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24-12-01るうてる2024年12月号

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「主を待つ」

日本福音ルーテル小岩教会牧師 内藤文子

「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。」ルカによる福音書21・27

 待降節(アドベント)となりました。これからしばらくの間、私たちはクリスマスまで、主を待ち望む期間を過ごします。アドベントは主の「到来」を待ち望むことを意味しています。ろうそくが準備され、1本ずつ点火されてゆきます。4本全部に点火されれば、まもなくクリスマスです。聖壇の掛け布は「紫色」です。「紫」は、悔い改めとざんげのしるしです。一年でもう一回だけ「紫」の期間があります。それは、「四旬節(受難節と以前呼んでいました)」です。それはイエスさまの苦難と十字架の死を忍び、節制した生活を心がけ「復活」の喜びを待ちながら過ごす期間です。その期間と同じように、神のみ子がこの世に誕生してくださるクリスマスの喜びにあずかるために、私たちもアドベントの期間、心からの悔い改めとざんげを持って、忍耐し節制して待つ時です。そして、大きな喜びをクリスマスにいただくのです。

 私たちの生活の中で、「待つ」「待ちなさい」と言われるとき、現代の状況はどうでしょう。何かを待たねばならなくなったとき、その時をじっくり待つことができるでしょうか?情報伝達の手段が発達し、何でも知りたいことは調べればあっという間に分かる。相手の情報も、携帯電話で即、わかる。「答えが早く知りたい」と思えば、待つことができず、進むことができます。どちらかと言えば、「待てなくなっている」のが私たちかもしれません。

 高校生の頃から教会に行きだした私は、「クリスマス」の時季が大好きでした。青年会で歌うキャロリングの時、あの喜びは教会でしか味わえない最高のものでした。しかし、クリスマスまでの「アドベント」の時があるのを知り、心はクリスマスの時まで、静かな静寂な時間を送ることになりました。対照的に町は、どんどん激しくにぎやかになっていきます。静かな祈りの時を待って、主イエスが今、お出で下さる意味を思います。それは私の日頃の心の「悩みや不安、悪との闘い」があり、イエスさまとそのみ言葉に日々助けられてここまで歩むことができた。自分の力ではどうしようもないとき、「身を起こして頭を上げて」(ルカによる福音書21・28)恐れずに、やがて世の終わりに到来なさるイエスさまを、希望をもって見上げるのです。

 待降節(アドベント)のはじめに、本日の聖書で、イエス・キリストが王として到来することを望む聖書の箇所が示されています。「やがて来られるキリスト(再臨の主)」に目を注ぐことは「すでに来られた方(イエスさま)」へと私たちの目を向けさせ、クリスマスに備える心を起こさせます。教会暦の中で「世の終わり」について語られることはあまり多くはありません。話題となった「カルト」はセンセーショナルに終末の危機意識をあおります。それで伝統的な教会は終末にふれることをどちらかといえば、言い控える傾向もあります。世の終わりがいつ来るのかは分かりません。(マルコによる福音書13・32) 大切なのは、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」(コリントの信徒への手紙二6・2)として、「今」が私たちに残され示されている「救いの時」であるということです。「十字架の救い」にあずかることです。

 クリスマスに、主はまずへりくだった方としてご自分を低くして来られ、だれもが近づき触れることのできる「赤ちゃん」としてこの世に来られました。それがクリスマスです。
 そして私たちはこの時季に過去に来られた馬小屋で赤ちゃんとして生まれたキリストだけを覚えるのでなく、やがて再び来られる栄光の主であることを覚えるのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

(57)「いつも」

「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者を愛します。」ヨハネの手紙一5・1

 あれ、なんで記念日じゃないのかしら。二千年以上も前のことなのに。12・25なんてほとんど言われません。少なくとも私は一度も聞いたことがありません。なのに1・17とか3・11とか9・11とかすぐにわかる人は何人おられるでしょう。お一人お一人が持つ魂がえぐられるような経験をされたであろう忘れられない日が記念日として記されることが多いように思います。それらは苦しみや悲しみのあった日も多いように思いますが、結婚記念日のようにうれしく緊張した日もあるような気もします。

 でもほとんどは苦しみや悲しみが突然降りかかった日が多いのではないのではないでしょうか?7・19と4・17などこのような記念日は分かりますか?きっと同じ日につらい思いをされた方々やうれしい経験をされた方々に逆に「なんでご存じなんですか?」と聞かれてしまいそうですが、違います。

 これらは私の心の記念日です。魂をえぐられるような経験をした忘れられない日です。記念日はお一人お一人の心に、過去にあった経験の忘れられない日として刻まれます。

 クリスマスは記念日ではありません。記念日であっても過去にとどまらないで今も生きて働いておられるチカラです。あなたはクリスマスに何を思いますか?大切な人たちを思い浮かべたり、何かできないかといろいろ考えたり、何かをしたからではなくて今誰かを思い起こす日。イエス様が生きて働かれておられることを思い起こす日です。イエス様が働かれる日は特別な日だけでなくいつもです。

「全国の教会・施設から」⑲

日本福音ルーテル羽村教会 筑田仁(日本福音ルーテル羽村教会・八王子教会牧師・ルーテル羽村幼稚園チャプレン)

 羽村教会の宣教の始まりはいわゆる農村伝道から始まる。この緑豊かな羽村での宣教は、1947年、スタイワルト宣教師、青山四郎牧師による西多摩郡羽村741中野方での集会から始まる。所属は神学校教会(現在のむさしの教会)であった。定期的な集会から、青山牧師が羽村に来て定期的に夕礼拝が行われるようになった。1949年に神学校教会の伝道所になり、2年後の1951年宗教法人を取得した。1952年、教会堂と牧師館の建設が行われ、献堂式が行われている。その時の機関紙「るうてる」にはこのように報告されている。『関東地方唯一の農村教会としてその将来の発展が注目された』と。また、1953年、教会を農繁期託児所として開放して、後のルーテル羽村幼稚園がその歩みを始めている。その後の幼稚園と教会の発展は、ある意味、農村伝道の結実とも言えるであろう。
 教会創立期は西多摩郡、それが1956年に羽村町になり、つい最近の1991年に羽村市へと変遷した。村から、東京のベットタウンへと羽村は変化していく中で、当初の農村伝道から、都市の伝道へと教会の宣教も変化してきた。1996年には新しい教会堂が完成し、献堂式を行い現在に至っている。
 羽村での宣教について、教会員の方々から「教会と幼稚園は共存共栄です」と聞くことがある。羽村の地で、牧師は入れ替わってきたが信徒の方々は忠実に主日礼拝に与かり、羽村教会を支えて下さった。少子社会の到来、教会員の高齢化など、羽村教会そして羽村幼稚園も押し寄せる時代の変化に対応が迫られている。羽村教会は小さな群れではあるが、私たちは73年間に及ぶ宣教の歩みを後世にしっかりと伝えていきたいと願っている。これからも聖霊の働きに豊かに満たされ、羽村教会と羽村幼稚園の歩みが、神様の恵みのもと、共存共栄し続けることを祈っている。

愛泉保育園 木村麻紀(愛泉保育園園長)

 愛泉保育園の歩みは、1952年に清原清喜氏(合志教会初代代議員)がささげられた土地に室園教会の伝道所として合志教会が建てられ、平日の会堂を使って保育を始めたのが始まりです。1953年に慈愛園の協力により宗教法人の保育園として認可を受けました。「愛泉保育園」の名前の由来は、吉崎モトエ初代園長が聖書の言葉「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネによる福音書4・14)に基づいています。
 1961年に宗教法人日本福音ルーテル合志教会へ移管して30年後、1992年に社会福祉法人菊池愛泉会としての新しい歩みを始めました。園舎も新しくなり70名定員の保育園としての働きが始まりました。神様の恵みが教会と保育園と共にあり、導いて下さったことに感謝します。
 愛泉保育園は、同じ敷地内に教会と保育園が共にあるという恵まれた環境を与えられています。これまでも現在も、週に1回は教会堂で3歳児以上の合同礼拝の時を持っています。現在、0~2歳児のクラスには週に1回、多田牧師が保育室を訪ねて下さり、お話とお祈りをして頂いています。教会と牧師を身近に感じ、祈ること賛美することが出来る環境は神様からの大きな恵みだと思い、感謝しています。
 愛泉保育園がある合志市は、熊本市と隣接しています。合志市は半導体企業TSMCの進出を機に開発が進んでいる地域です。最近、園の周りにも商業施設が出来たり、住宅建設が増えたりしています。目まぐるしく環境が変わりつつありますが、私たちは、子どもたち一人一人の主体性を大切にする保育を進めています。
 子どもたちが自分で遊びを選ぶ権利や、遊べる環境を保障するために、保育士全員で日々学びを深めながら子どもたちに向き合っています。子どもたちが神様の愛に守られながら、心豊かに育つよう歩いていきたいと思います。

改・宣教室から

永吉秀人総会議長(日本福音ルーテル東京池袋教会牧師)

「サンタクロースの部屋」とキャパシティ

 クリスマスの時期になると毎年思い出す話があります。児童文学者であり翻訳家である松岡享子さんが1973年の朝日新聞に寄稿された「サンタクロースの部屋」というエッセーです。以下、松岡さんの原文の一部を引用します。
 「もう数年前のことになるが、アメリカのある児童文学評論誌に、次のような一文が掲載されていた。『子どもたちは、遅かれ早かれ、サンタクロースが本当はだれかを知る。知ってしまえば、そのこと自体は他愛のないこととして片付けられてしまうだろう。しかし、幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、信じるという能力を養う。わたしたちは、サンタクロースその人の重要さのためでなく、サンタクロースが子どもの心に働きかけて生みだすこの能力のゆえに、サンタクロースをもっと大事にしなければいけない』というのが、その大要であった。
 この能力には、たしかにキャパシティーということばが使われていた。キャパシティーは、劇場の座席数を示すときなどに使われることばで、収容能力を意味する。心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、心の中に、サンタクロースを収容する空間をつくりあげている。サンタクロースその人は、いつかその子の心の外へ出ていってしまうだろう。だが、サンタクロースが占めていた心の空間は、その子の中に残る。この空間がある限り、人は成長に従って、サンタクロースに代わる新しい住人を、ここに迎えいれることができる。」(1973年12月10日朝日新聞「月曜寸評」より引用)
 サンタクロースのモデルは、セント・ニコラウスというキリスト教の聖人の一人です。慈善事業に尽くし、奇跡的な行為が認められた修道士が聖人として認定されます。サンタクロースにはキャパシティーがあるという話ではありません。サンタクロースが子どもたちの心に住むことによって、子どもたちに信じる心と他者を受け入れるためのキャパシティーをプレゼントしてくれるのです。そして、この信じることによってつくられたキャパシティーなるものは、受け入れるものに合わせてその空間を広げることができる能力があることを覚えておきたいのです。信仰は隣人を受け入れるためのキャパシティーです。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会牧師)

AIDA(国際開発機関協会)は残虐行為を非難し、即時停戦を求める

 昨年10月7日にハマスがイスラエルを襲撃しました。すると今度はイスラエルがガザ地区に報復するという「破壊的な1年」が過ぎ、世界から非難の声があがっています。「世界が行動を起こすのに遅過ぎはしない」。世界ルーテル連盟(LWF)は、国際的な組織AIDAに参加してこう呼びかけています。
 AIDAは参加団体の声を一つの声明として、過去12カ月繰り返されてきた残虐な犯罪を非難するとともに犠牲者への追悼を表明しています。パレスチナで活動する80を超える国際的非政府組織(NGO)やNPOがAIDAに加盟しています。
 AIDAは「亡くなられた方々を追悼するとともに、人質全員の解放、不当に拘束された数千人規模のイスラエル人とパレスチナ人の解放、そして即時停戦を求める」と表明しています。また市民の保護を最優先し、国際法はあらゆる場合に支持されるべきだとしています。声明は「子どもを含むパレスチナ人を記録的な数で殺傷した」無差別爆撃と、広範囲に及ぶガザの破滅、数百万人規模の避難民という今も続く軍事行動の影響を強調し、「このような恐怖がこれほど長く続くのを世界が許すとは思ってもみなかった」と述べています。
 現在の状況は、「国際秩序のほころびを反映していて、殊に影響力をもつ国が何もせず、イスラエルの軍事行動がパレスチナ人の苦しみを増幅させ国際規範を壊し、国際社会がその設立以来大切にしてきた土台を損なっている」としています。
 過去一年間ガザで人道的活動を行い犠牲となった人の数が、世界の他地域での紛争解決に当たった人々のそれよりも多いことをAIDAは指摘しています。援助の手を差し伸べようとする人が大きな危険にさらされていると訴えています。

 声明は「非難の声をあげるだけではむなしく、国際法の原則は弱体化し無視され続けるだろう」と警告、占領の終結と恒久的な和平に向けて世界がただちに行動を起こすことを呼びかけています。

詳細はこちらから

日本賛美歌学会大会参加報告

小澤周平(日本福音ルーテル千葉教会・津田沼教会牧師)

 魂の賛美、圧巻の歌声。10月26日、日本福音ルーテル東京教会を会場に日本賛美歌学会第24回大会が開催されました(実行委員長は宮越俊光副会長)。日本福音ルーテル教会は協賛として協力しました。北は北海道から西は中国・四国までの各支部から超教派の学会員が集まり、さらに、ルーテル教会関係の一般参加者も加わって、全体で71名が参加する盛会となりました。
 テーマは「どうする賛美歌集? ~ルターの会衆賛美歌から500年」。伊藤節彦牧師(日本福音ルーテル栄光教会)の講演を通して、マルティン・ルターの時代の礼拝と会衆賛美を学び、そして、現代の私たちの礼拝のあり方を考察しました。折よく、当日は宗教改革記念日直前。参加者の「ルターアンテナ」も感度抜群です。質疑応答は制限時間いっぱいまで続けられました。
 時満ちて、『教会讃美歌 増補 分冊Ⅰ』の紹介です。松本義宣牧師(日本福音ルーテル東京教会・板橋教会)から、ルター作の賛美歌が説明されました。今回は、日本の歌集に未掲載の歌1曲も合わせて紹介。500年の時を超えてルター作の賛美歌が礼拝堂に響き渡りました。
 各教派・団体から紹介された新しい歌を歌った後は、歌集を考えるパネルディスカッションが行われました。司会者(江原美歌子会長)の「とりあえず費用のことは抜きにして」という光に導かれて、登壇者たちがパッションを語り合います。賛美歌を生み、歌集を編むプロセスこそ信仰的な営みであり、神学する時。それを大切にしながら、多様な媒体を使って、誰もがアクセスしやすい形で、礼拝で用いる歌を保存し、教派を超えて共有していきたい。夢が語られると同時に具体的な方法も検討され、今後の研究課題が明らかにされていきました。
 研究発表では、水野隆一学会員(関西学院大学)による詩編のパラフレーズの作成について学びました。
 実に、ルターの時代の賛美歌から、現代の創作賛美歌やルーテル教会の改定式文に至るまで、大会中に歌われた歌は約30曲にも及びました。学んで歌い、歌って考える、充実した一日となりました。

ルーテル『聖書日課』読者の集い開催報告

乾和雄(日本福音ルーテル神戸東教会嘱託牧師)

 10月21日(月)~22日(火)の1泊2日、神戸しあわせの村にて48名の参加者が与えられ、「ルーテル『聖書日課』読者の集い」が開催されました。講師は神戸ルーテル神学校の正木うらら先生で、「聖書の中の女性たち~ディアコニアに生かされる~」のテーマで、とてもわかりやすくご講義をいただきました。またご講義の途中で小さなグループに分かれ、参加者のそれぞれが、これまでの人生を振り返りながら、どのような場面で、どのようなディアコニアに生かされてきたのかなどの証しを互いに語り合いました。
 「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコによる福音書10・45)とありますように、ディアコニアの源は主イエス・キリスト御自身です。イエスさまの十字架の死にいたるまでのディアコニアのご生涯にはじまり、キリスト者のディアコニアとは、また教会のディアコニアとは何かをご説明してくださいました。主の御言葉に聴き続けるなかで、互いを受け入れ合い、認め合うディアコニアへ、互いの賜物を生かし合うディアコニアへと導かれるとのお話しでした。またディアコニアの働きは、わたしたち自身の働きでは決してなく、三位一体の神さま御自身のお働きであることを教えていただきました。
 今回の参加者の皆さまから、「みなさんがとても熱心に学ばれていることがとてもうれしかったです。うらら先生のご講義やお証しから、聖書や神様が好きで信頼しておられることが伝わってきて、聞いていて私もうれしくなりました」、「聖書のオリジナル原語であるギリシャ語で読み解く聖書は、私にとってとても新鮮な感動を与えていただきました」、「自然に囲まれた環境の中、ゆったりとすてきな時を過ごすことができ感謝しています」、「参加者の高齢化や、また費用面においても一泊二日がよかったと思います」、などの貴重なご感想やご意見をいただきました。
 来年も10月20日(月)~21日(火)の1泊2日で「読者の集い」が予定されています。詳細が決まり次第、ご案内をさせていただきます。1人でも多くの皆さまのご参加を願っております。

熊本地区「宗教改革記念音楽会~歌うルターの”再発見“」開催報告

崔大凡(日本福音ルーテル室園教会牧師・九州ルーテル学院大学チャプレン)

 熊本地区合同の宗教改革記念行事が今年は音楽会として行われました。宗教改革時代の最初期の賛美歌集『エアフルト・エンキリディオン』出版から今年がちょうど500年目となったことを祝い、そこに収録されていた曲のいくつかを学び、一緒に歌って聴く集会として、2024年10月27日午後2時、ルーテル学院中学・高校の礼拝堂を会場に行われました。
 開会礼拝は多田哲牧師の司式・説教によって、宗教改革時代における礼拝改革について聞きました。ルターが賛美歌を「会衆の説教」と呼んだのは、会衆が賛美歌を歌うとき、福音が伝えられるからです。そのような賛美の力はかつてパウロとシラスが投獄されていたときにも働き(使徒言行録16・25以下)、看守たちを救い、生かし、さらにその家族にも福音が伝えられる始まりとなったことを、御言葉から聞きました。福音を届ける賛美歌を、礼拝に参加する皆が一緒に歌うために制作された最初期の賛美歌集『エアフルト・エンキリディオン』です。
 開会礼拝に続く音楽会では、大江教会の会員江川大地さんの曲解説と進行、日笠山吉之牧師の奏楽によって、かつて『エアフルト・エンキリディオン』に収録されていた曲であり、今は『教会讃美歌』、『教会讃美歌増補版』に収録されている曲の中から6曲を皆で歌い、聴きました。また原曲の歌詞を直訳で見ることにより、歌うために詰め込まれた楽譜上の歌詞よりも詳しく、その曲に込められた信仰、思い、教理を味わいました。「行いでは失われるばかり」、「信仰によって救われる」と信仰義認が強く表れている歌詞、また「十戒」を12節までの歌詞で歌うなど、多くの人々にとって新しい体験、奥深い学びとなりました。
 ルーテル学院高校合唱団の生徒たちも2曲の賛美を披露することで参加し、当日の会場には約100名の参加がありました。当日まで熊本地域の各教会から集めた宗教改革記念献金に当日の席上自由献金合わせて、19万6450円をルーテル学院大学・日本ルーテル神学校後援会への献金としてささげました。
 福音を届ける数々の賛美の歌を感謝して受け止め、一緒に歌えることを喜び、2024年の熊本地区宣教会議主催の宗教改革記念音楽会についての報告とします。

東教区・宗教改革日礼拝の報告

内藤新吾(日本福音ルーテル稔台教会牧師・東教区伝道奉仕部長︶

 東教区では宗教改革日礼拝を10月31日の夜に持ちました。今年は二部構成としました。第一部は聖餐式礼拝で、説教をルーテル学院大学学長の石居基夫牧師に奉仕いただきました。第二部は「これからの教会に願うこと」というテーマで、9月まで日本ルーテル神学校校長の任を務められた立山忠浩牧師に発題いただき、リアクター2名、会場との応答もありました。99名参加で、コロナ禍以来、久しぶりに大勢が集われたように感じます。
 現在、ウクライナだけでなくガザにおいても戦争が起きてしまっていることに、私たちは悲しみを覚えます。ミャンマーや世界各地での紛争も本当に痛ましいことです。何とか平和に至ることができないか、私たちにできることはないだろうか、そうした祈りが、夜の集いではありましたが足を運ばせたのかもしれません。石居牧師の説教も、世界の痛みへの苦悩と祈り、また私たち自身への問いかけを語られました。また、ガザ出身の医師イゼルデン・アブラエーシュ博士が来日されたことに触れ、爆撃で3人の娘と1人のめいの命も奪われながら、その悲痛な悲しみの中で、それでも自分は決して憎まずにイスラエルとパレスチナの平和の架け橋となりたいと訴えられていることに、私たちも共に求め続け、その意味を共有することはできることではないかとのメッセージもくださいました。
 第二部では、立山牧師に発題をお願いし、教会行政と教師会また神学教育にも責任を負われた方として、教会が置かれている現状と今後に向けての提言をいただきました。昔と比べ、「何もしなくても新来会者が来た」時代から「何をしてもうまくゆかない」時代になっており、牧師も激減しているが、「信徒も牧師も自分の賜物を生かし、自分にできる奉仕をする。気負うことなく、無理をしない」ことが肝要との口火から、「牧師が自分の時間を確保できるように」、そのためには信徒の理解と協力が不可欠とも話されました。また、今後も神学校の使命の重さと、他にも、「ルターとユダヤ人問題」などの神学的課題とも真摯に向き合うことが大事と語られました。
 以上、あっという間の2時間でした。感謝と共に報告いたします。

第32回 春の全国ティーンズキャンプ開催

今回は宮崎県で農作業をして、
大地の恵みをたくさん頂くキャンプをします!
申し込み待っています!

〈テーマ〉 「日ごとの糧」
〈日時〉 2025年3月26日(水)~28日(金)
〈会場〉 Agritel
(宮崎県えびの市東長江浦1652-179)
〈参加費〉 1万5千円(同一家庭から複数参加の
場合は1名につき1万4千円)
〈参加対象〉 2006年4月2日~
2013年4月1日生まれの方
〈応募締切〉 2025年1月31日(金)
〈申し込み〉 公式ブログよりお申し込みください。
https://tngteens.hamazo.tv/e9935532.html

【同時募集】 スタッフ募集
〈募集人数〉 若干名
〈募集資格〉 2006年4月1日以前生まれの方
キャンプの全日程に参加できる方
事前に開催されるZoomでの
研修会に参加できる方
〈スタッフ応募締切〉
2024年12月末日
〈申し込み〉 公式ブログより
お申し込みください。
https://tngteens.hamazo.tv/e9935538.html

24-12-01主を待つ

17 P

「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。」
ルカによる福音書21・27

待降節(アドベント)となりました。これからしばらくの間、私たちはクリスマスまで、主を待ち望む期間を過ごします。アドベントは主の「到来」を待ち望むことを意味しています。ろうそくが準備され、1本ずつ点火されてゆきます。4本全部に点火されれば、まもなくクリスマスです。聖壇の掛け布は「紫色」です。「紫」は、悔い改めとざんげのしるしです。一年でもう一回だけ「紫」の期間があります。それは、「四旬節(受難節と以前呼んでいました)」です。それはイエスさまの苦難と十字架の死を忍び、節制した生活を心がけ「復活」の喜びを待ちながら過ごす期間です。その期間と同じように、神のみ子がこの世に誕生してくださるクリスマスの喜びにあずかるために、私たちもアドベントの期間、心からの悔い改めとざんげを持って、忍耐し節制して待つ時です。そして、大きな喜びをクリスマスにいただくのです。

 私たちの生活の中で、「待つ」「待ちなさい」と言われるとき、現代の状況はどうでしょう。何かを待たねばならなくなったとき、その時をじっくり待つことができるでしょうか?情報伝達の手段が発達し、何でも知りたいことは調べればあっという間に分かる。相手の情報も、携帯電話で即、わかる。「答えが早く知りたい」と思えば、待つことができず、進むことができます。どちらかと言えば、「待てなくなっている」のが私たちかもしれません。

 高校生の頃から教会に行きだした私は、「クリスマス」の時季が大好きでした。青年会で歌うキャロリングの時、あの喜びは教会でしか味わえない最高のものでした。しかし、クリスマスまでの「アドベント」の時があるのを知り、心はクリスマスの時まで、静かな静寂な時間を送ることになりました。対照的に町は、どんどん激しくにぎやかになっていきます。静かな祈りの時を待って、主イエスが今、お出で下さる意味を思います。それは私の日頃の心の「悩みや不安、悪との闘い」があり、イエスさまとそのみ言葉に日々助けられてここまで歩むことができた。自分の力ではどうしようもないとき、「身を起こして頭を上げて」(ルカによる福音書21・28)恐れずに、やがて世の終わりに到来なさるイエスさまを、希望をもって見上げるのです。

 待降節(アドベント)のはじめに、本日の聖書で、イエス・キリストが王として到来することを望む聖書の箇所が示されています。「やがて来られるキリスト(再臨の主)」に目を注ぐことは「すでに来られた方(イエスさま)」へと私たちの目を向けさせ、クリスマスに備える心を起こさせます。教会暦の中で「世の終わり」について語られることはあまり多くはありません。話題となった「カルト」はセンセーショナルに終末の危機意識をあおります。それで伝統的な教会は終末にふれることをどちらかといえば、言い控える傾向もあります。世の終わりがいつ来るのかは分かりません。(マルコによる福音書13・32) 大切なのは、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」(コリントの信徒への手紙二6・2)として、「今」が私たちに残され示されている「救いの時」であるということです。「十字架の救い」にあずかることです。

 クリスマスに、主はまずへりくだった方としてご自分を低くして来られ、だれもが近づき触れることのできる「赤ちゃん」としてこの世に来られました。それがクリスマスです。
 そして私たちはこの時季に過去に来られた馬小屋で赤ちゃんとして生まれたキリストだけを覚えるのでなく、やがて再び来られる栄光の主であることを覚えるのです。

羊飼いたちの礼拝 1529‒1530年頃
アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ
アルテ・マイスター絵画館、ドレスデン

24-11-01るうてる2024年11月号

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「涙ぬぐわれる日」

日本福音ルーテル神戸教会牧師 神﨑伸

「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。」ヨハネの黙示録 21・3c~4

 全聖徒主日。この日には会堂での礼拝後、私ども神戸教会の記念墓地に赴き、祈りを献げるのですが、そのときに、いつも私が静かな感動を覚えるのは、墓石に刻まれている信仰の言葉です。「われら 主に ゆだねる」。そして、ヨハネによる福音書第11章の主イエスの約束、「わたしが復活である。このわたしが命なのだ。だから、わたしを信じる者は、死んでも生きる。あなたを生かすのは、このわたしなのだ…!」。このようなみ言葉を想い起こし、信じさせていただきながら、教会の仲間を覚え祈ることができるというのは、まことに幸いなことだと思う。

 しかもそこで忘れてはならないのは、「わたしは復活!」というこのみ言葉を、主イエスもまた涙を流されながらお語りになったということです。今日、黙示録を書いたヨハネは、福音書を書いたヨハネとは別人であると見られていますが、「神がわれわれの涙をことごとくぬぐってくださる」と書いたときに、その神ご自身に他ならないイエスが涙を流されたという事実を忘れてはいなかったと、私は信じています(ヨハネによる福音書 11・35)。

 愛する礼拝共同体、神の家族の皆さん! 私どもの信じる主イエスというお方は、実は誰よりも死の恐れを、愛する者を失い墓の前で涙する悲しみを、このお方は知っておられました。「わたしが、甦りなのだ。わたしが、命なのだ。」それは決して、悟りきった者の言葉ではなかったのであります。

 ヘブライ人への手紙第5章7節は、「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ……」と書いています。十字架につけられたそのお方を、父なる神は死人の中から甦らせてくださいました。それは言い換えれば、主イエスご自身が、父なる神に涙をぬぐっていただいたということでしかなかったのです。その意味において、主イエスの復活というのは、永遠の重みを持つ出来事であると言わなければなりません。私どもすべての者の涙をことごとくぬぐい取る、そういう力を持つ出来事であったのです。

 あのラザロを墓から呼び起こし、マルタとマリアの涙をぬぐい取ってくださったお方、神ご自身にほかならないお方の頬を濡らした涙は ―このわたしのための涙であったと信じます。あの姉妹の涙をぬぐってくださった主イエスのわざは、たまたま一度だけ起こった、単なるかりそめの出来事であり、昔々ひとりの人が死刑にされて、けれども墓の中から復活したという不思議なことが起こったらしい、などということでは決してなく―今、ここで流れるわたしの涙をぬぐってくださるお方が生きておられるからこそ、救いであり、慰めであるのだと!

 「わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである」(ヨハネの黙示録21章6節)。そうです、神を信じるとは、言い換えれば、過去のことも現在のことも、そして将来のことも永遠に亘って神がすべての支配者でいてくださる、と信じることです。しかも、その神の永遠のご支配が、あのイエスというひとりのお方によって啓き示されたのだ、と。「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる」。

 神ご自身のみ声を聞きながら、ヨハネはここで、自分たちの涙をぬぐい取ってくださる、神のみ手の感触すら思い浮かべたに違いない。神は、このようなお方なのだ。あの主イエスのお姿を見れば、分かるだろう? 悪魔が世界を支配しているのではない! 黙示録の表現で言うならば、獣の支配がどんなに力を持っているように見えたとしても、「アルファであり、オメガである、初めであり、かつ終わりである」神のご支配だけが、最初から最後まで、永遠にわたって貫かれるのだ―最後の最後に、すべてを完成させてくださる神を信じるなら、たとえどんな涙を流すことがあったとしても、望みをもって待ち、立ち続けることができるのだ、と。アーメン。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

(56)「あなたを信じています」

「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵の善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」ペトロの手紙一4・10

 私だけじゃないんだ。そのような思いを改めて私に抱かせてくれたのは、いろいろな方との出会いがきっかけでした。私も数えたらまあまあな経験を重ねています。今もつらいのは患っている進行性の難病で、できていたことがどんどんゆっくりとできなくなることです。
 パートナーの暴力に苦しみやっと離婚できた数年後に今度は自分が筋肉の難病かもしれないとお医者さんに言われ、検査入院していた人や心を病んでおられた親族が目の前で首つりで亡くなるのを見られた方、自分も病で入院中パートナーもがんの検査で入院されている方など、まだまだお一人お一人がそれぞれにおつらい過去や今を抱えて生きておられます。
 おそらく多少比較することはあったとしても何もない人はおられないと思います。決して比較するようなものではありません。苦しみやつらさはお一人お一人違っています。これって特別なものなのか?一人一人に神様が与えられるものって賜物?えー!こんなにつらいし悲しいのに賜物?こんなのいらないよと言いたくなる時もあります。
 ある人がこのようなことを言っておられました。「自分の弱いところや傷から物事を見てごらんなさい、きっと優しさが見えますよ。」と。その前に神様がなぜあなたにあなたがうれしくても、悲しむとしても、つらいとしても、賜物をお与えくださるのはあなたを信頼されているからなんです。決してあなたを試したり、懲らしめようとしているのではなく神様はあなたを信頼されておられます。

「全国の教会・施設から」⑱

日本福音ルーテル三鷹教会 山根洋子(日本福音ルーテル三鷹教会代議員)

 三鷹教会はルーテル学院大学・日本ルーテル神学校のチャペルで礼拝を守る、JELCでは唯一教会堂を持たない第1種教会です。キャンパス内にあるので大学・神学校を身近に感じることができます。
 コロナ禍の中で、日曜日に間に合うかたちで説教音源をホームページから聞けるようにしました。キャンパス内にある利点をいかして屋外で礼拝を行い、賛美歌を歌ったりもしました。中断があったものの、2019年から新式文を使っています。また、昨年12月から聖書協会共同訳を使い始めました。
 昨年、牧師家族に子どもが生まれたことを受けて、牧師の育休について前向きに検討しました。役員会で、現行の制度の中で行える方法を話し合い、開始日から1年間、月に一度牧師が主日を休めるようにしました。今までは牧師が多い教会でしたが、今は高村牧師と石居先生だけのため、昨年10月と今年6月に牧師が不在のときは、先に触れた説教音源を用い、代議員が司式をして信徒礼拝をしました。新しい試みでしたが、牧師がインフルエンザやコロナ等の感染症に罹患したときには信徒だけで礼拝が守れるようにとの思い切った実施でした。
 三鷹教会には、子どもや青年を含め、比較的幅広い世代の人たちがいます。コロナ禍を経て、聖歌隊の活動も活発になってきています。ルーテル学院大学の卒業生を含め奏楽者も多くいて、今年は久しぶりに、湯口依子先生を講師に講習会を行いました。隔月でハープを用いた、詩編による黙想の夕礼拝も行っています。また、三鷹近辺で若い家族の流入が起こっていることもあり、宣教について積極的に考えています。
 2021年からは、大学との共催を目指して「子育て支援」をテーマとした講演会を、チャペルを会場にはじめました。昨年には、三鷹教会と大学付属の臨床心理相談センターとの共催を実現しました。今年も11月に予定しています。また、11月の「ルーテル祭」では、聖歌隊が大学聖歌隊と一緒に歌うことになっています。

愛泉保育園 木村麻紀(愛泉保育園園長)

 市ヶ谷教会は、1952年6月のヌーディング宣教師宅での主日礼拝をもって産声をあげました。日本福音ルーテル教会が学生伝道を展開すべく、1953年5月に市谷砂土原町に東京学生センターが完成すると、市ヶ谷教会もここを拠点として本格的な宣教活動が始まりました。今年宣教72年を迎えています。
 1961年4月に一人の米国人神学生の遺志により献げられた1万ドルを基金として敷地内にクライダー寮が併設されると、市ヶ谷教会と学生センターそしてクライダー寮は、別組織でありながら協力しあい宣教を続けました。その後1974年10月にルーテル市ヶ谷センターが完成、会館内にチャペルができたことで市ヶ谷教会の宣教第2章が幕開けし今に至っています。会館の完成を契機に東京学生センターは閉鎖、クライダー寮は三鷹のルター寮へ仮移転することとなりました。市ヶ谷センター会館は、2022年7月から2023年8月にかけて耐震補強を伴う大規模修繕工事が行われリニューアルしました。
 市ヶ谷教会のチャペルは、平日は市ヶ谷センターのコンサートホールとして利用されるため、私たちがチャペルを使えるのは基本的に日曜日の午前中のみという制約があります。しかしながらチャペルがコンサートホールでもあるからでしょうか、神様は市ヶ谷教会にたくさんの音楽のタラントを与えてくれました。荘厳なパイプオルガンに元気いっぱいの聖歌隊、華麗なフルート、バイオリンとチェロの弦楽器、最近新たにサックス奏者も与えられ、楽しみが増えました。年1回のユース礼拝は夏の定番となり、この日は青年が司式からメッセージまで礼拝をすべて担い、ギターとピアノ演奏でワーシップソングも歌ったりして主を賛美します。6月には中央線沿線地区の教会がここに集合し一日教会祭が開催され、地区のメイン行事となっています。

改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)
又吉京子さん(日本キリスト教団首里教会員)

小泉 今回は、9月にTNGユースと社会委員会のツアーでお世話になった沖縄キリスト教センターの又吉京子さんにインタビューさせていただきました。センターでは、年間にどのくらい平和ツアーをガイドなさるのですか?

 1990年に「沖縄平和研修プログラム」をはじめたのですが、平均すると個人と団体で年に20~30件くらいでしょうか。

小泉 ご自身のキリスト教との出会いと、沖縄の平和問題に関わるようになったきっかけを教えていただけますか?

 沖縄戦の爪痕が色濃く残る戦後5年目に那覇市で生まれました。米国の宣教師が地域でひらいていた集会に兄弟姉妹で参加するようになったのがキリスト教との出会いです。中学生の頃には「ルーテルアワー」をよく聴いていましたよ。沖縄キリスト教学院保育科に入学と同時に今の日本キリスト教団首里教会に通うようになり、翌年金城重明牧師から受洗しました。
 沖縄で生まれ育ちましたから、日常そのものが「沖縄戦後史」でした。幼稚園の頃には紙幣が円からドルに、中高生時代には大人たちが、米軍による事故や事件に抗議する集会や、平和憲法の下の暮らしを求めての「復帰運動」に取り組む様子を目のあたりにしてきました。日本本土での学びから帰って知的障がい者施設で働くようになり、また市民運動にかかわるようになって、沖縄が押しつけられてきた「琉球処分」や「沖縄戦」の実情を学びました。わたしたち戦後世代は、6月23日(慰霊の日)前後には幾度となく「沖縄戦の話」を聞かされてきたのです。「差別と植民地主義」のまなざしが「平和」を壊す要因であり、それをすべてぶち込んだような戦場が沖縄戦であり、その声を聴いた者として平和ガイド活動は必然でした。沖縄戦の実相については数々の刊行された記録があり大きな遺産です。今の沖縄の事柄と関連に気づき「平和を作り出す」ために考えるきっかけとしてほしいです。

小泉 辺野古の基地問題など、沖縄が負わされている課題が日本本土の人たちに伝わりにくい現状があると思います。

 日本本土に住む人たちとの対話が対等になっていないことが問題です。その根底に「差別と植民地主義」の無意識な特権が内包されていると思います。「米軍基地」が沖縄に負わされているのは、日米安保条約の下での政策の故です。「どこにも基地はいらない」と平和主義的に言えば言うほどに沖縄に基地はあり続けます。日本とアジアにおける平和構築を当事者として考えるためにも、日本本土側に基地の引き取りを考えてほしいと願っています。沖縄の人々が「基地は県外へ」と言葉を生み出すまでに戦後50年余かかりました。実に半世紀の歩みの中で生み出された言葉です。いま一度考えてみてください。

小泉 重く受けとめねばと思います。最後に、大切にしておられる聖句があれば、教えてください。

 使徒言行録2章17節。センター30年の歴史をつくって下さった方々、また未来の担い手たちへ夢を託したいとの願いからです。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会牧師)

 ルーテル世界連盟(LWF)と正教会は、ニケア・コンスタンティノポリス信条のフィリオクエ問題について共同声明を発表しました。西方教会と東方教会を1000年にわたり分裂させるきっかけとなったのがフィリオクエ論争です。
 「フィリオクエ」はラテン語で「子と」という意味です。ニケア信条(正しくはニケア・コンスタンティノポリス信条)では「聖霊は、父と子から出て」となっていますが、「子」は原文にはなく、後にラテン教会(西方教会)が付け足しました。アリウス派に対抗するためでした。
共同声明は「(フィリオクエがない)原文ギリシャ語を翻訳する際は、世代を超えた両教会間の分裂を解くことを念頭において為され、ニケア公会議(325年)とコンスタンティノポリス公会議(381年)の信仰告白を共にできるように」という両教会の思いを示しています。
 声明は今年5月エジプトのカイロで行われた第18回委員会で成立しました。委員会はこの信仰告白がキリスト教典礼と教義の基盤であることを強調したうえで、教会が未来を見据えて三位一体神学を新たな視点から見ていくことを期待して、「聖霊は、東西がたどった伝統により異なった表現となったが、東西両教会は聖霊の十全な神性と人性を肯定する」と表明しました。
 共同声明は、LWFと正教会が過去40年間積みあげてきたエキュメニカル対話の結実であり、来たる2025年のニケア信条1700年記念に向けての和解のしるしとして提示されました。また声明には、ルーテル教会と正教会が神学的理解を互いに深めあい、一致に向けた歩み寄りへの希望が込められています。

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山内量平探訪記⑪「平信徒伝道団」

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

 改心した山内量平は酒造業をきっぱりと廃業し、清酒の在庫も製造設備も土地も屋敷も一切を処分しました。そして受洗の翌年の明治18年1月、夫妻で南部(みなべ)から田辺に移住し、新たに酢の醸造・販売をしながら、伝道に邁進することになりました。
 同じころ、カンバーランド長老教会のヘール宣教師らは日本での伝道の担い手となる信徒を育成するために、神学クラスを始めました。受講生は量平のほか、山本周作、久世徳蔵(この2人は大阪で受洗)、大石余平(新宮教会設立者)、そして前回取り上げた和佐恒成です。
 彼らは「平信徒伝道団」を組織して、一生涯福音を伝えることを盟約しました。『明治初期の紀南キリスト教』という本は、「この五人の初志は極めて強固で、最後まで貫かれた。これは〝紀南バンド〟とも称せられるべき事実であろう。」と述べています。
 明治18年4月、彼らは一軒の家を借りて「田辺長老教会」を設立し、量平がその長老となりました。今の日本キリスト教団田辺教会です。
 信徒たちは自前の土地・建物を持つために熱心に献金しました。量平の妻・幹枝は、豪華な婚礼衣装を献げました。
 田辺教会での毎週の聖書研究会は、主に量平が担当しました。幹枝は幼稚園の開設に取り組み、資金集めなどをしました。ルーテル教会の、佐賀における宣教の開始も、山内夫妻の情熱と経験抜きにはありませんでした。

るうてる法人会連合オンライン研修会報告

李明生(日本福音ルーテルむさしの教会牧師・日本福音ルーテル教会事務局長)

 るうてる法人会連合は日本福音ルーテル教会の宣教の歴史の中で形作られてきたさまざまな施設・学校等が、「伝道(宗教法人)、教育(学校法人)、奉仕(社会福祉法人)のわざに招かれた「宣教共同体」として総力を結集して新たなる宣教の展開へと向かうことを決意」し、2002年に発足しました。設立当初は毎年総会と全体研修会の両方が行われましたが、2009年より総会と研修会を交互に隔年で行われることとなりました。
 昨年8月に熊本で開催された、るうてる法人会連合総会において、2024年の全体研修会はオンラインで行うことが承認されました。コロナ禍の中、手探りで始まった「オンライン研修」でしたが、距離に関係無く、広く全国各地から参加しやすいことや、当日参加出来ない場合でも講演等を後日視聴することができるなどのさまざまな利点も多いことが分かってまいりました。そこで今回はこうした利点を積極的に活用することして、8月25日(日)14時から16時まで、Zoomミーティングとして開催されることとなりました。
 今回は、社会福祉・教育等の働きにおけるキリスト教の役割とは一体何なのかを共に考える機会として「なぜわたしたちはルーテルで仕事をするのか」をテーマとして、佐々木炎先生(NPO法人ホッとスペース中原代表・日本聖契キリスト教団中原キリスト教会牧師)と宮本新先生(日本ルーテル神学校・ルーテル学院大学)のお二人から講演を頂きました。佐々木先生からは、ご自身のNPOでの活動の実践を紹介頂くとともに、その活動の根幹にキリスト教があることの意味を具体的な事例と共にお話し頂きました。宮本先生からは、宗教改革以来のルーテル教会の歴史の中で、教会はどのように社会と関わってきたのかをお話し頂きました。それぞれの講演(各約45分)の後には、オンライン上で5〜6人の小グループに分かれて感想を共有する時間を10分間程持つこともできました。
 なお当日の講演動画は、各教会・施設の修養会や研修などの際に活用頂けます。利用方法はるうてる法人会連合加盟の各教会・施設宛てにあらためてご案内いたします。
 来年2025年は8月に東京にてるうてる法人会連合研修会・総会が開催される予定です。皆さまぜひご予定ください。

TNG委員会ユース部門・社会委員会共催「リーダー研修キャンプ」報告

多田哲(日本福音ルーテル合志教会・水俣教会牧師、TNG委員会ユース部門長)

 9月3日(火)から6日(金)までの4日間、沖縄にてTNGユース部門・社会委員会共催のリーダー研修キャンプが行われました。青年5人、TNGスタッフ2人の計7人と、社会委員会からの6人を加えて全部で13人の参加でした。
 初日は日本基督教団ぎのわんセミナーハウスのガイドの方の案内で、南部のひめゆりの塔と資料館、平和の礎、糸数のアブチラガマ、普天間基地が見渡せる嘉数高台を訪問。何回訪れても胸が締めつけられ、直視することをちゅうちょしてしまいます。
 2日目は北上し、名護市辺野古にある米軍の新基地建設現場で毎日なされている座り込みの抗議運動を目の当たりにしました。その後、フェリーに乗って伊江島に渡り、阿波根昌鴻さんのヌチドゥタカラの家があるわびあいの里を訪問。ご自身も沖縄戦を体験された代表理事の謝花悦子さんから平和のために学び続けてほしいというメッセージを受け取りました。それから団結道場を見学。
 3日目は読谷村にあるチビチリガマと嘉手納基地を望む道の駅かでなを訪問。読谷村は2006年に米軍から返還された広大な土地を住民たちが自ら話し合って用途を考えていくと決め、少しずつ整備を進めています。それでもまだ読谷村の36%が米軍基地であり、嘉手納町に至っては町域の82%が米軍基地です。日本の国土面積の0.6%しかない沖縄県に全国の米軍基地の70%が集中しています。
 その現状を見ると、沖縄の中に米軍基地が置かれているのか、米軍基地の中に沖縄が置かれているのか、分からなくなります。日本の住民が米軍基地へ入ろうとすると特別な許可や検問が必要で、勝手に入れば撃たれる場合もあります。しかし、米軍基地からは自由に沖縄へ出入りできます。日本のナンバーが付いていなくても自由に沖縄の道路を通行できます。果たして、柵の中に入っているのは、どちらなのかと思わずにはいられません。そこから、ぎのわんセミナーハウスに戻り、普天間バプテスト教会の神谷武宏牧師から普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会の活動について付属緑ヶ丘保育園に米軍ヘリの部品が落下した事件についてお話を伺いました。日常が危険の中にある普天間での生活の現実をお聞きし、沖縄の傍観者である自分を省みました。また沖縄に行かなくてはならない、そう改めて思わされた旅となりました。社会委員会をはじめ、多くのご支援により無事にキャンプを行うことができました。感謝いたします。

日本ルーテル神学校校長就任あいさつ

宮本新(日本ルーテル神学校校長・ルーテル学院大学准教授)

 10月開催のルーテル学院理事会において学校法人ルーテル学院日本ルーテル神学校の校長に選任されました。
 ルーテル学院は学部・大学院の募集を停止し、神学校を継続する決断をしました(本年3月)。しかし神学校だけは今まで通り、ということでもありません。新たな形を模索する道を歩みはじめています。
 今回退任された立山校長、そして長年牧会兼務で教える任を担ってこられた平岡仁子先生(JELC、礼拝学)、齋藤衛先生(NRK、教会実習)が本年度で定年をお迎えになります。教授会に残るのは、学長の石居基夫先生と、A.ウィルソン宣教師、そして宮本の3名です。神学校の教授会は出向人事ですから、教会からの人材派遣がなければ教員スタッフは途絶するほかありません。これは今にはじまったことではない、教会・神学校の往年の課題であり、引き続きこれに取り組むことになります。
 また、神学校は牧師養成を柱とする「教育」とあわせて、「研究」と「研修」の働きを担ってきました。他の学問同様、神学諸学科も常に研究が進んでおり、国内外の宣教と神学の動向を無視することができないからです。ルター研究所やDPC、また牧師の現任教育やセミナー、講壇奉仕といった諸活動がこれに相当します。目下、教会の執行部はじめ多くの方々がこれらに力を尽くしているところです。

 ルーテル学院の建学の精神は、「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ」(ピリピ人への書2章5節・文語訳)。教会がいつもみ言葉に立ち戻るように、学校のような施設もまた創立の志に戻ります。1909年創立の神学校もこの建学の精神を吟味する時に立っています。掲げられているのが「キリストの心」ですから、神学校自らが打ち立てるものでもなければ、ルーテル教会単独で成し遂げられるような理念でもありません。基本は忘れないこと。このみ言葉を「わがごと」とする人たちと広く力を合わせ、祈りを深め、この普遍の使命に参画することを学院の使命としていきたい。

日本キリスト教協議会 日・独・スイス教会協議会報告

李明生(日本福音ルーテルむさしの教会牧師)

 2024年9月14日〜18日、ドイツ教会より6名、スイス教会より2名の出席者を迎え、東京都内各所を会場として日本キリスト教協議会(NCC)日・独・スイス教会協議会が「非戦〜すべての命は尊い」を主題として開催されました。
 14日は日本では戦争の歴史がどのように捉えられているかについての都内フィールドワークが行われ、その後NCC事務局を訪問しました。
 15日は首都圏の4カ所でドイツ・スイスからの出席者をゲスト説教者・講演者とした礼拝・集会が持たれました。日本福音ルーテル東京教会では、この秋より東京・五反田のドイツ語福音教会に着任のラッツ牧師をお迎えしました。また日本バプテスト連盟市川八幡キリスト教会での集会には内藤新吾牧師(稔台教会)が発題者として参加されました。同日夜にはドイツ語福音教会にて懇親会と記念オルガンコンサートが開催されました。
 16日〜17日は、東京・大久保の日本キリスト教会柏木教会にて公開プログラムが行われました。16日には開会礼拝に続いて白井聡氏(京都精華大学准教授)より「グローバル南北戦争の時代の中の日本」、上中栄牧師(日本ホーリネス教団旗の台教会・元住吉教会牧師)より「非戦・目標か理想か幻想か妄想か」の二つの講演、またそれに対するドイツ・スイス・日本からの応答が行われました。17日午前には2名の北陸学院学生からの発題をもとに全体討論が行われ、午後には日本語とドイツ語による「ラップ・ワークショップ」を体験しました。
 最終日18日は日本福音ルーテル東京池袋教会を会場に、共同声明作成協議を行い、日・独・スイスの教会が共同のプログラムを継続することを確認し、閉会礼拝をもって公式プログラムを終了しました。
 世界各地で戦争・紛争が勃発する今、社会状況も歴史的背景も異なる日・独・スイスのキリスト教会が非戦のヴィジョンを分かち合うことは、各教会に与えられた平和構築の使命をいま一度確認する貴重な機会となりました。

24-10-31神の国はこのような者たちのものである

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「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。」
ヨハネの黙示録 21・3c~4

 全聖徒主日。この日には会堂での礼拝後、私ども神戸教会の記念墓地に赴き、祈りを献げるのですが、そのときに、いつも私が静かな感動を覚えるのは、墓石に刻まれている信仰の言葉です。「われら 主に ゆだねる」。そして、ヨハネによる福音書第11章の主イエスの約束、「わたしが復活である。このわたしが命なのだ。だから、わたしを信じる者は、死んでも生きる。あなたを生かすのは、このわたしなのだ…!」。このようなみ言葉を想い起こし、信じさせていただきながら、教会の仲間を覚え祈ることができるというのは、まことに幸いなことだと思う。

 しかもそこで忘れてはならないのは、「わたしは復活!」というこのみ言葉を、主イエスもまた涙を流されながらお語りになったということです。今日、黙示録を書いたヨハネは、福音書を書いたヨハネとは別人であると見られていますが、「神がわれわれの涙をことごとくぬぐってくださる」と書いたときに、その神ご自身に他ならないイエスが涙を流されたという事実を忘れてはいなかったと、私は信じています(ヨハネによる福音書 11・35)。

 愛する礼拝共同体、神の家族の皆さん! 私どもの信じる主イエスというお方は、実は誰よりも死の恐れを、愛する者を失い墓の前で涙する悲しみを、このお方は知っておられました。「わたしが、甦りなのだ。わたしが、命なのだ。」それは決して、悟りきった者の言葉ではなかったのであります。

 ヘブライ人への手紙第5章7節は、「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ……」と書いています。十字架につけられたそのお方を、父なる神は死人の中から甦らせてくださいました。それは言い換えれば、主イエスご自身が、父なる神に涙をぬぐっていただいたということでしかなかったのです。その意味において、主イエスの復活というのは、永遠の重みを持つ出来事であると言わなければなりません。私どもすべての者の涙をことごとくぬぐい取る、そういう力を持つ出来事であったのです。

 あのラザロを墓から呼び起こし、マルタとマリアの涙をぬぐい取ってくださったお方、神ご自身にほかならないお方の頬を濡らした涙は ―このわたしのための涙であったと信じます。あの姉妹の涙をぬぐってくださった主イエスのわざは、たまたま一度だけ起こった、単なるかりそめの出来事であり、昔々ひとりの人が死刑にされて、けれども墓の中から復活したという不思議なことが起こったらしい、などということでは決してなく―今、ここで流れるわたしの涙をぬぐってくださるお方が生きておられるからこそ、救いであり、慰めであるのだと!

 「わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである」(ヨハネの黙示録21章6節)。そうです、神を信じるとは、言い換えれば、過去のことも現在のことも、そして将来のことも永遠に亘って神がすべての支配者でいてくださる、と信じることです。しかも、その神の永遠のご支配が、あのイエスというひとりのお方によって啓き示されたのだ、と。「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる」。

 神ご自身のみ声を聞きながら、ヨハネはここで、自分たちの涙をぬぐい取ってくださる、神のみ手の感触すら思い浮かべたに違いない。神は、このようなお方なのだ。あの主イエスのお姿を見れば、分かるだろう? 悪魔が世界を支配しているのではない! 黙示録の表現で言うならば、獣の支配がどんなに力を持っているように見えたとしても、「アルファであり、オメガである、初めであり、かつ終わりである」神のご支配だけが、最初から最後まで、永遠にわたって貫かれるのだ―最後の最後に、すべてを完成させてくださる神を信じるなら、たとえどんな涙を流すことがあったとしても、望みをもって待ち、立ち続けることができるのだ、と。アーメン。

イエス・キリストの復活
ラファエロ・サンティ/1499年~1502年
サンパウロ美術館蔵

24-10-01神の国はこのような者たちのものである

「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。」
マルコによる福音書10・13~16

 今年は世界的にはウクライナ情勢やイスラエル・パレスチナでの対立、個人的には久々に広島での「こどもキャンプ」にスタッフとして参加するなど、改めて平和について考え、向き合うことが多かったように思います。
 ところで、冒頭の聖句では、弟子たちが、イエス様のもとに子供たちを連れてきた人々を叱ったというのです。当時のユダヤ社会では、子供は律法を自覚的に守ることができないために軽視されていましたから、弟子たちはイエス様のもとに連れて来るにはふさわしくない、と考えたのでしょう。しかし、イエス様は憤って弟子たちに言われました。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」。そして、子供たちを抱き上げ、祝福した、というのです。
イエス様は、世の中の価値観とは異なり、子供たちこそ神の国=(神の愛の実現するところ)にふさわしいと示したのです。
 人間の社会を考えると、ある人を能力や資質によって評価することがしばしばです。しかし、イエス様はそうではなく、子供たちにこそ、愛を向けられ、救いに招かれます。ちょうど、すべての人々の罪の赦しのために愛を向けられ、十字架で命を捨て、救われたように…。
 弟子たちは子供たちを単純に軽視しました。しかし、イエス様にとって子供たちは(律法を守れない者でなく)ただ他者の愛、神様の愛にのみより頼んで生きる存在でした。そのような子供たちをイエス様は拒むことなく、喜び、受け入れてくださいます。
 このイエス様の言葉は、弟子たちや周囲の人々は神の国に入るためには律法順守という条件があると考えていたために、受け入れることが難しかったでしょう。
 そして、もしかしたら、これはある意味で、現代人の考え方や価値観にも通じるものがあるかもしれません。現代の日本の社会は、自己責任、効率化、生産性と言った価値観に基づいて回っている社会、それゆえに、一人の人間の存在や命に目を向けるより、その人が何をしたか、何ができるかが大切にされることがしばしばある社会です。もしかしたら、わたしたち自身も自分の無力さを恥じたり、能力不足を嘆いたり、罪深さに失望したりすることがあるかもしれないのです。けれども、イエス様にとっては、すべての人は十字架で命と引き換えにしてまで愛する一人であり、神様に祝福された一人です。イエス様の前で一人の命はそのようなものなのです。
 十字架の愛というのは、イエス様だけが示せるものかもしれませんが、結局、この究極の愛が見失われたり、大切にされないところでは、人が大切にされず、差別も争いも戦争もやむことが難しいのではないでしょうか。その意味で、イエス様の愛を見失わないことが、人間同士が平和に生きるという課題に向き合うときにやはり必要な姿勢であろうと思います。
 この究極の愛を知り、喜ぶ人は、自分自身を肯定するのみならず、他者を受け入れ、愛する生き方へと必ず結びついていくはずです。どんな相手でも、年齢や能力、立場の違いによって軽視したり、排除したりせず、違いを認め、そこに生じる課題を共有しながら、ともに歩む歩みが始まっていくはずです。そこに、真の平和へ向けての一歩が踏み出されていくことでしょう。そのような一人でありたいものです。

子どもを祝福するキリスト ニコラエス・マース作・油絵・1653年制作・ナショナルギャラリー蔵

24-10-01るうてる2024年10月号

機関紙PDF

「神の国はこのような者たちのものである」

日本福音ルーテル博多教会・福岡西教会・二日市教会牧師 池谷考史

「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。」
マルコによる福音書10・13~16

 今年は世界的にはウクライナ情勢やイスラエル・パレスチナでの対立、個人的には久々に広島での「こどもキャンプ」にスタッフとして参加するなど、改めて平和について考え、向き合うことが多かったように思います。
 ところで、冒頭の聖句では、弟子たちが、イエス様のもとに子供たちを連れてきた人々を叱ったというのです。当時のユダヤ社会では、子供は律法を自覚的に守ることができないために軽視されていましたから、弟子たちはイエス様のもとに連れて来るにはふさわしくない、と考えたのでしょう。しかし、イエス様は憤って弟子たちに言われました。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」。そして、子供たちを抱き上げ、祝福した、というのです。
イエス様は、世の中の価値観とは異なり、子供たちこそ神の国=(神の愛の実現するところ)にふさわしいと示したのです。
 人間の社会を考えると、ある人を能力や資質によって評価することがしばしばです。しかし、イエス様はそうではなく、子供たちにこそ、愛を向けられ、救いに招かれます。ちょうど、すべての人々の罪の赦しのために愛を向けられ、十字架で命を捨て、救われたように…。
 弟子たちは子供たちを単純に軽視しました。しかし、イエス様にとって子供たちは(律法を守れない者でなく)ただ他者の愛、神様の愛にのみより頼んで生きる存在でした。そのような子供たちをイエス様は拒むことなく、喜び、受け入れてくださいます。
 このイエス様の言葉は、弟子たちや周囲の人々は神の国に入るためには律法順守という条件があると考えていたために、受け入れることが難しかったでしょう。
 そして、もしかしたら、これはある意味で、現代人の考え方や価値観にも通じるものがあるかもしれません。現代の日本の社会は、自己責任、効率化、生産性と言った価値観に基づいて回っている社会、それゆえに、一人の人間の存在や命に目を向けるより、その人が何をしたか、何ができるかが大切にされることがしばしばある社会です。もしかしたら、わたしたち自身も自分の無力さを恥じたり、能力不足を嘆いたり、罪深さに失望したりすることがあるかもしれないのです。けれども、イエス様にとっては、すべての人は十字架で命と引き換えにしてまで愛する一人であり、神様に祝福された一人です。イエス様の前で一人の命はそのようなものなのです。
 十字架の愛というのは、イエス様だけが示せるものかもしれませんが、結局、この究極の愛が見失われたり、大切にされないところでは、人が大切にされず、差別も争いも戦争もやむことが難しいのではないでしょうか。その意味で、イエス様の愛を見失わないことが、人間同士が平和に生きるという課題に向き合うときにやはり必要な姿勢であろうと思います。
 この究極の愛を知り、喜ぶ人は、自分自身を肯定するのみならず、他者を受け入れ、愛する生き方へと必ず結びついていくはずです。どんな相手でも、年齢や能力、立場の違いによって軽視したり、排除したりせず、違いを認め、そこに生じる課題を共有しながら、ともに歩む歩みが始まっていくはずです。そこに、真の平和へ向けての一歩が踏み出されていくことでしょう。そのような一人でありたいものです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

(55)「また明日」

「単に人間的な動機からエフェソで野獣と闘ったとしたら、わたしに何の得があったでしょう。もし、死者が復活しないとしたら、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」ということになります。」コリントの信徒への手紙一15・32

 「また明日」と知人に言われびっくりしてしまいました。ちょっと前までは自分でも何も考えないで友達や知人と別れるときに言っていました。希望の言葉として。「また明日会おうね」という気持ちでした。
 「明日こそ話すぞ」と思いを込めた方が亡くなられたのは、私が「また明日お会いしましょう」と言ってお別れしたその日の夜のことでした。「明日こそ」という思いが取り残されました。明日というものは当たり前にくるものと思って疑わなかった自分がいてショックでした。それからは「また明日」という言葉が口に出せなくなり、なんだか明日はわからないという絶望に近い思いがよぎる中、何人かの方を送ることになり、また会えなくなったと思うことが増えました。
 「また会えるよ」えっどこで?神様が永遠の命を与えてくださるからあなたと私は必ずまた会えます。希望の言葉から絶望に近い言葉だった「また明日」という言葉がまた希望の言葉へと変えられました。またお会いすることができるんだと思えるようになってから、どのような別れも私にとってはまたお会いするための一時的な別れとなり、絶望に近い別れから希望へとまた変わりました。
 えーじゃあ会いたくなくてやっと別れた人とも会っちゃうわけ?と聞かれそうです。神様の御もとです。たとえあなたが忘れていたとしても、憎んでいたとしても、憎まれていても大丈夫。「また明日」

「全国の教会・施設から」⑰

清泉保育園 古閑雅子(清泉保育園園長)

 「わかばをゆすってみどりの風が部屋いっぱい広がって朝のお祈りいたします。すてきな今日をありがとう」という子どもたちと先生の元気で明るい賛美歌の歌声が今日も響きわたります。
 熊本県の北部菊池市七城町にある「清泉保育園」はこの賛美歌にぴったりの自然に恵まれた環境にあります。七城米・キンショウメロン・トルコキキョウ等数多くの農産物、近くには菊池川が流れ隣には温泉施設があります。
 農村伝道の一環から清泉教会が建てられその後始まった保育園ですが、教会の老朽化により保育園だけが残されました。
 この農村地域にどのようにして教会ができ、受け入れられ、保育園が支えられてきたのだろうか。神様のなさる不思議を思わされます。1956年第1回目の卒園生が54名だった保育園の現在の定員は50名。2024年度4月は44名から始まりました。
 私たちの町もCOVID‐19を境として出産がぐっと減り、少子化に弾みがかかってしまいました。地方の子どもたちも都会の子どもたちと同じように、核家族化が進み、子育てする保護者はいつも忙しく働いています。1日のほとんどを保育園で過ごす子どもたちは「生活のすべ」を保育園で身に付けていきます。それだけに私たち保育園の責任と働きの重さを感じながら、キリスト教保育が大切にしてきた丁寧なやさしい保育をめざして、毎日保育士と話し合いを重ねています。同時に清泉という地域にある保育園と出会い、子どもたちを愛する保育士が、喜びと感謝の心をもって働ける職場でありたいと願っています。
 「将来は清泉保育園で働きたい!」という目標を持ってくれた卒園生のためにも、希望を持って、子どもたち・保護者・職員一同、恵み祝福して下さる神様と共に歩み続ける清泉保育園でありたいと思います。

日本福音ルーテル
市ヶ谷教会 浅野直樹Sr.(日本福音ルーテル市ヶ谷教会牧師)

 市ヶ谷教会は、1952年6月のヌーディング宣教師宅での主日礼拝をもって産声をあげました。日本福音ルーテル教会が学生伝道を展開すべく、1953年5月に市谷砂土原町に東京学生センターが完成すると、市ヶ谷教会もここを拠点として本格的な宣教活動が始まりました。今年宣教72年を迎えています。
 1961年4月に一人の米国人神学生の遺志により献げられた1万ドルを基金として敷地内にクライダー寮が併設されると、市ヶ谷教会と学生センターそしてクライダー寮は、別組織でありながら協力しあい宣教を続けました。その後1974年10月にルーテル市ヶ谷センターが完成、会館内にチャペルができたことで市ヶ谷教会の宣教第2章が幕開けし今に至っています。会館の完成を契機に東京学生センターは閉鎖、クライダー寮は三鷹のルター寮へ仮移転することとなりました。市ヶ谷センター会館は、2022年7月から2023年8月にかけて耐震補強を伴う大規模修繕工事が行われリニューアルしました。
 市ヶ谷教会のチャペルは、平日は市ヶ谷センターのコンサートホールとして利用されるため、私たちがチャペルを使えるのは基本的に日曜日の午前中のみという制約があります。しかしながらチャペルがコンサートホールでもあるからでしょうか、神様は市ヶ谷教会にたくさんの音楽のタラントを与えてくれました。荘厳なパイプオルガンに元気いっぱいの聖歌隊、華麗なフルート、バイオリンとチェロの弦楽器、最近新たにサックス奏者も与えられ、楽しみが増えました。年1回のユース礼拝は夏の定番となり、この日は青年が司式からメッセージまで礼拝をすべて担い、ギターとピアノ演奏でワーシップソングも歌ったりして主を賛美します。6月には中央線沿線地区の教会がここに集合し一日教会祭が開催され、地区のメイン行事となっています。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会牧師)

ブラジル福音ルーテル教会200年祭

 ブラジル福音ルーテル教会(IECLB)は、今年宣教200年を迎えました。最初のルター派移民が到着したのはブラジル南部の町ノバ・フリブルゴとサン・レオポルド。その日5月3日と7月24日はそれぞれの記念日となっています。
 今年はこの日のためにサン・レオポルドで記念行事が計画されていましたが、歴史を刻むべくこの日の礼拝は、結局7月28日にオンラインで行われました。5月にリオグランデ・ド・スル州で豪雨と洪水が発生、多大な被害が出たため救援活動を優先することになったからです。
 「この記念祭はドイツ移民200年の歴史を覚えるというより、私たちの教会がこの国でそしてこの社会にあって自分たちの役割に目を向けるときなのです。私たちはブラジルの地でイエス・キリストの教会でありたいのです」(シルビア・ゲンツIECLB総会議長)。洪水被害という予期せぬ試練に、教会は断固とした決意で向き合うことになりました。
 洪水が起こる前の4月に記念行事の一環でミッション大会があり、全18教区から牧師も信徒も、若者も高齢者もサン・レオポルドに集合しました。そこで2030年までの教会ビジョン、目標、宣教方策などが話しあわれました。多岐にわたるテーマが議論され、「活発な議論からたくさんの希望をいただきました。」(IECLB総会議長)
 「多様性を受け入れる教会でありたいのです」。ゲンツ議長はIECLBに現存する日本人、トルコ人、韓国人、先住民の教会に触れつつ、「そうした方々に対してもっとウェルカムになって霊的な居場所を提供したいのです」と語りました。
 このことが当たり前ではなかったことが歴史を振り返ればわかります。1822年にポルトガルから独立、国の宗教は「カトリック教」としつつも、新憲法により非カトリック教徒の移民受け入れも可能になります。他宗教も認められたのですが、家庭以外で礼拝することは禁じられていました。ポルトガル植民地として建てられたカトリック国に1824年、ヨーロッパから最初の移民が到着します。そのなかに、新地で自分たちなりの信仰生活を望むドイツ人が多くいました。
 IECLB教会内には多様な神学が存在しています。「伝統を重んじる人、解放の神学を掲げ政治色の強い人、保守的で敬虔主義の人、ペンテコステ的なカリスマ派の人もいます。」それゆえゲンツ議長は「互いに話を聞く能力と意欲が必要」であり、教会の一致とその強化が最重要課題だと総括しました。

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改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)
岡村順子さん(日本福音ルーテル函館教会信徒・ゴスペルサークルMSC指導者)

小泉 今回は、道南で最も活動的なゴスペルサークルを指導しておられる岡村順子さんにお話しを伺いました。岡村さんはゴスペルとキリスト教、どちらの出会いが先だったのですか?

岡村 はい、もともといろいろなジャンルの歌を歌っていたのですが、わたしを一番燃えさせてくれたのがゴスペルだったのです。20年近く前に夫とゴスペルサークルMSCを立ち上げ、練習場を探していたときに函館教会のソベリ先生と出会って招いていただき、その縁もあって夫とともに函館教会で洗礼を受けました。洗礼を受ける前に歌いながら感じていたモヤモヤが、洗礼を受けたことによって吹っ切れたように感じたのを覚えています。

小泉 MSCではどのような活動をしておられますか? またメンバーの中にも洗礼を受けられた方がおありですか?

岡村 毎週木曜の夜に礼拝堂で練習しています。礼拝で歌うことはあまりありませんが、教会やホールでコンサートを主催するほか、イベントに呼ばれたりして年間20回くらいはステージがあります。教会員は、初期メンバー3人だけという時代が長かったのですが、最近メンバーの受洗が続いたり、教会員さんがメンバーに加わってくださったりして、常時30人前後が活動しているサークルの中で、函館教会員が10名近くになりました。

小泉 岡村さんが、楽曲を指導する中で意識なさるのはどのようなことですか?

岡村 ゴスペルは英語の曲がほとんどですから、まず歌詞の意味をしっかり理解してほしいということです。歌唱にあたっての技術的なことはもちろんですが、どんな神様を、なぜ賛美するのかということを一緒に考えたいと思っています。そのために、練習の後に牧師に祈ってもらったり、聖書のメッセージを語ってもらうことも大切にしてきました。函館教会は、昨年から牧師が常駐しない教会になってしまったのですが、それでも練習の曜日を工夫したり、オンラインを用いたりしながら、これからも教会で賛美し、教会とともにあるゴスペルであることの喜びを、メンバーたちとわかちあっていきたいと思っています。

小泉 今日は熱い思いを、ありがとうございました。最後に、岡村さんが大切にしておられる聖句を教えていただけますか?

岡村 コリントの信徒への手紙一10章13節です。とてもつらい経験に向きあわされたことがありましたが、後になって、神様が道を備えていてくださったことを知りました。

「JELAアメリカ・ワークキャンプ」中高生17名がミシガン州でのキャンプに参加!

森一樹(公益財団法人JELA職員)

 公益財団法人JELAが主催する「JELAアメリカ・ワークキャンプ」が7月下旬に米国ミシガン州で開催されました。このキャンプはアメリカの宣教団体、Group Mission Tripsが、全米で展開している家屋修繕ボランティアキャンプに日本チームとして参加し、現地の中高生と寝食を共にし、ボランティアワークに汗を流し、毎日聖書の御言葉に触れ神様のことを学ぶワークキャンプです。今年は、全国各地の教会やミッションスクールに通う中高生17名が参加しました。行きの飛行機が欠航になるなど多くのトラブルに見舞われましたが、神様のお守りの下、誰一人欠けることなく開催することができました。ここからは参加者が作成した感想リポートを一部紹介します!全員のリポートはJELAのウェブページに掲載されていますので、二次元コードまたはインターネット検索からぜひご覧ください。

 プログラムに参加した友達は日本人も、アメリカ人も本当に優しくて、楽しい時間を過ごしました。最終日に僕が別れを惜しんで泣いているときは優しく抱きしめてくれ、ただ僕を喜ばせよう、幸せにしようという温かい心が感じられました。また家を無償で修繕するワークでは、住人の方が僕たちの設置したシャッターを見て、“I love it! I really love it!” と言ってくれました。この時、僕は誰かのためを思って働くとき、その人が幸せでいることが最高の報酬になるのだと感じました。(中学2年生)

 私はこのキャンプに参加するまで、神様の存在は少し遠くて、自分なんて神様の目には写っていないだろうと思っていました。しかし、飛行機が飛ばず、蒲田教会で2日間日本人メンバーだけのプログラムを行ったことも、現地でのワークの間、スマホの翻訳が使えなくてクルーとの会話は全部英語でしなくてはならなかったことも全て、今後も関わりを持っていきたいと思える仲間たちとの時間を与えるため、私自身で相手に考えを伝えようとする勇気を与えるために、神様が仕組まれて起きた出来事なんだと。神様は私の事をちゃんと見てくださっている。神様との関係を確認することができました。(高校1年生)

 キャンプでは、話しかけるのもワークをするのも自分1人でやった気でいましたが、思い返してみれば、不自由な英語でも話せたのは現地の子が私の話を注意深く聞いてくれたため、ワークでは私がやりたいワークを手助けしてくれたためであったのです。そこでようやく、相手を信じて身を任せることがどれ程自分の身を助けるのかを体感し、自分自身を「変えた」のではなく、周囲の人を通して神様に「変えられた」のだと理解できました。(高校3年生)

山内量平探訪記⑩「和佐恒也」

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

 この連載は私が実際に山内量平先生に関連する場所を歩いたことをもとにして書いているのですが、実は量平よりも先にキリスト者になり、後にルーテル教会で6人目の日本人牧師になった人が、田辺から30キロ南の周参見(すさみ)にいたことを後で知りました。佐賀、日田、直方などで伝道された和佐恒也先生です。
 和佐恒也は、嘉永5年(1852年)に生まれ、幼少時に寺に預けられて、24歳で周参見の萬福寺住職兼地方巡教師に任ぜられました。
 ある日、小学校の先生が寺に来て、「耶蘇教の聖書も読んではどうですか」と、木版刷りの聖書をくれました。どうやらこの先生も、他の人から押しつけられたのを持ち込んだようです。この聖書を読んでいくうちに、恒成はだんだん捉えられていきました。特に、マタイ伝6章でイエスが偽善者を厳しく批判されたところには汗をかきました。何度も読むうちに、仏教僧侶である自分への疑問と、聖書をもっと学びたいという気持ちが強まって来ました。
 そんなときに所用で田辺の旅館に泊まると、隣室で外国人が日本人たちに聖書の話をしているのが聞こえてきます。襖に耳を付けて聞いていた彼はついに我慢できず、襖を開けて入り込み「私にも教えてください!」と言いました。明治15年(1882年)12月、恒成はこうしてヘール宣教師に出会い、その後量平より2カ月早く受洗に至ったのでした。

東海教区 青年+外国メンバー・ワークキャンプ

徳弘浩隆(日本福音ルーテル復活教会・高蔵寺教会牧師)

 今年はワークキャンプ!仲間で交流して楽しむだけではなくて、各教会を巡り新しいメンバーに出会い繋がりながら、一緒に奉仕できたらという思いからです。新霊山教会に受け入れて頂きお世話になりました。礼拝後、敷地内の大きな竹の伐採を手伝い、数ヵ国メニューのランチ、外国メンバー主導のゲームと交流会などで、信仰と親交を深めました。能登ボランティア参加や急な発熱などでキャンセルもありましたが、スタッフと受け入れ側を含めて19人。外国メンバーは5人、青年は2人。ブラジル、インドネシア、ベトナムに、スリランカのメンバーも加わり広がっています。恒例カルチャーショック大会は、ベトナムメンバーが2度目の受賞。異文化でのビックリや失敗すら競い合って披露し、楽しく笑ってたくましく生きていくことを目指しています。最後は、伐採した直径15センチメートルの竹で作った大きな十字架を掲げてお祈りして終了。同国人同士のコミュニティーも大切ですが、日本の社会や教会に多国籍の人たちが普通にいることが理想だと、この輪が広がることを願っています。支援には英語は必要なく「やさしい日本語」です。試行錯誤中ですが、情報交換や協働をしましょう。一緒に支援してくれている教会員にもコメントをいただきました。

 私は神様のお導きでルーテル教会と出会い、聖研のほか外国メンバーとの交流がとても意義深く、また教会学校や教会バザーにあたたかいものを感じ「これだ!」と思い去年受洗しました。タイに数年滞在経験もあり日本の外国の方がひとごとではないという気持ちがあります。そのため機会があれば支援メンバーとして子どもと一緒に参加させて頂いています。国内外でさまざまな問題もありパレスチナの占領虐殺も続く中、多国籍メンバーと共に教会でワークキャンプができる恵みに感謝しています。わが子は夏の思い出(絵日記)に教会外国メンバーが楽しく一緒に遊んでくれたことを描きました。とても平和で安心なひと時でした。これからもクリスチャンとして隣人と共に歩んでいきます。

第24回ルーテルこどもキャンプ報告

池谷考史(日本福音ルーテル博多教会・福岡西教会・二日市教会牧師・こどもキャンプキャンプ長)

8月7日(水)~9日(金)、広島教会を会場に同キャンプが開催されました。テーマは「来んさいヒロシマPeaceじゃけん」、主題聖句は「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイ福音書5章9節)でした。
 集まって開催するキャンプは5年ぶりでしたので、これまで小学5年生、6年生だった対象を中学生まで広げたところ、全国から15人のキャンパーが8月の広島に集いました。初めて顔を合わせる仲間も多かったので、最初は友達ができるか不安もあったようです。しかし、開会礼拝から始まり、楽しいゲーム、グループの名前を決めるグループタイムとプログラムを進めていくうちに、キャンパーたちは自然と知り合い、打ち解けていきました。
 2日目は広島市内のハイクに出かけ、広島平和記念資料館、原爆死没者慰霊碑、韓国人原爆犠牲者慰霊碑、原爆ドームなどを見学。子どもたちなりに原爆の恐ろしさと悲惨さ、それがその後も人々を苦しめることを知り、これまで教科書で学んだことはあったが、それだけで知ることができない現実を知ることができた、という感想を分かち合ってくれました。そして、原爆の子の像(キャンパーと同年代の12歳で、被爆による白血病で亡くなった佐々木禎子さんを記念した像)では、前夜に一人一人が平和を想いながら折った折り鶴をささげました。お昼に皆で食べたお好み焼きもとてもおいしかったです!こうしたこともキャンプの素晴らしい思い出となりました。
 また、今回はじめてのことでしたが、地元の子どもたちの劇団I PRAY(アイプレイ)の皆さんが、このキャンプのために教会でミュージカル(平和創作劇)を演じてくれました。内容は戦争の廃虚から立ち上がり、未来に向けて平和を願い、作っていく一人になるというものでしたが、平和を願って劇を懸命に演じる子どもたちの姿に、キャンパー、スタッフともに強く心を動かされました。あるキャンパーは、子どもも平和のためにできることがあると思ったと感想を書いてくれました。
 最終日、広島教会の屋上にのぼり、あの日から79年目の広島の街を一望しました。近代的な建物が立ち並ぶ様子を見た一人のキャンパーの、復興の大切さを知った、との感想に、心が熱くなる思いでした。
 最後になりましたが、このキャンプのために祈りや献金等、さまざまな形でお支えいただいた皆さまに心より感謝申し上げます。

2025年教会手帳発売開始

2025年教会手帳を発売開始いたします。
週間の聖書日課は、「改訂共通聖書日課」を
採用しており、「家庭礼拝のための聖書日課」と
対応されております。
お求め先は、全国のキリスト教書店まで。
また各教会でまとめてご注文の場合は、
日本福音ルーテル教会事務局
(電話:03‐3260‐8631/
FAX:03‐3260‐8641)
までお問い合わせください。

24-09-01るうてる2024年09月号

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「何のために、手を洗う?」

日本福音ルーテルシオン教会・西宮教会牧師 水原一郎

「ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。」マルコによる福音書7・1

 「夏休み 休めていません 父と母」。子どものころは疎ましかった9月1日が、今は甘美に響きます。高1を筆頭に、中1、小4、小2、年長のわが家の子どもたちは、全力で夏休みを過ごしました。早朝こそ、ラジオ体操組と朝寝組に分かれますが、朝食後は「心と精神と力を尽くし」、炎天下で部活や昆虫採集、部屋遊び。宿題への努力は「からし種」一粒。ひと夏で米一俵(60㎏)が無くなる台所。それが夏休みの日常でした。シオン教会では、四つの礼拝所があります。毎週、土曜昼からは山口県の柳井礼拝所、日曜は徳山と防府、火曜夜は島根県六日市の主日礼拝です。県を離れることはなかなか難しいですが、山口・島根県では夏休み期間中も特別に、河川プール、山と海、磯の利用を無料としています。夏空や星座も見放題、朝の新鮮な空気も吸い放題です。山口県、島根県、一度、いかがですか。

 さて、話は少し変わります。夏の期間も右記の出入りがありましたので、家では帰宅時には手洗いを義務としています。唐突に硬い表現を記しますが、衛生規定は集団生活を維持するために、欠かせません。「みんなを守るため、手洗いをする」のです。この日の聖書の背景である「衛生規定」も、初出は「荒野の40年」と言えます。この日の「食前の手洗い/食器・祭儀用の器の洗浄(3節)」は、原型は出エジプト30章17節からと見ています。祭儀を担当する人々のための規定です。しかし問題は何か。出エジプト記記載の規定を尊重しつつ、規定から派生した「昔の人の言い伝え(3節)」を、聖書と同等の拘束性を持つものと見なした、ということです。

 今日の聖書の結びで主イエスは、「無にされた神の言葉(13節)」と話されています。主イエスがこの時言われた「神の言葉」は、エルサレムから来た律法学者たちの実情(3~4節)と指摘点(5節)から考えれば、「出エジプトの事柄」である神の導きの「出来事、事柄」でしょう。それが無にされたと主は言われます。出エジプトの出来事の骨子は、神からの守りを信じ、相互に配慮することです。言い方を替えれば、神の前に心を開き、他者を隣人として生きることです。しかし彼ら律法学者は、根本を見失い、「言い伝え」を典拠として自動的に「洗わない手は宗教的な汚れ」と見なすのです。具体的に律法学者は、エルサレムから遠路、数人がかりで直線距離約100㎞のゲネサレト(6章53節)を訪れます。彼らはさらに、ゲネサレト地域内の主と弟子たちの居宅を探し、そこを訪れ、規定違反を見止め、告発するのです。律法学者のそのような姿勢、生き方、語る内容が、出エジプトを導いた神の愛を見失っていることを主は語ります。

 そもそも主イエスはこの時、ガリラヤ湖西岸地域の町村を回り、み言葉を伝える働きをなさっていました。その働きの内実は、「みんなを守るため、あなたは生きる」ことの告知でした。表現の順番を替えれば、「あなたが生きていることは、みんなのためになる」「あなたのいのちは、隣人の喜びとなる」ということを主は伝えたのです。もちろん、主は対話や状況を踏まえて、さまざまな形でそのことを伝えたのです。今日の聖書には明確に登場しませんが、直後の聖書箇所に登場する「異邦人」と呼称された方々、直前、直後の「病という状況にある方」にとっては、主イエスの言葉は、何よりも助けになったことと察します。

 このみ言葉から私たちが覚えたいことは三つ。一つ目は、諸所を巡られた主イエスは、今日もまた、あなたを訪れて下さるということ。二つ目は、困難な「荒野の40年」の旅路を導いた神のみ手が、今日もまた、あなたと共にあるということ。三つ目は、既にあなたは、誰かの隣人なのです。残暑の折、そのことを覚えたいと思います。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

(54)「与えられているから」

「御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」ヨハネによる福音書3・36

 私はなんでここにいるのだろう?ふと誰かに聞きたくなるときがありませんか?私にはあります。自分が生まれてくる時代や親や家族や兄弟の順番も性別も選べません。そういえば昔なにかのSF小説に特殊な能力と記憶を持つ子として語られているのを読みました。そのようなことではなく私たちは生まれる国も環境も選べません。たとえ自分が選んで働いていると思っていても病気になったり災害に遭ったりいろいろです。私もこのような高温でしかも世界中で病気がはやる現代に生きているとは思いませんでした。
 何が原因でどうすればいいのか、いろいろな方法はあるでしょう。試されているの?いいえ決してそうではありません。そうではなく今を生きているお一人お一人が信頼されて今を与えられているのです。たとえあなたがどこにどのように生まれたとしても、それはあなたという存在だからこそ今与えられているのです。
 自分に何ができるのか、自分には何もできない。できるからあなたがここにいるわけではありません。あなただからここが、今が、与えられているのです。あなたを試すために今があるのではなくあなたが生かされて今があるのです。
 オリンピックで目標を達成できなくて大泣きをしていた選手を見ました。目標のために自分があるのではなく、自分のためにこれからの目標を持って進んで欲しいと思いました。私たち一人一人も今を試されて生きているのではなく、私たち一人一人だから今を与えられて生かされているのです。

「全国の教会・施設から」⑮

甘木聖和幼稚園 熊本敦子(甘木聖和幼稚園園長)

 1948年に甘木教会に着任された藤田武春牧師がロイド・ネイヴィー宣教師とともに保育園・幼稚園の教育事業を始められ、1952年にネイヴィー宣教師の妻マリエルさんの大きな働きによって小郡市松崎の集会所に松崎保育園を開設。翌年に教会敷地内に甘木聖和幼稚園を開設され初代園長になったと創立90周年誌に記録されています。地域の多くのキリストを信じる方々のあつい思いと祈りが幼稚園開設にあたってはささげられ、認可申請を受けるための行動力が結集されたと伝え聞いています。神様がその方々の祈りを聴いて下さり、今日まで幼稚園を続けさせて下さっていることは本当に驚くべき神様の御業だと思います。
 聖和幼稚園の自慢はまず、広い園庭と老木の藤棚の下の砂場と急勾配のすべり台です。次に園庭をぐるりと取り囲む大木とモミジ、ザクロ(花はウインナーのようでおままごとの好材料)、色水遊びが出来る大量のオシロイバナなどなど。また、ダンゴムシやカナヘビ探し、セミの抜け殻集めがたくさん出来るのも子どもたちにとっては自慢かな⁉
 子どもたちはとにかくよく戸外で遊びます。「せいわっ子」と言えば「どろんこ遊び」と言うくらい5月ごろから砂場に穴を掘り、せっせと水を運びためて「温泉だぁ」と言いながら足をつけたり、座り込んだり…身も心も解放させています。
 保護者や職員が持ってきてくれるお菓子やティッシュの空き箱も子どもにとっては宝の山。「これで何を作ろうかなぁ」と想像力を膨らませてお友だちや先生といろいろな作品を作ります。
 そして最大の自慢は大勢の卒園生と今までお勤め下さった先生方、そして子どもたちに神様がどんなにみんなのことが大好きでいつも一緒に居て下さるお方かということをお話し下さった牧師先生方です。ある年の卒園式で言われた「先生方、本当にお疲れさまでしたね。後は神様にお任せしましょう」と言われた牧師先生のお言葉には肩の荷がホッと下りたのを覚えています。

日善幼稚園 西川晶子(日善幼稚園チャプレン・日本福音ルーテル久留米教会・田主丸教会・大牟田教会・阿久根教会牧師)

 日善幼稚園は、1913年(大正2年)、現在の所在地に近い久留米市小頭町のルーテル教会講義所内での「幼稚会」からその働きが始まり、1915年、現在地で正式に幼稚園として開園されてから、来年創立110周年を迎えます。
 1942年には戦争の影響で一時休園しますが、戦後、信徒の願いにより、1951年(昭和26年)に再開。その際の園舎は、組み立て式家屋を購入し、教会の青年たちの奉仕の手も借りて建てられたとのことです。
 その後、社会の急激な変化の波が押し寄せる中、教会立の幼稚園であることの意味が問われた時期も幾度となくあったようです。その都度「子どもの時にキリストとその愛に触れることは、人生における最高の宝である」と、キリスト教精神に基づいた幼児教育の意味が再確認され、現在に至るまで宗教法人立、「教会の幼稚園」としての歩みを続けています。
 献堂106年を迎える教会堂が幼稚園のシンボルでもあり、教会を訪れる昔の卒園生の方も「あの頃のままだ」と喜んでくださいます。今も二世代・三世代と在籍してくださっているご家庭もあり、つながりに支えられてきた幼稚園であることも感じます。
 少子化が進行する中、45名定員に対し、現在の在籍数は30名程度と、状況は楽ではありません。しかし手厚い保育を求めて来られる子どもたち、また外国籍の子どもたちなども多く受け入れ、地域の中で大切な働きを担っています。子どもたちの主体性をはぐくむ『遊び』中心の保育方針の中、今年四月に就任された竹田孝一園長を始め、先生たちはああでもないこうでもないと試行錯誤しつつ、子どもたち一人一人と向き合っています。子どもたちは、神様と周囲の愛に守られて、日々泣いたり笑ったり、自分の思いを十分に表現しながら生き生きと園生活を送っています。これからも神様のお支えを祈りつつ、委ねられた子どもたちを大切に、歩んでいきたいと願っています。

東京教会 神の愛の掟と共に歩む 浅川剛毅

 イエスキリストが私達人類に贈られた御言葉、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」(ヨハネによる福音書15・12)愛の本質については使徒パウロによって伝えられた「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」(コリントの信徒への手紙一13・4~7)
 東京教会は設立当初からこの御言葉を大切に生きるべく、牧師、信徒が神の家族として家族的な交わりを歩んで来た教会である。と信仰の先輩から聞かされていました。私が友人に誘われて初めて東京教会を訪れたのは約六十六年前、牧師や信徒の方々から温かく迎え入れられた事を忘れる事はできません。当時のクリスマスイブには夕礼拝後、聖歌隊を中心に誰もが自由に参加してクリスマスキャロリングを近隣信徒宅玄関口で行い、十数軒を訪れて、最後は決まった信徒の家で歌い終わると、玄関が開いてご主人が「寒かったでしょう、サア家にお入りなさい。」と言って皆を誘い入れ、温かい食事を振る舞って頂き、大変感激したものでした。夏には1泊2日の夏季修養会を箱根の宿等で開催し、特に証し会等で信徒の交わりが一層深まった事は感動を伴い、感謝でした。教会暦に沿ってイースター、ペンテコステ、宗教改革記念日等に祝会の食事会を開き、信徒の交わりを深めて参りましたが、四年前からのCOVID︱19のパンデミックにより、こうした信徒の交わりの機会は自粛閉鎖となり、いまだに多くの会合復帰の足取りは鈍い状態です。今こそ私たちは神から贈られた「神の愛の掟」を声高く世に伝えていかなければならない時ではないだろうかと深い祈りをささげている今日この頃です。

祝500年。 さあ、賛美しよう!

