様に従いました。しかし、ある時、ペトロはこう言いました。「この通り、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか」と。ペトロは何もかも捨てて従っていたつもりでしたが、どっこい、自分自身は捨てていなかったのです。 結局、私たちも、どこまで行ってもそうなのです。自分を捨てきれないのです。それでもいいのです。そのままでイエス様の十字架のもとへ行くのです。イエス様のもとに、自分の十字架を抱えて行くことが許されています。
イエス様の厳しい言葉は、裏を返せば、神様の恵みがすべてであり、それだけを頼みとすればよし、他のものは一切必要無しとのよき知らせなのです。神様の恵み、慈しみによってのみ、私たちは救われ、今日も生かされています。

宗教改革五〇〇周年に向けて

ルターの意義を改めて考える(18)

ルター研究所所長 鈴木浩

 

ルターの神学は「神の言葉」の神学であった。創世記によれば、神の創造活動の最初は、「神は『光あれ』と言われた」(口語訳)とあるように、神が語った、という事実であった。この創世記の言葉を意識しつつ、福音書記者ヨハネは、「初めに言(ことば)があった」と福音書を書き出した。
日本語の「言葉」は「事の端」(ことのは)、つまり「事柄の周辺」に由来するという。「言葉」は「事柄」そのものとは別個なのだ。ところが、ヘブライ語では、「言葉」と「事柄」とは同じダーバールという単語だ。つまり「名は体なり」なのだ。
ルターによれば、最初に響いた「光あれ」という神の言葉は今も響き渡っている。だから、今でも光が存在する、というのだ。「神の言葉」とは、その言葉の中身を創造する「神の力」のことだからだ。
「神の言葉」とは、紙にプリントされた文字のことではない。それは、言葉が指し示す事態を創造する「力溢れる神の活動」のことだ。それは、言い換えれば、聖霊の息吹のことことなのだ。
ルターの言葉に力があるのは、神の言葉への集中的取り組みから、そう確信していたからである。

2013年度ルーテル幼保連合会保育者研修会報告

日本福音ルーテル教会幼稚園・保育園連合会 会長 岩切雄太

 

2013年8月5、6日、熊本森都心プラザホールにおいて、日本福音ルーテル幼稚園・保育園連合会保育者研修会を開催しました。講師に、本田哲郎先生(フランシスコ会司祭・釜ヶ崎失業連絡会共同代表)、尾道幸子先生(熊本江津湖療育医療センター地域療育部長)、平川雅子先生(親子育ちの会「おてんとさん」主宰)をお迎えし、総勢149名(一般来場者含む)の皆さんと学びのときを持ちました。字数に限りがありますが、少しずつ紹介いたします。
尾道幸子先生は、特別支援の必要な就学前の子どもたちの居場所と支援の連携を、家族・幼稚園/保育園・児童発達支援センター・行政等を巻き込みつつ作り上げていかれた方です。『保育はそれぞれの子どもの成長に合わせ、臨機応変に対応することが大切です。子どもたちにとって、保育者がかかわってくれる時間が何よりの宝ものなのですから』。
平川雅子先生は、「わらべうた」を通した子どもたちとのかかわりについて、実践を交えて話されました。『わらべうたは、「ドレミソラ」の5音階でできています。これは、調子はずれにならない音階で、発達段階の子どもの耳や声帯にはこの音階がとても心地よく響くといわれています』。
本田哲郎神父は、新約聖書で「愛」と訳されているギリシャ語「アガペー」を問い直すことを通して、子どもたちに(社会で弱い立場に立たされている人たちに)対する、わたしたちの関わりの姿勢を考えてみましょう、と語られました。関わりが「あわれみ」や「ほどこし」になるとき相手の尊厳をないがしろにしてしまうからです。『アガペーとは、to feel and exhibit esteem and goodwill to personです』。本田神父はこれを「大切にする」と訳しておられます。皆さんもそれぞれに訳してみてはいかがでしょうか。
さて、それぞれの講演が、保育者に対する遂行的なメッセージであり、その働きへの(関わりへの)応援(祝福)であったことが、参加者の一人として何よりも嬉しいことでした。皆さん、ありがとうございました。

一致に関するルーテル=ローマ・カトリック委員会、京都で開催

「一致に関するルーテル=ローマ・カトリック委員会」のルーテル側委員 鈴木 浩

毎年夏に一週間の会期で開かれてきた「一致に関するルーテル=ローマ・カトリック委員会」が、八月一二日から二〇日の会期で、京都の聖公会教区事務所の会議室をお借りして開かれた。
ドア一枚を隔てたパレスサイド・ホテルが委員の宿舎となり、朝晩の礼拝は歩いて三〇秒の聖公会主教座聖堂、聖アグネス教会を使わせていただいた。

テーマは、「洗礼と交わりの成長」であった。誰もが洗礼によってキリストの一つの体に結び付けられているのに、どうして教会の一致の目に見える徴である聖餐が分かれているのか、どうしたらそれを克服できるのか、という問題である。
四回の委員会を経てまとめた『対決から交わりへ』という共同文書が六月に公表されたばかりなので、今度はまず、大幅に共通の理解を持っている洗礼を足掛かりに、最大の問題である聖餐の一致をどのようにして達成するのかが、目標である。

カトリックの委員とルーテルの委員が、朝晩の礼拝を毎日交代で担当するのだが、カトリックの担当の時にはルーテルの委員は陪餐せず、ルーテルが担当するときにはカトリックの委員が陪餐しないということを毎日繰り返すので、いやでも聖餐における分離が目立つ。「洗礼で一致」、「聖餐で分離」というというこの事態をどうしたら乗り越えることができるのか、今回の議論を通しても、道は遠いという思いがした。しかし、「継続は力なり」だし、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」ので、ここは「忍耐強く継続する」のが大事であろう。
一八日の日曜日はそろって京都教会に出席し、その後、京都の史跡巡り、一九日は奈良の史跡巡りをした。この間、日本聖公会の多大な協力を受け、カトリック教会からもサポートがあり、一五日には日本福音ルーテル教会による歓迎夕食会が開かれた。

JLER(ルーテル教会救援)対策本部 現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦

 

東日本大震災から2年半が経過し、ルーテル教会救援の活動内容も活動当初から大きく変化しています。今月号では、女性連盟主催の現地見学会(復興ツアー)と仮設団地自治会夏祭り支援について報告させていただきます。

【現地見学会(復興ツアー)】
9月6・7日、札幌教会3名、八王子教会2名の計5名の参加者により実施しました。
一日目は、仮設追波川河川団地集会所で「つるしびな」関係者との交流会。地元ボランティア団体と仮設団地の住民の方との交わりでは、実際の被災場面のお話をお聞きし、被災された方々の痛みを共に分かち合う機会となりました。
二日目は、先月15日に落成式を迎えた前浜コミュニティセンターへの訪問。現地スタッフから完成までの経緯についての話に耳を傾けました。その後、9月9日から解体作業が始まっている気仙沼市鹿折唐桑に打ち上げられた大型漁船を見学し、今回の震災の大きさを改めて実感しました。次回は11月9~11日に開催します。
また8月に行われた旭ヶ丘母子ホームのスタディツアーの様子が毎日新聞のネット版http://mainichi.jp/area/miyagi/news/20130825ddlk04040112000c.htmlに掲載されました。

【仮設団地夏祭り支援】
チーフスタッフ
佐藤文敬
7月から8月にかけては、被災地の各所で夏祭りが開催されました。となりびとでは、昨年に引き続き石巻市河北町にある仮設大森団地の夏祭りのお手伝いをしました。この夏祭りは、仮設団地に住む子どもたちに夏の思い出を一つでも多く作ってほしいと考えた仮設自治会の人々が中心になって始めたものです。

今年は夏祭り用のポスター・チラシ作りやTシャツ作りなどの事前準備から当日の屋台の出店まで、昨年以上に様々なお手伝いをしました。夏祭り開催3日前からは、近畿福音ルーテル鈴鹿教会の方やルーテル学院大の学生ボランティア9人がシャボン玉作りやイモ餅作り、会場設営などの準備にフル回転し、当日の開催に備えました。
お祭り当日は、昨年同様お天気に恵まれ、ルーテル学院大の学生が担当したシャボン玉などの子どもコーナーは、切れることなく子どもも大人も遊びに来て、おおいに楽しんでいました。イモ餅などの屋台もお昼時は時々人が並ぶなど盛況でした。

第二章「震災後」に迎える宗教改革五〇〇周年
その三 「愛の実践を伴う信仰」こそ大切

宗教改革記念日を月の終わりに祝う十月に入ると例年のことながら、私自身のルター研究遍歴を振返る。その度に、おこがましく「もしもシュタウピッツ博士のおかげがなかったならば、私は冥府に落ち込んでいたことだろう」とルターが常々恩師を覚えたのにならって、岸千年、(著作を介して)佐藤繁彦、北森嘉蔵、それに、米国留学時の論文指導教授ジョージ W・フォレルの先生方を想い起こす。
フォレル教授との出会いは(一九五九年)、最初の受講課目「キリスト教倫理」のテキストについてであった。それは同教授の著作「ルターの社会倫理の基盤原理の検索」を副題にもつFaith Active in Love (一九五四年)で、初回のクラス直後に面接、自己紹介を兼ねてまずそのテキストの書名についてたずねた。かねて北森先生からとくと教え込まれていた「愛で形成される信仰(fides caritate formata) 論争」との関わりがあるのではと思ったからである。
「尊いのは、愛によって働く信仰だけである」(ガラテヤ五・六)(一九五四年改訳)に起因して、アウグスチヌスに遡りトリエント公会議で議された論点に言及、なぜ著書の標題に「愛において活動する信仰」を選択されたかであった。教授は直ぐさま「よい質問だ。それこそ講義の核心テーマに関わるから、講義の最後まで一緒に問い詰めよう」と応じられた。長年にわたって教授の知遇を得るきっかけともなったのである。
思いは三十余年を飛び越えるが、長期に亘る海外出向を終えて帰国 (一九九四年)、新共同訳の聖書を読み出して、このガラテヤ5・6が「愛の実践を伴う信仰こそ大切です」 に訳出されているのを感慨深く読み取った。
つい二年前に帰天したフォレル教授が著作当時の “faith working through love” (RSV) や “faith which worketh by love” (KJV) の聖句を意図的に “faith active in love”と読み変えた神学労作を偲びながら、とりわけ「震災後」の「絆とボランティア」が全国に共鳴するなか、ルターの「信仰のゆえに自由をえたキリスト者の愛の奉仕」に重ね合わせ、心に確と受け止めて回想するしだい。
年ごとに、新たな思いを呼び覚ます宗教改革記念日がやってくる。
石田順朗 引退牧師、 九州ルーテル学院大学名誉学長・LWF元神学研究部長

平和の主・平和の園

 ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

「目には目を、歯には歯を」。その真意とはうらはらに、暴虐が繰り返され、人々の報復、争いは増幅するばかり。現代の報道でも、人々の和解のむずかしさを思い知らされます。私たちにどんなことができるのでしょう。
三重県志摩市志摩町に「海の家ベート・シャローム」(民宿)があります。真珠の養殖で知られる英虞湾の半島で和具港から、陸路よりも海上が便利とのことで、自家用船で送迎しています。
その民宿に、海上を往来する船上からもよく見えるようにと、厚板ガラス(ダル・ド・ベール)の「平和の園」(『イザヤ書』11・1~10)というステンドグラスが入っています。
オーナーの石原正生さん夫妻(近畿福音ルーテル教会会員)は、平和の主を信じ、平和の園の実現を祈り、平和を叫び続けています。

第51回関西地区CS合同キャンプ

あついあつい都会から、山深い奥猪名川健康の郷で、第51回関西地区CS合同キャンプが開催されました。総勢69名。
テーマは何と!「ルター」。2017年の宗教改革500周年に備えて、ルターの生涯と人となり、そして働きについて少しでも子供たちと分かち合いたいと準備を進めました。
昨年の11月には神戸ルーテル神学校の正木牧人校長をお呼びして、「子供に伝えるルター」と題して講演を頂き、神戸ルーテル神学校の神学生たちが演じた、「ルターの生涯」の劇のDVD監修に関わった田畑牧師からもお話を聴くことができました。
雷に打たれる場面、回心の場面、ヴォルムスの国会での「我れ、ここに立つ」、書物を焼く場面が描かれることで、視覚の力で言葉以上にルターを知る方法を教えられました。
これをもとに、中高生を中心に、関西CS版ルター劇を作ろう!というのが、今回の活動の中心になりました。夜中まで? ルターの生涯に学び、中高生は、中高生の視点でそれを咀嚼して、ビデオに撮ってくれました。
小学生たちも、開会礼拝の沼崎先生のお話、アイスブレイクでの、「宗教改革に行こうよ!(猛獣狩りに行こうよ!)」、光延牧師のルターの紙芝居、渡辺神学生の朝の礼拝、いずれも熱のこもった先生方のお話に圧倒されて、何となくルターというのは、雷に打たれて、神さまを信じて、聖書を深く読んだ人というあたりまでは伝わったのではないでしょうか。何よりもキャンプファイヤーで撮影された本を焼く場面が、強くまなこに残っている(しまっている)かもしれません。
中高生の劇は、9月23日に予定されている、西教区50周年記念大会にて放映予定、その後順次、全国の各教会に拡大予定です。乞うご期待(笑)!
(キャンプ長  松本義宣牧師)

「新しい宣教の展開をめざして」   2013年るうてる法人会連合総会

八月二七日から二八日にかけて、日本福音ルーテル東京教会宣教百年記念会堂を会場にして、『第10回るうてる法人会連合総会』が開催されました。2002年に、熊本に集められた教会、学校、社会福祉、幼稚園保育園の働きを託された人々が集まった場で「るうてる法人会連合設立宣言」が出されました。これが第一回の連合会総会でありますが、第10回目となる本総会は、その宣言文から引用した「新しい宣教の展開に向かうために」が主題に掲げられました。
総会は、連合会会長である教会の立山忠浩議長による開会礼拝から幕を開けました。説教では「聖書を読むと、使徒たちは出かけて行っては、ひとつの場所に帰ってきた様子が描かれているが、戻った使徒たちは同労者として互いに今日の様子を報告し合い、議論もしただろう。或いは励まし合い、祈りあったに違いない。そしてまた、新しくされて出かけて行った。法人会連合は、主の御前で、このような場ではないか」と明確なメッセージが述べられました。
次に、藤藪庸一(ふじやぶよういち)牧師を基調講演にお迎えしました。(写真右)「自殺の名所」と呼ばれる、和歌山県白浜市の三段壁にほど近い「白浜バプテスト基督教会」の牧師であり、自殺防止から自立支援まで取り組むNPO法人代表も務める藤藪牧師は、この活動を通じて問われているのは、まず「良心と覚悟」であると語られました。「昨年、NHK番組プロフェッショナルに出演された後日談」、「現代に生きて働かれる神様を証明する業と自覚している」、「立ち直っていく人に共通した要素は、時間と場所と人の助けであった」等、体験に裏打ちされた言葉が力強く迫ってくる講演でした。
引き続いて、シンポジウムと発題のプログラムでは、主題を踏まえ、法人格の違いを超えて「新しい宣教」を共に担うために共有すべき事柄や新しい宣教とは何かについて、高井保雄牧師の司会により討議がなされました。
石居基夫氏(ルーテル学院大学教授)は神学校が牧師とキリスト教指導者の養成という出発から、心と福祉と魂の高度な専門家養成、来年からの他者支援の専門職養成にまで拡がってきた教育の展開こそが新しさであり、多様な宣教課題を意識したミッションの実践そのものであったと述べられました。更に、学校がキリスト教精神に基づき、人を愛し、他者を支援する人材育成の使命を自覚し、実現してゆく目標実現には、教育者の確保・育成が極めて重要と指摘されました。
キリスト教社会福祉の実践からは高橋睦氏(社会福祉法人東京老人ホーム施設統括長)が、使命に基づく方針として、高齢者施設での新しい取り組みと位置付ける看取りケアの実践報告をされました。現在の医療機関との関係を見据えて、施設が、終の棲家となるための準備に取り掛かって見えてきている、死についての働き人の理解、利用者も含めた霊的要望への応えといった課題に関して、具体的に教会と協働する様子と今後の可能性等について語られました。
白川道生氏(ルーテル教会事務局長)は、この連合会では教会+教会をより広げて、宣教は伝道(教会)+教育(学校、幼保)+奉仕(社会福祉)=「宣教共同体」と宣言したと説明の上で、我々は創業の祈りからここに至るまで貫かれた一道に加えられており、クリスチャン、ノンクリスチャンを超えて集められ、選ばれた働き人ではないか?また託された働きに応える活力は、感謝と良質の誇りではないかと語りました。
発題では、市川一宏氏(ルーテル学院大学学長)は私たちに求められている事柄を列挙した後、これに取り組んできたルーテルグループの足跡を紹介しました。現状の急務は働き人の養成と括り、これを進めるために連合会に研修チームを設置して研修と個別支援を推進できる専任チーム組織の提言がなされました。滝田浩之氏(ルーテル大阪教会牧師・連合会組織検討委員会長)は連合会の構成員を拡げる必然を指摘し、連合に加わる中で、奨学金等具体的な制度利用により相互支援が可能となる実益ある態勢づくりへの取り組みを提言されました。
中島康文氏(社会福祉協会会長)は、法人会連合が目指すは、法人の違いはあっても、それが制約に作用せず、各々が主体的に役割を果たしながら、目標を共有し共に力を合わせて活動する「協働」ではないか? この点で、より新しく作り上げてゆくのは「宣教協働体」になるだろうと用語使用と組織定義に関する提言がありました。
終了後の夕食は、東京教会の集会室が懇親会の会場に変わり、徳野昌博牧師の司会で、68名を数えた参加者が互いに自己紹介をして、和やかに交流が深められました。

二日目は、東日本大震災のルーテル教会救援となりびとへの派遣牧師である野口勝彦牧師により、スライドを交えて、現地報告と支援の取り組みを通した証しが語られるディボーションをもって、始まりました。
この後、参加者は6グループに分かれて、それぞれの持ち場での働きを踏まえながら、昨日からの投げかけについて、またこれからに向けた総会提言などを分科会に分かれて話し合い、分団の発言趣旨は再度全体に戻り、相互に発表、話題共有がなされました。

総会協議では、各法人会及び連合会諸委員会の活動報告がなされ、相互理解を深めた後、今後の活動方針が協議されました。まずは、今後8月の最終週には法人会連合による何らかの企画が実施される前提をルーテルグループで共有する基本合意がなされ、2014年は「研修会」を実施、開催地は熊本とする決定がなされました。更に、本総会での発題を通した提言と、各委員会及び分科会で上がった要望事項の実現に向けて、各法人会・諸委員会で協働する同意が出席者同士で確認されました。

二日間にわたった相互報告、討議、励まし合いと祈りは、終わりに、青田勇副議長による閉会礼拝で祝福を受け「宣教共同体」として派遣され、それぞれの宣教地域に、新たに出かけて行きました。
事務局長 白川道生

2015年はブラジルで!宣教50周年訪伯旅行

[神の時]
2020年のオリンピック・パラリンピック開催地が東京に決まりましたね。2016年のブラジルからバトンが渡される先が日本というのは、日系人の方々には、新興国ブラジルの成長と日本の復興を祈り、感慨ひとしおでもあります。
2015年の宗教改革記念日は、日本福音ルーテル教会(JELC)の宣教開始により日系ルーテル教会がサンパウロに設立されて、50周年の記念日になります。また、当地宣教計画に従い経済自給達成の予定の年でもあります。そして、2017年には宗教改革500周年を迎えます。
[神の願い]
先輩宣教師の皆様、祈り支えてくださった日本の皆様、ブラジルで歴史を背負ってこられた先人たちにも感謝をしましょう。JELCが海外に宣教をし、産み落とした教会が立派に成長し、独り立ちをしていく日を一緒に見届け、立ち合いましょう。それは、自分(JELC)がかつて歩んだ道でもあります。
[神の招き・訪伯旅行]
現在、JELC世界宣教委員会と連絡を取りながら、準備を進めています。関わりがあるブラジル各地の教会や施設だけでなく、大自然と共に新興国で活気にあふれる各地を巡る旅(一部オプション)になります。
詳細はこれからお知らせがあるでしょう。皆様のおいでをお待ちしています。
ブラジル・サンパウロ教会    徳弘浩隆

13-09-18隔てを越えてゆくため

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」
エフェソの信徒への手紙 第2章14〜16節

「世界の為政者の皆さん、いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。威嚇によって国の安全を守り続けることができると思っているのですか。」「信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきではないですか。」 広島市長は今年の平和宣言において穏やかに、しかし、厳然と呼びかけました。

私はこの言葉に、聖書が呼びかけてきた平和構築への可能性を聞く思いがしました。威嚇ではなく対話を重ねて行くこと。それは為政者のみならず、他者との関わりに生きる私たちの誰もが大切にしなければならないことでしょう。それぞれの経験や立場を絶対的なものとするのではなく、その間を隔てる壁を乗り越えて、互いに尊重し学ぶ関係をつくっていくこと自体が平和への道なのだと思います。

エフェソの教会に連なる人たちと当時のユダヤ人キリスト者の間にも、「律法」ゆえに互いを遠ざける現実がありました。また、ユダヤの人々が神殿を大切に思うほど、他者を排除しその純粋さを守るために自分たちと「異邦人」との「隔ての壁」の維持を重要視してしまうことにつながりました。このことは、形を変えながらも、現代の私たちの社会に巣くっているのではないでしょうか。人種や民族、国籍、宗教、性別、心身の状態、性的指向、社会的地位などで自分との違いを生きる存在に不寛容な思いを持ち、対立し、ともすれば排除しようとしてしまう。それは人類が普遍的に抱く闇といえます。
だからこそ神が「双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し」、「両者を一つの体として神と和解させ」、「敵意を滅ぼ」す必要があったのです。そしてそれは、キリストの十字架によって、神自身が痛みを負うという赦しの業によってもたらされました。

文字を持たないアイヌの口伝承ユカラを文字化し、日本語訳し「アイヌ神謡集」として世に送り出した知里幸恵という人がいます。1922年の夏、金田一京助宅で知里が「アイヌ神謡集」の出版準備のために過ごした三ヶ月は、地上での最後の時間となりました。知里は校正を全て終えた晩に心臓疾患により短い生涯を閉じたのです。19歳でした。

知里がその命を削るようにして編纂・翻訳した「アイヌ神謡集」とその序文は、雄大で美しく清らかな内容もさることながら、その生きる姿の熱さ力強さで人の心を激しく揺さぶります。それは、知里が生まれたアイヌ民族の、物語の紡ぎ手と受け手とが文字の受け渡しではなく、ことばを行き交わすことによって育まれてきたことと無関係ではないと思います。この物語は、受け手を巻き込み、受け手も共に紡ぐ者とし、さらに受け手を伝え手として動かしていく。そうやって物語とその物語を生み出した自然の豊かさと厳しさ、それと共に生きる恵みが届けられ、自然と人、カムイ(神)とアイヌ(人間)とを結びあわせていくのです。

そのようなアイヌの言葉や生き方を失わせる原因となった和人に対して、それを伝えるべく知里が日本語訳に取り組んだことは、まさに知里が「敵意という隔ての壁を」越えて行こうとすることです。知里の物語はアイヌと和人とを結びあわせる取り組みでもありました。

知里にとってもう一つの大切な物語がありました。それはキリストの物語でした。虐げられ傷つけられている人を訪ね、救いを告げ、共に生きる。文字は残さずとも、語る言葉と生き方を通してその愛を伝え、それを受け取る人に人生の新しい一歩を踏み出させる力を与え、神と人を結び付けていくキリストの物語に、知里は幼い頃からその心に響きを与えられてきました。知里はこの物語を熱心に求め、受けとり、この物語に動かされてキリストに従う道、隔ての壁を取り除かれることに信頼する道を歩んだのです。

知里の終焉の地となった旧金田一宅跡の隣に今、本郷教会が立っています。ことばが人を生かす、アイヌの物語とキリストの物語。知里が生かされ、知里が担った物語を現代に結ぶ役割を託されたと受け止め、数年来、召天記念日にあたる9月18日に、記念会「シロカニペ祭」の会場として用いられています。
キリストがその十字架において隔ての壁を取り壊したのは、私たちが互いの間にある隔てを越えて生きるためです。それは簡単なことではありません。しかし、キリストが砕いた壁の残骸を踏みしめて共に生きることへと私たちは招かれているのです。
日本福音ルーテル本郷教会 安井宣生

13-09-02JLER月報2013年9月号−23号

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13-09-01るうてる2013年9月号

機関紙PDF

説教「隔てを越えてゆくため」

日本福音ルーテル本郷教会 安井宣生

 

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」
エフェソの信徒への手紙 第2章14~16節

「世界の為政者の皆さん、いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。威嚇によって国の安全を守り続けることができると思っているのですか。」「信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきではないですか。」 広島市長は今年の平和宣言において穏やかに、しかし、厳然と呼びかけました。
私はこの言葉に、聖書が呼びかけてきた平和構築への可能性を聞く思いがしました。威嚇ではなく対話を重ねて行くこと。それは為政者のみならず、他者との関わりに生きる私たちの誰もが大切にしなければならないことでしょう。それぞれの経験や立場を絶対的なものとするのではなく、その間を隔てる壁を乗り越えて、互いに尊重し学ぶ関係をつくっていくこと自体が平和への道なのだと思います。
エフェソの教会に連なる人たちと当時のユダヤ人キリスト者の間にも、「律法」ゆえに互いを遠ざける現実がありました。また、ユダヤの人々が神殿を大切に思うほど、他者を排除しその純粋さを守るために自分たちと「異邦人」との「隔ての壁」の維持を重要視してしまうことにつながりました。このことは、形を変えながらも、現代の私たちの社会に巣くっているのではないでしょうか。人種や民族、国籍、宗教、性別、心身の状態、性的指向、社会的地位などで自分との違いを生きる存在に不寛容な思いを持ち、対立し、ともすれば排除しようとしてしまう。それは人類が普遍的に抱く闇といえます。
だからこそ神が「双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し」、「両者を一つの体として神と和解させ」、「敵意を滅ぼ」す必要があったのです。そしてそれは、キリストの十字架によって、神自身が痛みを負うという赦しの業によってもたらされました。

文字を持たないアイヌの口伝承ユカラを文字化し、日本語訳し「アイヌ神謡集」として世に送り出した知里幸恵という人がいます。1922年の夏、金田一京助宅で知里が「アイヌ神謡集」の出版準備のために過ごした三ヶ月は、地上での最後の時間となりました。知里は校正を全て終えた晩に心臓疾患により短い生涯を閉じたのです。19歳でした。
知里がその命を削るようにして編纂・翻訳した「アイヌ神謡集」とその序文は、雄大で美しく清らかな内容もさることながら、その生きる姿の熱さ力強さで人の心を激しく揺さぶります。それは、知里が生まれたアイヌ民族の、物語の紡ぎ手と受け手とが文字の受け渡しではなく、ことばを行き交わすことによって育まれてきたことと無関係ではないと思います。この物語は、受け手を巻き込み、受け手も共に紡ぐ者とし、さらに受け手を伝え手として動かしていく。そうやって物語とその物語を生み出した自然の豊かさと厳しさ、それと共に生きる恵みが届けられ、自然と人、カムイ(神)とアイヌ(人間)とを結びあわせていくのです。
そのようなアイヌの言葉や生き方を失わせる原因となった和人に対して、それを伝えるべく知里が日本語訳に取り組んだことは、まさに知里が「敵意という隔ての壁を」越えて行こうとすることです。知里の物語はアイヌと和人とを結びあわせる取り組みでもありました。
知里にとってもう一つの大切な物語がありました。それはキリストの物語でした。虐げられ傷つけられている人を訪ね、救いを告げ、共に生きる。文字は残さずとも、語る言葉と生き方を通してその愛を伝え、それを受け取る人に人生の新しい一歩を踏み出させる力を与え、神と人を結び付けていくキリストの物語に、知里は幼い頃からその心に響きを与えられてきました。知里はこの物語を熱心に求め、受けとり、この物語に動かされてキリストに従う道、隔ての壁を取り除かれることに信頼する道を歩んだのです。
知里の終焉の地となった旧金田一宅跡の隣に今、本郷教会が立っています。ことばが人を生かす、アイヌの物語とキリストの物語。知里が生かされ、知里が担った物語を現代に結ぶ役割を託されたと受け止め、数年来、召天記念日にあたる9月18日に、記念会「シロカニペ祭」の会場として用いられています。
キリストがその十字架において隔ての壁を取り壊したのは、私たちが互いの間にある隔てを越えて生きるためです。それは簡単なことではありません。しかし、キリストが砕いた壁の残骸を踏みしめて共に生きることへと私たちは招かれているのです。

宗教改革五〇〇周年に向けて

ルターの意義を改めて考える(17)

ルター研究所所長 鈴木浩

 

ルターの「信仰のみ」という言葉は、誤解を与えたし、今でもあたえている。最大の原因は、「信仰」という同じ言葉を使いながら、考えている中身が違うからだ。
ルターは信仰とはズバリ「信頼」だと言った。
不治の病にかかっている人間は、医師であるキリストに心から信頼し、治療(つまり、救い)のことでは、キリストに身ぐるみ自分を任せてしまう。
断固として病人を癒そうとする キリストの熱意(ピスティス、つまり真実)と、そのキリストに自分を身ぐるみ預けた病人の信頼(ピスティス、つまり信仰)とが出会うところで、初めて癒し(救い)が出来事となって現実化する。ここでは、原理的に言って、双方のピスティス(真実、信頼)以外のものが介在する余地はない。だから、「キリストのみ」、「信仰のみ」なのだ。
ここでは、「セカンド・オピニオン」は無用だし、治療の邪魔になる。キリストの真実と人間の信仰とが出会うピスティス関係が、そこで壊れるからである。このピスティス関係は、常に維持されねばならない。だから、人間は繰り返し新たに、神の言葉で力づけられる必要があるのだ。

牧師の声

岡崎教会、文化財登録される

岡崎教会 宮澤真理子

 

7月19日に開かれた国の文化審議会にて、岡崎教会礼拝堂が「登録有形文化財」に登録されることが決まりました。愛着の深い礼拝堂がこのように世の中に認めていただき、教会員一同喜んでいます。
登録有形文化財制度は、従来の文化財指定制度を補完する新しい制度として、1996年より導入されました。岡崎教会は「建築後50年を経過していること」「国土の歴史的景観に寄与しているもの」という基準を満たしています。
岡崎教会の礼拝堂は1953年10月4日に献堂されました。設計はヴォーリズ建築事務所によるものです。建物の正面に4本の大きな木があります。緑の葉の間から、白い壁と赤い塩焼き瓦が目に入ります。中央の尖塔、切妻の屋根、片流れのひさしが特徴です。礼拝堂の内部には、正面の壁にひときわ大きな十字架が掲げられています。トラスという三角形を単位とした骨組によって、天井が高く作られています。正面の十字架にも、礼拝堂全体にも自然光が豊かに入ります。
建築に興味をもたれる方がこの教会を訪ねてくださることでしょう。イエス様の福音に出会っていただくきっかけとなればと心から願っています。

信徒の声

『教会』は地域の『ひろば』

浜名教会 鈴木和美

 

私は、子どもたちの笑顔や歓声にあふれた教会で過ごす事が夢で、浜名教会で私を生かしてほしいと祈っていました。すると、地域に学童保育所がなくて困っていた、働く友人の声を聞きました。そして、「子どもたちの交流の場、居場所を作りたい」「浜名教会を地域の方々の知ってもらいたい」という目的で07年7月、長期休暇時の「こどもひろば」が始まりました。
始めた頃、集まった子どもたち7、8人が、車座になって下を向き一人一台の携帯ゲームに夢中になっている姿に 唖然としました。この子たちは、ゲームしか遊びを知らないんだと気付き、私は、息子たちと一緒に、ボードゲームやトランプ、絵画や製作を教えました。すると、工夫したり、発展させたり、新たに発想したりして、表情が生き生きとしてきました。用水路や川で生き物を捕ることや、木を削って刀にしてチャンバラをする事など、危ないからやめさせるのではなく、危険から身を守る経験をさせました。
そして、10年10月、プレハブの別棟が教会員や周りの方々の祈りと捧げ物によって与えられました。11年4月、土・祝日保育希望者が現れました。平日の未就園児保育や親子の遊び場としてもPRすると、必要な所に届きました。さらに、12年4月から放課後保育の要望もあり、今では毎日子どもたちが集まっています。バンドの練習をするために中高生も関わったり、お迎えに来たお母さん方が、子どもたちの遊ぶ姿を見て、成長に気づいたりしています。
外国から嫁いできたお母さんの子育てをサポートしている時に、彼女の実父が母国で亡くなり、教会で追悼会をして、彼女の悲しみに寄り添いました。また、シングルで子育てをしていたお母さんが再婚することになり、子どもと共に教会で結婚式を挙げました。
特定の年齢の人たちのためでなく、様々な関わりが自然となされる場になってきました。教会が教会の人たちだけの所ではなく、「ひとびとのひろば」になってきたのです。
この先どうなるのか、私には、わかりません。ただ、可能性が無限にある子どもたちを通して、神様は、多くの方々と関わらせてくださることを信じています。『こどもひろば』の様子は浜名教会のfacebookをご覧ください。

JLER(ルーテル教会救援)対策本部 現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦

 

間もなく、東日本大震災から2年6ケ月が経とうとしています。ルーテル教会救援の活動も残り7ケ月となり、活動終結に向けて様々な準備が始まっています。
今月号では、現在、ルーテル教会救援が展開している活動の中で、仮設支援活動の現状及び終結方法について報告させていただきたいと思います。
これまでルーテル教会救援では、宮城県石巻市河北町の五ケ所の仮設団地と同北上町の一ケ所の仮設団地において定期的な支援活動を行ってきました。
その主な支援内容は、大きく分け、生きがい支援、居場所支援、自立支援の三つの支援活動です。
具体的には、生きがい支援として地元ボランティア団体との「つるしびな」製作など手仕事的なモノづくり活動、居場所支援として「お茶っこサロン」やDVD「おしん」鑑賞(写真)など、自立支援として仮設団地自治会サポート活動などです。
現在、各仮設団地は、全体的に落ち着きを見せており、災害公営住宅への入居も始まっています。
しかし、一方で未だに様々な問題を抱えている仮設団地が存在するのも事実です。
ルーテル教会救援では、このように状況の異なる各仮設団地に合わせた支援活動を現在、展開しています。
また、来年3月の支援終結に向け、来年4月以降も被災地で支援活動を継続するNPOやボランティア団体、そして、地元の社会福祉協議会など行政関連機関との連携も強めています。
具体的には、仙台市や石巻市に活動拠点を置く子育て支援NPOや青少年教育NPOが仮設団地で行っている子ども支援プログラムの支援や、毎日、仮設団地において見守り活動を行っている社会福祉協議会所属の生活支援員との連携活動などがあります。
仮設団地の方々の災害公営住宅への転居は、来年度から本格化しますが、全員が新たな住居に移るまでには、まだかなりの時間を要することが懸念されています。
ルーテル教会救援としては、残された時間を使って、来年4月以降も仮設支援が継続的に行われるような体制づくりを支援していきます。
皆様も引き続き、被災地の早期復興とルーテル教会救援活動のためにお祈り、お支えいただければ幸いです。

牧会者ルターに聞く 5

石田順朗

第二章「震災後」に迎える宗教改革五〇〇周年
その二 「絆とボランティア」を支える「自由と奉仕」

震災一周年に当る二〇一二年三月一一日を期し、飯能ルーテル教会の招きに応じて勉強会「ルターの『キリスト者の自由』から学ぶ」を四回行なった。冒頭にルーテル学院大学市川学長から戴いていた報告を紹介した。「二〇一一年六月一三 日、被災地を訪問、…支援が遅れている現状をつぶさに見てきました。… 復旧に三年、復興に更に三年と言われています。しかし明日を目指して、被災地で生まれた『希望の光』と共に歩むこと。その歩みを通して、今、日本社会が求めている『希望』と『絆』を再生していくこと。それぞれの場で互いに支え合い生きていくことが大切な時期になっています。… 復興支援の取り組みは『自分のためでなく、隣人のために生きて仕える生に、神の祝福があるように』(ルター)という使命に基づいた行動であり、今までルーテル教会が築いてきた伝統を確認し、発展させる働きでもあると思います」。
3年前の「無縁社会」に比べ「震災後」の私たちは、苛酷災害の悲惨な後遺症を体験しながらも互いの「きずな」を取り戻そうと懸命に努めている。震災年の流行語「絆」の意義は、すでに定着した「ボランティア」と並んで実に重い。それだけに、奇しくも「絆 と ボランティア」を呼び覚ます「自由と奉仕」を唱えたルターの『キリスト者の自由』(一五二〇年)をひも解く幸いを覚えた。
「キリスト者は、すべてのものの上に立つ自由な主人であり、だれにも服しない」、同時に「キリスト者はすべてのものに仕える僕であって、だれにでも服する」で始まる同書は宗教改革三大文書の一つ、三〇ケ条の僅か 二〇 ページあまりの小冊子。福音の核心を平易簡潔に表現し、本来キリスト者とは? どのように生きて行くのかを端的に述べたルターの会心作。当初ドイツ語、ラテン語で出版、その後世界各国で訳され、キリスト教文献では聖書の次に愛読されてきたと評される好著作。
本書はまず、キリスト者は「自由な主人」でありつつ同時に「奉仕する僕」だという矛盾する二つの命題を掲げ、その聖書的根拠は「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです」と述べるパウロの言明(第一コリント9・19)。ところが、標題を『キリスト者の自由と奉仕』とはせず、『キリスト者の自由』に絞って二つの命題は根底で結ばれ一致していると論を進める。ルターは「自由」は信仰によってのみ得られ自由を得たキリスト者は、そこで始めて隣人に対し「奉仕の愛」をもつことが可能になると確信していた。今日この書を学ぶ意義は真に深い。「絆とボランティア」は、ルターの言う「自由と奉仕」で裏打ちされて更に復興の源泉となろう。

前号より記載される標題下の「S」は、ルターのドイツ語訳『聖書』刊行時に流行の各章を導く「木版画頭文字 (Holzschnitt-Initialen)」(ウイッテンベルグ・一五三四年)。

こひつじ

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

京都宇治の北小倉こひつじ保育園の玄関上の塔には「こひつじ」の丸窓があります。
一般には幼児施設だからおとなしくかわいい動物の一つとして受けとめられていますが、洗礼者ヨハネは、主イエスと初めて出会った時、「見よ、世の罪をとりのぞく神の小羊だ」(ヨハネ福音書1・29)と叫びました。主イエスこそ神の小羊なのです。
そしてまた、主イエスは、「わたしは良い羊飼いである」(ヨハネ福音書10・11)と言われます。
復活の主イエスは、弟子たちと食事を共にし、ペトロとの対話の中で、「わたしの小羊を養いなさい」(ヨハネ福音書21・15・口語訳)と命じられました。ここにキリスト教保育の原点があります。
天に向かう七羽の鳩はみ言と聖霊の働きを示し、野茨は、野にあって忍耐強く、ほのかに薫る白い花を咲かせます。この野茨のようなキリスト者の育つ幼児の園をめざします。

第15回ルーテルこどもキャンプ報告

2013年8月7日から9日まで、南は熊本市から、九州教区、西教区、東海教区、東教区は千葉に及ぶまで、25名の小5、6年生がルーテル学院大を会場として集まり、こどもキャンプが無事行われました。今回は初めて、テーマとしてアフリカが取り上げられ、目下、ルーテル教会の成長が著しいタンザニアについて学びました。
キャンプのスタッフは、30名に及び、更に東教区女性会役員の協力も得ました。キャンプの準備は、数ヶ月前から牧師夫人数名を中心に多数で綿密になされ、本番を迎えました。3日間、天候にも恵まれ、2日目には、隣接する野川公園へタンザニア体験ハイクに出かけました。恵まれた自然の中で子供たちも次第に打ち解け合い、タンザニアの子供たちの生活を追体験し、25人みんなが友達となり、ジュニア・リーダー、リーダーの引率の下、元気に戻って来ました。
当日の夜は、タンザニアに詳しいルーテル学院大の上村敏文先生から、当地の教会での子供たちの堅信式における目の輝きや、延々と続く会衆の賛美や踊り等の様子が映像を通して紹介され、また、ライオンなどの生息する豊かな自然と子供たちの生活を学ぶことが出来ました。
3日間、チャプレンとして市原悠史牧師が、またその補佐として竹田大地牧師が礼拝等を担当してくれました。小5、6年の伸び盛りの全国のこどもたちと親しく交わりを持った3日間を、スタッフの方々と共に、神さまに感謝いたします。(キャンプ長 渡邊賢次)

「エリス先生を偲んで」

九州ルーテル学院大学人文学科准教授 パトリック・ベンケ

私が熊本に来た時、一人の若いアメリカ人に会いました。後で彼について悪口を聴きました。それで私は彼に悪い印象を持ちました。ある時、エリス先生と会話をする機会があり、その人の名前が出て来ました。先生にその人についてのスキャンダルを聞くのを期待していました。でもエリス先生はその人の性格と活動について良い事だけ話しました。先生はその人に関して悪い事を知っていたかも知りませんけれど、良いことだけを伝えました。先生の話し方と態度はその後の私の考え方を変えました。
それはエリス先生と関わり始めた頃のことでした。その後も先生からはいつも人のいいことだけを聞きました。人を紹介してくれたときも誠実な笑顔をしながら、その人のことをほめていい気分にさせました。さらにどんな大変なことを語るときも、良い結果を強調しました。私が聞いた先生の話を思いだせば、彼は日本での仕事をしながら見た、たくさんの人の情け深い行動から大きな影響を受けたと感じてきました。エリス先生の経験や感動を聞かせてもらったおかげで、私の行動や生き方まで変わりつつあります。
コロサイ人への手紙3章12~17節でパウロは日々神様のための行動の助言をします。キリストの憐れみ深い態度をまね、キリストの平和を心に受け入れ、いつも感謝を持ち、神の言葉を考え、キリストの代表として生きる。
エリス先生は説教で以上の内容のテーマを語りました。どの人とでも積極的にはなしました。先生は希望をもってそうしたそうです。そのうえ、私たちに話してくれたように生活しました。先生を尊敬すると同時に憧れてきました。私に模範を示してくださいました。

[略歴]
1951年9月9日 北米一致  ルーテル教会より宣教師として 来日
1952年5月 移動図書館伝道 に従事
1952年9月~1956年7月 九州学院英語教師
1955年5月 小国伝道所・天 草伝道所の伝道に従事
1992年4月 九州ルーテル学 院院長に就任
(退任 2002年3月)
1996年 引退宣教師となる
(45年間日本伝道に尽くす)
1998年4月 九州ルーテル学 院園長に就任
(退任 2002年3月)

「甦るヴップ・カタヤ先生」

定年教師 前田貞一

この稿を起こしている八月四日(日)の夜、丁度この時間の頃、カタヤ先生の葬儀が、兄君のユッシ・カタヤ牧師によってフィンランドのラプア教会で営まれている。私事、フィンランドに留学する直前、日本に赴任された方や先生からフィンランド語を学び、世話をうけた者である。
先生は、教会合同以前には、東海聖書学院で教壇に立たれ、教会合同後も、教会の教育局に属し、当時の「聖文舎」に所属して「教案」編集に携わられた。その関係で市ヶ谷教会に身を置き、多くの教友をえられた。
私が池袋に赴任すると同時に、池袋教会の宣教師として異動された。池袋では、古老のI姉を毎日訪ね、不測事態に対処してくださったこと等を思い出している。定年により、宣教師を退かれた後、二度来日され、熊本へ移住した拙宅への問安をいただいた。
「フィンランドに居ると日本へ帰りたくなるし、日本に居るとフィンランドに帰りたくなるし、天国では落ち着くでしょう」と言っておられた。
復活祭と降誕祭には、互いに電話で安否確認をしていたが、一昨年から連絡不能となり案じていたが、天国に落ち着かれた姉が私の胸に甦っている。

[略歴]
1959年1月5日、LEAFの宣 教師として来日
1959年1月より一年間日本語 研修
1960年~1962年 東京・ アバコに出向 世界キリスト教 視聴覚教材収集のため
1962年~1963年 アメリ カ ゲティスバーク神学校留学
1963年~1971年 東海  ルーテル聖書学院〔静岡〕教会教 育の教師
1971年~1973年 焼津教 会の宣教師
1973年~1979年 東京・ 聖文舎 派遣 6年間
1979年~1985年 市ヶ谷 教会の宣教師 6年間
1985年~1994年 池袋教 会の宣教師
1904年10月 帰国退職   フィンランドへ

サウスカロライナ・シノッドを訪問して

総会議長 立山忠浩

米国サウス・カロラナイシノッドのヨース監督の招きに与り、六月二~五日に開催された総会に、この地で交換牧師として一年間奉仕されたことのある浅野直樹東教区長(今回は通訳が主)と一緒に参加しました。
シノッドの展開する海外宣教地の代表者が一堂に会したのは初めてのことでした。南米コロンビア、タンザニア、そして日本。それぞれに「聖霊の働き」を主題にした報告が求められました。五十年の歴史しかないタンザニアの教会が前日、今や七百万人の会員を擁するとの報告に万雷の拍手を受けていただけに、日本からは成果の乏しい報告しかできないことを覚悟しました。ただ、「ルーテルとなり人」の活動の一端を報告し、これには会員獲得という目に見えた成果はないけれども、被災者に奉仕する地道な活動にも聖霊の確かな働きを見ることができるのではないかと訴えました。幸いに四百名ほどの出席者から、前日にも優るほどの拍手をいただいたのでした。按手式も行われ、対象者が黒人とは初めてのこと。保守的傾向を持つと言われるこの地の歴史を垣間見る思いでしたが、今総会は彼らにとってもチャレンジングなことだったのです。
総会全体がそうでしたが、式の雰囲気は私たちの教会と随分異なるものでした。若い黒人の女性の按手ということもあり、とにかく明るく、楽器も様々で、さながらお祭りの雰囲気。若い世代には特に、リズミカルな音楽を用いた礼拝が日本でも必要ではないかと感じました。廊下には展示コーナーが設けられ、被災地の方々が作製して下さったつるしびなを多くの方々に見ていただきました。
今後の交流プログラムについても協議し、教職に留まらず、信徒や諸教会との交流プログラムを検討して行くことを確認しました。滞在期間中は、リビングストン元宣教師ご夫妻に大変にお世話になりました。空港まで十五分とかからない距離にご自宅を構えられたのは、日本の来客を迎えるためとのこと。その言葉に偽りはありませんでした。

日本福音ルーテル教会/日本聖公会合同礼拝のお知らせ

9月14日(土)午後1時
会場:ルーテル東京教会

■第一部
礼拝
(13時~14時30分)
説教者:加藤博道
(日本聖公会 東北教区主教)
司式者:浅野直樹
(日本福音ルーテル教会 東教区長)
補司式:大畑喜道
(日本聖公会 東京教区主教)
大柴譲治
(日本福音ルーテル教会牧師)
日本聖公会東京教区聖歌隊
日本福音ルーテル教会 東教区聖歌隊

■第二部
共同・協働の意味と勧め
(14時30分~15時)
竹内一也
(日本聖公会 司祭)
江藤直純
(日本福音ルーテル教会 牧師)
石居基夫
(日本福音ルーテル教会 牧師)
教会紹介と交わり   (15時~16時)
主催
聖公会/ルーテル合同委員会
日本福音ルーテル教会

13-08-18信仰の完成者イエス

「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。」
ヘブライ人への手紙 12章1節、2節

アメリカ留学中に、こんなジョークを聞きました。
ある教会で、照明の電球が切れた。牧師が管財係に「電球を新しくしておいてくださいますか」と頼むと、「え?何か変えるんですか?」と嫌な顔。そこはルーテル教会だった・・。

 笑えましたでしょうか?ルーテル教会は、電球一つでさえ変化することを嫌がる、という意味です。しかしながら、人々の価値観やライフスタイル、人口構成や経済状況など、教会を取り巻く状況は日々、変化しています。これまでどおりの形で集会を続けたり、建物や牧師給を支えることが困難な教会は増えています。そんな中、ミネソタのルーテル神学校では、開拓伝道について学ぶクラスを受講しました。必ず出てくる神学生からの質問は、「今ある教会を保つだけでも大変で、閉鎖や合併していく時代なのに、なぜわざわざ教会を増やすのか」というものでした。そこで出てくるキーワードは、church cloning(これまでと同じものの複製を作る)なのかchurch planting(新しい教会をつくり上げる)なのか、でした。

 あるアメリカ福音ルーテル教会の教会では、一階の礼拝堂で伝統的なルーテル教会の礼拝が行われ、その同じ時間に、地下では別の集会が礼拝をしていました。この礼拝は、私たちが想定している教会のスタイルとは少し違います。クラスでは賛否両論あって、議論が白熱しました。この教会は、これまでの伝統的な形を少し変えてでも、社会の中でイエス様の弟子として生きることを大切にしています。だから、人々に仕えるために実際に出かけていき、行動していました。ほかにも、建物を持たない教会、弱い立場の人々と歩む教会と、このクラスの卒業生たちがユニークな宣教をしていました。

 現在の日本で教会が直面する宣教の困難の中に、受洗者を生み出すこととともに、受洗者が教会生活を続けることの難しさがあります。洗礼を受けた後、2~3年で教会を「卒業」してしまうのです。そこで私たちに問い直されているのは、ただ数字上の教勢ではなく、イエス様の弟子を生み出し、育てることです。

 ヘブライ人への手紙は、「自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」と励まします。この手紙が書かれたとき、迫害の中で信者たちが信仰を守り抜くことがとても困難な時でした。そんな中で、イエス・キリストを信じる信仰にとどまることを、著者は競技場で走る競争にたとえています。しかもその競争は、「自分に定められている」競争です。「自分で定めた」のではありません。ですから思いわずらいや突然の状況変化も起こります。けれどもその競争を私たちは一人で走るのではなく、先導者であり同伴者であるイエス様とともに走ります。そこには、私たちを導き、信仰を完成させてくださるのはイエス様であるという信頼があります。

 つまり、私たちは自分自身で「完成」してしまうのではありません。イエス様の弟子として、いまだに途上にあり、歩み続けている者です。教会も同じなのではないでしょうか。地上にあり、今なお完成に向かって歩み続けている教会は、私たち自身が「完成形」を定めてしまうとき、「教会の維持」が目的になってしまいます。けれども私たちは、目的への途上にあり、整えられていく過程の中にあります。道の途中であるからこそ、試練もあり、変化も起こります。

 慣れ親しんだスタイルが変化していくのは、時には寂しく、時には戸惑います。けれどもイエス様の十字架の道に従っていくこととは、私たち自身も、自分にとって慣れ親しんだ心地よい教会を維持するだけでなく、人々とともにある、現代社会の中での教会へと整えられていくことではないでしょうか。イエス様の十字架の歩みは復活へと続いています。教会の宣教には、困難な時になお希望が約束されています。復活へと続く道を、信仰の創始者また完成者であるイエス様が、導いてくださっています。宣教が大胆に前進するように祈り求めようではありませんか。
日本福音ルーテル新霊山教会 後藤由起

13-08-02JLER月報2013年8月号−22号

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13-08-01るうてる 2013年8月号

機関紙PDF

説教「信仰の完成者イエス」

日本福音ルーテル新霊山教会 後藤由起

「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。」
ヘブライ人への手紙 12章1節、2節

アメリカ留学中に、こんなジョークを聞きました。
ある教会で、照明の電球が切れた。牧師が管財係に「電球を新しくしておいてくださいますか」と頼むと、「え?何か変えるんですか?」と嫌な顔。そこはルーテル教会だった・・。
笑えましたでしょうか?ルーテル教会は、電球一つでさえ変化することを嫌がる、という意味です。しかしながら、人々の価値観やライフスタイル、人口構成や経済状況など、教会を取り巻く状況は日々、変化しています。これまでどおりの形で集会を続けたり、建物や牧師給を支えることが困難な教会は増えています。そんな中、ミネソタのルーテル神学校では、開拓伝道について学ぶクラスを受講しました。必ず出てくる神学生からの質問は、「今ある教会を保つだけでも大変で、閉鎖や合併していく時代なのに、なぜわざわざ教会を増やすのか」というものでした。そこで出てくるキーワードは、church cloning(これまでと同じものの複製を作る)なのかchurch planting(新しい教会をつくり上げる)なのか、でした。
あるアメリカ福音ルーテル教会の教会では、一階の礼拝堂で伝統的なルーテル教会の礼拝が行われ、その同じ時間に、地下では別の集会が礼拝をしていました。この礼拝は、私たちが想定している教会のスタイルとは少し違います。クラスでは賛否両論あって、議論が白熱しました。この教会は、これまでの伝統的な形を少し変えてでも、社会の中でイエス様の弟子として生きることを大切にしています。だから、人々に仕えるために実際に出かけていき、行動していました。ほかにも、建物を持たない教会、弱い立場の人々と歩む教会と、このクラスの卒業生たちがユニークな宣教をしていました。
現在の日本で教会が直面する宣教の困難の中に、受洗者を生み出すこととともに、受洗者が教会生活を続けることの難しさがあります。洗礼を受けた後、2~3年で教会を「卒業」してしまうのです。そこで私たちに問い直されているのは、ただ数字上の教勢ではなく、イエス様の弟子を生み出し、育てることです。
ヘブライ人への手紙は、「自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」と励まします。この手紙が書かれたとき、迫害の中で信者たちが信仰を守り抜くことがとても困難な時でした。そんな中で、イエス・キリストを信じる信仰にとどまることを、著者は競技場で走る競争にたとえています。しかもその競争は、「自分に定められている」競争です。「自分で定めた」のではありません。ですから思いわずらいや突然の状況変化も起こります。けれどもその競争を私たちは一人で走るのではなく、先導者であり同伴者であるイエス様とともに走ります。そこには、私たちを導き、信仰を完成させてくださるのはイエス様であるという信頼があります。
つまり、私たちは自分自身で「完成」してしまうのではありません。イエス様の弟子として、いまだに途上にあり、歩み続けている者です。教会も同じなのではないでしょうか。地上にあり、今なお完成に向かって歩み続けている教会は、私たち自身が「完成形」を定めてしまうとき、「教会の維持」が目的になってしまいます。けれども私たちは、目的への途上にあり、整えられていく過程の中にあります。道の途中であるからこそ、試練もあり、変化も起こります。
慣れ親しんだスタイルが変化していくのは、時には寂しく、時には戸惑います。けれどもイエス様の十字架の道に従っていくこととは、私たち自身も、自分にとって慣れ親しんだ心地よい教会を維持するだけでなく、人々とともにある、現代社会の中での教会へと整えられていくことではないでしょうか。イエス様の十字架の歩みは復活へと続いています。教会の宣教には、困難な時になお希望が約束されています。復活へと続く道を、信仰の創始者また完成者であるイエス様が、導いてくださっています。宣教が大胆に前進するように祈り求めようではありませんか。

宗教改革五〇〇周年に向けて

ルターの意義を改めて考える(16)

ルター研究所所長 鈴木浩

罪に陥った人間の姿の「診断」が「人間論」であった。他方、その診断に対応した「処方箋」が「救済論」であった。
不治の病にかかった人間、それが診断であった。それを癒すことができるのは、医師であるイエス・キリストしかいない、それが、処方箋であった。
この医師は治療を請け負い、赤髭のように、治療費などはいらない、と言う。「恵みのみ」である。病人は、この医師に頼り、すっかり身を任せる。「信仰のみ」である。
ところが、治療には「セカンド・オピニオン」が必要だという雑音が入る。
それが「看護師に偽装した」悪魔のささやきである。「あの医師に任せきって本当に大丈夫なの」とこの看護師はささやく。
不安に駆られた病人は、医師に無断で、看護師に薦められた「漢方薬」を密かに飲み始める。この「漢方薬」が「律法のわざ」なのだ。実は、この「漢方薬」が治療の邪魔になってしまう。
医師であるキリストは、治療費のことは心配しないで、わたしに任せなさいと言う(恵みのみ)。その約束を頼りに、病人は医師に自分を任せ切る(信仰のみ)。ここでは、終始一貫キリストだけが頼りなのだ(キリストのみ)。

牧師の声

「デンマーク牧場福祉会10周年感謝会報告」

静岡教会 藤井邦夫

社会福祉法人デンマーク牧場福祉会10周年感謝会が6月22日にデンマーク牧場近郊の袋井市立メロープラザにおいて行われました。前半は講演会及び式典、後半は3つの各施設や福祉村構想についての発表がなされました。参加者は約150名(地域の来賓約30名、教会関係約80名、施設関係40名)でした。
感謝会は司式後藤由起チャプレン、説教齋藤幸二教区長による礼拝によって厳かに始まりました。来賓の一人の袋井市長が説教の内容に触れて挨拶をされたように、しっかりと礼拝によって始められたことはキリスト教会が設立母体の福祉会としてとても恵まれたことでした。講演はわれらルーテル教会の誇りでもある前熊本県知事潮谷義子氏(写真)によるものでした。いつもの話しぶりにより福祉の精神や問題点を説かれ、多くの人が感銘を与えられました。
来賓として袋井市長が挨拶をされましたが、その中でデンマーク牧場福祉会は袋井市の人たちにとって誇りでもあること、そして市として支援を惜しまないことを話され、勇気づけられたことでした。
そのあと10年勤続や特別功労者として10名の方々が表彰されました。福祉会の設立前からデンマーク牧場の歩みを担い支えてくださった方、また設立当時からその働きを担ってくださった方を覚える感謝の時でした。
昼食をはさんで午後は3つの施設の施設長が、働きの意味や歴史・現状を発表し、また北欧に福祉の視察に行った職員の報告があり、そのあと東海教区より福祉村将来構想についての発表がありました。
設立時は無謀とも思える計画と考える人たちも多く、借入金など多くの困難を抱えた歩みでしたが、神様が人々に信仰による励ましと夢を与え、その時々にふさわしい人を興してくださった歩みで、まず神の国と神の義を求めていく時に、人間の思いを越えて神様に導かれていくことを感じることのできた感謝会でした。

信徒の声

「十字架からの平和」

長崎教会(客員) 広瀬 訓

「この最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」
マタイによる福音書25章40節

日本、特に広島、長崎においては、毎年8月になると平和関連のイベントや集会が目白押しである。もちろん8月15日に、あるいは8月6日、8月9日に、犠牲となった人々を偲び、戦争の悲惨さを思い起こし、二度と戦争を繰り返さないという決意を確認することは極めて重要なことである。しかし、それ以外の時期に、私たちはどう戦争の問題に取り組んでいるだろうか。 また、「痛い思いをしたから、二度と戦争という過ちを繰り返したくない」という以上のメッセージは、発信されているだろうか。特に昨今の日本の国内の言論状況を見ていると、体験として戦争を語れる方が少なくなるにつれて、「喉元を過ぎれば熱さを忘れる」という状況に陥っているような気がしてならない。このあたりで、「何故戦争はいけないのか」という理由を、真剣に考えてみる必要はないだろうか。当たり前のことであるが、戦争とは突き詰めて言えば、 「人殺し」である。どのような理由や正当化を試みようとも、その事実は否定できない。
昔フィリピンで、戦争や原爆のきのこ雲、餓死しそうになっている痩せた子どもの写真等を数枚流した後で、「私たちは復活された主を再び十字架に架けるような真似をしていないだろうか?」というメッセージが一言だけ入るスポットが、イースターの時期にテレビで放映されていた。ほんの一、二分程度の短いスポットだったが、20年以上経った今でも鮮明に思いだせるほど 強烈な問いかけであった。まるで「あなたは、私が自分の命を犠牲にしてまでも救おうとしたあなたの兄弟姉妹に対して、何をしているのですか?」と十字架の上から問いかけられたようなショックであり、それに対してまともに応えることができない自分のふがいなさに涙が出そうだった。
少なくとも私にとっては、「主に従う」ということは、「主が慈しんだ人々を、私も大切にしたい」ということであり、私のキリスト者としての「平和」への願いはそこから始まったのである。

JLER(ルーテル教会救援)対策本部 現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦

間もなく、東日本大震災から2年5ケ月が経とうとしています。被災地は皆様のお支えとお祈りにより一日一日、着実に復興に向かっています。
今月号では、震災直後から支援を続けている老人介護施設等の現状について担当スタッフより報告させていただきます。

チーフスタッフ  佐藤文敬
ルーテル教会救援では、震災直後から被災した介護施設の支援をしてきました。
そのうちの1つである気仙沼市にある老人保健施設リバーサイド春圃は、施設の建物だけでなく津波とその後の避難所生活のために59人の利用者の方が亡くなるなど大きな被害がありました。この甚大な被害を聞き、ルーテル教会救援では、物資支援とともに介護ボランティアの派遣なども行いました。この介護ボランティアの派遣は、自ら被災し家を失い避難所生活をしながらも高齢者の介護を続けている職員の方たちが、疲れきってしまわないように少しでも支えようということで取り組んだ支援でした。
派遣した介護ボランティアは、ルーテル教会関連の介護施設の職員の方を中心に合計7名。食事は避難所用の弁当のお裾分け、お風呂は自衛隊風呂という状態だった5月からファミリーレストランが再開し始めた8月にかけて、7名の方がそれぞれの役割を果たし、次のステージに移る小さなお手伝いができました。その後、リバーサイド春圃は別の医療施設に間借りをし、さらにプレハブ式の仮設事業所に移るなどして介護事業を続けてきました。
そしてこの6月、ようやく新しい場所に新しい建物が完成し、新しい門出のお手伝いということで、スタッフとボランティア計10数名で、6月4~5日と19~20日の2回に分けて引っ越しのお手伝いをしました。引っ越し作業には、介護ボランティアとしてリバーサイド春圃にかかわった人も参加してくれ、2年ぶりの再会を喜ぶ場面もありました。職員の方からは「あの頃にはまったく想像できなかったけど、2年たってなんとかここまできました」といった言葉が聞かれました。完全な復興までにはまだまだ時間がかかるようですが、これから事業が順調に進むことを祈るばかりです。一方で、被災地各地で介護職員が疲弊しているという話を聞くことから去年に引き続き介護職向けのケア講座などにも取り組む予定です。

ルターに聞く 4 石田順朗

第二章「震災後」に迎える宗教改革五〇〇周年
その一 大災害時下のルターの活動を覚えつつ

「未来については、過去ほどにデータは存在しない。しかし過去を立派に分析することは、未来へのよりよき想定の土台となる。そうした観点から、・・[東日本]大震災の時代を生きるわれわれの共同の運命を訪ね、その中でこの列島の住人が悲惨を超えてよりよく生きる道を問いたいと思う」。震災復興構想会議の議長を務めた歴史・政治学者、五百旗頭真氏は『毎日新聞』掲載中のシリーズ『大災害の時代』の冒頭で述べている。

一四世紀の中頃からヨーロッパでは『暗黒の時代』とも記録されるほどにペストが大流行、一三四七年イタリアの港町で発覚、一七世紀にかけて、ほぼヨーロッパ全域が黒死病の恐怖に曝された。僅か三、四年の間に蔓延、発病して一週間以内に六十%が死亡、数多くの町や村は壊滅状態に陥ったと伝わる。施す術もなく人々は死の恐怖に襲われた。

ルターは一五二七年、ウィッテンベルグにペストが蔓延した折り、説教に更に深く牧会的配慮を鼓動させ、恐怖に戦く人びとが誇大化した噂(風評被害)に打ち勝つのに、神の右の御手に座したもう甦りのイエスヘの信仰がいかに堅固な支えであるかに始まり、町の役人、医師たちへの適切な指示や大衆への迫力に満ちた勧めなど極めて具体的な指導を行なった。 しかも現場に踏み止まり続けて病人を看とり、牧者としての務めを果たした。司祭たちへも町を離れずに留まるべきことを強く訴えた、「困難や危険の時はいつでも、私たちは隣人たちと触れ合う必要があり、その人たちに、じかに触れ合うことが至上命令的に求められている。ある家が火災にあったとする。その時、愛は私にそこへと走らしめ火を消し止めることをいや応なしに迫る。その火を消すのに、他の人たちが十分そこに居合わせたならば、私はわが家へ引き返すか、そこに踏み止まるか、その時は何れでもよいわけだ。自分自身や財産への危険や危害がないことを見届けなければ他人を助けえないという人には、その隣人を手伝うということなどは決してありえない」| ヨハン・ヘスからの「人は死から逃れるべきかどうか」という質問への応答だった。
事実、多くの患者たちがルターの腕に抱かれ慰めを受けつつ息を引きとったと伝えられる。ルターは、神学教師、説教者あるいは改革という一大運動の立役者の陰に、人びとの魂へのキメ細かい配慮、慰め、指導(Seelsorge)という牧会のわざをたえず大事にしていた。

いしだ よしろう 引退牧師、
九州ルーテル学院大学名誉学長 LWF元神学研究部長

 

洗足のキリスト

ステンドグラス工房 アスカ  山崎種之(松本教会会員)

大阪府四条畷市の社会福祉法人「るうてるホーム」では、主なる神様のご恩寵のもと、多くの方々のお祈りとご奉仕に支えられ、このほど、移転新築が決まり、現在建設中です。
新「るうてるホーム」の一階玄関ホールには、「洗足のキリスト」のステンドグラスが設置されます。
主イエスは、「この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り世にいる弟子たちを愛しては、この上なく愛し抜かれた。」(ヨハネ福音書13章1節)。
そして、最後の晩餐の前に、弟子たち一人一人の前にひざまずき、足を洗い、手拭いでふきとられました。このお姿こそ、老人ホームの老人を敬いお仕えする働き人のモットーにふさわしいと話しあわれました。
「洗足のキリスト」の原画は、切り絵作家としても有名な、定年教師の小嶋三義牧師が、清瀬市での静養中、病苦を押して製作されました。 ステンド・グラスのガラスにするため、出来る限り原画を損なわないようにつとめました。

第1回全国青年Bible Camp報告

大垣教会 秋田可奈

私はクリスチャンホームに生まれ、高校生までは日曜日には教会へ行くのが当たり前、8年前に堅信を受け社会人になり教会から離れていた時期もありましたが最近また通い出した、そんな決して熱心とは言えないクリスチャンです。
10年前から何度かこどもキャンプ(旧国際キャンプ)のスタッフをさせてもらっています。ジュニアリーダーをさせてもらった10代はとにかくキャンパーと同じ目線で遊び楽しんでいました。
堅信を受けてリーダーをさせてもらった時はキャンパー+ジュニアリーダーを見守る、助けるという役割がありましたが、私にはどうしてもできていないなぁ…という感想しかもてませんでした。それは何故なのか? 答えは私自身聖書について詳しくない、イエス様について語ることが出来ない、そもそもちゃんと聖書を読んだことがない! 毎週教会へは行って礼拝を守っているのにできないことだら聖書研究の方法・理解の仕方・要約の仕方などを学び、一人ひとり与えられた箇所を読み、理解し、まとめるという実践をしました。これが難しい…。でもこれが出来たら絶対自信になる!と思いました。
また2日目の嬉しいプログラムとしては、4月から地球の裏側で信徒伝道師となり働いている仲間と話す!です。本当に世界が近くなり、繋がっているんだと思いました。彼女も頑張っている、私も頑張ろうと思いました。
3日目はまとめ・分かち合いです。仲間の考えや体験なども聞くことができ良かったです。
主日礼拝は三鷹教会にお邪魔しました。一緒に聖餐にあずかれたことも感謝です。 3日間を通して聖書について少しだけ知ることが出来た気がします。
また共に食べ・学び・語り・笑えた仲間にも感謝です。少しだけ持つことが出来た自信を胸に今度は自分の教会で奉仕ができたらいいなと思います。
次回第2回BIBLECAMPが開かれることを切に願います。

第31回教会音楽祭
テーマ曲の作詞作曲はルーテル教会員!

去る6月8日に開催された第31回教会音楽祭。その様子と、公募し、入選した奉唱讃美歌の作詞者、作曲者が共に日本福音ルーテル教会の会員であることは先月号で報告したとおりです。
そのお二人に入選の感想文を書いていただきました。

「帰れる日 」
作詞 羽村教会 阿部冨美子(教会音楽祭実行委員会 補作)

1.
海がみんな のみこんできた
それがあなたの苦しみ
わかち合い生きて行こう
豊かな海に
実りの大地に
帰れるその日を祈ります
2.
海がみんな さらっていった
それがあなたの哀しみ
わかち合い生きて行こう
壊れたふるさと
返してください
帰れるその日を祈ります

 

会場のウェスレアン・ホーリネス教団の淀橋教会に日ごろ交流の少ない、超教派の皆様の讃美歌が響きわたりました。
テーマ「ともに希望の歌を」ということで、公募されていたうたをこのように作詞させていただきました。私の詩に同じルーテル教会、広島教会の永井幸恵姉が作曲をしてくださいました。その日、初めて楽譜を見て、とても感動いたしました。 私の平凡な詩が生かされて歩いていたのです。歌いやすく、親しみのある素敵な曲でした。その曲を会場の兄弟姉妹とともに歌えたとき、心はふるえました。
二年を過ぎても、東日本大震災の復興の足音は遅々として進みません。思いばかりで何も出来ないことが、歯がゆくてなりません。皆様とともに祈り、希望をもちたいと思います。
作曲をしてくださった永井さん、そして私の詩を用いて下さった実行委員の皆様と主に感謝いたします。

「共に希望の歌を」
作曲  広島教会 永井幸恵

私は、この音楽祭に参加する前に、石巻に足を運んでいました。町全体が津波で流された被災地に立ち、祈らせていただきました。
そして、被災地の方々の声なき声を胸に、音楽祭へと向かいました。
廣瀬先生の説教では、「イエス様が十字架上で苦しみを受けられている時に、『わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか』という言葉を口にされましたが、それは詩編22編の引用であり、イエス様は、あの苦しみの中で、歌っておられたのです」という言葉がとても印象に残りました。
いろいろなジャンルの賛美が歌われましたが、「共に主を賛美する」思いで一つになり、私たちは心いっぱい賛美しました。
広い礼拝堂に大勢の方々が集まり、荘厳な賛美が捧げられた時には、まさに天国のような光景で涙が止まりませんでした。すばらしい貴重な経験をさせていただき、心から感謝いたします。

激突!牧師ROCKS 坊主バンド 7月1日 東京吉祥寺

牧師ROCKSなるものがあるのを御存知でしょうか。「東教区50年」を記念して結成され、お坊さんたちとの「平和への共闘」をテーマにライブコンサートを実現。当日、会場はこどもからおばあちゃんまで、クリスチャンから仏教徒まで160人の超満員でした。 演奏は、ヴォーカル・ギター関満能神学生、ギター笠原光見神学生(NRK) 、ベース関野和寛牧師、ドラム市原悠史牧師でした。

「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」(ルカ23章43節)そう告げる十字架のイエスの言葉がライブ会場をどよめかせる中、そのライヴは始まった。牧師二人と見習い二人、罪の赦しを求める彼らに与えられた白いアルバにギターを抱え、スティックを握り、激しいビートにのって痛々しい程まっすぐな魂の叫びを突きつける。会場を埋める人々は体を揺さぶらせ、拳を突き上げて、それに応える。ご高齢の女性はステージ最前列でスマートフォンを片手に声援を送り、小さな子どもたちは耳を塞ぎ、新しい命を宿している女性は、それでもROCKに身を委ねる。
対する坊主バンドは「坊主バー」を運営する現役僧侶を中心に、若き檀家総代まで多彩な人たちだ。お経もボサノバも歌う。楽しげに、慈しむように。格好つけない本音の歌は優しく、人に楽園を思わせる。
宗教や思想、民族や領土、人と人の間に境界線を引きたがる私たちが、ただ同じステージに立ち歌う。教理を議論するのでも、祈りや奉仕活動を共にするのとも違う、創造的な第三のエキュメニカルが歴史に顔をのぞかせたのだ。
本郷教会牧師 安井宣生

 

事務局ニュース

2013年度 日本福音ルーテル教会教師試験実施のお知らせ

聖名を讃美いたします。
さて、2013年度の日本福音ルーテル教会の教師試験を下記要領にて実施いたします。教師試験を受けようとする志願者は下記書類を整え、教会事務局にご提出くださいますようご連絡の程、よろしくお願いいたします。


提出書類
1 教師志願書
2 志願理由書
テーマ「なぜ�T日本福音ルーテル教会の教師�Uを志願するのか」
―あなたが考える宣教課題をふまえて―
・書式 A4横書き フォントサイズ 11ポイント
(注意事項)
①簡潔な文章で記すこと
②召命感を明確に記すこと
3 履歴書〈学歴、職歴、信仰 歴、家庭状況等を記入すること〉
4 教籍謄本(所属教会教籍簿の写し)
5 成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書
(法務局交付のもの。任用試験時に必要になります)
6 所属教会牧師の推薦書
7 神学校卒業(見込)証明書及び推薦書
8 健康診断書(事務局に所定の用紙があります)

提出期限(期限厳守)
2013年9月13日(金)午後5時までに教会事務局に提出。

提出先
日本福音ルーテル教会 常議員会長立山忠浩 宛

試験日及び試験内容 直接本人に連絡します。

信徒常議員に選ばれて

西教区信徒常議員 松江教会 狩野俊明

1993年、松江教会の代議員に選出されてから20年経過いたしました。その間、西教区の常議員として7年間働かせていただき、今年の2月に常議員の異動により会計を担当することなり信徒常議員の役を引き受けさせていただきました。
物心ついた頃よりクリスチャンホームとして教会へ行く生活を送りながら、大学時代は全くといっていいほど教会へは行かず気ままな生活を送り、帰省して社会人になりまた教会へ足を運ぶというなんともこれがクリスチャンか、という生活でした。 松江教会の代議員になり、教会内の牧師と信徒との問題、教会堂の転戦、兼牧としての選択肢等、いろいろな苦難の道のりを教会員の支えと牧師先生の励まし、なににもまして神様からの導きで乗り越えてまいりました。
牧師と信徒との問題に関しては、当時の教区ならびに本教会常議員会を経て解決の道をお示しいただきましたが、今回信徒常議員として各個教会の問題に関し意見を述べ判断をしなくてはいけない立場となるわけで大変な重責を担うこととなりますがこれも神様が備えたもうこととして受け入れようと思います。
松江教会は2001年4月に新しい教会堂を建築いたしました。21世紀最初の教会堂と自負いたしております。建堂から12年経過し兼牧の道を歩んできておりますが、その間7名の牧師先生が代わっております。これが地方の教会の現状かと問えば、「然り」との返事が返ってまいりますが、そのことで福音伝道が後退するならば「然り」ではなく「否」といえる教会でなくてはなりません。
キリストの十字架を仰ぎ見ながら一人でも多くの方を招き、喜びも悲しみもともに分かち合える、主にあって一つとなる教会を牧師先生、教会員の皆様と築いていけたらと思っております。

13-07-18途中の出来事

「『費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」 ルカによる福音書第10章36~37節

聖書は、よく知られている「善いサマリヤ人」からのみことばです。しかし、よく知られているこの箇所を読むたび、私たちは、自分の生き方を、神様に問いかけられ、ふり返るように導かれます。毎日、忙しく過ぎる日々ですが、日常の出来事の中、立ち止まって、「隣人」とはだれか、考えさせられます。
イエス様のお話は、道を行く途中の出来事です。まさに「途中の出来事」です。

「サマリヤ人」とは、ガリラヤとユダヤに挟まれた地方で、昔から異教的慣習になじんでいました。そして歴史的には特にアッシリアの侵攻以降、雑婚や異教などが入り込んでいました。純血を大事にするユダヤ人からは嫌われていました。律法の純粋性を保とうとする人は、交わりさえしなかったのです。しかし、そのユダヤ人が敵視してやまなかったサマリヤ人が、サマリヤ人こそが、途中出会った傷ついた旅人の心によりそい助け、「ほんとうの隣人」になったと言うイエス様のお話。サマリヤ人のその介抱の仕方は、本当に大変行き届いた心のこもったものです。

このたとえ話は、律法の専門家がイエス様へ問いかけたことではじまりました。「わたしの隣人とはだれですか。」 実はこう問いつつ、彼には自負がありました。ユダヤ人であり、律法の専門家の彼は、律法通り、愛する対象を自分の同胞であるユダヤ人のみ、または、律法を守っている人に限定しつつ、自分はそのことは守っているので、その「隣人を自分のように愛している」、そのことで、自分は正当化されると思っていたでしょう。

愛する対象を自分の好みで限定するなら、愛することはやさしいかもしれません。自分の好みは変えないで、愛する対象を変えるだけ。しかし、このイエス様が話したたとえの意味は、[愛はおきて(律法)を超え、民族、階級を超えて、どのような人もしりぞけないこと]を教えておられます。イエス様は、すべての人の隣人になられたのです。私たち、すべての罪人の身代わりとなって十字架にかかられたのです。

牧師を子育てのために休職し、また復帰を待つ間、東海教区福祉村にある児童養護施設「まきばの家」で、パートタイムの保育士として働きました。幼児棟の子どもたちとの日々は、一緒に森を歩き、子羊に餌をあげました。虐待やネグレクトなど、計り知れない苦しみ・寂しさを通ってきた子どもたちだけれど、小さな体が大自然の中で、少しずつ元気になり成長する姿に感動しました。日々のなにげない生活、衣食住を頂き、感謝することで、傷が癒されていく。「生活がいやし」である生活を学びました。これからの牧師としての私の心にかけがえのない経験を頂きました。

2年ぶりに東海教区に帰り、子どもたちにも、久しぶりに会いました。近づくと「ふみこさん?」と声をかけてくれとてもうれしかったです。その子は幼稚園に通うとき、私の作った(上手でない)「通園バッグ」をうれしそうに肩から掛けてくれていました。身長も伸び、りっぱな小学生になっていました。

過ぎ行く毎日の日々ですが、私たちは神が出会わせてくださる「人と人」の出会いの中、日常の途中の出来事の中にでも、隣人の痛みを共感するとき、助け合って、支えあって生きていきたいものです。イエス様が教えた本当の隣人愛に、いつもこの聖書で示していただきましょう。

日本福音ルーテル栄光教会 内藤文子

13-07-02JLER月報2013年7月号−21号

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13-07-01るうてる2013年7月号

機関紙PDF

説教「途中の出来事」

日本福音ルーテル栄光教会 内藤文子

「『費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」 ルカによる福音書第10章36~37節

聖書は、よく知られている「善いサマリヤ人」からのみことばです。しかし、よく知られているこの箇所を読むたび、私たちは、自分の生き方を、神様に問いかけられ、ふり返るように導かれます。毎日、忙しく過ぎる日々ですが、日常の出来事の中、立ち止まって、「隣人」とはだれか、考えさせられます。
イエス様のお話は、道を行く途中の出来事です。まさに「途中の出来事」です。
「サマリヤ人」とは、ガリラヤとユダヤに挟まれた地方で、昔から異教的慣習になじんでいました。そして歴史的には特にアッシリアの侵攻以降、雑婚や異教などが入り込んでいました。純血を大事にするユダヤ人からは嫌われていました。律法の純粋性を保とうとする人は、交わりさえしなかったのです。しかし、そのユダヤ人が敵視してやまなかったサマリヤ人が、サマリヤ人こそが、途中出会った傷ついた旅人の心によりそい助け、「ほんとうの隣人」になったと言うイエス様のお話。サマリヤ人のその介抱の仕方は、本当に大変行き届いた心のこもったものです。
このたとえ話は、律法の専門家がイエス様へ問いかけたことではじまりました。「わたしの隣人とはだれですか。」 実はこう問いつつ、彼には自負がありました。ユダヤ人であり、律法の専門家の彼は、律法通り、愛する対象を自分の同胞であるユダヤ人のみ、または、律法を守っている人に限定しつつ、自分はそのことは守っているので、その「隣人を自分のように愛している」、そのことで、自分は正当化されると思っていたでしょう。
愛する対象を自分の好みで限定するなら、愛することはやさしいかもしれません。自分の好みは変えないで、愛する対象を変えるだけ。しかし、このイエス様が話したたとえの意味は、[愛はおきて(律法)を超え、民族、階級を超えて、どのような人もしりぞけないこと]を教えておられます。イエス様は、すべての人の隣人になられたのです。私たち、すべての罪人の身代わりとなって十字架にかかられたのです。
牧師を子育てのために休職し、また復帰を待つ間、東海教区福祉村にある児童養護施設「まきばの家」で、パートタイムの保育士として働きました。幼児棟の子どもたちとの日々は、一緒に森を歩き、子羊に餌をあげました。虐待やネグレクトなど、計り知れない苦しみ・寂しさを通ってきた子どもたちだけれど、小さな体が大自然の中で、少しずつ元気になり成長する姿に感動しました。日々のなにげない生活、衣食住を頂き、感謝することで、傷が癒されていく。「生活がいやし」である生活を学びました。これからの牧師としての私の心にかけがえのない経験を頂きました。
2年ぶりに東海教区に帰り、子どもたちにも、久しぶりに会いました。近づくと「ふみこさん?」と声をかけてくれとてもうれしかったです。その子は幼稚園に通うとき、私の作った(上手でない)「通園バッグ」をうれしそうに肩から掛けてくれていました。身長も伸び、りっぱな小学生になっていました。
過ぎ行く毎日の日々ですが、私たちは神が出会わせてくださる「人と人」の出会いの中、日常の途中の出来事の中にでも、隣人の痛みを共感するとき、助け合って、支えあって生きていきたいものです。イエス様が教えた本当の隣人愛に、いつもこの聖書で示していただきましょう。

 

宗教改革五〇〇周年に向けて

ルターの意義を改めて考える(15)

ルター研究所所長 鈴木浩

ルターが『九七箇条の提題』や『奴隷意志論』などで強化したアウグスティヌスの原罪論は、一言で言えば、「人間はどうあがいても罪人だ」という診断のことである。
救済論としての義認論は、その診断に対する処方箋に該当する。人間論と救済論は、だから常に響き合っている。言い換えれば、同一の事態を示すコインの両面ということになる。
ところで、人間のあるべき姿(健康な姿)は、聖書が人間について語る最初の言葉、つまり「神の像」としての人間である。本来の人間は何らかの意味で、神の姿を映し出す像(イメージ)だということになる。救いとは、その神の像の回復過程を意味している。
義認という言葉は、通常は「法廷」がモデルになっている。裁判官による無罪宣言が、義認なのだ。ここでは、「病院」をモデルにしている。義認、すなわち救いとは、不治の病からの癒しを意味する。イエスは医師、人間は病人なのだ。
この医師は、何があっても病人を癒す、と思い定めている。そして、院長(父なる神)と喧嘩してでも、治療費はタダだ、と言い張っているのだ。

牧師の声

「1000人礼拝を目指して!最初の一歩。」

大江教会 立野泰博

教会事務局から宣教現場に戻りました。被災地で現場に身を置いた時から、早く現場に戻りたくて祈りました。すると神様は、熊本・大江教会という宣教現場に派遣されました。神様のご計画は、故郷熊本からまた「最初の一歩」を歩み出せということでした。
さて、大江教会に赴任してまた大風呂敷を広げました。これまでも数にこだわってきましたので、今回の数字はどうするかと真剣に祈りました。与えられた数字は3つでした。100人礼拝、100人受洗、そして1000人礼拝です。自分でも大きく出たなと思います。ルーテル教会にも、1000人礼拝があってもいいと思いました。熊本にはそれができる礼拝堂、人、つながり、チャンスがあるのです。大江教会は母校九州学院から生まれた教会なのですから。
すぐに神様は祈りを聞いてくださいました。1000人という数がどれ位かを教えてくださったのです。ブラウンチャペルで行われた信徒の方の葬儀で、なんとその数を超えたのです。しかも2回も。神様は1000人の幻を見せてくださいました。しかも1年もたたないうちに、3人の方が受洗され、3名の中高生が堅信を受けました。新しい風が吹いていることを実感しています。100名受洗にも向っています。
今年度のテーマは「よろこび」としました。そこで「よろこびプロジェクトチーム」をつくり、礼拝後の昼食会の復活、賜物の分かち合いをはじめました。また、礼拝では毎月の特別礼拝を開始、それぞれにプロジェクトチームをつくりました。とにかく楽しく準備しようと。クリスマスには「天使が降る教会」として礼拝堂中に天使が舞い、イースターでは「ブラウンチャペル大卵さがし大会」。地域の子供たち、大人も参加してのイベントを開催しました。その他、世界のごはんを食べる会、教会デイサービス、牧師サロンでパンを食べる会など次から次へと新しい企画を計画しています。まあこんなことをやっていると、きっと1000人礼拝もちかいでしょう。「求めなさい」マタイ7・7です。

信徒の声

第31回教会音楽祭「ともに希望の歌を」報告

武蔵野教会 苅谷和子

6月8日の午後、9教派とルーテル学院大学、ルーテル神学校、青山学院大学の聖歌隊が参加し766名の来場者を迎えて開催されました。今回初めてウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会をお借りし、ギター、ピアノ、バンドを使った『プレイズ&ワーシップ』のスタイル等これまでとは違った様々な賛美の形を楽しみました。プログラムの中盤、阿部冨美子姉(羽村教会)作詞、永井幸恵姉(広島教会)作曲による公募入選作品『帰れる日』が東日本大震災を覚えて会衆一同で賛美されました。ルーテルは、聖公会、学生と共に『アングリカンチャント:詩編62編、33編』『全地よ、主にむかい(讃美歌21:148番)』を歌いました。トランペット3本とティンパニが入り、荘厳で力強い響きの中で賛美する喜びを味わいました。最後に『栄光は父と子と聖霊に(ヘンデル)』を学生クワイヤが見事に歌い、感動の中で音楽祭が閉じられました。参加された方の感想をご紹介します。

★アングリカン・チャントは初めての経験でした。同じ旋律の繰返しの中、詩編の詞によってまた指揮者の感性によって音符の長短が変化するなど初めは少々戸惑いましたが、単純にして美しい旋律と、歌詞の捉え方とその奥深さを味合わせて頂きながら唱えたことは幸せでした。神経を研ぎ澄まされて、指揮者の息に合わせて聖公会の方々ともご一緒に心と声を合わせて讚美できたことはとても感動でした。美しい音を追求なさる那須先生のストイックさは説得力があり、今清々しささえ感じています。(三嶌 昭子:日吉教会)
★那須輝彦先生によるご指導は、情熱的で新鮮味があり、道々に学ぶもの、得るものがありました。本聖歌隊員の出席人数が少なかったのは、非常に残念に思いますが、教会音楽祭の経験を生かし、より一層頑張って行きたいと思います。那須先生、青山学院の皆さん、聖公会、ルーテル、教会音楽祭に関わる全ての皆々様方、本当にありがとうございます!感謝です!(関根 乃恵留:ルーテル学院大学神学校聖歌隊 隊長)
※教会音楽祭の模様はCGNTVJAPANにより放映されます。ぜひご覧ください。

JLER(ルーテル教会救援)対策本部現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦

ルーテル教会救援も活動最終年度を迎え、現在、①「直接(前方)支援活動から間接(後方)支援活動へ」②「被災者と支援者(教会・個人)を直接つなげる活動へ」③「支援活動と共に、教育活動(防災・減災教育)、報告活動へ」の活動方針で諸活動を展開しています。
今月号では、特に今回の震災体験と活動成果を分かち合う教育・報告活動について紹介します。

【定例スタディツアー】
被災者(語り部)の方からの被災体験を聴き、被災地・支援先訪問などを通じて、今回の震災体験を学び、今後の震災等に備えます。今月から来年1月にかけて、原則、月1回実施します。詳しくは、担当者(佐藤: f-sato@jelc.or.jp)までお問い合わせください。

【現地見学会(復興ツアー)】
被災地では、現在、多くの方の訪問を待ち望んでいます。現地見学会(復興ツアー)は、これまでの支援先を見学すると共に、被災地各地の仮設商店街での飲食、買い物等を通じて、復興支援を行います。
日程は随時です。詳しくは、担当者(野口: k-noguchi@jelc.or.jp)までお問い合わせください。

【「つるしびな」全国巡回展&報告会&支援品販売】
「被災地を忘れない、忘れていない」をテーマに、現在、全国で「つるしびな」巡回展を開催しています。6月初めには、112年前に日本に初めて宣教師を送って下さったアメリカ・サウスカロライナ州で開かれたシノッドの教会年次総会でも日本コーナーに展示されました。また、巡回展と同時にこれまでの活動報告会及び支援品販売を行っています。巡回展及び支援品販売をご希望される教会・教育機関・福祉施設等がありましたら担当者(野口: k-noguchi@jelc.or.jp)までお問い合わせください。なお、活動報告会については教区・地区の集まり、研修会等で実施することが可能です。

牧会者ルターに聞く3

その三  神の義、Rechtschaffenheitを福音の中に再発見

石田順朗

このシリーズを書き続ける机上には一九九七年米国のルーサーインスティチュートから授与されたウイッテンベルグ賞、『九十五箇条の堤題』を打ちつけるルターのブロンズ像 (ベリー ・ジョンストン作・ 写真 )がある。宗教改革の火ぶたを切った周知の場面。ただ、それは、同一五一七年ルターがスコラ神学への反駁討論に備えて書いた『九十七箇条の堤題』とは異なり「贖宥の効力を明らかにするための堤題」で、論争を挑むためではなく、牧会者としての関与を示すルターの抑え難い配慮からの行動であった。同十月三十一日付、贖宥券販売に直接関わった修道士テッツェルの上司マインツのアルブレヒト大司教に宛てたルターの書簡が何よりもその証拠だ |

「聖ペトロ寺院建設にあてる教皇の贖宥券はいま司教の御名によって広く配布されています。 ・・おお神よ、大司教の御手に委ねられた魂は死にさいなまれていますが、・・人が救いの確かさを得るのは、一人の司教の機能によるものではありません。そうではなく、使徒は『恐れおののいて自分の救いの達成に務めなさい』と命じ、ペトロは義人でさえ、かろうじて救われると述べております ・・」さらに、「主なる神は、・・いたるところで救われることの困難さを宣言しておられます ・・」

事実、堤題の一四は告げる、「死に臨んでいる人たちの不完全な信仰や愛は必ず大きな恐れを伴う。そして愛が小さければ小さいほど、恐れは大きいということになるだろう」。堤題一八|二四、二七|二八、さらに五二|五五、八〇と並んでルターの牧会的動機と配慮を湛えている。
このような「想定外」の行動を起こすに至ったルター 自身に聞こう |
「いかに欠点のない修道僧として生きていたにしても、私は神の前で全く不安な良心をもった罪人であると感じ、私の償いをもって神が満足されるという確信を持ち得なかった。だから私は罪人を罰する義の神を愛さなかった。いや憎んでさえいた ・・ところが神は私を憐れみたもうた。私は『神の義は福音の中に啓示された。義人は信仰によって生きると書かれているとおりである』の[パウロの]言葉のつながりに注目して、日夜絶えまなくそれを熟考していた。やがて私は神の義によって義人は賜物を受け、信仰によって生きるという具合に『神の義』を理解しはじめた。・・今や私は全く新しく生まれたように感じ、戸は開かれ、私は天国そのものに入った ・・」
『R』は Rでも神の絶大な R (Rechtschaffenheit) 「神の義」を、ルターは発見したのである。

いしだ よしろう 引退牧師、九州ルーテル学院大学名誉学長 元LWF 神学研究部長

三本の木

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

沖縄の戦後は終わっていません。「内地のヤマトンチュウ」には理解されません。幼稚園や保育園の建設には防衛施設併行防音工事の名目で数千万円の補助金が支給されます。米軍戦闘機やオスプレイの飛行コースの真下にある園は、いつもこれらの爆音にさらされています。不気味な防音窓に少しでも平和な夢を願ってステンドグラスを入れています。
うるま市の「あかるい子保育園」には、絵本『三本の木』の七面のステンドグラスがホールに入っています。
三本の木は、それぞれに夢を持ち、一本目は宝箱になりたいと思いましたが、馬小屋の飼い葉おけになり、イエス様のベッドになりました。  二本目は豪華帆船になりたいと思いましたが、漁師の舟になりました。イエス様一行を乗せた時、湖は大嵐となり、沈みそうになった時、イエス様が大嵐をお静めになったのを見ることができました。
三本目は一番高い大きな木になりたいと思いましたが、十字架にされました。しかし、それはイエス様の十字架でした。
こうして三本の木の夢はそれぞれもっと良いものにかえられて喜びました。
「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」 コリントの信徒への手紙一1章18節。

第1回全国青年Bible Camp報告

小澤実紀

6月15~16日、ルーテル神学校を会場に第1回全国青年Bible Campが行われました。参加した青年は19名、スタッフは3名でした。
このキャンプは、CSやキャンプスタッフを経験したことのある青年たちが、「子どもたちに御言葉を伝える立場に立ってみると、自分でうまく伝えることができない。だから、神様や聖書のことをもっと知りたい 。学びたい」という多くの声が聞こえてきたことを受け、「JELC主催の青年向けのBible Campを立ち上げよう」と、TNG-Youth部門が中心となって開催されました。
第1回目の今回はまず、「聖書をどう読んだらいいのか分からない」という声に応えるために、森優師の書いた聖書研究法の本から、聖書と自分の人生を交差させる「経験法」、また、聖書の箇所をそのままに読む一層、キリストが私に何をしてくれたかを読む二層、そしてそれを受けて私はどのように応答するのかを読む三層へと掘り下げる「深層法」という二つの聖書の読み方を学び、参加者は実際にCSなどを想定してメッセージをつくりました。第三者としてではなく 、 「あなた」と呼びかけられる二人称で聖書を読むこと、つまり聖書を通してキリストと出会うということに力点を置く学びと実践のキャンプとなりました。
参加した青年たちは、普段の生活の中で自ら聖書に向き合い、聖書の御言葉を神様が直接自分に語りかけてくださっている言葉として受けとめたり、それをCSのお話へ展開するという作業をしたりすることに慣れていませんでした。
しかし、このキャンプ中に、もがきながら何度も聖句(ルカによる福音書から各自に指定された箇所)を読み、主に祈りながら、自分の信仰に向き合い、主からのメッセージを感じ、それをCSのお話のための文章にする作業を懸命にしていました。この経験を通して、それぞれがとても大きなものを得たようです。このような実りあるキャンプになりましたことを、心から感謝いたします。
このキャンプを毎年継続し、青年たちがそれぞれの土地で御言葉を基として生きる者となること、教会を支え、御言葉を宣べ伝える者となることを願い、祈っていきたいと思います。

石橋幸男牧師のこと

森 勉(定年教師)

石橋幸男牧師は5月19日の「聖霊降臨日」の日に、聖霊の御導きのうちに安らかに帰天されました。86年のご生涯であり
ました。お生まれは富山県の魚津市でした。私より6年先輩でありました。青年時代には肺結核を患い、吐血するほどの重症であったと聞いております。

肺結核の養生をしている時に病床で英語の勉強をして翻訳士の資格を取ったほどです。病癒された石橋青年は大阪教会の稲冨牧師と出会い、イエス・キリストとまみえることになります。
稲冨牧師の推薦もあり、神戸聖書学院の宣教師さんたちの通訳官を勤められました。
その後、神学校に学ばれ、按手を受けて、日本福音ルーテル教会の牧師になられ、益田教会に赴任され、開拓伝道にたずさわられました。
益田教会在任中に、「肝っ玉お母さん」こと恵子夫人に出会い、結婚されました。恵子夫人との間に、めぐみさん(長女)と幸成くん(長男)を与えられ、良き家庭を創られました。
益田教会は、アウガスタナミッションの伝道地でありました関係から、アメリカのゲティスバーグにあるアウガスタナ神学校に留学され、帰国後は市ヶ谷教会に転任され、市ヶ谷教会に付設されていたグライダー寮のチャプレンとしてもよき働きをなされました。若い青年たち、大学生を教会の有意な青年として育てられました。
その後、全国レベル開拓伝道地の岡山教会に赴任され、その目標達成のため御苦労された日々を思い出します。西教区中心に松山教会(河田牧師)、岡山教会(石橋牧師)、高松教会(角田牧師)の諸牧師たちの御苦労を思い出します。この「全国レベル開拓伝道」の反省と総括はぜひしなければならなかったと思います。

石橋牧師は、人と話をする時は、あの有名なタレントのように、いつも首をふって話をしていました。その面影や、石橋節の話しぶりを見られなくなりました。

祈り!! 平安在主。

2013年度「ルーテル幼稚園・保育園連合会保育者研修会」のご案内

このたび、ルーテル幼保保育者研修会を、「共に担うキリスト教保育」というテーマのもと、下記日程で開催いたします。
今回は、24年にわたり大阪釜ヶ崎にて、日雇労働者に学びつつ聖書を読み直してこられた本田哲郎神父をお招きして、「愛することより、大切にすることを求めたい」との演題で、ご講演いただきます。
そして、尾道幸子先生(江津湖療育医療センター)、平川雅子先生(親子育ちの会「おてんとさん」主宰)から、具体的な子どもたち(保護者)との関わりについてお話を伺い、学びたいと思っています。
ルーテル教会において、キリスト教保育に携わる皆さんの参加をお待ちしています。また、本田哲郎神父の講演は、保育関係者だけなく、自由参加とし、皆さんにお越しいただきたいと思っていますので、どうぞご参加ください。
日時 2013年8月5日 (月)―6日(火)
会場 くまもと森都心プラ   ザ5Fホール (熊本市西 区春日1丁目14?1)
※本田哲郎神父講演会
6日(火)午前9時45分  開場 午前10時開始
資料代(千円)

第25回総会期第五回常議員会報告

昨年5月に新体制となり、第六次綜合方策に基づいて進めてきた活動が一年を迎え、この間では5回目となる常議員会が六月十日から十二日にかけて、市ヶ谷センターにて開催されました。
▼第六次綜合方策の優先課題
今期は三つの優先課題に絞って取り組むと、繰り返し、立山議長が述べられています。
当初は項目のみ「宗教改革五〇〇年記念事業」、「震災支援」、「財政問題」と課題列挙しただけでしたが、協議を積み重ねてきた中で、具体的な取り組みの報告が共有され始めました。
東日本大震災の体験を通して、神と社会に仕えるディアコニア活動へ全国の教会がどのように取り組めるか? 東海教区では社会部により全教区内アンケートが実施された報告がありました。予想される南海トラフ巨大地震の危険予想をして、各個教会での動き方や備えをするべき内容を予め考えておくことを目指す内容には、他教区からも関心が寄せられ、協議は具体性を帯びたものとなりました。
申請事項では、経年の老朽化に伴う建物に関する案件が挙がってきました。教会財政が下降する方向にあって宣教の器を整え、いかに維持していくかは、全体教会的な課題認識の内にありますが、各個教会での整備を支援する形も現在は制度凍結しています。今回は「宣教共同体」の枠組みで宣教の目的を考える方向性も協議されました。
「宗教改革500年記念事業」には比較的長く協議の時間が当てられました。宣教室長の下でたてられた、2017年までを三期に分ける行程案や、「マルティン・ルター、その人の精神を学び、社会に発信する」一群と「ルーテル教会がこれから社会に向かって、どう貢献していくのか」という一群を、二つの団子に見立てて、両者が一体となって魅力ある事業となるように組み立てる方針案などを基に議論が積み上げられました。
今後は、事業の骨子を説明して、全国の教会に向けて、ロゴマークやキャッチフレーズの公募に入っていくといった実行計画も承認され、2017年に向けた全体教会への事業展開が段階的にはじまっていく予定が承認されました。

▼その他の事項
二〇一三年の人事委員会を組織して、検討に入る進め方が承認されました。執行部三役と各教区長が委員となります。
また九月三十日~十月一日に、「宣教会議」を開催して、広く宣教課題について集中的な協議を進める提案が承認されました。 また信徒宣教師の職制にかかる事柄を、信仰と職制委員会へ諮問する決議がありました。
常議員会の詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。

事務局長 白川道生

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。

二〇一三年七月一五日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
代表役員 立山忠浩

信徒利害関係人 各位

松崎保育園園舎無償譲渡

・所在地 福岡県小郡市松崎 字城山677番地1、6  77番地4、722番地1
・所有者 日本福音ルーテル  教会
家屋番号 677番1
①種類 園舎
構造 木造セメント瓦葺 2階建
床面積
1階 116. 76㎡
2階   17.39㎡

② 種類 付属建物(園舎・  倉庫・便所)
構造 木造セメント瓦葺 平家建
74.52㎡
構造 木造セメント瓦葺 平家建
37.90㎡
構造 木造亜鉛メッキ銅 板葺平家建
19.87㎡

・理由 松崎保育園の社会福 祉法人化のために園舎・ 付属建物を無償譲渡する。

住所変更

引退牧師 木村長政先生
新住所  〒176─0011 練馬区豊玉上2─21─12 クレストフォルム桜台802
新電話番号 03─3557─6707
新メールアドレス  naga.kimura@gmail.com

13-06-18素直に叫ぶ―主よ、助けてください―マタイによる福音書14章22~33節

イエス様の弟子の中で、ペトロという人がいます。バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂という名前も、彼のことを指しています。これは、イエス様がペトロに教会の権威をお与えになったという聖書の記事に由来するのですが、このようにペトロは弟子たちの中でもリーダーとして立てられている人物なのです。

イエス様の弟子、その中でもリーダーですから、きっと立派な、信仰深い人物であるかのように思ってしまいますが、福音書が伝えるペトロの姿は、私たちが思うような所謂“立派な信仰者”とは少し違います。福音書が伝えるペトロの物語で、個人的に特に印象的なのは、イエス様の弟子になる召命の場面、イエス様のことをメシアであるとはっきり言った場面、それから逮捕され、引かれていったイエス様のことを知らないと言った場面、そして、湖に沈んでしまう場面です。今回は、この湖に沈んでしまう物語から聞きたいと思います。

イエス様に従い、イエス様はメシアであると信仰告白する姿は立派に見えますが、福音書はそれだけではなく、ペトロの弱さも伝えているのです。普通なら私たちは、自分の弱さや負い目を人に伝えていこうとはしません。むしろそれを隠そうとしたり、言い訳したり正当化したりして、認めようとしません。人に知られたくないのです。ですが聖書は、弟子のリーダーの弱さを、信仰者のモデルの負い目を伝えているのです。それは、この弱さを持った人間の姿こそ、信仰者の本当の姿であるからです。私たちが抱く立派な信仰者の姿、「こうありたい」と思うあり方は、波も風も恐れず、水の上をただ信じて歩いてイエス様のところまで真っ直ぐ進むような姿ではないでしょうか。確かにそのような方は立派ですし、実際におられたら心から尊敬します。できれば私もそうありたいですし、そうなるために努力したいと思います。ですが、私たちは誰もがそのように強いわけではないのです。私たちの信仰の現実とは、強い風や波に襲われるとすぐに沈んでしまうようなものなのです。

イエス様に近づきたい、「来なさい」と招いて下さり、歩けるようにしてくださったイエス様の呼びかけに応えて立派に歩んでいきたい、導きを信じて堂々と歩みたい、誰もがそのような思いを抱くでしょう。ですが、実際に歩みだしてから気がつくのは、自分は不安定な水の上を歩いていること、自分の周りでは今までと変わらず強い風が吹き続けているということです。ついさっきまで自分が前に進むことを邪魔していた風や波は、イエス様に呼ばれた後も全然止んでいないし、むしろさっきよりも危険な場所に立たされているということに気がつくのです。そのことに気づいたとき、私たちは沈んでしまうのです。私たちがイエス様を求める思いは、暗く、深い湖の中に沈んでしまうのです。

私たちの信仰を、私たちごと湖に沈めてしまう風や波は、本当に様々な仕方で襲ってきます。大きな災害であるときもありますし、人間関係や、争いや、病気や、孤独…本当に、「何故だ」と思うような仕方で、私たちを襲います。ですが、そのように沈んだときが、私たちの信仰の歩みの終わりではないのです。湖に沈んだペトロをイエス様が引き上げてくださったように、私たちが沈んだときも、イエス様は近づいてきて私たちの手を掴み、引き上げてくださるのです。

ペトロは沈みながら叫びました。「主よ、助けてください」と。彼は、自分の力で立とうとせず、でも諦めてしまうこともせず、もがきながら叫ぶのです。「主よ、助けてください」と。この箇所が伝える信仰者の姿とは、このような姿です。立派に水の上を歩ききってみせる強さではなく、沈みながら、もがきながら、みっともない姿かもしれませんが、それでも助けを叫ぶ、そのような姿なのです。私たちが信じるのは、イエス様の呼びかけと、イエス様が私たちの手をしっかりと掴んでくださる、あるいは今まさに掴んでくださっているということなのです。沈まない信仰よりも、助けてくださることを信じて叫ぶことが大切なのです。
私たちは沈みます。どこかで必ず。ですがイエス様はそのような私たちの手を掴み、「なぜ疑ったのか、でも、もう大丈夫だ。安心しなさい、恐れることはない」と、語りかけてくださるのです。そして私たちをより深い信仰告白へと導いてくださるのです。
これを読んでくださっている皆さんの手には、既にいくつもイエス様に掴まれた跡があるかもしれません。これからつく方もおられるでしょう。私たちの信仰の弱さの証であるように見えるその跡こそ、イエス様が私たちと共にいてくださっていることの証拠です。イエス様は、私たちの弱さを知っておられます。その弱さに働きかけてくださいます。安心して行きましょう。
日本福音ルーテル甲府教会・諏訪教会牧師 市原悠史

13-06-02JLER月報2013年6月号−20号

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13-06-01るうてる 2013年6月号

機関紙PDF

説教「素直に叫ぶ ―主よ、助けてください―」
マタイによる福音書14章22~33節

日本福音ルーテル甲府教会・諏訪教会牧師 市原悠史

イエス様の弟子の中で、ペトロという人がいます。バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂という名前も、彼のことを指しています。これは、イエス様がペトロに教会の権威をお与えになったという聖書の記事に由来するのですが、このようにペトロは弟子たちの中でもリーダーとして立てられている人物なのです。
イエス様の弟子、その中でもリーダーですから、きっと立派な、信仰深い人物であるかのように思ってしまいますが、福音書が伝えるペトロの姿は、私たちが思うような所謂“立派な信仰者”とは少し違います。福音書が伝えるペトロの物語で、個人的に特に印象的なのは、イエス様の弟子になる召命の場面、イエス様のことをメシアであるとはっきり言った場面、それから逮捕され、引かれていったイエス様のことを知らないと言った場面、そして、湖に沈んでしまう場面です。今回は、この湖に沈んでしまう物語から聞きたいと思います。
イエス様に従い、イエス様はメシアであると信仰告白する姿は立派に見えますが、福音書はそれだけではなく、ペトロの弱さも伝えているのです。普通なら私たちは、自分の弱さや負い目を人に伝えていこうとはしません。むしろそれを隠そうとしたり、言い訳したり正当化したりして、認めようとしません。人に知られたくないのです。ですが聖書は、弟子のリーダーの弱さを、信仰者のモデルの負い目を伝えているのです。それは、この弱さを持った人間の姿こそ、信仰者の本当の姿であるからです。私たちが抱く立派な信仰者の姿、「こうありたい」と思うあり方は、波も風も恐れず、水の上をただ信じて歩いてイエス様のところまで真っ直ぐ進むような姿ではないでしょうか。確かにそのような方は立派ですし、実際におられたら心から尊敬します。できれば私もそうありたいですし、そうなるために努力したいと思います。ですが、私たちは誰もがそのように強いわけではないのです。私たちの信仰の現実とは、強い風や波に襲われるとすぐに沈んでしまうようなものなのです。
イエス様に近づきたい、「来なさい」と招いて下さり、歩けるようにしてくださったイエス様の呼びかけに応えて立派に歩んでいきたい、導きを信じて堂々と歩みたい、誰もがそのような思いを抱くでしょう。ですが、実際に歩みだしてから気がつくのは、自分は不安定な水の上を歩いていること、自分の周りでは今までと変わらず強い風が吹き続けているということです。ついさっきまで自分が前に進むことを邪魔していた風や波は、イエス様に呼ばれた後も全然止んでいないし、むしろさっきよりも危険な場所に立たされているということに気がつくのです。そのことに気づいたとき、私たちは沈んでしまうのです。私たちがイエス様を求める思いは、暗く、深い湖の中に沈んでしまうのです。
私たちの信仰を、私たちごと湖に沈めてしまう風や波は、本当に様々な仕方で襲ってきます。大きな災害であるときもありますし、人間関係や、争いや、病気や、孤独…本当に、「何故だ」と思うような仕方で、私たちを襲います。ですが、そのように沈んだときが、私たちの信仰の歩みの終わりではないのです。湖に沈んだペトロをイエス様が引き上げてくださったように、私たちが沈んだときも、イエス様は近づいてきて私たちの手を掴み、引き上げてくださるのです。
ペトロは沈みながら叫びました。「主よ、助けてください」と。彼は、自分の力で立とうとせず、でも諦めてしまうこともせず、もがきながら叫ぶのです。「主よ、助けてください」と。この箇所が伝える信仰者の姿とは、このような姿です。立派に水の上を歩ききってみせる強さではなく、沈みながら、もがきながら、みっともない姿かもしれませんが、それでも助けを叫ぶ、そのような姿なのです。私たちが信じるのは、イエス様の呼びかけと、イエス様が私たちの手をしっかりと掴んでくださる、あるいは今まさに掴んでくださっているということなのです。沈まない信仰よりも、助けてくださることを信じて叫ぶことが大切なのです。
私たちは沈みます。どこかで必ず。ですがイエス様はそのような私たちの手を掴み、「なぜ疑ったのか、でも、もう大丈夫だ。安心しなさい、恐れることはない」と、語りかけてくださるのです。そして私たちをより深い信仰告白へと導いてくださるのです。
これを読んでくださっている皆さんの手には、既にいくつもイエス様に掴まれた跡があるかもしれません。これからつく方もおられるでしょう。私たちの信仰の弱さの証であるように見えるその跡こそ、イエス様が私たちと共にいてくださっていることの証拠です。イエス様は、私たちの弱さを知っておられます。その弱さに働きかけてくださいます。安心して行きましょう。

宗教改革五〇〇周年に向けて

ルターの意義を改めて考える(13)

ルター研究所所長 鈴木浩

パウロ、アウグスティヌス、ルターが人間の罪に拘ったのは、「罪を犯さないことができない」という「罪の不可避性」こそが、人間が抱えている最大の問題だと見抜いていたからである。
この場合、「罪」とは、あれこれの悪事のことである以上に、あれこれの悪事を引き起こす「人間の根源的あり方」を指している。
ルターは、ほとんど病的なほどに自分の罪深さを感じ、罪人を罰する神の義(正義)を恐れた。突然、それまでの学びを放棄し、修道院に駆け込んだのは、その恐れが理由であった。
すでに指摘したように、その「神の義」の理解の逆転が……「罪人を裁く神の正義」から、「神が罪人に与えてくださるキリストの義」への転換が突破口であった。それは、「天動説から地動説への転換に比すべき、革命的転回点であった。
ルターはこの突破口を突き進んだ。そこから、中世神学の徹底的再点検を行ったのだ。だから、「一点突破全面展開」なのだ。そこから、ルターの神学が成立していった。
それは、徹底して「恵みのみ、信仰のみ」の神学であった。

東教区50年記念大会 50年目の出会い・交わり・新しい旅立ち
676名の参加者が三鷹に集う!

五月晴れに恵まれた5月4日、記念大会は挙行されました。会場前の広場に午前10時、力強い民族打楽器の小太鼓の音が響き渡り開会を知らせます。次いで、浅野実行委員長が高らかに開会を宣言。記念大会がスタート。
10時から13時の時間帯は、人との出会い、語り合い、学びあうことを目的に、多様なプログラムが用意されました。参加者は各自の興味のあるイベントに三々五々出席しました。
まずは、ルーテルの良さを味わい体験しようというのがねらいです。集会の部、「フェスタゾーン」では多彩なプログラム。宣教の部では、「ルーテルの学び」や、シンポジウム「東教区の過去・現在・未来」、「あつまれ!こどもたち。次世代プログラム」。そして、五チーム参加の「コンサート」。さらに、プロ屋台による昼食コーナー、大盛況、満席でした。
●感動・感激・感謝のひと時
50年目の出会いと喜びと交わり、東教区の歴史が主に導かれたことに感謝を篤くし、将来を神さまにゆだね、福音宣教ができることを感謝しました。
●授かった神の祝福を次の50年に伝える旅に出発
頂点となる、午後の「派遣聖餐礼拝」では、「みことば」と「祈り」、「希望のメッセージ」、聖餐と祝福にあずかりました。イエス・キリストが私たちと共にいてくださることを喜び、感謝し、授かった神の祝福を次の50年に伝えるために、新しく出発ができました。 派遣礼拝(写真)は人々の心を捉え、心を突き動かしました。会場内外の声として、「礼拝での賛美が、色彩あふれたハーモニーとサウンドでいっぱい。素晴らしさに感動」。「新緑のICUキャンパス 、 素敵です。浅野教区長の力強いみことば、復活のイエス様を信じ喜び歩もうと励まされ、みことばが深くしみいるようでした」。「次世代を担う子供たちとコンサートに出演。素敵な思い出となりました。50年後、再びバナーを掲げた子供たち世代が百年大会を盛り上げてくれるように、祈ります」。
派遣聖餐礼拝(ICUチャペル)には632名が出席。席上献金は六〇万九千六百九十二円でした。
記念大会実行委員       津川栄一

第12回九州教区信徒大会報告

実行委員長 岩崎國春(大江教会)

4年に一度の九州教区信徒大会は、去る3月19・20日、熊本の九州学院を会場に開催されました。今回で12回を数えます。参加者は、二日間平均約200人超でした。
大会主題は、「全きものとなる私たちの喜び」とし、主題聖句を、ヨハネの手紙第1章3節bといたしました。
主題講演者として、高知の清和女子中・高校長黒田朔先生をお招きし、「牧会お助けマンが語る~素敵なクリスチャンライフ」の演題で、2回に亘り、お話を頂きました。
先生は、「私たちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりであり、この交わりが、私どもを育て守る。基督者は、今、永遠の命を生きている。信仰生活の基本は、選択+決断+覚悟。私たちは、〈自分のシナリオ〉で生きるのではなく、〈神様のシナリオ〉に従って生きることが肝要。この生き方は、人を楽にし、希望と喜びに満ち溢れた素敵なクリスチャンライフを導き出す」と説かれました。
先生は、穏やかな口調で、時にユーモアを交え、聴く者には、清々しく、心を動かす一言一言でした。
大会は、声高らかに神を賛美し、共に聖餐に与った派遣礼拝で終わりました。ルーテル学院中高のハンドベル、平成音楽大学トロンボーンアンサンブル、市内ルーテル教会の音楽グループ「ラウダームス」とファミリーバンド「グレース&フレンズ」による音楽奉仕、熊本県内の教会と施設関係教職者による聖餐式は、大変な恵みと感謝でした。
今回は、信仰の友との交流を深める機会として朝食交流会を設け、熊本の女性会奉仕によるおにぎりと味噌汁が振る舞われました。
大会期間中には、各教会や施設の物品販売が店開きし、東日本大震災復興支援コーナーも設けられ、どちらも盛況でした。
今大会は、2017年の「宗教改革500年の時」を視野にしての開催でした。

JLER(ルーテル教会救援)対策本部現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦

ルーテル教会救援最大の支援プロジェクトである気仙沼市本吉町前浜のコミニュティセンター再建プロジェクトもいよいよ終盤に差しかかってきました。先月3日には、このプロジェクト支援に関わる40近い団体・個人の代表や気仙沼市長をはじめ地元住民の方々が集まり、上棟式が盛大に執り行われました。ルーテル教会救援からは、青田本部長をはじめ「となりびと」のスタッフ全員が参加し、青田本部長が祝辞を述べました。
また、上棟式後の直会(なおらい)では、ルーテル教会救援の支援による袢纏を纏い、大漁唄い込みも披露されました。
今月号では、このプロジェクトのこれまでの経緯を現地スタッフから報告いたします。

現地(前浜)スタッフ     畠山友美子

「できるだけ早い再建を」というのが、震災の年の夏に行ったコミュニティセンター再建に関する2回の住民アンケートの結果でした 。同年9月には全員地域住民である建設委員会を立ち上げ、ルーテル教会救援をはじめとする多くの支援者と地域住民、そして気仙沼市の三者が協力して建設を進めてきました。
「住民参加型の再建」をテーマに、住民参加による住民参加のための 作業小屋づくりやセンターの外壁となる焼き杉作業などのワークショップ(以下WS)を行ってきました。
WSには地域住民以外に、ボランティアさんや他地域の方も参加するなど、こういったWSがまたコミュニティを生んでいることは確かで、本当にありがたく思っています。
5月3日には盛大に上棟式が行われました。これからも壁塗り作業や家具づくりなどのWSも予定されています。その様子は以下のブログを通して皆様にお伝えしていきたいと思いますので是非ご覧ください。
【前浜建設委員会ブログ】
http://ameblo.jp/maehamacommunitycenter/entrylist.html

牧会者ルターに聞く 2 石田順朗

第1章「R」はRでも―リフォーマー・ルターの場合
その二 ・ 定冠詞付き大文字『R』になったのは、

五十八年前、千葉県稔台での開拓伝道を経て福岡は久留米市の由緒あるルーテル教会へ赴任した時のこと。まず、一九一八年ヴォーリズによって建築、奇しくも戦渦を免れたデンマーク風赤レンガ造りの教会堂の偉容には圧倒された。二年ほど開拓村の保育所で集会を行なっていた状況との違い!ところが、間もなく筑後地区諸教派連合の牧師会があり、改革派の流れをくむ教会の牧師から、開口一番「ここはドルの匂いふんぷん、外国依存の教会だ」と揶揄され、思わぬ歓迎に遭った。若輩ながら言い返した、「アメリカだけでなくドイツや北欧、南米のルーテル諸教会と、ルターによる『福音再発見』に基づく『信仰義認』の信条を共有する『福音教会』だ」、それに「日本福音ルーテル教会史上、最初の自給教会だ(一九二九年)」と。今思えば、「基督教香港信義会」やポーランドの「アウグスブルグ信仰告白の福音教会」など数多の姉妹教会のことも言い添えるべきだった。
ルター自身は当初、「精神面と世俗的な状況のごく一般的変革」の必要を訴えたようだ(ルターをワルトブルグ城に匿ったザクセン選定候フリードリッヒの従兄弟ゲオルグ公へ宛てた一五一八年の書簡)。ところが、歴史はその「r」を、特定の大文字「R」にしたのである。
確かにルターの改革はフランス、ロシア革命につぐ中国の文化大革命、さては農業、産業革命など社会体制上の改変を目指す政治的変革とは異なっていた。宗教団体の単なる「機構改革」でもなかった。それは専ら「神 ―人 関係」の百八十度転換であって、正に神を信じ仰ぐこと自体への抜本的な「建て直し(リフォーム)」だった。
「建て直し」といえば今年、伊勢神宮では二十年に一度、出雲大社では六十年ぶりの「大遷宮」が行なわれる。遷宮には、修理を超えて、清浄思想を反映する「全部作り替える」意義が潜むと聞く。ルターは、一五四五年の 『ウィッテンベルク版ラテン語著作全集第一巻への自序』の中で、改革運動の経緯と彼自身の「福音再発見」の �T塔の体験�Uを重ね合わせている。その実態は「悔い改め」であり「信仰によってのみ義とされ、 恵みの神との出会い」、つまり「信仰そのものの一大改革」であった。定冠詞づきRのように、大文字で書き出せない邦語で、「宗教」といった漠然とした形容詞を付せざるをえないのは何としても、もどかしい。
そこで、前号でも言及した岸先生の発言になるが、神学校長に就任後間もなく、東京、お茶の水YWCAにおける「宗教改革記念講演会」でのこと、話も大分進んだ頃、突然大声で「Repent! 悔い改めよ!」と、静まりかえっていた満場の聴衆を震撼させた。その時、私は席を
飛び立つほど身震いしたのをつい先頃のことのように思い起こす。これまた銘記すべき『R』だ。

いしだ よしろう 引退牧師、九州ルーテル学院大学名誉学長 元LWF 神学研究部長

十戒

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

広島県福山市にある西日本福音ルーテル教会の東福山教会には、モーセの十戒の二枚の石板が入ったステンドグラスがあります。
エジプトを脱出して、ヘブライ人たちはシナイ山の麓に着きました。モーセはシナイ山にのぼり、神との契約の基本となる十戒を与えられました。しかし人々は、金の子牛の偶像を祭り上げていたので、モーセは二枚の石板で偶像を打ち砕きました。
この十戒こそ、求道者には必修のものと信じます。『出エジプト記』20章1~17節。『申命記』6章5節。『レビ記』19章18節。
ステンドグラスの中央、十字架には、天より鳩が降っています。主イエス・キリストは「バプテスマのヨハネ」から洗礼をお受けになると、天が開け、聖霊が鳩のように降ったと録されています。『マタイによる福音書』3章16節。
キリスト者も等しくその人の魂に聖霊は鳩のように降り、聖書のみことばを理解させて福音による救いの喜びを持たせてくださいます。
下段には、麦とぶどうのエッチングがあります。主イエス・キリストによる「聖餐」を示しています。
創造主、救い主、そして、聖霊の三位一体の神を私たちは信じます。

広島県福山市にある西日本福音ルーテル教会の東福山教会には、モーセの十戒の二枚の石板が入ったステンドグラスがあります。
エジプトを脱出して、ヘブライ人たちはシナイ山の麓に着きました。モーセはシナイ山にのぼり、神との契約の基本となる十戒を与えられました。しかし人々は、金の子牛の偶像を祭り上げていたので、モーセは二枚の石板で偶像を打ち砕きました。
この十戒こそ、求道者には必修のものと信じます。『出エジプト記』20章1~17節。『申命記』6章5節。『レビ記』19章18節。
ステンドグラスの中央、十字架には、天より鳩が降っています。主イエス・キリストは「バプテスマのヨハネ」から洗礼をお受けになると、天が開け、聖霊が鳩のように降ったと録されています。『マタイによる福音書』3章16節。
キリスト者も等しくその人の魂に聖霊は鳩のように降り、聖書のみことばを理解させて福音による救いの喜びを持たせてくださいます。
下段には、麦とぶどうのエッチングがあります。主イエス・キリストによる「聖餐」を示しています。
創造主、救い主、そして、聖霊の三位一体の神を私たちは信じます。

東海教区2013 わいわいワークin福祉村  齋藤幸二

4月29日祝日、東海教区恒例の「わいわいワークin福祉村」が開催されました。わいわいワークは東海教区がデンマーク牧場で始めた福祉村の働きをワークで支援するプログラムです。
福祉村には現在特別養護老人ホームデイアコニア、児童養護施設まきばの家、自立援助ホームこどもの家。心療内科こひつじ診療所の4施設があります。自然環境に恵まれていますが、職員だけで敷地内を整備するのは困難なので、多人数でなければできない作業をこのわいわいワークで行ってきました。
今年はこどもから高齢の方まで、130名以上の方が参加しました。わいわいワークは教区の信徒の奉仕だけでなく、交わりの場にもなっています。さらにデンマーク牧場福祉会の職員たち、児童養護施設の高校生たちも一緒に働くので、教会員と施設の利用者、職員たちとの出会いの場になっています。
プログラムは10時の開会礼拝から始まり、教区に新たに赴任した教職の紹介、またデンマーク牧場福祉会の職員の紹介が行われました。参加者はみんな作業服姿ですから、ふだんの集会よりもリラックスした、兄弟姉妹としての親しい気持ちで礼拝から終わりまでの時間を過ごすことができます。
ワークの内容は、敷地内の除草、老人ホームの利用者のための傾聴、縫い物、園芸、ペンキぬり、大工仕事などです。お昼休みは1時間半あるので、その間に牧場の売店でアイスクリームやヨーグルトを食べる人もいます。また各教会の福祉村世話人(チーフ・サポーター)は集まって昼食を共にしながら情報交換を行います。
今年も天候に恵まれ、午後3時の閉会の祈りまで、新緑の光がまぶしい自然の中で気持ちの良い汗をかいた一日でした。きっと参加者全員が充実した思いで家路に着いたことと思います。
私たちの教区に、このような交わりの場、出会いの場、奉仕の場が与えられていることをとても嬉しく思います。

ルーテル関係で初
JELAが「エキュメニカル功労」賞を受賞

日本におけるエキュメニカル(教会一致)運動に貢献した団体や個人を顕彰する日本エキュメニカル協会(松山與志雄 理事長、1969年岸千年先生を初代理事長として発足)の「エキュメニカル功労」顕彰式が、4月29日に日本福音ルーテル東京池袋教会で開かれました。
今回19回目となる顕彰で、ルーテル教会関係では初めて、日本福音ルーテル社団(JELA 中川浩之 理事長)が同賞を受賞しました。

JELAは、1909年に在日本アメリカ南部福音ルーテル教会ユナイテッド・シノッド宣教師社団として設立された一般社団法人です。
日本エキュメニカル協会の松山理事長は、JELAの活動について「日本福音ルーテル社団は、キリストの愛をもって世界の助けを必要とする人々に仕え、エキュメニカル運動に多大の貢献をされた」と評しました。
その活動は一般的に知られている宣教師支援事業にとどまらず、カトリック教会や難民・移住労働者問題キリスト教連絡会(難キ連)と共に難民の問題に取り組む難民支援事業、奨学金(給付型)支援、各国へのボランティア・ワークキャンプ活動などがあります。
中でも2006年からスタートした「リラ・プレカリア(祈りのたて琴)」は、エキュメニカルな活動として広がっており、カトリック教会、日本基督教団、日本聖公会、日本バプテスト連盟などと教団・教派を超えた連携関係を培ってきました。

顕彰式では、JELA常務理事の長尾博吉氏(日本福音ルーテル教会引退牧師)が活動報告を行い、キャロル・サック氏(リラ・プレカリア・ディレクター)がハープの演奏とともに祈りを捧げました。会場にはキリス教の諸教派から、約40人が集まり、その受賞を祝福しました。

大森ルーテル教会・幼稚園献堂式

大森教会は、米国のスオミ・シノッド(フィンランド移民のよって設立したミッション・・他に甲府教会があります。)によって立てられた教会です。前の大戦終了から少し出遅れて1952年4月から、エルソン宣教師、サラ・マッコーネン宣教師、N・ルンド宣教師によって、宣教が始まり、1954年に北欧風の教会堂が完成しました。1956年には、ベハネン宣教師の赴任後、その夫人によって二十名程度の幼児から無認可幼稚園として「おさなご園」の活動が始まりました。 福音の種蒔きが教会と幼稚園事業を通して始まり、後に認可幼稚園・「大森ルーテル幼稚園」として出発するとき、1975年に鉄筋コンクリートの園舎を建てました。幼い子どもの心の中に神さまの素晴らしい「愛のみ心」の種を蒔いてきました。
さらに主の福音を伝えるために、福音の証として幼児教育の責任を負うことを教会の伝道とし、伝道60周年を迎えて、教会は、旧館(75年建築)の耐震補強工事と新会堂、新園舎の工事に2012年から取り組み、2013年3月に完成しました。そして、4月28日の献堂式を主と、みなさんとお祝い出来ました。 コンクリート打ちっ放し。中には、54年当時の聖壇、説教台、洗礼盤、聖具、椅子、灯り、75年以降のステンドグラス、十字架などを残して歴史を繋いだ趣のある教会堂、園舎となりました。スオミ・ミッションの香りを残しました。
75年および今回の2回の工事を通して、他からの援助を良しとせずに自力で建築するつもりでした。しかし、工事を知ってくださった数教会、他教会の方々が献金をくださり、私たちの思いを越えて、みなさんと建築完成にまで至ったことは神さまの計らいと感謝しています。
新しく与えられた神の宮の器を大切にしながら、福音伝道を大森の地で責任をもって主と共に担っていきます。これからもみなさんのお祈り、ご支援をお願いいたします。
大森教会牧師 竹田孝一

住所変更

3月に引退された定年教師

渡邉進牧師
〒350ー0844 川越市鴨田2409ー6
049ー277ー4737

田中博二牧師
〒112?0011東京都文京区千石2ー46ー4
03ー6912ー1903(FAX共用)

13-05-18祝福しながら彼らを離れ・・・

「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」 ルカによる福音書二四章五十~五三節)

与えられました聖書の箇所は、ルカによる福音書の最後のところです。イエスさまがご復活ののち四十日の間弟子たちに現われてくださり、神の国について教え、そののち彼らを離れて天に上げられ、栄光の座につかれました。今日はその天に上げられたときのみ言葉を皆さまと共に聴きたいと思います。

この聖書の箇所ですが、ご年配の皆さま方が以前に親しんでおられた口語訳聖書と比べてみますと、いくらか違ったところがございます。例えば51節の〔天にあげられた〕のところや、52節の〔イエスを伏し拝んだ〕のところが、口語訳では[かっこ]に入っていたことをご記憶の方もおられると思います。なぜなら、伝えられている有力な写本の中に、これらの言葉があるものと、無いものがあったからなのです。

主なる神さまは、時にまことに驚くべきことをなさいます。二十世紀も半ばになって、エジプトの中央部の砂漠の町パバウの近くで、新約聖書のパピルス断片が見つかりました。「パピルス75」と名付けられたその断片は、炭素14による年代測定で、およそ西暦二百年頃のものとわかりました。ずっと砂漠の砂の中に眠っていて、現代になって私たちの目の前に、より古い、より原本に近い写本が見つかったのです。この聖書の箇所も、その「パピルス75」の発見によって、より原本に近い内容が分かるようになった所です。今私たちが用いております新共同訳聖書にはその成果が反映されています。

初代教会の頃、ローマ帝国の迫害はそれはそれは厳しいものでした。聖書が見つかれば直ちに焼却されました。ですから、新約聖書の原本はむろんのこと、ごく初期の聖書の写本もほとんどが失われてしまっているのです。しかし当時のキリスト者たちは、洞窟や地下などの暗い部屋の中で、小さな灯をたよりに聖書を書き写しました。その一つが「パピルス75」(写真左)なのです。

筆舌に尽くし難いほどの厳しい迫害の中で、当時のキリスト者たちの宣教のエネルギーはいったいどこから与えられたのでしょうか。その原点とも言うべき聖書箇所の一つが、いま私たちに与えられているみ言葉ではないでしょうか。「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」と書かれています。

復活の主は、弟子たちをベタニアの辺りまで連れて行かれます。50節には「彼ら」と書かれていますが、男性の弟子たちだけでなく、ガリラヤから主につき従ってきた女性の弟子たちもいたことでしょう。主は両手を上げて、弟子たちを祝福してくださいました。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられて行かれました。何と感動的な場面が描かれていることでしょうか。

すこし前、十字架の出来事のおりに、男の弟子たちはイエスさまをおいて逃げ去りました。何か失いたくないものがあったのでしょう。そしてユダヤ人たちを恐れ、隠れていました。しかしながら、そんな彼らのもとに復活のイエスさまの方から近づいて来て下さいました。み言葉を通して弟子たちの心の目を開き、さらに「あなたがたに平和があるように」と弟子たちを祝福して下さいました。罪赦され、救いと祝福が与えられた喜びに、弟子たちは心から満たされておりました。

主が祝福してくださる。そして弟子たちがほめたたえる。原文では、実はどちらも同じ言葉なのです。天からの祝福と地からの讃美が響き合います。「祝福しながら・・・」と書かれています。これは「ずっと祝福しつづけながら」という意味です。復活の主はいかなる時も、いつも私たちと共にいて下さいます。主はいつも私たちを祝福していて下さいます。パウロはそのような幸いを、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤ二章二十)と表現しました。
主の豊かな祝福をいただきながら、主の証し人の一人として共に生かされてまいりましょう。

日本福音ルーテル神戸東教会 乾和雄

13-05-02JLER月報2013年5月号−19号

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13-05-01るうてる2013年5月号

機関紙PDF

説教「祝福しながら彼らを離れ・・・」

日本福音ルーテル神戸東教会 乾和雄

「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」 ルカによる福音書二四章五十~五三節)

与えられました聖書の箇所は、ルカによる福音書の最後のところです。イエスさまがご復活ののち四十日の間弟子たちに現われてくださり、神の国について教え、そののち彼らを離れて天に上げられ、栄光の座につかれました。今日はその天に上げられたときのみ言葉を皆さまと共に聴きたいと思います。
この聖書の箇所ですが、ご年配の皆さま方が以前に親しんでおられた口語訳聖書と比べてみますと、いくらか違ったところがございます。例えば51節の〔天にあげられた〕のところや、52節の〔イエスを伏し拝んだ〕のところが、口語訳では[かっこ]に入っていたことをご記憶の方もおられると思います。なぜなら、伝えられている有力な写本の中に、これらの言葉があるものと、無いものがあったからなのです。
主なる神さまは、時にまことに驚くべきことをなさいます。二十世紀も半ばになって、エジプトの中央部の砂漠の町パバウの近くで、新約聖書のパピルス断片が見つかりました。「パピルス75」と名付けられたその断片は、炭素14による年代測定で、およそ西暦二百年頃のものとわかりました。ずっと砂漠の砂の中に眠っていて、現代になって私たちの目の前に、より古い、より原本に近い写本が見つかったのです。この聖書の箇所も、その「パピルス75」の発見によって、より原本に近い内容が分かるようになった所です。今私たちが用いております新共同訳聖書にはその成果が反映されています。
初代教会の頃、ローマ帝国の迫害はそれはそれは厳しいものでした。聖書が見つかれば直ちに焼却されました。ですから、新約聖書の原本はむろんのこと、ごく初期の聖書の写本もほとんどが失われてしまっているのです。しかし当時のキリスト者たちは、洞窟や地下などの暗い部屋の中で、小さな灯をたよりに聖書を書き写しました。その一つが「パピルス75」なのです。
筆舌に尽くし難いほどの厳しい迫害の中で、当時のキリスト者たちの宣教のエネルギーはいったいどこから与えられたのでしょうか。その原点とも言うべき聖書箇所の一つが、いま私たちに与えられているみ言葉ではないでしょうか。「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」と書かれています。
復活の主は、弟子たちをベタニアの辺りまで連れて行かれます。50節には「彼ら」と書かれていますが、男性の弟子たちだけでなく、ガリラヤから主につき従ってきた女性の弟子たちもいたことでしょう。主は両手を上げて、弟子たちを祝福してくださいました。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられて行かれました。何と感動的な場面が描かれていることでしょうか。
すこし前、十字架の出来事のおりに、男の弟子たちはイエスさまをおいて逃げ去りました。何か失いたくないものがあったのでしょう。そしてユダヤ人たちを恐れ、隠れていました。しかしながら、そんな彼らのもとに復活のイエスさまの方から近づいて来て下さいました。み言葉を通して弟子たちの心の目を開き、さらに「あなたがたに平和があるように」と弟子たちを祝福して下さいました。罪赦され、救いと祝福が与えられた喜びに、弟子たちは心から満たされておりました。
主が祝福してくださる。そして弟子たちがほめたたえる。原文では、実はどちらも同じ言葉なのです。天からの祝福と地からの讃美が響き合います。「祝福しながら・・・」と書かれています。これは「ずっと祝福しつづけながら」という意味です。復活の主はいかなる時も、いつも私たちと共にいて下さいます。主はいつも私たちを祝福していて下さいます。パウロはそのような幸いを、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤ二章二十)と表現しました。
主の豊かな祝福をいただきながら、主の証し人の一人として共に生かされてまいりましょう。

宗教改革五〇〇周年に向けて

ルターの意義を改めて考える(13)

ルター研究所所長 鈴木浩

罪の話を続けよう。史上、罪の問題を非常に真剣に考えた三人の人を挙げるとすれば、パウロ、アウグスティヌス、ルターとなる。
中でもアウグスティヌスは晩年、「原罪論」と呼ばれる教理を明確に主張し、「人間は罪を犯す苛酷な必然性のもとに立っている」とか「罪を犯さないことはできない」といった過激な発言をした。
そこで中世後期の神学者たちは、罪について語る際、アウグスティヌスには誇張があると言って、彼の過激な主張を和らげようとした。
ルターは、あの『九五箇条の提題』に先立って、『九七箇条の提題』を明らかにしていたが、それは次のような第一提題ではじまっていた。「異端者に反対して語る際に、アウグスティヌスの言葉には誇張があると言うことは、アウグスティヌスがほとんどどこででも嘘をついている、と語ることに等しい」。罪について語るアウグスティヌスの言葉は、そのまま受け取らねばならない、それがルターの主張だった。
罪の問題を真剣に受け止めること、それが、義認の出発点だ。義認とは、端的に、「無代価の罪の赦し」のことだからである。

春の「礼拝と音楽セミナー」
~チャント学んで、チャント歌う~

4月13日(土)の午後、日本福音ルーテル東京教会の礼拝堂で、東教区主催、教育部担当の「礼拝と音楽セミナー」が開催されました。今回のセミナーのテーマは「チャント」で、講義と実地指導は、青山学院大学教授の那須輝彦先生でした。

今回は、6月8日の「教会音楽祭」に向けての合同聖歌隊の旗揚げ練習がセミナーの後、組まれており、ルーテル学院大学、青山学院大学の聖歌隊の学生さんや、聖公会に属する教会で結成されている合同聖歌隊の方々が多数参加され、総勢80名あまりの大人数でした。大人数で歌うチャントが礼拝堂に響き渡り、壮観でした。
とは言え、「チャント」は「シング」とは違い、そもそも唱える、朗唱することに重きが置かれる音楽のことです。「アングリカン・チャント」と言われたりするように、聖公会の礼拝で育まれてきた教会音楽で、四声体の「和声定型」です。
歌詞は聖書の言葉、わけても『詩編』の言葉です。しかも、聖公会が母胎ですから、チャントは英語が基本です。 そこがグレゴリア聖歌とは、単旋律と和声の違いだけでは説明できない音楽性を醸し出しているのかもしれません。

聖公会の音楽とは言え、私たちルーテル教会の式文にもチャントは用いられています。「グロリヤ」がそうです。その「グロリア」の楽譜を見るとわかりますが、各節の長さは一定ではありません。そこで、各節の長さに合わせて単一和音で伸縮自在に歌い唱える部分「朗唱部」と、和音を動かして節の区切りをつくる部分があり、これがチャントの楽譜の特質と言えるのかもしれません。
しかし、この特質が、イントネーション言語である日本語に訳して朗唱する時は一筋縄ではいかず、苦労があるようです。

講師の先生は、「英国人はメロディやリズムよりも何よりも、ハーモニーを愛する国民で、イギリスは合唱王国です」と教えてくださいました。そうであればこそ、聖歌隊が歌い、会衆は耳を傾けて聞く、そういう礼拝音楽の文化が育まれているのかもしれません。
徳野昌博

「泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を」

長野教会 青木長栄

わたしは、毎日、夜、休む前に祈ります。朝に祈るという人も多いようですが、わたしの場合はどうも落ち着きません。
老人憩いの家などに、鍼灸マッサージの仕事に行っていますが、その日一日を思いだしながら、夜に祈るのです。
しかし、自分自身うまくいかない時の祈りは、自分中心の祈りになってしまいます。週報に記されていたりする「祈りの課題」も見なかったりします。そんな時は、信仰生活そのものがでたらめで、どうにもならない気がします。
私の妻は「脳卒中」で、半身がマヒしていて、施設に入っています。ですから、私は、今は一人暮らしをしています。妻が病気になったのは、十一年前の二〇〇二年(平成十四年)の十月のことでした。
妻を施設に入れる時、キリスト教関係の施設などを紹介してくれる方もおり、ありがたいことでしたが、妻の家族の勧めもあって、最終的には、長野県南佐久郡にある指定障害者支援施設「佐久療護園」に入っています。その日は、自分自身も施設見学に行かなければならなかったために、妻のことは妻の両親に任せて、出かけることす。
しかし、自分のことに戻りますが、家族伝道が十分にできていないことを、不甲斐なく思っています。

青木長栄さんは、日本盲人キリスト教協議会の一員で、長野県視覚 障害者キリスト信徒会の総務を しておられます。 編集子

JLER(ルーテル教会救援)対策本部 現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦

「となりびと」では、近い将来、発生が予測されている南海トラフ巨大地震等へ対応するため、今回の震災救援・支援活動を生かした防災・減災教育プログラムを行っています。3月には、ルーテル学院大学と聖望学園高校ハイスクールYMCA部の学生の皆さんが、このプログラムを体験されました。(プログラムの様子は「となりびとブログ」でご覧下さい)
今月号では今回の震災を体験し、ルーテル教会救援等への支援先情報の提供や、震災支援のボランティア・コーディネート活動もされている地元の方から、災害発生に対する備えについてアドバイスをいただきましたので、ご紹介します。

「災害発生に対する備え」

齋藤みや子
(石巻ボランティア・コーディネーター、日本キリスト教団石巻栄光教会員)

我家は、石巻市中央の北上川が太平洋に注ぐ河口から3km上流の所にあります。震災のとき町内は約2mの津波に襲われました。震災当日、大津波警報が出されて近くの避難所に避難するよう声がけされましたが96歳の父は歩けず、道路向かいの妹一家には、寝たきりの母親がいるので、妹一家の二階に私たち家族は避難しました。幸い避難先は倒壊などの大きな被害はなく無事でしたがこの判断が適切であったのか考えさせられました。
あの震災を体験し今後の災害に対する備えとして次のように考えています。

【1、避難場所の確認】
町内には小高い所に避難場所が指定されています。災害はいつも自宅にいるときに起こるとは限らないのでいざ災害が発生したら自分のいる場所からどこに避難すべきか、いつも念頭において生活しています。

【2、防災バックの備え】
避難時に携帯する物とし、懐中電灯・手袋・携帯用の飲料水・乾パンなどをいれて用意しています。

【3、近所の要支援者への避難体制づくり】
「津波てんでんこ」といってもそれができない高齢者や体の不自由な人たちを町内としてどのように支えあうのか今後の課題です。

編集者註
「津波てんでんこ」とは、「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」と言う意味です。

牧会者ルターに聞く
石田順朗

第1章 「R」は「R」でも リフォーマー・ルターの場合
その1.歴史に刻まれた「R」と「r」

日本ルーテル神学校の一九五〇年度再開に備えて、一年間、当時飯田橋の現ルーテルセンターにあった日本基督教団・日本神学専門学校の委託生となったわたしは、故石居正己牧師らと共に鷺宮キャンパスの故北森嘉蔵教授宅に下宿する身となった。教室での講義はもとより、時たま食卓での会話を『神の痛みの神学』の名立たる神学者と交わしえたのは、先立つ京都教会での故岸千年牧師の熱情溢れた教導に続いて、たいへんに恵まれたことであった。とりわけ印象に残る北森先生の言葉がある。「西欧史に刻まれ、日本史に欠ける二つのR ―ルネサンスとリフォメーション」を語られた時だった(『マルティン・ルター』アテネ文庫第一五七、一九五一年に所収)。
なるほど日本史では、「大化の改新」、「建武の中興」、「明治維新」の「三大改革」を知ってはいたが、英訳ではいずれも 「Reform/ Restoration」 になっていた。最近に至っては、「三位一体の構造改革(The Trinity Reform Package)」も聞かれたし、『維新』を標榜する政党すら誕生した(Restoration Party)。
同じ「R」でも、「ルネサンス」はさておき、「リフォメーション」と「リフォーム」は語意的に違うようだ。手許の『職業別電話帳』をくると、「ら欄」に、何と「リフォーム」が六種別で記載されている。今はやりの和製英語「リフォーム」は「居住中の住宅の改築や改装、特に内外装の改装」をさすようだ。
「改革者ルター」は「リフォーマー・ルター」となる。この「リフォーマー」には、「改革者」の意味もあるが、「サイズ直しや寸法直しなど、洋服の仕立て直しをする人」が大方の理解になっているという(『デジタル大辞泉』)。一考に価するような気がする。実は、中世の代表的な「牧会の手引き」に『整形師と医師』もあった。その書(Corrector et medicus)を編纂したドイツ、ウオルムス牧会教区の司教ブルカルドは述べている ?
「この書は、『整形師』とそして『医師』と呼ばれるもので、そのわけは、本書が身体への整形と魂への医薬を十分その内容にもっていて、司祭たちに、たとい無教育の者であっても、按手をうけたもの未按手のもの、貧者や富者、老若男女、健康者や病者、そのいずれにかかわらず、すべての人たちをいかにすれば助けうるかを教えるものである」。改めて考えさせられる。
「リフォメーション」で記憶に甦ることもある。ちょうど五十年前、日本福音と東海福音の兩教会合同が成立し、「教区制」が発足した。その創立総会直後の『るうてる』特集・合同総会報告号に、前述の岸先生が、時の総会議長として「古きは過ぎ去った」と題する巻頭文を寄せられた。その中で「今回の合同は、… キリストにおいて新しい出発点に立ったことになる。したがって、合同は、リフォメーション(再形成)である」と呼び、「これはルターのリフォメーション(宗教改革)に通じるものである」と述べられた。忘れ難い「R」であった。

いしだよしろう 引退牧師、九州ルーテル学院大学名誉学長、元LWF神学研究部長

野の花を見よ

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

「愛の泉保育園」には、やさしいこどもに育ってほしい願いから、花のステンドグラスもあります。季節や場所を抜きにして花が並んでいる。寒緋桜、赤いサンダカン、白い月桃の花がある。
5~6歳児が月桃の歌を歌ってくれた。激しい戦場になったあと、無残な焼土の中から、それでも生きていて白い花を咲かせた月桃の詩。
大輪のひまわりは園児たちの大好きな花。日本最西端の碑の建つ与那国島の岬には、岩間にゆりの花が咲いていた。
下には、日本のどこでも自生している、のいばら。荒れ地でも生き抜く強さを持ち、芳香のある白い小さな花を咲かせる。どくだみは臭気が強く、嫌われ者だが、十の薬効があるといわれる十字の白い花を持つ 。これらの花の詩は星野富弘詩集に見つけてほしい。
沖縄では全く雪を見ることはないけれど、空には雪片(雪の花)がある。
マタイ福音書6章28~29節
「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紬ぎもしない。しかし言っておく。栄華をきわめたソロモンでさえこの花の一つほどにも着飾ってはいなかった」。

春のティーンズキャンプ報告
3月26(火)~28日(木) 国立阿蘇青少年の家

キャンプ長 角本浩

「イエス・キリストについて知っていることはどんなことですか?」「あなたにとってイエス・キリストはどういう存在ですか?」94名のティーンズは申込書に記されたこの質問に答えてから、春キャンに参加しました。
「いつも共にいてくれる方」「奇跡を行った」「尊敬できる人」「12月25日が誕生日」「神の子、救い主」「神様と私の橋渡し」「守護霊みたい」などなど。皆さんならどんなふうにお答えになるでしょうか。
今回の春キャンは「イエス・キリストに出会う」をテーマとしました。普段の教会生活ではなかなか味わえない「からだで味わう経験」をいっぱいしました。足を洗い合う、茨をかぶる、背中に十字架(枕木)を背負う・・・。ただ単に「尊敬できる人」ではなく、どのように私たちを救われたお方なのかを知るために。最終日に一人ずつ行った感想は、キャンプ前の答えとは違う深みが感じられるものとなりました。
同じ信仰をもち、同じ讃美を歌い、同じ祈りをささげる同世代の仲間と過ごす。これも普段それぞれの教会では味わえないことです。帰路わたしが車に乗せていったキャンパーたちも阿蘇を離れるにつれ、「ああ、春キャンが終わるう」と寂しそう。中身の詰まった三日間を皆が堪能しました。
この中高生たちがやがて、あなたの教会を支える重要な存在になります。祈っていてください。今後ともご支援ください。
今回、私はキャンプ長でしたが、 はっきり申し上げてほとんど何もしていません。座って見守っていればすべてが進んでいきます。準備の段階から最後の仕上げまで。それはスタッフの方々が実に素晴らしく組織的に動いておられるためです。 今回は20回目を数えましたが、これまでの19回の間にさまざまなご苦労をなさりながら、ここまで来られたのだと実感しました。次世代への信仰継承のために、労を惜しまず尽くしておられる方々がおられること、最後になりますが、感謝をもってご報告しておきます。

久米芳也先生召天の報に想う

九州学院理事 田中善一(玉名教会)

て、一緒に仕事をしましたので、沢山の思い出がありますが、そのすべてを語ることはできませんけれども、深く脳裏にある一つを記します。
久米先生は広島教会の柏木信隆牧師のあとを受けて一九八七(昭和六二)年、理事長に就任され、十年後の一九九七(平成九)年に現長岡立一郎理事長へ引き継がれました。
久米先生は温厚でまじめ、しかも信念の方でした。これまで歴代の理事長は福岡、大阪、広島在住でした。理事長は学校法人の経営の最高責任者ですが、ボランティアでした。歴代の理事長は現場の責任者を信頼して委ねておられたのでしょう。
昔は年二回開催される予算理事会と決算理事会に来られ、そのほかは年数回来られるくらいでした。久米芳也先生は熊本市の神水教会の牧師でしたのでお願いすればすぐに来てくれました。現場のことも見聴きされてよく判ってもらえました。
九州学院の男女共学を決意し、理事会においてその必要性を真剣に説き、一回の理事会で通過させてしまいました。初めてこの提案を聞いた方はまさに青天の霹靂だったことでしょう。
同窓会の役員への説明と説得も精力的にされました。九州学院教職員の中にも男女共学に反対する者もおりました。殊に在京の同窓生の反対運動は激しいものでした。西一郎院長と私は上京して説得に当たりました。
久米理事長はそのような中にあっても沈着冷静に九州学院の経営の最高責任者として女子生徒受入の施設改修計画など着々と進めて一九九一(平成二)年創立八十周年を期して男女共学を実施したのです。九州学院創立以来の一大変革でした。
今日の九州学院の基礎づくりをしたのは久米芳也先生なのです。

別れの挨拶

SLEY宣教師 マルッティ ポウッカ

47年前のある冬の夜に、こんなことがありました。私の実家は二階立てで外はもう暗くなっていました。どうしてか、覚えていないのですけれども、私は小さい明りをもって、その二階の暗い部屋に行きました。そして、何か変な影を見て、怖くなって、駆け下りて、姉と母のところに泣きながら逃げこみました。そして、姉と母に慰められました。それから、姉がその部屋の中に何かあるか、調べに行きましたが、結局、何もありませんでした。私が見たものは、私の影だったかもしれません。
私が怖がっていた時、母と姉は私を助けてくれました。でも、人間はいくら意志があっても、全てのことを助けることは出来ません。では、イエスはどうでしょうか。お出来になります。私はイエスを信じて、イエスと共に歩んでいれば、暗い部屋でも死さえも怖がらなくていいのです。勝利者のイエスが、助けてくださるからです。そして毎日、イエスは道であり、真理であり、命であるという教えを覚えましょう。
マタイ28章20節「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
皆さんの上に神様の豊かな祝福がありますように。

ポウッカ先生は2010年9月に東教区のスオミ教会に着任され、2013年4月に離任、帰国されました。

女子学生会館「文京カテリーナ」と小石川教会の耐震工事、進捗状況

小石川教会 牧師 徳野昌博

1月28日(月)に、耐震工事の起工式を小石川教会の礼拝堂で行い、その翌日から、工事は本格的に始まりました。教会部分の工事は2月10日の主日礼拝終了まで待っていただきました。最後の礼拝後、教会員と一緒に片付けや持ち出すものの分別をしました。大掃除同然で、それなりにたいへんでしたが、身軽になった感じがして、爽快でした。
工事は6月末に完了する予定です。教会部分は5月末まで立ち入り禁止です。その間、主日礼拝は、お隣り、と言っても、一つの同じ建物の中にあるわけですが、日本福音ルーテル教会の収益事業の一つである、女子学生会館「文京カテリーナ」の食堂をお借りして行っています。都合15回です。
その間、カテリーナの食堂部分の工事は後回しになるわけで、便宜を図ってもらっています。カテリーナの全面的なご理解とご協力をいただいて、主日礼拝が普段通り行われていることは、まことにありがたいことです。
工事内容としては、「ピタコラム」と言う、かすがい様の鉄骨による外壁の補強(一部は建物内部にもはめ込むようです)。それと、礼拝堂のように、柱が少なく、空間部分が広く、大きいところは、梁や柱に鉄骨を添え木のようにして補強したり、補強壁を新たに設置するというものです。そのために礼拝堂も集会室も牧師執務室も狭くなるのですが、安全安心には代えられません。特に、カテリーナは150名からの女子学生さんをお預かりしているわけで、社会的責任を果たす点でも、耐震工事は不可避のことだと思います。
「耐震工事に着手」ということで、この4月、カテリーナは満室でスタートできました。2年ぶりのことです。1980年の開業年を除いて、その後は、ずーっと満室で年度をスタートしていたのですが、東日本大震災が発生した2011年、そして、その翌年2012年は満室にできませんでした。大震災の影響はもちろん、恒常的な少子化、不景気、それに加えて、同種施設の過当競争という逆風の中、カテリーナの職員さんたちは、必死になって対策を講じておられたことを、私も、月に一度の「職員ミーティング」に陪席させていただいていて、つぶさに見、聞き及んでいました。ですから、満室スタートの報告は、うれしいことでした。
教会は教会で、礼拝堂に比べると、手狭な食堂ですが、まさしく肩を寄せ合っての礼拝は、出席者同士の距離を縮め、なごやかな雰囲気を一層醸し出しています。日曜日ごとの「礼拝堂」設営、撤収も、たいへんですが、一致協力して作業し、回を重ねるごとに工夫がなされ、時間も短縮、楽しくやっています。「すっかり慣れた頃に、礼拝堂へ戻ることになるんですね」と言葉を交わしつつ、工事の完了を待っています。その日は、小石川教会にとっても、カテリーナにとっても、希望に満ちた再出発となることでしょう。

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。
二〇一三年五月一五日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
代表役員 立山忠浩

信徒利害関係人 各位

①名古屋教会幼稚園園舎無 償譲渡
・所在地 名古屋市千種区今池3丁目501番地2
イ所有者 日本福音ルーテル教会
家屋番号 501番の1  種 類 幼稚園園舎
構 造 木造亜鉛メッキ銅版葺平家建
床面積  131.22㎡
ロ所有者 名古屋教会
家屋番号 501番の4
種 類 幼稚園園舎
構 造 鉄筋コンクリート造スレート葺2階建
床面積 1階366.32㎡
2階135.5 5㎡
・理由 名古屋幼稚園の学法化(編入)に伴う基本財産の一部として愛知ルーテル学院に無償譲渡する。
②名古屋教会土地無償貸与
・所在地 名古屋市千種区
今池3丁目
地番 501番2
地目 境内地地積 1287㎡
・理由 名古屋幼稚園の学法化(編入)のために、貸与期間を二〇一四年四月一日から二十年間と定め、愛知ルーテル学院に無償貸与する。

13-04-18一人一人の魂の名を呼ばれる方に向き直って

ヨハネによる福音書20章11節〜18節

イースターおめでとうございます。3月31日の復活祭の日曜日にはお一人お一人の方がいろいろなかたちで復活祭の日曜日を過ごされたと思います。教会で礼拝を守りその後、愛餐会を楽しまれた方、礼拝の中で受洗された方、今年はどうしても教会に行くことができず一人で祈っておられた方などいろいろな方がおられたと思います。毎年迎えるイースターですが、この日を迎える私たちの思いや迎え方は毎年違います。
私もイースターのことを思い出してみると教会学校に通っていた私はイースターの朝、近くの公園で行われる卵探しがとても楽しみでした。やがて教会学校の先生になってから卵を隠す側になったとき、生徒だった自分がどんなにわくわくして卵を探していたかを思い出しながら隠し、「ヨーイドン」のかけ声で楽しそうに走り出す子どもたちの笑顔を見ていました。その反面、隠した卵を狙うカラスとも勝負していました。
大人と言われる歳になってからも毎年おとずれるイースターという季節はいろいろな思いを運んで来てくれたように思います。
このように毎年毎年やって来るイースターの日ですが毎年毎年イエス様が復活されるわけではありません。イエス様が十字架に掛かられ息絶えられ三日目に復活されたのは一度だけです。しかし、そのイエス様の復活、そして命への道の意味を受け取る私たちの心や状態は変わります。幼い頃の自分にとってのイースター、昨年の自分にとってのイースター…、変わって行く自分を責める必要はありません。私たち一人一人は成長し変わっていくものです。しかしイエス様の復活はただ一度だけの真実なのです。
今、与えられました聖書の箇所はよくイースター礼拝でも読まれる箇所です。この箇所を読んで思い出した一つの思い出があります。それは私が幼い頃、母方の祖母の家で毎年、親戚一同が集まり行われた家庭礼拝のことです。礼拝は聖書朗読や難しい(そう感じていました)お話、賛美,祈祷が行われました。賛美はその場で賛美歌の番号が決められておじたちかおばたちの誰かが初めの音を出すと皆が一緒に自分のパートを歌い出しそれはそれは素敵なハーモニーを伴奏も無しで歌うのでした。少し古い例えですが混声のダークダックスでした。その美しいハーモニー以上に私が好きだったのは祖母のお祈りでした。祖母が祈っている内容はまだ私には難しかったのですが祖母は必ず家族一人一人の名前をあげて祈りました6人いた自分の子どもたちの名前はもちろん、その配偶者と子どもたちの名前まであげて祈るのです。今思うととても大人数でした。長い長いお祈りの中その場にいない父や兄たち姉の名前そして次に自分の名前が呼ばれます。どんなに難しい長いお祈りでも自分の名前だけはわかります。それが今、この聖書の箇所を読んだときに思い出されました。
今日、復活されたイエス様へと心を向けます。神様であるイエス様も同じではないでしょうか。家族である全ての私たち一人一人の魂の名前をいつも変わることなく呼んでおられます。ただ、その声を神様であるイエス様からの声であることを受け止め,今のそのままの自分で応えること、すなわちイエス様へ向き直って返事をすることが今の自分を新たに生きる、復活するという意味になるのではないでしょうか。
自分の今を神様であるイエス様の価値観に委ねるとでも言うのでしょうか。神様であるイエス様が全ての一人一人を呼ばれておられます。なぜ、私なんかを呼んでくださるのでしょうか。それはただ私たち一人一人を必要とされているからです。その声に応えるのは私たち一人一人の自由です。
全ての一人一人がイエス様から召され必要とされています。こんな私じゃダメだわとかもっと勉強してからとか理由をつけて神様であるイエス様の方へ向き直れないのは自分のこだわりや気持ちだけなのです。
神様であるイエス様は全ての一人一人の魂の名前を呼ばれ待っておられます。
日本福音ルーテル教会東教区付牧師  伊藤早奈

13-04-02JLER月報2013年4月号−18号

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13-04-01るうてる2013年4月号

機関紙PDF

13-03-18悲しみに寄り添う主イエス

ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。 ヨハネによる福音書13章8節

三月は北国でも春の音信を感じる季節です。教会の暦では、主イエスの受難から復活へと思いを傾けるときとなります。 主は十字架の苦しみの前日、弟子たちと共に夕べの食卓へ着かれます。「最後の晩餐」のときです。そして、その席で思いがけないことを主イエスはなさいます。12人の弟子たちの足を洗い、そして腰にまとった手ぬぐいで拭き始められるのです。主の「洗足」の出来事です。主イエスが弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれたみわざです。弟子たちの驚きはどんなだったでしょうか。
シモン・ペトロは自分の番になった時、 「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」とお尋ねします。すると、主イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられます。ここに、主イエスが弟子たちに与えてくださった神の愛の本質が示されています。

弟子たちが主イエスに何かをすることよりも前に、主イエスが弟子たちに仕え、弟子たちの足を洗ってくださいました。それはわたしたちが主イエスにつながるときも、主イエスがわたしたちのために祈ってくださり、仕えてくださることと同じなのです。
主イエスはこの後、ペトロが自らの弱さの故にイエスを三度知らないと言って、主のみ名を否定することもご存知でした。他の弟子たちが主イエスを見捨てて、主の元から去っていくこともご存知でした 。 それにも拘らず、主イエスは弟子たち一人ひとりの足をぬぐってくださいます。 最後の最後まで、愛し抜かれた主イエスのお姿がそこにあります。人間のいかなる行いよりも先行する神の愛の出来事を、主イエスは実現してくださいます。

「洗足」のイエス・キリストのお姿は、今にも倒れ伏してしまうわたしたちを再び立ち上がらせてくださるのです。この世にあって、わたしたちの足はすぐに汚れ、土にまみれてしまいます。黒く汚れた足を、くり返しくり返し主イエスは洗い、清め、汚れたものをふき取ってくださいます。主イエスはわたしたちの側近くに居て、過ちと怠りを赦し、再び歩みだす勇気を与えてくださいます。

わたしたちの一切の努力が空しいと思われるその時、主イエスがそこに居て、わたしたちの足を洗うお方として仕えてくださるお姿を見るのです。
大学病院の集中治療室で危篤になってベッドに伏している友のため、祈り疲れているときに、その場所に主イエスがおられることに気づかされる。
道端で寒さと貧しさのため疲れ果てている者の側に、主イエスがそこに居て祈っておられるお姿を見る。
とぼとぼと暗い夜道を歩いていく時に、その隣に一緒に歩いてくださる主イエスを見る。
弟子たちの足を洗ってくださった主イエスは、今も、みことばによってわたしたちの悲しみに寄り添ってくださいます。わたしたちの思いを超えたあり方で、主イエスはその場所に居てくださいます。

そして、主イエスはわたしたちに新しいみことばを示してくださいます。「洗足」の主イエスが、弟子たちにお示しくださった新しいみことばの恵みを与えてくださいます。
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と。
主イエスの愛に押し出され、今、居る場所にて互いに愛し合う道を進んでいきましょう。

日本福音ルーテル名古屋めぐみ教会牧師 田中博二

13-03-02JLER月報2013年3月号−17号

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13-03-01るうてる2013年3月号

機関紙PDF

説教 悲しみに寄り添う主イエス

日本福音ルーテル名古屋めぐみ教会牧師 田中博二

ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。 ヨハネによる福音書13章8節

三月は北国でも春の音信を感じる季節です。教会の暦では、主イエスの受難から復活へと思いを傾けるときとなります。 主は十字架の苦しみの前日、弟子たちと共に夕べの食卓へ着かれます。「最後の晩餐」のときです。そして、その席で思いがけないことを主イエスはなさいます。12人の弟子たちの足を洗い、そして腰にまとった手ぬぐいで拭き始められるのです。主の「洗足」の出来事です。主イエスが弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれたみわざです。弟子たちの驚きはどんなだったでしょうか。
シモン・ペトロは自分の番になった時、 「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」とお尋ねします。すると、主イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられます。ここに、主イエスが弟子たちに与えてくださった神の愛の本質が示されています。
弟子たちが主イエスに何かをすることよりも前に、主イエスが弟子たちに仕え、弟子たちの足を洗ってくださいました。それはわたしたちが主イエスにつながるときも、主イエスがわたしたちのために祈ってくださり、仕えてくださることと同じなのです。
主イエスはこの後、ペトロが自らの弱さの故にイエスを三度知らないと言って、主のみ名を否定することもご存知でした。他の弟子たちが主イエスを見捨てて、主の元から去っていくこともご存知でした 。 それにも拘らず、主イエスは弟子たち一人ひとりの足をぬぐってくださいます。 最後の最後まで、愛し抜かれた主イエスのお姿がそこにあります。人間のいかなる行いよりも先行する神の愛の出来事を、主イエスは実現してくださいます。
「洗足」のイエス・キリストのお姿は、今にも倒れ伏してしまうわたしたちを再び立ち上がらせてくださるのです。この世にあって、わたしたちの足はすぐに汚れ、土にまみれてしまいます。黒く汚れた足を、くり返しくり返し主イエスは洗い、清め、汚れたものをふき取ってくださいます。主イエスはわたしたちの側近くに居て、過ちと怠りを赦し、再び歩みだす勇気を与えてくださいます。
わたしたちの一切の努力が空しいと思われるその時、主イエスがそこに居て、わたしたちの足を洗うお方として仕えてくださるお姿を見るのです。
大学病院の集中治療室で危篤になってベッドに伏している友のため、祈り疲れているときに、その場所に主イエスがおられることに気づかされる。
道端で寒さと貧しさのため疲れ果てている者の側に、主イエスがそこに居て祈っておられるお姿を見る。
とぼとぼと暗い夜道を歩いていく時に、その隣に一緒に歩いてくださる主イエスを見る。
弟子たちの足を洗ってくださった主イエスは、今も、みことばによってわたしたちの悲しみに寄り添ってくださいます。わたしたちの思いを超えたあり方で、主イエスはその場所に居てくださいます。
そして、主イエスはわたしたちに新しいみことばを示してくださいます。「洗足」の主イエスが、弟子たちにお示しくださった新しいみことばの恵みを与えてくださいます。
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と。
主イエスの愛に押し出され、今、居る場所にて互いに愛し合う道を進んでいきましょう。

宗教改革五〇〇周年に向けて

ルターの意義を改めて考える(11)

ルター研究所 所長 鈴木 浩

ルターの神学で意味合いがすっかり変わった言葉をもう一つ挙げよう。「教会」である。それまでは、教会は組織であり、制度であり、建物であった。その頂点に教皇がいた。
ルターの年若い同僚、メランヒトンが、「アウグスブルク信仰告白」という重要文書の中で、新しい教会観を見事に描いた。
その内容を要約しよう。
一、教会とは建物のことで はなく、信仰者の集いの ことである。
二、そこでは、福音が純粋に 語られている。
三、そこでは、福音に従っ て、洗礼と聖餐が行われ ている。
そして、メランヒトンはこう付け加える。「それだけあれば、十分だ」。
逆に言えば、「福音が純粋に語られ」、「福音に従って、洗礼と聖餐が行われ」ていなければ、他に何があっても、そこは教会ではない。
制度的理解が、機能的理解へとすっかり切り替わっている。無論、そうした機能が十分に発揮されるためには、一定の仕組みや組織が必要になる。しかし、機能を果たさなくなった組織は、変えなければならない。こうして、教会の組織が徐々に改められていった。

おいでよ!
ルーテル教会東教区50年記大会に!

教会合同50周年の記念でもある「ルーテル教会東教区50年記念大会」は、「やっぱりルーテル―50年目の出会い、交わり、新しい旅立ち―」をテーマにして、5月4日に開催します。午前中のプログラムは主にルーテル学院大学キャンパスを会場に、午後には、隣接のICUチャペルで「派遣の礼拝」が予定されています。
この50年、神様に守られてきたことを感謝する第一部のプログラム(午前10時~午後1時)は、教区内の諸教会、ルーテル学院大学・神学校、社会福祉施設のご協力をいただく企画です。多勢の参加者が同時に楽しめるフェスティバル的内容が中心となります。多様なプログラムを体験する中で、ルーテル教会の良さを再び知ろうという願いを込めて以下の内容を検討しています。

◎50年間のシンボルのプログラム:長年各個教会の宣教活動を支え、今日のルーテル教会の礎を築いた引退牧師の諸先生方との「会場での交流」や、大先輩の信徒の方々の紹介や大会のキーワードである「ルーテルの良
さ」を確認できるような記念グッズについても検討しています。

◎「教会紹介・施設紹介ブース」の設置:①教会紹介ブースは、教区内の地域に溶け込んでいる37教会の風景をスケッチ画(中川浩之兄担当)と写真、コメントで紹介するコーナーを設けます。②東教区内にある「キリスト教精神に立つルーテル法人グループの施設にも大会への参画を呼び掛けており、申出があれば、紹介ブース等を用意する予定です。

◎ 「学び」のコーナー:まもなく訪れる「宗教改革五百周年」に向けて、ルターの意義を改めて考える機会として、学びのコーナーを設けます。「ルターの信仰とは、キリストに対する信頼である」(ルター研究所鈴木浩所長)を中心に学びます。四つのテーマ(信仰・恵み・聖書・聖礼典)の講座では、アウグスヴルグ信仰告白、小教理問答をテキストに学びをします。

信徒の声

「主に導かれ点訳者の道を歩いて」後継者を求めています

横浜教会 金子道弘

1976年の「るうてる」で、『盲人の方への図書が不足している、点訳奉仕者を募る』との武村牧師の記事に触発されて、「日点」(日本点字図書館、1940年キリスト者盲人の本間一夫氏が私財で創設、近年も全国の視覚情報施設の指導等、最近は中核点字図書館として重要な役割も担っている)にお願いして点訳通信教育を受け、翌77年から日点の正式点訳奉仕者に。
主の導きで、ライフワークとして用いられていますが、振り返りますと、 94年にパソコン点訳になるまでは、点筆で厚紙に打ち込み、小さなミスだけは糊で消し打ち直せますが、全頁書き直しもあって大変でした。右手小指の「点ダコ」は今に残っています。
2000年の還暦と退職を機に、「センター」(キリスト教盲人伝道センター点字図書館、静岡市、創設40年を越え、プロテスタント唯一の超教派の点字図書館)に主軸を移して点訳・校正の奉仕を続けさせて頂いております。
日点がシステムを管理する「サピエ」図書館は2010年に運用を開始、インターネットで全国の視覚情報施設・団体240以上が参加し(「センター」も参加)、5万人以上が利用され、音訳・点訳の環境は大幅に改善されています。
日点の点訳奉仕者数は77年335人でしたが、点訳歴「50年以上」の方の勇退など高齢化もあって、漸減し11年には遂に二桁に減りました。が、一般図書は「サピエ」で効率化されました。
キリスト教専門図書は一般図書館では殆ど点訳されないため、 センターでの点訳体制は重要ですが、奉仕者漸減で、後継者育成が喫緊の課題です。

日点の協力も得て、センターでは点訳希望者を募集しています。通信教育(殆ど、教材での自習、演習のパソコン通信での添削指導により6か月位で育成から実務へと移行の予定。根気強く、末長く奉仕出来る方を歓迎)で受講していただき、私を含め70代以上で数少ない点訳者が次代の奉仕者にバトンタッチしたいと願っています。

JLER(ルーテル教会救援)対策本部現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦

まもなく、被災地は震災から二年を迎えます。「となりびと」では、今月より、これまでの支援活動に加え、近い将来、発生する確率の高い、南海トラフ巨大地震への備えとしての防災・減災教育活動を開始します。今月号では、今回の震災を体験し、「お花畑・花壇プロジェクト」として「となりびと」が支援を続けている石巻市のNPO団体、スワン国際協力の会代表の千葉直美氏から、震災に対する心構えと教訓について投稿していただきました。尚、同氏のパートナーは、震災後から現在まで、「となりとびと」現地スタッフとして支援活動をされている千葉一氏です。

震災発生に対する心構えや教訓~女性の視点から
スワン国際協力の会代表  千葉直美

2011年3月11日、私の住む宮城県石巻市を東日本大震災が襲いました。
あまりにも突然で、自分がほとんど防災準備や心構えがなかったことを反省しています。
被災後、食料や水といった生活必需品の確保は、もちろんですが、女性達の多くは、どうやって家族に、栄養のバランスがとれた温かい食事を提供できるかに心をくだいていました。 電気やガスが止まり、卓上カセットコンロや、昔ながらの石油ストーブで料理したり、または庭や広場で火を焚いて共同で炊き出しをしていました。オール電化で便利な中、このように調理法の選択肢があった方がいいかもしれません。三月という寒い時期、一杯の温かいお茶がどんなに嬉しかったか。
台所が女性にとって、非常に大切な場所であることは、この震災であらためて実感しました。私の出会った女性たちは、一階にあった台所が破壊され調理器具を失っていました。ルーテル教会救援が提供してくださった、まな板と包丁は、とても喜ばれました。与えられたものだけを、そのまま口に入れるだけでなく、自ら「調理する」という行為が、被災当時、生きる証であり、励みになった気がします。
生け花、茶席、花壇作り、キャンドル作り、コンサートといった女性の心の癒しの時間にも、ルーテル教会救援のご支援をいただき、ここに感謝申し上げます。
【スワン国際協力の会ブログ】http://ameblo.jp/swan20110311/

バッハのカンタータを聴く11
(BWV244)マタイ受難曲

日本ルーテル神学校名誉教授 徳善義和

バッハの教会音楽は音楽による説教である。私は主としてまず歌詞からこれを解釈しようと努めるのだが、これを音楽の面からとらえようと思う場合でも、いずれにせよそれが音楽による説教として伝えようとしているメッセージを聴き取ることが必要だろう(リーヴァー『説教者としてのJ・S・バッハ』教文館参照)。
ヨハネ受難曲と違って、マタイ受難曲の歌詞はバッハ独自のものである。この歌詞がだれによって用意されたのかが注目を集めるところだが、バッハ自身が五〇年ほど前のハインリヒ・ミュラーというルーテル教会牧師の受難説教集を読んでいた(この本はルター全集と共に遺産目録にも記載されている)。これを他の多くのカンタータの作詞者として知られるピカンダーと呼ばれたヘンリツィに読むようにバッハが勧め、彼もこれから大きな影響を受けて作詞したというのが最近の研究で明らかになっている。この受難曲の自由詩の部分にはその説教集の文言と並行する表現が多く認められるという。 その受難説教は当時の傾向を反映したものだが、マタイ受難曲では十字架の死に至るほどの主の深い愛を歌い上げているのである。だからその研究書は第49曲がマタイ受難曲の中心メッセージであると結論付けている。ピラトの審問に際して群衆が「十字架につけよ」と繰り返し叫ぶただ中で沈黙するイエスについて、ソプラノのソロが物悲しいほどに歌う「愛ゆえにわが救い主は死のうとなさる」と歌うところである。
一七二七年の聖金曜日、トマス教会での礼拝のために作曲、演奏されたマタイ受難曲は、まさしく受難曲らしい受難曲として、当時のライプツィヒの市民に大いに受け入れられ、バッハ生存中も何度も演奏された。しかしその後音楽の傾向もそれを取り巻く環境も大きく変わり、バッハの死後その音楽すべてがすっかり忘れ去られていた中で、この受難曲をメンデルスゾーンがほぼ百年後の一八二九年にベルリンで復活演奏して、今に至るまでのバッハの音楽全体への関心を深く呼び起こしたことはよく知られている事実であろう。
日本ではこれは毎年演奏会としてコンサートホールで歌われるのが常だが、最終合唱が「我々は涙を流してひざまずく。・・・安らかな憩いを」とを歌い終わると、私は心の内で「アーメン」と唱えて聴衆の拍手の中を立ち去り、主の受難の意味を静かに心に刻むのである。
カット:マタイ受難曲、バッハ晩年の自筆楽譜、聖書のことばは赤インキで書き込まれた

ΙΧΘΥΣ

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

沖縄には、空軍基地の危険と騒音に苦しむ幼児施設がある。防音窓の内側に、平和の夢を願ってステンドグラスを匿名氏と共に送っている。その一つ、沖縄市の「愛の和泉保育園」には、魚のデザインのものが入っている。
海面に向って浮上する大魚、色々な小魚の群れがそれにしたがっている。大魚は深い海底にまでもぐり、海面にまで浮上する。その姿は、生命の源である復活の姿を示す。
園児たちが騒音と不安な世の中から救われて、主イエス・キリストによる真の平安が与えられることを祈って止まない。
ギリシャ語で「イエス・キリスト・神の子・救い主」の頭文字を組み合わせると『イクトゥス(ΙΧΘΥΣ)』「魚」となる。
初代教会の信仰告白となっていた。主イエスのご受難の後、弟子たちは故郷ガリラヤに帰り、湖に漁に出ていた岸辺には復活の主イエスが待っておられ、食事まで用意していた。
「イエスは来て、パンを取って弟子たちの与えられた。魚も同じようにされた」。
(ヨハネ福音書21章13節)

いらっしゃいませ~(*^_^*)TNG幼児部門!

TNG幼児部門  朝倉三枝子

わ~きゃ~ドタドタと、ところかまわず自己表現をする乳幼児期の子どもたち、元気な声や笑い声が教会の中に響き渡ることは素敵なことですが、みなさんの教会ではいかがですか? だんだんそんな光景も少なくなっているのかな?
*いろいろな教会のニーズに応えたい!
*お孫さんやお知り合いの方々にみことばを伝えたい!という思いで私たち委員と協力委員は日々メール会議を重ねています。

この4月からは「こひつじレター」がリニューアル。年3回発行に変更! 毎月第3日曜日の聖書日課メッセージと、子育て中の保護者のメッセージ・絵本・教会・園長先生・遊びの紹介(今回は藤が丘教会の田村忠夫先生)。
「ぬりえでDEみことば」は賀茂川教会の片山幹子さん。多くの牧師や信徒の方々の協力によって発行されています。教会あてには無料で、個人宅にはメール手数料年間五百円で20部まで送ることができます。
乳幼児だけではなく、子どもにも理解しやすいメッセージとかわいいぬりえやお花の祈りをご自分のために、また年配の方々にも利用していただいています。
どうぞみなさんの教会やご家族のためにこひつじレターを活用してください。そしてどんどん幼児部門に「こんなのあったらいいな!」というご意見をお寄せください。 ホームページ(第一聖書日課のメッセージと谷口奈緒子さんのイラスト掲載)でもお待ちしています。
http://こひつじ.net/

2013年度の活動予定その2

事務局長 白川道生

●「日本福音ルーテル教会全国教師会全体退修会」が、来る11月18日~20日(千葉県)での開催と決定しました。四年に一度開催されてきましたが、今回は「宗教改革500周年記念事業」の一貫として、2017年に向けて進められている礼拝式文の改訂等をはじめ、直面する諸課題に関する神学的な協議が予定されております。
●海外教会との連携による活動も予定され、7月から8月にかけては、和田憲明牧師(箱崎教会・聖ペテロ教会)が、米国福音ルーテル教会のプログラムを活用して、フランスとバングラディシュに出かけられます。「テゼ共同体とラルシュ共同体におけるキリスト教の霊性について」が研修テーマです。
また、高村敏浩牧師(岡山、松江、高松教会)が留学に出発されます。ルター神学を学ぶべく、米国内の神学校に本年より4年間、日本福音ルーテル教会からの派遣となります。(これも米国福音ルーテル教会の支援を受けています。)

小泉潤牧師の召天に寄せて

引退教師 田中良浩

一月末、召天2週間前に、小泉牧師を琵琶湖畔の虹の家と名付けられたお宅に訪ねました 。会うなり彼は「ずいぶん前のことだけど、 あなたは僕に『潤ちゃんは走りながら死ぬよ』 と言ったんだよ」と言いました。私は「そんな失礼なことを言ったかなぁ」と答えると、彼は「僕のことをよく言いあてたよ」と微笑んで答えました。その時ここで読もうと思って選んでいた聖書を読みました。
「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです」(Ⅱテモテ4・7~8)。目をつぶって聞いた後、彼は「僕のためにすばらしい言葉を本当に有難う」と答えました。そして小泉牧師を中心にしてご家族と共に聖餐の恵みに与りました。
神学校での生活、そして牧師の歩みを共にして以来、60年になります。振り返って見ると彼の人生は「夢、情熱そして誠実さにあふれた人生」でした。彼は神学生時代から牧師になってからも彼の夢、情熱そして主なる神への信仰と服従の誠実さゆえ、周囲の多くの人々を巻き込みました。
彼は私の家庭の成立のためにも彼なりの、私にとっては「どうして?」と思うほどの努力と世話をしてくれました。後年、彼の家庭が成立するために候補者の写真を並べて「最後の配偶者選び」を我が家でやりました。そして最終的に「小枝さん」を選んで、そこで私が小枝さんと小泉家の将来の家庭のためにお祈りをささげました。
その結果、現在日本福音ルーテル教会の牧師2人(基・嗣君)、ミッションスクールの聖書と音楽の教師(道子さん)、神の創造の第三日目のわざに関わる仕事を生業とする方(摂君)と四人の子供さんに恵まれました。
彼はその間1998年から2001年まで教会の議長として20世紀から21世紀への教会行政の橋渡しの重責を担いました。同時に病ある方々を助けたり、平和運動、反原発運動のためにも信仰と情熱を注ぎました。
小泉潤牧師のすべてを支えられた小枝さんに感謝し神さまの平安をお祈りいたします。

教会音楽祭のご案内

1968年にカトリック、聖公会、日本基督教団、ルーテル教会の4教派で始まった「教会音楽祭」は、超教派の音楽祭として1000人以上の参加者を得る日本最大規模の集まりとなりました。 現在、日本福音ルーテル教会の他、カトリック教会、カンバーランド長老教会、日本長老教会、日本聖公会、日本基督教団、日本同盟基督教団、日本バプテスト連盟が参加しています。
第31回は「ともに希望の歌を」というテーマで開催されます。東日本大震災後、自然災害や人災という苦難に直面した時に、希望をもたらす信仰の歌が欠落していることに気づかされました。震災から2年経ってもなお、復興にまだまだ辿り着くことができず、希望すら持つことのできない人たちが多くいらっしゃいます。震災後「私たちは何が歌えるのか?」という疑問の中で、「全てを失っても 神さまは共にいてくださる」という希望に心を合わせることをが大切なのではないか?という思いに至り、今回のテーマが決まりました。
第31回の教会音楽祭は、カンバーランド長老教会、日本同盟基督教団、日本バプテスト連盟の3教派が主催教派として準備を進めております。
日本福音ルーテル教会は、日本聖公会と合同聖歌隊を作り、那須輝彦先生を指揮者にお迎えして奉唱することになりました。またルーテル学院大学と青山学院大学の学生を中心メンバーとして、大学生による合同聖歌隊が結成されます。
「エキュメニカル」という意味からも貴重な機会になると思っております。教会音楽祭にぜひご来場下さい。お待ちしております。苅谷 和子

第31回 教会音楽祭テーマ曲  曲募集

第31回教会音楽祭テーマ曲の詞募集に対し、14通の応募がありました。 寄せられた力作の中から次の作品が採用作品となりました。
引き続きこの詞をもとに曲募集をいたします。採用作品は、今年6月8日(土)午後、ウェスレアン・ホーリネス教団 淀橋教会(東京都新宿区)で開催される教会音楽祭で用いられます。

「帰れる日」
詞 阿部冨美子
(教会音楽祭実行委員会 補作)

1.海がみんな
のみこんできた
そのあなたの苦しみを わかち合い生きて
行こう
豊かな海に
実りの大地に
帰れるその日を
祈ります
2.海がみんな
さらっていった
そのあなたの哀しみを わかち合い
生きて行こう
壊れたふるさと
返してください
帰れるその日を
祈ります
(この詞は教会音楽祭実行委員会が管理しています。無断使用は禁止します。)

応募要項
●1人1作品とします。
●一般会衆が歌う曲とし て作曲してください。●四声譜、伴奏付き旋律 譜、コード付き旋律譜 など、書式は自由です。●旋律の下に必ず全ての 歌詞を記載してくださ い。
●楽譜が書けない場合は、 CDに録音した音源も 受け付けます。
●一応の目安として速さを指定してください。(♪=120など)
●教会音楽祭実行委員会にて審査し、採用候補者には直接通知します。 ●応募作品が採用候補とされた場合でも、作者と相談の上、実行委員会で添削する場合があります。
●採用作品は広く教派を超えて自由に用いられるものであることを理解のうえでご応募ください。応募作品は返却しません。
●作品に住所、氏名、連絡先、所属教派、教会名を明記してください。

13-02-18これからのこと

この時節、どの教会も、教会総会を迎え、新たな年度へと向かっていることでしょう。教会の目標を掲げて、新たな旅立ちをしようとしているに違いありません。どうぞ新しい年度が、主に祝福された年となりますようにお祈りします。
ところで、目標や、目的を掲げて、目指すのは人間だけでしょう。しかし教会の目標や、目的は、一般社会に良く見られる、〈目標〉、〈スローガン〉とは異なっているように思います。つまり達成目標などと異質です。あくまで生きる目的に深く根ざしているからです。自ら生きることに関係しない、教会目標など無意味です。何を目指して生きるかは、私たちにとって、非常に重要な課題です。

〔まず、神の国とその義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな、加えて、あなた方に与えられる。〕(マタイ6章33節)
イエスが、〈山上の説教〉の中で説いた教えです。イエスは、私たちの生きて行く上での、処方箋を手ほどきしました。〈思い悩むな〉と。私たちの日常抱える、心配事は絶えません。次から次に起こります。また不安も底流に抱えながら生きています。それへの対処法を弟子に指南しました。しかしそれらへの細かい拘りを、根本的に解決する方法を、生きる目標という形で教えました。それが上記の言葉です。
果て、この目的をどのように進めるかが大きな課題です。今日、教会は足踏みをしているような状況です。最も大きな問題は、先が見えないということでしょう。
私は、この春引退しますが、今までの歩みを振り返ると、昨今の教会を取り巻く環境が厳しさを増しているとの認識を抱かざるを得ません。今教会は、まさに袋小路にぶち当たっているようです。
しかしキリスト教の歴史は、何と言っても、2000年間の歩みを控えています。これに学ぶことが肝要かと考えます。そうした時に、この今の困難は、これから迎える大きな発展の礎との結論に達します。私は、そのことを〈山上の変容〉程良く伝えている記事はないと考えます。

〔この話をしてから八日程経った時、イエスは、ペトロ、ヨハネ、及びヤコブを連れて、祈るために山に登られた。〕(ルカ9章28節)

山上の変容は、理性的には理解が困難な記事です。しかしルカの場合、重要な言葉は、《祈るため》との言葉です。マルコにも、マタイにもその言葉はありません。ルカ特有です。ルカは、ことのほか、重要な場面では、《祈り》がなされています。如何にそれが大切かとのことです。
イエスは、〈山上の変容〉の記事で、受難、十字架の向こうにある、復活を示しました。そしてそれこそが本当の目的だと示唆しました。

苦しみは、人間を無意味さに直面させます。結局は無目的にさせます。それが怖いのです。忍耐には限界があります。しかし目的がありさえすれば耐えられます。ドイツのナチス時代に強制収容所での過酷な経験を経て生き延びたフランクルが、辿り着いた結論は、〈生きる意味こそが、どんなに辛い経験をも耐えさせてくれる〉と言っています。それは言葉を変えて言えば、〈生きる目的〉があるか否かということに、生きる力を保持できるかということに煎じ詰めることができます。しかし人間は、目的を往々にして見失いがちです。だから祈るしかないのです。現在の苦しさの大きさに耐えかねて、目的を見失ってしまうのです。危機に直面すれば誰だってそうなります。

〔彼らは栄光のうちに現れて、イエスがエルサレムで成し遂げようとしておられる最期について語り合っていた。〕(ルカ9章32節)

イエスの最期とは何か? これが重要であると考えます。イエスの〈最期〉とは、言うまでも無く、十字架です。しかしそれが解放に繋がっているというのが、出エジプトとの関連で明らかになります。つまり最期が、新たな旅立ちなのです。これこそが、キリスト教の出発点と言えます。それを実現するには、〈祈り〉しかないのです。何かが終わるところで、新たな始まりが起こる。これこそが、主の導きと言えるでしょう。何故なら、主の働きとは、〈贖い〉に集約されて行くからです。

日本福音ルーテル栄光教会・沼津教会牧師 渡邉 進

13-02-02JLER月報2013年2月号−16号

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13-02-01るうてる2013年2月号

機関紙PDF

説教「これからのこと」
ルカによる福音書9章28~36節

日本福音ルーテル栄光教会・沼津教会牧師 渡邉 進

この時節、どの教会も、教会総会を迎え、新たな年度へと向かっていることでしょう。教会の目標を掲げて、新たな旅立ちをしようとしているに違いありません。どうぞ新しい年度が、主に祝福された年となりますようにお祈りします。
ところで、目標や、目的を掲げて、目指すのは人間だけでしょう。しかし教会の目標や、目的は、一般社会に良く見られる、〈目標〉、〈スローガン〉とは異なっているように思います。つまり達成目標などと異質です。あくまで生きる目的に深く根ざしているからです。自ら生きることに関係しない、教会目標など無意味です。何を目指して生きるかは、私たちにとって、非常に重要な課題です。

〔まず、神の国とその義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな、加えて、あなた方に与えられる。〕(マタイ6章33節)
イエスが、〈山上の説教〉の中で説いた教えです。イエスは、私たちの生きて行く上での、処方箋を手ほどきしました。〈思い悩むな〉と。私たちの日常抱える、心配事は絶えません。次から次に起こります。また不安も底流に抱えながら生きています。それへの対処法を弟子に指南しました。しかしそれらへの細かい拘りを、根本的に解決する方法を、生きる目標という形で教えました。それが上記の言葉です。
果て、この目的をどのように進めるかが大きな課題です。今日、教会は足踏みをしているような状況です。最も大きな問題は、先が見えないということでしょう。
私は、この春引退しますが、今までの歩みを振り返ると、昨今の教会を取り巻く環境が厳しさを増しているとの認識を抱かざるを得ません。今教会は、まさに袋小路にぶち当たっているようです。
しかしキリスト教の歴史は、何と言っても、2000年間の歩みを控えています。これに学ぶことが肝要かと考えます。そうした時に、この今の困難は、これから迎える大きな発展の礎との結論に達します。私は、そのことを〈山上の変容〉程良く伝えている記事はないと考えます。

〔この話をしてから八日程経った時、イエスは、ペトロ、ヨハネ、及びヤコブを連れて、祈るために山に登られた。〕(ルカ9章28節)

山上の変容は、理性的には理解が困難な記事です。しかしルカの場合、重要な言葉は、《祈るため》との言葉です。マルコにも、マタイにもその言葉はありません。ルカ特有です。ルカは、ことのほか、重要な場面では、《祈り》がなされています。如何にそれが大切かとのことです。
イエスは、〈山上の変容〉の記事で、受難、十字架の向こうにある、復活を示しました。そしてそれこそが本当の目的だと示唆しました。

苦しみは、人間を無意味さに直面させます。結局は無目的にさせます。それが怖いのです。忍耐には限界があります。しかし目的がありさえすれば耐えられます。ドイツのナチス時代に強制収容所での過酷な経験を経て生き延びたフランクルが、辿り着いた結論は、〈生きる意味こそが、どんなに辛い経験をも耐えさせてくれる〉と言っています。それは言葉を変えて言えば、〈生きる目的〉があるか否かということに、生きる力を保持できるかということに煎じ詰めることができます。しかし人間は、目的を往々にして見失いがちです。だから祈るしかないのです。現在の苦しさの大きさに耐えかねて、目的を見失ってしまうのです。危機に直面すれば誰だってそうなります。

〔彼らは栄光のうちに現れて、イエスがエルサレムで成し遂げようとしておられる最期について語り合っていた。〕(ルカ9章32節)

イエスの最期とは何か? これが重要であると考えます。イエスの〈最期〉とは、言うまでも無く、十字架です。しかしそれが解放に繋がっているというのが、出エジプトとの関連で明らかになります。つまり最期が、新たな旅立ちなのです。これこそが、キリスト教の出発点と言えます。それを実現するには、〈祈り〉しかないのです。何かが終わるところで、新たな始まりが起こる。これこそが、主の導きと言えるでしょう。何故なら、主の働きとは、〈贖い〉に集約されて行くからです。

宗教改革五〇〇周年に向けて

ルターの意義を改めて考える(10)

ルター研究所 所長 鈴木 浩

ルターの神学では、重要な言葉の意味がすっかり変わっていた、と指摘した。まず、「信仰」という言葉を取り上げよう。
それまでは、信仰とは「教会の教えへの同意」という意味であった。「同意する」ためには、最小限、その内容を知る必要がある。それが、「使徒信条」や「ニケア信条」だ。信条を受け入れること、それが信仰であった。
ルターは、「違う」と言った。それはイエスに関わる過去の事実の確認でしかない。ルターは信仰とは「信頼」のことだと言った。「イエス・キリストに対する大胆な信頼」、これが信仰だ。誤解の危険を承知で言えば、「イエス・キリストに自分を身ぐるみ丸投げすること」である。それは、「身ぐるみ」であり、「丸投げ」である。ロトの妻のように、ここで後を振り返ってはならない。
「身ぐるみ丸投げする」とは、「運命を共にする」という意味である。「キリストが十字架の上で、わたしのためにご自身を丸投げされた」。「だから、わたしもそのキリストに自分を身ぐるみ投げだそう」。そう腹をくくること、それがキリストに対する信頼であり、それが信仰なのだ

牧師の声

「標本がつむいだ池田教会の歩み」教会讃美歌213番と吉田康登牧師と植物標

本帯広教会 加納寛之

十二月二十五日の十勝毎日新聞に池田教会(帯広教会池田礼拝所)のクリスマス礼拝の様子が掲載された。四十年の年月を経て、池田教会初代牧師吉田康登牧師の作成された植物標本が里帰りし、教会と地域の交わり、吉田牧師の歩みが証しされた恵みの時となった。
池田教会誕生と吉田牧師の歩みの次第は次のようである。吉田牧師は太平洋戦争時、教職を辞し、北海道浦幌町に開拓農民として入植された。働きの中で住民の求めに答え、吉田牧師は一キリスト者として家庭集会を開始、浦幌町にキリスト教の群れが生まれた。時を同じくして浦幌町から三十キロ離れた池田町でも家庭集会が守られ、その熱意は教会誕生を熱望することとなった。土地が与えられ、夢が現実に向けて歩み出す中で池田の人々は吉田牧師に牧師として働くことを依頼した。その祈りは日本福音ルーテル池田教会の誕生(編入)と吉田牧師の教職復帰となり、池田の地での伝道は大きく進展していった。吉田牧師は牧会の傍ら、専門的な知識をもって植物標本を作製された。野外礼拝の際には胴乱(採集植物を入れる缶)を背負った写真も残っている。会堂建築の時には押花ハガキを作成し、販売されたことも当時の新聞記事から伺い知ることができる。吉田牧師は浦幌町を離れ、池田町に転居されたが、浦幌町とのつながりも強く、作られた植物標本は浦幌町博物館に寄贈され、今回、召天記念日の十二月二十五日に里帰りをしたのである。
教会賛美歌二一三番「朝露に」の歌詞は吉田康登牧師が書かれたものである。そこには吉田牧師の生涯と地域に生きた証しと神さまが創造された自然に向き合う信仰が詰まっていることに植物標本は気づかせてくれた。教会の歩みは不思議なみわざでつむがれていく。
池田教会の歴史をまとめてくださった古財克成牧師にこの場を借りて感謝申し上げます。新聞記事は帯広教会webページ内で閲覧できます
http//:www.jelc.or.jp/obihiro

信徒の声

「第16回全国青年修養会に参加して」

小石川教会 竹腰もと

紅葉舞う千年の古都京都にて開催された「第16回全国青年修養会」11月23日~25日に参加しました。都合で一泊二日だけの参加となりましたが、京都に夜行バスで早朝に着き、会場となった京都教会に向かう途中、鴨川の流れは千年の古都の思いを晩秋の香りと一緒にまるで私に吹き入れるかのようでした。
さて今回のテーマは「信仰」です。一昨年の長崎における「全国青年会」で見学した「二十六聖人殉教地」の原点とも言えるべき京都においてキリシタン弾圧の歴史的事実と、その史跡を訪れ、 実際に確認すると言うことです。最初に洛西バプテスト教会の杉野栄先生の「都のキリシタン史跡」についての講義を受けました。講義の中で「京都と言う街はキリシタンを徹底的に弾圧し痕跡をなくした街でもある」と言う先生の言葉が印象に残りました。それは勿論、京都の庶民がそれを望んだ訳ではなく、時の権力者である豊臣政権や徳川幕府の政策であった訳です。
京都市内の史跡巡りへと行きました。名所旧跡と所在が重なったキリシタン史跡は紅葉の観光シーズンと重なったために大変混雑していました。旧跡の寺院に所在するキリシタン史跡は一見何の変哲もない、例えば石庭や石灯籠なのですが、石が十字形に配置されているとか、灯籠の地中部分に聖母像が刻まれているとか、禁教下においても信仰の痕跡を残そうした人々の思いが忍ばされました。ただ説明がなければキリシタン関係とは一切分からないと言うことが、いかに弾圧が厳しかったと言うことの表れです。また鴨川の岸辺沿いにひっそり置かれている「元和の殉教碑」は、その小ささと寂しげさが川のせせらぎと夕闇せまる街の景色と融合し、今は物言わなくなった名もなき人々の信仰の証として私の心に深く残りました。
一昨年の長崎での全国青年会は「平和」を主題としたものでした。今年はその長崎のキリシタンの原点ともいえる京都で「信仰」を主題としたものです。「信仰」と「平和」はけっして別物ではありません。「平和」あっての「信仰」です。その「信仰」によって真の平和が実現されるのだと思います。
最後に、参加されました全国の青年の皆様、京都教会の沼崎先生、また京都教会員の皆様には大変お世話になりました。有難うございました。

JLER(ルーテル教会救援)対策本部 現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦

「となりびと」では震災発生時からこれまで、様々な救援・支援プロジェクトを展開してきました。今月号では、その中で現在、進行中の二つのプロジェクトの経過報告をいたします。

「前浜コミニュティセンター再建プロジェクト」

チーフスタッフ  佐藤文敬

気仙沼市本吉町前浜地区で、2011年7月から進めてきたコミュニティセンター再建支援が、ようやく本体工事にまでたどり着きました。
2011年10月に地元の人たちによる建設委員会が立ち上がり、これまで20回以上の話し合いを重ねてきました。その過程では、気仙沼市役所とも頻繁に話し合い、気仙沼市長に協力をお願いすることもありました。また、JLER以外にもシャンティ国際ボランティア会や天然住宅といった団体も支援を表明し、その他にも多くの人たちの協力を得て、ここまで進んできました。
2012年7月には建設用地を取得。9月から始まった造成工事は11月に完了し、年末の12月19日から本体工事が始まりました。
完成目標は2013年7月。「コンクリートの確保が難しい」、「職人さんが足りない」など様々な問題をクリアしながらの建設工事になります。どうか無事に建設工事が進むよう、みなさんも一緒にお祈り頂ければと思います。

「『つるしびな』プロジェクト」

派遣牧師 野口勝彦

仮設・地域支援として昨年8月より始まった「つるしびな」プロジェクトも震災から二年目に当たる来月11日の完成を目指し、最終段階に入っています。
このプロジェクトは、震災によって引き裂かれた地域の絆と仮設団地に住む方々の生きがいづくりを目的として、石巻市内、三ケ所の仮設団地集会所でそれぞれ月1回、地元ボランティア団体の指導により行われています。毎回20名前後の方が午前10時30分から午後3時30分まで、全国から送っていただいた銘菓をいただきながら「つるしびな」づくりに励んでいます。
先日、ある方が、「『つるしびな』づくりがあって本当に良かった。狭い仮設で一日中、やることもなくずっと籠っていたら」と感謝の言葉を述べられていました。また、先月、地元の社会福祉協議会の機関紙にもこの活動が紹介されるなど地域に密着した活動となっています。これまでの皆様のお支えとお祈りにあらためて感謝いたします。尚、完成した「つるしびな」の展示会を行う予定です。詳細が決まりましたらご案内いたします。
【予告】「となりびと」では今年、防災・減災教育の一環として、被災地訪問プログラムを予定しています。どなでもご参加いただけますので、

バッハのカンタータを聴く 10
ヨハネ受難曲(BWV245)

日本ルーテル神学校名誉教授 徳善義和

一五二三年初夏にライプツィヒのトマス教会カントールに就任したバッハは翌年春そこで最初の四旬節と受難週を迎えた。聖金曜日の夕拝では、毎年トマス教会かニコライ教会で交互に受難曲が演奏されることになっていた。一五二四年の聖金曜日(四月七日)、バッハが想を練って準備し、ニコライ教会で歌われたのがヨハネ受難曲である。
聖金曜日に福音書の受難の章が朗読されるのは教会の歴史において長い間の習慣だったが、バッハより約百年前のシュッツの頃には、福音書の記述と、イエス、ペトロなど登場人物に分かれてそれぞれが聖書のことばを朗誦するだけの受難曲が歌われるようになっていた。それがバッハの時代ともなると、イタリアのオペラの影響もあってか、聖書に基づくとはいえ、聖句から離れて、自由詩によるオペラ風の「受難オラトリオ」というタイプの宗教曲が人々の注目を集めるようになった。 中でもハンブルクのブロッケス作詞の「世の罪のため苦しみを受け死に行くイエス」(1713年)が有名となり、テレマンやヘンデルなど何人もがこれに作曲したが、テレマンのものなどは教会で演奏されることを許されず、音楽ホールで演奏されて、好評を博したという。
ライプツィヒのルーテル教会はこの新しい傾向を認めなかったから、バッハは、福音書の受難記事を中心に、コラールと、独自の詩によるレチタティヴォやアリアを加えた「オラトリオ受難曲」を重視し続けた。ヨハネ受難曲もヨハネ18、19章をすべて生かし、さらに上述のブロッケスの詩六編余や他の詩人の自由詩を用いて、全体を構成し、聖金曜日礼拝において説教を挟んで、二部に分けて歌われた。
イエスの受難を「主の栄光の時」とするヨハネ福音書に応じて、第一曲「主よ、我々の支配者よ、その誉れは全地に輝く」の合唱で始まり、信仰者自身の死をこの主に委ねる終曲のコラールに至るまで、マタイ受難曲とは大いに趣を異にする特徴をもっている。それゆえに私自身もどちらかと言えば、このヨハネ受難曲を好んで聴いている。受難曲はキリストの「受難」を歌い通すべきだという市参事会などの批判もあって、初演後にヨハネ受難曲は何度か書き直されたが、最終稿(1749年)とされているものは結局初演に近い形で残されている。

「詩編23」

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

主題詩編である「詩編23」のステンドグラス(写真下)があります。当地で伝道されていた宣教師が中心となり、アメリカで募金を呼び掛け、制作資金が寄せられて、実現しました。
日本では厳しかった冬の寒さも和らぎ、木の新芽は膨らみ 、 野の草も萌え出し、春の訪れを知らせます。しかし、中東の内陸部の原野には、荒れた大地が拡がり、緑は少ない。現在でも、昔からの遊牧生活を続ける羊飼いたちがいます。一般に羊を百から百五十頭余り、山羊を百頭余りの群れで、何頭いても、それぞれをきちんと覚えていて、全体をまとめ、昼も夜も常に一緒にいて、見守ります。
羊飼いは、どこに草地があり、水場があるかを熟知していて、必要に応じて群れの移動を導きます。大勢の群れの移動には困難や危険が伴いますから、群れの安全に苦心します。定住ではなく、いつもテントで野宿する生活ですから、群れの移動も大仕事です。
目的地に到着するためには、最も恐れている死の陰の谷を通り抜けねばなりません。羊飼いは常に懸命に群れを守り、導きます。緑の牧場に着くと、羊飼いも羊も山羊たちも憩います。羊飼いのひざもとで平安の喜びに浸ります。

TNG

Teens部門 小澤実紀 (なごや希望教会)

今、我が家は全寮制の小さな高校の校内にあります。時々家に遊びに来る生徒たちは、学校での様子とは違う素の顔を見せます。学校では一生懸命に、そしてある子は必死に仮面をかぶっているのだなと思います。今風に言えば、キャラを演じているのです。
私たちは誰でも仮面をかぶったまま生きていれば苦しくなります。どこかでそれを脱いでありのままの自分でいられる時間がなければ、生きるのが嫌になってしまうでしょう。子どもたちは仮面をかぶらなくてもいい場所を求めています。
中学や高校生の頃は、自己肯定感を育てるためにも大切な時期だと思います。この年齢の子どもたちの多くは、自分の存在そのものにもまだ自信が持てていませんが、仮面をかぶっていないありのままの自分でも受け入れてくれる人に出会ったり、仮面をかぶらずに生き生きと生きている人に出会ったりすると、その子たちにも何か変化の兆しが表れてくると、私は身近な生徒たちを見ていて思います。そのような場所や出会いが必要なのです。
ある子にとっては家が、ある子にとっては友達との集まりが、仮面を脱ぐことのできる場所でしょう。そして、教会や教会が企画するキャンプも、ある子にとってはその場所の一つであるのかもしれません。
春の全国ティーンズキャンプは、この3月で20回目を迎えます。ここ数年、90名以上の参加者が与えられてきました。20回目は「イエス・キリストに出会う」というテーマで学びあい、語りあえるプログラムを計画しています。キリストがどういうお方であるのかを知ることが、その後の生活の中でいつかキリストに出会うことにつながるようにと願って、このテーマになりました。
キャンプで感じたことや学んだことを普段の生活に持ち帰って、それぞれが、それぞれの場所で教会につながりながら信仰生活を大切にして生きてゆくことが、彼らの人生の一部分になればと願います。
そして、このティーンズキャンプも仮面をかぶらなくていい場所の一つであることができるよう、大切に準備して行きたいと思います。
今年もたくさんの子どもたちがキャンプに参加してくださることを祈るとともに、同年代同士の信仰的なつながりが神様によって導かれますことをお祈りします。

第5回教会推薦理事研修会

成人式の日となる一月十四日、市ヶ谷ルーテルセンターで、5回目となる「教会推薦理事研修会」が開催されました。東京はこの日、思いがけない大雪に見舞われ、積雪の影響で電車や飛行機の遅れも生じるあいにくの日となりましたが、主催となる日本福音ルーテル教会をはじめ、ルーテルグループの枠組みにある学校法人及び社会福祉法人の教会推薦理事、加えて幼保園の園長・牧師を含め、全国14の法人から、32名の出席がありました。
開会礼拝の中で、立山議長は「教会推薦理事には、教会と各法人をつなぐ『橋渡し』の役割が最も期待されている事ではないか?」と確認されました。
テーマを「キリスト教精神に立つ法人運営の内実を考える ~その共通性と専門性~」とした今回の研修のため、お迎えした青山学院院長及び大学院院長から学院幼稚園園長まで、広く学校運営に責任を持たれる山北宣久先生から、実践に基づいた基調講演がありました。
「キリスト教主義の学校では、法人の使命(ミッション)と、環境や時間の変化に関わらず、連続する同一性(アイデンティティー)が希薄にならぬようにするのが重要な課題」、「個人主義と物質至上主義が色濃く拡がっている日本において『現在から将来、自分から他者に目を向けさせていく。この宗教の役割』を本学教育の使命に据える」、「与えることに生き、与えることを喜ぶ、これがキリスト教精神の法人の共通性ではないか」等が語られました。
続いて、増島俊之氏が学校法人の視点から「キリスト教の特色が良く活かされることと、大学としてのレベルをいかに上げるかで相反がある現状」「現在の教会が支援することの意味」を切り口に、友田直人氏は社会福祉法人の視点から「創設の歴史では、随所に信仰に立つ働き人の情熱が見えた。現代、法的整備が進んだが、マンパワーが弱り、先駆的な法を超えるキリスト教主義の働きが興らなくなってきた課題」について述べ、出席者もそれぞれの立ち位置から意見を交換しあう時間が持たれました。
終わりのまとめにおいて、山北師は「大事なのはロゴス。語る言葉が法人運営の内実に最も影響をしてくる。言葉として、きちんと、迫力をもって語る。『~らしさの主張』こそが不可欠」との提言も印象的でした。
豊かな実践活動の息吹が確認された時間であり、全国に広がるルーテルグループが、その共通性と専門性を見つめ直す研修会となったこと、感謝をもってご報告いたします。
事務局長白川道生

2012年度 連帯献金報告

今日の社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害緊急の支援活動として、日本福音ルーテル教会がお願いしている「連帯献金」のために、2012年度は各個教会・団体及び教会員・教会関係者の方々から287万9千546円が捧げられましたので、それぞれの宣教・奉仕の活動のために捧げさせていただきます。
2013年度も、引き続き「連帯献金」への支援と協力をよろしくお願いいたします。

日本福音ルーテル教会宣教室
ブラジル伝道(44件)
198万5千710円メコンミッション支援
(カンボジア)(4件)
12万9千517円  喜望の家(5件)
14万円
世界宣教・無指定献金
(16件)
62万4千319円

献金者 教会・団体・個人芳名
■ブラジル伝道(44件)
【教会】
宮崎教会、なごや希望教会、大岡山教会、博多教会、水俣教会、保谷教会、小石川教会、刈谷教会、恵み野教会、大岡山教会、市ヶ谷教会、京都教会、武蔵野教会、本郷教会
【団体】
ルーテル学院中学・高等学校、めばえ幼稚園、女性会連盟、東教区、小城幼稚園・わかば保育園、ブラジル報告会、尾張岐阜地区宣教委員会、本教会総会、田園調布幼稚園、東教区女性会
【個人】
山川泰宏・泰子、真木澄子、吉川、芳野、角田健、乙守望、花城裕一朗、小山 茂、小泉基、渡辺純子、厚味勉、

■メコンミッション支援(カンボジア)(4件)
小山茂、保谷教会、カンボジアワークキャンプ、市ヶ谷教会、

■喜望の家(5件)
小泉基、博多教会、水俣教会、保谷教会、市ヶ谷教会

■世界宣教(無指定・16件)
蒲田教会、東京池袋教会、九州教区青年会、箱崎教会、帯広教会、千葉教会、小山 茂、帯広教会、箱崎教会、JELAチャリティコンサート、博多教会、山崎恵美子、恵み野教会、めばえ幼稚園、小羊会、

特記 「東日本大震災救援献金」報告
東日本大震災の救援活動のために、2012年度も引き続き、全国の教会、関連施設に支援募金をいただきましたので、「連帯献金」と併せて感謝して報甘木教会、箱崎教会、福岡西教会、神戸教会、東京池袋教会、松江教会、二日市教会、博多教会、長野教会、小石川教会、、刈谷教会、宮崎教会、健軍教会、唐津教会、 蒲田教会、大岡山教会、都南教会、飯田教会、挙母教会、室園教会、小岩教会、八幡教会、宇部教会、なごや希望教会、高松教会、板橋教会、仙台教会、、湯河原教会、新霊山教会、鹿児島教会、浜名教会、大江教会、阿久根教会、本郷教会、三原教会、名古屋めぐみ教会、羽村教会、聖ペテロ教会、藤が丘教会、小倉教会、大垣教会

【団体】
戸塚ルーテル保育園、田園調布幼稚園、一粒の麦、大森幼稚園、ルーテル保育園、九州学院中学・高等学 校、恵泉幼稚園、女性会連盟、横浜英和学院、賀茂高校広高教組養護教員部、門司幼稚園、九州教区女性会、大岡山幼稚園、近畿福音ルーテル教会、ベタニアホーム、日田幼稚園、東教区総会、神水幼稚園、千葉ベタニアホーム、天山学園、 熊本地区女性会、東海地区女性会、東教区宣教フォーラム、旭川聖パウロ教会、筑後地区女性会、東垂水教会、北見聖ペテロ教会、蒲田幼稚園、鳥取教会、東教区宗教改革礼拝、甲信地区信徒の集い、めばえ幼稚園、ルーテル学院幼稚園、西条ルーテル幼稚園、ルーテル学院中学・高等学校、奈多愛育園、老人ホームディアコニア

【個人】
花城裕一朗、市川旬、兼間和行、木村修、小林文恵、ヤマダワカキ、木村修、吉田玲子、河田洋、筒井美紀、東和春、青山くるみ、KOSTI&SIRPA KALLIO、樺沢宏美、山崎恵美子、渡辺美江、ボーマン・ベルニダ、小山茂、辻谷静子、津谷昌子、坂井茂子、大久保友子、久保彩奈、鈴木哲夫、V.ソベリ、大森はつ子、小林宏子、大牧正子、石田せい子、岩井順子、安藤紀代子

(教会名・団体名は順不同)

13-01-18突き刺さる時間

何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。……」 コヘレトの言葉 3章1節〜10節

年を越して新年を迎えた今は、一年のうちでいちばん「時」を意識する時期といえます。どんな一年になるのだろう。いい年にしたい。願いがかないますように・・・。期待を希望を膨らませて、それぞれの一年が始まりました。

物理の時間
「時間はどこで生まれるのか」という物理学者が書いた本を読んで、時間の不思議を思わされました。毎日時間にあわせて生活しているので、時間なしには生活は成り立たないのですが、物理学者に言わせると、そもそも時間などというものは存在しないのだそうです。あるのはただ時計であって、それが少しずつ動く様子をみて時間を気にしているわけですが、時計の中に時間の素など入っていない、というのです。そう言われればたしかにそうです。それはいいとしても、次のような説明にはちょっとびっくりしました 。 わたしとその隣にいる人は、ひとつの時間を共有していると普通は考えるのですが、科学者に言わせれば、今という瞬間はだれとも共有できないそうです。
さらには相対性理論と素粒子論という現代科学でみていくと、時間は空間といっしょに考えないと意味がないのだそうです。なんだか狐につままれたような気分になります。私たちの生活の中での時間感覚というのは、物理学者が考えるそれとはかなり違っているようです。けれども私たちにとって、日常の感覚が大切なのはいうまでもありません。

コヘレトの時間
科学が語る時間とはまったく異なるもうひとつの時間、それがコヘレトの言葉だといえます。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時、・・・」。 賢者コヘレトは時をしっかりと意識し、いいことも悪いこともひっくるめて時の中に位置づけます。時間という苗床に生活のドラマひとつひとつを植え付けていくように。そしてそうしたひとつひとつの人間模様には、「すべて定められた時がある」と、コヘレトは断言するのです。
この場合「定められた時」というのは、「あなたは来年素晴らしい人と出会いますよ」という占いめいた話ではありません。「何事にも時があり」とは、嬉しいことも悲しいことも、いつそれが起こるか、なぜそうなるかは私たちには知り得ないし、なかには理不尽としか思えないほどつらい時もあるが、確かなことは、そこには神が必ずおられ、泣いても笑っても嘆いても踊っても、どっちに転んでもその出来事をすべて神が支配しておられるということです。愛する時には神がいて、憎んでいる時には神がそっぽを向いて無関心なのではないのです。

神の時間
私たちが日常生活で使う時間というのは、日めくりカレンダーや時計の時間です。過去から現在そして未来へと刻みながらひたすら流れゆく時間です。それに対してコヘレトの時間は過去から未来へコツコツ流れておらず、突如上から降って突き刺さってくるような時間です。手帳で管理できない「出し抜け」の時間です。コヘレトのこの時間は、神の時間を語っています。神の時間なので私たちは予定できません。計画に入れられません。説明がつかないのです。ですからコヘレト自身も呻吟したのです。神がいてくださるのだったら、なぜ救い出してくれなかったのかと。
そんな彼らが最後に到達した結論は、「人が労苦してみたところで何になろう。わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造る」でした。日めくりしながら自分で管理しているつもりの時間は、実は神のご支配のなかにあり、御心が働いていたのです。人間の時間と神の時間は、違っているようにみえても、実のところ同じ時間だったのです。
永遠の時間
コヘレトはこんなことも言っています。神は「永遠を思う心を人に与えられる。」永遠こそ私たちにはどうしようもない時間です。時計で計れません。そもそも長さがあるのかないのか。ただその言葉だけはちゃんとあって、それが私たちを捕らえて離さないのです。神のみに属する「永遠」、このことばによって、私たちは神を想います。神を慕うのです。
私たちの時間は、この永遠の中にすっぽりと包み込まれているのです。見えないのは私たちがその中にいて、外側からそれを眺めることができないからです。私たちは今、永遠の中を生きているのです。

これからの時間
去年同様今年も思いがけずにいろんなことが起こるでしょう。世界で、日本で、そして身の回りで。神は私たちを遠くから見守ってはいません。私たちに介入なさいます。イエス・キリストを私たちの世界に遣わされたように、神の時間は、今も私たちの時間に突き刺さってくるのです。私たちは永遠という神の時間を、生かされて生きています。2013年、時を共有しながら神を礼拝し、いつものように日めくりして暮らしていきましょう。

日本福音ルーテル市ヶ谷教会牧師 浅野直樹

13-01-02JLER月報2013年1月号−15号

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13-01-01るうてる 2013年1月号

機関紙PDF

説教「突き刺さる時間」

日本福音ルーテル市ヶ谷教会牧師 浅野直樹

何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。……」
コヘレトの言葉 3章1節~10節

年を越して新年を迎えた今は、一年のうちでいちばん「時」を意識する時期といえます。どんな一年になるのだろう。いい年にしたい。願いがかないますように・・・。期待を希望を膨らませて、それぞれの一年が始まりました。

物理の時間
「時間はどこで生まれるのか」という物理学者が書いた本を読んで、時間の不思議を思わされました。毎日時間にあわせて生活しているので、時間なしには生活は成り立たないのですが、物理学者に言わせると、そもそも時間などというものは存在しないのだそうです。あるのはただ時計であって、それが少しずつ動く様子をみて時間を気にしているわけですが、時計の中に時間の素など入っていない、というのです。そう言われればたしかにそうです。それはいいとしても、次のような説明にはちょっとびっくりしました 。 わたしとその隣にいる人は、ひとつの時間を共有していると普通は考えるのですが、科学者に言わせれば、今という瞬間はだれとも共有できないそうです。
さらには相対性理論と素粒子論という現代科学でみていくと、時間は空間といっしょに考えないと意味がないのだそうです。なんだか狐につままれたような気分になります。私たちの生活の中での時間感覚というのは、物理学者が考えるそれとはかなり違っているようです。けれども私たちにとって、日常の感覚が大切なのはいうまでもありません。

コヘレトの時間
科学が語る時間とはまったく異なるもうひとつの時間、それがコヘレトの言葉だといえます。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時、・・・」。 賢者コヘレトは時をしっかりと意識し、いいことも悪いこともひっくるめて時の中に位置づけます。時間という苗床に生活のドラマひとつひとつを植え付けていくように。そしてそうしたひとつひとつの人間模様には、「すべて定められた時がある」と、コヘレトは断言するのです。
この場合「定められた時」というのは、「あなたは来年素晴らしい人と出会いますよ」という占いめいた話ではありません。「何事にも時があり」とは、嬉しいことも悲しいことも、いつそれが起こるか、なぜそうなるかは私たちには知り得ないし、なかには理不尽としか思えないほどつらい時もあるが、確かなことは、そこには神が必ずおられ、泣いても笑っても嘆いても踊っても、どっちに転んでもその出来事をすべて神が支配しておられるということです。愛する時には神がいて、憎んでいる時には神がそっぽを向いて無関心なのではないのです。

神の時間
私たちが日常生活で使う時間というのは、日めくりカレンダーや時計の時間です。過去から現在そして未来へと刻みながらひたすら流れゆく時間です。それに対してコヘレトの時間は過去から未来へコツコツ流れておらず、突如上から降って突き刺さってくるような時間です。手帳で管理できない「出し抜け」の時間です。コヘレトのこの時間は、神の時間を語っています。神の時間なので私たちは予定できません。計画に入れられません。説明がつかないのです。ですからコヘレト自身も呻吟したのです。神がいてくださるのだったら、なぜ救い出してくれなかったのかと。
そんな彼らが最後に到達した結論は、「人が労苦してみたところで何になろう。わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造る」でした。日めくりしながら自分で管理しているつもりの時間は、実は神のご支配のなかにあり、御心が働いていたのです。人間の時間と神の時間は、違っているようにみえても、実のところ同じ時間だったのです。
永遠の時間
コヘレトはこんなことも言っています。神は「永遠を思う心を人に与えられる。」永遠こそ私たちにはどうしようもない時間です。時計で計れません。そもそも長さがあるのかないのか。ただその言葉だけはちゃんとあって、それが私たちを捕らえて離さないのです。神のみに属する「永遠」、このことばによって、私たちは神を想います。神を慕うのです。
私たちの時間は、この永遠の中にすっぽりと包み込まれているのです。見えないのは私たちがその中にいて、外側からそれを眺めることができないからです。私たちは今、永遠の中を生きているのです。

これからの時間
去年同様今年も思いがけずにいろんなことが起こるでしょう。世界で、日本で、そして身の回りで。神は私たちを遠くから見守ってはいません。私たちに介入なさいます。イエス・キリストを私たちの世界に遣わされたように、神の時間は、今も私たちの時間に突き刺さってくるのです。私たちは永遠という神の時間を、生かされて生きています。2013年、時を共有しながら神を礼拝し、いつものように日めくりして暮らしていきましょう。

宗教改革五〇〇周年に向けて

ルターの意義を改めて考える(9)

ルター研究所 所長  鈴木 浩

自動車と運転手の比喩を続けよう。この逆転で重要な言葉の意味合いが劇的に変わってしまった。
「恵み」という重要な言葉を見てみよう。従来の意味では、恵みとは「注がれるもの」であった。言って見れば、自動車に注入されるガソリンだ。無論、神の恵みだから、無料だ。ここでは、その多い少ないが問題になり得る。この前は二〇リットル入れたが、今度は三〇リットル入れた、という具合だ。
ところが、ルターによる逆転で、恵みとは、キリストが運転席から悪魔を追い出し、代わりにハンドルを握ってくれるという「出来事そのもの」を指すように変わってしまう。ここでは「多いか少ないか」ではなく、「あるかないか」だ。言い換えれば、「恵み」が「救い」とほとんど同義語になった、ということだ。
それだけではない。信仰、悔い改め、教会、礼拝、聖餐、罪、善行など、重要な言葉がその意味内容をすっかり変えてしまった。無論、大もとにあったのは、あの「神の義」の理解の逆転であった。
ルターとカトリックの論敵との論争が、たのは、それが原因であった。

牧師の声

「一貫した教会の教育へ」

唐津、小城教会 箱田清美

牧師になって30年以上になりました。わたしよりも若い牧師方の方も多くなりました。何も出来ないで年数だけ経ちましたが、教会教育という方向から聖書を読んできました。それは教会学校のことだけではなく、クリスチャンがその信仰を成熟していくためには何がステップになるのかというクリスチャン教育のことです。勿論、自分自身の未熟な信仰のあり方も含めています。
パウロが言うように、「何とかして捕らえようと努めているのです。」彼は「自分がキリスト・イエスに捕らえられている」から、そうするのだと言っていますが、教会の皆さんも、そのような意識をどこかでお持ちでしょう。それを生涯の信仰のなかで発展させたり展開したりしていく援けになるもの、それが教会教育でしょう。
この17年ほど、教会の運営する幼稚園に関わる機会を得ましたが、そこで初めて保育者の喜びと、大変なご努力とご苦労とを知りました。教会は、特に女性の努力で幼児教育に多大の力を注いで来ました。現在100年を超える園の歴史を積み 、 社会からも高い評価を得てきました。キリスト教の保育者は「子どもたちに抱き上げ、手を置いて祝福される」イエスの御心を伝えてきました。
しかし、残念ながら小・中・高・大という一貫した祝福の制度がルーテル教会の教育には欠けていますので、祝福を幼稚園から大学まで一貫して繋いで行くことが途切れています。わたしの担当しております園でも、卒園後は教会学校でとか卒園生のクリスマスにということで繋いでいますが、やはり社会制度としては弱いものがあります 。   幼児教育の保育者が心を込めて送り出している卒園児たちを、受け留めていく一貫教育がどこかに備えられないものかと願っています。
「わたしの魂は主をあがめ・・、わたしの霊は・・神を喜びます」という心を心の奥に頂いて、学生が卒業できる一貫したシステムがどこかに欲しいと願っています。

信徒の声

「露払いとして」

大岡山教会/総会選出信徒常議員 小林恵理香

地域活性化の分野では、近年「よそ者、若者、ばか者」の存在が重要視されているそうです。外部視点でその地域の良さに気付き、従来のやり方にとらわれない手法と、「突拍子もない」と思われるような発想を取り入れられるので、彼らの関わりが欠かせないというのです。地域の人がそのような存在を好意的に受け入れ、活用できるかが成功の鍵になるそうです。この話を聞いて、自分が信徒常議員に選ばれたのは、このためかもしれないと思うようになりました。
時間的な制約で信徒常議員は退職後でなければ勤まらないと聞いていたので、現役で朝から残業時間まで働いている私が常議員になるとは想像すらしていませんでした。時間の融通がきき、社会経験豊かで、神学的な知識もある方が選出されれば良かったのに、なぜ私なのだろうというのが就任時の正直な気持ちでした。
実際、常議員会という世界において、年齢的にも私が異質な存在であることは間違いありません。最初に会議に出席した時には、大変な所に来てしまったと先行きに不安を覚えたものです。冒頭の話は成功事例にそのような傾向が見られるということであり、私一人が加わったところで、劇的な変化が生まれるわけでも、ぽんと画期的な施策が出てくるわけでもありません。しかし、私だから言えることも、私だから貢献できることもあるはずだと信じています。 平日の昼間に開催される会議が多く、現在も欠席率ダントツ1位を更新中ですが、どういうことが困難なのかを互いに認識する中で、仕事を持った人や幅広い世代の人が関わりやすいやり方も見えてくることでしょう。
私はこれまで青年活動や次世代育成の取り組みに関わってきました。何よりもうれしいのは、より若い世代が「次は自分たちもやってみたい」と言ってくれることです。近い将来、彼らが信徒常議員に選ばれたとき、思う存分「よそ者、若者、ばか者」力を発揮できるように、露払いとして頑張ってみようと思います。

JLER(ルーテル教会救援)対策本部 現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦

被災地も震災後二度目の新年を迎えました。皆様のお支えとお祈りによりルーテル教会救援の支援活動も今年、三年目を迎えます。今年も引き続きご支援いただければ幸いです。
さて、今月号では昨年の被災地でのクリスマス風景を二つご紹介します。

『こころに沁みるクリスマス・ハープコンサート』

昨年に引き続き、ルーテル学院大学と日本ルーテル教団・Lutheran Church Missouri Synodのご協力により石巻市の相川保育所、ディサービスセンターはまぎく、仮設追波川多目的団地集会所でレベッカ・フラナリーさんによるクリスマス・ハープコンサートが開催されました。(写真)
コンサートはルーテル学院の学生の方によるアイスブレークではじまり、レベッカさんの素敵なハープ演奏、武蔵野教会員の方の指導による「ふるさと」などの合唱。そして、最後は、ピーター・リースさん扮するサンタクロースからのプレゼントで思い出深いクリスマスのひと時を終えました。
仮設団地のコンサートは、被災児支援の地元NPO子育て支援アシスト・エフワンさんとの共催により開催しましたが、コンサートの最後には、そのプログラムに参加されている男の子から素敵な花束がレベッカさんに贈られました。仮設団地では「ふるさと」を合唱しながら涙ぐまれる方もおみえで、また、来年も来てほしいという声が会場には溢れていました。
『こころのこもったクリスマスプレゼント!』
現在、「となりびと」では、石巻市内6ヶ所(約1000世帯2300人)の仮設団地でお茶っこサロン活動を展開しています。昨年の12月には、そのサロンに参加されている方々に北海道特別教区女性の会からのクリスマカードと雪ケ谷教会からのお菓子袋、そして、東教区女性会の方のクリスマスオーナメントをクリスマプレゼントとして差し上げました。生まれてはじめてクリスマスカードを受け取った方もおられ、どの方も喜んでクリスマスカードとプレゼントを受け取ってくださいました。

バッハのカンタータを聴く
クリスマスオラトリオ (第4部~第6部 BWV248)

楽譜を見ると、頭に♯や♭がついている。今のわれわれにはドレミの音の高さを表す記号くらいにしか思えない。今は「平均律」になり、楽器もそのように調律されているからである。バッハの時代は漸く平均律が導入される頃、ピアノの隣り合う鍵盤の音の間隔もまだ平均的ではなかった。だからハ長調とか、ヘ短調とか言っても、計24になる長調と短調の趣はそれぞれかなり違っていた。これらの調を論じる当時の何人もの音楽評論家の記述を読んでも、調毎の響きの模様を伝えていて面白い。バッハと親しかったマテジウスもいろいろな調について論じて、たとえばロ短調などは「傷心の、メランコリックで、常に修道院からは斥けられており、あまり用いられない」調と言っている。 ところがバッハはこの調をキリストの苦難や十字架の調として用いて、遂には「ロ短調ミサ」まで残している 。 当時としては格別のことだったのだ。
クリスマス・オラトリオの後半は一月一日、新年であって「主の命名日」の礼拝で歌われた第四部から始まる。音楽の面で言うと、クリスマス・オラトリオは総じて♯の調性(ニ長調、ロ短調とその平行調)で整えられている。それが長調であれば、神の栄光や勝利、その救いの確かさを示し、短調であれば、苦悩や苦難を示すのが当時ある種音楽上の約束事でもあった。 その中で第四部だけは♭ひとつのヘ長調であるのに注目させられる。CDで続けて聴いていると、そこで調性が変わることがはっきり分かる。
バッハからほぼ百年前のシュッツのクリスマス・オラトリオもヘ長調である。ルカ二章二一節、主の命名のみを伝える聖句に拠るこの第四部をバッハはこの伝統の調で歌い上げようとしたのだろう。「固くて、あまり用いられない」この調を使って、イエスの命名の、稀な、確固たる出来事の様を示そうとしたのだろうか。バスのアリア(38、40)も、第四部の結びのコラール(42)もほとんど各行の冒頭で、頑なまでに「イエス」の名を繰り返すのが印象的である。
だから跳んでしまうようだが、第六部つまりオラトリオ全体の結びにもなる終曲のコラール(64)がまた印象的である。キリストによる勝利を歌う歌詞に用いられるメロディーはまたも受難のコラール「血しおに染みし」であり、しかも全体はこれに基づいた、トランペットの鳴り響く勝利の全楽器演奏がリードしている。これまた、キリストの降誕の出来事の信仰的な意味をルターの語った逆説でとらえた見事な音楽的説教と言わなければならないだろう。

「希望のはと」

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

四十余年前、衝撃的出来事に遭遇し、暗転した心に平安を求めてヨーロッパの旅に出た。
ローマでは 、 アッピア街道傍らのカリストのカタコンベを訪ねた。キリスト教徒迫害の嵐が激しくなった頃、この地下の暗いトンネルの中に逃れ、礼拝を守っていたといわれる。
その当時の壁画やレリーフの中に、石棺の表にオリーブをくわえた鳩を見つけた。無名の素人の印刻(写真上)であるが、今まさに新天新地に緑が蘇った「しるし」 を持ち帰った鳩の姿である。
ノアたちは、天窓をこじあけて、待望の緑を見て、どれほどの喜びと感動を持ったことであろう。罪人の世界が大洪水によって壊滅したが、真の平安のある新天新地が備えられているのである。
地上の有名な芸術作品よりも、この希望のはとの印刻に深い感動を覚えた。
古都奈良にも奈良ルーテル教会ができて、「希望のはと」 のステンドグラスを制作した。(写真右)ダル・ド・ベール(25①の厚板ガラス)のステンドグラス。
「鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉を加えていた。」 『創世記』8・11

第16回 全国青年修養会報告

実行委員長  豊田悠二(京都教会)

11月23日~11月25日の2泊3日で京都教会を会場に「第16回全国青年修養会」が行われました。部分参加の参加者が多いものの全国から牧師も含め総勢27名の青年が集められ、充実した時間を共有することができました。
今回のテーマは「信仰」でした。主題聖句を「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです 。 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。」(ヘブライ人への手紙11:1~2)とし、京都にゆかりのある二十六聖人やキリシタンの歴史を学びながら昔の人たちの信仰を知り、自分たちの信仰を見つめなおす機会が与えられました。

2日目の午前は「京のキリシタン史跡を巡る」という本の著者である杉野栄牧師(洛西バプテスト教会)をお招きして講演をいただきました。西洋の宗教画における先入観、フランシスコ・ザビエル、キリシタンの生活(信仰・文化・医療・教育)、二十六聖人を代表とされる殉教のことなど本当に多くの事を知ることができました。
私たちはクリスチャンでありながら知らないことだらけであること、迫害されていた時代も信仰があるからこそ現代まで続いていることを深く学ぶことができました。
また、マリア観音、踏絵、キリシタン魔鏡など普段目にすることができないような物も見せていただきました。
午後から京都のキリシタン史跡を巡るフィールドワークをおこないました。大徳寺の瑞峯院(十字の庭・キリシタン灯籠)・高桐院(細川ガラシャの墓石)、元和の殉教碑、二十六聖人の出発地を巡りました。京都の観光も兼ねながら、当時のキリシタンの思いを巡らせました。

3日目には自分がなぜ教会に行き出したのか/自分にとっての教会とは何か/自分の信仰生活をどうしていきたいのかをそれぞれグループでシェアをしました。自分の信仰生活のルーツ(過去)から未来への話をシェアできたのは良かったと思います。
*現在、青年会の活動予定や状況はブログやFacebookにて共有しています。是非、ご覧になってください。

全国青年連絡会ブログ http://jelcy.blog.fc2.com/
全国青年連絡会Facebook http://www.facebook.com/zenseiren

「神さまの時」

定年教師 山本 裕

2012年11月22日、神学校同級生、三浦芳夫くんが、天に召されました。前日、M牧師と、三浦知夫牧師と食事を共にし、お父さんのご様子をお聞きしたばかり。「マアマアです。車椅子ですが、割合元気にしています」。「そうか、よかったなー」と思っていましたが、次の日、午前9時頃、知夫牧師から「父が、今朝亡くなりました」。 まさに絶句です。
その後、さまざまな電話があり、みのり教会で11月25日(日)午後6時から前夜式、説教は山本、そして26日(月)午前10時半から葬儀、説教はやはり同級生であった、森部信牧師(九州在住)と決まりました。
前夜式の時、私は、彼の愛誦聖句『神のなさることは、その時にかなって美しい』(伝道の書3・11)から説教しました。その説教の中で、「神学校時代、他の友人たちが、勇ましく激論する中、彼が、ポツリポツリと語った、こんな言葉を、今でも覚えています」と話しました。『自分は不器用だから、小さい教会で一人一人に向き合いながら、神様の言葉を、地道に伝えていきたい・・』。 「彼が見つめる視点は、少し違うな」と、私は思いました。 「人間の時」よりも『神の時』を、思い見ているのではないか・・と。 そして卒業してからの任地は、彼が願ったような、教会でした。
そして一人一人に言葉をかけ、訪ね、手紙を書くと言う、地道な働きが続きました。
「残された者は、天に召されたものに、何もすることが出来ないが、召された者は、残されたものに、多くのことを語りかける」。これは真実です。
牧師としてのそれぞれの道を歩んで50年…、ご子息、知夫先生の所にいらっしゃった三浦先生は、私にとって再び「三浦くん」に戻りました。 お孫さんと共の、幸いな豊橋(愛知県)での9年間でした。 今も奥様に、知夫先生のご家族に、また私に、さまざまなことを語りかけます。 地上と天上は、続いています。

主の平安がありますように。

12-12-18泊まる場所のないすべての者たちへ

ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。 宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。ルカによる福音書2章6〜7節

最近の大学生の中には、お昼ご飯をトイレで食べる学生たちが少なからずいる、という話しを聞いておどろきました。学食やラウンジでひとりでご飯を食べていると、「あいつは一緒に食事をする仲間のいない淋しい奴だ」、というふうに見られるので、それを避けるために、ひとりでいるところを誰にも見られないように、トイレで食事をするのだというのです。大切な仲間づくりを経験すべき学生時代に、ひとりで居ることを恥じつつトイレで食事する学生たちの話しを聞いて、この人たちもまた、居るべき場所がない人たちなのだと思わされました。

わたしが学生時代に通った大阪の釜ヶ崎では、バブル期であったにもかかわらず、多くの方々が路上での生活を余儀なくされておられましたし、東京で暮らしていた頃には平成不況のあおりを受けて、近所の公園がみるみるうちにブルーシートやキャンプ用テントで埋まっていく様子を肌で感じさせられました。いずれも居るべき場所を失いながら、なんとか生きるための場所、自分が居るべき場所を確保しようと、悪戦苦闘しておられた方々です。

そして今また、3・11以降の社会状況の中で、自分の場所を追われて仮住まいをする数多くの方々の物語を、わたしたちは耳にします。

クリスマスの物語は、まさに居場所を得られなかったひとつの家族の物語です。若きヨセフと身重のマリアが自分たちの町を旅だった理由は、皇帝アウグストゥスの命により、一族の出身地であったベツレヘムで住民登録をするためであったと伝えられています。身重のマリアを慮って旅の歩みが思ったようにはかどらなかったのか、ふたりがベツレヘムの町に入ったとき、すでに町の宿屋はどこもいっぱいで、宿屋にはヨセフとマリアのための場所は残されていなかった、というのです。

その居場所の無さは、イエスさまの誕生の後も続いていきます。地上のいのちを受けたばかりのイエスさまは、猜疑心の強いヘロデ王の追っ手を避け、遠くエジプトの地にまで逃避行を続けねばならなかったからです。故郷であるガリラヤのナザレから、一族の出身地であるベツレヘムへ。そして異郷の地であるエジプトでの寄留生活へ。思えば、クリスマスにはじまり、ゴルゴダの丘の十字架へと向かうイエスさまのご生涯の全体が、寄留の生涯そのものであった、というふうに言うことも出来るでしょう。

そして、だからこそイエスさまの地上での最後の言葉として記録される次の言葉が、重く、味わい深いものとして、わたしたちの心に響くのです。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。インマヌエル。それは、イエスさまの誕生にあたって、天使によって告げられた約束の言葉でもありました。

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」(マタイによる福音書1章23節)

地上にあって、居場所のない生涯をおくられたイエスさまが約束の言葉を下さる。それは、わたしはいつも、あなたとともにいる、という約束の言葉でした。釜ヶ崎の路上にも、公園の片隅のテントにも、放射能を逃れて仮住まいをする母子家庭の食卓にも、インマヌエル。わたしはいつもあなたとともにいる、という約束の言葉が告げられます。その言葉は、大学のキャンパスのトイレで、ひとり淋しくパンをかじっている学生のかたわらに立たれるイエスさまの言葉でもあります。クリスマスのこの時、居場所を追われ、泊まる場所のないすべての者たちに、インマヌエル、という約束の言葉が告げられているのです。
日本福音ルーテル健軍教会・甲佐教会牧師 小泉 基

12-12-11るうてる2012年12月号

説教 「泊まる場所のないすべての者たちへ」

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ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。 宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。ルカによる福音書2章6~7節

近の大学生の中には、お昼ご飯をトイレで食べる学生たちが少なからずいる、という話しを聞いておどろきました。学食やラウンジでひとりでご飯を食べていると、「あいつは一緒に食事をする仲間のいない淋しい奴だ」、というふうに見られるので、それを避けるために、ひとりでいるところを誰にも見られないように、トイレで食事をするのだというのです。大切な仲間づくりを経験すべき学生時代に、ひとりで居ることを恥じつつトイレで食事する学生たちの話しを聞いて、この人たちもまた、居るべき場所がない人たちなのだと思わされました。
 わたしが学生時代に通った大阪の釜ヶ崎では、バブル期であったにもかかわらず、多くの方々が路上での生活を余儀なくされておられましたし、東京で暮らしていた頃には平成不況のあおりを受けて、近所の公園がみるみるうちにブルーシートやキャンプ用テントで埋まっていく様子を肌で感じさせられました。いずれも居るべき場所を失いながら、なんとか生きるための場所、自分が居るべき場所を確保しようと、悪戦苦闘しておられた方々です。
 そして今また、3・11以降の社会状況の中で、自分の場所を追われて仮住まいをする数多くの方々の物語を、わたしたちは耳にします。
 クリスマスの物語は、まさに居場所を得られなかったひとつの家族の物語です。若きヨセフと身重のマリアが自分たちの町を旅だった理由は、皇帝アウグストゥスの命により、一族の出身地であったベツレヘムで住民登録をするためであったと伝えられています。身重のマリアを慮って旅の歩みが思ったようにはかどらなかったのか、ふたりがベツレヘムの町に入ったとき、すでに町の宿屋はどこもいっぱいで、宿屋にはヨセフとマリアのための場所は残されていなかった、というのです。
 その居場所の無さは、イエスさまの誕生の後も続いていきます。地上のいのちを受けたばかりのイエスさまは、猜疑心の強いヘロデ王の追っ手を避け、遠くエジプトの地にまで逃避行を続けねばならなかったからです。故郷であるガリラヤのナザレから、一族の出身地であるベツレヘムへ。そして異郷の地であるエジプトでの寄留生活へ。思えば、クリスマスにはじまり、ゴルゴダの丘の十字架へと向かうイエスさまのご生涯の全体が、寄留の生涯そのものであった、というふうに言うことも出来るでしょう。
 そして、だからこそイエスさまの地上での最後の言葉として記録される次の言葉が、重く、味わい深いものとして、わたしたちの心に響くのです。
  「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。インマヌエル。それは、イエスさまの誕生にあたって、天使によって告げられた約束の言葉でもありました。
 「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」(マタイによる福音書1章23節)
 地上にあって、居場所のない生涯をおくられたイエスさまが約束の言葉を下さる。それは、わたしはいつも、あなたとともにいる、という約束の言葉でした。釜ヶ崎の路上にも、公園の片隅のテントにも、放射能を逃れて仮住まいをする母子家庭の食卓にも、インマヌエル。わたしはいつもあなたとともにいる、という約束の言葉が告げられます。その言葉は、大学のキャンパスのトイレで、ひとり淋しくパンをかじっている学生のかたわらに立たれるイエスさまの言葉でもあります。クリスマスのこの時、居場所を追われ、泊まる場所のないすべての者たちに、インマヌエル、という約束の言葉が告げられているのです。
 日本福音ルーテル健軍教会・甲佐教会牧師 小泉 基

 

宗教改革五〇〇周年に向けて

 ルターの意義を
   改めて考える(8)

 ルター研究所 所長
        鈴木 浩

 「新しい義」とは、「能動的義」(自分で獲得する義)から「受動的義」(無償で与えられる義)への逆転であった。それは、まさに「コペルニクス的転回」であった。この逆転は、ルター神学のいたるところに現れる。
 『奴隷意志論』では、次のような逆転が現れ、事態が鮮明に提示される。
 それまで、人々は(現代的比喩を使えば)人間を車の「運転手」のように考えてきた。安全運転をして目的地(天国)に行くことが 、 人間の生涯の課題であった。その際、神の戒めや教会の教えが、「道路交通法」に該当した。天国(救い)は目指すべき目標であった。
 ルターはこれをひっくり返して、人間は「悪魔に運転された自動車」だと断定した。だから、人間はどうあがいても地獄に行く。しかし、ここで神が介入する。キリストが運転席の悪魔を蹴飛ばし、代わりにハンドルを握ってくださった。だから、行き先は天国以外にない。無論、途中では、不測の事態が起こるかもしれない(人の一生には波風が起こる)。だが、運転手がキリストである以上、心配は無用、キリストに大胆に信頼しよう、と福音は告げている。ルターはそう語ったのだ。

牛丸省五郎牧師を想う

定年教師 武村 協

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」 ヨハネによる福音書三章一六節

 省五郎先生は、お父上の元大岡山教会牧師、?五郎先生が長野県下諏訪教会で牧会されているその地で誕生された。
 当時、同教会はまだ日本福音ルーテル教会と合同する前の「福音ルーテル教会」、すなわちフィンランド・ミッション系の教会であった。以後、そのご生涯を、戦後のほんの一時期を除き、同系の教会で生活され、その中心的な教会であった東京池袋教会で三十五年にわたって伝道牧会に尽くされ、引退後も同教会の名誉牧師として、教会を温かく見守ってこられた。
 私も同系の教会の戦後初の神学生だったので、その大半を先生の東京池袋教会で過ごした。神学生として、先生から特別なご指導をいただいたわけではなかったが、先生の説教、牧会、また言葉の端々から学ぶことが多かった。「たとえ田舎牧師であっても、牧師であることが一番尊いことだ」とか、「羊飼いが羊と一緒になってメエメエ鳴いていたら、どうする」とか、今でも心に残る言葉であり、その言葉の中に先生の牧師としての姿勢、その重さ、厳しさがよく表わされていたと思っている。
 先生はまた、日本福音ルーテル教会の書記とか式文委員会、あるいは、讃美歌委員会の委員長としてもその重責を果たされ、さらには、日本キリスト教協議会(NCC)においても活躍された。
 しかし、何よりも覚えたいことは、日本の教会とフィンランドの教会との懸け橋としての役割を果されたことであった。福音ルーテル教会と日本福音ルーテル教会との合同のために尽力され、フィンランド留学後、しばしば同国を訪れたり、フィンランド宣教師の方々のお世話をされたりして、フィンランド教会のよき信仰の伝統を日本の教会の伝えてくださった。
 冒頭の聖句は、先生の告別式の式次第に記され、読まれた箇所である。お父上が、いわゆる「律法主義的」傾向の強い教派の牧師から、そのことに疑問を持ち、ルーテル教会に転向された経緯があっただけに、このみ言葉が先生のお心に深く刻まれていたと推察している。
(11月3日、90歳で逝去)

信徒の声

「私たちが引き継ぐもの」      箱崎教会  山本 光
幼稚園では、聖劇のけいこがはじまり、かわいい歌声が園内に溢れています。
 私が働いている恵泉幼稚園と箱崎教会は昨年から相次いで創立80周年を迎えました。偉大な先人たちの思いのつまった教会・幼稚園を引き継いでいくことには大きな責任を感じていますが、私たちは責任感だけで歴史を引き継いでいっていいのでしょうか。
 昭和の初め、ルーテル教会婦人ミッションは福岡に新しい事業を発足させたいと希望して福岡で南博幼稚園に次ぐ第2の幼稚園として1931年10月箱崎の地に恵泉幼稚園を誕生させました。そしてその恵泉幼稚園を基盤として生まれたのが箱崎教会で、恵泉幼稚園と箱崎教会は車の両輪のようにずっとともに宣教の働きを担ってきました。
 佐賀で日本のルーテル教会最初の幼児教育の種が蒔かれて110年が経ちました。
 でも教会は何故これほどまでに幼児教育に力を入れたのでしょうか。イエス様の生涯に学び、イエス様が子どもたちを愛し、「神の国はこのような者たちのものである」と言われたからだけなのでしょうか。
 アメリカの宣教師C・K・リッパードと夫人によって蒔かれた幼児教育の種は、その後全国に拡がり大きく実を結びました。
 私は110年前に最初に幼児教育を始めた彼らが何よりも伝えたかったのは、子どもたちとの魂と魂のふれあいによる「福音の喜び」であったと思います。
 幼い子どもたちの純粋なこころにふれることで大人の私たちも大きな喜びに溢れ、新たな力を受け宣教の業に励むことができるようになるからだと思っています。
 私はこのことに目を向け、その大きな喜びのバトンを次世代に引き継いでいきたいと思います

JLER(ルーテル教会救援)対策本部 現地からのレポート 

JLER派遣牧師 野口勝彦

待降節に入りました。今月号では、クリスマスプレゼントやお正月のお土産としてもお使いいただける支援物品を生産者の言葉と共にご紹介します。

『KEPPAPPE』(けっぱっぺ)
     畠山 友美子

 2011年3月11日の2週間前、6年間いた東京から故郷気仙沼へもどったところでした。自宅はあと3mというところで浸水は逃れ被害は少なくすみましたが、両親の仕事関係先が被災し、収入も大きく減りました。もともと地域の直売所で手芸品や木工品を販売し、他に海藻や山菜等も販売していましたが、直売所は津波で流失(現在は仮設で営業中)。
 そうした中、何かしようと動き出したのがきっかけで『KEPPAPPE』(けっぱっぺ)という手づくりグループを始めました。 KEPPAPPEとしてはクリスマスカードからはじまり、地域の椿を使ったブローチやバック等商品を増やして販売もしています。
 5人程度の少人数ですが、ルーテル教会救援さんをはじめ多くの方の繋がりで支援して頂いています。被災地ではいつまでも支援をして頂くわけにはいかないと、前向きな人たちがたくさんいます。多くの問題に向き合いながら復興したと言えるようみんなでがんばっていきたいと思います。

支援物品担当スタッフ       佐々木 潤

 支援物品をご購入頂いた皆様に、深くお礼申し上げます。物品を製作されている方々から、感謝と喜びの声を聞く事が出来ました。また、物品作成の意欲が高まり、新たな物品が生まれるきっかけにも繋がっています。今後も変わらぬ、ご支援をよろしくお願いいたします。今回は、ご存知の物品や新たな物品も含めて、ご紹介させて頂きます。詳しくは担当者(�:090-1116-0477 e-mail: j-sasaki@jelc.or.jp)までお問い合わせください。
○石巻身体障害者「歩む会」
・幸せくるみ(ハート型の天然姫くるみのストラップ)・和紙で作った箸置
○石巻市北上町十三浜「西條金一さんグループの海産物」
・塩蔵こんぶ・塩蔵わかめ・とろろ昆布
○石巻市・北上町の手しごとグループ「にっこり手しごと村」
・ミサンガ(トンボ玉使用)・リサイクルサリーミサンガ(バングラデシュ産サリーのリサイクル品)・にっこりブレスレットほか
○気仙沼の女性グループ「KEPPAPPE」
・ポストカード・クリスマスカード・お針子セット・大漁歌い込み人形ほか

【お知らせ】

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バッハのカンタータを聴く

「クリスマスオラトリオ 第1部~第3部 (BWV248、1-3)」
日本ルーテル神学校名誉教授 徳善義和

クリスマス・オラトリオは一五三四年、三五年のライプツィヒのトマス教会とニコライ教会の、クリスマスから新年にかけての六つの礼拝のために作曲された六つの教会カンタータを集めたものである。待降節第一主日が終わると、続く三つの主日にカンタータが歌われなかったライプツィヒで、その年会衆はこのクリスマス・オラトリオの第一部のカンタータ「歓喜せよ、躍り上がれ」を聖降誕第一日の礼拝で聴いたのだった。
 トランペットが高らかに相和す第一曲の合唱がクリスマスの趣を伝えて素晴らしい。まさしく「神のみ子の祝祭」の音楽である。だが、始まってすぐ第五曲のコラールに、予想外のメロディーが響く。「血しおに染みし」(教会讃美歌81)という主の受難を歌うメロディーである。 このメロディーで
「私はどのようにしてあなたをお迎えすべきでしょうか」 (教会讃美歌4参照)と歌われるのである。クリスマスは十字架へとお生まれになったイエスを心に刻んで迎える祝祭にほかならないという、ルターからバッハに生きる信仰である。
 この方は「貧しく地上に来られる」方である(第七曲)と同時に、また「偉大なる主、強い王」(第八曲)でもある。だからこの方を迎えるには人もまた幼子となって、「ああ、かわいらしいイエスさま、私の心に来てください」(教会讃美歌23第八節参照)と子供のように素直に歌うしかないのである。カンタータの歌詞にせよ、教会讃美歌の訳詩にせよ、訳は原詩に沿って、ここでは子供の歌として訳しておくべきだということも併せて教えられるのではなかろうか。
 第一部はみ子の誕生の歴史的背景、第二部は野にいた羊飼いたちへの天使のお告げ、第三部は羊飼いたちの幼子訪問がそれぞれ主題聖句となっているが、カンタータとして展開される歌詞をずっと追っていくと、それ自体がこのルカ第二章一節から二〇節のすぐれた説教を形作っていることに気づかされるだろう。バッハはこのために教区長だったオレアリウスの、いわば説教者のための聖書講解や、別の教区長ハインリッヒ・ミュラーの説教集をよく読んでいた事実が背景にある。
 今年のクリスマス、このクリスマス・オラトリオを聴こうとするならば、CDと前後して、歌詞だけを繰り返し読んで、説教の味わいを心に刻んではどうだろうか。

「光よ、あれ!」

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

マルク・シャガールのステンド・グラスを一つ紹介します。
エルサレムのヘブライ大学ハダッサ医療センターにあるシナゴークに12面の大作がある。旧約聖書のイスラエルの十二部族が、それぞれに表現され、すべてのデザインされた象徴がシャガール特有の宇宙遊泳して流れる曲線と明るい色の中にある。八十歳代の老画家の力作で、エルサレム旅行では必見の名画と言える。
 その小さな一部分だけを見てください。12部族の内、アシェル族の窓で、下段中央には、七枝の燭台(メノラー)が描かれている。
 メノラーの灯火は光輝き、暗闇を照らしている。 イスラエル国家の紋章には、このメノラーが中央にあり、左右に、平和のシンボルでオリーブが配置されている。ユダヤ教徒は12月にハヌカ(宮清めの祭)を守る。紀元前のこと、ギリシャの異教神によって汚された神殿を、ユダ・マカビーが戦いに勝って、神殿を取り戻し、清めて、奉献した時に、七枝の燭台(メノラー)の灯火が奇跡的に燃え続けたという故事に由来する。
  しかし、紀元1世紀には、ローマによって神殿は破壊され、メノラーは略奪の上、ローマにまで運ばれた。ローマの古代遺跡の中に建つティトスの凱旋門の浮き彫りの中に形が残されている。ソロモンの神殿のメノラーはなくなっても、イスラエルの人々は、小さなメノラーに灯をともす。
  キリスト教徒は同じように、 キリストは世の光と信じ(ヨハネ福音書1章1~9節)、クリスマスを迎えるアドベントには、クランツに毎週火をともす。キャンドルサービスにおいては、自らも「世の光」となろうと決意し、祈りつつ、火をともす。マタイ福音書5章14節

スタイワルト宣教師のお孫さん二人、 初来日

 東京教会は10月28日宣教百周年記念礼拝と式典を行いました。東京教会で創立時から献身的に長年働かれましたアーサー・スタイワルト宣教師の孫のアーサー・デイヴィスさん(写真右)とマリー・オズボーンさん(同左)が、今回記念礼拝と式典に出席されましたので、インタビューをしました。

日本の第一印象は?
アーサー: 日本は美しく、清潔で、そして忙しい街です。人々は正直で寛大です。私は日本語を読むことも話すことも出来ないので自分が快適に感じる場所の外に出されてしまったようです。コーヒーを注文したりトイレが何処か聞くと言った簡単なことに創造的な思考を要求されました。
マリー: 同様に感じました。交通システムの効率的なことに感心しました。母は日本のものを沢山家に持っていて、その中で育ってきたので、ここで何かに出会うたびに�T家に戻った�Uような気持になりました。

スタイワルト先生ゆかりの場所を訪ねた後、彼の働きについてどう思われましたか?
アーサー: 神学校、東京老人ホーム、ベタニアホーム、そして東京ルーテル教会を訪ねて、自分がまるで感動のローラーコースターに乗っているような感じでした。 これは全く人生観を変えるような経験でした。祖父の働きの大きさと人々への影響に圧倒されるようです。祖母のお墓に花を供えたとき、祖父の墓碑には生まれた日が刻まれていましたが、最後の日がないことに気づきました。それを見て、祖父の墓碑にふさわしいと思いました。なぜなら彼は今も日本で神の栄光のために働き続けているからです。
マリー: 祖父が残し受け継がれたものに圧倒されました。関東大震災後寡婦や子供達の大きなニーズに応えるために始められたベタニアホームは、今日も女性や子ども達のニーズに応え続けています。祖父はそのことを喜び誇りに思っているに違いありません。活気に満ちた東京教会も教会の強い礎の証です。こんなに年月を経ているにもかかわらず私が受けた熱心な心からの歓迎に祖父がこんなに愛され理解されていたということ実感しました。祖父の神と人々への献身は目に見えるようです。彼は長い一生のレースを誠実に走り終えましたが、それは私を含め他の人たちへの励みとなるのではないかと思います。

第25回総会期第二回常議員会報告

第25回総会期の第二回常議員会が、十一月五日から七日にかけて、市ヶ谷センターにて開催されました。

▼諸活動、委員会報告
 立山忠浩議長が議長就任後に「第六次総合方策の実践、特に実質を伴った推進を目指し、重点的課題を抽出して取り組む」と基本姿勢を述べられた本年六月以降の取り組みにつき、議長以下、事務局長、宣教、広報、管財、総務の四室、世界宣教、各教区、常置委員、常設委員その他委員会より各活動報告がなされ、いずれも承認されました。 
 この中で、十月に開催された宣教会議の協議内容である教会共同体や種別、北海道特別教区の今後、宗教改革五〇〇年記念事業の概要、全体教会財務の在り方、震災の振り返りと予想される大震災への備え(ディアコニアの視点で)等の諸課題に関しても報告承認をしました。

▼審議事項
審議事項では、まず、長期宣教師の任命と3名のJ3プログラム派遣、第一号留学、教会建物の改築に関する申請、幼稚園組織変更に関する申請等がそれぞれ承認されました。   
 25期の重点的な課題領域と絞り込んだ3事項の中では、懸案とされる収益事業建物の耐震補強工事の実施を決定しました。該当建物は、東京の「文京会館」です。事業規模は二億九千九百万と大規模改修になりますが、女子学生会館の安全性の確保と、会館経営面から、二〇一三年七月完成予定で事業計画を進めるものとされました。(今号で公告が出されます。)
 また、前年度より継続審議されてきた「教職転任費拠出制度要綱」は、新たに「教職転任費拠出制度」を制定して執行する決議がなされました。 
 来る二〇一七年に向かう宗教改革五〇〇年記念事業については「宗教改革に学び、教会と自らの信仰を成長させ、新たな宣教へ踏み出してゆく契機とする」狙いと目的を掲げること、準備の役割分担と調整を含め、二〇一四年総会までに具体的な記念事業計画を提示する旨が決議されました。
 なお常議員会の詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。

新築るうてるホーム起工式

社会福祉法人るうてるホーム  常務理事 石倉智史

 去る、10月26日金曜日。素晴らしい秋晴れの下、るうてるホーム新築工事の起工式が行われました。
 ここに至るまで足かけ2年余り。途中何度も現れる荒波にも、これまで関わって下さった多くの諸先輩方のことを思い、またいつも共にいて下さるイエスさまに従って歩んで来ました。小さな一歩ではありますが、ここまでたどり着けたことに心から感謝いたします。
 新しいるうてるホームは、現在の場所から約2�H西に向かった所に建設します。建物は地上4階建てとなり、軽費老人ホーム(建て替え後はケアハウス)50室、特別養護老人ホーム50室の他、ショートスティや老人デイサービスなど、今まで行ってきたすべての事業を一カ所で行うよう設計しました。また、今回新たに、障害のある方々へのサービスを拡充し、独立した事業として運営することも計画されています。11月上旬には、いよいよ杭打ち工事が始まり、およそ10ヶ月かけて2013年秋には、竣工の予定となっています。
 職員主導で行われている建築委員会や様々なプロジェクトチームも多忙な日常業務と平行して精力的に行ってきました。一人ひとりの職員が、期待と不安が入り交じる中、新しいるうてるホームの誕生に心を躍らしています。
 私たちのサービスを利用されている方々にもっと喜んでいただくために、またこれからもずっと利用していただくために、「今後50年を見据えて」法人役職員一同で力を合わせていきます。どうぞこれからもお祈りに加えていただければ幸いです。

歓迎!宣教師

ようこそ、日本へ!

来年4月から赴任する宣教師が11月1日に来日しました。いずれもアメリカの福音ルーテル教会(ELCA)からの派遣です。そのうち長期宣教師はエリック・ロス牧師とターナ・ロス宣教師夫妻で、それぞれ東京教会と本郷学生センターを中心に任務を受けます。短期の信徒宣教師(J3=「日本滞在3年」の意)はモーガン・ディクソン、ローラ・フェントレス、キャロリン・キーナンさん。いずれも熊本の九州学院と九州ルーテル学院中学・高校で英語を教えながら、教会でも伝道のお手伝いをしてくださいます。J3の3名は東京での研修後、来年1月から熊本へ向かう予定です。どこかでみかけたらぜひ話しかけてみてください。ようこそ、日本へ!

公 告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。
二〇一二年一二月一五日
宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 立山 忠浩

信徒利害関係人 各位

本教会所管の文京会館耐震
 補強工事実施の件
・総工費 
 弐億九、九五六万五千円
・資金計画
 自己資金(収益会計) 壱億円
 借入金       弐億円
       計    参億円 
 借入先 三井住友銀行
     新宿西口支店
 返済期間 一〇年
 支払利率 年利二・五%
 変動利率、元金均等返済
 収益会計の収益にて返済

耐震補強を要する理由
・女子学生会館として多数の子女をお預かりしており、安全確保は急務。
・建物前面道路は緊急時避難道路に指定されており、耐震補強工事は急務。
・文京カテリーナ経営上、耐震補強は急務。
・地下一階、一階の教会部分の大きな空間の補強が急務。
・担保 右記の借入に対する担保として左記の物件を追加する。
イ不動産担保
 既に広島会館、大阪会館新築に当り、極度額壱五億円の根抵当権を設定済みであるが、加えて文京会館の土地建物(第壱順位)及び広島会館の土地建物(第二順位)を その共同担保として根抵当権を設定、極度額は変更せず。

 共同担保明細は次の通り。
・文京会館
 土地
 所在 東京都文京区千石二丁目
    地番 七一番一
 地目 宅地
 地積 一一〇〇・五六一
 建物
 所在 東京都文京区千石二丁目七一番地一、七二番地一
 家屋番号 七一番一
 種類 会堂寄宿舎
 構造 鉄骨鉄筋コンクリート造陸屋根地下一階付九階建
    延床面積 計三八八八一
    (内、教会部分を除く) 
    順位 一番 
・広島会館
 土地
 所在 広島市中区鶴見町
 地番 二番七、二番八
 地目 境内地
 地積 二番七 八一七一
    二番八 七〇五一
 地上権者持分壱萬分の八〇〇四
 建物
 所在 広島市中区鶴見町二番地七、八、九
 家屋番号一〇一、一〇二、一〇 三、二〇二、四〇一
 延床面積 計六六六九・〇五一
 収益事業用に本教会所有
 部分、   順位 二番
ロ質権設定
修繕積立口座及び単年度元利金返済口座を本教会の預金口座として開設、これに質権を設定する。
 
A聖パウロ教会三咲集会所跡地売却及び売却代金の一部利用の件
 土地
イ所在 千葉県船橋市三咲七丁目
 地番 九三―六番地
 地目 宅地
 地積 八二六・九四一
ロ所在 千葉県船橋市三咲七丁目
 地番 九三―一三番地
 地目 宅地(共有地)
 地積(二〇九・五九一)の共有割合三〇〇分の二四九により一七三・九六一  
 地積合計一〇〇〇・九一
 市街化調整区域指定あり。
 売却予定時期 本公告期間満了後、早期に予定。
 理由
 聖パウロ教会所在地前面道路が 緊急避難道路に指されており、都条例による「特定沿道建築物」指定により建物の耐震補強工事が義務付けられており、資金の 一部に充当。
以 上 

電話番号変更

■紙谷守先生
電話 080|5204|8400
■岡崎教会
電話0564|64|3261FAX 0564 |64 |3262

12-12-02JLER月報2012年12月号−14号

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12-11-18顔と顔とを合わせて

わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。」(コリントの信徒への手紙一 13章12節) 顔を合わせることなく、コミュニケーションをはかるメディアも発展していく昨今ですが、教会は神と人、人と人とが顔と顔とを合わせる礼拝や交わりを大切にしていると思います。そしてこの期節、多くの教会が全聖徒主日礼拝を守る際に、その歴史を刻んだ分だけ召天者の顔写真を飾るところもあるでしょう。そして故人を偲び集うご家族やご親戚と、教会において一堂に相まみえる時を過ごすのです。  さて神の顔について、旧くからキリスト教は直に見ることを求め続けてきました。旧約聖書においても、神がみ顔を向けてくださることが、神の愛のしるしでした。その反対に神がみ顔をそむけるとは、神の不興をかうことでした。ですから礼拝の祈りでは司る者が神に呼びかけ、神が顔をそむけず、人々がささげた犠牲や祈りを確かに受け取ってくださるように願いました(詩編27・9、132・10)。つまり神の顔を見るとは、神との特権的な、親密な関係を持つことです (『キリスト教の天国』A・Eマクグラス著「顔と顔を合わせて神と出会う」参照)。  例えば詩編の作者も、神と顔を合わせたいという望みを次のように記しています。「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを」(詩編27編4節)。私たちは神を冒頭の聖句のとおり「今は、鏡におぼろに映った」姿としか、見ることがゆるされていません。けれども神が定める時「そのときには、はっきり」と、「ありのままに見る」(一ヨハネ3章2節)のです。そこに私たちの目から涙を拭い取り、召天者との再会の楽しみ、天の国への希望が備えられているのです。  ところが教会内外で私たちは、いわゆる「顔も見たくない」ような関係に身を置くこともしばしば経験します。神の前に悔い改め、人々の中でもある種の閉塞状態に、他者と出会い、挨拶し、会話を交わすのは至難なことです。  しかし、第二次世界大戦中のナチスドイツによるユダヤ人迫害から生き延びたE・レヴィナスは、「会話という平凡な事実が、暴力の驚異から逃れる一筋の道を指し示す。平凡な事実こそ、奇跡中の奇跡である。語ること、それは他者を認知すると同時に、他者におのれを認知してもらうことである。他者は単に知られるだけでなく、挨拶される」と、顔と顔とを向き合わせた関係に暴力を抗する手がかりを伝えます。  「他者とは、殺したいという誘惑に駆られる唯一の存在者である。この殺害への誘惑と殺害することの不可能性が顔のヴィジョンそのものを構成している。『顔』を見るとは、すでに『汝殺す勿れ』に聴従することである。―中略― それこそが人間の霊的歩みを創始するのである。宗教とは、私たちにとって、この道以外にはない。」(『困難な自由―ユダヤ教についての試論』「倫理と霊性」参照)は、現代に鋭い示唆を与えます。私たちが再び神と向き合い、その神が教会へと召し集められた(私たちが選べない)兄弟姉妹も、周囲におられる人たちの間でも吟味しなくてはならない問題だと思うのです。  翻って私たちは全聖徒の日を記念し、「この世の別れが永遠の別れでないことを覚えさせ、み許において再び顔と顔を合わせる日を望ませてください。…その死によって死に打ち勝ち、今も生きて働いておられる主イエス・キリストのみ名によってお願いいたします。」(ルーテル教会式文(礼拝と諸式)「納棺の祈り」P239参照)を想起し、キリストの十字架を中心に、こちら側(礼拝に集う私たち)と向こう側(天の国)とで礼拝を守ります。そして今日も、「主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれるように。(与えられます)、主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜るように。(――賜ります)」と、祝福に与るのです。共々に、顔と顔とを合わせて。 

12-11-11るうてる2012年11月号

説教「顔と顔とを合わせて」

機関紙PDF
 
  和田憲明(日本福音ルーテル箱崎教会・聖ペテロ教会牧師

「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。」(コリントの信徒への手紙一 13章12節)

 顔を合わせることなく、コミュニケーションをはかるメディアも発展していく昨今ですが、教会は神と人、人と人とが顔と顔とを合わせる礼拝や交わりを大切にしていると思います。そしてこの期節、多くの教会が全聖徒主日礼拝を守る際に、その歴史を刻んだ分だけ召天者の顔写真を飾るところもあるでしょう。そして故人を偲び集うご家族やご親戚と、教会において一堂に相まみえる時を過ごすのです。

 さて神の顔について、旧くからキリスト教は直に見ることを求め続けてきました。旧約聖書においても、神がみ顔を向けてくださることが、神の愛のしるしでした。その反対に神がみ顔をそむけるとは、神の不興をかうことでした。ですから礼拝の祈りでは司る者が神に呼びかけ、神が顔をそむけず、人々がささげた犠牲や祈りを確かに受け取ってくださるように願いました(詩編27・9、132・10)。つまり神の顔を見るとは、神との特権的な、親密な関係を持つことです (『キリスト教の天国』A・Eマクグラス著「顔と顔を合わせて神と出会う」参照)。
 例えば詩編の作者も、神と顔を合わせたいという望みを次のように記しています。「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを」(詩編27編4節)。私たちは神を冒頭の聖句のとおり「今は、鏡におぼろに映った」姿としか、見ることがゆるされていません。けれども神が定める時「そのときには、はっきり」と、「ありのままに見る」(一ヨハネ3章2節)のです。そこに私たちの目から涙を拭い取り、召天者との再会の楽しみ、天の国への希望が備えられているのです。

 ところが教会内外で私たちは、いわゆる「顔も見たくない」ような関係に身を置くこともしばしば経験します。神の前に悔い改め、人々の中でもある種の閉塞状態に、他者と出会い、挨拶し、会話を交わすのは至難なことです。
 しかし、第二次世界大戦中のナチスドイツによるユダヤ人迫害から生き延びたE・レヴィナスは、「会話という平凡な事実が、暴力の驚異から逃れる一筋の道を指し示す。平凡な事実こそ、奇跡中の奇跡である。語ること、それは他者を認知すると同時に、他者におのれを認知してもらうことである。他者は単に知られるだけでなく、挨拶される」と、顔と顔とを向き合わせた関係に暴力を抗する手がかりを伝えます。
 「他者とは、殺したいという誘惑に駆られる唯一の存在者である。この殺害への誘惑と殺害することの不可能性が顔のヴィジョンそのものを構成している。『顔』を見るとは、すでに『汝殺す勿れ』に聴従することである。―中略― それこそが人間の霊的歩みを創始するのである。宗教とは、私たちにとって、この道以外にはない。」(『困難な自由―ユダヤ教についての試論』「倫理と霊性」参照)は、現代に鋭い示唆を与えます。私たちが再び神と向き合い、その神が教会へと召し集められた(私たちが選べない)兄弟姉妹も、周囲におられる人たちの間でも吟味しなくてはならない問題だと思うのです。

 翻って私たちは全聖徒の日を記念し、「この世の別れが永遠の別れでないことを覚えさせ、み許において再び顔と顔を合わせる日を望ませてください。…その死によって死に打ち勝ち、今も生きて働いておられる主イエス・キリストのみ名によってお願いいたします。」(ルーテル教会式文(礼拝と諸式)「納棺の祈り」P239参照)を想起し、キリストの十字架を中心に、こちら側(礼拝に集う私たち)と向こう側(天の国)とで礼拝を守ります。そして今日も、「主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれるように。(与えられます)、主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜るように。(――賜ります)」と、祝福に与るのです。共々に、顔と顔とを合わせて。

宗教改革五〇〇周年に向けて
 ルターの意義を改めて考える(7)

 ルター研究所 所長 鈴木 浩

  先月号で指摘した「新しい義」の理解によって中世の厚い壁を突破したルターは、それを「新しい救いの理解」へと展開する。それが、いわゆる「信仰義認論」だった。
 さて、中世後期の人々の心の底に共通していたメンタリティーがある。それが「宗教的不安」である。つまり、救いの確かさがどうしても得られない、という心理的空洞のことである。
 ルターの信仰義認論は、おそらくはキリスト教史上初めて、その不安を魂の根底から癒した教えであった。しかも、彼はそれを力強く、鮮やかに、喜びに溢れて指し示したのだった。宗教改革がルターの意志をも意図をも越えて大きな運動になった原因は、素朴な人々も、ルターのその教えに共感したからであった。
 その事態を少し詳しく説明したいのだが、この欄では字数制限があって、不可能なので、別枠で改めて説明したいと思う。
 ルターの神学はこの信仰義認論の上に構築された。ルターは想像を絶したエネルギーでこの作業に没頭した。その結果、次々に著作が著され、人々の共感の輪がさらに広まり、改革運動に弾みがつくことになった。ださる義のことだ、と気付く。実は、アウグスティヌスもそう語っていた。こうして、神の義の理解が逆転する。これが、「一点突破」だ。
 この新しい神の義の理解が、次いで聖書全体に適用される。これが、「全面展開」だ。そこから、宗教改革の神学が立ち上がってくる。

牧師の声

「初代のクリスチャンとして」雪ヶ谷教会 田島靖則

 今年の6月、父が天に召されました。ちょうど30年前、ミッションスクールに6年間通った私が入学を決めた大学が、ルーテル神大(当時)の福祉科でした。大学入学をきっかけにして、キリスト教の受洗を決意した私が、そのことを両親に告げたとき、父は反対しませんでした。その時から私は親族の中で唯一のクリスチャンとなったのです。
 父が私の信仰の自由を認めてくれたのだから、私も父の信仰を認めるべきだとずっと考えていましたので、今回の父の葬儀は、家の宗教である仏式(真言宗豊山派)で行い、長男である私は喪主を務めました。 群馬県館林市にある菩提寺には、父の納骨を機に、お墓の事は次男である弟にすべて任せることを伝えようと決めていました。今までお墓の事にはほとんど関わってこなかった私は、菩提寺のご住職がどのような方か知らず、交渉が上手くいくようにと願いつつ、お寺の門をくぐりました。お寺に、保育園が併設されているのを目にして、教会附属幼稚園の園長も務めている私は、話のきっかけができたと少々気持ちが軽くなったものでした。
 ご住職は保育園長にふさわしく、気さくな方でした。私の口から「ルーテル教会」の名前が出るとすぐに、「ああ、それなら聖ルカ保育園の清河先生をご存知でしょう?」と言われるではありませんか。「私は、聖ルカ保育園の評議員も務めているんですよ。ルーテル教会で行われた、先代の清川先生のお葬式で弔辞を読んだのは私です」。このご住職の言葉を聞いた瞬間、私の家の宗教と自分の信仰の問題は、すでに30年前に解決されていたことを知りました。
 ルーテル神大福祉科の先輩だった清河直美さんのお父様は、館林で病院も経営されるお医者さんでした。そして、日本ルーテル教団の熱心な信徒さんでもありました。学生時代、先輩である清河さんと話をした記憶はありませんが、一度だけ「群馬県には田島姓が多い」という話をした覚えがあります。
 マタイによる福音書6章8節にある、「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」というキリストの言葉を、今しみじみと噛みしめています。

信徒の声

「静かなる声」    広島教会  石田博美

 静かなる声、耳を澄まして、そっと聴く。
 自然な、呼吸のように、ことさら思い入れをすることもなく礼拝に集い、共に祈り、賛美をする。
 教会とは?信仰とは?はたまた「るうてる」に目をとおすこともなく、主の声に、耳を澄ます静かなとき。
 誰かを説得することも、自分を納得させることも、何も必要とすることもない、まさに、この一点にたっていたいと願う。
 今や教会の中に、この世の言葉が乱舞し、教会は、あまりに多くの事に答えようと身の丈以上の勝手な闘いをしているように感じる。「お前は、何ものぞ」との声が、聴こえてくる
 わが広島教会では、この五年間で想定外(今流行の)の出来事、牧師の転任が相次いで起こった。多くを望んだ結果でも、少なく望んだ結果でもない。
 教会をとおして何かをなそうとした痕跡もなく。反省を込めて事を見極めたいとしても、とても赦されることでもないかと、あきらめ次の教会、信徒へとゆだねて行く。
 今、この世的な「試練」と「苦しみ」の中にあって、主のまさに「人智を超えた」導きを念う。
 先日偶然みたドキュメント、東日本大震災の現場で、癌におかされ余命半年の宣告をうけた、老いた医者。たんたんと、今できること、己に与えられた目の前にいる患者を診、聴き、新しい生命、子供を取り上げる。あつく語る事もなく、また手術による延命も期待しながら。「生きる」ということへの希望を失うこともなく。
 ボンヘッファーの「行為」という詩の一節、『可能性の中に動揺せず、現実的なものを大胆に捕えよ。自由は思想への逃避の中になく、行為の中にあるのみ。』
 とにもかくにも、牧師共々、さらに今この地にある教会が、祈りの場となる事を願いつつ。
 勝手な文言を連ねたあとに、元ミラノ司教のカルロ・マリア・マルティーニの講演での一節を
『私たちはいつも、自分たちの口にするすばらしいことばや思いつく考えの背後に、たえまない清めを必要とする自分自身を見出すのです。』
 信徒の声が、おおいに響き渡りますように。

JLER(ルーテル教会救援)対策本部 現地からのレポート 

 JLER派遣牧師 野口勝彦  

 今年の8月から始まった「つるしびな」プロジェクトについて、現地の方の声をお届けします。

河北ボランティア友の会    高橋 よしみ

 言葉では言い表せない程の災害、不安な日々、身内の安否がわからない中、河北ボランティア友の会の会員は、炊き出しなどの活動に追われました。それだけに全国から駆け付けて下さったボランティアの皆さんの献身的な働きには頭が下がる思いでした。
 ボランティアの皆さんと一緒に活動する中で「私達はいつか地元に帰らなければなりません。その時、地域の人達は本当の意味で互いに助け合っていかなければならないんですよ」と話して下さった方がおみえでした。こんな精神的にボロボロの私達に何ができるのだろう。そう、ずっと考え続けてきました。
 そんな時、仮設団地での手芸依頼があり、その集会所にお邪魔しました。そして、そこで、「『つるしびな」も作ってみたいけど、材料がない」と遠慮気味な相談を受けたのです。
 私達は布集めなど早速行動に移したのですが、三か所の仮設団地とボランティア会員全員への準備は思っていた以上の費用がかかり、行き詰ってしまいました。
そんな時、相談にのっていただき、手を差し伸べて下さったのがルーテル教会救援の皆様でした。経費の援助、会場の準備、おやつの手配まで、寡黙に、そして、温かく応援して下さりました。
 おかげさまで少しずつ少しずつ「つるしびな」が出来つつあります。「つるしびな」の素朴で優美なその姿に、供養と癒しを感じながら前へ進むきっかけになれたらと望みます。

ご協力のお願い 

「つるしびな作製」ボランティア
内容 仮設団地・地域の方と一緒に「つるしびな」を作製していただきます。
条件 裁縫等ができる方であれば、性別、年齢を問いません。
予定日 11月8日・15日、12月6日・13日・20日(1月以降は未定です)  
定員 各日若干名
「つるしびな」材料
「つるしびな」の材料を次の通り募集します。
綿A江戸組ひも(細めの糸は多く必要です)B洋裁用の接着剤付きの薄い芯地C布、ちりめん(白、ピンク、薄橙、緑、黄、青、柄物)Dフクロウの目(ぬいぐるみなどで使われる直径8ミリのもの)
 上記にご協力いただける方は、野口までメールでお問い合わせください。
(k-noguchi@jelc.or.jp)

バッハのカンタータを聴くc

 「今こそ来ませ」カンタータ61(BWV61)
日本ルーテル神学校名誉教授 徳善義和

 教会暦は十一月末か、十二月初めに新しい年を迎える。教会の、また信仰の新しい一年の始まりである。
 ルターがコラールを会衆のために整え出したのも、この教会の、また信仰の一年の始まりの頃だった。最初期のコラールのひとつ、「今こそ来ませ」(教会讃美歌1)は1523年から24年にかけての成立と考えられているからルターによる最初の讃美歌の一つである。アンブロシウスに帰されていたラテン語の賛歌を、ルターなりに訳に工夫を凝らし、編曲もしてドイツ語の会衆讃美歌としたものである。「主よ、今こそ来てください」と主を待ち望む切実な思いが歌われるのである。
 バッハはこのコラールも好んでいて、オルガンのためのいくつものコラール前奏曲を作曲している。その内私が好んで聴くのはBWV659である。「今来てください」という切実な思いが、信仰者個人の、主に対する切々たる憧れの思いとして、オルガンで歌い上げられるという感じがする。「私は、私の魂はあなたを切に待っています」というわけである。
 これに対してカンタータ61は早くワイマール時代の1714年に作曲され、23年ライプツィヒでの最初のこの主日に再演された。このカンタータに込めるバッハの思いが分かるような気がする。第一曲をコラールの第一節で始めると、第三曲のテナーのアリアのテキストにはっきりと「来てください、イエスよ、あなたの教会に来てください」とある。すべての民の救い主がご自身の教会に今来てくださることを切に祈って歌うのである。
 カンタータは、バスで「見よ、私は戸の前に立っている」という再臨のイエスのことばに続き、更にソプラノが教会に向けて、「心一杯開け」と歌い、最後はPh.ニコライの有名な、主の顕現の讃美歌「恵みに輝き」(教会讃美歌57)の第三節をもって終わる。ここでも聴く者は讃美歌を開いてこの節を共に歌うこともできるだろう。
 待降節第一主日にこのカンタータが歌われた後、当時のライプツィヒでは四旬節と同様に、カンタータはクリスマスまで歌われなかった。「主よ、私のところに、私たちの教会に来てください」という切なる祈りを心に抱きつづけて、会衆はカンタータが歌われるクリスマス礼拝を静かに待ったわけである。

↓ニコライ教会。ライプツィヒでバッハの教会音楽はトマス教会とニコライ教会の礼拝で演奏された。

アルファとオメガ

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

 キリスト教関連の施設、学校、教会堂のステンドグラスは単なる装飾ではない。ここも宣教を目指すものでありたい。
 初代教会の宣教がギリシャ文化の地域で、公的用語としてギリシャ語が用いられていたので、キリスト教のシンボルにも伝統的にギリシャ語が多く出てくる。
 埼玉県飯能市にある聖望学園のチャペルのステンドグラス最上段には、アルファ(写真左下上)とオメガ(同下)がデザインされている。
 『ヨハネの黙示録』1章8節、「神である主、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。わたしはアルファであり、オメガである」。同22章13節、「最初の者にして、最後の者、初めであり、終わりである」。
 ギリシャ語アルファベットの最初と最後の文字を用いて、神の絶対永遠性を表わしている。絵の中のバラは野いばらで、するどいとげがある。主は十字架の前にこの野いばらの冠をかぶせられた。主のご受難を覚えたい。『マルコ福音書』15章17節、『マタイ福音書』27章29節、『ヨハネ福音書』19章5節。
 そして、野いばらは原野にあって、とても強い生命力を持つ。 しかも小さな花は微香を放つ。キリスト者の生き方、歩む道を指し示す。ルターローズも原種のバラから生まれた。
 百合の花は、純粋、清楚のシンボルであり、若い学徒の清純な生活を示唆する。それらを囲む大円は、完全永遠をあらわしている。

TNGワークキャンプ報告

松本教会・長野教会牧師  佐藤和宏

「wwjd? (What Would Jesus Do?) ――イエスさまなら、どうするだろう?――」
 このテーマのもとワークキャンプ in 松本は、9月3日から8日まで松本教会を会場に開催された。昨年の改築で新しくなった会堂の南側スペースにウッドデッキを作ること、 そして同時に祈りのプログラムを提供し、参加者の信仰成長の機会とすることを主な目的とした。また、神学校の夏期伝道プログラムとして神学生と協力して準備を進められたこと、東教区信徒育成基金から支援を受けて実現できたことを感謝して報告に加えたい。
 日中はウッドデッキ作り、朝夕は祈りのプログラムを中心に計画された。ウッドデッキ作りは、当教会員である建築専門家の指導のもとに進められ、朝夕の祈りの時間は、神学生を中心に進められ、その日のテーマをじっくりと味わい、祈り、分かち合うときとなった。ウッドデッキと共に、参加者の間で親しい交わり、祈り、信仰が少しずつ作り上げられていったキャンプであった。
 特に土台作りの重要性を十二分に味わった経験は、人生においても土台が大切であることを実感する機会となった。また、最終日に近隣の方々を招いての「るうてる茶屋」を計画し、キャンプ前半に案内を作成、2人一組になって近所のお宅を訪れ、直接手渡し、内容を説明する体験もした。
 松本教会の信徒は、キャンプ開始以前から参加者の写真を掲示して祈ったり、参加者として共に過ごしたり、食事を提供したりしてキャンプと関わった。また、日中は仕事をしている信徒も、夕べの祈りにはこぞって参加し、若い参加者たちと祈りと分かち合いのときを過ごすことができた。全国各地から若者が集まり、共に過ごした一週間は、近隣の方々に注目されていたようである。キャンプ終了後も、近隣の方々とウッドデッキの話をする機会が多い。このキャンプは、松本教会のウッドデッキが 作られ、参加者に豊かな交わりを提供しただけではない。地方の小さな教会が、地域に向かって「隣人になる」大きな足がかりとなる機会であった。
 

宣教会議報告

宣教室長 青田勇

6月常議員会の議決に従い、10月1日(月)から3日(水)の三日間、東京教会とルーテル市ヶ谷センターを会場に今年度の「宣教会議」が開催された。
 出席者は、議長をはじめ本教会の四役、事務局スタッフ、信徒常議員、それに各教区から各々3名(東教区は4名)、合計25名。

 総会を受けての第一回宣教協議でもあり、今回の主な議題は多岐にわたり、
�@第6次綜合方策「構造 改革」諸課題(「現行 種別の見直しの検討」、 「教会共同体の形成と 進捗課題」、「北海道特 別教区の教区制の見 直し」、「総会の在り方・ 開催日程の検討」)、
�A宗教改革500年記 念事業、
�B転任積立制度の改訂、�C収益事業対策(耐震・ 老朽化)、教会の老朽 化対策及び神学教育 機関維持支援の今後、
�Dディアコニア活動・ 第二次災害に向けて の震災対策(防災、エ ネルギー対策等)が 議論された。

 「現行種別の見直しの検討」、「教会共同体の形成と進捗課題」、「北海道特別教区の教区制の見直し」等の課題は、各教区からの報告を受けて、現状と将来の課題を共有した。
 ことに、北海道特別教区の今後に関しては、東教区との一層の連携と共同の可能性も含めて本教会、当該教区、それに東教区の協力も得て、検討を加え、2014年度総会までに一定の方向性を示す必要があることが確認された。

 2017年の宗教改革500年記念事業は、「神の救い」のビジョンを伝える宣教の機会として、第6次綜合方策での主要課題であり、全教会的に取り組む宣教・教育事業計画である。
 これに関しては、方策の原案と共に立山議長による記念事業骨子案も提示された。今日の世界と日本社会に、ルター派教会としての幅広い公共性をアピールする事業内容にしていくための諸意見が出された。

 東日本大震災の救援活動を継続しつつ、今後の大震災に備えての各個教会、および教区の第二次震災対策及び危機管理体制のあり方、さらに原発問題により、求められている環境保護とエネルギー対策の一環としての太陽光発電導入の事例報告なども紹介され、教会のエネルギー対策の取り組みについても相互の意見交換を行った。

2012年度    「ルーテル連帯献金」のお願い

 今日の社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓への支援活動として日本福音ルーテル教会がお願いしている「連帯献金」のために、各個教会及び教会員・教会関係者の皆様から、献金を捧げていいただいています。
 今年度は「連帯献金」の特別指定献金を以下のように決め、各教会へご協力をお願いしています。LWF(ルーテル世界連盟)等の、教会の国際機関を通じて送金される私たちの献金が、世界において支援を必要としている多くの人々に用いられていくことを祈ります。
 日本福音ルーテル教会
         宣教室

■指定献金[ブラジル伝道]■
 1965年から日本福音ルーテル教会の海外伝道として誕生した、サンパウロにある日系人教会の宣教支援と2009年4月より宣教師として派遣されている徳弘浩隆牧師夫妻の人件費を補うために、毎年200万円の募金目標を掲げています。ご支援と献金をお願いします。

■指定献金[喜望の家]■
 釜ヶ崎「ディアコニアセンター喜望の家」の活動の支援をお願いします。アルコール依存を抱えた方々の支援・相談、アルコールを飲まない生活を支えるための「自立生活支援プログラム」の提供、病院訪問、さらには「路上生活相談」として、街で路上生活者に声をかけ、生活や医療の相談をし、路上生活からの脱出を手助けする支援を展開しています。
 
■特定献金[メコン流域支援]■
 日本福音ルーテル教会は「メコンミッション活動」として、メコン川流域の人々のための宣教・教育・奉仕事業を香港、シンガポールのルーテル教会と共同で展開しています。カンボジアのコンポン・チュナン地区の子どもたちへの食糧(100名、週5日分食事提供)、医療と教育(2,000名)の支援活動のために献金をお願いします。

■無指定献金[世界宣教のために]■
 飢餓や内戦による難民状態にある人々や、突然の自然災害を被り、緊急の支援を必要としている人々の救援活動へ速やかに対応するために「無指定献金」を設けています。無指定献金の配分・送金先は本教会常議員会に委ねられています。

▼上記献金の送金先▼
 「連帯献金」を捧げてくださる場合には、それぞれの献金目的を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。

郵便振替
00190-7-71734   
名義:(宗)日本福音ルーテル教会

市川教会修復完成 感謝とお知らせ

 2007年10 月23 日、文化庁は登録有形文化財審議の答申を受け、日本福音ルーテル市川教会会堂を「登録有形文化財」として登録することを決定しました。これにより、ウイリアム・メレル・ヴォーリスの晩年の設計である市川教会会堂が、後世に遺すべき貴重な財産であると認められたのです。以後、会堂保存事業計画が本格化しました。
 資金は自己資金と本教会からの借入しかありませんので、以下の方針を立てました。�@地盤強化のために「アンダーピニング工法」=外壁下50箇所に、直径15センチ長さ1m程のパイプを地下7mにある硬い地盤まで繋ぎながらねじ込み会堂外壁を支える=を行う。�A外壁は剥がし全体に鉄骨を9か所入れ強化する。�B老朽化した窓枠や雨どいの補修。�Cトイレは使い勝手の良い仕様に変更する。以上、最低限の計画でしたが、私たちの資金計画とは大きな隔たりがありましたので、地域の皆様や全国の皆様にもご協力を願うこととしました。
 工事の間の礼拝は市川教会の生みの親である国府台保育園をお借りでき、2011年10月に工事が開始されました。荷物が撤去さると床板が剥がされ、地盤強化の工事が始まりました。数十センチ掘ると地下水が湧き出すという厳しい状況でしたが、様々な工夫を凝らして予定通りに年内で終わりました。2012年になるといよいよ本体工事となりました。外壁を剥がすと、湿気やシロアリによる被害が予想以上にひどく、特に搭屋は根太や梁の多くがボロボロの状態でした。当初予想していなかった搭屋全解体を実施せざるを得ませんでした。
 1年1カ月という工事期間を経た今、皆様の祈りとご協力を得て工事は終了しました。次の世代に愛すべき会堂を遺せる喜びを覚えています。宣教開始の志を思い起こし、市川教会の群れが歩みを再開します。なお、12月2日には竣工感謝の式典を行う予定です。お覚えくださった皆様に心より感謝申し上げつつ。
市川教会牧師 中島康文

広報室からのお知らせ

 広報室では、現在JELCホームページのリニューアルを計画しています。
 各教会・学校・施設などで、現行のJELCサイトをご確認いただき、ご自分のホームページへのリンクが切れていたり、URL変更されていたりする場合は、正しいURLを広報室へご一報下さい。

12-11-02JLER月報2012年11月号−13号

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12-10-18心を委ねる

わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。 喜んでわたしの道に目を向けよ。」箴言23章26節 精神科医の高岡健氏は、二つの精神鑑定例を紹介しています。ある重大事件を引き起こした少年は、事件後にこう言っています。「人生で一番辛かったのは、修学旅行の席決めです。一緒に座る人さえ決まったら、修学旅行は成功したも同然。ひとりだと自分だけ惨めで、ものすごく恥ずかしい。ひとりになったら地獄です」。また別の事件を引き起こした少年は、こう言っています。「人生をやりなおせるものなら、クラス対抗リレーの日からやりなおしたい。自分の足が遅いために、皆に迷惑をかけたことを、とても後悔している」。  彼らにとって、人生で一番辛かったことは、事件とは無関係の「修学旅行の席決め」であり、「クラス対抗リレーで、皆に迷惑をかけたこと」なのです。「皆と同じでなくてはならない」という考え、あるいは「友だちがいるのが正しい、いないことは脱落者だ」という考えが、彼らを苦しめている、と高岡健氏は述べています。 さて、詩編34・19には、次のように記されています。「主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる」。「打ち砕かれた心」、「悔いる霊」とは、自分の行ないによって自分を作り直そうとするのではなくて、神が私たちを新しい人間にしてくださることを、受け入れる心です(H.J.イーヴァント)。  一人の少年が、修学旅行の列車の中で、一人で座っているのを目撃したら、「だれか、彼の隣りの席に座りなさい」と生徒たちを叱責することが正しい、と私たちは考えるかもしれません。しかしキリストは、叱責するのではなく、そっと彼の隣りにお座りになる方です。また、クラス対抗リレーで、自分の足が遅いために、クラスの皆に迷惑をかけたことを後悔している少年を目撃したら、「リレーに勝つことよりも、クラスが一つになって頑張ることが大切だ」と生徒たちを叱責することが正しい、と私たちは考えるかもしれません。しかしキリストは、叱責するのではなく、足の遅い少年と一緒にゆっくり走られる方です。  このような仕方で、神は、孤独な魂の近くにいてくださいます。ただし、そのことに気づくためには、自分の行ないによって自分を作り直そうとするのではなくて、神が私たちを新しい人間にしてくださることを、受け入れる必要があるのです。 例えば、渡辺信夫氏は、国立ハンセン病療養所の奄美和光園で出会った能津さんについて、次のように述べています。能津さんは、善い行ないを積んで救いに入ろうとして、奉仕活動に励んでいました。ところが、そこへ失明が襲いかかったのです。善い行ないを積む道は、断ち切られました。彼はその絶望と挫折から、「信仰のみ」にすがって、立ち直ったのです。この話を聞いて 、 渡辺氏は叫びました。「それはルターの体験と一緒じゃないですか」。  箴言23・26には、次のように記されています。「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。喜んでわたしの道に目を向けよ」。この箇所について、D.ボンヘッファーはこう言っています。一人の人間がキリスト者となるということは、自分からは何もできないことをいつも認識して、「どうか、この世の事柄にかかずらっている私の心そのものを取って、それをあなたのみもとで堅く保って下さい」と祈ることです、と。  そのように自分の心を神に委ねるとき、修学旅行の列車の中で一人で座っている少年の隣りに、キリストが座っておられることに気づくことができます。またそのとき、クラス対抗リレーで足の遅い少年と一緒に、キリストがゆっくり走っておられることに気づくことができます。  そして、私たちもイエス・キリストの道に目を向けて、キリストがご自身を私たちに与えられたように、私たち自身を小さなキリストとして隣人に与えるようになるのだ、と思います(M.ルター『修道誓願について』参照)。  沼崎勇(日本福音ルーテル京都教会牧師 

12-10-11るうてる2012年10月号

説教「心を委ねる」 沼崎勇(日本福音ルーテル京都教会牧師)

機関紙PDF

精神科医の高岡健氏は、二つの精神鑑定例を紹介しています。ある重大事件を引き起こした少年は、事件後にこう言っています。「人生で一番辛かったのは、修学旅行の席決めです。一緒に座る人さえ決まったら、修学旅行は成功したも同然。ひとりだと自分だけ惨めで、ものすごく恥ずかしい。ひとりになったら地獄です」。また別の事件を引き起こした少年は、こう言っています。「人生をやりなおせるものなら、クラス対抗リレーの日からやりなおしたい。自分の足が遅いために、皆に迷惑をかけたことを、とても後悔している」。
 彼らにとって、人生で一番辛かったことは、事件とは無関係の「修学旅行の席決め」であり、「クラス対抗リレーで、皆に迷惑をかけたこと」なのです。「皆と同じでなくてはならない」という考え、あるいは「友だちがいるのが正しい、いないことは脱落者だ」という考えが、彼らを苦しめている、と高岡健氏は述べています。
さて、詩編34・19には、次のように記されています。「主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる」。「打ち砕かれた心」、「悔いる霊」とは、自分の行ないによって自分を作り直そうとするのではなくて、神が私たちを新しい人間にしてくださることを、受け入れる心です(H.J.イーヴァント)。
 一人の少年が、修学旅行の列車の中で、一人で座っているのを目撃したら、「だれか、彼の隣りの席に座りなさい」と生徒たちを叱責することが正しい、と私たちは考えるかもしれません。しかしキリストは、叱責するのではなく、そっと彼の隣りにお座りになる方です。また、クラス対抗リレーで、自分の足が遅いために、クラスの皆に迷惑をかけたことを後悔している少年を目撃したら、「リレーに勝つことよりも、クラスが一つになって頑張ることが大切だ」と生徒たちを叱責することが正しい、と私たちは考えるかもしれません。しかしキリストは、叱責するのではなく、足の遅い少年と一緒にゆっくり走られる方です。
 このような仕方で、神は、孤独な魂の近くにいてくださいます。ただし、そのことに気づくためには、自分の行ないによって自分を作り直そうとするのではなくて、神が私たちを新しい人間にしてくださることを、受け入れる必要があるのです。 例えば、渡辺信夫氏は、国立ハンセン病療養所の奄美和光園で出会った能津さんについて、次のように述べています。能津さんは、善い行ないを積んで救いに入ろうとして、奉仕活動に励んでいました。ところが、そこへ失明が襲いかかったのです。善い行ないを積む道は、断ち切られました。彼はその絶望と挫折から、「信仰のみ」にすがって、立ち直ったのです。この話を聞いて 、 渡辺氏は叫びました。「それはルターの体験と一緒じゃないですか」。
 箴言23・26には、次のように記されています。「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。喜んでわたしの道に目を向けよ」。この箇所について、D.ボンヘッファーはこう言っています。一人の人間がキリスト者となるということは、自分からは何もできないことをいつも認識して、「どうか、この世の事柄にかかずらっている私の心そのものを取って、それをあなたのみもとで堅く保って下さい」と祈ることです、と。
 そのように自分の心を神に委ねるとき、修学旅行の列車の中で一人で座っている少年の隣りに、キリストが座っておられることに気づくことができます。またそのとき、クラス対抗リレーで足の遅い少年と一緒に、キリストがゆっくり走っておられることに気づくことができます。
 そして、私たちもイエス・キリストの道に目を向けて、キリストがご自身を私たちに与えられたように、私たち自身を小さなキリストとして隣人に与えるようになるのだ、と思います(M.ルター『修道誓願について』参照)。

宗教改革五〇〇周年に向けて

 ルターの意義を改めて考える(6)
ルター研究所 所長 鈴木 浩

 口語訳で詩篇七一篇二節見てほしい。「あなたの義をもってわたしを助け、わたしを救い出してください」とある。ルターが使ったラテン語本文では、「あなたの義によって、わたしを解放し……」となっている。
 ルターはここで「引っかかった」。意味が通らないのだ。「あなたの義」とは、「神の義」のことであり、それは、罪人を徹底的に追い詰める神の正義を意味していた。わたしを責め、追い詰め、罰しないでおかない神の義が、どうしてわたしを「解放して」くれるのか。この文章は辻褄が合わない、ルターはそう強く感じた。
 根が凝り性のルターだから、彼は徹底して「神の義」という言葉を考え抜いた。その結果、神の義とは、わたしを裁く神の正義ではなく、神がキリストの恵みによって、罪人に無代価で与えてくださる義のことだ、と気付く。実は、アウグスティヌスもそう語っていた。こうして、神の義の理解が逆転する。これが、「一点突破」だ。
 この新しい神の義の理解が、次いで聖書全体に適用される。これが、「全面展開」だ。そこから、宗教改革の神学が立ち上がってくる。

牧師の声

メコンミッションフォーラム(MMF)に参加して
2012年5月16~20日 於 ミャンマー・ヤンゴン
東京教会 関野和寛

メコン河が流れるカンボジア、タイ、ベトナム、ラオス、ミャンマーの宣教のサポートをするメコンミッションフォーラム(MMF)が毎年開催されています。これらのメコン流域の教会の代表者と、支援国アメリカ、オーストラリア、ドイツ、フィンランド、ノルウェー、香港、マレーシア等の教会の代表者が集い共に宣教協力の為に話し合いが行われます。
 メコン流域の国々で共通の問題となっている事は、他宗教や土着の文化が根強く、時にキリスト教に対して迫害も起こるという事です。また牧師をはじめ教会の指導者を育成する神学校を充実させる事や、教育の為の本が不足している事が大きな課題になっています。国や地域によっては現地の言葉での聖書や神学書の入手が難しい現状があります。今回の会議では特別にブータンルーテル教会の牧師も来ていました。ブータンのルーテル教会の牧師は彼一人で組織も建物もありません。ですが20カ所の家庭礼拝を設け、20年間で800人の洗礼者を出し、現在はじめての教会を建てる事を大きな目標としているとの事です。

 このような証しをはじめとし、メコンミッションフォーラムでは支援する事だけではなく、現場から先進国(キリスト教国を含む)と呼ばれる教会が忘れてしまっている多くの事を学ぶことが多いのです。今年の開催国であったミャンマー(旧ビルマ)のルーテル教会の礼拝に参加してみたのですが、礼拝は若者が溢れ終始ゴスペル讃美と証しが続き、教会の存在が村人の魂を支えているという事を感じました。

信徒の声

神様からの招き
東海教区 信徒常議員  櫻井 隆

2012年度東海教区総会において齋藤幸二牧師が教区長に選出されると、先生は私に「信徒常議員として協力してほしい」と声をかけてくださいました。私は、その役割にふさわしい者であるかどうかを考える間もなく、「はい」と答えていました。振り返れば、イエス様の招きに応じていった弟子たちのような心境であったかもしれません。
 私は、公立学校教員として38年勤務し、3年前に定年退職しました。 その後、市内のNPO法人の理事、また、法人が運営する障害者通所事業所の職員として2年間勤務しましたが、この春に若い人にバトンタッチして退職することを決めていました。そうした時期に教区総会が行われ、先生からの招きがありましたので、良い機会が備えられていたともいえます。
 東海教区では、三浦知夫牧師と共に宣教部の仕事をさせていただいています。日常的な業務は、前任者から引き継いだ「東海教区祈りのこよみ」を作成することです。祈りのこよみは、教区にある教会が順番に身近な祈りの課題を寄せあい、教区の信徒が互いに祈りあえるようになっています。担当の私のところにはそれぞれの教会から原稿が寄せられますので、各教会の様子がよく分かり、とてもよい励みになっています。「東海教区の良さは、互いに祈りあう教会の群れ」の伝統が引き継がれるようにしていきたいと思います。
 また、東海教区では、南海トラフ巨大地震による甚大な被害が心配されています。私の所属する栄光教会焼津礼拝堂は標高がわずか2.7m、ここに最大11mの津波が押し寄せるという想定が出ています。所属教会では、そのための対応を考えていますが、東海教区の信徒常議員として、教区そして全教会で、大きな地震災害に対してどんな備えをしておく必要があるか、それを考えるのも自分に与えられた役割の一つかと思っています。

JLER(ルーテル教会救援)対策本部現地からのレポート 

JLER派遣牧師 野口勝彦

今年の夏は多くの方が、「となりびと」で貴重な体験をされました。今月号では、その中からお二人の方の体験をご紹介します。

「ボランティア体験を通して」 
 聖望学園高等学校2年  江口 夏子

お茶っこサロンでのプログラム風景(地元の方言を使用して仮設の方と合唱)

 今回となりびとさんにお世話になって、お茶っこサロンや語り部のお話や被災地を回らさせてもらって、今まで感じたことのない大切な思いを経験させていただくことが出来て本当に感謝しています。私はテレビや新聞を通して被災地の現状を見てきましたが、実際に目の当たりにすると、頭が真っ白になって言葉が出ないというのはこういうことなんだと思いました。この体験を通してもっと多くの人に被災地や被災者の現状をしっかり心に留めてほしいと思いました。だから私は今自分にできると思うこと、現状を見て感じたことを友達や家族に話すことから始めようと思いました。そしてみんなにも私が感じたことを少しでも感じてもらえたらと思いました。4日間となりびとさんにお世話になって、その場の状況に素早く対応できる判断力の優れる人間になりたいという目標を持つことができました。この体験ができたこと、本当に感謝しています。ありがとうございました。

「祈りが与えられて」 

 大岡山教会員 大岡山幼稚園教諭 熊谷 梓

 お茶っこサロンで、ある方が、震災当日の出来事や亡くなられた旦那様と一緒に逝きたかったと胸の内を話してくださいました。被災された方々が失ったものは、家や仕事、家族だけでなく生きる意味さえ失われてしまったのだと感じました。辛さを一人で抱えて生きる現実を仮設住宅の方々との出会いを通して知り、そのような環境の中で生活しておられるのに、仮設住宅の方々は「ありがとう」「御陰さまで」「支えられています」と感謝を言葉にされ、私たちの手伝いを進んでしてくださる姿がとても心に残りました。語り部の方がお話してくださった「人間は屋根や食料があっても生きられるものではない。人と人とのつながりの中で初めて生きることができる」という言葉が今も心に響いています。自分にとって、被災地で働かれている方がいる事、神様から祈る事を与えられていることを心強く感じます。これからも被災地に思いを寄せながら祈り続けていきたいと思います。

バッハのカンタータを聴くc

 「起きよ、エルサレム」カンタータ140(BWV140)
日本ルーテル神学校名誉教授 徳善義和

教会暦の一年が終わりに近づく頃、現在の聖書日課のA年には福音書日課としてマタイ二五章一節以下が読まれる。バッハの時代この福音書は三位一体後第二七主日(聖霊降臨後で数えると第二八主日)に朗読されることになっていたから、復活日が春分の日のすぐ後に来る年でなければ朗読されなかった。バッハのライプツィヒ在任中にはその機会は一七三一年と四二年の二回だけだったから、このカンタータはこの福音書に基づいて一七三一年に作曲、初演され、四二年に再演されたことだろう。
 この福音書日課は教会暦の一年の終わり、信仰の一年の節目に当たって、主の来臨を待ち望んで目を覚ましている自らの信仰の姿勢に注目することを求めている。主の時の永遠を思い、その主のみ手の中での自らのいのちの限りある終わりを思うのもよいのだ。この福音書日課に基づいて一五九九年にフィリップ・ニコライが作詞作曲した三節からなるコラール(教会讃美歌137)もまた有名である。このコラールを第一、四、七曲に配したコラールカンタータとして、このカンタータ140番は名曲と認められている。シンメトリーに配された七曲の中心である第四曲は、コラール第二節を歌って、主を迎えて喜んで宴に集うおとめらの喜びが中心となるのだから、テナーのソロに合わせて、私たちも教会讃美歌137番を広げて、共にこの第二節を口すさみながら相和してもよいだろう。
 このカンタータはバッハ自身の意に適ったもののひとつだったに違いない。他のカンタータからの曲と共に晩年のバッハは計六曲をオルガンのためのコラール前奏曲に編曲して出版し、このコラール前奏曲(BWV645)を冒頭に置いた。その元になったのがこのカンタータ140の第一曲である。カンタータでは、見事に展開され反復される器楽伴奏の間に、合唱がコラール第一節を各行毎に歌って美しい。これがオルガン曲に整えられたとき、バッハは「結婚式用音楽を書いている」(H.ケラー)と言われる。味わう点の多々あるコラールであり、カンタータなのである。

バッハは22歳でミュールハウゼンのオルガニストに就任直後、郊外の村ドルンハイムのこの教会でマリア・バルバラと結婚式を挙げた。

TNG
第14回ルーテルこどもキャンプ報告

キャンプ長 室原康志

 去る8月7日から9日にかけて、広島教会を会場に「第14回ルーテルこどもキャンプ」が行なわれました。全国からキャンパー(小学5、6年生)、スタッフ総勢59名が集められ、充実した時間を過ごすことができました。
 今回の「ヒロシマ」キャンプの主題聖句は、「平和の子がそこにいる 。 あなたがたの願う平和はその人にとどまる。」(ルカ10:6)でした。「平和」とはどのようなことを意味するのかを深く考えるために、「戦争」という言葉を聞いた時に何を想像するか?という問いかけからキャンプは始まりました。
 相反するテーマの問いかけによって、こどもたちは「戦争がなぜ起こるのか」、そこで使われる自分勝手な「正義」という言葉は何を意味するのかを考えました。大きな問いかけに戸惑いながら、こどもたちは猛暑の中、平和の門や原爆資料館、原爆供養塔、原爆ドームなどを歩いて回りながら、それぞれにいろいろな事を感じていました。
 特に今回は、「原爆の子の像」建立と「原爆ドーム」保存に至った経緯を知り、小さな働きであっても「平和の子」としての力が備えられている事をこどももおとなも共に学びました。知識として蓄えることも大切ですが、 現地で感じ取った経験が、これから未来へと成長していくこどもたちの中での足掛かりになることを願い、祈っています。また、このキャンプを通して、全国の仲間とのつながりができ、良い体験となったのではないかと思います。
 そして、ここ数年、かつてのキャンプ参加者であったこどもたちがスタッフとして帰ってきて、成長した姿を見せてくれています。神さまのお導きに深く感謝です。
 こどもたちやスタッフを送り出してくださった各地の教会・教区、会場を快く貸して下さり、食事をはじめ、多くのお世話をしてくださった広島教会と女性会の皆さま、そして、キャンプのために祈り、ご支援くださった全国の皆さまに心より感謝申し上げます

一つの神の家族として・・・

(第五十回 関西地区教会学校合同キャンプ 報告)

 幼児から高校生までの子どもたちが集う「関西地区教会学校合同キャンプ」。今年で五十回の節目のときを迎えた。さる八月六日から二泊三日の日程で 、 「クリエート月ケ瀬」(奈良市)にて、子ども三十名、スタッフ二十五名、計五十五名が参加した。
 キャンプ三日目のまとめの時間には、子どもたちはこのキャンプのさまざまな体験や交わりについて、口々に「楽しかった」、「来年もぜひ参加したい」、と語っていた。その中でも高校生の何人かの言葉、「ぜひとも続いてスタッフとして参加したい」との意欲的な発言に、私は思わず胸の底からこみあげるものがあった。
 そう語ってくれた子どもたちの中には、幼児のころから十数年間、毎年欠かさずにこのキャンプに参加し続けてきた子もいる。次の五十年、百年に向けての、神さまのみ業がすでに着実に始まっているのである。
 スタッフの年齢も十代から七十代まで。二日目の夜のキャンプファイヤーの時に、大阪教会の木谷勝次郎兄(六十七歳)が、四十九年前の能勢での第一回合同キャンプの様子を語ってくださった。
 思えばこの五十年間、関西地区の多くの方々のご奉仕とお祈りによって、この合同キャンプは支えられ、続けられてきたことをあらためて覚え、それらの方々に心から感謝をしたいと思う。そして「子供たちをわたしのところに来させなさい」(マルコ十章十四)と語られる主が、この五十年間、関西地区合同キャンプの歩みをお導きくださり、お守りくださってきたことに、感謝の祈りをお捧げしたい。
 今年の合同キャンプのテーマは「つながり」であった。主題聖句は「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」(ヨハネ十五章四)である。子どもたちやスタッフも含めて、「一つの神の家族」として、共に主にある交わりの中に過ごさせていただいているのだと、まさに実感した第五十回関西地区教会学校合同キャンプであった。
 (神戸東教会 乾和雄)

インド・ワークキャンプから学んだこと

 
  広島教会 立野愛美

 JELAの機関誌を見て、ワークキャンプに参加した方々のコメントからとても楽しそうだなと思っていましたが中々機会がありませんでした。しかし大学生になり今しかできない経験をしたいと思い、前回(2011年)初めて参加しました。
 現地では、義足作りやCRHP(施設)や村、学校の見学等多くの経験から刺激を受け、また毎日のディボーションを通して自分自身がしっかり考える時間を持つことができ、キャンパー同士で分かち合う大切さを感じました。
 作業とは別に毎日の会話記録がありました。牧師先生から毎日のテーマをもらい、テーマに沿っている人と会話をするという事です。テーマは「女性と出会う」「義足を必要としている人と出会う」「クリスチャンと出会う」等でした。会話記録を書くためにテーマに沿う人とコミュニケーションをとらなくてはいけません。初めは言葉が通じないと思うと、声をかける勇気を出すことが出来ませんでした。しかし実際に話しかけてみると言葉が通じなくてもジェスチャーや笑顔で意思疎通が出来ているように感じられました。相手側からしてみると、知らない人に話しかけられているにもかかわらず、快くお話をしてくださいました。人との繋がりって小さな所から深まるのだなと感じました。
 インドの現状についても学ぶ機会がありました。かなり減少はしていますが、カースト制度がまだ残っています。その為女性の地位はとても低く、キャンプでもその事実を目の当たりにしました。悲しい生い立ちを背負って生きている女性や、同年代の自立している多くの女性に会い、話を聞く機会がありました。私には想像できないような過去の経験を聞きショックを隠しきれませんでした。話の中である女性が、「ここCRHPに来て、私も一人の人間であることを自覚できた」と言われた時、当たり前のように生活している一瞬一瞬がとても貴重であり、1回きりの自分の人生を無駄にしてはいけないと思いました。正直私はこの話の中で、ここの方々は悲惨な人生でかわいそうだと思ってしまいました。しかしここで生活している彼女達は希望に満ち溢れておりとても幸せそうでした。どんな生活だろうと自分が幸せを感じて生きていくことが大切だと思いました。
 会話記録のテーマの中で、「私にとって神様とはどんな人か」がありました。私はよく分からなくて悩みました。キャンプ中に出会ったナイジェリアの方に質問してみると、「私の父であり、また友達だ」と即答してくれました。そして、「あなたはこれから考えていけばいい。そうすればきっとわかる時が来るから」と言われました。深く考えず、神様が常にそばに存在していることを感じながら生活しようと思いました。

インド・ワークキャンプ2013募集要項

●期間 2013年2月12日(火)~2月22日(金) 11日間 
*インド現地での奉仕は7日間
●対象 18歳以上の健康な方(高校生不可)
●定員 10名(人数調整のため選考があります)
● 参 加 費 自己負担18万円
*パスポート申請、海外旅行傷害保険、予防接種は個人負担となります。
●申込書類 �@IWC2013参加申込書1通  申込書ダウンロード(PDF)
�A教会員は所属教会の牧師の(教会員でない場合は家族以外の者の)推薦状
●申込締切 2012年11月1日(木) 必着 
●説明会  2013年1月12日(土)
●問合せ/申込先 JELAインドワークキャンプ2013
住所:〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿1-20-26
E-mail:jela@jela.or.jp Tel:03-3447-1421 Fax:03-3447-1423
●主催 日本福音ルーテル社団

[ワークキャンプ参加にあたっての注意事項]
行程・プログラムは、現地の受け入れやその他の都合により変更することがあります。 あらかじめご了承ください。
インド入国の際、パスポート(有効残存期間6か月以上、空欄査証ページ2ページ以上)が必要です。

このワークキャンプは、あくまでも参加者個人の責任で参加していただきます。同行スタッフは、ツアーをコーディネートし、安全と健康について十分配慮いたしますが、万一の怪我、病気、不慮の災害・事故に備え、「海外旅行傷害保険」に必ずご加入いただき、安全管理は参加者の責任において行ってください。

[ワークキャンプ参加にあたっての条件]
◯期間中、同行スタッフの指示に従い、行動、健康に関して自己管理のできる方
◯体力に自信のある方(高温の屋外での作業、移動(飛行機は約13時間、車は約4時間)
◯海外旅行傷害保険に必ず加入すること
◯締め切り後の事前説明会に必ず参加すること
◯報告会での発表や、報告書の作成に協力していただくこと
             以上

2012年度・大阪
『るうてる法人会連合全体研修会』

 8月21日から22日にかけて、日本福音ルーテル大阪教会及びホテル・ザルーテルを会場にして、2012年度の『るうてる法人会連合全体研修会』が開催されました。この研修会に、全国から八十名の参加者がありました。
 はじめに、五月全国総会にて新たに総会議長に選出された立山忠浩議長にすることを~と題して、神父が釜ヶ?で働いてこられた体験の中で考えた事柄を講演されました。中でも、ご自身が聖書の翻訳から示されている「愛」は「大切にする」態度で相手に関わる在り方であると平易な言葉で語られ、福祉実践者にとっては心に沁みる励ましであったと感謝が述べられていました。
 �部構成のワークショップでは、�部で、日本ルーテル社団が一般社団法人を申請した経緯と成果について、中川浩之理事長が報告をされました。
 翌日は、仙台・ルーテル救援活動「となりびと」の活動を野口勝彦牧師が、愛知県豊田市で知的障がい者施設を運営する「社会福祉法人オンリーワン」の取り組みを中本秀行理事長が、佐賀県で障害福祉サービス事業を運営する「社会福祉法人レインボーハウス」の実践を鶴順子理事長が発題して下さいました。
 わけても、目の前の必要に応えるところから出発して、NPO法人を経て、社会福祉法人となった、困難多きこれまでの歩みについて、笑顔とユーモアをもって語る実践者の姿に敬服を抱かれた聴衆も多く、終了直後に、大いに励まされたと感謝を伝えて、名刺交換をしておられる様子は、研修の意義を証する場面と見受けられました。
 一方では、現段階では未だ厳しさばかりが感じられ、希望が見えにくい状況を感じながら自分の持ち場で働いているという方々にとっても、困難から導く神様の守りを確認した、有益な報告であったと、ここでも研修意義が参加者の声から聞かれていました。
 2005年に法人会連合が出版した「未来を愛する、希望を生きる」で、副題として掲げられた「共拓型社会の創造を目指して」の取り組みが全国のルーテルグループで確かに進められている豊かな現実を確認できた、実り多い研修会となったこと、感謝をもってご報告いたします。
 (事務局長 白川道生)

12-10-11るうてる2012年10月号

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12-10-02JLER月報2012年10月号−12号

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12-09-11るうてる2012年9月号

説教「神の愛の鞘におさまる」

機関紙PDF

「ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の言い伝えを固く守って・・・」
マルコによる福音書7章3節

  「カズ、ヘペッチだって」と子どもらが話しをしていたブラジルの教会学校の風景がよみがえってきました。「ヘペッチ」は、英語のリピートにあたり、留年ということです。小学校から留年があるのには驚いてしまいました。落ちた子を決して軽蔑して言っているのではないのです。むしろ、子どもらはそれが当然であり、互い受けとめあっているのがよく分かりました。
 ファリサイ派の人と律法学者が、ここにでてきます。この人たちは当時の社会では大変に尊敬されていました。イエスさまも実はファリサイ派に近いところで育てられたのではないかといわれています。この人たちは実に律法を守るということに忠実でした。律法を守ることによって神に愛されると考えた実に真面目な人でした。ですから律法を守らないということが、とても気になるわけです。「そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。『なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。』」(7・5)と尋ねたのです。それは彼らからすると当然の言葉です。しかし、ここには守る者、守らない者という差別が生まれてくるのです。守る者が神に愛されるのにふさわしいと考えるようになるのです。
 その結果が人間くさい努力主義になってくるのです。律法を守りさえすれば成功という人間が中心に出てくるのです。この律法を守るために努力している自分こそが正しいものであって、努力しない人間はだめだということがまかりとおってくるのです。実に人間くさいものになる、だからイエスさまは、「あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」(7・8)と言われるのです。
 今、教育現場で、競争をさせてもっと子どもらの学力をあげていこうということが叫ばれたりもしています。それ自体、聞いていると何の問題もないように思えますが、実は、競争に遅れたものはだめだという差別化が起こるということです。まさにファリサイ派のような動きが起こるのです。
 では、最初に言いましたブラジルの子どもの例とどう違うのかということです。一人一人の存在が保証されているというカトリックの信仰が根底にあって、それぞれが生かされた平等な存在であるといことです。
 勉強は大切です。そこでヘッペチしたとしても彼はだめな子ではありません。私たち一人一人が生かされた存在であるというところから自分自身を見ていきます。結果として落第することもありますが、これで人生が終わりであり、未来が決められていくのではないということです。
 本来、律法を守るということは、神から存在することを許され、保証されている出来事のなかで、律法を守る者として選ばれた者は、人を差別化するために律法を守るのでなく、喜びの生き方として律法を守るのです。
 荒井献氏は「旧約を超えて、新しい契約を携えて現われたと言えるイエスは、人間の作った掟に縛られている人々を元来のユダヤ教精神に返し、神とともにある喜びの生き方を取り戻そうとしたのだ」と言っているのはうなずけます。
 「こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」(7・13)
 この言葉はまさにそのことを言っているのだと思うのです。私たち一人一人は神に愛された存在であるというところからすべてを見ること、恵みの関係から今をみるとき努力主義から解放され、私たちは自由に、すべてを喜びと感謝をもってなすべきことをなせるのです。
 競争原理がますます強くなっていく社会にあって、私たちの生き方が根底から問われています。私たちは、人間くさい鞘に収まらず神の愛の鞘に収まること、神の愛の場所に自分をもどし、喜びと感謝をもって、神の律法をよく生きていきましょう。

 「すべてに耳を傾けて得た結論。『神を畏れ、すべての戒めを守れ』これこそ、人間のすべて。」
『コヘレトの言葉』12・13

宗教改革五〇〇周年に向けて
 ルターの意義を
   改めて考える(5)

 ルター研究所 所長
        鈴木 浩

 前回、聖書で「引っかかる箇所」のことを指摘した。わたしの経験を一つ話そう。マルコ六・四五以下にあるイエスが「湖の上を歩く」物語である。嵐で弟子たちの乗った小舟が翻弄されていたとき、イエスは「弟子たちのところに行き、そばを通りすぎようとされた」と四八節にはある。この場面は、どう見てもイエスが弟子たちを助けに来たとしか読めない。ところが、マルコは「そばを通り過ぎようとされた」と書いている。せっかく助けに来たのに、「通り過ぎようとされた」ら、困るのである。
 どうしてか、この「引っかかり」に、何ヶ月も立ち止まり、考え、資料を調べ……そのうちに、目の醒めるようなひらめきがやって来た。
 ルターの場合の「引っかかる箇所」は、はるかに重大な問題を孕んでいた。ルターの場合、「神の義」という言葉でこの引っかかりが起こった。その事情は、徳前義和『マルティン・ルター……ことばに生きた改革者』(岩波新書)、三七ー四〇頁の「一点突破へ」をお読みいただきたい。
 「一点突破・全面展開」。これが、キーワードだ。

高蔵寺教会はこひつじ園と共に

高蔵寺教会 中村朝美
 1968年、名古屋市のベッドタウンとして春日井市の東端の三つ里山を切り拓いて高蔵寺ニュータウンは造られました。高蔵寺教会もその年より宣教活動を始めました。それから40数年後、近隣の3つの小学校は2018年には一つに統合されることが決まっています。教会は会堂献堂と同時に週2回、3歳児教室を開始し、五年後に3~5歳児クラスを持つ「こひつじ園」を発足させました。以来、無認可の少人数幼児教育の精神は受け継がれてきました。無認可であるがゆえに自由に一人ひとりの子どもたちに合わせた保育に共感して、卒園生のお母さんたちが“先生”として関わっているのもこの園の特徴と言えるでしょう。園バス、給食はありません。毎日、お家の方と手をつないで登園し、帰ってゆきます。お昼は、子どもたちがお祈りをしてからお弁当を食べます。
 高蔵寺教会の教会学校は「こひつじ園」の卒園生が中心です。中高生会は月に一回、夜七時から夕食を一緒にしてから始まります。
 四〇年を経ている建物は老朽も限界を越え、特に4月以降、色々な場所に支障が出てきました。そのため、全面的な修繕工事(外装と内装)を行う計画をしています。
礼拝堂が二階にあることで、数年前から身体のハンディを持つ方々の負担を解消し、共に礼拝に与れる教会を目指して礼拝堂の改装計画が話し合われていました。土井洋牧師の召天により中断していた話し合いを再開し、この度、エレベーターを設置しバリアフリー化を目指そうと計画しています。。耐震工事もしなければならないことが新たに判明し、かなりの工事となると予想されます。
 幼子と共に歩んできた高蔵寺教会を主がこれからも豊かに用いてくださることを信じて歩んでゆきたいと思っています。

「JLER(ルーテル教会救援)対策本部・現地からのレポート」

 先月号から連載が始まった現地からのレポート。第二回目は、仙台教会内に設置された「ルーテル支援センターとなりびと」の立ち上げ時から救援活動にかかわっている二人の専従スタッフからのレポートです。
チーフ・スタッフ 佐藤文敬(さとう・ふみたか)

 現地スタッフの佐藤です。昨年の4月から専従スタッフとして活動を続けています。
震災からもうすぐ1年半。昨年の今頃は仮設住宅への入居が進み、避難所が徐々に解散していく時期でした。それから1年たった今の被災地の話題は、次の家をどうするかです。未だ先の見通しが立たない人たちがほとんどと言っていいでしょう。
 そうした中でルーテルとなりびとの支援活動は、仮設住宅支援とコミュニティセンター再建支援が大きな2本柱となっています。コミュニティセンター再建支援は気仙沼市本吉町前浜地区の人たちと昨年から話を進めており、今年7月には用地を取得、いよいよ建設作業に入るところです。このコミュニティセンター再建支援は、ただ建物をたてるのではなく、その設計の段階から地域の人たちが口も手も出しながら進めてきました。みんなでコミュニティセンターを作り上げていくことで、もう一度コミュニティの絆が強くなればと願っています。
スタッフ 抱井昌史(かかい・まさし)

 現地スタッフの抱井昌史です。単独のボランティアで宮城県に来たあと、となりびとにお世話になっております。
 7月末時点での被災地は、これから各所で開かれる「祭り」の話題が多く、各支援団体は祭りの調整と準備で忙しくなってきています。仮設住宅でも同様にお祭りが企画され、各自治会長さんが仕事をしながら、支援団体と祭りの調整や準備をしています。
 現時点では、ルーテル教会救援も8月25日に予定されている、大森仮設住宅における夏祭りに出店する予定で、その準備を着々と進めている毎日です。9月頃には、夏祭りも一段落し、各支援団体は新たな展開を模索している頃です。
 仮設住宅の毎日は日々変化し、自治会が設立し住民のコミュニティが形成される一方で、これからの長い仮設生活に不安を深める方も多いと思います。長期化する避難生活が、少しでも恵み豊かなものとなるように、各支援団体は知恵を絞って努力しています。

バッハのカンタータを聴くc

 「力なる神はわが強きやぐら」カンタータ80(BWV 80)
日本ルーテル神学校名誉教授 徳善義和

 
 「力なる神はわが強きやぐら」(教会讃美歌四五〇)は宗教改革主日に必ず歌われる讃美歌である。ルターとルーテル教会を示す讃美歌と言ってもよい。作詞ばかりでなく、作曲もしたルターの元のメロディーはもっとゆっくりしたものだった。落ち込んだ自分の健康や気持ち、四面楚歌とも思われる教会や帝国の情勢のただ中で、静かに神の堅い守りに信頼し、神のことばへの確信を深めたコラールだった。それから百年ほどする内に、元のゆっくりしたメロディーは大衆が歌い易い、テンポのよい今のメロディーに変化していったのである。それと共にコラール自体が信仰の確信と勝利を歌うものへと変っていったことになる。私は教会讃美歌にはこの両方のメロディーが載るとよいと願っている。
 だからバッハがコラール前奏曲でもカンタータでも取り上げるこのコラールもテンポのよい、後のメロディーを基本にしている。さらに約百年後のメンデルスゾーンの交響曲第五番「宗教改革」でもそうだ。
 こうしてカンタータ八〇番の第一曲は高らかなトランペットの響きをもって印象的に始まる。これはバッハのコラール合唱曲の頂点に位置すると一般に認められている名曲なのである。私もかつて池宮英才先生の指揮で、東京地区の宗教改革記念礼拝のおりにテナーのパートを歌った記憶があり、導入部を今でも口ずさむことでできるほど印象的である。この曲と第五曲の、コラールに基づく合唱の伴奏となるこのトランペットの響きは、バッハの死後その息子の一人W・Fr・バッハが付したと考えられているが、信仰の勝利の趣をよりいっそう強めたことになろう。このほか第二曲と第八曲(終曲)とで、ルターのコラール四節を全部歌う。これにS・フランクの原詩が第二、四、六、七曲に配されている。BWV 80aとして最初にワイマールで四旬節の一主日のために作曲されたときに中心となったフランクの歌詞はこうしてルターのコラールの影に引き下がって、ルターの宗教改革コラールがカンタータ全体の中心メッセージを伝えることとなった。
 宗教改革記念の礼拝を祝った後、午後にでもその日の説教を心に思い起こしながら、教会讃美歌四五〇を開いて、各節の歌詞に注目しつつ、このカンタータに耳を傾けて、二一世紀を生きるべき私たち自身の信仰の姿勢も課題も心に刻みたいと思うのである。

私のピカソ論

小鹿教会 寺澤節雄   静岡大学名誉教授(美術教育学)

 図1は、ピカソの「磔刑」(一九三〇)です。破砕に満ちた表現形式から受ける印象は、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の只中におられるキリストという感じです。一九三〇年と言えば、その前年秋に世界恐慌が起こり、時代の不安を反映する作品であると言えるかもしれません。磔刑図の破砕と散乱に満ちた表現形式は、それに先立つ「アビニョンの娘達」(一九〇七)(図2)に始まるものです。「アビニョンの娘達」は当時の人々に強いショックと抵抗を与え、十年以上も受け入れられませんでした。今日ではニューヨーク近代美術館の代表的作品になっています。この作品の与える衝撃は、従来の伝統的表現法を徹底して破砕し散乱させたところにあります。二六歳の青年ピカソは、恐ろしい孤独のうちにこのような表現に達したといわれます。モティーフはアヴィニョンの娼婦達ですが、娼婦という女性にとって屈辱的な生き方と社会の恥辱的な裏面が、はばかる事無く全面に押し出された所にピカソの果敢な精神革命を感じます。そのモティーフは、世の原罪を一身に担う「磔刑」のキリストの形とも重なるように見えます。
 ピカソにはそれに先立つ〈青の時代〉が知られていますが、この時代の絵は社会の貧困や悲惨を凝視するような作品ばかりです。図3は「盲人の食事」と題されていますが、指先でパンや水をまさぐる貧しい盲人の生きる困難が強く感じられます。
 心理学者ユングは、こ八方ふさがりになってしまう。その時は大胆に罪人であれ…*〉とか、親鸞の〈地獄は一定住みかぞかし〉という言葉が想起されます。
 ピカソは、絵画・版画・陶芸など二万点以上の作品を残し九三歳で亡くなりました。生涯に七人の女性との関係がありましたが、彼女たちの最後は、病死、自殺、零落(れいらく)、宗教に帰依、等々に終わっています。栄光と修羅(しゅら)とを生きた芸術家であり、信仰による平安と他者への愛を願うキリスト者との違いは大きいのですが、彼もまた死と再生の恵みに生かされた芸術家であったように思うのです。(了)

*徳善義和著「マルティン・ルター/生涯と信仰」(教文館)より

 図1は、ピカソの「磔刑」(一九三〇)です。破砕に満ちた表現形式から受ける印象は、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の只中におられるキリストという感じです。一九三〇年と言えば、その前年秋に世界恐慌が起こり、時代の不安を反映する作品であると言えるかもしれません。磔刑図の破砕と散乱に満ちた表現形式は、それに先立つ「アビニョンの娘達」(一九〇七)(図2)に始まるものです。「アビニョンの娘達」は当時の人々に強いショッ

クと抵抗を与え、十年以上も受け入れられませんでした。今日ではニューヨーク近代美術館の代表的作品になっています。この作品の与える衝撃は、従来の伝統的表現法を徹底して破砕し散乱させたところにあります。二六歳の青年ピカソは、恐ろしい孤独のうちにこのような表現に達したといわれます。モティーフはアヴィニョンの娼婦達ですが、娼婦という女性にとって屈辱的な生き方と社会の恥辱的な裏面が、はばかる事無く全面に押し出された所にピカソの果敢な精神革命を感じます。そのモティーフは、世の原罪を一身に担う「磔刑」のキリストの形にとも重なるように見えます。(続く)

 図1は、ピカソの「磔刑」(一九三〇)です。破砕に満ちた表現形式から受ける印象は、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の只中におられるキリストという感じです。一九三〇年と言えば、その前年秋に世界恐慌が起こり、時代の不安を反映する作品であると言えるかもしれません。磔刑図の破砕と散乱に満ちた表現形式は、それに先立つ「アビニョンの娘達」(一九〇七)(図2)に始まるものです。「アビニョンの娘達」は当時の人々に強いショッ

クと抵抗を与え、十年以上も受け入れられませんでした。今日ではニューヨーク近代美術館の代表的作品になっています。この作品の与える衝撃は、従来の伝統的表現法を徹底して破砕し散乱させたところにあります。二六歳の青年ピカソは、恐ろしい孤独のうちにこのような表現に達したといわれます。モティーフはアヴィニョンの娼婦達ですが、娼婦という女性にとって屈辱的な生き方と社会の恥辱的な裏面が、はばかる事無く全面に押し出された所にピカソの果敢な精神革命を感じます。そのモティーフは、世の原罪を一身に担う「磔刑」のキリストの形にとも重なるように見えます。(続く)

TNG 夏のキャンプを取材して

 今年の夏も、全国各地の教会、地区、教区主催の、そして、全体教会でのキャンプが実施されました。二つのキャンプを取材しました。
 一つは、50回目となる西教区の「関西地区教会学校合同キャンプ」です。
 今年の会場は奈良県の「松原市少年自然の家」です。小学校2年生から高校生までが参加出来ます。
 私が到着した時は、キャンパーは約30名が二手に分かれて、「雪合戦」ならぬ「水鉄砲合戦」で、子どもたちは水と汗みどろになりながら、広い敷地を走りまわっていました。キャンプ・スタッフの中には、第1回のキャンプに参加していたと言う方もおられ、50年の時の流れを目の当たりにする思いでした。
 二つ目は、14回目となる「ルーテルこどもキャンプ」。こちらは日本福音ルーテル教会宣教室TNG委員会子ども部門と日本ルーテル社団(JELA)の共同プログラムで、JELAからは毎回多額の支援をいただいて 、 実施されています。
 8月8日の午前中に、平和公園で、キャンプの一行とは合流する予定でしたが、「8月6日」の直後でもあり、実際、私が訪れた折り、平和記念式典で使用されたテント等の撤去作業が行われていました。人出が多く、公園でも資料館でも、見つけることはできませんでした。その頃、一行は、爆心地にもっとも近い旧国民学校であった本川小学校に向かっていたようです。そこでの見学と体験談を聞いたことは、参加者すべてに貴重な学びとなったようです。
 どちらのキャンプも、子どもたちの歓声、そして、スタッフの笑顔が印象的でした。こちらまで大いに励まされました。
 キャンプ・スタッフによる詳しい報告を次号に掲載する予定です。どうぞお楽しみに。 
  広報室長 徳野昌博

日常の中の召命
第19回東教区宣教フォーラム

 東教区の信徒運動の一環である宣教フォーラムは7月7日(土)、昨年、教区建物回転資金の適用により改築された横浜教会にて行われました。LED電球の柔らかい灯かりの中に教区内各地から140余名が集まり、徳善義和ルーテル学院名誉教授の主題講演を聴き、質疑応答、昼食に並行して城南地区の信徒で結成する室内楽ターキーズの演奏を楽しみました。
 東日本大震災・原発事故の非日常の中で過ごす私たちは、それでも、日常の生活の中でキリスト者としての求め「召命」があり、隣人への気付を感じ、一歩踏み出す勇気が後押しされていることを改めて思わされた一日でした。

 午後には、明治初期、プロテスタントが横浜に上陸して活動した「横浜バンドの痕跡を尋ねるバスツアー」を行いました。 1863年に来日した聖公会の「横浜山手聖公会」、1875年に日本人のために建てられた山下公園近くの「横浜海岸教会」を尋ね、当時の面影を偲びました。
(宣教フォーラム準備委員会) 

ピーリー宣教師、パウラス宣教師の足跡を訪ねて

大江・宇土教会 立野泰博

 この夏、サウスカロライナから素敵なお客様をお迎えました。オッジ・バージニア、ハーロングご夫妻はエマ、シドニーの孫娘を連れて日本を訪問されました。オッジ氏はルーテル教会の牧師であり信徒教育部事務局長をされています。

 今回はプライベートの旅行ということですが、女性会連盟がサウスカロライナを訪問したことにより実現した旅行でした。 バージニアさんは女性会の役員というだけでなく、ミドルネームがピーリーです。実は大叔父がピーリー宣教師、また祖母がモード・パウラス宣教師の姉パウラさんにあたります。日本のルーテル教会の歴史になくてはならない宣教師の方々の家族です。

 今回は京都をはじめ、熊本へはルーツを訪ねる旅をされました。九州ルーテル学院をはじめ、九州学院、慈愛園、広安愛児園などを訪問され、日本におけるルーテル教会の宣教と働きを知る機会をもたれました。2人の孫娘も同行され、信仰の継承の旅でもありました。
 8月5日には、大江教会で行われた平和主日の礼拝に参加され、ヒロシマの出来事を覚え、共に折り鶴を礼拝の中で献げました。
 今後サウスカロライナに戻り、日本との関係をさらに深め継承するために祈りつつ出来ることを探していくことを約束して帰国されました。

JELA
難民シェルター
管理人募集

 日本福音ルーテル社団(JALA)では、1990年以来国内の難民のためのシェルター(一時的避難住宅)を都内2カ所に保有し、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、公益財団法人アジア福祉教育財団難民事業本部、認定NPO法人難民支援協会等を通じて依頼のあった難民申請者の方々に住居を提供しています。
 現在、ナイジェリア、カメルーン、ミャンマー、エチオピア、イラン、パキスタン、ガーナ等9ヶ国34名の方々に利用していただいています。
 これらの方々は、、ここに住みつつ難民申請手続きを行い、難民認定、特別在留許可取得、あるいは第三国定住へと、再び新しい生活に向かっていきます。

管理人募集条件

■シェルターの場所:東京都板橋区内(安全上の配慮により住所は公開しておりません)
■仕事の内容:5部屋に分かれて住まう難民申請者の方々(家族を含む)の入退去時に必要となる作業(ガス元栓開閉立会い、退去時のシーツ洗濯など)と急病時の病院への同行など。
 昼間は外で定職をお持ちの方でもかまいませんが、シェルター管理人室に住んでいただく必要があります。
■報酬:管理人室(6畳一間と板の間キッチン。シャワー室トイレ付。別室の、アパート利用者全員のためのお風呂を使っていただくことも可能)を無料でお貸しし、毎月少額の報酬を差し上げます。
■勤務開始日:2012年12月以降
■採用にあたっての条件:難民の立場に立って管理ができること。健康であること。
■問い合わせ先:
日本福音ルーテル社団(JELA)事務局
電話=03-3447-1521、ファックス=03-3447-1523、
メール=jela@jela.or.jp

読書感想文大募集

 ルーテル学院附属
     ルター研究所

 徳善義和先生の『マルティン・ルター ことばに生きた改革者』出版を記念して本書の読書感想文を、1「一般の部」、2「高校生以下の部」に分けて募集いたします。
 
募集要項
1.サイズ:2千字以内(A4横書き、ワープロ、手書き、どちらでも可)
2.締め切り:9月末日(必着)
3.あて先:181-0015三鷹市大沢3ー10ー20ルーテル学院・ルター研究所
4.住所、氏名、電話番号、年齢(高校生の場合は学校名と学年)を明記のこと
5.入選者の発表:2012年10月31日(ルター研究所ホームページで)
6.入選者の副賞:最優秀賞(各部1名、2万円相当の図書券) 優秀賞(若干名、5千円相当の図書券)
7.問合せ:メール(hsuzuki1945@yahoo.co.jp)またはファックス(0422-33-6405)でルター研究所、鈴木まで

JELA
難民シェルター
管理人募集

 日本福音ルーテル社団(JALA)では、1990年以来国内の難民のためのシェルター(一時的避難住宅)を都内2カ所に保有し、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、公益財団法人アジア福祉教育財団難民事業本部、認定NPO法人難民支援協会等を通じて依頼のあった難民申請者の方々に住居を提供しています。
 現在、ナイジェリア、カメルーン、ミャンマー、エチオピア、イラン、パキスタン、ガーナ等9ヶ国34名の方々に利用していただいています。
 これらの方々は、、ここに住みつつ難民申請手続きを行い、難民認定、特別在留許可取得、あるいは第三国定住へと、再び新しい生活に向かっていきます。

JELA難民シェルター管理人募集条件

■シェルターの場所:東京都板橋区内(安全上の配慮により住所は公開しておりません)
■仕事の内容:5部屋に分かれて住まう難民申請者の方々(家族を含む)の入退去時に必要となる作業(ガス元栓開閉立会い、退去時のシーツ洗濯など)と急病時の病院への同行など。
 昼間は外で定職をお持ちの方でもかまいませんが、シェルター管理人室に住んでいただく必要があります。

■報酬:管理人室(6畳一間と板の間キッチン。シャワー室トイレ付。別室の、アパート利用者全員のためのお風呂を使っていただくことも可能)を無料でお貸しし、毎月少額の報酬を差し上げます。
■勤務開始日:2012年12月以降
■採用にあたっての条件:難民の立場に立って管理ができること。健康であること。
■問い合わせ先:
日本福音ルーテル社団(JELA)事務局
電話=03-3447-1521、ファックス=03-3447-1523、
メール=jela@jela.or.jp

12-09-02JLER月報2012年9月号−11号

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12-09-01神の愛の鞘におさまる

「ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の言い伝えを固く守って・・・」
マルコによる福音書7章3節

「カズ、ヘペッチだって」と子どもらが話しをしていたブラジルの教会学校の風景がよみがえってきました。「ヘペッチ」は、英語のリピートにあたり、留年ということです。小学校から留年があるのには驚いてしまいました。落ちた子を決して軽蔑して言っているのではないのです。むしろ、子どもらはそれが当然であり、互い受けとめあっているのがよく分かりました。
ファリサイ派の人と律法学者が、ここにでてきます。この人たちは当時の社会では大変に尊敬されていました。イエスさまも実はファリサイ派に近いところで育てられたのではないかといわれています。この人たちは実に律法を守るということに忠実でした。律法を守ることによって神に愛されると考えた実に真面目な人でした。ですから律法を守らないということが、とても気になるわけです。「そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。『なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。』」(7・5)と尋ねたのです。それは彼らからすると当然の言葉です。しかし、ここには守る者、守らない者という差別が生まれてくるのです。守る者が神に愛されるのにふさわしいと考えるようになるのです。
その結果が人間くさい努力主義になってくるのです。律法を守りさえすれば成功という人間が中心に出てくるのです。この律法を守るために努力している自分こそが正しいものであって、努力しない人間はだめだということがまかりとおってくるのです。実に人間くさいものになる、だからイエスさまは、「あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」(7・8)と言われるのです。
今、教育現場で、競争をさせてもっと子どもらの学力をあげていこうということが叫ばれたりもしています。それ自体、聞いていると何の問題もないように思えますが、実は、競争に遅れたものはだめだという差別化が起こるということです。まさにファリサイ派のような動きが起こるのです。
では、最初に言いましたブラジルの子どもの例とどう違うのかということです。一人一人の存在が保証されているというカトリックの信仰が根底にあって、それぞれが生かされた平等な存在であるといことです。
勉強は大切です。そこでヘッペチしたとしても彼はだめな子ではありません。私たち一人一人が生かされた存在であるというところから自分自身を見ていきます。結果として落第することもありますが、これで人生が終わりであり、未来が決められていくのではないということです。
本来、律法を守るということは、神から存在することを許され、保証されている出来事のなかで、律法を守る者として選ばれた者は、人を差別化するために律法を守るのでなく、喜びの生き方として律法を守るのです。
荒井献氏は「旧約を超えて、新しい契約を携えて現われたと言えるイエスは、人間の作った掟に縛られている人々を元来のユダヤ教精神に返し、神とともにある喜びの生き方を取り戻そうとしたのだ」と言っているのはうなずけます。
「こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」(7・13)
この言葉はまさにそのことを言っているのだと思うのです。私たち一人一人は神に愛された存在であるというところからすべてを見ること、恵みの関係から今をみるとき努力主義から解放され、私たちは自由に、すべてを喜びと感謝をもってなすべきことをなせるのです。
競争原理がますます強くなっていく社会にあって、私たちの生き方が根底から問われています。私たちは、人間くさい鞘に収まらず神の愛の鞘に収まること、神の愛の場所に自分をもどし、喜びと感謝をもって、神の律法をよく生きていきましょう。
「すべてに耳を傾けて得た結論。『神を畏れ、すべての戒めを守れ』これこそ、人間のすべて。」
『コヘレトの言葉』12・13
大森教会牧師 竹田孝一

12-08-11るうてる2012年8月号

説教 「恵みに溢れて」

機関紙PDF

「生涯、彼を満ち足らせ、私の救いを
彼に見せよう」詩編91編16節

 この度、P2委員会からLAOS講座別冊『人生6合目からの歩み』が出版されました。私たち日本人は、平均寿命の飛躍的な延びによって、人類が今まで経験したことのない領域を生きています。 これは恵みであると同時に、大きな課題でもあります。歳をとっていくことは、多くのものを失っていくことかも知れません。例えば健康、役割、関係、伴侶、そして、何よりも時間。老いていくことは喪失していくことでもあるのです。
 しかし、ますます増えていくものがあります。それは「恵み」です。確かに多くのものを失いますが、しかし、恵みはますます「私」に溢れていくのです。とすれば、歳をとることはまた「希望」でもあるのです。
 よく、老齢期を厳しい冬の季節として表現することがあります。青春から始まって人生を朱夏、白秋、玄冬などと表現します。しかし、私たちの人生を季節で表現するだけでは十分ではありません。なぜなら、人生は「旅」だからです。そして人生を旅として受けとめるとき、老齢期は希望の時期でもあるのです。神に支えられ、導かれて生きてきた長い人生の旅路、喜びばかりではなかった人生の航路、しかし、その旅がいよいよ終わりを迎えるとき、それは神さまの祝福の時でもあるのです。永遠の「命の冠」を神さまから受ける「勝利の時」なのです。老齢期、確かにそれは一番厳しい時であるかもしれません。若い頃のように自由に動き回ることもだんだん出来なくなってきます。
 しかし、長く航海を続けてきた船だって、港に近づくとき速度を落とすものです。そう、私たちの人生の港、それは天の御国です。天の御国こそ私たちの永遠の港なのです。つまり、老齢期は希望そのものなのです。そして、これまで人生の旅路を導き、支え続けてくださった神の恵みを思い、喜びと感謝がわき上がってくる「時」でもあるのです。希望がますます確かになっていく「時」なのです。
 パウロは言います「このように、私たちは信仰によって義とされたのだから、私たちの主イエス・キリストによって神とのあいだに平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光に与る希望を誇りにしています。~希望は私たちを欺くことがありません。」ローマ5・1~5。つまり、歳をとっていくことは、私たちが、ますます強く深く恵みを自覚することでもあると思います。歳を取ることはますます恵みに溢れていくことなのです。例え肉体的に衰えてきても、私たちは信仰による希望に於いて完全に救われているのです。
 パウロは、直接老いについて言及してはいないように思いますが、彼の病の理解を知ることは出来ます。新約聖書で「病」を表す言葉はアッセネースという語ですが、パウロに於いては重要な神学的な意味を持っています。 パウロはこの言葉によって身体的な病気を表すだけでなく、もっと広くそれを「弱さ」として神の前にある人間の普遍的事態を現しています。(�コリ2・3、�コリ12・9、ガラテヤ4・13)ここから私たちは老いというものを考えることができます。老いはある意味「弱さ」そのものの経験だからです。
 パウロは言います「だから、キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇ろう。~なぜなら私は弱いときに強いからです。」�コリ12・9以下。
 そう、キリストの力は、弱さの中でこそ十分に発揮されます。われわれの弱さ=老い、病は、キリストにより、主ご自身の力=恵みを受けるところとなり、私たちは真の強さに与るのです。その為に私たちは、洗礼に与ったのではありませんか。ルターは「あなたが絶望していても、洗礼は決して空しくならない。」
「洗礼に於いて考えられるべき第一のことは、神の約束である。」と語っています。
 そう、私たちの希望は、洗礼を根拠とした希望なのです。私たちの希望は、単なる希望的観測ではなく、洗礼を根拠とした確かな希望なのです。そして、その洗礼の希望は、礼拝に於いて御言葉(説教)と聖餐によって絶えず新しく経験され、私たちはますます命と恵みに溢れて日々を生きるのです。「だから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの「外なる人」は衰えていくとしても、私たちの「内なる人」は日々新しくされていきます。」�コリ4・16とパウロが語るように…。
  都南教会 太田一彦

宗教改革五〇〇周年に向けて
 ルターの意義を改めて考える(4)

 ルター研究所 所長  鈴木 浩

 修道会の指示で、ルターは聖書学教授になった。そのことがルターに決定的影響を与えた。聖書を教える以上、当然、聖書の専門家になっていなければならないからである。聖書に集中的関心を向けるルターの姿勢が、それで決まった。
 当時は、礼拝は「聖体拝領」が中心で、説教は相当軽んじられていた。そもそも聖書は「閉じられた書」で、神学を学ぶ者も教父たち(特にアウグスティヌス)の著作を読むことが多かった。修道士たちも、読むのは詩編と雅歌が中心で、福音書は二の次であった。
 ルターは、生来の真面目さから、自分の課題に誠実に取り組み、聖書の本文そのものに集中的関心を向けた。教父たちの解説も確かに役立つし、素晴らしいものもあった。しかし、本文そのものこそが、「神の言葉」であった。ルターは研ぎ澄まされた目で、聖書本文を丁寧に追っていった。
 ここで問題が起きる。どうしても引っかかる箇所にぶち当たったのだ。この「引っかかる箇所」こそ、重要であった。そうした箇所に、ルターは繰り返し思いをめぐらせた。そこから、驚くべき発見が起こった。

牧師の声

LCMに参加して
挙母教会 鈴木英夫

 5月末、「ルーテル海外教会協力会議(LCM)」に参加した。多国多文化的視点から「日本の宣教」を考える機会が与えられ感謝している。貴重な発題や意見が出されたが、その中で次のことが特に、印象として残った。
教会教勢の低下傾向はフィンランドや米国でも同様であり、その原因が世界的・共通的な事柄に起因していそうだ。

A我国伝来の欧米的キリスト教が有する「伝統」と日本的宗教土壌における「実情」をどう融合させてゆくかが、宣教(土着化)の重要課題である。
B複雑多様化した現代を生きる教会員の「信仰生活」、「教会生活」、「社会生活」の内実をさらに捉え直し、十分な理解をもって牧会がなされる必要がある。教職と各教会への提言として重要だ。
C日本宣教は日本的宗教への対立・対抗という形で進めるのではなく、個人(人間)とその宗教心にしっかり向き合って、「キリストの愛」に基づき、自由な聖霊の働きに委ねて為されるべきである。
D会議の締め括りに、ルーテル教会による「東日本震災救援活動と宣教」についても意見交換がなされた。千年に一度の非常時ゆえか、宣教の実践において、象徴的課題がいくつか浮かび上がっていると考える。
 例えば、今回、国内のルーテル教会諸派は救援活動の組織時に、「ルーテル教会」の名を前面に掲げないことを申し合せた。現場で尋ねられたら、「ルーテル教会」と答えることにしたという。これに対して、フィンランドから驚きの声が上がった。「なぜ、キリスト教会の働きを実践するのに教会の名を掲げないのか」と。
 さらに、被災した他宗教施設の修復支援の是非にも議論は及び、信仰、及び宣教の核心において「伝統」と「実情」が相対する形となり、各国・各人の相互理解を深めることができた。
 LCMは国際的視点から意見交換する場として貴重だ。今後も発展してゆくことを期待したい。

信徒の声
最近思うこと 

北海道特別教区 信徒常議員  須藤 清

 昨年、函館教会は念願の記念誌を出版しました。増田憲二郎兄や故泉徹兄が準備されていた資料や、伝道所時代の資料、現存する週報、教会広報紙、写真等を改めて目にする機会を得、教会の足跡をたどることが出来ました。そして、他教区からの人的・資金的支援によって暖かく支えられていたことも知りました。 多くの牧師と諸先輩が、時が悪くても教会を支えて来られ、それが、今に繋がっていることを実感しました。今繋がる者として、素直に開拓時代から続く神様の大いなる計画と恵みを感じています。最近若い人達も増え、私どもは若さにおされ気味の感ですが、素直に神様に感謝しています。

 今年5月の全国総会で提起された、北海道特別教区の宣教態勢の将来展望は、当該教区の私達に待った無しの状況でその方策を迫っています。
 今年の1月末に、日本の将来の人口動向について報道がありました。2060年の日本の人口は国立研推計で3割減の8674万人としています。 ある推計によると、北海道の人口は、2035年で2005年の人口の約24%減の424万人としています。札幌市5%減の178万人、他市町村は概ね大きく減と予測しています。
 そして、函館市の人口は2035年で40%減の約17万人と推計しています。
 今後の伝道を考える時、将来人口の推移や高齢化社会を見据え、函館教会としての展望、教区と連携した宣教体制の再構築が必要になると思います。
 私達団塊の世代は、先人たちの努力によって建てられた会堂が、あって当然の時代でした。今の時代は、各個教会の地域事情や教区内での地理的条件や他教派など、区々な方策の展開となるでしょう。開拓期の信徒の群れの中に、今の私達が忘れている大事なものがないか、等々。私たちの大胆な発想の転換と、私たちの信を問われている時代と思います。
 後に続く者たちの負うべき荷を 、 私達が少しでも 軽 く、そして、動きやすくしなければと願うこの頃です。
 個々の信徒に笑顔が溢れる群れにこそ、大きな未来があると確信します。

JLER(ルーテル教会救援)対策本部現地からのレポート 

JLER派遣牧師 野口勝彦

 
今月号よりお届けするレポート、初回の今月は、私と三浦スタッフから現地報告をいたします。
  現在、仙台教会に拠点を置く「ルーテル支援センターとなりびと」は、パートも含めスタッフ7名体制で、北は宮城県気仙沼市から南は福島県南相馬市までを活動地域として、漁協・仮設・コミニュティーセンター建設支援など幅広い支援活動を展開しています。
震災から1年4ケ月が経過し、現地では被災者自らが立ち上がり、本格的な復旧・復興活動に携わり始められています。
 「となりびと」にも地元のボランティア団体からの支援協力の申し出をいただいています。また、先日、石巻市内の被災された方の敷地の一部をお借りして、やはり被災された方が中心となってお花畑にするプロジェクトを地元のNPOと共に行いました。
 JLERが目指すのは、最終的に私たちの支援が現地で不必要になることです。そのために、今後も現地の人たちのための自立支援活動を展開していきますので、どうぞ引き続きお支えとお祈りをお願いいたします。

「食材王国宮城より」          三浦孝子

 私は今年4月より「となりびと」スタッフとして活動をしております。宮城県塩釜市に住んでおり、郷土愛と、支援にご恩返しをする気持ちで参加いたしました。
 宮城県は、豊富な食材を産出していて「食材王国宮城」と呼ばれています。沿岸部では、カツオ、サンマ、マグロ、ワカメ、カキ、ふかひれ、ホヤなどの特産品があります。仮設住宅の皆様は、このような故郷を誇りに思いながら力強く暮らしていて、励まされることが沢山あります。
 集会所では「お茶っこ会」という、ボランティアや外国の方も参加される交流活動をしています。交流では「絆」を大切にしています。お年寄りから子どもまで、力をあわせて震災を生きのび、多くの方々の支援によって生きる力をいただいていることに感謝します。 仮設住宅の皆様が、やがて石巻市の木である黒松のように、大地にしっかりと根をおろし、太陽に向って伸びていくことを願っています。

バッハのカンタータを聴く c

「イエスよ、我が喜び」モテット(BWV 227)日本ルーテル神学校名誉教授 徳善義和

 バッハは聖書をよく読み、ルターを読んだと思われる。バッハの死後に作成された財産目録には蔵書目録もあり、神学書は五二点(八〇冊)を遺したことが分かる。その内ただ一点(三冊)だけがセントルイスのコンコーディア神学校に現存している。ルター訳の旧新約聖書にカロフが注釈を施したもので、バッハは欄外書き込みをしたり、下線を引いたりと、熱心にこれを読んだことがうかがわれる。書き込みは筆跡鑑定によって、下線はインクの炭素同位元素による年代推定をもってバッハ自身によるものとほぼ確認されている。礼拝やその音楽への関心も強く、「神の栄光のために歌われたのだ」という書き込みも残っている。カットはその扉の写真だが、右下に「J.S.Bach 1733」とバッハ自筆の署名がある。これが一九三四年にアメリカ・ウィスコンシンのドイツ系移民の農家の納屋から見つかったというから不思議である。
 バッハの教会音楽は至るところで聖書に通じた姿を浮かび上がらせる。このモテットもそうだ。一七二三年夏、ライプツィヒ郵便局長夫人の葬儀のために作曲、演奏されたものとの推定もある。葬儀でローマ八章が読まれ、説教されたという記録が残っているからだが、バッハはこの八章から一、二、九、一〇、一一節を選んで、これをJ・フランク作詞(一六五三年)で、J・クリューガー作曲の六節からなるコラール(教会讃美歌三二二参照、六節の原詩を五節に縮めてある)の一節毎に交互に配するという構成を取った。コラールの各節とローマ書からの各節とが相互にうまく噛み合って、まさしく全体として、音楽による説教の姿を示していると言えよう。
 このモテットなどはまさに、バッハの教会音楽が先ずはそこに配された聖句とコラール歌詞の釈義とも言うべき味わいから始まって、曲の味わいへと導かれていく典型的な作品のひとつであることを示してはいないだろうか。もちろん音楽も優れていて、私自身生涯に一度は一緒に歌ってみたいと思っていた曲だが、これは果たせないようだ。しかしその音楽的表現もまたことばをしっかりと解釈していて、説教黙想の典型のような趣すらもっているのである。
 教会讃美歌の訳は若い日の私のものだが、後にバッハのこのモテットと出会って、一層思い入れを深めている。私の葬儀の際にはこの讃美歌を愛唱讃美歌として、このモテットを献花の際の音楽としていただくよう、既に市ヶ谷教会の月報にも載せて、お願いしているところである。

福音と美術「永遠性の象徴」

 小鹿教会 寺澤節雄 静岡大学名誉教授(美術教育学)

 図1は、セザンヌの最高傑作〈りんごとオレンジ(一八九五)です。今日セザンヌの絵画は多視点絵画と呼ばれます。それはセザンヌが、従来の遠近法的表現の一焦点を破っているからです。その結果、画面空間は不連続・不均質に扱われ、その動的な表現はキュビスム絵画に引き継がれました。一般的に人々は印象派のモネのように、見えるものを見えるままに美しく描かれた絵画を好みます。その場合、対象はカメラがレンズの先に一焦点を結ぶように焦点的に捉えられています。このような焦点の拘束を離れるということは何を意味するのでしょうか。二十世紀初頭、芸術家は一焦点的にのみ捉えられる空間の拘束を振りほどこうとし、セザンヌはその筆頭となったとも言えましょう。それは科学の発展と相まって、人々が余剰次元に目を開くようになったからだと言えます。問題は余剰次元に解き放たれた空間意識は、その根拠をどこに求めるのかということです。不連続・不均質となった空間は、その統合の根拠を無限・連続、さらには永遠性の象徴に求めるとのいうのが私の考えです。
 図2は静岡県立美術館所蔵のパウル・クレーの絵画で、〈エンタランスR2〉と題されている作品です。この絵の面白さは、遠近法的な構成と逆遠近法的な構成とが共存していることです。そのため、われわれの視覚は焦点を失い、目眩まし的に何か未知のものを見るよう誘われるのです。それはわれわれに見慣れた三次元的知覚以外の余剰次元です。そのようにしてわれわれは、日常的知覚を相対化することを強いられます。それは先に述べたキェルケゴールの言う「精神」への誘いです。それは私たちが、古き拘束を破る新しき創造の世界に生きるためです。
 図3は、私の授業における造形演習の成果です。造形課題は、「クレー・コンポジション」です。すなわち、クレーの造形空間を抽象的な構成として表現させました。この課題では、まず学生に画面の自由な分割を求め、さらにそれを自由な色面を用いて統合するように求めます。そこでの体験は、決まった規則の無い対象に対する手探りです。迷宮の内にも、隠れた規則は潜んでいます。不連続的な律動的運動がそれを可能にするのです。このようにして造形活動の基本から学ぶべきものは、内なる潜在的秩序の確かさを知ることであり、それは創造の喜びに触れる体験となるのです。(続く)

販売物(グッズ)について

TNG担当 佐藤和宏

■お誕生カード
 幼児部門では、0歳から6歳までの7種類のカードを用意しています(1部150円)。特徴は、誕生日を迎えた子どもへの言葉はもちろん、それに加えて親御さんへのメッセージがあるということです。幼稚園、保育園を中心に教会でも継続して用いられています。あなたもお子さんに、お孫さんにプレゼントしてみませんか。
■こひつじハンコ、シール
 幼児部門では、こひつじの型にご希望の名前を入れたハンコを制作販売しています。また、こひつじシールも好評販売中です。手紙の封に、カードの飾りに、その他いろいろな場面にご活用ください。
■そらのほしいくつある
 またまた幼児部門から。「そらのほしいくつある」は、幼児向けの教理学習教材です。ご家庭で、教会で、簡単な問答を通して、お子さんと一緒にキリスト教の「きょうり」に触れることができます。1冊500円。
■CSテキスト、カード
 子ども部門では、教会学校(CS)で使用する説教例や分級展開例などが掲載されている「CSテキスト」を販売しています。(1部年間500円)ルーテルの日課に合わせた教材は少なく、責任の重さを感じつつ、全国の教職・信徒がボランティアで担当しています。カードも日課に合っており、CSだけではなく、礼拝を休まれた方へのお見舞いにも最適です。その日の日課にあったカードにひと言添えてのプレゼントはいかがですか。
■メールマガジン
 グッズではありませんが、ティーンズ部門では、毎週水曜日にメールマガジンを登録者に配信しています。250字のメッセージと聖句は、「あなた」に向けて書かれています。教会や学校でも登録して、メールマガジンのメッセージをきっかけにして、話し合うこともできますね。TNGは、各地で次世代への働きかけにご苦労されている「あなた」と共に歩みます。ぜひ、皆さんのご意見、ご要望をお寄せください。宣教室まで。

2012年度 日本福音ルーテル教会教師試験実施のお知らせ

 2012年度の日本福音ルーテル教会の教師試験を左記要領にて実施いたします。教師試験を受けようとする志願者は左記書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    記
.提出書類
 1教師志願書
 2志願理由書 
  テーマ「なぜ『日本  福音ルーテル教会の  教師』を志願するの  か」
  ―あなたが考える宣  教課題をふまえて―
 ・書式 A4横書き   フォントサイズ11ポ  イント
  (注意事項)�@簡潔な  文章で記すこと�A召  命感を明確に記すこ  と
 3履歴書〈学歴、職歴、  信仰歴、家庭状況等  を記入すること〉
 4教籍謄本(所属教会  教籍簿の写し)
 5成年被後見人または  被保佐人として登記  されていないことの  証明書(法務局交付  のもの。任用試験時  に必要になります)
 6所属教会牧師の推薦  書
 7神学校卒業(見込)  証明書及び推薦書
 8健康診断書(事務局  に所定の用紙があり  ます)
.提出期限(期限厳守)
 2012年9月14日  (金)午後5時までに 教会事務局へ提出する こと
.提出先
 日本福音ルーテル教会 常議員会長 立山忠浩 宛
.試験日及び試験内容
 直接本人に連絡します。

2013年
教会音楽祭のテーマ曲歌詞を募集

 2013年6月8日(土)に教派を超えての賛美集会「教会音楽祭」が、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会で 開催されます。
 第31回のテーマは「ともに希望の歌を」東日本大震災後、私たちは何を歌うのでしょうか? 賛美 のことばを紡いでいきたいと願っています。
 現在、このテーマに即した歌詞を募集しています。(曲については 採用された歌詞を発表してから募集を開始します。)

■応募条件=1人1作品とし、未発表のものに限ります。 教会音楽祭実行委員会にて審査し、採用者には直接通知します。
 応 募作品が採用候補作品とされた場合でも、作者と相談の上、実行委 員会で添削する場合があります。採用作品は広く教派を超えて自由 に用いられるものであることを理解のうえでご応募ください。なお 応募作品は返却しません。

■提出先=
〒105-0011 東京都港区芝公園3???|6|
日本聖公会 東京教区事務所内礼拝音楽委員会 (「教会音楽祭歌詞応募」と明記してください。)

■応募締切=2012年9月30日(消印有効)

■発表=採用作品の作者に直接通知します。一般には「曲募集」を もって発表に替えさせていただきます。
●問い合わせ先=各教派の教会音楽祭担当委員、または「 教会音楽 祭 」 ホームページhttp://cmf.m31.coreserver.jp/

第25回総会期第1回常議員会報告

 第25回総会期の第一回常議員会が、六月十一日から十三日にかけて、市ヶ谷センターにて開催されました。今回は、五月の全国総会にて選出された第25回総会期常議員による初めての常議員会でもありました。 
 新たに総会議長に選出された立山忠浩議長は「先の全国総会を受けて、第六次総合方策をどう実現するかについて、総合的・総花的な方策の中から、重点的課題の抽出をし、取り組みを具現化していくことと、議場から出された諸意見の中から取り入れるべき声を拾い上げていく」と基本的な姿勢を述べられました。
 さらに、現時点で優先的・緊急的課題と思われる事柄として、三つに絞り込んで言及されました。

(1)財政問題の根源に関する認識の共有化と確実な対応、
(2)東日本大震災ルーテル救援活動を、日本福音ルーテル教会の宣教理解の中で、「この世に奉仕する教会(ディアコニア)」の働きとして、どこまで位置付けるのか、有限な人材や財政力を考慮に入れつつ、検討してゆく。
3)宗教改革500年となる2017年にむかって、記念事業、特に各個教会が参画できるような企画を含む準備計画を進める、
と課題内容を説明した上で、推進していくために全常議員に積極的な協議を求めました。
 なお第一日目の夜には、渡邉前総会議長と立野前事務局長の感謝会を開催し、常議員相互の親睦も行われました。
 二日目の主な協議事項については以下の通りです。
▼諸活動、委員会報告、審議事項
 2012年2月以降の三役、各教区、本教会各室及び諸委員会、関係諸団体、JLER(救援支援本部)等の活動について各々報告がなされ、協議の後に、承認されました。
 続いて審議事項では、学校に対する教会推薦理事の決定、人事(事務局長関係)、教会規則変更申請、教会建物の改築に関する申請、幼稚園組織変更に関する申請等の案件が協議されました。
▼諸委員任命と委員会の組織
総会選出の常置委員に加えて、常議員会選出の常設委員及びその他諸委員選任をし、実質的な宣教課題推進の担い手として各委員会が組織されました。
 三日目は、立山議長の表明された「第25総会期の基本方針と重点課題」に絞って、しばし今期常議員全体で意見交換をし、現状認識と課題認識の共有に務めました。この協議は継続して十月に予定される「宣教会議」、十一月開催の「常議員会」でも積み重ねていくものとしました。
詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。

徳善先生の新刊書 購入に特典!