小澤周平(日本福音ルーテル教会典礼委員・日本福音ルーテル千葉教会・津田沼教会牧師)

「主に向かって喜び歌おう。」(詩編95編1節)
 突然ですが、問題です。今年は何を祝う500年でしょうか? 正解は「ルターと会衆賛美歌の500年」。なんと今年は、宗教改革者マルチン・ルターが最初に歌集を出版した年からちょうど500年目です。そこで今回、この秋に開催予定の二つのイベントをご案内します。
 10月26日(土)9時30分から、「日本賛美歌学会第24回大会」が日本福音ルーテル東京教会を会場に行われます。テーマは、「どうする賛美歌集?~ルターの会衆賛美歌から500年」です。教派や団体を超えた参加者と共に祈り、学び、そして歌います。今年は、日本福音ルーテル教会が協賛となって大会に協力します。
 午前のメインプログラムは基調講演。伊藤節彦牧師(日本福音ルーテル栄光教会)をお招きし、歴史を学びます。そして、「ルターの賛美歌を歌う」のコーナーでは、松本義宣牧師(日本福音ルーテル東京教会、学会員)のリードによって、皆で『教会讃美歌 増補 分冊Ⅰ』収録の賛美歌を歌います。
 午後は、「新しい歌を歌う」コーナー、「パネル・ディスカッション~各教派の歌集の現状とこれから」、そして「研究発表」と続きます。最新の情報を分かち合いながら、これからの礼拝や賛美歌に思いを寄せます。参加費(一般)3千円。問い合わせは小澤周平(日本福音ルーテル千葉教会)まで。。
 また、9月28日(土)13時30分からは、「礼拝と音楽セミナー」(東教区教育部主催)が東京教会にて開催されます。テーマは「私たちは歌う教会である ︱ルターの賛美歌集発行500年を記念して︱」。集い、学び、歌う喜びを、共に分かち合いましょう。参加費は無料。問い合わせは河田優牧師(日本福音ルーテル日吉教会)まで。
 私たちは歌う教会の群れ。賛美を通して、聖書の言葉を味わい、信仰を養い、世界に光を輝かせる神の民の群れとされています。ぜひ、いっしょに学んで歌いましょう!

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

イスラム家庭のルーテル信徒

 アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)のカディア・イスラムさんは、母親がルーテル教会の信徒、父親がイスラム教徒という環境で育ちました。20代前半にELCAの青年プログラムに参加、牧師家庭にホームステイしながらルワンダで1年間ボランティア活動をしました。こうした境遇と経験が、彼女のその後の人生に大きな意味をもつことになり、宗教についての視野が広がりました。帰国後、特別支援が必要なこどものケアラーとして2年間働き、今後は新たにELCAの難民と亡命希望者の支援活動をする予定です。

■ご家族の宗教について教えてください。

 「母はノルウェー系のルーテル教会員です。父は18歳のときバングラデシュからやって来た移民です。私はイスラム教徒として育ちましたが、母と私が教会へ行くことを父は「どちらもアブラハムの信仰だから」と、快く受け入れてくれました。教会から帰ると、私が教会学校で教わった同じ話を、今度は父がムスリムの立場から話してくれました。

■お父様は熱心なイスラム教徒ですか?

 「とても熱心です。ただ移民ということもあって、地域に溶け込むのに苦労しました。家ではイスラムのしきたりに従って、家族は豚肉を食べませんでした。またイスラム教の祭事やラマダンの断食を守りました。そうした環境で育ったことが私の宗教観を広めたといえます。」

■家庭環境は自身のルター派としての信仰に影響しましたか。

 「他宗教に対する謙遜と尊敬の念を学んだ気がします。私の行動はキリストの犠牲という私の信仰に基づいていて、それへの応答として私は神様に招かれていると思っていますが、他宗教の方たちも方法が異なっているだけで、同じように招かれているのだと思えるようになりました。他宗教が混在するという現実には豊かさと美しさがあります。私たちが多宗教に対していかに敬意をもてるかが大切です。」

■今後ELCAが関わるGlobal Refugeで難民支援をするわけですが、現在の政治状況を考えると大きなチャレンジになりそうですね。

 「まさにそうです。グローバルノース(北半球諸国)の人たちは、追いやられた人々をどう支援していくかがよく分かっていなくて、そのことに対する責任感が足りないように思います。アメリカの移民政策は複雑です。厳しい状況にある人たちは、亡命申請するにあたってまずそのことを認識しなければなりません。Global Refugeは、彼らに対してより公正な対応ができるよう努めています。」

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改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)
神﨑昇さん(日本福音ルーテル名古屋めぐみ教会信徒)

小泉 教会学校が難しい時代だといわれますが、名古屋めぐみ教会には子どもたちが集まっていると伺いました。教会学校には、どんな子どもたちがどのくらい集まられるのですか?またなぜ子どもたちが集まってくるとお考えですか?
神﨑 教会から生まれた箱舟保育園の園児や卒園生と教会員の子どもたちが中心ですが、近所の子どもも少し来てくれます。ふだんは幼小学科のこども10人くらいと教師や大人含めて25人程でCS礼拝、中高生科は5人ほど主日礼拝に出席していますが、イベントの時には倍以上の子どもたちが集まります。子どもたちは保育園で小さいときからお友だちなので、そのつながりが大切にされているということと、ふだんから出入りする会堂が子どもたちにとって違和感なく自然な環境になっていることも大きいと思います。

小泉 教会学校として大切にしていること、工夫していることを教えてください。
神﨑 わたしたちの教会にはミッションステートメントがあります。そこで掲げられた保育園との連携の実現のために力を入れています。小学科から中高科につなげるために中高生の居場所作りを工夫したり、ティーンズキャンプやこどもキャンプへの送り出しの支援などにも教会をあげて取り組んでいます。さまざまなイベントの礼拝を丁寧に行うこともそうですが、教会員がCS礼拝説教に関わってくださることも特徴です。

小泉 神﨑さんは、教会学校の校長先生としてご奉仕くださっていると伺いました。かかわるようになったきっかけ、またご奉仕の中での思いを教えてください。
神﨑 めぐみ教会では歴代、役員の教育担当がCS校長も兼任し、教会をあげて運営する仕組みになっています。私も過去に経験はありましたが、2年前に思いがけず前任者の校長が召天されてその後を継ぐことになったのです。過去の教会での若い人との集合写真をみて、この人たちは今どこにいるのか?と後ろ向きの思いにかられるときもありますが、小学生の頃からCS遠足に一緒に行った子が成人してCS教師を担ってくれている姿を見ると、熱いものを感じます。
小泉 ありがとうございました。最後に、神﨑さんが大切にしておられる聖句を教えて下さい。
神﨑 フィリピの信徒への手紙3章14節「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」です。若いころに出会いましたが、いま体が動く時間の限りが見えてきた時、新たな意味を与えられます。

神学校の『これから』のために

立山忠浩(日本ルーテル神学校校長・日本福音ルーテル都南教会牧師)

 ルーテル学院大学と大学院が2025年度以降の学生募集を停止することになりました。在校生が全員卒業した後は神学校だけが継続されることになります。ただ、これまでと変わらずに維持されるということではありません。
 欧米の神学校もそうですが、日本にある他の神学校や神学部においても神学教育をいかにして維持するのか懸案となっています。これまで重要な役割を担って来た寮にしても、運営に苦慮している学校がほとんどのようです。学生数の減少もさることながら、教師数の不足が深刻なのです。丁寧な教育の重要性がどの分野でも叫ばれていますが、それを実現するためには適切な人材と奉仕者の確保が欠かせません。私たちの神学校の実情はことさら厳しいと言わざるを得ないのです。
 これからも神学校は維持されるとしても、神学校そのものを改革してゆかなければなりません。私たちが神学生であった40年前から随分と変わりました。学生と教師の数が大きく減少し、ルター寮も閉鎖され、教会も神学界も学生の意識も驚くほど変化しました。そもそもカリキュラムも時代の変化に対応して改革しなければならなかったのですが、遅れた観が否めません。カリキュラムを含め、新たな局面に対処する案を作成するために、神学校将来検討委員会(ルーテル学院理事会の下にあります)と神学校教授会を中心にして協議を重ねています。
大学と大学院を近い将来閉じるのであれば、現在の三鷹のキャンパスをどのように有効活用するのかも大きな問題です。神学校も無関心ではいられませんが、その判断は理事会・評議員会マターです。そこに委ね、主のお導きを祈り信頼するしかありません。神学校が教会から託されている使命は牧師候補生の養成だけではないと認識しています。ルター研究所やDPCなどでの研究を印刷物やセミナーを通して発信することや牧師の現任教育への貢献も挙げられます。大風呂敷は広げません。しかしルーテル教会の核心的なことに貢献する気概は持ち続けたいと思います。

…主イエスのまなざしと出会う…第26回女性会連盟総・大会報告

八木久美(日本福音ルーテル教会女性会連盟第25期会長・日本福音ルーテルむさしの教会信徒)

 梅雨入り前の6月7日~8日、第26回女性会連盟総・大会が東京教会で行われ、6年振りの対面集会へと再会と出会いの喜び・期待を携えて全国から約220名の会員/牧師教職/神学生が、宣教百年記念東京会堂に集結しました。これより時系列に沿ってご案内します。

【開会礼拝】
 内藤文子牧師の司式、永吉秀人牧師の説教『隣人とは誰か』。…その意味を皆自らに問い、心を静めながら、この3年間に召天された138名の方々を覚えて祈りをささげ、総会議長と東教区を軸にした牧師8名を通して天と地上での聖餐の祝福にあずかることがかないました。

【基調講演】
 平良愛香牧師(日本キリスト教団川和教会)の講演『LGBTが安心していられる場所は、全ての人が安心していられる場所』と自作賛美歌「主につくられたわたし」が披露され、「人間は2種類ではなくもっと豊かな存在。社会や教会の中で“らしさ„を押しつけられている一人一人が︱わたしはわたし。神様が私をこのように造られたのだから︱」と歌う姿にエールを受けました。

【総会審議事項Ⅰ】
 25期連盟、教区、協力委員の活動報告、会計決算報告が承認を得て、続く石居基夫ルーテル学院大学学長より「これからの学校法人ルーテル学院について」、立山忠浩日本ルーテル神学校校長による「ルーテル神学校」のご報告に参加者一同静かに耳を傾けていました。

【愛餐会】
 大柴譲治ルーテル学院大学理事長のご挨拶、教区ごと参加者/今春誕生の新牧師4名/神学生2名/連盟の感謝献金支援先8団体/JELA/ルーサーリーグのご挨拶・案内はビデオレターを交えて展開。円卓ではクジ引きの妙もあり、出会いと再会の組み合わせ×会話×おいしい食事のマッチングが和やかな愛餐のひと時を醸成し一日を締めくくりました。

【朝禱〜審議Ⅱ/Ⅲ】
 30年に及ぶサバ神学院神学生支援終了、ルーテル神学校神学生支援開始。
 今後の女性会連盟のあり方検討委員会(仮称)設置、予算大綱、26期主題「虹の架け橋を見上げて」副主題「平和・寛容・多様性へ」主題聖句:創世記9章13節・16節…互いに主の契約のしるし/虹を見上げ、平和と寛容と多様性へと歩み出す…これらのビジョン全てが感謝を持ち承認されました。

【閉会礼拝・役員就任式】 平岡仁子牧師の司式、松本義宣牧師の説教…「連盟や教会を遠く感じるとするなら、自らの思いや心が遠く離れているからではないか」…この問いを胸に社会や個人の状況変化・価値観の多様性に対し、受容と寛容への祈りが込められた役員就任式。「主イエスのまなざしとの邂逅」を喜び、怒り、泣き、笑い、駆け抜けた2日間の幸いを覚えて、それぞれが再び置かれた所へ戻る後ろ姿へ、現在と未来を感知する英知をと、切に主に願いつつ多くの労を担われた全ての方々へ衷心より感謝申し上げます。

ひとの思いを超えた異なる道 第29回東教区宣教フォーラム報告

八木久美(宣教フォーラム実行委員長・日本福音ルーテルむさしの教会信徒)

 7月6日、東京教会を会場に第29回東教区宣教フォーラム“五感に響く豊かな礼拝” シリーズ第2回『ラビリンス・ウォーク 瞑想/黙想の彼方から』が開催されました。
 今回のテーマは、歩く瞑想・祈りと言われるラビリンス・ウォーク…シャルトル大聖堂はじめ世界各地で礼拝堂、修道院ほか諸施設、屋外庭園など数千箇所に設けられていると言われる歩く瞑想・黙想の図形を体験して何を五感で感じるのか。
 実行委員とジェームス・サック牧師(ルーテル学院大学)が2階礼拝堂聖壇前に用意した「シャルトル・エッセンス」は、中世にシャルトル大聖堂の床に敷設されたシャルトルラビリンスのレプリカ縮小版ですが、直径7mもの図形と扇形に配置した長椅子と共に異次元の空間へと礼拝堂を一変させました。
 開会礼拝は「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」(箴言3章5節〜6節)という聖句に寄せてサック牧師が「自らの人生を省みると中心(ゴール)を目指して歩くラビリンスの道程と重なりを覚えます。紆余(うよ)曲折の中で共におられる神に信頼を置いて歩くとき、私たちの理解を超えて神は道を整えられる。神は全てをよくご存じです。」と語った後、光射す礼拝堂には教区聖歌隊と会衆の賛美が響き渡りました。
 続くラビリンス ウォーク・ジャパン代表の武田光世氏の講演では「ラビリンス」は迷路ではなく円の中(世界)の曲がりくねった一本道(人生)を道なりに歩くとおのずと中心に至り、中心からまた道をたどって外へ戻ると入り口が出口となる。「ラビリンス・ウォーク」はその道を歩いて黙想する活動で3つのRの過程をたどるもの。①中心に向かいながら解き放つ(Release)②中心で歩みを止めて受け取る(Receive)③外に戻って来る(Return)。正しい体験・間違った体験は無く、思惑やはからいを手放してただ歩く。体験を体験する。
 象徴的な人生の旅・巡礼・信仰・和解・平和への旅とも言われるものの概要・歴史・現況の説明を受けた後、いよいよ参加者は呼吸するかの様に奏でられるパストラル・ハープ(大石千絵氏/三鷹教会信徒、村岡晶子氏/カトリック府中教会信徒)に包まれて、実際にラビリンス・ウォークを五感を通して体験しました。それぞれが思う来し方、行く末はどのようなものだったでしょう。こうして長くも短くも感じられた一日は安息と共に幕を閉じました。

24-09-01「何のために、手を洗う?」

「ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。」マルコによる福音書7・1

 「夏休み 休めていません 父と母」。子どものころは疎ましかった9月1日が、今は甘美に響きます。高1を筆頭に、中1、小4、小2、年長のわが家の子どもたちは、全力で夏休みを過ごしました。早朝こそ、ラジオ体操組と朝寝組に分かれますが、朝食後は「心と精神と力を尽くし」、炎天下で部活や昆虫採集、部屋遊び。宿題への努力は「からし種」一粒。ひと夏で米一俵(60㎏)が無くなる台所。それが夏休みの日常でした。シオン教会では、四つの礼拝所があります。毎週、土曜昼からは山口県の柳井礼拝所、日曜は徳山と防府、火曜夜は島根県六日市の主日礼拝です。県を離れることはなかなか難しいですが、山口・島根県では夏休み期間中も特別に、河川プール、山と海、磯の利用を無料としています。夏空や星座も見放題、朝の新鮮な空気も吸い放題です。山口県、島根県、一度、いかがですか。

 さて、話は少し変わります。夏の期間も右記の出入りがありましたので、家では帰宅時には手洗いを義務としています。唐突に硬い表現を記しますが、衛生規定は集団生活を維持するために、欠かせません。「みんなを守るため、手洗いをする」のです。この日の聖書の背景である「衛生規定」も、初出は「荒野の40年」と言えます。この日の「食前の手洗い/食器・祭儀用の器の洗浄(3節)」は、原型は出エジプト30章17節からと見ています。祭儀を担当する人々のための規定です。しかし問題は何か。出エジプト記記載の規定を尊重しつつ、規定から派生した「昔の人の言い伝え(3節)」を、聖書と同等の拘束性を持つものと見なした、ということです。

 今日の聖書の結びで主イエスは、「無にされた神の言葉(13節)」と話されています。主イエスがこの時言われた「神の言葉」は、エルサレムから来た律法学者たちの実情(3~4節)と指摘点(5節)から考えれば、「出エジプトの事柄」である神の導きの「出来事、事柄」でしょう。それが無にされたと主は言われます。出エジプトの出来事の骨子は、神からの守りを信じ、相互に配慮することです。言い方を替えれば、神の前に心を開き、他者を隣人として生きることです。しかし彼ら律法学者は、根本を見失い、「言い伝え」を典拠として自動的に「洗わない手は宗教的な汚れ」と見なすのです。具体的に律法学者は、エルサレムから遠路、数人がかりで直線距離約100㎞のゲネサレト(6章53節)を訪れます。彼らはさらに、ゲネサレト地域内の主と弟子たちの居宅を探し、そこを訪れ、規定違反を見止め、告発するのです。律法学者のそのような姿勢、生き方、語る内容が、出エジプトを導いた神の愛を見失っていることを主は語ります。

 そもそも主イエスはこの時、ガリラヤ湖西岸地域の町村を回り、み言葉を伝える働きをなさっていました。その働きの内実は、「みんなを守るため、あなたは生きる」ことの告知でした。表現の順番を替えれば、「あなたが生きていることは、みんなのためになる」「あなたのいのちは、隣人の喜びとなる」ということを主は伝えたのです。もちろん、主は対話や状況を踏まえて、さまざまな形でそのことを伝えたのです。今日の聖書には明確に登場しませんが、直後の聖書箇所に登場する「異邦人」と呼称された方々、直前、直後の「病という状況にある方」にとっては、主イエスの言葉は、何よりも助けになったことと察します。

 このみ言葉から私たちが覚えたいことは三つ。一つ目は、諸所を巡られた主イエスは、今日もまた、あなたを訪れて下さるということ。二つ目は、困難な「荒野の40年」の旅路を導いた神のみ手が、今日もまた、あなたと共にあるということ。三つ目は、既にあなたは、誰かの隣人なのです。残暑の折、そのことを覚えたいと思います。

Sieben Werke der Barmherzigkeit フランス・フランケン (1581–1642)

24-08-01るうてる2024年08月号

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「わたしたちはキリストの体」

日本福音ルーテルみのり教会・岡崎教会牧師 三浦慎里子

「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。」 (エフェソの信徒への手紙4・16)

 この春神学校を卒業し、牧師としてみのり教会と岡崎教会に着任してから、3カ月が経ちました(執筆当時)。豊橋市の牧師館に住みながら、田原市、岡崎市にある各礼拝堂にも行き来する日々を送っています。初めての経験に戸惑いを覚えたり、やる気が空回りして失敗したりすることもありますが、教会員の皆さんに助けていただき、徐々に慣れていっているところです。だいぶ前のことになりますが、私が初めて就職をした最初の新卒時代にも、やはり戸惑ったり、空回ったりしていたことを覚えています。あの頃に比べればかなりずぶとくなったものの、2度目の新卒時代を与えられて初心にかえることができるのは、とても嬉しく有難いことです。
 この3カ月の間に、対面や電話などで、教会員の方々のお話を聞かせていただく機会が増えました。皆さんの普段の穏やかなご様子からは想像もできないほど大きな試練や困難を経験して来られたことや、いかに信仰が人を支え導くかということを教えていただいています。複雑で奥深い人生の物語のほんの一部分に過ぎないかもしれませんが、出会って間もないこの新米牧師を信じてお話してくださる時、そこには確かに神様が共におられ、働いてくださっていることを思わずにはいられません。
 そのようなこともあり、毎週の礼拝や礼拝後の交わりの時間は、私にとってますます感慨深い時となっています。会衆席に座っておられる方々を見渡す時や、礼拝後に作業に勤しんだり、笑い合ったりする姿を目にするふとした瞬間に、豊かな個性を持つお一人お一人が、唯一のキリストによって一つに結ばれていることの尊さを思います。そして「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。」というエフェソ書4章16節のみことばを思い出すのです。「キリストの体」とは、教会の多様性と一致を表します。全く違う経験をして生きてきた、性格も考え方も異なる多様な人々が、キリストと出会い、招かれて、礼拝に与る。肩を並べて神を賛美し、みことばを聞き、心をひとつにして祈る。交わるはずの無かった人々がキリストによって交わり、互いを思いやったり、助け合ったりするうちに、次第に互いにとって欠くことのできない大切な存在となり、キリストの体である教会を造り上げてゆく。その現場に遣わされ、人間の力では成し得ない神様の業を目の当たりにするのは、誠に大きな喜びです。
 とはいえ、教会はこの世で生きる私たち人間の集まりですから、穏やかな時ばかりではないでしょう。「キリストの体」が怪我や病にむしばまれ、平安が失われることもあり得ます。私自身、その時が来れば、もはや笑っていられなくなるのかもしれません。聖書は私たちが「神から招かれ」(4・1)ていると励まし、「その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい」(4・1~3)と勧めます。それは特別な行いではありませんが、ただ自分の利益のためだけに生きる者には難しいことです。神様の招きは、これらのすべてを満たされるイエス様の十字架のもとへと私たちをいざない、そこから出発するよう導きます。私は希望を抱いています。これから何が起こるかを恐れるよりも、主の憐れみに依り頼み、今与えられている賜物を生かし、キリストの心を表してゆくことを選びたいのです。遣わされた教会の人々と共に。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

(53)「今を」

「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。」(ローマの信徒への手紙14・7)

 「自分の過去に嫉妬するときがあるんだ。」このような言葉を聞きました。その人は過去の記憶を思い出すことができにくい記憶喪失に苦しんでいました。自分はいったい何者なのか。どういう人間なのだろうか。そのようなその人に周りの人たちは「あなたはこんな人だったよ」とか「こんなことをしていたんだよ」とか良いことばかり言ってくれます。昔の自分はこんなに良かったからいろいろな人に受け入れられてすごい。じゃあ今の自分は?誰か今の自分を評価してほしい。そのような人は今の仕事の評価を受けて徐々に自分を取り戻していきます。
 あれ?これって私たち自身も同じなのかもしれない。嫉妬してしまうほど美化された過去や、忘れてしまいたいような過去や、今も忘れられない過去など、いろいろあります。でもそれら一つ一つがあるから今の自分があるのではないでしょうか。少し自分の経験を話すと私は今、車椅子を使う生活です。でも20代半ばまでは歩いていました。10代までは走ってもいました。このような過去は今の自分を苦しめることもありますが、成長させてくれることもあるような気もします。
 私自身にもいろいろな経験があるように、お一人お一人にもたくさんあるのではないでしょうか。忘れたい過去も後悔している過去も悲しい過去も嬉しい過去も。それら一つ一つはあなたが今を生きている証です。そんなまた奇麗事言ってと思うかもしれませんが、嘘ではありません。過去があったから今があります。ずっと一人ではありません。

「全国の教会・施設から」⑮

日本福音ルーテル東京池袋教会 永吉秀人(日本福音ルーテル東京池袋教会牧師・日本福音ルーテル教会総会議長)

 東京池袋教会は今年、宣教117年目の年を迎えています。その第一歩を踏みしめたのは1907年7月、フィンランドからの宣教師シーリ・ウーシタロ宣教師、コスケンエミニ宣教師夫妻、副島秀子氏であり、その地は東京千駄ヶ谷でした。
 1907年に千駄ヶ谷から始まった宣教草創期、1912年には千駄ヶ谷で移転、1916年には巣鴨に移り、「西巣鴨福音ルーテル教会」の看板を掲げつつ、1929年には巣鴨でも移転しています。「転宣」による開拓伝道でありましたが、ようやく1931年となって現在の池袋の地に第一会堂となる教会が建築されました。
 この地は、1923年にフィンランド・ミッションにより神学塾開校のために購入されたものであり、1926年には9名の卒業生が伝道師として派遣されています。そこを宣教の地と定め、フィンランド・ミッションによる「東京福音ルーテル教会」との名乗りをあげました。
 この「教会名」は、1953年にフィンランド系「福音ルーテル教会」と「日本福音ルーテル教会」が合同し、1963年の新規「日本福音ルーテル教会」の「東教区」結成に伴い、現在の「日本福音ルーテル東京池袋教会」へと整えられていったと思われます。
 東京池袋教会の歴史においては、開拓伝道の度重なる「転宣」に加えて、会堂建築においても3度の変遷があります。1931年に第一会堂が建てられて以後、1951年には第二会堂が献堂され、そして1985年に第三会堂としての現在の礼拝堂が与えられました。
 100年を超える歴史は尊い。初めから居た者はおらず、すべては受け継いだ恵みです。今も交わされる「100年前に私のおばあ様がね」という教会の思い出話はあたたかい。フィンランドの献身的な祈りから始まった灯は、今も池袋の地に掲げられています。

改・宣教室から

永吉秀人 総会議長(日本福音ルーテル東京池袋教会牧師)

 「レクイエム」と呼ばれる楽曲があります。これは「死者のためのミサ曲」であり、典礼文に曲が付けられたものです。よく知られたものにモーツァルト、ヴェルディ、フォーレ作曲のミサ曲があります。
 昨年の夏、小澤征爾指揮、サイトウ・キネン・オーケストラによる「戦争レクイエム 作品66」というCDを聴く機会がありました。作曲者はベンジャミン・ブリテン(1913~1976)。1961年、ブリテンは「戦争レクイエム」の作曲にあたり、教会の伝統的な典礼文だけによるレクイエム(ミサ曲)ではなく、反戦の詩を織り込んで作曲しています。それゆえ、ミサ曲として数えられることはなく、戦争レクイエムという一つの作品として扱われています。
 ブリテンが織り込んだ反戦の詩とは、第一次世界大戦の戦場を体験したイギリスの詩人ウィルフレッド・オーウェン(1893~1918)による、戦争の悲惨さを描く詩でありました。オーウェンは25歳で戦死するまで戦争の苦悩をつづり、イギリスの詩壇で反響を巻き起こしました。それから40年を経て「戦争レクイエム」で再び詩に命が吹き込まれます。その第3曲の場面で創世記22章のアブラハムとイサクの物語を用いたオーウェンの「老人と若者の寓話」が挿入されます。
 《イサクが言った。「父上、火の準備をご覧ください。ですが、この燔祭のための仔羊はどこにいるのでしょう?」すると、アブラハムは帯と革ひもで若者を縛り上げ、ナイフをかざしたとき、天使が彼に向って呼びかけた。「手をかけてはならぬ、また、どのような危害を加えてもならぬ」見よ、そのとき一匹の牡羊が森の中でとらえられていた。つまり、若者の身代わりとして神が提供されたのである。だが、老人は天使の言うことに従わず、自分の息子を殺害した。いうなれば、ヨーロッパの子孫の半ばを、ひとりずつ殺したのである。》(筆者意訳)
 アブラハムとイサクの物語を想像しながら「戦争レクイエム」のくだりを聴いていた者にとっては衝撃的な結末です。オーウェンは、この「老人と若者の寓話」を通して、戦争とは天からの声を聞きつつも、従わなかった者たちの罪であると告発しているのです。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ノルウェーのキリスト教法

 ノルウェーにはキリスト教法という法律があり、2024年の今年は施行されて1000年目を迎えました。名前が示すように、この法律はノルウェーの教会と社会において歴史上非常に大きな意義があります。
 この法律は1024年、オラフ2世の治政下に制定され、ノルウェーはここからキリスト教国としての国づくりが始まりました。5月24日から6月2日にかけて「過去を祝い、未来をつくる」をテーマに、南西の海岸都市モスターで記念式典が行われ、LWF議長も出席しました。

 ノルウェー教会のオラフ・フィクセ・トゥベイト監督はこの法律について次のように説明します。「神がご自身のイメージをこめて人を創造したというキリスト教信仰の価値観を社会に活かし、争いごとは報復でなく法と正義に基づいて解決することを意図してこの法律は制定されました。今日では女性や子ども、貧困者の権利を守るための法律ともいえます。」「この法律が1000年にわたりノルウェーに存続し、その間キリスト教の教えによって私たちが共に生きていくよう導かれたことを感謝できることは意義深いです。」「ノルウェーだけでなく世界的にも、人間の価値観が絶えず試されています。キリスト教的人間観を重んじる教会そして国家として、こうしたチャレンジに対してどう向き合うかを考えていかねばなりません。」
 伝統的にノルウェーでは教会と国家の関係は深く、1537年にはクリスチャン3世が改革を行いルター派の教義が国の宗教となりましたが、この教会と国家の結びつきは2017年に終わりました。
 記念会ではパネルディスカッションがあり、ストゥブキャル監督LWF議長とトゥベイト監督、それにアングリカン教会のマレット主教が対談し、そのなかでLWF議長は次のように述べました。「人権は、人間の尊厳の基盤であり、それゆえ我々キリスト者、ルター派の信仰そしてアイデンティティの基盤でもあります。神から賜ったすべての人の尊厳、殊に抑圧された弱い立場の人々の尊厳を高めるために私たちは召されています。LWF加盟教会が人権について学ぶことは神学と信仰の鍵となります。人権擁護は教会がなすべき宣教のコアであり、教会が発する預言の声です。不義、暴力、憎しみ、不寛容を社会からなくすために戦うことで人権、尊厳、正義と平和を実現していく。それがLWFのビジョンです。」。

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報告:「課題の視点で聖書を読む」オンライン学習会

小泉基(日本福音ルーテル札幌教会牧師・社会委員会委員長)

 日本福音ルーテル教会の社会委員会は6名の委員からなる小さな委員会で、全国に委員さん方が点在する中、継続的な活動を行う難しさを感じてきました。ところがコロナ禍によってオンライン機器が一般化したことにより、思いがけず委員会活動の新しい地平が開かれてきました。今総会期の委員は、課題と聖書を切り結ぶオンラインでの連続学習会を開催したいと話しあいました。その結果が、以下の3回の学習会です。

第1回「ヘイトクライムの視点で聖書を読む」
(2023年9月11日 
秋山仁牧師)
 昨年は、関東大震災における在日朝鮮人・中国人の大量殺害事件から100年目となる年でした。けれどもこの事件を歴史における一過性の事件としてしまうわけにいはいかないのが、近年表面化しているヘイトスピーチ・ヘイトクライムです。外国人住民を危険な、かつ人間以下の存在として切り捨てていこうとする悪辣な言動がSNSにもあふれています。秋山牧師は、旧約時代のユダヤ民族の異民族理解と現代とを対比させつつ、私たちの課題をご提示下さいました。

第2回「脱原発の視点で聖書を読む」
(2024年2月26日 内藤新吾牧師)
 内藤牧師はいつも、日本の原子力政策の危険性と、原子力の平和利用の名のもとに行われる核兵器開発の問題性を明瞭にお話し下さいます。今回は加えて、天地創造の物語やイザヤ書、マタイ福音書などに示された私たちに対する神様の期待、といった聖書的な観点からも、私たちが直面している課題についてわかりやすくお話し下さいました。

第3回「ジェンダー正義の視点で聖書を読む」
(2024年5月21日 安田真由子さん)
 都南教会の信徒であり、NCCジェンダー正義に関する基本方針策定プロジェクトでも中心的な役割を果たされた安田さんが、性の多様性やジェンダー正義についての基本的知識の解説にはじまり、聖書の中でも表現されてきた性をめぐる差別や偏見や抑圧を、教会に集う私たちがどのように越えていくことが出来るのか、といった私たちの課題に至るまで、新約学が専門の安田さんらしく、聖書翻訳の課題などにも触れながら、示唆に富んだお話しを下さいました。

 特に、第2回の学習会は講演録も発行されて各教会に配布されていますから、ぜひ手に取って学んでいただければと思います。

部落問題に取り組むキリスト教連帯会議報告

沼崎勇(日本福音ルーテル京都教会・修学院教会・賀茂川教会牧師・部落問題に取り組むキリスト教連帯会議常任委員)

 部落問題に取り組むキリスト教連帯会議(以下「部キ連」と略す)第41回総会が、2024年5月20日、在日韓国基督教会館において開催された。部キ連は、全国にあるキリスト教団・教派が連帯して部落差別を克服することを目的とする運動体であり、重要な活動の一つは、狭山再審・証拠開示要請行動である。(以下の記述は、黒川みどり著『増補 近代部落史』平凡社、および、黒川みどり著『被差別部落に生まれて』岩波書店に負っている)
 狭山事件は、1963年5月1日、埼玉県狭山市で高校1年生の女性が行方不明になり、警察が身代金を要求した犯人をとり逃がし、その後に被害者の遺体が発見された事件である。当初から周辺の被差別部落を中心に捜査が行われ、当時24歳だった被差別部落に住む石川一雄さんが、別件逮捕された。
 石川さんは、貧困ゆえに小学校にほとんど通えておらず、読み書きもほとんどできなかった。そのような石川さんは、殺人・死体遺棄についての自白を迫られたが、長らく否認を続けた。しかし、一家の大黒柱であった兄が犯人であるとだまされ、加えて「自白をすれば10年で出してやる」という捜査官の誘惑によって、6月23日、石川さんは「自白」に至る。
 1964年3月11日、一審の浦和地裁で死刑判決が出されたが、翌12日、東京高等裁判所に控訴。9月10日に行われた控訴審で、石川さんは否認に転じ、無実を訴えるも無期懲役となり、1977年、最高裁の上告棄却、それへの異議申立て棄却で無期懲役が確定した。それ以来、石川一雄さんは再審請求を続けているが、1994年、仮出獄となったものの、今もって再審は開かれていない。
 狭山事件の問題性は、被差別部落に犯人がいるという予断のもとに、捜査の段階から被差別部落に的が絞られた結果、石川さんが被差別部落住民であることによって、逮捕されるに至ったことである。
 さらに狭山事件の問題性は、取調べにおいて、石川さんが学校教育をほとんど受けていなかったことによる「無知」を利用して、彼を欺き「自白」をつくり出したのであり、部落差別が、冤罪を生んだ重要な要素になっていることである。
 石川一雄さんは、獄中で文字を獲得し、次のようなメッセージを書いている。「私にとって生命とは、真実をつらぬくということであります」(「奨学生の皆様へ」『解放新聞』第542号、1971年12月6日)と。

山内量平探訪記⑧「量平の回心」

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

 昨年、山内量平先生をしのぶ旅に出た私は、かねて連絡してあった日本基督教団田辺教会の南澤牧師の案内で、昔の田辺教会の場所、教会墓地、五明楼跡地などを回り、最後に芳養(はや)の松原の手前で下ろしていただきました。
 明治17年5月12日の夜、山内量平は、旅館・五明楼での大石余平との議論を打ち切って馬に乗り、いわゆる熊野古道を西に向かって、芳養の海沿いに差しかかりました。
 彼は月光の下、波の音を聞きながら、「量平の大悪人、男なら悔改めを敢行しろ!」という、余平の叫び声を心の中で繰り返しました。「神は天地の造り主、万物は神の力で創造されたものだ」と考え及んだとき、突然神の霊光に触れた感じがして立ち止まりました。道沿いに一軒の掛け茶屋がありました。量平は、茶屋の老婦人に馬を頼んで、徒歩で五明楼に引き返しました。
 夜明け前に、彼は五明楼を叩いて、ヘール宣教師と大石余平の前に、前日の振る舞いを謝り、自分の回心を告げました。3人は終日語り合い、量平は宣教師から洗礼を受けました。35歳でした。
 量平が回心した地点はどこだったのか?佐波亘『植村正久夫人季野がことども』には、昭和10年ころの芳養の掛け茶屋の写真があります。明治17年にも同じ場所にあったかは分かりませんが、ともかくその写真に写っている橋を手がかりに、その場に立つことができました。

第30期第5回常議員会報告

李明生 事務局長(日本福音ルーテルむさしの教会牧師)

 6月10日〜12日、日本福音ルーテル教会常議員会がルーテル市ヶ谷センターにて対面開催されました。今回は、3月の各教区総会後の常議員交代を踏まえて、今期の諸課題の共有の機会を持ちました。以下、主な事項について報告いたします。

第7次綜合宣教方策の件
 第7次綜合宣教方策の理念を再確認し、今後の主要課題としての、①教職数の見通しと対応、②神学教育の見通しと対応、③引退教師の他法人での働きの見直し、について共有しました。2034年には日本福音ルーテル教会の現職教職数は50人前後となることを踏まえて、全体教会組織のスリム化、また各個教会間の協力体制作りを進めることが必要となっています。また神学教育スタッフの減少の状況での教職養成継続も重要な課題となっています。そして、現職の教職のみで教会附属施設・関連法人の責任を担うことがさらに困難となる中、引退教師の協力を得やすくするための規則変更が喫緊の課題でもあります。

神学教育の課題とヴィジョンの件
 ルーテル学院大学・大学院は2025年度より新規学生募集を停止すること、日本ルーテル神学校は継続されることを今年3月に学校法人ルーテル学院理事会は決定しました。これを受け、今回の常議員会では大学報告・神学校報告と共に、今後の神学教育(教職養成)の課題とビジョンについて発題を受け、意見交換を行いました。教会に仕え、宣教と牧会の責任を着実に担う教職者を育てるためには、これまで以上により長いプロセスが必要となっている現状認識を共有しました。特に、神学校入学前の段階での教会生活の重要性、ならびに教職養成における教会現場での実践的学びの重要性は、今後さらに増していくことを共有し、神学校と教会とのより緊密な連携と協力が必要となっていることを確認しました。

教職者の育児・介護休業規定の件
 教職数の減少が現実となる中、「教職は献身者である」という認識にあくまでも立ちつつも、その働きを継続出来るための環境整備は必須課題となっています。そのための取り組みの一つとして、教職者の育児・介護規定の改正の検討が進められています。現在、方策実行委員会(憲法規則改正委員会を兼ねる)において検討中の「(牧師)育児・介護休業規定」案について経過が報告され、改正案が実際に有効活用されるためには、当該教会信徒だけでなく、近隣諸教会の教職・信徒の理解と協力が不可欠であることが共有されました。また財政的な課題についても意見交換を行いました。今後も各教区・各個教会からのフィードバックを受けつつ、引き続き検討が進められることとなります。

次回常議員会日程の件
 次回常議員会は11月11日〜12日、オンラインでの開催が承認されました。
 その他の報告・議事等の詳細につきましては、各教会へ配信されました常議員会議事録にてご確認ください。

ルーテル世界連盟(LWF)理事会に参加して

本間いぶ紀(日本福音ルーテル甘木教会信徒)

 6月13日から18日にかけてスイスのジュネーヴ郊外で開催された、ルーテル世界連盟(LWF)の理事会に参加しました。(るうてる1月号にて、第13回アッセンブリーでの承認を受け、ユースの理事としての働きを始めることを報告させていただきました。)今回の理事会では2030年まで活動を共にする理事、LWFスタッフ、アドバイザーが初めて一同に集まり、共にLWFの働きを始めることができました。世界各国のルーテル教会の取りまとめやルター派神学教育だけでなく、貧困層や難民などへの人道支援、また気候変動問題への取り組みなど多岐に渡るLWFの働きの共有や、2025年から2031年までの活動指針の承認が行われ、また理事同士のコミュニケーションの場を持ちました。特に印象的だったのが、議長のストゥブキャル監督がユースの意見を聞きたい、と時間を設けてくれたことでした。LWFはユースのための活動を活発に行なっており、理事会におけるユースの割合も20%以上を占めています。ユースは牧師や神学生だけでなく、私のように社会人や学生の信徒もいます。長く聖職に就いている方、教会に関わっている方、神学者などが多く集まる会において、ユースの意見を積極的に聞きたいという姿勢があることこそが、ユースの参画や活動へのエネルギーを生み、LWFを作り出し続けているのだと感じました。
 私は都合上3日間のみの参加でしたが、ストラテジーについて議論する場やアジア地域の話し合いに加わることができました。新しいコミュニティー、たくさんの議題や飛び交う意見などの情報に頭の中が溢れかえりそうになりながらも、私に「I’m learning.で大丈夫、ただ会議を楽しんで!」と声をかけてくれたユースや、他の理事やスタッフによる助けが励みでした。これから彼ら、彼女らと共に神様から与えられたこの理事というミッションを楽しみ、応えていきたいと思います。
 最後になりましたが、みなさまのお祈りに感謝申し上げます。

「2024年 ルーテル聖書日課読者の集い」のご案内

『ルーテル聖書日課読者の集い』が神戸市郊外の緑あふれる「しあわせの村」にて開催されます。ルーテル聖書日課の読者ではない方もご参加いただけますので、皆様のご参加をお待ちしております。

〈主題〉聖書の中の女性たち~ディアコニアに生かされる~
〈講師〉正木 うらら先生(神戸ルーテル神学校・関西聖書神学校講師)
〈日程〉10月21日(月)14時~22日(火)14時*部分参加・日帰り参加も可能です
〈会場〉神戸しあわせの村(最寄り駅:名谷駅)
〈申込締切〉9月19日(木)16時必着
〈参加費用〉18,000円(受講料込・1泊3食付)日帰り参加:1講義1,000円(全5講義、食事代別途)
〈申込先〉以下を明記の上、メールまたはFAXにてお送りください。
①氏名・ふりがな ②所属教会 ③ご住所・最寄り駅
④ご連絡先電話番号 ⑤メールアドレス ⑥宿泊/日帰り
⑦ツインルームご希望の場合、同室希望者氏名
⑧禁煙ルーム/喫煙ルーム⑨介助者(1名)の参加有無
⑩性別※ ⑪ 65歳以上の方の年齢※
(※⑩・⑪は施設の利用申込時に必要な情報のため、お伺いしています)
*「65歳以上の方」と「障がい者手帳をお持ちの方」は、当日『証明書』をご持参ください。

〈お問合せ〉
ルーテル聖書日課を読む会事務局
(日本福音ルーテル教会事務局内)
TEL(03)3260―8631
FAX(03)3260―8641
seishonikka@jelc.or.jp

【訂正とお詫び】
機関紙るうてる2024年7月号、3面「世界の教会の声」のタイトルに「ペースメッセンジャー」とありますが誤りでした。正しくは「ピースメッセンジャー」です。訂正してお詫びいたします。校正作業における確認を徹底してまいります。大変申し訳ございませんでした。

24-08-01「わたしたちはキリストの体」

「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。」  (エフェソの信徒への手紙4・16)

 この春神学校を卒業し、牧師としてみのり教会と岡崎教会に着任してから、3カ月が経ちました(執筆当時)。豊橋市の牧師館に住みながら、田原市、岡崎市にある各礼拝堂にも行き来する日々を送っています。初めての経験に戸惑いを覚えたり、やる気が空回りして失敗したりすることもありますが、教会員の皆さんに助けていただき、徐々に慣れていっているところです。だいぶ前のことになりますが、私が初めて就職をした最初の新卒時代にも、やはり戸惑ったり、空回ったりしていたことを覚えています。あの頃に比べればかなりずぶとくなったものの、2度目の新卒時代を与えられて初心にかえることができるのは、とても嬉しく有難いことです。
 この3カ月の間に、対面や電話などで、教会員の方々のお話を聞かせていただく機会が増えました。皆さんの普段の穏やかなご様子からは想像もできないほど大きな試練や困難を経験して来られたことや、いかに信仰が人を支え導くかということを教えていただいています。複雑で奥深い人生の物語のほんの一部分に過ぎないかもしれませんが、出会って間もないこの新米牧師を信じてお話してくださる時、そこには確かに神様が共におられ、働いてくださっていることを思わずにはいられません。
 そのようなこともあり、毎週の礼拝や礼拝後の交わりの時間は、私にとってますます感慨深い時となっています。会衆席に座っておられる方々を見渡す時や、礼拝後に作業に勤しんだり、笑い合ったりする姿を目にするふとした瞬間に、豊かな個性を持つお一人お一人が、唯一のキリストによって一つに結ばれていることの尊さを思います。そして「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。」というエフェソ書4章16節のみことばを思い出すのです。「キリストの体」とは、教会の多様性と一致を表します。全く違う経験をして生きてきた、性格も考え方も異なる多様な人々が、キリストと出会い、招かれて、礼拝に与る。肩を並べて神を賛美し、みことばを聞き、心をひとつにして祈る。交わるはずの無かった人々がキリストによって交わり、互いを思いやったり、助け合ったりするうちに、次第に互いにとって欠くことのできない大切な存在となり、キリストの体である教会を造り上げてゆく。その現場に遣わされ、人間の力では成し得ない神様の業を目の当たりにするのは、誠に大きな喜びです。
 とはいえ、教会はこの世で生きる私たち人間の集まりですから、穏やかな時ばかりではないでしょう。「キリストの体」が怪我や病にむしばまれ、平安が失われることもあり得ます。私自身、その時が来れば、もはや笑っていられなくなるのかもしれません。聖書は私たちが「神から招かれ」(4・1)ていると励まし、「その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい」(4・1~3)と勧めます。それは特別な行いではありませんが、ただ自分の利益のためだけに生きる者には難しいことです。神様の招きは、これらのすべてを満たされるイエス様の十字架のもとへと私たちをいざない、そこから出発するよう導きます。私は希望を抱いています。これから何が起こるかを恐れるよりも、主の憐れみに依り頼み、今与えられている賜物を生かし、キリストの心を表してゆくことを選びたいのです。遣わされた教会の人々と共に。

三人の天使に支えられたキリストの体 1600〜1610 作者不明 Kunsthistorisches Museum

24-07-01るうてる2024年07月号

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 「普通の人を遣わし、奇跡を起こす神様の神秘」

日本福音ルーテル宮崎教会・鹿児島教会牧師 デイビッド・ネルソン

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」(詩編23・1)

 皆様はじめまして。デイビッド・ネルソンと申します。今年の3月に日本ルーテル神学校を卒業しました。3人の同級生と共に3月に按手を受け、4月から日本福音ルーテル教会の宮崎教会、鹿児島教会の主任牧師となりました。念願の目標だった、日本福音ルーテル教会の牧師になれたことを大変喜んでいます。
 牧師になることは神様からの「召命」によるものなので、JELCの牧師になるのが「目標」だったという言い方は不適切かもしれませんが、私たちはルター派のクリスチャンです。同時に救われたものでありながら、罪人です。信仰心の部分だけが清い美しいもので、この世的な部分が汚れたものというふうに奇麗に分かれていません。全てが清いものと汚れたもののミックスです。牧師になりたい志も罪に満ちたものです。

 しかし、ストーリーはそこで終わりません。欠けた器である私たちは神様の導きにより、遣わされるのです。神様は私たちの誤解や勘違いなどをそのまま野放しするのではなく、羊飼いとして私たちを導き、御心にかなう御国造りのために遣わします。普通の水、普通の器、でもイエス様が一緒だと、カナの結婚式に奇跡が起こりました。私たちも一人一人、つまらない願望、つまらないモチベーションをいっぱい持ちながら目標や夢が形成されます。しかし、イエス様が一緒です。迷える羊に、信頼できる羊飼いが付いています。ですから、奇跡が起こります。「奇跡」というのはスプーンが曲がる、みんなをビックリさせるようなサーカスのショーのようなものではありません。奇跡は神様がこの世においてなさる業です。特に、心の奥の深いところになさる業です。憎しみや嫉妬の心が寛大な心に。がっかりした心が生き生きした希望に。これが福音の美しさ、福音の力だと私は信じます。

 私がイエス様を信じて生きたい気持ちを持っているのは父リチャードの影響が大きいと思います。父リチャードは牧師であり、宣教師であり、教会の中でも、家の中でも、裏表のない、純粋な素直な信者でした。優しい、思いやりのある人でした。そんな環境で生まれ育つと、同じ信仰を共有したい気持ちになるのは当然のことでしょうね。ですから、私は自分で選んで、信じるものになったのではなく、単に選ばれたものです。

 しかし、父リチャードが1953年に日本で伝道をはじめた時、最初は大変だったそうです。住む場所、礼拝を行う場所、なかなか借りることができませんでした。知り合いや紹介者が1人も居らず、らちが明かなかったようです。その状況がしばらく経つと、がっかりして、焦りました。伝道師としての成果が全くない、最初の一歩も切り開けない惨めな時でした。しかし、絶望のどん底の暗闇の中に、突然に打ち破る光が訪れました。まともな日本語ができない、アメリカの田舎町から来た不器用な20代の伝道師の青年に助けの手を差し伸べる日本人が現れました。その方は、公立の施設の施設長でした。幼稚園が付いていて、日曜日は使ってないので「どうぞ礼拝のために使ってください」とのことでした。その方はクリスチャンではありません。多分「宗教」にも興味なかったと思いますが、聖書の話を聞いて「何かいいものがある」と感じたのでしょう。普通の人、普通の戸惑い、でもイエス様の導きにより奇跡が起こり、伝道のチャンスが生まれました。

 私は宮崎教会、鹿児島教会という二つの歴史のある教会の主任牧師となりました。両教会は10人前後の小さな群れになっています。ここに教会が存在し続けているのは、この小さな群れが教会を懸命に守ってきたからです。こうした粘り強い信仰心を持つ方たちと一緒にこれからの教会を考え、形成していけることは光栄なことであり、ワクワクします。私たちの羊飼いの業に期待しながら、南部九州の伝道に励みたいと思います。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

(52)「美しい声」

 「新しい歌を主に向かってうたい/美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ。」詩編33・3

 うゎー奇麗な声、久しぶりだな。どこで鳴いているのかしら?でも見たくてもカーテンも開けられない。なぜって小鳥が音を聞いて逃げてしまうかもしれないから。同じ気持ちなのかガラガラガラガラとお隣で戸を開ける音がしました。そうだよね姿が見たいよね。初めは久しぶりに聞こえるその声に耳を澄まして喜んでいました。翌日もその翌日も毎日毎日しかも一日に何回も。耳を澄ましていた私はそのうちその声がうるさくなっていました。そのような自分に自分で驚き呆れてしまいました。あんなに珍しくて奇麗な声だと思い耳を澄ましていたのにうるさいと思うようになってしまうのだなと。
 もしかしたら一生懸命耳をすまして集中していたからかもしれないなとも思っていました。そのうちうるさいと思っていたその鳴き声が聞こえなくなったとき今度は心配になり始めたのです。
 珍しいと思って喜んでいたものが煩わしくなりいざ無くなると心配になる。この三つの思いはただ一つのことなのにと思うと自分で驚きます。よく考えると私も同じようなことを行っているような気がします。神様にです。毎日毎日同じような祈りをささげています。神様は心を傾けて聴いてくださいますが、一度もうるさいとは思われません。そして声がしなくなる前から一人一人に心を配られておられます。小鳥の鳴くのは私のためではないのに小鳥の鳴き声から感じた一つ一つが、神様から私に与えられるメッセージとして聴こえてきます。

「全国の教会・施設から」⑭

日田ルーテルこども園 真木逸子(日田ルーテルこども園園長)

 九州のおへそと言われる大分県日田市の中央部に位置する当園は日本福音ルーテル日田教会のすぐ裏手にあり、渡辺潔牧師の時代に県から認可を受け今年で創立72年を迎えます。60年前真木政次牧師の時代に、日田市中城町から当時田んぼや畑ばかりのこの地、三本松町に広い敷地を探し教会・幼稚園共に移転し、新たな礼拝堂・園舎を建て地域に根差した幼児教育を行ってきました。
 その幼児教育の歴史の中で多い時には幼稚園時代260名の園児を有する時代もありましたが、時代の変化に伴い2012年幼稚園型認定こども園認可、その後2020年卒園・在園児関係者の署名を集め隣接地購入が実現し、57年間園児が増える度に建て増しを繰り返し、老朽化し、お世話になった旧園舎の建替えの機会が与えられました。建替えにあたって200名の大切な在園児が安全に園生活を送りながら新園舎へ移れるよう3階建てを計画するにあたり、今までの『幼稚園型認定こども園』では制度上建てられず、将来を見据えこの機会に『幼保連携型認定こども園』の申請も同時に行い、1階を1歳児~2歳児の4教室と職員室・事務室・厨房、2階を3歳児~5歳児の7教室、3階をホールや収納庫等、西側の既存園舎の1階に0歳児教室・職員更衣室・園長室、2階に子育て支援ルームを置いて、子育て支援にも力を注いでいます。
 現在、定員200名に対しそれを若干上回る園児が在籍し、若いチャプレンの関満能牧師の毎週月曜日の子ども礼拝・職員聖研を礎に、総勢52名の職員で日々神様からお預かりしている大切な子どもたち、保護者と共に、個々の生活に寄り添ったより良い育ち・教育を毎朝の祈りに合わせ、私たちの足りないところは神様にお任せしつつ、『安全・健康・心ゆたかにたくましく!』をモットーに、これからも神様の愛を伝え続ける施設として元気に地域に愛される幼児教育・保育を展開していきたいと思います。どうぞ皆さん、遊びにおいでくださいね!

唐津ルーテルこども園 佐々木なほみ(唐津ルーテルこども園園長)

喜び・祈り・感謝して

 唐津ルーテルこども園は、1953年に唐津ルーテル幼稚園として創立されました。当時、唐津市内には市立幼稚園があるのみで幼稚園に入れない子どもがたくさんいました。唐津ルーテル幼稚園の開園は唐津の方々に待望され喜ばれたそうです。創立当初から諸先生方は幾多の困難の中でも常に祈り、大切な幼児教育の道を歩んで来られたと聞いております。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」(マルコ10・14b)イエス様は、子どもたちを抱き上げて祝福された。この聖句からの理念が先生方を支えたのです。
 1986年に学法化、1991年には園舎改築、変化する社会情勢の中で新しい取り組みもありました。2012年に隣接地を与えられ増改築をし、2013年には認定こども園としての歩みが始まりました。名称も唐津ルーテルこども園となりました。
 2023年には創立70周年を迎えました。神様の恵みの中で皆様の祈りと温かい思いに支えられその歴史の道を歩み続けております。一つ一つが今につながりそして未来へ。
 70周年には、記念講演会、マルシェ、公演、園庭に人工芝整備、バスの購入など喜びと感謝のうちに行うことができました。
 感謝礼拝は、今までの歩みをつないでくださった方々と現在の歩みを進めている方々一人一人がキャンドルを灯し、そのつながりを感謝し、祈りを共にいたしました。
 第1回卒園生の方の言葉「3月31日生まれの私を先生が優しく温かく見守ってくださいました。クリスマスキャロルの時に先生たちが家の前で賛美歌を歌ってくださったことを覚えています。結婚式はルーテル教会で挙げました。先生に結婚行進曲を弾いていただきました。幼稚園の時に先生が一生懸命教えてくださった“主の祈り“を60年経った今も覚えています。幼い時には意味はわかりませんでしたが、今、この年になって意味がわかるような気がします。」と“主の祈り“をはっきりと最後まで唱えられました。
 幼子の心に当時の先生たちが、心をこめて大切な教えを伝えられ、その心をしっかりと育まれているお姿と言葉が深く心に響きました。
 幼児期をどのように過ごすのか?は、後の生き方に影響を与えるといわれます。神様が一人一人を愛してくださっていること、命をくださったこと、自分を大切にするように人も大切にする心、祈ること。時代は変わり、環境が変わっても変わることのない大切なことをこれからも心をこめて伝えていきたいと思います。

改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)

田仲洋介さん(ルーテル学院中学・高等学校副校長)

小泉今回は、ルーテル学院中学・高等学校の副校長の働きを担っておられる田仲洋介さんにお話しを伺います。副校長もなかなかの重責だと思いますが、もともとはどの教科を教えておられたのですか。
田仲はい、社会科ですね。東京の出身で、2001年の大学の卒業時に熊本に来て、九州女学院中学・高等学校から共学化するルーテル学院中学・高等学校に奉職したのです。校務では、教務や進路指導に長くかかわってきました。

小泉なるほど、先生はルーテル学院の良さを、どのようなところで感じておられますか?
田仲自由な校風と、生徒たちがみんな明るいところです。教員と生徒たちとの距離感が近いところも、ルーテルらしさだと思います。また学院では、この春から新しくインターナショナルスクール小学部を開校しました。そのことによって保育園・幼稚園から小・中・高校、そして大学・大学院と、総合学園として全人的な教育を担う体制が整ったことも学校の強みであり、嬉しいことですね。

小泉教員としての楽しさや難しさがおありと思います。
田仲難しいのは、生徒のためだと思って取り組んだことが、必ずしも生徒や保護者の方にとってよい結果を生むとは限らないことです。またその逆に、自分の何気ない言葉が生徒の心に残っていたりする。私立ですから卒業後長い時間が経っても、かつての教え子が訪ねてきてくれたり、関係が長く続いて「先生のあの言葉が、自分を変えてくれた」というような話を聞かせてくれると、大変な仕事であってもそれを越える大きな喜びを感じますね。

小泉先生はキリスト教とはどのように出会われたのですか。また大切にしている聖句があったら教えてください。
田仲中学校から大学までミッションスクールである立教に通っていたことが最初の出会いです。大学の時に彼女(現在の妻)に誘われて小石川教会の礼拝に出席し、教会学校を手伝うようになったことが受洗につながりました。愛唱聖句はマタイ7・7の「求めなさい。そうすれば、与えられる。」という箇所です。生徒たちにもよく話しますが、伝わりやすく、希望がもてる聖句だからです。
小泉ありがとうございました。これからも生徒たちの生きる力になるような教育を、よろしくお願いいたします。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ペースメッセンジャー・カンボジアが第5回国際研修開催

 「希望があれば平和は続く」。マルバ・ローゼンフェルトさんは、自身が教会で実践するプロジェクトをそう名付けました。

 ローゼンフェルトさんは、2022年の6月にジュネーブで開かれた青年のための国際平和メッセンジャートレーニングを受講し、教会に戻るとさっそくプロジェクトの起ち上げに取りかかりました。今年5月にはカンボジアルーテル教会(LCC)がホストとなって、第5回のメッセンジャートレーニングがプノンペンでも開催されました。LCCは今、LWFへの加盟を目指しています。

 このユース向けプログラムのねらいのひとつは、参加者が何か小さなプロジェクトを地元でやってみること。そこでローゼンフェルトさんは堅信を目指す子どもたちを集め、レクチャーやワークショップを行いました。マニュアルに従って、傾聴、共通点の発見、社会に働く力や人権がらみの問題点を分析し、解決策をクリエイティブに考えるといったスキルを身につけ、それを平和づくりに生かすことを目指しています。

 「私の平和プロジェクトのねらいは、ジュネーブで受けた平和のためのトレーニングを受講者にも経験してもらい、みんなにもその気になってもらうこと。明日をもっと良くするためにこれが大切だと思っています。出自がなんであれ、チェンジを起こす一人になれます。ピースメッセンジャーになるとは善いサマリア人のように、スウェーデン語でいう『良き仲間』のロールモデルになることです。その人がだれかということは関係なくです。」ローゼンフェルトさんはトレーニングを受けて、学びを共有することと問題解決に関わることへの責任感が芽生えたそうです。「私はピースメッセンジャーになって、世界のこと、人々のこと、そして平和な世界にするため何をすべきか、その知識と理解を得ることができました。」

詳細はこちらから

全国教師会・退修会 2024報告

坂本千歳(日本福音ルーテル八王子教会牧師 全国教師会役員)

 ゴールデンウイーク明けの5月13日~15日、小田原駅に近接したホテルを会場に、全国教師会退修会が行われました。対面での開催は、2017年に長崎で行われた宗教改革500年記念大会以来、実に7年ぶりのことでした。開会礼拝にあたり、松本義宣会長が説教の中で言われた、「長崎以降の7年間で、牧師の数が20名減っている」との言葉に衝撃を受けつつ、今、ルーテル教会が抱えている課題がここに表されていると感じました。
 牧師数の減少により、現職の一人一人に過重な負担がかかり、心身の健康を崩してしまうケースが相次いでいることを受け、「牧師の働き方について」(九州教区・熊本地区担当)、また社会一般には常識になりつつある育児介護休業を牧師たちも取得するための必要な手続きについて(東教区担当)、「神学校の今後について」(神学校担当)など、タイムリーな課題が現場や行政の執行部からシェアされ、活発に意見交換がなされました。
 それ以外にも、朝・夕の祈り、聖書研究が行われましたが、担当してくださった牧師たちの持ち味が存分に発揮され、改めて神様がルーテル教会に、個性豊かな人材を集めてくださっていることを感じました。
 今回の退修会には現職の牧師68名のうち、57名が参加いたしました。これは役員たちの予想を上回る参加率でしたが、多忙な中にあって、それでも何とか都合をやりくりして「集いたい!」という牧師たちの強い思いが現れた数字でもあったのかと想像します。COVID―19によってオンライン活用が進み、インターネットが、もはや主要なコミュニケーションの一つとなってはいても、やはり顔と顔を合わせ、互いの存在や呼吸、体温を感じつつ、発題者の生の声に耳を傾け、課題を共有し合い、共感し合うといった同じ空間の中に生まれるエネルギーや活気は、何ものにも代え難いものであると感じました。また、個人的には、二度の夕食時の交わりが大変な盛り上がりを見せ、明るく楽しく和やかな雰囲気に包まれていたことがとても印象的でした。皆が解き放たれ、喜びを共に祝っているかのような、恵みの祝宴でした。その席では、長きに渡ってルーテル教会を支えてくださり来年の春に定年を迎える先生方、またこの春から新しく牧師としての歩みを始められた先生方のご挨拶もあり、それぞれの味わい深い言葉に耳を傾けました。
 このように現場から離れ、仲間と課題を分かち合い、意見を交わし合い、また互いの置かれた状況に耳を傾け、ねぎらい合うことの大切さをつくづく実感し、2泊3日のプログラムを終えて帰路につきました。
 退修会に牧師を送り出してくださった教会のご協力に感謝します。また、様々なご都合のため、やむを得ず参加できなかった同僚の皆様のことを憶えます。
 来年5月の全国教師会総会でお会いできるのを楽しみにしております。

公益財団法人として歩みだしたJELA

古屋四朗(公益財団法人JELA理事長)

 JELAは、国から公益法人の認定を受けて「公益財団法人JELA」となりました。
 JELAの前身は、1909年に設立された「在日本北米南部ルーテル教会ユナイテッドシノッド宣教師社団」です。戦前はここから多くの教会や学校や施設を生み出しましたが、戦後は宣教師の活動支援だけが業務になりました。しかし、1990年代に、公益事業をする団体への転換を決断しました。難民に住まいを提供する「JELAハウス」や、若者に海外ボランティアを体験させるワークキャンプなど、次々に公益事業を立ち上げました。2009年には、「私たちは、キリストの愛をもって、日本と世界の助けを必要とする人々に仕えます。」というミッションステートメントを策定して、団体の進む方向を明確にしました。当時は教会の中で「社団」と呼ばれていましたが、広く社会に出て行くために、日本福音ルーテル社団の英語略称「JELA」を前面に出すようになりました。
 宣教師支援事業を教会に移管した2019年から、いよいよ公益法人への移行に取り組み、社団法人から財団法人に転換した上で、このほど公益財団法人として歩み出しました。団体名称は「日本福音ルーテル社団」から、「公益財団法人JELA」としました。
 公益法人は、公益目的事業を行い、その活動が社会全体に開かれている法人です。
 公益法人は、費用の5割以上が公益目的事業に支出されていることが必要です。「社会全体に開かれている」とは、団体の運営や活動が特定のグループや団体に影響されず、公益目的事業の受益が誰に対しても開かれているということです。
 JELAのミッションステートメントは、この公益法人のふたつの条件を良く示しています。「キリストの愛をもって」とは、人を一切偏り見ないイエス・キリストの姿勢を模範とするということで、それは「社会に開かれている」ということです。「日本と世界の助けを必要とする人々に仕える」とは、JELAの公益目的事業は、社会の弱くされている人々に向けられているということです。「キリストの愛をもって」を合言葉に、幅広い人々とつながる団体を目指します。

十一代目 豊竹若太夫 襲名にあたって〜五感のかなたへ

大柴譲治(日本福音ルーテル大阪教会牧師)

  「人生で、今がいちばん稽古しているんですわ」。教会員の林雄治さん(77歳、十一代豊竹若太夫師匠)の言葉です。20歳で文楽に入門、人形浄瑠璃の太夫として修行してこられました(23歳で受洗)。後継者養成や他ジャンルとのコラボ、海外公演にも積極的です。「80歳が自身のピーク」と公言しながら常に上を目指すその姿勢に私はいつも圧倒されてきました。師匠を背後で支える眞理子夫人の働きも忘れることはできません。『文楽・六代豊竹呂太夫:五感のかなたへ』(創元社・2017年発行)は文楽への良き入門書です。かつて「文楽は太夫と人形と三味線で三位一体ですが私はお客さんを含めて四位一体と思っています」と伺いハッとしたことがあります。礼拝も同じで、会衆が存在してこそ初めて礼拝になる。そのことはCOVID―19で痛いほど私たちが認識したことでもありました。
 大阪教会に着任した2016年に師匠は豊竹英大夫(とよたけはなふさだゆう)というお名前でした。2017年に六代豊竹呂太夫(とよたけろだゆう)を襲名、2024年4月に十一代豊竹若太夫(とよたけわかたゆう)を襲名されました。3月23日の大阪での襲名を祝う会には350名が出席し喜びを分かち合いました。おじいさまは人間国宝の十代目豊竹若太夫。師匠は若い頃から自分がキリスト者であることを公言し、1999年に『ゴスペル・イン・文楽』を創作。これは一つの信仰告白であり、キリスト教の日本文化内開花という面でも画期的な作品です。一部はYouTubeでも視聴可能です。ぜひご参照ください。

 2017年10月29日に大阪教会は宣教百年記念として上村敏文氏のご協力をいただいて『楽劇「ルター」〜文楽とルネサンス・ダンスの邂逅』を上演しました。
 今年4月21日には女性会の方々と国立文楽劇場での襲名記念公演に行きました。我が子に刃を向けるという悲劇的な作品を師匠は息もつかせぬほど鬼気迫る表現で演じ切られました。「人生で今が一番稽古している」。この言葉には大きなインパクトがあります。牧師は「み言の職人」ですが、私自身いくつになっても「今が一番鍛錬している」という姿勢をもって全力で聖書に向き合い、共に「五感のかなた」(天)を目指してゆきたいのです。
 文楽を通して神の愛を証しされているご夫妻の上に天よりの祝福が豊かにありますようお祈りいたします。

TNG委員会ユース部門主催「青年の集い」開始

竹田大地(日本福音ルーテル天王寺教会牧師・TNG委員会委員長)

 TNG委員会ユース部門で新しい取り組みを始めます。目的は、COVID―19が落ち着いてきた今、全国の青年たちとのつながりを再び取り戻す機会を作るためです。
 毎月第2、第4金曜日、学校終わり、バイト終わり、お仕事終わりにふらっと集まり、み言葉に触れ、祈り、雑談し、ゲームをし、ご一緒に金曜の夜を楽しみたいと考えています。将来的には、zoomでのハイブリッド開催を考えています。
 開催の詳細については左記のとおりです。

日時・開催場所
①毎月第2金曜日19時〜21時
日本福音ルーテル大森教会
②毎月第4金曜日19時〜21時
日本福音ルーテル教会事務局会議室
対象・18歳〜35歳
担当・森田哲史
(日本福音ルーテル大森教会牧師)

 変更がありましたら、TNG委員会ユース部門公式Instagramにてお知らせいたしますので二次元コードを読み取りフォーローしてください。

山内量平探訪記⑦

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

 明治15年、山内量平の妹の熊子は天に召され、季野は植村正久牧師と結婚しました。一方、ヘール宣教師は精力的に伝道を続けました。山本周作、大石余平など、伝道を熱心に手伝う信徒も出てきました。
 明治16年、量平は事業で大失態を犯して一気に家業が沈み、苦境に陥ります。ここで、熊子の一途な信仰と安らかな死に際の強い印象、また植村牧師から送られた書物などから、自分自身の救いが課題として胸に迫るのでした。
 明治17年5月、量平は、南部に来たヘール宣教師に会い、「自分はキリストから決断を迫られているのだが、それには酒造業をやめねばならないと思う。これは容易なことではない」などと話しました。
 量平は翌々日にも、へール宣教師が田辺での定宿にしている旅館・五明楼に、多くの質問を持って来ました。宣教師に同行していた新宮の大石余平が対応しました。
 余平は量平より5歳年下の30歳でした。彼は日本古来の宗教を否定し、キリスト教によらねば真の救いは得られないと熱心に論じました。神道・儒教の教養豊かな量平はいたく自負心を刺激されて、長時間の激論になりました。最後に余平が「人はみな罪人だ。失敬ながら貴下も罪人である」と言うと、量平は話を中断し、馬に乗って帰途につきました。余平はその背後から「量平の大悪人、男なら悔改めを敢行しろ!」と叫びました。

2024年度「日本福音ルーテル教会教師試験」について

2024年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を以下要領にて実施いたします。教師志願者は必要書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。

           記
〈提出書類〉
◇教師志願書
◇志願理由書
テーマ
「なぜ『日本福音ルーテル教会の教師』を志願するのか ―あなたが考える宣教課題をふまえて」
書式 A4横書き 2枚
フォントサイズ11ポイント
◇履歴書(学歴、職歴、信仰歴、家庭状況等を自筆で記入すること)
◇教籍謄本(所属教会教籍簿の写し)
◇成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書(法務局交付のもの。任用試験時に必要になります)
◇所属教会牧師の推薦書
◇神学校卒業(見込)証明書及び推薦書
◇健康診断書(事務局に所定の用紙があります)

〈提出先〉
日本福音ルーテル教会 常議員会長 永吉秀人宛

〈提出期限(期限厳守)〉
2024年9月13日(金)午後4時までに教会事務局へ提出すること

• 個人で神学の研鑽を積み受験を希望する者は、必ず神学教育委員会の推薦を得ること
• 国外のルーテル教会の神学機関に学び神学修士を持ち受験する者は、願書提出前に事務局に相談すること
〈試験日及び試験内容〉
志願者本人に直接連絡します。

以上

24-07-01普通の人を遣わし、奇跡を起こす神様の神秘

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」(詩編23・1)

 皆様はじめまして。デイビッド・ネルソンと申します。今年の3月に日本ルーテル神学校を卒業しました。3人の同級生と共に3月に按手を受け、4月から日本福音ルーテル教会の宮崎教会、鹿児島教会の主任牧師となりました。念願の目標だった、日本福音ルーテル教会の牧師になれたことを大変喜んでいます。
 牧師になることは神様からの「召命」によるものなので、JELCの牧師になるのが「目標」だったという言い方は不適切かもしれませんが、私たちはルター派のクリスチャンです。同時に救われたものでありながら、罪人です。信仰心の部分だけが清い美しいもので、この世的な部分が汚れたものというふうに奇麗に分かれていません。全てが清いものと汚れたもののミックスです。牧師になりたい志も罪に満ちたものです。
 しかし、ストーリーはそこで終わりません。欠けた器である私たちは神様の導きにより、遣わされるのです。神様は私たちの誤解や勘違いなどをそのまま野放しするのではなく、羊飼いとして私たちを導き、御心にかなう御国造りのために遣わします。普通の水、普通の器、でもイエス様が一緒だと、カナの結婚式に奇跡が起こりました。私たちも一人一人、つまらない願望、つまらないモチベーションをいっぱい持ちながら目標や夢が形成されます。しかし、イエス様が一緒です。迷える羊に、信頼できる羊飼いが付いています。ですから、奇跡が起こります。「奇跡」というのはスプーンが曲がる、みんなをビックリさせるようなサーカスのショーのようなものではありません。奇跡は神様がこの世においてなさる業です。特に、心の奥の深いところになさる業です。憎しみや嫉妬の心が寛大な心に。がっかりした心が生き生きした希望に。これが福音の美しさ、福音の力だと私は信じます。
 私がイエス様を信じて生きたい気持ちを持っているのは父リチャードの影響が大きいと思います。父リチャードは牧師であり、宣教師であり、教会の中でも、家の中でも、裏表のない、純粋な素直な信者でした。優しい、思いやりのある人でした。そんな環境で生まれ育つと、同じ信仰を共有したい気持ちになるのは当然のことでしょうね。ですから、私は自分で選んで、信じるものになったのではなく、単に選ばれたものです。
 しかし、父リチャードが1953年に日本で伝道をはじめた時、最初は大変だったそうです。住む場所、礼拝を行う場所、なかなか借りることができませんでした。知り合いや紹介者が1人も居らず、らちが明かなかったようです。その状況がしばらく経つと、がっかりして、焦りました。伝道師としての成果が全くない、最初の一歩も切り開けない惨めな時でした。しかし、絶望のどん底の暗闇の中に、突然に打ち破る光が訪れました。まともな日本語ができない、アメリカの田舎町から来た不器用な20代の伝道師の青年に助けの手を差し伸べる日本人が現れました。その方は、公立の施設の施設長でした。幼稚園が付いていて、日曜日は使ってないので「どうぞ礼拝のために使ってください」とのことでした。その方はクリスチャンではありません。多分「宗教」にも興味なかったと思いますが、聖書の話を聞いて「何かいいものがある」と感じたのでしょう。普通の人、普通の戸惑い、でもイエス様の導きにより奇跡が起こり、伝道のチャンスが生まれました。
 私は宮崎教会、鹿児島教会という二つの歴史のある教会の主任牧師となりました。両教会は10人前後の小さな群れになっています。ここに教会が存在し続けているのは、この小さな群れが教会を懸命に守ってきたからです。こうした粘り強い信仰心を持つ方たちと一緒にこれからの教会を考え、形成していけることは光栄なことであり、ワクワクします。私たちの羊飼いの業に期待しながら、南部九州の伝道に励みたいと思います。

イエスの御名の礼拝/エル・グレコ 1577-1579年 エル・エスコリアル修道院

24-06-01主の平安に満たされる

「だから、人の子は安息日の主でもある。」(マルコによる福音書2・28)

 私が遣わされている恵み野教会と函館教会は、特急に乗って4時間半以上かかるほど、互いに離れています。居住地である恵み野教会で土曜日に主日礼拝を守った後に移動して、日曜日には函館教会で主日礼拝を守るというのが、私に与えられたスケジュールでした。今のところは体力に恵まれていますので、移動が苦になることはあまりないだろうと考えていました。しかし、私はすぐに長距離の兼牧を担う難しさと直面することになりました。

 4月4日(木)の夜、恵み野教会で迎える最初の主日礼拝の準備をしていますと、函館教会の方から電話がありました。それはその方の伯父の重体を伝える連絡で「今晩が山だろう」というものでした。できればすぐに出発したかったのですが、その日はすでに間に合う特急もなく、もどかしく夜を過ごしました。翌朝、この夜は持ちこたえたと連絡を受けて安心をしたのですが、すぐに出発すべきかの判断が少し難しくもありました。私はお見舞いに向かいたいと思いましたが、出発すると簡単に戻ってこられません。戻れなければ、恵み野教会は信徒礼拝となります。そんな私を後押ししたのは「私たちはこれまでも信徒礼拝をして、主の恵みに与ってきた。私たちは強いから大丈夫」という恵み野教会の方の言葉でした。函館に着くと、神様のご計画か、天に召される1時間ほど前にお会いでき、臨終を共に祈って過ごすことができました。

 さて、イエス様は安息日規定に関してファリサイ派の人々と対決します。福音書には、ある安息日に弟子たちが麦の穂を摘み、イエス様は手のなえた人を癒したことが記されています。「安息日を心に留め、これを聖別せよ。」(出エジプト記20・8)「七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。」(出エジプト記20・10)という十戒の教えから、安息日は労働をしてはいけない日と定められていました。当時の規定に従えば、麦を摘むことは労働であり、癒しについても、命の関わる場合を除いて安息日にしてはいけない行為でした。ですから、ファリサイ派の人々の言い分は規定に適っていました。しかし、安息日の本質からは逸れていたのです。安息日とは、主が「祝福して聖別された」(出エジプト記20・11)日です。それは主の安息と祝福にあずかる日であるため、その規定によって苦しめられるのであれば本末転倒です。

 イエス様は「人の子は安息日の主でもある。」(マルコによる福音書2・28)と言われました。それは、私たちの安息がただイエス様のみから来るためです。私たちの安息とは、イエス様のもとにあるのです。キリスト教会では、主日に礼拝を守ります。主日にはイエス様の祝福に満たされ、安息に招かれています。その喜びが私たちの感謝や賛美となり、礼拝となるのです。

 恵み野教会の方は主日礼拝に牧師がいること以上に、イエス様の平安が臨終の方と共にあるように祈ることを選びました。隣人を憂い、その命を尊ぶことこそ、イエス様が教えられた安息日でしょう。牧師はいられなくても、恵み野教会にはイエス様がおられたのです。私もまた、恵み野教会のことを安心して、委ねることができたおかげで、葬儀に心を注ぎ、平安を祈ることができました。さらに後日には、私は函館教会の方から恵み野教会への感謝の手紙を預かり、分かち合い、恵み野教会の皆さんはその手紙を読み、喜んでいました。

 恵み野教会も、函館教会も私も慌ただしくなりましたが、平安に満たされた安息日を過ごすことができたのです。それはすべての教会に与えられている主日です。主の安息にあずかることによって、私たちは主の祝福を受け、平安に満たされているのです。
 「主が彼らに言っておかれたことはこうだ。「これこそが安息である。疲れた者に安息を与えよ。これこそ憩いの場だ」と。」(イザヤ書28・12)

十戒の石板を破壊するモーセ
レンブラント・ファン・レイン1659年

24-06-01るうてる2024年06月号

機関紙PDF

「主の平安に満たされる」

日本福音ルーテル恵み野教会・函館教会牧師 河田礼生

「だから、人の子は安息日の主でもある。」(マルコによる福音書2・28)

 私が遣わされている恵み野教会と函館教会は、特急に乗って4時間半以上かかるほど、互いに離れています。居住地である恵み野教会で土曜日に主日礼拝を守った後に移動して、日曜日には函館教会で主日礼拝を守るというのが、私に与えられたスケジュールでした。今のところは体力に恵まれていますので、移動が苦になることはあまりないだろうと考えていました。しかし、私はすぐに長距離の兼牧を担う難しさと直面することになりました。

 4月4日(木)の夜、恵み野教会で迎える最初の主日礼拝の準備をしていますと、函館教会の方から電話がありました。それはその方の伯父の重体を伝える連絡で「今晩が山だろう」というものでした。できればすぐに出発したかったのですが、その日はすでに間に合う特急もなく、もどかしく夜を過ごしました。翌朝、この夜は持ちこたえたと連絡を受けて安心をしたのですが、すぐに出発すべきかの判断が少し難しくもありました。私はお見舞いに向かいたいと思いましたが、出発すると簡単に戻ってこられません。戻れなければ、恵み野教会は信徒礼拝となります。そんな私を後押ししたのは「私たちはこれまでも信徒礼拝をして、主の恵みに与ってきた。私たちは強いから大丈夫」という恵み野教会の方の言葉でした。函館に着くと、神様のご計画か、天に召される1時間ほど前にお会いでき、臨終を共に祈って過ごすことができました。

 さて、イエス様は安息日規定に関してファリサイ派の人々と対決します。福音書には、ある安息日に弟子たちが麦の穂を摘み、イエス様は手のなえた人を癒したことが記されています。「安息日を心に留め、これを聖別せよ。」(出エジプト記20・8)「七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。」(出エジプト記20・10)という十戒の教えから、安息日は労働をしてはいけない日と定められていました。当時の規定に従えば、麦を摘むことは労働であり、癒しについても、命の関わる場合を除いて安息日にしてはいけない行為でした。ですから、ファリサイ派の人々の言い分は規定に適っていました。しかし、安息日の本質からは逸れていたのです。安息日とは、主が「祝福して聖別された」(出エジプト記20・11)日です。それは主の安息と祝福にあずかる日であるため、その規定によって苦しめられるのであれば本末転倒です。

 イエス様は「人の子は安息日の主でもある。」(マルコによる福音書2・28)と言われました。それは、私たちの安息がただイエス様のみから来るためです。私たちの安息とは、イエス様のもとにあるのです。キリスト教会では、主日に礼拝を守ります。主日にはイエス様の祝福に満たされ、安息に招かれています。その喜びが私たちの感謝や賛美となり、礼拝となるのです。

 恵み野教会の方は主日礼拝に牧師がいること以上に、イエス様の平安が臨終の方と共にあるように祈ることを選びました。隣人を憂い、その命を尊ぶことこそ、イエス様が教えられた安息日でしょう。牧師はいられなくても、恵み野教会にはイエス様がおられたのです。私もまた、恵み野教会のことを安心して、委ねることができたおかげで、葬儀に心を注ぎ、平安を祈ることができました。さらに後日には、私は函館教会の方から恵み野教会への感謝の手紙を預かり、分かち合い、恵み野教会の皆さんはその手紙を読み、喜んでいました。

 恵み野教会も、函館教会も私も慌ただしくなりましたが、平安に満たされた安息日を過ごすことができたのです。それはすべての教会に与えられている主日です。主の安息にあずかることによって、私たちは主の祝福を受け、平安に満たされているのです。
 「主が彼らに言っておかれたことはこうだ。「これこそが安息である。疲れた者に安息を与えよ。これこそ憩いの場だ」と。」(イザヤ書28・12)

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

(51)「私は誰?」

「わたしの魂があなたをほめ歌い/沈黙することのないようにしてくださいました。わたしの神、主よ/とこしえにあなたに感謝をささげます。」詩編30・13

「ありがとう」
 えっなんで?すごい。なんでそのようなことが言えるのだろう?
 主人公が期限付きで一つ一つの能力を失っていく今まさにそのときでした。時間のかかり方がその主人公とは違うものの自分の変化と重ねつらく感じている時でした。主人公の変化を悲しみ、泣く声をこらえている友達の心境がよくわかるような気がしてました。
 その主人公が友人の手を借りて一生懸命歩く後ろ姿を想像したときでした。
 私の周りにあるたくさんの「ありがとう」が溢れてきたのです。山登りのとき杖をつきながら登る私の荷物を全部持って一緒に山を登ってくださった友人。大学で杖で教室に向かう途中外のスロープで転び困っていたら、しばらくしていつの間にかスロープが直され歩きやすくなっていたこと。バス停から大学までの道、杖をついて一生懸命歩く姿を見て車に乗せてくださった先生。旅行で杖で歩く私の荷物を全て持ってくださった先生。車椅子で仕事をする私のために2階にあったパソコンをノートパソコンにも移し1階でもできるようにしてくださった教会。私が説教奉仕をさせていただくときいつもは2階の礼拝堂だったのに、1階へ移してくださった教会など最近では機械の操作を教えてくださるために何時間も電話をしてくださった人もおられれば、何時間も作業してくださった人もおられます。つらくて悲しいだけ?あなたの周りには「ありがとう」がいっぱい溢れています。今のあなたが生きているから。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑬

日本福音ルーテル板橋教会
小山茂(日本福音ルーテル板橋教会牧会委嘱牧師)

 板橋教会の牧会委嘱4年目に入りました。おかげさまで板橋教会は、今年1月31日に宣教70周年を迎えました。今まで宣教された牧師先生方、信徒の方々、天に召された先逹の方々、皆さまのお働きに心から感謝いたします。鷲見達也先生を中心に纏められた宣教60周年記念誌、また45周年記念誌から皆様の宣教された意気込みを感じます。
 東海福音ルーテル教会(小石川教会)の伝道所として、ラッセル・サノデン宣教師により板橋の宣教が開始されました。1964年から伊藤文雄先生、1975年から松隈貞雄先生、1989年から中川俊介先生、1995年から滝田浩之先生に引き継がれました。2000年以降も谷口博章先生、黄大衛先生、中村圭助先生、汲田真帆先生、鷲見達也先生、後藤直紀先生、德野昌博先生、三浦知夫先生、松本義宣先生のお働きがありました。
 私が着任しました2021年コロナ感染の広がる中、対面の礼拝ができずZoom礼拝を始めました。最も感染が拡大した時は、自宅から説教とピアノの奏楽で礼拝を配信しました。IT不案内の私で説教が聞きづらいことがあり、ITが得意な方のアドバイスに助けられました。有料Zoom契約にして制限時間を気にせず、教会総会をしたこともあり、礼拝後にTV電話のように近況報告を互いにしました。板橋のような小規模の教会は一体感のある、双方向のZoomが相応しいようです。
 2022年に会堂の補修計画を進めて、屋根を耐用年数の長いガルバリウム鋼板に葺き替え、外壁の補修と防水塗装を終え、神学校から移築されたステンドグラス2枚の補修も完成しました。今年は教会のPCの買換えとホームページのリニューアルを目指しています。板橋教会の当面の課題は、教会員の高齢化への対応、新たな教会員への宣教になります。そのために若い方々を、教会に招くことが必要です。宣教70年の記念礼拝を、今年11月3日の全聖徒の日に行います。

日本福音ルーテル小石川教会
滝田浩之(日本福音ルーテル小石川教会牧師)

 小石川教会は、来年(2025年)宣教75年の節目を迎えます。1950年4月2日の「棕櫚の主日」に初めて主日礼拝を持ったことから、この日を「小石川教会開設記念日」としています。
 75年の歴史の中で「小石川教会」は様々な役割を担ってきました。1949年にオラフ・ハンセン宣教師が来日しアメリカのELC(Evangelical Lutheran Church)の「福音ルーテル日本伝道部」として、またその最初の公式な教会となる「東京福音ルーテル教会」(1952年)として、ろう者伝道の拠点教会(1972年)として、収益事業(文京カテリーナ)の事業所(1980年)として、教会名も「東京福音ルーテル教会」、「文京教会」、「小石川教会」と改名してきました。
 さて1950年に現在の教会のある土地と、日本家屋4棟(本屋、離れ、倉庫、土蔵)をハンセン宣教師は購入します。この「離れ」を「集会室(礼拝堂)」に彼は初代牧師となる河島亀三郎牧師と改造していきます。「12畳2間の建物から畳を取り除き板の間にして、紙障子をガラス戸にし、正面の壁にえび茶色のビロードのカーテンを吊り、その前に聖壇を据えて壇上に十字架を置き、一方に説教壇を整え、折り畳み椅子を板の間に置いた(要約)」と記録されています。ハンセン宣教師と河島先生が汗を流しながら楽しそうに礼拝堂を整えていったことが伝わってきます。何よりも2人が最初に手をつけたのが「礼拝式文」でした。ハンセン宣教師が持参した「式文」から「開会の祈り」、旧日本福音ルーテル教会の式文から「ざんげと恵みのみことば」、十戒、使徒信条、主の祈りをそこに織り込み「礼拝式文」が完成します。小石川教会が教会規則を整え牧師を招聘し組織化されるのは1952年です。み言葉の説教と聖餐がすべてに先んじていることを覚えたいと思うのです。この道筋はこれまでも、これからも変わることはありません。小石川教会はろう者と共に礼拝を喜んで、楽しんで守り続けることを与えられた使命としていきます。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

創造の祝祭日

  3月14日から16日にかけてイタリアのアッシジでセミナーがあり、教会暦に「創造の祝祭日」を加えてクリスマスやイースターのように守ることで、天地創造と関連付けながら今日の自然環境問題の理解を深められるかについて話しあわれました。このセミナーはカトリック教会のラウダート・シ研究所主催でLWF、WWC、メソジスト、英国国教会、改革派の各協議会が参加しました。教会代表、神学者、礼拝学者、科学者らが、キリスト者は創世記の天地創造物語をこれまでどう読んできたかを、環境危機を視野に入れ歴史的に探求しました。
 LWF代表のランゲ教授は次のように述べています。「教会がこれまでたどってきた創造の神学の進展と、時にそれを重んじなかった過去を、カトリック、東方教会、改革派の兄弟姉妹と学び理解を深めることができました。」「創造論はルター神学と礼拝学において重要です。十字架なくして創造論なし、受肉なくして創造論はありません。」ランゲ教授は「飼い葉おけの木は十字架の木でもある」というルターの言葉を引用しながら、創造、受肉、十字架と復活、これら三つの信仰の基盤が「ニケア信条で告白する三位一体の真理である」と述べています。
 「受肉と十字架による創造と贖罪は、聖礼典において最もはっきり示され、ルターはそこから聖礼典の刷新を求めたのです。」「(神によって)創造された水、聖餐式でのパンとワインはイエス・キリストの生と死のシンボル。こうした物質に目を向けることで、水、土地、果物、空気を大切にしようとルーテル教会は呼びかけるのです。」
 東方教会では、9月1日を神が地球を創造した日として祝う古い伝統がありますが、近年これを見直して、創造の恵みへの感謝と創造されたすべてを守るための祈りが加わりました。今日の生態系の危機的状況に際して、教会は創造をロマンチックなこととして眺めるのでなく、その限界、脆さ、依存性を認識し、主体的に考え行動し考えていくべきであるとの見方をセミナー参加者は学びました。
 世界の教会には9月1日を「創造の日」と定めたところもあります。あるいは9月1日から10月4日(アッシジのフランシスコの日)を創造月間としています。「創造の日が正式に教会歴に加われば、三位一体が典礼において形あるものとなり、霊性についても新たなアプローチが広がるでしょう。」(ランゲ氏)
 来年2025年はニケア信条1700年記念の年。ニケア信条が多くの教会で告白されていることから、創造の日を設けることで「(ルター派の)三位一体的霊性が深められ、そこからさらに新たな言葉と実践が起こり、ニケア信条の精神の具体化へと視野が広がるかもしれません。殊に創造の危機に対して敏感で、祈りの力を理解する若い世代にとって、創造の日Feast of Creationは意義深いものになるのでは」とランゲ教授は期待を寄せています。

https://lutheranworld.org/news/ecumenical-efforts-introduce-christian-feast-creation

山内量平探訪記⑥

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

 今回の舞台は新宮です。山内量平の妹熊子が天に召された翌年の明治16年、カンバーランド長老教会のヘール宣教師から洗礼を受けた山本周作という人が、信徒伝道者となって新宮に来ました。新宮についた彼は、一人の人に出会い「私はイエスの宗教を広めるために来ました。宿屋はどこにありますか?」と聞くと、その人は「うちに来なさい。私の妹がキリスト信徒になって聖書をくれたので、教えて欲しいのです」と言いました。この人が新宮の素封家の青年大石余平で、やがて山内量平の回心に関わるのです。
 彼の妹の睦世は、3年前に大阪の梅花女学校に入学し、翌年帰省したときに、漢訳『マルコ伝』を兄に渡しました。余平はこれを読んで、何とか学びたいと思っていたのでした。こうして彼は、ヘール宣教師から受洗しました。
 余平は熱血の人で、さっそくヘールの伝道旅行について歩くようになりました。また翌年には、彼の所有地を提供して教会を建てました。今、そこは仲之町アーケード街になっています。
 明治24年、余平夫婦は名古屋で伝道中に濃尾地震のために夫婦とも圧死しました。余平の弟は、明治43年の大逆事件で逮捕・処刑された大石誠之助、遺児は文化学院の創立者・西村伊作です。余平たちの建てた教会は、現在の日本キリスト教会新宮教会で、私はその教会の礼拝に出席することができました。

改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)

浅野聖子さん(日本福音ルーテル一市ヶ谷教会信徒)

小泉 こんにちは。浅野聖子さんは、東京・山谷での炊き出しグループ、ほしくずの会に関わっておられると伺いました。どのような経緯がおありだったのですか?
浅野長年、会の代表を務めてくださった同じ教会の故赤間峰子さんを通して出会いがあり、東教区女性会によるボランティアの呼びかけもあって9年前から活動に参加するようになりました。

小泉ほしくずの会では、どのように炊き出しをなさるのですか?
浅野炊き出しは、ご飯炊き→おにぎり作り→おみそ汁作り→配食、と襷を渡すように作業が進められていきます。私は、お米を研いでご飯を炊き、おにぎり作りに来られる方々を迎えられるよう準備し、おにぎりを作るところまで参加しています。
小泉山谷と関わりながら気づかされたことや、意識しておられることがありますか?
浅野私が活動に参加するのは火曜日なのですが、普段から野宿者の方々の生活が気になるようになりましたね。この活動には、「おじさんたち」も参加なさるのですが、私にとって「当たり前のこと」でも、そうではない人たちもおられるのだ、ということにも気づかされてきました。関わりの中で大切にしているのは、この活動の主役は、「おじさんたち」だ、ということ。私たちボランティアが仕切ってしまってはいけない、ということも意識しています。会の代表の中村訓子シスターが、「『ほしのいえ』は命の尊厳を守る活動」であると書いておられて、この活動も、幼稚園で働いている自分の仕事と通じるものがあるのだ、ということも教えられましたね。

小泉最後に、大切にしておられる聖書の箇所を教えていただけますか。
浅野イザヤ書40章31節「主に望みをおく人は新たな力を得」る、です。無力さに歩みを止めてしまいそうなときにも私を励まして進ませてくれるみことばです。
小泉ありがとうございました。お働きと山谷の方々の生活が守られますように。

日本キリスト教協議会(NCC)ジェンダー正義に関する基本方針

藤原佐和子(NCC書記・日本福音ルーテル田園調布教会信徒)

  2024年3月にオンラインで開催された日本キリスト教協議会(NCC)第42回総会で、「NCCジェンダー正義に関する基本方針」(以下、ジェンダーポリシー)が採択されました。これは、NCCが2019年の宣教会議で「これからの私たちの『コイノニア』は、女性というカテゴリーに留まらず、あらゆる世代、ジェンダー、セクシュアリティに属する人々が『主体』でなければなりません」と宣言したことや、ACTアライアンスの加盟団体であることに根ざすものです。ルーテル世界連盟(LWF)や世界教会協議会(WCC)と深くかかわるACTアライアンスは、2017年に「ジェンダー正義に関する基本方針」を採択し、世界中の加盟団体にもジェンダーポリシーの策定を呼びかけてきました。
 NCCが2021年に立ち上げたワーキンググループは、アジアの教会による実践例に学び、2013年の「LWFジェンダー正義に関する基本方針」(日本語版は「ジェンダー公正への道」)、2022年の「WCCジェンダー正義に関する基本原則」などをモデルとしながら、NCC青年委員会との協働プロジェクトを通して、専門家や若い世代の声を反映させた草稿を策定しました。常議員会からのコメントをもとに改訂を重ねた基本方針案は、昨年秋の常議員会で承認され、この度の総会で採択されました。
 ジェンダーポリシーは、歴史的基礎、聖書的・神学的基礎、原則、方法論(組織のモニタリング評価、普及啓発・人財養成、組織運営体制)から構成されます。歴史と神学については筆者が、聖書については都南教会の安田真由子さんが原案を執筆しました。原則は、①正義・平和・いのち、②ジェンダーバランス、力関係を変革する、③NCCが行うすべてのプログラムにジェンダー正義の視点を、④NCC内部における研修・能力開発、⑤加盟教団・団体における研修・能力開発、⑥性的指向・性自認・ジェンダー表現・性的特徴(SOGIESC)に基づく差別の禁止、⑦あらゆる女性のエンパワーメント、⑧次世代へのエンパワーメント、⑨神の民としての巡礼、⑩性と生殖に関する健康と権利から成り立っており、国際的に見ても高い水準の内容となっています。
 総会代議員向けの事前説明会では、2011年のSOGIに関する国連人権決議以降のキリスト教界の動きが紹介され、ジェンダー正義が「神の正義」の欠くべからざる一部分である点が強調されました。今後はリーダー研修やパンフレット作成などから、少しずつ具体化に着手していきますので、皆さまもどうぞ連帯してください。

ELCAジェンダー正義コーディネーターに就任して

安田真由子(日本福音ルーテル都南教会信徒・ルーテル学院講師)

  インドネシアの北スマトラ。初めて行く場所の音も匂いも想像さえできない中、私は、そこで出会う人たちから何を思い、感じるだろうかと、期待3割、緊張7割の心持ちで、2月半ばに成田から飛んだ。何より不安だったのは、私が「ジェンダー正義コーディネーター」として2週間の出張に赴いているものの、大まかなプランしか聞いておらず、具体的な業務内容についてはよく分かっていなかったことだ。何しろ就任してまだ3カ月。オフィスは米国シカゴにあるので、普段は在宅勤務。幸い、出張中はベテラン同僚チャンドラン(最高にクールなインド人男性)がリードしてくれる。私は言わば彼の腰巾着だった。
 さて空港で出迎えてくれたのは、インドネシア最大のルーテル教会HKBP(会員数400万人超)の女性2人。長いことHIV/AIDSミニストリーを率いてきたNさんと、元々法律の分野にいたAさん。どちらも今は教会のディアコニア部門で働いている。今回の課題は、彼女たちを始め、性差別やDVなどに取り組んでいるHKBPの人たちと、ジェンダーに関する問題を解決するため何をすべきか、何ができるかを話し合い、今後3年に渡る活動計画を練ることだった。密度の濃いミーティングの中では、必要とあればジェンダーやLGBTQ+(同性愛者などの性的マイノリティ)に関して、私が聖書学者として、チャンドランが神学者として短い講義をすることなどもあった。たとえば神は人を性別や性的指向に関わらず平等に造り、愛していること。イエスは差別や抑圧にさらされる人々とこそ共に歩んだこと。彼女たちは、教会に根を張る差別や抑圧に抗うべく、正義のための聖書的・神学的なことばや概念、考え方を身につけることに貪欲だった。
 また、HKBP以外の教会や関係団体の人々とも会って話し、食事を共にしたが、出会う人たち皆がジェンダーを巡る課題と真剣に向き合い、正義のための歩みを粘り強く続けていた。中には「希望なんてない」と語る女性もいた。気持ちは分かる。差別は根強く、暴力は深刻だ。けれど、その希望の無さを共有し、手を取り合うところから、何かあたたかな原動力が湧いてくる、そんなことを感じた2週間だった。
 昨年11月、アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)のアジア太平洋地区ジェンダー正義コーディネーターに就任しました。神の正義を求めて尽力してまいります。関心のある方はお声がけください。

「ルーテル学院、今とこれから」

石居基夫(ルーテル学院大学学長)

  日頃より、ルーテル学院大学、大学院、日本ルーテル神学校のためにお祈りとお支えをいただいておりますこと、心から感謝申し上げます。
 すでに報告させていただいている通り、今年3月に行われました理事会において、2025年度よりルーテル学院大学・大学院の学生募集を停止することが決議されました。昨年の全国総会でも大学経営が深刻な状況にあることをご報告させていただき、この間、皆さまからはご心配と応援の声をいただいて参りました。しかし、皆様の期待に応えることができず、ここに至りましたことは誠に残念であり、責任をいただいている者としては大変に申し訳なく、忸怩たる思いでいっぱいです。
 本学は、1909年に九州熊本で、牧師を養成するための日本路帖神学校として開学しましたが、のちに東京中野区に拠点を移し、1964年には大学認可を受け、1969年に現在の三鷹に移転しました。1970年代半ばに、日本福音ルーテル教会は「福音を伝え、世に仕える神の民となる」ことを決議し、大学はこの「神の民全体の教育」を担うように改革を進めました。そして、1976年に社会福祉、また1992年より臨床心理の分野における専門教育を手掛けることになり、キリスト教的人間理解を基盤とした対人援助の担い手を育てる教育と研究を展開してまいりました。これまでの卒業生たちが教会で、またそれぞれの現場、社会において今も大切な働きを担ってくださっていることは、本学の教育の確かな証であると思っています。
 しかし、近年の少子化と特に福祉関連の受験生の減少を受け、2022年度より連続して入学定員を大きく割る事態となりました。学内においては学生募集と経営的努力も重ねてまいりましたが、理事会は将来に向けた経営の見通しを立てることが難しいと考え、大学教育存続のためのあらゆる可能性を検討し、努力を重ねてまいりましたが、いずれの道も実らず、大学として責任ある対応を全うするために今回の苦渋の決断をするに至りました。
 今後、大学は今年度の新入生も含めた全ての在学生を送り出すまで、ミッションステートメントに基づき、学生一人一人の学びと学生生活の充実、将来に向けた支援という教育的使命を全うするべく全力を尽くして参ります。もちろん、日本ルーテル神学校は継続し、牧師養成と継続教育、ルーテル教会の神学研究などを整えていきたいのです。また、これまでのルーテル学院の卒業生たちの自主的研究会や同窓生の支援など、できる限りルーテルのつながりを活かしていきたいと考えています。
 教会の皆さまには、引き続きこれからのルーテル学院のためにお祈りとお支えをお願い申し上げたいと思っております。何卒よろしくお願い申し上げます。

「ルーテルこどもキャンプ」開催のお知らせ

池谷考史
(TNG委員会子ども部門長・日本福音ルーテル博多教会・福岡西教会・二日市教会牧師)

 TNG子ども部門では、8月7日(水)~9日(金)、広島教会を会場に「第24回ルーテルこどもキャンプ」を開催します。昨年は台風の接近で残念ながら中止となってしまったため、対面でのキャンプは5年ぶりとなります。テーマはこれまでと同じ、「来んさい 広島Peaceじゃけん」。これまでは小学5、6年生が対象でしたが、今年は小学5年生から中学3年生までが参加できます。8月の広島で、教会につながる仲間たちとの交わりの中で平和について学び、平和をつくる者となっていく思いを深めたいと思います。新しい友達がたくさんできる良い機会にもなることでしょう。ぜひ、呼びかけて下さり、子ども達を送り出してください。たくさんのキャンパーが集ってくれることを願っています。参加申し込みは、QRコードからお願いします。申し込みは7月7日までです。参加費:15000円。合わせてキャンプを支えて下さるスタッフも募っています。同じQRコードからお申し込みください。

日本福音ルーテル教会西教区能勢記念堂

犬飼誠 (能勢記念堂委員・日本福音ルーテル大阪教会信徒)

 かつて、クリスチャンであっても、召天後、それぞれの先祖の墓地などに埋葬され、仏教など先祖の宗教によって供養がなされているということがありました。
 「召天後も、キリスト教の記念礼拝が実施される墓地に埋葬され、天国で、再び兄弟姉妹と相まみえたい。」との祈りのもと、建築委員会が発足し、多くの西教区の牧師や信徒の尽力により、日本福音ルーテル教会西教区能勢記念堂(以後「記念堂」)は、大阪府豊能郡能勢町において、1983年に150の納骨ボックスを備えた礼拝堂として完成し、同年3月から運用が開始されました。
 この地は、元々、ルーテル関西能勢キャンプ場の一角にあり、関西地区合同のCSや青年キャンプ、修養会などが実施され、信徒が集う特別な場所、言わば「聖地」とも言えるような場所であり、そこに記念堂が建立されたことは大きな喜びでした(現在、キャンプ場は閉鎖され、記念堂だけがこの地に残っています)。
 記念堂における墓前礼拝は、春(イースターの次の週の日曜日)と秋(全聖徒主日の次の週の日曜日)の年2回実施されます。コロナ禍にあるときは、スタッフだけで墓前礼拝を守りましたが、今では、参列者数も回復し、以前のように通常30名程度、多いときは50名を超える参列があります。
 能勢は、自然に恵まれ、春は山桜、秋は紅葉の美しい風光明媚な土地です。しかし、交通の便が悪く、車でしか行けないような場所にあるため、記念堂の納骨ボックスを引き払い、別の墓地などに移骨される方があります。一方、新たにボックスを購入したり、すでに購入済のボックスに納骨をするという動きもあります。
 現在、記念堂委員会のスタッフは、委員長である大阪教会の大柴牧師を含め、4人ですが、これからも、主の御手に委ねて召された信仰の諸先輩方を想起し、生者と死者の双方の救い主であるイエス様の救いを覚える記念堂墓前礼拝を守っていきたいと思います。

日本福音ルーテル小田原教会・湯河原教会人事の件

以下の通り人事が承認されましたのでご報告いたします。
〈牧会委嘱〉(2024年
6月1日付/1年間)
長岡立一郎
 小田原教会・湯河原教会

日本福音ルーテル教会・教区常議員

2024年3月に各教区で開催された教区総会において下記の通り常議員が決議されましたのでお知らせいたします。(敬称略)

《北海道特別教区》
教区長 小泉基
(札幌教会牧師)
書記・財務兼任 岡田薫(帯広教会牧師・札幌教会協力牧師)
会計 岡村隆行
(函館教会信徒)
伝道 滝田裕美
(札幌教会信徒)
社会奉仕 松島直子
(札幌教会信徒)
教育 岩崎明子
(函館教会信徒)
教区選出信徒常議員 
松島直子(兼任)

《東教区》
教区長 松本義宣
(東京教会・板橋教会牧師)
副教区長 佐藤和宏
(藤が丘教会・小田原教会牧師)
書記 小澤周平
(千葉教会・津田沼教会牧師)
会計 鈴木亮二
(大岡山教会信徒)
財務 橘智
(東京教会信徒)
伝道奉仕 内藤新吾
(稔台教会牧師)
社会 小勝奈保子
(聖パウロ教会牧師)
教育 河田優
(日吉教会・横浜教会牧師・ルーテル学院大学チャプレン)
教区選出信徒常議員 小林恵理香
(大岡山教会信徒)

《東海教区》
教区長 末竹十大
(なごや希望教会・掛川菊川教会牧師)
書記 渡邉克博
(浜松教会・新霊山教会牧師)
会計 佐藤祥一
(岐阜教会信徒)
宣教 後藤由起
(名古屋めぐみ教会・知多教会牧師)、
石川吏志
(名古屋めぐみ教会信徒)
社会・奉仕 光延博
(静岡教会・沼津教会・富士教会牧師)
教区選出信徒常議員 佐藤祥一(兼任)

《西教区》
教区長 立野泰博
(広島教会・松山教会牧師)
書記 宮澤真理子
(西条教会・三原教会牧師)
会計 犬飼誠
(大阪教会信徒)
財務 水原一郎
(シオン教会・西宮教会牧師)
伝道・奉仕 中島共生
(下関教会・厚狭教会・宇部教会牧師)
社会・厚生 沼崎勇
(京都教会・修学院教会・賀茂川教会牧師)
教育 竹田大地
(天王寺教会牧師)
教区選出信徒常議員 三戸真理
(天王寺教会信徒)

《九州教区》
教区長 白川道生
(佐賀教会・小城教会・
唐津教会・甘木教会牧師)
副教区長 池谷考史
(博多教会・福岡西教会・
二日市教会牧師)
書記 池谷考史(兼任)
会計 山本光(箱崎教会信徒)
財務 山本光(兼任)
伝道 小泉嗣
(熊本教会・玉名教会・八代教会牧師)
社会奉仕 谷口美樹
(大江教会信徒)
教育 安井宣生
(健軍教会・甲佐教会・長崎教会牧師)
教区選出信徒常議員 宮原信孝
(久留米教会信徒)

24-05-01主に向かって心からほめ歌おう

「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。」
(エフェソの信徒への手紙5・15~19)

 「今は悪い時代なのです」とパウロは言います。主イエスがこの世に来られてから今に至るまで、世界は悪い時代であり続けています。神のみことばが伝えやすかった時はない。争いのない時代はない。差別のない時代はない。この世界が平和であったことはいっときもありません。旧約聖書、創世記の時代、神がこの世界を創った最初から、アダムとエバの夫婦げんか、その息子カインとアベルの兄弟殺しに始まります。聖書を読んでほっこりするか、安心するかしたいのに、聖書の中に平安な心で生きた人々はほとんど出てこないのです。
 聖書の世界で平和が実現されたこともありません。平和を作ろうとすると、迫害が始まるのです。それは、誰かが自分の権力を失うからです。聖書の中の権力者たちは人を痛めつけることで自分を大きく見せて、その地位を保とうとしました。主イエスが十字架につけて殺されたのは、主イエスが真実を語るお方だったからでしょう。真実が明らかになると人々は自分たちの罪の現実を見せつけられてしまいます。自分の罪を見せつけられたら、心の平安は乱れてしまいます。だから人間はキリストの口をふさごうとしたのです。
 けれども聖書は、罪の現実では終わりません。それ以上の大いなる現実を伝えます。それは主イエスのもたらすものが、人間の生み出す争いや憎しみを、人間の汚れを拭い、人智をはるかに超えた大きな力であるということです。
 私たちは自分では自分のことをどうしても救うことのできない愚かさを抱えています。思ってもいないことを口にし、自分の保身のために他人を傷つけます。その愚かな私たちのもとに主イエスは来てくださいました。主イエスの十字架によって、私たちが賢い者として光の内を歩むことを可能にしてくださいました。
 だから聖書は教えます。「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。」私たちが賢く歩むには、自分自身を敬い、自分自身に感謝することをやめて、敬い、感謝すべき方は神様であることを知らなくてはなりません。
 私たちは主イエスに神の正しさと神の愛の中で、主の御心を求めて生きるようにと言われるのです。賢い者とは、学のある人間のことではありません。主の御心を第一として歩む者なのです。貧しい者の元に降っていかれ、弱い者と共に歩まれたキリストと共に歩むようにと言われるのです。主の御心がなんであるかを求め、どんな悪い時代であっても、その悪の中に入っていき、傷つきながらも、平和を作り出すものとされていくようにと言われます。
 そうして、聖書は教えます。「霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」と。コロナ禍が過ぎ去って私たちは礼拝で賛美歌を歌って賛美できるようになりました。声たからかに賛美をささげることができるのは嬉しいことです。
 しかし、「酒に酔いしれてはなりません」とあります。自分が酔いしれるために、自分が楽しくなるために歌うのではありません。自分が気持ち良くなるために歌うのではありません。自分の気持ちではなく、主を第一として賛美をささげるのです。主に向かって心からほめ歌うのです。賛美は安心と平安を生み出すだけのものではありません。苦しみに立ち向かうために、平和を作り出すために、悪い時代に出ていくためにほめ歌うのです。キリストに仕える者として、真に賢い者であるために、私たちは霊に満たされ、霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いましょう。その時、私たちは自分自身のなすべきことを教えられるでしょう。
 私たちを奮い立たせてくださるキリスト、この主を土台として、感謝し、畏れ、互いに仕え合う、教会はこのことに生きてきました。奇麗なだけではない罪の現実を知ってなお、これからも私たちは主によって生かされ、主を見上げ、ただ主に向かって、心からほめ歌い続けたいと思います。

書簡を書く聖パウロ ヴァランタン・ド・ブーローニュ作 
油絵 1618年~1620年頃 ヒューストン美術館蔵

24-05-01るうてる2024年05月号

機関紙PDF

「主に向かって心からほめ歌おう」

日本福音ルーテル小鹿教会・清水教会 笠井春子

「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。」
(エフェソの信徒への手紙5・15~19)

 「今は悪い時代なのです」とパウロは言います。主イエスがこの世に来られてから今に至るまで、世界は悪い時代であり続けています。神のみことばが伝えやすかった時はない。争いのない時代はない。差別のない時代はない。この世界が平和であったことはいっときもありません。旧約聖書、創世記の時代、神がこの世界を創った最初から、アダムとエバの夫婦げんか、その息子カインとアベルの兄弟殺しに始まります。聖書を読んでほっこりするか、安心するかしたいのに、聖書の中に平安な心で生きた人々はほとんど出てこないのです。
 聖書の世界で平和が実現されたこともありません。平和を作ろうとすると、迫害が始まるのです。それは、誰かが自分の権力を失うからです。聖書の中の権力者たちは人を痛めつけることで自分を大きく見せて、その地位を保とうとしました。主イエスが十字架につけて殺されたのは、主イエスが真実を語るお方だったからでしょう。真実が明らかになると人々は自分たちの罪の現実を見せつけられてしまいます。自分の罪を見せつけられたら、心の平安は乱れてしまいます。だから人間はキリストの口をふさごうとしたのです。
 けれども聖書は、罪の現実では終わりません。それ以上の大いなる現実を伝えます。それは主イエスのもたらすものが、人間の生み出す争いや憎しみを、人間の汚れを拭い、人智をはるかに超えた大きな力であるということです。
 私たちは自分では自分のことをどうしても救うことのできない愚かさを抱えています。思ってもいないことを口にし、自分の保身のために他人を傷つけます。その愚かな私たちのもとに主イエスは来てくださいました。主イエスの十字架によって、私たちが賢い者として光の内を歩むことを可能にしてくださいました。
 だから聖書は教えます。「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。」私たちが賢く歩むには、自分自身を敬い、自分自身に感謝することをやめて、敬い、感謝すべき方は神様であることを知らなくてはなりません。
 私たちは主イエスに神の正しさと神の愛の中で、主の御心を求めて生きるようにと言われるのです。賢い者とは、学のある人間のことではありません。主の御心を第一として歩む者なのです。貧しい者の元に降っていかれ、弱い者と共に歩まれたキリストと共に歩むようにと言われるのです。主の御心がなんであるかを求め、どんな悪い時代であっても、その悪の中に入っていき、傷つきながらも、平和を作り出すものとされていくようにと言われます。
 そうして、聖書は教えます。「霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」と。コロナ禍が過ぎ去って私たちは礼拝で賛美歌を歌って賛美できるようになりました。声たからかに賛美をささげることができるのは嬉しいことです。
 しかし、「酒に酔いしれてはなりません」とあります。自分が酔いしれるために、自分が楽しくなるために歌うのではありません。自分が気持ち良くなるために歌うのではありません。自分の気持ちではなく、主を第一として賛美をささげるのです。主に向かって心からほめ歌うのです。賛美は安心と平安を生み出すだけのものではありません。苦しみに立ち向かうために、平和を作り出すために、悪い時代に出ていくためにほめ歌うのです。キリストに仕える者として、真に賢い者であるために、私たちは霊に満たされ、霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いましょう。その時、私たちは自分自身のなすべきことを教えられるでしょう。
 私たちを奮い立たせてくださるキリスト、この主を土台として、感謝し、畏れ、互いに仕え合う、教会はこのことに生きてきました。奇麗なだけではない罪の現実を知ってなお、これからも私たちは主によって生かされ、主を見上げ、ただ主に向かって、心からほめ歌い続けたいと思います。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊿「私は誰?」

「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリピの信徒への手紙3・20)

私って何者なんだろう?
自分が全く意識していないときに急に自分の所属のことや、性のことや、健康のことなどを言われ急に自分が分からなくなったときがあります。
言った相手の方がどのような思いで言われたのかはわかりません。ただ私には刺さりました。私って何者なんだろう。
そのようなとき「わたしたちの本国は天にあります。」とみ言葉から聴くと慰められます。私は神様に造られいつも神様と生きて一人じゃないと。
自分はここに生まれ、親はこの人でこうしなくてはいけないと縮こまるときがあります。
入院したとき私はほとんど多人数部屋です。たまにいかにも病人ですというように暗い顔をして下を向きほとんど話さない人がいます。もちろん本当にしんどくて上を向けない人もいます。でもほとんどの人は病人を演じておられるみたいです。
ある日、他の部屋の方が退院されるときお礼にと言って紅茶のティーバッグを下さった方がおられました。
なんでだろう?と思ってたら「挨拶してくれてありがとう嬉しかったわ。」と言われました。
家族に挨拶をするのって当たり前ですよね。入院して何回もお会いする方々も同じような気がします。
例え名前を知らなくても出身の国を知っています。
「わたしたちの本国は天にあります。」いつもお会いする方々にご挨拶するのは特別ではありません。同じ天の出身の家族だからです。天の父は神様です。例え自分が所属や性、健康についてわからなくなったとしても大丈夫。あなたは神様にそのままを受け容れられています。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑫

日本福音ルーテル本郷教会・本郷学生センター
水上利正(日本福音ルーテル本郷教会役員)

 本郷教会は、東京大学赤門(重要文化財)の反対側、本郷郵便局の裏側にあります。本郷教会は、1956年4月18日に東京の大学生のために開所された「学生センター」と兄弟組織にあたります。アメリカの福音ルーテル教会伝道部による日本の大学生への宣教活動の一拠点として、東京では文京区西片に宣教師館(東大農学部前)を設け、そこを大学生伝道のためのセンターとしました。
 ちなみに、本郷教会から本郷通りを少し北上しますと、言問通りが交差する「本郷弥生」交差点があります。東大農学部は、言問通りの北側「文京区弥生」にあり、この弥生地区の、本郷通りを挟んだ反対側が「文京区西片」です。
 学生伝道の開始は、その「西片」の学生センター開所4日後の4月22日(日)に最初の礼拝が行われた時で、学生センター並びに本郷教会が誕生しました。
 学生センターでは、今でも学生にネイティブな英会話と聖書を教え、本郷教会で聖日礼拝を守り、み言葉による宣教が続けられています。センターとしての伝道開始時には、まだ「本郷教会」という名はなく、礼拝を守り受洗した教会員の間から、老若男女、誰でも集まれる教会堂を持ち、教会活動専任の邦人牧師を招聘したいとの要望が強くなりました。
 その結果、種々の検討、選択、資金の積立、アメリカルーテル教会への資金援助要請などが粘り強くなされ、1966年6月11日、文京区本郷(本郷郵便局の裏)に、3階建てコンクリート造りの教会堂が竣工されました。
 多くの方々の祈りと努力が叶えられた瞬間です。1階は学生センターのための集会室、事務室、2階は礼拝堂、3階は牧師館です。
 本郷教会の特徴は、東京の大学生が生きた英語を学びつつ、聖書に触れ、神様についての理解と信仰を身に付けることです。大学生が卒業すると就職し、東京ばかりではなく全国、海外にも派遣されるため、本郷教会は「通過する教会」としての役割とその維持、卒業生のその後の信仰あるいは宣教支援が課せられていると思っています。
 これからも本郷教会は、人口が減少する中での子どもたちへの伝道、高齢化が進む社会、「本郷教会」家族に「心安らぐ場所」を提供し、更に常に活気ある、前向きな教会を育て維持し続けていけるのかなど、まだまだ多くの諸課題に、祈りつつ取り組まなければなりません。テレビ番組ではないですが、「ぼーっ」としてはおられません。

牛津ルーテルこども園
北村佳枝(牛津ルーテルこども園 園長)

 本園は、戦後の混乱期が落ちついた1953年4月、地域の要望を受けて当時の佐賀地区宣教師であったマヤ・ウインテル女史と日本福音ルーテル小城教会の中尾忠雄牧師の多大なお働きがあり「牛津幼稚園」として設立されました。その後、新制度に伴い2015年4月に幼保連携型認定こども園牛津ルーテルこども園と園名を変更し保育の見直しをはかりました。未満児保育は、育児担当制と流れる日課を導入し特定の大人が子ども一人一人と丁寧にかかわり愛着形成を確立し、生活習慣を身に付けることを大切にしています。また、以上児クラスは、縦割りのクラス編成とし、多様な人間関係の中で興味や関心の幅を広げ、主体的に遊びこむ姿が見られます。
 約70年という長い歴史のなかで当初からキリスト教保育を基盤とする考え方や理念は変わりません。以上児クラスは、月に2回、ホールに集い岩切雄太牧師と共に礼拝を守ります。手品を交えた楽しいお話しを心待ちにする子どもたちです。
 子どもたちは、日々の生活や祈りのなかで神さまの存在を感じ、守られ愛されているという安心感がこころのよりどころとなります。そしてそれぞれが自分の良さを見いだしてのびのびと自己発揮していきます。子どもたち、また私たちも神さまから頂いた賜物を活かして互いに認め合い、かかわりを深めていけるよう願うものです。
 昨年、4年ぶりに小学生クリスマスの礼拝を守ることができました。久しぶりの開催にもかかわらず100名近くの卒園生が集い、祈りの時を持ち親睦を深めました。これからも神さまの祝福のうちに、一人一人が命を輝かせ光の子として成長していけるように寄り添っていきたいと思います。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

 ロシアにもルーテル教会があります。大都市サンクトペテルブルクにあります。ロシア福音ルーテル教会(以下ELCR)の監督補佐、神学校長でもあるアントン・ティホミロフ氏はELCRの現状と神学教育について語ってくれました。
 「教会も政治も経済も混乱している状況下にあっても、神学教育は健全でありたいと思っています。」
 「敵意と敵意の間に橋を架けねばなりません。オープンかつ刺激的そして和解を目指すディスカッションができること、それが良い神学教育です。」
 「現在40名の神学生がいて3分の1は女性です。出身は旧ソビエト連邦のジョージア、ベラルーシ、モルドバ、カザフスタンから、そしてウクライナ人も4人います。」
 牧師研修は2019年からオンラインになり、ティホミロフ氏は定期的に各地を訪問してセミナーや会議を開催します。
 「学生たちは各地域に根差していて、多くはそこで仕事をもっているのでオンライン学習は彼らのニーズにかなっています。教育課程は3年で学士を取得できます。国際色豊かで様々な教派の教師が教えています。講義はほぼロシア語です。ただ神学校を認可しているのはロシアルーテル教会連盟だけです。国の認可を得られるといいですが難しいです。それに教派間の問題もあります。」
 ロシアでルーテル教会は小さく、世界最大の国土でありながら信徒総数は約2万人。「現在はELCRを構成するふたつの教会、ヨーロッパ・ロシアルーテル教会(ELCER)とウラル・シベリア極東福音ルーテル教会(ELCUSFO)の協力関係を強めて教会の安定化を図っています。」
 状況の安定化と政治的行動に反対すること、ティホミロフ氏によるとそれが教会指導者の主要な役割とのこと。
 「牧師がとても不足していて特に農村地区が気がかりです。多くの牧師は生計を立てるため牧会だけでなくパートでも働いています。」
 教会の収益が限られていることも心配な点で、モスクワやサンクトペテルブルクのような大きな都市では教会の荘厳な建物を収益のために利用しています。
 「モスクワのカテドラルでは文化事業に貸し出しています。立派なパイプオルガンもあるのでコンサートもしています。」
 「西側によるロシアへの経済制裁のため海外からの送金を受け取れません。友好関係にある教会や団体からの支援が得られないのです。自立してやっていくしかありません。」

https://lutheranworld.org/news/russia-being-small-church-large-country?ct=t(EMAIL_CAMPAIGN_NL_EN_COPY_01)

山内量平探訪記⑤

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

 山内量平の妹の季野は、植村牧師と婚約後にいったん帰郷し、まず隣村に嫁いでいた妹の熊子に伝道します。熊子はすぐに信仰を受け入れ、夫も許容してくれました。ところが姑は猛反対。「家の仏壇を守るのか、離縁して実家に戻るのか」と迫ります。すると熊子は、3人の子どもを連れて帰って来てしまいました。
困ったのは当主の量平です。彼はヘール宣教師を自宅に招き、「神は人の心を知っているのだから、心の中で信仰しておれば良いではないか。」と言い、婚家に戻るよう説得するのが宣教師の義務だとまで詰め寄りました。議論の間、季野と熊子は階下で熱心に祈り、熊子は「神ならぬ者を拝むよりは、野を耕し木こりでも何をしてでも」と、固い決意をしているのでした。
 翌月、ヘール宣教師が山内家を再訪すると熊子は受洗を申し出ました。ところが宣教師がその試問をしていることを知った量平は、激怒して刀に手をかけようとします。このときは、とりなす人がいて、ひとまず受洗は1年延期となりました。
 しかし、その2カ月後、熊子は日射病で亡くなります。遺言を聞かれた彼女は、「子どもたちのことは神様にお願いしてあります。私もまた主の御手に導かれてまいります。」と言い遺したのでした。
 後に熊子の長女・綾子は、山内直丸牧師夫人になりました。

改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)

小泉 今回は、このたび盲伝(日本盲人キリスト教伝道協議会)の理事になられた中島共生牧師にお話を伺います。先生は、礼拝の主日の祈りを点字で作っておられると伺いましたが、どんなふうになさっておられるのですか?

中島主日の祈りをまずは墨字で印刷し、その紙に点字プリンターで点字を印刷しています。最初は教会員と手分けして、必要な3部を一文字ずつ手で打っていたのですが、その後、清水の舞台から飛び降りるつもりで、ネットオークションで点字プリンターを購入したのです。新卒牧師にとっては高価な買い物でしたが、いろいろ教えていただいて無事に使えるようになりました。

小泉先生は、もともと視覚障がい者とのかかわりがおありだったのですか?

中島牧師になるまでは全くありませんでした。遣わされた教会での礼拝中、主日の祈りになると必ず下を向く方がおられると気付いた時に、「お手元の週報をご覧ください」という案内の言葉が、誰にでも優しい言葉ではないと気付いたのです。それが、主日の祈りの点字版を作ろうと思ったきっかけでした。また、点字に精通した方が教会に連なっていてくださったことも、大きな助けとなりました。

小泉見えない方との出会いが大きかったのですね。その出会いによって気付かされたことなどおありですか?

中島「見えないことは分からないことではない」ということです。見えない方は、空気や太陽の温かさからその日の天気を感じ取られます。手を握ったときに「先生、少し体調悪くない?」と言われることもあります。私も、到底そこまでは及びませんが、誰かの変化を敏感に感じ取れるような、心の目を凝らす生き方をしていきたいと思っています。

小泉ありがとうございました。最後に、先生が大切にしておられる聖句をひとつ教えていただけますか?

中島「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」(ヨハネ1・4)です。聖書が私たちに語る、暖かくて透き通った光をこれからも精いっぱい伝えていきたいと思います。

ルーテル幼保連合会役員交代挨拶

竹田拓己(大森ルーテル幼稚園園長補佐)

 主の御名を賛美いたします。
 さて2023年8月に広島で開催されたルーテル幼稚園・保育園・認定こども園研修会後に役員選出があり、新役員が決まりました。2024年3月25日に新旧役員の引継ぎがZoomで実施され、2024年4月より本格的に新役員の働きが始まります。私自身右も左も分からない中、会長を務めさせていただくことには不安が尽きません。皆様の温かいご支援と、共に歩む役員の力を大いに賜り、頑張ってまいりたいと思います。
 ここ数年東教区、九州教区で役員を交代で受け持っていましたが、今年度より各教区から役員を選出することとなりました。各教区の役員の働きにより、多くの園が研修に足を運ぶことができるよう、また様々なルーテルの園の先生方が他園の先生方と交流できるよう願っております。
 保育の現場は現在激動の時代となりました。少子化が想定を上回るペースで進み、各園園児の獲得に苦労されている事と思います。その他にも共働き世帯も増え特に幼稚園は変化を求められる時代へとなったように感じます。園児獲得、ICT化、保育の見直し、人材確保、働く環境の改善などあげたら切りがありません。しかし向き合っていかなくてはならない課題でもあります。各園が互いに情報を共有し、意見を言い合える場や機会に本連合会がなり、それが子ども達へと還元されればと思います。

ルーテル幼保連合会新役員
会長 竹田拓己
(大森ルーテル幼稚園・東京)
副会長 江口由美
(恵泉幼稚園・福岡)
書記 橋本真
(谷の百合幼稚園・広島)
会計 斎藤典子
(ルーテル保育園・東京)
補佐 古閑雅子
(清泉保育園・熊本)
監査 本田聡子
(認定こども園挙母幼稚園・愛知)

北海道特別教区 栞の取り組み

岡田薫(日本福音ルーテル帯広教会牧師・札幌教会協力牧師

 世界的なパンデミックに翻弄されていたさなか、北海道特別教区も試行錯誤しながら連帯や協働の取り組みを続けてきました。「主の祈りを祈るキャンペーン」やオンライン集会の開催と小冊子「み言葉に生かされる」の発行などに加え、2021年からは教区の主題聖句を身近に感じていただけるように「教区主題聖句カード」を毎年作成しています(教区総会後に作成し、ペンテコステの前後に全教会員に配布)。
 少し薄手の用紙にプリントされた栞は聖書に挟んでも邪魔になりません。片面には教区主題、もう片面には各教会の主題聖句や写真が印刷されています。往来自粛などの影響で互いに行き来ができなくなった時期、この栞にある御言葉に励まされ、それぞれの教会に連なる方々を覚えて祈るひと時が慰めにもなりました。2023年は新しい礼拝式文の導入にともない、主題聖句は片面に集約し、もう片面には「主の祈り―2000年共通口語訳―」を印刷しました。折々の集会でも配布し、身近に置くことによって新しい主の祈りの習熟のためにも豊かに用いられたようでした。
 牧師数の減少と広域兼牧も始まり大きな変化もありましたが、この数年間の取り組みによって、それぞれのつながりや支えあい、祈りあいが教会としての底力、柔軟性を醸成しているように感じています。広大な北海道に4教会6礼拝堂が点在する小さな教区だからこそ、ひとつの聖句に思いを寄せる、ひとつの教区の仲間であることを意識していくために、これからもこの小さな活動を継続していきたいと思っています。

第31回 春の全国teensキャンプ報告

森田哲史(日本福音ルーテル大森教会牧師・宣教室 TNG委員会teens部門)

 昨年に引き続き、対面での「春の全国teensキャンプ」(以下、春キャン)を開催しました。
 今年のテーマは「最強の絆」として、神様から与えられているつながりを考えるプログラムとなりました。序盤では、お互いの共通点を探しながら、お互いを知ることを通してつながりを考えてみました。中盤では、学校生活などの特定のシチュエーションの中で、「つながることが強制される世界」と「つながりが一切無くなってしまった世界」を想像し、発表しました。参加者からは、私たちの世界には良くないつながり、強制されたくないつながりもあるけれど、つながっちゃいけないと言われるのも困ってしまう、そもそもつながりが無いと世界は成り立たない、という意見が上がりました。そのような意見に対して、チャプレンの池谷牧師からは「一番大切なのは、それでも私たちがつながりの中で生きているという現実なのだ」と示されました。
 まとめとなる閉会礼拝では、再び池谷牧師からヨハネによる福音書15章5節を通して、枝と枝は直接にはつながらないが、イエス様という木を通してつながれていることを聞きました。キャンプの参加者は住む場所も年齢もバラバラで、偶然に集められた、ある意味では無関係な存在でした。しかし、春キャンを通して、自分と無関係とは決して言えない存在となりました。そして、その中心にいるイエス様を覚える3日間となりました。
 各教会を始め多くの方の祈りと、各教区、女性会連盟、JELAなど皆さまのお支えによって、恵みのうちに終了することができました。感謝して報告に代えさせていただきます。 近々に「思い出集」をお送りさせていただきますので、ぜひご覧ください。

ルーテル学院大学・大学院次年度以降の学生募集停止について

 2024年3月21日開催の学校法人ルーテル学院理事会において、近年の少子化傾向等の影響を受けた学生数減少のため、ルーテル学院大学・大学院の2025年度からの新規学生募集の停止が決定され、3月25日付で下記インターネットサイトにて公開されました。詳しくは以下をご覧下さい。
 https://www.luther.ac.jp/
 なお2024年度時点の在学生が卒業するまで、大学での現行の教育活動は継続されます。また神学教育機関としての日本ルーテル神学校については今後も新入生募集は継続されます。本紙次号にて報告を掲載いたします。

新任牧師挨拶

笠井春子(日本福音ルーテル小鹿教会・清水教会牧師)

 この春、神学校を卒業し、小鹿教会と清水教会で牧師の働きに遣わされることになりました。これまでのお祈りとお支えに感謝申し上げます。
 私が5歳の時に天に召された父は、日本福音ルーテル教会の牧師でした。父が神学生の時に私が生まれましたが、その父が宣教研修生として学んでいたのは山本裕先生のもと静岡の富士教会であったと聞いており、私にとっては初めての東海教区の教会も父を通して生まれる前からのつながりがありました。
 生後半年のときにむさしの教会で徳善義和先生から小児洗礼を受け、その後、父の赴任先の二日市教会、聖ペテロ教会、父の召天後は田園調布教会で育てていただきました。キリスト教系の高校で多くの御言葉と聖書のメッセージを聞き、大学では聖書科の教職を取得しましたが、進路を選択していく時期に差し掛かった時、牧師が不足していると聞きました。たとえ働きは小さなものだとしても、もし用いてくださるのなら牧師として主に仕えていきたいという思いが生まれ、牧師を志すことを決めました。欠け多き器であっても主は豊かに用いてくださると信じます。
 宣教のために遣わされた地で、主と共に歩んでいきたいと思います。

河田礼生(日本福音ルーテル恵み野教会・函館教会牧師)

 主のみ名を賛美します。このたび、恵み野教会と函館教会に赴任することになりました。これまで多くの祈りとご支援に励まされ、按手を迎えることができましたことに感謝いたします。主に祈り委ねつつ、牧師としての生涯を歩んでいきます。
 私の名前は「礼」拝に「生」きると書きます。振り返ると、私の信仰生活は礼拝に支えられてきました。礼拝をサボることや神様に背くことがあっても、気付いた時には礼拝を通して、再び神様に引き戻されていたように感じます。そんな経験や名前に触発を受け、神学校でも特に礼拝に深い関心を持って学びました。赴任先の教会や街の様子を見て、あるいは若い牧師という立場で、私は地域伝道や青年伝道に強い熱意や使命感を抱いております。その土台となるのはやはり礼拝だと思います。ですからまずは毎週の司式、説教に尽力したいと思っています。
 ポストコロナや社会情勢の不安など、これからますます教会は苦しい状況に直面していくことが考えられます。しかし、主の言葉は決して滅びません。100年後、200年後にも礼拝が守られ、福音の喜びが語られていることを思い描きながら、牧師として歩んでいきます。共に御言葉にぶつかり、生かされてまいりましょう。

デイビッド・ネルソン(日本福音ルーテル宮崎教会・鹿児島教会牧師)

私はアメリカ国籍、母国語は英語です。しかし、日本で生まれ育って、幼児洗礼は浜松教会、堅信礼は札幌北教会、結婚式は東京の本郷教会。胎内の時からJELCと深いつながりを持っています。本郷教会の学生センターでボランティアする機会が与えられ、難しい時代にめげずに献身的な宣教の働きをする日本の牧師先生方の姿に感動し、尊敬します。50代に会社を早期退職した後、第二の人生において本郷学生センターで伝道師をしながら日本ルーテル神学校に入学しました。戸惑いはありましたが神学校の校長先生は私の話を聞き、「あなたがJELCの牧師になりたい気持ちは自然なものだと感じる。」と励ましてくれました。志や迷いを出来るだけ正直に沢山の面接で語り、5年間をかけ、多くの人に助けられて卒業、按手に至りました。JELCにはいいものがあると思います。日本のキリスト教会には、ルーテルというスパイスに意味があります。世界のキリスト教会に日本のキリスト教というスパイスに意味があります。スパイスは少量でもインパクトは大きいです。今までは信徒として、これからは牧師として、JELCとのつながりを大事にしながら、福音を宣べ伝え、宣教をしたいと思います。

三浦慎里子(日本福音ルーテルみのり教会・岡崎教会牧師)

4月から牧師として宣教の場へと遣わされることになりました三浦慎里子と申します。多くの方に祈り支えていただき、無事に神学校での学びを終え、切磋琢磨した同級生たちと共に按手を受けることができました。皆様の多大なるご支援に心より感謝申し上げます。
 3月下旬に、任地となる愛知県豊橋市へ引っ越しました。転入手続きの後、市役所の展望ロビーから豊橋市内を見渡すと、悠々と流れる豊川や街中を路面電車が走っているのが見え、故郷熊本の街と雰囲気が似ていて親近感が湧きました。豊橋市、田原市、岡崎市に礼拝堂があるため、今後は移動が多くなります。それぞれの土地の良いところを発見しながら、少しずつなじんでいくのが楽しみです。牧師として生きるということは大変なこともあるかもしれません。しかし今までもそうだったように、時に悩んだり立ち止まったりしながらも、神様が遣わしてくださった場所で与えられる出会いや経験の一つ一つを大切にして歩むことは変わらないでしょう。神様に導かれ、今、宣教のスタートラインに立たせていただけていることを感謝します。どうぞよろしくお願いいたします。

JELAインド・ワークキャンプ
大学生12名がインドで義足作りのボランティア

星崎ポール(公益財団法人JELA職員)

 公益財団法人JELAが主催する「JELAインド・ワークキャンプ」が2024年2月12日から11日間の日程で開催されました。同キャンプはJELAが2001年から主催する海外派遣型ボランティアワークキャンプで、神様の愛をもって社会と人に仕える方々の育成を目的としています。今回のインド・ワークキャンプには、ルーテル学院大学に通う学生をはじめ全国各地から19歳〜22歳までの大学生12名が参加し、インド、マハラシュトラ州のジャムケッドにある医療福祉施設「Comprehensive Rural Health Project︵以下、CRHP)」において、義足作りを中心としたワークを行いました。
 インドの農村地域は一般的に医療アクセスが悪く、また、経済的な事情から、治療が間に合わずに交通事故や病気で足を失う方が非常に多くいます。義足は高価で、特に貧困地域では入手や交換が大変難しいのが現状です。今回のキャンプでは、JELAが義足の材料費を負担し、12名の参加者が現地に赴き懸命に作業したことで、52本の義足が贈呈されました。また、義足作り以外にも、CRHPの施設内に併設されたプレスクール(小学校入学前の児童教育施設)の壁の塗り替え作業や児童との交流、施設内の食料として野菜や果物を栽培する菜園の草抜きや苗植えなどのワークも行われました。
 さらにその日の経験や感じた事を聖書の御言葉を通して振り返り、分かち合う「ディボーション」も毎日行われ、キャンプチャプレンとして同行した日本福音ルーテル合志教会・水俣教会の多田哲牧師がリードして下さいました。共に御言葉を読み、その日のワークや体験で感じたことの分かち合いや多田牧師による説教を通して、自身がキャンプで感じたことや考えたことを神様の視点から捉えなおす時間が持たれました。今回は教会や聖書になじみのない参加者が多かったため難しさもありましたが、ある参加者からは「初めて聖書の言葉に触れたので、興味をもって自分でも調べてみたい」というフィードバックもありました。普段から一人一人に寄り添い、導いて下さる神様の存在やその恵みをキャンプの経験や御言葉から感じ、いつの日か信仰が与えられ教会につながるきっかけになることを祈ります。

24-04-01るうてる2024年04月号

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「見ないのに信じる人は、幸いである」

日本福音ルーテル教会引退教職 野口勝彦

「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネによる福音書20・29)

  「青いお空の底ふかく、海の小石のそのように、夜がくるまで沈んでる、昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。」(『童謡詩人 金子みすゞ いのちとこころの宇宙』JULA出版局)

 この詩は、私の初任地の一つである二日市教会で、最初の説教を始める直前に起きた福岡県西方沖地震の日に、説教の中でお話した童謡詩人、金子みすゞの「星とたんぽぽ」という詩の一節です。
 彼女は、自分の愛娘ふさえを夫の手から守るため「ふさえを心豊かに育てたい。だから、母ミチにあずけてほしい」との遺書を残して、自らの命を絶ちました。そして、その命を絶つ前日に自分の写真を写真館で撮りました。その写真には、明日、自ら命を絶つという悲壮感や絶望感は見られません。そこには、娘ふさえが、自分が記した遺書のように「心豊かに育ってほしい」という願いと希望が溢れています。
 また、1988年10月9日、55歳の若さでがんにより天に召された国際派ニュースキャスターの山川千秋さんが、ご自分の愛妻穆子(きょうこ)さんに残された遺書の最後で「すべてを主にゆだね、二人の息子を信じてたくましく生きてください。あなたなら、それをやってくれる。なにより、三人には、主の愛の衣があるではないか。感謝と、はげましと、愛をこめて」(『死は終りではない: 山川千秋・ガンとの闘い180日』文藝春秋)とつづられた中には、自分の死を目前に見つめながらも、その死への不安と恐怖はみられません。そこには、ただ、主への信頼と感謝、また、妻への信頼と感謝のみです。
 この二人に対し、このみ言葉に登場する「ディディモと呼ばれるトマス」のその姿は、全く対照的です。トマスは、「ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言う」言葉を聞くと、即座に「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言うのです。
 しかし、トマスも実際に、イエスさまが自分たちの「真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われ」、「それから、トマスに」、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われると、即座に「わたしの主、わたしの神よ」と信仰を告白します。
 「聖トマスの不信」という題のカラヴァッジオの絵画の中での彼は、実際にイエスさまの釘跡に指を入れてその傷を確かめていますが、このみ言葉の中のトマスは違います。彼も、本当はイエスさまを他の誰よりも強く求め、会いたいと心の底から思っていたのでしょう。
 イエスさまは、そのトマスの信仰告白に対し「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と言われます。
 このトマスの姿に出会う時、私たちは自分自身の姿をそこに見ることはないでしょうか。自分の目で、耳で、手で、イエスさまを確かめることができない時、自身の信仰に自分の感覚を通して実感が持てない時、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ」とトマスのように言ってはいないでしょうか。また、心の中で密かに思っていることはないでしょうか。そんな時、イエスさまが、このトマスのように私たち一人一人の前に現れて「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と言われるのです。
 「幸い」、それは、「神からの力を得る」ことです。それは、すべての不安や恐怖から解放された至福の状態に至ることです。そして、それこそが信仰を、救いを得ることなのです。
 イエスさまは、全ての人にその信仰を、救いを得てほしいと、復活された今、私たち一人一人に直接、語りかけてくださっているのです。
 冒頭の詩は次のように結ばれます。
 「散ってすがれたたんぽぽの、瓦のすきに、だァまって、春のくるまでかくれてる、つよいその根は眼にみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。」(『童謡詩人 金子みすゞ いのちとこころの宇宙』JULA出版局)

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊾「つながり」

「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」(ヨハネによる福音書15・4)

 「一度もお会いしたことないのに二人は大切な存在同士になってて不思議ですよね。」
 その方とのメールの交流は昨年の5月から毎日続いております。メールの最後には必ず「お祈りしております。」と付け加えます。そうすると不思議と祈っているのは私一人ではないと思うし私が祈っている相手の方も一人ではなくイエス様がその方と一緒にいてくださると思えます。

 「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイによる福音書18・20)
 ずっとこのみ言葉は、例え私が一人で祈っているのだと思ってもイエス様が共にいてくださり一人ではないんだな、イエス様と私で二人だもんと思っていました。でもそれだけではなかったことに今気づき感激しています。
 祈りには距離は関係ありません。ましてや相手の容姿や国や身分も関係なくただあるのはイエス様が中にいてくださることだけです。
 一度もお会いしていないのに毎日メールで言葉を交わしているだけなのに親しいと思えるのはイエス様が二人の中にいらっしゃるからなのかしら、と思うとき祈りでつながるお一人お一人の中には確かに顔は知らないけど祈っている方もおられるなと思い出しました。
 すごいですよね全く意識もしてなかったような人も祈りの対象になった途端イエス様が中にいてくださることを思い出し親しくできるなんて。
 「お祈りしております。」という言葉って呪文でもなんでもなくて「あなたは大切な人です。」って神様が言われていることを伝えるお手伝いの一つなのかな。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑪

日本福音ルーテル 聖パウロ教会 宇野仰(日本福音ルーテル聖パウロ教会書記)

 東京スカイツリーから総武線を挟んだ反対の南側にある聖パウロ教会は、1923年に関東大震災の罹災者救援の施設「ホーム」として開設されたベタニヤホームがそのルーツとなっています。この地域は1945年にも東京大空襲で壊滅的な被害を受けました。その後「ホーム」の礼拝から本所伝道所が生まれ、1955年に聖パウロ教会と命名され、ベタニヤホームに隣接した教会堂が建てられて現在に至っています。
 来年の2025年に70周年を迎えますが、私たちの教会では、会堂の老朽化と会員の高齢化という課題を抱えています。具体的な方策を検討していくためにも、ベタニヤホームとの協働、地域への働きかけを更に進めてゆく必要を感じています。
 聖日ごとに子ども礼拝、主日礼拝が問題なく執り行われてきた当たり前の日常が、諸般の問題によって、変化を余儀なくされてきました。単に礼拝に出席するという姿勢からさらに踏み込んで、教会員一人ひとりが意識して、今後の教会運営をどうしてゆくかを考える必要性が高まってきました。役員会では共同牧会も視野に入れて話し合いが行われており、総武地区の諸教会とも緊密な関係を築いていく必要性を感じています。
 幸いなことに年間を通じて新来会者も少なからずありますので、新しい方を迎え入れる手段の一つとして教会員が積極的に声をかける姿も目立ってきました。
 聖パウロ教会はCOVID―19で教会員が会堂に足を運ぶことが困難だった時に、いち早く環境を整え、教会員の各家庭とインターネットを通してのZoom礼拝を守ってきました。そしてそれはコロナの影響が減少した現在でも続いており、また毎週水曜日に行われる聖書会は、午前中は教会で、夜はZoomを使って、各家庭と結ばれわかちあいの時をもっています。
 特に東京の下町と呼ばれる地域では防災など、緊急事態が起こった時に近隣との連携はなくてはならないものになるでしょう。さまざまな問題を抱えるこの世界の中で、与えられたこの場所において主のみ言葉が正しく宣べ伝えられることを祈ってやみません。

小城ルーテルこども園
牧野惠子(小城ルーテルこども園 園長)

 私たちは、9年前に、幼稚園から認定こども園へとかたちを変えました。小城の地に1909年、宣教師C.K.リッパード氏により幼児教育の灯が灯されました。九州における幼児教育の先駆けであり、ルーテルでは佐賀幼稚園に次ぐ歴史です。幼子たちと共に神の恵みの内にバトンを受け継ぎ創立115年目を迎えています。本年3月までに送りだす卒園生の数は5529名です。ある卒園生が提案して始まった「幸せのクリスマスの灯り」は、毎年、地域の方や園児、卒園生が家族で楽しみに待っている行事です。その夜は卒園生によるページェントを含むクリスマス礼拝をした後、参加者皆で、園庭に並んだ5000本のろうそくに火を灯していきます。みんなの心が温まるひと時です。
 園庭には、宣教師が母国の木を植樹したであろうユリノキが園のシンボルツリーとして大きく枝を伸ばしています。夏には木陰を作り、子どもたちの泥んこ遊びを見守り、秋には色づいた葉や木の実を落とし、子どもたちの宝物となっています。100年前と変わらず、春にはかわいい小さな葉が芽吹き、100年前と変わらず神様の変わらぬ恵みを感じる嬉しい時です。
 今年の卒園児が年少の時から始めたSDGs活動が、「どんぐり銀行」です。皆でどんぐりを集め、どんぐり銀行に預けると、森にどんぐりの木が増え、おなかをすかせた動物のためになることを知って、各家庭からも沢山のどんぐりが集まりました。ゾウムシの幼虫に出会ったりしながら、きれいなどんぐりの仕分けをして数えたところ、今年は1550個。100どんぐりを銀行口座から払い戻し、どんぐりの苗木1本を四国の森林に植えました。神様が良いものとして造ってくださった全ての命が光り輝きますようにと、子ども達と願い祈っていきたいと思います。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

 2021年、日本ルーテル教団(以下NRK)はこれまで男性のみに限っていた按手を女性にも授けることを決議し、同年2名の女性に按手を授け、初の女性牧師が誕生しました。その一人が梁熙梅(ヤン・ヒメ)牧師(NRK副議長・鵠沼めぐみルーテル教会牧師)です。LWFホームページに紹介されましたので一部抄訳を掲載します。

ご自身のことを教えてください。
 私は韓国出身で仏教徒の家庭に生まれ育ちました。高校卒業後ファッションデザイナーになろうと1989年に来日しました。来日直前に韓国の福音派の教会で洗礼を受けました。

神学はどこで学び、どんな感化を受けましたか。
 ファッションデザインを学ぶために来日し、そのために準備をしていた1990年の春、朝の祈祷会でのことでした。「あなたの内面を覆う服がない」と胸に響く声を聞いたのです。そのとき、服飾へのあこがれはあったのですが、自分の内面が裸だったと気づいたのです。長年の夢をあきらめるべきか、それとも神学の道に進むべきか悩みました。
 そこで1年間の祈りのときをもつために立教大学のキリスト教学科に入学しました。日本の人たちと生活を共にし、神様の言葉を伝えたいという気持ちが高まって、1992年に日本ルーテル神学大学神学科に入学し、4年間学びました。これがルーテル教会との出会いとなってやがてNRKの信徒となりました。またこの時期に結婚をし、母親となりました。

按手までの道のりを教えてください。
 ルーテル神学大学を卒業後、日本ルーテル神学校に進もうとしましたが、NRKでは女性は牧師になれないと聞かされ、神学校へ進めませんでした。けれども北海道の深川めぐみ教会で特別奉仕者として働く道が開かれました。それから2002年の総会で執事職制度が認定されたことを受けて、2003年の4月に日本ルーテル神学校に入学できました。神学校を卒業してから大宮シオン教会に派遣されて執事の按手を受け、14年間勤めました。執事職ではありましたが、牧師と同じ務めを任ぜられ、説教をはじめ聖餐式や洗礼式の執行も担いました。

女性牧師そして副議長という立場から何か思うところはありますか。
 私が牧師の按手を受けたのは2021年、当時の総会議長清水臣先生からでした。現在は神奈川県の戸塚教会の牧師です。牧師としての働きは執事の頃とさほど変わりません。けれども男性も女性も等しく堂々と職務ができることを嬉しく思います。
 NRKの副議長になってからは他の教会の事情を知るようになりました。教会がより広い視野に立ち本来あるべき姿として、福音の喜びと慰めを豊かに届けるにはどうすればよいか、それが私たちの課題です。

NRKがLWFにつながることの意義を聞かせてください。
 NRKの宣教母体は北米のルーテル教団ミズーリ・シノッド(以下LCMS)ですが、私たちは1999年にLWFの準加盟教会になりました。NRKは2021年に女性按手を決議し、そのことでLCMSはNRKとの関係を断つという決定を下しました。残念なことではあるのですが、新しい始まりがここにあると思っています。

改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)

2024年第38回外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会(外キ協)全国協議会報告

 「寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。」(レビ記19・33〜34a節)
 2024年1月25日~26日、広島市にある日本バプテスト広島キリスト教会にて「2024年第38回外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会(外キ協)全国協議会」が開催されました。日本福音ルーテル教会は2019年から加盟しています。「外キ協」は外国人登録証への指紋押なつ拒否運動から始まり、現在は外国人住民基本法の制定と人種差別撤廃法の実現を目指しています。
 1955年、法務省は外国人を特定する手段として指紋押なつ制度を実施しました。当然のことながら、散発的に押なつを拒否する抵抗運動がありました。1980年代からは「外国人の品位を傷つける取り扱い」だとして大衆的拒否運動へと発展します。そして外国人のみならず、外国人に指紋押なつを強制する外登法を無関心のまま維持させてきたのは日本国民であるという当事者意識に基づいて指紋押なつ拒否運動に参加する日本人が増えていきます。全国で150を数える草の根運動体の多くが教会を中心に自発的に作られました。各地域での教会の取り組みによって、1984年に「関西外キ連」と「京滋外キ連」、1985年に「関西代表者会議」、1986年に「関東外キ連」が組織され、1987年には全国レベルの「外キ協」結成に至ります。
 運動のかいあって、1985年に日弁連で外国人登録証の改正措置の要求が決議され、マスコミも肯定的であり、1993年に永住者のみ制度廃止、2000年4月に指紋押なつ制度は全廃されます。
 戦後9割以上を在日コリアンが占めていたため、日本政府への在日コリアンによる要求という印象もありましたが、当然「外国人」にはカトリック教会の神父や宣教師も含まれています。事実、1980年代に在留更新を不許可とされた指紋押なつ拒否者22人の内、ほとんどが宣教師であったと在日韓国人問題研究所の調査で数えられています。
 1月1日に起きた能登半島地震災害時の石川県在住外国人は18302名ですが、テレビの報道に外国人の姿はなく被災状況を心配しています。行政の被災者支援に外国人が排除されることのないよう祈っています。

引退牧師挨拶

 野口勝彦
 「何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(コヘレトの言葉3・1)このみ言葉に従い、3月末をもって引退させていただきました。これまでお支え、お祈りしていただいた皆様、そして、神さまに心から感謝いたします。
 私は1997年のクリスマスに挙母教会で明比輝代彦牧師から受洗しました。2001年4月に神学校に入学し、蒲田教会、保谷教会、むさしの教会で教会実習を、熊本教会で小嶋三義牧師の下、宣教研修をさせていただき、2005年3月に卒業・牧師按手を受け、二日市教会・福岡西教会に派遣されました。
 牧師として初めての主日礼拝での説教直前(3月20日午前10時53分)に福岡県西方沖地震が発生し、翌週のイースター礼拝が牧会最後となられた園田剛牧師と洗礼式を共にしました。その後、佐賀県の牛津幼稚園(現・牛津ルーテルこども園)を兼務し、東日本大震災ルーテル教会救援「となりびと」を経て、長野教会・松本教会、みのり教会・岡崎教会での牧会と、神さまの恵みに満ちた19年間でした。
 コロナ下では4名の受洗者が与えられ、先月31日のイースター礼拝では、初任地での二日市教会と同様に新卒の三浦慎里子牧師と共に親子の洗礼式を行うことができ、最後の日まで神さまの祝福にあずかることができ感謝です。

ブラウンシュバイク・ボランティア紹介

 私は「喜望の家」でボランティア活動をするドイツの実習生、Jan Glaser(ヤン・グラーザ)です。2004年にSalzgitter(ザルツギッター)という都市に生まれ、来日の前にずっとそこで住んでいきました。
 ドイツの教会の団体の提供で去年の10月に、初めて日本に来ました。今年の8月まで活動を続ける予定です。
 小さい頃、アニメをはじめさまざまな日本の創作品に触れて日本への興味が湧いてきました。そこで、「ドイツと比べて、日本はどのような国かな」と考えていて、ネットで調べてみたところ、さらに好奇心をそそられました。とりわけ、アニメで取り上げた話題の多様性(子ども向けだけではない)とか一般的に清潔や丁寧さを心がけることとかに感動しました。それをきっかけに「いつか日本に行きたい!」と思い続いてきました。
 2019年の春休みの退屈をまぎらわすように自力で日本語を勉強し始めました。それによって、日本の作品をもっと深く理解しようと思っていました。そのうち、アニメや漫画にとどまらず文芸や伝統的な文化にも見惚れました。その上、ドイツの私にとって当たり前ではないことだらけの日本の日常生活を体験するため、旅行より長い間日本に住むことを決意しました。
 その「長い間」は今です。私を見守ってくれる人に、そして神様に心より感謝しながら、日本で経験と友達いっぱいの日々を送っているようにと祈ります。

山内量平探訪記④

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

  植村正久牧師と婚約した季野は明治15年、家族への伝道の意欲をもって南部(みなべ)に帰郷しました。ちょうどその前年から、カンバーランド長老教会の宣教師・ヘール兄弟が、大阪を拠点に和歌山県にも伝道を始めていました。このヘール宣教師が、後に量平やその一族に洗礼を授けます。(以後、兄弟を区別せずにヘール宣教師と書くことにします。)
 さて私の山内先生を偲ぶ旅では、南部、田辺、新宮の3つの町を周りました。南部は量平の出身地、田辺は彼が信徒伝道者として活動した町、新宮は彼の同労者・大石余平の出身地です。南部では町立図書館、海岸、勝専寺、法伝寺を周り、熊野古道を少し歩きました。
 南部は静かな町で、方々に梅の果樹園がありました。山内家跡地の手がかりがなかったので、季野が後に娘の植村環牧師に「それはそれは綺麗な景色で、美しい貝拾いもできて」と回想していたという海岸に行き、高い防潮堤の上を歩いて眺めました。
 勝専寺は、量平の甥の志場了般が住職を退職した寺です。実は彼は、量平よりも早くヘール宣教師に会っているのです。それは、叔母の季野がキリスト者になって、周囲に積極的に伝道を始めたことを残念に思い、論破するために宣教師に近づいたのでした。結局、数年後に了般と弟の了達は寺を出て明治学院神学部に入学しました。了般は病死しましたが、了達は後の神学者・田中達です。

2024年度日本福音ルーテル教会人事

 第30期第4回常議員会において以下の通り人事が承認されましたのでご報告いたします。

〈退職〉
(2023年6月12日付)
永吉穂高(退職)
(2024年3月31日付)
竹田孝一 (定年引退)
岡村博雅 (定年引退)
野口勝彦 (退職)
関野和寛 (退職)

〈新任〉
笠井春子
河田礼生
デイビッド・ネルソン
三浦慎里子

〈人事異動〉
(2024年4月1日付)

【北海道特別教区】
河田礼生
 恵み野教会(主任)
 函館教会(兼任)

【東教区】
小澤周平
 津田沼教会(兼任)
永吉秀人
 東京池袋教会(主任)
森田哲史
 大森教会(主任)
市原悠史
 蒲田教会(主任)
 横須賀教会(兼任)
河田優
 横浜教会(兼任)
松岡俊一郎
 湯河原教会(兼任)
佐藤和宏
 小田原教会(兼任)
秋久潤
 松本教会(主任)
 長野教会(兼任)

【東海教区】
笠井春子
 小鹿教会(主任)
 清水教会(兼任)
渡邉克博
 新霊山教会(兼任)
光延博
 沼津教会(兼任)
徳弘浩隆
 浜名教会(兼任)
三浦慎里子
 みのり教会(主任)
 岡崎教会(兼任)

【西教区】
該当なし

【九州教区】
森下真帆
 八幡教会(兼任)
 門司教会(兼任)
中島和喜
 大江教会(主任)
デイビッド・ネルソン
 宮崎教会(主任)
 鹿児島教会(兼任)
第49期教区常議員
 二日市教会(兼任)
 甘木教会(兼任)
 阿久根教会(兼任)

〈出向〉
(2024年4月1日付)
野口和音
 九州ルーテル学院(チャプレン)

〈J3プログラム退任〉
(2024年3月31日付)
Jensen-Reinke Hannnah
ルーテル学院中学・高等学校

〈任用変更〉
岩切雄太
一般任用から嘱託任用へ

〈休職〉
(2024年2月14日付)
富島裕史

〈牧会委嘱〉(2024年4月1日付/1年間)
德野昌博   仙台教会
小山茂    板橋教会
大宮陸孝  賀茂川教会
乾和雄   神戸東教会
白髭義   二日市教会
竹田孝一   甘木教会
黄大衛    長崎教会

第30期第4回常議員会報告

李明生(日本福音ルーテル教会事務局長・日本福音ルーテルむさしの教会牧師)

 2月19日、日本福音ルーテル教会常議員会がオンライン(Zoom)によって開催されました。以下、主な事項について報告いたします。

・2024年度教職人事の件
 人事委員会提案の2024年度教職人事が承認されました。また新たに任用された4名の紹介がなされました。

・2023年度補正予算・決算報告の件
 市吉会計より、説明が行われ、承認されました。各教会はCOVID―19以後厳しい会計状況が続いています。公益会計全体としては事務局教職の教会兼任などにより、収益会計からの繰入無しでの決算となりました。収益会計は徐々に回復しつつありますが、今後予定される設備更新に向けての対応が必要となっています。

・2024年実行予算、2025年〜2026年度当初予算の件
 2023年11月に行われた第3回常議員会にて2024年度より協力金を10%に戻すことが承認されたことを踏まえ、荒井財務担当常議員より標記の件が提案され、承認されました。なお報告事項において、財務委員会より今後10年の財務見通しについて報告がなされました。公益会計・基金会計・収益会計は密接に関りをもっており、長期的にいずれの会計も健全性を担保していく必要があることが共有されました。

・方策実行委員会「『教職の働き方』に関する協議メモ」の報告
 報告事項において、方策実行委員会より、現在検討中の「『教職の働き方』に関する協議メモ」について報告がなされました。日本社会での「育児・介護休業」を巡る法制度が近年大きく変化したことを踏まえて、現行の日本福音ルーテル教会の規定を改正する必要があること、またその際には特に休業中の収入の確保の方法が大きな課題となるため、雇用保険への加入を検討する必要があることなどについて現在協議中であることが報告されました。教職者の働きは自身の召命と献身に基づくものであることを確認しつつ、教職の働く環境を守り、教会を適切に運営してゆくために必要な規定を整えることについて、教会の理解を得ながら進めてゆく方針について共有がなされました。

・次回常議員会開催日程の件
 次回常議員会は6月10日〜12日、対面で開催されることが承認されました。COVID―19下で普及したオンライン会議の費用・時間面でのメリットを生かしつつ、今後必要に応じて対面開催と組み合わせてゆくこととなります。

 その他の報告・議事等の詳細につきましては、各教会へ配信されました常議員会議事録にてご確認ください。

5年ぶりのアメリカ中高生
キャンプが再開決定

JELAアメリカ・ワークキャンプ2024募集要項
◆日程
2024年7月19日(金)~7月30日(火)
◆対象
2024年7月1日時点の年齢が14歳~20歳で、渡航やキャンプ参加に支障のない健康状態の方。
◆主題聖句
ローマの信徒への手紙12・2 
◆テーマ
Influencer(インフルエンサー)
◆内容
アメリカの宣教団体「Group Mission Trips」が、米国ミシガン州で開催する1週間のワークキャンプ(家屋修繕、聖書の学び等を通して参加者の信仰的・人間的成長を促す催し)に参加。
◆参加費
25万円(渡航費、滞在費を含む。)
※パスポート・ビザ取得費や海外旅行保険料などは別途個人負担。
◆応募方法
記載のQRコードまたはインターネット検索から、弊財団のWEBページにアクセスの上、
募集要項に従ってお申し込み下さい。
◆応募締切
2024年4月30日(火) 必着
◆問い合わせ
〒150―0013
東京都渋谷区恵比寿
1―20―26
一般財団法人JELA
アメリカ・ワークキャンプ係
◆電話
03―3447―1521
◆メール
jela@jela.or.jp

24-04-01「見ないのに信じる人は、幸いである」

「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネによる福音書20・29)

 「青いお空の底ふかく、海の小石のそのように、夜がくるまで沈んでる、昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。」(『童謡詩人 金子みすゞ いのちとこころの宇宙』JULA出版局)

 この詩は、私の初任地の一つである二日市教会で、最初の説教を始める直前に起きた福岡県西方沖地震の日に、説教の中でお話した童謡詩人、金子みすゞの「星とたんぽぽ」という詩の一節です。
 彼女は、自分の愛娘ふさえを夫の手から守るため「ふさえを心豊かに育てたい。だから、母ミチにあずけてほしい」との遺書を残して、自らの命を絶ちました。そして、その命を絶つ前日に自分の写真を写真館で撮りました。その写真には、明日、自ら命を絶つという悲壮感や絶望感は見られません。そこには、娘ふさえが、自分が記した遺書のように「心豊かに育ってほしい」という願いと希望が溢れています。
 また、1988年10月9日、55歳の若さでがんにより天に召された国際派ニュースキャスターの山川千秋さんが、ご自分の愛妻穆子(きょうこ)さんに残された遺書の最後で「すべてを主にゆだね、二人の息子を信じてたくましく生きてください。あなたなら、それをやってくれる。なにより、三人には、主の愛の衣があるではないか。感謝と、はげましと、愛をこめて」(『死は終りではない: 山川千秋・ガンとの闘い180日』文藝春秋)とつづられた中には、自分の死を目前に見つめながらも、その死への不安と恐怖はみられません。そこには、ただ、主への信頼と感謝、また、妻への信頼と感謝のみです。
 この二人に対し、このみ言葉に登場する「ディディモと呼ばれるトマス」のその姿は、全く対照的です。トマスは、「ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言う」言葉を聞くと、即座に「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言うのです。
 しかし、トマスも実際に、イエスさまが自分たちの「真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われ」、「それから、トマスに」、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われると、即座に「わたしの主、わたしの神よ」と信仰を告白します。
 「聖トマスの不信」という題のカラヴァッジオの絵画の中での彼は、実際にイエスさまの釘跡に指を入れてその傷を確かめていますが、このみ言葉の中のトマスは違います。彼も、本当はイエスさまを他の誰よりも強く求め、会いたいと心の底から思っていたのでしょう。
 イエスさまは、そのトマスの信仰告白に対し「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と言われます。
 このトマスの姿に出会う時、私たちは自分自身の姿をそこに見ることはないでしょうか。自分の目で、耳で、手で、イエスさまを確かめることができない時、自身の信仰に自分の感覚を通して実感が持てない時、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ」とトマスのように言ってはいないでしょうか。また、心の中で密かに思っていることはないでしょうか。そんな時、イエスさまが、このトマスのように私たち一人一人の前に現れて「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と言われるのです。
 「幸い」、それは、「神からの力を得る」ことです。それは、すべての不安や恐怖から解放された至福の状態に至ることです。そして、それこそが信仰を、救いを得ることなのです。
 イエスさまは、全ての人にその信仰を、救いを得てほしいと、復活された今、私たち一人一人に直接、語りかけてくださっているのです。
 冒頭の詩は次のように結ばれます。
 「散ってすがれたたんぽぽの、瓦のすきに、だァまって、春のくるまでかくれてる、つよいその根は眼にみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。」(『童謡詩人 金子みすゞ いのちとこころの宇宙』JULA出版局)

「聖トマスの不信」  カラヴァッジョ作・1601年頃・油絵・サンスーシ絵画館

24-03-01「私の命は主の中に隠されている」

「あの方は復活なさって、ここにはおられない。」(マルコによる福音書16・6)