 本号1面でお知らせのとおり徳善義和先生の著書「マルティン・ルター」が、6月20日岩波書店より発行されました。
 つきましては、徳善先生から、教会での学習用にまとめて購入する場合の特典情報についてご連絡をいただきましたので、お知らせいたします。

 徳善先生を経由した注文となれば、「著者割引」が適用され、定価の15%引き+A送料無料で購入ができます。但し、20冊以上での注文が条件となります。
ご希望の方は著者メールytokuzen@luther.ac.jpまで、ご連絡下さい。

電話番号変更のお知らせ
■岡崎教会
電話:0564‐64‐3261 FAX:0564‐64‐3262

12-08-02JLER月報2012年8月号−10号

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12-07-30恵みに溢れて

「生涯、彼を満ち足らせ、私の救いを彼に見せよう」詩編91編16節

この度、P2委員会からLAOS講座別冊『人生6合目からの歩み』が出版されました。私たち日本人は、平均寿命の飛躍的な延びによって、人類が今まで経験したことのない領域を生きています。 これは恵みであると同時に、大きな課題でもあります。歳をとっていくことは、多くのものを失っていくことかも知れません。例えば健康、役割、関係、伴侶、そして、何よりも時間。老いていくことは喪失していくことでもあるのです。
しかし、ますます増えていくものがあります。それは「恵み」です。確かに多くのものを失いますが、しかし、恵みはますます「私」に溢れていくのです。とすれば、歳をとることはまた「希望」でもあるのです。

よく、老齢期を厳しい冬の季節として表現することがあります。青春から始まって人生を朱夏、白秋、玄冬などと表現します。しかし、私たちの人生を季節で表現するだけでは十分ではありません。なぜなら、人生は「旅」だからです。そして人生を旅として受けとめるとき、老齢期は希望の時期でもあるのです。神に支えられ、導かれて生きてきた長い人生の旅路、喜びばかりではなかった人生の航路、しかし、その旅がいよいよ終わりを迎えるとき、それは神さまの祝福の時でもあるのです。永遠の「命の冠」を神さまから受ける「勝利の時」なのです。老齢期、確かにそれは一番厳しい時であるかもしれません。若い頃のように自由に動き回ることもだんだん出来なくなってきます。

しかし、長く航海を続けてきた船だって、港に近づくとき速度を落とすものです。そう、私たちの人生の港、それは天の御国です。天の御国こそ私たちの永遠の港なのです。つまり、老齢期は希望そのものなのです。そして、これまで人生の旅路を導き、支え続けてくださった神の恵みを思い、喜びと感謝がわき上がってくる「時」でもあるのです。希望がますます確かになっていく「時」なのです。

パウロは言います「このように、私たちは信仰によって義とされたのだから、私たちの主イエス・キリストによって神とのあいだに平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光に与る希望を誇りにしています。~希望は私たちを欺くことがありません。」ローマ5・1~5。つまり、歳をとっていくことは、私たちが、ますます強く深く恵みを自覚することでもあると思います。歳を取ることはますます恵みに溢れていくことなのです。例え肉体的に衰えてきても、私たちは信仰による希望に於いて完全に救われているのです。

パウロは、直接老いについて言及してはいないように思いますが、彼の病の理解を知ることは出来ます。新約聖書で「病」を表す言葉はアッセネースという語ですが、パウロに於いては重要な神学的な意味を持っています。 パウロはこの言葉によって身体的な病気を表すだけでなく、もっと広くそれを「弱さ」として神の前にある人間の普遍的事態を現しています。(Ⅰコリ2・3、Ⅱコリ12・9、ガラテヤ4・13)ここから私たちは老いというものを考えることができます。老いはある意味「弱さ」そのものの経験だからです。

パウロは言います「だから、キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇ろう。~なぜなら私は弱いときに強いからです。」Ⅱコリ12・9以下。
そう、キリストの力は、弱さの中でこそ十分に発揮されます。われわれの弱さ=老い、病は、キリストにより、主ご自身の力=恵みを受けるところとなり、私たちは真の強さに与るのです。その為に私たちは、洗礼に与ったのではありませんか。ルターは「あなたが絶望していても、洗礼は決して空しくならない。」

「洗礼に於いて考えられるべき第一のことは、神の約束である。」と語っています。
そう、私たちの希望は、洗礼を根拠とした希望なのです。私たちの希望は、単なる希望的観測ではなく、洗礼を根拠とした確かな希望なのです。そして、その洗礼の希望は、礼拝に於いて御言葉(説教)と聖餐によって絶えず新しく経験され、私たちはますます命と恵みに溢れて日々を生きるのです。「だから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの「外なる人」は衰えていくとしても、私たちの「内なる人」は日々新しくされていきます。」Ⅱコリ4・16とパウロが語るように…。

12-07-11るうてる2012年7月号

説教「主を喜びとする日」

機関紙PDF

「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」マルコによる福音書3章1節~12節

この春から喜望の家の勤務が始まり、平日は朝の満員電車に揺られています。梅田駅で地下道を通って乗り換えます。群れをなして突進するように歩く人々の姿が、初めの頃は、サバンナのバッファローのようで、異様な光景に思えました。三か月が過ぎ、自分もその流れの中に乗って一緒に突き進んでいます。帰宅の車中はぐったりという日も少なくありません。そのような毎日を過ごしていると、日曜日の安息が待ち遠しい、本当に待ち遠しく思えます。

イエスさまは、ここで、安息日の用い方について、ファリサイ派の人々と議論しています。現代の私たちからすれば、律法を固く守って、絶対に譲ろうとしないファリサイ派の人々は、頑固で融通の利かない、変わり者のように思えます。イエスさまのおっしゃる言葉はもっともです。納得できるし、当然のこと。日曜日であっても、病人がいれば病院へ連れて行くし、手当てをして傷ついた人を助けるというのは、それこそ人の道で、道理に適って理解のできるところです。
そもそも安息日は天地創造の時に、神さまが6日間働いて、7日目に休まれたことに由来します。神さまは第7の日を祝福し、聖別されました。しかし、その安息の日を守ることのできない時代がありました。それはモーセの頃、イスラエルの民はエジプトで奴隷でした。モーセはファラオに、主に礼拝をささげたいと願い出ますが、ファラオはそれを許してくれませんでした。十戒を授かったのは、その後のことで、エジプトを脱出してからです。
また、バビロン捕囚の時代にも、エルサレムの神殿を失ったイスラエルの民は、主に礼拝をささげることができませんでした。ですから、聖書を作って、新しい礼拝の形を整えていったのです。そのような辛い体験と苦い時代を経て、安息日は重んじられるようになりました。
しかし、決まりごとというのは、いつしか形骸化してしまって、人間を生かすのではなく、人間を縛るものになってしまうことがあります。イエスさまの時代はそうであったわけです。そうしますと、私たちはどのように安息日と付き合えばよいのでしょうか。現代社会は安息日の規定よりも、この世の融通の方が優先してしまうような時代です。そのような時代にあっては、安息日を守ることの方が難しい。
ここで、イエスさまは、安息の意味を説いておられます。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか、命を救うことか、殺すことか」。内容を見ますと、これは日曜日だけに限ったことではなくて、他の6日間についても、私たちの生き方全体について、それを問うておられます。
神さまが祝福してくださった安息日は、人のためにあります。人が生きるため。神さまは一週間の労働を終えて、その成果をご覧になって、「見よ、それは極めて良かった」、実りに対して満足して休まれたのです。そして、その日を聖別し、恵みの日としてくださいました。それは、私たちがみ言葉と霊とに満たされ、命を回復するためです。
主日礼拝が待ち遠しい。強制されるようなものではなく、恋人に会うような待ち遠しい気持ちです。
仕事帰り、疲れているであろうに夜の聖研に集う人の気持ちが、今にして分かるようになりました。すでに集会は始まっていて、それでも遅れて来られます。「無理をしなくてもいいんですよ」「お体を大切にしてください」と言っても来られます。終わりにいつも讃美歌を歌ってお祈りをしていました。そのひと時こそが安息です。イエスさまに触れている時でした。聖徒の交わりの中で、一緒に歌いたいんです。一緒に歌いたい、讃美歌を歌いたい、歌うことのできない平日の日、日中というものを過ごしていますから。
安息とは、このように、人がよみがえって、生きるためのもの。人々がよみがえって、明日への希望や明日への新しい力を得る。豊かな祝福、天からの恵みです。神さまは、そのような恵みの日をお定めになりました。主を喜びとする日です。
ディアコニア・センター喜望の家 豊中教会 牧師 小勝奈保子

宗教改革五〇〇周年に向けて
ルターの意義を改めて考える(3)

ルターはもともと法律家になるべく大学で最後の学びをしていた。成績も良かった。少なくとも外面的には、将来は明るかったのだ。事業で成功していた父親も、息子が法律家として成功することを強く期待していた。
無論、ルターはそのことをよく知っていた。それでも、彼は修道院に入ってしまう。実際、父親との関係は決定的に悪くなる。修道院に入れば、友人たちとのつき合いもこれまでのようではありえなくなる。ルター自身はそのことをあまり大きく考えなかったようだが、修道院に入ることは、一生涯、独身で暮らす、という意味も持っていた。そうした一切のことをルターは引き受けた。
彼は模範的な修道士になった。学歴もずばぬけていた。結局、修道会の指示で、ヴィッテンベルク大学の聖書学教授になった。ここからルターの聖書との本格的な取り組みが始まった。
修道院では詩編を毎日唱え、一週間でその全体を唱え終わる習慣があった。ルターも詩編をほとんど諳んじるほどになっていた。大学でのルターの講義も、詩編から始まった。いわゆる「第一回詩編講義」である。
ルター研究所 所長 鈴木 浩

牧師の声

復活教会、文化財登録される ~夕刻に光り輝く、十字架のステンドグラス~
復活教会 花城裕一朗

してしまいました。その悲しい現実を乗り越えて、1953年復活祭の時に、現在の礼拝堂が献堂されています。当時の教会員たちは、戦争の焦土の中からの礼拝堂の復活とキリストの復活を重ね合わせて見、希望を抱いたのでしょう。この時、「復活教会」という現在の名前が付けられました。
今回の登録は、この礼拝堂が著名な建築家ヴォーリズの設計によることに基づいています。名古屋市内の建築家の間でも評判で、実際に訪ねて来られた方は、当時のまま保存されている設計図を見て非常に感激されていました。教会を訪れる一般の方々も「頭の中にある教会のイメージにぴったり」と言ってくださいます。ヴォーリズ建築事務所からもお祝いのお葉書を頂き、感謝の思いでおります。
この礼拝堂の一番の特徴は、聖壇が西側にあり、大きな十字架のステンドグラスが取り付けられていることです。会堂内から見るその十字架は、夕刻になると眩いほどに光り輝き、会堂内を黄金色に染め上げます。神が、その光景を通して、「世の終わりの日には、このように、キリストの救いが光り輝く」と語りかけているように私は感じます。一日が終わる時に、世の終わりのことを想い起こすようにと、ヴォーリズは考えたのかも知れません。
復活教会がその名の通り、主の復活の栄光を証しする教会へと導かれていきますように、祈りつつ、宣教の務めに励んで参ります。

信徒の声

「受けとめて」 小倉教会 池松綾子 

――池松綾子さん(小倉教会)は、現在、長野県上田市に拠点を置き、裂織を中心に制作活動を展開しています。今年の3月11日の礼拝の際、一つの作品を教会へ献品してくださいました。作品名は「受けとめて」。それは震災後、制作活動に向かうことができなかった池松さんが、ようやく手がけた作品でした。

昨年の3月11日の東日本大震災で津波など災害を受けられた方々は、もちろんたいへんだと思います。同時に原発事故が起こったわけですが、これまで私は、反対はしてきたけど、皆が危ないと思うまで、きちんと伝えてなかったと思いました。そういう意味で、反対して来た人にも責任があると思ったのです。生きている間に、こんなことが本当に起こると考えてなかったのではないか、言葉だけで反対を唱えていたのではないかと…。もちろん危ないと言ってきたけど、本当に生きている間に起こるとは思ってもいなかったのです。

年に2回展覧会に出展する機会があるので、それまでには作り上げたいと思っていました。そのうちに何か自分自身が事実を受けとめて、どういうふうに神さまは私に示しておられるのか、考えているうちにとにかく受けとめて、そして助けていただく、そういう気持ちを表わしたいと思うに至って、ようやく作り始めることができたのです。

この作品はなかなかできなかったので、7月の展覧会には「不安の中から」という作品を作って出しました。8月に広島で展覧会があるので、それはまだ一月ありましたので、これを手がけたわけです。自分の思いを言葉にできないから、作品を作るのだと思います。

(制作は)まず、縦の糸を巻いてしまうのです。何カ月も前なので、ただ漠然とした思いを巻いていくのです。普通の織機と違って、あらかじめぐるぐる縦糸を巻いておけるので、漠然とした思いを巻くことができるのです。タイトルは、「現実をお前はどう受けとめるのか」と問われているように思い、付けました。

改訂共通聖書日課(Revised Common Lectionary)

式文委員会 平岡仁子

私達ルター派は礼拝に於いて聖書日課を用います。何故なら、説教者が自分自身でテキストを選ぶ時、その選択は多くの制限をもつことになると考えるからです。例えば、説教者個々人の教育的背景や説教者が会衆の好みに傾くと言ったような。私達は聖書から御言葉を聞きます。全てのキリスト者は毎週日曜日に聖書を通して神様が語られると信じています。そしてこの聖書朗読のリストが聖書日課と呼ばれます。聖書日課の使用は礼拝に於ける一致を表します。それ故、聖書日課は説教者のためにあるのではなく、会衆全てのためにあると言うことが出来ます。聖書日課は教会暦に従って作られ、歴史的に西洋の教会は毎週日曜日2つの聖書朗読による1年周期の聖書日課をもっていました。そしてルターはその中世の聖書日課を受け入れました。しかし聖職者達にキリストによって示された神の福音に明確な焦点を置いて説教するよう力説したのでした。ルター派は 20世紀の中ごろまで、中世の1年周期の聖書日課を伝統的に良い物として使用してきました。
しかし20世紀半ば、世界のキリスト教は大きな変化を体験します。カトリック教会の典礼刷新により聖書日課は3年周期の3つの聖書朗読となり、この聖書日課が世界のプロテスタント教会に広く受け入れられていきました。3年周期の聖書日課は20世紀においてキリスト教が教派を超えて成し遂げた最も重要な成果であるとさえ言われています。
70年代、多くのプロテスタント教会(ルーテル、聖公会、長老派等)は各々独自にこのカトリックの聖書日課への適応・部分的改訂に着手しました。しかしエキュメニカルな動きと共に、共通の聖書日課をもつ要望が高まり、1983年、「共通聖書日課」(Common Lectionary)が出版されます。私達の青式文の聖書日課はこの「共通聖書日課」(CL)にさらに部分的に独自の改訂を加え作られた日課です。そしてその後「共通聖書日課」(CL)は再検討され、1992年「改訂共通聖書日課」(Revised Common Lectionary)として現在世界に普及しているのです。

バッハのカンタータを聴くc~

 「ただ神を望みて」カンタータ93(BWV 93)
日本ルーテル神学校名誉教授 徳善義和

手元にバッハの『カンタータ便覧』とでも言うべき、読んで面白くはないが、大変便利な本がある。巻末にはバッハがカンタータで用いたコラールのメロディーについての索引もある。カンタータやオラトリオ、受難曲まで含めると、教会讃美歌八一「血しおに染みし主のみかしら」が一番よく用いられている。マタイ受難曲に何度も用いられるほか、クリスマスオラトリオでも二回歌われる。しかしカンタータだけで見ると、教会讃美歌三二四「ただ神を望みて」が一番多い。バッハはこのメロディによってオルガンのためにいくつものコラール前奏曲も作曲していて、名曲が多い。
歌詞もメロディーもゲオルク・ノイマルク、バッハより五十年ほど前の人である。職人の家の生まれながら音楽と詩を学ぶ志を立てて大学町に向かう旅の途上で強盗に襲われすべてを奪われ、無一文になった。放浪の末キールでようやく家庭教師の口を得て、教えつつ学ぶことができるようになった。その時に神の守りと養いを感謝して歌った詩と曲がこの讃美歌なのである。歌詞もメロディーも優れていて、私の愛誦讃美歌の一つである。バッハは早く少年期に母と父を相次いで失い、長兄に引き取られて厳しい青年前期を過ごし、一八歳で自立してオルガニストとして働き出したから、自分の若い日を、この苦労して学んだ青年の姿と重ね合わせて、このコラールを愛し、多用したのだろうか。
聖霊降臨後第六主日には、 当時ルカ五章一節以下の福音書によって会衆は、不漁の一夜の後の、主のことばによる豊漁というペトロたちの体験を聴いた。それぞれ青年だったノイマルクとバッハの若い日の体験とも重なりあっているのだろうか。カンタータの七曲のうち、五曲でバッハがコラールの原詩を用いているところにもそれが現れてはいないだろうか。こうしてこのカンタータはコラール・カンタータの典型とでも言うべきものになっている。
第五曲のレツィタティフには「ペトロは夜通し働いて、空しくなにも得ず。イエスのことばにいま一度漁を試みる。貧しさと十字架と苦しみの中で、イエスのいつくしみに」すべてを托す、と歌われて、音楽による説教となっている。ルカ五章を思い起こし、讃美歌三二四を繰り返し口ずさみながら聴くことのできるカンタータにほかならない。

福音と美術 2-2

永遠性の象徴
小鹿教会 寺澤節雄 静岡大学名誉教授(美術教育学)

私たちが永遠の運動に惹かれるのは、それが生の元型(根源的イメージ)と言えるものだからです。元型は精神医学者ユングの概念ですが、連続・無限・永遠の観念は、元型に根ざすものだと言えます。ユングは「元型によって語るものは、千の声を以て語る。…表現しようとする理念を一時的なものから永続的なものへと高める」と言っています*。 ところで、今日の芸術家は、無限に関心をもっているでしょうか。図6は日本で活躍する韓国人芸術家、李禹煥(リー・ウーハン)氏の作品です。一見メビュウス・リンクのように見えますが、なぞってみると表裏は繋がっていません。この作品は表裏の乖離を解くものではないのです。図7は、オランダの画家エッシャーの作品ですメビュウス・リンクの中を蟻達が這い回るさまは、シシュフォスの神話にも似て空虚などうどう巡りを思わせます。このような絵画は、だまし絵とかトリック・アートなどと呼ばれていますが、文字通りそれは生の循環を出口のない反復と観ているようかのようです。循環の運動をどうどう巡りと観るか、永遠の運動と観るかには、紙の表裏ほどの違いがあります。図8は、「無窮環」と題された抽象彫刻です。題名からして作者が無限の運動に惹かれていることが判ります。静岡大学の同僚であった登坂秀雄氏の作品です。基本形態はドーナツ様の同心円です。同心円は幾何形態ですから、隠れた中心があります。私たちはまるで重力に引き付けられるように、無意識裏にこの物理中心に引きつけられるのです。しかし、作者は誘引する物理中心を躱(かわ)す精神的足場を堅持することによって円環を優美な造形にしてます。その優美さは、まさしく無限循環の美しさであり、永遠性の象徴とも言えるものです。
このように、自然的生の拘束を解く新たな精神が無限の表現に通じるのであり、同様にキリストによって新しく生まれる精神が、死を以て終わる人間の生の虚無性を、滅びることの無い永遠の命につなげるものであると理解出来るのです。
*W・G・ロリンズ著 ユングと聖書」教文館

TNG

松本教会 佐藤和宏
翻訳プロジェクトについて

TNGの活動において4つの部門(幼児、子ども、ティーンズ、ユース)が世代ごとに働きかけていることはご存知でしょう。実はその他にも部門があり、地道に活動を続けています。今回は「翻訳プロジェクト」 という部門の働きについてご紹介したいと思います。
翻訳プロジェクトは、その名の通り、翻訳することを中心にしていますが、ただ翻訳をするということだけでは、その働きが完成したことにはなりません。私たちは、海外のキリスト教教育関係の教材やプログラム等を翻訳し、日本でも使えるようにすることを目的としています。
キリスト教の歴史が長く、クリスチャンの多い国々では、キリスト教の教材開発が十分に商売となりますから、 内容は充実したものが揃っています。これらを日本でも使えるようにすれば、教会教育の助けになると考えています。しかし、ただ翻訳しただけでは案外使いものにならないのが実情です。なぜなら、そこには文化の違いをはじめ、ありとあらゆる違いが存在し、それらを含めた�T翻訳�Uが必要となるからです。時には思い切った修正をしなければならないこともあります。
かつてアメリカの出版会社が提供していた堅信教育の教材を扱っていたことがありましたが、その中のクイズ等はアメリカの子どもたちには面白いのでしょうが、日本ではその面白味がわからないような内容がありました。そこで私たちは翻訳をしつつ、新たなクイズ等を考えていかなければなりませんでした。最近、私たちはキャンプのマニュアル、リーダーの心得などの翻訳を手がけています。様々なプログラム作りのお役に立てればと思っていますが、そこでもやはり言語上だけではない翻訳を必要としています。
遅々として進まないように思われる作業の繰り返しですが、いつか皆さんの各種プログラムの企画に役に立つ情報を提供できる日を夢見て、準備を進めています。これからも皆さんの声に応えられる活動を目指したいと思っています。

「古財学校は閉校しました。」

市川教会牧師 中島康文

1955年に神学校を卒業された古財克成先生は、山口県の防府教会を皮切りに、大森、市川、東京、札幌、帯広・池田、釧路の各教会を牧会された。古財先生に1954年生まれの私がお会いしたのは、1975年の夏、市川教会を牧しておられた時であった。九州を離れ自分の将来像が見えなかった私だったが、数カ月もすると私は古財家の一員になっていた。
その古財家はお茶目でユニークな家族であった。生みだしていたのは、もちろん大黒柱の古財先生。「本教会事務局長や東教区長、北海道特別教区長と歴任された先生に向かって何ということを」とお叱りを受けるかもしれないが、お茶目でユニークという評価が私の中で変わることはない。だから、お子様たちが「日曜日に遊ぶには友だちを教会に呼ぶしかなかった」といって連れてきた子どもたちが居つくようになったし、礼拝が終わってもあれこれと理由を付けて居残ろうとする青年たちが沢山いたのだ。よく遊び、よく食べ、よく学んだ…かは忘れたが、若者が(もちろん年配の方々も)集まっていたのは、先生の傍(そば)がとても居心地良かったからだ。
当時市川教会には、入れ代わり立ち代わり神学生が派遣された、日曜実習であったりインターンであったり…。いつしかそれが神学生の間で「古財学校」、別称「古財再生学校」と囁かれるようになっていた。在学が一番長く「再生」させてもらった私が学んだことは、「神様が伝道してくださる、私たちはそのお手伝いをすること」ということであった。早朝のマンション伝道(ビラ配り)、ロウ原紙の桝目に一文字一文字書かれた印刷物、社会正義への真摯な取り組み等、「神様が伝道してくださる」ということを、黙々となされる先生の姿から学ばせていただいた。

古財学校は閉校しました、校長先生が天に召されたからです。卒業証書は、天上で再会した時に、地上での働きを校長先生に報告することでいただけますよネ。だから今は、「古財先生、ありがとうございました。待っていてください」とだけ言っておきます。
[2012年5月13日召天]

ルーテル海外教会協力会議」(LCM)開催

5月28日から29日にかけて「ルーテル海外教会協力会議」(LCM)が東京教会を会場に開催された。2年ごとに開かれるセミナーが今年は行われ、テーマは「多文化・多宗教・多民族社会の宣教」。日本からは11名が各教区から出席、石居基夫神学校教授が基調講演、宮本新牧師がJELCの事例発表を担当した。海外からはELCA(アメリカ福音ルーテル教会)とSLEY(フィンランドルーテル宣教会)がそれぞれの取り組みを報告した。
キリスト教からみた場合、日本は多宗教という観点から考えやすいが、今後海外からの労働者を日本が受け入れていった場合、多文化、多民族も重要な宣教課題となりうる。そこですでにそうした取り組みを進めている国々から学ぶことにした。
テーマから推測できるように議論は宣教全般に及び、ひとつの課題に集中するという内容ではなかったが、東日本震災救援活動と宣教に話題が及んだときは、宣教論の核心にも触れる話へと発展、それぞれの立場を明確にするとともに相互理解を深める機会となった。また今回は各教会から初参加の出席者も多数あり、これまでとは違った広がりを感じることができた。
最終日の30日にはJELC事務局との個別協議が行われ、アメリカ、フィンランド双方と現在の宣教師派遣と今後のあり方を具体的に話し合った。

敬愛するストローム先生へ

2月2日、90歳になられたストローム先生への、時の総会議長渡邊純幸牧師の挨拶の抜粋です。

90歳のお誕生日おめでとうございます。 心よりお祝い申し上げます。
ドイツから遠く離れた日本に来られた当時、日本福音ルーテル教会においては、 まったく異なった状況で大変だったことを思い起こします。そして、来日して数年後、先生は大阪の釜ヶ崎で子どもの働きをご自分で始められました。
そこに、先生は、当時「西成ベビーセンター」を開設し、後に幼稚園としての「子どもセンター」が認知されました。
先生は、釜ヶ崎で日雇い労働者にも関わり、そこで特に、断酒会にもご尽力戴きました。先生は、それらの働きのために「喜望の家」を開設されました。
ストローム先生、私はあなたを「日本のマザー・テレサ」 とお呼びしたいと思います。あなたは忍耐をもって日本の社会で受け入れられない人々のために私たちの教会が存在するということを示してくれたからです。
私たちは先生の釜ヶ崎でのお働きを何度も神に祈り神の祝福が豊かにこれからもそなえられますようにお祈りしています。
先生のこれからの歩みの上に神様の祝福をお祈りしています。
渡邊純幸

12-07-02JLER月報2012年7月号−9号

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12-06-29主を喜びとする日

「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。
命を救うことか、殺すことか。」マルコによる福音書3章1節~12節

この春から喜望の家の勤務が始まり、平日は朝の満員電車に揺られています。梅田駅で地下道を通って乗り換えます。群れをなして突進するように歩く人々の姿が、初めの頃は、サバンナのバッファローのようで、異様な光景に思えました。三か月が過ぎ、自分もその流れの中に乗って一緒に突き進んでいます。帰宅の車中はぐったりという日も少なくありません。そのような毎日を過ごしていると、日曜日の安息が待ち遠しい、本当に待ち遠しく思えます。

イエスさまは、ここで、安息日の用い方について、ファリサイ派の人々と議論しています。現代の私たちからすれば、律法を固く守って、絶対に譲ろうとしないファリサイ派の人々は、頑固で融通の利かない、変わり者のように思えます。イエスさまのおっしゃる言葉はもっともです。納得できるし、当然のこと。日曜日であっても、病人がいれば病院へ連れて行くし、手当てをして傷ついた人を助けるというのは、それこそ人の道で、道理に適って理解のできるところです。
そもそも安息日は天地創造の時に、神さまが6日間働いて、7日目に休まれたことに由来します。神さまは第7の日を祝福し、聖別されました。しかし、その安息の日を守ることのできない時代がありました。それはモーセの頃、イスラエルの民はエジプトで奴隷でした。モーセはファラオに、主に礼拝をささげたいと願い出ますが、ファラオはそれを許してくれませんでした。十戒を授かったのは、その後のことで、エジプトを脱出してからです。
また、バビロン捕囚の時代にも、エルサレムの神殿を失ったイスラエルの民は、主に礼拝をささげることができませんでした。ですから、聖書を作って、新しい礼拝の形を整えていったのです。そのような辛い体験と苦い時代を経て、安息日は重んじられるようになりました。
しかし、決まりごとというのは、いつしか形骸化してしまって、人間を生かすのではなく、人間を縛るものになってしまうことがあります。イエスさまの時代はそうであったわけです。そうしますと、私たちはどのように安息日と付き合えばよいのでしょうか。現代社会は安息日の規定よりも、この世の融通の方が優先してしまうような時代です。そのような時代にあっては、安息日を守ることの方が難しい。
ここで、イエスさまは、安息の意味を説いておられます。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか、命を救うことか、殺すことか」。内容を見ますと、これは日曜日だけに限ったことではなくて、他の6日間についても、私たちの生き方全体について、それを問うておられます。
神さまが祝福してくださった安息日は、人のためにあります。人が生きるため。神さまは一週間の労働を終えて、その成果をご覧になって、「見よ、それは極めて良かった」、実りに対して満足して休まれたのです。そして、その日を聖別し、恵みの日としてくださいました。それは、私たちがみ言葉と霊とに満たされ、命を回復するためです。
主日礼拝が待ち遠しい。強制されるようなものではなく、恋人に会うような待ち遠しい気持ちです。
仕事帰り、疲れているであろうに夜の聖研に集う人の気持ちが、今にして分かるようになりました。すでに集会は始まっていて、それでも遅れて来られます。「無理をしなくてもいいんですよ」「お体を大切にしてください」と言っても来られます。終わりにいつも讃美歌を歌ってお祈りをしていました。そのひと時こそが安息です。イエスさまに触れている時でした。聖徒の交わりの中で、一緒に歌いたいんです。一緒に歌いたい、讃美歌を歌いたい、歌うことのできない平日の日、日中というものを過ごしていますから。
安息とは、このように、人がよみがえって、生きるためのもの。人々がよみがえって、明日への希望や明日への新しい力を得る。豊かな祝福、天からの恵みです。神さまは、そのような恵みの日をお定めになりました。主を喜びとする日です。

ディアコニア・センター喜望の家 豊中教会  牧師 小勝奈保子

12-06-11るうてる2012年6月号

「誰の常識ですか」

機関紙PDF

あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。
ヨハネによる福音書3章7~9節

 「どうして、そんなことがありえましょうか」
 この言葉は、イエスの導きに対して自らの常識にとらわれてしまい、イエスの言葉を受け入れることが困難になっているニコデモの答えです。
 私たちの日常生活に於いて、慣習・慣例と言われるものが多く存在しています。それらが浸透してきた背景には、長い年月によって「合理的」と考えたり「問題がない」として、安心感を得るためであったと言えます。しかし、この安心感は、私たち人間の都合によって考えている事ですので、人間を中心とした考えにしかなりません。
 この人間を中心として考えられてきた慣習・慣例は、「常識」という枠によって考えられてきたことでもあります。私たちが考える常識とは、自分自身の経験と、共同体の中での共通理解されている部分でもあります。
 ファリサイ派に属し、議員であるニコデモが、イエスのもとを訪ねます。彼自身、ファリサイ派に属しながらも、イエスの行なうしるしによってキリスト信仰の芽が出始めたのです。しかし、ファリサイ派に属しユダヤ人の議員でもあったので、同僚に「裏切り者」と見られることを恐れ、夜訪ねます。他の人に会いたくない、見られたくない、しかしイエスに会って話してみたい感情に包まれているニコデモの姿を見ることが出来ます。
 「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」イエスのこの言葉にある「新たに」には、“上から”という意味もあります。即ち、新たに生まれるには自らの力によるのではなく、上からの力、父なる神からの導きによっての生活を始めることと言えます。ニコデモは、イエスの言葉に対し「どうして」と、反論とも取れる答えをしています。ここに、ニコデモが今まで築いてきた人間的常識を重要視している姿があるのです。イエスに対し「神のもとから来られた」「神が共におられる」といいながらも、神の御力、神からの恵みを人間の常識の中で捉えようと必死になっている姿です。
 このニコデモの姿は、私たちの姿そのものであるのではないでしょうか。礼拝に於いて御言を聴き、聖書の学び等でキリストの教えを深く悟ろうとしながらも、日常生活に当てはめて考え、理解しようとしている部分が多くあるということです。日々多くの事柄に関わりながら生活している私たちは、生活の術というものが人間の快適性を求め続けて成り立っているということを忘れ、当たり前の慣習として受け止めています。人間の快適性を中心にした生常識)を降ろすことができずに、どうしても「新たに水と霊によって生まれる」ことを受け止められないのです。
 ニコデモの姿は、信仰に導かれている私たちの姿といえます。そして今、教会を尋ねてくる一人ひとりの求道者たちの姿でもあります。キリストの愛に気付き、周囲を気にしながらも確かなものを求めて教会に足を向ける。そして御言を聴きながら自分の造り上げた常識を壊しつつ、神の常識に与かれるようもがいている姿です。
 私たちは風の始まる場所、終わる場所を知ることはおろか、目にすることも出来ません。人間が作った常識の中で生活しています。
 神の常識に与かるためには、すべてを委ねることしかできない。そのような私たちは、キリストに「霊をください」ということしかできない存在です。霊を自ら作り出すことは出来ません。父なる神の存在によって悔い改め、キリストによって赦され、聖霊の働きによって新たな人間として生きることが赦されているのです。父なる神、キリスト、聖霊、いずれか一つが欠けても、新たな命に生きることは出来ません。このことをおぼえて、聖霊降臨節(三位一体節)を過してまいりましょう。
  シオン教会牧師 室原康志

新総会議長あいさつ 東京池袋教会牧師 立山忠浩

 まったく予想していないことでした。きっと先代の議長たちも同じ思いの中で、総会議長の任を背負うことになられたのでしょう。皆さまのご期待にどれほど応えられるか甚だ自信はありませんが、新常議員の方々と力を合わせながらご奉仕させていただこうと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
 早速元議長を初め、数人の先輩牧師から励ましのお葉書やメールを戴きました。「どこへに向かうのか旗印を鮮明にして欲しい」、「ルーテル教会らしい教会へ導いて欲しい」などでした。他にも私の耳に届いていない沢山の期待があることでしょう。
 総会でも、フロアーからいくつもの貴重な意見や要望が出されたことも記憶に新しいことです。ただ、期待の大きさの前に、ルーテル教会の現状が厳しい状況にあることも認識したことでした。宣教の使命を果たすために、まず宣教できる態勢を整えること。派手なことはできませんが、地道に、誠実に取り組んで行きたいと思います。

牧師の声

みことばを宣べ伝える~「心の休憩室」  3分間の電話メッセージを通して
帯広教会・池田教会・釧路教会 加納寛之
 
Q 「心の休憩室」とは何ですか?
A 電話自動応答機能で、0155-25-4695にかけると牧師が録音した3分間メッセージを聞くことができます。更新は毎週月曜日で、24時間いつでも、どこからで大丈夫というのが特徴です。

Q 始められた経緯を教えてください。
A1991年に「国内伝道準備金」の支援を受けて始まりました。中島牧師、古財牧師、加納と20年続けています。十勝には20市町村ありますが、教会があるのは数市町村です。福音に身近に触れる機会を用意することが教会の使命との思いから始まりました。機材購入やちらし配布、電話帳に広告掲載もしました。当初は信徒の証しなどの計画もありましたが、メッセージの統一性なども考えて、歴代の牧師がその働きを引き継いでいます。

Q 年間で何名が聞いていますか?
A 平均で千回ほどですので、毎週20名ほどでしょうか。キリスト教に興味があって聖書の言葉に触れたい方が聞き、 相談の電話があることもあります。また教会員で入院や自宅療養中の方だったり、他教会の方が聞かれることもあり、伝道と牧会を担ってくれています。

Q インターネットが普及する中でも「電話」にこだわっているようですが。A パソコンや携帯電話でWebページを簡単に見られる時代ですが、高齢の方や入院中の方にとって電話の操作は使い慣れているもので、簡単に利用できます。また目の見えない方にとって音声は大事だと考え 、あえて電話サービスを続けています。どんな方に福音を伝えたいかを考えながら内容も方法も用意することは大切なことだと思っています。

Q 課題はありますか?
A テレフォンメッセージは教会への入り口の働きです。「心の休憩室」は長く聞いているけれども、教会、礼拝につながらないこともあります。もう一つのきっかけが必要なのでしょう。それと牧師自身のスキルアップも必要です。内容や話し方、3分という時間を有効に使えるように訓練や自己点検が必要だと感じています。
 近年、複数回線を割引で利用できることや留守番電話があれば、手軽に同じような働きができるようになりました。教会で始めてみてはいかがですか?

信徒の声

日系ルーテル・サンパウロ教会を訪ねて(続)
藤が丘教会 間瀬園恵

 二週間のサンパウロ滞在中、カトリックの聖堂をいくつも訪ね歩きました。ご聖堂にはいつも熱心に祈る人の姿がありました。そして、60歳以上の私たち高齢者にはうれしい、無料のバスや地下鉄に乗って、動物園や毒蛇研究所、美術館やショッピングモールを訪ねました。日本人の移民が初めて上陸したというサントス港と、そこにある有名なブラジルコーヒー博物館も訪ねました。お別れの最後の晩は、教会役員の皆さんのご接待で、美味しい焼肉をたくさんご馳走になりました。その帰りには、お一人の役員さんのご自宅マンションでお茶をいただき、名残を惜しんでいただきました。

 その役員さんは、今年(2011年)『るうてる』9月号の「信徒の声」欄に寄稿されている須田清子さん(写真右から2人目)でした。須田さんは元看護師長さんで、今年80歳になられますが、とても気はお若くて、「なんでもやってみなければわからない」という前向きな生き方をされてきたお方のようです。そういう生き方を続けておられる役員さんたちに後押しされて、徳弘牧師夫妻は日々生き生きと、神さまの愛を実感されながら、ご用に励んでおられました。

 須田さんをはじめ、サンパウロ・ルーテル教会の皆さんは、2015年、宣教50周年を迎える年までに「次世代に継承する教会形成ができるように」と祈りを熱くしておられます。もう一世紀以上も前のことになりましょうか、アメリカ、ドイツ、フィンランド等のルーテル教会から支援の祈りをいただき、40年程前に自立した私たち日本のルーテル教会を思うとき、今ブラジルのルーテル教会の自立に向けて、日本からもその祈りを共にしたいと思います。また宣教50周年の年に向けて、できれば私たち日本のルーテル教会が応援に出かけるような計画を立ててもらえないものかと願っています。(完)

永遠性の象徴

小鹿教会 寺澤節雄 静岡大学名誉教授(美術教育学)

 …こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが、信仰によって義とされるためです(ガラテヤ書、3・24)。 使徒パウロがこのように告げるガラテヤの信徒への手紙は、原罪と律法の乖離、福音による乖離の超越を告げるものです。その理念を模式しうるような図を示してみたいと思います。
図1は、一枚の紙の表裏に第3の面を得るため、別の一枚を垂直に加えようとするものです。図2は、この三つの面をつなぐため線でなぞっています。図3は、線では形にならないので、線を面に変えて帯状に作図しています。図4はこの帯を切り取って、オブジェ風に置いたところです。それは表裏がひと続きになるメビウス・リンクになっているのです。メビュウス・リンクは、一本のテープを一捻りしてつなぐだけでも出ますが、1、2図によってその潜在的な構造が明らかになります。
すなわち、表裏の乖離は第三の面の介入によって解決され、その結果は無限循環となり、それは永遠性の象徴とも言える形になります。
(次号に続く)

バッハのカンタータを聴くc

「あなたがたは私の名に」  カンタータ87(BWV 87)

  一七二三年初夏にライプツィヒのトマス教会のカントールに就任したバッハは一七五〇年に死ぬまでその職に留まった。特に初期には教会暦に応じた礼拝のための五年分のカンタータを作曲したと言われている。当時いろいろ存在していたカンタータ詩人たちの歌詞を用いた作曲だった。一七二五年の復活後第四主日からの九主日には続けて、マリアーネ・フォン・ツィーグラーという、啓蒙思想の女流詩人の詩集からカンタータを連作した。当時出版されたその詩集とバッハが作曲したカンタータ歌詞を比べると、面白いことに気づく。人間の価値や能力をなにほどか認めたい啓蒙思想の傾向を反映した原詩を、多分バッハ自身がルター派正統主義の信仰的立場から訂正したうえで、作曲しているのである。その詩集の復刻版も手に入るから、バッハの歌詞と比べて比較することができる。バッハは人間の罪と無力、神の救いの恵みを強調するのである。
 このカンタータ八七は復活後第五主日(ドイツでは今でも「ロガーテ、あなたたちは祈れ」の主日と呼ばれる)の礼拝のために用意されたもので、詩人の詩もその主日の福音書であるヨハネ一六章(23-30)に拠っている。原詩は、神のことばは「律法」と断じ、それに従わない人間に「祈っていないではないか」と告発調で迫ってくるから、なんとか祈るよう努めなくては、という流れである。
 バッハはこの歌詞を、神のことばは「律法と福音」と訂正するところから出発し、それに応じてカンタータをはっきり「律法と福音」の二つの部分に分けた。そのため原詩にはない第四曲の歌詞を恐らく自ら書いて、悔い改めて、神の慰めを求める祈りとした。 こうしてヨハネ一六章(33)をバスがイエスのことばとして歌う第五曲が原詩とは違う、キリストの勝利がもたらす慰めと救いの調子を強く帯びてくる。第六曲のテナーの歌うアリアは「イエスこそが助けを与えてくださる」という福音への信頼の歌となる。
 終曲のコラールは「私は憂いに沈まねばならないのか。イエスが私を愛してくださるから、すべての痛みは私にとって蜜より甘い」と歌い出す。バッハがその説教集を所有して、愛読していたハインリヒ・ミュラーの歌詞である。メロディーはこれまたバッハが愛した「イエスよ、わが喜び」(教会讃美歌三二二)である。ツィーグラーの原詩を借りて、バッハが自らのルター的な信仰を歌ったカンタータに仕上がっている。

   

人間成長とカウンセリング研究所(PGC)30年間の歴史

 所長 ジェームス・サック

 2012年4月28日にPGC創立30周年記念式典を行いました。素晴らしいお天気に恵まれ、PGCの関係者(170人位)は午前中にルーテル学院大学のチャペルで記念式典 、 午後はPGCがいつも使っていたブラウン・ホールでのレセプションに参加しました。午前中のプログラムは主に「PGCの30年をふりかえって」のシンポジウムでした。シンポジストはPGC創立者ケネス・デール、元運営委員長清重尚弘、元運営委員前田ケイと現所長ジェームス・サック各先生でした。
 PGCは教育、臨床(カウンセリング)そして研究の領域を持ったプログラムを実施することを目的としてきました。今までの活動をこれからもこのまま続けたいのですが、いくつかの状況の変化が生じたことにより、昨秋から運営委員会で度々検討してまいりました。その結果、本当に残念ではありますが、諸般の事情によりこの度7月31日をもってPGCを閉所することになりました。
 30年の内ケネス・デール先生が創立以来14年間所長を努め、その後の16年間をジェームス・サック先生が継承しました。3、200人以上がカウンセリングコース(基礎 I 期)を修了し、その後大勢がカウンセラートレーニングコース、継続教育、学習プログラム(サイコドラマ、TA、家族、箱庭、パストラル・ケア各研究会)など様々な教育プログラムにも参加しました。30年間には2000人以上のクライエントがPGCでカウンセリングを受けました。1997年には愛する人を亡くした人を対象とした研究および臨床サービスが始まり、これは大人と子ども向けのプログラムでした。また公開講座は132回の講演を主催しました。

 沢山の方々に大きな “Thank You” を言わなければなりません。数えきれない人数のボランティアがいろいろな形でPGCを手伝ってくださいました。そのお陰でPGCは30年間教会と社会の癒しの場になりました。PGCの理念を継承した新たな将来計画が神学校と共に検討されていますが、今まで30年間PGCを祈り、支えてくださった多くのみなさま、どうも有り難うございました!

高齢者伝道ブックレット 宣教室より発刊

 この度、高齢者伝道ブックレット「人生六合目からの歩み~ルーテル教会の応援ノート」が宣教室より発行されました。
 PM21のP2(信徒部門)委員会では、急激に進む高齢化社会の中に生きる教会として今、私達が取り組むべき課題をこれまで様々な側面から検討してきました。一昨年実行したアンケートを通して全国の教会からも高齢者伝道への実際の取り組みのご紹介や貴重なご意見を寄せていただきました。皆様のご協力に感謝いたします。
 それらのアンケート内容の分析とケーススタディ、さらに福祉や医療・介護の専門家からの具体的な提言、そして老いや死、病に関する聖書からのメッセージをまとめて、この度高齢者伝道ブックレット「人生六合目からの歩み~ルーテル教会応援ノート」を作成しました。
 この本はLAOS講座の別冊となっています。LAOS講座全9巻は、教会に連なる信徒の働きを再発見し、それを励まし強めることを願って刊行されました。これまで多くの教会でLAOSのテキストを基に、学びや実践への取り組みが続けられてきました。るうてる紙上でもその声のいくつかは紹介されました。沢山の兄弟姉妹が学びや話し合いを通して宣教への意欲を新たに起こされたと思います。
LAOS講座に連なるこの新しい一冊も、これまでと同じように各教会で有効に用いられて、新たな学びと実践の踏み台となることを願っています。是非大いに活用してください。また、各教会独自の活動内容や資料、また情報(役に立つ新聞の切り抜きなど)なども集めて追加資料として保管するなど新たな展開も期待しています。
P2委員会もこのテキスト発行を機に与えられた役割をひとまず終えます。これまで全国の教会の兄弟姉妹からお祈りとお支えを頂きました。心から感謝いたします。教会の宣教の働きがこれからも神様の豊かな導きの中に前進することを願っています。
PM21 P2委員会一同 (委員長  齋藤末理子)

訃報

 
引退教師で故林宏牧師夫人、哲子姉(享年82歳)が5月11日に召天されました。前夜式、葬儀は、去る5月14日・15日、ルーテル小城教会で行われました。 

引退教師で脳梗塞のため、入院治療中の古財克成先生(享年80才)が、5月13日午後3時33分に召天されました。前夜式、葬儀は、去る5月15日・16日、ルーテル東京教会で行われました。

一刻も早く原発を止めて、新しい生き方を!

日本福音ルーテル教会としての「原発」をめぐる声明

いのちと環境をめぐっての基礎的な理解

 キリスト教会は、聖書の証しにしたがって、天地万物は神さまの創造によるものであることを信じ、そう告白してきました。そのことは、この世界は神さまの主権のもとにあることを意味します。大地は主のものと謳い継がれてきました。「地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものは、主のもの」(詩編24編1節)。
 ですから、その被造物であるわたしたちは、この世界を神さまからの恵みの賜物として受け取り、「神を愛し、讃美し、感謝をささげ」るように期待されています。しかしながら、与えられたものをあたかも自分のものとして所有したり、恣意的に破壊したりすることは許されないのです(ルター『大教理問答書』使徒信条第一条の解説を参照)。
 それだけではなく、わたしたち人間はとくに、この被造世界の管理を託されています。それを創造の目的にそうように適切に管理し、その本来の趣旨に適うように用い、発展させ、神さまが喜ばれる世界の継続的な創造に参与する務めが与えられています。それは大きな光栄であり、同時に重い責任です。
 聖書には、最初の人をエデンの園に住まわせ、「人がそこを耕し、守るようにされた」(創世記2章15節)と記されています。「耕す」ことは、自然に働きかけることです。荒野を開墾し、治山治水を行い、集落を作り都市を築きます。採集によってではなく、農耕を営み、さらには工業はじめもろもろの産業を興します。人間の文明を創り上げることは、人間に安全と生活の便利さ、快適さを保証することでした。自然が征服されていくかのように思ったものでした。しかし、わたしたちは20世紀後半になって、人間が築き上げた文明なるものが、むしろいのちを脅かし、いのちが生きる環境を破壊してきていることに、遅まきながら気づいてきたのです。
 わたしたちは聖書において神さまが人間に「耕す」ことと同時に、「守る」ことをも使命として託されていることの意味を改めて深く受け止めます。「守る」ことは、いのちとそれが生きる環境とを尊び、慈しみ、保持存続させるためのすべての営みを含みます。環境保護は言うに及びませんが、有限な資源を用いながら、しかも強いものだけが生き残ったり繁栄を謳歌したりするのではなく、すべての人類と生態系が共存しつつ、安全に安心して生きていけるような世界を作り上げていかなければならないのです。そのためには、多資源多生産多消費のライフスタイルは改めなければなりません。競争原理に貫かれた、弱肉強食の社会を作るのではなく、あのイザヤ書のメシヤが来られた暁に実現する世界のように(イザヤ11章)、弱いものも強いものもさまざまな特徴をもつものがみな平和に共存する、共生原理が貫徹した世界を実現するために労することが求められています。人間だけではなく、自然との共生も目指さなければなりません。そのような社会、そのような世界を目指すことがあの「守る」ことなのです。一部の(それが多数であっても)人びとの豊かさや便利で快適な生活を生み出すために他の人びとが犠牲にされたり、生活や自然が搾取されることはあってはならないのです。たえず社会的に弱い立場の人たちと連帯することは、隣人愛をもっとも大切な戒めとして教えられているキリスト者にとっては当然なすべきことです。
 また、この正しく「耕し、守る」務めが創造主である神さまから人間に与えられていることを知らされているのは教会です。ですから、キリスト教会はその務めに率先して取り組まなければなりませんし、人間全体に課せられている務めだということを広く社会に訴える責任もあります。教会がいのちとそれが生きる環境を与えてくださった神さまに感謝し賛美を捧げることは、そのいのちと環境とを守ることと切り離すことはできないのです。

原発の大事故と今後についての見解

 2011年3月11日に福島で起こった原発の大惨事をきっかけに、わたしたちは原発が人間のいのちへの途方もない脅威であり、いのちと両立しえない存在であることを深く認識しました。さらに社会的に弱い立場の人が犠牲になっていること、また後世の人々に大きな負担を負わせることは許されません。それらの人々と連帯し、神によって創造され、贖われ、生かされている現在と将来のいのちとそれが生きる場であるこの世界、地球環境とを守るために、たとえそれによって享受される快適で便利な生活と経済的繁栄を今のレベルでは維持できなくなるとしても、一刻も早く原発を廃止しなければならないと考えます。この認識に至るのが遅かったことを認めます。
 脱原発を主張する以上、一方ではエネルギーの消費を低くする質素で、環境に配慮し、自然と共生するライフスタイルを身につけ、他方では社会の英知と科学技術と資本とを結集して新エネルギー、代替エネルギー、再生可能なエネルギーの開発・導入・普及をさせなければなりません。それは経済や生活の快適さ・利便性の問題ではなく、神の前で隣人とともに生きる際に必要な、正義と公平を求める倫理の問題だと信仰によって認めるからです。
 日本福音ルーテル教会は神によって創造され、贖われ、生かされている現在と将来のいのちを次の世代につないでいくためにも、「一刻も早く日本にある原発が廃止されること」を第25期総会期の総会声明として社会と教会に呼びかけます。
 この呼びかけを手始めとして、日本福音ルーテル教会の各教会・教区・全体教会レベルで「原発の安全性に関わる問題性」、「放射能被曝に関わる問題性」、「放射能廃棄物処理の問題性」、「核兵器廃絶との関係」、「世界のエネルギー政策とそれに関わる生活様式について」、「環境問題」等に関しての学びを含めての取り組みを開始していきます。

2012年5月4日 日本福音ルーテル教会

第25回定期総会報告

 2012年5月2日(水)から4日(金)まで、宣教百年記念東京会堂にて日本福音ルーテル教会第25回定期総会がおこなわれました。6月には各個教会へ総会議事録が配布される予定です。
 今回の総会は憲法規則改正などの案件がなく、報告に重点を置き「第24総会期各報告」「東日本大震災救援対策報告」「ブラジル伝道報告」を中心におこなわれました。
 「震災報告」では、青田本部長よりこれまでの経緯、支援金会計についての説明がなされました。また、救援活動の現場で働く野口勝彦派遣JLER牧師、佐藤文敬専従スタッフから現在の支援とこれからの計画をお聞きすることができました。これから2年にわたる支援活動を支えていくことを確認しました。
 「ブラジル伝道報告」では、徳弘浩隆宣教師から画像を用いてこの4年間の歩みをお聞きすることができました。2つの教会の合同、教会移転、自給にむかっての取り組みなど、私たちの宣教にとってチャレンジでした。出席者は報告を聞きながら喜びあふれるひと時を過ごしました。
 また、「第6次総合方策」の策定がなされました。キリスト教界の全体的な長期低迷や、未曽有の経済危機を受けつつ、本来のあるべき教会の宣教の方向性を定める方策が求められていました。一つの教会としての宣教の使命に生きる日本福音ルーテル教会が改めて共通の宣教の目標を相互に確認し、将来に向けての確かなる方向性を見出すために提案され、承認されました。
 信仰と職制委員会の答申をうけ「原子力発電に関する見解」を第24期常議員会は提案を行いました。議場では文言の修正などをおこない、これを声明文として承認いたしました。
 会計決算、予算についても、会計・財務担当常議員よりパワーポイントを用いて詳しく説明がありよりよい理解と共に承認されました。
 第25期常議員には、総会議長・立山忠浩、総会副議長・青田勇、総会書記・事務局長・白川道生、会計・森下博司、財務担当信徒常議員・豊島義敬、信徒常議員(女性)・小林恵理香 各教区長、各教区選出信徒常議員が選ばれました。
 (事務局長 立野泰博)

12-06-02JLER月報2012年6月号−8号

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12-05-31誰の常識ですか

あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。
ヨハネによる福音書3章7〜9節

「どうして、そんなことがありえましょうか」
この言葉は、イエスの導きに対して自らの常識にとらわれてしまい、イエスの言葉を受け入れることが困難になっているニコデモの答えです。
私たちの日常生活に於いて、慣習・慣例と言われるものが多く存在しています。それらが浸透してきた背景には、長い年月によって「合理的」と考えたり「問題がない」として、安心感を得るためであったと言えます。しかし、この安心感は、私たち人間の都合によって考えている事ですので、人間を中心とした考えにしかなりません。
この人間を中心として考えられてきた慣習・慣例は、「常識」という枠によって考えられてきたことでもあります。私たちが考える常識とは、自分自身の経験と、共同体の中での共通理解されている部分でもあります。

ファリサイ派に属し、議員であるニコデモが、イエスのもとを訪ねます。彼自身、ファリサイ派に属しながらも、イエスの行なうしるしによってキリスト信仰の芽が出始めたのです。しかし、ファリサイ派に属しユダヤ人の議員でもあったので、同僚に「裏切り者」と見られることを恐れ、夜訪ねます。他の人に会いたくない、見られたくない、しかしイエスに会って話してみたい感情に包まれているニコデモの姿を見ることが出来ます。

「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」イエスのこの言葉にある「新たに」には、”上から”という意味もあります。即ち、新たに生まれるには自らの力によるのではなく、上からの力、父なる神からの導きによっての生活を始めることと言えます。ニコデモは、イエスの言葉に対し「どうして」と、反論とも取れる答えをしています。ここに、ニコデモが今まで築いてきた人間的常識を重要視している姿があるのです。イエスに対し「神のもとから来られた」「神が共におられる」といいながらも、神の御力、神からの恵みを人間の常識の中で捉えようと必死になっている姿です。

このニコデモの姿は、私たちの姿そのものであるのではないでしょうか。礼拝に於いて御言を聴き、聖書の学び等でキリストの教えを深く悟ろうとしながらも、日常生活に当てはめて考え、理解しようとしている部分が多くあるということです。日々多くの事柄に関わりながら生活している私たちは、生活の術というものが人間の快適性を求め続けて成り立っているということを忘れ、当たり前の慣習として受け止めています。人間の快適性を中心にした生活に、自分たちの習慣に、神の存在をあてはめようとしている姿があるのです。

「新たにうまれる」ことは、人間中心としての常識を一旦降ろして、神を中心とした生き方をはじめるということです。そのとき、神の常識は私たちの目には非常識に見えていたことに気付くのです。ニコデモは自分の常識(人間の常識)を降ろすことができずに、どうしても「新たに水と霊によって生まれる」ことを受け止められないのです。

ニコデモの姿は、信仰に導かれている私たちの姿といえます。そして今、教会を尋ねてくる一人ひとりの求道者たちの姿でもあります。キリストの愛に気付き、周囲を気にしながらも確かなものを求めて教会に足を向ける。そして御言を聴きながら自分の造り上げた常識を壊しつつ、神の常識に与かれるようもがいている姿です。

私たちは風の始まる場所、終わる場所を知ることはおろか、目にすることも出来ません。人間が作った常識の中で生活しています。

神の常識に与かるためには、すべてを委ねることしかできない。そのような私たちは、キリストに「霊をください」ということしかできない存在です。霊を自ら作り出すことは出来ません。父なる神の存在によって悔い改め、キリストによって赦され、聖霊の働きによって新たな人間として生きることが赦されているのです。父なる神、キリスト、聖霊、いずれか一つが欠けても、新たな命に生きることは出来ません。このことをおぼえて、聖霊降臨節(三位一体節)を過してまいりましょう。

シオン教会牧師 室原康志

12-05-11るうてる2012年5月号

説教「幸せの方程式」

機関紙PDF

『祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている霊について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、霊がまだ降っていなかったからである。』
(ヨハネによる福音書7章37~39節)

 主の聖霊降臨を、心よりお喜び申し上げます。

 『見ているだけで/何も描けずに/一日が終わった/そういう日と/大きな事をやりとげた日と/同じ価値を見いだせる/心になりたい』
 これは星野富弘さんの作品です。どのような状況にあっても、すべてが神様の祝福として、また恵みとして受け止めたいという星野さんの信仰が伝わって来ます。

 ペンテコステ(聖霊降臨)を境に、イエスの弟子たちは、雨が降っても風が吹いても、すべてが神様の祝福として、同じ価値を見出せる心を持って歩み始めました。
 このペンテコステについては、使徒言行録の二章で、一同が集まっているとき、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、炎のような舌が分かれ分かれに現れて、一人ひとりの上に留まった。そのときみんなは聖霊に満たされ、異なるさまざまの言語を持つ人々の言葉の壁を越え、意志疎通が出来たと記されています。その霊というのが、本日の聖書の「イエスを信じる人々が受けようとしている『霊』」のことであり、思想、民族を越えてイエスを信じる者から、「生きた水が川となって流れ出る」と言われることなのです。
 ところで、イエスが、「……その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」という言葉を発した背景ですが、聖書には、祭の終わりの日とあります。この祭とは、仮庵祭と呼ばれるイスラエルの三大祭のひとつで、ぶどう、いちじくなどの秋の収穫を感謝する祭りです。またイスラエルの暦では、年末に当たり、新しい年も豊かな年であることを祈るもので、間もなくやって来る雨季に際して雨が多くもたらされることを祈願したのでした。ゼカリヤ書一四章一六~一七節には、仮庵祭を祝うのに、エルサレムに上って来ない者には、雨が与えられないとまで言われています。ですから、仮庵祭は、ユダヤ人にとって水をもたらす特別の意味を持っていたのです。
 かつて、モーセに率いられたイスラエルの民が、「なぜ、我々をエジプトから導き出したのか。わたしも子供たちも、渇きで殺すためではないのか」と、モーセに迫った時、主の示されたホレブの岩を杖で打つと、そこから水が出てイスラエルの民は救われたことがありました。以来、イスラエルの民にとっての水は、まさに主から与えられたものであり、どのような状況に置かれても主は導き、命である水を与えられるという確かさとなりました。その彼らに、今、イエスは、「生きた水」、それもただの「水」ではなく、あえて「生きた水」が流れると言われるのです。
 また、イエスがサマリアの町に来られた時のことです。丁度昼時で、イエスは旅に疲れ、ヤコブの井戸のそばに座っていました。そこに水を汲みにサマリアの女が来ました。喉が渇いていたイエスは彼女に水を一杯飲ませて欲しいと願ったことがありました。そして、ヤコブの井戸の水を飲む者はだれでもまた渇くが、イエスご自身が与える水を飲む者は決して渇くことはなく、「その人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と言われました。イエスが、「生きた水」と言われるのは、それはとりもなおさず、「永遠の命にいたる水」なのです。
 そして、ここで大切なのは、「生きた水」と「信じる」が、一つになっているということです。イエスを信じることをとおしてのみ生きた水が私たちに与えられるということです。水は絶え間なく流れていなければ澱んできますし、腐ってしまうことになります。しかし、イエスを信じるということと結びついて初めて「生きた水」となるのです。イエスが共にいてくださることによって、「生きた水」となるのです。
 人はしばしば、幸せになる人生の方程式があればと願います。もしそうならば、どのような状況に置かれても、その方程式どおりにすれば、幸せになれるはずです。星野富弘さんの冒頭の詩のように、自分が受け入れ難い季節を迎えても、それは神様がそなえて下さったこととして、受け入れ、すべてを神さまに任せる、これが幸せの方程式と言えましょう。弟子たちがすべてを信じ、すべてを委ねて歩み始めたのが、ペンテコステ(聖霊降臨)です。この日、イエスの弟子たちに、「聖霊」が与えられたのです。そして、新たに聖霊をとおして、「生きた水」が流れ出るようになったのです。ご一緒に、聖霊の導きを覚えつつ感謝をもって、過ごしてまいりましょう。
   蒲田教会牧師 渡邉純幸

宗教改革五〇〇周年に向けて
 ルターの意義を
   改めて考える(2)

 一三世紀に頂点を迎えてヨーロッパ文化は、一四世紀以降、混乱の度を加えるようになった。教皇が二人、そのうちに三人も並び立って争い合ったり、教皇庁がフランス領に近いアヴィニョンに移転して、フランスに支配されることになったり、一五世紀半ばにビザンティン帝国を滅ぼしたトルコが、ヨーロッパに矛先を向けるようにもなっていた。一言で言えば、中世後期は「危機の時代」であった。
 その危機の時代に生まれ、生きたのがルターであった。不幸なことに、ルター自身も魂の危機に直面していた。「宗教改革」は、社会全体の危機とルターという一人の修道士の危機とが重なって起こった。
 ルターの魂は苦しんでいた。それは、どうしても「救いの確信」が得られない、という点にあった。その危機を解決すべく、ルターは悩みに悩んだ末に、父親の意向にも逆らって、修道院に飛び込んでしまった。落雷で死の恐怖を味わったルターには、そこしか逃れる場所はなかったのだ。
 「アウグスティヌス隠修修道会戒律厳守派」という托鉢で生計を立てていた修道会であった。
 ルター研究所 所長 鈴木 浩

牧師の声

「フェアトレードは世界とのわかちあい」
聖パウロ教会 松木 傑

 1967年、現在のナイジェリアでビアフラ内戦が起こり、飢餓に苦しむ子供たちの姿が世界に報道されました。当時、私は学生で小泉潤牧師が牧会する修学院教会に通っていました。同じ地球に住む私たち、「何かをすべきではないか」その思いが、私の生涯を貫き現在に至っています。すごく単純な人生です。
 1986年、日本キリスト教協議会の幹事として、国際協力の仕事を担当し、1991年、現在の聖パウロ教会に赴任いたしました。赴任して、ソマリアの飢餓の問題が起こり、国際協力NGO、「わかちあいプロジェクト」を設立、ケニアのカクマ難民キャンプとの関係が生まれ、多くの青年たちを、1月から6ケ月派遣いたしました。難民キャンプで求められた古着の支援も今年で20回を迎えています。
 21世紀の人類共通の課題は、環境問題と貧困問題です。南と北の国の広がる貧富の差は、同じ地球に住む私たちの緊急の課題です。インターネットは難民キャンプでも接続できます。情報が、世界の隅々に一瞬に配信されるなかで、努力しても貧しさから抜けられない南の国の人たちの苛立ちと絶望感は、テロに駆り立てる要因の一つでもあります。
 1992年、100年記念の事業として自己研修のプログラムが企画され、北米、ヨーロッパを訪ね、教会の国際協力の働きについて学びました。その訪問がきっかけで、フェアトレードラベル運動を日本に紹介することになり、現在では、イオン、無印など企業が参加するまでになっています。
 フェアトレードは、発展途上国の農民と労働者の自立を支えるための運動です。コーヒー、紅茶などの農産品の最低買入れ価格を保証し、約10%の奨励金を私たちが支払うことにより、自らの力で立ち上がることを支えています。
 皆さんの教会や家庭で、フェアトレード商品を使ってください。簡単なことのようですが、なかなか日本では広がりません。

日系ルーテルサンパウロ教会を訪ねて

藤が丘教会 間瀬園恵

 日曜日の礼拝後には、いつも昼食会が開かれていました。月に一回は持ち寄りの昼食会、あとの三回は牧師夫人の奮闘と会員さんのお手伝いで成り立っていました。寮の学生さんたちにも声がかけられ、ポルトガル語が飛び交い、笑い声の絶えない、賑やかな昼食会でした。

 月に一度、土曜日の夕刻には異業種多文化交流のシュラスコ(バーベキュー)会が開かれ、若い駐在員とその家族や日系人、留学生、寮生が交流し、情報交換をしていました。その時のこと、キリスト教には馴染みが無いという若い夫人が、「信者でもないのに声をかけていただいてうれしい」と教会の十字架を見上げておられました。
 日曜礼拝には、メディアに強い徳弘牧師の気遣いで、お年寄りには赤外線の無線ヘッドホーンが用意されていました。オルガンは金属音の強い借り物でしたが、高齢の信者さんの中から「ヤマハの新古品のオルガンが手に入ったから寄付します」という申し出があり、オルガニストも大喜びをしていました。日本の状況にも似て、サンパウロでも、会員数の減少と牧師の不足は深刻のようでした。牧師が病気療養中のために合流して礼拝を守っておられる同じルーテルの南米教会の方々もおられました。その中で、90歳になられるリーダー格の信徒さんは、杖に頼りながらも背筋をシャンと伸ばして、元気なお声で賛美歌を歌い、新しいこの教会に溶け込もうとしておられました。ご老人はヘッドホーンをつけ、「日本でもサンパウロの日本人教会のために祈り、応援している人がたくさんいますよ」という主人の挨拶の言葉に大きくうなずかれ、しっかりと握手をしてくださいました。日本からの宣教師派遣が打ち切られると知らされ、「見捨てられた」という淋しい思いに駆られていたご婦人も、多少は安堵されたご様子でした。
 隔週の午後におこなわれる、若い日系三、四世のためのポルトガル語による礼拝は、日系二世の佐藤清司ルイス牧師(ブラジル日系キリスト連盟の理事長)の協力を得て、小さい群れではありましたが、堅く守られていました。佐藤牧師は、「高齢化した教会の信徒の群れと教会離れをする若い信徒の小さい群れをどう繋ぎとめていくかが教会の大きな課題ですよ」と話してくださいました。
 礼拝堂は、時には日本語教室、時にはポルトガル教室、それから日系キリスト教連盟の合同賛美歌練習場になり、また時には賑やかなサンバの練習場にもなっていました。そして、そこにはいつも怠り無く準備をしてから笑顔で見守る牧師夫妻の姿がありました。(続く)

 

福音と美術

マティスにおける色彩の輝き
 小鹿教会 寺澤節雄  静岡大学名誉教授(美術教育学)

 私は、静岡大学の教育学部で美術の教育法を三十五年に渡って教えて来ました。退職してすでに五年になりますが、今も浜松の大学で非常勤講師として教えています。福音と美術とが、私のなかでどのように繋がっているかお話してみたいと思います。
 図はマティスの「コリンウールの窓」(一九〇五)という絵です。マティスはこの絵の激しい色彩表現によって、「フォービスム(野獣派)」と揶揄されましたが、それは彼の出世作となりました。
 それまでのマティスは、フランス北部ノール県の故郷の町で暗く沈んだ絵ばかり描いていて、誰からも評価されませんでした。光溢れる南仏コリンウールへの旅が彼の一大転機となったと言われていますが、彼は古き生に死に、新しき精神に生まれる体験をしたのだと思います。
 南仏の光は、彼自身の長き鬱屈を破り、精神の光となりました。光の要素は色彩です。彼は色彩の純粋な輝きの表現によって、精神の輝きを表現しようとしたのだと思います。
 精神という言葉ですが、キェルケゴールにとって精神という言葉は、特別な意味を持っています。彼は、人は精神として生まれない。自然的生に死ぬことによって、人は精神に生まれるのだと言うのです。そして、キェルケゴールにとって精神とは、キリスト・イエスが与える精神であり、聖霊に通じるものです。
 マティスにとって、精神の新たな足場は、物自体の固有色を相対化することによって獲得されたのだと言えます。これは福音が原罪を相対化するのに似ています。人は原罪的な存在様式から逃れることは出来ませんが、福音を知ることによって、その存在様式を相対化する新たな精神の足場を得ることが出来ると思うからです。そこに生の解放と創造性の喜びが生まれます。
 マティスは、古き衣を脱ぎ捨てるように、固有色を衝撃的な原色に置き換えました。しかし彼自身は終生穏やかな人で、自らの絵画を生きる喜びの表現だと言っています。〈続く〉

バッハのカンタータを聴く

 カンタータ4(BWV 4)
    「キリストは死の布に横たわった

私がバッハのカンタータを教会的に意識して初めて聴いたのは、神学校の最終学年、1956年の頃だったろうか。その頃は渋谷にあったアバコでの深津文雄牧師の解説によってだった。これはルーテル教会の神学生としてもっと学ぶべきことだと思って、「教会音楽研究会」を立ち上げた。当時の岸校長に相談、許可をいただいて森川事務長と交渉し、ヤマハの携帯型のLPプレイヤーとアルヒーブのLP何枚かを買っていただいたのが始まりだった。自分でもいつかはバッハ全曲のLPを買い揃えようと思ってはいたが、CD時代が来てそれは難なく実現した。晩年になって並行して始めた趣味の「バッハの神学的研究」は嵩じてかなりの専門的な蔵書をもつにまで至っている。
 その初めて聴いたカンタータは4番、「キリストは死の布に横たわった」だった。ルターの復活コラールの原詩七節(教会讃美歌九七はこれを四節と短くしているが)のみを歌詞とした、若い日、1714年以前のコラールカンタータである。コラールの各節の歌詞に応じて、コラールメロディーを変奏するというのはバッハ以前の北ドイツの巨匠たちの作風だが、若いバッハはこれを学んで、オルガン曲でコラールパルティータにも生かしたものがある。このカンタータでも基本メロディーを各節の歌詞に応じて七通りに変奏する形を取るから、歌詞の訳を手にこれを聴くとバッハの訴えようとする信仰のメッセージが聞こえてくるような気がする。
 カンタータはB=2、A=1、C=3、H=8を足して14に合わせて、バッハが署名したのだと言われる、14小節からなる序曲に当たるシンフォニアで始まる。私自身はそれ以上に、イエスの受難の14場面を想って祈りを重ねるという、中世以来の受難週の信心を表す14だと、理解している。イエスの受難と死である。
 コラールは死んで横たわるイエスから始まる。死のリアリティである。この死と戦ってキリストは復活し、死に勝利するのだ。それだけではない。我々にいのちをもたらし、死を空しくする。真のいのちの祝いが続く。
 7節のコラールであれば、その中心メッセージは、「死と戦い、これに勝利した」と歌う第四節にある。ルターの復活信仰、そして若いバッハの復活信仰の告白が聴こえてくる。我々もまたこれに「アーメン」をもって相和すのだ。教会讃美歌97を歌う歌声が変わるだろう。

式文改定について

式文委員会 平岡仁子

 2007年から始まった礼拝式文検討は宗教改革500年を記念する年、2017年の改定式文出版を目指し、現在進められています。 この検討作業に関わる委員会は日本福音ルーテル教会式文委員会と4つのルーテル諸教会(福音ルーテル ルーテル教団 近畿福音 陪席・西日本福音)参加によるルーテル共同式文検討委員会の二つです。 20世紀後半エキュメニカルな世界のキリスト教会に於ける礼拝刷新は3年周期の共通聖書日課の普及と、そして様々な国にある各々の教派における式文改定へと発展してゆきました。日本のルーテル教会もまた青式文における式文改定はその途上に於けるものであったと理解します。
 そしてその展開はその後更に進み、世界のルーテル教会においてもアメリカ、カナダ、ノルウェー、スウェーデン等々、礼拝式文のリニューアルを近年進めています。
 改訂共通聖書日課の使用、礼拝のOrdo(オーダー)の神学的理解、礼拝に於いて朗読される聖書、聖餐を伴う礼拝の頻度、会衆参加によるプロセスとしての洗礼式、共同的・教育的・信仰形成の生涯に渡る堅信理解、説教の典礼的背景の回復、困窮する世界のための祈り、大いなる3日間の典礼(聖木曜日・聖金曜日・復活徹夜祭)、参加する会衆、信徒奉仕者、文化との関わり他。私達がさらに検討すべき課題は多々あると考えられます。
 そして二つの委員会はこれら課題を分担し、具体的な作業を行っています。JELC式文委員会では、ルーテル教団の委員と共に、当初の計画通り2012年に主日の式文試案を提示できるよう努めています。 また合同委員会は主に聖書日課及び諸式について、継続し検討を行います。そして礼拝音楽については讃美歌委員会にご協力を求めつつ、今後検討を考えています。
 最後に、昨年の来日以来ゴードン・レイスロップ博士にアドヴァイザーとしてご協力を頂いていますことをアメリカ福音ルーテル教会に感謝申し上げます。

TNGティーンズ部門 

第19回 「春の全国ティーンズキャンプ」
小澤実紀

 
 3月27日から29日、奈良県の「国立曽爾青少年自然の家」にて、第19回春の全国ティーンズキャンプが開催されました。テーマは、�Tいのちってだれのもの?�Uで、全国から86名のティーンズが参加しました。キャンプの中では、邦題『私の中のあなた』という映画を題材にして、命についてグループディスカッションが重ねられました。「3・11」を経験した、今のこどもたちが、命と死について考える大切な時間になりました。全国の皆様のご支援、ご協力に感謝いたします。
 話し合いを経て、グループごとに発表された�T命パフォーマンス�Uは、参加者それぞれの考えが深められたことを感じ取れる内容でした。「いのちは自分のものだと思っていたけれど、キャンプに参加して、命は自分だけのものじゃないんだと分かった。命は神様からもらったものだと思う」と、感想を話してくれた参加者もいました。
 近年は、夏に開催されているTNGこどもキャンプの卒業生たちの中から、「次は春キャンで会おう」と、つながって参加する子がとても多いです。「神様に出会ってほしい。信仰の友に出会ってほしい」という大人たちの祈りの実も少しずつ実ってきているのではないでしょうか。各教会での働きとTNGのキャンプでの働きは決して別々のものではなく、互いに連鎖しているものだと参加者を見ていて強く感じます。彼らが日々、教会での交わりを持ちながら、全国の仲間たちと繋がりをもっている姿は、大人たちの想いを超えて、とてもたくましいものです。
 みんなから、�T春キャン�Uと呼ばれているこのティーンズキャンプは、来年20回目を迎えます。これまで、春キャンの企画・運営に多くの人々が関わってきました。その道は、決して平坦なものではなかったと思います。
 これまでの歩みを神様に感謝すると共に、これからも、こども・青少年伝道について、私たち教会員ひとりひとりが祈りに覚え、力を合わせていくことができますようにと願います。

足で伝道した人、「邦宏先生」を偲ぶ

賀来周一

いかに美しいことか。
山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。       
イザヤ書52章7節
 
 佐藤邦宏先生と我々同期は鷺宮時代の神学校を1958年に卒業した。入学以来の付き合いから数えると57年が経つ。青春時代の挫折を抱えながら、文士の街阿佐ヶ谷駅近辺を彷徨したことも懐かしい思い出となった。当時の卒業生は大抵の場合、開拓伝道か開拓に近い教会に送り出されるのが当たり前のようになっていた。
 彼が新婚早々の玲子夫人を連れて赴任したのは鹿児島教会だった。教会はまだ開拓の域を出ず、牧師館だけが敷地に建っていた。
 当時は伝道放送ルーテルアワーが盛んで、各地の教会は、送られてくる聴取者カードを手がかりに教勢の進展を図ったものである。彼もまた、これを伝道の手段として有効に使ったひとりだが、彼の場合は丁寧に一軒一軒足で訪ね歩いた。時には、鹿屋を越えて大隅半島の突端近くまで出向くこともあったと聞く。
 こうした地道な伝道は、やがて実を結び、会堂を建て、障がい者授産所ナオミホームや学生寮を建てるに及んだ。
 鹿児島から箱崎、市ヶ谷と各教会を牧会し、その間総会議長、NCC議長を歴任し、牧会を離れて日本聖書協会総主事に就任するが、基本的な姿勢は終生変わることはなかった。
 今年3月末、ある講演会場で年配の婦人に会った時のこと、「邦宏先生はお元気ですか」と尋ねられた。「あの方は熱心な方ですね。私は市ヶ谷教会の近くに住んでいましたが、毎週のように週報がポストに入っていました」と懐かしそうであった。「邦宏先生」という呼び名に私の気持ちは動いた。「佐藤先生」ではないのである。如何に彼が近隣に親しまれていたかを知る証を聞いた思いがした。
 「足で歩く」―これは、この時代が牧師に求める姿ではないか。車、ケイタイ、メールと便利にはなったが、「足で歩く」ことは牧師の基本である。「邦宏先生」は、この基本を私たちに残してくれたと思っている。
[2012年3月27日召天]

東日本大震災ルーテル教会救援派遣着任のご挨拶

野口勝彦

 九州教区二日市・福岡西両教会牧師より、4月1日付にて、東日本大震災ルーテル教会救援派遣牧師として、仙台教会に活動拠点を置くルーテル支援センターとなりびとでの働きを与えられました野口勝彦と申します。
 私が牧師としてはじめて主日礼拝での説教奉仕をさせていただいたのは二日市教会でした。
 その日、2005年3月20日 、10時53分40.秒、まさに、私が説教壇に上り、説教をはじめようとした瞬間、 地震空白域とされた福岡で、最大震度6弱の福岡県西方沖地震が発生しました。
 それから七年を経過した今、昨年、3月11日に発生した未曾有の大災害である東日本大震災の被災地の支援活動に派遣されたことは、私にとっての新たな召命だと感じています。
 先日、仮設住宅での支援活動の一つである「お茶っこサロン」に参加された高齢者の方を玄関でお見送りすると、何人もの方から「今度はいつ来るの」と声をかけられました。
 仮設住宅では、一日、何もすることなく、お隣や家族に気を使いながら、身を縮めて毎日を過ごされている高齢者の方が少なくありません。
そのような方にとって「お茶っこサロン」は、同年代の方々と気兼ねなく過ごすことができる楽しみの場となっています。
 被災地の復興はまさにこれからです。皆様のお祈りとご支援を心からお願いいたします。

住所変更のお知らせ

■白髭 義先生(3月末引退)
住所:〒818-0058 福岡県筑紫野市湯町2‐12‐5 日本福音ルーテル二日市教会
電話・FAX共用:092‐922‐2491

■野口 勝彦先生(JLER派遣)
住所:〒980-0011 仙台市青葉区上杉1‐7‐7 上杉ハイツ802号室

■荒尾教会(兼牧のため、教会併設のシオン園の電話番号に変更)
電話番号:0968‐62‐0428

 また、4月1日から熊本市が政令指定都市となり、熊本市○○区のように住所が一部変更されますのでご注意ください。

12-05-02JLER月報2012年5月号−7号

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12-05-01幸せの方程式

『祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている〝霊〟について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、〝霊〟がまだ降っていなかったからである。』
(ヨハネによる福音書7章37~39節)

主の聖霊降臨を、心よりお喜び申し上げます。

『見ているだけで/何も描けずに/一日が終わった/そういう日と/大きな事をやりとげた日と/同じ価値を見いだせる/心になりたい』
これは星野富弘さんの作品です。どのような状況にあっても、すべてが神様の祝福として、また恵みとして受け止めたいという星野さんの信仰が伝わって来ます。

ペンテコステ(聖霊降臨)を境に、イエスの弟子たちは、雨が降っても風が吹いても、すべてが神様の祝福として、同じ価値を見出せる心を持って歩み始めました。
このペンテコステについては、使徒言行録の二章で、一同が集まっているとき、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、炎のような舌が分かれ分かれに現れて、一人ひとりの上に留まった。そのときみんなは聖霊に満たされ、異なるさまざまの言語を持つ人々の言葉の壁を越え、意志疎通が出来たと記されています。その霊というのが、本日の聖書の「イエスを信じる人々が受けようとしている『霊』」のことであり、思想、民族を越えてイエスを信じる者から、「生きた水が川となって流れ出る」と言われることなのです。

ところで、イエスが、「……その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」という言葉を発した背景ですが、聖書には、祭の終わりの日とあります。この祭とは、仮庵祭と呼ばれるイスラエルの三大祭のひとつで、ぶどう、いちじくなどの秋の収穫を感謝する祭りです。またイスラエルの暦では、年末に当たり、新しい年も豊かな年であることを祈るもので、間もなくやって来る雨季に際して雨が多くもたらされることを祈願したのでした。ゼカリヤ書一四章一六~一七節には、仮庵祭を祝うのに、エルサレムに上って来ない者には、雨が与えられないとまで言われています。ですから、仮庵祭は、ユダヤ人にとって水をもたらす特別の意味を持っていたのです。
かつて、モーセに率いられたイスラエルの民が、「なぜ、我々をエジプトから導き出したのか。わたしも子供たちも、渇きで殺すためではないのか」と、モーセに迫った時、主の示されたホレブの岩を杖で打つと、そこから水が出てイスラエルの民は救われたことがありました。以来、イスラエルの民にとっての水は、まさに主から与えられたものであり、どのような状況に置かれても主は導き、命である水を与えられるという確かさとなりました。その彼らに、今、イエスは、「生きた水」、それもただの「水」ではなく、あえて「生きた水」が流れると言われるのです。
また、イエスがサマリアの町に来られた時のことです。丁度昼時で、イエスは旅に疲れ、ヤコブの井戸のそばに座っていました。そこに水を汲みにサマリアの女が来ました。喉が渇いていたイエスは彼女に水を一杯飲ませて欲しいと願ったことがありました。そして、ヤコブの井戸の水を飲む者はだれでもまた渇くが、イエスご自身が与える水を飲む者は決して渇くことはなく、「その人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と言われました。イエスが、「生きた水」と言われるのは、それはとりもなおさず、「永遠の命にいたる水」なのです。
そして、ここで大切なのは、「生きた水」と「信じる」が、一つになっているということです。イエスを信じることをとおしてのみ生きた水が私たちに与えられるということです。水は絶え間なく流れていなければ澱んできますし、腐ってしまうことになります。しかし、イエスを信じるということと結びついて初めて「生きた水」となるのです。イエスが共にいてくださることによって、「生きた水」となるのです。

人はしばしば、幸せになる人生の方程式があればと願います。もしそうならば、どのような状況に置かれても、その方程式どおりにすれば、幸せになれるはずです。星野富弘さんの冒頭の詩のように、自分が受け入れ難い季節を迎えても、それは神様がそなえて下さったこととして、受け入れ、すべてを神さまに任せる、これが幸せの方程式と言えましょう。弟子たちがすべてを信じ、すべてを委ねて歩み始めたのが、ペンテコステ(聖霊降臨)です。この日、イエスの弟子たちに、「聖霊」が与えられたのです。そして、新たに聖霊をとおして、「生きた水」が流れ出るようになったのです。ご一緒に、聖霊の導きを覚えつつ感謝をもって、過ごしてまいりましょう。
蒲田教会牧師           渡邉純幸

12-04-11るうてる2012年4月号

説教「新しくされたあなたに、おめでとう!」

機関紙PDF

兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。コリントの信徒への手紙一 15章1~5節

イースターおめでとうございます。こちらブラジルでは、イースター(復活祭)を、「パスコア(Pascoa)」と言います。チョコレート製の「オーボ・デ・パスコア(イースターエッグ)」がスーパーで鈴なりにぶら下げられて売られています。5cm位から30 cmのもので、割ると中にもチョコがたくさん入っていて、二重の喜びを味わうことができます。
 死んだ石ころのような冷たい殻を破って愛くるしいひよこが生まれ出てくるように、キリストの死の悲しみを蹴破り、新しい命が出てくることをお祝いします。
 ブラジルではカルナバルの大騒ぎが終わって、四旬節の慎ましい期間が始まります。お肉の売り上げが落ち、バカリャウ(鱈の塩漬けの干物)が積み上げられ売られます。この期間、お肉やお酒をいただかないで、日常を悔い改めるという方々にも出会います。街の通りでは、クワレズマ(ポルトガル語で「四旬節」の意)の並木が、みごとな紫色の花を咲かせます。神様も、この季節にこの色の花を咲かせ、心静かな悔い改めという準備を迫っておられます。
私達はどんな準備、どんな神様との対話を日々しているでしょうか?
 私はブラジルに遣わされて3年になります。今までと違った体験や祈りをさせられます。机の上の話し合いや書類、予算書だけではなくて、祈りながら体当たりをしなければ渡れない川辺に今まで以上に立たされるように思います。静かに考え、祈るようにさせられました。教会のことでも、人生でも、話し合いで結論を出すことや議論で勝つことではなくて、困難でも神様のみ心があるなら、取り組み、祈り、ひたすら待つことを教えらました。眠れないような不安や絶望の、もう一つ向こうで神様に出会うことができるように思います。新しい地で、新しいことに取り組み、自分に足りないことを教えてくださる神様に感謝します。

 困難に出会う時、自分の小ささを思い知らされます。しかし、そこでどう思うかで、結果は違います。「ああだめだ、いつもこうだ」とふさぎ込むか、信仰と希望を持って進むかです。ただ頑張ることは限界があります。絶望するけれど、安心するということが大切です。「キリストが私達のために十字架に掛かり、復活してくださったから」という聖書の言葉と、「あの時もそうだったから、今度も神様が動かしてくれるはず」という自分の神様との体験がそうさせてくれるのです。不思議な安心感です。その福音の言葉を私達は受け入れ、「生活のよりどころにする」ことが、道を切り開くのです。
 あなたは、どんな事柄を抱え、どんな祈りを持っていますか?
 今年の初めに、ブラジルの有名な「弓場農場」を訪ねました。もとはキリスト教中心の自給自足の農業共同生活を続けている、日系社会です。そこで、多くを感じました。
食料もほぼ自給自足で、家具やお茶碗なども作っています。私も、お茶碗やコーヒーカップを買い求めてきました。釜の隣の部屋の棚から、出来るだけ綺麗で、形や高さの整ったものを選びました。しかし、最後まで気になるカップがありました。棚の下にまとめておいてあった、曲がったカップたちです。私は最後にそれも一つ買ってきました。
毎朝、朝食でそのコーヒーカップを使うことにしました。朝の忙しいひとときですが、それでコーヒーを飲み、自分の足りなさや不完全さを思う時間になります。「神から見れば、罪人の私達は曲がった失敗作かも知れない。自分も弱いところ、曲がったところ、とがったところがある。でも赦され、生かされている。用いられている」と、食事をしながら瞑想できるのです。心の中で静かに祈って始める一日。そこに新しい一日、新しい自分の命があると思うのです。
 皆さんもそんな朝を始めませんか? 復活のキリストに出会い、新しいいのちに与る生活を始められるでしょう。神様からの多くの祝福を見ることができるでしょう。
 復活祭、おめでとうございます。そして、新しくされたあなたに、おめでとうございます。
ブラジル/サンパウロ教会  徳弘浩隆

宗教改革五〇〇周年に向けて(1)

 
 歴史には重い意味を持った年月日がある。
 一五一七年一〇月三一日もそうした日に当たる。ルターがヴィッテンベルクの城教会の扉に、通称『九五箇条の提題』を掲示した日だからである。そこから、いわゆる一六世紀宗教改革が始まった。
 二〇一七年と言えばほんの五年先だが、その年は「宗教改革五〇〇周年」の年に当たっている。それでは、ルーテル教会は、またカトリック教会はその日をどのように迎えようとしているのだろうか。
 結論を先取りして言えば、ルーテル世界連盟とヴァティカンは、その日を共同で記念する計画を立てている。一〇月三一日にはおそらく、『九五箇条』が貼り出された城教会で、両教会による合同の礼拝が行われるだろう。 日本福音ルーテル教会も五〇〇周年を記念するための準備委員会を立ち上げた。日本でもカトリック教会と合同の記念行事が行われることが期待されている。
 時代は変わったし、変わり続けている。だから、宗教改革とその中心人物ルターの意義が、この機会に改めて問われねばならない。この連載がその一助になればと思っている。
ルター研究所 所長  鈴木 浩

牧師の声

「希望」を証しする者として
乾  和雄
 こんにちは。神戸東教会の牧師とされた乾です。主が若き日に内海季秋先生との出会いを与えて下さり、神戸と東京の二つの神学校を経て、今このように、六五歳の私を福音宣教者として招き、召し出してくださったことを心から感謝したいのです。私たちのこの世での命は神さまからの預りものです。与えられたこの命を神さまに精一杯用いていただきたいのです。これからの宣教の場におきまして、主が豊かに用いてくださると信じております。
 一五二七年ヴィッテンベルクにもペストが大流行し、多くの人々が町を去ったにもかかわらずM・ルターは牧師として町に留まり続け、人々を慰め励ましました。主の召しの確信に堅く立ち、「この世と来るべき世での命を約束」(一テモテ四章八)してくださり、生きて働いておられる救い主イエスさまにのみ、まことの希望があることを、さらに多くの方々に、生き生きと証しをさせていただく者でありたいと、心から願っております。

「主が備えてくださる」

竹田大地 
主の御名を賛美いたします。
 「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。」という箴言の御ことばが神様の真理であると思います。私自身、本当に神様の計画の偉大さを感じずにはいられないからです。 神様から召しを受ける前は、「絶対に牧師にはならないと」息巻いていた私が、まんまと牧師になったわけですし、私のことを幼少の頃よりご存じの方々にとっては驚きに満たされていることであると思います。
 しかし、この私自身を神は立ててくださいました。本当に欠け多い私ですが、神への畏れと感謝を持ってこれから歩んでいきたいと思います。
 その一歩一歩を神様は、備えてくださっています。その大きな恵みを受けつつ歩める喜びに満たされていますし、そのことを信じて生きていきたいと思います。
 神様を頭として、そして、皆様と共に福音宣教に励んでいきましょう。どうぞよろしくお願いいたします。皆様の上に豊かな恵みがありますように。

日系ルーテル・サンパウロ教会を訪問して

間瀬園恵(藤が丘教会)

 大袋のだし昆布やバザー用の衣類を一杯に詰め込んだ大型トランク三個を引きながら、サンパウロの空港に到着したのは、京都のマンションを出てから36時間後のことでした。残暑の厳しい京都とは一変して、まだ肌寒い春先の空港には、長袖姿の徳弘牧師夫妻がにこやかに出迎えてくれていました。

 1965年に、初代宣教師の藤井牧師が設立された教会は取り壊されて、今はカトリック教会の駐車場の一角になっており、次の教会跡地も大きな商業複合ビル建設地に呑みこまれていました。現在の日系ルーテル・サンパウロ教会は東洋人街の突き当たりにあって、看護大学や予備校、商店や食堂の集まる、賑やかで明るい場所にありました。地下鉄駅にもバス停にも近くて便利で、おまけに、数分歩いた先の日伯文化協会にはブラジル日本移民史料館があり、一世、二世の方々のご苦労を写真や展示品を通して偲ぶことができました。さらに、その辺りには青森、新潟、広島、富山、佐賀等の県人会の建物があり、日系人の寄せる「故郷への思い」をつぶさに感じさせられました。その界隈には、驚いたことに、BSGI(ブラジル創価学会インターナショナル)の巨大なビルがあり、「学会長詣で」の大型バスがその前の道路を行き来していました。

 お目当てのルーテル教会は薄茶のレンガ調の二階家で、二階が牧師館、一階が学生寮として仕切られていました。自立教会を目指して、まずは運用資金の調達のためにと、中央に大理石の階段のある大きな古家を手に入れて大改造し、一五の個室を作って入寮生を集めたということです。安くて清潔だというので人気があり、向こう数ヶ月は予約満杯だということでした。しかし、経費の節約のためにガスではなく電気だけに頼っているのでシャワーの出が弱く、また、トイレに流す水も、水道水の節約のために雨水を溜めて流すという、並々ならぬ工夫がしてありました。サンパウロでは、驚いたことに、美術館でもホテルでも、トイレに紙が流せません。「ウォシュレット」のトイレというものは、並の生活では無縁のもの(超一流はわからないが)と聞かされて驚嘆しました。寮の学生さんたちは当番をきめて掃除をしていました。学生さんの相談相手と事務管理には、すぐ近所に住んでいる教会員のしっかり母さん、日系二世の君江さんが奉仕しておられました。

 建物の右側通路の奥に礼拝堂があり、そこに続く白い壁にはスペイン風に花器がかけられて、彩を添えていました。その入口の光採りの屋根は長く突き出ていて、その場所にイスとテーブルを並べては、礼拝後の昼食会や交流会をしていました。ちょうどバザーの前でもあったので、そこでバザー用品に値づけをし、そこをバザー用品の置き場に使っていました。毎年日本から送られてくる「北海道ルーテル昆布」は目玉商品であり、また日本からの古着も、すぐにほどけてしまって着づらくなるブラジルのものとは違うということで人気があり、日本の教会から送られてくるバザー用の、特に女性衣類は喜ばれていました。(続)

九州教区礼拝と音楽の学び  

九州教区では、毎年2月11日に「礼拝と音楽の学び」を行っています。もともと奏楽者講習会としてはじめられたプログラムでしたが、奏楽者だけでなく、ひろく牧師や会衆の方々にも参加していただけるように「礼拝と音楽の学び」として対象を広げて開催されてきたものです。この数年は、隔年でパイプオルガンとリードオルガンのそれぞれを用いた礼拝での賛美について、各地の教会をまわりながら学びを深めてきました。
 今年は、昨年パイプオルガンを新設した健軍教会での講習会に、教区各地から約60名が集まりました。午前中、前田貞一先生から「ルーテル その後、松波姉の指導で、ルターのコラールを学ぶワークショップが行われました。教会賛美歌に収められたルターの手によるコラールを10曲。こちらも賛美歌の楽譜にしばられるのではなく、会衆が賛美しやすいように自分も歌いながら、会衆をリードしていく、といった奏楽者の心構えについて。また、その賛美歌が作曲された背景や、ルターがその曲に託した想いなども伺いながら、奏楽者も会衆も、今までよりもっと賛美歌が好きになるような、恵まれたひとときを過ごして、会場を後にしたのでした。
九州教区伝道教育部長       小泉基

 林 宏牧師の思い出 

 定年教師  園田 剛

 1954年にルーテル神学校を卒業して牧師への道を踏み出したのは、林 宏 、南里卓志、河田 稔、折田良三、それに私の5名。すでに主の御許へ先立った南里君と河田君に続いて、今度は林牧師が去り、同窓仲間は折田君と私だけになりました。
 林牧師を「君」付けで呼ぶには抵抗があります。入学した当初、彼は2学年上に在学中で、故石居正巳先生など、畏れ多い先輩たちのクラスで、私より6歳も年長でした。だから親しみよりも実は「怖い」先輩。きわめて無愛想、強面、よれよれの服、ぼさぼさの髪の毛、泥まみれの破れ靴、そんな芳しくない印象だけが残る先輩でした。
 ところが、彼は神学校を中途で飛び出し、2年後に復学して私たちと一緒に卒業する「同窓仲間」になりました。学校を去った理由は、当時の神学校の権威主義への抵抗だったそうです。
 けれども、その後の牧会においては、厳しさよりもその内側に秘められた優しさと愛情を感じ取る人が多く、最初の赴任先だった甘木教会での3年間では、20名近い人たちが彼に深く影響され洗礼を受けています。やがて、皆に惜しまれつつ小城教会へ転任し、小城における前期の働きが始まりました。私もその頃隣接したかつての大町教会にいましたので、バイクを駆って何度か行き来し、小城での苦労話を聞かされる親交に恵まれました。
 やがて私も九州を離れて、海外留学や豊中教会の在任で、30年近く疎遠になっていました。そして再び身近に接する機会が出来たのは1990年に私が博多教会に赴任して、彼との親交が再開されました。昔のままの強面、無愛想、口の悪さなどは少しも衰えていませんでしたが、幼児教育に寄せる彼の情熱に触れ、内側から滲み出る幼い者への愛情を実感させられて感動した記憶があります。
 ついでに思い出すのは「電話魔」だった彼のこと。ある夜明け前の早朝に電話のベルにたたき起こされ、妻が受話器に出ると挨拶抜きにいきなり「剛はおるか」。妻は驚いて、てっきり私の叔父か親戚の者と勘違いしました。迷惑な電話はその後も何度かありましたが、「剛はおるか」と呼び捨てにしてくれる友人が去ってしまい、寂しさが身に迫る思いです。
 「林宏君、もうまもなく主の御許で会おうよ」と、「君」付けで呼びかけて、一時のお別れをしたいと思います。
[2012年2月25日逝去]

TNG-YOUTH 

ちかごろの全国青年活動
安井宣生            

 日本福音ルーテル教会の全国的な青年活動のキーワードは「つながり」であるといえます。つながりたいという気持ちが青年達同士のつながりを生み、つながっている喜びがそれぞれの信仰を養います。それは青年活動としては消極的なのものであるかもしれません。しかし、忙しさや生きづらさを抱える若者たちが体を引きずるようにして教会に集う現実の中で、居場所や生きる意味を得ていくために欠かすことのできない要素であると思います。もちろんこの「つながり」には神や教会とのつながりも含まれます。
 昨年9月に雪ヶ谷教会と幼稚園を会場に行われた全国青年修養会は、15回目となる会でした。これもまたつながりを欲し、その重要性が引き継がれて来たことの証明でもあるでしょう。 また特に今回は、人と人とのつながりが揺さぶられ、またつながりを断つことまで起きてしまった大地震による津波や原発事故から、自分のこれまでとこれからの生き方を考える機会ともなりました。
 3月に行われた春の全国ティーンズキャンプには青年達も多く参加しました。例年、青年達が様々な形で準備と運営を担います。つながりを与えられることの喜びを経験して来た青年達は、今度はかつての自分たちの世代へ、つながりを提供するスタッフの一員として、ティーンズに仕える機会を持つのです。
 昨年はルーテル世界連盟が取り組んだLWF-togetherにも参加し、環境問題と聖書をテーマに世界各地の青年達と祈り合うことが生まれました。このようなつながりも青年を育てます。
 教派を超えた青年達のつながりにも恵まれています。日本キリスト教協議会のつながりの中で、様々な信仰スタイルや社会との関わり方に出会い、それに刺激を受け、磨かれる機会となっています。
 修養会などの特別な機会だけでなく、全国に散らされた青年達がその日常においてつながりを確認し祈り合うためにフェイスブックでの交流が開始されました。    (http://www.facebook.com/zenseiren)
今後のつながりを紡ぐ歩みをお支えください。
(http://www.facebook.com/zenseiren)。今後のつながりを紡ぐ歩みをお支えください。

。http://www.facebook.com/zenseiren)。今後のつながりを紡ぐ歩みをお支えください。(http://www.facebook.com/zenseiren)。今後のつながりを紡ぐ歩みをお支えください。

引退牧師あいさつ主の導きのままに

白髭 義

 振り返れば、六十歳で牧師になり七十歳の誕生日を迎えるまでの十年間は本当にあっという間でした。けれども、その十年は豊かな交わりに支えられ充実した十年でした。大江教会、宇土教会、天草集会所、三原教会、福山教会、松山教会に直接関わりながらでしたが、また教区、全国の信徒の皆様のお祈りに支えられていることをひしひしと感じてきました。紙面をお借りして皆様にご挨拶できることを喜びとさせていただきます。
 なお、退職後もまだ少しは余力があると思って奉仕の継続を願い出ましたところ受理され、新たな思いに満たされているところです。家内もおかげさまで元気ですので、これからもしばらく二人三脚で行けることでしょう。青年時代に神学校に行きながらも挫折した私ですが、それもまた御心であったと今は受け止めています。主の導きにわが身を委ねつつ、これからの道を歩んでゆきたいと思っています。これからもよろしくお願いいたします。

ふたたびのみちのくへ

東京教会 伊藤百代
         
 東日本大震災から1年、大津波の恐怖、加えて福島第一原発の不安は今も続いています。第1回ボランティアパックに参加し、今回は「東松島のり加工所」の奇跡的な復興を喜び会う感謝の再会でした。 8ヶ月ぶりの東北道は、雪景色であらわれる思いでしたが、福島警戒区域を通り過ぎる頃から、残雪の中に痛々しい姿に様変わりしていました。三陸自動車道から鳴瀬川や北上川が穏やかに流れ、杜の都でみどりが美しい仙台の地で祈りました。神さま、このような震災の時にこそ試練と同時に逃れる道を整えてください。あなたの教会が「主にあって一つ」神の家となりますように、仙台教会が導かれ、3月11日が宣教の拠点となりますことを信じています。
 日本の大津波の歴史の中で、この度の大津波は、千年に1度と言われています。平安時代貞観(じょうがん)地震(869年)以来の巨大地震だったと記されています。当時人々は、朝廷など「公」の信頼の代わりに、救い主として死後にすばらしい世界を提示してくれる阿弥陀仏などの浄土信頼にすがりつくようになり、平泉(岩手県)の浄土の世界は、この貞観地震に原点があるといわれています。 

 二日目は、石巻三反走にある仮設住宅を訪問しました。仮設住まいのほとんどの方は、自宅が全壊しているということですが、その多くが知り合いということで、広い敷地で110世帯の方々が慰め会いながら生活を余儀なくされていました。
 立野牧師、伊藤文雄牧師の暖かい信頼関係は見事でした。当日の昼食を任されメニューに苦労し、通常はご飯と汁物が多いようで、【すき焼き】を提案しましたが、高価? 少量? 豚?。市ヶ谷を出発する前日の事で時間切れ、大泉学園の肉の卸問屋へ走り、4割引で5�の交渉成立でゴーになりました。ルーテル救援会は、ハーモニカにのって懐かしのメロディーを歌ったり、体操、オシャベリなど
「お茶っこ」は盛り上がっての4時間でした。4回目のバスパックは、礼拝に守られ、笑顔の現地の皆さまに送られて帰路へと出発しました。

 2012年度人事

 
      (*敬称略)                         

定年引退
(2012年3月31日付)
 ・白髭 義

新 任
(2012年4月1日付)
(一般任用)
 ・竹田大地(新任・ 一般) 下関教会(主 任)・厚狭 教会(兼 務)宇部教会(協 力) (西教区)指導牧師: 佐々木赫子
 ・乾 和雄(新任・ 嘱託) 神戸東教会  (西教区)指導牧師: 松本義宣

人事異動
(2012年4月1日付)[北海道特別教区]
 ・なし
[東教区]
 ・なし
[東海教区]
 ・中村朝美 高蔵寺 教会主任
 ・花城裕一朗 復活 教会主任
 ・宮澤真理子 岡崎 教会・刈谷教会主任
 ・三浦知夫 浜松教 会主任(兼務)
 ・渡邉 進 沼津教 会主任(兼務)
 ・白川道生 掛川菊 川教会主任(兼務)
[西教区]
 ・小勝奈保子 釜ヶ 崎活動・豊中教会主 任(兼務)
 ・鐘ヶ江昭洋 三原 教会・福山教会主任 (兼務)
[九州教区]
 ・立野泰博 大江教 会・宇土教会主任(6月1日付)
 ・小泉 基 大江教 会・宇土教会主任(兼 務4月1日~5月31
 日)
 ・濱田道明 二日市 教会・甘木教会主任 (兼務)
 ・宮本 新 福岡西 教会主任(兼務)
 ・野村陽一 日田教 会主任(兼務)

その他
■本教会人事
(2012年4月1日付)
 ・野口勝彦 東日本 大震災「ルーテル教 会救援」派遣牧師
■嘱託任用
(2012年4月1日付)
 ・谷川卓三 三原教 会・福山教会 主任: 鐘ヶ江昭洋(兼)一 般から嘱託任用へ変 更

■宣教師(2012年)
 ・エリック ・ハンソン 退任(2012年9 月30日付)
 ・セッポ ・パウラサーリ 退任(2012年9
 月付)
 2011年12月フフティネ ン氏(日本宣教担当より  SLEY常議員会から派遣終了 決定の通達を受けて退任を 承認。

J3プログラム 
退任
 ・Dana Dutcher    デイナ・ダッチャー (J3)文京カテリーナ・ 本郷学生センター
 ・John Hoyle      ジョン・ホイル    (J3)文京カテリーナ・ 本郷学生センター
 ・Susan Wironen    スーザン・ヴィロネン (J3) 九州学院
 ・Douglas Foster    ダグラス・フォスター (J3) 九州学院
 ・Carolyn Stypka
 キャロリン・スティプカ (J3)九州ルーテル学 院

■牧会委嘱
(2012年4月1日付)
 ・中村圭助  浜松教会(新)
 ・白髭 義  二日市教会甘木教会 (新)
 ・重富克彦  恵み野教会(更新)
 ・藤井 浩  沼津教会(更新)
 ・明比輝代彦 富士教会(更新)
 ・横田弘行  掛川・菊川教会(更新)

■牧会委嘱終了
 ・戸田 裕  復活教会
 ・重野信之  刈谷教会
 ・勝部 哲  高蔵寺教会

■休職
 ・汲田真帆 201 0年9月~2012 年9月末
 2012年9月末をもって 病気休職期間(2年)終了 の連絡を行った。

12-04-07新しくされたあなたに、おめでとう!

兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。コリントの信徒への手紙一 15章1〜5節

イースターおめでとうございます。こちらブラジルでは、イースター(復活祭)を、「パスコア(Pascoa)」と言います。チョコレート製の「オーボ・デ・パスコア(イースターエッグ)」がスーパーで鈴なりにぶら下げられて売られています。5cm位から30 cmのもので、割ると中にもチョコがたくさん入っていて、二重の喜びを味わうことができます。
死んだ石ころのような冷たい殻を破って愛くるしいひよこが生まれ出てくるように、キリストの死の悲しみを蹴破り、新しい命が出てくることをお祝いします。
ブラジルではカルナバルの大騒ぎが終わって、四旬節の慎ましい期間が始まります。お肉の売り上げが落ち、バカリャウ(鱈の塩漬けの干物)が積み上げられ売られます。この期間、お肉やお酒をいただかないで、日常を悔い改めるという方々にも出会います。街の通りでは、クワレズマ(ポルトガル語で「四旬節」の意)の並木が、みごとな紫色の花を咲かせます。神様も、この季節にこの色の花を咲かせ、心静かな悔い改めという準備を迫っておられます。
私達はどんな準備、どんな神様との対話を日々しているでしょうか?
私はブラジルに遣わされて3年になります。今までと違った体験や祈りをさせられます。机の上の話し合いや書類、予算書だけではなくて、祈りながら体当たりをしなければ渡れない川辺に今まで以上に立たされるように思います。静かに考え、祈るようにさせられました。教会のことでも、人生でも、話し合いで結論を出すことや議論で勝つことではなくて、困難でも神様のみ心があるなら、取り組み、祈り、ひたすら待つことを教えらました。眠れないような不安や絶望の、もう一つ向こうで神様に出会うことができるように思います。新しい地で、新しいことに取り組み、自分に足りないことを教えてくださる神様に感謝します。

困難に出会う時、自分の小ささを思い知らされます。しかし、そこでどう思うかで、結果は違います。「ああだめだ、いつもこうだ」とふさぎ込むか、信仰と希望を持って進むかです。ただ頑張ることは限界があります。絶望するけれど、安心するということが大切です。「キリストが私達のために十字架に掛かり、復活してくださったから」という聖書の言葉と、「あの時もそうだったから、今度も神様が動かしてくれるはず」という自分の神様との体験がそうさせてくれるのです。不思議な安心感です。その福音の言葉を私達は受け入れ、「生活のよりどころにする」ことが、道を切り開くのです。
あなたは、どんな事柄を抱え、どんな祈りを持っていますか?
今年の初めに、ブラジルの有名な「弓場農場」を訪ねました。もとはキリスト教中心の自給自足の農業共同生活を続けている、日系社会です。そこで、多くを感じました。
食料もほぼ自給自足で、家具やお茶碗なども作っています。私も、お茶碗やコーヒーカップを買い求めてきました。釜の隣の部屋の棚から、出来るだけ綺麗で、形や高さの整ったものを選びました。しかし、最後まで気になるカップがありました。棚の下にまとめておいてあった、曲がったカップたちです。私は最後にそれも一つ買ってきました。
毎朝、朝食でそのコーヒーカップを使うことにしました。朝の忙しいひとときですが、それでコーヒーを飲み、自分の足りなさや不完全さを思う時間になります。「神から見れば、罪人の私達は曲がった失敗作かも知れない。自分も弱いところ、曲がったところ、とがったところがある。でも赦され、生かされている。用いられている」と、食事をしながら瞑想できるのです。心の中で静かに祈って始める一日。そこに新しい一日、新しい自分の命があると思うのです。
皆さんもそんな朝を始めませんか? 復活のキリストに出会い、新しいいのちに与る生活を始められるでしょう。神様からの多くの祝福を見ることができるでしょう。
復活祭、おめでとうございます。そして、新しくされたあなたに、おめでとうございます。

ブラジル/サンパウロ教会
徳弘浩隆

12-04-02JLER月報2012年4月号−6号

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12-03-11るうてる2012年3月号

説教「驚くべき十字架」

機関紙PDF

《人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の
身代金として自分の命を献げるために来たのである。》
マルコによる福音書10章45節

 聖書は、神の子イエス・キリストが、この私たちに仕えるために来られたことを宣言致します。これは何と驚くべき言葉でしょうか。父なる神さまとご一緒に、この世界を造られた、またこの世界をご支配しておられる神の子が、あの人の子イエス・キリストが、こんなちっぽけで、罪深く、「思うように生きられない」と嘆くしかない私たちに仕えてくださる、実に主はそのためにきてくださったと語られているのです。
 しかし、果たして本当に私たちは、この言葉に
驚きを覚えているでしょうか。どこかこの驚きを見失ってしまっている私たちがいるのではないでしょうか。では何故驚くことが出来なくなってしまっているのか。それは、主の言葉に従い得ていないからです。もっと言えば、主を見習って生きてはいないからです。この御言葉の前にはこんな言葉がある。「しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」。そして、なぜならば、と上記の御言葉が続くのです。私たちがこの主のお言葉に驚き得なくなっているのは、どこかで主に仕えられることを「当たり前」のこととして受け取っているからではないでしょうか。「仕える」ことの困難さは、実際に「仕え」て見なければ分からないのです。主が私たちにお仕えくださったように、私たちも実際に人に仕えてみる。その時に、初めて分かる。人に「仕える」ということが如何に困難であるか、ということを。しかもそれは、いつも自分たちに好意的な人物に仕えることを意味するのではないのです。感謝もされない。むしろ疎んじられたり、「やって当たり前」とばかりに、わがままで自分勝手なことばかりを要求するような人にも仕える。怒りが込み上げてくる。理不尽さに泣けてくる。文句や不平などを「ぐっ」と押し殺しながら、唇を噛み締めながら「仕える」ということだって起こってくる。しかしそれは、私たち愛に乏しい欠けだらけの弱い人間だからであって、神さまやイエスさまはそうではない、と思われるかも知れない。しかし私は、「神さまだから平気だ」「イエスさまだから平気だ」と考えるのは間違っているとも思うのです。罪に対しても、人の悪に対しても、私たちの方が遥かに鈍感なのです。ある意味、同じ罪人同士として、同じ穴のむじなとして、「しかたがないよね」とばかりに物わかりの良ささえも持ち合わせていたりする。そうではなくて、私たちと同じ人でありながら罪を犯したことのない神の子が、私たちに仕えてくださるのです。罪人同士でもない、同じ穴のむじなでもない神の子が、罪人の私たちに仕えてくださる。自分勝手で、わがままで、感謝もせず、常に不平不満を言うような、どうしようもない私たちに仕えてくださる。それが十字架なのです。決して「当たり前」のことが起こったのではないのです。罪に対する激しい怒り、決して赦せないというご自身の思いに徹底的にぶつかって、それでも赦すことを、愛することを徹底的に選び取ってくださった。ご自身の命を私たちの身代金として差し出すほどに、私たちに仕えてくださった。そんな十字架の出来事だからこそ、「驚く」のです。こんな私(たち)のために、どうしてここまでしてくださるのか、と「驚く」のです。それが「多くの人の身代金として自分の命を献げ」てくださった主イエスのお姿に他ならないからです。
 十字架の出来事は決して分かりきった自明の出来事ではないのです。「どうしてそこまで」というまことに不可思議な「驚く」べき出来事なのです。私たちは主のご受難と復活に向かうこのレントのとき、もう一度この新鮮な「驚き」を取り戻す歩みをしたいと思うのです。また事実、この「驚く」べき出来事が、この私(たち)の上に既に起こっている、ということを信じていきたいと思うのです。
清水教会・小鹿教会牧師       浅野直樹

ルターによせて(11) 

深い苦難の底から

 「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。」という詩編百三十編の祈りは、昨年三月の東日本大震災を経験した者の心に今なお響き続けている。
 青年の頃から苦悩に満ちた精神の持ち主だったルターは特にこの詩編から讃美歌を作詞作曲した程に愛唱していた。
それが教会讃美歌三〇〇番(なやみのなかより)だ。その作詞に当たり、彼は、「深い淵」という創世記以来の世界を自己の「深い苦悩」という心的世界に捉え直した。作詞年は一五二四年だが、それはドイツ農民戦争が勃発した年だ。彼は自身を「農民の子」と呼ぶほど農民を愛しており、農奴的抑圧の下にある彼らに同情的だったが、やがて彼らが反乱暴徒化していく過程で、徹底的に糺弾した。 結果、両者の間は決定的に決裂した。その非常な懊悩の中でこの歌は生まれたが、彼はその最終の第五節で、ローマ五・二〇に依り、「罪の増したところには恵みはなおいっそう満ち溢れます。」と歌う。このルターの信仰を、そのままバッハが受け留めている。カンタータ三八番では、このルターのコラールの一節、五節が採られている。旧約聖書の中でも詩編を愛したルターの信仰は嘆きを通して讃美へと向かう詩編詩人のそれに重なる。

牧師の声 私の愛唱聖句

博多教会 宮本 新

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」
ローマの信徒への手紙12章15節

 この聖句は時宜に応じて受け手の気持ちに様々なな響きをおこさせるように思います。喜びを共にし、涙を共にしてくれた人のことを思い出したり、喜びや涙を共にできなかった時のことを思い出させることもあるかもしれません。
 人との関わりの中で「どうしてそうしなかったのか」と問われたり突きつけたりすることさえあるかもしれません。私の場合、この聖句から教会や礼拝について貴重な気づきを与えられたことがあります。
 神学生時代の研修先でのこと。あるとき教会で、結婚式と葬儀が続けてありました。記憶が定かではありませんが、たしか主日礼拝をはさんでの葬儀であり、結婚式であったと思います。朝には悲しみ悼み、夕には喜び祝うことを一人の人(人格)が、本当にどれほどできるものだろうかと思ったりもしていました。
 葬儀、主日礼拝、結婚式と司式する牧師の姿は真剣そのものでしたが、その心持ちを察することは当時の自分には出来ませんでした。そのときにふとこの聖句が心に浮かびました。
 この聖句をただ自分が出来るかどうかばかり考えていたものでしたが、実はパウロがこう述べるとき、喜ぶものと共に喜び、泣く人と共に泣くキリストを思っていたのではないかと考えたのです。そうであるならば、この聖句は教会の礼拝でこそ臨場感を持つみ言葉になるのではないかと思うようになりました。
 牧会する現在も、この聖句から時宜に適った祝福を与えてくださる主を覚えて礼拝をしています。それぞれの生活の場で、悲喜こもごも経験する会衆が、同じ主を礼拝し、そこで慰めと励ましをえる恵みをこれからも大切にしてゆきたいと願っています。
 この聖句は、わたしにとって、いつも好んで愛唱するというよりも、時宜に応じて、み言葉のほうが繰り返し私を引き寄せているように感じている一節です。

信徒の声  復活の領域

小鹿教会 寺澤節雄

四十年来の教員生活を定年退職して既に五年、昨年古稀を迎えました。私にとって聖書を読むことは、益々喜びの深いものとなっています。というのは、福音を知る知恵が私の中でますます明確で輝きの多いものになって来たからです。
 ルターは自らの信仰体験を、「天国の門が開かれたようだ」と言ったといわれますが、ひそかに私も「然り」という思いです。キェルケゴールは、自然的生のうちに精神は無い、自然的生に死ぬことによって人は精神になると言いました。この場合精神とは、新たな心的領域への飛躍を意味します。それは自らの自然的生の有りようが明確に自覚され、それを相対化する新たな精神的足場が確かにされることだと思います。
 ここ数年内に、天寿を全うした父母を浄土に送りましたが、その葬送を通して、私の幼少時に養われた信仰のルーツがリアルに甦って来ました。 一切群生蒙光照�qイッサイグンジョウ モウコウショウ�r(み光をこうむらぬもの、ひとりだに無し)。これは浄土真宗の勤行に使う正信偈(しょうしんげ)の一節ですが、私は幼少時から、祖父のしつけで正信偈の勤行を仕込まれました。それは親鸞の大著「教行心証」中の偈ですが、今やその意味が赫々と意識されるのです。それは親鸞のゆるぎのない信仰の表明であり、ルターの確信に通ずるものです。それはまた、パウロの「われは福音を恥とせず」における確信と輝きにも通じます。
 私は今静岡のクリスチャン・クワイヤに加わりヘンデルのメサイアを歌っていますが、この高らかな讃歌はヘンデルの信仰告白そのものであるとも言われます。私は、このようにして信仰的真理の普遍性を知ると同時に、その実における命の豊穣と至福を味わう思いひとしおです。
 仕事に縛られることの少ない昨今、教会に行けばピアノやオルガンが有り、及ばずながらバッハの楽譜を辿ることが出来る。ボイストレーニングの成果を賛美歌の斉唱に反映させることが出来る。信徒兄弟姉妹との親しき交わり等々、教会生活を最も楽しんでいる者との感を深くするのです。
(静岡大学名誉教授・美術教育学)

フィンランド教育事情

長い目で

 子供のころ聞いた話で「るうてる」一年間の記事を終えたいと思います。
 ある賢いおじいさんが七歳の孫と話していました。「さあ、アキ、立派な一年生になったね。学校で何が習いたいんだ?」とおじいさんが質問しました。「算数もスポーツもよくできるようになりたい!」とアキ君は目をきらきらさせて答えました。そこで、おじいさんはこう続けました。「じゃ、小学校、中学校も終わって高校も卒業したら何をしたいんだ?」「いい大学に入りたい!」「それから?」「そうだなあ、大きい会社で働いて、金持ちになって、スポーツカーを買うんだ!」「そうしたら幸せかな?」 おじいさんは聞きました 。 「うん、もちろん!結婚して子どもたちのお父さんになって、立派な家に住むんだ!」「すごい夢だねえ。で、その後は?」「楽しく生きる!」「それだけ?じゃ、おじいさんになって仕事をやめたらどうする?」とおじいさんはアキ君に聞きました。「そうだなあ、旅行したり遊んだりするよ。」「その後は?」すると、アキ君は悲しそうに「死んで終わりだ。」と言いました。「それはまだ終わりじゃないよ。」
 そこで、おじいさんは静かに聖書を開いて、アキ君にこう読んであげました。「イエスは言われた。わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ11章25節)。そして、アキ君を見て「イエス・キリストは天国への道だ。小さい時からその道を知っていれば、お前は幸せだ。」とおじいさんは言いました。
 人間にとって子供を教育することほど大切な責任はないと思います。子供たちを長い目で育ていきましょう。全ての子供は天国のために造られた者です。
良いイースターを!
 Paivi Poukka,ポウッカ・パイヴィ スオミ・キリスト教会

特集 東日本大震災救援活動報告「ルーテル教会救援」JLER

 東日本大震災の発生以来、はや一年を経過しようとしています。震災と津波の被害により、愛する人を失い、苦しみと悲しみの中にいる方々、また厳しい寒さが続いている被災地で日々の生活に苦闘している方々のことを祈りの内に覚えます。
 神の恵みと導きにより、昨年の3月14日の救援対策本部設置より、被災地の石巻市、気仙沼市、南相馬市においてJLER(ルーテル教会救援)の緊急支援(食糧・物質・人材関係等)の配布・提供、多角的なボランティア派遣プログラムの展開などを通して、被災地域との信頼性・協同性が多くの方の支援と協力により、実現できたことを主イエス・キリストに感謝いたします。  
 ことに、一年間、日々のつらい救援活動に精力的に取り組んでくれた現地スタッフの方々、全国からボランティア活動に参加してくださった多くの教職・信徒の方々、キリストの体なる教会である日本および海外のルーテル教会・施設・牧師・会員の方々の祈りと支援、さらにJLERの支援活動を心から受け止め、共に歩み、協力してくださった被災地域の多くの人々に心より感謝いたします。
 昨年の秋に、JLERの本部会議は本救援活動を日本のルーテル4教会の共同事業として、最大限2014年3月まで存続していくことを4ルーテル議長会で確認しました。今後、2年間の予想される主な活動は、石巻市を中心とした仮設所等での必要な精神的・物質的支援活動、気仙沼市前浜地区での地元地域住民の方々に応えた形での「コミュニティーセンター」の形成、それに定期的で必要なボランティア派遣プログラムの継続性であります。
 2011年度のJELCの連帯献金(本紙8頁記載)、各ルーテル教団からの献金、それに海外のルーテル教会・協会からの多額の支援金を活動資金として有効に用いて、JLERの救援活動が「キリストにおける愛の奉仕」の業に沿ったふさわしい事業活動を実現していくためにも、今後と一年間の感謝を覚えて  本部長 青田 勇

今後のJLERの主な活動
●仮設支援プロジェクト 
 石巻市北上町・河北町の仮設住宅で の体操&お茶っこ会等の精神的ケア 活動
 ●物資支援プロジェクト
 南相馬市仮設住宅への物資支援事業
 ●気仙沼市前浜地域振興会館(コミュニティセンター)建設
 被災された前浜地域社会の再生の ためのコミュニティー建設支援
 ●石巻市十三浜漁業協同組合・作業 所建設支援
 ワカメ作業所復興のための支援事業

現地牧師・スタッフの声「となりびと」でありたい

伊藤文雄(現地派遣牧師)

 全国の皆さんから大きな支援をいただいてきました。目に見えなくても、祈りながら支援をたゆまず続けてくださったことは、現地の人たちにとってかけがえのない大きな励みでありました。
 今年は例年になく寒い。吹雪いていて広い川さえ霞んで見えるほど厳しい。今年の冬こそ暖かくあってほしいのに、こんなに厳しいとは。 どう受け止めるべきでしょうか。 そんな中で、わたしたちは何もできないけれども、一緒にいさせていただきたいとここにいます。
 「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう」と言ったペトロの心境を想わずにいれません。わたしたちにも資金はない。外国から多額の支援の申し出があるからと言って、それに甘えていることはできない。それならば、わたしたちは何を持っていると言い切れるのでしょうか。
 年が改まって、状況も一変している。自らの被災経験を語り始めている人々が少なくありません。かつての避難所へ新年の挨拶に行って、「明けましておめでとうございます」と申し上げると「お目出度くもなんともない」と言われた。 驚いていると、「実は、23歳の息子が津波に流され命を失った」と打ち明けてくださった。私たちが避難所に生活していた時には、しょっちゅう話し合っていたけれども、まったく語らなかった。「とにかく、被災者たちが無事に仮設住宅へ移っていくまでは、頑張らなければと一生懸命だった」と語ってくれた。これから家族のことをじっくりと思い起こしていくとのこと。
 今、わたしたちは石巻市河北町、北上町の仮設住宅団地の集会所で「お茶っこ会」を通して、住民の方々につながっていたいと願いつつ活動している。ここでも、被災経験を語り始めている人たちは増えています。こうした方々に、皆さんと共に、しっかりとこころに寄り添わせていただくことが実現していくためにはどうあったらよいのだろうかと考えています。
 三月末には、多くのグループが被災現場から撤退することが予想される。「ルーテル教会救援」の本部は、2014年の春まで活動を継続していくことを決定した。しかし、どう具体的に活動していくのかその方策の開示が切望されています。

現地からの報告

チーフスタッフ 佐藤文敬

 「まさか、またこうして海苔をやることができるとはな」。この言葉は、私たちが昨年6月から継続的に支援している東松島市宮戸の一人のおじさん(漁業者)が言った言葉です。笑顔でした。
 家も船も、倉庫も、人によっては家族までが流され、海の仕事を一時はあきらめることも考えたであろう人たちが、再び立ち上がっています。右記のとおり東松島市の宮戸西部では海苔の収穫・出荷作業が再開しました。また、漁業者のための共同作業所の建設支援をした石巻市十三浜ではわかめの収穫作業が始まりました。
 気仙沼でも一歩ずつ進んでいます。「震災後の地域の将来のことをみんなで話そうにも集まれる場所がない」。そんな状況をなんとかしようと始めた気仙沼市本吉町前浜地区におけるコミュニティセンター再建支援は、昨年10月から本格的に動きだし、20代から70代までの男女19人の地区住民からなる建設委員会を中心に、建設に向けた段取りが着々と進んでいます。
復興に向けた生産活動やコミュニティ活動などが、目に見える形で動き出したせいか「ほんとに、みなさんのおかげでここまでできるようになったんだ。ありがとね。」と感謝の言葉をいただくことが多くなった気がします。
 しかし、一方でそんなことを言える状態にない人も少なからずいます。例えば、流通が止まり、食料の入手ができない時期(4月)から支援を始めた福島県南相馬市では、地域の将来さえも見通しが立たない中で、津波で農地を失った方々が、仮設住宅で何もすることがなく、急速に身体が衰えていくという状況が出てきています 。 初期の生活物資の緊急支援の後、これまで放射能不検出の野菜の支援等を継続して行ってきていますが、これからはまた違った支援が必要になってきています。
 何ができるかわからない中で動き出した現地(宮城県)での支援活動でしたが、これからがいよいよ本番です。被災地の人たちの声を聴きながら一緒に支えていきましょう。

3月11日の特別礼拝に向けて

鶴ヶ谷教会・仙台教会牧師  藤井邦昭

現地教会の声 昨年三月十一日、東日本地域で起こった地震、津波による大惨事、加えて未だに東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故による避難による困難な生活を強いられている人々がいます。被災地の復旧、復興はまだ緒についたばかりですし、ことにもかけがえのない大切なものを失い、癒されないままでいる被災者の心の復興は、これからの最大の問題です。
 被災者は現在各地の仮設住宅で暮らしていますが、孤独死などの深刻な問題が発生しています。仮設入居者への支援は緊急の課題となっています。
 さて震災直後、被災地の状況を把握し、救援活動開始のための情報収集、また仙台・鶴ヶ谷教会の信徒問安などのために、三月下旬先遣隊が鶴ヶ谷教会に遣わされました。その結果を受けて、四月より仙台教会を拠点としてルーテル教会救援「となりびと」の活動が発足しました。以来、十か月が過ぎ、その間現地スタッフを初め、国内外から延べ三百人を超えるボランティアが仙台教会に集結し、宮城県を中心に救援活動を展開しました。
 仙台教会は毎週日曜日九時二十分より礼拝を行っており、これまでスタッフや多くのボランティアの方々が礼拝に参加しました。
 仙台教会としては、ルーテル教会の救援活動の原点は「礼拝」にあると考え、スタッフやボランティアの方々の心の拠り所となるよう、礼拝を大切に守り続けました。 礼拝では毎週聖餐式を行い、国内外の信徒との交わりが与えられ、また多数のノンクリスチャン・ボランティアの方々には心から神様の祝福を祈らせていただきました。
 今年の三月十一日は日曜日に当たり、大震災から一年となります。この節目の日に、犠牲になられた方々を追悼し、地域と人々の再生を祈る礼拝を仙台地区で開催し、大震災に心を寄せる人々と思いを同じくすることができれば幸いです。そしてこれからの「となりびと」の働きが神様に祝福され、ルーテル教会が被災した人々の「となりびと」として立てるように祈り続けたいと思います。

「共に泣いた恵み」

仙台教会 長島慎二

 二十年前に息子を亡くした際、深い慰めとなってくださった方のひとりは近くの店の総菜コーナー担当の婦人でした。顔見知りではあっても名前も知らない方でしたが、わたしの話しを聞いて静かに流した涙は真実でした。 その際、その方もお子様を亡くされたことを知りました。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(日本聖書協会『新共同訳 新約聖書』ローマの信徒への手紙十二章十五節)という聖句は律法ではなく苦難を体験した者が持つ共感であり神の恵みです。その意味で、想像を絶する大震災を経て、直接的な被災者をはじめ、日本中の人々、世界中の多くの人が其々の人生の体験をも背景として互いに共感し、泣き、喜んだのです。

 大震災直後の一ヶ月間は余震が続き、日常生活にも困窮しました。被災地の中でも仙台は流通や交通が長く滞った都市でした。ガソリンが欠乏し新幹線も開通していない中で、三月二十三日から二十四日にかけて、安井、小泉、立野、杉本牧師が仙台に救援物資を運び入れました。続いて近畿福音ルーテル教会より末岡、杉岡、?ノ下牧師が、また渡邉議長、青田本部長、松木牧師、マタイ氏が来仙し仙台教会を拠点とした救援活動が本格的に始まりました。その後、一年を通して伊藤文雄牧師、立野泰博牧師が救援派遣牧師として救援活動の中心的役割を果たし、スタッフの佐藤文敬氏、遠藤優子氏を始め三百人近いボランティアが仙台教会内に設置された「ルーテルとなりびと」を拠点として活動しました。深く感謝します。しかし、お名前を挙げた方々に加えて、お名前は存じ上げませんが、祈りをもって関わってくださった多くの方々にこそ感謝します。
 被災地を支えたのは、社会的立場や名声や労力ではなく御霊の働きによる心からの共感であったと思うからです。あらためて一人一人が自らの十字架を負い、互いに喜び、泣く恵みを共にしたいものです。

ボランティア総人数(2011年4月~2012年1月)

ルーテル教会救援が直接、石巻市の社会福祉協議会および宮城県内に入っている支援団体からの要請で派遣したボランティア人数です。

合計 374人(のべ人数)
<教会>
 JELC 142(うち牧師・宣教師延べ31)
 (教区別内訳)北海道 2/東 106/東海 6/西 12/九州 7/神学生 9
 KELC 18(うち牧師7)/NRK  24(うち牧師3)
 WJELC 51(うち牧師・宣教師・伝道師26)
<JELC関係学校・施設>
 ルーテル学院 26(うち牧師1)/ディアコニア 2/るうてるホーム 1/東京老人ホーム  4/
 本郷学生センター 1 /ルーテル学院高校 5
<その他>
 他教会 11 /海外教会 15(台湾12/オーストリア2/ELCA1)横浜英和小学校 5 /香蘭女学校 36
 一般(スタッフ紹介、教会員紹介含む) 33

東日本大震災と十三浜の今

宮城県漁業共同組合北上町十三浜支所 運営委員長 佐藤清吾

あの忌まわしい大津波から十ヶ月、石巻市北上町十三浜は厳しい寒さの中で暖かい春の巡りを待っています。
 膨大な国家予算を使うも地震予知は無く、揚句には津波予想高は実際の三分の一にもならない予報が、これほどの人的被害を拡大させたとしか言いようがない。あの日の揺れの大きさと長さは尋常でなく、大きな津波は誰もが予想でき、その備えの避難も当然それに準じたレベルでの退避中に流れたラジオは岩手福島は三メートル、宮城六メートルである。だったら十五メートルなら充分凌げる高さと考えたとして不思議ではなく、沿岸域の人々は殆どその判断に従ったのが、これほどの犠牲者数の最大の原因だと言わざるを得ない。
 直後の十三浜の惨状と光景は例えようもなく、夢と現実の判断がつかず、生きた身の処し方さえ判らないありさまでした。
 追波湾の北岸の十三浜は、十三の集落に六百余の家が建ち、二千余人が暮らしていた漁村地域だったが、その内五百戸が流失全壊で三七〇人の死者行方不明、未だ組合員の家族五〇人の行方が分からぬまま年を越した。漁民は二ヶ月以上、唯一人海に出る者はなく呆然自失で、支援の食糧を食べ、時を流す生活に喝を入れたのは全国からの声援でした。
 三八八隻の船は八〇隻のみ、住居も作業所倉庫も総て流失、生活の手段の無い事の辛さ不自由さが身に沁みる月日を送るも、世界中の国々、日本中の支援、声援は確実に私共の再生の大きな糧となり、十三浜は此のままでは駄目だ、支援に応えて復興をせねば将来は無いと自覚、復興のスタートを切ることが出来た。
 漁業資材の発注と漁民が心をひとつにした共同化が前提で、血が滲む作業の連続はやがて当初目標の災害前八割を完全に達成し、いま春の収穫を待っている。収穫したワカメが世に流通する日は近い。その為の総てに過程で必要な作業所、資金器材の調達。そして何より一番温かい心情を寄せて頂いた全国の支援は、末永く十三浜の子々孫々に伝え語り継ぐべき話だと強く思うのである。
 最後に、昨年の三月十一日の震災直後よりルーテル教会には大変な御支援を賜り、あの寒く飢餓の季節を乗り切ることが出来ました事を改めて深く感謝申し上げます。今、ようやく復興の気力が湧き上がり、今春のワカメの刈り取りに期待を寄せて待つ日々であります。

LWFワールドサービス協議会

世界宣教主事 浅野直樹 

LWF(ルーテル世界連盟)は世界のルーテル教会をつなげる大きな組織ですが、そのなかにワールドサービス(DWS)と呼ばれる部門があります。その名が示すとおりにサービス(奉仕)を世界の貧困飢餓を抱える国や地域に提供しています。そもそも1947年にLWFが誕生したきっかけというのが、第二次世界大戦後の荒廃したヨーロッパにあふれた難民の救済だったことを考えると、これがLWFの本来の姿だともいえます。
 筆者がLWF理事として同部門担当となったために、今年1月にスイスのモントレー市で開かれたDWS協議会に出席したので、「るうてる」を通じてワールドサービスを紹介することになりました。
 まずは数字と標語を示します。世界37の国と地域で活動し、2000人を超える人たちがDWSのスタッフとして世界各地で働いています。それによって毎年200万人以上の人たちに何らかの支援が届けられ、そのための年間予算は100億ドルに達します。
 「貧困と抑圧下にある人びとの権利の向上」をスローガンとして、災害支援、コミュニティ支援、HIV&AIDSとマラリア撲滅、平和と人権向上、性差別からの解放、環境保全などに取り組んでいます。こうした問題を抱えた国々が地図で色別されていて、2011年度の支援対象がわかります。
 これを見るとアフリカの国々がとても多いことに気づきます。DWSが対象とするありとあらゆるサービスを必要とする国がアフリカにはこんなに多くて、わたしも改めて驚きました。もうひとつ目につくのは日本も色分けしてあることでしょう。いうまでもなく昨年、東日本大震災の緊急支援を受けたからです。
 最後にぜひとも紹介したいことがあります。HAP(ハップ)という人道支援活動団体を評価する世界的組織があります。HAPは2010年度に、新たな基準をとても厳しく設定しました。つい先日のこと、DWSはその基準に達した団体として認定されました。世界でも二番目だそうです。関係者はとても喜んでいました。

私の本棚から

ダグ・ハマーショルド著 鵜飼信成訳
『道しるべ』みすず書房、1967年  ※1999年に新装版が発行されています。

 畏怖を覚えながら、神様からの癒しと慰めを自他のために祈りながら、何度も読んだことがあるとおっしゃる牧師先生が多いだろうなあと思いながら、「私の本棚から」を担当する最終回にこの本を選びました。

 自分の芯をどこに据えて生きるか、何を信じて生き抜くかについて教えられます。へりくだって生きる意味が深く沁みます。他者との人間関係や仕事そのものについては書かれておらず、神様とのただひたすらな対話の記録(日記)です。ハマーショルドはスウェーデン国教会のルーテル教会員、一九五三年から一九六一年まで国連事務総長を務めました。責務で移動中の飛行機が墜落し、 突然この世を去りました。没後にノーベル平和賞を受けています。

 一九五五年十二月二十四日、「神はわれわれの独立を望まれる。われわれは、ひとりだちして、自分から神を探すのをやめるとき、神のうちに《ふたたび落ちこむ》のである。」
一九五六年十二月二十六日、「信仰は在り、創りだし、担いゆく。」

 初めて手にしたのは約二十三年前、神保町にある古本屋ででした。すぐに購入し、私の蔵書になりました。大学を卒業し、東京都心にある私大の図書館で働き始めて一年半が経っていました。学生時代に「自分の力だけで生きていける」と信じて教会から遠ざかった生活を送り、社会人になり、「人は自分では計れない世界で生きていかなければならないんだ」と自覚した頃でした。(この直後に通勤電車の車窓に日本キリスト教団の教会を見つけ、再び礼拝へと導かれ、翌年のイースターに洗礼を受けました。日本福音ルーテル熊本教会に転入したのは今から六年前です。)以来、机に座って読むことができるところにいつも置き、折々に読んでいます。

 昨年九月号からこの三月号まで、正真正銘T私の本棚の本から七冊を紹介しました。面映ゆい思いでしたが、楽しく、よい機会でした。読んでくださってありがとうございました。

熊本教会員、九州ルーテ ル学院大学図書館司書   水谷江美子

TNG

武蔵野教会  立野照美

この度、TNG幼児部門のお手伝いをすることになりました。
 先日、始めての会合がありました。「TNG」という言葉は今まで何度も色々なところで耳にしていましたが、改めて、詳しく部門ごとにどの様な活動をしているのか等を、担当の佐藤和宏牧師よりお聞きしました。
 幼児部門では、お誕生カード・教理問答書「そらのほしいくつある」・こひつじシール・こひつじレターの発行等をしています。
 いくつかの教会や幼稚園・保育所で使っていただいていますが、まだ、見たことがないと言う方もたくさんいらっしゃるようです。今回は、こひつじレターとお誕生カードのご紹介をさせていただきます。
 こひつじレターは2010年6月に第1号を発行し、年に3回の発行になっています。
 主に教会学校・幼稚園・保育所で用いられています。内容は、一番大切な御言葉、教会や施設の紹介、絵本・遊びの紹介、実際に子育てをしているお父さん、お母さんからのミニメッセージ等、そして、裏側には御言葉に合った塗り絵やクイズになっています。
 子どもたちが少なくなり教会学校開催が難しい教会で、子どもたちに配布してくださったり、教会員さんがお孫さんに送ってくださったり、とうれしい報告もいただいています。
 お誕生カードは、 ずいぶん前から作成され用いられています。0歳から6歳までのカードがあります。ある保育所では、在園児の妹や弟が誕生した時に、職員の方がコメントを記入してお母さんに差し上げてくださり、たいへん喜ばれているとお聞きしました。このカードはお祝いメッセージの他にお祈りや讃美歌も書かれています。
 幼児部門担当者たちは、たくさんの方に知ってもらい、手に取ってもらって、より良いレターやカードの作成をしていこうと思っておりますので、ぜひ、ご覧頂いてご意見・ご要望をお寄せください。お待ちしております。
 一人でもたくさんの子どもたちに神様の御言葉が届きますように・・・と祈りながら。

住所変更のお知らせ

召天牧師配偶者の三浦澄子様が転居され、下記の住所となりました。
■三浦澄子様
住所:〒860-0073 熊本県熊本市島崎2‐11‐13
ファインテラスせいじの316号室
電話:096‐356‐0837

2012年度 連帯献金のお願い
 2012年度も日本福音ルーテル教会の連帯献金として、主に以下の支援募金をお願いしていますので、ご協力をよろしくお願いします。
ブラジル伝道 メコン川流域支援 喜望の家 世界宣教・無指定献金
郵便振替:00190-7-71734  名義*(宗)日本福音ルーテル教会

ありがとうございました。2011年度 連帯献金報告 

●東日本大震災(559件)        6千333万2千119円
●ブラジル伝道(54件)           198万6千409円
●メコン川流域支援(7件)            19万8千955円
●喜望の家(8件)               20万9千242円
●世界宣教・無指定献金(19件)       35万1千013円    

[献金者   教会・団体・個人芳名]
■東日本大震災(137件) 
【日本福音ルーテル教会】
小石川、本郷、聖パウロ、東京池袋、板橋、稔台、市川、津田沼、千葉、小岩、大森、蒲田、田園調布、雪ケ谷、大岡山、都南、藤が丘、横浜、日吉、横須賀、小田原、湯河原、東京、市ケ谷、武蔵野、スオミ、三鷹、八王子、保谷、羽村、長野、松本、諏訪、飯田、甲府、沼津、静岡、小鹿、清水、栄光、浜松、浜名、新霊山、みのり、岡崎、刈谷、挙母、名古屋めぐみ、復活、なごや希望、知多、高蔵寺、岐阜、大垣、大阪、天王寺、豊中、賀茂川、豊中、賀茂川、京都、修学院、神戸、神戸東、西宮、三原、松江、岡山、福山、宇部、西条、広島、松山、高松、シオン、厚狭、下関、小倉、聖ペテロ、箱崎、博多、福岡西、二日市、久留米、大牟田、大牟田、玉名、甘木、日田、佐賀、唐津、長崎、大分、別府、熊本、室園、合志、大江、神水、健軍、荒尾、八代、水俣、宮崎、鹿児島、阿久根、宇土、松橋、函館、札幌、恵み野、帯広
【その他の教会関係】 東教区総会、あお福音ルーテル、大船ルーテル
【施設・団体】
一粒の麦、近畿福音ルーテル教会、日本福音ルーテル社団、女性会連盟、挙母ルーテル幼稚園、旭ヶ丘母子ホーム、旭ヶ丘保育園、恵泉幼稚園、小城幼稚園、ルーテル保育所、ルーテル学院中学・高等、日本キリスト教協議会、奈多愛育園、西日本福音ルーテル教会、釜ケ崎ディアコニアセンター、国府台母子ホーム、西日本福音ルーテル教会、めばえ幼稚園、長野県こもれびのチャペル、デンマーク牧場デイサービスセンター、田園調布幼稚園、九州学院、北海道特別教区女性会、東教区宣教フォーラム、九州教区女性会会長会、ACWCJ、甲信地区女性の集い、特養老ホームディアコニア、日田ルーテル幼稚園、筑後地区女性会、るうてる法人会連合、北海道特別教区女性会、西中国地区宣教協議会、総武地区、安田トーンチャイムクラブ、熊本地区女性会、神戸ルーテル神学校、東海地区信徒大会、九学中・高生徒会、甲信地区、東中国四国地区女性会、熊本地区、西中国地区、軽費老人ホーム諏訪、小羊会、めばえ幼稚園、早大文Sクラス同期会、大岡山幼稚園、挙母幼稚園、こひつじ園、聖英学園、ルーテル学院幼稚園、シオン保育園、国府台保育園、奈多愛育園園、わかば保育園、神水幼稚園、東教区青年会、NRK東京分区
【個人】
ロサンジェルス教会信徒、中山康子、小町志乃、中嶋泰子、金田貴子、後藤佳代子、星野幸一、高品みさゑ、石澤とし子、小山茂、本橋悦子、林めぐみ、沼本壽美江、小林文恵、加藤貴恵、石田順朗、イングルスルート、宮崎宏子、嶋田達郎、加納勲、高取朗、中野隆正、高橋寿代、曽根すみか、室原康志、野村千佳子、米田登志子、河田玲子、池松綾子、大手昭、伊藤喜代子、小林暁弘、橋野豊子、石田プリシラ、川口良弘、西脇義洋、村田隆三、村田和子、三五さやか、岩田茂子、丸山一郎、石郷岡玲未、長嶋邦英、芦塚千紗、鈴木章子、小宮達夫、渡辺昌子、大林由紀、成瀬真理子、大柴節子、佐伯里英、山本有都子、井上英子、大窪絢子、河野由希、逆瀬川剛史、芦澤千容子、長尾博吉、小林純郎、大江紀久子、天木鈴子、八幡真、藤田光江、西川恵、川口誠、浅見正一、宮田千恵子、ワイズ、高見菜穂子、大林由紀、小林文恵、大林由紀、坂根里辺香、平寿代、井関和子、木下順、沢徳子、小林純郎、中村志津、米田登志子、林めぐみ、石井千賀子、小林文恵、林めぐみ、田中栄子、大和洋一、花城裕一朗、越村知子、岩野翆、一山園子、小林純郎、林めぐみ、大林由紀、松隈貞雄、林めぐみ、小林純郎、兼間和行、岩井順子、小林文恵、今井タイ子、青山くるみ、宮本京子、渡辺せい子、木村修、宮本京子、小勝奈保子、レベッカ・フラナリー、カルリオ、山本有都子、亀井正子
【海外】
マレーシア教会、サンパウロ教会、フィンランド・ルーテル福音協会、ELCA(アメリカ福音ルーテル教会)、ドイツ・ルーテル福音教会、台湾ルーテル教会、 CHINESE RHENISH CHURCH、ドイツ・デイァコニア奉仕部(EKD)、日系バロキア教会、南米教会、CHINESE LIFE LUTHERAN CHURCH、ブラジル福音ルーテル教会、UTA BIRKER,ULRICH BIRKER HANNELORE MANN、DET NORSKE DIAKONHJEM、SILJA PESCHLA、サウスキャロライナ教区、シンガポール・ルーテル教会、香港ルーテル教会、中華ルーテル教会、PATRICA M BERGH、オランダ・ルーテル教会、台湾高等学校、RANDY R. DIEHL、イマフエル・ルーテル教会、ポーランド・ルーテル教会、聖ヨハネ・ルーテル教会、マレーシア・ルーテル教会
■ブラジル伝道(54件)
森部信、角田健、大岡山教会、本郷教会、花城裕一朗、松本教義、小城幼稚園、帯広教会、勝部哲、女性会連盟、岡山教会、羽村教会員、宮崎教会、札幌教会、東京池袋教会、沼津教会、小泉眞、川口 誠、星野淑江、豊中教会、玉名教会、小山茂、立野泰博、東京教会、渡邊聡、小林暁弘、大岡山教会、千葉教会、小石川教会、恵み野教会、間瀬啓允、帯広教会、高蔵寺教会、下関教会、保谷教会、乙守 望、厚味勉、室園教会、シオン教会、松江教会、京都教会、甲府教会、健軍教会、ルーテル学院中学・高等学校
■メコン川流域支援(7件)
国府台保育園、小城幼稚園、勝部哲、渡邊聡、市ヶ谷教会、小山茂、函館教会
■喜望の家(8件)
小城幼稚園、勝部哲、小泉眞、サウスキャロライナ教区、川口 誠、渡邊聡、市ヶ谷教会、箱崎教会
■世界宣教・無指定(19件)
東京池袋教会、小城幼稚園、勝部哲、箱崎教会、刈谷教会、三鷹教会、帯広教会、渡邊聡、千葉教会、めばえ幼稚園、水俣教会、京都教会、博多教会、栄光教会、小山茂、アンデルセン、神水教会
 
◆配分・送金
災害緊急支援及び世界宣教(無指定)献金の再配分も行い、2012年1月に以下のように関係機関会計に送金を終了しました。
●ブラジル伝道特別会計          198万6千409円
●メコンミッション(カンボジア・子供支援含む)      34万3千485円
●喜望の家                  20万9千242円
●東日本大震災ルーテル教会救援    5千401万5千926円

●東日本大震災(559件)        6千333万2千119円●ブラジル伝道(54件)           198万6千409円
●メコン川流域支援(7件)            19万8千955円●喜望の家(8件)               20万9千242円●世界宣教・無指定献金(19件)       35万1千013円    

[献金者   教会・団体・個人芳名]
■東日本大震災(137件) 
【日本福音ルーテル教会】
小石川、本郷、聖パウロ、東京池袋、板橋、稔台、市川、津田沼、千葉、小岩、大森、蒲田、田園調布、雪ケ谷、大岡山、都南、藤が丘、横浜、日吉、横須賀、小田原、湯河原、東京、市ケ谷、武蔵野、スオミ、三鷹、八王子、保谷、羽村、長野、松本、諏訪、飯田、甲府、沼津、静岡、小鹿、清水、栄光、浜松、浜名、新霊山、みのり、岡崎、刈谷、挙母、名古屋めぐみ、復活、なごや希望、知多、高蔵寺、岐阜、大垣、大阪、天王寺、豊中、賀茂川、豊中、賀茂川、京都、修学院、神戸、神戸東、西宮、三原、松江、岡山、福山、宇部、西条、広島、松山、高松、シオン、厚狭、下関、小倉、聖ペテロ、箱崎、博多、福岡西、二日市、久留米、大牟田、大牟田、玉名、甘木、日田、佐賀、唐津、長崎、大分、別府、熊本、室園、合志、大江、神水、健軍、荒尾、八代、水俣、宮崎、鹿児島、阿久根、宇土、松橋、函館、札幌、恵み野、帯広
【その他の教会関係】 東教区総会、あお福音ルーテル、大船ルーテル
【施設・団体】
一粒の麦、近畿福音ルーテル教会、日本福音ルーテル社団、女性会連盟、挙母ルーテル幼稚園、旭ヶ丘母子ホーム、旭ヶ丘保育園、恵泉幼稚園、小城幼稚園、ルーテル保育所、ルーテル学院中学・高等、日本キリスト教協議会、奈多愛育園、西日本福音ルーテル教会、釜ケ崎ディアコニアセンター、国府台母子ホーム、西日本福音ルーテル教会、めばえ幼稚園、長野県こもれびのチャペル、デンマーク牧場デイサービスセンター、田園調布幼稚園、九州学院、北海道特別教区女性会、東教区宣教フォーラム、九州教区女性会会長会、ACWCJ、甲信地区女性の集い、特養老ホームディアコニア、日田ルーテル幼稚園、筑後地区女性会、るうてる法人会連合、北海道特別教区女性会、西中国地区宣教協議会、総武地区、安田トーンチャイムクラブ、熊本地区女性会、神戸ルーテル神学校、東海地区信徒大会、九学中・高生徒会、甲信地区、東中国四国地区女性会、熊本地区、西中国地区、軽費老人ホーム諏訪、小羊会、めばえ幼稚園、早大文Sクラス同期会、大岡山幼稚園、挙母幼稚園、こひつじ園、聖英学園、ルーテル学院幼稚園、シオン保育園、国府台保育園、奈多愛育園園、わかば保育園、神水幼稚園、東教区青年会、NRK東京分区
【個人】
ロサンジェルス教会信徒、中山康子、小町志乃、中嶋泰子、金田貴子、後藤佳代子、星野幸一、高品みさゑ、石澤とし子、小山茂、本橋悦子、林めぐみ、沼本壽美江、小林文恵、加藤貴恵、石田順朗、イングルスルート、宮崎宏子、嶋田達郎、加納勲、高取朗、中野隆正、高橋寿代、曽根すみか、室原康志、野村千佳子、米田登志子、河田玲子、池松綾子、大手昭、伊藤喜代子、小林暁弘、橋野豊子、石田プリシラ、川口良弘、西脇義洋、村田隆三、村田和子、三五さやか、岩田茂子、丸山一郎、石郷岡玲未、長嶋邦英、芦塚千紗、鈴木章子、小宮達夫、渡辺昌子、大林由紀、成瀬真理子、大柴節子、佐伯里英、山本有都子、井上英子、大窪絢子、河野由希、逆瀬川剛史、芦澤千容子、長尾博吉、小林純郎、大江紀久子、天木鈴子、八幡真、藤田光江、西川恵、川口誠、浅見正一、宮田千恵子、ワイズ、高見菜穂子、大林由紀、小林文恵、大林由紀、坂根里辺香、平寿代、井関和子、木下順、沢徳子、小林純郎、中村志津、米田登志子、林めぐみ、石井千賀子、小林文恵、林めぐみ、田中栄子、大和洋一、花城裕一朗、越村知子、岩野翆、一山園子、小林純郎、林めぐみ、大林由紀、松隈貞雄、林めぐみ、小林純郎、兼間和行、岩井順子、小林文恵、今井タイ子、青山くるみ、宮本京子、渡辺せい子、木村修、宮本京子、小勝奈保子、レベッカ・フラナリー、カルリオ、山本有都子、亀井正子
【海外】
マレーシア教会、サンパウロ教会、フィンランド・ルーテル福音協会、ELCA(アメリカ福音ルーテル教会)、ドイツ・ルーテル福音教会、台湾ルーテル教会、 CHINESE RHENISH CHURCH、ドイツ・デイァコニア奉仕部(EKD)、日系バロキア教会、南米教会、CHINESE LIFE LUTHERAN CHURCH、ブラジル福音ルーテル教会、UTA BIRKER,ULRICH BIRKER HANNELORE MANN、DET NORSKE DIAKONHJEM、SILJA PESCHLA、サウスキャロライナ教区、シンガポール・ルーテル教会、香港ルーテル教会、中華ルーテル教会、PATRICA M BERGH、オランダ・ルーテル教会、台湾高等学校、RANDY R. DIEHL、イマフエル・ルーテル教会、ポーランド・ルーテル教会、聖ヨハネ・ルーテル教会、マレーシア・ルーテル教会
■ブラジル伝道(54件)
森部信、角田健、大岡山教会、本郷教会、花城裕一朗、松本教義、小城幼稚園、帯広教会、勝部哲、女性会連盟、岡山教会、羽村教会員、宮崎教会、札幌教会、東京池袋教会、沼津教会、小泉眞、川口 誠、星野淑江、豊中教会、玉名教会、小山茂、立野泰博、東京教会、渡邊聡、小林暁弘、大岡山教会、千葉教会、小石川教会、恵み野教会、間瀬啓允、帯広教会、高蔵寺教会、下関教会、保谷教会、乙守 望、厚味勉、室園教会、シオン教会、松江教会、京都教会、甲府教会、健軍教会、ルーテル学院中学・高等学校
■メコン川流域支援(7件)
国府台保育園、小城幼稚園、勝部哲、渡邊聡、市ヶ谷教会、小山茂、函館教会
■喜望の家(8件)
小城幼稚園、勝部哲、小泉眞、サウスキャロライナ教区、川口 誠、渡邊聡、市ヶ谷教会、箱崎教会
■世界宣教・無指定(19件)
東京池袋教会、小城幼稚園、勝部哲、箱崎教会、刈谷教会、三鷹教会、帯広教会、渡邊聡、千葉教会、めばえ幼稚園、水俣教会、京都教会、博多教会、栄光教会、小山茂、アンデルセン、神水教会
 
◆配分・送金
災害緊急支援及び世界宣教(無指定)献金の再配分も行い、2012年1月に以下のように関係機関会計に送金を終了しました。
●ブラジル伝道特別会計          198万6千409円
●メコンミッション(カンボジア・子供支援含む)      34万3千485円
●喜望の家                  20万9千242円
●東日本大震災ルーテル教会救援    5千401万5千926円

12-03-11るうてる2012年3月号

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12-03-03驚くべき十字架

《人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。》マルコによる福音書10章45節

聖書は、神の子イエス・キリストが、この私たちに仕えるために来られたことを宣言致します。これは何と驚くべき言葉でしょうか。父なる神さまとご一緒に、この世界を造られた、またこの世界をご支配しておられる神の子が、あの人の子イエス・キリストが、こんなちっぽけで、罪深く、「思うように生きられない」と嘆くしかない私たちに仕えてくださる、実に主はそのためにきてくださったと語られているのです。
しかし、果たして本当に私たちは、この言葉に
驚きを覚えているでしょうか。どこかこの驚きを見失ってしまっている私たちがいるのではないでしょうか。では何故驚くことが出来なくなってしまっているのか。それは、主の言葉に従い得ていないからです。もっと言えば、主を見習って生きてはいないからです。この御言葉の前にはこんな言葉がある。「しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」。そして、なぜならば、と上記の御言葉が続くのです。私たちがこの主のお言葉に驚き得なくなっているのは、どこかで主に仕えられることを「当たり前」のこととして受け取っているからではないでしょうか。「仕える」ことの困難さは、実際に「仕え」て見なければ分からないのです。主が私たちにお仕えくださったように、私たちも実際に人に仕えてみる。その時に、初めて分かる。人に「仕える」ということが如何に困難であるか、ということを。しかもそれは、いつも自分たちに好意的な人物に仕えることを意味するのではないのです。感謝もされない。むしろ疎んじられたり、「やって当たり前」とばかりに、わがままで自分勝手なことばかりを要求するような人にも仕える。怒りが込み上げてくる。理不尽さに泣けてくる。文句や不平などを「ぐっ」と押し殺しながら、唇を噛み締めながら「仕える」ということだって起こってくる。しかしそれは、私たち愛に乏しい欠けだらけの弱い人間だからであって、神さまやイエスさまはそうではない、と思われるかも知れない。しかし私は、「神さまだから平気だ」「イエスさまだから平気だ」と考えるのは間違っているとも思うのです。罪に対しても、人の悪に対しても、私たちの方が遥かに鈍感なのです。ある意味、同じ罪人同士として、同じ穴のむじなとして、「しかたがないよね」とばかりに物わかりの良ささえも持ち合わせていたりする。そうではなくて、私たちと同じ人でありながら罪を犯したことのない神の子が、私たちに仕えてくださるのです。罪人同士でもない、同じ穴のむじなでもない神の子が、罪人の私たちに仕えてくださる。自分勝手で、わがままで、感謝もせず、常に不平不満を言うような、どうしようもない私たちに仕えてくださる。それが十字架なのです。決して「当たり前」のことが起こったのではないのです。罪に対する激しい怒り、決して赦せないというご自身の思いに徹底的にぶつかって、それでも赦すことを、愛することを徹底的に選び取ってくださった。ご自身の命を私たちの身代金として差し出すほどに、私たちに仕えてくださった。そんな十字架の出来事だからこそ、「驚く」のです。こんな私(たち)のために、どうしてここまでしてくださるのか、と「驚く」のです。それが「多くの人の身代金として自分の命を献げ」てくださった主イエスのお姿に他ならないからです。
十字架の出来事は決して分かりきった自明の出来事ではないのです。「どうしてそこまで」というまことに不可思議な「驚く」べき出来事なのです。私たちは主のご受難と復活に向かうこのレントのとき、もう一度この新鮮な「驚き」を取り戻す歩みをしたいと思うのです。また事実、この「驚く」べき出来事が、この私(たち)の上に既に起こっている、ということを信じていきたいと思うのです。

清水教会・小鹿教会牧師       浅野直樹

12-03-02JLER月報2012年3月号−5号

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12-02-11るうてる2012年2月号

「讃美の声を高らかに」

機関紙PDF

《主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの誉れです》
ルカによる福音書2章29節~32節

 数年前の式文の学びの際、講師の方が「式文を用いる礼拝だと、毎回毎回同じことの繰り返しのようにお感じになるかもしれません。しかし、二つとして同じ礼拝はありません。なぜなら、その時、その空間、その礼拝に集められた一人ひとりと、そこで働く神さまの聖霊はそこだけのものだからです。つまりライブです。 派遣の部で私たちは、シメオンの賛歌を共に歌い、またそれぞれの日常に神さまから遣わされてゆきます。もしかしたら、この礼拝が最後になる方もおられるかもしれません。ですから、この賛歌を共に歌うとき、俯いていたり悲しい顔をしているよりも、幼子イエスを胸に抱いて喜びに溢れていたシメオンのように、顔を上げて、喜びを生き生きと表すように歌うとよいのではないでしょうか・・・。」と、言われていたことを思い出します。 それ以降、司式者として立たせていただく際には、可能な限り向かい合っている会衆すべての人のお顔を見るようにしています。そして、待ち望んでいたメシアを胸に抱いて喜びに満たされているシメオンの気持ちに思いを馳せ、私の魂も喜び祝い、暗い顔ではなく喜びに満ちた顔でいられるようにと祈りながら・・・。 けれども時には心が沈む時、落ち着かないこともあります。それでも顔をあげ、会衆と一体となって神さまを讃美するとき、不思議と深い慰めと力を得るように感じています。
 神さまが、小さな乳飲み子として救い主をお与えになった理由は、子どもが持っている無邪気さや天真爛漫さ、沢山の可能性を秘めた未来への希望がある、というだけではありません。小さな赤ん坊という姿は、誰かの力を借りなければ決して命をつなぐことのできない無力そのもの。主はもっとも大いなる力を持っておられるにも関わらず、自らの力を行使することを放棄して、人間の手にその身を委ねられました。それは、この腕にかかる重み、ぬくもりを通して私たちが、今この腕の中に納まるほどに小さくなられた神さまの愛の重み、恵みの温もりを知るためにほかなりません。
 幼子を抱き神さまの約束が果たされたことを実感すると、シメオンはもうこの世に思い残すことはないと言います。神さまの約束に希望を持って待ち続けていた万感の思いが魂からあふれ出ているのです。また、アンナも同じく、幼子イエスと出会えた喜びに包まれて、神への賛美をささげた後、エルサレムの人々にこの嬉しい知らせを告げました。救い主と出会えた人々は、その喜びを自分の中だけにとどめておくことができなかったのです。
 では、私たちはどうでしょう? 福音を伝える喜びや感謝にあふれているでしょうか。見渡してみれば、私たちが生かされている現実は嘆きや呻きの耐えない社会。希望が見え辛く、不条理なことや悲しい出来事が絶えないと思えるような日々の積み重ねのように感じられます。耳に聞こえてくるのは、「神がいるというのであれば、なぜこのようなことが起こるのか」というような、怒りや不安、疑いの声の方が多く、喜んで受け入れられるどころか、怪しまれ拒絶されそうな気配すらあります。そのようなところに、「私たちの救い主は確かにおられる」と証し続けることは、簡単なことではありません。
 しかし、一週間の営みを終え、それぞれの場所から礼拝に集められる私たちは、まず共に罪の告白を行うように促され赦しを与えられます。そして、御言葉と聖餐の恵みによって福音を分かち合い、新たな力を注がれます。派遣の部にあるシメオンの賛歌は、再びそれぞれの生活の場へと散らされてゆく私たちに、「あなたは喜びに満たされた者である」ということを示してくれているように思います。
 罪人である私の上にも、また罪人の群れである教会の上にも救い主の光は輝いています。そしてこの光は、失われることのない希望でもあります。この希望の内に生かされている私たちは、讃美の声を高らかに告げる者であり続けましょう。
日本福音ルーテル札幌教会・恵み野教会牧師  岡田薫

ルターによせて(10)

痴愚礼賛
 
 今年は二月二十二日から四旬節が始まる。これはキリストの復活日に遡る四十日間を意味するが、昔から主の受難を覚え、肉食を断って精進潔斎をする時とされていた。しかし、その前に徹底的に馬鹿騒ぎをするのがカーニバル(謝肉祭)だ 。どうも、人間は聖俗のバランスの上に生きる存在なのかも知れない。ルターは、世俗世界の中で聖なるものを見出した(例えば世俗職業も神の召命である等)し、ドイツで同時代出版された大評判の民衆物語『ティル・オイレンシュピーゲル』では道化者のティルがその冒険を通して聖世界における痴愚的部分を爆発させている。ティルの埋葬の際、手違いで棺が垂直に墓穴に落ちた時、人々は「反骨の奴のことだ。死んでも立っていたいのだろう」と「オイレンシュピーゲル、ここに�T立つ�U(「眠る」ではない)」と墓標に刻んだと言われる 。ヴォルムス国会の審問で棄教を迫られた時、「我ここに立つ」と言ったルターの気概にも通ずるだろう。
 コンピューターに革命を起こしたS・ジョブズが「Stay foolish.(愚かであり続けよ)」と言って亡くなった。私達にもこの痴愚礼賛的情熱が不可欠なのではあるまいか。

牧師の声 私の愛唱聖句

三鷹教会 李 明生

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」
(ヨハネによる福音書一五章一三節)

二十数年前、進学のために田舎から東京に出てきた私は、西早稲田にある早稲田奉仕園・友愛学舎というキリスト教主義の学生寮で大学生活を始めることとなった。格安の寮費がこの学生寮の魅力であったが、実はその寮生活の核心は単に経済的なのものではなかった。この友愛学舎での生活を起点にして与えられた多くの出会いがなければ、私が牧師の道を進むことはおよそあり得無かったと言っても過言ではない。
 とりわけ寝食を共にした友人達との出会いは、何かを誰かと分かち合うことの喜びを私に教えてくれた。誰かと共に生きるその喜びを体験する時に、かつての自分であれば決して良いとは思えなかったもの、避けたくなるようなものであっても、新たな魅力と良さを知ることが出来るということを、この寮での生活を通して私は知った。

 主イエスが弟子たちを友と呼ばれたヨハネによる福音書一五章一三節は、この友愛学舎の「舎章」であり、私の寮生活のいわば背骨となった聖句であった。人が自分のためだけに生きる時、どれほど物質的に豊かとなり、自分の好むものばかりで自分の周りを埋め尽くしたとしても、私たちの魂が真に満たされることはない。それは全てやがては古び消え去るものでしかないからである。 しかし逆に、自分ではない誰かのために自らの時間や労力、その他持てるものを用いていく時、誰かのためにそれが失われることを厭わない時にこそ、私たちの思いを超えた恵みは与えられ、新しい世界が開かれるということを、私はこの聖句から示されたのだった。

 友との出会いは、自分の知っている世界に止まらせるのではなく、その出会いを通して、未知の新しい世界に自分が開かれてゆくということ、またその出会いを通して自分が変えられることがどれほど楽しいことなのかということを、私は寮生活を通じて体験したのだった。それは、まさに私にとって黄金の一滴と言うべき4年間であり、私が牧師を志した実質的な出発点であった。

信徒の声 共に祈ること

大江教会 谷口 愛 

 突然ですが、『エキュメニズム』という言葉を御存知ですか。私は恥ずかしながら、昨年神学に興味を持ち始めるまであまり耳にしたことのない言葉でした。
 エキュメニズムとは、キリスト教徒が多数の教派に分かれるなか、同じ主のうちに一つになろうという教会一致の運動ですが、今日まで二十数年をルーテル教会で過ごしてきた私にとって、教会や礼拝のイメージとはまさにルーテル以外のなにものでもありませんでした。しかし昨年の八月、エキュメニカルに触れる機会が与えられ貴重な体験をしてきたので、ぜひ皆さんにご紹介したいと思います。
 まだ暑い夏のはじまり、大きなバックパックにデイパック一つ、必要最低限の荷物を持って私は人生初の22日間巡礼の旅に参加してきました。この旅は、上智大学神学部の先生が主催して下さったもので、フランスとスペインでの様々な聖堂訪問や宗教イベントがスケジュールに組み込まれている盛り沢山な内容でした。 時系列で行き先を挙げていくと、まずフランスのパリ、テゼ、ヴナスク、ルルドを廻り、続いてスペインのマドリッド、アヴィラ、セゴヴィヤをそれぞれ数日間ずつ滞在しながら廻って行きました。テゼでは、朝・昼・晩のテゼの祈りと音楽に触れ、ヴナスクではノートルダム・ド・ヴィ修道会が主催するインターナショナルキャンプに参加し、そしてマドリッドではワールドユースデー(通称WYD)というローマカトリック教会主催の全世界カトリック青年が集う大会に日本巡礼団として参加してきました。このWYDは、全世界から毎回二百万人近くの青年とローマ教皇が一つの場所に集い出逢い、共に祈りの時間を持つことで、各々に生きる意味を探し求め改めてキリストに根ざして生きる信仰を見つめ直すことが出来る3年に一度のビッグなイベントです。
 様々な体験を一度に味わった旅でしたが、今回周囲が皆カトリック教徒である中、プロテスタント信者として参加できたことに一番意味があったと今振り返って思います。旅の仲間と教派を超えて分かち合い、ルーテル教会についても新たに知ってもらうことが出来ました。中には帰国後、何度か市ヶ谷教会に訪れてくれたカトリック仲間も多数います。
互いに歩み寄り、共に神様を賛美出来ることに感謝し素敵だなと実感したひと夏のエキュメニカル体験でした。主に感謝!

フィンランド教育事情

学力だけでいいか

教育に大切で必要なこととは何でしょうか。「学力」でしょうか。
 第二次世界大戦の後、子供たちの生活はずいぶん変わってきました。日本やフィンランドのような先進国は、経済発展に従って物質的な豊かさは今まで見たことのないほど増加しました。学校教育の水準もどんどん伸びてきて、両国はPISAという国際的な学力調査によると「学力」の高い国になりました。では、このような良い状態さえあれば、子供たちは幸せだと思うでしょうが、現実には様々な問題が増えています。例えば、フィンランドの学校にもいじめがありますし、ストレスや精神的なことによる問題も珍しいものではありません。アルコールや麻薬を使う青年たちの数も増えています。また日本ではキレやすく荒れた子供たち、いじめ、不登校や引きこもり、万引きや引ったくり、暴力などという生徒の問題もあるようです。
 「学力」も大切なことですが、教育水準が高いならば、教育レベルが世界で「一番」「二番」「三番」と心配するよりもっと大切なことがあるのではないでしょうか。例えば、私は、日本人とフィンランド人の共通の関心事の一つは、教育が、いかに、生徒の行動的・社会的・精神的問題に影響を及ぼすかを考えていることではないかと思います。重要なのは人として成長させることでしょう。
 キリストはこう言います。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得を支払えようか」(マタイ16章26節)。これを理解するなら、私たちの教育観はより深いものとなり、高い学力ばかりを目ざす狭い視点を広げることができるでしょう。
 Paivi Poukka, ポウッカ・パイヴィ スオミ・キリスト教会

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その21

「るうてるホーム」 常務理事 石倉智史

創立五十周年に向かって

 今から十年ほど前、築三十数年を経過した軽費老人ホームの建替えの検討を当時の理事会は精力的に検討していました。土地の取得に奔走していたことや、現地建て替えの検討などの資料も多数残されていたことから、先人たちもるうてるホームの未来を語り、たゆまない努力を続けてくれていたことがわかります。 行政など関係者からの期待も大きく、 なんとか実現を目指してはいましたが、結果としては見送らざるを得ない状況になってしまったことは残念なことでした。
 その思いを託された私たちは今から三年前、法人経営の立て直しを中心に中長期計画を策定し、�T次の五十年�Uという使命を引き継いだ証しとして、創立五十周年(二○一五年)までに「別地での全面移転を行う」という計画を盛り込みました。新たに土地を購入して建て替えをするという決意ができたのは、まさに先人たちの試行錯誤があったからこそといえるでしょう。
 しかしながら財務的にも潤沢ではない社会福祉法人が、土地を購入して事業を移転するという行為は、少なくとも大阪府内でも希なことでもあり、冒険的と捉えられたのか行政からの支持は簡単に得られませんでした。また地主の方との交渉も補助金を受けて事業をすることの理解がなかなか得られず、商談が破綻しそうにもなりましたが、多くの方々の支援と協力を得て粘り強く二年間の交渉を続け、昨年暮れにようやく土地を購入することができました。
 平行して行政にも何度も何度も足を運び、私たちの計画を理解していただき、昨秋から正式に協議をはじめてもらっています。こうして紆余曲折がありましたが、移転計画を実施へと移すことができましたことを、すべてを益としてくださる方に心から感謝したいと思います。
 新しい建物は地上5階建てで、法人のすべての事業を一体的に行う計画です。特に軽費老人ホームにつきましては、礼拝のあるケアハウスとして事業開始時の女性会の方々の思いを引き継ぐことができるようなものにしたいと考えています。 制度的には全国どこからでも利用が可能な施設です。ご協力をお願いすると共に、信仰の仕上げをする場所としても念頭において頂けますと幸いです。どうか、より一層のお祈りとお支えをお願いいたします。
社会福祉法人るうてるホーム
〒575-0003四条畷市岡山東5-5-55
TEL 072-878-9371
FAX 072-878-5293

私の本棚から

リチャード.P.ファインマン著 渡会圭子訳
『ファインマンの手紙』
ソフトバンク・クリエイティブ 2006年

 一九六五年にノーベル物理学賞を受賞したリチャード・フィリップス・ファインマンの青年期から晩年までの書簡集です。

 ファインマンは家族や友人、熱心なファンや学生、研究仲間、研究の先輩や後輩に多くの手紙を書きました。他者への心向けの深さや研究へのひたむきさが手紙から読み取れます。全く面識のない人、例えば、息子の子育てに悩む父親や将来を逡巡する学生からの手紙に対しても心を込めた返事を書いています。
 彼の手紙に惹きこまれる理由は、読ませる日本語にした翻訳者の文章にもあると思いますが、 物理学や数学などの専門的なことが書かれた手紙を含め、愛情があり、心の表情の豊かさが伝わる内容にあるのだと思います。研究への批判が書かれた手紙に対しても気付きを与えてくれたことに感謝する返事を出しています。
 書簡集を編むに際して、ファインマンの親族、知人、カルテック大学の先生の多大な協力があったそうです。彼が返信した手紙と一緒に、送られてきた手紙が紹介されていたりもします。承諾を得て掲載したとのことですが、 彼に手紙を書いた人たちは、さぞびっくりしたことでしょう。

 ロスアラモス研究所に単身で赴任した二〇歳代後半の彼は、週に何度も妻のアーリーンに手紙を書いています。愛し、愛され、互いに依存せず、互いを尊重した手紙ばかりです。結婚した時に、既に結核を患っていたアーリーンは、結婚の後、二年で亡くなります。ファインマン亡き後に何度も読み返したであろう擦り切れた状態で出てきた、妻の死から一年四ヶ月後に亡き妻に宛てて書いた唯一投函されなかった手紙が掲載されています。「愛するアーリーン 誰よりも君を大切に思ってるよ」で始まる手紙、追伸に「この手紙は出さないけれど許してくれるよね。君の新しい住所を僕は知らないんだ」とあります。慰めの手紙であり、癒しの手紙であり…。

 全六八五頁と分厚い赤の他人の手紙の束ですが、いつ読んでも心が動かされます。
熊本教会員、九州ルーテル学院大学図書館司書     水谷江美子

TNG

札幌教会 梅原裕子

 私が教会学校で「聖書のおはなし」を担当することになったのは、教会に隣接する「めばえ幼稚園」の教師として教会学校スタッフに加わったことに始まります。
 教会学校に参加している子どもたちは、幼稚園の三歳児から小学校六年生までと年齢差もあり、卒園児が多く参加しています。 また 、 幼稚園でも「聖書のおはなし」をすることはあります。
 聖和大学名誉教授の奥田和弘氏は「�Tキリスト教保育とはどのような保育か�Uと問われるならば、それは聖書から聞き、また聖書に問うことを基礎に置く教育、言い換えれば聖書との対話において成り立つ働きと言えます。」と語っています。
 「聖書のおはなし」を子どもたちに語るときは、幼稚園も教会学校でも大切にすることは同じであると思います。そして、教会で作成したテキストは、聖書のおはなしのポイントをわかりやすく解説していますので、参考になります。
 いつも大切にしていることは、聖書の箇所を自分に対するメッセージとして読むことであり、子どもたちにも神さまは、どんな時にも共にいてくださり、支えてくださることを信じて歩んでいくことを心より祈っています。

第90回全国高校サーカー 選手権大会

ルーチェル学院高、惜しくも初戦敗退

作年末に開幕した第90回全国高校サッカー選手権大会に、熊本県の代表として、ルーテル学院高校が出場。
 1回戦は12月31日 (土 ) 、 快晴 、 寒空の下、Jリーグ浦和レッズの本拠地埼玉スタジアム2002で、強豪、静岡県代表清水商業高校と対戦。試合は、ルーテルのゴールキーパーのファインセーブがクローズアップされる押され気味の展開。後半の試合時間もすでに経過し、アディショナルタイムになっても0‐0。「PK戦になれば、有利だ」と思った瞬間、キーパーの上手の手から水が漏れるかのように、ボールはコロコロとルーテルのゴールの中に。あー残念。  広報室長 徳野昌博

るうてる法人会連合第4回教会推薦理事研修会

 「るうてる法人会連合」の研修プログラムの一環として、「第4回教会推薦理事研修会」が新春の1月9日(月・祭)午後2時から8時まで市ヶ谷センターにて開催された。
 本教会の議長、副議長、事務局長、広報室長、学校法人及び社会福祉法人の教会推薦理事、それに幼保連の園長・牧師、総計約35名が「るうてる法人会連合の新しい展開を目指して」というテーマの下で、参集した。
 最初に渡邉議長が教会の立場から「新しい10年にむけて教会推薦理事の意義」について発題した。宣教共同体である「るうてる法人会連合」設立から10年を経て、総会の開催、出版、研修ブログラム等の継続的な取り組みも含めて、それなりの成果を宣教共同体としてあげているが、それぞれの共通の使命である宣教(ミッション)そのもの再確認、新たなる時代の中でのキリスト教理念の構築、それに人材の育成及び教会推薦理事の意義の再定義等が今後の共通課題であると説明した。
 この基調講演に対して、社会福祉協会、学校法人、幼稚園・保育園連合会の代表からリアクションとして、主に以下の点から意見と要望が出された。
 社会福祉協会代表・内海望氏は、職員にとって「働きがいのある施設」となるためのキリスト教精神の意義とその運営のあり方を考えていくためにも教会推薦理事の存在の重要性があり、と同時にその役割の課題が常に残されていることを指摘した。
 学校法人代表・松澤員子氏は、キリスト教主義学校におけるクリスチャン教師の減少傾向が強まる状況の中で、クリスチャンコード(教職員がキリスト者であることを定めた内部規定)に基づく学長選任及び理事候補の選定がいずれの大学等においても困難になっており、それは施設だけでなく、教会の働きも含めてキリスト者の人材養成・後継者養成の課題と深く関係しているとの意見が述べられた。
 幼稚園・保育園連合会長・岩切雄太氏は、教会推薦理事は会計基準も含めた法人の業務内容の十分な理解・把握と職員の働きを全面的に受け止める姿勢が大切であるとの意見を述べられた。
 最後の全体会では基調講演、リアクション、議場の意見を踏まえ、今後一年間かけて、「るうてる法人会連合」としての共通の「宣教理念の構築」の必要性、宣教共同体を維持、発展、推進していくための原点及びルール作りの作成、さらにそれに関連する教会規則第74条の条文の文言等の検討を相互に取り組んでいくこととし、そのための手順と、しかるべき作業委員会の設置は、春に予定される三法人の代表者会の場で協議していくこととした。
(副議長 青田勇)

春の全国Teensキャンプ 参加者募集

今年も春の全国ティーンズキャンプ(略して春キャン!)申し込みの季節がやってきました。
2011年3月の春キャンは、過去20年間の中ではじめて実行することができませんでした。東日本で起きた大震災のために、本当にたくさんのいのちが失われました。2012年春、私たちは、同じテーマであっても、新しい気持ちで「いのち」について考えたいと思います。
春キャンに来たことのない人たちも、春キャンに久しぶりに来る人たちも、
そして春キャンを楽しみにしてくれている人たちも、
みんな2012年3月は奈良に集合だッ!!
*なお、昨年春キャン卒業予定だった人も、今年キャンパーとして参加できます。

テーマ  いのちってだれのもの?―The Eternal Question―
主題聖句 命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。
     それを見いだす者は少ない。(マタイ7:14)

日 程: 2012年3月27日(火)~29日(木)
集合時間、解散時間は未定ですが、現地には各教区・地区ごとにできるだけまとまって往復します。交通手段等については、各教区担当者からご連絡いたします。
会 場:国立曽爾青少年自然の家  
〒633-1202奈良県宇陀郡曽爾村太良路1170
TEL 0745-96-2121 FAX 0745-96-2126
URL http://soni.niye.go.jp/index.html

参加対象者:2012年4月1日時点の年齢が12歳~19歳のみんな
参加費: 2月26日(日)までの申し込み  1万1千円((交通費は各自負担)
    申し込み期限を過ぎてからの申し込み(要相談)1万5千円(  〃 )
    ※申し込みのタイミングによって参加費が変動します。
※3月23日以降のキャンセルについては、参加費の半額を請求
させていただきます。
※飛行機のチケット等の手配もありますので出来るだけお早目に
お申し込み下さい。
申し込み期限:2012年2月26日までに、下記申込先に郵便・FAX
またはE-Mailでお願いします。
申し込み先 郵便:〒812-0053 福岡市東区箱崎3-32-3
日本福音ルーテル箱崎教会気付 春キャン2011申込受付担当:和田憲明宛
FAX:(092)641-5480(箱崎教会) E-Mail:tng.apply@gmail.com
キャンプに関する一般的問合せ:
TNG-Teens部門 小澤実紀 携帯TEL:090-1098-2466
主 催:日本福音ルーテル教会宣教室TNG委員会Teens部門、各教区教育部、JELA

JLER報告

JLER東日本大震災救援活動への祈りとご支援に感謝します。新しい年がやってきました。被災地では「おめでとう」という言葉が素直に言えない年を迎えました。仮設住宅での寒さは厳しく、復興への道のりも苦難を感じながら、少しずつ前に進んでいます。本当に厳しい冬となりました。
 ルーテル教会救援では、昨年11月から石巻市北上・河北で仮設支援を始めまています。伊藤文雄派遣牧師・西田ちゆき社会福祉士の2人で仮設住宅を訪問しはじめました。これまで教会からの「おすそわけ」をはじめ、メッセージカード、雑巾等をお配りした仮設です。ルーテルさんの名前はよく知られていました。その関係があったからこそルーテル「お茶っこ会」は歓迎されました。今年になって、若手ボランティアスタッフ2名が加わりました。
 現在、毎週2回ほど仮設住宅での「「お茶っこ会」は行なわれています。簡単な体操にはじまり、テーマを決めての話からはじまります。ときには津波のことも話されます。天に送った家族の話になると、心の傷がいかに深いことかと思わされます。それでも、丁寧に話をお聞きしています。たった一杯のお茶ですが、そこに集い話をすることで、心が少しずつ開かれてくるのだと思います。笑いあり涙ありです。
 伊藤先生からは、カラオケ大会ができないか。映画会ができないかと相談がありました。共に歌うことが元気を与えます。童謡にはじまり歌謡曲まで。ときにはみんなで歌いながら涙もでます。男性の参加者が増えるようにと映画会も必要です。「男はつらいよ」シリーズを上映する計画も立てました。仮設支援はまだこれからです。心のケアにまでつながるようにと願っています。石巻市社会福祉協議会とも協力してこの支援をすすめてまいります。
 活動の様子はブログhttp://lutheran-tonaribito.blogspot.com/でもどうぞ。   事務局長 立野泰博

12-02-02JLER月報2012年2月号−4号

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12-01-31讃美の声を高らかに

《主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの誉れです》
ルカによる福音書2章29節~32節

数年前の式文の学びの際、講師の方が「式文を用いる礼拝だと、毎回毎回同じことの繰り返しのようにお感じになるかもしれません。しかし、二つとして同じ礼拝はありません。なぜなら、その時、その空間、その礼拝に集められた一人ひとりと、そこで働く神さまの聖霊はそこだけのものだからです。つまりライブです。 派遣の部で私たちは、シメオンの賛歌を共に歌い、またそれぞれの日常に神さまから遣わされてゆきます。もしかしたら、この礼拝が最後になる方もおられるかもしれません。ですから、この賛歌を共に歌うとき、俯いていたり悲しい顔をしているよりも、幼子イエスを胸に抱いて喜びに溢れていたシメオンのように、顔を上げて、喜びを生き生きと表すように歌うとよいのではないでしょうか・・・。」と、言われていたことを思い出します。 それ以降、司式者として立たせていただく際には、可能な限り向かい合っている会衆すべての人のお顔を見るようにしています。そして、待ち望んでいたメシアを胸に抱いて喜びに満たされているシメオンの気持ちに思いを馳せ、私の魂も喜び祝い、暗い顔ではなく喜びに満ちた顔でいられるようにと祈りながら・・・。 けれども時には心が沈む時、落ち着かないこともあります。それでも顔をあげ、会衆と一体となって神さまを讃美するとき、不思議と深い慰めと力を得るように感じています。
神さまが、小さな乳飲み子として救い主をお与えになった理由は、子どもが持っている無邪気さや天真爛漫さ、沢山の可能性を秘めた未来への希望がある、というだけではありません。小さな赤ん坊という姿は、誰かの力を借りなければ決して命をつなぐことのできない無力そのもの。主はもっとも大いなる力を持っておられるにも関わらず、自らの力を行使することを放棄して、人間の手にその身を委ねられました。それは、この腕にかかる重み、ぬくもりを通して私たちが、今この腕の中に納まるほどに小さくなられた神さまの愛の重み、恵みの温もりを知るためにほかなりません。
幼子を抱き神さまの約束が果たされたことを実感すると、シメオンはもうこの世に思い残すことはないと言います。神さまの約束に希望を持って待ち続けていた万感の思いが魂からあふれ出ているのです。また、アンナも同じく、幼子イエスと出会えた喜びに包まれて、神への賛美をささげた後、エルサレムの人々にこの嬉しい知らせを告げました。救い主と出会えた人々は、その喜びを自分の中だけにとどめておくことができなかったのです。
では、私たちはどうでしょう? 福音を伝える喜びや感謝にあふれているでしょうか。見渡してみれば、私たちが生かされている現実は嘆きや呻きの耐えない社会。希望が見え辛く、不条理なことや悲しい出来事が絶えないと思えるような日々の積み重ねのように感じられます。耳に聞こえてくるのは、「神がいるというのであれば、なぜこのようなことが起こるのか」というような、怒りや不安、疑いの声の方が多く、喜んで受け入れられるどころか、怪しまれ拒絶されそうな気配すらあります。そのようなところに、「私たちの救い主は確かにおられる」と証し続けることは、簡単なことではありません。
しかし、一週間の営みを終え、それぞれの場所から礼拝に集められる私たちは、まず共に罪の告白を行うように促され赦しを与えられます。そして、御言葉と聖餐の恵みによって福音を分かち合い、新たな力を注がれます。派遣の部にあるシメオンの賛歌は、再びそれぞれの生活の場へと散らされてゆく私たちに、「あなたは喜びに満たされた者である」ということを示してくれているように思います。
罪人である私の上にも、また罪人の群れである教会の上にも救い主の光は輝いています。そしてこの光は、失われることのない希望でもあります。この希望の内に生かされている私たちは、讃美の声を高らかに告げる者であり続けましょう。
日本福音ルーテル札幌教会・恵み野教会牧師  岡田薫

12-01-11るうてる2012年1月号

説教:喜びと純粋な心をもって、共に 

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 聖 書:使徒言行録2章44-47節
 日本福音ルーテル門司教会・八幡教会 
岩切雄太

 使徒言行録2章44-47節には、草創期のキリスト教会の姿(キリスト教共同体の姿)が記されています。「信じた者たちはみな同じ場所に居て、一切を共有していた。また財産や所有物を売って、必要とする者がいれば、それを誰にでも分けた。また思いを一つにして毎日神殿に居つづけ、また家ではパンを割き、喜びと純粋な心をもって食事を共にし、神を讃美し、民のすべての者たちに好まれていた。主は救われる者を日々一緒に加えて下さった」(田川健三訳著『新約聖書 訳と註 2下 使徒行伝』作品社)。
 ここに記されていることが、どこまで史実であるのかは分かりません。なかでも、キリスト教会の人たちが、「民のすべての者たちに好まれていた」ということは事実ではなかったでしょう。というのも、キリスト教会の人たちは、「民」によって十字架の刑に処されたばかりのイエスをメシアとして信じる人たち、だったからです。ここに描かれているのは、使徒言行録の著者ルカが、四十数年前の草創期のキリスト教会を想像しつつ描いた「理想化」した姿なのでしょう。
 しかし、ここに描かれている教会の姿がたとえ仮説的なものだとしても、「民のすべての者たちに好まれる」教会とはそのような教会である、ということに私たちは同意することができるのではないでしょうか。
 さて、草創期のキリスト教会のメンバーがどのような人たちであったのか、ルカは記していません。ここでは、そこに集う人たちが、どのような社会における境遇の人であるか、階級上の地位や社会的身分がどのような人であるか、その人がどれだけ生まれつきの資産や能力を備え、知性、体力を有しているか、そのようなことが注意深く取り除かれています。そしてその上で、ルカは、全員が神の前に同じ状況に置かれているということを、「一切を共有していた」という一言で表そうとしたのではないでしょうか。どんな人も生まれのめぐり合わせや社会的な情況のよしあしによって当人の有利・不利が左右されない、それによって当人の優劣は決まらない状態、それを「(人々が)一切を共有していた」状態である、と。また、「(人々が)一切を共有していた」ということは、人々は「一切を共有すること」に合意していた、ということす。つまり、全員が神の前に公平である、そのことに合意した人たちによってキリスト教会は出発している、とルカは描くのです。
 そして、全員が神の前に公平であるという状態に合意した共同体であるがゆえに、人々は、それぞれの能力は個人のものではなく、共同体の共有財産であると考えたのでしょう。だから人々は、それぞれの能力によって得た「財産や所有物」を、「必要とする者がいれば、それを誰にでも分けた」のです。ここには、分け与える者と施しを受ける者、強者と弱者という境目がありません。このような共同体だからこそ、「民のすべての者たちに好まれていた」のです。このことに、私たちも、ルカとともに同意したいと思います。そして、その同意から現実の問題に向き合っていきたい、と。
 ところで、ジャン・バニエは「あなたは輝いている」(一麦出版社)という著書の中で、次のように言っています。『ルネ・ルノワールは、彼の著書「除外されたもの(The Outsiders)」の中で、カナダの先住民の若者のことを書いています。20人の子どものグループに対して、質問に最初に答えられた子に賞品をあげると約束して「フランスの首都はどこですか?」と聞きました。子どもたちはみんなで話し合ってから、声をそろえて「パリ!」と叫んだのです。なぜそんなことをしたのでしょうか。その理由は、賞品をもらえるのは20分の1の確率で、一人しかもらえないからです。そして誰か一人が賞品をもらえば、その人はもうコミュニティの一員ではなくなってしまうのが分かっていたからです。勝った人は他の人より上位に立ってしまうのです。私たちが生活する豊かな社会では、多くの人が賞を得る代わりにコミュニティや連帯の意識を失っています。より貧しい国では賞を得ることはありませんが、連帯感を保っていられます』。
 私たちの日本福音ルーテル教会が、「喜びと純粋な心をもって」、よりいっそう連帯感を深めていくことができますように。そして主が・・・。

ルターによせて(9) 

  ダビデの原則
 
 ルターにとって、詩編は少年時代にラテン語学校で教会の典礼音楽を学び、聖歌隊隊員として詩編を歌う指導を受けて以来、生涯にわたる拠り所として親しんで来た書だ。
 彼の修道士としての生活は一五〇五年から一五二四年までの二〇年間に及ぶが、修道院では毎日七度詩編によって構成された聖務日課(時課)を祈る。一週間で全詩編一五〇編が歌い通されるのだ。彼が全詩編をそらんじていたのも不思議なことではない。
 この詩編との深い関わりを通して、ルターは「祈り、黙想、試練」が神学の正しい学びの方法だと言う。祈りは、自分の理解や考えに失望して神が御子を通して聖霊を送り、理解を与えて下さるようにと祈ることであり、黙想とは単に内的黙想のみならず、「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ(詩編1・2)」ことであり、そして、試練こそは試金石であり、知り、理解することを教え、神の言葉がいかに真実で、力強く、慰めに満ちているかを教えるのだと言う。彼は、この方法を詩編一一九編から「ダビデの原則」と呼んでいる。
 私達もこの「ダビデの原則」に立ち帰り、新しい年を始めようではないか。
 
 

 牧師の声

 私の愛唱聖句
 東教区付牧師
  伊藤早奈
 
 「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」 
 創世記1章31節
 
  この聖句は今、私が支えられているみ言葉の一つであり、私自身への命の意味をいつも生きて囁いてくれています。
 私は17年前に医師より脊髄小脳変性症という今の医学では治す方法がない進行性の難病であることを診断され、現在車椅子の生活をしています。
  「なぜ、私は生きているんだろう」「私なんて生きていいのだろうか」と生きておられる誰もが思うことかもしれませんが、私も問い続けています。歩くことから始まり、しゃべることも字を書くこともやりにくくなる現実、できたことができなくなることばかりに心奪われる時、人は自分が存在していることさえ呪いたくなります。
  ある日、私はある信徒の方に「先生、先生は病気にならなければ、牧師になりませんでしたよね」と言われ 、びっくりしたと同時に、なるほどなぁって自分がなぜ牧師に導かれてここに在るのかを改めて教えてもらったような不思議な気持ちになりました。 もし、私が病気と向き合う機会がなかったのなら、「神はお造りになった全てのものを良しとされた」なんてみ言葉は心に響かなかったのかもしれません。
  今までできてきたのも神様に与えられたもの、当たり前のものなんて一つもない。失ったものばかり数えていると今与えられているたくさんのものに気付くことができない。神様は今もこの瞬間もかけがえのない一人一人にたくさんの恵みと愛を与え続けてくださっておられる。それは誰に比べることもないかけがえのないあなたという存在を必要とされておられるからです。だから、私もあなたも世界中の一人一人が神様の保証付きです。
  今私は生きることを許され今を生かされてある命の尊さをこのみ言葉と共に伝える者として神様に用いられたいと願っています。
 
 

 信徒の声

 堅信までの歩み
 札幌教会 浅井明郎

 
 私が両親を始め家族とともに、札幌教会で洗礼を受けたのは、1934年のクリスマスでした。
  当時は日曜学校に欠かさず出席していましたが、1938年に尋常小学校を終えたとき、6年間「落ちこぼれ」であった私自身の将来を考えて、住込みの菓子職人見習いとして働き始め、4年後には海軍の機関兵として巡洋艦の罐を焚き、1946年に復員したものの当時の食糧事情から菓子職人に戻ることを諦め、罐焚きの職を得て、土曜、日曜もなく働いたので、教会に行くことは出来ませんでした。
  家族の中で、唯一人教会にも行かず、働くだけの男を「一家の異端者」と見る向きもあったようですが、身を以って働くほかに何の取柄もない男が存在するのも「神の摂理」であり、罐焚きの仕事も、神が私に与え給うた賜物と信じております。
  1995年に退職しましたが、長年、教会から足が遠退いていた私は、内心忸怩たるものがあって、直ぐには教会に戻り得ず、我が家で聖書を読み進む中「迷い出た羊」のたとえ(マタイによる福音書18章12~14
 節、ルカによる福音書15章3~7節では「見失った羊」のたとえ)に目が留まり、戻れる道に辿りつきながら、進むことをためらう己の姿に気が付き、思い切って2000年の夏に札幌教会を訪れました。
  当時の主任牧師斉藤忠碩先生を始め教会の皆様は、六十二年振りに舞い戻った男を快く迎え入れて下さり、堅信教育の場も整えられて、その年のクリスマスに七十五歳で堅信会員となり得たのは、私にとって望外の喜びであり、感謝しております。
  これからは、六十六年の間、未堅信であったことを忘れずに、研修に努め、信仰一途に余生を送る所存です。
 
 

 フィンランド教育事情

 大切なあなた
 
  春学期は、卒業試験を目前にしたフィンランドの高校生には、大変なストレスを感じる時期です。2月の中旬には全ての授業が終了し、その後、家での自習期間に入ります。その期間中、高校生は3月14日~30日に行われる様々な試験にむけて、勉強します。
 
  しかし、その準備に入る前に、小学校から12年間に及ぶ教育を終了した3年生はお祝いをします。生徒たちは、テーマを決め、そのテーマにそった面白い恰好で学校に集ります。そして、皆の前で先生たちについて楽しい歌を歌ったり、劇をしたりします。
 
  その日の夕方には、翌学年に高校の最終学年を迎える2年生たちも、お祝いをします。「最上級生たちの舞踏会」と呼ばれる舞踏会を開くのです。きれいなドレスを着た学生たちは、秋から練習してきたダンスを、学校と家族の皆さんに披露します。(写真)このようなのんびりした楽しい時は、学校生活の中でも珍しいことです。
 
  高校の校長先生の高校生に向けた言葉を思い出します。「十分に休み、食事をし、運動して、卒業試験の準備をして下さい。」この言葉は、良い結果を得ることよりも大切なことがあることを教えてくれます。
 
  神はこう言われます。「私の目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛」す(イザヤ43章4節)。 そして「 わたしはあなたを教えて力をもたせ、あなたを導いて道を行かせる。」(イザヤ48章17節)。成功や失敗にも関わらず、 祈り、全てを神に委ねる人は 、神の導きと守りの中にいます。ですから、良い成績を追いかけすぎて、自分を追いつめたり、大切なあなた自身を壊したりしなくていいのですよ。

ポウッカ・パイヴィ スオミ・キリスト教会

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その20

「オンリーワン」  理事長 中本秀行
 
  社会福祉法人オンリーワンは、前身であるNPO法人スモールワンの理念を引き継ぎ、2011年4月に設立しました。事業内容は障がい者福祉事業を全般に行っています。
  毎日通所してくるメンバーは、児童も含め40名ほどで職員16名、パート3~4名で活動を行っています。
  オンリーワンは、1998年、元町教会(現挙母教会元町礼拝所)の隣で空き家になっていた宣教師館を無償でお借りし、「知的障がい児の自立を支援する会スモールワン」として障がい児を持つ親 、数名で発足しまし
 た。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」この聖書の言葉を掲げてのスタートでした。
  当時は、障がいのある方が地域で暮らせる制度も無い時代でしたが、将来グループホーム等で親亡き後もずっと地域で暮らせる仕組みを作りたいと思い、活動を開始しました。当初は資金も無く、ボランティアの方たちの支援を頼りに行っていました。特に協力を頂いたのが教会の信徒の方たちで、土曜日の活動には、毎回お昼の弁当などを作って下さりスモールワンを支えて頂きました 。 また 、教会ではNPO法人になるまで高熱水費等を負担して下さり、 本当に大きな恵を与えられました。
  その後、2005年にNPO法人化し、支援費制度のもと、障がい者デイサービス事業を行ない、今も数々の事業を行っています。事業規模が大きくなるにつれ、NPO法人と社会福祉法人のメリット・デメリットを考えた末、社会福祉法人化を目指すことになりました。勿論、容易ではありませんでしたが2年ほどの期間を経て、社会福祉法人認可となりました。
  現在の事業内容は、生活介護事業・居宅介護事業・共同生活介護事業(ケアホーム)・児童デイサービス事業・地域生活支援事業・福祉有償運送事業等を行っています。日中の活動では、焼き菓子づくりの「お菓子工房ぐれいす」、物づくりの「創作工房アルカ」、喫茶・お菓子販売の「カフェギャラリーマテイニ」の運営をしています。
  2011年12月には、豊田市の新・福祉センターにおいて、就労移行支援事業で喫茶・レストラン「ボンズカフェ」の運営をすることになり、障がい者の働く場所が拡大しています。
 
 社会福祉法人オンリーワン 471-0855 愛知県豊田市柿本町5‐31‐2 
 TEL0565-28-0567 
 FAX0565-28-0590
 
 

 私の本棚から

 カレル・チャペック著 小松太郎訳
 『園芸家十二ヵ月』中公文庫、1959年発刊、1996年改版
 
  「新しい年を迎えるごとに高さとうつくしさがましていく。ありがたいことに、わたしたちはまた一年歳をとる。」最終章『十二月の園芸家』の最後の文章。
 
  『園芸家になるには』から始まり、『一月の園芸家』、『二月の園芸家』と十二月まで続きます。
  『園芸家になるには』には「ある程度、人間が成熟していないとだめだ。」『一月』は「そうこうするうちに、いやでも「春の準備」をしないわけにいかなくなる。」『二月』ではクロッカスの芽を見て、「これが春の最初のきざしだ」。『四月』は「人間が真理のためにたたかうことは事実だ。しかし、自分の庭のためだったら、もっといそいそして、夢中になってたたかう。」
  『六月』には「神さま」で始まり「アーメン」で終わるチャペックらしい�T植物中心のお祈り�U。祈りの後に、「だって、エデンの園では、じっさいそのとおりだったにちがいない。そうでなかったら、エデンの園にあんなに草木がよく茂るはずはない。どう思います、諸君?」と続きます。祈りの中身は、本を手にして読んで頂きたい…。
  『十二月』、「園芸家は思い出す。たった一つ、忘れたことがあったのを。それは庭をながめることだ。」
 
  「園芸家に対する分析」=「チャペックの自己分析」の諧謔に然り。文章との掛け合いが楽しい挿絵は兄の素描。飯島周訳『園芸家の一年』(恒文社)が最近出ましたが、私は子どもの頃に親の本棚で見つけて読んだ小松太郎訳に親しみを覚えます。チャペックの本業は園芸家ではなく文筆家です。�Tロボット�Uという言葉を創った人、童話『長い長いお医者さんの話』や『郵便屋さんの話』の作家です。社会や人間への鋭い観察眼は面白い。チェコの風刺コメディ計三十八本の短編映画を 二日続けて四時間ずつ映画館で観たことがありますが、ほとんどがチャペック原作でした。�T寒中での園芸�Uが障って肺炎になり、一九三八年クリスマスに四十八歳で死去しました。
  今月にこの本を選んだ理由は、一月から十二月までの巡りが神様に定められた時まで続くこの世での歩みと重なるからです。
 
 
 熊本教会員、九州ルーテル学院大学図書館司書 
  水谷江美子
 
 

 TNG

 「いのち」について
 
  
  2011年3月11日に東日本大震災が起り、春の全国ティーンズキャンプは中止になりましたが、2012年春は、「いのちってだれのもの?」というテーマでキャンプを開催します。震災で多くの「いのち」が犠牲になりました。 岩手県宮古市に住んでいた100歳の叔母は、津波を逃れることはできましたが、避難所で亡くなりました。
  さてキャンプでは、『私の中のあなた』という映画を取り上げる予定です。サラは、夫ブライアンと長男ジェシー、長女ケイトと幸せに暮らしていました。しかし、2歳のケイトが白血病に侵されていることが分かり、家族の生活は一変します。両親に残された希望は、ケイトの生命を救うドナーに適合した新たな子どもを、遺伝子操作で作ることでした。そうして、次女のアナは生まれてきたのです。アナは、白血病の姉ケイトのドナーとして、へその緒の中に含まれる血液(その中に血を造る細胞が多量に含まれている)を提供し、その後も輸血を繰り返し、骨髄移植もしました。
  けれども、アナが13歳になった時、両親を相手に訴訟を起こします。「16歳の姉ケイトの治療のために、腎臓をひとつ提供することを要求されているが、自分の体は自分で守りたい」と、アナは弁護士に告白するのです。
  この映画の原作を読むと、アナの母サラは、最後にこう独白しています。「子どもはもうけるのではなく、授かるのだということにやっと気がつく。それは、かならずしも、わたしたちの期待や希望に適うほど長い時間ではないかもしれない。けれども、この子たちを〔ケイトとアナを〕授からなかったことを思えば、はるかにすばらしいことなのだ」。
  イエス・キリストは、「命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか」(マタイ7・14)と言われています。私たちは、「いのち」を見出す者となりたいものです。
 京都教会牧師  沼崎 勇
 
 
 

 公 告

 
 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。
  二〇一一年一二月一五日
  宗教法人 
  日本福音ルーテル教会
   代表役員 渡邉 純幸
 
 信徒利害関係人 各位
 
 西条教会の土地一部売却の件
 
 土地分筆
  所在 広島県東広島市西条町 土与丸字円行
  地番 一五二三番一九より同番二〇に分筆
  地目 田
  地積 九二・〇〇-
  理由 左記売却目的にて分筆
 土地売却
  右項記載の分筆した土地
  地番 一五二三番二〇
  理由 学校法人広島ルーテル学園(西条ルーテル幼稚園) の収容定員増加申請に伴い、幼稚園設置基準に対する自己所有地の面積不足が生じたため、右�A項の通り同学園に売却するもの。      以上
 
 
 祝聖御降誕 謹賀新年
 総会議長 渡邉純幸
 
  主のご降誕を心よりお慶び申し上げますと共に、新しい年も皆さまのうえに主の豊かなる祝福と平安の年でありますよう心よりお祈り申しております。
  新しい年を迎えた今も、昨年の3月11日に起った未曾有の大震災を忘れることができません。多くの被災者がなお苦しみの直中に置かれていることを思うとき、深い痛みを覚えます。被災された方々が一日も早く、元の生活に戻ることができますよう、引続き、皆さまからのご支援とご協力をお願い申し上げます。
  「主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」(詩編1編2~3節)と詩編者は、現実には緑豊かな土地とは程遠い、荒涼とした大地にある イスラエルの民に、困難な中に置かれていても、忍耐をもって主の声に耳を傾け、主に従う者は、まるで流れのほとりに植えられた木のように豊かに葉を茂らせ、実を結ぶと詩っています。
  私たち日本福音ルーテル教会の取り巻く環境は、間近に迫る多くの教職の引退期、それに加えて献身者の育成、教会財政(各個教会も含めて)等、多くの困難な課題を抱えています。そのような中にあっても、私たちは詩編者が語るように、川のほとりに植えられた木として、いかなる時も主により頼みつつ歩みたいものです。もちろん、実を結ぶには多くの時間を要します。また忍耐も必要とします。しかし、主は私たちを見放すことなく、必ずや主の祝福を戴くことでしょう。
  2012年の新しい年のはじめにあたり、「主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人」として、主からの困難に打ち勝つ力が与えられていることを覚えたいものです。皆さまお一人おひとりの上に、主の祝福と平安がありますよう心よりお祈り申し上げます。
 
 2012年1月
 
 
 

 東教区「定年牧師懇談会」報告

  
  2011年12月6日、東京教会で、「定年牧師懇談会」が開催されました。これは東教区が主催するもので、毎年、この時期に行なっています。かつては2年に一度でしたが、「毎年行ってほしい」との要望もあって、このところ毎年行っています。
  東教区には32名、「定年牧師」の先生方がおられます。そのうち、現在、一人は牧会委嘱の働きのために東海教区に単身赴任、そして、もう一人は大震災の影響で 、居を九州教区に移しておられます。あるいは、ホスピスでの務めのため、来られない先生もおられる中、今回は17名の先生方が集まってくださいました。接待するのは教区の常議員会のメンバーです。
  東京教会の会議室で、まずは昼食の出前弁当を共にいただきます。その後は、お一人おひとりから近況報告をしていただきます。お一人3分と制限時間を設けるのですが、多くの先生が時間内に収まりきれず、実にいろいろなお話をしてくださいます。もちろん、 近況報告だけでなく、教区への要望、時には苦言なども盛り込まれています。
  欠席の通知をいただいた先生からのメッセージも読みあげられます。参加できなくても、心を寄せていただいていることが一同に伝わり、安心したり、なつかしい思いに駆られたり、温かい気持ちになって、とにかく励まされるわけです。これがこの懇談会の良いところの一つでしょう。
  多くの先生が今もなお、説教壇に立たれる機会がおありのご様子で、そのことの喜びを語ってくださいました。執筆活動中や、それへの意欲を見せる先生もおられ、現役の牧師たちは、大いに刺激を受けました。
  教区からも、今回は、「巡回説教者」のことで、より良いものにしていくための相談をさせていただき、貴重な意見をいただきました。常議員会としては、「これからもどうぞよろしく」との思いです。
  2013年に東教区も50周年を迎えます。この50年は定年牧師を抜きには語れません。過ぎし50年を感謝しつつ、未来に向かって、牧師として召された者たちが、その事実の上に立って、教会にお仕えしていきたいと、決意を新たにしました。
 東教区教育部長 徳野昌博

12-01-02JLER月報2012年1月号−3号

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11-12-15るうてる福音版2011年クリスマス号

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クリスマスの朝

エリック・ハンソン

“そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取って下さる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも苦労もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」”
ヨハネの黙示録21章3-4節
 

 皆さんこんにちは!12月を皆さん満喫しており、そして楽しいクリスマスを心待ちにしておられることを願っています。

 わたしは、日本に4年間住んだあと、クリスマスについて、以前と違ったように考えるようになりました。わたしを知らない人たちのために説明しますが、わたしはアメリカ人です。ですから、よちよち歩きの頃から毎年12月の終わりにクリスマスを祝って、大きくなりました。小さい頃いちばんワクワクしたのは、クリスマスの朝起きて、家族のクリスマス・ツリーの下に、サンタクロースと家族が自分のためにおいてくれたプレゼントを見つけることでした。毎年このプレゼントを開けて、新しい玩具で遊ぶのが待ちきれませんでした。

 クリスマスの朝にプレゼントを開けることに加えて、もう一つ一家の習慣がありました。子どもの頃はプレゼントと同じくらい楽しみにしていたことです。アメリカでは、クリスマスの前夜(クリスマスイブ)に、家族と共に教会に行き、特別な、クリスマスの燭火礼拝でイエスの誕生を祝います。教会の電気を消して、会衆の人たちと一緒に暗い中、ロウソクを手にして、クリスマスの賛美歌を歌い、一緒に祈ります。プレゼントを開くことに比べて、その経験は心を穏やかにする、静かな形の楽しみでしたが、プレゼントを開くのと同じくらいに楽しいことでした。

 成長するにつれて、プレゼントやクリスマスの歌またろうそくの先にある、クリスマスを祝う本当の理由について考えざるを得なくなりました。イエスの誕生について、また彼の誕生がわたしやわたしのいる世界で何を意味するのかということを問わなければなりませんでした。はじめに、クリスマスのことを、神が人間になって私たちの中に生きるようになった日だと考えたとき、「そんなのまともじゃない!一体どうして神が人間になりたいだろうか!人間はとても弱く、力がないけれど、神はとても偉大で強力じゃないか。そんなのは理にかなっていない!」と考えました。しかし、イエスの生涯を考えると、真の力を持つ方は、その力を自分のために取っておくのではないということが見えてきました。イエスの中に、偉大な力とはその力を温存する能力ではなく、喜んで分けあう能力だということを見ました。

 最初に書いた黙示録の言葉を読むと、偉大な力強い変化が最初のクリスマスの朝になされたことがわかります。黙示録には「神の幕屋が人の間にあって」と言っています。真実は、最初のクリスマスの朝、イエス・キリストにある神は弱く壊れやすいものになられました。彼はわたしたちのために弱く壊れやすいものになりました。それは、わたしたちが神とともに強くよいものになることが出来るからです。キリストにあって、神はあなたと今共におられます。彼は、あなたの恐れを知っておられるから、勇気を与えるために来られました。今神の幕屋はあなたの間にあります。神が、わたしたちが強くなるために弱くなられたことに感謝しましょう。
 メリー・クリスマス!

フィンランドのクリスマス料理

 フィンランドでは、クリスマスは一年で最も暗い季節における光と温かさのお祝いです。フィンランド人は待降節になるとクリスマスの準備で忙しくなります。特に子供たちは毎日アドベントカレンダーの窓を一つずつ開けて、クリスマスをわくわくしながら待ちます。
 クリスマスの準備にすることは、クリスマスカードを送ること、家の大掃除、クリスマス料理を作ることです。それぞれの家族にあるクリスマスの伝統は子供たちに伝わっていきます。クリスマス料理を子供たちと一緒に作ったら、家族の味は世代から世代へと伝わっていきます。子供たちはお母さんが作ったクリスマス料理の味を覚えて、同じように作りたいと思うからです。
 フィンランドの伝統的なクリスマス料理には、豚肉のオーブン焼き、ビネガー漬けやオーブン焼きの魚料理、ニンジンや馬鈴薯のキャセロール、生野菜やゆで野菜のサラダ、いろんな種類の焼き菓子などがあります。クリスマス料理は、塩、砂糖、ビネカーで味付けするので、何日も持ちます。「クリスマスには夜通し食べられる」という言い回しがあるように、クリスマス料理はフィンランド人の心を惹きつけるものです。
 パンやケーキやクッキーなどのクリスマスの焼き菓子をつくる時は、シナモンやいろいろなスパイスの香りが家中に広がって、クリスマスの雰囲気を一層高めます。
 フィンランドでは、クリスマスは両親のいる実家に家族が集まるお祝いです。家族はひとつになって一緒にクリスマス料理を味わいます。しかし、フィンランド人は皆、家族を御馳走の前に集めてくださった本当のクリスマスの主人を覚えてお祝いします。イエス・キリストがその主人であると。

星形のプルーン・パイ

パイシート/プルーン 200 g/砂糖 1dl/
水 150-200 ml

1.プルーン・ジャムをつくる。プルーン、砂糖、水を鍋に入れて、プルーンが柔らかくなるまで混ぜながら煮る。プルーンが柔らかくなったら、ミキサーで混ぜる。
2.パイシートを正方形に切る。上のように4角から1,5 cm位のところから、それぞれの辺に平行になるように切れ目を入れる。切れ目の長さは、辺の半分よりも短めにする。
3.パイシートの真ん中に1のジャムを小さじ1,5杯分をのせる。4角を中心に向かって折り曲げるようにして、ジャムの上で4角の先っぽ部分が順番に重なるようにする。重なりが起き上がらないように、指で少し押す。
4.3をオーブンで210℃の温度で10-12分位焼く。

サーモン・ロール

サーモン 300g/塩 大さじ一杯/砂糖 小さじ1/2杯/
ディル/ クリームチーズ 50g/ホイップクリーム 1/2dl/
塩 小さじ1/2杯/ブラックペッパー 少々/
ディル みじん切りにしたもの大さじ一杯

1.サーモンの上に塩大さじ一杯と砂糖小さじ1/2杯をかけ、ディルの葉を上にのせる。それをアルミフォイルに包んで、1-2日位冷蔵庫に入れておく。
2.ホイップクリームを泡立てて、クリームチーズと塩小さじ1/2杯、ブラックペッパー少々、みじん切りにしたディルを混ぜる。
3.1を斜めに薄くスライスしていく。スライスしたものをラップの上に長方形の形に並べる。
4.3のサーモンスライスの長方形の上に2のクリームを塗る。
5.4をロールケーキの要領でロールさせ、それを冷凍庫に30分から1時間位入れておく。
6.5を2 cm位(長さはお好みに応じて)に切り、レモン汁をかける。ゆで卵やゆでた馬鈴薯を添える。

寄り添う人がいる。

日本福音ルーテル教会事務局長 立野泰博

 東日本大震災ルーテル教会救援から派遣され、避難所でともに寝泊まりしできた牧師がいます。避難所が閉鎖され、いま仮設住宅を一軒一軒まわっています。その派遣牧師が、ひとつの仮設住宅を訪問していたときのことです。
 津波被害や家族のことなど話してくださった、被災者のおばあさんがおられます。いつもボランティアを暖かく向かい入れてくださり、仮設支援も手伝ってくださっていました。ある日、おばあさんが「今日はこれからどうするの?」と聞かれたそうです。牧師は「大川小学校にボランティアを案内する」と答えました。(大川小学校は、震災後の津波により校舎ごと呑みこまれ、全児童108人中、約7割に当たる74人が死亡・行方不明となりました。教師は9人が死亡、1人が行方不明になっています。)するとおばあさんは泣き崩れたのです。これまで笑顔で元気だった方なので牧師は驚きました。
 涙を流しながらおばあさんは言われたそうです。「孫が大川小学校に通っていた。3年生と1年生。上のお兄ちゃんは見つかったけど、下の女の子はまだみつからない。牧師さんきっとみつかるよね」と。牧師はその言葉を聞いて共に泣くことしかできなかったそうです。
 大川小学校にある慰霊碑には、子どもを亡くされたお母さんの手記がそっとおいてあります。「会いたくて、会いたくて。百日たったいまも、会いたくて、会いたくて・・・」と。突然の津波によって愛する家族が天に召されていきました。「会いたくて」と涙を流される多くの被災者の方々に、ボランティアができることは共にいることだけです。寄り添うことしかできません。
 パウロは「泣く人と共に泣きなさい」と教えています。いままで「共に泣いてあげる」という感覚でこれを読んでいたことに気がつきました。被災地で活動していると、共に泣くしかない状況に出会います。あまりにも悲しみが大きすぎて共に泣くしかできないのです。しかし、そのような関係を持たせてくださる中心にキリストがおられることを思いつつ、共に泣くことが必要なのだと教えられています。それもキリストが教えて下さっている寄り添いです。

 クリスマスには「インマヌエル」という言葉がきかれます。これは「神は我々と共におられる」という意味です。クリスマスは、神様のみ子であるイエス・キリストがこの世に生れてくださったことを祝う時です。それと同時に、神様がイエス・キリストを通して共にいて下さるということです。そのことの暖かさと力づよさを、今日も被災地にたちつつ感じています。メリー・クリスマス!

(ルーテル救援は、仙台教会内に支援センター「となりびと」を設置し、宮城県を中心に被災地支援を行っています。活動の様子はブログ「ルーテルとなりびと」http://lutheran-tonaribito.blogspot.com/をご覧ください。)

いのちはぐくむ(20)

「収穫の季節から聖夜へ」

中井弘和 静岡大学名誉教授・農学博士

 『わたしは、その季節季節に、あなたたちの土地に、秋の雨と春の雨を降らせる。あなたには穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油の収穫がある。』(申命記11章14節)
『わたしは、天から降ってきた生きたパンである。このパンを食べるならその人は永遠に生きる。』(ヨハネ6章35節)
 
 収穫の秋、私は北から南へと稲穂が黄金色にかがやく全国各地の水田を巡り歩きます。農薬や化学肥料を使用しない自然農法で収量が上がる稲の品種を、農家の手を借りながら、育成する仕事を始めて7年が過ぎました。試験地のなかには、3.11の大津波や原発事故の被害をもろに被ったフクシマも入っています。そこでは多くの人命とともに広大な田畑が流され、かつての豊饒の地は草さえもまばらな瓦礫の荒野と化しています。原発事故による放射能汚染地区と定められた地域にはまったく人影がなく、田畑は草で覆われていました。
 ヒロシマ、ナガサキの原爆の何十倍という放射性物質を広く国土に飛散させた原発事故は、収穫の季節に色濃い影を落とすことになりました。原発事故の収拾はなお目途が立たず、人々は、目に見えない放射能の影におののくばかりです。この苦境の時機にあって未来を望むとき、ナガサキの原爆投下時、爆心地に近い長崎医科大学と浦上第一病院(現,聖フランシスコ病院)でそれぞれ被爆し、無数の負傷者の救護活動に挺身した二人の医師、永井隆(1908-51)と秋月辰一郎(1916-05)の働きや思想が想起されます。
 永井は、原爆を神の御心と受けとめ、人間の根源的な罪の自覚から平和をと,重い放射能疾患を身に負いながら、『長崎の鐘』(1946)など多くの書を著して世界に訴え続けました。一方、秋月は、師でもある永井の心情に反し、原爆は人間そのものの意思による悪業とみなし、核廃絶をめざす平和運動に生涯をささげます。両医師は、原爆症の治療に「食」の重要性を説いたことでも知られます。特に、秋月は、入院患者や看護師などに,玄米、カボチャやワカメの味噌汁を主とした食事を徹底させ、原爆症による犠牲者を一人も出さなかったことが今注目されています(秋月著、『死の同心円』、2010再版)。
 神に豊穣の食を感謝し祈る収穫祭は民族や宗教を超えて世界共通のものでしょう。人類は、また、飢饉に見舞われた凄惨な収穫の時を繰り返してきたことも事実です。それでも、収穫祭は絶えることなく今日まで人や地域の重要な生活の柱として守られてきました。原爆が真上で炸裂し灰燼に帰した浦上天主堂では、その年も、瓦礫の中から奇跡的に無傷で見つかった鐘を打ち鳴らし、クリスマスが喜び祝われました。原爆や原発事故はいうにおよばず、飢餓もまた欲望とエゴを膨張させた人間の業によることは明らかです。しかし、そのようなすべての苦しみを受容して,神に感謝し祈るところから未来への希望が立ち現れてくることも確かです。クリスマスは、神が人の世に贈られた「永遠に飢えないパン」、イエスという至高の収穫を感謝し喜ぶ日でもありましょう。

11-12-15るうてる2011年12月号

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説教「今わたしは主の救いを」

主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。  ルカによる福音書2章29~30節

 広島県にはエリザベト音楽大学という学校があります。この「エリザベト」は、聖書に出てくる女性のエリサベトに由来しています。すなわち、ルカ福音書の初めにある降誕物語で、洗礼者ヨハネの母となった女性、そして主イエスの母であるマリアと縁戚関係にあった女性がエリサベトでした。
 アドベント・クリスマスの季節、必ずと言ってよいほど読まれるルカの降誕物語ですが、その全体、つまり1章の初めから2章の終わりまでを通読してみるのもお勧めかもしれません。
 そうすると、ここには五人の主要人物が登場していることが分かるでしょう。登場順に挙げるなら、ザカリア、エリサベト、マリア、シメオン、アンナです。そして、大変興味深いことは、マリアを除く全員が高齢者であることです。たとえば女預言者アンナは、「夫に死に別れ、八十四歳になって(2章37節)」いました。
 これに対してマリアはおそらく十代の女性だったでしょう。日本の童謡にも”十五で姐(ねえ)やは嫁に行き”とあるように、婚約も結婚も適齢期でした。世代的に考えるなら、4人の高齢者たちにとってマリアは孫娘みたいな存在ですね。
 それからもうひとつ興味深いことは、この4人が全員エルサレム神殿関係者だったことです。ザカリアは祭司で、その妻エリサベトも祭司の家系(アロン家)に属していました。また、メシアの降誕を待望していた信仰篤い老人シメオンも神殿の中でマリアたちと出会っています。アンナに至っては、「神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた(2章37節)」と書かれているほどです。
 ルカ福音書を読んで驚かされることのひとつは、この福音書が旧約聖書の香りに満ちていることです。そのことは、その降誕物語についても言えるでしょう。たとえば、「ザカリアの預言(1章)」、「マリアの賛歌(1章)」や「シメオンの賛歌(2章)」に、私たちは旧約のみ言葉の響きを十分聞き取ることが出来るのです。
 さて、降誕物語のひとつの主題は”新旧の交代”であると言えないでしょうか。シメオンの賛歌「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます」は、幼子イエスを腕に抱いた時に湧き出た感激でした。彼はもう何の後顧の憂いもなくこの世を去ってゆけるのでした。ところで、「お言葉どおり」と述べたシメオンの確信は、「今これから起きようとしている新しいことは、もうすでに起きていたことである」というものではなかったでしょうか。それは彼の長い人生を振り返って断言できることだったはずです。
 ”新旧の交代”、それは私たちの教会にもあてはまる言葉かも知れません。教会には、マリアの世代により近い方もおられるでしょうし、エリサベトやシメオンに近い方もおられることでしょう。”後顧の憂いなく”は、どちらの世代にとっても大切なことです。そしてその根拠を求めるなら、「これから起きること」と「すでに起きたこと」ががっしり手を握り合うことではないでしょうか。
 ところで、降誕物語の4人の高齢者たちは旧約聖書の世界を代表し、マリアは新約聖書の先駆け的存在となっていました。物語はこの”新旧”が親しく笑みを交わしながら進行してゆきます。そして、それがそのまま聖書のクリスマスだったのでした。
 イエスの言葉にも「神は天地創造の初めから(マルコ福音書10章6節)」というのがあるように、神の創造の目的からクリスマスを考えてみる。そのような作業もぜひお勧めしたいと思う次第です。

三原教会・福山教会牧師  白髭 義

ルターによせて(8)ルターの家のクリスマス

ルターが自ら作詞作曲した讃美歌は三十数曲あるが、その中でドイツ人が特別に愛唱してやまないクリスマスの歌が「あめよりくだりて」(教会讃美歌二十三番)だ。
 この歌はどのようにして生まれたのだろう。
 讃美歌集での作詞年は一五三五年だが、その前年は記念すべき年だった。生涯の一大金字塔とも言うべき聖書の旧新約全巻の翻訳を完成、出版し、十二月には六番目の末娘が生まれた。その年のクリスマスは喜びに満ちていた。・・・降誕祭の礼拝後、家路の途上、ふと静かな夜空を見上げると、常緑樹の枝越しに無数の星が輝いていた。その美しさに打たれた彼はその情景を子供達と分かち合うために、家の中に樹木を持ち込んで、火を灯したロウソクを枝にくくりつけ(それが、ドイツでのクリスマスツリーの始まりとされている)、子供達を呼び集めて得意のリュートを爪弾きながら、湧き上がる詩想から生まれたばかりの「あめよりくだりて」を、当時の世俗曲のメロディーで聞かせた。翌年、彼はその歌を書き留め、最も著名なクリスマスの讃美歌の一つが後世に残された。・・・
 クリスマスの歓喜の時が皆様の上にも訪れますように!

牧師の声 私の愛唱聖句

板橋教会牧師  鷲見達也

 さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
ヘブライ人への手紙  11章1節

 私は、大学一年生のときに洗礼を受けることを牧師から勧められました。しかし、決断することが怖くなり、教会を一時離れました。その間、善光寺での「青年のための仏教講座」などに出たり、学生運動に携わって、敢えて左翼の学生達と過ごす生活を過ごしました。その後、しばらく時間を置いた後、キリスト教への関心断ちがたく、再び、教会に足繁く通い、大学での聖書研究サークルに入りました。
 そして、私は大学三年生、二十歳のクリスマスに日本基督教団長野県町(あがたまち)教会で洗礼に与りました。それは、授洗牧師が「聖書が分かったら洗礼を受けようと言っていたら、一生洗礼は受けられない。洗礼というものは、わからなくても良いからここから出発するのだという思いで、神を信じさせてくださいという気持ちをはっきりさせられれば良い」と言ってくださったからです。それによって私は洗礼を受ける決意をしたのです。しかし、その時、聖書や神のことが分かって受けたという感じは持っておりません。
 教会の副牧師(伝道師)が、不安を持ちながら洗礼を受ける私のことを気遣ってくださったのでしょう、洗礼のお祝いの色紙に、ヘブライ人への手紙11章1節の言葉を書いてくださいました。口語訳聖書の言葉でしたが「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」
 今になって思いますと、体験的にも、この言葉は本当にこの通りだと思います。
 信仰とは、分かったから、とか、あるいは「しるし」を見せてもらえれば、というものではなく、分からないままに洗礼を受けた私のようなものにも、長い教会生活を経る中で、信じられなかった復活というようなことも徐々に確信させてくれ、確認することが出来るようにしてくれたと思います。これこそ、目に見えませんが、聖霊の働きだと思うのです。

信徒の声 主に愛されて

久留米教会  里村朝子

  私が教会の門を初めてくぐったのは、一九五七年、十六歳のクリスマス祝会の日でした。新聞の広告欄に数行、「田主丸教会でクリスマスの祝会を行いますので、どなたでもどうぞ」という記事に引き寄せられて、何の躊躇もなく初めて教会の門をくぐりました。
 私は生来自他ともに認める不器用で何の取得もない人でしたが、その時の説教の中でイエス・キリストの父なる神は、どんなに小さい取るに足らないものでも愛してくださる。とのお話を聴き、私のような者でも愛して下さる方がおられることを知り、聖書の御言葉に魅せられ、教会に集う者となりました。
 結婚を機に教会を離れた時もありました。サラリーマンでノンクリスチャンの夫は、日曜日は家でくつろぎます。そんな夫を放っての礼拝への出席は思うに任せませんでしたが、平日に行われる、定例の聖書研究会や女性会での聖書の学びと、姉妹方との交わりは、最高に嬉しく大切な恵みの時でした。私の信仰は、女性会を通して育まれたと確信しております。
 久留米教会では芙蓉の会と称して、月一回、教会員に限らず、地域の方々もお招きして楽しい会を開いております。会の始めに牧師先生より解り易く聖書のお話をしていただき、そのお話に関連して、身近に起こった事等を吐露することができる、そんな心を開いた交わりにもなっています。また、四季折々にお花見や、温泉に行ったりと女性会とは違った楽しみの交わりの会です。
 そのようにキリストに思いを寄せた方々も高齢になり、施設に入所され、自分の力で礼拝に集えなくなっている現実があります。
 その現実を思う時、教会の傍に、高齢者の施設が備えられればと、切に願っております。グループホームとか、宅老所等々、小規模なものでも、安心して老いることができる処を。
 神の家族として、最後まで、キリストの香り漂う処に居たいのです。そのような思いが、九州教区女性会の「シルバープロジェクト」に込められていると思います。

フィンランド 教育事情

クリスマスの喜び

 12月はフィンランド語でヨウルクー、つまりクリスマス月(づき)と呼ばれています。学校は秋学期の最後のテストで最も忙しい時期ですが、名前の通りに、クリスマスのイベントで一杯です。家庭科の授業でクリスマス料理をしたり、美術と手芸ではクリスマスカードや飾りなどを作ったりします。学校の給食には伝統的なクリスマス料理が必ず一度提供されます。また、教会で学生のために用意されたクリスマス礼拝に出席します。
 秋学期のクライマックスは学校のクリスマス祝会です。それは春の終了式のように大きい行事で、特に小学生の家族は参加するのを心待ちにしています。みんながクリスマスツリーと蝋燭などできれいに飾られた体育館に入るために、クリスマス祝会が二回催される学校もあります。そのために、12月に入ると先生たちは自分の受け持ちの生徒たちと共にクリスマスの音楽、歌とダンス、またサンタクロースについての楽しい劇を一生懸命準備します。
 しかし、プログラムには古くからクリスマスの本当の喜びについて語る福音と讃美歌も含まれています。なくてはならない讃美歌は日本の教会讃美歌にも入っている23番です。「天よりくだりて嬉しきおとずれ救いの恵みをたずさえ来たりぬ」。この讃美歌の作詞者のマルティン・ルターは歌を通して自分の子供たちにクリスマスの物語を分かりやすく説明しようとしたと言われています。この讃美歌を通して、ルターは知らず知らずのうちに多くの子供たちに良いクリスマスプレゼントを贈りました。クリスマスの本当の喜びはみんなに与えられたものです。今年、子供たちも連れて教会でイエスの誕生日を一緒にお祝いしませんか。
Paivi Poukka,ポウッカ・パイヴィ スオミ・キリスト教会

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その18「グループ・ラム」

施設長 廣田正勝

 グループ・ラムは、障がい者の就労訓練の場として「就労支援B型」事業を行っています。現在は、知的・身体・精神障がい者が対象で、20歳から60歳までの16名が通所の利用をしています。
 ラムは「心に病を持つ人たちの居場所」として始まりました。家は出たけれど、校門に入れず行き場のない不登校の少年たちに心を痛めた安井仁美さんによって始められました。 自宅を開放して自由な時間と場所を提供し、一人ひとりに向き合い耳を傾けられました。
 1985年に始まったこのフリースペースは、心に病を人たちの間に次第に知られるところとなり、手芸やものつくり、ゲーム、ビデオ鑑賞、居眠り、読書、話し合い、相談等々の人たちが集まりました。時間の緩やかな流れが何よりのお気に入りでした。ボランティアの申し出、近隣福祉事業者による財政的基盤についてのアドバイスなど支援の輪が拡がります。
 やがて、作業所となり、「ラム工房」を経て2002年「社会福祉法人グループ・ラム」を設立しました。「精神障害者地域生活支援センター」として、認可された「重荷を負う人たちの居場所」を開始します。
 設立には、日田市内キリスト教会の教派を超えた支援がありました。安井元一(理事長・ルーテル日田教会代議員)・仁美夫妻の「小さなものを一人でも軽んじない」(マタイ福音書18・10)信仰による強い信念が共感を得て、全国のルーテル教会に献金が呼びかけられ、実現しました。
 軌道に乗り始めた3年後、自立支援法によって『B型』事業に移行しました。規制された生活リズムを苦手として再び自宅に閉じこもる人が増え、今では利用者の多くが知的障がい者です。
 自立支援法の目指す「入所者の地域移行」とは逆行の実態があり、支援サービスがなく、待機する重度の障がい者がいます。定員を拡大し、これらのニーズに応えたいと「生活介護事業」と共に多機能型に移行する準備を進めています。

私の本棚から
クレア・キップス著 梨木香歩訳『ある小さなスズメの記録』文藝春秋、2010年

 ところはロンドン、時代は第二次世界大戦をはさんだ約十二年間の実話です。著者であるキップスの掌中に瀕死から救い上げられ、十二年と七週と四日を共に生き、彼女の温かい手の中で命を終えたスズメ、クラレンスのおはなしです。

 「一九四〇年の七月一日、この時期としては陰鬱でいくぶん肌寒い日」、「玄関前で明らかに瀕死の状態にある、丸裸で目も見えていない、おそらく数時間前に生まれたばかりなのだろう小鳥を見つけた。」「数分ごと、小さいのどに温かいミルクを一滴垂らし込んだ。」「この小鳥は夜のうちに死んでしまうだろう。私は諦めながら眠りに就いた。」「翌日の早朝、(中略)信じられないほどか細い、けれど幸せそうな、(中略)声だった 。 なんとそこには、小さなかわいい生きものが、(中略)、熱烈に、と言っていいほどいきいきと生命力に溢れ、朝食をねだって鳴いていたのである。」以上は冒頭一頁から三頁までの抜粋です。

 キップスはクラレンスを拾い上げた時、食べ物が自分で取れ、飛べるようになったら、自然に帰そうと思っていました。しかし、右の翼と左足に障がいがあることがわかり、自然に帰すことを止しました。 クラレンスは、オルガン奏者の夫と若くして死別し未亡人となったキップスに寄り添い、第二次世界大戦中には避難所へ逃れて来た人々をかわいい芸やすてきな声で慰めました。歌うようなクラレンスの囀りは、キップスの弾くピアノを聞くうちに自然に備わったとされています。キップスは牧師の娘でした。
 あちこちに挿入されているクラレンスのモノクロ写真がなんとも愛らしい。キップスは、序で、「ぼろぼろの翼とばさばさの尾が写っている。(中略) 不思議なのだが、彼が自発的にとった格好や、雰囲気、表情は、掲載用の写真としてこうあってほしいと思われるそのままをあらわしていた。」と書いています。まことにそう思える写真ばかりです。原本は一九五三年にイギリスで出版され、日本では昨年に再翻訳されました。

 クラレンスはキップスへの神様からのプレゼントだったのではないでしょうか。

熊本教会員、九州ルーテル学院大学図書館司書 水谷江美子

TNG

松本教会・長野教会牧師 佐藤和宏

 2001年2月、議長、宣教室長をはじめ、各教区教育部長が京都に集まり、会議が開かれました。会議の名称は「次世代を育てる委員会のための教育部長会議」となっています。前年11月の全体教会常議員会における決議事項を具体的に実行するためです。こうしてTNGは産声をあげました。  TNGとは、”T The Next Generations “の頭文字で、日本福音ルーテル教会の宣教方策のうち「次世代への伝道と育成」を担っています。
 それから10年、TNGは皆さんのお祈りとお支えによって、子どもたちの歩みに寄り添ってまいりました。現在、幼児、子ども、ティーンズ、ユース、そして翻訳プロジェクトに分かれ、それぞれ次世代のために活動を展開しています。
 恒例となった全国春のティーンズキャンプ(春キャン)が来春も開催予定です。夏には5、6年生を対象にしたルーテルこどもキャンプが開催されます。全国の仲間と出会うことは、子どもたちにとって喜びになっていますし、こどもキャンプからティーンズキャンプへ、そしてスタッフへとつながりも出てきているのは、私たちにとっての喜びです。しかし大切なことは、子どもたちが教会にいかにつながるかということです。若いスタッフが与えられることは、私たちにとって大きな喜びですが、いかに教会につながるかは私たちの願いです。結果はすぐに出ないでしょうが、祈りつつ過ごしたいと思います。また、教会の皆さんのお祈りが不可欠です。全国の仲間に出会うことも大切ですが、何より地元の教会の皆さんが、子どもたちのために祈り、声をかけあるいは耳を傾けてくださることも欠かせない次世代宣教なのです。
 TNGの働きは、教材やプログラムを提供することが中心になっていますが、各教区、各教会で子どもたちに心を寄せている皆さんと歩みを共にできればと願っています。ぜひ、皆さまからの声をお寄せください。メールはtng@jelc.or.jpまで。
 また、TNGについてもっと知りたい方は、http://www.jelc.or.jp/tng/(JELCのホームページに入口があります)まで。

救援対策本部レポート

ある晴れた日の石巻の空の下で

総会議長 渡邉純幸

 10月21日早朝、NRK総会議長の粂井豊牧師、JELC副議長で、ルーテル教会救援対策本部長の青田勇牧師、そしてと私の3人は、「るうてるとなりびと」スタッフの抱井昌史氏の運転するワゴン車に乗り、一路石巻ボランティアセンターへと向かいました。そして、センターを通して、石巻市万石町にある牡蠣やホタテなどを取り扱っている水産物卸問屋「マルセ秋山商店」というところに、ボランティアとして派遣されることになりました。 
 この秋山商店の工場がある万石浦は種牡蠣で全国的にも名の知れたところで、広島の牡蠣のほとんどが、万石浦の種牡蠣をもとに養殖されているとのことでした。
 私たちが派遣された秋山商店での仕事は、東日本大震災で地割れし、沈下し、使用不可能となった工場を取り壊して新しく立て替えるために、工場内にある荷物を別の場所に移動させるというものでした。その日は午前中2時間、午後2時間半の作業をしました。
 手慣れたフォークリフトとトラックを駆使して作業効率を図るお店の専務と違って、私たちは慣れない作業に戸惑いながら、日頃使わない身体の筋肉を動かしたのでした。しかし、それぞれが少しは体力に自信が持てた思いがしました。
 話によると、20人程いた従業員を解雇し、家族で震災の後片づけをしていたが、迫り来る工場の取り壊しに間に合わなくなり、初めて石巻ボランティアセンターに数人のボランティア派遣を依頼したことから、この派遣が実現しました。専務さんは、一日も早く元の従業員も含めて事業を再開して地域に雇用の場所をつくりたいと静かな口調で言われました。
 特に印象に残ったのは、彼自身が今回の私たちのボランティア派遣をとおして、「自分もまた大変な被災地の人々の応援を一人のボランティアとして奉仕したい」と言われたことでした。被災者である彼自身が、なお被災地への、被災者への熱い思いを持って、復興へ向けて歩まれている姿を目の当たりにして、爽やかで心地よい疲労を抱きつつ三人は、その地を後にしたことでした。

(JLERは、2014年3月まで救援活動を続けてまいります。これまでのご支援に感謝すると共に、これからもご支援とご協力を、特にお祈りにお憶えくだされば幸いです。)

第5回常議員会報告

 11月7日~8日、市ヶ谷センター会議室にて第24回総会期第5常議員会が行われました。本年の6月に行われた常議員会から、1泊2日の会議として期間を短縮した。そのために、報告書・審議申請書を1週間前にネットで事前配信するよう体制を整えてきた。前もって読まれているということで、報告の時間が短縮され、審議・協議に時間が持てるようになった。
 おもな提案事項は、12年度の教職給与、ならびに渡邉総会議長から12年度以降の期末手当の提案がなされた。教職給与に関してはベースアップなし、 定期昇給のみが財務委員会から提案され承認された。また、期末手当は渡邉議長は、現行の4.5ヶ月分の支給を当面継続することを提案し、承認された。
 協議事項として、教職転任費積立制度要綱の改定を扱った。そこでは、12年度人事異動については現行規定を基本に微調整をし、執行する。今後は全教会負担制度を取る方向で、今後1年間をかけて検討を行うことにした。なお、以下の点を考慮し、検討を行う。1、交代人事の頻度の高い教会の負担過重を考慮するならば、任意加入制度ではなく、全教会負担制度の方が公平となる。教会ごとの財政規模別、且つ、継続的な負担制度とする。2、 財政規模別の負担額を目指すとして、現負担額よりもかなりの低額に変更することを目指す。
3、規定適用において、単純明確化し、且つ、予断の入る余地をなくす方向を目指す。
 その他、徳弘浩隆ブラジル派遣宣教師の一時帰国、宗教改革500年記念事業などが協議された。信仰と職制委員会に対して「原子力発電所に関する見解」の答申を行うこととした。また今回は宣教室がまとめている「第6次総合方策」について青田宣教室長が説明をし協議した。議場からは、各教会が主体であるならば、各教会の意見を聞いたほうがよい。方策の期間等の具体的な行動計画を挙げるべきである。Power Mission21の関係者の意見を聞くべきである。何が目玉となるのかわかりにくい。文章の表現を再検討してほしいなどの意見があった。挙げられた意見を反映させつつ、宣教方策作業部会にてさらに検討し、来年2月開催の次回常議員会に再度提出することとした。
 また、定期総会日程について、前回総会にて決議された日程は2012年5月3日(木)~5日(土)であったが、土曜日に主日礼拝を行う教会があること、また、祝日の3日間が総会となり、教職・信徒から変更要望があった。そのため、第25回定期総会の日程を2012年5月2日(水)~4日(金)としたいとの提案がった。教師会総会との日程調整、定期総会初日の開始時間の調整等を協議する必要があるが提案通り承認された。
 J3プログラムの体制変更により、東京の本郷学生センター及び文京カテリーナは来年1月から赴任することとなった。熊本の九州ルーテル学院及び九州学院は、来年1月~3月までは研修・教育実習期間に充てられ、4月から赴任することとなる。宣教師・J3オリエンテーション・ケア委員会の推薦に基づき、次の4氏を各施設・学校へ派遣することを人事提案し、承認さた。Chatelain, Mr. Lucas (シャテレン・ルーカス氏)派遣先:本郷学生センター、文京カテリーナ(2012年1月1日付)Meers, Mr. Patrick (ミアーズ・パトリック氏)派遣先:九州ルーテル学院(2012年4月1日付)Letofsky, Ms. Lisa (レトフスキー・リサ氏)派遣先:九州学院(2012年4月1日付)Letofsky, Mr. Larry (レトフスキー・ラリー氏)派遣先:九州学院(2012年4月1日付)。
 次回、第24回総会期第6回常議員会は、2012年2月20日(月)午後3時~22日(水)午後12時、ルーテル市ヶ谷センター第1会議室にて行われる。

2011年度    ルーテル「連帯献金」のお願い

 日本福音ルーテル教会は2011年度の「連帯献金」の特別指定献金を以下のように決め、各教会へご協力をお願いしています。クリスマス献金等、教会のご協力とご支援を、重ねて、よろしくお願います。

日本福音ルーテル教会         宣教室

■指定献金[ブラジル伝道]
■指定献金[喜望の家]
■特定献金[メコン流域支援]
 日本福音ルーテル教会は「メコンミッション活動」として、メコン川流域の人々のための宣教・教育・奉仕事業を香港、シンガポールのルーテル教会と共同で展開しています。今年度は、カンボジアのコンポン・チュナン地区の子どもたちへの食糧(100名、週5日分食事提供)、医療と教育(2,000名)の支援活動のために献金をお願いします。

■無指定献金[世界宣教のために]
 飢餓や内戦による難民状態にある人々や、突然の自然災害を被り、緊急の支援を必要としている人々の救援活動へ速やかに対応するために「無指定献金」を設けています。無指定献金の配分・送金先は本教会常議員会に委ねられています。

■特別救援募金「東日本大震災」

▼上記献金の送金先▼
 「連帯献金」を捧げてくださる場合には、それぞれの献金目的を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。

郵便振替:00190-7-71734   名義:(宗)日本福音ルーテル教会

11-11-15るうてる2011年11月号

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説教 「勝利者キリスト」

これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。 ヨハネによる福音書16章33節

 全聖徒の日は、それぞれの信徒がその所属している教会において、すでに天に帰られた信仰の先輩方を憶え、その先輩方と共に礼拝を守る日とされています。わたしたちは、「聖徒」という言葉を、どのように理解しているでしょうか。礼拝を守り、主の御言葉に聴き従って、いつもよく祈る信徒のことを聖徒というのでしょうか。それとも、困難に直面しても、いやな顔をせずに喜んで奉仕する人のことを聖徒というのでしょうか。わたしたちは洗礼を受けて、神の子とされました。神の子とされたわたしたちは、だれ一人の例外もなく、皆聖徒であって、すでに天に帰られた信仰の先輩方とわたしたちとを合わせて、「全聖徒」といいます。全聖徒が、共に礼拝を守る意義を考えたいと思います。
 本日、わたしたちに与えられたヨハネ福音書には、「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」と記されています。わたしたちの悩み、苦しみ、悲しみは、主イエスがみずから味わわれたものです。わたしたちと同じように、貧しさ、飢え、渇き、あざけり、裏切り、孤独などの試練に会われ、この世の憂いと無縁でなかった主イエスは、わたしたちの弱さを思いやることの出来ない方ではありません。わたしたちのすべてをご存知である主の前において、わたしたちは自分の弱さを取り繕う必要などありません。そのことが、わたしたちの平安につながっています。わたしたちのすべてをご存知であるお方が、「あなたがたには、世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」と語られました。主イエスは、苦難が待ち受けているこの世に、わたしたちが出て行く勇気を与えようとされました。それに加えて、わたしたちと共に汗を流し、悩み、苦しみ、わたしたちの重荷を背負おうとされました。それなのにどうして、わたしたちが元気をなくして沈み込んでおられるでしょうか。
 ところで、魚に食べられた預言者ヨナの話は有名です。ヨナは、「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」という神の言葉を聞きました。ニネベは、敵国アッシリアの都でした。神はニネベに行って、彼らの罪を示せとヨナに命じられました。しかし彼は、神の言葉に従わないで、ニネベとは反対方向にあるタルシシュに逃れようと船出しました。ヨナ書の二章には、魚の腹の中でヨナが神に祈ったことが記されています。神よりもこの世の現実を恐れ、神に背を向けて逃げ出したヨナでした。彼は海の中に投げ込まれ、魚の腹の中に閉じ込められて、絶望するしかありませんでした。しかし彼は、絶体絶命の崖っぷちから祈ることを赦されていました。ヨナは、祈りの最後に「救いは主にこそある」と祈っています。これこそ、神に背を向け、自分自身に絶望した者にしか分からない、主の恵みではないでしょうか。本来、わたしたちは神に顔を向け、口を開くことさえふさわしくない弱い者です。しかし、神はご自分の独り子をこの世に送り、十字架につけて、わたしたちの罪を償ってくださいました。この神の愛ゆえに、わたしたちは悩み、苦しみ、悲しみの中にあっても、貧しさ、飢え、渇き、あざけり、裏切り、孤独などの試練にあっても、「救いは、勝利者キリストにある」と祈ることができます。
 先に、「全聖徒が、本日共に礼拝を守る意義を考えたい」と述べました。わたしたちは、この世との戦いにおいて、多くの試練を味わいます。時には、神よりもこの世の現実を恐れたヨナのように、神に背いて絶望を経験することもあります。信仰の先輩方も、試練にさらされ希望をなくされたこともあったことでしょう。しかし、この世における人生の最後まで信仰を守り抜いて、天に凱旋されました。人の行う地上での業が、どんなに大きなものであったとしても、それがただ自分のためのものであるならば、肉体の死とともに跡形もなく、むなしく消えてしまうでしょう。全聖徒は、勝利者キリストを信じる信仰において、永遠のいのちが与えられ、共にキリストの再臨を待つ、信仰と希望と愛に生きています。肉体の死がすべての終わりではないことを、信仰の先輩方を思い起こして確かなものにするのが、全聖徒主日の礼拝を守る意義ではないでしょうか。救いは、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」と宣言された、キリストにあります。主の愛と憐れみに、感謝と讃美をささげたいと思います。
 
 宮崎教会牧師 木下 理 

ルターによせて(7) ルターとボウリング

 冬は室内スポーツが盛んになるが、その一つにボウリングがある。日本では70年代に一大ブームが起こったが、今でもファンは少なくない。
 ボウリングの歴史は古く、古代エジプトの墓中の石のボウルとピンの発見にまで遡る。西欧でも、当初悪魔払いの儀式として意味づけられ、やがて中世の僧院ではスポーツとして盛んになってきた。修道僧であったルターも愛好家の一人だったに違いない。彼が新約聖書の翻訳に没頭していたとき、悪魔が眼前に現れたのでインク壺を投げつけたという伝説があるが、きっと「ストライク!」だっただろう。
 さて、ルターはボウリングのルールを創ったと言われている。それまでは、ピン数が決まっていなかったが、9本の棒を1,2,3,2,1の菱形に並べて技を競うようにした。いわゆる9ピンボウルの始まりで、これが西欧中に広まった。モーツアルトも熱中し、プレイ中にk487等を作曲するほどだった。やがて清教徒によりアメリカに広まったが、賭ゲームが盛んになり、州法で9ピンのゲームが禁じられると、では10ピンなら良いだろうということで現在の10ピンになったという。嘘のような本当の話。

牧師の声  私の愛唱聖句

ルーテル学院中学・高校チャプレン 崔 大凡

「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を産むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。」(ローマの信徒への手紙5章3〜5節)

 新しく買った最新のケータイで、最近溢れるほど作られている仮想ゲームと呼ばれるものをやってみました。こんなゲームって何が面白いかなと知りたい気持ちもあって、しばらくの間、携帯で子供を育ててみました!
 確かに面白い要素はありました。ちょっとした操作で、仮想の世界に存在する私の子供はすくすく成長していきます。子供と話をすれば子供の性格と感性が良くなり、勉強させれば知性が発達し、日にちが重なる度に経験値が高くなります。一通り理論的に合っているのはもちろん、なるべく現実に近いものを表現しようとするゲーム会社の努力に感心しました。しばらくその子育てを楽しみ、そして飽きてやめました。
 ゲームがどれだけ現実に近づこうが、現実とゲームの間には埋められない溝があると私は思いました。現実にはあってゲームにはないもの、それは苦痛というもの。一応ボタンを押すことで仮想の子供と関わりをもつことになりますが、現実の関わりの中にありうる誤解や行き違い、うまくいかないときの苦しさはゲームで描き様がないのです。勉強させることさえすれば子供は自然に頭が良くなり、正しく成長するものでしょうか。指示に従ってくれない子供との関わり、1コマの授業を持ち続ける難しさ、課題、決して止まることなく繰り返される日課…、私が現実の学校生活で難しいと思う部分がゲームの中にある訳はありません。実はその理由でゲームを続ける気もなくなりました。
 そのとき気付きました。真剣な意味での情熱、希望といったものは、実は苦しみや悲しみから生まれるということを。神様が私に与えてくだる喜びと悲しみ、楽しみと苦しみ、そのどれも無意味なものはないが、どちらかと言えば希望は苦難の中にこそあるもの。だからどんな形の苦しみであれ、苦しみとは私たちの人生でただ無くすべきものではないのです。むしろ私たちのハートを温め続ける支え。それを受けて今日も前進!

信徒の声  私の「こどもキャンプ」との初めての関わり

高蔵寺教会  中西 昌武

 ルーテルこどもキャンプは小学校5・6年生を対象者とする2泊3日の学びの場である。私は、2003年の第5回ルーテル国際少年少女キャンプ(当時は宣教室と婦人会連盟の主催)のとき初参加した。この年のテーマは「わたしたちのアジア〜ひとつの霊のむすばれて〜」で、婦人会連盟が支援するマレーシア国サバ地方の神学生をゲストにお招きしていた。
 キャンプでは子供たちを少人数グループに編成する。私の役割はグループリーダーだった。リーダーといえば統率者を連想するが、このキャンプは違った。グループには子供たちと一緒に動くお兄さん役のカウンセラーが付くから、リーダーはカウンセラーと子供たちの関わりを見守って下さい、といわれた。
 キャンプが始まるとプログラムは猛烈なスピードで進んだ。カウンセラーは必死に子供たちに関わっている。私はグループから目を離せない。
 1日目が終わって驚いた。初めて出会った子供同士の心がもう融け合っている。りっぱなグループだ。2日目。早くもグループで共通の課題をこなす山場となった。アジアについて学んだことを真剣に話し合った結果、劇を作って発表しよう!ということになった。すべて子供たちが決めた。リーダーとカウンセラーは子供たちについてゆくだけだった。3日目。すばらしい発表となった。
 子供たちは、どんどん学び成長する。人の話に真剣に耳を傾け、自分に何ができるかを模索し目覚める。何かに気付くと提案する。新しい世界との触れ合いに喜びを感じる。
 キャンプのプログラムは、無論このような子供の成長を意図して設計されている。だが成長に必要な中核のプログラムは、参加する子供たちの中に備えられていた。神様の恵みとして。3日間のキャンプを終えて、私が気付いたことはこれだった。いま私は「こどもキャンプ」のホームページを担当している。そこに掲載されたキャンプの歩みを目で追うと神様の恵みをいつも実感できる。感謝である。

フィンランド教育事情

素敵な自分らしさ

子供たちは生まれながら様々な面で違いがあります。個性は素敵なことですが、全ての子供の才能、能力、性格、興味などをどのように最大限に伸ばすことができるかは教育の難しい挑戦です。フィンランドの学校は、生徒個人の学習支援と生徒の積極性を引き出す指導方法を通して、個性を磨こうとしています。
 第一に、生徒一人一人の学習とよりよい成長のための支援は整備されており、国の指導計画にはそうした支援のガイドラインが含まれています。必要に応じて、特別支援を必要とする生徒、定時制の特別教育を受ける生徒、また外国からの生徒などのためそれぞれの指導計画が立てられます。さらに、学習に困難を感じる場合は、だれでも補習を受けることが出来ます。
 第二に、フィンランドの教育の基本方針は、生徒の積極性に重点をおく学習です。生徒の積極性を引き出すためにただ知識を覚えさせることではなく、小学校の低学年から、学ぶことの意味を理解することとそれを自分で評価すること、またそれに対する自分の意見をも重視されます。
 しかし、自分らしい生き方のために人生の意義も役に立つと思います。フィンランドの教育哲学者のプオリマトカによると、批判的に考えたり、価値があるものに多く接触したり、自己を認識したり、また苦しみをも経験したりした子供は、自分の人生の意義を見つけ、それを自分らしく生かす力を身につけるようになると言っています。
 詩編139の14節にもこうあります。「わたしは恐ろしい力によって驚くべきものに造り上げられている。」人間は全て神様に造られた独創的で素敵なものです。

Paivi Poukka, ポウッカ・パイヴィ スオミ・キリスト教会

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その18

指定障害福祉サービス事業者NPO法人 ふれあいショップ「一粒の麦」 

店長 小泉百合子

 平成4年4月、精神保健社会適応訓練所「ふれあいショップ一粒の麦」は開店しました。名称は聖書のみ言葉に由来しています。
 わたしが精神保健の働きと出会ったのは、家族会が運営する作業所、「あけぼの工房」にボランティアとして参加したのがきっかけでした。今から23年前のことでした。その頃は精神障がい者に対する偏見が強く、社会生活には困難が伴いました。作業所はいつもわたしに、仲間と自由に集える場と働くことのできる場が欲しいと仲間同士言っていました。
 わたしの所属するルーテル教会は、敷地も広く、使っていない保育園の建物があったので、そこを仲間が集える場にしようと教会に申し出ました。教会は快く許してくださいました。このとき、支え、協力してくださったのが、立野牧師、宣教師のべケダム牧師、そして、ルーテル柳井教会の信徒の方々でした。
 一方、柳井保健所は、精神ボランティア講座を開き、「ボランティア四つ葉会」が組織され、「一粒の麦」の働きを支えてくれました。お店では、手作りケーキ、野菜、手作り品などたくさんの品々が並びました。コーヒーや昼食を用意し、仲間と楽しく集うことができ、働く場もできました。
 平成9年10月、地域精神保健福祉対策事業として、「出愛の場」ができて、本格的な憩いの場として、地域の方々も利用できる、喫茶店と食堂もオープンしました。
 平成18年12月、NPO法人の認可を受け、障がい者が社会就労する中で生きがいを見つけ、収入を得る喜びが与えられるようになりました。現在の活動は、本格的なパン、ケーキ作り、出張販売、喫茶、リサイクル、農園、昼食作り等です。利用者16名、従業員10名で、一日てんてこ舞いの忙しさで働いています。
 リサイクルは柳井教会より引き続き、今は「一粒の麦」で行っています。この春、25年間のリサイクル活動に対して、山口県より、リサイクル、省資源・省エネルギー運動推進優良団体として県知事賞をいただきました。
 この20年間の活動を通して、何よりもうれしいことは、利用者がたくさん礼拝に出席してくださることと、「一粒の麦」で一生涯働きたいとの希望をもって従業員が来ていることです。正直で、偽りのない仲間たちは、神様に愛され、多くの恵みをいただいています。
住所 山口県柳井市中央3丁目14-15 
ふれあいショップ 「一粒の麦」

私の本棚から 松本清張著 『砂漠の塩』 新潮社、1982年(発刊は中央公論社、1967年)

 壮大な情死への旅、読後に余韻が残る小説です。多くを語らずとも、人の表情や感情が読み取れる、これぞ松本清張といった文体です。

 野木泰子は夫を日本に残して参加した欧州観光旅行中のパリで、「ドイツに友だちがいますの」と偽って単身カイロ行きの飛行機に乗る。谷口真吉は出張先の香港から会社へ退職届を送り、待ち合わせ場所であるカイロ空港へと向かう。真吉も既婚である。海外で忽然と消えた二人には日本で別々に捜索願いが出される。
カイロのホテルで知人と遭遇し、バザールを歩いている時に日本人の獣医に声を掛けられ、レストランで大使館職員と鉢合わせするうちに、 二人に足が付く。泰子の夫保雄は妻を追って日本からカイロへ向かう。
 泰子は真吉を愛しながらも、平凡で不満のない保雄を裏切ることが出来ず、死に向かう旅の途中、ホテルで真吉と同室に泊ることを拒み続ける。途中、ベイルートでは、イスラム教の婚姻の教えに反した若い男女が肉親に銃撃され死亡する事件を目の当たりにする。泰子の心は真吉と保雄の間で揺れ続け、”私の内に在る神”がこうさせるのだと自己に言い聞かせる。でありながら、泰子は死後に発見されない場所で真吉と一緒に死ぬことだけを求めて、砂漠を目指す。
 途中、真吉が病気になるが、”一緒に死ぬために”泰子は真吉の快癒を願い、看病をし、治る医療を求めて、旅程を留める。そんな間に、保雄は二人に追いつかんとしている。ダマスカスの日本大使館も二人を捜索している。
 真吉の病気のために何日もホテルに留まったのちに、二人は最期の旅に出る。砂漠の真ん中で「ホテルに忘れ物をした」と言って路面バスを降り、道を外れ、砂漠へと踏み込む。そして、深い窪地に到り、坐し、薬を飲む。しかし、日本からの地質調査隊に発見される。この時、真吉は死んでいたが、泰子には息があり、生へと引き戻される。保雄はすぐ近くまで来ていたが、交通事故に遭い、入院していた。このことが泰子に知らされる。泰子が保雄の元に行こうとした時に保雄は縊死していた。一人になった泰子の行方がわからなくなったところで小説は終わっている。
熊本教会員、九州ルーテル学院大学図書館司書       水谷江美子

東地域教師会退修会報告

 東地域教師会退修会は、9月26日から27日にかけて栃木県那須の研修施設「ラフォーレ那須」にて行われました。30名の牧師たちが出席できました。
 今回の退修会を企画する際、ぜひとも反映させたい担当役員たちの思いがふたつありました。ひとつは東日本大震災、もうひとつはJELCの宣教、このふたつをプログラムに組み込むことです。これらを兼ね備えたテーマと内容、そして開催地を選定した結果、場所は那須、講師は石田 学氏にお願いしました。
 石田先生はナザレン教団に所属する歴史神学者。そういった視点から近年、「日本における宣教的共同体の形成」を執筆、使徒信条を現代日本の脈絡で宣教的に再解釈するというユニークな論点をお持ちだったので、岐路にある日本福音ルーテル教会のこれからの宣教を考えるのに適任者でした。先生のご講演を敢えて一言に集約するなら、困難な局面に直面する教会ではあるが、そういった中、教会が宣教するとは、「教会が教会としてあり続けることだ」という指摘は、注目に値します。出席者側からは、「JELCの宣教論」を青田師、「わたしの宣教論」を太田師、内藤師が語り、その後活発な議論が行われました。
 那須を開催地として選んだのは、今回の福島原発事故で大きな被害を被ったアジア学院というキリスト教施設が近くにあったからです(JLERから二千万円の支援が送られました)。石田先生の講演とディスカッションを終えたあと、最終日の午後、オプションとして同学院を訪問、十数名が参加しました。わたしたちは半壊した建物や放射線被曝の状況と懸命な復旧対策を視察、そしてアジア・アフリカ諸国から農業技術指導者育成のために留学生を受け入れている学院の働きを教わり、さらにはミャンマーとインドネシア留学生との懇談のひとときをもつことができました。

宗教改革五〇〇周年記念ヴァティカン/LWF国際対話委員会 開催

ルター研究所 所長 鈴木 浩

 七月八日から一五日まで、フィンランドのヘルシンキでルーテル世界連盟(LWF)とヴァティカンの間で、「一致に関するルーテル・カトリック国際対話委員会」が開かれた。ヴァティカンから十名、LWFから十名の委員が出て、ドイツのレーゲンスブルクの司教(ミュラー司教)とヘルシンキの監督(フオヴィネン監督)が共同委員長を務める委員会である。アジア地区を代表してルーテル学院大学の徳善名誉教授が長い間、委員を務められた重要な神学対話の場である。二〇〇九年からわたしが徳善先生の後任となった。
 二〇〇九年から取り組み始めた新しい課題の一つが、二〇一七年の「宗教改革五百周年を両教会でどのように記念するのか」というテーマである。史上初めてのことだが、二〇一七年の一〇月三一日に、ルターが『九五箇条の提題』を貼り出し、宗教改革の発端となったヴィッテンベルクの「城教会」で両教会による合同礼拝が行われることは決まっている。委員会で取り組んできたのは、それに先だって発表されることになっている共同声明の文案作りである。昨年のレーゲンスブルクでの委員会では合意に至らず、今回のヘルシンキでの委員会で最終合意に至った。司会をしたフオヴィネン監督の巧みな舵取りが奏効した、という印象であった。
 それほど大きな文書ではないのだが、共同声明は一九九九年の『義認の教理に関する共同宣言』以来の画期的な文書となるのは間違いない。この共同声明は、ヴァティカンとLWFの上部機関の承認を経て近い将来公式に発表されるはずである。表題は、『対立から交わりへ』(From Conflict to Communion)となるだろう。
 日本でもカトリック教会とルーテル教会だけでなく、他のプロテスタント教会の協賛を得て、一緒に「宗教改革五〇〇周年」を記念することができればと願っている。

第13回 ルーテルこどもキャンプ報告

「教育こそ次世代への贈り物です。宝です!」
後藤文雄司祭(カトリック吉祥寺教会)は、夕べの講演で何度もこう力説れました。

 「カンボジアからソックサバーイ!(お元気ですか)~あなたの夢は!?~」をテーマに、おとなもこどもも50人以上の仲間たちが共に過ごしたこのキャンプ。会場である挙母教会の全面的なサポートを得て 、 恵みのうちに8月9日からの3日間を過ごすことが出来ました。準備されたプログラムはどれも素晴らしいものでしたが、メインの一つである後藤司祭のお話は、とりわけ心に語りかけるものでした。
 カンボジアでは、教育を望んでもそれが可能なのはごく一部のこどものみで、多くは家庭を支えるために働かなければなりません。人々の心に今なお深く残る内戦の爪痕。除去完了まであと100年はかかるという地雷問題。想像を絶する貧富の格差があるゆえに望まずして起こされるストリートチルドレン、 児童虐待の問題…。年に二回はカンボジアへ赴き 、里親になって現地のこどもたちと共に生きてきた後藤司祭だからこそ出来る、スライドを交えながらの熱っぽい語りかけは、聞く者の胸を打ち、”生きる”ことの深さを改めて考えさせられるものでした。
 わたしたちは問いかけられました。なぜ学ぶのかを。物質的に不自由してはいない自分たちだろうけれど、カンボジアのこどもたちのように心から笑顔でいるだろうかと。簡単に答えは出ません。しかし、わたしたちは気づかされたのです。学ぶことは生きることであり、 生きることは学ぶことなのだ、と。
 カンボジアの歌をみんなで覚え、輪になって歌ったこと、薪拾いや物売りなどの日常を追体験したこと、即席の担架で病人役の仲間を一生懸命運んだこと、カンボジア料理に舌鼓を打ったこと、夜は寝る間も惜しんで語り合ったこと…。これらすべては、一人ひとりの心に、忘れ得ぬ宝として刻まれました。
 わたしたちを愛し、ゆるし、今日も生かし給う神に感謝致します。
キャンプ長 神﨑 伸

ルーテル連帯献金のお願い

  日本福音ルーテル教会は2011年度の「連帯献金」の特別指定献金を以下のように決め、各教会へご協力をお願いしています。クリスマス献金等を通して、各個教会のご協力とご支援をよろしくお願います。LWF(ルーテル世界連盟)等の、教会の国際機関を通じて送金される私たちの献金が、世界において支援を必要としている多くの人々の支援と救援活動として用いられていくことを心より祈ります。

 日本福音ルーテル教会         宣教室

■指定献金[ブラジル伝道]■
 サンパウロにある日系人教会(サンパウロ教会、南米教会)での宣教に、宣教師として派遣されている徳弘浩隆牧師夫妻(任期2009年4月~2016年3月)の人件費と伝道諸経費を補うために、400万円の募金目標を掲げています。ブラジル伝道の継続的支援とそのための献金をお願いします。

■特定献金[メコン流域支援]■
 日本福音ルーテル教会は「メコンミッション活動」として、メコン川流域の人々のための宣教・教育・奉仕事業を香港、シンガポールのルーテル教会と共同で展開しています。今年度は、カンボジアのコンポン・チュナン地区の子どもたちへの食糧(百名、週5日分食事提供)、医療と教育(二千名)の支
援活動のために献金をお願いします。

■指定献金[喜望の家]■
 釜ヶ崎「ディアコニアセンター喜望の家」の活動支援。アルコール依存を抱えた方々の支援・相談、アルコールを飲まない生活を支えるための「自立生活支援プログラム」の提供、病院訪問などの奉仕活動への支援です。

■無指定献金■
[世界宣教のために]
 飢餓や内戦による難民状態にある人々や、突然の自然災害を被り、緊急の支援を必要としている人々の救援活動へ速やかに対応するために「無指定献金」を設けています。無指定献金の配分・送金先は本教会常議員会に委ねられています。

■特別救援募金■
「東日本大震災」
 3月11日に発生した日本で観測史上最大 とも言われる、東日本大震災の支援活動のために、日本福音ルーテル教会は他の三つのルーテル教会と共に救援対策本部を設置し、支援活動を継続的に展開するために全国の教会・施設に緊急支援募金をお願いしています。

11-10-15るうてる2011年10月号

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説教 「私たちの戻るべき教え」

イエスは言われた。「婦人よ、私を信じなさい。あなた方が、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは、知っているものを礼拝する。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。
ヨハネによる福音書4章21~23節

 十月はルーテル教会にとっては、宗教改革を覚える月です。「宗教改革」という呼び方に慣れ親しんでいる私たちですが、なぜ「宗教改革」と呼ぶのか、その理由は曖昧です。
 英語ではリフォメーション(reformation)ですが、リ(re)には、「再び」とか、「新たに」ということに加えて、「…し直す」、あるいは「…し戻す」という意味があります。ここから察すれば、宗教改革とは、今の姿を省み、本来あるべき姿へと戻るための改革ということになるでしょう。
 ルターを中心とした宗教改革者たちの第一の主張は、聖書に戻るということでした。教会、そして信仰者の本来あるべき姿は、聖書に、すなわちイエス・キリストの教えにあると確信したからです。ルターは、十週間で新約聖書のギリシャ語をドイツ語へと翻訳するという離れ業をやってのけましたが、聖書への揺るぎない確信があったから成し得たことでした。
 ルターの時代から五百年を経ようとしている私たちですが、宗教改革の精神を毎年この時期に覚えることは意義深いことです。私たちも聖書に立ち返り、そこにある本来の姿に戻るのです。
そのひとつとして礼拝を考えて見ましょう。礼拝は、教会生活や信仰歴の長い者にとっては、「いちいち説明されなくても分かってますよ」と言いたくなるほどのもので、キリスト者にとって自明なものです。
 では今日私たちが「礼拝」を論じる時に、真っ先に口にし、議論することはどんなことでしょうか。「礼拝の人数をいかに増やすか」、さらには「礼拝がどうすれば楽しくなるか」とばかりに、創意工夫に興味を向け勝ちです。確かにそのようなことを議論することも必要でしょう。しかし、それが第一に論じるべきことでしょうか。そこで、イエスが礼拝についてどう教えられたのか、聖書に戻るのです。
 サマリアの女とイエスの間で礼拝のことが話題となりました。サマリヤの女は礼拝すべき場所に拘り、ユダヤ人たちもエルサレムの神殿での礼拝やそれに伴う仕来りを第一に問題にしていたのです。
 でもここでの話は、私たちとさして変わらないように思えます。先に述べたことの続きですが、礼拝を語る時に、大きな礼拝堂、立派なオルガン、たくさんの人数がいる場所での礼拝が、「本当の礼拝」とか「目標とする礼拝」になっていないでしょうか。礼拝の形式が気になり、十字架を首に下げたり、十字を繰り返し切ることも重要な仕来たりとなっていないでしょうか。
 しかしイエスの教えでは、「まことの礼拝」とはそうではありませんでした。イエスとサマリアの女の二人だけの礼拝です。オルガンも式文もなく、礼拝堂もありません。井戸端でしたが、マルタのように食事の世話に心を奪われることなく、女はイエスの教えにただ聞き入り、本当に心を響かせたのです。私たちには「何と寂しい礼拝だろうか」感じられますが、それを指してイエスは、「今、まことの礼拝をしている」と言われたのです。この言葉が孤独な女を励まし、力強い証し人へと変えたのです。
 「霊と真理をもって父を礼拝する時が来る」という言葉は、霊と真理を私たち自らが持っているかのような響きが拭えません。「霊と真理の中で」(ルター訳)が相応しいと思います。霊と真理は神様のものです。少ない人数であっても、サマリアの女のように独りぼっちであっても、霊と真理の中に生かされていることを信じて、イエスの教えに聞き入り、心を響かせる。ここに「まことの礼拝」が実現しているのです。
 礼拝の歌声は大人数で歌う方が荘厳で、祝福に満たされた思いに浸れることは確かなことです。しかし、私たちの思いや感覚を超えた教えがここには響いています。私たちの教会が真っ先に戻るべき「まことの礼拝」を大切にしたいと思うのです。
 東京池袋教会牧師 立山忠浩

ルターによせて(6)ドイツの十月の祭り

 旅行会社に、ドイツの十月の祭りは何かと尋ねると、まず第一答は、かの有名な「オクトーバーフェスト(十月祭)」だろう。ドイツ南部のバイエルン州都ミュンヘンで毎年何百万人もの参加を得て開かれる世界最大級のビール祭りだ。酒を集団で飲み出すと、皆で放歌高吟の大合唱となるのは、日本人とドイツ人だけという定評があるそうだが、一度確かめて見たいものだ。
 このオクトーバーフェストは、実は、九月の半ばから始まり、十月上旬に終わる。その最後あたりに十月三日の「ドイツ統一の日」という最大の祝日で盛り上がる。中々うまい具合だ。
 さて、ドイツの十月の祭りで忘れてはならないのが三十一日の宗教改革記念日だろう。
 この日はプロテスタントの多い東北の州では祝日となっているが、カトリックが多い西南の州では祝日ではない。如何にも地方分権の国らしい。
 最近は、十月三十一日の祭りとして、どこでも、ハローウィンが流行っている。これへの対策として、もしも子供達がお化けに変装してお菓子をねだったら、包み紙にルターの肖像を印刷した飴をあげようという提案があった。さて効果は如何なものだろうか。

牧師の声 私の愛唱聖句

岡山、高松、松江教会 高村敏浩

あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。コリントの信徒への手紙一10章13節

 最近、他教派の方たちと話をする機会が続きました。その中で自然とこの聖句を開き、共に読む私がありました。それはその方たちが、それぞれの置かれた状況の中で一生懸命に努力し、歯を食いしばり、困難を打ち破ろうとし、しかしそれができないために信仰の弱い自分を責めている姿に、自分自身を重ねたからかもしれません。
 私の愛唱聖句は、16歳でクリスチャンになったときからのものです。当時私は、学校に行けなくなっていました。自分自身にとっても、家族にとっても辛い時期でした。そのようなときに、私は初めて教会に行きました。アメリカからの宣教師であった牧師に導かれて聖書を読む中で、この聖句に出会います。最初、神は、私を信仰によって試練や困難に打ち勝たせてくれるのだと理解しました。しかし牧師は、神は、試練や困難に打ち勝つのではなく、むしろそこから逃れる道、脱出の道を備えてくださると言います。非常に衝撃的でした。逃げるということは負けであるとし、ネガティブにしか捉えられなかった私は、勝たなければならない、強い信仰があれば、それが可能であると考えていました。それは言い換えれば、自分の信仰が強ければ、それによって神からの助けを引き出し、万事がうまく行くのだという、自分中心の考えでした。しかし神は、みことばを通して、ぶつかって行って打ち勝つだけが道ではなく、逃げてもいいのだ、そういう道もあり、それでもいいのだということを語ってくださいました。
 試練や困難に出遭うとき、私たちはどうしても自分に納得のいく形、勝利によって決着がつくことを望みます。しかし神は、十字架に顕かなように、私たちの期待とは違う形で答えを与えてくださることもあるのです。今までこの聖句に何度も慰められ、癒され、励まされてきました。これからもそうでしょう。逃げてもいいときがあるということは、私たちが今日聞く必要のあるメッセージなのではないでしょうか。

信徒の声「21年の教会生活を振り返る」

恵み野教会 藤崎福子

 私は、24年程前に「友の会」(羽仁もと子創立80周年を迎えた団体)に入会。賛美歌を歌い、羽仁もと子著作集を読書、聖書が引用されていて、さっぱりわからないのがきっかけで帯広教会の家庭集会に参加。出かけたのは、子供クリスマスやバザーで礼拝とは縁がありませんでした。
 その後、夫の転勤で札幌へ、故郷でもあり、不安はありませんでしたが、「もし、あなたに何かあったら新札幌教会へ行ってください」と中島牧師が話されたことを夫に話すと、早速、職場、友の会、教会へ通い易い所を探してくれました。教会に行く気のない私でしたが、翌年の子供祝福式に外泊先の雨竜から車を飛ばしてもらい家族4人で出席したのが始めての礼拝でした。どうして急にそうなったのか今でも不思議です。
 洗礼を勧めてくださる紙谷牧師と信徒さんたちにその気がないことを言い続けていたある晩、自律神経を病んで生死をさまよい、2才と7才の息子を残して死ぬと思いました。翌朝、命あることを知り、ホッとしました。
 しばらく体調が悪く、心身共に弱くなっていた頃、体の不自由なレーナ・マリアさんが美しく生き生きとテレビに写る姿に涙があふれ、体が熱くなるのを感じ不思議に思いました。そして、クリスマスに2人の息子と共に受洗しました。
 翌年、牧師がかわり、山田牧師と、3人の母親で教会学校を始めました。子供たちに助けられ勉強することは、信仰の糧になりました。その後、恵庭市に家を持ち、恵み野教会に3人で通うのは楽しみでした。次男が成長し小学校の高学年の時、安井牧師送別の日に「僕は小さい時から親に連れられて教会に来ているけど、野球少年団に入ってから雨の日だけ親に言われて来ています。でも、僕は雨の日だからこそ友人と遊びたい・・・」と声をつまらせ話しました。 また、長男は高校生の時、「聖餐に与るに足りる者ではない。」と聖餐を拒んだ時、浅見牧師は「しっかりと考えておられますよ」と話されました。親からの信仰の継承は小学校卒業まで。後は全国ティーンズキャンプに参加させました。娘(高1)も成長し、月に一度、礼拝で奏楽奉仕をしています。3人の子供たちと教会学校で関われたことは有難いことでした。
 帯広・新札幌・恵み野と21年の教会生活の中で14名もの牧師と出会えたことは恵みです。3人の子供たちが堅信に導かれる日を祈りつつ、これからも教会に繋がっていきます。

フィンランド教育事情

みんなの教育

 フィンランドはPISAの学力調査で高く評価されました。OECDの国々と比べると、フィンランドの生徒たちは一週間の勉強時間は少く、国の教育に対する予算も平均レベルです。ですから、勉強時間とか予算の大小は好成績の要因にならないのです。それよりも、平等な就学と学習の機会がその理由の一つと言えます。
 平等はフィンランドの教育の大切な価値です。それを追求することは三つの意味で実現されていると思います。第一は、みんなが同じ基本教育を受けることです。学校教育が大きく変わったのは1972年の教育改革でした。義務教育は「基礎教育」と呼ばれる9年間のみんなの教育制度になりました。
 第二は、改革の結果として、安い国立学校もお金がかかる私立学校も廃止され、無料な教育制度が創立されました。現在、わずか1%の私立を除いて、小・中・高校と大学は全て公立です。 それで義務教育、高等学校、 職業専門学校、大学ともに授業は無償です。小・中学校では昼食はもちろん、教科書、教材や筆記具、または保健、歯のケア、通学、特別支援教育までも全て無料で提供されています。
 第三は、みんなが一緒に勉強することです。フィンランドの教育の基本は平等に教育を受けることですから、なるべくみんなが一緒に席を同じくして授業を受けられるように努力しています。女子校・男子校はなく、共学だけです。能力別クラス編成もありません。
 日本とフィンランドのような経済的に豊かな国では、教育は当たり前のことになりました。 現代の子どもたちは学校教育を権利より義務として感じているでしょうが、 実は、勉強ができることはいつも特権です。しかし、みんなが 居住地、性別、家庭の水準、経済的および文化的な背景によらず、本当に平等に教育を受けるようになる時まで、教育社会と呼ばれる国でさえ、まだ頑張らなければならないところがあるでしょう。
 神様のみ前では、全ての子どもたちは掛け替えのない大切なものです。

Paivi Poukka, ポウッカ・パイヴィ
  スオミ・キリスト教会

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その17

ルーテル作業センター ムゲン その2

施設長 佐野卓志

 去年4月から就労継続支援B型事業所に移行して、それまで3人の職員でやっていたのが5人に増え、精神障害のメンバーも増えました。
 週5回の昼食も、メンバーは実質タダで食べられるようになりました。飲み物もコーヒー、紅茶、カルピス、麦茶など自由に飲めます。
 メンバーの仕事は内職、古着物ほどき、古着物裂き、裂き織り、リサイクル品回収、バザーや高島屋の店番などですが、仕事を全くしなくて、おしゃべりしているのも自由です。設立当初から「居場所」という伝統を守ってきて、仕事場である前に、メンバーの居場所となっています。メンバーも女性が多く、とてもにぎやかです。
 裂き織りでメンバーが作っているのは、マフラー、ペットボトル入れ、コースターなどです。
 職員にデザイナーがいるので、古着物を裂き織りにしないで、そのまま洋服や日傘にしたりもしています。
 行事として、毎週金曜日にはバレーボールの練習や2週間に1度の着物の着付け教室、不定期にバーベキューやカラオケがあります。1ヶ月に2回、運営協議会を職員とメンバーで開いて、次の月の予定を決めます。1回目の協議会が給料日で、2回目の協議会には誕生会を開いて、ケーキを食べます。
 商品の販売は高島屋7Fのハートフルプラザや、各種バザー、ネットショップで行っています。売り上げはすべてメンバーの給料になります。
 古着物の募集は随時行っています。寄付してくれた人にはムゲンニュースを送っています。
NPO法人ぴあ ルーテル作業センタームゲン
790-0821
松山市木屋町1-9-4
TEL/FAX089-996-7701
平日 9:00~17:00
土日祝日休業
ホームページ http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
ネットショップ http://npohoujinpia.free.makeshop.jp/
フェイスブックページ 
http://www.facebook.com/pages/NPO法人ぴあ-ルーテル作業センタームゲン/259718170721218?sk=wall
メールアドレス mugen@joy.ocn.ne.jp

私の本棚から

『樹木とその葉』(若山牧水全集第十二巻)
嶒進會出版社、1993年復刊

 若山牧水は自然の中に自らを開放し、すべてのことを全身全霊で受け、和歌を詠み、随筆を書いた。霊的に、そして、感性のままに生きた人であったと思う。多くの遺墨に見る大らかな字も佳い。

 『樹木とその葉』は随筆集である。牧水の自然感ここにあり。緻密な描写と端正な筆致に惹かれる。「序文に代へてうたへる歌十首」から一首、「山にあらず海にあらずただ谷の石のあひをゆく水かわが文章は」
 この随筆集から「自然の息 自然の聲」を引く。
 「私はよく山歩きをする。それも秋から冬に移るころの、ちやうど紅葉が過ぎて漸くあたりがあらはにならうとする落葉のころの山が好きだ。草履ばきの足もとからは、橡(とち)は橡、山毛欅(ぶな)は山毛欅、それぞれの木の匂を放つてでも居る様な眞新しい落葉のからからに乾いたのを踏んで通るのが好きだ。」(原文のまま)
 「此間の様に大地震があつたりなどすると、「自然の威力を見よや」といふ風のことをいふ人のあるのをよく見かけるが、私は自然をさうした恐しいものと見ることに心が動かない。ああした不時の出来事は要するに不時の出来事で、自然自身も豫期しなかつた事ではなかろうかと思はれる。大小はあらうが、自然もまた人間と同様、 ああした場合にはわれながらの驚きをなす位ゐのことであらうと思はれる。そして私の思ふ自然は、生存して行かうとする人類のために出来るだけの助力を與へようとするほどのものではなかろうかと考へらるるのだ。(中略)ただ、人間の方でいつの間にかその自然と離れて、やがてはそれを忘るる様になり、たまたま不時の異變などのあつた際に、周章(うろた)へて眼を見張るといふところがありはせぬだろうか。」(原文のまま)
 ここでの大地震は関東大震災である 。 牧水は伊豆半島西海岸にある旅館滞在中に地震に遭った。東日本大震災により様々な苦難の中に在る方、また、復興に従事されている方のために、神様からの慰めと励ましを祈り続けたい。この思いの中で、『樹木とその葉』を読み直した。
 
熊本教会員、九州ルーテル学院大学図書館司書        水谷江美子

ルーテル法人会連合総会に参加して

社会福祉法人慈愛園シオン園保育所       福田順子

 2011年8月22、23日に大阪教会で行われたルーテル法人会連合総会に幼保の立場から参加させていただきました。
 幼稚園・保育園は、現在とても微妙な立場に立たされています。これまでの保育制度を大きく変える「子ども・子育て新システム」法案が検討され、幼保一体化、私立保育園の運営費の一般財源化、最低基準の各都道府県の条例への委譲、企業参入による保育の市場化・産業化…などなど、保育園や保育そのものが福祉と関係のない方向へ進んでいるように思われ、危惧しています。保育制度の変更の中に子どもの姿が見えず、政治的なものまで巻き込んだ騒動の中で、私たちは子どもたちの最善の利益を最優先に考えていけるのでしょうか?
 ルーテル法人会連合やルーテル幼保の会合は、幼稚園と保育園が同じスタンスで話し合える良い機会です。また、教会、学校、社会福祉、幼保、と職種や立場が変わっても、「幼子とともにキリストへ」「キリストの愛を実践する」という根底を流れるものは同じ、目指しているものも同じ仲間がそれぞれの場所で力を尽くし、祈っておられる姿に気付かされ、勇気を与えられる場でもあります。
 今回の総会においても、伝道・教育(保育)・奉仕の立場からこの先10年を見据えたビジョンについて提言が出され 、 多くの学びと出会いがあり、感謝しています。
 このような激動の時代、思いがけない災害、言いようのない不安、先の見えない焦りの中で暗中模索する日々ですが、暗闇の中でもしっかりと手をつなぎ、遠くの灯りを共に目指し祈りあえる、見えない繋がりがルーテル法人会連合にあることを確信して、キリストの愛を伝える毎日の保育を深めていきたいと思います。

米国サウスカロライナ短期研修を終えて

雪ヶ谷教会牧師 田島靖則

 この夏から、我が家のダイニングには一枚のリトグラフが飾られています。説教奉仕を依頼された、サウスカロライナ州レキシントンの聖ステファノ教会から、感謝のしるしにと贈られたモノトーンの版画です。そこには石造りの立派な尖塔をもつ教会が描かれています。
 私は前々から、 米国からやってきた初代の宣教師たちが「南部一致シノッド」から派遣されたということに、素朴な疑問を感じていました。なぜ「南部」のルーテル教会だったのか。このことについて、私は今回のサウスカロライナ訪問によって、ひとつの確信を抱くにいたりました。
 前述の聖ステファノ教会は、181年の歴史をもつ南部で最も古い教会のひとつですが、未曾有の内戦となった南北戦争の終わりの年(1865年)、シャーマン将軍率いる北軍に破壊され 、 焼き払われた歴史をもつ教会なのです。北軍のシャーマン将軍は、近代戦の歴史上初めて「徹底した焦土作戦」を実行した人といわれますが、その戦争でサウスカロライナの州都コロンビアをはじめとする主要な町の多くが焼き払われたのです。
 その「敗戦の焦土」を経験した南部一致シノッドが、日本伝道を決議するのが1887年。敗戦のわずか22年後です。自分たちの町の復興もまだ途上にあるにもかかわらず、南部のルーテル教会の人たちが、 極東のまだ見ぬ国日本に福音を伝えるため、どのような思いで献金を募り、宣教師を送り出したのか。このことを思うだけでも胸が熱くなります。
 サウスカロライナ・シノッドの人たちが日本のために祈り、そして捧げることを今も続けておられることは、今回の東日本大震災救援の働きを見ても明らかです。世界中の大きな団体から多くの献金が寄せられましたが、サウスカロライナ・シノッドから捧げられた献金は、母体の規模で比較すれば群を抜いています。今回の訪問ではどこへ行ってもまず、日本のルーテル教会を代表して、救援献金への感謝を欠かすことはできませんでした。
 正味16日間の研修期間中、レンタカーを走らせて訪問した場所は、サザンセミナリー、ニューベリー大学、ローマンホーム(高齢者施設)、チャールストンの聖ヨハネ教会、レキシントンの聖ステファノ教会、アトランタのキング牧師生家、フィラデルフィア神学校、バージニアのパムンキ ・ インディアンリザベーション、ウエストコロンビアのマウントテイバー教会などです。加えて、日本で40年間奉仕されたリビングストン牧師の「親族リユニオン」にも参加し、日本のルーテル教会を代表して感謝の言葉を申し述べる機会も与えられました。ヨース主教をはじめ、サウスカロライナのルーテル教会の方々には言葉にならないほどの感謝を伝えたいと思います。この文章が、サウスカロライナの人々の祈りと思いを余すところなく伝えてくれることを願っています。

るうてる法人会連合第9回総会報告

副議長 青田勇

 2年毎に開催されることとなった「るうてる法人会連合第9回総会」は、8月23日(火)と24日(水)、大阪教会とホテル・ザ・ルーテルを会場に行われた。東日本大震災の出来事を受け、その救援活動を覚えるためにも、「良きサマリア人」の聖書の箇所を主題聖句に、「ルーテルのミッション」(私たちは隣人になっていますでしょうか)というテーマの下で約80名の出席者を得て、開催された。研修会も兼ねた総会の主なプログラムは以下の通りであった。

基調講演
 アメリカ福音ルーテル教会海外伝道局アジア担当である石田順孝牧師より、教会伝道の今日的課題である「宣教とディアコニア」についての基本的宣教理念とアメリカの教会及び社会福祉施設・病院、さらに世界伝道における多様なディアコニア・ミニストリーの働きが紹介された。

東日本大震災「ルーテル救援」活動報告
 渡邉議長及び青田救援対策本部長、それに補足説明として立野現地派遣牧師より、3月11日に発生した東日本大震災のルーテル教会の救援活動(JLER)の設置の経過説明と今後の支援活動(3億円想定)の主要目的と活動計画が説明され、各法人の継続的協力が呼びかけられた。

法人会連合設立から10年間を振返って」
 法人会連合設立から10年を経過していることを踏まえ、各法人を代表して、以下の方々から10年間の評価と意義、今後の課題も含めた発題があった。
①宗教法  青田 勇
②学校法人  清重尚弘
③社会福祉法人 内海 望
④幼稚園保育園連合会  杉本洋一
「法人会連合設立から10年間を振返って」の発題を受けて、以下の方々より、次の10年を目指しての発題が行われた。
①教会の立場から     大柴譲治
②教育の立場から    内村公春
③社会福祉の立場から  滝田浩之
④幼保の立場から    尾田明子

総会議事
 一日目の上記の発題を受けての、4グループによる分科会が二日目の午前中、持たれ、そこで総会への要望・提案をまとめてもらった。総会で確認した主な要望及び承認された提案内容は以下の通りである。

要望:
①人材交流委員会は法人会に関係する施設の幹部教育・養成のための研修を早急に組み立てるようにする。
②組織機構委員会は連合会にNPO法人も含めた多様な奉仕団体・グループの参加を奨励するための制度変更を検討すること。
③各法人の働きを覚えるための、JELCの礼拝に関係する主日、特別の祈り、礼拝での特別証言等の設定を検討してほしい。
④JELCのメーリングリスト及び機関紙を活用して、各法人の求人等を含めた情報共有を図ってほしい。

提案:
①法人会連合会の総会、2年に一回の夏の研修会、毎年の教会推薦理事研修会の準備企画等の運営に関しては、法人連合会代表者会が定期的に協議して行うこととする。
②以下の委員会の構成は各法人からの新たな選出者をもって編成する。
組織機構委員会、財政委員会、人材交流委員会

福音版「クリスマス特集号」の発行のお知らせと購読のお願い

 広報室では12月に、福音版「クリスマス特集号」を発行します。B4版折なし、両面カラー印刷です。内容は従来の福音版とほぼ同様ですが、用紙は「るうてる」本紙とは違って、教会の輪転機でも印刷しやすい上質紙になります。送料込みで有料となりますが、クリスマス礼拝や集会の案内に用いていただきたいと願っています。ご注文の際は500枚単位でお申し込みください。
 申し込みはファックスの場合は、03-3260-1948 に。メイルの 場合はm-tokuno@jelc.or.jp あてお願いします。
 代金については、印刷部数によりますので、注文を受けてからお知らせすることになりますが、1枚に付き約4円(送料別)となる予定です。注文は11月14日(月)までとさせていただきます。お問合せは、 小石川教会徳野(03-3941-4172)まで。

11-09-15るうてる2011年9月号

機関紙PDF

説教「雑草のしぶとさ」

イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
マタイによる福音書13章31~32節

クロガラシは、イスラエルではかなりの高さにまで成長するアブラナ科の一年草で二メートルくらいはある」廣部千恵子著『新聖書植物図鑑』からの引用です。聖書に出てくる「からし種」が、どんな植物の種かということには、議論もあるようですが、それが、一年草であり、栽培種というよりも、むしろ雑草に近いものであったことは確かのようです。

 プリニウスの『自然誌』によれば、「火のような辛さのあるからし菜はとても強い野菜で、水や肥料をやらなくても勝手に育って勝手に種をまき散らしてはびこっていく。そのため、農民はからし菜が自分の畑に生えてくるのを恐れていた」のだそうです。わざわざ植えたり育てたりしなくても、野原に行けば、いくらでも摘んでくることのできるような草、堂々とした大木というよりは、高々二メートルの大ぶりの雑草、そのようなものとしてカラシの木は存在します。
 聖書の中には、もっと天の国にふさわしい木がありそうです。たとえば、ダニエル書四章七節以下には、「大地の真ん中に、一本の木が生えていた。大きな木であった」と書かれており、この木は、「その木陰に野の獣は宿り/その枝に空の鳥は巣を作り/生き物はみな、この木によって食べ物を得た」とされています。また、エゼキエル書三一章三節以下では、エジプトを喩えて、「糸杉、レバノンの杉だ」と語られていますが、この木は、「その丈は野のすべての木より高くなり・・・中略・・・大枝には空のすべての鳥が巣を作り/若枝の下では野のすべての獣が子を産み/多くの国民が皆、その木陰に住んだ」と言わる程、巨大なものです。
 それにもかかわらず、イエス様は、天の国を、一年で枯れてしまう、高々二メートルほどの雑草に喩えられました。この喩え方の中に、雑草のしぶとさという隠れたテーマが浮かび上がってくるような気がします。カラシ種は、すぐ枯れてしまう植物ですが、空の鳥に媒介され、その小さな種を広い範囲に撒き散らし続けます。そして、たとえ、その年の草がすべて枯れ果てたとしても、翌年も、また次の年も、そこいら中に、新しい芽をふき、根を張り、実を結び続けるのです。それは、実にしぶとく、世の移り変わりにも耐えて、広がり続けていく、息の長い神の支配、そうも喩えは語っているのではないでしょうか。

 ひるがえって、「人口の一%にも満たない」と常々、嘆きをともなって語られる日本伝道の現状について目を向けてみましょう。そもそも、「にも満たない」という後ろ向きのマイナスイメージが問題です。雑草の種は、たとえ枯れ果てたとしても、翌年、また次の年と、しぶとくはえかわって生き続けていきます。人口の一%、百人に一人もあれば十分とも言えるのです。雑草の強さとは、生きる強さです。栽培種の野菜であれば、たとえば、曲がったきゅうりは出荷できないというように、存在それ自体よりも、その外見や内容に左右されてその存在意義が問われるのですが、雑草にはそのような区別はありません。たとえ捻じ曲がって生えていても、生きていさえすればそれは雑草としての存在を主張するのです。
 大部分の種は、「良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった」(マタイ福音書一三章八節)と書かれています。しかし、その歩みは、決して一筋縄でいかないものだろうと思います。時には捻じ曲がり、時には見失い、よれよれに曲がって、それでも生きていく、そういう信仰だってあって良いはずです。

 日本のような多宗教社会において、キリスト教というものの純粋さを追求する必要のあったことはわかります。ただあまりにも純血を求め、崇高な精神性にばかり依拠してきたところに、日本キリスト教の弱さも、また垣間見えるのです。主イエスは、天の国をカラシダネに喩えられました。その雑草的強さをも含めて。この事も覚えながら歩んで行きたいと思うのです。

   小岩教会牧師 松田繁雄

ルターによせて(5) 神学論争家ルター

 
 日本の国会論議のみならず新聞の論説の中でもしばしば登場する用語に「神学論争」という言葉がある。その意味用法としては、「不毛な、非現実的な、結論の見えない議論」と言った意味で使われる。だから、ほとんどの場合、「神学論争はやめよう」と言った具合に否定的に語られる。日本の言論の府である国会における論議の決め科白の一つがこれらしい。余りにも世界の歴史を知らない言辞であると言わざるを得ない。
 ルターの宗教改革は世界史的な出来事だが、その発端は、贖宥状(免罪符)に関する神学論争であったことはあまねく知られている。有名な「九十五箇条の提題」を始め、ルターはその生涯で六十以上の神学論争文を残している。体系的著作を持たないルターの思想の真骨頂はそれらの論争書にこそあらわされている。更には、ルターから始まったプロテスタンティズムの倫理が現代のグローバルな世界を揺さぶり続ける資本主義を形成する萌芽となったというのがM・ウェーバー以来の現代社会学の通説なのだ。 
 私たちも、人間と歴史、経済、社会を見据えて、ルターのように、大いに「神学論争」を語り出すべきなのではないか

牧師の声 私の愛唱聖句

甲府教会・諏訪教会 市原悠史 

「あなたがたは世の光である。」
マタイによる福音書5章14節

 私は高校生のとき、春のティーンズキャンプでこの御言葉に出会い、牧師を志すようになりました。「その輝きで、世界を照らし、父なる神様を証しなさい。」そのようなメッセージを受け止め、それを信じて、地元の大学の神学部へ、そして三鷹の神学校へと進みました。
 神学校在学中、7ヶ月間住み込みで研修するインターンというものがあります。多くの神学生はその研修で大きな壁にぶつかるのですが、私もその一人でした。誰もが信仰生活の中で一度は挫折を経験すると思うのですが、私にとってはこの時がまさにそれでした。研修をしていながら、しかも牧師になるための研修をしていながら、神様がわからなくなったのです。私は自分を責めました。それまで、自分の召命感だけにすがりついて、勢いだけで前に進んできたことを。自分と向き合わず、神様の肯定のメッセージだけを安易に受け取っていたことを。教会という現場で直面する現実の中で、私は自分の輝きが消えていくような、まさにメッキが剥がれていくような思いになりました。そして、「私はもう世の光ではない。そのような私に、イエス様に従う資格はない。神様を証することなんてできない」そう思いました。「この研修が終わったら、神学校から離れよう。」そう思い、道を歩きながら、私は神様に謝りました。「ごめんなさい。私にはできませんでした」と。その瞬間、私はまるで隣で一緒に歩いている人に話しかけるように神様に話しかけていることに気が付いたのです。神様は遠く離れていたと思っていたのに、実はすぐ隣でずっと一緒にいてくださったことに気が付いたのです。初めて神様に出会ったとき以上の衝撃でした。そこで私は自分の罪深さを知り、そのような私をそれでも赦し、神様の光で輝かせてくださる、そんな神様の恵み深さを知ったのです。
「それでも、あなたがたは世の光である」今も私を動かし、メッセージの中心にあるのは、この御言葉です。

信徒の声「摂理でしょう」

IECLB日系ルーテル・サンパウロ教会 須田清子

教会との初めての出会いは、昭和19年春、前橋共愛女学校に入学した時でした。聖書、賛美歌を手にし、祈り、神様を賛美することを学びました。戦前、戦中、戦後の5年間を学びました。
 前橋市は有名な上毛三山に囲まれた小さな町でした。放課後校舎の屋上に上って四季を彩る山肌の美しい景色を眺めるのが好きでした。山間から夕日を浴びて踊る波を川一杯にのせて校舎の横まで流れ来る利根川もまた、その深遠な神秘に魅了されてしまいました。
 焼け野原となりバラック建ての家並みしかなかったこの町に神様の創造のみ業を見ることができたのです。そして宇宙の創造主は聖書に教える神様だと確信することが出来たのです。その神様に全ての罪が赦されるほど愛されていること(ヨハネ3・16)を信じて、最終学年のクリスマスに受洗しました。
 1953年9月4日、アマゾン川河口、赤道直下にあるアマパ州マカパ市に移民として上陸、野菜栽培のために5年間契約で入植しました。4ヶ月位経ったある日、真実が封じられる会合に幻滅と悲哀を感じ、孤独の悲しさに襲われて退会。広大な耕地の大木を伐採し山焼きの後の焼けぼっくいを蹴飛ばしながら家路に向いました。と、その時、雷光の如く、突如、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハネ14・6)とのイエス様のみ声が聞こえたのです。私は一人ぼっちになっても孤独ではない。地球の果てのようなこの荒野にもイエス様が共にいてくださり真実の道を歩ませてくださっている、と実に慰められたのです。
 1965年、初代宣教師藤井浩先生によって日系ルーテル・サンパウロ教会が設立されました。私は1970年から教会の近くの癌病院に勤務することになりやっと母教会に戻れたような喜びを感じました。歴代宣教師8代目として徳弘浩隆先生の時代となっています。今では自給教会・自立を目指して元気と勇気を神様から頂いています。「勇気を出せと主は言われる。… 働け、わたしはお前たちと共にいると万軍の主は言われる。… この新しい神殿の栄光は昔の神殿にまさると万軍の主は言われる。この場所にわたしは平和を与えると万軍の主は言われる。」(ハガイ2・4~9)神様のお約束です。
 前の教会より大きくて、日系人の集中している良い場所に移転でき、希望と勇気の与えられたことを感謝しています。2015年には宣教50周年を迎えます。次世代に継承する教会形成が出来るようにと日ごと祈っています。

フィンランド教育事情

道標の教師

「戒めは灯、教えは光。懲らしめや諭しは命の道。」
箴言6章23節

 学校はまた賑やかになりました。夏休みから戻ってきた生徒や先生たちは秋学期の日々への足慣らしをしています。8月の中旬に新学年を迎えたフィンランドの学校では、教師は目標や学習の中心的内容を含む国の学習計画に従わなければなりません。しかし、それぞれの学校や教師にも多くのことを決める自由があります。例えば、教科書の選択がそうです。
 フィンランドでは、教師は高い教育を受けており、自分の分野の専門家として信頼され、尊重されています。義務教育と高校の教師になりたいならば、修士の資格をとらなければならないということです。大学の修士号が小学校教員養成課程にも課せられたのは1979年です。 教師の仕事は先進的な国では評価を失う傾向にあるのに対して、フィンランドでは今年教師になりたい学生の数は昨年より増えました。教師の仕事はまだ人気があるので、教育学部は高い能力がある学生を選ぶことができます。しかし、重さを増した責任や期待の為に疲労を覚える教師もいます。新たな情報社会のために在任中の研修も重要で、職業的な知識や技能を常に磨かなければなりません。 
 市民の道標なので、教師 の責任は小さくありません。教育者が何をどのように教えるかというのは新世代の将来に大きな影響を与えます。ですから、家庭との協力や親たちの援助は非常に大切です。互いに尊重し、力を合わせることを覚えて、次の箴言22章6節に心を留めましょう。「若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう」。 

Paivi Poukka, ポウッカ・パイヴィ
  スオミ・キリスト教会

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その17

ルーテル作業センター ムゲン

施設長 佐野卓志

ムゲンは現在就労継続支援B型という事業所で、登録メンバーは20数名、職員は5名です。ぼくは統合失調症という精神病の当事者です。2回計5年の入院歴があります。詳しくは『こころの病を生きる』という中央法規出版の本に書きました。
 ムゲンは23年前に、ぼくやぼくの奥さんの波津子さんや数名の当事者が一緒になって、障害者の集まれる居場所を作ろうとして、古本屋をオープンしました。まだデイケアも十分になかった頃のことです。資金集めはバザーなどを通じて、150万をため、店内改装をしました。それまで身体障害者の自立運動に関わっていましたから、寝てできるトイレも作りました。でも集まってきたのは、自分で来られる精神障害者ばかりでした。「家出娘」も「左翼活動家」もやってきました。本当に行く場所の無い人たちでした。行政にも援助金交渉でいきましたが「商売でやっているんだろう」とけんもほろろでした。 ぼくもコンピュータ講師のバイトをして 、 ムゲンに入れている状態でした。
 家賃を溜め込んで、払うアテも無かったので、そこを2年で出ることになりました。親が医者で、今は使っていない調剤薬局の建物があり、そこにタバコ屋として移りました。当面家賃の心配をしなくて済むようになりました。
 いつまでも援助金無しでは将来も無いので、移転してから6年後に援助金交渉を再開しました。うちは作業所として、当事者会立なので、バックに家族会もありません。行政はバックに信用のある団体を求めてきました。そこで、当時関わってくれていたルーテル松山教会の中に、「エファタ」という支援グループを立ち上げてもらうことになり、信用のある団体が出来ました。そこから行政交渉もトントン拍子に進んで、援助金が決まりました。施設名も「障害者自立の店ムゲン」から「ルーテル作業センター ムゲン」に変えました。その後も、全国のルーテル教会も関わってくれています。ムゲンのメンバーの中にも数人の信徒さんがいます。 
愛媛県松山市木屋町1丁目9‐4 
    (次号に続く)

私の本棚から

森博嗣著『喜嶋先生の静かな世界』 講談社、2010年

その一冊を読むことで得られた経験が、たぶん僕の人生を決めただろう。意味のわからないものに直面したとき、それを意味のわかるものに変えていくプロセス、それはとても楽しかった。」これは、主人公小学四年生の時の図書館体験、読書体験です。
 勉強すること、追究すること、他人(先生、同級生、先輩、異性)への関心と無関心は人それぞれ違うこと、好きなことだけやっていては世の中生きていけないこと、道理にかなわないことに遭遇すること、不条理なことが起こること、だからこそ他人の思いに振り回されない生き方をしてもいいということが、大学の理系研究室を舞台に淡々と書かれています。最後の数頁で妙なざらつきを感じたものの、これも生きる姿。
 このようにご託を並べると面白くない本のように思われるかも知れませんが、タイトルにあるように”静かに”書かれていることを受けとめ、興味深く読み進めることができた渋みを感じる人間味のある小説でした。
 この本は、休日に、勤務する図書館で購入する学生の読み物用新刊本を書店で定期チェック中(その場では購入しません)に見つけ、わたしく用に買って帰った一冊です。「自伝的小説」と本の帯に記されています。著者は青年世代に好んで読まれているミステリーを多く著している某大学の先生です。どの著作を見ても著者欄には”某大学”としか書いてありませんので、あえて調べず謎のまま…です。

 「私の本棚から」を書くにあたって、少しく自己紹介をします。テレビのない家庭で育ち、幼稚園に入る前から一人で近くの市立図書館へ、そして、当時としては珍しくきちんとした図書室がある小学校(宮崎県)へ通いました。小学校低学年の時には読書好き、本好きが高じて図書館好きになり、専門の大学へ進み図書館司書になりました。司書歴約24年です。公共図書館ではなく大学図書館を選んだのは 苔の研究者であった父の影響です。職場の図書館で本を手にする場合は、ほとんどが目次読み、要点読みですが、私的に読む本は風景や情景が映像として浮かび、登場人物の表情や息が感じられる小説が多く、急いだ読み方はしません。読んでいる時は意識していませんが、クリスチャンであることが読み方に影響していると、読後感を楽しむ時にいつも思います。

 熊本教会員、九州ルーテル学院大学図書館司書       水谷江美子

救援活動レポート

台湾ルーテル教会のボランティア活動

 8月1日訪日した台湾ルーテル教会の奉仕団は鳥日聖光堂(台中市)の彭台鳳さんをリーダーに同教会の5名、台中市の台中基督堂の1名、台北市の台北真理堂の2名、士林真理堂の4名の12名でした。同日、市ヶ谷センターで開催されていた震災対策本部会合で日本の4ルーテル教会の代表から歓迎と激励を受け、記念品を手渡した後 、 仙台に向いました。
 8月2日は被害の大きかった東松島市の野蒜小学校、宮戸島地区、石巻市ボラセン、被災した市街地、女川町、雄勝地区、多くの児童・教師が受難した大川小学校を立野牧師の案内・説明で見て巡り被災の深刻さ、残酷な姿を見ることができました。夕べの本地生活センターでの「わかちあい」では「放射能が怖いと感じて来たが地震・津波の被災は想像以上だった。伝道活動より支援活動をしたい」と語っていました。
 3~5日は大川小学校に近い河北地区・尾の崎の民家のガレキの選別・片付け、北上町保健医療センター「ひまわり」周辺の津波で被災した農地の草取り、民家の下水のヘドロ掻きに従事しました。北上川の堤防を越えた津波は一帯の農地・民家になだれ込み、所によっては地盤沈下し、未だ、遺体の捜索活動が行われている所です。慣れない日本の蒸し暑い気候と合宿で睡眠が充分でない中で、求められた作業を一所懸命に汗を出しながら取り組んでくれました。 被災された方々からは「遠い台湾、オーストリアからも助けに来てくれた。畑が再生でき、秋野菜の種・苗が蒔ける。自分たちだけではどうしようもなかった」と喜んでくれました。顔のみえる支援は大きな励ましになっていると確信できました。
 一行は6日仙台の七夕祭りの雰囲気を味わい、8日に無事、帰国しました。
同行者 木村 猛(保谷教会)

フィンランド短期研修報告 出会いの旅

 
飯田教会牧師 大宮陸孝

 6月5日(日)から7月4日(月)までの1ヶ月間、フインランドのSLEYの教会を訪問して廻る旅をして参りました。フィンランドではちょうど夏休みに入った時期で、学生たちは一斉にキャンプ場などの施設で堅信キャンプが行われている真っ最中でした。最初の一週間は、カルックの聖書学校の堅信キャンプの保護者を対象とした聖書講座に参加しながら、この間に、夜には各地の教会や集会で要請された説教やスピーチの準備をして過ごしました。
 集会や礼拝での説教は、6月9日(木)午後8時から、カルックでの堅信キャンプ参加の子どもと保護者への挨拶とインタビューがありました。洗礼を受けた動機は何かを聞かれました。12日(日)礼拝後に短い集会があり、その集会でスピーチ テーマは「日本でルーテル教会の牧師として働くこと」でありましたが、質問は震災と原発事故のことに集中しました。同日午後6時にはペルホの教会の集会室で夕べの集会があり、「日本の教会で信仰者として生きること」というテーマでスピーチ 14日(火)ケミンマー教会の集会でスピーチ 15日(水)午後7時から、テルボラの古い木造の教会の家庭集会にて「教会に新しい会員を得るためにどうするべきか」というテーマでスピーチ 18日(土)午後1時から、ロイマーの教会で「飯田ルーテル幼稚園のこと」をテーマにスピーチ 19日(日)トゥルク教会で主日礼拝の説教を致しました。21日(火)午後6時から、ヘルシンキSLEY本部のルターホールにて、学生たちの集まりでスピーチ 24日(金)午後6時からフィッティネンのサスタマラ教会でサマーフェスティバルに参加、集会でスピーチ 26日(日)ヘルシンキSLEYの教会での主日礼拝の説教 題は「永遠の宝物」 28日(火)午後6時から、トウヒランタSLAYのキャンプ場での集会でスピーチ 案内・通訳はヘイッキネン宣教師 7月1日(金)午後5時から、ラーへにてSLEYの全国大会オープニングセレモニーでの挨拶とインタビュー 2日(土)午後5時から、フィンランド福音ルーテル協会の代表とのミーティング及びラーへ地方の新聞記者との会見、翌日の地方紙に私へのインタビューの記事が掲載 3日(日)午前10時半から、大会参加者の礼拝、聖餐式配餐と海外への宣教師派遣での按手祝福式に参加 以上が研修の主な日程でした。 主として自動車で移動、バスと電車での移動もありました。フインランド南北一往復半 西部へ、東部へそれぞれ一往復の全旅程の走行距離は2,500キロ以上になるかなりハードな研修旅行でした。日本で宣教師として働かれたリッポネン先生、ペランデル先生、パーボ・ヘイッキネン先生、ライティネン先生、ピルッコ・カリコスキ夫人、カルリオ先生、ソベリ先生、東京のスオミ教会の職員として働かれたマリア・ヴィルクニエミさんたち懐かしい方々にもお会いして来ました。紙面がオーバーしてしまいました。機会があれば今度は研修の内容を紹介したいと思います。

土井 洋牧師を悼んで

愚直な友は、主のもとに逝った

引退教師  重富克彦

 愚直という言葉は褒め言葉なのだろうか、けなし言葉なのだろうか。今の時代、一般にそれは、冷笑を伴うけなし言葉なのかもしれない。けれどわたしは、第一級の褒め言葉として、我が友土井君は、まことに愚直な人だったと言いたい。その愚直さの中に愛嬌もあった。そのどちらをも、彼と有縁の者たちは愛した。
 牧師になるための教師試験をボイコットした九人の仲間の一人に土井君もいた。教会と対話を深めるための手段としてのボイコットだったので、対話を進めながら絶えず、それを撤回し、試験を受ける時期を計りながらの行為だった。夏も終わり、試験を受けて宣教の現場に出るという合意が教会との間にできたとき、彼は一人、いったん始めたことをそう簡単に撤回できないと、受験を拒否し、浪人に留った。わたしには、融通が利かな過ぎるとも思えたが、それが彼の真実だった。愚直だったのだ。
 彼は神学生時代に出会ったブルトマンに、やはり愚直に生涯こだわり続けた。今の神学生は、その名さえ知らないかもしれない。
 わたしが咽頭がんを患い、数ヶ月現場を離れて入院治療をしていたとき、彼は手紙をくれた。万年筆で書かれた、知る人ぞ知る味わい深い字の手紙だ。ところがその手紙には、一言も、見舞いの言葉は記されていなかった。ただ、聖書の原典読みの中での、新しい発見や、これからの研究課題。ブルトマンへのこだわりのことなどが書かれているだけだった。けれどわたしは、その行間に溢れる、言葉にならない彼の思いを受け止めた。
 彼は召される直前まで、説教台に立ち続けたと聞く。やはり彼らしい最後だ。愚直な牧師。彼は真実を貫いた。
 4月に見舞いに行ったとき、奇跡的にがんが半減していると聞いて、わたしも嬉しかった。あれはまぼろしだったのか。いや、それが、この病のしたたかさであることをも、わたしは知っている。
 しかし、主の意志がなければその時は来ない。主は彼を召された。今彼は、愚直に真実を献げてきた主と、顔と顔とを会わせてお会いすることが許されている。うらやましくもある。

11-08-15るうてる2011年8月号

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説教「何も備えない備え」

小山 茂

『帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。』(マタイ福音書一〇章九~一〇節)

《旅の支度》皆さんは旅に出る時、どのように支度をされますか。私はよく山登りに行きましたが、何を持って行くか直前まで迷いました。登りたい山を想って山行計画を立て、どの季節がいいか選び、いよいよ実行に移します。命を託すかも知れない道具は、夏山から冬山までいろいろ持っていました。ハイキング、山小屋泊り、テント暮らしの縦走など、季節により装備が全く違います。それらの道具からどれを持って行くか、山で過ごすイメージを描きながら、ひとつひとつ取り出して並べます。せっかく選んでパッキングしていくと、リュックサックに納まらないと気づきます。持ち物を減らしリュックサックのサイズを替えて、やっと準備が終わると出発の朝になっています。大切な旅であればあるほど、その支度には手間と時間が必要になります。

《何も備えない備え》ところで、主イエスは弟子たちに派遣の説教で、旅支度に条件をつけます。お金も着替えも、履物や武器となる杖も、何も持って行くなと命じます。許されるのは我身一つだけです。さらに食べ物は働きによって、人々から提供されると告げます。当時の人々は宣教者を扶養する義務があったようで、一コリント九:一四にこのように記されています。「主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。」

 彼らが物を持たないから、袋も必要ないと言います。つまり、無一文で着の身着のまま、町や村に入れば同じ家に泊り続ける、それが主イエスの派遣のやり方です。何もない備え、何も必要としない備えと言えます。主イエスは弟子たちに、敢えて「何も備えない備え」を与えられました。現代に生きる私たちは、文明の利器に囲まれて暮らしています。私たちが弟子の立場に置かれたなら、丸裸にされたように不安を感じることでしょう。

 主イエスが弟子たちから取り除かれたのは、外からもたらされる思い煩いです。何を食べ、何を飲み、何を着ようか、彼らはそれらの悩みから解かれます。「何も備えない備え」に、弟子たちが主に委ねる姿を見る思いがします。彼らにとって、送り出した主イエスが彼らの拠り所とされました。

《何もない所から始まる》主イエスが弟子たちに命じる「何も持って行くな」とは、人間の思いと力の尽きたところから、宣教が開始されると言われているのではないでしょうか。弟子たちにとって「ないない尽し」こそが、彼らの宣教の最良の備えになります。なぜなら、弟子たちの無防備で平和な姿は、相手の警戒心を解き放ちます。頭侘袋(ずたぶくろ)がないので貰った物を持ち帰らず、利得に関心を持ちません。ですから、周到な準備に頼らず本気で相手と向き合う、それが主イエスの与える備えです。もし彼らの言葉が足りないなら、父の霊が代わって語ってくれます。人間の力と知恵が尽きた所から、主は介入され助けてくれます。

《弟子の最後尾に連なる》主イエスが弟子たちを派遣した目的は、失われた羊のような民を憐れんだからです。憐れむと訳された言葉は、主イエスに使われるギリシア語の動詞「スプラングニゾマイ」で、腸(はらわた)が千切れるほどに相手の痛みを我が身に感じることです。民の苦しみを放っておけなくなり、弟子たちを働き手として送り出しました。

 弟子たちに向けられた派遣の説教は、キリスト者とされた私たちにも語られています。なぜなら、私たちも彼らの最後尾に連なる一人だからです。私たちがただ独りで勝手に宣教しなさい、と言われているのではありません。私たちにその能力はありませんが、主が本当に必要なものを備えられます。飼主のいない羊のところに行って、福音を宣べ伝えるチャンスが来ています。さあ、ご一緒に宣教の旅に出立しましょう。

信徒の声~第30回教会音楽祭テーマ曲歌詞に選ばれて~

「囁きよりも力強く」

神水教会  田中栄子

「誰よりも先んじて、私があなたを癒す」。この言葉と、4年前の出来事は、今も私をときめかせ、それは、紛れもない事実として、今も私の耳と心に、しっかりと残っています。
 「混合性結合組織病」という難病を持つ私は、よく肺炎を患います。4年前の3月、肺炎になり、医師から「ベッドが空く3日後に入院を…」と告げられました。年度末で、忙しい日々を送っている娘に負担は掛けられない。途方に暮れながら家に帰り、一人、部屋の中で、真剣に神様に祈りました。その時、左の耳元で誰かの囁く声を聞いたのです。「誰よりも先んじて、私があなたを癒す」。はっきりと、力強い神様の御声でした。驚きと感動で胸が一杯になりながら、辺りを見回しましたが、誰もいません。しかし、それは確かに神様のお言葉でした。何故なら、そのことは、事実として、病院で証明されたのです。三日後、入院覚悟で病院に行った私に、「再検査の結果、通院治療で大丈夫です」という医師の言葉。この時、神様が癒してくださったことを実感し、感謝の祈りを捧げました。すべてを主にゆだね、心から祈る時、主は、必ず助けてくださる。「祈りは、神様への一番の近道である」。私の好きな言葉です。
 小学校の時、同じクラスの子からクリスマスの話を聞き、また、中学生の時は、ラジオで「ルーテルアワー」を聴きながら、教会に行ってみたいという思いを持ち、盲学校高等部で友人から、教会に行こうと誘われ、喜び勇んで神水教会に行きました。神様は、いつも共にいて、私を導き、支えてくださっていたことを、今さらながら、ひしひしと感じています。
 先日、東京で開催された、「教会音楽祭」で、自分の作った詩が採用され、曲が付けられ、大聖堂で、パイプオルガンの音と共に大合唱で聴こえてきた時は、胸が震え、感動しました。教派別の聖歌隊のコーラスもさることながら、参加教派全体でのコーラスのすばらしさを、味わうことができたことにも、神様の御恵みを本当に感謝しました。

「出合いの喜び」

湯河原教会 木村満津子

「ここへ来れる方って、どんな方々なのだろう」と羨望の念で、見上げていた教会。
 一人の姉妹が家庭集会へお誘いくださったことが、湯河原教会への第一歩でした。オルガンの音色、賛美歌、白い壁、高い天井、先生のお話、皆さんの優しさ、すべてが憧れていた以上の世界でした。
 一つだけ心配だったのは、「私の罪をおゆるしください」との祈りの声でした。「私には罪の覚えがないので、そのようには祈れない。その方こそ罪の片鱗も見受けられないのに」。
 今考えると、それこそが大罪だったでしょうに。その疑問から解放されたのは、宣教師のサノデン先生から学んだルターの小教理問答でした。さらに、『創世記』1章は、光に始まり、万物の造り主がおられて、それがキリスト教の神様と知った時、さまざまな不安がとり除かれて、安心感を覚えました。こうして2歳と5歳の子どもと教会へ行くようになり、洗礼に導かれました。家族の反対がなかったことは、感謝でした。出席率は、山あり谷ありでしたが、今、高齢になって、聖日と女性会を待つ気持ちは、子どもの頃のお正月や遠足を待つ時に似ています。この教会には、百二歳のお元気な姉妹がおります。会員の礼拝出席のお手本となっております。
 宣教師や牧師先生方から、み言葉を学び、兄弟姉妹との交わりとお支えの中で、キリスト者としての土壌が少しづつ培われてきたように思うこの頃です。
 そんな折、『るうてる』紙から「光」の文字に誘われて、小さな言葉を発しましたら、”光ふる海原”として、美しい曲がつけられ、教会音楽祭で、カテドラルマリア大聖堂に響き渡ったことは、新たな出合いにも恵まれて、大きな感謝でした。
目に見えない出合いもあったでしょう。たくさんの出合いによって教会生活が成され、歩んでこれました。これからも、主にあって、み言葉との出合い、人との出合いに、希望を託して参りたいと思います。

フィンランド教育事情

夏と憩いの水

「花咲き満つる季節きたり
何処も彼処も色とりどり
陽の温もりは主の祝福
全てのものに命給う。」 (吉村博明訳)

 この「夏の讃美歌」はフィンランド人の喜びを表しています。これは6月初めの終業式に全ての学校で必ず歌われる伝統的な歌です。長い冬も一学年も終わって、2ヶ月に渡るの夏休みが始まるのです。その時、夏休みの宿題は出ませんので、生徒たちは成績表を持ってわくわくして家に帰ります。

 北国の長い夏休みは分かりやすいです。フィンランドの夏は日が長く明るくて気候が良いので、日本の春のように、誰もが待ち望んでいる季節です。寒くて暗い冬の後、子供たちが陽射しを浴びながら外遊びが思う存分できる時期です。フィンランドの子供たちはサマーキャンプが好きです。特に人気のあるものは教会が15歳の生徒の為に推進している1、2週間の堅信キャンプです。湖のほとりのキャンプファイヤーの周りでみんなで歌ったりパンケーキを作ったり聖書の話を聞いたりしたことは私にとっても忘れられない思い出です。

 現代の忙しい人々は休みの大切さを覚えているでしょうか。体と頭の疲れをとるために、「何もがんばらなくていいよ」とくつろげる余裕が十分にあるのは何よりです。毎日のリズムを忘れて、普段はやれないことが出来る時があれば、心も休まります。詩編23・2~3にこうあります。「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」。イエスの許に、罪の汚れを心から洗い清める水が流れています。小さい時から、子供たちを体も心も霊も生かせる命の水に導き、休ませてあげましょう。それより良いリゾートはありませんから。

Paivi Poukka,
ポウッカ・パイヴィ
スオミ・キリスト教会

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その16

社会福祉法人あゆみの家 林町デイセンター

所長 田口道治

林町デイセンターは、「重症心身障がい」と呼ばれ、重度の身体障がいと重度の知的障がいを併せ持つ人たちを主な対象とする通所施設です。重い障がいがあっても毎日通える場所がほしい、楽しい生活を、という要望に応えて、2009年4月に開所されました。場所は岐阜県大垣市林町、JR大垣駅北徒歩約10分の所にあります。今年で3年目を迎え、現在の利用契約者は18名になりました。医療的なケアを必要とする人が多い中にあっても、いろいろな活動を通し一人ひとりの思いを大切にしながら、その人らしさを表現していけるような支援をめざしています。
 
 重症心身障がい者を対象とする前述の生活介護事業の他に、林町デイセンターにはもう一つ別の自立訓練事業があります。これは知的障がいのある人たちを対象に、社会生活や日常生活上のいろいろな経験や体験を通し、生活力を高めていくことをめざして取り組んでいます。例えば買物、料理、電車に乗ること、また髭そりのしかた、洗濯など障がいのない人たちにとっては一見当たり前のことですが、障がいがあるためになかなか習得してくることのできなかったことを、スタッフまた仲間同士の中で覚えていきます。
 
「あゆみの家」創立者のジョン・ボーマン先生が、「これらの最も小さい者を大切に」と、どのような障がいのある人も、その意思を尊重し、健康で、自分らしく生きることができるようにと「あゆみの家」の働きを始められました。
 林町デイセンターの建
つ場所は、大垣ルーテル教会の隣地です。以前から、畑だったこの場所を、教会員は何か教会の役に立てるためにこの土地がほしいと長年祈りながら願ってきました。その祈りをはるかに超えて、与えられたのがこの林町デイセンターです。
 これからも神様に喜ばれる働きができるように祈りつつ励んでいきたいと思います。

【林町デイセンター】 
障害福祉サービス事業 多機能型事業所 
定員20名(生活介護14名、自立訓練6名
住所:〒503-0015 岐阜県大垣市7丁目142-1
電話:0584-47-9920  

教会音楽祭とは

 6月19日東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂にて‘第30回教会音楽祭が開催されました。カトリック教会、カンバーランド長老教会、日本長老教会、日本聖公会、日本基督教団、日本同盟基督教団、日本バプテスト連盟、日本福音ルーテル教会の8教派が参加し、1250名の来場者がありました。
 今回のテーマ『光』に基づき、公募作品を含めて各教派が旧約,新約の順番に聖書朗読と奉唱をしました。ルーテルは、出エジプト記13・21『進め主の民らよ』(シベリウス作曲、森田稔教訳詞)とイザヤ書6・1~3『教会讃美歌235番』の2曲を捧げました。 横澤多栄子姉(三鷹教会員)による聖書朗読は、みことばが一筋の光となって聖堂に広がっていくようでした。聖歌隊は森田寛子姉(都南教会員、東教区合同聖歌隊指揮者)の指揮の下、8教会からの参加者と東教区合同聖歌隊、ルーテル学院大学聖歌隊合わせて約50名が集まり、心を合わせて賛美いたしました。今回は、ルーテル教会の3名の姉妹の詞によるオリジナル賛美歌を歌いましたことも大きな喜びでした。
 教会音楽祭は、長谷川健三郎氏(日本ルーテル教団) 佐久間彪氏(カトリック)宅間信基氏(聖公会)の3名の教職者が、共同の礼拝をいきなり持つことは難しいが、同じ神を信じる者が音楽で主を賛美する集会ならば出来るのではないか?という思いから始まりました。後に日本基督教団も加わって1968年6月9日東京カテドラル聖マリア大聖堂において「第1回教会音楽祭」が開かれました。各教派の聖歌隊250名に加えて千数百名の会衆が一堂に会し主を賛美しました。
 第4回には、共同の礼拝をするために何か一つこの音楽祭独自のものをという願いから、現代語の教会音楽祭独自の『主の祈り』が佐久間神父を中心として出来上がりました。これは、NCC共同訳の口語の「主の祈り」の参考になりました。最初は各教派が伝統的に引き継いでいる教会音楽の紹介と披露が中心でしたが、次第に毎回主題を定め、共に祈り賛美することに意義を求め、礼拝形式に整えられていきました。第21回までは年一回、以後は隔年で開催しています。第28回からはテーマに沿った讃美歌を広く公募する試みが始まりました。
 現在各教派の牧師、司祭、信徒合わせて25名が集まり、1~2か月に1度のペースで実行委員会が開かれています。聖書の解釈等をめぐって、教派ごとに少しずつ違いが出ることもありますが、互いに理解し合う過程を大切にしながら、一つの目的に向かって準備がなされています。
 教派を超えて共に祈り主を賛美する「教会音楽祭」に、ぜひ多くの方のご参加をと願っております。
  武蔵野教会 苅谷和子

園長日記 毎日あくしゅ

教会と幼稚園

 日本のルーテル教会の宣教は、初代の宣教師たちの「まずは伝道一本でいく」という基本方針から始まっています。キリスト教の宣教には「伝道、教育、奉仕」という三つの働きがありますが、「まずは伝道一本で」という基本方針は、ともすれば「教育」「奉仕」を担うキリスト教主義の学校や施設を、「二次的な働き」と捕らえる契機となりがちです。キリスト教主義にもとづく学校や施設は、それ自体が既に宣教の働きであることを再確認する必要を感じています。これは、最終的にはすべてを布教に結びつけるという姿勢とは一線を画するものです。
 それでは、私が責任を負う雪ヶ谷の教会と幼稚園はどうかといいますと、幼稚園は様々な困難を乗り越えて成長していますが、教会は様々な努力にもかかわらず成長拡大とは逆方向を歩みつつあります。そもそも、雪ヶ谷教会が五反田教会を名乗っていた1953年に、東京都の認可を受けて教会附属幼稚園を開設しているのですが、法人規則には「この法人はその目的達成のため教会内に於て日本福音ルーテル五反田教会附属ルーテル幼稚園を経営する」と記されています。そして、過去から現在に至るまで同一法人内で経営されている幼稚園は、教会の働きを支え続けています。これを「非本来的な教会と学校・施設との関係」と考えるべきか、「設立目的に適った法人内の部門間協力」と理解すべきかは意見の分かれるところでしょう。
 「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。」(マタイ4・23)
 「教え」「宣べ伝え」「いやす」という宣教の働きを担うためには、教会だけでは不十分であることは明かです。世の中の多くの人たちが認識しているとおり、幼稚園の働きは極めて「キリスト教的」です。聖書が語るとおり、神の国にもっとも近い存在である幼子たちを教え、またその幼子たちから学ぶ幼稚園は、それ自体が正真正銘の「キリストの共同体」なのです。

雪ヶ谷ルーテル幼稚園 田島靖則

ボランティア・バス・パックに参加して
―ビフォアー&アフター―

 ボランティア・バスパック第1回(6月20~22日)に参加した。奥松島への途上、津波などで被災した市街地・田・畑、うず高く積まれた瓦礫の山。良く見るTVや報道写真と同じだ。写真に写らないのは、空気感や強烈な臭いだ。そして人の営みや気持ちは伝わりにくい。「ルーテルとなりびとボランティア」は、そんな人々との係わりを大切にしていると聞く。私が参加したボランティアはそんな作業であった。それほどの体力は必要としない。
 あなたも「ルーテルとなりびと」のブログをチエックしてみてください。

 宮戸島海苔加工工場のおばちゃんたち。年齢は私たちより若い。ジョークを飛ばし、豪快に笑いながら一緒に作業をしてくれたおばちゃんたち。休憩時間に「将来」のことになると顔がくもる。これからどうなるだべ~。
 浸水した大きな乾燥機は動くのか? 小さな機械はすべてダメ。漁師である夫たちは、みんな瓦礫撤去作業に参加している。女性たちだけの清掃作業。顔がくもるのは当然だ。
 でも目の前の大変な作業を一つ一つこなしている。みんな元気で明るい。

 私たちが離れる直前に「ビフォアー(作業前)&アフター(作業後)」の2枚の写真を見せた。
 『こんなにきれいになったんだ。すげえ!でもおらたち今まで何やってきたんだべ~~、恥んずかし~~。』と。
 そんなことない。みんな頑張っているじゃないか。私たちはみんなここの海苔を買うよ。『うれしいなあ~~』と。 握手、握手のお別れだった。
 イエスさまは、何時もあの方たちのそばに寄り添っていてくださる。そう見えた。
 大岡山教会 関口昌弘

ルーテル救援活動 対策本部報告

本部長 青田勇

 6月30日午前10時から午後1時、市ヶ谷センター第二会議室にて、東日本大震災「ルーテル教会救援」(Japan Lutheran Emergency Relief)活動を実質的に推進している、第六回の「議長会・救援対策会議」が開かれた。参加者は日本福音ルーテル教会(渡邉議長、青田(長)、大柴、松木、立野、杉本、安井、徳野、木村、安藤淑子、中山)、日本ルーテル教団(粂井議長、安藤)、近畿福音ルーテル教会(末岡議長、?の下)、西日本福音ルーテル教会(藤江副議長)、それに同席者として、ルーテル学院(市川学長、河田)、専従スタッフの佐藤氏、約20名が出席し、主に以下の報告がなされた。

●「ニュースレター」1号発行
  
 震災発生から三ヶ月経た「ルーテル教会救援」活動の報告として、「ニュースレター」1号(日本語、英文併記)を1500部、救援対策本部より6月中旬に発行し、海外ドナー教会・協会及びルーテル4教団に送付され、各教会及び関連施設等にも届けられた。次回は、9月発行を予定。

●「1st quarterly Report for the period ending June 2011」
 現時点で、1億1千6百万円の献金が海外ドナー教会・協会から送金されており、その献金の正当な使途報告となる三カ月レポート、「1st quarterly Report for the period ending June 2011」報告に関しては、LWFアドバイザーのマタイ氏が帰国前にすでに予備作成を完了しているが、さらに青田本部長と松木委員が補足・修正を加え、7月下旬に海外ドナー関係教会・協会にJLERの名義で送付する予定。

●物資支援/輸送プロジエクト 
 福島県(南相馬市)、宮城県(石巻市、東松島市、南三陸町、女川町)の避難所、地区支援センターを中心とした物資支援/輸送プロジエクト(食糧、日常生活用品、備品)の5月の一ケ月間の実績の報告がなされた。

●ボランティア派遣

 仙台教会(支援センター)をボランティアの集結拠点とし、その派遣は石巻市、東松島市に絞っているボランティア派遣プログラムに関しては、6月30日現在で、延べ184名の参加者を得ているが、6月から7月にかけて、都合三回の「ボランティアバスパック」が計画されていることが報告された。

●今後の主な方針
石巻市避難所ビッグバンでの子供ケア支援
 石巻市避難所の一つである「ビッグバン」での子供ケアに関しては、現地スタッフの状況報告を見計らい、今後、適切な対応と支援を行う。

気仙沼・前浜地区のコミュニティーセンター建設
 物資支援で地域との関係が生まれた、気仙沼市前浜地区での仮設のコミュニティーセンター(プレハブ建物想定、一棟総額400万円程度)に関連する支援プロジェクトに関しては、地域の主体性に沿った必要なコミュニティーセンター計画として受け止め、適切な時期に相応しい支援を実施していく予定。 

東松島地区「NPO法人スミちゃんの家」の補修支援
 ボランティア支援活動との関連で関係が築かれた「すみちゃんの家」(グループ・ホーム1棟、半壊)の補修支援に関しては、当該法人の運営の直接的支援は行わないことを原則とするが、東松島市のボランテイ派遣活動の展開を継続的に実施していく視点から宿泊場所の利用を目的として、補修のための必要な支援も今後、検討する予定。

故G.オルソン引退宣教師を偲んで

日本の宣教師として41年の長きにわたり日本福音ルーテル教会の宣教のために奉職してくださった、G・オルソン引退宣教師が7月4日、87歳でアメリカ・ロサンジェルス郊外の特別養護老人ホームにて逝去されました。
 オルソン先生は、終戦後、ミリアム夫人と一緒に、西日本にて伝道を開始したスウェーデン系オーガスタナ・シノッドの最初の宣教師のとして、1950年10月に来日し、1953年から1965年まで西条教会での伝道に携わりました。1966年からはLWF(ルーテル世界連盟)の日本マスコミュニケーション研究所所長に就任し、ラジオ、テレビなど多様なマス・メデイア伝道プロジェクトをLWFの資金援助を得て、大々的に企画、展開、推進する重責を担いました。その後、1979年から1990年の11年間は、東教区の雪ケ谷教会の伝道に従事し、1991年に引退し、アメリカに帰国しました。
 日本宣教に生涯を捧げた一人の宣教師の言葉と生活を通して私たち日本福音ルーテル教会に与えられた恵みを覚えて心より感謝します。

11-07-15るうてる2011年7月号

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説教「聖霊と悪霊」

「人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、
すべて赦される。しかし、聖霊を冒?する者は永遠に
赦されず、永遠の罪の責めを負う」
マルコによる福音書3章28節~29節 

イエス様は、聖霊を誤解することは赦されないと言われました。パウロもコリントの信徒への手紙一10章で、聖霊と悪霊を区別できないなら人は悪霊に仕えると述べました。またマルチン・ルターも聖霊と悪霊は同じところで同じように働くと言い注意を与えました。マルチン・ルターが聖霊と悪霊は同じところで同じように働くと語ったその場所は3つあります。1つ目は、罪において。2つ目は、死において。3つ目は、地獄・黄泉においてです。ではその違いを学びましょう。

 まず、罪において働く聖霊と悪霊の違いです。罪はどの人の中にもあります。そして、生きているかぎり人が自分の罪から離れることはありません。しかし、悪霊は、自分には罪がないと思わせます。また、信仰があれば人は罪の問題から自由になれると教えます。こうして、罪が見えないようにされ、人は日ごと自分の罪を深くし、信仰を希望のしるしではなく絶望のしるしにします。人は信仰があってもなくても最期まで「肉」という存在です。人は最期まで罪の力と一つです。ですから、罪と完全に一体である人間を罪から救うために、聖霊はその人を罪と共に燃やし、焼き尽くし、滅ぼします。そして、すべてが燃え尽きた灰の中から、神さまが最初に造られた部分を取り出します。だから、その方法に賛同して、自分から炎の中に飛び込む者を聖霊は助けてくれます。その炎の中で滅びるのは罪であって人ではありません。聖霊は人にそうさせ、自分の中に飛び込みなさいと教えます。しかし、悪霊は人にそうさせないよう、そうすればあなたとあなたの家族は滅びると教え、飛び込まないでよい方法を教えます。

 次に、死において働く聖霊と悪霊の違いを学びましょう。死は塩と同じです。利きすぎると人の人生を駄目にします。しかし、塩気が全然ないとその人の人生にしまりがありません。ちょうど良い塩加減がその人の人生を豊かにします。聖霊の導きは、それがどんなに危険に満ちたものであっても、最期には人を希望に至らせます。しかし、悪霊の導きは、最初、いかにも素晴らしいものに見えます。一見、安全で、美しく、快適です。しかし、最期は人を絶望に至らせます。悪霊は人に死を見せながら上手に働きかけ、人の人生は結局無駄なように見せ、様々な美しい希望と約束を持ち出し、人を上手に絶望へと導きます。死はこの世で避けられないものの一つです。ですから、避けられないものを避けようとすると人は避けられるはずのものが避けられなくなります。それで聖霊は、死がどんなに人を脅し、人の目をくらませても、それから目を逸らさず、それに対して目を開くようにとうながします。そして、神さまの力がそこでどう働くのかを教えます。聖霊はあなたの救いはその中にあると死に対して目を開かせ、悪霊は救いなど見なくてもあなたは大丈夫だと死に対して目をふさぎます。

 最後に、黄泉すなわち地獄において働きかける聖霊と悪霊の違いを学びましょう。人は、自分がまだ生きているなら、黄泉・地獄は自分とは関係ないと思っています。そして、自分の人生を自分の手で勝ち取るように、死んだ後の世界も自分の手で勝ち取れると考えています。しかし、その人の目の前に、これからその人が行くことになる黄泉・地獄が、すでに生き地獄として現れていることには目を向けません。人は地獄はあの世にある。また、それをみずから作り出しているのに「神さまはどこにおられる」とそれを神さまのせいにします。しかし、それがこの世のどこにあって、どこから生み出され、地獄の住人とはいったい誰なのか、それを一番よく知っておられるのが神さまです。そして、この世界でそれと戦われ、それに勝たれたのはイエス様だけでした。人は、その方なしに、地獄すなわちこの世との戦いに勝つことはできません。悪霊は、この世との戦いに自分は自分の力で勝てると考え、信じている人を見つけたなら喜んでその人のそばに行き、その人の友だちになり、この世のすべてを教え、その人を自分の僕にします。しかし、聖霊は、自分の知恵と力と信仰でこの世に勝てると考えている人は地獄の子として放っておき、もはや自分の知恵・力・信仰ではこの世に勝てないと悟り、生き地獄のようなこの世のことで絶望している人を見つけたなら、喜んでその人に近づき、あなたは十字架の前で滅びるが、キリストがあなたの勝利となってくださると言って、その人を悪霊と罪と共に、この世のすべてを焼き尽くす炎の中に飛び込ませます。こうして、人は悪霊から解放され、聖霊に仕えます。わたしたちの信仰はいつもこの二つの戦いの中にあります。
 広島教会牧師 山田浩己

ルターによせて(3) ルターの声

 ルターは一体どんな声の持ち主だったのだろう。
 少年時代からルターは音楽との関係は深かった。ルターの二百年後にバッハが誕生する町となるアイゼナッハで、彼は、仲間と連れだって、戸毎に聖歌を歌い、施しを受けたことが知られている。今日でも、ドイツ語圏では数多くの教会付属少年合唱団が存在しているが、少年聖歌隊で歌うルターの声は、大層美しかったに違いない。
 やがて声変わりした彼は、大学生になる。今日のドイツ人やオランダ人は巨人が多いが、十六世紀頃はそれほどでもなかった。しかしそんな当時の人々から見てもルターは小柄だったと言われている。がっしりした体格だったことが残された絵画からも覗えるが、頑健な鉱夫だった小柄な父親譲りの体格で、そこから想像すると、声は意外と高かったかも知れない。
 後年のルターは大説教家だった。あのヴィッテンベルクの騒擾を一週間の連続説教で見事に鎮めたことは有名だが、興奮した三千人の人々に語りかけたその声はどんなものだったのだろう。マイクなどあるはずもない時代だ。良く通る落ち着いた声が、天来の旋律を伴って、集まった人々の胸に響き続けたことだろう。

牧師の声 私の愛唱聖句

シオン教会 室原康志
 
「あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。
主は従う者を支え とこしえに動揺しないように計らってくださる。」
詩編55・23

 青年会で計画していた修養会を準備中のことです。自らに与えられた仕事は交通関係と宿泊関連を整えることでした。内容的に数人で手分けした方が捗る内容だったのですが、その全てを自分で用意しようと整えていました。他の人に仕事を分担し任せればよいのですが、責任者となったことで、他の人に仕事を任せることに戸惑いを覚えたのです。そこには、他の人に仕事を任せて順調に行かなかった場合の責任をどうしようという考えを持っている自分がいました。
 青年会のメンバーが、「神様から与えられた力は人それぞれなんだよ。ひとつの仕事を全ての人が同じ様に出来る、出来ないと考えていないかい?」と問いかけられ、自分に出来ることの限界というものを感じるようになりました。その後、聖書の言葉を聴き入れながらも、自らの力で成し遂げられるのならば、神様により頼むというような弱い自分を曝け出すことなく、自分の力で出来るように歩んでいきたいと、今考えると大変傲慢な思いを強く持っていたのです。
 自らの努力のみこそが、神様から与えられた恵みを生きる人の歩みだと思っていたのですが、どこかで「自分の力だけでやることは神様の存在すら否定しているのでは」と、戸惑いを覚え始めていたのです。そのような考え方に悩みながら神学校に入学し、研鑽の時間を過ごしていました。神学生時代には何度も「主にゆだねる」ようにとアドバイスを受けながらも、ゆだねきれない自分がいました。広島での宣教研修期間、何度も何度も「神様にゆだねる」ことを受けいれる出来事が用意され、徐々にですが神様にゆだねて歩む大切さを自分の中に取り入れることが出来るようになって来ました。
 自分に出来ることは当然整えておく。その働きが神様の道具として働くことになっているかどうかは、神様が決めること。そう感じるようになり、日々の生活を「主にゆだねる者」として歩んでいるかを自らに問いかけています。

 

信徒の声「Live inside out!」

 湯河原教会 牧野奉子
 
 私は両親がクリスチャンなので、生まれる前から日曜日は教会に行くことが当たり前でした。しかし、幼稚園や小学生の頃はアニメ番組が見れないこと、中学生の頃は部活に参加できないことが嫌で、教会に対してネガティブな感情を抱いていました。そして何よりも友だちに「教会に行っている」ということが出来ませんでした。
 
 理由をつけてだんだんと教会に行く頻度が低下していきましたが、牧師先生が変わったことをきっかけに春キャンやティーンズクラブの存在を知ることが出来ました。それらの行事に参加することで、自分の教会には同年代の友だちが居なくても、日本中、世界中には沢山の仲間が居ることが分かり、だんだんと「教会」という場が好きになっていきました。
 
 私は教会を通じて出会った様々な人や言葉の中で特に“Living inside out”という言葉が好きです。これはアメリカのワークキャンプに参加した際のキャンプのテーマで、日本語では「内なる良さを外に出して生きる生き方」だと言われました。キャンプの中で、本当に小さなことに感謝しながら毎日を生きていた男性とその友人が神様に出会う前と後の男性に対する態度の変化を聞き、衝撃を覚えました。
  
 普段、私たちは可愛い洋服が欲しいなぁとか、きれいで居たいなぁとか見た目ばかりを気にしてしまいがちですが、私は見えない部分も魅力的な人になりたいと思いました。また人の外見ではなく内面を見ていける人になりたいとも思いました。そして、年齢や職業、国籍を越えて人が集う教会は、見た目の違いを気にしすぎることなくLive inside outしやすい環境にあるのではないかと思います。
 
 難しく考えすぎることはなく、普段少し気恥ずかしくて言わないような感謝の気持ちを表現するだけでも良いのかもしれません。大人になるとなかなか言えませんが、小さい頃からずっと成長を見守ってくださっている教会の方々、大好きです!
 