  「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」という天使の「ここにはおられない。」という言葉に耳を傾けたいのです。「ここ」とは、すべての終わりの死が支配する墓です。
 ルターは次のように言います。
 「死の支配する地上でキリストを捜すべきではありません。キリストを見、キリストをつかみ、キリストに向かって歩むには、違った目と指と足が必要です。主の納められていた場所を示しましょう。しかし、主はもうそこにはおられません。…(中略)…そこで今や主の御名は、『もうここにはおられない。』と言われます。…(中略)…キリストはもうこの世におられません。ですから、キリスト者もこの世にいるべきではありません。だれもキリストを地上に縛り付けることはできず、またキリスト者を何かの規則で縛ることもできません。『もうここにはいない』のです。 主は、地上の正義、信仰深さ、知恵、律法など、この世に属するあらゆる殻を捨て去りました。完全に脱ぎ捨てられました。ですから、地上に現れるものの中に主を求めてはなりません。それらは殻にすぎず、殻は二度用いられることはないのです。…(中略)…あなたの命は隠されています。しかし、何かの箱の中にではありません。見つけられてしまうかもしれないからです。あなたの命は地上のどこにもおられない主の中に隠されているのです。」(『マルティン・ルター日々のみことば』マルティン・ルター著・鍋谷尭爾編訳・いのちのことば社より)
 マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは死者を求めていきました。「週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。」しかし、自分たちが慕う主イエスの亡きがらがない。死はなかった。命が隠されていた。
 私たちは、不条理な死に向かって生きています。しかし、死がどのようなものであれ、キリストが死を、十字架の死をもって引き受け、死に勝利したのです。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」と言われたように死はなく、復活の命だけがある。新しい命にあふれているのです。
 「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」(マルコによる福音書16・7)
 弟子たちと共に生活をしたガリラヤに先立って復活されたイエスさまは行かれ、共にいてくだったように私たちの生活の場にも命にあふれた主・イエス・キリストが来られ、共にいてくださいます。命にあふれた主・イエス・キリストと共に生きるのが私たちなのです。
 「死は勝利にのみ込まれた。」(コリントの信徒への手紙一15・54)

「墓の前の3人のマリア」 ペーター・フォン・コルネリウス作・1815年頃・油絵・ノイエ・ピナコテーク蔵

24-03-01るうてる2024年03月号

機関紙PDF

「私の命は主の中に隠されている」

日本福音ルーテル大森教会牧師 竹田孝一

「あの方は復活なさって、ここにはおられない。」 (マルコによる福音書16・6)

 「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」という天使の「ここにはおられない。」という言葉に耳を傾けたいのです。「ここ」とは、すべての終わりの死が支配する墓です。
 ルターは次のように言います。
 「死の支配する地上でキリストを捜すべきではありません。キリストを見、キリストをつかみ、キリストに向かって歩むには、違った目と指と足が必要です。主の納められていた場所を示しましょう。しかし、主はもうそこにはおられません。…(中略)…そこで今や主の御名は、『もうここにはおられない。』と言われます。…(中略)…キリストはもうこの世におられません。ですから、キリスト者もこの世にいるべきではありません。だれもキリストを地上に縛り付けることはできず、またキリスト者を何かの規則で縛ることもできません。『もうここにはいない』のです。 主は、地上の正義、信仰深さ、知恵、律法など、この世に属するあらゆる殻を捨て去りました。完全に脱ぎ捨てられました。ですから、地上に現れるものの中に主を求めてはなりません。それらは殻にすぎず、殻は二度用いられることはないのです。…(中略)…あなたの命は隠されています。しかし、何かの箱の中にではありません。見つけられてしまうかもしれないからです。あなたの命は地上のどこにもおられない主の中に隠されているのです。」(『マルティン・ルター日々のみことば』マルティン・ルター著・鍋谷尭爾編訳・いのちのことば社より)
 マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは死者を求めていきました。「週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。」しかし、自分たちが慕う主イエスの亡きがらがない。死はなかった。命が隠されていた。
 私たちは、不条理な死に向かって生きています。しかし、死がどのようなものであれ、キリストが死を、十字架の死をもって引き受け、死に勝利したのです。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」と言われたように死はなく、復活の命だけがある。新しい命にあふれているのです。
 「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」(マルコによる福音書16・7)
 弟子たちと共に生活をしたガリラヤに先立って復活されたイエスさまは行かれ、共にいてくだったように私たちの生活の場にも命にあふれた主・イエス・キリストが来られ、共にいてくださいます。命にあふれた主・イエス・キリストと共に生きるのが私たちなのです。
 「死は勝利にのみ込まれた。」(コリントの信徒への手紙一15・54)

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊽「いつまで」

  「もうたくさんだ、いつまでも生きていたくない。/ほうっておいてください/わたしの一生は空しいのです。」(ヨブ記7・16)

 「こんなに長く続けていただけるとは思いませんでした。」
 その方はご自分が勤務を引退されるときこのように私に言われました。
 確かに私は急に進行性の病気が分かったため自分が働けなくなり勤務を自分が予定していたより早く退いた経験がありましたので、新しい仕事が始まるたび自分ではよく「いつまでできるか分かりませんがよろしくお願いします」と挨拶していました。
 しかし、いざ人から「こんなに長く続けていただけるとは思いませんでした。」と言われるとドキッとしました。
 「いつまで」も「いつから」も「いつ」も私たちには分からないことがたくさんあるのに、いつの間にか忘れることが多いような気がします。
 「年を取ったらわかるよ」と良く言われます。でも年を取れるのかな?とかいつまで生きられるのかしら?とか考え出すときりがありません。
 なんで生まれてきたのだろう。こんな人生要らなかったよ。と嘆く方がいます。自分が思い描いていた人生は送れず思いがけないことが次々と起こり辛い思いしかない。私もそのような思いを描くときもあります。誰が答えてくれるのか?
 誰もいない。そんな絶望感いっぱいでどうしようもないときでも、あなたは一人ではありません。「こんなところ私しか居るはずない」と思うところでも、思うときでも神様は居られます。あなたがいるから。

改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)

小泉 あゆみの家は、私がまだ行ったことのない施設のひとつです。今回はその、まだ見ぬあゆみの家のスタッフの秋田明子さんにお話しを伺うことが出来ました。
 ジョン・ボーマン宣教師が心血を注いで設立なさったあゆみの家は、今ではたくさんの施設群となったと伺いました。いくつの施設があって、何人くらいの利用者さんがおられるのですか?
秋田 自宅から通う通所施設1か所から始まったあゆみの家は今、通所施設3カ所、自宅から離れて泊まる入所施設、グループホーム7カ所、地域生活支援、西濃障がい者就業・生活支援センターがあり200名以上の方が利用されています。
小泉 秋田さんは、そのなかでどんな働きをなさっておられるのでしょうか?
秋田 パート職員として3事業所に所属しています。日中活動の支援員(週2日)、地域支援のヘルパー(週3日)、グループホームの世話人(週1日)。各事業所によって働き方が違って難しく、支援力の無さを感じ落ち込むこともありますが、利用者さんとの関わりには恵みがたくさんあり、長く働かせていただいています。
小泉 秋田さんがあゆみの家と出会われたきっかけを教えてください。
秋田 学生の頃に大垣で、障害がある方たちが地域で生活をするための活動をしていて、その中にいた人にあゆみを紹介して頂いて就職出来ました。
小泉 あゆみの家が、どんなことを大切になさってこられたのか、教えていただけますか?
秋田 神から愛され、かけがえのない個性を与えられている一人ひとりが、互いに尊重しあい、共に生き、共に学び、豊かな社会生活を送れる事を目指しています。
小泉 最近あった嬉しかったことを教えていただけますか?
秋田 コロナ禍で3年間色々な行事ができず、利用者の方はいっぱい我慢を強いられてきました。でも昨夏は入所施設の方々の日帰り旅行を実施でき、笑顔がいっぱいでした。秋には全事業所が一堂に集まるお祭りで盛り上がりました。楽しかったです。
小泉 最後に、大切にしている聖書の箇所があったら教えてください。
秋田 あゆみの家は「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたをあいしている」(イザヤ書43・4)です。私は「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」(フィリピの信徒への手紙4・4)を大切にしています。
小泉 ありがとうございました。あゆみの家を訪問できる機会を楽しみにしています。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑩

日本福音ルーテル小岩教会 内藤文子(日本福音ルーテル小岩教会牧師)

小岩教会は、戦前は本所教会(当時)の集会所として存在しました。本所教会の内海季秋牧師が当時ベタ二ヤホームで職員や母子寮の人々のために礼拝を始められそのベタ二ヤホームの宣教の一環として、小岩にあった牧師館において開始されました。
 礼拝と、託児所の働き。そしてそれが、現在の小岩教会とルーテル保育園へとつながっていったのです。託児所開設の初めには、子どもの使う椅子や机は、木のみかん箱に色紙を貼ったものでした。費用は一切無料でしたが、保護者の方からの願いで少額の保育料を頂くことになりました。戦争が始まると、若い女性たちも、軍需工場の働き手となる事を強制させられたことによって保育が不可欠になり、1941年「戦時託児所」になりました。そこでは、教会関係の女子青年たちが入れ代わり立ち代わり子どもたちの面倒を見ていたそうです。その一人の山本さん(現在108歳)は、1945年の東京大空襲で焼け野原となった本所の母子寮(墨田区)から、13人の母子たちを歩いて小岩の保育園まで引率しました。小岩地域の近所の方々と一緒にその方たちの看護をしたということです。戦前から地域に根ざし、地域の人たちと支え合ってきた教会と託児所は、戦後も救援物資の拠点となり活動をますます盛んにします。
 1962年には教会棟を新築し保育室も増築しました。時が経ち、2011年東日本大震災が起こり、老朽化の加速で、新築に向けた動きが始まります。解体後、2017年に教会と保育園が新築されました。1階保育室、2階礼拝堂・保育室、3階牧師館。新しい時代への教会の宣教と、地域の子どもたちへのキリスト教保育の実践、この2つの社会に向けての視野も広げ現在に至っています。
 コロナ禍を経て、教会、保育園とも、通常の活動、保育が戻ってきました。今年のクリスマスには2つのコンサートを行いました。保育園では「一時保育」の事業も始まり、喜ばれています。
 小岩教会は、保育事業を大切な地域への奉仕活動として、多くの教会員が携わってきました。主イエス様に託された働きとしてこれからも、御言葉の種がそこに育つことを祈りつつ歩んでまいりたいと願っています。

認定こども園神水幼稚園
牧野惠子(神水幼稚園園長)

 神水幼稚園は、熊本市中央区神水1―14―1という同じ敷地にルーテル法人会の3つの施設(宗教法人の神水教会、社会福祉法人の慈愛園、学校法人の幼稚園)と共にある、ルーテル教会にとっても貴重で恵まれた幼稚園だと思っています。
 1929年に北米一致ルーテル教会子供会の会長クロンク夫人の外国伝道を応援し、日本の子どもたちのための事業資金としての寄付を受け設立されました。クロンク夫人を記念して、設立当初はクロンク幼稚園と命名されました。また、日本で初めてのナースリー・スクールを併設した幼稚園として発足しています。
 設立は慈愛園設立の10年後で、慈愛園園長のモード・パウラス先生の慈愛園の子どもたちと地域の子どもを一緒に教育したいという思いで設立されたようです。
 初代園長は、妹のエーネ・パウラス先生でアメリカのコロンビア大学で幼児教育を勉強された宣教師でありながら園舎の設計もなさっています。設立前から、多くの女性宣教師が幼児教育に関わっておられ幼児期にこそキリスト教教育が重要であると認識されていたようです。その思いを歴代の園長をはじめ多くの先生がつなぎ続け、今があると思います。
 1941年、戦況が厳しくなる中、幼稚園名を神水幼稚園に改名したり、北米一致ルーテル教会からの援助が難しくなったことで、慈愛園後援会を立ち上げて自給態勢を強化するなど存続のための努力がなされました。
 1985年に社会福祉法人神水幼稚園から学校法人神水幼稚園へとなり、 2015年には認定こども園に移行し0歳児から就学までの子どもたちの保育教育にあたっています。
 少子化が進む中で、幸いにも定員210名を超える園児が通う園として存続しています。熊本市の中央に位置しながら広い土地と自然に恵まれた環境を備えてくださったパウラス先生を始めとした宣教師の方々に感謝します。
 数々の困難を乗り越えつないでこられたキリスト教保育の場をこれからもつないでいきたいと思います。共に働く人たちと共に、力を合わせより良い保育をめざして。キリストにつながって。幼子をキリストへ。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

キリスト教一致祈祷週間

 教会閉鎖、司祭や牧師の誘拐と殺害。そんな危機的状況下のなか、私の隣人は誰なのか。極度の暴力と抑圧のただ中で善いサマリア人のたとえ話は何を教えてくれるのか。それが今年のキリスト教一致祈祷週間 (Week of
Prayer for Christian Unity)のためにブルキナファソの教会が掲げたテーマです。
 西アフリカに位置するブルキナファソは、60ほどの異なる民族が共存するイスラム教徒が多数の国です。2016年以降、度重なるテロにより無法状態に陥り、3000人以上が命を落とし200万人近くが生活の場を失いました。教会をはじめ学校や保健所、庁舎が標的となり、地域によっては公の礼拝は禁止となりました。
 Churches Together in Britain and Ireland (CTBI)のピーター・コルウェル牧師は言います。「善いサマリア人のたとえは私たちの心を揺さぶり、絶えず癒やしと和解を追い求めていくべきというビジョンを示してくれます。」
 キリスト教一致祈祷週間では、ルーテル教会や他の諸教派教会が1月18日から25日にかけて祈祷会や礼拝などを企画します。世界教会協議会(WCC)とバチカン教会一致推進委員会が共同でこれを推進しています。2024年は、コルウェル牧師によれば「西洋のメディアに忘れられている西アフリカのひとつの国に目を向けました。」「度重なる軍事クーデターやムスリムの反乱による暴力で崩壊の危機に瀕しながらも、キリスト者が信仰の一致を保ち証しをしていくにはどうすべきかについて、感動的なお話を聞けました。司祭や牧師が襲われ、公に礼拝ができないところがあると知り胸が張り裂ける思いです。」
 「逆境に立たされた地域においてエキュメニズムは単なる追加オプションではなく、サバイバルのための道なのです。キリスト者が一つになって支え合い祈りあっていかなければ、福音の証しはできないのです。」「希望が見えないなかにありながら、彼らは希望を持ち続けています。クリスチャン、ムスリム、他の伝統宗教の代表者たちは益々協力しあって、平和と和解の道を模索しています。そうした姿から多くを学びます。違いを超えてつながっていかなければ、国として社会として未来が見えてこないのだと彼らは言います。」
 「善いサマリア人のたとえ話は分かっていると考えがちですが、馴染み深さ故にかえってそれが足かせとなり得ます。このたとえ話は深く掘り下げていけばいくほど、新たなチャレンジが湧いてきます。責任や実践の仕方を細分化することに熱心なあまり、他者を思いやるという中心テーマをないがしろにしがちになりますが、そうした見方に変化を与えてくれるのです。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

山内量平探訪記③

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

 山内量平がキリスト教に出会うことになったきっかけは、妹の季野が横浜のフェリス女学校に入ったことでした。
 みなべ町立図書館にあった町史には『植村季野と山内家の人々』という節があって、冒頭にこう書かれています。
 「植村季野は国学の本居宣長の四大弟子の一人と称された山内繁樹の孫娘として、安政五年(1858年)八月五日北道(紀州信用金庫南部支店の跡)で生まれた。父繁憲は、酒造業の傍ら国学ほか諸芸に通じ後に須賀神社の神官となる。季野は、幼少より文人に接し好学の志強く、国学は父繁憲、書画は富岡鉄斎から学び『秋華』と号した。明治十年(1877年)横浜に出て、ミッションスクールのフェリス女学校に入学、在学中キリスト教の信仰にはいり、明治十一、二年頃横浜海岸教会のジェームズ・バラより洗礼を受けた。」
 季野はフェリスでは漢学の教員を兼ねた学生だったようです。明治8年(1875年)の開校当初から加わっていたように読める資料もあるのですが、明治10年(1877年)としてもまだ10代でした。
 そして彼女は明治12年(1879年)に、後に明治最大のキリスト教指導者となる植村正久牧師と婚約しますが、家庭の許諾を得たいと、いったん帰郷することにしました。
 季野の思いは、家族に福音を伝えたいということだったのです。婚約者の植村牧師も、本を送って応援してくれました。この季野の帰郷が、実りを結ぶことになるのです。

『教会讃美歌』デジタル化について

小澤周平(日本福音ルーテル千葉教会牧師・典礼委員会委員)

 あなたの教会では、どんな賛美歌集を使っていますか?
 日本福音ルーテル教会は、1974年9月に、ルーテル諸派で力を合わせて『教会讃美歌』を発行しました。伝統的な賛美歌だけでなく教会暦や世界宣教にも意識を向けた選曲により、当時、時代の先端を行く賛美歌集として前向きな評価を頂きました。それから半世紀。2000年の小改訂を経て、今日、多くのルーテル教会では緑色の表紙の『教会讃美歌』(緑版)が使われていることと思います。
 ただ、現在、『教会讃美歌』は、版下の劣化などの理由から、近い将来に増刷できなくなってしまう危機にあります。しかも、時代の流れはデジタル化。そこで典礼委員会では、今後も『教会讃美歌』を保持することを考えて、さらに、将来的には掲載している賛美歌を他教派と共有していくことも視野に入れて、『教会讃美歌』のデジタル化を決定しました。昨春、ルーテル諸派の委員で構成される作業部会(賛美歌委員会)を立ち上げ、外部委託業者やサポーターの方々の協力を得ながら、改訂作業を開始しました。完成目標は来年。著作権などの課題もありますが、冊子体だけでなくデジタル版の出版も目指しています。
 今回の改訂では、デジタル化の利点を活かして、文字や音符を見やすくすることや、楽譜内の歌詞を増やすことなどの改善も行なっています。ページ数が増える見込みですが、冊子体では、より薄い用紙を使うことによって現在の緑版(2000年小改訂版)歌集と同様に使えるようにします。
 委員会では、共に主を賛美する喜びを想い、また、より豊かに礼拝の恵みを享受するための一助となれば幸いと願って、日々、作業に励んでおります。どうか、お祈りにお覚え頂けますと幸いです。

ブラウンシュバイク・ボランティア紹介①

タベア・メイ

 こんにちは、私はタベア・メイです。タベアと呼んでください。私は昨年9月に来日して、熊本に住んでいます。私はドイツ出身で、2004年にドレスデンで生まれました。その後、私はザルツギッターの小さな村に引っ越しました。そこで私はたくさんの趣味などに挑戦しました。日本に来ることが決まって、いっそう日本のコンテンツに触れるようになり、とても嬉しかったです。
 エキュメニカル・ラーニング財団のおかげでこれが可能になり、何度か他国に旅行したり、行ったり来たりした後、ようやく日本に行くことが許されました。正直、これまで熊本のことをあまり聞いたことがなかったのですが、熊本の街を見て、そしていま熊本に住んでみて、ここに来られてとても良かったと思っています。
 私は幼稚園で働いていますが、とても楽しいです。私もドイツの幼稚園でお手伝いをしましたが、ここの幼稚園は私がドイツで経験したものとは大きく異なります。また、この仕事を通じて日本文化について学ぶことができ、子どもたちと一緒に日本語を上達できることも嬉しいです。
 熊本の自然も大好きで、何度か旅行に行って自然を堪能することができました。例えば、阿蘇を何度か訪れたことがあります。
 私も熊本が好きで、小さな村から、大都市とは言わないまでも大きな街に引っ越したのはとても楽しい変化でした。
 また、たくさんの素敵な人々に出会うことができ、彼らの忍耐強く接していただいていることにとても感謝しています。私は基本的に新しいことに挑戦するのが大好きで、さまざまな趣味に挑戦してきました。ここでもっとたくさんのことを挑戦し、学び、経験することを楽しみにしています。特にパン作りと料理が大好きで、たくさん日本料理の作り方を学びたいと思っています。
 また、旅行をし、新しい場所や人と知り合っていくこともとても楽しみです。1年間の海外留学が終わったら、客室乗務員になって、これからも自分の情熱を追求し、多くの新しい場所を訪れたいと思っています。今年はもっと日本中を旅して、たくさんの美しい場所を訪れたいと思っています。
 どうぞよろしくお願いいたします。

引退教職挨拶

「神は愛である」 竹田孝一

 1978年4月、初任地別府教会で、代議員、別府平和園の園長であった加藤しず子先生の「先生には、この子たちに『神は愛して下さる』ということだけを全身全霊をもって伝えてほしい。あとは何も期待していない」という言葉をもって牧師生活が始まりました。この言葉が私の出発であり全てでした。
 1983年ブラジルへ、帰国後は「刈谷・元町」「小鹿・清水」「希望・名古屋・名東・復活」「大森」「羽村」の教会で、つまずき、つまずかせながら、「神は愛である」という伝道、牧会をしてきたつもりです。46年間の牧師生活を振り返るとき、この欠け多き私が神に愛されてここまでどうにか生きてきたと神に感謝し、この私を支えてくださった教会の方々、出会ったすべての人に感謝しています。
 牧師夫人として、別府教会の時から長年ついて来てくれた家内・久美子のおかげで、牧師をどうにか務め、引退できます。心から感謝しています。
大変化、大激動している厳しい世界であるからこそ「神は愛である」というみ言葉をご一緒に伝えていかれればと祈っております。

「引退を迎えて」  岡村博雅

 私は2013年に教職授任按手を受け、湯河原教会と小田原教会の2つの教会に11年間奉仕させていただいた。今、引退の時を迎えて安堵と感謝の思いでいっぱいになる。
 私学の教師として長く勤めた私は53歳のとき人生の大きな転機を経て日本ルーテル神学校へ導かれた。入学式の前日、イースターの朝に父が召された。突然、頼りにしていた父を失い、軽いうつ状態に陥り、回復に4年かかった。そんな中で始まった神学校生活はこれまでのこの世の価値観で作り上げてきたストラクチャーを壊すことが手始めだった。古いキャンバスを白く塗って、そこに新しい絵を描くようなそんな作業だったと思う。卒業には6年かかった。それは主のご計画のなかにあり、自分にとって必要な時でした。
 そして、私の初めての任地は湯河原教会と小田原教会だった。初めて説教壇に立った日のことを今でも覚えている。「主は今日、ここに私をつかわしてくださいました。これまでの全てはここに立つためでした」と、喜びと緊張でいっぱいだった。
 顧みて、いたらない私を召し、育て、遣わしてくださった主に、教職の仲間に、そしてなんと言っても信徒の皆さんに心から感謝します。失敗は数限りなく、主の恵みは山のようでした。

富島裕史

 今年の3月で退職することになりました。これまでを振り返ると、宣教研修でお世話になった博多教会のこと、初任地の黒崎教会・直方教会、津田沼教会、九州学院、静岡教会(音羽町礼拝所・ひかり礼拝所・静岡英和女学院の非常勤講師として1年)、そして最後になった宮崎教会と鹿児島教会・・・。牧師として過ごした日々が走馬灯のように思い出されます。
 「光陰矢の如し」といいますが、改めて時の流れの速さを実感しています。その時の流れの中で、私は確かに神さまの恵みのみ手を感じることができました。それは、私のような者を教会に招き、私のような者を牧師として召してくださった神さまの恵みのみ手です。
 この私には、神さまに愛される理由は何もありませんでした。なのに神さまは私を愛してくださいました。私がキリストのもとに導かれたのは、神さまの恵み、愛のゆえであったということができます。考えてみると、こんなにありがたいことはありませんでした。
 最後に、皆さまのお祈りと励ましの言葉に支えられていたことに感謝します。そして、これまで共に歩み、苦労を共にし、支えてくれた家族にも、この場をお借りして感謝したいと思います。ありがとう。そして、ごめんなさい。

キリスト教一致祈祷週間共同礼拝大阪で開催される

竹田大地(日本福音ルーテル天王寺教会牧師)

2024年1月25日(木)午後6時30分から、カトリック大阪高松大司教区のカトリック玉造教会(大阪カテドラル聖マリア大聖堂)の小礼拝堂で「キリスト教一致祈祷週間共同礼拝」が開催されました。
 この共同礼拝では、カトリックの司祭であり、諸宗教対話委員会のメンバーであるロッコ・ビビアーノ神父が音頭を取ってくださり開催しております。今年の共同礼拝は、カトリックより前田万葉大司教・枢機卿、ヌノ・リマ神父(カトリック玉造教会司祭)、日本聖公会より内田望司祭(西宮聖ペテロ教会)、日本キリスト教団より井上隆晶牧師(都島教会)、東島勇人牧師(東梅田教会)、日本福音ルーテル教会より大柴譲治牧師(大阪教会)、竹田大地(天王寺教会)の7名が司式団として礼拝奉仕をいたしました。
 毎年この一致祈祷週間の最終日に開催されているこの共同礼拝によって、諸宗教間の対話と一致が進んでいくことをキリスト教諸教会の信徒、教職者で御言葉に聴き、祈りと賛美の声を合わせています。
 出席者は平日の夜にもかかわらず50名程を数え、今年の礼拝で捧げられた献金は、カトリック名古屋教区を通して1月1日に発生した能登半島地震のために捧げられました。
 今年のテーマでもあった「隣人愛」に根ざし、世界の教会と諸宗教による分裂と争いにピリオドが打たれ、平和が実現すること、また被災地の方々へ思いを寄せることにより、隣人となり、愛することを覚えることができました。
 大阪地区では、このような礼拝、集会が盛んに行われており、ペンテコステ・ヴィジルも毎年開催されています。エキュメニカルの働きにより、互いに理解を深め、キリストにあって一つであることを目指しています。その意味でペンテコステにこのような礼拝が実施されることも相応しいと感じています。来年も開催予定です。どうぞ機会がありましたらご参加ください。

連帯献金追加のお知らせ

機関紙るうてる2024年2月号でお伝えした連帯献金について送金者様から振り込み元のお名前に誤りがあったことに気が付いてくださりご指摘がありましたので「パレスチナ支援エルサレム緊急プログラム」に日本福音ルーテル福山教会を追加させていただきます。

24-02-01「主の変容に励まされ」

「すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」」(マルコによる福音書9章7節)

 私たちは希望がなくては一日たりとも生きてはいけない。それは平和な状況ばかりか、戦時下においてですら同じではないだろうか。常に死と隣り合わせているような暗闇の中にあっても、人は希望を持ち続けて生きることができる。
 主イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネを「連れて」、高い山に登った。それはやがて福音を伝える中核となる者にご自分が変容する姿を見せて、ご自分が誰であるかを教え、死を超える希望を悟らせるためである。
 2節の「イエスの姿が彼らの目の前で変わり」の箇所は原文では受動態の動詞が使われている。それは主イエスがご自分で姿を変えたのではなく、この3人のために、父なる神によって姿を「変えられた」のだと示すためだろう。ギリシャ神話の神も映画のヒーローたちも自ら変身するが、主の変容はそのような変身ではない。100%人間である主が、実は100%天に属する存在であることを、天における輝きを垣間見せることによって示してくださった。
 主イエスの正体をいっそう明確にするのは4節のモーセを伴ったエリヤの出現である。エリヤは天に取り去られたと信じられていた。そのエリヤが現れたことは、主イエスが天に属する存在であることを証ししている。つまりエリヤがモーセと一緒に姿を現したのは主イエスのためではなく、この弟子たちが、自分たちは今天の有様を目にしていると信じさせるためだと考えられる。
 変容は主イエスの正体を示す出来事だが、なぜ主はご自分の正体を示す必要があったのだろうか。この記事の前にはペトロの告白があり、主による受難予告とペトロの誤解が語られ、主は弟子にも群衆にも十字架の道を歩むようにと語りかけられる。つまりマルコは主の変容の意味は受難との関係の中で考えるべきだと指し示しているのである。「自分の十字架を背負って私に従え」と十字架の道を示されているとおりだ。
 ペトロは主の変容を見て言葉にできない喜びを味わったことだろうが、彼はそれに溺れっぱなしではない。この事態を確かなものにしようと知恵の限りに思い巡らす。彼の結論はそれぞれに小屋を造り、この天の栄光を地上につなぎとめることであった。
このことからペトロは主から受難を告げられても、相変わらずメシアの受難をよく把握できずにいることがわかる。主イエスの栄光の姿を見るとそれを永遠に残したくなり、小屋を造ろうとする。しかしメシアとしての主イエスをとどめることはできない。メシアは苦しまねばならないからだ。神が人類の救いのためにお定めになった主イエスの道は十字架の道である。その道の先には、ペトロたちが今目にした栄光がまっているのだが、ペトロの思いはそこに至らない。ペトロたちは、「これに聞け」というこの時に聞こえた神の声に従うことができなかった。それは彼らが「恐れた」からである。恐れは見るべきものを見えなくする。彼らはこの時はまだ十字架の先に栄光が待っていることを悟りえなかった。
 この高い山でのペトロたちの体験を通じて、神は信じる者に主の変容と復活の栄光を見せてくださる。私たちもこの出来事に励まされたい。十字架を背負って生きるとき、あの高い山で主が変えられたあの天上の輝く姿を心に描くことができるのは希望だ。十字架を背負って生きることの意味はそのまま主の変容の意味に直結している。
 終わりの日には、私たちの目から涙はことごとく拭われる。それまで私たちには嘆きも労苦もつきまとう。それは避けようのないものだ。そんな私たちに、主は「大丈夫だ」「安心なさい」と栄光の姿を見せて励ましてくださる。この物語を何度も読み直すうちに、温かく安らかな光りが心に満ちてきた。
 主はどんな苦難の中をも共に歩んでくださいます。私たちを、あなたを、必ずや光の中へと伴ってくださいます。ハレルヤ!

「主の変容」・ラファエル作・1516年頃・油絵・ヴァチカン絵画館蔵」

24-02-01るうてる2024年02月号

機関紙PDF

「主の変容に励まされ」

日本福音ルーテル湯河原教会、小田原教会牧師 岡村博雅

「すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」」(マルコによる福音書9章7節)

 私たちは希望がなくては一日たりとも生きてはいけない。それは平和な状況ばかりか、戦時下においてですら同じではないだろうか。常に死と隣り合わせているような暗闇の中にあっても、人は希望を持ち続けて生きることができる。
 主イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネを「連れて」、高い山に登った。それはやがて福音を伝える中核となる者にご自分が変容する姿を見せて、ご自分が誰であるかを教え、死を超える希望を悟らせるためである。
 2節の「イエスの姿が彼らの目の前で変わり」の箇所は原文では受動態の動詞が使われている。それは主イエスがご自分で姿を変えたのではなく、この3人のために、父なる神によって姿を「変えられた」のだと示すためだろう。ギリシャ神話の神も映画のヒーローたちも自ら変身するが、主の変容はそのような変身ではない。100%人間である主が、実は100%天に属する存在であることを、天における輝きを垣間見せることによって示してくださった。
 主イエスの正体をいっそう明確にするのは4節のモーセを伴ったエリヤの出現である。エリヤは天に取り去られたと信じられていた。そのエリヤが現れたことは、主イエスが天に属する存在であることを証ししている。つまりエリヤがモーセと一緒に姿を現したのは主イエスのためではなく、この弟子たちが、自分たちは今天の有様を目にしていると信じさせるためだと考えられる。
 変容は主イエスの正体を示す出来事だが、なぜ主はご自分の正体を示す必要があったのだろうか。この記事の前にはペトロの告白があり、主による受難予告とペトロの誤解が語られ、主は弟子にも群衆にも十字架の道を歩むようにと語りかけられる。つまりマルコは主の変容の意味は受難との関係の中で考えるべきだと指し示しているのである。「自分の十字架を背負って私に従え」と十字架の道を示されているとおりだ。
 ペトロは主の変容を見て言葉にできない喜びを味わったことだろうが、彼はそれに溺れっぱなしではない。この事態を確かなものにしようと知恵の限りに思い巡らす。彼の結論はそれぞれに小屋を造り、この天の栄光を地上につなぎとめることであった。
このことからペトロは主から受難を告げられても、相変わらずメシアの受難をよく把握できずにいることがわかる。主イエスの栄光の姿を見るとそれを永遠に残したくなり、小屋を造ろうとする。しかしメシアとしての主イエスをとどめることはできない。メシアは苦しまねばならないからだ。神が人類の救いのためにお定めになった主イエスの道は十字架の道である。その道の先には、ペトロたちが今目にした栄光がまっているのだが、ペトロの思いはそこに至らない。ペトロたちは、「これに聞け」というこの時に聞こえた神の声に従うことができなかった。それは彼らが「恐れた」からである。恐れは見るべきものを見えなくする。彼らはこの時はまだ十字架の先に栄光が待っていることを悟りえなかった。
 この高い山でのペトロたちの体験を通じて、神は信じる者に主の変容と復活の栄光を見せてくださる。私たちもこの出来事に励まされたい。十字架を背負って生きるとき、あの高い山で主が変えられたあの天上の輝く姿を心に描くことができるのは希望だ。十字架を背負って生きることの意味はそのまま主の変容の意味に直結している。
 終わりの日には、私たちの目から涙はことごとく拭われる。それまで私たちには嘆きも労苦もつきまとう。それは避けようのないものだ。そんな私たちに、主は「大丈夫だ」「安心なさい」と栄光の姿を見せて励ましてくださる。この物語を何度も読み直すうちに、温かく安らかな光りが心に満ちてきた。
 主はどんな苦難の中をも共に歩んでくださいます。私たちを、あなたを、必ずや光の中へと伴ってくださいます。ハレルヤ!

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊼一つ一つに

 「すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。」 (ルカによる福音書9・16~17)

 「どんなに単調に思える仕事であっても、あなたの配るお皿一枚一枚を受け取る誰かのために祝福があるように、と祈りながら一枚一枚を配ってみなさい。あなたがたとえ毎日やっている同じ仕事でも決して単調ではなくなるわ。」この先輩からの言葉により毎日同じ仕事で単調でつまらなく感じていたお皿配りが意味あるものになったという話を読んだことがあります。

 意味のない仕事はないんだなぁと思いながら、仕事をしていなくては生きている意味がないのかなと思ってみることがあります。
 病気が分かったばかりの時に、障害が進み働けなくなるかもしれないと病気仲間と話していた時、突然一人が「仕事をして働いていないと人間じゃないよ。」と言っていたのを思い出してしまいました。

 病気で働けなくなった人は人間じゃないのだろうか?そんなことはない。仕事ってなんだろう?働くって?単調な仕事に祈りが意味を与えてくれるのなら、祈りのあるところには必ず働きがあります。たとえ祈っているということが他人にわからなくても。イエス様みたいにパンや魚を増やせなくても。だってあなたが祈っているから。

 誰の祈りでも必ず神様に届いているから意味のない単調な仕事なんて無い、それらにあなたが祈りを添えれば。私は何もできないと思わなくてもいい。手を合わせられなくてもあなたの心を合わせて神様に向ければ。だって祈りは必ず神様に届くから。あなたは神様にお任せできます。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑨

日本福音ルーテル稔台教会
内藤新吾(日本福音ルーテル稔台教会牧師)

稔台教会の始まりは1951年7月からのエーネ・パウラス宣教師の働きがきっかけです。これは、陸軍演習場の原野であった稔台に戦後の開拓団が入り、共働きの夫婦が多いことから、市川におられたパウラス師に協力をいただき保育園を開設、ほどなく伝道も開始されました。保育園そのものは別の場所で、また直接の関係はありませんでしたが、宣教師の隣人に仕える姿に人々は感化を受け、集会へ足を運ぶきっかけとなりました。
稔台教会として公認を受けたのは1954年で、1955年に最初の教会堂献堂が行われました。初代の邦人教職は石田順朗牧師。その後、もう一つの大きな出来事として、田中良浩牧師のとき1967年から開始された学童保育が挙げられます。このように、稔台教会は開設当初より、地域の子どもたちと親御さんに奉仕する関係を続けてくることができたことは本当に感謝でした。1983年に2度目の教会堂献堂が行われ、現在に至ります。
学童保育(放課後児童クラブ)は3年前より、松戸市の全クラブが、市が主体として行う事業となったため、教会ゆかりのNPO法人から市内の別のNPO法人へと移管し、会場を貸す形に変えました。当会場以外の市内のクラブは小学校内に移設されており、稔台教会としても、近い将来、クラブは小学校内に移ってもらい、その後はクラブに入ることのできない子どもたちのために、教会ゆかりのNPOを通して奉仕をしたいと計画しています。
稔台教会は現在、上記のような地域への奉仕だけでなく、社会全体への奉仕として、世の痛みを覚え、隣人の命を守りまた豊かに得させるための働きにつきたいと願っています。脱原発への学びや支援の取り組みも、その一つです。
他の課題としては、現在の会堂になってから40年となり、10年前に中規模修繕は行いましたが、上下水道管の交換を含む残りの工事もそろそろ行いたいと予定しています。

認定こども園めぐみ幼稚園
山﨑かおる(めぐみ幼稚園園長)

めぐみ幼稚園は、75年前、戦後の混乱の時代に、幼児教育の場がほしい、という地域の要請にこたえて、宣教師モード・パウラス先生の祈りと尽力により、旧三菱工員クラブを利用した小さな園舎で開園しました。2015年には、幼保連携型認定こども園として新たな歩みを始め、0歳から6歳までの子どもたちの豊かな育ちを見守っています。 「神と人から愛され健康で心豊かな子ども」が遊ぶ園として、一人一人の主体性を大切にしながら、自由でのびのびとした保育の実践に努めてまいりました。社会が変化し、時代の要請が変化しても、変わらずイエスさまの愛を子どもたちに伝えています。
この3年間は、感染症拡大のことがあり、毎年大切にしてきた行事等、教師間でよく話し合って、縮小したり、形を変えながら、できるだけ実施してきました。プレイデイ(運動会)は、大きな江津湖公園での開催をやめて、子どもたちが慣れ親しんだ園庭で、0歳から3歳までの小さい学年、4歳以上の大きい学年に分けて、時間差で行うようになりました。子どもたちが安心して参加できます。感謝祭礼拝、子ども祝福礼拝は、集まる人数のことを気にせずに、礼拝を行うことができました。チャプレンの安井宣生牧師、曾我純神学生が来てくださって、祝福の祈りをしてくださいました。クリスマスは、クラスごとに、礼拝と祝会を行うようにいたしました。少人数のため、子どもたち同士の一体感、保護者の方々との一体感をより強く感じて、嬉しくお祝いできたように感じます。
ここ数年、また、これからも、少子化の影響のなか、認定こども園として園を運営していくことの難しさがありますが、私たちが、いつもイエスさまに見守られ、愛されていることを、保育を通して子どもたちに伝えていきたいと願っています。

改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)

―今回は、地域とともに新しい取り組みをはじめておられる東京教会の野坂幹也さんのお話しを伺います。はじめまして。東京教会の松本義宣牧師から、野坂さんとコミュニティ・カフェについて紹介していただきました。野坂さんと教会との出会い、またコミュニティ・カフェについて教えていただけますか。
野坂 はい、もともとは前任牧師時代の「牧師カフェ」に出入りするようになったのがきっかけで英語礼拝に参加するようになり、東京教会で洗礼を受けたのが6年前です。牧師の交代とコロナ禍によるカフェの中断がある中で、地域における外国人支援の活動を模索していたChurch World Service(CWS)というキリスト教団体からの働きかけがあって、2022年の春に東京教会でコミュニティ・カフェの活動が始まりました。いろいろな国籍の人たちが出入りしながら、料理教室やワークショップ、オルガンコンサートなどのカフェの取り組みが続けられてきました。

―なるほど。東京教会は新大久保のメインストリートのど真ん中にあって、外国の方々もアクセスしやすい立地ですね。昨年は、地域のお祭りにも出店なさったと伺いました。
野坂 大久保祭りですね。地元の方々も教会に期待してお声かけして下さったので、コミュニティ・カフェと英語礼拝の参加者を中心に、7カ国の料理をテイクアウト出来るお店を出店し、とても好評でした。お祭りで配布したチラシを見て教会の礼拝においでくださった方もあり、伝道的な効果もあったと思います。古くから住んでこられた地域の方々の中には、様変わりしていく街の様子に戸惑っている方々もおられるようです。このようなお祭りが、外国籍の方も、韓国コスメを買いに来られる若い人たちも、昔からおられる地域の方々も、そして教会も、みなが協調していけるきっかけになるなら嬉しいですね。

―興味深いお話しをありがとうございました。最後に野坂さんが大切にしておられる聖句を教えて下さい。
野坂 マタイ25章40節の「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」は、訪問介護士という私の仕事の中でも、日々意識している私の大切な御言葉です。私自身も小さな存在であることに気づかされることで、イエス様と共に歩むことができると感じるのです。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ドイツ大統領夫妻がオーガスタナ・ヴィクトリア病院を訪問

ドイツのシュタインマイヤー大統領夫妻が2023年11月、東エルサレムにあるオーガスタナ・ヴィクトリア病院(AVH)を訪問し、ガザ地区から送られてきた患者たちと面会をしました。オーガスタナ・ヴィクトリア病院はオリーブ山にあり、世界ルーテル連盟(LWF)がオーナーとして運営しています。ガザ地区からの患者100名以上がここで治療を受けていて、その多くは親類に付き添われてやってきた子どもです。彼らは10月初旬にハマスとイスラエル間で始まった戦争のために帰宅できなくなっています。
「病院は人間愛が通う場所です。」シュタインマイヤー大統領はこのように述べ、病院の働きに讃辞を送り次のようにコメントしました。「今起きている戦争が、この病院とここで治療を受けている患者さんたちに影響が出ていることは確かです」。「ガザ地区からの患者の移送は今はありませんが、今後どうすべきかについてはスタッフと協議したいです。」
大統領とエルケ夫人は、ファディ・アトラシュCEOはじめ病院幹部との話し合いが終わるとガザ地区の患者たちと面会しました。夫人は、「重病の子どもに付き添うお母さんたちは、ガザ地区のその他の子どもたちのこともとても気にかけていらっしゃいますね。」と述べました。
東エルサレムにあるオーガスタナ・ヴィクトリア病院は、がんと腎臓病治療を専門としています。もともとはドイツ帝国期にドイツ人巡礼者のためのセンターとして建てられましたが、1948年の中東戦争を機にパレスチナ人難民の支援施設として病院となりました。現在のところオーガスタナ・ヴィクトリア病院は、ガザ地区とヨルダン川西地区からの患者に放射線治療と小児透析を提供できる東エルサレムで唯一の病院です。多くの子どもを含む約7000人の患者が、毎年ここで治療を受けています。

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

山内量平探訪記②

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

ルーテル教会の初代日本人牧師、山内量平は和歌山県の人です。
私は、南紀白浜空港から紀勢線で南部(みなべ)に着きました。南高梅で知られるみなべ町は、静かな落ち着いた町です。
山内家は江戸時代から「松屋」という酒造業を営む豪商でした。坂井信生著『山内量平 日本のルーテル教会初代牧師』には「信用金庫の支店から海岸にいたる場所」とあって、その間は200メートル以上あります。松屋の跡地を確かめられる資料はないかと町立図書館で司書に尋ねてみましたが、残念ながら明治初期の地図はありませんでした。
海とは反対側の町外れの法伝寺に、量平の祖父と父の墓があるそうなので、行ってみました。墓地の中に屋根のついた特別な場所があって、祖父、繁樹と父、繁憲の大きな墓がありました。もうひとつの女性の墓は祖母でしょう。量平の母、三千代は、後に受洗したからです。
「繁樹大人奥都伎」という墓の横には、みなべ町指定文化財の立て札がありました。それによると、繁樹は1773年に生まれ、本居宣長門下で国学を修め、老後田辺藩から士分の待遇を受けて多くの門下生を教えたとあります。山内家が地域の文化の中心でもあったことを伺わせます。量平とその妹たちも、この環境で育ち、男女とも幼少時から教養を養われて育ったようです。
次回は、最初にキリスト教に出会った妹、季野を取り上げます。

メコン・ミッション・フォーラム報告

森田哲史(日本福音ルーテル大江教会牧師)

 2023年11月14日~16日にタイのバンコクで行われたメコン・ミッション・フォーラム(以下、MMF)に参加いたしました。
 MMFは、メコン川流域の各国(タイ、ベトナム、カンボジア、ミャンマー、ラオス)のルーテル教会および関連諸施設と、それらを支援する世界中の教会が一堂に会し、現地の宣教や支援についての情報を共有し、さらなる発展を目指す会議体です。
1日目の研修は、プロジェクト・マネジメント・ワークショップとして、ディアコニアについて行われました。その際の考え方の一つとして、ニーズベースとアセットベースという考え方が印象的でした。ニーズを聞くと言えば私たちは良い印象を持つかもしれません。しかし、ニーズベースは、コミュニティがどれだけ発展しても、常に何かが欠けているという意識があり、本質的にネガティブであり、外部からの継続的な介入に依存してしまうと言います。一方のアセットベースは、すでにそこにあるもの、人やコミュニティがすでに持っているものに焦点を当てることにより、本質的にポジティブであり、コミュニティ自身が開発の長期的な管理者となることが出来ると言います。
2日目は、神学教育をテーマに、各国が置かれている現状と課題をグループごとに分かち合い、その後マレーシアとシンガポールで行われている取り組みが分かち合われました。
3日目は、MMFの総会があり、この1年間のMMFの活動報告、予決算の承認、審議事項の協議などが行われました。
JELCでは2023年の全国総会において、アジア宣教、中でもカンボジア宣教を行っていくことが示されました。カンボジアの持っているもの、日本の持っているものが組み合わされ、より大きな宣教の働きのために用いられるようお祈りいただけましたら幸いです。

カンボジアルーテル教会 ビショップ就任式出席報告

永吉秀人総会議長(日本福音ルーテル蒲田教会牧師)

 この度、2023年11月9日にカンボジアのプノンペンで行われた、カンボジアルーテル教会初代となるビショップの就任式に出席してまいりました。カンボジアルーテル教会は、ルーテル世界連盟(LWF)が主宰する「メコン・ミッション・フォーラム」の活動から生まれました。
このメコン川流域の宣教を考える会議は、この地域に宣教師を派遣している欧米などの諸外国も参加しています。日本も20年以上にわたり出席しており、負担金を拠出してまいりました。メコン川流域には、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムの各国があります。
カンボジアルーテル教会が設立されたのは2010年。シンガポールの主導で宣教が始まり、アメリカをはじめオーストラリア、ドイツ、香港、フィンランドの宣教団体の協力で進められています。2024年からはアメリカとの共同宣教として日本もカンボジアの宣教に加わる準備をしています。
カンボジアにルーテル教会が誕生して14年目。アジアで最も若いルーテル教会は、アジアの希望であり、世界の希望のシンボルです。就任式はプノンペン市内にある超教派の聖書学校で行われました。カンボジア初のビショップに就任されたのは、スリリャック・タッチ(Sreyliak Tuch)氏。シンガポールのビショップが司式を務め、マレーシア、アメリカ、南アフリカのビショップと日本の議長を含めて5名による按手がなされました。この日、他に4人の牧師がカンボジアのビショップから按手を受け、これで按手を受けている牧師は総勢5名となりました。すでに4つの教会が建てられています。今回は2019年にアメリカの支援で建てられた最も新しい教会を訪問しました。下水道のない未舗装路脇に立つ地方教会で、礼拝をはじめ学童保育、家庭支援を行い、養鶏やキノコ栽培を通して地域産業への寄与が目指されています。パンデミックの影響で3年間は活動を休止したものの、今年からの宣教で既に28名の受洗者が与えられたという喜びの報告を受けました。
今回の渡航は単身、突然の通訳者の不在、帰りの飛行機がないというトラブルの中、日曜日までに帰国できたことに安堵します。

「教会讃美歌増補・分冊Ⅰ」刊行2年!

松本義宣(典礼委員会委員長・日本福音ルーテル東京教会・東京池袋教会・板橋教会牧師)

 「歌わない・歌えない」コロナ渦中の2021年10月に刊行され2年が経ちました。まだお手元に届かず、目にされていない方もあるかと思います。「るうてる」紙上で収録曲の簡単な紹介の連載も一段落つきましたので、改めて「増補版」の紹介、PRをいたします。
本来は、2017年の「宗教改革500年」に合わせた刊行を目指し、当初は200曲ほどの教会讃美歌の補完・増補版を計画していましたが、力不足のため遅れ、準備ができ著作権等のクリアが可能となったルターの賛美歌や公募曲を中心に、54曲を「分冊Ⅰ」として刊行しました。これまで紹介されていない、また新たに翻訳したルターの賛美歌が目玉です。これまでのものと合わせてほぼ全てのルターの賛美歌が日本語で歌えます(1曲未完!)。さらに、新しい試みとして、テゼー共同体風の繰り返す賛歌や、邦人による創作歌、他の歌集からの収録もあります。併せて「改訂式文」に付された新しい「礼拝曲集(式文歌)」も紹介しました。歌集を用いて、セットではなく、礼拝内で自由に取捨選択、味わい用いていただけるようにしています。
印象的な出来事の紹介 です。2022年7月、カトリック教会「シノドス」会議のためのエキュメニカルな合同礼拝(カトリック、聖公会、日本福音ルーテル教会、NCC)が、聖イグナチオ教会で開催された際、当時はまだ会衆賛美は自粛し、カトリック教会のシスターの聖歌隊が歌うのを聞く礼拝でした。各派が歌を持ち寄りましたが、開会の歌として増補12番「喜べ教会よ」を提供しました。これはルターの宗教改革的福音信仰の真髄を示す代表的な歌です。それが、シスターたちの歌声で聖堂に響いた感動を私は今も忘れられません。2023年には、COVID—19の5類変更を受けて、東教区「教会音楽講習会」で増補版を歌う会を持ち、秋には大阪での「聖書日課・読者の集い」でルターの教理問答歌を賛美しました。各教区・地区・教会でも紹介の試みがなされ、広く用いられていくことを願います。
※「教会讃美歌増補・分冊Ⅰ」(1,100円)の購入は、本教会事務局または各キリスト教書店まで。

教職授任按手式開催のお知らせ

李明生事務局長(日本福音ルーテルむさしの教会牧師)

 2024年3月3日(日)19時から21時に日本福音ルーテル教会宣教百年記念東京会堂(日本福音ルーテル東京教会)を会場に4年ぶりに教職授任按手式を開催予定です。
受按予定者(かっこ内は出身教会)
笠井春子神学生(田園調布)、
河田礼生神学生(三鷹)、
三浦慎里子神学生(室園)、
デイビッド・ネルソン神学生(本郷)
の4名です。
詳細が決まりましたら改めて各教会にお知らせをいたしますが、どうぞご予定くださいますよう何卒お願い申し上げます。

第36回教会音楽祭 メロディー公募のお知らせ

秋吉亮(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

 今年、数年ぶりに教会音楽祭を対面で開催いたします。この音楽祭で歌う短いメロディーを作曲してくださる方を公募いたします。曲の長さは20秒以内が目安です。聖句、応募要件は以下の通りです。
■ 聖句
詩編103編 22節前半
「主に造られたものはすべて、主をたたえよ」(新共同訳聖書)
詩編146編1節
「ハレルヤ。わがたましいよ 主をほめたたえよ」(新改訳聖書)
※聖書はどの訳を用いてもけっこうです。語順入替えや繰り返しは、しないでください。
■ 応募要件
①未発表の曲に限る
②五線譜の形式で提出すること(単旋律でも合唱でも可)
③聖書のどの訳を用いたか、譜面に明記すること
④作品の著作権は、一旦教会音楽祭実行委員会に帰属させ、第36回教会音楽祭終了後速やかに作曲者に返却する
※採用は、教会音楽祭実行委員会で協議・決定いたします。その際、実行委員会が応募作品に手を加える可能性があることを、ご了承ください。

■ 提出先:
メール添付の場合
mail@cmf.holy.jp
郵送の場合
〒105–0011
東京都港区芝公園3–6–18
日本聖公会東京教区事務所
礼拝音楽委員会「教会音楽祭」係
■ 応募締切:
2024年3月8日(金)必着
■ 発表:
第36回教会音楽祭にて
■ 問い合わせ先:各教派の教会音楽祭実行委員、または教会音楽祭ホームページ「お問い合わせ」よりお願いいたします。
ホームページアドレスはhttp://cmf.holy.jp/

2023年度「連帯献金」報告

2023年度も多くの方々から「連帯献金」に対しまして
支援を頂きました。感謝してご報告いたします。
(敬称略・順不同、複数回の献金もまとめての報告となります。)

■ブラジル伝道 25,000円
箱崎教会女性の会、東教区女性会
■エルサレム緊急支援 1,166,924円
竹内輝、なごや希望教会、長崎教会、岡山教会オリーブの会、太田立男・泰子、羽村教会・羽村幼稚園、福岡市民クリスマス実行委員会、西宮教会、知多教会、奈多愛育園、木邨仁代、日田教会、藤が丘教会女性会、厚狭教会、名古屋めぐみ教会、西条教会、大分教会、横須賀教会、シオン教会柳井礼拝所、清水教会、浜松教会、都南教会、都南教会教会学校、宮崎教会、栄光教会、小倉・直方教会、蒲田教会、聖パウロ教会、湯河原教会、岡山教会、松江教会、京都教会、小鹿教会、石田宏美、市ヶ谷教会、るうてる愛育園、大江教会、帯広教会、静岡教会、合志教会、清水紀子、浜名教会、健軍教会、秋山仁、高知ほっとチャーチ、横浜教会、田園調布教会、高蔵寺教会
■メコンミッション 17,700円
泉川道子、ルーテル聖書日課読者の集い
■災害被災者支援 25,000円
コヤマヨシオ、聖パウロ教会
■ウクライナ人道支援 1,692,747円
仙台教会鶴ケ谷礼拝堂、松本教会、唐津ルーテルこども園、むさしの教会ヴィニヤードの会女性会・壮年会、大岡山教会、小田原教会、国府台母子ホーム母・子・職員一同、国府台母子ホーム利用者有志、田園調布教会、田園調布ルーテル幼稚園、湯河原教会、山県順子、雪ケ谷教会、小林勝、岩田茂子、金城学院ハープアンサンブル部、函館教会、甲府教会、藤が丘教会、日田教会、豊中教会、蒲田教会船山、むさしの教会、定期総会席上献金、大岡山教会教会学校、女性会連盟、湯河原教会、川上直子、東教区女性会、宣教フォーラム実行委員会、玉名教会、東京池袋教会、市ヶ谷教会、市ヶ谷教会壮年会、都南教会教会学校、蒲田教会、聖パウロ教会、小岩ルーテル保育園、匿名献金
■トルコ・シリア震災被災者支援 4,378,651円
イシモリトシユキ・キョウコ、林雄治、ウエダケイゾウ、久保陽司、博多教会、福岡西教会、石井千賀子、木原伊都子、シオン教会柳井女性会、諏訪教会、竹内輝、近藤義之、小川原智、石田宏美、掛川菊川教会、原田恭子、若林宏子、佐藤紘一郎(重子)、高蔵寺教会、安藤真理、小鹿教会、復活教会、清水教会、佐藤義夫・福子、なごや希望教会、市ヶ谷教会、市ヶ谷教会壮年会、武井順太郎、清水紀子、関満能、函館教会、岡山教会オリーブの会、本郷教会、シオン教会防府、知多教会、小城教会、保谷教会、小石川教会、シオン教会徳山、八幡教会、佐藤節男、西条教会、山之内正敏、シオン教会柳井礼拝所、大江教会、千葉教会、唐津ルーテルこども園、小杉由子、日田ルーテルこども園、小倉・直方教会、東京池袋教会、浜名教会、広島教会、札幌教会、甲府教会、宇部教会、筑後地区女性会、名古屋めぐみ教会、刈谷教会、恵泉幼稚園、厚狭教会、田園調布教会、松江教会、湯河原教会、健軍教会、岡山教会、福山教会、賀茂川教会、賀茂川教会教会学校、小岩教会、甘木教会、挙母教会、羽村教会、別府教会、荒尾教会、大森教会、真生幼稚園、天王寺教会、大柴譲治、二日市教会、沼津教会、神水教会、蒲田教会、岐阜教会、藤が丘教会、小城ルーテルこども園、都南教会、帯広教会、西宮南福音ルーテル教会、日田教会、浜松教会、小田原教会、松橋教会、栄光教会、恵み野教会、岡崎教会、久留米教会・田主丸教会、静岡教会、玉名教会、京都教会、三鷹教会、西宮教会、八王子教会、室園教会、豊中教会、津田沼教会、大垣教会、仙台教会、大分教会、箱崎教会、横須賀教会、コマツヤスヒロ、むさしの教会、宮崎教会、市川教会、鹿児島教会、神戸教会、中野邦子、下関教会、修学院教会、東京教会、聖ペテロ教会、高蔵寺教会教会学校、匿名献金(2件)
■世界宣教(無指定) 308,755円
シオン教会柳井礼拝所、神水教会、宇部教会、下関教会、箱崎教会(らぶぴコンサート席上献金)、横須賀教会、賀茂川教会、三鷹教会、シオン教会平和礼拝席上献金、宮崎教会、めばえ幼稚園、日吉教会、岡村博雅

 今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、戦争、災害、飢餓に苦しむ方々に連帯したいと祈り願います。「連帯献金」をお捧げくださる際には、それぞれの献金目的[パレスチナ支援LWFエルサレムプログラム緊急募金] [ウクライナ人道支援] [メコンミッション] [釜ヶ崎活動(喜望の家)][世界宣教(目的指定なし)]を郵便振替用紙に明記頂き、下記の郵便振替口座にご送金ください。
郵便振替 00190-7-71734
加入者名 (宗) 日本福音ルーテル教会

24-01-01るうてる2024年01月号

機関紙PDF

「聖なる地」

日本福音ルーテル飯田教会牧師
朝比奈晴朗

「主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。(出エジプト記3・4~6)

新しい年を迎えました。皆様にとって2023年はどのような年だったでしょうか。辛いニュース、悲しいニュースの多い年ではありましたが、結婚や出産、就職、目標の達成といった、喜ばしい出来事を経験した方も多くおられたことと思います。
私はと言いますと、大阪生まれの大阪育ちの人間にとって「アレ」、つまり阪神タイガースが日本一になったことは本当に嬉しい出来事でした。報道では38年ぶりと何度も大きく取り上げられました。
実は私が人生の大きな節目を迎えたのは、まさに38年前です。大阪の町は日本一を目指して戦っている阪神タイガースの話題で持ちきりでした。しかし、高校3年だった私は通学の途中で強い衝撃を受ける出来事に遭遇します。私の目の前に赤ん坊を抱いたお母さんが歩いていたのですが、急に向きを変え、私の体にぶつかるようにして、そのままホームから電車に飛び込んでしまったのです。あっという間の出来事で、私は呆然と立ち尽くすだけでした。
この出来事はそれ以降、何度も何度も脳裏によみがえりました。自分ができることが何かあっただろうか、何かしなければならないんじゃないか、という思いが心の底から湧き起こりました。
私はクリスチャンだった母に連れられて幼い頃から教会に通っていましたが、熱心に聖書を学ぶタイプではありませんでした。その私が、自分の将来を神様に導いていただきたいと真剣に願い、熱心に聖書の言葉に耳を傾けました。やがて自分の目指す道は社会福祉であると示され、ルーテル神学大学入学後、牧師の召命へと結びついていきました。
与えられました聖書個所には「モーセの召命」という見出しが付けられています。神の山ホレブで柴の間に炎が燃えており、それを目撃したモーセは「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」と呟きます。
この箇所は、ルーテル教会の式文、教会起工式で読むことが勧められています。私の仕えている飯田ルーテル幼稚園でも、つい最近起工式が行われ、理事長の立場にある私が式典を執り行いました。
しかし「いよいよ始まる」という喜びよりも、思いがけない資材の高騰で厳しい資金繰りを強いられる現実を前に、モーセのように神様を信じて歩み出す必要があることを強く感じながらの司式となりました。
1911年4月1日に産声を上げた飯田ルーテル幼稚園は、100年を超えてこの地で福音を届け続けています。小規模ではありますが、キリスト教教育を続けてきた幼稚園と、それを支え続けた教会は、飯田に存在する「燃え尽きない柴」だと思うのです。「なぜあの柴は燃え尽きないのだろう。」そう思って近づいてくださる保護者の方々、子どもたち、地域の皆様に、神様の御力とイエス様の愛を示し続けるのです。
時代的には伝道をしていく難しさが強調されますし、思うようにいかない時は、神様の守りがあるのを知りつつも、「わたしは何ものでしょう」とおびえ、尻込みしてしまいます。それでも神様は「わたしはある。わたしはあるという者だ」と力強くご自分を証しされ、「わたしは必ずあなたと共にいる」と言い切ってくださるのです。
モーセの旅は40年の歳月を要します。その間に、民衆は神様を信じ続ける者と脱落していく者に分かれました。最後の最後まで神様を信頼した人々が約束された土地へと導かれていったのです。
私たちが神様に入ることを許された「聖なる場所」とは、教会であると言えるでしょう。神様はそこに「燃えても燃え尽きない柴」の炎を明々と輝かせ、人々を招いておられるのです。
現在、子育てをしている家庭のほぼ4割に、強い不安や孤独があり居場所がないと感じているということを耳にしました。高校生の時に目撃したあの光景を繰り返してはならない。あの母親のつきささるような眼差しを笑顔にしたい。私には再びそんな思いが与えられています。
私たち一人一人の力は小さくとも、できることはそばにあります。この1年、共に祈り、支え合いつつ「わたしは必ずあなたと共にいる」と言ってくださる方を見上げつつ、日々を重ねてまいりましょう。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊻そうなんだ

「だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。」(ルカによる福音書16・11)

「かっこいい」
ん?・・・いつも自分では、このことは言ったらバカにされるかもしれないから言わないほうがいいと思っていました。
他の人からも言わない方がいいよと言われていたそのことを思い切って言ったときの友達の反応でした。えっ、かっこいいんだ。言ったらきっとバカにされると思っていたのが意に反した答えを言われた。その瞬間今まで自分を縛りつけていた劣等感から解き放たれ「自分は生きていてもいいんだ。」と思わされるほど衝撃でした。
こんなこともありました。ある人が私の肩の上を指差し「先生の肩の上に戦時中に死んだ友達の二人の顔がのって俺に笑いかけています。」と言いました。どおりで肩が重いとも思わず普通に「あなたには見えるようですが残念ながら私には見えません。」と答えていました。もしかしたらその方はわたしが怖がるのを期待していたのかもしれません。そう思うと今でもなんだかおかしくなります。
自分の思い込みが自分を縛りつけていたり、人との違いを受け入れなかったりしてわたしたちは自分の価値観を窮屈にしてしまっているんじゃないかなぁと思うときがあります。見えないものが見えると言われたとしても、自分ではあまり良くないと思っていることも、たくさんの価値観が集まればいろいろな見方が出て来ます。白や黒、グレーで別れ目がはっきりしなくても私たち人間には分けられない。これは良い、これは悪いとも一人では決められない。でも大丈夫神様にお任せできます大丈夫。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑧

日本福音ルーテル市川教会
中島康文(日本福音ルーテル市川教会・津田沼教会牧師)

エーネ・パウラス宣教師は、市川教会を紹介する際に欠かすことのできない先生である。第1の理由は、市川の地に福音の種を最初に蒔いた、宣教の開拓者であること。戦前、墨田区の母子収容施設(現社会福祉法人ベタニヤホーム)で働き、居を市川市の国府台に構えておられたが、戦中は一時帰国。再来日後には前述施設の責任者として尽力されていた。その働きを知った地域の人々からの要請を受け、国府台にあった旧陸軍兵舎跡で保育事業を開始された。その際、戦前より自宅で行っておられた礼拝を、園舎で行うようになった。これが市川教会の前身である。日本人牧師も招聘できるようになり、1956年現在地に、会員の献金及び米国信徒の献金により会堂が建立され、以来宣教の拠点として主日の礼拝が一度も欠かすことなく(コロナ禍中も休会せず)、礼拝が守り続けられている。
第2の理由は、先生の働きは現在に至るまで、市川教会が目指すべき宣教の目標として引き継がれているということ。「行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。」(ヤコブの手紙2・17)これを愛唱聖句としておられた先生は、3社会福祉法人13児童関係施設を設立することによって御言葉に忠実に従うことを実践された。先生の働きは、現在もそして未来も市川教会がこの地で宣教を続けるための柱であり、施設利用者及び職員への宣教を今も大切にしている。
現在、礼拝は午前9時(子どもや施設職員向け)と午前10時(ハートバージョンによる礼拝)、計40名前後の出席者がある。牧師は4施設のチャプレンを兼務し、会員にはWEBで聖書の学びや洗礼準備などを行っている。年に3回、第5土曜日に行われるコンサート(プロの音楽家による)は57回を数え、地域の方々70名~80名ほどが来会くださる。会堂を中心に、施設や地域に奉仕しつつ私たちは御言葉の種を蒔き続けている、パウラス宣教師のように。
2012年に会堂の大修繕を行った。その経緯に関して、「るうてる2019年6月号」の巻頭言に寄稿したのでご参照ください。

認定こども園さわらびこども園
牧野恵子(さわらびこども園園長)

さわらびこども園は、熊本県南部、鹿児島県との県境水俣市にあります。さわらびこども園の歴史は古く、1922年水俣教会設立の7年後1929年に設立され、1951年に幼稚園として認可されています。幼稚園の設置については、熊本バンドの海老名弾正師により受洗した4名を含む水俣教会設立当初の教会員の働きに負うものが大きいようです。設立当初の園舎は教会堂を兼ねたもので、設立者の緒方フミ姉の実家から養蚕の為の小屋を移築したものでした。
戦時中、学校の存続を懸けて軍や県との難しい交渉に当たられた徳永正氏は、県の医師会副会長や九州女学院(現九州ルーテル学院)の理事長を務められた方であり、さわらびこども園の名付け親でもあります。氏は、文芸にも通じておられ万葉集の中の一首「石(いわ)走る 垂水の上のさわらびの 萌え出づる 春になりにけるかも」から名付けられたと言われています。早春の寒さを突き抜けて萌え出づるさわらびの新芽に子どもの成長をたとえられたのではないでしょうか。
水俣は元々城下町で、一時はチッソ株式会社を中心に発展していましたが、1965年頃から人口減少が始まり歯止めがききません。1年間の出生数が、本年は全市で60人を切りそうです。子どもの数は減少していても、保育施設の数は以前とさほど変わらず厳しい状況です。さわらびこども園の在園児数は現在40名、来年度は30名に減少するかもしれません。このような中、他園で適応が困難な子どもの転入を受け入れており、キリスト教保育の必要性と存続意義を感じています。海と山に囲まれた豊かな自然、自園の広い畑など恵まれた環境を活かした保育を実践しています。経営面の努力と、保育の資質向上が面前の課題です。祈りつつ、この働きがつづけられますように。

改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)

―岡田薫先生(帯広教会・札幌教会)は最近、移住外国人を支援するための基金にかかわっておられると伺いました。どのような基金なのでしょうか。
岡田 名称を「難民・移民なかまのいのちの緊急基金(難民・移民基金)」といいます。昨年の国会での改悪入管法の審議に、キリスト教界は協力して反対の声をあげたのですが、6月に可決・成立してしまいました。この反対運動の中で、特に在留資格のない方や、仮放免の方々が困難な状況におかれていること、また成立から1年以内に施行されることになっている新しい入管法によって、さらに困難な状況に追い込まれる方々の存在が見えてきました。そこで、この反対運動で協力しあったキリスト教団体が、市民運動とも手を取りあって、困難な状況にある外国人住民の方々を、直接的に支援できるようにと基金の取り組みが始まったのです。
―外国人が日本で暮らしていくにあたって、どのような難しさがあるのでしょうか。
岡田 多くの問題があります。特に立場が弱いのが、様々な事情で在留資格を失ってしまった方や難民申請を却下された方、難民認定を待ちつづけている方々です。現行法でも行動の自由の制限、労働の禁止や制限がなされ、10割負担でないと病院にもかかれないなど、生きていくための最低限の権利すら守られていません。この基金の理解と支援を広めるために2月18日(日)にオンラインで集会が予定されているので、多くの方にご参加いただきたいです。
―岡田先生は、どのようないきさつでこの基金にかかわられることになったのですか?
岡田 2021年の軍事クーデターで困難に陥ったミャンマーの人たちのためのオンライン祈祷会に友人の誘いで参加し、オンラインを通じた人間関係が広がったのがきっかけです。
―ありがとうございました。先生の大切にしておられる聖句を教えてくださいますか。
岡田 1つに絞ることは難しいですが、今は「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」(ヨハネによる福音書15・12)です。
―どうもありがとうございました。

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

―イギリスにもLWFに加盟するルーテル教会があることはあまり知られていません。Lutheran Church In Great Britain(英国ルーテル教会)がそれです。信徒としてエキュメニズム活動に熱心に取り組んでいるのは、ドイツ生まれの旧約学者アンナ・クラウスさん。英国にはChurch Together in Engllandというエキュメニズム運動があり、50を超える教派の教会と関連団体が参加しています。
エキュメニカル運動に関わるきっかけは何ですか?
アンナ 私自身は大多数がルーテルに属するドイツの北バイエルン出身です。そこはカトリックは少数でルター派が非常に強い地域でした。学校ではいろいろな教会の友人がいましたが、大学はルーテルの人がほぼゼロのスコットランドの大学で1年間学びました。そこでスコットランド改革派と関わり、地域のカトリック教会チャプレンを手伝ったりしました。大変でしたがとても意味ある経験で、それ以後エキュメニズムに関わるようになりました。
―エキュメニズム運動をするうえで、聖書の写本研究者として見えてくることは何ですか?
アンナ 聖書はキリスト者にとって共通ですが、読み方や経験はさまざま。聖書成立期の文献や聖書そのものを研究することで、当時の人たちが聖書とどう向き合ったかが私の研究ですが、このことは、さまざまな教会の伝統に立つ今日のキリスト者が、聖書をどう読み解釈するかを知るうえでとても有益です。
―エキュメニカルな見方は日常生活でどう影響しますか。
アンナ 神学的一致というのは最終段階のことと一般的に考えがちですが、エキュメニカルなつながりの中にいると、一致こそまず第1で、何か美しいものとなっていく基板です。英国のルーテル教会は英国国教会ととてもよい関係にあります。
―今年の宗教改革記念日では英国の教会協議会75周年記念会を担当されましたが、企画に携わって印象深いことは何ですか?
アンナ 協議会関係の人だけでなく、エキュメニカルな代表者たちも参加してくれましたし、LWFのご挨拶もあったことです。それと礼拝で使う聖書を各教会から持参してもらい、言語の異なる聖書の祝福と献呈が行われたことが印象に残っています。
―Church Together in England(以下CTE)議長としての役目は何ですか?
アンナ カンタベリー大主教、ローマカトリックと正教会の総司教たちが居並ぶなかで、按手を受けていない若い女性の私が大役をさせていただき本当に光栄でした。CTEは英国の大きなエキュメニカルなネットワークの一つで、神学的な検証の後、加盟を認められた新キリスト教団体も入っています。グループは全部で6つ。アングリカン(英国国教会)、正教会、カトリック、ペンテコステとカリスマ派、自由教会、そして私たちルター派が属する第4グループにはクェーカーと改革派がいます。多様な構成ですので時に議論は難航しますが、これだけの教会の声ですから、主要課題についての声明はとてもパワフルになります。

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

解説㊾ 増補41番「わたしたちは一つ」増補43番「希望の道」

石丸潤一(西日本福音ルーテル 新田教会牧師)

「わたしたちは一つ」と「希望の道」は、いずれも、西日本ルーテル鳥取教会で活動する賛美バンド「David’s Harp(デイヴィッズ ハープ)」のメンバーである竹中友張氏による作品です。
これらは、3年に1度開かれていた西日本福音ルーテル教会の「聖会」(COVID‐19流行後は休止中)のテーマソングとして作られた賛美です。
2009年の聖会は「主にあって一つ〜主内一家〜」と題し、ガラテヤの信徒への手紙3章28節のみことばのもとで持たれました。
同じ宣教団体から生まれた西日本福音ルーテル教会の姉妹教会である香港・マカオと台湾のルーテル教会の兄姉が聖会に共に集い、イエス様の恵みによって一つとされている教会・クリスチャンの幸いを深く味わうひと時でした。
テーマソング「わたしたちは一つ」は、神様が結んでくださったことに感謝しつつ、愛し合い、祈り合い、御名を賛美する教会の喜びを軽快に歌います。
2012年の聖会は「前進」。ヘブライ人への手紙10章39節のみことばに励まされ、主とともに、ひるまず、ひたむきに前に進んでいく。将来への祈りとヴィジョンを分かち合いました。
テーマソング「希望の道」は、さまざまな困難がある日々でも、主と共に歩む私たちには、失われることのない希望と前進していく勇気が与えられているという、信仰の確信に基づくクリスチャンと教会の力を歌います。
COVID‐19は、心身ともに人々の距離を離しました。またこの世の宗教への風向きは、今、強い向かい風のように教会にも吹きつけているように感じます。
この2曲の賛美は、そんな今を生きる教会とクリスチャンを、明るく、力強く、励ます力に満ちています。今回収録されたことで、西日本福音ルーテル教会を超えて多くの教会で愛唱され、主にあって愛する兄姉の心に、信仰のぬくもりと力が注がれるようにと願います。

LWFアセンブリーに参加して

本間いぶ紀(日本福音ルーテル 甘木教会信徒)

ポーランドのクラクフで開催された第13回ルーテル世界連盟(以下LWF)総会に、そして総会後の理事会に参加しました。総会にてLWF理事会の青年理事として選出され、理事会に出席するためでした。「機関紙るうてる9月号」に掲載していただいていますが、6月にマレーシアのクアラルンプールで開催されたアジア・プレ・アセンブリーでアジア地区の推薦を受け、この度クラクフでの総会で承認されました。
私は総会の決議に対する投票権はなく、会議を傍聴しました。総会の最後の礼拝では選出された次期理事49名全員の名前をLWF事務局長のアン・ブルグハルト牧師が読み上げ、祝福を受けました。私の隣で共に礼拝に参加したインドネシア出身の友人は、彼女の言葉で私のこれからの歩みのために祈ってくれました。私は彼女の言葉は分かりませんでしたが、彼女が私のために一生懸命に祈っているということは、確かでした。世界中のあらゆる場所から来て、それぞれ違う言葉を話し、異なる生活習慣を持つ私たちが、キリストによって同じ場所に集められ、共に神様を賛美し、信仰を分かち合うことができるのだということを実感しました。
また6月にクアラルンプールで出会った友人たちに助けられました。私の到着を待って連絡をくれた友人、一緒に祈ってくれた友人、市街地を共に観光しながらたくさん話した友人、青年理事として活動していくことを応援してくれた友人。私はクアラルンプールからの帰国後「短い参加であっても、アジアの青年たちと出会い、彼らを知り、彼らと時間を共にするという目的を十分に果たせたのではないか」という感想を残していましたが、まさしくその通りでした。クアラルンプールで共に過ごした時間は少ししかなかったにもかかわらず、私を覚えて、祈ってくれた彼らへの感謝の想いでいっぱいです。
青年理事としての任期は2030年までです。まだまだ分からないことばかりですが、たくさん学んで、LWFを支える1人になれたらと思います。そしてなによりも私は神様が私に与えてくれた賜物であるこのミッションに、神様の助けと導きによって応えていきたいと思います。
最後になりましたが、みなさまのお祈りに感謝します。主にありて。

LWF第13回アセンブリーに出席して

大柴譲治(日本福音ルーテル 大阪教会牧師)

2023年9月13日(水)〜19日(火)、ポーランドの古都クラクフでLWF第13回総会に参加してきました。世界99ヶ国の150教会から300名を超える代議員とスタッフ、エキュメニカルゲスト、ビジター等で多い時で参加者は1000人を超えていたでしょうか。前回は2017年にアフリカ・ナミビアで開かれ、次回は2030年に信仰告白500年を記念してアウクスブルクで開催されます。今回の会場は近代的な設備を誇るクラクフICEセンター。近畿福音ルーテル教会のC・クリンゲンスミス師と私の2人が日本からの代表でした。他にJELCから宮本新牧師、三浦慎里子神学生、大柴金賢珠氏の三人がビジター、そして今回アジアから推薦を得て青年理事に選ばれた本間いぶ紀氏が後半参加。代議員は缶詰状態で議長・事務局長報告、会計報告等の承認、選挙、分団等に追われました。私は国際会議への参加は初めてでしたのですべて新しい経験でした。同時通訳の翻訳機と投票用機器の2つを常に目の前に置いて会議は進行したのです。中にはすべてオンラインで書類を入手する方もおられました。文書は英語・独語・仏語・スペイン語の四カ国語で準備され、発言もそうでしたから同時通訳機は不可欠(その事務量の多さだけで圧倒!)。帰国する際には書類と出版物の重量は何と6キロを超えていました。ビジターとして今回宮本先生と三浦神学生の参加は必ず将来のJELCのためになりますので、ぜひ今後もそのような機会を増やして欲しいと願っています。米国は今回20人もの神学生をビジターとして派遣していました。若い人たちにはぜひ英語力をつけていただきたいと願います。
私にとって今回の白眉だったプログラムは2つ。1つは15日(金)に15台のバスに便乗して650人がアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所を訪問したこと。アウシュビッツは日本に関わりの深かったコルベ神父が処刑された場でした(遠藤周作『女の一生・二部・サチ子の場合』)。もう1つは17日(日)に地域教会の礼拝に参加できたことで、そこには都南教会で受洗された日本人もおられました。ポーランドは宗教改革直後も第2次大戦中も激戦地となった場です。力強い礼拝賛美の歌声はその苦難を通して培われた信仰の力を現していると強く感じました。

第30期第3回常議員会報告

李明生(日本福音ルーテル教会事務局長・むさしの教会牧師)

11月13日、日本福音ルーテル教会常議員会がオンライン(Zoom)によって開催されました。以下、主な事項について報告いたします。

・市ヶ谷会館大型修繕(耐震補強)工事完了報告

2022年7月より開始された市ヶ谷会館大型修繕(耐震補強)工事が9月10日に無事完了しました。この修繕工事計画のためにご尽力頂きました皆様に感謝申し上げます。またルーテル市ヶ谷センター3階宿泊フロアもリニューアルされたことを併せて報告いたします。

・スオミ教会解散の件

今年4月のフィンランド・ルーテル福音協会(LEAF)から日本福音ルーテル教会への宣教師派遣終了決定を受けて、スオミ教会は9月開催の臨時総会において、日本福音ルーテルスオミ教会としては12月1日をもって解散、その上でフィンランド・ルーテル福音協会の教会として新たに教会形成をすることなりました。これを受けて、スオミ教会からの解散申請が今回承認されました。スオミ教会の新しい歩みの上に主の導きが豊かにありますことをお祈りいたします。

・西教区「開拓教会建築資金」の用途変更申請並びに「土地建物回転資金」未払利息の免除申請の件

西宮教会および西条教会から土地建物回転資金への返済を進捗させるため、開拓伝道資金のうち西教区のために確保されていた資金の利用ならびに未払利息免除について当該教会の申請と新たな返済計画と併せて西教区常議員会より申請が出されました。未払利息の免除については返済が15年近く遅れている状況と西教区としてこれを申請していることを鑑みた上で財務委員会においても「特認」としたことを確認の上、本件については承認されました。

・2024年度協力金・
教職給与の提案の件

各教区ならびに全体教会の諸活動がCOVID–19以前のものに戻りつつある中、次年度協力金については10%に戻すことが確認されました。また教職給与については、物価上昇を踏まえて0・5%のベースアップとすることが確認されました。個々の教会のご理解とご協力をお願い申し上げます。

・関係法人設立に関する要綱全面改正の件

「関係法人設立に関する要綱」ならびに「法人化志向園についての審議基準」は1983年に制定されましたが、その後の社会状況の変化を踏まえて、前総会期より財務委員会を中心に検討を重ねてきました。これまでの検討を踏まえて今回、「法人化志向園についての審議基準」を廃止し、「関係法人設立に関する要綱」を全面改定することとなりました。この要綱は「教会が諸活動を法人化しようとするとき、また既存の法人の運営を見直そうとするときに、ルーテル教会の基本的な方針として活用される」ことを目的とするものです。

その他の報告・議事等の詳細につきましては、各教会へ配信されました常議員会議事録にてご確認ください。

山内量平探訪記①

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

今から30年前、ルーテル教会は「宣教百年」に沸きました。1893年に、アメリカのルーテル教会からの宣教師、シェラーとピーリーが佐賀で宣教を始めてから100年目だったのです。この時に発行された『宣教百年の歩み』には、2人が宣教師に選ばれてから佐賀に来るまでが2ページにわたって書かれたあと、「やがて後を追って、日本語教師の山内量平夫妻が合流」とあります。
私はこれを読んで、「これから宣教を始めるときに、なぜ初めからいたのか?」と素朴な疑問を持ちました。
10年くらい前に、『山内量平・日本のルーテル教会初代牧師』(坂井信生著)という本に出会いました。その本を通じて、山内先生が和歌山県で劇的な回心を体験し、財産を処分して信徒伝道に献身し、やがて上京してルーテル教会の宣教師に出会ったことを知りました。ルーテル教会宣教開始は、宣教師が日本語教師を雇って始めたというより、宣教師と山内夫妻の共同事業でした。そういう準備が、和歌山でなされていたのです。
私は、「いつか、先生の回心の場所に立ってみたい。」と思うようになりました。昨年召された妻が残していたマイレージに背中を押されました。「そうだ和歌山、いこう。」というわけです。
2023年4月、南紀白浜に飛び、2泊3日と短いが、山内先生を偲ぶ旅ができました。これからその旅の思い出をお分かちしたいと思います。

聖書日課購読のお勧め

聖書日課は、ルーテル教会諸派の有志が共同で作成する、ルーテル教会の教会暦にそった日毎のみ言葉の説きあかしです。
執筆者はルーテル教会の先生方にお願いしており、日毎にみ言葉を味わうことができるようにしています。
是非、会員になって頂き、み言葉に満たされ、同時に文書宣教の業を支えて頂けたらと願っています。
刊行は年4回行われています。1月号から1年会員となって頂いた場合、年4回の配布で1800円、年度途中からの会員の方は1冊500円となっています。
いつでも入会可能です。
次回は4月号からの受付となります。年3回の配布で1500円(1冊500円)です。
お申込みは、聖書日課事務局にお申し出ください。
また、WEB会員は年会費1200円でご利用いただけます。WEBサイトからお申込みください。

ルーテル聖書日課を読む会事務局
〒162-0842
東京都新宿区市谷砂土原町1-1
日本福音ルーテル教会事務局内
TEL:03-3260-8631
FAX:03-3260-8641
E-mail:seishonikka@jelc.or.jp


24-01-01「聖なる地」

「主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。(出エジプト記3・4~6)

 新しい年を迎えました。皆様にとって2023年はどのような年だったでしょうか。辛いニュース、悲しいニュースの多い年ではありましたが、結婚や出産、就職、目標の達成といった、喜ばしい出来事を経験した方も多くおられたことと思います。
 私はと言いますと、大阪生まれの大阪育ちの人間にとって「アレ」、つまり阪神タイガースが日本一になったことは本当に嬉しい出来事でした。報道では38年ぶりと何度も大きく取り上げられました。
 実は私が人生の大きな節目を迎えたのは、まさに38年前です。大阪の町は日本一を目指して戦っている阪神タイガースの話題で持ちきりでした。しかし、高校3年だった私は通学の途中で強い衝撃を受ける出来事に遭遇します。私の目の前に赤ん坊を抱いたお母さんが歩いていたのですが、急に向きを変え、私の体にぶつかるようにして、そのままホームから電車に飛び込んでしまったのです。あっという間の出来事で、私は呆然と立ち尽くすだけでした。
 この出来事はそれ以降、何度も何度も脳裏によみがえりました。自分ができることが何かあっただろうか、何かしなければならないんじゃないか、という思いが心の底から湧き起こりました。
 私はクリスチャンだった母に連れられて幼い頃から教会に通っていましたが、熱心に聖書を学ぶタイプではありませんでした。その私が、自分の将来を神様に導いていただきたいと真剣に願い、熱心に聖書の言葉に耳を傾けました。やがて自分の目指す道は社会福祉であると示され、ルーテル神学大学入学後、牧師の召命へと結びついていきました。
 与えられました聖書個所には「モーセの召命」という見出しが付けられています。神の山ホレブで柴の間に炎が燃えており、それを目撃したモーセは「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」と呟きます。
 この箇所は、ルーテル教会の式文、教会起工式で読むことが勧められています。私の仕えている飯田ルーテル幼稚園でも、つい最近起工式が行われ、理事長の立場にある私が式典を執り行いました。
 しかし「いよいよ始まる」という喜びよりも、思いがけない資材の高騰で厳しい資金繰りを強いられる現実を前に、モーセのように神様を信じて歩み出す必要があることを強く感じながらの司式となりました。
 1911年4月1日に産声を上げた飯田ルーテル幼稚園は、100年を超えてこの地で福音を届け続けています。小規模ではありますが、キリスト教教育を続けてきた幼稚園と、それを支え続けた教会は、飯田に存在する「燃え尽きない柴」だと思うのです。「なぜあの柴は燃え尽きないのだろう。」そう思って近づいてくださる保護者の方々、子どもたち、地域の皆様に、神様の御力とイエス様の愛を示し続けるのです。
 時代的には伝道をしていく難しさが強調されますし、思うようにいかない時は、神様の守りがあるのを知りつつも、「わたしは何ものでしょう」とおびえ、尻込みしてしまいます。それでも神様は「わたしはある。わたしはあるという者だ」と力強くご自分を証しされ、「わたしは必ずあなたと共にいる」と言い切ってくださるのです。
 モーセの旅は40年の歳月を要します。その間に、民衆は神様を信じ続ける者と脱落していく者に分かれました。最後の最後まで神様を信頼した人々が約束された土地へと導かれていったのです。
 私たちが神様に入ることを許された「聖なる場所」とは、教会であると言えるでしょう。神様はそこに「燃えても燃え尽きない柴」の炎を明々と輝かせ、人々を招いておられるのです。
 現在、子育てをしている家庭のほぼ4割に、強い不安や孤独があり居場所がないと感じているということを耳にしました。高校生の時に目撃したあの光景を繰り返してはならない。あの母親のつきささるような眼差しを笑顔にしたい。私には再びそんな思いが与えられています。
 私たち一人一人の力は小さくとも、できることはそばにあります。この1年、共に祈り、支え合いつつ「わたしは必ずあなたと共にいる」と言ってくださる方を見上げつつ、日々を重ねてまいりましょう。