フィンランド教育事情

本当の教育

 今年改訂されたフィンランドの学校の課程を考えると、日本と同じように国語、数学、歴史、美術、音楽、それに体育が各教育レベルにあります。異なったことですが、フィンランドに公用語が二つで、フィンランド語とスウェーデン語があります。また、第1外国語はもう小学校の3年生から、第2外国語は5年生から、もしくは遅くて必ず中学校からはじまります。 第3外国語は普通高校からです。
 もう一つの主要な相違点は、日本の道徳教育に反して、フィンランドのモデルは、宗教教育と非宗教的な「人生観に対しての知識」という倫理のあることです。保護者は子どもと一緒に、この2つから選択できます。義務教育の中でどちらもどの学級にも週1回か2回かあります。生徒の大部分は宗教教育を選択します。大部分の生徒がなぜキリスト教の教育を受けているのかという理由は、フィンランドの社会と文化はルーテル派の教会と密接な関係を持って発展してきたからです。
 昔の学校教育はフィンランドでも日本でもほとんど道徳教育でした。道徳性を目標にして、道徳的価値を教えながら、大人の生活での必要な知識や機能を増やしていきました。でも現代の産業や技術や科学発展に続いて能力育成が何よりも尊重されるようになって、価値教育はおろそかにされてきました。しかし、人間は肉体的な、感情的な、倫理的な、また霊的なものです。ですから、全面的な子どもの成長を考えると、学問的な指導の上に体の訓練、心の教育、道徳教育、倫理、また宗教教育も重要でしょう。旧約聖書の『箴言』(4章23節)は本当の教育について教えると思います。「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源があります。」
  Paivi Poukka,
  ポウッカ・パイヴィ
  スオミ・キリスト教会
 

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その15

社会福祉法人あゆみの家 精神障がい者のための作業所 オアシス

オアシス所長  齋藤幸二
 
 今から十数年前に、精神障がいの家族を持つある親から、あゆみの家に関わっていた教会員に「この子が日中過ごせる場所が欲しい」という切実な訴えがありました。それまで西濃地方には精神障がいの方のための作業所はありませんでした。そこでボーマン宣教師の出資によって教会員の安井順子姉宅の敷地内にプレハブが立てられました。それが現在の「オアシス」のはじまりです。
 今、オアシスには7人のメンバーが通っています。日課は朝9時の礼拝から始まり、その日の気分調べ、そして仕事や活動へと続きます。所長だった安井さんの働きは私が引き継ぎ、他に大垣教会や岐阜教会の会員、大垣友の会の方がスタッフとして働いています。自立支援法の制度ができてからは、小さな作業所は行政の補助が得られなくなりましたが、あゆみの家が公益事業として経済的に支えてくださることになり、働きを続けることができています。
 精神障がいには程度の差やタイプの違いがあります。病気が重く、作業ができない人でも、社会参加の第一歩のための居場所として利用できる施設でありたいと思っています。また、工賃作業一辺倒ではなく、心豊かな生活をしていただきたいと願って、英会話や音楽療法、スポーツ、食事作りなどもプログラムに取り入れています。また行事計画などはできるだけメンバーが自分たちで決めてゆくようにしています。オアシスに来て、明るく、元気になってゆくメンバーの姿を見ることがスタッフにとって大きな喜び、励みとなっています。
 オアシスでは10年近くケーキ作り、パン作り、そして月一回のコーヒーショップを開いてきました。それはいつか喫茶店を開きたい、という夢があるからです。喫茶店での働きを通じて地域の人とふれ合い、社会参加をし、メンバーが社会的自立を果たせたらと願っています。今は西濃地区の一番西にあり、今のメンバー以外は通いにくい場所にありますが、さらに多くの人々が利用できる場所が与えられ、専用の厨房をもち、喫茶店を開くという10年来の夢が実現することを願いながら希望を持って歩んでいます。
 
 〒503‐1331 
 岐阜県養老郡養老町橋爪1221‐1 
 電話 0584‐34‐3093
 

私の本棚から

船山 馨著 小説『茜いろの坂』新潮社 1981年8月

 主治医から、あと半年のいのちと宣告された後に、著者が、「四十年余もかかった揚句、いま終わりに臨んで、わたしはこんなことを考えています」と、読者に報告するために書いた作品。
 
 主人公は、日中戦争に従軍し、中国でさまざまな残虐行為にかかわり、手に入れた宝石をもとに、戦後、銀座で宝石商を営み、財をなした秋山修介。
 ある日、彼は手術不可能な脳腫瘍のため、あと一年の命であると宣告される。死を宣告された彼は、自分の過去を思うにつけ、残された「一年」は暗黒に思えるのであった。できれば、残された時を、
 日没前の夕焼けのような、静かで美しいものにしたいと願う。
 その願いをかなえるために修介は、香西節子に接近する。彼女は、なさぬ仲の人との間にできた子を二度までも中絶した自分を「人殺し」と決めつけている。人殺しである以上、他の人を愛することも、他の人から愛されることも、それはあってはならないことであり、しいたげられ、ののしられるのは当然のこととして生きている酒場の女である。彼女のかなわぬ願いは保育園の先生になることであった。
 
 こんな節子に出会い、修介は思うのであった。自分の命が長くないのを知って、初めて、晩年を迎え、自分をも他人をも末期の眼で見るようになったが、節子は物心のついた頃から、すでに晩年を生き、末期の眼でものを見続けてきたようなものであったと。そして、そんな彼女に出会わなければ、自分の罪の深さに、根底から思い当たることはなかったに違いないし、今頃はただ見苦しく取り乱すだけで、こうして静かに死と向かい合っていることなどできなかったはずであると。
 節子との出会いを通して、そんなことに気づいた彼は、さらに大きく変わる。はじめは、自分の末期の心の支えに、安心のためにと、彼女にすがっていたはずなのに、いつのまにか、自分のことは忘れて、彼女の幸福を願い、そのために、残りわずかな自分の命を燃やすのであった。そうすることによって、彼は自分がすでに夕映えの中にいるような思いにさえなるのであった。
 教会につながって生きるとは、そのような生き方が現実のものとなっているところではないかと、ふと思わされることがある。
 小石教会牧師 徳野昌博
 

園長日記 毎日あくしゅ

過去をつくる仕事

 「キリスト教保育って何だろう?」。「キリスト教主義にもとづく幼児教育って何だろう?」。この同義のふたつの問いは、ルーテル教会の牧師として、今まで多少なりとも高校と大学でのキリスト教教育にかかわってきた私には、分かっているようでいて実は分かっていない、新しい分野の課題でした。もちろん、すぐに内外の資料・書物に答を求めました。しかし、キリスト教の保育・幼児教育について開眼されたのはそういった書物をとおしてではなく、私が牧師になって最初に赴任した教会で出会った、ひとりの尊敬すべき信徒さんから受けた示唆をとおしてでした。キリスト教の施設・学校で行われる活動は、すべて「愛」にもとづくものであり、「愛」を伝えることであり、「愛」の実践であるとはよく言われることですが、それが具体的に何を指しているのかは必ずしも明らかではありません。
 私がはっきりとキリスト教の保育・幼児教育の使命を自覚することができたのは、前述の信徒さんが教えてくれた「過去の大切さ」という視点のおかげでした。ヴィクトール・フランクルが『夜と霧』のなかで触れている「過去からの光」こそがその内容です。フランクルは、「あなたが体験してきたことは、この世のどんな力をもってしても奪い取ることはできない」と語っています。
 私はそれまでほとんど、「過去」に対して注意を払うことをしてきませんでした。むしろ、大切なのは「現在」であり「未来」であると考えて生きてきたように思います。しかし人間は、耐え難い苦しみの中にあっても、「過去から力をもらって生きることができる」というその示唆は衝撃的でした。私は子どもたちの「過去」をつくる仕事に従事しているのであって、目指すべきは「過去からの光」を子どもたちの未来に残すことなのだと考えると、胸の内の霧がすうっと晴れていく思いがしたのです。
 日常の保育も聖書のおはなしも、「神と人に愛された記憶」を、子どもたちの心の奥底に残すための「仕事」なのです。
 
(雪ヶ谷ルーテル幼稚園) 田島靖則
 

私の本棚から 震災関連特集

1000時間後のあなたへ ~ 東日本大震災で頑張ったあなたへ ~」
(発行元:公務員連絡会地方公務員部会)

 震災後、通常の仕事を続けながら被災地支援に奔走しておられる関東在住の南三陸町出身の方からこの冊子について紹介を受けました。
 この冊子は、もともとは、被災地において災害対応のために働き続けて来られた(そして今も働いておられる)自治体職員の方々のために書かれた冊子です。震災後、自らも被災しながら住民と寄り添い、昼夜を問わず働き続けて来られた自治体職員の方々は、多くの人々の感情のはけ口になり易く、さまざまな軋轢の中に置かれていると聞きます。
 もし、ご家族やお知り合いに被災地に関わる公務労働者の方がおられましたら、この冊子をご紹介いただければ幸いです。この冊子は、燃え尽き症候群についても触れられており、震災以後、被災地に居なくても被災者支援のために心を砕いて来た方々が読むにも適している冊子だと感じます。
 また自治体職員の方々の置かれている状況についても理解を深めることが出来ると考えます。私自身、被災地への訪問から帰ってきてから、大変な思いをしておられるであろう被災者の方々のことを考えると、いてもたってもおられず、「どうにかしなければ」「何か出来ることは無いのか」と、気持ちの焦りばかりが先立ち、それだけで言いしれない虚無感と疲労感に襲われてしまいがちでしたが、この冊子を通して自分自身もまた(何も出来ていない状態であっても)燃え尽き症候群の一歩手前であることに気づかされ、仲間の牧師に話を聞いてもらうきっかけを与えられました。 特に自己診断テストは、自分の燃え尽き症候群の程度を計るための良い物差しになると思います。被災地のためにさまざまなかたちでご奉仕しておられる皆さまの上に、そして何よりも今もなお悲しみと不安の中におられる被災者の方々の上に神様の慰めと支えを祈りつつ…。
 PDF版のダウンロードhttp://p.tl/XPbH
 近畿福音ルーテル南海教会  牧師 杉岡直樹

被災後の子どものこころのケアの手引き
発行 特定非営利活動法人チャイルド・ファンド・ジャパン 監修・執筆 ルーテル学院大学

 
 ”この手引きによせて”より(抜粋)
 2011年3月11日に発生した東日本大震災を境に、私たちを取り巻く環境は大きく変わりました。この震災で、ご家族や親しい方をなくされた方々、生活の糧を失った方々の深い悲しみ、そして、復興への長い道のりと津波により大きな被害を受けた原子力発電所からもたらされる不安は、あまりに大きいものです。
  “We are with you!”
 「あなたはひとりじゃない!」 私たちは、海外から寄せられたこのことばに力を得て、緊急・復興支援を開始しました。この手引きは、子どもを中心とした緊急支援活動の一角を担うものです。
 家族、学校、そして地域で震災を体験した子どもたちに日常的に接する方々にヒントになればという思いを臨床心理科を有する学校法人ルーテル学院と共有して、この手引きは完成しました。また、翻訳ボランテイアの方々、絵本作家ののぶみさんのご協力をいただきました。心から感謝申しあげます。
 子どもたちを見守り、支えていらっしゃる方々にこの手引きを手にしていただければ幸いです。

第四回常議員会報告

 日本福音ルーテル教会の第4回常議員会が6月6日(月)午後1時より7日(火)午前中にかけて、ルーテル市ヶ谷センター 第1会議室にて開催され、主に以下の報告と協議が行われた。
 
●「東日本大震災ルーテル教会救援」
 3月11日に発生した東日本大震災の支援活動のために、3月24日付で、日本のルーテル4教団の議長の下に設置された「東日本大震災ルーテル教会救援」(英語表記”Japan Lutheran Emergency Relief”)の設置の経緯とその活動の概略として、震災発生以後、各個教会・関係施設に救援支援物資のアピールと支援募金をアピール、その他、海外教会からの多額の支援金の送金等の報告が本部長より行われた。
 さらに、それらの募金による三ヶ月間の主な救援活動であるトラック輸送の手段の構築を経ての、日本の諸NGO、地方公共機関及び社会福祉協議会と提携した食糧及び日常生活物資を含めた緊急救援活動の展開、エキュメニカル施設であるアジア学院再建への支援、それに仙台教会の支援センターを拠点としてのボランティア派遣プログラムなども補足的に報告された。なお、本部と現地をつなぐコーディネーターとして、当面の期間、立野事務局長を牧師スタッフとして現地へ派遣することを常議員会は確認した。
 
●ブラジル宣教師派遣期間延長
 前回常議員会に現地教会から申請書が出され、継続審議であった徳弘宣教師の派遣期間延長に関しては、申請通り、派遣期間4年延長(2016年3月まで)を基本的に承認するが、その前提条件として2015年度からの宣教師給与総経費の完全自給体制(2012年度からの段階的自給計画)を達成してもらうこととし、2016年4月からの派遣期間以後の後任人事はブラジル福音ルーテル教会(IECLB)そのものにすべて委ねることとした。
 
●2011年度宣教会議
 今年の宣教会議は、ルーテル市ヶ谷センターを会場に、10月5日(水)午後1時より6日(木)午後4時までとし、出席は本教会常議員・スタッフ、各教区3名以内、方策作業委員、財務委員とした。なお、主要協議内容は、「第6次総合宣教方策案」の検討、「教職転任費積立制度の変更」に関する協議である。
 
●宗教改革500年(2017年)記念事業
 2017年の宗教改革500年の記念事業推進のために、ルター研究所の協力を得て、エキュメニズム委員会を中心に記念事業準備委員会を設置し、エキュメニズム委員長が11月の次回常議員会に事業計画の骨子を提出することとした。
 
 

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。
 
二〇一一年六月一五日
宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 渡邉 純幸
 
信徒利害関係人 各位

本教会所管の西原住宅
 ・土地売却
 所在 東京都渋谷区西原
  ①地番 二丁目三八番二
   地目 境内地
   地積 九五・00㎡
  ②地番 三八番三
  地目 宅地
  地積 一五・四三㎡
   (持分 二分の一)
  ③地番 三八番四
  地目 宅地
  地積 三九・四七㎡
  (持分 二分の一)
 
 ・建物売却
 所在 東京都渋谷区西原
 家屋番号 二丁目三八番地
 種類 西原集会所
 構造 木造セメント瓦葺
  平家建
 面積 六〇・九五㎡
 売却理由 隣地所有者よりの買付申込みによる。現地は幅約2メートル弱の上り勾配の進入路(私道、持分二分の一)のみにて、公道に接道しないとみなされる地形であり、落差一・六mの法面上に位置する狭隘な土地である。築後五八年の老朽家屋も、建築許可が下りないために改築できない。従って通常ならば第三者に売却不可の土地である。今般隣地所有者が所有地内の家屋新築計画に当り、購入の意思表示があり、唯一の売却先と言える。将来に亘り利用価値の少ない土地であり、今般好機ととらえ売却するものである。      以 上

11-06-15るうてる2011年6月号

機関紙PDF

説教「不安のきわみで歩き出す」

「イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』」(ヨハネ福音書9章1節~3節)

 渡邉純幸議長、松木傑牧師、LWF特別アドバイザーのマタイさんと共に、4月18日から21日かけて車で東日本大震災の被災地である仙台、石巻、気仙沼、陸前高田を訪ねました。津波ですべての建物が全壊した地域に入った時は、何度も途中、車を降り、道路の真中に立ち、お互いに声も交わすことが出来ずに身の震えを内に感じました。
 このような災害は「天罰」ではないかという不穏な言葉を吐いてしまった人もいましたが、今回の未曾有の大地震をどのように理解してよいのかという戸惑いを多くの人が持っているのではないでしょうか。
 このヨハネ福音書9章でイエスは生まれつきの目の見えない人をいやしています。イエスの癒しの前に、弟子たちはイエスに「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」と問うています。
 弟子たちがイエスに問いかけた言葉、これは「応報説」というものです。私たちの身に降りかかる不幸、苦しみ、病気などは神に対して何か悪いことをした不義のゆえに、神からの応報的な罰として与えられるという考えです。
 今から、30年前の、昭和52(1977)年11月15日夕刻、中学校一年生の横田めぐみさんが、新潟市の中学校から帰宅する途中で拉致されました。横田めぐみさんのお母さんである早紀江さんは、めぐみさんが居なくなって7年が経った1984年5月に、バプテスト教会の宣教師であるマク・ダニエル宣教師からキリスト教の洗礼を受けています。
  彼女は1999年に日本福音クルセードが発行している機関紙にめぐみさんを失ってからの辛い日々のことをこのように書いています。
 「それからは、大変な捜索となりました。新潟県警始まって以来のヘリコプター、巡視船まで出た捜索活動が、毎日続けられました。私たちは、失神しそうになりながら、ポスターを全国に貼り、またテレビの呼びかけ番組にも4度出演し、少しでも似た少女の写真や絵を見かけるとすぐに問い合わせたり、出かけたり、本当に気が狂ってしまうような毎日でした。」「ですが、どんなにしても何一つ手がかりがなく、目撃者もなく、一ヶ月、半年、一年と時だけが過ぎて、私はただ打ちひしがれ、虚しさだけが心に満ちてくるばかりでした。」「主人や息子たちが勤めや学校に出かけた後は、悲しみがどっと押し寄せてまいりました。こんなに悲しい目にどうして合うのでしょうか。どうすれば立ち上がれるのか。どんなに号泣してみても、息も止まれと止めてみても、悲しい朝はやってきます」。
 さらに、ある人々、ことに宗教的な匂いを持っている人が冷たい言葉を投げかけ、それにより惑わされた辛い日々の気持ちをこう綴っています。「『子供は親の鏡、親の全てを現します。』とか『因果応報』とか、いろんな宗教の人が来て、悲しい心に突き刺さるような言葉を残していきました。私は祖先に思いを馳せて、誠実で質素な温かい父母を思い、泣きました。」
 そのような涙に暮れる日々を送っていた時に、娘と同学年のお母さんのとの出会いが与えられます。その時の心境を早紀江さんはこう書いています。「あまりに悲しむ私に、クリスチャンの友は聖書の言葉で励ましてくださいました。生まれつきの目の見えない人を見て、イエスの弟子がその理由を聞きますとイエスは次のように答えられました。初めて聞く不思議な言葉でした。『この人が罪をおかしたのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。』という新約聖書 ヨハネの福音書9章3節に触れました。」
 彼女は旧約聖書ヨブ記1章21節の「私は裸で母の胎からでた。また、裸で私はかしこに帰ろう。 主は与え、主は取られる。」という言葉にはじめて出会ったときに、「始めて深呼吸ができ、久しぶりに空気がおいしく思えました」と語っています。
 また、「人知の及ばないところにある神の存在は、この世の悲しみ、苦しみ、すべてのことを飲み込んでおられるのだ。私の悲しい人生も、人間という小さな者には介入できない問題なのだ。聖書は私にそう語りかけてくるようでした。」と書いています(「めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」草思社)。
 私たちにとって誰もが願うことは幸福です。でも、予期せぬ試練と苦難の中にあっても人生に対する新たな希望と意義が見出されることもあるのです。そして、苦難を苦難としてそれなりに耐え忍ぶところに真の信仰が与えられ、そこから神に出会い、真の喜びへと導かれることにもなるのです。
   宣教室長 青田 勇

ルターによせて(2) 「食後の感謝」について

 ルターの小教理問答の第二部は簡単な祈祷集となっていて、その最後に「食後の感謝」の祈りがある。食前の祈りは今でもよく唱えるが、「食後の感謝」は、現代では、フィンランド以外では殆ど見られないように思われる。
 ルターがなすべき祈りとして「食後の感謝」を記した理由は何だったのだろう。
 彼が結婚した一五二五年はドイツ農民戦争が勃発した年でもあった。この二年後ヴィッテンベルクではペストが流行し、大学がイェナに移った。娘のエリザベートが生まれたが、翌年死亡した。 戦争の傷跡と病気と食糧難が当時の状況だった。まだジャガイモなどは普及しておらず、明日の糧が保証された世界ではなかった。こういう状況でルターは「食後の感謝」を祈った。 
 主の恵みと慈しみは、雛の面倒を見ない親鳥に見捨てられた子ガラス達が主に鳴き求めれば養われるほど、深く絶えることがないと祈っている。
 彼はこの世の悲惨の底に恵みを見出し、感謝を献げた。
東日本大震災の被災者が「五日間おにぎり一日一個でしたが、感謝しています。」と言っていた。この窮乏のさなかの感謝の言葉はルターの食後の祈りと通底しているように思えてならない。

牧師の声 私の愛唱聖句

宮崎教会 木下 理

「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラテヤの信徒への手紙2章20節)
           
 洗礼を受けて間もないある夜のことです。わたしは12時ごろ目がさめました。いつもは明日の仕事のことを考えて、またすぐに眠ろうとするのですが、何故だかその夜は、無性に聖書を読みたくなりました。聖書を開きますと、わたしの耳を通して聞こえて来たというよりも、わたしのからだの内側から、小さいけれどもしっかりとした声がしました。部屋には、わたしのほか誰もいません。それは、「ガラテヤ」と言う声でした。わたしはその夜、「御心を示してください」、と祈って休みましたから、祈りに対する神の応答が「ガラテヤ」だったのだと、しばらくしてから気づきました。人間の理性では、到底理解の出来ないことが起きたのです。
 神はその時、「ガラテヤの信徒への手紙、何章、何節の御言葉をしっかり読みなさい」と、はっきり示されたのではありません。ただ一言、「ガラテヤ」と言われただけでした。ですから、その時から今日に至るまで、わたしはガラテヤ書と、ガラテヤの信徒へ手紙を書き送ったパウロに、関心を持ち続けざるを得なくなりました。神学校1年生のときです。どんな牧師になりたいですかと質問されたとき、パウロのような牧師になりたいと答えました。ルーテル神学校の卒業論文は、ガラテヤ書を中心に、「パウロによるイエスの死の救済的意義」をテーマに執筆しました。ある信徒の方から、「先生、わたしの新しい聖書に御言葉を書いてください」と依頼されたとき、ガラテヤの信徒への手紙を読み返して書いたのが、2章20節に記されている「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」という御言葉でした。
 牧師となって四年目の今でも、礼拝の前はかなり緊張します。しかし、この聖句を唱えますと、緊張の中にも平安が生まれてきます。洗礼を受けて間もない夜、わたしに「ガラテヤ」と言われたお方が、わたしの内に生き続けておられるから、取るに足りないわたしも説教壇にあがることができるのです。
「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」これがわたしの愛唱聖句です。

信徒の声「神さまの豊かな恵み」~ルーテルこどもキャンプ~

三鷹教会 河田晶子

 1999年、女性会連盟の信仰継承プログラムとして始められた国際少年少女キャンプは、2004年の第5回より、TNG子ども部門が引き継ぎ、JELAの支援のもと、ルーテルこどもキャンプとして今日にいたります。今年で第13回を迎えるルーテルこどもキャンプは、5、6年を対象に「平和」&「国」の2年1サイクルの学びを通して、生きることの意味、いのちの大切さをテーマに毎年続けられています。
 私自身を振り返ると、小学校5年生の時に関西のCSキャンプでキャンプデビューして以来、さまざまなキャンプを経験してきました。そんな中で、多くの仲間と出会い、神さまと出会い、洗礼へと導かれたのです。キャンプには、本当に不思議な力が働きます。普段、おとなしい?!私もキャンプとなれば、パワー全開フル回転で、全身に血が流れるのを感じます。まさに、生きる喜びに満たされるのです。
 特に、ルーテルこどもキャンプは、子どもたちからたくさんの感動をもらいます。私にとっても神さまの豊かな恵みを肌で感じるときでもあります。たった3日間の間に、子どもたちの顔がキラキラと輝いていくのがはっきりとわかるのです。このキャンプのために、スタッフ達は、約1年かけてプログラムを煮詰めていきます。時には、1からやり直しになったり、伝えたいことがあり過ぎて悩んだりもします。でも、1番の願いは、子どもたちに「み~んな、神さまから愛されているかけがえのない子どもなんだ」と気づいてもらうことです。また、小学5、6年の多感な時期に、キャンプを通してたくさんの友だちと出会い、ティーンズキャンプへつなげ、さらに神さまとつながっていくことを願っています。ここ数年、何度か、こどもキャンプの卒業生が受洗したという朗報を聞き、神さまが、ちゃんと育ててくださっているのだと、とても嬉しく思います。
 今年は、震災の影響で、会場を東京から愛知県の挙母教会&幼稚園に変更し、カンボジアの国をテーマに行います。ぜひ、教会の子どもたちを送り出してくださいますようよろしくお願いします。

フィンランド教育事情

将来と希望

 今年のフィンランドの学校の修了式は6月4日です。みんな夏休みを楽しみにしていますが、その日は特に学校の勉強を無事に終えた高校3年生にとって大きなお祝いです。生徒たちは卒業試験に合格したという印として白い帽子を被って、将来の夢に胸をふくまらせています(写真)。
 日本の教育社会と同様に、フィンランドでも子どもたちは長い間勉強します。私たちの息子は6歳の時に、もうそのことが分かりました。サッカ–が大好きな彼は、学校が始まったばかりのある日、家に帰ると「ママ、僕は12年間も学校の机の前に座れやしないよ」と将来を心配して言いました。
 フィンランドの義務教育は日本のように9年間続きます。けれども、それは子供が7歳になる年に日本より一年遅れて始まります。基礎教育と呼ばれる義務教育は高校もしくは職業専門学校に続く中等教育に連なっています。高等教育には、大学と科学技術専門学校とがあります。大学では、3年間で学士の資格、更に2年間で修士の資格がとれます。また、その後、博士課程に進学することもできます。
 親たちが子供にいい教育を受けさせたいと思うのは当然のことでしょう。けれでも、人生は思った通りにはいかないものです。道半ばでいろんな理由で希望を失う大人も若者も少なくありせん。教育は大切なことですが、確かな将来への道は別です。それは、私たちの喜びと悲しみを知ってくださる神様なのです。
 「わたしはあなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレミヤ29・11)。祈りの中に、子供たちの将来を全能の神様にお委ねしましょう。
 Paivi Poukka
  ポウッカ・パイヴィ
     スオミ教会

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その14

福祉法人レインボーハウス福祉会障害福祉サービス事業所 レインボーハウス

施設長 鶴 順子

 今から24年前、自分たちの暮らす街の中に安心して障がい者の人たちが集える場所が欲しいとの願いのもと、レインボーハウス設立準備会が発足しました。九州教区や佐賀教会のご好意により、教会の敷地内にプレハブを建てさせていただき、お菓子作りの作業を始めることになりました。
 左の写真のとおり、戦後のバラックのような建物で、こんな所でよく保健所が菓子製造許可を出してくれたものだと、今、この写真を見ながらしみじみ思っています。
 当時、佐賀教会でご奉仕くださっていた三浦芳夫牧師先生ご夫妻、宣教師のジェームズ・サック先生ご夫妻、信徒の方々、特に灯火会(聴覚障がい者の会)が、いつも祈り、助けてくださいました。バザーやお祭り等、人の集まる場所があると聞くとクッキーを持って行っては販売し、また、自分たちの趣旨をアピールして回りました。
 レインボーハウスの働きが少しづつ広がり始めた1992年、日本福音ルーテル教会の宣教百年記念事業の一環として佐賀教会が改築されることになりました。濱田道明牧師先生ご夫妻や教会員、役員会の方々のご好意により、教会の第二集会室を作業所として拝借できることになりました。
 2004年4月からは、社会福祉法人としての法人格を取得し、濱田先生が理事長になってくださり、今日までご指導いただいております。月に二回の職員の聖書の学び、月に一回は利用者共々、「讃美歌とおはなし会」等をしています。
 最初は2~3人の小さな働きから始まった活動ですが、現在は総勢55名を数えます。佐賀教会はもちろん、各地のルーテル教会や信徒の方々にいろいろな形でご支援をいただき、感謝いたしております。
 神様は、時にかなって必要なものを与えてくださいました。
 恵みも試練もすべて神様の愛の内にあることを思います。
 あの屋根に畳の乗った小屋から始まったレインボーハウスも、これからどんどん変わっていくことでしょう。しかし、どんなことがあっても、変わらない神様の愛の中で、みこころを尋ねて成長していきたいと切に願っています。

震災ボランティアに参加して

二日市・福岡西教会 野口勝彦

 2011年3月11日から2ヶ月が経過した5月11日。
 被災地では、地震発生の14時46分18秒に地震によって召天された方を覚えて一斉に黙祷がささげられました。
 私はちょうどその時間に、石巻の民家で津波による泥かきのボランティア作業に従事していました。
 その中で私が忘れられないのは、その民家のご主人のお話です。津波が襲った状況を延々と話をされるその姿に、その痛みの深さを感じました。
 また、どのお宅でも、被災されながらもボランティアの私たちに、写真のような軽食を用意し、感謝の気持ちを表されるその心も忘れることができません。
  地震発生から2ヶ月以上が経過しても、まだ、泥だけらの異臭がする自宅で生活せざる得ない方々が被災地では少なくありません。
 また、沿岸部は写真の通り、壊滅状態が延々と続いています。
 私は、これからも息の長い支援とお祈りを続けることができればと考えています。

園長日記 毎日あくしゅ

園長室より

 私がキリスト教保育の世界に身を置くようになって、はや5年目。子どもたちと共に、私自身も園長としての成長を経験しています。新しい発見もたくさんありました。 まず、幼稚園の仕事をするようになって、40年以上前の私自身の幼稚園生活を思い出しました。いえ、正確に言えば記憶が曖昧なので、両親に尋ねたり、インターネットで検索したりして、私自身の幼稚園時代を追体験しようと試みたわけです。
 私はもともとクリスチャンホームで育ったわけではなく、中学校からミッションスクールに入学したことがきっかけで、キリスト教と出会いました。ですから、私は常々「学校育ちのクリスチャン」を自認しておりました。ところが、私が通ったふたつの幼稚園(1年数ヶ月通った最初の幼稚園と、引っ越し後に数ヶ月だけ通った転園先の幼稚園)のうち、最初に通った幼稚園のホームページを見つけ、その幼稚園の標語に「かみさまとともにあゆむこども」という文字を発見して、私は自分が「学校育ち」以前に、「幼稚園育ち」のクリスチャンだったということを知ったのです。
 まさかこの歳になって、記憶の底に沈んでいた「最初のキリストとの出会い」に気づくとは。加えて、私に最初に伝道してくれた方と思しき幼稚園の先生の記憶が、曖昧によみがえってきたのです。名前は「あだちせんせい」。細面で小柄な先生だったと記憶しています。
 そして、ここからはもしかしたら後になってねつ造された記憶かもしれないのですが、ある場面で(それはたぶん引っ越しをする直前だったと思うのですが)、母と私を前にして「あだちせんせい」が「やすのりくんは、かみさまをしんじるこどもになってね」と言われたことを、おぼろげながら思い出したのです。
 幼稚園時代の記憶は曖昧なものです。しかし、その幼稚園での生活が、私のパーソナリティーの形成に大きな役割を果たしたであろうことは、否定できません。キリスト教保育の果たす役割は、一般に考えられているより、はるかに大きいと思います。
(雪ヶ谷ルーテル幼稚園) 田島靖則

現地入りして1ヶ月がたちました

ルーテルとなりびとにつながってくださる皆様へ

現地スタッフの遠藤です。
今まで活動のご報告が出来ず、申し訳ありませんでした。
宮城県に入ってから5月13日でちょうど一ヶ月となりました。
ルーテルとなりびとのボランティアさんや牧師先生方と共に無我夢中で走りぬけた1ヶ月でした。

最初の約3週間は県の災害ボランティアセンター(以下、ボラセン)に派遣され、各地のボラセンの運営のお手伝いをさせていただいておりました。
ボラセンは、全国・世界中から集うボランティアをコーディネイトする重要な役割を担っています。
ボランティアコーディネーションについて実地で学びつつ、現場(石巻、東松島、亘理)に派遣され、特にボランティアバスパックという団体ボランティアグループの方々の受け入れと地域清掃のお手伝いをさせていただきました。

現在は、ボラセンでの活動を通してつながりが強まりつつある石巻に滞在し、物資が行き渡っていない地域を訪問して「生活のお困りごと」の御用聞きをしながら、長期的な支援活動に向けての調査・準備を行っております。
少しずつではありますが、避難生活をなさっている障がいをお持ちの方々も訪問させていただいております。

「救援活動」と銘打ってはありますが、実際には食事をさせていただいたり、道案内をしていただいたり、地元の方々を紹介いただいたりと、私のほうが石巻の皆さんから助けていただいている状況です。
また、日本基督教団・石巻栄光教会のご好意により教会に宿泊させていただきながら活動を続けています。

たくさんの方々のご支援とお祈りなしには乗り切ることの出来なかった1ヶ月でした。
この場を借りて御礼申し上げたいと思います。

震災から2ヶ月が経過し、緊急的な支援から、きめ細かい個人個人のニーズに合わせた
支援が必要な段階に移ってきました。ご支援いただいている皆様の気持ちを丁寧に現地にお届けする活動が展開できるよう準備を進めてまいります。

遠藤 優子
ルーテル教会救援
現地スタッフ

11-05-15るうてる2011年5月号

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説教 「あの方は復活なさったのだ」

ルカによる福音書23章26節~24章11節

春先、あるご高齢の方が召天されました。葬儀の際、ご家族が介護をしていた時の様子が思い返されました。「お父さん」と声をかけ、顔をさすり、手を握る。その時と同じように、丁寧に葬りをされる様子を見た時、悲しみに秘められた「新しき命」の萌芽を見るような思いでした。十字架と復活の間に、イエスを愛していた人々は何をしていたのでしょうか。詩人ウェンデル・ベリーは、イエスの死を嘆き、葬りの準備をする「婦人たち」に復活への道筋を見ています。

“私は十字架のキリストを知っている。
肉体と時間と私たちの苦悩のすべてのために御自身を犠牲にされた
神の独り子を。
彼は死んで甦られた。
しかし彼の痛み、孤独、死に際の真昼の闇に、だれが打ち震えないでいられるだろうか。
マリアのように、彼は死んだものとあきらめて、その墓で嘆き悲しむことがないなら、復活の朝は永遠に来ない。”

 十字架の出来事には、マグダラのマリヤ、ヨハナ、ヤコブの母マリアなど「婦人たち」と呼ばれている一群がいました。2000年前のキリスト証言の大事なところをこの人たちの素朴な行為が担っています。「嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った」(23・27)と印象深くルカは記します。イエスが息を引き取られる時、「遠くに立って、これらのことを見」(23・49)、イエスの遺体が納められる有様を「見届け」(23・55)、「家に帰って、香料と香油を準備した」(24・56)。葬りの準備をし、墓場に行き、「空の墓」体験をした人たちであり、「死んで葬られる」イエスに伴ったのはこの人たちでした。そこに最初の復活の知らせが刻まれます、「なぜ、生きておられる方を死者の中に探すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」(24・6)。イエスの十字架を嘆き悲しんだのは弟子たちも同じですが、その嘆きは同じものだったのでしょうか。自分を嘆いていたのか。イエスの死を嘆いていたのか。いずれにせよ、十字架のイエスと「婦人たち」との距離は、弟子たちのそれと比べ、とても近いものでした。
 生きているイエスを熱烈に歓迎し、従うものは多くおりました。魅力あるもの、未来あるもの、何かを実現してくれる力に人は惹かれます。しかし「死んで葬られる」イエスに伴うものは多くはありませんでした。十字架は無意味で、復活の知らせが「たわ言」(24・11)のようであったのは、生きているイエスだけが大切であり、死んで葬られたイエスは、弟子たちであっても、置き去りにするしかないものだったのかもしれません。しかし十字架のイエスに伴い、看取り、葬りの備えをする人たちが求めていたのは、意味ではなく、愛です。
 もし人が、日々をただ朝が来て、ただ日が沈む繰り返しではなく、復活の希望と共に朝を迎えるならば、その真昼の闇でさえも、どんなに貴いものであったかを知らされもすると詩人はうたいます。この「婦人たち」にまっさきに良き知らせが伝えられたのは偶然ではありません。復活はただ死んだものが生き返ったという時計の針の巻き戻しではなかったのです。当たり前のように、生まれて朽ちていくという染み付いた考えが、崩れ去る時でもあるのです。復活の知らせは、私たちが生まれる前も、生きて死んだその後も、永遠の命が神の許にある、という良きおとずれなのです。ルカが伝える「婦人たち」の葬りの備えは、知らず知らずに、復活の備えでもあったのです。死がすべての終わりではなく、新しい命のはじまりであると。終わりからはじまる。痛みにふるえ、孤独と闇を共にし、途方にくれることは、永遠のいのちと切り離されてはいないのです。どうして生きておられる方を死者のなかに探すのか。あの方は復活なさったのだ!
博多教会牧師 宮本  新

ルターによせて

今四旬節のさなかにあって、私達は主の受難を想う…。

荒野の茨とあざみに刻まれた主の苦しみの祈りの声が、狂熱の裁きと憤怒の大波にさらわれ、丘の上に投げられ、十字架の下に鎮まっている…。 
  
ここに私は立つ。そうするほかはない。神よ助けたまえ。

この祈りはルターの祈りだが、今大地震と大津波を目の当たりにした者の祈りでもある。
ルターは、チェコのヤン・フスが異端と断じられ、火刑に処せされたほぼ百年後、同じ事を主張した。それを罰するため西欧最大の帝国の王がヴォルムス議会に彼を召し出し、その説を撤回しなければ、命が保証されないことが告げられた。一五二一年四月のことだ。ルターの「否」の声はたちまち彼を奈落の渦に引き込んだが、不思議にも、彼は命長らえて、やがて新しい世界を見晴るかす場所に立つ。

私達は知っている。世の人は生の中で死の力に引きずり込まれ、恐れおののくが、信ずる者は死の淵にあってなお主と共に生きることを。 

「勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている」

牧師の声 私の愛唱聖句

浜松教会 花城 裕一朗

「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」
(マルコによる福音書15章34節)

 もともと私は物理学者を目指していましたが、大学の時、親しかった友人が心の病が原因で亡くなったことをきっかけにして、「人を励ますことができるような職業に就きたい」と思うようになりました。
 彼は「いい奴」だったと思います。しかし、「いい奴」が「いい目」にあうとは限りませんでした。彼は近しい人たちの言動(たとえ悪気はなかったにせよ)のために苦しんだように私には思われました。その時から、私の心の中にひとつの疑問が巣食い始めたのです。「なぜ、正しく生きようとする人間の方が苦しみを背負わされることがあるのか。これは不条理なことではないのか。」
 後に神学校に入った時にも、その疑問は払拭されてはいませんでした。そして宣教研修の時には、疑問はますます大きなものとなり、徐々に神への疑念や不満に変わり、とうとう怒りとなって私の中に鬱積していきました。遂に、宣教研修中の冬のある夜に、私は我慢し切れなくなって、神に向かって心の底から叫びました。「何が恵みじゃ」「恵みなんか何もねぇじゃねぇか」「教えてくれや」と。すると神は、私に答えてくださいました。
 十字架に付けられたイエス・キリストが見えて、あの言葉を言われるのを聞きました。その時私は、イエス・キリストこそが、正しく生きようとして苦しみを背負った人間の代表なのだと悟り、神が私に語られるのを感じました。「わたしの息子こそが、おまえの言っている者であることを知れ。わたしは息子を復活させた。同じように、正しく生きようとして却って苦しみを背負う者たちを、わたしが顧みないことがあろうか。彼らこそ、わたしの息子に倣う者である。彼らの人生が祝福されているということを、おまえは信じなさい。」
 今は、様々な理由のために苦しみを背負って生きている人たちと向き合う時、あの日の御言葉に私はより頼みます。「十字架の後には復活がある」と堅く信じて

信徒の声 キリスト受難劇を見て

市ヶ谷教会 石原京子

 昨年の七月、渡辺純幸牧師を団長とする一行に私ども夫婦も参加させていただき、フインランドのオータカリで開催されたSLEYの大会に出席した後、十年に一度、南ドイツのオーバーアマガウで開演されますキリスト受難劇を見に行きました。
 受難劇の歴史は千六百年代におきた三十年戦争の時、ペストが大流行し多くの犠牲者がでたため村人が主キリストの苦難と十字架の死、復活の劇を亡くなった人のお墓の上に造った舞台で上演したそうです。それ以来この村からペストは消え、このことを感謝して、十年に一度上演することになり現代まで続けられています。
 天空を仰ぐ巨大な野外劇場に、村民の二分の一にあたる二千五百人が舞台の上で、裏方として、またオーケストラの一員として参加します。
 午後二時半から休憩をはさんで午後十時半まで各国から毎日五千人の観客が訪れ、出演者の熱演に圧倒されます。これはキリストの役に選ばれた人はイスラエルに数ヶ月滞在し、キリストの苦難の生涯を肌で感じ、役作りをし、他の出演者も二年間にわたり、役になりきる生活をするところからくるのだと思います。
 一幕ごとの終わりには「生きた聖画」の場面があり、しばしの間、体がびくとも動かず、画の人物になりきっているのには驚かされました。
 幕の役目は五十人の聖歌隊で、横に一列に並び美しい聖歌を歌います。隊員一人ひとりもこの地の住人と聞きました。ドイツ語が解らない私ですが、エルサレム入城、ベタニアでの母マリアたちとの場面、最後の晩餐、ユダの裏切りから十字架の死と復活まで、聖書に記述された出来事を、忠実に、舞台いっぱいに、こどもたち、ろば、鶏、鳩、羊、らくだなどが共に演じ、観客もイエスの時代に引き込まれていってしまう迫力には驚かされます。
 この地上で起きた二千年余前の出来事を三七六年間忠実に引き継いでキリストの愛を伝えていくオーバーアマガウの村の人々に深い感銘を受けました。
 長時間の劇を見終えた各国の人々の顔には喜びと感激の表情で満ち溢れていました。
 二年前から予約してくださり、観劇できたことを心から感謝いたします。
 十年後は、八十を過ぎた私ですが孫に手を引かれて再び観たいと願うこのごろです。

フィンランド教育事情

生きる道

 3月11日の震災の悲しいニュースは世界をびっくりさせました。そして、被災しても冷静な態度でやさしく助け合う日本人の姿をテレビで見て、たくさんの外国人が驚き感動しました。
 フィンランドで「被災者の行動は日本の教育に関係がありますか」という質問を何度も受けました。日本の学校の道徳教育について学んだ私は「はい、それもあると思います」と答えました。
 「日本人は自分を律し、思いやりの心で相手のことを考え、命を尊重し、社会に貢献することを大切にする国民です。」
 3月16日の朝日新聞に、親戚の家に避難している10歳の兄と7歳の妹の写真がありました。ランドセルを背負った二人は、学校に行く途中に線路の上に座って一休みしていました。道路が冠水していましたが、線路に沿って正しい方向に行くことができました。
 人生の嵐や悲劇は、家庭・学校教育の適切さと達成度のテストだと思いました。子どもたちを堅固で安全な道に導いたか、試練にもくじけないように育てたか、それを乗り越える希望を子どもたちに備えられたか。
 大事なものだけではなく、愛する人々を失った子どもたちも多くいるでしょう。深い悲しみと命の限界に向き合った人たちをどう慰められるでしょうか。イエスは教えました「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14章6節)死にも打ち勝たれた、命であるイエスより信頼できる道はないでしょう。だから「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」(同1節)
 ポウッカ・パイヴィ
  スオミ教会

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その13

社会福祉法人光の子会知的障害者通所授産施設 たにまち光舎

社会福祉法人 光の子会 理事長 たにまち光舎施設長  岩切雄太

社会福祉法人光の子会は、知的障害児通園施設「光の子学園」(るうてる2月号)、知的障害者通所授産施設「ひかり工芸舎」(るうてる3月号)、そして知的障害者通所授産施設「たにまち光舎」の経営を行っています。
 その歩みは、今から45年前、知的障がいをもつ子どもたちが安心して遊べるように、門司幼稚園の園庭を開放したことから始まります。その後、知的障がいをもつ子どもたち(青年、大人)が、生涯にわたって安心できる場所を作ろうと、保護者・教会員・地域の方々が協力して法人を設立し、光の子学園、ひかり工芸舎を開設しました。
 そして、1998年10月10日に、地域の在宅の知的障がい者の働く場所(安心できる場所)を作るために、「ひかり工芸舎たにまち分場(現「たにまち光舎」)」を開設し、現在に至っています。
 たにまち光舎では、現在、19歳から62歳までの20名の利用者が、毎日、さまざまな仕事をしています。また、ひかり工芸舎の利用者と一緒にクラブ活動などの余暇活動を楽しんでいます。泣いたり笑ったりいろんなことがありますが、それぞれが、たにまち光舎を自分の場所として大切にしています。だから、彼、彼女たちは、たにまち光舎を訪れるお客さんを、心から歓迎します。私は、彼、彼女たちと一緒にいると、そこにほっとできる自分だけの場所を見つけることができます。
 知的障がい者のコミュニティー「ラルシェ」の創始者ジャン・バニエは、次のように言っています。「誰かを愛するとは、その人のために何かを行いたいと望むことです。しかし何よりもまず、その人の素晴らしさ、そしてその人の価値を示すために、その人の前にいることです。愛するとは相手が自分の弱さに触れるのをよしとし、その人が私を愛せるよう相手に、空間を与えることです」。
 是非遊びにいらしてください。ここで、あなたのためにとっておかれた大切な場所を見つけることができるだろう、と思います。

ブラジルのイースター

カルナバル
 日本でもおなじみのカルナバルはローマカトリック教会の謝肉祭のことで、聖灰水曜日の直前に行われます。四旬節になるとキリストの十字架の苦しみをしのんで悔い改めの生活に入るために飲酒や肉食は控えられていたので、その直前に大騒ぎをしたというのが発端と言われています。ブラジル各地で行われますが、中でもリオデジャネイロは有名です。

四旬節・カレズマ
 カルナバルが終わるころになると、街の大きな木々は紫色の花をたくさんつけます。その名も「カレズマ」といい、「四旬節」という言葉と同じ名前の木なのです。 サンパウロの東洋人街の赤い提灯風の街灯と赤い橄欖のある大阪橋という和風情緒たっぷりの橋のあたりも、紫色で染められ、「四旬節」が来たことを告げ知らせています。教会の礼拝堂の中の典礼色も四旬節で紫色に変えられます。

パスコア(イースター)

 イースターは、「パスコア」と言われます。スーペルメルカド(スーパー)では通路に急ごしらえで柱と藤棚のようなものが作られます。そして、そこにたくさんのオウボ・デ・パスコア(イースター・エッグ)のチョコレートが鈴なりのように吊下げられます。色とりどりで、いろんな種類があって、おいしそうで、買い物をしながら皆見上げて、楽しそうです。いよいよ。イースターが近づいたことを知らせてくれるのです。
 パスコア前にこれを買い、パスコアの日に割っていただきます。包装紙やアルミホイルから出すと、おおきな卵の形をしたチョコレート。そしてそれを割ると、さらにチョコレートがいくつも入っているという形です。
 死から生命によみがえられたキリストをお祝いするパスコア。硬い石のような殻を割って、中からヒヨコが生まれてくる卵は、キリストの蘇りを象徴するものとして昔から使われてきました。ブラジルの教会でもこれを割って、食事会でみんなでいただきました。

ブラジル・日系ルーテルサンパウロ教会宣教師 徳弘浩隆

私の本棚から

戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友香、野中郁次郎 共著
『失敗の本質』1984年 ダイヤモンド社刊 

 
昭和20年8月の敗戦から今日まで、太平洋戦争をテーマとする類書は膨大な数が発行されているが、本書(昭和59年刊、現在65刷のロングセラー)もその中の一冊である。
 本書は、太平洋戦争が生起した原因は何であったのか、なぜ戦争に突入せざるを得なかったのか、といった点には言及していない。日本軍が戦った具体的な戦闘について詳細に調査し、日本軍の「戦い方」と「負け方」を分析した上で、日本軍には合理的組織にはなじまない特性があって、それが組織的な欠陥として現れた結果、太平洋戦争を失敗へ導いたと見ている。本書の副題に「日本軍の組織論的研究」とあるゆえんである。
 本書は、1939年のノモンハン事件と太平洋戦争のターニングポイントとなった五つの戦い(ミッドウエー海戦、ガダルカナルの戦い、インパール作戦、レイテ沖海戦、沖縄戦)をとりあげて、いずれも戦争を経験していない六人の若い研究者が、それぞれの戦いがなぜ失敗に終わったかを分析している。
 この六つの戦いは、時期も場所も、そして、その内容も異なるが、個々の戦いを分析した結果、その敗因には共通した要素があり、それが前述した日本軍の組織的な欠陥であると本書は結論付けている。
 欠陥の具体的な内容については詳しく言及されているが、紙幅の関係からその項目のみを以下に列記する。あいまいな戦略目的、短期決戦の戦略志向、主観的空気の支配、人的ネットワーク偏重の組織構造、学習の軽視、プロセスや動機を重視した評価等。
 では、日本軍の組織的な欠陥の根源は何であったのか、本書は、日本軍の組織は環境の変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革できなかったことだと本書は述べている。
 そして、本書が指摘する重要なポイントは、日本軍の組織的特性が、その欠陥も含めて戦後の日本の組織一般に継承されているということである。
 本書は、今後、日本が何らかの危機に直面した際に、組織の欠陥が再び表面化する危険があるとして、警鐘を鳴らしているのである。

むさしの教会 川上範夫

東日本大震災におけるルーテル教会の取り組み

日本福音ルーテル教会は、3月11日に発生した東日本大震災救援活動のために、東教区の要請を受け、14日に東日本大震災救援対策本部を、本教会に設置し、その活動を始めました。今回の震災はその規模、災害の大きさでも、これまでにない大震災となりました。震災直後の夜からドイツ・ブラウンシュバイク領邦教会ビショップ・ウェバー氏のメールにはじまり、次々と世界中のルーテル教会から安否を問うメールが届きました。ルーテル教会の世界ネットワーク、つながりの大きさを知らされました。
 その後、救援対策本部は、緊急支援のための物資調達、募金活動を開始しました。まず、緊急支援物資の米、味噌、インスタントラーメンを購入し、23日に第1回目の輸送プロジェクトが開始されました。その後28日、4月4日と続き、全国の教会から寄せられた物資を合わせて、4トントラック8台分が支援物資として送られていきました。
 今回の震災はJELCの救援活動だけでは規模が大きすぎるとの判断から、国際基準に添ったルーテル教会の災害救援援助とその実施のためにLWF(ルーテル世界連盟)から救援活動支援アドバイザーとして、マタイ氏の派遣を要請しました。そのために日本にある4ルーテル教会は緊急議長会をひらき、「ルーテル教会救援(JLER)」を設置しました。
 その後、日本福音ルーテル教会東日本大震災救援対策本部から4名の牧師が先遣隊として1週間、現地に派遣されました。仙台・鶴ケ谷教会を訪問し、藤井邦昭牧師と教会員、3つの保育園に、西教区に依頼して集められた救援物資をお届けすることが出来ました。
 先遣隊は仙台教会代議員の長島兄の案内で、東北学院、多賀城市、塩竃市、名取市、七ヶ浜町などの被災地を訪問、聖公会東北教区「救援対策本部」、日本基督教団支援センター「エマオ」、仙台YMCA、宮城県社協救援対策本部を訪問し、協力、協働について協議しました。4月11日からは、仙台教会に「ルーテル支援センターとなりびと」を開設し、全国からのボランティア受け入れをおこない、各被災地ボランティアセンターに派遣しています。聖公会東北教区には、鶴ケ谷教会の青年を派遣していることも大切な働きです。
 これらの働きはすべて「ブログとなりびと」http://lutheran-tonaribito.blogspot.com/にアップされ、毎日600以上のアクセスをいただいています。まだはじまったばかりの救援活動ですが、皆さまのお祈りをお願いします。

新任教師挨拶

恵みの手本として

小鹿教会・清水教会 浅野直樹

 みなさん、こんにちは。この4月から小鹿・清水両教会の牧師となった浅野です。復活の主は、大失敗をしたペトロの中に主に対する小さな愛を認めて『わたしの小羊を飼いなさい』と言われました。そして、私にも同じように語られたと思い、もう一度牧師として立つことを決意しました。パウロの言葉に「わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした」というのがあります。私は恵みの「手本」になれればいい。もう肩肘張らず、教会の方々にいっぱい助けられながら主に用いられていきたい、今はそう思っています。

創り主に信頼して

甲府教会・諏訪教会  市原悠史

こんにちは。この4月から甲府教会・諏訪教会で働かせていただくことになりました。まったく新しい環境の中で、まったく新しく出会う人々と歩んでいくことに、希望と共にやはり不安も抱えていました。自分はこれから、しっかりと立っていくことができるのだろうか、と。そのような思いを抱きながら迎えた朝、牧師館を出てみると、目の前に雄大な山々が朝の光に照らされて立っていました。あまりのスケールの大きさに圧倒されている時、歌いなれた讃美歌が頭の中で流れ始めました。「山辺に向かいて我目を上ぐ 助けはいずかたより来るか・・・」この山々を創られた神様が、教会の長い歴史を導いてこられた。この私も、きっと神様が助けてくださる。そう思うと、肩の力が抜けたような気がしました。召してくださった神様に堅く信頼して、働いてまいります。

11-04-15るうてる2011年4月号

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説教 [3・11をおぼえて]
誰がために鐘は鳴る

「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」
 ヘブライ人への手紙13章8節

 遠い昔、ある町の真ん中に高くそびえる教会の塔に大きな鐘があり、何でも、クリスマス・イブに良い捧げものがあったときに、神様が美しい音を鳴らして下さると言います。でも長い間誰もこの音を聴いた人がいません。
 この町から遠く離れた小さな村に住むペドロとアントニオという兄弟は、おじいさんからこの教会の鐘のことを聞いて、礼拝に出てみたくなりました。
 その年のクリスマス・イブがやって来ました。ペドロとアントニオは、どうしても教会に行きたくて、とうとうおじいさんに内緒で教会へ行くことにしました。その日は、雪が降るとても寒い日で、小遣いを貯めたお金を献金として持って、手をつないで一生懸命歩きました。辺りがうす暗くなってきた頃、二人が歩
いていると真っ白になった道の上に、ひとりの女の人が倒れていました。もう冷たくなっており、兄弟は必死で起しました。そのかいあって、おばさんは少し意識を取り戻しました。そこでペドロは、弟のアントニオに、おばさんを放っておくことは出来ないので、お前だけでも教会に行くように告げ、ポケットから献金の銀貨を取り出し、アントニオに握らせました。そして、二人の献金は、人に見られないように礼拝堂の聖壇に、さりげなく置くように告げました。弟は一人で町に向かって急いで歩きました。その後ろ姿を見ながら、あれほど楽しみにしていた教会に行けないことに、ペドロは涙を流していました。
 イブの礼拝はすばらしく、アントニオはびっくりして教会の中を見回しました。牧師の説教が終わり、献金や捧げものをするため大勢の人が聖壇の前に並び、あるお金持ちは高価な宝石やお金を捧げた人がいました。また、王様は冠を捧げました。でも、耳を澄ましても、風の音が聞こえるだけで、鐘の音は聞こえません。「今年も鐘は鳴らなかった。」誰もがそう思った瞬間、鐘の音が響いてきたのです。皆は一斉に聖壇を見やりました。そこには銀貨を捧げたアントニオが、呆然として立ち、上を見上げて鐘の音に聞き入っていたのでした。(Raymond M. Alden 作(Why the Chimes Rang
「奇跡の鐘」より)

 去る3月11日に起きた地震、津波による大惨事、いわゆる「東北関東大震災」により、亡くなられた方々に、心より哀悼の意を表しますと共に、ご遺族の上に主の慰めと平安を心よりお祈り申し上げます。また、被災者ならびに被災地域の方々のご健康と、一日も早く元の生活に戻ることが出来ますよう合わせてお祈り申し上げます。
 この度の大震災は、未曾有の出来事で、そのことは時々刻々テレビや新聞等をとおして連日報道されています.それを見るにつけ、自然に対する人間の無力さを感じるとともに、人間の歩んで来た道を再度思い起こされてなりません。
 今回の突然の大震災に、人は何が出来るのかと問い返すしかない私たちに、「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」という言葉を持って迫ってこられます。この言葉の背景には、人間的なものには限界や終わりがありますが、神には終わりがないことを告げておられます。
 先ほどの「奇跡の鐘」に登場する兄弟は、僅かな小遣いを貯めて捧げた献金でした。誰にも目立たないように祭壇に置いた献金、行き倒れの女性の介護ゆえに、教会の礼拝に出席できなかった兄、この兄弟のそれぞれの思いと働きは、どちらもご覧になる神様の目には喜びであり、彼らのために教会の鐘が高らかに鳴り響いたのでした。
 今、最愛の親子兄弟姉妹、親戚友人を亡くされた方、また家を失い、寒さに震えて暗い夜を過ごすことを余儀なくされて失意の直中に置かれ、明日の希望をも見出すことの出来ず、悲嘆と苦悩の直中に置かれている人々に、また私たちになお、「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方」として、間違いなく、明日への勇気と力、また大きな希望を供えて、ペドロとアントニオのために鐘が鳴り響いたように、「東北関東大震災」の被災者一人ひとりのために、またその救援活動を始めようとする私たちのために神の救いの鐘が鳴り響きます。共に、主と共に困難な道を勇気と希望を持って歩みましょう。
 私たちの背後には、世界中のキリスト者、ルーテル教会の一人ひとりのお祈りがあることを思い起こし、被災者の方々と共に救援に向けて歩んでまいりましょう。
主イエスの御苦しみをおぼえつつ。
 日本福音ルーテル教会 総会議長 渡邉純幸

ルターによせて

今四旬節のさなかにあって、私たちは主の受難を想う…。

荒野の茨とあざみに刻まれた主の苦しみの祈りの声が、狂熱の裁きと憤怒の大波にさらわれ、丘の上に投げられ、十字架の下に鎮まっている…。 
ここに私は立つ。そうするほかはない。神よ助けたまえ。

この祈りはルターの祈りだが、今大地震と大津波を目の当たりにした者の祈りでもある。
ルターは、チェコのヤン・フスが異端と断じられ、火刑に処せされたほぼ百年後、同じことを主張した。それを罰するため西欧最大の帝国の王がヴォルムス議会に彼を召し出し、その説を撤回しなければ、命が保証されないことが告げられた。一五二一年四月のことだ。ルターの「否」の声はたちまち彼を奈落の渦に引き込んだが、不思議にも、彼は命長らえて、やがて新しい世界を見晴るかす場所に立つ。

私達は知っている。世の人は生の中で死の力に引きずり込まれ、恐れおののくが、信ずる者は死の淵にあってなお主と共に生きることを。 

牧師の声 私の愛唱聖句

知多教会 神﨑 伸

「主の名を口にすまい/もうその名によって語るまい、と思っても/主の言葉は、わたしの心の中/骨の中に閉じ込められて/火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして/わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。」
エレミヤ書 20章9節

 19歳の頃、大貫隆先生との出会いにより、「聖書を体系的に学ぶ」素晴らしさと豊かさに目覚めたわたしは、更なる研鑽を熱望して学院大学・神学校へと進んだ。初めから牧師になろうと思っていたのではない。教会に育まれてきた者として、「信仰と学問」の統合への道を探りたかったのである。

 日夜、図書館の神学書をむさぼり読んだ。しかし学べば学ぶほど、自らの生き方との間に拭い難い分裂を感じ、悩んだ。「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。………それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです」(ロマ7・19~20)。パウロには到底及ばぬことを知りつつも、苦悶する日々を過ごし、それは今も続いている。

 しかし、たとえどれほど内在する罪の問題にのた打ち回ろうとも、一切の主権は神にあるのだ。神がその口に、その体内に、御言葉を”ねじ込んででも”神は御自身の意志を遂行してゆく。ただ、神の御心があるところに、御心のままに出来事が起こされ、貫徹されてゆく。このことを気づかせてくださった天王寺教会と真生幼稚園に、尽きぬ感謝を捧げます。

 牧師とされ、御言葉に聴き、向き合う過程で痛感する。説教は人間によってなされるけれども、この人間の言葉を通してしか、神の言葉は伝えられないということを。人間の破れ、覆われた肉の働きを通してこそ、神の力が、福音が宣言されてゆくのだということを。そう、”骨の髄(ずい)が叫び出す”ほどに。

 実におそろしく、ありえないことだが、エレミヤの告白は、この信実をわたしに伝えてくれた。

 自らが語ったように生き、生かされてゆきたい。

信徒の声 その場が求められる以上

大岡山教会 大和由祈 

 「住んでいるところがバラバラなのに、こうやって出逢えて仲良くなれるってすごいことだよね。」毎年夏に行われているルーテル子どもキャンプに参加していた小学5年生の女の子がふと口にした言葉です。
 私は幼い頃から大岡山教会に通い、中学生になってからは春の全国teensキャンプ、教区の夏のキャンプ、アメリカのワークキャンプなどに参加してきました。そこでは、神さまに共に祈ることの出来る友との出逢いがあり、私たちキャンパーを愛で包みこんでくれるスタッフの人たちとの出逢いがあり、そして神さまとの出逢いがあり、その中で私は、「教会は出逢いの場だ」と感じるようになりました。そのような自分にとって、自分がスタッフとして関わってきた小学5年生の女の子がこのような言葉を口にしたというのは、大きな喜びであり、また励ましとなったのです。
 私は4年間の学生生活の間、毎年夏休みと春休みには教会のキャンプにスタッフとして関わってきました。キャンプによっては半年以上も前から準備を始め、その道のりは長く険しく、時にはもう投げ出してしまいたいと思うこともありました。また、「この私たちの準備が、子どもたちに神さまの愛を伝えるためにきちんと用いられるのだろうか」というような不安を覚えることもありました。しかしながら、キャンプ当日のキャンパーたちの顔を見ていると、彼らも私がキャンパーだったころと同じように、この場での「かけがえのない出逢い」を求め、またその出逢いの中で喜びに満ちていくのが分かるのです。
 「若者が少ない」と言われる教会の中で、このように若者のための集まりを持ち続けることは決して容易なことではありません。しかしながら、私も含め教会に連なる子どもたちや若者たちがこのような場を求めていく以上、私もその場の一員として、その働きのために用いられたいと思うのです。

フィンランド教育事情

白い桜と翼

 桜の花びらの下を始業式や入学式に向かう生徒たち。その中で特に目にとまるのは、真新しい洋服や制服を着た新一年生と、ドキドキしている親たち。日本の四月は多くの人にとって大人への自立の長い旅の始まりの第一歩の時です。
 日本の学校と比べて、フィンランドの新学年は秋から始まります。1学年には2つの学期があり、秋学期が8月の中旬に始まって、クリスマスまで続きます。春学期は1月の第2週ごろに始まり、学校の1年は6月の初めごろまでには終わります。 日本とフィンランドは文化が異なりますが、どちらも教育を大事にする国です。親の心も同じです。子供が大きくなることは有難いことですが、心配もあることでしょう。学校に通い始めると、子供たちはだんだん家からも親の手からも離れていきますから。
 フィンランドで教師として働いていた時のいい思い出の一つは、祝福をしてもらうために教会に集まった新しい一年生です。子供は両親と新しい先生と牧師と共に、感謝を込めて祈りました。学校で一人もいじめられることがないように、いい友達できて、子供の長所と個性を活かしてくださる先生たちに出会えるように、などと願いました。
 私が、母から習った歌を思い出します。
 「わたしの子よ、学校に通っている時
 天の天使はあなたのそばにいる。
 白い翼で守ってあなたと共に歩んで行く。
 わたしの子、小さくか弱い子よ、
 天の天使たちはいつもあなたのために起きている。」
親の心配を祈りにかえて、子供たちを祝福しつつ学校に送ってみましょうか。
  Paivi Poukka
  ポウッカパイヴィ
     スオミ教会

「創立百周年を迎える九州学院」~百年の想い世代を超えて~

九州学院理事長 長岡立一郎

 今から100年前、1911年4月、熊本県熊本市飽託郡大江村に九州学院は開校した。当時、この一帯は桑畑が一面に広がる長閑な場所であった。
 学院開校のため尽力されたC.L.ブラウン博士はアメリカ南部一致ルーテル教会から派遣された第3番目の宣教師であり、最初、佐賀で伝道し、1900(明治33)年12月10日には熊本での伝道に着手することとなった。それは当時、九州の官公庁をはじめとし、都市の中心地であった熊本を拠点とすることが望ましいと考えられたからである。ことに日本伝道を推進していくためには先ず人材の育成、つまり教会を担う牧師の養成としての神学校の設立、そして若者の教育が重要であると考えたのである。学院開設より2年前の1909年、すでに熊本市新屋敷のスタイワルト先生が居住しておられた宣教師館を教室とし、福音路帖神学校が開校されていた。それに引き続き若者を育成すべく九州学院設立、その準備のためにブラウン先生は日々祈りを捧げ奔走し、アメリカ南部一致ルーテル教会と掛け合って多額の募金協力支援を得たのである。一万坪の土地購入のため一万三千六百ドル、さらに校舎、寮建設を含め総額五万4千ドルの資金調達を為したのである。これもブラウン先生をはじめとしる当時の宣教師たちの祈りと働きなしには実現しなかった。またこの祈りに応えて南部一致ルーテル教会の人々の心が動き、無から有を生み出す働きに手を差し伸べ、歴史の一頁を開いていくこととなった。
 最初の学院をスタートするためにブラウン先生にとってこの上なく幸運だったことは良きパートーナー、しかも教育者としてのリーダーを得たことであった。それについてはブラウン先生自身も報告書に記しておられるように「自分の人生において誇ることのできることは遠山参良先生という同労者を得ることができたことである」と。
 神のご計画はまことに不思議であるが、実に偉大である。自分のためでなく、人(他者)を助け、人を活かすための祈りとその働きは、最初、無であっても有あるものへと創造され、実を結ぶものだということを教えられる。学院開校とこれまでの道程は時に荊の道もあったであろうが、神による奇跡の連続であった。
 草創期から校訓として「敬天愛人」を掲げ、しかも初代院長・遠山先生が言い残された「自分で自分を監督し、役に立つ善人となれ」を教育目標にして青少年の育成に尽力し、今日まで取り組んできているのである。
 わが学院は長い間、アメリカルーテル教会、宣教師社団(後の日本福音ルーテル社団)さらに日本福音ルーテル教会の人的かつ経済支援を得て歩むことができたのである。
 開校時、122名(1クラス=30名の4クラス)の入学者でスタートした九州学院であるが今日では中学校348名、高校1,073名、幼稚園73名、総勢1,494名の生徒で構成されるまでになった。
 少子化の中で年々、生徒確保が厳しくなっている時代であるが、幸いに当学院は中高とも応募者が多く、確実に定員を確保できている。これも先達者が築いてきた伝統・遺産の賜物である。
 過ぐる10年間、中学校を強化し、環境整備もかなり整えてきた。その結果、中学校から他校の難関校を突破する卒業生を多く輩出するようになり、九中は難しいといわれるまでになっている。また高校においては文武両道の伝統を継承し、毎年、いくつものクラブ(10年度は、陸上・駅伝、剣道、水泳)が全国優勝を遂げ、熊本県のみならず全国区の私学伝統校として活躍している。
 創立百周年を迎える学院は十年来、中長期計画を建て、将来にも揺るがない盤石な財政基盤作りを目指し、取り組んでいる最中である。その改革の第一は、中高ともさらなる質的向上を図るべく教育力のアップを目指している。第二に、人事給与・施設整備検討委員会を立ち上げ、その改革を推進しているところである。
 最後に、百周年記念の諸事業、計画をご紹介して筆をおくこととしたい。
 まず先ず事業として、①百周年記念体育館の建設、②2号館リニューアル、③百年記念史の刊行、④歴史資料室設置、⑤九州学院ルーツを訪ねる旅(ノースカロライナ、サウスカロライナの諸教会を8月21~29日まで表敬訪問)、⑥記念礼拝(本年11月17日)、⑦記念式典と祝賀会(11月18日)、⑧招待試合の開催(6~9月)、その他。
 事業予算として、総額5億1千万円を設定し、事業計画を実施しようとしている。学院内外の募金は1億円を目標としている。
 キリスト教主義学校として、キリストにある全人教育の充実、推進のために全教職員ともども努力していく所存である。今後とも皆様方にご加祷いただけるなら幸いである。

2010年度集計表分析(総括) 日本福音ルーテル教会宣教室

皆様のご協力により2010年度集計表のデータがそろいましたので、宣教室ではこのデータを分析・総括してみました。
 
[まとめ]
●洗礼者総数  昨年(144名)よりも18名増加し、162名(教区別:北6、東65、東海28、西28、九州35)。
●教会員総数  21,938名であり、前年度比95名の減少である。
●全教会を合わせた年間平均礼拝出席(主日)
 総数は3,524名であり、一教会平均約30名となり、これは前年度の 32名を下回る。種別平均礼拝出席を見ると、1種教会(48)49名、
 2種教会(61)17名、3種教会(10)13名。
●全教会の収入
 減収傾向が顕著の動向を示している。その内訳を見ると、総収入は  4%減、基礎収入は5%減、礼拝献金2%減、維持献金は1%減、特別 献金は8%減といずれも減収。全教会の維持献金口数と平均献金額は、昨年度の総口数4,167、月別平均献金額 8,887円に対して、今年度 は全教会総口数が4,106、月別全国平均献金額は昨年よりも400円下がり、8,471円(東8,337円、東海9,313円、西8,175円、九州8,346円、北海道8,389円)であり、単年度の洗礼者の増加に見合った献金の増収結果は見られない傾向が継続している。

1.総会員数            
 2010年度の総会員数は、1971年との比較をすると、171%の増加を示している。現住会員は僅かの増加であり、101%にとどまっている。そのために、総会員数に対する現住会員の比率は、問題は年度を重ねるに従って、減少してきている。つまり、実質的活動的な教会員の割合は全体的に減少傾向にあると言える。さらに、注目すべきことに、別帳会員数が現住会員数を上回っている。この傾向は1970年代後半から顕著な現象である。
 2010度現在で分析すると、現住会員数との対比で、別帳会員が多い教会は、全国比率 では69教会(56%)である。その内訳を種別毎に見ると、1種教会では29教会(全体の60%)、2・3種教会では36教会(全体の50%)である。別帳会員数の占める割合が、年度毎に増加傾向にある。ということは、活動会員の全体に占める割合が少なくなってきていることは歴然たる結果になっていると言える。

2.受洗者数             
上記の統計表でも明らかなように、1970年代より、受洗者数の低落傾向は継続的に続いている。1971年度を100%とすると、2010年度は31%に下がっている。この長期低落傾向は、日本福音ルーテル教会だけに限ったことではない。右上表の教派別受洗者数を見れば分かるように、受洗者数の減少はいずれの教派においても歴然としている。1970年度を100%とすると、2009年度との対比はいずれも減少しており、日本基督教団が日本福音ルーテル教会とほぼ同じ27%であり、その他は聖公会が35%、カトリックが58%となっている。ただし、バプテスト連盟だけが185%と増加傾向を維持している。

3.教派別受洗者数                               
 日本福音ルーテル教会の洗礼の減少傾向にある遠因の一つは、教会数の減少にも求められる。以下の表は1970年以降の日本福音ルーテル教会の教会数の変遷である。1970年度を100%とした場合の2009年度との教会数は84%である。1970年中頃までは、開拓伝道的教会が数は少なくても新規で開始されていたが、1980年代に入ると財政的に伸び悩みもあり、過疎地の教会の閉鎖と統合が始まり、さらに1990年代以降は、複数共同牧会及び合同・連合の取り組みが教区の中で具体的に実施されたこともあり、教会数の減少傾向に影響していると判断できる。

4.教会種別受洗者数   
年間受洗者数が700を数えた1952年の日本福音ルーテル教会は合同前であり、教会数は45教会であるので、1教会15名の洗礼者が生まれたことになる。それが1967年には受洗者数がその前の年まで、600名台であったのが、500名に落ち込み、1970年代からは400名台になり、さらに1989年からは300名切り、100年事業以後の1995年でも、200名台に入り、229名を数えるようになった。

11-04-15るうてる福音版2011年4月号

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イースターを迎えます

 イースターがやってくると、いよいよ本当の春がやってきたように思います。新しい命の季節を迎えたような気持ちです。そしてイースターといえば「卵探し」です。復活祭の楽しいイベントになっています。私のところでは、教会前大通りにイースターエッグ(ゆで卵)を300個かくしておきます。復活祭礼拝のオルガン後奏が終わるとすぐに大通りに飛びだしていき、100人で卵探しをしています。最近では地域行事になったようで、気がついたら町内の人々も参加してくださっています。イエス様の復活を地域全体でお祝いするイベントになっており、お祭りのようです。
あるとき、黙想集「実る人生」に次のような文を見つけました。  「外面の静けさと内面のあらしといった対照的な状態がよくあるものです。重要なのは、どこにいるか、ではなく、なにを考えているか、ということです」  イエス様が死からよみがえられた復活の朝、弟子のペトロは婦人たちから知らせを聞き走って墓を見に出かけています。ペトロにとって、この知らせは内面のあらしではなかったかと思います。十字架の上で死んだイエス様が墓の中におられないのです。外面上は静かな時間が過ぎていました。イエス様は十字架の上で死なれたのです。この大きな出来事に打ちのめされていた弟子たちは失望と悲しみの中にいたのです。  ペトロは空っぽの墓をのぞいたとあります。そこには亜麻布しかありませんでした。このとき何をペトロは考えていたのでしょうか。大切なことは、この出来事を前にして何を考えたかということです。いったい何を教えられているのか。ペトロはそこでイエス様の「三日目に復活をする」という言葉を思い出したのです。イエス様のみ言葉のとおり、その出来事が確実におこったことを信じたのです。  復活は私たちに喜びをもたらします。私たちもまた同じように復活させてくださる希望を与えてくださったのです。これが、救いの完成なのです。
 
 良寛さんの詩に次のようなものがあります。  「花開くとき蝶来たり、蝶来るとき花開く」  あたりまえのことですが、あたりまえでないことってたくさんあります。花が開くときに蝶はやってくる。誰が教えたわけでもないのに。そしてまた、蝶が来るころになると花が開く。これまた誰が教えたことでもありません。この不思議さを見る目をどれくらいの人がもっているのでしょうか。この日常に感謝出来る人がどれくらいいるのでしょうか。

 東北関東大震災が起こりました。あたりまえの日常がいつ戻ってくるでしょうか。イエス様は復活していまここにおられます。その復活のイエス様が被災された方々、遺族の方々と共におられます。かならずあたりまえの日常がやってくると信じて歩みましょう。復活のイエス様は共におられます。(Y.T)

「オーバーアマガウ・キリスト受難劇」を鑑賞して

10年に一度南ドイツの小さな村オーバーアマガウ(人口5,000人)で行われる世界最大のキリスト受難劇「オーバーアマガウ・キリスト受難劇」。昨年7月、ルーテル教会のフィンランド旅行団の一行は、途中ドイツに立ち寄り、この歴史劇を鑑賞しました。1632年に近隣の街でペストの大流行のあと、この街までそれが及ばなかったことを感謝して1634年より始まりました。出演できるのはこの街の出身者か長年の住人に限られますが、10年に1度の祭りとあって、世界中から多くの観光客が押し寄せます。

昨年の7月8日金曜日、日本・フィンランド交換宣教ツアー参加者30名は、ツアーの大きな目的の一つであるオーバーアマガウ受難劇を観賞するため、南ドイツの小さな町にいました。小さな町は、10年に一度行われるこの受難劇を見るために世界中から集まってきた人々であふれていました。ディズニーランドのようなメインストリートを抜けると、5千人も入る大きな、素朴な劇場がありました。入場を待つ間にも、出演者と思われる村人や家畜などが近くを通っていきます。
 いよいよ劇の始まりです。
「万歳、万歳、ダビデの子!」「ホサナ、ホサナ、いと高き所に神の栄光が!」
イエス様のエルサレム入城場面で、舞台は出演者でいっぱいです。そのうちイエス様の神の子論争が始まります。しかし、出演者は同じような服装でドイツ語のセリフです。客席では事前に配られたドイツ語と英語のテキストを見て理解していきますが、残念なことに私にはよく分かりませんでした。
 2時間半の休憩をはさみ、6時間近い劇の中で、強く印象に残っているのは、始まりのエルサレム入城と十字架にかけられるイエス様の場面です。セリフの理解は十分できませんでしたが、いつか聖書の学びを通して、舞台の上で語られていたセリフ部分を日本語で埋め、改めてオーバーアマガウの受難劇を味わっていきたいものだと思っています。
   栄光教会会員 櫻井 隆

 南アルペンの人口5千人余りの小さな村オーバーアマガウで受難劇を鑑賞する機会に恵まれました。5年の準備をかけてノーメークで演じる生身の人の舞台はとても臨場感がありました。舞台の暗転の度に旧約聖書のお話がタブロー(活人形)でセットされます。それは圧巻でした。 村には木彫りの優れた技術があってイエスやマリアの姿を彫って売っています。その技術が生かされているそうです。10年に1度西暦の末尾が0の年に上演される受難劇のチケットは入手困難とささやかれていました。昨年は41回目でした。鑑賞できたことは幸運だったと感謝です。受難、十字架のイエス、イエスの叫び「エリ、エリ、レ
マ、サバクタニ」人間の罪の深さを改めて心に留めました。復活の場面がとても静かに思えました。その静けさがひっかかっていて立山先生にお伺いしました。日の出の前の黎明を思ってください。復活をその情況に重ねて見えないでしょうかと説いてくださいました。
 高山の夜明け前、暗く寒く静かです。東の山の端がかすかに紅をおびてくる、秒単位で濃く染まっていく黎明の数分を想い起しました。福音の恵みが湧いてくるようです。
 368年前、オーバーアマガウの村人はペストの終息を願って祈りました。今、急速に変化している自然界、世界情勢も不安定、身近でもウイルスや核の脅威と不安はいっぱいです。   主よ憐れんでください、主よ平和をお与えください、と祈ります。復活祭はもうすぐです。
 東京池袋教会会員 坂根耀子

いのち、はぐくむ(19)

「復活」

中井弘和 静岡大学名誉教授 農学博士

『イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように」と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしく私だ。・・・」』(ルカによる福音書24章26-39節)

 ウィーンでとある国際機関に勤務していた30年ほど前のことです。4月の初め、家族でスキー旅行から帰宅してみると、玄関前に美しく彩色された卵やチョコレートで一杯の花模様のバスケットが3個置かれていました。不審に思っているうちに、それらはアパートの大家さんから届けられた3人の子供たちへのイースターのお祝いだということが分かりました。山間のスキー場はなお吹雪に見舞われていましたが、山を降りると、野は草木が萌えやわらかな陽光に包まれていました。街はといえば厳冬を耐えて待ちわびた春の到来とともに迎えるイースターを祝う人々の喜びにあふれているようでした。
 イースターが当地ではクリスマス以上に熱狂的に祝福されていることに驚かされました。日本にいては、まして洗礼を受ける前の私には想像できないことでした。イエスが十字架の死から蘇り、その身体を弟子たちに現しながら、いのちは永遠であることを証した「復活」がなければキリスト教は存在しなかったといわれます。イースターが重要視されるのは当然のことでしょう。しかし、当時すでに聖書を紐解きながら、私は、圧倒的な力を持って迫ってくるこの奇跡の物語には戸惑うばかりでした。
 私が洗礼を受けたのはウィーンから帰国後しばらくしてのことです。「復活」すなわち永遠のいのちを信じる道を歩む選択をしたことになります。人の心に絶えず空洞が巣食うとしたら、それは死によって自らのいのちは途絶えるといったむしろ生物学的な死の概念に支配されることによるでしょうか。そんな空洞を満たしたい。私の選択の背景にはそのような希求があったのかもしれません。
 その後取り組み始めた稲の自然農法研究を通しても多くいのちのありようを学ぶことになります。自然農法で栽培される稲は、大冷害などの逆境にあっても、変動する環境によく適応しその生命を全うしていきます。自然に寄り添えば、いのちは本来の生きる力を取り戻す一つの例でしょう。人や動植物を含めこの自然に存在するあらゆるものは互いに繋がりあっていのちをめぐらせている。そのいのちは神の息、という聖書の示唆も今は理解できるようになりました。
 イエスの復活に遭遇したとき、絶望感で心を硬く閉ざし身を潜めていた弟子たちは、驚愕し戸惑いを隠せません。しかし、やがてその心は大きく開かれ春の光に包まれるエルサレムの地を躍動し、歓喜に震えながら、広い世界に向かってイエス復活の証しの旅に立ち上がって行きます。
 今、私たちはイースターの緑萌える空気の中に、大きな時間の流れを超えて、あの弟子たちの心の震えを感じ取ることはできないでしょうか。それは、何よりも私たち自身が、いかなる困難にも耐えて生き抜き、そして、いのちの復活を果たすことができるというゆるぎない希望を伝えているはずです。

ウクライナのイースター・エッグ
Ukrainian Easter Eggs

私はカナダ在住の折にウクライナからの移民の女性から美しいイースター・エッグを教えていただきました。ウクライナのイースター・エッグで良く知られているのはクラシャンカ(Krashanka)とピサンカ(Pysanka)です。クラシャンカは「色」を意味するクラスカ(kraska)という言葉に由来し、鮮やかな単色で染められた卵です。ピサンカは「描く」を意味するピサティ(pysaty)という言葉に由来し、卵の上にデザインが描かれ様々な色に染められます。卵は復活祭に教会で祝福してもらい、友人と交換したり子どもたちや家族、恋人に贈ったりします。                 ピサンカの色や描かれるモチーフには意味が込められます。たとえば卵の周りをぐるっと囲む線は永遠、魚はクリスチャン、葡萄は豊かな収穫を表します。ピサンカは主に女性たちの手仕事です。冬の夜子どもたちが寝静まった後、女性たちは時には歌を歌いながら祈りを込めて模様を描いてゆきます。卵を作る日は噂話や争いごとをさけ、家族にはやさしく、母親はおいしい料理を作るなど心の清浄が前提とされるようです。
ピサンカはろうけつ染めの重ね染めの要領で絵を描いてゆきます。キストカという金属の小さな漏斗がついた筆記用具を使い、ろうそくの火で溶かした蜜ロウをペン先につけて白い卵の上に絵を描いてゆきます。まず、白く出したい模様をロウで描き、次に黄色の染料に浸け卵が黄色に染まったら黄色に残したい所を描き、同様にオレンジ、赤と描き重ねてゆき最後に黒に染めます。黒く染まったタマゴをろうそくの炎の横に近づけ、ロウがとけてきたらティッシュでまめにふき取ってゆきます。真っ黒な卵からロウをふき取るたびにあざやかな色とモチーフが顔を出し、闇から光を見出すようです。ウクライナのイースター・エッグ作りは心ときめく手仕事です。
和田雪香(小鹿教会)

11-03-15るうてる2011年3月号

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説教 暗闇の世にこそ光が!

「この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。」 ヨハネの黙示録21章23節

1968年4月に、日本福音ルーテル教会牧師の道を歩み始め43年、満70歳の定年を迎えようとしています。西教区防府教会から始まり、徳山・柳井・益田・三原・東海教区の名古屋・知多・挙母・希望・復活・小鹿・清水と12教会で仕える光栄に浴してきました。この間、福山・岡崎・栄光教会を兼任した時期も与えられました。
 43年の伝道・牧会の始まりと終わりに、忘れられない葬儀をいたしました。
 防府教会に副牧師として赴任したとき、既に入院中の若い兄弟がおられました。長崎の病院で前立腺がんを手術後、防府に帰り治療されていました 。 益田出身の奥様と、まだ2歳の幼児がおられました。こんなに若くして、しかも幼な子を残して、神様は召される、なんと悲しい現実だろうかと、慰めのことばもさし上げられませんでした。牧師になって初めての葬儀でした。当時は新卒牧師は5月末の赴任で、2ヶ月足らずの病院での交わりでした。この兄弟は、癌に倒れ妻子を残して召される悲しみの中で、明確な信仰の証しを
され、新任牧師の私に大きな教えを与えてくださいました。
 小鹿教会での任を終えようとしている、この1月に85歳の姉妹が召されました。
 人生最晩年の3年余を、病院生活に明け暮れましたので、お見舞いでの交わりの方が多かったように思います。物書きが大好きで、外出される時には、ペンとノートをお持ちになり、よくメモされていたそうです。14年前の97年に書き溜めたエッセーをまとめて「風の路」という随筆集を自費出版されました。病床のテーブルに置かれていましたので、お見舞いのたびに読ませていただき、その日の体調次第では、耳元で1篇を大きな声で読んでさしあげました。四季折々の42篇の随筆を編集していますが、すべての稿が聖句または、讃美歌の言葉で結ばれています。
 その1篇の「遺言」の中に、臨終に際して「マタイ受難曲」「ハレルヤコーラス」に囲まれて人生の終焉を迎えられるなら幸いという言葉があります。ご長男のご希望でもありました。オルガニストの姉妹が、前夜式の前奏曲としてバッハの「マタイ受難曲」からの1曲を選んでおいてくださったのは何という導きであったろうかと感謝いたしました。葬儀後の「出棺」に際して、ヘンデルの「メサイア」から「ハレルヤコーラス」をCDで流しつつ教会から天国への道を送りだしました。牧師生活の葬儀で初めてのことでした。葬儀には悲しみが常なのですが、この姉妹の場合には、死を滅ぼし、復活され勝利し給うた救い主イエス様への深い信仰がにじみ出て、実に明るいお別れになり感謝と希望の思いで一杯になりました。

 現役牧師最後の小鹿・清水2教会での「聖書に聴き祈る会」のテキストは「ヨハネ黙示録」とさせていただき、2年がかりで読み終えようとしています。21章9節から22章5節に「新しいエルサレム」が描かれています。私たちの歴史の最後に神さまが実現される完全な救いが証しされています。
 昼を照らす太陽の光も、暗い夜を照らす月の光ももはや必要ない時が来ます。神ご自身と救い主イエス様が光であり給うのですから、造られた物の光は不要なのです。
 人生は罪と恥に満たされていますが、それをご存知であり、共に担ってくださる救い主イエス様がいてくださいます。どんな深い絶望の淵に立たされようとも、希望を打ち砕く大きな試練のさなかにあろうとも、主が共にいてくださるので安心できます。
 「神は私たちの目の涙をことごとくぬぐいとってくださる」(黙示録21章4節)のです。 感謝と喜びをもって信仰の歩みを続けましょう!
 小鹿・清水教会牧師 明比輝代彦

風の道具箱

泣きなさい、笑いなさい

 「ものづくりのヒント」という本を読みました。私の人生テーマは「発想の転換」です。そこで、この種類の本には敏感になってしまうのです。
 今回の発想の転換は「難しい」の反対語は何か?ということです。すぐに「簡単」という言葉が頭にうかびました。しかし本当にそうかということです。私たちの身の回りには、たくさんの機械があります。携帯電話ひとつにしても操作が「難しい」のです。最近「操作が簡単になりました」という宣伝をみました。ところが、操作が簡単になったのではなく、使い道の選択肢が少なくなっただけでした。「難しい」が「簡単」になったのはいいですが、サービスが落ちるというのはやっぱり疑問に感じます。
 それじゃ「難しい」の反対は何でしょうか。きっと「難しくない」です。携帯電話もやたらと軽くなりますが、「重い」の反対は「軽い」ではなく、「重くない」つまり「ちょうどよい」なのです。ですから「小さい」の反対は「大きい」ではなく「小さくない」と考えてみたらどうでしょうか。  信仰も同じだと思います。「信じている」の反対は「信じない」ではなく、「まだ信じていない」ということです。「信じない」からではなく「まだ信じてない」からアプローチをするのが宣教方策の課題だと思います。
 泣きなさい。笑いなさい。どちらもイエス様との出会いで起こる同じことのように思います。風の道具箱は今回で終了します。今度はいつ風は吹いてくるのでしょうか。

引退牧師の声

「別の道」への旅支度

稔台教会  栗原 茂

「ところが『ヘロデのところへ帰るな』と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。」マタイによる福音書2・12

 学者たちは”夢”を見て当初の予定を変更しました。当時の人々は、神のお告げは”夢”を通して示されると考えていたからです。しかし学者達はそろって皆同じ夢をみたのでしょうか。これはやや出来すぎた話のようにも思われます。そこでこんな仮説を立ててみます。夢を見たのは実は学者の中の一人ではなかったのかと。  
 すると、その”夢”が一つの結論に至るためには、相当激しい議論のプロセスがあったのではないかと思われます。彼らは年齢だけでなく、国籍、人種、文化、宗教、言語、そして世界と歴史を分析する価値観も異なっていたからです。
 そんな彼らが、一致して外交上の緊張を高める、もう一つの「別の道」を選択しました。私は感動を覚えます。なぜなら、白熱の議論の末に”勇気と英知”を集めた”時代を先取りする”姿、言いかえれば福音に生かされる者のあるべき姿を、そこに見るからです。
 ひるがえって、日本福音ルーテル教会の学者たちは、どのような議論をしているのでしょうか。宣教百年JELCはパワーミッション21というスローガンを掲げましたが、その成果はどうだったのでしょうか。東教区では”激論�””激論�”という企画がありました。そこで講師を務めた橋爪大三郎氏(専門・宗教社会学)は、ルーテル教会の現状を、売り上げの落ち込んだレストランのチェーン店に似ていると例えられました。お客さんが集まらず経営も苦しいのはメニューがまずいか、時代とずれている。何も手を打たなければ、このままじり貧で、閉店が相次ぐかもしれないと。こういうのを”図星”だと言っていいと思います。 
 私は定年でこの3月で引退です。復職後の6年間はあっという間でした。ブライダル専従の牧師時代を除くと按手後43年間のうち33年を日本福音ルーテル教会に奉職させて頂いたことになります。感謝の気持ちで一杯です。お世話になりました。
 最後に全国の信徒の皆様への問いかけを残したいと思います。教会は新しい”別の道”を選択するにあたって白熱した十分な論議と分析を加えた末に、その道のりを選択していますか。国家プロジェクトでは当時のヘロデ政権にあまりにも酷似した日本の歴史的な状況を見るときに、全国の読者たちの教会には、優れて勇気と英知に満ちた“別の道”に向かう白熱した議論とそれにふさわしい旅支度とを心から強く望みたいと思います。  
シャローム!

「にも拘らず」

 
札幌教会 重富克彦

1969年11月に、別府教会で按手を受けて41年と半年、日本福音ルーテル教会の牧師を務め、この3月現役を引退することになりました。定年許容ぎりぎりには一年早く定年退職です。生涯一度も、ぎりぎり一杯まで無理したことのないこの身、この度も若干の余力を残して引退させていただきます。
 11月に按手というのは奇妙ですが、1969年の神学校卒業生の中で9人だけは、教師試験をボイコットし、「九氏宣言」を出し、全国の教会を訪ね、教会のあり方についての討論を展開していたのです。そうしながら稔台の町工場で、アルバイトをして食いつないでいました。
 仲間の中には、何人か途中で辞めた者もいますが、反乱の筆頭株だったわたしが、41年と半年、この職務を曲りなりにも全うできたのは、奇跡だったと、しみじみ思います。
 キリストから戴いたこの職務は、わたしには尊い天職であり、天命であったと思っています。けれども、この仕事に疑いなく向いていたかと言えば、未だにそう言いきれないものがあることは否めません。どこか体に合わない洋服を着ているような気分を払拭することが出来なかったのです。新婚で初任地の別府に赴任してから、はらはらしながらもずっと信じて就いてきてくれた妻を14年前天に送りましたが、随分無理をさせていたのではないかと、思い出す度に忸怩たる思いに捕えられます。
 けれども、「わたしの恵みはあなたに対して十分である」という言葉は真実でした。わたしの現役生活に貫かれていた奇跡は「にも拘らず」というこの一事に尽きます。「にも拘らず、あなたはわたしのもの、わたしの僕」として、用い続けてきてくださったのです。主は、この「にも拘らず」によって、今からも、命ある限りわたしを支えてくださるでしょう。

園長日記 毎日あくしゅ

卒園 ―神さまに感謝して―

                    
 三月の声を聞くと、園舎のまわりは雪が残っていますが、窓から差し込む日差しは、日ごとに春を感じるようになってきます。
 一年間の幼稚園生活の最後の月になりました。
一人ひとりが精いっぱい遊び、十分満足することができるように、一日一日を大切に過ごしています。
 めばえ幼稚園では、卒園式で「おおきい木」(まどみちお作詞)を歌い続けています。

“ちいさい種から
    芽をだして 
 こんなに おおきく なったのか
 おおきい木 
  おおきい木 
   おおきい木
 じゅうにんで
  かかえても 
 まだてがとどかない とどかない”

 入園当初の、あどけない顔を思い出すと、神さまに守られて仲間と共に心も体も成長したことを感じ、一人ひとりの顔が自信につながり、輝いて見えます。
 3月16日には、第75回卒園式を迎えます。
 卒園児も四千六百人ほどになりました。その中には、親・子・孫や親・子で卒園した家庭もあります。また全国から音信を聞くことができるのは喜びであり、感謝です。
 幼い日に出会った神さまは、どんな時にも共にいてくださり、支えてくださることを信じて歩んでいくことを心より祈っています。
 めばえ幼稚園 園長 梅原裕子

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その12

社会福祉法人光の子会
重度知的障害者通所授産施設ひかり工芸舎

施設長 吉 村 久 子

 どんなに重い障がいがあっても、『働きたい』という気持ちはみんなと同じ。どんなに重い障がいがあっても、決して特別ではないこの子供たちのために、住まいのあるこの門司で『働ける場』を作って欲しい・・という親たちの心からの叫びが行政を動かし、昭和51年9月1日、北九州市内で初めて、重度知的障害者通所授産施設として“北九州市立ひかり工芸舎”が誕生しました。・・・それから35年、今日も「おはよう!」「げんきぃ?」と、みんなの元気な声で工芸舎の一日が始まります。
 ここは働く場です。箱を折る、紙を貼る、袋に詰める、粘土を丸める、ビーズを通す、缶を潰す、紙パックをちぎる、お菓子を作る、など、たくさんの仕事があります。みんな〈自分の仕事場〉で〈自分の仕事〉をしています。仕事はいろいろですが、みんな一人ひとりが人の役に立ち、必要とされて働いてる・・とても大切なことです。35年前の願いが、今もこうしてこの場所で叶えられているのですね。今年70歳になる最年長の女性は「まだまだ働きますよ、当たり前!」と、いつも笑顔で35年間通っています。
 同じように趣味の時間も大切にしています。昨年は、北海道2泊3日・別府湯布院1泊2日・別府日帰りの3コースに分かれて旅行に行きました。「飛行機に乗って北海道!」「別府のおおきな温泉!」「どこがいいかなぁ迷うなぁ」と、行く前から大騒ぎでしたね。
 毎月1回行なうクラブ活動は、音楽・花茶・乗車・パソコン・調理工作・アウトドアスポーツの6種類から選択。中でも珍しいのは”乗車”で、その名のとおり乗り物に乗る!クラブなのです。バス、電車、モノレール、ロープウェイ、観覧車(これも立派な乗り物です)などなど、乗り物好き(外出好きでもある)が集まった活動です。
 仕事を頑張って、趣味も楽しんで、こうして今日も「さようなら」「バイバ~ィ」と、工芸舎の一日が終わります・・・そして「また、あしたねっ!!」
〒800-0005北九州市門司区羽山2-12-67
Tel.093-391-8677

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)
福音宣教の前進を願って~P2の取り組み~

P2委員長  齋藤末理子

「証しし、奉仕する信徒になろう!宣教の担い手である信徒になろう!」の合言葉で進んできたP2委員会の働きもいよいよ終盤に入りました。これまでのご協力とお支えを感謝いたします。「LAOS講座」や「信徒宣言21」に示されてきた信徒論・教会論が私達の内で豊かに実を結び、福音宣教の働きがさらに前進するよう願っています。
 後半期には、特に高齢者伝道に目標を定め取り組みを行いました。急速に進む高齢化社会のただ中に生きる教会として、私たちの果たすべき働きを見定め、具体的に行動することが大切です。昨年は全教会にアンケート調査を実施し、現場の教会から多くの声を寄せていただきました。委員会ではその結果を分析し、現在教会が直面している課題やそれぞれの現場で取り組んでいる活動・アイデアなどをまとめる作業に入っています。また、これまで医療、福祉、死と葬儀をめぐる問題、教会生活、教会堂バリアフリーへの取り組みなど各専門家に執筆していただいたものをこの欄で紹介し、分かち合ってきました。
 今後P2委員会では、これらの内容を一冊のブックレットにまとめてお届けする予定です。私達を取り巻く高齢者社会の現状を正しく理解すると共に聖書から老い・病・死の意味を深く知りたいと思っています。
 このブックレットでは一部にその事柄を取り上げ、さらに二部には教会が果たす役割をハード、ソフトの両面から可能な限り具体的に提示したいと考えます。ぜひご期待ください。そして大いに活用してください。
 これを通して宣教を担う教職・信徒の働きがますます豊かになるよう願っています。

私の本棚から

J.K.ガルブレイス著 「不確実性の時代」都留重人監訳

 この本は経済学に関するものである。しかし、専門家ではなく、一般の読者を対象に書かれているので、比較的読み易いものになっている。
 著者のガルブレイスはハーバード大学教授でアメリカ経済学会会長を歴任のほか、国防省の経済顧問、インド大使などを務め、豊富な経験を持つ。2006年没。
本書は1976年に発刊、2年後には邦訳され、日本でもベストセラーになった。さて本書の内容であるが、何しろ500ページ近い大著であり、これを要約するのは難しいが、私なりに三点にしぼってまとめてみた。
 第一は、過去200年間の著名な経済学者、アダム・スミス、マルクス、ケインズ等の経済理論とその哲学思想、そして、これらの経済理論が実社会を動かした実績に論及していることである。第二は、貨幣についてその歴史的盛衰をつぶさに説明、長年にわたり貨幣は生活の安定の柱であったが、20世紀以降、貨幣は不確実性の要因になったと説いている。
 第三は、巨大法人企業の出現である。これは我々の生活を形作り、政府をも誘導する力を持ってきた。しかも、この法人企業を統御するすべはなく、その上、この経営責任は不明のまま肥大化していく、この巨大法人企業が現代の不確実性の主要な源泉だと著者は言う。
 さて、第一にあげた著名な経済学者の理論についてもう一度考えてみよう。著者の言によれば、かつてのアダム・スミスの「見えざる手」、マルクスの「資本主義崩壊論」のような、人々に確信を与える理念は今や存在していない。そして、これこそが「不確実性の時代」の本質だと著者は言っている。
 さて、この本が世に出されてから30余年が過ぎ、この間に世界は激変した。しかし、現在も本書が提起した問題点は変わることがない。そして、21世紀は不確実性のさらに深まる時代になったのである。私どもは今、この時にこそ、もう一度ガルブレイスの言葉に耳を傾けることが大切だと思う。
 武蔵野教会 川上範夫 

日本福音ルーテル教会 2011年度人事 (*敬称略)

 
提案者 人事委員会

■定年引退
(2011年3月31日付)
・明比輝代彦
・栗原 茂
・重富克彦

■新任
(2011年4月1日付)
(一般任用)
・浅野直樹(新任) 
 清水・小鹿教会(東海 教区)
 指導牧師:藤井邦夫
・市原悠史(新任) 
 甲府・諏訪教会(東教区) 指導牧師:大柴譲治

■人事異動
(2011年4月1日付)
【北海道特別教区】
・日笠山吉之 
 札幌教会主任
・岡田 薫   
 恵み野教会主任(兼務)
【東教区】
・内藤新吾   
 稔台教会主任
【東海教区】
・三浦知夫   
 浜名教会主任(兼務)
・田中博二   
 掛川・菊川教会主任(兼務)
・藤井邦夫   
 富士教会主任(兼務)
【西教区】
・沼崎 勇   
釜ヶ崎活動(兼務・責任者)
・永吉秀人   
 豊中教会主任(兼務)
・山田浩己   
 広島教会主任
 松山教会主任(兼務)
・佐々木赫子  
 宇部教会・下関教会・ 厚狭教会
・光延 博   
 シオン教会
【九州教区】
・木下 理   
 宮崎教会主任
・西川晶子   
 室園教会主任
・後藤直紀   
 合志教会主任・(荒尾 教会兼務)
 嘱託から一般任用へ変更
・濱田道明   
日田・甘木教会主任(兼務)

【在任21年延長(教職転任制度運営要綱第6条2)】
・松木 傑   
 聖パウロ教会主任
・市原正幸   
 西宮教会主任

■その他
●アメリカ留学(2011年9月1日より2年)
・後藤由起   
 本教会付

●宣教師
(2010年9月1日付)
・ヨシムラ・ヒロアキ& パイビ  
 東教区・神奈川東共同体

●J3プログラム
・Streed, Ms. Allyson(J3) スツリード・アリソン
 九州ルーテル学院
・Bedford, Ms. Allyson(J3)  ベフォード・アリソン 九州ルーテル学院
・Eige, Ms. Christine(J3)   アイグ・クリスティーネ 九州学院

●嘱託任用
(2011年4月1日付)
・鷲見達也  
 板橋教会 
 主任:立山忠浩(兼)
 一般から嘱託任用へ変更
・秋山 仁  
 小倉教会・直方教会  主任:岩切雄太(兼)
 一般から嘱託任用へ変更

●牧会委嘱
(2011年4月1日付)
・重富克彦  
 恵み野教会(新)
・藤井 浩  
 沼津教会(更新)
・明比輝代彦 
 富士教会(新)
・横田弘行  
 掛川・菊川教会(新)
・戸田 裕  
 復活教会(更新)
・重野信之  
 刈谷教会(更新)
・Aエリス  
 甲佐教会(更新)

●牧会委嘱終了
・中村圭助  
 甲府教会・諏訪教会
・山本 裕  
 浜名教会
・森 勉   
 広島教会
・松隈貞雄  
 宇部教会
・早川顕一  
 聖ペテロ教会

●休職
・汲田真帆  
 2010年9月~
・宮澤真理子 
 2011年4月~

石原寛先生を偲んで

ルーテル学院大学学長 市川一宏

 石原寛先生は、1990年に理事長にご就任になられ、以来、今日にいたるまで、ルーテル学院をお支え下さいました。
 この20年は、ルーテル学院にとって大きな変革の時でした。ブラウンホール、トリニティホールの建設、食堂、図書館の増築、神学生寮や学生厚生施設等のあるルターホールの増改築等のハード面、教育体制や教育プログラム・学生支援プログラムの充実等、いくつもの課題を乗り越えてきました。ルーテルのキリスト教教育を基盤に、困難に直面している人々の存在を支え、キリストの愛を届け、さらに生活を支援し、心の痛みを癒す人材を育てるという夢を実現しようと、理事・評議員、教職員、後援会、教会の方々が努力しました。しかし、困難に直面し、私たちが揺らいだ時に、理事長である先生からお励ましいただき、担当者と共に文部科学省と交渉し、夢を実現して下さいました。先生は大きな柱であり、私たちと常に共に歩んで下さった方でした。
 その先生が、2010年10月26日に天に召されましたことは、私たちルーテル学院に関わる者にとっても、大きな悲しみであります。なぜなら、私たちは先生から、いつも3つのものをいただいていたからです。
 第1は、元気です。私たちは、未来を描き、様々な改革を目指してきましたが、人材や資金の確保、文科省への手続きの行き詰まり、法律問題等に直面しましたが、先生は先頭に立って皆を励まし、元気を与えて下さいました。
 第2にやる気です。目に見える、足下ばかり見てしまう私たちは、時として蛇行します。その時、先生は将来にむかって目を上げて歩むことを教えて下さいました。先生はピカソが言った、「もっとも傑作は、ネックストワン」という姿勢を貫かれました。だから、私たちはぶれませんでした。
 第3は勇気です。先生は熱心なクリスチャンで、神の愛と希望を私たちに運んで下さいました。神の導きを覚え、私たちは、いかなる困難に直面しようとも揺るがぬ勇気を与えられました。共に学院を支えてくださる京子姉、先生を送り出してくださいました日本福音ルーテル市ヶ谷教会の方々に、心より感謝いたします。
 そして、2011年1月11日、新理事長として、前神戸女学院院長・理事長であられた松澤員子先生が選出されましたこと、感謝をもってご報告させていただきます。

ルーテル社会福祉協会高齢福祉部 キリスト教理念管理職研修のお知らせ

1月20日、袋井市のデンマーク牧場福祉会において、今後のキリスト教社会福祉施設の管理職への理念継承の問題について関係者で話し合い、以下の通り研修会を開催する運びとなりました。

日時:2011年6月19日(日)~6月21日(火)
場所:静岡県浜松市近郊の研修センター
事務:白川氏(0538-23-0380)
法人の参加人数:3~4名までの限定(次世代の管理者・幹部候補生)+スタッフ管理者1名
プログラム
①参加者による各法人の歴史と理念の発表会
②管理者としてのキリスト教理念に対する率直な思いの分かち合い(小グループ)
③各グループの分かち合い
④理念の背景としての教会の情熱(白川氏)
⑤ケーススタディ―長谷川保の場合(山本誠教授聖隷クリストファー大学)
⑥スタッフ管理者の理念にかける情熱と証(高橋氏、石倉氏)
⑦学びを終えて管理者として理念をどう表現していくかについて各自発表

創作讃美歌募集要項の記事について「補足説明」

 前号の掲載記事に「ァ諸行事その他」の項目として「マイノリティの者への歌」という表記をいたしました。説明を補足しますと、「少数の立場の方であっても具体的に讃美歌に取り上げられてこなかった方々を視野に入れて一緒に賛美する歌、つまり、共に賛美する歌、あるいはその方々を覚えて祈りや願いとともに賛美する歌」となります。決して差別的に表記したものではありません。言葉が足りなかったことをお詫びします。教会の勤めを思う時に、讃美歌を用いて福音を全ての人に届けることも一つの方法と考えて、いままで言葉にして讃美歌に含まなかった方々を具体的に覚えたいという趣旨です。そのような視点からも、歌をお寄せいただければと願うものであります。
教会讃美歌委員会委員長      日笠山吉之

11-02-15るうてる2011年2月号

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説教 イエス様の洗礼

「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。」 
コリントの信徒への手紙一 五章十七節

イエス様は洗礼者ヨハネから洗礼を受けました。これを契機に、イエス様は家を出て、救い主、キリストとしての活動を始めます。「公生涯」、公の生涯のスタートです。わたしたちの洗礼も、神様の子ども、神様のものとしての人生の新たな始まり、スタートです。

 洗礼者ヨハネは、「最後の預言者」とも言われていました。預言者として彼は、神の審判を説き、ヨルダン川で悔い改めに導く洗礼を授けていたのです。そして、人々は罪を告白して洗礼を受けました。
 新約聖書の「罪」という言葉には「的はずれ」と言う意味があります。神様と人との関係、絆が崩れて、ボタンの掛け違いが起こり、すべてがずれてしまっている状態、何とも居心地の悪い状態のことです。そこで、ヨハネは、神様と人との関係を修復し、正しい関係にするために、人間に悔い改めを迫り、洗礼を授けていたのです。
 洗礼を受ける人たちの中に、罪無きキリストであるイエス様がいます。イエス様は、罪人であるわたしたちの仲間になってくださったのです。イエス様は、「お前たちとは違う」、「一緒にされてはこまる」とは言われないのです。そこに、人間に対するイエス様の愛があります。

 洗礼は、イエス様の十字架の死と復活を体験した使徒たち以来、キリスト教会の働きの一つとなり、今日の教会にも引き継がれています。教会で、わたしたちが授けられる洗礼はキリストの名による洗礼です。それはキリストの中への洗礼です。つまり、キリストと一体となるのです。それはキリストの死にも与ることで、古い自分に死ぬのです。洗礼においてわたしたちは死にます。キリストと共に復活して、新しい命に生き始めるために。
 洗礼を受けているということは、キリストに結ばれているということです。キリストに結ばれること、これは人生における決定的なことです。パウロが「誰でもキリストに結ばれるならば、新しく創造されたものです」と言っていますが、洗礼は、わたしたちの人生の新しい創造です。新しい創造は死を経て実現します。洗礼によって、キリストの死に与り、キリストと共に葬られて、罪に死ぬのです。そして、キリストの義に与り、キリストに結ばれて、キリストと共に、新しい命に生き始めます。新しい創造、新しい人生のスタートとしての洗礼です。
 洗礼には、必ず水が用いられます。水は死と結びついています。水に漬けられては人間は生きていくことはできません。洗礼の水は、キリストと共に死ぬことを象徴しています。死んだ者は罪から解放されています。水は死を意味しますが、同時に、水がなければ命は維持できません。「命の水」と言われたりもしますが、命に水は欠かせません。
 生命は海から誕生したと言われますが、命と水は切っても切れない関係です。洗礼から離れては新しい命を生き続けることはできません。キリストの名による洗礼によって、まことの命の水であるキリストに結ばれて生きる生活が始まります。それは、本当に生きるということ、わたしがわたしとして、わたしらしく生きることです。

 それは苦労のない人生と言うことではありません。洗礼を受けても苦労は無くなりません。洗礼を受けて病気が治ることもあるかもしれませんが、治らないことも多いのです。しかし、その意味が違ってきます。使徒パウロは言います。「キリストに結ばれているならば、自分たちの苦労、苦しみは決して無駄にはならない」と。キリストと結ばれるなら、どんなに苦労することがあっても、そのどれ一つも無駄ではないのです。キリストに結ばれて生きるとは、そういう意味で実に決定的なことなのです。洗礼を受け、キリストに結ばれることで、人生のすべてが、根本から変わるのです。
小石川教会牧師 徳野昌博

風の道具箱

春さがし

 初恋の思い出です。あるとき好きだった女の子が、「私、フリージアの花が大好き」というのを小耳にはさみました。ところが、その子がいきなり転校することになりました。なんとか初恋の思いを伝えようと、フリージアを贈ることにしたのです。  
 その頃、花と言えば桜とチューリップしかわからない私でしたから大変。フリージアの花はどんなものか、植物図鑑から国語辞典、英語辞典まで調べました。何とかわかったのは、原産地はどこで何科の植物ということだけでした。フリージアが日本に、しかも田舎にあるとは思えず、もうだめだと諦めてしまいました。それでもフリージアの花を贈りたいという心で近くの花屋さんに行ったのです。そして一言「フリージアに似た花を下さい」と。すると花屋さんは「フリージアはあるけれど、似たものはないねえ」と笑われました。飛ぶようにうれしかったのを覚えています。フリージアを見るたびに、神様はそのようにして私を探してくださったのだと思えてなりません。 
 まだ春は遠い季節です。しかし、探してみると春を見つけることができます。ちょっとした自然の中で春探しをしてみましょう。春と同時に神様を見つけることができますよ。

牧師の声 私の愛唱聖句

ルーテル学院大学 日本ルーテル神学校 チャプレン 河田 優

生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。
わたしは、神の恵みを無にはしません。
ガラテヤの信徒への手紙2章20~21a節

 神学校では毎年、神学教育委員の方々と共に、神学生と教員による修養会が行われています。昨年のテーマは「召命」であり、閉会礼拝に参加者は順番に聖壇に立ち、自分に与えられた大切な聖句を読み上げました。そして、これからもこの聖句を神の御言葉として受け止めて、その御言葉に立って歩み続けていけるように神の守りと導きを祈り求めたのです。閉会礼拝の説教ということで最後になった私が読み上げたのが、この聖句です。
 実はこの聖句は、神学校の卒業を控えた17年前の冬、市ヶ谷教会の一室で読み上げた御言葉です。その時に目の前におられたのは、任用試験の面接をされる牧師先生方でした。面接には、必ず愛唱聖句は質問されるだろうとのことで、尋ねられた時に困らないように、一つや二つすぐに出てくる聖句を携えて神学生は面接に臨むのですが、わたしの場合は、まさしくこの聖句こそ、神学生としての学びと生活の中で与えられた御言葉だったのです。
 神学大学入学時の私は、勉学はさておいて、他のことに関しては、何事にも自信に満ち溢れていました。友人が多いことが自慢であり、悩んでいる様子の学生がいると頼まれてもいないのに励ましに出掛けていました。そのうちにあらゆることに対して、自分が誠実であろうとすれば自分で何とかできると思い込んでいたのです。実はそのような思いこそ誠実でありませんでした。人を傷つけるようなこと、自分の力だけではどうにもならない出来事なども経験し、ようやくたどり着いたのが、この聖句です。私は私自身に生きるのではなく、私を赦されるイエス・キリストが私の内に生きてくださることを信じてる生きる。イエスと共に私は、まわりの人たちと生かされていく。それは神様の大きな恵みです。
 「わたしは神の恵みを無にはしません。」これは、牧師になる際の私の決意でしたし、今もこの決意は変わりません。そして、これから神学校を旅立つ神学生たちも、このような決意をもって備えの時を過ごしてもらいたいと願っています。

信徒の声 神様に勇気づけられて

米国カリフォルニア州ハンティントン・ビーチ LCR復活ルーテル教会・日本語部 愛子Gordillo

今から12年前に私は卵巣ガン摘出の手術を受けました。3~4時間で手術が済む予定と執刀医師から言われましたが何と出血多量のため10日間も人事不省に落ち入り、九死に一生を得ました。結局、術後抗ガン剤治療(キモセラピー)を20回受けましたが、途中で白血球の値が余りにも低下したため危険でキモが出来ず、全部終了するまで2年以上も掛かってしまいました。
 ここで本当に感謝しなければならなかったのは、10日間眠っていたためか術後良く味わう咳やクシャミをしたりしても痛みを一切感じ無かったことと、キモの副作用も皆無で吐き気、食欲減退、その他も一切無く、例外は毛が抜けたこと位で終りました。何時また再発するかも知れないと言う恐怖心も全然ないと言えば嘘になりますが、神様に助けて頂いて現在元気で生きていることを思うと何か教会や宣教のため、神様のために恩返しをしなければと考えました。 そこで私が決心し、実行したことは癌を患った人や家族の人を励ますことです。絶対癌に負けてはいけないと勇気付けることでした。神様が必ず守って下さるから信じて、元気に朗らかに前向きに生きることを薦めました。勿論私自身もそれを実行し、なるべく明るく教会の奉仕にも精を出しました。そうしている内に自然と癌再発の恐怖心から解放され、神様の恵みに感謝し前向きに生きることの喜びが心の底から湧き上がって来ました。
 私は現在78歳、卵巣ガンを患ってから5年後に神様は私に新たな試練をくださいました。今度は「悪性リンパ腫」でしたが、それも持ち前の前向きな態度で克服し現在も教会の奉仕を出来る限り頑張って行って居ります。今後何が起ころうとも神様の愛と恵みを信じ感謝して生きて行けます。
“爽やかな秋風享けて感謝する喜び溢れて生きいる我は”

園長日記 毎日あくしゅ

「楽しい雪遊び。」

 北国の二月は寒さの厳しいときですが、国内はもちろん海外からの観光客も訪れる「雪まつり」が開催されます。幼稚園では、子どもたちと共に冬の遊びをたくさん楽しむ時です。
 朝は、園児がソリに乗り、大好きなお母さんに引かれて登園する姿も見られます。毎年、園庭にはお父さん方のご協力により、雪を集めて運び、「坂」を作ります。子どもたちは、その坂でソリすべりを楽しみ、新雪の上を転がったり、雪だるまや家を作ったり…。冬の自然を体中で感じ、楽しんでいる子どもたちです。 
 この時期、どの年齢からも友だちと遊ぶ楽しさが伝わってきます。しかし、遊びの中で意見がぶつかり合い、「トラブル」になることもあります。
 ある日、三歳児が「○○チャン、きらい。もう遊ばないからね」と大声で泣きながら叫んでいる姿を見ました。そして、二人の関わりを気にかけながら過ごしていました。その後、何事もなかったかのように、隣り同士座って、お弁当を食べている子どもたち。
 聖書の御言葉、「赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される」が頭に浮かびました。大人にとっては、人との関わりで難しいこの御言葉を、日々の子どもたちの姿を通して学ぶことができます。
 北国の冬は厳しく長いので、時に忍耐が必要です。でも、この忍耐の先には、いっせいに花開く輝きの季節が待っていると思うと、神様の守りの中で、春を待ち遠しく思いながら、子どもたちと過ごしています。

 めばえ幼稚園 園長 梅原裕子

本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その11

社会福祉法人光の子会 知的障害児通園施設 光の子学園

施設長 竹藤 望

光の子学園は昭和48年4月に開設された30名定員の知的障害児通園施設です。児童福祉法では、日々保護者の下から通わせて、これを保護するとともに、独立自活に必要な知識技能を与えることを目的とする施設と規定されています。幼児期の子どもの生活の中心は『遊び』で、子どもたちはその遊びの中で様々な技能や知識を身につけていきます。光の子学園では遊びの要素である『楽しい』ということを一番大切にしています。しかし、社会生活を営む上では『ルール』が必要になってきます。時には我慢することや友達に譲ることも求められます。子どもたちが様々な活動を通してそういった知識技能を獲得する援助をするところが学園です。
 学園の一日は朝10時にバスが着いてから始まります。バスを降りてクラスに入ると、自分の持ち物の整理をします。整理が終わってから少し自由に遊ぶ時間になります。11時まではクラスで遊んだり集まりをしたりして過ごします。11時からは全体活動の時間で、運動遊びや感覚遊びなど子どもの発達を促す遊びをします。またその時間に交替で個別指導の時間を持っています。個別指導の時間では、理解力を高める遊びや、発語意欲を高める遊びなど子どもたち一人一人に応じた課題を行っています。
 学園で様々な活動した後は、14時半にバスで降園します。バスが出た後、保護者支援の一環として、最大19時までお子さんをお預かり(タイムケア)しています。
 学園では子どもの発達支援を続けて38年になりました。毎年クリスマスの時期には全国の教会宛にクリスマス献金のお願いをしています。皆様から頂きました献金で、設備の充実やマイクロバスの買換など園児達の発達支援に必要な物をその中から購入させていただいております。今後の課題としては園舎の建て替えがあります。その際には皆様方のご協力をお願いしたいと思っています

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)
教会建築における高齢者への配慮

第2回「教会堂とバリアフリー・ユニバーサルデザイン」

静岡教会 西村晴道

 「ユニバーサルデザイン」という言葉が多く聞かれるようになっております。建築では「福祉のまちづくり条例」等で設計にとり入れなければならなくなってきました。意味は「どこでも、だれでも、自由に、使いやすく」ということです。
 教会も高齢者層が大部分を占めるようになり、特にいくつかの点を考慮して設計しています。①スロープ・・・段差はすべてなしとしてスロープで対応する。勾配は15分の1を、かつ手すりを設ける。②トイレ・・・手すりを付け、また必ず車イス対応トイレを設置。③エレベーター・・・2階以上の場合は車イス対応エレベーターとする。④ドアノブ・・・にぎりノブでなく、レバーハンドルとする。⑤照明・・・礼拝堂は調光器を使用して明るさを調整する。⑥難聴・・・最近公共場に採用されているループ状の配線をして、不要な音が補聴器に入らないようなシステムを勧めています。
 説教が聞き取りやすく、かつ賛美が美しく響き、聖書の文字も読みやすく、座り心地のよいイス、また交わりの時、愛餐会なども温かい雰囲気でもてるよう、教会に来た人が誰でも気持ちよく過ごせることを念頭に設計しています。

私の本棚より

立野泰博著「神さまのおべんとう箱」誰でも分かる聖書の話
キリスト教視聴覚センター刊

 「子どもに分かる話は大人にも分かる。しかし、大人に分かる話は子どもには通じない」。これは児童説教をするときによく言われる言葉です。
 私はこの本を一読して、立野先生に「先生、この本は牧師が読むととてもよい説教作法のテキストになりますね」と言いました。「子どもに分かる話は、大人にも分かる」という言葉が、そっくりこの本に当てはまると思ったからでした。
 著者は、以前より子ども向けの聖話作りの指導者として、AVACO(キリスト教視聴覚教育センター)が毎年開催する夏期講習会の講師にしばしば招かれ活躍されてきました。また、信仰エッセイ集「神さまのクレヨン」の執筆者としても知られています。今回、これまでの聖話作りの指導をされた経験を活かし、聖話そのものというよりも聖話をどのように作り上げるかに焦点を当てて、「神さまのお弁当箱」を出版されたのです。
 読者は、本書の至るところに説教を組み立てるにあたっての著者の工夫振りを見ることができるでしょう。「説教はよい話で終わってはならない、驚きがなければ、福音とはならない」と教えられたことがあります。聖書の話は、単にお話で終わってはならないのです。福音でなければなりません。読者はきっとその「驚き」を発見することと思います。その意味では、読者は、この本の中に話でなく、福音を聞くことになりましょう。
 さらに本は、教会学校のみならずキリスト教主義幼稚園・保育園の子ども礼拝で用いられることを想定して書かれています。キリスト教主義幼稚園・保育園といえども、そこで働く人がすべて信仰者とは限りません。著者は、そのあたりにも配慮を加え、まだ信仰に至らない人であっても、聖話をどのように語ることができるかを説明しています。これは、キリスト教主義教育や保育をモットーとする場ではとても大切なことです。同時に、すでに信仰を得ているベテランに対しても、あらためて自分の信仰に目を開かせるものがあるのではないでしょうか。その点から言えば、子どもに対してのみならず、大人にとっても信仰への手引きともいうべき意味合いを持つ本でもあります。
引退牧師・元ルーテル学院大学教授 賀来周一

教会讃美歌にあなたの創作讃美を寄せて下さい

現在私たちが使っています「教会讃美歌」に加えて歌える、新しい歌を募集します。
歌詞だけでも、曲だけでも結構です。
1若者が歌う歌    
 ●教会の集まりで
 ●キャンプの時に
 ●静かな祈りの時に
 ●楽しい親睦の場所で
2子供が歌う讃美歌  
 ●礼拝での讃美歌
 ●礼拝の歌
 ●教会暦による歌
 ●親と一緒に受ける聖
  餐の歌
 ●入園 入学の歌
 ●卒業の歌
 ●誕生日の歌 
3信仰の歌
4聖書の歌      
 ●聖書物語を歌う
 ●詩篇を歌う 等々
5祈りの歌
6教会暦にそった礼拝の歌
7諸行事その他    
 ●聖餐の歌 
 ●洗礼の歌
 ●説教への応答の歌
 ●開会・閉会の歌
 ●派遣の歌 
 ●教理問答歌
 ●幼児祝福の歌
 ●祝福の歌
 ●平和の歌 
 ●マイノリティの者へ
  の歌
 ●女性の視点からの歌
 ●敬老の歌
歌詞および曲ともに未発表のものに限ります。

[ 歌詞についての指針]
1歌の区分を記入ください。
 例:「若者の歌」「子供の歌」のように。ただし、区分については、委員会で変更することがあります。
2原則として、俳句 短歌定型詩の形でお願いします。同じ旋律で1節2節と歌うことを考慮ください。
3歌詞は原則として4節以内としてください。

[ 曲についての指針]
1歌は多人数で斉唱することを前提としますが、詠唱者付の曲も歓迎します。
2音域 上1点ハ音から上2点ホ音とし、上限音下限音の連続は2音以内を原則としてくださると多くの人が歌いやすいと感じると思います。
3調号(シャープ フラット)4つまでにしてください。
 会衆が楽譜を見て歌いやすく弾きやすいと思えるでしょう。
4拍子 変拍子はできるだけ避けてください。 
5和声 出来れば自分で和声づけしてください。(コードネームも可)
 作曲者のイメージと違う和声とならないように。
 旋律だけの場合は、和声については一切を委員会に一任してくださいますようお願いします。
6五音音階、輪唱など、ジャンルにとらわれない曲も歓迎します。

※応募された作品がすべて採用されるわけでは無いことをご了承ください。
また、採用された讃美歌の著作権は教会讃美歌委員会とすることを、御承諾ください。

[ 送付先] 日本福音ルーテル教会事務局
締切 2011年6月末日

教会讃美歌委員会 委員長 日笠山吉之

2010年度連帯献金報告

今日の社会・世界における福音の宣教、奉仕、 災害緊急の支援活動として、日本福音ルーテル教会がお願いしている「連帯献金」のために、2010年度は各個教会・団体及び教会員・教会関係者の方々から昨年一年間で、577万3817円(12月31日現在)の多額の献金が捧げられましたことを心より感謝して報告させて頂きます。
2011年度も、引き続き「連帯献金」へのご支援とご協力をよろしくお願いいたします。
日本福音ルーテル教会宣教室

ブラジル伝道(68件)          168万8000円
メコン流域支援(12件)             15万6193円
災害緊急支援(137件)    263万4536円
喜望の家(16件)             21万1055円
世界宣教・無指定献金(35件)  108万4033円

献金者   教会・団体・個人芳名
■ブラジル伝道(68件)
【教会】
恵み野、神水、なごや希望、シオン教会徳山礼拝所、札幌、千葉、大岡山、豊中、本郷、東京、京都、下関、長野、室園、小石川、宇部、水俣、帯広、栄光、保谷、箱崎、健軍、厚狭、田園調布
【団体・婦人会・女性会】
女性会連盟、東教区総会、東教区女性会、第24回全国総会・ブラジル朝食会、エヴァの会、九州教区女性会、保谷教会女性会、田園調布幼稚園
【個人】
星野淑江、小泉 眞・百合子、花城裕一朗、雲山玲子、古庄理世、古川文江、小泉眞、小山茂、小長谷ヤヨコ、立野泰博、厚味勉、間瀬啓允、真木澄子、乙守望、塩原久、吉田昌宏、宮本新、浅見正一、江藤直純、崔大凡、上道つるゑ

■メコン流域支援(12件)
古庄理世、川島由香、本郷教会、小山茂、小長谷ヤヨコ、聖ペテロ教会、長野教会、水俣教会、西条幼稚園、箱崎教会、市ヶ谷教会

■災害緊急支援(137件) 
【教会】
高蔵寺、甲府、熊本、大牟田、津田沼、大江、岡崎、甘木、日田、保谷、三鷹、広島、大岡山、スオミ、湯河原、岐阜、大垣、なごや希望、田園調布、蒲田、小田原、名古屋めぐみ、岡山、荒尾、東京池袋、下関、静岡、天王寺、市ヶ谷、健軍、福山、賀茂川、帯広、松本、広島、新霊山、三原、刈谷、恵み野、板橋、豊中、長野、福岡西・二日市、千葉、東京、札幌、八王子、京都、箱崎、函館、室園、博多、知多、栄光、小鹿、清水、久留米、日吉、稔台、大分、唐津、小石川、大森、松橋、本郷、厚狭、宇部、神水、賀茂川、別府
【団体・婦人会・女性会】
高蔵寺教会学校、早蕨幼稚園、本郷学生センター、武蔵野いとすぎグループ゚、一粒の麦、恵泉幼稚園、小石川婦人会、シオン園教会学校、九州教区、奈多愛育園、保谷女性会
【個人】
西村鶴子、花城裕一朗、小山茂、君田淳一、星野淑江、星野幸一、河田玲子、高沢撫津子、名嘉桃代、抱井義子、太田立男、小泉眞、シオン教会員、小川よう子、古庄理世、小川幾代、聖パウロ教会員、山之内正俊

■喜望の家(9件)
小泉眞、古庄理世、平岡博、川島由香、本郷教会、長野教会、甘木教会、真木澄子、水俣教会、保谷教会、箱崎教会、浅見正一、奈多愛育園、健軍教会、聖ペテロ教会、上道つるゑ

■世界宣教・無指定(35件)
箱崎教会、和泉哲雄、恵泉幼稚園、古庄理世、折田良三、雪ケ谷教会、小岩教会、大金よし子、蒲田教会、小山 茂、恵み野教会、帯広教会、JELAチャリティコンサート、長野教会、青山文彦、東教区、日田教会、帯広女性会、塚田政司、甲府教会、真木澄子、めばえ幼稚園、太尾重彦、栄光教会、折田良三、児島和子、神水教会、市ヶ谷教会、川口 誠、日吉教会、蒲田教会

◆配分・送金
災害緊急支援及び世界宣教(無指定)献金の再配分も行い、2011年1月に以下のように関係機関に支援金を送金を終了しました。
ブラジル伝道特別会計          228万8000円
メコンミッション(カンボジア・子供支援)   10万0000円
パキスタン洪水災害           40万0000円 
喜望の家(6件)              21万3055円
世界ルーテル連盟(協力金基金)  40万0000円

第3回 教会推薦理事研修会

「るうてる法人会」の相互研修の一つである「第3回教会推薦理事研修会」が新春の1月10日(月・祭)午後2時から翌日の11日正午にかけて、市ヶ谷センターで開催された。本教会三役をはじめ、学校法人及び社会福祉法人等の教会推薦理事、それに幼保連の園長・牧師も含め、約40数名が出席した。
 この度の主題講演は、京都教会の会員であり、2010年まで2期8年間、神戸女学院の理事長を務められた松澤員子氏が実際的な経験に基づきつつ、キリスト教主義の学校法人における理事の役割について、「監査・評議員制度の改善」、「財政情報の公開」、「理事会の意思決定と合意形成」、「学長・校長のリーダーシップ」、大学内の管理体制」などの点から話され、教育・研究の自由、特に建学の精神に基づく教育方針の確立と経営態勢の構築が大切であることを語られた。
 第二セッションでは本教会側の発題として、2008年度総会で規則化された定年教師の理事就任の原則を基本とした「教会推薦理事の意義と今後の課題」について議長及び副議長が説明を行った。
 11日の午前のセッションでは二つの事例研究発表が行われた。一つは熊本慈愛園の理事長柏尾誠之氏により、「統合施設」である慈愛園90年の歴史と今日における施設の礼拝・聖書の学びに関する課題等が語られた。もう一つは今年11月に創立百周年記念式典を予定している九州学院の理事長長岡立一郎氏より少子化時代における「学院の教育の現状と将来」、「学院の経営分析と課題」について詳しい説明がなされた。
 最後の全体会では今年度夏に予定されている総会及び来年度の「教会推薦理事のあり方」についての協議の時を持ち、総会及び来年度の「教会推薦理事研修会」のプログラムに関しては三法人の代表者会議での協議を経て、作成していくことを確認した。 (青田)

11-02-02JLER月報2011年2月号−2号

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11-01-15るうてる2011年1月号

機関紙PDF

説教「光なる主に出会う旅のはじまり」

「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから。」
詩編一二一編一~二節

昨夏、富士山に登った方は約三十二万人で過去最高だったそうです。わたしも何度か登頂したことがあります。山に登る理由は人それぞれです。 山は自分自身や他者との出会いの場です。山頂までの登り坂も帰りの下り坂も苦しい時があります。そんな時、自分を励まし、新たな可能性に出会います。時には仲間に励まされたり、すれ違う人と挨拶を交わす出会いも喜びです。また創造主に出会う機会でもあります。眼下に広がる景色や高地にだけ咲く花。それは人間のわざを越えた神さまの創造、恵みを感じずにはいられません。
 そして富士山に登る人は雲の下、地平線から昇ってくる太陽の光を目の当たりにします。苦しみの中に感動を求めて登る。山頂で昇ってくる朝日を目の当たりにする時、苦しかったことや体の疲れがなくなることはありませんが、そこに希望の光、決して明けない夜はなく、光と暖かさの朝が必ず来ることを受けとめて、再び歩み出すことができるのです。
 詩編一二一編は都に上る歌と言われています。都に巡礼に行く時の歌か補囚から都に帰る時の歌か、いずれにせよ、神さまへの強い信頼が描かれています。
 その詩の美しさにこれから都に行けるのだという喜びや美しさが描かれた詩と思われがちですが、全く反対なのです。当時の旅は危険がつきものです。自分を取り巻くさまざまな危険や障害を思い浮べて主に祈っている様子が想像できます。帰って来ることのできない旅かもしれません。山そのものの険しさだけではなく、昼間ですら盗賊が出る危険な場所にこれから入っていくのです。 闇に覆われた時、何が起こるか分からない。だからこそ、彼は祈ります。この道を守ってください、この困難の中にあなたが共にいてくださいと。山を越えていくことは神さまに出会うことでもあり、主の助けの中歩むことに彼は気づいているのでしょう。
 聖書ではしばしば荒れ野は神さまに出会う場所として出てきます。モーセに率いられた民は荒れ野をさまよう中で水が湧き、マナが降る神さまのわざを通して、自分を生かしてくださる神さまの存在を身近に感じ取ることできました。
 同じように山も神さまに出会う場所です。石ばかりで、植物もあまり生えないような不毛な場所。何もない、希望がない、先が見えない、不安ばかりがあるように感じる場所です。進むも帰るも苦しいのが荒れ野であり、山なのです。
 わたしたちの人生は一見華やかに見えますが、生涯の歩みを全うする険しさは荒れ野をさまよい、山を登っていくことと同じです。大きな困難がありますし、疲れを感じることがあります。もう一歩も歩くことができないと思い、立ち止まって後ろを振り返るような時が。越えることのできないように思うような困難、山に直面した時、わたしたちは主に寄り頼み、信頼して祈ることからはじめていけばよいのです。

 富士登山は失敗しても何度でも挑戦できます。今日も明日も日が昇るからです。山頂で光を見られないこと、太陽の暖かさが届かないことは決してありません。必ず日は昇ります。
 わたしたちの人生の歩みにも今日、希望の光は輝き、明日もまた輝きます。その繰り返しが一年であり、人生です。輝く太陽は光と共に暖かさをもたらしてくれます。すべての人に朝は訪れ、光と暖かさをもって希望を与えるのです。喜びの時も苦難に押しつぶされそうな時も、この険しい道の中で主に出会い、その輝きを感じ、主の助けがあることを心に留めて歩んでまいりましょう。
 一月とは新しい一年の旅路、登山を通して輝きと暖かさで包んでくださる「光なる主に出会う旅のはじまり」の時、祈りから始まる時なのです。
帯広教会牧師 加納寛之

風の道具箱

人生に締め切りはありません

 「神様助けて」と叫ぶときはどんなときでしょうか。切羽詰まった時、お手上げの時、自分ではどうしようもなくなった時です。
 いろいろな所から原稿の依頼をうけます。そこには締切日が書いてあります。原稿依頼日から書き始めれば余裕です。毎回のことですが、今回こそ早くやろうと思うのです。ところが、まだまだと思っているうちに、そろそろと思う。さあこれからと思いつつ、だんだんあせってくる。明日からと思うのが締切日の1週間前となり、胃が痛くなるのが締切3日前。そしてついに「神様助けてください」となるわけです。こんなことをしながら、原稿を書き上げる時は締切日過ぎとなります。  
 なまけているわけではありません。文章にしなくても、頭の中ではあれこれと考えています。そのことが頭から離れることはありません。それをまとめる集中力が問題なのです。余裕がある時は集中力がでません。これが「神様助けて」と祈る時、抜群な集中力がでてきます。
 自分ではどうすることもできない状況で、神様にすべてを委ねる。すると神様の力で導いて下さいます。人生に締切日はありません。それだけでも祝福ですね。

牧師の声  私の愛唱聖句

神水教会 角本 浩

恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け、わたしの救いの右の手であなたを支える。
イザヤ書41章10節

 いつかこのコーナーに執筆する順番が回って来るのだろうなぁ、と思いながら、先生方の文章を読ませていただいていた。回ってきたらどうしよう、とも思っていた。回って来たときには、これを書こう、というのが浮かばないままだったから。
 これまで信仰深い生涯を送られた方々の御葬儀をさせたいただいた時に、好きな讃美歌はどれでしたか、と御遺族の方に尋ねると、どれも好きでした、これって決められません、と答えが返って来ることがしばしばあった。それにすこし似ている。

 もちろん、聖書を全部味わいつくした、なんてとても言えるわけではない。しかしそれでも、いつ、どのページを開いても、聖書は楽しんでいるところがある。
 それでもどれかひとつ、と言われたら、主はあなたと共におられる、の言葉が浮かんでくる。これを書いているのが、ちょうどアドベントだから、というわけではない。
 主が共におられる・・・よく思い起こしている。
特に、これからあまり好ましくない時間を過ごさなければならない時、何かよくないことが起こった時、起こりつつある時、まず真っ先に、イエス様がそばにいてくださるんだ、きのうまでの時間も全部、主は一緒にいてくださったんだ、だから大丈夫、と思い起こし、自分を励ましている自分がいる。

 けっこう危ない事故に遭ったことが二度ある。どちらの時も、ああ、死ぬのかな、死にたくないな、と思った。でも、少し落ち着いて振り返り、たとえそうであるとしても、イエス様は一緒にいてくださるのだから恐れなくていい、この身を任せていよう、と思える自分でいたい、と思った。
 こんなわたしだから、放っておけなくて、主はいつもそばにおられるのだろう。

信徒の声 「ルーテル教会と私」

諏訪教会 及川和子

 私が教会へ行き始めたきっかけとか、目的とか、考えてみても何もありませんでした。
 それだけに、こうして80歳を越した現在まで、ずっと教会に籍を置いていただいたことは、何というお恵みでしょう。 
 私は、両親がルーテル教会の信者だったために、知らないうちに、幼児洗礼を受けていました。母が娘時代に、フィンランドのミンキネン宣教師より洗礼を受け、のちに父も渡辺忠雄牧師(夫人はシーリさん、子息は忠恕さん、暁雄さん)から洗礼を受けましたので、子ども全員、幼児洗礼を受けておりました。七人の子どものうち四人はすでに召されましたが、長女は松本教会に、兄嫁(後町幸枝)は大岡山教会に、四女は日基柏木教会に、そして、末っ子の私は諏訪教会にと、それぞれ属し、守られております。
 何歳の頃か覚えはありませんが、気がついた時には、姉たちと日曜学校へ行っておりました。当時は子どもからお年寄りまで層が厚く、ことに青年の方たちがお元気でした。その頃、おもしろがって作られた数え歌で、今でも一部覚えております。「一つ出たわいヨサホイ・ホイ、人に知られたルーテルのホイ、デコボコ信者の棚卸しホイホイ」というものです。数え歌は十までありましたが、残念ながら、大半は覚えておりません。でも、そうした雰囲気の中で、子どもたちものびのびと育っていったように思います。
“主われを愛す”とか、”神様は軒の小雀まで”等の讃美歌はよく歌い、今でも大切な愛唱歌になっております。
 でも時代はどんどん戦時体制に移っていき、とうとう教会へも行くことができなくなってしまいました。牧師先生、宣教師の先生方は、どんなにかご苦労があったことと思います。 そして、昭和24年の春、タンミオ宣教師が再来日、山田与八牧師と共に諏訪での伝道が再開されました。その時の鮮烈な印象は、忘れることができません。その種まきの業が、今の諏訪教会の礎になっているのは言うまでもないことです。 感謝。

園長日記 毎日あくしゅ

「神様に守られて。」

 めばえ幼稚園は、1937年1月に開園しました。赤い三角屋根と白色の下見板張りの外壁の園舎は、創立当初のもので、2009年、札幌市より「景観重要建造物」に指定されました。温かみのある園舎を生かして、子どもたちとあそびを深めています。
 今年は北海道も暑い夏が続き、子どもたちも水あそびを十分に楽しむことができました。秋には園庭の木々の紅葉を眺めながら、季節の変化を感じて過ごしました。
 クリスマス礼拝の中では、年長組が中心となって、「ページェント」をします。ひとりの男の子が「おとうさんも博士をやったよ」と報告を受けたときに、親子で通園することのできた歴史を感じる喜びもあります。
 まぶねのイエス様を囲んで「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と声をあわせてのメッセージは、毎年、胸が熱くなります。子どもたち、お父様、お母様方の心にも残っていくことを願っています。
 二学期を終えて、冬休みになりますが、北海道では1ケ月間あります。子どもたちは、クリスマスの余韻を楽しみながら、お正月の経験や家族とゆっくり過ごして成長してくることでしょう。
 新しい年も神様の恵みと守りのなかで、歩んでいきたいと思います。
 めばえ幼稚園 園長 梅原裕子

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 10

社会福祉法人別府平和園 児童養護施設 別府平和園 

園長 近藤 功

 大正9年(19年)、アメリカ・ルーテル教会宣教師モード・パウラス女史は、日本におけるルーテル教会の決定にもとずき、熊本・慈愛園を創設しました。以来、この社会福祉事業は養老院、保育所を併設し次第に大きな社会事業団として、九州はもとより、戦前の日本の社会福祉事業の先駆的役割を果たすにいたりました。しかしあの不幸な太平洋戦争はパウラス女史と慈愛園を引き裂きました。
 終戦後、再び来日したパウラス女史の活躍は、はるかに戦前をしのぎました。別府平和園は彼女の戦後の諸事業の一つとして生まれたのです。別府を訪れた彼女の教え子(加藤夫妻)が、大分、別府の港にあふれる戦災孤児、大陸からの引き上げ孤児、米軍基地の落とし子たちの惨状を知り、女史に孤児院の建設を提言したことに端を発します。昭和25年、別府平和園は慈愛園の分園として発足しました。
 戦後の混乱期に、大勢の子どもたちを育てることはまさに、至難の業でした。しかし別府平和園は、子どもたちの命を護る砦としてその試練にたえました。数多くの子どもたちが巣立っていきました。やがて日本の復興がすすむにつれて、直接命の危険にさらされる子どもは少なくなりましたが、心の保護を必要と子どもがふえてきました。それは別府平和園の使命が、単に保護収容するだけではなく、傷つき病める小さい心を保護し癒し、育てることに代わったことを意味します。別府平和園は保護収容施設から、それ自体教育能力をもつ生活共同体として新しく出発すべく決意し昭和61年12月末、現在の地に新築移転をしました。
 私たちの使命と課題は、親の暖かい愛情を与えられなかったか、或いはそれらを失った小さな魂を、保護し育てることにあります。これらの魂は当然のことながら、震えおののき、或いは傷つき病んでいます。従って、私たちに与えられる課題は、この小さな魂を如何に生き生きと、美しく育てるかということにあります。私たちの課題は、知的或いは情緒的なものではなく、倫理的なものとなります。人間の魂が生き生きと美しく輝くのは、その人間が倫理的に真剣に生きているときであるからです。愛の中で子どもたちの魂は癒され、自由の中で生き生きと息吹、生きる意志が育つのです。愛と自由の中で魂を育て、愛と自由と共に子どもたちを未来に送りださねばなりません。そして送りだされた魂が、傷つき病み、生きる意志が弱まった時、再び愛と自由の中で癒し「生きる力」を甦らせてやらねばなりません。
 「もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみなともに悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみなともに喜ぶ。あなたがたはキリストのからだであり、ひとりひとりはその肢体である。」『コリント一』12・26~27(口語訳)
 児童養護施設別府平和園は、かく在りたいと願ってます。

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)
教会建築における高齢者への配慮  第1回  「聖壇の段差」 

静岡教会 西村晴道 

 最近の教会建築では、聖壇の段差をなくして、床を会衆席レベルと同じとすることが多くなりました。
 ルーテル教会は、福音の説教と聖礼典の執行として礼拝堂の聖壇には、この二つの中心があります。特に、聖餐式は全員が前に出て祝福を受けます。高齢の方、足の不自由な方にはあの段が難関です。スロープを設けたところもありますが、短いスロープではかえって滑りやすくたいへんです。教会員が家族の思いやりで補助してあげることはあたたかい神の家族として素晴らしいことだと思います。
 大きな教会では聖壇部分が見えないと前で何が執り行われているかわからず問題ですが、100席程度の一般の教会では、説教台の部分のみを上げ、あとは会衆席と同じレベルの床にして聖餐式が苦にならないようにするのもよいと思います。

 私が関わりました名古屋めぐみ教会(写真)は2つの点から段をやめました。一つはバリアフリーのこと、もう一つは会堂をタテ礼拝とヨコ礼拝との二方向で利用できるようにするのに段が障害とならないためにという理由です。
 通常の礼拝は聖卓を囲み横長スタイルで、結婚式はヴァージンロードを長く取れるタテ型スタイルとなります。このように、聖壇の段差がないことは高齢者だけでなくみんなに優しく、その時々に応じて自由に使うことができます。(西村建築設計事務所)

「フィンランド・フェスタ」に参加して

 2010年11月23日、「勤労感謝の日」、横浜教会で「フィンランド・フェスタ」が開催されました。このイベントは、日本福音ルーテル教会と共に宣教しているフィンランドの宣教団体「フィンランドルーテル福音協会」から宣教師が日本に派遣されて110年になることを記念し、感謝して、横浜教会が主催したものです。おりしも、その秋に、フィンランドから、横浜教会を含む神奈川東地区に、信徒宣教師の吉村博昭先生が、そして、スオミ教会にはポウッカ先生が派遣されたこともあって、両先生とそのご家族の全面的協力を得て、ホットでディープな集いとなりました。
 60人あまりの人が集まりました。地区の横須賀、日吉の教会からも、そして、スオミ教会をはじめ首都圏の教会からも。横浜教会の牧師、東先生は、「ちらしやインターネットでの案内を見て来ましたという、この地域の初めての方も多いです」とのことでした。フィンランドへの関心の高さを目の当たりにする思いでした。
 フェスタはランチからスタート。吉村先生の夫人パイビさんが中心になって作ってくださったフィンランドの家庭料理をいただき、その後は「フィンランドを知ろう」というテーマで、スライドを見ながらフィンランドの歴史と、驚異的発展を遂げる現在を吉村先生が話してくださいました。
 ポウッカ先生はフィンランドの歌を楽器演奏や独唱。先生の美声は有名ですが、独特の曲想に、遠いフィンランドに思いを馳せました。それからポウッカ夫人パイビさんの「フィンランドと日本の学校教育」についての講演を聞きました。能力教育、道徳教育と共に価値教育の大切さが語られ、その点が日本と決定的な違いかなと思い、考えさせられました。
 広報室長 徳野昌博

LCR日本語部宣教開始22周年記念礼拝
立野泰博牧師を迎えて

 日本福音ルーテル教会とアメリカ福音ルーテル教会(ELCA)は、2005年に「アメリカでの日本人伝道を協力して行う協約を結びました。それによってJELCから日本人牧師をロスにある、復活教会(LCR)ファースト教会(FLC)に宣教師として派遣してきました。昨年から新しい宣教協力が始まっています。現地からLCR日本語部22周年記念礼拝の様子を報告していただきました。

 私達日本語部にとって、11月に迎える宣教記念礼拝にどなたをゲストスピーカーにお呼びするか、それが毎年の大きな課題である。
 今年は再び日本福音ルーテル教会事務局長の立野泰博牧師をお迎えすることができた。立野牧師は宣教20周年の時にも御祝いのメッセージをしてくださり、私達にとっては親しみ深い先生である。特に今年の夏にLCRから20名の英語部教会員が日本を訪問したとき大変お世話になった。その英語部のメンバーたちも、日本語部のメンバーと一緒に立野先生のLCR訪問を心待ちにしていた。
 立野先生が今回LCRに来られたのは、JELCからの公式訪問であった。前回は日本語部の礼拝だけ出席されたが、今回は公式訪問ということで、11月21日だけでなく、パレスチナの地にも何度も訪問し、福音宣教を続けていることは、これらのギフトから無言のうちに語られて来た。
 11時半からの日本語礼拝では、「主の年輪は語る」というテーマでメッセージをくださった。先生はパレスチナの人達が、倒されたオリーブの木を大切に家の外に置いているのを見て、どうしてか質問したそうだ。「これは私達の生まれ育ったこの地の歴史を語っている木だから、大切なのです。」という答えに心を打たれた先生は、そのオリーブの木をどうにか出来ないものかと考えた。そして倒されたオリーブの木からフルートを作り、そのフルートでコンサートをし、CDも制作し、集まったお金でパレスチナの子供達にピアノを寄付した。パレスチナの子供たちの心に、平和をもたらす音楽教育のためである。オリーブの木に刻まれた歴史の年輪のように、私達日本語部が迎えた22周年も年輪である、と先生は語られた。
 LCRに日本語部が創立されてから、3人の牧師がJELCから派遣された。前任牧師であった伊藤文雄先生は、立野先生の神学校時代の恩師でもあり、先生が前回LCRに訪問されたとき、伊藤牧師が先頭に立って日本語部を引っ張っている様子が印象的だったという。今回は、アメリカの神学校を経て牧会をされてきた岸野牧師が日本語部を「ほんわか」ムードで包んでいるように感じると話された。
 私達の日本語部は、22年の間に様々な牧師を迎え、様々な出来事があった。辛いこともあったし、楽しいこともあった。毎日の積み重ねが今に至っているのである。22周の年輪一つ一つが大切な輪であり、その輪を終わらせてはならない。今22周目の輪に存在している私達一人一人が、神様に用いられて次の輪に繋げて行く大切な仕事をしているのだ。それぞれの生活の場は違い、毎日起こる出来事は違っていても、そこに関わってくださる神様と私達の関係によって、私達は繋がっている。そして神様によって繋がっていることによって、それぞれの場に置かれている私達が、それぞれの年輪を築きながら、神様の世界を広げて行くことができるのである。
 立野先生の楽しくも力強いメッセージを今回も聞くことができたことは私達日本語部が新たな年輪を重ねるこの時に、最もふさわしい神様からの贈り物であった。
 礼拝の後は、久しぶりに日本語部の礼拝に出席された方々も交えて、楽しい愛餐のひと時となった。短い自己紹介の中で、立野先生の説教を聞きながら、自分がこの教会に導かれた時はどんな時だったか、様々な思い出が胸にわき起こって来たと、感想を述べられた方もあり、私達がそれぞれに、立野先生のメッセージを通して語られた「主の年輪」をしっかりと聞くことができたことが確信できた。
 温かい食事の交わりの中で、これからもこのハンティントンビーチの地に置かれた私達の小さな群れが、ますます神様に用いられ、喜ばれる群れとして年輪を重ねて行こうという願いと祈りがこみ上げて来た。
 来年の11月はどのような宣教記念礼拝になるだろう? どのような将来が待ち受けていようと、毎日毎日を神様と共に歩み、確かな年輪を重ねて行ける私達でありたい。
 芙美Liang 記録

ヴァティカンとの神学対話委員会

ルター研究所 鈴木浩

 昨年の一〇月二二日から二九日まで、ドイツのレーゲンスブルクでヴァティカンとジュネーブ(ルーテル世界連盟)の神学対話委員会が開かれた。年に一度、一週間の会期で開かれてきた定期的な委員会で、今回が四三回目となる。長い間、ルーテル学院の徳善義和名誉教授がこの委員会の委員をしてきてこられたが、昨年度からわたしがその後任となった。ヴァティカンから一〇人、ジュネーブから一〇人の委員が、両教会の相互理解と協力関係の進展のために、そして最終的には全教会の一致のために対話を継続してきた委員会である。
 今回の議題は二つ。一つは、二〇一七年、つまり六年後に迫った「宗教改革五〇〇周年」をカトリック教会とルーテル教会とが共同でどのように記念するのか、という点。もう一つは、洗礼についてはほぼ見解が一致している両教会が、それを更に進めて聖餐についても相互理解を深めて、現在の時点では公式には一緒に祝うことができない聖餐を共に祝えるようにするための道筋を探ることである。
 二〇一七年一〇月三一日、両教会は共に五〇〇年前にルターが『九十五箇条の提題』を貼り出したヴィッテンベルクの城教会で、合同の礼拝を守ることになると思われる。今回の作業は、それに先だって発表される共同声明……両教会が宗教改革とその後の五〇〇年の歴史を共にどのように理解し、総括しているのかについて、共同で発表する声明……の文案の検討であった。最終的結論は来年の委員会に持ち越されたが、宗教改革から五〇〇年、ついにここまで来たのか、という感慨ひとしおであった。その共同声明には、各国でカトリック教会とルーテル教会とが五〇〇周年を共に記念する同様な催しをしてほしい、というアピールも付記されると思われる。
 共同聖餐については、理解の違いが依然として小さくないので、これからも辛抱強い対話が続くと思われるが、教会の一致が最も鮮やかに示されるは、一緒に聖餐の食卓にあずかることなので、恵みの食卓に共にあずかれる日を夢見て、両方の委員の対話が忍耐強く継続されていくことであろう。
 ともかくも、宗教改革から五〇〇年、両教会が一緒に一五一七年のあの出来事を記念して礼拝を守ることができれば、それが持つ社会的インパクトは非常に大きいであろう。
 来年の委員会は、この委員会が四三年前に始まって以来初めて、日本で開かれることになった。会期は七月八日から一八日の予定である。

11-01-01JLER月報2011年1月号−1号

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10-12-15るうてる2010年12月号

機関紙PDF

説教「それだけでいい 心のベツレヘム」

 
 今年も気がつけばもうクリスマスです。やってくるサンタクロースにお願い事をしたのははるか昔の出来事。皆さんはどのような12月を過ごされていますか? 振り返って見れば、悲しくなるようなことばかりだった1年だったかもしれません。クリスチャンであったとしても、こどものように無邪気にクリスマスを過ごすことはできそうにありません。
 人生は喪失や別離の連続です。わたしもこの1年間、沢山の喪失を体験いたしました。もし、これを読んでいるあなたがその様な中で時を過ごしておられるのであれば、伝えたいのです。「キリストはあなたのためにこそ来られるのだよ」ということを。

 この夏、わたしはキリストに出会える心のベツレヘムを見つけました。それはドイツのベルリンにある「和解のチャペル」という場所です。この場所には1985年までネオゴシック様式の壮大な教会堂が建てられていました。けれどもこの礼拝堂は旧東ドイツ保安局によって監視の邪魔になるという理由で爆破され、跡形もなく崩れ落ちてしまったのです。教会が崩れ落ちた瞬間、人々の心はどれだけ傷ついたのでしょうか。100年以上も守られてきた場所であったとしても、いかに荘厳な建物であったとしても、人はそれを一瞬で失ってしまうのです。
 あなたがこの一年で失ったものは何でしょうか。大切な人ですか?財産ですか?健康を失いましたか?大切なものほど、わたしたちはあっけなく失ってしまうもの。奪われるならまだしも、自らの手でそれを壊してしまうこともあるでしょう。そして失ったもの、壊れてしまったものは決して前と同じようには戻りません。
 1985年に爆破されたこのベルリンの教会もそうでした。どんなに財を次ぎ込んでも建物は前と全く同じようにはならないし、教会爆破によって傷ついた人々の心も癒すことはできません。この場所で国境を越えようとしていのちを奪われた人も大勢いました。
 ですが、神さまはこの教会にひとつの奇跡を起こされたのです。2000年にこの教会は驚くべき形で再建されることになったのです。それは以前のような高い塔の教会ではなく、卵形の小さな礼拝堂。大理石などの高価な素材ではなく、それは土と木で造られました。新しい何かではなくて、爆破された聖壇や鐘を集めそれを礼拝堂に置いたのです。高価なものは何一つありません、でも何とも言えない暖かみがそこにはあるのです。その場所に足を一歩踏み込んで分かりました、イエスさまがお生れになったのはまさしくこの様な場所であると。何故だが涙が溢れてきました。
 
 聖書は語ります。「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(「ルカによる福音書」2章6~7節)
 父ヨセフはこの時どんな気持ちだったのでしょうか。妻のはじめての出産、それなのに体を横にできる部屋さえ用意する事ができなかったのです。夫として男としてのヨセフの喪失を感じます。
 マリアの気持ちはどうでしょうか。神から預かった救い主のいのち、何よりも大切なイエスさまを飼い葉桶に寝かせるしかなかったのです。母だったら願います「もっと暖かい所で、もっと柔らかい場所で」と。でもそこには飼い葉桶しかなかったのです。ロマンチックで素敵な飼い葉桶ではありません。それはヨセフとマリアの喪失と悲しみが滲むような飼い葉桶です。
 
 そして想うのです。イエスさまが飼い葉桶のような場所にお生れになったからこそ、救いはわたしたちに届くのだと。そんな場所に生まれてくださるお方だからこそ、喪失感や悲しみの中に居る人々に本当のイエスさまの光が届くのです。
 気がつけば今年ももう12月、クリスマスです。笑顔で過ごせていますか? もし笑うことさえできないのであれば、「それでもいい、ずっとそれでいい」。イエスさまはそんなあなたのためにお生れになったのだから、「それだけでいい、ずっとそれでいい」。失う者には与えられ、悲しむものは慰められる、心からのメリークリスマスをあなたに。

 東京教会牧師 関野和寛

風の道具箱

天使の出番

 ある日のこと、神様は天使に声をかけました。  「この世界の中で何が一番だと思うかい?」。天使は「それは、人間がいちばん大切にしている、キラキラ輝いているものですよ」と答えました。神様は「それでは、それをここへ持ってきてくれないかい」とお頼みになりました。天使は「はい、よろこんで」と飛び立っていきました。天使は世界中を飛び回りキラキラ輝くものを探しました。「お金」「花」「宝物」「食べ物」。それらを持って帰ろうとしましたが、みな途中で輝きをなくしてしまうのでした。
天使は困り果て、小さな家の屋根で休むことにしました。すると、家の中から赤ちゃんの声が聞こえます。とっても嬉しそうな声です。天使はそっと家の中をのぞきました。ちょうどお母さんが赤ちゃんにお乳をあげているところでした。この嬉しいような、楽しいような、安らぎはいったい何だろう。形もなく色もないけれど、とっても幸せな気持ちがするのです。
 お母さんは赤ちゃんに「愛してますよいつまでも、大好きですよいつまでも」と子守歌を歌います。天使は、神様がいつも「愛している」といって抱きかかえてくださることを思い出しました。「そうだ愛だ。いちばん大切なものは愛だ。神様に持って帰れるものは神様がくださった愛だ!」と。
天使は大喜びで神様のもとへ帰っていきました。 (T)

牧師の声  私の愛唱聖句

津田沼教会 渡邊賢次

「この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の労苦は一日にて足れり。」
マタイ伝6章34節(文語訳)

 高校生になって宇和島(愛媛県)の高校に通っていた頃、本屋の店頭に亀井勝一郎全集が講談社から出版されているのが目につきました。その第7巻に「親鸞」が含まれていることに気づき、母に知らすと、母は早速それを買い求めて読み出しました。第7巻には、他にも「日本の智慧」、「西洋の智慧」という部分も含まれていました。 「西洋の智慧」の中に、聖書の主要な言葉が取り上げられており、母は「空の鳥を見よ」という文章の中に「明日のことを思ひ煩ふな」という主イエスの言葉を見出し、この言葉だけは本当だなあと思うと感慨深く私に漏らしたのでした。その聖句は、私にとっても大きな印象と影響を与えるものでした。
 それから私は大学に進みました。大学紛争は既に終わっていましたが、疾風怒濤の青春時代に突入していきました。順調に行かないことに直面し、孤独に悩み、幾度か挫折を経験しました。やがてルーテル教会に通うようになり、32歳で当時のルーテル神学大学の3年次編入が許されました。神学生生活も順調には進まず、もう駄目ではないかと思われる時が幾度もありました。
 しかし、神さまはそのたびに救いの御手を差し伸べてくださいました。多くの先輩教職の先生方や仲間たち、信徒の方々、また身内の者が力となってくれました。牧師になってから16年があっというまに過ぎましたが、今も試行錯誤の連続です。
 思い煩うことの多い私に、キリストは「今日」という一日を思い煩いながらも、精一杯生きるように今も招いてくださっています。
 キリストのみ言葉を通して教会につながることができ、多くの喜びや出会いを経験してきました。これからも神に自己放下して牧会に専念していきたいと思います。

信徒の声  信徒説教者として活かされて

博多教会 田村圭太

九州教区では、信徒教育のプログラムである「九州セミナリオ」が二〇〇三年春にスタートしました。クリスチャンホームの出身でもなくミッションスクールへの通学歴もない私は、受講者募集の告知が始まると、キリスト教の基本を学ぶ科目が網羅された信徒説教者コースの受講を、飛びつくように申し込みました。
 二年間の課程を終えて信徒説教者の資格が認証され、さっそく博多教会の主日礼拝において説教の奉仕をすることになりました。一か月前から当日の日課を何度も読み、黙想を繰り返し、注解書を参考に原稿を作り上げたものの、説教前日になって「私の説教は、聴く人々に届くだろうか。単なる自己満足で終わらないだろうか」と悩みました。
 そんな私に、ある友人がこう言いました、「田村が説教しているのではない。神さまが田村の口を使って語られるのだ、と思え。礼拝は神さまによるサービスなのだから。」この言葉のおかげで、私は心身から無駄な力が抜け、翌日は生まれて初めての説教を、平安のうちに終えました。
 当日の夜、先輩の会員の方が電話でこう言われました、「説教をしてくれて、本当にありがとう。」しかし、感謝すべき側は、神さまからの言い尽くせない恵みを受けた私の方です。私を支えてくださった全ての人に、説教を聴いてくださった方々に、そして何より私の口を用いてくださった神さまに。
 これ以降、今日までの5年半の間、福岡及び北九州地区の教会において、説教(一部は司式も)の奉仕を二十五回させていただいています。毎回、先述の悩みが心に湧きつつも、祈りながら力の限り説教の準備をし、先述のような感謝の思いに毎回満たされます。
 私は、説教の奉仕を積み重ねるごとに、「もっと説教について学びたい」と思います。私がいつも心の中で繰り返す聖句は、子どもの頃、日曜学校(他教派)で覚えた使徒言行録16章31節ですが、パウロとシラスが絶望した看守にこの聖句を語り受洗へ導いたように、自らの奉仕が決して独善に陥らず、み言葉が会衆の方々にしっかり届くよう、さらに研鑽を積み、私が説教準備を通じて受けた恵みを会衆の方々と分かち合いたいと常に思います。
 説教は私個人の業ではなく、神さまのみ業です。万人祭司の端にいる私を信徒説教者として活かしてくださっている神さま、そして会衆の方々に対して、感謝の念は尽きません。

園長日記 毎日あくしゅ

「クリスマスおめでとう」

 ことしもクリスマスを迎える時期となりました。
幼稚園では、収穫感謝祭を通してたくさんの恵みを神様に感謝する日々を過ごしています。その最も大いなるものは救い主イエス様の誕生です。
 教会の暦より一足? くらい早く、感謝祭の終わった頃から、幼稚園は「待降節」へと入って行きます。
毎週行っている礼拝では、アドベントクランツを用意して一本ずつローソクを灯していきます。
 初めてクランツを見た子どもたちは、四本ローソクが立っているのを見て、「たんじょうびのお祝い?」と、必ず何人かが言います。中には「たんじょうびのケーキ?」と言う子どももいます。そこで、わたしは、「そうね。これは”アドベントクランツ”と言って、イエス様の誕生を待つ間に使うものです」、また、「毎週一本ずつローソクの灯が増えて、四本ついたらクリスマスです」と話します。そして、一本目のローソクに灯をつけてイエス様の誕生についての話を始めていきます。子どもたちはローソクの灯を見ながら真剣に話を聞いてくれます。わたしにとっても、緊張して身の引き締まる思いがします。
 これから、イエス様の誕生についての話は続けられていきます。ローソクの火も一本ずつ増えていきます。そして、部屋を飾ったり、プレゼントを用意したり、降誕劇の練習? をしていよいよクリスマスの日を迎えます。この時期、子どもたちはキリスト教の幼稚園ならではの毎日を過ごしていきます。
 この大切な心あたたまる経験が、成長していく中でも一人ひとりの子どもたちの心に、時には小さく、時には大きく、灯がともされ続けていくことを心から祈る毎日です。そして、わたしたちも、イエス様の誕生を心から待ちのぞみ、お祝いすることのできる者でありたいと思います。
(1)むかしユダヤのひとびとは かみさまからの おやくそく とうといかたのおうまれを うれしくまって おりました。
(2)とうといかたのおうまれを みんなでたのしく いわおうと そのひかぞえてまつうちに なんびゃくねんも たちました。
(3)あるひ てんのみつかいは よろこびなさい かみのこが みんなのためにおうまれと たかいおそらで つげました。
      幼児さんびかより
神水幼稚園園長 寺本 晟

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その9

社会福祉法人キリスト教児童福祉会
情緒障害児短期治療施設 子どもL.E.C.センター

施設長 白鳥 哲

こどもL.E.C.センター(以下、センター)は、主に虐待を受けて心に深い傷を負った子ども達や発達に課題を抱えた子ども達を治療するための児童福祉施設として、平成13年4月に開設された情緒障害児短期治療施設です。現在、6歳から18歳までの32名の子ども達が、保育士・児童指導員などの職員と寝食を共にしながら、各々の抱えている問題を改善するために生活しています。
昨年4月に、開設以来の念願であった分教室が、町教育委員会によって当センターに設置され、小中学校から各々2名の先生が来られて、子ども達の教育に携わっています。
 センターの一日は、朝の礼拝から始まります。その後に朝のミーティングをして職員はそれぞれの持ち場に向かいます。月に1回は健軍教会の小泉牧師に来ていただいて、聖書の学びをしています。
センターで生活している子ども達は様々な問題を抱えていて、そのため、すぐに興奮する、他の子どもとトラブルを起こす、物事に集中できない等の問題を持っています。職員は時々子ども達から暴力、暴言を受けたりします。子ども達が社会で自立した生活ができるように支援しています。
 現在、子ども達が勉強している教室は教育環境としては十分でないため、10月から敷地内に教育棟の建築を始めています。建築資金は財団法人JKAからの補助金と社会福祉協議会からの借入金と寄付金ですが、約150万円が不足しています。
 全国の各ルーテル教会の牧師、役員会あてに献金のお願いを全国総会にていたしました。
 信徒の皆様がお祈りに憶え一人500円の献金をしていただければ、写真のような立派な教育棟を3月に完成させることができます。ご支援をよろしくお願いいたします。

第30回教会音楽祭テーマ曲「光」の曲募集

歌詞入選作はいずれもルーテル教会員!

 8月末閉め切られた教会音楽祭テーマ曲の作詩の公募では過去最多の24作品(内ルーテル6)が寄せられ、下記の3作品が採用されました。3作品ともルーテル教会の方々の作品でありましたことを、喜びと感謝をもってご報告させて頂きます。
 詩が決まりましたので、今回は曲の公募となります。採用作品は第30回教会音楽祭(2011年6月19日 東京カテドラル聖マリア大聖堂)にて歌い、主を讃美いたします。
これらの詞にふさわしい曲を、ふるってご応募ください。

応募規定=1人1作品、旋律の下に必ず全ての歌詞を記載のこと、未発表のもの。
応募方法=作品に住所、氏名、連絡先、所属教派、教会名を明記のこと。
応募締め切り=2011年2月末日(消印有効)。
提出先=〒105-0011 東京都港区芝公園3-6-18 日本聖公会東京教区事務所礼拝音楽委員会宛。
※旋律のみの応募、録音音源による応募も可。
音楽祭実行委員会で審査の上、採用者に通知しますが、採用作品でも添削を加える場合があります。なお応募作品は返却いたしません。
【問い合わせ先】
音楽祭担当=小海(日本キリスト教団荻窪教会〉TEL:03-3398-2104
【教会音楽祭HP】http://10.pro.tok2.com/~yoichis/kyokai_ongakusai/ongakusai/index.html

採用作品(歌詞)
【作品1】
田中栄子(日本福音ルーテル神水教会員)

1.朝の光が 聖壇に 
 ひとすじきらめき
 差し込んで
 私は一瞬 息をのむ 神様への架け橋ですね
2.ステンドグラスに  当たる陽が
 ほのかに心を 包みこむ
 私も共に 祈ります 神様との 語らいの時
  
【作品2】
木村満津子(日本福音ルーテル湯河原教会員)

1.光ふる 海原 
 波の色 変えてゆく 光よ どこから来て どこへ行く
 神のみ手から 
 そして
 人の心の深みまで
2.光舞う 草原 
 花の色 増してゆく
 光よ どこから来て どこへ行く
 神のみ手から 
 そして 
 人の心の高みまで
    
【作品3】
久木田恵(日本福音ルーテル池田教会員)

1.よろこびの歌 はずむ時 御業を信じて
 空を仰げば
 手をさしのべる 
 イエス様がいてくださる
 微笑の輝き 
 そらよ、そらよ、 
 優しく晴れて 
2.描いた夢が 消える時 御心求めて 
 空を仰げば
 光をそそぐ 
 イエス様がいてくださる
 なぐさめの静けさ  そらよ、そらよ、
 優しく晴れて
3.祈りの道を 歩む時 御言葉抱いて 
 空を仰げば
 寄り添い守る 
 イエス様がいてくださる
 やすらぎの約束 
 そらよ、そらよ、
 優しく晴れて

私の本棚から

中村妙子訳「サンタクロースっているんでしょうか?」偕成社

 有名な本で「サンタクロースっているんでしょうか」という本があります。今から110年以上も前の、1898年にニューヨークの新聞の社説が8歳の女の子の、「サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか?」という素直な質問に新聞記者のフランシス.チャーチが答えたものです。このような言葉で8歳の女の子に語っています。
 「バージニア、おこたえします。サンタクロースなんていないんだという、あなたのお友だちはまちがっています。きっと、その子の心には、いまはやりの、なんでもうたがってかかる、うたぐりやこんじょうというものが、しみこんでいるのでしょう。うたぐりやは、目にみえるものしか信じません。うたぐりやは、心せまい人たちです。心がせまいために、よくわからないことが、たくさんあるのです。それなのに、じぶんのわからないことは、みんなうそだときめているのです。
 けれども、人間の心というものは、おとなのばあいでも、子どものばあいでも、もともとたいそうちっぽけなものなんですよ。わたしたのすんでいる、このかぎりなくひろい宇宙では、人間のちえは、一ぴきの虫のように、そう、それこそ、ありのように、ちいさいのです。
 そのひろく、またふかい世界をおしはかるには、世の中のことすべてをりかいし、すべてをしることのできるような、大きな、ふかいちえがひつようなのです。」
 このように疑いをいだくのでなく、信じる心をもつことを記者は丁寧に伝えています。さらに、信じることは、人間にとっても最も大事な愛と信頼がそこから生まれてくることを語っています。
 信じる世界の中で生きること、これがキリストの誕生を祝うクリスマスです。信じる世界の中で私たちの心が新たにされ、愛と信頼に満ちた日々の生活を送っていきたいものです。(青田 勇)

東海教区宣教60周年記念信徒大会

 
実行委員長 平瀬暢子

 「プログラムが良くなければ、魅力的でなければ、人は集まらない、去るのみ。」このことを根本理念として、実行委員会は都合9回集まり協議し60周年記念大会に臨みました。
 まず、次世代を担って戴くために若い方々の参加を願い大人も子供も一緒に楽しめて、ルーテルを元気にすることを目的に、開会礼拝は子供中心の礼拝にしました。成人向きには講演会とパネルディスカッションを企画し、選択日本人参議院議員のツルネン・マルテイ氏を講師に迎えました。基調講演は「クリスチャンの使命」と題して。午後のパネルディスカッションでは氏はパネラーとして参加して戴き、活発な討議が交わされました。
 講演内容は「4回の落選を経てまでなぜ国政に携わったか」「四国48カ所を53日間かけて回られた理由とは」など、とても興味深いお話でした。また「他宗教とどう付き合うか」は私達に考える良い機会を与えてくださいました。堅いお話ばかりでなく「癒しの時」として、ソプラノの小杉由子さんの奉仕によるプチコンサートをもうけました。
 予定していた200名の参加者を迎え、帰り際に「良いプログラムだった」との言葉をいただきました。ここに至るまでには激論もありましたが、相手の立場に立って物事を考えたこと、パソコンによる新しいシートを開発して参加者名の間違いをなくしたこと、ドタキャンが赦されると言う悪習をなくしたこと、強い意見に押し切られることなく、どこまでも話し合いを続け得たことなどが印象に残りました。

第14回全国青年修養会

実行委員長 末吉潤一
 
10月9日~11日に、長崎市にある「長崎市立日吉青年の家」をメイン会場として、35名の青年(牧師を含む)が集まり、第14回全国青年修養会が開催されました。
 今年のテーマは、「We are PEACE makers」で、プログラムを4つの段階(ピース①~③・ピースメイキング)に分け、様々な平和から戦争を切り口とした平和までみんなで考え意見交換をしました。
 初日、初めましてとお久しぶりの仲間たち。ぎこちない雰囲気で始まるのではないかと思われましたが、予想に反して和やかな雰囲気で始まりました。「ピース①」では、参加者がイメージする「平和」についての分ち合いの時間を持ち、それぞれが想う「平和」は同じではないことを学びました。
 2日目、路線バスを使って、ルーテル長崎教会の礼拝へ。礼拝後には教会員方が作ってくださった美味しいお弁当をいただき、交流のひと時を持つことができました。本当にありがとうございました。その後、「ピース②」である戦争を切り口とした「平和」を学ぶために、「長崎原爆資料館」(戦争の被害的側面)と「岡まさはる記念長崎平和資料館」(戦争の加害的側面)へ。「原爆爆心地」や「平和祈念公園」にも行きました。参加者は、戦争の恐ろしさだけでなく、人間の恐ろしさや罪深さも感じました。
 「ピース③」の前半では、「ピース②」についての分ち合いを行いました。みんな、かなりの衝撃を受けていたようでした。後半、参加者の心を癒すべく、「キリストの平和」について安井牧師がお話と晩祷をしてくださいました。
 最終日、まとめとなる「ピースメイキング」。ピース①~③でそれぞれが考えてきた「平和」をどのように実現させていけるだろうかと意見を交わしました。最後の派遣礼拝では、1つ1つのピースを繋ぎ合わせて、十字架を完成させました。
 参加できた青年は35名でしたが、参加できなかった青年も含め多くの方々の想いを抱き「PEACE maker」として、それぞれの地へ派遣されました。
 来年も全国青年修養会で皆さんとお会いできることを楽しみにしています。

いちど、来てみん!!

浜名教会集会室建築委員 鈴木路加

 30畳ほどの宿泊可能な浜名教会集会室がよぉ~やく完成しました。関係者の皆さん、集会室建築を知り励ましてくれた皆さんには、ご理解・ご協力を頂き、本当に感謝いたします。
 「んっ?集会室?」と思った皆さんに説明をします。浜名教会は、新しい会堂の建築をきっかけに「地域に根ざした教会」を目指し、バンドやフラダンスの練習、学童保育など、地域の人が気軽に来られるように活動してきました。少しずつではありますが利用者が増え、教会が手狭になってきた事がこの集会室建築の最大の理由でした。
 次に「集会室では、何ができるの?」と思う方に説明をします。「浜名教会では、何でもできる」と思っていただいたほうが幸いです。海あり山あり川ありのちょいちょいした田舎ですし、色々なアイテムがこの教会には揃っています。 主催側の希望していることは、ある程度出来ます。但し、20人程度の少人数に限りますが…。いずれにせよ、一度浜名教会に来てもらうのが一番に正しくて、楽しいかと思います。「ま~、いちど来てみん」

SLEY宣教師 着任のあいさつ

ポウッカ・マルッティ

 九月からスオミ・キリスト教会で妻のバイヴィと共に牧師/宣教師として働き始めました。私はフィンランドの南部、人口約4000人の静かな場所の出身です。多くの湖や広大な森
林のある農村で生まれたので、森が大好きです。15年ぶりに来日し、東京には神様が愛する人間が、私の出身地よりもたくさんいることに再び気付かされました。だからこそ一人でも多くの人に、天国への道/イエスキリストについて伝えたいと思います。
(私は牧師と教会音楽家、妻のバイヴィは小学校の教師で、ここ数年日本の教育について博士論文を書いていました。)

吉村博明(信徒宣教師)

 長年フィンランドで暮らして誇れることがひとつだけあります。産時に、妻の手を握って赤子が頭から足まで無事出てくるのを全部見届けるのが夫の勤めという国柄です。炊事洗濯家事育児は職業人の妻とほぼ同等にこなしてきました。毎日が時間との戦い、体力の限界への挑戦でしたが、神の御言葉に支えられてやり遂げました。今回、日本にきて任命は私が中心なので、普通の日本の男に戻ってしまうと危惧しています。皆様よろしく。

住所変更のお知らせ

松隈貞雄先生
〒862-0909 熊本県熊本市湖東2丁目16番8号

2011年教会手帳住所録の訂正
小石川教会のFAX番号は削除。電話番号を(共用)としてください。

10-11-15るうてる2010年11月号

機関紙PDF

説教「終わりは始まりである」

「見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。」 
(ルカによる福音書 九章三十~三十一節)

教会の暦は、「待降節」から始まります。その「第一主日」は、十一月三十日の「聖アンデレの記念日」に最も近い日曜日と決められています。ですから必ず十一月二十七日から十二月三日の間に来ます。その一週間前が「聖霊降臨後最終主日」で、一年の教会暦の最後の日曜日です。また十一月一日は「全聖徒の日」で、この月の最初の日曜日を「全聖徒主日」として、召天者を記念する礼拝などを行っている教会も多いでしょう。つまり教会暦上では、十一月は、「終わり」を考える時期なのです。
 聖句はイエスが山上で変容された時の記事ですが、イエスの人生は「エルサレムで遂げようとしておられる最期」(即ち十字架上の死)を目指しての生涯でした。この地上にあって、イエスは御自分の死を見据えて、その生涯を歩まれました。私たちもこの地上での「終わり」があります。生まれたその瞬間から、私たちは自分の終わりである死に向かって生きています。

 個人的な証をさせていただきます。私は今から七年前に妻を亡くしました。その十年前に乳がんが発見され、その時点ですでに腰椎二ケ所に転移しており、主治医から「ステージ�」で、その頃の五年生存率は二十五%と言われていました。
 がんの宣告を受け、しかも最終ステージに入っていると言うことで動揺したと思いますが、それでも五年を超えて生きる可能性が四人に一人あるならば、その一人になれるようにと祈りました。
 この時から、妻はいつ終わるかもしれない自分の死を見つめて生き始め、いろいろなことに挑戦しました。まず一つは、その当時在籍していた教会でハープの演奏会があり、その音色に魅せられて、何人かの女性たちと一緒にハープを習い始めました。そして何年かの練習の後、ある年のイースター礼拝で念願の演奏をすることができたのでした。
 また、宣告を受けた時、一番下の長女は小学校六年生でしたが、その長女が成人になる数年前、「娘の成人式には自分で着物を着せたい」と考え、着物の「着付け教室」に通い出しました。時々体調を崩し入退院を繰り返しながらも続けて、着付けの資格を取りました。そして念願通り成人式の日、自分の手で娘に着物を着付けることができました。
 これらのことは、自分の終わりを意識し、与えられた恵みの日々を精一杯生きようとした妻の証しであると思います。
 結局妻は、がんの発見から十年間生きることができました。その十年目、いよいよ最期の時が近づいていることを告知されたとき、このようなことを私に話してくれました。
 「十年前がんになった時、神様に『三人の子供たちにはまだ手がかかります。せめてあと十年生かしてください』と祈ったら、本当に神様は願い通りに十年生かしてくださった。神様って本当に素晴らしい。」と。そして「だからもう何も思い残すことはない」と言って召されました。
 またかつてこのようにも話していました。「がんと言われた時に思ったのは、あなたや子供ではなくわたしでよかった」と。妻が「わたしでよかった」と言ったのは、それを自分の十字架として背負う信仰があったからでしょう。幸いもあれば災いもあります。それが人生です。「神から幸いを受けたのだから災いをも受けるべきである」というヨブの信仰を思いました。
 私たちは例外なく誰でもこの地上で死を迎えます。しかし、それで私が終わるわけではありません。この地上の死の後に、新しい生が始まります。私たちの終わりであるこの地上の死は、神の国での新しい命の始まりです。自分の死を見据えて生きることができる人は幸いです。

鶴ケ谷・仙台教会牧師 藤井邦昭

風の道具箱

こだわり続ける優しさ

 あるエッセイ集で次のような話をみつけました。
 「少女がバスの中で、途中から乗ってきたおばあさんに席を譲ろうとしました。腰を浮かせ、まさに声をかけようとした時、前の席の男性がすっと立ち上がり、先に席を譲ってしまったのです。気まずい思いで、少女は席に座っていました。しかし、バスを降りる時、おばあさんは席を譲ってくれた男性だけでなく、後ろの席の少女にも、『ありがとう』と頭をさげた。『席を譲ろうとしたことがわかっていたんだ』。おばあさんの一言に少女は人を思いやる心を学んだ」。  
 私たちも、席を譲ろうとしてなんとなくタイミングを失うことがあります。そんなとき、眠ったふりをしてその場をやり過ごすときもあります。どちらも気まずいものです。譲らねばと思えば思うほど、それができなかった自分に落ち込んでしまいます。そんなとき、このおばあさんのように声をかけられたらどんなに助かるでしょうか。
 おばあさんの「ありがとう」は、「あなたを見ているよ」という神様の声と同じです。わたしと共にいてくださる。神様の「こだわり続ける優しさ」がそこにあります。

牧師の声 私の愛唱聖句

田園調布教会 杉本洋一

「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」
フィリピの信徒への手紙4章4節

   
 高校生だった、教会生活を始めて間もない頃、悲しい忘れられない出来事がありました。親切に声をかけてくださった年配の婦人が、ほどなく礼拝に来られなくなりました。私は、キリスト者は誰れも、悩みも苦しみもなく、優しく、心が平安で、喜んでいるという一定のイメージを持ちながら足を教会に向けていたのでした。争いもなく、いざこざもないのが教会の集まりの姿であるというのを想像していました。
 当時、教会の中には、学園紛争の影響はあり、70年安保、靖国神社法案などの世に関わる歩みも教会の内部にあったのです。一方、熱心に、世に向けての「クルセード」のような大集会・福音伝道もありました。
 気になっていたあの婦人はどうされたか尋ねる機会がありました。聞いた答えは、彼女は自死をしたというものでした。大変な驚きを感じ、教会生活への不安を抱き、自分の期待していた思いとの大きなギャップがあるのに、戸惑いを憶えました。 聖書を読む限りは、分からないことがありつつも、なるほどと自分で納得しようとしていたのでしたが、自分で思い描いた教会生活と現実のそれとは大きな隙間があったのです。考えてみれば、自分が教会生活を理想化して思い描けば、描くほど、現実とは離れて、空しく受け止めることしかできなくなることを思い知らされるきっかけでした。自分なりに、これを受け止めるのに時間がかかったのでした。
 結局、教会に対する大きな期待と暖かな交わりを求めていたのでしょうか。でも、これは、今も変わりません。「主において」喜ぶことが、この時に、学んだことでした。自分の思い描く「あるべき姿」を求め続けているかぎり、その間の中で、行ったり来たりするしかありません。何処に、自分の基軸を置くかを婦人の死を通して教えられたことでした。
 この時から、私はこの言葉を私の歩みの傍らにおいて歩もうと思ったのです。
 それは今も、変わりなく、心に響いています。

信徒の声 ボランティア活動と伝道

市ヶ谷教会 梅田満枝

 「日本国際ボランティアセンター(JVC)」という、アジア・アフリカの国々で、地域開発や人道支援の働きをしているNGOがあります。このNGOをベネフィット(チャリティー)コンサートを通して、二十年以上にわたり支援し続けている、元ルーテル教会の宣教師夫人がいらっしゃいます。
 彼女の名前はアイネス・バスカビルさん(写真左)。 アイネスさんは毎年十二月に、企業から寄付を募って、東京と大阪で「JVC国際協力コンサート」を開催し、収益金をこのNGOに捧げていらっしゃいます。曲目は「メサイア」と「クリスマス・オラトリオ」を毎年交互に演奏します。
 私は延岡教会に通っていました若い頃、久留米教会でご奉仕されていたバスカビル先生ご夫妻と、英語キャンプなどでお会いしていました。そういう昔からのご縁で、定年後はなにかボランティア活動をしたいと思っていました私は、定年を迎えた時、アイネスさんのお誘いに応じ、以来十年程コンサートのお手伝いをさせていただいています。
 コンサートの目的は、もちろん、支援を必要としている人々を助けるための資金集めです。ひたすらに他国の人々のために、毎年、数千人規模の人を集めるチャリティーコンサートを成功させているアイネスさんの熱意と行動には尊敬の念を抱いている私ですが、それ以上に彼女をすごいと感じるのは、彼女の宣教する力です。
 長い年月続けてこられたこのコンサートは、彼女にとって宣教の実践の場でもあるのです。「神様の愛を分かち合い、隣人とも互いに愛し合いなさい」というみ言葉を実践されているのです。メサイアと、クリスマス・オラトリオを曲目に選んだ理由を「日本の皆さんにキリスト教と神さまのことを知って貰いたいから」と教えてくださったことがあります。
 私はある時期まで、教会の外で自分がクリスチャンであることを見せることは照れくさいと感じていました。年を重ねていくうちに照れくささはなくなってきましたが、まだ自分で伝道するほどの自信はありません。ですからこのコンサートでボランティア活動をすることは、アイネスさんと一緒に伝道をさせていただいているつもりなのかもしれません。今年もまもなくコンサートの時期です。

園長日記 毎日あくしゅ

『神さまありがとう』

 11月になり、暑かった熊本でもすっかり秋の色が濃くなってきました。園庭の木々は色づいて、どんぐりの木からは毎日たくさんの実が落ち、どんぐりのじゅうたんができています。また、幼稚園のまわりには県庁、江津湖など自然に恵まれたところがいろいろあって、園外保育(おさんぽ)を通して秋を感じることもできます。11月はいつにも増して、「神様ありがとう」が多い季節のように思います。
■子ども祝福礼拝
 全園児が教会堂で礼拝をした後、神様に愛され、守られて成長したことを感謝し、これからも元気でおおきくなりますようにとの祈りをこめて、一人ひとり牧師先生から祝福していただきます。子どもたちの神妙な表情に胸が熱くなります。
■収穫感謝祭
 キリスト教の幼稚園ではほとんど(みんな)行われていると思いますが、当園でも毎年11月の20日前後に「収穫感謝祭」をします。6月の「 花の日礼拝 」と同じように、とても大切にしている行事です。
 各家庭から持ち寄った、果物・野菜・花などをホールに集めて「感謝祭」の礼拝をします。幼稚園の畑で育てた野菜も一緒に捧げます。礼拝後、野菜や果物を少しずつ食べることもあります。
 また、病気の家庭へのお見舞いにしたり、慈愛園内の老人ホーム・パウラスホーム(特別養護老人ホーム)・乳児ホーム・近くの交番・消防署・病院などに持っていきます。どこへ持って行っても「ありがとう」「また来てね」…と言われてとてもうれしそうで、子どもたちにとっていい経験になっています。
 この季節に限らず、子どもたちは「ありがとう」を素直に言うことができます。うれしい時、何かを貰う時(お金を徴収する袋を渡した時)も…。
 私たち保育者(大人)もぜひ子どもたちにみならい、神様のめぐみを日々感じながら、いつも「ありがとう」と言える者でありたいと思います。
神水幼稚園園長 寺本 晟

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その8

社会福祉法人キリスト教児童福祉会
児童養護施設 聖母愛児園

施設長 石嶺 昇 

 聖母愛児園(カトリック)の始まりは、一般病院(中区山手町82)の玄関先に子どもが放置されていた昭和21 年4 月です。その後、駅や道路に置き去りにされている乳児を警察がシスター達のところへ連れてくるようになり、聖母病院からも同じような乳児が届けられました。
 シスター達は、一般病院(中区山手町82)内で、子どもたちの養育を始めました。
 昭和20 年代30 年代は、ドイツ・カナダ・ハンガリア・ポーランド・イングランド等のシスター達も活躍していました。
 昭和21 年8 月までに、子どもたちを22 名預かり、翌年8 月までには136 名受け入れるなど、献身的に働きました。昭和20 年代は戦後の混乱期であり、生後間もない子どもたちが放置されており、預かっても疾病や栄養失調等で死亡に至るケースが多く、献身的に働く職員たちの心中は、穏やかではなかったことでしょう。
 また、昭和25 年から昭和35 年までは、アメリカのご家庭との養子縁組があり250 組程の縁組みが成立していました。
 社会福祉法人キリスト教児童福祉会では平成18年10月に社会福祉法人聖母愛児園から法人移管を受け、この施設の経営に当たることになりました。 聖母愛児園65 年(平成22年現在)の歴史は、聖母会として59 年、キリスト教児童福祉会として6年と二つの法人によって成り立っています。圧倒的に聖母会としての歴史が長く、その功績は、賞賛に値します。
 平成22年8月には新建物が竣工しました。これまでの中舎制システムから、マンション型の小舎制へと、支援システムを移行しています。5LDKの間取りに子どもたち6名と職員が生活を営んでいきます。炊事、洗濯、清掃、子育てなど、全てがこの中で行われ、子どもたちは男女混合縦割りで構成されています。
 定員は、児童養護施設90名、地域小規模児童養護施設6名の96名です。
 横浜の戦後に大きな働きを尽くした聖母愛児園はこれからも、子どもたちの幸せを第一義とし、児童福祉に貢献していきます。
●ホームページ
社会福祉法人キリスト教児童福祉会
 http://kjf.jpn.org/
児童養護施設聖母愛児園
 http://seiboaijien.com/

高齢者伝道シリーズ 「遠慮しないで、訪問を願う」

下関・宇部・厚狭教会牧師 小勝奈保子

  訪問へ向かう私の原動力、それはスリランカでの体験が源となっています。ワークキャンプで子どもの施設に滞在しました。その時、敷地内にある教会のメンバーのおじいさんが入院したというので、シスターは施設の子どもたちと日本人を連れて、おじいさんを見舞いました。そこには娘さんとお孫さんがいて、シスターは娘さんと話した後、祈り、みんなで讃美歌を歌いました。
  高齢者の在宅介護の仕事を9年間しましたが、そのような場面に遭遇したことがありません。牧師が来訪し、祈り、讃美歌を歌う、子どもの姿を見かける機会も少ないように思います。
 日本では、病いや老いを何となく遠ざけてしまう風潮が根強くあります。預けてしまったという負い目もあるのかもしれませんが、ホームに入居した途端、疎遠になってしまう家族は少なくないのです。複雑な事情もあるのでしょう。
 旧約聖書の中でヤコブは死期が近づいた時、子どもたちを集め祝福を与え祈りました。息子たちは家族の歴史を思い起こしながら、これでよかったんだ、納得して父の死を看取ることができます。
 訪問について、これぐらいで牧師を呼んではと遠慮されたり、いつ牧師を呼んだらよいのか分からない、という声も聞かれます。牧師と妻が祈っている間、息子家族は遠慮して席をはずしてしまうことも。しかし、頼るべき方を示す祈りの場面に立ち合うことは、子や孫たちにとっても大切な出来事です。教会の中でどのような時、訪問をしてもらえるのか話し合っておくとよいでしょう。牧師の訪問を支えるサポート体制も課題です。

ELCAの動向

昨年10月号「るうてる」で報じたように、2009年8月、アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)は総会で特別声明「Gift and Trust(賜物と信頼)」を採択し、それに基づき逐条審議で同性愛教職者の容認を可決した。この教会の決議は同性愛に対する偏見や差別をなくし、生活上のさまざまな権利が認められていく運動が20世紀初頭から始まってきた欧米の長い歴史と無関係ではない。   
 今年に入り、9月11日付の『キリスト新聞』の紙面で「アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)不満派が新組織『米国ルーテル教会』結成」というセンセーショナルな記事が報じられた。この「米国ルーテル教会」(NALC)の脱退行動は「信仰告白の原則を維持する」という主張の下に、ELCAが昨年の総会で同性愛関係にある人を教職として認めたことへの反対から出たものである。
 アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)の現在の総会員は450万であり、教会数は1万2,000である。その内、ELCAから脱退し、新組織「米国ルーテル教会」(NALC)を結成したのは現在のところ18教会であるといわれている。 なお、9月11日付の『キリスト新聞』ではオハイオ州で8月26、27の両日開催された、NALCの発足会議にはタンザニアの福音ルーテル教会、エチオピアの福音ルーテル教会の代表も出席したと報じられているが、出席した2名はそれぞれの教会の正式代表ではなかったといわれている。
 ELCA総裁監督マーク・ハンセンは、8月24日、自らの書簡において、意見を異にする人との対話の難しさに悩まされる今日的世界の中にあっても、積極的な対話と議論の可能性がルター派教会の中に残されていると説いている。(宣教室)

私の本棚から

杉本健郎著「子どもの脳死・移植」(クリエイツかもがわ2003)

  
 ルーテル・医療と宗教の会という、医療従事者、教職者、そして一般信徒からなる会をご存じでしょうか? 宣教100年記念の年(1983)から東教区を中心に活動を続けています。今年の公開講演会(7月11日・雪ヶ谷教会)のテーマが「脳死と臓器移植~ともに命を考える~」(講師・聖公会引退司祭関正勝先生)でした。現在、世話人代表の筆者は、その準備のため、脳死臓器移植関連の資料を見直していました。
 手元にある出版物・論文などに目を通しましたが、新たな発見というより、この問題の論点はおおよそ出尽くしていると再確認しました。移植医療の現状と一般的な死生観が大幅に変わらないならば、議論の時というより、各自が決断する時と感じたのです。2009年7月11日に改正脳死臓器移植法が成立し、本年7月に施行されたのにもかかわらず、新聞報道のにぎやかさに比べて、新たな出版物はほとんどありません。
 さて、見直した資料の中で、やはりこの一冊に引きつけられ、おもわず再読してしまいました。杉本健郎著「子どもの脳死・移植」(クリエイツかもがわ,2003)です。本書は、1997年の臓器移植法施行から6年の時期に執筆されました。杉本先生と筆者は、同じ小児神経学を専攻し、ほぼ同世代であり、杉本先生が重度障害、筆者は軽度障害という違いはあるものの、子どもの障害に関わる小児科医という点で共通しています。
 この問題への杉本先生の熱い思いの背景に、ご子息が脳死状態となり、腎臓移植の提供者となったという事実があります。本書でも触れられていますが、杉本先生は、子どもの脳の専門家であり、その意味では、今後脳死判定に関与するかもしれない専門医です。そして同時に、臓器提供者の父親でもあるのです。
 神様から与えられたいのちと向き合う、いつ現実となるかもしれない、その決断の時に備えるために、私の本棚にある、手に取ると重い一冊をご紹介しました。
むさしの教会会員
横浜市中部地域療育センター所長
日本発達障害学会会長
       原  仁

河田 稔牧師を偲んで

引退教師 石橋幸男

 1958年、私が伝道師として益田に着任したとき、宇部のデール宣教師が関係教師だったので、毎月宇部教会に泊りがけ行って、河田先生の開拓伝道振りを拝見した。先生は多才で、「スポーツ万能牧師」と言われ、テニス、卓球、ボーリング、将棋、囲碁にすぐれ、これによって教会へ学生や青年を引き付け、体当たりの伝道を成功させておられた。
 わたしは1962年に米国留学し、その後1964年、市ヶ谷の学生センター、市ヶ谷教会に着任。伝道方策推進委員として、当時、松山教会で活躍中の先生などと全国の諸教会を巡回した。
 1970年に岡山に転任。同じ西教区の常議員として働くようになった。先生は教区長として、よく私宅に泊まられた。6年後、大阪教会へ招聘されてくる前、私は教区長として、先生を松山から天王寺に移っていただいた。先生と励ましあって、天王寺教会と幼稚園を盛んにした。
 先生には妙な欠点があった。高所恐怖症である。航空機が苦手であるのみならず、高層マンションの訪問もお出来にならなかった。
 しかし、勉強しておられるのを見たことはないが、日々の活動の中に説教の狙いをつけて学んでおられたのでしょう。従って、説教はボーリングでのストライク、球技では相手の弱点にスマッシュを打ち込むような痛快さがあった。
 先生は体質的に入れ歯がぴったり歯ぐきにつかないと嘆いておられるが、ある説教中、熱弁にうかされて、入れ歯が口から飛び出した。気づいた人はハッと思ったら、先生はぱっと右手で受け止め、すかさず口に納めて説教を続けられたという。
 最後に。病気に対する警戒心が足りなかった。「碁会所へ行って打ち合っていたら、途中でふらっとして、やめて帰った」、「聖書研究をみなさんの前でしていたら、口が廻らなくなって、途中でやめた」と言っておられた。
 引退後、松江教会へ牧会委嘱で行っておられて、ある晩、脳梗塞が起こったのに、朝まで待ってから、裏の日赤病院へ背負われてい
かれたが、時間が経ち過ぎていて、ひどい後遺症で不自由な身になられた。
 去る8月1日、「るうてるホーム」での礼拝説教後、病院に見舞い、頭に手を置いて祈ったところ、たいへん喜んでくださったのが、最後の別れとなった。
 切っても切れない先生との牧師としての交わりを深く感謝しています。 

谷口博章牧師を想う

引退教師  前田貞一

 谷口博章牧師が神様の召しを受け、故人の籍に移られたのはこの二〇一〇年九月二十五日のこと、心に残る先輩である。
 神学校卒業直後一九五三年に名古屋復活教会に赴任、その後米国留学を経て、上諏訪(兼・岡谷)、熊本、釧路の各教会を歴任し、さらにドイツで交換教師として十年間の奉仕をし、帰国後は現在の九州ルーテル学院チャプレン、その後、市川教会に赴任、二〇〇〇年に引退された。
 日本福音ルーテル教会が戦後、日本基督教団から離脱をして、再建日本福音ルーテル教会を組織し、同時に日本ルーテル神学校が再開されたその第一期生・六名中の一人(他の同期生には南里・林の諸氏)であった。ことのほか、個性的集団であった印象を残している。戦後の未だ揺籃期の神学校の中で、教科範囲・教科レベルを超えて真剣に格闘していた姿を記憶している。
 当時は現在のように日本語のキリスト教書物が在るわけもなく、教科書の多くは英文教科書であり、多くは、その範囲で精一杯。しかし、それで、満足できない様子であった。同氏の寮室ドアには「雑談者禁入室」と張り紙がしてあった。
 当時は、海外補助の下で、春秋二回一泊旅行が行われていたが、その頃から、海外補助金依存に強い抵抗を抱いておられた。
 ある年の旅行の朝、出発前の点呼の際に谷口氏の欠席に気付いた教授の指示で、隣室である私が呼びに行った。 ノックをしても応答がなく、教授にその旨を伝えた。教授は私を同道して再度部屋に向かい、私の部屋の椅子を出させ、それに乗って欄間窓から部屋を覗き「居るのは分かっている。出て来なさい」と声高に言った。中から「本人が『居ない』と言っているのだから、留守に間違いありません」と声が聞えた。・・・
彼は欠席した。「補助金で楽しんでいると精神が腐る」と云う持論からの拒否であった。
 堅物一辺倒ではなく、ユーモアもあり、真剣であり、一徹であり印象深い先輩であった。
 「福音と律法」を問い続けていた。 安直な「福音主義(…イズム)」について、「『…イズム』は依存症・中毒に他ならない。『福音主義』は福音を堕落させる」と言っていた。神学校卒業後、話し合う機会は無くなったが、氏が到達している境地を伺いたいと何度も思ったものである。余韻は今も残っている。そう云う意味において、彼は甦っている。
 氏が赴任した教会及び学校で接した多くの兄姉の心に彼は甦っているだろう。

宣教会議報告

 6月常議員会の議決に従い、2009年10月6日(水)と7日(木)の両日、ルーテル市ヶ谷センターを会場に2010年度の「宣教会議」が開催された。 出席者は、議長をはじめ本教会の四役、事務局スタッフ、信徒常議員、それに各教区から各々3名、合計25名程である。今回の主な議題は①各教区の宣教態勢(教会共同体の点検と今後のあり方)、②北海道特別教区の今後の方向性、③次期綜合方策の向けての準備協議。それと先の総会から付託され、財務委員会が作成した「教会年金負担計算式案」の説明が行われ、そこにて適切な意見と提案が出されたので、これらを踏まえて、来年度施行を図るためにも11月常議員会に最終案を提議する予定である。
 各教区の宣教態勢に関しては、各教区長による各々宣教方針及び教区宣教態勢の課題等の発題を受けて、教会と施設との関係、そこでのチャプレンシーの働きと意義、さらに現行の教会種別の見直しの必要性等の意見が出された。また、2008年総会で最終的決議がなされ、宣教態勢の一つとして実施されている教会共同体に関しては、各教区において取組において違いがあり、従来の地区宣教委員会との整合性等、問題点等が幾つか残されているにしても、将来の地区宣教態勢に備えていくためにも、教会共同体の全体的必要性については一定の共通理解を持った。
 北海道特別教区の今後に関しては、1978年からの北海道推進強化計画、1981年より特別教区設置からすでに30年以上の歴史を刻んできているが、実態は規則上の教区成立基準である12教会ではなく、教会数が4教会であり、特別協力金等による教区自立が困難な財政状況に中で特別基金である「北海道自立基金」からの600万円を人件費補助として財政投入が図られている。基金の活用限度と地域自給の在り方、東教区との一層の連携と共同の可能性、さらに教区性の妥当性等も含めた新たな北海道伝道の中・長期的計画案の作成が次期総会までに教区及び本教会に求められている。
 次期綜合方策(仮称・第6次綜合方策)は作業部会を11月に設置し、過去の、第1次から第4次綜合方策及びPM方策( 期限2012年度) を総括しつつ、現状の刷新と変革も含めての教会の成長と発展を図るための草案作成を来年度中に実現し、教会常議員会の議決を経て、2012年度総会に上程予定していくことが相互に確認された。(宣教室長・青田)

東地域教師会退修会報告

 毎年秋恒例の教師会退修会は9月14日と15日、御殿場にて開催、講師に江口再起氏を迎え、「ルター神学と教会の『今』」をテーマに行われた。参加者は講師を含めて30名。
 江口氏は今年7月に「神の仮面」を著し出版されたので、これをテキストとして事前に各自学習し、講演と議論に臨んだ。
 ルターにまつわる神学論議などでなく、現代社会の諸問題、ことに新聞紙上でも取り上げられた身近な事件や話題を、ルター神学から解釈すると何が見えるか。それが著書「神の仮面」の主題であり、今回の退修会でもそれを取り上げることにした。
 江口氏自身ルーテル教会の教職者、今は東京女子大学教授という職にあるため、外から自分の教会を眺めることができるというユニークな立場にいることが、今回の主題をより興味深くしてくれたように思う。社会問題をルター神学で斬る手法もさることながら、同時に、ルター派教会の特徴、ルーテル教会の牧師像などを、氏自身が仕事上出会う他教派の牧師たちとの会話や
大学でのやりとりと比較しながら語る独自の見解は、とても鋭くかつ心強かった。
 喉をからしての熱弁に役員もようやく気づき、そっとペットボトルの水を差し出すも手を着ける気配まったくなし。「今度こそは・・」と水をコップに注いで勧めるが、ひとことお礼をいうと、結局そのままマイクから手を離すことなく100分語り尽くした。聴講した我々もそうだが、ご自身にも思う存分満喫できたひとときだったのではと
思っている。 地域教師会長 浅野直樹

10-11-15るうてる福音版2010年クリスマス号

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「11月の男」

 ドイツの南部にシュヴェービッシュ・ハルという小さな古い街があります。その街の中心のマルクト広場の片隅に、Waldemar Ottoという現代芸術家が作成した一体のブロンズ像が立っています。
 ポケットに手を突っ込み、うつむき加減で陰鬱な表情を浮かべて立ち尽くしている、痩せたこの男の像には「11月の男(Mann im November)」という題が付けられています。なぜ11月の男なのでしょう?
 実はドイツ人に、あなたの一番嫌いな月はいつ?と聞くと、ほとんどの人は「11月」と答えるそうです。えっ11月が一番嫌い?私の中での11月のイメージといえば、以前京都にいた頃の記憶、たくさんの観光客が押し寄せる、秋の深まる一番美しい賑やかな季節、というものでした。それなのになぜ?と疑問に思ったのですが、実際に11月のドイツを体験してその理由がわかりました。11月、美しい秋はとうに過ぎ去り、冬の戸口に立ちつくしたまま、日ごと確実に昼が短くなる中で、薄暗く肌寒く、しょっちゅう冷たい雨が降り、時には雪が降ってはすぐに溶けてじめじめする。そんな感じの季節なのです。そして、それはいわば、夏から秋にかけては自分のすぐそばにあったはずのいろいろな楽しいものや心地良いもの、例えば暖かな日の光であったり、爽やかな風であったり、目を楽しませる花や緑であったり、そういったものが、次々に失われてゆく時なのです。ブロンズ像「11月の男」がなんとも寂しそうな顔をしているのは、きっと自分からあらゆるものが失われてゆく時にじっと耐えているからなのでしょう。
 それではドイツ人が一番好きな季節はいつでしょうか?多くの人がなんと「12月」と答えるそうです。その理由を、ドイツ語学校のある先生は「クリスマスを迎える12月は光の季節だから」と教えてくれました。北半球での冬至の時期と重なるクリスマスは、1年で一番夜が長くなる時でもあります。日本よりも緯度の高いドイツの12月は4時には日が沈み、8時になってやっと夜が明ける日が続きます。ですから12月は本来11月よりもさらに風は冷たくなり、草花は枯れ果て、夜の闇は増してゆくそんな季節なのです。しかし、クリスマスのために準備していく4回の日曜日、アドベントの時の間に、街はますます光に溢れていきます。人を取り囲む闇が深くなればなるほど、光もまた強く輝き始めるのです。
 ブロンズ像の「11月の男」は悲しげな表情のままで時間を止めてしまっています。しかし、今を生きている私達には、あらゆる物が自分から失われてゆくようにしか見えない時のその向こう側から、光溢れる時が確実に近づいているのです。(L)

日本で最初のクリスマス

 日本での最初のクリスマスはいつだったのでしょうか。
 1549(天文18)年8月に最初の宣教師として鹿児島に上陸したフランシスコ・ザビエルは、領主島津貴久の歓待を受け、1年ばかり鹿児島に留まっていますので、その年の12月、鹿児島で最初のクリスマスを祝ったと思います。でも、これは公的な記録として確かめることはできません。記録として残っているのは、1560年、九州の豊後・府内(現在大分市)において降誕劇を伴うミサ(礼拝)が挙げられています。

一方、プロテスタント教会での最初のクリスマスは、1872(明治5)年ではないかと言われています。アメリカから来た宣教師ジェームス・バラを中心に日本人の青年信徒9名と中年男性2名により、日本での最初のプロテスタント教会である横浜公会(現在の横浜海岸教会)が設立されているので、そこで最初のクリスマスが祝されたのではないかと推測できます。
 確かな記録として残っているのは、1874(明治7)年に東京・銀座で女学校を経営していた原胤昭(はらたねあき)が東京第一長老教会で洗礼を受けた感謝のしるしとして計画したクリスマス祝会です。それは「キリスト教家庭新聞」に記載された原胤昭の回想録に記されています。裃や刀、大森かつらをつけた殿様風のサンタクロースで、パーティー自体の装飾も提灯や芝居の落とし幕などを飾った純和風のクリスマスだったようです。視察に来た米国公使館員は、ミカンで飾った十字架を見て、それはカトリックのやることだと注意されたので、その十字架は撤去されたそうです。
 日本でのルーテル教会のクリスマスはどこで最初に祝われたのでしょうか。
 初代の宣教師シェーラーが日本の地を踏んだのは、1892(明治25)年2月25日です。第二番目の宣教師ピーリーは同じ年の11月23日に来日しています。二人は共に東京築地12番の外人居留地に寄寓しています。シェーラーは次の年の1月に、ピーリーは3月に九州・佐賀の伝道に赴いていますので、1892年のクリスマスを二人は共に居留地の教会か、他教派の宣教師住居で祝ったのではないかと考えられます。
 なお、フィンランドからの日本への宣教師となりますと、それはシェーラーから遅れること8年後の1900(明治23)年、ウェルローズ宣教師が一家4人と、それに17歳のクルビィネン嬢と一緒に九州の長崎に到着しています。実に彼らは、2ヶ月半にわたる船の長旅の後、待降節に入っていた12月13日に長崎に到着し、旅装を解いています。長崎のどこかで、未知の国、日本に到着した安堵感と感激を神に感謝しつつ、将来への期待と多少の不安を抱きながらクリスマスを家族と共に祝ったことでしょう。
 悲しいかなウェルローズ宣教師は、愛児の一人が召され、彼自身も慣れない日本の気候に合わないこともあり、健康を害したので、次の年の夏が終るとすぐにフィンランドに帰国してしまいます。長崎の日本でのクリスマスは、ウェルローズ宣教師一家にとって最初で最後のものとなってしまいました。
 なお、ウェルローズ宣教師一家が悲しい出来事により日本を去った後、一人残った17歳のクルビィネン嬢は、すでに佐賀で伝道していたピーリーから「一緒に働きましょう」との招きを受け、長崎の隣りにあった佐賀ルーテル教会で礼拝のオルガンを弾いたり、若い人々に英語を教えたり、ピーリーの下での教会学校の教師をしたりして、日本伝道のために生涯を捧げていったのです。
(青田)

いのち、はぐくむ(18)「聖夜」

中井弘和 静岡大学名誉教授 農学博士 

『彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らが泊まる場所がなかったからである。』
(ルカによる福音書2章6-7節)

 クリスマスの季節になると、いつも昔読んだある詩の情景が浮かんできます。大晦日の夜更け、貧しい母と二人の子供が人影もなくなった裏通りの餅屋の前に永い間立っていました。子供たちは母親の袂にすがって餅を買ってほしいとねだっています。母親もそれを買いたかったのです。何度も財布からお金を取り出しては数え、買おうか買うまいかと迷いながら、苦しい沈黙の時間が過ぎていきました。やがて、母親は聞こえないほどの吐息をついて黙って歩き始めます。子供たちも、餅のことはすっかり忘れたようにおとなしく母親に従って、寒い町を三人は歩み去っていきます。
 この『三人の親子』の作詩者、千家元麿(せんげもとまろ)(1881-1946)という詩人は、そのような情景描写の後に、その親子の姿は誰も見なかったが、「神だけはきっとご覧になっただろう」と謳います。この詩は、遠い時代の大晦日の話ですが、これをクリスマス前夜の、しかも、現代の物語に置き換えることも可能です。今、クリスマスの季節の商店街は、いずこもクリスマスツリーやイルミネーションなどで明るく豪華に飾り付けられ、クリスマスソングも常に流されて、華やかさと喧騒は年々増していくように見えます。しかし、その裏では多くの貧しい人々が、ケーキといわずその日の糧にも事欠きながら哀しい夕べを過ごしているに違いありません。
 世界の飢餓人口は、10億人をはるかに超えて史上最高に達したと報じられています(国連食糧農業機関,2009年7月)。1日2ドル以下で生活する貧困層の人口も、このところ30億人に及ぶ勢いです(アジア開発銀行報告、2010年2月)。その犠牲になっているのが、子供や女性たち弱い立場の人々であることにも注目しなければいけません。子供の餓死者は年間1000万人ともいわれます。しかも、そのような飢餓や貧困は、私たち日本人にももはや他人事ではなく、すぐ身近にも存在する現実となってきたことは周知のことです。
 イエスは、寒い夜、馬小屋でマリアから生まれ、飼い葉桶に寝かされました。これはその一人子を地上に贈り、飼い葉桶から世界を照らすという神の深い配剤であり愛の証しであったでしょう。イエスはそこから光の道を歩み始め、やがて、あの山上での『貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。』(ルカによる福音書6章20節)の御言葉を告げ知らせるのです。
 クリスマスが貧しい人々のためにあるのはどうやら確かなことです。聖書は、また、私たちに、謙虚な気持ちをもって貧しい人たちと分け合って人生を歩んでいくことを教えています。私たちの神の国に通じる道はやはりそこにしかないように思えます。クリスマスは、そのことに気づく良き機会でもありましょう。

スイスでのクリスマスの思い出

安藤淑子 

 20年近くスイスのジュネーヴに勤務し、定年で帰国してから六年ほどになります。
 毎年、降待節一週間前になるとスイスではどこでもクリスマスの飾りつけがなされそれは綺麗です。個人の家の内外の飾りつけは勿論のこと、町も村も広場に大きなクリスマスツリーを立てます。時には広場に植えてある樅の木や針葉樹がクリスマスツリーとなり電飾やモールなどで飾られます。
 ジュネーヴは北海道の宗谷岬より少し北に位置し、冬は寒さが厳しく日照時間も短いのです。朝は八時過ぎに東の山々の上に太陽が昇り始め、夕方の四時には既に暗くなります。冬には太陽を全然見ない日が続くことも良くあります。そこで人々はクリスマスと冬至がほぼ重なることもあり、「もっと光を」の気持ちになるのかも知れません。
 クリスマスの飾りつけはキリスト教国として長い歴史があることもあり、日本では見ることのできない、楽しくまたセンスの良いものが多いと思います。例えば、お店の入り口が緑の樅の枝で縁取られ、赤いリボンや、クリスマスの飾り用の白いガラス玉が樅の緑に映えるという具合です。
 降待節の間は目のみならず耳でも楽しむことができます。それは、テレビやラジオでクリスマスの番組や音楽をどんどん流すからです。またクリスマスの頃にのみ販売する特別のお菓子もあります。
 ひどい寒さの中、ヴァンショウという暖められたワインを街頭のスタンドで飲み、体を温めながらクリスマスのプレゼントを買いに行ったことも今は懐かしい思い出になりました。(蒲田教会会員)

10-10-15るうてる2010年10月号

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説教「始めの地点に」


「それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。」ローマの信徒への手紙6章3節

道に迷った時は、始めの地点に立ち戻るのがよいと言います。キリスト者の生活も繰り返し、始めの地点に戻って歩み直す生活ではないでしょうか。私たちの生活の始めは、キリスト者として私たちの生活はどこから始めたのでしょうか。
 「キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを」(ロマ6・3)とパウロは立ち戻ろうとしています。「洗礼」を受けたことは一体何なのか、「悔い改め」「洗礼を受ける」、そこにキリスト者の生活の出発点があるのです。 「私たちは洗礼を受けたではないか」「洗礼とは何だったのか」と言うのです。あなたが「洗礼を受けた」ということ、それがあなたの今日のキリスト者としての生活の出発です。まだ洗礼を受けられておられない方もおられるでしょう。その方にはぜひ、洗礼をお受けになることをお勧めしたいと思います。
 まず真っ先に「あなたたちは洗礼を受けている」、そこに恵みがあります。その恵みを思い起こしなさいというのです。「洗礼を受けている」ということは、「それによってキリストと結ばれている」ということです。キリストと一つにされているとも言われています。キリストは洗礼を通してこの私を、ご自分と結び合わせてくださったのです。
 キリストに結ばれているということは、決定的なことです。パウロは「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」(Ⅱコリント5・17)と言いました。
 それでは、キリストに結ばれて新しく生かされるということはどういうことでしょうか。苦労のない人生が始まるのでしょうか。
 苦労はあります。しかし苦労の意味は違います。「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならない」(Ⅰコリント15・58)ともいうのです。「主に結ばれている」ということはたいへんなことです。苦労が無駄でなくなる。どんな苦労であれ、キリストと結ばれてなす苦労であれば、何一つとして無駄にならないというのです。 信仰生活上の苦労、教会の苦労というものもあります。その他キリスト者として経験する家庭の苦労、職場の苦労もあります。他者のための苦労もあります。しかしそのどれ一つも無駄ではないのです。
 洗礼は苦労のない人生を約束してはいません。しかし苦労が一つとして決して無駄にならない人生を約束しています。一日を始めるとき、今日も苦労だ、いやだな、ではない。主に結ばれて、決して苦労が無駄にならない一日の開始だと信じる。
 洗礼を受けたが人生は変わらないという人がいます。表面でなく、根本が変わっているのです。キリストと結ばれたことで、人生のすべてが変わったのです。
 洗礼を受けている恵みから、私たちはもっと力を、新しく生きる力を得るように心がけましょう。洗礼の力を信じましょう。主が洗礼を授けよと言われたのです。「信じて洗礼を受ける者は救われる」(マルコ16・16)とも言われています。洗礼によってキリストに結ばれたのです。この確信を持ち、洗礼を受け恵まれた人生を喜びましょう。
 ルターも試練のとき、キリストにしがみつく以外になかったといいます。それは御言葉にしがみつくということでしょう。同時にルターは「洗礼を受けている」と自分の机に書いたというのです。
 自分が孤独に思われるとき、無駄な労苦の日々をと思えるとき、自信を失うとき、病むとき、思い起こしましょう。「私は洗礼を受けている」。毎日の生活の中で朝、生き始めるとき、思い起こしてください。
長崎教会牧師 濱田道明

風の道具箱

夜明けの子守唄

家族旅行すると、毎回楽しい発見でいっぱいです。今年はちょっと足を伸ばして信州へいってきました。その宿泊先での大発見です。
 その夜、電気をつけずに親子が並んで寝ていました。「おやすみなさい」の時はきちんと並んでいます。ところが、寝ている間に大移動が始まり、あちこち動き回るのです。夜中におきて子供たちを探すのです。
 明け方のことでした。あちこちに散らばって寝ているとき、次女が突然立ち上がったのです。薄暗闇の中で不安を感じたのでしょうか。ひとこと叫びました。「お父さんはどこ?」。この言葉に、嬉しさと感動がありました。単なる親バカなのですが、暗闇の中で「お父さん」と呼ばれることがいかに嬉しいことかを実感したのです。そして「ここにいるよ」と優しく声をかけたときの幸せを。
 イエス様は神様を「お父さん」と呼ぶようにいわれます。人生の暗闇の中で「お父さん」と神様に呼びかける。神様は「ここにいるよ」と答えてくださいます。その一言がどんなに嬉しいことか。夜明けの子守歌は、神様のみ言葉そのものなのです

牧師の声 私の愛唱聖句

小石川教会 徳野昌博

人の心には多くの計らいがある。主のみ旨のみが実現する」。箴言19章21節

聖句は、言うまでもなくひとつだけではありません。今回紹介するのは、物心ついて、といいますか、中学生になって初めて参加した、いわゆる「堅信キャンプ」を過ごす中で、出会った聖書の言葉です。
 当時のわたしは、この言葉に衝撃を受けたのです。その衝撃のせいでしょうか、それ以来、今日に至るまで、折々に、心に浮かんでくる聖書の言葉の一つになっています。当時使っていた口語訳聖書では「人の心には多くの計画がある。しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ」でした。この言葉でなら、今でもそらんじて言えます。
 どういう衝撃だったかと言うと、それは否定的なものだったのです。この言葉に出会って、がっかりしたのです。失望させられたのです。運命論者にもなりかねない、そんな衝撃です。
 中学生ですから、将来何になるか、どういう職業につくか、可能性は限られていたとしても、夢だけは、憧れだけは、たくさんあって、胸の中に秘めていたように思います。そんなわたしの可能性や夢、あこがれを、一気に奪い取ってしまう、そんな神様の意地悪な言葉に愕然とさせられたのです。抗うことのできない「運命」なるものを知らされたと言うことです。やりたいことができない。逆に、やりたくないことをさせられる、そんな心境だったでしょうか。
 自分でやりたいことをやれる。そういう人は幸せだなぁと思います。それが天命であり、使命というものだろうかと羨ましいくらいです。
 でも、やがて「使命」というものは、生かされている今、ここで、託された課題、仕事に誠実であろうとして、やむを得ないこととして担い、そして、果たしていくものだと思うようになりました。受身なのです。
 そんなわたしに、神様は「男らしく、腰に帯をせよ」と言われます。あっ、これも愛唱聖句でした。

信徒の声 教会学校と歩んで

天王寺教会 三戸真理

 クリスチャンホームに育ち高校時代に神様や聖書について少し知っているつもりでしたが、実は何も解っていなかったことを知らされました。
 甘木教会で牧師に相談すると「学んで解って信仰告白するのでなく、解らないから神様が居られる。はじまりだ。」と話してくださり堅信式に与りました。
 大学時代に西宮教会で教会学校に関わるようになり、幼稚園教諭となってからも天王寺教会で教会学校の教師を続け、子どもたちと一緒に神様のことや聖書を学んでいきました。
 教会学校の校長になったのは結婚や出産の7年のブランクを経て、我が子と教会学校に戻ってすぐでした。「世代交代だ」とバトンタッチされたものの、これまでの活動を振り返るとリードしていくには未熟で、我が子もまだ幼かったので、その責務が重くのしかかりました。
 でも役員会や教師会などの会議がある時は、子どもは教会の皆様が見守り、助けていただいてきました。そして教会学校のスタッフともよく意見を聞きあい話し合って、皆で補い合って奉仕を喜んで出来るように心がけていくと、大変だと思うことも教会学校を通して自分自身が養われ成長させられていることを気付かされました。
 20年前よりは子どもの人数は減りましたが、近年子どもたちだけでなく大人も教会学校の礼拝に参加されるようになり感謝です。これまで、子どもたちが教会で受け入れられていることを感じるように礼拝や教会学校礼拝でも配慮をした活動をしたり、付属の幼稚園と交流を密にして合同の行事を行ったりしながら、特に若い教会員の家族と話をしたり、何より子どもたちや保護者の一人一人に声をかけ向き合うことを大切にしています。
 奉仕を続けていく中で、すぐに結果が出るようなものでなく、目に見えないものが多く、悩んだり迷ったりすることもありますが、子どもたちを通して神様の恵みをより知り、祈ることを一番教えられている気がします。

園長日記「毎日あくしゅ」

ドングリの木の下で

神水幼稚園は、昨年、創立80周年を迎えました。
本館は、創立当初のまま現在も使用しています (耐震・補強工事済で安心です)。レトロな雰囲気が人気です。二つの保育室の一隅には、ままごとべやが設置されていて子どもたちの大好きな遊びの場となっています。
 「ままごと」はその時々を反映する楽しい遊びです。そこでの会話に思わず「くすっ…」とすることもあります。また、園庭の真ん中には創立時に植えられたどんぐりの木(樹齢100年を超えている)が三本あり、幼稚園の歴史を見守っています。
 どんぐりの木の下は皆にとって憩いの場。大きな木陰の中で、日々子ども達の遊び場がくり広げられています。泥だんご、しゃぼん玉、おにごっこ等々遊び疲れた子ども達がひと休みすると、心地よい風が吹いていやしてくれます。
 また、ござを敷いておべんとうを食べることもあります。10月末頃からは実ったどんぐりの実がたくさん落ちて、遊びはどんどん広がり豊かになっていきます。ままごとの食材、どんぐりを使っての様々な製作、拾ったどんぐりの数えっこ等々。どんぐりのじゅうたんを敷いたような日も少なくありません。年間を通してくりひろげられるどんぐりの木の下での遊びは、これまで同様、これからも子ども達によって続けられていくことでしょう。
 毎日、鳥たちが憩いにやってきます。子どもたちを迎えにきたお母様方も、飽くことなく楽しいおしゃべりがはずみます。
 このようなことを見通して幼稚園を設立された方々に、改めて頭が下がり、感謝の気持ちで一杯です。機会がありましたら、是非一度お立ち寄りください。お待ちしています。
神水幼稚園園長 寺本 晟

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その7

社会福祉法人キリスト教児童福祉会
児童養護施設「広安愛児園」

施設長 山口邦久

「神の家族」として

 広安愛児園は、1948年、まだ戦後の傷跡が生々しい最中、巷に溢れていた戦災孤児たちを保護するためにアメリカの宣教師モード・パウラス先生によって創立されました。
 先生の「神の家族」というキリスト教精神を基本理念とし、その実現のために創立以来、一貫して小舎(ホーム)制による年齢は縦割り、男女一緒の、できるだけ家庭に近い環境の中での家庭的養護を堅持・実践してきています。   現在、1万9千坪の敷地を有する本園に6個のホームと地域の中に地域小規模児童養護施設1個を運営しており、児童定員は66名です。スタッフは32(うち非常勤5)名で、各ホームに保育士2名、児童指導員1名を配置し支援にあたっています。
 子どもたちは、その多くが「家庭養護困難」という事由で入園してきますが、実質は虐待の一つである「ネグレクト」が大半です。身体虐待により心に大きな傷を受けている子どもたちの入園も増えてきています。加えて、知的障害、学習障害、ADHD、アスペルガー症候群など、いわゆる軽度発達障害の課題を抱える子どもたちも増えてきていますので、園内で心理療法士のセラピーやカウンセリングを受けているほか、地域のクリニックへ定期的に通院するなど医療支援も必要です。
 所属する教会は健軍教会で、チャプレンである小泉基牧師に創立記念礼拝を始め、各行事での礼拝やホーム礼拝、教会学校などでのお話しをとおして子どもたち一人ひとりが神様に守られていると安心感を与えられています。また、職員も聖書の学びや奨励をとおして霊的に養われ働く上での心の糧と指針をいただいています。
 クリスチャンワーカーは少ない現状ですが、広安愛児園で働く職員は、キリスト者であるかどうかにかかわらず、等しく神様の働き手として召し出されている存在だと思います。 そのスタンス、ミッションにしっかり立って、「神の家族」であるすべての子どもたちをかけがえのない存在として尊重し、神様にすべてのことを委ねながら子どもたちにサービス(仕え、支えていく)していきたいと願っています。

「高齢者伝道シリーズ(P2委員会)「傾聴」

東教区付嘱託牧師 伊藤早奈

 今年の8月上旬に天に召された方がおられます。その方をAさんとお呼びします。Aさんは私が牧師として用いられた2003年から、東京老人ホームのお部屋を訪問させて頂き続けていた方の一人です。その中で唯一、私が働かせて頂いた当初からの訪問者でした。
 Aさんを通してみ心に聴くことはたくさんありました。毎週必ず一度はお部屋を訪問する私に「ああ伊藤さん」といつも笑顔で迎えてくださいました。目が不自由であり難聴のAさんの部屋に車椅子の私が行くので大変な時もありました。もちろん耳元に近づいてお話もできません。近くに行かれない私がじっとしていると「ああ伊藤さんかぁ」とすぐ気付いてくださいました。
 7月の中旬より調子を悪くされ、お部屋に訪問できなかったりできたり不安定な日が続きました。ある日お部屋に入ると「誰?」と不安と疑いの目が向けられました。このままではいけないとワーカーさんと出直し、Aさんの耳元で私の名前を言ってもらい、手をそっと握りました。Aさんは「伊藤さんかぁ」とホッとした笑顔で受け入れてくださいました。
 カウンセリングを学ばせて頂いていた私は『傾聴』とはしゃべりまくる人の言葉をひたすら聴くというイメージがありました。それと同じくらい言葉を話すことのできない「ことば」を感じるということも大切な『傾聴』であり、そこには『信頼』という大きな関係が必要なのだとAさんを通してみ心に聴くことができました。Aさんありがとう。

第12回 ルーテル子どもキャンプ報告

 主のみ名を賛美いたします。
 みなさまのお祈り、ご協力、ご支援により、去る8月3日~5日、広島教会を会場として、第12回ルーテルこどもキャンプを無事に行うことができました。今年は全国から43名のこどもたちが集められました。
 今回の「ヒロシマ」キャンプでは、原爆投下による「被害」、および投下後に行われてきた日本人による韓国・朝鮮人の方々への差別という「加害」、荒廃後の世界各国からの「支援」について、そして「赦しとは?」を含めて、平和について見て、聞いて、触れて、考えました。
 また、「ヒロシマ」についてのみにとどまらず、今もなお、戦火にあるパレスチナのこどもたちのことも知り、自分と同じこどもが生きることそのものに困難を持っていることも知りました。
 自分たちの身近なところからできる平和の実現とは? 一人一人が一生懸命考え、みんなで祈り、みんなで賛美をする2泊3日間であり、また、友と一緒に生活を楽しんだ2泊3日でもありました。  こどもたちは5・6年生ですから、このキャンプでの体験をしっかりした
「知識」として持ち続けていくことは難しいかと思いますが、「経験」となって、いつか真剣に平和について考えるときの足がかりになることを切に願っています。
 こどもたちはお互いの住所を交換して日本各地に仲間がいることを喜び、そして、一人ずつ広島教会の鐘を鳴らして「平和を実現する者となる宣言」をしてそれぞれの地へ帰っていきました。
 昨今の複雑な世の中で、こどもたちが神さまに信頼して健やかに成長していけるように祈っています。       
キャンプ長  松本奈美(神戸教会)

るうてる法人会連合第6回研修会

 るうてる法人会連合の第6回研修会が8月24日、25日、熊本の九州ルーテル学院大学を会場に開催されました。
 当日、会場で配付された資料の「参加者名簿」には、熊本市内の教会と東京の事務局から宗教法人として12名、3つの学校法人から17名、8つの社会福祉法人と社会福祉活動をしている1団体から32名、16の幼稚園と保育園から34名、計95名が登録されていましたが、それ以外にも参加された方々がおられたように見受けました。
 今回は、「『あたたかな人間関係をめざして』+計画と継承 ~新たな人材養成のため ~」 という主題のもと、ルーテル学院大学、石居基夫先生による、「『共に生きる』を求めて~ルターの人間理解と各法人の使命~」と題する講演と、二つの「講義とワークショップ」が研修の柱でした。
 「講義とワークショップ」は、一日目がルーテル学院大学の福山和女先生の「援助におけるゆれのねうち」、そして二日目が、組織文化工学研究所の朝川哲一先生の「ミッションの計画と継承」というテーマで講義とワークショップが行われました。法人会連合関連の研修ではお馴染みの講師と研修形態だったようで、その点は今後の課題とすべきかもしれません。
 異なる働きに携わる三つの法人、団体ですが、イエス・キリストの働きを担う者たちとして召され、そして、この世に遣わされているということを信じ、キリストのミッションを共有しつつ一堂に会しました。そこには当然のことながら困難もありますが、出会いがあり、閉塞感を打破する、新しいうねりの起こることへの期待感も、参加者は抱いたのではないでしょうか。
 開会礼拝で、説教者の青田 勇牧師は「このわたしを大切にしてくださる神の愛を知らされる時に与えられる信じる心は、キリストのために少しでも自分を投げ出して、他者のために生きる自分がそこから生まれてくるのです」と語られましたが、神様に愛されているがゆえに、「わたしは大切な人間。そして、あなたも大切な人間」。これは宣教、教育、福祉と、それぞれの働きの分野は違っていても、わたしたちルーテル法人会連合が、この世に向かって発信し続けるメッセージであることを再確認しました。
  広報室長 徳野昌博

九州地域教師会報告

 
 九州地域教師会は、沖縄を除く九州7県、1400万人の伝道を担っている。教職数27名、内5名は熊本の学校専任。教会牧師は22名で、教会37、と付属の幼稚園14・保育園8、さらに社会福祉施設の各種の事業。かなりの教職がこれらの理事長・園長・チャプレンをこなしています。
 教職は、これらの日毎のルーティーンで忙殺されている現状があります。兼牧は当然。それ以上に関係する幼稚園・保育園・施設の職務も担わざるを得ず、教職が一堂に集まることも難しくなっています。
 この事情は、この10年で急速に一般化した事実で、教師会として新しい課題に組織的に取り組む余裕がなくなって久しいです。現状への対応として、パソコンの活用はありがたいものでありますが、伝道は言葉を媒介とした人の顔の見える中で起ることが前提とすれば、パソコンだけに頼る情報伝達は、教職を孤立化させる要因ともなっています。
 また、集まりにくいという現状は、年代の違う教職の対話の機会を少なくしていますが、このことは神学校卒業後、現場の教職が同じフィールドで切磋琢磨しながら、さらに神学をするという営みを、かつてほどには共有出来なくなったことを意味しています。
 この現実の中での宣教。全体が一堂に会するのは、年に一度(今年度は来年2月)しか採りえないので、小さな単位での研鑽会、テーマ毎の研修など、今後提案していきたいものです。
 託された使命は大きいのです。一人ひとりの教職に、「共在」の声を掛け合うことが目下の課題であります。
九州地域教師会会長 
箱田清美(唐津・小城教会牧師)

2010年度 ルーテル 「連帯献金」のお願い

 今年度も「連帯献金」の特別指定献金を以下のように決め、各教会へご協力をお願いしています。
 LWF(ルーテル世界連盟)等の、教会の国際機関を通じて送金される私たちの献金が、世界において支援を必要としている多くの人々に用いられていくことを祈ります。  宣教室

■緊急支援募金■
[パキスタン洪水]
 7月末、インダス川の氾濫によって、パキスタンは建国史上最大、最悪の洪水に見舞われ、1,600人が死亡し、被災者は1,700万人以上に上り、甚大な被害が出ています。ルーテル世界連盟による救援活動を支えるため、日本福音ルーテル教会も救援募金を8月下旬より呼びかけています。

■指定献金■[ブラジル伝道]
 サンパウロにある日系人教会での宣教に、2009年4月より宣教師として派遣されている徳弘浩隆牧師夫妻の人件費と伝道諸経費を補うために、400万円の募金目標を掲げています。ご支援と献金をお願いします。

■指定献金■[喜望の家]
 釜ヶ崎「ディアコニアセンター喜望の家」の活動支援。アルコール依存を抱えた方々の支援・相談、アルコールを飲まない生活を支えるための「自立生活支援プログラム」の提供、病院訪問などの奉仕活動への支援です。

■特定献金■
[メコン流域支援]
 日本福音ルーテル教会は「メコンミッション活動」として、メコン川流域の人々のための宣教・教育・奉仕事業を香港、シンガポールのルーテル教会と共同で展開しています。今年度は、カンボジアのコンポン・チュナン地区の子どもたちへの食糧(100名、週5日分食事提供)、医療と教育(2000名)の支援活動のために献金をお願いします。

■無指定献金■
[世界宣教のために]
 飢餓や内戦による難民状態にある人々や、突然の自然災害を被り、緊急の支援を必要としている人々の救援活動へ速やかに対応するために、「無指定献金」を設けています。無指定献金の配分・送金先は本教会常議員会の決定に委ねられています。
▼上記献金の送金先▼
「連帯献金」を捧げてくださる場合には、それぞれの献金目的を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。
郵便振替:00190-7-71734
名義:(宗)日本福音ルーテル教会

広報室からのお知らせ

 機関紙「るうてる」をご愛読いただき、感謝いたします。また、ご理解とご協力を賜っていますことも覚え感謝いたします。
 さて、福音版は9月、10月と休刊させていただきましたが、11月号に併せて、「クリスマス号」として、装いも新たに、内容もより充実させて発行いたします。
 クリスマスに向けて、福音版クリスマス号を特別に部数を増やして配布される教会、施設もあろうかと思います。従来通り、注文書を用意し、後日お届けしますので、ご注文ください。
 また、新しい福音版については、来年度は4回発行する予定でおりますが、このことについて、ご意見等ありましたら、お寄せください。 
   広報室長 徳野昌博

10-09-15るうてる2010年9月号

機関紙PDF

説教「御名をあがめさせ給え」

 そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。 わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』…」 ルカによる福音書11・1~13より

スピードと変化、膨大な情報、有無を言わさぬ効率主義と過度の競争社会。絆を見失った個人主義。休むことを許さないような慌ただしさが、現代にはあります。
 その中でなおも、「御名をあがめさせ給え」と祈るわたしたちの祈りは、いったいいかなる意味を持つのでしょうか。言うまでもなく、この言葉は「主の祈り」の冒頭の句です。主の祈りのすべては、この句に収斂すると言ってもいいと思われます。2000年来唱えてきた主の祈りは、今では何となく流してしまう嫌いがありますが、この祈りは変化とスピードに生きざるを得ない現代人に、いかなる生きる知恵と力とを与えてくれるのでありましょうか。
 主イエスは、弟子たちに言葉での祈りを教えられました。中でも主の祈りは、弟子たちの求めから始まりました。弟子たちは、主イエスに「問い」を発しました、「祈りを教えてほしい」と。なぜなら、「神の国はいつ来るのでしょうか!?」「何をすれば、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか!?」という、当時の社会人(律法の専門家や富める青年)からの糾弾に応える必要があったからです。そこには、ルカの教会の伝道の、行き詰まりと苦悩が隠されています。そのとき、ルカの教会は、変化している社会に追随するような応答をしませんでした。むしろ、主イエスに問うたのです。主は答えられました、「祈れ」と。「御名をあがめさせ給え」、と唱えよと。この言葉は、神が語りかけることを許さない秘密の場所を、自分の中に保留しないことを確認することを意味します。自分自身のなかに、主に委ねない部分があってはならない、というのです。それが神の国への活動の、アルファでありオメガであるというのです。
 主の祈りは、異邦人伝道のなかで、異文化にさらされて自らを見失いつつあったルカの教会が、自らの立ち位置を再確認して自信を回復していった教会史を反映しています。そうであればわたしたちは、急速に変転する現代社会のなかで、自らの立ち位置を再確認させてくれるみ言葉として、主の祈りをもう一度読み直したいのです。
 教会は、伝道を重要な使命とします。しかし、伝道の停滞が言われて久しいものがあります。その度に、様々な伝道方策、アイデアやグッズなども提示されてきました。会計問題も喧しく論じられてきました。イスカリオテのユダに聞くまでもなく、そのことの重要性は、誰も否定しません。しかし、その度に思うのは、変転する現代社会の表層のみを、教会は追いかけているに過ぎないのではないかというもどかしさです。教会も社会に生きる限り、科学の進歩とグローバル経済の動きに追随していかなければならない部分もあります。現に最近の文明利器の急速な進歩によって、現代の伝道のあり方も大きく変化をしいられています。しかし、そのような利器の活用と、そのような現代社会で疲れ切った人を慰めていかなければならないという伝道の職務とは同一ではありません。
 生きることの底力をわたしたちに与えるものは、わたしたちが神と正しく結ばれ、神と正しく交わりをいただいているか否かにかかっています。人の生きる底力は、自分の存在に意味を与えられたときに出てくるものです。その意味で、ルカの教会が「主の祈り」として、主イエスから聞き取ったことの中に、教会の伝道の神髄をいつも思い起こしてみる必要があるように思われます。「静まって神に己をまったく委ね、神をほんとうにすべての人間とすべての事柄の上にいます『聖なるかた』たらしめることを、喜んですることが、何にも優って重要なのである」。H.ティーリケは、第2次大戦末の爆撃下でした『主の祈りの説教』の中で言い、さらに「そうする時に、すべてその他のことはそこからおのずと起こってくる」と書いています。
 急速に進んではいても、羅針盤なき高速船に似た現代社会です。何故「御国を来らせ給え」と祈るかというならば、人間の社会に根底を与え、行くべき目標地を指し示さんがためです。ルカの教会はここに神の家族の存在を示されて力付けられ、異文化の中での伝道に向かう勇気を与えられたのです。今後わたしたちの「激論」は、このことに関連して起こらなければならないと思います。
唐津教会 牧師 箱田清美

風の道具箱

ブラームスさん子守唄を

毎年「異常気象」と言われて続けています。今年はとくに残暑が厳しく、はやく寝苦しい夜から解放され、秋の夜長をみ言葉と祈りで過ごしたいと願っています。
 祈りというテーマで素敵なジョークをみつけました。  母親「ママたちは、今夜お客様で忙しいけど、ベッドに入る前に、ちゃんとお祈りしなくちゃいけませんよ」  娘「はい、ママ」  翌朝のこと。  母親「昨日の夜は、ちゃんとお祈りした?」  娘「ええ、ママ。ひざまずいて、いつものようにお祈りしようとしたんだけれど、その時ね、神様はいつもと同じお祈りに飽き飽きしちゃってるじゃないかしらってひらめいたの。それでベッドに入ってから、神様に『三匹の子豚』の話をしてあげたの」
 ブラームスが子どもたちに子守歌を歌ってもらったら、どんな顔をするでしょうか。きっと大喜びすると思います。「ねえねえ、聞いて、聞いて」と、子どもの声は幸せを運んでくるのですから。

牧師の声 私の愛唱聖句

本郷教会 安井宣生

主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」創世記2章18節

 10分。キャンプ開始後、最初の食事にかかった時間です。これがその後の食事ごとに20分、30分と伸びてゆき、2日後の朝には1時間以上も必要となりました。食事の量が増えたのではありません。当初、初対面の緊張もあり言葉少なに黙々と食べるだけであった食卓が、キャンプでの生活を共にしていくうちに、話してばかりいないでしっかり食べなさいと声をかけなければならないほどに賑やかなものとなっていったのです。
 一人一人の心と心の結びつきの深まりを感じる、感動的な出来事でした。数年前、銚子集会所で行われたティーンズとの4泊5日のワークキャンプでの思い出です。

 月に1、2度、私よりちょうど50年歳年上の人生の先輩に招かれて一緒に食事をすることがあります。お一人暮らしのこの方は、「普段一人で食べるのはつまらないしおいしくないのだけれど、今日は幸せだ」とおっしゃって、沢山のお話しをしてくださいます。私はただ一緒に乾杯し、おいしく食べてお話しを伺っているだけなのですが、先輩は食卓を共にすることを喜んでおられます。

 食べるというのは、生命維持のために食物を体内に取り入れるという活動に留まらず、共に食卓を囲むだれかと「おいしい」を共有することで心を通わせ、一緒に生きる経験をすることであると思います。イエスさまも人々と共に食卓を囲み、また「最後の晩餐」では、「取って食べなさい。これはわたしの体である」と言われました。

 神さまは人を決して独りぼっちにはしません。他者の存在を喜ぶこと、一緒に生きるという幸いを味わうことを期待して、わたしに他者を与えてくださっているのです。そしてわたしもまた、誰かといのちをわかちあう他者として神さまに造られているのです。
 このみ言葉は神さまの創造の決意と期待を告げ、「おいしい」を共にするあたたかな生き方へとわたしの背中を押してくれています。

信徒の声 教会の伝道の最前線に豊かな恵みあり

甲府教会  志村治夫

 礼拝式のために、旧約聖書、使徒書、福音書、そして、讃美頌の詩編を。3週間前から、礼拝式がいのち溢れるものになるよう、祈りを重ねて行く。主は導いておられる。感謝します。いくら学びを重ねても、その日のメッセージに、いのちを注いでくださるのは神の恵みです。主は、いつも生きて働いておられると、ひしひしと感じます。そして、学びを重ねるほど、説教の内容は、しっかりしてきます。
 東教区が「信徒奉仕者養成プログラム」を大変な苦労をされて完了されたのが、二〇〇九年。私たちの教会(甲府教会、諏訪教会)が大きな問題を抱えて、必死であえいでいた最中でした。この学びは、私にとって、癒しとなり、救いの、そして、励ましのプログラムになりました。今は亡き、平岡正幸牧師が、甲府・諏訪に来て下さることが決まった年に、開始され、一年半の長きにわたり幅広い学びができました。平岡牧師も、牧会カウンセリングの講座を担当されました。平岡牧師の急逝により、甲府諏訪には引退教師の中村圭助牧師が赴任され、「信徒説教者」として、私を起用してくださいました。
 私のつたない説教を聞いて、励ましてくださるのは信徒の方々です。説教の完成が、ギリギリになり、土曜の夜はよく眠れないのを妻は知っています。甲府が午前の礼拝、そして、諏訪が午後の礼拝です。行く道、帰る道の事故を恐れて、この様なスケジュールは、私の場合、二度ほどで早々に中止になりました。妻の叫びを中村牧師が、聞いていたのです。
 礼拝が中心に、つまり、福音のメッセージが基礎になって、牧会、伝道へと繋がり、広がってゆくのが、理想的な教会形成です。地味ですが、ここにおいてしか、教会の発展の道はないと、私は思っています。牧師の個性に頼り、人間中心の教会形成は問題であると、私は感じています。「我ここに立つ」万人祭司のメッセージを、実現して行きましょう。
 「信徒奉仕者養成プログラム」の追加を、ぜひ早急に実施してほしいと願っています。まだまだ足りない人材、学びのリーダーを発掘することにより、教会の伝道、宣教、そして牧会が、より豊かなものとされることを願っています。教会員全てが、この恵みに与ると良いと思っています。

園長日記「毎日あくしゅ」

ゆったりとした時から、さあ二学期!

 あるお母さんから「夏休みは兄弟でけんかしたり、ベタベタしたりしながらゆったりとした時を過ごせるのがいいですね」とおはがきをいただきました。こんな風に感じることができるお母さんてステキだなーと思うと同時に、慌ただしい毎日から解放されてゆったり過ごすことができる時は、おとなだけでなく、子どもにとっても必要で、大切な時であると改めて教えられました。
 休み中、一人の卒園生から三通の手紙が届きました。一時期登校がつらい時があったAさん。二つのクラブ活動に所属し、委員としてがんばっていること。今でも読書が大好きで本を読んでいること。最後の便りには、夏休みの宿題も済み、お手伝いだけが残っていますと。どの便りも、短くも生き生きとした近況が語られて、夏休みのゆったりとした時の中で一学期を振り返り、少しずつ二学期に心を向けつつあるAさんの思いが伝わってきて、返信を書くたびに、「もう大丈夫!」と嬉しい思いをいたしました。
 わたしたち教師もまた、休みに入ると一学期の振り返りをします。一人ひとりの子どもへの関わりを振り返り、二学期に向けての目標を話し合います。普段、ゆっくりできなかった保育室の整理、二学期のいろいろな行事の準備、いくつかの研修会に参加しての学び合い。夏休みは教師のとっても大事な充電の時でした。
 つくつく法師がせわしなく鳴き、夜には庭の虫たちが鳴き声を競っています。二学期に向けての心身の準備を促しているようです。幼稚園に真黒に日焼けした子どもたちの歓声が戻ってきます。九月の半ばからは運動会に向けて練習が始まります。今年のテーマは「希望 ―共に喜ぶ―」です。神さまに「よし」とされた一人ひとりであり、「生まれてきてよかった」と喜び、つながりあい、支え合う喜びの表現が子どもたちとできたらと願っています。二学期も神さまのお守りとお導きのうちに歩めますように。
日善幼稚園園長 岩切華代

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その6

社会福祉法人慈愛園 
盲ろうあ児施設「熊本ライトハウス」
障がい者支援施設「熊本ライトハウスのぞみホーム」

施設長 山口初子

 90年前。慈愛園の創設者である宣教師、モード・パウラス女史が、必要な福祉ニーズに対して「神の愛の種」を熊本の地に蒔かれました。慈愛園乳児ホームで過ごす、視力の無い一人の赤ちゃんの存在が、当施設誕生のきっかけとなりました。
 「熊本ライトハウス」の設立は昭和28年。熊本県唯一の視覚や聴覚の障がいを有する「盲ろうあ児施設」として、設立されました。
 その当時、視覚や聴覚障がい児の自立に向けた社会参加のために、日本で最初の障がい児スカウト「ボーイスカウト熊本14団」。その後、ガールスカウトも結成され、多くの卒園者がたくましく社会に巣立っていきました。理念は、愛情溢れる家庭的なホーム制であったことです。
 時代と共に、福祉のニーズは変わり、家庭復帰や社会への自立が極めて困難な成人(重い知的障がいや自閉傾向が強く、視覚や聴覚の障がいを併せ持つ人)の「生活の場」が切望され、平成5年に知的・盲重度重複障がい者施設「熊本ライトハウスのぞみホーム」が、待望の開設となりました。その後は、定員増で40名。成人の「のぞみホーム」を本体施設、「児童ホーム」を、併設施設とした一体的な施設運営で、変化する制度や福祉ニーズに対応しています。
 現在、児童は17名。視覚や聴覚、知的、発達障がいを有する子ども。さらに、緊急性の高い”心の傷を負った子どもたち”を受け入れています。2棟のホームで、愛情いっぱい受けながら生活し、各学校に通学しています。
 のぞみホームは、平成22年4月より、障がい者支援施設として新体系に移行しました。「一人一人の個性を大切に、寄り添う」「家庭的で、笑顔あふれる温かいホーム」をモットーとする、県下で唯一の特色あるホームです。
 創設以来、近くの日本福音ルーテル健軍教会に支えられてきました。今も、のぞみホームの木曜礼拝や、毎週日曜、朝6時30分からの早朝礼拝。教会員や利用者の方々と共に祈り、讃美する時間を大切にしています。また地域との連携も強く、「高齢者給食サービス」や「地域交流会」「ふれあいバザー」「クリスマス会」など大好評です。
 制度の変化で、施設も厳しく課題も大きいですが、神さまのご計画の中で、福祉のニーズに応え、地域と共に歩みたいと願っています。

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)
「ホスピス・緩和ケアについて」

ピースハウス病院最高顧問 信愛病院緩和ケア病棟顧問 東京池袋教会員 岡安大仁
      
 さて、ターミナルケア(終末期医療)という言葉は思いの外最近できた言葉なのです。英国のホルフォード医師(1973年)が定義づけ使いはじめたと言われています。
 同じく英国のシシリー・ソーンダス医師がロンドン郊外に聖クリストファー・ホスピスという近代ホスピスを創設(1967年)した一連の流れの中です。
 ホスピスとは皆様もご存知のように中世紀に修道院が巡礼者や十字軍の傷病者のための宿としてヨーロッパ各地に創った「宿」のことです。
 それは、マタイ福音書25章35節から36節の言葉からとったものです。「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」
 ホスピスはその後機能が専門分化してホテルやホスピス(病院)やホームなどになり現在に至りました。そして、近代のホスピスは主として癌の終末期にある患者さんの苦痛を除去するための施設となりました。さらに最近ではホスピスという代わりにパリアティブケア(緩和ケア)病棟と言う用語が世界的に用いられるようになりました。しかも今後は緩和ケアは癌の終末だけでなく、慢性疾患の終末や高齢者の苦痛への対応にも使用されていくであろうと考えられています。

釜ヶ崎ディアコニアセンター喜望の家
「ディアコニアを生きて」

 牧師 秋山 仁

 喜望の家は、大阪の日雇い労働者の町・釜ヶ崎にあります。ドイツ人のE・ストローム宣教師によって35年前に開設されました。以来、日本福音ルーテル教会が行う「緊急に必要とされる援助と支援」というわざ、ディアコニアの働きをしてきました。ディアコニアとは、人と人との関係を生み、その関係を動かす福音が、より具体的な形になったものです。
 喜望の家では、釜ヶ崎で生活しているアルコール依存症の労働者が回復するためのリハビリテーションを提供し、また生活相談などを行っています。この働きは、全体の状況から見れば微々たるものです。しかし、過去に病院でも施設でも断酒できなかった労働者が、リハビリテーション・プログラムを通して、自分で生活を支える、つまり「自立・自律」しているケースがあるのも事実です。 私たちが提供しているプログラムを必要としている人たちがいるということです。「必要とする人にプログラムを提供する」ため、喜望の家では、社会福祉法人にならずに、支援してくださる方々の献金のみで活動してきました。
 この歩みの中に一貫して流れてきたもの、それは「釜ヶ崎で生活する労働者と共に生きる」ということです。日雇い労働者が何を考え、望み、どのようにそれを実現していくのかを、よく聞いて理解し、一緒に歩んでいくことを目指してきた、といえます。そのための課題が地域のアルコール問題であり、生活相談、そして夜まわりでした。同様に喜望の家が大切にしてきたもの、それはこのディアコニアのわざを教会が社会の中で行っていくことです。ルーテル教会が喜望の家に牧師を働き人として送っていることは、ここが教会のわざであることを証しています。 直接の責任は西教区が負っているとはいえ、この働きは日本福音ルーテル教会全体の働きです。
 喜望の家の歩みは、ストローム師の思いや志、それを引き継いできた人々の思いも含めて、「ディアコニアを生きる」ことであるといえます。この働きを継続していくためには、皆様のお支えが必要です。今後ともよろしくお願いいたします。
ホームページ・アドレスhttp://www.geocities.jp/kama04kibonoie/index.html

第11回LWF総会報告

総会議長 渡邉純幸

 第11回LWF総会は、主の祈りの一節、「日ごとの糧を今日も与え給え」をテーマに、2010年7月20日~27日の期間、シュツットガルト(ドイツ)で、開催されました。
 今期総会で、アジアから新たに5教会がメンバーに加わり、世界の79カ国、145のルーテル教会から代表者が出席しました。LWFに属する教会員は、現在、全世界で約7千万人を超えています。
 この総会にローマカトリック教会からカスパー枢機卿が、ローマ法王ベネディクト16世からの挨拶を携えて出席されました。枢機卿は、「ルーテルとカトリックとの関係は、両教会の国際的な対話が始まって以来、残されている課題がまだありますが、両教会間の更なる伸展を期待します」と話されました。
 また、イギリスカンタベリーのローワン・ウィリアム大主教は、「今総会のテーマ『日ごとの糧を今日も与え給え』は、また教会の豊かさを明らかにするものです」と基調講演されました。そのことに対して、LWF事務総長のイシマエル・ノコ氏は、イギリス国教会とルーテル教会が共に歩み続けることを確信していると語りました。
 そして総会にて、長年来の歴史的確執の関係にあったメノナイト国際教会との関係について、今期LWF総会で、総会議長マーク・ハンセン監督は代表して、「アナバプテスト(再洗礼派)」に対してルター派が16世紀に行った迫害について赦しを求めました。議場にて、「これは相互の信頼と懺悔と赦しの象徴と言えるものです」と、メノナイト教会から足洗いの桶がLWF議長にプレゼントされました。
 ところで、これまで長きにわたり事務総長のイシマエル・ノコ氏、総会議長マーク・ハンセン氏に代わり、事務総長にチリ出身のマルチン・ユンゲ氏が、総会議長に、パレスチナルーテル教会監督のムニブ・A・ユナン氏が選出されました。ユナン氏は挨拶で、「世界の癒しを進める。宣教、加盟教会への奉仕、エキュメニズム、世界の正義のために働く。わたしがアラブキリスト者であることが他のキリスト者によって、他の信仰の人たちとの対話の際に役立つことに意味がある。」と、力強く決意表明し、議場は大きな拍手でその選出を歓迎しました。
 また、「日ごとの糧を今日も与え給え」のテーマのもと、世界の貧困による問題等が報告され、特に環境・気候変動の問題、また女性委員会は、人権(人身売買を含む)に対して、家庭内暴力の問題、HIV&AIDSの問題等が報告協議されました。HIV&AIDSに関しては、アフリカのルーテル教会に属する信徒からの報告もあり、輸血をとおして感染した牧師の証言が報告されました。総会声明文が承認され、八日間の総会が閉幕しました。
 終わりに際して、総会においては、今期の理事の48名を選出し、その割合は、男性22名、女性26名です。この48名の中に30歳以下の青年が10名含まれています。
 なお、この22名の男性の中に、浅野直樹牧師が、アジア地域代表の一人として選出されました。また、これまでアジア地域からの青年代表の一人としてLWF理事に加わっていた関野和寛牧師が今総会を持ってその任を終えられました。これまでの関野先生の働きに感謝するとともに、新たにその任に当たる浅野先生の働きを覚えたいものです。

西地域教師会報告

 西地域教師退修会が2010年6月21日~23日、岡山いこいの村でありました。今年は「神の家族」~信徒育成~(求道者会や洗礼準備会等の実際と課題)をテーマに、小教理・大教理問答書からの提言や堅信教育の事例を発表、討議しました。
 このテーマは牧会経験の少ない教師から提案されました。神学校では洗礼準備会に小教理問答書を使うと習いますが、実際にどのように活用しているのでしょうか。実際を見ること、神学生時代に洗礼や堅信準備会に立ち合い、実際の出来事に触れる機会はそう多くはありません。
 事例ではアメリカとドイツの堅信教育と賀茂川教会の堅信プログラム(2年間)の紹介がありました。ドイツにおいては日本の成人式のような習慣と義務の中で実施されているので、それがよいのかどうかは考えさせられるというお話しでした。ですが、生涯を通して誕生、洗礼、堅信、結婚、葬儀といった節目の時期に、教会へと帰って来る一連の流れが出来上がっています。参考にドイツのテキストの閲覧、自作のテキストの配布がありました。
 小教理問答書の活用については、そのものを使う場合と小教理問答書が下地となっている他のテキストを使う場合とがあり、牧師の選択によっています。また、牧師自身が内容を熟知しているか、学術的な研鑽が必要であることも指摘されました。洗礼準備会等は信徒だけでなく、牧師にとっても共に成長する機会です。
 「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」(使徒8・31)。
 エチオピアの宦官とフィリポのような出会いと対話の機会が、宣教の最前線で増えることを願ってやみません。
 西地域教師会会長  小勝奈保子

池松綾子さん(小倉教会員)
個展で作品「祈る」を発表

 7月上旬、長野県上田市の上田創造館美術館にて池松綾子さん(小倉教会員)の個展「もったいないな ばあばの作品展」が開催されました。美術大学で洋画を専攻した池松さんは、現在、裂織を中心に芸術活動を続けています。
 「裂織」とは不用になった布を裂いて、麻や木綿の経糸に織り込んでいく織物の手法で、個展が「もったいないな」と言われるゆえんであります。
 裂織を中心に多種多彩な約50点で構成された会場は、大小の布状に織りあげられた作品、竹などと組み合わせられ、立体的に仕上げられた作品等々、観ていてあきることがありません。天井の高い、広い空間である会場全体が一つの作品となっている感さえありました。
 一つ一つの作品に作品名がつけられていますが、それぞれが池松さんの信仰に触れる思いがします。その中に「祈る」という作品(写真)があります。ひと際目を引くのは、会場の中央付近に天井から吊り下げられたその大きさからだけではありません。その作品について尋ねてみると、「中央にたくさんある丸いものはそれぞれ違った祈りを表わしています。自分だけの祈りではなく、いろいろな人のための祈りなど違った祈りがたくさん集まって、それぞれがつながって一つの祈りになっている」と教えてくれました。人それぞれ祈りは違うことがありますが、それらがつながって大きな祈りとなっています。違いをそのまま受け入れてくださる主への信頼、「祈る」という作品にそのような信仰をみました。
(松本教会牧師 佐藤和宏)

ルター研究所開設25周年記念出版
1533年版、ルターの説教『イエス・キリストについて』

 ルター研究所は、これまで世界に六冊存在することが確認されていたルターの説教、『イエス・キリストについて』(1533年)の初版本の七冊目を一昨年入手し、その復刻版と翻訳がこの七月についに出版されました。オリジナルそのままの復刻版に徳善名誉教授による翻訳と解説がついています。
 内容は、使徒信条第二項をテキストにした三つの説教です。宗教改革が始まってから一五年、この説教の中には、円熟さを増したルターの神学的洞察に裏付けられた単純で率直な福音が輝いています。

10-08-15るうてる福音版2010年8月号

機関紙PDF

パレスチナのオリーブは語る

主よ、平和をわたしたちにお授けください。
わたしたちのすべての業を成し遂げてくださるのはあなたです。
イザヤ書 26章12節

 木が話している声を聞いたことがありますか。木は何も話しません。でも木が話すことができれば、どんな話をしてくれるでしょうか。被爆地ヒロシマで、木の語る「ことば」を聞きたいと計画した人たちがいます。
 1945年8月6日8時15分。世界最初の原子爆弾が広島に投下されました。おなじ頃、パレスチナの渇いた大地に、一粒のオリーブの実が落ちました。芽を出して成長し、平和な時には人々が木陰で休み、豊かな実ができました。ところが、オリーブの木のまわりではたえず紛争がおこりました。
 あれから65年。原爆のあと焼け野が原だった広島には、世界中から6000本の木が届けられ、緑豊かな森の平和都市となりました。ところが、パレスチナで育ったオリーブの木は、人間が起こした争いのため多くの木が倒されています。
  紛争の地パレスチナでは、オリーブを「命の木」と呼びます。イスラエルにとっても大切な木です。平和のシンボルです。人々はその木を大切にし、木と共に生きてきました。 オリーブは、そこで何が起こっているかを見てきました。その木が紛争によって倒されています。人と人を分けるために高さ8mの分離壁(写真右)建設するため。住むところの奪い合いから道路の建設をするため。人間の勝手な思いや争いによってオリーブが倒されているのです。
 オリーブの木は何も話しません。でも話すことができたら何を伝えたいでしょうか。平和都市になった広島に住む人たちが、紛争によって倒された「命の木・オリーブ」をヒロシマに運び、その木で木簡を並べた「パンの笛(パンフルート)」という楽器をつくる計画を立てました。パレスチナのルーテル教会にお願いし、倒されたオリーブを探してもらいました。届けられたオリーブの年齢は60歳位、イエスさまが過ごされたパレスチナ居住区ナザレ近郊の村で倒された木でした。パレスチナの人々の祈りによってヒロシマに届けられた時、木の中心には水分があり生きていました。そのオリーブの木が、「パンの笛(パンフルート)」となって再び命をあたえられ復活したのです。(写真左下)
 オリーブはパンの笛になって語り出しました。「『なぜ人は戦争をし、人殺しを繰り返すのだろう。』僕はパレスチナの風に吹かれながら思っていた。街は破壊され、僕の命は分離壁のため倒された。でも僕はヒロシマの街を知っている。原爆で破壊されたヒロシマは、平和都市として再建した。そして僕もヒロシマで再び命を与えられた。だからヒロシマの子どもたちに語りたい。紛争の中にいる子どもたちにとって、あなたたちは「希望」だと・・・。」
 紛争によって倒されたオリーブの木は、ヒロシマの風を受け語り始めました。Y.T.
(詳しくは「ほほ笑みと感謝の会」ホームページhttp://asmile.jp/で)

いのちはぐくむ

中井弘和

第17回 「青い空」

『主はその聖所、高い天から見渡し 大空から地上に目を注ぎ 捕らわれ人の呻きに耳を傾け 死に定められていた人々を 解き放ってくださいました。』(詩編102章20~21節)

 私は、黄金色の稲穂の田んぼに抱かれるように伏しながら、高く澄み渡る青い空を見上げていました。すると、遥か空の淵から私を呼ぶかすかな声が聞こえてきます。その声は徐々に明瞭になり、気がつくと医師たちが私の顔を覗き込んで、手術が終わったことに加え、人工肛門にはならなかったことを告げていました。昨年の4月、腸重積症という病気に罹り緊急に手術を受けた時のことです。重篤な病状から人工肛門になるのは避けられないと手術前に言われていました。しかし、手術中、自らの腸に陥入していた腸の部分がひとりでに抜け出てくるという幸運によって大事には至らなかったのです。変わらず稲の仕事を続けることができています。
 八月が来ると、決まって蘇ってくる青い空の記憶もあります。終戦を告げる玉音放送を大人たちに交じって聞いたのは小学校に入る前の年でした。雑音ばかりでよく聴き取れませんでしたが、その場の沈痛な雰囲気から日本が負けたことを幼心に悟りました。逃れるように外に出て、見上げた空は真っ青に広がり輝いていました。その瞬間、私の小さな胸に淀んでいた不安は消え去りました。たまたま近くにいた人の「もうこれで空襲はなくなる」と呟いていた安堵の声とともに、その時の青い空が思い出されます。
 大学を定年になった年、永く気にかかりながら読めずにいたトルストイの『戦争と平和』を読みました。主人公、アンドレイが戦場で銃弾を受けて仰向けに大地に倒れ、瀕死の状態で仰ぎ見た青い空の場面がとても印象に残りました。敵の将軍、ナポレオンが、大勝利となった戦場の巡視に来て、傲然と彼の傍らに立ちふさがります。その時、彼は、高い永遠の空を垣間見ながら、敵ではあっても軍人として崇拝していたはずのナポレオンが実に小さくちっぽけな人間と感ずるのです。アンドレイの魂は無限の空と繋がり癒されていきます。
 人は、苦しみや悲しみのときに青い空を見上げるでしょうか。もしそうであるならば、それはひとつの祈りの形といえましょう。あるいは、喜びのときに青い空を望み見るでしょうか。それもやはり祈りといえるでしょう。いずれにせよ、青い空は、常にそのように祈る人たちの心に寄り添ってくれます。何億光年のかなたの星よりもさらに遠い青い空は、私たちが目にすることのできる唯一の永遠の姿でもありましょう。そこに私たちは無意識のうちに神を見ているのかもしれません。たとえ風雪の暗い日であっても、私たちの目を覆う雲の上には、いつも青い空が広がっていることも確かです。また、八月が廻ってきました。平和あるいはいのちのしるしである青い空に想いを馳せる時です。

(静岡大学名誉教授 農学博士)

毎日あくしゅ 園長日記

「ビルの谷間のオアシス」

     
 日善幼稚園では、毎年四つの同窓会が行われています。小学三年生が夏休みに。小学六年生が卒業式を終えた三月末に。二十歳になった子どもたちが一月の成人式前後に。そして六月第三日曜日の家族礼拝(「父の日」を覚えて在園児とその家族、教会員合同の礼拝)に還暦を迎えた卒園生をお招きして礼拝を共に守り、「おめでとう。これからもお元気で」とお祝いし、昼食をしながら同窓会をいたします。
 日善幼稚園は、戦中戦後の十年間の休園はありましたが、今、創立九十六年目の歩みをしています。戦後再開し、その第一回の卒園生が六年前還暦を迎えました。故木下 勇前理事長が「お招きしてお祝いしましょう。在園児と礼拝を共にしては。『還』は元に戻る。また再びの意。六十歳を還年0歳としては如何でしょう。わたしは八十四歳ですから、還年二十四歳の青年です。夢を抱き、新たなスタートの時として、互いに励んで参りましょう」との発案で、名称を「還年の会」として始まり、今年は六回目。当時の先生がたもお招きし、横浜、広島からおいでくださいました。五十四年ぶりに名前を呼ばれて互いに涙し、病を得て生死をさまよった方は「生きていてよかった。がんばります」と帰って行かれました。故人となられた方もいて、出席は十名たらずですが、現職の先生方にとっても励まされる時です。
 小三、小六、成人の子どもたちの同窓会は、遠くに引っ越された方から「いつですか? 
早く飛行機の切符を」とお母さん方が楽しみにしておられるほど。園に来て照れくさそうにしていた子どもたちも、一時もすると、大賑わい。まるで幼稚園児に戻ったように男女入り乱れて遊んでいます。一方お母さん方はゆったりと座り込み「やっぱりここに来るとほっとするねー」と先生方も交えて互いの報告をしては楽しそうです。在園時「日善幼稚園はぼくの宝物」と言った子ども。学校でつらいことがあると、園に来て遊具で遊んでは元気になる子どもたち。一杯のお茶と語らいで「また来ます」と明るくなって帰るお母さん。「ビルの谷間のオアシス」と言ってくださった方。
 つながりにくい世の中にあって、日善幼稚園に集う誰もが、園を通してつながりの輪を豊かにしていくといいなー。その様な日善幼稚園でありたいと祈り願っています。
日善幼稚園 園長 岩切華代

10-08-15るうてる2010年8月号

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説教「キリストと共に山を登る」

「6日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。・・・・すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。『これはわたしの愛する子。これに聞け。』弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。」
(マルコによる福音書 9章2節~3節・7節)

この聖書の個所はペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人の弟子が主イエスと共に山に登った時の出来事を伝えるものです。この山での経験により、キリストのみ言葉をよく聞きながら信仰の道を歩むことの大切さを弟子の三人は教えられました。
 昨年11月にNHK出版が出した本で、「未来をつくる君たちへ 司馬遼太郎作品からのメッセージ」というのがあります。この本の中で、ジャーナリストの立花隆が『世界を見る目を持った緒方洪庵』という章の中で小学生・中学生の子供たちに「社会に正解のない問題ばかりがある」ということを説いています。
 「僕がいいたいことは、自分や世の中の未来はだれもわからないということです。・・・不確定な未来の社会と、自分の将来とをどうすり合わせていくかということが、とても重要なことになります。それを行うには、学校の勉強はそれほど重要ではありません。なぜなら、学校で教えることは全部正解が分かっているからです。 しかし、社会では正解のわからない問題が次々と出てきます。学校で教える勉強というのはあらかじめ答えが決まっていて、それをきちんと答えられればよいというものです。いってみれば、先生の頭のなかにある答え探しです。これが上手にできれば学校の成績は上がります。そういうのを『学校秀才』といいます。
 しかし、学校秀才が本当にこの世の中の秀才、成功者というと全然そうではありません。現実の社会というのは、すべての面で正しい答えがなにかわからないものです。社会に出て必要な能力というのは、正解がわからない問題にぶつかったときでも、自分なりの答えを見つけて行動する能力です。正解ではないかもしれないけれども、みんながよいと思える答えを自らがみつけていくことが必要とされているのが現実の社会なのです。
 とても、重要なことは、今の社会がものすごく急激に変化しているということです。だから、これまで以上に学校のテストの点数がよいだけの学校秀才をめざすような勉強をしていては追いつかない時代になりつつあるということを君たちは知るべきだと思っています。」
 もちろん、学力も大切でし、学校でしか得られないこともたくさんあります。 しかし、今日の社会の中では多くの想定外の難問が私たちの人生に突きつけられます。きまりきった考え方では対処できない課題と悩みが私たちの周りにうごめいています。型どおりの対処では次に歩む道を見出すことができません。八方ふさがりの状況に陥ることもあるかもしれません。それでも、私たちは目の前の課題から逃げるのでなく、その先を一歩でも進むための新たなる道を見出さなければなりません。 
 この聖書の個所で彼ら三人とも登る道をあらかじめ良く知っていたのではないと思います。彼ら弟子たちは主イエスを信頼して、主イエスと共に、その山に登ったのです。彼らは先導者ではありません。この主イエスとならば登ってもよいと思って、彼らは共に山に向かったのです。
 これは信仰と同じです。だれも人生の道順を知っているわけではありません。でも、人生の道をそれなりの歩調で登るのです。想定外の問題が降りかかったとしても、主イエスのみ言葉を心に留めながら、冷静により良い知恵を模索し、祈り、人生の道を登って行くのです。そうすれば、必ず、それなりの道が私たちの前に開けてくるのではないでしょうか。
  総会副議長 青田 勇

風の道具箱

逆風満帆

ちょっと早めの秋の話です。小学生の句集「ちいさな一茶たち」には次のような句があります。
 秋の空 やわらかそうな 雲の城
 青い空を眺めていると、心が清々しくなってきます。最近じっと空を眺めたことがありますか。一度ゆっくり眺めてください。  
 かあさんいない 落葉がとんで いくばかり
 この気持ちは、痛いほどわかります。学校から帰っても誰もいない家。本当は学校であったことを一番に話したいのに。その寂しい気持ちを、落葉が飛んでいく音に心を合わせたのでしょうか。私も鍵っ子だったので共感してしまいました。  
 私たちは返事のない辛さはよく知っています。しかし、自分を振り返ると忙しさの中で返事をしないこともたくさんあるます。ここで言葉がほしい、「そうね」という一言だけでもいい。それが帰ってこない辛さはいつまでも心に残るのです。
 人生の逆風のとき、神様はどうでしょうか。そんなときにこそ私たちの問いかけに必ず返事をしてくださいます。まさに逆風満帆です。(柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

みのり教会・浜名教会 三浦 知夫

死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
詩編23編4節

 キリスト教の教えは分かりにくい、聖書は難しいというような言葉を聞くことがよくあります。確かに、読むだけでは理解しづらい聖書の箇所、考えれば考えるほど分からなくなってくる聖書の出来事もたくさんあります。けれども、牧師になってから気付かされた、神様のとても明解で、シンプルで、そして、とても重要なメッセージがあります。それは、神様の「あなたと共にいる」というメッセージです。
 主が共におられる、旧約聖書にも、新約聖書にも繰り返して記されていること、また、礼拝の中でも挨拶として繰り返されていることです。 けれども、この「共にいる」という、ただそれだけのメッセージが、どれだけ私たちを励まし、私たちを支え、慰めているかということを、牧師になって教会の方々と出会う中で教えられてきたように感じています。
 主が共にいてくださることは、牧師になる前からも私にとってとても重要なことでした。しかし、これまでの私にはその続きがあったように思います。共にいて守ってください、共にいて力を与えてください、共にいて何々してくださいと、共にいてくださるのは当たり前のことで、その上で何かを願ってきたように思うのです。
 しかし、教会を通しての様々な人との出会いの中で、特に死を迎えようとしている方々との出会いの中で、主が共にいてくださるということだけですべてが満たされるというあり方を教えられてきたように思っています。
 まだまだ、いつもそのような心境になれるわけではないのですが、大切なことに気付かされました。そして、主が共にいてくださるということだけで、すべてが満たされているといつでも思えるようになれたときには、隣人と共にいることもいつでも喜べる自分になっているのだろうと思います。
 主が、あなたと共におられますように。

信徒の声 「全青連」をご存知ですか?

全国青年連絡会代表(名古屋めぐみ教会) 黒野まり子

わたしは、全国青年連絡会(以下、「全青連」)で現在、代表をしています。 「全青連」とは全国のルーテル教会に連なる青年からなる組織です。主に各教区の代表が年に数回集まり、教区の活動報告や悩みを話し、修養会についての話し合い等会議をしています。参加者が元気になって、そこで得たものを持ち帰り、各教区での青年会活動に活かしてもらえればと思っています。
 また、全国の青年や教会員の方々に、全青連や各教区の活動内容を紹介・報告している『アメージンググレイス』という機関誌も年一回発行しています。
 「全青連」は1993年の宣教百年大会の際に、熱い志しを持った青年たちによって発足しました。長い年月を経ていますが、今日に至るまでには困難試練の時もあったようです。それでも今の活動があるのは熱い想いで活動を続けてきた青年や多くの教会員の方々、牧師先生など、教会の皆さまの支えがあったからだと感謝しています。
 私が「全青連」に関わり始めて6年ほどたちます。青年会は流動的だと言われますが、まさにその通りで、各教区でもその年によって中心となる青年の顔ぶれが変わってくるので、活発な年、活動が少ない年など様々です。
 『何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある』(コヘレト3・1)。好きな聖句です。青年が集るようにと、がんばって考えて行動したことが、すぐに実にならずガッカリしたこともありますが、時が経つと、この聖句の通りだと思い知らされることがたびたびあります。私たちの思う「よい」ことではなく、神様の「よい」通りになるのだと、それからは、やることはやりつつも、祈りに任せてみるのもいいのかなと、肩の力を抜くことができるようになりました。
 同世代で集って共に賛美し、話し合うことはとても嬉しく元気になれます。全国でその機会が持てるこの秋の修養会にぜひ多くの青年が参加してくださることを祈ります。
〈第14回全国青年修養会〉は2010年10月9日(土)~11日(月・祝)に、長崎市立日吉青年の家・ルーテル長崎教会を会場に、テーマは「We are PEACE makers」、主題聖句は『イザヤ書』2章4節です。参加費は9000円です。申し込み締め切りは9月5日。
 なお、この修養会は日本福音ルーテル教会宣教室TNG委員会と日本福音ルーテル教会女性会連盟の後援をいただいています。長崎で「平和」について考えたいと思います。あなたの参加をお待ちしています!

私の本棚から

金子大栄校注「歎異抄」岩波文庫

なつかしい書物である。最初に読んだのは、結核で入院していた大学二年生の時、爾来、何十回もくりかえし読んだ。学生たちと読書会のテキストとして使ったこともある。金子大栄校注、岩波文庫で星一つ。暗記している箇所も多い。
 「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」。キリスト者には、当然のことだが、この時代に理を尽くして指摘されたことには、頭が下がる。
 「わがこころのよくてころさぬにはあらず」若い頃、刑事弁護を担当して、被告人が何故この事件を起こしたかを尽きつめて行くと、自分でもこの環境に置かれたら同じことをやりかねないと思うに至ったことも再三ある。私の自戒の言葉である。
 歎異抄は、その後も、私の座右の書として何度も買い替えた、学生時代に病院で読んだものは、ボロボロになり、散佚してしまった。手許にある一番旧いものは、昭和三十年発行、定価四十円とある。これも痛みが激しいので、最近新しいものに買い替えた。
 その他にも、手許には、梅原猛著、歎異抄(全訳注)(講談社学術文庫)、増谷文雄著「歎異抄」(ちくま学芸文庫)、早島鏡正著「歎異抄を読む」(講談社学術文庫)などあっていずれも手軽に入手でき、深く研究したい方には、梅原や早島著の巻末に詳細な「参考文献」表がある。
 キリスト教は、どうしてわが国に広まらないのか、昔からいろんなことがいわれている。奈良時代に入ってきた仏教は、鎌倉時代に、親鸞、道元、日蓮等によって、日本の仏教として確立したことを思えば、「日本化」という巨大な歴史的課題を実現するには、まだ何百年かを要するかも知れない。いずれにしても、わが国のクリスチャンには、ぜひ一度、目をとおしていただきたい書物である。

石原 寛(市ケ谷教会会員)

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その5

社会福祉法人慈愛園
児童養護施設 シオン園

前園長 江崎征男

 熊本県荒尾市の市街地から正門を入りますと、緑のエアーポケットに包み込まれます。そこがわたしたちのシオン園です。二つの小高い丘に囲まれ自然がいっぱいの4万9千平方メートル(一万五千坪)の敷地です。 春は桜・菜の花に彩られ、秋は紅葉に染まり、夏は園全体が緑一色となります。遊び・スポーツ・保育・心理ゾーンは平地に、探検・クワガタ・カブトゾーンは山に、生活ゾーンは丘に位置しています。
 「シオン」とは、キリスト教の聖地イスラエルの首都エルサレムの「丘」をさしています。この丘は園内でも太陽の朝日が一番輝くところです。また作物が一番実るところです。神さまに祝福された緑豊かな丘で、子どもたち、職員ともども心癒され、健康を与えられて生活しています。児童養護施設を知る人も知らない人もぜひ一度お訪ねください。
 シオン園は社会福祉法人慈愛園の施設です。前史をたどってみますと、二代目園長余田友久氏の兄で僧職の余田義男氏が「四恩園」として戦争犠牲の孤児救済に着手されていました。その救済事業はクリスチャンで弟の余田友久氏に引き継がれ、慈愛園園長モード・パウラス先生の援助、指導により1948年6月「シオン園」として現在地に創立されています。
 以来62年、行政当局の指導・後援、日本福音ルーテル教会および荒尾教会、基督教児童福祉会(CCF)の精神的、財政的支援は児童養護施設としての機能を充実させてきました。
 2008年11月、60周年記念事業の一環として「子どもの家」を全面的に建て替えました。子どもたちの生活の尊重、人権・プライバシーの確保、生活の質の向上、職員の労働環境改善工場などの工夫・努力を建築理念としました。
 「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長持ちするであろう」。外面的なことがらは、内面的なものを伴わないと容易に形骸化する危険性があります。
 荒尾教会牧師後藤直紀先生からの霊的な賜物をいただき、隣接のシオン園保育園とともに子どもたちの養護、保育事業ならびに教会生活に励んでいきたいと願っています。
 愛しあって、共に生きていきなさい。

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)
年は取っても、年を取ったので ―高齢者伝道を考える―

日本福音ルーテル教会引退牧師 賀来周一

気持ちは元気
 ある老牧師から言われたことがありました。「君たちから見れば、僕はよぼよぼの爺さんにみえるかもしれない。だが心は燃えているのだ。」
 わたし自身もはや79才になりました。若い頃、京都では自転車で一日中訪問して廻ったこと、札幌ではバイクで室蘭まで毎月の集会のため距離にして100キロ近くを飛ばしたことを懐かしく思い出します。もうそんなことはできないなと思いつつ、でもまだ元気だぞと自分に言い聞かせるもうひとりの自分がいるのです。

できること
 高齢者といえども、できることはしたいのです。手紙書きでも、訪問でも、祈ることでも、喜んで奉仕をする老人は大勢います。
 また高齢者の周辺には、家族親類縁者がいます。高齢者を中心に、その家族親族も集まるようなイベントが教会で計画されてもよいかもしれません。その年に古希や喜寿を迎える高齢者とその家族たちが同時に幾組も集まるような機会はレストランや料亭にはありますまい。家族親類縁者伝道は高齢者だからできること。それは、信仰の継承に繋がる働きです。
 
できないこと
 老いることは喪失体験を重ねる日々でもあります。病気、経済問題、死別、ひとり暮らしと、かつての生活の色艶は失われていきます。そして生きるとは何か、死ぬとは何かが日々の営みの中に通奏低音のように流れます。 その上、一括管理の利便性を求める現代のデジタル社会では、老人は取り残されたような孤立感を感じています。ありきたりの慰めは意味を持ちません。終末的緊張と主の慰めに満ちたみ言葉の説教、この「私」というひとりに差し伸べられる牧会的まなざしを求めています。高齢者牧会が必要です。
 牧会は「個」の存在を対象とする教会の基本のわざであることを忘れるべきではありません。老人はこの働きの外に置かれるなら今日を生き、明日死ぬための確かな手応えを失います。高齢者伝道もさることながら、教会は高齢者牧会のありかたも探るべきでしょう。

第17回 東教区宣教フォーラム報告

 7月4日(土)午前10時、会場を提供してくださった小石川教会では初めて経験する188人の参加者が集いました。甲信地区の松本教会とも、初めて相互通信のフォーラム実況中継をしました。第17回は初めてづくし、でもテーマは「この『私』が死んだらどうなるのか?」という昔から、誰もが何回も考える、そして避けて通れない問題です。
 3メートルもある木の十字架を背負う、というよりも引きずって歩む市原悠史神学生の入場から開会礼拝が始まりました。司式の関野和寛牧師(東京教会)から、会衆に渡された黒い紙の帯に、参加者全員がそれぞれの罪を書きその十字架に掛けました。キリストが全ての罪を背負ってくださったように。
 死を直前にした「魂の痛み」とも言われる「スピリチュアルペイン」、今の社会が突き詰めてこなかったこの問題に、世界保健機関(WHO)が真剣に受け止めなくてはならないと言い出したのがきっかけで、医師も看護師も含めて広く考えるようになりました。死を前にして、未完成の自分を完成させてくださる方に委ねる、その委ねる方を見つけること、その方が一緒に歩んでくださるキリストです。
 死を直前にした人のケアは十人十色。ですからケアのマニュアルはありません。一緒に問題を共有することもケアになり、それが恵みの出会いとなります。
 午前中に賀来周一牧師に基調講演を頂き、午後には賀来牧師のほかに、田中良浩牧師、石居基夫牧師を加え、鳥飼一成兄(津田沼)の司会でパネル討論が行われました。
 参加者からの質問、意見も多く、ネット中継の松本教会からの質問にも応えて頂きました。「死」は個人の問題として受け入れるのではなく、共にその問題を共有することの大切さがよく分かるフォーラムとなりました。
 (水上利正・本郷教会)

「日本・フィンランド交換宣教ツアー報告」

 小雨模様の成田からミュンヘン経由でヘルシンキへ。およそ一日をかけて移動した私たち(31名)を迎えてくれたのは、美しい讃美歌の調べでした。夜中にもかかわらず、心のこもったお出迎えに感激! 疲れも一気に吹き飛ばされ、白夜の中をホテルに向いました。
 受け入れ責任者であるS・フフティネン師のご配慮によって、ヘルシンキではゆったりとした時を過し、体調を整えてSLEY大会会場のカルビアへ移動。森と湖の国フィンランドを満喫したバス旅行は、太陽の恵みをも十分に満喫するものでした。
 「十字架が見える」というテーマのもと、会場には国内外から1万人を超える人々が各々の交通手段を用いて集っています。
 メイン会場(写真1、2)では、テーマごとの礼拝が繰り返し行われ、7月3日の午前中には、渡邉純幸牧師のトランペット演奏に合わせて私たちも「あさつゆに」を歌い、祈りを共にしました。(写真3)この間に会場では体調を崩した方が救急隊員に運ばれるというハプニングがありましたが、全く騒ぎにはならず淡々と事は進められて行きました。
 妙な所に感心しつつ、運営者の行き届いた配慮や参加者一人ひとりがごく自然に楽しみながら参加している姿が印象的でした。別のブースでは若者向けや親子のプログラム、宣教師を派遣している国々の紹介コーナーもありましたが、残念ながら総てに参加することはできませんでした。
 4日には主日礼拝(聖餐式)と宣教師の派遣祝福式が行われました。子どもプログラムに参加していた親子が、派遣先となる国々とフィンランドの小旗を振りながら行進して来る様子は微笑ましく、110年を経てもなお祈りが紡がれている事を頼もしく感じました。
 通訳として同行してくださっていたT・クーシランタ師はじめ、かつて日本で活躍されていた多くの宣教師たちとの再会、大会終了後にはトゥルクのルター教会と東京池袋ルーテル教会の姉妹教会締結の調印式、長年日本伝道を支援し続けてくださった方々との記念会など様々な出来事があり、主の恵みに満たされた日々でした。
報告者:岡田薫(副団長)

LCM会議報告

 海外協力伝道会議(通称LCM)が6月21日から開催され、JELC代表者とアメリカ、ドイツ、フィンランド各教会及び宣教団体代表者との協議が行われました。
 江藤直純神学校長による基調講演を皮切りに、「教会とディアコニア」をテーマに各国代表による実践報告が行われました。JELCからは田島靖則牧師が老人ホームの働きと経緯を中心に発表しました。
 LWF声明の「ディアコニアは福音の核」という指摘をふまえ、会議では教会とディアコニア活動が不可分であることを再確認。しかしながら過去の歴史的経緯や現状の宣教活動をみると、言語による伝道への偏重から抜け出ていない現状を聞きました。教会というよりもむしろ個人、しかも信徒による献身的働きを契機にその後発展した側面がディアコニアにはあります。
 キリスト教的背景をもつ海外教会の発表により、規模的にも質的にもJELCとの違いが数々明らかにされましたが、ディアコニアを「福音の核」とすることの難しさの点では共通認識をもちました。
海外宣教主事 浅野直樹

6.5激論 レポート 
「99%に伝える言葉を持とう」

 6月5日(土)、東京教会を会場に日本福音ルーテル教会・神学校の共催、東教区が協力し「激論」が開催されました。東教区内の21教会からの牧師・信徒と神学校・他教団からの参加があり、75名が集りました。
 前回の9・22に続き、橋爪大三郎東工大大学院教授(宗教社会学・大岡山教会会員)の「ルーテル教会は売上の落ち込んだレストランのチェーン店である」との刺激的な発題から、福音を伝える作戦までの基調講演を聴いた後、竹田孝一牧師(大森教会)、佐藤和宏牧師(松本・長野教会)、小林恵理香さん(大岡山教会)、池田大介さん(本郷教会)の、4人のパネリストが、石原修さん(市ヶ谷教会)と江藤直純神学校校長の司会で、牧師の本音、信徒の思い、若者をとりまく環境、若い女性の労苦を語り、討論致しました。
 参加者を交えた討論では「宗教が敬遠されている今の社会で福音を伝えるには人と人の信頼が必要。牧師は神学と共に包容力ある人柄が重要」等々の意見が出されました。詳細は報告書となって、出席者、全国の教会に配布されます。来年も第3回の開催が予定されています。
 木村 猛(保谷教会)

10-07-15るうてる福音版2010年7月号

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「プール」がくれた贈り物

「主はあなたを支えてくださる。」詩編55編23節
七月になると思い出すことがある。それは子どもの頃、家族で行った京都旅行のことだ。小学生のある年、母と祖母に連れられて祇園祭りを見に出かけた。子どもの僕が祇園祭りに興味があったわけではなかったが、新幹線に乗れるので僕はついていくことにした。祇園祭りを母と祖母は堪能したようだった。翌日僕たちは琵琶湖にもう一泊した。
ホテルは、湖畔に建っていた。部屋に入ると僕はすぐ母に「海水パンツを出して」と頼んだ。部屋からプールが見えていたからだ。上から見た水面はきらきらと輝いている。「待ちなさい。少し休ませて。」と母は言ったが、祖母が出してくれた。「そのかわり気をつけるのよ。」
僕は一人でプールサイドに座り、足だけを水に入れて、夏の訪れを感じながら子どもながらに開放感を味わっていた。目の前には、琵琶湖が広がっている。行ったことのある芦ノ湖とは違って琵琶湖の大きさはそこに座っているだけでも感じ取ることができた。
僕はビーチボールを抱えて、水の中に入った。気持ちがよかった。プールに人はまばらだった。ビーチボールに掴って、まるで琵琶湖で泳いでいるかのような感覚のまま僕は漂っていた。ところが一瞬の隙にビーチボールがポンと腕から逃げてしまった。
僕は慌てたが、プールの底に足は届かず、もっと慌てた。殆ど泳げなかったからである。僕は沈んだ。僕はプールの底を足で蹴った。水面に顔を出し空気を吸って、何度かそれを繰り返した。何度かそうしているうち に、力が抜けたのだろう、僕の体は水に浮いた。いや水が僕の体を支えてくれたのだ。もう水は怖くなくなっていた。それどころか水に支えられて浮いている自分を心地よく感じた。僕は腕で水を掻いた。僕は自由を感じた。ビーチボールに掴まっているときよりもっと自由を感じた。もう少しも怖くなかった。
僕はあの夏、神さまを信頼することを知ったような気がする。神さまに身を委ねて生きることの喜びを知ったような気がする。もう何かにしがみついて生きなくてもよい人生の素晴らしさを知ったような気がする。
それはあの夏,プールがくれた贈り物。そして信仰は、神さまが僕に与えてくれた贈り物。神さまが僕を支えていてくださる。 [K]

いのちはぐくむ

第16回 「種はいのち」

『種をお与えください。そうすれば、わたしどもは死なずに生きることができ、農地も荒れ果てないでしょう。』
(創世記47章19節)

私の専門は「植物育種学」です。しかし、専門を聞かれて、そのように答えても、すぐに理解されることは少ないのです。そこで、育種とは簡単に言えば品種改良のことである、と補足するとようやく分かってもらえます。この用語は、明治31年に、日本農学の父といわれる横井時敬(よこい・ときよし)博士(1860|1927)によって初めて使用され今日に至っています(『栽培汎論』、1898年)。私は長い間「育種学」を教えながら、分かりにくいこの命名には
不満を感じていました。しかし、最近になってようやく、種は大いなるいのちの素であり、したがって、これは「いのちを育てる学問」であると気づき、納得することになったのです。
博士は、生涯にわたって、農学者といわれるものたちに向かって「農学栄えて、農業亡ぶ」ことのないようにと警告を発し続けた人でもありました。農学者は常に農業の現場に立ち、そして、研究は分析のみに陥らず全体を見渡す視点で行わなければいけないとも。残念ながら、日本の農業の現状をみれば、博士の心配は的中したといえましょう。
アメリカは深刻な不況に喘いでいるが、種産業のみは大盛況であると、当国の種苗企業に勤務する友人からの便りにありました。確かに、遺伝子組み換えによって開発されたトウモロコシや大豆などの除草剤耐性の種は、種苗特許によって他国の追随を許さず、世界中を席巻しています。これらの種は、あらゆる植物を枯らす非選択性の除草剤とセットにして販売されるので儲けは倍増するわけです。
もともと育種は農業の営みの中で農民自身の手によって行われてきました。江戸時代の厳しい年貢の取り立ての中でも、農民たちは自ら稲のより良い種を選び(選種と呼んでいました)収穫量の多い品種を育成して生き延びてきた歴史的事実があります。しかし、いつの頃からか、育種は農民の手から離れ国や企業に委ねられるようになったのです。さらに現在では、種苗企業の知的財産権を守るという名目で「種苗法」が制定され、農家は栽培する作物の種を自ら採ることすら厳しく制限されるようになっています。
私は、現在、北海道から沖縄まで全国15箇所ほどの地域で、農家の人たちとともに稲の育種を進めています。地域の風土に合い、自然、有機農業でも収量の上がる品種を創ろうとしてのことです。この半世紀ほどは、もっぱら農薬や化学肥料の多用を前提に、世界の広い範囲で栽培できる広域適応性の品種が求められてきました。本来、農業は地域に適応する種(品種)と固有の栽培技術によって成立してきたことは言うまでもありません。農民が、いのちである種をもう一度自らの手に取り戻すことから日本農業の再生は始まると考えているのです。
(静岡大学名誉教授 農学博士)

園長日記「毎日あくしゅ」

「いつのまにか…」

雨上りの園庭では、待ちかねた子どもたちが、だんご虫探し、泥だんご作り、ダム作りやどろどろ遊びに夢中です。代々伝授される泥だんご作りで園庭のあちこちに思いがけない程の大穴ができています。子どもたちの楽しさが伝わってくる大穴です。
今、年長ゆり組さんが苗を植え、毎日せっせとお世話した夏野菜のトマト、キュウリ、ナス、ピーマンが勢いよく大きく育っています。それぞれに実をつけたので、「元気に育ってくれてありがとう」、「神さま、お恵みをありがとう」と感謝して収穫しました。
早速ゆり組代表が年少、年中クラスにもおすそわけ。「花が咲いたよ」「小さい実がなったよ」と愛おしそうに覗いていた年少、年中さんたち。「ありがとう」「どういたしまして」と互いに嬉しい交流がありました。生のまま小さく切って、みんなで個々の命の味を味わいました。
また、大切に育ててきたおたまじゃくしがカエルになり、広い自然に返すことに。「がんばったね」「おおきくなってよかったね」と口々に声をかけて放しました。大切な「命」に心を留める時を与えてくれた野菜やカエルに感謝です。
自分の思いを言葉にすることがうまくなってきたゆり組さん。遊具のキャッスルタワーから恐る恐る降りるお友だちに、「涙が出るのはがんばっているからだよ」「信じてすると出来るよ」と励ましています。Iちゃんは「やってみないと分からない! ドキドキするけど、楽しいことが増えたよ」とにっこり。いつの間にか大きく成長しています。
日々の生活の中で起こる小さなことを大切に積み重ねる中で、時を経て、いつの間にか成長している子どもたちに気付かされるのだろうと思います。
間もなくゆり組さんは、二泊三日の阿蘇キャンプ。大きな成長のときとなるでしょう。
一学期の神さまのお守りを感謝しています。
日善幼稚園 園長 岩切華代

聖書のつぶやき

「意味わかんない!」

神様がこの世界を創造された時、人々は同じ言葉を使って同じように話していました。いまでも同じだったら海外旅行など楽ですね。ところが、彼らは同じ言葉を話していたため相談し、天まで届く塔の街を建て、神様のように有名になろうと企てます。神様に近づこうとしたのです。これが「バベルの塔」です。そこで神様は言葉を混乱させ、互いの言葉が分からないようにされました。
子どもたちから「意味わからない」と言われます。大人や親が言っている意味が分からないというより、聞く耳を持たないということです。しかし、意味のない言葉はありません。神様がいろいろな言葉を語るようにされた意味もあります。それは言葉を越える交わりがあるということです。言葉が音になると意味が分かりません。言葉が心の振動になると愛を伝える手段となります。

10-07-15るうてる2010年7月号

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説教「あなたの人生の土台は?」

わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったある教会で牧師たちや信徒たちと懇談をしていた時のことです。突然一人の女性信徒が立ち上がって私にこう言いました。「斉藤牧師!あなたは『停止線で一旦停止しない車が多いので困る』と言っていましたね。でも私はこの間、あなたの運転す 夢というのはありがたいもので、ふだんは気づかない自分の心の奥を見せてくれます。「ああ夢でよかった」という気持ちとともに、私には人を裁く気持ちが根深くあるということが示されたのです。
イエス様は「人を裁くな」と教えておられます。それは「裁判をしてはいけない」という意味ではありません。自分の罪を棚に上げて他の人の罪を責めてはならない、ということです。
人は自分が他の人よりも義しいと思っている時ほど人を傷つけ、神に逆らい、はなはだしい悪を行なっているのです。子どもを虐待して死なせてしまうのも、「この子が悪いのだからしつけるのは当然だ」という考えからです。
イエス様が示される「義しさ」は私たちが考えている義しさとどれほどかけ離れていることでしょう。私たちは人を見下し、裁く自己満足の義しさが、いかにもろく不完全であるかを認めなければなりません。
「わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。」

ここでイエス様が語られる「地面を深く掘る」とは、頼りにならない私の偽りの義しさを取り除くということです。そしてキリストのみ言葉の上に自分の人生、生き方の基礎を置くということです。自分の義しさに頼っている人は、自分自身の欲 これに対してイエス様の教えに立つ人は、倒れることがありません。イエス様の言葉は完全であり、あらゆる時代を通じて永遠に変わることがない真理だからです。私たちが礼拝に集う目的は、本当の義しさを教えてくださるこのイエス様のみ しかし、イエス様の教えに生きようとする人は自分の中にそのような義しさがないことに気づきます。み言葉どおりに生きる力が私の内にないのです。その時、私たちはイエス様のみ言葉には、ただ教えるだけでなく、私たちを生かす力がある 家と土台は人が造りますが、岩は人が造るものではありません。そして土台と家が岩を支えるのではなく、岩が土台と家を支えるのです。同じように私たちの岩であるキリストとキリストのみ言葉が私を導き、神の御心に適う道に立たせてくだ イエス様から「岩」と呼ばれたペトロは、使徒言行録の中でもなお弱い人でした。でもイエス様は彼を導き、その信仰を守り、不動の人にしてくださいました。イエス様はご自分に頼るすべての人にも同じようにしてくださるのです。
牧師 齊藤幸二
(岐阜・大垣教会)
[ 広報室註] キリスト教会では、意味をこめて、『義』を『ただしい』と読ませることがあります。

風の道具箱

星は何でも知っている

心の片隅に覚えていた小さな詩があります。絵本の中の言葉だったと思いますが、ある神父さんの本で紹介されていました。小さな子どもの言葉をそのまま書き記した口語詩のひとつです。
おほしさんが
ひとつでた
おとうちゃんが
かえってくるで
夕暮れに小さな子どもが空を見上げると、光り輝く金星がひとつあった。その星を見た子どもの心に映ったのは、世界でたった一人のお父さんが帰ってくる姿。なんだか暖かく、家族ってこんなものだなと感動しながら読みました 星を見上げる時、それは大きな世界に包まれていることを知る時です。真っ暗な空に星が輝く。その輝きに神様の存在を知ることができます。見上げた空に「あなたのことをいつも見守っているよ」って、星が輝きました。(柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

清水教会・小鹿教会牧師 明比輝代彦

星はおのおの持ち場で喜びにあふれて輝き、その方が命ずると「ここにいます」と答え、喜々として、自分の造り主のために光を放つ。
旧約聖書続編「バルク書」3章34 ~ 35 節

松山市立素鵞(そが)小学校5年生のとき、今から60 年前のことです。岡井先生という新任の先生が着任され、当時では珍しい「天文部」を創部されました。自分で持つことなどで出来ない「天体望遠鏡」を購入してくださり、部 旧約聖書には「ヨブ記」9章9節に「神は北斗やオリオンを、すばるや、南の星座を造られた」とあります。聖書の民であるイスラエルの人々も、北斗七星やオリオン座の雄大な三ツ星たち、おうし座の「すばる」(正式にはプレア 愛唱聖句として挙げたのは、聖書正典66 巻でなく、旧約聖書続編13 書の1巻、「バルク書」の一部です。神様の目から見れば、私たち被造物は「星」です。人を含むすべての被造物は、創造の秩序と神様の御心により、それぞれ キリストの教会は、輝いている星々の集まりですね。輝かせてくださるのが、キリスト様ご自身ですから、自分がどんなに小さかろうが、弱かろうがかまわないのです。
5月19 日に清水教会の兄弟が64 歳2ヶ月の生涯を終えて天に召されました。6年間がん闘病をされました。今年1月3日の主日礼拝に奥様と共に出席されたのが最期の礼拝でした。私は、召された方々を星になぞらえて この兄弟は「おうし座」の一等星アルデバランにしました。64 光年の星ですから、この兄弟が生まれたころの光が、いま届いているのです。過去と現在とが交差する神秘的な体験をいたします。
私が1971年から4年間遣わされた益田教会に、榎津重喜君という高校生が来ました。受洗し社会人としての長い生活後、牧師になる召しを受け神学校に入学しました。卒業1年前がんに倒れ召されました。彼は「双子座」 教会の喜びの輝きは、御子イエス様の十字架の愛と、勝利の復活に裏打ちされた賜物です。この喜びを輝かせつつ、共に歩みを続けましょう。

信徒の声 教会生活を通して

阿久根ルーテル教会 東山義夫

Q 公立学校の教員として県下全域を転勤することが普通であるにもかかわらず、この教会に留まっているのはどうしてですか。

私がつとめていた1975年頃の鹿児島県教職員の人事異動は、県を13 地区に分け、退職まで僻地を含めて3地区経験しなければならないというものでした。1977年阿久根教会を後に離島僻地に赴任、3年間の勤務を終えました。3地 自分は多く与えられた者であること。主のために多くの働きを求められている者であること。そのことを示され、即座に自分を必要としている阿久根教会のあるもとの地区に戻り、そこから第3地区へ通勤するようにし、2002年定年退職す
Q  ギデオン協会の働きをされていますが教会とどのように関わっていますか。
1999年ギデオン協会鹿児島西北支部が発足し、ギデオン協会の働きとして中高生に聖書を無料贈呈することを通して、教会の大切な使命の一つである御言葉の宣教ができることを感謝しています。毎年2000冊以上の聖書を贈呈する《小山牧師から》
毎月『聖書贈呈報告』ハガキで参加者の集合写真と次回贈呈計画が東山兄から伝えられ、知らせを受けた何名かが翌月参加されます。当日朝6時半から看板を立て数か所の配布ステーションを設置し、学生の登校を待ちます。

私の本棚から

杉山登志郎「子ども虐待という第四の発達障害」学研 2007

発達障害ということばが広く知られるようになってきました。最近では、大人になっても自分の発達障害に気づかずに生活している方がいるのだという、発達障害の特性をやや強調し過ぎと思われる「警告」の書が本屋の棚にあふれています。
ご紹介する本の著者、杉山登志郎先生は児童精神医学のエキスパートのお一人で、愛知県の高蔵寺教会の会員でもあります。ルーテル教会員に高名な専門家がいると思うだけで、何か不思議に心強くなるのは筆者だけの思い込みでしょうか?
さて、子ども虐待が第4の発達障害なら、第1から第3は一体どのような発達障害なのでしょうか? 杉山先生のお考えからすると、第1は古典的発達障害としての知的障害と身体障害、第2は自閉症とその近縁の発達障害、そして第3は、学習障害と注意欠陥多動性障害(ADHD)に代表される、いわゆる軽度発達障害となります。
次に、なぜ子ども虐待を発達障害として理解すべきなのでしょうか? 虐待は、単に情緒的な反応を引き起こすだけでなく、脳の器質的変化をもたらし、発達そのものに影響を及ぼすことが最近の脳科学研究によって明らかにされたからです。成人の精神医学の領域で、例えば、戦争や生死を分ける大事故などの強いストレスにさらされ、外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された方の扁桃体(脳の一部)が委縮するという衝撃的な報告が発表されました。この報告に触発されて行われた研究が多くの成果をもたらしました。
杉山先生は、あいち小児保健医療総合センターでの豊富な臨床経験から、非虐待児が示す、発達障害類似の症状を次々に明らかにされました。子ども虐待を発達障害の一類型と見なすべきか否かの議論は別にして、杉山先生の考え方が発達障害の臨床と研究に影響を与えたのは間違いありません。ただし、すべての発達障害が不適切な養育あるいは子ども虐待に由来すると杉山先生が主張しているのではないことを申し添えておきます。
先生はこの問題を論じた多くの学術論文を発表されていますが、本書は平易に書かれていますので、子ども虐待と発達障害の関係を知りたいと思われる一般の方々に一読をお勧めする次第です。

横浜市中部地域療育センター所長・日本発達障害学会会長 原 仁(むさしの教会会員)

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その4

社会福祉法人 ベタニヤホーム

理事長 丸山正昭

ベタニヤホームの名は、イエスさまがエルサレムの近く、ベタニヤ村のラザロとその姉妹の住んでいたところを憩いの場所とされたことで、この名をとってつけられたものです。
1923年(大正12年)、関東大震災で、夫や父親を失った母子たちのため、当時の内務省の委託を受け、墨田区江東橋に敷地千百四十㎡を借り受け、母子ホームと幼稚園舎を建築したのが生い立ちです。その後変遷がありましたが、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲によって、ホームは灰燼に帰し、利用者は、13名の生残者を残し、20数名が死亡するという悲惨な状況に陥りました。
戦後1947年(昭和22年)、再度来日した、エーネ・パウラス宣教師の精力的な救済活動により、母子寮、菊川保育園、富士見保育園の三施設の建設を成しとげました。
その後、2007年(平成19年)に墨田区の要請により、待機児解消のため、墨田区緑2丁目に、こひつじ保育園を開園いたしました。さらに、墨田区の委託を受けて、平成14年に「両国子育てひろば」、また平成15年に10月より「文化子育てひろば」の二施設を開設しました。これらは、子育ての相談事業、親子が楽しく遊べるさまざまなプログラムを実施しており、利用者数は、年間両国が2万4千人、文化が3万2千人と好評です。
菊川保育園につきましては、昨年墨田区からの勧めで、国の「子ども安全基金」を利用して改築することになり、7月1日着工、翌年8月31日完成の予定です。
最近、社会事業から宗教色を排除する傾向がありますが、わたしどもは「ベタニヤホームはすべての事業をキリスト教の精神に基づいて行う」とベタニヤ憲章の第一にかかげております。聖書の言葉に「子どもたちを来させなさい。天の国はこのような者たちのものである」(マタイ19・14)とあるように、保育のわざを「子どもがかわいい」「子育ては楽しい」と思えるような働きを職員全体が心がけています。

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)クリスチャンワーカー

日本福音ルーテル東京教会会員 高橋 睦

「あんたは神様に首根っこを”ひょいっ”と掴まれておるんじゃよ」
高校を卒業し、具体的に社会福祉の仕事を考えている頃、岸千年先生に云われたことばです。もう三十年ほど前になるでしょうか。
日本ルーテル神学大学(現・ルーテル学院大学)キリスト教社会福祉コース卒業後の二十数年は、宗教を背景に持たない高齢者福祉施設の現場で働いていました。その中で、クリスチャンワーカーとはいったい何だろう? なかなか答えの見えない問いで、そのままにしていました。
四年前に入職した東京老人ホームは、関東大震災直後に被災した高齢者の生活を守るためにルーテル教会が造った施設で、今でも毎朝の利用者の礼拝や、イースター礼拝、追悼礼拝などが自由参加で守られています。もちろん食事の方法、お風呂の入り方が特別なキリスト教式というはずもなく、クリスチャンではないワーカーも多く働いています。
「クリスチャンでなければできないお世話」ではないとすれば、「クリスチャンだから」とはいったい何でしょうか。
職員の多くは、介護福祉士などの国家資格にチャレンジし、スキルを高めて、その専門性をよりどころの一つとして日々の業務にあたっていますし、私自身もそのようにしてきました。私たちクリスチャンワーカーは、キリストに支えられた使命感を持つことを土台にして、その専門性を活かし、目の前にいる方々と「共にあり続ける」ことができるのでしょう。
「神様に首根っこを掴まれている」ことを受け入れ、安心して。

世界の子ども支援チャリティコンサート 各地で大盛況

日本福音ルーテル教会(JELC)/日本福音ルーテル社団(JELA)の共同プログラム「世界の子ども支援チャリティコンサート」は、五月中旬から四週間にわたって全国九教会(博多、松山、甲府、三鷹、神戸、静岡、栄光、田園調布、聖パウロ)で開催されました。来場者は総計七五三人。七六一九二一円の献金は、JELCの連帯献金とJELAのアジア子ども支援に全額用いられます。以下は松山教会からの報告です。

二〇一〇年五月十六日(日)、日本音楽コンクール一位、香川県文化芸術新人賞受賞の上野由恵さん(ピアノ伴奏・圓井晶子さん)のフルート演奏会を行ないました。普通でしたら、三〇〇〇円の入場料をとって、二〇〇〇人の大ホールでもいっぱいにできる人が、六〇人で満杯になる松山ルーテル教会で、入場無料のコンサートを開いてくださったのです。
二階も、玄関ロビーも、会堂内も補助椅子をおいて、一二〇人の大聴衆でした。上野さんを松山に送ってくださった日本福音ルーテル社団の「世界の子ども支援」計画のために席上献金を募ったところ、十万七五〇円が集まり、深い感謝の思いに満たされました。
松山ルーテル教会としては、ただ音楽会を催したのではなく、まず町の人が、教会の会堂の中に入る機会を作ること、これを伝道の第一歩と考えてのことです。この二年間、様々なイベントを実行してきました。今回の成功には、信徒(少数しかいない)が招待ハガキを多く配り、クチコミで伝えたことがいちばん有効でした。伝道の成果です。
マスコミでは、朝日と読売だけが前日に小さく載せてくれました。ローカルの生活情報誌と地元の愛媛新聞からは黙殺されました。マスコミとのかかわりは、これからの課題です。もっと早めに、詳しい情報を流さなければなりません。市会議員のひとりが、コンサートにかけつけてくれました。市会議員、県会議員が礼拝に来る教会を夢見ていますので、これも、踏み出しの第一歩です。
(松山ルーテル教会 役員会)

牧師補研修報告

2009年4月に任用された、鷲見達也、小山茂、崔 大凡、汲田真帆の4名の牧師補を対象に実施された2009年度牧師補研修は、3月の新任・牧師補研修(市ヶ谷センター)、10月(福岡・二日市教会)の中間研修、さらに5月17日から18日の二日間、最終研修を市ヶ谷センターで行い、所定の研修を修了した。
5月の最終研修では所定の評価表に従って、提出された「牧師補の自己評価」、「指導牧師の評価」、「信徒の側からの評価」に基づき、一年間の振り返りと教会職務を遂行するところでの各々の将来の自己課題を牧師補本人も自己認識を深めることで、今後の牧師職をより向上させていくための必要な学びの時を持った。さらに、各牧師補から以下のような自己課題に沿ったレポート(A4,4ページ程度)を提出してもらった。
崔 大凡 牧師補 「きずなを深める」、鷲見達也牧師補 「主任牧師としてのリーダーシップの確立」、小山 茂牧師補 「二礼拝所の礼拝あり方」、汲田真帆 牧師補 「1週間の牧師としての生活の組み立て方」。
6月常議員会では各々が所属教区常議員会を通して、牧師への身分変更の申請が提出され、承認された。ただし、汲田真帆牧師補は最終研修においては休養中であったので、牧師補から牧師への身分変更申請の取り扱いは回復状況の見定めも含めて、指導牧師と東教区常議員会に委ねることとした。
(牧師補研修委員長 青田 勇)

2010年度 日本福音ルーテル教会教師試験実施のお知らせ

2010年度の日本福音ルーテル教会の教師試験を左記要領にて実施いたします。
教師試験を受けようとする志願者は左記書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、よろしくお願いいたします。


Ⅰ.提出書類
1教師志願書
2履歴書〈学歴、職歴、信仰歴、家庭状況等を記入すること〉
3教籍謄本(所属教会教籍簿の写し)
4成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書(法務局交付のもの。任用試験時に必要になります)
5所属教会牧師の推薦書
6神学校卒業(見込証明書及び推薦書
7健康診断書(事務局に所定の用紙があります)
Ⅱ.提出期限(期限厳守)
2010年9月17日(金)午後5時までに教会事務局 提出。
Ⅲ.提出先
日本福音ルーテル教会常議員会長 渡邉純幸 宛
Ⅳ.試験日及び試験内容
直接本人に連絡します。

第一回 教職短期海外研修 参加者募集

■期間 最長一ヶ月
■研修受入国
◯アメリカ(サウスキャロライナ・シノッド/ELCA)
◯フィンランド(ルーテル福音協会)
◯ドイツ(ブラウンシュヴァイク州福音ルーテル教会)
■目的 ルター派の海外教会・団体との親善と交流関係を推進し、日本福音ルーテル教会の宣教の進展を図るため。
■費用 旅費の往復費用は自己負担 (滞在費は受入団体負担)
ご希望の方は、教区長を通してお申し込みください。なお、研修人数は、各国一名となっています。
お問合せは、事務局宣教室へ。

「るうてる」福音版 今後の発行について

本紙福音版につきましては、諸般の事情により9月号、10月号、11月号は休刊とし、12月号をクリスマス特集として発刊いたします。連載記事(「いのちはぐくむ」と「園長日記」)につきましては、休刊中も、「るうてる」本紙に掲載いたします。 今後、紙面の充実をさらに図るべく努力いたしますので、なにとぞご理解を賜りますよう、お願いします。
広報室長 徳野昌博

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。

二〇一〇年六月一〇日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
代表役員 渡邉 純幸

信徒利害関係人 各位

①浜名教会 集会室新築
・種類 集会室(一階)
・構造 鉄骨造キーストン プレート葺平屋 建
・面積 約五〇㎡(ユニットハウス使用)

②大牟田教会 建物取壊
・種類 居宅(一階)教室(二階)
・構造 木造セメント瓦葺 二階建
・面積 一階 七一・〇七㎡ 二階一三・二二㎡
・理由 築後五十三年を経過、老朽化による 損傷激しく危険であり、数年来無人にて近隣にも無用心であるため。

世界のルーテル教会の動向(総会員数)

事務局宣教室
今年7月20日から27日にかけてドイツのシュトゥッガルトで第11回ルーテル世界連盟大会が7年ぶりに「日々の糧を与えてください」というテーマの下で開催される。世界各地のルーテル教会から418名が参加する予定でいる。
今年の春に、ルーテル世界連盟(LWF)が2009年度統計としてまとめた、LWFに所属している140教会の総教会員数は、前年の2008年度より、1,589,225人増加して、70,053,316人である。これはヨーロッパ地域での教会合同及びアフリカとアジアの教会員の増加現象によるものであるが、ラテン・アメリカ、カリブ海、及び北アメリカのルーテル教会員は僅かながら減少傾向を示している。
地域別に会員数を見ると、アフリカ大陸全土では18,520,690人(44教会)。その主な内訳はタンザニア530万人、エチオピア529万人、マダガスカル300万人、ナイジェリア205万人。
アジア全体は8,746,434人(65教会)。その主な内訳はインドネシア563万人、インド191万人、パプアニューギニア104万人、 マレーシア10万人、ホンコン5万人、日本3万人。
ヨーロッパ大陸は37,164,411人(56教会)。その主な内訳はドイツ1,293万人、スゥーデン675万人、デンマーク449万人、フィンランド447万人、ノルウェー401万人、オランダ210万人。さらに、ELCAとカナダのルーテル教会を有する北アメリカは、4,784,089人である。
なお、日本福音ルーテル教会と教会間の宣教協力関係を築いている、ドイツ・ブラウンシュバイク教会は39,500人、ブラジル・ルーテル告白福音教会は717,000人、アメリカ福音ルーテル教会は4,623,301人である。

10-06-15るうてる福音版2010年6月号

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思いがけない視点

梅雨時になるとK君のことを思い出します。障がいのある男の子で、彼が小学3年生の時から5年生まで家庭教師として関わりを持ちました。家庭教師といっても学校の勉強を教えるのではなく、外で遊びながら、いろいろなことを経験していくことを目指しました。未知の世界へのチャレンジ、まさに試行錯誤の連続でした。そのような中で、補助輪を外して自転車に乗れるようになった時には、K君以上にご両親が喜ばれ、その日のうちに新しい自転車を買いに行かれました。その自転車でサイクリングも楽しむことができました。ボール遊び、縄跳びなどをしていました。また、絵本を読んで感想文を書いたり、日記を書いたりしていました。彼は、なかなかの詩人でした。
雨が続いたある日、K君は小さな葉の上に一滴の雫があるのを見てこう言いました。「先生、葉っぱが重いよーって言ってる。」
雨の雫一粒が小さな葉の上に乗っている、その葉には一粒がちょっと重かったから少し下を向いているのだ、そうK君には見えたのでしょう。或いは、うつむき加減になっている葉の声が聞こえたのかも知れません。けれどもその時の私には、K君が感じたように見ることはできませんでした。小さな葉の声に耳を傾ける、小さな葉から見る、というような視点はありませんでした。雨に濡れた花や葉を、「しっとりとして美しい」、「草花には潤いの雨」、そう、雨にだけしか目が向いていなかったのでした。草花の側に立つとき、激しく降る雨を「潤いの雨」などとは受け止めることなどできないでしょう。
雨に濡れた小さな葉を一つとっても、いろいろな視点で見ることができます。しかし、私たちにはそのすべてを、いつも見ていくことはできないのではないでしょうか。私たちの思いを超えて見守ってくださっている方がおられることを、聖書は教えてくれています。 AU

第15回 「身土不二」


『主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形作り、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きるものとなった。』(創世記2章7節)

「身土不二(しんどふじ)」は、一般に、人が住むその土地で作られる旬の食べ物を正しく摂ることによって元気で長生きできるといった養生訓として人口に膾炙(かいしゃ)されてきました。今、盛んに喧伝されている「地産地消」の本来の意味と考えればよいでしょう。仏教用語に由来するこの言葉の真意はなお不明ですが、文字どおり解釈すれば、身体と土とは互いに不二であるということになります。いずれにせよ、この語には、人間や動植物、果ては土や石などの無生物まで、この世界に存在する全てのものが互いに繋がり合って生命を廻らせているという仏教的思想(空海、『即身成仏(そくしんじょうぶつ)義(ぎ)』)が反映されていることは確かです。
私が永くかかわってきた自然、有機農法は、「自然のしくみに沿い、土本来の力を活かす」を基本思想としています。土から始まり、植物、動物そして人間へ、さらに土へと廻るいのちの循環の中で、土が持つ機能を十分に発揮させる農法ともいえます。土が健康であればその影響は植物、動物を経て人間の健康に繋がる、という理に基づきます。土の弱体化は、人間の不健康に行き着くことはまた当然のことでしょう。
野菜の栄養価が戦後間もない昭和20年代から最近に至るまで減り続けている事実があります。『食品成分表』の初版(昭和25年)から第5訂版(平成12年)までを比べてみると、例えば、主要野菜12品目のビタミンAとCの含量はそれぞれ平均50%か、あるいはそれ以上確かに減少しています(中井、2008年放送大学講義資料)。この原因は多様でしょうが、農薬や化学肥料依存の農業による土壌の疲弊が主要因であることに間違いはありません。また、夏作のホウレンソウのビタミンC含量は、旬の冬作に比べて三分の一に減少するという報告も複数例あります。
日本で自殺者が12年連続で年間3万人を超えていることは周知のことです。これは日本人全体の生命力が低下している象徴的な出来事といえるでしょう。その原因は複雑多様であるに違いありません。しかし、今、私たちが直面しているいのちの危機は、健康な土壌を基盤として、自らが生きものといういのちを育て、そのいのちを食べるという生きる基本から遠く逸脱したところから生じているのではないでしょうか。
土に始まり、廻るいのちの循環にあって、人間のみがこの秩序を乱す存在であることに改めて気づかされます。しかし、この秩序を再生させることができるのもまた人間です。聖書は、最も直裁(ちょくさい)に人は土であることを告げています。しかも、神はそれに命の息を吹き入れられたと。これは、「人間がいのちの循環の要となりなさい。」という、神の限りない激励であり、愛のように私には思えるのです。
中井弘和(静岡大学名誉教授 農学博士)

園長日記 毎日あくしゅ

「花の日」

6月は、日本では雨の多い時期でじめじめした印象ですが、外国ではジューンブライドといって結婚式が多いそうです。きっとさわやかな季節なのでしょう。日本でも6月に結婚式をする若い人達が増えてきました。
この時期は園バスから外を見ると、いたるところに田植えの準備がされていて、子ども達と「私達が食べるお米ができるんだよ。嬉しいね!」と話しながら乗っています。このようなのどかな風景がいつまでも続いてほしいと願っていますが、働いているのはお年寄りばかりで考えてしまいます。
6月は梅雨時なのに園の行事は多くあります。その中で大切にしている行事の一つに「花の日」があります。神様が創られた世界の中で、一番美しいのが子どもとお花と言われたりしますが、本当にそうですね。
当園では、その綺麗な花を持って近くの老人ホームを訪問しています。もう30年近くその老人ホームにはお世話になっていますが、毎年楽しみに待っていてくださって嬉しいことです。
当日は、教会学校と合同ですが、幼稚園では保育の一環として行っています。今の若いお父様やお母様方の中には老人ホームに行ったことがない方もおられ、保護者の方々にもぜひ知ってほしい、観てほしいとの思いから全員参加にしました。たくさんのご家庭から少しずつお花を花束にして持ってきてもらい、おじいちゃまやおばあちゃまに子どもたちが直接手渡します。それは涙を流して喜んでくださる方も多いのです。
その老人ホームは、半分以上の方々が80歳以上で最高年齢は100歳を超えています。おじいちゃま、おばあちゃまからすると園児たちは、曾孫もしくは曾曾孫ほど年齢差があります。このおじいちゃまやおばあちゃまは戦争も体験して来られました。私たち職員はみんな戦後生まれですが、きっと大変な思いをされた時もあったことでしょう。
前の園長先生は戦争中の東京大空襲を経験された方です。以前の訪問の時、その貴重なお話をされておじいちゃまやおばあちゃまと気持ちを共有されていました。私たちはお年寄りの方々の大変なご苦労の上に今の幸せがあることを、しみじみと感じさせられた一日となりました。
神様から頂いている平和と幸いを、次代を担う子どもたちに大切なこととして伝えていきたいと思っています。
玉名ルーテル幼稚園 園長 中島千麻子

聖書のつぶやき

「異常気象のような雨だな~」

「ノアの箱舟」の物語は、「この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた」から始まります。神様はその様子をご覧になり、人間をつくったことを「後悔?」されたようです。そこで大洪水を起こして、すべてを一掃しようとお考えになりました。ところが、ノアのことを思い出されました。彼だけは神様の御心にかなう人だったのです。ノアと家族、地上の生き物を一つがいずつ、大きな箱舟をつくってそれに乗るようにと指示されました。豪雨は40日40夜という長い時間降り続きました。
40日も豪雨が降り続く。しかも真っ暗な時間。いつやむかわからない。そんな状況のなかにあっても、なぜかノアも動物たちも安心しています。そこに神様の約束があるからです。「すごい豪雨だな」「まだ降っているよ」「はやく外に出たいよ」。箱舟の中で会話しながら、神様の約束に希望をもって雨がやむことを待っていたのでしょうね。

10-06-15るうてる2010年6月号

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ペンテペンテコステ説教「キリストの愛を拡げよう」

一同が一つになって集まっていると・・・炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。(使徒言行録2章1節~4節)

春は進学、就職のシーズンです。希望に胸膨らませて新しい学校に入学した人、会社に就職した人も多いことでしょう。
しかし、春は挫折のシーズンでもあります。せっかく入学したのに登校拒否になったり、会社に行くのが嫌になる季節だからです。
そんな時、なによりも嬉しいのが暖かい励ましの言葉です。あなたのひと言が勇気を与えます。ぜひ暖かい言葉をかけてあげてください。
ところで、この時期に一番ふさわしいのは聖霊降臨日(ペンテコステ)の出来事ではないでしょうか。
イエスさまがご復活されて50日目、祈りを共にしていた弟子たちは聖霊をいただき、いろいろな国の言葉で主のみ業を語りだしました。そのときの様子が、右に記した聖書のみ言葉です。
この時、弟子たちは決して希望と確信に満ちていたわけではありませんでした。ペテロが主を否み、トマスが主にいさめられてからわずか50日ほどしか経っていません。彼らは挫折の中にあったといっても過言ではありません。そのような彼らに、本当の力を与えたのが聖霊なのです。
聖霊が一人ひとりの上に留まるやいなや、彼らは色々な国の言葉で主のみ業を語り始めました。それは言葉だけに留まりません。この後、彼らはそれぞれの賜物に応じて力強く働いていきます。「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。‥‥一人一人に”霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。」(Ⅰコリント12・4~7)と語られているとおりです。
太陽の光を受けたプリズムが様々な色に光り輝くように、聖霊の力は信じる者を通して、神さまのご栄光をさまざまに光り輝かせるのです。
人の苦しみや悩みは十人十色です。同じ人間でも、子どものときの悩み、青年時代、壮年期、そして高齢者のときの悩みはそれぞれ違います。
一人ですべての人の悩みに応えることはできません。異なった賜物を持った人が協力していくことが必要です。
キリトの体である教会は、手や足や頭が協同して働くように、それぞれの賜物を生かしながら奉仕の業をしていきます。しかし、その根本はひとつです。キリストの愛です。
ペンテコステの不思議な出来事に、私たち現代人は確かに戸惑います。しかし確実なことは、聖霊は天に昇られたイエスさまが送ってくださったということです。それは愛する弟子たちのためです。あのペテロのため、あのトマスのためです。そしてあなたのためです。その愛が私たちを励まし、慰め、勇気を与えます。
聖霊はキリストの愛の発露です。あなたの教会に、あなたの街にキリストの愛を拡げましょう。
牧師 東 和春(横浜教会・横須賀教会)

風の道具箱

傘を忘れた天使

出張でビジネスホテルに泊まることが多いこの頃です。
さて、出張時の持ち物で困るものがあります。それは傘です。関東は晴天でも九州は雨という時があります。傘を準備していけばいいのですが、とても面倒です。飛行機に持ち込みが大変なのです。折りたたみ傘はややかさばり、荷物になります。もっとも、傘が必要なのは駅から教会までのたった5分たらずなので・・・。毎回コンビニで傘を買ってホテルに置いてくるという、もったいないことです。
ある時、京都へ行きました。ホテルに着く頃には雨が降っていました。またコンビニ傘を、と思いましたが、部屋に入るなり感激しました。そこにはビニール傘がおいてあったのです。「ご自由にお使いください。使用後は処分されてもかまいません」と。きっと私のような人が多くいるのでしょう。わざと傘を忘れてきても、そのように利用されているとうれしいものでした。
ちょっとした心配りですが、その根底には人の思いやりを感じます。傘を忘れた人が、ちょっとした優しさで天使にかわるのです。
(柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

掛川・菊川教会牧師 内藤 新吾

「その中で最も大いなるものは、愛である」 (Ⅰコリント13・13)

私の父は次々と妻に先立たれ、私の母で三人目。私には腹違いの兄姉が二人ずついます。3才の時、妹を生んだ日に母は死に、妹はよそへ実子としてもらわれました。我が家には四人目の母がきましたが、この人は父がいる時といない時を使い分け、私たちに冷酷で陰湿な態度を取る人でした。兄姉は私より年が離れていて、父名義のアパートへ出ていきました。残された私は虐待を受け、それは父がガンで死ぬ8才まで続きました。
折れそうな心を支えてくれたのは兄姉でした。時々しか会えませんでしたが、姉は母代わりに可愛がってくれ、また一緒に泣いてくれました。そしてもう一つ、私を支えてくれたのは、次男が家に寄った時、母に向かって「新吾をイジメたら承知せんぞ!」と、ものすごい剣幕で怒ってくれたことでした。それで母が改心するわけではないですが、兄の熱い気持ちがずっとその後も心の支えになりました。その兄も今は天国にいます。父が死に、継母を逃れ家出した私に、急いで養子先を探してくれたのは長男でした。そして行った日からすぐの受け入れ。ウィンテル先生に洗礼を受けた方でした。
愛は、いろんな働きをします。亡き父母も兄姉もクリスチャンではなかったですが、聖書は「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」と告げます。人が虐げられている時、虐げられた者を癒すのも、虐げる者を止めるのも、共に愛です。両方必要ですが、特に後者は人手不足です。私は、戦争や環境汚染を止めることも神が教会に託された祈りと思っていますが、なぜか仲間は教会には少ないです。大きな悪があることを知らないからでしょう。しかし、虐げられた人を解放し悪の束縛を断つ者は、クリスチャンであろうとなかろうと神の御心をなしています。私は、信仰よりも愛が最も大いなるものであるとの御言葉を、命を守ろうとする様々な活動の市民たちと共にいて、日々かみしめています。

宣教師の働きを終えて

主の招きに応えて パーボ・ヘイッキネン

マタイ福音書4章に四人の漁師がいました。彼らは仕事の最中でした。そこにイエスが湖のほとりにやってきました。イエスは、彼らを見ていました。彼らは、誰かに見られていることに気がつかなかったのかも知れません。
漁が終わり、彼らは舟で岸辺に戻ってきました。そのとき、彼らはイエスに気がつきました。イエスは、彼らと同じ町に住んでいました。ですから、岸辺に立つ男が誰であるのか、彼らには分かっていました。深い関係ではなかっただろうと思います。しかし、ちょうどその彼らにイエスは言いました。「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」。
この招きは、突然のものだったでしょう。「なんですって、あなたは私たちについてくるように言っているのですか! しかし、私たちはごく普通の人間です。あなたは何を言っているのですか?」こういった考えが彼らの頭の中を占めたでしょう。しかし、イエスはまさに彼らに向かって、「私についてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と言ったのです。突然の、その言葉には強い力がありました。少ない言葉です。何が起きたでしょうか。彼らは、「すぐに網を捨てて従った」。
今日、あなたも同時に招きを聞いています。あなたにイエスは「わたしについてきなさい」と言っているのです。彼の声が聞こえますか? それはとても友愛に満ちた招きです。そして、救いの招きです。永遠の命に与る招きなのです。イエスは、「私は命である」と自分自身について言っておられます。
本当の命を欲していますか? 主はあなたに「わたしについて来なさい。」と言っているのです。「わたしがあなたに新しい希望を与えよう。そして新しい勇気を与えよう」と。では、イエスの与えた一番偉大な恵みは何でしょうか?それは「子よ、あなたの罪は赦される」という言葉に集約されます。これ以上のものを、人はこの世で授かることは出来ません。

お別れのメッセージ C.フレデリクソン

ローマ書16節25節から27節のみ言葉は使徒パウロによる「栄光の賛歌」です。どこにおいても、福音宣教に携わっているものには特別のキリストの栄光が具体的に与えられます。私にとって、最も意味深い言葉は、27節の「この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように」という箇所です。
神の知恵、それは日本に来た私に、また私の家族に与えられていたものと信じています。それが単なる運命と受け止めるならば、そこには信仰はないし、単なる私自身の願望でしかありません。また、そうであるなら、日本でのキリストにおける奉仕の働きは幸いなものとならなかったと思います。
二つの事柄において神の知恵が与えられました。それは私のためであり、また妻、ベスのためであり、そして、それは二回にもわたったものです。1980年代の終わりに、私たちは「J3」として共に働きました。私は長崎で、ベスは熊本で働きました。今度は、2006年から英語による超教派礼拝(名東キリスト国際教会)の牧師として、また名古屋きぼうルーテル教会でのチーム・ミニストリーのスタッフとして日本で私たちは働きました。
今までにない貴重な学びと経験を与えられ、それを通してイエス・キリストによる神の知恵を伝えるための神における奉仕の働きに従事できたことを誇りに思います。

私の本棚から

マーガレット・ミッチェル  大久保 康雄 ・ 竹内 道之助 訳
「風と共に去りぬ」 新潮文庫

マーガレット・ミッチェルのこの小説は、映画にもなって、良く知られた作品です。訳本は新潮文庫で手軽に読むことができます。主人公スカーレット・オハラの強烈な個性は、魅力的で、相手役のレット・バトラーや、献身的なメラニー、夫のアシュレイなど、南北戦争前後のそれぞれの人生が生き生きと描かれています。小説を読むも良し、映画を観るも良し、一度は目をとおしていただきたい作品です。
私はこの作品には、熱い思いがあります。一つは、一九八三年に、佐藤邦宏牧師を団長とするルーツ・ツアーに参加しましたが、その殆どは、ホームステイで、南部のサウスカロライナ州チャールストン附近の民家に泊めていただいたところ、家の人から「シビルウォー」(南北戦争)で住民がどんな悲惨な目に遭ったかを聞きました。戦後百年以上も経っているのにこの戦禍を話されたのは大きなショックでした。
もう一つは、数年前に、留学帰りの高校生が日本の大学を受験するに当たり、一緒にこの小説の原文を読んだことです。高校生は英語ができるのに、適当な日本語にすることができません。私は、日本語ができるのに、英語はうまくはありません。互いに言葉を見つけあい、良い勉強になりました。
特筆したいのは、戦争後二十年余りしか経っていない一八八七年に南部一致シノッドの総会で日本伝道が可決され、四年後にシェーラーがチャールストン市聖ヨハネ教会
(写真左上)で派遣式を受け、伝道が開始されたことです。佐藤先生の案内でこの会堂を訪れたことは、良く記憶しています。数年後、清重尚弘先生に案内され再度訪問しました。この厳しい時代にわが国に伝道を決意した南部教会員の熱意には頭の下がる思いがします。このことから、私は、神学生には、ピンチの時の今こそ良い伝道の時であると機会あるごとに話しています。
石原 寛(市ヶ谷教会員)

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その3

社会福祉法人千葉ベタニヤホーム

理事長 中島康文

法人の働きを語るにあたり欠かすことのできないのが、北米一致ルーテル教会より派遣されていたエーネ・パウラス宣教師の存在です。先生の働きを支えていたものは「行いがともなわないなら、信仰はそれだけでは死んだものです」(ヤコブの手紙2章17節)という聖句でした。先生の目に「行い」とは社会的弱者あるいは困窮者の「救済」であり、日本の状況はまさに自らのその眼差しを注ぎ実践する場と映ったのでしょう。
パウラス先生は、戦前、市川市国府台の自宅にて、本所区の母子寮(現ベタニヤホーム)に居住する子どもの中の虚弱児を自宅に引き取り療養させていました。これが千葉県下における最初の児童のための働きとなりました。戦時中は一時帰国せざるを得ず、事業は中止となりましたが、1947年1月に再び戻り、活動を再開されました。1958年に千葉ベタニヤホームは社会福祉法人として認可されましたが、当時は保育園4園、母子寮2施設でした。現在は保育園2園、母子生活支援施設4施設を運営しています。
家庭の問題、社会の問題は直ちに子どもたちに影響します。DV・児童虐待・家庭内暴力といった命にかかわる事柄、また経済の不況に伴う未来への不安、家庭や社会が呈する崩壊現象の中、児童を取り巻く環境を整え支援する働きは、ますます必要なものと思われます。パウラス先生の志を同じくし、先生の眼差しを地域の子どもたち、その家庭に注いで生きたいと切に願っています。

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)
光ある黄昏を生きる

日本福音ルーテル大垣教会会員 安井 順子

私は今年87歳になります。だいぶ耳が遠くなりましたが、一人で暮らしています。教会生活は45年になり、毎週の礼拝で受付けの奉仕をしています。礼拝出席の送迎も、具合が悪くなった時にも、教会の兄弟姉妹がすぐに車を出してくれますので本当に安心です。礼拝でみ言葉を聞き祈ること、それが私の心と生活の大きな支えです。
脳梗塞で倒れた夫と小さな子どもたちを抱え、神様にすがりついて歩んできました。病気の主人を愛することが難しかった私に、イエス様は「わたしを愛するか?」と何度も語りかけてくださり、真実の愛を教えてくださいました。夫もイエス様を信じて、67歳で礼拝出席中に天国に召されました。子どもたちも信仰を与えられてクリスチャンホームを作っています。
その後、私が79歳の時に、嫁を亡くして独居となった93歳の兄と5年間同居しました。夜中に不安や死の恐怖から過呼吸を起こして苦しむ兄に、聖書を読み祈ることを教えました。洗礼を受けてからは毎朝大きな声で聖書を読み、賛美するのが兄の日課となりました。礼拝も5年間、一緒に出席できたことは大きな恵みでした。その兄も今は天国です。
老齢になっても「人生の黄昏に光がある」と言うみ言葉の喜びとその恵みを、私なりに出会う人々に証しできたら幸いだと思っています。

熊本地区阿蘇山荘清掃活動

-教会と九州ルーテル学院が一緒になって-

5月8日に阿蘇山荘の清掃活動を行いました。当日は薫風吹く皐月晴れ、清掃日和でした。参加人数は約150人。熊本地区の教会(本年担当教会は室園と合志)から約80人、九州ルーテル学院から高校生1人、大学生50人、教職員約20人でした。
開会礼拝後、九州ルーテル学院大学の学生チャペル委員奉仕係長の三池さやかさんに、作業開始直前の意気込みを聞きました。「みんな張り切っています。楽しく頑張ります。」
バケツリレー式での布団干し、畳を上げてのホールやキャビンの清掃、雨どいの落ち葉除去、屋外の草刈り、遊歩道への砂利敷き、キャンプファイヤー用の丸太椅子の設置など、昼のお弁当の時間をはさんで、いろいろな作業をしました。子どもたちは教会員や大学生と一緒に作業をしたり、遊んだり…。
閉会礼拝前、熊本地区女性の会会長の俵恭子さんに作業を終えた感想を聞きました。「神様が造られた自然の中で、教会や学院から集まった方々と一緒に清掃をすることができたことを感謝しています。充実していました。楽しかったです。」
大学生50人と学院教職員数人は、教会員が帰った後に、ホールの床や廊下のワックス掛け、側溝や駐車場の整備を行いました。磨きたてのホールに一泊し、9日の朝に仕上げの掃除をしました。8日の夜にはバーベキューやキャンプファイヤーを楽しみました。
阿蘇山荘はルーテル関係施設が所有する唯一のキャンプ場です。上の写真の山並みを眺望できます。大自然の中で過ごしてみませんか?
利用についてのお問い合わせやパンフレットのご請求は、九州ルーテル学院・総務部096-343-3111へ。
(熊本教会員&九州ルーテル学院大学職員  水谷江美子)

横断歩道での「種まき」

左の写真、広島県三原市にある三原教会の前の横断歩道です。交通量の多い道路の向こう側には小学校があります。多くの小学生が横断歩道を渡って登下校しています。
朝の登校時、三原教会の白髭 義牧師と夫人の壇さんが、その横断歩道に、小旗を持って立っています。安全に道路を横断できるよう、子どもたちには声をかけ、車には注意を喚起しています。顔なじみの「交通安全おばさん」と子どもたちは大きな声で挨拶を交わし、中には、立ち止まって親しく語りかけ、なごり惜しそうに校門に向かう子どももいます。
あわただしい登校、出勤の時間帯ですが、ホッとさせられる光景です。子どもにもおとなにも通い慣れた道ですが、教会の存在を改めて知ってもらう機会になっているようです。 広報室長 徳野昌博

第24回定期総会報告

2010年5月4日(火)から6日(木)まで、宣教百年記念東京会堂にて日本福音ルーテル教会第24回定期総会がおこなわれました。主要議題に関していくつか速報をいたします。6月上旬には各個教会へ総会議事録が配布されますので、くわしくはそちらをご覧ください。なお、3日から4日には全国教師会総会が行なわれました。

「憲法規則改正」
7項目の教会規則・規定の改正が承認されました。とくに、「本教会総会信徒代議員登録に関する規則改正」によって信徒代議員の人数を減員して登録することができるようになりました。その他「牧師補制度撤廃に関する改正」他、すべて承認を得ました。

「本教会財務内容好転策緊急提案」

本教会の財務内容好転のために緊急提案がなされました。おもに「教会年金規定への引退教師住宅手当基金規定の制度統合、並びに、教会年金規定の一部改定」が協議されました。2制度を統合することにより、給付水準の現状維持をすること、それにともなって教会・本人拠出額の変更をする提案でした。教会拠出金の算定額に関しては動議がだされ、配分金に関しては各個教会定額ではなく無理のない算定率案を次期常議員会にて検討し、11月常議員会にて提案承認をいただくことで提案は可決されました。その他「教職退職慰労金規定一部改定」等の提案は承認されました。

「給与制度及び財源に関する報告」
第23回総会で協議を経て、常議員会に委託された「給与制度及び財源」に関する問題は、抜本検討委員会を設置し、約1年半にわたる協議(9回の会合)を行いました。「教職給与特別財源措置」と「教職給与の基本理念とそのあり方」ついては、昨年11月常議員会に報告済みです。それを踏まえつつ、今期総会に常議員会としての最終報告が提出されました。これに対して、多くの質問・意見・要望が議場より出されましたが、最終報告そのものは承認されました。なお、抜本検討委員会の報告とは別に、期末手当の年間支給率を現行の5.0ヶ月分から4.5ヶ月分へと0.5ヶ月分引き下げるという教職給与の「期末手当の低減支給(2年間期限限定)」の実施に関しては、世界経済、教会財務並びに人事院勧告による公務員給与の動向も勘案し、議長の苦渋の決断として、昨年の11月常議員会に削減案を提案した経緯が議場に説明されました。

「第24総会期宣教方策」

近年のキリスト教界の全体的な長期低迷、さらには世界及び日本経済の未曽有の経済危機を受けつつ、本来のあるべき教会の宣教の方向性を喪失する危険な状況の中にあって、「一つの教会」としての宣教の使命に生きる日本福音ルーテル教会が改めて共通の宣教の目標を相互に確認し、将来に向けての確かなる方向性を見出すために「第24総会期宣教方策」(期間2010年5月から2012年4月)が提案され、承認されました。
この方策には2000年度から開始されたPM21方策終結後の、2012年以降の綜合方策作成への連携をはかるための予備方策的意義も含まれています。なお、次回総会にはPM21方策(最終期限2012年度)の総括と共に、新たなる綜合方策、仮称「第6次綜合方策」が上程されていくことになります。

今回の総会に当たって事務局は「わかりやすく・やさしい総会」ということをテーマにあげ準備してきました。とくに報告書、審議資料を早めにお渡しすること、資料を読み手に分かりやすくすることを目指しました。各報告書のフォーマットを統一し、審議資料には各項目ごとに「提案」「提案理由」「採決方法」を記した資料をつけました。また、教区ごとの座席、常議員、諸委員の配置をきめ、出席者の確認等は議場閉鎖によるカウントにしました。画期的方法としては、採決にカードを導入したことです。会計・財務の報告では、パワーポイントをもちいて目で見てわかるようにとの資料作成をしていただいたり、報告の工夫もなされました。
会議全般をよりよく進めるための工夫により、次回は2日間でできる総会を目指して、今後とも整えていくことになりました。

第24期常議員には-
総会議長・渡邉純幸、総会副議長・青田勇、総会書記・事務局長・立野泰博、会計・森下博司、財務担当信徒常議員・豊島義敬、信徒常議員(女性)・伊藤百代 各教区長、各教区選出信徒常議員―
が選ばれました。(事務局長 立野泰博)

ルター研究所
ルターの樫の木植樹式

ルター研究所開設25周年記念事業のシンボルの一つ、「ルターの樫の木」植樹式が、4月24日にルーテル神学校ルター研究所前庭にて参加者の見守りのうちに行われました。まだ幹の太さは親指ほどの大きさですが、「ルターの樫の木」のDNAをしっかり受け継いだ木です。現在は記念プレートの方が立派に見えますが、今後、神様が必ず成長させてくださり、ルター研究所とともに大きくなる「夢と幻」をもった植樹式でした。

第24回総会期第1回常議員会開催のお知らせ

2010年6月7日(月)~9日(水)に、市ヶ谷センターにおいて第1回常議員会が開催されます。主要議題は、第24総会期の方針、体制作り、総会で承認された事項の確認などです。

[住所変更のお知らせ]

■ブラジル・サンパウロ教会
教会名 Comunidade Evang?lica Luterana, Congrega??o Japon?sa de S?o Paulo
住所 Rua Pandi? Cal?geras, 54 ? Liberdade SaoPaulo/SP Brasil
CEP:01525-020/SP
電話  (11)2305-7088
[注]上記CEPは郵便番号、/SPはサンパウロ州の意味です。

■ビリピ・ソベリ先生
Virpi Soveri Savonkatu 5 B 22 70100 Kuopio,FINLAND

■長野教会
電話番号が026-241-4005に変更

奨学金のおしらせ

LWF(世界ルーテル連盟)とELCA(米国福音ルーテル教会)が指導者養成と障がい者訓練のために国際奨学金を提供しています。いずれも個人的な研究のためではなく、将来、ルーテル教会および関連施設に資することを目的にしています。
受給希望者は属する教会、施設等の所属機関を通して、JELC事務局へお申し込みください。締め切りは6月30日。

10-05-15るうてる福音版2010年5月号

機関紙PDF

やさしさに包まれたなら

「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」(エフェソの信徒への手紙1:3-4) 

高校時代、私はユーミン(松任谷由美さん)の歌が好きだった。友達とクラスで起こったさまざまな出来事、恋のこと、テストのこと、家族のこと、昨日観たドラマのこと…とりとめもなく話しながら歩いた下校途中の帰り道。ユーミンの曲は少し背伸びをしたい自分たちにぴったりな気がして、私たちはよく歌いながら歩いた。メロディを口ずさんでは、せつなさの少し混じった幸せにほうっとなったことを思い出す。
“やさしさに包まれたなら”という曲がある。スタジオジブリの宮崎駿氏のアニメ「魔女の宅急便」の挿入歌と言えば思い出す人も少なくないだろう。軽快なリズムに乗せて彼女は歌う。
『小さいころは 神様がいて
毎日愛をとどけてくれた
心の奥に しまい忘れた
大切な箱 開くときは今
雨上がりの庭で くちなしの香りの やさしさに包まれたなら
きっと 目にうつるすべてのことは メッセージ』。
人は常に心を占める考えや気持ち、態度を外に反映して生きている。外の世界に映るものは、すべて私たちの心の投影である。自分が何を外に見たいか、どんなことを聴きたいかによって、私たちの世界はまったく別の表情で立ち現れてくる。聞こえなかったメッセージが聞こえてくる。
神様は人間を「愛され愛する」存在としてお創りになった。そう、本当はこの世界は神様のやさしさで満ちている。私たちは、いつ頃からこの愛を信じることに無器用になったのだろう。私たちの心の中には愛ではなく常に怖れがある。そして、それによって過去に支配され、現在を否定し、未来に望みを抱くことができないでいる。
雨上がりに咲き出でる花の香りにこめられたメッセージを受け取りたい。小さい頃、いや私たちが母の胎にいた時からもうすでに届けられていた主の愛にもっともっと気づいていたい。あなたも私もやさしさに包まれている。あなたもそれを信じてみませんか?
(のんのん)

いのちはぐくむ

中井弘和

音楽の恵み

『全地よ、主に向かって歌え』(歴代誌上16章23節)

日野原重明博士は、音楽の癒す力に着目し、早くから音楽療法を試みてきた人としても知られています。もともと神を賛美する音楽が人の心身を癒す話は聖書にもたびたび登場してきます。私も稲の研究でバングラディシュに滞在中(本稿第3回、2009年6月参照)、音楽に救われた不思議な経験をしたことがあります。
ある蒸し暑い日の夕方、稲の採集旅行のため列車に乗ろうと、現地の研究者に伴われて街はずれの駅に行きました。初めて見る駅の構内は、身動きできないほどに人や家畜が入り乱れ、舞い上がる砂埃にまみれてごった返していました。人込みのいたるところに裸同然の病人が倒れ臥し、牛や山羊や鶏までが生死不明のまま横たわっています。人々は、それらを気にすることもなく、ただ騒々しく動き回っていました。しかも、予定の列車はいつまで待っても来ません。夜が更けるほどに、駅はますます騒乱の空気に包まれていきました。
私は疲労困憊して気分が悪くなり何度も嘔吐しました。明け方近くになって、我慢もついに限界に達したようでした。全身から力が抜け、遠くなる意識の中で自分の身体が崩れ落ちるのを感じました。ちょうどその時、突然私の体内からバッハのロ短調ミサ曲のある楽章が鳴り響いてきたのです。はっとして、それに聴き入るうちに意識も明瞭になり、衰弱しきった心身が癒されていきました。列車はとうとう来ず、白々と明けた朝を無事宿舎に戻ることになりました。
しかし、それから数日後、今度は重い食中毒に罹りました。激しい下痢や嘔吐による一滴の水も受け付けない極度の脱水症状に陥り、病院に運び込まれました。40度の高熱と激しい頭痛が幾日も続く危険な状態の中で、確かに「もう日本には戻れない」と考えていました。しかし、一方、そのように考える意識のもっと奥からは、「生きる」といういのちの意志が絶えず湧き上ってきて、私の心は平安でした。もうあの音楽が耳に響いてくることはありませんでしたが、その調べは意識の底で豊かに流れていたのだと思います。
実は、渡航の前、毎日のようにロ短調ミサ曲を聴いていました。そのころ読んだ小説『宣告』(加賀乙彦著)で初めてその曲名を知りレコードを買い求めていたのです。主人公の死刑囚が、間近に迫る死の予感に呻吟しながら、たまたま教誨師である神父の計らいで聴いたその曲に深く心癒される場面が印象に残っていたからです。いずれにせよ、遠い異国の地で私の心身に生じた奇跡のような出来事は、バッハのロ短調ミサ曲という音楽を介して与えられた神の恩寵だったに違いありません。

中井弘和
静岡大学名誉教授 農学博士

園長日記「毎日あくしゅ」

「祈り」

5月のさわやかな季節になりました。
4月に入園した子ども達は、当初、初めての集団生活に戸惑い、泣いたりわめいたりと色々な表情を見せてくれました。その点、進級した子ども達は、「名札の色が変わるのが嬉しい!」、「あこがれの二階に行けるんだ!」などで、希望に満ち溢れて意欲満々です。そして、一ヶ月過ぎるころには、どのクラスもぐっと落ち着いてきました。
また、5月からはお弁当も始まりました。子ども達が楽しみにしているお母様の愛情たっぷりのお弁当です。朝泣いていた子どもも、お弁当の時は違います。お弁当の中身を気にしながらも、神妙に手を合わせてお祈りのご用意をしています。
朝と帰りのお祈りに加えてお弁当の時の感謝の祈りも覚えました。
以前、卒園されたあるお母様が、「この幼稚園でお祈りを覚えて、実家に帰った時、仏壇の前でチーンと鐘を鳴らしてアーメンとお祈りしていたんですよ。」と話されていました。私はその話にとても感動して、「そうそうそれでいいんだ、子どもってなんて可愛いんだろう!」と思ったものです。このエピソードは、入園説明会の時によく話させていただいています。子ども達が、神様に感謝することや人の為に祈ることを覚えて、その心を大きくなっても忘れないでいて欲しいと思います。
最後に、朝の礼拝で毎日聖句暗誦する時に一緒にする「祈り」があります。これは玉名教会の牧師でいらっしゃった故藤田武春先生(幼稚園創設者)が亡くなる寸前に書かれたものです。今から32年程前になりますが、藤田先生はご夫妻で永年幼児教育に携わる中、この「祈り」を私達に指し示して下さいました。私達は、玉名ルーテル幼稚園の基盤として「祈り」を受け継いでいきたいと願っています。
祈り
お家のうちに女の子がいたら
その子はみんな小さなマリヤ
その子にキリスト様が一緒に生きられ
その子はみんな神の子
やがて やさしいお母さんにして下さい
お家のうちに男の子がいたら
その子はみんな小さなキリスト
その子にキリスト様が一緒に生きられ
その子はみんな神の子
やがて 人に仕え世を救う 立派な大人にしてください             藤田武春

玉名ルーテル幼稚園 園長 中島千麻子

10-05-15るうてる2010年5月号

機関紙PDF

「人の望みと喜び ― 主イエスの復活」

「婦人たちは、‥‥週の初めの日の明け方早く、墓に行った。‥‥輝く衣を着た二人は言った。『なぜ、生きている方を死者の中に捜すのか。あの方はここにはおられない。復活なさったのだ‥‥』」。ルカ福音書24章1節~

週の初めの日、明け方早く、婦人たちは墓に向いました。この行為は何かを指し示しているように思います。墓は滅びの象徴ですから、人が自ら滅びに向って歩く姿ではないでしょうか。
尊敬している精神科のお医者さんが自殺について話をした時、人はだれでも自殺して死んでいくようなものですよ、と言われました。
お酒を飲みすぎたら体を悪くすることが分かっていても、なかなか大好きなお酒は止められません。いつかは体を壊して死に到ります。人はいろいろな欲を創り出して、追いかけますが、やがて自ら欲の虜となり、自滅します。疑いもそうです。一度、人を疑いだすと、疑いは一人歩きして大きく膨らみ、なかなか止まらずやがては人を自滅へと導きます。自分が犯した罪の重さで自分が沈んで行くのです。海に溺れたときに、私は自分で自分の襟首をつかんで陸に上がることは出来ません。
このような無力さと暗さの中で、私たちは、あの婦人たちと同じように、あの方は復活なさったのだという御使いの宣言に出会います。
あの方はなぜ、殺されたのでしょうか。あの方に罪はありませんでした。罪は私たちにあります。あの方は私の罪を自分の身に引き受けてくださいました。
それがあの方の十字架における死でした。
このような方が復活されたということは、私の罪がこの方によって克服されたということです。私の罪、罪から生まれる悪、悪から生まれる不安や悩みと悲しみと苦しみ、そしてこれらすべての報酬として私が支払うべき死がこの方によって克服されたのだということです。
私たちの人生における戦いはこの罪と悪との戦い、そして最後の敵である死との戦いです。しかし、とても私たちはこれに勝つことは出来ません。それどころか立ち向かう力さえも持ちません。しかし、この方が私と共に、私の罪と悪、そして死と戦ってくださいます。ですから、私もこの方と共に、これらに正面から立ち向かい戦うことができるのです。そして、やがて最後には、これらは克服されます。もちろん、私自身の力で私が克服するのではありません。そうではなく、私に代わり、この方が私の罪と悪、そして死と戦い、克服してくださるのです。
この方は十字架の死から復活され、罪と悪と死を克服されたお方です。この方と私たちキリスト者は洗礼の恵みを通して一つの帯で結ばれています。この方と私は一体とされています。ですから、この方と結ばれている私自身の罪と悪と死も、やがては必ず克服されるのです。
今や、私たちの罪と悪と死との闘いがどれほど激しくても、もはや絶望することはありません。私たちはこれから先、この世に生きる限り、やはり罪を犯し続ける罪人であることに変わりありません。罪の結果としての悩みや悲しみ苦しみ、そして最大の課題である死は、相変わらず私につきまとい、避けられません。しかしもうこれからは、安心して悩み、悲しみ、苦しんで良いのです。だって、私のこれらの罪と悪、そして死はこの方の復活により、もう既に克服されているのですから。そのことを信じてよいのですから。
このように、『あの方は復活なさったのだ』というみ使いの言葉は、私たちの不安と絶望が喜びと希望に変わる転換点に立つ言葉です。

牧師 吉谷正典 (水俣教会・八代教会)

風の道具箱

愛は山から飛んでくる

月や石見の鯉に山すわる 柴田政子
山間にある集会所の姉妹が、何気ない日常の中から天に召されて年月がたちました。残されたこの句を読ませて頂き、胸が震えるような感動を覚えています。 神様が造られた世界を「山すわる」と捕らえたことが、信仰の証だったのです。彼女に与えられた信仰によって、この一句が残されました。
「一生の終りに残るものは、集めたものではなくて、与えたものだ」と言った人がいます。集めたものはいつか朽ち果てていく。しかし、信仰によって与えた証は、それが目に見えなくとも人々の心に残るのです。  ある映画で「君に与えるものは、愛以外になにも無くなってしまった」というセリフがありました。愛さえあればよいでしょう。イエス様もなにも持たず、愛だけもって十字架へと進まれたのですから。
さて、私も一句つくってみました。野外礼拝で山にいったときの句です。大きな自然の中で礼拝していたときに、素直に句がでてきました。この句は残るでしょうか。
夏の風 主の御言葉は山を越え   (柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

稔台教会牧師 栗原茂

「人はパンだけで生きるものではない」
(マタイ福音書4・4)

最初にこの言葉を教えられたのはいつだったでしょうか、記憶は定かでありません。しかし敗戦後の小学生の頃教会学校に熱心に通っていた私の中に、それは”蒔かれた種”でした。「狭い門から入れ」(マタイ福音書7・13)この言葉も同様です。「人の生きるはパンのみに由(よ)るにあらず」当時は文語訳でした。それが口語訳になり新共同訳になりましたが、この言葉が私の人生を大きく変えたと思っています。
後に大学生になりいよいよ就職を決めねばならない時、この言葉は影響を及ぼしました。青田刈りの時代です。「優」の数から言えば夏休み前に就職は決まっているはずでした。しかし大学から唯一人の推薦枠で臨んだ秋の就職試験の結果は惨敗でした。堪えました。三次試験まであるのに一次試験で見事振るわれたのです。
その週私は浮かぬ顔をして礼拝に出席したのです。するとその冴えない顔をしていた私に牧師が声をかけました。「栗原さん、あなたがそれほど進みたい就職口をふさがれたということは、神様はもっと別の道を考えているのかも知れませんね」と。私はナルホドと思いました。少しだけうなずく気持ちもありました。ところがその牧師はその後に「神学校に行きませんか」と余計なことを口にしたのです。とんでもない話でした。冗談ではありません。私には神学校へ行く必然性は全くありません。神様の愛がすばらしいと自覚することも、証しすることからもおおよそ程遠い存在でした。第一私は牧師になりたいとか、伝道者になりたいと思ったこともなかったのです。厳しい道のりの後の牧師の待遇がよいとも思えませんでした。
ところが、やがて暮れも押し迫る頃に私は就職の内定を手にしながらそれを断り、神学校に進む道を選んでしまうのでした。それはひとえに自分で納得のいく人生を、悔いのない人生を生きたいという“私の願い”であったと思います。しかしその召命感を背後から支えていたのは、実はこれらの「聖句」でした。按手礼を受けて牧師になって42年になります。来春70歳の定年を間近かにして振り返るとき、ますます「人はパンだけで生きるのではない」「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」これがまぎれもなく私の人生の座標軸「愛唱句」であると気づかされます。
招聘を受けた教会ではNPO法人学童保育「杉の子会」があります。毎年春になると教会を”居場所として”数年過ごした学童たちが巣立って行きます。巣立っていく子ども達に求められて「色紙」を書きます。書くことにためらいはありません。必ず決まってこの聖句を選びます。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるんだよ」と。
幼い日に”蒔かれた種”は、私の場合がそうであったように、予想しない形でさまざま人生に影響を及ぼし生き方を変える大きな力になるでしょう。

信徒の声 教会と私

板橋教会 竹内明美

Q.教会との出会いは?

クリスチャンホームだったので中学の時、牧師の勧めで日本基督教団の教会で受洗しました。でも青年期、そのことで悩みました。はっきりとした理由もなく受けてしまって果たしてよかったんだろうか?って。大人になってから自分の意志で洗礼を受けた人が本当にうらやましかった。
でも転機が訪れました。主人と出会い、ルーテル教会の礼拝に出席したことです。その時、私が聴いたのは「自分ががんばらなくていい。そのままでいいんだよ」という神様の声でした。そして小教理問答の学びの時だったでしょうか、「洗礼は神様からのもの、その時は神様が決めるもの」というメッセージを聞いて「ああ、私の手をとってくださったのは神様なんだ」とすごく安心したのを思い出します。

Q.キリスト教保育に携わるようになったきっかけは?

実は私、小さい頃から自分でこれがしたいということがなく来てしまったんです。育ててくれた祖母が「薬剤師」というレールを私の前に引いていたんですね。でもある時その道が突然閉ざされ呆然となった時、教会学校の校長先生の勧めでキリスト教保育の幼稚園に勤めたのが始まりでした。
でも今は感謝しています。この仕事、キリスト教保育に携わってこられてよかったって。自分自身が救われてきたというんでしょうか。子ども達と向き合うことを通して私の中で神様の言葉がはっきりしてきたように思います。「あなたが大切だよ」「私が一緒にいて見守っている」。だから、子どもが字が書けるとか絵が書けるようになること、それも素晴らしいことなんですけど、それよりも信じること、愛すること、愛されること、人として一番大切なものを手渡してあげられたらと思います。

Q.好きなみ言葉は?

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」 (�コリント10・13)私自身の道が肯定されてきました。だから子ども達、そして子どもを支えているお母さん達にも「大丈夫」と言えるし、言ってあげたいんです。

私の本棚から

加納寛之 週報エッセイ「神さまの汽笛1」

自費出版

へぇ~!あの加納寛之牧師が!」「へぇ~!出版!」「へぇ~!怖いもの知らず!」といった感想を持ったのは私だけでしょうか。
このたび、北海道特別教区(帯広・池田・釧路)で福音宣教にあたる、若き宣教者・加納寛之牧師が、はじめてのエッセイ集を出版されました。まさに神様の奇跡といえる出来事です。
この週報エッセイ「神さまの汽笛」は、初任地であった広島教会を中心とする教会群で担当された松江・松山・呉教会の週報に毎週記載されたものです。教会では週報というお知らせ文書を配布していますが、これを宣教の業に用いたいとの願いがありました。しかも、加納牧師の任地は日本海から瀬戸内海、そして四国という広大なものでしたから、この週報に書かれるエッセイが教会を一つにしていく手紙のようなものでした。それを転任されたのちも北海道で継続されていたのです。その週報エッセイ5年分が1冊の本となり出版されました。
今回「神様の汽笛」を一番に読ませていただき、若き加納牧師が成長していく様子を見ることができました。牧師・宣教者として、また牧会者としての成長も感じました。若き牧師が育てられて牧師になっていく。かなり「牧師の子育て日記」もあります。こんな出来事に出会える北海道の皆さまは幸せだと思います。加納家の幼子たちにも、未来の素晴らしいプレゼントになるでしょう。表紙の娘さんの絵もかわいいものです。
毎週の週報に書く。簡単なようで大変な作業です。エッセイですから、内容も考えねばなりません。内容は極めてシンプルですが、そこに生活の中での信仰の種を見つけることができます。加納牧師らしい感性、それは彼にしかない、彼しか感じえない感性です。その中にしっかり信仰の在りかたがしめされています。
「神さまの汽笛」は、北海道の大地に「加納牧師にしか語る事ができない福音」として鳴り響くことでしょう。ある時は楽しく、ある時は優しく、しかしある時は涙しながら。それでも消えることのない汽笛は、これからも神様の福音を語り続けていくことでしょう。
この本は自費出版の本です。どうか、若き宣教者を応援する意味でもぜひお買い求めください.
(牧師 立野泰博)

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その2

社会福祉法人 東京老人ホーム

社会福祉法人東京老人ホームは、一九二三年(大正12)の関東大震災で罹災された高齢者の方を救護に当たったことに始まり、現在は東京都西東京市において、高齢者の方に施設サービス(特別養護老人ホーム、養護老人ホーム、軽費老人ホーム)と在宅サービス(ヘルパー派遣、ケアプラン作成、看護師派遣)を提供しています。
この間、86年に及ぶ法人の歴史に通奏低音のように流れていたものは「キリスト教精神に則り」という理念です。この理念があったからこそ、その具現化として、日本で最初の「食事サービス」「緊急時通報システムの開発実用化」「全室個室の特別養護老人ホームの建設」が叶ったと言えます。ここには、教会ボランティアをはじめ多くの方の祈りとお働きがあったことを覚えます。
そして、本年3月、訪問看護ステーションを開設しました。施設であれ、在宅であれ高齢者の方が望まれる「生活の継続そして地上での最後の時」をケアすることが、法人の理念を支える「キリストの愛の力」によってニーズとして発見された時、このステーションの開設は、職員一人ひとりの願いとなり開設の日を迎えたのです。この働きを通して地域の方々に「キリストの香り」を届けていきたいと思っています。

開設の日に読まれたイザヤ書52章7節が語る「いかに美しいことか 山々を巡り、良い知らせを伝える者の足は。」この美しい足こそ、地域の方々に「キリストの香り」を伝える職員一人ひとりです。
私たちは、これからも「ご利用者一人一人が人間としての尊厳を保ち、喜びをもって生きることが出来るコミュニティ実現のために、祈り、力を尽くすことが私たちのミッションであると信じ、この道を歩んでまいります。この私たちの歩みに賛同される方々が、一人でも多くこのミッションに参加されることを切に望みます。」(法人のミッションステートメントより)
社会福祉法人東京老人ホーム  常務理事 五十嵐利光

高齢者伝道シリーズ(J2委員会)

神にゆだねて生きる幸せ

日本福音ルーテル八王子教会会員 諏訪美子

「長く生きすぎた、もう死にたいよ」
「それは神様の決めること、僕にはどうしようもない」
在宅のお年寄りと、往診にみえたお医者様の会話です。こんなやり取りを聞く度に、ベッドからでも隣人の為にとりなしの祈りをしながら、ふるさとに帰る希望に生きることのできるクリスチャンはなんと幸せ者だと思います。

介護支援専門員(ケアマネ)という仕事をしています。介護支援を受けたいという方を訪問し、どのような困難があるのかなどを話し合い、問題解決に役立つ介護サービスを提案し、より快適により自立して暮らせるようプランを立てます。
介護保険は地域のサービスですから、ご近所のヘルパー事業所やデイサービスについて普段から関心を持つことが案外役立ちます。いまだに介護支援を受けることを潔しとしない高齢者もおられますが、少しだけ介護支援を受けることにより、自立した生活が可能になると想像してみて下さい。施設への入所も、安全に自立して生きるための方法の一つです。
生きる希望を失くしたお年寄りに出会う度、私は悩みます。現場で宗教の話をすることはかないませんが、生きるも死ぬも神様も栄光を表す為であり、私たちは神様のご計画のうちにあるのだと伝えることができたらと思います。私たちがクリスチャンとして、主にあって希望と平安のうちに暮らしていれば、その香りは隣人にもきっと伝わることでしょう。老いの不安な生活の中にいる方々と一緒に主にある平安にあずかりたいと、いつも祈っています。

春キャンレポート

第18回となる「春の全国ティーンズキャンプ」が、3月29日から31日まで、東京の「高尾の森わくわくビレッジ」で開催されました。
東教区の常議員は、歓迎の意を表すべく、二日目のお昼時にお邪魔し、見学させていただき、昼食を共にしました。もとは高校だったという施設は、「よく学び、よく遊び」には最適のように思いました。
キャンパー80名、スタッフ30名の大所帯でしたが、きちんとグループ分けがなされており、それぞれに、兄貴分、お姉さんといった感じのリーダーが張りついて、みんな、いきいき、楽しそうでした。
テーマは「聖書 1982ページのラブレター」。参加者には「マイ聖書持参」がルールだったそうです。その甲斐あってか、「こんなに聖書を開くのは初めて」という参加者も多くいたそうです。
送り出してくださった保護者の方からも「子どもが霊的に成長したようで、うれしい」との感想が届いたそうです。中高生、そして、少しだけ兄貴、お姉さんたちリーダー、彼らの多くは、このキャンプで育ってきたわけです。それぞれの成長を目の当たりにし、うれしく思いました。
日本福音ルーテル教会の次代を担う彼らに、大きな関心を持ち、心を注ぎつつ、神の家族、ルーセラン・ファミリィとして共に成長していきたいものです。
広報室長 徳野昌博

[フィンランド旅行団 日本の春を満喫!]

フィンランド・ルーテル福音協会の日本伝道110年を記念して22名の訪日団が4月3日成田に。翌日は、桜満開の都内で6教会(東京池袋、大岡山、田園調布、大森、武蔵野、スオミ)に分かれてイースターを祝いました。5日には日本福音ルーテル教会と東教区の歓迎会に臨みました。今回の来訪者は祖父母の代から日本伝道を支え続けてきた信徒が中心で、その業が日本に根付いていることを見つめることでありました。
7日は初期の伝道地諏訪を訪れ、教会を訪ね、宣教100年を記念して建てられた記念碑を見学しました。飯田では旅館に泊まり、温泉大浴場と日本料理を味わいました。翌8日は、宣教100年を祝った飯田教会で、幼稚園の元気な子供の歌声に迎えられ、一緒に賛美歌を歌い、幼稚園の保護者のハンドベル演奏も聞きました。
(木村猛 東教区常議員)

『復活の主のみ声を聞いてゆこう!』

故 石居正己師を偲んで

石田 順朗(引退教師)

職への献身を誓い合いながら、神学校生活を、それこそ起居を共にして過ごした一人として、石居正己牧師召天の訃報には、唯ただ、感慨無量。
彼は、入学当初より持病の喘息と闘いながらも(魚の食べ方名人芸はさておき)まさに寝食を忘れるような勉学への精進で、われわれ神学生仲間に先達的な活力を与えてくれた。一九五二年、卒論に見事な『教会の単一性』を書上げ、同題での東京教会で行われた卒業記念礼拝説教は、今なお記憶に留まっている。
牧会に確と携わり、『ルーテル教会の信条解説』並びに『教会の歴史と系譜』に基づいて『ルター著作集』やルター研究への多大な貢献を伴う神学教育、『堅信と小児陪餐』、『ルターにおける礼拝の神学』、『ディアコニア入門』、『キリスト教信仰と社会福祉の働き』等々に裏打ちされた信徒教育に徹し、『教会とはだれか』の著作に到った先生を、伝道牧会、神学、教育者の賜物を豊かに兼ね備えた同労の友として覚え、60年にも亘って交誼に与ったこの身の幸いを神に深く感謝している。 京都での葬儀に遺憾ながら列席できなかったが、昨秋「神学校創立百周年記念祭」で、先生と美智夫人を交えて昼食を共に寸時ながら久方ぶりの旧交を暖め得たことは有り難かった。その後一二月、先生がかつて一一年間牧した「武蔵野教会」の「待降節第二主日」礼拝説教に招かれた折、『石居正己牧師説教集』(復刻版)を戴いた。所収の一九六八年「三位一体(聖霊降臨)後第一六主日」での礼拝説教『よみがえりであり命である』を、今 読み直している。故岸本英夫東大宗教学教授の著作『死を見つめる心』に言及しての説教のおわり、「生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。この二つのみことばは、表面的にいえば矛盾したことばである。しかし、それだからこそ、生きていること、死ということ、信じるということの、型どおりの意味でなく、主が示される内容を考えてゆかなくてはならない」に聞き入っている。続く結びの言葉は、キリスト・イエスの福音宣教へ実直にその生涯を徹した神学者 石居正己牧師の立派な遺言ともなろう、「生きていても、墓の中にあっても、主のみ声を聞いてゆかねばならない。」

5月29日(土)午後3時よりルーテル学院大学チャペルにて、追悼記念礼拝が行われます。

「J3の働きを終わって」

ジェームズ・ カーター氏(九州学院)

この2年間半はまことにすばらしかった。神がこの時間を祝福しました。2年間九州学院で働きました。九学のモットーは敬天愛人です。この二つは大事なことです。敬天(神を愛する)はもちろんですけど愛人(人を愛する)は大切です。人間は神様の大好きなものです。この2年間半私はこれを生徒の皆さんに見せてあげました。皆さん神の大きな愛を世界に伝えましょう。

ジョナサン・ラムジー氏(九州ルーテル学院)

日本をはなれなければならないことをさびしく思います。日本での2年半の生活は意義深いものでした。日本にきたときはすべてのことに緊張していました。日本の生活は日に日に楽しくなりました。教会とルーテル学校のみなさんのあたたかい人柄に感謝しています。私は神様の世界の多様さに感謝し、神様が体験させてくださったすべてのことに感謝しています。そして、教会とルーテル学校の皆さんと出会わせてくださったことを嬉しく思います。私はこの2年半とても楽しかったです。皆さんもそうであったらいいと願っています。2年半本当にありがとうございました。

カロン・ハロウェイ氏(九州学院)

私が日本へ来て、2年半がたちました。熊本で過ごした2年間は長かった感じもしますが、今ふりかえると、とても早かったと思います。この2年間は私にとってすばらしく、そしてたくさんの出来事がありました。たくさん授業をさせてもらいましたが、わたしのほうこそ、学んだことがたくさんありました。これから東京で妻と新しい生活を始めます。しかし、J3 プログラムのすばらしい思い出は決して忘れません。全てにありがとうございます。

マシュー・ホッファー氏(九州学院)

あっという間に2年が過ぎました。日本は住みやすい。教会の皆さんは優しい。生徒は明るい。とても良い経験でした。このような仕事、このようなチャンスは珍しいので教会の皆さんに本当に感謝しています。4月からはアメリカに戻らず、熊本YMCAで働くことになりました。また会えば・・・

チャリティー・ホール氏(文京カテリーナ・本郷学生センター)

このあいだまで、2年間文京カテリーナや本郷学生センターに英語や聖書を教えておりました。。皆のためにイエス様が十字架をかかられました。だから、伝道の仕事は大切だと思います。クリスチャンではわれらは宣教師です。キリストの光を映しましょう。

各教区総会で、常議員が決まりました

【長=教区長、副=副教区長、書=書記、伝=伝道、教=教育、伝教=伝道教育、教社=教育社会、会=会計、財=財務、信=教区選出信徒常議員 をあらわします。】

北海道教区 
長・岡田薫/副・加納寛之/書・加納寛之/会・大賀隆史/伝・須藤清/教・井上律子/社・大賀隆史/財・加納寛之/信・井上律子(恵み野)
東教区
長・大柴譲治/副・杉本洋一/書・安井宣生/会・木村猛/伝・中島康文/教・徳野昌博/社・田島靖則 財・高取朗/信・木村猛(保谷)
東海教区
長・田中博二/書・内藤新吾/会・梅村隆二/伝教・斉藤幸二・佐藤祥一/社・渡邉進/財・梅村隆二/信・佐藤祥一(岐阜)
西教区 
長・永吉秀人/副・松本義宣/書・松本義宣/会・石田博美/伝・狩野俊明/教社・沼崎勇/財・滝田浩之/信・石田博美(広島)
九州教区
長・濱田道明/副・野村陽一/書・野村陽一/会・山本光/伝教・小泉基/社・谷口象二郎/財・山本光/信・山本光(箱崎)

※東海教区では・伝道教育部長は、宣教部長(教職)(信徒)という役割です。

※社会部長:北海道・東、社会奉仕部長:東海、社会・厚生部長:西、社会福祉部長:九州

[住所変更のお知らせ]

■重野 信之先生
住所:〒463-0031
愛知県名古屋市守山区本地が丘1301番
バンベール本地が丘203

■山之内正俊先生
住所:〒860-0072 熊本県熊本市花園6|4|22
電話:096|327|9781

■早川 顕一先生
牧師館住所:〒811-0201 福岡県福岡市東区三苫2|35|18
教会住所:〒811-0201
福岡県福岡市東区三苫2|35|8
日本福音ルーテル聖ペテロ教会
電話、FAX:092|606|2198

10-04-15るうてる福音版2010年4月号

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心の火花

「神よ、わたしの内に清い心を創造し 新しく確かな霊を授けてください。御前からわたしを退けず あなたの聖なる霊を取り上げないでください。御救いの喜びをわたしに味わわせ 自由の霊によって支えてください。」 詩編51 編1 2̃14節

子供のとき、母の古びた車に乗っていたときのことでした。途中でどこかの店に寄り、再びエンジンを掛けようとしたところ、とうとうエンジンが掛からなくなったのです。母が何回キーを回してもエンジンはなかなか掛からない…。隣に座っていた、当時子供だった私は、「どうしよう…」という不安と共に、恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。うちの車は何でこんなに古いんだろうと、新しくて格好いい車に乗れない現実を悲しんでいたそのとき、ある人が現れました。
「何か困っているんですか?」と話しかけてきた見知らぬおじさんは、ついにボンネットを開けてあちこち触ります。すると嘘のようにエンジンが掛かるようになり、母はお礼を言いながら言いました。「これでエンジンはもう終わりかなと思いました」。そのおじさんが去っていくとき言った言葉を今でも覚えています。「どんな車でも小さな火花さえ起こすことができれば、少なくとももう1回 、エンジンは掛かりますよ」。  一枚の写真のように私の印象に残っている出来事。その中で聞こえてきた、見知らぬ、あのおじさんの話は、実は車だけに限らないことかもしれません。
小さな火花。もし私たちの中にもそのような火花があるなら、どこででも新しい出発をすることができるのです。今の自分は新車なのか中古車なのか。値段はどれくらいで、どれくらい動けるだろうか。今、自分がいるのはどんな場所だろうか、走り易い道なのか、困難な道なのか。実はそれらよりもっと大事なのが、まずエンジンが掛かるための新しい火花が自分の心にあるかないか…ではないでしょうか。
暖かい風が吹き、新しい命が芽生える春、新しい年度が始まり、新しい人々と出会う4月 を迎えました。私たちの心の中にも、暖かい風と共に新しい火花を起こす、神様からの新しい霊が与えられますように。それが「今」を生きるための自分のエンジンになりますようにと祈りながら、また訪れる新しいときを迎えます。 Bon

いのち、はぐくむ

第13回 まことのことば

中井弘和
『初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。』(ヨハネによる福音書1章1-4節)

「まことのことばはうしなわれ、雲はちぎれてそらをとぶ、ああかがやきの四月の底を、はぎしりもえてゆききする、おれはひとりの修羅なのだ」。宮沢賢治の有名な詩『春と修羅』の一節です。この詩が作られた日付は1922年4月8日となっています。生命が躍動を始め、空気が澄み渡るまさに声明の節気のころです。釈迦が誕生したとされる花祭りの日であり、イエス・キリストの復活の季節にも当たります。時代はといえば、大正ロマンと称された風潮に、世界大恐慌や満州事変など、第二次世界大戦へと繋がっていく兆しが陰を落とし始める時機でした。
私は、中学校時代の恩師の影響を受けて、詩人であり、農民と共に生きた農学者でもあった宮沢賢治に強く惹かれるようになりました。それが農学を志した大きな動機でもあります。今も、折にふれて、深く広いその魅力ある世界に触れていますが、なお、多くの言葉の全貌を読み取ることができないでいます。『春と修羅』で重ねて表現される「まことのことば」もそのひとつです。しかし、この言葉の前にたたずむ時、いつも冒頭に挙げた聖句が浮かんでくるのです。
賢治の詩や童話を紡ぐ言葉からは、悲しいまでに、いのちに寄り添う精神が伝わってきます。彼の共感は、農民をはじめ、小さな虫や草花のいのちにまで及びます。「世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という賢治のよく知られたメッセージには、人間のみならず植物や動物、すべてのいのちがその視野に入っていたことは確かです。「まことのことば」とは、いのちに寄り添い、いのちを創る言葉といってよいでしょうか。戦争と破壊に向かう時代の空気の中で、「まことのことばはうしなわれ」とうたった賢治の孤独な姿が浮かび上がってきます。
聖書は、「光あれ」という神の言葉によって光が創造されるところから始まります。初めにあった言葉は、今もなお地上のあらゆるいのちを再生し、創造し続ける希望そのものであるに違いありません。イエスは、その言葉の具現、あるいは言葉そのものであると証しする聖書が人類にゆるぎない希望を提示していることはまた当然のことでしょう。時はちょうどイエス復活の季節です。私たちは、今、一人ひとりが自らを変え、まことのことばをもって、いのちの危機に瀕しているこの惑星を蘇らせる生き方を選び、実践していきたいものです。
中井弘和
静岡大学名誉教授 農学博士

聖書のつぶやき

「まっぴらごめん。神様からも逃げちまえ。」

ヨナ書 預言者ヨナは、神様から異邦人の街ニネベに悔い改め説くように遣わされます。命令を受けたとき、ヨナは逃げてしまいます。大きな魚に飲み込まれた話しは有名です。最後は神様の御心がわかるという話です。 神様から与えられた使命から、時として私たちは逃げようとします。自分はそんな器でないと謙遜します。しかし、神様は「あなた」を選ばれたのです。神様に選ばれたのですから、すべては備えられています。必要のない謙遜は罪になることがあります。結局、神様からは逃げられませんよね。
イラストレーション:FernandoFUJIWARA(ブラジル・サンパウロ教会会員)

園長日記 毎日あくしゅ

「新しい出会い」

春爛漫の4月となりました。
この熊本の地、玉名でもチューリップやスミレなどの可愛い草花が咲き乱れる中、入園式を迎えます。
神様が与えて下さった一年の中で最も彩り鮮やかな季節に、入園・進級を迎えることは、どんな出会いがあるだろうと私たち職員はうきうきとなります。
けれども、新しく入園されるご家庭は、初めての環境に戸惑われたり、キリスト教保育とはどんなものなのかご存知ない方が多いのです。保護者も期待と不安がいっぱいならば、子どもたちはなおさらのことでしょう。当園初代の園長、藤田みち先生は、「私たち保育者は子どもたちの添え木とならなければならない」と常々言われていました。この頃の入園式には両親で出席されるご家庭が多くなりました。二人で子育てをする若い夫婦の姿を見ていると、私たちも添え木となってご家庭を支えていけたらいいなと思います。
春はイエス様の復活祭、イースターを迎えます。幼稚園では、入園式にイースターの案内をします。それは、新しく入園した子どもたちのために教会学校のイースターを入園後の日曜日にさせていただいているのです。そこで、初めてイエス様に出会うのです。イエス様に出会い、神様を知り、お祈りも覚えていきます。
教会学校のイースター礼拝には、毎年子どもたち(幼・小合わせて)70名前後、大人も入れて総勢120名程になります。沢山の方々と一緒にイエス様の復活をお祝いできることは、本当に嬉しいことです。
子どもは、素直にイエス様のこと、神様のことを受け入れていきます。聖書の中にも「子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」と書かれています。私たち大人も見習う必要があるかもしれませんね。
この幼稚園に来て、色々な出会いを経験する子どもたち、保護者の方々と共に、この一年も神様のお守りの中で、すくすくと成長することを願いながら、また、そこに携わって下さる先生方の上にも神様のお支えとお導きを祈りながら過していきたいと思います。
玉名ルーテル幼稚園園長 中島千麻子

10-04-15るうてる2010年4月号

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あれも愛、それも愛、これも愛

3月7日、教職授任按手式が宣教百年記念会堂にて行われ、高村敏浩氏が牧師補となりました。任地の一つである岡山教会からも牧師と教会員が参列されました。

ユダヤの諺に、「ワインを飲んでいる時間を無駄な時間だと思うな。その時間にあなたの心は休養しているのだから。」というのがあります。逆風に悩まされる時間は、弟子たちにはどんな時間なのでしょうか。

九州学院の元英語教師で、英語スピーチで日本一となる生徒を育てた谷口恭教先生が、著書でこんな話を記しています。
ある会社の人事部の人が、野球部員の就職求人のため訪ねて来ました。監督は、「ただ一人だけ残っています。でも、野球部の戦力としてお使いになるのなら、3年間一回も試合に出たことがありませんから彼を推薦出来ません。」と言います。「そうですか。一度もバッターボックスに立たなかった。よく辞めないで……、辛いこともあったでしょうに。その方、うちの会社に来ていただきましょう。私は将来、我社を支えてくれる人を探していたんです。この人なら幹部候補になります。その人は、涙を知っていますよ。」彼の就職は即座に決まりました。
「甲子園のマウンドに立てる人などほんの一握りで、後はみんな営々と部を支えているのです。自分の技術のまずさに嫌気がさしたり、後輩がレギュラーに抜擢されたりで、止めようと思う人は何人もいるでしょう。でも、その辛い日々は、誰かが知っているんですね。いつかきっと誰かが支えてくれます。今誰も支えてくれないと思っている人は、まだその時が来ていないのでしょう。あなたの涙を知っている人が、この世に必ずいます。」(『生きるっていいもんだ』より)

さて今、弟子たちは湖で突然の逆風に遭遇し、不安のただ中に置かれています。湖での天候の変化、状況に相応できる経験と実績を持っているにも拘わらず、何の手だてもなし得ないでいるのです。それも、イエスがパンの奇跡をなし、病人を癒し、奇跡を行う力ある方であることを目撃しているにも拘わらず、逆風でイエスを見失ってしまっているのです。
これは何も弟子たちだけ限ったことではありません。私たちもその現実の真っただ中に置かれると同じことが言えましょう。不安で一杯になり、イエスを幽霊と見、もう救い主を受け入れることが出来なくなってしまうのです。冷静に見ることの出来ない弟子たちの姿は、同時に私たちの姿でもあるのです。
それに対して、祈るイエスの姿があります。イエスは、十字架につかれる前に、ゲッセマネで祈られました。これは、神の子、救い主であると同時に人の子として、私たちと同じ高さで孤独と不安を味わわれた姿です。そして今日の聖書の中でも、イエスは足を祈りの場へと向かわせ、そこで神と語らいの時を持ち、神との強い絆を明らかにされるのです。イエスが祈られたのも、神と等しくあるイエスが弱い私たちの側にいて下さり、弱さを神に委ねることにより、強さをも与えられることをご存知だからです。不安を超えることが出来るのは、祈ることだとイエスは示されます。祈りは人の世界と神の世界の間の扉の鍵と言えるかも知れません。
そこで聖書をよく見て見ますと、「イエスは弟子たちを強いて船に乗せ」と、弟子たちを「強いて」逆風の只中に置かれています。それは、弟子たちを神の世界に導き、すべてを神に委ねることをイエスが願ってのことであったに違いありません。先ほどの九州学院野球部で、ただひたすらベンチを温めつづけた部員がいました。まさに弟子たちが逆風のただ中に置かれたこととどこか重なる思いがします。谷口先生は、「……あなたの涙を知っている人が、この世に必ずいます。」と言われます。これは、先生自身の神様の救いの体験に裏付けされたものでしょう。すると、「強いて」というイエスの側に身を置くとき、恐れることはないのです。これから遭遇する人生の逆風も、また私たちに突然訪れる試練も辛く苦しいことではありますが、そこにも、神の「強いて」が働いているのです。何も嘆くことはありません。4月1日付けで赴任される高村敏浩氏がこれから遭遇するであろう一つひとつも、神様の「強いて」でしょう。共にいて下さる神様を信じ、宣教者の道を感謝と祈りをもって歩み続けて戴きたいと思います。
「ワインを飲んでいる時間も神様がくださった大切な時間」なのですから、私たちは、「あれも愛、それも愛、これも愛」とすべて起こる出来事が、神の愛の現れであると見なすことができるなら、どれほど幸いでしょう。きっとイエスは、「安心しなさい。わたしだ。恐れるな」と手を差し伸べて下さいます。この一週間も、主の平安のうちに感謝と祈りをもって歩みましょう。
総会議長 渡邊純幸

風の道具箱

どうぞお先に

長女が「普通自動車運転免許証」を取得しました。子どもたちの成長の早さに驚いています。さっそく練習をかねてドライブです。ビクビクしながら乗るのかと思っていたら、わりと平気でした。
さて、初心者は1年間「若葉マーク」を自動車の前後に付けることになります。面倒くさいので、自分が乗る時もそのままにしておきました。するとどうでしょう。初心者の運転と見られるのか、結構まわりの車の無茶苦茶ぶりに驚きます。 急な車線変更や、追い越し、後ろから追い上げてくることも度々です。中には優しく進路を開けてくれる方もいますが、驚異を感じることの方が多いのです。
みんなこの「若葉マーク」をどうみているのでしょうか。「初心者はイライラするなあ」「前は初心者か。うざいな」でしょうか。そのように思われるためのマークではありません。初心者なので配慮してくださいという意味で、若葉の気持ちは「どうぞお先に」です。
神様は私たちを焦らせたりなさいません。人生の歩みも「お先にどうぞ、あなたに合わせますよ」といって下さいます。(柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

日本ルーテル神学校校長 江藤直純

三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」・・「わたしの羊を飼いなさい」・・「わたしに従いなさい」。ヨハネによる福音書21章17~19節

四十余年前、大学生の時。「君の賜物と若い力を!」、熱心な教会青年は、招きに手を挙げ、軽井沢でのディアコニアキャンプへ勇躍参加した。お盆でも帰る家もない重症心身障がい児六人と十二人の青年が六組の家族を作り、ドイツ人宣教師ヨハンナ・ヘンシェル先生の指導の下、一週間を過ごした。
そこで、僕が経験したのは、歩くことも叶わず、言葉もなく、食事も排泄も万事に介助が要る女の子サッチャンを、ペアのケイコサンとお世話すること。バリアフリーも車椅子もまだない頃、古く大きな乳母車での坂道の移動、おんぶしての階段の上り下り、盥(たらい)でのオムツの洗濯…。福祉も育児も何も知らない僕はクタクタになるまで働いた。
でも、サッチャンはニコリともせず悲しそうな顔(に見えた)。ついに三日目の夜、僕は呟いた、「アリガトウと言えなくても、せめてニッコリしてくれたら」と。
ヘンシェル先生の「エトウ君、サッチャンハアナタヲ受入レヨウト必死ナンダヨ」との一言にハッとさせられた。――なにが無償の愛だ、彼女の気持ちなど思いも及ばずに自分が感謝されることを、自己満足を求めている!自己中心性、自分の罪をはっきりと見た。
施設に送り届けた後、武蔵野教会へ一直線。牧師にキャンプ体験のすべてを、「善行」の奥に潜む己の罪深さをも話した。じっと聴いてくださった石居正己先生は仰った、「そうだね。でも、その君がいたのでサッチャンは軽井沢での一週間を過ごせたのだろう。自分の罪や弱さだけでなく、そのような君をも用いて大きな働きをなさる神様を見なさい」と。
――このあと僕は献身を決意した。こんな僕でも赦して、生かして、ご用のために用いてくださるのなら、欠けも破れもいっぱいだけど、この身を神さまにお捧げしよう、と。

一番弟子であり、あのキリスト告白もしたシモン・ペトロ。なのに、あの三度の否認!主を裏切る弱さ、罪深さ。そのペトロに復活の主イエスは三度問いかけられる、「わたしを愛しているか」。ペトロの本性を百も承知で大事な役目を託される、「わたしの羊を飼いなさい」。そして、躊躇わずこの道を歩くように励ましてくださる、「わたしに従いなさい」。
――牧師にさせていただいて三十四年が経った。

信徒の声 教会と私

三鷹教会  上野輝弥

Qご出身を教えてください。
1930年に別府湾を望む日出町で生まれました。本籍は熊本市新屋敷町で、墓地は日蓮宗の本妙寺にあります。この地に家族が舞い戻ったのは第二次世界大戦の終わりに近い1945年で、九州学院中学校の三年に転入しました。稲富肇院長に迎えられた転入生でしたが、数ヶ月も経たないうちに米軍機の爆撃をうけ熊本中が焼け野原になり、屋敷も焼け8月15日の終戦の日を迎えました。

Qキリスト教との出会い、ルーテル教会との出会いについて教えてください。
終戦後はじめて九州学院がキリスト教の学校であることを知りました。大混乱の中で教育制度が変わり、新制の九州学院高等学校の一年生となりました。召集中の先生たちが軍隊から復職し、飛行予科練習生だった級友もいました。アメリカから最初の客船でこられた宣教師 ミラー先生のバイブルクラス、大江教会に着任された内海季秋牧師の聖書研究会に出席し、友人数人と受洗しました。当時の大江教会青年会には後に牧師となった折田、古財、松本、内海さんたちが居ました。社会福祉を志した泉亮さん、宮崎国立病院院長になられた井上謙次郎さん、防衛医大教授になられた井上鐵三さんたちがいました。敗戦で打ちひしがれた教育から新しい教育へと急転換した時代にあって、若者は焼け跡、闇市をさまよい共産主義かキリスト教かを論じながら学んだ時代でした。内海季秋牧師からルターの「キリスト者の自由」、佐藤繁彦の「ルターの根本思想」、キェルケゴールの「死に至る病」などを解説していただきました。

Qこれまでの三鷹教会との関わりについて教えてください。
1956年にミシガン大学で動物学を学ぶ機会を与えられコロラド河、リオグランデ、アリゾナやネヴァダ州の砂漠で、アジア大陸系で北米大陸で進化した魚を採集し、砂漠に這って化石を採集しました。1964年に創立の日本ルーテル神学大学に迎えられ、西恵三先生(東大・天文学)、松沢員子先生(後に国立民俗学博物館・文化人類学)とともに一般教養を担当しました。武蔵野教会から株分けされた三鷹教会が設立されるにおよび創立当初からの会員となりました。中央線沿線地区の諸教会から多大な支援をいただきました。江藤、立山、太田、平岡の諸牧師を経て、現在の李牧師に至っています。すでに20年が過ぎました。
Qこれからの三鷹教会との関わりとして考えておられることを教えてください。
創立以来、役員、壮年会長、教会学校教師でしたが、信徒の働きとして会員相互の親睦、周辺のコミュニティーへの働きかけとして「われここに立つ会」を立ち上げました。映写会、オープン講座を季節ごとに催し、会員のタレントをお役に立てることとしました。(例:ストレスを乗り越える森田療法;還暦から始めるトライアスロン;水族館で見るお魚の進化などなどを計画しているところです)教会学校の出席者が15名を超えることもあり楽しみです。

私の本棚から

佐々木正美
「子どもへのまなざし」1998
「続・子どもへのまなざし」2001
福音館書店

医学・医療の世界でいえば、佐々木正美先生は極めて例外的な児童精神科医です。筆者にとっては、憧れであり、目標であり、そしてすぐそばで仕事ができたという幸運を密かに誇りに思う先輩医師でもあります。
佐々木先生は、米国ノースカロライナ州を中心に発展した、自閉症児・者への支援法、TEACCHプログラムを我が国に紹介し、実践した先駆者として知られています。ノースカロライナ大学の臨床教授を兼務されていました。しかし、いわゆる大学人・研究者ではないのです。多くの論文やご著書がありますが、研究という視点で書かれたものはなく、大いに触発されるものばかりです。
20年間にわたり、医療の立場から、神奈川県を中心に地域療育という新しいジャンルを開拓されました。ご専門は、ライフサイクル精神保健・医療福祉学とお答えになられています。先生が語りかける対象は、行政関係者や研究者というより、障害がある子どもを持つ親と、その支援に携わる保育士や幼稚園教諭、また小中学校・高校の先生方でした。今振り返れば、先生は障害を論じたのではなく、子育てを説いたことがよく分かります。佐々木先生を慕う方々が集まり、「佐々木セミナー」という勉強会が発足したのは必然だったのでしょう。
「子どもへのまなざし」は佐々木先生の子育て講演集です。ただ、一般の会衆向けというより、打ち解けた雰囲気の、少人数の佐々木セミナーでの講義速記録という趣です。子育てにちょっと迷う、どうしようと立ち止まるときによく効く一冊です。一度でも先生の講演を聴いた方々は、本書の一行一行に先生の心地よいお声が響くでしょう。まだの方々は、お読みいただいた後に、先生の講演会にでかけてみたいと思うに違いありません。
さらに、本書のすごいところは、反響が大きく、読者からの質問とその回答を収録した、「続・子どもへのまなざし」が出版されたことです。佐々木先生のやさしいまなざしを十分に堪能できる至福の二冊をご紹介しました。

横浜市中部地域療育センター所長・日本発達障害学会会長 原 仁
(むさしの教会会員)

日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その1

特別養護老人ホーム
慈愛園パウラスホーム

社会福祉法人慈愛園 は、大正8(1919)年にアメリカの宣教師ミス・モード・パウラスにより熊本市神水の地に設立され、キリスト教精神による福祉の業を実践し、赤ちゃんからお年寄りまでの生活援助を続けています。
パウラスホームは、昭和38年の老人福祉法施行を受け、翌39年7月に西日本で初めて病弱者老人専用施設として開設しました。
創立当初より、多数のボランティアの方々の支援とともに、超教派の教会婦人会の皆様によるボランティア活動に支えられています。特に設立草創期は便利な介護器具もなく、全くの手作業でした。その中で、教会の婦人会の支援活動は、当時としてはまだボランティアは普及していなかった時代ですから、施設にとって大変ありがたい活動であり、今年で創立46年を迎えようとしていますが、感謝しきれない存在なっています。
当施設は、施設内福祉からさらに地域にひろげるために、昭和62年にデイサービス事業、平成2年に在宅介護支援センターを市より受託、さらに地域の県営団地、市営団地の独居高齢者住宅の生活援助員派遣事業を受託等の地域支援に努めてまいりました。
そして、平成12年より、介護保険法施行に伴い介護老人福祉施設として新たな出発をしました。法施行はそれまでの措置施設から利用者とサービス提供施設・事業所との契約へと、大きな転換をすることとなりました。現在、周辺地域の自治会・民生児童委員協議会・校区社会福祉協議会等との連携や交流の場として、施設が活発に活用されております。
(パウラスホーム 副施設長 石川光男)

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)
社会福祉法人 慈愛園特別養護老人ホーム パウラスホーム

施設長 内田栄二(神水教会員)

より安心な高齢社会をめざして

今まさに世界に誇る長寿大国日本。有難いやら、否や。当施設におきましても、世相に左右され影響を受けざるを得ません。
長寿化はめでたい反面、高齢者本人にとっても、周囲の家族にとっても、辛くて長い試練をもたらすことになりました。特に認知症や重度の身体介護を要する高齢者は、今後益々増加し続けます。
身近にいるどなたにお聞きしても、ほとんどの方々がご自身と高齢者のことで、心を悩ましておられます。どなたも高齢者と同居し最期まで看取りたいと願われます。しかし、現実は大変厳しい状況です。
一方、老老介護のケースも多いのです。これも思いとは裏腹に、いつまでも続けることが出来ずに、ある日突然一方が入所(入院)せざるをえない事態が起こりやすいのです。
当施設においでになるご利用者やその家族、入居相談におみえになる家族の方々は、夫々に長寿社会がもつ重荷を背負っておられます。 当施設の掲げる聖書の言葉は、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」です。この言葉は、特に昼夜を分かたず介護を担当する職員にとっては、心身を支え、励ましとなっています。
私としては、介護というパントマイムを通じて、主の証しとなるよう願っております。施設のあらゆる営みによって、少しでもより安心な高齢社会に貢献できれば幸いです。
(事業内容)
設立 昭和39年7月20日入所定員 62人
短期入所 18人
職員 施設 55人
他に在宅福祉の部17人

ルター研究所開設25周年にあたって

所長 鈴木 浩

ルター研究所が今年10月、開設25周年を迎えます。それを記念して次のような企画を立てました。
①ルターが破門状を焼き捨てたヴィッテンベルクの広場に立っている樫の木の子孫(同じDNAを持つ樫の木)の植樹式(4月24日)。
②ルター研究所開設25周年記念チャリティーコンサート(東京教会、5月9日 本紙1面にも案内あり)。このコンサートでは日本を代表するオルガニスト、小林英之、深井李々子、湯口依子の3氏 による3台のパイプオルガンの協奏に、同じく日本を代表するトランペット奏者の山本英介氏の演奏が加わります。
③ルターの説教(1533年)の初版本(世界に数冊)の復刻出版と徳善名誉教授による翻訳の出版。この初版本は一昨年、ルター研究所が入手しました。
④『ルター新聞』の紙面を一新。4月号から文字を大きくし、読みやすくした紙面に変わります。
⑤『ルター研究』(第10号)の発行。ルーテル学院創立百周年を記念して行われた連続神学講演に加えて、所員の書き下ろし論文を掲載します。
⑥「ルター著作集第二集」の第六巻『ヨハネ福音書』の出版。
⑦特別講演会(10月頃を予定)の開催。

[お願い]
こうした企画を推進するために、「後援会募金」(ルター研究所指定献金)をお願いしています。後援会を通じてルター研究所指定献金をしていただきますと、そのまま賛助会員として登録され、「ルター新聞」の戸別郵送、「公開講座」受講料の割引などの特典があります。また、2万円以上の献金をしたいただいた方には、「ルターの説教」を贈呈いたします。よろしくお願いいたします。

長い間ごくろうさまでした 引退教師あいさつ

「仕える者の心得伝授」     清重尚弘

忘れもしません。新米牧師時代に、会員で商船の機関長からいただいた教えです。

上司の心得として、部下よりも一日前に船に乗り込み、一通り入念にチェックをしておく。後から来た部下に「こことあそこを点検しておいてくれよ」と、指示を出す、部下がいってみると、そこには手入れを要する箇所がある。すると、部下は、機関長は普段ボーっとしてるようだけど、見るところは見てるんだなと,敬意を払ってくれます、というのです。

翌朝から私は近所の誰よりも早起きして,教会の庭を掃除し近所の様子を見て回り、通る人に挨拶をしました。

今もこの心得が役に立っています。

 「恵みの先行性」       山之内正俊

34年間の牧師としての歩みの中で心がけたことは、恵みの先行性ということでした。信仰のみというとき、救われるための行いが否定され、信じることだけが求められる訳ですが、その信じることすら、神様の恵みによって起こる、ということを絶えず確認しながら説教をして参りました。宣教の第一線を退いても、この信仰の姿勢だけはしっかりともち続けて参りたいと思っております。
敢えて言い残しておきたいことは、収益事業は補助車でしかないという私たちの教会の基本方針を忘れず、一日も早く、経済的依存体質から脱却してほしいということです。
先行する神様の恵みに信頼して、それぞれの道で、伝道に励んで参りましょう。感謝!

引退牧師からの一言     重野信之

わたしは3月をもって、日本福音ルーテル教会を定年退職いたします。ふり返りますと、半田・釜ヶ崎・室園・名古屋・静岡・鹿児島・神水の諸教会で牧会させていただきました。いずこの教会も思い出深いものがありますが、特に神水教会ではわたしにとっては「ディアコ二ア」の集大成として働くことができました。
今日までの39年間、牧師生活を送ることができましたことを神さまに感謝し、わたしを変わらぬ愛と友情によって支えてくださった家族や親戚、友人たち、すべての皆様に心から感謝を申し上げます。
最後に次のみ言葉を残させていただきます。「わたしたちが正気でないとすりなら、それは神のためであったし、正気であるなら、それはあなたがたのためです」(�コリ5・13)。どうぞ、わたしのこれまでの失礼をお赦しください。

「日本・フィンランド交換宣教ツアー」 のご案内

2010年はフィンランドから最初の宣教師が来日して、110年を迎えます。この「宣教の歴史」の節目の時を感謝をもって覚えるために、日本福音ルーテル教会とフィンランド・ルーテル福音協会(SLEY)は共同事業として、日本からフィンランド及びドイツを訪ねる、「日本・フィンランド交換宣教ツアー」(総勢30名)を計画しました。
フィンランド旅行の受入母体は、日本福音ルーテル教会と宣教の提携関係にあるフィンランド・ルーテル福音協会ですが、旅行の全日程の手配と責任はJTB法人東京に一括して依頼しています。参加希望の方は各教会に送付されている旅行案内パンフレットに付いている申込用紙を5月10日までに、JTB法人東京にお送りください。
2010年6月30日(水)~7月12日(月)  13日間
団長:渡邉純幸(議長)  副団長:岡田薫(北海道特別教区長)
旅行代金:お一人様 485,000円(成田発着 燃油付加料金含む)
主なプログラム: OhotakariでSLEY福音大会に参加とドイツ
受難劇鑑賞 参加人数:30名(募集人数になり次第締め切り)
旅行実施:JTB法人東京
締 切 日:2010年5月10(月)

東海地域教師会報告

「現代の宣教」 ―牧師研鑽の検討―

土井洋(高蔵寺教会)

教会の働きは、み言葉の宣教が支柱です。教会に遣わされた教師は、み言葉に遣わされています。教会は、み言葉に遣わされた教師と、み言葉に集められた人々と共に、み言葉を宣べ伝えます。み言葉とは、日曜日礼拝で朗読される神の言葉としての聖書であります。
み言葉自体は不変であると、聖書自体が述べています。しかし、み言葉を聞く私たちの時代は、めまぐるしく変化しています。それゆえ、み言葉の内実と私たちの生活との間には、大きな乖離が見られます。不変のものと変化するもとの乖離は、時間的・空間的に当然のことです。
しかし、それ以上に大きなことは、「神の意志」と「人間の思惟」との隔たりです。これも、当然と言えば当然のことです。これらの「隔たり」といかに取り組むべきか。今日の説教者の課題です。
このような問題意識のもとに、2009年11月24日―26日、東海教区教師退(研)修会が、静岡県立森林公園「森の家」で行われました。
会期中、二つの発題と発題に関する討論が行われました。会のまとめに、「現代の宣教」への取り組みとして、小グループの「研究会」を立ち上げることが決まりました。
小グループの内容は以下のとおりです。
①「聖書と説教」
②「ルター神学」
③「被爆問題」
④「礼拝」
⑤「教会の成長」
⑥「生命倫理」
の6項目です。
各グループの研究成果は、全体で分かち合うことが確認されました。
教師会長 土井洋
書記 内藤新吾
会計 花城裕一郎

ルーテル連帯献金緊急支援ハイチ大地震

1月12日、中米カリブ海の島国ハイチで、マグニチュード7・0の強い地震が起き、首都ポルトープランスでは多くの建物が崩壊し、20万人に上る多くの被災者が出た「ハイチ大地震」は、日本福音ルーテル教会もLWFの呼びかけに応じて、全国の教会に支援をお願いしています。3月20日には、LWF -ACT(Action by Churches Together)を通じて100万円を送金しました。この緊急支援は4月15日まで受け付けておりますので、ご協力をお願いします。
▼上記献金の送金先▼
「ハイチ大地震」と明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。
郵便振替00190?7?71734
名義:(宗)日本福音ルーテル教会

2010年度人事 教職人事異動(*敬称略)

■人事異動(2010年4月 1日付)
・坂本千歳 函館教会主任
・関野和寛 東京教会主任
・渡邉 進 栄光教会主任
・藤井邦夫 富士教会主任  (兼)
・田中博二 沼津教会主任(兼)
復活教会主任(兼)
・鈴木英夫 刈谷教会主任 (兼)
・永吉秀人 岡山・松江・高 松教会主任(兼)
・角本 浩 神水教会主任
・小山 茂 鹿児島・阿久根 教会牧師補(一般任用へ変更)

その他
■九州ルーテル学院
(2010年4月1日より 2年任期)
・清重尚弘 学長

■宣教師
(2010年9月1日付)
(着任)
・ポウッカ・マルッティ
スオミ教会主任
■信徒宣教師
(2010年1月1日付)
・ラトバラスク・ミカ&ティーナ 東教区付(武蔵野教会・  大岡山教会・ネット伝道)
・ヨシムラ・ヒロアキ&パイビ 東教区付
(2010年9月1日付)
(退任)
・ヘイッキネン・パーヴォ  (2010年6月30日付)
・フレデリクソン・チャールズ (2010年6月30日付)

■新任
(2010年4月1日 付)
・高村敏浩(新任・牧師補)  岡山・松江・高松教会(西 教区)

■嘱託任用
(2010年4月1日付)更新
・伊藤早奈 東教区付
・後藤直樹 荒尾教会
・内藤文子 栄光教会

■牧会委嘱
(2010年4月1日付)
・中村圭助 甲府教会・諏訪 教会(更新)
・山本 裕 浜名教会(更新)
・藤井 浩 沼津教会(新)
・戸田 裕 復活教会(更新)
・重野信之 刈谷教会(新)
・森 勉  広島教会(更新)
※但し、2010年6月30
日終了
・松隈貞雄 宇部教会(更新)
・早川顕一 聖ペテロ教会(更新)
・Aエリス 甲佐教会(更新)

■牧会委嘱終了
(2010年3月31日付)
・V.ソベリ 函館教会

■定年引退
(2010年3月31日付)
・清重尚弘
・重野信之
・山之内正俊

住居移転のお知らせ

宮本威先生(引退教師)

東和春先生

10-03-15るうてる福音版2010年3月号

機関紙PDF

夢広がる世界、それは・・・・

以前、ある地方新聞で面白い記事を読みました。富士山に降った雨が地中を通って平野部で再び地上に湧き出るのに、どれだけの時間がかかっているのか、という研究についての記事です。諸説あって、これが間違いなく正しいという見解は得られていないのだそうですが、たとえば、ある人は、井戸の地下水位の経年変化と御殿場気象観測所における降水量を比較して、二ヶ月ちょっとだと割り出しています。一方、別の人は、地下水に含まれる人工放射性元素トリチウムの濃度変化に視点を当てて分析。結果、二十六年から二十八年と説いています。いやいや、そんなものではない。およそ百年という説をたてている大学教授もおられるそうです。
そうか。富士山のそばで暮らす人たちのもとで湧き出る水は、ひょっとしたら百年前に降った雨の水かもしれない……。夢のある話ですね。
さらにその記事が書いていたのは、火山岩の富士山よりも普通の山の方が地下水の流れは遅いのだそうで、その流速は年間1メートル程度だとか。その説ならば、地表に湧き出てくるには山の高さによっては何百年もかかっている。私たちが口にする≪○○山の名水≫は、何時代のものということになるのでしょう。江戸時代、鎌倉時代……? 学術的に見て、これらがどうなのか、わたしには専門的なことは少しもわからないのですが、ただこんなことを考えさせてもらえると、ロマンを味わえますよね。
星の大好きなA牧師は、あるとき、夜空を見ながら、ひとつの星をさして「あれは二千光年です。つまりイエス様がお生まれになったころの光がいまここに届いて見えているのです」と教えてくださいました。
ハーッ、もっと凄いスケール!私たちが、今ここで生きているという時に、いったい、どれほど昔からのもの、積み重ねられてきたものが取り巻いているのでしょうか。いえいえ、もっと大きなスケールもあります。
あなたが生まれるためには、まずひと組の男女(計2人)が結ばれていました。その2人が生まれるためには、さらにふた組の男女、計4人が必要でした。その4人が生まれてくるには四組の男女、計8人が必要でした。その8人が…と続けて、ほんの十世代前までさかのぼってみたら、果たして何人の人がそこに登場するでしょう。なんと百万人を突破します。嘘だと思ったら、ぜひ計算機を片手に試してみてください。そして、もうそれ以上は、8ケタ程度の計算機では割り出せなくなります。あなたというひとりの人が生まれてくるために、どんなに多くの人が関わっているのでしょう。あなたという人が生まれ、生きて行くのに、いったいどれほどの要素が取り巻いていることでしょう。
そうまでして、あなたという人に生まれてきてほしかったのだ、と神様はおっしゃいます。だって、わたしはあなたが大好きだから、と。富士山からの水よりも、何万光年の星よりも、ずっとずっとスケールが大きくて、夢広がる話。それは、あなたです。 (パパレンジャー)

ナマステ、サンチャイチャ

ネパールワーカー 楢戸健次郎先生

Q.一般的なネパールの人たちの収入源は何でしょうか?
主な収入源は出稼ぎです。マレーシアに40万人、中近東に100万人、インドは国境ビザ不要なので何百万人と行っています。もちろん日本にも出かけています。ネパール最初の「出稼ぎ」はゴルカ兵というイギリスの傭兵でした。第二次世界大戦で第一線にいたのがゴルカ兵で、かなり勇猛果敢な人たちでした。今では単純労働が多いでしょうか。そういう状況ですので、外国援助は不可欠です。

Q.外国の資金援助の現状は?
バランス外交をしているので、インドからも中国からもあります。ただやはり東側諸国からは少ないと思います。アメリカなどはお金も出し、口も出すということでしょうか。

Q.ミッションスクールはありますか?
リンカーンスクールがあります。これはアメリカンスクールです。ブリティッシュスクール。これはイギリス系の学校です。私が派遣されているHIDSが運営しているKISC(キスク)というのがあります。そこでは主に宣教師の師弟を教育しています。カトマンズなどは教育熱心なので、カトリックの「セントザビエル」というトップクラスの高校や、女性の場合は「セントメリー」という学校があります。カトマンズは学校だらけと言っていいくらい、学校ビジネスが盛んです。そして、教育を受けた多くの人が海外に出ていってしまうのです。

Q.そうすると外国語学習熱も?

もともとネパールは民族が100以上あり、カトマンズでは母語はネワール語です。高齢者にはネワール語しか話せないという人もいますが、その娘の世代になるとネワール語と共通語のネパール語と英語が普通に話せます。高校を出た人ならネワール語とネパール語と英語くらいは大体できます。3カ国4ヶ国語くらいは当たり前です。語学が出来るというのは特殊技能でもなんでもなくて、ただの生活手段なのです。小さい時から多民族国家にいると言葉は単民族よりはずっと覚えやすい環境にいるのかもしれませんね。

Q.日本には興味があるのですか?
ものすごくあります。日本人とネパール人はとても似ているのです。顔もとっても似ています。日本語で話しかけたくなるくらい日本人そっくりなネパール人もいます。言葉も日本語とネパール語は語順が同じなのでお互いとても覚えやすいと思います。またメンタリティーでもかなり近いです。ネパールを訪れる日本人の8~9割の人がネパールを好きになります。

Q.日本人観光客はよく来ますか?
カトマンズには世界遺産だけでも7つありますから、たくさんの日本人が来ます。今一番多いのは60代70代の女性で、トレッキングが目的です。私としては、若い日本人が沢山来てくれて、そこで問題を発見して、将来東南アジアで働いてもらいたい。ですから、医師よりツアーコンダクターと思われるようなこともしていますが、これも自分に課せられた大切な働きの1つだと思っています。

Q.最後に
「るうてる」紙の連載を通して、ネパールの医療事情を知っていただくことを願っていますが、ネパールの国や人そのものにも関心を持ってもらいたいのです。関心を持って興味を持って一度行ってみたいと思っていただくのが一番です。一度来ていただければ、必ず何かを掴んでくれるでしょう。そして、ネパールには優秀な人が沢山います。将来の青写真を一緒に描くことのできる人を見つけて、その人たちと協力して、一緒に働くのです。自分が第一線で何かをするというよりは、セットアップすることの方が、僕たちの仕事だと思っています。   (了)

毎日あくしゅ

通勤途中の街路樹に混じって、白木蓮が薄いクリーム色のつぼみを膨らませていて、毎朝見上げながら通り過ぎています。
月曜日の朝は、家を出ると家庭人から保育者へと気持ちの切り替えをしながら駅までの道を歩きます。そんな時、すぐそばで鳥の鳴き声がするので目をやると、見慣れない鳥が素早く枝から枝へと飛びまわっています。木立の葉蔭に見え隠れする鳥たちの姿に遭遇したりすると、清々しい気持ちになり、心も弾み足どりも軽やかになります。
卒園・進級まであとわずかとなった大切な日々、年長児は勉強机やランドセルを買ってもらい「小学校へ入学するのだ」という自覚とちょっぴり不安が入り混じりながら「もうすぐ幼稚園とはお別れなんだ」と自分に言い聞かせるかのように時間を惜しんで遊んでいます。
年中児は、「4月から年長組だぁ」と自信ありげです。もうすっかり年長組の顔つきになっているその姿を見て頼もしささえ感じます。年少児は、「もうすぐ年中組よ」と嬉しそうな顔。1年間集団で過ごしてきたことで、もうすっかり年中組になるという意識ができてきていることを感じます。
自然界も四季折々の姿があります。今は春に備えて新しい命を芽吹く準備をしています。子供たちも遊びの生活の積み重ねを通して蓄えた力を発揮できるその日が来るまで、いろいろな力を貯め込んでいるのです。
木の芽時は体調を崩しやすい時でもありますが、子供たちも一年の締めくくりの時、次へのステップアップへつながる時として希望と不安が入り混じり、身体的にも精神的にももろくなる時でもあります。子供たち一人ひとりの今までに貯め込んだ力を信じて、受け止め、励まし、寄り添いながら、子供自らしっかり芽吹こうとする〈そ の 時 〉が来ることを待ち望み、新たな生活への羽ばたきと旅立ちの時をむかえたことを喜び合い、決して芽吹いた新芽をへし折るようなことをしない大人でありたいと思います。
(園長)

10-03-15るうてる2010年3月号

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変わった父親ーー「放蕩息子」のたとえ

「父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。…兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。」(ルカ15:20、28)

聖書の最も美しい話は、放蕩息子のたとえ話です。それを通して、主イエスは父なる神の憐れみと赦しを教えています。
最初に登場するのは家族の弟です。当時の社会で長男は跡取りで、他の息子たちは父親が死んでから多少のお金を分けてもらって、それを持って商売を始める人が多かったそうです。しかしこの話の弟は、父親がまだ生きている間に自分の分け前をお願いしました。家での生活が物足りないと思い、自由を求めていたのかも知れません。不思議なことに、父親は息子の願いを理解し、財産を分けたのです。
息子は商売もしないで、お金をすぐ使い果たしてしまいました。そうすると、ユダヤ人にとって最も恥ずかしくて、いやなことが起こりました。彼は外国人の召し使いになり、汚れた動物とされる豚の世話をしなければなりませんでした。しかし、この惨めな状況は彼にとって人生の方向転換となりました。
父親は息子の弱さを予想したようで、日々その帰りを待っていました。昔、家族の長老たちは自分の立場を忘れないで、厳かな姿でゆっくりと歩いていたそうです。しかし、この父親は息子のみすぼらしい姿を見ると、われを忘れて走り出しました。喜びのあまりに走って、放蕩息子を家に迎えたのです。父親は帰ってきたわが子を受け入れては赦し、宴会を催してお祝いしました。
しかし、たとえ話はこれで終わったわけではありません。父親にはもう一人の息子がいました。それは従順な働き人である長男でした。父はこの息子をも同じように愛し、いつもそばにいることを喜んでいました。しかし長男は父の愛をあまり分かっていなかったようで、弟に対して妬みを感じるようになったのです。それで、お祝いの席には長男の姿は見えませんでした。
父親にとって、いつもそばにいた長男も、帰って来た次男も大事な存在でした。二人が共に喜びお祝いし、そして一緒に暮らすことは父親の最高の願いでした。それで父親はお祝いの席を離れて外に出ました。長男をなだめようと迎えに行ったのです。
変わった父親です。私たち人間は実際にこのような愛と忍耐を持っていないと思います。このように私たちを愛し、憐れんでくださるのは父なる神さまお一人だけです。私たちが共に生きることをお望みになり、そして一人ひとりを天の国のお祝いに迎えてくださるのです。

函館教会牧師 ビリピ・ソベリ(3月末退職・帰国予定)

新任教師・J3のご紹介

第23総会期第6回常議員会の2日目にあたる2010年2月23日、新任教師およびJ3の人事発令と紹介がありました。
今年は新任教師1名、J3は4名が私たちの教会に与えられました。人事発令では緊張しておられた新任の方々も、その後の常議員の方々との懇談時には、今後の活躍を期待され賑やかな中にも宣教に対する熱意をわかちあいました。
新任教職の人事は、高村敏浩氏(岡山・松江・高松教会)です。J3の方々は、Dana Dutcherデイナ・ダッチャー氏(文京カテリーナ)、Susan Wironenスーザン・ヴィロネン氏(九州学院)、Douglas Foster ダグラス・フォスター氏(九州学院)、John Hoyle 、ジョン・ホイル氏(九州ルーテル学院)です。
これからの働きに神様の導きを祈ります。
事務局長 立野泰博

風の道具箱

急がずに、休まずに

ある本の中に「子どもの教育はいつからはじまるか」という文章がありました。
その話は、進化論のダーウィンのところに一人の母親がきて、子どもの教育はいつから始めればよいかと聞きます。彼は「お子さんは何歳ですか」と聞くと、「生まれて1年六カ月」と答えます。すると「残念ながらあなたは1年半おくれました」といいました。これを聞いたある教育者が、「いやその母親はもっと教育の時期を失した。生まれる前から注意しなければならない。それが胎教だ」といいました。またそれを聞いた別の教育者は「いや母親はもっともっとおくれた。その子どもの教育は母親の修養時代から始まっている。もし母親が不十分ならば、到底ちゃんとした子どもの教育ができるはずがない」と。
子どもがどうのではなく、やはり親がどのように生きているかだと思います。親が人の話が聞けないのに、子どもが聞けるはずがないのです。
私たちの親は神様です。神様に育てられている私たちですから、急がずに、休まずに信仰をもって歩んでいきましょう。 (柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

静岡教会牧師 藤井 邦夫

わたしたちの
主キリスト・イエスによって
示された神の愛から、
わたしたちを引き離すことは
できないのです。
ローマの信徒への手紙 8章39節

人生の歩みの中で私を導いてくれた聖句やキリスト教の考えは多くありますが、今一番身近なものはこの聖句です。正確には8章31節から39節です。
親しい友人が少し早くですが定年退職を迎えます。私もふと自分のその時を考えることがあります。牧師として現役でなくなったとき、自分は何によって生かされるか。信仰が本当に自分を生かす力になるのかと言うことです。
この年になって、信仰が頭の中だけでなく、実際に自分を生かしているか、信仰の上に実際に立っているかが、より問題になって来ました。そして、別れなどを経験する時、心の中に言いようもない悲しみや、寂しさを感じ、どうしようもない気持ちに陥ります。しかし、その時神様に心を向けると、また生きる力が湧いてくる経験をし、確かに信仰によって生かされていることを感じます。
最近、私が説教で語ることの底にいつも流れていることは、神様は私たちの良し悪しを越えて存在自体を愛していてくださることです。そして神様は人類を救うために長い歩みをされ、ついにみ子を与え十字架にかけられ復活させられたのです。たとえ、人間が失敗しても、苦しみの中にあっても、神様の愛の中にあるのです。
そのような私がふと神様のことを思い描くことがあります。神様の前に出るようなイメージです。その時、ペトロが前の晩は魚が取れなかったのに、イエス様の命令で大漁を経験した時、「主よ、私から離れてください」と言った感覚を感じることがあります。聖なる神様の前に立てるのかと言う思いです。
でもその時私は神様がイエス様をわたしたちの所に送られた、しかも十字架に架けてくださったと言うメッセージが心に来ます。そして確かに自分は神様の愛の中にいると確信するのです。

そのことをしっかりと与えてくれるのがこの聖句であり、8章の31節からの所です。そして神様の愛の中で希望を持って生きる力がしっかりと与えられていることを感じるのです。

信徒の声 教会の宝石を探して

北海道特別教区 恵み野教会 坂部 能

Q.キリスト教との出会いは
日本基督教会旭川二条教会の出身です。両親がクリスチャンで、幼い頃から教会学校に通いました。青年時代は戦争の最中で、今の人からは想像を絶する迫害の中、とても主日礼拝を守る環境ではありませんでした。終戦後、再び教会に通えるようになり、21歳で洗礼を受けました。

Q.信仰生活の思い出は?
転勤で移り住んだ最北の地、稚内で、私達夫婦と一人の青年と、まもなく訪ねてきた青年牧師と4人で行なった開拓伝道です。思いもよらない苦労の連続でしたが、原野の中に教会堂が建てられたとき、「神様は無から有を生み出される」という大きい感動と喜びをいただきました。

Q.いつも変わらずご夫妻で礼拝に出席される背中に、励まされています。
私自身、父が絶えず聖書を学ぶ姿に教えられてきました。父は私の信仰については何も言いませんでしたが、その背中から学びました。また三浦綾子さんとは同じ教会員でしたが、彼女は情熱的で行動派のクリスチャンでした。二人の姿勢から受けた影響は大きいと思います。

Q.教会学校も、長年続けて来られました。
恵み野で10年、前の教会も含めれば40年近くになりますね。司法関係の勤務先で、苦労している人々と多く出会い、心の支えとなる信仰の必要性を感じました。これが教会学校への原動力だったのでしょう。蒔いた種がすぐは実らなくても、いつかみことばを思い出してくれればと願います。

Q.愛唱聖句は?
若い頃から、ヨハネ福音書16章33節「これらのことを話したのは私によって平和を得るためである。…」が、苦しいときの支えでした。またこの歳になり「信仰と希望と愛、その中で最も大いなるものは愛」(Ⅰコリント13:13)のみことばが大切だと思うようになりました。

Q.季節のみことばカードや観葉植物を、そっと飾ってくださっていますが、
教会への思いをお聞かせください。

他の方にも慰めになればという気持ちです。互いにゆるしあい、愛を与えあうことで教会は成り立つのだと思います。殺伐とした社会に、教会からそういう暖かさを発信したい、教会が、厳しい冬の中の暖かい日だまりのような存在になれればと思います。

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)

「人に奥行きあり」

お前は、自分の神と出会う備えをせよ。 旧約聖書:アモス書4:12 
社会福祉法人デンマーク牧場福祉会 特別養護老人ホーム・ディアコニア チャプレン 新霊山教会 牧師     白川 道生

大きな手術の為、明後日には入院される73歳のOさんをお宅に訪ねました。太陽の光りが燦燦と差し込むお部屋のイスに、静かに腰掛けて、「ようこそおいでくださいました」とお迎えいただきました。
最近の暮らしぶりをうかがっていた中で、「痛みに眠れない夜が明けて、朝がやってくる。それだけで嬉しさがこみ上げてくるのです。だから、外に出て、胸いっぱいに空気を吸い込むのです。そうすると、何ともいえない幸せな気持ちになるのですよ。」と、ゆっくり語るそのお姿は、清々とした美しさを湛えていました。
「いま、Oさんは人間の奥行きを生きておられる」。私は、羨望と敬服の念を抱きました。そして、聖霊のことを思いました。神様のお心がその人の内面に宿る時、心に安らぎが感じられる。聖書の告げる幸いの一つがこれでしょうか。
ホームの渡り廊下で、車椅子の85才のMさんが、通りがかった私を招きました。「何かお困りですか?」そう申し上げて近づくと、「ぬくといに。せっかくおてんとさまがあったまりなっせと言ってくれてるで、あんたもあったまりなっせ」(静岡の遠州弁で、「ぬくといに」は「あったかいよ」、「あったまりなっせ」は「温まってゆきなさい」の意)。
「なるほど、それではお邪魔いたします」と隣にしゃがんでおりますと、確かにこれは温かい。落ち着くなあと感じ始めたその時のMさんのひとことです。「おてんとさまの前では争えんに……」。
「来る朝毎に 朝日と共に神の光を心に受けて、愛のみ旨を新たに悟る」と讃美歌の詩人は歌いました。老いの日々にあって、そのようなお姿をお見受けし、私たちの目を天に向けさせられることしばしばであります。

いのちはぐくむ

中井弘和

11回「いのちの電話」

命は慈善の道にある。この道を踏む人に死はない。
(箴言12章28節)

私は、4年ほど前から、「静岡いのちの電話」を運営の面から支援するボランティアを始めています。電話相談による自殺防止を目的とした「いのちの電話」は、1953年、英国で一人の少女の自殺に遭遇した牧師、チャド・バラー(1911?2007)が、その悲しみを乗り越えて創設した「サマリタンズ(よき隣人)」に端を発します。日本では、1971年に初めて東京で開設され、今では全国各地の50ヶ所ほどで活動が展開されています。「静岡いのちの電話」はそのひとつで、丁度10周年を迎えたばかりです。
その活動の中心を担う相談員は、人に知られず、ほめられることもなく、もちろん無報酬で、日夜ひっそりと、電話を通じて人のいのちの重さに向き合うことになります。そこには真のボランティアの姿があるといえます。専門的な訓練を受けているとはいえ、その活動の中で傷つき疲れることもあるはずです。しかし、身近に接する彼らからは、いつもある種の輝きが感じられます。
最近、相談員の有志が棚田(本紙2009年8月号参照)の稲作りに参加するようになりました。自然や稲に触れて心身をリフレッシュしようとしてのことです。みんな、初体験だったとのことでした。田植えが終わってしばらく経ったある日、私は面白い発見をしました。彼らが植えた稲が、他の参加者のものに比べて元気が良いのです。興味をもってよく観ると、実に丁寧に植えられていることがわかりました。その生育の良さは秋まで続き、収穫量も最高でした。これは、人のいのちに向き合う心が稲にも通じた証とも言えそうです。
いのちは、元々「生きたい」と願っているはずです。しかし、あらゆるいのちが互いに繋がり合っているという前提で、このいのちの本質は立ち現れるのではないでしょうか。いのちの電話は、電話をかける人とそれを受ける相談員が互いに心を通わせながら、生きたいといういのちの本質を呼び起こす作業ともいえましょう。
日本では、12年連続で自殺者が年間3万人を超えています。この数は、旧ソ連圏のいくつかの諸国を除いて世界最多となります。自殺の問題は、日本の政治、行政が取り組むべき最大の緊急的課題だと私は考えています。
しかし、一方、私たち一人ひとりも日常生活の中で、自分のいのち、他者のいのち、あらゆる生き物のいのちに向き合い、互いにいのちを輝かせる生き方を選択していくことが求められます。その選択肢の一つにボランティア活動すなわち慈善の道があることはいうまでもありまん。

激論「どうなる/どうするルーテル教会と宣教」

木村 猛(保谷教会)

09年9月22日、東京教会で「神学校創設100年記念 激論9.22」が行われました。全国から158名の教職、引退教職、元宣教師、信徒の方々が集りました。神学校が第二世紀に向かうこの機にキリスト教、ルーテル教会を取り巻く厳しい環境を認識し、「どうなる/どうするルーテル教会と宣教」を一緒に考えました。
東京工業大学大学院教授・宗教社会学者の橋爪大三郎先生(大岡山教会会員)の「これでいいのかキリスト教」を聞き、9名のパネリストの発題を受けて、会場からも熱心な意見が出て高揚した雰囲気に包まれました。また、アンケートには貴重な意見が記され、まだまだ、ルーテル教会にはエネルギーがあって「ステタモノ」ではないと感じる集会となりました。
その詳細な様子、アンケート分析が載った報告書が完成し、全国の教会・牧師・参加者に配付されています。これから、各教区の集会の中で「どうする」から「こうする」に深化する議論が湧き上がるよう願っております。

関門の丘から

松隈 勁
3月。連翹の花咲く丘とうたわれる同窓生のあこがれの地に春が再びめぐってくる。
3月1日。冷たく澄んだチャペルの中で卒業生の名前が読み上げられ、一人ひとりに校長から卒業証書が手渡されていく。その卒業証書を手に生徒たちは神様からの便りとして世界へと送りだされていく。「光の子として歩きなさい」という学院聖句を心に刻み、私たちの主であるイエス・キリストの光を額に受けながら歩み始める。
かつて、下関は大陸への玄関口として賑わった。しかし、戦時下には地図に載らない街であり、下関要塞は海峡を機雷封鎖するために飛来する爆撃機の猛爆に曝された。その空襲により学院の建物のほとんどは焼失した。戦前は宣教師として、戦後は直ちに第4代院長として梅光女学院を支えたマッケンヂー先生は、戦時下の米国で募金に奔走した。学院は戦後、それらの献金を礎としていち早く復興し存亡の危機を乗り越えることができた。楓の扉にあしらわれた緑色の教室表示板と金色のドアノブは当時の雰囲気を今に伝えている。その堅牢で瀟洒な建物の横に、今、新しい構想で建設中の校舎は少子化の試練に立ち向かうかのように共に立ち並んでいる。
以前、西南地区夏期学校(教育研究集会)の生徒指導部会で話題になった一つに、ミッションスクールに学ぶ生徒に共通する特質として「立ち直りの早さ」が挙げられた。ミッションスクールに学ぶ生徒がとりわけ品行方正であるわけでもなく、どこにでもいる中学生・高校生である。誘惑に陥ることもあるし、非行に走ることもある。しかし、決して堕ちることがない復元性を持っていると思う。それは、自分自身が罪赦されている存在であることを自覚しているからであろう。
「光の子として歩きなさい」という聖句のひとつの意味だと思う。
面接を受けるために白髭先生と一緒に軽やかに上った正面玄関へ続く坂道。石段を登りつめ、ふと振り返ると朝日を受けて煌めく海峡の向こうに、懐かしい九州の山並みが連なっていた。
今、この時の石段がこんなにも勾配がきつかったのかと思い知らされるようになった。私も一旦この丘を降りよう。荷を解いて身軽になって、温かい春の日差しの中を新しく与えられたミッションを果たすために再び坂道を上って行こう 。 (了)

洗礼を確認する礼拝 …… 洗礼の信認式

日本ルーテル神学校 校長 江藤直純

洗礼、それはわたしが、罪の赦しをいただき、無条件で神の子とされたこと、キリストと共に死にキリストと共に新しいいのちに甦ったこと、キリストの体すなわち教会の一部とされたこと等を見える形で神様が実現してくださった恵みの出来事です。 ルターは信仰的な危機の只中にあっても「わたしは洗礼を受けている」という事実を思い起こすことで支えられました。
教会の伝統の中で「堅信」(confirmation)は幼児洗礼を受けた者が長じて自ら信仰を堅く告白する儀式として守られてきました。ただし一九八六年以降、初陪餐は堅信より前に置かれるようになりました。現在の式文では成人にも洗礼の後に堅信がなされます。
その堅信とは違い、大切な洗礼を受けていることを信仰生活の節目で再確認するための儀式が、おそらく日本で初めて、昨年の待降節に松本、長野両教会(佐藤和宏牧師)の主日礼拝の中で行われました。「洗礼の信認(あるいは確認)」(affirmation of faith)と呼ばれる儀式で、参加者全員に深い感銘を与えました。
「洗礼の信認は、洗礼を通して与えられた恵みの賜物と約束を思い起こし、それらを改めて確認し、洗礼の恵みのうちにある一人として新たに生き始めるために設定されています」と冒頭に説明されます。勧め、祈り、信仰の告白、洗礼の信認、祈りのあとに該当者の名前を呼びあげ、一人ひとりの頭の上に手を置き(按手)、最後に「水と霊によって新たにされた洗礼のときを思い起こし、神の約束に信頼し、御言葉に従って歩みなさい」と言いながら牧師は水に浸した枝をうち振ります。まさに恵みの再確認の時でした。
両教会でのこの礼拝では、受洗六〇年から一五年までの五年ごとの節目の会員一四名と、洗礼を受けて五〇年以上の一二名(最長は八〇年の瀬黒花子姉)がこの儀式に与りました。五年間で全員経験します。この式は病気回復、信仰生活の再開、転入会、その他さまざまな時にも用いられます。詳しくは佐藤和宏牧師まで。

ルーテル世界連盟アジアプリアセンブリ報告

ルーテル世界連盟理事 関野和寛

2009年12月6日~9日までタイ・バンコクにてルーテル世界連盟アジアのプリアセンブリが行なわれ、日本福音ルーテル教会より渡邉純幸議長、浅野直樹牧師(通訳)、関野和寛牧師、竹森洋子姉が参加しました。
今回の会議は2010年にドイツで行なわれるルーテル世界連盟総会の準備の為であります。2010年ルーテル世界連盟に与えられたテーマは “Give us today our daily bread(主の祈り/我らの日毎の糧を今日も与えたまえ)であります。
今回は総会に備えアジア中のルーテル教会リーダーたちと このテーマについて議論がなされました。今、アジアだけでなく世界中の教会が経済危機、環境問題そして食糧危機に直面しています。基調講演でパレスチナのルーテル教会議長である、ムニブ・ユナン牧師は「わたしたしに日毎の糧を与えたまえでなく、我らに日毎の糧を与えたまえなのだ。我ら共に苦しみ、共に喜ぶのである」と語られたことがとても印象的でした。
またインドの若い女性は「今インドの若者はルーテル教会を離れ、福音派の教会に行っている。ルーテル教会も負けずに力強く福音を語るべきだ」と語っていたことも大きな励みになりました。世界そしてアジア中のルーテル教会が今、様々な危機に直面しています。ですが、そのような中でこそ教会のリーダーたちが共に集い、主の確かな御計画を願い求める時となりました。

フィンランド福音ルーテル協会(SLEY)旅行団訪日スケジュール決定

ウェルローズ宣教師一家4人と、それに17才のクルビィネン嬢が2ヶ月半にわたる船の長旅の後、1900(明治23)年12月に長崎に到着し、最初の宣教師として日本の地を踏みました。ここからフィンランドとの宣教の歴史が始まり、今年の2010年で110年を迎えることとなります。この百年を超える宣教の歴史を神に感謝する意味からも、日本福音ルーテル教会はフィンランド福音ルーテル協会(SLEY)との共同事業として相互交流を目的とした宣教ツアーを計画しました。
まずは4月3日から12日にかけて、フィンランド福音ルーテル協会(SLEY)の会員の方々、22名が来日されます。予定されている主な日程は以下の通り。
3日、成田到着、新宿宿泊。4日、東教区の教会で礼拝、歓迎会。5日と6日、東京観光、歓迎夕食会。7日、諏訪教会訪問。8日、飯田教会訪問、京都へ。9日、京都観光。10日、長崎訪問。11日、博多教会で礼拝、大阪宿泊。12日、関西空港からフィンランドへ。
フィンランド福音ルーテル協会の大会出席も兼ねた日本からフィンランドへの訪問旅行団は6月30日から7月12日までの二週間の予定で計画されています。 (宣教室長 青田勇)

2010年度 ルーテル「連帯献金」のお願い

今年度も「連帯献金」の特別指定献金を以下のように決め、各教会へご協力をお願いすることとなりました。LWF(ルーテル世界連盟)等の、教会の国際機関を通じて世界において支援を必要としている多くの人々のために用いられることを祈ります。   宣教室

■緊急支援■[ハイチ大地震]
1月12日、中米カリブ海の島国ハイチで、マグニチュード(M)7.0の強い地震が起き、首都ポルトープランスでは多くの建物が崩壊し、20万人に上る多くの被災者が出ています(NHKニュースより)。LWF(ルーテル世界連盟)の呼びかけに応じて、1月18日より全国の教会に支援をお願いしています。
■指定献金■[ブラジル伝道]
サンパウロにある日系人教会での宣教に、2009年4月より宣教師として派遣されている徳弘浩隆牧師夫妻の人件費と伝道諸経費を補うために、400万円の募金目標を掲げています。
■指定献金■[喜望の家]
釜ヶ崎「ディアコニアセンター喜望の家」の活動支援。アルコール依存を抱えた方々の支援・相談、アルコールを飲まない生活を支えるための「自立生活支援プログラム」のための支援です。
■特定献金■[メコン流域支援]
香港、シンガポールのルーテル教会と共同で展開中の「メコンミッション活動」。宣教・教育・奉仕事業の一環として、今年度はカンボジアのコンポン・チュナン地区の子どもたちへの食糧(100名、週5日分食事提供)、医療と教育(2,000名)の支援活動のために献金をお願いします。
■無指定献金■[世界宣教のために]
飢餓や内戦による難民状態にある人々や、突然の自然災害を被り、緊急の支援を必要としている人々の救援活動へ速やかに対応するために、「無指定献金」を設けています。無指定献金の配分・送金先は本教会常議員会の決定に委ねられています。

▼上記献金の送金先▼
捧げてくださる場合には、それぞれの献金目的を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。
郵便振替:00190-7-71734   名義:(宗)日本福音ルーテル教会
特記:訂正 2月号で報告した2009年度連帯献金の「喜望の家(6件)277万800円」には、ドイツ・ブランシュバイク教区からの海外支援(272万4,400円)が含まれていましたので、連帯献金そのものは5万1,600円でした。

10-02-15るうてる福音版2010年2月号

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心の窓を全開せよ!

あなたがた自身、互いに愛し合うように、神から教えられているからです
日本聖書協会『聖書 新共同訳』第一テサロニケ4章9節

今年も、もう1ヶ月が過ぎました。
1年の暦の上で最も静かにゆっくりと時間が過ぎていくのは、いま迎えたばかりの2月のように私には思えてなりません。空気は冷たいけれど、どこか地の奥深くから春の振動が感じられ……、まだ冬の真最中だけれども、生活の中に春の色が見え始めている……。

私が今のアパートに移り住んでから二度目の春を迎えようとしています。西角部屋で、南側には農家の大家さんの畑が広がっていて、寒い寒いと言いつつも、畑には次々と新しい命が芽吹いています。
そんなある日の夜のことです。仕事から帰って来たら、南側の2枚の窓ガラスそれぞれにひびが入っていたのです。「風で石でも飛んできたのかしら……」「それとも、アパート周辺に集まるカラスのいたずら?」。そのときの私には、そのひびが大して気になることでもなく、むしろその原因を探る方が面白楽しく、すぐに何することもありませんでした。ところが、しばらく経ってそのことを大家さんに伝えると「ひびは気圧のせいかも知れない。だけど、地震でも起きたら危険だから、すぐ取り替えるように」とのことで、次の日、硝子屋に来てもらいました。
暖房を入れている寒さですから、当然私の部屋で1枚ずつ硝子を交換するのかと思っていたら、窓枠ごと2枚を店に持ち帰って交換してくるとのこと!! その間、硝子戸があった場所がすっぽりと外に向けて四角く抜けた状態になってしまいました。どんなにか自分が悲惨な状況にさらされるのかと思っていたら……「あぁ~、何て素晴らしい眺め! 何て気持ちの良い眺め!」 外の畑の風景が、まるで1枚の絵画の様に、はっきりとくっきりと私の部屋に広がっているのです。それも、何にも邪魔されないで。

普段、窓を開けていると言っても左右どちらかに硝子戸を重ねている分、風景は半分邪魔されていたのです。「私は、今まで一体何を見ていたのか」「私には、本当に外の風景が見えていたのか」そう思った瞬間、「私は自分を取り巻く人たちのことを、今まで本当に見て来ていたのか」「彼等を正しく見ていたのか」と、急に胸が締め付けられたのでした。

そのとき、私に届いた言葉は『心の窓を全開せよ!』。
これによって、初めて相手を正しく見て理解し、相手と本当に出会うことができることを教えられたのでした。                (JUN)

ネパールワーカー楢戸健次郎先生
ナマステ、サンチャイチャ

(日本の医療についてのお話の続きです)

Q.患者さんがやっと病院に来ても、薬がないってこともあるんですね。
そのようなことがないように、病院スタッフにアドバイスをしています。日本の場合、今は問屋でも1日分の在庫も置いてありません。0.8日分くらいです。病院によって違いはありますが、1~2日分の在庫はおきません。頼めばすぐに持って来てもらえるからです。
しかし、チョウジャリでは6か月分の在庫を用意しています。そうでないと患者が来たときに安心して提供できないからです。それでも、2~3種類、在庫を切らしてしまうことがあるのです。在庫が少なくなったら発注をかければいいのですが、何度アドバイスしても、なかなかうまくいかないのです。棚卸しを頻繁にきちんとすればいいのですが、間があいてしまったり、夜中に患者さんが来て薬を使ったのに、記録から抜けていたり、どこかへ勝手に持っていってしまったりとか、いろいろな原因があります。
もう1つ薬の問題といえば使いたい薬があっても、患者さんにお金がないので要らないといわれることがあります。そういう時はカウンセラーとよく話し合って本当にお金がないのか見極めて、無料で提供するかどうか決めたりします。そこまで話がいかなくて、会計の段階で薬はいりませんと帰ってしまう人もいます。薬があるということと、利用できることとは繋がらないのです。また、もらった薬を売ってしまう人もいるのです。
ですから、医療従事者が直接確認してその場で飲んでもらうということをします。そうすると薬を売ってしまうということはなくなります。それから、日本では薬を紙の袋に入れたりしますが、その紙すらネパールにはないのです。チョウジャリで新聞を取っているのはうちの病院だけです。
薬の飲み方を説明もするのですが、その時は分かったようなそぶりでも実際は理解してなくて、まとめて飲んでしまったり、飲まなかったり、誤った飲み方をしてしまったりします。

Q.医療保険制度などは?
試みはいろいろあります。キリスト教団体が15~20年前から地域の保険制度をスタートしています。2700万人のうちのほんの少しの試みですが1~2万人くらいが保険に入っています。それから軍隊は軍隊で保険を持っています。政府の共済というのはありますが、日本でいう、国民健康保険というようなものはありません。医療と教育にはお金がかかりますが、農家は食べていくのもやっとで、そのお金がないのです。

Q.国の方策もまだ充分ではない?
ネパールは観光資源の点では、山にしろ、文化遺産にしろ、世界に冠たるものを持っています。ですからスイスのように観光立国で充分人を世界から集めるだけのものはあるのです。しかし、インフラ整備が出来ていないのです。資本がない、技術がない、鉄道が1つもないというのもあります。トンネルも1つか2つしかなくて、迂回しなくてはいけません。それもたいへんです。ネパールは1/3が平野、1/3が山岳地帯、1/3が丘陵地帯です。平野には道路がありますが、丘陵地帯などにはまだほんのちょっとしか道路がありません。そうすると飛行機を使うのですが、国営の飛行機は国際線が2基あるうち1基が故障していて飛んでいません。国内線も6基あるうち4基が故障しています。チョウジャリに行くにも1週間に1度しか飛びません。空港まで行っても飛ばなくて「来週また来て」といわれることも時にあります。このように、観光立国となるためのインフラ整備はできてないのです。

イエスの生涯

【その8】 五千人の給食

マルコによる福音書 6章30?
【祈りの言葉】イエスさま。あなたが祝福してくださる糧によって
私たちの心と体を平安で満たしてください。

毎日あくしゅ

園庭の花壇には数本の水仙が咲き始め、ほのかな匂いを放っていますが、寒さのなかで、凛として咲いている水仙やさざんかの凛々しさに心惹かれ、私の気持ちまでピーンと引き締まります。
自然界の営みは少しずつ春の気配を感じるようになってきてはいますが、ある冷たい日の朝、園庭を見ると昨日の雨であちらこちらにできていた水たまりにうっすらと氷が張っていることに気付きました。
もうすぐ登園して来る子どもたちが、水たまりが凍っていることに気付いてどうするかな? と、ワクワクしながら、登園して来る子どもたちを迎えるために門に立って待っていました。すると、いつもより早めに登園して来た年長児が、「アーッ!! 凍ってる」と叫びながら水たまりの方に走って行きました。
私は、もしかするとその氷を踏みつぶすのかな? と思ったのですが、その子はしゃがみ込んで指や手のひらでソ―ッ!! と氷をなでた後、その凍っている水たまりを大股でまたぎ、またしゃがみ込んで氷をなでては、またぐことを繰り返したのです。何を感じているのかな? どう思っているのかな? 何を発見したのかな? きっと氷が透き通っていたり、白っぽく見えることで氷の厚さの違いなどにも気付いたことでしょう。そのあとほかの園児が登園して来ると、大事そうに氷を見せたり、踏みつぶしたり投げて割る子どもたちもいて大騒ぎとなりました。
子どもたちが自然の営みの変化に目を向け、心を動かし、科学する姿は真剣そのもので、食い入るような眼差しや見つめる時の姿に心打たれます。
私たち大人も子どもたちの心の動きに寄り添い、感動や感激を共有できる存在でいたいなぁと思います。
(園長)

10-02-15るうてる2010年2月号

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幼児教育と伝道―「小城幼稚園」運営100年のこと

佐賀県小城市にある小城幼稚園が百周年を迎え、その記念礼拝と祝賀会が2009年11月14日現地にて行われました。百数十名の方々が集い、共に礼拝し、祝いのひとときを過ごしました。以下は、小城幼稚園の理事長である箱田清美牧師に小城幼稚園「百年」の意味を語っていただきました。

小城幼稚園が創立100周年を迎えました。100年記念は、ただ時が100年経ったということではなく、小城教会という、地方の人的にも財政的にも小さな規模の教会の、幼児教育を通しての「神の国」の伝達という大きな仕事が、100歳を迎えることができたのだということを喜び合おうという理念で、6年かけて準備してきたことでした。
まず総二階の園舎を新築(卒園生から約1100万円の寄付)、さらに礼拝堂改修(1000万円の補助を行政から)、そして歴史を振り返る『記念誌』発行、最後に祝賀会。昨年11月14日の祝賀会は、卒園生と地域行政の関係者、経済人そして現幼稚園関係者が一堂に会して、一同喜びに包まれました。小さな教会が、幼稚園を通じて100年間で4763名のこども達に対して、継続してきた事業が、実を結んだと確信できた瞬間でした。
歴史を辿りますと、100年の歴史は平坦ではありませんでした。戦中の混乱期や法人化などの組織変更はいわば外からの圧でありますが、ルーテル教会の伝統的教会論の中では、幼稚園という幼児教育部門は、ルーテル教会の伝道方策の主流から外され傍流にされてしまいました。1920年(大正9)に「婦人事業部」の働きに移されて以来と言われます。これは内からの圧で、これも100年の歴史の中で教えられたことでした。
幼稚園の保育は、ことの性質上、女性の献身的な働きに負ってきました。保育は、これからも同様でしょうが、ルーテル教会の今日の社会での働き、奉仕のあり方を考えるとき、女性達のこの働きはもっと方策の中に反映されなければならないのではと思わされたことでした。「こども達を通して、神の言葉がまず母親に伝えられる。家庭で病人が出るなどの問題が起こったら、幼稚園教諭が慰めの言葉を携えて家庭を訪問する。こどもの頭に手を置けば母親の心に伝わる」(清重氏のお祝辞より)。その通りです。これが地方の片田舎の教会の100年の伝道のあり方でした。
小城教会 箱田清美

「按手式に向けて」

去る1月6、7日に教師試験、任用試験を無事に終えました。試験では、これから牧師として働いていくにあたっての自身の召命を問われました。
二つの試験はそれぞれ、委員である牧師先生や信徒の方々から、厳しいながらも温かい言葉をいただき、将来に向けての建設的な時間であったように思います。
牧師・宣教師になりたいという思いを持ってから16年、また学校で聖書と神学を11年学び、いろいろなことがありましたが、多くの人と出会い、また彼らを通して神様と出会い、今の自分があるということを改めて感じます。福音の喜びを、一人でも多くの人と分かち合いたいです。

高村敏浩(スオミ教会)

風の道具箱

友待つ雪竹の節二月の寺はただ寒き    大井雅人
雪の中でしょうか、ただ竹の節だけがしっかり見える情景に、信仰の場が凛として存在している。この「凛と存在している」ことが「ただ寒き」と表現されています。この時期、雪の思い出にはこの「凛」としたものがあります。
大学生の時、突然の事故で父が天に召されました。とても寒い日でした。事故現場に立ち、「どうして」と涙が流れました。すると雪が降ってきたのです。夜空を見あげると、次から次と雪が降ってきます。きっと神様はこれ以上涙が流れないようにと、空を見上げさせてくださったのです。
暗い空からどんどん舞い降りてくる雪の中を、天に向かって父が召されていく情景がうかびました。神様のもとに招かれたのだから、嘆きも悲しみもすべて委ねればいいのだと。
雪は空から降ってきます。人は神様の国へ旅立っていきます。雪は「あなたのことを神様と共に待っているよ」と、未来への招待状のように届けられます。
友待つ雪は、天に召された方々からの祝福の手紙のようです。
(柿のたね)

Information 春の全国ティーンズキャンプ参加者募集!

■ 日程:2010年3月29日(月)~31日(水)
■会場:高尾の森わくわくビレッジ(東京都八王子))
■テーマ:1982ページのラブレター
■申込締切:2010年2月14日
【申込先】 e-mail TNG_apply@jelc.or.jp FAX 0422-33-1122(三鷹教会・李牧師)

牧師の声 私の愛唱聖句

日本ルーテル神学校准教授
ティモシー マッケンジー

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから。
詩編121・1?2

自分の信仰の歩みについて考える時に、自分を導いて下さった多くの家族、友達、年輩の方々の姿を思い出します。 信仰の歩みは抽象的なものではなく、具体的に身体の歩みです。この多くの人々は神様を人生の中心としています。困っている時だけではなく、感謝している時にも絶えず神様の導きを求めています。詩編121はこのような信頼を具体的に現しています。 全ての助けは主のもとにあるという意味です。信頼は努力と違います。信頼は神様に対して救いと恵みの力を期待するということです。心を開いて主の善き知らせを期待することです。
神様が私をここまで導いてくださったことをもう少し具体的に説明すると、このような助けと導きはいつも受肉された姿で現れてくると思います。というのは、神様は人間であったイエスを通して働かれたように、神様はまだ今でも人間の手と足を通して働かれています。
この聖句について考えると自分の98才の祖母のことを思い出します。この聖句は祖母の大切な聖句で、祖母の人生の全てはこの聖句に書かれているような信頼と期待を現しています。98年間の歩みは相当長いもので、多くの悲しみと多くの喜びの歩みであったと思います。
しかし、祖母は信仰の歩みを送りながら、どんなことがあっても、主の導きを絶えず求めて来ました。「わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから」というのは私のいのちは主に造られたもので、全ての助けと守りも創造主より来るということです。
ところで、別所梅之助の「山べにむかいて」という讃美歌はこの聖句を歌っていて、たいへん好きです。私の人生は98才まで続くか分かりませんが、分かっているのは主による助けと私の信仰の歩みはいのちがある限り続くものだということです。自分と一緒に歩んでいる多くの信仰者の方々の姿の中にキリストが宿られていることを感謝しています。
彼らを通して助けは毎日やって来るのです。これはこの聖句が証ししている創造主が毎日、絶えず用意してくださる恵みです。

信徒の声 教会の宝石を捜して

九州教区 久留米教会 室園 悌二郎

キリスト教との出会いは?

終戦後、私はラジオ組立てのアルバイトをしていました。工程の最中はノイズ音ばかりでしたが、ある時ノイズ音が途切れ、「ルーテルアワー」の放送が聞こえたのです。それから私は妻と二人で宣教師の声に耳を傾け始めました。宣教師は放送中、「疲れたもの、重荷を負うものは誰でも私のもとに来なさい、休ませてあげよう(マタイ11章28節)」のみ言葉を紹介しましたが、そのみ言葉に、今までの自分の生き方や労苦を照らし合わせ、神さまを知りたいと思いました。宣教師が「神さまはあなたを待っています」と語りましたので、手紙を出し、「ルーテルアワー」の通信教育を始めました。卒業後、記念に頂いた聖書はボロボロになるまで読みました。また当時の自宅の近くの「日本キリスト教団 羽犬塚教会」を紹介され、通い始め、そこで親子で洗礼を受けました。後、久留米に自宅を購入し、念願のルーテル教会に転籍し、今日に至ります。

教会での日常を教えてください。

久留米教会に転入したての頃、あるご婦人の「自分は教会のため何も出来ないけれど、せめて玄関のスリッパだけは毎週揃えて皆さんを迎えよう」との言葉と、その信仰の姿勢に感銘を受けました。30年近くも前ですが、その日からずっと、自分も教会敷地と近隣の掃除をしています。また、勤務先が電力会社でしたから、電気や音響関係の奉仕も与えられています。神さまの愛を頂いた喜びは自分にしか分からないけれど、その喜んでいる姿を、掃除や電気、音響の働きを通して、皆さんと分かち合いたいと思っていましたし、今でも思っています。また、教会付属日善幼稚園でも、同様の働きが与えられています。「ルーテルアワー」で出会ったマタイ11章の聖句のおかげで、人生が続いています。
教会敷地には今、15m超の杉があります。毎年登って、剪定後に大きなツリーを作っています。電力会社に勤めていた自分の経験が、ここでも用いられています。30年前は小さな木でしたが、今は大きな木です。でも、教会の皆さんや幼稚園の先生方の協力によって、去年も釣鐘型のツリーを形造ることが出来ました。昔も今も、ツリーのイルミネーションを一本一本手作りし、点検しながら作業しています。神さまの愛の深さに喜びが溢れて来て、妻と二人で「信仰を持って良かったね」と感謝の心をもって楽しみながらやってきました。ツリーの光が、神さまの愛として広く人々の心に届くように、と祈りながら。

最後に、お年をお聞かせください。

今年81歳になります。

どうもありがとうございました。

高齢者伝道シリーズ

『一人一灯』

社会福祉法人デンマーク牧場福祉会
特別養護老人ホーム・ディアコニア チャプレン
新霊山教会 牧師 白川道生

 「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
(新約聖書:マタイによる福音書5章16節)

年末にラジオである有名な医師が一人のご老人に諌められた体験談を話しておられました。それは、ご自分のお住まいがある地区で、「地区長さんが当番で回ってきたから宜しく」と告げられた時のやりとりでした。医師は「私は世界中を飛び回っていて、留守も多いし、忙しいんですよ」と断りの意思を述べたそうです。するとご老人は、有名な医師に向かっても臆することなく、「先生が忙しく飛び回っているのは知っています。しかし、足元のことをしないのは無作法ではありませんか?」と諌めたそうです。先生、なるほどと納得。ただちに思い直して、お引き受けになられたそうです。
「無作法ではありませんか」の一言に、人生を達観した深み、重みが感じられます。端的に、生き方の本質を説くその言葉は、老いし日々の中にある平素の生き様から出ているだろうことは明らかです。ひいては年月の積み重ねを思いつつ、人間に時の営みを定める創造主をあがめる気持ちを引き起こさせました。
立派とは、世間で言う広く大きく何かへの貢献だと思い違いをせず、ごく小さく、足元のことを丁寧に生きようとする作法のこと。なるほど「心込めて今を生きよう」と心がける人は輝きを放ち、「老いてもなお、一人一灯」なりと、老人ホームの日々からもしみじみと感じています。見事に創造主をあがめるお姿を拝見する度に、「ご立派ですね」と、ただただ頭が下がるばかりです。

いのち、はぐくむ

中井弘和

第11回「分け合う」

イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。すべての人が食べて満腹した。
(ルカ9章16?17節)

洗礼を受けて四半世紀が過ぎました。当初は、聖書の奇跡物語は教えを説くための寓話だと思っていました。しかし、教会生活や様々な人生経験を重ねるうちに、いつしかイエスの奇跡は、すべて事実として受け容れられるようになりました。冒頭の4つの福音書に登場する奇跡の話も実際に生じたこととして、それが伝えるメッセージは「食べ物はいのちであり、いのちは分け合うことによって輝きを増す」ことだとある日気づかされました。自然農法の研究を通して、人の食糧となる稲もまた、固有のいのちを有する「生きもの」であると実感させられた時、この奇跡の風景が思い浮かんできたのです。
農薬や化学肥料を使用しない自然農法では、稲の玄米収量は平均2割の減少となります。しかし、その米は、美味しい、栄養価が高い、貯蔵性が高いなど減収を十分に補う長所があります。また、自然農法稲は、冷害、旱害、風害や病虫害など種々の環境ストレスに強い、すなわち生命力が強いことはすでにいろいろな場面で実証されています。食べ物の価値は、計測可能な量によってではなく、むしろいのちの大きさあるいは生命力によってこそ評価されるべきであろうと思うわけです。
かつて、世界の最貧国といわれたバングラデシュに滞在した間、寄り添ってくる貧しい子どもたちに食べ物を与えると、彼らはわざわざ友達を呼んできて分け合って食べる光景に幾度となく接したものでした。それは、確かに愛の行為にほかなりませんが、彼らはわずかなものでも分け合うことによって自らのいのちが元気になるのを潜在的に知っていたのかもしれないと、今は考えています。ナチスドイツの強制収容所で、病人や弱っている人々に、自らに配られたわずかな食べ物を分け与えたような人達が強く生き抜くことができた、という話はよく知られていることです(『夜と霧』、ヴィクトール・フランクル、みすず書房)。
現在、地球上の飢餓とその対極にある栄養過多の人口はそれぞれ10億人ともいわれます。この事実は、分け合わないことによって生ずる人間の悲しい姿を浮き彫りにしているのではないでしょうか。イエスがたった5個のパンと2匹の魚を用い5000人もの糧とした奇跡は、現代の人類全体に向かって、分け合うことの大切さを強く語りかけています。そして、それは人類の未来に向う確かな道筋と大きな希望を示すものでもありましょう。

東教区宣教ビジョンセンター報告

所長   立山忠浩(東京池袋教会)
東教区宣教ビジョンセンターは、昨年秋、「日本文学とキリスト教」と題して講演会を開催しました。それまで神学書の読書会を一年間ほど継続してきましたので、少し趣向を変え、信徒の方々にも興味を引き、参加しやすい企画を行うことにしました。キリスト者ではないけれども、しかしキリスト教と接点を持ち、あるいは聖書に深い洞察を持つと思われる作家たちに挑戦しました。教会の外からキリスト教や聖書を見つめている巨匠たちです。どっぷり教会に浸かっている者にとっては、むしろ新鮮な学びができるのではないかと考えたからです。芥川龍之介(講師は蒲田教会の三森至樹さん)、夏目漱石(立山忠浩)、大江健三郎(小副川幸孝牧師)です。
いずれの会にも30名ほどの参加者がありました。敢えてその道の専門家を呼ばず(いや、呼べなかったのですが)、身内の講師を立てたことが却って活発な意見や質問を産むことになりました。来年は「日本」の枠を外し、「キリスト教と文学」というシリーズを予定しています。3つの講演は『教会と宣教』(第15号)に掲載されています。全国の教会に一冊ずつ配布されていますので、お読みいただければ幸いです。

関門の丘から

■松隈 勁……(梅光女学院教諭、下関教会会員)

恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。
(イザヤ書 41章 10節)

2月。関門の空と海は山陰独特の重苦しい鉛色。時折小雪が舞う陰鬱な日々が続く。その海を見下ろして、受験生の1人が「わたしの心の中の情景みたいで悲しい」と涙を落としていた。センター試験後の2月下旬。個別の学力検査までの1ヶ月あまりは受験生にとって不安に胸が押しつぶされそうな日々である。その生徒に「鉛色の海も薄日が射すと銀色に輝くよ。希望を持って神様の光を仰ぎなさい。きっとあなたにふさわしい道が与えられるよ」と担任の先生が声をかけておられたのを思い出す。
年明けから生徒たちが受験に向けて各地に旅立っていく。前日の終礼時、教壇の前に受験生を呼びクラスの皆と共に祈りに心を合わせ、祝祷を与えて送り出していく。後で、「先生の祈りのおかげで安心して受験できた」と生徒たちが話してくれた。受験という過程を経て生徒たちは不安や恐れを乗り越え明らかに成長していく。

中学3年生は定期考査が終わった翌日、卒業生を迎えキャリアガイダンスの特別プログラムがもたれる。社会で活躍している先輩たちからの話を聞き、将来の自分の進路について考えるときである。教師にとっても教え子たちが元気に学校に戻ってくる嬉しいときである。その中の1人から「私が今、幼稚園の教師として立っているのは中学1年の時先生と一緒に、クラスでかたつむりを飼ったことが原点になっていると思う」という便りをいただいた。科学部で活動していた生徒も夢を紡ぎながら研究者への道を歩み続けている。多くの卒業生が各地の病院で看護師として働いている。

先日、日頃の不養生から入院することになったが、そこでも教え子の看護師が心配そうに声をかけてくれた。小走りに遠ざかっていく白衣の後ろ姿が輝いていた。命と向き合う医療の現場でミッションスクールで培った愛と奉仕の精神を体現している卒業生の姿に教師として在ることの誇りすら覚えた。

2月は記憶と現実の生徒たちの上に神様の恵みと慈しみを祈る時である。
しのびて春を待て。
雪はとけて花は咲かん。 あらしにもやみにも  ただまかせよ、
汝が身を。

第二世紀の神学校へ

日本ルーテル神学校長 江藤直純

創立百周年の一連の記念行事をすべて終えた12月10日、学校法人ルーテル学院理事会は、ルーテル学院大学学長に市川一宏教授を、日本ルーテル神学校校長に私を3度選任しました。任期は4年間です。お祝いムードに浸っていることなどできない厳しい状況の中で、この任命に身の引き締まる思いです。ひたすら神さまのお導きと設立母体のルーテル教会の皆々様のご加祷とお支えとを祈るのみです。
神学校は、教会から託された牧師志願者を4年かけて信仰と神学、霊性と伝道牧会者としての専門性とを磨き、教会に送り返すという使命を果たすために建てられています。教会は限られた財力の中で最大限の支援をし、神学生寮も一新してくださいました。
私たちは宣教の現場で生涯全力で奉仕しうるように、また人々の魂の声を聴き取れるように、語る福音が聴く人の心の底にまで届くように、神学生を育てます。
生き辛い社会です。宣教と奉仕の課題は山積しています。教会も多くの困難を抱えています。しかし神が与えてくださる信仰と希望と愛の灯を掲げ、国内外誰のもとにも赴く伝道者を送り出します。神学教師自身いっそう研鑽に励みます。どうか献身者が与えられますようにと切に祈ります。信徒の奉仕者養成にも貢献できるように努めます。
神学校と一体のルーテル学院大学も、キリスト教学・社会福祉学・臨床心理学の三学科と評判の高い大学院とを擁し、独自のミッションを掲げて奮闘しています。日本の大学全体を覆っている冬の厳しさを突破していけるように、市川学長を中心に教職員一体となって本学ならではの教育を目指して努力しています。こちらにも熱い支援をお願いします。

第2回教会推薦理事研修会

「るうてる法人会」の働きの重要な一環として、昨年に引き続き開催された「第2回教会推薦理事研修会」が新春の1月11日(月・祭)午前11時から夕方にかけて、東京教会で行われた。日本福音ルーテル教会三役をはじめ、学校法人及び社会福祉法人等の教会推薦理事、それに幼保連の園長・牧師も含め、約40名が出席した。
日本ルーテル神学校名誉教授・徳善義和氏より、「ルターの信仰と学校・社会福祉法人、幼保の使命」、副題「神の霊的支配とこの世的支配の間」と題しての基調講演が行われ、ことにルター神学における包括的な宣教理解を踏まえつつ、今日の教育・福祉の現場においての「神の働きの共同性」の重要性が指摘された。
午後のセッションでは二つの事例研究発表が行われた。大阪のるうてるホーム理事長・滝田浩之牧師による「るうてるホームにおける危機管理問題」。熊本の九州ルーテル学院理事長・坂根信義氏と事務局長・古屋四郎氏の二人により「学院の教育」、「理事構成・学院の経営状況の推移」。
最後の全体会では各グループ討議の報告と共に、「教会推薦理事のあり方」についての基本方針について学びを深めていくことの必要性が確認された。なお、来年度の「教会推薦理事研修会」のプログラムに関しては三法人の代表者会議にて協議、作成していくこととなった。
(副議長 青田勇)

全国高校サッカー選手権大会

ルーテル学院高校 ベスト8に!

年末年始恒例の全国高校サッカー選手権大会が首都圏で開催されました。熊本県代表として二度目の出場を果たしたルーテル学院高校は12月30日、国立競技場での開会式直後の開幕戦に登場、みごとに勝利しました。その後も勝ち続けベスト8入りを果たしました。
教会関係者も試合場に足を運び、応援してくださいました。ありがとうございました。
(広報室長 徳野昌博)

中米ハイチで大地震 緊急支援募金のお願い

先月、1月12日夕刻、中米のハイチで、首都ポルドープランス近くを震源とする大規模な地震が発生し、甚大な被害、多数の犠牲者が出ています。日本福音ルーテル教会はLWF(ルーテル世界連盟)の呼びかけに呼応して、緊急支援募金を行います。「連帯献金」を通して、ご協力くださるようお願いします。「連帯献金」には指定目的として「ハイチ大地震緊急支援」と明記してください。

[送金先]
郵便振替番号: 00190-7-71734
名義: (宗)日本福音ルーテル教会

2009年度 連帯献金報告

今日の社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害緊急の支援活動として、日本福音ルーテル教会がお願いしている「連帯献金」のために、2009年度は各個教会・団体及び教会員・教会関係者の方々から718万1544円が捧げられましたことを心より感謝いたします。2010年度も、引き続き「連帯献金」への支援と協力をよろしくお願いいたします。
宣教室

ブラジル伝道(58件)          136万6628円
メコンミッション(カンボジア・タイ)(10件)   14万5200円
パレスチナ支援(8件)           10万9984円
災害緊急支援(68件)    137万6120円
喜望の家(6件)           277万8000円
世界宣教(無指定献金・35件)  140万3612円
その他・日米協力伝道(1件)         2000円

献金者 教会・団体・個人芳名
■ブラジル伝道(58件)
【教会】大岡山、なごや希望、八王子、知多、稔台、長野、豊中、田園調布、津田沼、本郷、健軍、下関、京都、恵み野、天王寺、東教区、大森、札幌、帯広、保谷、室園、札幌、賀茂川、市ヶ谷、武蔵野、宇部、日田、日吉
【団体・婦人会・女性会】田園調布教会幼稚園婦人会、九州教区女性会、東教区女性会、保谷教会婦人会、田園調布幼稚園、本郷学生センター、唐津ルーテル子ども会
【個人】北村正直、乙守望、花城裕一朗、立野泰博、岡田薫、金海秀夫、青田勇、古川文江、新城歌子、江澤妙子、鈴木やす、小泉潤、南里昌子、小山 茂
■日米協力伝道(1件)  長野教会
■メコン(カンボジア・タイ)(10件)知多教会、長野教会、乙守望、江澤妙子、都南教会、市ヶ谷教会、日吉教会、国府台保育園、南里昌子、小山 茂
■パレスチナ支援( 8件)長野教会、大分教会、都南教会、日吉教会、国府台保育園、南里昌子、小山 茂、乙守望
■災害緊急支援(68件)
【教会】神水、スオミ、天王寺、名古屋めぐみ、津田沼、小田原、阿久根、湯河原、諏訪、鹿児島、長野、日田、甲府、保谷、小倉、別府、大岡山、広島、帯広、大牟田、三鷹、板橋、京都、東京池袋、日吉、荒尾、栄光、大分、松江、三原、高蔵寺、東京、刈谷、市ヶ谷、岡崎、健軍、甘木、函館、岡山、松橋、大江、雪ケ谷、箱崎、千葉、神戸東、下関、恵み野、小石川、高蔵寺、札幌、豊中
【団体・婦人会・女性会】大垣教会学校、奈多愛育園、高蔵寺教会学校、近畿福音ルーテル教会、大垣教会婦人会、小石川教会婦人会、日本福音ルーテル社団
【個人】関本憲宏、石原登志子、南里昌子
■喜望の家(6件) 日田教会、ドイツ・ブランシュバイク教会、都南教会、シオン教会益田礼拝所、箱崎教会、南里昌子
■世界宣教(無指定・35件)
日吉教会、大森教会、蒲田教会、広島教会、箱崎教会、東京教会、東京池袋教会、大江教会、刈谷教会、甘木教会、長野教会、松本教会、三鷹教会、西条教会、聖ペテロ教会、別府教会、恵み野教会、小岩教会、市ヶ谷教会、帯広教会、雪ケ谷教会、函館教会、栄光教会、めばえ幼稚園、日本福音ルーテル社団、フィンランド聖歌隊、中島俊美、カニングハム、蝶間林裕美、村井英樹、松本道子、北岡佐起子、小山 茂

配分・送金
世界宣教(無指定)及び災害緊急支援の献金の再配分も行い、2010年1月に以下の(A)の通り関係機関に送金を終了しました。なお、2008年度災害緊急支援は以下の(B)の通りに2009年度に関係機関に送金しました。

(A)
ブラジル伝道特別会計       225万6243円
メコンミッション(カンボジア・タイ) 27万7920円
フィリピン豪雨災害         73万6494円
スマトラ沖地震災害          69万6150円
喜望の家              277万6000円
——————————————————————————-
(B)
中国四川省地震   117万6832円
岩手・宮城地震    36万7160円
ミャンマーサイクロン・地震 107万8990円

10-01-15るうてる福音版2010年1月号

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春、ただいま準備中!

荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ/砂漠よ、喜び、花を咲かせよ/野ばらの花を一面に咲かせよ/花を咲かせ/大いに喜んで、声を上げよ。/砂漠はレバノンの栄光を与えられ/カルメルとシャロンの輝きに飾られる。/人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』イザヤ書35章1~2節

俳句の季語に、「日脚伸ぶ」という言葉があります。冬至を過ぎた頃から少しずつ日が長くなる、それをふと実感できる頃のことを、このように呼ぶのだそうです。
雪の多い北国に住み始めてから、この冬から春にかけての「日脚」の伸びを、本州に住んでいた頃と比べて、より深く感じられるようになりました。
たとえば、元旦の空の明るい日差し。本州に住んでいた幼いころから、元旦の空の色はなんだかいつもと違っているように感じていました。年が改まって、気持ちも新しくなったせいかな、とも思っていましたが、やはりそれだけではなく、明らかに冬至の頃と比べて光の量そのものが変わっているのだということが、北国にいると実感としてわかります。
たとえば、雪かき。雪が積もった早朝、玄関の前の雪を大きなスコップでかいて道を作ります。どんなにスコップで地面をがりがり削ったとしても、日が短い時期はどうしても道の表面に白い氷の層が残ります(これがまた、滑って危ないのです)。けれども、2月を過ぎたあたりから次第に、その残った氷もすぐに溶けてしまうようになり、ついには雪かきをしてもその氷の層は残らなくなる。長くなってきた太陽の光が大地に蓄えられて、日ごとに路温が高まっていくからでしょう。
雪はうず高く積もっているし、気温だってまだまだ氷点下です。肌を刺すような風の厳しさも、変わらないように思えます。しかし私たちが気付かないところで、私たちをとりまく天地は、春に向かって確かに歩みを始めている。終わりが見えないように思える厳しい寒さの中で、それでも見えない地面の下では、春の準備が確かに進められている。寒さが最も厳しいとされる大寒の頃、それでも日ごとに伸びる日脚に「そうか、今は春の準備中か。だったらもう少しだけ、がんばってみてもいいかな」と慰められ、励まされます。
いのちの冬だと思えるような、厳しい現実に置かれるときがあります。すべてが雪に閉ざされてしまったように思えて、出口が見えなくなってしまうときがあります。それでも私たちを支える大地に、確かに春はすでに来ている。私たちがあずかり知らないところで、ひっそり、けれども確実に、春の歩みは進められている。ほら、あなたが気付かないうちに、あなたの足元で、いのちの春はもうすでに、準備を始めてくれていますよ。
Aki

イエスの生涯

【その7】嵐を静めるイエス

マタイによる福音書 14章22~33節
【祈りの言葉】
主イエスよ
この世の嵐に翻弄される時、
あなたの偉大な力とみ言葉によって
私たちの心を静め、
信仰へと導いてください。

ネパールワーカー楢戸健次郎先生
ナマステ、サンチャイチャ

(日本の医療についてのお話の続きです)
Q. 日本の制度は整っていると思っていましたが?
日本の医学は医療の分野では、まだまだです。それは国民一人ひとりが声をあげていないからです。どういう医者を作ってほしいかというニーズを政府に伝え、動かしていないからです。
今の制度は、少し語弊があるかも知れませんが、医者のための制度みたいなものなのです。国民のための制度になっていないのです。
よく講演会でも話すのですが、一人ひとりがどういう医療制度を作って欲しいか、どんな医者を自分達の身の周りに欲しいか、どういう生き方、死に方をしたいか……ということをちゃんと意思表示していかないとシステムは変わっていきません。
Q. それは、日本の国民性みたいなものもあるのでしょうか。
国民性だと思います。極端な言い方をしますと、今の日本の医療制度を変えていくには、大学の医局制を変えなければいけないと思います。
日本は1講座1教授制というドイツの制度を採っていますので、臨床と研究と教育の3つを教授は期待されています。しかし一人3役は到底出来ません。ですからアメリカでは、臨床教授、研究教授、教育教授と分けて入れています。教育教授は医学知識をいかにわかりやすく医学生に教えるかってことを一生懸命します。研究に勤しんでいる教授、臨床において腕のいい教授がいます。そのように、いわゆる適材適所なのです。日本では研究で評価されないと教授になれないのです。臨床で優れていても、どんなに学生に評判が良くても、教授になれない人もいるわけです。そうなると教授制(選?)にも問題があることが分かってきます。「もっと根本的に変えていかないと」となると、医学部の入試制度から変えていかないといけないわけです。
日本の場合は大学に入るのにセンター試験の結果が評価されたりしますが、アメリカではそういうことはしません。「この人を医者にしたい!」という人を大学に入れていきます。それは中学高校から町の人たちが見ていて、この人をなんとか自分達の医者にしよう! というときにバックアップしていくのです。
そういうところから変えていかないといけないのです。そうすると社会そのものを変えていかないと、なかなか医学の教育1つ取っても良くならないわけです。
Q. ネパールの話に戻りますが、全てが開発途上かもしれませんが、薬などはどうなっていますか?
8割はインド製、残りはネパール製です。ただ、薬は作っているのですが、発注しても遅い場合は届くまでに3ヶ月以上かかります。
それは、まず輸送の問題。道路がないので、途中からロバの背中に乗せて運んだりしています。それから問屋の問題。在庫管理ができていないので、いつも商品があるとは限らず、それを探したり、製薬会社に行ったりインドへ行って買ったりして用意しなければならないのです。
薬があっても「使える」には繋がらないのです。
(つづく)

毎日あくしゅ

子どもたちは新しい年を迎えてそれぞれの家庭でお正月を過ごし、いよいよ3学期が始まります。暖冬と言われてはいても、やはり寒い時期です。朝、子どもなりに”寒い”とか”冷たい”という理由で、目が覚めてもなかなか温かいお布団から抜け出せないで、ぐずぐずしがちです。それでも、いざ起き出して朝食をすませると、「幼稚園に行こう」と気持ちを切り替え、身支度を始めます。
玄関を出ると、もう「今日は何をして遊ぼうかなぁ?」と遊ぶことを考えます。いざ幼稚園に着くと足どりも軽やかに保育室へと駆け込んで来ます。
寒い時期の子どもたちの遊びは、サッカーやドッジボールや縄跳びなどがさかんです。毎年1月の下旬に「縄跳び大会」をしていますが、ある年の大会までの日々は、保育者や数名の保護者をはじめ、納品に来た保育業者の方までが子どもたちと一緒になって二重跳びに挑戦する光景がありました。
子どもたちは大いに刺激を受け、競争心をあらわにする姿が見られ活気にあふれていました。その成果でしょうか、「縄跳び大会」当日はレベルの高い結果となりました。年長組女児が「縄跳び大会」をするようになって以来の驚異の2300回を超える回数を30分間跳び続け、大記録を達成することにつながったのです。縄跳びにはあまり積極的ではなかった子どもたちもいたのですが「縄とび大会」が終わってから跳べるようになったり、後ろ跳びや二重跳び・X跳び・走り跳び・ケンケン跳びなどにも挑戦する姿が見られ、縄跳びは続いていきました。
子どもたちが見せる意欲や競争心を目の当たりにして、一人ひとりが秘めている力を再確認することができました。繰り返し取り組むことで、ますます力を蓄え、持てる力を発揮することになるような機会を日々の保育のなかで大切にしていきたいと思います。(園長)

10-01-15るうてる2010年1月号

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聖御降誕 謹賀新年 新年のあいさつ

主イエスのご降誕と大きな希望に満ちた新年を心よりお慶び申し上げます。
マザー・テレサは、「私は神の鉛筆だといったらいいでしょうか。神がお書きになることを綴っていく、小さな小さな鉛筆なのです。神は私たちという鉛筆を通して綴っていかれます。たとえ鉛筆がどんなに粗末であったとしても、神は美しく書き綴ってくださるのです」と言われます。(ホセ・ルイス・ゴンザレス-バラド編「マザー・テレサの『愛』という仕事」より)
神様は、私たち一人ひとりをかけがえのない存在として、大切に用いてくださいます。それもマザー・テレサの言葉を借りれば、「たとえ鉛筆がどんなに粗末であったとしても、神は美しく書き綴ってくださる」を心にとめて、主の平和のうちに2010年をご一緒に歩んでまいりましょう。
今年も、皆さまのうえに主の豊かなる祝福と平安に満ちた年でありますよう心よりお祈り申しております。
2010年元日  総会議長 渡邉純幸

教会一致運動 ひとつの試み

帯広教会
北海道特別教区の帯広教会では、2009年10月25日(宗教改革主日)に、帯広聖公会と「講壇交換」を実施しました。当日は同じ福音書の箇所から、みことばをいただきました。近くにある両教会。聖公会の幼稚園にお世話になっているルーテル教会の子どもたちもいます(歴代の牧師家族も含め)。
その日の礼拝出席者は、聖公会24人、ルーテル12人でした。礼拝後、インタビューしました。
Q1.礼拝を終えて
松井(聖公会司祭):それほど緊張もせず、率直に良かったなって。
加納(帯広教会牧師):違いがあるっていうのは知っていたが、その違いが見えてきたような。
Q2.講壇交換のきっかけ、実現までの準備等は?
松井:教会一致運動の働きはとても大切だと思っています。実現に向け、何回か、週報などでお互いの教会を紹介しました。礼拝をするという中で教会に司祭がいないということは今までなかったことですから、「大丈夫だよ」と説明してきました。
加納:牧師同士での打ち合わせを3、4回しました。各教会で、お互いの教会の歴史や特徴を学びました。さらに、教会一致運動の働きとはどういうものかということを学び、実現に至りました。
Q3.それぞれの教会の歴史
帯広聖公会の創立は1895年、明治28年。
ルーテル帯広教会は1977年宣教開始。
Q4.今後の予定は
松井:教会一致運動が、20世紀から盛んになってきています。イエス様の全てのものが1つとなるようにという祈りに心を合わせることが大事だと思います。
加納:聖公会でしている「克己献金」を帯広、池田、釧路の教会で始めました。今後は例えば野外礼拝などを一緒にできるのではと思います。お隣同士が仲良くしていないのは不自然でしょう。それに、わたしの場合、牧師のいる隣のルーテル教会というと特急で3時間くらいかかる恵み野まで行かなければなりません。そう考えると近くにいる牧師と教会と仲良くしていることは自然なことです。ただ、こうやって講壇交換が実現するまでに、この教会が出来て32年かかりました。ですから次の一歩も焦ることなくゆっくりいくのが大事かと思っています。
Q5.信徒さんの声を聞くと、
「一緒に礼拝ができてうれしかった」。「さほど緊張せず福音を分かち合えた」。「ゆっくり、そして確実に、主にある交わりができたらと思っている」と好評でした。

聖公会と日本福音ルーテル教会は教会対教会の対話を続けていますが、それは神学的対話にとどまらず、宣教現場における協力関係を推進していくことを目指しています。
今回の「講壇交換」は、両教会の牧師を中心に事前の準備が入念になされ実現したとの印象でした。教会一致運動の具体的な第一歩となったことを確信して、今後の両教会のさらに豊かな交わりを願いつつ、帯広をあとにしました。
(記事:広報室)

人生の前書きは神様がクリスマスは驢馬に乗って

クリスマスおめでとうございます。
あけましておめでとうございます。新年になり、新しい日記を書いています。毎年三日坊主で、3日までの日記帳が何冊もあります。ところが今年はまだ大丈夫です。日記の考え方を変え、「朝日記」を始めました。
日記は、その日を振り返りながら書くものと思っていました。ところが「朝日記」を知り、朝の祈りのあとに書いています。はじめから日記にテーマをつけて書いていく方法です。テーマには、今日の体重、体温、体脂肪、昨日の食事、感じたことを書きます。その中に本日の「やること」「課題」「祈り」を書くのです。前もって書くことで一日を意識的に過ごせ、いうならば1日の「前書き」のような日記です。
今まで「後書き」のような日記を書いてきました。反省ばかりの日記だと書くのがつらくなります。ところが「前書き」だと、昨日の反省をふまえて、今日はどう生きるかを考えるようになりました。
新しい1年、新しい1日の「前書き」はすでに神様が書いておられます。昨年を振り返り、今年はどう生きるかをみ言葉から聞きとりながら過ごしてまいります。
(柿のたね)

Information

2010年グループ・ワークキャンプ参加者募集!

■派遣期間:7月22日(木)~8月5日(木)
■内容:ミネソタ州でのホームステイと
イリノイ州でのワークキャンプ
■問合せ・申込用紙請求先
JELC-JELAボランティア派遣委員会
住所:162-0842新宿区市谷砂土原町1-1
JELC宣教室 気付
TEL:03-3260-1908/FAX:03-3260-1948
E-mail: workcamp@jelc.or.jp
■申込期限:2010年1月末日(必着)

春の全国ティーンズキャンプ参加者募集!

■日程:2010年3月29日(月)~31日(水)
■会場:高尾の森わくわくビレッジ
(東京都八王子)
■テーマ:1982ページのラブレター
■申込締切:2010年2月14日
※1月17日までの申込は参加費が割引
【申込先】
e-mail TNG_apply@jelc.or.jp
FAX 0422-33-1122(三鷹教会・李牧師)
【問合せ】小澤実紀(TNG-Teens部門)まで。
harukyan10@gmail.com

牧師の声 私の愛唱聖句

保谷教会牧師、ルーテル神学校講師 平岡 仁子
愛は死のように強く
熱情は黄泉のようにすさまじいから
愛の炎は火の炎、
ヤハウェが燃やす炎
(雅歌 8章6節b 私訳)

この8年間に、私は最も身近な4人の男性を天に送った。
2001年5月、「『つっちゃん』が死んじゃった」と、電話の向こうで声を詰まらせ叫ぶ姪の声がはるか遠い出来事のように感じられた。17歳の私をイエス・キリストの元へ連れて行ってくれた人。進行性筋ジストロフィーという病を負い生き抜いた兄・深川常雄(刈谷教会)の人生には愛が溢れていた。そして兄は妹である私を愛してくれた。
2005年12月、日曜日の明け方、布団の中にいた私は一本の電話で起された。「おじいちゃんが危ない」2ヶ月前から入院していた93歳になる父・深川四郎(刈谷教会)が危篤との知らせであった。弟を天に送り、母を看取り、今また父を看取ろうとしている姉の声は冷静だった。90歳で受洗した父はキリスト教を殆ど理解できなかった。しかし、亡くなる1ヶ月前、記憶も言葉も朦朧としてきた父は最後の力を振り絞り、それまで誰にも話せなかったことを私に告げた。女は男の所有物だと思っていた父は娘の私を愛してくれた。
2007年2月、大串恒子夫人から大串元亮先生(日本基督教団仙川教会)の緊急入院について電話を頂いた。そしてその翌日、敬愛する師は天に召された。2週間前の電話が最後となった。女性であることの祝福を知った雅歌との出会いを与えてくれた師。「自己憐憫に陥るな!」と叱咤激励する師の声は弟子への愛となり、牧師への道を支えてくださった。
2009年2月6日夕方、「平岡牧師が倒れた」と静岡の青田牧師夫人から突然、電話があった。そしてそれから12日後、平岡は召天した。数十年前、復学を諦めていた私に「じゃ、しよう」の一言で親子3人の通学を実現させた人。勉学から遠ざかった10年間のブランクの後、日本福音ルーテル教会の女性教職を目指す私を支え、共に歩んでくれた人。振り返れば29年間の結婚生活の中で彼は精一杯、私と子ども達を愛し続けてくれた。
そして今、私は思う。兄弟、親子、師弟、夫婦・家族の中に生まれた愛は、まさに神が燃やし続けてくださった最も激しい愛の炎であったことを。

信徒の声 教会の宝石を捜して

東教区 市川教会  安芸 泰子

キリスト教との出会いは?
母の父が足利の教会で教会学校の校長先生をしていました。また母も東京のミッションスクール出身でした。その母に連れられて小4年の頃、大久保の柏木教会に行きました。
洗礼をお受けになられたのはいつですか?
1949年に日本基督教団鎌倉教会で、高田彰先生より受洗しました。その後、1965年に市川教会に転入しました。
教会の中ではどのようなご奉仕をしておられますか?
幸い家が近いので、三浦先生の頃から礼拝堂の掃除を始め、体の都合で出来なくなる頃には、一週間の中の一つの励みとなり、楽しみになっていました。古財先生の頃、書記をしていました。その時に週報の発送をしましたが、書記の役割が終わっても、発送作業は私の仕事と続けています。多いときは20数人に送っていましたが、最近は10人ほどです。
バザーではクッキースを焼いてくださっていましたが、きっかけは何ですか?
バザーが始まった頃、何となく、クッキースを15袋、パウンドケーキを10本焼いて出したのが始まりです。その後、数が増えて一年のうちの大仕事でしたが、婦人会が引き継いでくださいました。
今、思っていらっしゃることはどんなことですか?
最近は水曜日の学びにも出席できなくなりましたが、歩ける限り礼拝に来たいと願っています。信仰をいただいたことが何よりの幸せです。

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)

おばあちゃんありがとう

小泉小枝
義母と同居したのは結婚16年後、義母の退職後のことであった。その10年後、私の父が倒れて両親も一緒に住むことになった。「3人のお世話で大変ですね」と言われたが「お世話をしている」意識はなく、ただ一緒に暮らしている、という気持であった。また親たちとの同居以前に身寄りのないお年寄りと一緒に生活したことが何度かあり、見方によれば嫁姑の軋轢、と思えるようなことも「年をとったら皆おんなじ」と理解することができた。また婦人会でお嫁さんの立場からも、お姑さんの立場からも色々なことを聴く機会があり、「その年になってみないと分らないことがある」と言うことも教えられた。この予行演習のおかげで、高齢者と気持ちよく暮らすこつを学んだ。
1.食べることで満足してもらえるように(数少ない楽しみであるから)。
2.頼まれた事は忙しくても素早くする(年寄りは暇があるからその事ばかり気になる)。
3.出来るだけ今迄通りに暮らす(年寄りを言い訳にしない)。
4.一人で抱え込まない(お互いの兄弟はもとより教会の人たちも今迄通り牧師館に来て助けてくださった)。
5.年を重ねて行く事は子どもが成長する過程を逆行する(今は○歳の子どもかな、と置き換えて理解する)等。
しかし、何より厳しかった事は、おしめをかえることでも、用も無いのに3分おきに呼ばれることでもない、何故こんな事位でイライラするのか、自分はもう少し優しい人間だと思っていたのに!! と、自分の弱さを見せつけられることであった。今なお懐かしい父、母たちである。

いのち、はぐくむ

中井弘和

第10回 苗半作


わたしは彼らのためにすぐれた苗床を起こす。この土地には二度と凶作が臨むことなく、彼らが諸国民に辱められることは二度とない。
(エゼキエル書34章29節)

「苗半作」という言葉を耳にすることはもうほとんどなくなりました。農業が日本の基幹産業であった時代、それはごく普通に人々の口に上る大切な用語でした。苗を上手く育てれば作物の栽培はほぼ成功したようなものだ、という意味です。農業における苗作りの重要さを表していることは言うまでもありません。いきおい種を播き育てる苗床をいかに作るかが問われていることにもなります。
かつて自然農法の研究を始めた頃、農薬や化学肥料を使う一般の農法に比べて、自然農法稲の初期生育が遅いことに驚かされました。田植え後一ヶ月ほどを経過する間、その草丈は低く、茎数も少なくて非常に貧弱にみえました。そのような稲を田から抜き取ってみてまた驚きました。見た目とは裏腹に、地下に張る根は太く長く伸びていたのです。このような形で未来に生きる確かな力が蓄えられていたのでしょう。
稲は本来環境をよく見、その変化に自在に合わせて自らを成長させていきます。大冷害のさなか、凛として実っていた自然農法稲の姿はそのことをよく物語っています(本紙4月号参照)。
ゆっくりと成長する自然農法の稲の姿からは、子育てにかかわる貴重な示唆が与えられると思っています。私たちは子どもたちの外面的な姿にとらわれて、その心の根を見ることがなかなかできません。成長を忍耐強く見守ることをせず、あれこれとうるさく管理しようとしがちです。
自然農法は何もしない農法と揶揄されることもありますが、決してそうではありません。その基本は作物をよく見て育てることです。いのちは、見られることによって輝く。自然農法の研究を通して学んだことのひとつです。
今、ドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』がよく読まれていて話題となっています。そのエピローグで、主人公、天使の心を持った三人兄弟の末っ子、アリョーシャがこんなメッセージを発します。「親とともにある子どもの時に、すばらしい思い出がいっぱい与えられれば、その子の一生は幸せになる」。
農業における苗床の重要さは、そのまま人間にも通じる話ではないでしょうか。

讃美歌委員会の現状と将来に向けて

讃美歌委員長 日笠山吉之
私たちルーテル教会の礼拝と信仰生活に欠かせない『教会讃美歌』は、今年36歳の誕生日を迎えます。11年前、版権の問題から小改訂が行われたものの、今なお立派な現役です。歌えば歌うほど心に刻み込まれていく歌、信仰を強め励ましてくれる歌を皆さんも『教会讃美歌』の中にたくさんお持ちでしょう。その一方で、まだ歌ったことのない歌もたくさんあるのでは?
宗教改革の伝統に立つ教会としてコラールを多数採用し、教会暦を踏まえたこの『教会讃美歌』は、ルーテル教会内で愛用されてきただけでなく、他教団・他教派の讃美歌集にも影響を与えてきました。近年、日本基督教団出版局から発行された『讃美歌21』もその一例です。その意味でも、『教会讃美歌』はわが国における福音宣教の為に多大な貢献をしているのです。
このたび当委員会では、この『教会讃美歌』の良き伝統を継承しつつ、21世紀にふさわしい新しい歌を見いだし、産み出していくために、『教会讃美歌』の増補版の刊行を計画しました。具体的には、2017年(宗教改革500周年)の刊行を目指して、ルーテル4教派から派遣された委員がチームを組み、歩み始めたところです。今後、このプロジェクトのために皆様に様々なお願いや創作讃美歌の公募等を行っていく予定です。「新しい歌を主に向かって歌え」の御言葉に促され、ご一緒に私たちルーテル教会の新しい讃美の歌を産み出していきましょう!

関門の丘から  松隈 勁

主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
主が御顔を向けてあなたを照らし/あなたに恵みを与えられるように。
(民数記6章24~25節)

1月。新春、正月があけると1月16、17日にセンター試験が実施される。受験生やその保護者の方々にあっては新春の慶びどころではないという心持かと思う。我が家の3人の男の子達も次々にセンター試験を受けていった。中学校・高校の6年間は親にとってはあっという間に過ぎたというような感慨がある。特に高校3年間を子どもたちは駆け抜けていったように思う。もちろん子どもたちにとっては長い長い6年間であったに違いないだろうけれど。
子どもが初めてセンター試験を受ける時、持てる力を十分発揮できるよう、落ち着いた気持ちで受けることができる秘訣を進路指導担当の教師に尋ねたことがある。その時このような返事をいただいた。「試験場の席についたら『自分としてできるだけのことはやってきた。後は主なるあなたにお任せします』と祈ればいい」以来3人の子ども達にも、生徒達にもそのように伝えてきた。おかげで皆落ち着いて受験はできたようである。
センター試験に関しては落ち着いてよく見れば一度は目にした問題だと思うので動揺することなく自信を持って受験に臨んでほしい。
私は理科教師なので理系進学希望者の受験指導が多い。課外はもちろんのこと、クラスで掃除が終わった後、教壇に腰をかけて肩を並べながら生徒たちの質問に答えるのは楽しい時間である。受験は本人だけの事柄ではないと思う。もちろん教師は受験指導を担う責任があるが、子どもの進路は子ども任せにせず親子が一体となって家庭で担うべきだと思う。職業への教育-Career(vocational)guidance-は社会の中で経験を積み重ねてきた親のアドバイスほど頼りになるものはない。子どもにとって親は夢の実現に向かって後押ししてくれる一番身近な力強い味方である。
本校では毎日の礼拝の終わりに教師と生徒が一緒に声をそろえて聖句を暗誦する。暗誦聖句は2週間毎に新しい個所が示される。生徒たちの心の中に確実に刻みこまれた聖句は必ず苦難に立たされた時の力強い助けになることだろう。
生徒たちが礼拝で暗誦したこの聖句はきっと試験に臨む時の心の拠り所になるはずである。

東地域教師会より

昨年の地域総会で選ばれた平岡正幸先生を会長として今年の活動が始まるはずでした。そうならなかったことが東地域にとって最もショッキングな一年でした。2月18日に平岡先生が召天されたことで新しい三役が選ばれ、まだ体制も未整備のまま、見切り発車のように活動開始となりました。
そういうおぼつかない状況ながらも、予定通り3月の教師会を無事迎えることができたのは、平岡先生が甲府教会駐車場で倒れる少し前に仕上げていた計画がちゃんと遺してあったからです。先生が精力的に取り組んでいたカウンセリングをテーマに、ルーテル教会でもおなじみの、堀 肇先生を招いて、牧会上避けて通ることのできない数々の問題について事例研究をしました。
例年だと秋に東地域では退修会を開くことになるわけですが、今年は4年に一度の全国退修会の年だったので地域開催はしませんでした。その代わり、全国教師会のお手伝いをして全国退修会の企画運営に関わることができました。微力でしたが。
教師会運営で私たちが心がけているのは、話し出すといきおい行政関連に向きがちな牧師集団ですが、共に集う機会を有意義に使うため、できる限り神学的、宣教的研究課題に傾注すること、同時に牧会の現場から解放された雰囲気の中で親睦を深めることです。しかしながら今後の動向を考えると、そういうことばかり言っていられない厳しい現実もあるので、行政的色合いの強い話題が色濃くなるかもしれません。努めて退修会が頽醜会にならないよう心がけたいと思います。
教職者レビュー制度ができたことを受け、教師会長はレビューを召集し、東教区長の協力のもと、該当年の牧師に対してレビューを実施しました。今年は6名の教職者に対して行うことができました。代議員にもお越しいただき、いずれも有意義な振り返りの機会となったと確信しています。
東地域教師会長 浅野 直樹

名古屋めぐみ教会献堂式

12月12日(土)午後1時半より東海教区に所属する名古屋めぐみ教会の「礼拝堂・牧師館」の献堂式が主の恵みの下に挙行されました。
新しい礼拝堂・説教壇等の聖別式が説教・総会議長渡邉牧師、共同司式・副議長青田牧師、東海教区長田中牧師、教区書記三浦牧師により執り行われました。
今年の春、日本福音ルーテル教会建築委員会が指名した西村晴道設計士の意匠で作成された設計図に基づき、前田建設工業との間で工事請負契約を1億3300万円(消費税を除き)で結んだ後の、5月10日(日)礼拝後に起工式(鍬入れ式)を行いました。それから約6ヶ月半の工事期間を経て、総床面積470㎡(142.1坪、1階礼拝堂 2階牧師館)を有する壮麗な新教会堂・牧師館が名古屋南区桜本町に築かれました。
数年間にわたり、当該教会の牧師・信徒による周到な準備、心を一つにしたキリストへの宣教への使命と信仰の情熱、さらに建築のための自己資金(4千800万円)を捻出するための教会員による献身・献財意欲が高まったことがこの会堂建築の完成を実現させたものと思います。
今後、この新会堂が神の宣教の器として、国際都市名古屋での広域的な再開発伝道を強力に担う宣教の場となることを神に祈るものです。
さらに、東海教区にとっても、新会堂の一角に設けられる教区事務所を通して東海教区の宣教センター的な機能が更に整えられ、宣教・教育の働きが多様に展開されることも併せて祈るものです。
(建築委員長 青田勇)

日本福音ルーテル教会 2010年行事・会議日程

1月5日(火)~ 6日(水)教師試験委員会
7日(木)任用試験
12日(火)事務処理委員会
2月17日(水)~18日(木)会計監査
22日(月)~24日(水)常議員会
28日(日)神学校の夕べ
3月2日(火)エキュメニズム委員会(聖公会)
7日(日)教職授任按手式
8日(月)神学教育委員会・宣教研修指導者会議
9日(火)事務処理委員会
10日(水)~11日(木)新任・牧師補研修会(2010年度第1回)
19日(金)エキュメニズム委員会(カトリック)
22日(月)教区総会
4月13日(火)事務処理委員会
5月3日(月)全国教師会総会
4日(火)~ 6日(木)全国総会
17日(月)~18日(火)牧師補研修(2009年度最終)
6月7日(月)~ 9日(水)常議員会
21日(月)~23日(水)LCM会議
7月13日(火)事務処理委員会
8月23日(月)~24日(火)社会福祉協会総会
24日(火)~25日(水)法人会連合研修会
9月7日(火)事務処理委員会
10月6日(水)~7日(木)宣教会議
12日(火)事務処理委員会
13日(水)教師試験委員会
18日(月)~19日(火)牧師補研修会(2010年度第2回)
11月8日(月)~10日(水)常議員会
12月7日(火)事務処理委員会

本の紹介

『クリスチャン アーティスト。』が9月25日に燦葉出版社より出版された。本書は「証しの章」「研究の章」「講演の章」「奨励の章」「思索の章」からなり、奨励の章では、28人の教職等がクリスチャン・アーティストへの励ましを、研究の章では6人の専門家がその理解を記している。
証しの章では、12人のクリスチャン・アーティストが「信仰者の表現」というテーマで証ししている。その12人のアーティストの中に山崎種之氏(松本教会員/ステンドグラス工房アスカ)がいる。山崎氏は本書の中で星野富弘さんとの出会いについて語っている。
星野富弘美術館の玄関ホールにある星野さん原画の「さざんか」のステンドグラスについてのエピソードである。美しいさざんかの花の下に描かれた2枚の傷ついた葉、星野さんはその傷に輝きを見たことを、山崎氏は知ったという。写真が白黒であるのが残念だが、それは本物を見よということかもしれない。本物が見たくなる一冊でもある。
(牧師 佐藤和宏)

会議のお知らせ

■常議員会
第23回総会期第6回常議員会が左記の通り開催されますので、議案のある方は、所属教区常議員会を経て、ご提出ください。

【日時】2月22日(月)~24日(水)
【会場】ルーテル市ヶ谷センター
以上
2010年1月1日
常議員会
会長 渡邉 純幸
書記 立野 泰博

年末の連帯献金のお願い

教会事務局提出の集計表を期日までにご提出くださいますようお願いいたします。一教会でも遅れますと全体の集計ができないばかりか関係省庁への報告にも影響が出ます。
また、報告書は電子メイルでの提出をいただきますと、事務作業の軽減ばかりでなく、間違いを防ぐことにもなります。
報告書と共に、教会総会資料をお送りください。

■提出期限■
所得税・消費税報告 1月20日
その他報告書 2月10日

09-12-15るうてる《福音版》2009年12月号

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バイブルメッセージ  翼はなくても……

いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ルカによる福音書2章14節

12月に入ると、今では日本の街でもクリスマス一色に飾り付けられてゆきます。クリスマスを彩るものには何があるでしょう? モミの木のクリスマスツリー、きらきらと光る星のオーナメント、色とりどりのローソク、そして……そう忘れてならないのは天使たちです。クリスマスはたくさんの天使たちが街を飾る季節でもあります。
いま私たちが街で目にする天使の多くは、白い服を着て翼があるか、あるいは裸の子どもに羽がついている、そんな姿をしています。そう、天使=翼なのです。だって、絵的にも、天使に翼がなければ、それは、ただの子どもや、ただの人ですから! それぐらい、いま私たちが目にする天使の姿と翼は切り離せません。
ところが……聖書に書かれたクリスマスの物語はどうでしょうか。実はそこに出てくる天使たちに、翼があったとはどこにも書いていないのです! それどころか、聖書の中に出てくる天使たちのほとんどは、翼のことなんかどこにも書かれていないのです。そう、聖書の中の天使たちは、ただの子どもや、ただの人の姿をしているのです。
聖書の物語に出てくる天使たちは、いつも突然現れて、そして役目が終わると突然去ってゆきます。天使にとって大事なこと、それは翼があるかどうか、見た目がかわいいかどうかなのでありません。そうではなく、役目あってこその天使なのです。突然に現れて、困っている誰かを助けたり、悩んでいる誰かに言葉をかけたり、悲しんでいる誰かを励ましたり、そしてまた突然に去っていく。それこそが天使なのです。つまり、役目を果たしている時しか天使は登場しないのです。
「天使」(エンジェル)のもとになった言葉は、もともとは広い意味で「使者」「使い」という意味を持っていました。それがやがて、特に「神の」使いを指すようになっていったのです。だから実は、神の使いとして働く者は、その役目をしている時、誰でもみな「天使」なのです! ただの子ども、ただの人だって、神さまの使いとして働く時、それはもう「天使」なのです!
だから、天使には本当は翼などいらないのです。誰かのことを思いやる時、誰かの力になろうとする時、私たちは誰でもみんな天使になれるのです。私たちが悲しい時、苦しい時に、声をかけ、助けてくれる人は、その瞬間、誰もがみんな天使なのです。
救い主が生まれたクリスマス、街を飾る天使を見る時、私たちの誰もが天使になれることを思い出すことができるのです。
L

イエスの生涯 【その6】幼子への贈り物
マタイによる福音書 2章11節

【祈りの言葉】
御子イエスさま。あなたの誕生に感謝します。いま、私たちのすべてをお受けください。

 

ナマステ、サンチャイチャ
ネパールワーカー楢戸健次郎先生

日本の医療についても、お話を伺いました。
Q. 日本の場合は患者さんに病院に来てもらうことが原則ですが、海外では違うのですか?
例えば手をケガして縫うと、また明日も来てもらうことが多いですが、そんな必要は本来ないのです。アメリカなどでは、抜糸の時に来てくださいというのが多く、そうすれば外来の数がずっと減ると思います。熱があったら来なさいといわれますが、そんな国は他にないと思います。普通は熱があっても3日は様子を見て、4日たっても熱が続くようなら、そこで初めて病院に来てもらいます。それが世界の常識なのです。というのもウィルス性の熱の場合はどうしても3日間はあり、4日目にはだいたい自然に下がってきます。その間に免疫力がつくのです。そういうことをちゃんと話して、「何か異常があれば電話で相談して、必要ならば往診する」とすれば患者さんは病院に来なくて済むのです。家庭医をしていた頃は、病院に来るとお金がかかってしまうので電話するように僕は言っていました。「日本の場合は電話での相談は無料だよ」と。アメリカの場合は電話で相談しても請求はあります。それだけの時間を使っていますから、それが普通だと思いますが、日本の保険制度ではそれがないのです。なので僕などは外来に来た人には待合室で話したりします。
システムの問題なのです。日本には24万人の医者がいますから(人口500対1)、充分機能すると思うのです。
しかし、日本の問題は医者の絶対数だけではないのです。
医療には役割分担があります。
大学病院というのは、三次医療と言って研究と教育を。病院というのは二次医療機関と言って、入院患者しか外国では診ません。日本は外来も診ますよね。
それから、僕たちがやっているプライマリーケアですが、診療所の医者などは外来と往診だけで入院患者は診ない、というのがだいたい世界の常識です。
で、その他に、その元になるのがセルフケアと言って自分の健康は自分で守るように医者は患者さんに分かりやすく病気の予防について説明します。そうすると75%の保険問題は、そのレベルで解決できます。
ところが、日本は出来高制なので、なるべく医者につなげるように指導しているのです。だから、患者さんが多くなってしまうのです。
システムがきちんとして、紹介機能がきちんと働けば、本当はプライマリーケアで約90%の保険問題は解決するのです。僕は内科も外科も小児科も産婦人科も何でも診るのですが、その中で本当に紹介しないとならないのは5~10%程度なのです。その5~10%以外の人もみんな病院に行ってしまうから、病院が混んでしまい待ち時間が増えてしまうのです。
以前は整形外科というと一人の先生が全部整形を診てくれました。もっと前は外科というと外科と整形外科を両方診てくれました。ところが今は手の整形、足の整形、腰の整形……と分かれていて他の分野は診ないのです。そうすると整形だけで、沢山の医者が必要になります。一人で足りていたところが、たくさん必要になりますから、絶対数も増やさないとニーズに応えられないというジレンマがおこります。
本来は、第一線の医者がふるい分け、トリアージ(症度判定)をしてきちんと的確に紹介していけば、今のような問題は大分解消されると思います。
(つづく)

毎日あくしゅ

わたしが勤めている幼稚園では、毎年クリスマスの時期に「祝会」をします。神様からいただいた身体と心をじゅうぶんに使ってイエス様のお誕生をお祝いします。具体的には市民会館の舞台の上で、クラスごとに劇、歌、踊りを披露します。お家の方々のご協力による、おそろいの衣装に身を包み、スポットライトの光の中で子どもたちが一生懸命に演じる姿に、毎年感動を覚えます。今年も楽しみです。

聖書が記すクリスマスの物語は単純素朴ですが、神様のぬくもりがあふれています。
■ベツレヘムへ
人口調査のため、身重のマリアとヨセフはガリラヤのナザレから出発します。100キロ以上の旅は、不安な旅であったと思います。わたしたちにも次から次へと難題が押し寄せてきます。不安と疲れを覚えつつ毎日を過ごすわたしたちと重なります。
■宿屋の主人
「こんな忙しい時に、妊婦さんのお世話までできないよ。でも、裏の家畜小屋ならあいているよ」。心にゆとりがあれば、困っている人を助けることができるでしょう。けれども自分を犠牲にしてまで隣人を助けることは難しい現実にわたしたちはいるのではないでしょうか。
■家畜小屋での出産
家畜のにおいのするところしか、マリアには出産する場所がありませんでした。神様のひとり子は、高いところにおられるのではなく、わたしたちの目線よりも低いところに来てくださいました。
■羊飼いへの知らせ
羊飼いは当時の貧しい人たちの代表です。救い主のお生まれは華やかなところではなく、関心を持たれない貧しい人たちに、天使が知らせてくださいました。神様は心の貧しいわたしたちのもとに、イエス様のお誕生を知らせてくださいました。赤ちゃんイエス様はわたしたちに微笑みかけ、あたたかい光で照らしてくださっています。

クリスマスおめでとうございます。
(園長)

09-12-01るうてる2009年12月号

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クリスマス説教
マリアとヨセフ、その恐れと祝福

札幌教会牧師 重富克彦

普段の暮らしの平安には、薄氷の上を歩くような脆さがあります。いったん氷が割れると、瞬時に恐れの渦に巻き込まれ、世界が一変します。
クリスマスの使信は、何事もなく過ごしていたマリアとヨセフの心を、恐怖のるつぼに突き落とすことから始まりました。マリアの未来は、頼もしいヨセフとの、つつましくも充実した日々のはずでした。けれど突然、異界の人が現れ、「あなたは妊娠して男の子を産む」と言うのです。マリアの心は、たちまち恐ろしい妄想で覆われます。律法には、婚約している処女の娘が、他の男と姦淫した場合「男も女も、石で打ち殺さねばならない」(申命記22:23-24)とあります。裏切ったと思い、憎しみに燃えるヨセフの目。村人から引き立てられ、石で打ち殺される自分の姿。「どうしてそのようなことがあり得ましょうか。わたしはまだ男の人を知りませんのに」とは、マリアの必死の否認です。
ヨセフも同様だったでしょう。マタイによれば、ヨセフはマリアの妊娠を知って、他人に気付かれないうちに彼女を離縁しようと決意します。公になれば、ヨセフ自身が、マリアの処刑に手を下さなければなりません。耐え難いことです。離縁しておけば、場合によってはマリアの無罪もあり得るかもしれません。
2人は、この恐ろしい危機をどう乗り越えたのでしょうか。2人は、その声を神の言葉として受けとめ、事態を受け入れました。受け入れることが乗り越えることです。天使は、ヨセフには「恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は、聖霊によって宿ったのである」と言い、マリアには「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」と力強く語ります。また「その子の名をイエス(神は救い)と名付けよ」という命令も与えられました。
神が何かを強く語りかけられるとき、たとえ信仰ある人であっても、思いがけない不安や恐怖に突き落とされることがあります。しかし、その不安や恐怖の中で、心の迷路をたどった果て、あらためて「すべてを神に委ねる」との思いにたどり着いたとき、聖霊は突然新しい地平を見せてくれます。その地平で人は、天空に神の虹を見、不思議な平安を与えられます。心は定まり、信仰から信仰へと、聖霊に導かれて飛躍するのです。
キューボラ・ロス博士は、受け入れることと、諦めることの違いについて、受け入れることは「勝利の感情、平和と静謐の感情」であり、諦めることは「敗北の感情」だと言っています。受け入れることは勝利なのです。
マリアとヨセフは受け入れました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように」とは、聖霊に導かれ、すべてを御心に委ねた者の新しい心の地平です。御言葉を受け入れ、おのれの身を通してインマヌエルを体感した者の新しい心の地平です。そこには勝利と平和と静謐に満ちた感情があります。マリアの讃歌は、そこから生まれました。

しるべの星  クリスマスの思い出

札幌礼拝堂に隣接するめばえ幼稚園の年長組だった私に、クリスマスのページェントで与えられた役は、「しるべの星」。台詞はありませんでしたが、歌のソロがあり、歌い終わると、まぶねのそばに立つのです。羊飼いたちや博士たちを、生まれたばかりのイエス様のところへ導く「しるべの星」。でも導いてくださるのは、本当は神様。だから「しるべの星」は、彼らが向かう道筋を迷わないように、彼らに静かに寄り添いながらその足元を照らしていたことでしょう。決して強引ではなく、寄り添うように、それぞれの歩く早さにあわせて。 そして今、家庭の中で、社会の中で、教会の中で生きている私自身を考える時、幼いころに与えられたこの役は、長い時間をかけて、私自身の生き方の「しるべの星」となっていったように思います。
(札幌教会 山下由美)

風の道具箱

クリスマスは驢馬に乗って
クリスマスおめでとうございます。
八木重吉の詩に次のようなものがあります。
「ねがい」
どこを/断ち切っても/
うつくしくあればいいなあ クリスマスの出来事は、ヨセフとマリアにとって、すべての場面で重荷を負った出来事でした。天使ガブリエルから、突然のお告げを受け身ごもったマリア。それを黙って引き受けたヨセフ。上からの権力によって荒野の旅を強いられた2人。マリアは身重。到着したベツレヘムには泊まる場所がなかったのです。このように困難と試練の連続でした。しかし、どこを断ち切っても「神共にいます」という確信を与えてくれる出来事です。その時々に神様の守りを見つけることができます。
子どもの降誕劇に馬小屋がでてきます。今年はそこに驢馬がいました。馬小屋に驢馬。これもまたクリスマスの楽しさです。すべてはイエス様のお誕生のお祝いのためです。クリスマスは驢馬に乗って来てもクリスマス。どこを断ち切っても、平和の主の誕生日です。
(柿のたね)

Information

2010年グループ・ワークキャンプ参加者募集!

■派遣期間:7月22日(木)~8月5日(木)
■内容:ミネソタ州でのホームステイとイリノイ州でのワークキャンプ
■問合せ・申込用紙請求先
JELC-JELAボランティア派遣委員会
住所:162-0842新宿区市谷砂土原町1-1
JELC宣教室 気付
TEL:03-3260-1908/FAX:03-3260-1948
E-mail: workcamp@jelc.or.jp
■申込期限:2010年1月末日(必着)

女性会連盟80周年歴史スライドDVD販売!

総・大会の愛餐会の折に、皆さんで80年の喜びを分かち合いながら見た歴史スライドを「いずみの会」より販売いたします。参加された方は総・大会の記念に! 参加できなかった方は連盟の歴史を学び楽しめます。女性会・婦人会の学びに、また教会でも皆さんでご活用ください。

■内容■連盟80年のあゆみ
大会パネルディスカッション
「未来を拓く 女性たち」
■価格■1000円
■お申し込み■女性会連盟事務局
Tel/Fax:03-3207-2340
E-mail:jelc-w@big.or.jp

牧師の声

私の愛唱聖句

板橋教会 牧師 汲田 真帆

山が移り、
丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみは
あなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと
あなたを憐れむ
主は言われる。
イザヤ書 54章10節

完全なものを探していました。永遠に続く何かを。私はそれを切望していました。幼い時からずっと。
「私のこと好き?」何度も何度も聞いては両親を困らせました。小学校の同じグループの友達と「私たち友達だよね、変わらないよね?」と何度も確かめ合っていたことを思いだします。中学受験のレールに乗ることに何の違和感も持たず、ひたすら勉学に励んだのも、よい学校に入ればその「何か」を知ることができるような気がしたからです。そして安定した仕事を選びたいと思っていました。
けれども、どれを求めてどれを手に入れても、私は自分の内にある漠然とした不安感をぬぐいさることができなかったのです。それどころか手に入れた後はますます心配になってしまいました。もしかしたら、みんないつかは変わってしまうのだろうか? 友人、恋人、人間関係も、学歴、仕事、ステイタスだと称賛されるあらゆるものも。恐れで心をいっぱいにしていた20歳の秋、大切な人が病で天に召されていきました。やはり結局すべては終わっていくのだ……、空しくて力なく過ぎていく日々の途中で、私は聖書に出会いました。すべてが変わる世の中、私達の人生にあって、変わらないもの動かないものがあると神様は言われます。
クリスマスの日、神様はひとりの御子を送ってくださいました。イエス様は私達に与えられた神様の愛、平和の約束です。このことを知った時、今まで見えていた景色がまったく違って見えました。この方に支えられて生きることの平安とその喜びを伝えたくて、私はここに立っています。今もたびたび不確かなものに身をゆだね不安に陥り弱ってしまうこともありますが、そのような時は静かに心の耳を澄まします。すると、私の存在の中心から語りかけられる確かな声があるのです。「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず/わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと/あなたを憐れむ主は言われる」。
クリスマスおめでとうございます。

信徒の声

教会の宝石を捜して

東教区 小石川教会 横田 強

キリスト教との出会いは?
後に妻となる女性との出会いがキリスト教と触れ合うきっかけでした。
彼女と知り会ってから、わたし自身洗礼を受けました。愛知県の田原の小さな教会で聖書を教えてくれたのが、長く小石川教会で牧会され、「ろう者会」を立ち上げてくださった小嶋三義牧師の実姉のご主人です。
田原から上京し、ろう者を中心とした桜上水集会に通うようになりました。洗礼を受けたのは東京教会です。
小石川教会の会員となった経緯は? ろう者の家での家庭集会で聖書の勉強をしていましたが、1972年に小嶋牧師のろう者伝道が小石川教会で始まり、それ以来小石川教会で教会生活を送っています。
小石川教会のろう者伝道の歩みを教えてください。
当初、小石川教会では、主日礼拝は午前に健聴者、午後はろう者と別々に行なっていました。やがて、一緒に礼拝を持つようになり、以来今日に至ってます。
最初、手話通訳はところどころありました。OHPがなかったので、隣に座った健聴者が、讃美歌や式文を開いて、指で文字を指し示すのです。2人とも、指の先をにらめっこ、おっかけっこしている状態でうつむきっぱなしでした。
やがて、牧師先生が手話で、いわゆる同時通訳をしてくださるようになりました。その後はOHPが導入されるようになり、映像も改善され、今も進化しています。会衆はOHPを見て讃美歌を歌います。顔をあげて歌うのはとても「前向き」で良いことだと思います。
ご苦労されたこと、今後の抱負は?
ろう者のことを理解してもらうのに、やはり時間がかかりました。ろう者会が結成されて42年になりますが、それだけの時間が必要だったということかもしれません。
そして、もっともっと、理解しあいたいと思います。そのために、手話教室を教会でも始めました。ろう者が初めて教会に来た時に、挨拶と自己紹介、そして相手の名前を聞く、その程度の手話はぜひ多くの人に身につけてほしいと思うのです。そんな小さなふれあいから、お互いの理解は深まることでしょう。

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)

弱さの中の恵み  小嶋 三義

現代は高齢化社会、遅ればせながら教会でもP2が「高齢者への伝道」の問題に取り組むことになった。引退して間もない私に出席するように言われた。しかし、私は最初にこの高齢者への伝道、「への」という言葉に違和感を感じた。増え続ける未信者の高齢者への伝道が大切であることはよく理解している。しかし、教会を支え続けてきた高齢者の方々への方策とはおのずと変わってくると思った。教会の中では高齢者の方々は長い信仰生活を続け、教会を支え続け、豊かな人生経験を持たれるいわば熟成した信仰、円熟した信仰を持った方々である。この人々「への」取り組みは高齢者「への」伝道ではなく、この方々がどのようにして引き続いて豊かな信仰生活を続けられるか、またその信仰生活を教会の中でいかに用いられるかが問われているように思う。
事実、高齢化すれば、力は衰え機能が低下する。説教を聴きたくても耳が不自由になる。教会まで通うにも困難になる。教会修養会にも遠慮してしまう。しかし、私はこう思う。病気も弱さも長年働いてきた神様のご褒美、その弱さの中でこそ、今まで学ぶことが出来なかった神様の祝福があると。そのことを生かせるような教会であったらと願う。かつて高齢者の方々と一泊旅行をし、ゆっくり信仰を語る機会を持ち多くの恵みを頂いた。世代を超えた神の恵みを分かち合える教会作りが今、必要なのではないだろうか。

いのち、はぐくむ
中井弘和

第9回 自然と共に生きる

神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして、海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」
(創世記1章26節)

1960年代の終わり、地球環境の破壊は、神が人間に自然を支配させようとした、とする創世記の思想にその根源があるとする説(『機械と神』、リン・ホワイト、1968)が登場し、新たに生じてきた「環境思想」の分野で大きな議論を巻き起こしました。レイチェル・カーソン(1907~1964)がDDTなど農薬の害を立証し、地球の危機を警告して世界に衝撃を与えた何年か後のことでした(『沈黙の春』、1962)。その学問的議論は別にしても、日ごろ聖書に親しむ者としては、やはりこの問題を避けて通ることはできません。一言触れておこうと思い立ったわけです。
論点は「支配する」という言葉にあることは明白です。この点について質問された時、私は少し躊躇しながら、その真意はケアすることなどと説明してきました。ケア(CARE)はもちろん世話をすることですが、その専門用語としてはCUREすなわち治癒の意味も含まれるそうです。人間は自然を世話し治癒する義務が神から与えられた、ということになります。そこには、また、人間は自然からケアされる存在でもあるという深い神の配剤が隠されていることも確かです。私の知る限り、日本語、英語の聖書の多くは文字通り「支配する」ですが、まれに「治める」という表現のものがあります。
世界的霊長類学者でありキリスト教の敬虔な信仰を持つ英国のジェーン・グドール博士は、著書『森の旅人』(角川書店、2000年)でこの問題を取り上げています。「支配する」の元々の意味は、相手を意のままに従わせる支配ではなく、思いやりと敬意を持ち、秩序を保ちつつ「治める」、であると説いています。彼女はチンパンジーが道具を使うという世紀の大発見をして世界を驚かせました。それは、単身で猛獣が跋扈するアフリカの原生林に分け入り、まさしく自然と一体になりながら永年にわたって観察を続けた結果のことでした。
ヘブライ語の聖書原典に照らしてみると、問題の箇所は、「支配する」ではなく「共に生きる」とするのがふさわしいという話を、最近、日本福音ルーテル教会の川口誠引退牧師から直に聞く機会を得ました。驚きとともに、心が晴れわたる心地がしました。
聖書の全編を通して流れる愛は、自然に対しても注がれていることは明らかです。イエスへの深い信仰の道を歩んだ多くの先達のように、その愛を静かに実践していくことこそが聖書に親しむものの務めであろうと思うこの頃です。

路帖百年。1909年~2009年

ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんは、「ピカピカ輝くものは、誰でも愛せるのです。しかしながら、その輝きが失われた時に、なおも愛し続けていけるかということが、私たちの一生の中の、苦しみの大部分だと言ってもいいかも知れない」と言われます。(「人間としてどう生きるか」より)
日本ルーテル神学校は、2009年9月に創立百周年を迎えました。1893年4月2日の復活祭にアメリカの南部一致シノッドから派遣された宣教師シェラー氏とピーリー氏により、日本福音ルーテル教会の最初の礼拝が九州の佐賀の地で行われ、それから遅れること16年の1909年9月27日に熊本市に路帖神学校が開校しました。そして、1925年 、東京・中野区鷺宮に移転、日本ルーテル神学専門学校(旧制)に名称変更、1969年に現在の三鷹キャンパスに移転、日本ルーテル神学大学、後にルーテル学院大学と校名変更、学部も神学部から社会福祉学科・臨床心理学科・キリスト教学科の3学科に改組され、時代と社会の環境に即応しつつ、教会の根幹である教職養成が100年間、引き継がれてきました。特に、熊本での草創期の神学校からこれまでの100年間に約330人の神学生が輩出され、そこから多くの教職が教会の宣教に遣わされました。神様の大いなる祝福と導きにより、私たちや教会の輝きが失われたときも絶えず愛し守り続けてくださった百年の歴史を覚えて、新たなる第一歩を共に歩み始めましょう。
総会議長/渡邉 純幸

関門の丘から
松隈 勁

わたしの兄弟であるこのもっとも小さいものの一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。
(マタイによる福音書25章40節)

12月。アドベントが近づくと校庭の大きな樅の木のイルミネーションに火が灯る。関門の空と街を明るく照らし、クリスマスの到来を告げ知らせる。校庭には卒業を間近に控えた中学3年生と高校3年生のハレルヤコーラスの歌声が明るく響く。厳しい練習に耐えて磨き上げられた声は澄み切って美しい。
クリスマス礼拝は中学校と高校は別々に行われ、広く市民にも本物のクリスマスを公開している。クリスマス礼拝の中で演じられる聖劇は演劇部員を中心にボランティアを募り役割を担う。数年前に靴屋のマルチンが上演された。
聖劇を見ながら、かって保谷教会の教会学校の子ども達と過ごした学生時代を懐かしく思い出していた。保谷教会で牧会をしておられた白髭先生はドストエフスキーやトルストイに造詣が深く、よく説教の中で引用されていた。いつまでも若々しく情熱と正義に満ちた先生の説教は私の喜びであった。
ある年のクリスマスに私にとっては耳新しいトルストイの「靴屋のマルチン」を教会学校の子どもたちにやらせようと提案なさった。保谷教会は若くて多彩な人材がそろっており、さっそく準備に取り掛かった。美術関係の仕事をしておられた方は見事な舞台のセットを準備してくださった。かつての保谷教会は東京老人ホームの一角にあり、入所されているお年寄りの礼拝出席が多く、かわいい子どもたちが演ずる靴屋のマルチンは大盛況を博した。あれから30数年の歳月が流れたのだから教会学校の子ども達も立派な大人となって社会の中で活躍しておられるのだろう。きっと、神様の恵みの中を歩んでおられると確信する。
靴屋のマルチンはこの聖句を主題としている。この聖句に出会って以来、私の生きていく上の信条になってきたと思う。私への励ましであり、警告でもある。
今年のクリスマスにはどんな出会いが待っているのだろう。クリスマス礼拝のフィナーレを飾るハレルヤコーラスが待ちどおしい。献金を捧げる会衆一人ひとりの思いは、いと小さき者へと注がれていると信じている。

宣教会議

本年度の宣教会議は、「教会財務現状・点検・将来構想の予備構築」と「PM方策の必要な継承と見直しも含めた、次期方策案作成」、それに「給与検討委員会の最終報告の概要」を主要議題として、10月7日(水)午後1時から8日(木)正午にかけて、ルーテル市ヶ谷センター第2会議室で、本教会の議長と4役、事務局スタッフ、各教区長、2名の各教区常議員(会計・財務、伝道・奉仕部長)、それに財務委員とPM1、2の関係者が加わって開かれた。
「教会財務」のセッションでは昨今の、世界及び日本経済・金融関係の破綻・低迷とそれと無関係でない各個教会・教区及び本教会における厳しい教会財政の現状を受け止めて、今後の財務方針として本教会の全体予算並びに収益事業の現況と問題性及び大胆な予算の削減も含めた諸課題に抜本的に取り組むことへの共通認識を深めた。
さらに、「方策案作成」では、過去の、第1次から第4次綜合方策を正当に継承し、かつ現行のPM方策(期限2012年度まで)を補完しつつ、新たな時代状況の中で、現状の刷新と変革も含めての教会の成長と発展を図るために、来年2010年5月に開催される本教会総会に「第24総会期宣教方策」を提案するための、方策期間・作業日程・責任主体、及び想定される標語・基本方針・主要・諸課題等について協議した。
(宣教室長 青田勇)

全国ディアコニアネットワークセミナー

10月12日、全国ディアコニアネットワークのセミナーが、デンマーク牧場で開かれた。児童養護施設まきばの家と自立援助ホームこどもの家の働きについて松田施設長より、特別養護老人ホームディアコニアの働きについて山本施設長より、精神科診療所こひつじ診療所の働きについて武井院長より、それぞれ話をうかがった。
傷ついた子どもたちと寄り添い生きることは、職員たちに大変な苦労がある。老人ホームは50床で開所し現在は80床となり、経営は落ち着いている。両施設の間に位置する診療所は職員たちの心の支えとなっており、地域および県内広域からの通院者も多い。
翌日は聖隷クリストファー大学を訪問、同大学の山本先生より歴史資料館を通し、故長谷川保氏の結核病棟開設から現在のホスピス設立に至るまでの働きを聞くことができた。1泊2日のセミナー参加は35名、現地参加職員と講師も含めると45名であった。
聖書が私たちに隣人のためどのように生きるべきかを示す道は2つある。イザヤ58章6~7節にある内容だが、それは悪のくびきを折ることと、窮乏への助けである。その両方とも必要であり、初日の夜には聖書研究でそのことの学びと意見交換をした。
(掛川・菊川教会 内藤新吾)

信徒の目から見た牧師補研修

去る10月19、20日の2日間に2009年度牧師補中間研修が福岡県筑紫野市にある二日市教会で行われました。教会に入ると研修がスムーズに進むようご配慮くださった野口先生のお心配りを感じることができました。
牧師補研修は按手を受け牧師補として各教会に派遣された新任の先生方が牧師として一人立ちされるまでに受ける研修で年3回のプログラムです。親が子どもの成長を気にかけるようなルーテル教会特有の暖かさをもった研修です。
今回は汲田真帆、小山茂、鷲見達也、崔大凡の4名の先生方の中間研修でした。それぞれ派遣された教会の客観的分析と宣教課題、ビデオによる礼拝司式と説教の見直し、指導牧師と信徒による評価報告等が発表されます。今春、希望と不安を胸に任地に向かわれた先生方からは半年過しただけとは思えない、しっかりした牧会生活が伺え頼もしく感じました。
各個教会の問題を抱えながらそれらを真摯に受け止め、信徒のことを真剣に考え、福音宣教のために努力されています。教会に遣わされた最初の一年に先輩牧師のアドバイスを得る機会があることは支えになるでしょう。
研修を有意義なものとするためには指導する側、される側の信頼関係に基づいた自由な意見交換が欠かせないものと思います。そして神学生としての宣教研修がとても大切で牧師の良き指導の下、充実した学びができることが牧師補としての働きに直結するものと感じます。そのために信徒も神学生と積極的に関わり協力して行きたいものです。
三鷹教会 宮澤美紀江
(牧師補研修委員)

北海道特別教区修養会

10月12日~13日、「えぞキリシタンの歴史を学ぶ」をテーマとして北海道特別教区修養会が行われ、道外からの4名を含む67名の兄弟姉妹がともに函館に集いました。
松前地方の大千軒岳には、本州から迫害を避けて逃れ、金山に鉱夫として隠れ住んだキリシタンが信仰共同体を作り、うち106人が処刑された記録が残っています。
1日目は函館教会を会場として、現地実行委員による発表やスライドショー、また2日目は場所をトラピスト修道院に移し、実際に千軒岳で殉教記念ミサを執り行っておられる小山昭司祭と上野博司兄による講演を通して、迫害の時代を主に結ばれて生きた、名前も伝わっていない殉教者たちのできごとを聴き、信仰を振り返る機会をもちました。
教会間に距離があり、それぞれの群れも決して大きくない北海道では、共に集まることそのものが大きな励ましです。開会礼拝・派遣礼拝、あるいはトラピスト修道院の聖堂で合わせた讃美の声の大きさに、これからの寒さが厳しくなる季節を、乗り越える力をいただきました。
(恵み野教会牧師 西川 晶子)

「求道者の旅(日本語版)」が出版されました

「信仰とかけてなんと解く?」「おでんと解く。その心は、具の持ち味が溶けあって、後になって旨味が増します」
煮込み料理はたいてい翌日のほうがおいしくなります。一晩おくことで素材の旨味がじっくり全体にしみ込むからでしょう。信仰の旅路もきっとそうなんだろう。デール先生の「求道者の旅」を読んで思いました。
アメリカ中西部の保守的な町から大都市東京へ。神学を教えつつカウンセリングや心理学研究へ。退職後に選んだ居住区は進歩的なコミュニティー。種々雑多で相反する価値観や信仰観との遭遇。肉も魚もチーズも豆腐も、全部盛りのちゃんこ鍋。文化と言語、神学と心理学、保守的信仰と進歩的信仰が衝突し混じり合う苦悩と探求。そこから紡ぎ出されたのは、意外にも、教会の歴史と伝統を改めて問い直すという手法でした。現役時代にはなかった切り口とまろやかな言葉で、引退した今、先生の求道の旅が明かされます。いい味が出ています。
(世界宣教主事 浅野 直樹)

年末の連帯献金のお願い

共に生きるための働きに、ご協力ください。
■ブラジル伝道
■メコン(カンボジア宣教・子ども支援)
■パレスチナ(ベツレヘムの学校、カレッジ支援)
■釜ヶ崎活動(喜望の家)
■災害緊急支援
■その他(世界宣教の働き)
振込先【郵便振替】
00190-7-71734 日本福音ルーテル教会

事務局よりお願い

神学校奨学金献金をよろしくお願いいたします。

変更のお知らせ

■稔台教会のFAX番号が従来の電話番号と共用になりました。
電話・FAX共用 047-362-4857
■川口 誠先生(引退教師)の住居表示が、変更されました。
住所:〒431-0427 静岡県湖西市駅南3丁目2番57号

09-11-15るうてる《福音版》2009年11月号

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バイブルメッセージ  命の息を受けて

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、
その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』創世記2章7節

教会でオカリナ・コンサートを開きました。演奏者は小児科のお医者さんで、各地でボランティア演奏しておられます。
ピアノと共に奏でられるオカリナのやわらかな音色に、やさしく心が包まれました。オカリナの音色は人の心と体に優しくなじみます。懐かしさを感じるのは、土で造られているからではないだろうか、ふとそう思いました。土から造られたオカリナに人の息が吹き込まれて、心を癒す澄んだやわらかな音色となるのです。またその構造もシンプルですから、演奏者の息づかいも身近に感じるのです。
演奏の後、奏者は自作のオカリナを見せてくれました。手製のオカリナはどれも形が異なり、音色も違います。自作のオカリナがよい音色を出すときは、きっとうれしくなることでしょう。
オカリナと同じように、わたしたち人間も土から造られています。「神は土の塵で人を形づくり……」と聖書は記しています。そして土から造られたという点では人間は他の生き物と変わりません。しかし聖書はその後に、神が「その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」と記しています。「息」は「生きる」に通じます。人は空気を吸って生きるだけでなく、神の息吹を受けていきいきと生きるのです。
手作りのオカリナが一つひとつ形や音色が異なるように、わたしたちも一人ひとり違っています。ひとりとして同じ人はいません。それはわたしだけが出せる音があり、あなただけにしか出すことができない音色があるということです。わたしたちは神様の大切な手作りの作品です。
わたしが神の手に握られ、その息を吹き込まれてわたしの音楽を奏でる時、それは神様の喜びとなり、またわたしの喜びとなります。そしてその調べを聴く人々の喜びとなります。
わたしの心と体の中を、神様の命の息、さわやかな命の風が吹き抜けて、今日も喜びの音を奏でるように、神様の御手に委ね、神様の愛の息吹を胸いっぱいに受け取りましょう。
ジーコ

イエスの生涯 【その5】

病人を癒すイエス マルコによる福音書 1章29~31節
【祈りの言葉】
病いの床に、共にいてくださる主イエスよ。私に触れてください。あなたのみ言葉をください。そして、癒してください。

ナマステ、サンチャイチャ

ネパールワーカー楢戸健次郎先生

Q. 日本では診察までの待ち時間が問題となっていますが、ネパールではどうですか?
A.ネパールでも問題です。医師が少なく電気もないので、同時にはできないというのが現実です。
例えばレントゲンを撮る場合、発電機が必要になります。レントゲンを使っていれば超音波は使えません。1つ機械を使っているときは、他は使えないのです。
医者が一人で、その人が手術をしていれば、他の患者さんは待たなくてはいけません。

Q. 1日50~100人の方がいらっしゃるとのことですが、みなさん朝からずっと?
A.朝からというか、病院に来るのに遠い人は1週間も歩いてきますから、着くまでの1週間、これも日本で言えば待ち時間のようなものですよね。
一応9時が外来スタートです。もちろん救急部門もあるので、一晩に3~4人診ることもありますが、普通の人の場合は(9時まで)待ってもらいます。
病院がオープンすると、まず準医師が見て、例えばレントゲンが必要であれば、12時までは電気が使えないのでそれまで待ってもらいます。やっと撮っても、フィルムを乾かしている間に手術の患者さんが来れば、終わるのを待たなければなりません。夕方になったり、その日のうちに帰れないと泊まる人もいます。そしてまた3~4日、1週間かけて帰る人もいます。

Q. 病院の中に宿泊施設もあるのですか?
A.病院前の建物は下がレストランで上がホテルになっています。
入院した場合は、一つのベッドに複数の人が寝ています。付き添いで来ている家族や、時には他の患者さんと一緒に使うこともあります。
カトマンズの大学の救急病院に行っても、1つのベッドに2人患者さんが寝ていることがあります。
家族も床に寝ていたり、空いているベッドを使ったりしています。また、歩ける患者はいいですが、そうでない場合は担がれてきますので、担いできてくれた人も2~3日待っている場合があります。想像できないと思います。とにかく一度ネパールに来てもらって見てもらうのが一番いいと思います。

Q. 日本の病院も待ち時間が長いですが。
A.日本の病院で待ち時間が長いのはシステムが原因だと思います。
私が日本で家庭医をしていた病院は待ち時間がほとんどありませんでした。
まずは予約すれば待たないで済むと思います。あとはなるべく患者さんに来てもらわないようにすればいいのです。
日本は出来高制をとっているので、来てもらってなんぼ、薬を出してなんぼ、検査をしてなんぼ、なのです。イギリスなどは人頭割の制度を採っているので、1年間に例えば1人5000円で2000人登録してもらえば、何もしなくても医者は年間1000万円もらえるようになるのです。その医者にとっては、登録してくれた人が1年間、病気もしないで元気でいてくれるのが一番いいのです。ですから、治療より予防に力を入れるのです。
(つづく)

毎日あくしゅ

幼稚園にいますと、子どもたちの姿に感動を覚えることがあります。子どもたちが見せてくれる笑顔に、落ち込んでいたわたしの心が元気を取り戻すことがあります。
キリスト教教育を専門とするウェスターホフはこう言っています。信仰は「大人(知っている者)と子ども(知る必要のある者)というようなカテゴリーを、すべて、取り去る」(注)。たいてい礼拝で聖書のお話をするのは大人で、聞くのは子どもです。けれども信仰は、大人が子どもに教えるという一方的な型ではないということです。
幼稚園の園庭でこういうことがありました。
年中さんのゆかりちゃんは4歳です。朝、登園してすぐ、ゆかりちゃんは園庭に出ました。まだお友だちがいない太鼓橋をゆかりちゃんは、はしごのように調子よく登っていきます。6段め、7段めになり、ゆかりちゃんの動きが止まりました。太鼓橋の一番高いところは、ゆかりちゃんの身長をはるかに超えています。ゆかりちゃんの視界に入るのは、自分の身長をはるかに超えた地面です。「せんせい、おりれん」と蚊の泣くような声で助けを求めました。手足もふるえています。「こっちの足を放してひとつ下の棒に動かせるかな?」と声をかけても「できん」という返事でした。片手を放すこともできません。わたしはゆかりちゃんに声をかけました。「先生が抱えるからね」。ゆかりちゃんはわたしに抱えられると、すっと両手両足を放したのです。太鼓橋の頂上で、片手片足を放すことができないほど怖がっていたにもかかわらず、「先生が抱えるからね」と言ったわたしをゆかりちゃんは百パーセント信じてくれました。自分の身をゆだねて、安心して両手両足を放すことができたのです。
保育の現場では、子どもたちが先生を百パーセント信じています。家庭も同じでしょう。
百パーセント信じるということを、わたしは4歳のゆかりちゃんから学びました。(園長)

09-11-15るうてる2009年11月号

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新霊山教会献堂40周年記念-デンマーク牧場
新霊山教会

1960年代、北欧に創設された「クリスチャン・ミッション・オブ・ブッディスト」から派遣されたデンマーク人宣教師、H・トムセン師によって静岡県袋井市に創設され、以来「デンマーク牧場(トムセン牧場)」と呼ばれてきた宗教法人日本キリスト道友会。地元の方から247筆を買い取って開拓した15万坪の土地に、デンマーク式の酪農場と、寝食を共にしつつ酪農技術を学ぶ酪農専門学校が建てられ、ユニークな宣教が開始されたのは1965年の秋になる。しかし当時、日本の酪農は不調で、やがて学校は閉鎖。その後、フリースクールとして、不登校や引きこもりなどの青少年共同生活寮「デンマーク牧場こどもの家」と形を変える。北欧の宣教師陣から日本人の手に法人運営を託され、1985年には日本福音ルーテル教会との法人合同を締結。2003年には、東海教区と共に設立母体となって社会福祉法人を創設。特別養護老人ホーム・ディアコニア、児童養護施設・まきばの家、青少年自立援助ホーム・こどもの家、精神科診療所・こひつじ診療所を開設し、この土地において、教育・福祉・宣教の取り組みを進めてきた。そして今年、広大な自然の中に建つ新霊山教会が献堂40年を迎えた。
自然溢れる広大な土地を与えられた我々は「献堂40周年記念行事」の開催を決心。この土地に託された使命を確認し、未来に向かう志を共有するためであった。
10月3日に地元、南部健康プラザを借りて、公開シンポジウムを開催した。主題は、道友会の歴史と未来を鑑みて「人を大切にする道を貫く~愛はすべてを忍び、信じ、望み、耐える~」を掲げ、袋井市長、ノルウェーヤンメ総合大学学長、まきばの家施設長、聖隷クリストファー大学福祉学科教授の4氏から提言を受け、コーディネーターを新霊山教会牧師が務めた。
翌4日には新霊山教会礼拝堂にて感謝記念礼拝をもった。ノルウェーの宣教団体アレオパゴスを介して歴代の宣教師と、各事業所長の出席を賜り、出席者一同、これまでの主の導きに対する感謝の祈りを献げた。感謝会は旧酪農学校を会場に、各氏からのスピーチと映像で40年の歴史を振り返り、そのルーツと未来に思いを馳せる時となった。
(牧師 白川道生)

神学生寮募金記念 感謝プレートの奉献
9.15 ルーテル神学校

キリストの宣教の使命に生きる心豊かな教職を育てるための神学生寮設置と、同じキャンパスで共に学ぶルーテル学院の大学生の福利厚生増進を図るためのルターホール改修が実現しました。この事業資金を捻出するための募金活動が今年の3月まで2年間にわたって、学院と後援会、日本福音ルーテル教会及び日本ルーテル教団も主たる責任を受け止めつつ、全員が一体となって展開されました。その結果、96,085,403円(総合計126,085,403円)の尊い献金と寄付が集まりましたことを神に感謝いたします。
思いを超えた募金活動を神に感謝するための「しるし」として、記念プレートが作られ、その奉献式が日本ルーテル神学校の創立百年記念大会の前週、9月15日(火)夕、学院の礼拝堂で行われ、両教会の神学生、神学教授、事務局のスタッフが共にキリストからの聖餐の恵みにあずかりました。
信仰の、同心の、同じ使命を目指す友との素晴らしい出会いと不可欠の神学的学びが新しい寮での共同生活の中で与えられ、それを通して、教会の宣教に使命をもって前向きに生きようとする神学生が一人でも多く育ち、日本福音ルーテル教会の教職に召される者が出てくることを心から祈るものです。
(副議長 青田勇)

風の道具箱

「ここで陸終わり、海はじまる」という言葉を雑誌で読みました。マカオ案内にポルトガルの言葉として紹介してあり、大航海時代のスローガンだったようです。ポルトガルの岬に立った彼らは「ここで陸が終わる。新しい出発のために海に出ていく」との決意を表したのです。その後マカオに着いた時、次のように叫んだといいます。「ここで海終わり、陸はじまる」と。
キリスト教の宣教、み言葉もこうやって海を渡ってきたのだなと、ちょっと感慨深く思いました。
さて、キリスト教は日本の陸に立っているのでしょうか。土着しているかということです。まだ海の上にあって、外国の宗教をいつまでも続けているのではないか。海が終わるその直前まで来ているのだけれど、まだ陸が始まってない直前にいる感じがします。
私たちの人生も、午前は宣教していただく時間。昼食をとって、午後は私たちが宣教する時間です。たくさん宣教の恵みを頂きましたから、午後は張り切って宣教しましょう。すぐに夕暮れになってしまいますよ。
(柿のたね)

Information

お詫びと訂正

10月号に同封しました販売部チラシの電話番号に誤りがありました。正しくは
【事務局販売部】
03-3260-8631(代)
です。関係各位には、大変ご迷惑をおかけしました。お詫びして訂正いたします。
申し訳ございませんでした。
広報室

2010年度リラ・プレカリア研修講座
生徒募集

■開講期間■ 2010年4月~2012年3月
■募集人数■ 最高7名まで
■申込書類■ 規定の申込書+推薦状1通
■申込締切■ 12月20日(当日消印有効)
※11月28日(土)午後1時~3時に、ジェラ・ミッション・センター(恵比寿)にて講座説明会を開催いたします。
※詳しくは問い合わせ先までお願いいたします。
■問合せ・申込み先■
日本福音ルーテル社団(JELA)担当:中島
〒150-0013東京都渋谷区恵比寿1-20-26
電話(03)3447-1521/FAX(03)3447-1523
E-mail jela@jela.or.jp

牧師の声

私の愛唱聖句

小田原・湯河原教会 牧師  池谷 考史

わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。
コリントの信徒への手紙二 12章9節

大学時代に受洗を決意しクリスチャンとして歩み始めました。その頃の生活は毎日早朝から夜遅くまで、熱を入れていたボートの練習や大学のスケジュールに追われ、そのあわただしさから心まで乾き、この先どんな道が開けていくのだろう、そもそも生きる意味とは何だろう、という問いがいつも頭から離れずにいました。
しかも、その頃の私は、何でも自分一人の力でやり遂げることが当たり前、と頑なに思いこんでおり、「ここが辛抱のしどころ」と自分に言い聞かせ、半ば意地になって踏ん張っていました。
しかし、いつまで経ってもそういう努力が実を結ばず、反対にますます心の飢え渇きを感じるに従って、自分のことですら解決する力も持たない弱い自分の姿をまざまざと見せつけられる思いがしました。
そのような中で、唯一、ほっと一息つけるところ、それがその頃通い始めた教会でした。世代を越えて家族のように私を迎え入れてくれる信徒の方々に励まされ、特に、礼拝や集会で語られる聖書のみ言葉から、「自己中心」の視点から、はるかに大きな「神さま中心」の視点が与えられました。すると、それまでの「自分が、自分が」という自己中心で罪深い私自身が壊されていきました。そして、いくら努力を重ねたところで神さまにはなれない、しかしその神さまによって今の自分が生かされてあると、おぼろげながら信じることができるようになりました。
そんな中、ある日の説教でこの聖句に出会いました。それまで、神さまの恵みに気がつかずに感謝することも少ない者でしたが、実は恵みは十分に備えられている! ならば、恵みを感じながら生きて行きたい、との思いが与えられ、ゆっくり時間をかけて心の平安を取り戻すことができました。
本当の平安や生きる強さは、自分の力によってでなく、恵みの中に生かされることで与えられると力づけられる聖句として、今も私を捕えています。

信徒の声

北海道特別教区 函館教会  増田 憲二郎

いつ、どこで洗礼を受けられたのですか?
福岡市の箱崎教会で1951年5月23日に受洗しました。
函館教会の一番古くからのメンバーですが、この教会に来られたのは、いつからですか?
就職先が北海道庁に決まり、渡道後、札幌教会、池田伝道所、教団の倶知安伝道所と経て、1964年8月から当教会の会員になりました。
教会では、いろいろな働きをなさっていますが、2、3ご紹介ください。
ここでは、役員のほか、教会学校担当、伝道・造園・墓地の各専門委員など諸奉仕に携わってきました。
楽しい思い出を1つ!
渡道の際、連絡線の艫に立つと、遠のく航跡の中に、過去のすべてが、白波となって私を激励しているようでした。やがて、薄霧の中に横津岳連峰が目に入って来たとき、生まれる前から用意されていた地に導かれていることに気づき、これまでのすべての導きが感謝に変わり、止め処のない嬉し涙に咽びました。
皆に伝えたい聖書のみ言葉とメッセージを。
私が関わって来た森づくりの仕事は、百年経たなければ結果の見えない仕事と言われています。教会でも同様と考えてきました。百年後のために、私たちに、今できることは、主に委ね、恐れず大胆に、荒野(心)を耕し、種をまく仕事です。
季節の花が教会の庭一面に咲きにおい、秋にはイロハモミジの紅葉が燃えるように神を讃えています。「主われを愛す」と。
五稜郭タワーに上ると、展望台のほぼ真下に、GOD・LOVEと大きく書かれた教会の屋根看板が目に入って来ます。窓に迫る大画面の山並みは、57年前、その雄大な山谷で、私を迎えてくれた、あの連峰です。
屋根看板の文字が、喜びと感謝に満たされている私の今の心を、そのままに伝えてくれています。これが、この地に導かれて来た私の証しであるのでしょうか。
「主を賛美するために民は創造された」(詩編102:19)

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)

ピースハウスでの働き  田中 良浩

私は今、ピースハウスというホスピスで働いています。原則として火、木、金、週3回です。毎週火曜日には礼拝があります。木曜日は泊まりますので夕食後は、祈りの時があり、その後患者さんやご家族と夜の静かな時間にお会いすることがしばしばです。ホスピスとは、末期のがん患者さんが緩和ケアを受ける病院で、英国では「天国への安息所」と言われています。その意図にそって患者さんやご家族に、主イエス・キリストの生ける言葉、つまり赦しと慰めが与えられる十字架の言葉、そして主の復活に与る希望の言葉を届けることができるようにと、祈りつつ働いています。ちなみに現在、日本福音ルーテル教会では、牧師がこのような教会外の分野で働くことについては法的な裏づけがありませんので、所属する東京教会の総会決議を経て、東京教会の派遣牧師として働いています。これは本当に幸いなことで、心から感謝しています。
シシリー・ソンダース医師は最初のホスピス、セント・クリストファー病院をロンドン近郊に創設しました。その時に建てられた記念碑には、主イエスのゲッセマネの祈り「わたしと共に目を覚ましていなさい」-英語ではStay awake with me或いはKeep watch with me-(マタイ26:38)という言葉が刻まれていますが、私はここに二重の意味があると理解しています。
第一は、十字架の死へと歩む主イエスを見つめ続けること。第二は、日々死に直面している患者さんや家族と出会い、共にあり続けることです。この宣教の務めのためにお祈りいただければ幸いです。

いのち、はぐくむ  中井弘和

第8回 食卓の風景

一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目は開け、イエスだとわかったが、その姿は見えなくなった。
(ルカによる福音書
24章30~31節)

4月中旬のある夕、激しい腹痛に襲われて病院に駆け込みました。そこで腸重積と診断され、思いがけず緊急の手術となりました。時はもう大分過ぎましたが、今も腸の機能は回復せず、私の身体はなお非常に繊細な状態にあります。特に食事には細心の注意が必要です。食べ物の種類や食べ方によって私の腸は鋭敏な反応を示すのです。肉や魚は受けつけず、いきおい野菜や穀類を主としたメニューになります。また、よく噛んで心静かに食べなければいけません。今さらながら、食べることの厳粛さを思い知らされているところです。
しかし、病の状態にある私のむしろ特異な感性や経験は、健康の回復とともに消え失せていくに違いありません。そうであればこそ、日常生活において、何をいかに食べるかといった「食べる形」が必要になってくるということでしょう。最近、『禅』という映画を観る機会がありました。僧たちが、祈りとともに、厳かにそして端正に食事をするシーンがとても印象に残りました。料理をすることも含め、食べることが最も重要な修行のひとつであると、映画は語っているようでした。食べることが他の生き物のいのちを摂り込んで、自らのいのちとする業であることを考えれば容易に納得できます。
「失って初めて気づく大切さ家族そろって囲む食卓」。私が情操講話という授業を担当するある少年院の少年が詠んだ歌です。罪を犯して後悔と絶望感に沈む少年の心象をよく表していて心打たれます。父母や兄弟らと囲んだ食卓は少年の人生の原風景だったのでしょう。この歌は少年自身の未来に向かう祈りともなっていましょうが、日本社会から食卓の風景が揺らぎ遠のき始めているという事実にこそ問題があります。子どもたちの孤食が取沙汰されてからも、もうずいぶん経っています。食べものを分け合う食卓があってこそ、食べる形が創られていくというものでしょう。
日本人が毎日食べているものの大半は外国から輸入しています。しかも、その三分の一に当たるほぼ2000万トンの食べ物を捨てているのです。飽食の只中で自殺者は11年連続で3万人を超えているということもあります。私には、揺らぐ食卓の風景の向こうに、一見脈略がないように思えるこれらの出来事が重なって見えてきます。自ら、いのちを育て、いのちを食べる、という食べることの根底に潜む記憶を蘇らせることが今、私たちに求められています。そして、何よりも、いのちに与る食卓は神の祝福そのものであることに想いをいたすことが大切ではないでしょうか。

路帖百年。1909年~2009年

名もなき先達もまた

路帖百年は、多くの信徒・教職によって刻まれた尊い歴史である。平成17年2月中旬、日本の西北端・佐賀県名護屋で先輩老教職が静かに生涯を閉じられた。ご健在なら今年101歳である。矢野静良牧師。同氏は、昭和7年日本福音ルーテル神学専門学校を卒業、甘木教会・唐津教会の牧師を勤められ、その後学校教師に転身された。
昭和7年と言えば、上海事変、五・一五事件等、犬飼首相暗殺事件と日本軍国主義台頭の時期であり、国家権力によりキリスト教は弾圧された。昭和15年には、皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会が開かれた。ルーテル教会は日本基督教団第5部参加の直前であった。わが教会史に残る苦難の時であり、戦争の爪跡である。混乱期のため、名前を残すことのない諸先輩も多い。その諸先輩を記念することも忘れてはならない。
三代目牧師も現れた。三浦謙、小泉基、嗣牧師である。祖父は三浦豕先生、小泉昂先生である。矢野静良先輩のご長男基信氏も教職を志され筆者の同級生であったが、年若くして他界された。ご夫人、矢野章子氏は現在小城幼稚園の園長として百年記念行事にご多忙である。
信徒の家系にも、教職の家にも信仰が継承されることを祈りに加えたい。百年史に名を刻まれない諸先輩の末裔たちの今後の働きを期待するものである。
引退教師:逸見義典/1962年神学校卒業

関門の丘から  松隈 勁

大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
(コリントの信徒への手紙一3章7節)

11月。関門海峡をヒヨドリの群れが渡っていく。その姿は大空を遊弋する竜に似ていることから、竜の渡りと言い伝えられてきた。急降下して襲いかかる隼から身を守るために竜の姿となって海面近くを移動していく。温かく食物の豊かな九州へと南下するのだ。深まりゆく秋を感じさせる風物詩でもある。校地もイチョウの葉につつまれ金色に染まる。
第2水曜日には収穫感謝礼拝がもたれる。6月の花の日と同じく、この日には生徒たちは家庭から果物や野菜を持ち寄る。放課後、近隣の福祉施設を訪ね、収穫の喜びを分かち合う。
春に科学部の生徒たちと一緒に作った芋畑は、青々とした葉っぱに覆われている。校舎改築の際に掘り下げた赤土の一部をダンプカー3台分頂き、畝を作り、芋の苗を植えた。収穫の秋には幼稚園児を招待しようという大それた計画を立てたものの心配である。最近は、家庭が農業を営んでいるという生徒も殆どいなくなったので、家庭で収穫したものを持ち寄ることは皆無に等しいと思う。しかし、このような学校行事を通じて、食の安全や食育というものに目を向け、考える良い機会である。
つい最近まで日本の食糧自給率は40%を下回っているといわれていた。かつて日本を代表するIT企業の経営者は日本には農業はいらない、優れた工業技術力で外貨を稼ぎ農業国から輸入すればいいと豪語しておられたが、輸入穀物の価格の高騰や、食の安全の現状をどのように考えておられるのだろうか。以前、義父の水田で稲刈りの手伝いをしたが、その時読んだ記事を思い出した。「私は収穫物を前にへたり込んだ。それは収穫の多さゆえではなく、収穫をもたらす神への感謝と畏れからであった」しかし、これは趣味の園芸の話ではないだろうか。農家の収穫は汗と涙を伴う過酷な労働に対する当然の報酬ではないだろうか。いつも一定の収穫が得られるわけではない。嵐の夜におびえ、干ばつの夏に泣き、不安を抱きながらひたすら働き続ける農家の働きによって必要な食糧が用意されている。「成長させてくださる神」の御計画は、俄か農業人の感動をはるかに超越しているのかもしれない。
しかし、そんな人間の思いを超えて、畑の芋たちはたくましく育っている。感謝。

北海道特別教区教師会より

報告 加納寛之(帯広教会)

毎年8月、教職の研鑽のため、日本ルーテル教団(NRK)と共に合同教職者会が行われます。課題や現状を共有し、交わりを深めつつ、発題や討議をします。
今年のテーマは「礼拝」でした。NRKは吉田達臣牧師が地区で取り組んでいる「信徒司式者養成講座」のテキスト案を紹介しつつ、礼拝奉仕者として成長していくことを期待し、数年をかけての学びと実践に入っていくことを教えていただきました。
JELCは私が「式文の多様性と実践」について発題しました。「人間によって定められた同じ形式の儀式や祭式が、どこででも守られているということは、キリスト教会の真の一致にとって必須ではない」(アウグスブルク信仰告白)と言われるようにルーテル教会が一つなのは、礼拝が、式文が同じだからではないことを再確認し、それぞれの教会が現状や教会構成にあわせて地域性や歴史を鑑み、幅広いものを礼拝に取り入れつつ、礼拝が正しく守られていくために式文が用いられていくことが伝道と成長になると発表しました。
それぞれの教会での礼拝の様子を聞いてみると使徒信条やニケア信条の使い方や起立着席をはじめ、かなり多様性があることを発見しました。それらをわかちあうことが課題でしょう。またアラスカのルーテル教会では60教会を2人の牧師が牧会し、信徒リーダーの育成が進んでいる現状を聞き、教職と信徒の働きの新しい関係、教会形成や礼拝の意味を改めて考えました。

今、私たちは伊藤先生を派遣します!

芙美 LIANG(日本語部代表)

伊藤牧師ご夫妻が渡米されてから4年半が過ぎた。10月11日復活ルーテル教会での主日礼拝を最後に、伊藤牧師ご夫妻は帰国される。
2005年にトーランスのファーストルーテル教会に派遣された先生は、2007年の後半からハンティントンビーチにある復活ルーテル教会の牧会も兼任されることとなった。片道33マイルを往復されながら2カ所で隔週行われる礼拝の他、復活ルーテル教会では隔週日曜日「キリスト教入門講座」、毎週木曜日は「聖書を読む会」、月2回アーバインでの家庭集会も続けられた。
「こんなに一生懸命働いたことはない」と先生は笑っていたが、飛び回る姿は必死だった。聖書の学びは、まるでその中に入り込んでいるかのようにリアルで、毎回が最高の学びの時だった。この2年間に、3人の信徒が洗礼を受け、1人の信徒が伝道師として歩み始めた。そしてアメリカの地に住む私たちが、この地での日本語伝道を全うできるように、短期間で私達を精一杯導き、準備してくださった。伊藤先生、そして先生を支えて懸命に奉仕された靖子夫人への感謝の言葉は尽きない。伊藤先生の帰国と共に、私達復活ルーテル教会日本語部は20年の日米伝道協約(JACE)を終了する。新たな出発をする時が来た。
この歴史を生かし、今後は現地教会との交わりを深めながら、次の世代への日本語伝道も進めて行きたい。その始めに、来年は復活ルーテル教会英語部の22名が姉妹教会である広島ルーテル教会を訪問する。「これからですよ!」と先生が言われたように、私達アメリカの地に置かれた者が心を一つにして神様のご計画に応える時が来た。
礼拝後のレセプションでは、最後に英語と日本語で「神ともにいまして」の大合唱となった。歌いながら、先生の説教を思い出した。「私は言い尽くせない感謝と喜びと希望を持って、神様が備えてくださった時の中で、出かけて行きます。皆さんが派遣してくださることを嬉しく思います」と言われた。神ともにいまして、行く道を守り、次に待ち受けている神様のご計画へと出かけて行く伊藤先生ご夫妻の上に神様の守りがあるようにと、歌声は教会中に広がって行く。また会える日を信じて、今、私たちは伊藤先生を派遣します!

保育者研修会

8月18日~20日の3日間、ルーテル幼保連合会は、テーマを「保育のこころ、愛のこころ」として、保育の現場・第一線で働く幼稚園・保育園の保育者を対象とした研修会を、田園調布教会・雪ケ谷教会にて行いました。日々、キリスト教保育に励んでいる先生方ですが、さらに一歩踏み込んで、ルーテル教会に連なっていることを深め、交わりをし、主の働きを確認するために集められました。参加者も準備にあたった側も熱気に包まれ、すごいことには講師も各界の専門家で、保育者の興味を引く講義ばかりでした。講師の一人柴田愛子さん(お母さまが、ルーテル教会員)は保育集団「りんごの木」代表で「りんごの木セミナー」を主宰している方です。情熱的なお話や生き方は魅力的でした。「子どもの心により添う」を基本姿勢としてきた方です。翌日からご自分の園のキャンプというご多忙な中、この研修会のために来てくださいました。アップルジャムの保育者の皆さんも実技で、参加者全員に元気を与えてくださいました。
一戸盟子さん(福音館編集部)、相川徳孝さん(聖学院大学准教授)、また田崎真也さん(ソムリエ)からは食の立場からのお話をいただきました。
どうぞ、ルーテルの保育者が、それぞれの地域で、子どもたちの「いのち」をはぐくんでいる、その働きのためにお祈りください。
幼保連代表 杉本洋一(田園調布教会)

東教区
第21回ディアコニア・キャンプ

8月13日から17日まで、日曜日を含む4泊5日で恒例のディアコニア・キャンプが原田山荘で行われた。近くには「鬼押し出し」等があり、浅間山が見え隠れする風光明媚な地域である。参加者はいずれも信者で、50歳前後の3人の障がいのある兄弟姉妹を中心に、責任者の原田医師ご夫妻とご家族、スタッフキャンパーで総勢13名であった。
少しハードであったが、天候にも恵まれ、同じ信仰を持ち、純粋で開かれた3人の心との触れ合いを通して、自然の中で、あるいは旧軽井沢の町に買い物に出かけたりして、皆で心を開き合い、1つの家族のようになることができたと思う。
(チャプレン 渡邊賢次)

新規J3来日

J3って聞いたことありますか? Japan3Yearsの頭文字を取ってこう呼びます。3年間、日本で英語を教えるために来日するアメリカ人信徒宣教師のことです。今年も4名来てくれました。大学出たての若手から教職経験者まで、個性豊かな顔触れです。東京で半年間の日本語研修の後、来年4月から学校や施設へ派遣されます。どこかで見かけたら、ぜひ日本語で話しかけてみてください。ドウゾヨロシク。

ルーテル学院 聖望学園 浦和ルーテル学院 三校合同
聖歌隊・ハンドベルクワイアの集い

10月3日(土)東京カテドラル聖マリア大聖堂において、ルーテル学院、聖望学園、浦和ルーテル学院の聖歌隊とハンドベルクワイアの集いが開催されました。各校が共に集い、合同練習を重ねてきて3年目となる今年2009年は、ルーテル学院100周年を記念し、主を讃美する礼拝として行われたのです。江藤直純神学校校長の説教題に「讃美する心、讃美する力」とあるように、会場に集った600名近い会衆と学生たちは、讃美する心を通して、主にあって一つであることを感じました。またパイプオルガンや他の楽器も加わった合同演奏曲、F.J.ハイドンの「Glorious things of thee are spoken」(栄えに輝く)は、神の栄光のもとに集う喜びを現していました。
(チャプレン 河田優)

訂正

「るうてる」10月号の「信徒インタビュー」3段目左から3行目「幹の小雀迄……」は「幹」ではなく「軒」の誤りです。訂正し、お詫びします。

09-10-15るうてる《福音版》2009年10月号

機関紙PDF

バイブルメッセージ  ちからなる神は

力を捨てよ、知れ /わたしは神。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』詩編4編40節

「力なる神は、わが強きやぐら……」。10月31日によく歌われる賛美歌です。10月31日はルーテル教会の誕生日とも言える「宗教改革記念日」。この讃美歌は、宗教改革者マルティン・ルターが1529年に作詞・作曲したものといわれています。メンデルスゾーンの交響曲第五番、作品名「宗教改革」にも、この賛美歌が登場します。
「力なる神は、わが強きやぐら、悩み、苦しみを防ぎ守り給う」と続く歌詞は、ルターが旧約聖書の詩からインスピレーションを得て、詩人の心を辿るようにして解釈を加えて作ったものです。その詩(『詩編』46)は「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦」と歌い出します。
聖書の神様はわたしたちの「避けどころ」だと詩人は言うのです。苦しい時の神頼みでいいのです。ひとりがんばる、我を張る必要はないのです。「神様、助けてください」と叫び、そのふところに飛び込むのです。その時、神様は必ず助けてくださいます。
さらに、「神はわたしたちの砦」です。神様は要塞であり、お城であり、基地であり、補給所なのです。戦いにたとえられる人生ですが、のべつ幕なしに戦い続けることは誰にもできないでしょう。体勢を立て直し、整え、そして時に避難するところが必要です。神様は、その避けどころとなり、砦となって、わたしたちの人生を守り、支え、修復し、導いてくださるのです。
詩人はさらに、「苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない」と歌います。「決して恐れない」。これが聖書の信仰です。この世界とその歴史を支配しておられる神様が、わたしと共にいてくださるから、恐れないというのです。
「地が姿を変え / 山々が揺らいで海の中に移るとも / 海の水が騒ぎ、沸き返り / その高ぶるさまに山々が震えるとも」。地震でしょうか。台風、洪水でしょうか。それとも、戦争、暴動、侵略でしょうか。そのすべてかもしれません。これらのことは人生に避けがたく起こります。その中で、私たちは不安にかられ、怯え、恐れます。
しかし、詩人は続けてこう歌います。「大河とその流れは、神の都に喜びを与える」と。「大河の流れ」、それは変わることのない静けさを意味しています。激動、動揺のただ中にあっても、神様を信頼する者は、なおそこに留まり、恐れないのです。落ち着きと安心があるということです。
詩人は最後に「力を捨てよ、知れ / わたしは神」という神様の言葉を伝えます。力に憧れ、力を追い求め、力にしがみついてやまないわたしたちが、こう宣言するお方に出会うとき、大河とその流れが示す落ち着きと静けさ、安らぎを取り戻すことができるのです。
M.T

イエスの生涯 【その4】

弟子を招くイエス
マルコによる福音書 3章13~15節

【祈りの言葉】
主イエス様。
あなたのみ言葉は、私たちの命の光です。
あなたの一言で、私をお救いください。

ナマステ、サンチャイチャ
ネパールワーカー楢戸健次郎先生

Q. やっと卒業しても、仕事がないとのことでしたが、それはお給料が払えないから雇えないということでしょうか?
A.給料が払えないということだけではありません。仕事場がないのです。ある病院では経費の3割くらいが外国の援助なのです。キリスト教のいろいろな国の団体が支援してくれています。
その地域の人で全額医療費が払えるのは50%あるかないかです。一部しか払えない人、全く払えない人もいます。ということは2~3割の医療費が病院の持ち出しということになります。病院の持ち出しと言うことは赤字の会計になりますから、ぎりぎりしか職員を雇うことができません。とういことで、毎年卒業してくる人をすべて雇っていては経営が成り立ちません。どこの組織でもそうでしょうが、人件費が一番の支出になりますから、そこをなんとか抑えなければならないのです。ということで仕事場がないということになります。
Q. チョウジャリ病院の規模は大きい方ですか?
A.チョウジャリのあるルクム県には2つあります。
他の県は1つしかありません。「県立病院」と聞こえはいいのですが、実際はベッドは15くらいしかないのです。人口が5万とか10万とか20万とかですから、15床と聞いただけで、医療従事者であれば人口の数%しか利用できていないなと思うことでしょう。
県立は制度の上では1つの病院につき2人の医師が原則ですが、いないこともあります。派遣でいやいや来ていたりすると、カトマンズに行ったきり帰ってこないとか……。患者さんが行っても医者がいなかったり、閉まっていたりもします。
チョウジャリの病院はベッドが40床あります。ネパール人の医者が1人、私が行ってお手伝いするのが5ヶ月くらい、フランス人の外科医(70歳)が5ヶ月間、来て手伝っています。準医師が5人、准看護婦が6~7人。全部でスタッフは36人です。
カトマンズの大きな病院と比べれば小さいですが、地方の病院としては普通の規模だと思います。
(つづく)

毎日あくしゅ

10月は運動会のシーズンです。
私たちの園では、お家の方が座ってゆっくり見ていただけるように、小学校の校庭をお借りします。子どもたちは園庭でかけっこや踊りや鼓隊の練習を重ねました。さあ、本番の出来栄えはどうでしょうか。
年少さんのほとんどが初めての運動会です。どんなかけっこになるでしょうか。3人ずつスタートラインに立ちます。「位置について。ようい、ドン!」。練習通りのスタートです。3歳、4歳の年少さんが一生懸命に走ります。でも、競争という意識を持って走る子はあまりないようです。せっかく先頭を走っているのに、自分の前にだれもいないので後ろを振り向いて、お友だちが走ってくるのを待っています。そして仲良く一緒にゴールです。後ろを走っているお友だちがころんだり、靴が脱げたりしたとき、お友だちの所へ戻って助けにいく子もいます。トラックを囲むテントの中には大好きなおとうさんやおかあさん、家族のみんなが応援しています。その応援に応えようと子どもたちは客席に手をふりながら、トラックから大きくそれて大回りをしてゴールへ向かいます。年少さんは、お友だちより早く走ることよりもむしろ、みんな一緒で、楽しいことの方が大事なのでしょう。「かけっこ」と言えば、いかに早く走るかということを、大事にしがちでしたが、年少の子どもたちから「参加することをみんなで楽しむ」ことを学びました。
学年が上がるにつれて内容が複雑になります。毎年、年長さんの鼓隊やバルーンの演技に感動します。自分にまかされた楽器や踊りをしっかり覚えなければなりません。年長さんともなりますと、練習でうまくできないとき、自分にくやしくて涙が出てしまう子どももいます。先生やお友だちに励まされて、もう一度挑戦です。
今年の運動会はどんなドラマがあるでしょうか。子どもたちがみんなで最後までやりきって、すばらしい運動会になると思います。感動をたくさん見せてくれる子どもたちを、わたしは今年もたくさんほめたいと思います。
(園長)

09-10-15るうてる2009年10月号

機関紙PDF

キリストこそ中心
宗教改革の信仰を生きる(ローマ3:21-22)

徳善 義和

フランスのコルマールにグリューネバルトの「イーゼンハイム十字架画」、続いてドイツのワイマールとウィッテンベルクにルカス・クラナッハ晩年の別々の「十字架画」を見て心に刻んだ。2人の画家がそれぞれの絵の中で自らをどこに身を置いて描いているかに注目させられ、考えさせられた。2人とも、16世紀前半、ルターの同時代人である。グリューネバルトは遺品にルターの説教集を遺した。クラナッハは生涯ルターの説教の聞き手だった。
グリューネバルトの絵については、バルトも『ローマ書』の中で、バプテスマのヨハネの指に注目して再々にわたって言及しているが、今回私はそれ以上に、この絵の前に立ち尽くして、グリューネバルトが自らをその「指し示す指」に重ね合わせて描いていることを痛感した。それに対してクラナッハはどの絵でも、キリストの恵みを自らのためのものとして受け取るという点に終始している。さらにここに添えたウィッテンベルクの絵の「説教するルター」の部分が示すように、説教者ルターにキリストを指し示す指を見て、その源には開かれた聖書を明示した。旧新約聖書全巻がキリスト証言の書として、これこそが源となって、ルターの指が指し示すキリストに向けられているばかりでなく、説教するルター自身もキリストに注目している。さらに、描くクラナッハばかりでなく説教の聞き手全員が同じように中心のキリストに注目しているのである。ある意味でここに宗教改革の核心を「キリストへの注目」にあると見た、説教の1人の聞き手である画家の信仰告白がある。
宗教改革の信仰を今に生きようと心に定めれば、説教者においても説教の聞き手においても、この信仰告白に注目する必要があろう。説教者は旧新約聖書全体をキリスト証言として受け止め、これを中心とする「キリスト告白」に徹し、自らもそのキリストに注目するという姿勢である。聞き手はまた、その「キリスト告白」を聞きながら、説教者を見るのではなく、説教者が指し示す指に従って、聖書の証言するキリストにひたすら注目するということでもある。
宗教改革を記念するということは、信仰の先達たちからキリストへの注目のこうした姿勢を学び取って、今一人ひとりの心に「十字架に架けられた私のためのキリスト」の姿を思い描き、これに生きるということではなかろうか。

るうてる法人会連合第8回総会

事務局長 立野 泰博

8月25日~26日、熊本の九州学院にて「るうてる法人会連合第8回総会」が、100名を超える方々の参加で開かれました。この法人会連合は、ルーテル教会の宣教方策を具現化するために、宣教共同体の連帯と協力推進のために結成されました。
キリストの愛を実践する働きとして、福音を宣べ伝え(伝道)、教え(教育)、いやす(奉仕)を覚え、日本福音ルーテル教会、ルーテル学校法人会、ルーテル幼稚園保育園連合会、ルーテル教会社会福祉協議会が連合を結成しています。総会は毎年開かれ、今年のテーマは「キリストの愛を伝えて」でした。
今回の大きな恵みは、学校法人、幼稚園保育園連合のこれまでの働きをまとめた「キリストの愛を伝え共に成長する」が連合会として出版されたことです。先に出版された社会福祉の働きをまとめた「未来を愛する希望を生きる」と共に、私たちの大きな財産となりました。販売は事務局で行っています。
法人会連合総会は今後2年に1回の開催となり、総会のない時は研修会をおこなうことになりました。

風の道具箱

 本日は晴天なり

飛行機出張の一番の楽しみは「富士山」を見ること。羽田離陸10分後に富士山が見えてきます。驚いたことに、天気が曇りであっても富士山は見えます。雨でも見えることが多いものです。なぜなら、富士山の頂上は雲の上にあるからです。「あたまを雲の上にだし」という歌の通りです。飛行機の上から見ると必ず富士山を眺めることができるのです。
「上から見ると」。この言葉にちょっと感じることがありました。上から見下ろすのではありません。上から見る視点も大切だなと思ったのです。
試練のような大きな出来事にであった時、人は見上げるという視点しかないかなと。出来事が大きければ大きいほど、自分では受けとめることができないと恐れてしまいます。右や左からでも、上からでも違う視点から見ると、全く違う出来事に見えるときがあります。神様の視点は完全。どこからでも見ることができるのです。
空から見れば、富士山の頂上はいつも「本日晴天なり」。神様の視点には曇りも死角もありません。
(柿のたね)

Information

■2010年版 教会手帳
10月20日発売
2009年11月から使える、「教会手帳」が10月20日に発売されます。詳しくは10月号の差し込みチラシをご確認ください。

■新型インフルエンザ 気をつけましょう■
新型インフルエンザが各地でおとろえを見せず猛威を振るっています。各教区、教会におかれましても、予防対策を講じておられることでしょう。
教会や関連施設という不特定多数の人々が集う場にあっては、危機管理の面で対応は重要です。
自ら感染しないように、互いに感染しあわないように、十分注意し、そして、万一の場合は落ち着いて対応しましょう。
ウエブサイトの「厚生労働省新型インフルエンザ対策関連情報」も参考にしてください。
(広報室)

牧師の声

私の愛唱聖句

小倉教会、直方教会 牧師 光延 博

主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る
イザヤ書 40章31節

このみことばは、私が神学校に入学した際に恩師からいただいたみことばです。これから牧師になるための学びへの意気込み、そして、学業について行けるかという不安な感情が内にありました。しかし、主に望みをおいておこう、そうだ、大丈夫だ。そう思ったのが思い出されます。
しかし、神学の学びは私にとってはとても大変なものでした。さらに、自分自身を顧みると、欠けの多い私がこの道を進んで行くことは適切なのだろうかと思う試練は、たびたび襲ってくるのです。私はむいていない、いや、この貴い職務をやって本当にいいのだろうか、様々な葛藤が起こります。
ですが、折々に「主に望みをおく者は新しい力を得る」というみことばが思い起こされるのです。主はこのような欠けだらけの人間をも用いてくださる、私の個性も使っていってくださる、私という者は、神に受容されている人間である。またこれはみことばをとおして、まことに外側から、迫って来るものがあったのです。自分に望みをおいて、自分の力で宣教を行っていくのではない、私を義として、用いてくださる主がお働きになる。主に望みをおこう、主は真実な方ですから、主の御旨だけが実現する。主の宣教への参与。これはまことに幸いなことなのですね。
イエス・キリストの福音を語ることができる幸いを今感じています。それは、生き方の講義ではなく、教養を身につけるためでもなく、ただ救いの伝道であります。
恩師がみことばを送ってくれた。これは、まことに心励まされることでありました。
よく言われるように、他者から語りかけられるキリスト、その大切さであります。それは、自分の内側に存しているキリストは、ある牧師が言っているように、他者から語りかけられるキリストよりも弱いということでありましょう。ゆえに、礼拝や交わりの大切さを改めて感じるのです。
主に望みをおき、宣教に励んでいきたいと思います。

信徒の声

教会の宝石を捜して

東教区 東京教会  伊藤 和雄

東京教会では毎週礼拝前に、信徒が輪になり聖書を輪読する「聖書輪読会」が開かれています。この会を長きにわたって支えられている伊藤和雄兄のお声を聞かせていただきました。

機関紙「るうてる」に寄稿するように関野牧師より要請を受けたのですが、果たしていつ頃「輪読会」をスタートしたか、聖書に書き込んだメモと手帳の記録では10年前の1999年頃と思われます。
先輩で教会の役員として活躍されている伊藤百代さんがわたしにアドバイスしてくださり、毎日曜日の11時の礼拝に先立つ10時30分頃より礼拝堂の横の控え部屋で、有志により聖書を1節ずつ輪読する方式をとっております。
聖書にはどの頁をとっても人生の重要な教えが盛り込まれており、週の最初の日曜日、これに接することによって身も心も清められ、これに続く礼拝が一層充実したものになります。
私は戦争直後旧制高校在学中、フランスのプロテスタント作家アンドレ・ジイドを愛読しており、邦訳されている著作は全部書簡集に至る迄読みつくしましたが、輪読会でマタイ7章13節、ルカ13章24節に至り「狭き門」に再会、マタイ13章1~9節 マルコ4章1~9節 ルカ8章4~8節で「一粒の麦」にで出会い感慨を深くしました。
ルカ12章4~7節 マタイ10章29節では雀に言及があり、昔の日曜学校以来愛唱している讃美歌(1948年版)472番「かみさまは幹の小雀迄おやさしく何時も守りたまう 小さいものをもお恵みある かみさま私を愛したまう」が危うく口から出かかりました。
またヨハネ3章16~17節を読んでおりまして、5歳の私を日曜学校に連れて行ってくれた母がよく歌って聞かせてくれた467番「主われを愛す……」を思い出し胸の鼓動が高まる思いを経験しました。
自宅前の公園を散歩しますと雀のさえずりが聞こえて参り472番を、続いて467番を口ずさんでおります。人がいない時は声を出して歌っております。毎日曜、西武新宿から教会への往復時も口ずさんでおります。
日曜になりますと、輪読会で今日の聖書ではどの様な出会いがあるのか想像するだけで楽しみが倍加するしだいです。輪読会の終わりの時点で私が「ありがとうございました」と申しますのは、素晴らしい聖書との出会いができましたことと、この会に参加してくださった方々のご協力を感謝し、自然に口をついて出て来るものです。参加された諸兄姉も夫々聖書の中で感銘を受けられたフレーズが必ずあるはずです。
最後に忙しい役職を抱えておられながらもこの会の成立に配慮くださっている伊藤姉、泉姉に感謝する次第です。

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)

み言葉は生きて働く

東京老人ホーム理事長 内海 望

東京老人ホームでは、毎週月曜日から金曜日まで礼拝を行っています。これはホームの創立理念の継承の中でも最も大切なものです。
礼拝は式文を用いて行われています。また聖書日課は老人ホームという場を考えて、詩編を多く用いる独自のものを作成しました。
私たちは、この礼拝を通して、2つのことを真剣に考えています。
第一に、この礼拝がホームで生活する230名を越える利用者全員に、安らぎと希望を与えることです。クリスチャン、あるいはキリスト教に興味を持つ人々が集まる教会とは違って、社会福祉法人としての老人ホームは公的な機関であるという性格上、利用者はさまざまな信仰、思想の持ち主です。ですから、求道者を求めるのでなく、すべての人々に、み言葉によって豊かな喜びが与えられることを願っています。み言葉は、そのような力を持っていることを信じています。
第二に、利用者の半数以上が85歳以上であることを考える時、毎回の礼拝が真剣勝負です。終末ケアという言葉が安易に用いられる最近の風潮です。しかし、ここでは、この日が一人ひとりにとって大切な1日であるということをひしひしと考えさせられる礼拝です。
東京老人ホームの礼拝が多くの方々に支えられていることは恵みです。10名以上の近隣の牧師が協力し、研修会を行いながら礼拝を深めて行く努力を続けています。更に、神学校の最上級生が研修を兼ねて参加しています。心から感謝します。このような礼拝を中心にして、私たちの願いである「キリストの香り」が満ち溢れるホーム形成を目指したいと思います。

いのち、はぐくむ   中井弘和

第7回 種をまくとき

何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
(コヘレトの言葉3章1~2節)

私は、大学在職最後の14年間は長野県飯島町の駒ケ岳山麓に住む農家の水田を拠点に研究を進めていました。5月中旬の田植えの時はいつも雪の残る美しい山並みが眼前にそびえていました。田を潤す水をはじめ、土地の人々の生活は豊かな山の恵みに支えられてきたのです。稲の種まきは、春が巡り来てその頂上付近に「灰まきばあさん」が現れたら始めたのだといいます。雪がとけ黒い山肌が、畑に灰をまくおばあさんの姿になったら、ということです。その時が種まきの適期で、最も多い収穫をもたらせたといいます。
日本では鶯やカッコウの初鳴き、桜やコブシの開花など多彩な自然の移り変わりを指標にして農作業を行うのが普通でした。農業は自然の営みとともにあったのです。そのような農業が様変わりしてきたのは高度経済成長が始まって以降50年ほどのことです。農業は限りなく工業化し自然から遊離していきました。現在、稲の種まきは、日本中ほぼ同じ春先にほとんどJAが加温装置を用いて行っています。農家の多くは自ら種をまかず、JAから苗を購入して田植えをするのが恒例になりました。
人類はもともと月や太陽の運行、自然の移り変わりを規範として暦や時計を考え出したことは周知のことです。時間という概念は、自然と人との共生関係の中から生れてきたといってよいでしょう。しかし、いつの頃からか時間が独り歩きを始めます。人間は、都市化、工業化した社会の只中で、自らが作ったはずの秒や分刻みの時間という網に絡めとられて、自然やいのちの「時」から遠く引き離されてしまったといえます。経済大国といわれながら、年間3万人以上もの自殺者を出し続ける日本の現状は端的にそのことを物語っています。
時は、本来自然やいのちの側のものであり、すべて神の賜物であることを聖書は示しています。私たち一人ひとりも、社会全体も、自然に寄り添いその声を聞きながら生きるありようを模索する時機です。経営や効率や競争といった幻想から抜け出し、互いに助け合い、いのちを大切にする人間であり社会でありたいものです。その道にこそ、私たちは人生のあらゆる時に生じるすべての出来事を、神の賜物として受け容れ、喜びをもって生きていく業を見つけ出せるのではないでしょうか。

路帖百年。1909年~2009年

鷺宮のルター寮

私は、1953(昭和28)年からほぼ5年間、鷺宮のルター寮で過ごしました。春には桜の花が部屋の中にも舞い降りてくるような素晴らしい環境でした。戦後、間もないことで皆必死に生きる努力と生きる意味を求めていた時代でした。神学生の数も多く1学年平均10名近くで、約50人の神学生が学んでいました。個性豊かなメンバーで、詩人あり音楽家ありで目を開かれる思いでした。
入寮してすぐ上級生から与えられたのは、生の純粋さを求めて20歳で逗子海岸で入水自殺した旧制第一高校生原口統三の「二十歳のエチュード」でした。「その時彼は二十歳であった」という彼自身が墓碑銘に選んだ言葉は、50年を過ぎた現在でも心にこだましています。
神学生は、それぞれの神学的アプローチから「実存派」と「敬虔派」とに分かれ、それぞれ自己の正当性を難解な言葉で主張していました。謄写版の神学雑誌が回覧され、教会音楽研究会でバッハを聴き、更に野球に励み、最後は勉強する暇もなくなりました。 (内海 望)

関門の丘から 松隈 勁

自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
(ローマの信徒への手紙12章1節)

10月。暑かった夏の熱気を冷ますかのように海峡に秋風が吹きわたる頃、各界で活躍しておられる方々を講師としてお招きし修養会がもたれる。この修養会を境に動から静への落ち着いた秋の時を迎える。
数年前、ペシャワール会を主宰しておられる中村哲先生をお招きした。忙しいスケジュールにもかかわらず応じてくださったことが嬉しかった。壇上で先生がアフガニスタンで水路を開削することの意義を説いて下さった。灌漑はもちろんのこと、きれいな水さえあれば失われずに済む命のことなどを。それから数カ月後、ペシャワール会で働いておられた伊藤青年の悲報に接した。以前には遠く離れた世界で起きている事柄と思っていたことが、にわかに現実味を帯びて、生徒たちの心に深く重く響いてきた。「平和を実現する人々は、幸いである」という『マタイによる福音書』の聖句は、私たちに平和は決して武力では実現しないということを教えている。
学院での毎日の生活は職員朝拝に始まる。聖書が輪読され、旧約聖書に始まり新約聖書までをほぼ3年で通読する。朝のホームルームが終わるとすぐに、中学生と高校生はそれぞれ別のチャペルへと入場する。クリスチャン教師が礼拝の司会をする。入場から退場までのほぼ20分の礼拝ではあるが、毎日の積み重ねは大きい。週の1日は近隣の教会の牧師が応援してくださる。金曜日は生徒によるクラス礼拝である。生徒自らが聖書の箇所を選び、短い奨めを任されている。いつも感心するのは新・旧訳聖書の中から自分が話したい奨めにあった箇所を新鮮な感覚で見出してくることである。私自身は聖書を何度通読しても気がつかなかったり、忘れてしまっていた箇所から選んできて、よくぞ捜せたな、と驚く。原稿用紙2枚程度にまとめた奨めの言葉も自分の体験を踏まえ、伝えたい内容を簡潔にまとめている。言葉がよく耕されていると感心する。
現在、それぞれの学校の裁量に委ねられた学校設定教科・科目が認められており、本校では国語表現という科目が設定されている。生徒たちの言葉が豊かに耕されているのは、その科目の効果も大きいのだろう。

第15回東教区  宣教フォーラム

第15回東教区宣教フォーラムは7月5日(土)、総武地区の千葉教会を会場に行われました。梅雨時にもかかわらず天候に恵まれ、首都圏26教会、神学校などから、総勢131名の方々が集まり、千葉教会の礼拝堂とロビーをフルに使っての盛会となりました。支えてくださった方々に感謝いたします。今回は「祝福の継承」をテーマに、内海望牧師を招き、「私たちはあるがままで既に受け入れられ、恵みを受けている」とした主題講演と、例年の分科会に替えて、テーマを深めるパネルディスカッションを企画・構成しました。パネラーに内海望牧師、太田一彦牧師(都南教会)、綱春子姉(聖パウロ教会)、鳥飼一成兄(津田沼教会)を迎え、会場からは質問や経験談、感想など多くの反響を得ました。改めて、信仰の継承・家庭内伝道の大切さ、その恵みの深さを共有する有意義な一時を過ごすことができました。
(木村 猛)

宗教改革記念礼拝のご案内

以下に掲載されている礼拝以外にも各教会で記念礼拝が行われる予定です。詳しくは最寄の教会、あるいは地区へお問合せください。
■北海道特別教区
・道央地区 NRKの札幌地区と合同礼拝
日時:10月31日(土)14時~/会場:札幌北礼拝堂
■東教区
日時:10月31日(土)14時~/会場:武蔵野教会
説教者:徳善義和 牧師
■東海教区
・尾張岐阜地区
日時:10月31日(土) 14時~16時/会場:高蔵寺教会
説教者:土井洋 牧師
司式配餐:佐々木赫子牧師、神﨑伸牧師、フレデリクソン牧師
■西教区
・京都地区で合同礼拝が行われます。詳しくは地区内の教会にお問合せください。
■九州教区
・熊本地区
日時:10月25日(日) 10時30分~/会場:九州学院
説教者:清重尚弘 牧師

夏の次世代育成プログラム その2

東海教区 堅信キャンプ

8月18日から20日の3日間、東海教区宣教部主催の堅信キャンプが岐阜県の根尾クリスチャン山荘を会場に開かれました。
今年は「近づいてくださる神さま」というテーマで、ご自分の方から私たちに近づき、そして生かしてくださる神様について使徒信条を通して学びました。
小学5年生から高校生までの参加者とスタッフたちを合わせて20名ほどの小さな集まりでしたが、家族のように親しく過ごしました。バーベキューをしたり、きれいな渓流で水遊びをしたり、近くの温泉に出かけたことなど、参加者にとって楽しい思い出いっぱいのキャンプとなったことでしょう。
(キャンプ長 齋藤幸二)

九州教区 中高生キャンプ

8月3日~5日。九州教区では、今夏も「中高生キャンプ」が行われました。場所は、いつもの阿蘇山荘。きれいに床と畳が張り替えられた心地よい山荘で、中高生15名とスタッフ16名の総勢31名が、和気あいあい2泊3日を過ごしました。
今年のテーマは「イエスさまとふたりのマリア」。ふたりのマリアとは、マルタの姉妹マリアとマグダラのマリアです。ふたりのマリアがイエスさまとどのように繋がり、自らの足で立とうとしたか? それを中高生たちにも考えてもらい、自身の自立についても思いを巡らして欲しい……そのような願いをこめて、スタッフ自ら熱演スタンツや激論パネルディスカッションを繰り広げました。キャンパーもスタッフも、多いに楽しんだキャンプでした。
(キャンプ長 日笠山吉之)

宣教と財政

7月25日(土)、「教会の財政を考える」(教区主催、宣教ビジョンセンター担当)と題して、東京教会にてシンポジウムを開催しました。参加者は60名余。
宣教論には財政的裏づけが不可欠ですが、これを素通しした論が先行し勝ちです。原因は、ルーテル教会全体の財政仕組みが複雑なため、信徒だけでなく、自分を含めた牧師もよく理解していないからと思われます。この課題を克服するための会でしたが、各個教会に留まらず、実は全体教会の財政も含めて緊迫した状況にあることを知る機会となりました。ここからどう宣教のビジョンを語るのか。小手先の宣教論はもう通用しない、しかし新しい宣教論を構築する良き機会とも言えるのだと感じました。
(立山 忠浩)

会議のお知らせ

■常議員会
第23回総会期第5回常議員会が左記の通り開催されますので、議案のある方は、所属教区常議員会を経て、ご提出ください。

【日時】
11月9日(月)~11日(水)
【会場】
ルーテル市ヶ谷センター
以上
2009年10月1日
常議員会
会長 渡邉 純幸
書記 立野 泰博

ELCA総会 報告

アメリカ福音ルーテル教会は8月の総会において、声明「Gift and Trust(賜物と信頼)」を採択した。可決には三分の二の賛成が必要となるが、投票の結果676対338、三分の二ちょうどの得票数で可決となった。採択した声明文に基づき、それに伴う規則改正が提案され、その中のひとつで今回最大の注目を集めた同性愛教職者の扱いについても決議された。同性愛者どうしの間柄を「生涯にわたる一対一の社会的責任関係」と定義し、結婚(marriage)と区別したうえで、そのような関係にある教職者を容認するよう、各教会に働きかけていくことを議場は採択した。しかしながら今回の投票結果からもわかるように、この決議に賛同しない教会も多数あるため、マーク・ハンソン総裁監督はその事実に目を向けるとともに、相互の信頼を築くための話し合いと祈りを呼びかけた。
またもうひとつ注目すべきこととして、合同メソジスト教会とのフル・コミュニオンを賛成多数で可決した。フル・コミュニオンとは、信仰告白の共有、洗礼と聖餐の相互承認、合同礼拝、信徒の転籍、牧師とその職務の相互承認などを意味する。今回の締結でELCAがフル・コミュニオン関係を築いた教会は6教会となった。
(浅野 直樹)

FAX番号変更

松本教会FAX番号が変わりました。 FAX:0263-31-5812

全国教師会退修会報告

2009年度の全国教師会・教職退修会が、去る9月7日(月)~9日(水)にかけて、熱海の金城館において開催された。
退修会のテーマは「今日のミッション・フロンティア ~宣教、教会と社会の接点において~」である。参加は、在籍110名(宣教師含む)の内、87名。開会礼拝は、神学校創立百周年を記念して行われた。
内容としては、主としてELCAの世界宣教局長のマルピカ師の講演を始め、討議項目として、教会と接点を持つ学校法人や社会福祉法人、及びNPOの各代表の発題とグループ討議、牧師の任用と給与を巡る諸問題、牧師の研修制度等が議論された。祝福された退修会であった。
(教師会会長 高井保雄)

訂正

「るうてる」9月号の『お知らせ」欄に案内しました「神学校(ルーテル学院)100周年記念式典」の記念講演の講師のお名前が「寛」となっていますが、正しくは「實」です。訂正し、お詫びします。

09-09-15るうてる《福音版》2009年9月号

機関紙PDF

バイブルメッセージ  ありがとう

イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』マルコによる福音書4章40節

ありがとう。何が?
新しい目覚めはどこから来るの? 今、あなたの周りにいる家族は? あなたの命は?あなたの笑顔は? あなたに与えられていないものなんてどこにあるの? もらった時は何て言う? 「ありがとう」だよね。
新しい目覚めをありがとうございます、ってさ。毎日言えることってすごいよね。
末期ガンの父は朝、目覚める度に叫んだ。「うぉー」って。「オレは今日も目覚めたぞ、生きてるぞ」って。
「明日なんか来なければいい」と思って眠りについた時……。「明日が早く来ないか」と思って眠りについた時……。「どうして……夢ならいいのに」と思う現実の中にいるあなたにも、同じような目覚めが与えられる。かけがえのない今が与えられる。
もし、1日が悲しみでもなく、怒りの中ででもなく、「ありがとう」で始まるのなら。もしいっぱいの感謝から始まるのなら、どんな1日になるのだろう。
あなたが出会う一つひとつの全てのものが与えられていることに気付くでしょう。光も風も自然も全てが。1日が感謝で溢れるでしょう。
こんなことに出会いたくなかった……と目を覆いたくなるような現実も起こるかもしれない。きっと、たった1人だったら逃げたくなる現実がある。
でもね、あなたは1人じゃないんだよ。共に泣いてくださる方がおられるんだ。あなたのために祈ってくださる方がおられるんだ。
だから逃げなくていいんだ、ここにいていいんだよ。
新しい目覚めも、命も全てが与えられている。
なぜ?
それはあなただから。
あなたを信じている方がおられる。あなたを待っている方がおられる。その方は、遥か遠くから手招きしてあなたを大声で呼ぶのではなく、あなたが声にならないうめきでしか叫べないときでも聴こえるくらい近くに、静かにあなたに語りかける声が確かにあなたに感じられるように、魂に寄り添ってくださる。
だから安心していていい。
あなた自身が信じられない時があってもあなたは信じられている。あなたが祈れない時があってもあなたは祈られている。
簡単なことだよ。「ありがとう」って伝えればいいんだ。
全てのことは、あなたに与えられている。あなたを一番大切にしておられる方から与えられている。あなたを大切にしてくれる方は弱っちい得体の知れないような方じゃない。あなたを大切にしてくださる方は、光も風も自然も全てを創られた方なんだよ。だから安心して。
あなたは生きてていいんだよ。
S

イエスの生涯

【その3】弟子を招くイエス マルコによる福音書 1章16~20節

【祈りの言葉】
主よ、あなたの働きへと
「来なさい」と召されるとき、
「はい」と応えることができますように。

人形制作/杉岡広子
http://www.bibledollministry.com/

ネパールワーカー楢戸健次郎先生 ナマステ、サンチャイチャ

Q. 貧困が大きな課題になるとのことですが、貧困を克服するには教育が大切になってくると思います。教育の普及はどうなっていますか? 例えば識字率などは?
A.識字率は統計では52%くらいです。ただ小学生の男女では識字率が違います。女の子は母親の手伝い、家事労働をしますのでどうしても学校に行く時間がありません。朝から水を汲みに行くにも1時間以上かかります。夜は動物の世話をします。男の子は母親が家事をさせません。それは大人になっても同じです。女性は朝から晩まで働きます。そのため田舎では小学生女子の卒業率は50%くらいといわれています。そうすると、どうしても識字率が下がってしまいます。
学校はたくさんあります。チョウジャリだけでも、病院から歩いていける範囲に十数校あります。公立のほか私立も4つか5つあります。お金がないのに私立があるのは、公立は資格を持つ先生が少なく、またネパールは時間にうるさくない国で、それは学校も先生も教会もそうなのです。1時間遅れで始まったり、2.3時間で帰ってしまったり、きちんと教えない、ということもあります。先生にも言い分があって、きちんと給料をもらっていないからというのです。これでは子どもの将来が危ぶまれると、私立の学校(月に300円ほどかかる)に行かせるようになってきているのです。一言で言えば教育熱心です。教育の必要性は認識しています。
それから貧困と関連したことですが、高校を卒業して成績が良く意欲があっても、お金がなくて上の学校に行けないということがあります。上の学校に上がれる子は、田舎にいくと5%ほどしかいないのです。
Q. JOCSではそういった子どもたちに奨学金を贈っているそうですが……?
A.JOCSの外国での働きは大きく2つです。1つはワーカー、人間をその国に送ることです。
JOCSではお金と物を持っていくことをしていません。「長期滞在型の海外医療協力」というのがキーワードです。そこに長くいて一緒に言葉を覚えて友達をつくり、問題を発見して、そこにある資源を使いながら、問題解決のために汗を流す。少なくとも10年くらい、そこにとどまります。3年4年ではものが見えてくるはずがないのです。「継続可能な協力とは何かということを考えて一緒にやってみなさい」と送り出しています。
もう1つは、その国の保険医療制度などはその国の人がやるのが理想ですから、奨学金という形で応援をしています。現在、96人ほどいます。今まで関係した国、ワーカーを送った国の人に奨学金を出しています。原則は相手団体の職員が対象でスキルアップ、レベルアップのためです。
ただし、それだけでは十分ではありません。有志の皆さんから預かったお金で、JOCSの奨学金の枠からもれるけれど、その地域の保健医療を担いたいという人に奨学金を出して応援しています。1年間に3人です。家が貧しい人、必ず地域に戻って保険医療を担うこと、仕事に就いたなら毎月奨学金の5%を返金すること、そして、それを元に次の奨学金にしていく……。そういうことをスタートさせています。
しかし、問題は卒業したあとの仕事場がないことです。今後はそのことを考えていかないといけないと思っています。
(つづく)
写真提供:JOCS http://www.jocs.or.jp/jocs/index.html

毎日あくしゅ

「ぼくのお父さん?」

朝日が昇るころ、島から一隻の船が出ます。施設の子どもたちが園にやってくるのです。親と離れて共同生活する子どもたちが入園することになって、7年ほどになります。その間に、楽しい思い出がいっぱいできました。
Sちゃんという男の子がいました。生まれてすぐに島の施設にやってきました。とても笑顔がかわいい子で、牧師先生が礼拝に来られるたびに「ぼくのお父さん?」と聞いていました。それも毎週のことです。牧師先生も「ぼくたちのお父さんは天にいらっしゃるんだよ」と答えておられました。園に郵便やさん、宅配便のお兄さんが来るたびに「ぼくのお父さん?」と聞いていました。
Sちゃんはお父さん、お母さんの顔を知りません。生まれてすぐに施設にやってきたからです。島にある施設でしたから、町にやってくることも少なかったのでしょう。園にやってきては、お父さん探しをしていたのです。そこで神様のお話を聞き、天におられるお父さんのことを礼拝で知ったのです。
忘れられない思い出がもうひとつ。Sちゃんは毎日園長室にやってきて、ニヤッと照れながら「えんちょうせんせい」と声をかけてきました。「だっこ」をおねだりするのです。「だっこ」されると、とても笑顔になって、なんと、胸をさわってくるのです。はじめはびっくりしました。でも毎日やってきて「だっこ」され、胸をさわりながら安心した表情をするSちゃんを見ていると、わたしも同じように神様の腕のなかに包まれているような気がしました。
卒園式のとき「園長先生の胸をさわったのはSちゃんだけよ」と先生方から言葉をかけられニコ~っと笑った顔が忘れられません。神様がいつもその腕の中で守っていてくださる。そのことをいつまでも覚えていてほしいと思います。
Sちゃんいつでも園長室で待っているからね。ここもあなたの家だから。
(園長

09-09-15るうてる2009年9月号

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ルーテルこどもキャンプ

サンガイジウナコラギ みんなで生きるために

去る8月6日より8日の3日間、今年は三鷹市にある日本ルーテル神学校・ルーテル学院大学を会場に第11回ルーテルこどもキャンプ(TNG&JELA共催)が開催されました。広島では平和を、東京では諸外国を交互に学びます。小学校5・6年生を対象にしたこのキャンプ、今年は「ナマステ・サンチャイチャ(ネパール語で『こんにちは、げんきですか?』という意味)」をテーマに、エベレストを有するネパールについて聞き、学び、触れ、感じるキャンプを行いました。
全国から集まった子どもたちは総勢34名、長くネパールで暮らし働いておられた高津妙子さん(元JOCSワーカー)や、ネパールからやってきた留学生のユガルくんからネパールの国について、子どもたちについて、食べ物について、生活について、そして何より人々の「温かい心、隣人を思いやる心」を学びました。また、ネパールの子どもたちが実際に遊んでいる遊びをし、ネパール語の歌を歌い、習ったネパール語で買い物をし、お友だちをシーツでつくった担架で石居チャプレン扮するドクターのいるところまで運んだりと、さまざまな体験を通して、ネパールに、そこに住む子どもたちに思いをはせることができました。
最終日、子どもたちの学びと体験、そして「隣人を思いやる心【サンガイジウナコラギ(みんなで生きるために)】」は、閉会礼拝の最後、みんなの手に渡された風船に込められ、一人ひとりの未来に、まだ見ぬ隣人と出会うその時に向かって、飛び立っていきました。
「ネパールという行ったこともない、あんまり耳にしたこともない国、たいへんなこともたくさんあるだろうけど、素敵な笑顔の子どもたちがいる」。子どもたちは大人が思う以上のスピードでネパールと、そして全国から集まった子どもたち同士と打ち解けていきます。世界中の子どもたちが出会う機会があったなら、それがたとえ3日でも、世界は今よりもっと平和になる、そう思わずにはいられない3日間となりました。
最後になりましたが、子どもたちを送り出してくださった保護者の皆様、教会の皆様、そして様々な形で祈り・ご協力くださった全国のルーテル教会の皆様、女性会連盟の皆様、日本ルーテル神学校・ルーテル学院大学の皆様に心より感謝し、お礼を申し上げます。ありがとうございました。
(キャンプ長 小泉 嗣)

夏の次世代育成プログラム

広報室長 徳野 昌博

全国それぞれの教区で、次世代を担う小学生、中学生、高校生たちを対象とした夏の行事が今年も行われました。
全国レベルの「ルーテルこどもキャンプ」は1面(上記)に、北海道、東、西からの報告を4面に掲載しました。キャンパー、スタッフの皆さん、おつかれさまでした。そして、取材へのご協力ありがとうございました。
「ルーテルこどもキャンプ」は、上記の通りルーテル学院大学と広島教会で隔年開催です。今年はルーテル学院大学でしたが、広島教会でも、ルーテル保育所の年長組が、折りヅルを作って世界平和の祈りをささげました。「こどもキャンプ」の参加者の思いは保育所に通う子どもたちにも受け継がれています。
(4面に関連記事)

風の道具箱

赤とんぼの優しさ

夏の暑さが最高潮になるお盆の頃、故郷の阿蘇では赤とんぼが飛び始めます。赤とんぼは「秋」のイメージですが、夏の最高潮は秋のはじまりなのです。
昼間に歩くと太陽を頭に乗っけているような「九州の夏」。夜寝ていても汗をかいてしまう「うだる夜」。甲子園が一番面白い準々決勝の頃は、外出だけはさけたい時期です。しかし、それもお盆を境に風が一変するのです。
ちょうどその時、赤とんぼが飛び始めます。これ以上にない暑い夏のさ中に、赤とんぼを見た瞬間、頬にあたる風に秋を感じるのです。それは、辛く苦しい、もうだめだと思った瞬間にイエスさまの優しい眼差しに出会った時と同じです。
赤とんぼは、夏を乗り越えた私たちに、秋を運んでくれます。夏の暑さに負けずに飛ぶ赤とんぼは、もう秋がきてますよと告げています。神様が赤とんぼに与えた使命は、秋の優しさを伝えることなのです。
(柿のたね)

Information

■ルーテル学院創立百周年記念
ルーテル学院・聖望学園
浦和ルーテル学院 三校の集い
日 時 10月3日(土)10時開場 13時まで
会 場 東京カテドラル聖マリア大聖堂
司 式 河田優(ルーテル学院チャプレン)
説 教 江藤直純(ルーテル神学校校長)
■讃美奉仕■
ルーテル学院、聖望学園、浦和ルーテル学院聖歌隊、ハンドベルクワイア、湯口依子(オルガン)、石井真(トランペット)
※入場無料ですが整理券が必要です。
詳しくは下記までお問合せください。
■問い合わせ先■
ルーテル学院 チャプレン 河田優 0422-31-4611

牧師の声

私の愛唱聖句

唐津教会、小城教会 牧師 箱田 清美

わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。
フィリピの信徒への手紙 3章12節
神学校に入って一年ほど過ぎた時、そこにいることにどんな意味があるのかという疑問が湧いてきました。
大学闘争終焉の頃大学生となり、その後「神学」の輩となったものの、そこでの授業はかつて学生時代に感じた「何かが足りない」という思いを払拭出来ないでいました。教義は理解できても、人間が「生きる」ということの基本に触れて語りかけてくるようなものとは思えなかったことが根底にあったのでしょう。ある日、授業の終わりに、教師に問いました。非常によい講義を受けた日でした。
「今日の先生のお話は、なるほどと思わされた。それは頭では分かるのですが、自分の腹・こころにズシンとこない。いつもこういうことの繰り返しのように思うが……」。「問いを正確には理解していないかも知れないが」と断わって、「わたしたちは『キリスト・イエスに捕らえられている』のだ。だから、捕らえられた者として、この授業では、その次のことをしているのだ」というような返答がありました。小川修先生の宗教哲学の時間でした。何かを気付かせてくれたように思いました。「何とかして捕らえよう」と焦りにも似たものが自分にはあるが、しかし「捕らえられているのだ」ということへの思いが薄らいでいたことに思い至ったのでした。「捕らえられた者として」、それがわたしのその後の神学的研鑽の原点に置かれた視点でした。「自分中心」のあり方から、「神中心」のあり方へ。それを「生活する」のは、今でも模索の中にありますが、しかし、神学をする意味だけは見出したのです。
その後、なぜキリスト・イエスに捕らえられるのか、初期のクリスチャンたちは、なぜキリストに捕らえられたのか、その痕跡は聖書にすでにあるが、聖書はなぜ正典なのか、そのような問いを、「捕らえられた者として」抱きつつ、神学をしてきました。
牧師になり、かれこれ30年を経んとする今日、失敗の連続の後ろを振り返りつつ、いつも道半ばの思いだけがわたしを包んでいます。巷の同年の人はもう定年の年齢なのですが、そのような年齢に達して、また原点に帰る思いと恵みをこの欄で与えられました。牧師とは不思議な職業(ベルーフ)です。

信徒の声

教会の宝石を捜して

九州教区 熊本教会  村口 昭則

村口昭則兄は今年で82歳になられました。愛車を運転して奥様と共に礼拝に出席されている村口兄のポケットにはいつもキャンディが入っています。朝お会いした時に手渡してくださるだけでなく、礼拝中に咳き込んだ方にそっと渡しておられます。そんな温かいお人柄の村口兄に、半世紀にわたる信仰生活の思い出を、少しだけ教えて頂きました。
信仰歴を教えてください。
1958年4月6日イースターに江口武憲牧師より受洗、51年になります。
どのようなきっかけで教会に来られたのですか?
戦後12年経過した1957年に、ラジオ伝道放送ルーテルアワーを聞いたのがきっかけです。初めは躊躇しましたが、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」というマタイ7章7節の導きにより熊本教会を訪れ、教会生活を始めました。
教会生活の中で印象深い出来事は何ですか?
第5代の江口牧師から現在の朝比奈牧師まで8名の先生方に導き育まれました。また先に御国に召された信仰の先達ならびに現在の兄弟姉妹方の祈りと導きにより、 時代の流れの中を共に歩み、その間宣教100周年を迎えることが出来ました。心から感謝しております。
1985年より、九州女学院(現・九州ルーテル学院)に勤められています。どのような思いがお有りだったのでしょう?
朝な夕なに讃美歌を聞きながら、若い学生との交わりが出来たことを感謝しています。若い人が教会の礼拝に出席されるよう、伝道の思いを持って努めた次第です。
最後に村口さんの信仰の心構えについて聞かせてください。
神様が創造されたこの世界の守り手として、神様の恵みに感謝し、神様と人に仕え、御国の建設の為に希望に燃えつつ確かな足取りをもって、主が共にいてくださることを覚えつつ歩み続けたいと思います。
* * *
ありがとうございました。これからも教会の長老として、お元気で活躍されることをお祈りしています。
(インタビュー 朝比奈 晴朗)

7.高齢者伝道シリーズ(P2委員会)
人生の黄昏に福音の光を
大垣教会、岐阜教会 牧師  齋藤幸二
昨年、花見に行ったとき、定年を過ぎたであろう1組の夫婦と会い、言葉を交わしました。彼らの姿にほほえましさを感じましたが、同時にさびしさも感じたのです。老後の楽しみを求めても、近づきつつある死の闇を解決する光はそこにないように思えました。私には彼らが、希望を失い、夕暮れのエマオへの道を歩いている2人連れのように見えたのです(この2人連れはクレオパとその妻であったともされています)。
教会にとって、人生の夕暮期にある人々(団塊の世代である私も含めて)への宣教を考えることは、子どもや若い人々への宣教を考えることに劣らず大切なことです。それは、将来教会の戦力になるから、ということではなく、大切な1人の魂を神の国へ刈り入れるという、教会の本質的な働きに関わっているからです。そしてその働きは教会にいる同世代の人に与えられた課題ですから、この世の仕事をリタイアした今こそ、一人ひとりキリストの証し人、宣教者になりたいと思います。
エマオへの道を急いでいた2人は、見知らぬ姿で近づいたキリストの言葉に心を燃やされ、さらにキリストとの出会いを体験して、喜びの知らせを告げにエルサレムに向かいました。彼らの人生の方向が変わったのです。そしてキリストは今も、私たちを通してエマオに向かう人々に近づこうとされているのです。

いのち、はぐくむ   中井弘和

第6回 故 郷

親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。
幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。
(ルカによる福音書
2章39~40節)
昨年秋、全国ディアコニア・ネットワークのセミナーに参加して、韓国の古都、慶州市の郊外にある「ナザレ園」を訪ねました。そこには、戦争中、日本人妻として韓国に渡り、不遇を重ね辛酸をなめつくして行き場を失った20名ほどのおばあさんたちが人生最後の日々を送っています。午後の礼拝をともにし、しばし交流の時を持った後、一緒に賛美歌「主われを愛す」を歌って別れることになりました。ところが、それを歌い終わる間もなく、どちら側からともなく自然にあの唱歌「故郷」の歌がわきあがり大合唱となりました。
第3番「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん……」までくると、胸がつまって声が出なくなりました。想いはみんな同じだったでしょう。歌いながら、心は確かにひとつになっていました。実は、生きては再び故郷に帰ることのできない彼女たちと、その日本からやって来て、すぐまた戻り行く私たちとの間には大きな心の溝があるのではないかと密かに気にかかっていました。そんな杞憂がとけ去り、癒されたのは、おばあさんたちの突き抜けるような朗らかさと寛容さに包まれたからにちがいありません。
あの3番には、生涯をかけて信仰という志を果たして天国に帰る、という意味があるとも言われます。日本の近代音楽の基礎をきづいたとされる、「故郷」の作曲者、岡野貞一(1878~1941)は、生涯をキリスト教への信仰に捧げた人でもありました。音楽活動のかたわら、教会礼拝のオルガン奏者を40年以上にわたって務めていました。その作詞者の意図は別にしても、この歌には、イエスへの深く敬虔な心が響いていることは確かです。
「韓国の土にはなっても、魂は日本の故郷に帰る」というおばあさんたちの望郷の念は想像に難くありません。そのような重い言葉の前に私の心はたじろぐばかりです。山も川もすっかり汚れてしまった日本に彼女たちの魂が帰るべき故郷は在るのだろうかと。しかし、共に歌い涙を流していた時、おばあさんたちが見ていた故郷は、日本よりはるかに遠く美しい国、神の国だったのではないかと、今は思えるのです。

路帖百年。1909年~2009年

神学校のルター神学への貢献(2)

太平洋戦争後から現在へ
太平洋戦争ののち神学校再建に当たられた岸千年校長は、一時は総会議長をも勤めながらの忙しい働きをされた。もともとはバルト神学に関心を寄せられたが、バルト神学全盛時代の日本の中で、ルターについて、また北欧を初めとするルター神学書を翻訳紹介、自らも『ヘブル書講解におけるルターの神学思想』(1961)を著し、ルターの信仰理解の鍵ともなる試練の問題に取り組まれた。聖文舎を根拠として、広く日本の学者たちの援助を受けて『ルター著作集』(1963)の発刊の中心となり、ご自身の訳業も加えられた。さらに「ルター学会」(1971)発足を図られた。
著作集や学会の働きは徳善義和教授が要となって受け継ぎ、さらに鈴木浩教授がその後を受け、偏狭でないルター研究の中心となっている。また徳善教授を中心に「ルター研究所」が学内に形成され、『ルター研究』誌や教文館からの『ルターと宗教改革辞典』(1995)、『ルター著作選集』(2007)の発行となった。『ルター著作集』第二集も聖文舎ののちリトンが発行所となり、その作業が研究所を中心に続けられている。学内でも研究所提供のルター研究の講義や主として牧師たちのためのルター・セミナーも開かれている。
(石居正己)

関門の丘から 松隈 勁

あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
(ペトロの手紙一4章10節)

9月。夏休みが明け、生徒たちが学校に戻ってきた。しばらく見ないうちに、なんとなく、たくましくなった様子が感じ取れる。自己を律しながら過ごした1ヵ月半の貴重な体験の蓄積がそのように感じさせるのかもしれない。
9月の終わりに催される梅光祭(文化祭)に向けてのあわただしい日々が、いよいよ始まる。とりわけ、1学期後半から始めた合唱コンクールに向けての練習は総仕上げの時期を迎え熱が入る。クラスが一丸となって取り組んできた成果が問われるだけにどのクラスも熱心だ。梅光祭は部活動にとっては1年間の成果を発表する晴れの日でもあるが、クラス企画や有志の参加もあって賑やかな1日となる。教師にとっても生徒一人ひとりがこんなにも多くの賜物を持っていることに感心させられる1日でもある。
学校とは、学力だけでは計ることができない多くの賜物を持った個々の生徒たちの進路を保証する営みをなす場所である。地方のミッションスクールは、そこに集う子どもたちの学力の層は幅が広い。また、いじめなどに傷ついた子ども、ハンディキャップを背負った子どもたち等を広く受け入れながらそれぞれに異なった賜物に寄り添っていく場所でもある。近年、少子化が進む中で私学の多くは進学実績一辺倒の経営方針に偏ることに生き残りをはかり、それに成功してきたかのように思われる。しかしミッションスクールの使命は一人ひとりを大切に育てていくことにある。本校は生徒の数だけ選択教科があるといっても過言ではないくらいにきめ細かい指導体制をとっている。その理念を愚直に堅持することはあるいは時代の要請に逆行することになるのかもしれない。事実、本校の生徒数は一時期に比べると半数にも満たない状態にある。試練の時である。
敬愛する恩師の声が聞こえる。「狂える強者のための教育を廃し、弱者が強く生きていくことができる知恵を与える教育こそミッションスクールの教育ではないだろうか」。ミッションスクールは幾度となく苦難の時期を歩んできたがいつも聖書の言葉と、その教育を是とする同窓生に支えられながら耐え忍んできたと思う。

西教区教師会より

西教区教師会では毎年牧師退修会を行い、親睦と研鑽を深めています。今年は5月18日から20日、岡山県の鷲羽山にて行われました。テーマは「新教会」となったシオン教会と、下関・厚狭・宇部教会における教会共同体の取り組みについて、西中国地区の宣教を取り上げました。
複数牧会、1人の牧師が2つの教会を受け持つのは当たり前、3つ以上という事態が起こっています。西中国地区ではそれぞれの牧師が複数牧会をしています。そうなりますと1人が体を壊して休職した場合、もう1人が1週間で5か所の礼拝を司ることになり、実際にそれが起こりました。都市と違って学校機関があり、引退した教職が近くに住んでいるわけではありません。ヘルプもなく、サポートもないのです。
私自身当時牧師補でありながら、地区長の任が与えられました。つまり、まだ2年目でありながら、この地域に私よりも長く牧会に携わる正規の教職がいないということです。このような実情を過去の牧師配置図に照らし合わせて検討をいたしました。そうしますとここ数年、牧師が2~4年間の短期間で交代していること、その度に経験のない新卒者が派遣されていること、新卒者を指導する経験の豊かな牧師が近くにいないこと、休職者の補充がないこと、主管者は事実上教会に関わることができず名前だけの主管者となっており、どこまで主管者として責務を果たすべきなのか不明瞭であることなど、いくつかの課題が上げられました。
そこから導き出される結論は、牧師を支援するようなネットワークや体制が必要だということです。このような課題は各個教会や地域教会の努力だけで克服することはできません。組織上の課題として牧師の育成や配置をどのように考えるのか、宣教計画を含めた長期的な展望が求められます。
西教区教師会では2泊3日という貴重な時間を割いて、このように退修会を行っておりますが、それは孤軍奮闘している新卒者や若手牧師をサポートする充実した時となっております。これも教会の応援があればこそ。諸教会のご理解とご協力に心から感謝いたします。

西教区教師会会長 小勝奈保子

日本福音ルーテル教会教師志願者募集

2009年度の日本福音ルーテル教会教師試験を先により行いますので、志願者は、必要事項を添付して、本教会事務局にお申込みください。
― 記 ―
一、提出書類
1.教師志願書
2.履歴書
3.教籍謄本
4.成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書
5.所属教会牧師の推薦書
6.神学校卒業(見込み)証明書及び推薦書
7.健康診断書
二、提出期限
2009年9月18日(金)午後5時
三、提出先
日本福音ルーテル教会 常議員会会長 渡邉純幸(但し、書類の送付先は、日本福音ルーテル教会事務局とする)
四、試験日及び試験内容については、本人に直接連絡する
以上
日本福音ルーテル教会 常議員会会長
渡邉純幸

夏の次世代育成プログラム

北海道特別教区ルーテル子どもキャンプ

教区主催のルーテル子どもキャンプは、8月3日~4日、日高山脈の麓、原生林樹海の中にある穂別キャンプ場で行なわれました。子ども44名、スタッフ21名の大所帯です。ヨセフ物語をモチーフにしたプログラムは、なかなか良く工夫され、それが進行するにつれて、神さまが共にいてくださることを、より深く学んでゆけるように組み立てられ、子どもたちも関心を持ってついて来てくれました。
1年生は皆、今年3月までは、幼稚園の年長さんだった子。その子たちが、ぎこちない仕草ながら、丁寧に食器を洗う姿には、ちょっとじんとくるものがありました。
(キャンプ長 重富克彦)

東教区 ティーンズ夏の献身・堅信キャンプ

ティーンズ夏の献身・堅信キャンプが7月27日~31日に諏訪教会で行われました。ワークやハイキングをしたり、今回のテーマ「NEED YOU!」について聖書に聴き、語り合い、思いを深めたりと、とても充実した5日間となりました。
(担当牧師 安井宣生)

関西CSキャンプ

8月6~8日、奈良県の月ヶ瀬で47回目のキャンプが開催されました。今年のテーマは「まいごの羊」、遠足で一人きりで宿舎に帰って、不安な気持ちを分かち合ったり、毛糸で羊の人形を作ったり、楽しい時間を過ごすことができました。
ここ数年、百名をこえる規模で行われてきましたが、管理責任の問題やスタッフの重荷を考え、日頃から教会学校に来ている子どもたちを対象にすることで、今回は60名になりました。そのことで一人ひとりの子どもたちに、より深く関わることができたことは課題はありつつも収穫でした。また中高生も独自のプログラムを持つことができました。
あと何回数えることができるか? 一回、一回を大切に育てていきたいと願っています。
(キャンプ長 松本義宣)

※10月号では東海教区、九州教区と東教区宣教ビジョン・センター関連記事を紹介します。

お知らせ

■南米の教会音楽の楽しみ アルゼンチンからパブロ・ソーサ氏を迎えて
日時:9月15日(火) 18時30分~21時/会場:日本聖公会 聖アンデレ教会
参加費:1500円(当日会場で受付。どなたでも参加できます)
お問合せ:宮崎 光(日本聖公会 東京教区礼拝音楽委員会) TEL:042-493-7472
■日本福音ルーテル社団創立100周年記念礼拝
日時:9月22日(火・祝日) 10時~12時/会場:JELAミッションセンター
説教者:A.エリス引退宣教師
■神学校創立100周年記念
パネルディスカッション「どうする、どうなるルーテル教会の宣教」
日時:9月22日(火) 15時~18時/会場:JELC東京教会
■神学校(ルーテル学院) 100周年記念式典
日時:9月23日(水・祝日) 10時~12時/会場 三鷹市公会堂
記念式典:記念講演・鎌田寛氏「命を支えるということ」
■神学校創立100周年記念講演 日野原重明氏 講演会
日時:10月12日(月・祝日)14時~15時30分/会場:ルーテル学院大学

住所変更

小嶋 三義 (引退教職)
〒204-0023 東京都清瀬市竹丘1-17-24 ケアハウスいずみ214
電話、FAX共用:042-496-7580

新事務局移転完了

8月17日、「ゆったり空間・一つに集う」の念願であった教会事務局移転が完了しました。
これまで、宣教・広報室、総務室、事務管財室の3部屋に分かれ連携に苦慮していました。聖文舎跡利用のチャンスを逃さず移転を決定し施行しました。
新しい事務局配置案は事務局長が担当し、中心にテーブルを置き、全員が中心にすぐに集まれる配置にしてあります。各自の働きの充実と、共働を目指しています。東京においでの時はぜひお立ち寄りください。

09-08-15るうてる《福音版》  2009年 8月号

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バイブルメッセージ  光と影

神よ、天の上に高くいまし栄光を全地に輝かせてください。 日本聖書協会『聖書 新共同訳』詩編108編6節

いよいよ、夏本番です! このジリジリと照りつける太陽の日差しが、街路樹の下に鮮明に枝葉の影を映し出しています。
小学生の時、太陽の動きと影のでき方を観察するという夏休みの理科の宿題がありました。白い紙の上に一本の棒を固定させ、紙に映った棒の影の先端に一時間おきに印を付けていく……。すると、太陽が東から南に移動するに従いその影は短くなり、南から西に移動するにしたがって、また長くなる。そして、最後、その並んだ点を結ぶとなめらかな曲線ができるという昔から当り前のことでも、初めて知った幼い私には、それは大きな発見でした。
それからだいぶ経って後、赤道直下では太陽が一番高い位置に昇ったとき、それはちょうど私たちの頭の真上にあるために、人の背後に影はできないということも知りました。
また、小学生のときにこんなことがありました。晴れた日曜日の教会学校で、先生がカーテンを閉めて薄暗くした部屋の中、「これからカーテンを一気に開けますから、何か変化を見つけてください」と。そして、カーテンがサッと開いた瞬間、「わぁっ~、ほこりがいっぱい飛んでいるのが見えるー」と子どもたち。それに対して「部屋が暗いときには、このたくさんの埃は見えなかったけれど、明るくなったら空中に飛んでいるのが良く見えますね」「この光は神様の光です。神様から離れて隠れていても、神様の光が当たると、私たちは、この埃のように全部見えてしまうんですよ」と、先生はお話しされました。
私たちが神様を遠くに見ている限り、自分の影は長く延びる……。言い換えれば、神様から遠く離れている時は、私たちの心の中に闇が大きく拡がっているのかもしれません。けれども、神様を自分の真上に、近くに見たとき、私たちの影も短くなる。それは、神様が近くにいてくださると信じるときに、私たちの心の中の闇も消されて明るくなっているということではないでしょうか。
そして、人からは気づかれていない、あるいは知られていないと思っている態度や行為も、神様の眼差し、光が射しこめば一瞬にしてその姿は明らかにされるのです。

夏の日々、太陽の光を全身に浴びるように、神様の光を心いっぱいに受けて元気に輝きましょう!
JUN

イエスの生涯

【その2】荒野の誘惑 マルコによる福音書 1章12~13節
【祈りの言葉】
主よ、毎日・24時間の誘惑から守ってください。
信仰によって誘惑に打ち勝つ力を与えてください。
あなたがいつも共にいてください。
人形制作/杉岡広子
http://www.bibledollministry.com/

ネパールワーカー楢戸健次郎先生 ナマステ、サンチャイチャ

Q. 日本でいう保健婦さんは、いらっしゃるのでしょうか?
A.カトマンズには探せばいるかもしれませんが、ほとんどいないと思います。
田舎では、外来に来てもらうのに平均して片道6時間かかります。道路がないからです。保健婦さんが訪問と言っても1日に1軒行けるかどうか、というところですよね。
これから都会(カトマンズやポカラ)では、日本で言う老人医療の問題や緩和ケアの問題などが出てくると思います。もともとネパールは大家族制で、家族で助け合うのが一般的です。都会では既婚女性も働きに出たりするので、お年寄りがどうしても家に残るようになりますね。そうすると、保健婦さんが必要になってくるかもしれませんね。

Q. 地方から都会への人口流出も?
A.かなりあります。カトマンズは今、一応人口100万人と言われていますが、戸籍がしっかりしていないですし、統計もあてになりません。実際は200万とも300万とも言われています。
田舎は9割以上が農業で、現金収入がありません。現金収入がないと物が買えません。都会に行けば何か仕事があるのではないかと、たくさんの人が出て来るのですが、仕事はなく、だんだんスラム化してくるなど、いろいろな問題が出てきています。

Q. 先生のように外国から医療協力に来ている人は多いのですか?
A.正確にはわかりませんが、多分100人くらいだと思います。いろいろな国から。
その多くはキリスト教系のNGO団体(からの派遣)です。昔、岩村昇先生がネパールにいたころは「UMN(United Mission to Nepal)」をはじめ13くらいの団体が集まり、ネパール政府と契約して入っていました。一時はUMN関係だけでも20~30人いました。それ以外のミッション、大使館関係などいろいろな形でかなり多くの外国人が来ています。が、正確な数字はつかめていません。
私はネパールで仕事をするために、ネパール医師会に登録していますが登録しないで医療活動している方もいます。正確な人数は把握できません。1ヶ月、2ヶ月の短期の方も本来は登録しないといけないのですが、しないで来ている人も多いので実際の数は掴めていません。
(つづく)

写真提供:JOCS http://www.jocs.or.jp/jocs/index.html

毎日あくしゅ

子どもたちにとって、「遊び」はとても大事なことです。日々の遊びを通して色々な感触を知り、違いを知り、数を知り、ルールを知り、そして、仲間と過ごしながら人間関係を作り上げていく基本を学ぶことができます。
たくさんの遊びの中に「見立て遊び」というものがあります。自然の木々や積み木、お手玉やおはじきなどを自分の思うものに見立てて遊びます。
ある日、2歳児のS君が花びらをたくさんプラスチックの容器に入れて「園長せんせーい、ごはんができたよ」と持って来てくれました。
「ありがとうね。一緒に食べようか……」と言って食べる真似をすると、その子は本当に花びらを口に入れてしまいました。「あ~、本当に口に入れたらだめよ……こうやってあむあむってするのよ」と食べる真似を見せながら、楽しく遊んでいました。そこへ、1歳児のAちゃんがやってきて、一緒に食べたそうにしているので「食べる?」と聞くと、まだ言葉がはっきりしていないAちゃんは「……るー」と語尾だけですが、意志表示をしてご飯を食べました。その後S君が移動する所、する所に、ずっと私の手を引っ張ってついていき、花びらのご飯を美味しそうに食べていました。そして、ふっとAちゃんを見るとタラ~とよだれが……出ていました。
Aちゃんにとって、花びらは何のご馳走になったのでしょうか……本当に微笑ましい光景でした。
地面に散った花びらでさえも子どもたちにとっては楽しい遊びの材料になります。
神さまは私たちにたくさんの恵みをくださっています。そのことに子どもたちと感謝しつつ、毎日楽しく過ごしていけたらいいですね。
(園長)

09-08-10るうてる  2009年 8月号

機関紙PDF

女性会連盟80周年記念 総・大会
6.3~5 熊本テルサ

6月3日~5日熊本テルサにて、「スカッと気分爽快」といった総・大会が開催されました。
ゲストにサウスカロライナ女性会連盟教区会長のダイアン姉と副会長のドナ姉をお迎えし、それぞれに多くの課題を持って、第1回女性会が開かれた熊本に集合。先輩方の足跡を学び、「何かことを起こしたければ、女性会に頼もう!」というアメリカの教会にある言葉のように、女性がリーダーシップを持って、女性が女性の受け皿になって宣教していく時、必ず道は開かれる! と奨励をいただき、また希望を新たに各地に遣わされました。新しい21期(テーマ「キリストにつながる喜び」~祈りあい、支えあう~ヨハネによる福音書15章5節「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝……わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」)は、新会長 谷口美樹姉のもとに動き出しました。
全国のルーテル教会信徒のみなさん! 教会を「元気にするために」つながっていきましょう!
(女性会連盟 前役員 朝倉三枝子)

夏休みこども説教「互いに愛し合うために」

事務局長 立野泰博

ヨハネの手紙一 4章11節
愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。

夏休みがやってきましたね。キャンプへ行ったり、プールで泳いだりして元気でいますか。ちょっと苦手な早起きをしてラジオ体操に毎朝いっていますか。暑い日々が続きますので、健康には注意して、夏休みを楽しんでくださいね。
ところで夏休みは宿題もたくさんありますよね。そこで教会からも、ちょっと問題をだしてみます。答えられるかな?
第1問「イスは何のためにありますか?」。これはわかりますよね。答え「座るため」です。第2問「鉛筆は何のためにありますか?」。簡単ですね。答え「字を書くため」です。第3問、少し難しくなりますよ。「太陽は何のためにありますか?」答えられますか。「私たちや自然、神様が造られた世界の成長のため」ですね。もっと他にも答えがあるかもしれませんが、答えられますよね。それでは最後の問題です。これはとても難しい問題ですから、しっかり考えてください。問題「あなたは何のためにありますか?」どうです? 答えられますか。これは一番難しい問題ですね。私たちは、まわりのことについては、よく知っています。しかし自分のことになると、わからなくなってしまいます。自分は何のために生きているのか。その答えがはっきり出せる人は幸せな人ですよ。
今日読んだ聖書は「互いに愛し合う」ことの大切さを教えています。「愛し合うこと」って言葉としては簡単でも、どんなことでしょうね。何をすればいいでしょうね。その答えは「神様が私たちを愛されたように」です。神様はみんなのことを大切な宝物として守ってくださっています。互いに愛し合うことは、神様が私を愛して大切にしてくださっているように、お互いを大切にすることですね。イエス様の十字架も、私たちを愛してくださったことを教えてくれましたよね。
さて、最後にもういちど聞きますよ。「あなたは何のためにありますか?」。その答えは神様のためにあるのです。神様に用いられ神様のみ心のままに生きるためにあります。そのみ心というのは、「互いに愛し合う」ことです。苦しんでいる友だちがいたら、いっしょに苦しんであげてください。喜んでいるときにはいっしょに喜んでください。あなたは神様からの愛を共に生きるために「ある」のです。

風の道具箱

「幸せのご予約承り」

『寝る前の15秒で幸せになれる』。題にひかれ、本屋で立ち読みです。眠る寸前に何を考えるかで、明日が変わるそうです。
「ああ疲れた」「明日も仕事が大変」と思って眠るのと、「今日も疲れる位に働くことができた」「明日も仕事があって幸せ」と思って眠るのとでは、朝の迎え方が違う。「ああ幸せだな」と思って眠ると、本当に幸せになっているというのです。
なんと、キリスト者が毎日やっていることです。私たちは寝る前に必ず祈ります。「今日も守られて感謝します」「今日も神様に守られ幸せです」と、毎日思っています。キリスト者になって祈ることを学び、「神様が守ってくださって幸せ」と祈ってきました。幸せになれるというより、幸せであることに、いつも気がついています。
祈りの中で感謝するとき、神様は「幸せの予約は承り」と答えてくださいます。今の自分に感謝し祈ることができれば、幸せの予約はすでに完了です。
(柿のたね)

インフォメーション

■るうてる法人会連合第8回総会
日  時 2009年8月25日(火)~26日(水)
会  場 学校法人九州学院
礼拝堂(3号館ホール)及び教室
〒862-8676 熊本市大江5-2-1
電話 096-364-6134
Fax  096-363-2576
基調講演 「キリストの愛を伝える」
講師:賀来周一

■全国教職退修会
日 時 2009年9月7日(月)~9日(水)
会 場 熱海 金城館
〒413-0022 熱海市昭和町10-33
電話 0557-81-6261
テーマ 「今日のミッション・フロンティア」副 題 ~宣教、教会と社会の接点において~

■事務局 夏季休暇のお知らせ
8月12日~14日は夏季休暇とさせていただきます。よろしくお願いいたします。

牧師の声

私の愛唱聖句

九州ルーテル学院 院長・学長  清重 尚弘

幸いなるかな貧しきものよ  ルカによる福音書 6章20節

昔、ニューヨークでの留学生活中のことです。幼い子ども3人と妻に私、とても貧しい生活でした。私は週末の日本語補修校で教え、妻はお年寄りのヘルパーをして家計の助けにしていました。
私の暮らしぶりを心配した学生課の女性職員が「どう、子どもたちはチャンと食べてるの?」と聞いてくれたので、奨学金とアルバイト代を合わせた収入を告げると、「まあ、あなたは生活保護を受ける資格があるわ」といって、申請手続きを教えてくれました。教えられた事務所は、夜開きます。冬のことで、ダウンタウンの地下鉄駅を出ると、もう暗くなっていました。がらんとした待合室に黒人やアジア系とみられる数人が順番を待っています。番がくると、収支を証明する領収書などを添えて家計を説明します。手続きの後2週間ほど待ってからだったでしょうか、生活保護の月額相当分のフードスタンプを送ってもらいました。45ドル分でした。そのときのありがたさは今も忘れません。おかげで、家族はホッと一息ついたのでした。
事務所の帰り、地下鉄を待ってホームで立っていました。トンネルから吹き抜けてくる冷たい風に身をさらしながら、自分は何でこんな貧しい生活をしているんだろうか。教会から行けと言われてここに来ている。でも、父親として夫として家族を支えなければならない、そう思って自分を励ましていました。そのときです。
「いや、そうではない。家に帰れば、3人の子どもたちが、『パパー』といって飛びついてくる、妻は変わらぬ笑顔で『お帰りなさい』といって迎えてくれる。そうだ、自分が支えていると思っていたのは間違いだ。自分の方が支えられているのだ」。
心の中に言いようのない温かいものが込み上げて来ました。ホームに立つ私の耳に、「幸いなるかな、貧しき者よ」と言うキリストの言葉が繰り返し響いてきたのでした。身をさらしてこそ、真の幸いが分かった経験でした。

信徒の声

教会の宝を捜して

東海教区 岐阜教会  桜木 ウーラ

ご出身はどちらですか。
フィンランドです。ヘルシンキから車で3時間ほどのヒュインカという小さな村で生まれました。村の人は皆ルーテル教会の信徒でしたから、私も赤ちゃんの頃から教会に通っていました。温かく家族的な教会の雰囲気は私の信仰や生活の原点です。
子どもの頃や青年時代はどのように過ごされましたか。
教会学校では聖書の勉強や歌、工作などとても楽しい思い出があります。15歳で堅信式を受けてからは、私も女の子グループのリーダーとして責任を持って働きました。子どもたちに教えることは今も大好きです。
日本に来ることになったきっかけは。
30年前フィンランドに仕事に来ていた今の夫と出会い、その後日本に来て結婚しました。
愛知県の稲沢市での暮らしが始まり、2人の子どもや孫たちも与えられて今に至っています。
夫も子どもたちも、そして孫も皆それぞれ洗礼を受けてクリスチャンになりました。本当に神様に感謝しています。
稲沢から岐阜までは遠いですね。岐阜教会を選ばれた理由を教えてください。
その頃ピーライネン宣教師が岐阜の教会におられると聞き、ぜひお会いしたいと思いました。私が教会に来た時はすでに帰国された後でしたが、それからずっと岐阜教会での教会生活が続いています。
30年以上の異国生活で寂しいと感じたこともあったでしょう。
フィンランドでも日本でも、神様はどこでも同じです。岐阜教会は私の母教会のような温かさや家族的な雰囲気がありますし、日本の大学で英語を教える仕事も長く続けているので若者たちと話す機会も多いです。孫の世話もあるし寂しいと言っている暇はないですよ。
バザーでは「ウーラのフィンランドケーキ」がいつも大好評ですね。最後にお得意の名古屋弁でアピールをどうぞ。
うみゃ~~でやあ。本場の味やで、いっぺん食べてみやぁ~~! 神様の恵みがいっぱいあるでよ~~!

名古屋弁はフィンランドの言葉と似ているらしい? しゃべりだすと止まらないウーラさんでした。

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)

独り暮らし。でも、安心……。

日本福音ルーテル東京教会牧師 関野和寛

皆さまの教会にも独り暮らしのご高齢の方、また家族が遠くに住んでおられ、お一人で生活されているご高齢の方がいらっしゃるのではないでしょうか。その方が万が一、病気になってしまったら、入院生活を余儀なくされてしまったら、誰が家族の代わりとなってサポートすることができるでしょうか。「教会、牧師が家族代わりに」と直ぐに答えたくなりますが、そう簡単にいくものではありません。金銭の管理、延命治療に関わる決定、役所の手続き、また葬儀のことなど、家族でなければできないことがたくさんあります。
そこで今日ご紹介したいのは「きずなの会」というNPO法人です。この会は身寄りの無い方、また家族がいても、後のことを頼めないという方々の家族に代わって身元保証をしてくれる組織です。行政だけでは行き届かない実際的な問題に対しても丁寧に対応してくれます。また福祉基金により、どんな経済状況の方でも安心して利用できるシステムになっています。実際にわたしの教会でも会員になられ、入院から葬儀そして納骨までの事務・行政支援を受けられた方がいらっしゃいました。本当に教会としても助けられました。教会がお独り暮らしの方の生活を守るために、このような組織と連携していくこともできるでしょう。
一度、「独り暮らしになったら、後のことをどうしていくか」を皆さまの教会でも話し合ってみるのはいかがでしょう。
■きずなの会(NPO法人)
Phttp://www.kizuna.gr.jp/

いのちはぐくむ 中井弘和

第5回 山間の小さな棚田から

いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。(マタイによる福音書 24章32節)

いちじくの木が黄緑色の柔らかい枝を伸ばし、若葉をつけるその節々からは青く幼い実が生まれ出る季節となりました。庭先の茱は赤く輝き、紫陽花も色づき始めています。夏は目前に迫り、私たちの棚田では田植えの準備が始まったところです。清流で知られる藁科川(静岡市)上流域にある山間の荒れた棚田を修復し、自然農法による稲作を始めて10年目になります。豊かな自然や稲から学ぶ場という意味でこの棚田を「清沢塾」と呼んでいます。
田面を覆いつくした草、ブッシュ、竹を払い、崩れた石垣を修理し、沢からパイプで水を引いて、山の上方に向かって一段ずつ棚田を復元していきました。耕さないまま草の中に苗を植え、稲の成長に応じて鎌で草を刈りその根元に置いていきます。そのような田は沢蟹、イモリ、蛙(天然記念物のモリアオガエルもいます)、トンボ、蜘蛛など実に多様な生き物が棲む世界でもあります。3年目頃からは蛍が現れ始めました。その餌となるカワニナも年々増加し、今では無数の光の乱舞が初夏の棚田の夜を彩るようになりました。
自然は、人の関わり方によって、また新たなやさしい顔を現してくれることに気づかされます。田に生い茂る草は、時を経るほどに稲の栽培が容易になるように変遷してきているようですし、当初悩まされた稲の病気(イモチ病)も、このところ目に見えて少なくなってきました。里山への侵食が話題となる竹にしても、棚田を復元し水を湛えるとすぐにその姿を消していきました。
人が自然に寄り添えば、自然はより多くのものを与えてくれる。山間の小さな棚田で実感し、学んだことのひとつです。無限ともいえる多彩な自然の働きや、しるしのほんの一部にでも気づき心を留めることができれば、その向こうに潜む明るい生命の息吹に出合うことができるのではないでしょうか。「人間が自然と和解するとき、人間の魂は再び輝き始めるだろう」(レイチェル・カーソン、1962、『沈黙の春』)こんな言葉が蘇ってもきます。私たちの棚田に、どうぞおいでください。御言葉を学ぶにも、とてもよいところです。

路帖百年。 1909年~2009年

ひたむきな学びに注がれた優しい目

上林暁の『野にて』(新潮文庫、絶版?)という短編集がある。これが縁で一時期、鷺宮のルーテル神学校は「武蔵野文学探訪」のひとつとなっていた。「神学校前」というバス停を入って小道を行くと、屋根の上に十字架のついた小さな学校が見えてくる、というような書き出しだったと思う。昭和の初めの風景である。
寮の2階の窓にきれいな布団が干してあって、それを見ながら、著者はそこでひたむきに学ぶ青年たち、このきれいな布団をもたせて彼らを送り出した故郷の両親を思うのである。
寮の前庭には弓道場があったらしく、何度弓を引いても的まで届かないのに止めることをしない小柄の青年にも、一途な学びへの思いを好意的に認めて、武蔵野の風景の中の一コマとしている短編である。
1969年の三鷹移転までの44年間は、戦後最盛期の55人以上の神学生を擁した時期を含めて、「路帖百年」の第2期に当たる。
その最後の卒業生たちもそろそろ引退の時期を迎えつつある。
(徳善義和)

関門の丘から  松隈 勁

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。(ヨハネによる福音書15章5節)

8月。生徒たちにとって待ちに待った夏休みの真っ最中。高校1年生は九重高原での修養会。中学1年生は長崎の地を舞台に学院のルーツ探訪の旅。共に2泊3日の旅へと旅立つ。梅光女学院のルーツは1872年オランダ改革派教会から宣教師として送られたヘンリー・スタウト博士夫妻が長崎・梅香崎に開設した英語塾にある。後に山口に開設されていた光城女学院と下関の地で合同し両校の頭文字を取って梅光女学院が誕生した。生徒たちは長崎港をクルーズし、グラバー園内に移設され、今も残る梅香崎の男子部東山学院(スチール・アカデミー)の校舎を訪ねスタウト夫妻の生活に想いを重ねる。2泊3日の共同生活を通して異なる小学校から来た生徒たちの心もつながっていく。新しく入学した生徒たちにとって大切な出会いの時となっている。
前期の課外授業も終わり一段落した頃、理科科では小学校5・6年生と中学生を対象に公開実験講座を催す。豊富な学校の設備を使って、普段では時間の制約上実施できないような実験やモノ創りを体験してもらっている。子どもたちが保護者と一緒になって汗を流しながら取り組んでいる様子が微笑ましい。理科離れが憂慮されているが、目の前の子どもたちの輝く瞳を見ると安心する。
私には男の子ばかり3人いるので、子どもたちが小学生の頃は夏休みの作品作製は随分と手伝った。子どもたちにとっては迷惑だったとは思うが。親が手を出すべきではないのだが、あれやこれや助言しながら手伝うのは親としては楽しい時でもあった。後に子どもたちが理系へと進学していくのには多少なりとも役に立ったと思っている。妻からはよく怒られていたが。
公開実験講座は学院が主催するアルス梅光公開セミナー(Arsはラテン語で学芸の意味)の一環である。アルス梅光を通じて地域とも密接につながっており学院の地域貢献度は高く評価されている。ここにも地方のミッションの使命を担っている姿があると感じている。

『路帖神学校百年。』歴史フォーラム ~生み出したもの、支えたもの~

本年、「2009年」は、私たちの日本福音ルーテル教会にとって歴史的に記念すべき年であります。今から百年前の、1909(明治42)年は教会の宣教の根幹である、神学教育が一つの時代の開幕を告げたきわめて象徴的な年でありました。1909年9月27日、熊本城のお堀の近くを流れる白川沿いにある新屋敷(武家屋敷)のスタイワルト宣教師館(仮校舎)で「路帖神学校」の開校式が校長のブラウン、ウィンテル、スタイワルト、それに熊本教会牧師の山内直丸などの教授陣の参列の下に行われ、未知の将来に向かって宣教の担い手である教職の養成機関が教会の中に開設されて百年を今年は数えるからです。
さらに、日本福音ルーテル社団も2009年で通算すると百年の歴史を刻みます。「社団」は、ルーテル教会で最初の公益法人として、1909年6月21日付で社団法人「在日本アメリカ合衆国南部福音ルーテル教会一致シノッド宣教師社団」の認可を当時の内務省より受け設立された法人です。この「社団」は、当初、神学部を包含する中学校となる九州学院の資産の保全を目的として設置され、戦前の教会の歴史においては日本福音ルーテル教会及びルーテル系諸学校・福祉施設・幼児教育施設などの前法人としての役割を果たしてきました。
このように、神学校と社団の百周年を覚え、さらに後世の教会に正しく伝えていくために、6月15日午後1時から5時、市ヶ谷センターにて、『路帖神学校百年。』~生み出したもの、支えたもの~という歴史フォーラムが日本福音ルーテル教会・教会史資料編纂委員会、日本ルーテル神学校、日本福音ルーテル社団の三者主催で開催されました。当初の予想を超えて、ことに多くの引退の先生方(12名)の参加も含めて、約二十数名の人々が集まり、以下の4人の方々による発題を中心に有意義な学びと意見交換の場を持つことができました。
神学校名誉教授・徳善義和氏「教会のニードと日本の法制の間で」(神学教育の歴史と関連して)、青田宣教室長「1925年の東京移転に伴う神学校改編」(残されている写真のスライドショーと共に説明)、社団理事・長尾博吉氏「神学教育における社団の役割」、江藤神学校長「1976年以降の神学教育」。
(宣教室長・青田勇)

神学校(ルーテル学院)創立百周年記念事業

神学校及びその創立と深く歴史的に関係している日本福音ルーテル社団(JELA)の百周年を祝すための以下の記念事業が今年の秋に向けて、それぞれ計画されています。これらの記念事業に多くの方々が参加し、共に過去の教会の宣教の歴史を想起しつつ、教会だけでなく、それぞれの施設・団体も宣教二世紀に向けての新たな方向性を確かなものとして見出し、神が導く未来に向けての宣教の展開を確かなものとして図る機会として受け止めて頂きたいと思います。
■神学講演会
●M.ルート博士(アメリカ)
「エキュメニカル運動とルター派のアイデンティティー」
日時 9月4日(金) 14時~
会場 ルーテル学院大学
■日本福音ルーテル社団創立100周年記念礼拝
日時 9月22日(火・祝日) 10時~12時
会場 JELAミッションセンター
説教者 A.エリス引退宣教師
※日本で宣教のために奉職したアメリカの宣教師(約40名)招待
※正午~午後2時 愛餐会・交流会(東京・恵比寿)
■パネルディスカッション
「どうする、どうなるルーテル教会の宣教」
日時 9月22日(火) 15時~18時
会場 JELC 東京教会
■神学校(ルーテル学院) 100周年記念式典
日時 9月23日(水・祝日) 10時~12時
会場 三鷹市公会堂
記念式典 記念講演・鎌田寛「命を支えるということ」
●13時30分~15時 記念礼拝(聖餐式)
ルーテル学院チャペル
●15時~16時30分 大懇親会
学院トリニティ・ブラウンホール
■創立記念講演 日野原重明氏 講演会
日時 10月12日(月・祝日)14時~15時30分
会場 ルーテル学院大学

教会手帳住所録の訂正

6月に配布いたしました教会手帳住所録の改訂版(2009年6月現在のもの)に訂正がございます。
■大森ルーテル幼稚園
園長は勝部 哲先生ではなく、竹田 孝一先生です。

また、引退牧師の横田 弘行先生の電話番号が追加されました。
■0537-73-0285
(FAX共用)

以上です。よろしくお願いいたします。

全国青年修養会

日程:9月20日(日)18時~22日(火・休)16時
場所:田園調布教会
テーマ:530(ゴミゼロ)
主催:全国青年連絡会/後援:宣教室TNG-YOUTH
企画運営:ルーサーリーグ(東)
聖句:私が父を愛し、父がお命じになったとおりに行なっていることを、世は知るべきである。さあ、立て。ここから出かけよう。(ヨハネ福音書14:31)
ブログ:http://plaza.rakuten.co.jp/luther530/
連絡先:luther_youth_530@yahoo.co.jp
キリストに連なる青年同士のキャンプです。ゴミ問題をもとに普段の生活と教会生活の繋がりを考えたいと思います。最終日に後泊を設けましたので、可能な方は23日(水)のルーテル神学校創立100周年記念行事にも一緒に行きましょう!