「燃える柴」 セバスチャン・ブルドン作、17世紀制作、エルミタージュ美術館蔵

23-12-01るうてる2023年12月号

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「主の母、マリア」

日本福音ルーテル久留米教会・田主丸教会・大牟田教会・長崎教会
牧師 西川晶子

「マリアは言った。「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように。」」(ルカによる福音書1・38/聖書協会共同訳)

  「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」ルカ福音書の受胎告知の場面で、天使ガブリエルがマリアに告げたこのあいさつは、クラシックの楽曲としても有名な「アヴェ・マリア」の元となった詞の一つです。
 「アヴェ・マリア」は伝統的に「聖母マリアに対し、罪のとりなしを祈る祈り」として唱えられてきたものですが、現代のルーテル教会やプロテスタント諸派においては、マリアを信仰対象とすることはありません。マルティン・ルター自身は当初、アヴェ・マリアを祈っていたこともあるようですが、彼自身の中で福音理解が深まっていくにつれ、ルターの中でマリアを信仰の対象とすることはなくなっていきます。しかしルターは、その後もマリアを軽視していたわけではなく、彼女が「主の母」「神の母」として尊敬されることはふさわしいことである、というようなことを言っています。しかしそれもまた、マリアがもともと私たちとは違う「聖なる方」であったから、というのではありません。
 マリアという人を私たちが想像しようとするとき、絵画などの、すでに母として完成された、包容力のある大人の女性である「聖母マリア」を思い浮かべがちではないでしょうか。しかし、この天使の知らせを受けたときのマリアは、おそらく当時の結婚適齢期とされる年齢の直前、10代前半の少女であったと考える方が自然です。
 それくらいのまだ幼いと言ってもよい少女が、天使に思いがけないことを告げられる。実際、ここでマリアは当初、喜ぶよりもむしろたいへん当惑し、考え込んでいます。マリアの身に突然起こったことは、とうてい信じられないようなことです。そしてこの先いったいどのようなことが起こるか、そもそも家族や婚約者ヨセフをはじめ、周囲の人々がこのできごとを信じてくれるかといったことも含めて、この時のマリアにとって、この受胎告知は、場合によってはマリア自身のいのちの危険さえ引き起こしかねないできごとであったはずです。このとき、マリアが天使の知らせを受け入れることは、神の子を身ごもることに伴って起こる、それらの困難をもまた引き受けるということでもありました。
 最終的にマリアは、天使の言葉に励まされ、「お言葉どおり、この身になりますように」という言葉で、その知らせを受け入れます。おそらくその先に起こることへの不安がなくなったわけではないでしょう。ヨセフとの関係、周りの人からどのように思われるか、また、まだ人として未成熟な自分が母となっていくこと…マリアは、これから自分の身に起こること一つ一つを生きていくことになります。
 私たちがマリアの中に模範となるものを見るとするならば、それは伝統的にマリアに付加されがちであった「清らかさ」「純潔」といったイメージではなく、このとまどいや恐れを抱えながらも、自分の中で始まろうとしている神様の救いのみ業を受け止めた、その「神に信頼して歩みだす姿」ではないでしょうか。
 そしてその中で、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力が」マリアに宿り、マリアを包むのです。これから、自分に起こることを引き受けていこうとするマリアの中に、生きて働く神のいのちが宿っている。マリア自身はただの少女にすぎませんが、しかしそのマリアをとおして、確かに神様のみ業が進んでいったのです。
 今から2000年前、少女マリアの中で始まったできごとによって、この世界のただ中に、神のいのちが受肉しました。神は、私たちの世界のただ中で、ひとりの小さな少女の中から、救いのできごとを始められました。私たちもまた、その神様のいのちに信頼したいと思います。私たちの現実の中にも訪れてくださる神様のいのちの働きを信じ、その方が与えてくださる人生を、勇気をもって引き受けて歩みたいのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊺ここにいるよ

「イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。」   ヨハネ20・16

 あれ、こんなに嬉しいんだ自分の名前を呼ばれると。そう思わされたのはある人に「〇〇さんおはようございます」と名前をつけて挨拶されたときでした。
 いろいろな機会に「挨拶するときは相手の目をなるべく見てお名前がわかるときはお名前をお呼びして挨拶をしましょう。」とは言ってきましたが、いざ自分が言われると嬉しいものですね。
 私が言ってきたことは間違いではなかったんだと改めて思いました。挨拶をするときその人の名前を言うと自分に言われたと思い嬉しいですよ。
 このようなことを言われたこともあります。「家の近くに〇〇の木があったのに、香りがしてここにもあったんだと初めて気づきました。」
 香りや花、他と比べて目立たないとわかってもらえないことがあります。「私はここにいるのに」そのようなときがあります。名前さえ呼んでもらえない。木も草も人もいろいろなものがそうであることが少なくないのです。
 でも誰かに気づいてもらえなくても必ずあなたや、木、草、一つ一つの名前を呼んでくださる方がおられます。それは神様です。
何で?それはいつも神様がそうだから。いくらそばにおられても「あなたを大切にしているよ」と囁かれてもなかなか誰にも気づいてもらえない。
 まるで他のものから比べると目立たなかったり、きれいではないからと気づかれず名前も呼んでもらえないいろいろなもののようです。自分の名前を呼ばれるって嬉しいものです。ほらあなたも呼んでみて「〇〇さんおはよう。」

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑦

関野和寛(日本福音ルーテル津田沼教会牧師)

 ルーテル津田沼教会は、1950年に開始されたルーテル市川教会の中山伝道所が前身となり、宣教を開始いたしました。1989年、千葉県習志野市の住宅街、現在の場所に移転し、今日に至っています。最近では30〜40名の対面、約60名のインターネット参加、合計約100名の方々と礼拝を行なっています。
 またインターネットを通しての献金をお献げいただいています。礼拝参加者の4割は既存の教会員、3割は新来会者、3割は他の教会の方々です。会員は高齢世代の方々が多いですが、同時に若者も多く参加しています。
 昨年より信徒牧会者育成を行い、信徒による牧会を実践しています。
 はじめて教会に来た人々への対応、健康上の理由で礼拝に参加できない方々への訪問やケアを信徒が主体的に行っています。今年、東教区、本教会から借入を行い外壁補強工事、そして駐車場をアスファルト化する事ができました。更には大きなピザ窯兼バーベキュー台を備える事ができました。
 また教区の伝道支援制度を用いて75インチ大型モニターを導入、牧師不在時の配信礼拝を試みたり、勉強会、映画会などを行なっています。
 教会の課題としては教会がまだまだ地域の人々が集う場となれていない事があげられます。ハードが整えられた今、今年は11月にオープンチャーチを行い、キッチンカーを呼び、ピザ窯でピザを振る舞い、ミニバザー、音楽会、牧師のレクチャーなどを盛り込んだイベントを行ない近隣の方々をお招きいたしました。ルーテル津田沼教会は「時代の灯火となる」を宣教テーマに掲げております。
 未来の教会の担い手を育て、そしてこの地に生活する人々の心の拠り所となれる教会を目指しています。

認定こども園玉名ルーテル幼稚園 上村 理恵(認定こども園玉名ルーテル幼稚園園長)

 本園は熊本県の北部、玉名市の中心部にあり静かな住宅街に位置しています。1954年に設立され今年70周年を迎えました。2015年に幼稚園から幼保連携型認定こども園に移行し、現在、0~5歳児の123名が在籍しています。
 初代園長の藤田先生は教育理念に「愛と信頼・感謝と希望」を掲げられ、愛されて育った子どもは人を信頼することを覚え、それは感謝の気持ちを育て、自分も人の役に立ちたいと希望を持つ人として成長することができるという、この想いが受け継がれてきました。これからもこの理念を胸に、保育の現場に立たせていただいていることの使命の重さを謙虚に受け止めて用いて下さる神様に感謝し、いつも子どもたちと共に成長できる一人でありたいと思います。
 また、70周年記念事業として新園舎が与えられ、園聖句を「わたしは雲の中にわたしの虹を置く」(創世記9章13節)とし、Restart(再出発)しています。園には虹を架けられた神様がいつも一緒にいて守っていて下さることを感じとることが出来る場所があります。階段踊り場のステンドグラス5枚(平和の虹と鳩・馬小屋のイエス様・ひつじ・ぶどう・天使)、見上げると虹がイメージできる「にじのへや」(ランチルーム)、ノアの箱舟の図書室、園庭への虹の階段etc. 子どもたちの笑顔で平和と希望がいっぱいになるようにと祈りが込められています。
 この70年の歩みに神様と関わってこられた全ての人に感謝して、これからもこの玉名の地でみんなに愛される玉名ルーテル幼稚園としてしっかりと歩んでいきたいと思います。

改・宣教室から

永吉秀人総会議長(日本福音ルーテル蒲田教会牧師)

 このコラムでは、これまでの「議長室から」を改め、「宣教室」から様々なルーテル教会関連の働きについてご紹介しています。
 「改」というシンボルの漢字は、「議長室から」を改めたという意味ではございません。これは今期の旗印として「悔い改め」の意味で掲げた「改」です。
 マルティン・ルターは、「九十五ケ条の提題」の第1条を、「私たちの主であり師であるイエス・キリストが、『悔い改めよ…』(マタイ4・17)と言われたとき、彼は信ずる者の全生涯が悔い改めであることを欲したもうたのである」と書き始めています。
 教会の宣教の歴史を振り返るとき、1517年の宗教改革運動の始まり以来、今日に至るまで、私たち教会は順風のときにも逆境の中でも宣教における様々な創意工夫を重ねてまいりました。今、改めてルターの言葉を聴き直すときに、教会もまたその全生涯が悔い改めとなるよう、イエス・キリストが欲しておられることを聴き取るのです。宣教とは、教会が社会と対峙し、そこに生きる人々と向き合い、これまでの自らの態度を悔い改めることによって起こされる出会いから始まるものでありましょう。
 宗教改革運動によりプロテスタント教会が生まれ始めて間もなく、ローマ・カトリック教会は自らの宣教を巻き返すがごとく、世界宣教を目指して未知の国々へと宣教師を派遣し始めました。このように、宣教とは絶えず前進し続けて来た教会の働きのように見えますが、実は派遣された場所に立ち止まることによってのみ、人々との出会いがあり、宣教の実が与えられて来たように、宣教とは「派遣されたところに立ち止まる」という歴史の積み重ねであったように受け止めています。
 この「宣教室から」というコラムでご紹介する一つ一つの働きは、まさに派遣されたところに立ち止まった人々の証言であり、そこに生きる人々と出会い、そこに寄り添われるキリストと共に生きている証しとして、私は感謝をもって受け取っています。その一つ一つの場から、派遣された人々の立ち止まる勇気に学び、立ち続ける忍耐と連帯し、そこで分かち合われている希望に、読者として私たちもあずかれるならば幸いです。

エキュメニカルな交わりから ⑲日本盲人キリスト教伝道協議会

⻆本浩(日本福音ルーテル神水教会・荒尾教会・松橋教会牧師)

  日本盲人キリスト教伝道協議会(以下、通称の「盲伝」と記します。)で理事をしている⻆本です。理事会は議長、副議長、書記の執行部の方々をはじめ、NCC加盟教会から選出されており、日本福音ルーテル教会からも一人選ばれています。現在、⻆本がこれを担っており、今回、理事としてこの団体について書くよう依頼されました。
 盲伝はコロナ禍の2021年に70周年を迎えました(その記念感謝会は翌2022年に開催)。今、私の手元にある点字キリスト教月刊雑誌『信仰』の最新号は1235号となっています。盲伝の公式ホームページには、「その母体となった「盲人キリスト信仰会」の歴史は大変古く、盲伝の発行している点字雑誌「信仰」…(中略)…この雑誌「信仰」の創刊は1915年(大正4年)にさかのぼります。」と記されているとおり、100年以上のつながりがあることがわかります。
 この文中にある「盲人キリスト信仰会」という名称は今も用いられているところがあります。私が住んでいる熊本でも「熊本地区盲人キリスト信仰会」があり、活動、交流が行われています(名称はそれぞれで、「盲信徒会」といった呼び名が主流かもしれません)。皆様のお住まいの地区ではいかがでしょう。もし活動を耳にされたら、ぜひご参加ください。喜ばれると思います。
 前述した『信仰』による文書活動のほか、点字図書の発行・取り次ぎ、全国修養会を通しての交流などが盲伝のおもな活動内容です。今年の8月にも福岡で1泊2日の修養会が行われ、私も行ってきました。75名ほどが参加され、楽しいひとときでした。
 盲伝事務局のスタッフのおひとりは、札幌教会の安藤惠さんです。みんなが認める盲伝になくてならない存在。締め切りギリギリになってこれを書きながら、この記事は安藤さんに書いてもらった方がよかったな、と後悔しています。より多くを知りたいときはどうぞ安藤さんにお聞きください。これからも盲伝に関わる方々に、神さまの祝福が豊かにありますように。

「教会讃美歌 増補」 解説㊼ 増補51番「愛がないと」

北川逸英(日本ルーテル教団池上教会・杉並聖真教会牧師)

 この歌詞は2011年7月、オートバイにずんどう鍋と肉、スパイスなどを満載し、東北に向かう途中で浮かびました。仙台まで何十㎞もある畑の中で、磯の香りがするのです。3月終わりに調布スタジアムで避難中の方々へ、河田チャプレンと、JELCの方々と共に炊き出した時に聞いた、ご夫婦の言葉が甦りました。
 「みんな変わってしまった。海岸線にあった松林の防風林は、丼にのる海苔のように剥がれた。畑の真ん中には、流された舟や車が突き刺さり、土に埋もれている。あったはずの物が無くなり、あってはならない物がそこに有る」
 この海から遠く離れた場所にも、津波が押し寄せてすべては埋もれてしまった。それでも4ヶ月後、被災者の方々とボランティアの方たちが、懸命に努力された事により、見事に高速道路は復興しました。
 何度か被災地を訪問しました。12年が経ってもまだ人の心には不安が埋もれている。だからこれからも信仰と希望を持って、愛といのちを運び続けます。

解説㊽ 増補51番「愛がないと」・26番「かみさま わたしのとなりびとは だれ」曲解説

西川亜紀(日本ルーテル教団旭川聖パウロルーテル教会会員)

 北の国からこんにちは。日本ルーテル教団から讃美歌委員会に加わっておりました西川です。今回は教会讃美歌増補51番「愛がないと」と26番「かみさま わたしのとなりびとは だれ」の作曲解説をいたします。まず51番「愛がないと」には元々は別のメロディが付いておりました。それは10年以上前に杉並聖真ルーテル教会に通っていた頃、讃美歌を作りたいと思い立って作った曲でした。ところがその一方で詞がなかなか思いつかず、お忙しい北川逸英先生にお願いして詞を作っていただきました。年月を経て新作讃美歌として増補に収録していただくことになった時、北川先生より詞に東日本大震災に対する復興支援の思いが込められていることをお聞きして、それならば私も同じ意識を持って作曲したいと考え、メロディを作り直しました。
 26番「かみさま わたしのとなりびとは だれ」では、讃美歌委員会の公募で採用された奈良部慎平さんの詞に曲を付けさせていただきました。シンプルで分かりやすく、元気なイメージの詞でしたので、教会学校の子供達を思い浮かべながらあっという間にできました。ポイントはサビで転調するところでしょうか。詞の前半にある疑問に対し「みんなともだち となりびと…」と突き抜けた明るさで答えるようなイメージで作りました。ぜひ皆様の教会でも賛美していただけると嬉しいです。

西教区主催「原発問題」学習会報告

秋山仁(日本福音ルーテル豊中教会・神戸東教会牧師・喜望の家代表)

 日本福音ルーテル教会は、2012年の全国総会で、「原発」問題について各教区において学習会を行うことを、申し合わせていましたが、西教区としては本当に遅ればせながら、9月30日(土)午後1時から、大阪教会会議室を会場にして、稔台教会牧師でNCC(日本キリスト教協議会)平和・核問題委員会委員長の内藤新吾牧師を講師として、「原発問題」の学習会をいたしました。
 内藤牧師の原発問題との取り組みは、名古屋に赴任した時に出会った一人の野宿労働者から聞いた、原発の労働現場の話が出発点だったそうです。労働者への安全対策がまったく無視され、労働者は常に被曝のリスクに晒され、そして健康上の保障も何もないまま使い捨てにされていった原発の労働現場。その実態を知ったことから、内藤牧師は原発問題に関わり始めたそうです。
 講演では、地震の多発地域である日本における原発の安全性の問題と、いまだに解決していない原発から生じる「核のゴミ」処理の問題、また、原発の燃料であるウランの採掘現場における労働者のすさまじい被曝の実態などが話されました。そして、何よりも原発の出発点は、広島・長崎に投下された原爆の開発であり、核に関わる全ての国際機関も、核大国による核の管理のためのものであり、「原発は核の平和利用である」という宣伝文句が欺瞞でしかないこと、原発を推進する根本的な動機が、核兵器の開発にあることなどが指摘されました。それはまた、日本政府と産業界による原子力政策の動機でもあるという指摘でもあります。最後には、福島でのALPS処理「汚染」水の排水問題との関連で、核廃棄物の再処理工場からの排水問題について、イギリスやフランスの実例、あるいは六ケ所村の実態をもとに話され、私たち自身が「正確な」情報と資料を注意深く収集することの必要性を強く感じさせられました。
 周知が遅かったため、会場参加が講師を除いて10名、ZOOM参加者は3名と少人数でしたが、2時間にわたり内容の濃い学習会を持つことができました。
 今回の学習会を通して、例えば「原発問題」に関する映画会の上映などという、教区、各地区、各個教会での継続的な取り組みについても、大きな示唆を得ることができました。この学習会を一度きりの企画に終わらせることなく、教会として(宗教界から)倫理的・神学的な視点から原発問題に発言していけるよう、私たちの学びを続けていきたいと考えています。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

イスラエルとパレスチナの平和を求める祈り

 エルサレムにある諸教会のリーダーたちは、イスラエルとパレスチナの平和を覚えて、10月17日を祈りと断食の日と定めました。この日、今回の戦争で苦境に立たされた人々や暴力に怯える家族の支援のためにエルサレムで礼拝がありました。LWF加盟教会のパレスチナルーテル教会(Evangelical Lutheran Church in Jordan and the Holy Land)は正義と平和のための祈りを呼びかけました。
 LWFは加盟教会に対して、イスラエルとパレスチナの命を奪われた人々のことを悲しみ、市民の安全と平和のために祈るよう呼びかけています。
 この呼びかけに応えてアメリカ福音ルーテル教会(ELCA)は10月17日を祈りと断食の日としました。インドネシアのルーテル教会(HKBP)は「戦争の終結、人道支援、平和と正義」の祈りをささげることを決定しました。ノルウェーのルーテル教会の監督は信徒に向けて平和の祈りを世界のクリスチャンとともに祈り、戦争の犠牲になったすべての人を覚えてローソクを灯すことを呼びかけました。
 カトリック教会のフランシスコ教皇は世界のカトリック信徒に向けて「聖地の教会と共に祈り、10月17日の火曜日は祈りと断食を」と声をあげました。世界キリスト教協議会(WCC)は「教会、そして心ある人々は、平和のために一致して祈り、愛する人を失った人たちと辛い思いをしている人々への支援を祈り求める」よう呼びかけました。

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

一日神学校報告

宮本新(日本ルーテル神学校教員・日本福音ルーテル教会牧師)

  今年の一日神学校は、9月23日(土・祝)に4年ぶりにキャンパスに皆さまをお迎えしての対面開催となりました。感染対策が継続されるなかではあるものの、チャペルでの開会礼拝は、久しぶりに大勢の人たちと賛美の声をあわせ、聖餐にあずかり、み言葉の糧を共にした恵み深くもまたよろこびのひとときでした。
 メインプログラムは、「関東大震災100年とディアコニア」をテーマにしたシンポジウムでした。コーディネーターは石居基夫学長、パネリストには、ともにルーテル学院の卒業生でもある髙橋睦氏(東京老人ホーム、常務理事)と山内恵美氏(母子生活支援施設ベタニヤホーム副施設長)をお迎えしました。いずれの施設も今から100年前、関東大震災時のルーテルの救援事業にルーツがあります。やがてそれぞれの働きは、特別養護老人ホーム、養護老人ホーム、軽費老人ホームなどからなる社会福祉法人東京老人ホーム、また墨田区・江戸川区で母子生活支援施設と保育園を運営する社会福祉法人ベタニヤホームへと歩みを進めてきました。
 シンポジウムでは、各パネリストから施設創立の歩みと祈り、そして今日まで施設が大切にされてきたことをお分かちいただきました。普段顔をあわせる機会は多くはないかもしれませんが、教会も施設も共にルーツをひとつにして、わかちあってきたビジョンがあることを確かめるようなひと時でした。あらためて年月とは、ただの数字ではなく、その時代を生きて歩んできた数多くの人たちの足跡と、その祈りの束を伝えるものと思わされました。ディアコニアの100年とはそういう意味なのかもしれません。
 シンポジウム後、いくつもの教会や団体がミニショップを出店し、対面ならではの賑わいを見せました。コロナ禍のオンラインから対面開催に戻すことも、また半日開催でお招きすることも、多くの議論を要し、容易なことではありませんでした。しかしそれでも心を寄せてお集まりいただいたところにある恵みは十分なものでした。お一人お一人の参加と、また遠くにある祈りと支えとに心から感謝を申し上げます。

「聖書日課・読者の集い」報告

松本義宣(ルーテル「聖書日課」を読む会 発行委員代表・日本福音ルーテル東京教会・東京池袋教会・板橋教会牧師)

  久しぶりの「聖書日課・読者の集い」が、10月23日~25日、日本福音sルーテル大阪教会(宿泊は「ホテル・ザ・ルーテル」)を会場に行われました。昨年はオンライン(Zoom)開催でしたが、対面(リアル)では4年ぶりの再開、参加者にとっては「再会」となりました。ブランクのため以前ほどではありませんでしたが、延べ34名の参加者でした。
 今回は、大阪教会の大柴譲治牧師を講師に、「ローマの信徒への手紙」を学びました。先生のご専門である牧会学・カウンセリングと長い牧会経験からの博覧強記、縦横無尽な語り口から、みことば(ローマ書)を通して福音の真髄に触れるお話しを伺いました。2日目夜の恒例「音楽と賛美の夕べ」では、京都教会員の泉川道子さんと大阪教会員で声楽家の森本まどかさんのご奉仕で、「教会讃美歌増補分冊1」からルターの教理コラールを歌い、美しい日本歌曲やオペラ・アリアも堪能しました。
 聖書日課の読者は、本来は各々の場(個人、家庭、諸施設、職場等)で「聖書日課」を通して「みことば」を共有していますが、この会は、顔と顔を合わせて、その恵みと喜びを分かち合う時、共に聖書の学びをするプログラムとして行われてきました。が、コロナ禍のブランクで様々な変化があり、以前は、聖書日課執筆者の研修も同時に行われて、読者と執筆者の交わりの時を持ちましたが、執筆者研修は別途オンライン開催となり、併せて発行委員の交代や事務局機能の移動などもあり、久々の読者の会も変化の中にあるのかもしれません。しかし、確認できたことが一つ、やはり共に集い、共にみことばに触れることの喜び、元々この「聖書日課・読者の集い」が持っていた意義を、コロナ禍でそれぞれの教会、集会、施設での集えない経験を経て、誰もが強く感じたことを、改めて再確認、深く受け止められたのではないかと思います。「聖書日課」の先見性!?です。

TNGユース部門主催 リーダー研修キャンプ報告

竹田大地(TNGユース部門長・日本福音ルーテル天王寺教会牧師)

 9月4日~7日、沖縄にてTNGユース部門主催の「リーダー研修キャンプ」が開催されました。本プログラムは、教会における次世代の担い手を養成するプログラムとして企画されています。参加者は2名でしたが、その分濃密に沖縄の戦争遺構(ガマなど)、普天間基地前での「普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会」、辺野古基地建設地前での抗議活動などをじっくりと体験し、伊江島では戦後、アメリカ施政権下の沖縄で米軍強制土地接収に反対する反基地運動をした阿波根昌鴻氏と活動を共にした謝花悦子氏からお話を聞く機会をいただきました。
 参加者たちは、聖書に学び、実際に沖縄に立つことにより、そこに息づく人びとの声にならぬ声を聞くことの大切さ、弱くされ排除されていく様を目の当たりにすることにより様々な思いと、決意を与えられ「一人一人の心を大切にする、そんな当たり前のことがこれから教会を、世界を担っていく私たちに今最も求められていること」だと感想に記しています。
 来年も沖縄で開催する予定です。どうぞその際には青年の皆様にご案内ください。

第31回春の全国ティーンズキャンプ開催

〈テーマ〉「最強の絆」
〈日時〉2024年3月26日(火)~28日(木)
〈会場〉千葉市少年自然の家(千葉県長生郡長柄町針ヶ谷字中野1591─40)
〈参加費〉
1万5千円(同一家庭から複数参加の場合は1名につき1万4千円)
〈参加対象〉
2005年4月2日~2012年4月1日生まれの方
〈応募締切〉
2024年2月18日(日)
〈申し込み〉
公式ブログよりお申し込みください
 
【同時募集】
スタッフ募集
〈募集人数〉若干名
〈募集資格〉
2005年4月1日
以前生まれの方
キャンプの全日程に
参加できる方
事前に開催される
Zoomでの研修会に
参加できる方

〈スタッフ応募締切〉
2023年12月末日
〈申し込み〉
公式ブログよりお申し込みください

23-12-01主の母、マリア

「マリアは言った。「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身になりますように。」」(ルカによる福音書1・38/聖書協会共同訳)

  「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」ルカ福音書の受胎告知の場面で、天使ガブリエルがマリアに告げたこのあいさつは、クラシックの楽曲としても有名な「アヴェ・マリア」の元となった詞の一つです。
 「アヴェ・マリア」は伝統的に「聖母マリアに対し、罪のとりなしを祈る祈り」として唱えられてきたものですが、現代のルーテル教会やプロテスタント諸派においては、マリアを信仰対象とすることはありません。マルティン・ルター自身は当初、アヴェ・マリアを祈っていたこともあるようですが、彼自身の中で福音理解が深まっていくにつれ、ルターの中でマリアを信仰の対象とすることはなくなっていきます。しかしルターは、その後もマリアを軽視していたわけではなく、彼女が「主の母」「神の母」として尊敬されることはふさわしいことである、というようなことを言っています。しかしそれもまた、マリアがもともと私たちとは違う「聖なる方」であったから、というのではありません。
 マリアという人を私たちが想像しようとするとき、絵画などの、すでに母として完成された、包容力のある大人の女性である「聖母マリア」を思い浮かべがちではないでしょうか。しかし、この天使の知らせを受けたときのマリアは、おそらく当時の結婚適齢期とされる年齢の直前、10代前半の少女であったと考える方が自然です。
 それくらいのまだ幼いと言ってもよい少女が、天使に思いがけないことを告げられる。実際、ここでマリアは当初、喜ぶよりもむしろたいへん当惑し、考え込んでいます。マリアの身に突然起こったことは、とうてい信じられないようなことです。そしてこの先いったいどのようなことが起こるか、そもそも家族や婚約者ヨセフをはじめ、周囲の人々がこのできごとを信じてくれるかといったことも含めて、この時のマリアにとって、この受胎告知は、場合によってはマリア自身のいのちの危険さえ引き起こしかねないできごとであったはずです。このとき、マリアが天使の知らせを受け入れることは、神の子を身ごもることに伴って起こる、それらの困難をもまた引き受けるということでもありました。
 最終的にマリアは、天使の言葉に励まされ、「お言葉どおり、この身になりますように」という言葉で、その知らせを受け入れます。おそらくその先に起こることへの不安がなくなったわけではないでしょう。ヨセフとの関係、周りの人からどのように思われるか、また、まだ人として未成熟な自分が母となっていくこと…マリアは、これから自分の身に起こること一つ一つを生きていくことになります。
 私たちがマリアの中に模範となるものを見るとするならば、それは伝統的にマリアに付加されがちであった「清らかさ」「純潔」といったイメージではなく、このとまどいや恐れを抱えながらも、自分の中で始まろうとしている神様の救いのみ業を受け止めた、その「神に信頼して歩みだす姿」ではないでしょうか。
 そしてその中で、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力が」マリアに宿り、マリアを包むのです。これから、自分に起こることを引き受けていこうとするマリアの中に、生きて働く神のいのちが宿っている。マリア自身はただの少女にすぎませんが、しかしそのマリアをとおして、確かに神様のみ業が進んでいったのです。
 今から2000年前、少女マリアの中で始まったできごとによって、この世界のただ中に、神のいのちが受肉しました。神は、私たちの世界のただ中で、ひとりの小さな少女の中から、救いのできごとを始められました。私たちもまた、その神様のいのちに信頼したいと思います。私たちの現実の中にも訪れてくださる神様のいのちの働きを信じ、その方が与えてくださる人生を、勇気をもって引き受けて歩みたいのです。

「受胎告知」エル・グレコ作・1590年・油絵・大原美術館蔵

23-11-01るうてる2023年11月号

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「老いの神学」

日本福音ルーテル田園調布教会・雪ケ谷教会牧師 田島靖則

「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。/同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ書46・3b〜4)

 通常この巻頭説教は、季節の聖書日課に基づいて作成されるようです。しかし、コロナ禍以降は私もご他聞に洩れず、毎週の礼拝説教をそれぞれの教会のホームページ上で動画公開しておりますので、日課通りの説教をご希望の方はどうかそちらをご覧ください。
 今から33年前、私は池袋のR大学で「老いの神学」と題した修士論文に取り組んでおりました。当時はまだ20代でしたので、テーマを考えると少々無謀な挑戦だったように思います。当時の私は、高齢者に対してある意味理想主義的なイメージを抱いておりました。歳を重ねるにつれて、人間はより思慮深くなり、その人生には深みが加えられるのだと、そのように想像しておりました。今朝、新聞の「人生相談コラム」で「最近の日本社会には、魅力的な人がいなくなった」と嘆く投稿が寄せられているのを見かけました。回答者は、「今も魅力的な人はいますが、目立つことができなくなったのだ」という分析を披露していました。良い意味でも悪い意味でも、目立つことによってSNSで批判に晒される昨今の風潮の中、誰もが萎縮せざるを得ないというわけです。その結果、他者に無関心に見える人が増えたように感じられる。路上で困っている人を見かけても、手を差し伸べて良いものかどうか尻込みしてしまう。世知辛い世の中になったものだと思います。こうなると、社会はますます無味乾燥な場所に感じられてしまう。私たちが生きているこの社会に、希望を感じている人は一体どのくらいいるのでしょうか?
「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。/同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」
 私がかかわる教会では、聖書研究会も現在はオンラインで行われます。前任者から引き継いだ旧約聖書イザヤ書の学びを続けています。ご承知のようにイスラエル統一王国は、サウル、ダビデ、ソロモンと3代続いた後分裂します。紀元前721年に北王国イスラエルは滅亡し、紀元前585年に南王国ユダも新バビロニア帝国によって滅ぼされます。バビロンで捕囚民となったユダヤ人は、その46年後に新たな征服者であるペルシャ王キュロスによって解放されます。その46年間の捕囚生活がユダヤ人の存在の根底を揺さぶり、「選ばれた民」としての誇りも、民族の希望も失われたかのように見える惨状を生んだのです。
 まさにそのような、夢も希望も潰えたように見える状況の中で、預言者イザヤは生き残ったユダヤ人たちに呼びかけます。イザヤ書を読み進むと、何もかも失った人たちを奮い立たせることは容易ではないと、思い知らされます。あらゆる言葉を重ねて、ユダヤの人たちをもう一度立ち上がらせようと、必死の思いでイザヤは「神の言葉」を取り継ぎます。
 まず、半世紀にわたる捕囚生活で生まれた神への不信が払拭されなければなりません。何しろ46年間苦しんでいた間、神は一体どこで何をしていたのか?という素朴で根本的な疑問に答える必要がありました。このお話を聞いて、「足あと(Foot Print)」と題された詩を思い出す方もおられるでしょう。1990年代に米国のキリスト教会で、作者不明の詩として話題となったあの詩です。キリストと共に自らの人生を振り返る時、そこにはいつも二人分の足跡が残されているのが見えました。自分の足跡とキリストの足跡でした。でも、不思議なことにその人が人生の中で一番苦しんでいた時には、一人分の足跡しか残されていない。その人はキリストに尋ねます、「私が一番苦しんでいた時に、あなたは何故一緒にいてくださらなかったのですか?」キリストは答えるのです。「あの時私は、あなたを背負って歩いていた」と。
 この「足あと」にモチーフを与えたのは、イザヤ書46章の言葉だと思います。「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」という神の言葉は、信じるに値する言葉です。今や大切なものはほとんど失われてしまったと感じる時、「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。」という言葉を思い出したいのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊹私も?

天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。」詩編19・2

 「どうしていつも笑っているの?そして何でいつもお礼が言えるの?」と言われ思わずこう聞き返していました。「えっ私笑ってる?」あまりにも最近いろいろなことを経験したので自分は笑い方を忘れているのではないかと不安になっていました。私笑顔を忘れていなかったんだ。
 冒頭の言葉は先日入院したとき隣のベッドの方に言われました。私とは病名は違いますがその方の病気も進行性で苦労されていたから投げかけられた言葉だったのか、どのような気持ちで投げかけられたのか私にはわかりません。その言葉は私に、私は笑顔を忘れていないことも、ありがとうと言える心が残っていることをも思い出させてくれました。そして自分が周りに笑顔と感謝を伝えていたことに気づかせていただきました。用いてられるってこういうことなのでしょうか?
 逆に強いメッセージを込めているものもたくさんあります。その一つによく食卓で見かける絵があります。ただそれを見ると、どれだけの人がその絵の作者を知り、どれだけの人がその絵の意味を…と思うとおかしくなります。ましてや見た人がその絵の解釈をその絵を載せた人の意図しなかった方向で解釈していたとしたら。用いられるってどういうこと?作者は神様です。
 一人一人は神様によって造られました。神様ご自身の勝手な思いではなく一人一人への神様からの愛が込められています。そして一人一人を通して一人一人が出会う人へ神様が愛をお伝えになります。受け取る人それぞれのかたちで。

改・宣教室から

小泉基 宣教室長(日本福音ルーテル 札幌教会牧師)

 ―佐伯さんには、3年前に社会委員会が発行した『多様な性を知るために』の執筆で全面的にお世話になりました。もともとセクシャリティーの事柄について関心をお持ちだったのですか?

 佐伯 長年、小・中学校の養護教諭として仕事をしてきました。小学校で保健室登校を支えて落ちついた子が、中学校で荒れて自殺未遂をしてしまうようなことがあり、その子に宿題をもらった思いで「いのちの学習」に取り組むようになりました。そこから性の問題への関心につながりました。

 ―今の学校現場で、セクシャルマイノリティーの子どもたちは、どんな辛さを経験していくのでしょうか。

 佐伯 誰にも言えずに葛藤を抱えて過ごしている子が多いと思います。友人に言うと嫌われ、いじめられるかもしれない。先生に言うと親に伝わって親が悲しむかもしれないとも思うでしょう。孤立したり、自分を守るために当事者ではないふりをして周囲の差別的な言動に同調したりする子たちもいます。ただ、少しずつですが学校でカミングアウトする子も増えています。学校の性教育指導体制が問われますが、個人で頑張っている教員はおられても、組織としてはまだまだ準備不足です。

 ―キリスト教会の役割について、考えておられることがありますか?

 佐伯 教会は、祈りの場であるとともに出会いの場です。教会員であるなしにかかわらず、迷い悩みを抱える人、悲しんでいる人、困難を抱えている多様な人たちが安心して出入りし、語りあうことができる場です。ただそのことを、当事者たちが知らなければ、また知っていても教会の雰囲気がオープンでなければ、その役割は果たせません。教会員がセクシャルマイノリティーやその他の差別の現状について、学んだり、話し合ったりできれば、この課題について教会の役割が見えてくるかもしれません。

 ―ありがとうございました。大切にしている聖書の箇所があれば、教えてください。

 佐伯 「何事にも時があり」(コヘレトの言葉3・1)です。「置かれた場所で咲く」ことを大切に生きてきました。いろいろ困難な職場で仕事をしましたが、その都度「神様が準備してくださった時と場所」と受け止め、子どもたちとの出会いを感謝し、頑張ることができました。後で、本当に神様が時を選んで与えてくださったと思うことばかりでした。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑥

日本福音ルーテル千葉教会 小澤周平(日本福音ルーテル千葉教会牧師)

 千葉教会の会堂は、JR総武線稲毛駅から徒歩3分の場所にあります。東教区としては関東の東端。新来会者が足を運びやすい一方で、会員は広い地域から礼拝に集まります。
 都市部の便利さと房総の自然の豊かさを併せ持つ千葉の地にて、1950年代にP. C. ジョンセン宣教師を中心としたルーテル教会の伝道活動が始まりました。西千葉の宣教師館の時代を経て、1956年には稲毛の地に会堂が与えられ、千葉教会の群れが育まれました。初代の会堂は米軍キャンプ用のカマボコ型の質素な建物でしたが、すぐに手狭になりました。より多くの人と礼拝を守るため6年後に会堂を新築。その約30年後に2度目の会堂建築を経験し、現在に至っています。
 宣教活動は地域に意識が向けられてきました。日曜礼拝後の「うどん食堂」(実際には毎週多彩なメニュー)は知る人ぞ知る癒しの空間。道行く若者が招かれたことも。主にある交わりの場によって信仰生活が豊かになった人も少なくなかったことでしょう。バザー等の行事も盛んに行われてきました。また、親子世代は、教会学校だけでなく平日の育児サークルを通して共に成長の機会が与えられました。
 千葉ベタニヤホームとの繋がりも強く、特に若葉区の旭ヶ丘母子ホームおよび旭ヶ丘保育園とは、共に支え合って歩んできました。現在も同施設では、礼拝が守られ、千葉教会の牧師はチャプレンとしての務めを与えられています。
 同じ県内の銚子教会は1950年代から集会を記録する歴史ある群れですが、1969年に横芝教会と合併し、1983年に千葉教会の集会所となりました。現在は、第1日曜日とイースター、クリスマスに礼拝を守り、銚子における信仰者の灯台として輝き続けています。
 近年は、千葉教会も例に漏れず、少子高齢化と感染症拡大の影響で様々な活動の休止と見直しを余儀なくされています。総武地区の教会とも連携しながら、新しい時代の宣教のあり方を模索していきたいです。主の導きを祈りつつ。

九州ルーテル学院幼稚園 谷美和(九州ルーテル学院幼稚園園長)

 1947年、宣教師として九州女学院に赴任されたヘルティ・ブライドル先生を初代園長として旧九州女学院幼稚園が設立されました。学校の体育館の更衣室を保育室として誕生した園児21名の小さな園だったそうです。現在、本園には160名ほどの園児と33名の職員が過ごしています。また開園から76年、4500名余りの卒園生を送り出してきました。今では、親・子・孫といった3世代にわたって入園される方もいらっしゃいます。
 2001年に中学・高校の共学化に伴い校名が変更され、本園もルーテル学院幼稚園へと改称しました。さらに2015年には、0歳から就学までのすべての子どもたちに一環した教育・保育を行うことを目的に、幼保連携型認定こども園へと移行しました。
 学院の同敷地内には、中学・高等学校・大学が併設されており、その一番奥にこども園は位置しています。学院内の恵まれた環境の中にある緑豊かな園庭は、子どもたちにとって神様が下さった宝箱のようなものです。季節ごとに移り変わる身近な自然に親しんで過ごすことができます。ツマグロヒョウモンがさなぎからチョウになるところを観察したり、新入園児さんがダンゴムシを集めているうちに涙が止まったりと、小さな生き物・出来事が子どもたちの目に輝きを与えてくれます。
 コロナが5類になった今年は、年長児が梅を収穫し「うめジュース」を作り保護者の方にも飲んでいただくことができました。美味しいと好評でした。夏にはピーマンの収穫です。塩昆布であえて給食でいただきました。苦手な子どもたちも自分で育てたピーマンだったからか「おいしい」と微妙な笑顔で食べていました。
 神様が与えてくださる恵みに感謝し、人や自然にかかわる体験を通し、一人一人の「感じ方」に向き合い、認め合い、豊かな感性を育んでいきたいと思っています。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

LWFアセンブリー報告「キリストの体における一致」

 LWF(世界ルーテル連盟)は、99カ国の150教会が加盟するルーテル教会の世界組織で、信徒総数は七千七百万人を数えます。日本福音ルーテル教会(JELC)は1952年から加盟しています。9月13日から19日にかけてポーランドのクラカウで第13回アセンブリー(総大会)が開催され、約千人が参加者しました。今回のテーマはエフェソの信徒への手紙4章4節から選ばれ「One Body, One Spirit, One Hope(ひとつの体、ひとつの霊、ひとつの希望)」となりました。このテーマに関連してインドネシアの神学者ベニー・シナガ博士が行った講演の一部をご紹介します。
 「私たちはコミュニオンという教会の体を構成しています。体としての教会を一つに保つにせよ、暴力と支配から人の体を守ることにせよ、体はつなぎとめておかねばなりません。」飢えや争い、差別や抑圧など様々な苦しみで人間の体が壊れていると、シナガ博士は呼びかけました。「神の霊は一つ。ですから教会も一つでなければなりません。分裂はあってはならないのです。」「ところが戦争、不平等、暴力、分極化、差別、ヘイト、飢えによってばらばらになっています。」シナガ博士は、クラカウ近郊のアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所やウクライナ侵攻による戦争といった現代の恐怖を引き合いに出し語りました。チャド、コンゴ、ハイチ、マダガスカル、イエメンなどの貧しい国では子どもたちが飢餓と栄養不良で病気を患い、体が悲鳴をあげています。「世界のどこかが空腹になれば、世界が病気になるのです。」
 COVID-19で数百万人が犠牲になったことに触れその経験から「毎日呼吸している空気の大切さ、家族のありがたさ、一つの体として共に礼拝する教会の大切さ、そして人々の思いやりの尊さが身にしみました。」
 女性牧師のシナガ博士は、女性が今でも暴力や差別、従属、ヘルスケアへの無理解、政治参加の厳しさといった問題が根強いことを指摘しました。そうしたなか、彼女が属するバタックのHKBP教会では大きな進展があり、女性も神学教育を受けられるようになり、1986年にはバタック初の女性按手が誕生、今日まで二千人以上が牧師、説教者、社会奉仕者、伝道師あるいは長老として按手を受けたとのことです。
 シナガ博士は講演を次の言葉で締めくくりました。「キリストの自己犠牲という果実から一つの体が出来上がります。この果実が敵意、差別、拒絶、分極化、戦争、不平等、ヘイト、不義を打ち砕いていくのです。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

「ルーテルアワー」紙を発行しています

佐藤和宏(日本福音ルーテル藤が丘教会牧師・東教区伝道奉仕部)

 「ルーテルアワー」紙は、東教区インターネット伝道が運営する、ウェブサイト「ルーテルアワー」の記事を転載したものです。聖書やキリスト教に興味を持つノンクリスチャンを主な対象と位置づけていますが、インターネット環境のない方にもご覧いただけるようにと、本紙の発行を始めました。
 内容は『人生の問い』(賀来周一先生)、『聖書の学び』(賀来周一先生、内海望先生)、『ルーテル教会の音楽家』(徳善義和先生)、『キリスト教Q&A』(ルターさん)など、それぞれシリーズでお届けしています。信徒の皆さんはもちろん伝道用に適した、分かりやすい内容となっていますから、学校、幼稚園そして保育園でも園児のご家族をはじめ、ノンクリスチャンの職員の皆さんにキリスト教や聖書を知っていただく機会としてふさわしいものです。
 9月には「秋号」(第2号)を発行し、お申し込みいただいた全国の23教会6園に計2338部をお送りすることができました。お申し込みをいただければ、必要部数を無料にてお送りいたしますので、ぜひご検討ください。
 また「ルーテルアワー」では、公式LINEを開設し、記事の更新情報をお届けするとともに、質問等を受け付けています。ぜひお友だち登録してください。
 次号は「クリスマス号」として、12月に発行予定です。これを機に、新規で申し込みたい、クリスマスだから追加で申し込みたい、とお考えの方がありましたら、11月10日頃までに、QRコードよりメールにてお申し込みください。

2023年度ルーテル社会福祉協会総会報告

髙橋睦(東京老人ホーム常務理事ルーテル社会福祉協会会長)

 毎年8月に行ってきた当会の総会(研修会を含む)は、4年ぶりの対面(一部リモート参加を含む)開催が、熊本の慈愛園児童センターを会場に8月21日(月)~22日(火)に開催されました。
 当会会員の10法人とるうてる法人会連合から李事務局長も参加をいただき、リモート参加を合わせるとおよそ70名の総会となりました。
 1日目は、慈愛園の見学、角本浩牧師による開会礼拝の後、九州ルーテル学院准教授西章男先生を講師に迎え、「弱さを誇れる支援者の支え手」というテーマでワークショップを含めた研修を行いました。
 エッセンシャルワーカーと言われる私たちですが、自身もその痛みを抱え、その痛みを職員間で軽くしたり和らげたりすることにより、よい援助ができる事を学びました。現場を思い出しながら演じて実感したり、確認したりと普段出さない大きな声や笑顔があふれた研修となりました。そのような現場に卒業生を送り出す学校の教師の立場から、講師の西先生自身もソーシャルワーカーとして感じていたこと等、お土産一杯の研修となりました。
 夜は、慈愛園傍の店を貸し切り(感染症対策)で楽しい懇親会。久しぶりの顔や、リモートでの打合せだけの仲間と会うことができ、大いに盛り上がっています。
2日目は、22年度事業及び決算の報告、23年度の計画、予算の説明を行い、(承認は書面で実施)次回開催の地域、方法などについて提案・協議を行いました。
 会場からは、「今回の総会を踏まえ、研修部分は、リモートによる参加を併用することに合わせて、さらに録画の配信を行えば、平日の同じ時間には参加できない職員も参加が可能なので、そのようにして欲しい」という提案もありました。
 その後の時間はアピールタイムとし、ベタニヤホーム、東京老人ホーム、光の子会が創立100周年や日々の活動についてのアピールを行いました。
 全プログラム終了後、小泉嗣牧師による祈りをもって閉会しました。

「教会讃美歌 増補」 解説㊺ 増補48番 「まことに まことに」

北川逸英(日本ルーテル教団池上教会・杉並聖真教会牧師)

 48番は歌集『うたえ 暗闇にとどまることのないように』からの転載です。作者は援助修道会のシスター・クララ・三浦ふみ氏。2018年7月28日に、聖イグナチオ教会で終生誓願を立てられました。シスター三浦は学生時代から、日本でテゼ共同体の祈りを紹介し歌い続ける、日本聖公会の植松功氏と共に、チェロ演奏などで活動に参加されてきました。
 2016年フランス留学中に、植松氏を通じて増補試用版をお送りした際には、日本語の歌を懐かしまれて、宿舎で掲載32曲をすべて歌われ、貴重な示唆を与えてくださいました。心より感謝します。
 この歌はルカによる福音書23・43のイエスさまのみ言葉から生まれました。「まことに」と訳されている言葉は、ギリシャ語でアーメン。イエスさまの「そのようになる」という強い約束のみことばです。この歌は多くの人が愛する、テゼ共同体の歌「イエスよみ国に(Jesus,remember me)」のAnswer Song=応答歌です。
 「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」というルカによる福音書23・42の罪人からの願いに、イエスさまは「アーメン」と、力強く答えてくださいます。

解説㊻ 増補49番「わたしたちが暗闇に留まることのないように」

北川逸英(日本ルーテル教団池上教会・杉並聖真教会牧師)

 この歌は歌集『うたえ 暗闇にとどまることのないように』の表題曲です。タイトルに(キリストは光として)という言葉が付され、作詞者名は無く、書き出し歌詞の後に(ヨハネによる福音書12・46)と記されます。
 「短い言葉をくり返し唱える」という祈りの歌の形式は、昔から礼拝の伝統にあったようです。しかし、フランスにある超教派の男子修道会テゼで歌われる歌は、そのような形式の歌・祈りのすばらしさをあらためて人々に伝え、テゼの歌は世界中で歌われるようになりました。」(歌集『うたえ暗闇にとどまることのないように』改訂増補版の巻頭言「聖霊がわたしたちの中で歌い 聖霊がわたしたちの中で祈る」冒頭より抜粋)
 この歌集は、テゼによって起こった、エキュメニカルな運動から日本で生まれました。これまで日本で歌われた賛美歌の多くは、外国語歌詞に合わせて作られた曲に、翻訳日本語歌詞を載せて歌うものでした。しかしいま、塩田泉司祭の作品を中心に、日本語聖書の言葉がそのまま歌われます。わたしたちは共に主を賛えて主に祈る、一つの教会へと誘われています。

公告

この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。

2023年11月15日
宗教法人日本福音ルーテル教会

代表役員 永吉秀人
信徒利害関係人 各位
横浜教会土地一部売却
所在地 横浜市神奈川区松ケ丘
所有者 日本福音ルーテル教会
地番  8番5、8番4の一部
地目  宅地
地積 2筆合計1046.3平方メートル(公簿)の一部425.57平方メートル
価格 1千万円
理由 売却のため(売却先田畑顕蔵様
(株)コーラム企画)

23-11-01老いの神学

「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。/同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」(イザヤ書46・3b〜4)

 通常この巻頭説教は、季節の聖書日課に基づいて作成されるようです。しかし、コロナ禍以降は私もご他聞に洩れず、毎週の礼拝説教をそれぞれの教会のホームページ上で動画公開しておりますので、日課通りの説教をご希望の方はどうかそちらをご覧ください。
 今から33年前、私は池袋のR大学で「老いの神学」と題した修士論文に取り組んでおりました。当時はまだ20代でしたので、テーマを考えると少々無謀な挑戦だったように思います。当時の私は、高齢者に対してある意味理想主義的なイメージを抱いておりました。歳を重ねるにつれて、人間はより思慮深くなり、その人生には深みが加えられるのだと、そのように想像しておりました。今朝、新聞の「人生相談コラム」で「最近の日本社会には、魅力的な人がいなくなった」と嘆く投稿が寄せられているのを見かけました。回答者は、「今も魅力的な人はいますが、目立つことができなくなったのだ」という分析を披露していました。良い意味でも悪い意味でも、目立つことによってSNSで批判に晒される昨今の風潮の中、誰もが萎縮せざるを得ないというわけです。その結果、他者に無関心に見える人が増えたように感じられる。路上で困っている人を見かけても、手を差し伸べて良いものかどうか尻込みしてしまう。世知辛い世の中になったものだと思います。こうなると、社会はますます無味乾燥な場所に感じられてしまう。私たちが生きているこの社会に、希望を感じている人は一体どのくらいいるのでしょうか?
「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。/同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」
 私がかかわる教会では、聖書研究会も現在はオンラインで行われます。前任者から引き継いだ旧約聖書イザヤ書の学びを続けています。ご承知のようにイスラエル統一王国は、サウル、ダビデ、ソロモンと3代続いた後分裂します。紀元前721年に北王国イスラエルは滅亡し、紀元前585年に南王国ユダも新バビロニア帝国によって滅ぼされます。バビロンで捕囚民となったユダヤ人は、その46年後に新たな征服者であるペルシャ王キュロスによって解放されます。その46年間の捕囚生活がユダヤ人の存在の根底を揺さぶり、「選ばれた民」としての誇りも、民族の希望も失われたかのように見える惨状を生んだのです。
 まさにそのような、夢も希望も潰えたように見える状況の中で、預言者イザヤは生き残ったユダヤ人たちに呼びかけます。イザヤ書を読み進むと、何もかも失った人たちを奮い立たせることは容易ではないと、思い知らされます。あらゆる言葉を重ねて、ユダヤの人たちをもう一度立ち上がらせようと、必死の思いでイザヤは「神の言葉」を取り継ぎます。
 まず、半世紀にわたる捕囚生活で生まれた神への不信が払拭されなければなりません。何しろ46年間苦しんでいた間、神は一体どこで何をしていたのか?という素朴で根本的な疑問に答える必要がありました。このお話を聞いて、「足あと(Foot Print)」と題された詩を思い出す方もおられるでしょう。1990年代に米国のキリスト教会で、作者不明の詩として話題となったあの詩です。キリストと共に自らの人生を振り返る時、そこにはいつも二人分の足跡が残されているのが見えました。自分の足跡とキリストの足跡でした。でも、不思議なことにその人が人生の中で一番苦しんでいた時には、一人分の足跡しか残されていない。その人はキリストに尋ねます、「私が一番苦しんでいた時に、あなたは何故一緒にいてくださらなかったのですか?」キリストは答えるのです。「あの時私は、あなたを背負って歩いていた」と。
 この「足あと」にモチーフを与えたのは、イザヤ書46章の言葉だと思います。「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」という神の言葉は、信じるに値する言葉です。今や大切なものはほとんど失われてしまったと感じる時、「あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。」という言葉を思い出したいのです。

瞑想する哲学者 レンブラント・ファン・レイン 1632年 ルーブル美術館

23-10-01不信仰を赦す神

「その子の父親はすぐに叫んだ。『信じます。信仰のないわたしをお助けください。』」(マルコによる福音書9・24)

 「不信仰は主要な罪であり、すべての罪の中の罪であるのだから、罪の赦しとはもっぱら不信仰の赦しであるに違いない。」アメリカのルーテル教会の神学者であるロバート・ジェンソンは、その神学的自伝の中で自身の神学生時代を振り返り、当時強く影響を受けた19世紀スウェーデンの信徒説教者カール・オロフ・ロセニウスの言葉を紹介します。ロセニウスは、神が私たちの不信仰―神を信じられないということ―を赦されると言うのです。そしてジェンソンは、それまでこの当たり前のことに気が付かなかったと告白します。
 1521年のヴォルムス国会で帝国アハト刑を受けたマルティン・ルターは、その帰途、誘拐を装って姿を消します。それは、彼の領主がルターを守るために行ったことでした。そこから1年近く、ルターは安全のためヴァルトブルク城にかくまわれて過ごしました。その間、精力的に取り組んだ執筆活動には、1522年に出版された新約聖書の翻訳も含まれます。ルター不在のヴィッテンベルクではしかし、ルターの同僚たちの手によって改革が急激に推し進められました。急進的な改革は街に混乱をもたらし、それは騒乱へと発展します。そのような中、1522年3月にヴィッテンベルクへ帰還したルターは、1週間にわたって説教を行います。それは、ヴァルトブルクに留まるように言う領主に対して、ヴィッテンベルクの教会の招聘を受けた牧師であることを根拠に自分の帰還を正当化した彼のアイデンティティによく合致したものでした。
 同年5月から翌年初頭にかけて、ルターはペトロの手紙一の連続説教を行います。彼は、この書簡の冒頭に登場する「イエス・キリストの使徒ペトロ」の「使徒」という言葉を、「語る者」、「口頭で宣べ伝える者」と、若干強引とも思える解釈をして、「書かれた文字」ではなく、「生きた声」である説教を一ペトロ全体のテーマに据えます。そうして行われた連続説教は、ある種、福音説教についての説教と言えるような内容でした。福音説教とは何かを明確にし、説教者を育てることこそ、まだはじまったばかりの改革運動には何よりも必要なことだったのでしょう。ルターの同僚さえも改革を急進的に推し進め、混乱を引き起こす中では、福音をはっきりと語る説教こそが求められていたのです。混乱した街を回復させ、教会改革を進めるためにルターが最重要視し、また最優先に取り組んだことが福音の説教であるということは、言い換えれば、ルターがどれほど、説教―宣べ伝えられた神のことば―がその聞き手に働く力を信頼していたかということでもあります。説教を神が語る出来事として捉えていたルターは、他の何ものでもなく、説教をこそ、伝道の要に据えたわけです。
しかしルターは、人間の限界をも理解していました。たとえ説教者が神のみことばと格闘し、言葉を慎重に選んで十分に準備した説教をもって福音を明確に語ったとしても、それでも人間の力によっては、説教者自身にも、また、説教を聞く者にも信仰をもたらすことができないと、ルターは知っていたからです。語られたみことばを通してその聞き手のうちに信仰をつくりだすことができるのは神だけであると、信仰とは、神が私たちに働かれる神の業であると、ルターは知っていたからです。しかしだからこそ、ルターはみことばが語られることを、説教を、伝道の中心と理解しました。全力を尽くしてもなお不完全である人間を神があえて用い、信じられないという葛藤を生きる私たちに語るということである説教を通して働く神の恵みと憐みを、彼は信頼したのです。
宗教改革をおぼえるこの時期、私たちはあらためて立ち返ります。信じられない私たちに語りかけ、私たちの不信仰をも赦して私たちをその愛する子どもとする神こそが、私たちの神であるというよい知らせに、そしてそれが何よりも、説教を通して私たちのもとに届くのだということに。アーメン。

聖マリエン聖堂(ヴィッテンベルク)の祭壇画(下部) ルーカス・クラナッハ作・1547年

23-10-01るうてる2023年10月号

機関紙PDF
※巻頭説教が落丁しており、11月号に再掲載しております。

「不信仰を赦す神」

日本福音ルーテル三鷹教会牧師・ルーテル学院大学チャプレン 高村敏浩

「その子の父親はすぐに叫んだ。『信じます。信仰のないわたしをお助けください。』」
(マルコによる福音書9・24)

 「不信仰は主要な罪であり、すべての罪の中の罪であるのだから、罪の赦しとはもっぱら不信仰の赦しであるに違いない。」アメリカのルーテル教会の神学者であるロバート・ジェンソンは、その神学的自伝の中で自身の神学生時代を振り返り、当時強く影響を受けた19世紀スウェーデンの信徒説教者カール・オロフ・ロセニウスの言葉を紹介します。ロセニウスは、神が私たちの不信仰―神を信じられないということ―を赦されると言うのです。そしてジェンソンは、それまでこの当たり前のことに気が付かなかったと告白します。
 1521年のヴォルムス国会で帝国アハト刑を受けたマルティン・ルターは、その帰途、誘拐を装って姿を消します。それは、彼の領主がルターを守るために行ったことでした。そこから1年近く、ルターは安全のためヴァルトブルク城にかくまわれて過ごしました。その間、精力的に取り組んだ執筆活動には、1522年に出版された新約聖書の翻訳も含まれます。ルター不在のヴィッテンベルクではしかし、ルターの同僚たちの手によって改革が急激に推し進められました。急進的な改革は街に混乱をもたらし、それは騒乱へと発展します。そのような中、1522年3月にヴィッテンベルクへ帰還したルターは、1週間にわたって説教を行います。それは、ヴァルトブルクに留まるように言う領主に対して、ヴィッテンベルクの教会の招聘を受けた牧師であることを根拠に自分の帰還を正当化した彼のアイデンティティによく合致したものでした。
 同年5月から翌年初頭にかけて、ルターはペトロの手紙一の連続説教を行います。彼は、この書簡の冒頭に登場する「イエス・キリストの使徒ペトロ」の「使徒」という言葉を、「語る者」、「口頭で宣べ伝える者」と、若干強引とも思える解釈をして、「書かれた文字」ではなく、「生きた声」である説教を一ペトロ全体のテーマに据えます。そうして行われた連続説教は、ある種、福音説教についての説教と言えるような内容でした。福音説教とは何かを明確にし、説教者を育てることこそ、まだはじまったばかりの改革運動には何よりも必要なことだったのでしょう。ルターの同僚さえも改革を急進的に推し進め、混乱を引き起こす中では、福音をはっきりと語る説教こそが求められていたのです。混乱した街を回復させ、教会改革を進めるためにルターが最重要視し、また最優先に取り組んだことが福音の説教であるということは、言い換えれば、ルターがどれほど、説教―宣べ伝えられた神のことば―がその聞き手に働く力を信頼していたかということでもあります。説教を神が語る出来事として捉えていたルターは、他の何ものでもなく、説教をこそ、伝道の要に据えたわけです。
しかしルターは、人間の限界をも理解していました。たとえ説教者が神のみことばと格闘し、言葉を慎重に選んで十分に準備した説教をもって福音を明確に語ったとしても、それでも人間の力によっては、説教者自身にも、また、説教を聞く者にも信仰をもたらすことができないと、ルターは知っていたからです。語られたみことばを通してその聞き手のうちに信仰をつくりだすことができるのは神だけであると、信仰とは、神が私たちに働かれる神の業であると、ルターは知っていたからです。しかしだからこそ、ルターはみことばが語られることを、説教を、伝道の中心と理解しました。全力を尽くしてもなお不完全である人間を神があえて用い、信じられないという葛藤を生きる私たちに語るということである説教を通して働く神の恵みと憐みを、彼は信頼したのです。
宗教改革をおぼえるこの時期、私たちはあらためて立ち返ります。信じられない私たちに語りかけ、私たちの不信仰をも赦して私たちをその愛する子どもとする神こそが、私たちの神であるというよい知らせに、そしてそれが何よりも、説教を通して私たちのもとに届くのだということに。アーメン。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊸できるよ

 「ここでいう主とは、〝霊〟のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。」コリントの信徒への手紙二3・17

 カタン、カタン、ゴトゴトゴト。
 「カーテン開けてもいいですか?」シャー。入院中お一人おひとりのベッドはカーテンで仕切られていました。
 朝、一人の方のカーテンを開けるとその方はベッドの上に乗って何かをされておられ、いつも寝たきりが多かった方が今ベッドの上に乗って荷物を整理されている。
 「やれるうちにやっちゃいたいと思ってさ」いつもと比べると信じられないほど動いておられました。
 やれるうちに…。あっ同じだ。私も治療がうまく効いたとき、急にできたことがあり(すぐにできなくなったが)、できるうちにと頑張った覚えがあります。こんなに極端でなくても私たちは多かれ少なかれできなくなる経験をします。怪我であったり病気であったり。そして誰もが変化を感じるのは老いかもしれません。
 もう秋になります。新緑に輝いていた木々の葉のほとんどはやがて風に吹かれたりして地面へと落ちていきます。
 その姿に自分を写して悲しむ主人公に「変化は悲しいものではないよ。当たり前のことなんだ。」と語られる絵本のシーンを思い出します。
 地面へと落ちた葉は地面を温め新しい命を育みます。失った能力や人やもの、立場かもしれません。それらのことに囚われて今用いられていることに気付かないだけなのかもしれません。できたことができなくなるって病気のせいであっても、怪我のせいでも、老いの結果でも辛いし悲しいです。前はできたのにと思う事もあります。
 ただ「今のあなたが大切だよ」と語られています。

改・宣教室から

小泉基 宣教室長(日本福音ルーテル 札幌教会牧師)

熊本で行われたルーテル社会福祉協会の総会の後、運営委員のひとりである光の子会の山下学さんにお話しを伺いました。
 ―山下さんは光の子会では、どのようなお働きをなさっておられるのですか?
 山下 光の子会は、障がい児者支援にかかわる6つの事業を展開していますが、その中で私が園長を任じられているのは児童発達支援センター光の子学園です。簡単に言うと知的障がいのあるお子さんの特別支援幼稚園のような働きを担う場でです。3才から6才までのお子さん36名が毎日通ってきます。
 ―お子さんたちは可愛いのでしょうね。
 山下 めっちゃ可愛いです。子どもたちに癒やされながら毎日の働きを覚えています。
 ―とはいえ、障がい児の支援には難しいこともあると思います。
 山下 そうですね、一番難しいのは保護者への支援です。お母さんたちの多くは、自分が障がいのある子どもを産んだことをマイナスに受け留めていて、独りでその責任を背負ってしまっています。ですから保護者学習会などで、あなたの責任ではなくそれは神さまのご計画です。神さまのつくられた命には全てに役割や目的があり、全ての子どもが宝です。だから独りで背負わずみんなで育てていきましょうと話しています。また、保護者自身が障がいや精神疾患を抱えていたり、虐待ハイリスク家庭のケースもあります。職員とともに支援に取り組んでいますが、通所ならではの難しさもあり簡単ではありません。
 ―山下さんが障がい者福祉の道を歩まれることになったきっかけを教えてください。
 山下 大学で心理学を学び、教職(特殊教育教諭)課程の教育実習を養護学校(現特別支援学校)で1ヶ月間経験したことが方向転換の契機となりました。母教会に障がい者が多く集っておられたことも背景にあったかもしれません。
 ―ご自身の教会での経験もおありだったのですね。大切にしている聖書の言葉があれば、教えてください。
 山下 「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイによる福音書25・40)。〝最も小さい者〟は、人々によって小さくされている命と理解しています。そこに主の手を伸べる役割を担わせていただいている。それが私の福祉観のベースを成し、召命をいただいていると受け留めています。
 ―やさしさと強い意志を感じられるお話しを聴かせていただきました。ありがとうございました。

「教会讃美歌 増補」 解説㊸ 増補46番 「喜ぶ人と共に」

北川逸英(日本ルーテル教団池上教会・杉並聖真教会牧師)

 46番から49番の4曲は歌集『うたえ 暗闇にとどまることのないように』からの転載です。この歌集は、「黙想と祈りの集い準備会」により、テゼの歌に触発され「日本でも同じ様に歌いたい」という強い願いに応えて2012年に初版、2015年に改訂増補版が出版されました。掲載曲91曲中、塩田泉司祭の作品が60曲を数え、この歌集の柱となっています。
 「喜ぶ人と共に」は、ローマの信徒への手紙12章15節から着想を得て、作詞も塩田泉司祭が行われました。この詩は塩田司祭が暮らす共同体での、毎日の営みが感じられます。小高い丘の中腹にある見晴らしのよい美しい村で、主を中心にして、共同生活を営む人たちの上に与えられる、豊かなキリストの愛と、吹き渡る聖霊の風を感じます。中庭には聖母子像が置かれ、台座には「愛」「LOVE」と併記され、海外からの客人も多く受け入れられます。
 「黙想と祈りの集い準備会」の中心メンバーであり、歌集「うたえ・・・」にも賛美歌を提供する植松功さんはよく「歌うことは祈ることです」と言われています。みなさまどうぞ、祈りをもってゆっくり、何度も繰り返しお歌いください。

「教会讃美歌 増補」 解説㊹ 増補47番 「こうふくは しづかなせかい」

北川逸英(日本ルーテル教団池上教会・杉並聖真教会牧師)

 作詞者八木重吉は1898年東京府南多摩に生まれます。そこに今も記念館があって、代表作「素朴な琴」の詩碑が建っています。
この詩は死後に刊行された第2詩集『貧しき信徒』(1928年)に収められています。重吉は1927年10月25日深夜ふいに「かわいい、かわいい、とみ子」と呟き昏睡。翌日29歳で帰天。22歳の妻とみ子に4歳の桃子、2歳の陽二が残されました。しかしこの子たちも、父親と同じ肺結核で思春期に相継ぎ帰天。彼女の悲嘆を思う時、八木重吉の詩(うた)が、とみ子を強く励ましたと信じます。
 この詩は大正13年10月に編まれた「欠題詩群(一)」の中にありました。その96編の作品中に3つだけ、題のついている詩があります。かっこが付いた(わが児)と、題名だけが明記された、幸福人Ⅰと幸福人Ⅱです。
 何を思って重吉はこの詩を作り「幸福人Ⅱ」と名付けたのか。またどうやって塩田司祭はこの詩を見出し、そこにメロディーを付けられたのか。静かで美しいこの歌は、山上湖のような深い不思議を秘めています。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

氷河のレクイエム ドイツの気候変動と教会

 先頃ドイツ最高峰の山の頂上で行われたある祈りが注目を集めました。 消えゆくアルプスの氷を悼む鎮魂、氷河のレクイエムです。
 ツークシュピッツェは標高2962メートル。ドイツにある4つの氷河のうち2つがここにあります。バイエルンのルーテル教会とミュンヘンのカトリック教会の聖職者たちは、気候変動と創造の保全をアピールするため、ここでエキュメニカルな祈りをささげました。
 ウィルヘルム牧師らは7月25日、「消えゆくシュニネーファーナー(ドイツにある最大の氷河)、大自然そしていのちを育む将来の環境のための祈り」を、アルプスで一番人気の観光スポットでささげました。選ばれた聖句は詩編121編「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか」。消滅する氷河を悼み、気候変動の課題に共に取り組もうと呼びかけました。
 北シュネーフェルナーは、2030年までにはもはや氷河と呼ぶことはできないと科学者は言います。2014年から2022年にかけて3分の1の氷が消えました。当初、最深部で39メートルあったのが昨年は27メートルに。世界気象機関によるとスイスのアルプスでも2001年から2022年にかけて3分の1の氷が消失しています。
 気象危機は今や牧会的な課題になったとウィルヘルム牧師は言います。「氷河が小さくなり人々が動揺しています。かつてここで生活していた人たちはとてもショックを受けています。気候変動は人々の不安を募らせ、牧会的な課題になりました。ツークシュピッツェの麓で暮らす人たちは、頂上にはもはや瓦礫と岩石しかないとショックを受けています。」
 レクイエムに参加した一人バーバラさんは、「ツークシュピッツェの氷河は永遠の氷」だと学生時代に習ったことを思い起こし、永遠の氷が消えてなくなると聞かされ心を痛めています。
 レクイエムでは教会音楽家のロヒナー氏が作曲した「永遠の氷の果てへのエレジー」が演奏されました。3人の歌手が不協和音を奏でて詩編81編から「わたしの民よ、聞け」と歌うと、それにあわせてボンゴがゆっくりリズムを刻み悲しみの音を響かせました。
 避けられない悲しい現実に直面しつつも、ハンメル牧師はこの異例のレクイエムによって希望を鼓舞して、力を合わせて気候変動に取り組もうと呼びかけました。「この頂にサハラ砂漠の砂が舞い、燃えさかるブラジルのジャングルの灰が飛び交い、都会のすすと埃、全世界の塵がここにあります。氷河、人々、気候、植物、動物、私たち全てはつながっているのです。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

キリストと出会った+なかまと出会った!東海教区青年会+外国メンバー修養会2023

徳弘浩隆(日本福音ルーテル高蔵寺教会・復活教会牧師・東海教区外国人宣教担当)

 8月12日、青年と外国メンバー、サポーター達15名が夏の渥美半島に集まりました。みのり教会田原礼拝所をお借りして礼拝とワークショップ、海辺BBQ公園で昼食と交流会。礼拝は現地教会一部メンバーも参加して下さり25名。「自己紹介・神様紹介(あかし)」ではみな日本語で頑張り楽しく交流しました。8カ国に関係ある人たちの集まり。外国や各地のお菓子ボックスで教会にお礼をしましたが、教会からは飲み物やスイカも頂き感謝でした。
 バーベキューは木陰を予約、あずまやの場所取り、ミストシャワーも使い万全の態勢。楽しく、おいしい時間でした。交流会は外国メンバーが企画進行。スプーンでビー玉運び競争。生まれた所と違い、驚いたり失敗した事を披露しあい、楽しく文化の違いを実感する「カルチャーショック大会」は面白い失敗談ばかり。「おてら」と「おてあらい」を言い間違えた失敗談を披露してくれたベトナム女性メンバーが優勝!教会「スタンプラリー」カードを配って数えてみると、中国帰国メンバーが1位で2位は女性青年メンバー。楽しい表彰式と賞品も。最後は、みんなの手でハートを作って写真撮影(写真下右)。「キリストの平和を心に、仲間と世界に平和を」のテーマを形にし、神のハート(愛)のなかに自分たちがいることも確認しました。
 参加者の声を拾うと、「荷物運びがあり前泊もしました。海で泳ぎ夕陽もキレイでした。集会もとても楽しかった。今年結婚しました。高蔵寺教会でもお祝いしてくれうれしかった」とベトナムから来て5年のHopくん(集合写真前列最右)。「近年青年は少なく残念ですが、渡邉先生が地道にZoom集会をしてくれています。昨年クリスマス以来で、みんなと会えて楽しかったです。ハートの写真も大切にします」と青年代表の古川のぞみさん(後列右から3人目)。今後も各教会を訪ね、青年や外国メンバーともつながり、広げたいですね。

ルーテル幼稚園保育園連合会研修会報告

田島靖則(ルーテル幼稚園保育園連合会役員・日本福音ルーテル田園調布教会・雪ヶ谷教会牧師)

 コロナ禍にあって久しく開催が見送られてきた対面形式の研修会が、8月8日(火)広島教会礼拝堂にて行われました。今回は総会を兼ねた設置者・園長研修会であり、主題を「平和」とし、塩冶節子さんの被爆証言を聞き、広島女学院所蔵の被爆ヴァイオリンの演奏を聴く機会にも恵まれました。
 就学前の園児たちを対象とした平和教育には、特別な配慮が必要とされます。原爆の地獄絵図が子どもたちに、ただただ恐怖心を植え付けてしまうのでは、かえって逆効果です。しかし今回の講師であった塩冶節子さんは5歳の時に被爆された方で、5歳児の目から見た被爆体験を語ってくださいました。親しかった2人のお友達の名前を挙げて、原爆投下後にその2人のお友達が犠牲になったことを知ったというのです。5歳の子どもにとって、戦争は親しいお友達を奪い、家族を奪い、優しかった近所のお兄さんお姉さんを奪うものだったのです。おどろおどろしい表現はあえて採らず、とてもシンプルな表現を用いることで、幼児を対象とした平和教育の新しい可能性を考えることができました。
 被爆証言とヴァイオリン演奏会を企画してくださった、谷の百合幼稚園の橋本園長のご協力に感謝いたします。また、会場を提供してくださった広島教会の立野牧師の「子ども食堂」への取り組みを学び、当日行われていた「だれでも食堂」を見学しながら食事をいただく機会にも恵まれました。
 第二部の総会では、2024年度からの新しい役員が3つの地区からそれぞれ2人ずつ選ばれました。今までのように、関東と九州で交互に役員を選出する方法を改め、すべての地区から役員を選ぶことが可能となりました。これは、コロナ禍によってリモート会議の利点が認識された結果であり、対面開催の役員会の頻度を減らしても、全国規模のネットワークを常に保つことが可能になったということです。全国でキリスト教保育の働きを続ける、ルーテル教会の関係園のために、どうかお祈りください。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」⑤

日本福音ルーテル仙台教会 長島慎二(日本福音ルーテル仙台教会代議員)

  仙台教会の伝道は長沼三千夫牧師によって始められました。1957年8月4日(日)、現在地の近くの家を借り、六畳間で第1回の礼拝が行われました。出席者は牧師家族と小泉あや子姉でした。2年後の1959年、宮町に拠点を移し、1962年12月に教会堂および牧師館が完成しました。長沼牧師とともに最初期の伝道を担ったのがJerry C. Livingston宣教師でした。1955年にサウスカロライナ大学を卒業した後、1958年、コロンビアにあるルーテル神学校を修了と同時にUnited Lutheran Church of Americaの牧師として叙任されました。日本伝道のために船旅で横浜に到着したのが1959年9月4日。大学時代に出会った奥様と17カ月のお嬢様を伴っていました。2年間の語学研修を了えた後、1961年12月に仙台教会に赴任なさいました。その後、通木一成牧師の時代の1971年に東教区鶴ヶ谷開拓伝道実行委員会が設置され、東教区内において一坪献金運動を開始しました。1973年4月7日、「社会福祉法人東京老人ホーム鶴ヶ谷保育所希望園」として鶴ヶ谷開拓伝道献堂式が挙行されました。最初は、希望園のホールで礼拝をしていた鶴ヶ谷教会は、1987年、現在の教会堂を建設しました。仙台地区は、仙台教会と鶴ヶ谷教会がそれぞれの役割を担い伝道を続けてきましたが、昨年より組織合同をし、ひとつの仙台教会となり、宮町礼拝堂と鶴ヶ谷礼拝堂において礼拝が守られ、3つの保育所が運営されています。
 最後に、仙台教会が初任地であり、最後の赴任地ともなった太田一彦牧師が最初に赴任した際の牧師報告の一部を記します。信徒として励みにしているからです。「初めての任地に赴くに際して、私は神が人間に語り給うが故に聴き、神が語り給うことを聴くという、この一事によって教会は基礎づけられ、この一事のみが教会を教会たらしめるという一点を信念として携えてまいりました。」

九州ルーテル学院大学 九州ルーテル学院大学付属黒髪乳児保育園 雪野啓子(黒髪乳児保育園園長)

 2026年に創立100周年を迎える、学校法人九州ルーテル学院には保育園、認定こども園、中学、高校、大学があります。九州ルーテル学院大学付属黒髪乳児保育園は2016年に開園し、今年、8年目を迎えます。九州ルーテル学院大学付属として、学院のスクールモットーである「感恩奉仕」の精神のもと保育・教育を行っています。生後2カ月から3歳児までのお子様をお預かりし、定員40名という少人数のよさを生かし、子どもが愛に包まれた安心・安全な生活を送ることを大切にしながら、一人ひとりの心身の調和のとれた発達を目指し、神様に愛され、いつも見守ってくださることに感謝しながら、温かく丁寧な保育に努めています。
 保育園は熊本を流れる白川の近くに所在し、学院から少し離れたところにあります。園児は学院や教会へ出かけて、キリスト教行事を経験したり、学院の崔大凡チャプレンに保育園に来ていただき、お祈りの時間を守ったりしています。
 子どもの育ちのためには保護者支援は欠かせないものです。本園は九州ルーテル学院大学保育ソーシャルワーク研究所と連携して「保護者フリートーク(相談室)」を開催しています。保護者を支え、子育てを支えることは子どもの最善の利益を守ることにつながることを実感しています。職員が一つになって子ども・保護者それぞれが持つ豊かな力を伸ばしていけるよう支えていきたいと思います。
 キリスト教保育が始まり、浅い年月ですが、これからも神様のお導きのなかで保護者の方とともに子どもの健やかな育ちのために保育・教育に努め、歩んでいきたいと思います。
 皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

「これからのミッション」―第14 回るうてる法人会連合研修会・総会 開催

安井宣生(現地実行委員・日本福音ルーテル健軍教会・甲佐教会牧師)

 8月22日から23日まで熊本の九州学院に150名が集い、るうてる法人会連合の研修会と総会が開催されました。130年前の宣教開始以来、教会のみならず、1902年の佐賀幼稚園、1909年の路帖神学校(現在の九州学院そして神学校)、1919年の慈愛園(福祉事業)として教育や福祉の器と共に世に仕えキリストに従う歩みでした。2002年、それぞれに成長した各法人がより密接に協力し合うことを目的にるうてる法人会連合が発足し、互いに学び、祈り、それを力にして、仕える取り組みが続けられてきました。
 今回の研修では、国際政治学者であり、熊本県立劇場館長、学校法人 鎮西学院学院長も務めておられる姜尚中先生を講演者として迎えました。その豊かな内容を学校法人から参加された宮本新牧師(ルーテル学院・神学校准教授)に短く振り返っていただきました。
「これからのミッション」と題された姜尚中先生の講演では、「これから」を語るためには、まず「これまで」を振り返り考えなければならないと語られ、その振り返りは、こんにちの教育と福祉を取り巻く情勢から、歴史や文学、そして人間について、縦横無尽に広がる話題であり、要約容易ならざる内容でした。実際に生の講演を聞いて感じたいくつかのことがあります。まずテレビなどでお馴染みのとおり、あの低く抑制の効いた声音に引き込まれるような90分でした。目の前にある難題を考えながらも、参加者みなさんと心地よいひと時を共にできたのは希少な体験でした。もうひとつ印象に残ったことがあります。気宇壮大なスケール感のある講演でしたが、どの話題でも生身の人間が自然と思い浮かぶような話しぶりでした。甘い話はどこにもありませんが、あたたかな、やさしいまなざしが注がれているような感じです。ひるがえってそれは、分野は違っても生身の人に向き合い仕事に打ち込んでいる諸法人の参加者に向けられたエールのようにも感じられました。講演中、「におい」は決してメディアでは伝えられてないと話されていたのが一層、印象的です。それは人が共に集い、なにかを学びとろうとするこのひと時にも共通することだったのかもしれません。

2023年「障がい者週間」の集い

小澤周平(NCC「障害者」と教会問題委員会委員・日本福音ルーテル千葉教会牧師)

 各教会にご案内が郵送されますが、2023年11月4日に「障がい者週間」の集いが開催されます。「支え合う『いのち』」と題して、キリスト教系障がい者団体の活動報告などが分かち合われます。
 日本福音ルーテル教会においても多くの障がい者の方々との関わりの中で発足した働きが全国にあります。改めて私たちは立ち止まり、神様から与えられている命が障がいの有無にかかわらず等しく憐みと愛によって生かされていることを覚えていく機会としたいと考えています。
 どうぞこの働きを覚えて、ご参加下さい。対面とZOOMでの開催となっておりますから、全国からの参加をお待ちしています。詳細につきましては郵送されるご案内をご覧ください。

JELA インド・ワークキャンプ2024参加者募集!

一般財団法人JELAが、2019年以来5年ぶりに、インドでのワークキャンプを実施いたします!

【日程】 2024年2月12日から22日の11日間※国際情勢等により変更の可能性があります。
【派遣先】インド・マハラシュトラ州ジャムケッドの医療福祉施設「Comprehensive Rural Health Project(包括的農村保健プロジェクト、略称:CRHP)」
ここでは「農村地域の人々の健康」をテーマに、医療、子ども教育、有機農業指導、ソーシャルワーカの育成など、幅広い取り組みがされています。
【内容】義足作り/児童とのふれあい/毎日の学びの分かち合いなど
【対象】18歳以上の健康な方(原則高校生不可)
【定員】10名(先着順)
※締切後、参加の可否を11月中にご連絡します。
【参加費】22万円
※友だち割り:複数人でのお申し込みの場合、1人につき5千円割引いたします。
※パスポート取得費用、海外旅行保険費用、事前説明会参加のための交通費、集合・解散場所間の交通費や、前泊・後泊の宿泊費用については、別に個人負担となります。
【事前説明会】2023年12月2日(土)に事前説明会(オンライン参加可)を予定しています。参加者は必ず出席いただきたいので、併せてご予定ください。
【申込方法】JELA公式WEBページまたは掲載しているQRコードから。
【申込締切】2023年11月20日(必着)
【お問い合せ】JELAインド・ワークキャンプ係電話:03-3447-1521
E-mail: jela@jela.or.jp
キャンプの詳細は、公式WEBサイトやSNSをご覧ください!皆さまのお申し込みをお待ちしております!