日本・フィンランド交換宣教ツアー

フィンランドからの日本への宣教師派遣は、1900(明治23)年12月、ウェルローズ宣教師一家4人と、それに17歳のクルビィネン嬢が九州の長崎に到着し、最初の宣教師として日本の地を踏み、フィンランドからの宣教の歴史を刻んでいます。ウェルローズ宣教師一家4人とクルビィネン嬢は、2ヶ月半にわたる船旅の後、クリスマス間近い12月13日に長崎に到着し、旅装を解いています。2010年はフィンランドから最初の宣教師が来日して、110年となります。「宣教の歴史」の節目の時を迎え、日本福音ルーテル教会の宣教記念事業として、以下の宣教ツアーを立案・計画・実施いたします。
2010年6月30日~7月12日に予定されている宣教ツアー「JELC訪芬プログラム」に各教会(会員・教職・関係者)の方々が参加されることを心よりお待ちしています。
●SLEY(フィンランド福音ルーテル協会)訪日プログラム
2010年4月2日~12日(フィンランド⇒日本)
計画主体: フィンランド福音ルーテル協会(SLEY)
受入責任: 日本福音ルーテル教会事務局/参加予定人数:20名程度
●JELC(日本福音ルーテル教会) 訪芬プログラム
2010年6月30日~7月12日
計画主体: 日本福音ルーテル教会事務局
受入責任: フィンランド福音ルーテル協会(SLEY)
主なプログラム: KALVIAでSLEY福音大会に参加とドイツでの受難劇鑑賞
参加予定人数:25名(募集人数になり次第締め切り)

お詫びとお願い

「るうてる」7月号の福音版のバイブルエッセーに掲載した写真は、ご指摘もありましたが、昨今の時代状況を鑑みますに不適切なものであったこと、広報室として心からおわびします。今後、このようなことがないように十分に注意し、心して編集作業にあたります。
なお7月号の福音版につきましては、残部があれば、お手数をおかけしますが適切に処理してくださるよう、お願いします。
広報室長 徳野昌博

09-07-15るうてる《福音版》  2009年 7月号

バイブルメッセージ  瞳を閉じて

主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ルカによる福音書11章1節

「ああ、今日は胃袋がどこにあるのか、わからない!」
彼女は、うれしそうに言いました。
彼女は妻の友人。ある日、うちに泊まりに来てくれたときのことでした。せっかく来てくれたのに、彼女はおなかが痛くなって夕飯も一緒にできません。でも、夜ゆっくり休んだおかげで、朝には元気回復。さわやかな顔で起きて来た彼女が言ったセリフが、それでした。
面白い表現だなぁ、と思いました。確かに痛くもかゆくもない時、自分のからだの中の様子は気になりません。もちろん、どのへんに胃袋があるのかもわかりません。痛み出した時に、ああ、確かにここに胃袋がある、とわかります。病気になって初めて健康のありがたみがわかる、ということと通じるでしょう。

同じことは、あいつについても言えるかもしれません。
あいつは内臓器官と違って、そもそも本当に見えません。でも、あいつが痛む時があります。大切な人が苦しんでいるのを見たとき、あいつは痛みます。その時、あいつがあることがわかります。あいつのことを、心と呼ぶこともあり、感情と呼ぶこともあり、気持ちや思いと呼ぶこともあり、魂と呼ぶこともあります。
きれいなお花を見て、感動できる人を、心が豊かな人なんて言うことがあります。そして、逆の場合を、心貧しい人とか、心ないことをした、などと言います。
この目では見えないあいつを、確かにそこにある、とわたしたちは自然と見て取っているのですね。この、目には見えないあいつを豊かに育てることができることも、わたしたちは知っています。子どもたちが、しっかり食べて、しっかり運動して、しっかり睡眠をとると、からだが成長していくように、あいつは成長することができます。
いや、成長という言葉は合わないかもしれません。あいつが安らいだり、落ち着いたりするために、できることがあると言ったほうがいいでしょう。あいつは、からだが栄養を取るように、「わたしにも栄養補給や深呼吸の時間をください」と耳では聞こえない声でよく叫んでいるようです。
その栄養補給や深呼吸の方法を、ひとつここで紹介しておきます。
目には見えないあいつに安らぎを与えるためには、やっぱり目を閉じることです。目を閉じてみた時、あいつは、「ようこそ」とわたしたちを迎えてくれます。そして、わたしたちがあいつに安らぎを与えているつもりが、わたしたちがあいつから安らぎを受けるという逆転劇がそこで起こります。
あいつは、目を閉じたわたしたちを、まだ見ぬ明日を思うことや、ここにはいないあの人のことを静かに思い起こすことや、そして、生きる意味なんていうものまで考えさせてくれながら、再びわたしたちをこの世の見える世界に送り出します。
その時、世界は少し違って見えます。目をつむって、あいつに、大切なものを見せてもらったおかげで……。栄養を与え、深呼吸させたつもりが、あいつによってわたしが深呼吸させてもらうことになるのです。あいつの魔法です。
たぶんあいつは、目には見えない神さまへの直通電話を持っていると、わたしは踏んでいます。
パパレンジャー

十字架の道行き

【その1】イエス、洗礼を受けるマルコによる福音書 1章9節
【祈りの言葉】
水と聖霊によって新しい「いのち」を与え、罪の赦しを賜った全能の神様に感謝します。

ネパールワーカー楢戸健次郎先生 ナマステ、サンチャイチャ

Q. 医師と準医師があるというのはネパール独自のものなのでしょうか?
A.たぶんインドにもあると思います。ネパールはインドの経済・文化の影響を強く受けています。インドからすればネパールはインドの一州くらいに思っていて、別の国とは思っていない人も多いのです。経済圏も文化圏もだいたい一緒です。南・東・西をインドに囲まれていてビザも必要としません。ヒンドゥー語はサンスクリット語から出ていて、ヒンドゥー語、ネパール語、ウルドゥー語、ベンガル語……と共通なのです。インドのTV番組を見ていますが、7~8割は共通の言語なので理解できます。
そういう事情ですからインドの制度が入ってきていると思います。もちろんネパール本来の医師の教育制度もあります。
Q. 看護師さんの養成はどうなっていますか?
A.準医師と同じように準看護師が地方では第一線を担っています。高校を卒業して1年間看護師学校へ行き4~6ヶ月の実習を経て試験に合格したものが準看護師になります。
今、私が働いているチョウジャリ病院には準看護師が6名いますが、その人たちが「お産」も含め何から何まで全部やります。
Q. 準看護師は女性が多いですか?
A.そうですね。準医師は女性も男性もいますが、準看護師は9割以上が女性です。チョウジェリ病院はすべて女性の看護師です。数人男性の看護師がいるというのを聞いたことがあります。
それからスタッフナース、日本で言えば高等看護師がいます。このコースが3年。さらに学士、修士、博士になるそれぞれの学校があります。
看護師になる人は大変少ないです。その教育はすべて英語でなされるため英語が流暢になり、9割以上の人が海外へ行ってしまいます。
新聞を開くと「オーストラリアで働きませんか?」「アメリカで働きませんか?」といった海外の求人広告がたくさん載っています。
お給料が、国立病院の医師が月1万円(100ドル)くらい、看護師さんもそれくらいかそれ以下ですが、海外で例えば、オーストラリアで働けば「年間400万円500万円もらますよ」と書いてあるわけです。
Q. 医師不足の原因は、こういうところにもあるんですね。
A.海外に行ってしまう原因はお金のことだけではありません。ポストがないということや、政治的なこと、雇用制度によるものもあります。日本のようにオープンな形で就職することが、なかなかできないのです。開発途上国にはよくあるのですが、身内だけを雇用してしまって、平等の受験という形で雇用されることが少ないのです。そういうことを嫌い、海外に行ってしまうとか、その他にもいろいろな理由があります。
(つづく)

写真提供:JOCS http://www.jocs.or.jp/jocs/index.html

毎日あくしゅ

4月に新しく保育所や幼稚園に入園し、毎日不安で泣いていた子どもたちも、園生活に慣れ楽しい毎日を過ごしている時期だと思います。これから夏を迎え、プールや水遊びが始まることでしょう。子どもたちが元気いっぱいにはしゃいで遊んでいる姿が目に浮かびます。
ところで、保育所では、第二の家庭を目標として「家庭的な保育」を実践している園が多いと思います。
先日、Aちゃんが担任を呼ぶときに間違えて「お母さん」と呼んでしまいました。
そうすると周りにいた子どもたちが間違えを非難するのではなく次のように言いました。
「いいんだよ。○○先生は私たちのクラスのお母さんなんだもん。保育所のお母さんなんだから……」と。私たち大人は、「なに間違えてるの? お母さんじゃなくて先生でしょう」と言ってしまいそうですが、子どもたちの温かい言葉とその思いに、保育士たちは嬉しい思いになりました。そして私たちが目標としている家庭的な保育が子どもたちに伝わっていることを確認できた一コマでした。
お父さんやお母さんと一緒にいて安心して過ごせる場所が必要なのは、子どもも大人も同じです。
つらい時、悲しい時にそっとそばにいてくださる方。両手を広げて迎え、包み込んでくださる方。私たちは、神様がいつもいてくださることを知っています。
そのことに感謝しつつ、毎日を安心して過ごしていきたいですね。
(園長)

09-07-15るうてる  2009年 7月号

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常議員会 6.8~10 市ヶ谷センター

6月8日~10日まで、ルーテル市ヶ谷センターにて「第23回総会期第4回常議員会」が行われた。「報告は短く、質疑応答・協議には多くの時間を」との議長方針に基づいて会議が行われた。
おもな議題は、人事事項、「牧師補からの身分変更」「牧師任命」が協議され、4名の牧師が身分変更の承認を受けた。申請事項、「九州教区、神水、健軍、甲佐、松橋、水俣、八代教会の教会共同体申請」他が承認された。提案事項、寮募金(96,085,403円)の達成感謝とともに剰余金(297万円)は神学校100周年に感謝し、神学校・学院大学にすべてを献げることとなった。その他、「宣教協力金の拠出変更」「現任教職の短期海外研修プログラム施行案」「市ヶ谷会館2階事務室機能変更」などが協議され承認された。
協議としては「事務処理委員会回数検討」「式文の今後に関する件」などがあり、予定通りに会議は終了した。        (事務局長 立野泰博)
会議終了後、その日のうちに「速報」を各教区長、信徒常議員に送付しましたので、そちらもご覧ください。

コンサート、続けて21年

宇部教会 阿部 勝

昨年20周年を迎えた「宇部ルーテル教会『珈琲コンサート』を開く会」の代表、阿部勝さんにお話をお聞きしました。

「珈琲コンサート」誕生のいきさつについて
21年前、1988年の初夏の日曜日の昼下がり、「だれでも気軽に聴きに来れるコンサートをやりたいね……」とつぶやいたのが、そもそもの始まりでした。
「それじゃ、やりましょう!」と応える数名の方と一緒に1回目をやりました。それが1988年7月のことです。以来、8月と12月を除く毎月第4土曜日の18時30分から開催しています。

そのコンセプトは?
「だれでも気軽に聴きに来れるコンサート」です。「入場無料」、「教会への勧誘なし」、「ジャンルの限定なし」です。

20年間続けてこられての感想は?
毎回の参加者(演奏者を含む)は25名~55名で、150名を超えたのでカウントを断念した時もありました。また、3~4名の聴衆と過ごした夕べもありました。演奏者は平均4~5名で、ソロ1名もあり40名を超えるコーラスなどもありました。最初の頃は、出演者に窮することもありましたが、3年目以降は、不思議なことに出演者が絶えることはありません。
教会員のみなさんの理解をも徐々にいただけるようになり、今では、コンサートのみで宇部教会へつながっておられるコンサートスタッフのみなさんと教会員のお世話係の方々が、和気あいあいと楽しんで参加しています。
昨年9月の201回目のコンサートは、20周年記念コンサートとして、西教区、西中国地区の支援をいただいて開催することができました。

運営はどのように?
運営に関しては「コーヒー代のカンパをお願いします」という箱を備えているのですが、参加者からのカンパは、1回平均1~2万円というところでしょうか。もちろん、出演者は交通費のみ、ノーギャラですので、何とかなっています。それだけでなく、休憩の「珈琲タイム」のためのお菓子の差し入れもありますし、教会の「愛餐会計」から、コーヒー代のカンパもいただけるようになり、財政的には支えられています。
感謝です。
このような「草の根」活動を続けられることの感謝を表すため「年末助け合い」に義援金を届けています。ほか国内外への支援を続けることができました。このことは『ここに、神様のみ手が働かれている』ことの証しであり、スタッフ一人ひとりへの恵みにほかならないと思います。
(インタビュー:徳野昌博)

風の道具箱

「その症状に効果あり」

阿蘇垂玉温泉に行ってきました。大浴場もさることながら、露天風呂が最高でした。子どもたちと露天風呂に入っていますと、路線バスが目の前を走っているという素晴らしさ。のどかというか、ゆったりとした時間でした。
大浴場につかりながら窓を開け放ち、阿蘇の山々を見ていると、神様が創られた自然がせまってきて「あなたのことを包んでいるから、安心していいよ」と聴こえてきました。
「ゾウの時間・ネズミの時間」という本があります。その中に「人はたえず自然に触れていなければ、自分の頭の中だけを見つめるようになります。そして頭でっかちになってしまうものです」という言葉があります。信仰は頭だけで受け取るものでなく、外から感じるものかもしれません。
考えこんでばかりでいないで、たまには外へ出て土に触れてみましょう。草花のつぼみは膨らみ、花が咲き、確実に季節が動いているのがわかります。神様が造られた自然は、どんな心の症状にも効果ありです。
(柿のたね)

インフォメーション

■第3回カンボジア・ワークキャンプ
■日程 2009年9月1日(火)~11日(金)
■対象 18歳以上の健康な方(高校生不可)
■申込締切 2009 年7月7日(火)必着
■問合せ・申込先
JELA+JELC ボランティア派遣委員会
メール:workcamp@jelc.or.jp
Tel:03-3260-1908 FAX:03-3260-1948

■アメリカグループワークキャンプについて
今夏予定していましたアメリカグループワークキャンプは、新型インフルエンザの警戒レベルがWHOによってフェーズ6に引き上げられたこともあり、医療従事者の意見をも踏まえ、今回は中止することにしました。参加申込み者やその家族、また教会の皆様には申し訳ありません。ご了解ください。

日本福音ルーテル教会・日本福音ルーテル社団 共同事業委員会

牧師の声

私の愛唱聖句

九州教区 室園教会・小国教会 牧師  後藤 由起

わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです
テサロニケの信徒への手紙一 1章5節

伝道者を志して神学校に行き、牧師となった。どうやって伝道しようか、楽しみで燃えていた。まずは新しい人が教会に来るきっかけを作ることだ! 伝道集会を企画し、音楽伝道をはじめ、インターネットやチラシで宣伝、ミッションスクールにもがんがん働きかけた。新しい人々は教会にやってきた。ハレルヤ! しかし、次の週にはもう来なかった。そこではたと気がついた。
肝心の「福音」はどうなっているか?? 私は福音を伝えているだろうか?? 年齢、職業、学歴さまざまな方が教会にやってくる。その方々に、「通じる言葉」を語ることができているだろうか?? 猛反省した。私は教会の中だけで通じる説教をし、せっかく教会に来てくれた、社会の真っただ中でもまれている新来会者には縁遠い、「ザ・クリスチャン」たちの世界を作りあげていなかっただろうか。
大いに恐れはじめた。「私にはできません……」。たとえば「この世の知恵ある人々」が教会にやってきた時、神学校を出たての私が何を語れるというのだろうか? 絶句するような悲しみの中にある人がやってきた時、どんな慰めを語れるというのだろうか?
その時、神は私にこの言葉を語られた。異教の街テサロニケで伝道をはじめたパウロたちは、短期間にもかかわらず大きな成果を得、異邦人から改宗者が多く生まれた。それは「ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったから」だと聖書は告げる。「力と聖霊と強い確信」、これが私に欠けていたものだった。自分の知恵と言葉遊びに頼ろうとしていた罪を主は示された。すぐに私は天のお父様に「力と聖霊と強い確信をください」と祈り始めた。
土曜の夜になると、私はいつも恐れに取りつかれる。1コリントのパウロのように。しかし宣教とは、人々が「人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになる(コリントの信徒への手紙一2章5節)」ことだ。ルーテル教会に「力と聖霊と強い確信」が与えられるよう、私はこれからも祈り続ける。

※お詫び
6月号では、後藤由起牧師からいただいた原稿の最後の段落を、広報室の不手際で欠落させたまま掲載してしまいました。後藤先生と読者の皆様に深くおわびすると共に、ここに原稿を再録いたします。

信徒の声

教会の宝を捜して

東教区 むさしの教会  橋本 直大

受洗のきっかけ
両親がクリスチャンだったので子どものときからキリスト教的な雰囲気の中で育ちました。成長するにつれて反抗的になり離れかけていきました。でも軍国少年にはならず、こちらにも反抗的でした。戦後、伝道者と称する方が開いていた集会に出ていました。ある時、洗礼を受けなくては、との思いが急におこって次の週に受洗しました。そのときのことを思えば神様からの呼びかけだったのかも知れません。
その後転居などで、いくつか教会をかわりましたが、神様を礼拝するというよりも、牧師の説教が中心で、それにあわせて聖書や讃美歌が選ばれているように思えて満ち足りない思いでした。
むさしの教会への転入のきっかけ
クリスマス礼拝の案内チラシが新聞に入ってきて、それこそ呼ばれているような感じで出席してみました。すると子どものときからの知り合いがいらして、初めて来た教会というのでなく、親しい人たちとまた逢えたことがうれしく、主日礼拝にも出席するようになりました。
礼拝は式文を使っており、その言葉がすばらしく、特に礼拝のはじめに懺悔の祈りがあることが嬉しかったのが一番でした。他の教会では自分のおかした罪の赦しはどうやって得られるのかと考えていましたし、カトリック教会のように告悔ができるとよいと思い、そちらに移ろうかとすら思っていました。それがこのルーテル教会で満たされたのは素晴しいことでした。
教会での奉仕
教会にパソコンが入り、会員や来会者の住所などをデータベースソフトで入力したりしていました。自宅のパソコンでも少しずつやってみることにしました。続けているうちにいろいろ面白くなり、古い住所など地図を広げて探し確認したりもしました。何でも面白がることは継続の方法なのでしょう。
信仰生活を一言で
ずいぶん病気などしましたが、「闘病」という言葉は好きになれません。病気も神様から与えられたものであれば素直に受け入れ、付き合っていくほうが楽だと思います。すべてお委ねしていこうというのが楽天家の信仰生活なのでしょう。

高齢者伝道シリーズ(P2委員会)

米国の高齢者解放思想に学ぶ

日本福音ルーテル雪ヶ谷教会牧師 田島靖則

9年前に米国に留学していた時、私はよく指導教授のJ先生に「日本は国民皆年金・皆保険の国で、高齢者福祉も充実しています」と胸張って話したものです。しかし日本のその後の高齢者福祉施策の大転換は、そんな福祉国家幻想をすっかり消し去ってしまいました。政府は北欧型の高福祉国家への幻を捨てて、個人主義的な「自己責任論」がまかりとおる、自由競争型の社会施策へと方向を転換したのです。もちろん米国などは、はじめからそうだったのですから、そんなに驚くことはないという意見もあるでしょう。しかし、自助努力を旨とする米国の高齢者の中には、奥ゆかしさを美徳とする日本の高齢者にはなかなか見られない、「反骨精神」のようなものが満ちていて、そこから厳しい現実を乗り越えるための活力を得ているように見受けられるのです。
1970年代、米国東部の都市フィラデルフィアの長老派教会に属する一信徒、マギー・クーン(Margaret E. Kuhn)は、自分自身の定年退職を機に「グレイパンサーズ」という団体を組織し、高齢者解放運動の旗振り役となりました。「我々は年長者(長老)である。我々は経験を積み、成熟しており、社会の存続のために大人としての責任を負う者である」という彼女の主張は、私たちが無意識のうちに、「高齢者は、責任ある立場から撤退した隠遁者である」という「老年神話」を無批判に受け入れがちであるという事実に気づかせてくれます。教会に「若者がいない」と嘆くことをやめて、私たちは「豊かな知恵の貯蔵庫」である彼らとともに、行動する道を考える時がきているのではないでしょうか。

いのちはぐくむ 中井弘和

第4回 野菜と肉

神は言われた。

「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる」(創世記1章29節)

少し前、『粗食のすすめ』(幕内秀夫、1995)という本がベストセラーになったことがあります。ここでいう粗食を一言で表すと、ご飯・みそ汁・漬物を基本とし、副食に季節の野菜・魚介・海藻を、ということになりましょうか。肉や食肉加工品、乳製品、油脂類、砂糖類などの食材に偏る、いわゆる西洋化した日本人の食生活に対する警鐘として、人々の耳目を集めたのでしょう。
神が最初人間に与えた食べ物は、穀類や野菜、果樹類でした。菜食のすすめということになります。肉食が許されるのは、ノアの洪水の後、ノアとその息子たちに「産めよ、増えよ、地に満ちよ」(創世記9章1節)と神の祝福が与えられた時以降のことです。ただし、肉食に際しては、血や脂肪は決して食べてはいけないとか、新鮮なうちに食べるべきだとか、いろいろな条件が付されました。
バビロン捕囚の時代、歴史を彩る国々の興亡を予言し、救い主イエスの到来を告げた預言者ダニエルの少年時代のエピソードを聖書は伝えています。肉類と酒をさける菜食によって少年の健康と知性は一段と輝きを増したというものです(ダニエル書1章、12~15節)。
この何気ない記載からも、聖書の食に対するメッセージが伝わってきます。肉を禁じてはいませんが、パンやその土地で取れる野菜、果樹類そして魚を主とした食生活を聖書は勧めているように思います。地中海沿岸を含めた聖書に登場する土地には野菜や魚が豊富にありました。私たちが日ごろ目にするキャベツ、レタス、ニンジンなど多くの野菜類はその土地に起源し世界中に伝えられたものです。
鶏卵、鶏肉、豚肉、牛肉を1㎏生産するのにそれぞれ3、4、7、11㎏のトウモロコシを要するといわれます(2006年国連食糧農業機関資料)。先進国の肉の消費量は途上国の約3倍です。飢餓の10億人に対してほぼ同じ栄養過多の人口があるという資料もあります。飢餓も栄養過多のどちらも病んでいることに変わりはありません。私たちの一人ひとりが食べ方を少し変えることによって地球は元気を取り戻す、というと幻想になりましょうか。

路帖百年。 1909年~2009年

ひたむきな学びに注がれた優しい目

上林暁の『野にて』(新潮文庫、絶版?)という短編集がある。これが縁で一時期、鷺宮のルーテル神学校は「武蔵野文学探訪」のひとつとなっていた。「神学校前」というバス停を入って小道を行くと、屋根の上に十字架のついた小さな学校が見えてくる、というような書き出しだったと思う。昭和の初めの風景である。
寮の2階の窓にきれいな布団が干してあって、それを見ながら、著者はそこでひたむきに学ぶ青年たち、このきれいな布団をもたせて彼らを送り出した故郷の両親を思うのである。
寮の前庭には弓道場があったらしく、何度弓を引いても的まで届かないのに止めることをしない小柄の青年にも、一途な学びへの思いを好意的に認めて、武蔵野の風景の中の一コマとしている短編である。
1969年の三鷹移転までの44年間は、戦後最盛期の55人以上の神学生を擁した時期を含めて、「路帖百年」の第2期に当たる。
その最後の卒業生たちもそろそろ引退の時期を迎えつつある。
(徳善義和)

 

関門の丘から  松隈 勁

そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」(ルカによる福音書10章37節)

7月。期末試験も終わり、やがて長い夏休みが始まる。この頃、高校2年生全員は市内各所にある福祉施設などにボランティア活動に出かける。
やがて創立140周年を迎える梅光女学院は、開学以来決まった曜日の1日を宗教活動の日としてきた。一日は早天祈祷会に始まり、午後は福祉施設の訪問や奉仕活動を続けてきた。
赴任して10年ほど過ぎた頃だっただろうか。当時の文部省より高等学校の特別活動に勤労体験学習を取り入れるようにという指導がなされた。ミッションスクールにおいて奉仕活動は普段の活動であるが、勤労体験学習の中にどのように位置付けたらいいのかを生徒会を中心に検討するようにとの校長からの指示を受けた。そこで、生徒会では今まで有志で行ってきた奉仕活動を学年全員に広げ、ボランティア活動の橋渡しにすることを提案した。
本来、ボランティア活動とは自らの意思で取り組むべきものであるが、ボランティア活動を学校教育として義務付けるべきであるとの意見などが論議されていた時期があり、少々違和感を覚えていた。
学生時代にドイツから宣教師として来ておられたヘンシェル先生が主催するディアコニアに参加することがあった。さすが合理性の国ドイツの人らしくすべてが明確に定義付けられていたように思う。先生が関係を持っておられた島田療育園の園生たちとのディアコニアキャンプにも参加した。そこでは、園生たちを積極的に町へと連れ出すような試みをしておられた。一人ひとりが社会の中で役割を担って共に生きているという事実を教わった。そのような学びをミッションスクールであるからこそ実践できる機会が与えられたと思った。社会福祉施設の現場でも現実を多くの人に知ってもらいたいという希望もあって快く生徒たちを迎えてもらえた。
既にその当時、社会福祉事業の現場では今後補助金が減額されていくであろうという危機感があった。ボランティアに委ねなければならない部分が今以上に増えることになるであろうから、ボランティア受け入れの組織づくりが必要になると見通しておられた。
今こそディアコニアが必要な時かもしれない。

九州地域教師会より

九州教区の教師会の、最近の動きをお知らせしましょう。
年に一度教師会として牧師の集まりをします。課題図書なども決めています。この2年は『ポストモダン世界のキリスト教』(A・F・マグダラス著)、『困難な自由』(E・レヴィナス著)でした。
牧師が集まることが困難になってきています。兼牧が多くなり、遠距離で教会を担当していることが、大きな原因でしょうか。ITの時代ではありますが、「顔の見えない」関係は、情報交換以上の間柄を生み出してくれません。九州では、牧師が距離的に孤立して仕事をしておられるやもしれませんので、教師会は大切なひと時です。年齢差・経験もまちまちですので、それぞれご自分の最近の課題からの発題もしていただいて、「牧師職」という一点で研鑽しています。
今年度は新人事で2名増えて、27名の牧師が現職としてその職にあります。教会のみでなく、様々な場所での働きを展開しています。伝統のある教区として、幼稚園・保育園から大学までの学校施設、大小の社会福祉事業など、100歳を迎えんとする事業体が数多く本教区にはあります。教会が生み出し、社会から信頼も受けてきました。牧師の職務もそれらを包み込んで、なお「礼拝する民」としての教会をリードするための研鑽が、牧師の生涯教育でしょう。教区内の信徒の方々の高齢化が議題にもなり、若い世代へのアプローチも、時代の急速な変化の中で捉えていけるような研修も考えています。
「九州地域教師会」はそのように活動しています。
書記 箱田清美(西九州教会共同体、唐津教会、小城教会)

LCM会議

5月19日~20日まで、日本ルーテル神学校にて「2009年度LCM会議」が行われた。石田アジア局長(アメリカELCA)、フフティネン伝道局長(フィンランドSLEY)、両教会・団体からの宣教師、そして日本からはJELCスタッフ・各教区代表・神学校教授が参加した。
今年のテーマは「宣教志向の神学教育~宣教的教会の再構築と宣教の心を持つ牧師の養成を目指して~」であった。江藤神学校校長は基調講演で、宣教研修、牧師の継続教育、他教派のカリキュラム参加について述べた。それぞれの立場から、「行動する牧師」「教育より実践に合わせた牧会」「多文化理解の必要性」「伝道スピリット」「新しい信仰復興運動の必要性」などが話された。
来年のテーマは「教会・ディアコニア・ミッション」
(事務局長 立野泰博)

「リラ・プレカリア」を紹介します。

「リラ・プレカリア」。それは「祈りの竪琴」と言う意味です。ラテン語でリラは「竪琴」。を、プレカリアが「祈り」です。
死に逝く人に寄り添う音楽としての、「祈りの竪琴」の働きを日本に紹介され、現在精力的にその輪を広げようと活動しておられる宣教師キャロル・サック氏は、「竪琴」について、「ダビデはおそらくハープの元祖である竪琴を弾きながらいくつかの詩編を作曲したでしょう。そして、彼は精神的な苦痛を持っていたサウル王を慰めるために竪琴を用いて癒しの歌を演奏しました」。そして、「祈り」について、「ラテン語の祈り、プレカリアは、不安定な、危険な、という言葉と語源は同じで、この言葉は祈りにぴったり合うイメージを与えてくれます。なぜなら、人間は常に不安定で、危険な状態に置かれていて、常に神様の寛容と慈悲を必要としているからです」と。
音楽死生学の具体的な取り組みとも言えるこの活動について、サック氏は、「患者さんのベッドサイドに真心と声とハープのみで寄り添い、静かに挨拶し、その方の状態を見、特に脈拍や呼吸に注目しつつ、ハープと歌声で音楽を提供し、ところどころで注目して、瞬間瞬間の患者さんの状態に気をつけ、関心を向けていきます。呼吸の一定の速度や調子に注目し、それを通して患者さん本人が音楽の案内役となることを目指しているのです」と。
最後に、サック氏は「いやされるとは、自分が愛されていることを知ることです」と言われました。
この活動の担い手を養成するための講座が開かれており、その会場に今回お邪魔し、講義を聞き、練習を見学させていただきました。
静けさが支配する不思議な空間で、受講者はそれぞれに表現は違えど、死に逝く人に寄り添うことの重要性を確信しておられるようでした。
(広報室長 徳野昌博)

祈りの輪

5月号の「伝道セミナー」の報告記事にも言及されていた「祈りの輪」を紹介します。
「祈りの輪」はスウェーデン・ルーテル教会の監督マーティン・ルネボー師によって発案されたもので、18個の珠からできた輪は、その一粒一粒に祈りが託されていて、珠を繰りながら祈るというものです。これを日本に導入・紹介された長谷川(間瀬)恵美さんが翻訳された解説の書『祈りの輝き』もあります。
お問い合わせは(quatrefoilorder@yahoo.co.jp)までどうぞ。
(広報室長 徳野昌博)

お知らせ

第11回ルーテル子どもキャンプ参加者募集

●日程 2009年8月6日(木)~8日(土)
●場所 ルーテル学院大学・神学校
●テーマ 空にいちばん近い国、ネパール
~ナマステ、サンチャイチャ~
●主題聖句 「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ」
詩篇121:1
●対称 小学校5、6年生
★お問い合わせ キャンプ長 小泉嗣まで(043-244-8008/t-koizumi@jelc.or.jp)

奨学金のおしらせ

LWFとELCAが指導者養成と障がい者訓練のための奨学金を提供しています。
いずれも個人的な研究のためではなく、将来、ルーテル教会および関連施設に資することを目的にしています。受給希望者は属する教会、施設等の所属機関を通して、JELC事務局へお申し込みください。詳細は世界宣教部(浅野)までお問合せください。
【締め切り 8月31日】

変更のお知らせ

長岡立一郎先生が九州学院専任理事長になられたため、左記の住所に転居されます。
■長岡立一郎先生 〒861-8043 熊本県熊本市戸島西1丁目23-110

甲府教会にFAX専用番号ができました。
■甲府教会 055-233-0813
電話番号は従来の通りです。

訃 報

■野村陽一牧師(大分教会、別府教会牧師)のご母堂、野村千鶴子様が、6月13日(土)午前0時8分、心不全のため、召天されました(享年80才)。
謹んで哀悼の意を表し、お知らせ申し上げます。葬儀、告別式は2009年6月16日(火)とり行なわれました。喪主は野村三郎様(野村陽一牧師の父)。

■清重尚弘牧師(九州ルーテル学院・院長・学長)のご尊父、清重喜一様が、6月15日(月)午後7時33分頃召天されました(享年99歳)。
謹んで哀悼の意を表し、お知らせ申し上げます。葬儀、告別式は2009年6月17日(水)とり行われました。喪主は清重尚弘牧師。

09-06-15るうてる《福音版》  2009年 6月号

機関紙PDF

バイブルメッセージ  伝言、確かに受け取りました

神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行ないによるではなく、御自身の計画と恵みによるのです。(テモテへの手紙二 1章9節)
日本聖書協会『聖書 新共同訳』

いろいろな年齢の方と伝言ゲームをしたことがあります。

幼稚園のお友だち。鼓隊の練習をがんばりました。流れてくる音楽に合わせて大太鼓、小太鼓、鉄琴、キーボードを演奏しました。先頭を歩く指揮者もお友だちです。鼓隊の後ろにはバトンのお友だちもいます。おそろいのベレー帽とベストが素敵です。立派にパレードができました。
その翌日です。「伝言ゲームしようか。初めてだね。まず、先生がみんなの列の先頭さんに言葉を伝えます。先頭さんは、うしろのお友だちのお耳のところで小さい声で伝えてね。そして、いちばんうしろのお友だちは、どういう言葉がまわってきたか覚えていてね」。わたしはお題を出しました。「きのうのパレード、かっこよかったよ」。先頭のお友だちは一生懸命にうしろのお友だちに伝えました。順番が待ちきれない子もいました。すべてのグループが最後まで伝えられました。いちばんうしろのお友だちが聞いた言葉を一緒に言ってもらいました。「きのうのパレード、かっこよかったよ」。みんな、大正解です。

小学生のお友だち。少し長い文章の伝言ゲームでも大丈夫です。「きのう、隣りのようこちゃんのお庭にアジサイの花が咲きました。ピンク、むらさき、白色の花でした」。多少、聞き間違えて後ろのお友だちに違ったことを伝えるグループもありましたが、大筋は最後まで伝えることができました。

大学生の学生さんには、絵を書いて伝える伝言ゲームをしました。お題は「カッパ」です。絵本で見たことがあるような、ないようなものです。頭の中でだいたいの形を思い浮かべることができても、実際に紙の上に書いてみると自信がなさそうです。書かれた絵をすぐ後ろの人だけが見ます。「カッパ」の絵であることが伝われば万々歳。けれども、あいまいな記憶の者同士が伝えるものですから、なかなかうまくいきません。とうとう目が強調されていきました。手足が短くなりました。最後の学生さんが書いたのは、「トカゲ」のような絵でした。

わたしがイエス様のお話を始めて聞いたのは中学生の時です。多分、わたしが聞いたイエス様のお話は、2000年前にユダヤで人々が経験したことと同じだと思います。イエス様のお話は『聖書』に記されました。『聖書』の言葉は時代を越え、国を越えて伝えられました。2000年前の出来事が今、わたしの心に届けられています。とても不思議です。
わたしの心に確かに届けられました。「神様はわたしを愛してくださっている」ということを。

十字架の道行き

【第十五留】イエス、死から復活する ルカによる福音書 24章5~6節
【祈りの言葉】
イエスよ、あなたに信頼し、あなたへの信仰にあって十字架を担い行くことを、私に教えてください。キリストの十字架をたどった私たちが、日々の生活の中で、あなたに倣い、福音を宣べ伝え、ついには永遠の復活の喜びにいたることができますように。

ネパールワーカー楢戸健次郎先生 ナマステ、サンチャイチャ

Q. チョウジャリ病院に来る方は、どういう患者さんが多いですか?
A. 子どもでは栄養失調、下痢、脱水、肺炎、骨折、やけど。大人では種々の怪我、結核、肺炎、難産の患者さんが多いです。どんな病気もありますが、貧困と関係する病気が多いようです。貧乏と医療機関が遠いこと、それに住民の衛生に対する知識が少ないためでしょうか、手遅れのケースが大分あります。

Q. 患者さんとのコミュニケーションはどのようにとられていますか?
A. まだまだ勉強中ですがネパール語です。うまく意思疎通ができない時には英語のわかるスタッフに通訳してもらっています。

Q. 日本に比べて人口に対する医師の人数が大変少ないですね。
ネパールでは医師になるために、どのような道がありますか?
A. ネパールは小学校5年、中学3年、高校2年の10年制です。高校2年を終了してから全国規模であるSLC(日本のセンター試験)を受け、それを通らないと職業学校には行けません。準医師になる場合は、職業学校に1年間行き、学校によりますが4ヶ月~半年の実習をします。そのあと国レベルの試験があります。それに受かると準医師になれます。だいたい7割くらいの合格率です。
Q. 準医師から医師へなっていくのですか?
A. そうではありません。準医師は高卒でなれますが、医師になるには4年半の医学教育が必要です。それを通らなくてはなりません。受験資格は10+2(テンプラスツー)と言って、高校を終了してからあと2年間生物系の勉強した者に与えられます。
今、正規の医師(MBBS)がネパールでは7000人弱います。人口が2700万ですから、人口対比でいくと5000人に対して医師1人くらいです。日本は500人に対して1人です。10分の1です。そして医師は都会に集中しがちです。ネパールには75郡あるのですが、田舎では人口5万人に医師1人とか10万人に1人と、少ないのです。
ネパールには12か13の医学部がありますが、国立は1つです。他は私立で、学費はとても高いのです。卒業するまでに日本円で400万円ほどかかります。日本の価値に換算すると1億円くらいです。ネパールのGNPが250ドルくらい(日本は3万ドル)の世界ですから、相当のお金持ちか特定階級の人でないと入れません。そのために、外国で医師の資格を取る人が少なからずいます。ロシアや中国、バングラデシュ、インドといった国のほうが学費は安いのです。ロシアでは1年間10万円で医学の勉強ができるといわれています。6年間学んでも60円万です。
またネパールの私立大学は半分以上がインド資本で、教授陣もインド人、学生の多くもインド人です。ネパールにあるといっても、インド人によるインド人の学校同然です。そして卒業後はインドに戻っていくのです。大国インドにしてみれば、ネパールは自国の一部のように思っているのかもしれません。
(つづく)

毎日あくしゅ

「先生、ご相談が……」と突然4歳のたくや君のお母様が園長室に入ってこられたのは、数年前の春でした。唐突に「先生、実は私乳がんになってしまって……。でも心配しないでください。わかった時点で家族みんなで話し合いました。治ることを信じて治療を続けて、経過を見ながら手術をしようと思います。ただ、たくやのことが心配ですから、何かあったときにはすぐに教えてください。それから幼稚園の行事に全部出たいので年間行事の日にちを詳しく教えてください」。淡々と気丈に話すお母さんは大きな不安に直面しているとは思えないほど冷静な様子でした。その時は「お母さん、神様に祈りましょう」というのがやっとでした。
その後のたくや君は、お母さんの治療が進むにつれ、留守番が続いたり、お母さんが横になるのを目にする事が多くなり、日頃のいたずらがすっかり影を潜め、元気のない日々が続きました。その頃から誰もいない園長室でたくや君とお祈りすることが日課になりました。「大好きな神様、今日もたくや君のお母さんのそばに一緒にいてお母さんを守っていてください」。これだけの短いお祈りでしたが、毎日たくや君との静かな祈りの時が続きました。
その後たくや君のお母さんは、運動会・遠足・クリスマスとほとんどの園の行事に参加されながら、手術を受けられました。無事手術を終えて退院する日の朝、お母さんから電話をいただきました。「先生、毎日たくやが神様に祈っていてくれたので、とても励まされました。私はクリスチャンではありませんが、祈っていてください。たくやは赤ちゃんの時からずっとおっぱいが大好きな子です。今晩帰って一緒に寝るときに、ママのおっぱいがなくなったことをどう伝えてよいのか今とても不安です。だから今日も祈っていてください」。
新学期、いつものたくや君のいたずらっぽい元気の良い声が玄関から聞こえてきました。これからも、神様に祈ることを幼い子ども達にしっかりと伝えていきたいと思います。
(園長)

09-06-15るうてる  2009年 6月号

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徳弘浩隆宣教師 派遣式
4.18 東京教会

4月18日午後、徳弘浩隆牧師のブラジル宣教師派遣式が東京教会で行われました。
派遣式では、海外宣教主事の浅野直樹牧師が司式、宣教室長の青田勇牧師が説教、そして、総会議長の渡邉純幸牧師が派遣の按手と祝福を行ないました。
開始時刻が近づいても、徳弘牧師は姿を現さず、少々あわてましたが、引越し業者さんとの打ち合わせが長引いたとのこと。日本を離れる日が目前に迫っていることを、わたしたちも実感しました。
その日、東京教会の1階会議室では、東教区「女性会」の会長会が同時進行で行われていました。派遣式終了後、徳弘牧師ご夫妻は、その会場にも出向かれ、ブラジルへの出発の報告と挨拶をなさいました。女性会からも熱いエールが送られ、ご夫妻は励まされ、心強く思ったことでしょう。
渡邉進牧師のあとを引き継いで3年間の宣教師としての働きが始まります。主なる神様の祝福を祈ります。みんなで支えていきましょう。
(広報室長 徳野昌博)

説教 「招きに応じて」マタイによる福音書4章18~25節

副議長 青田 勇
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安がありますように。
この度、宣教師として神の召しを受けた徳弘浩隆牧師を日本福音ルーテル教会より第7代宣教師としてブラジル・ルーテル告白福音教会(IECLB)の、サンパウロにある日系パロキアの教会(サンパウロ教会・南米教会)に派遣できることを神に感謝いたします。
すべての人の職業がどんなものであれ、その働きが等しく神のみ前に「召命」を受けていると言うのが、ルターの宗教改革の大切な教えの一つです。
「召命」という言葉は日本人に馴染みのない言葉ですが、最近の『広辞苑』には、その言葉が載っています。そこには、「『召命』とは、ある使命を果たすように神から呼びかけられること」と説明されています。
もう一つ、「出家」という日本語がありますが、「出家」について『広辞苑』では、「出家は俗世間を捨てて、修行の道に入るのです」という言葉で説明されています。確かに、「出家」と「召命」は信仰の道に入るという点では同じです。でも、「出家」は人間の決断と決意に重きが置かれていると言えます。しかし、「召命」は「神に呼ばれ、それに応えていく」ことに中心があります。神の働きかけが中心であり、それに私たち人間は応じていくのです。主体はあくまで神であり、私たちは呼びかける神に応じて、神から託された業、働き、その務めを果たしていくのです。
マタイ4章19節で主イエスから「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」という言葉でペトロたちは呼びかけられ、そこから彼らはすべてを委ねて主イエスに従っていったのです。主イエスとの出会いの結果です。
主イエスによる呼びかけを受け、彼らは人生を大きく転換し、自らをキリストの宣教者としていったのです。その出発点はキリストからの呼びかけと、働きです。
彼らを宣教者として選んだのは主イエスです。彼らが主イエスを選んだのではありません。主イエスが彼らを一方的に選び、声をかけたのです。そして、その呼びかけに、働きかけに彼らは応じたのです。これが神の召命です。
神の働きかけが彼らの背後にあり、その働きと呼びかけを受けて、彼らは主イエスに目を向け、従い、宣教者として立てられていったのです。
伝道は私たちの業ではなく、神の業です。神のミッション、神が主体的になされるみ業を信頼し、その働きとみ業に招かれ、そこに従事すること、これが神の宣教・伝道です。
十字架にかかり、復活した主イエス・キリストのみ業を伝えることが宣教の中心です。キリストの十字架と復活は、神の救いの業、神のミッションそのものです。十字架の業により、神の救いへと招かれ、復活の主イエスにより宣教へと派遣されている群れ、それが教会です。
教会の宣教の業に就く私たちは、何事においても、いい加減な関わりをすることはできません。また、一時的な気持ちで生きることはできません。救いへと導かれた後、私たちは主イエス・キリストとの関係を一生のこととして受け止め、神の宣教の業に加わり、携わっていくのです。
日本福音ルーテル教会を通して、神によりブラジ宣教師として遣わされる徳弘牧師のこれからの働きがブラジル・ルーテル告白福音教会における共同の宣教の業として実りあるものとなるように心よりお祈りいたします。

風の道具箱

「三六〇度の方向転換」

教会裏の畑に、さつまいもとサクランボの木を植えました。1年ぶりに裏の畑が復活したことになります。あまりにも空き地にしにしていたので、畑に戻すのが大変でした。
今回さつまいもを植えるにあたって、どんな肥料がいいのか調べてみました。鶏糞がいいのか、それとも化学肥料がいいか結論が出ず、園芸店の方に聞いてみることにしました。すると「何もやらない方がよい」との答えでした。下手に肥料をやると葉だけが成長し、肝心な実が太らないのだそうです。荒れ地の方がよく育つと聞きますが、まさにその通りなのです。
人間も同じ様な気がします。神様から与えられている信仰は、下手に肥料(思い・考え)をやらなくても実をつけるのです。知識や名誉、お金や物によらなくても、キリストの言葉だけでしっかり育つし、豊かな実をつけるものです。主の復活を信じるのに、人間的な肥料はいらない。信じるという神様からいただく信仰だけでよいのです。
360度の方向転換は、いつも元通りで方向転換にはなりません。しかし、神様のもとに帰る方向転換は360度。なぜなら悔い改めによってなされる方向転換は常に神様に出会うからです。
(柿のたね)

インフォメーション

■第11回ルーテル子どもキャンプ
TNG-子ども部門では、今年も恒例のルーテル子どもキャンプを開催します。
●日程 2009年8月6日(木)~8日(土)
●場所 ルーテル学院大学・神学校
●テーマ
空にいちばん近い国、ネパール
~ナマステ、サンチャイチャ~
●主題聖句
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ」詩篇121:1
●対称 小学校5、6年生
★スタッフ募集★
グループ・リーダー 大学生以上の教会員
ジュニア・リーダー 高校生以上
※研修会からキャンプ期間全日程参加が必須条件となります。
★お問い合わせ キャンプ長 小泉嗣まで
電話043-244-8008
メール t-koizumi@jelc.or.jp

牧師の声

私の愛唱聖句

九州教区 室園教会・小国教会 牧師  後藤 由起

わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです
テサロニケの信徒への手紙一 1章5節

伝道者を志して神学校に行き、牧師となった。どうやって伝道しようか、楽しみで燃えていた。まずは新しい人が教会に来るきっかけを作ることだ! 伝道集会を企画し、音楽伝道をはじめ、インターネットやチラシで宣伝、ミッションスクールにもがんがん働きかけた。新しい人々は教会にやってきた。ハレルヤ! しかし、次の週にはもう来なかった。そこではたと気がついた。
肝心の「福音」はどうなっているか?? 私は福音を伝えているだろうか?? 年齢、職業、学歴さまざまな方が教会にやってくる。その方々に、「通じる言葉」を語れているだろうか?? 猛反省した。私は教会の中だけで通じる説教をし、せっかく教会に来てくれた、社会の真っただ中でもまれている新来会者には縁遠い、「ザ・クリスチャン」たちの世界を作りあげていなかっただろうか。
大いに恐れはじめた。「私にはできません……」。たとえば「この世の知恵ある人々」が教会にやってきた時、神学校を出たての私が何を語れるというのだろうか? 絶句するような悲しみの中にある人がやってきた時、どんな慰めを語れるというのだろうか?
その時、神は私にこの言葉を語られた。異教の街テサロニケで伝道をはじめたパウロたちは、短期間にもかかわらず大きな成果を得、異邦人から改宗者が多く生まれた。それは「ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったから」だと聖書は告げる。「力と聖霊と強い確信」、これが私に欠けていたものだった。自分の知恵と言葉遊びに頼ろうとしていた罪を主は示された。すぐに私は天のお父様に「力と聖霊と強い確信をください」と祈り始めた。
土曜の夜になると、私はいつも恐れに取りつかれる。1コリントのパウロのように。しかし宣教とは、人々が「人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになる(1コリ2:5)」ことだ。ルーテル教会に「力と聖霊と強い確信」が与えられるよう、私はこれからも祈り続ける。

信徒の声

教会の宝を捜して

九州教区 小倉教会  小牧 千賀至

信仰生活に至ったきっかけはなんだったのですか?
妻の勧めでした。妻は子どものころからキリスト教信仰がなじみやすい生活環境にあり、九州女学院卒業でもあったので、2人の結婚式も妻の希望で教会で挙げました。
一方私は、社会人となって以来の現役40余年間は、当時の皆さんがそうであったように、生活のすべてが仕事へ仕事へと埋没する日々の繰り返しでした。仕事を離れる時期が近付くにつれ、今までの生活への空疎感は覆い隠せなくなっていた時、妻の勧めで教会に足を運びました。
信仰生活にはいっていかがですか?
多くが初めての体験であり、戸惑ったり不安であったりでしたが、礼拝を繰り返すうちに、少しずつ少しずつ幸せと安らぎが心の中に広がってきて、信仰の喜びを実感できるようになってきました。
小倉教会で会計のご奉仕をされてこられましたが、これからの抱負を聞かせてください
これからも小倉教会でできる間は奉仕させていただこうと思っていますが、この厳しい経済情勢のなか今後のありようが心配です。

九州教区の「高齢者に関するアンケート」から

九州教区 社会・奉仕部長  岩崎國春

昨年、教区が実施した標記のアンケートから、教区の高齢者問題の全体像の一端を垣間見ました。教会の高齢化が一段と進み、礼拝出席者のほとんどが高齢者である教会も散見され、とても衝撃的でした。
各個教会の内なる活動では、高齢者への色々な配慮と取り組みが行われているものの、地域社会での高齢者への宣教活動の取り組みは、全く手付かず、暗中模索のように感じました。
多くの教会で、高齢者の交わりと働きの場の形成には、知恵と工夫が施され、それぞれの教会に相応しいプログラムが用意されているのに安堵いたしました。今後、教会で高齢者の担う役割がより重要になっていくのは明々白々だと強く感じたところです。
教会内外のバリアフリー化は着実に進んでいます。例えば和式トイレの洋式化が順調に進み、残すは2教会のみとなりました。その背後には、教区女性連盟の粘り強い啓発活動がありました。
「老老介護」「看取り」「成人後見人制度」等の今日的問題への取り組みには、教会間でかなり温度差があります。いずれにせよ、この問題はこれからの教会にとって大きな課題と受け取りました。
各個教会の共通課題に、高齢者の礼拝出席とそれに伴う送迎の問題があり、年毎に、深刻さを深めています。今後、家族集会や信徒訪問等の必要性が予想されます。この際、私ども、ルーテル教会黎明期の牧会活動の有り様に深く学ぶところがあるように思えます。

新型インフルエンザ気をつけましょう。

新型インフルエンザが全国的に広がりを見せつつあります。各教区、教会におかれましても、対処について考えておられることと思います。
報道に振り回されたり、神経質になり過ぎることはないでしょう。しかし教会や関連施設という不特定多数の人々が集う場にあっては、危機管理の対応は重要です。
自ら感染しないように、互いに感染しあわないように、十分注意しましょう。そして、万一の場合は落ち着いて対応しましょう。ウエブサイトの「厚生労働省新型インフルエンザ対策関連情報」も参考にしてください。(広報室)

いのち、はぐくむ  中井弘和

第3回 落穂拾い

穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。……ぶどうも摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。……
(レビ記19章、9~10節)

もう30年も前のことです。当時、世界の最貧国といわれていたバングラデシュに稲の研究指導のため滞在していました。ある日、現地の若い研究者と少し離れた田園地帯に稲の採集に出かけました。雨季前の薄日射す緑の平原は、少しうねりながら、どこまでも遠く広く地平線まで続き、牛、山羊などの動物と人が無数にまじわりあって星のようにゆっくりと動いていました。そんな風景の片隅で、収穫後の田をゆっくり行き来しながら落穂を拾う数人の質素なサリーをまとった女性たちの姿を私は何気なく眺めていました。
あのミレーの作品「落穂拾い」の静謐な画面が現出し、それをゆったり鑑賞するという心情だったでしょうか。そのとき、長く続いた沈黙を破るように、同行の研究者が「あの人たちは非常に貧しい」と語りかけてきました。この年、当地は未曾有の旱魃に襲われ、多くの農民たちは田畑を捨てて都市になだれ込んでいるというニュースにも接していました。街の路上はその日の糧を求める貧民であふれていました。あの女性たちもそのような人たちだというのです。
よく見ると、田の傍らにはやせこけた裸の赤ん坊が転がされています。彼女らの手にはわずかの稲穂しかありません。一日中さまよい拾い続けても、ひと握りにもならないだろうとのことでした。美しい風景の向こうに人々の苦しい生活の現実が隠されていることを思い知らされて衝撃を受けた記憶が蘇ってきます。その後、バングラデシュは工業化が進み、経済成長も著しいようですが、一方、貧富の格差は一段と広がり、貧困はなお、その社会に強く根を張っていると聞いています。
現在、地球上の栄養不足人口は12億人、極貧人口は28億人(「地球白書」より)といわれています。工業化による経済成長はもはや世界の趨勢ですが、その一方で、貧困が増大するという矛盾の前に私たちは立たされています。その過程で、落穂拾いの風景はひっそりと姿を消しつつあるのではないでしょうか。それは、確かに哀しみの風景に違いありませんが、落穂を貧しい人々のために残す田畑を私たちの心と社会に生かし続ける必要があると考えています。

路帖百年。 1909年~2009年

1909年9月27日の記念碑

「(1909年)9月27日、熊本市新屋敷町412番地のスタイワルト邸を仮校舎として、路帖神学校は開校式を挙げた」と『日本福音ルーテル教会史(60年史)』は伝える(神学生は4名)。
その後市内東子飼町の仮校舎を経、九州学院の開校(1911年4月)と共にその敷地内に校舎を得て、九州学院神学部(神学生は8名。1916年に専門学校の認可)となった。
白川の対岸(熊本教会に向かい合うあたり)の、大きくないマンションの入り口、楠の木の下に小さな石碑が建つ。九州学院発祥、路帖神学校開校と記して記念としているのだ。熊本を訪れる機会があれば、私は立ち寄って先達の心意気に触れる思いを深めたものである。
教師も教師なら、学生も学生、明治から大正へのこの時代に、世が求めた栄達を求めず、神と人とに仕える学びに励んだのである。熊本での神学教育は1925年、日本ルーテル神学専門学校として東京中野、鷺宮の地に移転するまで続いた。
「路帖百年」の第1期の16年であった。
(徳善義和)

関門の丘から  松隈 勁

大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
(コリントの信徒への手紙一 3章7節)

6月。校舎は芳しいクスの香りに包まれ、新緑が目に鮮やかな季節を迎える。中学1年生が校地内樹木マップを頼りに探検に興じている。理科の授業風景だ。実物に触れて学ぶという初代院長の教育理念は、今でも樹木の種類の豊富さの中に息づいている。
中学1年生にとって初めての体験である中間試験が実施される。15、6年前までは、無監督制が敷かれていた。「誰が見ていなくても、神はあなたを見ておられる」この事実を自覚させ、自主性を育てていくという試みであった。自主性は育つものではなく育てる(=育ちゆく環境を整える)ものである。しかしこのすぐれた教育方法も、やがて大学入試で評定平均値を基にした推薦制が一般化するにつれ、外部からの信頼性の標準化を問われるようになり、あきらめざるを得なくなった。
学校は常に自主性を育てる仕組みを求められていると思う。新任の頃、家庭訪問で自分よりもずっと年上の保護者の方に恐る恐る「ご家庭の教育方針は?」と尋ねると、「子どもの自主性に任せています」という返事。「なるほど、だからこのようなしっかりしたお嬢様が育っていらっしゃるのですね」と感心したものだったが、任せることが放任につながらなければいいのだがと心配にもなった。任せるのではなく任すことができるように育てることが大切なのだ。教育の営みは保護者・教師・生徒が一体となって初めて完成される。だから家庭教育も大切な教育の一環である。例えば、初めて子どもが試験を受ける時、どんな子でも何をしたらいいものかと迷いがあるはずである。親の出番がここにある。一切を塾などの他者に任せることでなく、今、子どもが何を学び、何を悩んでいるのかということを肌で感じ取ることができるいい機会である。だから、親は子どもが持っている教科書を手にしてみて欲しい。何かと批判はあるかもしれないが、日本の教科書はよくできている。教科書は限られたページ数の中に先人たちの血のにじむような努力の結晶が整理されている。この教科書を栄養にして子どもたちは成長していく。親も教師も連携できるのだ。

神の召しに答えて 新任牧師からメッセージ

目をあげてみると

板橋教会 汲田真帆

説教を考えながら歩いていたら道に迷ってしまいました。不安を通り越し悲しくなったその時、舞いおりた一片の花びらに目をあげると満開の桜と青空が見えました。私達は自分の目から見える物が全てだと思う時、頭上にどんなに美しい空があってもそれに気づくことができません。
マリア達もそうでした。「誰があの石を取り除いてくれるのか?」これは私達の見る現実の限界へのつぶやきです。しかし「目をあげてみると」石は既に転がされていたのです。主は復活されました。私達の死よりも強い確かな愛が示されたのです。心の目を上げて生きていきましょう。神様はあなたの目の前に一片の花びらを用意してくださっています。

ガリラヤでお目にかかれる

鹿児島教会、阿久根教会  小山 茂

女性たちは墓で、絶望の淵から希望の光を見たのに、逃げ去りました。「ガリラヤでお目にかかれる」は、主イエスの復活の出来事として、後に弟子たちを挫折から再び「信従」へと招かれます。弟子たち同様に、時に私たちも素直に聞く耳を持たないのです。それでも主イエスが私たちをガリラヤで待ち受け、共にいてくださり、私たちを頑なさから解き放たれます。私たちの信仰がどれほど不完全であり、福音宣教にひるんでも、主イエスは粘り強く諦めずに私たちを招き続けられます。私たちは主によって、最後に信じる者と変えられていきます。ハレルヤ!

広島教会での初イースター

広島教会 鷲見達也

さすがにイースターの力、普段あまりお見えにならない方も教会においでくださり、100人を超える方々、私の拙い説教にも耳を傾けてくださったことをありがたく思います。
広島教会ではボーイスカウトが平和大通りの歩道の茂みなどに「イースター卵」を隠し、保育園の子どもが全く教会とは縁のなかったおばあちゃんと参加したことは印象的でした。あまり準備のできないまま受難週やイースターを迎えてしまい、牧師は忙しいよと神学校で言われていたことを実感した今年のイースターでした。

熊本・ルーテル学院から

ルーテル学院中高チャプレン 崔 大凡

4月から熊本のルーテル学院でチャプレンとして働いています。新しい生活が始まってまだ間もないところですが、今年の3月末まで東京の神学校寮で過ごしたことがもうとても昔のことのように感じる今日のこの頃です。
毎日仕事に追われながら、自分として何とか頑張りつつ、中高の生徒たちと一緒に過ごしています。彼らは今の私にとって喜びでもあり悩みでもあります。しかし間違いなく、彼らは私に、毎日大きな感動を与えています。彼らと一緒だからこそ、とても生き生きと感じる毎日、神様に心から感謝しています。私たちのためにお祈り、よろしくお願いします。

第14回全国伝道セミナー

第14回全国伝道セミナーが、5月4日(月)~6日(水)、日本のガリラヤ湖と呼ばれる琵琶湖で開催されました。
今回の伝セミは「そうせずにはいられないことだからです(コリント一 9:16)」を聖句に、「私にとっての伝道~誰に、どこで、どのように?~」をテーマとして、北海道から九州まで全体で75名の参加者が集められました。
会場には「るうてる福音版」でおなじみの杉岡広子さんの聖書人形「十字架の道行」が展示され、また、若くして来日しこの地で生涯を終えた信徒宣教師W.M.ヴォーリズの息吹を感じながらの3日間でした。
参加者は、それぞれの生活の場で感じている伝道やキリスト教のあり方について分かち合いました。スタッフも含め初参加の方が多かったにもかかわらず、すぐに打ち解けあうことができ、和気あいあいと有意義な時を過ごすことができました。
沼崎牧師の「聖書に聴く」や谷口兄の「ヴォーリズの生涯」(ともに京都教会)では真剣に耳を傾け、長谷川(間瀬)姉の紹介された「祈りの輪」による夕べの祈りと朝の祈りでは祈りを過ごしました。
2日目にはヴォーリズゆかりの今津教会(日本基督教団)や資料館を見学したり、グループでの散策の時を持つことができました。夜はゴスペルシンガー・森繁昇さんの愉快な楽しい賛美を楽しみました。
子どもたちも大人と同じようにヴォーリズのことを学び、また自然の中で遊んで楽しい時を過ごしました。
今回はいつもより少ない参加者でしたが、家族のようなきずなのもと、ともに讃美し、それぞれの地へ伝道の聖火を胸の奥に携えて派遣されて行きました。
(実行委員長 前田実)

メコン

ミッションフォーラム

5月11日から14日、カンボジアのプノンペンで「メコンミッション・フォーラム」が関係教会の代表もふくめて約40名でによる定期会議が開催された。JELCも緊急支援した、昨年5月のミャンマー・サイクロン緊急支援報告と共に、メコン地区の伝道・教育・奉仕事業についての共同事業等について協議した。JELCからは、事務局の青田牧師と浅野牧師が出席し、例年通り、連帯献金より、メコン地区の伝道維持のために応分の献金協力をしていくこととした。(副議長 青田勇)

お知らせ

■『路帖神学校百年。』歴史フォーラム~生み出したもの、支えたもの~
日時 2009年6月15日(月) 13:00~17:00
会場 市ヶ谷センター第一会議室
神学校百周年を祝し、上記の日程にて、その歴史に学び、想起しつつ、さらに後世の教会に伝えていくための歴史フォーラムを開催しますので、お集まりください。
■第33回 キリスト教美術展
日時 2009年 6月17日(水)~28日(日) 11:00~19:00(最終日は16:00まで)
会場 銀座教会 東京福音会センター
※6月22日は休館日になります。
■第3 回カンボジア・ワークキャンプ
日程 2009年 9 月1 日(火)~11 日(金)11 日間
対象 18 歳以上の健康な方(高校生不可)
申込締切 2009 年7 月7 日(火)必着
問合せ・申込先 JELA+JELC ボランティア派遣委員会
メール:workcamp@jelc.or.jp
Tel:03-3260-1908 FAX:03-3260-1948

電話番号変更

荒尾教会の電話番号が、左記の通り変更されました。
0968-57-9866
FAX番号の変更はございません。

柳川教会のステンドグラス譲渡の件

応募は締め切りとさせていただきます。4教会から問い合わせ、申し込みがあり、その後の折衝で、2教会はとり下げられました。最終的には、事務局長がとりまとめをします。

お詫びと訂正

るうてる5月号3ページ目、「いのちはぐくむ」の記事で最後の一文「今も考えています」は4月号のもので、編集作業上のミスでした。その一文を除いて読んでくださるようお願いいたします。執筆者の中井先生、読者の皆様にはご迷惑をおかけしました。お詫びして訂正させていただきます。
(広報室)

09-05-15るうてる《福音版》  2009年 5月号

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バイブルメッセージ  いらかの波と雲の波…

わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。
コリントの信徒への手紙一 2章12節a(日本聖書協会『聖書 新共同訳』)

その重なる波の中空を泳ぐのが「鯉のぼり」です。梅雨空ならまだしも、風薫る5月、それこそ「五月晴れ」の青空になぜ魚が、と子ども心に思いました……。
旧暦の5月、「皐月」だったのですね。皐月はまさに梅雨の季節。そういえば、松尾芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」も梅雨時のことゆえ納得です。雨の季節であれば、「鯉の滝昇り」も、鯉のぼりも絶妙な組み合わせということになるのでしょうか。
「東京は雪」と伝えられた3月初旬、乾季に入ったばかりのインドはデカン高原、その西端で「熱風」にさらされていました。日中、炎天下での気温は30度を越えていたことでしょう。しかし、木陰や建物の陰に入ると、そこはひんやり。吹く風も、薫風というか、涼風というか、とにかく心地よく、さわやかなのです。全身から汗と疲れを拭い取るように、吹き抜けていきます。おもわず「ゴクラク、ゴクラク……」。
「薫風」という、さわやかな初夏、青葉の季節を連想させる言葉の出典は漢詩だそうです。そこには、皇帝と部下のこんなやりとりがあります。皇帝が「人は皆、炎熱に苦しんでいるが、私は夏の日の長いことを愛する」と言うと、すかさず、部下が「薫風は南より来たる(薫風自南来)、殿閣に微涼の生ず」と答えたのだそうです。熱風を「薫風」と言い替えたところが味噌なのでしょうか。
いずれにしろ、インドの炎熱の薫風? に打たれ、熱中症寸前、へろへろ、くたくたになった人間が、木陰に身を寄せ、建物の陰の地べたに身を伏せる時、生き返るのです。日本では吹かないであろう乾ききった風。それは時に熱風にもなりますが、木陰の爽快感は、日本では味わえないものでした。薫風に感激、感動、感謝。風は不思議ですね……。
イエス様も「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない」と言われました。ご自分のことを「風」にたとえられたのです。目には見えず、音がするだけの風。
飼い葉桶に生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ死なれたイエス様は目を見張るような存在ではありませんでした。
イエス様は続けて言われます。「霊から生まれた者も皆その通りである」と。わたしたちも、神様からの霊をいただいて、「風」のように生きるのです。目には見えなくても、爽やかに、力強く。
5月31日、その神様からの霊、聖霊が与えられたことを記念し、お祝いします。
「霊よ、四方から吹き来たれ。……そうすれば、彼らは生きかえる」(エゼキエル書37章9節より)。
M.T

十字架の道行き

【第十四留】イエス、墓に葬られる  マタイによる福音書 27章57~61節
【祈りの言葉】
イエス様の体は、亜麻布に包まれて新しい墓に葬られました。私たちも主の御心のまま、み旨のとき墓に葬られます。それは、あなたの命に迎えられることであると悟らせてください。

ネパールワーカー楢戸健次郎先生 ナマステ、サンチャイチャ

ネパールはインドと中国チベットが隣接する東西に細長い国です。エベレストを含むヒマラヤ山脈が連なり、首都カトマンズはその山々に囲まれた盆地にあります。主な産業は農業で約7割の人が従事しています。2008年には王政が廃止され7月に大統領就任、8月に首相が決まり、内閣が発足しました。

ネパール派遣ワーカーの楢戸健次郎先生のインタビューの続きです。今月は派遣先のネパールや、チョウジャリ病院のある地域のことなどをお聞きしました。

Q. 赴任先をネパールにされたのはご自身の希望ですか? その場合ネパールを選んだ理由を教えてください。
A. 半分私の希望でもありましたがJOCSの決定です。JOCSのワーカーの送り方は要請主義です。はじめ私はタイのスラムの問題にかかわりたいと希望したのですが、適当な仕事がなく、ネパールからの要請に応える形で派遣されました。それまでに何度もネパールへ来たことがあり、魅力のある国の一つでしたので喜んでまいりました。

Q. 先生をネパールに派遣しているJOCSについて教えてください。
A. 1960年発足の海外医療協力を主な仕事とするキリスト教NGOです。医療従事者を医療に恵まれない開発途上国に送ることと、相手団体の医療従事者を奨学金で応援し協力することが2つの柱です。今までに私を含め約60名の医療従事者が送られてきました。国や企業からは援助をもらわず、会員の会費と献金、それに全国から送られる古切手を換金しての資金だけで運営しています。皆さんに支えられ現在8人のワーカーがカンボジア、バングラディシュ、ネパール、パキスタン、タンザニアで働いています。

Q.チョウジャリ病院がある地域の現状を教えてください。
A. 首都カトマンズから西に直線距離で350km。19人乗りの飛行機で1時間20分。週に一度定期便があります。3つの郡の境界線、大河ベリのそばに病院はあります。標高700m。周りは山また山で、そのすそ野には段々畑が張り付いています。チョウジャリのあるルクム郡はネパールの中でもマーガル人が多く住む貧しい地域です。

Q.チョウジャリ病院のスッタフの構成は?
A. ネパール人医師一人。他に準医師4人(高校1年終了後1年間の学習と6ヶ月の実習を受けた人)、准看護婦7人、検査、薬局、X線のそれぞれの手伝い、事務、掃除、夜警の人たちを加え、総勢36人です。

Q.カトマンズとの生活の格差はありますか?
A. 比べようもありません。ネパール人が9割近く住む田舎からみればカトマンズは“外国”です。カトマンズは停電こそ毎日12時間もありますが、お金を出せば日本に近い生活もできます。日本料理屋もスーパーもあります。ここでは電気は1日1時間、飲み水は川から汲み、食べるのが精一杯の生活で、日本の昔、“おしん”の時代と同じでしょうか。
(つづく)

毎日あくしゅ

新学期は新入園と、転勤やその他の事情で転園してくる子ども達がいます。のぶちゃんは他の幼稚園から止むを得ず、年中組に転園してきたひとりです。園の玄関先で愛らしいしぐさで靴を履き替えるものの、顔は無表情で逃げるように保育室に入ってしまい、なかなか教師や友だちになじめない女の子でした。
自閉的な傾向があるとの診断がついていたのぶちゃんは、確かに気に入らない事があるとひっくり返って泣き喚き、いつまでも気持ちの切り替えができなかったり、すねたりすることが多く友だちもなかなかできませんでした。
しかし、次第に幼稚園の生活にも慣れ、《ここはまんざら悪い場所ではない》ことが理解できると、のぶちゃんは笑顔も見せるようになり、小さな声でしたが「お・は・よ・う」が出るようになりました。そんなのぶちゃんは、聖書のお話をよく聞いて、しっかりおぼえている力をもっていました。時折びっくりする質問をすることがありました。「イエス様のお弟子さん知ってる。アンデレって言うんでしょ、漁師さんだったよ」。
また、全園児で将来の夢を紙に書いて紙風船を空に飛ばした時も、ひとり真剣に「ねえ、かみさまはこの手紙みんな読まないといけないんだよ。たいへんだね」。のぶちゃんは、神様が何でもできる、とても大きなお方であることをいち早くキャッチしたのかもしれません。
卒園の日が近づくにつれ、お母様は毎日のように「私たち親子はここに来て本当に良かったです」と感謝の涙と共に、将来への不安は拭い去れないようでした。
大人の不安をよそに、どんなときでも神様がいつも一緒にいてくれることに信頼を寄せ、神様を素直に信じることができたのぶちゃんは、卒園式の時に「わたしは大きくなったら、神様を礼拝する人になりたいです」と挨拶をして卒園していきました。
(園長)

09-05-15るうてる  2009年 5月号

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フィンランド大司教来日

桜の花が咲く4月3日、フィンランド福音ルーテル教会(国教会)を代表する総監督であるパールマ・ユッカ大司教が4名の随行員と共に東京での日本福音ルーテル教会および日本ルーテル神学校と大学を訪ねた。
初日の夕べ、午後7時、日本福音ルーテル東京教会を会場に歓迎レセプションを日本福音ルーテル教会主催で行い、フィンランド大使ご夫妻、カトリック教会・東京大司教区の岡田武夫大司教、日本聖公会・総幹事相沢牧人司祭、それに東教区の常議員、神学校の教授等の方々が出席され、キリストにおける日本と世界の教会の対話と交わりが与えられた。4日は、朝早くバスで東京を発ち、飯田ルーテル教会、同幼稚園による大司教歓迎会にフィンランド駐日大使と共に出席した。歓迎式典の後、昼食会ではパールマ大司教のサインが入った日本語聖書が飯田市長に教会からの記念品として手渡された。
5日は、100年前にフィンランドの宣教師により日本伝道が開始された、東京池袋教会の主日礼拝に。パールマ大司教が説教され、自らの少年時代の苦い経験をみ言葉と共に語り、キリストの受難と復活での「罪の赦しと永遠の命」の尊い神の恵みを説かれた。礼拝後の昼食会では「世界のルーテル教会に属し、同じ宣教の使命を持つ教会として、日本の社会と教会の働きを学ぶために日本を訪れた」という挨拶をされた。
その後、6日に長崎に移動。最初の宣教師として、109年前にフィンランドから3ヶ月の長い船旅を経て長崎に到着した、ウェルロース一家の風邪がもとで亡くなった一番下の赤ちゃん(クッリッキ)の墓地を訪ね、10日、関空からフィンランドに帰国した。
(宣教室長 青田 勇)

全国ティーンズキャンプ 宮崎 3.26~28

南国宮崎で例年より早めの桜が満開となった3月26日~28日にかけて、「春の全国ティーンズキャンプ(通称「春キャン」)」が行なわれました。北は北海道から南は地元九州まで、全国のルーテル教会から集まったティーンズは81名。それにスタッフ41名が加わり、総勢122名が青島の青少年自然の家で寝食を共にしました。宮崎の広い青空の下、太平洋の潮風に吹かれて過した3日間。ティーンズもスタッフも聖霊の息吹を豊かに感じながら、大きな一つの家族となりました。
今回の「春キャン」のテーマは<集い>。主題聖句には「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」という『マタイ福音書』18章20節のみ言葉が選ばれました。ティーンズたちが日頃通っている教会には、必ずしもたくさんの同世代の仲間がいるわけではありません。地方の小さな教会では、ティーンズは自分ひとりきりという中高生たちも少なくないのです。そんな彼らが、一抹の不安と大きな期待をもって集った「春キャン」。彼らが書いてくれたアンケートには、友達が出来た嬉しさとイエス様の愛を知ることができた喜びで満ちていました。まさに「春キャン」の集いの中に、イエスさまは来られたのです。
このたびティーンズを送り出してくださった教会には、あらかじめ1つのお願いをしました。ティーンズたちには内緒で、春キャンに参加する彼ら一人ひとりに教会から手紙を書いてくださるよう依頼したのです。教会員の誰もがティーンズの存在を大切に想っていること、これからも教会から離れず共に礼拝に与ってほしい、そして信仰を受け継いで将来の教会を担ってほしい……。それら皆さんの心のこもった手紙は、彼らにとって何よりの宝となることでしょう。ありがとうございました。
「春キャン」の最終日、キャンパー全員が宮崎教会に移動して「閉会礼拝」と「春キャン卒業式」を行ないました。イエスさまが臨在してくださるという意味においては、「春キャン」の集いもそれぞれが属する「教会」の集いも同じであることをティーンズたちは感じとってくれたことでしょう。どうか皆さんの教会でも、帰ってきたティーンズを暖かく迎え、手紙に書いてくださったように彼らの信仰の成長のために祈り続けてください。神様の豊かな祝福が全国のルーテル教会に集うティーンズたち、子どもたち、老若男女すべての皆さんの上に豊かにありますように。
(キャンプ長 日笠山吉之)

風の道具箱

「涙が乾けば目が痛む」

ある「老人ホーム」に行くと、床に、たくさんの赤いビニールテープが30センチ感覚で貼ってありました。何かの目印のようです。すると「これは歩くための印です」と教えられました。病気のために歩くときの一歩が出ない方のためのテープでした。
きっかけはある日、家族がその方が歩く方に一本の傘を投げられたのです。雨が降っているわけでもなく、足元に投げるのは「いじわる」なのではと思ったそうです。ところが、「前に何か目標があると一歩が出るのです」と教えてくださったのです。そこでホームでは一歩前へ足を出す目標として、赤い線を等間隔に貼っていると教えてくださいました。
「何か目標があれば一歩踏み出す勇気が与えられる。そして確実に一歩出る。きっといつか一人で歩くために」という言葉に感銘を受けました。
試練の中で一歩前へ踏み出すことは多くの勇気がいります。神様は、恐れの中に希望を見いだし、一歩を確実に出すことのできる勇気のめに「きっといつか」の配慮をしてくださいます。
(柿のたね)

インフォメーション

■松本奈美 オルガンCD 完成
交換牧師として渡独した松本義宣牧師の夫人奈美さんは、かの地でオルガンを習い「音楽家公式資格」を取得されました。その成果がCDとなりました。お問い合わせは神戸教会、松本義宣牧師まで。
神戸教会(松本義宣・奈美)
078-691-7238(TEL・FAX共用)
■絵本「咲いていること」発行
立野泰博 (著)
平岡麻衣子(絵)
居場所を探して種は飛んで行き、呼ばれたところで花を咲かせます。花は咲くことしかできないから。
定価1500円(税込み)
申し込み、問合せは 事務局 立野泰博まで
TEL 03-3260-8631 FAX 03-3260-8641
e-mail tateno@jelc.or.jp
※Amazonでもご購入いただけます。

牧師の声

私の愛唱聖句

九州教区 二日市教会、福岡西教会 牧師 野口 勝彦

私とキリスト教との出会いは、今から22年前に、あるキリスト教団体に職員として採用されたことから始まります。
当時の私のキリスト教に関する知識は、学生時代に世界史などの授業や講義で学んだ程度で、キリスト教を含む宗教に関しても好意的ではありませんでした。そのキリスト教団体で働くようになってからも、キリスト教に関しては職員礼拝や研修で接する程度で、その関心も、理解も深まることはありませんでした。
就職2年目に、後に洗礼を授かることになる牧師と出会うことになりましたが、その時も「世の中に牧師なんていう職業があるのか」という程度のもので、その時は、将来、自分自身が牧師になろうとは全く考えてもいませんでした。
就職10年目に大きな転機が私に訪れました。それは、それまでの教育実践をまとめ上げ、心理カウンセンラーと言う専門職を目指すために、ある大学教授の研究生となったことです。しかし、私が研究生となった矢先に、その指導教授がガンに侵され、余命が限られていることを、その先生自身の電話で直接、知ることになりました。ちょうどその時は、自分が働いていた部門を責任者として閉鎖し、新しい仕事やその職場で働き続けることに限界を感じ、精神的に非常に追い込まれていた時でした。そして、その時の私の唯一の希望が、研究生として心理カウンセンラーを目指すことであったのです。
しかし、その唯一の私の希望は、突然、閉ざされてしまいました。
そのような時、私は偶然、本にはさんであったしおりに書かれていたこの聖句に出会ったのです。
「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」
この聖句に出会った時、私は、何の疑いもなく、まさにその通りだと感じ、すっと受け容れることができました。そして、こころの苦しみが一瞬にして癒される体験をしたのです。この体験は、その後の洗礼と献身へと私を導く大きな原動力となり、この聖句は、今も牧師としての私を支え続けています。

信徒の声

教会の宝を捜して

西教区 シオン教会防府チャペル 信徒 金田 修

幼少期から教会との関わりがあったのですか?
母や妹たちと一緒に教会に遊びに行ってはいましたが、信仰を持つというような感じではありませんでした。ただ、母や妹たちは早くに洗礼を受けて、キリスト者として信仰生活を送っていました。
20代の頃、船乗りとして働いていましたが、母が仕事のことを心配して祈り続けているのを知って、陸での仕事へと変更しました。
教会へ足を運ぶようになったきっかけは?
防府教会(現シオン教会防府)には、時々立ち寄っていました。
1985年頃は兼牧状態で、防府には牧師が住んでおらず、敷地内の手入れができない状況でした。その時、「礼拝する場所なんだから、きれいにしたい」と思い、少しずつ手を入れるようになりました。手伝って欲しいと言われたわけでもなく、何故か自ら進んで手入れをしていました。
受洗されたのはいつごろでしょうか。
教会の清掃活動をするようになって1年程経ってからです。人のいない時に清掃をしていましたが、藤井邦夫牧師に声をかけていただき、防府だけでなく徳山教会の礼拝などに出席するようになり、1986年の降誕主日に受洗しました。
洗礼を受ける前と、後では何か変化がありましたか?
洗礼の前後は特別な変化はありません。しかし、教会に足を運ぶようになってから性格が一変したと思います。筋が通っていないと落ち着かないのは変わらないのですが、以前は気が短く、カッとなることもありました。しかし、教会に通うようになってからは、不思議と穏やかになりました。洗礼は決定的な出来事ですが、教会に連なるきっかけが与えられた時から変化していったと思います。

金田兄は、一週間の中で、少しずつ時間を作り、防府チャペル敷地内の維持管理をしてくださっています。
痒い所に手が届くといった感じで奉仕してくださっています。心から感謝です。

九州教区での高齢者問題の取り組みについて

九州教区 社会・奉仕部長  岩崎國春

九州教区もご多聞に漏れず高齢者問題は当面する大きな課題です。因みに、九州教区で60歳以上の信徒の割合は、52.4%で、全国の47.6%を上回っています。(2007年度教会統計)
教区では、2008年・09年度の宣教方策に「高齢者の働きの場、交わりの場の形成を図る」ことを掲げました。
昨年、この方策にそって、担当の社会・奉仕部では、(1)各個教会が取り組むプログラムを共有し、知恵や方法を分かち合い、実践例を紹介し合うことで、各個教会での伝道推進を図る (2)教区として各個教会のニーズを探り、宣教方策に反映させることを目的とした「高齢者に関するアンケート」を実施しました。
各個教会には、必ず、役員会としてご回答頂くこと。また、各個教会では、このアンケートの資料をもとに、当該教会に相応しい具体的宣教方策を立てて実働に入って頂くことをお願いしました。
アンケートの主な内容は、(1)高齢者への伝道 (2)教会での高齢者の交わり (3)教会で高齢の信徒が担う奉仕 (4)礼拝で高齢者に配慮していること (5)教会の建物や施設設備のバリアフリー化 (6)「老老介護」・「看り」・「成人後見人制度」です。
アンケートの回答は、教区内の37の全教会から頂きました。
次号で「集計結果から見えてきた問題、取り組むべき課題」について記します。

いのち、はぐくむ  中井弘和

第2回 パンは天からの贈り物

イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これは私の体である」
(マタイによる福音書26章26節)

聖書にいくどとなく登場する「麦」は、地中海沿岸からイラクを経てアフガニスタンに至る西アジアの地域すなわち聖書の世界に起源し、世界中に広がっていったものです。この地には、また、世界で初めて農耕が始まり、それが、やがてチグリス・ユーフラテス川の流域に世界最古の文明をもたらすことになりました。その中で特に重要な役を担ったのが、人類の主要な食物、パンの材料であるパン小麦でした。
人類は、農耕が始まったとされる一万年ほど前、エンメルコムギと呼ばれる野生の小麦を栽培することに成功しました。この栽培小麦とたまたま雑草としてその畑に混入した別の野生小麦、タルホコムギ、が交雑してできたのがパン小麦です。19世紀の半ば、かつてイエスが活動されたガリラヤ地方からすぐ近くのヘルモン山で、パン小麦の祖先種である野生のエンメルコムギが発見されました。その後、ヘルモン山からヨルダン川流域の広い範囲で多種多様な祖先種が見つかり、20世紀の中頃、ようやくパン小麦発祥の全貌が明らかにされたのです。
作物の起源地には、今も、多様な野生種や栽培種が存在しています。それらはいずれも、食料増産の鍵を握る育種の貴重な材料あるいは遺伝資源となります。そのような起源地はまさに人類の未来を照らす宝の山といえます。膨大な時間をかけた麦の進化の中で、自然の精妙なからくりによってパン小麦が発祥し、そのおかげで人類はパンの恵みを受けることができました。麦の起源地は人類にとって特別の意味をもつわけです。
アメリカをはじめ西欧諸国が主導するアフガニスタン空爆やイラク戦争は、パンという彼ら自身のいのちの源流を自ら破壊していることになります。パンによって人のいのちが支えられていることは自明のことですが、聖書はまたパンはいのち、平和、神の祝福そのものであることを多くの場面で示しています。戦争は論外として、日々の生活の中においても、聖書の原点に返って、食べものに向き合う姿勢が、今私たちに求められているのではないでしょうか。今も考えています。

路帖百年。 1909年~2009年

ルーテル学院100周年記念行事

1909年に創立された日本ルーテル神学校とそこから生まれたルーテル学院大学は、来たる9月23日(水・秋分の日、恒例の「一日神学校」の日)に創立百周年記念式典・記念礼拝・大懇親会を開きます。
100年を振り返り、与えられた恵みに感謝し、次の世紀へのヴィジョンを掲げます。午前の記念式典(講演・鎌田實氏)。午後は記念礼拝(説教・徳善義和名誉教授、100人の配餐者による聖餐式)。その後は懐かしい顔との再会と喜びの分かち合い。
卒業生だけでなく、教会の皆様にぜひ多数お集まりいただきたいのです。

その前後に、ハープコンサート(4月25日)、包括的臨床死生学研究所・コミュニティ人材養成センター創設記念会(5月13日)、連続神学講演会(6月17日、7月13日、9月4日)、ルーテル三校ベル聖歌隊の集い(10月3日)、日野原重明博士講演会(10月12日)。
また全国10ヶ所で地方一日神学校を開催、共々に祝っていただければ幸いです。
(神学校長 江藤直純)

関門の丘から  松隈 勁

喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい (ローマの信徒への手紙 12章15節)

5月。高校2年生は修学旅行に出かける。 この季節を迎えると名物校長であった河田校長のことが思い出される。かつてはどの学校にも名物校長がいたように思う。当時はどの学校も教師集団は個性の強い、つわものがそろっていた。そんな教師集団を束ねていくにはそれ相応の人格と技量が必要であった。そのような環境が名物校長を育てていたのだろう。河田校長は確かに名物校長であった。
生徒たちにとっては優しくユーモラスな先生であったので「河童」という愛称がついていた。私たち教師にとっても、心優しく温かな存在ではあったが、怖くもある存在で「瞬間湯沸かし」のあだ名があった。私たちが校長の思いとは異なる行動をとったとき、その時は訳も分らぬままに突然大声で怒鳴られる。あとで考えれば校長の深い思いに気付かされ己の考えの至らなさを恥じたものだった。しかし、学校という集団には適度の緊張は必要であり、そのことが学校としての規律を維持している。
「瞬間湯沸かし」のDNAはその後の校長たちにもしっかりと受け継がれており、校長室からは怒鳴り声が聞こえてくる。
河田校長は忙しい校長職にありながらも修学旅行には必ずと言ってよいほど同行された。いつのことか、修学旅行の帰途、架線事故の影響で列車が間引き運転される事態となった。私たちはうろたえていたが、校長は万が一に備えて途中の宿泊地の手配や学校との連絡など陣頭指揮をとられ、3時間以上遅れたにもかかわらず無事に、帰りを待つ保護者のもとに生徒たちを送り返すことができた。校長がそばにいるというありがたさを、しみじみと味わった。
不意の停車を繰り返しながらの帰途は不安のせいもあり生徒たちは疲れを覚えていた。そんな生徒たちを前に校長は生徒からトランプを預かり、何やら怪しげな中国語を操りながらトランプ手品を始められた。なんとも不思議な手ぎわに騙されながら、しばし時を忘れ、疲れを忘れることができた。
そのように、いつも生徒たちの中にある先生であった。

教師会だより

本年5月から『るうてる』の紙上に教師会のコーナーを設けていただくことになった。2ヶ月に1回のペースで年6回となる。最初の担当は全国教師会で、その後は5つの各地域教師会が執筆を担当する。
今後、例えば世界の諸教会ではどんな神学的なあるいは社会的問題が取り上げられているかとか、地域や全体の教師会が研修会をどういう主題で開こうとしているか、といった事柄や各地域の個々の教職の慶弔ニュースなども、この紙面をお借りしてタイムリーにお伝えしていきたいと考えている。年6回の記事の中で、全体あるいは個々の牧師集団が何を感じ、何を探り、何を目指しているかお互いに情報を分かち合えればと願っている。
さて、今年は全国教職者退修会が開催されることになっている。日程は9月7日(月)~9日(水)。場所は熱海近辺を予定している。主題は「今日のミッション・フロンティア~宣教、教会と社会の接点において~」である。
主な内容は、①2009年は、神学校創立百周年の年であり、その記念礼拝を最初に持つ ②「世界宣教」についての主題講演をアメリカ福音ルーテル教会のラファエル・マルピカ牧師にお願いする ③3人のパネリストによる主題討論 ④「牧師の任用をめぐる諸問題」の討議 ⑤牧師のサバティカル研修についての討議等が行われる。

この欄が教会の多くの方々の目にとまり、教師会に対する、より一層の関心を向けて頂き、また様々な感想や意見が寄せられ、重ねられることによって、キリストの肢体の交わりが更に豊かなものになるようにと願ってやまない。

教師会会長 高井保雄

インドワークキャンプ

チャプレン兼任の団長以下、スタッフ2名とキャンパー7名、総勢10名が2月24日成田空港に集合し、第5回インドワークキャンプに出発しました。目的地はデカン高原の西のはずれのジャムケットという人口5万人ほどの町です。そこのCRHPという病院を中心とした施設に滞在し、9日間作業をしました。今回は義足作りと増築される病院の建築工事のお手伝い。そして、ほぼ完成した小児科診療室の白亜の壁に絵を画くように急遽頼まれました。幸運なことに美術を学んでいる大学生がキャンパーの中にいて、みんなで製作に取り組みました。作品は好評を博し、一同ごらんの通り大満足でした。
(チャプレン 徳野昌博)

ボブ先生の旅日記 最終回

わたしたちの日本福音ルーテル教会と長く交流のあるアメリカ福音ルーテル教会ですが、宣教百年を機にサウスカロライナ教区が「コンパニオンシノッド」となり、きずなを深めてきました。浅野直樹先生がかつて行き、そして今回、ボブ先生が来られての交換牧師でした。

交換牧師ボブ・バーン先生とクリス夫人は、昨年の宗教改革記念日礼拝にて派遣され、東教区を皮切りに九州、西、東海、北海道と全教区を巡り宣教してくださいました。3月29日、北海道での最後の礼拝を終えて、無事全日程を終了することができました。
その翌日、帰国直前の気ぜわしい中でしたが、最終報告会を市ヶ谷センターでしてくださいました。パワーポイントを使って映像と音楽を交え、全教区での幅広い働きを伝えた力作でした。
印象に残ったことを2つあげます。ひとつは釜ヶ崎での働き。先生ご自身はこうした宣教にこれまであまり経験がなく、当初、同地区に居住しながらの任務に少し不安を覚えていました。ところが実際関わってみて、この働きの大切さと意義に気づかれ、ご自身の今後の宣教にも大きなインパクトを与えることになったと、涙ながらに語っていました。
もうひとつは日本福音ルーテル教会の礼拝についてです。全国各地数々の礼拝を体験し、どこも画一的な伝統的礼拝を守っていることが印象に残ったようです。アメリカの多様な礼拝スタイルと比べると、全国どこでも同一の礼拝形式というのは奇異に映ったようです。アウブスブルグ信仰告白を引用しながらこのことを辛口批評し、日本の今後の教会への熱い期待をも語ってくださいました。
先生ご夫妻にとっても恵まれた6ヶ月であり、そしてまた私たちも先生のお働きから多くの祝福と恵みをいただいたことを、この報告会で確かめることができました。
(世界宣教主事 浅野直樹)

連帯献金のお願い

◇ブラジル宣教支援
◇日米協力伝道
◇メコン(カンボジア宣教支援・子ども支援等)
◇パレスチナ(ベツレヘムの学校・カレッジ支援等)
◇釜ヶ崎活動(「喜望の家」の働きのために)
◇その他(緊急支援や世界宣教の働きのために)
■送金先 【郵便振替】■
00190-7-71734 日本福音ルーテル教会

住所変更

■横田弘行 先生
〒437-1522
静岡県菊川市嶺田2177-18
■勝部哲 先生
〒143-0016
東京都大田区大森北2丁目13-31-404
電話:03-3761-1347
■藤井邦夫 先生
※住居が音羽町礼拝所の牧師館になります。
〒420-0834
静岡県静岡市葵区音羽町8-12
電話・FAX共用:054-245-2517
■静岡教会
〒420-0834
静岡県静岡市葵区音羽町8-16

お詫びと訂正

るうてる4月号に掲載しました、4ページ目、人事異動のお知らせの欄で後藤直紀先生のお名前に誤りがありました。訂正してお詫びいたします。
大変申し訳ございませんでした。

お知らせ

■スプリングチャリティーコンサート in 博多
日時 2009年5月17日(日)15:00~16:30
会場 日本福音ルーテル博多教会
フィンランドのワナヤン・ヌオリソクオロ聖歌隊によるコンサートです。入場無料(席上自由献金があります)。
■女性会連盟第21回総会 80周年記念大会
第20期主題 「キリストの愛に生かされて」 わかち合う恵み・紡ぎ合う喜び
日時 2009 6月3日(水)~5日(金)
会場 ホテル熊本テルサ 3F 大会議室「たい樹」
詳細は http://www4.big.or.jp/~jelc-w/index.html

JELCのサイトが新しくなりました!

より親しみやすいサイトを目指し、デザインを一新しました。
http://www.jelc.or.jp/

09-04-15るうてる《福音版》  2009年 4月号

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バイブルメッセージ  希望の確率

なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。…(中略)…しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです。(フィリピの信徒への手紙3章13b~16節)

幼い頃の夢が実現する確率というのは、3%らしい。ふと、そのようなことを小耳にはさみました。3%、100人に3人。30人程度のクラスメイトがいたとして、1人いるかいないか、というところでしょうか。
もちろん、成長していくにつれてまた別の夢が生まれてきて……ということもありますから、一概にはどうとも言えません。しかしそれでも、おそらく90%以上の人は、幼いころ夢に描いていた自分とはちがう人生を送っている計算になります。
幼いころの夢を持ちつづけて実現させるという、その意志の力は本当に貴いものだと思います。しかしわたしたちが人生を歩む中で、何かをあきらめなければならないことが決して少なくないのもまた、事実です。
ある目標に向かって進んでいたはずが、気がつくと思っても見なかった場所にいることがあります。夢を追い続けることを状況が許さないことがあり、また、努力したのだけれども、どうしても届かないことがある。人生思うようにはいかないというのは充分わかっているつもりなのだけれども、理想と現実の差に苦しみ、立ち止まってしまう。大なり小なり、そのような経験は誰にでもあるのではないかと思うのです。
しかし、泣く泣く夢をあきらめて別の道に進んだ、けれどもその道こそ自分の天職だった、ということだってあります。華やかなプロスポーツ選手になりたかった、けれども実際についたのは希望とは違う、目立たない裏方の仕事だった。けれども裏方がいなければ、試合は成り立たないのです。人生思うとおりにいかないことがある、いやむしろ、思うとおりにならないことの方が多いかもしれません。しかしそこで、ただむやみに理想ばかりを見るのではなく、立ちどまってもう一度、今いる場所を見直してみる。するとそこで新しく、見えてくるものがあるかもしれません。そこで生きがいを見出し、そこにとどまるという道もあり、もちろんそこから一発逆転を目指して夢を追い求める道もある。選択肢はいくつもあります。しかしどの道を選ぶにせよ、まず立ちどまって、深呼吸。そこから見えてくるものが、きっとあるはずです。
新しい季節が始まります。これからもまた、理想と現実の差に悩むことはあるのでしょう。思いがけないできごとに、まったく違う方向へと背中を押されて戸惑うこともあるのでしょう。しかしそこで「世の中、思い通りにならない」と嘆くより、今いるところでいったん立ちどまり、いま何ができるか、自分はどうしたいのか、今の自分の役割は何か、と「到達したところに基づいて」考え、問いかけながら歩んでいく。そのような歩みもまた、楽しいものとなるかもしれません。祈っています。どうぞ、良い人生の旅を!
Aki

十字架の道行き

【第十三留】イエス、十字架から降ろされる
【祈りの言葉】
まことに主は死なれました。
一人の人間の死、一人の英雄の死ではなく、死によって死を滅ぼす、
まことの神の子の死です。

ネパールワーカー楢戸健次郎先生 ナマステ、サンチャイチャ

※「ナマステ、サンチャイチャ」はあいさつの言葉で「元気ですか?」等の意味です。

楢戸健次郎 先生
日本福音ルーテル教会の教会員である楢戸健次郎先生は、北海道で25年以上にわたり家庭医をされていました。JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)の理事や常務理事などを歴任し2005年から2008年4月までネパールのNGO団体HDCS(Human Development and Community Services)へ派遣されました。一時帰国した後、現在ネパールへ再赴任され、ルクムという地方のチョウジャリ病院でスタッフの指導や病院の運営アドバイス、診療を行っています。

Q. 日本では聞きなれないですが、「家庭医」とはどのような医師のことを言うのですか? また、具体的な働きは何なのですか。
A. 近頃、欧米ではどこにでもいる医師ですが、日本ではまだ珍しいでしょうか。”身近なところにいて病気のこと、健康のことなら何でもいつでも相談に乗ってくれる医師”と言えば分っていただけるでしょうか。ホームドクター、かかりつけ医とも言われます。
私が北海道でしていた仕事の一端をお話ししましょう。小さな田舎の診療所です。外来は乳幼児からお年寄りまで、いかなる病気でも相談に乗り手当てをします。そして難しい病気や入院が必要な時には病院を紹介します。普段は9時ー5時の外来ですが、診療所に寝泊まりし、いつでも患者さんの相談に乗り、必要な時には往診をしていました。予防にも力を入れ健康教室を開いたり、月に1度ですが新聞も発行していました。

Q. 中学生の時にシュバイツァーの本を読み、海外医療協力という働きがあることを知り医学の道を目指したとお聞きしましたが、海外医療協力のどんなところに興味を持ったのですか?
A. 小さい頃は野口英世のような細菌学者になりたいと夢見ていました。中学の時にシュバイツァーの生き方を知り、海外医療協力に興味を持ちました。理由は、小学校の時から教会に通い、ボーイスカウトの活動にも参加していましたので、他の人があまりしない、それでいて困っている人の役に立つ仕事に就きたいとの願いだったと思います。

Q.家庭医をされていたのも、海外医療協力に携わりたいという思いからでしょうか?
A. 1つの理由はそうです。医療に恵まれない開発途上国では医者はたくさんおらず、どんな患者でも見なければなりません。もう一つは、当時、1960年代ですが、医学部の同僚の多くが専門医を目指していましたが、将来日本でも専門医ばかりでなく医療の第一線でどのような病気でも見る家庭医は住民にとって必要だと考えたからです。

Q.家庭医をしていて苦労されたことはありますか?
A. 開院当初、診療所に医師は私1人、24時間365日の診療で肉体的にも大変でした。ただ、数年たって医師が2名、3名と増えてからは、苦労というより喜びのほうが多くなりました。時間にも余裕が出てJOCSの働きにも参加できました。
(つづく)

毎日あくしゅ

Iちゃんは、年長組のなかでもとりわけ落ち着いた利発な女の子です。どんな課題にも積極的に取り組み、素直な性格から誰からも好かれていました。
この頃少し元気がない様子が気になっていたある日、担任に『あのね、せんせいパパとママ毎日けんかするんだ……』ポツリと言ったこの一言で担任教師はIちゃんの元気のない理由がわかりました。
その数日後Iちゃんは担任に会うなり『先生、昨日パパが帰ってきて、ママのこと包丁で切ったんだよ』と衝撃的な話をしたのです。心が暗いままお迎えの時を待ちました。するとお迎えに来たお母様の手に痛々しいほどの白い包帯が目に飛び込んできたのです。思い切ってお母さんに『今日Iちゃんからお母さんがけがをしたこと伺いました』と尋ねると、照れくさそうに『昨日、包丁でうっかり……』との答えでした。安堵したと同時に、ウソをついたIちゃんのことが気になり、おかあさんにIちゃんがここ数日の元気のない事を伝えると、夫婦げんかがこのところ絶えない事情があったことを話してくださいました。更にIちゃんが話した〝包丁事件〟の事を伝えると、さすがにお母さんも驚きを隠せず急に心配になりました。今までウソなどついたことのないI

09-04-15るうてる  2009年 4月号

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教職按手式

3月8日(日)午後7時より、宣教百年記念東京会堂にて教職授任按手式が行われました。今年は4名の新しい教職が誕生しました。式には過去最高となる300名以上の出席者があり、渡邉議長から「ケーキの食べ方教えます」の説教題のもと力強い励ましをいただきました。
按手を受けたのは、汲田真帆、小山茂、鷲見達也、崔大凡(敬称略)の各氏。20代~60代という幅広い年齢。経験を生かした働きを期待しています。
式後のレセプションでは、遣わされていく教会の発表、辞令交付が行われ、それぞれにたくさんの祈りとプレゼントが贈られました。
事務局長 立野 泰博

ケーキの食べ方教えます マタイ9章35~10章15節

ノートルダム清心学園理事長で、シスターの渡辺和子さんが、修道院に入り、アメリカに派遣されて、多くの修練女たちとの生活が始まった時のことを記しています。
食事中は沈黙で、大皿に盛られた品が回ってきて、各自は自分の分を取り分けます。夕食後のデザートのケーキは、切り分けられていました。その時です。「自分の一番手近の一切れをとります」と修練長の鶴のひと声。渡辺さんたち修練女は、ほとんどが20代の食べ盛り、しかも一日の激しい労働の後でしたから、皆、少しでも大き目のケーキが欲しかったのです。お肉が出された時も同じでした。毎回少しでも大き目のものを取りたい誘惑と闘って、「これが私に与えられた一切れ」と思い定めたのでした。
このことは、その後、渡辺さんがいろいろの誘惑に遭った時に、それらとどのように向き合うかを教えてくれる訓練にもなりました。「楽をしたい、面倒なことを避けたい、他人よりも良いものが欲しいという誘惑は、多分、死ぬまで続くことでしょう。ですから、悪魔の誘惑を退けられたキリストに、少しでも倣えるように」と。(「誘惑」より)

日本福音ルーテル教会は、4月1日付けで、4人の新任牧師を宣教の第一線に派遣します。本日の聖書は、この4名の方々と同じように、イエスが12人の弟子たちを選ぶに至る動機と、彼らをこの世に派遣するに際して、その心得を示された箇所です。
イエスは町や村の津々浦々を巡り歩き、み国の福音を宣べ伝え、病に苦しんでいる人たちを癒されました。12弟子ですが、それぞれの背景をみますと、特別優れ者ではなく、まったく目立たず、社会的にも平凡な、あるいは劣る存在であったかも知れません。その何もない、何も出来ない弟子たちに、飼い主のない弱り果てた羊のような人々のためにと、イエスは弟子たちに権能を授けられたのです。
ではなぜ、イエスは社会的に大きな役割を果たした人物でなく、漁師や罪人と呼ばれた徴税人、あるいは、イエスを裏切る人物や、聖書にも詳細を告げていない人々をイエスの弟子、12弟子の一人ひとりに加えられたのかという疑問が湧いてきます。聖書には、イエスは弟子を派遣するに当たり、命じられた言葉の真ん中に、「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」と言われます。パウロも第一コリント1章26節で、「あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません」と告げています。つまり、12弟子が選ばれたとき、力ある者として選ばれたのではないということです。それ以上に、厳しい言葉は、「帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。……」とあります。これらのことを言い換えるならば、社会的に頼ることの出来る人間関係、優位性を誇るものは何一ついらない、つまり着の身着のまま、丸裸のままで宣教に携わることを強いておられます。「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」でした。
しかし、それだけで終わっていません。「わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける」と、働きが徒労に終わることがないことを明確に言い放っておられます。先ほどの渡辺和子さんのアメリカでの修道院生活の修練長のひと声、「自分の一番手近の一切れをとります」は、当然のようで、そうではないのです。ここには、選ぶ権利より、与えられた場所で、与えられたものを、感謝を持って受け入れるという、揺るぎない信仰が試されていることを知らされます。
ケーキを食べるときの心得のように、弟子としてのあるべき姿は、与えられたものを感謝し、受け、そして心を込めて与えることにあるのです。あなたを待っている人がいます。足りないところは、神さまに任せ、主の弟子として送り出される4人の新任牧師を、また私たち一人ひとりを、深い憐れみをもって、今日も,明日も、いつも見つめて下さっておられる方を覚え、新しく始まる日々を主に感謝してご一緒に過ごしてまいりましょう。

風の道具箱

きっといつか物語

ある「老人ホーム」に行くと、床に、たくさんの赤いビニールテープが30センチ感覚で貼ってありました。何かの目印のようです。すると「これは歩くための印です」と教えられました。病気のために歩くときの一歩が出ない方のためのテープでした。
きっかけはある日、家族がその方が歩く方に一本の傘を投げられたのです。雨が降っているわけでもなく、足元に投げるのは「いじわる」なのではと思ったそうです。ところが、「前に何か目標があると一歩が出るのです」と教えてくださったのです。そこでホームでは一歩前へ足を出す目標として、赤い線を等間隔に貼っていると教えてくださいました。
「何か目標があれば一歩踏み出す勇気が与えられる。そして確実に一歩出る。きっといつか一人で歩くために」という言葉に感銘を受けました。
試練の中で一歩前へ踏み出すことは多くの勇気がいります。神様は、恐れの中に希望を見いだし、一歩を確実に出すことのできる勇気のめに「きっといつか」の配慮をしてくださいます。
(柿のたね)

インフォメーション

■第14回伝道セミナーのお知らせ
今年の「伝セミ」は、それぞれの方が伝道について分かち合い支えあう会として企画されています。
・日程 5月4日(月)~6日(水)
・テーマ 私にとっての伝道~誰に、どこで、どのように ? ~
・場所 琵琶湖国定公園 近江白浜 白浜荘・問合せ先 第14回全国伝道セミナー事務局
〒502-0856岐阜市鷺山緑ケ丘新町1768-92
電話&FAX:0582-31-7897
実行委員長:前田 実兄(知多教会)

■TNG(次世代宣教)アメリカ短期研修
参加者募集
JELA-JELC共同事業委員会では次世代宣教に関わるスタッフ育成のための研修を実施します。
・日程 5月27日(水)~ 6月9日(火)
・会場 ノースカロライナ州 ルーサーリッジ
・費用 自己負担5万円と保険等の費用
・申込期限 4月30日(木)必着
・氏名、教会名、連絡先、志望動機、教会(地区・教区等)でのキャンプへの関わりの経歴等を明記して、お申込みください。
・問合わせ&申込先 本郷教会(03-3814-0766)
安井宣生 n-yasui@jelc.or.jp

牧師の声

私の愛唱聖句

西教区 シオン教会、宇部教会、厚狭教会、下関教会 牧師 小勝 奈保子

わたしを愛しているか (ヨハネによる福音書21章15節)

イエスさまはペトロに「わたしを愛しているか」とお尋ねになりました。ペトロは答えて、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と、その信仰を告白しています。私はクリスチャン2世、戦後キリスト教ブームの親に育てられた世代です。幼少の頃からイエスさまの物語を聞き、教えについては頭でっかちな一方、信じる心はまだまだ弱く、十分に育っていませんでした。成長するにつれ、現実と教会とのギャップを感じてもいました。19歳の時、洗礼を受けましたが、当時を振り返ると玉虫色の信仰だったと思います。ですから、信仰告白に自信がありません。クリスチャンかと聞かれれば「一応」と答え、社会の風に当たれば信仰を語らず、何か後ろめたい思いを抱いていました。
しかし、転機が訪れました。それはスリランカとの出会いです。スリランカは信仰心篤く、バスやタクシーに乗ると、神さまのポスターが飾ってあります。仏教徒ならブッタ、ヒンドゥー教徒ならガネーシャ。クリスチャンならジーザスで、すぐにこの運転手さんはクリスチャンだと分かります。
旅の目的はワークキャンプで、子どもの施設に滞在しました。子どもたちと生活を共にし、食事を作ったり、井戸で洗濯をしたり、朝な夕な礼拝を守ることで、だんだんと心が開かれていきました。ある日のこと、私の膝の上に子どもが座り、キラキラ輝く瞳で「ジーザス アーダレイダ(イエスさまを愛していますか)?」と尋ねてきました。私は思わず「YES」と答え、その答えに自分でもびっくり。満面の笑みにほだされたに違いないのですが、私はイエスさまを愛しているんだと、はじめてイエスさまへの思いに気づいたのです。子どもたちはイエスさまだけでなく、「わたしを愛してる?」と尋ねてきます。その度に「とっても愛してる」と答える毎日を過ごしました。
「わたしを愛しているか」、これは私たち自身の内にある問いでもあります。「こんな私でも愛してくれますか」。出会いの中に、何気ないおしゃべりの中に、「わたしを愛しているか」この言葉はいつも隠されているなあと思うこの頃です。

信徒の声

教会の宝を捜して

東教区 田園調布教会 信徒  川上 淳子

ルーテル教会とのかかわりについてお話を聞かせてください。
昭和28年、子どもの幼稚園入園とともに始まりました。小さな教会の礼拝堂が週日は保育室になりました。狭い台所も立派な保育室でした。しかもトイレは一つしかありませんでした。100名を越す子どもたちがいて、よくあの場所で生活が成り立ったと思います。母の会で役員をし、当時は、教会婦人会は、阿辻しをさんが会長で、岡立枝さんも代議員で、幼稚園父兄も教会員も、区別なく、なんでも一緒になって働いていました。補助教会でしたから。母の会のために聖研があり、自然に教会の働きに加えられ、今日になってしまった感じです。振り返れば、ただ「いた」だけの思いです。代議員にもなったことはありませんし、教会から代表で表に出たこともありませんでしたから。私は、昭和30年に洗礼を受けました。
今年はこの教会での生活が54年になりますね。
これまで教会を替わろうと思ったことはありませんでした。四世代同居、家族関係の中の複雑さの中で生きてきました。何しろ家庭では、病人の世話、家族の人間関係、弔い、夫の病気などで大変でした。
でも、矢野先生から、「学びて確信したところに常におれ」(2テモテ3・14)と受洗の時にいただいたみことばが、支えになりました。いろいろなことがあっても、何が神さまの恵み・みこころであるのか考えながら生きてきました。なんとかしようと思うと、結局わからなくなって自分を見失うことになりますが、ぜんぶ願うように事が運びました。不思議なことです。幸せとか恵みがどこにあるのかと探しながら生きてきました。不満に思うか、感謝に思うかは、受け止め方の違いにすぎません。すべて神さまにお任せすることだと思います。みことばの「わが恵み汝に足れり」(2コリント12・9)は、心に残っています。一人ひとりに与えられる十分に恵みは備えられていると思っています。83年元気に生きていることが奇蹟と思っています。

希望のメッセージを届けたい! ~高齢者伝道の取り組み~

P2委員長  齋藤末理子

「証しし、奉仕する信徒・宣教の担い手である信徒になろう!」の目標のもと、これまで信徒教育プログラムを計画・実行してきたP2委員会の働きも後半期に入りました。「LAOS講座」や「信徒宣言21」に示された新しい信徒論・教会論についての学びや実践の取り組みは今も多くの教会で続けられています。
2007年度実施の統計資料添付アンケートでは、これからの教会が取り組むべき課題として①信徒説教者の養成②高齢期の方々への伝道とケア③団塊世代・リタイヤ世代による積極的な教会活動の推進、などが挙げられました。
高齢化社会に生きる教会として、私たちは相応しい宣教の取り組みを具体的に考え、実行することが求められています。人生の円熟期にある方々、豊かな人生経験・信仰経験を持っておられる方々の賜物を生かした活動は、これからの宣教の大きな原動力となることでしょう。
また、健康や生活面で不安や問題を抱えつつ人生の後半を生きる人々への対応も再確認する必要があります。ハード、ソフト両面での見直しもすでに始まっています。病床訪問、礼拝への送迎、会堂の整備や対応、後見人制度などの取り組み例をこれからこの欄で紹介し、分かち合えたらと思います。
「夕べになっても光がある」(ゼカリヤ書14章7節)とのみ言葉に励まされ、老いの日々を尊厳と喜びをもって生きる希望のメッセージを、その証しを、私たちの教会が社会に福音の豊かさとして発信できるよう、教会の内も外も整えてゆきましょう。

いのち、はぐくむ  中井弘和

第1回 稲は生きている

大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
(コリントの信徒への手紙一 3章7節)

私は、大学を定年後、伊豆山間のとある農場で稲の自然農法の研究を続けて5年目を迎えています。自然農法は、農薬、化学肥料は使わず、「自然の摂理に沿い、土本来の力を生かす」と定義されます。この一見風変わりな研究を始めたのは1991年のことですが、すぐそのとりことなり、今はそれをライフワークと定めています。
3年目の93年には、たまたま岩手県最北端の松尾村でも実験を行っていて、未曾有といわれる大冷害の直撃を受けました。その年、日本は著しい米不足となり必要量の二十数パーセントに当たる200万トンを外国から輸入したことはよく知られています。9月中旬、穂が色づき垂れる頃、現地に稲の様子を見に行きました。先ず、目にしたのは岩手山の麓に青々と広がる何気ない水田の風景でした。しかし、すぐにそれが異様であることに気づきました。すべての穂が空に向かってまっすぐに立っていたのです。
こんな冷害には遭ったことがない、とそこで出合った老人たちは一様に沈痛な面持ちで話していました。はっと、われに返り急ぎ実験田に走り着いて目撃した光景をまた忘れることができません。自然農法の稲は凛として実り色づきはじめて光を放っているようでした。収穫のため1ヵ月後に再び現地を訪ねました。私たちの自然農法の稲はほぼ完全に実っていましたが、周囲の稲はついに実ることはありませんでした。
稲は生きている、と強く実感させてくれる出来事でした。稲はそれ固有のいのちを持ち、自然の変化に自在に反応しながら自らを成長させているということです。農薬、化学肥料、機械に過度に依存して作物を管理しようとする近代農業技術の矛盾あるいは人間のおごりが大冷害によって露呈されたと今も考えています。

こんなこと やっています。~世界各地のルーテル教会では~

ドイツの厳粛な復活祭

松本義宣

伝統的なオースターナハト(復活前夜祭)が夜半から深夜にかけて行われます。かがり火が会堂入り口に焚かれ、その他は全くの暗黒。まだ点灯されない新しい復活の蝋燭を先頭に「キリストは世の光」と歌いつつ入堂、堕罪、ノアの洪水、過越等にまつわる典礼歌が聖歌隊によって歌われ、いよいよ、その年を通して灯される復活蝋燭の点灯式、そこから会衆も各々点灯します。次に「洗礼の想起」、主に結ばれて罪に死に再び永遠の命に復活する洗礼と復活の意義を思い起こします。いよいよ復活日の福音書朗読、教会に保存されている最古の聖書がうやうやしく運ばれ、朗読者はそれぞれ語り手、天使、イエス等の役割分担で語ります。ここで初めて会衆が「キリストはよみがえりぬ」(教会103番)を賛美し、その後は説教、祈り、聖餐式と続きます。定められたテキストですべてが整えられていて、荘厳な石造りの会堂に輝く無数の蝋燭の光が、忘れられない美しさでした。

関門の丘から  松隈 勁

わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植えるものでも水を注ぐものでもなく、成長させてくださる神です。(コリントの信徒への手紙一 3章6~7節)

4月。新たな決意を胸に入学式に臨む中学1年生、高校1年生。その群れを見守るように校門から校舎に向かう通路に黄色い清楚な連翹の花が迎える。温かく華やいだ日差しの中で新しい一巡りが今日から始まる。
「やがて世に勝たん、愛の旗帰る。われらの母校は山の上の城」と校歌に歌い継がれてきた海峡のミッション–梅光女学院は関門海峡をまぢかに望む小高い丘の上にある。私はこの学び舎で32年の時を過ごした。教育の術はこの聖句に尽きると思っている。この聖句を中心にこの1年間の連載を書き綴っていこうと思っている。
東京での学生生活を支えてくださった保谷教会の牧師、白髭市十郎先生から「君は薬を作るより人を作るお手伝いのほうがむいているのではないか」とのお勧めに応え、下関教会の役員で、校長をしておられた河田哲先生のお世話でこの学校に赴任した。学生時代、一時は教師を志したものの研究に心惹かれ、大学院終了後製薬会社の研究所で新薬の開発に従事した。会社での人間関係に悩んでいた頃、様子を察しての先生の温かい配慮であった。保谷教会を離れる時、先生は「偉い先生にはならんでええ、良き教師になれ」と、はなむけの言葉を贈ってくださった。その言葉を信念として32年の時を過ごしてきたように思う。以来、理科教師として中学生、高校生に科学の世界の面白さ、大切さを伝えるために凡庸ではあるが誠実に生徒たちと共に歩んできたと自負している。
連翹の花は3月の初め花開く。卒業式の答辞としてよく引用される。学校によくある桜の木は校庭に見られない。しかし、この学校には連翹がよく似合うと思っている。3年間、あるいは6年間の学びを終え、連翹の花に見送られるように丘を下っていく生徒たちのこれからの歩みがイエス・キリストの恵みにあふれた歩みとなるよう祈りつつ、後ろ姿が見えなくなるまで職員室の窓から見送って、32年の時が過ぎた。

平岡正幸牧師 逝く

2月6日夕刻、平岡正幸牧師は脳内出血で倒れ、救急車で甲府市民病院に運ばれ、入院した。意識の戻らぬまま2月18日逝去。
6日は、「教区総会資料」の原稿締切日。早朝、彼からメールが届き、「今日が締切ですよ。よろしく」とあった。「今、出そうと思ったのに……」と返信した。それが最後のやりとりとなった。
教区総会に向け常議員が一丸となっていた矢先、書記がいなくなってしまった。「幽明境を異にする」。この言葉に打ちのめされる思いだった。
彼はカルト問題にも長年取り組み、救出にも実績を残した。その点でルーテル教会内よりも、外で名の知られた専門家であった。
彼は多くの深刻な問題を内に抱えつつも、「宗教的使命感」などとは無縁であるかのように、ひょうひょうと生きていた。あの笑顔。それは安心の無料配布。あの自然体。それは、「信仰する」という意図すら超えた神様への信頼。今、なつかしく思い出す。ありがとう、平岡先生。
東教区常議員 徳野昌博

引退牧師からのメッセージ

3月末に引退された先生方からメッセージをいただきました。

聖霊は 信仰を支配する力  勝部 哲

64年間という人生の半分を過ごした34年間の牧会生活に終止符を打つことになりました。
牧師職は体力、知力、気力、指導力、決断力、判断力が必要とされ、信徒の方々と共にバランスの取れた教会形成に努めるというかなりハードな働きが要求されます。これらを克服するには、常に「召命感」というものに向き合うことになり、何度も辞めたいと葛藤の連続でもありました。しかし、神さまはいつも聖霊という目に見えない力で、その時その時をより良い方向へと導いてくださいました。
人間の打算や計算では信仰が成り立たないことを信じて、その時を神さまに委ねてゆくルーテル教会であることを祈ります。

なにものにも左右されることなく  横田 弘行

1969年に宇土・松橋教会に任を受け、呉、岐阜、水俣、清水、沼津と38年間の伝道、牧会を経て、引退を決意しました。
人口比率1%そこそこのキリスト者、この国での宣教活動には今後、益々、経済的な厳しさが予測されます。
なにものにも左右されることなく、福音に純粋に聞いて語る牧者であっていただきたい。パウロが語り、生きたテント・メイキング・パスターの道も1つの選択かと思います。
教職免許や弁護士資格、医者の資格など取得し、経済自立をはかりながら、尚も福音宣教に生きる。一考すべき視点かと思います。

ボブ先生の旅日記⑤

東海教区「ユニーク体験」

これまでの3つの教区とはまるで違った体験が、東海教区での1ヶ月間でした。これまでは、一箇所の住まいに定住しながらの働きでしたが、東海教区では働きが3箇所で、最初の静岡市では清水教会の牧師館、大垣市に移動すると教会2階の教室が我が家、そして3番目が3月8日、名古屋恵教会でした。
静岡市清水区はこれまでの地域と比べると小さな町でした。ところが信徒たちの信仰はうって変わって元気でした。小鹿教会と清水教会で仕事があるとき、明比先生に連れられて出かけました。明比先生は、英語でいうところのAge is a matter of attitude, not chronologyそのもので、先生を見ていると人間の齢は年の数じゃないんだと教えられます。教会の働きのためにご自分のエネルギーを惜しみなく注ぎます。共に参加させていただいた祈祷会や聖書研究会はすばらしい恵みの時でした。信徒のお宅でのお茶会に招かれ心が洗われました。清水教会信徒でギデオン協会名誉役員でもある日下先生は、ルーテル・イングリッシュアワーを導いていますが、このたび聖書朗読の吹き込みを依頼されました。それを今後のクラスで用いてくださるというのです。いつの日かこれが用いられ、そこに聖霊が働いて参加者の中から受洗者が与えられることを祈っています。
大垣教会では、ルターの教え「全信徒祭司」がとても生かされていました。教会の働きに信徒一人ひとりが関わっているのです。ここでは信徒が説教することもしばしばあります。聖歌隊やギター伴奏での讃美歌合唱もあり、とても生き生きとした礼拝を体験できました。長い教会生活を通して信仰を養われた兄弟姉妹の中心的な働きがあるからこそ、こういうことが実現するのだと思います。それは施設「あゆみの家」にも当てはまります。ここでの知的障がい者への宣教は、ジョン・ボーマン先生によって始められ、今も受け継がれています。イエス・キリストにお仕えするという意味で、ボーマン先生の精神が今もここで生きているといえます。
クリスと私はその後、名古屋めぐみ教会へと向かいました。東海教区でのユニークの働きは、私たち2人のしもべへの神様からの贈り物だったのです。

第43回 教職神学セミナー

2月16日から2月19日まで三鷹のルーテル学院で「伝道へ」の3回シリーズの最終回として「教会:地域の人々と共に生きる」のテーマでセミナーが開催された。江藤直純神学校長の基調講演から始まり、地域の第一線で活躍中の牧師、神父の講演を中心に4日間に渡る内容の濃いセミナーであった。首都圏の教会も地方にある教会も幼稚園等の施設の有無にかかわらず、地域に向かって精一杯の伝道を展開している。ルーテル教会の4教団から参加した教職、また信徒も加わり、朝の聖書研究や昼のチャペル礼拝、またワークショップでの忌憚のない討論も交えて、それぞれの「地域」で教会がいかに生きていくか再考させられた。
津田沼教会 渡邊賢次

2009年度教職人事異動

■人事異動(2009年4月1日付)
・岡田 薫 函館教会主任(兼)
・立山忠浩 板橋教会主任(兼)汲田牧師補指導牧師
・浅野直樹 市ヶ谷教会主任
・中川俊介 八王子教会主任
・竹田孝一 大森教会主任
・斎藤忠碩 日吉教会主任
・大柴譲治 甲府教会主任(兼)
・徳野昌博 松本教会主任(兼)(8月31日まで)
・中島康文 長野教会主任(兼)(8月31日まで)
・佐藤和宏 松本教会、長野教会主任(9月1日付)
・大宮陸孝 諏訪教会主任(兼)
・渡邉 進 沼津教会 富士教会主任
・藤井邦夫 静岡教会主任
・田中博二 刈谷教会主任(兼)
・鈴木英夫 挙母教会主任
・佐々木赫子 なごや希望教会 協力牧師
・鐘ヶ江昭洋 広島教会主任継続(兼)鷲見牧師補指導牧師
・宮本 新 博多教会主任 (7月1日付)
・日笠山吉之 鹿児島教会、阿久根教会主任(兼)小山牧師補指導牧師
・長岡立一郎 九州学院専任理事長、崔牧師補指導牧師
・黄 大衛 九州ルーテル学院大学チャプレン
■新任
・汲田真帆(新任・牧師補)板橋教会(東教区)
・鷲見達也(新任・牧師補)広島教会(西教区)
・崔 大凡(新任・牧師補)ルーテル学院中高チャプレン(九州教区)
・小山 茂(新任・牧師補)鹿児島・阿久根教会(九州教区)【嘱託任用】
■海外派遣宣教師
・徳弘浩隆 ブラジル派遣宣教師(4月~任期3年)
・伊藤文雄(1年毎更新)JACE(日米協力伝道)カリフォルニア州ファーストルーサラン教会(日本語礼拝)、リザレクション教会(日本語礼拝)兼任
■その他
・青田 勇  宣教室長・総務室長
・立野泰博 事務局長(2008年6月より)
■宣教師(着任)
・キャロル サック 長期宣教師任用変更(1月1日付)リラ・プレカリア(祈りのたて琴)による宣教
・エリック ハンソン 本郷学生センター(週2日)
■宣教師(退任)(3月31日付)
・T.クーシランタ
・アーロン アルブレヒト
■嘱託任用
・後藤直樹 荒尾教会 主任 朝比奈晴朗(兼)
■牧会委嘱
・ビリピ・ソベリ 函館教会(更新)
・中村圭助 甲府教会、諏訪教会(新)
・武村 協 松本教会(新)(8月31日まで)
・勝部 哲 長野教会(新)(8月31日まで)
・山本 裕 浜名教会(更新)
・戸田 裕 復活教会(更新)
・森 勉 広島教会(新)1年更新で3年を限度として、おもに呉集会所に限る。
・松隈貞雄 宇部教会(更新)
・早川顕一 聖ペテロ教会(更新)
・アンドリュー・エリス 小国教会、甲佐教会(更新)
■J3プログラム
・マシュー リンデン 本郷学生センター
・キャロリン スティプカ  九州ルーテル学院
・ジェニファ ブラウン 九州ルーテル学院
■定年引退(3月31日付)
・勝部 哲
・横田弘行
■退職
・平岡正幸(2月18日召天)
■嘱託任用終了(3月31日付)
・落合成光
※敬称略

連帯献金のお願い

ブラジル伝道
日米協力伝道(米国内日語礼拝)
メコン(カンボジア宣教支援・子ども支援等)
パレスチナ(ベツレヘムの学校・カレッジ支援等)
釜ヶ崎活動
その他(緊急支援や世界宣教の働きのために)
送金先 【郵便振替】00190-7-71734 日本福音ルーテル教会

09-03-15るうてる《福音版》  2009年 3月号

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バイブルメッセージ  そのままのあなたで

マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」
ルカによる福音書1章38節(日本聖書協会『聖書 新共同訳』)

花になろうよ。
とは言っても綺麗に着飾る必要もないし。他の人より目立つ必要もない。ただ、今与えられている場所で生えればいい。今与えられている「時」を感じて精一杯生きればいい。

そのまま生きるって、なんだか難しい。
「そのままのあなたでいい」って言われたことある? 「そのままのあなたでいい」そう言って一人ひとりを受け入れておられる方を知ってるよ。自分がそのままでいいはずないじゃんって思ってたって、あなたが気付かなくたって、もうすでにあなたの存在そのまま丸ごと受け入れられている。
「うそだ」って言われても私にはどうしようもない。
あれも、これもできなくてはいけない。できないと私はだめなんだっていくら思っても。一人ひとりの命をつくられた方がおっしゃるんだもの「そのままのあなたでいい」って。
あなたを包み込む丸ごとの愛は誰にも真似できない。しなくてもいい。それは人間業ではないからね。

そのままの自分てわからない。わからないよね。あなたをつくられた方にしかわからないよ、きっと。
いいじゃん。そのままのあなたがいいんだから。何をやっても私はダメなんじゃなくて、やってみたあなたはすごいと思うよ。深呼吸してみようよ。立ち止まってみようよ。あなたは生かされているんだよ。今というかけがえのない時を与えられているんだよ。
当たり前のものは何もない。朝、目覚めること。言葉を話すこと。笑顔でいられること。歩くこと。食べること。いろんな人と出会うこと。
当たり前のものは何もない。だからって失うかもしれないからと不安になることないよ。今があるんだから、今を精一杯生きればいい。
過ぎた時は変えられない。他人を変えることもできない。あなたが変わればいい。あなたらしく「ありがとう」を伝えればいい。

きっと「ありがとう」がいろいろな色をしているんだよ。「ありがとう」はいろんな形をしているんだよ。命の数だけ。
花になろうよ。与えられた「今」をそのまま生かされて。自分色の「ありがとう」をそのままここに生やすんだ。

 

十字架の道行き

【第十二留】イエス、十字架上に死す ルカによる福音書 23章46節
【祈りの言葉】
主よ、あなたはどのように苦しむべきか、最後まで耐え忍ぶ道を教えられます。
今から後、ただ主にあって生き、主にあって死ぬものとしてください。

毎日あくしゅ

2パーセント

ノートルダム聖心女子大理事長の渡辺和子さんは、「どんなことにも、2%ぐらいは、いやなことがある」と言われます。なぜ2%で、10%ではないのかと尋ねられても返答はできないが、世の中には100%全部よいことはあり得ない。どんなに物事が上手くいっても周りの人が親切でもわだかまりがないようなときでも、ほんの少し「いやだな」と思うことが必ずあるようだ。それはまた逆も言えて、どんなことにも2%位は救いがあるということにも通じる。運命は冷たく、摂理は温かい。摂理はどんなことにも2%の「いやなこと」を残し、同じく2%の「救い」を残している。その2%に気づいて、どんなに物事がうまく行っているときにも自戒する厳しさと、どんなに辛い最中にもなおかつ希望を捨てずに生きる優しさを自分に抱くことも、これまた恵みであると言われます。
間もなく卒園を迎える年長組の園児の顔には、もうピカピカの小学校1年生の雰囲気が漂い始めています。彼らはそれぞれに、小学校という大きな希望に満ちた場所に通うことを指折り数えて、その準備をしていることでしょう。保護者の方も、我が子の成長と希望と期待を込めて入学を心待ちにしておられるに違いありません。
これからもどんな状況に置かれても褒めてください。この褒めることの難しさは,誰もが経験しているように、生易しいものではありません。渡辺和子さんは、「どんなことにも、2%ぐらいは、いやなことがある」が同時に、「どんなことにも、2%ぐらいは、いいことがある」と言われました。往々にして、大人は子どもの2%の失敗を、90%の失敗と見なしてしまいがちです。しかし、子どもが大きく成長するのは、ほんの僅かの2%のいいことを大切に、心を込めて受け入れ、褒めたとき、子どもは大きく羽ばたくきっかけを自ら手に入れることになるのです。隣の子どもと同じである必要はありません。それどころか、その2%を大切に扱い、受け入れる人がいてくれるとき、どれほどの安心と自信になることでしょう。
(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

最終回 学校における道徳教育 その2

敗戦からわずか4、5年の間に進められた急激な教育改革は、アメリカの押し付けという見方と、戦前からの教育改革の芽を占領軍が再評価し、育てたのだという2通りの見方がある。森戸辰雄・元文相などは後者の見方をした。
昭和26年、対日講和会議を控え〈占領教育〉は終末に近づきつつあった。だが朝鮮戦争勃発を機に、日本は〈太平洋の反共防波堤〉の役割を負うこととなり、それが政治・経済・教育など、すべてに影響した。保守陣営は〈占領教育の是正〉という大義名分を掲げ、国民道義の高揚や愛国心教育を突如言い出し、やがて文部省と日教組の深刻な抗争となっていく。文部省は特設の「道徳」説明会を開催するため、日教組の実力行使を排除せんと、会場入口を警官隊で固めて強行突破を図る。一方の日教組は、第17回定期大会で「天下り道徳教育反対」のスローガンを掲げて、全国的な反対運動の展開を決定する。
昭和33年、学校教育法の施行規則が改められ、「道徳」は法的に教育課程に位置付けられたのだが、この対立の後遺症は根深く、道徳教育の混乱は最近まで続いたのである。
当時、20代後半の教師だった私は、誰も引き受け手のない道徳担当を命じられており、自分なりの判断を必要とした。誰にも相談せず「明治期の修身教育に行き過ぎのあったことは事実だが、その欠点をもって、道徳教育を否定するのは行き過ぎだ」、「文部省や教育委員会の的を欺く作戦も頂けない」、「子どものための道徳教育を考えていこう」という結論に達した。そして、退職するまでの33年間を道徳研究一筋で歩んだのである。
「道徳」は、正式には「道徳の時間の指導」と呼ばれるが、戦前の修身科に比べると、かなり進化したものになっている。以下にその要点をまとめておく。
①「修身科」は教師中心主義だったが、「道徳」は児童中心主義の立場をとる。
②「道徳」と「道徳教育」の違いを押さえ、その違いを整理して指導に当たる。
③「道徳指導」を道徳教育の「要」として、指導すべき内容を4つに集約している。
(ア)主として自分自身に関すること
(イ)主として他の人とのかかわりに関すること
(ウ)主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること
(エ)主として集団や社会とのかかわりに関すること
④多様な指導資料を用いて、児童生徒に分かりやすく考えさせようとしている。
⑤読み物、視聴覚資料、討議や討論、ロールプレイなど、指導方法が多様である。
⑥教師とのやり取り、児童生徒相互の対話による本人の気づきを大切にしている。
⑦「修身科」では本音を語れなかったが、「道徳」では正直な自分が発表できる。
⑧授業の後半では、自分自身の態度を考えさせ、実践意欲に結びつけている。

欧米の児童生徒の言語表現力はたくましい。その点、日本の児童生徒は口下手なので、道徳の学びを通し、内面的なコミュニケーション能力を高めていくように仕向けたい。
学校から「心のノート」が配布されるので、家庭でも活用することをお勧めしたい。

谷 健(たにけん)…昭和5年7月生まれ。東京都の公立小学校7校の勤務。専門は英語、道徳。道徳副読本の編集に従事。

「谷センセイの教育いろは」今回をもって終了いたします。1年間ありがとうございました。

09-03-15るうてる  2009年 3月号

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常議員会
2.23~25 市ヶ谷センター

第23回総会期第3回常議員会が、2月23日~25日にかけて市ヶ谷センターにて行われました。08年度収支決算報告会計監査報告をはじめ、09年度予算審議が行われました。また、給与制度及び財源に関する抜本検討委員会からの提案、教職転任費積立制度要綱見直しなどが協議されました。詳しくは議事録をご覧ください。
新卒・J3の人事は次の通り承認されました。
【新任】
板橋教会 汲田真帆 牧師補
鹿児島教会・阿久根教会 小山茂 牧師補
広島教会  鷲見達也 牧師補
ルーテル学院中高チャプレン 崔大凡 牧師補
【J3プログラム】
本郷学生センター マシュー・リンデン Matthew Linden
九州ルーテル学院
キャロリン・スティプカ Carolyn Stypka
ジェニファ・ブラウン  Jenifer Brown

アワーミッションレポート 東京教会・お誕生日の方々へ祝福を

みなさんの教会ではお誕生日をどのように祝っているでしょうか? 「週報にお誕生日の人の名前を載せている」「バースデーカードを送っている」という声はよく聞きます。ですが、もう一工夫すれば教会は祝福と笑顔で一杯になるのです。
東京教会ではまず「お誕生日おめでとう! 次の日曜日あなたのために皆で祈ります。だから礼拝にぜひ来てください。ささやかなプレゼントも用意して待っていますね」と招待状を書いて、お誕生日を迎えた方を礼拝にお招きします。そして月末の主日礼拝の「特別の祈り」で、その月に生まれた全ての人のお名前を読み上げ、祈りを捧げるのです。
礼拝に普段来ている人でも、またしばらく来ていない人でも、毎月30名~40名の方々のお名前を読み上げて祈ります。教会に繋がる一人ひとりを思い出し、その人の1年の幸せを皆で祈ることはまさに「特別の祈り」です。礼拝の中で自分の名前が読み上げられ祈られること、またしばらく会っていない人を想うこと、小さなことのようですがとても心が温かくなる一時がそこにはあります。

そして礼拝後は、お誕生日を迎えた人全員に前に出てもらい、小さなプレゼントをさし上げるのです。
プレゼントは手作りの教会のキーホルダーであったり、障がいを持つ方々の作業所お手製のジャムであったりです。プレゼントを手渡したところで、今度はパイプオルガンの伴奏に合わせて♪ハッピーバースディ♪を皆で歌います。祈りと歌声と拍手、そして祝福に包まれて礼拝堂は笑顔で一杯になるのです。その日が伝道礼拝と重なる時は、ハンドベルクワイア、ジャズバンド、マンドリンアンサンブル、聖歌隊などのゲストによる♪ハッピーバースディ♪を聞かせてもらえる時もあります。
このように教会に繋がる全ての人は必ず祈られていて、皆に覚えられていて、そして神さまに祝福されているのです。こんな時代だからこそ、祝福の輪と皆の笑顔がどんどん拡がっていきますように!
(東京教会 牧師 関野和寛 )

風の道具箱

「人生の『後書き』任せます」

背中が重いと感じる年齢になりました。おかしな表現ですが、中年になると背負っているものが多くなるようです。それに押しつぶされないように頑張るか、神様にお任せして軽くなるかのどちらかです。
道元禅師の言葉に「霧の中を行けば、覚えず衣湿る」があります。霧の中を歩いていると知らない内に衣服が湿ってきて重くなるということです。濡れるともなく濡れる。人間の生き方も、知らないうちにということが多いものです。
それでは、少し考えを変えてみました。知らないうちに身につくのなら、「美しい、楽しい、感動する」の中を歩いていれば、知らないうちに湿ることになります。苦しいとか、仕事が大変だと背中が重くなってくる。これも神様から与えられた恵みと思い、ともに歩むならば人生は神様の恵みに湿ることができます。恵みにしっぽりと包まれます。
人生は小説だと言われます。命の誕生から天国への旅立ちまでの起承転結の物語です。「前書き」は親の人生が書かれます。それでは「後書き」は誰が書くのでしょう。それは神様の執筆です。あなたの信仰のすべてを書かれます。
(柿のたね)

牧師の声

私の愛唱聖句

東教区 東京池袋教会、板橋教会 牧師  立山 忠浩

人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである
ローマ人への手紙 3章28節(口語訳)

小泉潤牧師から洗礼を受けて間もない21歳のとき、宇部教会で開催された特別伝道集会の講師の岸千年牧師から勧められた本があった。『われ、ここに立つ』である。ルターの伝記と言えるこの書から、ルーテル教会が「信仰義認」を旗標とし、その礎となる聖句が「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである」(ローマ3:28口語訳聖書から)というパウロの言葉であることをおぼろげながら学んだ。そして自分自身の信仰を意識し、私の信仰を強めることを目標とした。それから、自身の信仰にたいした確信を持てないままであったが、2年間の会社勤めを辞め、見切り発車のように神学校を受験し、入学が許された。
神学との格闘が始まった。そこで神学の魅力と奥深さを知った。と同時に、神学のアキレス腱を学んだ。聖書の肉声を聞くこと以上に、神学者の巨匠や彼らの神学に心を奪われることである。つまり、聖書の語る響きを自分の耳で聞き取ることを忘れてしまい、他者の思想の配下に置かれることである。その意味で、聖書の原典に直接触れるための神学教育を受けたことは幸いであった。
「人が義とされるのは……信仰による」と訳されたパウロの肉声はどうか。そこから分かったことは、「信仰」という言葉をどうしても「キリストを信じる信仰」と読み取り、結果「自分自身の信仰」と理解してしまっていることであった。
かたや、「キリストを信じる信仰」を「キリストの信実」(バルト)、「キリストの信」(田川建三氏)、あるいは「キリストのまこと」(小川修氏)と理解する者がいる。どちらが正しいかは分からない。ただ言えることは、自分の信仰によってではなく、「キリストのまこと」という神の恵みによって義とされると表現した方が、はるかに福音的であり、ルター的であり、私にとっての愛唱聖句に相応しいということである。

信徒の声

教会の宝を捜して

東海教区 新霊山教会 信徒   臼井忠夫・和子 夫妻

臼井忠夫(うすいただお)さんと臼井和子(うすいかずこ)さんご夫妻は1959年12月・修学院教会にて、ハリー・トムセン師より受洗。袋井に引っ越して来たのは、1965年。それ以来、デンマーク牧場との関わりがおありです。

ご夫妻とも京都でお生まれですが、静岡に来られたいきさつを教えてください。
忠夫・和子:修学院教会ができる前に、大学生の共同下宿をH・トムセン宣教師がやっていました。そこで洗礼を受け、京都消防署で働いていました。そこに、静岡で酪農学校をつくるから、一緒に来て欲しいとトムセン師に頼まれて、家族と静岡に(デンマーク牧場)引越しをしました。
どんな仕事をされたのですか?
忠夫:私は機械の授業を担当しました。家内は、寮母の役目でした。あの時分は、「内地」での酪農は珍しかった。酪農先進国であるデンマーク式の酪農技術を学べる専門学校というのが目玉です。人工授精等もまだやっていなかった。恐らく日本で初めてでしょう。横浜港に精液を取りにいったのを覚えています。
聖書の言葉や教会での教えは、どう自分に影響してきましたか?
忠夫:開校した1965年には、まだ新霊山教会はありませんでした。酪農学校の中で、礼拝をしていました。
和子:キリストの精神と合っているかしら……。仕事は、何もかも大変でした。それでも、いろいろな人に喜んでもらいたいと心がけてきました。「受けるよりも与えるほうが幸いです」はあっていると思います。これまでの宣教師の方々にもみんな喜んでもらえたし、大変だった思い出と、精一杯、やってきたことに満足感はあります。
今年クリスマスで受洗60年を迎えるご夫妻が、いま祈っていることは何ですか?
和子:主人は、病気もなしに、一生懸命働いてきた。「外地」から引き上げてきたところから、よく生き抜いてきたとつくづく感じます。だから、今は神様に守られているという気持ちが強く、感謝しています。娘も牧師と結婚して、世界中を飛び回っています。教会のつながりで外国に行って、今は本当に良かったと思っています。
忠夫:過去の境遇を振り返って悔いなどはありません。現在の境遇に満足しています。今年10月の献堂40周年行事には、スカンジナビアからも関係者が来られるそうで、楽しみです。

フィンランド福音ルーテル教会 アーチビショップ来たる

日本との正式な国交を結ぶ19年前、フィンランドのヘルシンキの港から長崎に着いた一女性と牧師家族がいた。1900年12月のことだった。若干16歳のエステル・クルビネンとウェルローズ牧師一家だった。彼らは、ロシア発給のパスポートを持ち入国したのである(フィンランドの独立は1918年のこと)。この少女と牧師一家こそ、エバンケリスース(福音派)と呼ばれる信仰復興運動より押し出されてきた宣教師であった。
この運動体は、SLEY(フィンランド福音ルーテル協会)の流れになった。今も、ルーテル教会の信仰を、信仰覚醒運動は支え続けている。そして、宣教師を送り出す宣教団体、協会は、国教会であるフィンランド福音ルーテル教会と深い関係を持ってきた。
来たる4月3日、そのフィンランド福音ルーテル教会を代表してアーチビショップ(教会の職制である「監督制」の総代表者)のユッカ・パールマ氏が来日をされる。熊本での「宣教百年記念大会」(1993年)に、時のアーチビショップ・ビクストローム氏の名代としてその弟(彼はポルボーのビショップである)が来日されたことがあったが、アーチビショップ自身来日するのは今回が初めてのことである。
東京や飯田教会・幼稚園百年の感謝会には、フィンランド大使も同行し、飯田市長も参加してくださる。彼が深く国民に愛され信頼を寄せられていることは言うまでもない。現在67歳。趣味は読書・歴史・スポーツ。1967年授按。1998年より現在の立場を担っている。もし、フィンランドを訪ねたら歴史の都トゥルクに古い教会がある。カトリック教会風に言うなら、それが大主教座の大聖堂であり、アーチビショップの教会である。
(杉本洋一)

神の造られた世界-環境と聖書⑫

最終回   草の根のディアコニア

この世に生きるキリスト者として、私たちは、今、何を語るのだろうか。
切り口のひとつとしてのディアコニア(奉仕)。教育や福祉の施設と協働して教会のディアコニアの精神が広められていく場合が多いのです。その活動状況はよく知られていますが、教会の信徒がおこなう草の根のディアコニアが近隣の教会にさえも知られないままに推移している現実もあると思います。
教会の草の根のディアコニアをテーマに、2004年、東海教区信徒大会がもたれました。近隣の教会の働きを信徒一人ひとりが共有することを目的とした集まりでした。
近隣の教会が社会に対して何を語っているのか、お互いを知り、共通理解に立った上で、草の根のディアコニアが信徒協働体としてとらえられることが必要であることを学びました。
市民協働の必要性が叫ばれる時代となってきました。ひとつの教会がその働きを自己満足で完結させるのではなく、各個教会を超えた信徒の交わりの中で新しい信仰の動きが大切なのではと思います。
私が環境ボランティアとして日常的にかかわっている地球温暖化問題をみてもキリスト者個々は意識が高く、課題に対して意識的でいろいろ心がけている人が多いと思いますが、協働によってもっと広がっていくのではないでしょうか。
ルーテル教会にも全国ディアコニアネットワークがあります。その働きの目的の一つに「教会内にディアコニアの精神をひろめること」とあります。毎年、環境・平和・人権セミナーが開催されてます。様々な働きが紹介され多くのことを学びました。自然を支配するのではなく自然の一員である人間として「神の創られた世界」が将来の子どもたちにとっても豊かな恵まれたものであることを祈りたいと思います。
12回にわたって環境と聖書について書いてきましたが、ご意見などありましたらお知らせください。また、全国ディアコニアネットワークに参加して共に学びましょう。

第10の戒め
「汝、あなたの隣人の働きを知り、協働しなければならない」

■太田先生の「神の造られた世界ー環境と聖書」は今回をもって終了いたします。
1年間ありがとうございました。

■筆者紹介
三原教会教会学校時代から教会生活を続け、現在は日本福音ルーテル復活教会員で退職後奉仕活動(環境ボランティア)をしている。
ホームページ http://www006.upp.so-net.ne.jp/Lutheran/

神学生寮-支え支えられ-

神学生寮募金実務委員長 青田 勇

2006年5月の全国総会で決議されました、「神学生寮設置」のための「九千万円募金」の期間はあと残すところと1ヶ月となりましたが、1月末の時点で、8574万円に達しています。
この募金のためにお捧げくださった、日本福音ルーテル教会の諸教会の教会員の方々、役員会、及び後援会世話人の方にこの紙上を借りて感謝を申し上げます。

特集「神学生寮の思い出」が約2年間にわたり『るうてる』の紙上に掲載されてきました。
この企画により、神学生寮でのみ言葉との出会い、尊敬する先生との出会い、忘れることのできない思い出等を日本福音ルーテル教会全体の、あるいは教区の役職にある教職がそれぞれの口調をもって懐かしく語られたことを心から感謝いたします。
人間にとっての一番の贅沢は、過去の友を思い出すことかもしれません。自分の思い出の中に、神において永遠に続く追憶を残してくれた尊敬する師、愛する兄弟、信仰の友、仲間との心を結び合う人間関係こそ、神が私たちに与えてくれた素晴らしい恵みであると言えます。
いかなる高価な物も与えることのできない、永続する価値あるもの、それは懐かしい思い出なのです。しかも、本当のキリストにおける仲間との思い出です。信仰の、同心の、同じ使命を目指す友との素晴らしい思い出が神において、新たな神学生寮の中に今後も築かれていくことを願います。それは、キリストのために宣教の使命をもって生きようとする神学生をより心豊かなものとして育ててくれるでしょう、しかも教会の宣教の群れそのものも麗しい姿へと作り変えられていくに違いないと思います。

全国式文アンケートの集計から

まとめ
各々が属する教会は他教会と規模、信徒層など1つとして同じ状況にはありません。多様な状況に対応するために、各教会が苦労しておられる様がアンケートからも伺うことができました。
第4回目の報告で触れましたが、現行式文には問題点や疑問もあります。どのように考えていくのか、対応が必要でしょう。また5回目、6回目で触れましたが、礼典に関する事柄についてもかなり多様な状況がみられます。今後の検討課題であるように思われます。そのほか諸式・聖書日課などに関しても検討が必要と感じられます。牧師と信徒の役割、礼拝や礼典などに関する学びなどは、教職者個人に委ねられている状況があります。個々の教職のご苦労を思いつつ、更に豊かな礼拝のために取り組むべきものが沢山あると感じています。
最後にアンケートにお答えくださった教職・役員の方々に感謝いたします。このアンケート結果が豊かな礼拝の一助となりますなら幸いです。
尚、今回のアンケート詳細な結果をご希望の方は、市川教会・中島までご連絡ください。

佐賀県・22世紀に残す遺産

小城の礼拝堂が改修できましたのでお知らせします。今回の改修で特記すべきは公的補助金を1000万円戴いたことです。総工費は1500万円で、多数の募金も戴きました。来れる会員5人程の小さな教会です。 自前ではとても改修など不可能ですが、文化庁の「登録文化財」・佐賀県の「22世紀に残す遺産」に登録され、この度の補助金に繋がりました。
日本での「ルーテル教会」最初の伝道地の一つとして、小城教会は早120年になろうとしています。現住堅信会員の数等、統計表ではとるに足らない教会ですが、一世紀を越す幼稚園運営が、地域にたいへん評価していただきました。特定の宗教団体の生きた礼拝施設に、公的補助金が支給されるのは、そのような評価なしには出来ないことです。その意味で今回の改修は、教会が今後どのように、伝道を託された地域に貢献していかなければならないかの示唆を与えるものと捉えています。
教会としてのいわゆる「伝道」論は、内部で真剣な切磋琢磨が必要です。そして、そのことが地域や社会とどう結びついていくかを、長期的展望で見ていく必要のあることを、今教えられています。
かってパウロの伝道地がそうであったように、この改修を通じて小城教会が「新しい」み言を得たことは確かです。小城で育たれ全国に散っておられる会員の方々に、そしてお祈りに感謝申し上げます。
(箱田清美)

アジアルーテル国際会議

2月5日~10日まで、香港YWCAを会場に「第5回アジアルーテル国際会議The Fifth Asian Lutheran International Conference」(ALIC)が開催されました。アメリカELCAからの代表をふくめ、インド、タイ、インドネシア、マレーシア、シンガポール、ラオス、フィリピン、台湾、韓国、香港から参加があり、日本からは江藤神学校校長、浅野海外宣教主事、立野事務局長が会議に出席しました。
10周年を迎えた今回のテーマは「ASIAN CHURCHES in CHANGING SOCIETIES」で、社会が変わっていく中で、アジアのルーテル教会はどんな役割・宣教課題を持っているかというものでした。貧困、差別、経済破綻という問題で、翻弄されているアジアの中でルーテル教会の役割は何かを問われた会議でした。私たち日本のルーテル教会も変化する社会の中でどこに立っているのかを問われました。
基調講演の中で、変化する社会の中での教会の役割も、社会を変えていく教会の役割も「キリスト」という基点は同じであるという言葉が印象的でした。 (立野泰博)

ボブ先生の旅日記④

西教区のWGIAT

私が神学を学んだのはサウスカロライナにあるサザン神学校ですが、当時牧会学を教えておられたエベレット博士はすばらしい先生でした。先生は出エジプト記3章1節にある「燃える柴」の出来事からWGIATという頭字語を編み出しました。これはWhere is God in all this ? (このとき神はどこにいるか?)の頭文字です。楽しいことや大変なことを伝道の直中で経験しながら、ときにモーセのようにちょっとわき道にそれて、この問いを絶えず繰り返すようにと先生は教えてくださいました。私と妻はこの1ヶ月、西教区での有意義な働きをしながらこの問いを繰り返しました。
西教区での生活と働きの大半は「喜望の家」が中心でした。ここには驚きがあり深い霊性があります。だれでも自分の時間と賜物を発揮できる伝道の場です。距離的にボランティアが可能なら、夜回り等の体験ができ、仕えることの意味と人間の罪がもたらす現実に気づき、それがかつてない形で迫ってきます。秋山先生たちによるオリエンテーションから始まって夜回りに至るまで、実に感動的な体験の数々でした。物理的条件で参加が難しい場合でも経済的サポートもありますので、神様は誰にでもきっと機会を与えてくれるでしょう。
釜ヶ崎以外にも教会や施設、学校等を訪問できました。「喜望の家」同様どこを訪れてもWIGIATを思い起こします。
「るうてるホーム」の年長者へのすばらしいケアには神様が働いていました。当時の「婦人会連盟」の呼びかけのよって1964年に始まったこの働きは、年長者の方々に対する御霊によるケアとでもいうべきものです。神様は保育園、幼稚園の子どもたちにも御手をもって働いておられました。教会の未来を彼らに委ねましょう。もちろん私たちも、イエス・キリストの恵みを知ってもらうため子どもたちとその家族に福音を伝えるべく招かれています。付属施設をもつ教会での働きで感じたことです。
WIGIAT。神はいったい西教区のどこにおられるか? 信仰に根ざして行われているすべての働きの中におられます。日々の暮らしの中で「燃える柴」の前にしばし立ち止まり、思い巡らし、モーセのように行動するかどうか。それは私たち次第。ここから主イエスとの新たな信仰の旅路を歩み出すことでしょう。この1ヶ月間、私とクリスにこのような経験をさせてくださった西教区に感謝しています。

2009年度 日本福音ルーテル教会 教職按手式

日本福音ルーテル東京教会 宣教百年記念会堂
2009年3月8日午後7時

第14回 全国伝道セミナー

私にとっての伝道 - 誰に、どこで、どのように ? -
主題聖句 「そうせずにはいられないことだからです」 コリントの信徒への手紙 Ⅰ 9章16節
宣教師ヴォーリスが 「日本の中心、日本のガリラヤ湖」、と呼んだ琵琶湖で会いましょう。
●2009.5月4日?~6日?
●琵琶湖国定公園 近江白浜 白浜荘  520-1223 滋賀県高島市安曇川町近江白浜
全国伝道セミナー実行委員会

メディア伝道委員会報告

2月2日(月)、第1回メディア伝道委員会が開催されました。
リニューアルされていないホームパージの課題、経費削減のための常議員会報告のペーパーレス化(年100万円の経費削減を見込める)など、懸案事項と方向性を委員会では確認をいたしました。
まずホームページ管理の位置づけを、広報室が担うこととしました。
またホームページについては、ルーテル教会の歴史や信仰告白の紹介を強化すること、各個教会の宣教に役立つことが使命であることを共通認識とする方針を軸に4月を目標にリニューアルを行うことを確認しました。
また経費削減のためのペーパーレス化については、2月常議員会報告から取り組めるように準備を進めます。この点については、書類のダウンロードをお願いしなくてならならないことなど、お手数をおかけする面があるかと思いますが、ご協力をよろしくお願いいたします。
(委員長 滝田浩之)

お詫びと訂正

るうてる1月号2ページ(下段)にて「間垣洋助先生」が「間垣洋介先生」となっておりました。お詫びして訂正いたします。

住所変更のお知らせ

◇伊藤初江 〒222-0026神奈川県横浜市港北区篠原町1227-21伊藤眞一(様)方 TEL 045-433-2164

09-02-15るうてる《福音版》  2009年 2月号

機関紙PDF

バイブルメッセージ  卒業おめでとう!に愛をこめて!

主は人の一歩一歩を定め/御旨にかなう道を備えてくださる。
詩編37,23節(日本聖書協会『聖書 新共同訳』)

小学校のPTA会長をさせていただいたとき、貴重な経験をたくさんさせていただきました。その1つに入学・卒業式の祝辞というものがありました。学校関係の方々、地域、保護者、そして娘をふくむ子どもたちに語りかける恵みをいただきました。何を祝辞として語るか祈りつつ考えました。
「本日、小学校を卒業する皆さん、ご卒業おめでとうございます。今日は6年間を振り返り、たくさんの感謝をしなければなりませんね。ひとつひとつの感謝を数えてみましょう。まず、学校の先生方に『ありがとう』ですね。地域の方々にもこの6年間、守られてきました。そして、家族。まだまだあります。100年を迎えた学校、教室。給食はおいしかったですか。校門では毎日トトロが迎えてくれました。どれだけ多くの感謝を見つけることができますか。『ありがとう』をたくさん見つけることができれば大丈夫です。これから多くの『ありがとう』を支えにしてください。
私たちも皆さんに『ありがとう』がたくさんあります。最も大きな『ありがとう』は、皆さんが命を与えられ、子どもとして与えられたのでわたしたち『親』になれました。1人の子どもの親となり、共に6年間を過ごせたことに『親としてくれて、ありがとう』です。つらいこと、くるしいこともありました。でも、皆さんの親として生きてきたこと、これからも親でいられることを誇りに思います。
皆さんは『命』という漢字は知っていますよね。でも命って何でしょうね。命はひとつでも、多くの漢字があります。『運命・使命・寿命』そして『生命』。皆さんの命は様々に形を変えて生きています。これからいろんなところに運ばれていきます。『運命』とは出会いですね。使っていく命があります。『使命』です。必ず皆さんの命を必要とするところがあります。そして『生命』。みなさんはこれをどう読みますか。『生きる命・生きている命』。それでいいです。でも、6年間を振り返り、多く感謝を数えてみると『生かされた命』ではなかったですか。みんな多くの方々の見守りの中で『生かされている命』を持っています。だからその命を大切にしてください。決して命を傷つけるような生き方はしないでくださいね。ここにいる多くの方々がこれからもみんなのことを見守っていますから。
本日をもって皆さんはこの小学校の卒業生となります。それぞれが、新しいスタート地点に立ちます。これからも、卒業生としての誇りを持ち、さらにご活躍くださるようにお祈りし、お祝いの言葉とさせていただきます。本日は、まことにおめでとうございます」
子どもたちの成長に、見守ってくださっている神様がおられる。その神様の祝福のもとで生かされた命を大切にしていただきたいと願っています。
もみじ

十字架の道行き

【第十一留】イエス、十字架に釘付けにされる  マタイによる福音書 23章34節
【祈りの言葉】
主のみ手はその上におし延ばされ、十字架に釘で打ちつけられました。
主よ、どうか私たちの心も一緒に十字架に釘付けにし、あなたと結びあわせてください。
人形制作/杉岡広子 http://www.bibledollministry.com/

毎日あくしゅ

「いい加減」のすすめ

ある小学校で理科の実験をしました。3つのガラス容器の底に綿を敷き、それぞれに大根の種を蒔きました。1つ目の容器には水をたっぷり与えました。2つ目の容器には綿を浸す程度に、そして3つ目の容器には種が辛うじて湿る程度に少しの水を与えました。そして芽の出る様子を観察したのです。
数日後、水をたっぷり与えた容器の種は膨れ上がっただけで芽は出てきませんでした。綿を浸す程度に水をやった容器の種は弱々しい毛根をちょっと出しただけでした。ところが辛うじて種が湿る程度に水を与えた容器の種は、その少ない水分を吸収しようとしてか、一番活発に根を張っていました。
このことを通して、元ニュースキャスターの湯川千恵子さんは、必要以上に与えられた水が大根の種の発芽力を失わせたように、豊かな社会で欲しい物は何でも与えられて育った子どもたちは、大人になっても与えられるのが当然となり、ちょっと自分の要求が満たされないと、すぐに反抗したりして問題を起こしがちです。豊かさは困難にチャレンジする気力を失わせて、生きる力をひ弱にする危険がありますが、逆に人間の不完全さや自分の弱さ、いたらなさに気がついて『魂の飢え渇き』を感じることは、人智を越えた大いなる力に心を開くことが出来ます。この世の豊かさに溺れて発芽できない種のようには、なりたくないものだと言われます。

「いい加減」を広辞苑で引くと、「条理を尽くさぬこと。でたらめ」と「よい程合い、適当」の相反する2つの意味が記されていました。
種が発芽し、その成長を願うとき、よかれと思って与えた水が、「いい加減」であったのか、「好い加減」であったのか、それが分かるのはもっと後になってからです。人間のやること、完璧な水加減はありませんが、祈りつつその成長を見守り、はぐくみたいものです。どの種も間違いなくすばらしい可能性を内包しているのですから……。
(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

第11回 学校における道徳教育 その1

現在、小・中学校では週1時間の道徳授業が義務づけられているが、その変遷の歴史を知っておくことが大切なので、そのことから書き進めてみたい。
(1)明治期の修身教育
明治維新の大改革は、国家制度、社会構造のすべてに及び、士農工商の身分制度も廃止され、西洋の文化がどっと流入した。幕藩体制での藩校、各地の私塾は廃止され、学校制度の確立が、新政府の重要な課題になっていた。
明治5年(1872)の学制発布により、小学校は下等(4年制)、上等(4年制)の8年制で発足した。修身科は、下等小学校では6番目の教科とされ、1学年と2学年前期までの授業は週2時間、2学年後期からは週1時間と定められていた。一方、3・4学年ならびに上等小学校には、修身科の授業がないという変則的なものだった。
6年制中学校の場合は、下等(3年制)、上等(3年制)とされ、欧米の新知識の獲得が優先され、修身教科書は福沢諭吉らの推薦による翻訳書からの題材が多かった。欧米事情の紹介だったり、法律解説書だったりした。また、ウェーランドの『修身論』の引用もあり、親子関係が権利と義務で説かれたりした。外国の生活習慣を知ることはできても、日本人の道徳教育にはそぐわなかった。
明治20年以降には、脱亜入欧の動きが押さえられ、親孝行せよ、天皇陛下を敬え、神国日本、仁義忠孝、君臣父子といった徳目が登場する。けれども、初めての道徳教育を体験した庶民の子弟に、強烈な印象を与えずにはおかなかった。
(2)教育勅語の果たした役割
堂門冬二の著書『明治天皇の生涯』の中に、坂本竜馬のおもしろい言葉がある。
「幕府が倒れた後、日本人の精神的拠り所としては、キリスト教がいいのだが、これは日本になじまない。では代わりに何をもってくるか、それは天皇以外にない」と。
国民的統一に必要な道徳基準の確立がなされておらず、やがては国家の危機に至るとの認識がここにはある。自由民権運動の高まりを配慮した明治天皇からも、道徳の基礎となるべき文書の起草を求める意向が示された。
山形有朋首相は井上毅・法制局長官と天皇の側近である元田永孚に原案づくりを命じた。明治18年、元田永孚は「教育大旨」の中で、「小学校修身の進め方は、天皇に忠実な臣民を儒教倫理によって育成するのが、道徳教育の核心である」と述べ、官民を挙げて取り組むことを提言した。その主張は、政府と宮中派、政府と民権派との際限ない論争に発展したが、年を追うごとに元田の考えに賛同者が増えていく。
明治23年(1890)、文語文で書かれた格調高い教育勅語が公布され、国民教育の目的は明確となり、長く続いた徳育論争に終止符を打ったのである。

第二次世界大戦後、占領軍は狂信的な国粋主義の母体になった歴史教育、修身教育を即刻禁止した。教育勅語を納めた奉安殿の撤去を命じ、二宮尊徳の石像なども除去された。
だが、国策遂行の用具と化した学校教育の罪状、汚点の究明は密封されたままといえる。

谷 健(たにけん)…昭和5年7月生まれ。東京都の公立小学校7校の勤務。専門は英語、道徳。道徳副読本の編集に従事。

09-02-15るうてる  2009年 2月号

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3月8日 教職授任按手式

2009年3月8日、按手を受ける4名の方々に式に向けてのコメントをいただきました。
按手式を待つ今、思うこと。それは私たちの信仰において「待つ」ことの大切さです。待ち望んでいることは私の内に既に始められていると期待し「待つ」積極的な姿勢で一日一日を送りたい。神にある喜びを数えながら式に臨みたいです。(汲田真帆/藤が丘教会)

皆さまのお祈りとお支えに、心から感謝します。最後の一年は改修された神学生寮で、共に祈る共同体で陶冶されました。多くの教会で示された気付きと課題を大切にして、主のお助けのもと器として用いていただきます。(小山茂/武蔵野教会)
定年退職後にルーテル神学校の入学を許されました。歳に免じてのご配慮もあったと思いますが、何とか最短期間に卒業することができまして有難く存じます。多くの皆様方のお祈りとお支えを心より感謝申し上げます。(鷲見達也/稔台教会)

もう一回、新しい出発のときが与えられました。心がわくわくするこの喜びと希望が、いつまでも私の心と体を動かすものでありますように。神よ、どのようなときでもあなたからの希望を私に思い出させてください。感謝。(崔大凡/武蔵野教会)

アワーミッションレポート

ろう者会の活動 小石川教会

小石川教会に、「ろう者会」が発足して40年を過ぎました。発足以来、毎年「夏季修養会」を行ってきました。牧師の交代や、「ろう者会」で指導者役割を担っておられた教会員が突然、天に召されたりすることもありましたが、続けてこられたのは、ただただ神様のお導きによるものです。
その上、年々、修養会には健聴者の参加も増えてきました。ちなみに、41回目の昨年の夏は、8月1日から3日まで群馬県の猿ヶ京温泉で、ろう者16名、健聴者15名の計31名が参加。その中には、アメリカからの信徒宣教師や牧師を目指す神学生もおり、たいそう実りある修養会となりました。
牧師による「聖書の学び」は、今年は『ガラテヤの信徒への手紙』をテキストにしたものでした。また「朝の祈り」では信徒宣教師のホールさんや神学生の汲田さんが担当してくださり、その証言を心深く受け留めることが出来ました。
わたしたちにとって大切なコミュニケーションについて触れておきます。小嶋三義牧師はキリスト教手話通訳士の草分けとも言えるお方で、その巧みな手話による礼拝説教はろう者を強く惹きつけました。小石川教会在職20年あまりの間に、健聴者と共々、礼拝式にあずかるようになりました。小嶋牧師が転任した後に来られた牧師は手話通訳者を立て、さらにOHP(オーバーヘッドプロジェクター)を導入して、礼拝式文をスクリーンで見ることができるようになりました。つまり、礼拝式の中で、今、何をしているのか、一目瞭然ですし、「主の祈り」や讃美歌を、耳ではなく、目で聴くことができるようになったのです。そのために、OHPの操作方法の学習会や、讃美歌の歌詞を手話でどう表現するかといった研修会を開いたりもしています。
最近では、健聴者が手話を覚えてくださり、その結果、筆談や口話(相手の唇の動きを読み取る)と共に、コミュニケーションがより円滑に行われるようになっています。
ろう者会は毎月第4日曜日の午後、定例の会をしています。例会ではまず、牧師による「聖書の学び」で信仰の養いとします。また第3木曜日のお昼に、ろう者と手話通訳者を志す人たちが一緒になって「聖書の学び」をしています。
昨年の「秋分の日」、三鷹のルーテル学院大学での「一日神学校」には、メンバーの多くが参加し、手話通訳者と共に、礼拝に参加し、講義にも出席して熱心に学びました。その後は、ミニバザーを出店し、手作り手芸品や静岡のデンマーク牧場のアイスクリームを販売したりして、楽しい時を過ごしました。
わたしたちがこうして積極的に活動できるのは、牧師をはじめ、教会員の方々の理解と協力があってのことです。手話通訳者のお働き、OHP操作のご奉仕、これらに心から感謝しています。

風の道具箱

時間を売る店

レストランが客の回転を早め、売り上げを伸ばすためにあることを始めました。テーブルの上に60分用の特大砂時計を置いたのです。客の長居に圧力をかけるためです。その店の名も「アワー・グラス(一時間の砂時計)レストラン」です。メニューがラーメンとか牛丼ならいいと思うのですが。「はやい・やすい・うまい」ですから。
「人間の時間は期限付きの時」(H.W.ヴォルフ)です。誕生から死に至るまでの間、人間が生きる機会です。人間は確かに死すべき者として造られています。ところが、旧約聖書によれば、人間は死ぬことを「許される」存在です。許されての死であって、死ななければならないのではありません。
私たちはこの世で期限付きの時間を持っています。神様が全てを決められるのであれば、私たちはお任せするしかないのです。どんなに時間をのばそうとしても無駄です。時間を売る店などこの世にはありません。
神様のところに私たちのすべての時間があります。この時間は神様が持っておられるものですから、私たちは自由にはできません。神様を信頼してお任せすることです。
(柿のたね)

牧師の声

私の愛唱聖句

九州教区 博多教会 牧師  長岡 立一郎

主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
コリントの信徒への手紙二 12章9節

私にとって聖書のことばは、どれをとっても真珠以上の輝きがあり、時宜に適って勇気と力を与えてくれています。
ただ、その中でも上に掲げた聖句は、私に一キリスト者として、また、牧師への献身へと背中を押してくれたみ言葉です。というのも今から39年前、神学校の1年のとき、敗血症という病気に罹り、3ヶ月間、入院することとなりました。その当時、未だ23才の若さで体力的にも自信があり、それまで、風邪をひくぐらいで、大きな病気をしたことなどありませんでした。しかし、この大病をとおして、自分の弱さ、驕りに気づかされたのです。それまで、キリストによる恵み、それを受け取る信仰の大切さを頭で分かっていたつもりなのですが、所詮、単なる知的なレベルに留まっていた自分に気づかされ、この使徒パウロの言葉の深さに驚きと感銘を受けたことを思い出すのです。
人間は、物事が順風満帆にいっているとき、ややもすると自分の力で何か為しているかのような錯覚をしてしまいがちなものです。長い人生の道のりの中で、いつもうまくいくばかりでは決してありません。病気をしたり、人間関係に躓いたり、また、仕事上、行き詰ったり、様々な壁にぶち当たります。そして、人間の限界や弱さに直面するものです。
私の場合、この大病という体験をとおして己の弱さや愚かさに直面させられ、このような私のためにもキリストが血を流し、執り成しをしてくださっている、その力が働いていることを実感させられたのです。そして、今もなお、弱さを隠すのではなく、ありのままの弱さをもった自分であってもキリストの力が働いてくださる故に安心して、かつ大胆に生きることが許されています。

信徒の声

教会の宝を捜して

九州教区 神水教会 信徒  門脇 愛子

まず、門脇愛子さんと神水教会との関わりから聞かせてください。
私の家は、救世軍のクリスチャンホームでしたが、母が離婚して、慈愛園で働くことになってから神水教会との関わりができました。
その神水教会で1949年3月27日洗礼を受けました。
慈愛園創立者のモード・パウラス先生から指導を受け、私も慈愛園の幼児部で働くことを求められ、ずっと保育園で働き、教会学校も続けてきました。
神さまのお導きで、日曜日の礼拝もほとんど休むことなく出席でき、感謝しています。
教会では、なるべく目立たないようにと思い、受付やスリッパ並べなどをしてきました。
神水教会の月報「神水」は、この1月号で310号になりますが、愛子さんは創刊号からいわば編集長をしてこられましたね。
月報も継続が大事だと思い、創刊号から関わってきました。原稿がスムーズに出ない時などもありましたが、月報を楽しみに待っている人のことを思い、委員のご協力をいただいて続けることができ、皆さんから喜ばれていることをうれしく思っています。愛子さんはこの1月で喜寿を迎えられました。本当におめでとうございます。
今、神さまに願っていることがありますか。
日々の健康を支えられたい、安らかに死にたい、ということです。

インフォメーション

第29回教会音楽祭テーマ曲 募集

6月21日に行われる教会音楽祭は、「わたしたちを誘惑におちいらせずかえって悪からお救いください」(教会音楽祭訳)というテーマで開催するにあたり、新たな詩を公募し採用作品が決定しました。採用された詩に付ける、“会衆賛美”の曲を募集します。
申込締切:2009年3月末日(消印有効)
【提出先】〒105-0011東京都港区芝公園3-6-18
日本聖公会東京教区事務所 礼拝音楽委員会
【問合せ】各教派の「教会音楽祭」担当委員
応募条件、採用作品等の詳細はコチラへ↓
http://10.pro.tok2.com/~yoichis/kyokai_ongakusai\ongakusai.html

春の全国ティーンズキャンプ 参加者募集

日 程:2009年3月26日(木)~28日(土)
会 場:宮崎県青島青少年自然の家
テーマ:集い
申込締切:2009年2月15日
【申込先】TNG_apply【at】jelc.or.jp
096-368-2917(FAX/健軍教会・小泉)
【問合せ】小澤実紀(TNG-Teens部門)まで
m.ozawa.teenscamp 【at】gmail.com
☆☆TNG-Teensのブログができました☆☆ http://tngteens.hamazo.tv/
【at】は@に変えてください。

柳川教会 ステンドグラス引取先 募集

柳川教会の解体に伴い、設置されていたステンドグラスを取り外し保存しています。
引取希望の教会、施設がございましたら九州教区 河崎(TEL:092-281-4204)までご連絡ください。

神の造られた世界-環境と聖書

第11回 日毎の糧

穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落穂を拾い集めてはならない。……これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない
(レビ記19章9、10節)

戦争や貧困などで水や食に困っている人々がいます。世界の穀物量は18億トン、この量は一人ひとりが充分に足る食糧といわれますが、1分間に17人、1年間に1千万人が飢餓で命を失っています(日本国際飢餓機構報告)。地球温暖化がこのまま進むとオーストラリアやアメリカ西部などの穀物生産地では乾燥化が進むと言われます。現実に2006年オーストラリアは大干ばつで小麦の生産量が前年比60%減少しました。輸入小麦の約2割をオーストラリアに頼っている日本にも大きな影響がありました(環境省)。
今後、30億人もの人々が水不足の危機に陥り、4億人が飢餓にさらされると国連は予測しています。水や食の問題で争いが頻繁に起こりうると心配する声もあり、食の安全保障が議論されています。大量の食糧輸入をする日本では完全に輸入が止まった場合、卵は7日に1個、食肉9日に一食、牛乳6日にコップ一杯と農林水産省は算定しています。
私は小学生を対象にゲストティーチャーとして環境授業をおこなっています。温暖化による食や水への影響をどう考えるかを聞きます。おおよそ10人のうち6人の子どもは「世界のことを考えたら自分たちの生活の仕方を変えなければならない」と答えます。10人中3人は「生活の仕方を変えても、全員が変えるわけではなく、そのように自分がしても困っている国の人々を助けることができない。それよりも井戸を掘ってあげたり、海水を飲み水にかえるなどの技術協力をしてあげたい」と答えます。10人中1人は「今の豊かで平和な生活を手放したくない。将来、温暖化が進むと水不足や食糧不足がひどくなって、戦争がおこり、深刻な環境破壊がもたらされるかもしれない。特に大量の食糧を輸入する日本の場合、生活の仕方を変えたり、技術協力をしてもその労がムダとなる。世の中が平和なら今までどおりの生活が続けられ、話し合ったり、助け合ったりすることができる」と答えます。
子どもたちにとって戦争のない平和な世界となって欲しいし、今以上の温暖化が進まないよう私たちが何とかしたいと思いつつ、「我らに日毎の糧を与えたまえ」という主の祈りがあまねく人々に伝わって欲しいと感じます。

第9の戒め「汝、食と水をむさぼり、一人占めにしてはならない」

神学生寮の思い出

武蔵野教会 大柴譲治 牧師

Memories
ルター寮。とても懷かしい響きがする。
私にとっては生まれて初めての共同生活。想起するのは英語の「Geeks & Geezers(ギークス&ギーザーズ)」。「奇人変人の群れ」とでも訳すのだろうか。ちょうど手塚治虫のトキワ荘のようなものである。
1980年4月から1983年7月上旬までの3年3ヶ月余、私はルター寮でお世話になった。かつて居住していたエリアは現在はチャペルと食堂など公共のエリアになっている。当時そこは「3階北側共同体」とも「ファリサイ村」とも呼ばれていた。夜になると様々な音がした。
「一本、二本、三本」、頭から離脱したものを数える最上級生S先輩の悲しげな声。満月の夜になると聞こえてくる遠吠え。同級生のYが窓の外に向かって何やら叫んでいる。寝静まった夜に地の深淵から地響きのように伝わってくる被造物の呻き(「イビキ」や「寝言」など)。
そして私たちを現実に戻す「掃除するぞ!」との黒帯寮長の凛とした月曜日の朝の声。先日天に召された吉永先生から出前講義をしてもらった神学生もいる(現T事務局長!)。「特別」居住者という特別な住人たちもいた。彼らはどうしているのであろうか。
夜中に非常ベルが鳴って部屋から飛び出すと、「ワア、何てこった!」と湯沸かし器のコードを持ってオロオロしていたトム。寝ぼけてコンセントと間違えたのだ。
牧師となるという一つの志を共にしつつ、不思議な時間と空間を共有することができた。私たちの今の牧師生活を支える原点でもある。
現在の神学生たちにもそのように豊かな時空間を体験して欲しいと願っている。

全国式文アンケートの集計から

信徒の役割
礼拝において、奏楽(46教会)、献金(45教会)、アコライト(40教会)などの役割はほとんど信徒の方により行われています。次に聖餐の準備(38教会)、聖書朗読(38教会)、礼拝中の祈り(29教会)、司式(12教会)、配餐補佐(12教会)、説教(5教会)と担われています。その他、礼拝後の報告、聖餐時の誘導、聖餐後の片付け、証し、鐘突きなどの役割が担われています。
役割のための学びや訓練は20教会で実施されています。内容は信徒会など特別の時間を設ける(5教会)、要点を書いた文章により学ぶ(3教会)、練習や研修会を行う(3教会)、聖書朗読のための練習・内容の学び(3教会)、教区が行う研修会参加(2教会)などがありました。
礼拝に関する委員会も10教会で設置されています。オルガン委員会(6教会)、礼拝委員会、典礼委員会、音楽委員会などと称されており、礼拝のサポート、讃美歌選定や奏楽の学び、特別礼拝の計画、聖歌隊活動などがなされています。(続く)

神学校を覚える礼拝

来る2月15日の主日礼拝(JELC宣教の日)を「神学校を覚える礼拝」とすることが昨秋の常議員会で決まりました。これは、神学生寮募金委員会からの提案で、12月末で八千四百万円まで集まった献金を3月末までに目標の九千万円に到達させるために、全国の教会で一斉にもう一度、そのために祈り、捧げものをしようという試みです。
おりしも2009年は神学校創立百周年を祝う年です。この際、教会にとっての牧師の存在意義、そのための献身者輩出の必要性、養成機関である神学校の働きの重要性、その中で神学生寮の占める大きさを再確認し、思いを一つにしようとの呼びかけです。神学生寮募金委員会から、その礼拝で用いられる「主日の祈り」や「教会の祈り(連祷)」なども各教会に送られています。どうぞそれらを利用し、神学校を支え、募金達成も成就させましょう。
(神学校校長 江藤直純)

教会推薦理事研修会

1月12日(月)日本福音ルーテル東京教会にて、「るうてる法人会連合・第1回教会推薦理事研修会」が行われました。これまで懸案であった、教会推薦理事の働きと責任について、また経営や役割について学ぶときを持ちました。
講演1では、西田一郎氏(ICU法人業務室長)から「キリスト教主義機関における理事・評議員の責任」を、講演2では、朝川哲一氏(組織文化工学研究所)から、「経営と理事の役割・マネジメントの側面から」と題して学びのときを持ちました。今後も研修会を引き続き行い、教会推薦理事の働きを深めていきたいと思います。
(事務局長 立野泰博)

ボブ先生の旅日記

九州教区に到着するとすぐ、熊本地区の牧師先生が、「日本のルーテル教会の心臓部」に到着した私とクリスを出迎えてくださいました。九州での働きの大半は熊本及びその周辺地区でした。
慈愛園の宣教活動はとても感動的でした。赤ちゃんからお年寄りまで、一つひとつの命がここに集い、質の高いケアを受けている様子に触れていると、心があたたかくなります。ボランティア活動をするたくさんの方々にも驚かされました。彼らの貢献こそ、ここでの活動の生命線だと思いました。「今の慈愛園をモード・パウラスに見てもらえれば……」と、来るたびに何度も頭によぎったほどです。
九州学院と九州ルーテル学院は、心と体を育てる教育を提供する場でした。先生方との集会や授業参観では、お話する機会も与えられ、そこでも日本におけるルーテルの心臓の力強い鼓動を感じました。英語の授業はレベルごとに質の高いものでした。クリスマス行事では学生たちの豊かな賜物にふれ、また私自身も説教をさせていただきました。
私が説教をした教会には、どこも福音に根ざした力強さがありました。主日礼拝と交わりのあたたかさに触れて、ここに神様がおられるということがはっきりと伝わってきました。室園教会での2人の学生と1人の壮年の洗礼式は、喜ばしい思い出です。
熊本の心臓の鼓動を最も力強く感じたのは、やはり恵みあふれる人々との出会いです。教会、学校そして施設で感じたチームワークを、牧師、信徒、宣教師の方々等、熊本の主にある兄弟姉妹のことを、そしてこれまでに経験したことのないクリスマスを神様に感謝します。生き生きとした日々の働きも、福音に生きる信徒の姿にも感銘を受けました。こういったすべてが、九州教区の伝道の活力を今日まで支え、そしてこれからも支えていくことでしょう。

教籍簿ができました

価格:7500円
【問合せ・ご購入】事務局・総務室(三浦)まで
TEL:03-3260-8631 FAX:03-3260-8641

集計表提出のお願い

教会事務局提出の集計表を期日までにご提出くださいますようお願いいたします。一教会でも遅れますと全体の集計ができないばかりか関係省庁への報告にも影響が出ます。
また、報告書は電子メイルでの提出をいただきますと、事務作業の軽減ばかりでなく、間違いを防ぐことにもなります。
報告書と共に、教会総会資料をお送りください。
■提出期限■ 2月10日

2008年連帯献金報告

2008年12月末現在の連帯献金について、次のようにご報告いたします。たくさんのご協力ありがとうございました。
2009年度も、引き続き「連帯献金」に支援と献金をよろしくお願いいたします。

■2008年連帯献金
1.ブラジル伝道(44件)
73万1741円
2.日米協力伝道(7件)
1万1500円
3.メコン宣教支援(16件)
57万1050円
4.パレスチナ難民(16件)
15万2252円
5.災害緊急支援(231件)
367万3649円
6.世界宣教(55件)
122万3308円

■献金者・団体ご芳名■
(敬称略・順不同)
【教会】厚狭、甘木、板橋、市ヶ谷、市川、宇部、栄光、大分、大江、大岡山、大牟田、大森、岡山、小鹿、小田原、帯広、蒲田、賀茂川、唐津、刈谷、岐阜、京都、釧路、熊本、久留米、神水、健軍、小石川、小岩、高蔵寺、甲府、神戸東、小倉、挙母、西条、札幌、静岡、清水、下関、新霊山、スオミ、聖ペテロ、知多、千葉、津田沼、田園調布、天王寺、東京池袋、東京、豊中、長野、なごや希望、名古屋めぐみ、西宮、沼津、直方、博多、箱崎、函館、八王子、浜松、日田、日吉、広島、福岡西、福山、富士、二日市、別府、保谷、本郷、松江、松橋、三鷹、水俣、稔台、三原、宮崎、武蔵野、恵み野、八代、湯河原、雪ヶ谷、横須賀
【婦人会】千葉教会婦人会、東教区婦人会、天王寺教会女性会、箱崎教会女性会、市川教会女性の集い、小石川教会婦人会、保谷教会婦人会
【その他団体】NOAデザイン事務所、大岡山教会学校、大森教会CS、小城幼稚園、蒲田ルーテル幼稚園さくらぐみ、唐津ルーテル子どもの教会、九州学院中高生徒会・教職員、九州学院中学高校生徒会、九州ルーテル学院大学、熊本教会英語礼拝、久留米教会CS、恵泉幼稚園、高蔵寺教会こひつじ園、国府台保育園、下関教会シャローム会、聖公会合同礼拝献金、玉名教会教会学校、玉名ルーテル幼稚園、知多教会教会学校、中央線沿線地区7教会宣教協議会、東海教区信徒大会、長野教会青年会、日本福音ルーテル社団、箱崎教会CS、箱崎教会らぶぴコンサート、めばえ幼稚園、雪ヶ谷・田園調布教会CS、ルーテル学院中学・高等学校YWCA・YMCA
【個人】足立るり子、厚味勉、稲垣幸子、井上尚子、今村芙美子、江澤妙子、岡田晃一、小川幾代、加藤みゆき、鐘ヶ江昭洋、上窪松子、穐田信子、久保田恂子、後藤由起、小長谷ヤヨコ、近藤信香、柴田るみ子、関本憲宏、蝶間林裕美、柘植春子、土井洋、中野博子、南里昌子、西川洋子、西村鶴子、芳賀章子、長谷川善造、平塚登美子、藤田房子、抱井義子、増島俊之、松嶋俊介、宮澤真理子、宮原サラ、村上浚三、森田寛子、安川美歩、矢田恵子、山崎真由美、吉川幸子、吉岐久子、吉永郁子、折田良三、徳野照代、T・クーシランタ

■各指定項目合計に世界宣教・無指定分を配分させていただき、次のようにお送りさせていただきました。

1.ブラジル伝道  167万4338円
2.日米協力伝道  100万293円
3.メコン宣教支援 14万1360円
4.パレスチナ難民 30万円
5.災害緊急支援 110万9184円
6.世界宣教 40万747円

年末送金時に間に合わないものは2009年分に繰り越します。ご了承ください。
事務局からの海外送金は12月29日を目途にしております。ご理解ください。また災害緊急支援については、すでに送金しておりますが、その後、寄せられた分についても今後送金いたします。

住所変更のお知らせ

◇大石昌子  〒874-0945大分県別府市浜町4-22 シーコースト渡辺503号
◇白髭市十郎 〒590-0111大阪府堺市南区三原台2-4-17-207 電話:072-293-0207
◇野口幹夫   〒260-0841千葉県千葉市中央区白旗2-20-5

09-01-15るうてる《福音版》  2009年 1月号

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バイブルメッセージ  神さまの個展会場。注目の作品は……

あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。
月も、星も、あなたが配置なさったもの。
そのあなたが御心に留めてくださるとは
人間は何ものなのでしょう。
詩編 8編4節(日本聖書協会『聖書 新共同訳』)

大学で物理学を勉強していた方と出会いました。小学生のころから理科が苦手で、私にとっては何も興味を持てなかった分野でした。何が面白いのかと思って尋ねてみたら、「世の中にあるどんな事柄も数式で表わすことができるところに惹かれた」と言われました。これは私にはとてもわかりやすい答えでした。理科の面白さはそういうところにあるのだろうな、とほんのちょっぴり分かった気がしました。
そして、考えてみると、ほかのいろいろな分野も似たようなことが言えると思います。
たとえば、彫刻や絵画を作りだす芸術家。言葉にはならないような気持ちを作品にあらわしていらっしゃるのでしょう。だから見る者も、専門家でない限りは、その作品をどう言い表していいのか分かりません。気持ちで感じるだけです。
作曲家もそうでしょう。自分の気持ちをひとつの曲に表わしていらっしゃると思います。聴く人も、作曲者の気持ちに共感できた時、その曲のすばらしさを味わいます。
日本人でもおそらくほとんどの人がどこかで聞いたことのある讃美歌。「いつくしみ深き友なるイエスは、罪とがうれいを取り去りたもう。心のなげきをつつまず述べて、などかはおろさぬ負える重荷を。いつくしみ深き友なるイエスは、われらの弱きを知りて憐れむ。悩み悲しみに沈めるときも、祈りにこたえて慰めたまわん」
どんな時に聴いても、うたっても、心を安らかにさせてくれる讃美歌です。でも、この歌の背景を知らされたとき、なおこの歌に込められた思いを共感することができます。作詞者のスクリーブン氏は、ご自身の婚約者が急死し、それを悲しむお母さんを慰めるためにこの詩を作ったと言われます。
わたしたちはみな、悲しみを背負って生きていますから、スクリーブン氏がこの詩を作ったときの気持ち、また、悲しむ人の心を少しでもやわらげようとして作った歌だと知ったとき、そこに込められた思いをなお強く感じることになります。
聖書にもあふれる思いがこめられた言葉がたくさんあります。「あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。/月も、星も、あなたが配置なさったもの。/そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう」(詩編8編4節)
この詩人は、天も、地も、この世にあるものすべてが神さまの作品であることを思い、この詩を残しました。作者である神さまをたたえています。この世界は、作者である神さまの言葉には言い表せないおこころがあふれている。しかも、その中の最高傑作品は人間。
時に悲しみ、時に憂い、時に探し、時に喜び、時に愛し、時に愛され、時につまずき、時に立ち上がる。そんな優れた作品のひとつが、この私……。
そのことに気づいた時、飲み込まれそうな大空を見上げながら、その大空をもその≪指の業≫で造られたお方をたたえつつ、詩人は、この詩を残しました。

そう、あなたも神さまによって造られた最高傑作。この世界のすべてをお造りになった神さまが、もう言葉では言い表せないとおっしゃりながら、そのお気持ちを形に表されたのがあなたです。
この作者は、同じ作品を二つとお造りにはならない方です。だから、この作者は、あなたがあなたらしく悩み、あなたがあなたらしく喜び、あなたがあなたらしく今日を生きることをお喜びになるようです。
鏡を見たとき、思い出してください。「わたしは神さまの作品。世に二つとない最高傑作なのだ」と。ほかの誰もがそれを忘れていても、作者は知っています。
パパレンジャー

十字架の道行き

【第十留】イエス、衣をはがれる
【祈りの言葉】
イエスよ。人々は、あなたからすべてを奪いました。着物も友も肉親も弟子も、そして命までも。しかし、すべてを失われることによって、私たちに大いなるものを用意されました。

毎日あくしゅ

「ママ」

ママ
作・田中 大輔
あのねママ/ボクどうして生まれてきたのかしってる?
ボクね ママにあいたくて/うまれてきたんだ
(川崎 洋編「子どもの詩」より・作者は当時3才)

歌手でもあり俳優でもある武田鉄矢氏は、「母にささげるバラード」の一曲で、一躍スターダムにのし上がりました。この曲と同名の本が出版されました。それによるとこの曲がヒットするきっかけは、フォークジャンボリーという音楽祭が九州の福岡で開催されたことです。当時のフォーク界のチューリップ、井上陽水、泉谷しげるといった大物歌手の前座として、無名グループ海援隊が十五分の持ち時間を歌いました。
ところが、聴衆は、「チューリップを早く出せ」とやじり、歌うどころではありませんでした。しかし、ハプニングは持ち時間の最後の方で起こり始めました。鉄矢氏が泣きながら、「お母さん、いま僕は思っています。僕に故郷なんかなくなってしまったんじゃないかと。一つ残っている故郷があるとすれば、お母さん、それはあなたです」と語るころ、聴衆は、いつの間にか、静かに聴き入っていました。歌い終わると、無名歌手のところに多くの人が群がって来ました。その後、すぐにレコーディングの話が舞い込み、発売して間もなく、ヒットチャートの一位までいったというのです。しかし鉄矢氏が、「いま、僕に故郷が残っているとするならば、それはお母さんです」と言った、その陰には、母が家出同然で去って行った息子のために、葉書をたくさん買い込んで、九州の各放送局にリクエストを出し続け、あげくの果て、自分の家に有線放送を引き、毎日リクエストし続けた母の姿がありました。
この新しい年の始まり、「ボクね ママにあいたくて うまれてきたんだよ」を思い起こしながら、世界にただひとりの掛替えのないお子様を抱きしめてあげてください。抱きしめた数だけ、優しさが増します。
今年も園児とご家族、そして皆様の上にすばらしい神様の祝福と平安をお祈りします。
(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

第10回 言語教育の問題点 その2

大学入試に小論文が採用された当初、成績上位の学生たちの不合格が続出した。これに驚いた予備校は、小論文の書き方、まとめ方を急遽教えることにしたという。しかし、この小事件は学校教育の致命的な欠陥を示したものといえる。
そもそも国語科の指導事項を定めた学習指導要領には、「経験したこと、想像したことについて、順序を整理し、簡単な構成を考えて、文や文章を書く能力を身に付けさせるとともに、進んで書こうとする態度を育てる」(第1学年及び第2学年)と示している。
そして記述に関する指導事項としては、「事柄の順序に沿いながら、文や文章の中で、語と語、文と文との続き方を考えて記述すること」を求めており、推敲に関する指導事項としては「一文一文を丁寧に読み返し、主語・述語のつながりや句読点の打ち方、長音、拗音、促音、撥音などの正しい表記ができ、助詞の〈は〉〈へ〉〈を〉を正しく使うこと」「句読点の打ち方や、かぎ括弧の使い方を理解し、文章の中で使うこと」を求めている。
にもかかわらず、これらが高校段階で身に付いておらず、小論文すら書けないのである。現在の週5日制の慌ただしい学校では難しいかもしれない。「書くこと」の指導は個別的に作文やノートを克明に目を通さなければならないからである。そのうえ中・高校では授業が過密で、受験指導への傾斜が、教師たちの了解事項だからである。

話題を変え、作文教育について述べておこう。
戦前、生活綴方事件で逮捕、投獄された寒川道夫は昭和26年(1951年)に教え子の詩集『山芋』を発表した。同年には無着成恭が『山びこ学校』を東京の小出版社から出し、日本全国の小・中学校の作文教育、綴り方運動に大きな影響を与えた。
詩集『山芋』の巻頭には、6年生の大関松三郎の詩が置かれている。

しんくしてほった土の底から/大きな山芋をほじくりだす/でてくる でてくる/でっこい山芋/でこでこと太った指のあいだに/しっかりと 土をにぎって/どっしりと 重たい山芋/おお こうやって もってみると/どれもこれも みんな百姓の手だ/土だらけで まっくろけ/ふしくれだって ひげもくじゃ/ぶきようでも ちからのいっぱいこもった手/これは まちがいなく百姓の手だ/つぁつぁの手 そっくりの山芋だ/おれの手も こんなになるのかなぁ

いま取り出して読んでみても、心を打つ作品である。
その後「作文教育か、綴方教育か」の論争が行われ、生活綴方の方法だけで、子どもの成長に必要な文章表現力をつけさせられるか、可否の問題提起がなされた。だが、大勢は、本質的な論議には興味を示さず、基礎学力論にのめり込んでしまったのである。
大人も含めて、作文の苦手が多いのは、この問題が解決していないからといえる。

次回は、道徳教育の問題を取り上げる予定である。

谷 健(たにけん)…昭和5年7月生まれ。東京都の公立小学校7校の勤務。専門は英語、道徳。道徳副読本の編集に従事。

09-01-15るうてる  2009年 1月号

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新年のあいさつ

総会議長 渡邉 純幸

主のご降誕をお喜び申し上げます。新年もみなさまの上に主の祝福と平安がありますよう心よりお祈り申し上げます。

「まことに残念ですが……(不朽の名作への「不採用通知160選」)」という本を読みました。この本は、世界の有名な作家が出版社に出したときの原稿に対する編集者よりの不採用通知を集めたものです。その中にはヘミング・ウエイの「春の奔流」もありました。その不採用通知には、「もし当社にこれを出版する気があるのだとしたら、ごく穏やかにいっても、極端な趣味の悪さゆえであろう」とありました。またパール・バックの「大地」に対しては、「まことに残念ですが、アメリカの読者は中国のことなど一切興味がありません」でした。彼らはみなノーベル文学賞受賞作家として大成した人たちですが、その始まりは多くの人々と同じ挫折からのようです。
いま置かれている場所がどんなであれ、一粒のからし種が蒔かれた私たちには、大きな喜びと愛に満ちた素晴しい恵みが与えられています。その一歩がまさに不採用通知から始まろうとも心配はいりません。第一歩に続く第二歩があります。それに加えて与えられるそれ以上に豊かな神さまの恵みがあります。
2009年も皆さまのうえに、神さまの平安とお守りがありますよう心よりお祈り申し上げます。

はじめの一歩から20年  復活ルーテル教会 日本語部

ロサンゼルスの青い空と、どこまでもつづく海岸。日米伝道は、1980年ガーデングローブにて戸田裕牧師により、最初の一歩がしるされました。その後、1988年11月6日、復活ルーテル教会・日本語部(Lutheran Church of Resurrection Japan ministry)礼拝へ引き継がれました。日本から派遣宣教師として高塚郁男牧師(賀茂川教会)家族が赴任され、日本語部の宣教が開始されました。働きは田中良浩牧師へと引き継がれ、現在は伊藤文雄牧師ご夫妻が、トーランスのファーストルーテル教会(初代・山本裕牧師)と2つの働きを担っておられ、毎週フリーウェイを猛スピードで往復されています。
今回「宣教開始20周年記念特別伝道礼拝」は、11月23日通算1047回目の礼拝として守られました。事務局長の私が招かれ、「はじめの一歩、明日への一歩」(The First Step,The Very First Step for Tomorrow)の説教題にて、40名を超える方々と共に礼拝を行いました。もちより祝会も盛大で元宣教師、E・バーグ・虹子ご夫妻とも再会することができました。
日本語部礼拝は毎週日曜日11時半から始まります。2回の英語での礼拝のあとに行われるからです。礼拝に参加させていただき、「日本語で」礼拝をすることの大きな意味を教えられました。1週間に一度、アメリカの地で生活しておられる方々が共に集まり、日本語で賛美をし、日本語でみ言葉を聞く。あたりまえのようなことですが、それが20年続けられてきたのです。
日本福音ルーテル教会は日米協力伝道を支えています。しかし、どこまで祈りとなっているだろうかと思います。日本語部の宣教にあたる2つの教会のことを知り、派遣されている伊藤牧師ご夫妻の働きを覚え祈ることからつながりを強めていきましょう。働きのための献金も必要です。
はじめの一歩はすでに20年前に踏み出されました。その歩みは神様によって守られ、千回を超える礼拝が行われてきました。いま明日への一歩を踏み出します。その一歩は、日本で宣教する私たちとの強いつながりをもってこそ、確実な一歩が踏み出せます。この確実な一歩が日本の教会に恵みをもたらします。私たちも、アメリカにある2つの関係教会と日本語部の働き、宣教にあたる伊藤牧師ご夫妻、教会生活をおくる兄弟姉妹を覚えて祈ることから、明日への一歩を踏み出しましょう。
(立野泰博)

風の道具箱

メイド・イン・ラブ

あけまして、おめでとうございます。今年もよろしく。
幼子の寝顔を見ていると、家庭は平和だなとしみじみ思います。
先日、娘と昼寝をすることになりました。同じ布団に入り、枕を並べて、しかも手を握ってとおねだりされました。たぶん妹ができたことで甘えん坊になったのでしょう。ふと「人間が眠る瞬間とはどのような時だろうか」と思いました。そこで娘が眠る瞬間を見てやろうと、薄目で眺めていました。ところが眺めているうちに、私の方が寝てしまったのです。あまりにも平安に満たされた顔をしていたので、私の方が先に安心して気持ちよくなったのです。
「平安」とはいったい何でしょうか。それは幼子の寝顔そのものです。本当に安心しきってないと笑顔で眠ることはできません。幼子たちの寝顔が教えてくれる平安とは、すべてを委ねきった安心感でしょう。
私たちはどこにいても、いかなる状況でも神様の懐という一番安心できるベッドを持っています。それはメイド・イン・ラブです。
(柿のたね)

牧師の声

私の愛唱聖句

西教区 修学院教会 牧師 三浦 謙

互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません
ローマの信徒への手紙 13章8節a

『るうてる』の、「わたしの愛唱聖句」の欄を読んでいて感じるのだが、執筆者の多くは、かつて、すばらしい聖句との出会いを通して、信仰の道に入り、あるいは、その聖句を通して、大きな信仰生活上の転換点を迎えてこられたということが、よく伝わって興味深い。
それに引き換え、わが身はどうかというと、どうもそのような聖句が見当たらない。なんとなく牧師の家に育ち、牧師になったことも影響しているのだろう。聖書も、教会も空気のようなところがあって、変な話だが、牧師になって以来36年、司式で主の祈りや、使徒信条を唱えることも多いのだが、主の祈りそのものが、使徒信条そのものが思い出せないことが何度もある。別にボケているのではなく、昔からそうであった。覚えようとして覚えたわけではないので、そのようなことになるのだろう。いいか、悪いかは別にして、おそらく、キリスト教が家の宗教のようになっているのだろう。ちなみに、このクリスマスに二人の孫が洗礼を受けるが、はや、六代目のルーテル教会の信徒となる。かわいそうに。同じ道を歩むのかもしれない。
とはいっても、愛唱はしないが、大好きな聖句はある。それは、パウロの「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはならない」である。このみ言葉は、なぜか繰り返し心に浮かび、また、思い出される。つまり、パウロはここで、「愛とは借りなのだ、愛の本質は借りだ」と言っているに他ならない。全くその通りで、母を目の前にしてこの言葉が心に浮かぶと、「ああ、借りばかりだ」と思う。子どもに対しても、伴侶に対しても、ましてや、神様にいたっては、返しようのないほどの借りがあることを思う。全くの借金人生、取立てのない借金人生である。
それでもパウロは、「借りがあってはならない」という。申し訳ないと思う。いつも、いつも何かをわたしに訴え続けてくる聖句となっている。

信徒の声

教会の宝を捜して

東教区 横須賀教会 信徒  清水 幸

教会や地域で元気に活躍しておられますが、何年のお生まれですか。
1916年生まれです。今年92歳になりました。
横須賀教会との出会いを教えてください。
私の弟が牧師を目指して東京神学大学で学んでいましたが、若くして天に召されました。その弟の感化で教会に導かれ、中野桃園教会で洗礼を受けました。
その後、弟が日本語学校で当時横須賀で伝道したおられたルティオ先生の奥様に教えていたことが縁で横須賀教会に導かれました。
その後ずっと横須賀教会と一緒に歩んでこられたのですね。
伝道所を経て1983年に現在の教会堂が与えられました。その時も、都内の諸教会のバザーや一日神学校で横須賀名産のワカメを販売しました。多くの人に横須賀教会のことを知ってもらいたいと思ったからです。
横須賀教会は設立当初から地域と一緒に歩んできました。婦人会は老人ホームでオムツたたみなどの奉仕をしてきました。今もバザーには地域の方からたくさんの献品をいただきます。
ご趣味は何ですか
詩吟と民謡を長く続けています。お茶を教会や地域の方々に教えています。礼拝での聖書朗読、献花、バザーでのお茶の会などのご奉仕ができて感謝です。
地域の老人会で長くご奉仕されていますね。
現在70名ほど会員がいますが、そこで20年ほど会長を務めました。
長く続けてこられた秘訣は何でしょうか。
私は、歴代の牧師先生や聖書によって心を磨いていただきました。教会や老人会や詩吟の会にはいろんな人がいますが、神様の前に人間は誰もが平等だと思いますので、いろんな人の意見を聞いて、全てを神様にお委ねしていくように心掛けてきました。
お好きな聖句をお聞かせください。
「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか」(マタイによる福音書6章26節)。

チャリティーコンサート

待降節第1主日の夕刻、ルーテル市ヶ谷センターにて、「ルターホール改修・神学生寮設置のためのチャリティコンサート」が日本福音ルーテル教会、ルーテル学院、ルーテル学院大学・神学校後援会の共催によって開催されました。演奏はバイオリンが間垣健二氏。オルガンが深井李々子氏。お二人ともルーテル教会とは馴染み深い演奏者です。間垣氏は日本ルーテル神学大学・神学校の学長であられた間垣洋介先生のご子息です。学長住宅から漏れ来るバイオリンの音を聞いたことがあるという、かつての神学生も会場にはいたことでしょう。最後はお二人の伴奏で、230名の来会者が待降節の讃美歌を歌いました。演奏者、そして皆さまのご協力を心から感謝します。
(広報室長 徳野昌博)

募金のお願い

2006年全国総会で決議されました、「神学生寮設置」のための「9千万円募金」は12月上旬で7千3百万円に達しています。このためにお捧げ頂いた口数は、1700を越えています。3月末までの募金期間はあと残すところ3ヶ月となりました。
最後の目標を達成するために、本教会常議員会は、2月15日(日)の「JELC宣教の日」を『神学校日礼拝』として設定しました。当日の「教会の祈り」等により、神学生寮を覚え、祈って頂き、当日の礼拝献金等を募金のためにお捧げ頂くようにお願いいたします。
この最後の3ヶ月の募金期間において、目標額9千万円が達成されることを祈っています。全教会の教会員の方々、役員会、及び後援会世話人の方と連携の上、将来の福音宣教者、教会の教職・牧師を育てるために、どうぞ最後のご支援をよろしくお願いいたします。
(募金実務委員長 青田 勇)

神の造られた世界-環境と聖書

第10回 神が創りだしたものはすべて良いもの

「良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません」
(ヤコブの手紙1章17節)

見出しの言葉は、「未来の子どもたちとの約束」をテーマに開催したキリスト教保育連盟東海部会愛岐クラブ会(23園、60~70人参加、2005年11月開催)の際に参加者でまとめたキャッチフレーズです。このキャッチフレーズのあとに「いただく恵み、でたクズも恵み。なにひとつ捨てるものはない」と続きます。
私たち今を生きるものは、素晴らしい地球を持続的に残していくことを未来の子どもたちに約束する必要があります。幼い時からこのような精神を培いながら生きていくことが環境を考える場合の重要なキーワードです。キリスト教精神で成り立つ園ならではの言葉です。神が創りだした恵みを子どもたちはどのような時に感じるでしょうか。
レーチェルカーソンは「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感謝にみちあふれています。私たちが住んでいる世界の喜び、感激、神秘などを子どもと一緒に再発見し、感激を分かち合ってくれる大人が少なくともひとり、そばにいる必要がある」と語っています。人間形成の基礎となる幼児期は、自然と親しむ体験から地球を愛する気持ちを体得し、正しいことを自分で判断していくことを養っていくのにふさわしい時期です。自然からの良い贈り物、完全な賜物を園児が気づくことを手助けする役割の一部を私は担っています(名古屋市のプログラム)。
園児とともに、自然に触れて、驚いたり、感動したりしています。そのことが園児が自然の不思議さへの好奇心や探究心となり、やがては自然を愛し、自然を守る心へとつながっていくことを望みつつ活動をしています。

キリスト者環境十戒
 第8の戒め
「汝、心を入れ替え、自分を低くして、この子どものようになって自然環境をみなければならない」

神学生寮の思い出

天王寺教会、豊中教会 永吉秀人 牧師

1978年、当時の神学部神学科神学専修コースに、私は高校卒業後すぐに入学致しました。神学部の寮というイメージに畏れを抱きつつ、修道院に臨む心境で入寮の時を迎えました。
しかし、何と自由な寮風であったことか。どんな者でも牧師へと仕立てて頂ける修道院にあらず、自分を律しなければ牧師への門には辿り着けない、修道院以上に厳しくもある、誘惑や怠惰との戦いの日々が待っていました。実際、私は7年間お世話になりました。
隣室には最上級生である徳野昌博先生がおられました。寛容にも夜中まで騒ぐ新入生をもろともせず(少し離れた部屋の鈴木浩先生には、しばしば睨まれましたが)、私たちが騒ぎ疲れて寝ようとする時刻にもなお勉強に勤しまれておりましたし、翌朝私が目覚めた時には、すでに机に向かっておられる姿は新入生にとって大いに刺激となりました。
初めての清掃日のこと、徳野先生の指揮下、新入生が集められ掃除についての訓示を賜りました。「新入生諸君、トイレは最上級生である私がしますから、君たちは廊下を掃きたまえ」この訓示こそ、感動と共に私の寮生活を決定づけるものとなりました。以後、一寮生である時も寮長であった時も、退寮の日を迎えるまで、寮の4階から始めて1階までの階段を毎日掃き続けたものです。ルター寮、それは牧師となるための霊性と修道性が日常の中に湛えられた器でありました。

全国式文アンケートの集計から

洗礼と堅信
洗礼式は29教会が時期を定めずに実施していますが、祝祭日を選んで実施している教会も15教会あります。
教保は32教会で立てられていますが、12教会で立てられていません。教保の役割としては、信仰生活全般のサポーター、後見人、信仰の友、洗礼者のために祈る、(目撃証人として)洗礼式に立会う、堅信の誘いをするなどが挙げられました。また逆に、列席者全員を教保と考えても良い、本人の希望がなければ立てないという教会もありましたし、教保の役割が明確でないという意見もありました。
こどもの堅信式の実施については、中高生時期を目処に本人への働きかけがなされているようです。その際13教会で、小教理問答による教育や準備会、その他いろいろな方法で堅信に向けた教育が行われています。また成人の堅信式については23教会で洗礼式に引き続き行われていますが、実施されていない教会も7教会ありました。(続く)

全国ディアコニアネットワークセミナー IN 釜山・慶州

去る10月13日から15日まで、全国ディアコニアネットワークセミナーが、韓国の釜山と慶州で開催された。セミナーの目的は、釜山に今も残る日本人未亡人会、芙蓉会との交流、慶州ではナザレ園の訪問、同じく日本人未亡人たちとの交流であった。いずれも、日本では朝鮮の人と結婚したということで白い目で見られ、半島に渡ってからは敵国の人間として見られ、夫を亡くし、戦後は帰国もかなわず、肩身の狭い思いをされてきた人たちである。芙蓉会は最盛期は200人の会員を擁したが、そのほとんどが亡くなり、今は12人になってしまった。ナザレ園も20人を切り、戦争の爪あとがまさに消えようとするときである。
幸いなことに、今回は韓日親善協会副会長の崔乗大氏と、金泰憲牧師が3日間のお世話をしてくださった。特に崔氏は芙蓉会とナザレ園の顧問もしておられ、行き届いたお世話であった。ナザレ園では、日本人妻たちと訪問者との間で、互いに涙しながらの交流であった。また、合間に世界遺産仏国寺を訪ねたり、数年前、線路に落ちた日本人を助けようとして、自ら命を落とした李秀賢氏の墓を訪ねたり、韓国との国交がかなわなかった長い時代の中で、荒れ果て、持ち主もわからなくなってしまった墓を集めてつくられた日本人墓地を訪ね、祈りのときを持つこともできた。戦争の愚かさを訴える、さまざまな人との出会いを通して、その愚かさや、空しさを心に留める旅であった。    (三浦謙)

甲信地区信徒の集い 『伝道』~それぞれの教会と地域の中で~

2008年度東教区「甲信地区信徒の集い」は11月24日(月)にログハウス調の長野教会に地区の5教会から、例年になく大勢の牧師・信徒55名が集り、行われました。
開会に先立ち、長野教会のトーンチャイム・グループの演奏が行われました。地区の3牧師が開会の祈り、主題講演、閉会の祈りをそれぞれ担当し、教区長の挨拶がありました。各セクションは5教会が分担し、距離的に離れていても想いは一つ、信仰は一つが確認できる集まりでした。久しぶりに逢う顔、初めて逢う顔が輝いて見え、5グループでの分団協議は活発で意欲的に、家族・地域の中で伝道をする困難さ、それでも信仰を持ち続ける喜びが語られました。
(木村猛)

ボブ先生の旅日記

人間社会では人とのつながりがとても大切です。神の召しに応え、来日した私とクリスにとって、これこそ「つながりの旅」とつくづく思っています。
イエス・キリストの洗礼が結ぶつながりを頼りに、仕えることで、召しに応えたいと思います。
東教区での1ヶ月は、霊的でありまた楽しい学びと奉仕の時でした。振り返って思い出すと、たくさんの人たちの顔と名前が思い浮かんできます。私たちの来日を、東教区の宣教を担う宣教師たちが歓迎、祝福してくれました。そしてJ3のプログラムに参加したり、神学生たちとの交わり。牧師先生や事務局の方々との出会い。共に礼拝し、説教や聖書の学びをさせていただいた時の会衆、そのすべての方たちから私たちは豊かな祝福をいただきました。
奉仕させていただいたひとつひとつの教会の信徒たちとのふれあいを通して、私たち自身、キリストとつながることがどういうことかを新たに教えられました。バイブルクラス、英語教室、コーヒーアワーといった催しにも参加する機会を与えられました。本郷学生センターでの楽しい語らい、三鷹コミュニティセンターでの茶道体験、夜、山谷地区でホームレスの人たちへの炊き出しと夜回り、ホスピス「希望の家」では患者の方々に付き添い、深い霊的な体験をするとともに、そこに主の現臨を感じました。
こういったひとつひとつの「仕える」体験をしていくうち、東教区での働きがもっともっとできないだろうかと思ったほどです。しかし新しい教区での働きが待っているんだと、我に返りました。クリスと私は、満ち足りたこの一ヶ月間に感謝の祈りをささげ、新たなつながりを求めて12月8日九州の熊本へと向かいました。主にありて

会議のお知らせ

■常議員会
第23回総会期第3回常議員会が左記の通り開催されますので、議案のある方は、所属教区常議員会を経て、ご提出ください。

【日時】2月23日(月)~25日(水)
【会場】ルーテル市ヶ谷センター
以上
2009年1月1日 常議員会
会長 渡邉 純幸
書記 立野 泰博

みんなで千人に福音を!クリスマス聖書人形展

昨年12月9日から14日まで、東京教会にて「クリスマス聖書人形展」が開催されました。「るうてる福音版」でおなじみの、あの人形によるクリスマス物語です。この展覧会のために東京教会は一万枚の案内チラシを用意。開催中、教会の前で教会員が道行く人たちに、声をかけながら配りました。6日間で1226人の来場。「半分以上はクリスチャンではない方々で、すばらしい伝道の機会となりました」とは関野和寛牧師の感想でした。(広報室)

インフォメーション

■2009年 アメリカグループワークキャンプ 参加者募集
派遣期間:2009年7月23日(木)~8月6日(木)
対象者:2009年8月1日現在の年齢が14~20歳の方
参加費用:20万円(パスポート取得費用及び海外旅行保険費用は自己負担)
【問合せ・申込用紙請求先】JELA-JELCボランティア派遣委員会
住所:162-0842 東京都新宿区市谷砂土原町1-1 JELC宣教室気付
電話:03-3260-1908/FAX:03-3260-1948/E-mail:workcamp@jelc.or.jp
申込締切:2009年1月31日(土)
■教会の椅子をお譲りします
会堂の椅子を新調するため、これまで使っていた椅子をお譲りします(送料はご負担ください)。発送は2009年3月から4月(予定)。お申し込み多数の場合は、先着順とさせていただきます。申込締切は2009年1月末日です。
【問合せ・申込先】日本福音ルーテル復活教会 担当:山下武志(090-3952-8604)
■春の全国ティーンズキャンプ  参加者募集
日程:2009年3月26日(木)~28日(土) 会場:宮崎県青島青少年自然の家
テーマ:集い 申込締切:2009年2月15日(1月15日までの申込は参加費が割引)
【申込先】TNG_apply”AT”jelc.or.jp 096-368-2917(FAX/健軍教会・小泉牧師)
【問合せ】小澤実紀(TNG-Teens部門)まで。m.ozawa.teenscamp “AT”gmail.com
☆TNG-Teensのブログができました。http://tngteens.hamazo.tv/
※メールは”AT”を@に変更してご利用ください。

集計表提出のお願い

教会事務局提出の集計表を期日までにご提出くださいますようお願いいたします。一教会でも遅れますと全体の集計ができないばかりか関係省庁への報告にも影響が出ます。
また、報告書は電子メイルでの提出をいただきますと、事務作業の軽減ばかりでなく、間違いを防ぐことにもなります。
報告書と共に、教会総会資料をお送りください。
■提出期限■
集計表4ページ 1月20日
その他報告書   2月10日

日本福音ルーテル教会 2009年行事・会議日程

1月
6日(火)~7日(水) 教師試験委員会
8日(木)任用試験
9日(金)NCC常議員会
13日(火)事務処理委員会
2月
18日(水)~19日(木)会計監査
23日(月)~25日(水)常議員会
3月
1日(日)神学校の夕べ
8日(日)教職授任按手式
9日(月)神学教育委員会・宣教研修指導者会議
10日(火)事務処理委員会
11日(水)~12(木)牧師補研修会(2009年度第1回)
12日(木)エキュメニズム委員会(聖公会)
13日(金)エキュメニズム委員会(カトリック)
4月
14日(火)事務処理委員会
5月
11日(月)~12日(火)牧師補研修(2008年度最終)
12日(火)事務処理委員会
19日(火)~21日(木)LCM会議
6月
8日(月)~10日(水)常議員会
7月
14日(火)事務処理委員会
15日(水)~17日(金)第1回教区長会・人事委員会
8月
日付未定 社会福祉協会総会
日付未定 法人会連合総会
9月
8日(火)事務処理委員会
10月
7日(水)~ 8日(木)宣教会議
13日(火)事務処理委員会
14日(水)教師試験委員会
19日(月)~20日(火)牧師補研修会(2009年度第2回)
11月
9日(月)~11日(水)常議員会
12月
8日(火)事務処理委員会

08-12-15るうてる《福音版》2008年12月号

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08-12-15るうてる2008年12月号

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全国青年修養会

 

ぶどう畑に囲まれたカトリック教会の神言会多治見修道院にて第12回全国青年修養会が行なわれました。45名の青年と牧師がこの時を与えられました。
「神さま農園ぶどうの木」(わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ヨハネ15:4)のテーマのもと、神さまとのつながりを振り返った「じぶん史」、ペアになった相手のために握った「Rinjinおにぎり」、参加者同士のために書き祈った「アガペーメール(愛の手紙)」、HIV/AIDSの問題について理解する時間、カトリック教会の主日礼拝への出席など、さまざまなプログラムを皆で共にすることができました。
神さまの方が小さな私たちにつながっていてくれる! という大きな喜びを知り、それを通して、人とのつながりをはじめ、その他多くのつながりを考えることができました。青年にとどまらず、全国に多くの信仰の仲間がいるという「つながり」は大きな喜び・励ましだと気づかされ、その思いを形にしたいということで、全国のルーテル教会に宛て、参加者全員でハガキを作り、それに思いをのせ、届けさせていただきました。ハガキ、届きましたか?
(高蔵寺教会 稲垣幸子)

予想を上回る人数に、参加者の顔は喜びで一杯でした。左の写真の通り。「準備の段階から楽しかったです」とは実行委員長の弁。最寄の高蔵寺教会の牧師先生ご夫妻、教会員のお手伝い、そして教区長や岐阜・大垣教会の牧師の問安に「主にあるつながり」を目の当たりにしました。(広報室)

アワーミッションレポート 宣教百年記念会堂が与えられて

去る10月4日の土曜日、日田教会新会堂の献堂式が執り行われました。秋晴れの中、九州教区内の教会、教区婦人会役員、幼稚園関係者、日田市内教会、設計・施行業者、日田教会関係者等104名の出席をいただき礼拝とお祝いの時を持ちました。
日田教会は、幼い魂にイエス様の福音を伝える幼稚園の働きを重点に伝道に取り組んできました。やがて園児数が増加し、教室増築によって礼拝堂を園舎の2階に移築しました。その結果、礼拝のたびに階段を登り降りしなければならなくなりました。また敷地が公道の奥ですから、教会も幼稚園も町の方々にアピールしにくい状況でした。
そんな中、思いがけず国道沿いの隣接地の購入がかないました。会堂建築に着手するには日田教会は本当に小さい共同体です。けれども神様は一人ひとりの賜物を用いてくださいました。土地の専門家、建築の専門家、行政の手続きの専門家、幼児教育の専門家、礼拝・伝道の専門家等が集められました。そして神様は日田教会にかかわる信徒・幼稚園関係の方々の思いを一つにしてくださいました。その勢いの中で建築計画が進められました。
新しい会堂はバリアフリーを目指し、日田市名産の杉材を用いました。限られた予算の中で、設計・施行業者の方々のご尽力をいただきました。明るい日差しが入ります。杉材の香りがします。納骨堂も移築しました。パイプオルガンも教区内の方のご好意で設置することができました。オルガンのやわらかな響きに助けられて礼拝できるのは大きな喜びです。
10月より主日礼拝、教会学校、幼稚園礼拝が新会堂で始められました。子どもたちは新しい礼拝堂とオルガンを気に入っているようです。
日田教会は2010年に宣教百年を迎えます。新会堂を宣教百年記念会堂としました。全国のみなさんに献金をお願いいたしましたところ、たくさんの方々からお支えとお祈りをいただき、感謝申し上げます。日田市のみなさんに福音を届ける拠点としての働きを喜びのうちに続けてまいりたいと思います。
(牧師 宮澤真理子)

風の道具箱

さあさあ おまかせ もう寝よう

祈りについて、とっても楽しい話を聞きました。
「お祈り」/母親「ママたちは、今夜お客様で忙しいけど、ベッドに入る前に、ちゃんとお祈りしなくちゃいけませんよ」/娘「はい、ママ」/翌朝のこと。/母親「昨日の夜は、ちゃんとお祈りした?」/娘「ええ、ママ。ひざまづいて、いつものようにお祈りしようとしたのだけれど、その時ね、神様はいつもと同じお祈りに飽き飽きしてるんじゃないかしらってひらめいたの。それでベッドに入ってから、神様に『三匹の子豚』のお話しをしてあげたの」
実はこの話、お祈りの本質を伝えているかもしれません。お祈りの本質は、やっぱり対話だと思います。
みなさんは寝る前の15秒に何を考えますか? この瞬間がとても大切だということを聞きました。今日あった嫌なことにクヨクヨするか。ため息をつくか。それとも楽しかったこと、美味しかった料理を思い出すか。とっておきの方法は、「神さま今日もありがとう。明日もお願いします」とおまかせすることだと思います。
(柿のたね)

牧師の声

私の愛唱聖句

東教区 聖パウロ教会 牧師  松木 傑

あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。
創世記22章2節

この聖書の物語は、愛唱聖句というよりも、すでに40年以上の時間を経ていますが、わたしの信仰生活の原体験ともいえます。
当時、大学生として京都、上京区油小路市下立売で下宿住まいをしていました。何のために生きるのか、何を目標に生きるのかと考え、自分の能力の無さと意志の弱さに絶望する毎日でした。
学校にも行かずに、電気こたつに入って寝転んでラジオを聞いていました。NHKのFM放送で、クラシック音楽を放送していました。また、そのとき「朗読の時間」という番組があって、偶然ですが、旧約聖書のアブラハムがイサクを献げる物語が紹介されていました。そのとき、強烈にそのことに感動して、涙しました。わたしを苦しめていた鎖から解き放たれる思いと、生きることの根本は、「これだ!」という思いにされました。
望むべくもない老人のアブラハムとサラは、ただ神の約束によって、愛する独り子イサクを与えられました。その最愛の息子を献げるとは、どういうことでしょうか? 人間の思いや理性の範疇を超える出来事です。アブラハムにとってイサクを献げる唯一の理由は、「神が命じられた」という1点です。生きていることの理由を、自分で考え、答えを見出せなかったわたしは、そのとき、外なる方である「神が命じられた」ことに答えがあると確信しました。
その後、いろいろな活動をして今日に至っています。偽善ではないか、単なる自己満足でないかと考えるときがありますが、「主イエスが言われる。主イエスが求めていらっしゃる」は、わたしたちキリスト者にとっては何よりの答えであり、励ましです。

信徒の声

教会の宝を捜して

西教区 シオン教会 徳山礼拝所 信徒  木村 智美

これまでの教会生活を教えてください。
わたしは、ルーテル益田教会(現・シオン教会益田礼拝所)で洗礼を受けました。もう30年以上も前のことになります。それから、大阪の短大に入学し、卒業後は山梨県の甲府市に就職しましたので、ルーテル大阪教会、そしてルーテル甲府教会に籍をおきました。結婚して徳山に帰って来てから、徳山教会(現・シオン教会徳山礼拝所)に通うようになりました。その後、夫の転勤で岩国に住むようになって、近くにルーテル教会がなかったので、しばらく教会生活から離れることになりました。そして、再び夫の転勤で徳山に帰って来て今日に至っています。
このように、洗礼を受けてからあちこちと住む場所や教会もかわりました。その間、いろんな方に出会い、支えられて来ました。結婚後、教会から離れていた期間がかなりありましたが、神様が私を招いてくださいまして、今教会につながっていることが喜びです。
教会生活において、大事にされていることは何でしょうか。
一番大切に思っていますのは、礼拝を守ることです。礼拝に出て、神様に喜ばれることは何かと真剣に考えてみました。そのとき、わたしに役割が与えられたように思います。
与えられた役割とは何だったのですか。
教会の方々と共に教会に花を植えることです。教会を訪れた方の心が和んでリラックスできるような雰囲気作りに心がけています。そして、たまにですが、礼拝後に食事を作っています。食事のときの、皆さんとの会話が楽しみです。
その他、学童保育で小学校低学年の子どもたちを見守ることや、シオン教会柳井礼拝所のふれあいショップ「一粒の麦」で、利用者の方お一人おひとりとふれあいながら、ショップの事務的なお手伝いをしています。
木村さんが、今神様にお願いされていることは何でしょうか。
わたしには、夫と3人の息子がおります。家族についての願いも色々ありますけれど、将来、家族全員で教会通いができればと思います。そのことが、わたしの一番の願いです。言葉に出して、「教会に行こうよ」と、まだ言ったことはありませんが、夫と子どもたちにこの思いが伝わるようにと願っています。

LAOS講座の学び

宝物の再発見

松本教会、長野教会 鈴木英夫

松本に居住し75km離れた長野を兼任、両教会共に午前の主日礼拝なので、説教者の確保と計画的な牧会が最大の課題です。何より教会員のご理解、ご協力が欠かせません。そのことをLAOS講座から学ぼうと、2005年末から取り組みましたが、両教会共に数ヶ月しか継続できませんでした。余裕・余力がなかったからかと思われます。
この講座はPM21の実りとして神様から教会に授けられた宝物だと思います。極端に神学的過ぎず、全体として分かりやすくまとまっている。分冊形式も良い。何より第6号「いなご豆の木-信仰の継承-」は実践的であるし、第8号「この世を生きる-キリスト者の生活-」の証言集は、「神の民」として信仰生活を過ごしてこられた方々の貴重な「証し」です。
私たちの課題は、本講座をどう用いていけるかです。転入者教育、堅信教育、入門講座などにも利用が可能だと思います。役員会の指導の下、講座の持つ豊かさを再認識し、確実に自分たちのものにしてゆく作業が求められます。
この講座のように、私たちの「ルーテル教会」には様々な宝物が埋もれてはいないでしょうか。その宝物を掘り出し、神様の御栄光のために再使用してゆく作業も忘れずに、共に信仰生活を歩みたいと願います。
「埋もれている宝物、ありませんか?」

「LAOS講座の学び」は今月で終了いたします。ご協力ありがとうございました。(広報室)

神の造られた世界-環境と聖書⑨

血の海

モーセは杖をふりあげて、ファラオの前でナイル川の水を打った。川の水はことごとく血にかわり、川の魚は死に、川は悪臭をはなち、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなった。こうしてエジプトの国中が血に浸った
(「出エジプト記」より)

紀元前13世紀、ナイル河口でモーセが杖を振りかざすと発生したという血の海は言わば赤潮。日本でも赤潮発生の古い記述は『大日本史』によれば644年とのこと。赤潮が重症であったのは1980年代で、伊勢湾でも水の腐ったような悪臭が市街地までもにおい「しばらくは臭くて歩けなかった」という新聞記事が載ったほどでした。赤い海・海はチョコレート色・まるで赤れんが、などと表現されていました。
私が長年観測調査のフィールドにしてきた伊勢湾においても、赤潮はしばしば発生しています。赤潮の発生は、条件が整えば、突然に起こります。沿岸の観測は潮時が大切で、日の出前から観測します。観測のために出港しようとした時でした。日の出とともに水面が一面一挙に赤褐色に変色した光景に驚いたことがあります。まさにモーセがナイル川に杖をつけた時に、一面が真っ赤になったという記事を彷彿させるできごとでした。思い起こすと学生時代(広島教会で受洗)この「出エジプト記」に書かれた海の不思議さに魅せられ、海のことで博士論文とすることができました。
COP10生物多様性に関する国際会議が2010年に名古屋で開かれます。海は多種多様なプランクトンが生きています。赤潮は様々な生き物を死滅させ、一種のプランクトンのみで構成されたのち、自らも死滅し一時的に死の海にしてしまいます。生物の多様性の崩壊です。一つの生きものだけで構成される自然界の危うさを知ることができます。人間界もまた同じ摂理のもとにおかれているのではないでしょうか。

キリスト者環境十戒
第7の戒め
「汝、多様性を崩壊させるような行動はつつしまなければならない」

神学生寮の思い出

名古屋めぐみ教会、復活教会  田中 博二 牧師

私が神学校寮(ルター寮)を出て、牧師となって30年が経とうとしています。ずい分、昔のことのように思えますが、また一方では、ついこの前のことのようにも感じられます。当時、西野周辺には、鷺宮から神学校が移って来た名残りというべきものが漂っていました。在寮の神学生も、1970年代の屈折した時代精神を反映していたように感じられました。
同期で、編入学した者は、堀光男、合田俊二、竹田孝一、築達高雄、それに私の5名です。その内で、合田牧師は釧路の地で3年の牧会ののち、胃がんのため天に召されたことは残念なことです。今、ルーテル教会に残っているのは竹田牧師と私だけです。学内は、通学生を含めても70名足らずの人数です。真新しいキャンパスでは、少人数による神学の学びが始められていたばかりです。
教授陣には、間垣洋助、石居正巳、石田順郎、徳善義和の先生方がおられ、熱弁をふるっていました。更には、岸千年、名尾耕作というルーテル教会の重鎮というべき先生が神学生の手をとって教えていました。まさに、その光景から連想されるのは、いかにも神学塾というあり方です。
神学校に入学して最初の頃、心に残っていることがあります。それは神学校のチャプレンであったC.ホーン先生宅にての読書会です。ボンヘッファーの「交わりの生活」を学び、その後、おいしいケーキとお茶をいただき、夕べのひと時を共に祈って過ごしたものです。古き良き時代の神学校の一コマであったことでしょう。キリストに従う「外なる奉仕への内的集中」を目指し、神学の研鑽を目指したルター寮の思い出です。

全国式文アンケートの集計から

聖餐式に関して

行われている回数、用いられているもの、その後の取り扱いについて報告します。
先ず聖餐式の回数に関しては、月に1回という教会が25教会で半数を占め、月に2回が13教会、3回が1教会、そして毎週行う教会も5教会ありました。その理由は、慣習や兼牧体制から、子どもや毎週出席できない人・求道者への配慮、毎週行うまでの過渡期などがありました。
用いられるものとしてパンよりウェハースが多く用いられているようです。手作りパンが用いられているところも多くありました。ぶどう酒に関しては、アルコール摂取への配慮がなされています。また、未受洗者への配慮も殆どの教会(44教会)でなされています。
残されたパンとぶどう酒については、大概は牧師に委ねられたり(18教会)、奉仕者で食されているようですが、ウェハースを元に戻し再利用する(15教会)こともなされています。(続く)

宗教改革記念礼拝

北海道特別教区

■日時 10月31日19~21時
■場所 日本福音ルーテル札幌教会新札幌礼拝堂
■説教 吉田達臣牧師(日本ルーテル教団大麻教会)
■参加者 43名
毎年恒例となったNRK札幌地区とJELC道央地区の宗教改革記念合同礼拝が今年も行われた。冷たい雨が降る中、43名の兄姉が集いみことばと聖餐の恵みをわかち合った。

東教区

■日時 10月31日19~21時
■場所 市ヶ谷教会
■説教 ボブ・バーン牧師
■参加者 124名
東教区の有志による聖歌隊の奉仕が行われた。礼拝の中でボブ・バーン牧師就任式も行われた。

東海教区

■日時 10月31日
■場所 なごや希望教会
今池礼拝所
■説教 齋藤幸二牧師
■参加者 40名
尾張岐阜地区で地区合同の宗教改革記念礼拝が行われ、地区の牧師による聖餐式を行った。

●このほか、各地域でも記念礼拝が執り行われました。

東海教区信徒大会

東海教区は毎年11月文化の日に信徒大会を行なっており、信徒の交流の場として定着しています。まさに継続による力を感じています。
今回は第35回、富士山の見える静岡英和学院大学チャペルを会場に221名の参加となりました。テーマ「ともに福音に生き、ともに恵みを分ち合おう」にそい、江口再起先生の講演「今日、ルター精神を問う」、スライドショー「東海教区・宣教60年」は教区23教会が「一つのルーテル教会」として結集し、宣教の展開が計られる機会となればと願っています。
大木恵子さんの古典楽器オルガンコンサートは癒しの時を与えられました。ルーテル学院大学・神学校後援会世話人会、東海教区福祉村サポーター会も行なわれ活発な提案がなされました。
子どもプログラムは日本平動物園で行ない約20名の親子が参加しました。
開会礼拝時の献金は「ブラジル伝道」「ルーテル学院・神学校」「東海教区福祉村」に献げられました。
(静岡教会 金子充伸)

ボブ先生の旅日記

宗教改革礼拝の想い

2008年10月31日金曜日、宗教改革記念礼拝が市ヶ谷教会で行われました。礼拝には、海外ルーテル教会の新旧宣教師たちも参加しました。ELCA・サウスカロライナルーテル教会から派遣された交換牧師第一号は、ここで就任の祝福をいただきました。
私たちの神は実にすごいお方です!
宗教改革記念日に説教させていただくという光栄とともに、引き続き就任式では身の引き締まる思いでした。日本語がままならない私ですが、渡邊純幸総会議長の問いかけに厳粛に応え、神とJELCに対して誓約しました。そこに集った会衆はわたしの誓約をきっと理解してくれたことでしょう。そして神も頷いてくれたことでしょう。
私たちの神は実にすごいお方です!
浅野直樹牧師、大柴譲治牧師、渡邊純幸牧師により頭に手が置かれ、祝福されました。1995年に牧師授任按手を受けて以来、これまで経験したことのない神の現臨を私はこのとき感じたのです。これを含め、すべてのわざを成し遂げる神は、すべての民の神です。JELCでの5ヶ月の働きに思いをはせつつ、私の働きが力不足でないことを祈っています。神から賜った自分の賜物と力がなんであれ、同じ神がこれを私にくださったのですから、きっと大丈夫だと信仰によって受けとめます。JELC教職者の同労者となるべく、神が私を祝福してくださったのですから、私はこれを信仰によって受けとめます。アメリカと日本で多くの方々が、二つの教会の働きのために祈ってくださっていますから、私はこれを信仰によって受けとめます。信仰によって、私はこれを受けます。なぜなら、
私たちの神は実にすごいお方だからです。
平安
(ボブ・バーン/日本語訳:浅野直樹)

常議員会

11月4日~6日まで、市ヶ谷センターにて「第23回総会期第2回常議員会」が全国から常議員が集められ行われた。
会議は議長報告に続き、各報告・協議がスムーズになされた。そのため「宣教会議08をうけて」をテーマに、PM21後半へむけての取り組みについて協議を持つことができた。
また、ブラジル派遣宣教師として、徳弘浩隆牧師を派遣することを決定した。総会にて決議されたことを施行する常議員会の大きな決断となった。会議終了後その日のうちに「速報」が各教区に届けられた。新しい体制が動きだしたという感想をもった。
(立野泰博)

年末の連帯献金のお願い

世界の働きのために、ご協力ください。
◇ブラジル伝道 ◇日米協力伝道(米国内日語礼拝)
◇メコン(カンボジア宣教支援・子ども支援等)
◇パレスチナ(ベツレヘムの学校・カレッジ支援等)
◇その他(緊急支援や世界宣教の働きのために)
送金先 【郵便振替】 00190-7-71734 日本福音ルーテル教会

インフォメーション

■人形作家・杉岡広子さんによるクリスマス聖書人形展 【入場無料】
会場:日本福音ルーテル東京教会
日時:12月9日(火)~12月14日(日)午前11時~午後8時
14日最終日は午前11時から東京教会の礼拝の中で作者杉岡広子氏のお話を聞きます。
14日のみ礼拝後の午後1時より開場いたします。
【問合せ先】日本福音ルーテル東京教会 電話:03-3209-5702

■2009年グループワークキャンプ 参加者募集
派遣期間:2009年7月23日(木)~8月6日(木)
対象者:2009年8月1日現在の年齢が14~20歳の方
参加費用:20万円(パスポート取得費用及び海外旅行保険費用は自己負担)
【問合せ・申込用紙請求先】JELA-JELCボランティア派遣委員会
住所:162-0842 東京都新宿区市谷砂土原町1-1 JELC宣教室気付
電話:03-3260-1908/FAX:03-3260-1948/E-mail:workcamp@jelc.or.jp
申込締切:2009年1月31日(土)

■教会の椅子をお譲りします
会堂の椅子を新調するため、これまで使っていた椅子をお譲りします(送料はご負担ください)。発送は2009年3月から4月(予定)。お申し込み多数の場合は、先着順とさせていただきます。申込締切は2009年1月末日です。
【問合せ・申込先】日本福音ルーテル復活教会 担当:山下武志(090-3952-8604)

■春の全国ティーンズキャンプ  参加者募集
日程:2009年3月26日(木)~28日(土) 会場:宮崎県青島青少年自然の家
テーマ:集い 申込締切:2009年2月15日(1月15日までの申込は参加費が割引)
【申込先】TNG_apply@jelc.or.jp 096-368-2917(FAX/健軍教会・小泉牧師)
【問合せ】小澤実紀(TNG-Teens部門)まで。m.ozawa.teenscamp@gmail.com

変更のお知らせ

*変更いたします。
◇下関教会 FAX番号:083-242-6980
◇母の家ベテル 住所:兵庫県神戸市東灘区御影3-27-22
*教会手帳住所録(5ページ)を以下の通りに訂正します。
◇武蔵野教会 電話番号:03-3330-8422
牧師館   電話番号:03-3330-8465

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二十三条の規定に基づき公告致します。
二〇〇八年一一月一五日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
代表役員 渡邉 純幸
信徒利害関係人各位

被包括法人 日本福音ルーテル大江教会天草集会所による左記の件
・土地売却
①所在 熊本県上天草市大矢野町上字豊後谷
番地 五九一五番
地目 宅地
地積 三〇八・一一㎡
②所在 熊本県上天草市大矢野町上字豊後谷
番地 五九一六番
地目 宅地
地積 一一〇・三一㎡
理由 宣教停止による売却
以 上

訂 正

11月号に掲載しました水俣教会のFAX番号に誤りがありました。正しくは
0966・62・2623  です。
訂正してお詫びいたします。

08-11-15るうてる《福音版》2008年11月号

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バイブルメッセージ  心からの良い音

わたしたちの神をほめ歌うのはいかに喜ばしく/神への賛美はいかに美しく快いことか。
詩編 147編1節(日本聖書協会『聖書 新共同訳』)

私は月に一度、体を整えてもらう先生の所へ通っています。その先生は音楽にも造詣が深く、いつも室内にはクラッシック音楽が流れています。あるとき「慌ただしいだけの毎日を繰り返すのではなく、これからはゆっくりと音楽を聴く時間を持ちたいと思っています」とお話したところ、「オーディオはあるの?」と先生。それに対して、「いいえ、これから揃えていこうかと……」とこちらが言い終わらない内に、「じゃあ、私のスピーカーを持っていきなさい。今は、使っていないから」と先生。それから話はどんどんと進んでいき、結局、イギリスの有名なメーカーのスピーカーをお借りすることとなりました。
間もなくして木製のずっしりと重量のあるスピーカー2台が、先生のご自宅の本格的なオーディオルームから我が家の単純な居間へと引っ越してきました。
そしたら、今度はオーディオに詳しい近所のG君がこれを聞きつけて、「それはとても良いスピーカーだから、使わないと勿体無いよ」。そして、「僕が前に使っていたアンプとCDプレーヤーだけど」と言って夫々をスピーカーに繋ぎはじめ……ついにスピーカーから音楽が!! 最初に聴いたのは、モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』。流れ出てくる音の、特に高音部は、まるで天空を垂直に突き刺すかのように美しく伝わってくるのが、私なりにも分かりました。良い音をちょっと理解できた、そんな気持ちでした。
そして、次の日。私が外出先から帰って来て、まず居間に入ったときのことです。何か空気の感じが、空気の色が違うのです。居間全体がいつもより澄んで明るく見えるのです。それを隣の台所に居た母に言うと、「昼間、居間で音楽を聴いていた」とのこと。そして、後日そのことを先生にお伝えすると、「そうです。良い音は空気の波長を変えて、空気を清らかにします」と一言。
毎日の生活は、忙しさに追われ慌しく過ぎていく繰り返しです。その為に私たち自身の気持ちにも余裕がなくなってしまい、それが顕著に言葉や行動に表れてしまうことは多くの人が経験しています。そのとき空気に伝わっているのは、緊迫感や不安感。そして、その波長は相手の気持ちをも乱していってしまうのです。そのことは、我が家の猫でも体験済みです。かつて電話口で深刻な話をしていた時、傍らにいた飼い猫がふだん出したことのない怯えた声で鳴き始めまとわりついてきたのです。会話の内容と言うより、いつもと違う低くテンポの遅い私の声から不安定な波長を感じ取ったのだと思います。
私たちに必要なこと……それは、相手をやさしく包み込んであげる波長をいつも発信していくことです。そのために、み言葉と賛美によって心を整えておくことが大切です。決してやさしいことではありません。でも、神様が指揮者になってくださいます。そして、それに合わせて皆で心から良い音をとき放したら、一瞬にしてこの地球は美しく澄んだ世界になるにちがいありません。        JUN

十字架の道行き

【第八留】イエス、エルサレムの婦人らを慰める  ルカによる福音書 23章 28節

【祈りの言葉】
イエスよ、あなたは「私のために泣かないで、ただ可哀想なあなたがたと子供たちのために泣きなさい」と言われます。苦しみがあまりにも重く、身も心も、その激しさのために耐え得ない時にこそ、あなたがそばにいてください。

毎日あくしゅ

「負けて勝つ」

ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんは、幼い時から母に、「負けるが勝ち」という諺を聞かされて育ちました。
彼女が運動会とか、学校の成績などで誰かに負けた時、彼女を慰める時に使われた言葉ではなく、むしろ、腹を立てたり、口惜しがって、相手に仕返しをしようとする彼女に対して、それを思いとどまらせるために言われたそうです。「ここは我慢して相手に勝ちを譲りなさい。それがのちのち、良い結果になることもあるのだから」。
このことは彼女の母親の長い人生経験に裏付けされたものだっただけにこの短い諺を、説得力のあるものにしていました。
「でも、負けるには勇気が要ることがあります。それは自分との闘いであり、負ける時点では、本当に勝ちに転ずるかどうかがわからないだけに、信仰も要るのです」と言われます。彼女は18歳で洗礼を受け、キリストを知るようになって、キリストの中に、人の目には惨めな敗北としか映らなかったイエスの十字架上の死を通して、復活の栄光、勝利に輝いた人の姿を見ることができたのでした。
そして更に、「日本語でいう『出来る人』と、『出来た人』とでは、たった一字の違いですが、内容はかなり異なります。いつもいつも勝っていて負けを知らない人を、私たちは『出来る人』だと評価します。それに対して私たちが、『あの人は出来た人だ』と言う時、それは、人間的に円熟した人、包容力のある人、負けることの大切さを知り、時に応じて、進んで相手に勝ちを譲ることのできる人をいう」と言われます。

今,キレる子どもが社会問題として大きく取り上げられています。自分の思い通りにならないがゆえにでしょうか。「負ける」ことの中に、心が豊かに大きくなる優しさの芽が潜んでいることを知って欲しいものです。
(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

第8回 江戸時代の教育 その2

今回は「寺子屋」を取り上げ、江戸時代の教育事情を考えることにしよう。

徳川の幕藩体制が確立されると、幕府のお触れは、御家流で書かれた文書で全国各地に下知される。さらに国内経済の飛躍的な発展は、御家流の届書、願書の文書による契約が基本となり、田畑の貸借、売買、金銭の賃借も文書(証文)なしには済まなくなる。
となると当然、読み・書き・算用の技能がなければ、商売だけでなく、生活が成り立たない世の中となり、そのような時代変化により寺子屋は全国に急増する。天保年間の総村数は6万3千余といわれ、寺子屋が1村に1つ存在したとしても、かなりの数があったと推測される。
寺子屋の教師は、当初は僧侶だったが、江戸時代になると医師、浪人、村の素封家などが自宅を開放し、読み・書き・算用を教えて、そのような時代の要請に応えた。
しかし寺子屋は、現代の進学塾のような一斉指導ではなく、入塾を希望する筆子(生徒)の実力を師匠が観察して、適当な手本を与える個別指導によって進められた。筆子が増えるにつれ、自学自習や早い者勝ちの競争も取り入れ、筆子の切磋琢磨を推奨したが、基本的には、書くことに重点のおかれた個別指導であった。
驚かされるのは御家流の手本を教本に定めて、全国共通のカリキュラムで指導された点である。第1課|人名の読み書き(名頭)、第2課|近郷近在の地名(村名、郡名)、第3課|日本国内の名称(国尽し)、ここまでが初級。中級としては、「年間行事」「借用証文」「御関処手形」「東海道往来」などなど。上級になるにつれ、身近な規則をまとめた「五人組条目」、商売の心得である「商売往来」、証文類の記入要領をまとめた「諸証文手形鏡」などが手本として使用された。
1年に1冊の進度で、6年間の履修期間に、師匠からの手ほどきを受けた。「商売往来」には、商売関係の用語が網羅され、算用帳の記入方法に始まり、貨幣、度量衡、問屋制度、用途別の商品名、薬種などが詳しく書き出されていた。これらを書写しながら商売に携わる者の技能と心得を学んだ。商売往来の巻末には「全く以って、贋の薬種を用いず、かけいれ之なきよう、正直第一なり」と結んでいる。信用第一を心掛け、商人道徳として正直を教えた個所は、欲に目がくらみ、偽装商品を横流しする昨今の悪徳商人たちに読ませたい一節である。

江戸時代の識字能力の高さは統計がないので、正確な比較はできないが、塾生の筆跡を見る限り、今の大学生より数段優れている。「礼儀なき子どもは、読み書きを学ぶ資格なし」とした寺子屋の役割を再評価すると同時に、現代の学校における日本語教育の欠陥を明らかにすべきだろう。

次回は、にほんご・国語の問題を取り上げてみることにする。

谷 健(たにけん)…昭和5年7月生まれ。東京都の公立小学校7校の勤務。専門は英語、道徳。道徳副読本の編集に従事。

08-11-15るうてる2008年11月号

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国 有形文化財(文化庁)登録へ  市川教会

「市川教会新会堂は、2月末完成、3月11日(日)午後2時半より、青山牧師司式のもとに献堂式が挙行された。場所は京成国府台駅にほど近い川辺で、緑の木立の中に新しい塔が映えている。(中略)内部は簡素な中にも優美で落着いた色で仕上げられている。(中略)今後同地方の伝道に一段の躍進が期待されている」。これは、「るうてる」1956年4月号に掲載された市川教会献堂式の模様を伝える記事である。その会堂は半世紀を経た今も、真間川沿いに優美な佇まいを保ったままである。
今年9月26日この会堂は、「有形文化財」として登録されるよう文化庁の文化審議会より文部科学大臣に答申された。この制度は、建設後50年を経、歴史的景観に寄与し、造形の規範となっており、再現することが容易でないものを「文化財」として登録し、保存を図ろうとする制度である。今回は答申されたのは110件であったが、主な事例のトップに市川教会会堂が紹介された。このことは、私たち教会員のみならず、会堂を知る多くの人々の喜びである。これからも地域の人々に愛され、福音を告げ知らせていくために会堂を大切にしていきたい。
なお、これを記念して11月29日(ピアノコンサート)、30日(礼拝と講演会)に「感謝と記念の会」を行います。お出かけください。
(牧師 中島康文)

アワーミッションレポート「切支丹の足跡を訪ねて」道草くらぶ

第4回道草くらぶは、津和野・山口サビエル記念聖堂「切支丹の足跡を訪ねる」旅でした。8月28日、全国からの参加者総勢23名は広島から廿日市へ。ここは明治3年に数百名の切支丹が長崎から連れて来られた場所。彼らが3日かけて90キロの山道を徒歩で津和野へと向かったその道を(しかも行く先では改宗のための拷問が待っている)、楽々とバスで通過する私たちの現実の姿に少なからず戸惑いを覚える旅の始まりでした。
その夜、津和野・乙女峠での出来事、改宗を迫る激しい拷問とそれにも負けず最後まで信仰を貫いた切支丹たちの実話を、私たちは胸が潰れるような思いで聞きました。翌日その場所である光淋寺跡を訪問。マリア聖堂で祈り、36名の殉教者名が記された千人塚ではロウソクを灯して彼らの信仰に思いを馳せました。「地に落ちて死んだ一粒の麦」は、今も生きて豊かな信仰の実を結んでいることを体感したひと時でした。津和野カトリック教会では神父様のあたたかいお迎えを受け、畳敷きの聖堂で聖餐式ができたことも忘れられない思い出です。
最終日は山口でサビエル記念聖堂を見学、パイプオルガンの演奏も特別にお願いしました。更にシオン教会徳山礼拝堂を訪問。短い時間でしたが木下牧師や信徒の方々と交流ができたことも感謝でした。
乙女峠に遡ること5年前、1865年に長崎で名乗り出た切支丹の子孫たち。彼らは実に250年もの間、密かに共同体の中で自分たちの信仰を守っていたのです。教理を記し、洗礼を授け、牧会をする、「教会」としての働きが信徒たちによって継続されていた事実に深い感銘を受けました。その底力がきっとあの恐ろしい拷問の中でも彼らを支え続けたのでしょう。受け継がれる信仰の力を感じる旅でした。同時に「教会として、信徒として生きる」その覚悟を問われる旅でもあったと思います。津和野・山口の美しい自然、信仰の仲間達、お世話してくださった3人の牧師先生方とバス運転手の兄弟。素晴らしい旅の全てに感謝です!
(P2委員長 齋藤末理子)

風の道具箱

愛は遠近両用なり

聖書を読むとき字がかすみました。何度、目をこすっても、ぼやけています。もしかして老眼? そんなことはない。まだ若いはずと、確信を得るためにメガネ屋さんにでかけました。「確実に老眼ですね」と言われ、教会の方々からは「童顔の老眼ですね」と笑われてしまいした。
それからが大変。覚悟して遠近両用メガネを買うことになりました。デザイナーに依頼し、できあがったメガネには名前がつきました。その名も「ホライゾン」。これって「地平線」。遠くを見るところと近くを見るところの境がほんとに地平線でした。
イエス様は、この地平線に立つ存在だと思います。天と地の間にあって、両方に存在されるお方です。境界の中心にイエス様がおられます。この境界線のところが大切です。それがなければ天と地がつながらないのです。
天と地、親と子、あなたとわたし、遠くと近く。「と」のところがイエス様です。この「と」がなければ「つながり」ができない。両用に働くのが愛なのです。
(柿のたね)

牧師の声

私の愛唱聖句

東教区 市川教会 牧師  中島 康文

イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」マタイによる福音書14章27節

私は今、保育園や学童クラブで子どもたちに話す機会がたくさんあります。湖の上を歩くイエス様の話は大好きなので、年に一度は子どもたちに話します。湖の上を歩くイエス様、思わず舟を飛び出すペトロさんなどなど、話の展開そのものに子どもたちも引き入れられるお話です。
この聖書の出来事は、保護者の方にも折に触れ話します。私は保育や教育について学んだことはありませんから専門的な話はできませんが、「神様が大丈夫だよ、と言ってくださっています」という思いを伝えたいと、この話をするのです。それは私自身が「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」というこの聖句を与えられて、牧師としての第一歩を踏み出せたからなのです。
牧師試験を終え任地が決まるまでの間、私は最後の神学校生活を寮で過ごしておりました。卒業と同時に結婚も控えていましたので、日中は慌しさに忙殺される毎日でした。疲れておりましたが、真夜中になると目が覚めて仕方がありませんでした。その頃の寮の2階には、小さな祈祷室がありました。私の部屋も2階にありましたので、真夜中に目覚めては祈祷室に行くという日が何日も続きました。祈るためというよりも、ただ何も考えたくなくて座りに行っていたというのが正確だったかもしれません。ともあれ、祈祷室に座りながら何度も読んだのがこの聖書箇所、湖の上を歩く出来事でした。イエス様の声が聞こえたかどうかは今も記憶にはありません。しかし、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」という聖句を読むと、どこからか「大丈夫だよ」と言っててくださる声が聞こえてきたようにも思えました。
牧師として今、25年目を歩ませていただいています。子どもたちや保護者の方々にこの話をしながら、この言葉が一番必要なのは私なのだということを知っています。その意味では、この話をする時の私は、神様の言葉を聞きたい時なのでしょう。これからも神様から「大丈夫、安心しなさい」という言葉を沢山いただいて歩むことができるようにと祈りつつ、日々を過ごしています。

信徒の声

教会の宝を捜して

東海教区 高蔵寺教会 信徒 山田 芳美

教会との出会いを教えてください。
学生の頃、終戦直後で英会話が勉強できる環境ではありませんでした。大学の教授に尋ねたところ、国会議事堂近くの進駐軍専用教会を教えられました。そこで外国人との会話を持つ機会が与えられました。その時、ヌーディング先生とお近づきになり先生の家で英語聖書研究会に出席させていただくようになりました。その後、市ヶ谷学生センター・市ヶ谷教会に通うようになりました。
田坂先生のお誘いでヌーディング先生から洗礼を受けました。
お仕事についてお話しください。
大学卒業後、郷里に帰り、陶磁器、ノベルティーの製造販売に就きました。仕事が忙しく教会に出席できませんでした。69歳で会社を引退し、近くの教会を探しました。一番近い教会が高蔵寺にありました。それから、高蔵寺教会のお仲間入りをさせていただきました。谷川先生、木下先生に続き、土井先生たちの礼拝説教を身近に聴かせていただき、教会生活を再開することができました。
新しい教会生活は、いかがですか。
私はシニアなので、教会でのお手伝いは何もできていませんが、努めて礼拝に出席し、大きな声で讃美歌を歌っています。
もう少し陶磁器のお話をしていただけますか。
陶磁器ノベルティーの製造販売は兄弟3人でいたしておりました。出張でスリランカに行った時、偶然知り合った人の要請で、現地で陶磁器技術提携をいたしました。工場経営をはじめましたが、資金不足で、必要な設備が整わず、合弁事業をすることになりました。
バブル時代が過ぎ、経営が厳しくなりましたので商社を通さない直接販売が強いられ、直接貿易に踏み込みました。その結果、外国への出張が年に17、8回となり、日本滞在が少なくなりました。得意先のボストンの方がとても信仰深く、訪問の度に、日曜礼拝に連れて行っていただき、信仰心をよみがえらせていただきました。
どんな趣味をお持ちですか。
クラッシック音楽、中でも特に、オペラ鑑賞が好きです。外国へ出張する度に現地で公演があれば、何度でも鑑賞しました。約45年の間に、ミラノ、ウィーン、ニューヨークなどで鑑賞いたしました。
中学1年生のときピアノを習い、4年間続けました。今では暇があれば、ピアノを弾いています。

LAOS講座の学び

宣教と奉仕の理論と実際

大岡山教会 鈴木亮二

大岡山教会では、毎月第二日曜日の礼拝を早めに終わらせ、礼拝後に「喜び溢れる時間」として2つのグループに分かれて話し合いの時間を持っています。男性を中心としたグループは、LAOS講座のテキストを輪読して、それぞれ思ったことを話し合っています。つい議論が白熱して1時間近く話が続いてしまうこともあります。普段あまり話をしない方ともいろいろと話ができますし、このようなテキストが用意されていることは、私たちの成長という意味でもプラスになっていると思います。
「礼拝とは第一義的には『神さまからの人間への奉仕』です」とテキストにあります。神さまが私たちに奉仕してくださることによって、私たちは神さまの恵みで溢れます。私たちから神さまの恵みが溢れ出したとき、それが私たちの宣教になるのかな、と思います。
現代は10年前、20年前と状況が変わっています。ネット時代と呼ばれるように、人と人とのつながりは薄く広くなっています。そんな中では、テキストが書くように牧師と信徒との連携、牧師と牧師との連携、教会と教会との連携が重要になります。大岡山教会は幸いにして1人の牧師が派遣されていますが、ひとつの教会で完結しているだけではなく、より多くの教会との連携が必要になると思います。これまでの枠よりも広がった中でネットワークを形成するというのは、これまでと違う発想をしなければならないという壁があります。でも、このような連携が機能していったとき、私たちは「神の民」としてまた成長していけるのだと思います。

神の造られた世界-環境と聖書

第8回 土にかえす

「主なる神は土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」
(創世記2章7節)

生けるものはすべて土にかえっていきます。自然界ではダンゴムシやミミズなどの小さな生き物が有機物を土に変える役割をになっており、そのことを自然循環といいます。紅葉の季節、落ち葉はどちらかといえば厄介者扱いされるきらいがあります。多くは集められ、ゴミとして燃やされ大気中に二酸化炭素を出します。
園庭で楽しく遊ぶ園児たち。大都市にある園では園児が自然への感性をどれほど育むことができるのでしょうか。名古屋市役所が、保育園、幼稚園を対象にしたエコキッズプログラムの一環として、仲間と一緒に名古屋ルーテル幼稚園に落ち葉プールを作って落ち葉を土にかえるボランティア活動(市内8園のうちの一つ)をしています。
落ち葉で土を形づくり、その土に息を吹きいれ、土は生きるものとなります。息を吹き入れる作業が大切な仕事です。およそ半年の間、毎月1回程度落ち葉プールに空気を入れる切り返し作業によって醗酵を促進させることにより、良い土ができてきます。ただ、放っておくだけでは落ち葉は良い土にかわらず、腐っていくだけで小さな生き物はよりつきません。落ち葉から作られた土によって、園の野菜は良い実りをもたらしました。
園児の多くはダンゴムシが大好きです。落ち葉プールのダンゴムシやミミズを観察してもらったり、落ち葉が土にかわっていくことを紙芝居などで説明したり手で触ってもらったりしていますが、子どもたちの目の輝きには、いつもはっとさせられています。教会が基盤となる園などで、このような実践が広がっていくことを望んでいます。そのことがまた、園児が自然に親しんでいく良い機会となります。また、この活動は教会の壮年のお手伝いを毎回受けながら行っており、その手助けがないと継続していくことは難しいと感じています。

キリスト者環境十戒 第6の戒め
「汝、土にかえすことのできるものはそのようにしなければならない」

神学生寮の今

三鷹教会 李 明生 牧師

三鷹教会へ赴任したこの4月より、4名のスピリチュアル・アドバイザー(S・A)の1人として神学生寮に関わる機会を与えられ感謝しております。
神学生時代、すでに家庭のあった私は神学生寮に住む機会は与えられませんでしたが、それ以前の学生生活の間にはキリスト教主義の寮で過ごし、神学生時代も学生YMCAの学生寮の舎監として寮生活に関わってまいりました。
神学生寮が厚生施設(=単なるアパート)ではなく、教育施設(=牧師を志す者の修養の場)として形成されていくためには、そこで生活を共にする神学生同士が、互いに真剣勝負で魂をぶつけ合い、時には傷つけ、あるいは傷つけられながら、自らの召命を確かなものとしていくことが不可欠であることは言うまでもありません。
現在寮には、年齢・経歴・性・文化・家族環境、そのいずれもが非常に多様な10人の神学生たちが集い、祈りと食事の時と場を共に過ごすことを目指しています。
そうした中で、神学生たちは互いの状況の違いを認めた上でどうすれば相手の心に届く言葉、思いを分かち合う言葉を紡ぎ出していくことができるかということに、毎日真摯に向き合いながら学びの時を過ごしています。そうした彼らとの関わりの中で、寮生活のあり方には固定された正解などなく、日々自らを問い直し変化を続ける中でこそ、本来の修養の場としての役割が担われていくものであるということを、改めて痛感させられています。
及ばずながら、スピリチュアル・アドバイザーとして、彼らの歩みを後押しすることが出来ればと願っています。

全国式文アンケートの集計から

式文の順序・言葉について

式文順に関する意見が数教会ありました(文末○数字は提案教会数)。
*終わりの歌を祝福の前に②
*祝福と招きが先で、それから罪の勧め・告白ではないか②
*教会の祈りは献金後①
*礼拝時間を短くする工夫が必要(特に少人数の教会)③
*聖餐の部の簡略化と毎週聖餐礼拝にするかどうかの検討②

疑問や意見が出された式文中の言葉(文章)は以下のようなものです。
*「けがれに満ち」⑥
*「異邦人の心を⑥
*「み民イスラエル」⑥
*神への「恐れ」は「畏れ」ではないか③
*祝福の言葉の末尾③
*「キリストの血(新約の血)」①
*「父なる神」「全能の神」という言葉が多すぎないか①
*「奉献の祈り」の文言がくどく長い①
(続く)

福音の助っ人

助っ人が欲しいのはプロ球団だけではありません。JELCもそうです。今年も強力な助っ人宣教師が来日しました。しかも今年は現役メジャーリーガーならぬ、現役ELCAパスター(牧師)も一緒です。
ボブ・バーン牧師は姉妹教会のサウスカロライナ(SC)から交換牧師として来日。2005年のJELCからの派遣に続き、今回は米国から福音伝道のためJELCに派遣されました。文字通り、「交換牧師」です。全教区を巡り、来年3月まで働かれます。
新J3はジェニファー、キャロリン、マシューの3名。成田に到着したときからもう元気いっぱいの青年信徒宣教師です。6ヶ月の語学と日本文化の研修を経て、来年4月から熊本と東京のルーテル関連施設に派遣され、英語を教えながら福音を伝えてくれます。お祈りと応援をよろしくお願いします。
(浅野 直樹)

表彰されました

10月6日、東京の「新霞ヶ関ビル」で、「全国社会福祉協議会100周年記念感謝の集い」が開催されました。
記念式典の中で、東京老人ホーム、ベタニヤホームの菊川保育所、本所ベタニヤ母子寮、慈愛園の子供ホーム、乳児ホーム、老人ホームが、明治・大正期からの施設経営法人として表彰されました。また、本所ベタニヤ母子寮の長畦すめるさんが、母子寮協議会副会長経験者として「感謝受賞」されました。
表彰式は、これらの社会福祉施設が長年にわたって、この世に仕えてきたことを目の当たりにする機会となりました。
宣教、教育、奉仕の働きを担うわたしたちの日本福音ルーテル教会。その母体である教会は、施設の働きと、その担い手のことを覚え、祈っています。それにとどまらず、教会で共に礼拝し、直接感謝し、労をねぎらう機会が増えればと、表彰された関係者と話していて思いました。
宣教、教育、奉仕を担う法人は行政的には分断され、それぞれに縛りがあります。しかし「神の言葉はつながれていません」(テモテへの手紙二 2章9節)。
「るうてる法人会連合」のきずながますます深まることを願っています。
(広報室長 徳野昌博)

カンボジア・ワークキャンプ2008 つなぐ手~あなたもつながってみませんか~

9月4日から12日まで、JELC・JELAの共催により、第2回カンボジア・ワークキャンプへと遣わされました。
18歳から23歳までの青年6名にスタッフを加えた9名が、カンボジアの歴史と文化、空気とにおい、出会った現地の人たちとつなぐ「手」の温もりを肌で感じ、お互いの存在を喜びあうことができました。村での学校建設の手伝いとホームステイ、日本語学校での授業奉仕を体験できたことは恵みです。
貧しい中でも希望を失うことなく、自国の未来を託されて感謝しながら学んでいる子どもたちの姿に胸を打たれました。日本に生きるひとりとして「誰とつながって生きるのか」をトコトン考えさせられた9日間でした。
(チャプレン 神﨑 伸)

喜望の家を支えてください!

喜望の家はアルコール問題への取り組み以外にも、地域で活動している他のキリスト教の教派・団体と共に地域でおこる様々な問題に向きあっています。日雇い労働者の生活相談・冬期の越冬夜まわり・行政との交渉などを協力しあっています。
今の日本社会では、貧しく弱い立場に立たされている人が増えてきています。慢性的な失業や不安定な雇用、「日雇い派遣」や「非正規雇用」などの問題。その結果起きる「格差」や「貧困」、「差別」など、釜ヶ崎で起きている問題が日本中に広がっています。
主イエスがそうであられたように、今の社会で貧しく弱い立場に立たされている人々と共にあることは私たち教会の宣教課題です。そして私たちルーテル教会が釜ヶ崎で活動していくことは証しでもあるのです。
喜望の家は皆様の尊い献金のみで支えられています。現在、財政的にひっぱくした状態で、活動の継続が危ぶまれています。どうかこの活動を、私たち教会の大切な働きとして続けるためにご支援いただければ幸いです。
(喜望の家)
■献金の送り先■郵便振替口座 00940-2-95205喜望の家
■URL■ http://www.geocities.jp/kama04kibonoie/index.html

インフォメーション

■ルターホール改修・神学生寮設置のためのチャリティーコンサート
日時:2008年11月30日(日) 午後5時~6時30分
会場:ルーテル市ヶ谷センター
入場料:前売券 2500円 当日券 3000円
【問合せ】0422-31-4611(後援会事務局)/03-3260-8632(教会募金事務局)
■第5回インド・ワークキャンプ 参加者募集
期間:2009年2月24日(火)~3月6日(金)
対象:18歳以上の健康な方 募集人数:10名程度(選考があります)
参加費:自己負担15万円(総額約20万円)
申込締切:2008年11月2日(日) 必着(2009年1月10日(土)説明会予定)
【問合せ・申込先】日本福音ルーテル教会事務局宣教室(乙守望)
メイル:mission04@jelc.or.jp  Tel:03-3260-1908 Fax:03-3260-1948
■2009年グループワークキャンプ 参加者募集
派遣期間:2009年7月23日(木)~8月6日(木)
内容:アメリカ ノースカロライナ州エリザベスシティで開催されるグループワークキャンプへの参加とホームステイ。奉仕・礼拝・歌・祈り・聖書の学び等を通して、参加者の霊的・人間的成長を目指します。
対象者:2009年8月1日現在の年齢が14~20歳の方
参加費用:20万円(パスポート取得費用及び海外旅行保険費用は自己負担)
【問合せ・申込用紙請求先】
JELA-JELCボランティア派遣委員会
住所:162-0842 東京都新宿区市谷砂土原町1-1 JELC宣教室気付
電話:03-3260-1908/FAX:03-3260-1948/E-mail:workcamp@jelc.or.jp
申込締切:2009年1月31日(土)

九州学院 中学・高等学校 教員募集

学部・教科:普通科・国語科
職種・人数:準専任講師1名
採用期間
2009年4月1日~2010年3月31日
応募条件
①免許状取得(見込)
②教師としての適性と、熱意を有する者
③キリスト教信者または求道者
連絡先:九州学院
℡096(364)6134
FAX096(363)2576
担当:池永 清

変更のお知らせ

■牛丸省吾郎 〒183-0005 東京都府中市若松町3-20-1-101
■星野 幸一 電話・FAX共用:079-490-6218
■佐藤 和宏 1416 Broad River Rd. Columbia, SC 29210 U.S.A.
■水俣教会 FAX番号:0966-62-2613
■宮本 威  〒673-0005 兵庫県明石市小久保5-3-11-201

08-10-15るうてる《福音版》2008年10月号

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バイブルメッセージ  「きぼう」の月

もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです。
ヘブライ人への手紙3章6節b(日本聖書協会『聖書 新共同訳』)

昔から、なぜか未完成なもの、完成の一歩手前のものに心惹かれる傾向がありました。たとえば、夜空に浮かぶあのお月さま。三日月よりも、三日月の1日前。満月よりも、満月の1日前。完璧な三日月形よりも、完璧なまん丸よりも、その一歩手前の輝きの方が、より美しいと思えるのです。
そして、少し前の話ですが、ひょんなことからその満月の一日前のお月さまに、「幾望」という名前がついていることを知りました。満月は別名「望月(もちづき)」ということから、「幾望」は「望月に幾(ちか)い」あるいは「幾(ほとん)ど望月」というくらいの意味なのだということです。
「きぼう」という言葉の響き自体も素敵ですし、もともと「望」という漢字そのものに、「なかなか手の届かない遠方のものを捜し求める」という意味があります。手が届きそうで届かない満月に向かって、あと少し、もう少し、と手を伸ばすかのように輝きを増していくわずかに欠けた月、ひとつの「完成」を目指すその輝きに、魅せられた人は多かったのでしょう。昔の人の名づけのセンスに、拍手を送りたくなります。
わたしたちも、いつも何かの完成に向かって歩んでいるような気がします。幼い頃には「将来、何になりたいか」と無邪気に夢を見て、どうすればそこにたどりつけるかと幼いなりに考えますし、節目節目で目標を立て、それを実現させるために努力したりもします。人生そのものが、何かひとつの大きな「完成」に向かって歩むことだと言うこともできるでしょう。
しかし、わたしたちはときどき、自分が未完成であることに対して、不安を覚えることもあります。幼い頃の夢をそのまま実現させる人は、そう多くはありません。どうしても何かをあきらめなければならなくなり、泣く泣く方向転換することもあります。未完成だからこそ迷いますし、ちょっとしたことで揺れ動きます。自分のもっている欠けた部分が、ゆるせなくなってしまうこともあります。ときにはすべて、投げ出してしまいたくなってしまうことさえあります。
しかし、少し欠けた形であっても、完成である「望」に向かって歩みをつづける「幾望」の月は、満月におとることなく、とても美しく輝いています。そうであるようにわたしたちも、欠けた部分を抱えながら、ときには迷い、不安になりながら、それでも生きることをあきらめず、あと少し……もう少し……と歩みつづける姿は、心に強くうったえかける、美しい輝きを放っていると思うのです。
月のきれいな季節です。もし不安や迷いにおしつぶされそうになることがあったら、立ち止まって、ふっと夜空を見上げてみるのはいかがでしょうか。十五夜も十三夜ももちろんすばらしいのですが、十四夜の「きぼう」の月、これを私はおすすめします。
Aki

十字架の道行き

【第七留】イエス、ふたたび倒れる イザヤ書 53章 4節

【祈りの言葉】
イエスよ、あなたが望まれるのは、倒れないことではなく、倒れても起き上がり、あなたに最後まで従うことです。あなたの愛と忍耐にならい、十字架の後に来るべき復活の希望に生きさせてください。

毎日あくしゅ

おとなの目

カトリックのシスター菊地多嘉子さんは、小学校に入学した春のことを記しておられます。校庭には色とりどりの花が咲き乱れていました。ある日の午後、下校時に眺めたツツジがあまりにも美しく、立ち止まって見とれているうちに、ふと一つの花がこぼれ落ちそうになっているのが目に止まりました。「土に落ちたらかわいそう」と、その一輪を手に取ったその瞬間、ふと目を上げると、校長先生が廊下の窓越しにじっと菊地さんを見ていました。「校庭の花を取ってはいけない」と注意されていたことが脳裏をよぎり、「してはいけないことをしてしまった!」そう思うと涙が溢れ、しおれかかった一輪のツツジを手に、夢中で家に帰りました。その夜、彼女の心の傷を癒すために、優しい父は校長先生宛てにゆるしを乞う手紙をしたためて、彼女に持たせました。
翌朝、朝礼で壇上に上がった校長先生は、「昨日、ツツジを一輪取った一年生がいます」と話し始めたのです。恐ろしさに震える小学一年生の菊地さんは、次の瞬間、耳を疑いました。校長先生は罰するどころか、彼女が枯れて落ちかかっている一輪の花に心を込めて受け止めようとしたことを褒め、皆もこれに倣うようにとのお話でした。
傷ついた心を優しく癒し、校長先生にとりなしてくれた父、この行為を温かく抱擁し、ゆるしと励ましを与えてくれた校長先生……。決して忘れることのないこの一連の出来事は、彼女の生涯に大きな影響を与えることになったのです。(「良心」)より)
よく登園途中で見つけたお花や落葉や小石のようなもの大切そうに小さな手に握りしめて来る園児がいます。そのときは、その手にしたものに心を通わせ、一所懸命夢を膨らませているひとときです。おとなの目にはたわいもないことのように思えても、小さい園児には大切な出来事なのです。そしてそれをおとながどう受け止められるか。おとなもこどもも学び合うひとときです。(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

第7回 江戸時代の教育 その1

今回と次回の2回に分けて、江戸時代の教育について書くことにする。
昨今、江戸ブームとかで、江戸時代関係の出版物が目立つようになった。今回は儒教を取り上げてみる。

慶応大学の創始者、福沢諭吉(1835~1901)は豊前中津藩の士族の子として生まれた。諭吉は自叙伝の中で、こう記している。「亡父の書き遺したものなどを見れば正真正銘の漢儒で、京都堀川の伊藤東涯先生が大信心で、誠意誠心屋漏に愧じずということばかりを心掛けたものと思われ、その遺風はおのずから私の家に存していた。一母五子、明けても暮れても母の話を聞くばかり、父は死んでも生きているようなものだった」「あるとき兄が私に問い掛けて、『お前はこれから先、何になる積りか』と言うから、『左様さ、まずは日本一の大金持ちになって、思うさま金を使うてみようと思います』と言うと、兄が苦い顔をして叱ったから、私が反問して『兄さんは如何なさる』と尋ねると、真面目に『死に至まで孝悌忠臣』とただ一言で、私は『へーい』と言ったきりそのままとなった」(福翁自伝・岩波文庫より)
幕末の下級武士の家族の生きざまが分かる一節といえる。

儒教思想は、中国の古典文の「素読」という営みの普及によって、当時の日本人に広く受け入れられていく。しかし、読み方をめぐっては、和訓による廻環顛倒(返り点を付して訓読風に読む)の読み方と、華音(中国音で読む)による直読の二通りがあり、どちらが正しいかの論争が続いていた。江戸幕府は荻生徂徠らの原典主義を退け、湯島聖堂(昌平黌)における儒学は、和訓とすることを正式決定する。
ただちに、このことは各地の素読塾や手習塾に伝わり、以後の日本人の精神教育に少なからぬ影響を及ぼすのである。

閑話休題。
荻生徂徠の名前は、赤穂浪士の処断の際の有力意見になったことで、歴史に記憶されることになる。当時の政権担当者だった柳沢吉保は、幕府内部からの浪士に対する同情論に苦慮していた。だが、巷間伝えられるような儒学者たちの処刑論、助命論の大論争は後々のことで、当面の課題は老中衆のいる前で作成された文書の扱いだった。吉保は家中の儒者だった荻生徂徠に、どうすべきか意見を求めた。
「忠孝をなすために行動を起こした人士たちを、もし盗賊同然に処罰する例を作りましたら、不義不忠の者の裁定はどう成りましょうか。従来の判例によって処断して、切腹を仰せ付けられましたら、かの人士の宿意も相立ち、どれほどの世上の示しになることでしょう」と、毅然とした態度で応じたという。
儒教の教えは時代が進むにつれ、徳治からかけ離れた形式主義へと進んでいくのだが、文書主義の進展と文字需要の増大をもたらす。農民や婦女子の識字力など、世界一と目されるまでの発展があり、それらは儒教のもたらした効果と考えられている。

谷 健(たにけん)…昭和5年7月生まれ。東京都の公立小学校7校の勤務。専門は英語、道徳。道徳副読本の編集に従事。

08-10-15るうてる2008年10月号

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るうてる法人会連合総会

8月26日~27日、日本福音ルーテル大阪教会とホテル・ザ・ルーテルを会場に「第7回るうてる法人会連合総会」が行われた。はじめての関西開催で、るうてるホームを中心に、関西地区、大阪教会のご協力により、約120名の参加者で豊かな総会となった。
六甲病院緩和ケア病棟チャプレン・沼野尚美先生の基調講演にはじまり、宗教、学校、社会福祉の各法人、幼保連の代表者と、財政・人材・組織委員会の長が、前回総会の決議、要望の実施を踏まえた実践と課題の報告をした。
後半は、「失われた未来(いのち)をどう立て直すか?」をテーマに、それぞれの立場から発題が行われた。
協議の時間では、「るうてる法人会連合パンフレット作成」「出版計画」「教会推薦理事研修会開催」「教会と施設の交流プログラムの実践」「九州(学校卒業生、青年)から関東・関西の教会での受け入れ」などが承認され、法人会連合総会の隔年開催については継続審議となった。
(立野泰博 事務局長)

アワーミッションレポート

「縁の下の力持ち」玉名教会

今回は九州教区、玉名教会です。教会の屋台骨であると共に「縁の下の力持ち」と呼ぶにふさわしい方々の登場です。

原稿依頼書を渡され改めて「教会の宝石を捜して」のコーナーを読んでみました。 いろいろ考え思いをめぐらした結果、該当する人と言えば、教会や幼稚園で活躍している女性達のご主人ではないかと思った次第です。(坂本陽子)

結婚してやがて20年になろうとしています。正直保育士の仕事がこんなにもハードなものとは思っていませんでした。他人様の子どもを預かっているのですから、その責任も重大です。
がんばっている妻には、心から感謝しています。今後も体を壊すことのないようにしてもらいたいと思いますし、私ももっと支援していかねばと考えています。いろんなことがありますが、「一緒にがんばっていきましょう」という思いです。(上村)
妻:熊本教会会員 玉名ルーテル幼稚園勤務/夫:未信者

熊本市に在住している私は、玉名教会や幼稚園で活躍している女性たちを積極的に支えているわけではありません。しかし、“伝道”という意味において大きな働きをされていることに頭が下がります。
若き日に、藤田武春牧師から薫陶を受けた「クリスチャンスピリット」は還暦を迎えた今も、鮮明に脳裏に焼きついており、日々、私の社会的活動のモデルになっています。そういう私を妻はいつも支えてくれています。感謝です。(菅)
夫婦とも玉名ルーテル教会会員/妻:教会婦人会会員

本人も常々言っていることですが、“用いられることの感謝”の気持ちが心に浮かびました。幼稚園での子どもたちとのふれあいの様子を時々聞かせてくれるのですが、ほんわかと温かい雰囲気になります。本人だけでなく家族も幼稚園(教会)の働きのすばらしさを感じさせていただいています。(古島)
夫婦ともプロテスタント他教派会員/妻:玉名ルーテル幼稚園勤務

正直大変だなぁ……と思って見ている。体のことが心配で仕方がない。良く頑張ってるなぁ……と思う。
家庭のことを考えると、辞めて欲しいと思っているが、本人が好きな仕事をしている姿を見ていると、それを取り上げるのは忍びがたい。見守ってやりたいと思っている。「側に居ないけれど、いつも祈っているよ。君と家族のこと。神に感謝」(三輪)
夫婦ともカトリック教会の信者/妻:玉名ルーテル幼稚園勤務

玉名教会のように、地方の小さな教会では、幼稚園と教会は切っても切れない関係にあります。家内は玉名ルーテル幼稚園に勤めていますが、幼稚園の働きそのものが宣教です。幼稚園の働きに従事しているご婦人たちに心から感謝申し上げます。(中島)
夫婦とも玉名ルーテル教会員/妻:玉名ルーテル幼稚園勤務

風の道具箱

花に色をつけた人

春に咲く花といえば、桜を思い浮かべます。ところが秋にも桜があります。「秋桜」と書いて、コスモスです。秋桜にはたくさんの色があり、春の桜よりも華やかに感じます。この季節、秋風にゆれる桜を見に行きませんか。
花といえば思い出すことがあります。幼稚園の子どもが教えてくれました。「お花は自分の嫌いな色をつけているのよ。赤いお花は赤が嫌いなの。黄色のお花は黄色が嫌い」。聞いているうち、どうしてそうなのかなと考えました。
確かに嫌いなものを前面に出し、「あれもいやだ、これもいやだ」と言いながら生きている私たちです。でも自己主張するほどでもありません。また、「あれも好き、これも好き」と思えるほど積極的にもなれません。私には私の色があるのでしょうか。勝手に自分で色をつけながら、私をアピールして生きているのでしょうか。
その子は続けて教えてくれました。「嫌いなものがないから神様は見えないの」。神様の透明さが私たちを包んでくださるのですね。
(柿のたね)

牧師の声

私の愛唱聖句

北海道特別教区 恵み野教会 牧師 西川 晶子

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
テサロニケの信徒への手紙一  5章16~18節

この聖句に出会ったのは、大学4年生の頃、父が大病を患ったときのことでした。手術することにはなったものの、もしかすると手遅れかもしれないから覚悟をしておいてくれ、とお医者さんに言われるような状態です。大事な家族を失うかもしれないという恐怖、「どうして父が」という混乱、これから先どうなるのかという不安に、どうしても、気分は沈みがちでした。
ちょうどその頃、青年会の中に、ゴスペルデュオとして活動していた仲間がいました。その彼らの自作の歌の中で、この聖句が歌われていたのです。「いつも喜んでいなさい/絶えず祈っていよう/どんなときも/感謝していよう」……覚えやすいメロディに乗って、このフレーズが、すっと心に入ってきました。それから、父を見舞いに行く車の中で、看病する母の代わりに慣れない家事を手伝いながら、気づくとおまじないのように、この歌を口ずさんでいました。
とても喜べるような状況ではなかったし、すべてに感謝できるような心の余裕もありませんでした。けれども、くりかえし口ずさむうちに、不思議と、心が上を向いてくるのです。うまく説明するのは難しいのですが、沈んでいた心がみ言葉にぐっと引き上げられる、そんな不思議な感覚でした。
幸い、父は快癒し、私の家事の腕前もちょっとだけ上がりました。たくさんの方が、私たち家族のために祈ってくださっていたことも、知りました。そして何より、この出来事がなかったら、私は、神様にすがるということを、今も知らないままだっただろうと思います。
どうしても喜べないときには、この言葉が難しく感じられることもありますが、それでもやっぱりこの聖句は、私にとって大切な「おまじないの言葉」です。

信徒の声

教会の宝を捜して

九州教区 唐津教会 信徒 森 京子

家族がほとんどクリスチャンで、世代では5代ということですが、まず、いきさつから。
「事」は、わたしの娘の幼稚園入園で始まりました。わたしの母が、これで教会に接するようになったのです。母は敏感で、手が器用で、料理名人。でも勝気で、精神的に不安定な所がありました。この世は、生きにくかったようです。
それから家族の方々が、順々に受洗を?
ハイ。母の受洗は、わが家のあり方を変えました。会話の内容、心のあり方、大きく言えば人が生きるということの意味を、深くわが家の者に教えることとなりました。
家族が福音につながるにも、歴史がありました。ついに、わたしの夫も洗礼を受けることになり、これはわたし自身がクリスチャンとして身の引き締まる思いでした。
夫は、インパール作戦の生還者で、地獄を見ています。「わたしのような者が、生きていてよいのか」という気持ちで生きていました。それが、母(義理)の洗礼後の生き方を見て、その変化に驚いていました。夫は死の一週間ほど前に、「わたしのような者でもクリスチャンにならせてもらってもよいのか、牧師に聞いてくれないか」と申し、病床で受洗しました。「戦なき/国の幸せ/クリスマス」孫の洗礼時に、夫が詠んだものです。
何か家庭伝道での工夫があれば。
洗礼を受けていない夫やその他の家族への配慮に気を付けました。いつも礼拝後はすぐ家の夫に電話をいれました。教会での人間的な面を、家では決して話しませんでした。教会での楽しいことだけを話しました。
その後の家族のあり方を。
みんな熱心な教会の奉仕者になりました。孫たちのこころの教育、生活習慣を教会と共にしました。礼拝に出ないとご飯なし、テレビは主日には見せないなどもありましたよ。
洗礼が家族(家系)にもたらした恵みを。
一族は今、唐津にはいません。しかし、集まるとみ言葉の話、聖書や祈りやすべて教会伝道の話しになります。
「事」が始まって60年ですが、離れている家族の絆は教会ですし、家族で教会の話ができる幸いを、しみじみと思います。

LAOS講座の学び

『信仰継承』について思うこと

恵み野教会 西川晶子

恵み野教会の教会学校は、現在お休み中です。やはり、教会に来る子どもたちが少なくなったことが理由のひとつです。その中には、これまでの子どもたちが成長し、おとなの礼拝に移ったという面もありますが、LAOS講座第6号の中で言われる「エンジェル係数」は確かに小さくなっています。しかし、だからといってあまり悲観的にならないようにしたいと努めています。もちろん、教会が子どもの声で溢れることは嬉しいことであり、目標です。
しかし「うちの教会には、こどもが○人しかいない」という捉え方だけではなく、「うちの教会には、○○くんと○○ちゃんがいる」という見方もできます。少ないからこそ、一人ひとりを大切にできると思うのです。
先日行われた恵み野教会のバザーの中で、嬉しいことがありました。ある男の子が、小学校の帰りの会で「教会でバザーがあります、楽しいから遊びに来てね」とチラシを配って宣伝してくれたらしいのです。教会が楽しいところ、自分の居場所だと感じてくれていることは本当に嬉しいことですし、「教会全体が大きな教保」(第6巻27頁)であることを実感します。
これから、恵み野教会でこれまで以上に大切にしていきたいと考えているのは「祈り」です。教会の礼拝、集会や行事の前後、また何よりも家庭で一緒に祈る中で、福音に生かされている大人の背中から伝わる何かを感じてくれれば、と願っています。家族で一緒に祈るための「祈りのカード」などを作れないかと模索し始めているところです。

神の造られた世界-環境と聖書⑦

第7回 レバノンスギが語るのは未来の地球の姿か!

「お前は海を越えて商品を輸出し/多くの国々の民を飽き足らせ/豊かな富と産物で、地上の王たちを富ませた。今、お前は海で難破し、水中深く沈んだ。……諸国の民の商人は/口笛を吹いて、お前を嘲る。お前は人々に恐怖を引き起こし/とこしえに消えうせる」
(エゼキエル書27章より)

紀元前3000年のシリアの周辺では、背後に自生するレバノンスギなど豊富な木材を使った家具、象眼細工などが生産されていましたが、紀元前1000年頃にはレバノン山脈ははげ山となり、その緑は現在にいたるまで回復せずこの地域では砂漠化が進んでいます。数千年にわたる長い時間をかけて崩壊が進んだ古代とはことなり、現代は加速した環境破壊が地球規模で生じています。
現代においても熱帯地域では過剰な木材の採取や大規模な農地開発によって日本の3分の2にあたる面積が失われています。私たちの身の回りには家具やノート、ティッシュペーパーといった木材を原料とする製品がたくさんあり、日本はその8割を海外特にアジア地域から輸入しています。最近ではバイオ燃料の原材料輸入のためにブラジルで大規模農地開発をするという商社もでてきました。
木々は光をあびて、二酸化炭素を吸収し、酸素をだして豊かな地球をつくりあげてきました。自分たちの豊かさだけのために熱帯林という全世界共有の資源を枯渇に追いやっている責任の一端をもつ日本の私たちがエゼキエル書27章にあるように勇気ある賛歌と批判の声をあげていくことが求められていますが、現実には、そのような声が小さいのも事実です。諸国の民に恐怖を引き起こさせ、あげくのはて嘲られて消えうせる民となりたくないものです。資源の少ない日本と言われますが、樹木という恵まれた資源を大切にし、有効に利用していくことが求められています。レバノンスギのたどった運命は、地球の未来を先取りしているのではないでしょうか。

キリスト者環境十戒
第4の戒め
「汝のライフスタイルを見直すことを正とせよ」

神学生寮の思い出

みのり教会、浜名教会、刈谷教会  三浦 知夫

私が神学生寮に入ったのは18年前、ルーテル神大(現・ルーテル学院大)に入学した1990年の春でした。それから神学校卒業までの6年間、寮にお世話になりました。
寮での生活は共同生活ですから、寮生として共に生活する仲間に対して、いつも外行きの顔を見せているわけにはいきません。当然、落ち込んでいるときや、悩んでいるとき、また怒りを鎮められないようなときにも、一緒に過ごさなければならないわけです。そんなときに、お互いを受け止め合おうと努力することが、寮生活の良いところだったのではないかと思います。もちろん、いつもうまくいっていたわけではありません。怒っている人に対して、こちらまで怒り出してしまったり、落ち込んでいるのを気にかけながら、結局声をかけられなかったりということもたくさんあったと思います。けれども、そのようなことを通して仲間同士で向かい合いながら過ごした時間はとても貴重で、かけがえのない時間だったように思うのです。
そして、牧師になった今も、落ち込んでいる方や、怒りを鎮めることができない方がいるときに、その方に向かい合おうと一生懸命になっている自分がいます。いつもうまくいくわけではないということもその頃とあまり変わらず、たいして成長していないということも感じるのですが、人と向かい合うという牧師の働きの第一歩が、神学生寮にあったのだと思うのです。

全国式文アンケートの集計から

四旬節「聖週間の礼拝」

月曜から六日間連続で礼拝が行われている教会が2教会、以下五日間が3教会、三日間が1教会、二日間が11教会、一日だけが23教会でした。聖木曜日に17教会、聖金曜日に38教会で礼拝が行われています。今回は礼拝時間についてのアンケートは行いませんでしたので、時間帯については分りません。
なお、「復活前夜礼拝」は4教会で行われていることが分かりました。
聖週間独自の式文がないため、各教会が様々な工夫をしています。参考までに記しますと、教会の約半数が簡素化した型式を、その他通常礼拝式文⑤、テゼー共同体の祈り②、ルーテル学院大と共同②、地区または有志で作成②、JELCウェブサイトから①、「礼拝と音楽」のバックナンバーから①、ルターの朝の祈り・夜の祈り①などがありました。(続く)

グローバルミッションイベント

7月18~20日、アメリカ福音ルーテル教会が主催する年に一度のグローバルミッションイベントに、後藤由起牧師と共に招待され参加してきました。
アメリカ福音ルーテル教会は世界中に宣教師(信徒も含む)を派遣しています。会場となっていたウィスコンシン大学の体育館には宣教師派遣先の国々の名前入りの旗と大きな地球儀が置かれていました。
宣教師たちによる様々なワークショップや世界中の音楽を取り入れた礼拝などが行われ、地元の教会員や宣教師志願者など数百人が集まり、本当に賑やかな集いでした。自分たちの教会が宣教師を派遣し、そしてそれを質実共に支えていくのだという強い意識を皆が持っている事を感じました。
日本福音ルーテル教会に派遣されている宣教師やJ3たちの中にも、この集会を通して宣教の道を選んで来た方々もいます。
(牧師 関野和寛)

ルーテル世界連盟会議報告

2008年度のルーテル世界連盟の会議が6月25~30日の日程でタンザニアのアルーシャで行なわれました。
「溶けゆくキリマンジャロ山の雪」(写真上段左が1993年のキリマンジャロ山頂の雪、右が2000年。明らかに雪の量が減少しているのが分かる)をテーマに、環境・貧困問題に焦点を当てて会議が持たれました。実際の貧困の現場やキリマンジャロ山を目の当たりにしつつ討論が進められ、とても内容の濃い会議になりました。わたしたち先進国による環境破壊や不平等な貿易の事など、現地に立つからこそ肌で感じるものがありました。
また礼拝ではマサイ族による讃美なども聞くことができました。
(牧師 関野和寛)

北軽井沢 ディアコニアキャンプ

8月14日から18日の第20回北軽井沢ディアコニアキャンプも無事終わりました。島田療育センターより、奥ちゃん、トッチンの2人、千葉福祉園よりおだちゃん、障がい者をケアーしてくださるキャンパーが男子3名(神学生の岡村さん、高校生の伊藤弘幸君、原田直明君)、女子3名(神学生の汲田さん、宣教師の奥様のクリスティ・ハンソンさん、原田真理子さん)、その他スタッフとしてチャプレン渡邊賢次先生、料理や買い物、おだくんの送り迎えをしていただいた橋本さん、熊本さん、保谷教会牧師平岡仁子先生、そして原田夫妻の6名で、合計15名のキャンプでした。
今年は雨ばかりの毎日で牧場や遊園地には行けませんでしたが、わずかな晴れ間の散歩、アウトレットモールでの買い物、しゃれたレストランでのお食事、お昼のバーベキュー、夜の花火など沢山楽しむことができました。
(保谷教会 原田積夫)

喜望の家

喜望の家を知ってください
献金の送り先
郵便振替口座 00940-2-95205喜望の家
喜望の家は日本福音ルーテル教会西教区の大きな働きの一つとして活動しています。
この活動は日雇い労働者の街、釜ヶ崎で32年前ドイツ人宣教師ストロームさんによって始められました。
開設された当初から、釜ヶ崎で生活する日雇い労働者が抱えているアルコール依存症の問題に取り組んできました。
アルコール依存症の問題は、昔も今も釜ヶ崎の地域で大きな課題です。個々人の努力では解決できない深刻な病気です。
喜望の家は、アルコール依存症からの回復を望んで断酒することを決心した人たちを支え、またその人たちが生活を立て直していくために、日常的にグループ・セラピーや作業療法、運動療法などのプログラムを提供しています。また毎月、遠足や野外活動などもレクリエーションとして行っています。
回復のためのプログラムが目指すのは、「自分を大切にすること、人生を楽しみ喜びと希望を見いだせるようになること、人と共に生きることを学ぶこと」です。
その働きをどうぞ知ってください。

バーン先生派遣式

9月7日(日)、サウスカロライナ州エイケンにあるセント・ポール・ルーテル教会にて、ボブ・バーン牧師夫妻の派遣礼拝が執り行われました。派遣式では日本語による聖書朗読を佐藤牧師が担当しました。
バーン牧師夫妻は10月1日、来日され各教区で交換牧師として働かれます。

会議のお知らせ

■常議員会
第23回総会期第2回常議員会が左記の通り開催されますので、議案のある方は、所属教区常議員会を経て、ご提出ください。

【日時】11月4日(火)~6日(木)
【会場】ルーテル市ヶ谷センター
以上
2008年10月1日 常議員会 会長 渡邉 純幸 書記 立野 泰博

インフォメーション

■東海教区第35回信徒大会
日時:2008年11月3日(月) 午前10時~午後2時30分
会場:静岡英和学院大学チャペル
テーマ:「ともに福音に生き、ともに恵みを分かち合うために」
講師:江口再起先生(東京女子大学教授)
【問合せ】東静地区宣教委員会 日本福音ルーテル静岡教会
■ルターホール改修・神学生寮設置のためのチャリティーコンサート
日時:2008年11月30日(日) 午後5時~6時30分
会場:ルーテル市ヶ谷センター
入場料:前売券 2500円 当日券 3000円
【問合せ】0422-31-4611(後援会事務局)/03-3260-8632(教会募金事務局)
■第5回インド・ワークキャンプ 参加者募集
期間:2009年2月24日(火)~3月6日(金)
対象:18歳以上の健康な方 募集人数:10名程度(選考があります)
参加費:自己負担15万円(総額約20万円)
申込締切:2008年11月2日(日) 必着(2009年1月10日(土)説明会予定)
【問合せ・申込先】日本福音ルーテル教会事務局宣教室(乙守望)
メイル:mission04@jelc.or.jp  Tel:03-3260-1908 Fax:03-3260-1948

九州学院中学・高等学校 教員募集

学部・教科:普通科・国語科
職種・人数:準専任講師1名
採用期間
2009年4月1日~2010年3月31日
応募条件
①免許状取得(見込)
②教師としての適性と、熱意を有する者
③キリスト教信者または求道者
連絡先:九州学院
℡096(364)6134
FAX096(363)2576
担当:池永 清

変更のお知らせ

■日田教会 〒877-0016 大分県日田市三本松2丁目3-10
*新会堂が隣接地にでき住居表記が変更になりました。
■さわらび幼稚園 (FAX)0966-62-2623
■室園教会 (webサイト)http://www14.ocn.ne.jp/~murozono/

08-09-15るうてる《福音版》  2008年 9月号

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バイブルメッセージ  だれもが天使

あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。
「これが行くべき道だ、ここを歩け/右に行け、左に行け」と。
イザヤ書30章21節(日本聖書協会『聖書 新共同訳』)

かれこれ10年以上も前になるでしょうか、天使が大変なブームになったことがあります。天使をデザインした商品に始まって、天使を専門的に研究した書籍、天使を主人公にした映画、そして“天使と出会う”スピリチュアルな講座など。正直、「私たちの身のまわりにも、天使って存在している」と思っている私は、それぞれの分野でどのように天使を取り上げているか興味があったので、書籍を購入し映画を観て講座に出て……と夢中になったことがあります。
その中で、いまでも印象に残っているのは、この世界では私たち一人ひとりに守護天使が存在していて(それはこの世に存在している人、あるいはすでにこの世に存在していない人を指すこともあり、私たちの誰もが誰かの守護天使に成り得ると言い)、私たちに生きていく上での智恵や方法を、何らかの形で教えてくれているというのです。
それは、私たちが何か大きな悩みや問題にぶつかったとき、その答えを直接言葉や行動で示してくれることもあれば、その解決方法を私たちの内に閃きとして、または過去の記憶の中から届けてくれたりと、いずれもが守護天使の仕業……と言うのです。
私の知り合いのSさん。彼女はクリスチャンホームに生まれ育ち、自らも信仰が厚く、いつも元気一杯。まるで、光り輝く太陽かヒマワリの花のような女性。そして、彼女の存在はどんな時でも、周りにいる人たちを明るく前向きにしてくれるのです。まさに、彼女は私たちの心に力をもたらしてくれる守護天使そのもの。
その彼女から、先日電話がありました。ところが、電話の向こうの彼女の声はいつもと違います。私の名前を呼ぶ声からして、何か元気がありません。「実は、こんど仕事でいくつかの場所を訪問しなければならないのですが、何か今までにない不安を感じています。どうしてその様な気持ちになるのか、良く分からないけれど……」。
彼女のその言葉に対して、年下の私はどう答えて良いのか分かりませんでした。が、次の瞬間、私の中にいくつもの白い天使の羽が見えたのです。そして、続けて私の口から「今、私のイメージの中にたくさんの天使の羽が見えました。それは、Sさんのご家族やSさんのことを知っている人たち一人ひとりのことだと思います。そのみんなが天使の羽になって、Sさんの背中にくっついて、Sさんを軽くして導いて行ってくれます。そして、行く先々でのお仕事を守ってくれるから大丈夫です!」という言葉が、自然に出てきたのです。
そして、一寸の間があって「どうもありがとう。そう言って頂いて、涙が出てきそうです。たくさんの天使が一緒にいてくれるって分かったら、元気が出てきました。Jさん、そうあなたも私の天使ですね!」とSさん。電話で話していた時間は決して長くはありませんでしたが、不思議な時間の流れでした。
このように、誰もが誰かの力や支えになっているのです。それを、私は天使の存在と表現します。でも、ここで忘れてならないのは、それは神様から遣わされた天使であって、それは神様の働きそのものを意味している、ということです。
今日も、たくさんの天使が行き交っています。いろいろな人の助けになる為に、忙しく飛び廻っています。私の上を、そして、あなたと私の間を……。
JUN

十字架の道行き

【第六留】イエス、女性から布を受け取る

【祈りの言葉】
イエスよ、真心からあなたの苦難を思い、自分の罪を悔いるようにしてください。隣人の苦しみに冷淡になるような意思から解放し、主を愛する心を与え、隣人の中にあなたを見出していくことができますように。

毎日あくしゅ

サラダ文化人類学

幼稚園の園庭では、秋の運動会に向けて、年少、年中、年長の園児たちがそれぞれのクラスの課題演技に取り組んでいます。一人ひとりのすばらしい感性が園庭にみなぎる瞬間です。
そんなとき、ふと「サラダ文化人類学」という言葉を思い起こしました。
米国のカリフォルニアやフロリダ、あるいはニューヨークなどの大都市では、世界各国から移住して来た多国籍、多民族の人々が住み、それぞれの固有の文化や伝統が絶妙なバランスをとっています。決して混じらないものを持ちながらも、お互いにそれぞれが刺激を受け、また与えています。これを、英語でTossed Salad(野菜サラダ)と呼んでいます。
つまり、キュウリやトマト、セロリにレタス、アボカドもあれば水菜もあります。これらの野菜はそれぞれ、色もかたちも味も香りも異なるのですが、これらはどれもみな大切なものです。そして、それらの野菜にドレッシングをそそぐと、すばらしい調和のとれた野菜サラダとしての出来上がりです。このことを「サラダ文化人類学」と呼ぶのだそうです。

毎朝、園庭で遊ぶ園児、園舎で積み木に熱中する園児、こどもの家でおままごとをする園児、ブランコに乗って遊ぶ園児、それぞれが自分の好みに応じて楽しく遊びながら、それぞれに刺激し合い成長してゆきます。幼稚園の中で取組んでいる運動会、そこに集う園児たち、あの「サラダ文化人類学」的にいうならば、色もかたちも味も香りも異なる野菜、それぞれの違いが豊かさとなって、愛というドレッシングをそそぐと、心も身体も豊かになり、すばらしい運動会サラダとなりそうです。運動会が楽しみです。
(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

第6回 ユダヤ式の教育に学ぶ その2

今回はユダヤ民族が、数々の迫害に遭いながらも、ユダヤ人であることを止めなかった精神の源泉、タルムードを中心に書くことにする。
タルムードはユダヤ教の聖書のトーラー(律法)の注釈を集めたもので、数多くの賢者とラビたちの手による壮大な文書である。タルムードは12000ページ、250万語もの膨大な本で、内容としては律法、説話、寓話、比喩、笑い、問答など、多岐にわたるテーマが網羅されている。紀元前500年頃より、何世代もの人々が関与し、作り上げた民族の精神的な文化遺産である。タルムードは、6つの大項目と63の小項目に分類され、523もの生活規範の条項が列記されている。
ユダヤ人にとって、トーラーとタルムードの2つは、部族の歴史や伝統を知ることのできる最良の教科書だったので、各家庭はそれらを用いて、子どもたちをしつけた。
ユダヤ人の親たちは紀元1世紀前半、各地にできた学塾に子どもを入学させ、タルムードを学ばせた。このような世界最初の学校制度が、ユダヤ人によって始められたことと彼らの知性の高さとは無縁ではない。その目指す理想は、先祖からの宗教的遺産を次世代に伝えることだった。
教え方についてもタルムードは教えている。「子どもには、繰り返して教えよ」「1人の教師の下での子どもの最大人数は25人がよい。もし生徒が50人いたら、教師を補充すべきある。生徒が40人ならば、上級生に補助させるようにしなさい」と記している。
ユダヤ人は「学ぶ民族」といわれ、幼少時から学ぶことの必要性を教えられてきたので、質問精神が旺盛である。自立心について「お前の最良の教師は自分だ。これほど生徒を知り、これほど生徒に同情し、強く生徒を励ます先生はいない」「もし知識があるなら、あなたに欠けたものは何もない。知識がなければ、あなたは何を誇るというのだ」と諭している。その底意には、ユダヤ共同体の存続は、知識の普及如何という強い信念があるからといえる。
前回の『アンネの日記』に、わずか15歳の少女が、次のような言葉を残している。
「どんな信仰であれ、なにか信仰を持つ人は、正しい道を踏み誤ることはないでしょう。問題は神を畏れることではなく、自らの名誉と良心を保つことなんです。誰もが毎晩、眠りにつく前に、その日の出来事を思い返し、何が良くて、何が悪かったか、きちんと反省するならば、人はどれだけ崇高に、立派に生きられることでしょう。そうすれば、知らず知らずのうちに、あくる朝から、さっそく自分を向上させようと努める筈です。(中略)これは誰にでも実行できることです。費用もかかりませんし、実際、とてもためになります。まだこれを知らない人は、ぜひとも経験によって、このことを学び、発見して欲しいものです」。
この日記の書かれた29日後、1944年8月4日の午前10時から10時半の間に、アンネを含む8人のユダヤ人のほか、彼らの潜伏生活を助けた2人のオランダ人たちは、警察に逮捕される。

谷 健(たにけん)…昭和5年7月生まれ。東京都の公立小学校7校の勤務。専門は英語、道徳。道徳副読本の編集に従事。

08-09-15るうてる2008年9月号

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ルーテルこどもキャンプ

去る8月7日から9日にかけて、広島教会を拠点に「ルーテルこどもキャンプ」が行われました。第10回目の今回は、「平和を実現する人々は幸いである」という主題聖句のもと、キャンパー(小学5、6年生)、スタッフ総勢71名が集まり、充実した学びと、楽しい交わりの時間を過ごすことができました。
暑い中、原爆資料館や被爆した本川小学校、記念碑などを歩いて回りながら、63年前に何が行われたかを知らされました。また、今も世界には紛争に翻弄されながら暮らす人々がいること、そのような中であきらめず平和を実現するために努力している人々や子どもたちがいることを学びました。
「平和は受身で待っているだけではやってこない、平和を作り出す者として自分に何ができるか」ということを、子どもも大人も一緒に真剣に考えた中身の濃い3日間ではなかったかと思います。
子どもやスタッフを送り出してくださった各地の教会・各教区、引率や食事などのお世話をしてくださった方々と、キャンプのために祈ってくださった全国の皆様に心より感謝いたします。
(キャンプ長:牧師 坂本千歳)

新会堂の献堂式を迎えて 宮崎教会

去る6月7日の土曜日、宮崎教会新会堂の献堂式が執り行われました。
ポジティフオルガンに支えられたトランペットの高らかな響きの下、新会堂に入場した会衆は約150名。九州教区内はもとより他教区から、また宮崎市内の他教派の教会から、そして普段から教会に出入りしておられる地域の方々が会堂にあふれんばかりにお祝いに駆けつけてくださいました。心から感謝致します。
献堂式の説教者は、長岡立一郎牧師(九州教区長)。この度の新会堂の献堂は、主イエスがザアカイの家を訪ねられ、言われたように、「今日、救いがこの家を訪れた」の祝福の言葉の中に込められている……と説き明かしてくださいました。教会は、キリストの福音が語られ、神による救いが与えられる場です。と同時に、そこは聖霊による慰めがもたらされる場でもあります。父、子、聖霊なる神を高らかにほめたたえ、讃美する教会となりたいと思います。
宮崎教会が目指しているのは、日本の「聖トーマス教会」。ルーテル教会が誇る大音楽家J.S.バッハが活躍したライプツィヒの聖トーマス教会では、あまたのカンタータや受難曲が演奏されました。わが宮崎教会でも、プロの音楽監督や音楽好きの牧師のもと、ここ数年さまざまな宗教音楽の演奏会が企画・実施されています。先日、皆さんのお手元にお送りした記念品「新会堂記念奉献演奏会」のCDは、その成果の一つです。
この度の新会堂建築にあたっては、10年前に設置されたパイプオルガン(B.エツケス氏製作)の響きを生かすことが最大限考慮されました。音響設計に当たられたのは、永田穂先生。サントリーホールをはじめとして名だたる音楽ホールのほとんどは、永田穂先生の耳によるものです。おかげさまで、讃美が豊かに響き渡り、かつ礼典の御言葉も明瞭に聞き取れる会堂になりました。来春には、2階のオルガンバルコニーにエツケス・オルガンが移設される予定です。
建築設計者は、茅ヶ崎に事務所を構える山口洋一郎氏。氏は、カトリック教会の敬虔な信徒でもあられます。外観はシンプルながら、どっしりとした存在感のある祈りの空間となりました。ぜひ一度、お越しください。
(牧師 日笠山吉之)

風の道具箱

遅咲き早咲き、愛で咲く

チューリップ/幸せだけを/持っている
初めてこの句を読んだとき「幸せだけってことはないだろう」と思いました。ところがずっと眺めていると、確かに咲いているチューリップは「いま幸せです」と言っています。土の中にいるときは、辛いことや、苦しいことがたくさんあった。でも、神様が守り、育ててくださり、いま一輪の花を咲かせています。試練や困難はすべて神様に委ねました。だから「幸せだけを持っています」と、チューリップが語りかけてきました。
すべてを神様に委ねることで咲かせたい花があります。自分でなんとかするのでなく、神様のみ心で一輪の花を咲かせたい。信仰の花は神様の愛で咲くのです。
どんな花を咲かせてくださるでしょうか。み心と愛で咲かせてくださる一輪の花。この一輪を大切にしたい。この花をひとすじの心で咲かせ続けたい。私だけに咲く信仰の花が、共に歩む多くの方々の慰めとなるように。よい香りを届けることができるように、と祈りながら。
(柿のたね)

牧師の声

私の愛唱聖句

九州教区 大江教会、宇土教会
牧師 谷川 卓三

あなたはわたしの愛する子
マルコによる福音書 1章11節

子どもの頃、親に急かされた時、「その時になればやるから、だまってて」と言っていたことを思い出す。「その時」は自分自身にも分からないが、「五体」は知っている。だから、「その時」になれば、おのずと、現在その人がなし得る意味での真実な行動が始まる。そのことに信頼を置くとき、落ち着いて今の時の熟慮を重ねることが出来る。しかし、残念なことに、その「時」を待てない社会が岩壁のように立ちはだかっている。だから、人はその両者の間で妥協し、日常生活をこなしながらずーっと「その時」を待って準備を続けている。自分が何者であるかを、自分の納得の行くまで探し求め、見い出すまでは、真の答えではないままに、当座の答えをもって代用している。
「愛唱聖句は?」と問われたとき、唯一つの聖句はどれですか、と問わる思いがした。それに答えることは難しいと常々思っている。しかし、感謝すべきかな、「探す者は見い出す」。なくてはならぬ唯一の答えとして、「あなたはわたしの愛する子」がある。すべての宣教はこの一事に集約される。結局はこのことを神は全人類に対して言いたいのだ。福音として語るべき唯一のことはこれだ。だから、どのような宣教行為においてもそのことが反映されているべきである。それが今の私の到達点である。
説教が出来るまでにも、このことは当てはまる。「時」を知らずに、待つことが出来ないで、消化してゆこうとして原稿を書く。しかし、それは本当の答えではないことを知りつつ、紙幅を埋めてゆくむなしさを伴う。しかし、本当は、必ず、「その時」が来るのである。私の「五体」はそのことを知っている。「私」は焦るが「五体」は焦らない。そのせめぎ合いの中で、「唯一つのもの」を宣教しようとする努力が今も続いている。

信徒の声

教会の宝を捜して

西教区  福山教会 信徒  三原 澄恵

福山市といえばバラ祭り。教会の庭は三原さん丹精のバラが見事です。
一時期お庭が荒れていて。教会の前は人通りが多く何とかしたいと思いました。市が毎年バラの苗を無料でくれるので活用しています。時間を見つけて仕事の合間に草取りに来ています。
どのようなお仕事をなさっているのですか。
介護事業です。数年前自分で立ち上げました。ケアマネージャーの資格を生かしています。福祉の道は中高生時代のボランティア活動に端を発しています。
るうてるホームでもお仕事をされたそうですね。
離婚したこととも関係があって、いちばんつらい思いをしていた時に、牧師が親身にお世話くださったのです。仕事をしながら娘を社会に巣立たせることができました。今でも感謝しています。
受洗もそのような時期でしたね。
福山教会に生まれて初めて行ったのは、教会のバザーにでかけた時でした。会員の石井和子さんという身障者の方との出会いが決定的となりました。彼女がガンで死ぬ直前に「教会に行ってね」と私に言い残されたのを、いっしょうけんめい受け止めながら受洗しました。
土日も祭日も関係がないお仕事ですが、あなたの教会への思い入れを覚えます。
私が今いちばん気になっているのは、教会が世代交代の時期に入っていることです。上手なバトンタッチをはかる上で牧師の役割は以前よりも重大と思っています。それと、福山は牧師館が空いているので、地域の人たちが活用できる場にしたら喜ばれるのではと思っています。

三原さんがいつも教会の庭をきれいに手入れし、バラを中心に四季折々の花を咲かせてくれています。道行く人が足を止めたり、ふり返って見るほどです。
庭の手入れは大変です。気持ちがないとできないことです。私たちが来る以前からずっと続けてくださっています。本当に感謝です。
(白髭義)

LAOS講座の学び

テキストに学び、テキストを超えて

岐阜教会  三木 久人
私たちの教会では、2005年からLAOS講座の学びを続けています。信徒がレポーターになって、内容について話し合います。参加は10名前後です。
気づいたことですが、本の扉にある各講座の内容紹介が実際のテキストの内容や順番と必ずしも一致していません。その意味が先月学んだ「神の民の歩み」の講座の学びで分かりました。テキストはあくまでも講座の補助であって、大切なのはそのテーマに沿って私たちが主体的に学ぶということなのですね。
「神の民の歩み」で私たちは最後に岐阜教会の歴史も学びました。テキストにはそのような項目はありませんが、扉のLAOSの木にはしっかりと「自分の教会の歩み」と記されていました。講座も残り2巻になって、ようやく学ぶ意味が分かってきたように思います。
岐阜教会の歩みも20年を数えますが、レポートしてくださった方は、この間に楽しいことも多くあったけれど、思い出したくない辛いこともあったと言われました。牧師の辞職など色々なことがあっても、教会を中心に歩んできた方があったからこその現在の岐阜教会です。
私たちは学んでみて、改めて教会とともに歩んでくださる神様の業を見たように思います。そのように考えながら、残りの課も学んでゆきたいと思います。

神の造られた世界-環境と聖書⑥

第6回 緑のカーテン

主なる神は彼の苦痛を救うため、とうごまの木に命じて芽を出させられた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったので、ヨナの不満は消え、このとうごまの木を大いに喜んだ。……太陽もヨナの頭上に照りつけたので、ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った。「生きているよりも、死ぬ方がましです」。
(ヨナ書4章より)

ヨナの頭上を覆ったトウゴマは、暑い気候の中では1~4メートルあまりの高さになり、大きな傘のような葉を多数生じ、濃い陰をつくりだす。別の聖書の解釈ではつる状のひょうたんのような植物ではないかといわれている。
ヨナの心境はまさに猛暑にあえぐ私たちを思い起こさせる。今夏は太陽が頭上に照りつけ、ぐったりで頭上になにか涼しくなるものを覆ってほしい心境であった。この夏の暑さで野菜なども枯れ、野菜を守るために遮光で野菜を守っているとのニュースも聞いた。また、「校舎を覆う緑のカーテン、自然の力で室温抑え、環境学習にも一役」など報道でつる性植物を使った緑のカーテンのことを目にするようになってきた。
私も地域のボランティア活動として、小学校で児童と一緒にゴーヤやアサガオの緑のカーテンを作り、「子どもの実践が街を変える」をキャッチフレーズにして活動している。昨年の場合、日本での最高気温がでたとき、緑のカーテンの内外で2℃もの差があり、今年の実践では5℃以上もの差があった。暑さのためにゴーヤの緑も枯れ果てた状態であっても、9月に入ると再びその枝も回復していった。我が家のベランダの緑のカーテンも猛暑の中、涼しさとさわやかさをもたらしてくれた。
さて、教会での実践エコはどの程度あろうか。写真は、なごや希望教会自由が丘礼拝所の緑のカーテン。このカーテンは地域社会に何らかの発信をしていくのではないだろうか。ヨナを守るために神から与えられた小屋を覆う緑のカーテン。ヨナ書を読んで、神の言葉がまさに私たちにとって緑のカーテンでは、との感じを持った。神が与えてくださった自然の恵みを思い起こす。みなさんはいかがでしょうか。

キリスト者環境十戒
第4の戒め
「地域にある教会として、時にかなった証しをしなければならない」

神学生寮の思い出

帯広教会 加納 寛之

派遣される場所として

日曜日の朝のルター寮はいつもと違う独特の雰囲気がありました。神学生たちがそれぞれ実習のために教会へと派遣されていきます。自分自身がみことばをいただくために、また神さまに仕え、牧師を始め、教会の方々から多くのことを教えていただくためにです。そして、一日のつとめを終え、心地よい疲れを感じながら、再び寮へと帰ってきます。
神学生寮は大学の寮のように学問を究める者だけが集う場所ではなく、牧師を志す者が集う場所、「修道」の場でもあるのです。ただ生活の場、学びの場ではなく、派遣され、戻ってくる場所、その思いを共有する場所であるからこそ大切な場所なのです。

祈りの訓練の場所として

ルター寮にも小さな祈祷室がありました。朝や夜、有志の呼びかけで祈りの時が持たれることもありましたし、時には一人で祈ることもありました。その経験は祈りの訓練として今の自分を支えてくれています。牧師は教会員と心をあわせて共に祈ることもありますし、一人で祈り続けなければならない時もあります。
帯広教会にも「祈りのノート」があります。その日に受洗された方や召天された方、誕生日や結婚式など記念の日を迎えた方を覚えて毎朝ノートを見ながら祈っています。祈りこそが牧師を支えてくれます。
毎日の神学生寮での礼拝に加え、共同で祈ること、そして自主的に祈ることを経験し、牧師として神さまから派遣されてくることを教会員と共に待ち望んでいます。

ルーテル教会の礼拝 全国式文アンケートの集計から

「主の祈り・使徒信条・ニケヤ信条」

文語訳と口語訳の使用割合は、主の祈り2:1、使徒信条1:1、ニケヤ信条3:4です。2000年のローマカトリック教会と聖公会の共通訳「主の祈り」も3教会で用いられています。
主の祈りの文語訳使用の理由は「教会員がなじんでいる、付属の幼稚園での使用、文語であっても理解できる範囲、混乱させたくない」などでした。口語訳使用も「既になじんでいる」という理由が殆どでしたが、「新しい世代にも分りやすいように」という理由もありました。ローマカトリック教会と聖公会の共通訳に関し「エキュメニカルな視点であること、聖書全体の内容が示されている」という理由がありました。
使徒信条とニケヤ信条(文語・口語)の使用に関しては、主の祈りの理由とほぼ重なっていますが、文語訳と口語訳の使用割合の違いは、使用頻度によって文語訳から口語訳へと変更されているのではないかと推測されます。(続く)

けんしん月間

9月は「けんしん月間」です。
日本福音ルーテル教会は教会だけではなく、社会福祉施設も、教育施設も仲間として共に歩んでいます。
そこで、教会に、施設、学校で働く職員、教員を招いて、礼拝の中で、あるいは、学習会、修養会等で、お話を聞く機会を作ってみてはいかがでしょうか。また、教会の人たちも、誘い合って施設でのボランティア活動をされてはいかがでしょうか。そのようにして、交流をさらに深め、牧師への献身者を興し、施設で働くクリスチャン・ワーカーを育成していこうではありませんか。
提唱 教会事務局 宣教室  るうてる法人会

アメリカグループワークキャンプ2008

米国で毎年行われるグループ・ワークキャンプに、今年も日本から6名のティーンズがJELA・JELCの共催で派遣され、参加しました。7月22日~8月5日の日程で、今年のキャンプ地・オハイオ州でのホームステイと1週間のワークキャンプに取り組みました。
今年のテーマは「Love out loud(「爆愛」)」。言葉の壁に最初は大きな不安を感じながらも、家屋の修繕・夜の信仰プログラムを通して、現地で出会った仲間との信頼関係をきずき、ワークの成果とたくさんの思い出、これからの信仰生活にもつながる気づきを持って帰ってきました。
それぞれの「爆愛」の働きについては、後日届けられるレポートをお待ちください。
(牧師 西川 晶子)

献堂50周年記念行事 横浜教会

7月20日(日)横浜教会で献堂50周年記念行事が祝われました。
第1部の献堂50周年記念礼拝では「目標を目指して」と題してみ言葉を頂き、第2部の感謝の集いでは、ご参列いただいた教職、信徒の方々から当時の思い出、励ましのお言葉をいただきました。会場には往年の写真、週報、記念の品々が多数展示され、最後に女性会手作りの記念品が手渡されました。
献堂に至る歴史は次の通りです。使徒パウロが紫布の商う婦人と知り合いになり、そこからピリピの教会が生まれたように、横浜での宣教を願っておられた牛島義明牧師とその友人坂間兄との出会いによって横浜教会は生まれました。浅間町での集会所を経て、現在地に土地を取得、礼拝堂と牧師館が与えられました。1958年7月27日のことです。その後も精力的に宣教がなされ、1972年に第1種教会として自立、1993年には礼拝堂、牧師館の大型補修が行われ、2008年に横浜、横須賀、日吉教会による教会共同体が結成され、新しい宣教体制がスタートしました。
横浜教会は建物の老朽化や信徒の高齢化など課題が山積していますが、献堂50周年を機に新しい歩みを始めています。皆様方のお祈りを切にお願い申し上げます。 (牧師 東和春)

東教区ティーンズキャンプ

100年前を想いつつ、ワーク三昧&温泉三昧

「Send You 私の羊を飼いなさい」のテーマのもと、去る7月28日より31日まで諏訪教会を会場に第10回東教区ティーンズ堅信・献身キャンプが行われました。
7名のティーンズが集い、首都圏よりは若干過ごしやすい、それでも日中はやはり暑い諏訪の地で、草刈やペンキ塗りなどのワークあり、諏訪宣教の歴史に触れる学びあり、バーベキューや花あり、温泉ありの盛り沢山のキャンプでした。
宣教師として17歳で日本の地を踏んだクルビネン師。彼女が実際に汗をかき、祈り、宣教をした諏訪の地で、そして、その実りとして現在も確かに立つ諏訪教会で、彼女とその働きについて考えました。
そして、彼女と同じように(?)汗を流し、祈ったことは、ティーンズにとって、自分たちの信仰・進路が神さまの導きのうちにあることに気づかされたのではないでしょうか。楽しく豊かな3泊4日でした。
(キャンプ長:牧師 小泉 嗣)

九州学院 中学・高等学校 教員募集

学部・教科:普通科・国語科
職種・人数:準専任講師1名
採用期間
2009年4月1日~
2010年3月31日
応募条件
①免許状取得(見込)
②教師としての適性と、熱意を有する者
③キリスト教信者または求道者
連絡先:九州学院
℡096(364)6134
FAX096(363)2576
担当:池永 清

第12回全国青年修養会参加者募集

日 程:10月11日(土)~13日(月・祝)
場 所:岐阜県多治見修道院
テーマ:『神さま農園ぶどうの木』
主 催:全国青年連絡会
後 援:宣教室TNG-YOUTH
問合せ先:実行委員長 稲垣幸子(高蔵寺教会0568-91-2025)

インドワークキャンプ参加者募集

■第5回インド・ワークキャンプ 参加者募集
期  間:2009年2月24日(火)~3月6日(金)
対  象:18歳以上の健康な方
募集人数:10名程度(選考があります)
参 加 費:自己負担15万円(総額約20万円)
申込締切:2008年11月2日(日) 必着
(2009年1月10日(土)説明会予定)
【問合・申込先】
日本福音ルーテル教会事務局宣教室(乙守望)
メイル:mission04@jelc.or.jp
Tel:03-3260-1908 Fax:03-3260-1948

2008年度一日神学校のご案内

日時:9月23日(祝)
9時15分~受付開始
会場:日本ルーテル神学校
ルーテル学院大学
℡ 0422(34)5633
(キリスト教・神学担当)
℡ 0422(31)4611 (代表)
参加:無料(申し込み不要)

※昼食時には軽食の販売をいたします。
※詳細は日本ルーテル神学校・ルーテル学院大学までお願いします。

住所変更

■白石 郁夫 先生
〒862-0973
熊本県熊本市大江本町1-36
ユニオン・ハイツ601
電話、FAX共用:096・363・6511
■門脇 聖子 先生
部屋番号が変更になりました。
A-215→C-323

訃報

かねてより療養中でありました、日本福音ルーテル教会引退教職 轟繁次牧師 は2008年7月26日(土)午前4時51分、入院先の大牟田市立病院にて召天されました。(享年90歳)
謹んで哀悼の意を表しお知らせいたします。
ご葬儀は、前夜式7月27日(日)久留米草苑、告別式7月28日(月)日本福音ルーテル久留米教会で執り行われました。喪主は、歌野 健 様。

08-08-17るうてる《福音版》2008年8月号

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バイブルメッセージ  東の空のふたつ星

自分の命を救いたいと思う者はそれを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。
マルコによる福音書8章35節(日本聖書協会『聖書 新共同訳』)

まだもう少し先の話ですが、夜風がだんだん涼しさを増してくる9月ごろの夜更け、東の低い空を眺めていると、少し北寄りに仲良く並んでのぼってくる、金色と銀色の2つの星を見つけることができます。冬の星座であり、流星群でも有名な、ふたご座のカストルとポルックスのふたつ星です。
この2人はギリシア神話の中では、双子の兄弟だったということになっています。見ると、兄のカストルよりも弟ポルックスの方がやや明るいのですが、これは、この2人の出生に関係があるとされています。父親は、ギリシア神話の神々の中のひとりゼウスで、母親は普通の人間。兄カストルは母親の血を濃く引いていたので人間に近く、弟ポルックスは父親の血を濃く引いていて、神々と同じように不老不死だったのだそうです。
2人はとても仲が良く、片時も離れないほどだったのですが、人間の血を引く兄カストルは、やがて寿命を迎えてしまいます。それを悲しんだ弟ポルックスは、父ゼウスに、自分のいのちの半分をカストルに分け与えてくれるように頼んでみました。そのようにして、カストルは命を永らえましたが、その代わりにポルックスは不老不死のいのちを失いました。その兄弟愛を記念するために、二人は天に上げられ、星座として今も仲良く隣り合わせで輝いているのだというのです。
もちろんこれは、昔の人の作り話にすぎませんし、仮にもキリスト教信仰を持っている身としては、この物語を丸ごとそのまま事実として受け入れることはできません。しかしこのカストルとポルックスの物語は、「生きる」ということについて、大切なことを教えてくれているように、私には思えるのです。
人間は、いつも本当にたくさんのものを欲しがらずにはいられません。不老不死ということも、人間が求めてやまないものの一つでしょう。しかし、自分の願いをかなえるため、自分が生きるためなら他の人はどうなってもいい。もちろんすべてがそうだと言うわけではありませんが、そのような考え方が、多くの悲惨な事件や冷え切った関係を生んでしまっているということもまた事実です。
しかし、たとえ自分だけが不老不死のいのちを持つことができたとしても、周りの人たちがみんないなくなって独りぼっちになってしまったら、それに何の意味があるのでしょうか。心臓が動いている、呼吸をしていると言う意味では、確かに「生きて」いることになるでしょう。しかし周りとの関係を失ってしまったらそれは、本当の意味で「生きて」いるとは言えないのではないでしょうか。
自分ひとりが長く生きることよりも、隣にいる兄カストルと自分のいのちを分け合って、いっしょに生きることを選んだポルックス。彼は確かに不老不死のいのちを失いました。しかし、空に並んだふたつの星は、本当に「生きる」とはどういうことなのか、大切な問いを私たちに投げかけてくれているように思います。

Aki

十字架の道行き

【第五留】イエス、シモンの助けを受ける ルカによる福音書 23章26節

【祈りの言葉】
イエスよ。十字架を何よりも尊いものとするように導いてください。苦難を恐れず、主の御名のために進んで十字架を負うことができますように。主こそ、険しい道を歩むときの力強い道連れであることを教えてください。

毎日あくしゅ

いのり

1人の少年が、「神さま、明日は遠足に行きます。どうぞ、いいお天気にしてください」と祈りました。同じ頃、そこからあまり遠くない農家の少年が、「神さま、日照りが続いて、家の畑の作物が枯れそうです。どうぞ、明日は必ず雨を降らせてください」と祈りました。神さまは、二人の祈りのうちのどちらを聞かれるのでしょう。
同時に、「神さまは、本当に祈りをきいてくれますか?」という問いが起こってきます。

カトリックの近藤雅広神父は、中学生の頃から、ミッション系の学校に通い始め、学校から帰る時、チャペルに立ち寄って祈ることが習慣になっていました。その当時の祈りを今でもはっきりとおぼえているそうです。それは、「神さま、私に忙しい人生をください。私はヒマでたいくつが大嫌いです。たいくつな人生ではなく、忙しい毎日をください」と。
その後、彼は神父になり、教会で働くようになってすぐに気づきました。「しまった。あんな祈りをしたばかりに、こんな忙しい毎日をおくる破目になった」それで、その後は祈る時は気をつけるようになりました。神さまは祈ったとおり、いやそれ以上に与えてくださることが分かったからです。そのせいか最近、祈りとは、ただ感謝で十分であることを知るに至りました。

幼稚園では、園児たちが入園と同時にキリスト教に親しみ、礼拝をとおして祈ることをおぼえ、「アーメン」と元気な声で唱えます。
園児たちは、雨を必要とする子どもがいれば、同時にお天気を必要とする子どももいることを知り、どんなお天気でも、感謝をもって受け入れることのできる豊かな優しい心の持ち主に成長していただきたいと願っています。
(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

第5 回 ユダヤ式の教育に学ぶ その1

イスラエルと日本は良い意味でも、また悪い意味でも対比される。イスラエルの代表的都市である「Jerusalem」と日本「Japan」、その頭文字が共にJで「2つのJ」と言われたりもする。
最近の日本の教育熱心さは、やや下降気味で、フィンランドに抜かれてしまう。中央教育審議会の答申は「2003年に実施された国際的な学力調査からは、我が国の子どもたちの学力は、全体としては国際的に上位にあるものの……(中略)……低下傾向が見られた」と書いている。マスコミが「日本危うし」式に書くので、文部科学省もキリキリしているのが現状といえる。
閑話休題、本題に入ろう。
イスラエルは国家存亡、民族絶滅の危機を3度も味わっている。
その①
12部族から成る王国は南北に分裂し、紀元前722年にイスラエル王国は滅亡する。そしてイスラエル10部族の名前は歴史上消滅する。残ったユダ王国もバビロニアに攻められ、紀元前586年、指導者はバビロンの地に拉致される。民族滅亡の危機を前にして、預言者エゼキエル、エズラが立ち上がり、新たな民族宗教を形成する。
その②
紀元66年から72年にかけて、ローマ帝国に対してユダヤ人たちの武装闘争が繰り広げられる。紀元70年には、圧倒的なローマ軍によってエルサレムが陥落する。神殿は徹底的に破壊されて、ユダヤ教徒らは国外追放となる。ディアスポラ(ギリシア語で離散の意)となり、世界各地に移り住む。
その③
第2次世界大戦中のヒトラーによるユダヤ人の大量殺戮は、記憶にも生々しい衝撃的な出来事だった。戦後のアラブ諸国で民族主義が勢いづくと、またもやディアスポラが発生し、イスラム圏からのユダヤ人流失が後を断たなかった。
ユダヤ民族にとって最大の危惧は、異教徒との同化だった。いかに民族としてのアイデンティティを保持するかが最大の課題だった。指導者や長老たちは、民衆をシナゴーグ(会堂)に集め、聖書に書かれた教えを平易に力強く説いた。そしてタルムードという523条もの生活指針を考案し、各家庭でもねばり強く教えた。そのような宗教教育は、紀元前6世紀以来のものであり、ユダヤ人の骨の髄まで染み込んだものになっている。
『アンネの日記』で、アンネの父親が隠れ家で、娘のために新約聖書を買い与えて、教育しようとする場面がある。
「『ハヌカー祭の贈り物が、アンネへの聖書なの?』と、マルゴーが戸惑ったように言うと、パパは『いや……まあ、聖ニコラウスの方が、聖書を贈るには、もっとふさわしいかもね』と答えました」(ハヌカーはユダヤ教、聖ニコラウスはカトリックの祭日)。
ユダヤ人家庭における宗教教育やしつけ、父親オットーの娘たちへの心くばり、家族の連帯を大切にする態度など、日本人の見習うべきことが多く、感心させられる。

次回はタルムードに絞って、ユダヤ式の教育を書くことにします。

08-08-15るうてる2008年8月号

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集う喜び、SLEY福音大会

フィンランド福音ルーテル協会福音大会に参加された立野事務局長より報告をいただきました。
6月27日~29日にかけて、フィンランド福音ルーテル協会のお招きにより、福音大会に参加してきました。ヘルシンキから400キロを車で走り、森と湖のすばらしいカンカンパという町に、1万人以上の人々が集まり、3日間を通して礼拝を中心にした様々なイベントが開催されました。この福音大会は毎年おこなわれており、信仰を同じにする友が、毎年集まることの意味を深く感じることができました。
日本からのゲストとして招かれた私は、大会でのスピーチをはじめ、ゴスペルロックコンサートでも奨励、子どもプログラムでの説教の担当などを与えられました。とくに宣教師派遣式では按手者の一人として参加しました。子どもたちが派遣される国の旗をもって入場し、多くの信徒が見守るなか、おこなわれるこの式に出席し、日本宣教もこのような熱き祈りと支えによって成り立っていることを実感しました。
また、日本で働かれた多くの牧師・信徒宣教師と再会することができました。いまもなお日本のルーテル教会と信徒一人ひとりを覚え祈っていてくださる姿に感謝し、帰国後にその思いを日本の教会に伝えることをお約束して帰国しました。

受洗50周年を記念して -アワーミッションレポート-

今回は、受洗50年を記念して、教会にステンドグラスを寄贈された、森川利一さん、仲子さんご夫妻のお話です。半世紀におよぶご夫妻の信仰の歩みと、その節目にと、礼拝堂に設置されたステンドグラスは何を語りかけるのでしょうか。
森川さんと札幌教会の出会いを教えてください。
僕が妻と結婚したのは26歳の時です。妻は旧満州から、僕はサハリンからの引き上げです。いろいろ悩みを持っておりまして、あるとき教会に行ってみようということになりました。
近所のカトリック教会に行ってみましたが、茣蓙の上に正座をしての礼拝では足が痛くなり馴染めませんでした。妻が幼い頃に札幌教会のサオライネン師のところに遊びに行っていたことを思い出したので、次にルーテル教会に行きました。
長老の松本兄から「またいらっしゃい」と声をかけていただいたことが、つながるきっかけになったと思います。
受洗50周年とのことですが、思い出や特に印象に残っていることを教えてください。
沢山あります。昭和35年頃から役員を担当することとなり、教会財政の大変さを知ることになりました。まだ自給ではありませんでしたし、いろいろ工夫をいたしまして修理や工作などは自分たちで行いました。
牧師館の書斎を建て増したりブロック塀を直したり、礼拝堂の北側と南側の壁にコンクリートを打ったりもしました。教会学校のキャンプも楽しかったですね。
ステンドグラスを寄贈しようと思ったきっかけを教えてください。
常々欲しいと思っておりましたが、8年前に家族旅行で訪れた長崎の天主堂で日本最古のステンドグラスを見て、その思いが深まりました。教会の皆さんと相談してデザインを決め、工房のアイディアで虹も加わりました。
組み合わされたガラスを通して差し込む光は御言葉の光だと思います。併設された幼稚園に集う子どもたちにも、神さまのメッセージが伝わると嬉しいです。
水芭蕉は聖書からのモチーフではありませんね?
北海道に春の訪れを告げる代表的な花の一つです。雪の中からのぞかせるその姿は、いのちの歓びを現しているように感じます。神さまのお導きへの感謝の思いも込めて、入れてもらいました。
本日は、ありがとうございました。
(インタビュアー:岡田 薫)

風の道具箱

幸せが戸をたたく

テレビで若手ヴァイオリニストを特集した番組がありました。彼女は6カ国語を話し、ヨーロッパ全土で活躍しています。そのテクニックと技術の素晴らしさは絶賛されているといいます。その彼女の一言に思わず吸い込まれてしまいました。
「言葉をいくら使っても、いろいろな言語で話しても伝わらないものがある。心の思いや、ホントに伝えたくても言語化できないもの。私にはそれを伝える手段として音楽がある」と。
「十字架」。それは言語化できない神さまの御心の伝達手段です。私たちは言葉だけでなく、すべての感覚を使って感じる神さまの御心を、様々な伝達手段で受けていることになります。いついかなる時にも神さまと出会うことができるのです。沈黙の中でさえ伝えられてくるものがあります。
「私」はどうでしょうか。言語化できない神さまへの感謝や喜びを伝える手段として何を持っているか。それは「信仰」のみでしょう。この信仰によって元気に生きている姿が言葉ではなく、言葉を超えた伝達を可能にするのだと思います。
幸せが戸をたたく。この音がみなさんに伝わっているでしょうか。イエスさまは、いつもあなたの心の戸をたたいておられます。どんな音がしていますか?
(柿のたね)

牧師の声

私の愛唱聖句

東海教区 岐阜教会、大垣教会  齋藤 幸二

わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
ヨハネによる福音書 10章11節

20歳の頃、教会に通いはじめたわたしは、信じる心を持ちはじめた一方で、「本当にこの教えに生涯をかけてよいものか」という迷いも持っていました。「信者」を横にならべて書くと「儲ける」という言葉になるように、搾取するような宗教、人を働かせても自分は同じ働きをしようとせず、安楽な生活やこの世の名誉を求めている教祖がいることを知っていたからです。
しかし、「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と語られたイエス・キリストは本当にその言葉通りに生きた方だということが、聖書を学ぶうちに分かってきました。キリストは地上で何も所有されず、弟子たちと同じ生活、同じ働きを最後まで続けられました。また敵に逮捕されるときには、自分から前に進み出て、「この者たちを去らせなさい」と弟子たちをかばいました。
わたしはここを読んで「イエスはこの時、自分を犠牲にして弟子たちをかばったように、十字架の上ですべての人々をかばい、またこのわたしをかばってくださった」のだと知りました。イエス・キリストは自分の名誉や利益のために羊を食い物にするような方ではなく、むしろ羊に仕え、命がけで守ってくださるのだということが確信できたのです。
それ以来迷うことなくこの良い羊飼いに従っていくことができました。
キリストは昔、良い羊飼いであっただけでなく、死に勝って復活し、今も「良い羊飼いである」と語っていてくださいます。羊のように弱いわたしにとって、この主の御言葉がいつも支えとなっています。

信徒の声

教会の宝を捜して

東教区 大岡山教会 信徒 平塚登美子

大岡山教会との出会いを教えてください。
1949年に住んでいた自宅の隣に故渡辺忠雄牧師が住んでおられました。渡辺シーリ夫人はフィンランド人で、水曜日に聖書の学び会があるからと誘われました。シーリ夫人は大岡山教会のオルガニストをされており、教会の礼拝にも誘われ、同年5月に宮坂亀雄牧師より洗礼を受けました。この頃、幼稚園は宮坂先生が園長で、私は一緒に働いていたテーネ・ニエミ宣教師のお手伝いをするようになりました。ニエミ宣教師が一時帰国されたとき、アイロ宣教師が代わりに来日されました。アイロ宣教師の勧めと支援で夜間の保育学校に行き、資格を取り、幼稚園の教師となりました。主任を経て園長となり、60歳の時に定年退職し、牟田青子園長に託しました。
大岡山幼稚園は障がいのある子どもたちがたくさんいますね。
私が園長の時に統合保育を始めました。当時としては先駆的だったのではないでしょうか。今日ではすっかり大岡山幼稚園の特徴として高い評価を得ています。
教会では平塚さんが提唱された集まりがたくさんあります。
礼拝後には有志による「祈りの輪」があります。また毎主日の礼拝に出ることが難しくなった80歳以上の信徒を対象に「夕映えの会」を年4回開き、聖餐礼拝と交わりをもっています。
今でも幼稚園の保護者への働き掛けをされていますね。
牟田前園長と共に「おしゃべりサロン」を開いています。教育相談については妹尾悦子現園長の「園長先生と話そう」がありますので、私たちの会ではもっぱら時事問題をテーマにしています。それでも毎回10名以上のお母さん達が集まるのですよ。
個人的にも東京老人ホームのボランティアや病気の方のお世話をされ、とてもエネルギッシュに活動されています。教会の後輩たちに望むことはありますか。
会員が人生の最後まで主のしもべとして、信仰生活を全うしてほしいと思います。

LAOS講座の学び

「式文切替にLAOS講座の学びが役立ちました」

日田教会、甘木教会 宮澤 真理子

06年4月にわたしが日田・甘木教会に赴任した際、前任の先生から引き継いだことのひとつに礼拝式文の改訂がありました。これまで日田・甘木教会共に「茶式文」を使っていました。切り替える理由は、長年にわたる使用のために製本がぼろぼろになったこと、教区や全国の集会では「青式文」が使われていること、そして牧師の交替が重なったことです。
「茶式文」に慣れた方が「青式文」を使うとき、かなりの違和感を感じられると思います。しかし式文を学ぶということは、毎週の礼拝について学ぶことにつながります。つい慣例的になりがちだった礼拝をあらためて理解しなおす機会となりました。ちょうど前任の先生がLAOS講座第1号に入ったところまで担当されましたので、そのまま引き継いで「新式文(青式文)」を見ながら学ぶことができました。
LAOS講座の良いところは、参加者全員が同じテキストを持ち、活字を追いながら学べることだと思います。学びを通して礼拝の構成やそれぞれの意味を確認することができました。礼拝を理解するということは、礼拝の時間そのものが喜びにつながると思います。特に意識されたことは、聖餐式の設定のときに、式文から目を離してパンとぶどう酒に注目すること、聖餐式の前の「平和のあいさつ」を具体的に座席の前後左右の方、そして司式者と交わすことです。
式文の学びを終え、さあ第2号へというときに、甘木教会では創立90周年記念事業、日田教会では隣接地購入・会堂建築等が始まり、礼拝後はそれぞれの打ち合わせのための時間となりました。それぞれの事業が落ち着いたところで、LAOS講座第2号の学びを再開したいと思います。信徒の方も「教会で学ぶことは大事なことですね」と語っておられました。