北海道地域合同教師会

岡田薫(日本福音ルーテル帯広教会牧師・札幌教会協力牧師)

 今年の一日神学校は、9月23日(土・祝)にルーテル学院大学を会場に対面開催で行われます。
 JELC北海道地域教師会では長年に渡りNRK北海道地区の教職と共に合同教職者会を毎夏開催しています。いつどのようにして始まったのかということは不明ですが、1997年に札幌で宣教研修生としてお世話になった際もすでに開催されていましたので、おそらく北海道特別教区発足時あるいはそれ以前から続いているものと思われます。
 かつてはJELC8教会、NRK9教会に牧師あるいは宣教師が専従しており、参加者も十数名と賑やかでした。研修内容も時に応じて教団ごとの個別プログラムと合同プログラムの二本立てとし、2泊3日のプログラムを温泉施設等で開催していました。現在ではJELC4教会(6礼拝堂)、NRK8教会となり、教職数もJELC3名、NRK5名(内2名は70歳以上)となり、札幌中央ルーテル教会を会場に宿泊はビジネスホテル利用の1泊2日の合同プログラムとして開催しています。双方の教職の多くが施設と教会あるいは複数教会を兼任しているため日程調整が難しく、札幌に参集することが経済面でも移動の利便性においても合理的だからです。コンパクトにはなりましたが、リトリートも兼ねた交流を通して全道に散らされている同労者たちと励まし合えることはありがたいことです。
 それぞれの教会が抱えている課題には①働き人の減少、②教会の維持管理、③関係施設との連携や経済的な課題など、共通の悩みも少なくありません。教会組織の在りようには違いもありますが、顔と顔とをあわせて祈りと讃美を共にしつつ、忌憚ない意見を交わし合う中で、新たな発見や取り組みが生まれることもあります。2017年には合同教職者会が中心となって数年間の準備を経て、宗教改革500年合同修養会を参加者のべ130名ほどで開催することができました。また札幌を中心とした道央地区では、10月31日の宗教改革記念礼拝を担当持ち回りで継続的に開催しています。

合併公告

このたび、下記のとおり、東京都羽村市羽東二丁目16番11号宗教法人「日本福音ルーテル羽村教会」を吸収合併することになりましたので、宗教法人法第34条第1項の規定によって公告します。
2023年10月15日

信者その他利害関係人各位

所在地 東京都新宿区市谷砂土原町一丁目1番地
宗教法人「日本福音ルーテル教会」
代表役員 永吉秀人

合併契約の案の要旨
1 宗教法人「日本福音ルーテル教会」は宗教法人「日本福音ルーテル羽村教会」 を吸収合併し、 宗教法人「日本福音ルーテル羽村教会」は解散する。

合併公告

このたび、東京都羽村市羽東二丁目16番11号、宗教法人「日本福音ルーテル羽村教会」を吸収合併することになりました。これについて異議ある債権者は、2023年12月18日までに、その旨申し述べてください。
宗教法人法第34条第3項の規定によって公告します。
2023年10月15日

債権者各位

所在地 東京都新宿区市谷砂土原町一丁目1番地
宗教法人「日本福音ルーテル教会」
代表役員 永吉秀人

訂正とお詫び

機関紙るうてる2023年9月号、1面「巻頭説教」の執筆者である秋山仁牧師の所属に誤りがございました。正しくは「日本福音ルーテル豊中教会・神戸東教会牧師・喜望の家代表」です。訂正してお詫びいたします。校正作業における確認を徹底してまいります。大変申し訳ございませんでした。

23-09-01人を赦すということ

「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」(マタイによる福音書18・35)

 「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」というペテロの問いは、自分が誰かを赦すなら、どれだけ赦すべきか、(あるいは我慢すべきか)が焦点です。
 それに対してイエス様の答えは、赦されたいと願うならば、赦すことをせよ、というものです。ペテロの立場はあくまで、自分が赦す側であり、赦される、あるいは赦されている側にはいません。赦すか赦さないかを決めるのは自分になります。しかし、イエス様がたとえで答えたと同時に問うているのは、あなたは赦される立場にはいないのかどうかです。
 ここで、私が思い出すのは、姦淫の罪で女性を告発した人々とファリサイ派に対してイエス様が投げかけた質問です。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい。」
 そして、人々が去って行ったあとでイエス様は女性に向かっていいます。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」 罪の告発と断罪をするときに、自分を省みることが問われているともいえます。
 たとえに登場する王の最終的な怒りは、負債を抱えていた家来が、王から憐れみをかけてもらいながらも、自分は仲間の一人に憐れみをかけることもなく、無慈悲な仕打ちを行うことで引き起こされます。王の前にひれ伏し頼み込んだ家来の「必ず返します」という誠意を、王は信じて、彼を赦し、借金を免除するのです。しかし、家来が仲間にしたことは、彼の見せた誠意が見かけだけのものだったということを表しています。心の底から表すのではない見せかけの誠意、表面的な謝罪は、赦されることはないのです。
 イエス様のたとえが示しているのは、赦しの背景には憐れみがあるということです。相手の立場や状況を推し量って、心動かされることが相手を赦す根拠なのです。
 たとえ話でも、王自身が、貸しているお金が戻ってこなければ大きな損害を被る、というリスクを負っていることを知っています。家来も、本来ならその借金を返さなくてはならないことを認めるところから、すべては始まります。
 つまり、借金を罪と言い換えれば、罪を犯している人間が、罪を罪として認めることがなければ、赦しも起こらないのです。赦すとは、負債や罪をお互いが認めたうえで、反省している相手の立場をよくよく考えて、自分もリスクや痛みを引き受けることから始まるのです。さもなければそれはただの我慢にしかなりません。ペテロの立場に戻ってしまうのです。あるいは相手に対してよほどの優越感を持とうとするかです。でもそれでは無理が生じます。そして、何かの形で、自分の人生がその後も怒りや恨みといった不快な感情に支配されてしまうことになりかねません。
 自分に対して不正を行ったり、罪を犯した者を赦すことが、自分自身で出来るかどうかは、判りません。しかし、自分自身がそうした負の感情から癒され、解放され、自由にされることは必要です。
 負の感情から癒されるためには、私たちはイエス様に祈ることと共に、具体的な助けを与えてくれる仲間を必要とします。自分に罪を犯した相手に対する怒り、痛み、悲しみ、恨み、わだかまりなどを、聴き、受け止め、その負担を担い合って、時には執り成し祈ってくれる仲間の存在。その手助けのもとに、私/あなたが負ってしまった心の重荷を軽くできるとき、私たち一人一人は、「私に罪を犯した者」と向き合うことが出来ていくし、その罪を赦すことが可能になるのかもしれません。少なくとも自分が負の感情に支配されない勇気をもつことができるのかもしれません。
 私/あなたを「心から」無限に赦し、愛してくださるイエス様がおられます。私/あなた自身の罪を赦すために、十字架に架かられたイエス様がおられます。私/あなたを「心から」受け入れ、支え、守り、励ましてくださるイエス様がおられます。
 人が自分の罪と向き合い、赦しを請い、またそれを赦し合うことの背後に、このイエス様による憐れみと赦しがあることを覚えていたいと思います。

23-09-01るうてる2023年09月号

機関紙PDF

「人を赦すということ」

秋山仁(日本福音ルーテル豊中教会・神戸東教会牧師)

「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」
(マタイによる福音書18・35)

 「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」というペテロの問いは、自分が誰かを赦すなら、どれだけ赦すべきか、(あるいは我慢すべきか)が焦点です。
 それに対してイエス様の答えは、赦されたいと願うならば、赦すことをせよ、というものです。ペテロの立場はあくまで、自分が赦す側であり、赦される、あるいは赦されている側にはいません。赦すか赦さないかを決めるのは自分になります。しかし、イエス様がたとえで答えたと同時に問うているのは、あなたは赦される立場にはいないのかどうかです。
 ここで、私が思い出すのは、姦淫の罪で女性を告発した人々とファリサイ派に対してイエス様が投げかけた質問です。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい。」
 そして、人々が去って行ったあとでイエス様は女性に向かっていいます。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」 罪の告発と断罪をするときに、自分を省みることが問われているともいえます。
 たとえに登場する王の最終的な怒りは、負債を抱えていた家来が、王から憐れみをかけてもらいながらも、自分は仲間の一人に憐れみをかけることもなく、無慈悲な仕打ちを行うことで引き起こされます。王の前にひれ伏し頼み込んだ家来の「必ず返します」という誠意を、王は信じて、彼を赦し、借金を免除するのです。しかし、家来が仲間にしたことは、彼の見せた誠意が見かけだけのものだったということを表しています。心の底から表すのではない見せかけの誠意、表面的な謝罪は、赦されることはないのです。
 イエス様のたとえが示しているのは、赦しの背景には憐れみがあるということです。相手の立場や状況を推し量って、心動かされることが相手を赦す根拠なのです。
 たとえ話でも、王自身が、貸しているお金が戻ってこなければ大きな損害を被る、というリスクを負っていることを知っています。家来も、本来ならその借金を返さなくてはならないことを認めるところから、すべては始まります。
 つまり、借金を罪と言い換えれば、罪を犯している人間が、罪を罪として認めることがなければ、赦しも起こらないのです。赦すとは、負債や罪をお互いが認めたうえで、反省している相手の立場をよくよく考えて、自分もリスクや痛みを引き受けることから始まるのです。さもなければそれはただの我慢にしかなりません。ペテロの立場に戻ってしまうのです。あるいは相手に対してよほどの優越感を持とうとするかです。でもそれでは無理が生じます。そして、何かの形で、自分の人生がその後も怒りや恨みといった不快な感情に支配されてしまうことになりかねません。
 自分に対して不正を行ったり、罪を犯した者を赦すことが、自分自身で出来るかどうかは、判りません。しかし、自分自身がそうした負の感情から癒され、解放され、自由にされることは必要です。
 負の感情から癒されるためには、私たちはイエス様に祈ることと共に、具体的な助けを与えてくれる仲間を必要とします。自分に罪を犯した相手に対する怒り、痛み、悲しみ、恨み、わだかまりなどを、聴き、受け止め、その負担を担い合って、時には執り成し祈ってくれる仲間の存在。その手助けのもとに、私/あなたが負ってしまった心の重荷を軽くできるとき、私たち一人一人は、「私に罪を犯した者」と向き合うことが出来ていくし、その罪を赦すことが可能になるのかもしれません。少なくとも自分が負の感情に支配されない勇気をもつことができるのかもしれません。
 私/あなたを「心から」無限に赦し、愛してくださるイエス様がおられます。私/あなた自身の罪を赦すために、十字架に架かられたイエス様がおられます。私/あなたを「心から」受け入れ、支え、守り、励ましてくださるイエス様がおられます。
 人が自分の罪と向き合い、赦しを請い、またそれを赦し合うことの背後に、このイエス様による憐れみと赦しがあることを覚えていたいと思います。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊷かけがえのない今

「しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。」 ルカによる福音書12・20

 「今年の初め家族の者は亡くなりました。生前のお交りありがとうございました。」
 見慣れない名前の方から一通の手紙が届きました。
 まただ…。病院で知り合った友達が多い私は「あの人大丈夫かな?」と思いながら郵便を出すことも少なくありません。メールを送るときも少し送る期間があいてしまうとメールを送るのが怖くなってしまいます。
 その方も例外ではありませんでした。ただ、最近引っ越して住所が変わったと電話で教えて下さったばかりだったのでショックでした。
 あの郵便は読んで下さったかな。それとも天国へいかれてから読んでくださったかしら?なんて思いながら上に書いた聖句を思い出していました。そういえば一緒の部屋で入院していた方に明日こそご挨拶をしようと思っていたのに「おはよう」と次の朝言うこともかなわなかったこともありました。
 「神様のもとでまた会えるから大丈夫。」と思えるのは幸せだと思いながらも寂しいです。
 〈私は今を憎んではない〉という詩を聞くことがあります。「今」という時を憎むどころか自分はよく忘れてしまっているのではないかなと思ったとき「財産」ってなんだろう?と思います。「おはよう」と交わすこと「こんにちは」ってあの人に言える今。日常の生活の一つ一つがお一人お一人にとっても私にとっても「財産」なのかなって思います。今を明日でいいやと思い、どこかにしまわなくてよくても、大切なあなたに「今」が与えられています。

改・宣教室から

小泉基 宣教室長(日本福音ルーテル 札幌教会牧師)

 宣教の現場に生きる方々との出会いを願うこのコラム。第1回目は札幌教会の柳下李裕理さんにご登場いただきました。
 ―昨夏、韓国の青年たちとの出会いのプログラムに参加されたのですね。
 柳下李 はい、「韓日和解と平和フォーラム」という、韓国と日本の青年を対象とした歴史認識の学習、社会構築の展望を広げる交流プログラムです。
 ―特に印象に残ったことは?
 柳下李 DMZ(非武装地帯)に特別に立ちいらせていただいたことです。一見すると草木が生い茂るのどかな川縁の居住地に無数の地雷が埋まっており、除去に200年を要するという衝撃的な事実を知りました。街中にも私よりも若いような青年たちが軍服を着て歩いており、朝鮮半島が「休戦中」である現実を再確認しました。と同時に、その現実に日本が加担している加害者意識をも感じました。また、ソウルの「戦争と女性の人権博物館」で、日本軍による性暴力被害者のハルモニたちの言葉を目にしました。あまりに凄惨な現実に衝撃を受けました。
 ―韓国の青年たちはいかがでしたか?
 柳下李 韓国からは様々な活動にかかわる方々が参加しており、日本からの参加者と意識の違いが浮き彫りとなる場面も多かったです。私自身も含め日本福音ルーテル教会の若い信徒における社会問題への当事者意識の弱さが露呈したと感じます。
 ―今回の経験から、ご自身の中に変化を感じられましたか?
 柳下李 在日韓国・朝鮮人と日本人の間に生まれた人間として、改めて私自身のルーツをもって韓日の和解に貢献できるのではないかという意識が生まれました。
 ―今夏は韓国の青年たちが日本に来られるのですね?
 柳下李 はい、昨年は韓国の方々に大変温かく受け入れていただきました。今年度はその恩返しも兼ねてホスピタリティを発揮したいです。
 ―大切にしておられるみ言葉があれば教えてください。
 柳下李 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリントの信徒への手紙一10章13節)
 試練から逃れることを良しとする文言が心に響きます。
 ―ありがとうございました。ますますのご活躍をお祈りしています。

アジア・プレ・アセンブリーに出席して

本間いぶ紀(日本福音ルーテル甘木教会)

2023年6月14日から18日、ルーテル世界連盟のアジア・プレ・アセンブリーがマレーシアのクアラルンプールで開催されました。ルーテル世界連盟は世界各国に広がるルター派教会が集まり、私たちの信仰の実践として人道支援や開発支援、また神学研究を行う組織です。このプレ・アセンブリーは9月にポーランドのクラカウで開催予定の第13回ルーテル世界連盟アセンブリーに向けての事前集会で、私は特にユース部門の代表者候補の推薦を受けるために参加しました。9月のアセンブリーの選出選挙にアジア代表として推薦されます。
 プレ・アセンブリーには、6月16日、17日の2日間のみ参加しました。そこで出会った方々は、短い時間しか参加することができない私のことを温かく迎え入れてくれました。ユースと過ごす時間が多かったのですが、今回出会ったユースとは教会生活の話だけでなく、趣味や文化の話を通してお互いを知ることができました。
 私は過去にカンボジアのルーテル教会を訪れた際「カンボジアにも神の教えが、そしてルーテルの教えが息づいている」と感動したことがありますが、その時と同じことを感じました。他宗教のイメージが強いアジアの各地域から多くの参加者が集められたこと、彼ら一人一人がルーテル教会の一員としての働きに誇りを持っていること、ルーテル世界連盟の働きの大きさ、これがすべて神の計画の内にあることに、ただただ「すごい」の一言しか思い浮かびませんでした。
 渡航前、短い参加で私に何ができるのだろうと不安でしたが、「まず行って参加することが大事」という浅野直樹Sr.牧師の言葉に背中を押されました。わたしは今回、彼らと出会い、彼らを知り、彼らと時間を共にするという目的を十分に果たせたのではないかと考えます。
 9月のアセンブリーにて神の計画のうちにあって選出されることを祈りつつ、皆さまのご支援とお祈りに感謝申し上げます。そしてこれからの働きもお祈りください。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ルーテル世界連盟アジア プレ・アセンブリー報告

 ルーテル世界連盟(以下LWF)アジアのプレ・アセンブリーが、6月14日~18日にかけてマレーシアのクアラルンプールで開催されました。今年9月、ポーランドの都市クラカウで行われるLWFアセンブリー(総大会)に向けて開かれました。まずは地域ごとに集まり、アジアのルーテル教会の信仰の一致と宣教課題を確認し、ステートメントを発信するための集会です。JELCからは甘木教会の本間いぶ紀さんが部分参加しました。本間さんは、プレ・アセンブリーで次期総会期の青年代表理事候補としてノミネートされました。
 今回採択されたメッセージでは、多民族、多宗教社会における公共空間と信教の自由に関して、教会がなすべき役割について焦点が置かれました。
 ステートメントは、「アジアは複雑な状況と現実を抱える大きな大陸であるが、私たちが協力していくうえでこのことは障壁にはならず、むしろダイナミックな収束点となっていることを神に感謝する。」「固い絆の交わりの精神とディアコニアと平和への決意で、地域と世界のコミュニオンの未来に向けて、心を一つとする」といったメッセージが採択されました。
 集まったアジアの教会指導者たちは、アジアの教会が直面する「様々なレベルの抑圧」に対して深刻な懸念をステートメントとして表明しました。「政府による締め付けは言論の自由を妨げ、抑圧を強め、正当な懸念であるはずの反対の声を排除しようとしている。こうした政策が自由な信仰生活を妨げ、人権を侵害している。」
 ステートメントは、神学教育の重要性とそのための男女・青少年への機会均等、「宗教間対話への建設的な取り組み」に向けて神学生も関わることを促しています。またコミュニオンを豊かにできる青少年と女性たちのビジョンとコミットメント、彼らの能力を強化して、あらゆるレベルでの意志決定に参与できるよう継続的に努めること、平等の機会と権利を妨げる文化的社会的制約に対して教会が行動するよう呼びかけています。
 会議後、ホストをしたマレーシアのルーテル教会のローレンス監督が次のようにコメントしています。「主催教会である私たちは、今回のプレ・アセンブリー開催で祝福をいただきました。またアジアの姉妹教会が経験する苦難を分かち合うことができました。」「アジアの教会は多様ですが、この大会を通じて神学教育のような分野に互いの理解をより深め、協力態勢が築かれました。」
 LWFアジア局長のフィリップ・ロク氏は、「参加者119名の多くは『よそ者』としてクアラルンプールにやって来ましたが、ここに集ったことでクラカウへ向けての備えができただけでなく、私たちはここでアセンブリーのテーマ『一つのからだ』に結ばれ、『一つの霊』に導かれ、『一つの希望』に根ざすことを体験できました。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」④

日本福音ルーテル 帯広教会

日本福音ルーテル 帯広教会役員会

 今日に至る帯広教会の歴史は、1945年に浦幌町に入植者として入った吉田康登(やすなり)牧師による「浦幌・池田」開拓伝道、戦後の全国レベル開拓伝道計画による「釧路・帯広」二つのルートがあります。釧路教会、池田教会の礼拝堂は惜しまれつつもすでにありませんが、帯広教会での主日礼拝、釧路家庭集会、会場をお借りしての浦幌集会を定期的に行っています。この4月からは教区の宣教体制の変更に伴い、主日礼拝は毎週土曜日の午前10時に変更となりました。日曜日に主日礼拝が行われない珍しい教会ではありますが一人独りの信仰の養いや宣教の意欲は失っていません。礼拝後のお茶の交わりや花壇のお世話も楽しく取り組んでいます。
 牧師が在住する第3、第5日曜日を利用し、地域に開かれた教会を目指し今年は初めて町内会の夏祭り会場として駐車場を開放し、地域の方々と交流をすることができました。また、遠隔地に点在する教会に連なる仲間たちとの交流を目的として野外礼拝なども行っています。これに加え、牧会的な部分にも信徒が積極的に関り、相互訪問や寄せ書きなどを送る活動に取り組んでいます。対面での交流が難しい時も、祈りに覚え合うことで励まし支え合ってきました。
 地方の小さな教会で高齢化の波も押し寄せ、将来の見通しも決して明るいことばかりではありませんが、いま与えられている恵みに感謝し、自分たちに何ができるかを祈り求めつつ、小さな働きをコツコツと続けています。その中でも、「わかちあいプロジェクトの古着支援」「ちかちゅう給食活動への支援物資送付」「喜望の家」「まきばの家」など遠くにあっても神様の働きを担われている方々を覚えての活動は、恵みをわかちあう喜びに満たされ、今後も継続していきたいと願っています。また、秋には十勝の恵みを全国の皆さまへお届けする「十勝豆」の働きがあり、あらためて全国の皆さまによって道東宣教が支えらえていることを実感し感謝しています。

九州ルーテル学院大学

松本充右(九州ルーテル学院大学学長)

 アメリカ人宣教師であるマーサ・B・エカード初代院長によって本学院の前身である九州女学院が創立され、100年という大きな節目を2026年に学院は迎えます。「感恩奉仕」の校訓を大切にし、またキリスト教精神に基づいた豊かな人間性を育む教育を、教職員の協力のもとでこれまで行ってきました。大学としては九州女学院短期大学を改組転換し、1997年に男女共学の四年制大学「九州ルーテル学院大学」として開学した新しい大学です。現在、人文学部に人文学科3専攻(キャリア・イングリッシュ専攻、保育・幼児教育専攻、児童教育専攻)と心理臨床学科という2学科が設置されています。全学生数650名ほどの小規模私立大学であるため、教職員と学生の距離が近く、一人一人の学生を尊重し、少人数での手厚い教育と高い進路決定率(2023年3月の卒業生の今年7月時点での進路決定率は99・4%)の大学として、地元熊本では現在一定の評価を得る大学となっています。
 また、学院の校訓である「感恩奉仕」の精神に基づき、神と周りの人々へ感謝の気持ちを持ち、地域社会や周りの人々に奉仕できる人材を育成することを目標としています。その目標を実現するため様々な体験学修を重視しており、在学中に多くの学生は地域の学校、社会での様々な活動に関わっています。地域の小学校での放課後見守り支援活動、障がいを持った子どもと親への療育支援活動など学生たちは自発的かつ積極的に地域での活動に参加しています。在学中のこのような体験活動を通して、学生たちは地元への愛着や地域が抱えている課題を直接的かつ体験的に学んでいるように感じられます。
 地域社会と緊密につながりつつ、卒業後、地元熊本に貢献できる人材の育成を行ってきた結果、学生の卒業後の進路先は圧倒的に熊本県内が多くなっています。今年3月の卒業生の卒業後の進路の内訳を見ると、卒業生全体の84・2%が熊本県内で就職をしています。このように地域に根ざし、地域のために貢献できる人材を育成する完全地域密着型の大学が九州ルーテル学院大学の特徴です。

「教会讃美歌 増補」 解説

解説㊶ 増補44番「ごらんよ空の鳥」

井上栄子(日本ルーテル教団 戸塚ルーテル教会)

 息子が、カトリック系の中高一貫男子校へ入学した関係で、生徒のためのミサに参加した時のことです。聖歌斉唱の場面で、ティーンエイジャー男子の賛美に期待していなかった私は、腰を抜かすほど驚きました!会場が揺れるかと思われる声が響き渡ったのです。その聖歌が「ごらんよ 空の鳥」でした。
 優しく心温まる歌詞は、元気な生徒たちの純粋な心を導き出して、麗しい賛美へと昇華させる、そんな奇跡を目の当たりにする事ができました。私達も、そんな純粋な心で、歌詞を味わい主に向かって賛美したいと思います。

解説㊷ 増補53番「平和の祈り」

北川逸英 (日本ルーテル教団 池上教会・杉並聖真 ルーテル教会牧師)

 この歌は、ルーテル学院大学・神学校聖歌隊の愛唱歌です。聖歌隊は親しみを込めて「聖フラ」とこの曲を呼びます。「聖フランシスコの平和の祈り」の短縮形です。しかし今回の歌集のどこにも「聖フランシスコ」の名前はありません。
 それはこの「平和の祈り」が、聖フランシスコが書いた物ではないことが、20世紀後半に明らかになったからです。藤女子大学の木村晶子教授が『人間生活学研究第15号』に「アッシジの聖フランシスコの『平和の祈り』の由来」を論文発表されています。論文は藤女子大学のご厚意によりダウンロードができます。
 本論文によると、この祈りは20世紀はじめにフランスで生まれたと考えられます。それが第1次、第2次世界大戦を通じ、世界中に広まっていきました。論文の終わりを木村教授はこう結ばれています。
 「作者は不明のままであるかもしれないが、この「平和の祈り」はキリスト教の本質を短く単純に表現し、時代を超えて唱えられるすばらしい祈りであることに変わりはない」
 アッシジのフランシスコを熱愛する私も、まさにこの言葉の通りであると、心から感謝します。

エキュメニカルな交わりから ⑱カルト問題キリスト教連絡会

滝田浩之(日本福音ルーテル 小石川教会牧師)

 2018年にカルト問題キリスト教連絡会に日本福音ルーテル教会からの派遣委員として参加しています。
 カルト問題キリスト教連絡会は、日本基督教団、カトリック中央協議会、日本聖公会、日本福音ルーテル教会、日本バプテスト連盟、在日大韓基督教会によって「統一協会問題キリスト教連絡会」が発足したことに端を発しています。連絡会は3カ月ごとに参加団体の代表者が集まり情報交換をしつつ、韓国において同じ関心を持つグループと隔年で研修会を開催しています。
 「カルト問題」は、年々、巧妙かつ複雑になっており、個人が特に大学などで被害に遭うというケースのみならず、日本の伝統的なキリスト教会の乗っ取りといった事例まで発生しています。高齢化した教会に、とても熱心な青年として数名で礼拝に参加し、会員の方の信頼を得たところで役員などになり、教会の牧師は正しいキリスト教を伝道していないというような理由で追い出してしまうのです。個々の教会で宗教法人などを持っていますと、教会が分裂してしまうだけでなく、財産がすべて「カルト教団」のものになってしまうこともあります。
 是非、『カルトって知ってますか?』というカルト問題キリスト教連絡会が出版するパンフレットを活用していただきたいと思います。これはカルトについての全般的な学びに適しているとともに、別刷りで最近活発に活動しているグループの名前と具体的な活動例が紹介されています。社会貢献活動(地域ごみ掃除や高齢者支援)のような形で学生や青年を集めて、いつの間にか、そのようなグループの一員となっているケースは後を絶ちません。
 旧統一協会の問題が再度クローズアップされてからは、日本基督教団が専門の窓口を設けて「カルト問題」に対して積極的に活動してくださっています。何か、困ったことなどがあれば、その窓口に問い合わせをして頂けますと専門家につながります。ご活用ください。

※詳しくはWEBサイトをご覧ください。

九州教区「平和セミナー ~いのりの紡ぎプロジェクト~」開催

谷口美樹(九州教区社会・奉仕部・日本福音ルーテル 大江教会会員)

 2023年7月17日(月・祝)、長崎に40人の兄弟姉妹が集まり、九州教区社会・奉仕部主催の「平和セミナー」が行われました。
 午前の部は、長崎平和公園に一同が集まり、各教会で作成した「いのりカード」と「千羽鶴」を折鶴の塔に捧げました。これは、世界平和への道のりの中で、私たちにできるのは「みんなで祈りを合わせること」という社会・奉仕部全員の思いから生まれたものです。5月7日からスタートした「いのりの紡ぎプロジェクト」は、各教会のお一人お一人が祈りカードを書き、鶴を折り、隣の教会に平和の祈りを紡いでいくものです。最終的に集まった704人のいのりカードと折り鶴を一つに繋ぎ合わせていく中で、神様の恵みが溢れているようで、胸がいっぱいになりました。
 午後の部は、長崎教会を会場に「山脇佳朗さんの被爆体験『忘れられないあの日』」と題して、廣瀬美由紀さん(長崎教会会員)に講演をしていただきました。廣瀬さんは、交流証言者の一人として、山脇佳朗さんの被爆体験を語り継いでおられます。廣瀬さんが心を込めて再現していかれるお話は参加者の心に響き、改めて戦争の悲惨さと平和の大切さを考えさせられました。閉会礼拝での小泉嗣牧師のお話と会堂に響きわたる讃美歌に元気をいただき、平和への思いを新たにしながら会堂を後にしました。

満たされた交流会

立山忠浩(日本ルーテル神学校 校長・日本福音ルーテル都南教会牧師)

 聖公会神学院と私たち神学校の交流会が7月3日に開催されました。毎年開催されている催しですが(2020~2021年は中止)、今回は私たちが用賀を訪ねました。こちらからは15名(学生9名、教師6名)が参加。
 自己紹介の後、神学生の3名が(ルーテルから2名)召命観について語り、それを受けて学生と教師に分かれての意見交換となりました。学生たちの間で互いの召命観を聞き合うことが意外に少なく、意義深い会となったようです。
 教師たちは互いの教会と神学校の実情を分かち合いました。聖公会は西(京都)と東に二つの神学校を持っていますが、今年度は両校合わせて1名の神学生しかいないとのこと。私たちの神学校だけが学生不足に悩んでいるのではないことを改めて確認することになりました。その他、牧師の現任教育のための神学校の貢献についても語り合いました。神学院は宿泊可能な設備を有しており、定期的な研修会の企画に意欲的に取り組んでいることは有益な情報でした。
 教室、図書館、礼拝堂、そして寮と食堂も見学させていただきました。20人ほどは生活できる寮ですが、1名の神学生は家族寮で生活をしているとのことでした。食堂は学生だけでなく、学内で働き、また生活している教職員のためにも昼と夜の食事を提供しているようでした。少人数ですから経営的には厳しいはずですが、業者と提携しながら何とか維持しているのです。そこに聖公会の底力を見る思いがしました。聖餐礼拝の後、その食堂で夕食をご馳走になり、様々な意味で満たされて神学院を後にしました。

一日神学校。4年ぶりのキャンパス(対面)開催!

宮本新(ルーテル学院大学 教員・牧師)

 今年の一日神学校は、9月23日(土・祝)にルーテル学院大学を会場に対面開催で行われます。
 テーマは、「キリストの心を心とする〜関東大震災100年とディアコニア」。今から100年前の9月1日に発生した関東大震災は、当時の日本社会が体験した未曽有の災害でした。九州から東京へと宣教活動を展開していたルーテル教会も被災し、また「救援活動」に参画することになります。そこでの活動がディアコニアであり、やがて二つの社会福祉事業へと結ばれていきます。
 メインプログラムのシンポジウムでは、今年100周年を迎える東京老人ホームとベタニヤホームからシンポジストを迎え、ルーテルの社会福祉、ディアコニア、そして「キリストの心」について振り返り話し合うひとときを持ちます。
 このたびの一日神学校は、キャンパスに皆さまを迎えての対面開催をもう一つのテーマにしています。チャペルでの開会礼拝(午前9時30分開始)、またキャンパス内でミニショップを再開します。どれもこれも2019年以来のことであり、とても楽しみにしています。ただし、依然として感染対策に慎重を期するために半日開催としています。再会の喜びに併せて、安心安全のうちに集うことを願いとしています。その他、プログラム全体の案内・ポスターにつきましては、各教会にご案内をお送りしますのでそちらをご覧ください。

23-08-01聖書と礼拝

「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。」(イザヤ書55・1)

「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」(マタイによる福音書14・16c)

イエス様は今、舟に乗ってひとり人里離れた場所に退かれます。そこで五千人を満たす物語が始まります。同じように五千人をパン五つと魚二匹で養う記事がマルコ福音書にもあります。しかし、その同じ記事は人里離れた所へ退いたいきさつが全く異なります。マルコ福音書の始まりはこうです。マルコ6章30節から「さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。」マルコによればイエス様の元に戻ってきた弟子たちに休養を取らせるためイエス様は弟子たちと共に人里離れた所に退いたと説明します。それに対してマタイは次のように語るのです。マタイ14章13節「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。」マタイによれば、イエス様が人里離れた所に退いたのは領主ヘロデによるヨハネ殺害を聞いた後でした。洗礼者ヨハネはヘロデによって殺され、この人殺しは贅沢で豪華な食事の宴席で命じられたと聖書は語ります。物に溢れた贅沢で豊かな社会が人間の命を尊ぶとは限りません。むしろ反対に何でも自分の望む物を手に入れることができると考えた時、人は神をも畏れず、その結果、隣人の命を軽んじることになるのではないでしょうか。食べ物に溢れ、人間の欲望を満たす豪華で贅沢な誕生パーティーは死と悲しみに包まれました。それは貴い命が敵意と憎しみによって死に飲み込まれるこの世の空しさの極みであったに違いありません。しかしその時、大勢の群衆がイエス様の後を追い、ついてやってきます。その数は女と子供を別にして、男が五千人ほどであったと聖書は告げます。イエス様を追ってきた人はどのような人たちだったでしょうか。聖書によれば、舟から上がったイエス様はその人々を目にして深く憐れみ、病人を癒されたと言います。その人々は飼い主のいない羊のような人々であり、ヘロデの誕生パーティーに決して与ることができない人々でした。大人も子供も、女も男も、病人も皆、イエス様を求め、人里離れた所まで追ってきたのです。彼らこそまさに、この世で飢え渇いていた人々であったことでしょう。人里離れた何もない所で、イエス様は五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで讃美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになりました。全ての人はそれを食べて満腹したと聖書は語ります。しかも残ったパンくずは十二のかごをいっぱいにしたのです。
「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るが良い。銀を持たない者も来るが良い。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め、価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。」(イザヤ書55・1)
神様の憐れみを示す聖書における主要なシンボルは食事です。出エジプト記では神様はエジプトを脱出した人々をマナと岩から溢れ出る水によって養います。預言者イザヤは苦しむ人々に水とぶどう酒、乳と穀物を価なしに与えると約束します。そして、イエス様はまさに、人里離れた場所で飢え渇いた全ての人々を満腹にさせるのです。聖書の御言葉が示す隠喩において、私たちの飢えと渇きの両方を満たすお方は神です。そしてこの困難な時代、希望に飢え渇く私たちは、これら物語が語る神の約束の中に接ぎ木されるのです。これら聖書の物語は今を生きる私たちのためにあります。私たちはだから、希望への飢え渇きを神に求めるのです。そしてそれから、私たちにパンをお与えくださる主によって、神の子としての権能を授けられた私たちは向きを変え、困窮するこの世界へと遣わされるのです。イエス様は言われます。「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」

23-08-01るうてる2023年08月号

機関紙PDF

「聖書と礼拝」

日本福音ルーテル保谷教会牧師・ルーテル神学校チャプレン 平岡仁子

「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。」イザヤ書55・1
「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」マタイによる福音書14・16c

イエス様は今、舟に乗ってひとり人里離れた場所に退かれます。そこで五千人を満たす物語が始まります。同じように五千人をパン五つと魚二匹で養う記事がマルコ福音書にもあります。しかし、その同じ記事は人里離れた所へ退いたいきさつが全く異なります。マルコ福音書の始まりはこうです。マルコ6章30節から「さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。」マルコによればイエス様の元に戻ってきた弟子たちに休養を取らせるためイエス様は弟子たちと共に人里離れた所に退いたと説明します。それに対してマタイは次のように語るのです。マタイ14章13節「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。」マタイによれば、イエス様が人里離れた所に退いたのは領主ヘロデによるヨハネ殺害を聞いた後でした。洗礼者ヨハネはヘロデによって殺され、この人殺しは贅沢で豪華な食事の宴席で命じられたと聖書は語ります。物に溢れた贅沢で豊かな社会が人間の命を尊ぶとは限りません。むしろ反対に何でも自分の望む物を手に入れることができると考えた時、人は神をも畏れず、その結果、隣人の命を軽んじることになるのではないでしょうか。食べ物に溢れ、人間の欲望を満たす豪華で贅沢な誕生パーティーは死と悲しみに包まれました。それは貴い命が敵意と憎しみによって死に飲み込まれるこの世の空しさの極みであったに違いありません。しかしその時、大勢の群衆がイエス様の後を追い、ついてやってきます。その数は女と子供を別にして、男が五千人ほどであったと聖書は告げます。イエス様を追ってきた人はどのような人たちだったでしょうか。聖書によれば、舟から上がったイエス様はその人々を目にして深く憐れみ、病人を癒されたと言います。その人々は飼い主のいない羊のような人々であり、ヘロデの誕生パーティーに決して与ることができない人々でした。大人も子供も、女も男も、病人も皆、イエス様を求め、人里離れた所まで追ってきたのです。彼らこそまさに、この世で飢え渇いていた人々であったことでしょう。人里離れた何もない所で、イエス様は五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで讃美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになりました。全ての人はそれを食べて満腹したと聖書は語ります。しかも残ったパンくずは十二のかごをいっぱいにしたのです。
「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るが良い。銀を持たない者も来るが良い。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め、価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。」(イザヤ書55・1)
神様の憐れみを示す聖書における主要なシンボルは食事です。出エジプト記では神様はエジプトを脱出した人々をマナと岩から溢れ出る水によって養います。預言者イザヤは苦しむ人々に水とぶどう酒、乳と穀物を価なしに与えると約束します。そして、イエス様はまさに、人里離れた場所で飢え渇いた全ての人々を満腹にさせるのです。聖書の御言葉が示す隠喩において、私たちの飢えと渇きの両方を満たすお方は神です。そしてこの困難な時代、希望に飢え渇く私たちは、これら物語が語る神の約束の中に接ぎ木されるのです。これら聖書の物語は今を生きる私たちのためにあります。私たちはだから、希望への飢え渇きを神に求めるのです。そしてそれから、私たちにパンをお与えくださる主によって、神の子としての権能を授けられた私たちは向きを変え、困窮するこの世界へと遣わされるのです。イエス様は言われます。「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊶伝わっています

「御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。」(申命記30・14)

「何かしたんですか?」お会いするなり言われて私が驚きました。私は20歳になったばかりの頃、ある先生の紹介で2週間ほど海外の二つの教会の皆さんにお世話になりました。なのでご紹介くださった先生にお礼を言おうと近づいた時でした。
「あなたは何かしたんですか?出身教会に帰ったらみんながあなたのことを聞きました。」私、何かしたのかしら?言葉がうまく通じなくて1回だけお世話をよくしてくださった方の前で大泣きをしたくらいだと思っていました。
フッとこのことを思い出させてくれたのは他愛もない辛い瞬間でした。それは電話で何度も聞き返された挙げ句「わからないので変わります。」と言われた時です。
最近電話で話すと何度も聞き返されてしまい落ち込みます。そして思うのは、対面ならば伝わるのになと。
あっそうだったんだ伝えているのは言語だけではなくその時表現される全てが用いられるんだ。
何十年もわからなかった「何か」は私が何かしようとしてしたのではなくて、神様が私を通して何かをしてくださったのだと思い嬉しくもなりました。
電話は言語を伝えます。機械音でも伝わるかもしれません。知っている人の声が電話から聞こえる親しみから言葉を聞くかもしれません。でも「ことば」は言語だけではありません。海外で自分が何かをやろうとしてしたのでなくても、電話で言語を伝えられなくてもあなたは伝えています。あなたがいろいろなものを通して「ことば」を伝えられているように。

【訂正とお詫び】

機関紙るうてる2023年7月号、2面「教会讃美歌 増補」解説「㊲増補26番」の執筆者である奈良部慎平氏の所属に誤りがございました。正しくは「日本福音ルーテル東京教会信徒」です。訂正してお詫びいたします。校正作業における確認を徹底してまいります。大変申し訳ございませんでした。

改・宣教室から

小泉基 宣教室長(日本福音ルーテル 札幌教会牧師)

永吉秀人議長から指名され、宣教室長を仰せつかることになりました。全体教会の事務局にかかわる働きははじめてで、地方教会ばかりに長く身を置いてきた身としては、教会全体の宣教を広く云々するような知見はとてもありません。しかも、新議長から直接依頼された室長としての最初の働きが、歴代の議長が連載してきたこの「るうてる」のコラムの執筆だというのですから、なんとも戸惑いばかりが先に立ってしまうのです。
それでも、本紙6月号に掲載された「総会議長所信」を読ませていただいて、改めて思わされたこともありました。わたしたちの教会は、1960年代末に、海外の宣教団体からの補助金に頼った教会運営から脱することを強く決意しました。以来、教会の経済的自立を優先的に考えて、長い努力を重ねてきたのです。経費の節減や活動の縮小、収益事業の取り組みを含めてさまざまな努力が重ねられてきた結果、近年になってようやく、経済的に自立した教会として歩むことができるようになったのでした。しかし永吉議長は先の「所信」のなかで、「前を向いて走り続けて来たがゆえに、多くの事柄を通り過ぎて来てしまったのではないか」「私たち教会としての歩みも隣人の前に立ち止まらなければ、誰の隣人にもなれないことをわきまえます」、と語っておられます。
もしこのコラムを通して、個教会や教区、諸施設やエキュメニカルな働きといったさまざまな現場において、隣人の前に立ち止まる働きをなさっておられる方々の声に耳を傾ける機会をいただけるなら、たとえわたしが、大上段から宣教を語るようなことが出来なかったとしても、そのことをもって託された職務のいくばくかを担えるのではないかと思い至ったのです。
このコラムは、永吉議長によって「改 宣教室から」と名付けられています。「所信」によれは、この改は「悔い改め」の改なのだそうです。そして「議長から」でも「室長から」でもなく、「宣教室から」と名付けられていますから、教会の宣教にかかわる多くの方々にお手伝いいただきながら、「改」というタイトルに心に留めつつ、いまの教会と社会における宣教の現場の声をわかちあう場としていきたいと願っています。みなさまのご協力をお願い致します。

「教会讃美歌 増補」 解説

㊴増補42番「よみがえりの主の」

石丸潤一(西日本福音ルーテル 新田教会)

讃美歌委員会の発足当初、新しい『教会讃美歌』に収録する曲の方針について、様々なアイデアが出されました。『分冊1』に収録されたルターのコラールや新しい日本語の賛美歌のほかに、アジアや南米などの賛美歌、こどもや青年向けの賛美歌などを収録したいという意見が挙がりました。そんな中、「古くから日本でなじみのあるヨナ抜き音階の賛美歌」という意見が出され、その声に促されるように作ったのが、「よみがえりの主の」です。
ヨハネ3章16節から着想を得、イエス様のご生涯を歌う5節の賛美として作りましたが、他の賛美歌とのバランスや委員からのアドバイスを受け、後半2節を礼拝からの派遣の賛美とするかたちで採用いただきました。専門的な音楽教育を受けていない者が作った拙曲ですが、その分、シンプルで、音域も広くなく、口ずさみやすいメロディかと思います。
主がこの賛美を用いてくださり、みなさんが礼拝の恵みの場から主とともに歩む日々へ穏やかに送り出されるための助けとなれましたら、幸いです。
また、伴奏編曲をご奉仕くださった讃美歌委員の萩森英明兄に、心から感謝いたします。

増補50番「見つめてください」

中山康子(日本福音ルーテルむさしの教会信徒)

当時のアメリカ福音ルーテル教団の世界宣教部事務局長 ラファエル・マルピカ・パディッラ牧師が、2011年3月11日に起きた東日本大震災後に、仙台の被災地を訪ねました。世界宣教部として支援できることを探るための視察でした。その折に、その状況下でも神さまがいのちを守ってくださる方である事を感じて、聖書の言葉を紡いだ歌詞がメロディとともに即座に生まれました。それを聴き取って、賛美歌委員が伴奏を付けたのがこの賛美歌の誕生のゆえんです。
いまだに見つからないと探す方々、亡くなった方々のご関係、津波の被害に遭いながらも生きながらえた方々、それらのご関係の方々にとって、さらに支援の限界を感じ人間的には手が尽くせない思いを持つ人々にとって、すべてを造られた神に希望を託すことができるのは、なんと深い大きな慰めでしょう。聖書出典箇所として、イザヤ書46章4節、詩編50編15節、ヨナ書2章が挙げられます。深い絶望の時にも希望を失わない信仰を育てる祈りの中で歌いたい賛美歌です。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

水と衛生インフラ整備して学校改善:ハイチ

キャンプ・ペリンの生徒たちにとって、清潔なトイレと洗濯や飲み水は贅沢なもの。ルーテル世界連盟(LWF)とパートナーのノルウェーのディアコニア団体(NCA)は水と衛生インフラを整備して、子どもたちが衛生習慣を身につけられるよう訓練を行っています。
ハイチ南部の農村地キャンプ・ペリンは、2022年8月の地震で大きな被害を受けました。いまだに多くの家族が仮設住宅で生活しており、学校の再建も進んでいません。社会情勢が不安定なため、インフラの整備も遅れています。
エコール・レスプワ(クレオール語で「希望の学校」の意)には、現在324人の生徒が集まり、30分から2時間かけて通学していますが、学校に着いても手を洗ったり飲む水がないこともしばしば。乾式コンポストトイレは悪臭を放つので、子どもたちも使いたがりません。年頃の女子にとって衛生的に生理の処理をするのも難しく、そのために学校を休むことも。
学校まで歩いて2時間のところに住む16歳の少女ルドニーもその一人で、7年生の彼女はクラスで最年長。家族は彼女と7人の兄弟の年間25米ドルの学費を支払えないこともありましたが、今は地域の支援を受けて学校に通い休まないよう励んでいます。毎朝5時に起きて家事を済ませ、それから学校まで2時間てくてく歩くにしても、この機会を逃すまいと決意しています。お腹をすかして帰宅しても食べ物がなく、それよりも家族の夕食の支度が先決といったことがよくあります。
「子どもたちは朝、のどが渇いています」とエマニュエル校長は言います。「きれいな水がないので、ほとんどの場合子どもたちは飲み水を買いに行かねばなりません。」 エマニュエル校長は、自宅から飲料水を持ってくるように勧めていますが、ルドニーのように歩く距離が長く、ボトルを買うお金もない生徒にとってはほとんど不可能なことです。
LWF/NCAの「グリーンスクール」プロジェクトは、エコール・レスプワで、こうした課題と向き合っています。コンポストトイレを水洗トイレに変更することで利用しやすくなり、臭いも消えます。飲料水用の水源を建設し、毎日400リットルの飲料水を学校で利用できるようになります。またこのプロジェクトには、トイレの使用、手洗い、安全な水だけを飲むといった衛生習慣の指導も含まれています。「キャンプ・ペリンの遠隔地の家庭では、野外での排泄が広く行われています」、「そのために湧き水や他の家庭用水資源が汚染され、下痢等の疾患を引き起こしています。」(LWFハイチ代表レイモンドさん)
ルドニーは、ゲームのできる校庭ができることを夢見ています。本を読むのも好きなので、学校に図書館ができたら絶対利用したいと思っています。「子どもたちは変革の担い手だと私たちは考えています。」「彼らが学んだことを家に持ち帰って、家族と地域社会の生活の向上を目指してほしいのです。」(レイモンドさん)
※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」③

日本福音ルーテル恵み野教会

中島和喜(日本福音ルーテル恵み野教会・函館教会牧師)

恵み野教会は「北海道伝道推進計画」の中で1985年に建てられた教会です。当時、開拓伝道の地として北海道内のどこに教会を建てるかと協議していた最中、同時期に恵庭市によるニュータウン計画が進行中であり、教会用地に予定されている土地に教会を建てないかとの市側からの呼びかけによって建てられた珍しい教会でもあります。そのため、まだ周辺に建物が少ない時期から、恵み野教会は地域の教会として立ち続けています。
恵み野教会はノアの方舟をイメージして建てられ、上空から見ると船の形をしているというユニークな建物です。また150平方メートルもの広大な庭があり北海道の雄大な自然をも感じられます。建物だけでなく、自然を通してもまた、神が創られたものはいかに美しいものであるかを感じさせられます。
昨年までは札幌教会との兼牧体制でしたが、4月から函館教会との兼牧体制となったため、これまで日曜日だった礼拝時間を土曜日10時からに変更しました。大きな出来事に当然痛みもありましたが、一方でこれまでは信徒礼拝や礼拝後すぐ牧師がもう一つの教会に移動するということが半分以上でしたが、そういった移動体制がなくなり、常に変わらない状況で礼拝の日を迎えられる恵みが与えられています。
恵み野教会のある恵庭市は「花のまち」として有名な街で、市が作成している観光マップには一般民家のガーデニングが紹介されるほど花への思いが強い街です。そういった地域にあることを覚えて、昨年からペンテコステの時期には「花の礼拝」として、各家庭で育てている花を持ち寄り感謝の捧げものとする礼拝を行っています。また冬場にはクリスマスフェスタとして、地域の方々に礼拝堂を会場に何か出し物をしてもらう企画も行なっています。その他にもコンサートや教会バザーなどを通して、地域の教会として愛されている教会です。空港からも非常に近い教会ですので、北海道観光の際はぜひ教会をお訪ね下さい。

九州学院みどり幼稚園

新垣力(九州学院みどり幼稚園園長)

九州学院みどり幼稚園は、1924年に米国から来日し、九州学院に赴任した宣教師、ルイス・ルー・グレーシー氏が自宅の一室で10人の子どもたちを集めて幼児教育をスタートしたのが始まりであるとされており、2024年12月で100周年を迎えます。
異年齢との交流や礼拝、行事等を通して感謝と思いやりの心を育てています。付属幼稚園としての良さを生かし、九州学院中学・高校の外国人教師による英語あそびや体育教師による運動あそびを毎週実施しています。また、入園式、卒園式もチャペルで行うとともに、中学・高校の広いグラウンドや体育施設を使ってのびのびと体を動かす機会を設けています。園には給食室が設置されており、完全給食を実施し、地産地消に努め、食育にも力をいれています。
2015年からは、幼保連携型認定こども園として新たなスタートを切り、現在106名が在籍しています。
幼稚園から認定こども園へ変わったことで、子どもを預かる時間や職員の勤務時間の違い、職員数の増加といった新しい運営体制に順応していくことが求められましたが、子どもたちは、神様から託されたかけがえのない存在あることに変わりはなく、一人ひとりに寄り添った教育、保育に努めています。
職員集団として声を掛け合っているのは、「正しい自己肯定感を高く保つ」ということです。子どもを取り巻く私たち大人の自己肯定感、自己有用感が低ければ、子どもの良さに「気づき、認め、励まし、伸ばす」ことは難しいと考えています。あわただしい日々ではありますが、毎朝の讃美歌とお祈りで、「今日も新しい朝をいただいたことへの感謝」の心をもち、子どもたちへの愛を誓っています。また、園長として、職員の日々の努力を認め、具体的な言葉で感謝を述べるようにしています。保護者に対しても同様です。
これからも、献身と謙遜の心を忘れず、職員一同子どもたちのために頑張っていきたいと思います。

エキュメニカルな交わりから ⑰平和を実現するキリスト者ネット

小泉嗣(日本福音ルーテル熊本教会・玉名教会・八代教会牧師)

「平和を実現するキリスト者ネット(以下・平和ネット)」は、平和ネットのホームページによると、国会で日米安保条約の新ガイドライン、周辺事態法、国旗・国歌法等が次々と成立し、平和と信教の自由が侵される危うい状況に危機感を持った日本キリスト教協議会(以下・NCC)が呼びかけて1999年に設立された34の日本のキリスト教会、教派、団体で構成されたネットワークです。
そしてこの平和ネットの特徴は、日本のキリスト教界に生きる「平和」を実現しようとする様々な教派、団体(日本カトリック、日本自由メソヂスト教団、日本YMCA同盟、日本キリスト者医科連盟、等々…)の「祈り」と「手」によって活動が続けられているという点と、この平和ネットが、日本の他宗教・団体と共に平和を実現するための活動をする際のキリスト教界の窓口となっている点であると言えます。これまではキリスト教の教派・団体がそれぞれバラバラに参加し、活動してきた、憲法9条や、沖縄辺野古基地建設反対、秘密保護法反対などの全国的に展開される運動に対し、(もちろん個々の教派・団体の関りは継続しつつ)「平和ネット」という共通の名札で参加することを可能としたのです。様々な集まりに一人で参加していた人も「平和ネット」の旗を見つけて、「あっ、あそこにイエスの平和を祈る人たちがいる」と勇気をもらった人も少なくないと思います。
加盟教派であるルーテル教会の派遣委員の働きは、年に2回行われる運営委員会に出席し、自らの教会の平和に資する活動の報告と、他教派・団体の情報を収集すること、そしてルーテル教会だけでは実現できないような集まりを、ルーテル教会のみなさんにお伝えすることです。
ルーテル教会からは派遣委員だけではなく事務局の働きを担ってくださっている方もおられます。平和ネットの働きは、主イエスの平和を実現するための直線的なものではないかもしれませんが、多様化・複雑化する社会の中で、平和のために共に祈る場・共に歩む場を整える大切な働きです。これからもお祈りとお支え、何より様々な活動へのご参加、よろしくお願いします。

「平和へ向けての提言核問題の視点から」

内藤新吾(日本福音ルーテル稔台教会牧師)

平和と核の問題は一体です。また、核について日本では、「核」と「原子力」と言葉の使い分けがされますが、世界では区別なく(nuclear)、軍事と平和利用は緊張関係にあり繋がっています。私たちは、原発がなぜ普及するようになったかの歴史的背景を注意深く見ておく必要があります。原発を推進する国や企業は「原爆と原発は違います」と繰り返し言ってきましたが、実はそこに一番触れられたくない事情が隠されています。
原発の世界への普及は、核兵器を持ち続けたい大国が経済安定のため立案したものです。第二次世界大戦後、アメリカと旧ソ連を中心に核競争が激化、このままでは国家が経済破綻してしまうのを避けて儲ける部分も設定しました。また、原発を買う国には核開発しない約束をさせ監視し、保有国の優位を保ちました。その代わり、原発を買った国には国家と担当企業に利権の集中が図られます。
さらに、これはアメリカが特に戦後すぐ行ったこととして、自分たちの落とした原爆が悪魔の兵器だったという批判を避けるため、放射線の影響が極力小さく見えるよう、ABCC(原爆傷害調査委員会)を設置し報告をまとめます。そしてABCC報告を元にICRP(国際放射線防護委員会)が組織され、原子力関連の労働者に被ばくの訴えを出させないためにも、放射線の規制を甘くしてきました。それは現在、福島で原発震災が起きた後も、その影響はないとすることに繋がっています。
日本はアメリカから原発を導入しましたが、再処理や高速炉開発にここまでこだわるのは、エネルギーのためではないと警戒すべきです。それは核武装です(絵本『魔法のヤカン』愛育出版あとがきにも)。その可能性は、日本が原発導入を決めた時の原子力基本法案の議案説明にも、歴代大物政治家の言葉にも、外交政策の文書にも刻まれています。また、これまで何度も国会で、自衛のためなら小型核兵器を保持しても合憲との与党側答弁がなされています。でも行わないのは、核武装そのものが目的ではなく、同盟国への商売まで考えているからでしょう。どれだけ憲法をねじ曲げ解釈しても、さすがに9条がそこまでは許さないのです。核の問題を放置しないことと改憲阻止は、信仰者の務めと思います。まさに、いのちと平和の問題です。
ところで昨年の夏、政府は、ウクライナへのロシアの侵攻で石油やガス高騰のドサクサに、原発が攻撃対象となることにはフタをして、原発政策の大転換案を出しました。そうして国会審議も経ず閣議決定、その後も関連のGX法案をアッという間に通しました。しかし、どのように国が進めようと、よくない政策や法はまた変えることができます。多くの人が騙されていますが、原発は諸工程を入れると一番コストが高く、太陽光と風力の発電は一番安いのです(映画『原発をとめた裁判長そして原発をとめる農家たち』にも)。真実を知り、伝えていくことが大事です。

デンマーク牧場福祉会20周年記念感謝会報告

櫻井隆(デンマーク牧場福祉会理事長)

6月10日、ルーテル教会関係者約50名を含め、来賓・職員など総勢150名ほどの方が参加されて、デンマーク牧場福祉会の20周年記念感謝会を実施することができました。感謝会では、現在の法人の状況を知ってもらうことを主眼としたため、著名な方をお迎えした講演会などは行わず、創立から20年が経過した現在の様子を紹介させていただきました。
礼拝、挨拶、事業所報告と地味な内容でしたが、参加された来賓、教会関係者の方々から良い会であったという感想を聞くことができ、本当に良かったと感謝しています。
2003年、社会福祉法人デンマーク牧場福祉会は、特別養護老人ホーム「ディアコニア」の一つの事業から始まりました。海外からの財政的支援のない中で、社会福祉法人の認可を受け、ディアコニアを建築することは容易なことではなく、準備委員の方々が中心となり、多くの方々の熱心な祈りと働きにより、困難を乗り越えて開設されました。そして、20年が経過した現在、デンマーク牧場福祉会は、四つの社会福祉事業と二つの公益事業、一つの収益事業を行い、130名余の職員が働く法人へと成長してきました。これまでの歩みは、順風満帆とばかりとは言えませんが、ここに至るまでに導かれたことに感謝しています。そして、20周年を迎えたこの時に、これまでに多くの方々の働き、支援、祈りがあったことを覚え、デンマーク牧場福祉会のこれからを考える機会にしたいと思っています。
特に、法人・特別養護老人ホーム設立の時にご負担いただき、20年にわたって福祉村献金として支援していただいた東海教区はじめ全国の信徒の方々には、心より感謝申し上げます。その思いや祈りを受け止めて、これからも職員と入所者・利用者で、より良い法人になるよう努めていく所存です。
また、20周年を記念して、『豊かな大地に守られながら、一人ひとりに寄り添って~デンマーク牧場福祉会二十年の歩み~』を発行しましたので、皆様の教会に送付させていただきます。こちらにも、ここ10年の歩みを中心に、法人の20年についてまとめましたので、皆様にご指導をいただきたく、よろしくお願いいたします。

南熊本教会共同体「初夏の集い」を久しぶりに開催

⻆本浩(日本福音ルーテル神水教会・松橋教会・荒尾教会牧師)

南熊本教会共同体(私たちは普段「南熊本群」と呼んでいます)では、共同体内の人件費支援を行ったり、共同体として出席する全国総会に小さな群れの信徒が無理なく行けるように総会旅費の積み立てを行ったりしてきました。また、年2回の合同役員会、そして、年2回の講壇奉仕交換プログラムも続けています。おそらく、これだけ実質的な協働を続けている教会共同体は全国でも珍しいのでは、と思っています。
そして、もう一つの目玉がペンテコステあたりの時期に行っている「南熊本群初夏の集い」です。このプログラムも新型コロナウイルスの感染拡大により、3年間、休止を余儀なくされてきました。ようやく・・・ようやく今年6月3日(土)4年ぶりの開催の運びとなりました。
南熊本群には6教会がありますが、毎年、担当、企画等持ち回りで続けてきております。過去には、各教会から一人ずつの証しを聴く時もあり、讃美を楽しむ集会あり、春の河原で野外礼拝と信仰の思いを俳句に読んだ機会あり、ノアの箱舟の劇を行った時もあれば、各自の愛唱聖句を語り合って小冊子を作った時もあります。
今回は神水教会が担当となっていました。久しぶりに集まるから、何か「なつかしさ」を共有したいという思いもあって、三浦綾子さん作の「塩狩峠」について振り返りました。ご存じの方も多いと思いますが、乗客を救うために、逆走し脱線の危機にあった列車を止めようと自身の命を懸けて殉職した鉄道員の小説です。起こった出来事もさることながら、主人公の永野信夫さん(モデルとなったのは長野政雄)が次第にキリストを信じていくその過程などを考えるひとときを過ごしました。
久しぶりの再会でしたので、昼食後は、一人ひとりマイクをもって近況報告会。
兄弟が共に座っている。なんという恵み、喜び!そう実感した一日でした。

「2023年 ルーテル聖書日課読者の集い」のご案内

「ルーテル聖書日課読者の集い」が3年ぶりに対面開催されます。聖書日課の講読者ではない方もご参加頂けます。皆様のご参加をお待ちしております。

〈主題〉ローマ書を学ぶ(仮題)
〈講師〉大柴譲治牧師(日本福音ルーテル大阪教会)
〈日程〉10月23日(月)~25日(水)
〈申込締切〉9月30日(土)必着
〈参加費用〉お1人・3万3千円(2泊6食付き)
*シングル・ツイン同額
〈宿泊先〉ホテル・ザ・ルーテル *基本はシングルルームとなります。ツインルームをご希望の方は、お早めにご連絡ください。ツインは数に限りがございますので、ご希望に添えない場合がございます。
〈申込先〉
氏名、住所、メールアドレス、ご連絡先、所属教会、ツインルームご希望の場合は、同室希望者の氏名を明記の上、
seishonikka@jelc.or.jp
もしくは
FAX(03)3260―8641
まで送信ください。
〈お問合せ〉
聖書日課を読む会事務局 担当・平野
(日本福音ルーテル教会事務局内)
TEL(03)3260―8631
FAX(03)3260―8641
seishonikka@jelc.or.jp

23-07-02今日を、明日を生きるために

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章25~30節(28節))

 一体どれだけの人がこれまで、このイエスの言葉に癒され、励まされ、導かれてきたのでしょうか?
 その疲れの原因はともかく、とにかく「疲れている」すべての人に向けてこの言葉は語られています。もちろん、一義的には2000年前のイスラエルに住む人々に向けてでしょう。マタイによる福音書11章はイエスの宣教の記述にはじまり、洗礼者ヨハネの弟子たちとのやりとり、そして彼についての解説の後、コラジンにはじまりカファルナウムまで、イエスが数多くの奇跡を行ったにもかかわらず悔い改めなかった町々を叱り、そして神のみ心が知恵ある者や賢い者ではなく、幼子のような者に示されたことを明らかにしたうえで、このイエスの言葉が語られています。このことから考えると、「疲れた者」とは、洗礼者ヨハネの言葉にも、イエスの宣教の業によっても、悔い改めなかった人々、知恵ある人、賢い人によって、その疲れる原因を与えられた人々の事かもしれません。彼らは自らは天まで上げられると思っていた人々、自らは知恵ある賢いと思っていた人、神に対して謝ることをせず、思い上がり、自分の知恵や力を頼りにする、そんな人々によって、重荷を負わされたのです。その人々とはファリサイ派や律法主義者、宗教的指導者のことであったのかもしれません。彼らによって「罪」を負わされた人々、圧政によって厳しい生活をしていた人々を、マタイによる福音書に多く見ることができるからです。イエスはそんなファリサイ派や律法学者と対峙し、神のみ旨を伝え、そして彼らによって「罪」を負わされた人々を癒し、救い、生きる力を与えられたのです。
 イエスによって癒され、救われた人々には明日がありました。だから「休ませてあげよう」と言われているのでしょう。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」この言葉は、臨終の言葉ではなく、今日を生きる人々に向けて語られているのです。そしてまたイエスは続けます「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」と。
 イエスの目から見れば、時の指導者たちは神に対して、人に対して、粗暴で険悪、傲慢な人々であったのでしょう。必要以上に神に求め、人に強いていた、そのことでたくさんの人が重荷を負わされ、疲れていたのです。だからこそ、イエスに学ぶように、多くを求めず、強いることをせず、ただイエスに聞くこと、それが父なる神を知ることになるのだと、イエスは言うのです。
 なるほど、だからこそ、この言葉に私たちは癒され、励まされ、導かれるのです。もちろん私たちのまわりには律法学者やファリサイ派はいませんし、直接的な圧政に苦しめられているとも言えないでしょう。しかし私たちは、傲慢で、険悪で、自らの正しさや、知恵や力に頼る人々によって、また社会によって、どこかで無理を強いられ、何がしかの圧力に疲れを感じているのではないでしょうか?またもしかしたら、自分自身がそのように無理を強いたり、圧力をかけたりしているのではないでしょうか?そしてそのことによって、重荷を負い、生きることに疲れてしまっているのではないでしょうか?
 「もしそうであるならば、私のもとに来なさい。あなたが今日を生きるために、休ませてあげよう。あなたが明日を生きるために、柔和で謙遜な私から学びなさい。」イエスはそんな私たちに、2000年前から今日まで、そしてきっとこれからも、このように語りかけてくださっているのです。

23-07-02るうてる2023年07月号

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「今日を、明日を生きるために」

日本福音ルーテル熊本教会・玉名教会・八代教会牧師 小泉嗣

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章25~30節(28節))

 一体どれだけの人がこれまで、このイエスの言葉に癒され、励まされ、導かれてきたのでしょうか?

 その疲れの原因はともかく、とにかく「疲れている」すべての人に向けてこの言葉は語られています。もちろん、一義的には2000年前のイスラエルに住む人々に向けてでしょう。マタイによる福音書11章はイエスの宣教の記述にはじまり、洗礼者ヨハネの弟子たちとのやりとり、そして彼についての解説の後、コラジンにはじまりカファルナウムまで、イエスが数多くの奇跡を行ったにもかかわらず悔い改めなかった町々を叱り、そして神のみ心が知恵ある者や賢い者ではなく、幼子のような者に示されたことを明らかにしたうえで、このイエスの言葉が語られています。このことから考えると、「疲れた者」とは、洗礼者ヨハネの言葉にも、イエスの宣教の業によっても、悔い改めなかった人々、知恵ある人、賢い人によって、その疲れる原因を与えられた人々の事かもしれません。彼らは自らは天まで上げられると思っていた人々、自らは知恵ある賢いと思っていた人、神に対して謝ることをせず、思い上がり、自分の知恵や力を頼りにする、そんな人々によって、重荷を負わされたのです。その人々とはファリサイ派や律法主義者、宗教的指導者のことであったのかもしれません。彼らによって「罪」を負わされた人々、圧政によって厳しい生活をしていた人々を、マタイによる福音書に多く見ることができるからです。イエスはそんなファリサイ派や律法学者と対峙し、神のみ旨を伝え、そして彼らによって「罪」を負わされた人々を癒し、救い、生きる力を与えられたのです。

 イエスによって癒され、救われた人々には明日がありました。だから「休ませてあげよう」と言われているのでしょう。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」この言葉は、臨終の言葉ではなく、今日を生きる人々に向けて語られているのです。そしてまたイエスは続けます「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」と。

 イエスの目から見れば、時の指導者たちは神に対して、人に対して、粗暴で険悪、傲慢な人々であったのでしょう。必要以上に神に求め、人に強いていた、そのことでたくさんの人が重荷を負わされ、疲れていたのです。だからこそ、イエスに学ぶように、多くを求めず、強いることをせず、ただイエスに聞くこと、それが父なる神を知ることになるのだと、イエスは言うのです。

 なるほど、だからこそ、この言葉に私たちは癒され、励まされ、導かれるのです。もちろん私たちのまわりには律法学者やファリサイ派はいませんし、直接的な圧政に苦しめられているとも言えないでしょう。しかし私たちは、傲慢で、険悪で、自らの正しさや、知恵や力に頼る人々によって、また社会によって、どこかで無理を強いられ、何がしかの圧力に疲れを感じているのではないでしょうか?またもしかしたら、自分自身がそのように無理を強いたり、圧力をかけたりしているのではないでしょうか?そしてそのことによって、重荷を負い、生きることに疲れてしまっているのではないでしょうか?

 「もしそうであるならば、私のもとに来なさい。あなたが今日を生きるために、休ませてあげよう。あなたが明日を生きるために、柔和で謙遜な私から学びなさい。」イエスはそんな私たちに、2000年前から今日まで、そしてきっとこれからも、このように語りかけてくださっているのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊵「立ち止まって」

「主をたたえよ。嘆き祈るわたしの声を聞いてくださいました。」(詩編28・6)

 道端に咲く野の花に座って話しかけている人のシーンを見ました。あの花が喋り出したらいろんなことを教えてくれそうだなと思うとなんだかすごく楽しく感じました。
 部屋に置いた小さな花も庭やどこかの畑にある花々も毎日話しかけると綺麗に花を咲かせるとどこかで聞いたことがあるような気がします。
 人間も同じかもしれません。
 毎日笑顔を向けられていたなら。毎朝話しかけられたなら。
 もし無視され続けたら辛いです。
 ある人が愛の反対は憎しみではなく無関心だとおっしゃいました。
 挨拶をできない人がいました。その人が通る空気も嫌で息を止めていたこともあります。
 その人が近づくと慌てて逃げました。これはその人に関心があるということなのでしょうか?する方も、される方もあまりにも辛いかもしれません。でも神様は違います。
 あなたに「あなたはわたしにとってかけがえのない存在だよ。」「あなたは大切な存在だよ。」と毎日話しかけてくださっておられます。たとえ話しかけているのに道端に咲く花のように返事もなく、聞いてないようでも神様は毎日あなたに笑いかけ、あなたに語りかけてくださいます。
 「あなたはわたしにとってかけがえのない存在だよ。」「あなたは大切な存在だよ。」と神様は全てを通して語りかけてくださいます。ほらそこにも。

改・宣教室から

日本福音ルーテル教会 総会議長 永吉秀人

「議長室から」改め、「宣教室から」のメッセージへ。

 このたびの全国総会において、第30期の議長として選任されました永吉でございます。感染症拡大の影響により3年間の忍耐を経て、各個教会におかれましても全体教会においても宣教の活性化のチャンスが訪れました。かつてのように密集する活動に戻ることはありませんが、社会の意識にふさわしく配慮された活動が展開され、創出できると希望を持っています。
 かつて、機関紙「るうてる」の紙面について、全国の教会においては議長の顔が見えないゆえに「議長室から」というメッセージの必要性を求めたのは私自身であったように記憶しています。もちろん、教会はこれからどこへ行くのかという示唆的なメッセージは有って有るべきものですが、それ以上に教会がいま何をしているのかという具体的な取り組みや関わりを紹介し、分かち合い、呼びかけを通して皆様と連帯していくことが大切であると感じています。
 全国総会では新たに「第七次綜合方策」が採択されました。中心的課題は牧師の職務である牧会の機能回復であり、それを実現するための教会の再形成(リ・フォーメイション)です。前大柴讓治議長は「聽」という漢字をシンボルとして掲げておられましたが、それに倣って今期のシンボルを掲げますならば、「改」という漢字になるでしょう。しかしながら、これは改革の「改」ではなく、悔い改めの「改」です。「あらためる」ではなく、「あらたまる」であります。
 教会は社会との関わりにおいて、そこでの使命として日本福音ルーテル教会に留まらず、NCC(日本キリスト教協議会)を通して、またカトリック教会と連携しつつ、様々な活動も担っています。しかしながら、委員や担当者を置きながらも、それぞれの働きを全体で分かち合うまでには至っていないのが現状です。社会的な課題は教会の宣教の話題の一つに過ぎないのではなく、どの活動にも人々の痛みと忍耐と希望があります。日本福音ルーテル教会全体として、これまで気づけなかったり、通り過ぎて来た一つ一つの課題に立ち止まる勇気と立ち続ける忍耐とを共有することがキリストの教会には求められます。そのためにも「るうてる」の紙面を通して「宣教室から」呼びかけてまいります。

「教会讃美歌 増補」 解説

㊲増補26番「かみさま わたしのとなりびとは だれ」

奈良部慎平(日本福音ルーテル 東京教会信徒)

 ちょうどわが家に子どもが生まれたタイミングで、「宗教改革500周年の記念にもなるし、教会に行った時に子どもたちと一緒に歌える歌があるといいな」と思い作詞してみました。
 歌詞には子どもが好きそうなリズムと言い回しが含まれるように、言葉あそびの要素を考慮して言葉を考えたように思います。
 聖書の隣人愛のメッセージを、小さな子どもでもイメージしやすいように落とし込んだつもりです。
 幸いにも素晴らしい楽曲が与えられ、大変感謝しています。すでにわが家の子どもたちは大きくなり、一緒に歌を歌うことはありませんが、1人でも多くの子どもたちや家族が愛唱してくだされば嬉しいです。
 シンプルな歌詞で大きな神様のメッセージが伝わればいいと思っています。

㊳増補33番「インマヌエル」

水原久美子(日本福音ルーテルシオン教会員)

 教会に行き始める以前、家庭集会に招かれ通うようになりました。会って間もない私の話を、皆さんが一生懸命聞いて下さいました。そのことは、強烈な印象として記憶しています。
 集われた方々と自分が、友としてつながっていることを実感し、また、キリストが「友だちだよ」と言って下さったことは舞い上がるような喜びでした。(実際、私は舞い上がっていたかもしれません。)
 その頃、言葉やメロディーが、私の中で、次々と浮かびました。「インマヌエル」も、書き留めたものの一つです。私は、友人と呼ぶ人もおらず、関わり合いが家族間でも乏しい家で過ごしておりましたが、この曲を神様がプレゼントして下さったと思います。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ルター派と正教会エキュメニカル協議会の神学的対話について

 LWFと正教会(エキュメニカル総主教指導の下)の国際合同委員会による神学対話が、4月29日から5月6日までルターとメランヒトンが活躍した都市ヴィッテンベルクで開催されました。
 テーマは「聖霊と教会そして世界:創造、人類、救済」。出席者たちは2025年出版予定の共同声明作成に向け作業しました。2025年はニケア公会議1700年記念の年にあたります。ニケア公会議は紀元325年、当時の教会指導者がキリスト教の教義と実践について合意を目指した最初のエキュメニカルな国際会議です。

 LWFエキュメニズム部門のランゲ教授によると「議論はとても建設的で、会話は前向きでした。委員全員が責任をもって真剣に取り組むという経験をできたのは喜びでした。双方から1人ずつ議長が出て、話し合いは活発に進められ集中できました。」

 会期中、エキュメニカル総主教バルトロメオ1世とLWF事務局長アンネ・ブルグハルト師から、40年以上におよぶルーテル教会と正教会による神学対話の進展を祝うメッセージが届けられました。またヴィッテンベルクの城教会では「みことばの礼拝」が、ナウムブルク大聖堂ではルター派の聖餐式が行われました。

 エピクレーシス(聖餐式において聖霊を想起し、パンとぶどう酒そして会衆に向けて聖霊の降臨を呼び求める祈り)は、正教会の典礼と教会論の中心にあるため、そこに議論が集中しました。ルターは、ドイツ語ミサ典礼にはその形式を取り入れましたが、当時のカトリックのミサ典礼には入っていなかったため、特に強調しませんでした。けれどもエピクレーシスは、この100年の間、殊に20世紀半ばの北アメリカとスウェーデンの典礼刷新運動を機に多くのプロテスタント教会で再び位置を占めるようになってきました。

 もう一つ「活発な議論」になったのはフィリオクエ論争です。この論争の発端は、ニケア信条の「(聖霊は)父と子から出で」の「子から」を、ラテン語西方教会が6世紀後半に挿入したことです。この文言の挿入によって、西と東の教会間には深い溝ができてしまいました。

 委員たちは「異なる神学的枠組み、典礼としての帰結、考えられる着地点」を探り、次回の委員会で「牧会的意義を検討しつつさらに研究プロセスを深める」ことに合意しました。LWFは、エキュメニカルな礼拝においてフィリオクエ(子から)の文言を省くことを勧めています。ナウムブルク大聖堂でランゲ教授が司式したルター派礼拝ではそのように行われました。
 次回の準備委員会はLWFの主催で11月6日から19日にかけてエストニアの首都タリンで行われます。

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」②札幌教会

小泉 基(日本福音ルーテル札幌教会牧師)

 札幌教会は、三位一体の教会だといえます。それぞれに宣教の歴史を刻んできた札幌教会、札幌北教会、新札幌教会という三つの教会が、ひとつの教会としてのあゆみをはじめて16年になります。もっとも長い歴史を有するのが札幌礼拝堂。フィンランドの宣教団体が1916年に伝道をスタートさせ、翌年教会が組織されて北海道にはじめてのルーテル教会が誕生しました。8年もの伝道中断期を経験するなど、困難な時代も経験しつつ、1934年に市南部に風格ある礼拝堂が献堂され、3年後にはお隣りにめばえ幼稚園も開園してその宣教は軌道に乗りました。札幌市景観重要建造物(第1号)にも認定されているこの堂々たる礼拝堂は、現在も大切に用いられています。一方戦後、市北部で継続していた伝道活動が実を結び、1964年に札幌北教会が生まれます。1969年に献堂した礼拝堂は2006年に建て替えられ、地下鉄駅の出口にも近い交通至便の使いやすい現在地に礼拝堂を得て、札幌北礼拝堂として宣教が続けられています。最も新しい新札幌礼拝堂は札幌の副都心、JR新札幌駅から徒歩5分という好立地に1981年、全国レベル開拓伝道の一環として清新な礼拝堂を献堂。新札幌教会として宣教がはじまりました。
 これら三つの教会が2007年に教籍と会計を一本化して教会組織を統合。新しい札幌教会の歴史が始まりました。この3礼拝堂とめばえ幼稚園とが、ひとつの宣教共同体として札幌におけるルーテル教会の宣教を担っています。
 現在は、4月に着任した小泉が、主に土曜日の札幌北礼拝堂、日曜日の札幌礼拝堂の礼拝を担当。新札幌礼拝堂は、帯広からおいでくださる岡田薫牧師の協力のもとに日曜日に礼拝を行っています。札幌においでの際は、ぜひ札幌教会の礼拝にお出かけ下さい。

大阪でペンテコステ・ヴィジル礼拝開催 

竹田大地(日本福音ルーテル天王寺教会牧師)

 5月27日(土)午後5時から日本福音ルーテル天王寺を会場に第15回ペンテコステ・ヴィジルが執り行われました。この礼拝は、初めカトリック教会、聖公会、日本基督教団の3教派の取り組みとして始まり、2011年の第5回から日本福音ルーテル教会も加わり、大阪地区の4教派のいずれかの教会で行なわれてきました。第15回の今回は日本福音ルーテル天王寺教会で執り行われ、各教派の方々が集い、合計で40名の出席がありました。
 説教は、有澤慎一牧師(日本基督教団池田五月山教会牧師)が担当してくださり、聖霊降臨の出来事を、ご自身の司牧する教会で起こった出来事を交えながら、様々な考え方、思いなどがあることを認め、互いに尊重しながらも、信仰によっては神から与えられる聖霊によって一致しているということを強調する内容でした。
 司式は、4教派から5名が担当し、ロッコ・ビビアーノ神父(カトリック大阪大司教区)、内田望司祭(日本聖公会大阪教区)、井上隆晶牧師(日本基督教団)という多彩な顔ぶれで式文を分担して行いました。日本福音ルーテル教会からは、大柴譲治牧師(日本福音ルーテル大阪教会牧師)と竹田が担当をし、奏楽は、日本福音ルーテル天王寺教会オルガニストの村上薫里さんが担当をしました。
 エキュメニカルな交わりを深める上でも非常に有意義な礼拝が執り行われていると感じています。礼拝の中での連祷では、各教派の信徒が、交代で前に出て祈りをし、心を合わせる時が与えられました。
 草の根運動ではありませんが、神父、司祭、牧師だけではなく、信徒同士が顔と顔を合わせて、讃美の声を合わせ、祈りを共にし、福音に聞いていくことこそがエキュメニカルな交わりをより深めていく機会だと毎回出席をするたびに感じております。このような交わりが各地で広がっていくことを切望します。
 来年は、日本基督教団の教会を会場にして執り行われます。この取り組みが回を重ねていき、主から与えられる聖霊による一致を目指す歩みとなることをこれからも教派を超えた共同の祈りとしていければと思います。
 どうぞ機会がございましたら、聖霊降臨祭の前日、ご一緒に教派を超えて共に福音に聞く恵みと喜びを大阪の地で与かりましょう。

エキュメニカルな交わりから ⑮NCCエクロフ委員会

滝田浩之(日本福音ルーテル小石川教会牧師)

 エクロフ
(ECLOF=Ecumenical Church Loan Fund)は、1946年、第二次世界大戦で被害を受けた教会堂の復興のためにジュネーブに設置された基金で、世界教会協議会と密接な関係を持つ超教派的で国際的な教会間の援助制度です。
 日本エクロフ委員会は、各教派から派遣された委員で運営されています。日本の敗戦後、多くの教会がこの融資を受けて会堂を建築しました。
 年間の融資枠及び一件当たりの限度額は1,000万円とされ、融資金額は総工費の4分の1を超えない金額となっています。複数の申請のある場合は委員会が調整します。2年間の据え置き後、5年以内に返済することになっています。年利は1%です。
 日本福音ルーテル教会は、本教会から会堂建築に関して貸付制度があり、エクロフ基金の申請はここ数十年ないものと思いますが、このような基金が存在すること、そして戦後に多くの教会がこの基金を利用して再建されていったことを覚えたいと思います。

⑯NCC靖国神社問題委員会

岡田 薫(日本福音ルーテル帯広教会・札幌教会牧師)

 日本キリスト教協議会(以下NCCと表記)には、「宣教・奉仕」、「神学・宣教」、「国際」、「総務」という四つの部門があり、今回ご紹介する「靖国神社問題委員会」は「宣教・奉仕部門」にある八つの委員会のうちの一つです。「ヤスクニ神社問題委員会」と表記されることもあるようです。
 正加盟と准加盟の教会(教団)・団体から派遣されている委員によって、毎月第1月曜日の午後6時~8時にオンラインで委員会が行われています(7~10名が参加)。協議される事柄は多岐にわたり、必要に応じて抗議文や声明文を整え随時公表しています。
 最近では「首相及び閣僚の靖国神社春季例大祭での真榊奉納に抗議する」、「『国』による葬儀はなぜ問題なのか」等の文章について検討し発信しています。また「天皇代替わり問題記録集」の出版準備もいよいよ最終段階となってきました。無事出版された際には各教団でも取り扱っていただきたいとの要望があります。
 なぜこのような委員会があるのでしょう?それは、政府が特定の宗教法人と深く関わり、公金を支出することは、政教分離・信教の自由という憲法の大原則に違反しているからです。NCCのホームページ内にある「靖国神社問題委員会の歩みとその意義について」の文章の終わりには「大切なことは何でしょう。それは、人間、私たち一人一人が大事にされることです。天皇や天皇の為といって殺されていった英霊が大事にされ、賛美されることではありません。当委員会の働きの意義は、この国にとって真に大きいと自覚し、その働きを続けていきたいと、心から願い、祈ります。」とあります。新たな戦前という言葉が聞こえてくる今、あらためて国民主権・平和主義・基本的人権の尊重という憲法の三大原則の重要性を感じます。
NCC第41回総会期(2021│2023)のテーマは「│神の与えてくださるすべての命を愛する者として│」であり、聖句は使徒言行録17章25節bからです。委員会に参加するたびに、あなたは神の与えてくださるすべての命を愛する者としてどのように生きていますか?生きることができますか?と問われているような思いになります。担当となって日が浅いためすべてを把握できておらず十分なご紹介となりませんでしたが、少しでも関心を持っていただければ幸いです。詳しくは左記のURLをご覧ください。

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

第30期総会期 諸委員一覧

【常設委員】
〈機関紙委員会〉竹田大地・宮本新・李明生・中嶋羊子・岡田薫・高村敏浩・室原康志・岩切雄太
〈神学校/ルーテル学院大学委員会〉立山忠浩・竹内茂子・石原修(以上任期2026年まで)・滝田浩之・松岡俊一郎・橋爪大三郎(以上任期2024年まで)
〈神学教育委員会〉松本義宣・松岡俊一郎・宮本新・立山忠浩・滝田浩之・山内恵美・市吉伸行
〈財務委員会〉荒井奈緒子・市吉伸行・管田恵一郎・竹田孝一・橘智・滝田浩之
〈社会委員会〉小泉基・秋山仁・内藤文子・高田敏尚・佐伯里英子・西川晶子
〈ハラスメント防止委員会〉長谷川卓也・小勝奈保子・山内恵美・李明生
【常設委員】
〈法規委員〉秋山仁・河田優・⻆本浩・岡田京子・小谷供
〈資格審査委員〉渡邉克博・竹内一臣
〈監査委員〉田島靖則・榎本尚
〈教師試験委員〉小勝奈保子・後藤由起・沼崎勇・三戸真理(以上4年任期)・浅野直樹Sr.・岡田薫・芳賀美江(以上2年任期)
〈人事公平委員〉内藤文子・浅野直樹Jr.・朝比奈晴朗・犬飼誠・青木美奈
〈信仰と職制員〉宮本新・多田哲・西川晶子・石原修・中原通江・鈴木亮二
〈報告審査委員〉安井宣生・野口和音・嶋田ひでみ・江崎啓子
【その他の委員会】
〈エキュメニズム委員会/聖公会〉滝田浩之・立山忠浩・宮本新・高村敏浩・多田哲・李明生・藤原佐和子
〈エキュメニズム委員会/カトリック〉滝田浩之・立山忠浩・宮本新・高村敏浩・多田哲・李明生・藤原佐和子
〈世界宣教委員会〉滝田浩之・浅野直樹Sr.・森田哲史・中島和喜・森下真帆・和田めぐみ
〈LWF/WICAS委員〉未定
〈宣教師・J3オリエンテーション・ケア委員会〉浅野直樹Sr.・高村敏浩・熊本地区推薦教職(未定)
〈任用試験委員〉永吉秀人・滝田浩之・荒井奈緒子・市吉伸行・李明生・益田哲夫・教師試験委員長
〈方策実行委員会(憲法規則改定委員会)〉小泉基・白川道生・岡田薫・滝田浩之・宮本新・李明生
〈典礼員会〉松本義宣・滝田浩之・石居基夫・多田哲・小澤周平
〈TNG委員会委員長〉竹田大地
〈ルター研究所運営委員〉滝田浩之
〈DPC運営委員〉関野和寛
※所属教会・施設及び敬称略

るうてる法人会連合開催のお知らせ

現地実行委員長 ⻆本 浩

 宣教に取り組むルーテルグループの社会福祉法人、学校法人、教会が手を携えて歩もうと生まれたるうてる法人会連合。早いもので設立から今年は21年目となります。
 COVID│19の感染拡大で延期、延期が続き、ようやく今年4年ぶりの開催です。今回の日程は2023年8月22日(火)~23日(水)。熊本・九州学院を会場に研修、総会を行います。
 初日の研修では、姜尚中氏をお迎えし「これからのミッション」(仮題)についてお話していただきます。るうてる法人会連合に集う各法人からの参加者にあってもクリスチャンではない方々も年々多くなっているのが現状です。各法人において、また各個人においても、「どんな働きが期待されているのか」「キリスト教主義の法人としてどんな歩みが続けられていくのか」じっくりとお聴きし、語り合う場となるよう現地実行委員会で準備しております。
 8月の熊本はアツいです。どうぞお越しください。また、研修ばかりでなく、法人会連合では懇親会の時間をもうけて、いつも楽しく交流することも恒例行事となっています。楽しく語り合い、お友だちになりましょう。
 この『るうてる7月号』が届くころに、みなさまのお手元に案内も届く予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

TNG‐ユース部門「第2回リーダー研修キャンプ」開催案内

竹田大地(TNG│ユース部門長・日本福音ルーテル天王寺教会)

 3年前に企画し、COVID│19の影響により延期していた「第2回リーダー研修キャンプ」を開催する運びとなりました。
 キャンプは沖縄で3泊4日の日程で開催をいたします。現地にて過去、現在、未来を感じとり、見つめ、聖書に学び、信仰を深める時を過ごすプログラムです。
 各教会にチラシ・要綱を送付しております。詳しくは、配布した資料をご覧ください。差し迫ってのご案内となってしまい申し訳ございません。
 
〈対象〉 18歳(大学生以上)から35歳
〈参加費〉 25000円
〈定員〉 14名(応募者多数の場合は選考をさせていただきますことご了承ください。)

〈申込先〉
FAX(06│6772│35114
メール
lt.tngyouth@gmail.com〈申込締め切り〉 2023年7月9日(日)必着

2023年度「日本福音ルーテル教会教師試験」について

 2023年度「日本福音ルーテル教会教師試験」を以下要領にて実施いたします。教師志願者は必要書類を整え、教会事務局にご提出くださいますよう、お知らせします。


〈提出書類〉
◇教師志願書
◇志願理由書

テーマ
「なぜ『日本福音ルーテル教会の教師』を志願するのか」―あなたが考える宣教課題をふまえて│

書式 A4横書き
フォントサイズ11ポイント
◇履歴書(学歴、職歴、信仰歴、家庭状況等を自筆で記入すること)

◇教籍謄本(所属教会教籍簿の写し

◇成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書(法務局交付のもの。任用試験時に必要になります)

◇所属教会牧師の推薦書

◇神学校卒業(見込)証明書及び推薦書

◇健康診断書(事務局に所定の用紙があります)

〈提出先〉
日本福音ルーテル教会 常議員会長 永吉秀人宛

〈提出期限(期限厳守)〉
2023年9月15日(金)午後4時までに教会事務局へ提出すること

◇個人で神学の研鑽を積み受験を希望する者は、必ず神学教育委員会の推薦を得ること
◇国外のルーテル教会の神学機関に学び神学修士を持ち受験する者は、願書提出前に事務局に相談すること

〈試験日及び試験内容〉
志願者本人に直接連絡します。
以上

23-06-01召命と派遣

「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水を一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」(マタイによる福音書10・42)

 マタイ福音書10章には、12人の弟子が選ばれ派遣されることが書かれています。この12人はイエス様から「収穫のための働き手(同9・37)」として遣わされますが、その際の注意事項、心掛けなども同時に語られています。行き先、持ち物、そして弟子たちを襲うであろう迫害、危険など…これらは、強気な時に聞けば心の火に燃料を注ぐような言葉に聞こえますが、弱気になっているときに聞くと、恐ろしい言葉に聞こえてきます。自分にそんなことができるだろうか、耐えられるだろうかと怯んでしまいそうになるには十分な言葉です。イエス様の名前のゆえに、またイエス様の弟子であるがゆえに迫害され、労苦し、命を失う。そんなことを言われて、誰が喜んで従うでしょうか。これらの言葉は、従う理由というよりも、従いたくない理由ではないかとさえ思えます。ではイエス様は、ご自分に従う人を選別するために、あえて厳しい言葉を語られているのでしょうか。覚悟のできていない人間を切り捨てるために語っておられるのでしょうか。

 決してそうではないはずです。それらの厳しい言葉の合間には、いくつかの励ましも語られています。これらは弟子たちが実際に経験した危機的状況の中で、何度も支えとした言葉の数々だったのではないかと思うのです。それらの厳しさを伴う派遣の言葉の結びとして語られるのが、10章42節の言葉です。「わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水を一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」イエス様は弟子たちを傷つけたくて召し出し、遣わすのではないのです。イエス様の弟子であることで苦しむことがあっても、それが目的なのではありません。イエス様は、一人ひとりをご自分の弟子とすることで、「小さな者の一人に一杯の水を飲ませる」理由を与えておられるのです。

 イエス様が教えられた隣人愛とは「隣人を愛すること」ではなく「隣人となること」です。派遣の言葉の一部である10章6節には「むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。」とあります。「イスラエルの人々」と言われると、同胞、仲間に対してのみという意味に聞こえますが、9章の終わりに「飼い主のいない羊のような人々」とあるように、そこには「失われた羊」がいたのです。群れからはぐれた、あるいは外されてしまった人々がいたのです。多くの人からすればその人々は「自分とは無関係の人」「愛する理由のない人」です。イエス様は弟子を召し出し、ご自分の言葉によって遣わすことで、そのような人々と弟子とされた人々との間に「一杯の冷たい水」を飲ませる関係をつくられるのです。

 私たちがキリストの弟子とされている、キリストに従う者であるということは、私たちには人を愛する理由、根拠が与えられているということです。助けの手を伸ばすことによって、自分が傷つくことももちろんあるでしょう。周囲からの批判または非難を受けることもあるでしょう。イエス様が予告されているように、狼の群れに羊を送り込むように私たちも遣わされます。ですが私たちを苦しめることがイエス様の目的なのではありません。危険があるとわかっている道に、イエス様は私 たちを送り出すのです。それは神様がこの世にイエス様を遣わされた思いに通じるものがあるように思います。そこには神様ご自身が苦しむような、深い憐れみがあったのです。それと同じ思いで、イエス様は私たちを遣わされます。私たちに愛する理由を与えることがイエス様の目的だからです。愛することには痛みも苦しみも伴います。十字架にはそのことが現れています。ですがその先に確かな報いがあることを、私たちは約束されているのです。その報いの中には、弟子とされたことの喜びがあるはずです。このイエス様の言葉に信頼し、私たちもそれぞれの場所へと派遣されてまいりましょう。そこで出会う人々を愛する理由、愛し合う関係が、イエス様によって既に私たちには与えられているのです。

23-06-01るうてる2023年06月号

機関紙PDF

「召命と派遣」

日本福音ルーテル横浜教会・横須賀教会牧師 市原悠史

「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水を一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」(マタイによる福音書10・42)

 マタイ福音書10章には、12人の弟子が選ばれ派遣されることが書かれています。この12人はイエス様から「収穫のための働き手(同9・37)」として遣わされますが、その際の注意事項、心掛けなども同時に語られています。行き先、持ち物、そして弟子たちを襲うであろう迫害、危険など…これらは、強気な時に聞けば心の火に燃料を注ぐような言葉に聞こえますが、弱気になっているときに聞くと、恐ろしい言葉に聞こえてきます。自分にそんなことができるだろうか、耐えられるだろうかと怯んでしまいそうになるには十分な言葉です。イエス様の名前のゆえに、またイエス様の弟子であるがゆえに迫害され、労苦し、命を失う。そんなことを言われて、誰が喜んで従うでしょうか。これらの言葉は、従う理由というよりも、従いたくない理由ではないかとさえ思えます。ではイエス様は、ご自分に従う人を選別するために、あえて厳しい言葉を語られているのでしょうか。覚悟のできていない人間を切り捨てるために語っておられるのでしょうか。

 決してそうではないはずです。それらの厳しい言葉の合間には、いくつかの励ましも語られています。これらは弟子たちが実際に経験した危機的状況の中で、何度も支えとした言葉の数々だったのではないかと思うのです。それらの厳しさを伴う派遣の言葉の結びとして語られるのが、10章42節の言葉です。「わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水を一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」イエス様は弟子たちを傷つけたくて召し出し、遣わすのではないのです。イエス様の弟子であることで苦しむことがあっても、それが目的なのではありません。イエス様は、一人ひとりをご自分の弟子とすることで、「小さな者の一人に一杯の水を飲ませる」理由を与えておられるのです。

 イエス様が教えられた隣人愛とは「隣人を愛すること」ではなく「隣人となること」です。派遣の言葉の一部である10章6節には「むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。」とあります。「イスラエルの人々」と言われると、同胞、仲間に対してのみという意味に聞こえますが、9章の終わりに「飼い主のいない羊のような人々」とあるように、そこには「失われた羊」がいたのです。群れからはぐれた、あるいは外されてしまった人々がいたのです。多くの人からすればその人々は「自分とは無関係の人」「愛する理由のない人」です。イエス様は弟子を召し出し、ご自分の言葉によって遣わすことで、そのような人々と弟子とされた人々との間に「一杯の冷たい水」を飲ませる関係をつくられるのです。

 私たちがキリストの弟子とされている、キリストに従う者であるということは、私たちには人を愛する理由、根拠が与えられているということです。助けの手を伸ばすことによって、自分が傷つくことももちろんあるでしょう。周囲からの批判または非難を受けることもあるでしょう。イエス様が予告されているように、狼の群れに羊を送り込むように私たちも遣わされます。ですが私たちを苦しめることがイエス様の目的なのではありません。危険があるとわかっている道に、イエス様は私 たちを送り出すのです。それは神様がこの世にイエス様を遣わされた思いに通じるものがあるように思います。そこには神様ご自身が苦しむような、深い憐れみがあったのです。それと同じ思いで、イエス様は私たちを遣わされます。私たちに愛する理由を与えることがイエス様の目的だからです。愛することには痛みも苦しみも伴います。十字架にはそのことが現れています。ですがその先に確かな報いがあることを、私たちは約束されているのです。その報いの中には、弟子とされたことの喜びがあるはずです。このイエス様の言葉に信頼し、私たちもそれぞれの場所へと派遣されてまいりましょう。そこで出会う人々を愛する理由、愛し合う関係が、イエス様によって既に私たちには与えられているのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊴「幸せ」

「忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。」(ヤコブの手紙5・11)

「迷うということは選べるということであなたは幸せですよ。」
その人とこの世で交わした最後の言葉でした。
私は自分が今までできていたやり方ができなくなるかもしれないと思い不安で、不安でたまらなくて、きっと色々な経験をしてきて、車椅子に乗っているこの人ならわかって頂けると思い相談した時に返ってきた言葉でした。
えっ私が幸せ?としばらく思い返してはわかるような、わからないような言葉でした。
ほとんどのことが選べなくなった今、あの方が私に言って下さった言葉の意味が少しわかるような気がします。
将来なるかもしれないと不安になって「今」を少し残念に過ごすより「今」これができるという幸せに気づいてほしい。
「今」を生きるって当たり前のようだけど先のことを考えて不安になって「今」うずくまって前に進めなくなったり、前に失敗してしまったことをくよくよ考えて「今」を過ごしてしまったり。。。
「今」のために反省や想像や希望は必要かもしれません。でもね、あなたは神様に「今」を与えられて生かされています。

総会議長所信

日本福音ルーテル教会 総会議長 永吉秀人

 このたび、日本福音ルーテル教会第29回・第30回定期総会におきまして次期総会議長として選出されました永吉秀人でございます。出自は福岡県久留米市。日本福音ルーテル久留米教会にて渡辺潔牧師より受洗、後に天王寺教会より神学校へ献身。1985年の按手後、藤枝教会、神学校チャプレン、静岡教会、天王寺教会を経て、現在は蒲田教会で牧会をしております。
 伝道が厳しい時代と言われて久しくなりますが、伝道に楽な時代などなかったことでしょう。にもかかわらず、だからこそ、私たちは信仰に生きる道を選び、キリストの福音に希望をいだいているのです。マルティン・ルターによる宗教改革という教会の悔い改めから始まったルーテル教会は、それぞれの時代にあって、また時代を越えて多岐にわたる働きを全力で担って来たであろうと信頼します。伝道のみならず、教育、福祉、医療などの多方面にわたって実現可能な限りを尽くして取り組んで来たと宣教の歴史を評価するならば、あとに残された務めは悔い改めだけであろうとさえ思えます。しかしながら、前を向いて走り続けて来たがゆえに、多くの事柄を通り過ぎて来てしまったのではないかと省みます。キリストが弟子たちの前に立ち止まって彼らと出会われたように、また私たちの前に立ち止まってくださったから私たちも信仰と出会えたように、私たち教会としての歩みも隣人の前に立ち止まらなければ、誰の隣人にもなれないことをわきまえます。
 日本福音ルーテル教会では2000年代を迎え、第五次綜合方策(パワーミッション21)により幅の広い働きが展開され、第六次綜合方策では教会の働きの一つひとつが深められてまいりました。この度採択されました第七次綜合方策では、「魂の配慮」をキーワードとして、牧師の働きである牧会の回復と教会での分かち合いの活性化を目指します。この「魂の配慮」という用語には説明が必要でありましょう。と言いますのは、キリスト教だけで用いられる言葉ではなく、キリスト教以前にギリシャの哲学者・ソクラテスによって紀元前400年に提唱された言葉でありました。ソクラテスは堕落した己の魂を内側から高みへと昇華させよと勧めましたが、これに対し、聖書信仰においては旧約の時代からギリシャ的な考えに対抗し、神よりくだる外側からの配慮があることを強調してまいりました。第七次綜合方策では牧師の職務である牧会の内実と機能を「魂の配慮」と呼んでおります。日本福音ルーテル教会の宣教体制は、200名もの牧師・宣教師時代の構造のままに今を迎え、これを70余名の教職で担っており、牧師の兼務は多忙を極め、牧会の危機と言わざるを得ません。一人の魂も失われることなく配慮されるために、教会のリ・フォーメイション(再形成)と共に牧会力の成長が求められます。
 方策では新たな活動として、脱原発への学びはもとより、カンボジアでの宣教支援、ハラスメント防止への学びを行うこと。またNCC(日本キリスト教協議会)諸活動との連帯をはじめ、外キ協(外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会)、マイノリティー宣教センター、キリスト教カルト問題連絡会、アクト・ジャパン・フォーラム(人道支援)との連携を深めることが挙げられます。注意すべきは、これらの諸問題を話題の一つとして通り一遍で過ぎてしまわず、立ち止まる勇気と、立ち続ける忍耐と、希望を分かち合うことでありましょう。
 今だからこそ誰もが希望を必要としている時に、あなた自身が神にとっての希望であることを聴き取り、神の喜びとして生かされる共同体とされましょう。

「教会讃美歌 増補」 解説

㊱増補23番「主なる神に感謝の歌」

日笠山吉之(九州学院チャプレン)

 ルターによるコラール集もとうとう最後の曲となりました。作詞、作曲ともルターの名前が記されていますが、かっこで括られた部分が重要です。ドイツ語による歌詞の初行の下には(テ デウム ラウダムス)とあります。これは昔からローマ・カトリック教会で歌い継がれてきたグレゴリオ聖歌の一つ『テ・デウム』を指しています。意味は「神よ、あなたをほめたたえます」。元々はラテン語で書かれた長いテキストですが、要するに父と子と聖霊なる三位一体の神をほめたたえた賛歌です。ルターは神学的な相違からまた彼自身の信仰と良心に従って当時のカトリック教会と袂を分かちましたが、それまで教会で大切に歌い継がれてきた賛美歌まで捨て去ることはありませんでした。
 『テ・デウム』も然り。歌詞をドイツ語に翻訳し、グレゴリオ聖歌の旋律を元にルーテル教会でも引き続き歌えるようしたのです。とはいえ、実際にこれを私たちが礼拝の中でいきなり歌うのはかなり難しい…訓練された聖歌隊でも手こずるのでは?でも挑戦してみる価値はあると思いますよ。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

台湾ルーテル教会初の女性総会議長誕生

 台湾ルーテル教会(中華民国)(LCT)のセルマ・チェン(Shu-Chen)師は、今年1月に台湾のルーテル教会初の女性総会議長として就任しました。
 「クリスチャンの家庭に育ってラッキーでした」と語るチェン師の父親は、1960年代初頭に陸軍病院で長老派の宣教師から洗礼を受けています。中国人に対して忍耐強く、そして愛情深く接する宣教師の働きがきっかけとなりました。父の影響で教会に通い始め教会学校の教師もしていたチェン師は、当初牧師になるつもりはありませんでした。「反共教育を受けて育ったので、軍隊に入りたかったのです」。「そんな中、私のために4年間祈り続けてくれた人がいたり、『人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる』(箴言16・9)のみことばを別の人から示されたとき、自分ではわかっているのにそこから逃げようとしている自分に気づいたのです」。
 神学校を終えた1992年は、ちょうどLCTが女性按手について検討していた年でした。長い議論の末、12年後の2004年、3人の女性が初めて按手を受け牧師となりましたが、「いつか女性の総会議長が出るとは思ってましたが、諸教会が女性リーダーを受け入れるまでに時間を要しました」。台湾にはLWF非加盟の3教会を含め6つのルーテル教会がありますが、他は女性按手を認めていないため緊密な協力関係が互いにあるわけではありません。
 「LCTは農村部、首都台北周辺、本島南部の都市部に会堂が全部で19ありますが、多くの信徒は、伝統的な太陰暦や農耕歴に慣れていて道教とも結びついています。ですからキリストの生涯に沿って生活できるように教会の典礼暦の普及に努めています。」「キリスト者としての生き方を示し、イエスの死と復活を宣べ伝えることをLCTは心がけています。受洗を経て新たな人生が始まった人たちは、そこから現代社会の課題と向き合えるようになります。」
 そうした課題の中には他のキリスト教会との対話や、台湾の大多数を占める仏教徒との関係改善なども含まれています。チェン氏が宗教間対話に興味を持ったのは、2003年から2010年までLWF理事に選ばれ、エキュメニカル委員会に加わったからです。「異なる信仰を持つ人々との対話が、教会にとっていかに豊かな経験かを実感し、私の仕事にも大きな影響を与えました。」大学でキリスト教と出会った青年が、旧正月など伝統的行事や家族の葬儀に出席しないよう教会から言われたりして、入信がとても難しいという現状があります。「このため多くの緊張があります。家族間で分裂が起きないように福音を伝えるにはどうすればよいかなど、すべきことはたくさんあります。」
 「LWFのニュースをLCTの教会に広めようと努めています。それによって信徒の目がグローバルになるからです。私たちは台湾でとても小さな教会です。しかし私はこれをパズルのように考えていて、小さなピースだからこそ共有し合えるのです。共有しあってLWFの行事に参加し、台湾が失われたパズルのピースにならないよう働きかけていきたいです。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

リレーコラム 「全国の教会・施設から」①函館教会

中島和喜 (恵み野教会・函館教会)

 函館教会は、フィンランドの教会の宣教への熱意によって1950年に誕生した教会です。今年で73年の歴史を刻みますが、この4月に4年間ご奉仕下さった小泉基牧師から中島への交代が行われました。これにともなって、教会の歴史ではじめて常態的な兼牧体勢がスタートしました。土曜日の夜に約300キロメートル離れた恵み野教会から私が函館教会に行くことにより、毎週日曜日の朝の礼拝を継続しています。これでも恵み野教会が最も近い教会だというのですから、改めて北海道の広さを感じるところでもあります。
 函館教会の特徴は、ルーテル教会には珍しく、ゴスペルと深いかかわりがある教会だということです。15年ほど前からこの教会をホームグラウンドとするようになったゴスペルクワイアMSCは、道南で最も活発なクワイアで、メンバーからの受洗者と教会員の入団によって、教会員のメンバー割合が高い人気クワイアへと成長しました。このMSCとの関係もあってか比較的若い教会員が多く、平均年齢50歳代というのは、おそらく全国のルーテル教会の中でも最も若い教会のひとつだと思います。
 また、新しい函館教会の特徴は、この春、長い歴史を刻んできた野の花の会という女性会が、ペトロの会という男性の会と合流して、性別に関係なく聖書を学び、奉仕を担う、新生野の花の会へと生まれかわったことです。第3日曜日の例会に集まる人が誰でも共に聖書を学び、会費も負担し、教会の奉仕の相談もします。可能ならば女性会連盟との関係も継続したいと願っています。
 函館観光の中心地である五稜郭タワーのすぐ隣に立地する教会であること、津軽海峡を見下ろす函館山に美しい教会墓地を有すること、教会の園庭は桜の老木やバラのアーチ、数種のユリやアジサイなどに彩られ、実に200種類もの花が咲き乱れることなど、魅力あふれた函館教会。函館観光の日曜日は、ぜひ教会をお訪ね下さい。

①九州学院

小副川幸孝 (九州学院院長)

 熊本にあります九州学院は、1911年に、アメリカからの宣教師C.L.ブラウン博士と米国南部一致ルーテル教会の人々の祈りと献金によって、日本の青少年教育のために設立されました。
 2023年で創立112周年を迎え、これまでに多くの著名人を輩出し、熊本では文武共に優れた有数の学校として知られています。
現在、幼稚園、中学校、高等学校を併設し、約1500人の子ども、生徒がはつらつとして学んでいます。
 設立当初にはルーテル教会の神学校も併設されていましたので、現在のルーテル神学校の母体ともなり、多くの牧師も九州学院の出身者でしたし、現在も、牧師の子弟が中学・高等学校で学んでいます。
 学校は、毎朝の礼拝から始まり、聖書の授業が行われ、豊かな人間性を育むための努力が日々なされています。
 写真は学院のシンボルともなっているブラウンチャペルで、指定文化財として熊本県で第1号認定を受けたもので、2025年に建造100年を迎えます。

「ルーテルこどもキャンプ」開催のお知らせ

TNG子ども部門 池谷考史 (博多教会・福岡西教会)

TNG子ども部門では、8月9日(水)~11日(金・祝)、広島教会を会場に「第24回ルーテルこどもキャンプ」を開催します。対面でのキャンプは4年ぶりとなります。テーマはこれまでと同じ、「来んさい 広島 Peace じゃけん」としました。
8月の広島で、同世代の楽しい交わりの中で平和について学び、平和をつくることへの思いを深めたいと思います。新しい友達がたくさんできる機会にもなることでしょう。
 ぜひ、各所で呼びかけて下さり、子ども達を送り出してください。1面に掲載されているポスターもご覧ください。参加申し込みは、左記のQRコードからお願いします。締め切りは7月2日(日)までとさせていただきます。対象:小学5、6年生。参加費:15,000円。合わせてキャンプを支えて下さるスタッフも募っています。同じQRコードからお申し込みください。

日本福音ルーテル教会 第29回・第30回 定期総会報告

滝田浩之(第28回総会期事務局長・小石川教会)

5月3日(水)~5日(金)に5年ぶりに対面で日本福音ルーテル教会定期総会が宣教百年記念東京会堂(東京教会)で開催されました。
 総勢200名ほどが参集し対面での総会の開催を喜び合いました。
 開会礼拝は感染症のことも考慮し聖餐式は行われませんでしたが、松本義宣牧師の司式、大柴譲治牧師の説教で改訂式文を用いて行われました。

 審議された内容は以下の通りです。

(1)第31回定期総会の件
 次の総会は2年後の2025年5月5日(月)~6日(火)、あるいは5月6日(火)~7日(水)に1泊2日で開催されることが承認されました。
 この承認に基づき、第28回総会期の執行部は任期満了となることが確認されました。

(2) 総会選出常議員選挙の件
 任期満了に伴う、議長以下の総会選出常置員が選挙により選出されました。総会議長は永吉秀人牧師(蒲田教会)、副議長は滝田浩之牧師(小石川教会)、事務局長は李明生牧師(むさしの教会)、会計には市吉伸行氏(むさしの教会)が再任、財務担当常議員は荒井奈緒子氏(東京教会)、総会選出信徒常議員は益田哲夫氏(本郷教会)が選出されました。なお事務局長については議場において牧師数の減少や財務的な課題を踏まえて現場との兼任とすることを含めて信認を受けました。任期は2023年6月1日(木)より2025年5月末までとなります。閉会礼拝にて教区長、教区選出常議員とあわせて就任式が行われました。

(3) 第7次綜合宣教方策の件
 すでに2022年4月の常議員会において仮承認を受けていた「第7次綜合宣教方策」が提案され承認されました。2030年までの8年間、日本福音ルーテル教会の指針として用いられていくことになります。具体的には方策実行委員会において各教区と対話をしつつ進められていくことになります。急速な牧師数の減少が肌で感じられる中で、危機意識はもちろんですが、福音に生かされて「小さな教会」ではありますが「キリストの教会」としての使命を果たしていくことが確認されています。

(4) アジア宣教の件
 カンボジアへの宣教に一歩を踏みだしていくことが確認されました。アメリカ福音ルーテル教会との協同の宣教の歩みとなることが示されました。具体的には半年、1年のターンでユース世代を現地にボランティアとして派遣してカンボジアルーテル教会の宣教に協力します。すでにカンボジアにおられるキリストに出会うことを通して、日本での宣教への力となることが期待されています。

(5) ハラスメント防止委員会の規則明文化の件
 すでに「ハラスメント防止規定」が常議員会にて承認され、常議員会の設置する「その他の委員会」として活動を開始している「ハラスメント防止委員会」を日本福音ルーテル教会規則に明文化する提案が行われ、これが3分の2の賛成を得て承認されました。承認手続きの後、日本同盟基督教団の大杉至牧師より、ハラスメントについてご講演を頂き、学びを深める時を持ちました。教会が安全で、安心な場所として誰もが喜んで集うことができるように更に多くの気づきを与えられていきたいと思います。

(6) 決算・予算の件
 すでに常議員会で仮承認を受けていた決算、予算について、総会にて報告され承認を受けました。コロナという未曽有の出来事の中で、総会が開催できないという環境にありましたが、この承認をもって、総会を最高の意思決定機関としての役割が正常化されたことになります。

 詳しくは、後日配布される総会議事録をご確認くださいますようにお願い申し上げます。

全国教師会総会報告

立山忠浩(前全国教師会会長・都南教会)

 全国教師会総会が全国総会の前日の5月2日(火)に開催されました。全国総会と同様に5年振りの開催となりました。教師会は按手に与った現任教師(宣教師も含まれます)が正議員になります。現在71名で構成されています。議案は5年間の活動報告の承認、相互扶助会改定案、そして新役員及び教師試験委員候補者を選出することでした。
 教師会は1988年に組織され、それに伴い教師会規定が定められました。そこには教師会の基本的責務が7つ期されています。教師会に期待されていることです。特に目を引くのが「教会の教理、神学に関する共通の理解に係る事項」「教師の生涯研修に係る事項」「宣教に係わる事項」です。ただ、規定が定められてから35年が経った今、それをいかに遂行することができるのか、難題となっています。昔話をしても仕方がないのですが、思い起こせば、「小児陪餐開始の適齢期」について大いに議論したのが全国の牧師たちが集う退修会でした。私が神学生の時のことです。「信徒説教者」についてはわざわざ臨時の教師会の退修会を富士山の麓で開催し、徹底的に議論したことを記憶しています。
なぜこのような議論が行えたのか、様々な分析があることでしょう。私はこう考えるのです。1988年には教師会に170人が属していたのです。その人数で担っていた教会と諸施設などの働きを、今は70名ほどで担っているのです。一人の牧師に期待される働きが明らかに増大しているのです。インターネットによる礼拝や聖餐式をどう考えるのか、教師会の責務である「教会の教理、神学に関する共通の理解に係る事項」に関わる問題です。これは教師会という集団で協議すべき責務ですが、しかしそのような神学的課題に取り組む余裕が今の牧師集団にはないように思えるのです。もちろん個人での研鑽を積み上げている教師が幾人もいらっしゃるのですが、それが教師集団のものとなり得ていないのです。
 このような現況の中で、教師集団が取り組める具体的なことを会長報告で提示しました。「教師の生涯研修に係る事項」に関しては個人の研鑽意欲に委ねることが基本ですが、ルーテル学院・神学校で定期的に開催される教職セミナーやルター・セミナーに積極的に参加して欲しいのです。教会からも財政支援をいただいています。そこで研修意欲を高めていただくことを期待します。退修会は3年~4年ごとの開催が慣例でしたが、牧師数が減少し各牧師が孤独感を高める傾向が否めない中では、毎年の開催とし、研修もさることながら、同労者の働きの成果と苦悩を分かち合い、励まし合うことを目的とした会の重要性を指摘しました。これらは新役員に託すことになります。その他、COVID-19で休止状態にあった牧師レヴューは各地域教師会ごとに再開されることになります。
 教師会の役員には以下の方々が選出されました。
会長:松本義宣牧師
書記:安井宣生牧師
会計:西川晶子牧師
相互扶助会会計:坂本千歳牧師
 閉会礼拝は今年度で定年をお迎えになる竹田孝一牧師に担当していただきました。礼拝の終わりに新役員と地域教師会会長5名の就任式を執り行っていただき閉会しました。

公 告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。

2023年6月15日
宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 永吉秀人

信徒利害関係人 各位

本教会所管の市ヶ谷会館耐震補強工事費用借入(最終支払資金)
借入先 三井住友銀行
借入額 4億8,000万円
返済期間 10年
支払利率 年利1.11%(予定)
担保 追加担保なし
2022年6月15日に借入全体の公告は実施済
銀行借入に関して取引銀行、条件が整い、これを公告するものである。

23-05-01むすんでひらいて

(イエスは)言われた。「聖霊を受けなさい。」
ヨハネによる福音書20章22節

 健軍教会のシンボルツリーはハナミズキです。蕾のような包葉は花を覆ったまま膨らみ、やがてそれは頂点を残して裂けるように開きます。そのまま大きくなった後、上に残った結び目をほどくようにして広げます。文字通り、結ばれていたものが開き中の小さな花が姿を現してゆく。とても不思議で美しく、結び目が解けるまでの緊張感と共にその優雅な姿に心を動かされます。

 イースターの夕方に弟子たちは「恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけて」(19節)いました。口語訳聖書では「戸をみなしめて」、岩波訳聖書では「〔すべての戸〕」としています。「戸」は複数です。弟子たちは恐れのあまり、いくつもの戸を閉ざして一番奥の部屋に閉じこもっていました。もしくは実際の戸は一つであったとしても、弟子たち一人ひとりは心の戸を閉ざしていました。裏切り見捨てたイエスが処刑され、自分も逮捕されるかもしれないと、これまでの充実した日々が覆される事態に恐れおののいていました。この人たちを守るものが「戸」でした。それを固く閉ざし、息を殺し、震えて潜み、落ち込んでいたのでした。しかし、この弟子たちの真ん中にイエスが来ました。そして弟子たちに息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」(22節)と言います。聖霊による具体的な行動として、赦しを弟子たちに託したのでした。

 閉じこもる弟子たちは私たちです。人間関係での破れや傷を経験することがあり、誰かのしんどさを支えきれず後ろめたさを抱くことがあり、攻撃的な言葉に疲れ果て心が塞ぐことがあり、社会の不条理に怒りを覚えることがあります。けれど、そこにこそイエスは来て、聖霊により固く結ばれてしまっているものを解くのです。

 『むすんでひらいて』は広く知られています。ルソーが作曲したオペラの曲だそうです。やがて讃美歌となり、日本でも『キミノミチビキ』というタイトルで明治、大正時代の教会で歌われました。やがて唱歌となり『見渡せば』と春秋の美しい風景を歌い、さらに戦中は軍歌『戦闘歌』となりました。そして戦後、小学1年生の教科書に『むすんでひらいて』として登場し、私たちがよく知る歌となっています。
 日本の教会では歌われなくなるも、世界では現役の賛美歌です。「主よ、あなたの祝福で私たちを解き放ってください。私たちの心を喜びと平和で満たしてください。荒野を旅する私たちを新たにしてください」と歌われます。この歌は神のわざとそれによる解放を歌うのです。『むすんでひらいて』とこの賛美歌の歌詞とは別なものですが、不思議な経過をたどって私たちに届けられました。そこに私たちの心や他者との関係を重ね合わせるならば、聖霊が吹きかけられることで、閉じた心を開かれ解放されることを祈るものと言えるのではないでしょうか。戸を閉じて結んだ心は聖霊によって開かれます。それでもまた閉じて結んでしまうこともある私を解放し、私と神とを、そして私たち同士を再び結び合わせるのです。

 ペンテコステも、神の生きた働きである聖霊によって、私たちを「むすんでひらいて」、そして「むすぶ」出来事です。それは赦し赦されるという一点で関係を結び合わせ、その緊張を保ちつつ花びらのような葉を広げるハナミズキのように、健気で美しい姿で希望を与えるものとなるのです。ペンテコステは教会の誕生と呼ばれていますが、教会とはまさに赦され・赦すことにより解放され深く結び合うための器として生まれました。連なる一人ひとりはその器の大切な一部です。

 その手と脇腹に傷を負うことで愛情を注いでくださったイエス・キリストが、たとえ見ることや触れることができなくとも、息を吹きかけ続け、つながりを持ち続けてくださいます。花は散ってもそこに咲いていることを思い描けるように、姿はなくとも祈りの言葉で心を通わせ合うことができるように、イエスの息もイエスの声も確かにあり、私たちはそれを抱き続けるのです。

23-05-01るうてる2023年05月号

機関紙PDF

「むすんでひらいて」

日本福音ルーテル健軍教会・甲佐教会牧師 安井宣生

(イエスは)言われた。「聖霊を受けなさい。」ヨハネによる福音書20章22節

 健軍教会のシンボルツリーはハナミズキです。蕾のような包葉は花を覆ったまま膨らみ、やがてそれは頂点を残して裂けるように開きます。そのまま大きくなった後、上に残った結び目をほどくようにして広げます。文字通り、結ばれていたものが開き中の小さな花が姿を現してゆく。とても不思議で美しく、結び目が解けるまでの緊張感と共にその優雅な姿に心を動かされます。

 イースターの夕方に弟子たちは「恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけて」(19節)いました。口語訳聖書では「戸をみなしめて」、岩波訳聖書では「〔すべての戸〕」としています。「戸」は複数です。弟子たちは恐れのあまり、いくつもの戸を閉ざして一番奥の部屋に閉じこもっていました。もしくは実際の戸は一つであったとしても、弟子たち一人ひとりは心の戸を閉ざしていました。裏切り見捨てたイエスが処刑され、自分も逮捕されるかもしれないと、これまでの充実した日々が覆される事態に恐れおののいていました。この人たちを守るものが「戸」でした。それを固く閉ざし、息を殺し、震えて潜み、落ち込んでいたのでした。しかし、この弟子たちの真ん中にイエスが来ました。そして弟子たちに息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」(22節)と言います。聖霊による具体的な行動として、赦しを弟子たちに託したのでした。

 閉じこもる弟子たちは私たちです。人間関係での破れや傷を経験することがあり、誰かのしんどさを支えきれず後ろめたさを抱くことがあり、攻撃的な言葉に疲れ果て心が塞ぐことがあり、社会の不条理に怒りを覚えることがあります。けれど、そこにこそイエスは来て、聖霊により固く結ばれてしまっているものを解くのです。

 『むすんでひらいて』は広く知られています。ルソーが作曲したオペラの曲だそうです。やがて讃美歌となり、日本でも『キミノミチビキ』というタイトルで明治、大正時代の教会で歌われました。やがて唱歌となり『見渡せば』と春秋の美しい風景を歌い、さらに戦中は軍歌『戦闘歌』となりました。そして戦後、小学1年生の教科書に『むすんでひらいて』として登場し、私たちがよく知る歌となっています。
 日本の教会では歌われなくなるも、世界では現役の賛美歌です。「主よ、あなたの祝福で私たちを解き放ってください。私たちの心を喜びと平和で満たしてください。荒野を旅する私たちを新たにしてください」と歌われます。この歌は神のわざとそれによる解放を歌うのです。『むすんでひらいて』とこの賛美歌の歌詞とは別なものですが、不思議な経過をたどって私たちに届けられました。そこに私たちの心や他者との関係を重ね合わせるならば、聖霊が吹きかけられることで、閉じた心を開かれ解放されることを祈るものと言えるのではないでしょうか。戸を閉じて結んだ心は聖霊によって開かれます。それでもまた閉じて結んでしまうこともある私を解放し、私と神とを、そして私たち同士を再び結び合わせるのです。

 ペンテコステも、神の生きた働きである聖霊によって、私たちを「むすんでひらいて」、そして「むすぶ」出来事です。それは赦し赦されるという一点で関係を結び合わせ、その緊張を保ちつつ花びらのような葉を広げるハナミズキのように、健気で美しい姿で希望を与えるものとなるのです。ペンテコステは教会の誕生と呼ばれていますが、教会とはまさに赦され・赦すことにより解放され深く結び合うための器として生まれました。連なる一人ひとりはその器の大切な一部です。

 その手と脇腹に傷を負うことで愛情を注いでくださったイエス・キリストが、たとえ見ることや触れることができなくとも、息を吹きかけ続け、つながりを持ち続けてくださいます。花は散ってもそこに咲いていることを思い描けるように、姿はなくとも祈りの言葉で心を通わせ合うことができるように、イエスの息もイエスの声も確かにあり、私たちはそれを抱き続けるのです。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊳「ぬくもりの中で」

「神の前では、わたしもあなたと同じように/土から取られたひとかけらのものにすぎない。」(ヨブ記33・6)

空を見上げてみると「あー雲が変わってる。季節が変わってきてるんだ。」としばらく上を見てからふと下を見ると、冬のあいだは枯れ葉が土を温めるかのようにふわりと土の上に広がっていました。
テレビドラマで何度か人が枯れ葉の下に潜って暖をとる姿を見たのを思い出しました。
「冬のあいだ枯れ葉が土を寒さから守ってたんだね」と思っていると土の上の枯れ葉の上に白いものが降ってきました。「あれ雪?」よく見るとそれは小さな白い花びらでした。土の上に枯れ葉、枯れ葉の上には花びら、なんか素敵だなぁと思い、枯れ葉の下を覗くとひょっこりと緑の草が…あれ挟まれてる。春と春のあいだに冬がサンドされてる。このように季節って変わっていくんだなぁと思います。
しばらくすると土の上は断然、緑色の草がいっぱいになります。
目に見えて手で触れる世界でもこのようにいっぱい素敵な変化があるなら、きっとそうではないいろいろな世界にも素敵な変化が生まれているんだろうなぁと思うとワクワクします。
誰に教えていただく?
私たちは全ての世界をご存知の神様を知ってます。神様にお聞きしてみませんか?

議長室から 大柴譲治

羊飼いキリスト

「主は私の羊飼い。/私は乏しいことがない。/主は私を緑の野に伏させ/憩いの汀に伴われる。/主は私の魂を生き返らせ/御名にふさわしく、正しい道へと導かれる。」(詩編23・1~3、聖書協会共同訳)

 2018年8月号から始まった「聽〜議長室から」も今回が最終回。5年間で58回書かせていただきました。これまでのお支えとお祈りに感謝いたします。
 最後は詩編23編について記すと決めていました。この詩編を愛唱聖句とされている方も少なくないことでしょう。葬儀や記念会でもよく読まれる味わい深い詩編です。前任地のむさしの教会の礼拝堂には米国製の羊飼いのステンドグラスがありました。2008年の耐震補強工事を経て、今も木造の礼拝堂正面に美しく輝いています。『東京の名教会さんぽ』(エクスナレッジ2017、p.85)にも掲載されています。ステンドグラスは「眼で見る説教」ですが、この羊飼いのステンドグラスは見ているだけで深く慰められます。どの角度から見ても羊飼いに見つめられているように見えるから不思議です。
 「真の羊飼いはただキリストのみ。牧師は迷子の羊が出ないように群れの周りを走り回っている牧羊犬のようなものです」(賀来周一語録)。言い得て妙ですね。「牧師も羊の一匹です」と語る先生もおられます。確かに私たちルーテル教会では牧師も信徒の一人です。「全信徒祭司性」を私は「全信徒牧会者性」として捉え、「信徒相互牧会」を積極的に位置づけたいと願ってきました。信仰共同体としての教会は、主日は礼拝のために「一つに集められた(オンラインでつながる人も含めると「一つに結び合わされた」と言うべきかも知れません)共同体」ですが、月曜日から土曜日までは信徒一人ひとりがそれぞれの場に派遣され「散らされた(ディアスポラの)共同体」です。集められている時も散らされている時も、顕在と潜在を通して私たちはキリストを頭とする一つのキリストの教会なのです。
 ボンヘッファーの『共に生きる生活』を想起します。「神は、われわれがその生けるみ言葉を、兄弟の証しを通し、人間の口を通して、求めまた見出すことを望み給う。・・・自分の心の中のキリストは、兄弟の言葉におけるキリストよりも弱いのである」(ボンヘッファー著・森野善右衛門訳『共に生きる生活』新教出版社1975、p.10)。神は私たち一人ひとりの具体的な声を通してキリストの声を伝えようとしておられる。これこそ信徒による相互牧会であり、羊飼いキリストご自身による魂の配慮です。主こそわが牧者、私には乏しいことがない。私たちがこのような聖徒の交わりの中に置かれていることを心から感謝しつつ、筆を置かせていただきます。
「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」(ネヘミヤ記8・10)

「教会讃美歌 増補」 解説

㉟増補21番「彼女は優しい価値あるおとめ」・増補22番「三つであり 一つ」

石丸潤一(西日本福音ルーテル新田教会牧師)

㉞増補19番「キリエ エレイソン」・増補20番「神の小羊」
松本義宣
(東京教会・東京池袋教会・板橋教会牧師)

増補21番「彼女は優しい価値あるおとめ」
 「彼女は優しい価値あるおとめ」の歌詞に登場する「彼女(Sie)」とは誰でしょうか。
 この歌詞は、ヨハネの黙示録12章が背景となっています。ここに登場する女性は、「鉄の杖ですべての国民を治める」(ヨハネの黙示録12・5)男の子を産むとあります。ですから、多くの人は、黙示録12章とこの賛美に登場する女性を主の母マリアだとイメージするでしょう。賛美の2節に登場する「十二の星」も、マリアの聖画のモチーフに使われています。
 ですがルターは、この黙示録12章の女性は、マリアのことだけをあらわすのではなく、主に結ばれた教会をもあらわしていると考えたようです。この賛美は、聖母マリアの賛歌というよりは、むしろ教会に対する尽きせぬ神様の愛と守りを歌っていると考える方が良いでしょう。そこで讃美歌委員会は、その意図がはっきり伝わるように、「彼女は教会」という歌詞を冒頭に入れました。
 神様は、教会を「価値あるおとめ」と呼び、大きな災いやサタンの力が取り囲む苦難の中でも守り通してくださいます。

増補22番「三つであり 一つ」
 「三つであり 一つ」は、ルター最晩年の賛美の一つです。三位一体のラテン語聖歌「O lux beata trinitas」をルターがドイツ語に訳したこの歌詞は、「永遠」ということばが印象的です。病を負い、自らの終わりを思いながら、ルターは、この歌詞を通して、主に生かされている今も、そして死の向こうにある永遠まで、神様だけが私の光であり、賛美されるべき方だと、自らに、また人々に、伝えようとしたのかもしれません。
 讃美歌委員会は、「今も永遠に」ということばで各節を締め、そのことを深く味わう歌詞に訳しました。
 人生に訪れる苦難、そして果てに待つ死が、私たちの心を乱すことがあるでしょう。これらの賛美は、私たちを愛し、力を注ぎ、悪の力に勝利させてくださる神様が、いかなる時にも共におられ、やがて死に勝利する永遠に導き入れてくださると思い起こさせ、教会とクリスチャンに、主にある勇気と希望を与えます。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

信仰による促しによって働く教会

 ロシアがウクライナに軍事侵攻して1年以上が経過しましたが、ウクライナにあるドイツ福音ルーテル教会(GELCU)は2022年6月にLWFに加盟し、教会周辺住民への支援を続けています。1年が経過してパブロ・シュヴァルツ監督が、教会が行っている人道支援や戦時下における信仰生活について話してくれました。
 LWFは2023年1月最終週にハルキウでシュヴァルツ監督と会いました。インタビューの場所はLWFとGELCUが支援対象としている学校体育館。ここで暖をとりスマホを充電したり温かい食事が支給されます。
―ハルキウの現状はいかがですか。
「インフラ施設へのミサイル攻撃を除けばこの2、3ヵ月は比較的安定しています。市民100万人の街はミサイル攻撃を受けている北部を除けば機能しています。」
―侵攻から1年が経過して市民はどう受け止めていますか。
「ハルキウの状況は特別です。多くの人たちが国境の向こう側(ロシア側)ベルゴロドに家族がいて感情的に難しい部分があります。なぜならハルキウへの度重なる攻撃がベルゴロドから来るからです。ロシアによる侵攻が家族間にも緊張関係をもたらしています。」
―市民もハルキウに戻ってきているようですね。
「家を失ってしまえば仕事も生活もできなくなります。それにやはり故郷に戻りたいのです。戦争が起きる前の時間を取り戻したいのです。信仰をもつ人は教会とのつながりもあります。各自が何らかのつながりを大切にしているからです。ただ心情的には厳しく、多くの人が鬱を経験しています。」
―教会の現状を聞かせてください。
「私たちは小さな教会です。ウクライナの他の都市や海外へ移住した人もいます。人道支援と教会の宗教活動は切り分けていて、一般の人々に対しての支援も礼拝出席することを条件にしたりはしていません。教会では礼拝や集会を催すほかに支援活動をしています。信徒は支援を受けながらも、貨物の荷下ろしや配給をして支援をする側でもあります。支援の形は直接支援です。大がかりな配給ではなく個人レベルです。その方がごまかしもなく必要な人に直接渡せます。」
―支援活動について教えてください。
「11ヵ月経ってニードは変わってきました。当初は避難の支援でした。スタッフの数も少なくたいしたことはできませんでしたが、それでもウクライナ内外で移住する場所を探すお手伝いはできました。パンや牛乳、それにパック入りの食事を配ったりもしています。国連のように大規模な配給ではなくできることをしています。国連が米やパスタを配るようになると我々はその配給を止めました。春には医薬品を配りましたが、薬局が利用できるようになったのでそれも止めました。また食糧引換券のお手伝いもします。今は120人ほどの人たちに向けサービスをしています。5月からは子どもたちのためのパソコンクラスをやっています。」
―戦時下であってもこうした働きを続けられる秘訣は何ですか。
「私の場合ははっきりしていて、信仰があるからです。イエス・キリストを信じる信仰が私たちの働きの動機です。人々に対して無関心でなく知恵を使って助けるようにと信仰が促してくれるのです。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

コミュニティ・カフェ@大久保・高田馬場~出会い、交流、相談、憩いの場となるように

 東京教会「牧師カフェ」、前任の関野和寛・後藤直紀両牧師時代に、地域に開かれた「カフェ」と「ヌーンサービス」という祈りと音楽の会が、毎週水曜日に行われていました。が、コロナ禍のため休止となり、また担当奉仕者の確保等の課題もあり、再開を模索中でしたが、国内外の災害支援を担う特定非営利活動法人「CWS Japan」(Church World Service Japan、ACTジャパンフォーラムをNCCと共に組織)との共催で、新たに「コミュニティ・カフェ」(仮称)を開店(!?)することとなりました。CWS Japanは、外国人が多く住み生活する大久保で、特に災害時に自治体からの支援が届かない外国の方々に、どんな支援が可能かを模索し、地域との協力、協働を探り、まず状況把握から始め、生活相談会の開催等の会場提供から、私たち東京教会との関係が始まりました。教会を会場に、地域の方々の「出会い、交流、相談、憩いの場」の提供はできないかと話し合い、以前の「牧師カフェ」のノウハウを生かして取り組むことにしました。これは、地域貢献を目指す教会と、地域で活動を担おうとする団体との出会い、コラボ企画になりました。教会は「場所はある、しかし、働き手がいない(地域居住で継続的奉仕が可能な教会員はいない)」、一方、CWS Japanは、「ボランティア活動の人員はいる、しかし、場所がない(拠点がない)」で、いわゆる「ウィンウィン」が成立したのです。
 とりあえず、毎月第1、第3水曜日の午後1~5時に「営業」(!?)、以前の「カフェ」に倣い、ライヴ演奏や展示、また今回は、在日外国人のための相談業務も専門家が常駐し、日本語教室や、参加者による自慢の外国料理教室(及び楽しい試食会?)等も行っていきたいと思います。ただ以前と違うのは、伝道として教会の地域奉仕の業ですが、「布教」はしません。もちろん、希望があれば個別の「牧師とおしゃべり」はできますが、基本、どんな宗教・信仰の人も自由に集い、語り合い、尊重される「コミュニティ・カフェ」を目指したいと願っています。

エキュメニカルな交わりから

⑭NCC神学・宣教委員会
宮本新(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校専任講師)

 日本キリスト教協議会(以下NCCと表記)には、「宣教・奉仕」、「国際」、「総務」、「神学・宣教」という四つの部門があります。今回紹介する神学・宣教委員会はその一部門である「神学・宣教」部門に属し、協議会とその活動について神学的側面からの検討、また宣教会議を組織するところに目的があります。宣教と神学は、「理論と実践」というようにしばしば別々の事柄として、対立するかのように議論されることがあります。しかしこうした委員会が存在することは、神学と宣教が元々コインの表と裏のような関係にあることを考えてきたのかもしれません。宣教には、人が人となしていくことと、神を前に祈り思索する両面がありますから、かならず振り返りと話し合いが必要になります。神学する場面はここにあるのだと思います。
 近年の委員会活動にとって、2019年に開催されたNCCの宣教会議、そしてとりわけコロナ危機が大きなことでした。そこでの諸教会の経験を受け止め、神学的作業の遂行が求められていました。特に教会の取り組みが中断する中での困難、オンラインの可能性と課題、そして感染症対策の陰でますます大きくなっている苦難の現実をどのように受け止め考えるのか、協議会全体の祈りと議論に委員会も加わりました。
 またローマ・カトリック教会が第16回シノドス総会を開催するにあたり、日本の司教団からNCCに対する懇談への招待がありました。これを受けて、委員会は、シノドスに関連した対話のための文書検討の作業に加わりました。
 エキュメニズム運動は、かつてはキリスト教界内の一致を促進する立場や運動という印象でしたが、戦争や疫病、そして災害や地球規模の課題の切迫感が増している昨今、キリスト者と教会においてかかせない視点を提供しています。神さまが作られたこの被造世界を生きているのは「わたしたち」だけではありません。神と隣人、そして他のいのちある生命世界と共に生きるためにかかせない平和と共生の祈りが根底にあります。委員会はその一枝として役割を担っていることになります。

エルスベス・ストロームさん記念会の報告

秋山仁(豊中教会牧師・神戸東教会喜望の家代表)

 かつてドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル領邦教会の宣教師として、大阪市西成区の日雇い労働者の町、通称「釜ヶ崎」で働かれていたエルスベス・ストロームさんは、昨年10月5日、享年100歳で天に召されました。11月5日には、葬儀が南ドイツのシュヴァンベルクで行われましたが、日本でも彼女の働きを記念して、今年2月18日、喜望の家主催で記念会を行いました。開催にあたっては、生前のストロームさんの思い出を分かち合うだけでなく、釜ヶ崎の内外で働いている自分たちが、何を彼女から提起され、今も受け継いでいるのかを語ってもらう会として企画しました。
 午後1時から追悼礼拝を行い、その後は、シンポジウム形式で、生前のストロームさんと交流のあった前島宗輔牧師(日本基督教団隠退教師)、森本典子さん(日本福音ルーテル賀茂川教会会員)、前島麻美さん(前・山王こどもセンター代表)、原野和雄(日本基督教団隠退教師)夫妻からお話を伺いました。また会場からは、釜ヶ崎キリスト教協友会のメンバー3人が、それぞれ発言してくださいました。その他にも小柳伸顕さん(元関西労伝専従)と、かつてストロームさんと一緒に働かれていた田頭夏子さん(山王ベビーセンター職員)から、それぞれ手紙でメッセージが寄せられ披露されました。会の最後は、大柴譲治総会議長にご挨拶いただきました。
 それぞれの証言からは、彼女の人柄や各々が受けた影響を知ることができました。特にストロームさんがいたからこそ、釜ヶ崎地域でのカトリックとプロテスタント諸教会・施設の共同の活動が、協友会という形で始まったこと、また目の前の課題に対する彼女のぶれることのない姿勢が、山王地区での保育事業(山王ベビーセンター)や、釜ヶ崎でのアルコール依存症に対する活動(喜望の家)につながっていたこと等の報告は、改めて今日の私たちが、彼女から受け継いでいるモノへの責任を強く感じさせられました。

ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校の新年度が始まりました

石居基夫(ルーテル学院大学学長)

 2023年度のルーテル学院大学は、総合人間学部48名(編入学を含む)、大学院15名の新入生を迎えました。また日本ルーテル神学校には牧師養成コースに佐藤孝洋さん(NRK札幌中央ルーテル教会)、澤田春貴さん(NRK飯能ルーテル教会)の2名の新入生を迎えました。4月3日、感染が収束しつつある状況を受け、久しぶりに大学・大学院と神学校がそろった形での入学式を行い新しい学生生活をスタートいたしました。神学校では、さらに翌4日に入学始業聖餐礼拝が行われ、立山忠浩校長の説教「協働と自己研鑽」によって新年度への歩みを始めました。

大学の改革
 今年から大学では新しいカリキュラムを用意して学生たちを迎えました。
 これまでと同様に社会福祉士や公認心理師の資格取得可能な「社会福祉学系」「臨床心理学系」のカリキュラム、そしてキリスト教を軸とした「人間学系」では、「聖書を基礎としたキリスト教的人間理解」「人間の尊厳・人権と倫理」「宗教と文化」、また「スピリチュアル・ケア」や「子ども支援」の科目群を整えました。困窮する現代に、「共に生きる」社会を実現する人材育成を目指しています。
 チャプレンは、河田優チャプレンが兼任体制へと変わるため、近隣の牧師(平岡仁子、坂本千歳、李明生、高村敏浩)を加えたチーム体制で臨むこととなりました。

学生寮の閉寮
 15年前に全国の教会からご支援もいただいて改修されたルター寮ですが、今の学生を迎えるための施設的課題もあり入寮者減、そして危機管理上の課題もあり、学生受け入れが困難と判断し、閉寮の決断に至りました。JELCの神学生については当面日本ルーテル教団のルターハウスで受け止めていただき、生活の場所とすることとなりました。
 今後の寮棟利用については、チャペルも含めて神学校生全体の共同性を培う施設として利用してまいります。これまでの寮維持のためのご支援に深く感謝申し上げます。

第30回 春の全国teensキャンプ報告

森田哲史(宣教室TNG委員会teens部門・大江教会牧師)

 新型コロナウイルスの感染拡大のため、2019年を最後に対面での開催を見送ってきた「春の全国teensキャンプ」(以下、春キャン)でしたが、今回4年ぶりに対面での春キャンを開催しました(2021、2022年はオンラインにて開催)。
 コロナ前は例年80名以上の参加者が与えられていました。しかし、今回は対面開催の間が空いてしまったこと、小学5・6年生を対象にしたこどもキャンプも同様に開催が見送られてきたことなどの理由から、参加者は41名となりました。これまで春キャンは、信仰のこと、聖書のこと、普段の生活のことなどを同世代の信仰者と共に、心を開いて語れるコミュ ニティとしての役割が与えられてきました。teens部門では、そのコミュニティをいかに作り直すか、ということが今回の大きな課題と考え、準備を進めてきました。
 今年のテーマは「REUNION(再会)」として、信仰の友との再会を喜び、何よりも神さまと再び出会う場となることを願い、プログラムの準備を行いました。聖書の中のたとえ話などを現代風にアレンジした劇を作り、身近な経験を通して出会う神様の存在を考えました。また、閉会礼拝では参加者全員で連祷を行い、私たちはひとりぼっちではなく、どんなときも神様や仲間たちと愛で結ばれているという恵みを味わいました。
 各教会を始めとする多くの方の祈りと、各教区、女性会連盟、、JELAなどの皆さまのお支えによって、恵みのうちに終了することができました。感謝して報告に代えさせていただきます。

第30回春の全国teensキャンプ概要
開催日程
 2023年
 3月28日~30日
会場
 千葉市自然少年の家
テーマ
 REUNION
主題聖句
 「わたしの目にあなたは価高く、貴くわたしはあなたを愛しあなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする」(イザヤ43・4)
参加者
 41名(東9、東海17、
 西3、九州12)
スタッフ
 16名
キャンプ長
 森田哲史牧師
チャプレン
 中島和喜牧師
プログラムのねらい
 神様はどんな時も私たちのことを愛してくださっていることを知る。

東海教区教会会計支援ソフト・L-CAS easyの紹介

 牧師の複数教会の兼任や、役員の方々のなり手不足や事務労力の多さが重荷ともなりがちですが、現場支援のため東海教区では支援ソフトを提供していました。今回、より使いやすいものが発表されましたが、お声掛けをいただいたので全国にも、担当者からご紹介いたします。
(東海教区教区長・徳弘浩隆)

 ここ数年、情報の電子化や各個教会でのITの利活用(2021年に「IT環境整備に係る補助金」を実施)を推進しておりますが、このほど各個教会での会計処理の支援を目的として、教会会計支援ソフト・L-CAS easy(エルキャスイージィー、以下「イージィー」)を開発し、今年の教区総会でご紹介し、利用をお呼びかけしています。
 イージィーは、2018年より提供されていましたL-CAS lite(エルキャスライト、以下「ライト」)という、Excelベースのパソコン用ソフトの後継です。L-CAS liteは、教会で共有使用しているような、特定のパソコンにインストールして使用することを想定していましたし、マクロ機能をまとめたメニュー画面から作業を行うスタイルでした。しかし、会計担当者が変更になっても、各自のパソコンで手軽に使え、機能を限定してもよいので、もう少し簡便に操作できるものが欲しい、という「声」を受けて開発されました。
 イージィーの特長は、メニューベースではなくシート単位の簡単操作で処理を完結できる点、主なデータ入力は、「献金者管理」、「出納入力」、「献金入力」の3つのシートで、これらの入力を行えば、「献金明細表(主日毎)」、「月次出納帳」、「収支表(直近3カ月)」、「年間収支表(A3)」、「決算報告」が自動作成される点が挙げられます。但し、資産管理機能はありません。そして、専用のUSBやSDカードなどの記憶ディスクに保存(図参照)しておけば、会計担当者が代わっても、データ受け渡しが簡単にできます。推奨環境は、Windows10以降、Excelは2016以降(Microsoft365も可)です。
 会計の処理は、各教会で独自のやり方があるかと思いますが、献金管理と出納管理は、どの教会にも共通する機能だと思いますので、イージィーの汎用性は高いと思います。ご興味がおありの場合は、東海教区事務所(担当・石川)まで、メールにてお問い合わせください。
(石川吏志)

23-04-01るうてる2023年04月号

機関紙PDF

「笑顔で、寄り添う」

日本福音ルーテル市川教会・津田沼教会牧師 中島康文

「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。」ルカによる福音書6章21節

 1983年4月2日、その日はイースターの前日で、私は黒崎教会(既に解組)で最初の礼拝を迎える準備をしていた。按手を受け、牧師として最初の礼拝に、緊張しつつも熱い意気込みを抱いていた私に、友人から電話があった、「るつちゃんが死んだ!」と。意味が分からず黙している私に、友人は「フィリピンで溺れた子どもを助けようとして飛び込み、子どもは助かったけど彼女は亡くなった」と状況を説明してくれて電話は切れた。
 藤崎るつ記さんは旧日本ルーテル神学大学福祉コースの学生で、私より2学年下級生であった。同じボランティアクラブに所属していたこともあって、食堂で一緒になるといろいろな話をしてくれた。笑顔を絶やさない活動的な学生で、卒業後フィリピンに留学して1年後のことであった。あれから17年後、私は市川教会に着任した。数カ月たったある土曜日の午後、笑みをたえた白髪の男性が教会の庭に立っておられた。藤崎信牧師、るっちゃんのお父様であった。近くにある信徒の方が始めた教会で月1回説教の奉仕をしていること、ルーテル教会だったから寄ってみたとのこと。それからは殆ど毎月のように訪ねてくださっては「元気ですか?」と笑顔で声を掛けてくださった。るっちゃんがそうであったように、笑顔で寄り添うことは多くの言葉よりも慰めや励ましになることを、私はお会いするたびに感じていた。
 「ユダヤ人を恐れて家の戸に鍵をかけていた」(ヨハネ20・19)弟子たちのところに来られたイエスは、どんな表情をされていたのだろう。手とわき腹をお見せになりつつ、表情は穏やかで微かな笑みをたえておられたのではないだろうか。だからこそ彼らは「主を見て喜んだ」(同20・20)のだ。エマオの途上(ルカ24・13以下)、暗い顔の2人の弟子が主イエスの十字架の死と空の墓のことを話しているのを聞き、一緒に歩きながらイエスはどんな表情をされていたのだろう。ガリラヤ湖畔に戻っていた弟子たちに現れたイエスは(ヨハネ21・15以下)、ペトロに三度「私を愛しているか」とお尋ねになりながら、どんな表情をしておられたのだろうか。穏やかで微かな笑みをたえたイエスを思い浮かべたとしても、決してそれは間違っていないだろう。主の十字架と復活の出来事は、私たちの恐れや不安を取り除くためであり、私たちが笑顔を取り戻すためなのだから。
 「助け合うことは大事です。しなきゃならない。だけど、それがすごくいいことをしているかのように勘違いしてしまう。聖書の中に勘違いさせる言葉(引用者注・マタイ25・35~36)があるんです。」「私が釜ヶ崎に行って労働者から気づかされたことは、『そんなこと(引用者注・食事支援等)で得意顔をするな﹄ということでした。誰が好きこのんで人からものをもらって生活したいと思うか。どうして、にこやかに『ありがとう』と返事ができるか。そういう訴えだったわけですよね。」「調べてみたら、なんと原文はちゃんと釜ヶ崎の仲間たちの思いにそうようなことが、きちんと書いてあった。『私が飢えていた時、自分で食べていけるようにしてくれた。私が渇いていた時、自分で飲めるようにしてくれた』」「ない人には施してやれ、ということではなかったのです。」(本田哲郎神父、2011年7月8日真宗大谷派圓光寺での講演より)主イエスが十字架に付けられ復活されたのは、単に恵みとして与えられたのではなく、私たちが地上の命を喜んで生きるため、何よりも私たちが笑顔を取り戻せるようにと、罪を贖い、死への恐れを取り除いてくださったのではなかったか。
 笑顔で寄り添ってくださる主は、十字架と復活を受け入れた私たちに告げてくださいます、「あなたがたは笑うようになる」と。
(参考・藤崎るつ記記念文集編集委員会編『るっちゃんの旅立ち—ボトランの海で命ささげて』キリスト新聞社1984年)

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊲「みんな違って」

「深い地の底も御手の内にあり/山々の頂も主のもの。/海も主のもの、それを造られたのは主。/陸もまた、御手によって形づくられた。」(詩編95・4~5)

 「味気ないなぁ…」そのように思ったのは最近よく使うようになった冷凍食品の『野菜のみじん切り』を見た時でした。
 少し前に自分が「子どもは機械で切った野菜ではなく、手で切って色々な形をしている野菜のほうが良い」と言ったことを思い出します。
 この前、久し振りにいつもは買わないお店できゅうりを買いました。袋の中のきゅうりは太くて真っすぐできれいに並んでいました。いつも買うお店のきゅうりは曲がっていたり、真っ直ぐだったり、太かったり、細かったりいろいろあります。
 いつもと違うお店で買ったきゅうりを見て異様な感じがしました。でも何度か野菜が山積みになったお店でなるべく大きくて太く真っすぐな野菜を選んでいた自分もいました。
 自然のまま、ありのままに存在しているものを私たちが便利に利用しやすく見栄えが良いように改良してしまっているのかもしれないと思った時、自然のまま、ありのままにある存在に安らぎを感じたり、自然の中で本来の自分を取り戻す人も少なくないような気がしました。
 なんでだと思います?それは自然やありのままの存在は神様からの命のことばだからです。自然が特別なわけではありません。神様から造られたあなたも用いられます。

議長室から 大柴譲治

「共死」の覚悟に裏打ちされた愛

 「ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」(ルカ15・20b)

 イースターおめでとうございます。ある新聞記事をご紹介させてください。「斎藤強君は中学一年の時から不登校になる。まじめで、ちょっとしたつまずきでも自分を厳しく責めた。自殺を図ったのは二十歳の春だった◆ガソリンをかぶった。精神科医の忠告で彼の行動を見守っていた父親は、その瞬間、息子を抱きしめた。自らもガソリンにまみれて叫ぶ。「強、火をつけろ」。抱き合い、二人は声をあげて泣き続けた◆一緒に死んでくれるほど、父親にとって自分はかけがえのない存在なのか。あの時生まれて初めて、自分は生きる価値があるのだと実感できた。強君は後にこの精神科医、森下一さんにそう告白する◆森下さんは十八年前、姫路市に診療所を開設、不登校の子どもたちに積極的に取り組んできた。彼らのためにフリースクールと全寮制高校も作り、一昨年、吉川英治文化賞を受賞した◆この間にかかわってきた症例は三千を超える。その豊富な体験から生まれた近著〈「不登校児」が教えてくれたもの〉(グラフ社)には、立ち直りのきっかけを求めて苦闘する多くの家族が登場する◆不登校は親へのさい疑心に根差している。だから、子どもは心と体でまるごと受け止めてやろう。親子は、人生の大事、人間の深みにおいて出会った時、初めて真の親子になれる。森下さんはそう結論する。」(編集手帳、読売新聞2000年10月29日朝刊P.1)
 命賭けで息子を守ろうとする父親の必死の思いが伝わってきます。その背後には長年不登校で苦しんできた強くんに寄り添った周囲の忍耐強い愛があったことを見落とすことはできません。ご両親と森下医師は13歳から20歳までの7年間、強くんと共に歩んできたのでした。そうであればこそ時を得てその愛が伝わったのです。森下一さんは言います。「共生の思想は共死の思想に裏打ちされていなければならない」。ハッとさせられます。
 主の十字架を見上げる時、私はこの言葉を想起します。あの十字架の出来事には絶望の果てに死のうとする私たち一人ひとりをひしと抱きとめてくださったキリストの愛が示されている。その愛は共死の覚悟に裏打ちされていた天地が揺らいでも決して揺るぐことのない真実のアガペーの愛でした。
 私たちはどのような時に悔い改めの涙を禁じ得なくなるのでしょうか。放蕩息子の父親の姿に明らかなように、それは私たちが真実の愛に触れた時でありましょう。共死の覚悟に裏打ちされたイエスの愛こそが、私たちをその存在の根底から日々新たにしてくださるのです。

「教会讃美歌 増補」 解説

㉞増補19番「キリエ エレイソン」・増補20番「神の小羊」

松本義宣
(東京教会・東京池袋教会・板橋教会牧師)

㉞増補19番「キリエ エレイソン」・増補20番「神の小羊」
松本義宣
(東京教会・東京池袋教会・板橋教会牧師)

増補19番「キリエ エレイソン」
 1523年に、ルターは「会衆の礼拝式について」という小冊子で宗教改革の福音信仰に基く礼拝のあり方を示しました。そして強い要望を受け、続いて「ミサと聖餐の原則」をラテン語で発表します。同時期に幾つかのドイツ語による賛美歌を試作してきて、いよいよ「ドイツ語による礼拝」の必要を痛感して式文を作成し、1525年10月29日、三位一体後第20主日に始めて礼拝で試用しました。人々に歓迎されて同年のクリスマスからヴィッテンベルクの教会で用いられるようになり、翌1526年、ルターは「ドイツ(語)ミサと礼拝の順序」を著し、礼拝をドイツ語で行う指標を示しました。この「キリエ エレイソン」は、その中に掲載されたものです。ドイツ語ミサではありますが、当時の会衆に浸透していたミサの言葉(ギリシャ語の「主よ憐れんでください」)をそのままとし、伝統的な詩編トーンの第一で掲載しました(ルター著作集第一集第6巻参照)。増補でも、あえて訳さず、「キリエ・エレイソン(クリステ・エレイソン)」で歌うようにしています。

増補20番「神の小羊」
 同じくルター「ドイツ(語)ミサ」の聖餐式の賛歌「アニュス・デイ(アグヌス・デイ)」のドイツ語訳の歌です。ミサ典礼文(ラテン語)は、「世の罪を取り除く神の小羊」ですが、ルターは、「キリストよ、あなたは世の罪を取り除く神の小羊」としており、キリスト賛歌であることを強調します。実は、「讃美歌21」86番でもこの歌が紹介されましたが、字数の都合で「キリストよ、あなたは」は略されました。増補版では、ルターの思いを取り入れ、「イエス・キリスト」を強調して、「世の罪を取り除く」が歌詞に入りませんでした。賛否あるかと思いますが、「イエス様が神の小羊なのだ!」という信仰の告白の中に、「神の小羊=犠牲として」の思いが込められていることを覚えて歌えればと願います。
 旋律は、ルターの友人で牧師のJ・ブーゲンハーゲン(1485〜1558)が、1528年に出版した「尊敬すべきブラウンシュヴァイク市のキリスト教礼拝式文」に掲載さたものです。これは、私たち日本福音ルーテル教会のパートナー教会である、ドイツ・ブラウンシュヴァイク福音ルーテル教会が、ブーゲンハーゲンの指導で宗教改革を導入した際のものです。ここに紹介できたことを嬉しく思います。恐らく、増補19番「キリエ」の旋律と歌い出しが同じで、それをもとにルターが作曲したと思われ、勿論、今でもこの歌はドイツのルーテル教会で歌われ続けています。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ポスト共産主義を生きる教会

 スロバキア共和国のルーテル教会(アウグスブルグ信仰告白教会)監督がポスト共産主義を生きる教会について語ったインタビュー記事を抜粋して紹介します。イバン・エルコ監督は冷戦時代のチェコスロバキアで牧師の家庭に育ちました。
「共産主義が終わるなんて考えてもみませんでした。1989年まで私は自分の信仰のせいで死ぬと思っていましたから。終わってみて新しい自由な国になり、私の問いは信仰をどう生きるべきかに変わったんです。」
 牧会歴30年のエルコ牧師は、スロバキアのルーテル教会の監督として地域の教会の課題と向き合っています。共産主義の時代に人々が問うたのは、神の存在を信じてよいか否かというわかりやすいものでしたが、「現代は白か黒かという問いではありません。信仰の方向付けをするのが難しくなっています。」「色でいうならすべての色のスペクトルがあります。牧会の仕方も人それぞれで、神様との関わりがとても複雑になりました。」

「父は牧師でしたが、私は牧師になるつもりはありませんでした。ルター派信徒として毎週日曜日教会に来てはいましたが、自分の将来のことなど考えてはいませんでした。信仰的なクリスチャンとは言えなかったし、とてものんきに過ごしていたのですが、1982年の2月のある日、私は突如として神学を学び牧師になりたいと自覚したのです。」

—共産主義下で神学を学ぶというのは大変でしたか。
「共産主義と私は、常に霊的な敵対関係にありました。私は共産主義時代のイデオロギーにとても困惑させられていて、それはユダヤの人々が偶像礼拝を嫌悪したことに似ていました。神の代わりにまがいものの宗教を差し出すという共産主義のやり方に心が痛んだのです。自由と人権がないことに苦しんだのです。」

—1989年に共産主義政権が崩壊しました。
「そうです。思いもよりませんでした。私はラジオでそれを聞きましたが、どうしてあんなに早く消えたのか今でも不思議です。私に突然の回心が起こってから自分は信仰の故に死ぬと思っていたので、こうした状況での感情は悲喜こもごもでした。この大変革をなんとか生き抜かねばと思った時、信仰をどう生きるかが私にとって新たな課題となりました。」

—監督として最大の課題は何ですか。
「たくさんありますが、人々が神様といかにつながるかが最も重要な問いです。神の恵みによって自由を得たから生きているのだと、人々に気づいてほしいのです。共産主義のもとでの人生の方向付けは、黒か白か、善か悪か、クリスチャンか無神論者かといった感じでしたが、今は違います。クリスチャンであっても、その生き方は十人十色なので牧会的な対応はとても複雑になりました。」

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから ⑬NCC信仰と職制委員会

立山忠浩(都南教会牧師)

 日本福音ルーテル教会(JELC)に「信仰と職制委員会」が置かれているように、日本キリスト教協議会(NCC)にも「NCC信仰と職制委員会」があります。JELCの委員会の場合は「信仰、職務、制度等に係る諸問題を検討及び研究し、意見を本教会常議員会に提言する」という具体的な使命があります。各教派でも名称は異なるにしても、教派の核心的な事柄に関することでの具体的な提言を行うことではほぼ一致しています。
 NCCのホームページに委員会の目標が掲げられていますが、各教派の委員会とは異なるのです。「教派間の対話や協働の促進」が主目的です。教派間や国内だけに留まらず、他宗教との対話やアジア・世界との連携も加えられています。
 さて、どのような活動を行っているのかとなると別の課題が生じて来ます。定期的な、そして実質的な活動がなされていないのです。第一の原因は新型コロナウイルス感染です。昨年も対面での会は困難となりました。それに加えて、各教派から派遣される委員がそれぞれに他の重責を担っており、時間と労力を割きにくいのです。
 そのような厳しい状況下でしたが、昨年10月14日にZoomでの委員会を開きました。代表(まとめ役)を担ってくださっている西原廉太先生(日本聖公会中部教区主教・立教大学総長)の呼びかけで行いました。昨年8月31日~9月8日にドイツのカールスルーエで開催された世界教会協議会(WCC)の「第11回総会」のレポートが主な内容でしたが、参加されたからこそ得られる興味深い情報でした。ロシアのウクライナ侵攻から7カ月しか経っていない生々しい状況下で、ウクライナからも近い地で開催されたことを反映したのでしょう。WCCに加盟しているロシア正教会を巡る議論が交わされたのです。ただ、国連総会と同様に、意見が一致せず、明確な結論を出せなかったとの報告でした。WCC、そしてNCCという協議会が掲げる「対話や協働の促進」を実践することの困難さを改めて感じることになりました。

3年ぶりに「JELAカンボジア・ワークキャンプ」開催!

森一樹(JELAスタッフ・市ヶ谷教会)

2020年2月以来3年ぶりとなる「JELAカンボジア・ワークキャンプ」が2023年2月13〜23日の日程で開催されました。久しぶりの開催にもかかわらず、ありがたいことに全国から多くの応募があり、10〜20代の大学生を中心に10名の参加者が集いました。
 今回のキャンプは主に三つの目的のもと実施されました。一つ目の目的はボランティアワークを通して「人や社会に仕える」経験をしていただくことです。今回は弊財団の支援するプレスクールや、カンボジア・ルーテル教会(LCC)の社会福祉施設を訪問し、壁の塗装をしたり、日本の風景や聖書のイラストを壁に描いたり、施設を囲む竹製のフェンスを作ったりする、ボランティアワークを行いました。
 二つ目は、カンボジアの歴史的名所への訪問を通して、参加者にカンボジアの歴史や価値観を知っていただくことです。カンボジアには世界遺産のアンコールワット遺跡群や、ポル・ポト率いるクメール・ルージュの大量虐殺や、その後の独立戦争の爪痕が色濃く残る歴史的な場所があります。キャンプではそれらを訪問し、カンボジアの歴史やその根底にある様々な価値観や文化に触れ、学ぶ機会も持ちました。
 三つ目の目的は、カンボジアでの様々な経験を聖書の御言葉を通して振り返り、参加者それぞれが聖書の神様と出会っていただくことです。今回はキャンプチャプレンとして、日本福音ルーテル日吉教会牧師(キャンプ当時)の多田哲先生が同行して下さり、毎日の終わりに、参加者がカンボジアで経験した様々な体験や人との出会い、またその多様な宗教観や価値観を振り返り、それらを聖書の御言葉を通して神様の視点から捉え直せるような「ディボーション」をリードして下さいました。
 末筆ではございますが、JELAワークキャンプ事業へのご支援とお祈りを誠にありがとうございます。本キャンプの詳しい様子や参加者それぞれの感想レポートを弊財団のWEBページで公開しておりますので、ぜひそちらも合わせてご覧ください!

新任J3から

Volamalala Ranaivoson

 こんにちは、私の名前はVolamalala Ranaivosonです。私はマダガスカルで生まれ、パプアニューギニア、イギリス、アメリカ、ケニアで宣教師の子供として育ちました。そのため、異文化のコミュニティで多機能で多様な背景を持つ人々とつながり、関わることへの愛と情熱が私の中で育っています。私は、本郷ルーテル教会でJ3宣教師をしています。昨年の4月に来日しました。

 J3宣教師プログラムについて、また、英語を習得させるだけでなく、全人格をケアし、福音を伝えるという長い歴史を知ったとき、ここでその一翼を担いたい、と思ったのです。特に、本郷学生センターの「恵みの陽だまり」というミッションに惹かれ、神様の素晴らしい恵みを地域社会に放射する居心地の良い場所となりました。
 過去1年間、教会と学生センターがまさにそのように機能しているのを目の当たりにし、本郷ルーテル教会の皆さんと一緒に成長できるこの機会にとても感謝しています。

第28期第21回常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 2月20~21日に東京教会会議室で行われた標記の件について、ご報告いたします。

 人事委員会の提案した、2023年度教職人事が承認されました。
 また2023年4月1日付で、竹田大地牧師を広報室長に選任しました。これまで広報室長は東教区の教職が兼務する体制でしたが、ネットによる入稿、編集、校正が技術的にも十分な対応が取れる環境が整ったことを受け就任をお願いしたところです。

 市吉会計より、標記の件、会計監査報告と合わせて説明が行われ総会への提案が承認されました。
 公益会計において2021年度決算と比べて、協力金について拠出割合は同じであったにも関わらず減少している点が報告されました。感染症による影響から教会活動は徐々に回復しつつあるものの、会計的な影響は今後波及してくるものと考えられ、注視が必要との共通理解を得たところです。
 収益会計については2年連続の赤字でしたが、3年目に黒字化することができ、今後、社会活動が活発になる方向から好転する見通しが分かち合われました。

 古屋財務担当委員より、標記の件が提案され、総会への提案が承認されました。
 2020年以来、協力金の減額に伴い公益会計において特に2021年度は収益会計からの繰入を必要としましたが、2023年度実行予算より、可能な限り協力金内で教会全体の公益活動、つまり宣教活動を行うという方向性で予算を立てていることが報告されました。これは具体的な宣教の主体は個々の教会、そして教区によるものと理解した上で、事務局はあくまでも、その活動を支える事務的な業務を中心とするという考え方に基づいています。協力金が2024年度より10%に戻ったとしても、2019年度の収入を得ることは難しいという見通しも確実であり、事務局体制についてもスリム化が必要であるとの理解を確認したところです。

 総会日程について、11月常議員会に提案されたものに、学校法人ルーテル学院の報告を関連事業報告とは別枠で設けることが確認されました。ルーテル学院大学・神学校は、別法人ではありますが、教会と密接な関係性にあり、学校法人を取り巻く社会的環境や、学校法人の置かれた現状について分かち合われることになります。確認される点は大学の経営状況は、神学校の維持についても大きな影響を及ぼすという点にあります。学校法人の置かれた現状を分かち合うことで相互の理解を深める時としたいと考えています。
 またハラスメント防止委員会を規則に明文化する提案の前に、日本同盟基督教団の大杉至牧師よりハラスメントについての学びの時を持つことが確認されました。日本同盟基督教団は2000年代後半から、教会としてハラスメント防止に取り組んでおられ、教会内のハラスメントについて中心的に学び、共通理解を深めたいと考えています。

 これまで総会当日の午前中に行われてきた総会前常議員会(第22回常議員会)を4月17日(月)午前10~12時、オンライン(Zoom)にて開催することを確認しました。各教区総会で扱われ、総会に提案される内容について主に議論される予定です。総会に提案すべき議題があれば、教区常議員会に対して提出頂きますようにお願い申し上げます。

 以上、詳しくは常議員会議事録をご確認頂けますと幸いです。

2023年度 日本福音ルーテル教会人事

〈退職〉
(2022年10月13日付)渡辺高伸(退職)

(2023年3月31日付)小副川幸孝(定年引退)野村陽一(定年引退)

〈新任〉該当なし

〈人事異動〉(2023年4月1日付)

【北海道特別教区】
小泉基 札幌教会(主任)
中島和喜 函館教会(兼任)、
札幌教会協力牧師の任を解く
岡田薫 札幌教会(協力牧師)

【東教区】
河田優 日吉教会(主任)
李明生 むさしの教会(主任)
松本義宣(2022年8月1日付)
東京池袋教会(兼任)、板橋教会(兼任)
田島靖則 田園調布教会(主任)、雪ヶ谷教会(兼任)
筑田仁 羽村教会(主任)、八王子教会(兼任)
浅野直樹Jr.  甲府教会(主任)、諏訪教会(兼任)
【東海教区】
末竹十大 掛川菊川教会(兼任)、新霊山教会(兼任)

【西教区】
秋山仁 神戸東教会(兼任)

【九州教区】
関満能 大分教会(主任)、別府教会(兼任)、日田教会(兼任)
多田哲 合志教会(主任)、水俣教会(兼任)
小泉嗣 八代教会(兼任)
岩切雄太 阿久根教会(兼任)

【出向】
日笠山吉之 九州学院(チャプレン)
○牧会委嘱(2023年4月1日付/1年間)
田中博二(2022年12月1日付)東京池袋教会
德野昌博 仙台教会
小山茂 板橋教会
明比輝代彦 新霊山教会
大宮陸孝 賀茂川教会
乾和雄 神戸東教会
白髭義 二日市教会
黄大衛 長崎教会

「オープンチャット4月1日開始」〜元気を出せ!教会学校!〜

河田晶子
(TNG子ども部門)

 コロナ禍で対面でのティーンズキャンプ、ルーテルこどもキャンプが相次いで中止となり3年が経ちました。あちこちで教会学校の消滅や低迷の声を聞く中、教会学校の教師が自由に悩みやアイデアを交換できる交流の場として、LINEを用いて「オープンチャット」を開設することにしました。次世代宣教の働きを応援します。ぜひご参加ください。

23-04-01笑顔で、寄り添う

「今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。」
ルカによる福音書6章21節

 1983年4月2日、その日はイースターの前日で、私は黒崎教会(既に解組)で最初の礼拝を迎える準備をしていた。按手を受け、牧師として最初の礼拝に、緊張しつつも熱い意気込みを抱いていた私に、友人から電話があった、「るつちゃんが死んだ!」と。意味が分からず黙している私に、友人は「フィリピンで溺れた子どもを助けようとして飛び込み、子どもは助かったけど彼女は亡くなった」と状況を説明してくれて電話は切れた。
 藤崎るつ記さんは旧日本ルーテル神学大学福祉コースの学生で、私より2学年下級生であった。同じボランティアクラブに所属していたこともあって、食堂で一緒になるといろいろな話をしてくれた。笑顔を絶やさない活動的な学生で、卒業後フィリピンに留学して1年後のことであった。あれから17年後、私は市川教会に着任した。数カ月たったある土曜日の午後、笑みをたえた白髪の男性が教会の庭に立っておられた。藤崎信牧師、るっちゃんのお父様であった。近くにある信徒の方が始めた教会で月1回説教の奉仕をしていること、ルーテル教会だったから寄ってみたとのこと。それからは殆ど毎月のように訪ねてくださっては「元気ですか?」と笑顔で声を掛けてくださった。るっちゃんがそうであったように、笑顔で寄り添うことは多くの言葉よりも慰めや励ましになることを、私はお会いするたびに感じていた。
 「ユダヤ人を恐れて家の戸に鍵をかけていた」(ヨハネ20・19)弟子たちのところに来られたイエスは、どんな表情をされていたのだろう。手とわき腹をお見せになりつつ、表情は穏やかで微かな笑みをたえておられたのではないだろうか。だからこそ彼らは「主を見て喜んだ」(同20・20)のだ。エマオの途上(ルカ24・13以下)、暗い顔の2人の弟子が主イエスの十字架の死と空の墓のことを話しているのを聞き、一緒に歩きながらイエスはどんな表情をされていたのだろう。ガリラヤ湖畔に戻っていた弟子たちに現れたイエスは(ヨハネ21・15以下)、ペトロに三度「私を愛しているか」とお尋ねになりながら、どんな表情をしておられたのだろうか。穏やかで微かな笑みをたえたイエスを思い浮かべたとしても、決してそれは間違っていないだろう。主の十字架と復活の出来事は、私たちの恐れや不安を取り除くためであり、私たちが笑顔を取り戻すためなのだから。
 「助け合うことは大事です。しなきゃならない。だけど、それがすごくいいことをしているかのように勘違いしてしまう。聖書の中に勘違いさせる言葉(引用者注・マタイ25・35~36)があるんです。」「私が釜ヶ崎に行って労働者から気づかされたことは、『そんなこと(引用者注・食事支援等)で得意顔をするな﹄ということでした。誰が好きこのんで人からものをもらって生活したいと思うか。どうして、にこやかに『ありがとう』と返事ができるか。そういう訴えだったわけですよね。」「調べてみたら、なんと原文はちゃんと釜ヶ崎の仲間たちの思いにそうようなことが、きちんと書いてあった。『私が飢えていた時、自分で食べていけるようにしてくれた。私が渇いていた時、自分で飲めるようにしてくれた』」「ない人には施してやれ、ということではなかったのです。」(本田哲郎神父、2011年7月8日真宗大谷派圓光寺での講演より)主イエスが十字架に付けられ復活されたのは、単に恵みとして与えられたのではなく、私たちが地上の命を喜んで生きるため、何よりも私たちが笑顔を取り戻せるようにと、罪を贖い、死への恐れを取り除いてくださったのではなかったか。
 笑顔で寄り添ってくださる主は、十字架と復活を受け入れた私たちに告げてくださいます、「あなたがたは笑うようになる」と。
(参考・藤崎るつ記記念文集編集委員会編『るっちゃんの旅立ち—ボトランの海で命ささげて』キリスト新聞社1984年)

23-03-01るうてる2023年03月号

機関紙PDF

「わたしが示す地に、祝福の源として」

日本福音ルーテル名古屋めぐみ教会・知多教会牧師 後藤由起

主はアブラムに言われた。/「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。」(創世記12章1節)

 教会が置かれている状況の厳しさが叫ばれ続けるなか、さらにこの数年の新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに、これまでどおりの活動を続けることが難しくなった教会も多いのではないでしょうか。またカルトやカルト2世の問題が取り上げられる今、わたしたちは伝統的な教会として、献金で成り立つ教会の活動についても、子どもたちへの次世代の宣教にも、より丁寧な対応と深い配慮、神学的な検証が求められているでしょう。まさに今は教会にとって、先が見えない不安のただ中にあるときではないでしょうか。しかしそのとき、わたしたちは一体誰なのか、そしてその行く先はどなたが備えるのかということをもう一度、確認したいのです。
 この箇所で語られているのは、イスラエルの祖先となったアブラム(のちにアブラハム)が神様の召しを受けて旅立ったということです。今から約4000年前のメソポタミア、現在のイラクのあたりの大都市で裕福な生活をしていたアブラムは、75歳になったとき、それまで知らなかった主なる神様に出会い、この神様を信じ、その言葉にしたがって行き先を知らずに旅立ちます。
 その神様のご計画は、地上の氏族がすべて祝福に入るということでした。この祝福をもたらすためにアブラムは召し出され、そして神様の救いのご計画は、やがて神の子イエス・キリストが来られることへと続き、今、イエス様を信じるわたしたちへと受け継がれています。神の民であるわたしたち教会は、神様の救いのみわざに参与し、その恵みを分かち合い、すべての人に神様の祝福を伝えるために召されています。それはわたしたち教会がアブラムのように、この世の安定や繁栄に頼るのではなく神に召し出された旅の途中にあるということでもあります。現代の教会を取り巻く状況の中で、人間的には先が不安になることもあります。しかしわたしたちの行く先は、神様が「わたしが示す地へ!」と言われるところです。それはわたしたちが、神様を信頼することへ招かれているということです。
 なぜなら、教会は終わりの日、イエス様が再び来られる日まで旅人だからです。その日まで教会は途上にあり、その姿はいつも変わりゆきます。ある時点の姿が永遠に安定した理想的なものであるというわけではありません。つい、かつての教会の姿が懐かしく感じることがあるかもしれませんが、教会とはそもそも変わりゆく存在であるがゆえに、変化を恐れないのです。アブラムは神様の祝福の御計画のため、慣れ親しんだ環境から抜け出さなければなりませんでした。これまで築いた安定した地位に頼るのではなく、神様だけを頼りに彼は出発したのです。地上を旅する神様の教会は、地上では行く先を知らないかもしれません。しかし終わりの日の御国が示されており、その日に教会は完成します。その日まで、わたしたちは神様がこの世を愛しておられるその働きを実際に地域の中で表していく存在であり、祝福のご計画に召し出された者です。
 ですからわたしたちは、それぞれの教会に与えられた神様のご計画を信頼します。神様はいま、この町でわたしたちの教会を通してどんな祝福のご計画をなそうとしておられるのでしょうか。確かにわたしたちは、この世の中では小さく弱い存在かもしれません。しかし自分の力がないからこそ、そこに頼ることができないからこそ、聖霊の力が先立って進みます。小さな存在であるかもしれないけれども、そのような教会の姿にイエス様の十字架の姿が現されていきます。このイエス様の十字架こそが、神様の救いを現したのです。そしてわたしたちは、十字架の道のりが復活へとつながっていることを知っています。ですからわたしたちは、召し出されたそれぞれの場で、神様のご計画を大胆に信頼し、御国をめざし地道に目の前の宣教のわざを今日も果たしていきたいと願います。
「祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。」(一ペトロ3・9c)

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㊱「名前から」

「それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。/見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ7・14)

 「私、カードに名前を書くだけでやっとですけどいいんですか?」そう言う私に彼女はニコニコしながら「名前だけでも頂く方は嬉しいのよ。」何年も前に教会で交わした言葉を思い出しました。
 それは寄せ書きされたカードが教会から私宛に送られてきた時でした。いろいろな理由で教会へ足を運べない人がいらっしゃいます。私もその1人です。
 自分の健康のことや家族のことなど人によって理由は様々です。教会へ行かれない辛さや寂しさの中、1枚のカードが教会から届きました。教会の牧師がみ言を書いてくださりその周りに所狭しと教会の方々のお名前が書いてありました。
 飛び出す絵本てご存知ですか?そのような感じでお一人おひとりの書かれたお名前からメッセージや表情が飛び出して来るんです。それだけではなくお名前が書かれていないお一人おひとりの祈られる姿も伝わってきます。
 自分の経験や変化する状態などで同じ文章や言葉が違う意味を伝えてくれる時があります。それは好きな本の言葉であったり歌の歌詞だったりなんとなくかけられた言葉だったり。それら一言一言は今あなたに生きて与えられています。例えあなたが選んだと思ったとしても神様からあなたへ与えられています。

議長室から 大柴譲治

「soli deo gloria〜徳善義和先生を覚えて」

 今年1月3日、徳善義和先生が90歳で天に召されました。1980年の神大編入以来、石居正己先生と徳善義和先生から私は実に多くのものを学ばせていただきました。奇しくも後にむさしの教会の牧師としてもお2人からバトンを受け継ぐことになります。
 詳細なプロフィールは『ルター研究第8巻』(定年退職記念献呈論文集2002)に譲ります。徳善先生は1954年に東大工学部、57年に鷺ノ宮のルーテル神学校を卒業後、59年JELC按手、稔台教会での牧会と留学を経て64年専任講師、73年に教授に就任。2002年の退官までの40年近く、ルターがよみがえったように生き生きと語られる先生の「徳善節」は大変に有名でした。また、先生のエキュメニカルな領域での貢献も忘れることはできません。国際的にも国内的にも先生は常にカトリック・ルーテル・聖公会の共同委員会の中心であり、2014年11月30日の「エキュメニズム教令50周年」記念の3教会合同礼拝では説教者を務められます(於東京カテドラル聖マリア大聖堂)。1997〜2000年には日本キリスト教協議会議長。2012年には岩波新書で『マルティン・ルター〜ことばに生きた改革者』を出版。幅広い貢献から2014年にはキリスト教功労者顕彰を受彰されています。
 私には三つの忘れ難い逸話があります。神学生時代、未熟な私は先生から約束の重要性について厳しく指導されたことがあります。どこまでも約束とは相互的なものであって、相手はその時間を調整して待っている。そこには社会的な責任があるのです。赤面の至りでした。二つ目は、私たち夫婦の国際結婚のビザ切替え時に入管にまで足を運んでくださいました。有り難いことです。三つ目は1997年の春、むさしのへの着任が決まった直後でした。留学先のフィラデルフィアまで足を運んでくださり、3人の子どもに牧師館の間取りを示して歓談してくださったのです。子どもたちは大喜びです。その際ラジャシェカー教授からの〝magna cum laude〟という語を伝えてくださったのも先生でした。それは今でも私の大切な原体験になっています。そのように要所々々で先生は深く関わってくださった。それは恐らく私だけではありますまい。先生は常に一人ひとりをしっかりと温かく観ておられました。その意味でも先生は優れた教育者であり牧会者でした。登世子夫人にもいのちの電話でお世話になりました。ありがとうございました。s.d.g.