神の造られた世界-環境と聖書⑤

第5回 未来の他者との対話

「『真か偽か』を見極められない科学の問題は、今を生きる我々の合意だけでは判断することは許されない。今ここにいる相手ではなく、異議を申し立てるかもしれない『未来の他者』を念頭に置いておく必要がある」との論評が朝日新聞「クロストーク」(2008・4・7)に書かれていた。地球温暖化問題とそれに関連する原子力発電推進論は、未来の他者との仮想的コミュニケーションが必要であるとの主旨である。
地球の炭酸ガスは増加の一方で貯まり続けており、それを取り除く科学的方法はいまだ確立されておらず、その影響は地球全体に及び、このままいくと温暖化暴走というきわめて深刻な問題が起こると危惧されている。炭酸ガスという廃棄物のリスクを未来の他者はどう考えるだろうか。一方、あらゆる廃棄物のうち最も処理が大変な原発から出る廃棄物に対して未来の他者はどう考えるだろうか。「炭酸ガス問題は地球全体のリスクであるが、原発廃棄物はある地域の限定的なリスク」という論に未来の他者はどう考えるだろうか。
私たちキリスト者は未来の他者とどのように対話するのだろうか。未来の他者との対話の仮想コミュニケーションをする場合、課題に対して安全と安心の視点から考えることが大切なのではと思う。たとえば原子力発電に関するアンケート(2008年2月全国ディアコニアセミナー・50歳以上80%の回答)からこの課題へのルーテル教会員の一面を垣間見ることができる。アンケートでは、原発は必要だけど不安とする人が50%に対して原発は必要ないとする人が50%と二分された。原発で最も不安なのは、自然災害(地震など)や事故への不安が60~70%、技術や組織への信頼不安が約40%であった。また、高レベル放射性廃棄物の危険性が高いと思う人が90%以上を占めていた。キリスト者が未来の他者と対話する場合、原発は安心できないという視点から考えていくのがアンケート結果だと思う。地球温暖化(炭酸ガス)問題は、一定のレベル(安全基準)を超えると、とんでもないことになると未来の他者に科学が語っている。人はこの課題を経済的手法、政治的手法で解決しようとしており、欧米では原発に舵を切ろうとする兆しもみられる。この問題もいまだ安心感があたえられないのも現実であろう。
この課題を考えるにあたって、「十戒」を安全(科学がその都度示す安全基準)、「主の祈り」を安心(科学をこえる心の安らぎ)と私は考えてみた。
読者のみなさん、未来の他者とのコミュニケーションを試みてみませんか。

キリスト者環境十戒
第4の戒め
「汝、外国の資源をむさぼってはならない」

神学生寮の思い出

甲府教会、諏訪教会  平岡 正幸

私が寮生活したのは入学して3ヶ月間、そのあと母と一緒に大学の管理人を2年次までしました。そして学部3年のときまた1年の寮生活、そのあと学部4年で結婚して市ヶ谷の管理人になりました。それで、合計1年3ヶ月の寮生活しかないのですが、寮の恩恵をいっぱい頂きました。
菊池ストアー(寮一階の階段横、夜食やお菓子のセルフサービスの出店)でお世話になった、その菊池さんからフォークダンスの講習会があるけど行かないか、と誘われ、それをキッカケにCS研究会というクラブを作ったことがありました。夏のCSキャンプの時期が近づくと、フォークダンス講習会を105・106教室で開いたものでした。何か役立つことをしたいと願っていましたので、今でも思い出に残っています。
ほかにも、幾人かのメンバー(高井保雄先生とか)で空手の練習をしたり、その横で卓球をしている人、オルガンを弾いている齋藤幸二先生、それらを見学しながら想いにふけっている鈴木浩先生……。真夜中1時ごろの寮1階の風景です。
朝7時の中村克孝先生主催の朝祷会も思い出の一つです。4月には多くの参加者がいて、だんだん少なくなるのですが、寮生活のこと、教会のこと、個人的な悩みなど祈り合ったのは、やはり寮生活であったからでした。
寮生活の思い出は、神学の研鑽、それと同時に、いろんなことを、自分のしたいことも含めてさせていただき、また語り合い、その中での出会い、が今の自分の形成に大きな影響を与えていると振り返ります。

募金活動にご協力ください

従来の寮棟を『ルターホール』と名称を変え大改修しました。この事業にご理解いただき、ぜひとも募金にご賛同、ご協力お願いいたします。

募集期間 2009年3月まで
送金先 学校法人 ルーテル学院
取扱機関 郵便振替口座00140-2171183(所定の郵便振替用紙をご利用下さい)
銀行口座 三菱東京UFJ銀行三鷹支店普通口座 4126089
名 義 学校法人 ルーテル学院
【お問い合せ】
ルーテル学院大学・神学校後援会(0422-31-4611)/教会事務局(03-3260-8631)

全国式文アンケートの集計から

2008年当初、式文の使用に関してのアンケートを行いました。ご回答いただいた内容を8回にわたり報告いたします。

1)「式文使用に関する事柄」

1983年に出版された試用(白)式文が殆どの教会で使用されています。それまで使用されていた茶色の表紙の式文使用教会がゼロだったことからも分ります。1983年の試用版は、1996年の青い表紙の式文に引き継がれて販売されましたが、値段が高価だったこともあり、その製本のままで使用されていることはないように思えます。
ところで、それに多少手を加えて独自の式文を作成しておられるのには、以下のような理由が伺われます。①文章の表現の変更。祝福の祈願を「与えるように」から「与えられます」のような変更。②文章や言葉への疑問による変更。罪の告白の中の「生まれながら」「けがれ」などへの疑問。③現代との違和感によるもの。「異邦人」「御民イスラエル」など。④式文項目の独自の取捨選択。例として十戒や年間主題を加えるなど。
異なった状況の中で、工夫しておられる様が浮かんできますが、同時に式文を大切にしたいという意識をどの教会も持っておられることが伺えます。(続く)

東教区 宣教フォーラム

第15回東教区宣教フォーラムは7月5日(土)、総武地区の津田沼教会を会場に行われました。梅雨時にもかかわらず天候に恵まれ、首都圏26教会、神学校などから、総勢131名の方々が集まり、津田沼教会の礼拝堂とロビーをフルに使っての盛会となりました。支えて下さった方々に感謝いたします。
今回は「祝福の継承」をテーマに、内海望牧師を招き、「私たちはあるがままで既に受け入れられ、恵みを受けている」とした主題講演と、例年の分科会に替えて、テーマを深めるパネルディスカッションを企画・構成しました。パネラーに内海望牧師、太田一彦牧師(都南)、綱春子姉(聖パウロ)、鳥飼一成兄(津田沼)を迎え、会場からは質問や経験談、感想など多くの反響を得ました。改めて、信仰の継承・家庭内伝道の大切さ、その恵みの深さを共有する有意義な一時を過ごすことができました。
(木村 猛)

災害緊急支援募金の報告

ご協力を感謝します。
災害緊急支援の募金は、6月末で以下の通りです。
ミャンマーサイクロン
1,101,656円
中国四川省地震
1,180,604円
それぞれの目標額100万円をすでに上回りました。その一部をシンガポールルーテル教会とELCA国際災難基金を通して、現地で救援活動を行っている団体に送金しました。本当にありがとうございました。
なお、新たに「岩手・宮城内陸地震」の被災者への救援募金を始め、現在も行っていますので、こちらへのご協力も、よろしくお願いします。

奨学金のお知らせ

LWFとELCAでは奨学金を用意しています。いずれも個人的な研究目的のためのものではなく、将来、ルーテル教会および関連施設に資することを目的にしたものです。受給希望者は属する教会、施設の責任者の承認を得て、お申し出ください。
詳細は教会事務局、世界宣教部(浅野、乙守)までお問い合わせください。
【締め切り 8月31日】

リビングストン先生受按手50周年

6月8日(日)、アメリカ・サウスカロライナ州コロンビア郊外にあるマウント・タボル・ルーテル教会にて、J.リビングストン先生の受按手50周年のお祝いがありました。少年の頃から宣教師になることに召しを感じていた先生は、按手を受けると次の年には日本に派遣され、その後40年にわたって日本の教会のために働かれました。
50周年を迎えた先生から日本の皆さんにコメントをいただきました。「皆さんを通して神の祝福をいただいたと感謝しています。引退した後もコーディネーターとしての働きを大切な召しと感謝し、いつも日本の教会のことを覚えて祈っています。これからもサウスカロライナ・シノッドと日本福音ルーテル教会との関係を一層深めていきたいと考えています」。 (佐藤和宏)

トピックス

■『聖書 新共同訳』1000万冊頒布達成記念聖書贈呈式 【7月2日】
教文館3階キリスト教書売場にて、記念式典が行われ、渡部総主事の挨拶と記念品の贈呈がありました。
1000万冊目を購入された藤井さんご夫妻(銀座教会)は、秋に生まれてくる子どもへの最初のプレゼントとして聖書を選んだと話してくださいました。

■第32回 キリスト教美術展 【7月2日~7月13日】
わたしたちの日本福音ルーテル教会も協力している、キリスト教美術協会の第32回「キリスト教美術展」が、7月2日から13日まで、東京銀座の東京福音センターで開催され、取材に行ってきました。
美術協会会員の渡辺総一さんにお話をうかがうことができました。毎年の開催で、期間中、千人以上の人が来場されるとのこと。戦前からプロテスタント、カトリック、それぞれの美術展が開催されていたそうです。戦後1975年からは合同で、「質の高い作品、そして、キリストを証しする作品」をモットーに、開催を続け今回に至っているとのことです。協会員は14名ですが、今回は25名の方々の作品が展示されていました。ちなみに韓国のキリスト教美術協会の会員は100名だそうです。日本では、会員も少なく、高齢化という問題を抱えつつも、美術を通してキリストのメッセージを発信していきたいと今後の抱負を語ってくださいました。

るうてる法人会連合 総会開催のご案内

■開催日:2008年8月26日~27日 ■会場:日本福音ルーテル大阪教会
■基調講演:「いのちという原点」講師:沼野尚美先生(六甲病院緩和ケア病棟チャプレン・カウンセラー)
※詳細は各教会に送られています。そちらをご確認下さい。

公  告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。

二〇〇八年七月一五日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
代表役員 渡邉 純幸

信徒利害関係人 各位

① 名古屋めぐみ教会
イ 牧師館取壊
・所在 名古屋市南区鳥栖一丁目一五二七番地
・家屋番号 一五二七番
・種類 居宅
・構造 木造瓦葺二階建
・面積 一階 六九・二七㎡
二階 三五・三五㎡
・理由 老朽化取壊しの会堂と合併新築
ロ 会堂及び集会室取壊
・所在 名古屋市南区鳥栖一丁目一五二九番地
・家屋番号 一五二九番
・種類 教会堂・集会室
・構造 木造瓦葺二階建
・面積 一階二九六・八五㎡
二階一三・五〇㎡
・理由 老朽化による建替
ハ 礼拝堂・集会室
及び牧師館新築
・種類 会堂・集会室
(一階 共用部分含む)牧師館(二階)
・構造 鉄骨造陸屋根
二階建
・面積
一階 三八〇・八三㎡
二階  九九・七〇㎡

②日田教会
建物一部無償譲渡
・所在 日田市三本松
二丁目七八七番地
・家屋番号 七八七番
・種類、構造及び面積
イ 幼稚園・教会堂・納骨堂
鉄骨コンクリート造軽量鉄骨造亜鉛メッキ鋼板・石綿スレート交葺
一階 四一五・八二㎡
二階 二六七・二七㎡
ロ 園舎
鉄骨造亜鉛メッキ葺
平家建 一二八・二九㎡
ハ 倉庫
鉄骨造亜鉛メッキ葺
二階建
一階   一一・六五㎡
二階   一一・六五㎡
・理由 教会立幼稚園の学校法人化に伴う基本財産の一部として譲渡

なお譲渡部分の納骨堂は事務室に改装、現在建築中の新会堂に移設工事中

以 上

募 集

■日本福音ルーテル教会 道草くらぶ ■■■■■■■■■■■■■■■■
「津和野・山口ザビエル 切支丹の足跡を訪ねて」
日程8月28日(木)~30日(土) / 参加費:29,000円(朝夕食付)
主催:日本福音ルーテル教会 PM21/P2委員会
申込・問合せ先:シオン教会 防府チャペル 090-4999-2791(室原)
■第12回全国青年修養会 参加者募集 ■■■■■■■■■
日程:10月11日(土)~13日(月・祝)/場所:岐阜県多治見修道院
テーマ:『神さま農園ぶどうの木』
主催:全国青年連絡会/後援:宣教室TNG-YOUTH
問合せ先:実行委員長 稲垣幸子(高蔵寺教会0568-91-2025)

住所変更

■門脇聖子 先生
〒665-0025
兵庫県宝塚市ゆずり葉台3-1-1 A-215
■室園教会
FAX番号
096-335-7800
■大江教会
FAX番号
096-274-1222
■熊本教会
電話・FAX共用
096-352-1772

訂 正

るうてる7月号3面「世界の各地から」の1つめの写真に「写真左がユース氏」とありますが正しくは「写真右がユース氏」です。ここにお詫びして訂正いたします。

08-07-17るうてる《福音版》2008年7月号

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バイブルメッセージ  たいせつなこと

知ってる?
あなたは愛されているんだよ。
誰に?
あなたの「命」を創られた方に。
かけがえのない、あなたという一人の存在を創られた方に。
創られた方にとってあなたは誰にも変えられない大切な大切な存在なんだよ。
本当に私が……
誰と比べるわけでもなく、ただ、あなたという存在がそのまま愛されているんだ。
私にはできなくても、あなたを創られた方にできるんだ。
「自分を愛せない人は人を愛することはできない」って言われた。
もっともだと思った。
だから私は人を愛することはできないんだと。
だから、「愛されること」「愛すること」どちらが優先されるの?
と聞かれたとき、「愛すること」です。と答えたことがある。
でも、こんな私でも「愛されて」いることを知った。

私たちは目に見えるものが優先されがちなときが多い。
でも、考えてごらんよ「目に見えるもの」も「目に見えない」ものも大切にしている。
そんなことないよ。と言うときがあるかもしれないけど
あなたが生まれた日、あなたを生んだ人、あなたの家族……
いろんなことが信じないと、今のあなたをあなたであると証明してくれない。

でもね、あなたという「命」はあなたを創られた方の保証付きなんだよ。
誰が何と言おうと。
あなたは愛されている存在なんだ。
それは、あなたが出会う全ての一人ひとりも同じなんだよ。
見えなくても、触れなくても。信じようよ。
あなたは愛されている、あの人もこの人も。そしてあいつも。

「自分のことを愛せない人は人を愛することができない」という言葉なんだか困っちゃう、だってどうしようもない。
私自身を愛するってなんだか難しい。
でも大丈夫なんだ、あなたは愛されているから。
あなたの「命」を創られた方があなたを愛してる。
教えてあげなよ、あの人にも。あなたは愛されてるよ。って。

「わたしがあなたを愛したように、あなたも互いに愛し合いなさい信仰の足跡をたどる旅」って
勝手に愛することはどういうことか自分で考えなさいと言われるのではなく。
わたしがあなたを愛している。そのようにあなたも互いに愛し合うことができるんだよ、って。
だから、できるよあなたなら。

愛されるってどういうこと?
そのままのあなたが受け入れられてること。大切にされてるってこと。
一人ではないってこと。
あなたを愛してるよ。
S

十字架の道行き

【第四留】イエス、母マリアに会う

【祈りの言葉】
イエスよ。母マリアは剣で胸を差しつらぬかれる悲しみにあいました。
私たちは、別離や死のように、言いようのない悲しみに出会うとき、その慰めをどこからえるのかわかりません。主よ、あわれんでください。

毎日あくしゅ

感謝

参議院議員でエッセイストの山谷えり子さんは、彼女の祖母が、感謝の名人であったことを記しておられます。
「今日は、電車でかわいい女子中学生がいたのよ」「散歩してたら、目の前で花が揺れたのよ」「お店に入るとちょうど残りものがあって安くしてくれたの」と、山谷さんが家に帰ると、ニコニコ話し、彼女もまたニコニコと聞いてうなづきました。
その話をそばで聞いている叔父や叔母は、「かわいい女子中学生と乗り合わせたってそれがどうした?」「花が揺れたのは風が吹いたからやないの」「安くしたのは売れ残るよりマシだから。食中毒にならんといいけどなぁ」祖母は家族ならではの皮肉を聞き流し、「今日も神さまは、私と一緒にいてくれはったという証拠やねぇ」と、私に目配せしながら笑うのでした。「おばあちゃんには、よく神さまがくっつくね。えこひいきされてるって感じ?」と山谷さんが聞くと、「神さまは、えこひいきせんよ。私が神さまのサインを見つけるのがうまいだけ」と言うのでした。
園庭にこの春植えた野菜が実をつけ始めました。茄子やピーマン、枝に隠れて赤く色づいたトマト、それを見つけた園児たちは、一様にその不思議を身体で表現しています。ややもすると目の中に飛び込んでくる現象を無視してしまうことがよくあります。しかし、立ち止まり、そこに目をやると、これまで見過ごしていたものがまた違って見えて来ます。園児たちの大発見は、すばらしいものを回りの大人に与えてくれます。大人の目では当たり前の光景が、子どもの目では違っているのです。先ほどの山谷さんのおばあさんも、99歳で亡くなるまで、子どもの目を持って過ごされたようです。
私たちも、子どもと一緒に同じ感動を共有したいものです。そのためには、「花が揺れたのは風が吹いたからやないの」の大人の思いを少し横において、素直な感謝と喜びを体中で味わい表現したいものです。子どもの成長とその不思議を新たに思い起こし、感謝の目で見つめましょう。
(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

第4回 ギリシアの教育に学ぶ その2

「善く生きる」ことを身をもって示したソクラテスは、生前は授業料も取らずに、毎日街に出かけ、市民としての普遍的な理想を説いたといいます。そして人間としての善さを①思慮、②節制、③勇気、④正義として、4つの徳の何たるかを市民に問いかけました。
しかし、ソクラテスの死後、アテナイの繁栄に陰りが見え始め、マケドニアの支配下におかれてしまいます。けれども文化的な優位は保ち、アテナイ市内には4つの学校が軒を連ねたといいます。すなわちプラトンによる「アカデメイヤ」、イソクラテスの開設した「修辞学校」、ゼノンの「ストア派の学校」、それと「エピクロスの園」の4校です。
どの学校もソクラテスの精神的遺産を引き継ぎ、「完全な人」を教育理念に掲げ、特色を出すために、しのぎを削ったといいます。
教育基本法第1条には、教育目標を「人格の完成」と規定していますが、日本とギリシアとでは、時代、場所が違いながら、理念が重なり合う偶然はちょっと面白いですね。
エピクロスについては、日本では誤解されており、エピキューリアン(快楽主義者)と蔑まれますが、エピクロスは300巻もの著作を残した学究者でした。エピクロスの園では、知的な「静的快」を最高のものとし、身体的に苦のないこと、魂において乱されぬこと、そのことが平静と呼ばれる心境で、哲学はこの心境に達するための知識であると弟子たちに教えていました。

最後に、紀元前11世紀ころ、半島南部を支配したスパルタについて記しておきます。
スパルタはメッセニア人の土地を没収し、彼らを農奴(ヘイロタイ)にしたので、反乱に手を焼きました。そこでスパルタは、世にも不思議な国家体制を敷き、社会全体を軍隊組織、規律正しい共同体にしたのです。物欲や所有欲をなくすために、金貨、銀貨を廃止し、鉄の貨幣を使用させました。かさ張る貨幣は不便で、賄賂なども激減し、スパルタからたちまち不正が姿を消す事態となりました。
15人がひと組となる共同食事制度も考案され、美食は放逐されて、同席する大人は少年たちに向かって、節制と努力、会話術、政治論などをたえず聞かせたのです。
奇妙なのは、食物の盗みを働かせるという訓練も行われ、もし捕まってしまうと、厳しく罰せられたといいます。少女たちも少年と同じような訓練が行われ、かなりの年齢に達しても、娘たちは全裸で競争、格闘、やり投げを行うように命じられました。
このようなスパルタの異常な教育は、森本哲郎氏の『戦争と人間』(PHP文庫)に詳しく書かれているので、ご一読をお勧めする次第です。

谷 健(たにけん)…昭和5年7月生まれ。東京都の公立小学校7校の勤務。専門は英語、道徳。道徳副読本の編集に従事。

08-07-17るうてる2008年7月号

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新議長インタビュー

「朝型牧師」の新議長、渡辺純幸先生を、今期最初の常議員会2日目の早朝、市ヶ谷センターの議長室にお訪ねして、インタビューしました。
まずは、新議長としての抱負です。「教会の中心である礼拝と、そこで語られるみ言葉によって、牧師が元気になり、信徒が元気になり、そして教会が元気になることを願っています。そのために、わたしに何ができるかということを考えています」と。続けて、「信徒は牧師の良いところを見てほめてください。同様に、牧師は、教会の良き奉仕者として信徒を大切にし育てて下さい。明るく、元気な、楽しい教会を、みんなで造りあげていきましょう。そうすれば、きっと人が集まってくるでしょう」と、明るく、元気に話してくださいました。
急務ともいえる教会行政の課題については、即座に「財政」と答えられました。そして「これまで同様、歳出の抑制を心がけ、実行していくこと。それと共に、牧師と信徒が一丸となって、明るく、元気な教会を形成していきましょう。そうすれば必ずや、財政も好転します」と。
最後に、「教区長は、教区内の一つひとつの教会に対して心を砕いておられ、感謝しています。議長としても、できる限り、教区長と一緒に教会を問安し、教会の方々と顔と顔を合わせて、お話しがしたい」と語られました。 会議直前のあわただしい時間帯でしたが、顔と顔を合わせて、取材に応じてくださいました。ありがとうございます。
インタビュー:徳野昌博

信仰の足跡をたどる旅 アワーミッションレポート 厚狭教会

西教区、山口県は山陽小野田市にある厚狭教会では、2005年9月に「信仰の足跡をたどる旅」と銘打って、キリシタンゆかりの地天草へ一泊旅行をされたそうです。その情報を聞きつけて、企画された教会員の藤野和夫さんに電話取材をさせていただきました。
ことの始まり、きっかけは、作家司馬遼太郎の『街道をゆく』を読んだこと。その本との出会いだったそうです。実際にその地を訪ねてみようと思い立ち、興味、関心を持つ人たちに声をかけマイカーに分乗してと思っていたら、14名、教会ぐるみの団体旅行になったそうです。小さな集落に、威厳をもってたたずむカトリック教会の礼拝堂をまのあたりにし、その荘厳さに心打たれ、学ぶことも多くあったとのこと。自分たちの住む厚狭の町も決して大きな町ではないけれど、そこに建てられているルーテル教会として、その信仰を守り、伝えていきたい、そんな励ましを受けたそうです。
参加者は帰ってきてからも教会で盛り上がりを見せ、2007年にも、今度は島原、長崎へと、信仰の足跡をたどる旅を18名でされたそうです。藤野さんは、この旅では、天草の乱、最後の戦場となったとされる原城址を訪ねたときのことが印象に残ったと話されました。徹底的に除外されていったキリシタン……。
さらなる計画もあるそうで、次回は平戸を訪ねたいとのことでした。平戸では「仏教とキリスト教が仲良くしていた」そうで、その実態を見て、学んできたいと、抱負を語ってくださいました。
1人の教会員の本との出会いが、教会ぐるみの信仰の足跡をたどる旅となり、さらに、わたしたちの信仰と伝道、まさにアワーミッションへの盛り上がりを見せていることが電話を通して、お話をうかがいながら伝わってきました。こちらも励まされました。藤野さん、どうもありがとうございました。

風の道具箱

男はつらいですか

ある男が自分の抱えている十字架の重みに耐えかねて、神様に頼みました。
「この十字架は私には大きく、重すぎます。この十字架をおろしてもいいですか」神様は「いいでしょう。そのおろす十字架の代わりに、ここにある他の十字架の中から、一つを選んで取りなさい」と言われました。
男は辺りを見回しました。大小さまざまな十字架が山ほどありました。どれも大きな十字架ばかりなので、男は途方にくれました。そのときふと、片隅に小さめの十字架を見つけました。他と比べると、それが一番小さかったので、男は言いました。「神様、これにします」すると神様は「良いでしょう。その十字架はついいましがたあなたがおろした十字架です」と言われました。
イエスは「自分の十字架を担って私に従わない者は、私にはふさわしくない」と言われました。自分に与えられた十字架ほど大きな重たいものはない、と私たちは思っています。しかし、神様はその人にあった十字架しか与えられません。それを背負うしかないのです。
男も女もつらいときがあります。そのときがイエスと出会う瞬間です。
(柿のたね)

牧師の声

私の愛唱聖句

東教区 甲府教会、諏訪教会 平岡 正幸

愛を知り、かつ信じている。ヨハネの手紙一 4章16節

わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。
(口語訳 ヨハネの手紙一 4章16節)

この聖句は1980年代後半、私が統一協会信者の救出で最も忙しくしていた頃に、こころのオアシスのように聞こえてきた聖句です。以前、東教区報が発行されていたときに、巻頭言になったこともありました。「愛することに疲れているあなたに」だったと思います。
その頃の私は、毎日、救出を求める家族に接し、また救出中の統一協会信者も何人も抱え、そして大切な本業の牧会。全く初対面の方ばかりでした。一人ひとりの対応を精一杯していたつもりでしたが、心は「愛することに疲れている」、と気づかされた聖句なのです。
毎日、初対面の方々と会う前に、「主よ、どうか、今からお会いする○○さんを愛することができますように」と祈って、対面していました。「愛することができますように」、しかし、それに疲れたのです。
この聖句に出会って、祈りが変わりました。「主よ、あなたが愛しておられます。私を用いてください」と。
「愛を知り、かつ信じている」と聖句は言っています。愛すること=信じること、これに近い聖句はほかにもありますが、私は、先ほどの状況の中で、この聖句でハッとしたのです。
親が子へどのような思いを持って接したらよいか、家族からよく聞かれました。そのときも、この聖句が私の答えでした。愛することは、どのようにしたらよいか、実は難しいことです。しかし、信じる、子を信じる、やがて家族のもとに帰ってくる、と。信じること、そこに希望があると、コリントの信徒への手紙一 13章、「信・愛・希望」でも言っています。
「愛を知り、かつ信じている」。私は、今でも礼拝の黙想の時間に、この聖句によって、「主よ、あなたが愛しておられます。私を用いてください」と祈っています。またカウンセリングのときも、この祈りを続けています。精神科医トウルニエも言っていました。「相談者と私の間に神がおられる」、その思いを持って診察している、と。この聖句は、今も私を支え続けてくれる聖句です。

信徒の声

教会の宝石を捜して

九州教区  日田教会 信徒  後藤 林蔵

後藤さんはいつも元気はつらつとしておられて、わたしたちは励まされています。何年のお生まれですか。
1910年(明治43年)です。今年98歳です。
日田教会が伝道を始めた年と同じですね。教会へ行かれたきっかけは何ですか。
仲良しの友だちが誘ってくれました。その友だちはもう亡くなっていると思います。
洗礼はいつ受けられましたか。
1930年(昭和5年)12月21日、20歳の時です。福山猛牧師とウインテル宣教師より授けていただきました。
受洗されてもう78年になるのですね。教会でうれしいことは何ですか。
同じ気持ちの人たちとの交わりがうれしいです。
日曜日は雨の日も風の日も、午前9時50分には礼拝堂のいつもの席にお座りですね。健康を保つ秘訣はどんなことですか。
たいてい朝5時半に起きて1時間から2時間くらい自由にからだを動かします。連れ合いが5年ほど前に召天しました。買い物も食事作りもすべて自分でしています。自動車を持っていませんので、自転車(三輪)を使っています。教会まで30分くらいかけて来ます。
いつも木のおもちゃを作ってくださり、ありがとうございます。
いつから作り始められましたか。
70歳くらいの時からです。もともと飛行機会社に勤めていて飛行機を作っていました。細かい作業は得意です。木のパズルやルターの紋章を作りました。コマや、つばさが動く鳥、動く人形、竹とんぼ、ぱたぱたと板が下りていくおもちゃなど動きのあるおもちゃをたくさん作りました。
最後に、お好きな聖句と讃美歌を教えてください。
聖句は「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」ヨハネによる福音書3章16節です。最高の愛を教えられます。讃美歌は494番「わがゆくみちいついかに」です。いつも神様が一緒におられると感じます。

LAOS講座の学び

「キリスト教の教理と信条」~山梨・甲府教会の学び方~

甲府教会 志村治夫

「るうてる」6月号の広島教会の記事では、毎月1回のしかも木曜日ということで、限られた方々の学びになっているようですね。広島は大きな教会ですのでそうなるのかもしれませんが、わたしたち甲府では教会全体でみんなで学んでいます。
甲府では、はじめ、創刊号を、教会修養会で1日かけて学びました。その後しばらく途絶えていましたが、月に2回のペースで再開しました。1回につき20分ほど、皆で読みあわせし、質問があれば質問し、感想などを短く語って終ります。
分かりやすく書かれていて、しかも著者の個性も出ていて、バラエティに富んでいるので、1巻ごとの変化も楽しめます。それぞれに新しい発見があり楽しいです。
教会に限らず、皆で最後までやり通し達成するということが少ないのではないかと思います。このLAOS講座こそは、と思っていても、批判をする牧師が現れたりすると……。それは高ぶりではないでしょうか? 牧師と信徒は同等だという基本的な、信頼関係を育まないと、ルーテル教会は、希望が生まれないと思います。このLAOS講座を、進める時、それぞれが試されるのではないのでは? と思います。
4月から、平岡正幸牧師が、甲府に赴任されました。
PCを上手に操る平岡牧師の学び方は、各巻の著者が、講演している動画ファイルが、本教会のHPにある。それをダウンロードして、(約40分)その後、質問と感想等語っていただくようにしよう、ということになりました。
いろいろな事情で、学び方は、そして学ぶ速度も変化しますが、決してやめないようにしていきたいものです。

神の造られた世界-環境と聖書④

予測された未来への対応

讃美歌21 球根の中には
 球根の中には花が秘められ、さなぎの中からいのちはばたく。寒い冬の中春はめざめる。その日、その時をただ神が知る。

予測された未来への対応。私たちは予測された未来へ適応できる準備をしておく必要がある。
地球の平均温度は100年前に比べて0・7℃上昇している。私の通う教会がある名古屋市では100年前には14・5℃であった平均気温が今は16・2℃、なにもしないでこのままいくと今から100年後には最悪の場合20℃を超え、真夏日や熱帯夜が年間の半分になるかもしれない。このような急激な変化が生じると今の風景も変わってしまうであろう。平均気温2~3℃の上昇は避けられず、この温度変化に適応できるような生き方をせざるをえないのが現実となっている。
季節ごとに様々ないろどりを見せる日本の風景。日本人にとって身近なものであるサクラの開花は100年前には入学式の頃であったのに、今は3月末日で入学式の頃にはサクラは散り始めている。100年後には子どもたちはどんな風景をみているのだろうか。日本の四季はなくなり、ヤシやココナツの繁茂する風土となっているのだろうか。
4月上旬NHKテレビがベトナムで市民が初めてサクラ風景を楽しんだとの映像を映し出していた。日本から持ってきたサクラの小枝を街路樹に飾りつけたものを美しいと眺めるホーチミン市民の姿であった。まさに未来の日本でサクラを見ることができなくなり、サクラの小枝をココナツの木々にかざして眺めるような風景となってしまうのだろうか。
仮に日本の風景が、わずか2世代で一変してしまった場合、私たちは果たして新しい風景に慣れることができるだろうか。地球温暖化にあわせて、私たちは風景を眺める眼も変えていかざるをえないのだろうか。

キリスト者環境十戒
第3の戒め
「汝、地球温暖化の原因となる行為をつつしまねばならない」

神学生寮の思い出

大阪教会 滝田 浩之

みなさんは大学のチャペルの椅子がいくつあるか、ご存知でしょうか。かくいうわたしも、実は知らないのです。しかし、その数がゆうに百を超えることは間違いありません。
毎日、欠かさずに行われる昼の礼拝の時に、わたしは、その椅子が乱れているのを見たことが、一度もありませんでした。そして、いつも、どんな時にも、チャペルの椅子は整然と並べられ、そこに集う者に、神さまの前に立つということを教えていました。
いつの頃からか、このチャペルの椅子を、誰が並べているのか興味をもちました。朝早く、そっとチャペルを訪れたことがあります。そこでは、一人の人が、ただ黙々と、百をこえる椅子を丁寧に並べている姿がありました。驚くべきことに、その人は昨日の夜遅くまで、わたしたちと語りあってくださったチャプレンでありました。誰よりも遅くまで、悩める神学生により添ってくださったチャプレンが、朝日の中で椅子を並べる姿が、いわばわたしにとって「牧師」という仕事の、一つの形になりました。礼拝を守るということ、神の言葉を大切にするということ、そういう抽象的な言葉が肉となった姿がそこにあったからです。
わたしは今でも、朝早く、いつも、どんな時も原点に立つ恵みが与えられています。しかも、それは一人に託された仕事ではなく、全国にちらばる仲間と共に担うものであることを牧師生活を通して教えられています。一つひとつの会堂の椅子を並べながら。

募金活動にご協力ください

従来の寮棟を『ルターホール』と名称を変え大改修しました。この事業にご理解いただき、ぜひとも募金にご賛同、ご協力お願いいたします。

募集期間 2009年3月まで
送金先 学校法人 ルーテル学院
取扱機関 郵便振替口座00140-2171183(所定の郵便振替用紙をご利用下さい)
銀行口座 三菱東京UFJ銀行三鷹支店普通口座 4126089
名 義 学校法人 ルーテル学院
【お問い合せ】
ルーテル学院大学・神学校後援会(0422-31-4611)/教会事務局(03-3260-8631)

世界の各地から

ドンジェス先生からバトンタッチ

サウスカロライナシノッドでは、新しいビショップにH.R.ユース(Yoos)氏が選出されました。氏は、現在コロンビアにある「良い羊飼いルーテル教会」の牧師をしています。なお、副議長にはレキシントンのシオンルーテル教会の会員であるM.S.コーン(Kohn)氏が選出されました。

アジアからのお客様

5月24日、「APELT-JW:いつくしみ」の研修会が東京教会で行われ、韓国から婦人会会長のクオン・ヒュックチョさんと婦人会書記のミン・フィージョンさんが、そして、台湾からは牧師で、「ルーテル世界連盟」の理事であり、その中の「教会と社会における女性」部門の北東アジアコーディネーターのセルマ・チェンさんが参加してくださいました。日本の教会の女性たちと共に礼拝をし、その後も、学び、語らい、交わりのひとときを過ごされました。
市ケ谷の事務局も訪問してくださり、ありがとうございました。

第23総会期

第1回常議員会

6月9日から3日間にわたり、市ヶ谷センターにて、第1回常議員会が開かれました。5月の全国総会にて選出された、渡邉純幸総会議長他、新執行部が主催する初めての会議となりました。
渡邉総会議長はまず所信表明として、「今期のテーマである『宣教する教会としての更なる成長』を具現化する」こと。そのために「賜物をいかす」「尊敬する」「大切にする」をフィリピ2章3節~5節をもとに掲げました。「明るく」「楽しく」「元気になる」教会をつくることを目指すために、いくつかの提言がなされました。
会議では今期の主要課題を確認、とくに「ブラジル宣教師派遣募集」「給与制度および財源に関する抜本問題委員会の設置」などが承認された。
詳しくは報告をごらんください。

LCM協議会

5月20日から21日にかけて海外の支援教会との協議会Lutheran Cooperative Missionが開催されました。三鷹の神学校がこのために初めて用いられました。支援教会というのは北米ルーテル教会(ELCA)、フィンランド福音協会(SLEY)、そしてドイツのブラウンシュバイク領邦教会(ELKB)の三団体。
今回ドイツは出席できず、アメリカとフィンランド代表者と日本側代表者との会議となりました。
テーマを決めて学習会を中心に据えており、今回は「堅信」をテーマに話し合いました。堅信という制度がキリスト教の歴史の中でどのように始まり、どう変遷していったのか、またルーテル教会では今日、これがどう実践されているのかをお互いに紹介しあい、問題点を課題を挙げつつ、さらに意味あるものとするための方法を探りました。
欧米の教会では日本の学齢でいくと中学生になったころから始まるようです。
堅信が教会で結婚式をあげるための条件となっていて、それがために受けるといった問題点の指摘もありました。形骸化しないために欧米の教会では数多くの教材が作られており、努力のあとが見られます。
また壮年が洗礼を受けるとき、洗礼と堅信との関係について意見があり、日本の式文(青)との相違があることも教えられました。

メコン・ミッション・フォーラム

アジアの大河メコン川流域諸国への伝道に意欲を示している国々が集まって、いっしょに伝道するための協議会です。私たちの教会(JELC)は発足当時から関わっています。今年はタイの北東部、メコン川を挟みラオスとの国境の町、ムクダハンを会場としました。
日本の場合地理的条件もあって、思い切った世界宣教がなかなかできないというのが現状です。シンガポールやマレーシア、香港のルーテル教会が人を派遣し、教会を作ろうする積極的姿勢に多くを学ばされます。JELCは特にカンボジアへの宣教を考えており、昨年はJELAとの共同で青年をワークキャンプに派遣しました。そういった経験の積み重ねが大きなステップへの踏み台となるでしょう。いつか私たちの教会からメコン地域へ宣教師を派遣することが祈りです。

幼保連会長挨拶

ルーテル幼稚園保育園連合会会長が高塚郁男先生から杉本洋一先生に変わりました。就任にあたり、挨拶をいただきました。
「キリスト教幼児教育・保育は伝道である。宣教それ自体、宣教そのものであっ て、伝道の補助手段ではない。「幼子をキリストへ」伴ってゆく業である」と江口武憲先生(百年の歩み)は記しました。これからも変わることのない働きの基本理解です。これを踏まえ、個々の園では解決できないことを、結束し対処していきたいと思っています。どうぞ、この連合会の働きのために、各園の幼児教育・保育の働きのためにお祈りください。
(杉本洋一)

ブラジル宣教師派遣募集

ブラジルの二教会(サンパウロルーテル教会・南米ルーテル教会)の宣教師派遣を下記の通り募集します。
■日時:2009年4月より(ヴィザ習得等により、出発日時の変更あり)
■期間:3年
■派遣教会:ブラジル・ルーテル告白福音教会(IECLB)
■任地:日系パロキア(ブラジル・サンパウロルーテル教会及び南米ルーテル教会)
■資格:右記2教会の宣教師として
■応募資格:日本福音ルーテル教会教職(受按手)となって、5年以上の教職
■奉職給:ブラジル・ルーテル告白福音教会の奉職給に準ずる
■語学研修期間:6ヶ月
■派遣審査:審査委員会を経て、常議員会が決定する
■応募締切:2008年8月31日
尚、詳細は事務局、または世界宣教委員会までお問い合わせください。

日本ルーテル教師志願者募集

2008年度の日本福音ルーテル教会教師試験を先により行いますので、志願者は、必要事項を添付して、本教会事務局にお申込みください。
― 記 ―
一、提出書類
1.教師志願書
2.履歴書
3.教籍謄本
4.成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書
5.所属教会牧師の推薦書
6.神学校卒業(見込み)証明書及び推薦書
7.健康診断書二、提出期限
2008年9月19日(金)午後5時
三、提出先
日本福音ルーテル教会 常議員会会長 渡邉渡邉純幸(但し、書類の送付先は、日本福音ルーテル教会事務局とする)
四、試験日及び試験内容については、本人に直接連絡する
以上
日本福音ルーテル教会 常議員会会長
渡邉純幸

募 集

■ルーテルこどもキャンプ ■■■
日程:8月7日~9日 場所:広島教会
テーマ:「来んさいヒロシマPeaceじゃけん」
●スタッフ募集
グループ・リーダー 大学生以上の教会員/ジュニア・リーダー 高校生以上
いずれも前日の研修会ならびにキャンプ期間全日程参加が必須条件となります。
※お問合せは…キャンプ長 坂本千歳牧師(岡山教会/086-803-3613)まで

■第29回教会音楽祭テーマ曲歌詞 募集 ■■■
今回は、「主の祈り」から「わたしたちを誘惑におちいらせず かえって悪からお救いください」(教会音楽祭訳)というテーマで開催いたします。共に心を合わせて賛美できるような、詞を募集します。ぜひご応募ください。

■応募条件:1人1作品、未発表のもの ■締切:2008年8月末日(消印有効)
※提出先等の問合せは、東教区教育部、徳野昌博(小石川教会)まで

■第12回全国青年修養会 参加者募集 ■■■
日時:10月11(土)~13日(月・祝) 場所:岐阜県多治見市 多治見修道院
テーマ:「神様農園ぶどうの木」 ヨハネによる福音書15章
主催:全国青年連絡会(代表 黒野まり子) 企画運営:東海教区青年会

公 告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。

二〇〇八年七月一五日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
代表役員 渡邉 純幸

信徒利害関係人 各位

名古屋めぐみ教会
(柴田礼拝所)
所在 名古屋市南区鶴見通一‐六‐八
土地売却
・地目 境内地
・面積 三三〇㎡
・理由 恵礼拝所に合同のために売却
礼拝堂及び付属建物取壊
家屋番号 六番八の二
イ・種類 教会堂(一階)
事務所(二階)
・構造 鉄骨造
鋼板葺 二階建
・面積 一六〇・四五㎡
ロ・種類 居宅
・構造 木造瓦葺二階建
・面積 九一・九一㎡
・理由 敷地売却のため
以 上

住所変更

■和田 英男 先生
〒241-0032
神奈川県横浜市旭区今宿東町1638-1ライオンズマンション鶴ヶ峰ガーデン126
電話:045-309-9116

08-06-17るうてる《福音版》2008年6月号

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バイブルメッセージ  支えられてこそ立てる

そこで、イエスは言われた。「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る」
ルカによる福音書13章18~19節(日本聖書協会・新共同訳)

美瑛の丘はいつ訪れても美しい。この丘は前田真三氏の写真集で紹介され、多くの人の知るところとなった。わたしもその一人だ。
幾重にも続く丘を彩る多様な畑の幾何学模様。表情豊かな木々。冬は一変して一面の雪原となり、木々はその上に、版画にも似た線模様を描く。
もとは原生林だったところが開拓されて、このような丘は出来た。だからその風景は人工的でもある。けれど開拓者たちは、自然との調和を破壊しないように細心の注意を払った。結果、天地に交響する極上の風景が創出された。
最初に訪れたとき、強く心惹かれる一本の木に出会った。麦畑の中に大きな木が凜と立っている。見る角度によっては、ややかしいで見える。絶えず一方から風を受け続けたのだろう。永い風雪に耐えてきたのだ。それは大空と大地の間に屹立しながらも周囲と調和し、その風景を、一幅の名画のような味わいにしている。
この根の総延長を、肉眼では見えないような根毛までも含めて実測すれば、どれほどになるのだろうか。地球を一周してもまだ余るのではないか。でたらめを言っているのではない。アイオワ州立大学で、ガラスの容器で育てた一本のライ麦の根の総延長を計ったところ、何と11200㎞になったという話(五木寛之「人生の目的」)から想像してのことである。
深く根を張り、天に向かって伸びゆく木。人もまたこのようでありたい。人の命の根は見えない。けれどもその根は永遠の大地に支えられている。永遠の大地は神。支えられてこそしっかり立てる。根を張ってこそ凜と立てる。
このごろ無惨に若木の根が切られて倒れるのを見て心痛む。切られてと言うより、自らその根を切っているのだ。自然の若木のことではない。人間のことだ。「だれでもいいから殺したかった」とうそぶく青年。どうして早々に、人生を諦め、命を呪い、人間としての根を断とうとするのだろうか。
心惹かれる木に何度も会いに行った。その木が「哲学の木」と呼ばれていることを後で知った。その風情が、人は何処に立つのか、自ずと省みさせるからだろうか。
自分の命の根を思おう。そして凜と立とう。命の大地は神。この永遠の大地にひとりひとりの命は根ざし、支えられているのだ。(K.S)

十字架の道行き

【第三留】イエス、一度目に倒れる

【祈りの言葉】
主よ、あなたは苦しみと、痛みの中で力もつき、十字架のもとに倒れられます。負うべき自分の十字架が、自分の力を越えたものに見え、苦しみと疲れに「もうだめだ」というひと言がもれる時、あなたを思い起こさせてください。

人形制作/杉岡広子 http://www.bibledollministry.com/

毎日あくしゅ

敏感期

登園すると決まって積み木で遊ぶ園児がいます。ブランコに一番に出かける子、砂場で団子を作る子、あるいは絵を描くというように様々です。多くの子どもが、毎日繰り返しその同じ遊び(作業)に熱中します。それを園児たちは自分の納得のいくまで繰り返します。これは子どもが抱いているあるがままの自然な姿でもあり、興味や意志の表現です。その時、子どもの中には、自分の内部に秘めている興味やこだわりが芽生えてくる時があります。もちろんそれぞれの子どもの興味は異なり、時期は違います。
このある特定の時期に芽生える特別な興味を大切にすることを提唱したのが、マリア・モンテッソーリ女史で、この時期を「敏感期」と呼んでいます。
彼女は、1870年生まれのイタリア人女性医師で、専門は、貧しい地域の発達の遅れた障碍児の研究でした。彼女は知能の発達の遅い子ども達を、健全な普通児と同じくらいに学習できるようにしようとの使命に燃え、子ども達を深く観察しつづけ、やがて「モンテッソーリメソッド」と呼ばれる独自の教育方法を編み出し、やがて彼女の教育法は世界的に広まり、21世紀を迎えた現代、多くの教育専門家により再評価されています。
この子どもの「敏感期」は、極めて大切な時期で、この敏感期を逃すとその後その能力を獲得するのに、大変な労力を要さなければならなくなると言われています。
親や教師に一番大切なことは、子どもの活動を背後から見守り必要とされる時に手助けをする、助手のような役割で、無理強いをせず、その子の取り組んでいる課題に常に気を配ってまとめあげていくことでしょう。
大人はよかれと思って、あるいは、しばしば自分の都合で、子どもの興味を取り上げてしまうことがあります。そんなとき、チョッと深呼吸して、もちろんグッと我慢して、大人の目ではなく、子どもの今しかない「敏感期」を大切に見守り、育てて行きたいものです。
(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

第3回 ギリシアの教育に学ぶ その1

イエスの死後、弟子たちは各地で伝道を始めました。と同時に、各地でユダヤ教の法律主義者やギリシア哲学者たちとの論争に巻き込まれました。その有様は聖書の使徒言行録の中に見られ、当時のやり取りが活写されています。
このような宗教対立、文明間の違いによる軋轢は世界各地で頻発しました。日本での場合は、奈良時代に仏教が伝来した時、民間信仰との衝突がありました。安土桃山時代にはキリスト教が広まるにつれ、幕府の禁教政策、探索が厳しく行われました。
江戸末期の黒船到来は、日本の力づくで鎖国から開国に追い込んだ出来事でした。前回のキリスト教の弾圧とは違って、短期間に結論を出し、巧みに処理したといえます。
当時の為政者だった江戸幕府は、新進気鋭の若い武士たちを海外に派遣し、欧米先進国の政治、経済、学問、文学などを学ばせ、国家の改造に着手しました。西洋文明の根源をギリシアに求め、哲人ソクラテスやプラトンらの考えを進んで取り込もうとしました。
江戸末期の蘭学者たちや海外留学の経験者だった福沢諭吉らの提言もあり、明治5年には早くも小・中学校の修身教科書に、西洋の偉人伝が数多く登場したのでした。
このような法治国家としての体裁を整えるため、義務教育制度を発足させた先人たちの慧眼、ならびに周到な計画には、ほとほと感心させられます。しかし、明治20年代になると、風向きが変わって、改革が国情に合わないと、教育方針は富国強兵、殖産興業の国家主義的な方向に舵が切られていきます。その結果、教育勅語の発布になっていくのでした。

ソクラテス(前469~399)は、アテナイの最盛期の時代に活躍した哲学者です。
彼は街頭で若い市民相手に語り合い、論じ合うのを日課にしておりました。ソクラテス自身は1字も書き残していないので、その逸話の多くは、弟子のプラトンが書いたものによって知ることができます。逸話で最も有名なのが、人民裁判によって死刑判決を宣告され、国外逃亡もできたのに、あえて毒杯を仰いだ事件でした。友人や弟子は、裁判が不当だとしたら、生き延びてでもして、身の潔白を説くべきだと勧めましたが、ソクラテスは静かに死を選びました。
モンテーニュは、彼の死を「思索のために、力みも興奮もせずに、平静なむしろ無関心といってよいほどの言動を保ち、静かに死を噛みしめていた」と称賛しています。ソクラテスの精神的完成の姿を的確に表現したものといえるでしょう。

次回は、アテナイの学校について、述べることにします。

谷 健(たにけん)…昭和5年7月生まれ。東京都の公立小学校7校の勤務。専門は英語、道徳。道徳副読本の編集に従事。

08-06-17るうてる2008年6月号

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全国総会 5.1~3 ルーテル学院、東京教会

5月1日~3日かけて、ルーテル学院大学・神学校(1日)及び宣教百年記念会堂(東京教会・2-3日)にて、第23回定期総会が開催されました。全国から教師議員、信徒議員等が集まり、3日間を過ごしました。
今回は、神学生寮完成の感謝と募金の呼びかけの意味も込めて、第1日をルーテル学院大学・神学校のトリニティーホールで開催(右写真)し、食事休憩時間等を利用して神学生による学院ツアーも企画されました。多くの議員がルターホール内を見学し、募金への思いを新たにしました。2日目には、会場を宣教百年記念会堂に移して協議が続けられました。2日目の朝の礼拝では、来日中のサウスカロライナ・シノッドのビショップ ドンジェス氏が説教されました。
さて、定期総会は下図の通り、様々な案件が提案され、協議を経て、可否が議決されていきました。特記事項としは「ブラジル伝道の総括と今後の取り組みの件」が挙げられます。宣教師派遣の時代を終え、現地教会の自立を支援する方向への転換を目指した提案でしたが、先方の強い希望を受け止め、今後も派遣を継続する方向が選択されました。今後、全教会で取り組んで行くことが求められます。また「中・長期財政見通し」が報告され、厳しい現状を共通理解とすることができました。「09年度、10年度暫定的牧師給財源措置の件」では、来年度以降の任用教職者数の急増が見込まれることに対する財源確保が急務であることが確認され、暫定的措置が承認されました。
今回の総会は、執行部の任期満了に伴う選挙の年でもありました。議事と並行して執行部及び関連常議員等の選挙が実施され、執行部は次の方々が選出(承認)されました。
総会議長:渡辺純幸氏(蒲田教会牧師)、副議長:青田勇氏(静岡教会牧師)、総会書記:立野泰博氏(広島教会牧師)、会計:森下博司氏(東京教会信徒)、各教区長:岡田薫氏(札幌教会牧師)、大柴譲治氏(むさしの教会牧師)、田中博二氏(名古屋めぐみ教会牧師)、永吉秀人氏(天王寺教会牧師)、長岡立一郎氏(博多教会牧師)、教区選出信徒常議員:井上律子氏(恵み野教会信徒)、豊島義敬氏(聖パウロ教会信徒)、厚味勉氏(知多教会信徒)、杉本登美男氏(天王寺教会信徒)、山本光氏(箱崎教会信徒)、財務:河崎隆夫氏(博多教会信徒)、総会選出常議員:伊藤百代氏(東京教会信徒)
尚、閉会礼拝にて第23回総会期常議員の就任式が執り行われました。

主な議案一覧
承認
1.教会組織変更の件 12の教会の種別変更と教会連立(組織合同)と名称変更2件
日本福音ルーテル名古屋教会、日本福音ルーテル希望教会、日本福音ルーテル名東教会が組織合同し、名称を「日本福音ルーテルなごや希望教会」とする。日本福音ルーテル帯広教会と日本福音ルーテル釧路教会が組織合同し、名称を「日本福音ルーテル帯広教会」とする。
2.教区長および教区選出信徒常議員の本教会常議員 承認の件
3.教会規則・規定改正 の件
①信徒代議員数是正の件 ②定年教師の他法人理事等就任制限の規則化の件 ③総会議事規定改定の件 ④文書の保存と送付に関する規定新設の件 ⑤神学教育委員会規定改正の件 ⑥信徒育成基金規定改定の件 ⑦教会用地売却に伴う原則改定の件
4.日本福音ルーテル教会宣教方策21 報告の件
5.宣教方策21関連 の件
主な提案事項は、P2「高齢者伝道を視野に入れた福音宣教への取り組み」、P3「サバティカル研修制度導入」、P4「けんしん月間キャンペーン導入」
6.2009年度、2010年度暫定的牧師給財源措置 の件
2009年度以降の任用教職者数の急増見込みを受けての財源対策案。教区土地建物準備金、教会および教区の人件費負担増額期待分等を主な財源として提案。
7.給与制度および財源に関する抜本検討委員会(仮)設置の件 8.2006年度、2007年度会計決算 承認の件
9.2008年度実行予算案の件 10.2009年度、2010年度 当初予算案の件

否決
1.ブラジル伝道の総括と今後の取り組み」の件
宣教師派遣という宣教協力のあり方を終結し、現地教会の主体性を尊重した上で出来る宣教協力に取り組むことを目指した提案

風の道具箱

朝を待つ夜

「教会は怖くないから大丈夫よ」。娘が教会を紹介した言葉です。思わず笑ってしまいましたが、教会を怖いと思っている友達は多いそうです。
「教会は怖いところ」。その言葉を聞いたとき、少し嬉しくなりました。子どもたちの怖いというのは「恐怖」ではなく、畏れという「畏敬」を感じているでしょう。私もお寺や神社は怖い所でした。神聖な場所、何かわからないけれど畏れを感じていました。教会をそのような場所としてとらえているなら、子どもたちはここに神様の存在を感じているのです。それが嬉しかったのです。
大きくなって、教会は怖い場所ではなく、神様とともに礼拝する場所であることを知るでしょう。そのとき、すでに子どもたちの心の中に神様の存在があるということを思います。私たちにとって教会は安らぎの場所です。それは交わりの中でイエスさまによって与えられているものです。神様との関係があるから、十字架を救いとして受け取ることができるのです。
夜が朝を迎えるためにあると思ったとき、夜の受け取り方がかわってきます。そう、夜は素晴らしい希望の朝を迎えるための静かな慰めのひと時なのです。
(柿のたね)

牧師の声

私の愛唱聖句

東教区 日吉教会 浅野 直樹

愛は、すべてを完成させるきずなです
コロサイの信徒への手紙3章14節

我が家の玄関をくぐると正面壁にかけてある額縁の中から、このみことばが出迎えてくれます。
東海教区にいたころ、恒例の信徒大会の会場で書道の師範にこれを書いていただきました。
「先生のお好きなみことばをおっしゃってください。お書きしますよ」。そういわれてそのときふっと思いついたみことばがこれでした。
私は神学校卒業と同時に東海教区の岡崎教会に赴任、しばらくしてから教会学校で子どもたちの暗唱聖句に取り組んだことがあります。聖句を区切って短冊にして部分的に隠したり、あるいはジェスチャを取り入れたり。声に出し手振り身振りを加えながら毎週毎週繰り返したので、ずいぶんとたくさんのみことばの暗唱をしました。すぐ忘れてしまったものがたくさんあるなかで、今でも聖書を読んでいると、そのときの記憶とともに甦ってくる聖句がいくつかあります。コロサイ書のこのひとことも暗唱聖句のなかにあった一節で、そのとき初めて私の記憶に刻み込まれましたみことばです。
覚えようと工夫を凝らしても結局はその場限りで消えていく聖句、せいぜいなにかのきっかけで暗誦した記憶がよぎる程度の受け身的な聖句がほとんどのなかで、この聖句はどういうわけか私の内にとどまりました。心地よい思い出にとどまらずその真意をもっと深く探訪したくて、そのうちに自分のほうから身を乗り出してまで、私はこのみことばに近づいていきました。
「愛はすべてを結ぶ帯」。色紙には、お願いしてこのように口語訳で書いてもらいました。新共同訳とは微妙にニュアンスが違っていますが、実はこちらのほうが気に入っています。「絆」という名詞よりも「結ぶ」という動詞のほうが愛の本質をよく表していると思うからです。神と人間、そして人と人との関係が途切れてしまったとき、途切れそうなとき、もう一度私たちを結びあわせてくれるのが愛するという神の働きです。わたしはこのみことばからそれを教えられました。壁にかかった色紙を見上げるたびにそのことを思い出します。

信徒の声

教会の宝石を捜して

東海教区  小鹿教会 信徒 石川 文一郎

何度か九死に一生の体験をされましたね
旧清水市(現在の静岡市清水区)で生まれました。45年中学一年生のとき、空襲で静岡へ逃げる途中、顔や手足に火傷をしました。大勢の人々が焼死する中を助けられました。戦後、満員の静鉄電車から振り落とされ、頭を打って脳震盪で倒れましたが、この時も幸いに生還できました。

キリスト教との出会いは?
清水で通った幼稚園が、クリスチャンの理事長によって運営されていました。賛美歌を歌ったことや、クリスマスをお祝いした事が、最初の出会いでした。高校生時代に、静岡インマヌエル教会に通い、卒業後の50年11月に受洗しました。
ルーテル教会との出会いは?
静岡ルーテル教会の池田牧師の説教をお聞きしたことがきっかけで、ルーテル教会に通うようになり、52年ハイランド宣教師に「堅信式」をしていただき、転会しました。

58年間の信仰生活の土台は?
いのちの危機に直面しながら、不思議に守られてきたことを感謝せずにおれません。神様に守られ、生かされているという大きな感謝と喜びが、信仰生活の土台になりました。40年前に始まった「静岡朝祷会」には、先輩の兄弟にさそわれて出席し、朝祷会の世話人になって、20年になります。毎週金曜日の早朝に朝祷会にでかけ祈れることは大きな喜びです。

祈りの課題は?
家族のなかで、最初に私が受洗しました。以来、家族の救いのために祈ってきました。私の両親も、妻の両親も洗礼に導かれ、家族が共に礼拝できる幸いを感謝せずにおれません。いまは、信仰を継承する教会学校のためにも祈っています。

長男を天国に送る辛い時がありましたね
4年前の2004年6月17日、長男は42歳の若さで白血病のために召されました。これも、神様の御手のうちにあったと受け止めることができ感謝です。

LAOS講座の学び

「小さな一本の指」~説教の聴き方・語り方~

広島教会 木曜聖研のみなさん

司会)今日は、LAOS講座の日ということですね。
A姉)毎月第2木曜を「LAOS講座を学ぶ日」としています。ゆっくりですが、もう6巻を学びました。体系的に学べるってすごいことですね。4年も続いています。
B姉)ゆっくりというか、はじめは難しくて。こんなにまとまったものを読むのも、聞くのも初めてでした。うちの先生の解説が楽しくて、脱線ばっかりなんですよ。それに、昼食が毎回準備してあり、それが美味しくてというのもあります。
司会)どんなところが難しいですか?
C姉)専門的というより、ひとつのテーマが深いですよね。さら~と読むわけにもいきませんし、学んだあとでどうするの?って考えてしまいます。でも、みんなで議論「ああでもない、こうでもない」と話す時間が楽しいです。
D兄)いま学んでいる「説教」についてですが、説教についていろいろな角度からの学びが新鮮ですね。牧師先生たちは毎週こんな準備をされていたのか、うちの牧師先生はこんなタイプの説教者だとか。まさか信徒が説教をとか。とにかく目からウロコばっかりです。それがまた楽しい学びです。
司会)とっても楽しそうですね。最後に全国のみなさんにひとこと
全員)まずは手にとってみましょう。続けていきましょう。

神の造られた世界-環境と聖書③

第3回 時代のしるし

「あなたたちは、夕方には『夕焼けだから、晴れだ』と言い、朝には『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか」。
(マタイによる福音書16章2~3節)

私たちは空を見、雲を眺め、風の吹き具合を観察して空模様を見分けることを知っていました。また、サクラの開花がいつ頃になるのだろうかと季節の変化には敏感です。今を生きる私たちにとっての時代のしるしとは何でしょうか。
このままいくと数年後には北極の氷はまったくなくなってしまう恐れがあるとか、南の島々では海面上昇により生活ができなくなり環境難民が増えるとか、様々な環境変化が危機感をもって伝えられるようになってきました。しかし、私たちにはこのような異変を身近なものとして感じられないのも現実です。
私たちにとっての「時代のしるし」とは何でしょうか。私たちは時代のしるしを感じ取るような感性が求められています。このままいくとサクラ景色は絵本の中でしかみられない昔の風景となったり、1年の半分が熱帯夜となったりするかもしれないとう具体的な危機シナリオが描かれます。
時代のしるしを感じ取ったとしても、なかなか行動に移せないのも私たちの現実です。身近なところから行動したとしても私たちの生活から排出される二酸化炭素は増えつづけているのも現実です。 人類の未来を危うくする脅威がはっきりと分析されている今、地球温暖化問題に積極的に関わっていく必要がある時代が今です。

キリスト者環境十戒・
第2の戒め
「汝も自然の一員であることを知り、自然を敬え」。

寮母さんに聞く

寮母 竹田久美子さん

寮母募集に応募したきっかけ
江藤校長に声をかけられたことがきっかけでした。先生が学生の頃からの知り合いでもありましたので。それでもその働きが想像できなくて、どう返事をすればいいかと思っていました。
そんな中、決断へと押し出してくれたのは夫でした。今までは夫婦で一緒に仕事をしてきたけれども、これからはそれぞれ持っているタラントを活かせる場所があるなら、それを活かしたらいいと夫が言ってくれました。また、「君なら(寮母募集を)受けられるんじゃない」とも言って後押ししてくれました。
神学生を育てるというのはおこがましいですが、生活の場において彼らを手助けして、牧師先生になるのを見送っていくのも、尊い仕事かなと思って決めました。

寮母となって嬉しいこと
毎朝、タイムカードを事務室に押しに行くのですが、先日、鈴木先生にお会いした際、先生を通して「食事があるのは助かる」とか、「まずまずの味」という学生の声をうかがったのは、嬉しいことでした。

反対にしんどかったこと
若い年ではないので、頑張らずにいこうと思っているので、そんなにしんどいことはありません。もともと、何とかなるさという性格なので。

いち押しメニュー
朝はセルフサービスの形式にしてもらっています。夕食も全員で12、3人程度ですので、ちょっとした大家族といった感じです。得意メニューはありません。お菓子を作るのは得意なのですが、ここではそんな機会もないかと思います。メニューについては、今後神学生の声を聞きながら、考えて行きたいと思っています。
(近くにいた神学生に)実際に食べてみての感想
「めちゃくちゃうまいです。中でも『酢豚』は絶品でした」とのこと。

これからどのように
働きを続けていきたいか
始まったばかりで、一年の流れが分からないままバタバタとしています。
皆が楽しく、食事だけではなく、お茶の時間なども持てるようにしたいと思います。また、こちらがしたいということだけではなく、神学校の方針もあるでしょうから、それにも耳を傾けて行きたいと思います。

世界宣教委員会 帰国報告会

4月21日、市ヶ谷・議長室にて、世界宣教委員会が開催され、交換牧師及び留学のために海外で活動された松本義宣牧師、李明生牧師の帰国報告会が開かれました。

ドイツ・ブラウンシュバイク福音ルーテル州立教会(ELKB)に5年間、交換牧師として派遣されていた松本牧師は5年間を次のように報告しました。
「教会再編を模索するなど、ドイツ教会の大きな変換期」であったこと、「伝統ある教会と一般の人々の思いの乖離」の現状を痛切に感じたこと。また、「JELC内でELKBとの関係を深める組織の可能性」「ドイツの牧師を迎える可能性」について提案しました。
一方、2004年9月よりアウグスタナ神学大学に留学し帰国した李牧師は新約学、特にルカによる福音書の「旅行記」と呼ばれる部分における「少数者」の立場についてまとめることが研究目標であると報告しました。また、3年半にわたって滞在した「ノイエンデッテルスアウ」は「教会が地域生活のネットワークの基盤を担うことで、多様性の高い地域社会が持つ可能性を生かしている証である」と報告しました。

神の召しに応えて 新任牧師あいさつ

牧師3週間目の思い

湯河原教会、小田原教会 池谷 考史

牧師の働きには小さな事柄が多いように感じます。それに取り組む姿勢には、自然と自分の心が映し出されます。
考えてみると、キリストは小さな人々を大切にされましたが、そこにはキリストの細やかな配慮の心が表れているのでしょう。
神と人とに誠実であるために、まず小さなことを大切にすることからはじめて行きたいと思います。
キリストが今生きていたら、きっと玄関先の掃除や花の水やりを大切にされるのでは、という気がします。

神の召しに応えて

シオン教会 木下 理

ヨハネによる福音書4章に記されていますサマリアの女性は、キリストとの出会いによって、自分自身を見つめ直すときが与えられ、世に背を向ける生き方から、神の憐れみを世に伝えるものへと変えられました。キリストとの出会いは、その人を180度変える出来事です。
キリストとの出会いである礼拝へと人々を導くために、神は私たちを召してくださってます。
この神の召しに応えて、神の憐れみを福音として伝えていきます。

福音の岡

小倉教会、直方教会 光延 博

直方教会は、筑豊本線(福北ゆたか線)の「直方駅」より徒歩だいたい10分です。小倉教会は、小倉駅からモノレール「片野駅」より徒歩だいたい10分です。お待ちしています。

シオン教会に派遣されて
シオン教会 室原 康志
この4月から、木下牧師と共にシオン教会に着任しました。私は柳井・防府チャペルを中心に働いておりますが、初任地としてシオン教会の5つのチャペルが与えられたことは、大きな恵みであると実感しております。
多くの地域の、多くの教会員と共に信仰を強め、守り、福音を宣べ伝える器として用いられているという喜びと、充足感に満たされ日々を過ごしております。
今後も皆様の祈りに覚えていただけることに感謝し、牧師としての務めに励んでまいります。

神様の恵みあふれる教会

広島教会 佐々木 赫子

広島教会は窓のない大きな礼拝堂です。呉礼拝所も合わせると、週5回、礼拝が行われます。
着任して感じたことは、広島教会の心地よさです。熱心な教会員の皆様の優しい思いやりのある教会の中に遣わされた恵みに心から感謝しています。
礼拝堂には不思議な心地よい風がふいています。心地よい音楽がいつも流れています。神様が働かれている恵みに生かされている喜びが、いつも与えられています。
牧師として担う福音宣教の働きを今、心地よい汗を少しだけかきながら、語らせていただける恵みに心から感謝して過ごしています。

日本聖公会との合同礼拝

5月11日、聖霊降臨祭の夕刻、日本聖公会聖アンデレ教会にて、「共同の宣教に召されて」の出版を記念して合同礼拝が執り行われました。第1部は各教会の紹介と両教会の対話の意味と成果の報告(250名)、第2部は聖公会の聖餐に招かれる形での聖餐礼拝(300名以上)でした。担当をされた石居基夫牧師に報告をお願いしました。

今回の礼拝は、聖公会とルーテル教会が世界的な規模でなされてきた両教会間の対話とまたそこでの一致の成果としての文書を翻訳し、出版することを記念し、こうした教会一致の運動に学びつつ、日本の聖公会、ルーテル教会の宣教協力をより一層深めていくために与えられた礼拝でした。
また、今回のように、それぞれの教会が「聖卓の交換」というところまでの合意にいきついていなくても、それぞれの教会の持っているユーカリスティック・ホスピタリティー(聖餐への招き)の原則によって、合同の礼拝において聖餐式が持たれたということは、エキュメニズム運動の中でも大変意義深い試みで、世界に貢献する一つのモデルとなりうるものでもあると思います。
今後は、それぞれの地域にある日本聖公会と日本福音ルーテル教会が、何かの折に礼拝をともにしたり、地域での様々な社会的奉仕活動などに協力して当たったりすることが広がっていけるよう、交わりを深めていくことを進めていきたいと考えています。

るうてるTOPICS

サウスカロライナ・シノッド ビショップ来日 【4月24日~5月5日】

サウスカロライナ・シノッドより、ビショップのドンジェス氏がご夫人と共に来日し、慈愛園、福祉村等諸施設を訪問しました。定期総会の礼拝でも説教をし「キリストが昇天後も、私たちと共におられる」と語られました。また、長らく日本で宣教師として働かれたリビングストン元宣教師ご夫妻も同行され、旧交を温めました。

全国教師会総会 【4月30日~5月1日】

全国教師会総会が宣教百年記念会堂(東京教会)にて開催されました。役員の任期満了に伴う改選が実施され、新執行部として次の方々が選出されました。教師会長:高井保雄牧師(羽村教会)、副会長:立山忠浩牧師(東京池袋教会)、会計:白川道生牧師(新霊山教会)。また、互助会会計として斎藤忠碩牧師(市ヶ谷教会)、会計監査として浅野直樹牧師(日吉教会)が選出されました。

拡大機関紙委員会 【4月30日】

全国総会にあわせて拡大機関紙委員会が開催されました。毎年1回、機関紙委員会が開かれますが、今回は初めて各教区選出の機関紙委員の方々とも顔を合わせる機会となりました。本誌「るうてる」及び福音版の発行状況を分かち合い、また内容等について意見を交わしました。今後も全国総会にあわせて、拡大機関紙委員会を開きたいと願っています。

ルーテルこどもキャンプ

■ルーテルこどもキャンプ■
日程:8月7日~9日 場所:広島教会
テーマ:「来んさいヒロシマPeaceじゃけん」
●スタッフ募集
グループ・リーダー 大学生以上の教会員。
ジュニア・リーダー 高校生以上。
いずれも前日の研修会ならびにキャンプ期間全日程参加が必須条件となります。
※お問合せは…キャンプ長 坂本千歳牧師(岡山教会/086-803-3613)まで

訂 正

るうてる5月号4面「『Living with AIDS 合宿』報告」の記事に誤りがありました。
正しくは「ルーテルエイズ教育プロジェクト」です。
訂正し、お詫びいたします。

お知らせ

TNGでは、春キャン画像集、春キャンテーマソング「絆」の楽譜、各ワークキャンププロモーションビデオ、のパッケージを無料にて、お分けしています。希望される教会・施設は宣教室までご連絡ください。

08-05-17るうてる《福音版》2008年5月号

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バイブルメッセージ  祈るあなたは美しい

その夜、神はソロモンに現れて言われた。「何事でも願うがよい、あなたに与えよう」 ソロモンは神に答えた。「あなたは……」
歴代誌下1章7~8節a(日本聖書協会・新共同訳)

流れ星を見たとき、三つ願い事を言うとかなう、と子どものころに聞きました。
やや即物的に考えるところのあるわたしは、流れ星が流れているあの短い時間に三つ言うのは難しいな、と思いました。
そこで決めました。流れ星を見たら、「おもちゃ、お金、お菓子」と言おうと。いつ流れ星を見てもいいようにと、ときどき早口の練習までして……。
幸か不幸か、流れ星のあまり見えない東京で幼少期を過ごしたので、とうとうこれを実行する機会は与えられませんでしたが。
ギリシャ語で、≪人間≫のことをアントロポスと言います。語源は、≪祈る存在≫ということだそうです。これは、わたしたち日本人にはない感覚ではないでしょうか。わたしたちは、≪人間とは?≫と聞かれたら、「人の間と書くとおり……」とか、「人という字はお互い支えあっています」と昔から説明されてきました。
でも、ギリシャ語を話す人たちは、≪人間とは?≫と聞かれれば、≪祈る存在≫と思うのです。
確かに、子どものころのわたしも「おもちゃ、お金、お菓子」という、ささやかと言うか、ごうつくばりというか、とにかく願い事を持っていました。そして、今でも、それほど変わらない身勝手な願望を持った自分がいます。
でも、ギリシャ語のアントロポス≪祈る存在≫という言葉は、ただ、やみくもに願い事を持つ姿をイメージしていないような気もします。あくまでわたしのイメージですが、≪祈る時、人は美しい≫ということを教えているような気がするのです。それも、誰かのために、です。
美しい祈りと言えば、わたしはお百度参りを思い出してしまいます。時代劇でしか見受けることはありませんが、病気のわが子のためにとか、戦いに出て行った夫のためにとか、裸足になった女性が、手を合わせて、神社の境内を必死に行ったり来たりする。しかも、劇中の設定は、だいたい雨が降っているか、雪が降っているか、辛い状況です。そういう中でも、あのひとのために、とこんなに必死で祈っている。その美しさを伝えてくれます。
家内安全、商売繁盛という願いと、あのお百度参りする女性の祈りとを、どちらも同じ≪祈り≫と片づけられない気がします。
誰かのために祈る時、人の魂は、自分という狭い殻から解き放たれて、鳥のように羽ばたいているのかもしれません。
誰かの喜ぶ顔を見たくて……。その瞬間が、何より幸せなことをわたしたちは知っています。
プレゼントを思い浮かべると分かります。プレゼントは、もらうより、大切な人のために、何にしようか、と考えて、考えて、よし、これに決めた、と買っている時が一番幸せです。
≪幸せになりた~い≫結婚式場のコマーシャルで、若い女性たちが叫んでいます。
そう、まさに、わたしたちは、自分が幸せになりたいと願っているのですが、幸せになるための道は、意外な方向にあるのかもしれません。
さあ、今日から、何を祈るわたしになりましょうか。
パパレンジャー

十字架の道行き

【第二留】イエス、十字架を負わされる ヨハネによる福音書19章17節

【祈りの言葉】主よ、苦しみに会うとき、従順と喜びをもって耐え、勇気をもって負うべき十字架を負い、主に従うことができるように。
人形制作/杉岡広子 http://www.bibledollministry.com/

毎日あくしゅ

たんじょうび

マザー・テレサは、「現代の最も重い病気、それは、『私なんか、いてもいなくてもいい。死んだほうがましだ』と考えること」だと言われました。
この思いが起こるのは、自分の思い通りにならないことに遭遇したとき、あるいは仲間の中に入ることができず、疎外感を感じたとき等々、さまざまな光景が浮かんできます。それ以上に、自分が期待されずに親から生まれてきたと思ったり感じたりした子ども。その心に深く残る癒されがたい傷。生涯つきまとうこの痛みは、徐々に子どもの成長に影を落としていきます。
キリスト教は、「神は御自分にかたどって人を創造された」(創世記1章27節)と、私たち一人ひとりは、神さまに似せて造られていると教えています。この意味は、どの人も神さまにとって大切な、かけがえのない者として、いのちを与えられたということです。幼い子どもたちも、その中に神さまの姿を見ることさえできるかも知れません。そして、すべての人が例外なく大切な存在として、この世に存在が許されているのです。
それは、誕生がいかに大きな神さまのみ心によるものかということです。毎年巡ってくる誕生日は、自分がなくてはならない存在として、また自分にしかない賜物を与えてくださったことに感謝をするときでもあります。もちろん感謝するのは、自分を産んでくださった両親、そしておじいさん、おばあさん、ひいては神さまです。
子どものこれからの長い人生において、さまざまな試練や障がいを乗り越え、生命ある限り生きようとする力、それは、「自分が愛されている」という、ゆるぎない確信からわきでることにあると思います。
あなたのかけがえのないお子様に、「あなたは私にとって、なくてはならない大切な、すばらしい人。世界中で、あなたに代わる人はだれもいません」と、毎日心を込めて伝えてください。そのとき、子どもの顔も態度も姿にも変化が見えてくるに違いありません。
(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

第2回 教育基本法を考える その2

旧基本法は、昭和22年に制定されたもので、新憲法の理念による教育方向を示したものでした。しかし、肝心の家庭教育は、第7条(社会教育)で「国及び地方公共団体によって奨励されなければならない」としか書かれておらず、教育イコール学校教育、といった考えが定着した元凶といえます。
現在では、学校教育の疲弊、社会的なひずみが問題化し、家庭教育を見直す動きが見られています。今回の教育基本法には「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和の取れた発達を図るように努めるものとする」とあり、家庭教育のあるべき姿、保護者の責任が明示されました。しかし家庭教育をどのように行うか、解決方法はあいまいなので、教育の混迷、混乱は続くものと思われます。

江戸時代、士農工商の身分制度の下では、それぞれの階層で儒教的な家庭教育が行われ、武士の家訓には、主従のあり方、妻女の心得が具体的に示されています。
また有力な農民、商人たちも子女の教育には力を入れ、一家の繁栄と安泰を目指しました。どちらかといえば、実際的な処世術中心の家庭教育だったといえます。

明治期には、欧米の教育制度に倣った学校が各地に誕生し、中央集権的な教育、国家に有用な人づくりが進められました。家庭教育も教育勅語の影響を多分に受けたものとなりました。しかし知識階級の中には、そのような国民教育のあり方に疑問を持ち、独自の家庭教育を展開した人々がいました。

明治の文豪、幸田露伴もその一人で、娘の文さんは細々とした家事――掃いたり、拭いたりの仕方から、買い物、包丁の使い方、お茶の入れ方、煮炊きの仕方、障子の張り方まで、14歳から18歳になるまでの間、父親にきちんと教えられました。
文さんの著書『父、こんなことを』の中で、父親が外国の料理書を丸善から取り寄せ、料理の手順にセオリーがあることを教えてくれたと書いています。

教育基本法には、家庭教育のノウハウはどこにも書かれていません。各家庭で答えを見つけるように、仕向けられているのです。
教育基本法の第1条を熟読し、どうすべきかの答えを見つけてください。
「教育は人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」。

谷 健(たにけん)…昭和5年7月生まれ。東京都の公立小学校7校の勤務。専門は英語、道徳。道徳副読本の編集に従事。

08-05-17るうてる2008年5月号

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神さまの祝福 Teensキャンプ

3.26~28 京都花背山の家

去る3月26日~28日、京都花背山の家において、第16回春の全国ティーンズキャンプが開催されました。今年は全国からTeensとスタッフ総勢134名が「絆」をテーマにして聖霊について学びを深めました。参加者からの声をお聞きください。
「この絆というテーマで友情が深まったと思います」「今回は3回目で昨年洗礼も受けて今年で春キャン卒業! すごい事が重なって特別な春キャンになりました」「春キャンはいつも自分を成長させてくれる。春キャンでの出会い、絆を大切にしていきたいです」「今回のキャンプは神さまについて友だちと分かち合いをする事ができてカンドウしました。この喜びをみんなに伝えたい!!」「私にとって春キャンは人生に欠かせないもの!この春キャンがなかったら今の自分もいないし、友だちもいない。導いてくれた神さまにめっちゃ感謝しています。そしてスタッフのみなさん、こんなに素晴しい春キャンをありがとうございます。ぜひ今度はスタッフとして参加します!」「ここで出会った友だち、先生方は本当に本当に素晴しくて、楽しくて最高でした! また来年も来たいです!」「絆について話して、みんなの心がつながった気がした。本当に良い3日間でした」「自分の意見や考えをちゃんと聞いてくれる、分かってくれる、そんな春キャンが大好きです!来年も行くぞー!」「目玉飛び出るほどおもしろかった」

 

洗礼、堅信の喜び

春キャンでは、この一年に洗礼や堅信を受けた仲間を紹介し、喜びを分かち合っています。今年も8人の仲間が紹介され、喜びを共にしました。その中から2人に声を寄せてもらいました。
■堅信を受けるまで 西崎 花実
一昨年父親の勤務の関係で、熊本に引っ越してきて、色々な教会を見て自分たちにいい教会を探していました。そして、室園教会に行って由起先生の説教を聴きました。牧師先生の言葉が自分の中に自然とすぅーっと言葉が入っていくのを感じました。それは今までで初めての事でした。私は、これは神様がこの教会においでと言っているように思いました。そうして室園教会に行くようになりました。
しばらくして母親に堅信を受けたらどうかと勧められました。私は、堅信は前からしようと心の中にはありました。しかし、私は聖書を自分から進んで読んだこともないのに堅信を受けるべきなのか、私はイエス様のことを本当に知っているのだろうかなどと考えました。その事を由起先生に相談したところ、「心配しなくていいんだよ。イエス様を信じているのだから、これから勉強していけばいいよ」と言われ、安心して堅信を受けようと決心しました。
私は堅信を受けた実感が今はまだあまりありません。でも、これからも教会に出来る限り毎週来て、聖書について学び、イエス様についてもっと知っていきたいと思っています。
■洗礼の証し 狩野 千尋
私が洗礼を受けるきっかけとなったのは、去年の夏休みに参加したアメリカでのワークキャンプです。そこで私は、Renovate(修復する)というテーマのもとで、ボランティア活動をしました。一番大変だった活動は、5日間にわたる家の修復作業でした。壁に塗ってある古いペンキをはがし、下塗りをし、また新しいペンキを塗るという、5日間ではとても終わらないような内容でした。しかし、仲間と一緒に一日一日、少しずつ修復することで、最終日はほぼ完成することができました。と同時に、私自身も修復され、また日本に戻ってからも自分自身の修復を続けていこうと思いました。そしてもっと神様に近づきたい、もっと神様の存在を感じたいと思い、洗礼を受けようと決心しました。
これから辛いことや苦しいことに直面することがあると思いますが、神様が共におられることを感じ、自分自身を修復しながら、新たな心で歩みたいと思います。

風の道具箱

愛の迷曲

子どもたちに質問しました。「キリスト教の3大祭りって何?」。すると大きな声で答えが返ってきました。「クリスマス、イースター、そして野外礼拝!」「?」。
確かに教会では野外礼拝は大きな行事ではあるけれど、3大祭りには入りませんよね。みなさんはわかりますよね? そう聖霊降臨・ペンテコステです。子どもたちは「ああ、あの赤の日ね」と。意識には薄いけれど、教会内が赤でいっぱいになるという記憶だけはあるようです。
ペンテコステときくと、「風」を思い出します。草原を流れる爽やかな風が大好きです。なんだか心もウキウキし、草花の歌が聞こえてくるからです。草原に風が吹くときに、草花が風に揺れます。そこにそっと耳を寄せてみると草花の歌が聞こえてきます。これは風が吹くときだけに聞こえてくる草花の歌です。
同じように私たちに聖霊の風が吹くとき、この私にしか演奏することができない曲を奏でています。それは迷曲ではなく、御名による曲、愛の名曲が流れているのです。私たちをとおして聖霊が奏でてくださる曲が、人々の心にとどきますように。
(柿のたね)

牧師の声

私の愛唱聖句

東教区 羽村教会 高井 保雄

真理はあなたがたを自由にするであろう
ヨハネによる福音書8章32節

「自由」という言葉は、青年時代をはるかに過ぎた今でも、私の心を魅了します。高校時代、受験競争を横目に見ながら、自由を求めて戦い続けたシラーの詩に感激していたことを思い出します。大学に入るといわゆる学園紛争の余燼が燻っていて、学内ではしきりと「学問の自由」が叫ばれていました。
「真理とは何か」という問いもそんな青年時代から今日まで私の心を突き動かし、促す言葉です。「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」といった気持ちもまだ自分の中に多少は残っているように思います。
いい年をしてという思いがなくもないのですが、私にとっては、自分が自由に生きることと真理を捉えることの関係は、一大問題であり、いまだに解決を見ていません。
けれども、光明が全く見えていないというわけではなく、その端緒は捉ええたと思っています。それがヨハネによる福音書8章32節の「真理はあなたがたを自由にするであろう」という聖句です。いまだ真理を得ていない私は勿論自由ではありません。しかし、紛う方無き「不自由」の内にある私が真理を得る時、私は自由となる、という希望があります。この言葉の導きによって私は決定的な一歩を踏み出したように思います。そしてヨハネ14章6節「わたしは道であり、真理であり、命である」という言葉に出会いました。爾来、この、道であり真理であり命であるキリストを追求することが今日にいたるまで私の最大目標となっています。

信徒の声

教会の宝石を捜して

東教区 本郷教会 信徒 アルブレクト・リネット

生まれも育ちも日本なのですね
宣教師(R・ネルソン)の家庭に生まれ、札幌では当時南教会、北教会と呼ばれていた2つの教会が私の母教会です。めばえ幼稚園で育ち、12年間の札幌での生活の後、東京へ移りました。両親は本郷学生センターで働きました。
大学生になって初めてアメリカで生活をするようになりました。その頃は日本語の自分と、英語の自分という2人の自分がいたように思います。
卒業後、理学療法士として働いていましたが、その時はアメリカでの故郷であるミネソタの日本人教会がわたしにとっての教会でした。そこで神学校で学んでいた夫と出会いました。牧師家庭の喜びと苦労の両方を知っていましたから、牧師の妻として生きることは避けたいと、子どもの頃から思っていましたが、神さまのお導きですね。しかも10年前に、夫はかつての父の任地である本郷学生センターで働くことになり、私は再び日本で生活するようになりました。当初、日本で生活することへの不安がありましたが、不思議なことに日本語を話す自分と英語を話す自分は別々ではなく、ひとりの自分であると受けとめることができるようになったのは、この頃からです。
日本の教会をどう思いますか
日本の教会もアメリカの教会も異なる文化や習慣があっても、キリストにあってつながっていることを確かに実感します。教会とは神さまの家族の場でしょうかね。だれも一人ぼっちにはされないし、一人が欠けると寂しく感じます。
私の好きな教会は、一人を大切にする、また一人が大切にされるという神さまの働きを受け取る場です。ですから日本の教会が合っているのかもしれません。もちろん、大きな群れにしていきたいと願っていますが。
大切にしていることは何ですか
聖書を読むこと、そして祈ることです。当たり前のことかもしれないけれど、つい忘れそうになります。この大切なことを怠ると目の前の問題が大きく見えてしまいます。仕事であるリハビリにも通じるのですが、何より日々の小さな積み重ねが大切です。神さまはほとんどすべてのことに働いてくださっていますが、それに気づくためにはみ言葉と祈りの環境に自分を置かねばならないと思います。
元気を与える笑顔と笑い声の秘密を教えてください
By the Grace of God.ホントに(笑)。

LAOS講座の学び

「礼拝の意味と実践」

富士教会会員 大石靖彦

主日礼拝の報告の後、女性信徒のリーダーによって10分間程度の輪読を続けています。地道な取り組みが積み重なり、現在は第8号の学びに至っています。こうして、細く長く続けているこの学びは、少しずつ且つ確実に我々の身に付いています。
「信徒とは何か」という一番大事なことを知ることに始まって、礼拝について学び、これを実践していくことによって一人ひとりが育てられ、成長していると信じております。
特に、今年から教会共同体の歩みが始まり、牧師先生が常時はいらっしゃらなくなった為、LAOS講座によって培われた、一人ひとりのタラントが、さまざまな奉仕の形として現われつつあります。いままで、礼拝を通して神様との霊的交わり、そして信徒間の交わりを心で感じ、育んできました。しかし、当然ながら、LAOS講座の学びのように、体系的に多くの知識を頭で学ぶことも非常に大事なことだと思っております。
信仰を心で感じ、LAOS講座からの知識を頭で捉え、この結果、得られた多くの業を聖霊の御助けによって実践していくことが、私たちの成長の糧だと思い、今週もLAOS講座の輪読を続けています。

神の造られた世界-環境と聖書② 太田 立男

第2回 自然の一員としての人間

「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、……すべて(被造物を)支配せよ』」。「被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています」。
(創世記1章28節及びローマの信徒への手紙8章20節)

人間は自然の一員としてどのように位置づけられるのだろうか。「私たち生きものがすんでいる地球には、たくさんの生きものがたがいにかかわり合いながら生き続けています。人もその中の一員です。このかけがえのない地球で、生きものが生き続けていくためには、人の都合だけで自然をこわしたり、よごしたりせず、豊かな自然を守っていくことが大切である」この一文は小学校6年理科教科書にあります。自然界はたくさんの生きもの(被造物)がかかわりあいながら生きています。
たとえば鳥類が一種絶滅する間に90種もの昆虫と35種の植物、2種の魚類、0.5種の哺乳類が姿を消すといわれます。現実に日本でもトキやコウノトリの絶滅にいたる過程の中で、自然界の仕組みの破壊でこのようなことを経験しその回復に大きなエネルギーを費やしています。このような仕組みを壊しているのが私たち人間であることは言うまでもありません。
自然界のすべての生きもの(被造物)の頂点に立つ人間が被造物の苦しみの原因(開発、地球温暖化など)となっています。人間の空虚さは、被造物であることを忘れ、自立した創造主であるかのように思い込んでいることから生じています。来るべき生への願望と現在の生への疲れを持ちつつ待望(生ける自然界)しているであろうという自然界の生き物の願望。すでに自然界では多くのしるしが示されています。私たちキリスト者は自分が何を求めて祈るか知らないのではなく、全被造物が苦難から解放され、救いが完成する終末を目指して生きるという責任が教会に連なるものにあることを思います。

キリスト者環境十戒
「汝、神の創造物の苦しみを理解しなければならない」
こども環境白書(環境省)から引用

お詫び

本誌「るうてる4月号」本コーナー掲載文章について、キリスト者エコネット・コーディネーター行本尚史氏より「キリスト者エコネット」のブログ及びキリスト新聞に掲載された「反創造物語」(2007年7月21日4面)と酷似しているとご指摘をいただきました。
本件に関して行本氏をはじめ関係者各位に多大なご迷惑をおかけしましたことを紙面を借りてお詫びします。(広報室)

神学生に聞く

寮生活の流れ
朝夕の祈りと共同の食事が神学生寮の基本になります。毎朝7時半から、小チャペルに集まって礼拝をします。詩編を読み、讃美歌を歌い、聖書日課に従って30分程の祈りの時間を過ごしています。その後朝食、8時50分から授業が始まります。
授業が終わり、1時半から夕礼拝が同じく小チャペルであります。夕礼拝は、神学生が持ち回りで担当し、担当者は御言葉を選び、メッセージをします。その後、夕食を皆でいただきます。夕食後は、それぞれ部屋に戻って自主学習の時間となります。予習をする者あり、本を読む者ありとそれぞれ自由に過ごしています。

新しくなった設備について
小チャペルについては前回触れましたので、それ以外ということになると、まず入って気づくことはエレベーターがあることです。また、基調が白で寮全体がたいへん明るく感じられます。女子寮のことですが、防犯カメラが付き、安全性も高まりました。
また床は水などをこぼしてもサッとふき取れて、清潔感が保てます。そしてお風呂はボタンを押すと、サッとお湯が出て以前とは比べものにならないほどの快適さを嬉しく思っています。
チャペルに隣接している食堂があるということは、一番大きなことだと思います。食事をするのも、話し合うのもここです。まだまだ、いろいろな使い方が今後出てくると思います。この食堂はたいへん広く、40人のゲストを招いての食事会にも対応できます。朝夕の食事を共にすることにより、交わりがかなり深まったと思います。
それと寮全体がバリアフリーになったことですね。これが前の寮と違うところです。これまでは江藤直純先生の言葉を借りるなら「バリアフル」でしたが、今では扉は横開きになり、段差という段差は消え、浴室も車椅子のまま入ることができます。洗面所も、実際に車椅子の方をお呼びして意見を聞き、実現したこだわりを持った設備の一つです。
それから、空調が各部屋に設置されたことはとても大きなことです。ますます快適な環境の中で勉学に励むことができます。

あなたにとって「共同」とは
共に分かち合うことです。喜びも悲しみも、授業のことも、教会に関しても、信仰に関しても、分かち合えることはいい意味で刺激になりますし、互いに成長できると思います。

本の紹介

愛の前に敵はない

牧かずみさん(松本教会員)は『愛育園物語 おっしゃん』(原作:藤本幸邦 円福寺住職/出版:ぱんたか)を外国人留学生に読んでもらいたいと、抜粋して翻訳、出版しました。
それぞれの話がとても短く、気軽に読めます。日本語と英語のリバーシブルになっており、読み比べても楽しめる1冊です。
■発行:オフィスエム ■原作:藤本幸邦 ■編・英訳:牧かずみ

新約聖書Ⅰ 救世主

イエス・キリストの生涯を記した4つの福音書からイエスのストーリーを漫画化。
■発行:日本聖書協会 ■原案:熊井秀憲 ■作画:ケリー篠沢

せかいのはじまり

「聖書」が絵本になりました。毎月1冊、3年間。36冊発行されるオリジナルの絵本聖書シリーズです。
■発行:日本聖書協会 ■絵:藤本四郎

2008年第1回宣教会議

4月15日(火)~17日(木)「さらなる宣教の進展をめざして」のテーマのもと、宣教会義がルーテル市ヶ谷センターにて行われた。各教区総会で選出された新常議員の中から、教区長・宣教担当・財務担当の方々が参加した。
まず各教区から「02年からの宣教の展開と成果」のレポートがあった。その後、本教会の財務の現状発表があり、教区財政の大変さを踏まえつつ、本教会財務が現在抱える大きな負債についての共通認識を持つことができた。
1日目、「本教会によるPM21中間総括」を受け協議をおこなった。これまで、「教区を軸として」というテーマが見えてきた前半であった。この会議にて、これからは宣教中心の方策が必要とされる。そのことは、どちらが軸ということでなく、本教会・教区ができることを協力していくことを確認した。
最終日には、牧師養成における中長期人事方策と財源について協議した。牧師が多く生まれることは恵みであるが、それを受ける教区・教会の財源確保ができず、今後起こる状況に対しての意見交換を行った。
これから年3回~4回の宣教会議が行われる予定である。

るうてるTOPICS

キャンパスミッション協議会 【3月29日】

「ミッションスクールは宣教の場である」をテーマに、第2回キャンパスミッション協議会が九州学院で開催されました。各地から学校関係者(学校代表者・チャプレン・聖書科教師)と教会関係者が集い、宣教への思いを新たにしました。

聖書人形展 【4月2日~4日】

杉岡広子さん(宮崎教会出身)の聖書人形展が、JELAミッションセンターにて開催され、多くの方々が訪れました。暗い会場の中でライトに照らされた「十字架の道行き」の各場面は、どれも印象的でした。

日田教会 起工式 【4月4日】

4月4日(金)午前11時より、日田教会会堂建築の起工式が宮澤真理子牧師の司式、長岡立一郎牧師の説教により執り行われました。桜満開の晴天の中、教会関係者、設計業者、施工業者合計20名の出席で、くわ入れと工事の安全を祈りました。新会堂は9月末に完成予定です。

神学校 入学・始業礼拝/ルターホール完成感謝礼拝 【4月14日】

4月14日、神学校にて、始業礼拝とルターホール完成感謝礼拝がそれぞれ執り行われました。教会からは執行部をはじめ、神学教育委員会のメンバーも祈りのときを共に過ごしました。

臨時常議員会 【4月17日~18日】

総会へ提案される議案確定等のために臨時常議員会が開催されました。

「Living with AIDS 合宿」報告 -私達の生と性-

LWF(ルーテル世界連盟)からの助成金で取り組んでいる「JELCエイズ教育プロジェクト」の一環として、3月11~12日に高尾の森 わくわくビレッジで、「Living with AIDS 合宿」を行ないました。病気での欠席者もあり、最終的に学生3名とプロジェクトメンバー6名の参加でしたが、HIV/AIDSの学びを通して、自分達の生や性を考える恵まれた時となりました。「Think of AIDS」、「Living with AIDS」、「Stop AIDS」の3部構成で、第1部ではクイズ、ビデオ、ロールプレイでエイズについて学び考えました。第2部ではHIV感染者やエイズ患者の手記を読み、HIV/AIDSとの共生とHIV/AIDSと共生している人達と共に生きることについて話し合いました。第3部では聖書の視点から性について学び、医学的観点からの予防だけではなく、互いの関係を尊重し、大切にすることが真の予防に繋がると話し合われました。
日本ではエイズ感染増加が警告されているにも関わらず、参加した学生の感想文には、自分の知識の不充分さが書かれています。今後も公開講座等を通して、啓発活動を続け、それが学生達自身による啓発活動に繋がることを願っています。
なお、ルーテル学院大学での第3回公開講座は5月28日に予定されています。
JELCエイズ教育 プロジェクト担当委員 竹森洋子

インドワークキャンプ 2月26日~3月7日

チャプレン兼任の団長以下、スタッフ2名と参加者10名、総勢13名が2月26日、成田空港に集合し、第4回インドワークキャンプに出発しました。目的地はムンバイからバスで8時間ほど内陸に入ったジャムケッドです。そこの病院を中心とした施設に滞在し、9日間作業しました。今回は義足作りとレンガ作り。作業だけでなく、近隣の村に出向き、保健婦さんの働きを見学したり、話を聞いたり、小学校を訪問する機会もありました。参加者は、「遣わされ、仕える者として生きる」ことの豊かさを体験して、全員無事に、元気で帰ってきました。

ルーテルこどもキャンプ

日程:8月7日~9日 / 場所:広島教会 / テーマ:「来んさいヒロシマPeaceじゃけん」
※お問合せは…キャンプ長 坂本千歳牧師(岡山教会/086-803-3613)まで

東教区信徒奉仕者養成プログラム

いよいよスタートしました。受講申込者は50名を超えました。記念すべき初日となる4月12日、東京教会を教室に、午前は「牧会」、午後からは「旧約聖書概論」と「訪問」、それぞれ60分の講義。受講者は教会で、すでになくてはならない奉仕者でしょう。その奉仕を支え、より豊かなものにするプログラムとなりますように。(徳野)

世界宣教の日

ペンテコステは宣教の日 5月11日

おしらせ

JELA/JELC共同プログラムでは、9月に予定されているカンボジア・ワークキャンプのチャプレンを募集しています。
お問い合わせ及びお申込みは宣教室・乙守まで
■TEL  03・3260・1908
■e-mail  mission04@jelc.or.jp
尚、来年のアメリカ・ワークキャンプのチャプレンも募集しています。あわせて、ご応募下さい。

次号予告

新人牧師のメッセージは次号6月号に掲載いたします。

教区新常議員一覧

■北海道特別教区
教区長:岡田薫
副教区長:なし
書記:加納寛之
会計:渡辺健生
伝道奉仕・宣教、教育、社会奉仕・社会厚生:重富克彦、井上律子
財務:大賀 隆史
信徒常議員:井上 律子

■東教区
教区長:大柴譲治
副教区長:杉本洋一
書記:平岡正幸
会計:豊島義敬
伝道奉仕・宣教:中島康文
教育:徳野昌博
社会奉仕・社会厚生:田島靖則
財務:木村猛
信徒常議員:豊島義敬

■東海教区
教区長:田中博二
副教区長:なし
書記:三浦知夫
会計:黒野正信
伝道奉仕・宣教:角本 浩、佐藤祥一
教育:なし
社会奉仕・社会厚生:末竹十大
財務:なし
信徒常議員:厚味勉

■西教区
教区長:永吉秀人
副教区長、書記:滝田浩之
会計:杉本登美男
伝道奉仕・宣教:坂本千歳
教育:立野泰博
社会奉仕・社会厚生:秋山仁
財務:小泉眞
信徒常議員:杉本登美男

■九州教区
教区長:長岡立一郎
副教区長、書記:濱田道明
会計:山本光
伝道奉仕・宣教、教育:日笠山吉之
社会奉仕・社会厚生:岩崎国春
財務:山本 光
信徒常議員:山本 光

訂正

4月号に掲載しました木下先生の電話番号に誤りがありました。正しくは03-5984-0977です。訂正してお詫びいたします

08-04-17るうてる《福音版》2008年4月号

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バイブルメッセージ  春の小川

わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる
ヨハネによる福音書 7章38節(日本聖書協会・新共同訳)

子どもの頃、我が家の周りは田んぼでした。その田に水を引くための用水路が玄関前の道路に沿ってありました。
用水路、その幅は1メートルもなかったと思います。深さも路面から水底まで数十センチくらいだったでしょうか。水の流れは豊かできれいでした。水底には根をはった水草がふさふさと茂り、流れにあわせて、ゆらりゆらりと揺れていました。幻想的な光景でした。
わたしは毎朝のように、道路に出て用水路を見ていました。その道路はまだ舗装されておらず、自動車が通ることもまれでした。ですから、道路に腹ばいになって、頭を用水路に突き出し、顔を水面に近づけて、水中を覗き込んでいたのです。その格好を見て、母は「変な子だねぇ」と言っていました。
用水路を泳ぐ小鮒は上から見ると流線型で、うろこも透明で、見つけにくいのです。群れをなして泳ぐ様は、訓練された行進のように整然として精悍でした。網で掬おうとしても、すばしこく、またたくまに姿を消します。その点、泥鰌は動きが鈍く、水底の泥もろとも掬うと、網の中で、のたうちまわっているということがよくありました。でも、どれもこれも、水中の姿が一番でした。「やはり野におけ、れんげそう」ではありませんが、わが掌中にできない、しないからこそ、彼らの命はリアルに輝いているのです。
季節は移りますが、「用水路観察」の圧巻は、とんぼの羽化です。水中から「やご」が用水路の側壁をよじ登ってくるのです。水面に出て、側壁にしがみつく格好で静止し、やがてその背中が割れて、白っぽい塊が出てきます。成虫です。そっくり返って垂れ下がり、足もきちんと折りたたまれ、羽も絞った雑巾のように小さく縮こまっています。でも、風に吹かれてどんどん乾き、しわもみるみる伸びて、ガラスのような光沢を放つ大きな羽になります。すると飛び立つのです。目の前、あちらこちらで、次から次にその光景が……。「ごはんですよ」の母の声に、ようやくわたしも立ち上がります。ぬけ殻は側壁にくっついたまま。登校の際に、それを数えるのです。
時は春、新年度。土の中から、水の中から、命が湧き出る、再生、再出発の季節です。それにあやかり、心機一転を心に期す人も多いでしょう。
キリスト教会では、この時期、イエス・キリストのご復活をお祝いします。それは「神、我らと共に」の命を生きることです。それは、「人はパンだけで生きるものではない」ことを、日々、時々刻々、確認することです。パンだけを追求する時、人は、かえって、生きること、「いのち」の意味を喪失していくのではないでしょうか。
M.T

十字架の道行き

【第一留】イエス、死刑の宜告を受ける

【祈りの言葉】あなたを裁くのではなく、あなたに裁かれるべきものであることを悟らせてください。

毎日あくしゅ

今こそ愛するとき

ある日、母親が愛する子に、「ジョニー、おまえを愛しているわ。口で言えないほど愛しているのよ」と言いました。でもジョニーがいろいろ質問すると、「いま、邪魔しないで」「隣の子を家の中にあげたいって? そうねえ、やめてちょうだい。お母さんは汚してほしくないの」「だめよ、今日はお話を聞かせる時間はないの。だから外へ行って遊んでちょうだい」。ジョニーは泣きべそをかきながら外に出ました。(J. M. ドレッシャー著書、「今こそ愛するとき」より)
「ジョニー、おまえを愛しているわ。口で言えないほど愛しているのよ」この言葉は、どの親も例外なく子どもに抱いている思いであり、何にも代え難い我が子を思う母親の深い愛情が示されています。
しかし、母親が思っていること、愛していることを子どもに具体的に伝えることは至難の業かも知れません。愛していることは、すなわち、愛されていることを伝えることです。子どもは、自分が愛されていることを感じてはじめて、心からすべてを受け入れる豊かな心を持つのですが、ときとして愛が片手間に伝えられていないでしょうか。片手間にすることは片手間の状態で伝わることになります。思いを100パーセント伝えることの難しさを感じずにはおれません。
ご存知のように、『愛』とは、「受ける」と「心」という漢字が一つとなって構成されています。「相手の心を受け入れる」。それも、相手の思いや心を自分の一番大切な真ん真ん中に置く、これが「愛」という文字の意味のようです。聖書のいう「愛」とは、「相手のために死んでもいい」ということです。自分の都合と時間ではなく、子どもの都合と時間を大切にするとき、これまでと違った何かが変わってきます。子どもは、感性で心で、自分が本当に愛されていることを知ります。愛されたことの経験が、愛することにつながります。愛がきちんと愛する子どもに伝わるために。今は愛するとき!
(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

第1回 教育基本法を考える

教育問題は子育て世代にとっては、切実な課題といえますが、学校を卒業した方には、直接の影響がないため、どうしても関心が薄れがちです。しかし、日常生活では教育問題がたえず話題になります。自殺やいじめ、家庭内暴力、凶悪犯罪の多発だけでなく、企業の利益を優先した虚偽やごまかしが明らかにされます。拝金主義の横行、快楽万能の風潮等の不祥事が、テレビで華々しく報じられるこの頃です。
私は今回、本シリーズの執筆担当となりましたが、長年、教育一筋に歩いて来た者ゆえ、教育問題を取り上げて、平易に書かせていただく予定です。

今回と次回は、まず教育基本法を取り上げてみました。
教育基本法は、昭和22年3月31日に公布されました。新生日本の教育法制を教育勅語体制から民主的教育法体制へと転換させた画期的なものでしたが、制定当初から様々な疑問が呈されていました。「基本法は教育宣言的なもの、あるいは教育憲章的なもの」「教育に関する根本法という性格をもつ」と説明されていましたが、「押し付けであり、規定も不備である」「法律の名を冠しているが、多くは訓示規定に終始する」「施策法というより理念法である」と反対意見が相次ぎました。
当時の文部大臣だった田中耕太郎氏は「如何に教育思想が混乱し、不明確であるにしろ、道徳の徳目や教育の理念に関する綱領の如きものを公権的に決定し、公表することは、国家の任務での逸脱であり、パターナリズムか、またはファシズム的態度をいわねばなりません」と公言したと伝えられています。
しかし、教育基本法の精神は、戦後の学校教育に少なからぬ影響を与えたことは、認めてよいでしょう。急ごしらえの法にしろ、関連法規には学校教育の目標、学校・地域・家庭の連携教育、教育振興基本計画などが実現する方向で、法整備が進められたからです。
半世紀を経た日本社会の変貌は著しいものがあり、2001年11月には「新しい時代に相応しい教育基本法のあり方」が中央教育審議会で話し合われました。そして2003年3月20日には、基本法の改正が正式答申されたのでした。
戦後60年の節目を迎え、戦後レジームからの脱却を目指す安倍前首相は改正案を衆・参両院に示し、2006年12月22日に改正を実現させたのでした。

次回には、新しい教育基本法の注目点をお示しすることにします。

※1 パターナリズム
政治・経済・雇用関係などにおいて成立している、保護・支配の関係。

谷 健(たにけん)…昭和5年7月生まれ。東京都の公立小学校7校の勤務。専門は英語、道徳。道徳副読本の編集に従事。

08-04-17るうてる2008年4月号

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教職授任按手式

2008年3月9日(日)、宣教百年記念会堂(東京教会)にて、教職授任按手式礼拝(司式 藤井邦昭牧師)が執り行われ、新しい牧師が誕生しました。
今回、按手を受けたのは、池谷考史牧師(派遣先小田原・湯河原教会)、木下理牧師(同シオン教会)、佐々木赫子牧師(同広島教会)、光延博牧師(同小倉・直方教会)、室原康志牧師(同シオン教会)の5名です。全国各地から教会実習や宣教研修に携わった教会関係者など290人の会衆が参集しました。お集まりいただけなかった全国の皆さんも、それぞれの場所でお祈りをありがとうございました。
(当日の模様はjelc.TVでご覧になれるよう準備中です。)

新会堂-宣教の新たな出発点「大垣教会」

皆様のお祈りに支えられて、大垣教会新会堂が2月末に完成しました。3月1日、2日に引越し、そして8日土曜日に献堂式を行いました。160名の方が出席してくださいました。翌日9日の日曜日に新会堂での初めての主日礼拝を行いました。この最初の礼拝で一人の姉妹が受洗され、もう一人の姉妹が転入会されたのでいっそう喜ばしい日となりました。
3月12日の火曜日は10時から17時まで「オープンチャーチ」を行ない、近隣から50名ほどのお客様を迎えました。初めて教会堂に入った、という方も多くおられました。そして16日の日曜日に「チャペルコンサート」を行い、教会の聖歌隊や地域のコーラスグループなどの競演で、125名の方をお迎えすることができました。20日には教区総会、そして4月には教区女性会がこの会堂を使ってくださいます。
このように立て続けにお客様を迎えることに追われ、教会員が身内で祝うのはもう少し先になりそうです。でもこのように多くの人々が祝って下さるということは、私たち教会員だけでなく、教会外の多くの方々もこの新会堂を期待して下さっていたということではないでしょうか。会堂新築がそうした方々を教会にお招きする良い機会となっていることに感謝しています。
教会堂は色も形も以前の会堂に似ていますが、ひと回り大きくなって、よく目立つようになりました。夜には大きな二つの十字架がライトアップされ、国道を走る車からはっきりと見ることができます。また会堂の中に入られた方々は、そこに光や喜び、暖かさを感じる、と言ってくださいます。
新しい会堂の中心は聖卓です。ここが主の恵みを受ける場所となり、またここが恵みを伝えるために派遣されてゆく出発点となります。それはさらに多くの人々がこの聖卓に集うことができるようになるためです。宣教のための新しい良い器と頂いたことを感謝して、主から託された務めを喜んで果たしてゆきたいと願っています。

風の道具箱

階段は昇るため?

結婚式の誓約を自分たちで考えた方がありました。素晴らしい文章でしたが、次のような1節がありました。「一生枯れることのない小さな花を、二人で咲かせ続けることを誓います」と。ロマンチックだなと思いつつ、一生枯れることがないとはどんなことなのだろうと考えました。もしかするとそれは造花? 花は枯れる運命だから美しいのでは。一生枯れない、それは美しいといえるだろうか? 枯れない花を咲かせ続けていく。本当に大変なことです。あえてお二人がそれを望まれたのであれば、神様の導きがあるでしょう。ただかなりの覚悟がいることですね。
花は枯れる運命を持つから美しいと思います。枯れてしまっても、その美しさは心に残っていくものです。神様が創造されたものすべて、何か残していく美しいものをもっているように思えます。
階段は昇るため? そんなことはありません。降りるためにもあります。この二つがあってはじめて完成する出来事もあります。十字架と復活もまた支えあって一つですよね。
(柿のたね)

牧師の声

私の愛唱聖句

ルーテル学院大学 鈴木 浩

主よ、わたしがあなたと論じ争う時、
あなたは常に正しい。
しかしなお、わたしはあなたの前に、
さばきのことを論じてみたい。
悪人の道がさかえ、不信実な者がみな繁栄するのはなにゆえですか。
エレミヤ書12章1節(口語訳)

高校2年生の時、聖書全巻の通読を試みた。創世記1章から始めて、1日5章ほどのペースで読み進めた。中にはよく分からない箇所や反発を感じる箇所などもあったが、心から共感し、その通りだと思う箇所にも少なからず出会った。
そうした箇所があったときはそこで立ち止まり、何度も何度もその言葉を繰り返した。(今ではすっかり衰えたが)その頃は記憶力も健在で、いつの間にか記憶に刻み込まれていた。「愛唱」聖句は、意図せずして「暗唱」聖句となった。そうした聖句はすべて口語訳で刷り込まれているから、新共同訳ではなんとなくリズムが狂う。
その中でも、ひときわ鮮やかに記憶に刻み込まれたのが、このエレミヤの激しい意義申し立ての声であった。その頃のわたしと同じほどの年齢で預言者に立てられ、祖国存亡の危機の時代に、(おそらくは)いやいやながら預言者の務めへと押し出されていった「悲しみの預言者」エレミヤの叫び声に、ようやく社会の不条理に目覚め始めていたわたしは、非常に深い共感を抱いた。
「主よ、わたしがあなたと論じ争う時、あなたは常に正しい」という出だしがいい。嫌みなのか皮肉なのかそれとも開き直りなのか、エレミヤは「あなたは常に正しい」と言う。わたしには「嫌みたっぷり」の言葉に聞こえる。「しかしなお……」と続く言葉は、神の言葉とこの世の現実の狭間で苦悩しているエレミヤの魂の奥底からの叫びだ、と思った。あなたが「常に正しい」のなら、なぜこんな馬鹿なことがあるのか、という叫びだ。しかし、エレミヤはそれでも、結局は神が正しいことも信じている。だから、苦しいのだ。
600年ほど後、使徒パウロはこのエレミヤに自分の姿を重ね合わせる(エレミヤ1章4節以下、ガラテヤ書1章15節)。
エレミヤは「すごい」と思う。そして、パウロも「すごい」と思う。(かなわぬこととは知りながら)わたしはこの二人の弟子でありたいと切に願っている。

信徒の声

教会の宝石を捜して

北海道特別教区 釧路教会 信徒 東田 マサミ

2007年10月に洗礼を受けられた東田マサミ姉。「全身性関節弛緩症」という進行性の病と共に歩みながら、カンテ(フラメンコの歌謡)のCDを出される活躍をしています。
CDを出されるまでの歩みをまず教えてください
1990年にフラメンコと出会い、踊りに夢中になり、半年ほどで教え、舞台にも立つほどになりましたが、95年に踊ることができないほど病状は悪化しました。97年に本格的に歌に転向しますが、この約2年が踊れると思っても踊れない、他人を羨む、そんなどん底な時でした。でも、多くの人の励ましと支えの中で道内、全国を杖を突きながらカンテツアーを敢行していきました。2001年に車椅子になりましたが、03年にやっとありのままの自分で歌えるようになり、声と歌を記録に残そうと薦められ、06年、CDが産まれました。私の履歴書と証しです。歌を通して励ましを与えることができ、私も励まされ、タイトル通りシルクロ(スペイン語で輪)が拡がっていったように思います。
ルーテル教会との出会いと洗礼への導きを教えてください
2000年に手話サークルの一泊研修で安喰姉と同室になり、その時にルーテル教会の話を聞きました。それから祈りに覚えていただきましたし、自分が長崎を訪れた時、二十六聖人や聖堂で神さまを感じました。昨年、呼吸不全の状況になり、気管切開をするかしないか選択が迫られた時、苦しみを取り除きたい思いと歌えなくなることは避けたい思い、延命治療になるのではないか、色々な思いが交錯しました。訪ねてくださった牧師に話を聞いてもらい、歩む道が示された時、洗礼への道も不思議と開かれていました。
これからの抱負、今の思いを教えてください
もう一度歌いたいという願いと希望は大きくあります。自分の居場所、心の拠り所が神さまにあるので、自分中心から神さま中心の生き方に変わったと周りに言われます。私を導いてくださった安喰姉は12月、天に召されました。まるで信仰のバトンタッチです。託されたものを世界中の人に伝え、用いられ、励ましと輪を広げていきたいと思います。

LAOS講座の学び

「信徒として生きる」―LAOS講座創刊号を読んで改めて思うこと―

都南教会会員 菊池一生城

あるテレビドラマの新聞書評に次のように書かれていました。
「いまの社会は次々に新しいものが出てきて、みんな必死で追い付き適応しないといけないと思っている。僕は社会全体が魂をすり減らして適応障害を起こし、自分らしさ、人間らしさを失ってしまっているように思う……」
高校時代からの友人の誘いで「魂の学び」なる講演会に参加し、魂の救いを熱心に求めている人たちの多さを見て私たちの教会はこの求めに対して十分に機能しているだろうかと感じたことがありました。
この時代と社会に生きる人々に、主イエス・キリストの十字架と復活によって一方的に与えられた神の恵みの福音を伝える「宣教する教会」になろう。とLAOS講座にあります。
教会では、牧師が御言葉を私たちの心に届くようにと全力で伝えようとしています。欠け多き小さな器ですが、隣人と福音を分かち合い教会へと導くことが宣教のパートナーであり信徒として生きることと思いを新たにします。

神の造られた世界-環境と聖書①

太田 立男

本コーナーは、キリスト者エコネット・コーディネーター行本尚史氏のご指摘に従い、削除しました。関係者の皆様にはご迷惑をおかけしました。

神学生に聞く

新しい神学生寮の目玉でもある小チャペルは神学生生活のよりどころとなっています。神学生の皆さんに聞いてみました。
神学生寮が完成しましたね。
この恵みを主に感謝します。
個人の部屋はエアコンがつき、ドアが引き戸式になり快適に使いやすくなりました。風呂場も、浴槽、シャワーが新しくされ気持ちよく使えています。
小チャペルができて、神学校の寮らしくなりました。
きれいなところで生活できて嬉しいです。特にエアコンが付いたのが…
まだまだ実感がわきませんが、これから住まうことを通して少しずつ喜びを感じることと思います。

小チャペルについて
個人的に、自分は意見を積極的に主張した方ではありませんが、学生の意見は生かされていると思います。寮に住む神学生たちの礼拝は当然の目的として、個人的にも静かに祈りと黙想の場として利用できると思います。
礼拝室で祈ると気持ちを集中しやすいと感じます。
私も静かな祈りの時をもちたいです。

あなたにとって小チャペルはどのようなものですか
神様に迎えられ、また隣人を迎えることができる、招き招かれる場所です。
さすが神学校の寮なのであって当然という感じですね。
神様に心を向ける場であり、なにより祈りの場です。

教会の皆さんに一言
お祈り頂き、献金を頂き、本当に感謝いたします。
恵みに感謝し、心の成長、霊的成長のために互いに励みます。
全国の皆様の祈りと助けによって与えられた場所に住めて嬉しい限りです。その支えが無駄にならない時間を過ごします。
祈りとお支えを感謝します。残り一年、大切に過ごしたいと思います。

先輩牧師からのメッセージ

3月末に引退された先生方からメッセージをいただきました。

ひとり一稿の十八番

星野幸一
NHK朝のドラマ「ちりとてちん」が面白い。育った弟子が互いに得意な演題を磨き合い、何時でもどこでも誰でもが聴衆に笑いを提供できるよう精進しています。
思えば私もイエス様の赦しと憐れみを戴いて、み言の取次ぎをさせていただきました。宣べ伝えつつ自ら受けた恵みの大きさに感謝しています。そこで思いますことは、全ての信徒の皆さんが何時でもどこででも語れる得意の説教「十八番」を一つ、そしてまた一つと、増やしていかれますことを、ぜひ、お勧めしたいとおもいます。

イエス様と共に40年

小嶋三義
牧師として召されて40年。終盤は何度か病を経験しましたが、「神様のなさることは時にかなってすべてよし」このみ言通りの40年でした。イエス様ならこの時どうなさるだろう、と自問自答しながら日々を過ごし、苦しみも悲しみも、何時も結果としてですが恵みと感じ、喜びへと変えられてきました。皆さんのお支えを感謝しつつ、主の栄光輝く教会でありますように祈ります。

一人でも多くの人に愛を知る

ビリピ・ソベリ

日本の教会で働くことが出来たことを誇りに思っています。今は、自分の仕事を振り返って見る時になりました。いろいろの方法で神様の愛を知らせるように努めてきました。一人でも多くの人がイエス・キリストを信じ、希望が与えられたならば幸いです。それで目的を達していると信じています。責任者が変わりますが、JELCの未来もこの信仰と希望を伝えることにかかっていると考えています。

牧師人生を終えて

宮本威
20代で牧師になり、牧師の途ひとすじに歩み続けてきました。自分の福音理解についてたびたび書いてきました。「福音には、根底から人を支え、慰め、励まし、生かしてくれる力がある。そして福音の実体はキリストの十字架と復活である。そこには命があり、力がある。人を赦し、包み、生かす力がある。すべてを祝福に変えて、新しく生かす力がある」そのように生かされ、そのように語り続け、44年間の牧師人生が終わりました。言い尽くせない感謝と共に。

るうてるTOPICS&INFORMATION

■ルーテル世界連盟(LWF)主催研修会 【1月26日~2月6日】
「信仰再起の只中にあって 何を信じ、教え、実践したらいいのか」というテーマでルーテル世界連盟「神学・宗教研究部」主催の研修会は世界16カ国から計24名が集まった。長谷川恵美さん(賀茂川教会)は、「宗教が多元的に存在する日本の現況下、宗教間の相互理解は「スピリチュアルな次元の対話」において成立している」と発表したことを報告している。

■エリス先生出版記念講演会と感謝の会
『エリス師回想50年-熊本大好き宣教師-』出版記念と感謝の会が2月24日「熊本テルサ大樹の間」で行われた。会場には約300人の参加者が集まった。

■聖別式
2月26日、五十数名の関係者を集め、神学生寮の聖別式が執り行われた。オレンジを基調としたチャペルの中で、聖卓、聖具、説教壇の一つひとつが聖別された。

■2008年度牧師補研修
2008年度新任牧師研修が3月13日~14日、ルーテル市ヶ谷センターにて行われた。

■サウスカロライナ・シノッド・ビショップ ドンジェス師 来日
サウスカロライナ・シノッド・ビショップ、ドンジェス師が4月24日~5月5日の予定で来日され全国各地を訪問の予定です。

■世界宣教の日
ペンテコステ(5月11日)は世界宣教の日です。礼拝献金を世界宣教のために捧げましょう。
「共同の宣教に召されて」出版記念

■日本福音ルーテル教会 日本聖公会 合同礼拝
【1部】は日本聖公会、日本福音ルーテル教会の紹介、聖公会・西原司祭の講演。【2部】は礼拝を行います。
日時:5月11日 【1部】15時~16時30分
【2部】17時~19時
場所:日本聖公会 聖アンデレ教会
※お問合せは…日本聖公会管区事務局
03-5228-3171 まで
ルーテルこどもキャンプ
日程:8月7日~9日/場所:広島教会/テーマ:「来んさいヒロシマPeaceじゃけん」
※お問合せは…キャンプ長 坂本千歳牧師(岡山教会/086-803-3613)まで

2008年度 教職人事異動

■人事異動
(2008年4月1日付)
・西川晶子 恵み野教会主任
・藤井邦昭 仙台教会主任
鶴ヶ谷教会主任
・小泉 嗣 千葉教会主任
・李 明生 三鷹教会主任
・平岡仁子 神学校専任教師(兼)
・松岡俊一郎 湯河原教会(兼)
小田原教(兼)
・平岡正幸 甲府教会主任
諏訪教会主任
・横田弘行 富士教会主任(兼)
・沼崎 勇 京都教会主任
・高塚郁男 修学院教会主任
辞任承認
・三浦 謙 修学院教会主任
・松本義宣 神戸教会主任
神戸東教会主任
・白髭 義 松山教会主任
辞任承認
・立野泰博 松山教会主任(兼)
シオン教会主任(兼)
・岩切雄太 小倉教会
直方教会
・朝比奈晴朗 熊本教会主任、荒尾教会主任
・重野信之 松橋教会主任(兼)
・ナタン・ボーマン
松橋教会主任・辞任承認、社会福祉法人慈愛園チャプレン、松橋教会・神水教会協力牧師
・佐藤和宏
広報室長(専任)(2008年6月まで)
米国2号留学(TNGユースリーダー研修のため)(2008年7月から)
・伊藤文雄
JACE(日米協力伝道)カリフォルニア州ファーストルーサラン教会(日本語礼拝)、リザレクション教会(日本語礼拝)兼任
■新任
・池谷考史(新任・牧師補)
湯河原教会・小田原教会
(東教区)
・佐々木赫子(新任・牧師補)
広島教会(西教区)
・木下 理(新任・牧師補)
シオン教会(西教区)
・室原康志(新任・牧師補)
シオン教会(西教区)
・光延 博(新任・牧師補)
小倉教会・直方教会
(九州教区)
■嘱託任用
・落合成光 挙母教会(更新)
■牧会委嘱
・ビリピ・ソベリ
函館教会(新規)
・中村圭助 板橋教会(更新)
・石田順朗 刈谷教会(更新)
・山本 裕 浜名教会(更新)
・戸田 裕 復活教会(更新)
・松隈貞雄 宇部教会(更新)
・早川顕一 聖ペテロ教会(更新)
・白川 清 荒尾教会(新規)
・アンドリュー・エリス
小国教会(更新)
甲佐教会(更新)
■宣教師(着任)
・Rev. Eric Hanson
宣教室TNG協力
東教区付英語礼拝担当
■宣教師(身分変更)
・Ms. Katie Narum 宮本
J3から長期信徒宣教師に身分変更 九州ルーテル学院
・Mr. Kevin Axton
退職 九州ルーテル学院
(2008年3月31日付)
■定年引退
(2008年3月31日付)
・宮本 威
・小嶋三義
・星野幸一
・ビリピ・ソベリ
※敬称略

住所変更

■木下 海龍 先生
〒176-0006東京都練馬区栄町10-1ヴェルデ武蔵野301号
電話:03-5984-0997
■岸井 敏 先生
Residence Plein Ciel C,chemin du Manege,CH-1854 Leysin/VD,SWITZERLAND
電話・FAX共用: +41-24-494-1494 / mail: kishii@bluewin.ch
■轟 繁次 先生
〒836-0072 福岡県大牟田市上屋敷町1丁目6の7永江様方
電話:0944-55-4379 / FAX:0944-55-4378

会議のお知らせ

■臨時常議員会
臨時常議員会が左記の通り開催されます。

【日時】
4月17日(木)~18日(金)
【会場】
ルーテル市ヶ谷センター
以上
2008年4月1日
常議員会
会長  山之内正俊
書記  徳弘 浩隆

訂正

■訂正■るうてるをお届けしている封筒のFAX番号に誤りがありました。正しくは「03-3206-1948」です。ここに訂正してお詫びいたします。

08-03-17るうてる《福音版》2008年3月号

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バイブルメッセージ 感じとる心

わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。それを、あなたの目から離さず、あなたの心のうちに守れ。
箴言4章20~21節(口語訳)

3月の声が聞こえてくると、私の記憶一面に拡がる様によみがえってくる花があります。それは、黄色いラッパズイセン。その鮮やかな色彩は力強い生命の輝きを表し、また、その香りはほのかな中にも凛と存在していることを伝えていて、春の訪れを早くに告げてくれる花でもあります。

私が園芸を学んでいた短大1年の時のことです。寒い1月~2月が過ぎ、卒業を間近に控えた2年生達が何とはなしにソワソワしてくる頃、まだ外の空気は冷たく花壇も凍てついていて何の彩りもないけれど、すでに陽の光の中にキラキラした春の輝きを感じ取ることができました。それは、新しい出発を迎える彼女たち2年生が、大きな不安の中にも確かな希望を抱いているその心境を同時に表しているかの様でもありました。
そして、ビニールハウスの中に一歩踏み入れば、そこはもう春のパラダイス! 室内の空気は、ハウスのビニールを破らんばかりに温かく膨らんでいて、すでに咲き始めている春の花々のエネルギーが満ち溢れています。その中心となるのが、黄色いラッパズイセン。これは、卒業式当日、2年生の胸に付けてあげる花飾りのために栽培されているのです。
この様に私たちの誰にでも、思い出の風景に伴う色や香りを持っています。

また、年齢的なことで私の体に変調があったこの2年近くの間、普段に無く目は光を眩しく、鼻は物の匂いを強く、耳は日常生活の中の音を響くように、最後は口にする物の味が全てしびれるがごとく……と、あらゆる器官が過敏に感じ取る状態が続き、そのとき私は、「これこそ、本来人間が自然界の中で生きていく為に身につけていた感覚なのかもしれない。それが、文明の発展に伴って体のあらゆる感覚が鈍くなって行ってしまった」と、思わずにはいられませんでした。

世の中が息苦しくなりつつある今の時代、心の感覚だけ敏感でいたいと思うのです。それは……人を迎え入れる優しいまなざし。悲しみにある人の息に合わせて呼吸できる鼻。また、気持ちを伝えようとしてくる人へ傾ける開いた耳。そして、その人に希望をもたらす言葉を発することのできる口……という心の感覚のすべて。
なぜならば、すでに私たち自身が神様からそのように受け入れられているのですから、今度は私たちが誰かを同じように受け入れてあげる番なのです。私の心の色と香りで、その人を包んであげる時なのです。
JUN

大人を育てる絵本からのメッセージ 最終回

はくさい夫人とあおむしちゃん

著:柳川 茂、 絵:河井 ノア
出版社:いのちのことば社フォレストブックス

絵本というと小さなこどものための本というイメージがありますが、大人にとっても生きるヒントになる本がたくさんあります。ここでは子育てという視点でお話をしていますが、あらゆる人間関係においてもお役に立てていただければ幸いです。

きれいなものって何だろう?
いつまでも「きれいでいたい」「ステキな人でありたい」という願望は誰にでもあるものだと思います。だからこそ、目標にできるような輝いている人になりたいと思い、そのために努力をするわけですが、本当に「きれいなもの」「ステキなもの」って、いったいどうやったら手に入るものなのでしょうか?

はくさい夫人に起こる悲劇
この本に出てくる「はくさい夫人」は、誰もが羨む美しさを持つ、まさに貴婦人中の貴婦人。美意識の高いはくさい夫人は、自らを磨くことに余念がありません。ところが、ある日、入念に手入れをしているドレスに一匹のくいしんぼう青虫がやってきます。そして嫌がるはくさい夫人のもとに、次々とたくさんの青虫たちが……。はくさい夫人は必死に青虫たちを追い払おうとするのですが、なぜか突然の嵐や小鳥たちから青虫を守ってあげる羽目に……。それでも、青虫たちは彼女の大事なドレスを食べ続けるものだから、とうとう我慢も限界に達し、「もう許さない! 今度こそ出て行くざます!」と別れを告げるのです。そんな彼女に対し、青虫たちは、「ごめんなさい」とうなだれながらも、今までのお礼とばかりに、みんなで歯をくいしばり、力を合わせ、はくさい夫人のネックレスになりました。そして、それを見たはくさい夫人の心にもいつしか温かいものが芽生え始めるのでした。

与えるということは
なくすことではない
それからというもの、はくさい夫人は、自分のドレスを惜しみなく青虫に与えました。ドレスはどんどん食べられていきましたが、彼女の毎日はどんどん楽しくなっていきました。ところがある朝、目が覚めると青虫が一匹もいなくなっていました。もう誰も羨ましいと思わなくなった穴だらけのドレス、突然の青虫たちの失踪、はくさい夫人の心の中は悲しみでいっぱいになりました。でも、そんな彼女にファーマーさんは微笑みながら言うのです。「君は、たくさんたくさん与えたね。与えるということは、なくすことではないんだよ」と。するとそこに白い花びらがひらひらと舞い落ちてきます。「お母さん、ただいま」と蝶々になって帰ってきた青虫たちに囲まれた彼女は、まるで純白の花びらのドレスまとったように輝いたのでした。

本当にきれいなもの
子育ては、体力も精神力も必要であり、それこそ毎日が必死な思いだと思います。そしてふと、むなしさを感じたり、ぼろぼろの自分の姿に悲しくなることもあります。そんな時に、絵本の最後の詩が「本当にきれいなもの」が何なのかを教えてくれます。「小さな青虫を夢中で助けたはくさい夫人のおでこに浮かぶ汗」や「青虫にもう一度会いたいと祈るキズだらけの手」など、相手との関わりの中で生まれる内から芽生えるあたたかな感情。それこそが、わたしたちを本当に輝かせてくれる答えなのではないでしょうか。目に見えるものばかりに心を奪われることの多いわたしたちですが、神様の存在もまた、わたしたちの目には見えません。本当に大切なものは、目には見えないものなのかもしれません。はくさい夫人が青虫たちとの出逢いによって見つけた大切な答えをこの絵本の中から見つけてみてください。

HeQi Art 聖書物語

十字架を背負う

そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。
こうして、彼らはイエスを引き取った。イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。

ヨハネによる福音書 19章16~18節

※ヘイチアーツは今月をもって終了させていただきます。来月より新コーナーが始まります。お楽しみに。

たろこまま「いのちを語る」

地球の命(創世記6章5~6節)

小太郎:(以下〝小〟)ねえ、母ちゃん。どうちて毎週箱に入ってお買い上げするお野菜には土がついてるんでつ?
たろこまま:(以下〝た〟)それはねー、野菜にとってその方がラクだからよ。元々土に植えられてるものだしね
小:じゃあ、どちてお店に並んでいるお野菜は、全部キレイキレイなんでつか?
た:ヘンな話なんだけど、そうでないと売れないからよ?
小:じゃあ、まだまだ住める家を簡単に壊したり、まだまだ使える家具を簡単に捨てるのは?
た:それは皆が金持だからよ(苦笑)、でもそれも理不尽な話よね。地球というスペースも資源も限られているのに、使って次々ポイポイしてたら大変なことになっちゃう……と言うより、もう地球が病気になってるかも(汗)。地球温暖化で海の流れも変わり、寒い地方の氷が溶けて水かさが増して南の島がなくなりかけてたり
小:でも人間の他に悪いことちてまつか? もちかちて、病気なのは地球ではなく人間でわないでつか(焦)?
た:おっ、小太郎。痛いとこついてくるなあ。母ちゃんも、もしかしたら地球、ひいてはこの宇宙がそもそも一つの大きな生命体じゃないのかなって感じること、あるよ
小:では、この地球も大事に大事にしないとならないんでつね?
た:小太郎、いいこと言うじゃない。瓶や缶、牛乳パックをリサイクルとか、まずは小さなことからコツコツとね。でないと続かないから(笑)
小:じゃあ母ちゃんの今年の抱負は、止めといた方がいいってことでつね(詳細は2月号参照!?)
た:う、これまた痛いところを突いてきたわね(苦笑)……ま、その件はまた別の機会に話し合おうね

※2年に亘る、たろこままのコラムは今月をもって終了させていただきます。長い間ありがとうございました。

08-02-17るうてる《福音版》2008年2月号

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バイブルメッセージ 出会い

イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。ヨハネによる福音書20章16節(日本聖書協会・新共同訳)

「出会いは別れの始まり」という言葉どこかで聞いたことがある。
何かの歌だっただろうか。
でもね、「出会いは永遠の始まり」なんだよ。
どこかで偶然、出会う人。こんな人とは出会いたくなかったと思う人。
一緒に写真に写ってて、あーこんな人そういえばいたわ、と思う人。とても印象に残っててもう一度会いたいなって思う人。家族も出会いの一つ。
父の葬儀の後、あるご婦人が私の所へ駆け寄って来て、こう言った。
「あなたのお父様とうちの主人、天国で会って握手してるわよ」って。
もちろん、父とその方のご主人は生前、面識はない。
私と奥様が知り合いなだけ、でも私にも父とその方のご主人が嬉しそうに天国で私たち二人の話をしているように思えた。
出会いは与えられているんだよ。
あなただから与えられる出会いなんだ。大切なあなたに。
あなたが生きているかけがえのない「今」この時に。
でも、心配はいらない。与えられた出会いは永遠なんだ。
決して、あなたから引き離されない。また会える。
会えるよ。
そして、あなたに出会う人は、あなたを通して命に出会う。
自分も大切にされている存在なんだと、あなたとの出会いを通して。
何も特別なことをしなくてもいいんだ。
別に飾らなくてもいい。
あなたがそのまま用いられているから。

出会いは人だけじゃない。
景色や香り、空気や色、草や花。
あなたが行った旅行先で、あなたが歩いたあの道で。
ちょっと遠回りした電車の停車駅で。
ボーッと観ていたテレビや映画の中で。
なんとなく読んだ本の一節に。詩に。
そんなとき、自分に出会う。
自分の思い出? 自分の過去? 後悔?
違う、あなたが出会うのは、「今」を生きている自分。
大切な命の存在。たった一つのかけがえのない存在に。
だって、あなたしかいないから。
たった一つの命だから。
S

大人を育てる絵本からのメッセージ

ラヴ・ユー・フォーエバー

作:ロバート マンチ
翻訳:乃木 りか /絵: 梅田 俊作
出版社:岩崎書店

絵本というと小さなこどものための本というイメージがありますが、大人にとっても生きるヒントになる本がたくさんあります。ここでは子育てという視点でお話をしていますが、あらゆる人間関係においてもお役に立てていただければ幸いです。

愛する気持ち
子育てをしていると、大変なことがいっぱいあります。なかなか自分の時間を作る余裕を持てなかったり、子どもの成長に応じて、心配事も悩み事も尽きません。子育ては、本当に体力も精神力も必要な作業です。なかなか思うとおりにいかず、疲れたりイライラしてしまい、些細なことでも怒鳴りたくなってしまうこともありますよね。そんなときに、子どもが生まれたときのあの愛しさや、どんなに怒鳴ってしまってもわが子をとても大切に思っていることを思い出させてくれるのが、今回の絵本です。どんなにイライラした日も、夜になるとお母さんは子どもをだっこして歌うのです。♪アイラブユー いつもまでも アイラブユー どんなときも わたしが生きている限り あなたはずっとわたしの赤ちゃん♪ 子どもがどんなに思い通りにならなくても、命をかけて守りたい! そんな愛しい存在であることを夜になると思い出すのです。

子を持って知る親の恩
わたしは、この絵本を読んでいるとわが子への愛だけでなく、両親がわたしに注いでくれた愛についても思いをはせずにはいられません。私的なことになりますが、わたしの姉は小さい頃から歌が大好きで、街を歩きながらでも大きな声で歌っているような子どもでした。母は、そんな姉を見て、「いっしょに歩くのが恥ずかしい」とか「静かに歩きなさい」とは決して言わず「上手よ~。みんなが聞いてるわ。もっと歌って~」といつも嬉しそうに褒めていました。そのおかげかはわかりませんが、姉はその後、音大の声楽科に進み、今でも歌うことが大好きです。姉が人前で歌うことを恥ずかしいこととは思わずに、ずっと歌うことが大好きなまま成長できたのは、少なからず母の影響もあったと、わたしは思っています。長くなるので割愛しますが、母はわたしや兄に対してもそんなあたたかな愛情をいつも降り注いでくれていました。それなのに、そんな母の愛情を知ったのは、ようやくわたしも子どもを育て始めてからでした。母はのんびり屋のおっちょこちょいだったので、子どもの頃わたしは自分がしっかりしなければと思っていましたし、もちろん母からいろんなことをしてもらっていたものの、どこか『わたしは自分の力で大きくなった』と思っているところがありました。ところが、子育てをする機会を与えられて、やっと母が自分にしてくれたこと、そのひとつひとつに愛があふれていたことに気づいたのです。

愛されているから
愛することができる
愛されているという実感が心を満たし、子どもにも周りの人にも愛を送ることができるのだと、わたしは思います。そして、愛を受けた子がまた、周りに愛を送ることができるようになるのだと。ただ、愛されていることに気づいていない子どももたくさんいることは事実です。言葉、態度……できるだけわかりやすい形で愛を伝えることができたらいいのにと思います。命をかけてわたしたちを守ってくださったイエスさま。わたしたちの誰もが、すでに愛されているのです。その愛が、親子、家族、友だち……と連鎖していき、子どもたちを取り巻く悲しい事件がなくなり、幸せな笑顔の輪が広がっていきますようにと祈ってやみません。

HeQi Art 聖書物語

エマオで現れる Supper at Emmuas

一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。
ルカによる福音書 24章28~32節

たろこまま「いのちを語る」

君、死にたまふことなかれ。
(出エジプト記20章13節)

季節外れですが、先日、第二次大戦から奇跡的に生還した、ある特攻隊員の話をTVで見る機会がありました。周りでそういう貴重な体験を語り継げる人と出会いがなかった私には、ただただ衝撃のひと言でした。
お国のために、を常套句に、家族や大切な人を守るために死なざるを得なかったあの状況──主人公が当時20歳に満たないのにも驚愕ならば、その上官が23歳というのも驚きです。私の年の半分に満たない若さで出兵を志願し、死にに行くための訓練を積み、突然の召集を待つ日々。 本音の書けない遺書を携え、旅立ちの日に盃を交わすセピア色の写真も、誰一人泣いていないのに泣けました。
誰も死にたくないし、殺したくない──でも相手を殺さなければ、殺されてしまう理不尽さ。市井の人々も然り、暗黙のうちに国中が死ね、殺せと言ってる中、『はだしのゲン』の主人公たちのように公に反戦を唱えれば非国民として、同じ国民に黙殺されるような狂気の時代が、ほんの少し前に存在したのです。
これらを見せつけられ、ふと私もそういう状況下、人として守り抜きたい思いを貫けるか──加えて今、私たちが彼らが精一杯生きたように生きているだろうか考えてしまいました。
皆さんは精一杯生きていますか? そして精一杯生きる相手を尊重して生きていますか? 今日の「殺してはならない」の句、これは自分の命も然り、相手の命をも包含する奥深い一行かと思います。2月、早春とは言い難い北海道の雪原に小太郎を抱えて立ち、青い空を仰いで、しみじみ思うのです。
今年も小太郎が大好きな整肢園に母子で通うため、そしてせめてこの子の成人式を見るため、私は筋トレにいそしむとしますか(遅ればせながら今年の抱負←三日持つかな? 笑)

08-02-17るうてる2008年2月号

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教職授任按手式礼拝

今年も3月9日午後7時より東京教会にて教職授任按手式が執り行われ、5名が按手を受ける予定です。どうぞご参集ください。お祈り下さい。

池谷 考史  板橋教会 出身
私は、教会に導かれてすぐに人の勧めで受洗、その後教会生活が途絶えもしましたが、再び教会へと呼び戻され、今、教会に仕える者とされました。主の導きには必ず豊かな実りがあるものです。皆さん、主の業に期待しつつ、共に歩んでいきましょう!

木下 理  松橋教会 出身
私は、ルーテルアワーを聴いて教会を訪ね、洗礼を受けました。取るに足りない私を、神様が憐れんでくださっていることを、実感しています。神様の憐れみを福音として宣べ伝えてまいります。

佐々木赫子  函館教会 出身
あなたのなすべき事を主にゆだねよ、そうすれば、あなたの計るところは必ず成る(箴言16章3節 口語訳)
神様の導きに従い、イエス・キリストが先立って歩まれた福音宣教の足跡を踏みしめ従っていきます。主の僕の働き手として精一杯用いていただけるよう祈りつつ「交わり」の中で前進してまいります。

光延 博  久留米教会 出身
「すべての人にインマヌエル」。これは私の母教会である久留米教会の標題です。この言葉を覚え、主の福音に皆さまと共に与っていきたいと思います。これまでの皆さまのお支えを心より感謝申し上げます。

室原 康志  神水教会 出身
宣教の海原に出航する準備として、神学校という防波堤に守られた中で研鑚してきました。まもなく外洋へ出航しますが、主の示す太陽、聖書という海図、信仰という灯台を読み違えないように、慎重かつ大胆に航行してまいります。

『桃栗三年、愛何年』

娘が「ただいま反抗期」です。この時がなくても困りますが、人間の成長って不思議です。などと、余裕があるようにみえますが、実際は親と子の真剣勝負、格闘の毎日です。大きな心で受け止めようとするのですが、親も人間、カッときます。娘も自分ではどうすることもできないのでしょう。この状態が何年続くのか。
「私は愛されてない」の連続。親の愛を確かめたいのでしょう。娘をみていると、自分も神様に同じことをしてきたと思います。神様が、こんな私を本気で受け止めてくださったからこそ、神様の愛を知ることができました。娘にも「どんどん反抗しなさい。親の愛を確かめなさい」とそんな気持ちですが。現実はなかなか……。
人にはどうすることもできない苦しみがあります。でもイエス様の十字架を見上げるとき、大きな愛に包まれていることがわかります。反抗してはじめて愛の実がわかるかも。
桃栗は三年で成長し実をつけるといいますが、人が愛の実を確かめるには永遠の年が必要かも。
(柿のたね)

牧師の声

私の愛唱聖句

九州教区 久留米教会、田主丸教会、大牟田教会 牧師 水原 一郎

わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた(エレミヤ書1章5節)

試験とか面接とか名の付くものは余り気持ちいいものではありません。それが特に自分にとって自信のないものであったり、自分のこれからの生涯の方向性を決定付けるようなものであればあるほど、緊張したりするものです。私の場合は、「教師試験(牧師になるための試験)」がそれに当たりました。神学校最終学年の4年生、今から5年前の冬、まだ寒い中、学生寮の部屋で聖書を見ていました。
ふと目に留まったのが、掲げたエレミヤ書の言葉でした。エレミヤ書自体は学校でも学んでおりましたが、初めて読むような衝撃を得ました。エレミヤ書の冒頭は「エレミヤの召命」と呼ばれている箇所です。神さまから預言者の働きをエレミヤは命じられます。それに対して、「僕にはできません」と駄々をこねるのがエレミヤなのです。自信が無い中で、それでもその自信の無さを神さまに語るエレミヤに新鮮味を覚えました。このエレミヤの思いを小さなメモに記し、手帳の片端にはさみ、その手帳を胸ポケットに入れて面接に臨みました。
面接自体は優しくもありまた厳しくもありと今では何も覚えていませんが、そのときに胸ポケットに入っていたエレミヤ書の言葉は今でも手帳に挟んでいます。「彼らを恐れるな、私があなたと共にいて、必ず救い出す」。振り返ってみれば、面接中の励みとしたのはこの聖句だったのかもしれません。自分の力ではなく、み言葉の力によって、恩寵によって、教師試験を通ったと今でも思っております。
教師試験から5年が経ち、手帳も変わりましたが、そのとき手帳に挟んでいたメモのみ言葉は変わらずに私の胸の中に入っています。エレミヤと名前を並べるのもおこがましい私ですが、このエレミヤの思いは大切にして、働きに臨んでいきたいと思います。あと、好きなみ言葉、支えになるみ言葉を肌身離さず持っているのは、意外と支えになるものなのだと思いますよ。

信徒の声

教会の宝石を捜して

西教区 大阪教会  信徒 藤田 京子

大阪教会との出会いを教えてください
昭和28年頃、ラジオのルーテルアワーを聴いて通信を受けました。修了書をいただいた時、住まいに一番近いからと、大阪教会を紹介され訪ねたのが最初でした。仕事の関係で日曜日が休めないので、礼拝に出席できませんでしたが、月曜日の夜求道者会を開いてくださり、何とか教会につながっておりました。
受洗は昭和30年のペンテコステに、稲富肇先生から受けました。先生の最後の受洗者ということになります。
その後独立して一人暮らしを始めて、教会生活も徐々にわたしの生活の一部になっていきました。
るうてるホームから通う礼拝について
教会は近いのが一番と思っています。幸い交通の便のよい市内に住んでいましたから、30分足らずで教会へ行くことができました。
聖日礼拝は勿論、木曜日の聖研、婦人会、修養会、研修会等々に出席できました。忙しくても楽しかった思い出です。
るうてるホームには、今年2月に入居いたしました。このホームができた頃から将来はホームで、と決めていましたから、年令、健康のことを考えると、今が最良の時、と思い入所させていただきました。
教会に来るためには、市内に居た時の3倍近く時間がかかりますが、暑い時はバスを利用し、涼しくなってからは30分歩いて駅まで出ます。礼拝15分前ぐらいには席につくように心がけていますが、これは健康と足が守られてこそですから、神さまのお守りを祈っています。なっています。
これまでも、これからも大切なことは何ですか
礼拝です。
これまでも大切にしてきましたが、いずれこの谷町まで来るのはむずかしくなるでしょう。でも忍ヶ丘礼拝が行われていますから、自然にそちらに移っていくのだろうと思っています。たとえ車椅子生活になったとしても、朝の礼拝、聖日礼拝が続けられることは大きな恵みです。
そして、とりなしの祈りでしょうか。これまで多くの方から祈られてきたと思いますから、これからは隣り人のために祈ることを大切にしていこうと思っています。

東洋と西洋の対話

第11回 私達は「恵みの手段」を用います。

「皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです」(コリントの信徒への手紙一 12章13節b)

平岡(以下「平」):私達の礼拝には3つの中心があります。それは御言葉と聖礼典・洗礼と聖餐です。
Lathrop(以下「L」):極めて初期の時代からキリスト者達は礼拝に集まる時、定まった中心なる物を持っていました。聖書を読み、世界に命を与えるため死んで甦ったイエス・キリストについて語るその聖書を解釈する説教を聞きます。キリストが私達に与えた食事を実践します。罪の赦しを告げます。そして、三位一体の神のもとへ招く集まりに私達を加える重要な水の洗いを行います。ルター派の人々は、私達に信仰をもたらし私達の命を神に委ねるよう導くため神がこれらのことを通して働くと信じ、それを「恵みの手段」と呼びます。
平:目に見える”しるし”を見つけるところそこであなたは教会、即ち聖なるキリスト者を見出すことが出来、確かに彼らはそこに存在するに違いないとルターは言っています。
L:これら中心なる物はキリスト者が存在する全ての場所に見い出せます。キリスト者はそれがイエス・キリストによって私達に与えられていること、またそこに於いて私達が聖霊を賜ることを信じます。しかし時には、あたかも「恵みの手段」が重要ではなく二義的なもの、あるいは特別な物であるかのように覆い隠されてしまうことがあります。
平:聖書日課と説教、洗礼盤の常設、聖餐の頻度等、再検討の余地があるかもしれません。
L:ルター派にとって、礼拝を再検討する際最も重要な事は神の言葉、イエス・キリストの晩餐、そして洗礼の洗いを私達の集まりの最も中心に明確に位置づけることです。人々の集まりはこれらを中心に起こります。それらを中心にそしてそのために、私達は教会に於ける音楽を作り上げます。私たちはこれらのことを通してイエス・キリストに出会い、そして神が愛によって私達と関わり、その結果、私達もまた愛によって隣人と関わることが出来ることを繰り返し繰り返し見出して行くのです。

信仰の学び、養いを生涯続ける

第11回 今の時代の「信仰問答」を!

身近な試み、身近な関心
小教理問答など、信仰問答、信仰教育の意味に注目して身近でこれに取り組もうとしている、われわれの仲間がいます。羽村教会の高井保雄牧師は早くからこれに関心をもってきましたが、数年来小教理問答を交読文の形にしたものを作成し、実践を試みているということです。生活の中心になるべき礼拝の中で、これを生かそうということです。日田教会の宮澤真理子牧師は、先年立教大学に提出した修士論文において、これまでのルーテル教会の取り組みを紹介した上で、時代に即した信仰の生涯教育の必要性を訴えて、その試案を提示しました。自分が内海望牧師からいただいた洗礼準備の教育が自分の原点だと言い切って、自らこれに励む滝田浩之牧師もいます。私のルターの講義を20年以上聴き続けている、車椅子の崎村ナナさんもその一人、信仰の基本を自分なりにしっかり身につけて、これにルターの信仰の学びを重ね合わせているようです。これらはほんのいくつかの実例に過ぎないでしょう。自分の試みや、自分の経験を私に知らせてくださいませんか。
世界の試み
世界では1970年代にオランダのカトリック教会が出版した大冊の信仰教育の本が話題となりました。カトリック教会では進歩的に過ぎるとして問題になりましたが、私たちから見れば、大いに学ぶところがありました。このモデルに注目して、幼児の絵本から、少年向けの堅信教育、信徒向けの、電話帳のように分厚い「信仰の交通案内」、その手頃な縮刷版という具合に、いわゆる「カテキズムファミリー」を出版したのはドイツのルーテル教会でした。分厚い本が予期に反して何十万部と売れて、人びとのニードに応えたことを実証しました。この縮刷版を基にアメリカで出版された、ペーパーバックのThe Evangelical Catechismも今に至までヒットしていると聴きます。1980年代は、世界の各地、各教派でこうした信仰問答の現代的な試みの花盛りになりました。そうした努力は今も続けられています。時代の問題を受け止めながら、信仰の生を方向付けて行く導きを提供しようとしているのです。

さあ、日本のルーテル教会で
山内六郎牧師の『信仰の手引き』で学んだ人も多いでしょう。私も1960年代、同年輩の牧師たちと共同で、『キリスト教入門』と『信仰入門』を出したことがありました。『小教理問答』を、子供の問い、父親の信仰告白の答えとして翻訳してみた試みもあります。PM21も、そうした信仰教育の実践の中に位置付けられるでしょう。さあ、21世紀初頭の日本のルーテル教会の「信仰問答」を書く人が出てこなくてはなりません。これもやはりチームの仕事になるでしょうか。

神学生寮の思い出

札幌教会  スオミ礼拝堂 札幌北礼拝堂 新札幌礼拝堂  岡田 薫

学生時代の想い出は沢山ありますが、そのなかでも寮生活は特別です。大学入学から神学校卒業までの7年間お世話になりましたので。これは、女子学生としては最長記録かもしれませんね。ほとんどの学生は4年以内に卒業するものですから(笑)。ひととき生活を共にした仲間たちは、先輩も同期も後輩も今でも懐かしく姉妹のように大切な人たちです。
残念だったことは、男子寮には祈祷室がありましたが女子寮にはそれが無かったことです。あるとき、後輩の一人が「聖書を読みたい」と言ってくれたことがきっかけで、私の部屋で聖書日課の集いというものを始めることになりました。開始時間は門限から5分後。数人でその日の日課や好きな聖書の箇所を輪読するだけだったのですが貴重な時間だったと思います。誰にでも人生について深く考えたり、悩んだり苦しんだりする時があると思います。そのような時に、誰かと一緒に神さまのメッセージに耳を傾ける機会が与えられたことは私自身にも良い経験でした。しかし、個人の部屋で行っていたので閉鎖的なイメージもあったかもしれないなぁ、と久しぶりに思い出して感じています。
新しい寮には祈りの空間や団欒のスペースも十分に確保されているようですね。また、相談相手になってくれる頼もしい存在もあるようです。知的な研鑽だけではなく生活や心の面でも磨きあえる環境となることを期待しています。

クリスチャンのライフカレンダー

葬儀ー復活の光の中でー
Oさん。主の平安を祈ります。
すべてを失った悲しみの中でヨブが告白しているように、人は「裸で母の胎を出て、裸でかしこに帰ってゆく」存在です。ここにすべてがあります。「今日は死ぬのにもってこいの日」という言葉が米国先住民にあるそうです。終わりを意識する時、今この一瞬がかけがえのないものとして輝いてくるのです。
主の墓が空だったように墓は私たちの終着駅ではありません。死とは真の命に入るための狭き門です。復活の光の中に私たちはすべてを見ることができます。おっしゃる通り、キリスト教の葬儀が「不思議に明るい」のはそのためです。
葬儀は故人の生涯が神のみ手の内にあったことを感謝し記念する礼拝です。同時に悲しむ者にとってはグリーフワーク(死の悲しみからの癒し)の役割も果たします。愛唱讃美歌や聖句を含め自分の葬儀について牧師に相談される方もおられます。安心して自分の最後を託せる教会があるということは慰めに満ちていますね。

『LAOS 講座』(全9巻)「脱宗教化時代」の見事な「宗教教育プログラム」(2)

石田 順朗

刈谷教会では「宣教50周年記念日」(04.3.14)へ向けて「地域に開かれ根付き、個性に輝く教会」を目指して4年企画の「宣教方策」構築作業と並び、「語ろう会」(10回)を名古屋、西三河の信徒の方々と共に開講した。このほど復版になった拙著『牧会者ルター』(02年)、「説教作法 その聴き方、話し方」(03年)、「宗教のゆくえ 脱宗教化時代の宣教」(04年)と語り合っていた。そこへ『LAOS講座』の開講が重なるという絶好の機会に恵まれたしだい。
時の課題「教会共同体」形成ということもあって、まず、第7号『宣教と奉仕の理論と実際』の学習で始めた。毎月第3主日礼拝後の恒例「茶話会」において、順番で信徒が発題し、20~30分間の連続講座が生まれた。次いで第8号『この世を生きる』を取上げ、『真理を求めて』の第3号に至り、『神の民の歩み』(5号)、『いなご豆の木』(6号)へと継がれて来ている、常に『信徒として生きる』ことを自覚しながら。
※執筆者によるLAOS講座はjelc.TVで御覧いただけます。 URL http://jelc.tv/

9.各地のニュース 日米協力伝道(JACE)
JACE(日米協力伝道)の協約に基づいてJELCから日本人牧師が派遣され、カリフォルニアのハンティントンビーチとトーランスで日本語礼拝が持たれています。
復活ルーテル教会(LCR) とファーストルーテル教会(FLC)の礼拝のレギュラーはそれぞれ20~25名と13、4名の現状ですが、成長にむけて努力しています。伊藤文雄牧師が両教会の兼任牧師です。2008年からはこの兼任システムが正式に動き出し、合同委員会が選出されます。
詳しい働きはlcrjm.comで見ることができます。

※【注】
LCM=Lutheran Church of the Resurrection
FLC=First Lutheran Church

10.募集
APELT-J タイ研修セミナー2008 参加者募集
■日 時:2008年3月24日(月)~3月31日(月)
■募集対象:中学生、高校生、青年、神学生
■参 加 費:50,000~70,000円程度を予定(詳細は、後日)
■目  的:“バンコクのスラムの現状を知る”“タイのクリスチャンとの心の交流”“歴史を振り返りながら現代におけるアジアにおける日本の役割を考える”
■問い合せ・申し込み
APELT-J担当 大柴譲治(武蔵野教会)
TEL:03-3330-8422/FAX:03-3330-8445/e-mail joshiba@jelc.or.jp
■申し込み締め切り 【2月15日】

TNG子ども部門CSカード イラストレーター募集
毎主日ごとのみ言葉にあわせたカードのイラストを描くCSカードのイラストレーターを新規募集します(若干名)。プロ・アマは問いません。
■募集人員:CSカードイラストレーター
■選考方法:指定した聖書のみ言葉をもとにイラストを描いて送ってください。担当者が選考します。
※イラストに関する詳細は問い合わせ先までお願いします。
■募集期間:2008年2月1日~29日
■申し込み:162-0842 東京都新宿区市谷砂土原町1-1日本福音ルーテル教会 宣教室
TNG子ども部門CSカードイラストレーター募集係
※データ入稿の場合は t-koizumi@jelc.or.jp (小泉嗣)まで
■問い合せ:TNG子ども部門 担当:小泉嗣(小田原教会) TEL:0465-47-4416

式文委員会と讃美歌委員会からのアンケートのお願い
昨年末と年明けに、それぞれの委員会よりアンケートが各個教会にメイルにて送られました。常議員会で任命されたそれぞれの委員会が、学習会や周知活動、そして次期改定に向けての検討作業を始めています。
締め切りは2月10日で集計表と同じに設定されています。特に讃美歌委員会のアンケートは、各教会の奏楽者のご意見も募集しています。ご協力を宜しくお願いいたします。
アンケートや送付先は下記インターネットからもご覧いただけます。
http://www.jelc.net/~pm21/down/index.html
よろしくおねがいします。

教会音楽祭 詞の募集
第28回教会音楽祭実行委員会は、次の要領でテーマ曲の詞を募集します。
テーマ「わたしたちを誘惑におちいらせず、かえって悪からお救いください」(仮)
締切 2008年4月末日(当日消印有効)
詳細は次号掲載予定です。お問合せは、東教区教育部・佐藤(千葉教会)まで。

るうてるモニター募集
本紙を読んでいただいて、アンケートに答えていただける方を募集中です。アンケートはメールかFAXで行っております。やってみようかな? 「るうてる」に言いたいことがある! という方はe-mail:ruuteru@jelc.or.jpかFAX:03-3260-1948までお問合せください。

集計表提出のお願い

本教会提出の集計表を期日までにご提出くださいますようお願いいたします。一教会でも遅れますと全体の集計ができないばかりか関係省庁への報告にも影響が出ます。
また、報告書は電子メイルでの提出をいただきますと、事務作業の軽減ばかりでなく、間違いを防ぐことにもなります。
報告書と共に、教会総会資料をお送りください。
■提出期限■その他報告書 2月10日

ルターホール改修/神学生寮設置

ルターホール改修/神学生寮設置には、皆様のお祈りとお支えをいただき、昨年12月26日に工事が完了しましたことを感謝をもってご報告します。
今後の予定は2月26日午後3時半より、聖別式が関係者と共に執り行われます。聖別式にはお支えくださった皆様にもお越しいただきたいところですが、様々な事情から関係者とさせていただきますことをお許しください。また、4月14日(月)正午の通常のチャペル礼拝の時間に感謝礼拝を学生と共に守ります。
昨年4月よりお捧げいただいております「ルターホール改修/神学生寮設置」募金には、全国の教会・団体、あるいは個人として皆様から献金が寄せられました。2007年12月末現在で約4448万円(目標の49%)に達しました。募金は2年間で9000万円達成を目指し、来年3月まで続けますので、さらなる献金をお願いいたします。
神学生寮を含めてルーテル学院を身近に知っていただくために3月の教区総会でのアピールの他、5月の全国総会初日を三鷹のチャペルと校舎を使って開催することになりました。それが募金運動後半への弾みになることを願っています。

Teensキャンプのお知らせ

来年の春の全国ティーンズキャンプ(春キャン)は、次の通り開催されますので、お誘いください。お祈りください。
日程 2008年3月26日(木)~28日(金)
会場 京都・花背山の家
主題 絆- KIZUNA - 聖霊の働き
申込 2008年2月末日
(1月末日までの申込者は参加費が割引となります)
TNG_apply@jelc.or.jp(e-mail)
03-3260-1948(FAX/宣教室)
問合せは、佐藤牧師(千葉教会)まで。kz-sato@jelc.or.jp

連帯献金報告

2007年12月末現在の連帯献金について、次のようにご報告いたします。たくさんのご協力ありがとうございました。
■2007年連帯献金
1.ブラジル伝道(34件)25万1290円
2.日米協力伝道(21件)7万7000円
3.メコン宣教支援(24件)22万3000円
4.イラン・イラク・アフガン難民(1件)1万円
5.パレスチナ難民(29件)20万2170円
6.災害緊急支援(5件)16万2272円
7.世界宣教(104件)293万6957円

■献金者・団体ご芳名■
(敬称略・順不同)
【教会】
京都、長野、津田沼、大岡山、知多、東京池袋、松江、神水、藤が丘、大江、日田、藤が丘、刈谷、釧路、帯広、箱崎、蒲田、日吉、市ヶ谷、広島、下関、東京、武蔵野、本郷、西条、保谷、板橋、別府、名古屋、甘木、浜名、宇部、岡崎、唐津、厚狭、雪ヶ谷、松橋、大垣、千葉、名東、聖ペテロ、函館、小田原、賀茂川、甲府、札幌、恵み野、栄光、甘木
【婦人会】
女性会連盟いすみの会、東教区婦人会、保谷教会婦人会、熊本キリスト教連合婦人会
【その他団体】
本郷学生センター、九州学院中高校生教職員、めばえ幼稚園、知多教会教会学校、神水教会学校、大森ルーテル幼稚園、蒲田教会バザー、箱崎教会CS、恵泉幼稚園、箱崎教会コンサート、日本福音ルーテル社団、蒲田ルーテル幼稚園年長組、挙母ルーテル幼稚園、蒲田ルーテル幼稚園、唐津ルーテル子どもの教会、国府台保育園、恵泉幼稚園保護者会
【個人】
牧之瀬恭子、古川文江、角田健、大金よし子、増野肇、吉田輿四郎、川上義充、中村好子、藤井浩・礼子、椎名浩、藤田房子、岡田晃一、村田志奈、吉田与四雄、吉田昌宏、折田良三、南里昌子、渡辺賢次、川口誠、杉山昭男、渡辺聡、二宮幸美、児島和子、松嶋俊介、上道つるゑ、金海秀夫、田七三郎、西岳芳枝、柘植春子、乙守望、五十嵐均、東牧子、松本教義、若松笑子、寺島文世、條ツモリ、兼岩恵美子、野原弘子、森田竟、吉川幸子、間瀬啓允、飯野タケ、竹越英子、妹尾毅、小宮ノブ、鈴木道子、山本有都子、河野精一郎、近藤美知子、盛月美知子、遊上貞子、山本慶次、柴田正生、尻無浜紀美子

■各指定項目合計に世界宣教・無指定分を配分させていただき、次のようにお送りさせていただきました。
1.ブラジル伝道 118万2780円
2.日米協力伝道 100万56円
3.メコン宣教支援 33万5800円
4.イラン・イラク・アフガン難民 1万円
5.パレスチナ難民 50万28円
6.世界宣教 40万4154円

年末送金時に間に合わないものは2008年分に繰り越します。ご了承下さい。
事務局からの海外送金は12月28日を目途にしております。それまでにお届けいただければ、すぐにご意思をお届けできますので、あわせてご理解下さい。また名義に関しましては、献金いただいた当時の名義を掲載しております。

おわび

本紙2007年12月号の本欄に「牧師の倫理問題について」と題する一文が掲載されましたが、言葉足らずであったために、様々な憶測を招いてしまいましたことに対して、おわびを申し上げます。今後とも、日本福音ルーテル教会の教職・信徒の一体となった宣教の働きの上に、神様の御祝福が豊かにありますように。
総会議長  山之内正俊

08-01-17るうてる《福音版》2008年1月号

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バイブルメッセージ  見よ、すべてが新しくなった

キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです
コリントの信徒への手紙二5章17節(日本聖書協会・新共同訳)

我が実家の家族写真を収めたアルバムに、誰もが「笑っちゃいます」という一枚の写真があります。
それは、わたしが小学校に入学する時に撮影されたものです。もう半世紀も前のことになります。黒光りする真新しいランドセルを背負った、まさに「ピッカピカの一年生」スタイルの写真です。わたしはクラスで、ひょっとすると学年で、一番背が低く、頭は大きかったのですが……、ランドセルが、身の丈とはいかにも不釣合いで、「ランドセルが歩いている」とからかわれたこともよーく憶えています。
新品はランドセルだけではありません。靴も帽子も洋服も名札も、そして、ランドセルの中身も。教科書はもちろん、ノートも筆箱も、その中の定規も鉛筆も消しゴムも、みーんな新品で、ピッカピカでした。
わたし自身、ピッカピカの希望に輝いていたわけで、それは写真の姿勢、表情から一目瞭然です。わたしとしては、至極真面目に、緊張して、被写体になっていたのですが、写真を見る人は、みんな笑うのです。
ランドセルを買ってくれたのは親戚のおじさんでした。そのおじさんは、わたしが高校に入学した時、腕時計を買ってくれました。新品の、初めてのマイ腕時計でした。腕にはめた時、大人になったと思いました。その腕時計は社会人になってからもしばらく大切に使っていました。
新しいものへのときめき、新しさへのあこがれは何歳になっても変わらないのではないでしょうか。「ええ歳した」おじさんになってから、念願のスクーター様式の二輪車を購入しました。新車は手に入らず、「傷あり、へこみあり」の中古車でした。しかし、わたしには「新品」同様の満足感を与えてくれました。瞳は輝き、胸ときめいたのですから。
そんな「生きがい」というのか、生きる意味、はりあいを、からだの芯から熱く感じさせてくれる「新しさ」とは一体何なのでしょうか。
「新年あけましておめでとうございます」の挨拶にも、新しさへの憧れが込められています。時が流れ、年がかわり、カレンダーを新調したからといって、それだけで、すべてが新しくなるわけではないこと、重々承知しています。それでも、いつでも、どこでも、「新しさ」を追い求めてやまないのです。そんなわたしたちに、「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」と聖書は語ります。
M.T

大人を育てる絵本からのメッセージ

百年たってわらった木

作:中野 美咲/絵:おぼ まこと
出版社:くもん出版

絵本というと小さなこどものための本というイメージがありますが、大人にとっても生きるヒントになる本がたくさんあります。ここでは子育てという視点でお話をしていますが、あらゆる人間関係においてもお役に立てていただければ幸いです。

ありのままの自分を知ること、受け止めること
自分をよく見せたいと思ったことはありませんか? 誰でも、人から良い評価を受けたいと思ってしまうものですよね。「がんばる」ことは決して悪いことではないけれど、「まわりの人に高く評価してほしい」と、実際の自分以上に良く見せようとすると、それを守るために更にもっと無理をしなければならなくなります。そしてそのことばかりに必死になると、生きることそのものを楽しめなくなってしまいます。
以前、わたしの娘がお友だちに「いとこがアメリカに住んでいるのなら、あなたも英語が得意でしょう?」と尋ねられたことがありました。そこで素直に「NO!」と言えればよかったのですが、ついつい「YES♪」と言ってしまったものだから、「じゃあ、教えて!」とせがまれてしまい、その約束を先延ばしにしながらごまかしつつ追い込まれ、どんどん苦しくなっていきました。結局、本当の自分を偽っても苦しくなるだけだとわかり、正直に話して謝ったことで解決しましたが、当時、娘はその子に会うことができなくなるくらいに悩んでいました。

泣きたい時は泣いたっていい
絵本に出てくる大きな木は、いつもかっこいい木であるためにがんばってきました。上にぐんと伸ばした枝、するどい葉っぱ、つるつるの木肌。くたびれた様子も見せず、とてもがんばっているのに、お友だちができません。百年もがんばってきたのに、お友だちができない木は、淋しくてとうとうションボリとうなだれてしまいます。ところが、どうでしょう。だらりと枝をおろした木の下に葉陰ができ、暑さをしのぐことができると、まずリスの親子がやってきました。つるつるの木肌でいるためにがんばっていたのもやめると、「のぼりやすくなった」と虫や鳥たちも集まってきました。どんどんといろんな動物たちが集まってきて、みんなが自分のまわりで、楽しそうにおしゃべりをしていってくれるようになりました。そして、いままでずっとがんばっていた木は、「疲れた時は疲れたようにしていていい」「つらい時は、泣いたっていいんだ」と、ありのままの自分が一番いいことに気づくのです。

ありのままの自分の方が楽しい
わたしたちも、まわりの人に良く思われたいあまり、無意識のうちに自分を飾って生きていることがあるかもしれません。不器用で自信のない、ありのままの自分を見せることに不安を感じることもあるかもしれません。でも、本当の自分を偽って生きるより、そのままの自分をさらけ出す方がずっとずっと楽に生きられることを、この本は教えてくれています。
神さまは、そのままのわたしたちを「良し」としてくださいました。自分では「あれが足りない」「これが足りない」と思ってしまう自分を「そのままで、大切なかけがえのない人」として受け入れてくださっています。ありのままの自分を神さまが受け入れてくれるのだから、わたしたちも大らかに自分自身を、子どもたちを、そしてまわりの人たちを受け入れることができたら……と思います。

HeQi Art 聖書物語

マルタとマリア Martha & Mary

主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」
ルカによる福音書 10章41~42節

たろこまま「いのちを語る」

年明けに思うこと(マタイ25章40節)

明けまちておめでとうございまつ、またまた小太郎でつ。寒い中、皆さん風邪を引いたりしてましぇんか? ぼくの家は(一応)北国仕様、窓も二重でストーブもついているのでつが、それでもここのところ灯油代がバカにならないわと母ちゃんが毎日こぼちていまつ。でも、天井も壁もあって、ふかふかのお布団に包まって寝られるぼくらは、まだまだ幸せなんでつよね……。
母ちゃんは毎年この季節になると、大阪の釜ヶ崎にあるとある施設に荷物を送りまつ。あるときはリンゴ、あるときは防寒着やお米券。長ナス(ボーナス)が出たらちょみっとお金を包んだり。ホームレスのおじちゃんたちが少しでもお正月気分が味わえたらな、と思うそうなんでつが……。実際会ったこともない人たちにどうちて? と思ってたら、母ちゃんも昔似たような経験があったんだそうでつ。そのとき行き倒れ寸前になった母ちゃんを助けてくれたのが、ここのコラムを作るにあたって声かけちてくれたS先生で、その先生が何かの折に話ちてくれたのが、この釜ヶ崎のことだったのだそうでつ。 母ちゃんは「あの頃毎晩ご飯を食べさせてくれたS先生にお礼がしたい」とボラ覚悟でここを引き受けまちた。
今度は少しでもその気持ちを先へリレーちたいのでつが、ぼくたちで応援するには限界がありまつ。正月と言えば七福神、福をもたらすなら1人より2人、2人より3人4人と大勢が良いでつよね。普段命と言えば自分や身近な人のことばかり考えがちでつけど、ぼくたちはその先の色んな人と繋がって生きてまつ。皆さんもよろちければ、身近で困っている誰かと、必要とちてる物を分かち合ってみましぇんか?
ちなみに喜望の家の連絡先は
〒557-0004 大阪市西成区萩之茶屋2-8-18
℡ 06-6632-1310 でつ♪

08-01-17るうてる2008年1月号

機関紙PDF

新年のあいさつ

総会議長 山之内正俊

2008年、明けましておめでとうございます。今年も、皆様の上に、神様の祝福が豊かにありますように。
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(テモテへの手紙二4章2節)とあります。御言葉を宣べ伝えるのに、良い折というものがあるのでしょうか。「正しい者はいない。一人もいない」(ローマの信徒への手紙3章10節)のです。誰もが神様に背を向けて生きています。そのような人を相手に御言葉を宣べ伝えることが求められています。良い折はないことを覚悟してかからなければ御言葉は宣べ伝えられません。
しかし、御言葉を宣べ伝えることは、神様ご自身の業です。神様ご自身が「一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです」(ペトロの手紙二3章9節)。私たちの前に神様が既に御業をなさっておられます。私たちはその後をついて行くだけです。ですから、どの様な折も良い折です。
今年も希望の内に、宣教の業に励みましょう。

アワーミッションレポート 田園調布教会

人の思いを超えて

田園調布教会の田中克重さんと石川恵子さん親子は、親子三代で教会に通っています。そこには不思議なルーテル教会とのつながりがありました。

石川恵子さんがキリスト教に出会ったは、教団の教会における教会学校においてでした。その後、同じ中学の1年先輩に藤井恵美さん(藤井浩牧師のご長女・故人)がいて、その人柄に強くひかれ、田園調布教会を訪れたこともありました。その背景にキリスト教信仰があることを感じ、その後も友人を誘っては方々の教会へと出かけていました。
やがて、結婚と同時に日吉に移り住み、子どもたちを授かり成長すると、ぜひキリスト教の幼稚園に入れたいと願い、隣りの駅にある教団の幼稚園に入れました。しかし、通うには歩いて行けるところがよいと、日吉教会を選んだのでした。そして、恵子さんは宝珠山牧師より洗礼を受け、後にお子さんも洗礼を受けたのです。今から12年前にご両親と一緒に住むようになると、一番近くがいいと田園調布教会へ籍を移し、通うようになりました。恵子さんはお父さんである田中克重さんがクリスチャンであることを以前聞いたことがありました。しかし、仕事が忙しく、教会に足を運ぶことのない父親の姿にそのことをさえ忘れていました。しかし同居を始め、田中さんご自身も4年前に退職されると、恵子さん親子と一緒に教会へと通うようになったのです。実は、田中さんが洗礼を受けたのも、ルーテル教会でした。そのことは、一緒に教会へ通うようになる最近まで恵子さんにも知らされていないことだったのです。
田中克重さんがキリスト教に初めて触れたのは、マッカートニー宣教師との出会いのときでした。それは敗戦によって世の中が一転した時代で、進駐軍が上陸すると、英語を学びたいと思うようになったと、田中さんは当時を振り返ります。そんな折、マッカートニー先生のバイブル・クラスのことを知り、通うようになったのです。戦災によって学校も焼け、授業も少なかったこともあって毎日のように通うようになりました。やがて、先生に誘われるまま、水道町教会(現熊本教会)にも顔を出すようになりました。その頃、賀川豊彦氏の講演会が熊本で開かれ、宇宙天体の話に大いに感銘を受けたといいます。
大学進学への準備をするさ中、マッカートニー先生から教会の働きに誘われた田中さんはたいへん悩みました。自分も先生や賀川氏のようになりたいと密かに思っていたからです。悩んだ末、大学推薦、アメリカ留学、奨学金の話も受けることにしました。その後、洗礼を受け、進学すると、一学期も終わった頃には、マッカートニー先生や賀川氏のような人生を歩みたいという思いは情緒的なものであって、信仰的な決断ではなかったのではないかと自問するようになりました。帰省していた田中氏は東京へ向かう列車の中から窓の外を眺めると、どこもまだ焼け野原でしたが、唯一八幡製鉄所だけは溶鉱炉に火が入っているのが見えました。このとき、田中さんは日本経済の建て直しを使命にしたいという思いが明確になったのです。先生に長い手紙を書き、別な大学に移り、就職すると、教会から足が遠のいてしまったのです。
しかし、退職のときを迎えたこと、恵子さん親子が教会に通っていたこと、少なくとも週に一度は自分の意義のある余生の生き方を考えるべきということから、田中さんは再び教会へ行くようになりました。
今も田中さんは親子三代で教会に通っています。

『シャボン玉飛んだ、どこまで飛んだ』

新しい年がやってきました。この年もイエスさまの導きのもとで歩んでまいりましょう。
街のクリスマスは、シャボン玉が飛んでいました。大人も子どもツリーを囲み「私たちの思いが天まで届くように」と、何百ものシャボン玉が飛んでいきました。どこからでしょうか、こどもの声がしました。「天国のおじいちゃんもシャボン玉を見るかなあ」と。お母さんが答えました。「ほらあの一番上のシャボン玉がおじいちゃんの所へ飛んでいくんよ」と。そして優しく「だいじょうぶよ」と。シャボン玉は祈りとともに、愛する者の所へ飛んでいくのかと。クリスマスの夜空を見上げました。
私たちはよく、今年はどんな年にしようかと考えます。しかし今日という1日を大切に生きていくしかないのです。神さまからの「だいじょうぶ」の御声を聖書から聞きながら。
朝目覚めて「神様、新しい命を感謝します。与えられた今日を精一杯生きることができるように導いてください」と祈りつつ、今日の一生を生きてまいりましょう。
(柿のたね)

牧師の声

私の愛唱聖句

西教区 三原教会、福山教会、松山教会 牧師  白髭 義

兄弟たちよ。どうか、わたしにならう者となってほしい。
口語訳聖書:ピリピ人への手紙3章17節

私が選んだこの聖句は「愛唱」聖句とは少し違うかもしれません。けれどもこれは今から50年ほど昔、高校生の時に出会って驚かされた言葉でした。使徒パウロの言葉なのですが、いくら何でもここまで言うのは言い過ぎではないのかと思いました。けれどもまた、ここまで言えるパウロってどんな人間だったのかと興味も抱きました。その後この聖句は私の心に引っかかる言葉として機能してきました。その時期、福岡で高校生だった私は、大学を出て東京の神学校に入学しました。気位も高く、鼻息も荒い神学生の私でしたが、挫折も大きく、とうとう牧師にならないで終えました。
いわゆる社会人になって何十年かが経過する間はパウロのこの言葉をすっかり忘れ去っていました。再び浮上してきたのは、もう一度神学校に行き牧師になった後のことです。けれども高校生の時とはすっかり受け止め方が違っていました。昔はこの言葉を口にすることは何か生意気な感じがしました。それでも、そう言えるくらいの自信家のキリスト者がいてもよいのではと考えたりはしていました。
けれども今は、この言葉に生意気さを覚えない私がいるのです。それは、これが自分自身を「罪人のかしら」と言い切ったパウロによる言葉であると思ってしまうからです。私は、長い社会人生活でしたが、そこから得たものは殆ど何もなく、育ったのは罪の意識だけでした。その分、罪の赦しの神の恵みの実感も本物のようになり始めていたかとは思います。もし今私が、声を出して「兄弟たちよ、どうか、わたしにならう者となってほしい」と言えるとしたら、この負の人生が背景にあってのことだと思います。そして、それを照らし出してくれる恩寵の光があってのこと、と言い換えてもみたいと思うものです。

信徒の声

教会の宝石を捜して

東教区 羽村教会 信徒 阿部 冨美子

教会との出会いのきっかけは?
こどもの頃、教会の幼稚園に通い、教会学校に中学まで通っていました。そして結婚して自宅近くの坂の上に羽村教会を見つけました。子どもが4才になってルーテル幼稚園に入ったとき、自分のこどもの頃の懐かしさから幼稚園の父母向けの聖書研究会に参加するようになりました。洗礼を受けることについては、嫁ぎ先の両親のことなどもあって難しいと思っていたのですが、教会のお友達や一緒に受洗しようという方などもおられて、洗礼を受けました。家の中は特にどうということはありませんでした。
教会の中で、至極自然にご奉仕下さっていますね。
以前は週日に教会の草抜きをしていましたが、最近は教会に人の出入りが増えて、主日礼拝の前にします。リーストコインは一時中断していたようですが、そのやり方をお聞きして今は再開しています。「星くずの会」には15年ほど前からですが、牧師からお米や梅干しが必要だということを聞きましたので、毎年5~6キロほど梅干しを送るようになりました。家族が少なくなった今では梅を漬けるのはこのためになっています。
教会の中で心がけておられることは?
「初めて教会に来た時に声をかけてもらった」と感謝されたことが度々ありました。私がそうだったので、初めての人に声をかけることは心がけています。
作詩された作品が教会音楽祭の合同讃美歌に選ばれましたね。
詩を作るとき、讃美歌になるような、神様の詩が書きたいというのが、目標です。合同讃美歌に選ばれたのはその夢の一つが実現したことで、生涯の記念ですね。
今後の希望は?
他教会との交流や教会内のコミニケーションの輪を広げて行ければ良いですね。

東洋と西洋の対話⑩

教会は聖徒の集まりです。

「あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストのすべての教会があなたがたによろしくと言っています」 (ローマの信徒への手紙16章16節)

平岡(以下「平」):ekklesiaとは聖徒の集まりを意味し、教会の本質的意味を私達に与えます。その時、神の御前に於いてユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、男も女もなく、キリストによって聖徒とされた私達は、対等で互いに尊敬し合う愛の関係を回復します。
Lathrop(以下「L」):「るうてる」の連載によって私達が日曜礼拝全体を通して見てきたことは、教会がこの集まりに於いて一緒に成す行為でした。共に集まる、歌う、読む、話す聞く、祈る、感謝する、食べ飲むこと。聖霊によって招かれた人々の集まりは互いを敬い仕え合い、イエス・キリストのしるしを世界に与えるようこの礼拝に於いて形作られます。
平:しかしekklesiaの日本語訳「教会」は人々の集まりを示すよりも、むしろ「教える者」と「教えられる者」から成り立つ教育的場としての一側面が強調され、本来の意味を減少させてはいないでしょうか。教会は位階制ではない対等な聖徒の集まりです。
L:礼拝を聖書的且つ典礼的本質に従い吟味する時、特に私達は礼拝に於ける教会のこの対等という特質について考えます。それは自発的に仕え合い礼拝する人々の集まりです。日曜の集まりである教会は講義やコンサートに集められる聴衆でも、また信心から生み出た製品を購入する消費者の集まりでもありません。教会は聖徒の集まりです。
平:その時、司式者もまた会衆の一人として謙虚にこの群れを導きます。会衆は互いを通してキリストを見、そして祈りに於いて世界の小さき人々と結びつけられます。
L:そうです。私達はキリストを見るのです。実際、共に礼拝するその時、真にここで行為しているのは神ご自身であることが私達に見え始めるのは驚くべきことです。聖霊は私達を集めます。イエス・キリストは御言葉と聖餐に於いて臨在しご自身を与えます。そして父なる神は私達を宣教と奉仕の内に私達を取り巻く世界へと遣わすのです。

信仰の学び、養いを生涯続ける

第10回  神の恵みの働きの中で

小教理問答が終始注目し、そこに焦点を合わせているのは神の恵みの働きです。人生が短いことを歌う詩編第90編を講解したときも、第1節「主よ、あなたは私たちにとり、住処であられる」の講解の冒頭を、ルターは「この言葉もいのちに息吹いており、復活と永遠のいのちの確実な希望にかかわっている」と説き始め、「十戒の中の第一戒の力」に言及しています。十戒が「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」(出エジプト20章2)で始まっているからです。私たち人間がどのようであっても、神は人間に対して恵みの神として存在し、恵みを働き続ける方だということを、十戒、使徒信条、主の祈りを通してとらえることが、信仰問答、小教理問答の主眼なのです。これは単なる知識ではなありません。神の恵みの働きは神の真実、真心から出てくるものですから、私たちもこれを私たちの真心、真実=信仰でしっかりとつかまえなければならないのです。
神の恵みの働きが私たち一人ひとりのものとしてわが身に起こるのが洗礼と聖餐です。イエス・キリストが定められたところに従って、洗礼は水、聖餐はパンとぶどう酒をもって執り行われ、みことばの約束のとおりに罪の赦しが与えられ、生きる力を授けられる、ということが信じる私たち一人ひとりに起こるのです。洗礼は、この神の恵みの働きによる一人ひとりの誕生ですから、一度限りです。聖餐は食事ですから、信仰の生涯にわたり繰り返して与えられます。一人ひとりが心からの「アーメン」をもってこれを受けるのです。しかも、一人ひとりに対する神のこの恵みの働きが教会、聖徒の交わりの中で起こることにも注目しなければなりません。
このように注目してくると、信仰問答、小教理問答はまさしく礼拝そのものにほかなりません。礼拝の度毎に私たちはこの小教理問答を始めから終わりまで反復しているのですし、小教理問答、信仰問答の学びはまた礼拝の学びでなければならないことが分かってきます。この連載と同じく続けられている、右頁下の「礼拝」についてのコラムは、編集者の意図はどうであったか知りませんが、注意深い読者ならば、まさに並行して続けられているということに気付いていることでしょう。この二つの連載が終わった時には、改めてこの観点から読み直していただく必要があることでしょう。

神学生寮の思い出

岐阜教会、大垣教会 斉藤 幸二

私が神学大学に入学したのは1975年でした。その年は7名の学生が入学しましたが、一緒に入って一緒に卒業したのは、二人だけでした。
入学当時は現総会議長の山之内先生など、宣教研修を終えた諸先輩が寮に戻っていましたが、それらの先輩たちと私たちとが寮の一室に集い、夜遅くまで聖書や神学についての議論をしました。今から思えばずいぶん生意気で失礼なことでしたが、先輩方は私たちが新入りだからといって見下げることなく、真摯に議論をしてくださったことを覚えています。同級生どうしも夜を徹して議論を交わしたこともあります。そんな交わりができたのも、寮生活が与えてくれる大きな特典でした。
寮生活でのもう一つの思いでは朝の祈祷会です。有志の学生が数名、寮の集会室や中庭の芝生の上で朝ごとに祈りました。ギリシャ語を教えておられた中村克孝先生も加わって下さり、時には自分の悩みや課題を赤裸々に打ち明けて、互いのために祈り合いました。

また寮生活では助け合いもありました。風邪をひいた同僚のために薬を買いに行ったり、コインランドリーに行ったり、どうしても試験がパスしない神学生のために、みんなで知恵を出し合って論文を仕上げたことも(今だから言えますが)ありました。
「人生にとって大事なことはみんな幼稚園の砂場で学んだ」という題名の本がありましたが、私たちは教会での働きにとって大事なことの多くを神学生寮で学んだと思っています。

募金活動にご協力下さい

従来の寮棟を『ルターホール』と名称を変え大改修します。この事業にご理解いただき、ぜひとも募金にご賛同、ご協力お願いいたします。

募集期間 2007年4月~2009年3月
送金先 学校法人 ルーテル学院
取扱機関 郵便振替口座00140-2171183
(所定の郵便振替用紙をご利用下さい)
銀行口座 三菱東京UFJ銀行三鷹支店普通口座 4126089
名 義 学校法人 ルーテル学院
【お問い合せ】
ルーテル学院大学・神学校後援会(0422-31-4611)
教会事務局(03-3260-8631)

クリスチャンのライフカレンダー ―第21回―

~愛する妻へ~

子どもの時からの信者だったあなたの勧めで、ついに今日この病室で洗礼を受けた。「すべての罪を赦され、神の子に加えられました、天国へ行けます」と牧師先生に宣言していただき、深い安堵を覚えたよ。なんだか借金清算って感じ。「クリスチャンとしての生活は何もしないで最後の最後に洗礼を受けるなんて天国泥棒ね」と孫娘に冷やかされたけど、彼女も喜んでいたよね。結婚以来60年かけて祈って、ついに神さまはあなたの願いを叶えてくださったわけだ。
不思議だけど、死への恐れや不安が消えたように思えてならない。隣のベッドにいた方が自暴自棄になっていたけど、ぼくはそうならずにすんだ。ありがとう。
遺書は入院する前に書き改めておいたよ。財産なんて大してないが、あなたの生活は成り立つようにしておいた。唯一の希望は、家族みんなが仲良くしていくことだ。この年では臓器提供はもう手遅れでしょう。最後までドラマチックだったね。おやすみなさい。

LAOS講座

「脱宗教化時代」の見事な「宗教教育プログラム」

石田 順朗

「宗・教」の2字はともに、宗派=教派、宗旨=教義のように「教え」を意味し、教会、教職、説教、教理史など、キリスト教でも「教え」の要素は大きい。信仰生活とはいえ「教育」や「学習」の比重は高い。
1526年から29年にかけて、農民戦争後の宗教状態を目撃した宗教改革者たちは、平易なことばでキリスト教の要点を書いて公にする必要を認め、その結果、ルターは
『大・小教理問答書』を著した。
70年代以降に際立ってきた「脱宗教化」とか「ポストモダンの新新宗教化」だとか呼ばれる時代に生活する私たち信徒にとって、9巻にわたる『LAOS講座』は周到にして好適の宗教教育プログラム。
それは、創刊号『信徒として生きる』が見事に描き出すように、「リフレッシャー(想起)学習」であり「(交わりの)体験学習」それに「(家庭、職場や一般社会さらに世界への)派遣学習」という今日の信徒各人へ適切な勉強の機会を備えるからだ。

※執筆者によるLAOS講座はjelc.TVで御覧いただけます。 URL http://jelc.tv/

ルーテル議長会

日本のルーテル5教団・教会責任者集い協議会

11月15日(木)ルーテル協議会(議長会)がルーテル市ヶ谷センターで開かれました。これは、日本福音ルーテル教会、日本ルーテル教団、近畿福音ルーテル教会、西日本福音ルーテル教会、フェローシップ・ディコンリー福音教団のルーテル系5教団/教会の議長、事務局長らが集い、年に一度持ち回りで開かれている協議会です。
教勢低下や教職不足、定年後教師の奉仕、海外宣教団体の予算や宣教師減少など、各教会の課題や取り組みを紹介しあいました。女性教職や小児配餐への議論をしている教会もあり、既に実施済みのJELCに資料や意見を求められることもあり、教材開発や青年伝道などでも協力し合うことも確認されました。
また、JELCでお呼びかけをし、讃美歌や式文の改定に向けて共同作業をしていこうとの合意もました。共に取組んでいるAPELT-Jの働きについても意見交換がされました。
来年は近畿福音ルーテル教会で開かれます。

ELCA世界宣教部との協議会

12月14日~19日にかけて、アメリカ福音ルーテル教会世界宣教部(GM)担当者が来日しました。数日にかけてテーマ別に執行部及び担当者と協議しました。詳細は別途報告をお待ちください。

集計表提出のお願い

本教会提出の集計表を期日までにご提出くださいますようお願いいたします。一教会でも遅れますと全体の集計ができないばかりか関係省庁への報告にも影響が出ます。
また、報告書は電子メイルでの提出をいただきますと、事務作業の軽減ばかりでなく、間違いを防ぐことにもなります。
報告書と共に、教会総会資料をお送りください。
■提出期限■
集計表4ページ/1月20日
その他報告書/2月10日

会議のお知らせ

■常議員会
第22回総会期第6回常議員会が左記の通り開催されますので、議案のある方は、所属教区常議員会を経て、ご提出ください。

【日時】2月18日(月)~20日(水)
【会場】ルーテル市ヶ谷センター
以上
2008年1月1日
常議員会 会長 山之内正俊
書記 徳弘 浩隆

公告

この度先の行為を致しますので、宗教法人法第二十三条の規定に基づき公告致します。
二〇〇八年一月一五日

宗教法人 日本福音ルーテル教会
代表役員 山之内 正俊

信徒利害関係人 各位

①被包括団体 日本福音ルーテルみのり教会による左記の件
・田原礼拝所牧師館取壊しの件
理由 老朽化および使用不要となり駐車場に転用のため
取壊し物件 牧師館
所在 愛知県田原市殿町
四五番地弐
家屋番号 四五番の弐
種類 居宅
構造 木造 瓦葺 平家建
床面積 七壱・弐弐㎡
以 上

②被包括法人 日本福音ルーテル雪ヶ谷教会による左記の件
・牧師館及び幼稚園舎全面改築
理由 老朽化による改築
取壊し物件
イ.牧師館
所在 東京都大田区東雪谷
三丁目五七壱番地
家屋番号 五七壱-壱
種類 牧師館
構造 木造セメント瓦葺弐階建
床面積 壱階 七八・〇壱㎡
弐階 弐参・〇八㎡
ロ.幼稚園舎
所在 東京都大田区東雪谷
三丁目五七壱番地
家屋番号 五七壱-弐
種類 幼稚園舎
構造 木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建
床面積 参〇九・八八㎡
新築物件 教職舎・園舎新築
所在 東京都大田区東雪谷
三丁目五七壱番地
種類 教職舎・幼稚園舎
構造 鉄筋コンクリート造セメント瓦葺弐階建
延床面積 六〇弐・六壱㎡
内、 壱階 参〇参・八八㎡
弐階 弐九八・七参㎡
内、弐階東側 壱〇四・五㎡を教職舎とし、壱階全部及び弐階残部を幼稚園舎として区分する複合型建築である。
予定工期
弐〇〇八年壱月着工、弐〇〇九年弐月より使用開始予定
・外部借入及び担保設定
借入先(財)東京都私学財団
借入額 参〇〇〇万円
期間 壱五年
支払利率 当初年利壱・六弐五%
(変動利率)
担保 教会敷地(宅地)
壱五〇〇・八弐㎡
以 上

③被包括法人 日本福音ルーテル日田教会による左記の件
新築物件 会堂新築
所在 大分県日田市三本松弐町目七八九番-壱
種類 会堂
構造 木造瓦葺弐階建
延床面積 壱八四・壱七㎡
※右記所在の新規購入の土地の引渡し完了後、弐〇〇八年四月以降に着工予定
以 上

Teensキャンプのお知らせ

来年の春の全国ティーンズキャンプ(春キャン)は、次の通り開催されますので、お誘いください。お祈りください。
日程 2008年3月26日(木)~28日(金)
会場 京都・花背山の家
主題 絆- KIZUNA - 聖霊の働き
申込 2008年2月末日
(1月末日までの申込者は参加費が割引となります)
TNG_apply@jelc.or.jp(e-mail)
03-32601948(FAX/宣教室)
問合せは、佐藤牧師(千葉教会)まで。kz-sato@jelc.or.jp

ルーテル学院高校

全国高校サッカー選手権大会出場!!
1月 2日12:10より埼玉スタジアム2002で埼玉栄高校(埼玉県代表)と対戦します。応援よろしくお願いします。
詳しくはルーテル学院高等学校Webサイト http://www.luther.ed.jp/を御覧下さい。

NCC教育部DVDの紹介

NCC教育部は設立百周年を記念してDVD「日曜学校から始まるキリスト教教育の歩み」を作成しました。1873年から現在までの日曜学校に関する貴重な写真や資料を収録。価格は1785円(税込)。NCC教育部
03・3203・0731まで。

ハワイ・エンジェルハウスの紹介

ハワイ・エンジェルハウスでは(6~9月、12月~3月)にかけて宿泊無料でご提供できます(自炊)。
詳細は、関野氏(保谷教会)まで。
info@ifc-japan.org

募集

アメリカ ユタ州の教会サウス マウンテン コミュニティーチャーチの7年生(中学1年生くらい)女の子のグループがペンパルを探しています。
詳しくは世界宣教主事 浅野直樹先生までお問い合わせください。

■対象 11~14歳の女の子
■問合せ先 e-mail overseas@jelc.or.jp

日本福音ルーテル教会2008年行事・会議日程

1月9日(水)教師試験委員会
1月10日(木)任用試験
1月11日(金)NCC常議員会
1月11日(金)牧師補研修委員会
1月15日(火)事務処理委員会
2月8日(金)APELT-J委員会
2月14日(木)~15日(金)会計監査
2月18日(月)~20日(水)常議員会
3月4日(火)エキュメニズム委員会(聖公会)
3月9日(日)教職授任按手式
3月10日(月)神学教育委員会・宣教研修指導者会議
3月11日(火)事務処理委員会
3月13日(木)~14(金)新任牧師補研修会
3月14日(金)エキュメニズム委員会(カトリック)
3月20日(木)教区総会
4月8日(火)事務処理委員会
4月30日(水)教師会
5月1日(木)常議員会
5月 1日(木)~ 3日(土)全国総会
5月12日(月)牧師補研修会(2007年度最終)
5月13日(火)事務処理委員会
5月20日(火)~22日(木)LCM会議
5月26日(月)幼保連合会総会
6月9日(月)~11日(水)常議員会
7月8日(火)事務処理委員会
8月25日(月)~26日(火)社会福祉協会総会
8月26日(火)~27日(水)法人会連合総会
9月16日(火)事務処理委員会
10月7日(火)事務処理委員会
10月14日(火)教師試験委員会
10月(日付未定)牧師補研修会(2008年度第2回)
11月4日(火)~ 5日(水)合同常議員会
11月5日(水)~ 7日(金)常議員会
12月9日(火)事務処理委員会

07-12-15るうてる《福音版》2007年12月号

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バイブルメッセージ  星を動かす少女

今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。
この方こそ主メシアである。
あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。
これがあなたがたへのしるしである
ルカによる福音書2章10~11節(日本聖書協会・新共同訳)

クリスマスのページェントで
日曜学校の上級生たちは
三人の博士や
牧羊者の群や
マリヤなど
それぞれ人の眼につく役を
ふりあてられたが、
一人の少女は
誰も見ていない舞台の背後にかくれて
星を動かす役があたった。
「お母さん、
私は今夜星を動かすの。
見ていて頂戴ね―」
その夜、堂に満ちた会衆は
ベツレヘムの星を動かしたものが
誰であるか気づかなかったけれど、
彼女の母だけは知っていた。
そこに少女の喜びがあった。
(「星を動かす少女」松田明三郎)

 この女の子は、どんな気持ちでお星様の役を引き受けたのでしょうか。もしかすると、きれいな衣装を着て、台詞のある役をしたかった、と思ったかもしれません。もちろん、おとなしい子で、目立つ役よりも表に出ない役の方がいい、という子だったかもしれませんが。しかしどちらにしても、この女の子を支えていたのは「自分の役割を、ひとりだけでも知ってくれている人がいる。しかもそれは、とっても大好きなお母さんだ」ということです。誰か一人でも、自分のことをわかってくれている人がいる。それが、かのじょにとってはとても嬉しいことだったのです。
 あのクリスマスの夜、不思議な星がベツレヘムに輝いて、東の博士たちや羊飼いたちの道しるべになりました。けれども、その星があらわれたのなら、どうしてベツレヘムにいる他の人たちは気づかなかったのでしょう。もしかすると、ベツレヘムの星というのは、ぎらぎら輝く星ではなくて、ひっそりとして目立たない、かすかに輝く星だったのかもしれません。
毎晩、星を見上げていた博士たちだったから。町から遠く離れた野原で、毎晩羊を守りつつ、夜空を見上げていた羊飼いたちだったから。だからこそ、何もないところに急に現れたメッセージを、すぐに受け取ることができたのかもしれません。なかなかすぐには成果の出ない天文の観測を、それでも毎晩つづけていた。あまり人に好まれない羊飼いという仕事を、それでも毎日毎晩続けていた。何もないところに(おそらく)ひっそりとあらわれた星空のメッセージは、その人たちにいちばん最初に届けられました。そこにこめられていたのは「わたしは、あなたを覚えているよ。誰も見てくれていないように思えても、あなたがいるところを、あなたの働きを、わたしはいつも見守っているよ」という、優しいやさしい神さまの親心です。
今年もようやく、クリスマスです。しんどかったなぁ。今年も毎日、生きるのが精いっぱいだったなぁ。みんな浮かれてるけど、自分にはクリスマスなんて関係ないよ。いえ、ほんとうのクリスマスは、そんなあなたのためにあります。ベツレヘムの星の光は、そんなあなたにこそ届けられた、天からの優しいメッセージです。
Aki

大人を育てる絵本からのメッセージ

サンタクロースっているんでしょうか?
フランシス=P=チャーチ著 中村 妙子訳

 絵本というと小さなこどものための本というイメージがありますが、大人にとっても生きるヒントになる本がたくさんあります。ここでは子育てという視点でお話をしていますが、あらゆる人間関係においてもお役立ていただけることと思います。

「サンタクロースっているんでしょうか?」

 もう100年以上も前に、アメリカのある新聞社に8歳の少女からこんなお手紙が届きました。この絵本は、そのお返事として、「そうです。サンタクロースはいるのです」と一人の新聞記者が社説の中で彼女の疑問に答え、大きな反響を呼んだという実話に基づいて書かれています。わたしには、中学3年生の娘と中学1年生の息子、そして小学校5年生の娘がいます。子どもたちは今もサンタクロースの存在を信じています。イブの夜、娘ふたりは、寒い中みんなにプレゼントを運ぶサンタさんのためにプレゼントとおやつ、そしてサンタさんへのお手紙を添えてテーブルの上に用意しています。お金を持っていない彼女たちが、毎年あれこれ知恵をしぼってサンタさんへの手作りのプレゼントを用意している姿には、胸がジーンときてしまいます。

サンタクロースからのプレゼント

 我が家では、クリスマスまでに祖父母や叔父叔母、友人からのプレゼントが届くと、必ずツリーの下に置いておきます。そして、クリスマスの朝、いつもよりうんと早起きをした子どもたちは、いっせいに自分宛のプレゼントを開け始めます。その中に、前日まではなかったサンタクロースからのプレゼントを見つけると、喜びの悲鳴をあげるのです。わたしは、子どもたちが知っているような赤い服を着たサンタクロースを見たことはありません。でも、確かにサンタクロースは存在するのだと信じています。そして子どもたちにもその存在を感じてほしいから、サンタクロースのお手伝いをさせてもらっています。神様が、わたしたち自身を通して、また周りの人を通していろんなことを語りかけ、支えてくださるように、日々を振り返ると、わたしたちは実にたくさんの愛や思いやり、そしてまごころという贈り物をもらっていることに気づくと思います。そういう意味では、クリスマスの日だけではなく、毎日毎日、たくさんのプレゼントをもらっているのです。そう、ですから、目には見えなくてもサンタクロースは存在するのです。いつか、子どもたちがサンタクロースの秘密に気づいたとしても、たとえ、ほしかったおもちゃがプレゼントされなくても、心をあたたかくするプレゼントが確かに存在することを知ってほしいと願っています。

イエス様も

「大事なものは目に見えない」絵本の中で新聞記者はそう言っています。「目には見えないけれど確かにあり、そして人を豊かにしてくれるもの」が存在することをうまく伝えられない時、また自分自身が迷ったときに、この本は心をあたたく包んでくれる一冊です。
メリークリスマス!! すてきなクリスマスを!!

HeQi Art 聖書物語

Knocking at the Door

戸をたたく主

見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
ヨハネの黙示録 3章20節

たろこまま「いのちを語る」

サンタ募集中!(ヨハネ15章12節)

コンニチハ、そちて初めまして。ぼく、小太郎でつ。いつもここで母ちゃんがお世話になってまつ。 読み苦ちいかもしれましぇんが、今日は風邪ひき母ちゃんの代わりに、ぼくがお手紙を記したいと思いまつ。 今年もあっと言う間の12月、皆さんクリスマスのご予定はどうでつか? ぼくは整肢園でお友だちと一緒にケーキを食べて、プレゼントをもらう予定になっていまつ。
整肢園に来るサンタしゃんは、真っ赤な衣装に白いおひげ姿でつが、皆さんの所も同じ人が来まつか? ぼく、よくたった一人で世界中を一日で回れるなーと常々不思議だったのでつが、ある日見かけた、たけししゃんの番組でこの謎が解けた気がしまちた。
ちょっと前のこと、アメリカというお国に、ラリースチュワートさんというお爺ちゃんがおりまちた。大富豪のラリーしゃんも若かりし頃、お金も仕事もなくなって、無銭飲食をしてちまったことがあるんでつ。でも、そんな彼を哀れに思ったお店のコックしゃんが、自分のお財布から出ちたお金をわざと落とちて、そっと「あなたのではないですか?」と手渡ちたそうなんでつね。その瞬間はただラッキー☆ と思ったラリーしゃんも、そのコックしゃんの厚意に程なく気づきまちた。一時は銀行強盗まで考えた自分を生き返らせてくれたご恩が忘れられず、クリスマス前、貧しい人たちに突然お金を手渡し出ちたのでちた──素性を全く明かさずに。やがてガンで余命幾ばくもないことを知ったラリーしゃんは名前を公表、後進サンタさんを大募集しまちた。資格は不問、地位も名誉も不要。仕事内容は夢と希望を配達するべく、現在たくさんの後輩サンタがこっそり世界で大活躍しているのでつ。
 どうでつ、皆さんも今年はもらうだけでなく、こっそりサンタちてみましぇんか?

07-12-15るうてる2007年12月号

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第22回総会期 第2回合同常議員会

11月6日~7日「よりよい宣教の展開へ ~Power MissionをOur Mission(私たちの宣教)に~」をテーマに合同常議員会が開かれた。PM21宣教方策の今後5年間にむけての計画と、財政についてが主な議題となった。
今期行われた宣教会議、各教区宣教担当、各プロジェクトから前半の報告と総括があり、全体の分かち合いとして新教会への取り組みの報告が、札幌教会、なごや希望教会からあった。新教会への取り組みの中で見えてきた苦悩や喜びまた希望を率直に分かち合えた。
会議の中で、PM後半を教区と共に推進していくために教区宣教担当部長の会議を宣教会議として取り組むとの提案があり内容、構成などを協議した。合意事項として、「合同常議員会(宣教会議)とする」「合同常議員会の準備会議として宣教会議を開く」「会議予算はPM予算ではなく、合同常議員会予算から支出する」を確認した。また、本教会・各教区でPM21前半の総括を行い、それを持ち寄って後半へ向けての協議をすることとなった。協力金5%については引き続き2009年10年も暫定予算とすることが提案され、各教区に持ち帰り、2月常議員会で協議されることとなった。

イランカラプテ(あなたの心に触れさせてください)

北海道特別教区修養会

 10月、北海道特別教区は日高地方を訪ねて一泊修養会を開催しました。私たちは北海道に住んでいながら、先史時代からの先住民族アイヌについてほとんど知らない、アイヌ民族を迫害してきた歴史を持つ和人(日本人)にとって鋭い痛みを避けられないところですが、まずはその歴史と文化の一端を学ぶことからと計画しました。
二つの講演会を軸に据えました。萱野志郎氏「アイヌの歴史と現状・そして未来」と聖公会札幌教会の大友正幸司祭「ジョン・バチラーとアイヌ伝道」。課題を理解し、共に隣人として生きていくための異なる視点からの切り込みです。最初の訪問地は平取町二風谷の「萱野茂アイヌ民族資料館」。昨年亡くなった萱野茂氏(晩年、参議院議員としてアイヌ文化振興法の成立に努力し、旧土人保護法の廃止を果たす)が私費を投じて散逸の危険に曝されていたアイヌ民族資料を丹念に収集したもの。その集会室での講演は、松前藩が蝦夷地寒冷のため米作適わず家臣に漁場を与えて起きた「場所請負制」のもとでアイヌ民族を奴隷同然の過酷な労働に従事させ、働き手を失った彼らの部落は飢餓と貧苦に苦しんだこと、続く明治政府も同化政策の下に先祖伝来の豊かな土地を取り上げ、地味の落ちる土地に強制移住させて農耕を強要するなど独自の文化を否定して生活を一変させ、アイヌ名も捨てさせたという厳しい事実を穏やかに語ったものでした。父上の意思を継いでアイヌ語の伝承に力を注いでいる萱野館長は、印象深い言葉も紹介してくださいました。「イランカラプテ」、“こんにちは”にあたる挨拶の言葉で、語彙を分解していくと「あなたの心に触れさせてください」の意。独自の言語を失うことは民族破壊に繋がる。萱野氏はこの言葉を通して未来を切り開く地点に共に立とうと呼びかけていたように思います。
 宿泊地新冠では大友司祭から、「アイヌの父」と言われた宣教師バチラーの事跡と人間味あふれるエピソードを伺いました。バチラーは維新後間もない1877年に学生宣教師として英国と似た気候の函館に来て宣教師の手伝いを始めました。英国国教会は幕末から蝦夷地の情報を持ち、滅びゆく少数民族アイヌへの伝道を視野においていました。バチラーはやがて宣教師となりアイヌ伝道の責任者として各地で伝道を開始、和人からの妨害も多い中で、沢山の人に洗礼を授けアイヌ人の伝道者も生まれました。「蝦英和辞典」や「蝦夷今昔物語」などアイヌ語やアイヌ文化に関する著書を多数発行し、祈祷書や聖書の翻訳にも努め、文字を持たないアイヌ民族の将来を憂いてローマ字化アイヌ語教育の実施を課題とし、後のユカラ(叙事詩)保存に大いに貢献しました。しかし1941年、戦争で日英状況が悪化して活動が困難となり、バチラーはやむなく離日します。主に促されてミッションを持ち近づいていく姿、丹念に実践を重ねていく姿を聴くうちに、私たちに静かな感動が広がりました。
(北海道特別教区 常議員 大賀隆史)

『一年中がクリスマス』

ある港町に「クリスマス・クリスマス」というレストランがあります。ここは毎日がクリスマスで、お店に入ると「メリークリスマス!」と声をかけられます。夏でも秋でも、一年中がクリスマスです。とっても楽しいレストランですが、これでいいのでしょうか?
いいのです。イエス様はこの世界にきてくださり、いまも共にいてくださる。こんなに楽しく、嬉しいことはないから。毎日が恵みだからです。
デパートの広告に、「きのうと同じだからおいしい。きのうと違うからおいしい」というのがありました。反することでも、並べてみるとそうだなと思えます。
クリスマスは必ずやってきます。同じクリスマスでも、その人の置かれている状況や場所によって違いがあるのです。「いつもと同じクリスマス」だからこそ幸せと言える人もあります。「いつもと違うクリスマス」だからこそ感動と言える人もあります。
どちらでもいいのです。クリスマスは喜びの日、イエス・キリストのお誕生日ですから。
(柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

東教区 諏訪教会・甲府教会教会 牧師  星野 幸一

わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。
わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。
イザヤ46章4節

 小学校を卒業する頃まで、毎日「お守り」を身に着けておりました。毎年、新学期が始まると、母がどこかで新しく買ってきた「お守り」を私の服に縫い込んだり、首や腰にぶら下げているようにと、うるさく指図したものです。身に着けていると怪我や病気にならないからと聞かされてはいましたが、低学年の頃はおもちゃ感覚で、チャラチャラぶら下げているのが格好良くて得意な気持ちでした。そしてそれ以上の認識はありませんでした。
 しかしやがて、本当に「お守り」は、自分の一日を「護ってくれるもの」という認識が生まれ、尊く思い、大切に扱わねばと思うようになりました。そう思えば「お守り」に内在する霊力のようなものを感じ始め、ついに「お守り」なしには過ごせなくなりました。学校で「お守り」を忘れたことに気づこうものなら、その時点から落ちつきを失い、強い不安に陥るのでした。車で遠出して、その出先で運転免許証を家に忘れて来たのに気づいたときの、あの気持です。経験者はきっとお分かりだと思います。
 中学生になったとき「お守り」を卒業しましたが、「お守り」を忘れて陥ったあの強烈な不安から完全に自由になるのは受洗してからしばらくして、イザヤ46章3~4節に出合ったことでした。私が首や腰にぶら下げて持ち運ぶのではなく、神さまが「私を持ち運ぶ」と言われる……。「目からうろこが落ちる」とはこのことかと思いました。
 「お守り」の呪縛から体が浮き上がるほどの開放感、いつも身に着けて「運ぶ」不便さと、忘れた時に襲いくる脅迫観念からの自由は、表現の仕様もなく爽快な気分でした。別の世界が開けたと思えたのは、決して大げさではありませんでした。

信徒の声 教会の宝石を捜して

東海教区 みのり教会 信徒  伊藤 忠行
みのり教会田原礼拝所での土曜日夕礼拝に出席されている伊藤さんですが、今年で受洗43年になるそうですね。キリスト教との出会いについて教えてください。 仕事を辞めて渥美町(現・田原市)の実家に戻っていた時、「キリストへの時間」というラジオ番組でキリスト教を知りました。その放送を聞くうちにキリスト教に関心を持つようになり、キリスト教の通信講座を始めました。講座はあまりよく分からなかったのですが、その通信講座で田原のルーテル教会を紹介され、教会に通うようになりました。
 最初は時々行く程度だったのですが、父から「行くなら徹底的に行け」と言われました。父はクリスチャンではありませんでしたし、キリスト教のこともほとんど知らなかったと思うのですが、その言葉で毎週教会に行くようになり、教会の皆さんに勧められて翌年、昭和38年のクリスマスに池田政一先生から洗礼を受けました。父は何も言いませんでしたが、受洗した日の夕拝での私の証しを聞きに来てくれました。喜んでくれたのだと思います。
毎週、欠かさず礼拝に出席されていますね。
 43年の信仰生活の中で、5、6年の間、あまり教会に行かなかった時期がありますが、その時期を除いては、特別な用事がない限り、毎週礼拝に出席しています。
教会では、いつも誰よりも早く来て、スリッパを並べてくださっていますね。
 仕事で喉を痛めてから声が出にくくなってしまい、聖書朗読などの奉仕ができなくなってしまいましたので、「私にできる奉仕」と思ってさせてもらっています。多くの人に来てもらいたいと思って、いつもたくさんのスリッパを並べています。
これからは、どんな信仰生活を送りたいと思われていますか。
 若い頃から体が弱かったので、こんなに長く生きられるとは思っていませんでした。けれども今は、一日一日を大切にして、神様に委ねて生かされていきたいと思っています。

東洋と西洋の対話⑨

第9回 私達は仕えるため、平安の内に行きます。(ヌンクディミティス 祝福 派遣)

    「主よ、今こそあなたはお言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます」 
(ルカによる福音書 2章29節)

平岡(以下「平」):招かれ集められた私達はキリストと共に、世界の隣人のもとへ遣わされます。
Lathrop(以下「L」):聖餐の後、礼拝は終わりへと向かいます。私達は神の憐れみ 赦し、そしてご臨在に満たされ、直ちに私達を取り巻く世界のニーズへと向きを変えます。私達自身が受け取った賜物によって他者に仕えるため、私達は遣わされるのです。
平:聖なる神はその聖さを人間に与えることに於いて聖であり、これがイエス・キリストによって示された神の愛です。だから私達は愛故に隣人に仕えることにより、自分の清さではなく、神が聖なるお方であることを世界に証言して行きます。
L:赦しを受け、私達は赦すために遣わされます。憐れみに満たされ、私達は憐れみを与えるために遣わされます。更に言うなら、キリストの体を受け取り、私達は自分が食するものになります。即ち、世界にキリストの体である自分自身を与えるため、隣人のもとへ、必要ある人々のもとへ私達は遣わされるのです。
平:召命は人生の放棄ではなく、反対に、真に人として互いを愛するため私達を招きます。
L:ルター派が古代礼拝式に加えた1つの注目すべきことは、聖餐に与った後、そして仕えるため派遣される前に「シメオンの歌」(ルカ2:29~32)を歌うことをしばしば選択したことです。老人が子どもをメシアと知り腕に抱いたように、私達は手に、口に、命に、キリストのご臨在としてこの食事の賜物を受け入れるよう招かれます。そしてそれから、その老人が世界の全ての人々を照らす神の光を見たので、私は平安の内に死んで行きますと言ったように、私達もまた平安の内に、仕えるために行きますと歌うよう招かれます。―たとえもしこれが、共に再び集う前に私達が死んで行くことを意味したとしてさえ―神が与える憐れみの光を信じて。  

信仰の学び、養いを生涯続ける

第9回 生きたつながりの意味するもの十戒・使徒信条 主の祈りのあいだ

 私はバッハの教会音楽を好んで聴きます。その音楽もさることながら、その基本となる歌詞に注目しています。そこに当時のルーテル教会の信仰の息吹を聴こうと思うからです。
 教会カンタータ第87番「あなたがたは私の名によっては何も願わなかった」の歌詞に、みことばの呼びかけに気づけ、という言葉に続いて、「あなたがたは律法と福音を故意に破った」というくだりがあるのです。この歌詞には、基となった詩人の詩が残っていて、比較できます。
 いろいろ微妙に違うのですが、それも韻を破ってでも、音楽化に困難であっても変えているところが多いから、バッハ自身がその信仰と神学に基づいて歌詞を変更したと思わざるを得ないのです。この箇所、詩人の詩では「あなたがたは律法を故意に破った」なのです。この違いの背後には「神のことばは律法と福音である」という、当時のルター派の神学的主張の影響が強く感じられます。しかしそれは神学的定式の問題ではありません。神のことば、すなわち律法と福音に聴き従うか、背くかという問いかけがあるのです。それも「律法」と「福音」に分けてしまってよしとするのでなく、この二つをダイナミックに結び合わせて考えていく、ルターの小教理問答以来の生きた伝統が見えています(私は2008年4月からの「ルターとルーテル教会」という講義で、この側面からバッハと当時のルーテル教会の神学を取り上げようと思っています)。
 小教理問答では「律法と福音」という神学的テーマは直接には出てきません。しかし、「十戒」、「使徒信条」、「主の祈り」の内容そのものと、その配列に、さらにはその短い解説に、律法と福音の生きたダイナミズムが見られるのです。十戒は神の怒りとそれを超えた愛とを告げます。その神の前で人は恐れざるをえず、また畏れざるをえません。使徒信条では、その愛と恵みによる神の働き(創造と救済、維持と完成)を告白せざるをえません。主の祈りでは、神の恵みなしに人の生が成り立ちえないことを認めると同時に、また、神への祈りなしには人の生がありえないことを、祈りつつ心に刻むのです。そしてここで再び十戒に立ち戻ることになります。
 礼拝はこのダイナミズムを具体化していると前回書きました。ルターは、説教には常に律法と福音が欠かせない、と言ったのですが、そのような説教もまた「律法と福音」のダイナミズムに導くでしょう。

神学生寮の思い出

 私は27歳で仕事と宗教遍歴をやめて、ルーテル神学大学に入りました。まだルーテルの会員ではありませんでしたが、「宗教改革の伝統あるルター派の神学大学で『本当のキリスト教』を掴む事ができたなら、神と人に仕えたい」、と新しい人生を探していたのです。
編入試験で入学を許され、荷物をまとめて寮に入りました。実は、まじめな寮生活者ではありませんでした。生活費のためにも、週に3度ほどアルバイトをしていました。「あんたが来ると、何曜日か分かるよ、ゴミの日みたいにね」と冗談を言われる、宿直のバイト先の病院に中古のバイクで通う日々でした。
今までの人生に区切りをつけて、神学を学び新しい人生を模索する、経済的にも余裕の無い「再スタート組」には、寮はありがたいものでした。生活費や交通費が格段に助かるからです。神学生仲間の導きでルーテル教会に落着き、その牧師を目指すようになったのも、寮生活のおかげです。誰かの部屋に集まり、語り合ったり議論をしたり、そんな仲間にも入れてもらうようになりました。
インターン前に結婚し寮を出てアパート暮らしが始まりましたが、同期の3名とも家族もちなので、順に家に行き、説教学習会と称して少々の学びの後、昼間から飲んだりし、腹を割って悩みも分かち合うことが、大きな支えでした。妻もそんな仲間の知り合いができ、本当に心強かったようです。
「本当のキリスト教を掴む」のではなくて、「神様に捕らえられた」場が、寮生活でした。これからも、いろんな人生を引きずった? 神学生が寮の門をくぐるでしょう。変わらない神様による養いの場になりますように、願っています。

■募金活動にご協力下さい■
 従来の寮棟を『ルターホール』と名称を変え大改修します。この事業にご理解いただき、ぜひとも募金にご賛同、ご協力お願いいたします。

募集期間 2007年4月~2009年3月
送金先 学校法人 ルーテル学院
取扱機関 郵便振替口座00140-2171183
(所定の郵便振替用紙をご利用下さい)
銀行口座 三菱東京UFJ銀行三鷹支店普通口座 4126089
名 義 学校法人 ルーテル学院
【お問い合せ】
ルーテル学院大学・神学校後援会(0422-31-4611)
教会事務局(03-3260-8631)

クリスチャンのライフカレンダー

~私のお墓のことで~

 私の地上の旅もそろそろターミナルに近づいています。死んでからのことは、あなたたちに任せるほかはないのですが、私の気持ちを聴いていただけたら、幸いです。
まず、今のうちにあなたたちに心の底からのお礼を言っておきたいのです。私のような人間の死を看取ってくださって本当にありがとうございます。有形無形の大きな負担をかけてしまいました。だから、私の「墓」のことで、あまり負担をかけたくないのです。無理でなければ「教会墓地」に納めてください。もし、骨壷から出して、土に返すようにする設備があれば、それを希望します。それが、聖書的だと思うからです。
 墓に来るときには、私のことを思い出してください。でも私は、墓にはいません。墓は私の生涯が、ただ神の恵みであったことを覚えていただくためにあります。墓地の木陰に復活の御子イエスの姿が見えるはずです。私は、主と共に生きています。

LAOS講座

もっとLAOS講座

千葉教会 矢島 知佐

千葉教会では、現在3つの方法でLAOS講座を学んでいます。まず月に一度、礼拝後に教会役員または役員経験者が講師となって担当する箇所を分かりやすく解説したり、自分の信仰生活における体験を証ししたりして、テキストを読み進めています。
次に毎週礼拝前にもたれている「キリスト教の学び」の中でテキストとして用い、佐藤牧師を中心とした3~5人のメンバーで聖書について学んでいます。もう一つは、千葉教会の月報誌『るうてる千葉版』にて、すでに学んだ箇所を復習する「もっとLAOS講座」として、さらに詳しく解説したものを読むことが出来ます。また、昨年の修養会では、江藤直純先生をお招きして、LAOS講座の学びをしました。
信仰の持ち方、聖書の読み方など様々な角度から私たち信徒としてのあり方を教えてくれるLAOS講座がより多くの方々に読まれるように、またすでに学んでいる方々も、何度も読み返すことで学びが深まるように願っています。

宗教改革記念礼拝

北海道特別教区

■日時:10月31日 PM7:00~
■場所:日本ルーテル教団大麻教会
■説教:重富克彦牧師(JELC札幌教会)
■司式:吉田達臣牧師(NRK大麻教会)
    宮﨑篤牧師(NRK山の手教会)
    粂井豊牧師(NRK札幌中央ルーテル教会)
■参加者:大人40名、子ども3名
 JELC北海道特別教区道央地区とNRK札幌地区では、毎年宗教改革記念日に合同礼拝を行なっています。会場教会と説教者は持ちまわりとなっており、今年は会場が江別市にあるNRK大麻ルーテル教会、説教者がJELCの重富克彦牧師でした。礼拝後にはお茶とお菓子をいただきながら、年に一度の交流を楽しくすごしました。

東教区

■日時:10月31日 PM7:00~
■場所:ルーテル市ヶ谷センター
■協力 日本ルーテル教団関東地区
■説教:小副川幸孝 牧師
■参加者:130名

 東教区では、例年の通り31日に宗教改革記念日礼拝を執り行いました。130名の方々が参集し、聖餐式と合同聖歌隊の賛美等々、恵まれたときを過ごしました。

東海教区

■日時:11月3日 PM7:00~
■場所:金城学院大学ランドルフ記念講堂
■講演者:徳善和義 先生「ルターの信仰、私たちの信仰」
■参加者:242名
 東海教区では今年は合同礼拝は行わず、「ルーテル教会で生きる!!」と題し、信徒大会が行われました。礼拝と講演を中心とした学びの1日でした。

■このほか、各地域でも記念礼拝が執り行われました。

るうてるトピックス

●甘木教会 創立90周年 10月20、28日
甘木教会は今年創立90周年を迎え、記念行事として10月20日に本田路津子コンサートが開催された。コンサートには近隣の幼稚園の保護者、教会の方々、約100名が参加した。28日の記念礼拝では、甘木教会出身牧師の園田剛先生が説教し、80名が出席、祝賀会は50名の出席があり、共に盛会となった。

●常議員会 11月7~8日
第22回総会期第5回常議員会では、「式文の規範性に関する見解」が信仰と職制委員会より答申され、また、来年の全国総会の初日の会場をルーテル学院大学・神学校に変更することなど、それぞれ承認された。

●チャリティーキルト展 11月13~17日
JELAミッションセンターホールにて、キルトの展示とサイレントオークションが行われた。昨年より作品の数が増え、会場を様々な色で飾った。収益はアジアとブラジルの貧しい子どもたちに贈られる。

●東教区引退教職懇談会 11月15日
教区内に居住する引退教職の懇談会が開かれた。27名のうち20名が集まり近況を報告しあい、教区に対する要望を聞く機会となった。

●献身の集い2007 11月23日
 日本ルーテル神学校では、日本ルーテル教団、宣教室TNG委員会、東教区教育部NEXTの協力のもと、「献身の集い2007」を開催した。グループに分かれて十字架を、食事を、礼拝式を、そして賛美を作り上げた。礼拝を共に作り上げる体験を通し、今回のテーマである「私たちに出来ること」について考える機会となった。

●牧師の倫理問題について
教職の間に倫理的な問題があり、そのことが信徒と牧師の間に不信をおこし伝道を妨げていると、関西地区の牧師から問題提起がありました。さらに、牧師の倫理問題について審議する公正中立な機関がなかったことも問題であったことに、気づかされました。またこれを契機に、西地域教職退修会で、牧師の倫理問題が取り上げ、さまざまに気づかされました。この問題提起を生かし、今後全国的にも倫理問題に真摯に取り組み、よりよい伝道ができることを願います。

各地のニュース

大好きな歌を 日本語で歌いたい

 渡邉進牧師夫人の智子さんがこのほど、ブラジル連邦共和国の国家(イーノ・ナシオナル・ブラジレイロ)の歌詞の翻訳を完成させた。
 いままで翻訳はされたものの、楽譜にあわせて日本語で歌うことは叶わなかった。現地の日本人講師によればこの難易度の高い歌を詩の意味を損なうことなく、翻訳できたのは初めてだという。

カンボジアワークキャンプ

10月17日~26日にかけて、カンボジア・ワークキャンプに参加者、スタッフ計8名が出かけました。
 日本福音ルーテル社団との共同プログラムとして企画された今回のキャンプは、教会側は世界宣教委員会のメコン・ミッションの一環として(企画 宣教室TNG委員会)、社団側は支援していた小学校の完成に合わせての企画でした。
 カンボジアの首都プノンペンに入った私たちはLWFカンボジアの事務所を訪問し、その働きについて説明を受けました。その基本姿勢は、現地の人々の手によって実現されるように配慮したものでした。
 プノンペンでは王宮や国立博物館を見学すると共に郊外のゴミ集積場と付近で生活する人々のために奉仕するカトリック教会の働きを見学する機会が与えられました。それは富と貧困の格差が最も大きな社会でした。
 数日後、北部に位置するLWFカンボジアの別な活動拠点に移動し、小学校の建築現場へと向かいました。そこではたくさんの子どもたちや村人が迎えてくださり、ワークと共に交流の機会となりました。
 このほか、私たちは多くの働きを目にし、またカンボジアの歴史に残る傷跡に触れました。そして、現代社会にある数々の問題とそれに取り組む多くの方々に触れる貴重な旅となりました。
 カンボジアはどこか懐かしさを感じさせる国でした。そして、日本が失っている様々な事柄に気づかせる国でした。ぜひ、来年からもそのような国に人を送り続けたいと願います。

TNG Teens手帳、発売

 2008年ティーンズ手帳が好評販売中です。今回の手帳は、ティーンズの石川実可子さん(名古屋めぐみ教会)がデザインしたものです。
 クリスマスのプレゼントにいかがですか。ご自身の覚書メモとしても便利です。
 お申込みは佐藤(千葉)へ。もしくは宣教室へファックスでお願いします。

訃報

故・中尾忠雄牧師(引退教師)夫人の中尾ユキミ様が、11月11日(日)午前0時54分、召天されました(享年96)。
 謹んで哀悼の意を表し、お知らせ申し上げます。

訂正

 るうてる10月号1面、アワーミッションレポートにて名称の間違いがありました。正しくは「アブチラがま」です。
 訂正してお詫びいたします。

インフォメーション

第4回インド・ワークキャンプ

(JELA-JELC共同プログラム)
■期間:2008年2月26日~3月7日■募集人数:10名前後(書類選考あり)
■参加費用:150,000円(予定)■対象年齢:18歳以上
■締め切り:2007年12月2日
■問合せ・申し込み:教会事務局宣教室(担当:乙守)
 ◆mail mission04@jelc.or.jp◆FAX:03-3260-1948

ワインとチーズのパーティ

 今年もワインとチーズのパーティが開催されます。気に入ったワインを購入していただくチャリティーイベントです。
■日時:12月14日(金) PM6:30~8:00■参加費:2000円 ■場所:JELAミッションセンター ホール
■問合せ:日本福音ルーテル社団(JELA)
電話 03-3347-1521

連帯献金のお願い

連帯献金にご協力ください。

■送金先■■■
・三井住友銀行新宿西口支店
(普)501597
・郵便振 0190-7-71734
*振込用紙を同封しています。ご利用下さい。

07-11-15るうてる《福音版》2007年11月号

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バイブルメッセージ  魂の輝き

主は人の一歩一歩を定め御旨にかなう道を備えてくださる。
詩編37編23節(日本聖書協会・新共同訳)

11月は紅葉の季節。だが、北国の紅葉は、すでにこの月に入ると終りに近く、最後に色づく唐松が、精一杯に晩秋の丘を彩る。頬をかすめる冷たい風と共に、冬将軍の足音も聞こえはじめ、人々は急ぎ冬支度を始める。
今年の夏は全国的に暑かった。その上、甲子園は、佐賀北高校の逆転優勝で更にヒートアップした。8回裏、満塁ホームランの球が、高々と宙を舞ったとき、全国の目撃者は、狂喜乱舞して酔った。むろん落胆した者もいた。
逆転勝利は勝負の醍醐味。多くの人々が、この逆転のドラマに感動した。主役が、「葉隠れ」で知られる土地柄ながら、今は貧乏県で名高い佐賀県の、予算も限られた県立高校の生徒たちだったことも、その感動を味付けしてくれたかもしれない。人生は7転び8起き。7回転んでも8回目に逆転すればいい。そう自分の人生を重ねた人もいただろう
ただ逆転できる人は幸運な少数者でもある。ある日、不治の病を告げられる。逆転しようと必死の努力をする。だが病は着実に進行し、やがて死を迎える。逆転できなかった。そういう人生もある。その人は敗北したのだろうか。そうではあるまい。
人生には逆転不可能なこともある。しかし人は、逆転よりも逆説によって、精神の深みを知り、魂の輝きを放つ。それは、自分の内部だけで起こるのではなく、自分を突き抜けた、神との関係の中で起こる。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅱコリント12章9節)と、使徒パウロは神の声を聞いた。魂は、弱さの中での強さ、敗北の中での勝利、悲しみの中での慰め、不幸の中での幸い、絶望の中での希望、等、精神の深みで輝きを放つ。
木の葉は、散りゆく寸前に、自分の内にあるすべての色を赤や黄色に単純化して輝く。単純化された赤や黄色は、春に芽生え、暑い夏を越え、今散りゆく時を迎えるまでの複雑な履歴を、その中に融合して一つになったものだ。散った木の葉は、再び同じ枝につくことはない。逆転はない。しかし散る間際のその葉が、生涯で最も美しく輝くのは、命尽きるものが、永遠の愛を歌いあげているかのようにも見える。それはたしかに、精神の深みから放たれる逆説の輝きに似ている。
言うまでもなく、魂の輝きは、ただの弱さ、ただの敗北、ただの悲しみ、ただの滅びの中にあるのではない。その中で、「弱いときにこそ強い」という真理を、身をもって経験する魂、内に永遠の愛を宿す魂、それが輝きを放つのだ。
(K.S)

大人を育てる絵本からのメッセージ

だいじょうぶ だいじょうぶ いとう ひろし (著)/講談社

 絵本というと小さなこどものための本というイメージがありますが、大人にとっても生きるヒントになる本がたくさんあります。ここでは子育てという視点でお話をしていますが、あらゆる人間関係においてもお役立ていただけることと思います。

子育ての失敗と成功

 今している子育てが果たして成功なのか失敗なのか、それは10年後20年後になり、子どもがどんな大人に成長したかを見てみないとわかりません。人生の中では、今やっていることの結果がすぐに出る事柄も多いのですが、こと子育てに関しては、結果が出るまでに長い時間がかかるものですから、子育て本やベテランのおじいちゃんおばあちゃん、そして先輩ママやパパにヒントをもらいつつも「これでいいのかな?」「わたしの子育て、まちがっていないかしら?」って悩んだり迷ったりするのも当然です。
子育て本はたくさんあります。昔と今とでは子育てが違うとも言われています。その中で、何を頼りにしていいのかとさえ思ってしまいますよね。でも子育ては十人十色。育てる人も違えば、子どもだって一人ひとり個性が違います。自分を励ます内容のものはいいとして、かえって悩んでしまうものは参考書程度に捉えるといいかもしれませんね。

「だいじょうぶ」は、元気が出る魔法の言葉

 この絵本はもちろん子育て本ではありませんが、落ち込んでしまったときにあなたをほんわか元気にしてくれます。
日常の中にはいろんなことがあります。嫌なこと、辛いこと、悲しいこと、怖いこと、不安なこと。でも、逃げ出したいようなことも、ずっと続く訳ではありません。自分が成長しながら乗り越えられること、まわりに何かしらの変化があり、乗り越えられることもあります。それらを乗り越えるまでの間、「だいじょうぶ」の言葉に支えられ、そしていつのまにか強くなっていく気がします。そして、世の中そんなに悪くないなって気づくのです。「だいじょうぶ♪」の言葉は、「がんばれ!」のプレッシャーとは違う不思議な安心感をくれる言葉だと思います。見守られている気がするのです。「失敗しても次がある」とか「思ったとおりに自分らしくやればいいんだ」と思えてくるのです。
そうやって元気な自分に戻れることで、子どもが元気でいられる言葉をかけてあげられるのだと思います。子どもが活き活きと育つために、お母さんの心が元気でいられるように、自分をケアすることも大切にしましょう。

イエス様も

「明日のことは思い煩うな」と言っておられます。悩んで苦しむのではなく、「わたしに任せなさい」と言ってくださる方に身を委ねて、だから「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と自分に魔法をかけてあげましょう。あなたの一生懸命も、うまくいかないジレンマも、子どもに対する想いも、すべて見ていて見守っていてくださる方が「わたしに任せなさい」と言ってくださるのだから。

HeQi Art 聖書物語

四人の漁師を弟子にする

イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。
マルコによる福音書 1章16~20節

たろこまま「いのちを語る」

思い悩むな。(マタイ6章25節)

『自分の命のことで何を食べようか何を飲もうか、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな』だなんて、今日の一節は、オシャレでグルメな皆さんには思わずどよめかれそうな一文です。 先日、整肢園の飲み会(年に数回のお楽しみ♪)前、待ち合わせたママさんにつき合った足ツボマッサージ店で待つ間、エステやジム、最新のレストラン、化粧や流行服情報等を扱ったタウン誌を目にしました。皆さんの身の回りにも当たり前に存在していると思いますが、落ち着いて考えるとこれ、不思議ですよね(笑)。
大抵美味しいモノは油や砂糖が多いのだから、食べ過ぎなければわざわざ痩身に身をやつす必要もないのです。エステも、素肌っぽく見せるためにとせっせと化粧をした結果肌が荒れて通い出したなんて本末顛倒、最新の流行に追われさえしなければ、まだまだ着られる服を捨てる必要もありません。自分で手間やムダを抱え込み大変大変と溜息つくのが現状でしょうか(貧しい我が家には無縁の話ですが 涙)。
実は上の句にはこんな言葉が続きます、『命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか』と。これを読み、己の命自体──自分の心と体の本質はどうなのかと問われているようでドキッとしました。そして後半の文は「〝自分〟の(命、体)」でないことに気づいたとき、私はハッとしました。 深読みかもしれませんが、モノが溢れるこの時代を遡ること2000年ほど前、既に、同じ思い悩むなら「〝自分〟の」ではなく「〝他人〟の命や体」を慮るべきと言ってたのかと思うと、何とも言えない感慨を覚えたのです。
ダライラマ14世の言葉にこうあります、『他人のことしか面倒を見ない人は、考えなくても自分の面倒を見ています』と──古き日本人も良く言ったもんです、『情けは人のためならず』と。

07-11-15るうてる2007年11月号

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第11回 全国青年修養会

 9月22日から24日の3日間、全国から約40名の青年が参加し、箱崎教会と聖ペテロ教会及び恵泉幼稚園を会場として、全国青年修養会が開催されました。
今回は、少人数で短い準備期間であってもやることができる「新たな修養会」を創りだし、新たな青年会活動を歩んで行きたいという想いで、テーマを『創造』にしました。
 「ろうそく作り」や「バーベキュー(食事作り)」、「礼拝作り」など、与えられるのではなく自分たちの手で作り出だすために、仲間と協力し合い、楽しく充実した時を過ごすことができました。僕たちの「作る」修養会を、神様が仲間と協力者をお与えになり、『創造』してくださったことに感謝しています。
 更に、今回の修養会を受け入れてくださった箱崎教会、聖ペテロ教会、恵泉幼稚園の方々の心温まるご協力のもと、無事に修養会を開催できたことにも感謝しています。本当にありがとうございました。
【実行委員長 末吉潤一(神水教会)】

「この地面をずーっと掘っていくと…」

 「この地面をずーっと掘っていくと出る、地球の反対側から来たんだよ」と、きらきらする眼差しの子どもたちに紹介されました。そこはファベーラといわれる貧しい地区の子どもたちの学習支援や青年の就職支援をしている、現地ルーテル教会が設立した施設です。
 9月18日から26日まで渡辺純幸副議長・世界宣教委員長とともにブラジルを訪問しました。目的はJELCがサンパウロ教会に7年任期で派遣している渡邉進宣教師と面談し、現地日系教会およびブラジル福音ルーテル教会(IECLB)を訪問することでした。今回はブラジル支援をしているJELAの古川事務局長も同行して下さり、教会・集会所のほか、冒頭に触れたようなJELAも支援している諸施設も共に訪問する、よい機会となりました。
 ブラジル移民が始まって来年で100年。日系人教会には43年にわたり宣教師が派遣されてきました。その後、世代交代や高齢化も進み、旧日本基督教団系の「南米教会」がブラジルのルーテル教会に加盟し、「サンパウロ教会」はこの教会と「日系パロキア」という教会共同体を形成、日系人牧師・大野健牧師が主任牧師で宣教師はそのもとでチームで働くように変遷してきています。
 日曜日は徳弘・渡辺がそれぞれの教会で説教奉仕をし、役員会、そしてパロキアの合同役員会、ファベーラにあるジアデマの集会所の夕礼拝と、特に忙しい日でした。子どもたちからお年寄りまで、日系の方々や現地の人たちともたくさん会い、笑顔をかわしました。特に昼食は、昔ながらの手作りの和食でもてなしを受けました。気候も時間も全く反対の地球の裏側にも、こうしてルーテル教会の兄弟姉妹がいることを遠くで家族に再会したように嬉しく思いました。バザーのための日本からの中古衣料なども大歓迎との事。
 250年ほど前に主にドイツからの移民で始まったルーテル教会ですが、それだけではなくアマゾンなど教会のない地域への伝道や、ファベーラでの支援にも取組むIECLBをポルトアレグレの本部を訪ねて学びました。日系教会も時代の変わり目にあって、夫々の教会が将来を模索しています。献身を決意している青年もいます。JELCとJELAはそれをよく理解し、お支えしなければと思わされました。
【事務局長 徳弘浩隆】

『神さま、おはようございます』

 わが家の娘たちは外に遊びにいって帰ってくると、まずお父さんを探します。ここまでは愛情溢れる家族に見えますが、その探し方がわが家らしいのです。娘たちはドアを開けるなり、「お父さん、お父さん」と叫びながら、一目散に寝室に飛び込んでいきます。それが何回見ていても同じです。これは何を表しているのか。
 いつもどこにお父さんがいるかを知っている娘たちは幸せかもしれません。私たちも、神様はいったいどこにおられるのかと探すことがあります。見つからないといっては嘆いてみたり、怒ってみたりしています。
 神様がどこにおられるか知るには、まず御言葉に行く必要があります。ルターは、「キリストについてまったく考えずに二日を過ごすとき、わたしの心はなえ、いきいきと働かなくなります」と言いました。
「神さま、おはようございます」と毎朝いってみませんか? どこに神様がおられるか、わかってくると思います。ついでに「おやすみなさい」もね。
(柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

北海道特別教区 函館教会 牧師  V.ソベリ 
聖なる方、真実な方、ダビデの鍵を持つ方、この方が開けると、だれも閉じることなく、閉じると、だれも開けることがない
ヨハネ黙示録3章7節

 このみ言葉と始めて真剣に出会ったのは、念願のイスラエルの旅を計画したときでした。フィンランドでのミッションの仕事を終えて、数ヶ月イスラエルで過ごしてヘブライ語を勉強したり、ボランティア活動をしたりする計画でした。数年振りに日本に戻る前に、聖書の国で新しい体験をし、聖書の理解を深めると、夢が膨らんでいきました。
 その矢先に湾岸戦争が始まり、毎日のようにテレビやラジオで恐ろしいニュースが流れてきました。自分の夢はどうでもいいと反省し、大勢のクリスチャンと心を合わせて、紛争地に暮らす愛する人たちの安全を祈るばかりでした。
 主がその祈りを聞いてくださり、湾岸戦争は停戦されました。私も7ヶ月ばかりイスラエルで住むことができ、自分の夢以上のものが与えられました。ユダヤ人の生活を見ることによって、主イエスの教えを新たに理解し、福音のもたらす自由と喜びを体験することができました。
 その後、新しい気持ちで日本に来て、15年間北海道で働いてきました。自分の計画がだめになったことがたくさんありました。そんな時、門を閉じたのは主ご自身であったことを学ばなければなりませんでした。しかし、それ以上に、主が新しい門を次から次へと開けてくださったことを感謝しています。
 聖句の続きも私を力づけたのです。「見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。……あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった」これからも、開かれた門に入り、勇気をもって前進したいと思います。そして、主がやがて、み国の門を開いて私を迎えてくださると、確信しています。この信仰を皆様と分かち合いたいと思い、この聖句を慰めとして挙げています。

信徒の声 教会の宝石を捜して

東教区 田園調布教会 信徒  木村俶枝/岡田鞆恵
毎週日曜日の聖書朗読の三カ所(第一朗読/第二朗読/福音書)に、しおりをはさむ奉仕をしてくださっておられますが、お話をお聞かせくださいませんか。
 私たちは教会に何もお役に立っていませんから、少しでも役に立てればいいなと思ってやっていることです。みんなと一緒にやっていることですから。申し訳ないことですが、できる限りやらせていただきたいと思っています。

岡田さん/母がここで教会生活を送ったので、その影響があった訳です。久しぶりに教会に足を向けたときに、この教会で歓迎会をしてくれました。その席に座ったのですが、後から考えてみれば、十分な考えもなしに座って、インタビューをされましてね。急に、なぜだか、涙が出てきてしまったのです。母が天国から見ていてくれて、教会に来なさいといっている気がしたんです。それで、続けてくるようになりました。(しおりを挟むことは)楽しみになりまして、全然大変じゃないんです。やっているときにも、いろいろなことを若い人とも話をしたり、勉強しながらやっています。楽しいんですよ。

木村さん/私も母の影響があります。この教会で、矢野先生や幼稚園の働きのお手伝いをさせていただき、108歳で帰天しました。恵まれた人生だと思っています。葬儀もこの教会で行わせていただきました。この奉仕を通して、お互いに、岡田さんとも知り合えましたし、私たちは、阪神タイガースのファンだということも、お話をしながら、分かりました。これをしながら、教会の人ともつながりを持てました。全然苦にならないんですよ。
岡田さんは、1時間半かけて教会へ、木村さんは2時間かけて、毎日曜日礼拝に見えられます。そして、礼拝後、翌週の聖書日課の箇所へ、しおりを挟む仕事をなし終えて、また、同じ時間をかけて、家路につきます。

東洋と西洋の対話⑧

第8回 私達は神の憐れみを食べ、飲みます。(聖餐への招きと聖餐)

  「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、
主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」 (コリントの信徒への手紙一 11章26節)

平岡(以下「平」):父と子と聖霊の御名によって洗礼を受けた人は、神の恵みに与る聖餐に招かれます。
Lathrop(以下「L」):日曜礼拝に於いて私達はただ神の憐れみの言葉を聞くだけではありません。私達はまた神の憐れみを食べ飲むのです。このイエス・キリストの体と血による聖餐はまるで見える、そして食べられる御言葉のようです。私達は食事のパンを求め両手を差し出し、触れ、出会い、そしてイエス・キリストの真の体、即ち愛をもってこの世に来られる神の全きご臨在を私達の体の中へ受け取ります。私達は杯から飲み、そしてイエスの血、新しい契約の血、苦しむ世界の真ん中でイエスが注ぎ尽くした命によって、私達の命は確かにしるしづけられます。聖霊の力によってキリストはご自身を与え、神の憐れみの中へ私達を引き寄せます。
平:一つのパンを分け同じ杯から飲む時、キリストの体に於ける一致を私達はそこに見出します。そしてこのことは他者を、特にその日聖餐に与れなかった兄弟姉妹を、また神の恵みの食物を共有すべき世界の人々を私達に思い出させることでしょう。
L:教会はこの食事を地球上のあらゆる場所で祝います。パンが手に入らない時、地元の食物を用いることが出来ます。ぶどう酒を入手するのが困難な時は祝いの地酒を。何故なら、イエス・キリストによる神の愛と憐れみは、私達が所有する大地の賜物を用いる全ての場所、あらゆる所に注がれているからです。
平:日本人も祝祭の食物を用いることができます。例えば赤飯や日本酒を。そしてこれは受肉したキリストがあらゆる場所で私達と共に生きている確かな証言となるでしょう。
L:その時、私達は私達が食したキリストの体になってゆきます。即ち、私達を取り巻く人々の求めと苦しみの只中でキリストの体として仕えるために私達は遣わされます。だから聖餐は憐れみによる神の宣教を担います。キリストに於いて、御言葉を用い、次に食べ物と飲み物を、そしてそれから私達を用いて。

信仰の学び、養いを生涯続ける⑧

第8回 さあ、壁に張って

 申命記第6章は信仰の基本、信仰の問答の原点とも言える聖書箇所です。「聞け、イスラエルよ」と、信仰の基本を心に留めるべき相手への語り掛けがあります。信仰とは神と人間との全人的な関係ですから、語りかける神から、「自己紹介」に当たる宣言を伴って、その相手への呼び掛けで始まるのです。そして「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」と全人的な信仰の姿勢の基本的な求めが告げられています。
 さらに、このことは自ら「心に留め」、「子供たちに繰り返し教え」、日本語で言えば「寝ても覚めても」とか、「行住坐臥」とか言うように、座っていても歩いていても、寝ていても起きていても、これを語り聞かせよというのです。そのうえ、これを手にしるしとして結び、額に付け、家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい、と続きます。
 興味深いことに、ルターの『小教理問答』の初版は、7枚のポスター版でした。これが小冊子の形になって出版されたのは、少し後のことでした。残念ながら、このポスター版のものは、そのように記録されているものの、現物は一つも残りませんでした。家々の壁に張られて、その使命を果たしたのでしょう。人々はこれを家々の壁に張って、日夜これを読み、心に留めたに違いありません。
 申命記第6章はさらに続いて、あなたの子らが尋ねるときには、こう答えなさい、という形で、イスラエルの信仰の問答が展開されていきます。それはイスラエルの神信仰の原点とも言うべき、出エジプトのできごとから出発して、現在を生きる信仰の生き方を、親が自ら生きつつ、子に答え、教えて、共にいのちの日々を神の前で生きていこうとする問答です。
 ルターが『小教理問答』をなによりも先ずポスター版で出版した背後には、この申命記の状況があったでしょう。日夜読み、心に留める信仰の基本から、この問い、親の答えという親子の信仰の問答が繰り広げられて行くことを期待したのです。
 試みに、PM21の「LAOS講座」の一つ、さらにいくつかを、要約しながら、ポスター版に展開し、出版して、申命記の伝統、ルター以来の信仰とその学びの伝統を、今の私たちの教会に呼び起こしてみたらどうでしょうか。

神学生寮の思い出

日本ルーテル神学校長 江藤 直純
 私は、1971年の春ルーテル神学大学/神学校の3年次に編入、ルター寮に入った。当時は、学生は神学生だけで、6学年で総勢50人ほど。大半の学生が寮にいた。
 それまでの大学4年間を寮生十数人のYMCA寮で過ごした私には、毎朝祈祷会があって朝食を食べたり、週に一度聖書研究会があったりするのが当たり前だったので、大学紛争後まもないルーテルではそれらがなくなっていたことに違和感を感じたものだった(もちろん学校としては毎日午前中に礼拝はあった)。親しい友と朝聖書を読み祈りをした。続いた時期もあったし、挫折した期間もあった。
 習慣とか強制という枠がないと続かないのは、真に内発的な、強い自主性がないからだ。誰かに強いられてでもなく、心からの信仰とか喜びに動かされて生きることの大切さと難しさに気づいた。と同時に、たとえ喜びが強く感じられないときでも神に真向かうことも必要だ。弱さをもっている以上、枠とか形に支えられることがあるということは事実だ。
 寮の食事も懐かしい。JELCだけでなくNRKの友人も多くできた。
 3年目の5月に学生結婚したので、退寮。通学生もたむろできる場が寮にほしい。
 あのときあって嬉しかったもの、足りなかったものを思い起こしながら、いま新しい神学生寮の構想を膨らませている。

■募金活動にご協力下さい■

 従来の寮棟を『ルターホール』と名称を変え大改修します。この事業にご理解いただき、ぜひとも募金にご賛同、ご協力お願いいたします。
募集期間 2007年4月~2009年3月
送金先 学校法人 ルーテル学院
取扱機関 郵便振替口座00140-2171183(所定の郵便振替用紙をご利用下さい)
銀行口座 三菱東京UFJ銀行三鷹支店普通口座 4126089
名義 学校法人 ルーテル学院
【お問い合せ】ルーテル学院大学・神学校後援会(0422-31-4611)/教会事務局(03-3260-8631)

クリスチャンのライフカレンダー

~老いの育ち~

 「一日生きれば一日の育ちありたしと朝毎祈る望み持ちつつ」(歌集「旅路」より)
 若い日のあなたは、意欲満々の学びの履歴を積み、恋に生き、またキャリア・ウーマンの初代を築いて来た方でしたね。
 骨折で入院なさった時、心ならずもおむつケアを受け、「私は自分を捨てました」と宣言。退院後、あなたは、しばらくの間、霧の中でしたが、「思い出療法」などで、見事回復し、80歳の受洗。私共を喜ばせてくださいましたね。
 あなたは周りの人々の愛に囲まれて、病いとの闘いを終え、御国に召されました。嫌いなことばは老醜。人の世話にならずに召されたいと思っていても、援けが要るようになる老いの季節。失われ行くものを埋めて下さるのは神様の愛。何も出来ないのではなく、1つだけあるのです。神さまの創られたものすべてを讃える、その為に生かされています。私は祈ることができます。声をかけて下さった方に。体のお世話をして下さった方に。窓の花に。小鳥の声に。そして、『神さまありがとう』と。

LAOS講座

LAOSの学びは楽しい!

大垣教会 ヴェルニダ ボーマン
 大垣教会でも数年前から毎月1回、LAOS講座の学び会を続けています。短い時間ですが、いろいろなことを活発に話し合います。先日は「礼拝」のことについて勉強しました。
礼拝には変えてはいけない事柄もありますが、また同時に自分達で変えることのできる自由な要素があることは楽しいことです。聖餐式の回数も、必ずしも月1回ではなく自分達の教会の必要に応じて考えて良いのだとあらためて教えられました。私はアメリカで若い頃を過ごしましたが、土曜日には1人で教会を訪ねて牧師に「私は聖餐に預かっても良いですか?」と質問したものです。聖餐を受けることが非常に大切なことだと思っていたからです。その気持ちは今も変わりません。
大垣教会は信徒の働きがとても活発な教会です。礼拝でも信徒説教や信徒の証しが毎月行われています。婦人会の学びも会員が担当し、クリスマス会には大勢の方々をお招きして自分達で聖書のお話や証しをしています。
上手、下手は関係なく、自分達でできることを喜んですることが大切であり、それが信徒の成長になると思います。

※執筆者によるLAOS講座はjelc.TVで御覧いただけます。 URL http://jelc.tv/

一日神学校

 9月24日にルーテル学院大学で一日神学校が行われました。今年は新しくなった通用門が皆様をお出迎え。開会聖餐礼拝では、九州教区からの7名の方々を含む330名余が共に御言葉に耳を傾け、賛美し、聖餐に与りました。礼拝後は江藤神学校長による「シュバイツァーとマザーテレサ」をはじめ、神学・福祉・臨床3分野9つの講義が行われました。午後は教会ミニショップで憩いの広場が賑わい、トリニティホールラウンジとチャペルでは学生音楽サークルのコンサートも行われました。派遣礼拝では、大人のプログラムと並行して行われた「こどもしんがっこう」での成果をこどもたちが発表。和やかな雰囲気で一日を終えました。参加者は582名でした。

第18回全国 ディアコニア・セミナーIn 毒ガス島

 去る10月7~9日、広島県の大久野島において、全国から35名が参加しておこなわれた。戦時中、地図からも消されたこの島で、16年間に7000トンの毒ガスが生産され、約半分が中国731部隊で使用され、残りは戦争終結と共に廃棄された。今回のセミナーでは、その生産に学徒動員として駆り出された方や、毒ガス島資料館の元館長をお招きしてお話をうかがった。中国でも多大の死傷者を出したが、その生産に携わった1600人もの人が毒ガス後遺症で亡くなり、今も大勢苦しんでいるということであった。遺棄されたガスは全国に及び、その詳細がわからないという。参加者一同、日本でただ1つとも言えるこの不気味な加害の遺跡を前にして、重苦しい気持ちにさせられていった。   【三浦謙】

PM・MO会議

宣教方策PM21も前半期がすぎました。1年をかけて各部門で前半のまとめをしてきました。
 これまでの半期については、各部門で計画されたものは、ほぼ実現できたという総括ができました。TNGの働き、LAOS講座、信徒宣言21、教職レビュー、研修会、組織再編など、これまでの報告とおりです。しかし、この方策が教区を通して各個教会まで受け止められているかが課題です。
 この課題を受け、後半をどのような視点で計画するか。そこから「OUR」(私たちの宣教)を中心にしたいと考えました。宣教する組織・道具はほぼ整いましたので、これを教区・各個教会の「私たちの宣教」として受け止めていただくのが目標です。PMからOMということではなく、PM21を実現するためのOM計画と捉えていただければ幸いです。

TNG全体会議

 10月15日~16日にかけて、京都にてTNG全体会議が開かれました。TNGは「幼児・子ども・ティーンズ・ユース・翻訳プロジェクト」の5つの部門に分かれ、それぞれ活動を展開していますが、メンバーは日ごろ、全国に散らばっているためになかなか顔を合わせる機会がありません。
 今回、それぞれ担当する部門だけではなく、全体についてみんなで考え、祈りを合わせていきたいと、初めての全体会議が開かれたのです。会議はTNGの働きについて省み、互いの働きを労い、これからの働きへの思いを新たにする機会となりました。
また、全国の皆さんの要望に耳を傾けて行きたいと願っています。そして、何よりも幼児から青年までの一人ひとりに仕え、寄り添って行きたいと願っています。

幼保連合会ニュース

一.去る7月30日~8月1日、東京教会で「ルーテル幼保連合会保育者研修会」が行われ90名近い人が集まりました。日本発達障害学会会長の原仁先生(武蔵野教会員)、ルーテル学院大学学長市川一宏先生がそれぞれ専門分野の講演がありました。また、田村幼児体育研究所の田村忠夫先生(藤が丘教会員)が歌と動作を交えた実技を指導して下さり、汗を出しながら楽しくも有意義な学びが出来、保育に役立つエネルギーが与えられました。
二.総会予告
2年に1度の総会が来年5月26日(月)、市ヶ谷センター2階会議室で行われます。各園1人は参加下さい。(賀茂川教会/高塚)

ハンソン宣教師来日

 9月、アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)より、長期宣教師が派遣され、来日しました。
 「私の名前は、エリック・ハンソンと言います。ミネソタ州から来ました。28歳になります。私の祖父はかつて日本で宣教師をしており、家族から日本での素晴らしい体験の思い出を聞いていました。
 ELCAの世界宣教事務局が日本で英語礼拝と若者の宣教のために働く牧師を募集しているのを知り、『これは私のための仕事だ』と確信しました。
 日本では東京教会の英語礼拝を担当すると共にTNGの働きを妻クリスティーと共に担います。
 教会の皆さん、どうぞよろしくお願いします」。

ルターホール改修・神学生寮設置のためのチャリティーコンサート

ピアノ演奏・シーグフリート・テッパー

 10月16日、ルーテル市ヶ谷センターを会場に、ピアニストのシーグフリート・テッパー氏をお招きして「チャリティーコンサート」が開催されました。
 曲目は、なじみの多いハイドン、モーツアルト、リスト、ショパンなど全10曲を熱演、またテッパー氏の軽快な解説も観客を大いに沸かせました。
 アンコールには日本になじみの深い曲と紹介しテッパー氏が即興でアレンジした「さくらさくら」も演奏され観客を最後まで魅了しました。

インドワークキャンプ参加者募集

第4回インド・ワークキャンプ(JELA-JELC共同プログラム)

■期間:2008年2月26日~3月7日■企画:日本福音ルーテル社団(JELA)・日本福音ルーテル教会(JELC宣教室)
■募集人数:10名前後(書類選考あり)
■参加費用:150,000円(予定)■対象年齢:18歳以上
■締め切り:2007年12月2日
■問合せ・申し込み:教会事務局宣教室(担当:乙守)
mail:mission04@jelc.or.jp/FAX:03-3260-1948

神学生寮・大学生寮 管理・調理スタッフ募集

■身 分 嘱託職員(現業職)〈本学嘱託規定による〉
■募集人員 1名
■採用日 2008年4月1日
■勤 務 東京都三鷹市大沢/8時30分から断続勤務 実働7時間30分
週休二日制(土・日)、祝祭日、夏期、年末年始休暇有
■待 遇 社会保険完備(私学共済・労災保険・雇用保険加入)
住宅2DK住込(家賃不要、光熱水費は自己負担)
■応 募 11月30日まで(消印有効)履歴書(写真貼付)書類選考後、
面接日通知(守秘書類不返)面接予定12月初旬、クリスチャンを望む
■その他 調理士免許があればなお望ましい。
■連絡先
 学校法人 ルーテル学院 〒181-0015東京都三鷹市大沢3-10-20 TEL 0422-31-4611(担当:兼子・高瀬)

教会手帳2008 11月発売

今年も恒例の教会手帳が発売になります。
■2008年版の特徴
①カラーはモダンなグレーを採用
②カバーはペンを差し込めるようになりました。
■お申し込みは…
東京聖文舎まで(TEL:03-3267-3221)
■価格 1100円

07-10-15るうてる《福音版》2007年10月号

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バイブルメッセージ  あなたの足跡には、一輪の花が

主は人の一歩一歩を定め/御旨にかなう道を備えてくださる。
詩編37編23節(日本聖書協会・新共同訳)

 わたしは水泳が苦手です。
 子どもの頃、夏になって、体育の授業で水泳が始まると、憂鬱な気持ちになりました。順番に並んで、25メートルプールを泳がされる。上手な人は何気ない顔でプールの向こう側まで泳ぎます。さらに上手な人は25メートル行き着くと、イルカのようにクルッとターンして、さらに25メートル泳いでこちら側に戻ってきます。
 わたしは、スタート台に立つと、「遠いなぁ」と25メートル先を見ていました。「行けるわけがない」ともうあきらめています。そんな気持ちだから、何メートルか行くと、すぐ足をつく。
 25メートルは遠い……。得意なボール投げの時は近いのに、プールの25メートルは遠いのです。

 もう学校も卒業して、プールで水泳をやることなどなくなった頃、昔スイミングスクールでたくさん泳いでいたという人に尋ねました。どうして、たくさん泳げるのか、と。中には遠泳などと言って海で何百メートル、何千メートルも泳ぐ人がいる。どうしてか、と。同じ人間なのに、私には考えられない、と。
 その人は答えてくれました。
 「何メートル泳ごうとか、何百メートル泳ごうとか、あそこまで行こうとか、そう考えないで、あとひとかき、だめだと思えても、あともうひとかき、あとひとかきは出せる、と言い聞かせながら、手を前に出した」

 目からうろこが落ちるような気持ちでした。なんだか、今なら25メートル泳げるような、……いやそれどころか、100メートルでも泳げるような気がするくらいでした(おいおい、おなかも出てるし、できるわけないだろ!)。

 日本人の平均寿命がまた延びて、女性は世界一の88歳だそうです。吹けば飛ぶような人生と言っても、これは遠泳に等しいもの。しかも≪一難去ってまた一難≫と昔から言われるように、その人生はいつも困難とぶつかりながら進みます。

 この苦しみからどうやって逃れられるのか。このトンネルはいつまで続くのか。この悲しみを忘れられる日など来るのか……。
 プールの向こう側ではありませんが、それは遠く見えます。行き着けるわけがないと私たちを絶望させます。
 でも、焦っても答えは出ないようです。たぶん、私たちにできることは、そこで、「あとひとかき」「もうひとかきやってみるか」の繰り返しです。

 旧約聖書の詩人は、「主は人の生涯を定め」と言わず、「主は人の一歩一歩を定め」と歌ってくれました。人生は吹けば飛ぶようなものではなく、苦しみながら、祈りながら、絶望しながら、励まされながら、涙を流しながら、何とか踏み出す一歩一歩の集大成だと伝えたかったのではないでしょうか。

 一歩も踏み出せない時もあります。ひとかきすらもできない時もあります。
 でも、あなたは今、息を吸い、息を吐いている。あなたの小さなひと呼吸も、生きている証し。前に進んでいる証し。生かされている証し。ため息だってそうです!

 あなたが生きている。そのおかげで、世界が回っています。
 あなたの一歩に「ありがとう」と言わせてください。

パパレンジャー

大人を育てる絵本からのメッセージ

どんなにきみがすきだかあててごらん
サム・マクブラットニィ:作 アニタ・ジェラーム:絵 小川 仁央:訳/評論社

 絵本というと小さなこどものための本というイメージがありますが、大人にとっても生きるヒントになる本がたくさんあります。ここでは子育てという視点でお話をしていますが、あらゆる人間関係においてもお役立ていただけることと思います。

愛されずに育った!?

 「愛された記憶がない」そんな風に言う人に、何人も出会ってきました。でもわたしは思うのです。果たして「愛情を受けずに育った子ども」は、実際にどれくらいいるのかと。
 皆さんもご存知のように、人間の赤ちゃんは他の動物の子どものように、生まれてすぐに歩いたり、自分でごはんを食べることができません。トイレに行くことも、自分でおむつを替えることもできません。そんな状態で生まれてきた赤ちゃんですから、誰かの手を借りなければ食べることさえできず死んでしまいます。(必ずしも血の繋がりに関係なく)自分を守ってくれる存在があってこそ、赤ちゃんは生きていけるのです。その体力も精神力も必要なお世話は、「かわいい」「愛おしい」という想いがないとできないように、わたしは思います。
 「愛されずに育った」人が、どれくらいいるのかわかりませんが、実際には愛情を受けて育っているにも関わらず、それに気づかずに「愛されていないと思って育った」人は、かなりいるのかもしれません。「言葉にしなくても、態度で示さなくても、伝わっているはず」という過信が、実は子どもを不安にさせている原因なのかもしれません。

こんなに好きだよ 

 絵本の中で、ちびうさぎが尋ねます。「どんなにきみが好きだかあててごらん」首をひねるでかうさぎに両手を思いっきり伸ばして「こんなにだよ」と答えるちびうさぎ。それを聞いたでかうさぎは、「ぼくは、こーんなにだよ」と、ちびうさぎよりも長い手をいっぱいに広げて言います。かくして、2匹の「好きくらべ」が始まります。
 「好き」の想いは、測ることはことのできないものですし、どちらがどのくらい好きかということは重要ではなくて、「こんなに好き」と言える相手がいて、言ってくれる相手がいるということが2匹を幸せにしているのです。「好き」という言葉は、言っても言われてもうれしくなります。

言葉にするのが難しい時

 ただ、この本を読んであげるといいかもしれません。それだけで子どもは親の想いを受け取りますし、この本を読んだ後は、たいてい「親子好きくらべ大会」が始まりますから。「僕は、お父さん、お母さんのこと、こーんなにすきだよ」「お母さんもあなたのこと、こーんなにすきよ」って。照れくさくても、そうやって相手を大切に想う気持ちを伝えることで、子どもに「自分は愛されている」という安心感を与えることができるとわたしは思うのです。

愛されるため生まれた

 神さまは、私たちを愛する対象としてお造りになりました。イエスさまは、愛するわたしたちのために命をも捨てて守ってくださいました。そして今も、愛して守り続けてくださっています。そんな愛を受けているわたしたちですから、その愛を子どもたちにも伝えていきたいものですね。

HeQi Art 聖書物語

Esthers Gamble
by He Qi, www.heqiarts.com

エステル

エステルは王妃の衣装を着け、王宮の内庭に入り、王宮に向かって立った。王は王宮の中で王宮の入り口に向かって王座に座っていた。 王は庭に立っている王妃エステルを見て、満悦の面持ちで、手にした金の笏を差し伸べた。エステルは近づいてその笏の先に触れた。王は言った。「王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」 エステルは答えた。「もし王のお心に適いますなら、今日私は酒宴を準備いたしますから、ハマンと一緒にお出ましください。」
エステル記 5章1~4節

たろこまま「いのちを語る」

殺してはならない。(出エジプト記20章13節)

『はだしのゲン』や『夜と霧』の読後の衝撃と言えば、未だにそのタイトルを聞くだけで生々しいものの、昨今自分も含めて、どこか「殺す」ということを、少し他人事のように捉えてる気がします。 そこそこ差し障りない生活だと、日々瑣末なことで「あいつめ?(煮)」と思うことはあるものの、中々人を殺めるところまで手は出ませんが───冷蔵庫を整理しつつ「私も結構殺してる?」と感じてしまいました。 「あっ、これ賞味期限が切れている!?」ってなモノが続出なのですよ(恥)……そう、人を殺さずとも、調味料を含め食べられたはずの食料を随分ムダにしているな、と(主婦落第に太鼓判状態ですな?)。
母は丈夫な胃腸を幸いに、ペッタンコになった生卵も焼いて食したり、もしくは父ちゃんの弁当にこっそり混ぜ込んでフォロー体制はそれなりに整っておりますが(いいのか?)。 旅番組で、ゲストが未だに生きている動物を己の手で絞め、食べられる処理をする地域に旅すると必ずと言って良いほど皆さん衝撃を受けているようですが、食べられる相手も、元はと言えば命ある存在なのですよね。それがキレイに骨も筋も取られ、血を流されてパック詰めになって売り場に並んでいれば、鶏肉も命の過程を通り越したただの物質扱いで、「某有名国立大学の授業で試みに鶏の絵を描かせたら、6本足つけた学生がいた」という笑い話にもならない事態に陥るのでしょう(小学時代の担任談……ってもう30年前? 汗)。
食べる相手の本体を見たことがない、触れたことがない、というのが最大の原因でしょうか。食べることは命をいただくこと、殺してはならないけれど殺した命を頂くことに自戒をこめて、せめて両手を合わせて「いただきます」することにします(あと冷蔵庫整理も怠らずにですな……反省)。

07-10-15るうてる2007年10月号

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法人会連合総会 8.28~29 九州ルーテル学院大学

 8月28日~29日にかけて九州ルーテル学院大学を会場に第6回るうてる法人会連合総会が開催されました。「ルーテル宣教の歴史遺産(“凄さ”)を振り返り、ミッションの原点・射程を確認する」というテーマのもと、学校法人、社会福祉法人、宗教法人の代表者並びに関係者が集まりました。
 基調講演では、潮谷愛一氏(九州ルーテル学院大学教授)が「ルーテル宣教の原点と展開―潮谷総一郎の歩みから学ぶこと」と題して語り、父総一郎氏の信仰と社会福祉の働きの原点に耳を傾けました。
 その後、前総会での決議と要望を受けて各法人及び幼稚園・保育園連合会(以下幼保連)、社団法人、諸委員会からの報告を受けました。それに続いて①「諸法人の活動と教勢の伸張(徳弘氏)、②「ルーテルの“凄さ”を見直す」(尾田氏)、③「諸法人の人材育成と教会」(市川氏)、④「グローバルな可能性と諸法人」(浅野氏)の発題を聞き、分科会で議論して決議案として提案されました。
 今総会にて、決議された主な内容は次の通りです。
「連合とは何か、周知の方策を策定する」「法人の枠を超えた協働の実施に取り組む」「信仰継承のためのプログラムを実施する」「法人会の諸資産を共有し、将来計画に役立てる」「研修の体系を整備する」「共同して若き働き人を育てるため、連携、協力する」「法人会連合として、グローバルミッションに対する方策を構築する」「教会推薦理事研修会を開催する」。以上のような決議事項の実現を目指し、各法人での働きを展開することになります。次回は、来年8月に大阪を会場として開催される予定です。

アワーミッションレポート「沖縄平和セミナー」

 西教区では、8月27日~30日にかけて、沖縄・ぎのわんセミナーハウスにて、沖縄平和セミナーを開催しました。独自の平和教育に取り組む西教区・教育部長の平岡博さんにお話をうかがいました。
―沖縄平和セミナーを始めた経緯を聞かせてください。
 西教区は、被爆地広島や、喜望の家というディアコニアセンターを抱える地区として平和の問題に強い関心を持ち続けています。中高生に是非とも一緒にこの問題を考えて貰いたいという先輩達の強い希望からこのセミナーは始まりました。
―以前はどういうキャンプをしていましたか?
 教区の行事として第1回はやはり沖縄で2001年に、第2回は広島で2005年に開かれました。主に中高生を主体としたキャンプですが、青年や壮年も加わったキャンプとなっています。
―今回の目的は何ですか?
 気づくということ、気づかされるということです。沖縄は日本の縮図であると言われるほど沢山の問題を抱えています。その沖縄で「平和を実現する人々は幸いである」(マタイ5章)のみ言葉を生きている人に出会ってほしいと思いました。沖縄は日本の領土であること。62年前に悲惨な戦争がこの美しい島で行われたこと。今も基地を抱え、ここでは日常的に戦闘機、爆撃機が空を行き交っていること。平和を訴え行動している人たちが沢山おられること。イエス様の言われたことを実現するために活動している人たちの働きを伝えたいと思いました。実際に目で見たり耳で聞いたりしないと分からないことを、体験してもらうのが目的です。
―プログラムについて教えてください。
 沖縄戦の主戦場となった南部を回り、ひめゆり記念館、アブラチがま(鍾乳洞を利用した病院)、普天間基地、嘉手納基地などを見学しました。また、辺野古の美しい海への基地の移設に反対活動を続けている方々の話を聞き、ピースメーカーというボートに乗せて頂きました。ハンセン病患者さんのための施設に宿泊し、元患者さんの苦難に満ちたお話をうかがいました。佐喜真美術館を訪れ、沖縄戦を描いた大きな絵画に思わず息を飲みました。
―沖縄で学んだことは何ですか?
 参加者の声をあげると何を学んだか見えてきます。「平和は守るものではなく創り出すこと」「日本は47都道府県ではなく46.5だ」「戦争の最大の犠牲者は民間人、つまり女性、子ども、老人であった」「この愚かな戦争を繰り返してはならない」。
―中高生キャンプについての展望について聞かせてください。
 このように、子どもも大人も一緒に平和を考えるセミナーはとても貴重な体験です。教区では毎年は無理ですが2年に一度は開きたいものだとお話しているところです。

『神様は刺身がお嫌い?』

 食卓での出来事です。今日のメニューは「ピーマンの肉詰め」。子どもたちは目にいっぱい涙をためて食べています。ピーマンを食べることができる。それまでに子どもとしての戦いがあり、ピーマンを克服したとき大人になったというのが私の思い出です。
 食べ物の好き嫌いがどうやってできるのか? それぞれの家庭や味覚によって違うのでしょう。涙をためながら「お父さん、神様は好き嫌いしないの?」と訴える娘を愛おしく思いながら、見つめていました。
 ガリラヤ湖畔に「メンザ・クリスティ」という場所があります。キリストの食卓です。復活したイエス様が魚を焼いて弟子たちを迎えられた場所です。あのときなぜ焼魚だったのか? 新鮮な魚は刺身が美味しいのに。もしかして神様は刺身がお嫌い? と考えてみました。
 まさか! きっと弟子たちにとって一番必要なものを、最上の調理法で用意してくださったのに違いありません。親がピーマン料理を子どもたちに用意するのも同じことでしょう。
(柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

西教区  岡山教会・松江教会・高松教会 牧師  坂本 千歳
あなたの御言葉が見いだされたとき、わたしはそれをむさぼり食べました。
エレミヤ書15章16節

 私は牧師の家庭に育ちましたが、ことあるごとに両親は子どもたちに、「私たちがあなたたちに遺すことができるものは、ただ一つ、信仰だけだ」と言っていました。どうせならもっといいものを遺してくれればいいのにと不満を感じることもありました。また、教会学校では毎月、新しい御言葉がその月の暗唱聖句として選ばれ、みんなの前で憶えた聖句を暗唱しなければならず、それも苦痛でした。小学生の私にとって、分厚い聖書は〝昼寝の枕にちょうどいい大きさの本〟だけど、中身は変なことが書いてあるし、読んでいてもちっとも面白くない本だと思っていました。
 聖書のことばが迫ってきたのは、大学時代。何気なく読み始めた福音書のイエス様の言葉、詩編の歌、知恵に満ちた言葉の数々に圧倒される思いで、初めて夢中で聖書をめくっていました。幼少の頃から知らず知らずに蓄えられていた御言葉の一つひとつが新たな輝きを持って迫ってきたとき、将来は献身し、御言葉を伝える職業に就きたいと考えるようになっていました。
 牧師となった今も聖書の言葉に思いをめぐらせ、黙想するひと時はかけがえのない大切な時間です。エレミヤ書の聖句のように、御言葉を〝むさぼり食べ〟、御言葉と一つにされていくときに味わう喜び、他の人間が誰も踏み込めない領域まで寄り添ってくださる方がおられること、自分の存在が根っこの部分で支えられていることに、他では得られない慰めを感じます。そのことによって、自分自身が自由になり、他者と出会うエネルギーをいただいているのではないかと思います。
 「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯」(詩編119編105節)、これも幼い頃に暗唱した聖句の一つです。この聖句のとおり、これからも神様の言葉が歩む道を照らしてくれると信じていきたいと願っています。

信徒の声 教会の宝石を捜して

九州教区 水俣教会 信徒  中村 泰造
水俣病で知られたチッソの工場長だったとの事、受洗の動機は?
 公害企業の従業員ということで、他の会社にはない経験をしつつ、努力すれば必ず事は成ると信じて生きてきました。そうした折、より責任が重い本社への転勤を命じられたことが今まで歩んで来た道を振り返る機会になりました。ふと手にした曽野綾子さんのエッセー集の中に見た「実に信仰があるかないかは、その人が立派であるかないかということではなく、その人が(良い意味での)骨の髄まで自分をいい加減な人間であると思えるかどうかにかかっている」という言葉が契機となり、洗礼を受けました。54歳でした。
技術本部長として本社へ行かれて如何でしたか?
 本社での仕事とは、自分は未熟なのに完全であることを求められるものでした。本来人間には備わっていない未来を予測する力を過信し、未知の分野であっても多額のお金を使うことを決断する責務の重圧に耐えながら、競争心をむき出しにした複雑な人間関係の荒波の中を、孤独な思いで進むことを強要されるものでした。ある本の中にあった詩、「すすり泣け。できるものならすすり泣け。だが、苦情は洩らすな。道がおまえを選んでくれたのだ……ありがたくおもうがよい」を読み返し、慰められたものです。
丁度、私が赴任したとき、退職され、水俣へ帰ってこられましたね 
仕事の重さから来るストレスで体調を崩し、任期の途中で退職しました。「コヘレトの言葉」の「天の下の出来事にはすべて定められた時がある」を信じ、水俣へ戻りました。今は健康を回復し、聖書を「神についての人間の正しい思想ではなく、人間についての神の正しい思想」と受け止め、先生が語られる人間の限界を知って生きること、その努力をしています。
中村さんのカラーカットの入った週報は評判が良いのですが、週報作成の奉仕の理由は?
 元々技術屋ですから、パソコンを独学で少し勉強しました。預けられた技量が教会で生かせればと思って始めました。

東洋と西洋の対話⑦

私達は食卓で感謝します。(聖餐の感謝―サンクツウス・設定・主の祈り)

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた」(ルカによる福音書 22章19節a)

平岡(以下「平」):パンとぶどう酒を食卓に整えた私達は、聖餐の感謝を祈ります。
Lathrop(以下「L」):福音書とパウロ書簡に見い出す最後の晩餐の記事によれば、イエス様は食事の初めにパンを取り感謝し、そして食事の終わりに杯を取り感謝しました。この感謝の祈りは時には「祝福」と呼ばれ、その名は神に感謝し神を讃美し、神の御業を称え宣言した古代ユダヤ人の食事の祈りの形式から取られました。
平:最も日常的人間の営みは、最も非日常的事柄である神の聖さを示すために用いられます。霊性が物質と深く結びつき、神の聖がキリストの人間性に於いて現れたように。
L:同じ物語において、イエス様は弟子たちに「これを行いなさい」と告げます。即ち、弟子たちもまた、パンと杯を取り感謝し、それからキリストの体と血によるこの驚くべき贈り物を共に食べ飲みなさいと。そしてこの時から、イエス・キリストの教会は主の食卓で感謝してきました。この感謝の祈りにはたくさんの異なる形式があります。しかし、ルター派では通常いつでも、牧師と会衆の間で交わされる対話、全世界の創造と贖いにおける神の救いの業の宣言、天使の歌(サンクツウス)、晩餐でのイエス様の約束の言葉の告知、そして主の祈りが含まれます。また、感謝の祈りは、一部に於いて、この食事が用いられるための聖霊祈願や、三一神への頌栄をも含みます。
平:節供が供物を意味していたように、神々を祀ることと食物は不可分の関係にあります。しかし人間が神々に捧げる食物は、今、神の恵を受け取るための驚くべき贈り物として、私達に与えられます。
L:主の食卓におけるこの行為はキリスト教の最も特徴的なしるしの一つと言えます。キリスト者は食物を感謝し、そしてイエス様を感謝します。その時、私達は飢えに苦しむ人々と食物を分け合い、そして、全世界の人々とイエス様の福音を共有するのです。

信仰の学び、養いを生涯続ける

第7回 信仰の学び、二つの経験

 この8月、私は信仰問答に関わる2つの経験をしました。
 1つは、市ヶ谷教会の教会学校キャンプでのことです。教師会から、小学4年以上、中高生までのために「教理問答」の手ほどきをして欲しいと依頼されたのです。結局当日は大学1年までの15人が机を囲み、聴講の大人が15人ほど、後ろの席に就いていました。私は、まず「教理問答は十戒、使徒信条、主の祈りで始まる」と告げ、「これは日曜毎の礼拝に反映している」と続けました。そこで全員に礼拝式文を渡して、これら3つが礼拝のどこで現れるか調べてもらいました。使徒信条と主の祈りはすぐ見つかりましたが、十戒はなかなか見つかりません。式文にはないのです。そこで1枚の絵を見せました。ルターゆかりのものの写真集から、コンピューターに取り入れてもらって、大きく写し出したのです。1516年頃にルターの同労者ルカス・クラナッハが描いて、ウィッテンベルクの市民の教会の入り口ホールに掲げられていたものです。その直前にルターは市民のために十戒について説教していますから、その主旨を受け止めて描かれたものでしょう。礼拝に来る市民は入り口でこれを見て、「私は戒めに適った生活をしているか、背いてはいないか」だけではなく、ルターの説教に従って、「私は十戒を満たせない弱い者。私の助けはどこから来るのか」という思いで礼拝に望んだのでした。礼拝ばかりでなく、信仰生活における十戒の働きです。これに対する神の助けが使徒信条に、この助けを常に願い求めるのが主の祈りになってくるわけです。礼拝から教理問答、信仰問答へと進んでもらおうと願っての企画でした。続きが必要です。
 もう1つは、ルーテル教団杉並聖真教会のサマーキャンプです。大人25人のグループでしたが、テーマは「平和」。聖書における「平和」シャロームについて基本的なことを牧師から学んだ後、私が歴史の中から、十五年戦争期の日本福音ルーテル教会の問題を語り、現代のキリスト者の課題と責任について話しました。翌朝は2時間近く、現代の問題、特に憲法改正、第九条改正の問題について率直な質疑、意見交換の時をもったのです。信仰から出る強い思いも、そこからする具体的な行動の必要も語られましたし、その課題の前に立ちすくみそうになる弱さも話されて、信仰の中心から歴史と社会の問題を考えるよい機会となりました。信仰の学びにはこういう問答、話し合いが大切でしょう。

神学生寮の思い出

東教区 蒲田教会 渡邉 純幸
70年安保、学園紛争が沈静化に向かう1970年4月、日本ルーテル神学大学へ入学しました。1969年9月に鷺宮から三鷹に移転した真新しい建物は、まだ足場が残った状態で、入学と同時に出会った上級生は、雲の上の存在でした。どの上級生の部屋にも難しい神学書がずらりと並び、神学生はすごいなと感嘆したものでした。
 入学しての日々は、すぐに打ち解け親しくなり、徹夜で話し、夜食を一緒に食べ、楽しさでいっぱいでした。日曜日になると、派遣教会へ履いていく靴下が無く、友人氏の部屋を回って調達したことも度々でした。洗濯ともなると、いつも誰かがすでに洗濯機を使用しており、仕方なくその中に自分の洗濯物を放り込んでおくと、自分の洗濯物がいつの間にか物干し竿にぶら下げてあったことを思い出します。味わったことのない緩やかで暖かい時間が流れて行きました。
 当時、「神学生」はさしずめ「貧学生」と呼ばれ、ご多分にもれず、私もその一人で、時間給120円の寮食堂での夕食後の皿洗いのアルバイトを何年もしましたが、不思議なことに貧しいと思ったことは一度もありませんでした。それどころか、楽しくさえ思えました。
 授業では、特にネーヴィー先生の旧約緒論には悩まされ、3年越しでやっと手にした単位でしたが、どの授業も寺子屋授業のようで、こじんまりとして温もりのあるものでした。
 もちろん5年の寮生活の間には、時には牧師への召命感の揺らぎと不安を抱いた時もありましたが、将来共に牧師を志す友には、霊的にも多くの勇気と励ましを与えられ、現在に至っています。
 寮と神学校教師宅が同じ敷地内にあることは、先生方がとても身近な存在となり、ルーテル家族を肌で感じるすばらしい時となりました。寮をとおして与えられた数えきれない恵みを感謝しています。

■募金活動にご協力下さい■
 従来の寮棟を『ルターホール』と名称を変え大改修します。この事業にご理解いただき、ぜひとも募金にご賛同、ご協力お願いいたします。

募集期間 2007年4月~2009年3月
送金先 学校法人 ルーテル学院
取扱機関 郵便振替口座00140-2171183
(所定の郵便振替用紙をご利用下さい)
銀行口座 三菱東京UFJ銀行三鷹支店普通口座 4126089
名 義 学校法人 ルーテル学院
【お問い合せ】
ルーテル学院大学・神学校後援会(0422-31-4611)
教会事務局(03-3260-8631)

クリスチャンのライフカレンダー

みんなに“ありがとう”! ~1人ではなかった~

みなさんご存知のように、私は離婚して娘と2人で生活してきました。小学生だった娘には寂しい思いをさせましたが、元気に育ってくれ、近々結婚することになりました。お世話になったみなさまにこの喜びをご報告させていただきます。
こんな幸せな日がくるなんて20年前には考えられませんでした。離婚当時まだ信仰を持っていなかった私は、悲しみと不安の中で懸命に出口を探している状態でした。神様はそんな私を憐れんでくださったのでしょう。今は亡きKさんとの出会いを通じて教会へと導いてくださったのです。
その後、娘と2人で見知らぬ土地に引っ越しましたが、そのときも神様は必要なものをすべて用意してくださいました。信仰の浅い私が大きな恵みをいただいて、これまで生きてこられたことを常に感謝しております。そしていつも励まし支えてくださったみなさまにもお礼を申し上げます。

LAOS講座

「この世を生きる」を終えて

刈谷教会 島田善宏
 人間はある程度の年齢に達すれば自然に適度な諦めというものが出てくるようだ。自身の歩んできた道程は変更不可能であり、大いなる者に委ねる他に手立てがないことに気付くからであろう。どのような人であっても個人の人生などというものは当の本人でさえ、まして家族、兄弟姉妹であっても本質的にはわからないのである。
 思い出すことができる不正確で断片的な記憶は、人々にとってはコンピューターのように保存時刻まで正確に取り出せるものよりも遥かに価値があり、むしろそこに神の救いと導きが存在しているのである。そして、ルターの「たとえ明日この世界が終わると分かっていても私は今日一本の林檎の木を植えるだろう」という言葉の中に、神の慈しみと愛と希望を見出せるのである。
 私たちは、不平等で不公平で混沌とした人間の歴史の中で、神を信じ生き抜いた人々の中にその証しを垣間見るのである。

※執筆者によるLAOS講座はjelc.TVで御覧いただけます。 URL http://jelc.tv/

るうてるトピックス 9月

9月12~14日 全国教職研修会
 晴海グランドホテルを会場に全国教職研修会が左記の日程で行われました。研修内容は講義(ルター教会論と教職論、ビジネス講習)、説教演習、牧会事例研究など。
9月16~17日 NCC教育部全国教会教育フェスティバル
 淀橋教会にて開催。150名が集った。テーマは「種をまこう!-涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈りいれる」。夜のプログラムはJELCが担当し、小澤実紀さんのコンサートも開かれた。
9月17日 神戸ルーテル神学校創立50周年 感謝礼拝・祝賀会・記念講演会
 神戸ルーテル聖書学院が今秋、創立50周年を迎え、記念礼拝、祝賀会、講演会が開かれた。感謝記念礼拝は、ノルウェールーテル伝道会O.ツルワン総主事を説教者に迎え行い、祝賀会では50年を振り返るスライドショー、神学生による劇などが行われた。記念講演会では、江藤直純先生が「21世紀-世界におけるルーテル神学校の使命」をテーマに語られた。
9月22~24日 第11回全国青年修養会
 今年は「創造」をテーマに3日間の日程で開催された。場所は福岡市東地区の箱崎教会、聖ペテロ教会、恵泉幼稚園。詳しくは次号掲載。
9月24日 一日神学校
 ルーテル学院大学にて2007年度一日神学校が開かれた。開会礼拝に始まり、ルーテル学院教員陣による13の講演、ラウンジコンサート、チャペルコンサートが行われた。また、小中学生を対象にした「こどもしんがっこう」も開かれた。詳しくは次号掲載。

チャリティーコンサートのお知らせ

ルターホール改修・神学生寮設置のためのチャリティーコンサート

 カナダの著名なピアニスト、シーグフリート・テッパー氏によるチャリティコンサートを開催します。
■場所:ルーテル市ヶ谷センター
■日時:10月16日/開場 午後6時30分/開演 午後7時
■入場料:2000円
■問合せ:0422(31)4611(後援会事務局)/03(3260)8632(教会募金事務局)

renovate【修復する】グループワークキャンプinウォータールー(7/24~8/7)

▼自分一人の力では何も出来ないのは当たり前で、だから他人とのコミュニケーションを大切にするんだ、だから神様がいつもそばにいてくれるんだ、という当たり前なことを学んできました。(石川実可子)/この一週間クルーの中で一番気遣ってくれたのはトムでした。たしかに最初はとても無愛想で怖かったけど、理由があったんだね。それなのに優しくしてくれてありがとうと心から思いました。日本人に対する認識が変わったことも嬉しいけど、こんな風に正直に書いてくれたことを嬉しく思いました。(上村知世)/私たちは心を込めてその子と一緒に祈り続けました。その子はとても頑張っていました。最終的にその深い悲しみは解決することはできなかったのだけど、それでもその子はとても強くなったのだと思います。皆が祈っている間、その輪の中に神様はきっといてくださったんだなと思いました。(森奈生美)/前までは、失敗を恐れて逃げる選択ばかり取っていた私だけど、それからは、なにをするにしても、少しでも勇気がいる方を選ぼうと思うようになりました。クルーのメンバーと冗談が言えたり笑ったりしていると、すごく嬉しいし、一瞬一瞬が充実していたなと思います。そして日本に帰ってからも沢山の選択が待っていてそこで終わりにするのではなく毎日の生活の中でもちゃんと考えて選択していきたいと思います。(後藤理奈)/私はこのキャンプでとてもいい経験ができ、すばらしい物を感じることができた。同時に、たくさんの人に迷惑をかけてしまったけれど、それに気づき、心から謝りたいと思った。あたりまえのことだけど、私はそう素直に思えた自分が嬉しかった。今度は、自分のことではなく、他の誰かのことで喜べるようになりたいなって思う。(斎藤葉子)/でも、お祈りをしているとき、神さまは、自分を許しなさいと言ってくれました。わたしはいつも許して愛してるんだから、自分自身を許し、好きになりなさいと。考えが180度かわり、涙があふれてきました。すごく心が軽くなって、うれしくて、うれしくて、神さまがわたしの心の中にいらっしゃることを感じました。(浦野恵理)/私たちが受け持った方の家はやはり少し古びた、とてもきれいとは言えないような家でした。この家を修復するにあたって、私には大きな目標ができました。この家と共に自分自身も修復していこうと。今回のテーマが修復だったのでみんな同じような目標を立てたのかもしれません。(狩野千尋)/火曜日の赦しでは少しショッキングなドラマを見た。そのドラマの内容は、全世界でウイルスが広まっていて、ある1人の男の子の命を捧げないと全世界の人々も助からないというもの。映像がリアルで怖かったが、でも神様もこうやって死なれたと思うとやはり考えさせられるものだった。(大柴翔)/毎日のデボーションでみんなとはなしている時に、近くで神様が見守っているような感じがして、こんな遠くに来ても神様はずっとそばにいてくれるんだなーって思いました。そして彼は、私達を平等に愛してくれていて、一人ひとりをここに選んでこさせてくれたということを知って、なんか素直に喜ばしくなりました。このグループワークキャンプは私にとって一生の宝物です!!(ラブリーリリー・シドニー)

▼参加者の声を一部抜粋しました。詳しくは今後の「JELA NEWS」に掲載予定です。

■次回グループワークキャンプは2008年7月22日~8月3日(場所:未定)。
■締め切り:1月31日
■問合せ先:JELA・森川氏(電話03・3447・1521/FAX03・3347・1523)

第4回インド・ワークキャンプ(JELA-JELC共同プログラム)

■期間:2008年2月26日~3月7日■企画:日本福音ルーテル社団(JELA)・日本福音ルーテル教会(JELC宣教室)
■募集人数:10名前後(書類選考あり)
■参加費用:150,000円(予定)■対象年齢:18歳以上
■締め切り:2007年12月2日
■問合せ・申し込み:教会事務局宣教室(担当:乙守)mail:mission04@jelc.or.jp/FAX:03-3260-1948

会議のお知らせ

■常議員会
第22回総会期第5回常議員会が左記の通り開催されますので、議案のある方は、所属教区常議員会を経て、ご提出ください。

【日時】11月7日(水)~9日(金)
【会場】ルーテル市ヶ谷センター
以上
2007年10月1日
常議員会
会長 山之内正俊
書記 徳弘 浩隆

訃報

■内海革 引退牧師9月8日(土)午前2時1分頃、召天されました(享年74) 。
■俵松枝 様(俵貢引退牧師夫人・召天)9月10日(月)午前、召天されました(享年100) 。
 謹んで哀悼の意を表しお知らせいたします。

教会手帳住所録訂正

■田島靖則先生(雪ヶ谷教会)
 先生の氏名の隣に記載されている住所、電話番号を削除してください。訂正し、お詫びいたします。

電話番号変更

■川口誠先生(引退教師)
053-577-5815 ※電話・FAX共用

07-09-15るうてる《福音版》2007年9月号

機関紙PDF

バイブルメッセージ  行きはよいよい、帰りはこわい

あなたの出で立つのも帰るのも主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。
詩編121編8節(日本聖書協会・新共同訳)

 「行きはよいよい 帰りはこわい……」。童謡『とおりゃんせ』の歌詞の一節です。若い人たちに受け継がれ、歌われているでしょうか。
 小さい頃、暗くなるまで「外遊び」に夢中でした。玄関先の路地で、舗装のされていない地面に「ろう石」で線を引いて、ケンケンパーや陣取り合戦をしたものです。もちろん、かくれんぼや、月光仮面ごっこ、そして「くぐり遊び」もしました。
 「くぐり遊び」をする時に、『とおりゃんせ』を歌うのです。二人が向かい合ってアーチを作り、その下を一列縦隊になって、歌いながら通り抜けていきます。歌が終わった時、アーチの手が降ろされ、その中に閉じ込められた子が鬼になるのです。
 子どもながらに、この歌に不気味なものを感じていました。「行きはよいよい、帰りはこわい、一体何のことだろう」と。さらに、そこは「天神様の細道」です。「神社の参道がどうして、そうなるの?」と思ってしまうのです。今も昔も、キリスト教会や、宗教全般に対して、同様の警戒心を抱いている人は少なくないということなのでしょうか……。
 「とおりゃんせ、とおりゃんせ」と言っておきながら、「ちょっと通してくだしゃんせ」とお願いすると、「ご用の無い者、とおしゃせぬ」でしょ。これも解せません。
 「お札を納めに参ります」。お札を見せながら、頭を下げ下げ通って行くのでしょうか。お札を納めることができたなら、とにかく、めでたしめでたし、目的達成。「行きはよいよい」です。ところが、お札を納めてしまった今、空手になり、なぜ、ここに来たのか証明するものがなくなってしまいました。それで、「帰りはこわい」ということなのでしょうか。真相はわかりません。
 先日、逆の体験をしました。デンマークのコペンハーゲンに一泊し、その翌日、午前中のみ自由時間でした。宿泊するホテルからほど遠くないところに、キルケゴールのお墓があることを知りました。地図を頼りに、街路の名を確かめながら、墓地を目指してひたすら歩きました。「まだかなぁ」、「間違ってないかなぁ」、「遠いなぁ」と、不安を道連れに。
 やっと墓地に辿り着き、彼の墓を発見。近くにアンデルセンの墓もありました。彼らが生き、思索し、創作したのはこの街だったのだとの感慨を新たに、同じ道を戻りました。帰り道、目に映る景色はまるで違っていて、「行きはこわい 帰りはよいよい」でした。
 旅にたとえられる人生。いくつもの難関、関所があります。しかし、主なる神様が、あなたの出で立つのも帰るのも見守っていてくださいます。「安心して行きなさい」。イエス様のお言葉です。
M.T

大人を育てる絵本からのメッセージ

としょかんライオン
ミシェル・ヌードセン・作、ケビン・ホークス・絵 福本 友美子・訳/岩崎書店

 絵本というと小さなこどものための本というイメージがありますが、大人にとっても生きるヒントになる本がたくさんあります。ここでは子育てという視点でお話をしていますが、あらゆる人間関係においてもお役立ていただけることと思います。

生きていくためのルール

 わたしたちは、毎日いろんなルールを守りながら生きています。「食べる前には手を洗う」「ろうかを走らない」など、家庭や学校でのルールから、市や国のルールなど様々なものがあります。そのルールは、何のためにあるのでしょう? 例えば「食べる前には手を洗う」というルールは、ばい菌の付いた手で食事をすると、ばい菌が身体に入って病気になりやすいからです。「ろうかを走らない」は、みんなが思い思いに走っていては、ぶつかって怪我をするからです。ルールのほとんどは、人と人が共に生きていくためにお互いを思いやり、生きやすくするためのものです。でも、その本質を見失ってしまったら、「人のための」ルールのはずが「ルールのために」人が振り回されてしまいます。

ルールよりも大切なもの 

 この本に出てくる図書館にもルールがありました。「(図書館の中では)静かにする」というルールが。そんな図書館に、ある日ライオンがやってきました。「ライオンが図書館に来てはいけない」というルールはないので、館長はライオンが図書館に来ることを認めました。子どもたちにまじってお話会に夢中になるお行儀の良いライオンは、そのうち、ふさふさのしっぽで本棚のほこりを払ったりして図書館の仕事も手伝うようになり、たちまち人気者になりました。ところがある日、ライオンはルールを破り、図書館の中で吼えてしまいました。日ごろからライオンの存在をおもしろくないと思っていたマクビーさんは、今がチャンスとばかりにライオンを責め、ルールの破ったからには、もう図書館に来てはいけないと言い放ちます。ライオンがルールを破ったのは、怪我をした館長を助けるためでした。ライオンにとって、ルールを守ることよりも館長を助けることが大切だったのです。

大切なことは何でしょう?

 イエスさまの時代にも律法というルールがありました。イエスさまは、律法を大切にしなかったわけではありません。律法を守ることも大切だけど、時には、それよりももっと大切なことがあることを教えてくれているのです。「安息日には何もしてはいけない」というルールがあるのに、イエスさまは苦しんでいる人々を癒しました。苦しんでいる人を「苦しんでいる今、助けること」が大切だったからです。みなさんもお子さんと、いろんなルールを作って生活をしていると思います。そのルールを子どもたちが守れないこともあるでしょう。そんな時は、頭ごなしに叱るのではなく、子どもなりに大切にしようとしていたことをまずはきちんと聞いてあげたいものです。子どもには、子どもなりの理由があります。それを見過ごさないで、気づいてあげられたらと思います。絵本の最後が、またステキです。「たまには、ちゃんとした訳があって、きまりを守れないことだってあるんです」。

HeQi Art 聖書物語

Spies Return from Cannan by He Qi, www.heqiarts.com

偵察隊、カナンから戻る

あなたたちはそろってわたしのもとに来て、「まず人を派遣し、その土地を探らせ、我々がどの道を上り、どの町に行くべきか報告させましょう」と言った。それは名案だと思われたので、わたしは各部族から一人ずつ、合わせて十二人を選び出した。 彼らは出発し、山地に上り、エシュコルの谷に着きそこを偵察し、その土地の果実を取って持ち帰り、「我々の神、主が与えてくださる土地は良い土地です」と報告した。
申命記 1章22~25節

たろこまま「いのちを語る」

一粒の麦死なずば。(ヨハネによる福音書12章24節)
 本日冒頭の句はお若い方も(昔お若かった方も)一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。普段は聞き慣れない文語体が逆にしっくりくる、そんな一文ですね。
ここは北海道、この季節になると麦畑に限らず、様々な実りの絨毯をつぶさに見ることが出来ます。もし土地柄からピンとこない方は夏に咲き誇ったあのひまわりを想像してみてください。あの種子を一粒二粒地面に植えると、また翌年力強く生え、一面に広がり、たわわな実を実らせるのですが──老いるにつれ私はそれが不思議に感じています。
私たちは今年の春、縁あって入会した「重症心身障害児(者)を守る会」で、それをしみじみ思いました。そこは小太郎のような知的にも身体的にも最重度の障害がある子の親たちが様々な活動を広げる場なのですが──諸先輩の辿られた今までの道のりに、この一粒の麦のたとえ話がだぶってくるのです。今でこそ数多の福祉施設がありますが、私が生まれた頃なぞ小太郎が通える養護学校すら皆無だったのだそうです(義務教育の小学校入学拒否なぞ今では想像つきませんが)。それを現会長を始め、有志の親御さんたちが子育てしつつ活動を広げ、現在の全国区の会まで成長させ──そこに見え隠れする物静かな熱意の後ろ姿に思いを馳せるうち、この私も思わず涙してしまいました。
1年サイクルで「麦」が「死ぬ」ような急激な変容ではないですが、一生の間「我が子」だけでなく「他者」へも進んで自分の持つものを分かち合い続けることに、踏まれても踏まれても真っすぐ伸びる麦がダブるのです。次は彼らが実らせてくれた多くの実を絶やすことなく、地道に育んでいけるよう精進しようと思うばかりです──今私たちが歩める道があることに感謝しつつ。

07-09-15るうてる2007年9月号

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第9回ルーテルこどもキャンプ

いのち☆きらきら☆バングラデシュ―み~んな神さまの子どもー

8月7日~9日、今年も全国から37名の5、6年生が集まってきました。会場はルーテル学院大学。江藤直純先生(チャプレン)より「わたしの目にあなたは価高く、貴い」のみことばによりスタートです。その後、スクリーンに映し出された、絵本「葉っぱのフレディ」~いのちの旅~を読んで恒例のアイスメルティング。食事の後には「クイズでバングラ」。バングラデシュ人扮する3人の牧師先生がバングラの事を最もらしく話し、本当の事を言った人の前にグループで移動するのですが、これが大変な盛り上がりでみんなお腹をかかえて思いっきり笑いました。
 2日目の朝、「共に生きる」の活動を通して、大森はつ子さんと原尤子さんからバングラの話やチャーの学校の事を聞き、続いてバングラの文化やスラムで出会った赤ちゃんの話を元日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)バングラデシュ派遣ワーカーで助産師でもある柴田恵子さんより聞きました。次は、近くの公園でポイントハイク。グループごとに各ポイントで学校体験して民族衣装で記念写真。お弁当もベンガル語で買い物をして食べました。夜には「心寄せようバングラ」と題し、柴田さんよりスライドを通してお話を聞き静かな黙想と祈りの時間を過ごしました。
 3日目、1人ずつ心の祈りを発表し神さまに捧げ「アーメンハレルヤ」を歌い、祈りをこめた「いのちの種」の風船が空高く舞い上がりました。風船を見つめる子ども達のきらきらと輝く瞳。詳しくは思い出集をご期待ください。

愛するおともだちへ

元JOCSバングラデシュ派遣ワーカー 柴田恵子さん
 8月に開催された第9回ルーテルこどもキャンプでは上記報告の通り、「バングラデシュ」に焦点を当てて、様々なことを学びました。参加した子どもたちは一つひとつに感動し、お互いに大切にされているいのちに出会いました。キャンプ終了後、お話を担当してくださった柴田恵子さんより、子どもたちへ手紙が寄せられました。これは参加した子どもたちだけでなく、全国の子どもたちへ、そしてあなたへの手紙です。

 私はバングラデシュというとても暑く洪水の多い国で、貧しいけれど一生懸命「生きる」お友だちにたくさん出会いました。「衣食住」着るもの、食べるもの、住むところが限られた中で笑顔を忘れず生きる人々に感動し、その中にいつもイエスさまが共にいて下さったことを感じる毎日でした。苦しい生活の中で共に笑い、共に泣いて下さる神さまの存在は私が暑さの中で耐えられないと思う時、何度も私を支え、働く力を与えて下さいました。スラムを歩くなかで私が何かをしてあげたのではなく、貧しさの中で生きる人々が私に、優しく声をかけ、思いやりをもって、いつでもあたたかく接してくれました。人間として助けあって生きることのすばらしさ、愛することを彼らは私に教えてくれたのです。
 第9回ルーテルこどもキャンプでみなさんに出会い、バングラデシュで私が学んだことを分かち合うことができたこと、そして何よりバングラデシュで出会った大切なお友だちを紹介できたことは私にとって本当にうれしいことでした。ありがとう。
 さあ、これからは笑顔がとってもすてきで、キラキラしたバングラデシュのお友だちのことを学校のお友だちやお父さん、お母さんにあなたが伝えてほしいと思います。
 周りからかわいそうな国と言われているバングラデシュ。あんなにキラキラしたいのちがたくさん暮らしていることを……ぜひ伝えてください。
 今日からみなさんは「平和の使者」です。なぜなら相手の国のことを知れば知るほど、相手をいたわり愛することができるからです。
 キャンプに参加して下さったみなさんありがとう、さようなら。また会う日まで。
(紙面の都合上、編集者によって一部割愛。全文はキャンプ報告書をお待ちください)

アメリカワークキャンプ速報

 7月24日~8月7日にかけて、ワークキャンプに9名のティーンズと4名の引率、あわせて13名が参加しました。参加者の声をはじめ報告は次号に掲載予定です。どうぞ、お楽しみに!

『愛は動詞です』

 この夏の新しい大発見をお知らせします。「ペンギンは空を飛ぶ」というものです。
北海道にある旭山動物園のペンギン館が大好きです。ペンギンが空(海)を飛ぶからです。ウソではありません。そこでは水槽の下からペンギンが泳いでいるのを見学できます。下からみたペンギンは、ホントに空(海)を飛んでいるのです。ペンギンは鳥だった。違う角度で見ることで、新しい発見? ができた瞬間でした。
違う角度からみることで、本来の姿を発見することがあります。もしかすると私たちはある一部分だけをみて全体を判断していることが多いかもしれません。神様が造られたものはそんなに単純なものではなく、違う角度からみればいつも大発見できるもので満ちています。
「愛」はどうでしょうか。「愛」は名詞のままでは「愛」だけです。でも、「愛」は動詞です。「愛する」という角度で受け取ることができれば、本来の神様の御心にかなうような意味になると思った夏でした。
(柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

あなたは美しい 雅歌1章15節
西教区 天王寺教会・豊中教会 牧師 永吉 秀人
 5年ほど前、ドイツのブラウンシュヴァイク州にあるアルコール依存症の人々のための病院を訪問する機会を得ました。院長が大きな窓から見える素晴らしい景色を眺めながら、「飲まないということは美しい」と語られたことに、私は衝撃をもって聴き入り、深く心に留めることとなりました。私が感銘を受けたのは、飲む飲まないを越えて、人の存在に対する眼差しの温かさ、やわらかさでありました。
 私自身の信仰的人間理解は、特に自分自身に対する見苦しさ、醜さに拠る所が大きく、自分自身を受け入れることに多くの時間を費やして来たものです。このような者として語る務めを預かっておりましたから、かつては聞く方々にとって私による説教は重く、渋いものではなかったかと思い返されます。
 2年前、神学校の講壇奉仕で臨床心理学科の白井幸子先生が天王寺教会での説教をお引き受けくださいました。牧師は語ることの多い務めですから、他者の話をお聞きする機会は大変貴重なもので、楽しみにしつつお迎え致しました。白井先生は、イザヤ書66章2節の御言葉によって、「踏み出せない人間関係」と題して、私も含めた会衆に語りかけてくださいました。先生がお話の中で「あなたは美しい」と語りかけてくださったとき、私の目から思いがけず涙が流れました。私の魂から涙が溢れたのだと思います。私という見苦しい存在であっても、神様からそのように語りかけられたいと欲していたのだと知りました。語りかけに対して、素直にうれしいと感じました。
 以後、私は人との関わりで美しいという表現を心掛けています。天王寺教会には幼稚園が併設されておりますが、今では園児たちが「今度は何が美しいのん?」と声をかけてくれます。春には桜の花びらや琥珀色の樹液の玉、夏には園庭の砂に混じった桜貝、秋には紅葉、冬には薄氷などを持ってきてくれます。その子どもたちに、「君たちが美しい」と応えることが私の喜びです。

信徒の声 教会の宝石を捜して

西教区 広島教会 信徒  山中 真澄

「目が見えないことは不便だけど、神さまが決めたことだから感謝しています」と、いつも明るい真澄姉。彼女の存在が広島教会に新しい風をもたらしました。さて、きっかけから。

 初めて来たのは7年前です。長女が通うルーテル保育所からクリスマス案内がきて、わりとすんなり行きました。でも教会の礼拝に参加するようになったのは、ある人との再会からです。
導いた方がおられるのですね。

 というか、広島県立盲学校(現特別支援学校)の頃、憧れの先輩がいました。その人と20年ぶりに再会しました。そこでいきなり「教会に行きなさい」と言われて。じゃあ、ルーテル教会に行こうかなと。

それで教会はどんな感じですか? 

一般社会にはない、「いごごちのよさ」がありました。社会は私たちにとって難しくさみしいことが多いです。点字ブロックの上にいきなり自転車があったり、迷っていても声をかけてくれなかったり。また孤独です。でも、教会では自然体でいられる。楽でいられます。自分の思っていることをはっきり言うことができます。それを受け止めてくれるイエス様に働かされている人たちに出会えますね。

2人のお子さんたちにユニークな信仰継承をしているとか?

はい。昨年に教会隣のマンションに引越しました。歩いて10秒です。教会の隣にいれば何かあったときに安心です。思春期に遠ざかっても、教会の前を絶対通りますし、信徒の方々が祈って声をかけてくれますので。教会の隣にいるということでの継承ですね。私が歳とって寝たきりになっても大丈夫ですから。だって、大雪の日でも、大雨、台風でも教会があれば安心だし、礼拝に参加できるんですよ。みなさんも教会の隣っていいですよ。

最後に今の教会に「はっきり」言うことはありますか?

 私たちは教会の中にいたれりつくせりの物がほしいわけではありません。人が必要です。点字週報があれば便利ですが、教会の子どもたちが読んでくれます。このような人と関わりたいです。信徒と信徒が相互に牧会できる教会であってほしいです。

東洋と西洋の対話

第6回 私達は困窮している人々を覚え捧げます。(奉献)

「あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。」 (コリントの信徒への手紙 ニ 9章10節b)
平岡(以下「平」):私達は困窮する世界の中で、私達の援助を必要とする人々を覚え献金をします。そして、創り主が私達にお与え下さった大地の実りである食物を聖卓に用意します。
Lathrop(以下「L」):その初めから、キリスト者は貧しい人々の重荷を少しでも和らげるため、日曜日に献金をしていました。パウロはコリント一16章2節でこの献金について語り、また貧困でもあるにも関わらず他者に与える慈善の業故に、マケドニアの貧しいキリスト者達を褒め称えています。(コリント二8章2節) 更に、2世紀のキリスト教文献(ユスティノス他)は、このような献金が実践され続けていたことを明らかにします。
平:寄進は慈善さえも自己顕示の道になり得ると私達を誘惑します。しかし、捧げものは私達を通して、あらゆる恵みで満ちあふれさせてくださるお方への感謝の念を引き出します。
L:私達は主の晩餐の準備としての食物と献金を集めます。食物―パンとぶどう酒―は、私達を信仰において養い力づけるため神によってここで用いられます。そして、これら奉げもの―献金と食物もまた―は、教会の宣教と奉仕のために用いられるのです。
平:神の恵みは今、美しい国に生きる人々のためだけではなく、美しい地球の全ての命を守るため、私達を連帯させ、私達の慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。
L:私達は困窮する世界の全ての人々を覚え、祈ります。そして今、私達の祈りに従い贈り物を集めます。私達は世界の飢餓問題が私達によって解決されるとは思いません。しかし、地球が神のものであり、その資源と食物は共有されるべきである―食物、そしてキリストの福音に誰も飢えてはならない―という証言へのしるしを作ることができると考えるのです。

信仰の学び、養いを生涯続ける

第6回 日常生活のただ中で

 牧師が他の教会に移るとき、また、引退するとき、教会が感謝の気持を込めて「説教集」を出版することがあります。
 この3月に引退された北尾一郎牧師と大岡山教会の場合は少し違ってユニークでした。「信徒奉仕者の養成と訓練」という課題のために、10年間にわたって続けられて、10シリーズを重ねた「大岡山教会講座」の中から教理問答のシリーズと、「日本のルーテル教会の歩み」と、「牧師についてのQ&A」が『LAOS講座』のサイズで、75頁にまとめられて、『この恵みのゆえに』として出版されたのです。ルターの小教理問答を中心に、教会員みなが一時期、新しい角度で信仰の「ナビゲーター」としての主要条項に取り組んだのも素晴らしいことですが、私は今回は特に「牧師についてのQ&A」に注目しています。
 「牧師の仕事ってなんだろう」と思っていても、なかなか質問できないという向きがあるかも知れませんが、牧師についてのそうした尋ねにくい質問を重ねて、牧師の祈り、職務、仕事場、時間、リーダーシップ、住居、研修などが問答形式で実にきちんと問答されているのです。読む者は牧師であること、信徒であることの意味、課題、幸いに導かれて、心温められながら、厳粛な気持に導かれます。ぜひ一読をお薦めします。
 「信仰の学び、養いを生涯続ける」中で中心を占めるのは信仰の主要条項についての学びであり、問答なのですが、それを包んで信仰生活、日常生活の中で出てくるいろいろな問題を取り上げて話し合うということも大切だと思います。『小教理問答』自体、問答形式になっているものの、先生の問いと生徒の答え、答えるために生徒は丸暗記という教材のように考えられる向きもありますが、それを書いたときのルターの生活状況からしても、ルターは『小教理問答』を、子どもの質問と親の答えとして書いただろうと私は考えていて、そうした訳を試みてもいます(宗教改革著作集第14巻、教文館)。子どもと親の問答ですから、毎日の生活のただ中から生まれてくるもので、この問答の中に信仰問答も生きてくるというわけです。
 信仰をもって生きている以上、信仰にかかわりのない日常生活はないと思いますから、そこに生じてくる問題、生まれてくる疑問などを問い掛け、答えを得ていくことも、信仰の学びの重要な一環でしょう。

神学生寮の思い出

西教区長 広島・松江・高松教会 立野 泰博
高校を卒業し、ダンボール2個と布団袋を持ってルター寮に入寮したのはもう20年以上も前のことになります。それから8年間をお世話になりました。寮生活の思い出はたくさんありすぎて、何を書けばいいのか迷ってしまいます。喜びと苦悩の毎日でした。
ルター寮の長い歴史の中で、3回も寮長をやったのは私だけかもしれません。その頃は2つの大きな問題がありました。女子寮問題と外注清掃問題でした。ルター寮といえば男子寮ということで、女子は教職員住宅の一部が暫定寮でした。ルター寮の4階に女子寮をつくるということが10年以上も協議されていたのです。女子寮問題はその頃、ルター寮にとって一喜一憂の大問題だったのです。
また外注清掃問題は自治寮として危機でした。あまりにも汚い寮を見かねて清掃を業者に頼むということが教授会で決定されたのでした。それに対し、自分たちが住む所を清掃できない者が、教会や福祉の現場で働けるわけがないと執行部で真剣に考えました。そして生まれたのが週掃除と月1回の大掃除でした。小学生みたいですが、これを決定するのにも大変な苦労があったのです。みるみる綺麗になる寮に驚いたのは自分たちでした。
神学生の寮生活は、個性と個性のぶつかりそのものでした。神学書を読んでいる学生もいれば、漫画を読んでいる者。私は小説、エッセイ、歴史文学と徹夜で好きなものを読んでいました。そのなかで議論をしたり、わかりあったり。食事時間を削っても集まっていたものでした。牧師になることの不安や疑問。教会奉仕への反発や、召命感を互いに確かめ合ったりと忙しい毎日だったように思います。
今も、あの寮生活に戻りたいなと、ふと思うことがあります。楽しかったなあ。

■募金活動にご協力下さい■
 従来の寮棟を『ルターホール』と名称を変え大改修します。この事業にご理解いただき、ぜひとも募金にご賛同、ご協力お願いいたします。
募集期間 2007年4月~2009年3月
送金先 学校法人 ルーテル学院
取扱機関 郵便振替口座00140-2171183(所定の郵便振替用紙をご利用下さい)
銀行口座 三菱東京UFJ銀行三鷹支店普通口座 4126089
名 義 学校法人 ルーテル学院
【お問い合せ】
ルーテル学院大学・神学校後援会(0422-31-4611)
教会事務局(03-3260-8631)

クリスチャンのライフカレンダー

~信仰で譲らず、愛で譲る~

 町内会でのお葬式、困ったわね。信仰とご近所づきあい、私も悩んだことがあるわ。神社の寄付の回覧板が来るたびに神様を裏切っているような気がして…。
 うちの母はね、クリスチャンだから仏式のお葬式は絶対に行かない、そんな人だったの。ずいぶん父と喧嘩してたわ。ご近所とも難しくって。
 私はね、牧師先生に恐る恐る相談したら、「信仰で譲らず、愛で譲る」っていう言葉をもらったの。とっても納得できて、心が軽くなったわ。手を合わせても、亡くなった方を拝むんじゃなくて、「神さま、どうぞこの魂を天国にお迎えください」って心の中で祈るの。聞かれたら隠さないで、「私はクリスチャンだけど、亡くなった方の宗教や気持を尊重してますから」って説明もしてね。
 そしたら、とっても喜んでもらえて、「キリスト教じゃこういう時どうするの?」って色々聞かれて、かえって仲良くなれたの。そういうのもいいんじゃないかしら。
 あなたのこと、祈ってるわ。

LAOS講座の学び

八王子教会 難波靖雄
八王子教会におけるLAOS講座の学びは、一昨年9月にスタートしている。その後、不定期に何度か学びの時を持ったが、今年からは毎月第4日曜日の午後、「ミニ修養会」の形で、LAOS講座を学んでいる。最初は5月27日のペンテコステ。その日にふさわしく、第5号第1章「初代教会」を取り上げた。以後、第5号を順に一章ずつ6月、7月と学んで来ている。レポーターは決まっていないが、信徒が交替で担当している。
LAOS講座のテキストでは、ルーテルの教会員として当然知っておかねばならない基本的な事柄が取り上げられていると思う。新たに学ぶことも多々あるが、嘗て学んだけれども忘れていたことを思い出したり、間違った理解を正されることもある。時には、読んでいて疑問に思うこともあるが、それはそれで批判的に読んで、機会があれば著者である先生方に質問すれば良いのだと思う。
いずれにせよ、信徒の教育が十分とは言えないルーテルにあって、LAOS講座は、色んな意味で格好の教材だと言えるのではないか。

第4回目るうてる法人会人材養成研修会

 2007年8月9日(木)・10日(金)の両日、ルーテル学院大学において、第4回目るうてる法人会人材養成研修会の研修が開催され、全国各地のルーテル関係社会福祉・幼稚園・保育園から38名が集まってこられた。
 本年のテーマは、「人間関係の形成と成長」である。子どもを抱けない親、老いを受け止められない自分、利用者との関係を築けない従事者等々、社会の基盤である人間関係が不安定になり、さまざまな社会問題を引き起こしている。だからこそ、この現実に真正面から挑んでいくことが必要であり、るうてる法人会の使命がそこにある。
 総会議長山之内正俊牧師の開会礼拝に始まり、精神科医町沢静夫氏の講演、本大学の福山和女教授によるワークショップ、情報交換会、経営コンサルタント浅川哲一氏によるマネジメント研修と続いた研修に、参加者は心を開き、互いの働きを認め合いつつ、解決の手だてを真剣に探った。今までの研修同様、今年も参加者の満足度が高いことがアンケートから示された。
 委員は、野村陽一(牧師、教会代表)、内田栄二(施設長、社会福祉協会代表)、尾田明子(幼保連合代表)と市川一宏(学校法人)であり、市川が委員長を務めた。

憲法9条公開学習会

7月29日、東京教会にて日本福音ルーテル教会信仰と職制委員会と、東教区信仰告白に関する委員会の共催で憲法9条公開学習会を開催した。
 講師として弁護士の石原修氏(市ヶ谷教会)を迎え、憲法条文を取り上げ様々な解釈があることが紹介された。
 石原氏は「日本国憲法の改正手続きに関する法律が成立し、マスコミ等でもこれまで以上に憲法改正が話題になっていくと思います。日本国憲法の基本理念である平和主義、戦争放棄について、自分で考えてみることが大事だと思います」と語った。

教会讃美歌演奏機 めぐみ 完成

教会讃美歌全曲、前奏や後奏曲、式文等の礼拝に関する音楽データを収めた演奏機が完成しました。
キャンペーン価格(~9月30日まで)
70,000円(税込) *通常価格78,000円
予約お申込は
㈱マウビック
〒435-0056 静岡県浜松市東区小池町408
TEL 053-433-1238、Fax053-433-4030 URL http://www.moubic.com

TNG手帳

2008年版TNG手帳の準備が進められています。今回のデザイン担当は、石川実可子さん(名古屋めぐみ教会)です。
 10月中にはお届けできる予定です。プレゼントにもどうぞ。

るうてるINFORMATION

【9/22~24】第11回 全国青年修養会

■テーマ:創造
■場所:福岡市東区(箱崎教会、聖ペテロ教会、恵泉幼稚園)
■主催:全国青年連絡会
■後援:宣教室TNG-YOUTH、日本福音ルーテル教会女性会連盟
■参加費:10,000円
【10/16】ルターホール改修・神学生寮設置のためのチャリティーコンサート
 カナダの著名なピアニスト、シーグフリート・テッパー氏によるチャリティコンサートを開催します。
■場所:ルーテル市ヶ谷センター
■時間:開演 午後6時30分/開演 午後7時
■入場料:2,000円
■問合せ:0422(31)4611(後援会事務局)
03(3260)8632(教会募金事務局)

【10/17~26】第1回 カンボジア ワークキャンプ

(JELA-JELC共同プログラム)
 テーマは「笑顔を作る、未来を築く~神の働きに参与する~」。LWFが建設してる小学校でのワーク(ペンキ塗りなど)や小学校訪問(子どもたちとの交流)、医療現場見学、アンコールワット見学などを予定しています。
■主催:世界宣教委員会、日本福音ルーテル社団(JELA)
■企画:宣教室 TNG委員会
■募集人数:10名程度/参加費用:200,000円(予定)
■対象年齢:18歳以上/締め切り:2007年9月2日
■問合せ・申し込み:教会事務局宣教室(担当:乙守)
mail:mission04@jelc.or.jp/FAX:03-3260-1948

【11/12~22】パレスチナ平和交流ツアー

■目的:ベツレヘム・クリスマス・ルーテル教会との平和交流プログラム
■企画:JELC宣教室・世界宣教委員会
■募集人数:15名程度/参加費用:298,000円(予定)/締め切り:2007年9月2日
■問合せ・申し込み:教会事務局宣教室(担当:乙守)
mail:mission04@jelc.or.jp/FAX:03-3260-1948

【2008年 2/26~3/7】第4回インド・ワークキャンプ(JELA-JELC共同プログラム)

■企画:日本福音ルーテル社団(JELA)・日本福音ルーテル教会(JELC)
■募集人数:10名前後(書類選考あり)/参加費用:150,000円(予定)/対象年齢:18歳以上
■締め切り:2007年12月2日
■問合せ・申し込み:教会事務局宣教室(担当:乙守)
mail:mission04@jelc.or.jp/FAX:03-3260-1948

■TNG委員会では、JELA/JELC共同プログラム(インド、アメリカワークキャンプ等)の担当教職 を募集しています。参加者と同行し、霊的なサポートに心を傾けてみませんか? 
 TNG委員長・佐藤(千葉教会)まで。 kz-sato@jelc.or.jp 

◆◆◆最新版教会手帳住所録ができました◆◆◆

2007年7月1日現在の最新版住所録です。お求めになったルートで新しいものを受け取ってください。個別に教会手帳を購入された方は東京聖文舎へ、お問い合わせください。

【皆様の声を聞かせてください】

 教会手帳編集委員会では2008年度教会手帳の準備を始めています。日頃お使いになられている皆様のご意見をお寄せください。
①教会手帳の気に入っている点
②使いにくい点
③その他ご意見
をご記入の上、メイルにてお送りください。
 メイルアドレスは【techo@jelc.or.jp】です。
 ご意見は随時受け付けておりますが、次年度分の締め切りは【9月10日】とさせていただきます。
 お寄せいただきましたご意見は、編集委員会において総合的に検討させていただきます。
 よろしくお願いいたします。

訃報

内村 要二様(中村朝美牧師のご尊父様)7月30日(月)召天されました(享年91) 。
 謹んで哀悼の意を表しお知らせいたします。
 前夜式は7月30日告別式は7月31日に執り行われました。喪主は内村純一様(朝美牧師のお兄様)。
 なお、ご遺族のご意思により、訃報の連絡は告別式終了後にすることとなっておりました。ご了承ください。

過去の「るうてる」を探しています

◆欠番しているもの
1904年~05年
1906年 1月~7月
1908年 7月
1910年 6月、12月
1911年 10月
1912年 10月、12月
1913年 5月、8月、12月
1914年 2月、6月、12月
1915年 1月、4月、6月、8月
9月、10月、11月
1916年 1月~10月
1923年 1月、12月
1924年 5月、6月、10月
1926年 7月
1934年 4月~12月
1935年~36年
1937年 1月~8月、9月
1947年 1月、2月、4月、5月、
7月~12月
1948年 1月~3月
1950年 12月
1960年 6月~10月
1961年 3月~6月、8月
10月~11月
1962年 3月~5月
1967年 10月~11月
1970年 9月
1971年 1月、8月、9月
1972年 2月
1974年 4月2号
*1974年~1975年4月まで月2回発行)

 以上の「るうてる」をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひ広報室にお貸しください。よろしくお願いいたします。

【お問合せ】は広報室、南雲(なぐも)まで。
FAX:03-3260-1948
E-mail:koho04@jelc.or.jp

07-08-15るうてる《福音版》2007年8月号

機関紙PDF

バイブルメッセージ  ありのままに

神は御自身にかたどって人を創造された。 創世記1章27節a(日本聖書協会・新共同訳)

「あれ、あの木は桜だったんだ。」
花を見て初めて、それが何の木であるかを自覚する。
でも、花を咲かせる季節を木が選ぶわけではない。
葉をつける季節も努力して選ぶわけでもない。
なんとなく見ていた木も、ずーっと目を凝らして見ていた木も
なんで今、花を咲かすのか?
なんで今、新緑に輝くのか?
なんで今、赤や黄色に色づくのか?
なんで今、枝をのばしているのか? なんで……
温度が変化するから? それとも周りの木々が変化を始めるから、慌てて周りに合わせているの?
――違うよ。
木は与えられる「時」を待っている。自分が木であることを不満に思ったり、否定したりしない。
そんな木々や自然の草は私たちに教えてくれる。
自分に立ち止まることを。
ゆっくり深呼吸して与えられている「今」を感じることを。
季節を、そして与えられる「時」を。
――私たち一人ひとりには「時」が与えられている。
新しい目覚めの時、人と出会う時、季節や自然に出会う時
すべての一瞬一瞬は与えられている。
その中を生かされるということは、きっとすごいんだなぁって思うんだけど
生かされている今を生きるにはちょっぴり勇気がいる。
それは、時を待つこと。
自分は一人ではどうしようもないこともあると認めること。
立ち止まること。
「ありがとう」を伝えること。
一つひとつにちょっぴり勇気が必要。
 
――でもね、それでいいんだよ。
だって一人ひとりは違うんだもん。自分のペースでいいじゃん。
木々や草がそうであるように。私もあなたも神様の作品。
誰よりも完全な方の保証付き。
――周りに合わせることもないし、何かにがんじがらめになって頑張ることもない。
木が「時」を待つように。
与えられている今を精一杯生かされるように。
あなたはあなたらしく、生かされればいい。
――それは、どうすればいいの?
それは私たちに今を与えてくださる方に相談してみようよ。
あなたの傍らにいつも共にいらっしゃる方に。
ちょっぴり勇気を出して。

あなたらしく生かされて生きるとき、きっとあなた色の花が輝くでしょう。

大人を育てる絵本からのメッセージ

おれはティラノサウルスだ  宮西 達也(作絵)/ポプラ社

 絵本というと小さなこどものための本というイメージがありますが、大人にとっても生きるヒントになる本がたくさんあります。ここでは子育てという視点でお話をしていますが、あらゆる人間関係においてもお役に立てていただければ幸いです。

子育てのゴール

 子育てのゴールって何でしょう? どうなれば子育ては完了と呼べるのでしょう? その答えは人それぞれ違うのでしょうけれど、「独りで生きていく力を身につけること」がひとつの目安ではないかと、わたしは思います。人の命の長さは、神様にしかわかりません。
 しかし、親が自分の子どもの面倒を一生みてあげられない可能性は高いと考えると、それまでに子どもが独りで生きていく力を身に付けさせてあげたいと思いませんか。

子離れするということ 

 この絵本の中で、プテラノドンのおとうさんとおかあさんは愛情いっぱいに大切に子どもを育てます。言葉と態度と行動で、生きるために大切なことを教えるのです。おとうさんは、「強い子になってほしい」と願い、たくさんごはんをあげ、飛び方を教えました。おかあさんは、「やさしい子になってほしい」と願い、「どんな人でも、困っていたら助けてあげるのよ」と教え、雨の日も子どもを翼で守りながら、やさしくだっこして寝かせました。いつしか子どもはおとうさんと同じくらいに成長しました。生きるために必要なことをすっかり教えた両親は、独り立ちさせるために大きくなった子どもを残し、あとは、自分自身の力でがんばるのだよと涙ながらに飛び去るのです。
 親離れよりも子離れは難しいというのは、よく言われていることですが、胸がキュンとするシーンです。

育てたように子は育つ

 まだうまく飛ぶこともできないプテラノドンの子は、淋しくて泣きつかれて眠ってしまいます。そこに、おいしい獲物を狙ってティラノサウルスが迫ってくるのですが、もう少しで獲物に手が届くというところで崖から落ちてしまい、気を失い、目も見えなくなってしまいます。逃げようとしたプテラノドンの子は、「どんな人でも、困っていたら助けてあげるのよ」というおかあさんの言葉を思い出します。プテラノドンの子は、おかあさんが自分にしてくれたように雨からティラノサウルスを守り、おとうさんが自分にしてくれたように食べ物を運んで看病をします。そして、おとうさんが教えてくれたことを思い出し、最後にはついに自分の力で夜空に向かって飛び立ちます。
 両親が大切にしてきたことを胸に自分自身の力で生き始めるのです。

どんな人になってほしいですか?

 大人がうまくいかないことを人のせいにばかりしていると、それを見て育った子どももすぐに人のせいにする子になりますし、失敗を責められて育った子は、失敗を恐れる子になります。思いやりをもってゆっくりゆっくり育てていけば、子どもはやさしい子になります。ひとりでやりとげることを見守ってあげれば、自信と自主性をもった子になります。
あなたが大切にしたいことは何ですか? あなたが大切にしたいことを日々伝えながら、あとは大らかに神様に委ねましょう。育ててくださるのは神様ですから。

HeQi Art 聖書物語

ヤコブの夢

 ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。
創世記 28章10~12節

たろこまま「いのちを語る」

あなたの未来には希望がある(エレミア31章17節)
拝啓 こどもの家・まきばの家のお友だち、スタッフのみなさま。 『デンマーク牧場』に隣接とのことでしたが、場所は静岡だそうで、まず日本語が通じて良かったです(笑)。パンフレットを拝見するとまきばの家は今年4月オープンとのこと──この原稿の載る夏には子どもたちの声が響き渡っているのかな、と想像すると、嬉しいような、ちょっぴり複雑な思いにもかられています。
子どもにまつわる悲しいニュースが目につく昨今、そちらの児童養護施設で生活するお友だちも年若くして様々な経験をしてきたことと思います。この私も12歳で母が蒸発、その後父が発狂&入院etc、という結構特殊な育ち方をしています。昔は(それなりに)線の細かった自分ですが、今や図太いおばさんになった私(笑)は真っ先に、皆さんへ冒頭の句を思い浮かべます──アナタに私の将来が分かるって言うの? と思われるかもしれませんが(笑)。小太郎もあなたも、祝福されて生まれた命です。私のように絵に描いたような育まれ方はしなかったかもしれませんし、時に考え込み、「もっと自分自身こうだったら良かったのに」と嘆くかもしれません──が、生まれなければ良かった命など一つもありません。 そして、あなたがたった一人の『あなた』でなければ、世界はとてもつまらないものになってしまいます。 そうでしょう、世の中全員オリンピック選手だったらスポーツの意味はなくなるだろうし、まきばの家のスタッフ全員が全員某有名大学出身のただの頭デッカチさんばかりだったら、静まり返ったホールで、毎日パサパサの宇宙食を食べなくてはならなくなるかもしれませんよ(笑)。
冗談はさておき、出来れば避けたかっただろう苦い経験もあったことでしょう。 でも、その痛みすら、将来誰かを癒す可能性を持っているのです(これは人生七転八倒の私が保証? します)。 命って不思議です──マイナスの経験すら、プラスに変えられる無限の力を秘めているのですから。 あなた自身が希望そのものであり、希望で輝くあなたが、また周囲の希望になるのです。希望は命の源です。

07-08-15るうてる2007年8月号

機関紙PDF

深い信仰と祈りの歴史に触れて~SLEY福音大会出席

 SLEY(フィンランド福音ルーテル協会)の福音大会に出席された徳弘事務局長からレポートを頂きました。
 SLEYの福音大会に招待され、6月22日より7月3日までフィンランドを訪問しました。
 夏至祭りでもあるヨハネの日の休暇の時期で、湖畔のコテージの集会を訪ねました。白夜で夜も明るく美しい森と湖を見ながら、賛美し、祈り、聖書研究やメッセージを聞き、お茶を飲み、おしゃべりを楽しみ、サウナに入り、湖に飛び込む……、そんな自然な信仰者たちの仲間に入れて頂きました。
 本部で宣教師派遣や受入れについて再確認し、アルコール依存者施設も訪問しました。トゥルクのオーボアカデミーを訪問し、神学の歴史や深さに触れました。宣教師候補者たちとも懇談し、将来を感じました。
 イルシタロの福音大会は、街の広場をメイン会場にし、種々の集会が開かれます。SLEY年次総会を覗き、子どもや青年の集会でメッセージをし、礼拝で15000人の聖餐式の奉仕、派遣式のメッセージなどをしました。
 元宣教師の方々とも嬉しい再会をしました。湖畔のコテージでは初期宣教師ミンキネン氏の娘ナンニさん(88歳)にもお会いしました。「まぁ、夢のようね、こんにちは!」と、急遽ご自宅に招かれ、ご飯を炊き夕食をご馳走になりながら、日本語で思い出を沢山語ってくださいました。
 日本伝道は一番歴史も長く人々の愛着や祈りが大きいことを感じましたが、大会ではアフリカ諸国が難民もおり、イスラム教の中のルーテル教会ということで、注目されていました。宣教協力により、JELCも教会成長させられ、ともに世界宣教を担えるように祈らされます。
(徳弘浩隆)

アワーミッションレポート「まきばの家」

風にのって

2007年1月24日、社会福祉法人デンマーク牧場福祉会(静岡県袋井市)では、児童養護施設「まきばの家」の竣工式を執り行い、多くの関係者が集い、喜びを共にしました。この竣工式と共に行われたのが、ある像の除幕式でした。それは、新しく建てられた施設の門前に、訪れる人を出迎えるように設置された「はばたけ 風にのって」というタイトルがつけられた少女の像でした。
2004年9月、同じ敷地にある施設「子どもの家」に入所されていた吉田美花さんが亡くなられ、ご両親は深い悲しみのうちにおかれました。そのような中、ご両親のもとにはコーラス仲間であった友人から「こんな詩がある。慰めになれば」と送られて来たのが「千の風になって」という外国の詩を翻訳したものでした(まだ、同名の歌が流行する前のことです)。この詩にたいへん慰められたと吉田さんは振り返ります。また、「大地」(子どもの家の機関誌)の特集号に、子どもの家の仲間から美花さんへのお別れの言葉が書いてあり、葬式のときにも要約したものを施設長の松田さんに読んでもらいました。「参列者は『いい仲間がいる施設だね』と涙してくれた」と吉田さんは語ります。
その後、美花さんが愛した施設に何かをしたいと思うようになり、施設長である松田氏に相談をしました。そして、施設への寄付と共に記念に残る像を建てることになりました。像のイメージは、「風と少女」でした。
ご両親は像を建てるために、彫刻家を探しました。そんな時、合唱の合宿のために何度か訪れたことのある埼玉県にある青年の家に印象に残る少女の像があったことを思い出しました。その施設を訪問して作者が「サイトウカオル」という名前であることがわかり――施設に問い合わせてもわからないということで――インターネットでその作者を探しました。しかし、いくら検索しても、それらしい人物はわかりません。それでも、その方に像を彫ってほしいと思いを強くした吉田さん夫妻は、小さな情報も逃さないように、自宅の台所にあるホワイトボードに作者の名前を書いたメモを貼っておきました。「ある日、たまたま訪れた近所に住む息子の嫁が、そのメモを見て『これは私の高校の同級生の父親で、元高校の美術の先生ではないか』と言った」と吉田さんは当時を振り返ります。早速、その友人に電話をし、探し求めていた作者齋藤馨先生を見つけ、事情を説明すると齋藤先生は快く制作を引き受けてくれました。先生の数多くの作品は偶然「少女と風」が主テーマで、それがとても素晴らしいと思ったご両親は「施設を飛び立つ子どもたちを支えるイメージを」と伝え、齋藤先生は鳩を支えて飛び立たせる構図を考えてくれました。
「千の風になって」という詩の言葉に慰められ、また像の題字を書いた村山朝偉先生(古代文字書家として有名)をはじめ多くの人々との出会いを通して作られた少女の像は、その手の中の小さな「いのち」をやさしく押し出しながら、まきばの家の入り口で訪れる人を迎えています。

『ダイヤモンドもただの石』

 教会で娘がジュースを飲んでいました。そこへ年下の友達がきて、隣に何も言わず、じっと立っていました。大人たちが「ジュースをわけてあげなさい」と言います。娘は聞こえないふりしていました。お友達は何も言わずに立っています。そのまま沈黙の時間は過ぎていきました。
 その様子を見て可笑しくなりました。何も言わないお友達のことを思って、まわりの大人たちは「わけてあげたら」と言うのです。しかし、娘には絶対に分けたくない理由があるのです。初めて自分のこずかいで買ったジュースだったのですから。
 毎月少しずつ貯金し、こずかいを大切にとっておいたのです。初めて自分のお金を自分のために使えたのです。そんなに簡単に分けることはできないのです。 
 自分のものを与えることは、簡単なようでとても難しいことです。人から見ればただの石ころでも、自分にとってはダイヤモンドなのです。どれだけの価値をそれに見いだしているかで違います。それでもダイヤモンドはただの石。私たちにとって、イエス様のみ言葉のほかに価値があるものはありません。十字架の出来事はすべてを与えてくださったことを告げるのです。
(柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

東教区 飯田教会 牧師  大宮 陸孝

子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。(ルカによる福音書18章16~17節)

 幼稚園、保育園の働きを通して、幼い子どもたちに毎日のように関わり、触れている生活がもう20数年も続いています。近年は間もなく6歳の女の子を頭に、4歳、2歳の男の子の3人の孫たちに囲まれて、幼い子どもたちは私の生活においては、なくてはならない、いて当たり前の、いつも一緒に生きている存在となっています。
 本日も、今年卒園していった15名の卒園児が1年生になってから3ヶ月ぶりにルーテル幼稚園に集まって、同級会を今開いているところです。以前よりはちょっとだけ社会性が身に付いて来たかなと思えるぐらいの変化はありますが、昨日までそのままここに生活していたかのような錯覚に陥るほど、この子どもたちが今ここにいることがごく自然に見えますから不思議です。
 そんな生活の中で、このごろは冒頭に掲げました聖句がますます身にしみるようになって来ました。と同時に、だいぶ前に総武線の電車で遭遇したある光景がいつも甦って来ます。おとなしく座席に座っていた姉妹と思われる幼い子ども2人ちょうど幼稚園児ぐらいです。次の駅が私の目的駅でしたが、走行中の電車の中、突然この幼い子どもが、危機迫る悲痛な声で「ママー」「ママー」と叫びだしたのです。母親らしい人は近くにおりませんでした。間もなく叫び続ける幼子のもとに駅員の方がやって来ました。ちょうどその時に電車は駅に到着しました。あいた扉の前で、振り返って子どもたちの様子を見ていましたが、そのまま扉が閉まる前に電車を降りたのです。気にかかる出来事として私の心に今も残っています。今私はこの幼子たちを神の祝福の前に置くとはどういうことなのかを問われています。

信徒の声 教会の宝石を捜して

東教区 むさしの教会 信徒   福山 春代
百歳おめでとうございます。福山さんは福山猛牧師(1901~87)夫人として長くルーテル教会を支え守ってきてくださいました。お隣にご長男夫婦が住んでおられますが、今でもお一人で生活なさっておられます。長く飯能集会の中心メンバーでもあられて、そのユーモア溢れるお話は年齢を感じさせません。本日はぜひ長寿の秘訣を伺いたいと思います。
 そうですねえ。別に自分で歳を取りたくてこの歳になったわけではないのですが……。私が心がけていることがいくつかありますので、参考になるか分かりませんが、お話させていただきます。毎朝起きたらイソジンでうがいをすることにしています。そして熱い緑茶を飲んでいます。これが健康にいいと思います。あと、時々バナナがいいんです。繊維質があって。バナナのことは昔、近所の薬剤師が教えてくれました。
イソジンとタンニンとバナナですか。うがいは首の運動にもなりますね。
 あとはやはり、毎週礼拝に来て牧師先生の説教を聴くことです。最近は耳が遠くなりましたし、教会にも毎週というわけにはまいりませんが。この頃は息子が車で連れてきてくれます。先生の声はあの説教台の上からはよく聞こえるのですが、降りると聞こえなくなるのはなぜでしょうか。礼拝に来ると、どんなに悲しくふさいだ気持ちでいても、帰る時には楽な気持ちになります。イエスさまが重荷を引き受けてくださいますから。礼拝に来ることができる恵みを本当に強く感じます。
百歳を記念して、この羊の安眠枕を教文館で求めてきました。どうか教会からの記念品としてお受け取りください。神さまの祝福をお祈りいたします。
 ありがとうございました。私のような者のためにこのように皆さんでお祝いしていただいて本当に嬉しゅうございました。

3月11日の礼拝後にお祝いの時を持ちました。途中、教会員から頂いたお祝いの句をしっかりとした声で二つ披露してくださいました。そのどこまでも柔軟で開かれた対話を楽しむお姿は私たちの鏡です。羊のハーブ入り安眠枕も喜んでいただけました。

東洋と西洋の対話⑤

第5回 私達は困窮する世界のために祈ります(教会の祈り)。

「願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」 (テモテへの手紙一2章1節)

平岡(以下「平」):私達は祈ります。祈りは分裂した世界、そして人々を御心によって繋ぎ合わせます。
Lathrop(以下「L」):キリスト者は自分のためだけでなく他者のために祈ります。古くからキリス教礼拝が持つ特徴の一つは、集められた共同体が一つとなり世界のために共に祈ることでした。―貧困・病苦・死に瀕している人々のために、世界と様々な場所で働くリーダー達のために、戦場と化した国々のために、社会の片隅で苦しむ名もなき人々のために、被造物とその命のために、全ての教会と一致のために、そして敵対する者達のためにさえ。キリスト者は平和、正義、癒し、赦し、そして和解を求め祈ります。この時、礼拝に集められた人々はキリスト者が祈りに覚えるその人々に代わり、神の御前に立ちます。そしてまさにこの仕方に於いて、キリスト者の集まりは、”全信徒祭司性”であるのです。(1ペテロ2:9)
平:創造の秩序の転倒は、男と女の自由で対等な関係を呪いのもとにある主従関係へと変えてしまいました。しかし、キリストの愛の秩序によって再創造された女と男は、今、再び神の御前に等しく立ち、祭司として共にとりなしの祈りをささげます。
L:礼拝式順に於いて、私達は神の言葉を聞き神の言葉を歌った後、とりなしの祈りを祈ります。神の言葉は神の約束を告げます。―とりなしの祈りは他者のためにその約束を求めます。神の言葉は私達に信仰をもたらし、私達をキリストの体とします。―とりなしの祈りに於いて、私達は他の人々に代わり私達の信仰を神に立ち返らせ、愛によって仕える共同体を困窮する世界に向けて方向転換します。
平:人間は愛の関係を失い、力による支配と不正な搾取に苦しみます。しかし私達が困窮した世界を覚え祈る時、神の正義と平和、和解と赦しは、今ここに実現してゆくのです。

信仰の学び、養いを生涯続ける

第5回  生まれる前から、死んだ後まで

 今年の3月末から4月の初めにかけて、日本福音ルーテル教会のドイツにおける姉妹教会であるブラウンシュヴァイク福音ルーテル教会からヴェーバー監督(ビショップ)が私たちの教会を公式訪問なさいました。私は4月1日の東京教会における説教の通訳を務めましたが、その記念にと監督がなさった「教理問答説教」シリーズの本を一冊いただきました。それをきっかけにして始まった会話の中で私は、昨年神学校の講義でルターの教理問答の背景や、現代における意味と課題について取り上げ、今年は「るうてる」に1年間、「現代における教理問答」のコラムを連載するとお話して、互いに大いに共鳴しあったのです。
 帰国後に監督はさらに数冊、この関連のご自身の説教集を送ってくださいました。現代のドイツでも日本でも、信仰の中心に関わる事柄と、それに従って生きる信仰の生活について繰り返し説教することが説教者の課題のひとつであることを互いに確認もし、また分かち合いもしたのでした。
 ルターは宗教改革形成期の1526年に、ドイツ語の礼拝のために『ドイツミサと礼拝の順序』を著わしますが、礼拝が若者に対してもっている意味を説いて、「素朴で簡潔で平易なよい教理問答が必要である。教理問答はそれによってキリスト者になろうとする者がキリスト教について信じ、行い、控え、知らなければならないことを教え導く教育のことである」と書き、説教によっても、家庭においても若者の信仰教育の必要性と重要性を強調しました。
 そればかりではありません。宗教改革がどうなるかという危機に直面した1523年3月、急遽身の危険も顧みずにワルトブルクからウィッテンベルクに帰還して行った8日間の連続説教の冒頭では、死に臨んで人はただ独り、という一面を指摘した上で、「そのときには各人が、キリスト者であれば求められる信仰の主要条項を十分に知って、準備ができていなければならない」とも言います。つまり信仰の教育は一生続くものだ、と言いたいのです。
 そうです。信仰の教育こそ「ゆりかごから墓場まで」なのです。長寿の一生が大勢の人のものとなった現代、赤ちゃんからお年寄りまで、それぞれの信仰と生活に即した信仰の教育が、計画的にも、その時々に即しても、教会で試みられなければならないでしょう。教会の切実な課題です。

神学生寮の思い出

東海教区長 静岡教会牧師 青田 勇
 今から思い起こせば、私は36年前の1971年に、日本ルーテル神学校に入学し、そこでの4年間で、牧師になるための必要な学びをルター寮での共同生活を通して、与えられました。当時の寮は、1969年に旧・日本ルーテル神学大学が東京・中野区鷺宮から三鷹キャンパスに移転したばかりの真新しい、4階建のルター寮であります。大学の卒業式を終えた後、3月末だったと思いますが、僅かばかりの引越し荷物を運ぶために、実家の熱海から母を車の横に乗せて、約3時間、厚木から八王子を経て、三鷹のキャンパスに行きました。すでに一年間のギリシャ語の聴講で通い、入学試験で前に来ていた場所であったとしても、引越し荷物を寮の部屋に運びながら、あらためて、これから4年間、神学教育の研鑽と寮の共同生活する神学校の建物がいかに豪壮な建物であるかを実感しました。
 そして、牧師になって、5年を過ぎた頃、遣わされた教会での会堂建築に携わった時に、この神学校の建物を設計した村野籐吾という建築家は、文化勲を受章し、当時、丹下健三と共に日本を代表する有名な建築家の一人であったことを知らされました。さらに、この村野籐吾氏は若い建築家に、「小さいことをやりなさい」と言ったそうです。また、彼は、「便所と階段ができたら一応、大工として1人前になる。それから手が慣れてくる。みんな初めからこれをやる。その階段に早く慣れると、そうすればそいつを使うことができる」。「大きいものをやる必要はない。大きいものはすぐできることになる。小さいものをうまくやくなさい」、とある本で書いていますが、これは今でも一人の牧師である私の心に語りかける大事な言葉となっています。

■募金活動にご協力下さい■
従来の寮棟を『ルターホール』と名称を変え大改修します。この事業にご理解いただき、ぜひとも募金にご賛同、ご協力お願いいたします。
募集期間 2007年4月~2009年3月
送金先 学校法人 ルーテル学院
取扱機関 郵便振替口座00140-2171183
(所定の郵便振替用紙をご利用下さい)
銀行口座 三菱東京UFJ銀行三鷹支店普通口座 4126089
名 義 学校法人 ルーテル学院
【お問い合せ】
ルーテル学院大学・神学校後援会(0422-31-4611)
教会事務局(03-3260-8631)

クリスチャンのライフカレンダー

~最期のときを迎えて~

 昨日は揃って病室へ来て、私の病気の進み具合と今後の見通しについて本当のことを話してくれてありがとう。予想以上に悪く、残された時間に限りがあると知らされ、さすがのお父さんも一晩眠れなかった。様々なことを考え、ほとんどパニック。涙も出てしまった。ふだん偉そうでも、いざとなると弱いものだね。
 朝になってやっと詩編を読んだ。いつしか詩人たちの絞り出すような苦悩の声に私の思いが重なり、彼らの希望が私の心にも沁み込んできた。「お委ねしよう」そう思えるようになった。けどこれからもきっと揺り戻しは来、ジタバタもするだろう。でも、「それでもいいよ」とイエスさまは仰ってくださったよ。
 一つだけ頼みがある。もはやこれ以上の治療は無駄だと判断したら、延命のための過剰な治療はしないでほしい。でも、痛みだけは抑えてほしい。安楽死など望まない。召されるその時まで精一杯心豊かに生きたいのだ。お母さんを支えてあげてください。父より

LAOS講座「LAOS講座を学びつつ」

市ヶ谷教会 前山貴史子
 私自身、単立キリスト教会から、日キの教会へと導かれました。ルター研究所の設立に招かれ、ルーテル神大の公開講座で学ぶ機会が与えられました。これは一重に一人の先輩の姉妹の導きでした。「恵みのみ」「信仰のみ」による信仰義認の教えを学びました。
 そして今、LAOS講座。神の民として、神様に招かれ、祝福を受け、神様の御愛と、牧師を通して神様からのみことばを頂き、祈り、讃美をします。
 聖餐式には、イエス様御自身の犠牲のパンとぶどう酒を、私達一人ひとりの信徒に分け与えてくださり、神の民として身体で新しく覚えてゆきます。この神の民一人ひとりが聖霊の賜物を受け、宣教の真の担い手として、みことばと行いによって主に仕え、教会の中で、また外で賜っている恵みは、奉仕と証しをしていくことにあると、学んでいます。
 この神の御愛を隣人に宣べ伝えていけるよう、頂いている賜物をもって信仰生活ができるようにと祈っていきたいです。

※執筆者によるLAOS講座はjelc.TVで御覧いただけます。 URL http://jelc.tv/

教会音楽祭

 6月17日(日)、東京カテドラル聖マリア大聖堂(東京都文京区)にて、第28回教会音楽祭が1000人を超える会衆を集め、開催されました。
 教会音楽祭は2年に1度開催され、カトリック教会、聖公会、日本基督教団をはじめ諸教派がテーマに即した新しい曲等を披露し合う恵まれた機会です。
 今回、ルーテル教会が担当教派となり、準備から当日の進行まで分担して受け持ちました。説教を山之内正俊総会議長(東京)、奏楽を湯口依子姉(市ヶ谷)、全体司会を佐藤和宏牧師(千葉)がそれぞれ担当しました。また、東教区の各教会に聖歌隊への参加を呼びかけ、折江忠道兄(市ヶ谷)の指揮のもと、約80名の聖歌隊を結成、子どもたちも加わって力強く、また愛らしい賛美の声は会衆を魅了しました。
 今回、ルーテル教会でもテーマに即した曲を公募しましたが、萩森兄(むさしの)の作品が選ばれ、ルーテル教会聖歌隊によって披露されました。
 来年は40周年記念礼拝の予定です。

聖書フォーラム

 6月27日(水)~28日(木)にかけて、東京国際フォーラム(有楽町)にて、国際聖書フォーラム2007(主催・日本聖書協会)が開催されました。
 海外から5人の神学者を招き、5つのセミナーには合わせて1800人を超える参加者が集まりました。
 マーヴィン・マイヤー氏(チャップマン大学教授・写真)は「初期キリスト文献で隅に追いやられた弟子たちの復権―疑り深いトマス、マグダラのマリア、イスカリオテのユダ―」と題して講演し、3人の名前を冠とする福音書について取り上げました。

第14回宣教フォーラム

 むさしの教会を開催場所とした今年の宣教フォーラム。開会礼拝ではむさしの教会独自の式文を用い、特色を出すことができました。
 キリスト教福祉の第一人者、阿部志郎先生の講演は、ご高齢を感じさせない語り口から、キリスト者として福祉に携わる意図を感じ、そこから社会に関わるキリスト者の生き方・信仰を考えさせられました。午後の分団は今年の特徴で自由選択。棲み分けが自然とでき、各分団とも有意義な話し合い、与えられた賜物である光の分かち合いを持つことができました。
 参加いただいた皆様、むさしの教会の皆様、なによりここまで導いてくださった神様のおかげと感謝いたしております。
 9月に報告書が発行されます。
(山本香児)

人事異動続報

・高塚郁男 
京都教会主任牧師辞任願い(賀茂川教会主任牧師と修学院教会主任牧師は継続)を承認する。
・立野泰博
京都教会主任牧師(兼)
・石居正己
京都教会牧会委嘱
(新規)
 るうてる4月号以降、後日決定分の正式な発表が遅れて関係の方々にはご迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでした。
事務局長 徳弘浩隆

るうてるINFORMATION

【9/16~17】全国教会教育フェスティバル

 テーマは「種をまこう!―涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる(詩編126:5)」。「悩みのわかちあい」、「身体と心のウォーミングアップ」、「子どもたちにお話を」、「さんびか情報交換」などの分科会を予定しています。
■場所:ウェスレアン・ホーリネス教団 淀橋教会
■主催・お問合せ:NCC教育部(連絡先:03-3203-0731)
■募集人数:150名/参加費:3,000円

【9/22~24】第11回 全国青年修養会

■テーマ:創造
■場所:福岡市東区(箱崎教会、聖ペテロ教会、恵泉幼稚園)
■主催:全国青年連絡会
■後援:宣教室TNG-YOUTH、日本福音ルーテル教会女性会連盟
■参加費:10,000円

【10/17~26】第1回 カンボジア ワークキャンプ(JELA-JELC共同プログラム)

 テーマは「笑顔を作る、未来を築く~神の働きに参与する~」。LWFが建設してる小学校でのワーク(ペンキ塗りなど)や小学校訪問(子どもたちとの交流)、医療現場見学、アンコールワット見学などを予定しています。
■主催:世界宣教委員会、日本福音ルーテル社団(JELA)
■企画:宣教室 TNG委員会
■募集人数:10名程度/参加費用:198,000円(予定)/対象年齢:18歳以上/締め切り:2007年9月2日
■問合せ・申し込み:教会事務局宣教室(担当:乙守)
mail:mission04@jelc.or.jp/FAX:03-3260-1948

【11/12~22】パレスチナ平和交流ツアー

■目的:ベツレヘム・クリスマス・ルーテル教会との平和交流プログラム
■企画:JELC宣教室・世界宣教委員会
■募集人数:15名程度/参加費用:298,000円(予定)/締め切り:2007年9月2日
■問合せ・申し込み:教会事務局宣教室(担当:乙守)
mail:mission04@jelc.or.jp/FAX:03-3260-1948

ペンテコステ礼拝献金進捗状況

今年も「ペンテコステの礼拝献金は、世界宣教のために」と、例年のようにポスターをお送りして、お願いしました。また、今年は献金袋もお送りさせていただきました。皆さんの教会では、いかがだったでしょうか。まだ、集計の途中ですし、送金がまだの教会もあると思いますが、進捗をご報告します。

目標金額 2528000円
既にお捧げいただいた献金額 499,427円(目標額の19.7%)
目標金額まであと2,028,573円
■世界宣教を覚えての献金にご協力ください。

献金者名(教会、団体、個人)
■ブラジル伝道
津田沼教会
中村好子
大岡山教会
牧之瀬恭子
知多教会
■日米協力伝道
児島和子
松嶋俊介
増野 肇
川上義充
長野教会
上道つるゑ
■メコン(カンボジア・
タイ)宣教支援
中村好子
神水教会
■パレスチナ支援
日田教会
中村好子
若松笑子
寺島文世
■世界宣教
雪ヶ谷教会
唐津教会
松橋教会
大垣教会
箱崎教会
中村好子
蒲田教会
千葉教会
京都教会
名東教会
大岡山教会
飯野タケ
広島教会
聖ペテロ教会
函館教会
箱崎教会CS
恵泉幼稚園
小田原教会
(順不同・敬称略)

現在19教会、2団体、15名の方にご協力いただいております。
ありがとうございます。

募集

 機関紙「るうてる」では、1面アワーミッションレポートのコーナーに掲載する情報を募集しています。
 各教区の機関紙委員にご連絡お願いします。

北海道 V.ソベリ(函館)
岡田薫(札幌北)
東 平岡正幸(三鷹)
東海 末竹十大(名古屋)
西 滝田浩之(大阪)
九州 岩切雄太(八幡)

07-07-15るうてる《福音版》2007年7月号

機関紙PDF

バイブルメッセージ  手紙の向こうにある想い

これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためであるヨハネによる福音書 20 章 31 節(日本聖書協会・新共同訳 )
 パソコン、ワープロで、郵便物のあて名を印刷することが、ごく当たり前になってきました。住所・氏名をパソコンで印刷して、そのまま封筒に貼ることのできる「あて名シール」もよく使われます。パソコンをいまだに上手く使いこなせていない、いわゆる「機械オンチ」なので、わたし自身はいまだに手書きに頼っています。けれども「これが使えたら本当に便利だし、楽になるだろうな」と、届いた郵便物を眺めてしみじみします。
 しかしある日、郵便物の中にまぎれた一通の封筒に、「おや?」と目が留まりました。ワープロ書きの「○○教会御中」というあて名シールの下に、手書きで「○○○○様」と、わたしの名前が書き添えられていたのです。少し前までよく一緒に仕事をさせていただいていた、年齢の近い先輩の、少し丸くて癖のある、よく見慣れた筆跡です。
 その封筒の中身そのものは、よくある事務的な連絡でした。しかし、あて名シールの下にあえて書き添えられた、そのたった5文字に、その先輩からの「元気にしていますか?君のことを思い出して、気にかけていますよ」というメッセージがこめられているように、わたしには思われたのです。たった5文字にその人の誠実さを感じることができたように思いますし、わたし自身、誰かにこのような手紙を送るときは、たとえ事務的な内容であっても、たとえ出来上がったあて名シールを封筒に貼るだけであっても、そこにできるだけの気持ちをこめて送りたい、と考えさせられました。
 小さく書き添えられたほんの一言に、励まされることがあります。書き添えた「元気ですか?」の一言が、相手の心に響きます。たとえどんなに便利になっても、いま送ろうとする一通の手紙に、できるだけの気持ちをこめていきたい、と思うのです。何の変哲もない、ワープロ書きの手紙であっても、あて名を確認し、受け取る人のことを「どうしてるかな、元気だと良いな」と気にかけながら、封をして、投かんする。そこにこめられた気持ちは、きっと相手の心に届きます。
 いま、手元に届いたその手紙を、よくながめてみてください。何の変哲もないように見えるその封筒、ただの事務的な連絡に見えるその手紙、その向こうにある誰かの思いは、あなたに届いていますか?「わたしはあなたを気にかけていますよ」、その誰かからのメッセージは、あなたのところにちゃんと、届いているでしょうか?
Aki

大人を育てる絵本からのメッセージ

にじいろの さかなマーカス・フィスター(文と絵)、谷川 俊太郎(訳)/講談社

絵本というと小さなこどものための本と言うイメージがありますが、大人にとっても生きるヒントになる本がたくさんあります。ここでは子育てという視点でお話をしていますが、あらゆる人間関係においてもお役立ていただけることと思います。

怒りは増えていくもの

 カッとなって怒りの言葉を一つ口にした途端に、普段抑えていた感情まで歯止めがきかないほどの勢いで溢れてしまった経験、あなたにもありませんか?どうしても曲げられない自分の思いを形にすることは、時に大事な事でもあります。でも、いつでも感情的に怒ってばかりいると疲れてしまいますよね。怒るって、とてもエネルギーのいることですから……。わたしは、怒りという感情は勢いにまかせて加速し、増幅していくものだと考えています。

愛も増えていくもの

 実は愛も同じです。愛も、流れとともに増えていくものなのです。誰かに愛を贈ったから自分の中から愛がなくなってしまうのではなく、贈れば贈るほど、どんどん自分の中に溢れ出してくるものなのです。何気ないやさしさに、こころがじーんとあったかくなることがありますよね。一見、小さなことのように見えるやさしい気持ちが、自分の中の愛を膨れさせてくれますし、その愛を受けとった人もまた、次の誰かに愛を贈ることができるようになるのです。

にじいろのさかな

絵本の中に出てくる「にじうお」と呼ばれる魚は、虹のようないろんな色のうろことキラキラ輝く銀のうろこを持つ、誰もがうらやむような美しい魚でした。ところが、その美しさを鼻にかけて威張ってツンとしていたにじうおは、いつのまにか淋しいひとりぼっちの魚になってしまいます。もの知りのタコばあさんに相談すると、大事なうろこをあげれば、幸せになれる方法がわかると言われました。なによりも大事なうろこを手放して幸せになれるはずがないと思っていたにじうおでしたが、それでもうろこを1枚、また1枚とあげているうちに、とうとう輝くうろこはたった1枚になってしまいました。一番の宝物をあげてしまって、もう一番きれいな魚ではなくなったにじうお。でも、おともだちのうれしそうな顔を見て、初めて本当の幸せの意味を知るのでした。

分け合うことは自分を豊かにすること

「他の人よりも、すてきなものをたくさん持っていたい」「自分の子どもだけが特別であってほしい」と考えてしまうのは、親のひとりとしてわかる気がします。でも、人は自分nひとりでは、本当には幸せになれないことをこの本は教えてくれます。人との関わりのなかでこそ、自分自身を本当に生かすことができるのです。分け合うことでしあわせと愛が与えられ、それは、あなたの中で豊かに増えていきます。あなたの持っているタラントを周りの人に差し出しても決して無くなることはありません。それどころか、あなたの周りの人たちが幸せになることで、あなたのタラントも愛も、さらに豊かに膨らみ、溢れていくのです。輝くうろこはいつも自分の中に無限にあることをどうぞ忘れないでくださいね。

HeQi Art 聖書物語

Gideon & the Angel by He Qi, www.heqiarts.com

ギデオンと天使

主の御使いは、手にしていた杖の先を差し伸べ、肉とパンに触れた。すると、岩から火が燃え上がり、肉とパンを焼き尽くした。主の御使いは消えていた。ギデオンは、この方が主の御使いであることを悟った。士師記 6章21~22節

たろこまま「いのちを語る」

言葉の命(エフェソ4章29節b)

 雑誌「クロワッサン」の3/25の手紙特集で、倉本聰さんがこう書かれていました。「百万人を感動させても、一人を傷つけてはならない。それが物書きとしての信条」なのだそうです。これを読み、私は以前、知人の同僚発案という「子ども用誕生日カード」の見本を見せられたときのことを思い出しました。「育児書か?」と見まごうばかりの細かい文字・知識のオンパレードに加え、「*歳児はこんな発達の時期」「ママも大変でしょうが、ばぁばなどに上手に助けを求め云々」、至れり尽くせりのアドバイスの嵐に私は思わず凝固してしまいましたーだって、我が家の小太郎は世に言う「重度心身重複障害児」なのですから。このカードのような成長を永遠に遂げることはなく、母にしたも夫以外手助けしてくれる身内はおりません。小太郎のお友だちの中には発達はおろか一度も家に帰ることなく、病院で短い一生を終えた子が何人もいます。
 市販のカードの中が殆ど余白なのは、書き手の思いと自由を尊重するためだと私は感じています。脳卒中から奇跡的に復活し、不自由な利き手でしたためられた令状など、私が今までもらったカードはどれも相手がそのときそのときの思いのこめてくれたものでした。そこに存在するのは何でしょうー私は「言葉の命」だと思います。温かい言葉をかけられればじーんと来るように、つまはじきにされる言葉を吐かれれば悲しくもなりますよね。それは言葉の分からない小太郎ですらそうですし、耳を持たない植物でさえそうです(私は異動の際、大嫌いな上司からもらった鉢植えに憎しみの言葉を吐き、あっと言う間に枯らした前科があります)。
 皆さんも、リストラの最中にアットホームな話題てんこ盛りのカードを受け取ったり、痴呆が進んで家族全員疲弊しているところにいつまでも長生きなさってください、あんてありきたりの活字印刷物がペロンと一枚送られて来たら…どう感じますか?嬉しいでしょうか。言葉はそのときの相手の立場に立って発せられて初めて、命宿るものなのではないかと思う今日この頃です。

07-07-15るうてる2007年7月号

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宣教会議2007 5.21~22 市ヶ谷センター

  「宣教会義2007」が、5月21日22日に市ヶ谷センターで行われました。この会議は各教区の伝道・宣教部長が集まり、宣教の進展をはかる目的で開かれました。また、各教区の伝道・宣教部長と宣教室がチームとして知恵と祈りをあわせる時を持つことの大切さを知ることも共有しました。
 今回の会議は宣教室スタッフが「会議の持ち方」の研修を専門家から受け、会議そのものも研修のひとつとして設定されました。会議の冒頭では、2つの会議内容を参加者全員でどちらかを自分達で選択する方法をとりました。
Aプラン「教勢アップという目標に対応策を練る」、Bプラン「私たち伝道チームが何にどう取り組むことが必要かを検討する」というものでした。参加者はBプランを選択しました。
 会議内容としては、KJ法をもちいたワークショップを中心にし、1.「過去宣教方策等の分析」。2「伝道部長として期待されていること・ニードを知る」。3「組織確認と組織作り(全体をみる)」をまとめました。また「新来会者の目でみた教会」をテーマに八木谷涼子氏(教会ルポライター)に講演してもらい、もう一度自分たちの教会を見つめなおす時を持ちました。
 最終日には、参加者全員で「宣教会議2007からの提言」をまとめました。その提言は次のとおりです。

A.教区伝道・宣教部長は、各個教会・教区・全体教会という広がりの中で、それぞれ同じミッションを持ち、連携して仕事に当たるチームである。
B.教区伝道・宣教部長に求められていることは、(ア)情報・課題を共有すること。(イ)エンカレッジすること。(宣教の最前線の各個教会を、さまざまな方法で支え、勇気付け、勧める)
C.それを実現するために。「訪ねる」「わかちあう」「反映する」「情報共有の効率化への対策」の実現。
D.これを通して生まれてくること。各個教会、教区、全体教会が勇気付けられ、信徒が生かされ・育てられ、伝道の進展が進むように働く。今後、教区伝道・宣教部長チームは、メイリングリストを通しても情報共有を続けていくこと。11月の合同常議員会にて成果を持ち寄る。
 この会議を通して、各教区伝道・宣教部長はチームで働くことの大切さを確認しました。会議そのものは、和気あいあいとしたものでした。とくに部長として日ごろから何をどうすればよいのかという苦悩を共有できたことは、これからの働きのために力づけられました。
 この宣教会義を継続していくことによって、ルーテル教会全体がつながっていくことをのぞみます。伝道最前線にある教会が勇気付けられていくことを望んでいます。

アワーミッションレポート「東京教会」

 5月の聖霊降臨祭、東京教会は「バラの降る教会」となりました。教会内はもちろんのこと、教会の外に設置された二つの掲示板も、ウェブサイトもバラ一色。外部からの問い合わせも数多く、当日は192名もの方が集まりました。そこで、この計画の仕掛け人である関野牧師にお話を伺いました。
―「ペンテコステにバラを」というアイディアは、いつ思いついたのですか?
 クリスマスやイースターには具体的なイメージできるもの――例えば、飼い葉桶や空虚な墓等――があるものの、ペンテコステにはそれがないと感じていたからです。せっかくの聖霊降臨祭に目に見えるものを通して聖霊を体験して欲しいと強く願ったのです。具体的なきっかけは、世界各地ではペンテコステの様々な取り組みがあり、その中でもイタリアで聖霊のシンボルとしてバラをまくという記述に目が留まり、それを実施しようと思い立ったことがあげられます。具体的にどのようにするのか、そこには記述がありませんでしたが、子どもたちに頼もうということだけはイメージできました。
―実施していかがでしたか?
 昨年のペンテコステで初めて実施して印象的だったのが、みんなが笑顔だったことです。何よりも、子どもたちがバラを撒いたのがよかったと思います。また、自分の手もとに花びらが残ることも笑顔の要因であったと思います。礼拝後、男性は胸ポケットに挿したり、女性は髪に挿したりとそれぞれに喜びを表していたのが印象的でした。
 教会の方の声としては、礼拝後の祝会において司会をされた信徒が「子どもたちが撒いた瞬間、聖霊が降ってきたようだった」というものがあります。
―退場のときにバラを撒かれましたね。
 東京教会では十字架と2本のろうそくを持って退堂していますが、その時にバラを撒くことによって、十字架とろうそくから聖霊が降る様子を表現できると思いました。また、キリストが去って行ったあと、聖霊がきたということも考えています。
―今後の抱負をお聞かせください。
 この日だけというのは、単なるイベントになるので、バラを押し花にして、来ることの出来ない方々に送る準備をしています。さらに、今後バラと言えば東京教会となって欲しいと願っています。また、ペンテコステ以外にも、視覚的な体験ができるといいと考えています。

『無い袖を振る神様』

 休日のことでした。テレビ以外、何もすることのない子どもたち。ついに長女に「他にすることはないのか」とケンカに。思春期で力をつけてきた娘、迫力が違います。成長を喜びながら、負けまいと必死です。吹っ飛ばされそうになりました。   それを見て三女がひとこと。「お父さんもお姉ちゃんも、ケンカは心でしなさい」。それって、どんな意味? すると「わからん。イエス様が夢でそういったんじゃ」。「昨日、イエス様が夢で『お父さんお母さんを大切にしなさい。ケンカしたらいけない。心でケンカしなさい。仲良く』といったんじゃ」と言うのです。
 「心でケンカしなさい」とは何でしょうか。心でケンカできるのでしょうか? それができるのです。だって神様だって無い袖を振るように、無から有を生み出していかれるからです。
 自分を見つめて悔い改め、人と接しなさいということかも。ケンカが見えているときにはゆるし合うことは見えませんが、ケンカが見えなくなったとき、ゆるしは見えてきます。無い袖を振る神様は心のなかで愛を教えてくださいます。
(柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

東教区 横須賀教会・横浜教会 牧師  東 和春
あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています
フィリピの信徒への手紙1章6節

 九州の田舎に育った私が、教会と出会い、聖書に触れたのは高校生のときである。
 道端の小さな看板が目についた。その教会を訪れると、玄関にはルターの紋章があった。しかし、門は閉ざされ、人の気配はない。後で分かったことだが、それは車庫の扉だった。教会は車庫の上に建てられていた。小さな教会だった。きれいに掃除され、一輪の花が飾ってあった。そして、これが私にとって教会の原風景となった。
 当時、私は漠然とした不安を感じていた。勉強や将来への不安、信仰の問題といったことではない。内から湧き上がる言い知れぬ不安であった。もしかしたらここに答えがあるかもしれない。そうした漠然とした期待をもって教会に通い続けた。
 その後、就職、東海ルーテル聖書学院、ルーテル神学大学へとすすんだ。この間も自分探しの旅は続いた。
 あるセミナーに参加したとき、期せずしてこれまでの自分の歩みを振り返る機会が与えられた。セミナー会場は人里離れた山の中で一週間続いた。時間はたっぷりあった。神は、不安の真の原因を見せてくださった。神と私の間にある壁であった。その壁は隣人との間にも、私自身との間にもあった。私はその壁に守られながら暮らしていたのである。神は「お前たちの悪が神とお前たちとの間を隔て(させているのだ)」(イザヤ書59章2節)とのみ言葉を示してくださった。
 イザヤのようにセラフィムを見ることはなかったが、神はその壁を取り除いてくださった。私は初めて神との語らい、自分自身との語らいを味わった。その日を境に、祈りは心を開くときとなり、兄弟との交わりは喜びのとき、み言葉を語ることは喜びとなった。
 私は、自分の力で不安の源を探り、罪に気付き、克服することはできなかった。しかし、神は憐れみをかけて下さり、自分探しの旅に終止符を打ってくださった。今も時として罪は頭をもたげ、教会の方々、家族の者へ辛い思いをさせていることを知っている。しかし、神は人のうちに良き願いを起こし、完成へと導いてくださる。
 これからも、道端の小さな看板となることを願い、主と教会に仕えることを願っている。

信徒の声 教会の宝石を捜して

北海道特別教区 帯広教会・池田伝道所 信徒   広部 カオリ

広部さんと教会とのつながり、洗礼までの歩みを教えてください
 私の母は60歳を過ぎて、洗礼を受けました。私の家に時々遊びに来ると、日曜日毎に近くの池田教会に私の娘を連れて行っていました。娘も20歳を過ぎて洗礼を受け、クリスチャンホームを築き、孫たちも受洗し、小樽で教会に通っています。私自身の洗礼は夫が天に召された後のことです。夫が12年前の4月、病気で入院し、医師に「もう長くはない」と言われた時、駆けつけた娘は教会の牧師と相談し、その夜、自分で洗礼を授けてくれました。娘から洗礼を受けた夫は数時間後、安らかに天に召されていきました。
 納骨も終わった頃、池田教会に行くようになり、ある時、讃美歌を聴いていると、生前夫が口ずさんでいた曲だと気づきました。驚きました。野幌の酪農学園で北欧の教会の信仰に出会っていたのでしょう。神さまの不思議なみわざです。そして、私自身も12月に洗礼を受け、教会の皆さまの交わりの中で歩みだしました。順番は前後しましたが、四代につながる信仰を与えてくださった神さまに感謝しています。
先日、礼拝で「証し」をしていただきましたが、どうでしたか?
 始めに依頼をされた時は「困った、どうしよう」と思いました。でも、いつかはやるものだと思いましたし、今が「神さまの備えられた時」だと思い、改めて自分の信仰生活を振り返ってみました。準備をする時にもいつも教会生活を共にする方にアドバイスをいただいたり、交わりの中で準備ができました。自分の人生の歩み、また京都での婦人会連盟大会で力をいただき、押し出されたことなど思い出しました。改めて小さな自分を用いられたいと思いました。当日も緊張しましたが、とても恵まれた時だったと思います。
これからの抱負を教えてください
 礼拝の中で恵みをいただき、日々を大切にし、池田、帯広、釧路の皆さんと交わりの中で歩んでいくことが一番です。そして、聖書を読み、祈り、共にいてくださる主に委ねて歩んでいきたいと思います。また、五代目に信仰が伝えられるよう期待しています。

東洋と西洋の対話④

第4回 私達は信仰を告白します。(信条 Hymn of the Day)

「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます」(エフェソの信徒への手紙 4章5~6節)
平岡(以下「平」):私達は私達の信仰を使徒信条、ニケア信条によって告白します。
Lathrop(以下「L」):使徒信条そしてニケア信条共に、洗礼を受け新しくキリスト者となる人々に与えられる教えの中に含まれています。だから日曜日、これらの信条によって信仰告白をすることは私達自身の洗礼を思い起こす助けになるでしょう。ニケア信条は西方教会と東方教会の多くの教会に於いて用いられている古いテキストであり、また、使徒信条は西方教会において特に知られ、ルターの小教理問答書で重要な位置を占めています。
平:私たちは教会の信仰を告白することによって、民の集まりが、三位一体の神である唯一の真のぶどうの木に連なる枝であることを明らかにします。(エフェソ4章5節)
L:会衆は聖書朗読と説教によって神の言葉を聞き、御言葉は真のぶどうの木、神の臨在恵みへと再び私達を引き寄せます。御言葉は私達に神への信仰を与えます。
平:そして、その時、御言葉は私達を信仰告白へと導くのです。
L:私達は世界中のキリスト者と共に信仰を信条によって告白し、”The Hymn of the Day” によって歌います。”The Hymn of the Day”は現代的な言葉による私達の信仰告白と言えます。
平:神道の神々は御神木を拠り所としその存在を示します。しかし、ぶどうの木である三位一体の神は世界の創造者であり、全ての被造物は神の愛の拠り所・その根拠です。
L:事実、私達が告白する神もまた木にご自分を現しました。しかしそれは十字架でした。この木によって、神は私達にどれほどこの世が愛されているかをお示しになったのです。真の神はぶどうの木に流れる命と恵みの中へ私達を集め、この愛を自由に与え、この愛において隣人に仕えるよう私達を招いておられます。だから私達は十字架によって示されたこの神の愛への応答に於いて、私達の信仰をここで共に告白するのです。

信仰の学び、養いを生涯続ける 第4回

十戒、使徒信条、主の祈り、サクラメント ―信仰の生きたつながり

 いろいろなことを考えるとき、その一つひとつを大切にきちんと取り上げて、考えたり、行ったりすることは大切です。しかしそれは、一つひとつのままであれば、バラバラ、チグハグということになりかねません。一つひとつのことがお互いに結び付いて、一体となるように心掛けるということもまた必要なのです。
 信仰の生き方、信仰の学びにはとりわけこの両面が必要であり、大切です。そのために、初代教会以来の伝統に立ち、これを生かしながら、ルターが子どもに始まる信徒の信仰の学びと養いを目指す「教理問答」のために、十戒、使徒信条、主の祈り、サクラメント(洗礼と聖餐)を取り上げたのはとても賢明なことでした。一つひとつを取り上げるにしても、全体の生きたつながりを考える上でも、学びのためにも、生活のためにも、とても有効だったと思います。
 十戒に照らして、自らの信仰と生活を神の前で顧みれば、「罪とはなにか」について説明が要らないほどです。そして、ただ一人それを成就してくださったイエス・キリストへと注目するよう導かれるのです。
 そこで使徒信条によって、キリストに集中する神の、創造から完成に至る、愛と恵みのお働きに直面するのです。また同時に、この神の愛と恵みの中で生きるようになった自分の生活のすべてを思うのです。
 この毎日の生活が神の愛と恵みに支えられ、生かされて営まれるためには、祈りを欠くことはできません。その祈りの基本は主の祈りなのです。「私たちが祈らなくても」、魂にも身体にも必要なすべてを与えてくださる神の愛に気付かされて、「私たちにおいても」みこころが成就するよう祈るのです。
 ここからサクラメントに向かいます。神の一方的な愛と恵みによって、罪の赦しの洗礼の賜物をいただいた幸いを感謝し、心に刻み、さらに繰り返し新しい思いで、日々の生活の中から、罪の赦しのための聖餐の賜物に与るよう導かれていくのです。
 ここに信仰生活の、生きたサイクルとつながりが示されています。「日々の悔い改め」と「日毎の感謝」のサイクルでもあります。宗教改革のきっかけとなったあの『九五箇条』が、「信仰者の全生涯が悔い改め」の連続であるべきことを訴える呼び掛けをもって始められていることの意味も、このつながりから見えてきませんか。

神学生寮の思い出

 私の牧師人生31年を振り返るとき、その前の5年間の神学校生活、なかんずく、そこでの寮生活は、この牧師人生を根付かせてくれた時期だったと思います。つまり、あの寮生活がなかったならば、たとえ牧師となったとしても、私は、31年も牧師としての人生を続けることはできなかったと思うのです。それはどういうことかと申しますと、神学校生活で揺れ動く心を支えてくれたのが、同じ目的に向って進む学友との寮生活の中での交わりだった、ということです。この交わりが、私の牧師としての生き方を踏み固めてくれたのです。
 牧師になるんだという、いわゆる召命観を抱いて神学校の門をくぐりました。しかしそのときの召命観が如何に頼りないものでしかなかったか、神学校生活の中でいやというほど味わいました。何度、牧師になんかなるものか、と思ったことでしょう。その度に立ち直ることができたのは、寮で徹夜して語らったときの友の一言でした。「こんなどうしようもない教会の牧師になんかなるもんか」と本気で牧師の道を止めようと思っている自分に、友が語ってくれた一言が今でも忘れられません。「こんな教会だからこそ、僕はこの教会の牧師になろうと思うんだ」この友の言葉に、如何に自分が傍観者でしかなかったかを知らされました。教会が抱える問題、人間一人ひとりが抱える問題と本気で向き合っていない自分に気付かされました。自分は本気で牧師になろうとしていないということに気付かされました。
 私にとっての神学校の寮生活は、このような友との交わりによって、召命観が深められた時でした。この時があったからこそ、今日まで牧師が続けられたのだと思います。

■募金活動にご協力下さい■
 従来の寮棟を『ルターホール』と名称を変え大改修します。この事業にご理解いただき、ぜひとも募金にご賛同、ご協力お願いいたします。

募集期間 2007年4月~2009年3月
送金先 学校法人 ルーテル学院
取扱機関 郵便振替口座00140-2171183
(所定の郵便振替用紙をご利用下さい)
銀行口座 三菱東京UFJ銀行三鷹支店普通口座 4126089
名 義 学校法人 ルーテル学院
【お問い合せ】
ルーテル学院大学・神学校後援会(0422-31-4611)
教会事務局(03-3260-8631)

クリスチャンのライフカレンダー

~伝えたいことは、たったひとつ~

 きみは2度生まれたね。神様から命をいただき、この世に生まれた。そして神様の子どもとなる洗礼をうけて新しく生まれた。あの時、おじいちゃんは隣にいたよ。「三代目クリスチャンの誕生ですね」って牧師さんに言われてとても嬉しかった。
 でも何をすればいいのかと考えた。一緒にできることをしたいと思った。祈ること、聖書を読むこと。そして礼拝に出席すること。全部一緒にやってるね。でも、大きくなるとお友達と遊ぶ時間がいるし、学校の行事が増えていくね。それでもおじいちゃんは、毎週礼拝を休まず、きみを待ってるよ。
 教会にある宝物を紹介してきたね。それは、教会学校やキャンプ。日本中から集まってくるキャンプもある。子どもの聖書や学びの本もある。必要なときに紹介することもでき、参加してくれて嬉しかった。
 そしていま、伝えたいことはたったひとつ。イエスさまがいつも一緒にいてくれること。そのイエスさまを救い主として信じていること。ただそれだけ。

LAOS講座

LAOS 学んでいます!

岐阜教会 佐藤裕美
 私たちの教会では3年前から、月に一度礼拝後にLAOS講座の学び会を続けています。5人のレポーターは全員信徒で、私もその一人です。
レポーターは担当の単元のまとめを発表し、その後で参加者全員で感想を分かち合います。LAOS講座に記された内容を、自分達の事柄として受け止めることが教会の成長につながると思っています。
 先日、私は第2号「小さな一本の指」の第3回を担当しました。そこでは「教会に集う私たち信徒一人ひとりに、神様から宣教の働きが委ねられていること」がはっきりと示されました。
今まで牧師にだけ任せていた働きのあれこれを、信徒が積極的に担ってゆくことで教会はもっと元気になれると思います。そして、さらにこのような信仰を次世代に繋げてゆくことも私たちの大切な務めではないでしょうか。

統一協会に関する日韓フォーラム

 標記の会合が韓国・麗水市(釜山から約200kmの海岸沿いの30万都市)で4月18日~19日に開かれ、福音ルーテルから私平岡が、東教区社会部の支援で出席しました。日本からはNCC加盟教派の代表とカトリック中央協議会、および弁護士、家族の会、総勢21名。韓国側は100名を越える参加で、この問題の深刻さが伺える会議となりました。
 2012年開催予定の麗水万博(海洋博)に合わせて、統一協会が広大な用地を買収していることについて、韓国教会の憂慮が協議の内容でした。万博会場の2万6000坪に対して、統一協会の買収用地は300万坪なのです。写真は、その買収地(山の反対側も。東京・武蔵野市全域に匹敵)です。
 このお金の出所が問題なのです。日本の一般市民や統一協会信者から詐欺的に巻き上げた金銭が投じられています。ここに建てられる施設には、日本で勧誘された人が韓国・麗水に送られ、そこで統一協会の教育を受けさせるということを韓国側から報告されました。統一協会は、その日本からの資金力でもって、一つの町を飲み込もうとしている、そのことについて、日本側も統一協会対策をしっかり進めるようにとの韓国側の要請がありました。今後も日韓の教会が統一協会問題を共有し、協力して取り組んでいくことになり、非常に有意味な会議でありました。

LCM会議

 5月29日から30日にかけてLCM会議が開催されました。LCMとはLutheran Cooperative Missionルーテル共同宣教会議のことで、日本が主催国となって関係海外教会代表者をお迎えして毎年この時期に実施しています。海外協力教会とはドイツ、フィンランド、北アメリカのルーテル教会です。
 今回「礼拝と宣教」をテーマに、礼拝を福音宣教のためにどう用いるかを協議しました。JELCからは平岡仁子牧師の基調講演、二人の若手牧師後藤由起牧師と関野和寛牧師がビデオを交えながら新しい取り組みを紹介してくれました。
 アメリカのルーテル教会は昨年発行した新式文と讃美歌について発表し、参加者の注目を集めました。今後のJELCの式文や讃美歌編集にも有益な会議でした。

エイズ公開講演会 -ルーテル学院大で-

 「エイズの今を知ろう」との主題で去る5月30日にルーテル学院大学で公開講演会が開かれた。100名近くの学生たちが熱心に聞き入った。
 これはルーテル世界連盟のHIV/エイズへの世界的な取り組みの一環。日本ではJELCがNRKとルーテル諸学校の協力を求めながら青少年への教育プログラムを東京と熊本で進めている。この講演会では、江藤教授の「聖書と性」の後、生島嗣氏によるHIV/エイズに関する基礎知識と患者や家族の声が紹介され、2人の青年ボランティアの率直な体験談が分かち合われた。
 大学生たちは「これまで他人事だったのが、とても身近に感じた」「真剣に考えていきたい」などと反応。この問題に取り組むサークルも誕生した。

常議員会

常議員会
 6月11日~13日にかけて、ルーテル市ヶ谷センターにて、第22総会期第4回常議員会が開催されました。
 組織の改革に向けて、教区ごとに進捗が具体的に報告されました。また、各教会の適正な種別の確認も協議されました。

部キ連第24回総会

 5月28日、日本福音ルーテル天王寺教会を会場にして、部落問題に取り組むキリスト教連帯会議(部キ連)第24回総会が行われ、JELCからは徳弘浩隆事務局長が出席し、全国のキリスト教各派から32人の担当者が参加しました。
 会議では2006年度活動報告、2007年度活動計画案などが話し合われました。
 午後には「教会の課題としての人権問題」を主題とし日本基督教団神奈川教区巡回教師の関田寛雄さんによる記念講演がありました。

ルーテルこどもキャンプ

 第9回ルーテルこどもキャンプは、8月7日~9日にかけて、ルーテル学院大学にて開催されます。実行委員会では参加者及びスタッフを募集しています。どうぞ、子どもたちを送り出してください。

第11回全国青年修養会

 9月22日~24日かけて、箱崎教会等を会場に開催されます。テーマは「創造」、主題講演は石居基夫牧師です。 

日本ルーテル教会教師志願者募集

 2007年度の日本福音ルーテル教会教師試験を先により行いますので、志願者は、必要事項を添付して、本教会事務局にお申込みください。
― 記 ―
一、提出書類
1.教師志願書
2.履歴書
3.教籍謄本
4.成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書
5.所属教会牧師の推薦書
6.神学校卒業(見込み)証明書及び推薦書
7.健康診断書
二、提出期限
2007年9月21日(金)午後5時
三、提出先
日本福音ルーテル教会 常議員会会長 山之内正俊(但し、書類の送付先は、日本福音ルーテル教会事務局とする)
四、試験日及び試験内容については、本人に直接連絡する
以上
日本福音ルーテル教会 常議員会会長
山之内 正俊

公告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二十三条の規定に基づき公告致します。
二〇〇七年七月一五日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
  代表役員 山之内 正俊
 信徒利害関係人 各位
     記
被包括法人 日本福音ルーテル日田教会による左記の件
土地購入の件
理由 教会堂建築用地として購入
物件
所在 大分県日田市三本松二丁目
番地 七八九番地一
地目 宅地 
地積 七八三・四三㎡
以 上

訃報

松原清先生(引退牧師)が、6月12日(火)午後2時55分頃、召天されました(享年68)。
 謹んで哀悼の意を表し、お知らせいたします。
 通夜・告別式は6月13日、葬儀は6月14日に日本福音ルーテル大阪教会にて執り行われました。喪主は悦子夫人。

メイルアドレス変更

永吉秀人先生 tenno-ji@y9.dion.ne.jp
重野信之先生 n-shigeno@kmf.biglobe.ne.jp
クーシランタ先生 kuusiranta@yahoo.co.jp

07-06-15るうてる《福音版》2007年6月号

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バイブルメッセージ  川の流れに託すのは

キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい
コロサイの信徒への手紙 3章16節(日本聖書協会・新共同訳)

もう、暦の上では一年の半分が過ぎようとしています。そして、私たちが住む日本では春から夏へ…と移り変わるこのとき、梅雨の季節を迎えます。降り続ける雨、雨、雨。それは、自然界にとってこれからやって来る暑い夏を乗り切るために、大地に貯えておく大切な命の水なのかも知れません。そして、ひと雨ごとに木々の緑も色濃くなっていきます。

高校生の時に読んだある本の中に、「気候や地形が、そこに住む人々の考え方や意識の在り方を形成する」というようなことが書かれてありました。たとえば、日本には“水に流す”という言葉があります。その意味は、「過去のいざこざを、すべて打ち捨てること」ですが、手元の和英辞書でその表現を調べてみると、forgive and forget (許して忘れること)とあり、そこには“水”を意味する言葉は使われていません。

日本は、海に囲まれた小さな島国で細長い地形からなっています。その為に、多くの川が、高い山から勢いよく短い時間で海へと流れ出ていきます。一方、広大な欧米やアジアの大陸では、同じように山から流れてきた川も徐々にその量を増しながら大河となり、平野の中をゆっくりと巡りめぐって、海へと到達します。
昔から、人々は川で洗濯をしたり食物を洗ったりしてきましたが、中には使わなくなった身のまわりの物を川に投げ捨ててしまう人もいたのでしょう。その方が、要らなくなった物が目の前からすぐに無くなってくれるし、広い海へと消えてしまえば、もう自分とは関係ないから……。(そして、時代の移り変わりとともに、私たちの健康に害を与える物までも流されるようになってしまいました。)
一方、もし同じようなことが大陸であったら……。上流の国に住む人が、川に物を投げ捨てたなら、それは海に流れ着くまでにゆっくりと幾つもの国境を通っていかなければなりません。そして、一人の人のその行為が場合によっては、国と国との間に戦争を引き起こす原因にだって成り得るのです。
ですから、“水に流す”という言葉は、川の水の流れが速いほど都合の良いことであって、日本の地形が生み出した独特な表現なのだと思います。

私たちは、毎日の暮らしの中でたくさんの人と関わって生きています。そして、そのコミュニケーションを支えているのは、言葉です。ところが、言葉も使い方しだいで武器になってしまうことは、誰もが承知のことです。私も、今までに言葉で人を傷つけたことは何度もあります。自分の気持ちや立場を守る為に、一瞬にして生じた行為だったのですが、切れ味が良いほど相手が受けた傷は深く、決して一瞬にして癒されるものではありません。
それを理解したとき、私たち一人ひとりの間に流れているところの、“コミュニケーション”という川の流れを常にきれいに保っていくことが大切なのだと思いました。
この6月の雨が止んだら、7月の空には天の川が見えてくることでしょう。キラキラと輝いて流れる天の川。私たちも、私たち自身の内にあるたくさんの輝く優しさと思いやりを、川の流れに託していきましょう。      JUN

大人を育てる絵本からのメッセージ

 絵本と言うと小さなこどものための本と言うイメージがありますが、大人にとっても生きるヒントになる本がたくさんあります。ここでは子育てという視点でお話をしていますが、あらゆる人間関係においてもお役に立てば幸いです。

個性ってなんだろう?

 「個性が大事」「自分らしさが大切」と言われながらも、大人の世界でも同じ意見でないと排除されたり、人間関係が悪くなることがあります。その大人を見ながら育っている子どもたちに単純に「いじめはいけない」と言うのは、あまりにも安易な気がしてしまうのは私だけでしょうか。もちろん「いじめ」を肯定するつもりはありません。ただ、お互いの良さを認め合う社会を大人が作っていかなければ、子どもたちが迷ってしまうのは当然かもしれません。違う意見を持っているということは、それだけ熟した意見が生まれる可能性を秘めています。Aさんの意見とBさんの意見を合わせたら、Cという新しい意見が生まれるかもしれません。また、Aさんの意見が進化したAプラスやBさんの意見が進化したBプラスが生まれるかもしれません。そう考えると、お互いを認め合いさえすれば、意見や考え方の違いは「いがみ合うマイナス要素」のものではなく、「自分自身や意見、事柄を成熟させるプラスのエッセンス」に変えられるのはないでしょうか。

神様からの贈り物

 誰もが、生まれたときに神さまから贈り物をもらっているのだそうです。神様は「この赤ちゃんには何がいいかなぁ」とじっくり考えて、天使に「これがいい! 届けておくれ」と託すのです。それは、「よく わらう」「力持ち」「歌が好き」「よく食べる」「やさしい」など、それぞれが持つ個性と呼べるものです。あなたのお子さんに与えられた贈り物は、なんだと思いますか? あなたの家族への贈り物はなんでしょう? そして、あなた自身への贈り物は? 「わたしには、何のとりえもない」と思っている人も、よーく思いおこしてみてください。あなたにも、ちゃんと贈り物は届いているのです。まわりにいるちょっと苦手なあの人にも贈り物が届いているのだとしたら? その贈り物は、いったいなんでしょう? ちょっとした宝探しのようです。素直に、神様がくださった本来のその人らしさを受け止め合えたら、少しずつやさしい関係が広がって行くのかもしれませんね。

神様が贈り物を通して守ってくださっている

自分の子どもが人より秀でていないとダメな子だと思えたり、兄弟と比較してしまったりすることがあります。子どもが思うように育たずイライラして、それをぶつけてしまうこともあります。そんなことを繰り返していると、子どもは親の期待に添えない自分が好きになれず、自信が持てないまま大人になってしまいます。経験上、子どもは決して親の思うようには育ちません。でも、必ず親の在り方を見て育っているのです。「ちゃんと育てなくては!」とがんばりすぎないで、苦しくなったら深く深呼吸をして肩の力を抜いていきましょう。大丈夫です。贈り物をくださった神様は、その後もいつもそばにいて、ずっと守っていてくださるのですから。

HeQi Art 聖書物語 Sleeping Elijah by He Qi, www.heqiarts.com

ホレブに向かったエリヤ

彼自身は荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」彼はえいしだの木の下で横になって眠ってしまった。(中略)「起きて食べよ。この旅は長く、あなたは耐え難いからだ」と言った。エリヤは起きて食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。
列王記 19章4~8節

たろこまま「いのちを語る」

動物の命、植物の命 (創世記9章13節)

夏休みを前にするといつもほろ苦く思い出されるのが、月刊の小学生向けの科学雑誌のオマケのことです。
オマケ、と称してもこれが当時にしては中々立派なもので、所定のキットを組み立てて水を注ぎ、中に粉を振り入れてしばし待つと、シーモンキーなるカブトガニの仲間が孵化する、という内容でした。要はこれを見ながら観察日記をつけよってことだったのですが、ズボラな私には大変不向きでして(白状)。 孵化の喜びも束の間、気づけば水は干上がり、休み明けには容器ごとガレージの片隅に……猛省。
 四つ足の動物は飼わないと決心した前科者の私とは裏腹に、今や世はペットブーム真っ盛りです。 ショーケースの中には、夫の給料を無視したかのような(父ちゃんゴメン……)お犬様やお猫様は勿論、どこにこんな水槽を置くんじゃ! と毒づきたくなるような珍しい熱帯のは虫類たちがズラーリ……。しかし、こんな愛玩動物隆盛の陰で、飽きたと捨てられるペットたちも後を絶たないようです。背景には、人はガス室送りになって焼かれる犬猫の末路を見ることなく日常生活に戻れる「残酷な手軽さ」があるような気がしてなりません。
今日の句は、箱船から下りたノアたちに、今後祝福のしるしとして虹を置くよと伝えられた内容なのですが、これは人間だけに約束されたものではありません。 「あなたたちと共にいるすべての生き物」と並んで書かれているのです。同じラインにあるのです。人間は絶対的な存在ではないのは自明の理、この地球に共に生きる仲間に向ける心も育みたいものです。

07-06-15るうてる2007年6月号

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第13回伝道セミナー >>>>> 5.3~5 広島

 第13回全国伝道セミナーが、5月3日~5日まで安芸の宮島で開催されました。2年ぶり、観光地で、しかも地方での開催に、「参加者がいるだろうか?」と心配しながら初日を迎えました。しかし、その心配はまったく必要ありませんでした。
 世界遺産の厳島神社を通り過ごし、笑顔で集まった参加者は大人から子どもまで全体で118名。北海道から鹿児島まで、全国からの参加者が再会を喜び、テーマに期待を胸を膨らませながらセミナーは始まりました。
 今回のセミナーは、「いやし」~主にある慰めの教会~をテーマに、まず私たちが癒されることを目指した企画でした。賀来周一牧師を講師に、スタッフは何回も先生と話し合い、全体を通して「いやし」を体験していただくセミナーとしました。そのため3つの柱をすえました。サックご夫妻によるヒーリングサービス、森祐理さん(福音歌手)による賛美と証、そして賀来先生による講演。これを中心に、それをつなぐ形で、いやされる礼拝を企画しました。もちろん自分達が癒されるだけではありません。癒された私たちがこの恵みを人々に伝えていこうと思いを新たにしました。
 子どもたちも自然のなかで遊び、大人たちはプログラムに笑って、泣いて、感動した3日間でした。

アワーミッションレポート「函館教会」

天に向かって……

観光都市・函館市の人口は約30万人。1年間に函館を訪れる観光客はなんと約500万人に達します(2006年度)。函館教会の近くにある五稜郭の年間来場者数は、函館山(ロープウェイ)に次ぐ70万人にも上るといいます。その目玉の一つでもあるタワーは、昨年、老朽化の進んだタワーを壊し、その倍ほどもある新タワー(107m)がお目見えし、集客に期待がかかるところです。多くの観光客が集まる五稜郭に近い函館教会は、新タワー完成を受けて、屋根にメッセージを込め、訪れる人々に証ししています。
「前にも大きな看板を建てようという話があったが、半分冗談で終わっていた」とソベリ師は微笑を浮かべます。しかし、新しいタワーが出来て、早速上まで登ってみた信徒が「教会がはっきりみえた。書きましょう」と、以来話はとんとん拍子に進んだと言います。釧路教会の屋根に教会の名前と十字架が描かれていたことを思い出したのも、計画を後押ししました。6月の役員会で議題となり、知り合いの建築家に依頼。教会の増築工事を担当した方にデザインを頼むことにしました。デザインの希望は、教会の名前と十字架。早速、タワーから写真を撮り、その写真にデザインしました。十字架には「GOD LOVE」が描かれました。夏に仕上がってからというものの、「屋根の十字架をみた」と観光客が訪れるようになりました。函館を訪れていたルーテル教会の方がタワーから教会を見つけて立ち寄ることもしばしば。函館市内の朝祷会に参加する他教派のメンバーも積極的に紹介してくれます。
これからの展望や期待として「具体的なイメージはまだないが、できるだけ、夏場は教会を開けておきたい」とソベリ師。地域の方にオープンな教会にしたい。教会をきれいにして誰でも入りやすいようにしたい。決して派手さはないが、その思いは目標に向かってただただまっすぐ。誠実に思えます。
観光都市・函館市は、ハリストス正教会、カトリック教会、聖公会をはじめとする数多くの歴史の古いキリスト教会も観光名所となっています。そのような中にあって、函館教会は歴史では遠く及ばないが、その存在を通してキリストを証しする拠点として新たな歩みを始めています。
函館教会の屋根の十字架は、今日も五稜郭タワーと地域に、そして神に向かって証ししています。

『勝利の女神も昼寝する』

プロ野球観戦に娘といくことが楽しみです。じつは、我が娘は勝利の女神さま。彼女といくとかならず勝つというジンクスがあります。今日もいそいそと娘を連れての野球観戦になりました。
さて球場のどの席が一番楽しいでしょうか。我が家の定位置は外野。しかもライト側。そのチームのファンで一杯の場所です。試合が始まるとそれはもう大騒ぎ。一球一球に歓声があがります。大声を出して応援し、ジェット風船を飛ばし、一体感を味わう。教会もこうあればなあ~なんて思いながら。
いつの間にか我が家の勝利の女神は昼寝中。この大歓声の中でよく寝てられるものだ。あっというまに同点ホームランを打たれ、逆転された。女神を急いで起こさなきゃ。寝起きの女神は「お父さん。勝っても負けてもいいじゃん。楽しいね」と。勝利の女神に一喜一憂するよりも、この楽しい時間をくださった神様に感謝でいっぱいになる。さよならホームランはきっとあると信じながら。
(柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

九州教区 長崎教会・佐賀教会 牧師 濱田 道明
あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように
エフェソの信徒への手紙3章18節

 教会には高校2年の春、夕礼拝に参加しました。当時はクラブ活動(バレーボール)をしており夜にならなければ時間がなく、聖書研究会と夕礼拝は特別なことがなければ欠かさず参加していました。夕礼拝も聖書研究会も参加者は少なかったと記憶していますが、かえって熱心さが伝わってくる充実した時間を与えられたと思います。
 その中で一人の大学生がいて、いつも何か本を読んできて質問をしていました。牧師とのやりとりをいつも聞きながら、ひそかに彼にあこがれていたのですが、途中から姿を見ることはなくなりました。彼からは本と聖書をきちんとていねいに読むことを教えられました。その後、高校3年のイースターに洗礼を受けました。洗礼を受けた後も、本当はわたしではなく、彼の方が洗礼を受けるのにふさわしかったのではないかと考えることがありました。しかし、わたしが洗礼を受け牧師になり、彼は教会から立ち去っていきました。いつも歩むべき道に人の知識や思いを超えた大きな御手を感じます。あの時、別の道を歩んでいたら? きっと現在のわたしはいなかったでしょう。いつのまにか、人知れず土の器として用いられる不思議さを思うのです。
 現在は小さな群れのメンバーとして歩んでいます。教会の中には、それぞれの人生があり、歴史もあり、歩みの独自性・固有性があります。キリストの愛に包まれ、その中に招き入れられている喜びを「すべての聖なる者たちと共に」、教会に生きているさいわいと祝福を感じています。教会に生きている者たち、兄弟姉妹がその中で生きている愛を知るように、神さまの豊かさに満たされながら、また、この愛の中に、多くの人々が招かれるように、祝福された教会の成長を祈っていきたいと思います。

信徒の声 教会の宝石を捜して

九州教区 箱崎教会 信徒  中村 園
教会に来られたきっかけは?
 生まれは福岡でしたが、父の転勤で名古屋、東京そして徳山と度々引っ越しました。10歳の時、近くのメソジストの教会に誘われたのがきっかけです。牧師のお嬢さんが教会学校の先生で、その子どもが同級生でした。家が教会に近かったこともあり、通うようになりました。
洗礼を受けたときは?
 教会も子どもも大好きだったので、教会付属の幼稚園の先生をしていました。でも、子どもの前でお祈りをしているときに、クリスチャンでない私が祈っていてもよいのだろうか、といつもためらいがあったのです。そして母に洗礼を受けたい気持ちを打ち明けました。すると、「あなたは何でも長続きはしない。一生ちゃんとできるの?」、「お父さんにまず話さないといけない(まだ中国にいたため)」と反対されました。それでも引かずに、すぐにでも洗礼を受けたいと言って、こおりに衣類を詰めて家出をしようとしました。するとたまりかねて来た母が、「途中でやめたらいかんよ!」とゆるしてくれたのです。1946年の6月、受洗しました。今振り返ると、もしあの時、母が「いいよ、いいよ」と簡単に洗礼を受けることを許可していたら、こんなに信仰生活は続かなかったと思います。その後、帰国した父も、私が教会の信者になったことを知って「お前は心配いらない」と、喜んでくれました。神様がちゃんと道備えをしてくださったのです。6月号の「るうてる」に載るのですね。受洗した月なのでうれしいです。
教会学校の先生を今も続けておられますが……
 幼稚園の先生も長いのですが、教会学校の先生はもっと長いです。幼いうちに主と出会えたことが喜びでした。ですから今も、子どもたちに伝えたいという気持ちがあるのです。
愛唱讃美歌、聖句は何ですか?
 教団讃美歌494番「わが行くみちいついかに」です。そして、やはり「神は愛です」(一ヨハ4:16)が一番好きです。

東洋と西洋の対話③

第3回 私達は御言葉を聞きます。(聖書朗読 福音 説教)

「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」
(エフェソの信徒への手紙 1章2節)

平岡(以下「平」):私達は御言葉を聞きます。聖書日課に従った聖書朗読と説教を通して。
Lathrop(以下「L」):キリスト教典礼の中心は私達が捧げる神への讃美や捧げものではなく、神から私達に与えられた驚くべき賜物にあります。日曜日、私達が礼拝に集まる時、そこに聖書が与えられ朗読されるのを聞きます。
平:説教者によって語られる御言葉は、「教会成長」という収穫をもたらすためではなく、信仰の成長をもたらす神の恵みを受け取るため私達に与えられた賜物です。
L:聖書は困窮している人々、罪や死、喪失に苦しむ人々の物語で溢れています。物語は全ての人々について語り、私達の場所もまた、その物語りの中にあります。
平:現実の中で自分自身の場所を見失い絶望する時でさえ、私たちは聖書の中に自分の居場所を持つのです。私達の叫びを聞き届ける神の恵みと平和に満ちた場所を。
L:聖書はまた、神の激しい熱情故の裁きと限りない憐れみについて語ります。御言葉が朗読される時、私達はこの神の御前に立ち神と顔と顔を合わせます。そして、その御言葉の中心には、福音書の朗読で語られ、説教者によって指し示されるイエス・キリスト―十字架につけられ甦られたお方がおられるのです。だから、まさにイエス・キリストは、聖書が語る神の約束の要約であると言えるでしょう。
平:イエス・キリストこそ、受肉した神の言葉です。
L:イエス・キリストは、全ての人に与えられた神の大いなる憐れみです。聖書が朗読され説教される時、イエス・キリストは私達の集まりの只中におられ私達にその両手の釘跡を示し、神の恵みと平和を告げ知らせます。(エフェソ1:2)そしてその時、私達はトマスと共にこう応えるのです。「私の主。私の神よ」

信仰の学び、養いを生涯続ける③

ルーテル学院大学・神学校名誉教授 徳善 義和

第3回 十戒の深まり

 宗教改革の始めに民衆に「十戒」について説き始めたルターは、中世以来の伝統に従って、一つひとつの戒めを説きながら、それらの戒めに背いたことを人々に認識させようとしただけではありませんでした。もちろん、戒めに照らして自分の具体的な生活やそのあり様を顧みることは大切なことです。自分に甘くなるのではなく、厳しく自分の姿を問い直す姿勢は重要です。中世の教会がとかくそう教えるようになっていましたし、いつの時代、どんな人も自分に甘くなり、「自分は大丈夫。自分は別」と思い込んだり、「自分は十分」と自己満足に浸ってしまうことが多いからです。その点でルターは自分にも厳しく、人々にも厳しく問い掛けたのです。その問い掛けは一つひとつの戒めに即した、一つひとつの具体的な罪を問うことだけに止まりませんでした。
 ルターはそうした一つひとつ具体的な罪を問うと共に、いろいろな罪の背後に根源的にあるものにも眼を向けました。それは『ローマ書講義』でも強調した、「自己愛」、「自己追求の思い」、自分の利益を追求して止まない、人間のありかたの根っこにある、罪の根源とも言うべきものでした。
 十戒をこのように、一人ひとり、一つひとつの具体的な罪において考えるという側面と、およそ「人間というもの」の避けられない、どうしようもない「どす黒い」姿という側面との、両面からとらえて、一人ひとりの人に、神の前での自分の姿を考えさせたのです。
 これだけなら、人間は自分に絶望するしかありません。しかしそこにルターは、この戒めを具体的にも、根源的にも、ご自身の愛において満たしてくださるキリストを示したのです。ここに「十戒」の成就がある、完成があると告げたのです。「十戒」から見えてくる逆の面です。キリストの姿は、神の愛に応える神への愛の極みであり、それゆえにここからさらに、人間のためにご自分のいのちまで投げ出して止まない、人間への愛の生き方でした。こうして「十戒」に照らしての人間の絶望は、キリストにおける救いへと導かれます。中世が十戒を教えて自己満足か、恐怖へと導くことしかできなかったのに、ルターは十戒を教えて、キリストへと導きました。更に、キリストを信じる者が新しくされて、神への愛と隣人への愛に生きるよう、新しい生き方をも示すのです。

神学生寮の思い出

北海道特別教区長 恵み野教会 藤井 邦昭
 私が「ルター寮(神学生寮)」に入寮したのは、大学が三鷹に移転して間もない1970年4月、25才の時であった。隣の東京神学大学には、まだ70年安保闘争のバリケードが敷かれていたことを覚えている。それから、神学校卒業までの5年間を過ごした。この期間は、寮生すべてが神学生だった時代である。
 寮は2階の階段で校舎とつながっており、通学時間は一分以内、お陰で朝寝坊の私は、その恩恵にいつも浴していた。学問としての神学は多くの優れた先生たちにより教室で多くの事を学んだが、しかし、私にとって「ルター寮」での生活と、そこで得た経験は、今の牧師生活の基礎であり、無くてはならないものとなっている。
 なぜか私の部屋は喫茶店のように人が出入りし(いつでもコーヒーが飲めるようにしてあったので)集まれば雑談から神学談義までしばしば深夜まで、ある時には時間を忘れて夜を徹して語り合った。それは、将来牧師たるべき者の心構えを互いに培い、また揺らぎがちな召命の確認を行うために、欠かせない機会であったと思う。
 またこの時期には、NRK(日本ルーテル教団)の神学生も沢山いて、その人々とも交わりをさせていただいた。私にとって神学生仲間との交わりは、不安になったり、空しさに襲われたり、くじけそうな時の慰めとなり、励ましとなり、力となった。敢えて言うなら、「牧師に必要なすべてのことは、教室と教会と、そしてルター寮で学んだ」のである。
 牧師になって30年を過ぎたが、今でもその当時の寮生仲間たちと数々の苦楽を共にしたことを思い出し、心が熱くなるのである。

クリスチャンのライフカレンダー

~教会を離れた友へ~

 あなたは、ある人の言葉につまづき他の教会へ転会して行きました。心が痛みます。その傷は教会を変われば癒されますか? 心の中では、許しているのではありませんか?
 教会生活は、礼拝を中心として主の賜物を受け、世に遣わされて行くキリスト者の共同体と言われていますね。そして、相互の交わりが密になればなるほど、人としてのシミもしわも見えてしまいます。「それでもクリスチャン?」と考えてしまいます。信徒にはいろいろの賜物があります。病床にいる方の賜物も、元気一杯の方の賜物も同じく大切です。そして、誰かが痛めば皆が痛む。誰かが喜べば皆が喜ぶ。一人が奉仕をすれば皆が手伝う。
 悩んだ末かもしれませんが、相手のためにも自分のためにも、人を裁いてしまわないほうが良いですね。教会は、神さま中心の交わりですから、導きを祈りましょう。
 心を新たにし、何が神さまの御心であるかを聴いてみませんか? 主の聖霊を信じて。

■募金活動にご協力下さい■
 従来の寮棟を『ルターホール』と名称を変え大改修します。この事業にご理解いただき、ぜひとも募金にご賛同、ご協力お願いいたします。
募集期間 2007年4月~2009年3月
送金先 学校法人 ルーテル学院
取扱機関 郵便振替口座00140-2171183(所定の郵便振替用紙をご利用下さい)
銀行口座 三菱東京UFJ銀行三鷹支店普通口座 4126089
名義 学校法人 ルーテル学院
【お問い合せ】
ルーテル学院大学・神学校後援会(0422-31-4611)教会事務局(03-3260-8631)

パレスチナ平和交流のお知らせ

募集要項
目的:ベツレヘム・クリスマス・ルーテル教会との平和交流プログラム
日程:2007年11月12日(月)~22日(木)
人数:10名程度
費用:30万円(予定)
締切:2007年9月2日
*情勢を見て十分検討し、危険が予想されれば、申込み受付後しかるべき時期に中止となることもあります。
問合せ・申込先
教会事務局宣教室
FAX 03-3260-1948
e-mail mission04@jelc.or.jp
備考:日本文化を紹介する企画にて特技を提供してくださる方歓迎いたします。

東京池袋教会宣教100年祭

 4月15日午後「東京池袋教会 宣教100年祭」が開催されました。SLEY(フィンランド・ルーテル福音協会)会長であるニッカリコスキ牧師夫妻を始め、200人余の参列者をお迎えし、感謝と喜びをもって祝うことができました。
東京池袋教会の宣教の歴史は1907年に、フィンランドの宣教師(ウーシタロ婦人宣教師とコスケンニエミ牧師夫妻)によって千駄ヶ谷に始まりました。まもなく巣鴨に移り、1931年になり池袋の地に足場を固め、現在に至っています。首都圏では、一番古い歴史を持っています。
 宣教100年を迎えるために、いくつかの準備を進めて来ました。『宣教100年から 新しき宣教へ』と題した記念誌は、編纂委員会によって17年間をかけ作成されました。道行く人々のために、教会の歴史を説明する「記念プレート」と、特に夜間に遠方からも教会の存在が分かるように、看板と照明を設置しました。
100年の歩みへの感謝と共に、新しい宣教100年に向かうための良き備えができたことは感謝すべきことでした。

NCC教育部設立100周年記念礼拝

 日本日曜学校協会を前身とするNCC教育部は、今年、設立100周年を迎え、様々な記念事業が計画されています。記念事業の一環として5月11日、AVACOチャペルにて記念礼拝とシンポジウムが開催され、116名が出席しました。
 記念礼拝の冒頭では、教育部総主事の大嶋果織氏よりその歩みが報告されました。説教は吉高叶牧師(日本バプテスト連盟牧師)が「和解の網を打とう」と題してメッセージを語られました。
 礼拝後のシンポジウムでは江藤直純牧師が、信徒教育に関するルーテル教会の取り組みについて語られました。

人間成長とカウンセリング研究所 創立25周年記念式典 

 4月28日ルーテル学院大学にて創立25周年記念式典が開催され、会員、関係者、ルーテル教会関係者、教職員等、223名が出席しました。
 式典では渡辺和子シスターによる記念講演「日々の生活でもう一歩踏み出すために」や、ケネス・J・デール先生のピアノ独奏というサプライズもありました。

ルーテルこどもキャンプ

第9回ルーテルこどもキャンプは、8月7日~9日にかけて、ルーテル学院大学にて開催されます。すでに各教会へはご案内が届いていると思います。
詳しくはそちらをご覧ください。また、ウェブサイトでもご案内しています。
また、実行委員会ではスタッフを募集しています。ご応募ください。
お問い合わせは、佐藤(千葉教会)まで。

ルーテル世界連盟(LWF)設立60周年記念会  スウェーデン・ルンド

 ルーテル世界連盟(LWF)の理事会そして設立60周年記念会がLWF設立の地であるスウェーデンのルンドで行われました。
 日本福音ルーテル教会からは山之内正俊総会議長、浅野直樹牧師(通訳)、関野和寛牧師、竹森洋子姉、日本ルーテル教団から高野公雄総会議長が出席しました。ルーテル世界連盟はスイスのジュネーブに本部を持ち、78カ国、140教会から組織されており、総会員数は6670万人に及んでいます。年に一度の理事会では世界の貧困・災害・医療・教育問題、エキュメニカル活動、そして世界のルーテル教会の宣教など多岐にわたっての議論を行います。今年のテーマは結婚と家族そして性の問題についてでした。教会内における同性愛者たちの問題や、教会内において女性の権利について議論が交わされました。
 また今回行われたLWF設立60周年記念会ではこれまでのルーテル世界連盟の歴史の振り返りと次世代の宣教と活動のビジョンを共有することができ、500人の参加者と礼拝を共にしました。LWFで味わえる一番の恵みは世界のルーテル教会の礼拝や伝道方法などを共有し、その中でひとりのキリストを信じることができることです。
 2010年には「わたしたちに日毎の糧を与えたまえ」をテーマにドイツのシュツットガルトで総会がもたれます。

るうてるTOPICS 4月~5月 

4月11~18日 ニッカリコスキSLEY会長来日
 フィンランド・ルーテル福音協会会長であるニッカリコスキ牧師ご夫妻は、東京池袋教会宣教100年祭への招待に応じ、来日した。来日にあわせて、日本福音ルーテル教会執行部との懇談と会食のときも用意され、さらなる協力関係の構築を確認した。
4月16~17日 PM21リーダー会議
4月24日 神学生寮設置のためのチャリティーコンサー
 ルーテル市ヶ谷センターを会場に、オルガニストの湯口依子氏をお招きしての「チャリティーコンサート」が開催された。
 会場は満席で、補助席を必要とする大盛況で、約230名の出席であった。コンサートのチケットの売上げも300枚を超え、無事終えることが出来た。
5月3~5日 第13回全国伝道セミナー(1面記事参照)
5月11~20日 シーグフリード・テッパー チャリティコンサート
 5月11日から全国9ヶ所で日本福音ルーテル教会世界宣教委員会・日本福音ルーテル社団主催、テッパー氏によるピアノコンサートが開催された。
 JELCの連帯献金をはじめ、海外の子どもたちの支援のために捧げられる予定。
5月14~15日 牧師補研修
 ルーテル市ヶ谷センターにて、牧師補研修が行われた。主題を「日本福音ルーテル教会の教職、その責任と働き」とし、関野和寛、西川晶子、花城裕一朗各牧師補による自己研修課題の最終報告と最終評価を発表した。
LWFメコンミッション会議
 5月14日、15日にカンボジアの首都プノンペンでメコンミッション会議が開かれた。この会議はLWFが主催である。
 この地域での宣教を目指すアジアのルーテル教会と、ヨーロッパとアメリカの教会及び宣教会が協力しあって、メコン川流域諸国に福音を伝えるための総合プランを計画することが主旨である。
 JELAとわかちあいプロジェクトが共同で計画中であるカンボジアの小学校建設支援に協力する計画を進めている。また、JELCからボランティアを派遣することも計画中である。
5月21~22日 宣教会議
 「教区の伝道部長のミッションを明確化する」をテーマに5月21~22日にルーテル市ヶ谷センターにて行われた。
 詳しくは「るうてる」7月号にて、掲載予定。

公告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。

二〇〇七年六月一五日
宗教法人 
日本福音ルーテル教会
代表役員 山之内 正俊
信徒利害関係人 各位
大垣教会
礼拝堂及び集会室新築に係る教会債募集の件
 目的
本誌五月十五日号に公告済みの右新築工事に係る工事資金の一部に充てる目的
募集時期
 二〇〇七年着工時
募集金額 八百万円
返済期間
 二〇〇八年より五年間
 支払利息 年利率一%
以 上

住所変更

■古財克成
〒187-0022
東京都小平市上水本町2-9-15
■田中良浩
〒156-0043
東京都世田谷区松原1-35-21-103
■釧路教会
FAX番号廃止
FAXの連絡が必要な場合は帯広教会にお願いします。
0155・25・3664(帯広教会)
■三原教会
FAX番号
0848・29・6002

手帳変更

■渡辺進(ブラジル)
FAX番号
011・5571・6014

07-05-15るうてる《福音版》2007年5月号

機関紙PDF

バイブルエッセイ 「寒い日が温かく、暖かい日が寒い」

貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。
ルカによる福音書 6章20~21節(日本聖書協会・新共同訳)

 本州に住んでいる人たちの北海道の冬のイメージは、言うまでもなく「さぞや寒かろう」ということです。札幌でも東京とは10度近く違います。東京近郊にいたとき、2月に札幌を訪ねることになって、あらかじめ通信販売で入手したのが、チョモランマ登山隊が着たとうたわれていた下着上下です。高価でした。それが愚かな過剰装備であったことは、到着して数時間もしないうちに悟りました。
4月に札幌に移り住んで、いつもより暑いと言われる夏が過ぎ、短くて、華やかで、ほろ苦い秋が過ぎ、いよいよ冬を迎えました。今年は全国的に記録的な暖冬となり、北海道も例外ではなかったようです。「しばれる日」がなかったといわれています。零下10度以上になる日をそういうのだと聞きました。とはいえ最高気温マイナスが続くのは、この冬も普通のことです。
 不思議なことに気がつきました。寒い日が温かく、暖かい日が寒いのです。しんしんと雪が降り積もる日や、道路がスケートリンクのように凍結している日は、妙に体がぽかぽかしています。これが、プラス4度など、温かいはずの日は、着ている下着も、上着も、コートも同じなのに、かえって肌寒いのです。
 それでわたしなりに考えたことは、厳寒の時は、体が内側からしっかり熱を発するのだろうということです。サバイバル本能です。専門家に聞いてみないと正確なことはわかりませんが、肌の感覚は確かにそうなのです。もちろん限度はあるでしょう。
 そしてまた考えました。プラスがマイナス、マイナスがプラス。これは心も同じだなと。幸福の条件に安住していると、ちょっとしたすきま風で心は寒々してしまいます。人生は寒いものと思い定め、辛い目にあっても立ち向かおうとすると、内側から温かいものが湧いてくるのです。だから、大事なのは、苦しみを避けようとするのではなく、苦しむ力をまとうことなのです。 
 プラスがマイナス。マイナスがプラス。これはまた信仰の醍醐味です。傍目に辛い目に遭っていると思われる人が、本当は誰よりも深い喜びを知っているということもあります。あまりにも早く最愛の人を失った人が、誰よりも永遠の愛を甘受しているということもあります。神がそうしてくださるのです。
K.S

大人を育てる 絵本からのメッセージ

「ぼちぼちいこか」マイク・セイラー (著)、ロバート・グロスマン (イラスト)、江 祥智 (翻訳)/ 偕成社

 絵本というと小さなこどものための本というイメージがありますが、大人にとっても生きるヒントになる本がたくさんあります。ここでは子育てという視点でお話をしていますが、あらゆる人間関係においてもお役立ていただけることと思います。

つまずいたって、転んだって、いいじゃない

 近頃、失敗を恐れる子どもが増えているように思います。それは、周りの大人たちの先回りが原因のひとつかもしれません。大切に思うあまりでしょうが、子どもの人生という道を先回りして、転ばぬように石を取り除き、アスファルトで平らにし、カーペットまで敷いて、大人の目からみた安全な道、安全な方向に誘導してしまうことがあります。でも、その安全さえも、子どもが学校に行き、社会に出てもなお、いつもそばについて誘導し続けることは、不老長寿の薬を飲んでも不可能です。いつかは一人で歩いて行かなければならないのなら、見守ることのできる間に一人で歩かせる方が、よほど安全ではありませんか。自分で決めた道は、誰のせいにもできないものです。だからこそ、つまずいても転んでも、大きな自信と経験になるのだと思います。
 親という字が「木の上に立って見る」と書くように、見守ることこそ、子どもの心を育てることなのかもしれません。いつもすぐ側にいて「失敗しないように」手出し口出しをするのではなく、木の上に立って見つつも失敗してぼろぼろになった時に、木から下りてしっかりと抱きしめてあげられたらと思います。気負わず焦らず、自分のペースでいいじゃないですか。だいじょうぶです。誰もが、いろんな人に支えられながらも自分自身で道を作り、歩いて行く力をちゃんと持っているのです。

親も子も、ぼちぼちいきましょう♪

 「ぼく、しょうぼうしになれるやろか」の書き出しで始まるカバくんの不屈のチャレンジ。海外の翻訳絵本と思えないくらい関西弁の言葉と、ほんわかやさしいタッチの絵がマッチしています。いろんなことに挑戦しては失敗するカバくん。失敗しては、「これなら、どうやろか」「これなら、どうやろか」と次々に新しい挑戦をします。落ち込む間もなく挑戦しつづけるカバくんを見ていると、ちょっとくらいの失敗なんて、たいしたことないなと思えてくるから不思議です。
 絵本の中では、最後までカバくんはうまくいきません。でも、めげても立ち直り、未来に向かっているカバくんは絵本の最後に言うのです。「えーこと思いつくまで、ここらでちょっとひと休み。ま、ぼちぼちいこかって言うことや」って。失敗の連続だったり、「ひと休み」で終わる絵本なのに、「このあとも、元気にまだまだ挑戦していくはず」と、カバくんの焦らず自分のペースで歩いていく姿が目に浮かびます。

失敗したっていいじゃない!

焦らなくてもいいじゃない! 挑戦することそのものがすばらしいのだから。失敗しても、そこから得るものがたくさんあるのだから。周りの人の視線や評価は気にせず、かみさまが「そのままの自分」を丸ごと良しとしてくださるのだから、恐れず自分らしく 歩いていきましょう。子どもも、そして大人も。

HeQiアート

Ruth & Naomi by He Qi, www.heqiarts.com

「ルツの決意」

 ルツは言った。
「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。
わたしは、あなたの行かれる所に行き
お泊まりになる所に泊まります。
あなたの民はわたしの民
あなたの神はわたしの神」
ルツ記 1章16節

たろこまま いのちを語る

わたしの隣人とはだれですか 
(ルカによる福音書10章30~37節)

北国にも遅い春が到来し、近所のサイクリングロードも賑やかになってきました。老若男女問わず衣装も春めき、自転車に乗る人も増え、お散歩するワンコの足取りも心なしか軽そうです。そんな中、いつの間にか増殖するのが、いっぱしのトレーニングシューズを履き、スポーツウェアに身を包んだ人たち──中には結構妙齢の方もいらっしゃるのですが、私はいつも彼らを見て不思議な気分になります。軽く肘を曲げ、耳にはイヤホン、一人黙々と歩いていて、サングラスの奥は何も見ていないのです。まるでジムでマシンを歩く如く目線は一直線、木立の新芽も見ず、子どもたちの歓声も耳に届いていません。「今日は何㌔歩くぞ!」「何㌔カロリー消費するぞ!」、彼らの頭の中は自分のことでいっぱいのようです。一方、そんな彼らの陰で、道を掃き清め、脇の花壇を黙々と耕す地味な格好の老人たちがいます。
ヘルパーの実習先にお邪魔したときのことです。節操がないという人もいるけれど、梅も桃も桜も一度に咲き乱れる北海道の春もいいよね、なんて会話の合間から、彼らは殊更外界の、緑への渇望を抱いていることがひしひしと伝わってきました。そこの、とあるおじいちゃんは、死ぬか生きるかの瀬戸際から戻ったあと、リハビリの合間を縫い、不自由が残る体で施設の庭いじりの手伝いを自ら買って出るようになったそうです。「ここの連中は外に出るのも難しいからね。窓から見える花ででも、誰かの心が和めば何よりと思ってね」。年を取ると出来ることも限られてくる中、余生を自分のためだけに使わず静かに土を耕す彼らは、それが名も知らぬ隣人の命をも豊かにする最善の方法と気づいていたのかもしれません。

07-05-15るうてる2007年5月号

機関紙PDF

春の全国Teensキャンプ >>>>> 3.27~29 千葉

 3月27日から29日にかけて千葉市少年自然の家(千葉県長生郡)にて、第15回春の全国ティーンズキャンプ(キャンプ長 杉本洋一牧師)が開催されました。全国各地から89名のティーンズと46名のスタッフ、総勢135名が集い、「イエスは良い羊飼い」というテーマのもと、3日間を過ごしました。また、以前から春キャンを見てほしいと開催教区の方々に呼びかけていましたが、今回、東教区常議員や東教区婦人会の皆さんがそれに応えて会場を訪問し、参加者を歓迎すると共に、しばしプログラムにも参加されました。
 今回初めての試みとして「ケアカード」を実施しました。これは誰かに対して「肯定的な言葉」をカードに書き、一人ひとりに用意された封筒に各自入れていくものです。誰かのために夜遅くまで時間を惜しんで書き込む姿は印象的でした。また、夜のプログラムでは杉岡直樹牧師、広子夫人による十字架への道のりを人形で表現した画像を聖書の言葉と共に味わい、外に用意された5つの場所で、十字架の痛み、酸いぶどう酒のすっぱさ、いばらの冠の痛み、十字架の重さを体験し、祈るときを過ごしました。
 今回のプログラムの詳細や参加者の声については「TNG ニューズレター」に委ねますが、3日間を通して「イエスは良い羊飼い」であるとのテーマについて聞き、語り、深く感じるときとされました。
 各教会・地区・教区でも、彼らの経験を受け止め、共に祈りあう場を用意していただけると幸いです。 

アワーミッションレポート「いずみ共同体」

むさしの教会、スオミ教会及び市ヶ谷教会では、昨年の各総会で、3教会による共同体(仮称:いずみ共同体)をめざすこと及び各教会の代表からなる運営委員会準備委員会を設置することが承認されました。その後、3教会は運営委員会準備会を開催するとともに、共同体をめざして合同修養会及び講壇交換を行いました。合同修養会は、一昨年のスオミ教会での開催に続き2回目で、むさしの教会に約60名が集合しました。開会礼拝の後、信徒宣言21の起草委員会委員長である斉藤末理子さんの力の溢れる発題講演「信徒宣言21の背景とメッセージ」、続いて斉藤忠碩牧師より「共同体の意義」の話があり、その後5グループに分かれて3教会の共同について真剣に話し合い、グループ発表を通してお互いに内容を分かち合い、最後にこれから共に祈り合い、さらなる宣教協力を行なうことを約しました。
3教会は、八王子教会、羽村教会、保谷教会、三鷹教会とともに東教区中央沿線地区を形成しており、毎年約4回の地区牧師代議員会を行なってきましたが、昨年初めて、7教会主催の「一日教会祭」が開催されました。共に集まって主にある交わりを分かち合おうという思いが一つになって実現したものです。各教会から、ロックバンド、フラダンス、聖歌隊、ソプラノ、パイプオルガン、ゴスペルクワイヤ等が出演し、来日中のフィンランド福音ルーテル協会(SLEY)の青年グループ・アクティオによるパントマイムの福音も飛び入りで参加しました。
今年も、6月3日(日)午後4時より7教会主催の一日教会祭が市ヶ谷教会で開催され、私たち3教会は事務局を担当することになりました。私が青年会の頃から、中央線沿線地区宣教協議会と呼ばれ、青年会同士の交流もありましたため、宣教の地域として親しみが続いております。地区を同じくする共同体や個別教会が協力して宣教を行なうことも、神様の御心に適う働きの一つと思います。(市ヶ谷教会代議員 石原 修)

世界宣教の日

  ペンテコステは世界宣教の日です。
 礼拝献金を世界宣教のためにささげましょう。
※ブラジル日本人伝道のために
※カンボジアの小学校建設のために
※日米協力伝道(JACE)のために
※パレスチナ難民支援のために

『30円の温もり』

 新聞に81歳の女性の記事がありました。ある日、散歩の途中病院にご主人の様子を見に行きました。すると担当の先生が、「急に血圧が下がり、危険な状態にあるので、すぐに息子さんに知らせるように」言われました。
前日まで元気だったご主人の急変に動転し、急いで病院の公衆電話に向かいました。しかし、お金の持ち合わせがありません。近くにいた男性に、「お金を貸して下さい」と頼みました。するとその男性はすぐにポケットから10円硬貨を3枚出して、何も言わず彼女の手に握らせてくれました。名前を尋ねたものの何も言われませんでした。その男性のお陰で、出勤前の息子さんに連絡が取れたのです。
ご主人はお昼前に天に召されました。その後、お金を貸してくれた男性に会いたくて、病院の1階から3階まで病室を捜しましたが、見あたりません。病院が近いので、彼女は時々病院を回ってその男性を捜していますが、まだ出会うことがなりません。いつかお会いできたらと、今でもその男性を捜しておられます。
(柿のたね)

牧師の声 私の愛唱聖句

東教区 田園調布教会 牧師 杉本 洋一
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。
ローマ信徒への手紙12章15節

 高校生の時、将来の進路、成績、友人関係、クラブ、自分の性格・生き方、いろいろなことに整理がつきませんでした。精神的に混沌とした状態の中で、さ迷っている自分があったことを思い出します。熱くもなく冷たくもない中途半端な青春時代でした。不完全燃焼な心や生活でした。
 一方、突然の従兄弟の死や、病気の叔母や交通事故の伯父の「死」が、身近に感じるものとして背景にありました。虚無的だったと思いますし、何をするにも、おもしろくもない心の持ちようの生活でした。ある日曜日の朝、ラジオのルーテルアワーが興味を引きました。出してみた葉書が、教会に足を運ぶきっかけとなりました。行ってみれば、何とびっくり、そこには、学校の友達がいたのです。その関係から教わっていた数学の先生もクリスチャンだったとは驚きでした。
 つながった静岡教会から、さらに東海聖書学院の高校生会で、読書会をやっていました。遠藤周作の「沈黙」が心に残りました。イエスの生き方は、私の生活に大きな「問い」となりました。
 この辺から、自分が、将来どう生きていこうか真剣に考え始めたと思います。その中で、「喜ぶ者と共に喜び」のこの言葉は、強く心に残った聖書のそれでした。というのも、心の底から喜ぶことが出来ない自分でしたから、まして他人と喜ぶことなんかできっこないと考えている自分に、そう教えるのは、なぜだろうかと思うようになったのです。楽しく生きていない、中途半端な私に、このように生きてみなさいと伝えた言葉は、他でもない、この私に「信頼」を寄せてくれるからできることだと知ったのです。その存在があるのを素直に、感じたのです。気が楽になったのを覚えています。今でも、自分のことだけ考えると難しいことですが、「みんなで喜ぶ生き方をしてみよう」と思うのです。この言葉は、苦しみや悲しみに遭う時にも、これまで、わたしを支えてくれました。そして、ずっと変わることなく私に語りかけています。17歳の時からです。

信徒の声 教会の宝石を捜して

西教区 三原教会 信徒 木曽 勝子
ルーテル教会の故郷とも言うべき熊本の熊本教会で、信仰生活を始め、神戸ルーテル聖書学院で学び、伝道師もされたことのある木曽勝子さんは教会に送って来るたくさんの出版物や不用品の整理、カーテン等の設置、教会の留守番等、教会が必要とし、お出来になることは何でもなさいます。その行動の源である信仰について聞きました。
 受洗してから55年になりますが、この年になるまで、いろんなことがありました。苦しい時、困った時、いつも神様が共にいてくださることを覚え感謝しています。わたしは神様に選ばれたものとして、これでよいのかと自分に問い質していました。ある時、松隈先生から「過去があるので、現在があるのです」との言葉を頂き、今までモヤモヤしておりましたことが消え去りました。
木曽さんは洋裁、編み物、パソコン、写真とたくさんの趣味を持っておられますが、今一番凝っていらっしゃる趣味はなんですか。
 最近のわたしはどこへ行く時も、バッグの片隅にデジタルカメラを入れて出かけ、チャンスを捉えてはシャッターを切ります。教会の十字架などを向きを変えて撮り、よく撮れた時の喜びは格別です。撮ったものを教会のアルバム帳に貼らして頂いたり、教会用のカレンダーをパソコンを用いて造りました。神様がこの年のわたしにお与えてくださったこの趣味を感謝しています。
最近ディアコニアセミナーによく出席されるようになりましたが、セミナーで得たものがありますか。
 慈愛園でのセミナーで、門脇聖子先生が「ディアコノス(奉仕者)なる主に生かされて」という講演をなさいました。その中で「ディアコニア(奉仕する)という事は難しいことではありません。教会での奉仕もその一つですよ」と言われました。それを聞いて、「それでしたら、わたしもできる」と思いました。

東洋と西洋の対話②

私達は歌います。(キリエ、グロリア、讃美歌)

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカによる福音書2章14節)

平岡(以下「平」):私たち、男も女も、子どもも大人も、アメリカ人も日本人も、世界中の人々は様々な言語で歌います。そして、私たちは歌によって聖なる三位一体の神を信仰告白します。
Lathrop(以下「L」):キリスト教の礼拝を特徴付けるものの一つに、私たちが共有する歌があります。
平:私たちは世界の全ての被造物が調和に於いて存在する世界の平和と、創造主なる神の栄光を讃美します。神の栄光は、人となり天からこの地上へ降られたイエス・キリストによって現れ、私達のこの世を照らします。だから、私達はキリストによって現された神の憐れみというより深い調和に於いて、神の栄光を讃美します。
L:私たちの讃美が美しいのは私達の声が美しいからではありません。そうではなく、神の憐れみによる調和に加わるよう全ての人が等しく迎えられているからです。
平:私たちは歌います。神の憐れみの調和に於いてキリストと結びつけられ一つになって。その時、私たちの歌声はまた、この世を生きる声なき人々の声と一つになるでしょう。
L:キリエや多くの讃美歌は世界中の人々への神の憐れみを求めるため、苦しみと服従による沈黙を破ります。グロリアと他の讃美歌はイエス・キリストによって現れた神の憐れみを褒めたたえるため、絶望と自責の念から来る沈黙を打ち破ります。
平:沈黙は歌によって遮られます。歌は私たち、日本人の心を抑制する諦めという沈黙をも打ち砕きます。私たちは歌います。「キリエ・エリイソン 主よ、憐れんでください」と。
L:私たちは共に歌います。私たちに与えられた歌ー聖書の御言葉を、天使の歌声を、そして、世界中のキリスト者から生まれた数え切れない程たくさんの讃美歌を。何故なら、ルーテル教会員である私たちにとって、私たちが共有する歌そのものが、まさに神から与えられた贈り物だからです。

信仰の学び、養いを生涯続ける

第2回 十戒をどう受け止めるか

 初期のキリスト教では事実上、成人洗礼でした。それに向かって洗礼準備も行われたのです。しかし時代が下がり、キリスト教が大勢を占め、ローマ帝国に公認され、国教化されるようになると、洗礼の大部分は嬰児洗礼となりました。信仰の教育は、いろいろな材料を使って行われ、その資料も残っていますが、次第に十戒を中心に行われるようになっていきました。中世になって信仰生活にとってどんな罪を犯したかということが問題になります。そこで定期的に神父のところに赴いて一対一で個々の罪を数え上げて懺悔した後に、罪の赦しを得、死んだ後に天国に行くことが重要な関心事となったのです。個々の罪の行為だけが問題となり、十戒の一つひとつが説かれ、また、それを表す絵画やステンドグラスが民衆の信仰教育の中身となったのです。つまり十戒に照らして、あれをした、これはしていないということに思いが集中するのです。一方では十戒に背くことをしない生活が求められて、できるだけ「完全に」生きることを理想にした「修道生活」も人々の関心を集めますが、他方では十戒を果たせない人間の姿もありました。前者は自分の実績を神の前での功績としてこれを誇るということに至りますし、後者は死んだ後は天国に行けないという絶望を多くの人々の心の内に与えました。どんなに十戒を重んじても、神なしにこれを考えるということでは、結局人間は変わらない、変えられないのです。

 東海教区の前身と言ってよい、旧ELCによる日本伝道の時期に使われていた簡単な形の礼拝式文には、懺悔の部の冒頭に十戒を唱えるようになっていました。今の式文を使いながらも、懺悔の部で十戒を唱えたり、十戒を思い起こして沈黙の懺悔の時をもつという形で礼拝を進める教会がありますが、これは中世からの習慣の単なる継続なのでしょうか。それともルターと宗教改革から学んだ信仰の理解やあり方に深く関わっているのでしょうか。

 宗教改革の初期、ルターの信仰教育の試みは十戒の説教から始まりました。しかし中世と違って、注目すべきは、ここで単なる行為だけでなく、心における神との関係を真剣に自らにも会衆にも問い掛けていることです。

神学生寮の思い出

東教区長 東京池袋教会 立山 忠浩
 地方の教会にいた私には、三鷹の神学校は遥か遠い存在であった。寮生活のイメージは、小説に出てくる修道院のようなものを勝手に膨らましていたが、入寮の日から脆くも崩れ去った。静寂や清潔感ではなく、清濁併せ呑むような混沌さが支配していたからである。第一の衝撃であったが、でもそれは、肩に力の入っていた自分の解放を意味していた。
 寮では皆とよく話し、一緒にコーヒーも飲んだ。教会での奉仕を終えた日曜日の夜などは、アルコールの弱い私も「酒の交わり」を楽しんだ。でも一番の想い出は、神学を学ぶことの面白さ、聖書を読むことの奥深さを知ったことであったと思う。無論このような学びは授業を中心に行われたが、寮で培われたものは大きかった。
 一年目の秋の日曜日の夜、隣室の大柴譲治君と私は、最終学年の鈴木浩先輩からカール・バルトの神学の手ほどきを受けた。何も解らなかった。ただ、神学を学ぶことがいかに重要で、楽しいことかを教わった。牧師になってからの研鑽や協働のわざは、このような寮の体験に原点があるように思う。寮室でのこの学びはしばらく続いた。卒論を抱えながらも不肖の新入生のために時間を割いて戴いたことは、今でも感謝に耐えない。学びの後は、もう一つの至福の時を楽しんだことは言うまでもない。これからも、神学生が本当に楽しめる寮の環境が整えられることを期待したい。

■募金活動にご協力下さい■
 従来の寮棟を『ルターホール』と名称を変え大改修します。この事業にご理解いただき、ぜひとも募金にご賛同、ご協力お願いいたします。

募集期間 2007年4月~2009年3月
送金先 学校法人 ルーテル学院
取扱機関 郵便振替口座00140-2171183
(所定の郵便振替用紙をご利用下さい)
銀行口座 三菱東京UFJ銀行三鷹支店普通口座 4126089
名 義 学校法人 ルーテル学院
【お問い合せ】
ルーテル学院大学・神学校後援会(0422-31-4611)
教会事務局(03-3260-8631)

クリスチャンのライフカレンダー

~結婚するお二人へ~

人生で最も大きな喜びの日、二人は結婚します。互いに生涯を“共に生きる”と約束をしたのです。“伴侶”という素敵な日本語があります。にんべんに半、全てをかたよることなく分かち合いましょう。にんべんに呂、これは背骨を表しています。骨と骨が重なり合っているのです。神は人を創造されたときに人のあばら骨の一部を抜き取り女を造られました(創世記2章)。まことに不思議なことですが、人は深い眠りに落とされていましたから、どの部分の骨が“欠けた”かを知りません。しかしその欠けた部分を完全に“埋め合わせる”ことが出来るもう一人の存在と出会えた時に、人は互いに結ばれるのです。
ですから、夫婦の幸せは互いに欠けた部分を生涯にわたって補い合うところにあります。人は「これぞわたしの骨の骨、肉の肉」と言って喜びました。背骨に神が結び合わせて下さった創造の不可思議さと恵みを見出せる夫婦は仕合せです。

ついに完成「小児祝福式袋」

 「こんなものがあったらいいね」の要望にお応えして! 宣教室アクセル・プロジェクトでは、11月の小児祝福式用に、お菓子(千歳飴やクッキー等)を入れるための“オリジナル紙袋”を企画・作成いたしました。
 現代風のイラストで、持ちやすく、しかもルーテル教会とわかるようなものが欲しいとの要望にお応えしました。また制費用もおさえることができました。すでにサンプル商品は各教会に送付済みです。ぜひ手に取ってご覧ください。どうぞ、各教会や幼稚園・保育園にてご検討いただき、ぜひご利用ください。ご注文は、10枚単位で、メイルまたはFAXにて宣教室までお願いします。
 これからもお役に立てるアイデアグッズを作成してまいります。

■問合せ先(宣教室・乙守)■
FAX 03-3260-1948  
e-mail mission04@jelc.or.jp

神の召しに応えて(新任牧師挨拶)

今年任用された2名の教職の方々からメッセージをいただきました(敬称略)

「あたらしい」神﨑 伸

 見るものすべてが、新しい。出会うお一人おひとりが、素晴らしい。心が熱く燃え、走り出しているのを実感する。新米牧師とそのパートナーをあたたかく迎え入れてくださった教会と知多の町に、深く御礼申し上げます。
 わたしは「イエスのこと」に熱心であり、誠実であるだろうか。そう祈り求めつつ、今朝も執務室に赴く。「きのうも今日も、また永遠に変わることのない方」であるキリストが、いつも「永遠の新しさ」を与えてくださることを信じて。

「初心忘れず」中川 俊介

 今春から、日本福音ルーテル教会の福音宣教の働きに復帰できることになりました。この間の皆様のお祈りのお支えを心から感謝いたします。
 さて、我が家には、書道の達人である教会員の方から約25年前に贈られた書が掲げてあります。迫力ある筆跡で、初心不忘、とあります。それは、滅びの人生を歩んでいた自分が、キリストの贖罪によって救われ、その福音宣教に召されたという原点を示しているように思われます。

るうてるTOPICS 3~4月

LWF会議(ルンド)

 3月21日~25日かけて、スウェーデンのルンドにて、LWF(ルーテル世界連盟)会議が開催され、山之内議長が出席しました。今回の訪問には以下の3つの目的がありました。①LWF60周年記念行事への出席 ②アジアリーダー会議(発足50周年)への出席 ③LWF理事会の陪席です。
 アジアリーダー会議は、アジア地域における協議決定機関であり、今回、2つの機関を統合し、頭文字をとってLUCAS(アジアルーテル協議会)として歩みを始めます。日本からは神学教育の立場から江藤直純牧師(日本ルーテル神学校長)が委員として選ばれました。

ドイツ・ブラウンシュバイク領邦教会監督来日

3月27日~4月4日にかけて、ドイツ・ブラウンシュバイク領邦教会のヴェーバー監督ご夫妻が来日しました。広島、大阪・喜望の家、京都、東京を精力的に訪問すると共に、より広い宣教分野での連携をはじめとする相互協力を確認するときを過ごしました。

ELCA(アメリカ福音ルーテル教会)「教育と支援活動のための国際会議」

A Global Education and Advocacy Program 2007年2月16~26日

 2月16~26日、ELCA主催の「教育と支援活動のための国際会議」に参加しました。これは20~35歳の女性たちがグローバルな視野を持ち正義への関心を高めるための教育プログラムで、アメリカ13名、インド5名、シンガポールと日本から各1名の計20名が共に南インドの教育施設や保健機関を見学・訪問しました。
 インドでは古くからの慣習、社会的、政治的な力が複雑に絡み合い至る所で厳然と性への差別が見られます。多くの女性たちが、貧困による教育の遅れ、健康の阻害という深刻な問題を抱えています。しかし社会構造上それぞれが孤立し、問題が個人の次元で終わってしまうため、広がりをもてず、問題はなかなか解決を見ません。私たちは、インドという国の現実から出発し、各国に存在する性への偏見や差別の問題について話し合いました。
 この旅で見えてきたのは、今女性たちに必要なのは連帯とリーダーシップ精神の涵養ということです。個人はどんなに優秀で強靱であっても、直に疲れ失望してしまいますが、共同体はどんな弱さと絶望の中にあっても耐え抜く力があります。また共同体はそれを導くよいリーダーを必要とします。
 私はこの地で改めて気づかされた多くの問題をふまえ、女性が女性として生きることを喜ぶことのできる世界を目指し祈りつつ行動していきます。神が女性という性においてくださった祝福を生きるために。
(汲田真帆)

第9回ルーテルこどもキャンプ

TNG-子ども部門では、今年も恒例のルーテルこどもキャンプを開催します。
日時 2007年8月7日(火)~9日(木)
会場 ルーテル学院大学・神学校(三鷹市大沢3-10-20)
主題 いのち☆キラキラ☆バングラデシュ
聖句 「わたしの目にあなたは価高く、貴い」(イザヤ書43章4節a)
対象 小学5,6年生 参加費用 10000円(交通費は自己負担・遠方の方には補助あり)
スタッフ募集
グループ・リーダー 大学生以上の教会員。
ジュニア・リーダー 高校生以上。
いずれも前日の研修会ならびにキャンプ期間
全日程参加が必須条件となります。
問合先 佐藤(千葉教会) kz-sato@jelc.or.jp

公告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。

二〇〇七年五月一五日
宗教法人 日本福音ルーテル教会
  代表役員 山之内 正俊

信徒利害関係人 各位

①宮崎教会
イ 会堂新築
 ・種類 会堂(一階)
 集会室(二階)
 ・構造 鉄筋コンクリート造鋼鈑葺二階建
 ・面積 
  一階 一七四・三〇㎡
  二階  四六・八七㎡
ロ 現会堂の集会室への改築
② 大垣教会
イ 礼拝堂及び事務所取壊
 ・種類 礼拝堂(一階)
 事務所(二階)
 ・構造 木造 瓦葺二階建
 ・面積 
  一階 一四〇・三五㎡
  二階  五七・九六㎡
 ・理由 耐震診断調査結果により危険と判断されたため
ロ 礼拝堂及び集会室新築
 ・種類 礼拝堂(一階)
 集会室(二階)
 集会室(三階)
 ・構造 鉄骨造スレート葺
三階建
 ・面積 
  一階 二一九・〇八五㎡
  二階 一三六・〇八〇㎡
  三階  五六・七〇〇㎡
以 上

お知らせ

第4回 法人会連合人材研修会

■研修プログラム・テーマ■「人間関係の形成と成長」
【開催日時】8月9日13:00~10日15:00
【会場】ルーテル学院大学(東京・三鷹)
【参加対象者】法人会連合会員である法人施設の管理者及び中堅職員(将来の管理者)
【参加費】(1名あたり)
■研修会参加費・・・・・・・・・・・・・・・10,000円(予定)
■昼食(2日目弁当)代・・・・・・1,000円
■懇親会参加費 ・・・・・・・・・・・・・・・・6,000円
*交通費・ホテル代は別途各自予約・費用負担で
■問合せ先■
ルーテル学院大学・法人連合人材研修会
担当(0422-31-4611)

天満敦子チャリティコンサート

ヴァイオリニスト・天満敦子さんのチャリティコンサートがルーテル市ヶ谷センターで開催されます。
日 時:5月30日6:30開場/7:00開演
場 所:ルーテル市ヶ谷センター
主 催:NPO法人・難民支援協会(JAR)
特別協賛:日本福音ルーテル社団(JELA)
入場料:4000円 
チケットは問合せ先から事前にお求めください。
■問合せ先■
難民支援教会
TEL:03-5379-6001
Email:jarconcert2007@yahoo.co.jp
※詳細はwww.refugee.or.jp/event/20070530_tenma.htmlをご覧ください。

住所変更

■木下海龍
〒202-0006西東京市栄町
3-4-25
0424・21・2046

■宇野正徳
〒180-0022東京都武蔵野市境1-4-5 サンパレス武蔵野204
0422・55・0429

■北尾一郎
〒113-0021東京都文京区本駒込4-36-10206

■小泉 潤
077・592・2344

■大分教会
FAX番号
097・529・5105

07-04-15るうてる《福音版》2007年4月号

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バイブルエッセイ 「見えないものは永遠」

見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
コリント信徒への手紙 二 4章18節(日本聖書協会・新共同訳)

「体力自慢のわたし」のはずでした。ところが……。
 長男とかけっこしていたとき。喜ばせてやろうと思って、走りながら長男のわき腹辺りを後ろから捕まえて、抱えたまま走ろうとしました。四歩か五歩走ったところで、足がもつれて転倒。喜ぶどころか、地面に落とされて、したたかに打ちつけられた長男は、手や足に傷を負う始末。血もダラダラ。骨が折れなかったのは、不幸中の幸い……。あれ、こんなはずではなかったのに……。この子を抱えたまま走れるくらいの体力があったはずなのに……。こんなに体力落ちていたか……。

 新聞を読んでいたら、「どんな時に加齢を意識しますか」という問いに対するアンケート結果が掲載されていました。
 男性の1位は「体力の衰えを感じた時」で、58%。納得しました。「記憶力の低下を感じた時」、「肌の老化を感じた時」と2位以下は続きます。男性が、(たぶん特に女性の前で!)自分の体力を誇りにしていることが見えてきます。
 「これ開けてェ」と女性からジャムのビンを渡されると、「フン」と言って開ける。「うわあ、すごぉい、さすがぁ」と黄色い声で言われると、「まだあるなら、持って来なさい」と社長さんになった気分です。その体力が、少しずつ失われてくる……歌を忘れたカナリア。いや、そんな美しいものではなく、つのを折られたカブトムシみたいです。
 一方、女性は……。「肌の老化を感じた時」が78%で、堂々の第1位。2位も「体型に崩れを感じた時」、そして、「体力の衰え」、「記憶力の低下」と続きます。女性が(たぶん男性の前で!)見てもらいたいと誇っているもの、あるいは見られていると意識しているものが何か、うかがえます(ご心配なく。男性の一人として申し上げますが、美しさは、内面からジワーッと出てくるものですよ)。

「草は枯れ、花はしぼむ。」
紀元前6世紀ごろに書かれたといわれる旧約聖書の一節です。
「雑草のごとく」とたとえられるたくましさの象徴である草。その草も枯れる。
「蝶よ、花よ」と、美しさの代名詞である花。その花もしぼむ。
 時間と共に失われていくものが、たくさんあります。≪それ≫を失った時、いかに、自分が≪それ≫に頼っていたか、知らされます。≪それ≫を持っている間は、≪それ≫をそんなに頼りにしているとは思っていなかったけれど、≪それ≫を失った時、≪それ≫を頼みにしていた自分を知らされる。
 どんなに力強く見えるものも、どんなに見目麗しく目を奪い、心を奪うものがあっても、≪それ≫はいつか消えていきます。

 消えないものはあるのでしょうか?
「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」「あなたのこと、生まれた時から、ずっと見守り続けている。何が失われても、だれが見捨てても、わたしはずっとあなたの味方。いつも、あなたを見守っている」という、神の言葉は、永遠に変りません。旧約聖書の書かれた紀元前から、21世紀の今に至るまで。
頼るべき≪それ≫を、今日から、ここに見いだしてみませんか。
パパレンジャー

大人を育てる 絵本からのメッセージ

いいこって どんなこ?

 絵本というと小さなこどものための本というイメージがありますが、大人にとっても生きるヒントになる本がたくさんあります。ここでは子育てという視点でお話をしていますが、あらゆる人間関係においてもお役立ていただけることと思います。

「褒め育て」? 「叱り育て」?

 世間では、褒めて育てるのがいいと言われたかと思うと、叱れない親が問題にされることもあります。情報過多の中で、どれが本当?と思われる方もいるかもしれません。その中で私はこう思います。自分流が一番!だと。表面に見えるものは「褒め育て」でも「叱り育て」でも良いのです。大切なのは、そのベースに子どもに対する「愛するこころ」をどんなときも持ち続けることではないでしょうか。静かにおとなしくしてくれるから子どものいいなりにゲームやビデオを与える、日常のストレスをぶつけるような叱り方をする、そんな「(大人に都合の)いいこ」として育てられた子は、本来の自分を出す場所と機会を見失ってしまいます。子どもが自分でいられる時間と場所を提供することが親の役割のひとつではないでしょうか。

いいこってどんな子?

 絵本の中で、うさぎのバニーがおかあさんに尋ねます。『ぜったい なかないのが いいこなの?ぼく、なかないようにしたほうがいい?』おかあさんは答えます。『ないたっていいのよ。でもね、バニーがないていると、なんだかおかあさんまで かなしくなるわ』その後にも『いいこって つよいこのこと?』『おこりんぼは いいこじゃないよね』など、バニーの質問は続きます。その度に、お母さんはバニーの心に真っ直ぐに向かいながら丁寧に答えていきます。そして、最後にバニーが『じゃあ、おかあさんは ぼくがどんなこだったら いちばんうれしい?』と尋ねると、おかあさんはニッコリ笑ってこんな風に答えました。『バニーはバニーらしくしていてくれるのがいちばんよ。だっておかあさんは、いまのバニーがだいすきなんですもの』
 ある牧師先生に「神様は、わたしたちひとりひとりをパーフェクトなものとして、この世に作られたんだよ」と教えられました。私たちは、表面の部分において「もっと美人だったら」「足が不自由で無かったら」とか、内面においても「もっと思いやりがあったら」と自分自身に対しても周りの人に対しても、あれが足りないこれが足りないと思ってしまったり、人をうらやんでしまうことがあります。でも神様は、そのままのわたしたちを「よし」としてくださっているのです。決して欠けている足りない人間ではなく、大切な個性を持つひとりひとりとしてこの世に生命を与えてくださったのです。

絵本からのメッセージ

 親になる訓練を受け、親免許を取って親になるわけではありません。子どもを育てる機会が与えられて初めて親になるわけですが、実際には子ども育てながら親としての自分も少しずつ育てられていくのだと実感しています。
 この本には、子どもを丸ごと受け止めて抱きしめることが難しくなったとき、「こんな風に気持ちを伝えられたら」と思える心と心を結ぶためのヒントがちりばめられています。

HeQiアート

Elijah is taken up to Heaven by He Qi, www.heqiarts.com

エリヤ天に上げられる

 彼らが話しながら歩き続けていると、見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行った。
列王記下 2章11節

たろこまま いのちを語る

私は裸で母の胎を出た(ヨブ記1章21節)

 新しい方の新コーナーを期待してた方、すんませんっ! 再々度たろこままです。
 これまた何かのご縁で更に1年ここにお邪魔することになりました(いいのかなあ……悩)
 昨年度は毎月一つ、様々な「とき」について語ってきましたが、今年いただいたお題はズバリ「いのち」です。―う~ん、これが実は難しかったりして(笑)。漢字一文字で簡単と思いきや、その実態はいい年こいたワタシにも分からないんですよね←いいのか? 大好きなアイドルの名前の下に「○○命」と書けば憧れの人への気持ちを表し、名の上に命をつけると「命名」で、生涯その人を示すたった一つのものにもなり。命自体、生命のすべてが持って生まれる「かけがえのないもの」にも関わらず、誰一人「これだ!」と示すことのできないものなんですよね。
 あなたは、この「いのち」の響きから何を連想なさいますか? 自分の命、大切な人の命でしょうか?
 人の命の枠を越え、植物にも命があり……見渡せば私たちは実に沢山の命に囲まれて生きています。こんな感じで決して語り尽くせはしないだろうけど、来月から11回にわたり、たろこままが命を語ります……って、なんだか古の書物(宇宙を語る?)みたいなタイトルになっちゃいましたねえ(笑)。中身はいつものノリの予定(爆)、3時のおやつをつまむ気分で読んで頂けたら幸いです。

07-04-15るうてる2007年4月号

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教職授任按手式礼拝

 3月11日(日)19:00より宣教百年記念会堂(東京教会)にて教職授任按手式礼拝が執り行われました(総合司式:立野泰博西教区長)。
神﨑伸牧師(武蔵野教会出身)は按手を受け、中川俊介牧師(津田沼教会出身)は議長をはじめ教師会長、各教区長及び各宣教師会長と派遣の握手を交わしました。会場には、出身教会、研修教会などを中心に約200名が集い、二人の牧師の誕生と派遣の場に立ち会いました。
 礼拝にて山之内正俊総会議長は「祝福に満ちた希望」と題して説教し、「神抜きに命の問題を解決しようとしているこの世界にあって、今こそ教会の出番である」と語り、お二人にエールを送りました。
 聖餐式では配餐者に加わり、一人ひとりに“キリストの体”を分かつ姿が印象的でした。
 第二部は渡辺純幸総会副議長の司会で、進められました。当日の模様はjelc.TVでご覧いただけます。

アワーミッションレポート「室園教会」

教会に居場所を…

1.中高生の様子を教えてください。
 礼拝に来る教会員や教会員の子どもたち、求道者の他、平日は別なメンバーが常時来ています。特定のプログラムだけに来る子もいたりするので、全体の数は多いと思います。
2.中高生のための部屋を作ろうとしたきっかけは何ですか?
 学校帰りに集まってくる子たちの居場所作りと同時に、私が教会にいない時も自由に過ごせる場所、そして彼らのためのプログラムをやる場所が必要だったからです。
3.どのようなプログラムをやっていますか?
 ギターでの礼拝をしたり、後はお菓子を食べたり、話したりしています。英語で話す時間を設け、歌ったり、クッキングもしています。月報作りや発送作業、力仕事などがあるときには、メールで呼び出して手伝ってもらったりもします。 学校帰りにふらっと立ち寄る子が多いですね。テスト勉強をしたり、勉強を教えたり、恋の話をしたりもします。先日はバレンタインのチョコレートも一緒に作りました! 牧師館の冷蔵庫には、彼らのためのアイスクリームや肉まん、たこ焼きなどが常備されています。お昼や夕食を一緒に食べることも多いです。
4.部屋を作る前と作ってからでは変化はありましたか?
 私がいないときでも、勝手にきて自由に時間を過ごして帰る子が増えました。外出先から戻ってみると、ゴミ箱にゴミや何か食べた跡があるのを見つけて、「誰か来てたんだな」とわかります。
5.教会につなげるためにどのようなことを考えていますか?
 興味のある子にギターを教えて、礼拝の中で賛美の奉仕ができるように育てています。午後のギター礼拝もはじまりましたし、午前中の礼拝やCSでもギターを用いますので、奉仕はたくさんあります。また、受洗や堅信準備をしている子、受洗後教育の終わった子たちと、聖研を始めることを計画しています。教会が居場所だということを伝える中で、賛美やみことばそのものの持つ力と聖霊の導きを期待します。
6.中高生に配慮していることは何ですか?
 長い目で時間がかかっても、イエス様を信じてよかったと言えるようになればと願っています。最初は恋の話をしに教会に来ていても、「この先生が信じているイエス様ってどんな方だろう」と思ってもらえれば、一歩前進です。証人としてキリストの香りを放つ者でありたいと思います。

『星を仰いで露地を見よ』

 教会の窓を、久しぶりに開けてみました。春の風がサアッ~と礼拝堂へ入ってきました。さわやかな風と共に春がやってきました。
 さわやかといえば、夕方礼拝堂にかわいい声が響いています。毎日その声を聞きたくて、時間になると必ず牧師室にいるようにしています。保育所すみれ組のはるかちゃん(2歳)です。帰りに礼拝堂へやってきて、礼拝堂扉のところで「イエス様さようなら」と、お辞儀をするのです。
 おじいちゃんが「今日は早く帰る」といっても、絶対だめ。一人でも「イエス様さようなら」と挨拶をしていきます。その声のさわやかなこと。保育所の礼拝に出ているうちに、イエス様の存在がわかったのでしょう。
 子どもたちは、神様と会話できる何かの方法を身につけているかもしれません。きっと、毎日神様と話しているにちがいありません。神様を大きく感じて、生きていることを大切にする。それっていいなあ。
(柿のたね)

牧師の声「私の愛唱聖句」

東教区 市ヶ谷教会 牧師 斎藤 忠碩
主の山に、備えあり (創世記22章14節9)
 キリスト教との出会いは、神戸ルーテル教会付属のぞみ幼稚園にさかのぼる。
 幼稚園の先生が、溢れる愛情を込め、イエス様がなさった99匹の羊を残して迷子になった1匹の羊を捜しに出掛けた例え話は今も私の心に鮮明に残っている。クリスマスでの聖誕劇、そして日曜学校、ハイキングと教会で小学校時代、楽しい時を過ごさせていただいた。高校の時、父親の借金、家族の危機、兄の死と試練が押し寄せた。
 ある時、それはクリスマス・イブ礼拝に出席して帰ろうとした時だった。1人の信徒の方から「斎藤くん、今からキャロリングに一緒に行こう」と熱心に、しつこく誘われた。一軒の家の前で小さなローソクに火を灯してみんなで賛美歌を歌っている時、クリスマスの意味を示された。みどり子、イエス様が、この私の中に誕生してくださった。そして、大学生の時、洗礼を受けた。牧師の前に立ち「私たちのイエス・キリストを、あなたは信じますか」と問われて、震える声で「ハイ、信じます」と答えたのを思い出す。大学を卒業し、就職、結婚、2人の子どもが与えられた。順風満帆の時であった。しかし、私は会社勤めに疑問を持ち始めた。そして、みことばが与えられた。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つひとつの言葉で生きる」
 主の召しを受け、献身を決意した。30歳の時だった。4年間の神学校での学びのあと、福音宣教へと旅立った。そして、今日に至るまで、教会の方々に支えられて、昼は雲の柱となり、夜は火の柱となり(出エジプト13章21節)主は私を私たち家族を守り、導いてくださっている。ただ、ただ神の愛、主の恵みに感謝のみである。今も神学校の先生の言葉を思い出す。「主は、生きてござる。見てござる。聞いてござる」
 私の愛唱聖句を1つ上げるとすれば「主の山に、備えあり」だ。アーメン。

信徒の声・教会の宝石を捜して

東海教区 名古屋教会 信徒  伊藤 幸男
伊藤さんはお年を召してから、教会に来られたわけですが、何かきっかけがあったのですか?
 教会に来たのは、二年前、75歳の時でした。2005年の6月に愛地球博の入場ゲート前で、倒れ、救急車で瀬戸の病院に運ばれました。心筋梗塞・胸腹部大動脈瘤の手術を受けたのですが、幸いにして一命を取り留めました。術後、4人部屋に入って、そこで出会った方がクリスチャンで、「わたしはキリスト教の教えに救われた」と話してくださいました。入院中に自分の今後のことなどを考えていたこともあって、退院して、6月12日(日)に名古屋教会を訪れました。ルーテル幼稚園で開かれていた音楽教室に、娘が通っていましたので、知っていたのです。
洗礼を受ける決心をなさったのは?
 最初は式文も教会の言葉も良く分からなくて、とまどっていました。しかし、教会に来なさいということで、毎週来ていました。その年の10月に「聖書日課」を与えられ、毎朝20分~30分読むうちに、少しずつわたしなりに理解できるようになりました。2006年の1月に、洗礼を受けたいとお願いしました。先生から十戒・使徒信条・主の祈り・聖なる洗礼の礼典・聖壇の礼典などの講義を受け、身の引き締まる思いがしました。
洗礼を受けられて、何か変わったことはありますか?
 教会に来始めた頃は、体調も十分ではなく、心の内も動揺しやすかったのですが、近頃は体調も良く、よく眠れ、心も安定し、聖書の深みも少しは理解できるようになりました。これも神様のおかげと感謝しています。体は無理がききませんので、受付の奉仕などさせていただいています。
 今後の目標として、聖書日課が一回りしましたら、列王記上6章にある13年の年月がかかったというソロモンの神殿とエズラ記6章にあります再建された神殿の建造物のいろいろを、わたしなりに研究してみたいと思っています。建築の仕事をしていたものですから。いずれにしても、希望と愛をもって残された人生を過ごしたいと思います。

東洋と西洋の対話① ~ルーテル教会の礼拝~

ゴードン W.レイスロップ
フィラデルフィア ルーテル神学校名誉教授、神学博士
平岡仁子
日本福音ルーテル保谷教会 牧師

第1回 私達は洗礼を思い起します。(み名による祝福、罪の告白、赦しの祈願祝福)

「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」
(マタイ28章19~20)

 「父と子と聖霊の御名によって」。礼拝の初めに聞くこの言葉はイエス・キリストによって私達に与えられた確かな約束のしるし「洗礼」を思い起させます。私達は洗礼によってキリストと結びつけられ、キリストの体である教会の一員となり礼拝するため集められます。私達が目にする洗礼は、現在、殆ど浸礼ではなくなってしまいましたが、聖書は洗礼が浸礼であったと証言します(使徒8:39)。そのため、洗礼の儀式、水に沈み水から引き上げられる行為をイエス・キリストの十字架の死と復活のイメージと重ね合わせ次のように言います。「それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けた私達が皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを……」(ロマ6:3~4)。洗礼によって清められた私達は、キリストを着ます。(ガラテヤ3:27)しかし、キリストの聖さは私達を聖ではない俗なる社会・この世から分離するためのものではありません。そうではなく反対に、キリストは聖であるが故に、この世の最も小さい一人のために、罪人として穢れの中に死んだのです。ここに神の愛があります。悲しいことに、日本のキリスト教はその歴史において、日本の社会・文化そして家族からの分離、あるいは対立を余儀なくされてきました。しかし、この世の最も小さい一人のために十字架の上で命を与えられたイエス・キリストの聖さは、そのような歴史の中にあってさえ、私達をこの世で生きる小さき一人と結び付けるのです。そして、洗礼によって与えられたこの確かな神の恵み・福音が、罪の告白と赦しの祈願祝福によって宣言されます。私達は神の憐れみを求め共に罪を告白し、神の赦しを司式者の口を通して聞きます。その時、教会の扉はきっと開け放たれていることでしょう。私達をキリストのもとへ招くため、そして私達がキリストと共にこの世で神の憐れみを必要とする小さき一人のもとへ遣わされるために。

信仰の学び、養いを生涯続ける①

ルーテル学院大学・神学校名誉教授  徳善 義和

第1回 洗礼の前、洗礼の後

 教会に入る時、祈りの時など、折に触れて胸に十字を切るという習慣のある教会があり、個人がいます。これは洗礼の際に、ローマ第6章3節以下によって額に印される十字のしるしを思い、自らの信仰の原点としての洗礼の恵みを思い起こすためです。十字を切るにしても、切らないにしても、このように洗礼の恵みを思い起こすことは信仰にとって大切なことでしょう。

 ところでみなさんは、自分が受けた洗礼や、洗礼のための準備のことを思い出すことがありますか。この際ぜひ思い出してください。私の場合といえば、洗礼に至るまで変な質問をいろいろして、本田伝喜先生にご迷惑を掛けていたのですが、受洗の希望を申し出て、準備をお願いしたとき、「あなたはいいでしょう」とのことで、特別に洗礼に備えて教えていただいた経験がありません。後になってみると、教えていただけばよかったな、とつくづく思わされます。みなさんはどうでしょう。できればそのとき使った『小教理問答』やプリントなどあれば、取り出して見直したり、そのときの先生とお話してみてください。

 さて、初代教会の頃、洗礼を受ける成人は、今私たちが「使徒信条」と呼んでいるものの元の形などで、各地それぞれにできつつあった、洗礼のための信仰定式に当たるものによって、洗礼準備の教育を受けたと言われています。洗礼を受けた後になって漸く、「主の祈り」を教わり、その意味も学ぶ機会があったようです。つまり、洗礼を挟んでその前後に、信仰の学びがあったのです。

 信仰の学びや養いを洗礼の前に集中して受けることは大事です。しかし、それだけでなく、洗礼の後も、キリスト者となったという新しい思いの中で、信仰の中身についても、信仰の生活についても学びを受け、養いを受けることが大切なのです。もちろん、主日毎の説教も、聖書研究も、教会関係のいろいろな会合や学びの関係への参加もそういうことを促すでしょう。
 一人ひとりの洗礼を思い起こし、洗礼準備の学びを思い返しながら、一生にわたる信仰の歩みのために歩んできた道を振り返り、なによりも先ず、今生涯のこの時に信仰の学び、養いをどう受けようか、と考えてくださいませんか。

神学生寮の思い出

内面的思索と霊的涵養のとき~鷺宮時代のルター寮生活を振り返って~

博多教会 長岡 立一郎
 いわゆる団塊の世代である私は戦後、高度成長期の草創期にあたる1965(昭和40)年、日本ルーテル神学大学第2回生として入学しました。当時、7人の同級生と鷺宮神学校の洋風の建物で日夜、学びを共にしたことを昨日のように思い出します。
 ルター寮は、同じく神学大学のあった鷺宮のキャンパス西側に位置していました。寮生は総勢25~27名いたと記憶します。高校からすぐに入学した者、大学卒業を経て入学する者、また社会人の生活を経て入学してくる者など多種多彩でありました。
 寮生活は毎朝、6時30分の朝祷会から始まり、証しや祈りの当番が2ヶ月に1回確実に回ってきていたように思います。当時、真冬は今よりずっと寒く、雪がキャパス一帯を覆っていたことを鮮明に思い出します。とくに寮の暖房は達磨ストーブでしたから、当番にあたる寮生は朝早くから起床し、石炭に火をつける役割がありました。
 朝起きが苦手であった私にとって、その当時の当番は辛い作業でした。でも今はいい思い出となり、懐かしささえ感じます。寮生活で得た収穫は、なんと言っても寮生相互に語り合い、時には激論を交わしたことです。神学校の寮生活には、悪魔による誘惑が数限りなくあるようにも思います。自己主張、自己顕示欲、知識や自己の敬虔さを誇ることなど、日常性の中での自分の内面的闘いと思索は限りなく続いたものです。
 また一方、いつも生活の中でも神学的視点でものを見、考える習慣が身につき、霊的涵養を身につける絶好の機会となったのです。寮生活体験が私の人生の土台となっています。ですから神学生にとって寮生活は牧会者として立つための登竜門だと思うのです。

クリスチャンのライフカレンダー

 大好きである気持ちは前と少しも変わらないつもりなのだけれど、別れることにしたのは、僕のわがままでした。あなたがずっと僕を好きでいてくれるか自信がなくて、そう思いだしたら不安でいっぱいになって、失う辛さを考えずに手を離してしまいました。いつの間にかあなたの存在を当たり前と思い、あなたの存在に胸を高鳴らせたり、会うまでの時間をとても長く感じたり、忘れてしまったそんな気持ちを今頃になって思い出して寂しさを募らせる身勝手な自分を恥じています。
 「受けるより、与える方が」と聖書は言うけれど、僕は受けてばかりであなたを苦しめてしまいました。失ってはじめて、当たり前ではないあなたの小さな手や優しい声から伝わるあたたかさの大きさを思います。
 僕は受け、あなたは与えてくれた。ありがとう。ごめん。世界に一人しかいないあなたに、もしまた巡り会えるのなら、その時は手を離さず、受けることも与えることも一緒にしていきたい。

jelc.TV「LAOS講座」

日本福音ルーテル岐阜教会では、現在jelc.tvで放送中のLAOS講座を、インターネットが見られない会員さんにも気軽に見ていただけるように、DVDにして貸し出しています。LAOS講座以外にも、宣教室からこれまでにお送りした数々のDVDや、岐阜教会でのコンサートや神学生の説教等、30枚以上が揃った「貸し出し用DVD、CD」コーナーを常設しています。
 「ダウンロードすると画質が落ちるので、元データのDVDが欲しい」というPM担当員さんのご意見もあり、宣教室では、ご注文いただければ手数料のみで、元データDVDをお分けすることにいたしました。お問合せください。
■問合せ先(宣教室・乙守)■
 e-mail mission04@jelc.or.jp

※募集中/あなたの教会でのLAOS講座活用法も教えてください。

先輩からのメッセージ

3月末に引退された先生方からメッセージをいただきました。

いきいきとした教会に  宇野正徳

 「牧師が信徒を養い、信徒が牧師を育てる」。牧会生活43年を振り返り、わたしが牧師としてその務めを果たし得たのは、この言葉です。それは教会が一にも、二にもキリストの御言葉の上に立つからです。神の言を取り次ぎ、それに聴き従う牧師と信徒、それは二元的な関係ではなく相互的な関係であることを意味します。神の言に傾聴する両者がいてはじめて教会はいきいきとした教会となるのです。わたしたちの教会がそういう教会であることを祈るものです。

私は教会を信じます  北尾一郎

 復活された「キリスト」がなお「体」を持っておられることは、すばらしいことだと思います。キリストは生きておられるのですから当然なのかもしれません。
 ニケア信条によって告白しているとおり、「私は教会を信じます」。それは時と場所を超えた「見えない教会」であるとともに、今ここで私たちが属している日本福音ルーテル教会であります。私はこの教会を信じています。旧き良き仲間に感謝しつつ、新しい世代の仲間を主にあって信じています。

感謝   松隈貞雄

 定年を前にして、わたしは感謝でいっぱいです。杉山昭男先生、藤井浩先生、岸千年先生、大内弘助先生、ヘンシェル先生、吉永正義先生等よき師に恵まれました。岸先生が卒寿の祝いで、「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである」と叫ばれたお声は今も心に響いています。支えてくださった同僚の方々、ディアコニアでの交わりにも恵まれました。健軍教会、保谷教会、東京老人ホームの方々に育てられ、板橋教会、三原教会、福山教会の兄弟姉妹と共に教会の形成に励むことができました。ありがとうございました。

2007年度 牧師補研修

 2007年度新任及び牧師補研修(第一回)が、3月15~16日、ルーテル市ヶ谷センターにて行われた。
 新しく任地に派遣される神﨑伸牧師補と中川俊介牧師が対象となった。「日本福音ルーテル教会の教職、その責任と働き」を主題とし、「日本福音ルーテル教会宣教方策21について」、「日本福音ルーテル教会の牧師像」……などの研修を受けられた。

インドワークキャンプ

 2月18日~26日、第3回インドワークキャンプが開催された。「キリストの手足となる」をテーマに、19名の参加者が、インド北西のジャムケット村の施設「CRHP」に遣わされた。義足作り・農場での作業を中心に、小学校訪問、地域の村でのヘルスワーカーの働きの見学などを通して現地の方々と出会い、ふれあい、励まされ、また参加者間での分かち合いにより、信仰を深めた。
 現地の方の温かいもてなし、歓迎に心から感謝。インドで体験したことを伝え、インドの友のために祈り、また私達自身キリストの手足となり、一緒に歩むものとなりたい。

平和へ導く働きを知る

 カリタス・インターナショナルとACTの国際コミュニケーションチームによって作られた「ドゥルーイング・ダーファ」というDVDが届きました。これはダーファの国内避難民のキャンプの様子を映したものです。教会でこのDVDを用いて、多くの人に現状が伝わることを願っています。
 ご希望の教会また、お問い合わせは、広報室【koho04@jelc.or.jp】までお願いいたします。

神学生寮設置のためにのチャリティー・コンサートのお知らせ

日 時 2007年4月24日(火)PM6:30開場/PM7:00開演
場 所 ルーテル市ヶ谷センター
入場料 前売券 3000円 当日券 3500円(全席自由)
演奏者 湯口依子(オルガン)
■問い合わせ先■ルーテル学院大学神学校後援会事務局  TEL:0422-31-4611

千葉ベタニヤホーム「旭ヶ丘保育園・旭ヶ丘母子ホーム 児童家庭支援センター旭ヶ丘」竣工式

 3月18日(日)午後、地域のファミリーサポートの一大拠点を目指し、7階建ての新施設となった建物の竣工感謝式が、渡辺純幸副議長によって執り行われた。式典は三部に分かれ、県内外から多くの関係者のご参列をいただき、地域の期待の大きさを感じさせられた。新施設は「ノア・ホーム」と命名され地域に広く開放される予定である。

2007年度教職人事異動報告

第22回総会期第3回常議員会で承認された人事異動についてご報告いたします。
■人事異動
(2007年4月1日付け)
・重富克彦 札幌教会主任
・岡田 薫 札幌教会協力
 *札幌教会(旧札幌・新札幌・札幌北)組織合同のため
・田島靖則 雪ヶ谷教会主任
・松岡俊一郎 大岡山教会主任
・青田 勇 復活教会主任(兼)
・竹田孝一 名東教会主任(兼)
・末竹十大 名東教会協力(兼)
・白髭 義 三原教会主任、福山教会主任(兼)、松山教会主任(兼)
・高塚郁男
 →西教区と本教会で継続協議中
・谷川卓三 大江教会主任、宇土教会主任(兼)
■新任
・神﨑 伸(新任・牧師補)知多教会(東海教区)
・中川俊介(嘱託任用・再任)八王子教会(東教区)
■嘱託任用
・伊藤早奈 東教区付
・落合成光 挙母教会  
■牧会委嘱
・古財克成 釧路教会(更新)
 *但し、2007年4月30日まで
・中村圭助 板橋教会(更新)
・石田順朗 刈谷教会(更新)
・山本 裕 浜名教会(更新)
・戸田 裕 復活教会(新規)
・松隈貞雄 宇部教会(新規)
・早川顕一 聖ペテロ教会(更新)
・狩野具男 荒尾教会(更新)
・A・エリス 小国教会(更新)甲佐教会(更新)

(以下、2007年3月31日付)
■宣教師(退任)
・D.パーソン
・M.ベケダム      
・L.グリテベック
*新任はなし

■定年引退
・宇野正徳
・北尾一郎
・松隈貞雄

※敬称略

住所変更

■小泉 潤
〒520-0515滋賀県大津市八屋戸127-1

訃報

平井栄先生(引退牧師)が、3月7日(水)午前6時頃、召天されました(享年73歳)。
 謹んで哀悼の意を表し、お知らせ申し上げます。

■お詫びと訂正■
 るうてる3月号、「信徒の声」のお名前に誤りがありました。
 正しくは『阿部』晴夫さんです。
 訂正してお詫びいたします。大変申し訳ございませんでした。

07-03-15るうてる《福音版》2007年3月号

機関紙PDF

バイブルエッセイ 「見上げてごらん、夜の星を」

東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった
マタイによる福音書2章9節(日本聖書協会・新共同訳)

 先日、友人からメールが届きました。数少ないメル友の一人です。そこには、老いた母親の介護のことが綴られていました。「つらいんだろうなぁ」、「状況、厳しいんだろうなぁ」と思わず同情し、介護などしたこともないわたしまで、何だかつらい気持ちになって、沈み込んでいきました。でも、友人は、その最後に、「追伸」として「夕べは超寒かったです。自転車で帰る頃、夜8時半くらいかな。手袋がほしいくらい。星がすごく輝いて、きれいでした」と書き添えてありました。
 夜道を自転車で帰りながら、友人は、きっと疲れていたと思うのですが、頭を上げて、夜空を仰ぎ、星を見たのですよね。そんな友人の姿を思い浮かべました。夜空にまたたく星の美しさに感動している友人の心がじわーっと伝わってきました。とたんに、こちらまで、「やったぜ、そうだ」とばかりに、うれしい気持ちになり、元気になりました。
 40年以上前だったでしょうか、“スキヤキソング”と呼ばれ、日本のみならず世界のあちらこちらで口ずさまれた「上を向いて歩こう」という歌がありましたね。多くの人が共感したのでしょうね。上を向いて、天を仰ぎ見つつ生きようと。
 讃美歌にもありますよ。“スルスムコルダ”とも呼ばれる歌で、「心を高くあげよう」という歌い出しです。歌っていると、背筋を伸ばし、頭をあげて歩もうという気にさせられます。「心を高く上げよう。神のみ声に従い、ただ主のみを見上げて、心を高くあげよう」。
 聖書の神様も「さあ、目をあげて」と言っておられます。ある時、アブラムという人に対して、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい」と言われました。その時、アブラムはふてくされていました。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません」と、ぼやいているのす。そんな彼を、神様は夜の闇にひっぱりだし、星を見せました。そして、「あなたの子孫はこのようになる」と約束されたのです。
 「人生、真っ暗闇」とつぶやき、そのたびに、うなだれるわたしたちです。生きていること自体、常に闇と隣りあわせというか、「同行二人」のような気がしています。そして、闇に飲み込まれ、引きずりこまれていく自分を感じます。その重圧に押しつぶされて、あえぎます。出口が見つからず、途方に暮れてしまいます。そんな時こそ、上を向いて、天を仰ぎ見ようではありませんか。
 天、そこは主なる神様の住まいです。真暗闇で八方ふさがりであっても、天はわたしに開かれています。その天を仰ぎ見、星の光を見出すなら、救い主のもとへと導びかれていくことでしょう。
M.T

心の旅を見つめて

堀 肇(ほり はじめ)/鶴瀬恵みキリスト教会牧師・ルーテル学院大学非常勤講師・臨床パストラルカウンセラー(PCCAJ認定)

心豊かな旅を送るために(最終回)

死が日常の外へ
私たちは人生をよく「旅」にたとえますが、旅であるならば当然旅路の終わりがあるわけです。季節で言うなら、それは秋の終わりから冬に向かう頃と言ってよいでしょう。人はここまでくると次の段階、つまり死とその彼方について考えざるを得なくなります。しかし現代のように医学が進歩し不治の病と言われていた病気も治るようになってきますと死の意識は遠のき、いつまでも生きられるような錯覚に陥るのではないでしょうか。
 加えて現実に死を迎える場合も、現代では、いわゆる「畳の上」ではなく殆どが病院や施設であることが死を日常から外へ追いやり現実感を乏しくさせています。このような死の「周辺化」の現象は今後益々進むだろうと思います。日本のように死を忌む文化の中では、その傾向が強くなっていくのではないでしょうか。その意味で健康・長寿・生きがいの過度の強調は老いや死を受容しにくくさせてしまう可能性があるのではないかと思います。
そこは「わが家」でない
確かに誰もが健康で長生きできればと願います。そして現代はそれが可能になりつつあるような時代です。ですが、どんなに医学が進歩し科学が発達しても人は必ず死を迎えます。聖書は人間には「一度死ぬこと」(ヘブ9:27)が定まっていると敢えて語り、現実に目を向けさせようとしています。私たちはこの事実を厳粛に受け止め死に備えることが必要なのです。老後の備えはあっても死と彼方への備えがなければ本当に安心のできる旅とは言えません。それはちょうど目的地を定めず道中だけを楽しんでいる旅のようなものです。
 C・S・ルイス(オックスフォード大学教授)はこの辺りの消息をこんなふうに述べています。「父なる神はみもとに帰る途中に居心地の良い宿をいくつか設けて私たちをいこわせて下さいますが、私たちがそれをわが家(天国)と取り違えることは決して奨励なさらないでしょう」と。彼は地上の生活を否定的に考えているのではありません。そこに「幸せな愛の語らい、美しい風景、素晴らしい音楽、友との楽しい団欒」もあると、その価値についても語っています。しかし、そこを「わが家」と考えてはいけないというのです。
最後の日であるかのように
さて、ここまで考えてきますと、その「わが家」をどのように心に留めつつ旅することができるのかという問いが出てきます。私はキリスト教徒ですから当然その立場から語ることになりますが、イエスが「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハ11:25)、「父の家には住む所がたくさんある」(同14:2)と語られた言葉によって「復活」と「わが家」を信じて旅を続けているのです。
 けれども、この旅の終わりがいつなのかわかりませんから、どれだけ長生きする時代になっても、遥か先のことと考えてはならないと思うのです。中世の修道士トマス・ア・ケンピスの祈りはまさにそのことを教えようとしているものです。「一日がなにをもたらすか、いったい、誰にわかりましょう? ですから神さま、一日をこの世における最後の日であるかのように生きることができますように……」。不思議なことですが一日を「最後の日」であるかのように考えると人生を前向きで丁寧に生きるようになってきます。何よりも人の心を優しくさせ、心の旅を豊かなものにしてくれるように思うのです。

※堀先生の「心の旅を見つけて」は、今回を持ちまして終了とさせていただきます。長い間ありがとうございました。

HeQiアート

Praying At Gethemane by He Qi, www.heqiarts.com

ゲツセマネで祈る

 少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」 
マルコによる福音書 14章35~36節

たろこままの子育てブログ

番外編「いたわる時」

体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです
コリント信徒への手紙一12章22節

 私たちが通わせてもらっている整肢園も、この3月に今年は4名の卒園生を見送ります。 整肢園、つまり肢体不自由児通園施設にはどこかしら身体に事情を抱えた子が通ってきているのですが、中には体の自由だけでなく、意思表示も皆と同じようにするには難しいお友だちもいます(小太郎もそうです)。
 お母さんが「うちが在園生の中でも一番重度よ」と笑うHちゃんも、晴れてこのたび卒園することになりました。6歳になる彼女は自分で立って歩く以前に、首も据わってません。寝返りも打てません。移動は特注の椅子で、黒子は専らお母さんの役目です。自力で痰を吐くことも出来ません(これも機械でお母さんが絶妙なタイミングで排痰します)。小太郎も自分でご飯は食べられないのですが、Hちゃんの場合は飲み込み自体が難しく、お腹に穴を開けてそこから大半の栄養を摂取していました。気温の変化にも弱く、発作もあり、訓練に通うのも大変な中、お母さんと二人三脚で歩む姿が今でも脳裏に浮かびます。
──こんな私たちは、場所が場所なら邪魔者扱いされて終わりでしょう。 小さいながらも園という集団生活、もしかしたら障害の程度によって差別もあるのではかと思われるかもしれません。が、不思議なことに園では、公園に行くにしても屋内の遊びでも、Hちゃんも一緒に楽しむにはどうしたらいいか、まずHちゃんにも無理なく参加してもらうにはどうしたらいいか、彼女を中心とする輪が広がっていた気がします。
 普段「弱い」という単語は、どちらかというとマイナスイメージでとらえがちなもの、上の句のような切り口の文章は斬新ささえ覚えます。私たちもそんなHちゃんがいてくれたからこそ、一人一人であると同時に共に歩む仲間としてつながっていられたのだな、と実感させてもらえました。 喜ぶときは共に喜び、悲しいときには共に悲しみ、そして今日は皆でエールを送ります。卒園、おめでとう!

07-03-15るうてる2007年3月号

機関紙PDF

常議員会

2月常議員会にて、人事が確定し、それに伴い、新任教師及びJ3の派遣先が発表され、それぞれ紹介されました。
 2月19日(月)~21日(水)にかけて、東京・市ヶ谷センターにて、第22回総会期第3回常議員会が開催されました。主な報告事項としては、アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)、日本福音ルーテル社団(JELA)との3者協議が積み重ねられていることが報告されました。本教会常議員会は年に3回開かれますが、なかでも2月の常議員会では、人事が確定するという重要な意味をもっています。
 3日間にわたる常議員会の2日目は、毎年、人事の発令と新任紹介がされました。
 新任教職として神崎 伸氏(武蔵野教会出身)と中川俊介氏(津田沼教会出身)が紹介されました。また、新任のJ3として3名の方が紹介されました。
 マシュー・ガードナー氏及びセーラ・ローン氏は九州ルーテル学院、パメラ・サーセン氏は本郷学生センターへの派遣となります。
 それぞれのお働きのためにお祈りください。

死の向こうにも明かりが…  ~ある死刑囚との交流~

2004年8月、刑務所の中の図書館で借りた本にあった「未来山脈」(垣内氏が編集発行人を務める短歌誌)の「現代口語で短歌を作ってみませんか」という広告が目に留まり、「現代口語」と「未来山脈」という言葉にひかれたと、お手紙が届きました。早速、返事を出し、新聞に書いていたエッセイを同封しました。そのエッセイに「人の人生は90年、だが活字は一生のもの」とあり、その言葉にうたれたという返事がきました。
――歌集「終わりの始まり」のあとがきで岡下氏は次のように書いています。「死刑判決を容認するか、死刑制度の廃止を声高に叫ぶか悩み続け、そのせめぎ合いの中で何かに没頭してみたい、何か本気で打ち込めることはないかと模索していた時、一冊の短歌誌『未来山脈』で巡り合いその文字に心が大きく動かされた。~また、その時に同封されていた~「短歌づくりは未来を見据えると面白いものである。未来とは、人の命はせいぜい90歳か長くとも一世紀である。しかし、短歌は死の向こうにも明かりが灯っている」目に止まったこの記事に私の心は釘付けとなった」――
これ以降、毎月十首が送られ、「未来山脈」に掲載することになりました。
やり取りを始めた頃の作品は、めそめそしたような内容でした。控訴して世の中に早く出たいというニュアンスが強かったのですが、短歌を深めたり、手紙のやりとりをする中で、罪をわびたり、それまでの心の苛立ちが消え、穏やかになっていったように感じられました。やりとりの中で聖書を送ったのですが、それから特に急速な変化がみられるようになり、刑を穏やかに受け入れるようになっていく様子が伝わってきました。
朝6時に独房の時計が止まると、その日死刑が執行されるそうですが、「今日一日は行きながらえる」という手紙をいただいたとき、一日一日を緊張感の中で生きている様子が伝わってきました。
数ある作品の中で印象に残っているものは、「獄舎にもあるささやかな幸せ 米粒ほどの蜘蛛が顔を見せたとき」というものです。この歌を見たときは、小さな蜘蛛にも命を感じる人がどうして人を殺してしまったのだろうと、感じましたが、刑務所の中での心の変化を感じました。また、小さな独房で変化のない環境の中で、次々と歌が出来るものだと感心しました。その後、歌集を作ることになると、十首以外にも送ってきました。新聞では350首となっていますが、実際は650首に上ります。
終わりになりますが、刑務所から歌を作りたいということに正直驚きました。しかし、基本的に殺人犯であろうが、総理大臣であろうが、短歌を作りたいという点では、それぞれ魂のある同じ人間です。特異な中で歌を作ろうとしているのにびっくりもし、ぎりぎりの中で歌を作られることに感動もしました。平凡という中で、穏やかに暮らせるということは幸せがあることを改めて知る経験でした。
独房に長くいると、精神的に追い詰められる人が多いと聞きますが、岡下氏は歌を作ることと聖書を開くことで、死の向こう側に希望を見出したことはよかったと感じています。
(写真)詩集(岡下香歌集『終わりの始まり』)を手にする垣内氏

クリスチャンのライフカレンダー

~20歳を迎えたあなたへ~

 10歳まで生きられたら奇跡だと言われたあなたが20歳、成人となる日を迎える事が出来るなんて! 何という喜びでしょう。
 ここまで成長させて頂けたのは、たくさんの人に愛され、祈られてきた証しです。恵みをいっぱい受けて、今まで守られて来て、大人の仲間入りをしたあなたは、神様と社会に対して責任と使命を果たしていかなくてはいけません。
 言葉では難しく聞こえるかも知れませんが、ハンディのあるあなたにとって、とても簡単な方法を伝授しましょう。あなたはあなたのままで、大好きな神様に全てを素直におゆだねすれば良いのです。すでに、私たちは皆、善い業のために神の完成品として造られています(エフェソ2:10)。たとえそれが人間の目から見て、不完全であったとしても、存在そのものが責任であり、使命なのですよ。まずそれを知る事が大切です。これからのあなたが、神様にどのように用いられて行くか、とても楽しみです。

information

春キャン、申込み最終受付!!

 今年の春の全国ティーンズキャンプは、3月27日(火)~29日(木)にかけて、千葉市少年自然の家(千葉県長生郡)にて開催されます。
 申し込みは、まだ間に合います!
 うっかり、申し込みを忘れていた方、やっぱり行こう! と思った方、今すぐお申し込み下さい。
申し込みは千葉教会、佐藤先生まで!
メール kz-sato@jelc.or.jp
FAX   043-244-8018

牧師の声 私の愛唱聖句

東教区 大森教会 牧師 勝部 哲
あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。
伝道の書12章1節(口語訳聖書)

私は聖公会のクリスチャンホーム3代目で育ちましたが、先の終戦直前生まれで、直ぐに疎開したために聖公会の洗礼を受けずにいました。昭和24年に疎開から引き上げた頃、聖公会の教会が遠かったために近くにある焼け残った旧大阪ルーテル教会(現在の天王寺教会)の教会学校に通っていました。訳も分からずにクリスチャンホームの子として当然のごとく教会学校に親の意向で通わせられていました。
 戦後復興という時代が終わった頃、気がついたら小学校や中学校に進むにつれ、幼馴じみは別にして友達というものがあまりいないことに気がつきました。その原因は、私たちの直ぐ後に続く「団塊の世代」に終われるような「受験地獄」に突入していた頃で、日曜日は友達のほとんどが「習い事」や「学習塾」に行っており、毎週ノンビリと教会学校に通っていた私は置いてきぼりだったのです。両親は教育熱心ではなく自由主義の生活を是としていたこともあって、私は徐々に教会学校から離れるようになりました。受験戦争の中、友達を得たいがためでした。また親に対する静かな反抗心が沸き起こり、キリスト教会は何の役にも立たないと思い始めた頃でもありました。そして「60年安保闘争」に巻き込まれ、学業よりも学生運動に飲み込まれてしまいました。
 結果は見事なもので挫折感を味わう結果に陥り、気がついたら私は一体何をしてきたのかと自分の人生を恨む生活になりました。大学受験は中途半端なもので一浪を余儀なくされ、友人達はそれぞれに成功してゆく中、自分一人だけがポツンと時代に取り残されたような感じを経験しました。それからというものは、猛烈に「人生とは何か」、「人は何のために生きているのか」、「この世どのような生き方があるのか」と貪るように哲学書や文学書などを読み漁りました。正直言ってその頃、生きるのに苦しかったと言えます。その苦しい時に母親だけが私の苦しみを知り抜いていたのです。ある日、ぽつんと「聖書の中にある伝道の書とヨブ記をしっかり読み直しなさい。ここにあなたが求めている答えがある。」と言いました。もう後は語る必要がないと思います。
 私はその時に救われたのがこの伝道の書の聖句です。当時16歳でした。直ぐに天王寺ルーテル教会の第1号の洗礼を受けました。自分の事を誇示する積もりはありませんが、今の若い世代の人には、是非、奨めたい聖句です。

信徒の声 教会の宝石を捜して

東教区 保谷教会 信徒  安部 晴夫
キリスト教との出会いは?
1953年、小石川教会にてハイランド宣教師から洗礼をうけました。大学生の時バイブルクラスに参加し聖書を学んでいる内、教会の礼拝にも出席するようになり受洗へと導かれました。
保谷教会との出会いは?
 教会は居住地に近いほうが良いと考えます。教会が近ければ礼拝や行事、そして奉仕活動に出やすいからです。結婚後、関西に転勤になった時は豊中教会に籍を移し、そこで妻雅子が園田先生から洗礼を受けました。その後東京に移り田園調布教会に、また八王子に転居した時は八王子教会に転籍しました。そして、20年ほど前、現在の場所に自宅を構えた際、当然のこととして、一番近い教会である保谷教会に5回目の転籍をしお世話になる事となりました。
 保谷教会は決して大きな教会というわけではありませんが、ご家族やご夫妻で見える方が多く、また信仰の先輩方もおられ色々ご指導して頂き、私にとってはとても良い教会だと思っております。
阿部さんにとって教会とは?
 教会がなければ私の人生はないと思っています。現実、私が今生きていることは教会に繋がっていればこそと思っています。私は病気とずっと闘ってきました。初め腎臓ガンに冒されました。その時、自分は本当に死ぬと思いました。当時医者はガン告知をしないのが一般的でした。しかし、術後8年間治療を受け完治したのですが、その治療から妻も私も病気がガンであることを理解していました。平成9年、ガンは再び私に襲い掛かり、右肺に転移し手術、そして翌年は左肺をもガンに冒されました。病との戦いの中、ハワイアンと出会い仲間達と音楽を楽しむ時期もありましたが、ガンで仲間が次々と亡くなっていった時、自分が生き残っていることを本当に深く実感しました。教会に繋がっていなければ信仰は薄まってしまうと思います。私は人間の思いではなく、神様の思いに従いたいのです。だからいつも教会に繋がり、教会の礼拝に出席することを大切に考えてきました。そして、自宅から一番近い教会に転籍してきたのです。
信徒として生きるとは?
 教会には色々な方がお見えになります。しかし、礼拝堂に入り信仰を告白し思いと言葉と行いの罪を懺悔し福音の説教を与えられ聖餐にあずかることが出来る、これが教会の素晴らしい点だと思います。聖日には極力礼拝に参加すること、これが信徒としての努めであり、また信徒として生きてゆく最も大切なことと考えます。

求道者の旅24.ケネス・J・デール

第24回(最終回) 成長し続ける事

 ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘しているうちに腿の関節がはずれた。「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません」
(創世記32章25~27節)

 族長ヤコブから使徒パウロにいたるまで、聖書の中には神との関係を求める人々との間に葛藤する話があります。讃美歌、祈りはクリスチャン人生における霊的闘いについて多くを語っています。

 過去2年に及ぶコラムは、神の性質、ご意志、人生における働きをより深く理解しようとする私自身の格闘でした。ルーテルの教義では、私達の奮闘ではなく、神の一方的御心により救われている事は明白です。しかし、神が私達の中に働きかけてくださるチャンスを持つために扉を開けないと神に冷淡で無関心になってしまうのです。
 日本の読者の方々と24回にわたり求道の旅を分かち合うことをお許しいただいたルーテル編集部に対して深く感謝します。日本の教会に対してこの連載を書くことを依頼されたことは真に名誉な事でした。45年間、私達が愛し仕えて来た教会につながることができて本当にうれしかったです。
 またこのコラムを読んで下さったすべての方に感謝します。40年近い間に異なる時間と場所で書いたものですから、一貫性や関連性に欠けていたかもしれませんが、クリスチャン信仰の深い核心的論点に取り組む一助となることを心より希望します。コラムに関して何かご意見がありましたら編集部に送っていただければ幸いです。4月に日本に滞在している間に伝えていただきます。
 最後に上村先生に深く感謝します。私の代弁者として勤勉に、忠実に訳してくれました。有り難う、先生!
 原本は私の著書 A Seeker’s Journalですが、可能であれば将来日本語で出版する事を考えております。
■翻訳者より一言■
 デール先生の貴重な記事を翻訳させていただいたことを心より感謝します。優しい微笑みの中に鋭い洞察があり、私自身はっとさせられる事がありました。完訳を急ぎ、一人でも多くの方に読んでいただきたいと思います。(上村敏文)

※デール先生の「求道者の旅」は今回を持ちまして終了させていただきます。長い間ありがとうございました。

詩編を味わう 礼拝こそすべて

角笛を吹いて/神を賛美せよ。琴と竪琴を奏でて/神を賛美せよ。……
息あるものはこぞって/主を賛美せよ。
ハレルヤ。
詩編150編3~6節

—–賛美とは
 詩編150編は、「小さな聖書」と言われる詩編全体の結びとでもいうべきものです。神を賛美せよとのフレーズが11回にわたって繰り返されることからも分かるように賛美こそ聖書の終わりを飾るにふさわしい形であることを明らかにするものです。
 神を賛美するとは、信仰者の信仰の応答の行為すべてといってよいでしょう。賛美というと賛美歌を歌うことだと考えがちですが、それだけが賛美ではありません。信仰告白であり、祈りがあり、悔い改めがあります。神への感謝、嘆きの訴えもまた賛美のわざに数えられます。讃美歌の歌詞を読めば、何をもって賛美の中身とするかは歴然としています。
 賛美は、わたしたちが聖日の度に守る礼拝においてもっともよくその行為が表明されます。だから、三位一体の神を告白する教会であれば、どこであれ礼拝をしないところはありません。教会は長い歴史の中で、賛美を礼拝という形に整えてきました。礼拝は最高の賛美の形なのです。そして、わたしたちはそれ以外の形で神を賛美する方法を知らないのです。
 しかしながら、天上の教会においてならいざしらず、残念ながらこの地上の教会では賛美の礼拝が常に完全であるとはいえません。肉において生きている間は、賛美は神に最もふさわしい行為であっても、なお欠けた部分を抱えています。ルターは教会の歴史上最大の殉教者は主の祈りであると申しました。主の祈りを毎週のように礼拝の中で祈ります。しかしながら何を祈っているのか分からないようにもごもごと祈ったり、口早に祈ったり、考え事をしながら祈ることもあるでしょう。主の祈りがそれほど乱暴に扱われているのを、ルターは嘆いているのです。あるいは牧師の説教を半分居眠りをしながら聞いていることだって珍しいことではありません。肉の弱さをあげつらえば切りがありません。

—–すべてをあげて
 肉の弱さをよく知る真の信仰者は、どれほどの賛美であっても神のわざをほめたたえるのに十分でないことを知っています。ですから、持てるものすべてをもって神を賛美し、足りないところを補うのです。詩編作者は、持てる物すべてをもって賛美する信仰者の姿を、「角笛を吹き、琴と竪琴を奏で、太鼓に合わせて踊り、弦をかき鳴らし笛を吹き、シンバルを鳴らして」(3~5節)と表現しています。神への賛美は、言葉だけのものではありません。持てるものすべてを用い、体を使うのです。生きている者はすべて、そのような賛美に参加するのです。それこそがこの地上における最高の賛美です。
 音楽の教会と言われるルーテル教会は、賛美に溢れた礼拝を式文という形にして所有しています。この礼拝の豊かな賛美をわたしたちはもっと享受してよいのではないでしょうか。肉の弱さでこの賛美を貧しくしてはいけません。「角笛を吹いて、神を賛美せよ。琴と竪琴を奏でて、神を賛美せよ。……息あるものはこぞって、主を賛美せよ。ハレルヤ」とは、礼拝の式文をもって賛美をするわたしたちの姿であります。わたしたちの礼拝の形は長い歴史に洗われて今日見るような形になりました。一朝一夕でこの形ができあがったわけではありません。先人たちの信仰の知恵が凝縮しています。詩編が語る神への賛美は、毎週の式文の中にすでに織り込み済みであることを知りたいと思います。

—–式文で養われる信仰
 わたしたちの信仰はこの式文の賛美に包まれ洗われて成熟していきます。式文を教会の殉教者とすることなく、むしろ証人にしていっそう成熟した信仰者の姿を表明したいものです。礼拝はわたしたちが信仰共同体の一員であることを表わします。その礼拝での賛美は、わたし個人の賛美に終わらず、互いの賛美が重なり合い、響き合って、隣人の信仰を養います。たとえわたしの賛美の声は小さくとも隣人からは大きく聞えるように礼拝では整えられているのですから。
(かくしゅういち)

※賀来先生の「聖書研究」は今回をもって終了させていただきます。長い間ありがとうございました。

jelc.TV 活用術

「るうてる」2006年8月号でも一度紹介しました、インターネット配信「jelc.TV」。番組も充実してきましたので、改めて視聴方法をご案内いたします。
「jelc.TV」 TOP画面←赤い文字の番組が閲覧可能番組です。その下の「Win」「Mac.ipod」の文字(番組によっては「前編」「後編」の文字)をクリックします。
すると再生ソフトが起動して自動的に再生されます。

番組紹介LAOS講座
・LAOS講座を執筆された先生方が、各号の内容を分かりやすく解説してくださっています。
・約45分ずつの、前編・後編に分けて編集してあります。
・教会での勉強会や、個人でもご覧いただき、学びの助けになると思います。
・インターネットをお使いにならない方のために、DVDにして貸し出しをしている教会もあります(次回ご紹介予定)。
・3月末までに、全巻の閲覧が可能になるよう、作業を進めております。
■jelc.TVにて閲覧可能な講座  創刊号、2,4,5,6号
■ただいま編集中 第7,8号(前編)
■これから収録
第1号(浅野直樹先生):日程未定
第3号(江口再起先生):3月25日@横浜教会
第8号後編(石居基夫先生):日程未定

議長に一問一答

Q.どのような施策をもって教会共同体を推進されましたか。
A.教会共同体は、教会の再編案の一つとして生まれた教会の行政単位です。その再編は、教会がもっている総体としての力を教会の外に向って有効に発揮させることを目的に行おうとするものです。
 この教会再編策そのものが、各個教会の自主性に基づくものでなければなりませんので、各個教会にこの施策の意味を浸透させることに努力しているところです。誰かが決めたことに従うということではなく、自分たちの教会の歩み方として、教会共同体を形成するという動きが生まれることを期待しています。
Q.その施策によってどのような変化がみられましたか
A.地区や教区での教会共同体を論じる場で、ある代議員から次のような意見が出ました。
 「教会共同体を形成するメリットは何かとよく言われるが、自分の教会にとってのメリットは何かと発想していたんでは、この教会共同体の意味は出てこない。自分の教会にとってのメリットではなく、そこで考えられている教会共同体全体にとってのメリットは何かを考えるべきだ」と。
 福音のもつ力を福音のもつままに教会の外に発揮させたいという思いで推進してきたこの計画ですが、ようやくここまで来たか、と思わせられたご意見でした。気長に、この計画と取り組んで行きたいと思います。

神学セミナー

現代日本のスピリチュアリティー 第41回教職神学セミナー開催

 2月13日(火)~16日(金)東京・三鷹のルーテル学院大学・神学校で第41回教職神学セミナーが開催された。ルーテル教会3教派から31名の参加者(当大学教授含)に加わって大勢の信徒が受講した。 基調講演で江藤直純氏(日本ルーテル神学校長)は「伝道へ:現代日本のスピリチュアリティー」と題して、スピリチュアル・ニーズ、霊性と伝道等基本的な事柄について説明した。
 外部から招かれた四人の講師が次の講演を通して日本の原状を描いた。菅原伸郎氏(東京医療保険大学教授):「なぜ寛容でなければならないか」、名取芳彦氏(真言宗豊山派布教研究所研究員):「仏教の布教活動」、島薗進氏(東京大学大学院教授):「現代日本の宗教事情」、掛場一彰氏(立正佼成会驚愕委員会委員長):「法座の今」。他の宗教団体の布教も困難であり、現代日本人は宗教団体に属しないで、直接“超越者”に向かっているという神秘的な傾向が強い。
これに対して、ルーテル神学校の教授たちの聖書研究、講演と各礼拝の奨励は、力強いメッセージで、新鮮な気持ちでしっかりと、私たちに預かった大事な福音を語り続けるように励まされた。
 教職神学セミナーはあと2年続いて「伝道」をテーマにする予定。

まきばの家 竣工式

 2007年1月24日に静岡県袋井市にあるデンマーク牧場において、児童養護施設まきばの家の竣工式が行われ、130名の参列者がその完成を祝った。
 会食の部では、こどもの家のスタッフ、まきばの家に内定したスタッフ、前日から駆けつけた教会関係のボランティアなどが総出で作り上げたデンマーク牧場特製の料理に参列者は舌鼓を打った。4月から虐待を受けた子どもたちが入所してくる予定で、デンマーク牧場の新たな挑戦が始まる。
(まきばの家・施設長加藤正幸)

伝道セミナーのお知らせ

 第13回伝道セミナーは、広島県の宮島を会場に5月3~5日の日程で開催されます。
 今年度の伝道セミナーは、伝道について考えるというよりも、むしろ信徒大会的な催しとして企画されています。
 テーマを「いやし」として《礼拝がいやし》という題で賀来周一先生を講師にお招きして主題講演をいただきます。
 またルーテル学院大学からジェームズ・キャロル・サック夫妻をお招きしてハープ演奏による礼拝を楽しみます。
 またゴスペルシンガーの森祐理さんをお招きしてコンサートを聴きます。
 3日間、そのような豊かな礼拝を6回行い、のんびりした時間の中で時を過ごすプログラムになっています。
 みなさまのお越しを心よりお待ちしています。

訃報 

 谷川 辿 様(谷川 卓三牧師のご尊父様)が1月26日午前7時30分頃、召天されました(享年88歳)。
 謹んで哀悼の意を表し、お知らせ申し上げます。

住所変更

 引退牧師の門脇聖子先生が、3月15日より左記の住所に転居されます。
〒665-0025 兵庫県宝塚市ゆずり葉台3-1-1A215

春キャン準備報告

 第15回春の全国ティーンズキャンプ(春キャン)のご案内は、左のポスターと共にすでに各教会に配付されています。今年は、1月中の申込者は割引をしたこともあって、例年より早いペースで申込みが寄せられています。申込書に記されている参加者の声を読んでみますと、キャンプに対する期待の高さを知らされます。
 それに応えるためにも、迎えるスタッフも準備をしています。2月11日(日)~12日(月)にかけての2日間、田園調布教会を会場にスタッフ研修会を開催しました。目的は、スタッフが互いに知り合うこと、キャンプのねらいを共有すること、そしてリーダーの働きについて知ることなどです。
 スタッフ一人ひとりは、こうして祈りを一つにし、心をあわせて、ティーンズの参加を待っています。どうぞ、皆さんの教会からもお送りください。

教職授任按手式

 3月11日午後7時より東京教会にて教職授任按手式執り行われます。どうぞ、ご参集ください。

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『るうてる』が変わります
 来月4月号より、「るうてる」がレイアウト、内容ともにリニューアルします。
 4月号は4月8日頃お届け予定です。どうぞ、ご期待下さい。

07-02-15るうてる《福音版》2007年2月号

機関紙PDF

バイブルエッセイ 「生けるものみな表現者」

また、イエスは言われた。「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。 マルコによる福音書4章21節~22節(日本聖書協会・新共同訳)

峠に向かって山道を登っていました。左側はそそり立つ絶壁、右側は千尋の谷。道はでこぼこ。古びた頼りないガードレールがあるにはあります。神経を集中してこの道を登っているときに、ふと第六感が刺激されました。こんな時は必ず思いがけない贈り物があります。車を留め、ガードレールの向こうに広がる千尋の谷をのぞいてみました。ありました。3メートルほど下に、薄紫よりもややピンクががかった数輪のつつじがぽつんと咲いています。つつましやかに、でも精一杯豪華に。このような瞬間はわたしにとっても至福の時です。自分だけの風景がそこにあり、自分だけの出会いがそこにあります。わたしがそれに気づいたことを彼らは喜んでくれたでしょうか。それはわかりません。この数本のつつじは、精一杯に咲いて、しおれてゆくといういとなみを繰り返すだけです。しかし、誰知らずとも彼らはまさしく表現者なのだと思いました。隠された命の表現者です。だから感動を与えてくれます。
障がいをもった一人の娘さんを知っています。アメリカではエンゼル・チルドレンと呼ばれる障がいです。その家族は世界を股に活躍してこられた家族なのですが、その中心は娘さんで、彼女は家族の光源、そして暖炉です。彼女の笑顔はすべての人を和ませます。彼女もまた、隠された命の表現者なのです。愛の表現者です。
表現者と言うと、いわゆるアーチストと呼ばれる特別な人々を想像するのが常です。その人たちは「表現」ということを生業としているプロですから、そう呼ばれても不思議はありません。でも、プロが表現しようとしていることは、そんなに特殊なことなのでしょうか。
ピカソの作風を、常識の枠を超えた作風に一変させたのは、1枚の子どもの絵だったと聞いています。プロはたゆまず表現の技術を磨きます。技術は足し算です。反比例して、表現の内容は限りなく単純化されるのです。引き算です。それはただ有るもの、一つなるものでありながら限りなく多様なものだとわたしは思っています。
生きとし生きるもののすべてが、有限なものとして、その命を表現し、その命を終えます。そのすべてがもっとも単純なものを表現しようとしています。もっとも単純なものとは、創造者の愛です。なぜなら、生きとし生けるもの、一輪の花、一羽の空の鳥に至るまですべて神ご自身の表現体だからです。被造物が、意識無意識を問わず、自分を通して、創造者の愛を映そうとする。それが生きることです。それが表現です。
K.S

心の旅を見つめて

「有用性よりも存在の仕方」こそ

退職後に新しい可能性が
個人差はあるものの長寿国日本では、退職してから20、30年も生きる時代になって来ました。これは人生全体の時間的割合から言っても大変長い期間です。ライフ・サイクル(人生周期)のこの最後の段階をどう生きるかは、誰にとっても大きな課題であると言っていいでしょう。
ある人たちは、それまで出来なかった趣味や教養を身に付け、新しい可能性に向かって挑戦しています。今まで知らなかった分野を探求するのもなかなかのことです。気づかなかった才能を発見するようなことも意外に多いのではないかと思います。何よりも、それまでの職場のような限られた中での人間関係とは異なり、多種多様な人たちとの出会いを通して自分の人生観や物の考え方を見直すという機会に恵まれます。また利害関係が付きまとう競争社会では得られなかった友情や人間的な交わりも社会的な枠組みを離れてから芽生えてくる場合もあるのではないでしょうか。
「する」から「ある」へ
けれども、この最後の周期を心の旅という視点から考えると、何かを「する」ということだけにしてしまうならば、もったいないというだけでなく人生に宿題を残すようなことになってしまうのではないでしょうか。何か新しいことを「する」ことも意味のあることなのですが、人生の円熟期と言われる老年期の大切な課題は自分が今どんな人間で「ある」かを振り返り、内面的な生活を深めていくことではないかと思います。
 ポール・トウルニエは、老年期の人々にとって重要なことは「彼らが現在どういう人間であるかということなのであって、彼らがこれから何ができるかということでもなければ、自分で持ち運ぶことができない所有物でもない」と述べ、「ある」ことの大切さを強調しています。彼はまた「主として内面生活のあり方しだいで幸不幸が決まるのだ、ということを理解し、容認している人々……こういう人は大抵の老人を非常に強く打ちのめすところの、あの自分はもう無用の存在なのだというおそろしい感情におそわれることが割合すくない」と、やはり「ある」ことの重要性を語っています。
「存在のしかた」によって
聖書を見ると、この内面性について「年老いた男には、節制し、品位を保ち、分別があり、信仰と愛と忍耐の点で健全であるように」(テトスへの手紙2章2節)と、それこそ「内面生活のあり方」が指摘されています(年老いた女にも言及)。これらは高齢者のあるべき姿、言い換えると人格的成熟といったものが求められているわけですが、現代は若さが強調され過ぎているためでしょうか、「80歳なのに○○が出来る」などとといった具合に、どうも「する」ことが称えられる傾向があるのではないでしょうか。
 これは、かつて今のような高齢社会が存在しなかったため生き方のモデルがなかったことによるのかも知れません。ことに効率主義、生産性至上主義の高度成長時代を生き抜いてきた世代の人たちは、何かやっていないと落ち着かないという生き方になってしまっているようです。これでは趣味も娯楽も競争になってしまいます。身についた行動パターンは修正が難しいかも知れませんが、神谷美恵子が言うように、「有用性よりも〈存在のしかた〉そのものによってまわりの人びとをよろこばす」ような老年期でありたいものです。
堀 肇(ほり はじめ)/鶴瀬恵みキリスト教会牧師・ルーテル学院大学非常勤講師・臨床パストラルカウンセラー(PCCAJ認定)

HeQiアート

Mary Magdalene by He Qi, www.heqiarts.com

ベタニアで香油を注がれる

 そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。 
ヨハネによる福音書 12章3節

たろこままの子育てブログ

番外編「逃れる時」

あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。(コリント信徒への手紙一10章13節)
 例えばマザーテレサが言ったのなら深く頷けるものの、事情を知らない人に気軽に言われたり、気休めに発言されるとこの上なく複雑な思いを味わうとても難しい句です。
 こちらからも相手を励ましたいときにもこの句は中々口にしづらかったりしますが、実はこの数行あとに「試練と共に、それに耐えられるよう逃れる道をも備えて云々」とあります。皆さんはこれをどう読まれるでしょうか。
 話は飛びますが、私には2歳年上の従兄弟がおりました────過去形なのは、彼がもうこの世にいないからです。おととしの秋、原因は過度な仕事に追い詰められての飛び降り自殺でした。
 線香の立ちこめる一室で、静かな笑顔を浮かべる彼を見ながら思ったことが、「逃げて欲しかった」これだけです。男の子だから頑張りなさい、泣くんじゃない……私たちはふとした拍子にこの言葉を使ったり耳にします。きっと真面目だった従兄弟もその通りに頑張って頑張って頑張って、糸が切れてしまったのかな、と思うと涙が止まりませんでした。
 そんな節目に冒頭の句だけ読むと辛かったのですが、あとに続く「逃れる道」の言葉に少し救われた気がしました。戦わなくていいんです。頑張らなくていいんです。人はときに────泣いたっていいんです。逃げたっていいんです。  
 学歴社会だの、能力主義だのと言われて久しい昨今、試練も一昔前より多種多様に根深くなったのではと感じます。でも変わらないのは、親の誰一人子どもが己で命を絶つことを望んでやしない、そんなことのために子どもを育ててやしないということではないでしょうか。今、いじめにより自殺を図る子の悲しいニュースも多いですが、命を絶とうと思うほどに辛いときは、どうか逃げてください。そして周りの大人も、逃れる道にも心を向ける必要があるのかと思います。

07-02-15るうてる2007年2月号

機関紙PDF

教職授任按手式礼拝

今年も3月に教職授任按手式が執り行われ、2名が按手及び派遣を受ける予定です。どうぞ、ご参集ください。
■福音を語るに際しては、力強く大胆に、聖書に基づいて公然と臨みたい。あのアポロのごとく「イエスのことについて」どこまでも熱心な者でありたい。今こそイエスのために、わたしたちが共に、グッド・ニュースをたずさえて世に出てゆく時です。
神﨑 伸(武蔵野教会出身)
■聖書の中では12という数は特別です。また、事情があって故郷を離れる場合も多々見られます。私がここに再び機会を与えられて、福音宣教の働きに12年ぶりに復帰することにも神の御恩寵を感じます。
中川 俊介(津田沼教会出身)

事務局長就任挨拶

前事務局長の辞任を受け、山之内議長は徳弘氏を事務局長として指名しました。信任投票の結果、12月1日付けで徳弘氏が就任しました。
その徳弘事務局長より就任の挨拶をいただきました。
 先日キャビネットから探し物をしていると、日本福音ルーテル教会の歴代の議長、事務局長とトピックスが載った簡単な年表を見つけました。そういえば、私のノートパソコンの中にも、JELCの過去の議事録や集計表、るうてるなど、すべてが電子化されて入っています。今までの私たちの教会の歴史を振り返りました。
 いま、日本のどのキリスト教会も困難さや転換期に立っています。欧米のキリスト教界も転換期です。アメリカやフィンランドの深い関係にある教会との関係も、調整が必要になっています。
 しかし一方、幸いなことに、私たちには、歴史と、世界中の仲間と、そして国内にも豊かな教会・信徒の群れが与えられています。
 神様から頂いた恵みを、本当に感謝して受け取り、他の方々にも伝え、仕えて行くことが私たちのミッション(アワー・ミッション)です。
 2002年からPM21(パワー・ミッション)という宣教方策が進められてきました。教会の全体の姿を整え、現場の教会の働きを支えるために教会事務局は置かれていると思います。この転換期に、本当に福音の恵みを私たちのものとして捉え、味わい、感謝して、わたしたちのミッションにしていくことが大切と考えます。
 歴史や将来、そして全国規模や海外他の関係という、広く長い視点で見るために、時として、現場の視点と多少の相違が生じることもあるでしょう。
 祈りと、対話を大切にしながら、この大切な努めにあたっていきたいと考えています。
 山之内議長を先頭にして、私たちの群れが、更に豊かに祝福されれるように、祈りながら。
 どうぞ、宜しくお願いいたします。
徳弘浩隆

クリスチャンのライフカレンダー

~岐路に立つあなたへ~

 悩みの真っ只中にいつあなたは、浪人中! 悩んで苦しんで出口を模索しているあなた。でも、愚かな母は、何の手助けもできません。ただ、オロオロして、あなたの様子を見守り、祈るだけの存在です。高校生の時、ただ一言「牧師にならない?」と聞きましたね。
 でも、あなたは、別の道を選びました。
 大学へ進学するのも、就職するのも自由、全て、神様がレールを引いて下さっているのですもの。今、私の人生を振り返ってみると、悩み抜いてきた全てのことが、神様のみ手の中にありました。堅信式で、信仰を告白したあなた! どんなときでも神様の御心に適った生き方をしてくれると信じています。
 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていて下さいます」(1コリント10:13)

春キャン、申込み受付中!!

 今年の春の全国ティーンズキャンプは、3月27日(火)~29日(木)にかけて、千葉市少年自然の家(千葉県長生郡)にて開催されます。どうぞ、各教会でご案内ください。
ご注意:すでにポスター等でご案内していますように、申込み時期によって参加費が異なります。お早めにどうぞ!
1月中:10,000円/2月中:11,000円/それ以後:15,000円

牧師の声「私の愛唱聖句」

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。(ヨハネによる福音書1章1節)
東海教区 高蔵寺教会 牧師  土井 洋
 初めて読んだ聖書の言葉です。中学生のときでした。意味は良くわかりませんでしたが、少年の脳裏に、楔が打ち込まれたようでした。以来50年間、その意味を探索中です。
 その方は、空気のような人でした。私にこの聖書を教えた方です。喜怒哀楽を超えた顔で、聖書を読みます。その意味が、私には、分からなくても、悠々と読み続けます。「分かりましたか」などと、その方は問いませんでした。その意味が分からなかったので、今でも格闘を続けています。そのとき、その意味が分かったなら、今の私はないかもしれません。
 この分からない聖書のために、探求を継続しています。継続は力なりといいます。力とは、強くあるだけではないと思います。むしろ、弱さのほうが力になる場合もあります。分からないから分かろうとするとき、より強い力が働きます。これは直接的な支えや励ましにはならないかもしれません。ただ、目に見えないところで働いていることを悟るだけです。目に見えない格闘ですが、真剣な格闘です。斬るか、斬られるかの格闘です。これこそ生きているしるしであるかもしれません。格闘の出発は、ヨハネ福音書の言葉でした。
 50数年もかかって、その真髄に触れたかどうか定かではありません。
 大見得を切って、人に伝えたいものは何もありません。ただ、50数年間の格闘で、まだ、何も決着がついていないということです。だから、この格闘は継続しなければならないのです。いつの頃からかは、分かりません。しかし、確実にそのように定められているようです。
 否、そのように生かされている。この方が精進でしょう。

信徒の声「教会の宝石を探して」

西教区 下関教会 信徒   米田 説子
教会に来られたきっかけは?
教会の伊藤きよさんとのご縁かしら。彼女とは、婦人の友の愛読者会「下関友の会」でお付き合いがありました。私は羽仁もと子先生をとても尊敬しているんですが、先生の著作集に信仰篇というのがあって、その中に意味のよく分からない文章があったんです。なら、牧師さんに聞いてみたらとなって、当時の小泉潤牧師をお訪ねしました。もう20年以上前のことです。洗礼は1986年3月30日に受けました。
友の会についてお聞かせください
友の会は50年以上になります。今は、私が一番古いかしら。亡くなった夫は友の会があまり好きではなくて、若い頃は夫に隠れて参加しました。初めはご近所で友の会のメンバーがクッキーを焼いていて、そのグループに誘われたんです。クッキーは甘い香りで、いただくと、こんなにおいしいクッキーは他にはないって思いました。いろいろなお料理を習って、本当に楽しかったわ。
 友の会を続けているうちに、下関友の会の総リーダーになったんです。それは大変でした。友の会に反対の夫には愚痴一つこぼせないし、そんなとき聖書の言葉に慰められました。今でも一番好きな聖句です。「深處に乗りいだし、網を下して漁れ」(文語訳:ルカ5章4節)分かったような顔をせずに、もう一年間励みなさいと言われているようで、本当に救われました。
米田さんのご趣味は俳句ですね。毎月「カリス」(月報)にも掲載されていますが、いつ頃から始められたのですか。
 本格的には夫が亡くなってから始めました。かれこれ15年になるでしょうか。俳句は毎日書いています。一日に一つとかぎらず、二つ三つとできて、私はこの時間がとっても好き。何より一番楽しい。母の歌が多いかしら。日常風景の母の姿を思い出すんですが、私には子どもがいないせいね。母の姿が浮かぶんです。
米田さんの俳句を、昨年のクリスマス祝会で詩吟に歌われた方がいましたね。
母の里/駅まで三里/稲の花   
 そう、あの方、うまく詩吟にしてくださいました。私は不信仰であまり教会のことはしてこなかったのに、何だか恥ずかしいわぁ。
ありがとうございました。るうてるに向けても一句をお願いします。
栞せし/ふくらむ聖書/去年今年

求道者の旅 第23回 どのようにして神様と会話するのでしょう?

ケネス・J・デール
Q. 主な祈りの種類は何でしょう?
A. 崇敬、賛美、感謝、懺悔、奉献、とりなし、そして祈願が主な種類です。
(英国国教会祈祷書より)
 公の祈りは形式的な言葉にすぎないように思われる時があります。私的の祈りは絶望的状況におかれた時の嘆きです。しかし、祈りとはそれ以上のものであるはずです。
電線のたとえ
 三鷹の神学校のキャンパスの門の上を走っている高圧線を見ていると、細い、単純な、普通の線を通って街の何千という家々に働き、流れている莫大な量のエネルギーの事を思うのです。
 私は、単純で、小さな、普通の人間を通して働いている神の霊のエネルギーを一つの比喩として考えたのです。そのエネルギーは、確実にその線の中に流れている潜在的な電力以上のを持っているに違いないのです。
 両者とも力は全く目には見えません。また力を利用するための変圧器が不可欠です。そうでなければ、ただの潜在的なエネルギーにしかすぎません。
 祈りが変圧器なのです。「求めなさい。そうすれば、与えられる。」とイエス様は説かれました。求めることなしには、何も受けるものはありません。求めなければ、神様のエネルギーは、いわば線の中に留まって、私達の中には流れて来ません。不可視で強力な神のエネルギーの大いなる蓄えから、一体何を有用にすることを私は本当に望んでいるのでしょうか。
「どうか」から「ありがとう」へ
 私の祈りの習慣は変わりつつあります。かつては、主として憐れみ、嘆願、祝福を神に「請う」、また私の人生をより良いものになすようありとあらゆる事を頼んでいました。
 祈りの方法として悪くはないのかもしれませんが、最近私の祈りは嘆願よりは賛美の言葉へと変化してきました。神は実に多くの良い事で私を「今」祝福して下さっています。
 「今」という事は重要です。「与えて下さい」は、不確定の未来に向かっていますが、「ありがとう」と言うのは、「そのように感じていないとしても、あなたが今、ここにいて私の人生に働きかけておられ、それゆえに私は感謝する」という事です。中世の神秘主義者のマイスター・エックハルトは「すべての人生における唯一の言うべき祈りは『有り難う』。それで十分である」(Spiritual Classics) と、書いています。
(翻訳:上村敏文)

詩編を味わう 弱ければこそ

主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく/人の足の速さを望まれるのでもない。/主が望まれるのは主を畏れる人/主の慈しみを待ち望む人。
詩編147編10~11節

—–強ければよいのか
 馬は勇ましくあればあるほど馬としての本領を発揮するのであり、人の足は何ものにも優って速くあることを足の本領とするものです。それは強さがすべてに優るとする論理であります。わたしたちは、その論理を疑うことなく生活の中に取り入れてきました。
 世のなかは成果主義を謳い、能力を賛美する時代です。生きる上で強いことは必須のことだと信じ切っている者の論理が横行する生活が当たり前のように押し寄せます。人はこの強さの評価をわが身に受けるため努力に努力を重ねます。体力においても知力においても人は強くありたいのです。強くあり得ない者は努力を怠ったのであり、努力しても強くあり得ない者は、強い者が面倒を見ることはよいことである、とあたかもそれが社会の決まり文句のように考えてきました。弱者とレッテルを貼られる年老いた者、障がいを身に帯びた者、降って湧いたような災難に生活の支えを奪われ、今日一日をやっと生きている者は、どこに安堵の居場所を持つことができるのでしょうか。
—–弱さこそ力
 聖書は言います。「主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく、人の足の速さを望まれるのでもない。主が望まれるのは主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人」。もはや神からは離れて生きることはできず、なにもかも神にお委ねする以外に道はないことを知った人とでもいうべき意味であります。ときおり、信仰を持つような人間は弱い人間だ、つまり駄目人間なのだという声を聞くことがありますが、まことにこの詩編作者が描く人間像は強さと縁のないところを生きている、あるいは生きざるを得ない者の姿であります。
しかしこの世が弱者、場合によっては敗北者とレッテルを貼る人間を神は喜び、望まれると作者は言っているのです。これは世の強者礼賛に対する聖書の挑戦であります。
 パウロも申しました。「主は『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました」(2コリント12:9)と。力とは、ここではキリストの力という意味です。信仰は弱さを強さに変えるのではありません。強い人間になれば、キリストを見失います。人は弱さの中にいてこそ、キリストの力を十分に受けることができます。詩編が「主が望まれるのは主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人」というのは、自分の弱さの中にいてこそ、見えてくる神の恵みに生きる者の姿であります。
—–弱ければこそ
 弱ければこそ見える世界、これは何ものにも代えることのできない恵みを一杯に湛えた世界です。何よりも委ねることを知って生きることができる世界です。弱ければこそ、委ねて生きる以外に道はないのです。徹底した弱さの中で呻吟するとき、委ねるお方を持たないなら、どのようにして明日への望みをつなぐのでしょう。委ねるとは、なるようになれという運命論的な生き方とは質を異にします。委ねることを喜んでくださるお方がいますことを知っている今日があり、そのお方から「慈しみ」を頂くことを楽しみとする明日があります。
 ルターはわたしたちが弱さの中にあるとき、慰めを受けるのはキリストとの間に「喜ばしい交換」が起るからだと言います。わたしたちの弱さを嘆きや悲しみ、時には愚痴としてキリストにお捧げするとキリストはご自身のものをわたしたちにくださいます。引き換えにわたしたちのものをキリストが引受けてくださいます。それこそ「慈しみ」を頂くことになるのです。信仰による慰めは、そのようにしてわたしたちのものとなります。
 わたしたちが強さの論理の中で生きているなら、このような慰めとは無縁の生活となりましょう。「これくらいのことでは」、「まだまだ」、「もう少しで」などなど、常に不足を託つ言葉の中に身をおいて努力から努力への生活が待っているにちがいありません。それが今の社会というものだとうそぶくなら、生活の中に気晴らしはあっても慰めはなく、砂を噛むような生活はあっても慰めへの応答としての感謝もないでしょう。
(かくしゅういち)

各地の働きから 宣教する教会 「シオン教会」

 1.シオン教会を形成しようとしたきっかけは何ですか。
 一つひとつで自立を目指すと、それぞれ負担が大きくなるという現実がありました。小さい教会では、協力金が負担となっていました。それならば、近隣の教会で一緒になって支え合おうと動き出したのが、一昨年のことでした。
 2.教会共同体として動き始めて変化はありましたか。
それまで小さかった教会が、財政的な負担から解放されて、元気になったと思います。不安から解放されて何もしなくなるのではなく、それを宣教に向けています。例えば、六日市では「中高生に福音を伝えたい」という意識を持った方がいて、クリスマスに映画会を計画しました。中高生は2名の参加でしたが、近所のお母さん方も来てくれました。六日市は礼拝堂のない教会ですが、クリスマスには20名も集まりました。
益田は、人を介してつながる教会です。信徒に誘われてたまに来る方もおられます。
 昔からそういう一面はあったと思いますが、不安や負担から解放されて顕著になってきたのも事実です。
 3.共同体となってよかったことは何ですか。
何よりも痛みを分かち合えることです。自分たちだけのことではなく、相手のこと、その痛みを受け止めて、祈りあえるのは、非常に教会的だと思います。
 4.課題はありますか。
何と言っても距離です。徳山~六日市、六日市~益田はそれぞれ1時間、益田~柳井は約2時間、柳井~防府は40分ほどかかります。牧師が常駐ではないので、信徒同士の連絡、信徒と牧師の連絡が密にされることが大切です。合同で何かをする場合も、信徒さんが責任をもって普段来ていない方にも連絡をとるなど、相互牧会もなされています。
地域ごとに違っていることが多いので、それぞれに対応しています。
 5.これからの展望はありますか。
共同体全体のことも大切ですが、一つひとつのチャペルが安心して礼拝を守ることが重要だと思います。
これまでは、一緒になることを目指してきましたので、今、ビジョンのようなものははっきりとしていません。しかし、今年は各チャペルで一度は合同礼拝をしたいと考えています。
 6.全国の教会にメッセージをお願いします。
全体をみるのは大切ですが、大切にされるのは一つひとつの群れです。たいへんですが、どちらにも目を向けて行くとき、それぞれの群れから恵みが与えられます。どうぞ、私たちの群れのためにお祈りください。

議長に一問一答

2007年の抱負をお願いします。
 皆様には、新しい年2007年を如何お過ごしでしょうか。
 今、私たち日本福音ルーテル教会は教会再編に取り組んでいます。教会合同に加えて、教会共同体という新たな行政単位が導入され、教会再編が目指されます。そのための規則が、1月1日から施行されました。これは、教会全体としての力を、教会の外に向ってより強力に発揮できるように態勢を整えるためです。
 教会の力、それは福音そのものが持つ力です。この福音の持つ力を、その力のままに教会の外に発揮させたいのです。
 この世は、今、呻いています。この呻きは、神様抜きに人間存在の意味を問おうとする人間の罪の現われです。今こそ、神様の登場の時です。福音が宣べ伝えられるべき時です。教会の時です。
 福音の持つ力がその力のままに発揮されるよう教会の態勢を整えて、一人でも多くの人に福音が実現するよう努めたいと思います。

牧師配偶者と教会との関わり

牧師配偶者と教会との関わりに関する常議員会見解

 常議員会は、「牧師配偶者と教会との関わりに関する常議員会見解草案作成検討委員会」が常議員会に提案した文章を承認し、常議員会の見解として採択、各教会宛に送付しました。
 これまでの経緯は、牧師配偶者の教会との関わりに関する検討委員会(牧師、牧師配偶者、信徒、年齢も20代から60代からの10名の委員で構成)」を設置し、牧師配偶者の教会との関わりについて諮問しました。牧師配偶者へのアンケートを実施し、協議の上、答申を行いました。常議員会は、新たに「本教会常議員会見解」を出すために草案作成検討委員会(委員長渡邉純幸)を設置し、草案づくりを委嘱しました。同委員の答申を受けて常議員会はさらに協議し、信徒委員を増やした上で再度諮問し、今回まとめられたものです。
 これは、牧師配偶者に対する暗黙の期待とそこから来る重責に起因する諸トラブルに対応するために、慎重にまとめらました。
 牧師配偶者の働きに感謝する一方、それは一般信徒と同じ奉仕であること、それは本人の自由意志によるべきものであり、強く規定しないことを確認するものです。
 この件について、常議員会は、全牧師と教会員皆様に理解と協力をお願いしています。
本 文
1.日本福音ルーテル教会において、原則として一般任用牧師には牧師館居住の義務があります。したがって、従来、牧師配偶者に対しては、牧師と共に牧師館に居住することが当然とされてきました。その中で、牧師の配偶者そのものへの期待、教会敷地内に居住する者への期待があり、牧師配偶者達は、それへの自負と喜びをもって宣教と教会形成に貢献してきています。同時に、それは配偶者にとって、ときに、牧師配偶者に暗黙裡に期待して担ってもらってきたもろもろの働きが、信徒の予想を超えた重圧となることもありました。
2.また、社会情勢の変化にともない、牧師配偶者には、有職のもの、日本福音ルーテル教会あるいは他教派の牧師であるもの、牧師が女性でその配偶者が男性であるもの等、多様なあり方が増えてきました。
3.このため、牧師配偶者の受け止め方について日本福音ルーテル教会常議員会は、全教会に対し以下のことを理解し受け入れることを要請します。
①牧師配偶者の教会との関わり(教会生活とその働き)について、自然な形での自由な選択が認められること
②牧師、牧師配偶者、信徒皆は、このことのために教会のもろもろの働きを、力を合わせて担っていくように意識を改め、態勢が整えられること      以上

春の全国ティーンズキャンプのお知らせ 

第15回春の全国ティーンズキャンプ

 今年の春の全国ティーンズキャンプは、3月27日(火)~29日(木)にかけて、千葉市少年自然の家(千葉県長生郡)にて開催されます。
 テーマは「イエスは良い羊飼い」。主題聖句は「良い羊飼いは、羊のために命を捨てる」(ヨハネによる福音書10章11節b)
 全国の仲間に出会い、スタッフに出会い、そして私の良い羊飼いイエスさまに出会う3日間です。どうぞ、皆さんの教会からも送り出してくださいますようお願いします。

集計表提出のお願い

 本教会提出の集計表を期日までにご提出くださいますようお願いいたします。一教会でも遅れますと全体の集計ができないばかりか関係省庁への報告にも影響が出ます。
 また、報告書は電子メイルでの提出をいただきますと、事務作業の軽減ばかりでなく、間違いを防ぐことにもなります。
 報告書と共に、教会総会資料をお送りください。
■提出期限■2月10日

2006年連帯献金報告

2006年12月末現在の連帯献金について、次のようにご報告いたします。たくさんのご協力ありがとうございました。
1.ブラジル伝道(32件)
41万6500円
2.日米協力伝道(20件)
8万7400円
3.メコン宣教支援(12件)
13万500円
4.イラン・イラク・アフガン難民(1件)
1万円
5.パレスチナ難民(22件)
15万1673円
6.世界宣教(63件)
128万6620円
7.スマトラ島沖地震(3件)
2万3030円
8.災害緊急支援(104件)
162万7093円
■献金者・団体ご芳名■
(敬称略・順不同)
【教会】
津田沼、刈谷、大岡山、神水、東京池袋、防府、大分、藤が丘、日田、健軍、広島、東京、雪ヶ谷、西条、箱崎、本郷、市ヶ谷、知多、名古屋めぐみ、聖ペテロ、釧路、修学院、千葉、蒲田、下関、京都、甲府、恵み野、栄光、帯広、池田、二日市、名古屋、湯河原、荒尾、高蔵寺、稔台、小岩、大森、保谷、柳井チャペル、札幌、宇部、賀茂川、横浜、大阪、挙母、函館、阿久根、シオン、豊中、三原、新札幌、厚狭、熊本、鹿児島、岡崎、岡山、唐津、神戸東、日吉、長野、大江、札幌北、岐阜、松橋、板橋、八王子、小田原、小石川、聖パウロ、小鹿、清水、田園調布、宮崎
【婦人会】
ルーテル婦人会連盟、東教区婦人会、熊本市キリスト教連合婦人会、熊本地区婦人会、保谷教会婦人会、婦人会連盟東教区婦人会、聖ペテロ教会婦人会、、小石川教会婦人会
【その他団体】
名古屋地区教会、日善幼稚園、九州学院中高生徒会、小石川教会バザー委員会、健軍教会CS、困難な中にある子供たちへ箱崎教会、道央北区合同礼拝、JELAチャリティ、神水教会学校、めばえ幼稚園、唐津ルーテル子どもの教会、名東教会難民支援、唐津ルーテル幼稚園、箱崎CS、恵泉幼稚園、清泉保育園、奈多愛育園園児職員、道央地区合同礼拝、甘木聖和幼稚園父母の会、大江教会九州学院3年8組、中央沿線7教会一日祭、小城幼稚園
【個人】
小林次郎、小長谷ヤヨコ、角田健、吉川昌江、清水敦代、藤井浩・礼子、杉岡浩二・百合子、須田川越セシリア直美、保坂和子、渡辺賢次、牛島治子、吉野正機、鈴木やす、三浦フサ、西村鶴子、杉山昭男、二宮幸美、中川弘子、浅見正一、森田七三郎、折田良三、飯野タケ、尻無浜紀美子、石森京子、柘植春子、古川文江、井上光武、宮澤真理子、関本憲宏、松比良節子、岩松笑子、加藤和子、田中悦子、兼岩恵美子、野原弘子、周田裕芳、上窪松子、徳野照代、仁保茂子、石井良宣、石田喜久子、山本慶次、秋山房子、平塚登美子、妹尾毅、久保明美、渡辺次郎、小川幾代、徳永賢介、児島和子、杉崎光世、芝田美穂子、牧之瀬恭子、木下海龍、大島譲、西岳芳枝、河野精一郎、櫻井啓子、佐藤紀子、加藤俊輔
■各指定項目合計に世界宣教・無指定分を配分させていただき、次のようにお送りさせていただきました。
1.ブラジル伝道
163万4000円
2.日米協力伝道(JACE)
99万6996円
3.メコン宣教支援
36万360円
4.パレスチナ支援、LWFビクトリア病院
72万2100円
6.LWFの働きを支えるために
79万5668円
7.ジャワ島地震支援金
56万6450円

 年末送金時に間に合わないものは2007年分に繰り越します。ご了承下さい。
 事務局からの海外送金は12月28日を目途にしております。それまでにお届けいただければ、すぐにご意思をお届けできますので、あわせてご理解下さい。また名義に関しましては、献金いただいた当時の名義を掲載しております。

教会手帳訂正

教会手帳住所録(2007年版)の変更を以下の通りいたします。
 P7 明比輝代彦先生メイルアドレス asterten-kakehi@mbr.nifty.com

機関紙の遅配に関しまして

 「機関紙の到着が遅れる」、「一度に全部届かない」という連絡をいただいております。
 広報室では、確実に第一日曜までに届くよう昨年より締め切りを早めて、余裕を持って発送できるよう努めていますが、依然遅配の話がなくなりません。
 遅配の連絡をいただいた場合、担当集配局に問い合わせて直接原因を調べてもらっていますが、原因は、はっきりしていません。ですが、一度問い合わせると遅れることがなくなるようです。
 担当集配局への問い合わせは広報室で行っておりますので、第一日曜までに届かないことがありましたらご面倒をおかけしますが、一度ご連絡いただけますでしょうか。
 連絡が早ければ追跡も可能です。より原因解明に近づけるのではないかと思っています。
 ご協力、お願いいたします。

07-01-15るうてる《福音版》2007年1月号

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バイブルエッセイ 「うれしい日の出」

むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです
1ペトロ4章13節(日本聖書協会・新共同訳)

新しい年を迎えました。元日の朝に見る日の出の光ほど、うれしく・神々しく感じるのはなぜなのでしょう。広い宇宙から見れば、日々繰り返されているいつもと変わらない日の出なのに。
それは、もしかしたらそれまで送ってきた一年間の中で無駄に過ごしてしまった時間、また、色々あった出来事の内の悲しいことや辛いことなど……。自分にとってマイナスと思っていた事柄の全てをも、「意味ある経験だった」という確信に変え、そこに新しい希望を与えてくれる光だからかもしれません。大晦日の夜の闇を通ってやってきた光には、不思議な力が潜んでいるように思えます。

 一昨年の夏ごろから、年齢的なことが原因してか体に変調が見られるようになりました。常に頭がぼんやりした状態の中、最初の変調は光に対してでした。家の中に居ても昼間の光が眩しくて仕方がなく、洗面所などの暗い部屋にこもる日々が続きました。そして、それが過ぎると今度は匂いです。いつも使っているシャンプーや石鹸、食器洗剤などのあらゆる人工的なにおいが受け付けられなくなり、買っては買い替える……の繰り返し。結局、行き着いたところは、無香料・無添加の天然成分からなる製品でした。そして、次なる変調は味です。何も入れていないのに口の中にいつも酸っぱい感じが広がっていて、それ以上酸っぱくなるのを拒んでか、好きだったお漬物が口にできなくなりました。そして、この原稿を書いている今は、音です。街中に流れるアナウンスやテレビコマーシャルなど、こちらが必要としていない音のすべてが、攻撃的な騒音となって頭に響いて来るのです。

そんなこんなの不思議な感覚の世界を今では楽しんでいますが、変調が起きた当初、「一体、自分はどうなってしまうのかしら……」という不安に陥りました。
そして、その様なときある一冊の絵本と出会いました。それは、一匹のはりねずみが野いちごの蜂蜜煮を持って友達のこぐまの家へ出掛けるのですが、森の中にある家までは、深い霧につつまれた夜道を歩いて行かなければなりません。途中、木の葉の音に脅えたり大きな樫の木に驚いたり……色々なものに遭遇して何度も怖い体験をするのですが、森の仲間たちに助けられながら、最後、霧の奥に明かりの灯った家を見つけ無事にこぐまに会える、というのです。これを読んだ瞬間、「深い霧の中を不安な気持ちで歩いているはりねずみは、まさに今の自分だ!」という思いで一杯になり、「今の私の体と感覚は朦朧(モウロウ)としているけれど、いつかこの霧から切り抜けて、私の前にも希望の明かりが差し込んでくる……」と、勇気づけられたのでした。

新しい年の初めの朝に迎える太陽の光がまぶしく輝いて見えるのも、過ぎ去った年の暗い夜を通ってきたからこそであり、悲しみや辛いことの後には、必ず喜びや嬉しいことが待っているのです。そして、最も大変なとき……それは、喜びがすぐそこにまで来ていることの知らせなのです。古い年は過ぎ去った! 新しいこの年を、たくさんのあふれる希望を持って迎えましょう!
JUN

心の旅を見つめて

より寛やかな人間理解を

若い人たちと話ができない
年配者から若い人たちとなかなか話が出来ないとか通じないという、時として不満の伴った呟きを聞くことがあります。自分の子どもたちがあまり話をしてくれない、手紙や電話もくれないと嘆いている親たちも少なくありません。会社などでも若者の多くが上司たちとの付き合いは面倒臭いと思っているようです。話し合うようなことがあるにしても、多くは仕事や生活のために必要だからそうしているというような関係ではないかと思います。
 このようなコミュニケーションを巡る問題は核家族・少子高齢化に伴い、これからもっと深刻になっていくのではないでしょうか。こんな話を聞いたことがあります。大学3年生が友人たちと「今の若い子たちの気持ちが分からない」と嘆いていたという話。その「若い子」とは誰のことかと言いますと、後輩の1、2年生たちのことだったそうです。少々極端な例ですが若者の間ですらこうなのです。いかに社会変化が早いかを物語っています。
戸惑う世代間ギャップ
このような話を聞くと、高齢者は絶望的な気持ちになるかも知れません。こうなると、ある人たちは開き直ったかのように「今の若者は……」と自分たちの身に付けてきた価値観や物の考え方を子どもたちに教え込もうとします。これではますます年寄りは理解不能な存在になってしまいます。他の人たちはこれではいけないと考え、ITやファッションなど、若者文化を取り入れたりして話題に乗り遅れないように頑張っています。
 しかし、そのようにしても世代間ギャップ(generation gap)は家庭(親と子)にも学校(教師と生徒)・職場(上司と部下)にも存在します。これは現代固有の問題ではなくいつの時代にもあったのです。「今の若者は……」というのは世の習いです。ただ現代の難しさは若者文化を中心に社会が急速に変化していますから大人たちがコミュニケーションに戸惑うということなのです。
コミュニケーションは可能に
では、どうすれば大人たちは成人した子どもや若者たちと共に歩むことができるのでしょうか。これは真剣に考える必要がある課題です。T・ボヴェー(チューリッヒ大学)は『家庭生活の喜び』の中で、こんなことを述べています。
 「老人が主張してよい老人独特の知恵は、より大きな温和さ、より寛やかな人間理解にあるのであって、決してより大きな厳格さや、個々の機会にいちいち口出しすることにあるのではない、ということです。老人が自分の老齢を認めて、若い人たちの領分にまざろうとさえしなければ、若い人々もまたこの老齢を受け入れ、尊敬するでしょう。……親が子どもたちの生活圏に侵入していかない時にのみ、親は成人した子供から〈尊敬〉を期待できます」。
ボヴェーが指摘しているように、親たちのあるべき態度は「より大きな温和さ、より寛やかな人間理解」といったものです。こういうものを若い人たちは求めているのです。厳しい競争社会の中に置かれている彼らが必要としている心の世界です。こうした温かな世界を提供するならば、子どもや若者たちは年配者と話すことに抵抗はなく、お互いの生きてきた時代や文化が異なっていても良きコミュニケーションができるようになるのではないでしょうか。
堀 肇(ほり はじめ)/鶴瀬恵みキリスト教会牧師・ルーテル学院大学非常勤講師・臨床パストラルカウンセラー(PCCAJ認定)

HeQiアート

イエスの洗礼

 民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。 
ルカによる福音書 3章21~22節
Nativity by He Qi, www.heqiarts.com

たろこままの子育てブログ

番外編「怒る時」

だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。(ヤコブの手紙1章19節)
 昨年末さようならのご挨拶をしたと思ったら、即再び登場で少々バツの悪いたろこままです。嬉しいお声がけで、とりあえず3月までこのコラムを続投させて頂くことになりました(多分バトンタッチする方を探している最中でしょうな~笑)、斯様な事情をご了承くださいまし。
 さてさて、1年間あれだけエラそうに愛だの希望だのについて語ってきた、たろこまま。うっかり読み通した読者の中には、当方をさぞかし清廉潔白で信仰深い人と勘違いされている方もいらっしゃるかと思い(いないか)、今日はその誤解を解くべく懺悔(?)を一発かましたいと思います。
 皆さんは夫婦喧嘩をなさったことがありますか? 私は夫婦2人の時は控えめだったものの、子どもが生まれてから真剣かつ強烈なバトルをしております。理由は至極簡単。予測不可能に近い小太郎にまつわることで、いざこざが生じるからなのです。
 でも我が家一体が小さい子どもに振り回される結果は甚大で、私が脳に抱える地雷を発症したのも、このセイでした。
 「カレンダーにも予定を書いて、出かけにも口頭で伝えたにも関わらず、どうしてこんなに帰りが遅いんじゃ~!」呑気に予定より2日(2時間ではありません!)も遅く帰宅した父ちゃんは、フライパンで殴られてボッコボコ。ええ……落ち着いているときには冒頭の句を読むと心が痛むんですけどね(しみじみ)。
 冒頭の句は「怒るのに遅いように“しなさい”」であって「でなければならぬ」じゃないもんね、と言い訳しつつ、我が家は鬼ヨメの尻の陰で今日も回っている次第でして、ハイ。
 理想をあげればキリがなく、自堕落しても限りなしな中、私もほどほどのもう一歩を目指す普通のオバさんなのでした……あ、紙面からはフライパンは飛び出さないので、皆さん逃げないでくださいね(笑)

07-01-15るうてる2007年1月号

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さあ、ベツレヘムへ行こう。 パレスチナ平和交流プログラム

11月20日から10日間、山之内議長をはじめ13名の訪問団(団長・立野牧師)が、パレスチナを訪問しました。

 「あなたたちがここにいてくれてありがとう」「ここに来てくれてありがとう」。日本ウィークに集まった方々の「ここに」という言葉の重さを感じました。そして現地の人たちの笑顔に支えられ平和交流が実を結んだと思います。
今回、ベツレヘム国際センターを会場に2日間のワークショップを行いました。ベツレヘム・クリスマス・ルーテル教会のミトリ・ラヘブ牧師の要請によるものでした。ベツレヘムと日本に架け橋を築きたい。高さ8メートルの分離壁に囲まれ、自由に旅行することができない現地の人たちにとって、海外文化との交流は、「ここに来る」ということでしか成り立たないということを教えられました。「ここにいて、ここに来て」という言葉が現在の状況を示しています。
ワークショップでは、折紙、絵手紙、書道、茶道、浴衣の着付け、剣玉やコマなどの遊びの紹介をしました。どのコーナーも大好評で、毎日延べ100名以上の地域の方々と交流ができました。オープンハウスでは、広島市民が描いた原爆の絵をパネル展示しました。ラヘブ先生のお母様の葬儀と重なったため、被爆証言、「サダコ物語」のアニメ、日本文化紹介の映像などは上映できませんでしたが、DVDをセンターに寄贈することができました。夜に70人分の「すしディナー」を作りました。これもラヘブ牧師のアイデアで、なんと予約制による夕食会でした。山之内議長自ら先頭に立って握りずしを作る姿にみな感動してくださいました。
この交流の中で、教会やベツレヘム国際センター、学校を通して、宣教のあるべき姿をも学びました。ラヘブ牧師は「ムスリムの人たちが改宗しキリスト者となることはありませんし、それを期待していません。ムスリムの人たちにとって改宗するということは死を意味するからです」と教えてくださいました。それでは教会は何のためにあり、何をするのか? その答えは、今回の平和交流にあったと思います。私たちが見たものは「地域への奉仕」を通してのキリスト者としての証だったように思います。キリスト者として、ここで共に生きていくことの実践を教えられました。        (立野 泰博)

各地の働きから 宣教する教会

 各地からそれぞれの宣教への取り組みの様子をご報告いただきました。

浜名教会

 浜名教会では今年、「三ケ日 イルミネーションフェスタ」に参加しました。この催しは、年末の商店街を活気づけようと地元商工会が企画したものです。
 11月後半、日曜礼拝後と祝日を利用して山本裕牧師をはじめ、教会員ほぼ全員で飾りつけ作業を行いました。教会の屋根に登って十字架に電球を巻きつけ、飾りの土台になる板を、工具で切り、電球を差し込む穴をドリルで開けて、となかなか大変な作業でした。でも、その甲斐あってすばらしい出来上がりです。地域の方たちも「すごいね」「きれいだね」と声をかけてくださいました。
 「この町には教会がにある」ことを、地域のイベントに共に参加し、アピールできたことは本当にうれしいことです。このイベントに参加するにあたって多くの方たちから、お支えお祈りをいただきました。この場をお借りして心からお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
(浜名教会 牧 摂)

札幌教会 スオミ礼拝堂 http://www.jelc.or.jp/sapporo

 礼拝堂に入るために一段ずつ上る石段は札幌教会のシンボルとも言えます。しかし、高齢化社会を迎え、この高い石段が礼拝参加の大きなネックになってきました。そこで、献堂90周年事業の一環として礼拝堂横のスオミホール(バリアフリー)で礼拝を共にできるようにと、中継設備を設けました。聖餐式もそこで受けられます。
 具体的なシステムとしては、礼拝堂の後方にビデオカメラを設置し、そこから隣の会館まで有線でつなぎ、ホールの受信機~テレビ(ビデオ端子)に接続しています。この設備で工事費を含め21万円。景観や冬期間の落雪の危険性を考えると無線にしたほうがいいという意見もありましたが、コストは約2倍かかります。実際にホールで礼拝をしてみると、音声上の不具合(カメラ近くの音を大きく拾いすぎて説教等が聞きづらい)が発覚したため、追加で音響関係の工事(8万円程度)をしました。
 システムは整いましたが、教会に足を運ぶことすら難しいメンバーが増えているのも現状です。一人でも多くの方が礼拝を共にできるようこれからも教会として積極的な取り組みをしていきたいと思っています。
(札幌教会 後藤 裕美)

クリスチャンのライフカレンダー

~堅信礼の日に~

 生まれてまもない頃、私の腕に抱かれて洗礼を受けたあなた。まだ何もわからずオギャーオギャーと泣くだけだったあなた。だんだんと成長し、教会学校に通うようになり教会の中で育てられ、あなたは高校生になりました。
 小中学校の頃は、クリスチャンが圧倒的に少ない学校や地域の中で、自分が皆と違うことに何度も胸を痛めていましたね。
「何でうちだけキリスト教なんだろう! お母さんには私の気持ちはわからない!」と激しく泣いたこともありましたね。
 ヨーロッパでは、「堅信式」は大人への仲間入りを盛大に祝う儀式だと聞きます。あの時私の腕の中で洗礼を受けた赤ちゃんのあなたは、今日自分の足で聖壇に向かい「これからの人生を神様と共に生きてゆきます」と告白しました。あなたは、あなたの一歩を今日歩き始めました。大切な方、一番頼りになるお方、イエス様といっしょに。
 今日はあなたの巣立ちの日です。

各地のニュース 募集中

機関紙「るうてる」では「各地の働きから 宣教する教会」に掲載するニュースを募集しております。
 情報は各教区の機関紙委員を通してご連絡ください。
■機関紙委員■
・北海道特別教区 v.ソベリ先生、岡田薫先生
・東 教区 平岡正幸 先生
・東海教区 末竹十大 先生
・西 教区 滝田浩之 先生
・九州教区 岩切雄太 先生
 沢山の情報お待ちしています。

牧師の声「私の愛唱聖句」

東教区 武蔵野教会 牧師  大柴 譲治

生きるにしても、死ぬにしても

ガラテヤの信徒への手紙2章20節/フィリピの信徒への手紙1章21節/ローマの信徒への手紙14章8節

愛唱聖句を一つ選ぶことは難しい。私の場合、状況によって変化するから。敢えて挙げるとすればやはりパウロの一連の言葉になろうか。それらは私にとって常に帰るべき原点である。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤ信徒への手紙2章20節)。「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」(フィリピ信徒への手紙1章21節)。「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです」(ローマ信徒への手紙14章8節)。
生と死の問題。罪と並んで、それが私にとって最も根源的な問題であることが聖句からもよく分かる。私が臨床牧会教育(CPE)やターミナルケア、時間論にこだわるのもその辺りに根があるのだろう。
パウロは死を恐れない。死ねば直接キリストと共にいられるからむしろ望ましいとさえ言う。そこまで私は言い切れない。しかし私なりに「安心してジタバタして死んでよいのだ」と信じている。
幼い頃から病いのため何度か入院生活を余儀なくされた。思春期には自他の偽善性と格闘しつつ「存在自体が悪に過ぎない」と死を想ったこともあった。20歳で友が心臓病の手術に失敗して死んだ。鬱状態に落ち込む中で京都大学学生カウンセラー石井完一郎氏の『青年の生と死の間』(弘文堂)という本と出会い、そこに一条の光を見出した。そして一人の牧師の死を通し私自身も牧師の召しを受けることになる。思い返せばすべてが死と関連していた。限られた命であればこそ、この人生を何か意味あることのために用いたい。その思いは今も変わらない。
パウロの言葉はどれもキリストの光の中で輝いている。パウロは徹底的に打ち砕かれて無色透明である。八木重吉の詩を思う。「神の愚は人の賢きにまさる/己れを虚しうし神をひとにみせよう/自分がすきとほって背中の神を人にあらわそう」

信徒の声「教会の宝石を探して」

九州教区 大分教会 信徒  西村 鶴子/井野邊 キク
教会にいらしたきっかけは
西村:20歳のとき友達に誘われて来ました。聖書研究ですでに受洗していた主人と知り合い22歳のとき午前の礼拝で洗礼を受け、午後に結婚式を挙げました。1953年のことです。それから子育ての数年間を除いて教会に来ています。来ないと落ち着きません。
井野邊:私は義姉から誘われて教会に来ました。他県から越してきた私には、この土地に友達がいなかったので、教会に来ることはとても楽しみでした。主人はあまり良い顔をしなかったので、遅くまでは居られない教会生活でしたが楽しみに来ていました。
長い教会生活の中には、いろいろなことがありましたね
西村:主人を亡くして、また39歳の娘をくも膜下で亡くしたときがいちばん辛かったですね。奇跡が起きてほしいとどれだけ祈ったことか。その時、友達や教会の人に助けてもらって、信仰があってよかったと思いました。数年後、息子夫婦が受洗してくれたのが嬉しかったことですね。
井野邊:主人を4年程前に亡くした後一年、気力が出ず外に出られなかった時期がありました。そんな時西村さんから磁気健康器を見に行かないかと誘われ、それがきっかけで外に出られるようになり、教会にも来られるようになりました。二人で礼拝帰りに映画観に行ったりもします。
お二人の教会での働きをお聞かせください
西村:聖卓を整えることを30年近くしています。この頃は聖餐式の準備もしています。別府平和園の子どもたちのために雑巾縫いも長い間しています。それにしてもキクさんは何事かあると必ず黙ってコツコツ手伝ってくれるのですよ。だから石井夫人が秘伝のカレーの作り方をキクさんだけに伝授したの。あとの人は教えてもらえなかったのよ(笑)
井野邊:書くことや話すことは苦手ですが、自分に出来る範囲のことはしたいと思っています。それが私にとってはいちばんのことです。
教会はお二人にとってどんな存在ですか
井野邊:風邪気味とか何となく気が重いときでも、教会に来て皆でワイワイガヤガヤしていると不思議と元気になって帰れるわね。私にとって教会は友達のいる楽しいところです。
西村:そうそう、教会に来ると安心するというか癒しがあるのよ。それに年々教会は依り所で交わりの大切さが分かってくるわ。私は教会が命、讃美歌を歌うことが大好きです。いつまでも元気で礼拝に来たいというのが今の望みです。

求道者の旅22.ケネス・J・デール

第22回 教会はゲームですか?

 聖霊を私は信じます。また、聖なる公同の教会、聖徒の交わり……(使徒信条)
 教会は聖なる、神の人々、そしてキリストの体等々と記述されて来ました。しかし多くの事はあきらめられているのではないでしょうか。もはや陳腐な制度と見られてはいないでしょうか。教会の本質は何なのでしょう。

教会と世界
 教会に関する一般書を読むと、愛の共同体、暖かみのある団体、神の恵みを受けたkoinonia(コイノニア)として強調されています。このアプローチとは対照的ですが、世界の凄まじい倫理的諸問題、社会が直面する生き残りの問題にさえも教会は関わっています。国家や地球のまさに存在自体が悲劇的、そして悪の力によって脅かされています。
 讃美歌を歌っている「救われた」人々の小さな、幸せな共同体は世界の大きなうねりに対してどのように関わっていけばよいのでしょう。教会のイメージは、荒れ狂う海に浮かぶ安全な島、冷酷な世界から逃れて来た者のための避難キャンプでしょうか。
 私はそうは思いません。むしろ、私たちの中で起こっている事が教会に属するすべての者を刺激し、「地の塩」「世の光」として押し出されるものとならなければと思います。社会をより良くするために働かなくてはなりません。なぜなら世界は神の創造であるからです。愛とその働きは世界の救いの力として教会の壁から外に出て行かなければなりません。
私たちはゲームをしているのですか?
 日本の友人が仏教について語る時、それは本来的ものではなくその教派が教えている宗教的「ゲーム」の一種である事は明らかです。祖先崇拝を適切に行わなければ悪い結果が生ずるという事に焦点を当てています。仏教の中心的な教えではないのですが、ある仏教団体においては一般的には促進されているように思えます。
 しかし、私はこれを通して、教会の信仰と実践について考えさせられました。クリスチャン(私)は本当に神に焦点を合わせ、純粋に、敬虔に神を頼んでいるでしょうか。私たちも教義やきまり、そして説教によって集会に来させるために操作したり、より多くのお金を得るために時としてある種の「ゲーム」をしているのではないでしょうか。
 もし私たちが絶えず霊的基盤、キリストのかなめ石に立ち返らなければ、ある宗教団体同様に宗教的「ゲーム」の変種を演ずる危険性があります。
(翻訳:上村敏文)

詩編を味わう 家族としての教会

見よ、兄弟が共に座っている。/なんという恵み、なんという喜び。(詩編133編1節)

—–珍しい集団、それが教会
 大祭司を中心に礼拝をしている人々の姿は、なんという喜びと恵みに満ちていることかと作者は歌います。今日的に言えば、教会という信仰共同体に人々が集っていることがどれほど素晴らしいかを表わす歌であります。
 教会という共同体は、今の時代の中では大変珍しい集団といわねばなりません。年齢性別に関係なく、だれであろうと所属することができます。それこそ雑多な人の集まりが教会の姿です。一般社会の中の集団はこれほど雑多な人を見受ける集まりは希有と言わねばならないでしょう。
 考えてみれば、一般社会とちがって教会に来るのにだれも試験を受けて入って来る人はいません。能力を問われることがないのが教会です。持って生まれた資質のままに教会では「いる」ことができます。成績が問われないのです。今どきの成果主義とは無縁の存在です。行為でなく存在が重視されるのが教会です。
このような集団は世のなかに教会をおいて他にありません。そのように考えてみればわたしたちは貴重な集団に属しているということになります。

—–家族としての教会
 だれでもがありのままの自分の姿でいることができる集団といえば家族を思い出します。教会は、社会の中での見知らぬ者同志が家族としていることができる集団です。老若男女が一堂に会し、共に同じ方向を向き、それぞれの姿にふさわしいことを考えたり、行動することができます。しかも揺籃から墓場に至るまで一生を預けています。教会をこのように考えると、この時代、この社会にあって、まことに貴重な存在と言わねばならないでしょう。
 そう考えるとき、教会に人々が集まっていること、それ自体が喜びであり恵みであるとすべきです。詩編の作者が「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」と謳うのは、そのような家族集団としての教会に連なっている姿をあらためて眺めて喜んでいるのです。
 しかし、家族だっていつも平穏無事というわけにはいきません。時には嵐が吹き荒れ、逆風に悩まされることもありましょう。家族問題を扱うカウンセラーがいう言葉があります。「全く問題がない家族が健康な家族ではない。問題が起った時に家族全体で考えることのできる家族が健康な家族である」。どのような家族も問題のない家族はありません。大なり小なり家族というものは問題を抱えるものです。教会も例外ではありません。何らかの問題を抱えるのがこの世に生きる教会の生の姿です。

—–教会に連なる感謝

 長年、一般企業で働き、定年後献身して牧師になった方がおいででした。この方が言われます。「わたしが会社で働いていた時は、これをしなさいと部下に言えば、皆ハイといってすぐ仕事をしましたが、しかし教会はそうはいきませんな。わたしがこれをしましょうと言ってもすぐには事が進まない。時間がかかったり、ときにはわたしの思うようならなかったりで、もどかしい思いをすることもある。教会とは難しいところですな。それを考えると若い時から牧師をしている人が羨ましい。そういう世界に慣れていますから」と言うのです。

—–キリストの家族

 そんな時、わたしは「それはそうですよ。教会には試験を受けて合格したから入ってきたという人はいません。天才もいれば凡人もいる。気の長い人もいれば、気の短い人もいる、うるさい人もいれば、優しい人もいる。だからといって勝手気ままにばらばらに集まっているわけではない。皆、同じ方向を向いていますからね。家族と同じです。その上、家族というのは、家族全体にとって何が大切で、何をすればよいかをいつも考えているものです。それがないと家族は本物の家族となりませんからね」と言うことにしています。
 教会に問題が起った時、教会が健康を取り戻す力強い助け手がおいでになります。キリストという大祭司です。ルターにせよ、カルヴァンにせよ、宗教改革者たちは、教会の中で問題が起るとキリストならどうなさったかを念頭において事の処理に当たったと彼らが残した牧会書簡は語っています。
 「キリストならどうなさったか」。これは大きな助けです。これがなければ、冒頭の詩編作者の喜びは実現しないでしょう。
(かくしゅういち)

宣教にかける夢

札幌教会(1月1日付で教会合同のため札幌教会となりました) 岡田薫
2006年10月28日、雨の予報が見事にはずれ、爽やかな秋晴れ。1996年から足掛け10年。紆余曲折を経ながらも念願の札幌北新礼拝堂が与えられた喜びを天も祝福しているような朝だ。献堂式に先立つ宗教改革主日礼拝では、現在編纂中の札幌北教会史を振り返りながら地域と共に育てられてきた教会の歩みを通して福音を聞いた。
 戦後間もない1949年、聖書の講義所として産声をあげた教会は、地域の子どもたちの保育所時代を経て1961年に教会用地として現在の土地を得ている。しかし、旧礼拝堂を構えるまでには開拓伝道の挫折、借家を追われ活動休止の状態に陥り家庭集会時代など幾度となく存亡の危機もあった。にもかかわらず、私たちはこの地で今日も喜びの朝を迎えている。どのような困難の中にあっても主の導きを信じ、それぞれの賜物を持ち寄りながら地道な活動を重ねてきた先人たちの姿があったことを忘れてはならないと思った。
遠くは九州、東海、関東から、近くは道内諸教会や近隣他教派の方々、そして町内会の皆さんが駆けつけ祝ってくださった献堂式。壮観で讃美の声も良く響いていた。また、各地から寄せられる祈りの声に大きな励ましを頂いた。こうしてあらためて振り返ってみると、あの礼拝は単に新しい建物が与えられた喜びを祝う時ではなかったということに気付かされる。この地に建てられたキリストの体、そこに連なるひとつの肢として立てられている私たち一人ひとりの存在を感謝し祝うひと時でもあったのだ、と。
現代社会は力や利益が一部の人々のもとに流れ、弱い立場の者たちがますます弱められている。処理能力を超えた仕事に忙殺されそうな現実は、教会も似たり寄ったりだ。どこかバランスを崩し、未来を希望に満ちたものとして語ることが、なんとなくはばかられるような時代。しかし、私たちの手中には福音という喜びのバトンがある。このバトンを手にしながら、この地にまかれた一粒の種としてどのように育てられてゆくのか。どのように生きてゆくのか。それがこれからの大きな課題である。
 宣教にかける夢、その答えは一言では語れない。ただ、たとえ土曜日であっても主日礼拝が活動の要であり、福音によって養われない限り私たちが宣教に赴くことは不可能だということを肝に銘じたい。なぜならここ数年は建築に向けての作業に加え、教会再編などの課題に取り組むことで会議ばかりが数多く行なわれてきた。必要なこととはいえ、祈りやみことばへの取り組みにどれほど心を注ぐことができたであろうか、という反省がある。ひと段落を迎えた所で、ようやくこの地の課題に向き合えるようになった。もしかすると、これはどの教会にも当てはまることかもしれない。まずは、自分たちの生活の座についてじっくりと考え、生かされいる場での神さまとの語らいの時間を大切にしたい。福音の広がりは地味ではあっても、そうした日々の積み重ねによって届けられてきたのだから。そして、近くても遠くても祈りによって励ましあいながら、委ねられた福音を運ぶ者であり続けたい。
「あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です」(コリントの信徒への手紙二 3章3節)
主よ、導きたまえ!

議長コラム

戦いの場に平和を パレスチナ平和交流プログラム

山之内 正俊
 パレスチナにあるクリスマス・ルーテル教会との交わりは、「瓦礫の天使」から始まります。戦火で廃墟となった中から拾い出された瓦礫で天使の像を作り、それを平和運動の道具として用い始められたのが、クリスマス・ルーテル教会のミトリ・ラヘブ牧師でした。その活動を知り、交流を持ちたいと、一昨年、ラヘブ牧師を日本にお招きし、東京や広島で集会を持ちました。そして、その交流を深めるために、今度は日本からパレスチナをお訪ね致しました。
 一つの地域にパレスチナとイスラエルという二つの国が存在しています。それだけでも紛争の種は尽きませんが、その上に、イスラム教とユダヤ教とキリスト教が共に聖地とするエルサレムがあります。
 ご存知のように、今は、イスラエルが一方的に国境の壁を造り、領土を確保しようとしています。この政策がこのまま定着するとは到底思えません。このままでは、この壁が、新たな紛争の火種になってしまいます。ラヘブ牧師は「この隔ての壁を友好の架け橋に変えるのが、私たちの使命です」と語っておられました。
 パレスチナとイスラエルの両国を合わせてもクリスチャンは2%だそうです。その2%を維持するのも困難な状況にあるようです。クリスマス・ルーテル教会は、パレスチナのベツレヘムにあるのですが、キリストの誕生の地であるベツレヘムでキリスト者が一人もいなくなるのではないかという危機感の中で、ラヘブ牧師は宣教に取り組んでおられます。「キリストの誕生の地を単なるテーマパークにさせたくはない」というラヘブ牧師の言葉に、危機に立ち向かう決意を感じます。
 報復を辞さないイスラム教とユダヤ教の中にあって、「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」という主の言葉を知っているキリスト者にこそ、平和の担い手としての期待があることを感じた旅でした。

春の全国ティーンズキャンプ 参加者募集

春の全国ティーンズキャンプ(春キャン)が3月27日~29日、千葉市少年自然の家(千葉県長生郡)で開催されます。すでにポスター及び申込書を送付していますので、各教会でご案内ください。
 今回、申し込みの時期によって参加費が異なりますので、ご注意ください。

NCC日韓在日キリスト教教育協議会 

 11月22日~24日にかけて、東京・水道橋の在日本YMCAを会場に第13回日韓在日キリスト教教育協議会が開かれました。テーマは「教会教育カリキュラムの現在と未来~平和に向かって」。韓国から14名(4教派1団体)、日本から26名(6教派2団体)、その他4名の参加でした。
 教派ごとの報告では、日本福音ルーテル教会からTNGの活動や教材、そしてラオス講座について紹介され、参加者の興味を集めました。 期間中、それぞれの教材が展示され、各実務担当者による良き交流と刺激のときとなりました。

集計表提出のお願い

 本教会提出の集計表を期日までにご提出くださいますようお願いいたします。一教会でも遅れますと全体の集計ができないばかりか関係省庁への報告にも影響が出ます。
 また、報告書は電子メイルでの提出をいただきますと、事務作業の軽減ばかりでなく、間違いを防ぐことにもなります。
 報告書と共に、教会総会資料をお送りください。
■提出期限■
集計表4ページ  1月20日
その他報告書   2月10日

会議のお知らせ

■常議員会
第22回総会期第3回常議員会が左記の通り開催されますので、議案のある方は、所属教区常議員会を経て、ご提出ください。

【日時】
2月19日(月)~21日(水)
【会場】
ルーテル市ヶ谷センター
以上
2007年1月1日
常議員会
会長 山之内正俊
書記 徳弘 浩隆

教会手帳訂正

教会手帳住所録(2007年版)の訂正を以下の通りいたします。

P25 杉岡直樹先生
(近畿福音ルーテル教会)
携帯:66‐89‐047‐4409

P28 杉岡浩二先生
(近畿福音ルーテル教会)
郵便番号:515‐2623

P49 須佐安雄事務長
(学校法人新潟ルーテル園)
電話・FAX
0256‐57‐4983

P60 Loan, Ms. Sarah、Sersen,
Ms. Pamela(ALMA)
住所:小金井市

日本福音ルーテル教会 2007年行事・会議日程

1月9日(火)教師試験委員会
1月10日(水)教師試験
1月11日(木)任用試験
1月11日(木)~12日(金)人事委員会
1月15日(月)牧師補研修委員会
1月16日(火)事務処理委員会
1月22日(月)~24日(水)JELC/JELA/GM協議会
2月15日(木)~16日(金)会計監査
2月19日(月)~21日(水)常議員会
3月11日(日)教職授任按手式
3月12日(月)神学教育委員会・宣教研修指導者会議
3月13日(火)事務処理委員会
3月15日(木)~16日(金)牧師補研修会(2007年度第1回)
3月21日(水)教区総会
4月10日(火)事務処理委員会
4月20日(金)日本キリスト教連合総会
5月 8日(火)事務処理委員会
5月14日(月)~15日(火)牧師補研修会(2006年度最終)
5月29日(火)~31日(木)LCM会議
6月11日(月)~13日(水)常議員会
7月10日(火)事務処理委員会
8月28日(火)~29日(水)るうてる法人会連合総会
9月11日(火)事務処理委員会
10月 9日(火)事務処理委員会
10月15日(月)教師試験委員会
10月日付未定 牧師補研修会(2007年度第2回)
11月 6日(火)~ 7日(水)合同常議員会
11月 7日(水)~ 9日(金)常議員会
12月11日(火)事務処理委員会
■海外ゲスト来日・海外への出張予定■
2月 7日(水)~12日(月) ELCAアジア伝道会議(タイ・バンコク)
3月21日(水)~25日(日) LWFリーダー会議(スウェーデン・ルンド)
3月27日(火)~4月4日(水) ドイツブラウンシュヴァイク領邦教会ヴェーバー監督来日

教職神学セミナー

シリーズ 伝道へ 第1回 現代日本のスピリチュアリティー
今回の教職神学セミナーは、3年間をかけたシリーズ「伝道へ」の第1回目として画しています。「現代日本のスピリチュアリティー」をテーマとして、今日の日本人の一般的な宗教への意識、あるいは宗教的なものを求める精神性などを幅広く捕らえながら、他宗教の布教や伝道の取り組みなどからも学んでいくプログラムです。講師として、宗教学者島薗進氏やジャーナリストの立場から菅原伸郎氏、また仏教の僧侶などを招き、教会の外からの眼差しで私たちの「伝道」を考えていきます。教会の信徒の方にもおいでいただけますように、ご案内申し上げます。お問い合わせの上、お申し込みください。
期間:2007年2月13日(火)~16日(金)
場所:ルーテル学院大学 
ルーテル学院大学 総合人間学事務局
キリスト教・神学担当 大濱まで
Tel:0422-34-5633 Fax:34-4481

私は諦めない

ルワンダ大量虐殺を生きのびたツチ族女性

 イマキュレー・イリバギザさんは1994年のルワンダ大量虐殺を奇跡的に生き抜き、現在は国連職員として活躍されています。
 家族を惨殺され、自らの命も危険にさらされる中、希望を捨てず、祈り続けた日々の手記は、全米でベストセラーになり、日本でも翻訳されました。
 2006年11月には来日もされ都内で講演会を開かれました。
 彼女の著書や言葉は、大量虐殺の悲惨さや人間の残酷さだけでなく、家族を思う心、信仰心、諦めない心、人を許すことの難しさと大切さを教えてくれました。
著書:生かされて。/PHP研究社 発行/定価 1,680円(税込み)

06-12-15るうてる《福音版》2006年12月号

機関紙PDF

バイブルエッセイ 「今日、あなたのために」

なぜなら、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。
コリント信徒への手紙二 6章2節(日本聖書協会・新共同訳)

「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」
クリスマスの聖誕劇に欠かすことのできない天使のセリフです。
もう2000年以上も前の出来事を、静かに、しかし熱い思いで振り返る。そうさせているのは、「今日」、「あなたがたのために」という言葉にあるのではないでしょうか。

天使が羊飼いたちに、「今日」、「あなたがたのために」と言ったのは、今から2006年ほど前のことです。それは、そこに居合わせた人たちにとって、まさに「今日」、「私たちのために」と聞こえる言葉でした。
 聖書の著者は、どんな思いで、「今日」と書いたのでしょうか。「あの日、このようなことがありました」とは書かずに、神の救いが「今日」「あなたがたのために」届けられたと記した著者の思いは、どこにあったのでしょうか。

 その後、聖書が世界中の人たちの元に届けられ、伝えられていく。この文面を読むたび、世界中の人たちが、その時、その場所、その状況で、「今日」、「あなたがたのために」という文字を受け止めてきました。
 2000年ほど前のパレスチナ地方で……、1000年ほど前のヨーロッパで……、ザビエルらによって初めてキリスト教が伝えられた500年ほど前の日本で……。

 そして今、やはり聖書は、静かに、しかし熱く語りかけます。「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」
 ある教会のクリスマスパーティで、司会者が「クリスマスはだれのための日ですか?」と質問しました。「すべての人のためです」という回答が響く中、ひとりの女性がしっかりとした表情で、「わたしのためです」と答えました。みんなはその答えに感動しました。「すべての人のため」というのが正答なのは分かっているけれど、「わたしのため」と答えたほうがもっと心によく伝わったからです。彼女は、その日、洗礼を受けたばかりでした。

 「今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」知らせを受けた羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と言って、時を移さず救い主の眠る馬小屋へ行きました。

 「昨日」でも、「明日」でも、「いつかそのうち」でもありません。「すべての人のため」でも、「世界の平和のため」でもありません。「今日」、「あなた」のために、神さまはそのまなざしを注いでおられます。その出来事を見るために、さあ、教会へ行ってみませんか。

パパレンジャー

心の旅を見つめて  堀 肇

温かな関係を必要とする「人生の秋」

人生の秋に苦悩が
「実りの秋」という言葉を聞きますと、豊かな収穫というようなイメージが浮かんできます。では「人生の秋」はどういうイメージでしょうか。これはその人の社会生活や身体的条件によって幾分異なりますが、ある種の安定感とともに老いや生の有限性を感じさせる雰囲気も持っているように思います。そこに「定年」などという言葉が入ってきますと、向老期を意識させられ、秋の寂しい面を感じさせられるのではないでしょうか。
 ところで、今その向老期を巡る最も深刻な問題は、この時期の自殺率が非常に高いということです。現在、日本の自殺者は年間3万人台が続いていますが、そのうち60歳以上が全体の34%でトップ。次いで50歳代(25%)、40歳代(16%)の順になっています。さらに未遂者が既遂者の5~10倍と推計される実情を考え合わせると、この時代の中高年の苦悩が浮かんできます。何よりもそれが物語る現代日本の荒涼とした精神世界に胸が痛みます。
喪失から孤独へ
 なぜ、このように中高年の人たちの自殺が多いのでしょうか。というより、なぜある人たちにとって、この時期がこんなにも苦しいのでしょうか。その原因や理由は単純ではありませんが、そもそも中年期(40~65歳頃まで)は他の時期と比べて生の条件が著しく異なり、肉体的・精神的な衰えもあって、生きるエネルギーが下降することは確かです。ことに男性は強度のストレス社会の中にあって、うつ病や心身症に罹患しやすいだけでなく、家庭では青年期が長引いている子供たちの問題や親の介護を配偶者と共に負っていかなくてならないというような課題を抱えてる方々が多くなっています。
 しかし、こうした現実が直ちに自殺願望を引き起こすわけではありません。では何が問題なのでしょうか。それはうつ感情を引き起こすような強度のストレスの蓄積による心身の疲労(時には破綻)とそれに伴う悲哀感や喪失感ではないかと思います。加えて、近年ますます希薄になってきた人間関係が人の心を喪失から孤独へと追いやっている深刻な現実があります。
繋がっていてくれる人が
実はこの「孤独感」こそが問題なのです。孤独は失うこと、見捨てられること、関係が破れることによって生ずる感情ですが、その程度が深まりますと、自分の生きる意味や存在価値が失われたような感覚になり、精神的な危機にさらされることにもなります。現代はこのような孤独感が人の心を覆っている時代と言っていいでしょう。孤独を巡る問題は若い人たちも抱えていますが、前述のような様々な問題が重なる中高年にとっては深刻な心の課題なのです。
 では、何がこの孤独を癒してくれるのでしょうか。それは心の深い部分で繋がっていてくれる人の存在です。人間は本来、関係的な存在であって、独りでは自分自身にさえなり得ないのです。人が生存充実感をもって生きるためには温かな人間関係が必要です。パウロは「あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです」(テサロニケの信徒への手紙一 2章20節)と述べていますが、自分の存在を喜んでくれる誰かがいるとき、生きていてもいいと言う気持ちが起こり、孤独を乗り越えていくことができるのではないでしょうか。

堀 肇(ほり はじめ)/鶴瀬恵みキリスト教会牧師・ルーテル学院大学非常勤講師・臨床パストラルカウンセラー(PCCAJ認定)

HeQiアート

Nativity , by He Qi, www.heqiarts.com

羊飼いと天使

天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
ルカによる福音書 2章10~12節

*お詫びと訂正
10月号福音版にてイラストのタイトルに誤りがありました。正しくは「Miriam Prophetess and Sister」です。謹んで訂正してお詫びをさせていただきます。

たろこままの子育てブログ

「時について考える」

何事にも時があり(天の下の出来事にはすべて定められた時がある)
コヘレトの言葉3章1節

 子どもたちは最高のクリスマスプレゼントを、大人たちは宝くじの高額当選を待ち望む季節となりました(笑)。同じ暦、同じ時間を共有していても、お互いの立場によって「時」はこんなに隔たりがありますよね。
 1月からさまざまな時について子育てしている親の立場からあれこれ綴らせてもらいましたが、締めくくりにこの「時」について語ってみたいと思います。
 「何事にも時がある」―今更何を当たり前のことをと言われてしまいそうですが、私たちには本当にいろいろな時があります。皆さんはこの1年、どういう時だったでしょうか。
 出会い、別れ、そこまで大仰でなくとも、小さな奇跡がたくさん詰まった毎日だったかと思います。要領の悪い私は相も変わらずの悪戦苦闘丸出しで、病院と訓練と育児と家事に追いたてられた1年でしたが……(汗)
 聖書では、冒頭の句に続いて具体的な時が並びます。
生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時/殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時/泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時/石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時/求める時、失う時/保つ時、放つ時/裂く時、繕う時/黙する時、語る時/愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。
 まず生まれるところから始まる人の時は、最後平和の時で締められています。この「平和」という単語、原語(ヘブライ語)によりますと「シャローム」―「完全な円」を指すそうです。
 聡明な皆さんはご周知の通り、この世に完全なものなど何一つ存在しません。でも、それでも、そんな最高なものをあなたにあげたい、ということで、向こうの人は別れ際の挨拶にもこの「平和」なる単語を用いるそうです。
子育てをしていれば日々振り回されて心配事も絶えず、中々平安の気持ちには至らない私たちですけれども、願わくば来年もお互い平和の時を目指して歩んで行きたいですね。
 あなたにもシャローム! 拙い文章と絵でしたが、1年間ご愛読ありがとうございました♪

06-12-15るうてる2006年12月号

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宣教会議2006開催 「伝道する教会になろう!」の旗振りは誰がするの?

11月6日から7日にかけて、「宣教会議」が市ヶ谷センターで行われ、その報告をいただきました。
 今期の大きな課題の一つであった、「宣教会議2006」が11月6日~7日にかけておこなわれました。この会議は、これまでの合同常議員会を伝道と財務というテーマに集約して行う会議にして、宣教力アップのために何が必要かを考えるものでした。
 宣教会議には、各教区の教区長、伝道担当常議員、本教会スタッフが参加した。会議方法も改め、課題として各教区伝道担当常議員には、教区内の現状、過去5年の教勢、今年のこれまで受洗者数を調査していただきました。これにもとづき、宣教が進展している教会、伸び悩んでいる教会の状況分析などもおこないました。その後、ワークショップとして「教区伝道担当として何をしてきたか?」「伝道担当に各個教会・社会から何を求められているか?」を、教区長会・伝道担当者会に別れて話合いました。
 そこからの共通認識として、各教区各個教会は宣教進展に関しては、かなり厳しい現実があることも確認ができました。そこから「伝道が停滞しているなら、伝道刺激策の具体的な取り組み、手詰まり感があるなら、それを共有し、それを打破するための取り組み」をしていく。そのために各教区の連携を深めていくことが決まりました。      (3面へ続く)

宗教改革記念礼拝

 ルーテル教会にとって大切な10月31日、宗教改革記念日。今年も各教区で記念礼拝が持たれ、その様子をご報告いただきました。
北海道特別教区
 北海道特別教区の道央地区では、近隣の日本ルーテル教団(以下NRK)の教会と合同で宗教改革記念日礼拝を行なっています。説教者と会場は7つの教会で毎年持ちまわりとなっています。
 今年は10月28日に献堂式を終えたばかりの札幌北教会が会場となり、説教者はNRK山の手ルーテル教会の宮崎篤牧師。38名の兄弟姉妹と共に静かに祈りを合わせ、神学校を覚えたひと時でした。
(札幌北/札幌教会 岡田薫)
東教区
 毎年、10月31日夜7時より、日本福音ルーテル教会東教区と日本ルーテル教団関東地区は、協力関係の下に、ルーテル市ヶ谷センターにて、宗教改革記念礼拝を持っています。142名の参加者があり、北尾一郎牧師の「改革の系譜」と題して、みことばを聞きました。決して変わることのない信仰の原点「恵み」「信仰」「聖書」を確かめあった夕べでした。  
(田園調布教会 杉本洋一)
西教区
 関西地区ルーテル四教団合同聖餐礼拝がフェローシップ・ディコンリー「母の家ベテル」(なんと、ここではシスターたちが共同生活をしています。ルーテル教会に「修道院!」と驚かれる方もおられるかもしれませんが、これも確かにルーテル教会の一つの信仰の形なのです)を会場に行われました。今年で7回目を数えます。
 説教は近畿福音ルーテルの田端武先生にお願いしました。ルターの聖餐理解を中心に、今、私たちにとっての宗教改革の意義を新たにしてくださいました。参加人数は80名でした。合同礼拝は、今回をもって一区切りとなりますが、教団同士の親交が、講壇の交換等制度面も含めて更に深まることを祈っています。
(大阪教会 滝田浩之)
九州教区
 ルーテル熊本地区宣教会議(任意の教会連合体)は毎年連合で宗教改革主日に記念行事を行っています。今年は10月29日(日)の午後神水教会を会場に、徳善義和先生をお招きし「ルターと21世紀のわれわれ」と題して講演会を開きました。先生は、ルター、ボンヘッファーから私たちに共通の課題と使命をわかりやすく、約180名の聴衆を前に解き明かしてくれました。当日は山口邦子さんのフルートによるバッハ、地区有志編成合唱団「ラウダームス」の歌も会場をにぎわせました。 
(大江教会 白髭義)

このほか、名古屋地区をはじめ各地でも合同礼拝が守られ、豊かな交わりのときが与えられました。

札幌北教会 献堂式

 10月28日、日本福音ルーテル札幌北教会の献堂式が執り行われました。詳しくは次号「るうてる」1月号にて、ご報告いたします。

クリスチャンのライフカレンダー

~高校生活~

 「おはよう」と声をかける。「ちょっとうざい」という声で「おはよう」と返ってくる。お父さんは黙って見過ごすことしかできない。そう、君はいま思春期の真ん中にいる。
 高校生活はどう? ホントは詳しく教えてほしいけれど、君が話してくれるまで待つよ。いま心の中が一杯だよね。恋愛、友達関係、受験。もしかすると、いじめや非行で悩んでいる? 将来に不安が一杯? お父さんも同じ道を通ってきたと思っている。自立していくための道だから、いまを大切にしてほしい。
 ただ、君はひとりじゃないよ。「誰もわかってくれない」と叫びたくなるよね。自分では抑えられなくなる時もある。そんな時でも神様は君の隣にいるよ。それに教会には君のことを見守る交わりがあり、相談できる先輩たちがいる。神様が君の場所を用意してくださっている。
 お父さんも、静かに君のことを祈っている1人だよ。だから大丈夫。思春期が過ぎ、ゆっくり話しができる日を楽しみにしているよ。

インフォメーション

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TNGでは2007年版スケジュール帳(言葉入り)を販売しております。クリスマスのプレゼントにもどうぞ!
一部100円

2007春キャン、スタッフ 募集!

 春の全国ティーンズキャンプ(春キャン)2007実行委員会は、スタッフを募集しています。
日程:2007年3月27日(火)~29日(木)
会場:千葉市少年自然の家
募集:グループリーダー及びジュニアリーダーそれぞれ10名程度。
お問い合わせは、マネージメント担当の佐藤牧師(千葉)まで。kz-sato@jelc.or.jp

牧師の声「私の愛唱聖句」

東教区 東京教会 牧師 関野 和寛
……この最も小さい者の一人にしたのは…… マタイ福音書25章40節

そこで、王は答える。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」
 わたしは9歳の頃から教会に通っていました。けれども、礼拝でも日常の生活の中でも本当にイエスさまと出会ったという感動を味わったことがありませんでした。そのようなわたしとイエスさまを出会わせてくれたのがこの聖句です。  
 わたしにはダウン症と心臓病を持った妹がいます。わたしが大学3年生の時に妹は急性の糖尿病で危篤状態に陥りました。家族と一緒に「何故弱く小さく、何もしていない妹がこんな目に合わなくてはいけないのだ」と悲しみのどん底に突き落とされました。
 集中治療室で管だらけにされて寝かされている妹の姿は痛々しく、見るに耐えないものでした。どうしようもない恐怖心と悲しみが、何故かわたしを2000年前のゴルゴダの丘に手繰り寄せました。病室のベットの上の小さな妹と主イエスさまの十字架の姿が不思議と重なって見えたのです。そして我が子を十字架に掛けた神の壮絶な痛みと愛が一挙に胸の中に押し寄せてきました。そしてわたしは神のひとり子、主イエスさまの姿を見たのです。
 妹が病院に入院する日、わたしは妹を救急車に乗せる為に背中に担ぎました。そしてこの聖句によって気がつかされたのです。わたしがあの日背負ったのは小さなキリストだったのだと。わたしは彼女を通してキリストを見せてもらい、またこの体に小さなキリストを担がせていただいたのです。
 わたしの妹は奇跡的に回復しました。そして再び「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」。この聖句がこころに鳴り響いたのです。迷わず牧師になる事を決めました。小さいものの中で主イエスさまに出会える幸せ、これ以上の喜びはありません。
 理屈ではありません。目の前に居る弱い人、小さな人、その中に確かに主イエスさまは今もおられるのです。そのような方々に仕えさせていただくことが主イエスさまにお仕えすることです。わたしはこの聖句と出会い、はっきりとそのことが分かりました。
 今も確かに鳴り響く主イエスさまのことばを聞きながら、愛する東京教会に仕え、そしてひとりでも多くの人に福音を宣べ伝えていきたいと思います。

信徒の声「教会の宝石を探して」

東教区 八王子教会 信徒  野村 君代
教会を知るきっかけとなったのは?   6年前のこと、戦後、別れ別れになっていた小学校時代の韓国の友人が、ふとしたことから札幌にいることが分かり、55年ぶりに札幌で再会を果たしました。実は、その方が牧師夫人となっていましたので、教会の礼拝にも出席、その時の説教がまるでわたしのためを思って話されるのを聞き、大変、感銘を受けました。
八王子教会との出会いは?
 教会がちょうど建った頃でしょうか、宣教師の先生が訪ねてきて、教会が近くにできましたのでぜひお越しくださいと教会案内を手渡され、言葉を交わしました。その宣教師がリビングストン先生だったのです。しかし、その頃は、わたしも仕事を持っていましたので教会へ行く機会がなかなかありませんでした。
 それから何年経ったでしょうか。札幌で会った友人との約束で教会へ行かねばと思っていましたが、自分一人では行けなかったので、先に受洗していた娘についてきてもらいはじめて教会に出席しました。2000年の12月のことです。その後は、自分ひとりで教会へ行くようになり礼拝や聖書研究会に出るのが楽しみとなりました。
受洗はいつでしたか?
 2002年8月18日です。その前年に、八王子教会が企画しましたサウス・カロライナ教区ルーツ・ツアーに参加し、とてもよい刺激を受けて帰国し、受洗への思いを強くしました。翌年に、リビングストン先生が再来日するのを機に洗礼を受けました。洗礼の水が首筋から背中に流れるのを感じ、教会へのお誘いを受けてから32年目にしてようやくに洗礼を受ける恵みを得て感無量でした。
受洗される前に手術を受けたとお聞きましたが。
 そうです。2002年の3月はじめ頃、体に痛みを感じ、お医者様に診てもらいましたら大腸がんと診断され、5月に手術を受けました。1ヶ月半入院、幸いにも順調に回復、体調も戻り、8月に洗礼を受けました。教会の皆さんの熱いお祈りに支えられて感謝です。
喜んで奉仕するその秘訣は何ですか?
 特別なことはありません。教会に来ることができるのが何よりも感謝です。教会の方々がいろいろな所で黙々と奉仕をされるのを見て、その姿が本当に輝いていると思いました。わたしもそうありたりと思っています。

求道者の旅21.ケネス・J・デール

第21回 私に赦しが必要なのですか?

我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ(主の祈りより)

問い:これはどういう意味ですか。
答え:天にいらっしゃる私たちの父なる神様が私たちの罪に目を留めたりなさらず(中略)毎日何度も私たちは罪を犯しながら……神様はそうしてくださるのです。(小教理問答より)
 教会の中で、私たちの罪、あるいは赦しの経験に留意する事なしに「罪の赦し」を語ってはいませんか。ここでは、罪と赦しの大きな主題についての小さな洞察を扱います。
集団的罪
 教会の讃美歌、式文そしてサクラメントにおいて罪の赦しを請う祈りは、個人の罪にとどまらずに私たちが生きている社会、経済、政治そして軍事システムの共同の罪との関与に気付く事から始めるべきでしょう。これらの社会システムは大きな不正、腐敗そして抑圧を起こす事がよくあります。
 しかもこれらのシステムを運営している官公吏を私たちが選んで来たのです。私たちはこれらのシステムを支える税金を払っているのです。この意味において社会悪は私たちの罪にほかなりません。私たちの多くは、盗みや殺人のような罪を犯さない「良い?」人々ですから、積極的な意味においては罪を犯していないかもしれません。それ故、集団的罪の性質に気付かないならば、罪の赦しの祈りは全く無意味なものになってしまいます。
神に対する罪、自分に対する罪
 何故私たちは、自分たちの罪に対して神の赦しを願うのでしょうか。隣人に危害を加えた時、謝り許しを願う必要がある事は容易に理解できます。しかし、自分の罪が神を痛め、神の赦しを請うという事が一体どうして必要なのでしょうか。
 自分自身の最も高い可能性を成就する事ができなかったり、自分の素質をないがしろにする時、私を創造し、愛し、常に私の性質を熟知しておられる神に反抗していることになります。創造的で人を愛するという自分の潜在性に対する罪、あるいは私自身の神から与えられた性質に反している事は、神に対して罪を犯している事になるのです。そしてこれは、単に隣人に対して単に罪を犯すという事より、更に罪の深い次元へとつながります。それ故に、神の赦しを請う必要があります。           
(翻訳:上村敏文)

詩編を味わう 意味のある象徴

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。/わたしの助けはどこから来るのか。/わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから。/どうか主があなたを助けて、足がよろめかないようにし、まどろむことなく、見守ってくださるように。
詩編121編1~3節

しるしとしての山々
 この詩編作者にとって「山々」は、創造のしるしである以上に、神の助けの象徴であったようです。彼は「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか」と言います。作者は「山々」が持つ意味をよく知っていたのでしょう。旧約によれば、ホレブの山でモーセはエジプトの地に捕らわれの身となっている同胞を救い出すようにとの召しを受け(出エジプト記3・1以下)、また同じ山シナイで彼は十戒を授けられました(同19・20以下)。預言者エリヤもまた同じ山で神との出会いを経験しました(列王上19・8)。ピスガではモーセは遙かに約束の地カナンを眺め、天に召されたのでありました(申命記34・1以下)。モリヤはアブラハムがわが子イサクを捧げようとした所であり、(創世記22・2以下)、ソロモンが神殿を建てた場所でもありました(歴代下3・1)。エルサレムの南東の丘シオンはエルサレム全住民の象徴であり(詩編147・12)、人々の贖いのしるしであり(イザヤ1・27)、民の希望ともなりました(同51・3)。
 それぞれの山で神は人々にご自身を現わし、語りかけ、働きかけてくださいました。作者は「山々」を見るたびに、神の助けがあったことを思い出したことでしょう。
 この詩編作者にとって「山々」は神が生きて働いておいでになる、大切な象徴でありました。「山々」は自然の美しさを映す気高い存在というよりも、昼も夜も、災いの時も、魂さえも、出で立つのも帰るのも見守るお方がいます(3節以下)ことを思い知ることのできる象徴となっているのです。この思いがあるので、作者は「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ」と言うのです。もはやこれは知性による言葉というより知覚の世界で受け取る神の助けです。
現代の「山々」
 最近大変興味のある話題に接しました。
 日本キリスト教団議長山北宣久先生が、聖学院大学のキリスト教週間でされた講演の中で、陸地から720キロメートル以上離れて飛ぶ航空機は必ず積み込まねばならないものがあるそうで、たとえば救命道具、海水着色剤、食料など、32種類77品目、その中に聖書があるという話です。ジャンボジェット機だとそのような緊急セットが16個積んであるそうですから、聖書も16冊ということになります。乗客のすべてがクリスチャンというわけではなし、仏教徒もいればイスラム教徒もいるでしょう。当然無神論者もいるはずです。でもどういうわけだか国際旅客法によって聖書だそうです。科学の粋を集めて製造された機体と徹底した安全管理の中で運行されるはずの航空機であるにも関わらず、人は究極の救いを人の知恵を越えたところに委ねるということでしょうか。
 それはキリスト教圏である欧米諸国の影響にすぎない、またお守りのようなもので、単なる気休めにすぎないと考えるなら、短絡的に過ぎます。
 洋上を飛ぶ国際線旅客機搭載の聖書が気休めにすぎないのなら、単に印刷物に過ぎず、積んでいても意味はありません。たしかに多くの人が聖書の内容にまで立ち至って知り尽くすことはないでしょう。しかし聖書の持つ使信が人類に対して信頼に価する重要な意味を持つことは知られています。気休め以上のもの、本物の助けがそこにあることを示す象徴としての聖書がそこにあると感じないでしょうか。知性を研ぎ澄まし、知識を蓄積し、技術を発展させ、あらゆることを精密に計算し、計算通りに機能することをもって本命とする社会に生きていても、人はやはり本物の助けが欲しいのです。しかもそれは知性の働きからは出てこないことを人は自ずと知っているのです。知性でそれを知ることができないのなら、知覚的に知るような象徴が必要です。聖書を航空機に積むとは、それこそ現代の「山々」を人は求めているといってもよいのではないでしょうか。だから聖書を積むのです。
(かくしゅういち)

早分かり宣教会議 2006

パワーミッション からアワー(OUR)ミッション へ

伝道が停滞しているなら、伝道刺激策の具体的な取り組み、手詰まり感があるなら、それを共有し、打開するための取り組みをしよう!
■現状■
1)宣教には、目に見えない働き(質)と、目に見える働き(量)がある。という言い訳をしてきていないか?
2)質と量の両方大切である。でも何も変わらない!
3)御言に養われる結果、目に見える結果も与えられるのでは?。
4)教会の自己保身や財源として、数を集めるということではない。あくまでも宣教なのだという考え。
5)地域や分野においては、結果が出にくい。宣教投資という考え方もある。
6)結果を期待せずに良いと言うことではない。しかし、結果はすべてか?
7)献金以外の別途財源に依存することは避けなければならない。なのに別途財源に依存している教会は半数以上!
8)教育部長、伝道部長は、教区の責任として各個教会を育てるってホント?
  部長として各個教会へむけて何ができるか?
9)教区は伝道への刺激を与え、その結果にも関心を持つことに責任を持つの?
10)社会の中において、教会を成熟化させて刷新していくことは必要か?
11)教区・本教会の役割は、あくまでもサポートしかない!
■これから■
●救いのメッセージを明確に!
●P4との協力
●全国教会診断
●各教区常議員会で話し合う
■4つのキャンペーン■
伝道キャンペーン
献財キャンペーン
節約キャンペーン
献身キャンペーン

LAOS講座 公開講座日程

第7号「宣教と奉仕の理論と実際」

講師:江藤直純 牧師
日時:2月11日(日)/場所:八王子教会

第1号「信徒として生きる」(講師:浅野直樹 牧師/場所:日吉教会)、
第3号「真理を求めて-キリスト教の教理と信条-」(講師:江口再起 牧師/場所:未定)
に関しましては、現在詳細が未定となっております。決まり次第、お知らせいたします。

jelc.TV(インターネット配信)で■第2号「小さな1本の指」■第4号「神と人間」が視聴できます。
URL http://www.jelc.tv
ぜひ御覧下さい。

※詳しくは岐阜教会 斉藤末理子さん(P2【信徒部門】委員長)までお問い合わせ下さい。

議長に一問一答

宣教会議を終えて、いかがでしたか。
 各教区の伝道担当常議員と教区長及び議長・副議長・事務局長・会計・宣教室長が一堂に会して、宣教会議を開きました。これは、教区の伝道部の働きについて、その必要性と可能性について確認し、教会の宣教の進展を図ることを目的としたものでした。
 宣教の最前線は各個教会です。教区伝道部が各個教会の宣教内容を決定するものではありません。では、教区伝道部の存在意義は何なのでしょうか。それは、各個教会の宣教活動を支援することです。それには、教区が主催して、信徒の伝道意欲を高める研修会を行ったり、伝道のノウハウやグッズを提供することです。この伝道のノウハウやグッズは、各教区が共同して開発に当たることが有効です。そこに宣教室の働きが期待されます。また、伝道の力として活用するために、教区内の学校や施設との連携を図ることも教区伝道部の働きとして確認されました。
合同常議員会についてお願いします
 今回の合同常議員会は、「本教会財政好転に向けての抜本的対策」をテーマに絞って開かれました。
 具体的な策として、資金運用の効率性を高めるために有価証券の運用管理基準を設けることが合意されました。その外、協力金拠出額の教区を超えた傾斜再配分案、教職給への地域間格差導入、財務的にみた本教会事務局態勢等が今後の検討課題とされました。

宣教記念礼拝

各地で宣教記念礼拝

 博多教会は、宣教100年を迎え、札幌教会は、宣教90周年を迎え、それぞれ10月29日に記念礼拝が執り行われました。札幌教会の重富牧師に報告をお願いしました。

 1916年8月、サオライネン宣教師と溝口弾一牧師によって札幌伝道が開始され、1917年12月23日、札幌福音ルーテル教会が誕生した。現在の日本福音ルーテル札幌教会の前身である。17年のクリスマスには14名の洗礼者が与えられている。
宣教開始90年を記念し、札幌教会は2006年10月29日、記念礼拝と祝賀会を行った。一同はクーシランタ宣教師の説教を通して、フィンランドの人々の、絶えざる、日本伝道のための祈りと情熱とに改めて感銘を受けた。スオミホールでは歴史的な写真を展示、忠実な信徒たちの若き日の姿など感慨を喚起した。この忠実な信徒たちが守ってきた伝統の薫り放つ重厚な教会堂は、市当局からも注目され、現在、都市景観建築物としての指定の申し出も受けている。伝統の香りと、新しい息吹を調合し、今、どのように適切に福音を伝えてゆくことができるか、これが差し迫ったこの教会の課題である。(重富)

ラヘブ先生からのメッセージ

「クリスマスと平和と壁と」

パレスチナ ベツレヘム国際センター長/ベツレヘム、クリスマス・ルーテル教会 ミトリ・ラヘブ牧師
www.mitriraheb.org
 先日、中国へ行った時のことでした。ある学校で、一人の学生から「イエスさまがもしも現代にお生まれになっていたら、どんなふうだったでしょうか?」と質問されました。私は、こう答えました。「イエスさまが、もし今年地上にいらっしゃるとしたら、たぶんベツレヘムでは誕生されなかったでしょう。マリアとヨセフは検問所から先には行けず、町に入ることができなかったでしょうし、東の方から来た占星術の学者たちも、もちろんベツレヘムに入れてもらえなかったはずです。いっぽう、羊飼いたちは分離壁に包囲されたこの町から一歩も外へ出ることを許されなかったことでしょう。今日、多くのパレスチナ人のこどもが、検問所で足止めされた夫婦から生まれています。イエスさまもそのようなこどもの一人となったはずです。占星術の学者たちは壁の中へ入れず、羊飼いたちは壁の外へ出られず、検問所で生まれたイエスさまを見に行くことはできなかったでしょうね」
 あの「素敵な」クリスマス物語を台無しにするような言い方だと思われますか? クリスマスは、とてもひと言では説明しがたい「平和な雰囲気」を喜ぶ「素敵な」祝祭の日になっていますね。私は、それが「安っぽい平和」のような気がしてなりません。平和のために本気で何かをしようとはしていない、のんびり構えているような人たちが、ちょっと希望に満ちた気持ちで説教をしたい時のテーマになりがちです。クリスマスの時季になると決まってあちこちで繰り返されるこの「平和」物語に、私個人は、つくづくうんざりしているのです。クリスマスはいつのまにか「みんなで楽しく平和について語る」季節になってしまいました。本当は、「みんなで祝福されて平和を作り出す」季節であってほしいのに。
 パレスチナに住む私たちにとって、「平和のための話し合い」は、決して理想論ではすみません。戦いを終結させるための話し合いというよりもむしろ、どうやってそれを最小限にとどめながら互いにうまく生き延びるか、という現実的なレシピのことを言うのです。世界中で「平和のための話し合い」が続くなか、ここではイスラエルによる分離壁の建設が続いています。世界中の教会で「ああベツレヘムよ」(O little town of Bethlehem)が歌われるこの季節、たしかに今後もこの町が可能な限り小さな町(リトル・タウン)のままでいなさい、とでも言うかのように壁が築かれているのです。5キロ四方ほどの小さな町は、壁と柵と塹壕に囲まれた「屋根の無い監獄」になりました。将来、この町がこれ以上大きくなる可能性はまったく絶たれています。
 平和とは何か。この答えを誰よりもよく知っていたのは聖パウロだと思います。かつてはユダヤ教指導者、熱狂的な民族主義者、異教徒の迫害者、強硬論者でした。パウロは、自分の共同体を守るために、「敵」との間に強固な分離壁を築き上げ、それを死守することに命をかけていました。この「壁」について少しでも疑問を投げかける者に対して、遠慮無く攻撃のやいばを向け、現代のテロリストばりの襲撃さえも辞さなかったパウロです。自分の属するユダヤ民族の平和と安全のためと信じていたからです。ところが、この強硬派のパウロが、劇的に変えられました。キリストと出会い、ほんとうの平和とは何か、彼の目が開かれたのです。パウロはこの平和について「敵意という隔ての壁を取り壊し」(エフェソ2:14)と書いています。強硬な迫害者サウロは、この時を境に、熱心な使徒パウロに変わりました。彼が教える通り、神ご自身がキリストとして来られ、人と神を隔てるものを取り壊し、私たちを神と和解させてくださったのであれば、ましてや人と人、民族と民族、文化や国家の間を隔てる壁など、ほんとうはいっさい築くことはできないはずなのです。パウロは、自身の悔い改めを通し、確信に満ちて、福音のために命をかけました。
 私たちのこの小さな町の周囲に「敵意の壁」の建設が続くなか、私たちもまた、今改めて献身の覚悟の必要を感じています。憎悪と敵意の壁をすべて取り壊したい――目に見える、コンクリートの壁だろうと、思想、民族、政治、社会、経済を隔てる見えない壁だろうと。キリストのお生まれになったこの町から、今年はみなさんへのメッセージとして、次のパウロの言葉をおくりたいと思います。
実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊されました。〔翻訳者註、エフェソ2:14を調整〕  (翻訳:中西須美)

JELAキルト展

11月11日~17日、ジェラ・ミッションセンターホールにてキルト展が開催されました。
飢えや病気で苦しむブラジルとアジアの子どもたちの支援のためのチャリティーで教会の方々が時間をかけて作ったキルトを展示、オークション形式で販売されました。
また、最終日には「ワインとチーズのパーティー」も行われ、楽しい時を過ごしました。

年末の連帯献金にご協力ください。

■ブラジルの日系人伝道のために
■日米協力伝道のために
■カンボジア・タイ宣教支援
■パレスチナ支援
■その他(世界宣教の働きのために)
■送金先■■■
・三井住友銀行新宿西口支店 (普)501597
・郵便振替 0190-7-71734

公  告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二十三条の規定に基づき公告致します。
二〇〇六年一二月一五日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
 代表役員 山之内 正俊
信徒利害関係人 各位

     記

①被包括団体 日本福音ルーテル小田原教会による教会債起債の件
金 額 一〇〇万円
借入先 同教会員
返済期間 二〇〇六年一月より二〇一五年一二月末までの一〇年間
返済額 年額 一〇万円
利 息 無利息
担 保 無担保
返済原資 信徒による献金
②被包括団体 日本福音ルーテル福岡西教会による左記の行為
・牧師館取壊しの件
理由 福岡西方地震による甚大被害のため、また筑後三二年の老朽建物にて修復困難のため。
取壊し物件
所在 福岡市早良区干隈字東中溝一〇一番地四
家屋番号 一〇一番四
種 類  教職舎 
構造 木造、瓦葺、平家建
面 積  一二六・九六㎡
以 上

各地のニュース 九条の会・三原発足

 10月15日憲法第九条の堅持を訴える市民グループ「九条の会・三原」が発足し、広島市立大広島平和研究所の浅井基文署長が講演した記念講演会には市内外から約400人が参加されました。
 三原教会、松隈先生が共同代表の一人をされており、ご報告いただきました。

第28回教会音楽祭テーマ曲募集

「いのちの輪 ~あなたは私の愛する子、今日、私はあなたを生んだ」というテーマのもと共に心を合わせて賛美できるような、詞および詞と曲を募集しています。ぜひご応募ください。一人一作品とし、原則として作詞作曲とも未発表のものに限ります。
問い合わせ・応募先は千葉教会・佐藤牧師

06-11-15るうてる《福音版》2006年11月号

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バイブルエッセイ「ごめんね」「いいよ」

「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。
ルカによる福音書7章47~48節(日本聖書協会・新共同訳)

 ある本屋さんでのできごとです。
 本を探すのに熱中していたのか、5~6歳の小さな男の子が、トン、と私にぶつかってきました。「あ……ごめんなさい」「いいよ、大丈夫」そういうと、ほっとしたような笑顔を見せてくれました。彼がきちんと「ごめんなさい」を言えたことにも感心したし、自分がちゃんと「いいよ」と言ってあげられたことも嬉しいな、と思いました。

 「ごめんね」「いいよ」……この関係を作ることの大切さをわたしに教えてくれたのは、友人のHさんと、その子どものTくんでした。Tくんは、たとえどんなにわがままを言って、手を付けられないくらい暴れても、必ず最後にはおずおずと「ママ、ごめんね」という一言を口にします。Hさんも、その一言さえ聞けば、たとえどんなに腹を立てていても、怒りをおさめて「うん、いいよ」と抱きしめるのです。心から謝れば、必ず「いいよ」と言ってもらえる。だから安心して「ごめんね」が言える。HさんとTくんのそのような関係が、私にはとても素敵でかけがえのないものに感じられるのです。

 「ごめんなさい」という一言を口にすること、自分の間違いを認めることは、一見簡単なようですが、とても勇気がいることです。国と国、組織と組織、個人と個人……わたしたちの生きている世の中では、どうも「間違いを認めた方が負けだ」というような考え方が、まかりとおってしまっているような気がします。しかし、そのようにしてお互いに、「自分は間違っていない、だから謝る必要はない」という考え方を続けていくとき、やはりそこには、争いしか生まれてこないのではないでしょうか。間違いを間違いとみとめて「ごめんなさい」と謝ること……そして相手の「ごめんなさい」に「いいよ」と返していくこと。こんなところから、本当の平和が生まれてくるのではないでしょうか。

 「ごめんね」「いいよ」という2つの言葉を、大切に用いていくことができれば、と思います。わたしたちはいつも、「何か」にゆるされて、生きている。自分が生きるために犠牲にしてきた、たくさんのいのち、知らず知らずのうちに傷つけていた周りの人たち、そんなたくさんの「いのち」に赦されて、わたしは今ここで生きている。心が硬くなり、「ごめんね」が言えなくなっていると感じたとき、一歩立ち止まって、周りにあふれている「いいよ」という声に耳を傾けられたら、と思います。「いいよ」「生きていていいよ」とわたしに語りかけてくれる声に、心を開いていきたい。そして、わたしに向けられる「ごめんね」という言葉にも、「いいよ」と笑顔を返していきたい、そう思うのです。
Aki

心の旅を見つめて  堀 肇

「人生の正午」に振り返りを

自分への問いかけが
しばらく前、親しくしている友(牧師)と話している時のことでした。彼はこんなことを語ってくれたのです。「私はこの頃、自分は今まで一体何をしてきたのだろうか、この年になって改めてそんなことを考えるようになった」と。彼は自分の職務に忠実であり、ライフワークともいうべき専門分野においても非常によくやっていて周囲からも良い評価を得ている人です。また優れた信仰の指導者でもあり、私が尊敬している友の一人です。
 このような自分への問いかけが、何もすることがなくなってしまった人生の晩年に起こるのは普通にあることです。しかし、まだ現役で非常に忙しいスケジュールを前向きにこなしている人から出てきたところに大きな意味があると思いました。一般に人生の夏から秋(中年期)にかけては、積極的に仕事に取り組み、その成果も期待できる充実した時期ですが、彼はそうした実りの時期に自分の人生を振り返っていたのです。「人生の正午」には
実はこのような「振り返り」は私たちのライフサイクル(人生周期)において、とても重要なことなのですが、中年期というのは仕事がどんなに忙しくても、それをやり続けるようなところがあり、したがって自分の人生を振り返る余裕もないのが現実ではないかと思います。これはアイデンティテイの危機とも言うべきことなのですが、どうしてかそれに気づかず、ひたすら「夏」のままの生活を続ける傾向があるのではないでしょうか。
C・G・ユングが中年期を「人生の正午」と呼び、それまでの人生の見直しの必要性を強調したことはよく知られていますが、この「正午」というのはとても示唆的な譬だと思います。正午には頭上を照らしていた太陽の位置が変わって影の向きも逆になり始めるように、人生も後半期に入ったら、それまでの生き方や価値観の転換をしなくてはならないということなのです。これは新たなアイデンティティを形成するわけですから人生の危機と言ってよいでしょう。
「実り豊かな敗北」もある
しかし、この危機は自分らしい創造的な心の在り方を獲得する時ともなります。たとえこの危機に気づいていない人であっても、中年期に訪れる肉体的衰え、また結婚生活や仕事などを巡る悩みに直面しますと、この問題を考えざるを得なくなります。けれどもその時が方向転換の機会なのです。多くの場合、より内面的なものに価値を見いだすようになっていくように思います。
P・トウルニエ(医師・精神療法家)は『人生の四季』の中でこんなことを述べています。「青年時代には私たちは成功とはただただ進歩とか何か積極的なものであると考えていますが、年をとると、成功より実り豊かな敗北というものがありうるし、自分を一層豊かにしてくれる断念というものも存在するということを発見できるようになります」。この「実り豊かな敗北」という認識は人生を振り返り、新しい価値観に目が開かれる時に現れ出でくる心の変化ではないかと思います。
 「詩編」の作者は人生の出来事を神との関係において受けとめ、「いにしえの日々を思い起こし/あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し」(143編5節)と語っていますが、この「思い返し」、つまり「振り返り」は真の意味で充実した実り豊かな「秋」への備えとなるのではないでしょうか。

堀 肇(ほり はじめ)/鶴瀬恵みキリスト教会牧師・ルーテル学院大学非常勤講師・臨床パストラルカウンセラー(PCCAJ認定)

HeQiアート

David and Saul , by He Qi, www.heqiarts.com

ダビデに対するサウルの敵意

次の日、神からの悪霊が激しくサウルに降り、家の中で彼をものに取りつかれた状態に陥れた。ダビデは傍らでいつものように竪琴を奏でていた。サウルは、槍を手にしていたが、ダビデを壁に突き刺そうとして、その槍を振りかざした。ダビデは二度とも、身をかわした。
サムエル記上 18章10~11節

たろこままの子育てブログ

「与えられるとき」

わたしは裸で母の胎を出た。(ヨブ記1章21節)

 いざ子育てを始めると「あれまーよくもこんなに」と思うくらい子どものものに囲まれてしまいます。
 衣服はまるで脱皮して成長する幼虫のように次々と入れ替わり、おもちゃも居間と押入れで新旧入り乱れての大団円。靴や帽子もまだまだキレイなうちに次々と小さくなります。いくら毛玉がつこうとも、穴が開くまで靴下を愛用する親としては「もったいないお化けが出るかも」と思うばかりなのですが←この表現、年がばれますね。
 そんなことをつらつら考えながら、時折枕元の「非常用グッズ」を整理します。
 北海道は大きい地震も多いし、それが秋冬にかかれば命にも関わります。
 基本のペットボトル入り水に小さくなった小太郎の衣類やおむつを入れ替え、季節に合わせて小太郎が凍えないように防寒用品を入れたり。体格の変わらない親たちのものはさておき、年々衰える親の体力を考えて荷物を最小限にしようとあれこれ入れては出しての試行錯誤を繰り返しますが、どうしてもここで何度も手が止まります。
「欲張れば際限ないけど……結局一番大切なものって何だろうねえ」。
 この問いに多分皆さんは「命では?」と答えられるかと思います。
 命―それは己のものかと思いきや、どこでいつ生まれるか本人すらも知り得ず、いつ天に戻るかも知れない不思議なものです。母親になって思うことは確かにそれは「与えられるもの」だというくらいでしょうか。
 中学時代の英語の授業で、「私は生まれた」は「I was born」と受動態であることを習いました。まさにその通りだと20年近く経ってしみじみ思います。
 物もお金も持たずに生まれ、ただその存在だけで祝福される命。地位も名誉も財産も究極のところあの世に持っていけないのです。
 囲まれた様々なものは全部自分たちの手でもぎ取ったものと思いつつ、実は自分の命すら「与えれれるもの」なのだなあと感じるのでした。

06-11-15るうてる2006年11月号

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PM21推進委員会 「これまで」と「これから」

 10月11日から12日にかけて、「PM21推進委員会」が市ヶ谷センターで行われ、その報告をいただきました。
 2006年教会総会を終えた私たちは、10年間の方策が丁度半分を終えたことになります。これまでを前期ととらえ、各プロジェクト宣教室で用意した課題表を書いていただき、「これまで」と「これから」を考えるときを持ちました。また、計画されたことが達成されたかどうかを見極める作業をしました。
 まず、徳弘宣教室長より半期の総括がありました。新しい宣教方策として出された「パワーミッション21」でした。この5年はPM21の浸透と成果をめざしてきました。新しい動きという明るい見通しもあるが、実際は絶望と行き詰まりをたえず抱えての年月でした。
 「これまで」を考えると、目指してきたものはトップダウンの方策ではなかったが、各個教会からはそのように受け止められてきたように思います。各プロジェクトの計画はほぼ達成できています。
 その中から見えてきた「これから」は、この方策を「自分のものにする」ということだと思います。「自分で考える。自分で決める。自分で行動する」という方策へと流れが変わっていくことを望んでいるという総括がなされました。
 各プロジェクトの報告は3面をご覧ください。
(宣教室補佐 立野泰博)

TNGリーダー会議

 10月19日~20日かけて、TNG委員会リーダー会議が開かれました。年に3回開かれるこの会議では、各部門の活動報告に始まり、そこから見えてくる反省や課題、そして希望を共有します。各部門がばらばらにあるのではなく、リーダーが重荷を担い合うことも本会議の目的の一つになっています。また、今回から会計担当者も同席し、お金の動きについても責任ある態度をとるために共有する時間を割きました。宣教室補佐の立野牧師も同席され、TNGの働きが宣教室の働きであることを改めて確認しました。
幼児部門(中島康文牧師)
 昨年までに作成したグッズの販促に力を入れると共に、新たな展開も検討しています。メンバーが忙しいことから動きが鈍くなってしまう課題などについて話し合われました。
子ども部門(河田晶子姉
 今夏、リーダーが交代し、動きが生まれつつあります。夏のこどもキャンプは好評をいただき、反省と共に来年への準備も始まっています。教会学校応援グッズの内容の充実を重点課題として取り組みます。また、全国の声に応えるためにアンケートも計画しています。
ティーンズ部門(佐藤和宏牧師)
 来年の春キャンの準備が始まっています。テーマも決まり、具体的なスケジュールも立てられました。このほかでは、スケジュール帳の販売が今月中に始まります。メルマガ等、課題も共有されました。
ユース部門(安井宣生牧師)
 9月にキャンプ・カフェ・ピースを開催しました。1年かけて取り組んできた「カフェ・ピース」の集大成とも言える集まりになりました。詳しくは本誌4面及び、TNGニューズレターをご覧ください。

九州ルーテル学院 80周年

学校法人九州ルーテル学院は、1926(大正15)年にキリスト教の精神に基づく女子教育を目的として九州女学院(現ルーテル学院)が設立され、今年で80周年を迎えました。
記念礼拝は10月3日、 ルーテル学院中学高等学校礼拝堂にて、柴田千頭男氏(ルーテル学院大学名誉教授)を説教者に迎えて執り行われました。記念式典・祝賀会は翌4日、県立劇場を会場に行われ、記念講演では熊本県知事の潮谷義子氏が「豊かな命をめざして」と語られました。

クリスチャンのライフカレンダー

~青春真っ盛りの君へ~

君は、今アメフトに夢中のようだね。朝から晩まで練習している様子は、青春真っ盛りだ。アスリート、それが君の夢だ。でも、心の隅では日曜日に礼拝に参加できないことが気になっているようだね。その気持ちは私にもわかる。私もテニスに熱中していたから。でも心配しなくてもいい。オフの時には礼拝に君の姿があるから。だから、それでいい。実はね、私が神学校に行こうと考え始めたのは、その頃だった。
大事なことは、生涯教会を離れないことだと思う。今は今できることに熱中してもいい。きっとアメフトが困難に立ち向かう力をつけてくれるはずだ。君は大きなケガで試練も経験したね。君が目指しているアスリートという言葉は、パウロも使っているアスレオーという言葉から来ている。競って勝つという意味だ。でもパウロは弱さを知ることの大切さも語っているんだ。「私は弱いときにこそ強い」。君には、弱さを知る者こそ本当の勝利者なのだと、信仰によって知ってほしい。

インフォメーション

教会手帳2007発売開始!!

ビジネス手帳と教会手帳を兼ね備えた新しい「教会手帳」。
皆さんのご意見を反映させて発売です。2006年11月始まりなので購入したその日から使えます。
詳しくは、折り込みポスターを御覧下さい。
2006年9月改訂版住所録付 定価1100円

牧師の声「私の愛唱聖句」

信仰生活、折々の愛唱聖句

九州教区 熊本教会 荒尾教会 牧師 小嶋 三義
 牧師としての生活を長くさせていただき、み言に支えられて今日まできました。信仰生活折々に支えられたみ言をお伝えしたいと思います。
 ヨハネの黙示録3章20節は、私が信仰の手前で迷っているとき与えられた聖書のみ言です。高校3年のときでした。キャンプの山小屋で車座になって祈っていました。自分の番。生まれた初めての人前での祈りでした。「天の神様……」と言った途端、頭の中が真っ白になり、宙に浮かんだようになりました。どうしてよいか分からず、泣きたい気持ちになっていたとき、見回りにきた宣教師が山小屋の入り口を叩きました。どんどんと叩く音。私の心の衝撃的に響きました。その時、暗証していた聖句が、イエス様の声として聞こえてきました。「見よ、わたしは戸に立って、たたいている」。イエス様を心にお迎えしよう、それが洗礼の決心となりました。
 クリスチャンとして自分の将来を祈っているとき、神様はみ言を通してわたしを招いてくださいました。イザヤ書6章8節です。「そのとき、わたしは主の御声を聞いた。『誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。』わたしは言った。『わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。』」
 このイザヤの神様との会話は私自身の会話となりました。神様が示してくださった民とは、聴覚障害者の人々でした。わたしの弟が耳が不自由だったからです。
 牧師生活の中で、涙を流すようなこともありました。そのような時に励まされた言葉が、コリント信徒への手紙Ⅰ10章13節の「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」きっと神の備えたもうた道がある。行き詰まったとき、この言葉に支えられ、神の備えたもう道を信じて今日まで来ることができました。
 牧師人生も終わりに近くなった今、マタイによる福音書28章20節「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」このみ言葉をより身近に聴き、支えられて日々を過ごしています。

信徒の声「教会の宝石を探して」

西教区 西条教会 信徒  矢内 華子
入信の動機はなんだったんですか?  東京から広島の世羅甲山町に疎開し、当地で日基の牧師をしていた叔父の人となりに惹かれたこと、又当時農村伝道を熱心になされていた賀川豊彦さんにも出会ったことでした。
お母さんの影響も大きかったとのことですが。
 私が病気のときに、ふすまの陰で母が祈っている姿は、生涯忘れられません。
私たちが何よりも、一番大切にしていることは、教会生活なんですが。
 そうですね。私は、神さまにいつも助けられている、という気持ちをいつも大切にして、その感謝で教会に参りました。亡き主人もクリスチャンで、毎週日曜日は、快く車で送ってくれました。その頃、女医さんで高齢だった木阪ゆくさんは、自ら手押し車で、毎週欠かさず教会に通って来られていて、大変感銘をうけました。
 その、ゆくさんは、東広島市より第一号の功労賞を頂いた方です。
西条教会のメンバーには、他教派ご出身の方々が多くおられますね?
 そうです。木阪さん、中原ご夫妻、そして私も日基教団ご出身ですし、伊藤さんや、井上さんのように、カトリック出身の方もおられます。実は昭和30年頃だと思いますが、西条に人口が集中する時期があって、多くの方が西条に移り住んできたのです。ところが、西条には自分たちの所属していた教会がなく、自然とルーテル教会に集まるようになりました。
 ご自身、信仰生活の中で、人生「山あり谷あり」で、困難なこともおありだったことでしょうね?
 それはもう、大変なことがありました。しかし、いつも、神さまに守られている、と感じてきました。「思い煩うなかれ」という、み言葉に励まされて、祈り、祈りは必ず聴かれました。
 いつも、聖書のみ言葉を頂いて、その数々のみ言葉が、私を支えてくれました。
 これまでの矢内さんのお話を伺いまして、学びましたことは、教会生活と信仰生活と日常生活が、ばらばらではなく、一つに堅く結び合っている、ということでした。
 本日は、大変、貴重なお話を、どうも、ありがとうございました。

求道者の旅

20 「信仰と降伏」

悔い改めて福音を信じなさい
(マルコによる福音書1章15節)

前回、クリスチャンの人生は、恵みと信仰の間のダイナミックな動きである事を見ました。救済のテーマに続いて信じるとはどういう意味かについて焦点を当ててみましょう。「信じる事」は知的同意とは同じではありません。
私は神のもの
 私自身には完全に神のものというイメージがあります。自分の選択でこの世に存在するわけではないからです。神が存在をもたらしたのです。ある意味で神は私の人生に対して究極の責任を負っているのです。業績や、将来の事を半狂乱で心配する必要はないのです。私をお造りになられた方が心配すべきことなのです。何と安心な事でしょう。神を信じるという事は私をお造りになられた神にただ委ねるという事です。
委ねる
 「委ねる」という事は神を信じ頼む事の象徴的表現です。この意味を南カリフォルニアの高速道路で思いがけず発見しました。私が住むロサンゼルス郡は不幸にして犯罪の多い所です。高速道路で何人かの警官が一人の地面に横たわっている男に銃を向けているのを目撃した事があります。追いつめられた最後の場面です。彼は捕まったのです。
 後ろ手にされ、地面にうつ伏せになっているこの男のイメージは絶対的な降伏のシンボルとして私の心を打ちました。何を彼は考えているのでしょう。絶望と共にある安堵感があるのではとも思いました。どのように逃亡しようかと心配する必要はもはやないのです。
 彼は無条件に降伏しなければならない事は今や確実な事です。彼の人生は自分自身のものではなく、完全に彼を支配する者の手中にあります。霊肉共に自分が他者のものになり、自分の将来が他者の責任の内にある事を知っていたのです。
 おそらくこれは常軌を逸した喩えかもしれませんが、委ねる事の一つの経験です。この捕り物のように、神の差し迫った恵みに降伏する時、私達は神のものになるために、疑いや心配から解き放たれるのです。警察の手中にある犯罪者とは異なり、神の愛の腕の中に抱かれて完全に安全で祝福されています。何と安心な事でしょう。何と完全な平和でしょう。
(翻訳:上村敏文)

聖研「詩編を味わう」

8.審きでなく赦しを

彼に対して逆らう者を置き/彼の右には敵対者を立たせてください。詩編109編6節
審きの構図
 まことに不思議な詩編であります。キリストとの関係があってはじめて真の理解に至る詩編であるからです。その意味するところを汲み取るには作者がいう「彼」という言葉、そして「彼」に対する「逆らう者」、さらには「敵対者」の意味合いをよく理解する必要があります。
 ここでいう「彼」とは、神に逆らう者、欺き、偽りの舌を持ち、理由もなく戦いを挑む者であり、愛しても敵意を返し、祈りを捧げても悪意をもって応える相手です(2~5節)。作者は、その「彼」に「逆らう者」を置き、「敵対者」を右に立ててくださいと祈るのです。そうすることで「彼」を滅ぼすことができると思ったのでしょう。
 聖書学者がこの詩編を嘆きと呪いの詩編であると言うのも首肯けます。わたしたちの身に置き換えても、理不尽な仕打ちを受け、善意には敵意をもって報い、祈りには悪意がその返答ならば、「彼」に「逆らう者」や「敵対者」が出て、審きと滅びを願うのも当然です。
 しかし考えてみれば、ここでいう「彼」こそ「逆らう者」、「敵対者」そのものではありませんか。その意味では、この詩編は「逆らう者」により強い「逆らう者」を置き、「敵対者」に優って力ある「敵対者」を立て、それによって「彼」なる相手を審こうとしていることになります。これは審きの構図としては自然の成り行きというべきでありましょう。
赦しの構図
 しかしながら、キリストの福音に立つ信仰の先達たちは、この構図が赦しの構図に変る術を知っていました。
 パウロは、キリストは呪いとなられたと言います。律法に縛られているわたしたちは、律法によって呪われているようなものだ、そのわたしたちのためにキリスト御自身が呪いとなってくださったと言うのです(ガラテヤ3章13)。彼は「木にかけられた者は呪われる」と申命記21章23節を引き、キリストは律法の呪いに対して御自身が呪いとなられたではないかと主張します。キリストは呪いに祝福をもって対抗し、それによって呪いが消え去るとは言わないのです。キリストは呪いに対して呪いとなられることによって、わたしたちは呪いから解放されるのであると主張しているのです。それはキリスト御自身が呪いそのものを引受けられたということに他なりません。
 ルターも申しました。キリストは悪魔の悪魔、罪の罪、死の死となられたと。罪と死と悪魔は、強大な力をもってわたしたちを滅びに陥れるものであります。律法によれば審きの対象です。しかしながら、罪を罪たらしめるためにキリストは罪の罪となられました。罪が死んで赦しがわたしたちのものとなるためです。死が死んで永遠の命に甦るためにキリストは死の死となられました。キリストは悪魔の悪魔となられることで、悪魔は自ら悪魔であることを否応なく知らされ、審かれる以外に道はなくなるのです。
キリストによる救い
ルターがいう、罪と死と悪魔は、言い換えれば、詩編の作者が、「彼」と呼ぶ存在に等しいものです。それこそわたしたちに対して「逆らう者」であり「敵対者」にほかなりません。そのことを考えれば、作者が「『彼』に対して逆らう者を置き、彼の右には敵対者を立たせてください」と言うとき、「キリスト御自身が「逆らう者」や「敵対者」となってくださるのでなければならないのです。キリストは強大な力をもって、「彼」なる存在を圧倒し、救いを完成してくださるのはないのです。キリストは「彼」そのものとなって、「彼」を引受けてくださいます。
 その時、キリストは、ルターが言うように、全世界の罪を引受けた罪人になってくださったのです。さらに彼は言います。「キリストが罪人であって、呪いであることを否定するなら、キリストが苦しみを受け、十字架につけられ死んだことを否定することになる」と。さらに彼は「こうしてキリストは、罪と死に対する毒であり、自由と義と永遠の命のための薬である」と言うのです。
(かくしゅういち)
*ルターの引用は、徳善義和訳「ガラテヤ書大講解」から

PM21の「これまで」と「これから」

P1:次世代(TNG)への伝道・育成
TNGプログラムの継続、「つながり」+スタッフの育成

出かけていくTNGスタッフ・リーダーの育成
プログラム開発・共有教区⇒各個教会へつながっていく

LAOS講座 公開講座日程

■創刊号「信徒として生きる」/講師:江藤直純 牧師/日時:11月5日(日)/場所:東京教会
■第6号「いなご豆の木-信仰の継承-」/講師:立野泰博 牧師/日時:11月12日(日)/場所:広島教会
■第8号「この世を生きる-キリスト者の生活-」/講師:石居基夫 牧師/日時:11月19日(日)/場所:三鷹教会
■第5号「神の民の歩み-2000年のキリスト教会史-」/講師:鈴木浩 牧師、江藤直純 牧師/日時:12月3日(日)/場所:都南教会
※詳しくは岐阜教会 斉藤末理子さん(P2【信徒部門】委員長)までお問い合わせ下さい。

議長に一問一答

Q.PM21リーダー会議を終えて、今回の会議の目的は何でしたか。
A.宣教方策PM21は、2002年度をスタートとする10年計画の宣教方策です。これまで2回の総会を経て計画の具体化がなされてきましたが、この計画を実行するタイムスケジュールは、今年2006年までの分しか作られていません。そのために、2007年度以降の具体的スケジュール作成のために、これまでの進捗状況を確認し、新たな展開を行うために、どのような視点が必要か、どこに重点をおくべきか等を見定めることが会議の目的でした。
Q.会議で明らかになった課題は何ですか
A.この会議でのキーワードは、「パワーミッションからアワーミッションへ」ということでした。つまり、宣教を力強く推進するためという視点で作られているこの方策が、私たちの方策にならなければならない、ということです。宣教の最前線である各教会が、一人ひとりの信徒が、自分たちの方策として取り組めるように、これを展開していくことがこれからの課題として位置づけられました。
 日本福音ルーテル教会を構成するすべての教会が、すべての信徒が、福音の豊かさに与り、その福音のもつ力を余すところなく教会の外に向かって発揮させ、一人でも多くの人と、福音の喜びを分かち合いたいと思います。

全国ディアコニアネットワーク研修会

 今年のディアコニア・セミナーは「生命倫理」というテーマを掲げて、六甲山YMCAで行われました。
 その呼び掛け文には「3日間のセミナーをとおして、皆さまと共に、神さまから与えられた『いのち』を生きる喜びを分かち合いましょう」と書いてありました。
 今回の参加者は24名と少なかったのですが、講師を始め、参加者全員のいのちが輝いたセミナーでした。
 ホスピスケアを推進された岡安大仁医師、ホスピス病棟で働いておられる若松笑子看護師のレポートは信仰を問うものでした。
 聖書研究は石田順朗牧師によって「奉仕のわざに適した者とされるために」と言う題で、先生のグローバルな経験に基づく、日本文化を踏まえたものでした。「スモールワン」を立ち上げ、運営されている中本秀行・睦美ご夫妻は与えられた役割を果たすためだけに来てくださり、いのちの輝きを見せてくださり、参加者全員のいのちも輝いていました。
(前代表 松隈貞雄)

日本協働会設立20周年

 ドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル教会にある、日本を覚え支援し、共に働こうとの趣旨で設立されているアルバイツクライス・ヤーパン(AKJ)が、今年創立(正式発足)20周年を迎えました。
釜が崎活動支援を通して、JELCとのつながりを強め、担ってきた人々の会で、かつて釜が崎「喜望の家」で働かれた(また今でも定期的に来日されている)ボード・ヴァルター氏が代表を務めています。
この記念の節目を迎えるに当たって、単にお祝いと感謝の集いではなく、教会内外への活動のさらなる浸透と今後の発展を期すためにも、教会本部(ヴォルフェンブッテル)ではなく、今、交換牧師が来ているここヘルムシュテットで、記念の行事を行うことになり、この度のこの会の開催となりました。

一日神学校開催

 9月23日、恒例の一日神学校がルーテル学院大学・神学校で開催されました。招待された九州教区・福岡地区の方々を含め、550人が集められました。
閉会派遣礼拝では、子どもプログラムの発表と共に江藤神学校長のメッセージが印象的でした。

JELA-JELC共同プログラム インド・ワークキャンプIWC2007募集要項

第3回インド・ワークキャンプの参加者を募集中です。
詳細は次のウェブページに載っています。http://www.jelc.or.jp/rentai
各教会にも案内と申し込み書をお送りしています。
対象:18歳以上 日程:2007年2月18日(日)~26日(月)9日間 
問合せ・申込み:JELA(日本福音ルーテル社団)森川 Tel:03-3447-1521
締め切り 12月10日

第10回全国青年修養会
CAMPカフェピース 2006年9月16日~18日

ブログはこちらから http://www.jelc.or.jp/youth/
全国の青年の集いをとの声を受け取り、また一昨年来取り組んできた平和への祈りキャンペーンの一環として、9月16~18日に第10回全国青年修養会CAMPカフェピースが開催されました。
山梨県清里の地に集められた青年と教職の31名は、清々しい空気と緑濃い森の中で、「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました」(コリント信徒への手紙Ⅱ5章18節)とのみ言葉と「平和への祈り―ともに―」とのテーマで出会い、学び、考え、語り合い、祈り、動き出すきっかけを与えられる修養会を持ちました。
17日、日曜朝7時からの聖公会聖アンデレ教会をお借りしての主日礼拝では、日本福音ルーテル教会宣教百年信仰宣言より懺悔へと押し出され、江藤直純牧師の説教では、この私たちひとりひとりが和解のための奉仕を主から託されていることを告げられました。
それに続く分科会では、「エコロジー」「音声言語以外の世界―手話を手がかりに―」「ドイツ強制収容所の体験記とその後」「憲法第9条」との4つのカフェが開かれ、それぞれに歴史や現実、そして問題提起などを体験しながら学び、さらにそれぞれに学び得たことから表現することに取り組みました。
個々の祈りを言葉化すること、またホロコーストの証言映画の徹夜上映も行われ、復活の十字架という命の木のもとで食卓を囲む礼拝から、それぞれの地へと遣わされていきました。
詳細はブログをご覧下さい。

訃報

福井茂樹様[本教会常議員(財務局長)、教区常議員を歴任]が、10月12日(木)午前3時、召天されました(享年79歳)。
謹んで哀悼の意を表し、お知らせ申し上げます。

メイルアドレス変更

■中島 康文 ya-nakkazun@nifty.com

アメリカ・グループワークキャンプ 2007年 募集要項

以下の内容で、来年夏の派遣者を十数名募集します。
●派遣期間:7月24日(火)~8月7日(火)
●内容:①ミネソタ州でのホームステイ②アイオワ州Waterloo地区で開催されるワークキャンプへの参加
●条件:春キャンへの参加経験者、または来年の春キャンに参加する意思のある者
■問合せ・申込用紙請求先
日本福音ルーテル社団(JELA)150-0013 渋谷区恵比寿1-20-26 TEL:03-3447-1521/FAX:03-3447-1523 e-mail:jela@jela.or.jp
締め切り:2007年1月31日(水)

2007年 春の全国ティーンズキャンプ スタッフ募集!

春の全国ティーンズキャンプ(春キャン)2007実行委員会は、スタッフを募集しています。
日程:2007年3月27日(火)~29日(木)
会場:千葉市少年自然の家
主題:イエスは良い羊飼い(仮題)
募集:グループリーダー及びジュニアリーダーそれぞれ10名程度。
研修:2007年2月11日~12日(予定)
お問い合わせは、マネージメント担当の佐藤牧師(千葉)まで。kz-sato@jelc.or.jp

06-10-18るうてる《福音版》2006年10月号

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バイブルエッセイ「つながる命」

わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。
ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。
ヨハネによる福音書 15章4節(日本聖書協会・新共同訳)

 ある日、私は「命」の中に埋もれた。
「命」の中に受け入れられたのだ。 それは、ホスピスの庭。特別飾られている場所でもなく、豪華でもない。季節の花々が静かに、手入れ良く植えられている。素朴な空間だ。
父がそのホスピスで死んでから、一度も足を運べなかったその場所に、この時はいた。いえ、導かれたのだろう。父が最後の数日を過ごしたその空間は私には悲しく辛い空間だった。
その日、私はその空間にいた。静かな、素朴な空間に。
どうして今ここにいるんだろう。季節の花に立ち止まり、深呼吸をしてみる。「あー私は生かされているんだなぁ」。
 私にとって、死を見つめる空間としかホスピスが思えていなかった。しかし、その瞬間ここは死をみつめる空間ではなく、「命」に立ち止まる空間であることを静かに語られた瞬間だった。

 「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」。
 一つ一つの存在は違っている。でも草も木も、人も動物も虫も「命」は皆、同じだ。他より重いもの、軽いもの、なんて一つもない。皆、同じように大切、そして全ての一つ一つが一つにつながっている。ホスピスの庭は私に教えてくれた。「つながっていること」を。一人ではないことを。たとえ私は一人ぼっちと思っていても、つながっていてくださる方がここにおられる。
 「いつも共にいます」なんて言われても、「本当にいるの?」と尋ねたくなるときがある。でも、「わたしもあなたがたにつながっている」と言ってくださる方がおられる。ここに。
 手をつなぐとき、私たちは手を握り合う。どちらか一方だけが握っていてもつながることはできない。握っていない手はするりと抜けてしまうのだ。私たちが意識しなくても、私たち一人ひとりの手をしっかりと握り、つながってくださっている方がいる。私たちは何をすれば良いのだろう。
 そう、ただ握られているその手を握り返すだけ。
 「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」。
 「あなたからつながらないとわたしはつながらないよ」と言われるのではなく、「わたしもあなたがたにつながっている。」と言われている。
 手を握り返すこと。私たちにつながっている方へとつながること。いつ? どんなときにできるの? それは、いつでも、どんなときでも、あなたが自分の「命」に立ち止まるときに。
 その時あなたは、そっとつなげられている確かな手に気付くだろう。ただその時に、確かにつなげられているその手をそっと握り返す勇気さえも私たちは、与えられる。
 たった一つの命はたくさんの命につながっている、かけがえのない命。
 「安心してつながっていなさい。私があなたとつながっているから」。

心の旅を見つめて  堀 肇

「生きにくい人生の「夏」に理解を」

壮年クライシスを理解
若者の引きこもりやニートの問題がマスコミなどで頻繁に取り上げられ、その深刻な実態が明らかになるにつれ、それを正しく理解しようとする人たちも増えてきたことは嬉しいことです。しばらく前、大学の授業でもその問題を学生たちに討論してもらったことがありますが、最初は「甘えている」とか「親が悪い」などと単純な因果論で批判していた学生も個人や家庭の思うにまかせない事情やこの時代の社会・文化的要因などが分かるにつれ、深い理解を示すようになりました。やはりまず理解することなのです。
 一方、そうした人たちとは対極にあるような積極思考の若者たちには何の問題もないのかと言えば決してそうではなく、親世代が経験しなかったような悩みを抱えていることを、これまた理解しておきたいのです。ライフサイクル(人生周期)で言えば壮年期、つまり最も活動的な「夏」に危機(クライシス)が訪れているのです。「壮年クライシス」と言ってよいでしょう。
30代に心の病が急増
 最近あるメンタル・ヘルス研究所の調査で、いま30代の会社員にうつ病や神経症などの「心の病」が急増していることが分かりました。従来ですと、うつ病のイメージは中年期と結びついていましたが、現代は壮年期での発症が多くなっているのです。専門家が分析するように、その要因の一つは個人の能力や成果に応じて給料が決まる、いわゆる「成果主義」の普及がその背景にあることは確かです。まだこれからと言う時期にいきなり「成果主義」が導入されると、能力ある人でもストレスを受けることになるでしょう。
 また「管理職の若返り」を指摘する人もいますが、確かに技術面で優れていても人間関係の調整などは経験がないとストレスになります。しかし受験も仕事も一生懸命やってきたような人たちは「できない」ことを恥ずかしく思い、周囲の評価にも敏感ですから心身が破綻するまで頑張ってしまうところがあるのです。そういう精神的危機に頑張る30代が直面しているのが現代なのです。
共に苦しむ温かさ
 このような問題を抱えている人たちにとって取り分け辛いことは、心の病にでもなると親や周囲の者たちから「忍耐が足りない」とか「弱い」など言われたり思われたりすることです。体の病が比較的、同情や励ましを得やすいのに対して、心の悩みは「頑張れ」などと叱咤激励されやすく、外にも現せないところに心病みかねない辛さというものがありれます。
 このような辛い気持ちを持ちながら「夏」を送っている若者をどのように支えていけばいいのでしょうか。それにはまず心の病が発症するほどのストレスの中に置かれていることを理解することです。その場合、親や年配者たちは事は自分たちが作ってきた社会の中で起こっていることを忘れず、自分の体の一部として考える温かさを持ちたいのです。ここが鍵になります。パウロは教会という共同体を体になぞらえ「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ」(一コリント12章26節)と述べていますが、このように共に苦しむ気持ちを持って温かく応援してゆくことが、この生きにくい時代の中で働いている若者を支えていくことになるのではないでしょうか。

堀 肇(ほり はじめ)/鶴瀬恵みキリスト教会牧師・ルーテル学院大学非常勤講師・臨床パストラルカウンセラー(PCCAJ認定)

HeQiアート

Red Sea Crossing , by He Qi, www.heqiarts.com

「葦の海の奇跡」

杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の乾いた所を通ることができる。

作者紹介 He Qi(ヘイ チーと発音)氏は南京ユニオン神学校の教授、中国芸術協会会員、アジア基督者芸術協会の評議員も勤めている。1983年以来、現代中国クリスチャンアート作品の創造に取り組み、芸術を用いて、中国では「外国のもの」とみなされているキリスト教のイメージ転換に努めている。
 作品は、中国の民族的習慣や伝統的な中国式絵画の技法と、中世や近代の西洋芸術の技法との融合を特徴とし、ライスペーパーに日本のポスターカラーと中国の伝統的なインクの双方を用いるという、独特の芸術的スタイルを編み出した。
 文化大革命後の中国大陸出身者としては初めての、宗教芸術での博士号取得者でもある。
 中国のみならず海外での評価も高く、京都、香港、ジュネーブ、ロンドン、サンフランシスコ等で個展を開催している。BBC、Christianity Today、Asian Week、Far Eastern Economic Review等の主要メディアでも作品が紹介されている。

たろこままの子育てブログ

「語るとき」

自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。(レビ記19章18節)

 ルートを諳んじていたとしても、大根を買うときにそれで安くなるかいな! などと1人呟いて、なるべく勉学から現実逃避しようとしていた学生時代(恥)。そんな私にも忘れられない一文があります。
 『己所不欲、勿施於人』―そうです、論語に出てくる孔子の名句、「己の欲せざるところ人に施すことなかれ」です。こちらにはレ点などに散々苦しめられたものの、本日引用の文章はよりシンプルかつ、積極的、肯定的表現ですね。平易に書き表せば「自分を大切にするように、周りの人も大切にしましょうね」といった感じになるのでしょうか。
 人は自分の好きなことで迷うときは真剣に、かつ納得のいくまで悩みます。が、他人のことになるとどうでしょうか。私も、愛は忍耐であるとか、愛は見返りを求めないものであるとか、愛のごく1部について拙く語りましたが、自分を計るモノサシで相手を計ることは実はとっても難しかったりします。
 子育てをしていると、母親自身のモノサシが子どものそれに近いのだなぁと感じることはあるのですが、その母子をひっくるめて見る世間のモノサシというものも実に様々なサイズがあるのだなぁと思わされました。
 母乳一つ取ってもそうです。昔は母乳神話(?)なるものがあったそうなのですが、その年代の人に実際「母乳で育てない子どもはバカになる」と言われたママ友もいましたし、「帝王切開は本当の出産じゃない」と決めつけられた人もいます。
 こんな風に「自分がこうだったから、あなたもこうするべきよ」「こうしないのはおかしい」と押し付けてくる人が殊の外多いのですね。かと言って肝心の母親も(こと母親1年生だと)先方にどうして欲しいかをどう伝えていいか分からなかったりします。
 一見相手を慮っているように簡単に意見する人たち、どうか考えてください。「自分が相手と同じ立場にいたとして、そう言われたいか」を。お世辞を言えとは言いません。が、相手の痛みを自分のそれと受け止める姿勢、それが全ての基本に通じるのではないでしょうか。

06-10-15るうてる2006年10月号

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るうてる法人会連合総会

8月29日~30日、東京三鷹・ルーテル学院大学にて、るうてる法人会連合総会が行われ、その報告をいただきました。
 「るうてる法人会連合」が発足して4年、5回目を数える。今回は「困難な今にあって、あらためてミッションを問う」というテーマで、ルーテル学院大学のトリニティホールを会場に行われた。
 基調講演は関正勝氏(聖公会神学院校長)によって行われ、「科学技術文明時代におけるいのちの育み」という副題のもとに、現代の価値観の分析がなされ、「命」に対する神学的洞察をいただいた。
 引き続き行われたパネルディスカッションでは、教会・学校教育・幼保・福祉という現場から具体的発言をいただき、ミッションを表明し実現することの困難を相互に理解した。その後、各法人会、委員会からの報告が行われ、2日目には分科会で相互理解がはかられた。
 最後の全体協議において、「ルーテルグループ」の一員であることを強く意識し、決議がなされた。殊に今回の総会において、奨学金制度の実施に目処がついたことは、「法人会連合」の具現化として喜ばしいことである。また、「教会推薦理事に関する基準」も協議され、教育や福祉の現場が宣教の場として再認識された。今後も各法人会において更に検討され、批准に向けて努力されることが望まれる。期間中開催された総会においてその他いくつかの決議と要望がなされたが、今後も福音宣教の立場において協力し合うことが確認され、次回は2007年8月28日~29日に熊本を会場に行うこととし、総会は終了した。

第4回全国教職研修会

9月4日~6日、晴海グランドホテルにおいて、15名の教職が参加して、第4回全国教職研修会が開催された。今回は、長老の先生方が主な対象者であったので、研修の内容を少し変更した。
説教演習と牧会事例研究の時間を短縮して、鈴木浩先生が「神学教育の現状と課題」について、山之内正俊先生が「引退」について発題された。協議の結果、引退に関するオリエンテーションが必要である、という結論に至った。また、石居基夫先生は、「監督の職務」に関するアメリカのルーテル教会と聖公会との対話について紹介された。
堀肇先生が牧会事例研究の講師を担当してくださり、伊藤早奈牧師・朝比奈晴朗牧師・白髭義牧師が報告した事例について話し合った。また、大和淳先生が説教演習の講師を担当してくださり、宮澤真理子牧師・栗原茂牧師の釈義と説教について話し合った。
視点を変えることは非常に大切である、と考えるので、今年もビジネス講習を実施した。「顧客満足度」に関する山口博三先生(SMBCコンサルティング)の講義を伺い、教会のマネージメントについて話し合った。

参加者の声

 「私たちのグループは最年長でしたが、若手(昨年、一昨年と参加できなかった教職)も交ざっていたので、世代を超えて分かち合いができてよかったと思います。引退後のことが関心事であるので、引退するためのこと(年金等)について事務局側から聞くことができてよかったと感じています。また、最年長については引退するにあたってのオリエンテーションをしてもらえるといいと思いました」。

「引退後について学ぶ機会が与えられ、具体的なイメージを持つことができました。説教演習では、普段指導されることがないので、参加された諸先生方から釈義の方法や教会の状態を見ながらの対応法などのご指摘を受け、発想が豊かにされたように思いました。シニアコンサルタントの方からは、顧客の満足度について学ぶことができました。ビジネス用語で語られましたが、それを教会の言葉に解釈しなおして、伝道牧会に生かしたいと思いました。
その他気づいた点をあげますと、会場が普段と違って新鮮でよかったのですが、車椅子での参加者への配慮がなかったのが残念でした。エレベーターや食事の席など、様々な面でそのことを強く感じました」。

クリスチャンのライフカレンダー

~結果を出すのは誰!?~

 ついにあなたにもやってきました。受験という名の嵐……いつになったら終わるんだろう。何のために勉強してるんだろぅ? なんで神様はこんな試練を与えるんだろぅ。
 苦しいからって、受験勉強を終わらせるために勉強してるうちは、神様は答なんかくれないよ。自分にウソつかないで、ネームバリューなんかにこだわらないで、色んな道を考えてみて。そうすれば、絶対に相応しい道に導いてくれるから。勉強が楽しくなったら、それは自分が強くなった証拠。何のために大学へ行くの? って思うよね。その答を見つけるのは自分。どんなに頑張っても、結果が出ないときだってあるよ。私も、すごく苦しかった。第一志望の大学に落ちた時、涙が止まらなくて、ホラー映画も全然恐くなかったもん。人生で一番苦しかった。
 そんな思いしてほしくなぃから、あなたに言いたい。今ならまだ間に合うから!
残りの毎日に自分の精一杯を出し切って! 頑張れ受験生!

インフォメーション

2007年 教会手帳 11月発売予定

ただいま急ピッチで作成中です。昨年リニューアルした教会手帳に皆さんのご意見を反映させて、より使いやすくなります。ご期待下さい!!

牧師の声「私の愛唱聖句」

九州教区 宮崎教会 牧師  日笠山 吉之
慰めよ、わたしの民を慰めよとあなたたちの神は言われる(イザヤ書40章1節)

 ヘンデルの不朽の名作『メサイア』の冒頭アリアは、テノールによって歌われるイザヤ書40章1節の御言葉です。抑制のきいた静かな美しいこのアリアを耳にする度に、私の心も慰められます。と同時に、慰めに満ちた福音を語っているだろうか?と反省させられます。
 私の幼い頃の教会の記憶は、礼拝堂に響き渡る厳かなリード・オルガンの音です。家から教会が遠かったためめったに礼拝にあずかることはできませんでしたが、会堂を満たしていた讃美とオルガンの響きは、いまだに心の奥底に残っています。
 やがて、音楽の道を志すようになり、教会の奏楽の奉仕をさせていただく中です。牧師への召しを覚えるようになりました。そのため青年時代は、神学を学ぶか、音楽を学ぶか、二者択一の狭間で悩みました。幸いなことに、曲がりなりにも両方を学ぶことが出来、今なお牧師をしながら、オルガンやチェンバロの勉強をすることを許されています。有難いことです。
 音楽は、伝道の大きな力になります。宮崎教会でも「音楽の夕べ」や「カンタータを聴く会」「メサイア合唱団」の練習等を通じて、聖書に興味をもち、礼拝に足を運ばれる方がおられます。私自身がかつてそうであったように、教会で捧げられる讃美によって、心揺さぶられた方々です。神に捧げられる音楽は、演奏者の技術云々の問題よりも、むしろその方の信仰がにじみ出て来るものだと思います。信仰に基づいた真摯な演奏は、神をほめたたえるのみならず、心疲れた人々の魂をも捕らえ、慰めるに違いありません。
 ルターも言いました。「音楽は、最も美しい最も高貴な神の賜物の一つである。音楽は悩める人には最善の慰めであり、これによって心は満ち足り、爽快となり新鮮となる。」心の悩みを抱えている人々が増え続けている昨今、慰めに満ちた福音と音楽の役割はますます大きくなっていくでしょう。御言葉を取り次ぐにせよ、讃美を捧げるにせよ、それを担うものにはますますの研鑽が求められます。
 今年の秋も、上記の合唱団による「メサイア」の演奏会を行ないます。私はタキシードを持っていないので、牧師シャツを着用して棒を振ります。「慰めよ、わたしの民を慰めよ」という御言葉を、聖書と音楽を通じて、これからも伝え続けていきたいと思います。

信徒の声「教会の宝石を探して」

東海教区 知多教会 信徒  山本 慶次
礼拝に休まず参加されていますが、その健康の秘訣をきかせてくださいませんか。
 はい、88歳になります。若い頃は丈夫ではなく徴兵検査に合格しませんでした。40代では結核になり2年ほど入院していましたがその後風邪ひとつひかず健康に過ごしています。
 療養後漁師町だったので魚を釣っていましたがその時、潮の流れや、天候など、人間の思いなど何一つかなわないことを知り、神の摂理を知り、自分の生命も神様が支配されるんだ、必要なら生かされるんだという信仰が与えられました。主におまかせの日々、それが秘訣と言えば秘訣かもしれません。
教会にはいつ頃行かれたのですか。
 昭和34年頃天幕伝道が3夜連続で行われ、その集会に続けて参加したのがきっかけです。
 今でもはっきりと憶えていますが岸井敏先生がこられて「ザアカイの話」をして下さいました。その頃礼拝堂はなく郵便局の二階で宣教師が集会をされていました。戦時中名古屋の軍需工場で働いていたのですが敗戦で静岡の実家も焼け、行く所がなく知人の紹介で常滑に来ました。精神的にも不安定な頃でした。
常滑という町と教会のことを話してくださいませんか。
 人口は5万2千余りあるのですが仏教の伝統、習慣の強い町でおまけに半島文化というか、閉鎖的な面があり、お祭りなどはとても盛んです。キリスト教は他教派などが一時、伝道を始めましたが続かず、今ではルーテル教会がこの町唯一の教会です。そしてこの教会も今では礼拝参加者が7~8人ということで後が続くかどうか、とても心配しています。
山本さんの日々の祈りをきかせてくださいませんか
 色んな価値観があって終戦の頃より時代が悪くなったように思います。今は救いの時です。祈ることは多くありますが先ず世界の平和を願います。
 教会のことでは新来会者が与えられること、そして家族のことでは2人の娘についで孫たちに信仰が与えられることです。

 控えめな方だが50年の教会と信仰の歴史の中で主日礼拝を中心に生活のリズムを整え、礼拝の務めを全うし、レプタ二つを捧げて教会を支えておられる。教会員の皆さんのおすすめで山本さんが知多教会の宝として選ばれました。 

求道者の旅 

第19回 アメージング・グレース

Q:人生において何が第一の関心となるべきでしょうか?
A:第一の関心は救われるという事です。
(小教理問答解説より)

 最近のコラムで「罪」について目を向けましたが、今回は罪からの解放について見てみましょう。クリスチャンの体験を表現するために「救い」という言葉を使いますが何故その言葉を使うのでしょうか。「あなたは救われていますか」と聞かれる事がありますが私達の体験を説明する際、より意味のある言葉を見出す事ができないでしょうか。
恵みと信仰のダイナミックな動き
 私達の霊的体験には二つの柱があります。恵みは神の善の表れであり、信仰はその善を受け取る事をいいます。恵みは私達の外にある無条件の愛であり、信仰は私達の中にある希望、勇気等を表しています。
 ルーテルでは客観的な恵みを強調しすぎ、また他のある教派は主観を強調しすぎているように思えます。私達の人生の中には恵みと信仰の霊的な動きがあります。この二つの動きは「救い」を表しています。恵みは客観的、神学的柱であり、信仰は主観的、心理学的柱に対する言葉なのです。恵みは「神は愛である」と言い、信仰は「私は神の愛の前において開かれている」と語るのです。
恵みの多様な色
 神の恵みの素晴らしい世界は巨大な気球の中、上下、周囲へと膨張し私の体を静かに沈み込むかのように押し込んで行きます。何と驚くべき事であり、神の絶えず現臨する恵みを感じます。私はこの大きな暖かい抱擁を享受するだけでよいのです。
 神の恵み―愛と、保護? は、私が毎週泳いでいるプールの暖かい水のようです。私を快適に浮かせてくれます。一方神の裁きは、体を打ち付けるプールサイドのようなものです。心地よい浮力も不快な打ち身も、泳ぎ続ける際には不可欠です。
 神の恵みは、喜びと痛み、あわれみと裁き等さまざまな対照的な方法で働きかけてきます。喜びがなければ人生は憂鬱なものでありますし、痛みなしには抑制が効きません。光と陰の神の業は私達が成熟し成長する上で等しく必要なものなのです。
(翻訳:上村敏文)

聖研「詩編を味わう」

老いの日にも見放さず

主よ、あなたはわたしの希望/主よ、わたしは若いときからあなたにより頼み/母の胎にあるときから/あなたに依りすがって来ました。……老いの日にも見放さず/わたしに力が尽きても捨て去らないでください。
詩編71編5~9節

凋落の老い
現実の老いは凋落のプロセスを辿ることであります。生きてきた人生には、未達成のこと、後ろ髪を引かれること、悔いを残したままのこともあり、「老いることは、未完のわざを受容していくことである」といわれるように未完了の事どもをそのままに残しながら、やがて来る死を受容しなければなりません。
 若さが価値を持つ社会にあって、老いの凋落のプロセスに逆らうことなく身を任せることはストレスフルな仕事です。電車の中で席を譲られることに抵抗感を持ち、鏡に映る顔のしわを手で触っては、そこはかない哀愁じみた感覚を味わうこともありましょう。時には「お若いですね」とのぞき込むように言われると奇妙な躍動感を感じるのも年を取ったからこそでしょうか。年には勝てぬと言いつつ、年になじまない感覚は老いた者がもつ違和感なのでしょうか。
 この詩編の作者は若い頃、元気のよい信仰者でありました。「わたしは常にあなたを賛美します。/多くの人はわたしに驚きます」(71編6~7節)とありますから、よほどの信仰熱心だったのでしょう。けれども年老いた今、かつての元気はありません。彼はそのことを知っていますが、凋落の老いに逆らおうとはしていないのです。彼は次第に衰え、やがてこの世の生が終わる日がくることをよく知っています。あらゆることから見放されていくような老いの日々をひしひしと感じているのでしょう。だから「老いの日にも見放さず」と言うのです。
老いてみなければ
若ければ、元気に任せてこなし得たであろうことも、こなし得なくなった今、わずかに為し得た仕事の満足感が己を支える力となることを感じているかもしれません。さりげない一言のいたわりの言葉で明日への命をつなぎ、ちょっとした親切で今日の命が支えられる経験をしているのかもしれません。ほんの少しの励ましや慰めが生きる歩みを一歩先へ進ませます。今や元気であれば見ることも聞くこともなく知ることもないものがよく分かるのです。
 老いを生きる日々は、若い時には見逃していたことや気が付かなかったことに鋭敏に反応する感覚を味わう生活です。作者が言う「老いの日にも見放さず」とは、決して大きな信仰を告白する言葉ではありません。力強い信仰者としての生き様があるわけでなく、洗練された神学用語で信仰の奥義を説いているのでもありません。すべてのことから見放されて行くような老いの日々にあって、一本の藁しべにやっとしがみつくかのごとき信仰の言葉のように見えます。けれども、この作者にとっては主なるお方がこの老いの身を見守ってくださるのみで十分なのです。漸くにしてたどりついたかのような、小さな信仰の言葉がこれからの老いの日を生きて行く上でなくてはならないのです。老いたが故に分かる信仰の極致とでもいうべき告白の言葉です。
高次の子どもになる
ジェームス・フォーラーというキリスト教教育心理学者がいます。彼は「年老いた信仰者の成熟性は、これまでの人生がどうあろうと今の自分を作っていることに意味があったのだということをわきまえることであり、自分は何も知らないということを知っていることである。それは高次の子どもとなることだ」と言っています。年を取って子どもに帰るのではないのです。子どもになるのです。言い換えれば、すべてのことを見守ってくださるお方に委ねる者となることです。
 ルーテル教会初期の宣教師であったウインテル先生(J.M.T.Winther)のことを知る人は多いでしょう。デンマーク系のアメリカ人でしたが、万葉集を変体仮名で読む人でもありました。聖書は新旧約を日本語ですべて諳んじ聖句は章節まで唱えることのできるアメリカ人でありました。晩年、神戸の聖書学院で教えながら、「わたしはなにも知らない者であります」とよく口にされました。知らないことを知っている、これはまことに高次の子どもとなった信仰の達人の姿です。
 そこに見るものは、終わりに至るまでけっして見放すことなく、見守り続けるお方へすべてを委ねる信仰者の姿でありました。
(かくしゅういち)

首相の靖国神社参拝に反対し、教会の平和創造への決意を明らかにする声明

日本福音ルーテル教会では、信仰と職制委員会により、次の声明が内外に向けて発表されました。
首相の靖国神社参拝に反対し、教会の平和創造への決意を明らかにする声明
1. 太平洋戦争の敗戦の日であり、平和を祈念すべき8月15日に小泉首相が、多くの国民と近隣諸国の憂慮や反対を押し切って、靖国神社に参拝しました。日本キリスト教協議会(NCC)は、政教分離を定めた憲法違反であり侵略戦争と植民地化への反省に反するとの立場から抗議声明を発しました。わたしたちもその趣旨に全面的に同意する旨を、公に意思表明します。それはなにより平和創造をキリスト教会の大切な使命だと信じるからです。
2. そもそも靖国神社で「英霊」と呼ばれ「祭神」として祀られ「慰霊と顕彰」をされている240万余の戦没者の大半は、「赤紙」一枚で徴兵されて戦場へ送られ、生きて帰ってくることのできなかった人々です。しかもその内の100万余は餓死であったと伝えられています。遺骨未収集者も100万人に及びます。そればかりか、国内で300万人、日本軍が侵略したアジア諸国で2000万人という膨大な数の犠牲者を出しました。戦後61年を経た今もその傷跡はアジアの人々の心に深く残っているのです。
 そのような戦争犠牲者たちがもっとも願っていることは、あの戦争はあってはならなかった、してはならなかった戦争だと日本と日本人が自ら総括し、反省し、その上で平和国家を形成し、相手国およびその国民との間に真の和解と信頼の関係を築くことです。
 靖国神社は、戦前戦中には軍国主義の精神的支柱でありました。さらには、付設の遊就館の展示が示すように、今日もなおあの戦争を積極的に「肯定」し「美化」しているのです。そのような歴史観をもつ靖国神社に日本国の行政の最高責任者であり国家を代表する首相が、たとえ「私的」と強弁しても、政権公約の実行として参拝することは、国内外の戦争犠牲者の思いに反することと考え、強く反対します。
3. わたしたちは、この世界に正義と平和が実現することこそ聖書の神が願われていることだと信じています。イエス・キリストは隔ての壁を取り壊された平和の主です。わたしたちの教会は、かつてあの戦争を防ぐのに力が無かっただけでなく、国家総力戦の中で戦争遂行に加担してしまう罪を犯したことを神と人々の前に懺悔しました。2006年5月の教会総会は、武力による紛争解決を放棄することを定めた憲法9条の改悪に反対し、「『日本国憲法』前文および第9条の改定に反対する声明」を決議しました。わたしたちは、今日この世界での平和創造のために祈り、学び、その働きに参加する決意を新たにします。戦争の愚かさと悲劇とを繰り返さないために、そして真の平和と和解を造り出すために、世界のキリスト者たちと手を携えまた平和を愛する人々と思いを一つにして、全力を尽くすことを教会の内外に表明します。
2006年9月7日 日本福音ルーテル教会信仰と職制委員会 委員長 江藤直純

LAOS執筆者による公開講座が始まります。

 「LAOS講座」全9巻が刊行されて、早くも半年になろうとしています。このテキストを用いての学習会が全国の教会で活発に行われ、各地で良い実を結びつつあります。また、「できれば執筆者の先生から直接講義を受けたい!」という声が多く寄せられています。
 それにお応えして、いよいよこの秋から「LAOS執筆者による公開講座」が始まります。是非ご参加ください。
 また、この講座は同時にビデオ収録もされて今後インターネット上の「JELCテレビ(http://www.jelc.TV/)」を通して広く全国の皆様にお届けできる予定です。現在、信徒説教者養成プログラムが各教区で進行中ですが、この講座放送を用いての養成カリキュラム作りも考えられます。いろいろな場面できっと有益に用いられることでしょう。
 今後の動きにご注目ください!
P2(信徒部門)委員長 斉藤末理子

LAOS公開講座開催

第2号「小さな一本の指
~説教の聴き方・語り方~」
講師:北尾一郎牧師
日時:10月15日(日)午後12時30分~場所:大岡山教会

議長に一問一答

Q.ドイツを公式訪問されたそうですが、どのような感想をお持ちですか。
 15年前のドイツ統一直後の訪問時に比べ、今回の訪問は、統一後の未解決の問題、教会としての課題を感じさせられた訪問でした。統一によって、人口の88%の人が教会から離れている都市も出て来たとのことです。中には、人口の5%しかキリスト者がいない都市もあるそうです。ヴェバー監督が「これからドイツの教会も伝道をしなければなりません」と言われたことに、思わずうなずいてしまいました。
 ドイツは、見かけはキリスト教の国です。人口が数万の町に大きな教会が幾つも建っています。しかし、千人も二千人も入る教会で、毎週の礼拝出席が100人足らずでしかない様は、ドイツのキリスト教の今を象徴しているように思います。
Q.これから、ドイツ(ブラウンシュバイク州教会)とどのような連携が考えられますか。
 日本は、クリスチャンが人口の1%を突破できずにいます。まさに開拓伝道の国です。しかし、日本だけでなく、キリスト教国と見られていたドイツも、その実態は開拓伝道の国と言わざるを得ません。釜ヶ崎活動を通しての連携の強化に加えて、ブラウンシュバイクにある日本に関心をもつ信徒運動「アルバイトクライスヤーパン」に倣って、私たちも「アルバイトクライスドイツ」と言ったものを結成し、ドイツを訪れ、共に開拓伝道を担い合うことができればと思っています。

日米協力伝道(JACE)協議会 ELCA/GMとの協議会

 アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)との二つの会議が、9月13日~14日と、15日~18日に、相次いで開かれました。
●JACEは、米国西海岸二教区の日本人や日系人の集会を持つ教会の宣教支援に宣教師を派遣しているものです。3年に一度の定期協議でしたが、多文化社会に対応し、2世3世の伝道も強化したいという意向を持っています。宣教協約改定を提案し、JACEも対応可能か協議を進めることになりました。
●ELCA/GM(世界宣教部)との協議は、ELCAが5年ほど前見直し策定した、他国への宣教師派遣方針(GM21)を実施する行程にありJELCも理解しながら対応しています。主眼は、相手国教会の成長を促し対等で健全な宣教協力に当たるため組織の調整や、責任職や牧会牧師職につかないなど、宣教師の任務を見直すことです。宣教師ケア業務を担当していた日本福音ルーテル社団(JELA)の公益法人改革に対応する必要もあるなか、JELC・JELA・GMの業務関係や組織が改革される方向が確認されました。

第13回全国伝道セミナーのお知らせ

おまたせしました!第13回全国伝道セミナーの案内です。
 第13回の会場は「ひろしま」です!なんと世界遺産の宮島が会場です。テーマは「いやし」。私たちはこの「いやし」を様々なことを通して体験し、参加者も癒される、をモットーに準備をします。場所もよし、施設もよし、内容は飛びっきりによしです。こどもたちには水族館も用意しています。良いことづくめのセミナーを企画しています。
日時:2007年5月3日~5日/場所:宮島国民宿舎「杜の宿」
テーマ:「いやし」/参加費:2万(予定)
 詳しい申し込みなどは後日各教会へチラシを送ります。観光もできるセミナー。語り合い、学びあい、癒され、そして元気をいただくセミナーにぜひ「きんさい!ひろしま」。

インドワークキャンプIWC2007募集要項

JELA-JELC共同プログラム
インド・ワークキャンプIWC2007募集要項

第3回インド・ワークキャンプの参加者を募集中です。
詳細は次のウェブページに載っています。http://www.jelc.or.jp/rentai
各教会にも案内と申し込み書をお送りしています。
対象:18歳以上 日程:2007年2月18日(日)~26日(月)9日間 
問合せ・申込み:JELA(日本福音ルーテル社団)森川 Tel:03-3447-1521
締め切り 12月10日

公告

この度下記の行為を致しますので、宗教法人法第二十三条の規定に基づき公告致します。
二〇〇六年九月一五日
宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 山之内 正俊

信徒利害関係人 各位

被包括団体 日本福音ルーテルみのり教会による左記の件

居宅取壊しの件
理由
老朽化および使用不要となったため
取壊し物件
所在 愛知県豊橋市船原町弐六九
家屋番号 二六九番の弐
種類 居宅
構造 木造瓦葺平家建
床面積 参九・七四㎡

以 上

ワークキャンプ in ミシガン 2006年7月25日~8月8日

紙面の都合上、すべてを掲載することができませんでした。来年のキャンプは、2007年7月24日(火)~8月7日(火)の期間で、アメリカ・アイオワ州にて。応募締め切りは、2007年1月末日。問い合わせはJELA・森川氏まで

普段の生活ではあまり実感できないけど、ワークキャンプを通して、私は多くの人の「支え」によって生きていることを強く実感することができました。澤田美咲
大事なのは全奉仕をする事だけではなく、それをして何を感じたのか、神様について何を学べたのかを覚えることなのだと思った。石居悠大
困ったときは助け合い、楽しいことは一緒に楽しみました。私も、みんなの仲間に入り、一緒に感動できたことを感謝いたします。横田春菜
「フルサービス(全奉仕)」をしに行った私でしたが逆に「フルサービス」されてきたように感じました。卯野木碧
今まで宗教とかに対して「弱い人間が神様にすがって助けを求める」というイメージを持っていたけれど、私みたいに何も信じてなくて信じる対象を持たずに生きている人間が本当に弱い人間なのかなと思った。田崎夏子
私がアメリカに行って変わった事は一つしかありません。それは、人と話す時、「相手に自分の考えを伝えたい。」と言う気持ちを持つようになった事です。山口香帆
今回のクルーの中に『わたしは、にほんごをすこしはなせます』と話しかけてくれたアンドレアという女の子がいました。生まれつきかなにかで両手が肘からしかないというハンデを背負った子でした。だけど同じように奉仕がしたいと、このキャンプに参加してきてくれた事に衝撃を受けました。上村知世
このワークキャンプで関わった人たちは、本当にいい人たちばかりでした。~こんなに素晴らしい人たちと関わることができて、わたしは本当に幸せだと思います。澤田聖香
自由に祈る時間があったので、私は十字架の前で祈りました。私は本当にイエス様と歩んでいけるのか、歩める資格があるのかと、祈り悩みつづけました。ふと視線をあげると、同じワークサイトの人が十字架にキスしていくのが見えたんです。それが、なんというかイエス様に親しみを持っているように見え、おかげで私の想いが一気に変わりました。古島悠
このキャンプで出来るようになったことは主に委ねるという事です。今までは主に委ねますと祈りながらも委ねきれずにいて、不安でいっぱいでした。だからこれからはこのキャンプの時のように全て主に委ねていきたいと思います。神崎のぞみ
ワークに出られなかったのは、凄く辛かったけど逆にみんなの優しさに気が付くことが出来たのは良かったなぁと思いました。鈴木はるな
自分から何かを発見するのではなく、周りの人を通して色々発見できたと思います。1人じゃ何もできないけど、周りの人に支えられて大切なものに気づく事ができました。また、フルサービスをするのにも多くの人の支えがある事に改めて気づく事ができ、その支えてくれた人に本当に感謝しています。石川恵美
ワークをしていくうちに普段の日常生活からでは得られないような喜びや感謝の気持ちをもてるようになり、神様に全奉仕をするということがこんなにも喜ばしいことなんだということを思うようになりました。石川実可子
私は確かに、困っている人へ奉仕するためにアメリカへ行きました。でも、自分自身のために奉仕することで、自分を見つめなおし、新たな考えを見つけることができました。平岡恵

会議のお知らせ

■常議員会
第22回総会期第2回常議員会が左記の通り開催されますので、議案のある方は、所属教区常議員会を経て、ご提出ください。

【日時】11月8日(水)~10日(金)
【会場】ルーテル市ヶ谷センター
以上
2006年10月1日 常議委員 会長 山之内正俊 書記 松岡俊一郎

訃報

南里卓志牧師(引退教師)が、8月31日(木)午後3時18分、召天されました。謹んで哀悼の意を表し、お知らせ申し上げます。

教会手帳・訂正

■石井 昇 〒869・2611 熊本県阿蘇市一の宮町坂梨3293-22
電話・FAX共用 0967・22・1618

住所変更

■藤本義和 電話・FAX共用 0463・70・5133
■恵み野教会 メイル k-fujii@jelc.or.jp

06-09-15るうてる《福音版》2006年9月号

機関紙PDF

バイブルエッセイ「地獄へも行きます。あなたが一緒なら」

「ここにある」「あそこにある」と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。/ルカによる福音書 17章21節(日本聖書協会・新共同訳)

 今年の春、引越ししました。猫一匹を連れて。とうとう、我が家のペットも一匹になってしまいました。いつしか住みついた年齢不詳のメス猫です。しかし、そのじゃれっぷりや、毛並み、色つやからして、おそらくまだ若いでしょう。近所の飼い猫か、飼われないまでも、猫好きの人に世話されていたようで、避妊手術が施されていました。
 いつの頃からか、我が家に遊びに来るようになったのです。最初は庭を徘徊したり、自家用車の屋根に寝そべったり。その段階で、こちらは親愛の情をこめて「お近づきになりましょうシグナル」を発信していました。やがて玄関先にまで来るようになりました。お行儀よくお座りしている様子がガラス戸越しにシルエットでわかりました。
 そうなると、こちらはもうすっかり歓迎モード。玄関を開けておくと、顔だけ出し入れして中の様子をうかがい始めました。やがて、用心深く、全身を低く身構えて、家の中に侵入してくるようになりました。物音がしたり、気配を感じると、脱兎のごとく、退散していましたが、そのうちに「ここは安全」と認識したようです。ついには、差し出すえさも食べるようになりました。すっかり安心したのか、猫の仕事である居眠りまでするようになりました。という次第で、いつのまにか、近所の住人も認める、我が家の猫になりました。
 出入りするようになった頃から、かってに名前をつけて呼んでいますが、家族の中で、その名を統一できないまま、今に至っています。しかし、不思議に、どの名で呼んでも、それなりの対応をしています。さすが、健全な利己主義者といわれる猫です。わたしは「チビ」と呼んでいます。普通の猫並みの体格ですが、最初出会った時の印象がとても小さかったからです。
 チビにとっての悲劇は、わたしの転勤でした。連れて行こうかどうしようか、わたしたちはずいぶん迷い、考えました。チビにとって、どちらが幸せなのだろうかと。熊本から東京へ。緑一杯、空き地たくさんの郊外の庭付き一軒家から、大都会の、大通りに面したマンション風の住まいへ。すきまだらけ、出入り自由の木造モルタル造りの家から、気密性ばっちりの鉄筋コンクリート造りの「4LDK」へ。
 引越し当初は、「人が変わった」というか、猫が変わってしまいました。目つきも、歩き方も、かつての我が家に出入りし始めた頃のそれでした。その姿を見るにつけ、胸が締め付けられる思いでした。「トイレができるようになれば」。これを一つの目処に、その時を待ちました。それができてからは、いつもの「チビ」になりました。「犬は人につき、猫は家につく」といわれたりしますが、かならずしもそうではないようで、要はきずな、信頼関係ということかもしれません。わたしたちの人生のゴールも天国でなくてもいいではありませんか。地獄に行ったとしても、そこに、「神共にいます」ですから。
M.T

心の旅を見つめて  堀 肇

「晩婚化の時代の中で」

晩婚化の傾向が
しばらく前のことですが、大学生(首都圏)を対象にした「結婚と仕事」に関するあるアンケート調査を見て改めてこの時代のライフスタイルの変化を実感させられました。それによれば結婚希望年齢は男女共に30歳から34歳を挙げる人が最も多く、晩婚化の傾向がはっきり出ています(現に25から29歳の未婚率は70%近くにまでなっています)。仕事については女性の積極思考がつよく、結婚後も子どもが生まれたら育児休暇をとって復帰する、あるいは子どもが大きくなったら仕事につくなどの希望を持っている人が80%に及んでいます。さらに結婚に関しては晩婚化が進んでいるだけでなく、近年は結婚そのものを望まない、一生結婚するつもりはないという人たちの割合も男女共に増加の傾向にあります。
そこには様々な要因が
このような晩婚化などの背景には女性が経済的に自立できるようになったことや価値観の多様化という文化的な要因も考えられます。加えて女性が結婚相手に対して多様な期待を持っていることや男性の雇用の不安定さも晩婚化の一因となっていることは確かです。親から見れば、「どうして、もっと現実的に考えられないのか」、「理想的な相手なんてないのだから、選り好みをしないで」、「いつまでもぐずくずしていると……」と言いたくなるわけです。ことに戦後の物質的に貧しい時代の中で、一生懸命働いて家庭を築きあげてきた親たちにしてみれば、仕事も結婚も理想ばかりを追い求めないで、学校を出たらとにかく働いて、世間で言う婚期がきたら結婚して家庭を作ってほしい、とうことなのです。これは親が持っている普通の気持ちであろうと思います。
「結婚したいけれどできない」? 
 ところで現代の結婚事情の変化にはもう少し異なった側面から考えなくてはならないケースもあることを理解しておきたいと思います。ある人たちは交際相手が現われて、いざ話が結婚となると忌避したり延期してしまう、相手が離れると引き止める、近づくとまた避ける、といった具合に「接近と回避」を繰り返し、結局「結婚したいけれどできない」という、いわゆる「結婚モラトリアム」と言われる状態に陥っている場合もあります。この問題の原因はそれほど単純ではなく、異性に対するトラウマ(心的外傷)や生理的な嫌悪感、また親や家族との分離が難しい状態になっていることも考えられます。
子どもたちへの贈り物
 このように、晩婚化の現象には心理的な要因もあることを考えると「特効薬」のような解決策を考えるのは難しいというよりも慎重でなくてはならないようにも思います。それよりも子どもたちの将来を考え、特別に留意しておきたいことがあるのです。それは親の結婚生活です。現代は離婚率が上昇傾向にあるだけでなく熟年離婚が身近な話題になる時代です。このような環境下にある子どもたちは結婚に希望を持つことができなくなる可能性があります。モデルになるような結婚生活をせよと言われても、なれる者ではありませんが、子どもたちが結婚に対して肯定的な気持ちを持つことができるような結婚生活でありたいと思うのです。こんなことを考えるとき、私がいつも思い出すのはミレーの名画「晩鐘」です。これを見る度に仕事を終え心を合わせて祈る夫婦の姿に深い感動を覚えます。親が真に子どもたちの幸せを願うなら、この夫婦のように二人が心を一つにして愛し合うことです(エフェソ5章21-33節参照)。これこそが子どもたちへの最大の贈り物です。彼らが人生のどの時期に結婚するにしても(たとえしなくても)、それは良き贈り物となるのではないでしょうか。

堀 肇(ほり はじめ)/鶴瀬恵みキリスト教会牧師・ルーテル学院大学非常勤講師・臨床パストラルカウンセラー(PCCAJ認定)

HeQiアート

Ark of Noah , by He Qi, www.heqiarts.com

「モーセの召命」

 主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」
出エジプト記 3章4~5節

たろこままの子育てブログ

「別れのとき」

涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。(詩編126編5節)

 私の周囲では、どうしてこんなに早く……と嘆いてしまう訃報も少なくありません。
 子育てと死───通常は中々相容れないものですが、健常の子なら鼻水を垂らして終わるほどの風邪一つでも、私たちには命取りになりかねない、先天的なハンディやリスクの高い子が多いのです。ICUの無菌テントで過ごさずに済んでいる小太郎はラッキーな方です。
 昨秋も立て続けにお友だちを天国に見送り、しばし呆然とした時期がありました。一人はまだ2歳とちょっとという若さでした。
 互いに手術してどうにかなる子育てではなく、急な入院やはかどらない投薬治療を励まし合って乗り越えて来ただけにショックも絶大でした。そして、その子の四十九日もそろそろ、というときに、そのお宅から届いた一通の手紙に私はまた衝撃を受けました。薄墨で刷られたその書面には、簡潔に次のようなことが書かれていたのです。 「皆さんから頂いたお香典を、生前子どもがお世話になっていた施設に寄付します。この報告を香典返しとさせて下さい」と。
 そのお母さんは私たちの前で気丈に装っていました。が、その陰で泣きはらし、眠れぬ晩もあったと思います。 「どうしてうちの子だけ」「どうしてこんなに早く」───問うても問うても答えの出ない疑問と、我が子に先立たれた事実にさいなまれて苦しんだはずです。でも、計り知れない悲しみや血を吐くような思いをも、そのご両親は我が子と同じように病気と闘っているお友だちへの希望の種に、見事に変身させたのでした。
 人生の種まきは長く、成長の過程では苦難も多く、大抵の植物のように1年サイクルで完成とは中々いかないものです。
 哀しみに耕された心に蒔かれた種。張る根は深く、その実りは豊かで必ず喜びに包まれたものと、私たちは涙と共に確信を持つのです。

06-09-15るうてる2006年9月号

機関紙PDF

ルーテル子どもキャンプ

8月8日~10日、広島にて第8回ルーテル子どもキャンプ(旧ルーテル少年少女国際キャンプ)が行われ、その報告をいただきました。
 今年からルーテル少年少女国際キャンプは、ルーテル子どもキャンプに改称し、第8回キャンプが8月8日から10日にかけて広島で行われました。史上最高の55人の参加者が集まると、広島教会ににぎやかな声がひびきます。
 2日目の朝8時15分、教会の鐘を鳴らし黙祷しました。そして原爆資料館へ。ただでは行きません、街中のポイントを見つけながらのハイキングです! 資料館ではじっくり見る子、さっと通り過ぎる子、こわごわのぞく子、反応はさまざまです。平和公園で記念碑を探しながら歩き、原爆ドームを見ながら歌を歌いました。ここから市電に乗ってお好み村へ。広島お好み焼きをたっぷり食べたら、またまた教会まで聖句を見つけながらのハイキング! 疲れたスタッフを尻目に、子どもたちは教会でアイスを食べたらすぐ復活して遊び回っていました。
 その夜は静かに平和を考えるキャンドルファイヤーです。キャンパーが家で折って来た平和の折り鶴を捧げました。そして広島教会の岡愛子姉の証言を聞きました。車いすで登場された姉は、亡くなられたご主人が中国での労働で体が不自由になったこと、ご自身のお体のこと、環境を守るため御夫婦でされた緑の木一本運動のことなどを話されます。「平和は勝ち取らなければならないものなんです。私達は平和を次の世代にバトンタッチしなければならないんです!」と、力強く言われた言葉を、子どもたちはじっと聞いていました。
 3日目はグループで「平和をつくり出すには」を発表しました。寸劇あり、歌あり、アートあり、それぞれの思いが多様に表現されました。自分が考えた平和とは、を葉っぱに書いた「平和の木」も完成しました。閉会礼拝では、みんな笑顔で元気にシャロームの大合唱!全員が平和への誓いの宣言をして鐘を鳴らして帰路につきました。
 広島教会をはじめ、ご協力くださったたくさんの方々、そして何よりこのすばらしい子どもたちを送り出してくださった神様に感謝します!
(簑田ちはる)

ブラウンシュバイク州教会公式訪問

ドイツ・ブラウンシュバイク州教会より議長が招待されたのを受け、公式訪問団が7月19日から24日にかけて、ドイツを訪問しました。
 公式訪問団は、山之内正俊議長と共に、ビリピ・ソベリ牧師(北海道特別教区・函館教会)、佐藤和宏牧師(東教区・千葉教会)、藤井邦夫・貴子牧師夫妻(九州教区・九州ルーテル学院大学チャプレン)が同行しました。
 ブラウンシュバイク郊外にある州教会事務局を表敬訪問した私たちを迎えてくださったのは、ヴェーバー監督、コルマー参事官、そして日本共働委員会の方々でした。しばしそれぞれの教会の実情、社会の課題等について意見を交わし、今後もさらに協力関係を深めていくことが確認されました。このほか、歴史ある諸教会はもちろんのこと、公古文書図書館、ディアコニア関連諸施設、ゴスラー(世界遺産に登録された町)などを訪問し、ドイツにおけるキリスト教会の影響力と諸課題、そしてそれに取り組む姿勢に触れる機会となりました。
 日曜日は、松本牧師が働かれる聖ステファノ教会にて礼拝を共にし、山之内議長が説教されました。午後には、按手式に出席する機会が与えられ、二人の牧師の誕生に立ち会いました。
 短い期間でしたが、今回の訪問のためにご尽力くださったすべての方々、特に通訳として帯同してくださったワルター先生、松本先生、李先生に心より感謝申し上げます。

アメリカワークキャンプ

2006年7月30日~8月8日、ミシガン州ベイシティーにて、今年は18名のティーンズと4名の引率スタッフがグループワークキャンプに参加しました。
 今年のテーマは「Full Service」。これは、アメリカのガソリンスタンドではセルフサービスが一般的で、日本のようなスタイルを「Full Service」と呼んでいるところから、このサービスに引っ掛けて、自分のためではなく、私たちみんなのために、その命まで捧げてくださるほどの全身全霊の奉仕(Service)をされたイエス様の生涯を、家屋の補修というWork等を通じて学び、今後の各人の人生においてその「Full Service」を実践してもらうというものでした。
 詳しくは次号るうてるにて、ご報告いたします。

クリスチャンのライフカレンダー

~また会おう!~

 T君、元気? 「ルーテルこどもキャンプ」はおもしろかったね。最初僕は行きたくなかったんだ。僕の教会からの参加者は僕一人だったし。でも、同じグループで九州から来た君とすぐに友達になれてほっとしたよ。
 広島で「平和を考えるキャンプ」だった。原爆資料館にも行ったし、実際に原爆を体に受けた人の話も聞いたね。どんなに痛くて苦しかっただろう。僕はイエス様のことが頭に浮かんだ。「平和は痛みや苦しみを知った人の手で作られる」ってリーダーが言ってたよね。
 僕の教会のCSは人数が少なくて「つまんない」と思ってたけど、全国に友達ができた。来年はテイーンズキャンプで会おう!って約束おぼえてる?僕はぜったい行くよ。
 帰ってきてから教会でキャンプの報告をしたら、みんなニコニコしてたしお母さんは涙ぐんでた。僕は「成長した」のか。照れくさいけど、なんかうれしかったな。T君、また会おう!ぜったいに会おうね!

インフォメーション

2007年 教会手帳 11月発売予定

ただいま急ピッチで作成中です。昨年リニューアルした教会手帳に皆さんのご意見を反映させて、より使いやすくなります。ご期待下さい!!

牧師の声「私の愛唱聖句」

東海地区 みのり教会・浜松教会・浜名教会 牧師 三浦 知夫

あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。
「これが行くべき道だ、ここを歩け 右に行け、左に行け」と。(イザヤ書30章21節)

 このイザヤ書のみことばは、私がルーテル神大(現・ルーテル学院大)の入学を考えていた頃に、私に与えられたみことばです。
 当時、私は牧師になってよいのだろうかと悩んでいたのです。私の中には「牧師になりたい」という思いが確かにありました。けれども、神様は私に牧師になりなさいと言っておられるのだろうかとか、私の思いは「献身」ということにふさわしいような、はっきりとした思いなのだろうか、もっと安易なものではないか、というようなことをいろいろと考えていたのです。そんな時に、この「あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。『これが行くべき道だ、ここを歩け 右に行け、左に行け』と」というみことばを聞いたのです。
 けれども、「これが行くべき道だ」を聞いて、「そうか、神様は私に牧師になりなさいと言っておられるのだ」とルーテル神大の受験を決意したわけではありません。神様は、このみことばを通して牧師になりなさいと言われているのだろうか、私が勝手にそう解釈しようとしているのではないか、そのようなことを考えて自分でもよく分からなかったように思います。そのような思いの中で前半の「あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く」という言葉が私を励ましたのです。
 私には確かに「牧師になりたい」という思いがある、しかし、それが御心か分からない、自分の思いがどれほどのものかも分からない、けれどもこの「牧師になりたい」という思いで受験してみよう。「背後から語られる言葉を聞く」と聖書は言っているのだから、もし御心でないなら、神様が私の背後から「それはあなたの進む道でない」と言ってくださるだろう、という思いでルーテル神大を受験したのです。神様は背後からさまざまなみことばを語りかけてくださいましたが、「それはあなたの進む道でない」とは言われませんでした。そして、今の私があります。
 私にとってみことばとは、子どもを愛する親が毎日、子どもに語りかけている言葉のようなものとして受け止めています。ひとつのみことばによって支え続けられたというより、生きて働いてくださる神様が、日々私にみことばを与えてくださっているということを感じるのです。今日も背後から語ってくださる神様の声に心を向けたいと思います。

信徒の声「教会の宝石を探して」

洗礼を受けられた動機は?
 私の信仰は、2段階に分けられます。敗戦で自分の支えがなくなり、お寺で親鸞上人の「歎異抄」を学び、それまで何でもできると傲慢だった自分が、実は何もできない、ただ生かされている存在だという「他力」を学びました。それから慈愛園に保母として就職。教会には義務感で行くだけで、仏教を誹謗される牧師先生のお話にはついていけませんでした。
 ところがある時、お世話をした子どもが成長して社会人になる時に「先生が洗礼を受けるなら、私も洗礼を受ける」と言い出したのです。それでキリスト教の教えには納得しないまま、子ども可愛さのため、子どもと2人で、しぶしぶ洗礼を受けました。
 2番目の段階は慈愛園を退職して、八代に移住した時です。しばらくして先生も八代に赴任されました。あるとき先生に、親鸞上人の話をしました。そしたら先生が「人間の心の動きとして親鸞上人の教えは良くわかる。しかし一番大切なものが欠けている。それは、罪の赦しの十字架だ」といわれました。その時に、長い間抱えていた心のもやもやが一瞬にして消え「目からうろこが落ちた」気持ちでした。
 人生の流れを今振り返ると、親鸞上人の教え、慈愛園での洗礼、先生との出会いは、皆つながっていて、神様のお導きだと思います。ある日教会堂に近づいたとき、賛美歌が聞こえてきました。その時に、ここにイエス様がおられる、聖霊に包まれていると感じて、ただありがたくて涙が止まりませんでした。
当時、子ども連れの母親たちの求道者会のために、ご自分から進んで、熱心に子守の奉仕をされましたが?
 全く自然で、むしろ楽しんでやりました。心が満たされていたからでしょう。
現在までずっと熱心に礼拝出席と聖書の学びに参加されていますが?
 今まで不熱心であまり聖書の勉強をしなくて、しかも、もう私に残された時間はあまりありません。天国でイエス様にお会いした時に「あなたはどなたですか?」とは言えませんので、少しでもイエス様のことを知りたいのです。
趣味は何ですか?
 俳句です。
吾が罪の深きが故のクリスマス
生かされて七夕飾る夕べかな
新年礼拝 受洗の少年 頬紅し
 神様の恵みが「福音俳句」を通して、皆様に伝われば良いなと思います。

求道者の旅 18

「アダムの堕罪以来、自然によって生まれる人は、罪をもって生まれる。すなわち神をおそれず、肉慾をもっている。そして、この疾病は、まことに、罪であって、洗礼と聖霊とによって再生しないものの上に、今でも罰をあたえ永遠の死をもたらすのである」(アウグスブルク信仰告白第二条からの抜粋)

 この怖い16世紀の教義が、果たして21世紀の私達に意味あるものとして語りかけてくる事が可能なのでしょうか。
心と肉の対立
 「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている……わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」これは、キリスト教の歴史の中で最も偉大な聖徒であるパウロの苦悩する言葉です。彼でさえ心と肉の絶望的な対立を体験しているのです。(ローマ信徒への手紙7章19~25節参照)
 今なお、私達は人間を「ホーリスティック(全体論的)」に捉えようとしています。人間存在の全ての面を一つの調和的全体として統合しようと試みます。肉体面の不調の原因となると言われるがゆえに、内なる対立を排除しようと欲しているのです。
 どちらの見方が正しいのでしょうか。パウロは心理的不調に苦しんだのでしょうか?それとも統合された人格の現代的見解が間違えているのでしょうか?内なる調和を見出す事は可能なのでしょうか?私自身は調和を渇望していますが、実際は心と肉、崇高な理想と衝動的行動の狭間で常に軋轢がある事を見出しています。この葛藤は、私の本性がきわめて不完全である事を日々思い起こさせ、そして神の前で謙虚にさせるのです。 
セックスの要素
 セックスは私達の経験の中にのしかかるように、時には大きく現れてくるので、人生におけるさまざまな体験の中でも最も重要な要素と考えざるを得ません。これはセックスが私達の肉体的、感情的、そして社会的性質の上に確固として根ざしているからです。実に強い力を持っているのです。
 またセックスは、その欲望を絶対的に満たさなければならないと考えるように私達を欺いています。より大きな満足感が、仕事の達成、友情、健康、平和な心、他者から払われる尊敬等によって得る事ができます。長期的には、このような事がセックス同様に幸福な人生を創造していく上において重要なのです。
性欲と進化
 「肉の欲」(アウグスブルク信仰告白では「肉慾」)は残酷です。これさえなければ崇高な理性的、精神的な性質を享受する事ができるのに、私達を動物的に駆り立てるのです。私達の肉体の性質に基づく性欲は、私達を嘲ります。なんとなれば、理性、精神が間違えているとわかっている事を私達に感じさせ、行わせるのです。
 人類の進化において、精神が完全に肉的欲望や衝動的行動から自由になる時が来るのであろうかと思った事がありますか。進化の段階で果たして到来するのでしょうか、それとも私達が「天国」と呼ぶ場所においてのみ実現するのでしょうか。    
(翻訳:上村敏文)

聖研「詩編を味わう」

沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や悪だくみをする者のことでいら立つな。
詩編37編7節


世の不公平に泣く

世の中はといえば、さして努力もしないのに出世を遂げる者がいたり、悪知恵に長けて要領よく立ち回る者が目に付きます。こちらはといえば、一向に報われそうにありません。誠実に生きる者は結局損をするようにできているのが世間というものだろうかと怒りさえ込み上げてきます。世の中はまことに不公平に見えてなりません。できれば、悪事を働く者を一掃し、善は善に報い、悪は悪をもって応分の次第を受けるのを当然とする世の中がやってこないものかと心中穏やかならざるものを抱えて、怒りと羨望の念を押さえるのに苦慮していたのでしょう。
しかしながら、声高に世間に訴え出る勇気もなく、うっ屈した思いで世を凌ぐ人の心中を察した、この詩編の作者は「いら立つな」、「うらやむな」(37の1)と言うのです。世の中の不公平に泣く人の心中を伺わせるに十分であります。
 このような事態にさいして、詩編の作者は敢然と立ち向かい、正義を貫けとありきたりの常識論を振り回さないのです。彼は「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や、悪だくみをする者のことでいら立つな」と教えます。周囲を見て、いらいらするより、むしろ「沈黙せよ」と言うのです。敢然と立ち向かう勇気ある姿勢に比べれば、「沈黙」とは、まるで周囲の悪知恵の働く策士や要領よく立ち回る人間を前にして敗北したかのようであります。
沈黙を選ぶ
これは、この世の常識に逆らう姿勢です。この世の常識は公平さを欠く事態には敢然と立ち向かう勇気を持つことを当然とするものです。それに反する行動はまるで負け犬がしっぽを巻いて逃げるが如き印象を与えるものです。沈黙とは諦めることなのでしょうか。諦めに通じる沈黙は、不本意な思いを抱いて外の世界を眺める者が貝が口を閉ざすように、ひたすら己が身を守るだけに終始する保身の姿勢であります。そこには主体的に打って出る姿勢はなく、内的な葛藤を蔵したままの受動的態度があるのみです。
しかしながら、作者は「沈黙して主に向かえ」と勧めるのです。この場合の沈黙は積極的な主体的行為です。頭をうなだれた不甲斐ない態度ではありません。沈黙を積極的に選び取ることで、何事もできない無力の自分になれと命令をしているのです。この場合の「沈黙」とは、無力である自分を表明する態度のことであります。無力でなければ見えない世界があることを知った者のみが取り得る態度です。それは主なるお方の力により頼む世界のことです。もしも自分の力を振り絞って、周りの世界に立ち向かえば、外なるお方の後ろ盾を見失うでありましょう。沈黙を選び取ることは、己を越えた後ろ盾の強さを我がものとして生きることであります。
作者にとって「沈黙をもって主に向かえ」とはいたずらに声をあげて神に助けを求めようとすることではありません。仕方なくそうするのでもありません。むしろ沈黙をもって、ずいと神の前に出るのです。信仰の告白として沈黙するのであります。「沈黙して神に向かう」とは、まさしく信仰の告白を沈黙をもってする者の姿にほかなりません。その内面は「いらだち」と「羨み」に代わって、信仰の火に燃えています。だから「主を待ち焦がれる」のです。
沈黙の信仰
同じ姿を哀歌の作者の中に見ます。「軛を負わされたなら、黙して、独り座っているがよい」(哀歌3章28節)とは、自らの可能性はもはやどこにも期待できず、仕方なく黙ってうずくまるほかなしとする諦めの心境ではありません。沈黙して独り地上に座す勇気ある者の姿です。何もできないことを自ら選び取ることによってのみ、見えてくるものがあることを知った者が言い得る言葉です。他に手の打ちようがないので、仕方なくそうするのではありません。ここにも、積極的に沈黙をもって信仰の告白とする者の姿があります。信仰の告白は己の耳に聞える言葉だけではありません。沈黙の信仰がなければ外なるお方の声は聞えないのです。
(かくしゅういち)

執筆者を講師に 出前LAOS講座

 今年になって、各教区や地域、教会なで、LAOS講座関連の講座があり、関係者が講師としてお招きを頂き、LAOSの学びの会が開かれています。
 5月以降を見ますと、5月21日、西九州群(会場は唐津教会で講師に江藤先生)、6月3-4日三遠地区修養会(会場は挙母教会で講師に江藤先生)、7月2日名古屋地区(会場は復活教会で講師に江藤先生)、8月1日、東海教区夏期聖書学校(会場は新霊山教会で講師に太田先生)となっています。他にも執筆者への相談や依頼も頂き調整中のものもあります。
 今回は、一番最近開かれた東海教区夏期聖書学校から、参加者の声をもとに、その模様をお伝えします。
 
これは、東海教区の宣教部の主催で開かれ、「聖書学校」の名にふさわしく、LAOS講座第4号の著者、太田一彦先生が講師として招かれました。
 講演では、太田先生の謙遜なお人柄が伝わってきて、講演内容の深さ・豊かさとともに聴衆一人ひとりが深い感動を与えられました。歴史を貫いて働かれる神様の救いの確かさ、素晴らしさに「一同が酔いしれた」一日でした。
 また、新約聖書の使徒言行録から先生が語られた弟子たちの「第2の召命」というご指摘に目を開かれた思いです。神様の召しは一度だけのものではなく、さらに深い次元への召命へとわたしたちを常に導いていてくださる、と確信することができました。
 LAOS講座を用いての講演はもちろんのことですが、開会礼拝には「信徒宣言21」を皆で唱えることができました。宣教室から乙守さんも撮影に駆けつけてくださり、いつもながら細やかな配慮をしてくださいました。
 今回は宣教部主催としては初めての聖書学校で、参加者も30名程の小さな集まりではありましたが、本当に素晴らしい集会となりました。何人もの方々から来年もぜひ! という声をいただきました。このような著者によるLAOS講座の学び会がどんどんと広がってゆきますように!

「信徒宣言21」素敵なカードでお届け

 先の全国総会で承認されました、「信徒宣言21」のカードがようやく完成し、皆様にお届けできることになりました。各教会に無料配布の形でお送りさせていただきましたので、お受け取りください。デザインは、P2委員会のいろいろなアイデアと思いを、るうてる編集を担当しているデザインのプロの事務局職員・南雲さんが形にしてくださいました。いくつかの候補から、何度も見直しをし、素敵で、そして便利なカードになっています。
 聖書にも挟めるし、またはデスクや壁にも飾れる葉書サイズで両面カラー印刷です。信徒宣言の裏には、ルターの紋章とその説明がルターの肖像とともにレイアウトされています。このルターの画は、現地に行きドイツのヴィッテンベルクの市教会の聖壇にあるルーカス・クラナッハの画から説教をするルターの部分をとりました。
 ルーテル教会の伝統と教えに立ち、そしてこの21世紀の現代に生きる私たちの信仰の宣言を、皆様の議論と意見をいただいてまとめた「信徒宣言」ですが、それらの思いがこのカードにこめられています。
 どうぞ、ご活用ください。

議長に一問一答

Q.平和主日、終戦(敗戦)記念日を迎えましたが、どのように受け止められましたか。
 私たち日本人は、あの敗戦の意味を忘れつつあるように思います。今、日本国憲法が危機に晒されているからです。その敗戦の意味とは、原爆被爆から学んだ力の均衡による平和維持論の破綻です。これまで人類は、相手に勝る武力の保持によって自国の安全を確保しようとしてきましたが、武力依存の安全志向は、結局は悲惨な結果に終ることを知らされたのが、あの敗戦です。
 ここから、私たち日本人は、丸腰になって平和を創造していくことを決意し、戦争を放棄し戦力を保持しないことを宣言した日本国憲法を制定しました。私たち日本人はこの憲法を保持することによって、世界に貢献することができます。それが、日本人としての世界平和への唯一の貢献法であることを確認したいと思います。

Q.先日の総会での憲法に関する決議を受けて、日本福音ルーテル教会はどんな事に取り組めばよいでしょうか。
 あの決議が全会一致でなかったことを残念に思います。「剣を取る者は皆、剣で滅びる」というイエス様の言葉を皆で味わうことから始めなければならないのではないでしょうか。

第3回るうてる法人会連合研修会報告

 るうてる法人会連合主催の第3回研修会が「人間理解と愛の実践……現場における緊急課題とそれへの取り組み……」の主題のもと8月9日~10日に九州ルーテル学院大学を会場として開催されました。
 今回も第2回と同様に管理職と中堅の方が対象でしたが、前回より中堅の方の参加が多かったように思います。関東、関西、四国からの参加もありましたが、主に九州からの参加者でした。参加者は48名でしたが、そのうち中堅の人たちは22名でした。
内容は初日が後藤由起牧師による開会礼拝、清重尚弘氏の「ミッション キリスト教人間理解」と題しての講演、それから2部会に分かれて(講師:一門恵子氏「発達障害」、講師:市川一宏氏「介護予防」)のワークショップ、そして懇親会でした。二日目は講師:朝川哲一氏の「危機管理」の講演とワークショップ、藤井邦夫牧師による閉会礼拝でした。
テーマの通り現代における人間理解のもとにミッション性を持ったそれぞれの働きへの示唆、幼児教育や最近の入所児がほとんど被虐待児である児童養護施設の現場に対して学習障害や発達障害の学び、制度の変換期における介護予防の学び、働きやすい組織作りの学びなど有意義な時でした。
(藤井邦夫)

TNG 第10回全国青年修養会のお知らせ

 TNG-YOUTHではカフェピースと題して平和の祈りのキャンペーンを展開してきました。一つの区切りとして、また全国の青年の友に出会う場を求める声に応え、修養会を計画しました。どうぞ、皆さんの教会からも送り出してくださいますよう、ご案内いたします。
日程 9月16日(土)~18日(月)/会場 キープ自然学校(山梨県清里)/主題 平和への祈り-共に-/参加費17000円/締切 8月27日
※締切りを過ぎていますが、希望される方は、担当者までお問い合わせください。 jelc_cafepeace@ybb.ne.jp

TNG 第14回春の全国ティーンズキャンプ スタッフ募集

 来年3月27日(火)~29日(木)にかけて、千葉市少年自然の家で開催される第14回春の全国ティーンズキャンプ(キャンプ長・杉本洋一牧師)のスタッフを募集しています。
 ご応募・お問い合わせはマネージメント担当の佐藤まで! kz-sato@jelc.or.jp

JELA-JELC共同プログラム■インド・ワークキャンプIWC2007募集要項

第3回インド・ワークキャンプの参加者を募集中です。
詳細は次のウェブページに載っています。http://www.jelc.or.jp/rentai
各教会にも案内と申し込み書をお送りしています。
対象:18歳以上 日程:2007年2月18日(日)~26日(月)9日間 
問合せ・申込み:JELA(日本福音ルーテル社団)森川 Tel:03-3447-1521

平和を祈り、平和を実現するものに

パレスチナ平和交流ツアー参加者募集

ポスターと申込書などが出来、各教会へお送りしています。教会でご覧になり、希望の方は是非お申し込みください。和平の停戦が発効しましたが、政情不安などが再燃すれば適宜検討をしますので、ご希望の方は安心してまずお申し込みください。希望者数や状況により、選考させていただくこともあります。あらかじめご了承下さい。
資料一式や最新情報はインターネットからも入手できます。http://www.jelc.or.jp/rentai

本の紹介「平和への夢」

平和について考えさせられる一冊 「平和への夢 自爆攻撃に巻き込まれた少女の日記」

イスラエルの少女バット・ヘン シャハクさんの日記が日本語になり出版され、各種キリスト教マスコミでも取り上げられています。彼女は1996年3月、15歳の誕生日に自爆攻撃によって亡くなりました。小学生のときから書き始めた日記に残された詩には「平和」を願う思いがこめられていたのです。出版には日本福音ルーテル教会引退牧師の小泉潤先生が関わっておられます。
原詩:バット・ヘン シャハク/著者:「平和への夢」出版委員会/出版:PHP研究所 定価:1200円(税別)

イスラエルの側の少女、そして、パレスチナの側の状況。宗教・民族・政治が複雑に絡み合い、歴史を通して紛争と悲劇に翻弄される両者ですが、一人ひとりが願うのは本当は平和な社会のはずです。聖書の舞台となった此の地の状況を深く知り、振り返って私たちの信仰や平和への関わり方を学ばされます。

釜ヶ崎キリスト教協友会 セミナーのお知らせ

 釜ヶ崎キリスト教協友会よりセミナー開催のお知らせをいただきました。
2006年 秋のセミナー「働くこと、生きること」
期間:2006年9月28日~10月1日/会場:旅路の里(大阪市西成区)/募集人員:10名/参加費(宿泊費):3000円(食事別)/募集締切:2006年9月21日
連絡先:釜ヶ崎キリスト教協友会 〒557-0004 大阪市西成区荻之茶屋2-8-9旅路の里 気付 TEL/FAX:06-6631-2720(セミナー委員まで)
*詳しいお問合せは連絡先へお願いします

思文閣美術館より企画展のお知らせ

思文閣美術館よりご案内をいただきました。
原罪を世に問うた作家 没後7年 三浦綾子―その人と作品
 自筆原稿、出版物、取材ノート等を通し、著作の中で問い続けた「人間はいかに生きるべきか」という事を見つめなおし、三浦文学の魅力に迫る企画です。
期間:2006年9月16日~10月15日/場所:思文閣美術館(075-751-1777)/*詳しくは思文閣美術館まで、お問合せ下さい。
招待券プレゼント!
本展の招待券を10組20名様にプレゼントいたします。住所・氏名・るうてるの感想を明記して下記までお寄せ下さい。
FAX:03-3260-1948/締切は9月11日(必着)です。

教会手帳・訂正

大船ルーテル教会(日本ルーテル教団)/電話番号:045・892・2366
新潟のぞみルーテル教会(日本ルーテル教団)/郵便番号〒951・8161

誤・白根ルーテル教会

正・白根ルーテルキリスト教会(日本ルーテル教団)

誤・寿都シオン・ルーテル教会

正・寿都シオンルーテル教会(中黒を取る)(日本ルーテル教団)

旭川聖パウロルーテル教会(日本ルーテル教団)/住所:旭川市7条通8丁目38番地
豊中教会/郵便番号〒561・0881
齋藤 實(ルーテル外国語学校)/住所:東京都港区白金台4・11・10
藤井邦夫/電話番号:096・339・6724
伊藤文雄/教会の住所U.S.Aの後ろにピリオドを追加
雪ヶ谷教会/FAX番号の前に「F」を追加
蒲田ルーテル幼稚園/FAX:03・3731・4465/メイル:kamakg55@yahoo.co.jp/ホームページ:http://www.geocities.co.jp/jelckama/kamataKG/
日本福音ルーテル社団/理事長:中川 浩之
岸井 敏/メイル:kishii@bluewin.ch
神戸教会/電話とFAXが共用になりました。078・691・7238

住所変更

牛丸省吾郎
Melkonkuja 8. A. 18, 00210 Helsinki, Finland

06-08-15るうてる《福音版》2006年8月号

機関紙PDF

バイブルエッセイ「一枚の木の葉」

 神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。
ヨハネの手紙一 4章16節(日本聖書協会・新共同訳)

 一枚の木の葉が、強烈なインスピレーションを与えてくれたことがある。何の変哲もない桜の葉だった。人は何のために生きるのか、だれもが抱くような疑問に取り憑かれて悶々としていた。高校2年の頃だった。列車通学をしていたが、降りるべき駅で降りずに数駅後で降車し、河原で1日やり過ごすこともしばしばだった。河原では表題に「無」がつくものを手当たり次第に読んでいた。たとえばサルトルの「存在と無」。読んでも、ちんぷんかんぷんだったが、何かがあるかもしれないという期待だけが、歯が立ちそうもない本にかじりつかせていた。
 ある日列車は、とある田舎の駅に停車していた。田舎の駅に桜の木はよく似合う。よくある光景だ。古木が多く1本1本に風格がある。もう桜の季節も終わっていた。花が散れば、古木もみずみずしい葉でよそおわれる。
 その日もぼんやりと外を見ていた。今日は学校に行こうか、河原ですごそうか。そんなわたしになぜか一枚の葉っぱが、圧倒的な存在感をもって迫ってきたのだ。時折風にそよぐ一枚の桜葉―自分は今何のために生きているかわからなくなって悶々としている。でも、静かに風にそよいでいるこの一枚の葉の、何と軽やかなこと。インスピレーションがわたしをとらえたのは、そう思った瞬間であった。とどまっている。何か大きな大きな命にとどまっている。だからこそ、一枚の木の葉も、こんなにも軽やかなのだ。風とたわむれ、また静まり、また風とたわむれる。大きな大きな命がある。すべての存在の背後に大きな命がある。そのひらめきは、わたしを全宇宙を理解したかのような気分にさえしてくれた。人間が混沌としているのは、自分がとどまるところを知らないからではないのか。人は前に前に進もうとする。人は更に更に超えていこうとする。人は高く高く伸びようとする。でもなぜそうするのかは知らない。
 考えてみれば、自然のことをオノズカラシカリと書く。天然自然という言葉もある。これは天の然り、自ずから然りという意味ではないか。何か大きな命にとどまっていて、その然りをうけてそににあるもの、それが風にそよぐ一枚の葉なのだ。むろんそのときはここまで整理して考えたわけではない。インスピレーションで、これらのすべてを感じ取っただけだった。
 そのときまた、世界史の授業でならった、キリスト教徒の殉教者たちのことが心に浮かんだ。彼らも何かにとどまり続けて喜んで死んでいった。獅子の餌にされて死んでいった。何か自分を超えた大きな大きな存在を知っていたのだ。
 その日は、高揚した気分で、授業に出た。休み時間に友達をつかまえて、一気にそのインスピレーションを語ったが、友達はきょとんとしていた。帰りに、中学校の側にあった小さな教会を訪ねてみようと決意していた。
k.S

心の旅を見つめて  堀 肇

「引き延ばされた青年期に寄り添う」

成人した青年たちの悩み
キリスト教の人間観を土台にした「心の相談室」を設けてもう15年に近くなります。主として家族問題の相談を受けてきましたが、近年の特徴は既に成人となった子どもを持つ親御さん方からの相談が多いということです。
 「息子は就職活動で立ちすくんでしまい、大学卒業後はアルバイトを転々とし、小遣いくらいは稼いでいましたが、今はそれも止めて家で引きこもっています」、「娘は一流企業に就職したのですが、人間関係のストレスで退職し、今は何をしていいか分からず悶々としています」といったような相談です。
 これらは一例に過ぎませんが、これと似たようなケースが非常に多くなっており、中には人間関係そのものを拒絶し、社会生活から全面的に撤退してしまういわゆる「引きこもり」の相談も減りません。また近頃では何もしようとしない「ニート」(好きな言葉ではないのですが)と言われる子どもたちの問題を抱えている家族のカウンセリングも増えてきました。
単純でない現代の青年期
いったいこの時代の青年たちの心に何が起こっているのでしょうか。これは生産性至上主義・効率主義の社会を競って生き抜いてきた大人たちにはなかなか分かりにくいことの一つです。特に苦労してきた人たちからは「甘えている」、「自立心の欠如」、「大人になれない若者」と批評されますが、外側から見れば確かにそう言いたくなるような現象だろうと思います。
しかし事はそれほど単純ではないのです。こうした現象がここ十数年のうちに急増したということは、いわゆる「青年期」なるものの性質がかつてとは著しく異なってきており、青年から大人への移行に非常に時間がかかるような社会・文化的な背景があるということなのです。また、これには90年以降の長引いた不況のため希望する仕事につけなくなってしまったという社会的事情も重なっています。このように現代の青年たちは自己の確立や職業的アイデンティティを確立しにくい時代の中に置かれているのです。
アイデンティティ形成を援助
もちろん、こうした時代の中でも引きこもりやニートとは対極にあるような自己実現に向かって頑張っている青年たちも多くいます。しかしそのような人たちであっても価値観が多様化しているこの時代の中にあって、今の自分でいいのだろうかという迷いを感じている人もいるのです。転職や方向転換を視野に入れたようなライフスタイルも珍しいものではありません。これは人知れず「本当の自分自身」を捜し求めているということでもあるのです。こんなわけで現代の青年期は大変引き延ばされているのです。
これがよく理解できない親たちは、つい「自分たちの若い頃は」となってしまいます。しかし、こうした事情は見方を変えれば大人たちが経済成長の中で残した精神的課題に直面し、体を張って苦しみもがいているということでもあるのです。家族問題を例にとれば、子どもたちは親の「影」の部分を苦しんで生きているのかもしれません。こう考えますと「うちの子は」とか「今の若者は」などとはとても言えなくなります。
では大人たち・親たちは何ができるのでしょうか。それは「困った若者論」を論ずることではなく、高度成長時代が生み落とした歪んだ価値観などの故に自尊感情を喪失している青年たちの気持ちに寄り添い、生きることへの自信と希望を与えることではないかと思うのです。時間がかかっても彼らのアイデンティティの形成を援助するのが、この時代の大人たちに課せられた努めの一つではないかと私は思っているのです。それは宿題のようなものかも知れません。

堀 肇(ほり はじめ)/鶴瀬恵みキリスト教会牧師・ルーテル学院大学非常勤講師・臨床パストラルカウンセラー(PCCAJ認定)

HeQiアート

Ark of Noah , by He Qi, www.heqiarts.com

「アブラハム、イサクをささげる」

  神は命じられた。
 「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤに地に行きなさい。私が命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。
 ……神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばし刃物を取り、息子をを屠ろうとした。
創世記 22章2節、9~10節

たろこままの子育てブログ

「寄り添うとき」

喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。(ローマの信徒への手紙 12章15節)

 赤ちゃんや子どもを連れ立ってバスや電車を利用するようになると、不思議と隣り合わせた人に話しかけられるようになった経験はありませんか?
私もそうです。特に意識はしていないのですが、見知らぬご年配の方に笑顔で「坊や、いくつ?」「どこ行くの?」とよく話しかけられます。気がつくと相手の孫自慢の聞き役に回されることも多いですが(苦笑)、若い人が話しかけてくることも珍しくありません。
先日バス停で出会った少女もそうでした。
こちらが時間を尋ねたのがキッカケだったのですが、彼女は人なつこく、そのうち今私たちが住んでいる付近に昔住んでいたと教えてくれました。
そこは児童養護施設だったそうで────彼女は高校を出るまでそこにいたことなどを突然ぽつりぽつり語り出しました。 「そっかあ、色々あったんだね、大変だったね。でもあなたはスクスク育って良かったね。エラいよねえ、小太郎もそう思わない?」
腹話術のように小太郎を操りながら少女に答えることしばし。目的のバスに乗り込むと互いの席は離れたものの、先に下車した私たちに彼女は窓から大きく手を振ってくれました────互いが見えなくなるまで。
他にも、大きい割に体が不自由な小太郎を見てか、電車の降り口で、自分も脳に病を持ち、手帳も持っていると話しかけてきた女の子もいました。出口に着くまでに今までの苦悩や未来への希望までさらけ出してくれたのを受けてふと思ったのです。  「ああ、喜ぶことも泣くことも、特に大げさなことは必要ないんだな」と。そして「涙に暮れた出来事も誰かと分かち合うときに悲しみだけで終わらないのだな」と───。
 幼少の頃「人に嬉しいことを話すと喜びが倍に、悲しいことを話すと悲しみは半分になるよ」と言われたことがありますが、一期一会なそのときも、必要なことは言葉数ではなく、相手にうんうんと寄り添う「共感」なのかもな、と思った次第です。

06-08-15るうてる2006年8月号

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第22期の新しい船出 第1回常議員会からのポイント

 全国総会を5月に終えて、初めての常議員会が6月19日から21日まで開かれました。先月号に続いて、より詳細な内容をレポートします。

 通常の報告や審議事項に加え、諸委員の選任、牧師補の身分変更などが審議されました。また今回は、総会を振り返り、総会を通して表された全国の教会の気持ちを汲み取りながら、今期の基本方針が確認されるなど、重要な常議員会でした。
 他には、総会決議された神学生寮建築のため、「神学生寮設置募金委員会」が設置されました。そして、アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)の宣教師派遣方針の変更により、宣教師の任務等について変更が迫られ、協議が続けられています。
総会の振り返り
 総会では、ほとんどの議案が承認されました(6月号3面参照)。しかし、主にP6(教会構造改革)の関連で否決されたものがあります。これは、教会憲法の変更で全代議員の3分の2の賛成がないと承認されないなど、ハードルが高いものも含まれていました。教会再編については、明確にするために期限や義務化の項目を付帯決議で追加提案しましたが、議論の末提案者が取り下げ、当初案がそのまま承認されました。ですから、新教会(教会合同)や教会共同体を形成して、より効果的な宣教にあたるという項目は、否決されていません。「宣教力をアップするため」という目的にかなうように、現場の教会がより主体的に形や期限を決めることができるようになったともいえます。また本教会常議員を教区の複数候補推薦のなかから全国区での投票をするという案なども否決されました。
これを受けての総括
 宣教方策は全国レベルで決定し、それを受けて教区や各個教会で取り組むものと、教区レベルのもの、また各個教会独自のものと、3種類に分類することができます(2004年総会で承認)。今回の反応は、全国で協議し策定し取り組んできたPM21に対して、十分な共通認識や理解が深められていなかったものともいえます。または、トップダウンに見えてしまう方策実現に、教区や各個教会が、より主体的に関わり、自ら検討し選択する姿勢が表明され、その時間が確保されたことになります。
 そして、議長はじめ事務局や本教会常議員会は、トップダウンと取られることの無いように、十分な現場との意見交換と、また審議決定事項の迅速な伝達が欠かせないことを反省と共に確認しました。
今期の重点課題
山之内正俊議長から、これらの総括やこれまでの4年間を踏まえ、後2年間の「第22回総会期の基本方針と重点課題」が発表され、審議と修正追加の後、承認されました(4面)。後日、各個教会へ配布される常議員会議事録をご覧ください。
 これを通して、私たちの教会がより豊かで、宣教にあたれる教会に成長していくことが願われています。

言葉の説明:
PM21=「日本福音ルーテル教会21世紀宣教方策」の愛称(Power Mission21)
 2002年全国総会で承認された10年単位の全国の宣教方策。これまで第1次から第4次まであった8年単位の「総合方策」とは違い、宣教力のアップと時代に適った構造改革など、緊急課題に的を絞って教区・各個教会で取り組むとするもの。7つのプロジェクト(P1-P7)からなる。

■JELCのTV?始まる!■
 各地の宣教の働きやPM21への取り組みを、紙上でお伝えしたり、ビデオやDVDを製作し教会宛にもお送りしていますが、お一人お一人に届くのに限界を感じます。そこで、今回常議員会で承認され、日本福音ルーテル教会のTV番組ともいえるものが始まります。これは、 「jelc.TV」というアドレスで、インターネット上で番組を配信し、パソコンで視聴していただくものです。「JELCテレビ」とお呼びください。
 将来的には、これを通じて、LAOS講座の番組や、信徒説教者養成講座の通信教育も可能になります。ぜひご覧ください。
 視聴方法:インターネットブラウザーで、「http://www.jelc.TV」と入力してエンターキーを押すだけです。また、DVDも実費でお分けしていますので、こちらをご希望の方は、宣教室までご連絡ください。

ルターによる宗教改革の遺産の集大成 ~一致信条書重版、出版~

私たちルーテル教会は、キリスト教会の三つの基本信条(使徒信条、ニケヤ信条、アタナシウス信条)に加えて、宗教改革の諸文書のなかでも信仰告白とした6つの文書(アウグスブルク信仰告白、アウグスブルク信仰告白弁証、シュマルカルデン条項、小教理問答、大教理問答、和協信条)を「一致信条書」として持っています。
 日本においては、1982年に聖文舎から「ルーテル教会信条集(一致信条書)」として刊行されましたが、その後長い間絶版となっていました。
 この度、教文館よりお申し出をいただき、その重版として、最低限の見直しと部分改定をしたうえで「一致信条書(ルーテル教会信条集)」が出版されました。
 教会間のエキュメニカルな運動が盛んになる中で、宗教改革の歴史的研究に重要であるだけでなく、信仰と自分たちのアイデンティティを確認するためにも大変大切なこの信条集が重版されたことは大きな喜びです。その意味では、私たちルーテル教会のために重版されたようなものですので、大部なものではありますが、一人でも多くの方が手にとって読まれることを望んでいます。
A5判上製(函入)1,224頁/定価 25,000円(税抜き)

 

クリスチャンのライフカレンダー

~初陪餐 おめでとう~

 やったね。牧師先生とのお勉強、まだ1年生にもなっていないので、大丈夫かな…と少し心配でした。でも「どう?」と尋ねると「おもしろいよ」との答え。
 いよいよ初陪餐の日。白く短いガウン姿の君は天使のように輝いていたよ。お二人の牧師先生にはさまれてのあの喜び。皆さんの笑顔の真ん中での神様の祝福。主の祈りは、いつの間にかすっかり覚えていたのね。祝会で大きい声で祈れた!突然起こった拍手。牧師先生が後でおっしゃった。「主の祈りに拍手は初めてです」と。
 君が一年生になっても、もっと大きくなっても、神さまはいつも君を見つめていて下さる。嬉しい時も、悲しい時も、苦しい時も。私もこの地上にいる限り、いいえ、いつの日か天に召されても、君を見守っているよ。妹のEちゃんが、お兄ちゃんの口の動きを見ていて覚えたのか、主の祈りのことばを口ずさんでいたの。今度Eちゃんの初陪餐の時、きっと、全部云えるでしょうね。お兄ちゃん一緒に祈ろうね。

インフォメーション

最新版教会手帳住所録できました

 2006年6月21日現在の最新版住所録です。お求めになったルートで新しいものを受け取ってください。個別に教会手帳を購入された方は東京聖文舎へ、お問い合わせ下さい。

皆さんの声を聞かせてください

 教会手帳編集委員会では2007年版教会手帳の準備を始めています。日頃お使いになられている皆様のご意見をお寄せ下さい。
 ①教会手帳の気に入っている点②使いにくい点③その他ご意見、をご記入の上、メイルにてお送り下さい。
 メイルアドレスは【techo@jelc.or.jp】です。
 メイル以外でのご意見、もっと詳しいアンケートは各教会に配布しています。
 締め切りは【8月20日】です。よろしくおねがいいたします。

牧師の声「私の愛唱聖句」

九州教区 箱崎教会・聖ペテロ教会 牧師 和田 憲明
なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです(コリントの信徒への手紙二 12章9~10節)

あなたの愛唱聖句はと聞かれると、すぐに好みのみ言葉が頭に浮かんでしまいますが、「気になる」み言葉と表現したほうが、私にはしっくりとくるような気がします。というのも、み言葉は人の好き嫌いによって計れるものではないと思うからです。聖書の中には厳しく、耳を塞いでしまいたくなるものも少なくありません。
私は高校生のときに初めて友人に誘われ、教会を訪れましたが、その時出合った「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」(コヘレト12章1節)は、どうしても素直に飲み込めず、胸につかえました。正直、若い時に出会わなければ、もっと楽に生きられるような気がしたのです。そのまま放っておかれれば、神さまから離れてしまったでしょう。けれども不思議なことに聖書は、一つのみ言葉をきっかけに、次の「気になる」み言葉をつなぎ合わせ、私に迫ってきました。今も私の心をとらえて離さないのは、コリントの信徒への手紙二12章9~10節の使徒パウロの言葉です。この書簡の10~13章は一つの手紙であったといわれますが、私にはパウロ神学の実存的中心と読めるのです。たしかに彼の心の乱れがしるされ、神学者が指摘するように感情が突出していることは否めませんが、キリスト者としての苦悩の現実が如実に現れています。
 「わたしは弱いときにこそ強い」この主張は言葉において逆説という側面がありますが、信仰的リアリティーにおいては違います。彼は人間の弱さの中に、神の恵みが現れることを証しし、自らの確信のゆえに誇りとします。
牧会者としての生活を送り、それほど長い年月は経っておりませんが、教会を通して出会う人々の信仰に触れるとき、このみ言葉を思い出します。日々悩みの中で解決の糸口が見出せない、肉体的・精神的な痛みに耐えている、あるいは病床の床に伏しておられる方々もおられますが、苦悩の只中にある時は感情的になられたとしても、祈りの中で与えられた時を過ごしておられます。パウロも何度も自分の肉体のとげを取り去ってもらおうと主に祈りました。「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』」(9節)との言葉が返ってきます。翻って彼は「キリストの力がわたしの内に宿るように」(同節)生きるのです。
人は時間の経過と共に生老病死を迎えますが、しかし人間的に弱くされるときに神さまの力が強くなるのであれば、それだけで十分生きてゆける「キリストのために満足しています」(10節)のです。このようなみ言葉も、それに呼応するような形で現れる一人びとりのキリスト者の証しもまた、相まって網のように私をとらえます。

信徒の声「教会の宝石を探して」

東教区 諏訪教会 信徒  宮澤 あい
古着を送る仕事は、諏訪教会の目玉事業ですが、いつもあいさんに任せっきりですね
 いいえ、皆さん本当に力を貸してくださっています。古着を提供してくださることはもちろんのこと、繕い物をしたり、郵送したり、送料を献金したりと、私一人の力ではとてもできません。
でも毎年、50箱以上とは大変な数ですよね
 できる限り多くの方に喜んでもらいたいと思っているうちに、こんな数になりました。これは私の喜びですが、そのかわり家の中はいつもダンボール箱でいっぱいです(笑)。
そもそも古着を送り始めたいきさつは
もう20年位前からです。当時牧師だった塩原先生がブラジルに行くことになり、ぜひ中古の衣類を送ってほしいと言われたことが始まりです。
 その時は古着だけでなく、石鹸や雑貨なども信徒の方にお願いして送っていました。その後、塩原先生は帰国されましたが、家にはまだ古着がたくさんあって……。それで「わかちあいプロジェクト」に送り先を変更しました。
それらの古着はどこに送られるているのでしょうか
 インドネシアやバングラディシュ、タンザニア、ソマリアと様々な国に行っています。どこの国の方が着てくださっているのかはわかりませんが、テレビで裸足の子どもやボロボロの服を着ている人を見ると、満たされている私たちが何かしたいと心から思います。
 国内でもね、大阪の「喜望の家」と「かにた婦人の村」に、毛布もあわせて送っているんですよ。
あいさんは、私たちの教会では一番古い信徒さんです。お子さんもお孫さんもみんなクリスチャンですね
 私は、昭和23年頃に洗礼を受けました。その後主人も、また妹の家族もみんなクリスチャンになってくれて本当に幸せです。みんな健康で、私たちは満たされて感謝しています。困っている方がいれば、少しでもお役に立ちたいと思って続けてきただけなんですよ。
集められた古着や毛布は、あいさんが全部お洗濯をして、繕って、すぐに着られるようにして送っているんですよね
 送られる人の身になってと考えています。50箱も送ると送料も大変ですが、皆さんの献金や奉仕でどうにか続けられました。これからもできる限りお役に立ちたいと思っています。
几帳面できれい好きなあいさんらしいですね。

求道者の旅 第17回 罪とは何か?

 聖書には「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にはありません」(ヨハネの手紙一 1章8節)とあります。
 前回、私達は人間の性質について考えました。それは、動物と霊的な要素との逆説的に混じり合っている事を見出しました。今回は更に人間の「罪人」としての伝統的定義を見て参りましょう。「罪人」が神学的ではなく具体的にどのような意味を持つのでしょうか。

罪とはナルシシズム(自己愛)
 イエス様の譬えに(マタイ25章14~30節)、僕にお金を委託し、怠け者の悪い僕はお金を隠してしまう話があります。彼は預かったお金を自分自身のために取って置き、しまい込んでしまいました。忠実な良い僕とは世界の中で他者と共に働く事に関わって行く人です。彼らは預かったお金を有用なものを産み出すものへ投資しました。
 罪とは、全く自分自身や自己の利益に巻き込まれている事であり、他人へ働きかけ、創造性、生産性である事に失敗しています。別の言葉で言うなら、罪とはナルシシズム(自己愛)です。すなわち人生がそれ自身のために転嫁しているのです。
禁断の果実
 創世記のエデンの園は、真に偉大な神話です。神話とは深淵なる真実を表すために、ある意味で事実に基づかない物語です。それは人間の振る舞いを多面的に照らし出しています。アダムとエバは、エデンの園の多くの良い果実を食べる事を許されていました。それは、私達が人生において、多くの満たしと美しい物を持つ事が許されている事と同じです。しかし、一つの果実は禁止されていました。それを食べればさまざまな欲望が引き起こされ、罪と恥をもたらすからです。それによって、彼らは完全な園から悲惨へと追放されることになったのです。
 私にとって禁断の果実とは何でしょうか。人それぞれでその中身は異なっているでしょうが、私達の一人ひとりに禁断の果実があるのです。そしてそれを食べると私達は悲惨へと投げ落とされてしまうのです。
肉の欲望について
 肉の誘惑より更に害のある誘惑があります。肉の誘惑は少なくとも人を希望につなぎます。誰かを捜し求め、関係を結び、人を楽しませます。別の誘惑は私達を、絶望、無関心、あるいは憎悪へと駆り立てます。これらの事は他者と関係を結ぶ事よりも、たとえそれがゆがんだものであったとしても、なお悪いものではないでしょうか。
心を曇らせるものが罪
 創造的働きをするために主として必要な事は澄んだ心を持つ事です。健康的で、澄んだ心は、正しい視点を保ち、神の導きに鋭敏で、人生において御心を実現すべく従う事ができます。
 罪とは、私の精神状態を混乱させ濁らせ、その結果何が最も重要であるかという事に対しての眺望を見失う事に他なりません。罪とは、建設的に働いたり、他者に仕える事を妨げるものです。罪とは、神への意識を曇らせるものの事です。
(翻訳:上村敏文)

聖研「詩編を味わう」

6.牧会はアナログのわざ 

主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない/主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い/魂を生き返らせてくださる。
詩編23編1~2節

羊飼いと羊の関係
 羊飼いである主はわたしに青草を豊かに与え、命の水に導かれます。穏やかでなに不自由ない営みが繰り広げられているかのような光景です。まことにのどかな牧歌的な風景が目に浮かぶようであります。
 しかしながら、ここに歌われた光景は、生きていることが平穏無事に守られている以上に、人は平安に生きるための命を、どのように養われているかの確認の歌でもあることに気付きます。生きる命を養ってくださるのは、羊飼いであるお方です。現実の羊飼いがどれほど過酷な職業であるかはヤコブの姿によく表れるところです(創世記31章38節以下)。最初のクリスマスの夜、救い主降誕の使信を聞いた、羊飼いたちが「野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」(ルカ2章8節)とあるのも彼らの厳しい生活ぶりを思い起させるに十分です。こうした羊飼いのわざは、やがて神とイスラエルの民の関係にまで及ぶようになりました(詩編100章3節)。こうした表現は旧約の随所に見られることは、よくご存知のはずです。
 キリストもまた言われました。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ10章11節)。激しくも厳しい働きの中に身を置くのが羊飼いであり、ついには群れの中の一頭のために命を捨てるのが羊飼いであるなら、羊である、わたしたちが生きるためにどれほどの代償が払われているかを、あらためて見つめ直してよいのではないでしょうか。
 また主は言われました。「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」(ヨハネ10章14節)と。羊飼いは羊を「わたし」の羊として知っており、羊もまた「わたし」の羊飼いを知っているのです。互いに「わたしの」と言い合う関係が羊飼いと羊の間にあるのです。
わたしの羊飼い、わたしの羊 
 この関係は、伝道と並んで牧会という名で教会の働きに取り入れられてきました。羊飼いが羊を知り、羊もまた羊飼いを知る、しかも両者の関係には命が懸かっている、牧会とはその意味では、個々の世界を絶えず視野に置くことから始まって、ついには命を懸けるほどの関係があるということです。それは信頼と助け合いを必要とする関係の中ではもっとも望ましい関わりのかたちと言えましょう。これほどの関係は日常の人の営みのなかでは、ほとんど身近に経験することはありません。もし身近なところに、そのような人との関わりがあれば、どれほど心強いことでしょうか。現代社会は個人よりも全体の生産性や効率性に重点を置いてきました。ですから聖書がいう「牧会」の関係は手間隙がかかるのであり、煩わしいことであり、時には無駄なことと評価してきました。まことに教会でこそ可能な関係のありようなのです。
アナログの世界
 しかしながら、現代社会が見失っている、あるいは煩わしいとさえ思う「牧会」的ありように、わたしたちは飢えていることに注目しなければなりません。その意味では、教会は社会と同じように効率性や生産性を基準に事を構えてはいけないのです。煩わしいことや、面倒臭いことや、時には無駄と見えることも価値の中に数えて、「牧会」の働きに活かすべきです。いわば、この社会が効率性と生産性を追求して、あまりにもデジタル化した中で、スローなアナログ的な働きがもつ貴重な価値を取り戻すことでもあります。
 ルターにせよ、カルヴァンにせよ、宗教改革の指導者たちは多くの牧会的な個人宛の書簡を残していますが、個人の事情を忖度して書かれているにもかかわらず、誰が読んでも自分に宛てて書かれたかのような印象を受けるのに驚かざるを得ません。手間隙かけた、ひとりの人への配慮は結果として、すべての人への配慮となっていることに気付きます。「牧会」とは、ひとりを相手にして全体の群れを失うのでなく、ひとりヘの配慮が結果として群れ全体を養うこととなっていることを、彼らの書簡はよく教えるものです。筆者も彼らの書簡を読みつつ、アナログ的牧会の世界を回復したいとの願いから、パソコンに代わって万年筆とインクを新調したい思いに駆られております。

パレスチナ平和交流

~平和を祈り、実現していくものに~

総会で「『日本国憲法』の前文及び第9条の改定に反対する声明」がなされましたが、宣教と平和実現のために、私たちの教会は海外宣教支援、ボランティア派遣にも取り組んでいます。
今回は、パレスチナ平和交流団の準備訪問と、インドワークキャンプ募集の報告をいたします。
パレスチナ平和交流 
11月に向けて先遣隊訪問
きっかけ 昨年8月にパレスチナのルーテル・クリスマス教会のミトリ・ラヘブ牧師をお呼びしました。東京・京都・広島での講演会や平和祈念礼拝でメッセージをし、全国にも平和主日の祈祷文などをお届けし、各種メディアにも取り上げられました。同じアジアのルーテル教会として感謝され、被爆国でもある日本のルーテル教会から議長やボランティアの訪問団を迎えたいとの強い要望を受けて、準備が始まったものです。
今回の訪問 常議員会の承認を受け、電子メイルで調整を重ねました。今回の目的は、11月の訪問団の準備のため、現地視察と学び、宿泊施設や行程の確定、平和交流のプログラム模索と確定、LWF施設の訪問、「聖地ツアー」の日程作成などでした。
スイスでの乗継で入念な荷物検査と質問を受け厳しい情勢を感じました。深夜入国し、迎えの車で検問を通り夜の街を走りました。ベツレヘムに入る際、高い分離壁の門を緊張しながら通りました。夜が明け、出張帰りのラヘブ師と再会、暖かい歓迎にようやく心がほぐれました。
クリスマス教会とベツレヘム国際センター(ICB)や、街、教会立学校などを案内され、地域のためにいろいろなプログラムを実施している働きに感銘を受けました。一緒に歩くと、通りでたくさんの声をかけられます。昔からこの地のパレスチナ人は、クリスチャンもイスラム教徒も関係なく一緒に仲良く暮らしているのです。ICBで「ガラスの天使」を製作している方にもインタビューしました。「聖地ツアー」企画のために、ベツレヘムの聖誕教会、エルサレムとガリラヤ地方も巡りました。日曜日は渡辺副議長が説教をし、米国教会の牧師と、立野牧師が平和の祈りをささげました。アラビア語、英語、ドイツ語、日本語が使われ、一週間早いペンテコステのようでした。ICBとエルサレムのLWF運営のアウグスタ・ビクトリア病院に連帯献金から献金をささげました。
考えさせられること 数年前に「普通の聖地ツアー」に参加しましたが、そのときはイスラエル側のガイドやホテルでしたから、今回はまったく逆の立場で「抑圧され、不公正な扱いをされるパレスチナ人」の側から直接見聞きし、たくさんの事を学びました。宗教と民族と政治が複雑に絡み、どちら側に立つかで見方が全く変わる難しい問題でもあります。しかし、キリストがお生まれになった街のルーテル教会で親しい牧師と教会員が、政治的にも経済的にも抑圧され、平和を求めて生きているのです。車で15分ほどのエルサレムにも自由に行けない分離壁と検問所に囲まれ、収容所のような生活を子どもの頃から強いられているのです。
もっと身近なアジアや、国内にも残された問題はあるでしょう。しかし「パレスチナに同じアジアの日本から、ルーテル教会の仲間が来て・見て・交流してくれるだけでも、大きな力になる」といわれます。きっと私たちの聖書理解や信仰にも深い養いになります。
11月の企画は次の通りです。ぜひ、ご応募ください。
安全について 先日訪問したときは、南部のガザで紛争が起こっていましたが、私たちの行程はきわめて安全でした。宿や食事も快適です。その後、紛争が拡大し懸念していますが、申込みをお受けして、しかるべきタイミングで安全確認と調整の後、実施か延期かを検討する予定です。

募集要項(現段階)

・目的・平和交流プログラムと聖地ツアー
・日程・11月20日-30日
・人数・15名程度
・費用・27万円(全行程移動、宿泊と食事含む)
・締め切り・9月10日
・問合せ申込先・教会事務局宣教室
・備考・日本文化を紹介する企画のため、華道、茶道、柔道、手芸、日本食、折り紙など、特技を提供してくださる方歓迎します。
教会にポスターと資料をお届けします。インターネットに詳しい報告と動向を逐次掲載しています。
http://www.jelc.or.jp/rentai

JELA-JELC共同プログラム

インド・ワークキャンプIWC2007募集要項

 第3回インド・ワークキャンプの参加者を募集いたします。
 これまでの参加者は、霊的に成長する素晴らしい経験をしてきています。あなたもインドの小さな村で、キリストの手足となる体験をしてみませんか。
対象:18歳以上
日程:2007年2月18日(日)~26日(月)9日間
問合せ・申込み:
JELA(日本福音ルーテル社団)
森川 Tel:03-3447-1521

基本方針と重点、話題

 福音のもつ力を充分に発揮させ、一人でも多くの人に福音を届ける
■牧師の向上と養成
1)全国教職研修会の充実
2)教職のレヴュー制度の実施
3)牧師志願者の発掘
4)神学生寮の建設
5)牧師養成制度の再検討
■信徒の育成
1)次世代の育成
2)アクセルプログラムの企画と展開
3)信徒説教者制度の実施
■教会合同と教会共同体形成の促進
総会で教会再編への意欲が削がれた観があるが、教会再編という方向で行くことは承認し、教会共同体という新たな行政単位が承認された。今期は、教会再編を促進することに力を注ぎたい。
■世界宣教への主体的な取り組み
■宣教活動展開のための財政構造の構築
 現在の財政構造は、自給宣言の影響を受け組織の維持を優先。しかし、今日求められているのは、宣教活動展開のための財政運営。基金の整理を含めた、新たな財政構造を構築して行きたい。

議長に一問一答

総会で議長に再選されましたが、今までの4年の取り組みを振り返りお感じになることは?
「日本福音ルーテル教会宣教方策21」の具体化と推進に携わってきましたが、気付かされたことは、私たち日本福音ルーテル教会の信仰の姿勢が、何と内向きでしかないか、ということです。今なすべきことは、私たち一人ひとりの信仰を問い直すことだと思いました。確信や喜びがなければ、伝道することはできません。これまでの伝道不振の原因はそこにあったのではないでしょうか。この確信と喜びを味わい、他の人に伝えずにはおれない、という衝動を起こされることなしに、伝道、伝道と言われても、重荷になるばかりです。
今期2年間の取り組みの基本方針や重点課題を教えて下さい。
 今期は、福音への確信と喜びからくる他の人に伝えずにはおれないという衝動を引き起こすこと、を取り組みの目標としたいと思います。そのような目標から、左に示す5つを今期の最重点課題としたいと思います。教会の成長、それは、教会の自己保身のためではありません。それは、神様が、神様に背を向けたまま生きている人間に与えられる福音を一人でも多くの人に実現することによって起きる、天国の先取りです。この意味の教会成長のために、私たちキリスト者は召されているのです。

ブラジル宣教報告

サンパウロ日系ルーテル教会 宣教師 渡邉進 tahasuto4@nethall.com.br
 6月18日に約4年振りで日本に帰国しました。成田空港に着いてすぐに飲んだ水のおいしさに、逆カルチャーショックを感じました。ただで、しかも旨い水が飲めるのは世界広しと言え、日本だけでしょう。また、治安の良さを大変実感しました。自分の財布を人前で見せたり、普段家の門の鍵を掛けなくてすむという日本の安全性は、ブラジルではとても考えられません。
 日本に着いての最初の仕事は、サンパウロ教会から依頼された、バザーに協力してくれた教会にコーヒーを送ることでした。今年の4月にサンパウロ教会で行われた中古衣類のバザーは大盛況でした。バザーは貧しく弱い教会にとって有力な資金源です。日本の教会への深い感謝をサンパウロ教会の皆さんは持っています。
 7月9日(日)から、大森教会を皮切りに、ブラジル宣教を報告させていただいています。今後、静岡地区、名古屋地区、東教区の教会、そして九州の各教会を巡る予定です。私の後援会の方々が計画してくださり、ありがたく思っています。各教会での奉仕や報告が充実した時になるよう願っています。
 日本の教会の皆様には、サンパウロ教会の働きのためにいつもお祈りご協力下さり心から感謝しています。今後ともブラジル宣教をお支え下さることをお願いします。ブラジル宣教の今までの働きについては、どうぞ「宣教師中間報告」をお読み下さい。今後のことは、ブラジルでは予測できないと言うのが現状です。何事も日本のように計画的には進めることができないのが、ブラジルの良さでもあります。神さまの予想外の導きに期待しながら歩みたいと思っています。

追悼 高倉美和展

情報をお寄せいただきました。故高倉美和先生の個展が熊本の2つの会場で開催されます。
2006年8月14日~19日
上通郵便局 プラザU
開催時間 平日9:00~17:00 土10:00~14:00
2006年8月15日~20日
熊本県立美術館分館
開催時間 平日9:30~18:30 土日9:30~17:00
(入館は各閉館時間の30分前まで)
【お問合せ】 高倉矩子 096-360-7587(TEL/FAX)

公益法人改革法案可決を受けて

 先の通常国会において「公益法人改革法案」が可決されました。これは民法法人(社団法人、財団法人)について、その設立が容易になる代わりに、それまで非課税であったものを原則課税として、その中で特に公益性のある法人のみを課税免除するというものです。そしてその適用は大変厳しい条件のもとに認可され、活動内容も審査されることになります。この法律は5年間の移行期間の後に施行されます。現段階では、宗教法人はその対象になっていませんが、いつ宗教法人が対象になるか予断を許さないところがあります。
 私たち日本福音ルーテル教会の関係では、日本福音ルーテル社団(JELA)が、この対象になります。JELAは宣教師維持という教会内の働きと難民救援などさまざまな公益活動を行っていますので、今後は一般法人となるか、公益法人としての認可を目指すか重要な課題となります。教会としても深く関心をもち、宣教共同体として共に考えて行きたいと思います。
(松岡俊一郎)

宣教フォーラム

 梅雨の中であっても、この日は「晴れ」た。準備委員の熱意が「晴ら」せた。
 7月8日土曜日、東教区宣教フォーラムは開催されました。「神さまから生かされて~内から外へ~」は、キリスト者にあたえられた信仰の喜びを、力まず、自然に生きることが、このテーマでした。ルーテル学院大学トリニティホールにて、谷口恭教先生(大江教会員・元九州学院教師)をお招きして、参加者230名は、これまでの13回の積み重ねの上に、集められた最高の数でした。谷口先生の信仰者の態度・生き方は、参加者全員に勇気をあたえていただく機会となりました。 
(杉本洋一)

「尊厳死―キリスト教会は支持しうるか―」シンポジウム報告

 7月21日(金)、百年記念東京会堂(東京教会)において、日本キリスト教連合会主催のシンポジウムが開催されました(タイトルは標題)。当日前半は、聖公会神学院校長である関正勝先生の基調講演に始まり、江藤直純先生(日本ルーテル神学校校長)の司会のもと、多井一雄先生(武蔵工業大学教授・浜田山キリスト教会会員)、竹内修一先生(上智大学神学部講師)とのシンポジウム、後半は参加者約70名を交えての質疑応答を中心に進められ、私たちキリスト者が尊厳死という重い問題に向き合うためのよい指針が与えられる有意義な会となりました。

訂正

 「ジャワ島中部地震災害支援募金のお願い」の欄で掲載しました、郵便振込みの口座番号に誤りがありました。正しくは【00190-7-71734】です。謹んで訂正とお詫びをさせていただきます。

訃報

宝珠山幸郎牧師(引退教師)が、6月21日(水)早朝、急性心不全のため、召天されました(享年77才)。

平岡ユキエ様(三鷹教会・平岡正幸牧師のご母堂様)が6月22日(木)午前5時45分、召天されました(享年87才)。

 謹んで哀悼の意を表し、お知らせ申し上げます。

住所変更

■藤井 浩
〒259・0124
神奈川県中郡二宮町山西25・4・201
電話番号
0463・73・3173

06-07-15るうてる《福音版》2006年7月号

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バイブルエッセイ「前から後ろから」

 主よ、あなたはわたしを究め/わたしを知っておられる。
前からも後ろからもわたしを囲み/御手をわたしの上に置いてくださる。
詩編 139編1節、5節(日本聖書協会・新共同訳)

いつの頃からか、金魚物(きんぎょもの・著者の造語)を集めるようになりました。それは、お風呂で浮かべて遊ぶ玩具から始まって、暑中見舞いの絵はがき、浴衣地など――金魚の形をした物や絵柄の入ったものなら何でも――。本物も飼ってみたいのですが、命あるものをいい加減には扱えず、今のところはペットショップでその姿を楽しんでいます。
金魚に興味を持ち始めたのは、幼い頃に見た7円切手がきっかけです。黄緑色の背景に朱色の金魚の図柄は、私の中でずっと可愛らしい印象として残っていました。ご存知のように日本の風物詩になっている金魚は、夏になると多く見られます。そして、日本人の多くがメダカでもなくフナでもなく、なぜ金魚を好んで生活の中に取り入れているのかを知りたくなって集め始めたのが、先の金魚物です。あるときデパートで開催されていた中国展にたまたま足を運んでみたところ、絵画・切り紙・置物などいろいろな分野で金魚が作品になっているのに出会いました。そして、中国では金魚は昔から縁起物として人々に好まれていることも知りました。

そうこうして集まった金魚物を一堂に並べて眺めていたら、二つのことに気がつきました。それは、中国製の物は金魚を上から見てその形を捉えたものが多く、それに対して日本の物は、横から見て特徴を捉えているものが多いということです。そして、面白いことに飼育のための専用容器も、中国では金魚を上から見るように平たく底の浅い陶製の水盤から始まったのに対して、日本はガラス製の丸い小さな容器から始まっていました。これは金魚を横から――それもレンズ効果でより大きく見えるように、と出来ているのです。ところが、このように中国と日本で金魚を見る角度は違っていても、捉えたかった特徴はどちらも同じ尾びれだったのです。金魚が泳ぐときに見せる尾びれの優雅な舞いを、人々は長年美しいと思い愛でてきたのです。私にとって、これは大きな発見でした。

 日々の生活の中で人と接するときに、私たちはその人のことを正しく見ているでしょうか? 最初の印象だけでその人の全体をとらえた気になったり、またその人への信用の持ち方を決めてしまったり、ということは少なからずあります。そして、その人と関わっていくうちに自分の間違った見方に気が付いていくのも事実です。正しい見方であれば、いつでも状況は変わりません。正しく見られるまでには、もしかしたら人生経験が必要なのかもしれません。
神様は、私たちのことをいつも変わらない思いでとらえてくださいます。そして、私たちがどんなにつらい時も悲しい時も、前から後ろから、そして上からも横からもその手で私たちをおおって守っていてくださるのです。ですから、私たちは安心して、毎日を過ごしていくことができるのです。
JUN

心の旅を見つめて  堀 肇

「温かく「春」を見守る」


陥りやすい干渉的な態度

この時代の子育てにおいて親が最も悩むのは、思春期・青年期に入った子どもたちへの関わり方ではないかと思います。親は自分たちの若い頃と比較して何となく頼りなく見える子どもたちに対して、つい大人の常識にしたがって説教がましいことを言って嫌われるということがあります。
 たとえば中学3年の夏頃になって、それまで特に問題なく受験勉強をしていたわが子から「お母さん。どうして高校に行かなくてはならないの」などと言われたら、どのように答えるでしょうか。多くの場合、「あなた。今頃になって何を言ってるの。今は高校に行くのが普通でしょう。そんな事を考えている暇があったら少しでも勉強しなさい」などと言いかねません。
 また友だち関係でくよくよ悩んでいるような時なども、悩みに耳を傾けるというよりも「あなたのそういうはっきりしない態度がだめなのよ。こうしたら……」と干渉的になってしまうことがあるのではないでしょうか。
心の宿題を抱えての思春期
しかし、このような大人からみれば何とも歯切れの悪い質問や悩みというものを面倒がらず、丁寧に聞いてあげたいのです。というのは現代は世代間の価値観や物の考え方のギャップが著しいだけでなく、若い人たちにはとても生きづらい時代となっているからです。
 そもそも思春期・青年期というのは程度の差はあるものの、みなそれなりの心理的危機を経て自分らしさを形成していく時期です。言い換えると自分とは何か、どこから来てどこに行くのかという問いを抱え、迷いながら揺れながら自分自身と折り合いをつけなければならない苦しい「季節」でもあるのです。
 そのような青年期一般の苦悩に加え、この時代の若者たちの多くは、幼少期に自分を愛し受け入れることが難しい環境(家庭や学校)に置かれてきたためでしょうか、自分に対する自信が乏しく、従って他者に対する生き生きとした対人感情も持てないという課題を抱えているのです。これは心に宿題が残っていて先に進めないような状態といっていいかもしれません。
温かな気持ちをもって待つ
厄介なことに、こうした心理的課題は外からは見えにくいのです。子どもたちは「いい子・いい人」を演じていると言っていいでしょうか、というよりもそうしないと周囲に受け入れてもらえないため、自分の願望や感情を抑圧し、人知れず「春」とは言えない、つらい春を過ごしている人が多いのです。
しばらく前、青年のキャンプでメッセージをさせていただいた時のことです。集会は若者らしく熱気のあるものでしたが、集会後のカウンセリングの時間になると明るく元気に歌っていた人たちが次々とやってきて、親子関係や人間関係の悩みを涙ながらに話すのです。キャンプという場にしては自傷行為や摂食障害の相談が多いのは驚きでした。青年期の普通の悩みを風邪に譬えるならこうした悩みは肺炎に近い症状と言っていいかもしれません。
臨床経験からも言えることですが、現代のいわゆる思春期問題は単なる家庭や学校の問題でなく社会の病理を背景にしていますから、解決には、それなりの時間を与えてあげる必要があるのではないかと思います。少々はがゆく見えても温かい気持ちを持って待ってあげてほしいのです。そうすれば心の宿題は次第にクリアされていくのではないでしょうか。「わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。……神を待ち望め」
(詩編42編12節・新改訳)

HeQiアート

Ark of Noah , by He Qi, www.heqiarts.com

「ノアの箱舟」

  更に七日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した。鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。
 ……「雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める」
創世記 6章~9章

たろこままの子育てブログ

「見上げるとき」

空の鳥をよく見なさい。(マタイによる福音書 6章26節)

 北海道も少しずつ暑くなってきました、皆さんお元気ですか?
 夏休みというと、私が子どもの頃は毎日ラジオ体操に通わされ、日の高いうちは男女問わず近所の野山で虫取りに明け暮れるという天然な生活を送っていたものですが、最近の夏休み事情はこんな今は昔な田舎のものとはかなり異なるようですね。
 子どもたちは通信簿を親に渡した翌日から、塾や家庭教師とお勉強をするのが当たり前のように言われてビックリしました(遅いですか?)。一方のお母さんも、「もし成績がこれだけ上がったら、ゲームを買ってあげる」みたいな交換条件で、子どもの学習意欲を上手に駆け引き(?)する人もいると聞いて、これまたたまげてしまいました。
 私は冒頭の句がとても好きです。子どもが生まれる前からも好きでしたが───小太郎が生まれてから、なお好きになりました。
 この句を読んでどうぞあなたも想像なさって下さい。
 野生の鳥たちは私たち人間の思惑通りになんかちっとも動かないし、人間がするように種を蒔いたり刈り入れをしたり、それを保存したりもしないけれど、青く広い空をとても堂々と飛んでいます。
 当然学校の成績やテストの点数、足の速さや運動能力になど左右されません。日頃「もし**だったら? してあげる」と前提条件の多い私たち親には耳の痛いところではありますけれども(苦笑)、「いる」だけ、その存在だけですべて「ヨシ!」とされているのです。
 「空の鳥」とセットで「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」とも書かれています。
 皆さんも夏休みどこかお出かけの予定がありましたら、どうぞそのような中で空を見上げたり、草原を見渡したりしてみて下さい。自然は、教科書のように文字で私たちに何かを伝える訳ではないけれど、そのすべてがきらきらと無言のうちにも語りかけてくれるはずです。

06-07-15るうてる2006年7月号

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日本福音ルーテル教会 婦人会連盟第20回総・大会

6月13日~15日、日本福音ルーテル教会 婦人会連盟第20回総・大会が開催され、第19期連盟会長 泉 洋子姉にご報告いただきました。
 6月13日~15日、名古屋クラウンホテルに於いて、第20回連盟総・大会が開催されました。会場は300名余の全国からの参加者に満たされ、東海教区の教職方、そして昨年按手を受けた2人の女性教職の協力を頂いての開会礼拝によって開幕。大会記念講演は、日本基督教団塩尻アイオナ教会の横田幸子牧師より、「関係性における愛」と題し、力強いメッセージを頂きました。来日中のサバ神学院パン・ケンピン師ご夫妻及びマレーシア・バーゼル・キリスト教会(BCCM)婦人会連盟役員3名、また市川一宏ルーテル学院大学学長、江藤直純日本ルーテル神学校校長のご出席もありました。愛餐会では、清水教会員瀧夫妻による手話舞踏等のアトラクションや、各教区からのアピールも会場を沸かせました。最後は晩祷に代えて、ケリ・ベルクワイヤによるハンドベルの演奏を聞き、静かに大会の幕を閉じました。
 第2日目の総会は、午前9時より祈りと共に開始され、過去3年間の活動報告と、今後の連盟活動のあり方についての、熱心な討議が進められました。その結果、これまでの「婦人会連盟」は、「女性会連盟」へと名称を新たにすることが決議され、また、今後3年間の連盟主題は、「キリストの愛に生かされて-わかち合う恵み 紡ぎ合う喜び-」と決定。今期は北海道特別教区からの連盟役員選出が困難という事情により、他の4教区から選出された4名の役員で5役を担うこととなりました。第20期の連盟役員は次の通りです。会長:竹内茂子(東教区)、副会長・書記:籾山昭恵(西教区)、会計:蔵原照子(九州教区)、文書:朝倉三枝子(東海教区)。第3日目の派遣礼拝では、山之内総会議長の司式により、新役員の就任式が行われ、第19期婦人会連盟役員会から、第20期女性会連盟役員会へと、バトンが受け継がれました。参加者は3年後の再会を夢見つつ、新しい足取りで、それぞれの地へと遣わされて行きました。

平和を願い、平和をつくるものに ~総会で声明文を可決~

 5月の総会で、「『日本国憲法』の前文及び第9条の改定に反対する声明」が可決されました。これは、昨今の日本政府の動向に危惧を抱く中で、常議員会の呼びかけに応えて、JELCの社会委員会が起草し、常議員会で更に検討され、総会に提案されたものです。
 総会では、社会の動向に教会が発言することへ、賛否の意見が双方出されましたが、議論の結果、キリスト者として平和を希求し、神の平和をこの世に実現するために、総会の声明として宣言することが、可決されたものです。
 この声明は、総会で文章化するだけではなく、政府機関やマスコミ各社に送付されます。また、JELCの諸活動の中で世界宣教への積極的参与による相互交流、難民支援、平和主日などの国内外の平和キャンペーンなどを通しても、実現に向けて取り組まれることになります。
 世界宣教では、主にアジアの事を思い、メコン地域での宣教への支援(MMF)や、パレスチナのルーテル教会との交流を通じての平和キャンペーン、それらへのボランティア派遣プログラム、また災害や難民支援が取り組まれています。
 総会後、早速パレスチナのミトリ・ラヘブ牧師の招きに応じて、平和交流の準備団がパレスチナの訪問をしました。ラヘブ師の教会・施設や、LWFが運営しているエルサレムのアウグスタ・ビクトリア病院(AVH)を訪問し、献金を連帯献金の中からささげてきました。11月に、一般参加者も募集し、訪問団を組む予定にしています。詳細は、るうてる次号にてレポートと案内をいたします。是非、ご参加ください。

「日本国憲法」の前文及び第9条の改定に反対する声明

 戦後60年が経ち、今、日本に求められていることは、「戦争放棄」を明記した憲法を持っている、世界で唯一の国として、世界の中でいかにして平和貢献をなしていくかである。
 この「日本国憲法」は、第二次世界大戦の反省の上に立って、かつての半封建的な絶対主義的天皇制に立脚した主権在君、軍国主義を完全に否定し、平和主義、主権在民、基本的人権の尊重を根底にして構成されている。この憲法制定の根底には、過去の戦争への深い反省の精神が込められていることを忘れてはならない。
 しかし、わが国政府は、アメリカにおける2001年9月11日の同時多発テロ以降、アメリカの単独先制攻撃主義に基づく対イラク戦争の勃発に際し、日米関係を優先して、これに加担し、今日に至っている。
 こうした状況下にあって、自民党をはじめ政府与党は「自主憲法制定」を標榜し、「日本国憲法」改定案を作成し、憲法改定国民投票案の準備を進めている。
殊に、憲法改定推進派の人々には、全面改定を主張することによって、かつてハードルの高かった憲法第9条の改定が一気にできるとの戦術的発想がみられ、平和憲法を護る立場にとっては看過し得ない状況にある。
 私たち日本福音ルーテル教会は、過去、戦争を是認し、支持し、加担してきた罪を懺悔し、日本基督教団(鈴木正久総会議長の名によって告白された)「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」文書(1967年)の趣意に同意した建議書を総会(1970年)で決議した歴史をもっている。また、「宣教百年信仰宣言」(1993年)において次のように告白している。
 「とくに、第二次世界大戦を含め十五年戦争のあいだ、私たちの教会は神のみを神とする十戒の第一戒を守り抜くことができず、また平和を実現するようにとの主の戒めを生きることができませんでした。
 その結果、私たちの教会は、一九四一年の日本基督教団合同に際して、ルーテル教会の信仰告白をあいまいにし、戦争の勝利を祈り、協力しました。こうして、行なうべきではなかったことを行なってしまった罪と、行なうべきだったことを行なわなかった罪とを、神と隣人の前に、とりわけアジアの人々の前に犯しました。」
 私たち日本福音ルーテル教会は、このような過去の戦争への反省と悔い改めから、二度と過ちを犯すことがないようにとの平和への祈りと志から、現憲法の有する平和主義、主権在民、基本的人権の精神が堅持されることを強く望むものである。
 特に、憲法第2章第9条 戦争の放棄を謳った第1項、第2項の条文が改定されることに強く反対するものである。
 日本福音ルーテル教会は、21世紀の時代、「日本国憲法」の前文と第9条が現に有する理念の具現化こそ、わが国がなすべき世界における国際貢献であり、かつ平和貢献であると確信するものである。ゆえに、我々は、この改定に断固反対する
2006年5月5日
日本福音ルーテル教会第22回定期総会
※「宣教百年信仰宣言」の引用文は原文どおり漢数字表記にしています。

クリスチャンのライフカレンダー

~  U君へ  おじいちゃんより ~

きみは、まだ2歳を少し過ぎたばっかりなのに何でも分かっているね。この前は何日もママのいない夜を過ごせてえらかった! そして、ママが退院できて「よかったね」。その夜「もうお寝んねしようね!」と言うと、きみは絵本を持っておじいちゃんのところへ。その時の顔は、不安・真剣そのものだった。「また病院にいってしまう!」と思ったの? 「ママは、もうお家にいるんだよ」と言うと、安心してママのところへ。本当にけなげで、いじらしい。宝ものだよ。
 もう少し大きくなったら、ふるさと村へ遊びに行こう。あそこは、小川や田んぼや森もあるから、トンボだってチョウチョだってセミだっているよ。みんなみんな生きている。
 日曜日は、教会に行こうね。幼児祝福式もあるし、クリスマスのお祝いもある。教会の子どもは、みんなみんな神さまの大切な子どもだよ。神さまは、一人ひとりを大切に見守っていてくださるからね。

インフォメーション

第8回 ルーテルこどもキャンプ

 今年のルーテルこどもキャンプは、8月8日~10日、広島教会を会場に開催されます。テーマは「平和」どうぞ、子どもたちを送りだしてください。また、スタッフも募集しています。 佐藤(千葉教会)まで。
 http://www.jelc.net/~kokusai/index.html/

牧師の声「私の愛唱聖句」

九州教区 鹿児島・阿久根教会 牧師 黄 大衛
あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。/今も、そしてとこしえに(詩編 121編8節)
 愛唱聖句と言えば、たくさんありますが、何も考えずに挙げれば、やはり「あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。/今も、そしてとこしえに」という御言葉です。神様がどんな場合でもずっと私の歩みを守ってくださるという事を確認させられます。
 この御言葉は、私が日本に留学に来る時、上海の出身教会の牧師曹聖潔先生が贈ってくれた聖句でした。今、彼女は中国キリスト教会の第一人者になり、ご多忙です。18年前、私に贈ったこの聖書の箇所もお忘れかもしれません。しかしその聖句は、私にとって貴重であり、心に刻まれています。
 なぜ、そんなにも心に刻まれたのかと言えば、当時私は初めての出国、しかも一人、未知の地で新しい歩みを始めることに、大変不安と寂しさを感じました。ですから、その聖句を見て、「ああ、一人ぼっちではなく、神様がずっと私と共におられ、私を守ってくださるのだ」と深く心に響き、励まされたのです。
 18年余の歩みを振り返って、神様は本当にその通りに私を守って、導いてくださったことを感謝します。確かに、神様に守られたと言っても、私の希望通りに全てが進んだわけではありませんでした。寧ろ、辛いことをたくさんたくさん経験したと言えます。神様はまさにマイナスのことを通して私を導いてくださったに違いありません。マイナスのこととは、私の希望と逆のことです。ですから、すごく辛かったのです。しかし、それにもかかわらず、神様は確実に私を守り、導いてくださったのです。
 神様は見守るお方である事も教えられます。守りとはまずは見つめることのようです。我が家に今新生児がいますが、彼を守るために、親としてはまず彼の一挙手一投足を見つめることです。ですから、私はこの聖句から、神様の私に対する深い愛の眼差しを改めて生き生きと感じる昨今です。
 さて、今の私はちょうど再び未知の地(鹿児島)で新しい歩みを始めました。たとえ不安が少々あるとしても、この聖句を思い起こし、必ず祝福の地に導かれていることを堅く信じています。さながら、未知の地へ踏み出したアブラハムのように……。この聖句によって私は続けて励まされ、支えられています。

信徒の声「教会の宝石を探して」

北海道特別教区 恵み野教会 信徒  佐々木 幸夫
 佐々木幸夫兄の人柄を一言で表現するなら〝不言実行〟がふさわしい。六百坪の敷地を有する恵み野教会の空地は草野球ができる程に広いが、夏はタンポポが群生し、冬は一面まっ白な雪野原となる。その空地の一角は駐車場にもなり重要であるが、草刈り、除雪等も欠かせない。佐々木兄は夏は草刈り機で、冬は除雪機で一人黙々と作業に励んでいる。持病の心臓を労りながら何年間も当り前のように奉仕を続けて下さっている姿に私達は感謝の念と同時に大きな勇気も頂いている。
受洗はいつですか?
 1969年、日本キリスト教団麻生伝道所で29歳の独身の時です。その頃、ある通信教育を受けており、東京でスクーリングがあった1967年8月15日に東京の丸善で聖書を買いました。しかし、聖書は難しく、その後そのままでした。
 当時、今の北区に市電が麻生町まで通っていて、通勤中の車窓から「平松実馬氏の伝道集会」の立看板が目に留まり、早速参加しました。集会で「洗礼を受けたいという方は前へ」という声に、迷わず前に出たのを覚えています。そして、すぐの日曜日から日本キリスト教団麻生伝道所の礼拝に行き、その年の9月21日に受洗しました。
好きな聖句と讃美歌は?
 ヨハネによる福音書3章16節「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」
 教団讃美歌90番、教会讃美歌で言えば382番です。同じ曲ですね。「ここも神の御国なれば……」讃美歌は教団の方が好きです。
オルガニストとして教会を支えて下さっていた真貴子姉についてお聞かせ下さい。
 妻はクリスチャンホームの出身で、日本キリスト教団麻生明星幼稚園の先生をしていました。1階が幼稚園で2階に教会があり、僕達は2人とも青年会のメンバーでした。性格はカラッとしていて僕とは正反対でした。どんな人からも好かれていたと思います。結婚してクリスチャンホームが実現したことは大きな喜びでした。日曜礼拝は家族で出席していました。妻が40歳で召天した時、長女が中1、次女が小5、長男が小3でした。妻は亡くなる2週間前まで礼拝でオルガンを弾きました。
 妻が亡くなってから 〝死〟に対してこわくなくなりました。無我夢中で生活してきてもう16年の月日が流れました。

求道者の旅 16

第16回 私たちの人性のうめき

「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。(中略)つまり、体が贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます」(ローマの信徒への手紙8章22~23節より)

 受難節からイースターの間、イエスと聖霊に焦点を当てて参りました。今回から数度にわたり、私たち自身と人間の状態に焦点を移してまいりましょう。キリスト者として人性をどのように理解すべきでしょうか。

逆説的な人性
 動物的な願望を除いた人間とはどのようなものでしょうか。私には動物的な性質があり、他の動物と同様であることを認めざるを得ません。すなわち、生存のために食べるニーズ(必要性)、血液の循環、五感、性の相違、生殖による繁殖、出生、老化と死等。そしてこの動物的必要を満たすために備えをしなくてはなりません。
 しかし、私は動物以上のものでもあります。人間として特有の能力を持っている事に気が付きます。エネルギーやニーズを有機的に作り上げて行く潜在力、目標や長期的目的を希求し、神に触れているという気付き。自己実現、創造性、愛へと私を駆り立てる霊的なものを具備しています。
 これらのものは動物的衝動から発生するわけではありませんが、不幸にして人性と混在して現れます。ここに人間のドラマがあるのです。すなわち苦悶と失敗、勝利と喜び! 「罪」とはこれらの人間の有する能力から離れ、動物的な満足へと向かわせる事なのです。
私の「原罪」
 もし救いが信仰によって生きる事を意味し、神の臨在に気付き、神に信頼する事によって生きる事を意味するのであれば、その逆とは、私たちが霊的次元を常に無視する傾向と、その結果としての絶望ということになります。神があたかもいないかのように生きる事、この事こそが私たちの「原罪」なのです。
 私は、朝起きる時、「ウーン、新たな悲惨な一日!」とつぶやきます。この時、信仰は「否! 神はここにおられる、だから希望はここにある!」と答えなければなりません。
 原罪は動物的性質の停滞した生活です。本能と衝動によってのみ生き、自己も神をも愛す事はありません。私たちには日々の変容が必要です。洗礼は清められるニーズ、毎朝神を意識するように新しく生まれる事を思い出させてくれます。
(翻訳:上村敏文)

聖研「詩編を味わう」④神こそわたしのすべて

「あなたはわたしの主。/あなたのほかにわたしの幸いはありません。」/この地の聖なる人々
わたしの愛する尊い人々に申します。/「ほかの神の後を追う者には苦しみが加わる。/わたしは血を注ぐ彼らの祭りを行わず/彼らの神の名を唇に上らせません。」/主はわたしに与えられた分、わたしの杯。/主はわたしの運命を支える方。/測り縄は麗しい地を示し/わたしは輝かしい嗣業を受けました。
詩編16編2~6節


信仰は自己充足か

 この作者はかつて主なる神の下を離れて異なる神に走った経験があったと思われます。4節には「ほかの神の後を追う者には苦しみが加わる。わたしは血を注ぐ彼らの祭りを行わず、彼らの神の名を唇に上らせません」とあります。彼は自らの期待に応えてくれるであろう神を求めて遍歴をしながら、答えを探し廻ったのでしょう。でも結局は見つからなかったのです。手にしたものは苦しみだけでありました。宗教遍歴は苦しみを残すに過ぎないとの思いを苦々しく思い起しているのです。再び主なる神の下に帰って来て「あなたはわたしの主。あなたのほかにわたしの幸いはありません」(2節)と主の前に告白します。
 しばしば宗教遍歴を繰り返す人がいます。日本における新宗教の指導者たちの中には、いくつかの宗教を経た人が多いようです。それなりの理由はあるでしょう。しかし結局は自分自身の願望の満足また充足が答えとなっているのに気付きます。宗教というものは、そういうものだという声もあるかもしれません。
 しかしキリスト教信仰というものは、自己の期待を充足させる世界を得るのとはいささか異なることを考えておかねばなりません。

神こそわたしのすべて
 
 この詩編の作者は、神は幸いを与えられる方であるとは言っていないのです。神そのものがわたしの幸いに他ならないと言います(2節)。また彼は「主はわたしに与えられた分、わたしの杯。わたしの運命を支える方」(5節)と告白します。分や杯、また運命とは、作者が受けた主なる神からの賜物である嗣業を意味します。しかし彼は、それを神からいただいたと言わないのです。神であるお方そのものが、嗣業であると言うのです。彼と主なるお方との間には差し向かう距離がありません。彼のすべては、主なるお方そのものなのです。
 この信仰は、とても大切です。しばしば人は、信仰を求めてかえって苦しむことがあります。その根っこに信仰を持てば、きっとよいことが起こる、そう期待しているからです。もしよいことが起こらないなら何のための信仰かと疑います。人が自分の思うようにならないことに直面するのはさして珍しいことではありません。この詩編作者はそのような時、自分の求める信仰では不本意な結果しか得られないことに苦しんだのです。
 しかし今やちがいます。彼のすべては、主のものです。いかなるところに身を置いていようと、「測り縄*は麗しい地を示し」ているのであり、「わたしは輝かしい嗣業*を受けました」(6節)と告白する人生が広がっています。もはや異なる神に走る余地すらありません。

結果は神のもの
 ある人が申しました。「わたしは信仰を持つまでは、いろいろな願いをもっていたが、結局は自分が願ったようには実現せず、期待は何時も裏切られてきた。しかし信仰を持った今はそうではない。世の中のことはわたしの願った通りにはならないにせよ、結局はわたしにとって最もよい結果となっていることに気付いた」。
 人はいろいろな願いをもつものです。その願いがかなうようにわたしたちは計画を練り、努力を惜しみません。計画がうまく行き、努力が報われて、願った通りに事が進めば、万々歳です。しかしままならぬは世の常です。思い通りならないことも多いのではないでしょうか。日々を自分の思いを通すだけで過すなら、みじめな自分を抱えるだけになりましょう。信仰は、わたしを越えた思いがわたしを包むことを教えるものです。わたしの人生は、わたしだけの思いで動いてはいない、もう一人の方の意思が働く、そしてその意思は常にわたしを愛するお方のものである、もしそのことに気付くなら、思い通りにならない人生もまた、新しい日々の歩みへと変化することでしょう。

信徒宣言21

神様の恵みに対する、私たちの応答

 今年5月の総会で「信徒宣言21」が採択されました。これは、2年前の総会で方向が決まり、その後作成作業がなされ、「るうてる」やPM21ニューズレターなどを通して、いろいろな方のアイデアやご意見を頂き、修正や加筆も続け、今回JELCの宣言として採択されたものです。
 この宣言は、今の世の中の状況での私たちの信仰宣言です。この宣言を唱えることを通して、神様の恵みに感謝し、神様への応答が絶えず明確にされるでしょう。
 今後、きれいなカードを作成しお届けする予定ですし、文章・文言の解説冊子を作成中です。すでに礼拝で用いてくださっているというニュースも聞きますが、どうぞ、御活用ください。 
 こちらからテキストを入手できます→http://www.jelc.net/~pm21/NL/

信徒宣言21 

 神さまは、計りがたい愛をもって、わたしたちを救いに入れ、神の民、キリストの体とし、日本福音ルーテル教会の一員としてくださいました。 
 ですから、今、わたしたちこそは教会であり、宣教の主体であるとの自覚をもちます。ここに、恵みに応えて生きる信徒として宣言します。

 わたしたちは、イエス・キリストの十字架と復活によって罪を赦され、新しいいのちを与えられました。
 ですから、神の愛と救いの喜ばしい知らせを周囲の人々に伝え、この「いのちのことば」を次の世代に贈ります。一人ひとりに与えられた霊の賜物を持ち寄って、生涯を通し、たとえ弱く困難なときにも強く支えてくださる救い主を証ししていきます。

 わたしたちは、この世界のすべてのものと共に、神さまに創造され、この世界に神さまの御心が実現するように遣わされています。
 ですから、すべてのいのちが一つの例外もなく重んじられ、正義と平和と慈しみに満ちた世界となるように、心を尽くして祈りと奉仕のわざに努めます。さらに、様々な立場の人々と共に歩みます。

 わたしたちは、聖霊の力と導きを受け、宣教の器である教会として生きていくように招かれています。
 ですから、公同の礼拝を中心に、みことばと聖礼典に養われ、賛美と感謝をささげます。神の家族として、互いに仕えます。福音を宣べ伝える教会、世界の和解と一致を指し示す教会を建て、支え、広げることに力を合わせて励みます。

 御心が完成するその日まで、主よ、お導きください。 アーメン

Aktio

6月、フィンランド福音ルーテル協会(SLEY)からAKTIOという8人の青年グループが来日しました。これは海外宣教の働きの一部を学生や青年が短い期間、体験するプログラムで、6年ぶり2度目の来日となりました。今回の目的は「日本の青年たちとの交わりと、日本伝道について考える、実際に伝道する」です。
 東京、東海、広島等を訪れ、各地で交流したメンバーにインタビューをし、声を聞かせてもらいました。

日本の人々は私たちを親切に受け入れてくださって、とても嬉しかったです。感謝します。日本はとても清潔な国だと感じました。(レイラ&ユハ・レヘトネン夫妻)
この旅行の初めに膝の怪我をしたことを通して神様が私に教えてくれたことは、これまで自分が頼りにしてきたことや、自分の力では何もできないということでした。そして、どんなに大変な状況からも神様は私たちを引き上げ、背負い、救ってくださる。これは、御業という他ありません。怪我のためにゆっくりしか動けなかったけれど、いつもと違う視点から様々な事柄や、人々の姿を見えたと思う。(エーヴァ・ピトカランタ)
この旅で、説教やメッセージからだけではなく、人との会話や歌うことや日常のすべての事柄を通して伝道することができるのだということを感じた。信仰の証は、フィンランドでも外国でも人生の中でいつでもすることができると分かった。(ティーア・ポスティラ)
伝道は私にとってチャレンジです。日本では言葉も通じないので特にそれを痛感しました。(ハンナ・ヴァンハラ)
日本に行くのは長年の夢でした。日本の人々はとても優しかったです。特に信仰について話すことができたのは嬉しかったです。国は違っても同じ神様を信じている人との出会いに感謝します。伝道をするとき、自分の力は弱く感じたけれど、神様の御業によってするものなのだなと強く感じました。(ラウラ・レヘトネン)
この旅によって信仰が強められたと感じました。神様は、私たちの人生のすべての状況に応じて、いつでも私たちを守ってくださるということを経験しました。(マッティ・ヘテマキ)
何か特別なことをすることだけではなく、毎日の全ての瞬間が伝道につながってゆくということを確信しました。(ヤンネ・テルヴォネン)

議長コラム 「命懸けの信仰を」

 「これから無給で、神のみに御信頼して生活するのだがいいか」(亀谷凌雲著『仏教からキリストへ』)。これは、亀谷牧師(故人)が奥様にご自分の独立伝道への決意を披瀝されたときの言葉です。「無給で」とは、教団という組織からの給与なしに、という意味です。
 亀谷牧師「武本喜代蔵先生もそうだ」奥様「先生のような偉い方はそれでやれるがあなたはどうか」牧師「私は米と塩でくらす、間違えば餓死もよい」奥様「私はお針でも何でもして極力助けます」御夫妻の並々ならぬ決意が窺い知れる会話です。
 今日、「教会の危機」ということがよく言われます。洗礼を受ける人が少なくなり、教会が先細りしていくことが教会の危機として捉えられています。わたくしは、教会は何時の時代も危機にさらされていると思っています。なぜなら、教会の価値観とこの世の価値観とは、相容れないからです。
 教会は、価値観のまったく逆なこの世に仕えていかなければなりません。危機にさらされているのは当然です。しかし、教会は神様の言葉によって建てられます。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものは加えて与えられる」とあります。教会の最後の砦は、この御言葉だと思います。この御言葉を御言葉のままに聞いて生きる人、そのような人がいる限り、教会は生き続けます。
 亀谷牧師は、この御言葉の後に次のように言っておられます。「この御約束あり、何をか思い煩わん。よし与えられずとも、聖旨ならば死もまたよし」この「よし与えられずとも、聖旨ならば死もまたよし」という言葉は、今の時代であっても、従って、いつの時代も、キリスト教を本気で信じるためには、命懸けでなければならないということを教えてくれています。今、敢えて、教会の危機をいうなら、この「命懸け」ということが死語になっているということではないでしょうか。
 今、命懸けの信仰の復興が求められているように思います。

「2006年度日本福音ルーテル教会幼稚園・保育園連合会総会」

前会長 沼崎勇

2006年度日本福音ルーテル教会幼稚園・保育園連合会総会が、6月5日(月)、京都教会において、39園(委任状を含む)が参加して開催され、次のような議題について協議した。
①2006・2007年度事業計画として、宗教法人付属幼稚園の学校法人化を具体的に検討することとした。そのためには、現在のルーテル教会の規則を見直す必要があると思われるので、本教会と協議することにしたい。
②日本福音ルーテル教会幼稚園・保育園連合会規定が、2004年2月11日に開催された本連合会総会において可決された。本規定に定められた任務を十分に果たすために、日本福音ルーテル教会幼稚園・保育園連合会運営指針を本総会に提案し、可決された。
③役員の任期満了に伴い、本連合会運営指針第2条に従って、新役員が選任された。新役員は、高塚郁男会長、立野照美副会長、安藤百合子書記、浅井敬会計の4名である。

第22期 第1回常議員会開催

 6月19日(月)から21日(水)まで、第22期第1回常議員会が開かれました。今回は、今期の第1回ですから、慣例どおり旧常議員も初日は参加し、引継ぎの会議でもあります。
 今期は、三選された山之内議長の最後の2年、また2002年より10年間の「宣教方策PM21」の中盤の2年となります。
 詳細の報告は後日各教会へ送付される議事録をご覧ください。また、今期の取組みなどるうてるで特集する予定です。

チャリティーコンサート

 今年で3回目を迎えたのチャリティコンサートは、JELC世界宣教委員会とJELAの共催によるものです。今回は、ハープ奏者のティナ・トゥーリンさんを米国からお招きして、北は北海道札幌教会から、南は熊本教会までの8カ所の会場で、盛会のうちに終えることができました。
 トゥーリンさんの優しいお人柄が、ハープの音色にのって伝わり、それぞれの会場は魅惑のるつぼと化しました。また演奏後、実際にハープに触れる機会もあり、子どもから大人まですばらしい楽しいひとときを分かち合えたことと思います。
 会場を提供していただいた教会の皆さま、準備のご奉仕をいただいた方々に、この場をお借りして心よりお礼を申し上げます。
(渡邊 純幸)

ジャワ島中部地震緊急支援募金

 5月27日にインドネシアジャワ島中部で発生した地震により大きな被害が出ました。日本福音ルーテル教会としても連帯献金の緊急支援分から50万まず送金しました。また、全教会に募金を呼びかけております。ご協力お願いいたします。

三井住友銀行新宿西口支店 普)501597 宗教法人日本福音ルーテル教会予算会計
郵便振替 00190-71734
※通信欄に「災害緊急支援(ジャワ島中部地震)」と明記してください。

■連帯献金の最新情報はhttp://www.jelc.or.jp/rentaiよりご覧になれます。

LCM会議 各国で「みことばの伝道と教会成長」を話し合い

 6月12日(月)から16日(金)まで、LCM会議が開かれました。
 今年のテーマは、「みことばの伝道と教会成長」で、教会の基本的使命を改めて問い、伝道不振をどうみるか、どこに問題があるか、互いの状況を共有しあい、その課題や取組みを協議しました。
 参加者は、JELCの四役、教区長、宣教師会長、事務局室長と、アメリカ福音ルーテル教会世界宣教部(ELCA/GM)からバーバラ・ルンド氏、ジョセフ・チュー氏、フランクリン・イシダ氏、スティーブ・ネルソン氏、フィンランドルーテル福音協会(SLEY)からペッカ・フフティネン氏でした。残念ながらドイツ・ブラウンシュバイク領邦教会からは監督の訪日予定との調整で今年はなりませんでした。
 新しいこととしては、SLEYは昨年11月に組織交代があり、会長はラッセ・ニッカリコスキ氏に、世界宣教担当もペッカ・フフティネン氏に交代されました。
 協議の中では、ノルウエーやフィンランドでの毎年数万人単位での教会離れが深刻など、各国のルーテルのような主流派教会での教勢低下が報告されました。
 ELCAでは、「クリスター会員(クリスマスとイースターだけ教会に来るメンバー)」の増加など課題も挙げられました。その結果、2003年より宣教方策を決め、「祈り・伝道リーダー養成・弟子化教育・開拓伝道や教会再開発」を「個
人・リーダー・各個教会・教区」での各レベルでの取組みが進められていること
が紹介されました。
 その後、「SLEYと、ELCA/GMと夫々の個別の課題やプロジェクトの協議がされました。

※LCMとはLutheran Coporative Missionの略で、JELCと深い関係のある外国の宣教団体が、協力して宣教に取り組むために毎年開かれているものです。
以前は日本を支援するための支援者と、支援を受ける側の日本とで、諸プログラムや予算を検討する会議でしたが、JELCの自立後は対等の立場で協力伝道について協議をする場になっています。

日本福音ルーテル教会教師志願者募集

 2006年度の日本福音ルーテル教会教師試験を先により行いますので、志願者は、必要事項を添付して、本教会事務局にお申込みください。
― 記 ―
一、提出書類
1.教師志願書
2.履歴書
3.教籍謄本
4.身分証明書
5.所属教会牧師の推薦書
6.神学校卒業(見込み)証明書及び推薦書
7.健康診断書
二、提出期限
2006年9月22 日(金)午後5時
三、提出先
 日本福音ルーテル教会 常議員会会長 山之内正俊(但し、書類の送付先は、日本福音ルーテル教会事務局とする)
四、試験日及び試験内容については、本人に直接連絡する
以上

日本福音ルーテル教会 常議員会会長 山之内 正俊

交換牧師プログラム報告

 2005年6月から今年の4月まで約11ヶ月間、アメリカ南部、サウスカロライナ(SC)州の諸教会で働く機会が与えられました。出発前、またとないこの機会にいっぱい学び吸収してこようと考えていました。ところがリビングストン先生(日本で2000年まで40年間宣教師)からまず、「先生は日本から来た宣教師です」と言われました。「日本人として神のみことばを伝えてください」。これが私のミッションでした。赴任してまもなくチャールストンに向かい、由緒ある聖ヨハネ教会で私の派遣式がありました。ここは日本へのルーテル初代宣教師シェーラー牧師の派遣式が行われた教会。光栄でした。同時に大変なことになったと思いました。
 いろいろな働きを経験しました。面食らったことをひとつ紹介します。到着した月が6月で夏休み、夏期聖書学校が始まってました。まだ荷物も届いていない矢先、最初の赴任教会でいきなり大人のための夏期聖書学校の担当を頼まれました。しかも5日間連続で。毎晩必死になって準備しました。
 教会だけでなく大学でキャンパス牧師も経験し、学生たちの交流に入れてもらいました。またいくつかの老人ホームでもお話させていただきました。両教会の歴史を勉強しようとも思いましたが、けっこう忙しく結局できませんでした。
 大きな違いの一つに、信徒が毎日教会にやってくることです。ふらっとおしゃべりに来るお年寄りたちがけっこういました。教会がなくてはならない場所になっているようです。けれども土曜日は休みで、牧師も含めまったく誰も来ません。
 ひとことでいうと、アメリカの教会はのびのび、私たちの教会はそれと比べると、せかせかちまちましているという印象をもちました。
 紹介する機会を与えてくださり心から感謝します。交換牧師プログラムですから文字通り、たぶん来年、今度は向こうからやって来ます。私たちも心を尽くしてもてなし、是非実り豊かな機会にしたいと願います。

住所変更

電話番号
■関野 和寛(牧師補) 東京教会副牧師・牧師館 03-3468-5062
住所の変更
■落合 成光(嘱託任用)
〒465-0093愛知県名古屋市名東区一社2-34ニューアーバン一社103
電話(IP)050-1036-1746

06-06-15るうてる《福音版》2006年6月号

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バイブルエッセイ「選ばれし人、それは……」

 信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。
ヘブライ人への手紙 11章8節(日本聖書協会・新共同訳)

 じっくり人を育てる余裕がなくて、何かと「即戦力」が求められることの多い世の中のようですが……。
 こんな逸話はどうでしょう。

Aさん…アイデア不足を理由に新聞社をクビになる。何回も倒産。
Bさん…教師から「頭が悪くて、何一つ学ぶことができない生徒」と酷評される。
Cさん…4歳になるまで言葉をしゃべらず、7歳になるまで字を読めなかった。先生は彼のことを、「頭は悪いし、友達とは遊べないし、ばかげた空想の世界にいつまでもひたっている」と言っていた。結局学校を退学になり、チューリッヒ工業学校にも入学できなかった。
Dさん…彼の父は、「不肖の息子を持って情けない」と嘆いた。学校では最低の評価をつけられるし、美術学校の入試にも三回落ちた。彼のおじに言わせると、“どんな教育も無駄”だった。
Eさん…大学を成績不良で退学に。「何も学ばず、学ぶ気もない」とみなされたため。
Fさん…倒産を五回も経験。
Gさん…最多三振記録保持者。
著作品『H』…18社で出版を断られる。

 Aさんの名は、ウォルト・ディズニー。ディズニーランド建設前のエピソードです。Bさんの正体は、発明王トーマス・エジソン。Cさんは、アルバート・アインシュタイン。Dさんは、彫刻家ロダン。Eさんは、『戦争と平和』の著者トルストイ。Fさんは、自動車王といわれたヘンリー・フォード。Gさんは、かつて大リーグの最多ホームラン記録を持っていたベーブ・ルース。著作品『H』は、マクラミン社で出版されるや5年もたたないうちに米国内で700万部を売り上げた『かもめのジョナサン』でした。
(上記の情報は、ダイヤモンド社『こころのチキンスープ』から)

 結果が出ないのは辛いことですね。気持ちばかり焦って、空回りばかり。
 でも、いつ、どこで、どんな形で、答えが出るのか、おそらく人にはわからないのです。そんなもんです。

 だから、くよくよしないで。
 あなたの中に眠っている才能は、いつか、きっと開花します。今は芽も出ていないかもしれない。でも、人の心を動かしたり、世の中を変えたり……あなたが思っている以上に、あなたはすごいんです。
 えっ? 何を、キョロキョロしてるんですか。
 あなたに言ってるんですよ、あなたに!

 絶対に希望を捨てないで! お願いしますョ。

パパレンジャー

心の旅を見つめて  堀 肇

「柔らかな新芽であるから」

幼少期の育てられ方が
長い間、人の心のケアなどに携わってきて身に沁みて思うことは幼児期とそれに続く児童期の育てられ方の大切さです。問題を抱えておられる方の多くが、この時期の辛く悲しかった思い出を語られます。
友だちにいじめられたり仲間外れにされたり、というような子ども社会での問題もありますが、子どもから見れば圧倒的な力をもって存在している親の不適切な養育態度などによって傷つけられてきたことを、まるで昨日の出来事のように語られるのをどれほど聞いてきたかわかりません。
 学校であった辛いことを家に帰って親に話したら「何よ、そんなことぐらいで」などと取り合ってもらえなかったり、時に甘えたい気持ちがあって「おかあさん」と話しかけたら、「うるさいわね」と撥ね除けられたりする、こんなことで子どもの心は傷つくのです。また成績のことなどで、まるで「駄目な人間だ」と言わんばかりの評価をされたりすると心は歪んでしまいます。
柔らかな芽が
これらの多くは親に悪意があるわけではなく、子どもの心の動きに気づいていないということなのです。ことに頑張って生きてきた親たちは子どもたちの心の苦しみが分かりにくくなっているところがあるのではないでしょうか。この幼少期の心は植物の成長過程にたとえると分かりやすいと思います。
幼い子どもの心は、ちょうど地中に蒔かれた種のように大地に根を下ろし時を待ちます。やがて芽を出し、太陽の光を受け、ゆっくりと地上へ伸びていきます。ふたばの時期(幼児期)を経て自我が拡張する新芽の時期(児童期)を迎えるわけです。P・トゥルニエ(スイスの医師・精神療法家)は、この時期を「それはやわらかな芽がふき出て、光に向かって開きはじめる時期であり、また巨大な恐怖を呼び起こすこの世へと足を踏み出す時期です。この柔らかな芽は、色とりどりの香しい宝をひそやかに身内に秘めています」と美しく述べています。ここで心に留めておきたい点は、この「柔らかな芽」が吹き出す頃の心は傷つきやすいデリケートな状態にあるということです。
愛をもって支えることが
大人はこの微妙な時期について意外に鈍感になってしまっているのではないでしょうか。トゥルニエはこのことを「蕾は感じやすく傷つきやすく、ほんのちょっと霜がおりてもしぼんでしまいます。ですから蕾は温度とおおいを必要としている」と言っていますが本当にそうなのです。子ども時代に親や教師から受けた温かな励まし(温度とおおい)がその後の人生の支えになったと語る人は少なくありません。逆に運わるく「霜の影響が老年に至るまで見てとれることがしばしばです」と続いて述べている観察も本当です。
芽を出した子どもたちは知的能力を発達させるだけでなく、やがて親の価値観や道徳観また社会の規範や自分をコントロールする能力も身につけていきます。そのためには、各々に合った「温度とおおい」が必要なのです。けれどもこのような理解を持つためには親はまず子どもを自分の所有物でなく「神から賜わった」(詩編127編3節・口語訳)尊い人格として受け取り、愛をもって育み接していくことが必要ではないかと私は思っているのです。

HeQiアート

The Risen Lord, by He Qi, www.heqiarts.com

「天に上げられる」

 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にて、神をほめたたえていた。
ルカによる福音書 24章50~53節

たろこままの子育てブログ

「耐えるとき」

雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない(イザヤ書 55章10節)

 6月。本州以南は梅雨真っ盛りでしょうか。
上記のセリフ、一見他人事に聞こえてなりませんが、北海道はそちらのようなじとじとした季節がありません。その代わりにこちらは1年の約1/4を雪に閉じ込められての生活です(笑)。夏も短く、海で唇を紫色にせず楽しむとするとお盆くらいしかありません。
 どの道どこかで何かを我慢して生活しなくてはならないのは、日本中きっとどこも似たようなものかもしれませんね(お金があれば過ごしやすいのも、どこも似たようなもの??)。
 母親的な視線からすると、このシーズンはあまり洗濯物も乾かず、折角作った料理も腐りやすく、いつもより神経を使わなくてはならない時期ですね。子どもが小さければお出かけもしづらく、自宅で子どもとみっちり向き合って過ごす毎日でしょう。
 高校時代の親友の1人も、年子のお子ちゃまに翻弄された時期でした。
お片づけしなさいと言っても片づけるはずもなく、おもちゃも畳んだ洗濯物も積んだものを端から崩されるのが関の山で、しまいには棚もタンスも押し入れもまるで強盗に入られたかのようだったそうです。トイレに行きたくなったら教えてねとお願いしても事後報告専門で、毎日「ここは賽の河原か?」と思ったと溜息をついてました。
あれから5年。彼女は肝も据わって、鷹揚な笑顔の似合う素敵な「おかっつぁん」になりました。 「いいのよ、雪だって春になれば溶けるし、多少雨に濡れてもしばらく放っておけば乾くし。部屋が多少ぐじゃぐじゃにされたって、掃除機かけられなくったって、それですぐに死にはしないだろうし、ねえ?」
 私は今でも彼女のこの言葉が大好きです。  涙や汗、雨や雪続きと思える出来事も、その人を温かく豊かにする「人生のスパイス」なのかもなーと、今日もカレーライスを作りながら思うのでした。

06-06-15るうてる2006年6月号

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全国総会

  5月3日から5日にかけて、東京・宣教百年記念会堂(東京教会)にて、日本福音ルーテル教会第22回定期総会が開催されました。全国から教師議員、信徒代議員および施設の代表者など約220名が一同に会し、諸議案について審議しました。

 第22回定期総会は、宣教方策21(以下PM21)の実施のために必要とされる教会憲法や規則の改正など19に及ぶ議案が提案されました。全国から参集した議員は、教会、施設の代表として、また日本福音ルーテル教会のメンバーとして、提案された一つひとつの議案に熱心な審議がなされました。
 教会憲法改正を要する案件については、慎重論も根強く、否決されたものも多く、今後PM21の具体的実施のためにさらなる議論が必要であると感じられました。
 「教会再編と共同体」に関する法規改正及び新規規定提案は、議場より「『新教会』か『教会共同体』かの二者択一については、前回総会議事録を見てもそのように決定した経緯がない」との指摘を受け、執行部は実施年限と二者択一を明示した修正提案を一旦しましたが、協議の末取り下げ、当初案通りで承認されました。
 これを受け、山之内議長は「新教会及び教会共同体が実現されるように、本教会常議員会は施策によって努力する」と述べ、PM21実施に全力を注ぐ意思を表わしました。
 そのほか、「招聘と応諾」についても僅差で否決されましたが、信徒宣言21、教職レビュー制度、協力金配分率変更の件、神学生寮設置の件等が議論を経て承認され、今後、PM21の具体的実施が期待されます。
 また、「日本国憲法」改定に反対する声明案が提案され、議論の結果、声明文の修正が加えられた後、「日本国憲法前文及び第9条」改定に反対声明が採択されました。
 総会チャプレンを務めた河田優牧師(ルーテル学院大学・神学校チャプレン)によって朝夕の礼拝企画がなされ、新任教師、TNG、神学生、宣教師の方々が毎日の朝夕の礼拝を担当しました。最後に、個性ある礼拝企画に、祈る機会を豊かにされましたことをあわせてご報告します。

世界宣教の日

 献金のご協力をお願いいたします。
1.ブラジルの伝道(日系人など)のために
2.日米協力伝道(JACE)のために
3.メコン地域宣教(カンボジア・タイ)のために
4.緊急災害支援(スマトラ地震、スーダンなど)のために
5.パレスチナ支援(平和プログラム・ビクトリア病院支援)のために
6.世界宣教(無指定、LWFの働き)のために

日本キリスト教連合会総会

 4月20日に日本キリスト教連合会の総会が市ヶ谷ルーテルセンターを会場に開かれました。
 「日本キリスト教連合会」は、カトリック中央協議会・日本聖公会・プロテスタント諸教団(教会)の緊密な協力によって運営されている団体で、現在委員長を日本福音ルーテル教会(JELC)の松岡俊一郎事務局長が務め、事務局もJELC事務局で担っています。
 その活動内容は、日本宗教連盟を経由した所轄庁との連絡協議、定例会・勉強会の開催、常任委員会の開催(年6回)、『会報』の発行、法人事務・会計実務研修会の開催などで、最近は公益法人に関する法改正に対して、宗教法人や公益法人の立場を守るために、政府との交渉などをしています。
 他に、日本国憲法が保障する信教の自由と政教分離の原則のもとに、キリスト教文化の振興を図り、宗教法人の適正な管理運営に寄与し、一方では「信教の自由」を守るために発言すべき時に発言するという責任を託されています。
インターネットのウエブページ(ホームページ)は次の通りです。 http://www.jccc21.com/
 

クリスチャンのライフカレンダー

~息子Nへ~

 初めてあなたを抱っこ。クニャクニャして、床に落としそう。うっかり落としてしまったら、もう呼吸が止まってしまう。そそっかしい私にどうしたら、あなたを無事育て上げることが出来るでしょう。神様からお預かりしたこの何とも脆い命を、これからどうやって……。身がすくみます。
 乳飲み子!神様から泣くことと乳を飲む力だけ与えられ、他に何も出来ないあなた。考えてみれば、私も霊の糧を頂くこと以外は、あなたと同じ。何も出来ない存在です。
 でも神様は、1歳のクリスマスにあなたとあなたのお父さんに、同時に洗礼を授けて下さいました。あなたとお父さんは、同い年。教父にお願いした方も世話好きな信仰深い方。ホッとしました。これも神様のお計らい。ハレルヤ!
「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」
イザヤ書46章4節

インフォメーション

ルーテル・オリジナル受洗証

仕様
■サイズ:200×148mm
 (2つ折)
■表フルカラー/裏黒1色
■1部(封筒つき) \150
■聖書箇所:マルコによる福音書10章15節
■子ども用の受洗証です
教会からのお問合せ・お申込み
宣教室・アクセルプロジェクト(担当:乙守)
e-mail mission04@jelc.or.jp
※個人の方で、ご希望の方は、各教会の牧師先生まで、お問合せください。

牧師の声「私の愛唱聖句」

東教区 八王子教会 牧師 宇野 正徳(うの まさのり)
わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。
ルカによる福音書 22章32節

 御言葉に支えられ、生かされて牧師としての道を歩み続けてきて、残された道のりも少なくなってきました。これまでの牧会生活を顧み、その働きを支えてくださった神に感謝します。
 牧者としての働きの上で大きな支えになった御言葉は、主イエスが弟子のペトロのために祈った祈りの言葉です。
 「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22章32節)と。
 主に仕え、その働きを支えたペトロに対する主イエスの愛に満ちた言葉です。
 ペトロは、12弟子の中でも中心的な存在でした。仲間をよくまとめ、主の証し人として先頭に立って働いた弟子ですが、そのペトロは、何の迷いもなく主に仕えたかというと決してそうではありません。主イエスを悲しませるような過ちや失敗を何度も繰り返し、また、主イエスを怒らせるような迷いや疑いを持ちました。しかし、主イエスはその都度、そのようなペトロを励まし、愛し、諭しました。それが先の祈りに集約されています。
 恐らくペトロにとってこの御言葉は、その後の生涯において大きな力や励みになったことでしょう。そればかりか教会の兄弟姉妹の信仰を支えるのにどれほどに役に立ったことでしょう。
 ペトロは、自らの手紙で次のように述べています。
 「あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい。ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ群れの模範になりなさい」(1ペトロ、5章2~3)。ここにペトロの主イエスの愛とゆるしに対する証しがあります。
 わたしにとってもこれらの御言葉は、牧者としての働きに大きな力や励ましになりました。教会生活において起こる諸々の不安や心配事、召命観の迷い、宣教や教会形成に対する無力感、家族への思い、そうした場面で迷うときに、わたしを支え、励ましてくれたのはこの御言葉です。
 人は誰しも失敗や過ちを犯し、迷うこともあります。しかし、その時に、温かく見守っていてくださる方がいるということは大きな助けであり力です。

信徒の声「教会の宝石を探して」

九州教区 門司教会 信徒   坂井 慶一(さかい けいいち)
Q.教会に来られるようになったきっかけは何ですか?
A.今から36年前の1969年9月23日、私が19才のときでした。教会の前をたまたま通りかかったところ、中からオルガンの音が、讃美歌が、聞こえてきました。私はオルガンの音が大好きでしたので、しばらく立ち止まって門司教会から聞こえてくるオルガンの音を聞いていました。そうしたら、教会の受付におられた方(桑原芳樹さん・現教会役員)が、「礼拝に出ていかれませんか」と声をかけてくださいました。それが最初です。その日の礼拝は「交わりのこつ」という説教題でしたが、今思えば、オルガンが奏でる讃美歌、「どうぞ」という一声が、私をキリストの交わりに加えてくれたように思います。
Q.それから35年間、奏楽者としてご奉仕くださっていますが、その想いを教えてください
A.私が最初に奏楽をしたのは、教会に通いだして1年ほどしてからでした。その日、奏楽者の方が急用で礼拝に間に合わなくなりました。そのとき、他にオルガンを弾ける方がいらっしゃらなかったので、私は「奏楽者の方が来られるまで」といって始めたのですが、それからもう35年になるのですね。
私が洗礼を受けたのは、順序が逆で、それから3年してからです。毎週の礼拝で奏楽をすることを通して、音楽を通して神さまを賛美する中で、私に信仰が与えられたのだと思います。その意味でも、私は奏楽の奉仕に、オルガンの音色を通して神さまを賛美することに、使命感を持っています。奏楽は、礼拝の縁の下の力持ちだと思っています。私は、会衆と司式者と音楽がひとつになって神さまを讃美することに、大きな喜びを感じています。
Q.坂井さんは、常々、門司教会のオルガンは素晴らしいと言われていますが、この機会にどうぞお話しください
A.門司教会のオルガンは、アメリカ・シカゴのBeckwith社製です。正確には分かりませんが、作られて100年ほど経っていると思います。特徴ですが、ストップの数が17、16フィートのストップが全域に入っています。つまり、深みのある音が出せるのです。また通常、振動数は440で調律するのですが、このオルガンは448です。他の楽器に合わせるのは難しいのですが、ダイナミックな大変素晴らしい音がでます。
Q.最後に、自由に一言お願いします
A.健康が与えられ命が続く限り、奏楽(オルガンを弾くこと)を通して、神さまを讃美したいと思っています。また、私はオルガンの修理もしますので、何かありましたらお尋ねください。

求道者の旅 15

第15回  息のように

「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」(ヨハネによる福音書20章21~22節)

 ペンテコステの季節です。聖霊の働きに焦点を合わせる時期です。教会においては復活のイエスの霊が現存し今日も世界で働いていると信じています。この霊は、私たちは聖霊と呼んでおり、神性の別の現れを構成しています。この主題にそって「求道者の旅」から2、3の考えを共有したいと思います。

ルーアッハ
 ヘブル語のルーアッハは旧約聖書の中でしばしば見られます。この言葉は大変重要であり、3通りの意味があります。すなわち、風、息、あるいは霊です。確かに古代の人々にとっては神の霊が、ルーアッハ(息、風)として理解する事から始まることは自然な事だったでしょう。そしてこのアナロジーは古代と同様に現代の人々にも意味があります。
 このヘブル語とそしてギリシア語のプネウマpnuemaは神の性質を深く表しておりますが、その比喩があまりにも明瞭なので子どもでさえ理解する事ができます。風、空気、息、これらは完全に目には見えないものですが、命にとっては不可欠であり、欠けてしまうと死んでしまいます。台風の風の力を考えてみて下さい。息がどれだけ、重要であるかを考えてみて下さい。ジャンボジェットが離陸する時、空気の移動によってのみ浮力を得ることを考えてみて下さい。
 風、息、空気、完全に目には見えないけれども、完全に実在しています。聖霊に関しても同じで、全く目には見えないけれども、確かに力強く現臨されているのです。
枯れた骨
 預言者エゼキエルの谷で見た光景はまことに聖書文学の偉大なメタファーです(エゼキエル書37章)。預言者は非常に多くの骨を谷の上に見ました。そしてその骨は甚だしく枯れていました。イスラエルの人々は「我々の骨は枯れた。我々の望みはうせた」と叫びました。
 しかし、主は「わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ……お前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。……(すると)カタカタと音を立てて、骨と骨が近づ(き)……肉が生じ、皮膚がその上を覆った。……(それから)霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった」(エゼキエル書37章5~12節より概略。一部、新共同訳とは順序が異なります)
 命の根源である主よ、今ここに私はおります。私は枯れた骨にすぎません。命の元である息吹を枯れた骨に吹きかけ、生き返らせて下さい。これらの骨に希望を吹き込んで下さい。願わくは、聖霊の風でジャンボジェットのように私を浮揚させ、あなたが私に下さった可能性をもって生き抜かせてください!
(翻訳:上村敏文)

※前回のタイトルに誤りがありました。正しくは「三つの神???」です。謹んでお詫びと訂正をいたします。

聖研「詩編を味わう」

3:教会はこの世へのカウンセラー

神を知らぬ者は心に言う。「神などはない」と。人々は腐敗している。
忌むべきことをする。善を行う者はいない。
詩編14編1節

 古代人にとって神は当然のように信仰の対象であったとする常識は、この詩編から伺うかぎり否定されねばなりません。詩編作者の「神がいない」という表現は、無神論というより神を無視する意味合いを持つとの聖書学者の解釈が正しいとしても、「神はいない」という声は現代人のものと思っている者にとっては、古代人もまた「神はいない」という声をあげていたとは驚きです。昔から今に至るまで人間は「神はいない」と言い続けてきたことになるのですから。しかし「神はいない」という人間の声が、どのような事態を引き起こしてきたかに21世紀の社会はようやく目覚めてきたようです。
人間の知のパラダイム
 「考えて分かること」、「実証できること」が真実であるとする人間の知のパラダイム(考え方の枠組み)にとっては、考えて分からない、実証できない神は存在しないと同然です。「神がいる」と信じることは、子どもにとっては有益かもしれないが大人にとってはお伽話の世界に過ぎないとする考えは、当たり前のようにわたしたちの頭を支配してきました。
 しかしながら、21世紀に突入した今、人間はあらためて「神」を必要とする気配を見せてきました。とくに最先端の科学を扱う人々の中からは、成熟した宗教が持つ意味を問う動きが見られます。心理学者の河合隼雄さんは、無意識を探求するとその奥底には魂とでもいうべきものにぶつかる、それはもはや宗教の世界でなければ分からないと言います。生命科学者、中村桂子さんは、科学というものは物事の極大と極少を探求する学問だが、極大と極少の果ては考えても分からない世界である、もし人が答えを得ようとするなら人それぞれに物語を作らなければならないと言います。考えても分からない、実証できないという世界が科学の行き着く先に待っているということなのです。生命科学や生命倫理の研究者たちの間にも、人の死や命の問題を扱うときには、宗教が必要だと説く人たちが増えてきました。単純な言い方では、「神」がいないと科学は最終の答えを持ちえないとする考えが勢力を増してきたと言ってもよいのです。
神なしの世界 
 具体的なところでは死の看取りに従事する医療現場での問題があります。死をめぐっての実存的危機的問いが医療従事者に投げ掛けられます。それらの問いとは「なぜ、わたしが死ななければならないのか」、「このわたしが死んだらどうなるか」、「わたしの人生はいったいなんだったのか」などなどの問いです。これらの問いには究極的な答えが適切な形で提示されねばなりません。そこでは医学的対応や心理臨床と共同しつつ宗教の役割が期待されるようになってきました。
 科学の先端技術が求められる遺伝子操作や臓器移植、出生前診断、体外受精などの問題を扱う生命倫理の世界では、命をまるで「モノ」のように扱う事態が現実に起っていることに憂慮する声が高まっています。ここにもまた、命の尊厳の問題をめぐって同じ宗教的課題が負わされているのです。このことは、さらに知的また精神的障害を持って生きることや寝たきりの状態を余儀なくされること、認知能力を奪われて生きることをどう受け止めるかにまで発展する課題を負っています。うっかりすると詩編の作者が「人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない」という事態が「神はいない」とする世界で起こり得る、あるいはすで起こっているということです。
教会はこの世へのカウンセラー
 「神はいない」と言い続けてきたために、失ってしまった生き死にについての究極の答えを探し始めたのが、この21世紀という時代の新しい動きだということができます。この時代の要請に究極の答えを提供する責任を教会は負わされています。
 これは新しい課題が教会に求められていることに他なりません。これまで教会は福音を語ることを主眼としてきました。しかし、この時代の要請を考えるとき、教会に求められていることは社会が求めている答えをどのような形で提供することができるかにあります。言い換えれば、教会はこの世に対してカウンセラーの立場を取らねばならないのです。これは新しい形の伝道といえるでしょう。

第22回 日本福音ルーテル教会総会の報告

 去る5月3~5日、日本福音ルーテル教会第22回定期総会が宣教百年記念会堂(東京教会)で開催されました。出席された各議員、ご協力いただいた皆様に感謝申し上げます。今総会において決議された内容を速報としてお伝えします。議案の詳細は総会資料をご覧ください。正式な議事録は追ってお送りします。
 左記に主要な決議事項について報告致します。
事務局長 松岡俊一郎

1.常議員構成変更のための憲法・規則改正 ---→ いずれも否決
 ①教区候補による信徒常議員を総会で選挙する。
②議長が指名する常議員(宣教総主事)を新設。
2.従って、従来の規定による選挙結果がおこなわれ、次の方々が選出されました。
 ・総会議長:山之内正俊、副議長:渡辺純幸、総会書記・事務局長:松岡俊一郎、会計:関口昌弘
 ・財務:森下博司(東京)、女性無任所:伊藤百代(東京)
 ・教区長:藤井邦昭(北海道特別)、立山忠浩(東)、青田勇(東海)、立野泰博(西)、長岡立一郎(九州)以上5名を承認。
・教区推薦信徒:大賀隆史(北海道特別)、豊島義敬(東)、中山俊美(東海)、石田博美(西)、光永一三(九州)以上5名を承認。
3.宣教方策21(PM21)関係議案 ---→ いずれも可決
 ①「信徒宣言21」の件
 ②「教職レビュー制度」の件
 ③「教会規則74条の改正」の件
 ④「協力金配分率変更」の件(ルーテル学院10%、教区40%、本教会50%)
⑤「土地建物に関する1/3方式変更」の件(1/3補助金を10%補助に変更、結果・自己資金50%、借入40%、補助10%)
⑥「教会用地売却に伴う原則」一部改定の件
  これによって統合対象教会の土地建物を売却した資金収入から、必要経費を差し引いた後の全額を新たな教会建設資金に充てることができるようになりました。
⑦「土地建物回転資金貸付規定一部改定の件」
⑧「財政見直しの一施策としてのIT化に関する件」
⑨「教会再編と教会共同体および、関連規則改定案」の件
   新教会(組織合同)、教会共同体、個別教会(現状)の方式が認められました。ただし、常議員会は方策努力によって、再編・統合を推進・実現させて行きます。
5.「招聘と応諾に関する特例規定」の件    ---→ 否決
6.「神学生寮設置計画」の件         ---→ 可決
7.「信徒説教者制度要綱」の件        ---→ 可決
8.「JACE協約一部改定の件」の件       ---→ 可決
9.「日本国憲法の前文・第9条改定に反対する声明」の件 ---→ 可決
10.「るうてる法人会連合・奨学金制度議決に伴うJELCの財務的対応提案の件 --→ 可決
11.「2004年度、2005年決算」の件   ---→ 承認
12.「2006年度実行予算」の件       ---→ 可決
13.「2007年、2008年当初予算」の件  ---→ 可決

議長コラム

「福音に生かされる」

 第22回定期総会が終わりました。この総会において総会議長に三選されました。2002年の大阪総会において小泉潤議長からバトンタッチを受け、この4年間、ただひたすら宣教方策21の具体化に務めて参りました。この総会においてその作業も一段落を迎えることができましたので、これからは出来上がったこの方策をどのように実施していくかが課題です。
 そもそもこの宣教方策21は、教会の宣教力の低下という危機感から生み出されたものです。宣教力の低下とは、福音が教会の外に届いていないということです。その端的な現われが、受洗者の減少です。この状況を何とか打開したいという思いから、この宣教方策21は策定されました。
 この4年間、2002年の大阪総会において大筋で承認されたこの方策の具体化に取り組んで参りました。その取り組みの中で改めて気付かされたことは、教会の内向きの姿勢です。自分たちの教会はこのままでちゃんとやっていけるから、特に新しいことに手を付ける必要はない、という空気が強く支配しています。
 今回の総会で「開拓伝道をしない教会は教会ではない」という言葉が紹介されましたが、このような外向きの意識が私たちの教会にどれほど強くあるでしょうか。「自分たちの教会はちゃんとやっていける」というときの「ちゃんと」の内容に、開拓伝道をするということが含まれているでしょうか。
 このことは信徒一人ひとりの問題かも知れません。信徒一人ひとりが、本当に福音に生かされているのか、という問題として捉えるべきことかもしれません。福音に生かされるということは、その福音を人に伝えずにはおられないという思いを伴うからです。人に伝えずにはおられないという思いが起こってこないようでは、充分に福音に生かされているとはいえません。
 今、私たちの教会にとっての最重要課題は一人ひとりが福音に生かされることだと思います。この福音を人に伝えずにはおられないという思いで教会を満ち溢れさせましょう。

LWF諸国でメコン地域の宣教にバンコクでメコン宣教会議(MMF)

 5月10日から13日まで、タイのバンコクでメコン・ミッション・パートナーズ・コンサルテーション(MMPC)と、メコン・ミッション・フォーラム(MMF)が開かれました。
 MMFは毎年開かれるもので世界宣教委員の浅野牧師が、そして数年に一度のMMPCにはJELC担当として徳弘宣教室長が参加しました。メコン地域のタイ、カンボジア、ベトナム、ラオス、ミャンマーの宣教協力について課題や現状が報告され、今年の具体的なプログラムと予算が承認されました。
 JELCとしては主にカンボジアとタイの教会リーダーシップ研修、神学校支援などに参与するため、4000ドルの献金を約束しました。またJELAと共同プログラムでカンボジアボランティア派遣も計画中です。連帯献金での御協力もお願いいたします。

トリニティーホール竣工式

 ルーテル学院大学からの依頼で昨年「るうてる」でも新校舎名称募集記事を掲載しましたが、ルーテル学院大学・神学校の新校舎の竣工式が5月19日に行われ、教会からは松岡事務局長が出席しました。
 この新校舎は応募された名称案の中から「トリニティー・ホール」という名称が採用されました。昨年より総合人間学部に学部名称を変え、臨床心理学科が新設されましたが、従来の社会福祉学科、キリスト教学科にあわせ三学科体制でスタートを切った大学にとり、トリニティー(三位一体)というふさわしい名称での新しいスタートのシンボルとなりました。
 多くの献身者、キリスト教の理念に基づいた奉仕者が巣立っていくことが願われています。

チェルノブイリ原発事故から学ぶ講演会・報告

 4月18日(火)夜、掛川市生涯学習センター大ホールは650人の席が埋め尽くされ立ち見も出た。掛川は東海地震が心配される浜岡原発に近く、地元の関心の高さが伝わってきた。この会は地元住民とルーテル教会有志の協力で開催された。チェルノブイリ原発事故後20年経った今も「30キロゾーン」は放射能汚染地域として立ち入りが禁止され、周辺住民にも健康被害が徐々に現れ、甲状腺ガンや白血病が増え続けている。IAEAの調査報告は、余りにも実態とかけ離れた人数であると現地医師達から批判を受けている。
 我々は便利さを追求する陰で、何を失ったか。チェルノブイリを対岸の火事ではなく、地球規模の自分たちの問題として考え、何を学び信仰に照らしてどう行動していくのかを選び取っていかなければならないと感じた(全国ディアコニアネットワークは、この掛川講演会の賛同団体として協力をしました)。
(原田恵美)

B・ワルターさん来日と講演会

去る2月26日、以前宣教師ならびにソーシャルセラピストとして喜望の家で働かれていたボド・ワルターさんが、喜望の家の職員研修のためにドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル教会から派遣されて来日されました。
滞在中、喜望の家でのスーパーヴィジョンや学習会、京都地区での講壇奉仕などの合間をぬって、広島・三原教会、東京教会で、それぞれ「教会におけるディアコニア」と題して、講演会を持つことができました。「ディアコニアの活動」というと、どうしても従来から施設などでの活動を中心に考えがちですが、ワルターさんは、ドイツの各個教会(ゲマインデ)の現場で行われているディアコニアの働きやご自身の経験を交えて、各個教会でのディアコニア活動の実情と可能性についてお話くださいました。相手が教会員であると否とに関わらず、相手に仕えていくこと、社会的な広がりを持って具体的に愛を示すワザがディアコニアであるというお話は、私たちにとって、とても良い刺激を与えてくださいました。ワルターさんは4月8日に帰国されました。
(秋山 仁)

APELT-Jの一日研修「立ち止まる心」

■日 時 2006年7月15日(土) 10~15時
■場 所 日本福音ルーテル東京教会
■講 師 秋田正人氏(聖公会々員、YMCAフリースクールLiby主事)
■応 答 平岡正幸先生(JELC三鷹教会牧師、Liby理事長)
■参加費 500円(昼食代は含みません)
■お申込み
7月3日(月)迄に、各教会ごとにまとめてAPELT-JW関東委員にお知らせ下さい。
日本福音ルーテル…石飛姉(℡&Fax 047-345-1728)
日本ルーテル教団…矢野姉(℡&Fax 03-3372-5852)
■お尋ね
大柴譲治  Fax 03-3330-8445
E-mal joshiba@big.or.jp
池上 安  ℡&Fax 047-378-7553

メールアドレス・教会ウエブページ(ホームページ)アドレスについて

 全国総会で、IT化の議案も承認され、教会間の連絡や文書配布に関して、正式に電子メイルや電子ファイルを用いることになります。また、宣教の場面でもメイルやウエブページの活用は必須の時代になっていると思います。教会事務局、メディア伝道委員会では、それらを有効に活用し、現場をサポートする働きを担います。
 まずは、是非、牧師先生、教会でJELCの独自ドメイン(@jelc)のメイルをお使いください。これは、相手を安心させるだけでなく、迷惑メイルと混同されないためにも必要なことです。また教会ウエブページも意味不明の記号や個人名ではなく、教会名を利用できます。
 詳細はhttp://www.jelc.or.jp/mediaをご覧いただくか、事務局までお問い合わせください。

TNGニューズレター&カタログについて

 このたびTNG委員会は、ニューズレター及びグッズカタログを発行しました。
 ニューズレターには、TNG各部門のプログラムの紹介、参加者の声に加え、グッズを購入された読者の取り組みについての取材記事が掲載されています。サポーター(個人・教会・団体)となられた皆さんにお送りしています。
 グッズカタログには、TNGが作成した教材が写真入りで目を引きます。こちらは必要な方にお分けしています。お問い合わせください。
 
第8回ルーテルこどもキャンプ実行委員会では、参加者とスタッフを募集しています。
お問い合わせは、マネージメント担当の佐藤(千葉教会)までお願いします。

訂正

 5月号訂正欄で掲載しました中越ルーテル教会の括弧書きに誤りがありました。
 正しくは日本ルーテル教団です。
 謹んで訂正とお詫びをさせていただきます。

住所変更

■清重尚弘
〒862・0971
熊本県熊本市大江4丁目20の27アルバティア大江301号
電話番号
096・366・5560

■小泉 嗣
〒250・0878
神奈川県小田原市下新田187
電話・FAX共用
0465・47・4416

電話・ファクス番号の変更
■湯河原教会
FAX
0465・62・2780

■日田教会
電話
0973・23・9903
FAX
0973・22・3865

■日田ルーテル幼稚園
電話・FAX共用
0973・22・3865

06-05-15るうてる《福音版》2006年5月号

機関紙PDF

バイブルエッセイ「『偶然』が重なって」

わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。
天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは
あなたたちの思いを、高く超えている。
イザヤ書55章8~9節(日本聖書協会・新共同訳)

 前の用事が長引いてしまい、次の予定の時間に間に合いそうにない―仕方なく、普段は乗ることのないタクシーを使うことにしました。でもこの辺りはタクシーってあまり通らないんじゃないかしら、電話で呼ぶのはそれだけ時間がかかってしまうし―そんなことを考えながら外に出ると、タイミングの良いことに、近所の橋のたもとに1台のタクシーが止まっています。助かった!すぐに乗り込み、「駅まで」と告げ、タクシーは走り出しました。やれやれ、これで一安心。内心ほっとしていると、タクシーの運転手さんが、何やら話しかけてきてくださいます。
 「いや、まさかここでお客さんを拾えるなんて、思ってもみませんでした」
 聞くと、この運転手さん、今日は一日市内を走り回っていたんだけれども、ぜんぜんお客さんが見つからず、まったく商売になっていなかったのだそうです。一日中ぐるぐると走り続けて、「今日はもうだめだな」とあきらめて、「少しだけ休もう」と、普段はめったに通ることのないあの橋のたもとに、車を止めていた―そこに、わたしがやってきたのだそうです。「わたしも今日は、この車がいてくださって、本当に助かったんですよ。こういうことって、あるんですね」と、二人で笑いあいました。
 お客さんが見つからず、今日一日をあきらめかけていた、この運転手さん。予定に追われて、めったに乗らないタクシーを使わなければならなくなった、このわたし。二人とも思うようにいかない辛さや不安を抱えていたのです。けれどもこの思うようにいかないできごとをとおして、新しい出逢い、思いもかけない喜びが与えられた―二つの「偶然」が重なって、二人ぶんの笑顔が生まれました。
 このできごとを、「偶然」で片付けてしまうのは簡単です。けれども、こんな素敵な出逢いを、「偶然」ということばで片付けてしまうのは、ちょっともったいないような気がしませんか? ひとつひとつの「偶然」を結び合わせて、素敵な「必然」にしてくださる方がおられる。その方が、わたしとこのタクシーの運転手さんとを、出逢わせてくださった。心に抱えていた重い荷物を、笑顔に変えてくださった。そして同じその方が、今こうして、このメッセージを綴っているわたしと、それを読んでくださっているあなたとを、結び合わせてくださっている。そのようにしてその方は、確かにわたしたちの生きる一歩一歩を守ってくださっている―そのように考える方が、何倍も、生きることが楽しくなると思うのですが―いかがでしょうか?
Aki

心の旅を見つめて  堀 肇

「慈しむ心で自律心を育む」

しつけの時期を迎え
悲しいことですが、ときどき〈しつけ〉と称し、結果的にわが子を虐待してしまっている事件が起こっています。子育ての方法が分からず、育児ノイローゼになって子どもを傷つけている若い母親、また親自身のパーソナリティの未熟さや愛されてこなかったため愛することができず虐待の連鎖の中で苦しんでいる親たちもいます。いずれにしても小さな子どもの心や体が傷つけられるということは心が痛むことです。
このしつけを必要とする幼児期の子どもたちを観察してみると分かることですが、この時期は移動能力や認知能力が急激に増大し、親から見れば危なっかしい行動が目につきます。親が危険を察し行動を禁止しようとすると泣いたり、暴れたり、反抗したりします。それまでの母子関係を離れ何でもひとりでやろうとする頃なのです。これは自我が芽生え、自律の欲求が現れてきているわけですから発達の視点から見れば喜ぶべきことでもあるのです。

自律心を身につけ
 けれども、子どもはこの時期に自分の思うようにはいかない世界があり欲望を制御することを学ばねばなりません。ここでしつけの問題が出てくるわけです。多くの親たち、分けても母親たちはこのしつけを巡って悩み、しばしば育児への自信喪失に陥ります。これはこの時期の発達の事情を考えれば特別なことではありません。そもそも子どもといっても持って生まれた気質や性格特性はみな違いますからしつけも単純にはいきません。親の身になってみなければ外部からは分からないことがたくさんあるのではないでしょうか。
 しかしこの時期に適切なしつけが行われることによって、いわゆる自律心を身につけ、初めは外部から制御されることに抵抗を示しても、やがて自分の意志によって行動を制御するようになっていきます。こうした自律心を促すのがしつけと言ってよいでしょう。これが幼児期の発達課題なのです。

わが子を慈しむ心で

 ここで問題となるのは、そのしつけの内容と方法です。たとえば食事、排泄、衣服の脱着などはともかく、学習、行儀、作法また禁止事項などとなりますと家庭の文化や価値観によって異なり内容は一様ではありません。加えて大きな課題はしつけの方法です。「早く、早く、どうしてできないの、まったく」などと怒鳴ったり叩いたりして子どもを力で動かそうとしている親を見ると心が締め付けられます。しかし忍耐深く「頑張ってね。難しいのね。どうしたらうまくできるかしら」と励ましながら努力している親もいます。こういう対応は楽なことではありませんが真の自律心を獲得していく方法なのです。
 親も心に余裕がないと、つい焦って感情的になり強制的に服従させようという思いになってしまいますが、一呼吸しながらわが子が明るくのびのびと自由に自我を拡張できるよう励まして育てていきたいものです。それにはやはり母と子の情緒的コミュニケーション、そしてその母と子を守る父の支え、何よりも「これらの小さな者を一人でも軽んじない」(マタイ 章 節)というわが子を慈しむ心が必要なのではないでしょうか。いま私はこうしたことの重要さを子育てを振り返り、また孫たちの成長を見ながら身にしみて思うのです。  

HeQiアート

Losing Paradise, by He Qi, www.heqiarts.com

「復活する」

 若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。
 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」
マルコによる福音書 16章6~7節

たろこままの子育てブログ

「疲れたとき」

明日のことまで思い悩むな(マタイによる福音書 6章34節)

 いくら日頃楽をして過ごしたいからと言って、「そう思い悩むことないでしょ」「明日のことは明日考えればいいじゃないの」────五月病でなくとも、こう言われてなかなか素直に首をタテに振れない私たちです。
 とかく母親は自分よりも、家族の細々したことに日々頭を悩ませがちなのではないでしょうか。
 そうした間隔がとても短くて濃密なのが、特に、生まれたての第一子をむかえたお母さんでしょう。
 何もかも初めてづくしの上に相手はもの言わぬ小さな存在で、些細なことで体調が変化しては親を翻弄します。
 私も小太郎を連れ帰った当初は、怒濤の数ヶ月でした────母乳も満足に飲まず、折角飲んでも日夜吐いてばかり。 泣く・喚く・寝ないの三点セットで追い詰められた私は疲れ切り、明日どころか数時間後の状態も憂えて、すがるように保健師さんに電話をしました。
 「困ったときはいつでも連絡してね」と言ってくれた彼女は早速その日の午後に我が家を訪れ、ひとしきり私の話をウンウンと聞いて、最後にこうおっしゃってくれました。 「私も三人子育てして、そのたびに悩んだわ。そんなことをしても解決しないのに、八つ当たりしてお鍋を壊したこともあるし、ふすまに穴を開けたこともあるし(笑)。育児って日々精一杯でしょ、だからあまり先を思わないのも手よ」
  1日過ぎたらもう1日を精一杯やって、その積み重ねで1ヶ月を乗り切る────当時の私は気取らぬ彼女の言葉をボンヤリ聞いてましたが、今はそれがまさしく「答え」だったように思います。
 先を悩んでも答えの出ないことが多い日々、その日の苦労はその日だけで十分なんだな、しみじみそう思いました。 頑張って頑張って頑張ってるお母さん、どうか頑張りすぎないで下さいね。
 疲れたときは少しでも休みましょうね、お母さんの代わりは他の誰もいないのですから。

06-05-15るうてる2006年5月号

機関紙PDF

ティーンズキャンプ

 3月28日~30日、愛知県青年の家(岡崎市)にて恒例となりました春の全国ティーンズキャンプ(春キャン)が開催されました(キャンプ長・小泉道子姉)。全国各地から86名のティーンズと34名のスタッフが集い、恵まれたときとなりました。

 TNG-Teens部門で春キャンの7年サイクルのテーマが決められたことを受け、「信仰」について取り上げ、神を呼び求めるきっかけ、入り口になることを目指し、キャンプは企画されました。テーマは「I Believe in God」。
 年に一度、全国の仲間と出会うことはティーンズにとって何よりの楽しみとなっています。このことは、ティーンズの掲示板を見ると、手に取るようにわかります。しかし、ただ仲間と出会って楽しいというだけではなく、普段の生活では語り合えない神さまのこと、イエスさまのこと、信仰のことを真剣に語り合う喜びをティーンズは春キャンに求めてもいるのです。それに応え今回のキャンプは、グループに分かれての話し合いに時間を割き、お互いの思いに耳を傾け、また自分の思いを口にする機会を提供しました。語り合うために様々な準備もありました。ヨナ書を取り上げ、スタッフによるドラマで参加者に問いかけ、グループごとに劇に取り組むことによって、また映画を通して助けを求める者に応えてくださる神への信仰について深く掘り下げるときとなりました。
 そして今回、ゲストとして鈴木啓之牧師(シロアムキリスト教会)をお招きしました。映画化された「親分はイエス様」でも知られる先生の生き様と神との出会いの経験は、その気さくな人柄と一体となって参加者の心を大きく揺さぶり、神への信仰について深く考えるときとなりました。
 春キャンは、ルーテルこどもキャンプ(旧国際少年少女キャンプ)の卒業生を多数迎え、スタッフに多くの青年を得、次世代のつながりを実感するときでもあります。ティーンズを送り出してくださった皆さん、お祈りとお支えをくださった皆さんに心より感謝します。
 

婦人会連盟第20回総・大会

婦人会連盟より案内がありましたのでお知らせいたします。

 第19期3年間を締めくくる総・大会を左記の通り開催いたします。
 第20期新会長が選出され、7月より新しい歩みとなります。今後共お支えをよろしくお願い申し上げます。

ルーテルこどもキャンプ

キャンプのホームページへは、
http://www.jelc.net/~tng/からジャンプ!
 国際少年少女キャンプは、「ルーテルこどもキャンプ」へと名称を変更いたしました。
 今年も8月8日~10日の日程で、広島にて開催されます。どうぞ、皆さんの教会からも5・6年生を送り出してください。また、キャンプのためにお祈りください。

クリスチャンのライフカレンダー

~生まれてくるあなたへ~

 新緑が目に鮮やかです。全ての「いのち」が萌え、輝く5月になりました。今、私のお腹の中にも新しい命が宿っています。もうすぐ生まれてくるあなた。小さなあなたを抱いてこれから夏を、秋を、そして冬を過ごし、来年はこの緑の木立の下をいっしょに歩くことができるのでしょうか。
 命が与えられることの神秘さを思うと感動で心が震えます。命は神様からの贈り物。詩編の作者も歌っています、「主よ、あなたは私の内臓を造り、母の胎内に私を組み立ててくださった」と。
 この前の超音波検査で医師から、育つことが難しい形態異常がお腹の中のあなたにあると告げられ、動揺してしまいました。今もまだ心の中には不安があります。けれど私は、あなたという素晴らしい命を造ってくださった神様に、そしてこの私を母として選んでくださった神様に深く信頼したいと思っています。これから起こる色々な困難や問題も神様がともにいて必ず支えてくださると信じて、生まれてくるあなたと一緒に歩んでゆきます。
 先日、教会の姉妹が「心配しないで。赤ちゃんはみんなで育てるからね!」と言ってくれました。とても嬉しかった。家族も教会の兄弟姉妹もみんな祈ってあなたの誕生を待っています。あなたと会える時はもうすぐですね!

インフォメーション

Teensの詩が本になりました。

第13回全国春のティーンズキャンプで参加した72名のティーンズが表現しました。
「いのちの詩」(A4変形140ページ)1冊 500円
申込は…宣教室TNG-Teens佐藤和宏まで
email:TNG_goods@jelc.or.jp

牧師の声「私の愛唱聖句」

東教区 蒲田教会 牧師 渡邉 純幸
……ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ……(マタイによる福音書 1章1~17節)
 私の愛唱聖句と尋ねられると、時代とともに変わりましたが、牧師になってからは特に挙げるほどのものはなくなりました。強いて言えば、マタイ福音書の冒頭に記されている「イエスの系図」の箇所です。聖句としては聖句らしくなく、あまりにも長いのですが、この固まりを一つの聖句と見なしたいと思います。
 新約聖書を開くと一番最初に目にする言葉です。この箇所の出会いは、教会に行き始めた最初の頃でした。自然に涙が頬を伝わって流れるということにはなりません。ここには人の名前が羅列してあるだけで、無味乾燥とも思え、多くの人は読むにつれて段々いやになり、途中でやめて、この箇所をすっ飛ばして次に移るのです。新約聖書の一番最初ですから、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」とでもすれば、もっと聖書に親しむ人が多くいたかも知れません。しかし福音書記者は、系図を最初に記したのです。この箇所をずっと長い間、無視し、すっ飛ばしていましたが、ある日、このイエスの系図が最初に置かれているのはなぜなのかとの問いに、ゆっくり読み始めました。退屈さを忍耐で包み込んでという心境でした。しかし読み始め、調べ始めていくと、この箇所が自分に取って、頭から無味乾燥的なカタカナ文という食わず嫌いが大きく変化して行きました。
 ご存知のとおりこの系図には「タマル」「ラハブ」「ルツ」「ウリヤの妻」、そして「マリヤ」と五人の女性の名前が記されています。それもイエスの母マリヤ以外の四人の女性の名前は、姑をだましたり、遊女であったり、異邦人であったり、ましてやウリヤの妻バテシバの姦淫の女と、人前に出すには気後れしそうな人ばかりです。そのような観点から見るならば、マタイ福音書の系図には書き記してはならないし、イスラエルの選ばれた民ということから考えても、極めて不思議な人物を書き記していまです。彼女たちの名前は抹消してもよく、アブラハムの妻サラ、イサクの妻リベカなど偉大な人物を支えてきた妻の名前が明記されてもおかしくないのに、系図はそうは記さないのです。
 イエスの系図には、これら四人の女性の名前が敢えて記してあるようです。イエスの系図は、ありのままの姿を記し、私たちの思いとは逆に、この四人がキリストの誕生にはなくてはならない人物としてあり、私たちに救いの手が差し伸べられていることに気づきます。
 教会に通い始めた頃、どうしておもしろくない、意味のない人の名前を長々と記してあるのかと不思議に思いました。しかし今では、何か壁に突き当たったとき、この箇所を読むと、意味のないように思っている中に大きな意味があることを知らされ、立ち止まらせてくれる箇所となっています。その意味でイエスの系図が福音として私に迫ってきます。 

信徒の声「教会の宝石を探して」

西教区 神戸教会 信徒 大﨑 英一
Q.近況についてお聞かせください
A. 教会生活は 年、今年で 歳になります。会社生活を終えたのが 年前で、その後、老人大学の受講、地域の自治会(5000世帯)のお手伝い、家庭菜園、春秋の国内旅行と楽しさ溢れる予定表で唯一残っていた公職も四條畷の「るうてるホーム」の理事のみでした。ところが、昨秋進行胃ガンの診断を受け生活が一変しました。抗ガン剤のみの治療方針が決まり、食欲不振、脱毛、味覚障害、ふらつき等の副作用に見舞われました。
 早い時期から朝比奈先生はじめ小泉潤先生、市原正幸先生が病院に来てくださり、脱力感の中にある私を慰め、励まし熱い祈りを献げ、力を与えてくださいました。感謝で涙が止まりませんでした。
 ブラジルに居る長女はルーテル・サンパウロ教会の教会員からいただいたプロポリス錠剤やアガリクスをもって帰国し主治医の話を聞いていました。
Q.昨年は大﨑さんの呼びかけで「大熊牧師を覚えて」宣教記念集会が行われました。これについてお聞かせください。
A. 大熊四郎牧師は1954年召天されましたが、その遺徳は教会員のなかに生きつづけ、当時教会学校生徒であった内藤和子さん、牧田稔さんと3人で当番をしました。私は昭和 年、先生から洗礼を受けましたが、今日の教会生活は先生なしには考えられません。先生を偲ぶ会は「葡萄の枝の会」と言い、この 年間に7回集まっております。今は 歳前後の熟年世代が先生の聖書研究会のガラテヤ書「人よりにあらず、人によるも非ず」を基本として納得のうえ会が進行するのです。高齢のため出席の難しい方や亡くなった方々は、ご家族やご遺族が出席してくださいました。
 大熊牧師のあと、長沼三千夫牧師、江副栄一牧師、牛島義明牧師、上道信義牧師(以上 人は故人)が来られ続いて野口泰介牧師、松岡俊一郎牧師、朝比奈晴朗牧師が来られました。顧みると神戸教会は大変恵まれた教会で優秀な牧師を派遣してくれた教会本部や教区に大変感謝致します。
Q.長い間神戸教会に集い、歴代の牧師を支えて来られた大﨑さんにとって「教会の宝」とはなんでしょうか
A. 教会の宝とは、歴代牧師と信徒と丘の上のチャペルであります。一つの教会で信仰生活を終えることができそうな私にとり、神の恵みは神戸教会に十分にあると思っております。
Q.最後、に信仰生活に影響を受けた本などがありましたらお教えください
A. シェンキェヴィチ著「クォヴァディス」です。洗礼を受ける前、学生時代に読んで非常に強い印象を受けました。ローマから脱出しようとするペトロがイエスと出会い「クォヴァディス ドミネ(主よ、何処に行き給う)」と呼びかける。するとイエスは「なんぢ我が民を捨つる時我ローマに往きて再び十字架に掛けられん」とお答えになる。この箇所を読んで、どの様な時でもイエスは共に居てくださる、ということを強く確信し、感動いたしました。

求道者の旅 14

*「求道者の旅」より抜粋
ケネス・J・デール  ルーテル学院大学名誉教授 引退宣教師

第14回 三つの神

 ルーテル教会では6月に三位一体の祝日が守られています。伝統的信条に、三つのペルソナ(位格)を持つ、三位一体である神が記されています。昔のアタナシウス信条に、次の逆説的な表現があります。「真のキリスト者の信仰とは、一なる神を三位において、また三位を一として礼拝するのである、、、父は永遠であり、子は永遠であり、聖霊は永遠であるが、しかし、それは三つの永遠ではなく、一つの永遠であり、そして図り難いものです。」

 私たちのどの教会の伝統的信条にも、三つのペルソナ(位格)を持つ、三位一体である神が記されています。何と頭を悩ませる神学的信条ではありませんか。「三位一体の神」という考えは、今日私たちに取って意味のあるものとする事が可能でしょうか。


なぜ「三位一体」なのでしょう

 神は三位一体であるという古代の教義は当惑させるものですが、今私は次のように意味付けています。すなわち、神は完全に超越した、宇宙の創造主です。神は始源であり、根源です。父が家族の創始者であるように「父」と呼ぶ事ができるのです。
 しかし、神は同時に神秘的で霊的な方法で人間の魂に働きかける、完全に内在的な存在でもあります。これは神の霊の働きであり、私たちはこれを聖霊と呼んでいます。
 そして、父なる神の性格と、聖霊の働きの内実に具体的に洞察を与えてくれる鍵は、史的人物としてのイエス・キリストに他なりません。
 
三位一体のそれぞれの意味
 創造主としての「父」はすべての物質界、科学の領域と関わります。「父」は創造の業を示します。
 史的人物としての「子」は人間社会や人間関係、すなわち倫理の領域と関わります。「子」は愛と正義を示します。
 助け主としての「聖霊」は、精神的世界、霊的な体験の領域と関わります。「聖霊」は一人一人の内的変容を示します。

逆説
 神は
  創造においてご自身を隠され、
   しかし、イエス・キリストにおいてご自身を明らかにされ、
  私の深奥の自己の霊に留まり、
   しかし、私自身とは全く別の存在であります。
 これらの逆説の中に、三位一体の神の神秘があります。
(K.デール、上村敏文共訳)

聖研「詩編を味わう」

2.つぶやきの信仰  

 文:賀来周一
主よ、わたしの言葉に耳を傾け、つぶやきを聞き分けてください。
わたしの王、わたしの神よ
助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。
あなたに向かって祈ります。
主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。
詩編 5編2~4節

 神への祈りは、常に感謝と讃美の言葉で綴らねばならないのでしょうか。人はときに辛い思いをもって今日を生きねばならないこともありましょう。朝目覚めるとき、嗚呼今日も重苦しい一日が始まると思い、夜床に就くとき、明日の目覚めがないことを願う日々を送る人々にとっては、口から出る祈りが感謝と讃美にあふれるとはとても思えません。むしろ愚痴と嘆きではありませんか。
 
愚痴と嘆きの居場所
 嘆きの詩編といわれる、この詩の作者は人には言われぬ重たい日々を送っていたのでしょう。眠れぬ夜を過ごし、朝目覚めた時に真っ先に心に思い浮かぶのは愚痴と嘆きだったにちがいありません。ついつい神への祈りはつぶやきとなって口から出るのです。これを不信仰というのでしょうか。これを不信仰というなら、口先だけの感謝と讃美の方がもっと不信仰といわねばなりません。作者は、神が「つぶやきを聞き分けてくださる」お方であると知っています。つぶやきは聞かないように、別にしてくださいという意味ではありません。つぶやきだけを聞いてくださいといっているのです。神はつぶやきを聞いてくださいます。毎朝、神に向かってつぶやくことができる信仰をもっている人は幸いです。神は本音を聞いてくださるお方であることを知っているからです。
 作者は、本音で神と向かいあっているのです。信仰の世界は、奇麗ごとを許さず、ありのままをさらけ出すことをよしとする世界です。ときにつぶやきは、嘆きとなり怒りとなり、悲しみとなることもありましょう。言ってみれば、神に対するわがままです。しかしながら、彼にとっては、神はわがままを聞いてくださる方でありました。なんという素晴らしい信仰でしょう。
 もしも信仰の世界が、整った感謝の言葉と美しい賛美の調べだけででき上がっているとすれば、眠れぬ夜を過す人々は、どのような言葉を口にすればよいのでしょうか。取り繕って感謝と賛美をささげたとしてしらじらしい思いが付き纏うだけです。
 現代の教会は、信仰の世界を美しく飾り過ぎます。信仰者は、元気で、明るく、健康でなくてはならないかのようです。愚痴をこぼしたり、メソメソしていたのでは不信仰の中からまだ抜け出していないのだと叱咤されるかもしれません。美しくて健康な信仰の世界だけが大手を振って教会の中を闊歩するなら、愚痴と嘆きをこぼす者は居場所を失います。信仰の世界は、愚痴も感謝も嘆きも喜びも等しく堂々と教会の中に居場所を持たねばなりません。
 笑いより悲しみを、喜びよりも愁いを 
 ヤコブの手紙は、それ以上に驚きのメッセージを伝えています。「笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい」(4 章9節)と言うのです。笑いよりも悲しみを、喜びよりも愁いを信仰の場に引き出しているのです。笑いと喜びだけが信仰にふさわしいとは言いません。このヤコブの手紙の言葉は、眠れぬ夜を過す者にとっては、この上ない慰めです。教会の裏舞台であたかも不信仰のしるしを掲げたかのような愚痴と嘆きのつぶやきが、信仰の世界の中に市民権を得ていることを教えてくれるからです。
 神は朝ごとにつぶやきの言葉のみが神への祈りであるような者の声に耳を傾けてくださる、しかも、取り分けてつぶやきを聞き分けてくださる、このような神との祈りの時を持つ者は幸いです。
 しばしば教会の看板には、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11章28節)とのみ言葉が掲げてあります。疲れた者、重荷を負う者は、元気がありません。目頭が涙でうるんでいるかもしれません。ついつい愚痴が口からついて出るのであり、嘆きの言葉が祈りの代わりとなることもありましょう。「休ませてあげよう」とは、主は「それでよいのだ」とおっしゃっていることに他なりません。主がゆるしてくださるのであれば、立派な信仰の姿です。「つぶやきを聞き分けてくださる」お方がそこにいますことを知っているからです。

各地の働きから「宣教する教会」

バザーのこれから、新しいカタチ

 バザー――それは教会の定番行事の一つ。しかし、社会的変化や教会構成員の変動など様々な理由によって、その在り方が問われています。本誌編集部からの投げかけに3つの教会から応答をいただきました。バザーのこれからを考えるきっかけになればと願っています。

宮崎教会

 「教会バザー」から「オープンチャーチ」と名称を変えて、3年目を迎えます。教会が地域に根ざし、より多くの人たちが教会に足を運んで下さるようにするにはどうしたらよいか、毎年試行錯誤を重ねながら歩んでいます。そして、それは(1)教会の活動の一端を見ていただく機会とすること(2)地域の方たちと一緒にやり、かつ交流の場としたい、という私たちの希望に沿って行なわれています。
 イベント会場(礼拝堂)では、わらべ歌・お話し読み聞かせ・パイプオルガン演奏等を親子で楽しんでいただき、集会室では食堂・食品や物品の販売。屋外では、地域の福祉作業所の方たちによる出店(クッキー・パン・手芸品・苗木等)があり、また公立大の学生たちによる「地雷ゼロ宮崎」の活動写真の展示やお話し。子どもコーナーでは、地元のボランティアの方によるバルーン遊び等が行なわれます。
 当日は、若い世代の親子の姿が多く見られるようになりました。教会の明日へ繋げることができるようにと、願っています。           (三好けい子)

岡山教会

 岡山教会では、2005年度より、従来行われていたバザーの形を少し変えて、ただ物品の販売をするだけではなく、もっと地域の人たちとの交流の場、教会員も楽しめる場にするために、「秋のるうてるフェスタ」という名称で新しい試みをしてみました。
 結果は、大成功で、フェスタ当日の11月13日は大雨だったにも関わらず、大勢の方が教会を訪れてくださいました。特に、教会員の「作品展示コーナー」は好評で、写真や、焼き物、絵画や書などの作品が飾られ、お客さんとの間で楽しい会話が交わされておりました。また、コーヒーやケーキを楽しみながら、ギターの弾き語りに合わせ、みんなで懐かしい歌やポピュラーな歌を歌った「歌声喫茶」も大変な盛り上がりで、家族連れの方たちからも、「こんな機会は、なかなかない。ぜひ、またやってほしい」とのリクエストを多数いただきました。
 やはり、教会員にとっては大忙しの1日となりましたが、今年は更に工夫して自分たちも無理せず楽しめる行事にできたらと考えています。
(坂本千歳)

千葉教会

 千葉教会では、一般的な形式(?)のバザーが今年も開催されました。と言っても、関連施設から人的にも、物的にも多大な支援を受けていますから、恵まれた環境にあると言えるでしょう。地域にも根ざし、4月29日には近隣よりたくさんの方々が来場されます。また、信徒が友人、知人を誘う機会としても意義があります。
 千葉教会バザーの目玉は様々ありますが、手作りパンや菓子、農家で獲れた野菜や教会員の畑で獲れた草花などは口コミでも広がり、人気を集めています。
 バザー当日は、教会の活動を画像にして紹介したり、教会案内を買い物袋に入れたりしています。成果はすぐには表れませんが、中に入ってもらうこと、教会の雰囲気を味わって、身近に感じてもらうことが大切だと思います。
 近年、フリーマーケットや格安ショップの台頭により、バザーのあり方が問われています。同じことを習慣的に繰り返すのではなく、かつ今の形も大切にしながら、新たな展開を目論んでいるところです。

議長コラム(m-yamanouchi@jelc.or.jp)

日本国憲法を護ろう

  5月3日は憲法記念日です。今、力の均衡による平和維持論から、丸腰による平和創造論への大転回が唱われている日本国憲法が、危機にさらされています。それは、この憲法が、二度の原爆被爆という悲惨さを体験した中から生まれたということが、忘れられようとしているからです。
 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という諺がありますが、日本の歴史は、今、その愚かさを犯そうとしています。戦争を知らない世代が国政の指導者となった今、あの日本国憲法の人類史的意味が見失われようとしています。
 前文に「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」とありますが、今、この文言のもつ意味が、「国際貢献」という名のもとに、乱暴に捩じ曲げられています。
 ここでいう「名誉ある地位」とは、人類が未だに取り組んでいないことを実現させることによって得られる地位です。それは、常に幻想に終わってしまう武力の均衡による平和維持から、丸腰による平和創造への転換です。それを実現させるために、日本国憲法の第九条が規定されました。即ち、人類はこれまで、相手と同じ力を持ち合うことによってお互いを牽制し、一方が他方を支配することのないように目論んできました。しかし、その目論みは常に破綻して来ました。この愚かな歴史を繰り返さないことを誓ったのが、日本国憲法の前文と第九条なのです。
 力の均衡による平和維持論は、お互いを敵視する人間観に基づいています。日本国憲法の前文はまずそのことを否定しています。曰く「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」。ここに、人類が勝ち取った平和への大転回があります。
 日本国憲法を人類の宝として存在し続けさせるために、どの国も仮想敵国とみることなく、積極的に交流して、平和を創造して行きたいと思います。

新任挨拶

神の召しに応えて

今年任用された3名の教職の方々からメッセージをいただきました(敬称略)

『イエス様を誇りに!』

花城 裕一朗  浜松教会
 すべてが新しい出会い・環境であるはずなのに、前に来たことがあるのではないかと思われるほど、とても自然で、心に安らぎを感じています。これも神様の御導きと思い、感謝しています。
 浜松教会は静岡大学の通りに面していて、毎日、人も車もたくさん通っています。伝道のアイディアがウズウズしています! 浜松教会の皆さんも伝道したくてウズウズしています! 教会にしかないものを大切にしながら、堅実にやっていきたいと思います。

『東京教会に来てくださいね』

関野 和寛   東京教会
 毎朝聖書を開くことから始め、 週間戦ってこられた会員の方には「おかえりなさい!」と、悩みを抱え入ってこられた方には「一緒に神さまに祈りましょう……」と語らせていただく毎日。
 きっと誰でも東京教会に一歩足を踏み入れた方は、神さまの家に呼ばれているんです。イエスさまがこの東京教会に、そして大久保通りに立っていたらどうされるだろうか。「神さま、どうしたらいいですか」とすがりながら、全力で伝道していきます。

『ただひとつの持ち物』

西川 晶子  防府教会、徳山教会、益田教会、柳井教会
 島根・山口にまたがるシオンの群れに遣わされて約ひと月。自分が一番何も持たない、ということを実感する毎日です。
 しかし「ペトロは言った。『わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい』」(使徒言行録3章6節)。他ならぬ主が、その何も持たない者とともにいて、みことばを委ねてくださっている。その事実に感謝して歩みたいと思っています。よろしくお願いいたします。

ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校  学長・校長・チャプレン就任式

2006年4月5日(水)午後3時~
 学長・校長・チャプレンの任期は4年間。法人理事会の議を経て、学長に市川一宏教授(再任、2期目)、校長に江藤直純教授(再任、2期目)、チャプレンには河田優牧師が新に着任された。
 式では、「喜びを内に秘めて」と題した山之内議長(JELC)による説教から、それぞれが担う責務を全うすべく、力強い支援のメッセージが語られ、続いて高野議長(NRK)の司式による3名への就任式へと進められた。
 神学校の創立から数えて97年、日本福音ルーテル教会(JELC)並びに日本ルーテル教団(NRK)を母体として歩む学校として、新たに選ばれた指導者のもと、神と世に仕える人材の育成機関としての働きに、一層の期待が寄せられている。

第6回ディアコニア環境・人権・平和セミナー報告

2月11日、名古屋で「われらに日毎の糧を今日も与えたまえ」と題し、中井弘和氏(静岡大学名誉教授・小鹿教会員)にお話を伺いました。
 世界の飢餓人口は12億、2秒に1人は飢えのために死んでいる。飽食日本の穀物自給率は24~28%と、仏(190・7)米(134・6)印(99・7)中(95・8)などアジアの中でも異常な低さ。それを知らずに安価な輸入食料を買い求める消費者。そのことが日本の農業を衰退させ、世界の環境を悪化させ外国にまで迷惑をかけている―地球規模で考えたときに「日毎の糧を今日も与えたまえ」という祈りが現実の切実な祈りとなるために、私たちは何を変えていかなければならないか。
大きなテーマを前に、さまざまなことを学んだセミナーでした。詳しい報告は、ネットワーク機関紙「緑豊かな国に」次号掲載。
(全国ディアコニアネットワーク)

各教区の新任常議員一覧

総会で選出された新常議員

●北海道特別教区
教区長:藤井邦昭
副教区長:--
書記:岡田 薫
会計:渡辺建生
伝道・奉仕:大賀隆史
教育:ビリピ・ソベリ
社会:--
財務:山本雅啓

●東教区
教区長:立山忠浩
副教区長:大柴譲治
書記:平岡正幸
会計:豊島義敬
伝道・奉仕:杉本洋一
教育:佐藤和宏
社会:浅野直樹
財務:鳥飼一成

●東海教区
教区長:青田 勇
副教区長:--
書記:三浦知夫
会計:安井則夫
伝道・奉仕:齋藤幸二、中山俊美
教育:--
社会:末竹十大
財務:--

●西教区
教区長:立野泰博
副教区長:滝田浩之
書記:滝田浩之
会計:石田博美
伝道・奉仕:平岡博
教育:平岡博
社会:竹森洋子
財務:狩野俊明

●九州教区
教区長:長岡立一郎
副教区長:沼崎 勇
書記:沼崎 勇
会計:末吉諦
伝道・教育:日笠山吉之
社会・奉仕:潮谷愛一
財務:末吉諦

日本キリスト教協議会(NCC)第36回総会

 NCCの第36回総会が、日本基督教団下谷教会を会場に3月13-14日に開かれました。
日本福音ルーテル教会からは9名の総会議員が選出されています。
 今回総会では、鈴木伶子議長に代わり、輿石勇氏(日本聖公会)が新議長に選出されたほか、第36会期活動方針と諸委員会設置が承認されました。
 各加盟教団の教勢低下からくる財政難も緊急課題で、NCCの抜本的な組織・財政の見直しが課題とされています。

訂正

お手元の教会手帳の住所録に誤記がありました。以下の通りに訂正します。
■紙谷守(※電話番号)
電話・FAX共用 0977・24・8400
■銚子集会所
電話番号が記載されていますが、現在電話はありません。
■中越ルーテル教会(日本ルーテル教団)
電話・FAX共用 0256・33・1857

住所変更

■川口 誠
〒431・0423 静岡県湖西市入会地12の26

市町村合併に伴う住所変更
■甘木教会
〒838・0068 福岡県朝倉市甘木1861
■丹澤 桂
〒409・3842 山梨県中央市東花輪1351の6

06-04-15るうてる《福音版》2006年4月号

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バイブルエッセイ「光」

さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。わたしは、世にいる間、世の光である。」ヨハネによる福音書9章1~5節(日本聖書協会・新共同訳)

 「見えなくなるとねぇ見えるようになるのよ。人の心が」
 今年の1月初めに、突然両目を失明した友達が私に言った。
 彼女の目は、ちゃんと開いて私の方をみている。
 彼女の目からは、涙があふれている。

 「見える」って何だろう?
  私には、彼女に全てが見えているように見える。
 でも彼女は私に言う。
 「急に真っ暗になった。何も見えないんだ……せめて、光だけでもいい、わかりたい」
 彼女から今年もらった年賀状を読み返す。「大好きだよ」と書いてある。
 彼女自身の字で。
 どうしてだろう。ついこぼれてしまう言葉。
「どうしてだろう」
 私たち一人ひとり、大きくても小さくてもつい、どうして?と叫びたくなるようなことに出会う。
 そんなときに「それはあなたに神様の業が現れるためです」なんて言えるだろうか。
「そんなこと大したことないよ、あの人と比べてごらんよ」なんて……。
 比べられない痛み。
 それは心?肉体?その人にしかわからない。
 でも、私もあなたも出会った一人ひとりと共に生きることはできる。
 その一人のために祈ることはできる。
 あなたの目で、あなたの耳で、あなたの手で、あなたの体全体で、その人を見ることができます。
 たった一つの大切な命を。

 私は祈ります。
 天の神様、今ここにいるすべての一人ひとりと心を合わせ祈れることを感謝いたします。
 急に目の光を失い戸惑いの中に在る方のために祈ります。目という部分に限らず、心や生きることから光を見失い、孤独の中にある人々がなんと多いことでしょう。ときには、なんだか理由がわからなくて、イライラしたり不安の中にいる人もいます。
 どうか私たちが出会うそのような人々にも真の光である主を証ししていくものとして、私たち一人ひとりをお用いください。
 私たちが光になるのではなく、真の光である主を私たちが示すことができますように。私たち一人ひとりの出会う一人ひとりのために祈るものとなるように私たちを強めてください。
 主イエスキリストの御名により祈ります。アーメン。S

心の旅を見つめて 堀 肇

人生早期に母と子の絆を

母子関係を一言で言えば
 人の心の悩みに関わっていていつも思うことは、生来の性格傾向と選べない家庭、そしてそれに伴う心理的環境とそこに発生する様々な問題の複雑さについてです。分けても心の発達と成長の土台ともなる母子関係のもつ重さには圧倒されるものがあります。その母子関係を「一言で言えば」といった私なりのまとめ方がないわけではありませんが、ここでは多くの方々に参考にしていただきたく、ある方の言葉を紹介したいと思います。
「人生早期の絆を強固に結び、子ども期を通して、お互いによりよき保護(母から子へ)と依存(子から母へ)を経験すること。その後迎える思春期に、機が熟した時、母と子は別れゆくこと。そして最も親しい独立した人間同士として、愛と信頼を抱き合って生きつづけること。母子関係を要約すれば、このようになろう。」
 子どもが誕生してから成人するまでの母と子の関係について、発達心理学的に言っても実に的確に表現された言葉です。

人生早期の絆を強固に

 この中で最も大切な部分は「人生早期の絆を強固に結び」というところです。これは母と子の基本的信頼とかアタッチメント(愛着)などと言われている体験を起点に形成されていく幼少期の母子関係と言ってよいでしょう。ごく一般的に言えば〝甘えさせる〞ことなのですが、この体験によって子どもはこの世界には自分を決して見捨てない人がいるという安心感と人間への信頼感を獲得していくわけです。これが心の成長の土台となるのです。
 この土台がしっかり築き上げられ、やがて、それこそ機が熟したとき、「母と子は別れゆくこと」ができ、「最も親しい人間同士として愛と信頼を抱き合って生きつづけること」が可能となります。そして何よりも自分をあるがままに受け入れることができ、また他者への暖かい対人感情を身につけることができるようになっていくのです。
 しかし現代はこの土台作りがなかなかうまくいきません。「人生早期の絆」を結ぶよりも「人生早期の教育」に熱心になり、精神的自立や心の成熟にブレーキをかけてしまっているのではないでしょうか。

遅すぎることはない
 ところで、一般にこういう話が身にしみて分かるには、子育てに苦しんだり、家族関係が機能しなくなったりしたような場合です。子どもから「愛されている感じがしなかった」とか「全然気持ちを分かってもらえなかった」などと言われたりして初めて過去の親子関係や家族の歴史を振り返るようなことが多いのです。多くの人が「もっと早く気がついていれば」と言われます。
 しかし遅すぎるということはありません。注げなかった愛を注ぎ直し、伝わりにくかった気持ちを伝え直すことはできます。宿題は後でもできるのです。聖書に「愛するに時があり」(口語訳「伝道の書」3章8節)とありますが、親子関係にもその人の機が熟す時があるのではないでしょうか。もちろん人生早期に強固な絆を結ぶことができれば、それに勝る関係はないのですが。

HeQiアート

Losing Paradise by He Qi www.heqiarts.com

失楽園

 主なる神は言われた。
 「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。創世記3章23~24節

たろこままの子育てブログ

「門出のとき」

光の子として歩みなさい エフェソ信徒への手紙5章8節

 いよいよ、春本番。新入学シーズンの到来ですね。式の前にお子さんが、またはお孫さんが初々しい姿で玄関で挨拶をなさって、思わず目頭が熱くなってしまった方もいらっしゃるかもしれません。

 ビデオやデジカメを片手に我が子の撮影に励んだ親御さんも沢山いらっしゃるのではないでしょうか。身内に直接そういう子がいない私でも、子育てを卒業した通りすがりのおばちゃんも、ランドセルに背負われているような子どもを通りで見かけるたびに、「ああ、輝いているなぁ」と思わず口元がほころんでしまいます。
 それは決して持ち物や衣装がブランドものであるという理由からではなく、その子自身が、何のためらいもなく将来への希望に満ちあふれているからではないでしょうか。

 この世でいう「輝き」には、一つは「外面的、この世的な輝き」、そしてもう一方で「内面的な輝き」と、二つの側面が隠されています。
 前者が地位や名声、財産や経歴だとすると、後者が優しさ、誠実、正直で寛容、忍耐など、一見目には見えないものといったところでしょうか。
 こういったキラキラした子どもたちを見て心を洗われる気がするのは、その存在がお金のあるなし、外面的な存在に関わらず、その心にあるものが全身に素直に現れているからだと思います。入学おめでとう、進学おめでとう。年を重ねるたびにこの世的な存在に浸かりがちな私たち親も、希望あふれる「光のオトナ」としてあなたたちと伴走していきたいと思います。

06-04-15るうてる2006年4月号

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教職授任按手式礼拝

 3月12日(日)、宣教百年記念会堂(東京教会)にて、2006年度教職授任按手式礼拝が執り行われました。神と230名の会衆に見守られ、そして全国の兄弟姉妹の祈りを受け、3名の教職が誕生しました。

 会場を埋め尽くす230名の会衆に見守られる中、明比輝代彦牧師(東海教区長)の司式により、2006年度教職授任按手式礼拝は進められました。山之内正俊総会議長はローマの信徒への手紙10章14節~17節から「福音を一人ひとりに」と題して御言葉を取次ぎました。
 授任按手の部では、松岡俊一郎事務局長より、関野和寛氏、西川晶子氏、花城裕一朗氏がそれぞれ赴任先と共に紹介され、誓約に移りました。
 按手と授任は、議長、副議長、各教区長、教師会長、そして各宣教師会の代表が一人ひとりの頭に手を置き、「神のみことばを宣べ伝え、聖礼典を執行する務めを受けなさい」と、赴任先の教区長より、ストールを受けました。
 聖餐の部では、新たに教職として立てられた3名が配餐者に加わり、会衆一人ひとりに「キリストのからだと血」とを分かち、3名の教職の誕生を実感する機会となりました。
 関野牧師は東京教会協力牧師として、西川牧師はシオン教会(防府・柳井・徳山・益田・六日市)へ、花城牧師は浜松教会へそれぞれ遣わされます。新しい教職が与えられた恵みに感謝すると共に、どうぞ、それぞれの働きのためにお祈りください。

4月2日は日本福音ルーテル教会宣教開始記念日

 4月2日は、宣教開始記念日です。
 これは、1893年(明治26年)の4月2日のイースターの夕べに、日本福音ルーテル教会としての最初の公的な礼拝がもたれたことに由来しています。
 この礼拝は、佐賀市松原明治通の古い民家を礼拝堂にして、シェーラー宣教師の説教、最初の邦人牧師山内量平師の司式で行われました。ルーテル教会のメンバーは、ほかにピーリー宣教師と山内量平夫人のみの4人で、他に佐賀市内の日本基督教団の会員数名が応援に駆けつけてくれたとの事です。

 宣教百年を祝った1993年は、4月2日の夕刻に、この佐賀教会を会場にして、宣教開始百年感謝礼拝が持たれ、その場で3名の新任牧師の按手式が持たれ、180名が各地から集まりました。

今年、宣教開始から113年が経ちます。
これまでの神様の導きと、先人の努力を思い起こしながら、各地の教会や、それぞれの信仰のこれからの歩みをおもう有意義な日になればと思います。

クリスチャンのライフカレンダー

一生を主と共に

 キリスト者として生きる私たちの人生には、いろいろな節目があります。誕生の時。いいえ、その前に神様によって命が与えられ、母の胎内にいてこの世界に一歩踏み出すのを待っている時。そして、命が与えられ、やがて老いてゆくまで、悲喜こもごもの長い或いは短い一生を神様とともに歩んでいます。そこで人生の節目節目に起こる出来事をどのように捉えたら良いか、その時々をどのような心で迎えたらよいかを考えてみたいと思っています。

 題して「クリスチャンのライフカレンダー」。「父や母から子へ、ある時は、祖父母から孫へ、そのまた逆方向へと様々な手紙」シリーズでお届けします。お読みになって、きっと、私は、こう思うとか、こんな経験をしたとか、ご意見が溢れることでしょう。その時は、編集担当まで、お寄せくださるようお願い致します。「るうてる」などで分かち合いたいと思います。
 神様の御心に聴き従い、共に祈りつつ・・・。

Information

Teensの詩が本になりました。

第13回全国春のティーンズキャンプで参加した72名のティーンズが表現しました。
「いのちの詩」(A4変形140ページ)1冊500円
申込は…
宣教室TNG-Teens佐藤和宏まで
email:kz-sato@jelc.or.jp

るうてる700号記念!

 今月号は、記念すべき700号になりました。
 広報室では、これを機に、創刊号からの機関紙の歩みを振り返りました。歴史の中で廃刊や新装、休刊も繰り返しながら、日本福音ルーテル教会の歴史を刻み続けてきた機関紙の歩みが見て取れます。
 そこで、今月は創刊号や、るうてるの歴史を特集した特別付録が付録になっています。皆様も、この変遷を見ながら、先人の歩みと神様の導きに共に感謝していただければと思います。また、「るうてる」縮刷版のDVD-ROMも発売することになりました。視覚障がい者の方の要望にもお応えしようと、「テキストるうてる」もインターネット上に掲示し、希望者には電子メイルでお届けすること、などいくつかの新しい取り組みも始めます。詳細は付録をご覧ください。
 これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。

<牧師の声>私の愛唱聖句

西教区 広島教会 牧師 立野泰博

神の言葉を売り物にせず(コリントの信徒への手紙二2章17節)

 今回から新しいシリーズが始まるとのこと。その第1回目を与えられて感謝です。「私の愛唱聖句」ということで、いろいろと考えてみました。
 九州学院高校ではじめて聖書を手にしました。そして、イエス様の言葉に「ここには真実というものがある」と感動したことを覚えています。ところがそのとき、それがどのみ言葉だったか、たぶん聖書全体に感動したのだと思いますが思い出せません。高校生という思春期に聖書に出会ったことは感謝でした。それかも人生の重要な場面で聖書のみ言葉に支えられてきたのは確かなことです。ただ、その中のたった一つといわれれば、コリントの信徒への手紙2、2章17節です。私の愛唱聖句であり、牧師としての確認のみ言葉でもあります。
 いまも説教壇に立つたびに 心の中にある子供の声が聞こえてきます。それはいつもこう語りかけてくるのです。「先生は自分の話を自分で聞いて面白いと思う?」。この言葉を忘れることはできません。まだ神学生だった時、教会学校礼拝で説教をしたあとに教会学校の生徒に言われた言葉なのです。しかし、感謝して忘れることができない言葉です。いまは天使のささやきだったと思います。
 自分が語ることを会衆になって聞いてみるとき、福音として聞けるかどうか。自分の話は自分にとって福音かと問うてみるのです。これは私の説教の原点です。自分で聞いていやになる話は、人が聞いたらもっといやになるはずです。それは説教だけの問題ではありません。親子の間、友人との間でもおこることです。娘にぐちぐちと怒っている自分が、もし反対だったらと思うとゾッとします。たぶん「もうわかったからやめて」というかもしれません。そんなときに与えられたのが「わたしたちは、多くの人々のように神の言葉を売り物にせず、誠実に、また神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語っています」というパウロの言葉でした。この「神の言葉を売り物にせず」が、生涯の課題でもあります。
 「神様のクレヨン」というエッセイ集を出版するとき、「神の言葉を売り物にせず」という言葉が響きます。自分はこの出版を何のためにするのか。これをとおして何をしたいのかと問うことにしています。そのときに「神の御前でキリストに結ばれて」という聖句に慰められます。すべてのみ言葉は宝石である。キリストに結ばれて語るとき、それは真実の宝石になると信じています。

信徒の声 ~教会の宝石を捜して~

東教区市ヶ谷教会信徒 赤間峰子
キリスト教との出会いについて聞かせてください。
 私は1941(昭和16)年に女学校を卒業しました。父は娘が働くことを嫌っていましたが、一年の約束でお茶の水の保育科に入学しました。そこで周郷先生という方に出会い、その講義の中に神さまやキリストの話がよく出て来ました。それが初めてキリスト教に触れたときでした。今思えば、国立の学校でよくそのような授業が出来たものだと思います。その後、幼稚園に就職し、結婚。主人はキリスト教に反対していましたから、教会へ行くこともありませんでした。
 そんなあるとき、市ヶ谷教会の佐藤邦宏牧師が近隣に配布した「キリスト教通信講座」の申込書がわが家の郵便受けにも届けられ、講座を受けることになりました(第一号だったそうです)。一年ほどで講座を終了し、礼拝に行ってみようということになりました。当然、主人には内緒で、礼拝が終わるとすぐ家に戻る生活が続きました。
 その後、主人、周郷先生が相次いで亡くなり、他に頼るものはないと洗礼を受けることになりました。それ以来、礼拝はほとんど休んだことがありません。今思うと、すべて神さまの計画されたことだと感じています。

「ほしくずの会」で活動を続けておられますが、ご紹介ください。
 カトリックの2人のシスターが炊き出しを始めたことによって「ほしの家」が始まりました。1992年に川本さんに「山谷に行ってみない」と誘われ、好奇心もありましたので、見学ぐらいの気持ちで出かけて行きました。その頃は、まだ本格的な炊き出しも行われてなく、翌月から出来る範囲でやってみましょうということになり、100個ほどのおにぎりをにぎり、自転車で公園に出かけたものです。2Kほどのアパートに大勢の人が集まり、ルーテル教会だけではなく、様々な教派の方々と一緒にいい働きが出来たと思います。
 ところが、ガラスが割られたことで、アパートから退去しなければならなくなり、ほしの家は一時閉鎖されることになりました。しかし、公園に待っている人がいるということで、ルーテル教会だけでも活動を始めたのが「ほしくずの会」です。すべてボランティアですから、強制はありません。自分の出来ることを出来る時間にするようにしています。無理をすると、長く続けることができませんから。
 これらの活動は教会が道を作ってくれたことですし、当然、キリストに押し出されていることと感じています。

今後の希望されることは何ですか?

時代も変わりましたから、若い人の後に続きたいと思います。ぜひ、若い人にご自分の出来ることを出来る時間にという気持ちで、ボランティアをしていただきたいと願っています。

求道者の旅

第13回 4月-新しい命の月

ケネス・J・デール ルーテル学院大学名誉教授 引退宣教師

 4月は、新しい命をお祝いするイースターがあります。日曜日ごとに復唱する使徒信条には「主は……十字架につけられて死に……三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父である神の右の座につき……」何という驚くべき言葉でしょう。イエス様が死から蘇ったということは、皆さんにとってはどのような意義があるのでしょうか。

新たなる力
 最近、私は霊的なスランプを経験いたしました。私の周りと内部に悪の力を感じたのです。しかし、このイースターに際して、イエスの復活を新しく素晴らしい事の象徴として認識することができました。これは新しい形の力を宣言する出来事でした。それは未だ認識されていない、また説明する事ができない命の力です。科学の領域では多くの新しいエネルギーが発見されていますが、イエスの死からの復活に関しても、生きるための命のエネルギーを見る事ができます。人類が知っている生物学、物理学の原理を超えた命のエネルギーの新しい形を、この出来事において発見できるのです。信仰を持つという事は、この偉大な新しい形のエネルギーを信じるという事に他なりません。今でも世界中において、そして私にも働いて下さっているのです。
 信仰とは私を攻撃している悪の破壊的な力が、神の力すなわち「生けるキリスト」によって克服されるという事です。

神秘的な力
復活のイエス、生けるキリスト、彼はどこにいるのでしょう。どのように認識すればよいでしょう。彼は教会を導いているでしょうか。今私と共にいるのでしょうか。復活に関して深く吟味しようとする時、これらの質問は出てきます。「生けるキリスト」を真に信じようとする時、そして心を開きそれを受け入れる用意があるならば、私達に働く不思議な力の偉大な可能性に対して、驚きと喜びに満たされるのです。イエス様を墓から導き出した力は宇宙から消滅してはいません。この真の新しい命の力は、使徒信条「全能の父である神の右の座に着き」の比喩として限定する事はできません。 (翻訳:上村敏文)
*「求道者の旅」より抜粋

 このコラムもう一年続けることになりました。このような形で日本中のルーテルにつながる方々と交わる事ができることを光栄に思います。このコラムを通して新しい角度から信仰の意味を考える刺激となることを希望し、祈ります。また、原本「ASeeker’sJournal」の記事の翻訳をしているルーテル学院大学の上村敏文先生に感謝したいと思います。原本を希望される方があれば、お送りさせていただきます。
お問合せkoho04@jelc.or.jp

【聖書研究】詩編を味わう

1神の祝福を生きる

文 賀来周一

いかに幸いなことか……主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。詩編1編1?3節

祝福にあずかるために
「いかに幸いなことか」という冒頭の言葉は、主イエスの山上の説教にある九福の教え(マタイ福音書5章)にある「幸いである」と同じで祝福されるという意味があります。祝福とは、そこだけを切り分けて聖別することで、信仰者が生きる上で神からいただくものは単純に幸福であるという意味ではありません。まことに神のみがおできになることに人があずかって生きることができるということです。
 祝福をいただくためには、主なるお方の御心に従って生きる者でなくてはなりません。その生き方を示すにあたって、主の教えを守ると言わず、教えを愛するという言葉が使われていることに注目すべきです。愛するとは、神の御心とは何であるかを絶えず求めることなのだということを、この詩編作者は「その教えを昼も夜も口ずさむ」と表現します。まるで歌を歌うように心のなかで口ずさんでいるのです。
 信仰者とされた以上は、神との関係なしに日を過すことはありません。ことさら意識せずとも神との関係のありようを思い描いて生きているはずです。神は一体何をこのわたしに求めておいでになるのか、何をしようと思っておいでになるのか、思わず知らず一日に何度も思い巡らすことでしょう。「口ずさむ」とは、そのようなわたしたちの姿を表します。それこそ信仰にある者の生き方であって、どんな善いことをするか、そんな悪いことをしないかの行為の選択ではないのです。道徳を基準とした生き方とは一味ちがうことを知る必要があります。

生活の中の祝福
 そのような信仰者の日々は、神のみがおできになることにあずかって生きることにほかなりません。それが神の祝福の中にあることなのだと作者は教えているのです。
 しかもそのことは、人の生活の只中で行われる信仰の営みです。「その人は流れのほとりに植えられた木」とありますが、この流れとは人工的に掘られた運河のことで、木もまた植樹された木を意味しています。人が構築し、人の匂いがむんむんする所、それこそわたしたちの日々の生活の世界です。その中にあって主の教えを愛し、口ずさむわたしがいます。
 ときには神の御心はわたしにとって何であるかを探しあぐねることもありましょう。病の床に臥せざるを得ない時、懸命の努力が報われない時、愛が裏切りに出会った時、取り去りようもない人生の重荷にあえぐ時、神の御心はどこにもないかのようです。そのようなとき、この詩編の言葉は大きな慰めです。信仰によって生きる人は、神にしかおできにならないことにあずかることができると教えるからです。
 ヘンリ・ナウエンは、その著「傷付いた癒し人」の中に、一人の神学生を登場させます。彼は病院での臨床訓練につくことになりました。病床訪問に備えてカウンセリングの方法をひたすら学び、病床に訪れます。ある時、懸命に関わった一人の病者が手術の甲斐もなく天国に旅立ってしまいます。彼は、言葉を交わし、祈りをささげ、懸命に関わった病者との日々が一体何であったのかと空しさに襲われるのです。その彼にスーパーバイザーの牧師が声を掛けます。
「君はその病人と最後に別れる時、何と言って別れたのかね」。
「僕は、『また明日』と言って別れたのです」
 牧師は彼に言います。
「君が、普通の人として、その言葉を言ったとすれば、単なる挨拶に過ぎない。しかし、君は信仰者として、その言葉を言ったはずだ。だったら、『また明日』と言った、その言葉の明日は、亡くなった人にとって、永遠の明日になっている」
 人の知恵は、この意味を捉えることはできません。しかしながら信仰の知恵は、ここで起こったことの中に神のみがなさることが信仰者の生活の中にあることを教えます。人の日常の営みでありつつ、その中に神が切り分けて聖別してくださった世界があるということです。信仰者は、その祝福の世界にあずかって生きることができる、これこそ幸いというべきでしょう。

集中連載 総会に向けて……③

総会に向けて各委員長にお話をうかがいました。最後はP6、P7委員長です。

P6(組織と宣教態勢の見直し)

委員長 山之内正俊
  P6の課題は、教会を組織の面から改革することです。先ず第一に、日本福音ルーテル教会を鳥瞰図的に見渡し、教会の規模と配置という観点から、見直しを図りました。そして教会再編という課題を上げ、教会の合同を目指しました。合同には至らなくても、幾つかの教会が協力して宣教に当たるその協力のあり方を強化する方策として、新たに「教会共同体」という概念を導入しました。教会の合同あるいは「教会共同体」形成によって、教会の力を結集し、宣教力を高めることが狙いです。
 次に、常議員会の構成を見直しました。本教会の行政執行機関としての機能を高めるために、教区選出の常議員を、本教会選出の教区所属常議員とし、各教区から男女1名ずつ推薦される中から、本教会総会において各教区1名ずつの常議員を選ぶことにしました。その際、とかく男性のみに偏りがちなのを防ぐため、2名以上の男女を確保することとしました。また、新たに議長指名の常議員を設け、宣教主事の任に当たらせることとしました。この常議員会の構成の改革は憲法を改正しなければなりません。憲法を改正するには、全正議員(出席議員ではなく)の3分の2以上の賛成が必要です。是非、出席して下さって採決に参加して頂きたいと思います。
 総会には、P6関連としては、憲法改正案、本教会規則改正案、そして新規の規定案が提案されます。
 総会では、具体的には、これらの関連する憲法や規則や規定の条文について審議をして頂くことになりますが、何よりも、福音を一人でも多くの人に伝えるという使命を果たすための教会に変身するのだという思いを持って、議論して頂きたいと思います。安定した教会という教会のあり方から、手弁当を下げてでも他者に関わる教会、自分が生かされている福音を一人でも多くの人と分かち合う教会を目指して、教会の改革に取り組みたいと思います。そのような熱意の溢れる総会となることを期待します。

P7(財政計画)

委員長 関口昌弘
1.現在まで取り組んできたこと
 第21回総会期の中で検討・審議してきたことは、①長期財政20ヶ年計画、②教職退職給付制度/教会年金改正、③神学生奨学金制度変更、④土地建物計画支援制度の見直、⑤協力金に関する改正等である。①~③は財務委員会マターとして合同常議員会/常議員会で審議され既に実施(①、②)されているもの、07年度から実施する(③)ものである。
2.総会に提案されること
 ④土地建物計画支援制度の見直、⑤協力金に関する改正の2件である。
 内容的には、合同常議員会/常議員会で確認されていて第22期総会に成文案を提案する。④は、いわゆる1/3方式の見直しであり、自己資金率:貸付率:補助率がそれぞれ50%:40%:10%である。
 ⑤は、「暫定的」にPM21予算を生み出すために協力金の配分率を学院:教区:本教会をそれぞれ10%:40%:50%に変更する。
3.それはどのような変化をもたらしますか
 本教会の財政は、極度に弱体化しており、その部分的なてこ入れに過ぎない。具体的には、本教会の年間必要経費は、約1億2千万円であるが、協力金は、4千万円弱である。この差は、今まで蓄積してきた資金・基金からの繰入と収益からの繰入である。この状態を脱却するのは、容易ではない。
4.総会で議論してほしいこと
 協力金配分案(⑤)が「暫定的」との意味は、07年度と08年度のPM予算確保である。抜本的に本教会と教区のあり方は、教会再編の状況を見きわめた上で、08年総会に新たな提案をすることを意味している。

教勢表速報 受洗者減少は続く

 各教会から集まった2005年度の集計表によると、全国集計の受洗者数は172名と前年に続き減少となり、過去最低を更新しています。
 微増してきた召天者数と、減少を続ける大人の受洗者数は、今年ほぼ一致してきました。これは他教派にも見られることですが、教会員の高年齢化、受洗者の減少、教職者の減少という課題にどこも直面しています。
 教会の現実を見据えて、効果的な宣教方策実現に、全国の祈りと知恵を集めることが期待されます。
 詳細は、総会前に配布される正式な集計表をご覧ください。

世界の子ども支援 チャリティコンサート

 日本福音ルーテル社団(JELA)と日本福音ルーテル教会・世界宣教委員会は、第3回「世界の子ども支援チャリティコンサート」を開催します。今回はハーピストのクリスティーナ・トゥーリンさんを米国からお招きし、くつろぎに満ちたコンサートをお届けします。ぜひ、おいでください。
■テーマ■
Helping Children in Need
餓えや病気に苦しむ子どもたちに愛と希望を!
■入場料■
無料*席上献金の時間があります
■コンサート日程と会場■
5月19日(金)午後7時 田園調布教会
5月20日(土)午後2時 蒲田教会
5月21日(日)午後3時 札幌教会
5月23日(火)午後7時 本郷教会
5月25日(木)午後7時 京都教会
5月26日(金)午後7時 熊本教会
5月28日(土)午後2時 岡山教会
5月28日(日)午後2時 栄光教会
■問い合わせ総合窓口■
日本福音ルーテル社団(JELA) ◆電話:03-3447-1521
※詳細は、各教会へ送付済みのポスター等をご覧ください

議長コラム 16「全国総会に向けて」

 4月は出発の時です。それぞれの教会で、それぞれに新しい歩みを始められたことと思います。
 今年も、牧師の交代が起こった教会が幾つかあります。それらの教会では特に、新しい歩みを始める月として、この4月を感慨深く迎えられたことと思います。希望に満ちた出発の上に、神様の祝福をお祈り致します。
 さて、この4月は、日本福音ルーテル教会全体にとっては、5月3日からの全国総会に向けての準備の時です。私たちの教会では、総会は最高意思決定機関となっています。この総会で、向こう2年間の教会の歩みが方向付けられます。この総会での決議に基づいて、常議員会が具体的な教会行政を執行して行きます。
 今、私たち日本福音ルーテル教会は、『宣教方策21』を大きな指針として掲げ、歩んでいます。今度の総会は、この『宣教方策21』を具体化する総会となります。 この方策の狙いは、教会の力を外に向って発揮することです。教会の使命を、福音を一人でも多くの人に実現することとして捉えるからです。
 今、教会の危機が叫ばれています。教会の危機とは何でしょうか。それは、福音のもつ力が、福音のもつ力そのままに発揮されないことではないでしょうか。ですから、『宣教方策21』の狙いは、福音のもつ力を福音のもつ力そのままに発揮させることです。
 そこには、色々な面での改革が必要でしょう。『宣教方策21』では、次世代の育成、信徒のあり方、牧師のあり方、施設との関係、世界への目の向け方、教会組織のあり方、財政の仕組みといった切り口を捉えて改革に取り組んでいます。
 教会は、何よりも集う一人ひとりが喜びに満たされるところです。そして、その喜びは、その人に留まるのではなく、その人からほとばしり出ます。そのほとばしり出る喜びが、教会の外に向って福音を伝えるのです。そのような教会となることを目指して、5月の総会を迎えたいと思います。
(m-yamanouchi@jelc.or.jp)

先輩からのメッセージ

時代との真摯な対話を!

中村圭助先生

3月末に引退された中村先生からメッセージを頂きました。

 神学校を卒業しながら、当時の教会刷新を願って牧師試験を一時辞退した(9氏宣言)。主の教会への熱い思いがあったからである。1年の自活の後、共感をもって迎えて頂き、以来33年間、主に導かれて来たことに心から感謝している。しかし今、変化する時代の中で、教会の教理的な刷新が求められているように思う。時代への適切な対応がなされることを祈りつつ見守っていきたい。

2006年度牧師補研修

 例年の研修プログラムである2006年度の新任研修及び牧師補研修の第1回が、3月16日から17日、東京教会を会場に行われた。今年は、3名の新任教職・牧師補(関野和寛、西川晶子、花城裕一朗)が対象となった。主な研修内容は、①「日本福音ルーテル教会宣教21について」(議長・宣教室長)、②「日本福音ルーテル教会の牧師像」(教師会長)、③「教会の人間関係」:「牧師と信徒」(三浦知夫牧師)、「教会の危機管理」(益田哲夫)、④「牧師の具体的働き」(北尾一郎牧師)、⑤「信徒の声―牧師に期待すること―」(石原京子、柳原行雄)。なお、中間研修は2006年10月頃、浜名湖周辺で開催する予定である。秋までの各々の牧師補の課題は、a.中間研修までの課題「派遣された教会の客観的分析と牧会及び宣教課題の抽出」(A4・4頁程度)、b.1年間の自己課題の設定である。

インド・ワークキャンプ

2月19~27日に、第2回インド・ワークキャンプを開催した。今回は6名の参加者が、北西部のCRHPという施設に遣わされた。義足作りを中心に、小学校での折り紙遊び、農場の見学、村のヘルスワーカーを訪ね、その働きを見たり、別の村での結婚式にも参加した。言葉の壁を越え、心からのもてなしをしてくださる現地の方々の輝く笑顔に、参加者の不安はすぐに消えていった。日本に戻った今、インドの現状やCRHPの働きを伝え、彼らを支えるため、キリストの手足となりたい。

アスベスト対策を各教区で!

社会でも大きな問題となっているアスベストに対して、昨年、事務局より各教区宛に対応するようと指導がありました。東教区では、早速2月の牧師・代議員会の席にアスベスト問題に携わる関係者を招き、実情を聞くなど簡単な勉強会を開いたようです。各教区でも、対応くださいますよう、お願いします。

公告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。
二〇〇六年三月一五日
宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 山之内正俊
信徒利害関係人各位

森教会

・土地売却
所在 大分県玖珠郡玖珠町大字帆足字大釣
①地番 三二七番壱三 地目 宅地 地積 四五二・六二㎡
②地番 三二七番九 地目 宅地 地積 一・九七㎡
③地番 三三三番二 地目 宅地 地積 二一・五九㎡
・建物売却
所在 大分県玖珠郡玖珠町大字帆足字大釣三二七番一三
家屋番号
種類 教会
構造 木造スレート葺二階建
面積 一階 九四・二一㎡ 二階 一七・三五㎡
売却理由
法人解散による。同教会は永年不活動教会の常態にあり、森教会、九州教区及び包括宗教法人たる本教会常議員会において解散決議がなされ、目下手続き中である。なお建物の所有権は現在森教会にあるが、解散認証次第本教会宛に無償譲渡され、本教会所有の土地と共に売却予定。
以上

2006年度 教職人事異動

第21期第8回常議員会で承認された人事異動についてご報告いたします。

◆人事異動(以下、2006年4月1日付)
・重富克彦札幌教会主任、新札幌教会主任(兼)
・岡田薫 札幌教会協力(兼)
・徳野昌博 小石川教会主任
・栗原茂 稔台教会主任
・小副川幸孝 藤が丘教会主任
・立山忠浩 板橋教会主任(兼)
・谷川卓三 刈谷教会主任(兼)
・三浦知夫 浜松教会主任(兼)浜名教会主任(兼)・秋山仁豊中教会主任(兼)
・永吉秀人 豊中教会協力(兼)
・坂本千歳 松江教会協力(兼)
・立野泰博 宇部教会主任(兼)防府教会主任(兼)徳山教会主任(兼)益田教会主任(兼)柳井教会主任(兼)
・藤井求義 徳山教会副牧師(兼)防府教会副牧師(兼)益田教会副牧師(兼)柳井教会副牧師(兼)
・宮澤真理子 日田教会主任 甘木教会主任(兼)
・箱田清美 唐津教会主任 小城教会主任(兼)
・水原一郎 久留米教会主任 田主丸教会主任(兼)大牟田教会主任(兼)
・後藤由起 小国教会協力(兼)
・重野信之 神水教会主任
・黄大衛 鹿児島教会主任 阿久根教会主任(兼)
・河田優 ルーテル学院チャプレン
・藤井邦夫 九州ルーテル学院大学チャプレン

◆宣教師
・J・ハリュラ 田園調布教会(信徒宣教師)
・D・パーソン 海外宣教主事(専任)
・パトリック・ベンケ(Patrick Benke、長期宣教師)九州ルーテル学院大学

◆任用変更(嘱託任用から一般任用)
・栗原茂
・箱田清美
・野口勝彦

◆新任(牧師補)
・関野和寛東京教会・花城裕一朗浜松教会・西川晶子防府教会(兼)徳山教会(兼)益田教会(兼)柳井教会(兼)

◆牧会委嘱
・古財克成 釧路教会(更新)
・中村圭助 板橋教会(新規)
・小泉潤 知多教会(更新)
・石田順朗 刈谷教会(更新)
・山本裕 浜名教会(新規)
・木下海龍 修学院教会(更新)
・早川顕一 聖ペテロ教会(更新)
・狩野具男 荒尾教会(更新)
・A・エリス 小国教会(更新)甲佐教会(更新)

◆定年引退(2006年3月31日付)
・中村圭助

住所変更

■福本豊子2033 Centergrove Rd.Kannapolis, NC 28083-6238,U.S.A.

※3月号で住所変更の案内をしましたが郵便番号が変更になりましたので再度ご連絡いたします。

市町村合併に伴う住所変更
■合志教会
〒861・1101熊本県合志市合生3937

06-03-15るうてる《福音版》2006年3月号

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バイブルエッセイ「キラキラ、つらら」

ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り主を仰ぎ望んで喜びを得その宮で朝を迎えることを。詩編27編4節(日本聖書協会・新共同訳)

 あるテレビキャスターが、次のように書き記しています。
――山で暮らしていると、毎日のようにたくさんの「なぜだろう?」と思うことに出くわします。~その最たる例がつらら(氷柱)です。外は氷点下なのに、なぜつららができるのだろう」。見ていると屋根からシューと落ちてきた滴がピタッと凍りついていく。「そうか!家が暖かいからだ」。そう思ってひと気のない別荘を見てみる、とつららはほとんどありません。答えは簡単ですが、この発見に僕はたいへん感動を覚えました。「家が暖かければ、それだけ大きなつららができる!」つららは家族の団欒の象徴なのです。――

 昨年、私が通っている教会で4ヶ月近くをかけての建物のリフォームがなされました。昭和33年、満開の桜のもとに建物が完成してから50年近い時間の中で何度かの増改築はありましたが、やはり形あるもの……全体的に老朽化してきていることは否めません。
 特に今回、チャペルを中心にきれいに整えられたことで、人々が集まるこの場所に、あらためて深い意味があることを感じています。
 もともと、このチャペルは聖書のお話に出てくるノアの箱舟の内部をイメージしてデザインされていて、羊を抱いているキリストの姿のステンドグラスを正面に、手造りによる木の長椅子の会衆席が並び、板張りの床から天井にかけては、漆喰の壁に茶色く彩られた柱が縦横に組まれています。
 ここに来るたびに私は何か温かくやさしい空気を感じていました。それは、きっと長い年月を経たこの数々の木造からきている感触だと、ずっと思っていました。

 ところが、それだけではないことに気がつきました。日曜日ごとに牧師によって語られてきた聖書のメッセージは、ただここに集う人たちに伝えられていたのではありません。また、讃美歌を歌う私たちの声もこの空間をただ流れていたのではありません。メッセージも歌声も、チャペルの天井・壁・柱の全てに響き渡り、浸透していっているのです。
 それは、まるで囲炉裏の煙が歳月をかけてその屋内を燻していくように、私たちの神様への想いが長い歴史をかけて教会の建物を燻していっているのです。温めているのです。柱や壁にそっと耳を当ててみると、もしかしたら歴代の牧師の語る声が……また大勢の人々の歌う声が聞こえてくるかも知れません。

 何よりも嬉しいことは、ここに集まって聖書のメッセージを聞くことで、私たちの神様への想いはますます温められていき、また、一緒に賛美することで、私たちの心の喜びも大きくなっていくということです。
 そして、教会の建物の外に出てみると……目には見えないけれども……教会の屋根には、たくさんのキラキラと輝くつららができていることでしょう。神様を想う心のつららが、神様を賛美する喜びのつららが。Jun

堀先生のこころに寄り添って

23.愛することにより愛され

愛されるより愛すること?
 アシジのフランチェスコの祈りとされる『平和の器』の中に「主よ。……愛されるより愛することを……」という誰の心をも打つ言葉が出てきます。「愛されることでなく、愛することを」とも訳されています。いずれにしても愛の在り方の本質をついたすぐれた祈りです。私自身、若い頃からこの祈りを色々の所で多くの人に紹介してきました。今もこの祈りが印刷されたカードを折りにふれ人に贈っています。
 ところが、ある時のことです。それこそ「愛されること」についてひどく悩んでおられる方から、こんな質問を受けたのです。
 「先生。この祈りの素晴らしさはよく分かります。けれども、いきなりそう言われても……。これは、まず愛されないとできないことではないでしょうか。そこがいつも引っ掛かるのです」と。
 とても真面目で自分の心に真実な質問です。実は私も人に薦めながら少し説明がいるのではないかと思っていたことなのです。

愛されているという前提が

 確かに人を愛するということは簡単なことではありません。相手によっては物凄いエネルギーを要します。心に資本がいると言ってもいいと思います。そしてそれは愛されることによってしか蓄えられないのです。ですから愛されなければ愛するということはとても難しいわけです。
 このあまりに自明で厳しくもある事実を考えると、「愛されるよりも愛することを」という祈りは、美しくはあるけれど何ときつい精神修行なのだろうと考えてしまう人があっても不思議ではありません。その意味で少し説明を要するということなのです。こうした祈りの背景には神に愛されているという信仰の世界があります。聖書に「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです」(ヨハネの手紙一4章19節)と記されていますが、この「愛してくださった」が「愛することを」という祈りの前提となっているのです。

やはり愛することから

 神に愛されていると言っても何か抽象的で分かりにくいと言われる方もあるでしょう。しかし人間はたとえ不完全であっても互いに愛し合える者として創造され、今自分がここに生きているということも、様々な形で愛が注がれてきた結果であると考えたいのです。聖書が語る神の愛がいきなり分からなくても、そのような人の愛をいくらかでも感じることがあるなら、たとえそれが小さな愛であっても、先ずその愛をもって「愛すること」を実践してみたいのです。
 K・ヒルティは「愛のとりわけありがたい点は、ただ愛し返されることだけでなく、それよりむしろ、愛することで自分自身が即座に強められ、活気づけられることである」(『眠られぬ夜のために』)と述べていますが、確かに愛することによって「愛し返される」、つまり愛されるという体験に導かれるのです。それがたとえ小さな体験であっても、そのような体験を積み重ねていくとき、神に愛されているというメッセージも次第に分かりやすくなっていくのではないかと思います。とにかく愛する生活への一歩を踏み出したいものです。

堀 肇(ほりはじめ)/鶴瀬恵みキリスト教会牧師・ルーテル学院大学非常勤講師・臨床パストラルカウンセラー(PCCAJ認定)

あいちゃんの聖書人物伝

第12回 ユダ

 イスカリオテのユダは、イエス・キリストの12人の弟子の一人でありながら、裏切りを企て、十字架に引き渡しました。もっとも、それ以上のことについては、殆ど分かっていません。分かっているのは、弟子たちの金入れを預かっていたということくらいです(ヨハネ12章6節、13章29節)。裏切りについても、その過程は記されていますが、動機については不明です(マルコ14章10節、11節ほか)。また、その死についても、様々です(マタイ26章27節、使1章18節)。
 しかし、彼もまた弟子として召され、最後の晩餐の席にも共に与っていました(マルコ12章12節以下、他)。そして、他の弟子たちも最後にはイエスを見捨て逃げてしまうのですから、ユダにだけ裏切り者という深い罪を見ることは正しくないでしょう。むしろ、ユダにも、他の弟子たちのように裏切りの恥を負いながらも悔い改めて、生きてイエスを証しする道が備えられていたことを思います。

 同じように、私たちもまた神に背く罪深い者でありながら、赦されて、生きて主を証しする存在として召されているということを覚えたいのです。

 2001年3月から約5年間、かたやまさんに担当していただいたシリーズは今回をもって閉じさせていただきます。
 長らくのご奉仕ありがとうございました。

たろこままの子育てブログ

「愛するとき②」

(愛は)自分の利益を求めず コリントの信徒への手紙一13章5節

 やっと春の息吹を感じられるようになりましたね。
 世の男性よりも受け手の女性たちがホワイトデーに熱を上げている今日この頃、皆さんお元気でしょうか?

 我が家は結局チョコレートを買うこともなく、従ってお返しも期待せず、毎日ひたすら小太郎の世話に明け暮れて過ぎています。
 雪の中、車輪を取られがちの車いすを押しながら、専門の訓練施設に通ったり、全く正反対に位置する2つの病院に通ったりして一週間もあっと言う間でした。
 今冬は救急車も入院もなかったのでまだ御の字ですが(原稿執筆当時)、皆さんもこの冬は、タダでさえ忙しい日々の育児に加えて、うっかり子どもが体調を崩して大変だったかもしれませんね。
 自宅で介抱も、通院も、はたまた入院に及べば全てのしわ寄せが母親へなだれ込みます。
 自分のトイレや食事もそっちのけで子どもの顔色や体温に神経をすり減らし、かと思えば他の家族のお世話も待ったなし。
 ヘタをすると同じ病をもらう兄弟もあらわれ、ようやく一段落したところで母親がダウンなんてテンテコ舞いなご家庭の話もよく耳にします。

 さて今回は、前回引用した「愛は忍耐である」の少しあとの部分を取り上げてみました。
 「愛は自分の利益を求めない」────これもまさしく母の姿だなぁと思います。
 この句を読むと、世間で騒いでいる3月中旬のイベント事が何だか薄っぺらに感じるのは私だけでしょうか。
 倍返しだとか言うけれど、愛にお返しなんてそもそも存在しないのです。
 だからこそ、愛なのです。

06-03-15るうてる2006年3月号

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常議員会

 2月20日(月)~22日(水)にかけて、東京・ルーテル市ヶ谷センターにて、第21回総会期第7回常議員会が開催され、5月の全国総会への詰めがなされると同時に新任教師・J3の紹介と派遣先の発表がなされました。

 今回の常議員会は、5月に開催される全国総会への最終的な詰めがなされる重要な会議となります。そのため多くの時間は、案文の確定や各教区との調整などに当てられました。
 また、例年2月の常議員会にて新任教師と新任J3(アメリカ福音ルーテル教会から派遣され、日本で3年間、学校等での働きを通して宣教する短期信徒宣教師)の紹介と派遣先の発表が行われます。今年も3名の新任教師と4名のJ3の紹介と派遣先の発表が松岡事務局長から以下の通りなされました。
 新任教師3名は、関野和寛氏(東京教会・協力牧師)、西川晶子氏(防府、徳山、益田、柳井教会)、花城裕一朗氏(浜松教会)です。J3の4名は、ヘザー・シンプソン氏(文京カテリーナ)、ジェームズ・ドットソン氏、リサ・ハトソン氏、エイプリル・リーマス氏(以上九州学院)です。新たな地へと派遣される方々のためにお祈りください。

第40回教職神学セミナー

「召し出される私-信徒と教職の新しい協働へ」

 今年第40回目を迎えた教職神学セミナーが、2月13日(月)~16日(木)の日程で、東京三鷹のルーテル学院大学・神学校において開講された。今年度の主題は「召し出される私-信徒と教職の新しい協働へ」、であり、この主題に添って多彩なゲスト講師や神学校の教授陣による講演などがおこなわれた。
 シカゴルーテル神学校から招かれたリチャードジャンセン博士は、「脚注の中の教職」と題したその講演の中で、世界の中において神と世界を和解させるために働いていく信徒を、教職がそのように育て、整えていく中でこそ教職と信徒の新しい協働の姿が形成されていく。その際、「下からの職務が、上からのものとして経験される」(信徒が、自分たちにふさわしい人物を、神さまから与えられた指導者として選び出す)という初代教会の経験から、わたしたちは学びうるのだと、世界の和解にむけた信徒の役割を語った。
 また、最終日に講演した鈴木伶子氏(日本キリスト教協議会議長)は、自身のエキュメニカルなコンテキストにおける信徒としての豊かな経験から、社会の中で、平和や環境のために働いていく信徒を送り出していくのは、確固とした福音が語られる説教と祈りである、と語り、信徒を社会へと派遣していく教職の役割を強調した。
 この他、例年のように新約聖書や旧約聖書、またルターの著作等からの主題の展開がなされた他、岐阜教会の信徒説教者である斎藤末理子氏によって、JELCの宣教方策の中で取り組まれている信徒育成プログラムについてもわかちあわれた。
 なお、セミナーの参加は、西日本ルーテルとルーテル教団を含むルーテル3教団からの参加者等31名と神学生などの部分参加者であったが、設定された主題とその告知にもかかわらず、信徒の参加が一部に留まったことは、やや残念であった。(健軍教会 小泉基)

教職授任按手式礼拝

 3月12日午後7時より東京教会にて教職授任按手式が執り行われます。今年は3名が按手を受けます。新しい牧師誕生に、どうぞお立会いください。

ルターの街から

森優(もりまさる/ルターシュタット・ヴィッテンベルク、ルター研究所々員)

 ヴィッテンベルクの市の中心は、マルクト広場です。そこには、ルターとメランヒトンの像があり、祭りには店や見世物が広場を埋め、時には政党などの集会も行われます。この間は、30台ほどのクラシック・カーが集まっていました。このマルクトは旧市庁舎(アルテス・ラートハウス)の前に広がっています。旧市庁舎の1階は絵画の展示館、2階は市の事務所とホール、3階は会議室、4階に、いま、わたしが詰めているルター・ツェントルムがあります。
 2階では、毎日のように結婚式が行われ、ささやかなパーティーが開かれます。3階では、この地区の牧師会がひんぱんに行われています。牧師が足りないので、共同で広い地域をカバーしていく相談、若者を対象とした伝道、そして毎回の大きなテーマは2017年です。
 どのように宗教改革500年を迎えるか、行事だけでなく、今日におけるルターと宗教改革の意味を捉えようと懸命です。2017年という時間の区切りがあるので、共同牧会も伝道も、財政的苦境にも、ドイツの教会が具体的に、生き生きと取り組んでいるような印象を受けています。
 ヴィッテンベルクは場所ではありません。そこでは、ルターが受け継がれ、語られ、ルターを生きようとしている人々がいます。ルターとの出会いに、ヴィッテンベルクをお訪ねください。
*ルターセンターwww.luther-zentrum.de

Information 広報室よりお知らせ

福音版 教会案内 版下作成します。

福音版を別途配布してくださっている教会の案内欄の版下を広報室で作成します。500部以上配布している教会は無料。499部以下の教会は1種あたり¥3000-です。詳しくは広報室・南雲まで。
e-mail koho04@jelc.or.jp
FAX03-3260-1948

■次号告知
ご好評をいただいていた「ルターの街から」、「献身インタビュー」、福音版「聖書人物伝」は今号を最後に終了させていただきます。応援ありがとうございました。また、執筆者の方々には長らくご奉仕いただき大変感謝いたします。次号より新コーナーが始まります。700号を迎える「るうてる」をこれからもよろしくお願いいたします。

牧師の声

献身 ~神の内なる声を聞いたとき~

東海教区 高蔵寺教会 牧師 土井洋

牧師になる前は、何をされていましたか?
 日本ルーテル神学校に在学。その前は、大学で商学、西語等を学んでいました。海外で働くことを夢見て、語学習得に励みました。大学で、U教師に出会いました。師はキリスト者でありましたので、的確な助言をいただきました。受洗は、池田教会で吉田康登先生からです。20歳の冬休みでした。牧師館に毎夜一週間通いました。
 吉田先生から小教理問答書の解説をしていただきました。先生が質問を読み、奥様が答えるという形式でした。吉田先生は侍でしたから言葉を多く交わす必要はありませんでした。一定の距離から、私を読み通しておられたようです。人の心を読む訓練の時でした。

牧師になろうと思われたのは、どんなきっかけですか?
 貧乏学生でした。食費と住居費を切り詰め、栄養失調気味でした。見るに忍びなかったのでしょう。吉田牧師のご子息、A氏の下宿に同居させてくださいました。芝白金にありました。
 彼は聖文舎勤務でした。彼の本を自由に読ませてもらいました。彼が語る文学的断片から大いに刺激を与えられました。トルストイとドストイエフスキーの比較。A・シュヴァイツアーは私の人生観を変えました。
 大学3年から、市ヶ谷のクライダー寮に入ることができました。寮生活の中で、神学校の存在を意識するようになりました。石橋先生に相談すると、当然であるかのように、神学校への進学を奨められました。

牧師になってよかったと思うことは、どんなことですか?
 本心を言えば、キザで偽善的に聞こえるでしょう。「よかった」と思うことは、往々にして、人間的なことが多いものです。言い換えれば、自己満足です。だから、この項目に答えるのは複雑です。
 よかったかどうかよく分かりません。言えることは1つだけです。週に一度は聖書を読みます。ただ読むだけではありません。聖書と格闘します。「空を打つ拳闘」です。「腿の関節がはずれる」ほどには及びません。それでも、目に映る風景がすこし違います。風景は外にあるのに、内なるものまで見えてきます。見えなかったものが見え、見えなかったものを、見るようになりました。

これからどんなことをなされたいですか?
 継続は力なり。継続すべきことを、継続することが、これからの課題です。
 昨年、子どもの話の創作をしてみました。子どもたちの前で発表しようと思っています。卒業生に贈る機会をうかがっています。その反応を見てから、次の段取りを考えようと思っています。日ごろ、子どもたちから大きな力をもらっています。彼らは、あるがままの姿でぶつかってきます。
 子どもたちに聖書の話をするときが、これからも課題です。よりよく理解してもらうために、聖書の内容を弁護することは、かえって不遜に思えます。
 イエスが語り伝えようとした「真意の把握」に、これからも心血を注ごうと思っています。

信徒の声 ~教会の宝石を捜して~

九州教区 佐賀教会 信徒 南里照子

キリスト教との出会いは
 聾学校の校長先生から紹介された主人と結婚した年に、佐賀教会が改築されました。新しい会堂が出来上がったとき、クリスチャンである主人に連れられて初めて教会に行きました。もう55年くらい前のことです。

洗礼はいつ受けられましたか
 教会に通い出してから5年後です。
 主人からは洗礼を勧められましたが、なかなか踏み切れませんでした。
 共に聾唖者ですから結婚生活の中で、いろいろ悩みもあってすべてが順調にいっていたわけではありません。そんなとき、マヤ・ウィンテル宣教師に出会うことによって、洗礼を受けることを決めました。

教会ではどのような働きをなさいましたか
 わたしが洗礼を受けてから8年後、主人が伝道師として働くことが認められました。佐賀地区の牧師・宣教師の方々と一緒に25年間伝道・牧会の特に佐賀地区の聾唖者伝道に一生懸命だったことを思い出します。大勢の方々が協力し助けてくださいました。
 主人が伝道師を辞めた後は、佐賀教会の信徒として夫婦で共に礼拝を守ることが大きな喜びでした。教会では手話教室をし、幼稚園では主人と共に子どもたちに手話を教えることができました。
 今は主人も亡くなり、わたしも体が弱ってきていますが、あとを引き継いでくれる人々がいることを嬉しく思います。また、レインボーハウスの創設期に参加して、他の障がいをもっている人々たちとの交わりが与えられました。
 洗礼を受けてからは、もちろんいろいろとありますが、大変恵まれた歩みだと思っています。神さまに感謝しながら毎日を過ごしています。

今後教会でどのような働きをしたいと思いますか?
教会に期待することは何ですか
 長い間、佐賀で行なわれてきた聾唖者伝道がなくなってしまったのが残念です。 現在いる人たちも高齢になってきました。手話のできる人々もたくさんいるので、ぜひ聾唖者たちと関わり交わって信仰生活を送りたいと思います。
 教会は若い人たちだけに目を向けるのでなく、すべての年齢層の人々に対して福音の種を播き続けて欲しいです。
 特に高齢者に対しては今まで以上に心をよせて欲しいと思います。
 何といっても、今まで教会を支え、信仰を守り通してきたキリストに在る兄弟姉妹ですから。わたしも、神さまのみもとに行くまで、礼拝生活を守り、人々に喜びを伝えて行きたいと思います。

求道者の旅

第12回 キリストの体にあずかる

ケネス・J・デール ルーテル学院大学名誉教授 引退宣教師

 12回の連載を通して、信仰と生活について見て参りました。前回は、聖書の読み方について触れました。今回は、礼拝の頂点とも言うべき聖餐についてです。
 「聖餐はキリストの再臨の日まで、その生と死、そして復活についてたゆまず思い起こすために与えられた秘跡である(聖公会公式祈祷集)」と学びます。
 私は、聖餐式に機械的に参加していることがある事を認めなくてはなりません。しかしまた、聖餐台に進み「キリストの体です」という言葉を聴き、パンと葡萄酒をいただく時、深い内省やインスピレーション、あるいは心が一新されるのを感じる瞬間もあるのです。

聖餐の本質
「あなた方の為に喜んで死ぬ、私の体と命とをあなた方の為に捧げよう」とおっしゃり、その言葉通りになさったお方の精神を聖餐式で受け取っているのです。同時に真実であると思えば、断固として進む勇気をも受け取っています。御父の導きにより、恐れることなく当時の聖職者たちの偽善、支配階級にはびこる不正を暴き、死をも厭いませんでした。彼の血と肉を受け取る時、この犠牲の精神と勇気とを、私たちの思いと行いに受け容れるよう呼びかけられているのです。

聖餐の捧げもの
 聖餐式において聖壇に運ばれるパンと葡萄酒が、その数分後には、キリストの体と血として受け取られるとき、そこには深い象徴性が存在します。
 聖母マリアは、我が子を神に捧げました。そしてその子は、自ら進んで我が身を捧げるようなお方へと育ちました。けれども、御父に従い命を捧げたが故に、再び新たな命を受け取ったのです。神は、捧げられたイエスの命を取り上げ、この命を生きて世に働きつづけるキリストの霊として私たちにお戻しくださったのです。
 ここから読みとれるメッセージとは何でしょう? それは「あなたの持ち物をそのまま私に譲ってくだされば、私はそれを祝福して戻します。」ということではないでしょうか。私たちの献身の言葉には、二重の意味が込められています。「主よ、私はここにいます。私の身を捧げます」そして神の御返事を聞くのです。「あなたの捧げものを清め、強めてあなたに戻そう。」

「あなたに与えられた私の体」
 今日、聖餐に与ることは、とても深い経験でした。私たちはパンを受け取り、「これはあなたに与えられた私の体である」という言葉を聴きました。何と満たされた言葉でしょう! このパン-小麦、土、太陽、空気、雨、そしてパン作りの人々の手と道具-これらすべてが、キリストの体を形成しているのです。すなわち、キリストはすべてであり、すべての内に満ちているのです。復活のキリストは、全宇宙に臨在されています! そしてすべては私たちに与えられています。何と豊かな神の恵みでしょう!(翻訳:上村敏文)
*「求道者の旅」より抜粋

聖書研究

12キリストはわたしのために死んでくださった

文 賀来周一

「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか」ガラテヤの信徒への手紙3章1節

死の告知
 3月に入ると四旬節また受難節といわれる期節を迎えます。わたしたちの心がキリストの受難と死へ向かう時です。しかしこの期節だけが主の受難と死を偲ぶ時ではありません。すでに最初のクリスマスの時、老シメオンは十字架の死を幼子イエスの将来に見ました(ルカ2章34節)。救い主は死ぬお方である、聖書は驚くべきメッセージを最初から告げるのです。未来に明るい希望を期待する者にとっては、つまずきとも見える告知です。しかし神はそれ以外に人々を救う手だてを計画されませんでした。だから人はこれにつまずいて倒れるか、あるいはそれによって立つかのどちらかでしかありません。ルターはこのシメオンの言葉があるので、キリストの十字架という悲劇があってもあまりびっくりしないで済むのだとクリスマス・ブックの中に書いています。私たちは十字架という言葉に慣れきってしまったきらいがありますが、考えてみれば、ルターがびっくりすることのないようにと言うほどに、十字架は異常なといってよいほどの出来事にちがいありません。
 しかしながらまた、ルターは「キリストは、わたしのために死んでくださったという信仰がなければ、福音的ではない」と言います。キリストのように立派にならなければ、よいクリスチャンとは言えない、もっと頑張って、人から後ろ指を指されないような人間になろうというのは、律法的な信仰とはなっても、福音的とはならないと言っているのです。

罪人キリスト
 キリストの死に関して、ルターはガラテヤ書大講解のなかでこんなことを言っています。「キリストはひとりの罪人として十字架にかけられた。ほんとうは我々人間こそが罪人であって、我々が死と永遠の滅びにふさわしい者である」、「キリストは今までこの世になかったほどの最悪の盗賊、殺人者、姦淫者、強盗、涜神者、背信者となるべきであったのである。キリストは今や自分の人格において行為するのではない。今はおとめから生まれた神の子ではなくて、罪人である。自ら涜神者、迫害者、暴力の徒であったパウロや、かつてキリストを否定したペテロや、姦淫者、殺人者であって、異邦人には主の名を汚す者となったダビデの罪をわがものとし、わが身に負われる。それはキリストが罪を犯したというのではなくて、我々が犯した罪を引き受けて、ご自身の血をもって贖いを果たそうとされるのである」と言います。
 シメオンは、罪人キリストの姿を幼子に見たのです。彼はけっして最高の模範者としての救い主キリストを見ませんでした。ルターは「もしキリストを我々の模範者に仕立てあげるなら、キリストを罪と罪人から引き離すことになる」とも言います。もしキリストを立派な模範者にし、それに倣うことを信仰とするなら、彼の言うように「キリストは我々にとって無用のものにする。そればかりか、罪を怒り、裁く裁判官にしてしまう」のです。そうなるとほんとうのキリストを見失ってしまいます。キリストは罪人として死んでくださった、それはわたしの罪のためである、これがキリスト教信仰にとって、なにものにも代えることのできない信仰の真理であることを肝に銘じておくべきです。

慰めとしてのキリストの死
 私たちは、たしかにキリストの十字架の死を思うとこんな悲劇があってよいものかと思います。でもルターはこう言います。「このようにわたしの罪、あなたの罪、全世界の罪をキリストに着せて、それでキリストを包み込んで、キリストが我々すべての罪を負われるのを見ることは、我々の最大の慰めである」、「これはすべての教えのなかでもっとも喜ばしく、もっとも慰めに満ちている。つまりそれは神が、言い表し難く、計り難い憐れみをもって、我々に迫っておいでになることを教えるからである」と。

 いささかくどくどとルターを引用したことをお許し願いたいと思います。ベツレヘムの幼子は、クリスマス・キャロルの美しい歌声でのみ迎えられるべきではないのです。彼は救い主として、この地上に来られた神なのです。しかも私たちの救いのためにゴルゴタの丘で十字架の死を遂げたもうたお方です。そのお方を老シメオンが指し示していることを深く知りたいのでくどくどと申しました。「キリストはわたしのために死んでくださったという信仰がなければ、その信仰は福音的ではない」というルターの言葉を今一度噛みしめたいものです。
 ルターは、さらに申しました。「わたしたちの罪はキリストの死以外のどのような仕方でも取り去ることはできない。……悪魔がお前は罪人だと言うなら、そうだ、だからキリストが救ってくださる。あなたが罪人だと思うときには、キリストを審き主としないがよい。キリストは罪のあがない主である」。心底からそのように信じるとき、わたしたちは罪人であることに感謝しなければならないでしょう。
(ルターの引用は徳善義和訳「ガラテヤ書大講解」から)

集中連載 総会に向けて……②

総会に向けて各委員長にお話をうかがいました。今月はP3、P4、P5委員長です。

P3(牧師その使命と働き) 委員長 沼崎勇

1.現在まで取り組んできたこと
 2003年度から毎年、全国教職研修会を行ってきました。研修の内容は、ルーテル教会の教会論と教職論に関する講義、説教演習、牧会事例研究等です。昨年は、顧客満足度に関する講義も聞きました。
2.総会に提案されること
 前回の総会で、教師会が牧師レヴューシートを作成することに決定し、昨年9月の全国教師会総会において、新しい牧師レヴューシートが採択されました。今回の総会には、このシートを用いた牧師レヴュー制度が提案されることになります。
3.それはどのような変化をもたらしますか
 パウロが言っているように、「他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわない」ように、牧師が今まで以上に自己に厳しくなるのではないでしょうか。4.総会で議論してほしいこと日本福音ルーテル教会が、他者のために存在する教会になるためには、どのような制度がよいのかという観点に立って、牧師レヴュー制度についても議論してほしい、と思います。

P4(宣教共同体としての学校・施設)委員長 藤井邦夫

1.現在まで取り組んできたこと
 P4で取り組んできたことの一番大きなことは「るうてる法人会連合」を設立し、これまで4回の総会を重ねてきたことでしょう。イエス様の働きが宣教、教育、奉仕であったこと、それが日本の行政によって、宗教法人、学校法人、社会福祉法人で担われるようになり、別々の働きのようになっていたのを、すべてイエス様の働きとしてとらえ宣教共同体として歩む道を再確認し歩き始めたのです。
 教会、学校、社会福祉施設、幼稚園・保育園がミッション性を持ちながら世に仕えていく。この世の最前線でかかわっている現場がそれぞれの働きをイエス様の光のもとに歩むということは、現代において重要な光を放ち、現代の問題に対して大きな貢献をすることになり、神の国実現への働きかけとなるでしょう。そのために法人会では人材育成のため研修会をし、奨学金の検討をしています。
2.総会に提案されること
 「るうてる法人会連合」の総会がありますので、教会自体の総会には大きな提案はありません。今回教会総会に提案されることは教会規則74条に関することです。教会理事の推薦に関する条項ですが、その目的を明確に掲げ、そこに連なる学校施設の整備です。これは教会総会にではありませんが、教会推薦理事に関する規定も検討しています。理事の働きを責任もって果たせるように理事の資格を問うことです。逆に理事会が客観性を持つために教会推薦理事を置くことを勧めることも必要と思います。
3.それはどのような変化をもたらしますか
 学校・施設がミッション性を持った設立精神の上にしっかり立つことに役に立つと思います。そのことがイエス様の働きを担うことになるし、現代の社会に対しても意味あるものとなるでしょう。
4.総会で議論してほしいこと
 P4の意義を議論し、認識して欲しいです。それと同時に学校や施設から現代の問題点を教会に提示して欲しいと思います。

P5(世界宣教の推進)委員長 渡辺純幸

1.現在まで取り組んできたこと
 連帯献金や、チャリティーコンサートをとおして、パレスチナへの支援、イラン・イラク・アフガニスタンの難民支援、メコン宣教支援(タイとカンボジア)、災害救援支援(スマトラ沖大津波、パキスタン大地震、米国ハリケーン)、恵まれない世界の子供たちへの支援、ブラジル伝道支援、日米協力伝道支援、またそれらに関わる交流プログラムなどです。
2.総会に提案されること
 特にありませんが、お願いがあります。それは、ペンテコステの日の世界宣教の働きをおぼえての献金、また、今年3回目を迎えるチャリティーコンサート(日本福音ルーテル社団との共催)、クリスマス献金へのご支援とお願いです。多くの教会のご支援とお祈りをいただいておりますが、特に宣教部門へのさらなるご支援をお願いします。
3.それはどのような変化をもたらしますか
 宣教は、直接間接をとおして、私たちに与えられている使命でもあり、感謝の現れでもあります。世界中が、共に支援と祈りの輪を広げ、喜びを分かち合いたいと思います。与えられる喜びと、与える喜びが、信仰にも、教会の活性化にもつながるものと思われます。
4.総会で議論してほしいこと
 百年以上も前に、アメリカ、フィンランドの国が未知の世界、日本に宣教師を派遣しました。今私たちはその救いの喜びを与えられていることを感謝し、この感謝と喜びを他の国の人々に目を向け支援と祈りの輪をどのように継続しながら広めてゆくかを総会で確認し、各教会で話し合う機会をもっていただきたいと思います。

議長コラム 15「主が先立ちたもう」

(m-yamanouchi@jelc.or.jp)
 3月。この月の教会にとって一番の出来事は、新しい牧師の誕生です。今年も、3名の新しい牧師が誕生しました。
 今、牧師として歩み始めるに当たって、不安と共に大きな希望があることと思います。自分なりの伝道論をもとに、具体的な計画も既に心に描かれているかも知れません。大きな夢を描きつつ任地に赴くことは大事なことです。迎える信徒もそのような牧師の熱意に期待しています。ましてや、新人として赴くのです。若さと情熱をほとばしらせて欲しいと思います。
 教会に「宣教方策」という言葉があります。要するに、何を何時までに実現させるかという伝道計画です。教会の働きをその日まかせにしないで、計画的に行おうというものです。教会のその日その日の動きは、その日に断片的に起こるのではなく、その教会の歴史の流れの中で起こるのです。教会の出来事をこのような一つの流れの中に位置付けるためにも、伝道計画は必要です。
 だが、計画はあくまでも人間が立てるものです。そして、伝道はあくまでも神様の業です。ここに、伝道計画のもつ矛盾性があります。そして私たち牧師は、この矛盾性に、この伝道計画が計画通りに進まないたびに、悩まされるのです。
 牧師として勇んで赴任し、理想の教会形成に情熱をもって当たろうとするとき、おうおうにして教会の反応は鈍いものです。今まで必死に学んだ神学の無力さ。自分は本当に神様に牧師として召されているのだろうかという不安。そのような不安と無力さを味わいながら、牧師としてスタートするのが常だと思います。
 「あなたの業を主にゆだねれば/計らうことは固くたつ」(箴言16章3節)。
 私たち神様の働きに仕える者にとって、不安と無力さから解放される道は、「主が先立ちたもう」ということではないでしょうか。私たちの努力は、神様が既に決断しておられることの実現のための努力です。私たちの計画は、御心を実現させることです。
 「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕えようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕えられているからです」(フィリピ3章12節)

宣教する教会 各地の働きから

松本義宣先生インタビュー

 ドイツ・ブラウンシュバイク領邦教会に交換牧師で行っている松本義宣先生ですが、2月に一時帰国されました。インタビューから少し紹介します。
 ドイツは車で走ると最初に教会の塔、そして村が見えてくる教会の国ですね。
 パイプオルガンがある石造りの大教会ばかりだが、礼拝は来ないという残念な実態。高齢者ばかりで若者は日本以上にいない。地域の中心機能も多少残っているが、結婚式は市役所のみなど世俗が取って代わってきている。
 日本は規模や歴史が違いすぎるけれど、この人数、規模でよく頑張っている。無理は出てきているが、卑屈にならなくてよいですね。
 「日本にクリスチャンがいるの? ルーテル教会があるの?」と聞かれる。子どもが先に来て親兄弟も一緒に洗礼を受けた話や、岡山-松江など数百キロ離れている教会を牧会するというのにも驚かれます。
 ドイツも教会指導者たちは現状に危機感を持ち、取り組んでいる。だから、外国の牧師を呼んで交流し、自分を変えたいと思っている。しかし、一般の人たちはまだ。ビショップ制だから上が決めれば動くが、信仰の問題は下からでないと。それで、同僚牧師は新しい勉強会を始めた。「キリストを信じる・キリスト者になる」という信仰を学びなおすコース。
 どうしたら人が来るんだろうと考えていたけれど、教会に来る彼らにとって信仰とは何だろうと、あと2年の滞在で問いたいですね。

統一協会問題についての「日韓教会フォーラム」
ソウル・韓国教会百周年記念館(1月17〜20日)

 標記の会議に齋藤幸二牧師(岐阜教会・大垣教会)と平岡(三鷹教会)とが参加した。日本からは、統一協会問題キリスト教連絡会を構成する6教派(カトリック、教団、聖公会、バプ連、在日大韓、福音ルーテル)の代表と霊感商法対策弁護士連絡会、被害者家族の会の代表等、合わせて28名の訪問団で訪韓し、韓国各教派の代表者21名と意見を交わした。統一協会に関するエキュメニカルな日韓会議は今回が初めてであった。
 会議(18〜19日)では、日韓双方の統一協会の問題について協議し、後半(19〜20日)は統一協会の本部、神学校、病院、教祖の邸宅などの施設を見学した。
 特に、日本側が会議で報告した主要事項は、合同結婚式に参加し、韓国に滞在している日本人女性についてであった。在韓日本人女性の大半を占めているこれらの女性たちが(在韓邦人女性約12000人のうち約6500人)、離婚し日本に帰国することも困難な状況に置かれており、外務省の海外邦人の問題ともなっている。今回の会議によって、日韓教会の協力の下に、韓国各地の教会にそれらの女性たちのための相談所を設置することになった。
 韓国側からは、ロス市(韓国南部の都市)に、日本の統一協会からの送金約2兆ウオン(約2500億円)で統一協会が事業を起し、浸透しようとしている。ロス市150教会は連日、祈祷会で祈っているとのこと。この統一協会の浸透を食い止めるように、日本の教会・諸団体へ協力要請があった。共同声明を採択し、記者会見も行った。(平岡正幸)

①ニュース募集
 当コーナー「宣教する教会」に掲載する各地の教会の情報をお待ちしております。
②今回のお題
 近々、教会でのバザーについて特集を組む予定です。
 社会の変化により従来の「バザー」が難しくなったという声も聞きます。
 バザーの現状、独自の工夫、最近開催したバザーの報告、バザーに変わる新しい催し……など、あなたの教会のアイデアをお寄せください。

情報は……
FAX03・3260・1948
koho04@jelc.or.jpまで

話題の映画紹介

ナルニア国物語 第1章 ライオンと魔女

 疎開のために親元を離れて暮らすことになった4人の兄弟姉妹。ちょっとしたことで口喧嘩になったり、反発しあったりしながらも、一緒に過ごす時を楽しもうとします。
 ある日、末っ子のルーシーがかくれんぼで箪笥に隠れた拍子にナルニアの国へ入ってしまいます。そこから思いがけないことが次々に起こり……。
 ささいな喧嘩は、どこにでもあります。でも、まさかそれがきっかけで後に大事になってしまうとはなかなか予想できないものです。この作品は「ごめんなさい」「いいよ」と、あやまり、赦し合う素直な気持ちの大切さを子どもにも大人にも教えてくれるでしょう。
 人間の欲望や嘘の報いについても描かれています。そして、人が悔い改め、赦しを得た時、どんなに誠実な者へと変わるかも。それは、イエスを知らないと言って逃げて行った弟子たちに、復活されたイエス様が与えられた希望を思い起こさせます。
 このお話の中には、聖書の要素がたくさん出てきます。犠牲の愛。主の強さ。聖書を読んだことのない人も楽しめるが、聖書を知っているともっと楽しみが増える、そんな作品です。ぜひ原作を読んで、この物語の楽しさをより深く味わわれることもお薦めします。

春の全国ティーンズキャンプ締切迫る

 春の全国ティーンズキャンプ(春キャン)は、3月28日(火)~30日(木)にかけて愛知県青年の家にて開催されます。参加申込受付をまもなく締め切りとなります。お早めにどうぞ! 申込は健軍教会・小泉牧師まで。

「いのちの詩」完成。絶賛発売中

 昨年の春キャンで参加者が綴った詩が詩集「いのちの詩」となって新発売。珠玉の詩がたくさんつまって1冊500円。
 お問い合わせはTeens佐藤まで。

■■■■Information■■■■

ルーテル学院大学・神学校聖歌隊CD第2弾

学内外の奉仕で定評のある本学聖歌隊が、2枚目のCDを作成いたしました。「起きよ夜は明けぬ」「わが主に誉れあれ」など聖歌隊で歌い継がれてきた14曲が収録されています。1枚2,500円です。
ご希望の方は、枚数と送付先を下記までご連絡ください。送料は別途お願いいたします。
〒181-0015 三鷹市大沢3-10-20
ルーテル学院大学・神学校聖歌隊CD注文係

21世紀キリスト教 社会福祉実践会議
第5回大会「生きる-スピリチュアリティの模索」参加者募集

■日時:2006年3月11日10:00~16:15(受付開始9:20~)
■内容:超教派の福祉実践会議。講演とシンポジウム
■会場:東京カテドラルケルン・ホール
■参加費:一般/¥2000、学生/¥1000
■お弁当代:一人¥1000(事前申込)
■お問合せ先■
〒181-0015三鷹市大沢3-10-20
ルーテル学院大学社会福祉研究室(松田・髙山・原島)
TEL:0422-31-7920 FAX:0422-34-4481
開催日が迫っております。詳しくはお問合せ先までお願いいたします。

会堂補修および集会室・牧師館竣工式記念礼拝
沼津教会

去る2005年12月11日、日本福音ルーテル沼津教会にて竣工式記念礼拝が執り行われ、横田牧師よりご報告いただきました。

 この度、皆様の温かいご理解とご支援のもと、わたしたちの教会の耐震補強工事・および集会室と牧師館が新築完成いたしました。 去る12月11日、東海教区長、明比輝代彦牧師を説教者にお迎えし、竣工式記念礼拝を無事終えることが出来ました。
 当日は凡そ60名のご出席をいただき、和やかなうちに記念礼拝と祝会を共に分かち合っていただきました。これまでの皆様のお祈りとお支えご尽力に厚く御礼と感謝を申し上げます。

訂正

お手元の教会手帳の住所録に誤記がありました。以下のとおり訂正します。
■玉名教会 電話0968・72・269
■二日市教会
住所録の表記では電話のみとなっておりますが、FAXと共用の番号です。
■みのり教会
住所の表記に一部誤りがありました。「船」原町ではなく「舟」原町です。
住所録の表記では電話のみとなっておりますが、FAXと共用の番号です。
■Paulasaari, Mr.Seppo & Mari パウラサーリ
〒814-0001福岡市早良区百道浜4-5-4
電話092・821・8494
メイル:qqa59mg29@wing.ocn.ne.jp
関係者の皆様には、大変御迷惑をおかけいたしました。謹んでお詫びいたします。

住所・FAX・メイル変更のお知らせ

■福本豊子
住所 2033 Centergrove Rd.Kannapolis, NC 28083-8624,U.S.A.
■雪ヶ谷教会
ファクス専用の番号ができました。
050・3515・4849
■沼津教会
ファクス番号が電話と共用になりました。
055・931・2856
■小鹿教会メイル
jelc-oshika_ihs@ny.tokai.or.jp

06-02-15るうてる《福音版》2006年2月号

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バイブルエッセイ「失敗は成長のもと」

主は天を雲で覆い、大地のために雨を備え
山々に草を芽生えさせられる。
獣や、烏のたぐいが求めて鳴けば
食べ物をお与えになる。

主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく
人の足の速さを望まれるのでもない。
主が望まれるのは主を畏れる人
主の慈しみを待ち望む人。
詩編147章8~11節(日本聖書協会・新共同訳)

 羊の原毛。ふわふわの毛から糸を紡いだ。店の人に教えてもらいながら紡ぎ車を回す。車を回す足を踏み続けながら手元の毛の調節をするのがとても難しい。初めての紡ぎ車に戸惑いながら、その間にもどんどん毛にねじりが入り糸は紡がれていく。コトン、コトン。コトン、コトン。糸車に巻かれてゆく糸は、細くなったり、太くなったり、よじれたり、切れたり。不恰好だけれど、なんともかわいらしい。
 しばらく続けているうちに安定し、リズム良く紡げるようになってきた。「こうしたら糸が切れる」「切れたときはこうやって直して、また始められる」そのコツが分かってくると、大胆に紡ぐことができるようになった。
 店の人に「失敗を気にしないで、慣れるまでどんどん紡いでくださいね」と、言われたおかげで、糸が途中で切れたりよじれたりしてうまくできなくても気楽に先に進むことができた。もし初めに「こうすると失敗するから気を付けて」「失敗しないように」と、言われ失敗は成長のもとていたら、緊張してなかなか紡ぐことができなかっただろう。“失敗してもいい”に、勇気づけられた。失敗の仕方が分かると、なんとなく不安が消える。失敗は成長のもとだ。
 シュル、シュル。シュル、シュル。「楽しいなぁ」いつの間にか糸紡ぎのとりこになっていた。

 羊毛からは、スーツを仕立てるための細い糸やセーターを編むための太い糸など様々な太さの糸が作られる。色も、毛の混ぜ合わせや染めによっていろいろ。
 私たちの周りにはたくさん物があるけれど、それらの原料や成り立ち、そういう“基本”を知っていれば、そこに自分なりの工夫や遊びを加えてアレンジすることができる。糸紡ぎのようにシンプルな方法であればあるほどその可能性が広がってゆく。

 ところで、人間の基本って何だろう。
 自分という人間はどういう者かを見つめなおしてみた。“私は命を与えられてこの世に生まれた。大地からの恵みを食して生き長らえている。食べ物ばかりでなく、他にもたくさんの恵みをいただいている。”この基本を忘れないでいたい。高慢になってしまわぬように。
 そして、基本から人生をアレンジしてゆく時には、失敗から多くを学んでじっくりと成長できればいいな。
 私は機械ではない。速さ、上手さ、正確さで判断されることの少なくない世の中で生きていかなければならなくても、先ず、“今日の基本=生きるための恵み”を与えられて存在していることを喜びたい。
 私、生きている―。神さまの恵みによって。MO

堀先生のこころに寄り添って

22.心が元に戻るには

「心の癖」のようなものが
 心の悩みをもって相談に来られる方々の中には、何か突発的な悩みというよりも、その人がいつも陥る「心の癖」のような問題を抱えておられ方が少なくありません。自分の「悩み方」そのものが悩みになってしまっていると言っていいでしょうか。次のAさんのケースもその一つです。
 「私は以前、友人の心を傷つけてしまいました。そのとき深く反省して本人にも謝って許してもらい問題は解決しました。その後は前と変わらない交際を続けており、今も二人の間に特別な問題はありません。ところが、時々ちょっとしたことがきっかけで心が乱れると、問題が解決していないように思えてきて、その気持ちがなかなか普通に元に戻らないのです。昔からこのようなことがよくあるのです」と。Aさんは、この普通でない「悩み方」に悩んで相談に来られたのです。

自分だけでは動かない心が
 Aさんのようでなくても、私たちもちょっとした人の言葉や世の中のたあいもない情報が元でいつまでも気を病むことがあります。よく考えれば「何も、そこまで気にしなくても」、「そんなふうに考えなくても」と言われてもおかしくない「悩み方」をしているような場合があります。
 このような悩みの多くは少し時間がたてば気にならなくなるものですが、いつまでも続くようであれば、特にカウンセラーでなくても誰か親しい友人に話してみるのがいいと思います。これを気軽にやってみることです。人間の心というものは、とても不自由なところがあって何か変な悩み方だということが分かっていても、自分だけではどうにも動かないことがあります。
 そんなとき、ちょっと一言、「そう。気になって大変なんだね。何でもいいから話してくれる?」などと言ってもらうと、一変に気持ちが楽になることがあります。心とは不思議なものです。

心を元に戻してくれる友が
 人は誰でもそのように気軽に悩みを聞いてくれる友人を必要としているのです。そのどうにもならない気持ちを真面目に聞いてくれる友をです。「ラルシュ共同体」の創設者ジャン・バニエは『小さき者からの光』という本の中でこんなことを述べています。
 「自分を信頼してくれる人、自分の話に耳を傾けてくれる人、うまく話せなかったり、あるいは話したくないときでさえも、言葉で表せないところを理解してくれる人、そういう友を私たちは求めているのです」と。
 彼はさらに人生にはそのような友が「少なくとも一人は必要です」と語っていますが、そのような友に悩みを聞いてもらうと、前述の悩み方の癖のようなものからも次第に自由になり心が元に戻る経験をします。そもそも人間というものは自分が自分であるため、また自分のことが分かるためにも他者を必要としているのです。その意味で心を支え合う温かな関係というものは、人間を真人間らしくさせるものと言っていいでしょう。そんな認識から私は近ごろ、事あるごとに「良い心の友を作りましょう」と言っているのです。

堀 肇(ほりはじめ)/鶴瀬恵みキリスト教会牧師・ルーテル学院大学非常勤講師・臨床パストラルカウンセラー(PCCAJ認定)

あいちゃんの聖書人物伝

第11回 カインとアベル

 カインとアベルは、人類最初の兄弟です。ところが、兄カインは、弟アベルを、殺してしまいます。その動機は、妬みでした。<主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった>(創世記4章4~5節)。カインにとってアベルは血を分けた兄弟なのですから、むしろ弟が神様から豊かに祝福されていることを喜んであげるべきでした。しかし、自分とは無関係な存在と見なしてしまいます。

 カインは、殺しの罪で、神様に呪われ、住んでいた地から追放されます。しかし、神様は、<カインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられ>ます(同15節)。こうして人類の歴史は、カインから現在に至るまで続くのです。

 この物語は、私たち人間がその初めから、争い、憎しみ合う存在であることを示します。同時に、その深い罪を耐え忍ばれ、赦して生かしてくださる神様の存在も示します。神様の深い愛が全ての存在に注がれていることを知る時、互いに無関係な存在としてではなくかけがえのない存在として、痛みも喜びも共に分かち合うことができるのです。

たろこままの子育てブログ

「愛するとき①」


コリントの信徒への手紙一13章14節

 まだまだ寒い日が続く中、バレンタインデー商戦だけが熱い今日この頃、皆さんお元気でしょうか?
 これをお読みの方の中にも、チョコの一つ(いや二つ三つ)ご用意なさっている方もいらっしゃるかもしれません。
 その一方で「旦那に買うくらいなら自分に買う!」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんね(私だけですか?)。

 そうなんです。
 概して父親は外で目に見える形で成果を与えられ、バレンタインデーには義理でも会社の女子社員からチョコレートをもらえます。
 でも母親となると、子育ての成果に見合う給料を特別にもらえる訳ではありません。
 ヘタをすると母の日ですら三度のご飯支度から掃除洗濯までこなさなくてはならず、年中誰かに褒めてもらえることも特別ない状態がそれは何年も続くのです……。
 何だか世間でもてはやされている「愛」と、私たち母親がやっていることに大きな隔たりを感じるなぁと思ったときに、この句を読んで「なるほど!」と思わず膝を打ってしまいました。
 実は聖書では、これに続いて、「愛は情け深く、ねたまず、自慢せず・・・」と、ひたすら愛について語られています。
 でも筆頭はこれ、何よりも一番最初に「忍耐強い」ものだ、と断言しているのです。
 私たち母親の行為は、まさしく忍耐強さの極みではないでしょうか。
 何も大げさなことではないのですけれど、日々何よりも子どもの体調を心配し、自分の食べたいものよりも、着たいものよりも子どものものを考えるこの積み重ね——愛は一年でたった一日だけのイベントでは決してないのです。
 忍耐強いからと言って誰もチョコレートを買ってくれる訳ではないけれど、たまには自分で自分に甘いモノでも買って、またお互いボチボチ行くことにしましょうね(笑)。

06-02-15るうてる2006年2月号

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総会に向けて<議長インタビュー>

2006年5月、日本福音ルーテル教会は全国総会を迎えます。宣教方策21(PM21)の具体案が提案され、討議されます。その年頭にあたって総会議長・山之内正俊牧師にお話をうかがいました。

新年を迎えて議長としての所信
 まず、今、世の中の動きすべてに対して、閉塞感が漂っているのを感じます。特に命を尊重しなければならないという思いが希薄化している危機的状況を感じます。そういう中にあってもなお、私たちは「喜びなさい」という神様の言葉を大事にしたいと思います。 どんなに人間の世界が暗く展開しようとも、「私はそれを明るく導く」という神様の強いメッセージがそこにあると思うんです。2006年の初めに当たって、総会議長として、そういう気持ちでこの日本福音ルーテル教会が一年を送ることができればと思います。

第21会期の2年間について

 罪の赦しによる救い――これは、既に、神さまの側からはなし終えられているわけですけれども――それを一人ひとりに現実化していくことが、教会が教会として存在する意味だと思います。その現実化をいかに力強く進めるか、それが、いつの時代にあっても、教会の課題であると思うのです。そういう意味で、教会が持っているメッセージをいかに一人でも多くの人に伝えるか、それが、この2年間、日本福音ルーテル教会が取り組んできたことです。

総会に提案すること

 「信徒説教者制度の具体的な実施計画」「新信徒宣言」「教師のための研修計画と教師のレビュー制度」「教会共同体形成案」が主なものとして、提案されます。
 特に教会共同体について一言申し上げますと、イエス様が、その宣教の第一声として、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」とおっしゃったように、私たち教会は、福音の現実化の発端である悔い改めということ、このことに焦点を絞って活動していかなくてはならないと思います。人に悔い改めを起こしていくということ、これが教会の第一の課題だと思うからです。それを抜きにして何をやっても、教会が教会としてやるべきことをやったことにはならないと思います。人に悔い改めを起こしていくという観点から教会を見直し、われわれの体制が整っているかどうかを検討した結果、教会の力を教会の外に向けて発揮するために教会の再編を行うことを緊急の課題として取り上げました。その教会再編策の一つとして、教会共同体という新たな概念を導入し、教会の力を結集して、教会の外に福音を力強く発信したいと思うのです。何と言っても、より多くの人に福音を自分のものにして頂くことが、教会の目的だと思うからです。

ビジョン
 まず、われわれは、イエス・キリストの十字架と復活によって、天国を既に自分ものにしているんだという、その確信から来る喜びを共有したいと思います。そして、未だこの喜びを知らない人にどうしたらこの喜びを伝えられるか、というところで努力しているのが、私たちの教会としての歩みだと思います。この喜びを知らない人がいるから、何より、神さまご自身が悔しがっておられる。だからそういう人たちにこの喜びを伝えて、この喜びを分かち合おうじゃないか。そういう呼びかけをしたいのです。喜びを分かち合えば半分になるのではなく、まさに2人で喜べば倍になるんです。そういうことをルーテル教会員として共に経験し合いたいと思います。その一点が推し進められていけば、教会の運営について何も心配は要らないと思います。どんどん洗礼を受ける人が出てくるでしょうし、喜んで自分のすべてを神さまにささげますという人が増えてくるでしょう。その結果として、教会財政も収益事業をしなくてすむようになっていくでしょう。
 「人はなぜ生きるの」と、子どもたちが大人に真剣に問うています。誰が、この子どもたちを満足させる答えをもっているでしょうか。この問いに代表される今日の閉塞感を、イエス・キリストの十字架と復活によって天国を既に自分ものにしていることを確信している私たちこそが打破し、この世が神様の愛によって司られていることを証ししていきたいと思います。そのような証しを力強くできる教会こそ私のビジョンです。将来像です。

PM21を通して、変わること
 PM21が進められることによって、まず何よりも私たち教会員の意識が、自分のための神を求めることから、神さまのための自分であることを喜ぶことへと変えられていくことが狙いです。神さまのための自分として生きる喜びが分かり、そういう喜びを味わって、そういう喜びを味わった人たちの力が結集されて、今まで何となく伝わっていかなかったこの福音が、より力強く伝わっていく、そういう喜びを共に味わうことのできる教会になっていきたいと思います。一言で言えば、伝道する喜びが味わえる教会の出現です。神様の期待に応えて行きましょう。

教職授任按手式礼拝

今年も3月に教職授任按手式が執り行われ、3名が按手を受ける予定です。新しい牧師誕生の瞬間の証人として、どうぞご参集ください。

●返しきれないほどの恵みを受けた。きっと僕はこの日の為に、人々に、キリストに仕えるために生まれてきたんです。関野和寛(むさしの教会出身)
●気付くと退路が断たれていました。主イエスとともに、前に向かって進むのみです!よろしくお願いいたします。西川晶子(大江教会出身)
●主の恵みが少しでも多くの人に届けられるために、この人生をお捧げします。主よ!どうか私を用いて下さい!花城裕一郎(修学院教会出身)

ルターの街から

森優(もりまさる/ルターシュタット・ヴィッテンベルク、ルター研究所々員)

 2004年のことです。ルターハウス(記念館)に大勢の観光客や研究者が来ますので、裏庭にコーヒーショップを作ろうと、整地をはじめましたら、古い石や陶片が出てきました。掘ってみたら大きな地下室がありました。埋め戻して、2005年に国と州で60万ユーロの予算をつけ、専門の考古学者による発掘が行われました。
 これは、もと修道院の地下室でしたが、ルター家の食料貯蔵庫と台所であったろうということになりました。こうして今、ルター記念館の庭から、奥さんの名をつけた、ケーテの台所に入れます。カタリーナが家計簿をつけている模型などもあって、楽しい見学ができます。
 ルター家には常時40人ほどの学生が下宿しており、また宗教改革を学びに諸国から人々が来て、ほとんどルター家に泊まっています。カタリーナは畑を作り、ブタ、鶏、牛を飼い、エルベ河から魚を取って来させていたようです。
 この広い台所と貯蔵室で、50人、60人のまかないができたのだなと、納得できます。

1月号訂正メランヒトンがヴィッテンベルクに来たのを1521年としましたが、1518年です。なお彼が按手を受けたことは定説ではありませんので、取り消させてください。(森)

*ルターセンターwww.luther-zentrum.de

Information

福音版教会案内版下作成します。

福音版を別途配布してくださっている教会の案内欄の版下を広報室で作成します。500部以上配布している教会は無料。499部以下の教会は1種あたり¥3000-です。
詳しくは広報室・南雲まで。
e-mail koho04@jelc.or.jp
FAX03-3260-1948

■るうてるモニター募集中■

るうてるでは、定期的にアンケートにお答えしてくださる、読者モニターを引き続き募集しております。詳しくは広報室までメールもしくはFAXにてご連絡ください。締め切りは2月24日です。
FAX03-3260-1948
e-mail:ruuteru@jelc.or.jp

牧師の声 ~神の内なる声を聞いたとき~

東教区 スオミ教会 牧師 パーヴォ・ヘイッキネン

牧師になる前は、何をされていましたか?
 牧師になる前、フィンランドで高校卒業と同時に、大学入学資格統一試験を受け、ヘルシンキ大学で学び、その後ヘルシンキ管区で、按手を受けました。これまで妻と共にSLEYの宣教師として働いていて、3人の娘がいます。

牧師になろうと思われたのは、どんなきっかけですか?
 私は幼少のころに洗礼を受けました。しかし、やがて幼いころの信仰は離れていき、世俗のものが、私の心を占めるようになりました。教会から離れていったのです。20歳になった時、信仰を通してイエスと向き合うことになりました。イエスは私に新しい命を、将来を、希望を与えてくれました。私の罪が赦されたのです。それが、私の人生の大きな転機となりました。聖書を勉強するようになったのです。聖書に、驚くべく新しい現実が開けたのです。イエス・キリストだけが、人間を罪から、死から、悪魔から救い出してくれると信じるようになったのです。そして、牧師の仕事が私の人生の使命になると思うようになりました。

牧師になってよかったと思うことは、どんなことですか?
 牧師の仕事で素晴らしいことは、永遠の命まで導く言葉を証することでしょうか。もう一つに、福音の一部を絶えず担うことでしょう。

これからどんなことをなされたいですか?
 私は40年近く聖書を勉強しています。ここまでの恵みは、計り知れないものです。いかに私が弱く罪深い者であるかを、み言葉の光の下、深く学んできました。また同時に、神の善性とイエスキリストにおける恵み深さを、聖書は教えてくれるのです。
 それゆえに、イエスの苦しみと十字架の死、復活の偉大な意味を、より多くの人が信仰によって学べるように、福音を宣べ伝えたいと思うのです。
 イエスは自分自身について「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14章6節)といっておられます。私の教えと証で、聞く人をこのイエスの下へ導く助けができたらと思います。

信徒の声 ~教会の宝石を捜して~

東教区 板橋教会 信徒 村上雅江

村上さんも板橋教会は長くなられましたが、何年になりますか
 受洗は、中川先生の時です。1992年2月2日になります。ですから、かれこれ丁度、14年になりますね。

そうすると、板橋が最初の教会ですか

 私は父が戦死したため、母がちゃんとした教育をしてくれる所をということで、地元藤沢のカトリックの聖園女学院の幼稚園に先ず入れてくれました。その学校は小学校、中学校、高校とエスカレーター式でしたので、そのまま通いました。そこで神様を知りました。

クリスチャンホームではなかったんですね
 そうです。でも結果的には祖父も、祖父の父たちもキリスト教には畏敬の念を持つようになりましたし、後でわかったのですが嫁ぎ先の父もそうだったんです。

いまご自身のご家族ではクリスチャンはお一人だけですか
 いえ、昨年亡くなった母も、主人の母も洗礼をこの教会で受けまして、亡くなった主人も病床洗礼をいただきました。

教会のすぐ近くにお住まいになられ、近隣への教会のサポートや牧師ご家族へ本当に良いお働きをいただいておりますが、近くにお住みで良いこと悪いことってありますか

 いま考えれば、とても有り難いことで心から感謝しております。きっと神様は私が悪い子だから近くに住まわせ、教会生活を導いて下さっているんだなと感じております。

教会のご奉仕は何かされてますか

 そうですね。出来ることだけなのですが牧師一家のご不在の時には教会のゴミ出しや、主婦としてできる働きをしております。

この地域で教会の評判を一番、お耳にされると思いますが
 以前、教会の前のマンションにペットの火葬場ができるってことで、この地域で大問題となりました。その時、牧師のご了解を得て、教会を業者との折衝の会場に提供していただきました。そこで、初めて教会に入られた方々が殆どで、あらためて教会のことを知っていただくよい機会になりました。その後、数人の方は今でも教会に来て下さってますね。まだ受洗には至ってませんが。

聖書の中の好きな箇所はどこですか
 聖書は、交代で礼拝の中で聖書朗読のご奉仕をさせていただいており、いつも相応しい『み言葉』をいただき、力を与えられ感動しています。全ての箇所が好きです。

板橋教会についてどう思いますか
 東京のルーテル教会では一番小さな教会ですが、ここに教会があるから、神様がいらっしゃるから訪ねてくる方がいて救われる。大きな恵みを感じる教会ですね。私もこの教会に加われ心から感謝しております。

求道者の旅

第11回「御言葉」の真の意味は何でしょう?

ケネス・J・デール ルーテル学院大学 名誉教授 引退宣教師

 「御言葉」の真の意味は何でしょう。
 先月のコラムで、キリスト者としてどのように生きるかについて考えました。ルター派として「御言葉」を信じ「御言葉」によって生きる以上に重要な事はないでしょう。私が堅信の分級に参加していた時、小教理問答の説明のQ&Aの中に次のような文がありました。
Q.聖書とは何ですか。
A.聖霊の息吹を受けた預言者、福音書記者そして使徒たちによって書かれた神の御言葉です。ある伝統は、神の直接的無謬の啓示として聖書を見ますが、他の伝統はこの見方を否定します。A Seeker’ Journalからこの主題に関する論考をいくつか紹介しましょう。

大きな展望
 聖書は人生が何であるかという大きな展望を与えてくれます。それは人生の重要な方向性、全体的な視点を提供してくれます。私たちは聖書から深い洞察を探し求めるべきです。例えば21世紀における生き方の戦略に関する実際的な指示を期待すべきではないでしょう。
 聖書は決して「なに」「いかに」を意味する書物ではありません。それはただ「なぜ」の書物です。この地球という惑星に私たち人類が生を受けた究極的理由と目的を与えてくれますが、「いかに」創造されたかについて答えようとしているわけではありません。「いかに」「なに」は日々私たちが熟考すべき事です。神様は宇宙の科学的探求をするために知恵を与えて下さいました。
 マニュアルではなく詩を読む精神の中に、聖書に近づくための最善の道があります。

神の御言葉とは
 「神の御言葉」は、通常聖書と同等視されます。しかし、私はあえて異なる定義をしてみたいと思います。神の御言葉とは、聖書と呼ばれている昔の書物の言葉ではなく、生ける神の霊から絶えず聞く事ができるものです。これが正しいなら、聖書は学術的研究によって知る事はできません。聖霊が私たちに臨む事を信じ、心静かに、崇敬の念を持って耳を傾ける事によって知覚できるのです。

聖書を活用するためのいくつかの技法
 聖書が単なる史実、宗教的思想の本である以上の何かであるためにはどのように読む事ができるでしょうか。経験的に二つの「技法」を挙げてみます。
・聖句を神と己の対話としての祈りとして置き換えてみます。
・聖書にキーワードを見つけて、マントラのように繰り返し唱えてみます。(翻訳:上村敏文)
*「求道者の旅」より抜粋

聖書研究

11幸せは子どもの世界から

賀来周一

「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」マタイ福音書2章11節

 異邦人である東方からの占星術の学者たちが、幼子イエスを訪ねた出来事は、キリストは世界中の人々のためにお生まれになったことを象徴するとして、教会はこの時期を顕現節として守ってきました。彼らがベツレヘムを訪ねた際、幼子イエスをひれ伏して拝み、黄金、乳香、没薬を献げたと聖書は告げます。

幸せを求める贈り物
 通常、贈り物といえば、お礼であるとか、ご褒美だとか、場合によっては見返りを期待することだってあるでしょう。しかし彼らの贈り物はお礼やご褒美とは無縁です。見返りを期待するなら時の権力者ヘロデ大王へ贈り物をする方が、よほどメリットがあったはずです。なにしろ見ず知らずの海のものとも山のものともしれぬ赤ん坊に最高の贈り物を差し出すとあれば、お礼やご褒美はもちろん無縁、見返りひとつ貰えるはずもないとあれば、この世の常識とはかけ離れています。とはいえ、この出来事はクリスマスの贈り物に聖書的な意味をもたらすことになりました。
 宗教学者中沢新一は、クリスマスの贈り物は現代の社会の中で人が見失っている幸せを求めていることを表わすと言います。<現代社会は貨幣経済の社会。この社会は人々の生活に不幸の影を濃く落とし込んでいる。もしこの社会の中で幸福になろうとすれば、社会の仕組みを巧みに利用する知恵と力がいる。そのためには賢くならねばならない。しかし賢くなったからといって幸福になるとは限らない。だからこの貨幣経済の仕組みに縛られない形で幸福を手にしたい。これが素朴な形でのクリスマスの贈り物に表現される。>のだといいます(中沢新一著「サンタクロースの秘密」せりか書房)。

クリスマスの贈り物は、「賢さ」と無縁
 クリスマスの贈り物が本当の意味で幸せをもたらすためには、貨幣経済の中に組み込まれるような贈り物であってはならないのです。そのためには、クリスマスの贈り物は、子どもに与えられなければなりません。子どもは、大人が生きている貨幣経済の仕組みの中で生きていないからです。彼らは、贈り物を貨幣価値に換算しない世界に生きることができます。また贈り物に付いて回る代償や対価を考えることもありません。彼らは、大人が貨幣経済の社会の中では必要だと思っている「賢さ」の世界とは別の世界に住むことができます。
 贈り物は、子どもにとって貨幣経済の社会が賢く生産した「モノ」ではないのです。「モノ」にしてしまえば、もはやそれは親たちがお金で買ってきたものであり、どこどこのデパートで売っていた「モノ」になってしまいます。所詮賢さの所産としての「モノ」であれば、どんなに高価であっても貨幣経済がもたらす不幸の影を宿しています。
 贈り物が「賢さ」の所産としての「モノ」でないためには、サンタクロースが空からやって来て、煙突を通って届けられねばならないのです。言い換えれば、クリスマスの贈り物が象徴する幸せは、大人たちがすっかり慣れ切っている貨幣経済の中での「モノ」につきまとう価値観をすっかり否定して、まったくちがった形でやってくるのだということを子どもの世界が表わしてくれていることになります。

人は究極の幸せを探す
 実をいうと大人は、貨幣経済の社会が要求する「賢さ」という疫病神に少々うんざりしています。ですから、クリスマスにな聖書研究文賀来周一11幸せは子どもの世界からると親たちは仕事の帰りに赤いリボンのついたクリスマスケーキの箱を手にさげて家路につくのです。その時には、「よく頑張ったしるしだ」、「きっと有り難うと言うにちがいない」とか、「これを渡せば、明日からもっと勉強をするようになる」などとは誰も考えていません。ただ家族が喜ぶ顔を見て、ちょっとした幸せを味わいたいのです。その幸せは貨幣経済の中の「賢さ」などとは関係がないのです。すべてのしがらみから解放されて、ひたすら幸せでありたいのです。そのためにはクリスマスケーキを渡す相手は、子どもでなければなりません。子どもはケーキを「賢さ」の所産としての「モノ」として受け取ることはないからです。
 それは本当の幸せを与えてくれるのは子どもなのだということを確かめる行為でもあります。言い換えれば、この社会の仕組みの中で大人がすっかり見失ってしまった幸せを取り返してくれる、子どもへの感謝の行為がそこにあるのです。
 あらためて東方からの学者たちが贈り物を献げた行為を思い出します。彼らは、幼子イエスに贈り物を献げました。そこには救い主は貨幣経済の仕組みの中においでになるお方ではないことが象徴されています。贈り物には付き物の賢さも、お礼やご褒美、見返りも関係がありません。子どもの世界が垣間見せてくれる幸せをさらに凝縮して、究極の幸せとして与えてくださるお方がおいでになります。学者たちは、その究極の幸せを目の前にして、最高の贈り物を献げ、礼拝という感謝の行為をせざるを得ないのです。

集中連載 総会に向けて……①

総会に向けて各委員長にお話をうかがいました。
今月はP1、P2委員長です。

P1(次世代伝道の育成)委員長 立野泰博

1.現在まで取り組んできたこと
 TNG(次世代宣教)委員会を中心に、幼児から青年・超青年までのつながりを構築してきました。それぞれの部門にスタッフを置き、部門ごとに必要な働き、とくにキャンプなどをとおして信仰の継承と宣教に力をいれてきました。また、部門ごとに宣教グッズを作成し、流布につとめてきました。
 これからも、堅信教育のための教材の開発、各世代のキャンプ・修養会の充実をはかっていきたいと思っています。
2.総会に提案されること
 提案することはありません。お願いがあります。それは次世代宣教に参加してほしいということです。いまTNGサポーターを募集しています。この働きのための献金だけでなく、祈り、各個教会での受け入れなど、どのような形でもいいですから、関わりをもっていただきたいことをお願いするつもりです。また、TNGが製作する宣教グッズをぜひ用いていただくことをお願いしたいと思います。
3.それはどのような変化をもたらしますか
 もっと、関心をもっていただくことによって、この働きが一部の働きではなく、ルーテル教会全体で取り組む働きとなることを期待しています。また、教会の未来を真剣に考え、これからのルーテル教会を受け継いでいく次世代のために、いまできることをしていきたいと考えています。教会内にいる次世代のメンバーが、生き生きと教会生活を共にできるように変化していけたらと願っています。
4.総会で議論してほしいこと
 現在のTNGの働きにかんして、ご意見や要望を聞きたいと思います。また、どうしたら次世代が教会内で受け入れられるか、TNGグッズをどのように用いていくか、次世代宣教についての考えなどを議論していただければと思います。

P2(証し奉仕する信徒)委員長 齋藤末理子

1.現在まで取り組んできたこと
 P2部門は「証し・奉仕する信徒になる」をスローガンに、福音宣教・教会形成の主体的な担い手として信徒とその働きを捉えます。活動としては、受洗後の信仰養成プログラム要請の声に応えてLAOS(神の民)講座(創刊号も含め全9巻。総会までに発行予定)を刊行。現在全国の教会で学習と分かち合いがなされています。また信徒のあり方を学び、ともにその使命と働きを確認することを願って「信徒論」に取り組みました。学習会や「私の信徒論」の発表などを経て「信徒宣言21」を草案、広く全国にフィードバックを頂きつつ総会での採択を目指しています。そして、長い間討議されてきた「信徒説教者制度」の実現に向けては委員会が発足し、教区や神学校の協力を得ながら具体的な養成カリキュラム作りも進められています。
2.総会に提案されること
 各教会や地区でLAOS(神の民)講座の更なる活用とその分かち合いの推進をお願いするとともに、「信徒宣言21」案の採択を提案して、福音宣教に召されている信徒の使命と働きを共有のものとしたいと願っています。また、「信徒説教者制度」実施に関する提案も行われる予定です。
3.それはどのような変化をもたらしますか
 これまでP2委員会が発信して来た事柄が、徐々にですが全国の教会に浸透し始めていることを実感しています。特に「信徒宣言21」草案に対しては全国9名の方々から様々な声を頂き、それを昨年「るうてる」紙上で分かち合うことができました。総会に向けて更に多くの意見が交わされますように。その中で、福音宣教という素晴らしい働きを神様から託されている私達が深い喜びをもってその使命を受け止め、賜物を捧げて宣教に参加しよう!という声が各地で湧き上がることを願っています。
4.総会で議論してほしいこと。
 PM21の目的である「宣教する教会」形成を実現するために、信徒の持つ力や賜物をどのように活用してゆくべきかを、制度の改革、意識の改革の両面から議論する必要があると思います。各教会・教区の現在の状況下でどのような取り組みが可能であるか、具体的で積極的な討議を期待しています。

議長コラム 14「今は、宣教の時」

 「時は満ち、神の国は近づいた」マルコによる福音書1章15節
 2月です。2月といえば、節分、季節の変わり目、時の変わり目です。
 時を神様の目で見たとき、今、神様はどのような時を過ごしておられるのでしょうか。
 神様は、ご自身の愛の相手として人を創造されました。それは、人の生きる舞台としての宇宙の創造から始まりました。「光あれ」(創世記1章3節)という神様の言葉で宇宙の創造が始まりました。第一の時「準備の時」です。そしていよいよ人が創造されました。第二の時の始まりです。
 第二の時、これは「歓喜の時」です。人は、神様の愛に応え、喜びの中に生きていました。しかしこの歓喜の時の中で、人は、神様に逆らい罪に堕ちてしまいました。神様は即座に人類の救済を決意され、その業に着手されました。第三の時の始まりです。
 この第三の時、これは「救済の時」といってよいでしょう。その救いの業は、神様の独り子が救い主となって地上に現れて下さったことによって、完成しました。これが、「時は満ちた」という意味です。第三の「時は満ち」、第四の時が始まりました。
 ところで、神様は人を救う為に必要な業を全て為し終えられたのですから、「神の国は来てしまった」となってよいはずですが、「神の国は近づいた」となっているのはなぜでしょうか。「近づいた」というからには、まだ神の国が実現するまでには何かの要素が残っている、ということになります。それは一体、何なのでしょうか。
 それは神様ではなく、人がなすべきことです。人が、神様がなされた救いの業を自分の救いの為として受け入れることです。この「神様の救いの業を受け入れる」ことが信仰なのです。まだ、人の側でなすべきことが残っているから、「近づいた」なのです。
 人がこの神様の救いの業を受け入れるには、既にそれを受け入れた人の働き掛けが必要です。それは、この救いの実現が機械的な事実の伝達にではなく、人格的な真理の伝達によっているからです。そして、そこには、人の自由な応答が不可欠だからです。
 今、神様はこの第四の時、宣教の時、働き掛けの時を過ごしておられます。私たちにその働きを委ねて。神様のご期待に応えたいものです。
(m-yamanouchi@jelc.or.jp)

各地の働きから 宣教する教会

宮崎教会

 宮崎教会では、パイプオルガンが設置されていることや日笠山吉之牧師が音楽に長けていることもあり、音楽に関する話題に溢れています。
 宮崎教会のオルガニスト・松波久美子氏は、ドイツ・ブレーメン国立芸術大学大学院教会音楽科を卒業後、ドイツ教会音楽家資格では最高のAディプロムを取得し、ブレーメン市福音ルーテル教会並びにエムデン市福音改革派教会で、音楽監督を務めました。2年前に帰国し、現在では宮崎教会の奏楽をはじめ、奏楽者の育成、国内外での演奏会にも多数招待されています。
 今回、同氏の企画・編集により、宮崎教会のオルガンを用いてのCDが完成しました。演奏者は、イタリアの中堅オルガニスト、エドアルド・ベロッティ氏です。ご注文は宮崎教会まで。
 また、昨年11月末に開いたチャリティーコンサートにて「メサイア」に挑戦した宮崎メサイア合唱団は、市民クリスマス合同聖歌隊をその前身としています。合唱団のほかにオーケストラも加わっての練習が、指揮者・日笠山牧師の指導のもと、宮崎教会で続けられました。今秋も、ソリストにプロを迎えて、同合唱団による演奏会が計画されています。
 今、宮崎教会は、音楽による福音宣教に取り組んでいます。

岡山教会

 皆様のお祈りとお支えにより、祝福のうちに献堂1年目の歩みを迎えることができました。
 昨年11月には、新礼拝堂が「平成17年度岡山市まちづくり賞」をいただき、教会員、設計者、施工者ともに喜びをかみ締めるとともに、この建物が、福音宣教の中心、地域の交流、文化の拠点としての場として用いられるよう、大きく期待されていることを感じ、改めて思いを熱くいしたしております。
 この年末年始も、クリスマスイブコンサート、クリスマス主日、そして先月行われた「ニューイヤーコンサート」と、大きな行事が続きましたが、そのたびに、教会にあふれんばかりの人が集ってくださり、新しい方々が教会に足を踏み入れてくださるのは本当に嬉しい限りです。
 もちろん、岡山教会は小さな群れでありますので、伝道のために使える予算には限りがあります。そのため、西教区の伝道支援金をいただいたり、宣伝のために宣教室の「クリスマス用チラシ、ポスター」をたくさん注文させていただいたり、地元のマスコミとの協賛企画にしたり、口コミで知人を誘ったりと、周囲の温かいご支援と、自分たちの工夫で「与えられたチャンスは最大限活かす」をモットーに教会員一同励んでおります。

■連帯献金報告■

2005年12月末現在の連帯献金について、次のようにご報告いたします。たくさんのご協力ありがとうございました。

■2005年連帯献金
1.ブラジル伝道(30件)30万9700円
2.日米協力伝道(20件)11万3900円
3.メコン(カンボジア小学校)(15件)5万1900円
4.イラン・イラク・アフガン・パレスチナ難民(32件)52万4134円
5.世界宣教(66件)141万4933円
6.新潟中越地震(1件)3万79円
7.スマトラ島沖地震(121件)402万84円
8.災害緊急支援(138件)350万2990円
■献金者・団体ご芳名■(敬称略・順不同)
●教会
長野、西条、名東、大岡山、東京池袋、京都、日吉、田園調布、蒲田、久留米、池田、名古屋、広島、雪ヶ谷、東京、本郷、松山、刈谷、釧路、岡山、修学院、、函館、松橋、神水、大岡山、知多、小石川、福山、津田沼、千葉、市ヶ谷、甲府、札幌、唐津、三鷹、柳井、徳山、防府、希望、復活、下関、厚狭、保谷、水俣、日田、熊本、恵み野、稔台、呉、大垣、札幌北、栄光、大阪、名古屋めぐみ、浜松、鹿児島、賀茂川、大分、岡山、神戸東、、八王子、天王寺、西宮、小鹿、宇土、高松、市川、室園、新札幌、三原、沼津、大江、挙母、高蔵寺、岡崎、宮崎、浜名、甘木、箱崎、小田原、藤が丘、都南、博多、スオミ、松本、大森、静岡、帯広、阿久根、諏訪、玉名、岐阜、宇部、横須賀、鶴ヶ谷、八幡
●婦人会
婦人会連盟、熊本市キリスト教連合婦人会、甲信地区宣教100年記念婦人会、保谷教会婦人会、静岡教会婦人会、小石川教会婦人会、広島教会女性会、熊本地区婦人会、大森教会婦人会、小倉教会婦人会、水俣教会婦人会
●その他団体
九州学院中・高校生徒会、ラヘブ師講演会・礼拝献金、札幌ルター学園めばえ幼稚園、こひつじ園、日本福音ルーテル社団、佐賀ルーテル学園、唐津ルーテル幼稚園、武蔵野教会シャロンの会、大森ルーテル幼稚園、箱崎ルーテルCS、アメリカ・ルーテル教会宣教師会、市川教会小羊幼稚園、本郷学生センター、九州ルーテル学院大学、小城幼稚園、玉名教会CS、ヘルプ・ニューオリンズ広島、ルーテル教会共に生きる集い、神水教会学校、奈多愛育園園児・職員、室園教会女性会、九州学院高校2年1組、恵泉幼稚園保護者会、雪ヶ谷教会CS、田園調布ルーテル幼稚園、聖和幼稚園、蒲田ルーテル幼稚園、城北地区合同礼拝献金、北海道特別教区
●個人
小長谷ヤヨコ、金海秀夫、吉田与四雄、古川文江、角田健、周田裕芳、徳野照代、大柴節子、後藤孝子、飯野タケ、保坂和子、石森京子、宮澤真理子、牧之瀬恭子、佐々木和子、上杉岩雄、松嶋俊介、渡辺賢次、二宮幸美、金海秀夫、鐘ヶ江昭洋、加藤裕子、中川弘子、渡辺映子、折田良三、森田七三郎、池田富雄、藤本義和、尻無浜紀美子、菊池一生城、山本有都子、豊原時秋、古川文江、山田宅、石垣通子、児島和子、保坂和子、石森房子、山口昌子、古川文江、榎本由美、小山明子、近藤美知子、大頭昭一、小川幾代、野原弘子、西尾恵、寺嶋豊司・文世、大原英子、楢崎美代、中川浩之、末吉諦、村中美牧、芳賀明子、後藤佳代子、原尤子、佐藤七男、カワノセイイチロウ、古川允通・いつ子、大森はつ子、神田千恵、上杉岩雄、森洋子、中村幸子、杉谷克忠、上野陽子、斯波顕一、T・クーシランタ、カコタケシ、小川佳幸、関口憲宏、増田宏美、杉山昭男、匿名
■各指定項目合計に、世界宣教・無指定分を配分させていただき、次のようにお送りさせていただきました。
1.ブラジル伝道67万円
2.日米協力伝道100万5840円
3.メコン(カンボジア小学校)19万7911円
4.イラン・イラク・アフガン・パレスチナ難民48万4424円
5.新潟中越地震58万9344円
6.スマトラ島沖地震335万2094円
7.災害緊急支援(米ハリケーン・パキスタン地震)232万9286円

春の全国ティーンズキャンプ申込受付開始!

 恒例となりました春の全国ティーンズキャンプ(春キャン)の日程等が決まり、参加申し込みを受け付けています。
 今年の春キャンは、3月28日(火)〜30日(木)の3日間、愛知県岡崎市の愛知県青年の家を会場として開催されます。テーマは「I Believe inGod(アイ・ビリーブ・イン・ゴッド)」。信仰について語り、聞き、感じるキャンプを目指して準備中です。
 どうぞ、皆さんの教会からも送り出してください。詳しくは各教会掲示板のポスター、TNGのホームページをご覧ください。

集計表提出のお願い

 本教会提出の集計表を期日までにご提出くださいますようお願いいたします。一教会でも遅れますと全体の集計ができないばかりか関係省庁への報告にも影響が出ます。
 また、報告書は配布しましたフロッピーまたは電子メイルでの提出をいただきますと、事務作業の軽減ばかりでなく、間違いを防ぐことにもなります。
 報告書と共に、教会総会資料をお送りください。

■提出期限■2月10日

訂正

お手元の教会手帳の住所録に誤記がありました。以下のとおり訂正します。
■北海道教区事務所
〒064・0912
北海道札幌市中央区南12条西12丁目2の27札幌教会内
電話011・561・9516
■田園調布教会(※メイルアドレス)
den-en-luther@proof.ocn.ne.jp
■二日市教会(※郵便番号)
〒818・0058
■狩野具男(※県名)福岡県
■内藤文子(※住所)
〒436・0094静岡県掛川市喜町3の4
■フェローシップ・ディコンリー母の家ベテル(※電話番号)
電話078・851・0146/4769
 関係者の皆様には、大変御迷惑をおかけいたしました。謹んでお詫びいたします。
 また、前回掲載漏れの連絡をさせていただいたものに一部誤りがありました。お詫びして訂正いたします。正しくは以下のとおりです。
■高倉矩子
電話・ファクス共有番号096・360・7587

ファクス番号のお知らせ

■名古屋めぐみ教会
ファクス052・821・3531
※電話番号とファクス番号が共有になりました。

06-01-15るうてる《福音版》2006年1月号

機関紙PDF

バイブルエッセイ「あなたは知っていますか?」

あなたたちは生まれた時から負われ胎を出た時から担われてきた。イザヤ書45章3節(日本聖書協会・新共同訳)

「てんしきはありましたか」
「えっ、いや、うん、まぁ、そのぉ、……まだですな」
「ありましたら、すぐにお知らせください」
「わかりました」
 てんしきという言葉の意味を知らない和尚さんは、お医者さんの前で見栄を張ってしまい、「てんしきって何ですか」と言えずにいました。「てんしきって何ですか」と尋ねたのは小坊主でした。「和尚さん、さっきお医者様が言われたてんしきとは何ですか」和尚さんは、また見栄を張り、「てんしきも知らないのか。教えてもよいが、そういうことは自分で調べねば、身にならん。町に行って調べて来い」と期待をこめて送り出します。
 めぐりめぐって、小坊主は、かのお医者さん自身のところに行って尋ねる。お医者さんいわく、「てんしきとはおならのことだよ」と。和尚さんは、本当は知らないくせに知った振りをしていたと分かった小坊主は、和尚さんに一泡吹かせてやろうと思い、寺に帰ると、「和尚さん、分かりました。てんしきとはお香のことですね」と言う。和尚さんはそれを聞いて答えました。そうじゃ、そうじゃ、わしゃ、てんしきの香りが大好きなんじゃよ」
 ご存知、落語「てんしき」の一席です。

 人間の知識は、地球上の海水に対して、小さなコップ一杯ほどのもの、というアインシュタインの言葉があるそうです。実際、そんなものなのでしょうね。ソクラテスさんも「無知の知」という言葉を残してくれました。意味深い言葉です。
 そういうお互いでありながら。ごく些細なことで、「あの人はいろんなことを知っている」とか、「わたしはまだまだ何も知りませんから」などと劣等感を持ったり、傲慢になったり、誰かを見下したりしている私たちの姿があります。
 子どもたちはまだ何も分からないから、と大人が大人の判断でことを進めていくときに、結構多くの過ちを犯すことがあります。かえって知識の少ない子どものほうが、頭ではなく、心で考えて、正しい答えを見いだしてくれることもしばしば経験します。

 教会で洗礼を受けてクリスチャンになろうかどうかと迷い、「わたしは聖書のことも、教会のことも、まだ何も知らないから」と後ずさりする方に、「あなたが何を知っているかではなく、神様があなたのことをすべて知っていらっしゃる。これを知ることが信仰」と、ある牧師はいいました。その言葉に、慰められ、真実を知らされる思いになります。

 あなたは、自分のことについて、何を知っていますか。名前、年齢、体重、身長……。そこまではいいとして、その先は……?
 私は何のために生まれたのか、何のために生きているのか。誰のために生きているのか。誰のために、何をしているのか。ほかの人の目に、どんな人として映っているのか……。

 わたしはひとつ知っています、お会いしたこともないあなたについて。
 あなたは、母の胎に宿ったときから、神さまによってすべてを知られ、見守られ、愛され、育まれている、かけがえのない方であるということ。これだけは、頭でなく、心で、魂で、知っています。
Paparanger

堀先生のこころに寄り添って

21.共に歩いてみよう

一緒に歩くことは難しい?
 自分が早足でないせいでしょうか。誰かと一緒に歩くとき、相手の歩き方が何となく気になることがあります。どこかで待ち合わせをしたときなど、挨拶もそこそこに目的地目がけてさっさと歩かれると、寂しいというより何か味わうべきものをいただいていないような感じになるのです。
 私の気持ちの中には、できれば同じような速度で何か話し合いながら歩いて行きたいという思いがあるのです。周りの風景をみたり季節感を味わったりしながら、できれば何か心にあるものを分け合いながら歩いてみたいという少々欲深いところがあるのです。
 しかしこれは全く自分勝手な願望ですから、どんな人にもそれを求めるというのはどうかとも思います。相手は「何とまどろっこしいことか」と思っているかも知れませんし、いらいらしているかも知れません。このように考えると歩調を合わせるということは意外に難しいものです。

置き去りにされた感じ
 こうしたことは単に歩くというレベルのことならさして問題はないのですが、人間関係でこのようなことが起こると良い関係を築きあげるのは難しくなります。たとえば相手が一生懸命話しているのに、そこに十分注意を向けず、自分が次に言うことを考えているような場合です。ことに知識やアイデアが溢れているような時は、それを教えたいという衝動にかられますから、相手はもうそこにはいないのです。これは自分だけが、どんどん先に歩いて行ってしまっている状態と言ってよいでしょう。
 このようなとき、人の心はどんな感じになるのでしょうか。その感覚は人によって異なると思いますが、私などは何となく「置き去り」にされたような気持ちになるのです。また、この感覚はやや複雑なところもあって「あなたの気持ち、よく分かる、分かる」などと簡単に言われた時にも起こります。これなどは話している方が自分勝手に分かってしまっていて、聞いている方には妙な不全感が残るのではないでしょうか。

友が傍らにいるという実感

 では、人と一緒にいるにはどのようにすればよいのでしょうか。それはまず相手の心の歩調や感じ方を理解することです。たとえば友人が「晴れた日は何となく落ち込むんだ」といった場合、それが自分とは全く異なる感じ方であっても、その人にとっては「そうなのだ」と考えるのです。「変わっている」とか、「こう考えた方がいい」などと直ぐ解釈したり、説明したりしないで、その感じ方を受け入れてあげることです。このようにしてもらうと、人は先に行ってしまわない友が傍らに「共にいる」という実感が持てるのです。
 聖書に「あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる」(ヨシュア1章9節)とありますが、この「共にいる」という世界が人と人との関係の中で造り上げられたらどんなに素晴らしいことでしょうか。もしかしたら、これは本当に誰かと心を通わせながら、文字通り「歩いてみる」ということから始めたらよいのかもしれません。
 このことを考えていて、こんな言葉に出会いました。
「イエスは歩かれました。そして今も歩いておられます。……共に歩く人に注意深く耳を傾け、同じ道を行く本当の仲間として」(ヘンリ・ナウエン)。味わい深い言葉です。

堀 肇(ほりはじめ)/鶴瀬恵みキリスト教会牧師・ルーテル学院大学非常勤講師・臨床パストラルカウンセラー(PCCAJ認定)

あいちゃんの聖書人物伝

第10回アダムとイブ

 アダムとイブは、人類最初の男女であり、最初の夫婦でもあります。アダムは、神様が自分にかたどって、似せて、土の塵で造った最初の人間。イブは、アダムに合う助ける者として、アダムから抜き取ったあばら骨の一部で造り上げられました。
 アダムとイブと聞いてすぐに思い出すのは、エデンの園で蛇に誘惑されて善悪の知識の木の実を食べてしまった、いわゆる堕罪と失楽園の物語です。アダム、イブ、蛇、こんな木を植えた神様(!?)の誰が悪いのかなどと話題となる箇所でもあります。しかし、ここで示されていることは、人間というのは、善悪の知識の木が植えてあろうがなかろうが、神様の言葉に従うことができない、罪深い存在であるということです。
 むしろ、アダムとイブがその時に、自己正当化や責任転嫁をするのではなく、互いに助け合って生きる存在として造られたということを思い出して、その罪を負い合おうとしていたら、と思います。アダムとイブは、私たち人間が人種や性別等ありとあらゆる違いを超えて互いに助け合う存在として神様に造られた、ということを示しています。

たろこままの子育てブログ

「希望のとき」

ローマ信徒への手紙5章5節

 新しい年が始まりました。
 皆さんも今年はこんな一年にしようとそれぞれ『希望』を抱いていることでしょう。
 でも昨年も同じように希望を抱いたけど、その通りにはならなかったとあきらめてはいませんか?
 自分なりに頑張ったのに、精一杯努力したのに全然報われなかったよ……と。

 私ももう少しで3歳になる長男を育てていますが、最初の1年間はこの思いを行きつ戻りつしていました。
 子どもも一歳ならお母さんも一年生な訳ですし、大抵のお母さんがこの思いを通過しているのではないでしょうか。

 私もタダでさえ初めての育児に分からないことだらけな上、肝心の私の母は既におらず暗中模索の日々でした。
 しかも子どもは原因不明の発達遅滞を指摘され、病院をたらい回しにされ……そんな格闘の約1年後、彼が知的にも身体的にも重度の障がいを負っていることを告知された時には、妙な表現なのですが「すがすがしさ」さえおぼえていました。
 そうです。
 私が悩んでいたのは「私の願う希望」が叶わなかったからで、「彼自身が『希望』である」ことに私が気付いていなかったからなのだとそこで初めて思い至ったのでした。

 希望は常に輝いています。
 一見遠回りで、行き詰まりや苦難、悲しみや忍耐に思える出来事を通して、私たちが深く耕され、そうならないと知り得ない思いを知り、更に堅く望むことを求めています。
 希望はわたしたちを裏切ることはありません。

 さぁ、新米ママさんも熟練ママさんも、時に笑い、時に凹みながらも励まし合って、今年の希望を胸に共に新しい1年を歩んで参りましょう。
 あ、そんなお母さんをサポートしてくれる皆さんも、どうぞよろしくお付き合い下さい(笑)。

06-01-15るうてる2006年1月号

機関紙PDF

ルーテル/カトリック共同委員会

 カトリック教会とルーテル教会との間で神学的対話が世界的なレベルで続けられています。その流れの中で、2004年10月31日東京・四谷にあるマリア大聖堂にて「義認の教理に関する共同宣言」の出版を記念してカトリック・ルーテルで合同礼拝が持たれたことは記憶に新しいことです。
 今回、ルーテル世界連盟(LWF)の指名により、国際委員の一人として1995年以来、関わってこられた徳善義和氏(ルーテル学院大学・神学校名誉教授)にお話を伺いました。

一致を目指して
 1967年に始められた国際レベルの委員会は、エキュメニカルな実践を神学的に確認したり、あるいは実践に先駆けて神学的な一致を確認、方向づけを与えるという役割を果たしています。
 これまで期を重ね、それぞれの成果を公にしてきました。第3期は「教会と義認」を取り上げて文書にまとめ、これが基となって「義認の教理に関する共同宣言」が両教会代表によって、1999年10月31日アウグスブルクにおいて公式に調印されるに至りました(教会代表によって署名された公式文書はこれが初めてです)。

「教会の使徒性」
 私自身は、1995年から始まって、2005年秋に終了した第4期の委員の一人でした。第4期は、「教会の使徒性」を取り上げ、1995年から対話を続け、第10回委員会(イタリア・バリ)をもって文書をまとめ、私の任期を終えることになったわけです。
 伝統的には、ルーテル教会は「教会の使徒性」をイエス・キリストの福音の使徒的証言とその正しい継承に見ているのですが、ローマ・カトリック教会は教皇と司教職における使徒の継承に見ているという大きな違いがありますから、神学対話においては新約聖書に遡って、その証言を相互に理解することから始まります。そして、特に宗教改革以降の展開を相互に検討し、共通の理解、相互に認め合うことのできる違い、交互の隔たりを文書にまとめました。

対話を通して学んだこと

 第4期の委員として神学的対話を通して私自身、以下のことを学びました。対話の中で必要なことは、共通するもの、一致する点を少しずつ見出し、それを広げて行く努力なのです。①まず互いにキリスト教信仰の伝統の上に立っていることを認め合うことが必要です。礼拝、祈り、洗礼、聖餐、説教など手がかりになることは様々です。②その上で基本的な合意に至ることが必要です。信仰の中心になるものを共有していることを共に確認するのです。そのためには聖書に立って、福音の中心をどのように表現しているかを互いに学びあうことが大切です。さらには、その確認から、自らの教会の伝統も見つめ直してみる必要があるでしょう。③そればかりでなく、率直に相互の違いについても話し合って、共通だと確認したところに基づいて、相互の違いを認め合うことも必要なのです。④違いの中には、さらに対話を深めてもっとよく理解しあうことができるようになる課題を与えてくれることもありますから、そのような課題を以後の対話のために確認することも大切です。
  「義認の教理に関する共同宣言」もこうした諸点をしっかり踏まえた構成になっています。自分たちの考えるところに全面的に従うことを求めたり、互いの多様性が並立することを認めたりするだけでは、エキュメニカルという点で何も言わないのと同じことで、エキュメニカル運動の進展はないでしょう。

ブラジル宣教40周年

 昨年10月30日(日)に、サンパウロ教会40周年の記念礼拝は行われました。今から40年前、宗教改革記念礼拝が、サンパウロ教会の出発です。当日は、大勢の方がお祝いに駆けつけてくれました。説教は、ブラジル・ルーテル告白福音教会(IECLB)の元教区長であり、日本福音ルーテル教会宣教100周年の時、熊本に来られたM.ヒッター先生でした。特別出演で、今、ブラジルで活躍しているプロ歌手、青木カナ姉が独唱してくれました。また長年の功労に感謝し、4名の方に感謝状と記念品を贈呈しました。
 一言で40年、長いようで短い月日です。しかしサンパウロ教会は、一時の閉鎖という憂き目に遭いながらの今日です。会員の皆さんにとっては、一入の感慨であったことでしょう。元宣教師の方々の厚い励ましを頂きましたこと、感謝に耐えません。(渡邉進)

岡山市「まちづくり賞」受賞

 第10回「岡山市まちづくり賞」建築部門に日本福音ルーテル岡山教会が選ばれ、去る11月16日に岡山市役所にて表彰式が行われました。
 同賞は「美しい都市景観の創出や市域の魅力あるまちづくりに貢献している建築物などを表彰しており、10回目を迎えた今年は過去最多の39件の推薦・応募がありました。
受賞講評は以下の通りです。「礼拝堂の上の十字架がなければ、教会とは思えないかもしれません。地域のコミュニティ施設かと思われます。設計意図にもそのように記してありました。
 道路に面した大きな開口部からは、内部で働いている人々がそのまま見えます。ゆるい傾斜のある前庭の使われ方が気になるし、楽しみです。
 牧師邸を区画する古い枕木の塀は強すぎる気もするし、アクセントになっているとも思われます」

ルターの街から

森優(もりまさる/ルターシュタット・ヴィッテンベルク、ルター研究所々員)

 旧ヴィッテンベルク市の東端から大学通りを西に向かうとメランヒトンハウス(記念館)があります。入口が目立たず、通り過ぎてしまいがちです。
 メランヒトンは1497年生まれ、わずか12歳で大学に入学、14才で卒業、17歳で古典語と天文学のマスターとなり、1520年、21歳でヴィッテンベルク大学哲学部の教授として招かれます。
 すでに宗教改革を起こしていたルターの協力者となりましたが、神学も学び、牧師の按手も受けました。ルターの死後はメランヒトンが宗教改革を担って行きます。このとき、カトリック側でなく他の宗教改革各派との調停がありました。
 そのことで、メランヒトンは妥協的だとか、後世の批判を受けました。しかし、絶対譲れないところは保持し、ルターの言う、どうでもよいところは譲って和議に導く、まことにルター的な人でした。
*ルターセンターwww.luther-zentrum.de

Information

Teensの詩が本になりました

第13回全国春のティーンズキャンプで参加した72名のティーンズが表現しました。
「いのちの詩」(A4変形140ページ)一部500円
申込は、宣教室TNG-Teens佐藤和宏まで
email:kz-sato@jelc.or.jp

JELA+JELC共同プログラム
グループ・ワークキャンプ2006参加者募集

 以下の内容で参加者を募集しています。
●締め切り:2006年1月31日
●問合せ・申込用紙請求先:日本福音ルーテル社団(JELA)
〒150-0013東京都渋谷区恵比寿1-20-26
電話:03-3447-1521 FAX:03-3447-1523
email:jela@jela.or.jp

TNGサポーター募集

 次世代のための活動のさらなる展開のためにあなたの力を必要としています。
 TNGサポーターになってあなたも次世代への伝道と育成の働きを応援しませんか?

牧師の声 ~神の内なる声を聞いたとき~

東海教区 富士教会 牧師 宮本威

牧師になる前は、何をされていましたか?

 私の10代は、重苦しい数々の荷を背負った苦悩の日々でした。そんなとき、ノルウェー人の宣教師によって信仰に導かれました。50年以上も前の話です。

牧師になろうと思われたのは、どんなきっかけですか?
 ある日、その宣教師から、来年神戸ルーテル聖書学院で学ばないか、授業料その他すべて、用意されているとのお言葉でした。
 1週間考えた末、お断りすべく宣教師館を訪ねました。先生は議論するタイプではなく、「わかりました。それではルカ福音書10章38節から42節を読んでください。一緒に祈りましょう」と言われました。
 言われるまま、読み始め、「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ1つだけである。マリアはその良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」(42節・口語訳)というところを読み終えたとき、このみ言葉が、電撃的に私の心を突き刺しました。
 自分はなんと計算高く、卑しい考えを持ってここに来たのだろう。その場で涙と共に祈り、聖書学院行きをお受けしました。牧師の道に向かう原点でした。
 その後、長年の学びと伝道生活を重ねつつ、今日までひとすじに歩み続けてきました。

牧師になってよかったと思うことは、どんなことですか?
 苦しいことと比例して同じくらい、よかったと思うこともたくさんあります。
 福音の奥義を知って、福音に生かされ、毎週、聖書のみ言葉を取り次ぐことができるのは大きな喜びです。
 不思議なことですが、いろいろなできごとのある日々、礼拝説教の準備に取り組み、みことばについて思いを巡らし、説教の原稿を書き終えると、自分の魂が安らぎ、強められる経験をしてきました。40年以上、変わらない毎週の経験です。

これからどんなことをなされたいですか?

 使徒と同じように、「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました」(IIテモテ4〜7)という言葉と共に、牧師人生を終えたいと願っております。

信徒の声 ~教会の宝石を捜して~

東海教区 刈谷教会 信徒 平瀬暢子

復活教会女性会との交流はいかがでしたか?
 とても楽しかったと参加した方がおっしゃっています。準備する過程で、みんなのめり込んでしまいました。

題材が愉快ですね。『源氏物語の男女と聖書の男女』どこからその題材を得たのですか?
 徳川美術館が、今年開館70周年を迎え、『国宝の源氏物語絵巻』『復元された絵巻』など記念特別展があることを知りました。そこで、徳川美術館で鑑賞しながら、お隣の復活教会女性会との交流を計画、実現したのです。
 NHKで何度も放映されましたが、瀬戸内寂聴氏訳の本も読みました。登場人物が多くて、訳がわからなくなりました。対談集など回りのことを読んでいる内に歴史的背景がわかって、どんどん面白くなりました。
 光源氏って、女たらしだけなのでしょうか?視点を変えれば、他人の話を良く聴いて面倒をみてあげたのではないでしょうか?登場人物が誰も恨んでいないのです。良いか悪いかは別として、宣教のためにも牧師さん方に学んで欲しい点ですね。

最近、感激した事は?
 ご近所の方を招いて午後のお茶の会をしたことです。教会のお向かいに、音楽を趣味としておられる方があります。その方を中心に午後のお茶の会をしました。みんなで歌って笑って、お茶をいただいて、楽しかったです。そうそう、近くのチェロをなさる若い女性も飛び入り参加されました。

工夫がありましたね?
 今回は二度目ですから、ありきたりではなく、お菓子やお茶にお金をかけない工夫もしました。教会にいらしたことのない方に、先ず、さりげなく教会の中を見ていただき、教会に関心を持っていただくようにもしました。

刈谷では外部の方々をよく招きますね?
 信徒だけでは限りがあります。外部の方を巻き込んで、一緒に活動することです。刈谷市立の全小学校に『地雷ではなく花をください』中学校には『小型武器よさらば』の本を、お釣の五百円玉募金で寄贈し、そこでPTAの協力を得ました。難民を助ける会には海外支援15回の内、8回協力し、創始者であり会長の相馬雪香さんは、93歳の身で軽井沢から日帰りで講演に来て下さいました。短い講演でしたが、その中には沢山のことが含まれていて、『人の欠点を指差したら、一本は相手を指しても三本は自分を指している。三本の自分を変えないで、人を変えることは出来ない。』『長寿社会になったからこそ、老人にもできることがある。』この姿勢には勇気がわきました。
 感じる、考える、感激する。この三つを忘れたら、歳が若くても老化です。他の人のためというより、先ず自分が感激して楽しむ事だと思います。そうすれば他人をも巻き込みますね。

求道者の旅

第10回 人間の新生

ケネス・J・デール ルーテル学院大学 名誉教授 引退宣教師

Q.人生の最大の関心事は何でしょうか?
A.救われるか否かということです。義認とは、私たちの罪が神より赦され、キリストの義が私たちに与えられることです(小教理問答集解説より)。

 今まで罪深い人間の性質を見てきました。今回は「救われる」ということについて考えたいと思います。

「あるがままの自分」

 私の心を畏れで満たし喜びを胸に溢れさせるものは何なのでしょう。それは、神の驚くべき善性、すなわち、混乱した感情、自己中心と無関心にもかかわらず受け入れてくださる神の驚くべき受容です。ありのまま受け入れて下さる事を、福音書は教えてくれます。この慰めに満ちた信頼の内に、より良い生を生きる希望と目標を見出すのです。善を求めようとする気持ちが、過去からの解放へとつながるのです。この「受容されている」事が、クリスチャンとしての新生の本質です。

 最も難しい事は、確かに受容されていると言う事を知る事です。何故、不安な気持ちに苛まれ、神に見放され、御前に近づく価値もないと感ずるのでしょうか。この気持ちから完全に解き放たれる事、すなわちあるがままの自分で本当に良いのだという確信、真理の気付きによってのみ、惨めな状況は克服され得るのです。自分以上にはなりえないのです。これが私の「信仰義認」「罪の赦し」の経験です。
 神は、私たちの弱さ、頑なさに関わらず愛してくださいます。神は人間がいかに原始的で、動物的であるかをご存知です。そのようにお創りになられたのです。神が唯一お赦しにならないのは、傲慢です。

人間の弱さを否定し、創造主に頼む事の必要性を否定する事です。

カヌーの喩え

 日々の歩みはゆるやかに流れる川のほとりを歩く人に似ています。人は下流を目指してカヌーを運んでいます。二つの選択があります。カヌーを川に浮かべ、苦もなく目的地まで流れに身をゆだねること。あるいは、舟を水につけることを拒み、背中に負って川岸を歩いていく事です。きっと疲れきってしまいます。

 川の流れは、その浮力を信ずることを待っておられる、神の御力の流れです。人生の重荷を何故、自分自身で担おうとするのでしょうか。(翻訳:上村敏文)

*「求道者の旅」より抜粋

聖書研究

10 弱さの中の力

賀来周一

キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。コリントの信徒への手紙二12章9〜10節

 コリントの信徒への手紙とあるようにパウロが紀元55年頃、コリントの教会に宛てて書いた手紙の一節です。当時のコリントは「富めるコリント」と言われ、文化的にも経済的にも豊かな都市でしたが、同時に繁栄する町に在りがちな退廃的な雰囲気を漂わせていました。この町の教会も多分にその影響を受けて、偶像礼拝や性道徳の乱れ、人種差別問題の他、教会内分裂騒ぎなども抱え込んでいたことがコリントの信徒への手紙一を通して知ることができます。初代教会の中では最も問題の多い教会と言ってもよいほどでした。

弱さをさらけ出す
 パウロは、このような教会の状態を見て、何とかしようと腐心したことが手紙にうかがわれます。パウロの心配にさらに追い討ちをかけるように、彼はコリントの教会から非難を受けていました。この手紙を書く前、コリントの教会を訪ねると約束をしていたのですが、彼なりの理由があって訪問を延期したからです。そのために彼は約束を破ったとなじられていたのでした(1章12節以下)。
「わたしは悩みと愁いに満ちた心で涙ながらに手紙を書きました」(2章4節)との一文はその心境を表わしています。
 このままでは済まされない事態の中で、パウロはコリントの人々に理を尽くして諭し、立派な教会の姿を取り戻すようにと教育をするようなことはしませんでした。
 彼が取った態度は徹底して自らの弱さをさらけだすことでありました。「マケドニア州(ギリシア北部地方)に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました」(7章5節)と伝道者らしからぬ弱音を吐き、「わたしのことを、『手紙は重々しく力強いが実際に会ってみると弱々しい人で話しもつまらない』と言う者たちがいる」(10章10節)と正直につぶやいています。さらには「日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会の心配事があります」(11章28節)と嘆くのです。書簡の至る所にパウロの弱さが見えるので、ある学者がパウロは教えの論理ではなく、弱さの論理でコリントの教会を変えようとしていると言っているのもなるほどと肯けます。

弱さこそ恵み
 彼は、弱さを逆手にとって弱さがあればこそ見える真実があることを明らかにしようとしているのです。その典型的な個所を12章7節に見ることができます。「わたしの身に一つのとげが与えられました。それは思い上がらないようにわたしを痛めつけるためにサタンから送られた使いです」とあります。この「とげ」は何であるかはさまざまな解釈がありますが、よく分かりません。中には、パウロは言語障害であったという人もいます。三度も取り去ってくださいと神に願ったとありますから、彼にとって余程辛いことだったにちがいありません。
 しかし主は言われました。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(12章9節)。神は強さではなく、弱さを働き場とされます。
 弱り果てれば、弱り果てるほど、人はその窮状を外から見る存在に敏感です。弱さに徹すれば、徹するほど自分の外から働きかける力に鋭く反応します。パウロは、自らの弱さを通して彼に働かれるキリストの力を見ました。見ようとして見たのではありません。限りなく自分ゼロの強さが0になれば、キリスト以外に見る存在がないのです。そのお方を見ざるを得ないといってよいかもしれません。

弱さこそ力
 信仰の強い人は自分が弱い、信仰の弱い人は自分が強いといわれます。強さが残っていれば、彼の外にある存在に気付くことはないでしょう。自分に頼るからです。そうなれば、自分の強さが優先します。だから信仰が弱くなるのです。信仰は、弱さを強さに変えるのではありません。自分が強くなれば、自分は見えるでしょうが、キリストを見失ないます。人は弱さの中にいてこそ、キリストの力を鋭く敏感に受けることができます。
 詩編147編に「主は馬の勇ましさを喜ばれるのでなく、人の足の早さを望まれるのでもない。主が望まれるのは主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人」という言葉があります。現代社会は強さを求めるので人は強くなるために努力を重ねます。信仰の世界は強さの論理をひっくり返します。弱くならなければ、神の働き場は見えません。神の働き場を弱さの中に発見する人は、弱くなる勇気を持つことができるでしょう。キリスト者は絶望する勇気すら持つことができるといわれます。弱さに徹することで見えるしたたかな信仰の世界です。だからパウロは「大いに喜んで弱さを誇りましょう」と言うのです。
 新しい年を迎えるにあたって、弱さに徹する生き方もあってよいのではないでしょうか。

召し出される私-信徒と教職の新しい協働へ
次回教職神学セミナーは、信徒参加も歓迎!

 40回目を数える教職神学セミナーが2006年2月13日(月)~26日(木)に、ルーテル学院大学で開かれます。今回のテーマは、「召し出される私-信徒と教職の新しい協働へ」で、今回は信徒の参加も大歓迎との事です。
 PM21でも、信徒について学んでいるところです。私たちが一人ひとりに信徒として神様から与えられた賜物を用いて、それぞれの現場での神様と人への奉仕が願われています。そして教会では、決して「お客さん」としてではなく、牧師と協働して教会の宣教に携わるよきパートナーとしての「信徒像」が確認され、信徒宣言でも何度も練り直されているところです。
 講師は、PM21のP2(信徒)部門責任者の斉藤末理子さんも奉仕されますし、ルーテル以外からも信徒として働かれるNCC議長鈴木伶子さん、カトリック教会高柳俊一神父も招き、幅広い視点からの学びの機会が与えられます。
 宣教室からもお勧めいたします。是非、ご参加ください。
 申込締切は、教職は2006年1月16日(金)まで、信徒は会場にて直接申し込みのことです。

信徒宣言21 ご意見お寄せください

 信徒宣言21の修正案を12月号に掲載しました。どうぞ、ご覧くださり、ご意見をお寄せください。

「ルター紋章つきの受洗証など…」お声を募集!
アクセルプロジェクトで宣教推進グッズを

 教会の現場からよく問い合わせを受けることで「ルーテル教会のオリジナルの受洗証はありませんか?」と言うことがあります。また、同様に「堅信証」、「教保証?」、転籍書類など…もあれば良いのにという声を聞きます。もっと話が広がれば、幼稚園・保育園で使える、献金袋や幼児祝福式(七五三)のカードやキャンディー袋などもあればうれしいというお声も頂きます。カトリックではたくさんのカードやマリア様の千歳飴袋がありますね。
 宣教室では経費も考え苦慮していましたが、現場が使いやすいものなら作成しようと言うことになりました。
 そこで、是非お声をお寄せください。「こういうものが欲しい」「こういうデザインでこんな文章の入ったものでないと困る」「昔こんなのがあってとてもよかった」また、「これなら手に入るから作らなくてもこれを使えばよいのでは…」など。
 そして、宣教室やTNGで扱っている各種教材やグッズ、また「道草くらぶ」などの諸行事も、一覧できる「カタログ」を作り、常時、分かりやすく選んでいただけるようにしたいと考えています。ウエブ上にも掲載予定です。
 できれば、4月ころを目途に徐々に提供を始めたいと考えています。

 宣教室までメイルやFAXでお寄せください。宜しくお願いいたします。

アメリカ研修報告

2005年11月14日~22日アメリカ・ミネソタ州

 昨年11月、日本における堅信教育教材及びプログラムの開発を目指し、アメリカ・ミネソタ州を訪問しました。今回の研修は、JELA/JELC共同プログラムの一つとして企画され、一般公募もしましたが、残念なことに応募者がなく、D.パーソン牧師、安井宣生牧師(本郷教会)、岡田実紀氏(宣教室ユースワーカー)、佐藤(千葉教会)の4名での研修となりました。派遣し、支援してくださった日本福音ルーテル教会、日本福音ルーテル社団と皆さんに感謝します。
 フェイス・インキュベーターという信仰教育教材とプログラムを開発する会社を訪ね、堅信教育の教材及びプログラムについて話を聞く機会が与えられました。実に興味深く、教材やプログラムはもちろん、彼らスタッフの考え方や信仰そのものに心打たれました。
 また、教材を客観視するためにも、実際に教材を使っている教会を訪問し、体感することができたことは大きな喜びでした。
 日本の現実を思うとき、これらアメリカで開発、実践されている教材やプログラムをそのまま輸入することはできません。宗教的な背景や環境が大きく異なるからです。しかし、堅信を控えた子どもたちが積極的に喜んで学ぶプログラムとして有効であると感じ、開発に取り組んでいきたいと願っています。
 今後の課題として、今回の研修で得たものをいかに日本化するかということ、これまで各教区でも開発された教材を結集し、いかに活かすかということ、そして誰もが用いる教材にしていくことなどがあげられます。

議長コラム 13「希望に燃える1年に」

信徒…近い将来、地球は神の国になりますよね。
牧師…「時は満ちた。神の国は近づいた」というのが、イエス様の最初の説教ですね。
信徒…地球の破滅という誤った信仰に走らないように、くれぐれも気を付けたいと思います。
牧師…神様が生きておられて、全てをつかさどっておられることを信じることが、最も大切ですね。
 先日、訪ねて来て下さったある信徒の方と私の会話です。
 この信徒の方は、「なぜ、地球の人々の間に、醜い争いがあるのでしょうか。不安です」とも言っておられました。確かに、地球上では、相変わらず、戦火の途絶えることはありません。このままでは、人間同士の争いで、地球が破滅してしまいそうな感じです。人間の欲望が作り出す自然破壊も、脅威的です。この信徒の方は、このような不安や脅威が肌で感じられる今日の状況の中で、それでも「地球の破滅という誤った信仰に走らないように、くれぐれも気を付けたい」と思っておられます。
 この方は、無責任な方なのでしょうか。ご都合主義で生きておられる方なのでしょうか。
  「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」(IIテサロニケ5章16節〜18節)。
 神様は何とおおらかに生きておられることでしょうか。まるで、人間の生きるこの地球上に何も問題はないと思っておられるかのようです。そうです。この神様のおおらかさが、私たち人間にとっての拠り所なのです。戦火は絶えず、自然破壊も止まらない中で、神様がおおらかにゆったりと生きておられることが、私たち人間に希望を持たせてくれます。
 「新しい歌を主に向って歌え」詩篇96篇一節の言葉です。新しい年を迎えるごとに味わいたい御言葉です。
 人間の作り出すこの世が、いかに暗く閉塞感の漂うものであろうと、神様は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」と呼びかけて下さいます。この神様の呼かけに応えて、希望に燃える一年にして行きたいと思います。
(m-yamanouchi@jelc.or.jp)

ルーテル5教団で議長会

 11月18日(金)に神戸ルーテル神学校にて2005年度ルーテル協議会(議長会)が開かれました。参加教団の状況や課題、さらには共通して関わる企画についても話し合われました。新しい手帳も紹介され、好評でした。
 課題としては、教勢の低下、牧師の大量引退、海外の宣教団体との関係の見直し、財政の建て直しなどが挙げられ、取組や成果は青年伝道、信徒説教者、信徒伝道者養成、海外宣教などが共有されました。
 また教団固有のトピックスとしては、執行部の世代交代、小児陪餐、女性教職への取組みなども報告されました。
 来年は近畿福音ルーテル教会がホストとなり、開催されます。

LWFディアコニア会議報告

 2005年11月2日〜7日にかけて、ブラジルにて「ルーテル教会のディアコニア・ミニストリーに関する国際会議」が開催されました。日本福音ルーテル教会からは、原田恵美氏(小石川教会員)が派遣されました。
 今回の会議では、「ディアコニアは教会にとってなくてはならない宣教の業」という理解に立って、主に神学的側面や教会組織上の位置づけなどの内容が話し合われました。私が特に印象に残ったのは「預言的ディアコニア」という考えです。この世に対して神の御心を具体的な形で表すディアコニアの働きは、傷ついている人々、弱い立場の人々と共に生きていくとき、神の正義、神の与える真の平和を求めるとき、物理的・慈善的奉仕にとどまらず、この世の不正義に対して声を挙げていくものに当然なっていきます。
 平和憲法改正などが動き出している今の日本の状況を考えると、教会はディアコニアの概念をあらためて問い直し、この世に神のみ言葉を伝えていく教会の使命を再認識する時期に来ていると感じました。 (原田恵美)

聖母愛児園経営譲受

 広安愛児園及びこどもLECセンターを運営している社会福祉法人キリスト教児童福祉会は、昨年10月1日をもって、社会福祉法人聖母会より、児童養護施設聖母愛児園を譲り受けました。
 所在地及び連絡先は以下の通りです。
〒231・0862
横浜市中区山手町68番地
施設長は、森勉氏(引退教師)

聖母愛児園
TEL 045・662・8338
FAX 045・663・2704

東教区ネットワーク懇談会

 東教区・運動体ネットワーク懇談会第1回が11月28日(月)東京教会会議室で開かれ、初めての運動体のネットワーク会議でした。参集したのは、教区内5つの運動体(東教区ディアコニア委員会、ほしくずの会、ルーテル医療と宗教の会、JELA難民委員会、東京老人ホーム・ボランティア会)と教区常議員合せて22名でした。趣旨は、1、これまで個々の働きを共有する場がなかった。共有するネットワークを作る。2、相互を知り、教区内の社会的働きを推進する。3、社会的な接点は教会の宣教と奉仕の働きとして重要な課題である。次回は、2月頃開催予定で、参加していない団体・個人にも呼びかけて輪を広げてゆくことを確認して終わりました。

るうてるモニター制度開始

 るうてるでは、定期的にアンケートにお答えしてくださる、読者モニターを募集しております。
 メイルもしくはFAXでやり取りができる方。アンケートは年4回を予定しています。
詳しくは広報室までメールもしくはFAXにてご連絡ください。

FAX:03-3260-1948
e-mail:ruuteru@jelc.or.jp

各地のニュース募集中!!

 機関紙るうてるに掲載する各地域のニュースを募集しております。情報は各教区書記を通してご連絡ください。沢山の情報お待ちしております。

集計表提出のお願い

 本教会提出の集計表を期日までにご提出くださいますようお願いいたします。一教会でも遅れますと全体の集計ができないばかりか関係省庁への報告にも影響が出ます。
 また、報告書は配布しましたフロッピーまたは電子メイルでの提出をいただきますと、事務作業の軽減ばかりでなく、間違いを防ぐことにもなります。
 報告書と共に、教会総会資料をお送りください。

■提出期限■
集計表4ページ 1月20日
その他報告書 2月10日

訃報

■勝部清子氏
 勝部哲牧師(大森教会)のご母堂、勝部清子(きよこ)様が12月9日(金)午後2時45分、老衰のため、召天されました(享年96歳)。謹んで哀悼の意を表しお知らせ申し上げます。
■深川四郎氏
 平岡仁子牧師(保谷教会)のご尊父、深川四郎様(刈谷教会会員)が12月18日(日)午前10時17分、召天されました(享年93歳)。謹んで哀悼の意を表し、お知らせ申し上げます。

会議のお知らせ

■常議員会
第21回総会期第7回常議員会が下記の通り開催されますので、議案のある方は、所属教区常議員会を経て、ご提出ください。
   記
【日時】2月20日(月)〜22日(水)
【会場】ルーテル市ヶ谷センター  以上

2006年1月1日
常議委員
会長 山之内正俊 書記 松岡俊一郎

訂正

お手元の新しい教会手帳に掲載漏れがありました。

■浅野直樹
1029 Augusta Street,West Columbia, SC 29169U.S.A

■高倉矩子
〒862・0911熊本県熊本市健軍3の6の10の506
電話096・360・7578

関係者の皆様には、大変御迷惑をおかけいたしました。謹んでお詫びいたします。

電話番号のお知らせ

■早川顕一
電話092・606・2198(教会・牧師館直通)
※教会と牧師館の電話番号が共通になりました。