「教会讃美歌 増補」 解説

㉝増補17番「もし神がともにおられなければ」・増補18番「幸いな人よ」

日笠山吉之(札幌教会牧師)

 聖書の中でもとりわけ『詩編』をこよなく愛したルターは、『詩編』のテキストをパラフレーズ化して、コラールの歌詞としたものが幾つもあります。今回ご紹介する17番『もし神がともにおられなければ』と18番『幸いな人よ』もそうです。前者は『詩編』124編が、後者は同128編がそれぞれ下敷きとなっています。
 まず、17番の『もし神がともにおられなければ』を取り上げましょう。このコラールの下敷きとなった『詩編』124編は「主が私たちの味方でなかったら、主が私たちの味方でなかったら」と言う御言葉で始まりますが、ルターは律儀にもコラールの中でこの御言葉を2回繰り返しています。それに続く歌詞は、1節「力を失い、世に侮られる、あわれな群れよ」2節「か弱いわれらは、からだも、いのちも、流されるまま」。その通りです。主が私たちの味方でなかったら、私たちにはなす術がないのです。しかし、信仰者は主が共におられ、必ずや救ってくださることを知っています。ですから、3節に入ると「感謝と賛美は、ただ神にある」とルターは歌うのです。さながら罠から放たれた小鳥のように自由に!
 次の18番『幸いな人よ』も、『詩編』128編のテキストをほぼ忠実にたどっています。「いかに幸いなことか。主を畏れ、主の道に歩む人よ」と言う御言葉で始まるこの詩編は、127編と共に、現在でも結婚式の式文の中で最初に交唱される詩編となっています。ルターのコラールは、主を畏れ敬い、互いに愛し合いつつ主の道を歩むカップルがいかに祝福されているかを歌い上げていますが、それはさながらルターの家族の仲睦まじさを垣間見るかのようです。この歌詞につけられたJ・ヴァルターの旋律も冒頭から高揚感に満ちています。最後の小節のシンコペーションがなんともリズムが取りにくいかもしれませんが、そこはあまり拘らず勢いで歌い切ってしまいましょう。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

難民に手を差し伸べるエストニア教会

 エストニアのルーテル教会はウクライナ戦争による難民たちを様々な手段で支援しています。牧会的ケア、実際的サポート、合同の集会や活動などを通じて彼らが安心して生活できる環境を提供しようと努めています。
 ロシアのウクライナ侵攻が起きてすぐにエストニアルーテル教会EELCは難民を歓迎しました。LWF加盟教会のEELCとそのディアコニア活動団体は、宿泊施設と牧会的ケアを手配、色々な活動を計画し心を込めて迎え入れました。
 「侵略戦争は言語道断の罪です。」総司教のウルマス・ビルマ氏は言います。同時に彼は共感の力を強調して次のように言いました。「悪は、信仰と希望と愛を私たちから奪うことはできないのです。たとえすべてを奪われても、信仰と希望と愛は奪えません。」
 多くのエストニア人にとってウクライナ侵攻は他人事ではありません。牧師やボランティアたちは今回の戦争で、ソ連時代のスターリンによる弾圧という悪夢の記憶がよみがえり、強制的に避難させられた住民の痛ましい状況を語ります。
 EELCの諸教会は侵攻後すぐウクライナ支援基金を起ち上げました。するとエキュメニカルな関係教会やLWFから、各個人からの分を合わせて6万ユーロを超える支援が集まりました。感謝祭には1万7千ユーロがこれに加算されました。
 タリンにある聖ヨハネ教会のボランティアたちは言います。「戦争が始まったときから、すべてのキリスト者と教会が助けたい、行動したいと思い立ち、どうしたらいいのか考えました。」「みんなが人道的支援品や義援金を集めてくれます。チャリティーコンサート、物品販売、ボルシチの提供、迷彩柄の網、ニットの靴下や手袋など。もちろんウクライナのための祈りもです。」2人の女性はウクライナの子どもたちのために語学サマーキャンプを開催しました。難民の子どもたちはエストニアの子どもと同部屋で過ごしたため交わりを深めることができ、キャンプは大成功でした。
 一緒にする料理や魚釣りに盛り上がったりもしました。タルトゥのエストニア人が釣り道具を寄付し、ウクライナ人を連れてエマジョギ川で鯉を釣ったそうです。タルトゥにある聖マリア教会でデイケアセンターを運営するレア・サールさんは言います。「会話が弾んで釣り場の話になって、ウクライナの子どもたちが池と呼ぶ水場のことをエストニア人は湖と呼んでいたり。どんな魚が釣れたとかどのぐらいとれたとか。これは凍りついた心を人とのつながりで解きほぐし親切を注ぐ方法なんです。」
 牧会的霊的ケアも欠かせません。戦争が始まるとEELCの牧師45人が協力しました。今でも12人がカウンセラーとしてパートタイムで難民たちのケアをしています。宿泊場所を移動する合間を利用して彼らの喪失体験や恐怖に耳を傾け、亡命生活の心の不安と向き合う手助けをします。その人の信仰がなにかは問うことをしません。
 「キリストが今私たちに問いかけていることはなにか。それはあなたは愛したか、です。キリストがそうしてくださったように、私たちは愛しているかが問われています。」オーヴェ・サンダー神学研究所学長は自身の動機をそのように語っています。
 「戦争難民の方々の厳しい未来に光を届ける。ケアやチャリティを通して希望を贈る。そうしてキリスト者として出来ることをする。それが平和を得ている私たちが神様から召し出されていることなのです。」ヴィルマ総司教はこのように締めくくりました。

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから ⑫NCCドイツ語圏教会関係委員会

李明生(田園調布教会牧師)

 「ドイツ語圏教会関係委員会」は日本キリスト教協議会(NCC―J)の「国際部門」の委員会の一つです。
 当委員会は、日本とドイツ語圏の教会間交流を通して共通の関心事を見い出し、相互的な啓発、学びあいを進めることを目的としています。1965年に開催された第1回日独教会協議会の結果、1966年にスタートしました。その後、1979年には東ドイツ委員会と西ドイツ委員会に分かれましたが、1990年10月にドイツ連邦が統一され、プロテスタント教会も一つの組織を形成したことを受けて、日本側の委員会も1991年に再度一つの「ドイツ教会関係委員会」として出発することとなりました。その後、2016年の協議会にはスイスのプロテスタント教会からも代表者が参加することとなりました。ヨーロッパのドイツ語圏にはプロテスタント教会が展開していることから、ドイツに限らず「ドイツ語圏」のプロテスタント諸教会と日本のプロテスタント教会とを繋ぐ役割を担うことを目指して、2017年より「ドイツ語圏教会関係委員会」と改称することとなりました。
 当委員会の大きな役割の一つは、ドイツ国内の20の諸教派の集まりであるEvangelische Kirche in Deutschland(EKD)が母体となって各国から受け容れを行っているドイツ・プロテスタント教会奨学金の奨学生の募集・予備選考・推薦です。この奨学金プログラムは、日本とドイツの教会交流の促進を目的に設置され、将来にわたってエキュメニカルな働き及び宣教活動に貢献できる人材養成を目指しています。例年、募集要項は夏頃に発表され、応募締め切りは12月下旬、選考試験は1月上旬に行われています。
 また日本とドイツ語圏のプロテスタント教会間による定期協議会を開催しています。この協議会はそれぞれの教会の宣教の課題を共有し、協力関係について確認することを目的としています。2016年に第7回協議会が東京にてスイスのプロテスタント教会を交えて行われた後、2019年にはスイスのリューゲルおよびアーラウにて行われました。本来であれば2022年に次回の開催の予定でしたがコロナ禍で延期となり、現在も協議中です。
 なお2016年に宗教改革とディアコニアを主題として行われた協議会の講演等の記録は、「いま、宗教改革を生きる—耳を傾け共に歩む—」(NCCドイツ語圏教会関係委員会編・いのちのことば社2019年)として書籍化されました。宗教改革の歴史とディアコニアの関係についての入門書的1冊となっています。皆様是非お読みください。

東海教区青年会・外国人メンバークリスマス会

レリアナ・パルドシ

 皆様、メリークリスマス、神の平安が私たちの生活に常にありますように。
 私はレリアナ・パルドシです。インドネシアから来ました。私は日本に働きに来た外国人インターンです。ちょうど3年前の2019年12月10日、初めて日本に来ました。夢のようでした。大学卒業後、日本に来るとは思っていなかったのですが、神様の御心で、日本で最初の仕事をすることが許されました。恐れはありますが、私の人生における神の祝福にも感謝しています。3年前、日本での初めてのクリスマスの時、仲間の中でキリスト教徒は私だけでした。当時、私が住んでいる場所の近くに教会があり、毎週日曜日に訪問したいと祈りました。そして、私が最初に行った教会が大垣教会でした。今まで、大垣教会で成長し、教会の家族を見つけられました。日本語や日本文化を勉強するクラスで徳弘先生と出会ったのもこの場所でした。また、渡邉先生が率いる教区のユースサービスにも出会いました。このユースサービスを通じて、日本人と出会って多くのことを学びました。教区のユースサービスではZoomを介して接続しています。2021年12月のクリスマスに教会のユースと初めて直接会いました。そして、この 2022年12月は対面でのユースの2度目のクリスマスでした。
 2022年12月のクリスマスサービスは、教会の若者たちと一緒に祝いました。一緒に礼拝し、一緒に昼食をとり、一緒に歌い、ゲームをし、贈り物を交換しました。国ごとに異なるクリスマスの伝統があって、インドネシアでは若者がクリスマスを祝う時、通常、聖歌隊と伝統的な踊りで祝っていますが、日本でもクリスマスを祝うことができたので、私は幸せでした。私にとってクリスマスは単なるお祝いではありません。キリストが私たちのために生まれたからです。2022年のクリスマスには多くの祈りと希望がありました。
 神が私たちの人生の歩みと祈りを祝福し、神が最高の時に応えてくださることを願っています。

新任J3から

スレザク・ローラ

 スレザク・ローラと申します。アメリカ人です。私はテキサス州ダラスの近くで生まれました。同じ場所で育ちましたが、大人になってから住んだ場所は、日本が7カ所目です。祖父は外交官で、家族から異文化への理解と尊敬を教えられていました。
 私は九州学院高校のJ3です。ALTとして1年生を18クラス教えています。また、大江教会で毎週夕方の水曜日に英会話サークルの講師をしています。時々、熊本国際礼拝で説教をすることがあります。今年の2月19日に大江教会で説教をしました。仕事以外では、毎日日本語を勉強しています。趣味はハイキングなどのアウトドアで、特に山や森の周辺が好きです。ラーメンやしゃぶしゃぶなど、おいしいものを食べに行くことも好きです。

定年教師挨拶

野村 陽一

 本年3月で定年を迎えた野村陽一です。38年間、牧師としてお支え下さり心から感謝申し上げます。私は、神学校入学の時から、牧師への召命は神からの召命と、教会からの召命の二つがあると考えていました。当時属していたむさしの教会で、青年仲間が次々と牧師への道を選び取っていく中、私に対する教会員の期待を感じ取っていたことの影響だと思っています。二つの召命感は今でも変わっていません。
 これまで、岡崎、刈谷、名古屋めぐみ(恵・柴田)、大分、別府、日田の6教会で牧師として過ごしてきました。新卒以来、いつも複数の教会を担当するあわただしい生活で、一教会に集中できないもどかしさを感じつつも、こんな牧師を受け入れ、支え続けてくださった教会員なしには、ありえない38年間だったと思います。
 教会以外にも、保育園、児童養護施設、認定こども園での働きも与えられました。子どもたちや若い職員からたくさんのエネルギーをもらいました。こうして感謝をもって定年を迎えられたことは大きな幸いです。
「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」(一コリント15・58)。

「定年を迎えて」 小副川 幸孝

 牧師として四十有余年を過ごすことができ、これまでお支えいただいたことを心から感謝申し上げます。
 思い返せば、牧師としての按手を受けました時に、「この方のなさった事は、何もかも、すばらしい」(マルコ7・37口語訳)と告白できるような歩みをしたいと願っていました。
 しかし「教会の声は神の声」と思い、赴任先を委ね、藤が丘教会に統合された世田谷新町教会を皮切りにして与えられた場所での働きとなり、結果的には牧師人生の半分近くは学校教育の場となりました。立教大学大学院を卒業後、米国のシカゴ神学大学院に留学し、帰国して6年間は開拓されたばかりの新札幌教会、そして九州学院(宇土教会兼任)、九州女学院短大、九州ルーテル学院大学が任地となりました。また、母教会である久留米教会、そして最初の任地で設立を準備した藤が丘教会などの招聘を受け、現在は九州学院にいます。東京女子大やルーテル神学校で教壇に立つ機会も与えられました。それぞれのところでの出会いが、神から賜った大切な出来事であり、それらの方々に支えられての牧師生活でした。
 牧師としての定年を迎えるにあたり、今あらためて、そうしたことの一つひとつが去来します。すべてがうまくいったわけではありませんが、やはり、「この方のなさった事は、何もかも、すばらしい」と告白したいと思っています。

「教会讃美歌 増補 分冊Ⅰ」MIDIデータをご活用ください

 2021年に発行されました「教会讃美歌 増補 分冊Ⅰ」のMIDIデータが、日本福音ルーテル教会のWEBサイトにて公開されています。新しい賛美歌に身近に触れる機会として、是非ご活用ください。
 「教会讃美歌 増補 分冊Ⅰ」ならびに「教会讃美歌」のMIDIデータは、日本福音ルーテル教会WEBサイトの「アーカイブ」中の「礼拝関連資料」ページに掲載されています。
※「礼拝関連資料」ページはWEBサイトをご参考ください。

「神学校の夕べ~主の召しに応えて~」動画配信のご案内

 2月26日(日)17時よりオンラインにてライブ配信された「神学校の夕べ」の動画を3月末までご視聴頂けます。
 誰もが主の召しを受けています。一人ひとりに与えられた召しに応え、共に歩んでいく幸いを皆で祈り求めましょう。
説教 立山忠浩(日本ルーテル神学校校長)
司式 梁熙梅(NRK神学教育委員)、司式補佐・神学生
奏楽 湯口依子(ルーテル学院オルガニスト)
合唱・ハンドベル演奏 
ルーテル学院聖歌隊、ラウス・アンジェリカ
共催 日本福音ルーテル教会神学教育委員会・
日本ルーテル教団神学教育委員会・
日本ルーテル神学校
※こちらのWEBサイトをご参考ください。

23-03-01わたしが示す地に、祝福の源として

主はアブラムに言われた。/「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。」
(創世記12章1節)

 教会が置かれている状況の厳しさが叫ばれ続けるなか、さらにこの数年の新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに、これまでどおりの活動を続けることが難しくなった教会も多いのではないでしょうか。またカルトやカルト2世の問題が取り上げられる今、わたしたちは伝統的な教会として、献金で成り立つ教会の活動についても、子どもたちへの次世代の宣教にも、より丁寧な対応と深い配慮、神学的な検証が求められているでしょう。まさに今は教会にとって、先が見えない不安のただ中にあるときではないでしょうか。しかしそのとき、わたしたちは一体誰なのか、そしてその行く先はどなたが備えるのかということをもう一度、確認したいのです。
 この箇所で語られているのは、イスラエルの祖先となったアブラム(のちにアブラハム)が神様の召しを受けて旅立ったということです。今から約4000年前のメソポタミア、現在のイラクのあたりの大都市で裕福な生活をしていたアブラムは、75歳になったとき、それまで知らなかった主なる神様に出会い、この神様を信じ、その言葉にしたがって行き先を知らずに旅立ちます。
 その神様のご計画は、地上の氏族がすべて祝福に入るということでした。この祝福をもたらすためにアブラムは召し出され、そして神様の救いのご計画は、やがて神の子イエス・キリストが来られることへと続き、今、イエス様を信じるわたしたちへと受け継がれています。神の民であるわたしたち教会は、神様の救いのみわざに参与し、その恵みを分かち合い、すべての人に神様の祝福を伝えるために召されています。それはわたしたち教会がアブラムのように、この世の安定や繁栄に頼るのではなく神に召し出された旅の途中にあるということでもあります。現代の教会を取り巻く状況の中で、人間的には先が不安になることもあります。しかしわたしたちの行く先は、神様が「わたしが示す地へ!」と言われるところです。それはわたしたちが、神様を信頼することへ招かれているということです。
 なぜなら、教会は終わりの日、イエス様が再び来られる日まで旅人だからです。その日まで教会は途上にあり、その姿はいつも変わりゆきます。ある時点の姿が永遠に安定した理想的なものであるというわけではありません。つい、かつての教会の姿が懐かしく感じることがあるかもしれませんが、教会とはそもそも変わりゆく存在であるがゆえに、変化を恐れないのです。アブラムは神様の祝福の御計画のため、慣れ親しんだ環境から抜け出さなければなりませんでした。これまで築いた安定した地位に頼るのではなく、神様だけを頼りに彼は出発したのです。地上を旅する神様の教会は、地上では行く先を知らないかもしれません。しかし終わりの日の御国が示されており、その日に教会は完成します。その日まで、わたしたちは神様がこの世を愛しておられるその働きを実際に地域の中で表していく存在であり、祝福のご計画に召し出された者です。
 ですからわたしたちは、それぞれの教会に与えられた神様のご計画を信頼します。神様はいま、この町でわたしたちの教会を通してどんな祝福のご計画をなそうとしておられるのでしょうか。確かにわたしたちは、この世の中では小さく弱い存在かもしれません。しかし自分の力がないからこそ、そこに頼ることができないからこそ、聖霊の力が先立って進みます。小さな存在であるかもしれないけれども、そのような教会の姿にイエス様の十字架の姿が現されていきます。このイエス様の十字架こそが、神様の救いを現したのです。そしてわたしたちは、十字架の道のりが復活へとつながっていることを知っています。ですからわたしたちは、召し出されたそれぞれの場で、神様のご計画を大胆に信頼し、御国をめざし地道に目の前の宣教のわざを今日も果たしていきたいと願います。
「祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。」(一ペトロ3・9c)

23-02-01試練の中で

「人はパンだけで生きるものではない。/神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」
(マタイによる福音書4章4節b)

 教会の暦では、「顕現節」が終わると「四旬節」(受難節)と呼ばれる季節が始まり、歴史的な聖書日課では、この時、イエスが荒れ野で悪魔の試みにあわれたという箇所が読まれてきました。
 これがこの季節に読まれるのは、この誘惑の出来事が、単なる誘惑や試練に打ち勝つということではなく、私たちの生き方全体の問題だからです。
 私たちは、自分の人生や生活をより楽しい方に、出来るなら苦しいことや悲しいことではなく、豊かで、安心して、楽に暮していきたいと願います。しかし、この願いが、実は、私たちに苦しみや悲しみを起こしていることも事実です。だから、イエスの誘惑は、まず、そういう私たち自身の姿と問題をはっきりさせているのです。
 イエスの誘惑は、彼が洗礼を受けてからの出来事であると記されています。私たちで言えば、洗礼を受けてクリスチャンになってからということです。これは大変象徴的です。神を信じて生きるというのは、人生を、本当の意味で深く豊かに生きるということですが、神を信じたから苦しいことがないのではなく、苦難や試練の中でこそ、本当に深く生きる道が開かれることをイエスはここで示されたのです。
 聖書は、ここで三つの誘惑を記しています。その第一は、イエスが40日の断食後に悪魔が来て、「あなたがもし神の子なら、その石ころをパンに変えたら良かろう。そのような力があなたにはあるではないか」と誘ったというのです。これは、断食後の喉から手が出るほど食べ物が欲しい時のことです。しかし、ここで注意深く聖書を読むと、悪魔の誘惑の言葉は、パンを食べることではなく、石をパンに変えることです。つまり、生きることそのものではなく、石をパンに変えるような生き方のことが問題になっているのです。
 その他の誘惑については、誌面の都合上省きますが、これらは誘惑というより、むしろ、私たちが積極的に良いことだと思って求めていることです。少なくとも食べることに困らない生活をし、権力や権威というほどではないにしても、人から良く思われたい、認められたいと思っています。自分がないがしろにされるといって腹を立てることは沢山あります。また、安心して暮したいと願っています。だから、何とかしようとあくせくします。ここで「誘惑や試練」として記されていることは、実は、私たちが普段、願い求めていることです。むしろ、私たちがこちらからそうしてもらいたいと思うようなことばかりです。
 しかし、聖書はこれが誘惑であり試練だと言うのです。
 なぜなら、豊かになり、安心して暮したいがゆえに、そして、他の人に認められたいがゆえに、恐れや不安に捕らわれるからです。
 そこで、イエス・キリストはどうされたかを考えてみましょう。キリストは、ここで単純に神の言葉に依り頼まれています。神の言葉に立つことで、ご自分の生きる姿勢を明確にされました。「人はパンだけで生きるのではなく、神の言葉で生きる。神を試みてはいけない。仕えられるのではなく仕えること。」このイエス・キリストの誘惑への答えは、彼の生涯を見ると、その姿がはっきりしてきます。
 私たちは、無意識に、知らず知らずのうちに、聖書が誘惑として示したことを望んで、大切なものを失い、不安や恐れに駆られて生きているのかもしれません。しかし、私たちは、キリストの言葉を、今日、思い起こしたいと思うのです。
 「私はパンだけで生きるのではなく、神の言葉によって生きる。私は神を試みずに、神に信頼して生きる。私は、人から仕えられることを望むのではなく、人に仕えて生きる」(私訳)。それが、試練の中で苦難や辛さを担って、人生を切り開いて行く時の一つの姿勢であること。そのことを聖書から教えられるのです。私たちは、その神の言葉を聞きながら日々を本当に豊かな思いをもって過ごすことができればと思います。

23-02-01るうてる2023年02月号

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「試練の中で」

学校法人九州学院院長・チャプレン 小副川幸孝

「人はパンだけで生きるものではない。/神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」

(マタイによる福音書4章4節b)

 教会の暦では、「顕現節」が終わると「四旬節」(受難節)と呼ばれる季節が始まり、歴史的な聖書日課では、この時、イエスが荒れ野で悪魔の試みにあわれたという箇所が読まれてきました。
 これがこの季節に読まれるのは、この誘惑の出来事が、単なる誘惑や試練に打ち勝つということではなく、私たちの生き方全体の問題だからです。
 私たちは、自分の人生や生活をより楽しい方に、出来るなら苦しいことや悲しいことではなく、豊かで、安心して、楽に暮していきたいと願います。しかし、この願いが、実は、私たちに苦しみや悲しみを起こしていることも事実です。だから、イエスの誘惑は、まず、そういう私たち自身の姿と問題をはっきりさせているのです。
 イエスの誘惑は、彼が洗礼を受けてからの出来事であると記されています。私たちで言えば、洗礼を受けてクリスチャンになってからということです。これは大変象徴的です。神を信じて生きるというのは、人生を、本当の意味で深く豊かに生きるということですが、神を信じたから苦しいことがないのではなく、苦難や試練の中でこそ、本当に深く生きる道が開かれることをイエスはここで示されたのです。
 聖書は、ここで三つの誘惑を記しています。その第一は、イエスが40日の断食後に悪魔が来て、「あなたがもし神の子なら、その石ころをパンに変えたら良かろう。そのような力があなたにはあるではないか」と誘ったというのです。これは、断食後の喉から手が出るほど食べ物が欲しい時のことです。しかし、ここで注意深く聖書を読むと、悪魔の誘惑の言葉は、パンを食べることではなく、石をパンに変えることです。つまり、生きることそのものではなく、石をパンに変えるような生き方のことが問題になっているのです。
 その他の誘惑については、誌面の都合上省きますが、これらは誘惑というより、むしろ、私たちが積極的に良いことだと思って求めていることです。少なくとも食べることに困らない生活をし、権力や権威というほどではないにしても、人から良く思われたい、認められたいと思っています。自分がないがしろにされるといって腹を立てることは沢山あります。また、安心して暮したいと願っています。だから、何とかしようとあくせくします。ここで「誘惑や試練」として記されていることは、実は、私たちが普段、願い求めていることです。むしろ、私たちがこちらからそうしてもらいたいと思うようなことばかりです。
 しかし、聖書はこれが誘惑であり試練だと言うのです。
 なぜなら、豊かになり、安心して暮したいがゆえに、そして、他の人に認められたいがゆえに、恐れや不安に捕らわれるからです。
 そこで、イエス・キリストはどうされたかを考えてみましょう。キリストは、ここで単純に神の言葉に依り頼まれています。神の言葉に立つことで、ご自分の生きる姿勢を明確にされました。「人はパンだけで生きるのではなく、神の言葉で生きる。神を試みてはいけない。仕えられるのではなく仕えること。」このイエス・キリストの誘惑への答えは、彼の生涯を見ると、その姿がはっきりしてきます。
 私たちは、無意識に、知らず知らずのうちに、聖書が誘惑として示したことを望んで、大切なものを失い、不安や恐れに駆られて生きているのかもしれません。しかし、私たちは、キリストの言葉を、今日、思い起こしたいと思うのです。
 「私はパンだけで生きるのではなく、神の言葉によって生きる。私は神を試みずに、神に信頼して生きる。私は、人から仕えられることを望むのではなく、人に仕えて生きる」(私訳)。それが、試練の中で苦難や辛さを担って、人生を切り開いて行く時の一つの姿勢であること。そのことを聖書から教えられるのです。私たちは、その神の言葉を聞きながら日々を本当に豊かな思いをもって過ごすことができればと思います。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉟「表現されること」

「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。」(一ヨハネ3・18)

 「どいつもこいつも!」
 えっなんで今…私怒られてるの?ちょうど私がもうすぐ手術で入院することを彼女に伝えた時でした。「お大事にね。」とか「大丈夫」ならまだしも「どいつもこいつも」って…彼女の言葉は怒りというか悲しみに満ちていました。そういえば私が病院で彼女に会う少し前に、友達が少ないであろう彼女がお互いの家に行くほど親しかった女性が50代後半で亡くなったばかりで、しかも彼女が亡くなった原因の病気が、私が手術を受ける病気と同じ病気でした。
 私たちの使う言葉ってなんでしょう。伝える方法としての言語を持てない方々や疲れているのに疲れていないよと言う方々。悲しみをこらえて笑う人々。そして彼女のように悲しみながら怒る人。きっと表現されることと心が良い意味でも悪い意味でも裏腹な事が多い時があるんだなぁと思います。
 一人の方の経験されてきた全てをお聞きした時、それは「命のことば」であると感じたことがあります。お一人おひとりは神様からのことばに包まれています。そのことばには裏も表もありません。それは真実であるイエス様です。
 いくら私やあなたが自分から出る言葉で取り繕って誤魔化そうとしたり隠そうとしても、神様から与えられることばは私やあなたに真実を語り包み込んでくださいます。

議長室から 大柴譲治

「ご縁〜事実は小説よりも奇なり」

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」(伝道の書3・11、口語訳)。

 「自分はキリストと出会った仏教徒だ」とはカトリックの押田成人神父の言葉です。そこまで私は言えないのですが個人的に仏教哲学を深く尊敬しています。それは2人の僧侶とご縁があったためです。1人は学生時代の恩師、サンスクリット大家の鎧淳先生(1930〜2015)。東大卒業後に欧州に渡りユネスコの仕事などをしながらオランダで研鑚を積まれました。驚いたことに先生は、欧州でラジオから流れる諸言語が分からないのは悔しいからとすべてマスターしたそうです。私の編入時には東大宗教学科の後輩・清重尚弘学長に紹介の労を取ってくださいました。その合格を喜んだ先生が話してくださったことも驚きでした。最初先生は医学部にいたそうですが、キリスト教の伝道者と出会って「魂の医者」になろうと神学校に入った。しかし結局宗教学科に入り直して仏教を学ぶことになった。引退したらどこか田舎で薬草院を開きたいということでした。友人経由で昨年5月に東神大に調べてもらったところ、確かに1948年の「日本基督教神学専門学校」(翌年東神大に改組)に鎧氏の入学記録はあるけれど卒業記録はないとのこと。インターネットで調べると当時その予科は鷺ノ宮の路帖神学校の地にあったようです。もしそうなら先生と私には不思議な接点があったことになりますね。
 もう1人は私の親族。私の父は大阪吹田の出身ですが、私の従姉妹はスキー場で出会った方と恋に落ちて結婚。お相手は高野山僧侶の後藤太栄さん(1957〜2010)。高野山は弘法大師が1200年前に開いた真言密教の聖地で、太栄さんは高野町長としてユネスコ世界文化遺産登録のため東奔西走(2004年に登録)。私たち家族は2009年8月に西禅院に泊めていただきました。精進料理と美しい庭園が印象に残っています。朝のお勤めに参加後、従姉妹の案内で奥ノ院に祖父母の墓参りをしました。そこで太栄さんが難病ALSであることを知ります。韓国の新薬を頼まれ妻の親族を通して手配することになりました。その冬に御礼を兼ねてむさしの教会にご夫妻で来訪されました。牧師館で伺った志半ばでの「無念です」という太栄さんの言葉が忘れられません。最後に「お参りさせてください」と礼拝堂の聖卓前で祈った後に帰ってゆかれました。翌年10月に遷化。合掌。実はこれには後日談があります。毎年私は上智大学グリーフケア研究所でキリスト教人間学を担当していますが、昨年10月の35名の受講生の中になんとそのお嬢さん、私の従姪がいました。この広い世界でこのような不思議なご縁があるとは…。まことに「事実は小説よりも奇なり」ですね。

「教会讃美歌 増補」 解説

㉜増補15番「恵みの平和を」・増補16番「われらのみ神は 堅い城 力」

石丸潤一(西日本福音ルーテル新田教会牧師)

 「恵みの平和を」は、ラテン語賛美「DA PACEM DOMINE」をルターがドイツ語に訳した賛美です。平和を求める、おだやかな、しかし切なる、祈りの賛美です。
 面白いことに、ルターは、この詩を「Veni redemptor gentium(来ませ、異邦人の救い主よ)」というイエス様のご降誕を賛美する曲に乗せました。「神様の平和は、人となられたイエス・キリストにより、信じる者に来る」、そんなルターの信仰告白を感じます。

 「われらのみ神は 堅い城 力」は、ルーテル教会で最も愛されている賛美でしょう。讃美歌委員会は、とりわけ大切に、慎重に、この賛美に関する作業を進めました。
 楽譜は、《オリジナル》のメロディとリズムを採用したものと、これまで親しんできた4分の4拍子の《四声》の二つを掲載しています。《四声》版は、斉唱のほか、伴奏譜を用いて四声合唱としても賛美できます。
 歌詞は、徳善義和先生の『ルターと賛美歌』を手がかりとし、ルターが作った原詩のエッセンスを生かす日本語訳を目指しました。特に、出だしの部分です。『教会讃美歌』450番では「わが」は「強きやぐら」についていましたが、原詩に忠実に「神」につけ、「われらのみ神」としました。《四声》楽譜の歌詞は、『ルターと賛美歌』に掲載された徳善先生の訳をほぼ採用しています。《オリジナル》楽譜は、徳善師の訳詞をベースとしながら、韻律に合うように委員で歌詞を作成しました。
 より味わい深く、変わらずみなさんに愛されていく賛美となるようにと願います。
 新型コロナウイルスの影響。ウクライナとロシアの戦闘。不安を覚え、心と身体の平安が脅かされる時が長く続いているように思います。
 このような時こそ、私たちは、聖書のみことばを聞き、賛美を口ずさみましょう。「恵みの平和を」は優しく、「われらのみ神は 堅い城 力」は力強く、いかなる時も揺るぎない神様の平和のうちに立ち、歩んでいくようにと、私たちを励ますでしょう。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

ルター聖書翻訳500年記念ウェビナー

 世界各地のルーテル教会では2017年に宗教改革500年を記念して数多くの行事が行われましたが、宗教改革から5年後の1522年、マルティン・ルターは新約聖書をドイツ語に翻訳して出版しました。同年9月に出版されたので9月聖書とも言われます。このときルターは39歳、わずか10週間で仕上げました。2022年はルターの聖書翻訳から500年にあたり、ルーテル世界連盟(LWF)では秋からウェビナー(オンライン上のセミナー)がシリーズで行われています。第1回は東京教会協力牧師のサラ・ヒンリキー・ウィルソン博士が担当しました。もう1人の講師はモロッコのエキュメニズム研究所所長ジーン・クーランニャ博士です。

 ウェビナーが問いかけたテーマは、ルターの新約聖書翻訳が当時の人々と文化にどう影響したか、1世紀のギリシャ語で書かれた聖書テキストが21世紀にも理解されるよう翻訳する際の要点は何か、聖書が多様な言語と文化の人々に伝わるうえで大切なことは何か、などです。

 サラ博士によると「ルターが何か新しいことを始めたというわけではありません」。聖書を自国の言葉に翻訳し出版したのはルターが最初というわけではありません。「けれどもルターの翻訳は、それまでにはみられなかった力を解き放ちました」。「ルターの仕事がうまくいったのにはいつくか理由があります。彼が改革志向の神学者として名が知られていたこと、言語的才能が豊かだったこと、それに活版印刷が進歩して印刷と配布が容易になったのです」。 「ルター個人の業績に注目が集まりがちですが聖書翻訳は彼一人の手柄ではありません。ルターはその後仲間に呼びかけて、共同作業で旧約聖書の翻訳を手がけました。」ルター派は、「まことの神の言葉」としての「聖書のみ」という立場に立ちつつも、聖書は過去2000年間個人や諸派によって様々に解釈されてきたという現実があります。福音書は何世紀にもわたって多くの議論を積み重ね、書き写され編集されて今日に至っています。ルターの時代と同じく「聖書のみ」の教えを保ちつつ、聖書のことばの濫用を防ぐために教会全体が話しあいを積み重ね、知恵と工夫を凝らしてバランスを保つことがこれからの課題です。

 クーランニャ博士はアフリカの諸言語や方言に翻訳する作業について語りました。アフリカの言語が書き言葉ではなく話し言葉を基本とするため、聖書の用語にふさわしい言葉や表現を見いだすうえで技術的に課題があることを指摘しています。「もう一つの難題はアフリカが植民政策の歴史を経ているために、伝統的な言語が消えかかっていることです」。聖書翻訳者たちが直面する真剣な問いは、「(この作業を通して)私が対話するのは誰なのかということです」。

 カメルーンのルーテル教会とモロッコの福音教会の牧師でもあるクーランニャ博士は、カメルーン北部の言語、ディ語への聖書翻訳作業をしています。「御自分の民に語りかける神であるから、神は状況と文化に応じて彼らの言語で語りかけてくださるのです。」「『言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。』(ヨハネ1・14)のですから、言は私たちの言語でも語られるということです。」
「聖書翻訳は文化と言語のルネサンスをもたらします。他国からの文化のフィルターを通すことなく、人々が直接神とみことばにつながることができます。」使徒ペトロが聖霊降臨の際人々に語ったように、「聖霊の約束はあなたとあなたの子孫のためであり、聖書翻訳の作業によって神の愛のメッセージはありとあらゆる言語と文化の人々に届くのです。」

 

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから ⑪NCC東アジアの和解と平和委員会

小泉嗣(熊本教会・玉名教会牧師)

 

 日本キリスト教協議会(NCC―J)の中には、これまでこの紙面で紹介されてきたものも含め、たくさんの委員会が存在します。そしてこの委員会は大きく「宣教・奉仕部門」「神学・宣教部門」「国際部門」「総務部門」のいずれかにわけられており、「東アジアの和解と平和委員会」は「国際部門」に位置します。
 この委員会は「9条世界会議」が設立の契機となった比較的新しい委員会だったと記憶しています。国や宗教、政党を越えて「平和」のために共に集い、祈り、語るために日本において様々な宗派、団体が集められ、NCCとしてその準備に関わり、そこで組織されたのが「東アジアの和解と平和委員会」でした。そして9条世界会議終了後も、東アジアに位置する日本に生きるキリスト者として、東アジアにおけるエキュメニュカルな交流と協力を進めることを通して和解と平和の実現に寄与することを目的として活動しています。
 最近の活動としては、世界教会協議会(WCC)、アジアキリスト教協議会(CCA)に対して、また近隣アジア諸国の教会に対して、積極的に提起を行い、2019年には在日大韓基督教会と共に訪問団を結成し平壌に謝罪の巡礼を実施。2020年7月には日韓両国が和解と平和を成し遂げる本当のパートナーとなることや東アジアの平和を願い「共同の家」を建設することを目標とし発足した「日韓和解と平和プラットフォーム」に主体的に参加しています。また憲法9条や沖縄の非暴力行動、暴力と痛みの歴史の記憶、和解と共生を目指し、2018年11月には「憲法9条とキリスト教」について、2019年2月には「朝鮮学校問題」についての学習会等を開催。最近では2022年11月の「関東大震災朝鮮人虐殺に関する要請文」の提出など、国内における問題提起や啓発などに
も取り組んでいます。
 新型コロナウイルスのパンデミックによって露呈した経済グローバリズムの脆弱性の中で、改めて「手と手」を取り合い、協力し、支え合い、祈りあうことによって「平和」を目指す働きの大切さを実感しています。
 みなさまの変わらぬお祈りとお支え、連帯をお願いいたします。

西中国地区るうてる 秋の大会・2022報告

平岡博(シオン教会)

 

 2022年11月3日(木・休)その日は雲一つない晴天であった。西中国地区4教会(シオン・宇部・厚狭・下関)から約40人が宇部教会に集まり、るうてる秋の大会が開催された。実に3年ぶり、感染対策をとり午前のみの開催であった。
 合同礼拝(聖餐式)は、司式中島共生牧師、説教水原一郎牧師、奏楽阿部勝さんで行われた。聖書は詩編42編1〜12節、「枯れた谷に鹿が水を求めるように神よ、私の魂はあなたを求める」で始まる箇所であった。この3年間乾いていた私たちの魂が、主によって満たされていく瞬間を感じ、「鹿のように」の賛美歌を歌った。
 礼拝、聖餐式に引き続き、社会委員会の佐伯里英子さんから、京都府「ウトロ地区」の戦後忘れ去られた在日韓国・朝鮮人の集落のお話を伺い、その悲惨さに驚き、またそれを克服して再生された話に心動かされた。また平岡より、本日の礼拝が「ルーテル学院・神学校」を覚える礼拝であったことに深く感謝し、短くアピールさせていただいた。写真の献金箱はシオン教会大工のFさん手作りで、この度シオン教会だけではなく、西中国地区の各教会に設置されることになった。たくさんの小さな思いが、大きな支えとなりますように祈ります。
 集会が終わって、反対側の隅に座っておられるMさんに気付いた。Mさんとは実に10年ぶりの再会であった。「Mさん、平岡です。覚えちょる?」と話しかけると「当たり前だわね。私らは、あなたたち家族が宇部からおらんようになって本当に寂しかったんよ。T君元気?」と長男の名前を呼んでくださった。この時、胸に熱いものがこみ上げてくるのを抑えきれなかった。視覚障害のある彼女は、私たち家族を昨日のことのように覚えていてくれた。ああ、主は集うことをよしとされている。3年前には集うことが当たり前と思っていた私たちはそれを忘れていた。
 主が与えたもう、貴重な秋の一日を感謝します。

北海道特別教区「秋の集い」報告

太田満里子(恵み野教会)

  

 コロナ禍が収まらない中、教区としての行事を前回好評だった「春の集い」に倣って、2022年度は「秋の集い」として行いました。
 11月3日(木・休)10時30分~12時まで、参加者48名。テーマは、教区の2022年度の主題である「慈しみの主への賛美はわたしたちの希望の歌」から、教区にある信仰の仲間と共に主を賛美しようというものでした。「春の集い」同様、教会堂からはオンラインで、個人ではZoomでとハイブリットでの集いでした。全体を合同礼拝とし、新式文と讃美歌増補版を使用するという試みでした。この日を迎える為に、各教会では新式文の学びを増補版作成に携わった日笠山吉之牧師からご指導を頂き準備しました。準備の甲斐あって、当日はスムーズに行なうことができました。
 礼拝を前後半に分け、前半は小泉基教区長による説教を頂き、テーマをかみしめることができました。中間には、分かち合いの時として、1グループ4~5名に分かれ、オンラインで繋がれ、普段会うことのない他教会の方々と交わりを持つことができました。教会堂に集まった方々はその場で行いました。分かち合いの時間には、各々好きな賛美歌を持ち寄り、その理由を説明し、分かち合い、最後に各々が挙げた賛美歌を声を合わせて歌いました。多少のタイムラグはなんのその、自分たちの大きな声でなんの不都合もなく賛美することができました。初めてお会いする方とも賛美歌を共有することにより、主によって一つに結ばれているという喜びを感じました。
 分かち合いの時間の後は、再び全員での礼拝に戻り、閉会礼拝となりました。増補版の新しい賛美歌を全員で賛美できたのも喜びでした。コロナ禍で教区として、一堂に会しての集まりができない中、オンラインにより教区にある信仰の仲間と繋がれ、時間が足りないと思うほど交わりの恵みと喜びを感じる集いとなりました。

第4回神学校オープンセミナリー報告

河田優(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校チャプレン)

 

  11月13(日)、「第4回神学校オープンセミナリー」がオンラインで開催されました。教会や関連施設での献身を考えている人たちに神学校を紹介し、また参加者が互いに出会い、共に祈りあう機会をもつことを目的とします。本年度の参加者は7名でした。
 プログラムの第1部では、神学教育委員長の李明生牧師が開会礼拝で「召命」について語り、その後、互いの自己紹介がなされました。模擬講義では、旧統一教会の「原理講論」と聖書が比較され、聖書をしっかりと読む(全体を通して、深く読む)ことを学びました。
 第2部では教員や神学教育委員は外れ、JELCの森下真帆牧師とNRKの笠原光見牧師、そして神学生が加わりました。神学校での学びや牧師の働きについて質問が投げかけられ、また召命についてそれぞれの思いが交わされました。将来に向けて思いを同じくする者同士が語り合うことによって、互いに励まされ、力づけられたことでしょう。最後は神学生による閉会礼拝でプログラムを閉じました。
 これからも教会や関連施設への献身を考える者が一人でも多く与えられ、その思いが教会の思いと重なり、主の働き手として主の望まれる場所へと送り出されることを願います。

『神学校オープンセミナリーに参加して』

深町創太(箱崎教会)

 

  はじめて参加したセミナリー、2部構成のプログラムは第1部が開会礼拝に始まり、参加者紹介を経てミニ講義を受講した。今年の講義は河田先生による「聖書と統一教会原理」という内容で行われた。私たちが読んでいる聖書をどのように読み、解釈するのか?私たちもまた、自分達の都合の良いように聖書の言葉を利用してはいないか?福音とはなにか?講義を通して投げかけられているように感じた。しばらくの休憩の後、行われた第2部では神学生の方々の進行のもと、より学校生活や学びに対して重点をおいた質問や思いの分かち合いの時間を持ち、閉会礼拝を持ってプログラムを終えた。両プログラムを通して私が問われていると感じたのは「召命」である。一人のキリスト者として、そして献身について少しでも興味がある者として私はなにをすべきか、なにを求められているのか考えながら生きなければならず、また同時に私たちが考えてできる事、神様の求めだと信じて行うことも人の判断である事を忘れることなく、一切を委ねて神と人とに仕えたい。

「神学校の夕べ ─主の召しに応えて─」(オンライン)

 
 

 2023年2月26日(日)
説教:
立山忠浩神学校校長
司式補佐:神学生
ルーテル学院聖歌隊奉唱・ハンドベル演奏

 一人ひとりがキリスト者として主の召しに応える道を願い求め、皆で祈りを合わせます。
 17時からライブ配信を行います。
 視聴方法については後日ご案内いたします。

甲信地区一日神学校報告報告

野口和音(松本教会・長野教会牧師)

 

 甲信地区では毎年11月23日に甲信地区5教会が集まり、学びと交わりの時を過ごす信徒の集い「甲信地区一日神学校」を行っています。近年はコロナ禍の影響もあり、オンラインと教会に集う形でのハイブリットな開催となっています。2022年度は21名の方々にご参加いただきました。プログラムとしては信徒の求めに応じた学びの機会となるよう、甲信地区宣教協議会にて協議の上、講師の方をお招きしています。
 開会礼拝では、甲信地区担当常議員の佐藤和宏牧師の説教により、御言葉を分かち合いました。それに続き、ルーテル学院大学の教授である原島博先生より「〝生かし生かされる〟国際協力」と題した講義をしていただき、学びを深めました。ロシアとウクライナによる戦争など混乱する世界情勢の中、難民問題や国際協力のあり方を概観することから始まり、そこにある課題やルーテル教会がどのような働きを担っているのかを知ることで、新たな気づきや示唆を与えられました。講義後は甲信地区女性会の集いの時間として、今年度の担当教会である松本教会女性会から活動報告が行われました。そして最後に各教会の参加者のご紹介と近況報告を分かち合うことができました。
 長く続くコロナ禍に、甲信地区一日神学校でも以前のように集えなくなったり、出来なくなったことも多くあります。しかしそのような中でも、今できることは何か?と模索し続けていく大切さに改めて気付かされました。それは教会がこれまで続けてきた宣教の精神でもあります。「福音のためなら、わたしはどんなことでもします(一コリ9・23)」というパウロの言葉に立たされる思いです。距離は離れていようとも、各教会が互いにおぼえ、祈り、支え合いながら、これからも神様から委ねられた宣教と愛のわざに一人ひとりが仕えてまいりたいと思います。

2022年度「連帯献金」報告

  

 2022年度も多くの方々から「連帯献金」に支援を頂きました。
感謝して報告いたします。(敬称略・順不同、
複数回の献金もまとめての報告となります。)

   

■ブラジル伝道 25,000円
箱崎教会女性の会、東教区女性会

■ウクライナ人道支援 9,641,798円
大柴譲治、林雄治、タチバナサトシ、社)わかちあいプロジェクト基金、松本義宣、宮澤重徳・アマリア・輝雄、久留米教会、オオタキナオト、シンタニミサエ岸根義尚、ホソミサチコ・ノリカ、久保陽司、長谷義隆、イシモリトシユキ、藤本誠、神山伸夫、八幡真・潔子、白浜恵美子、鴨下和子、白浜真実、カワハシアイ、河野文豊・悦子、川﨑昌弘、松浦雪子、石川惠子、特別養護老人ホームディアコニア、竹内輝、江﨑啓子、丸山瑞穂、阿久根教会、犬塚協太、梅村亜恵、宮武晴昭、鈴木浩之、金田貴子、木原伊都子、岡田光穂、フジタヤスヒロ、四戸大地・二予、石井千賀子、名倉マミ、木邨仁代、西田一郎、西沢喜代美、望月隆延、本田裕子、連下千歳、佐藤昌代、雪ケ谷教会、谷口和恵、尾﨑瑞穂、小鞠須美代、伊藤美代子、佐藤義夫・福子、齋藤忠碩・惠、飯田教会、長谷川勝義、柳基相、斎藤覚・惠、森由美子、大森教会、シオン教会柳井礼拝所、岡林光志、岩田茂子、恵泉幼稚園、大牟田教会、坪本告子、近藤義之、小松康宏、オカオサム、山口和春、山中さなえ、平山新、福岡西教会、小田原教会、博多教会、穐山美也子、武村協、健軍教会灰の水曜日礼拝、鴫村真紀子、渡邉幸子、杉山準規、杉山雅子、曽武川栄一、大林惠子、秋吉亮・英理子、熊本教会有志、倉田亜紀、マツムラノリコ、日田教会、コグレマユミ、京都教会、岡崎教会、若林宏子、函館教会、小城ルーテルこども園、上原和子、川口恭子、知多教会、小林勝、佐藤紘一郎・重子、シオン教会徳山礼拝所・防府礼拝所・歌声、なごや希望教会、大江教会、南谷なほみ、杉山文隆、箕輪久子、小石川教会、唐津ルーテルこども園、玉名教会、平林洋子、市ヶ谷教会壮年会、稔台教会、ホウシマヤキヨコ、盛田義彦、竹川直子、アダチトモコ、太田泰子、聖パウロ教会教会学校、田園調布教会、松田繫雄、佐賀教会・小城教会・唐津教会、加藤俊輔・文代、保谷教会、牛津ルーテルこども園、珍部千鳥、日田ルーテルこども園、山之内正俊、西条教会、大野裕子、大野一郎、名古屋めぐみ教会、市吉伸行、土師智美、むさしの教会、HAGIWARA NOBUHISA、浜名教会、長崎教会、小倉教会・直方教会、千葉教会、北九州地区婦人会、藤田光江、大岡山教会、磯田一雄、恵み野教会、室園教会、甘木教会、松本佳子、東京教会、別府教会、浜松教会、小鹿教会、湯河原教会、藤が丘教会、高蔵寺教会、石田宏美、岐阜教会、安恒輝子、荒尾教会、大岡山教会教会学校、八幡教会、原口恵子、箱崎教会、沼津教会、神水教会、市ヶ谷教会、髙津和子、諏訪教会、東京池袋教会、松橋教会、岩永知樹チェロコンサート、札幌教会、大垣教会、聖ペテロ教会、厚狭教会、松江教会、大分教会、大林由紀、静岡教会、羽村教会、津田沼教会、神戸教会、甲府教会、村松良夫、大黒環、修学院教会、復活教会、聖パウロ教会、大阪教会、都南教会、神戸東教会、帯広教会、賀茂川教会、熊本教会、宇部教会、下関教会、板橋教会、豊中教会、日吉教会、宮崎教会、天王寺教会、蒲田教会、八王子教会、角丸智美、西宮教会、三鷹教会、岡山教会、三原教会、栄光教会、結縁美都子、市川教会、横浜教会、小岩教会、湯河原教会女性会、松本教会、金城学院ハープアンサンブル部(復活教会)、復活教会コンサート席上献金、島崎幸恵、高蔵寺教会教会学校、安藤淑子、東教区宗教改革祈念礼拝、福岡市民クリスマス実行委員会、小岩ルーテル保育園、高蔵寺教会るうてるフェスタ、高蔵寺教会CSクリスマス、蒲田ルーテル幼稚園

釜ヶ崎活動(喜望の家) 50,000円
市ヶ谷教会

世界宣教(無指定) 282,044円
シオン教会柳井礼拝所、神水教会、スズキヘイワ、出口洋子、博多教会、松本教会、湯河原教会、箱崎教会(らぶぴコンサート席上献金)、都留敬子、河村益代、千葉教会、めばえ幼稚園、大垣教会

 今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓に苦しむ方々に連帯したいと祈り願います。「連帯献金」をお捧げくださる際には、それぞれの献金目的[ブラジル伝道][メコンミッション][災害被災者支援][ウクライナ人道支援][釜ヶ崎活動(喜望の家)][世界宣教]を郵便振替用紙に明記頂き、下記の郵便振替口座にご送金ください。
郵便振替 00190−7−71734
加入者名 (宗)日本福音ルーテル教会

23-01-01るうてる2023年01月号

機関紙PDF

「みことばは、私の道の光です」

日本福音ルーテルむさしの教会・八王子教会牧師 浅野直樹Jr.

「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯」

(詩編119編105節)

  私がこのみ言葉と最初に出会ったのは十代の頃、新改訳聖書ででした。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。一目で気に入りました。
 恥ずかしながら、私は暗闇が怖いのです。それは、少年の頃の原体験にもよるのでしょう。私が住んでいたところは、村内に信号機が一つしかないような、いわゆる「ど田舎」でした。当然、街灯も少なく、夜は真っ暗です。小学生の頃、少し離れた小さな町の剣道教室に通っていたことがありました。帰りは日が暮れ、一人バスに乗って帰りました。同じバス停で降りる人はいません。たった一人で、暗い道を家まで歩いていかなければなりません。重い防具を背負って。当時は、数十メートルおきにしか街灯はありませんでした。街灯と街灯の間は真っ暗。おまけに、途中にはお墓までありました。そんな怖さを紛らわすために少しばかり声を大きくして歌を歌いながら、街灯から街灯へと猛ダッシュを繰り返したものです。さすがに家の側まで来ると明るかったので、それがどれほどの安心感を与えたことか。そんな経験があるせいか、「光」という言葉に惹かれるのかもしれません。
 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。このみ言葉は、単にお気に入りだけでなく、私を支える言葉となりました。しかし、本当にその通りだったのでしょうか。少年時代、青年時代、壮年時代、人間関係においても、家族関係においても、仕事においても、また自分自身とにおいても、辛くて、悲しくて、苦しい、暗闇の中にいるとしか思えないような出来事が度々あった。そんな時、本当に暗闇を照らす光となってくれていたのか。むしろ、祈っても叫んでも答えられずに、神さまは本当におられるのか、と意気消沈してしまっていたのではなかったか。本当にそんな時に、み言葉が助けに、力になっていたのだろうか。そうも思うからです。
 確かに、そうです。私自身、そんな体験を積み重ねてきました。しかし、それでも、やはりみ言葉は、「私の足のともしび、私の道の光」だったと思うのです。それは、み言葉の一言一句とは限らなかったのかもしれません。細々と積み重ねて内実化されたみ言葉のエッセンスと言えるのかもしれません。しかし、いずれにしても、それらが私たちの重要な、決定的な決断を導き最悪の状態を回避したり、自分だけでは見出すことができなかった気付きを与えてくれたり、予想だにしなかった未来を掴むことができたり、諦めずに希望を見出すことが出来たのではなかったか。いちいち、あのみ言葉が、このみ言葉が、と意識することはなかったかも知れませんが、確かにみ言葉が私たちの内に働いて、私たちを守り、支え、慰め、力づけ、導いてくれていたのではなかったか。その結果として、今の私たちがいる(在る)のではないか。そう思うのです。
 脅すつもりはありませんが、今年も何が起こるか分かりません。戦後日本は比較的平穏な中を歩んで来ることが出来たと思いますが、国内においても、また世界においても、経済格差の問題、安全保障の問題、気候変動の問題など、喫緊の課題が溢れています。私たちも一市民として、自分達に出来ることで励んでいく必要があるでしょう。しかし、その前に原点を確認したいと思うのです。古くて新しい原点を。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。こんなことがおとぎ話のように思えるような時代だからこそ、その力に、確かさに、立ち返りたいと思う。そして、宣教によって、この経験を私たちだけのものとするのではなくて、より多くの人々の経験となっていけるように励みたいと思っています。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉞「包まれて」

「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし/我々を打たれたが、傷を包んでくださる。」(ホセア6・1)

 「あれ、もうこんな季節か。」花の香りが運ばれてくる。
 他の部屋に行く。ふわぁーっと花の香りがいっぱいだ。窓も開けていないのにどこから入ってきたんだろう。
 ふっと、イエス様の香りってこのようなものなのかなと思うと同時に、このような話を思い出しました。「光をプラスチックや鉄板でぴっちり塞ぐと光は全く周りに漏れないかもしれないけど、光を手で囲むと、どんなにぴっちり囲もうとしても光が漏れるように、私たちが完璧ではないところからもイエス様の光が周りに漏れているんだよ。」と言う言葉でした。
 イエス様の香りって光でもあるのかなぁって、ぼーっと考えてました。
 私はうまく上が向けないので、木のように上で花が咲いているのかいないのかをうまく目では確認できませんが、その花の香りがしたり、土の上に広がってる花びらを見て、「あっあの花が咲く季節が来たんだな」って思います。
 私が働かせていただいていた施設には《匂いの散歩道》と言う道があり、目で確認できない方々でも季節がわかるように、季節ごとに咲く花の匂いがする木々が植えてあり、私はその道を車椅子をこぎながらゆっくり散歩するのが好きでした。
 私たちはイエス様の香りの中にいます。だからいつでも光や愛を感じることができます。

議長室から 大柴譲治

我ここに立つ〜Sola Scriptura

「静まれ、私こそが神であると知れ。」(詩編46・11)

 新年おめでとうございます。主の新しい年が始まりました。天よりの祝福を祈りつつ、ご挨拶させていただきます。
 新年に示された聖句は表記のみ言です。英語で言えば〝Be still, and know that I am God.〟(46・10、RSV)〝still〟とは動きのない制止状態、静寂の状態を指しています。嵐の中でも舟で安らっておられた主の姿を想起します(マタイ8・24)。そこには父と子との完全な信頼関係がありました。
 詩編46編はこう始まります。「神は我らの逃れ場、我らの力。/苦難の時の傍らの助け。/それゆえ私たちは恐れない。/地が揺らぎ/山々が崩れ落ち、海の中に移るとも。/その水が騷ぎ、沸き返り/その高ぶる様に山々が震えるとも。」(1〜4節)疫病や戦争、天変地異の中にあっても私たちはどこまでも神のみ言に依り頼みます。聖書は告げます。「草は枯れ、花はしぼむ。しかし、私たちの神の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ40・8)。主も言われます。「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」(マタイ24・35)。
 ルター作曲の「ちからなる神はわが強きやぐら」(教会讃美歌450番)は詩編46編に基づいています。その2節には詩編には出てこない主の名が刻まれています。「いかで頼むべきわが弱きちから。我を勝たしむる強きささえあり。そはたれぞや。我らのため戦いたもう、イエス・キリスト、万軍の主なる神」。これはルター自身の信仰告白でした。生ける「神の言」である主が片時も離れずに自分と共にいてくださる。そのような主の現臨がルターを捉えて放さなかったのです。
 この新しい年はどのような年となるでしょうか。先は見通せません。しかしどのような一年となるとしても私たちは知っています、主が共にいますことを。主のみ言と主との信頼関係はとこしえに揺らぐことはありません。イエスが十字架上で「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれた時にも、父と子の信頼関係は揺らぐことがありませんでした(マタイ27・46)。だからこそ私たちは静まって主こそ神であることを知ることができる。真実の信仰に生きる者は強い。困難に打ち倒されても神のみ言によって繰り返し再起してゆくことができる。パウロと共にこう告白したいのです。「私たちは、四方から苦難を受けても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、迫害されても見捨てられず、倒されても滅びません」(2コリント4・8〜9)。在主。
※文中の聖句は全て聖書協会共同訳より引用。

「教会讃美歌 増補」 解説

㉛増補13番「新しい歌を」・増補14番「おろかものは言う」

増補13番「新しい歌を」

 1523年8月、ルターの元に、アントワープのアウグスティヌス隠修修道会士2人が、宗教改革に共鳴したかどでブリュッセルで異端として火刑に処せられたとのニュースが入りました。彼の出身修道会の兄弟が、宗教改革の信仰告白の故に殉教した出来事を直ちにバラード(物語詩)にし、恐らく自分で作曲したのがこの歌です。最初は10節だった歌詞は、後に2節が追加され(増補版9、10節)、計12節の「殉教バラード」となりました。
 1529年出版のルター編による賛美歌集では、カテキズム(教理)歌群の結びに置かれました。つまり、カテキズム賛美歌が歌う信仰告白を貫くことは、殉教をも辞さないということになる、という決意表明だということなのです。
 この歌は、結びの部分(1節の最後「神の賜物」)が2種類の旋律で歌われていて、ここで採用した旋律で1~11まで歌い、もう一つの方で最終節を歌ったと推測されています。この歌集では、ルターが最後に監修した「バプスト賛美歌集」(1545年)の旋律を採用しました。会衆歌ではなくバラードだとして、現在の歌集には納められなくなっていますが、厳しい宗教改革時代の肉声が込められていて興味深い内容です。

増補14番「おろかものは言う」

 ルターによる、詩編14編に基づくパラフレーズ(聖書の言葉を自由に置き換え、内容を展開したもの)で、成立は1523年の終り頃です。1523/4年のニュルンベルクで出た歌集「八曲集」に載りましたが、別の旋律で歌われたようです。1524年の「エルフルト・エンキリディオン」では、「教会讃美歌」141番の旋律で掲載されました(それでも歌えます!)。同じく1524年のヨハン・ヴァルターの「合唱賛美歌集」では、彼の作曲によるこの増補版の旋律で掲載され、その後、この曲で歌われるようになりました。また、この増補版12番「喜べ教会よ」の旋律で歌われたとの記録もあり(そちらでも歌えます!)、ただ神にのみ従い、悔い改めと義認の信仰の歌うこの詩編歌は、よく歌われたものだと思われます。
 前述のように、賛美歌は、当時は様々な旋律で歌われるのが一般的でしたので、私たちもそれらの別の旋律で歌ってみるのも一興かと思います。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)

COP27・タラノア宗教者対話

 「私たちの責務は信仰に基づいています。」ルーテル世界連盟(LWF)加盟教会のリバープレート福音教会のロマリオ・ドーマン氏は言います。「神が創造した世界の管理人である私たちは、オーナーではなくお世話係なのです。」COP27開催の前夜に開かれたタラノア宗教者間対話のパネルでドーマン氏はLWFを代表してそのように語りました。
 タラノア対話とはフィジーの先住民による問題解決法のこと。COP23でフィジーが議長国となった際に、課題に取り組む方法として採用されました。私たちはどこにいるか、どこに行きたいのか、どうやってそこへ行くのかといった問いを参加者たちに投げかけて共同作業を行います。COP27前夜もこの手法を用いて数々の宗教代表者たちが集まり、自由に意見を述べ合うことができました。
「危機に瀕している今はパスポートとか年齢といった普段のくくり方は意味をなしません。大切なことは最も影響を受けやすい人々、つまり最も苦しんでいる人の側に立つことです。」とドーマン氏。
 COP27の開催地エジプトのシャルム・エル・シェイクにあるコプト正教会、ヘブンリ・カテドラル教会の修道士アンドロエス・サミルさんは「アフリカのCOPへようこそ」と歓迎し、「COP27で人類と地球全体のための解決策を見つけることが願いです」と述べました。
 気候行動ネットワーク(ACN)のハジト・シン氏は、気候正義と気候ファイナンスを関連付けることを強調しました。「経済的に豊かな国は気候ファイナンスのためのシェア分を公平に負担しておらず、温室効果ガスの削減が十分にできていないところに問題があります。」
 全アフリカ教会協議会(AACC)と気候変動のためのアフリカ信仰者ネットワーク代表のティベブ氏は、信仰者の行動が気候正義の呼びかけに重要な役割を果たすべきと訴えます。「草の根レベルにいる私たちには、地球全体で温室効果ガスを削減することが死活問題なのです。信仰者間あるいはコミュニティレベルで力を合わせれば変えられます。」
「気候変動をどこまで抑えられるかは、私たち自身がどれだけ変わることができるかです」とブラマ・クマリス代表のモーリーン・グッドマン氏。「霊的なエネルギーがパワーと回復力の源であり、将来はその力が益々必要となります。」また暴力と支配の連鎖を奉仕と尊敬へと切り替え変えるべきだと、非暴力の重要性を訴えました。
「信仰者である私たちは、経済や政治の力をもつ人と関わっていくべき大きな責任があります。」カリミ・キノティ氏(クリスチャンエイド)。彼女はまたタラノア対話が「主流では聞きにくい声を集める場になる」と言います。
 オーストラリア先住民の聖職者レイモンド・ミニエコン氏は、自分たちの民族の先祖の知恵に言及して言いました。「適応、緩和、実施、これを私たちはやってきました。もう一度やりたいです、母なる大地のために」。
 パネルトークのあと出席者たちは対面とオンラインによる分科会で話し合いをしました。タラノア対話では最後に、異なる信仰者たちが互いに祈りあい、歌を歌い、各伝統に従って振り返りをしました。LWFのチャド・リマー牧師は箴言8章を引用して、「地球の生命を造りそれを支える知恵、これこそ私たちが探し求めている知恵です。この知恵はあらゆる信仰者が平等で平和な未来へ希望をもって共に旅をすることを呼びかけています。」

 

(COP27は11月6日から18日にかけてエジプトのシャルム・エル・シェイクで行われました。LWFは気候変動対策活動を重要な取り組み課題ととらえ、あらゆるレベルでアドボカシー活動を続けています。COP27ではLWFのユースが活躍しました。)

 

※詳細についてはWEBサイトをご参考ください。

エキュメニカルな交わりから ⑩NCC「障害者」と教会問題委員会

小勝奈保子(聖パウロ教会牧師)

 

 日本キリスト教協議会(NCC)「障害者」と教会問題委員会の主催による「障がい者週間」の集い(Zoom)が、11月19日にあり、日高馨輔委員長(日本聖公会退職執事)による〈「障がい者週間」の祈り〉をもって始められました。
「神さま、私達みながイエス・キリストの体である教会の交わりに共に招かれていることを感謝致します。あなたから計り知れない命の恵みを与えられながら、差別し合ったり、偏見をもって互いを受け入れることができずにいます。権力や武力などの強さに頼り、経済優先の考え方によって人間の価値を決める社会や教育、偏見やゆがんだ習慣を作りだしてしまっている罪をお赦しください。どうか私達があなたのみ言葉に従い、声なき声にも真に耳を傾け、互いに聴き合い、差別のない社会を作り出してゆくことができますように。知恵と勇気と信仰をお与えください。ことに『障がい』を負う人々と共にイエス・キリストの和解と平和の福音を伝え、全ての人々が生きる喜びを見出すことのできる社会を作って行くことができますように。私達の主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。」
 第1部は、吉岡卓さんのお話です(障がいを負う人々・子どもたちと共に歩むネットワーク副代表)。吉岡さんは、先天性の身体障がいをお持ちで、日本ルーテル神学校に在籍されていたこともありましたが、30代後半に複雑性PTSDを発症されました。今までの苦闘と葛藤についてお話くださいました。10代の頃のお話でしたが、普通学級から養護学校へ行くようになった時に、通学バスに乗ることが恥ずかしくて、窓から身を隠してしまう自分に気づき、自分の中にも障がい者に対する差別意識があるということに大変悩まれたそうです。差別されるのは嫌だし、差別はいけないとは分かっていても、自分の中にも、人を差別してしまう気持ちがある、この人間の内にある二面性は拭えず、生涯持ち続けながら人間は生きるものではないか、というお話でした。
 確かに、私の内にもそのような二面性があります。そして、人と自分とを比べて劣等感や優越感、私たちは様々な感情を心に抱きます。自分の内に潜む差別や偏見を知ることはとても大切なことですが、それと共に、その自分を包んで癒し、新しい人へ創り変える救い主を私たちは共に必要としています。

社会委員会・京都府宇治市ウトロ地区フィールドワーク報告

高田敏尚(修学院教会)

 

 社会委員会が10月11日に行った報告です。これまで、オンライン(Zoom)での会議が続いていましたが、やっと対面でそれも野外で行うことができました。この成果をみなさんにお伝えしたいと思います。
 ウトロ、奇妙に思える地名ですが、ここは戦前、京都飛行場を作るために集められた在日韓国・朝鮮人の集落です。戦後、何の支援もない中、自ら生活基盤を整えながらの居住が続きました。しかし80年代末、新たな地権者から立ち退きを請求されることとなりました。この地に住み続けることを求める住民達は、裁判をおこし、30年にわたる取り組みの結果として引き続き住むことを認められました。その間に、日本の市民や韓国政府からの大きな支援がありました。この記録を残し、未来につなげるために建てられたのが「ウトロ平和祈念館」です。ここには、資料や当時の暮らしを再現した展示などがあり、副館長の金秀煥さんに説明していただきました。
 みなさんは覚えておられますか。このウトロで2021年の8月に放火事件があったことを。「韓国人に悪い感情をもっている」と主張する若者が火をつけました。この記念館のそばにその焼け跡は今も痛々しく残っています。最悪のヘイトクライムといえるでしょう。「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。」(2コリント5・18)このことが実現する未来を祈念するばかりです。
 京都、近鉄奈良線の伊勢田駅から西へ徒歩10分、機会があればぜひ訪れてください。ウトロという地名の由来もわかります。今回のフィールドワークは、社会委員全員と、先日の入管法問題学習会で講師をしていただいた佐藤信行さん(在日韓国人問題研究所)をはじめ総勢11人で行いました。ルーテル教会で、そして教派を超えて、自分と異なる他者への関心を深めていきたいものです。

東教区宗教改革日合同礼拝報告

佐藤和宏(藤が丘教会牧師・東教区伝道奉仕部長)

  

 10月31日、3年ぶりに、市ヶ谷教会に集まっての礼拝となりました。会衆は73名。以前と同じような人数というわけにはいきませんでしたが、「集まる」ことの大切さとその喜びを改めて感謝する機会となりました。
 第1部の礼拝において、新式文を用い、すべて唱える形で進められました。また今回の礼拝では聖餐式を断念いたしました。説教者には、日本ルーテル教団副議長の梁熙梅牧師(鵠沼めぐみルーテル教会)をお迎えしました。「光は闇の中に」と題して、マタイによる福音書からみ言葉が語られました。ご自身の体験談には会場から思わず笑いが起こるなど、温かいお人柄が見てとれました。司式者には、今夏副教区長に選出された、内藤文子牧師(小岩教会)、神学生も在京している3名が、奉仕してくださいました。思うように活動が出来なかった東教区聖歌隊も、一般募集に応えた方々を加えての賛美は迫力あるものでした。この他にも、たくさんの方々の奉仕と祈りに支えられて、無事に終えることができました。
 第2部は、教区長(松岡俊一郎牧師)の挨拶に続いて、礼拝献金の授与が恒例になっています。この日の献金は「ルーテル学院大学・神学校」と「連帯献金(ウクライナ支援)」に二分され、それぞれに授与されました。石居基夫学長と立山忠浩校長、滝田浩之事務局長が受け取り、それぞれ挨拶をされました。その際、3名の神学生にも前に出て、自己紹介をしてもらいました。コロナ禍にあって、神学生に会う機会もないまま過ごしてきましたから、実際に会い、声を聞くことの中に、喜びを見出しました。
 すべて終了した後は、再会を喜び合う輪が、爆発したようにあちらこちらに出来、誰もがその場を去り難い思いを抱いているようにみえました。初めから終わりまで、集まることの喜びが詰まった時間を過ごしました。

第28期第20回常議員会報告

事務局長 滝田浩之

 

 11月14日(月)に開催された標記の件、ご報告いたします。

(1)第29回・30回
  定期総会の件
 第29回・第30回定期総会の同日程での開催については、2023年5月3〜5日(水〜金)に宣教百年記念東京会堂(東京教会)で対面にて開催することを確認しました。もちろん今後、COVID-19感染拡大の中でウイルスの強毒化等、不測の事態があれば再延期もあり得ますが、現段階では参集しての開催を準備していくことになります。なお新選挙システムの導入により技術的には1泊2日の開催は不可能ではないものの、5年ぶりの参集での開催であり、COVID-19下での宣教の苦悩を分かち合い、十分にフロアーからのご意見を頂くために2泊3日での開催としました。また日本同盟基督教団の大杉至牧師よりハラスメントについてのご講演を頂く予定です。総会負担金につきましては、すでに2020年に徴収済みとなっています。
(2)第31回
  定期総会の件
 来年に第29回・30回定期総会が開催された場合、第31回定期総会については2023年の2年後となる2025年の開催とすることを来年の定期総会において第4号議案として提案することを確認しました。教憲・教規において定期総会は2年に1度開催するとなっていることを鑑み、来年の総会を基点としてこれまで延期を繰り返してきた総会開催について正常化をはかるためです。また常議員の任期にあわせて2024年に連続して開催するという考え方もありますが、個々の教会の負担になること、また総会の正常化に合わせて、ここで新たな任期から始まる執行部を選出することが肝要と判断しての提案となります。この議案を議長報告の前に行うことによって、これが総会において承認された場合、現議長、副議長、事務局長については3期を超えて同一役職についてはならない(日本福音ルーテル教会規則第50条)に従い任期満了となります。よって議長報告の後に行われる総会選出常議員選挙では、それぞれ同一役職については被選挙権を持たないことを確認しているところです。

(3)協力金、教職給の件
 来年の協力金については現行8%としているところを10%に戻すのではなく9%とすることを確認しました。感染拡大の状況の中に引き続き個々の教会が置かれていること、同時に教会活動も様々な工夫の中で進められていることを加味しての判断となりました。教区活動、本教会活動については引き続き財政均衡を睨みながら運営されていくことになります。ご理解をお願い申し上げます。
 教職給につきましては18年間ベースアップが行われていないこと、昨今の急激なインフレを加味して0・5%のベースアップとすることを確認しました。この18年間で社会保険関係の支払いは増加し可処分所得が減少しています。月30万円の俸給の方で定期昇給を除いて月1500円、年2万5千円の昇給となります。教職給は生活給であることをご理解頂き、個々の教会のご協力をお願い申し上げます。
 以上、詳しくは常議員会議事録にて確認をお願い申し上げます。

熊本地区宗教改革合同礼拝報告

安井宣生(熊本地区宣教会議議長担当教会・健軍教会牧師)

  

 10月30日(日)、建築から98年となる、登録有形文化財でもある九州学院のブラウン記念礼拝堂にて、熊本地区宗教改革合同礼拝が行われました。熊本地区では県内の12教会をはじめ、学校と社会福祉、幼保こども園などの事業に取り組む関係8法人が協働して神の宣教の働きを担っています。このつながりを熊本地区宣教会議と呼び、年ごとに合同礼拝、講演会、音楽会などの集会を実施し、祈りと交わりを強められてきました。新型コロナ感染症の拡大以来、集まることを断念してきたこともあり、この度、久しぶりに顔を合わせる機会ともなりました。

 礼拝は、礼拝堂に響き渡る鐘の音に導かれて始まり、美しい旋律の新式文クラブを用いて、森田哲史牧師と安達均宣教師の司式により進められました。説教は永吉穂高牧師(ルーテル学院中高チャプレン)により「神のイメージ」とのテーマで語られました。宗教改革運動となったマルティン・ルターの取り組みはイエス・キリストに貼られたレッテルを剥がし、十字架を担われたその姿と生き方を通して、聖書の言葉を味わい直すことであると学びました。また、誰もが近寄りたくないと考えてしまうところへ赴き、すべてを許すために命をかけたキリストの覚悟と愛に支えられること、そしてキリストに従う者とされることへの感謝の祈りに導かれました。
 大勢での賛美と聖餐の分かちあいも合わせて、参加者は神の恵みに力づけられ、そしてまたこの地から始められた神学校の働きを応援する思いを表明し、再び打ち鳴らされた鐘の音に背中を押されて、それぞれの場へと派遣されていきました。礼拝堂を後にする皆さんのにこやかな表情はとても印象的でした。学校チャプレンである永吉牧師の顔をあしらったポスターは、学校はもちろんのこと、人の往来の多い商業地にある教会の掲示板でも注目され、撮影されたとの報告もありましたが、180名の参加者の中には関係学校の多くの生徒さんたちが礼拝に共に集ってくださったことも、嬉しいことでした。

2023年度 日本福音ルーテル教会 会議日程予定

公告

  

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2023年1月15日
宗教法人日本福音ルーテル教会
代表役員 大柴譲治

信徒利害関係人 各位

横浜 土地建物
売却の件

(ア)横浜 土地
所在地
 横浜市神奈川区
松ヶ丘
所有者
 日本福音ルーテル教会
地番 8番4及び
8番5
地目 宅地
地積
 8番4 248・42㎡
 8番5 797・88㎡

(イ)横浜 建物
所在地
 横浜市神奈川区
 松ヶ丘
所有者
 日本福音ルーテル教会
種類 会堂
構造 木造
 スレート葺平家建
床面積 154・21㎡
種類 教職舎
構造 木造
 スレート葺平家建
床面積 76・03㎡
理由 売却のため

23-01-01みことばは、私の道の光です

「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。」
(詩編119編105節)

 私がこのみ言葉と最初に出会ったのは十代の頃、新改訳聖書ででした。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。一目で気に入りました。
 恥ずかしながら、私は暗闇が怖いのです。それは、少年の頃の原体験にもよるのでしょう。私が住んでいたところは、村内に信号機が一つしかないような、いわゆる「ど田舎」でした。当然、街灯も少なく、夜は真っ暗です。小学生の頃、少し離れた小さな町の剣道教室に通っていたことがありました。帰りは日が暮れ、一人バスに乗って帰りました。同じバス停で降りる人はいません。たった一人で、暗い道を家まで歩いていかなければなりません。重い防具を背負って。当時は、数十メートルおきにしか街灯はありませんでした。街灯と街灯の間は真っ暗。おまけに、途中にはお墓までありました。そんな怖さを紛らわすために少しばかり声を大きくして歌を歌いながら、街灯から街灯へと猛ダッシュを繰り返したものです。さすがに家の側まで来ると明るかったので、それがどれほどの安心感を与えたことか。そんな経験があるせいか、「光」という言葉に惹かれるのかもしれません。
 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。このみ言葉は、単にお気に入りだけでなく、私を支える言葉となりました。しかし、本当にその通りだったのでしょうか。少年時代、青年時代、壮年時代、人間関係においても、家族関係においても、仕事においても、また自分自身とにおいても、辛くて、悲しくて、苦しい、暗闇の中にいるとしか思えないような出来事が度々あった。そんな時、本当に暗闇を照らす光となってくれていたのか。むしろ、祈っても叫んでも答えられずに、神さまは本当におられるのか、と意気消沈してしまっていたのではなかったか。本当にそんな時に、み言葉が助けに、力になっていたのだろうか。そうも思うからです。
 確かに、そうです。私自身、そんな体験を積み重ねてきました。しかし、それでも、やはりみ言葉は、「私の足のともしび、私の道の光」だったと思うのです。それは、み言葉の一言一句とは限らなかったのかもしれません。細々と積み重ねて内実化されたみ言葉のエッセンスと言えるのかもしれません。しかし、いずれにしても、それらが私たちの重要な、決定的な決断を導き最悪の状態を回避したり、自分だけでは見出すことができなかった気付きを与えてくれたり、予想だにしなかった未来を掴むことができたり、諦めずに希望を見出すことが出来たのではなかったか。いちいち、あのみ言葉が、このみ言葉が、と意識することはなかったかも知れませんが、確かにみ言葉が私たちの内に働いて、私たちを守り、支え、慰め、力づけ、導いてくれていたのではなかったか。その結果として、今の私たちがいる(在る)のではないか。そう思うのです。
 脅すつもりはありませんが、今年も何が起こるか分かりません。戦後日本は比較的平穏な中を歩んで来ることが出来たと思いますが、国内においても、また世界においても、経済格差の問題、安全保障の問題、気候変動の問題など、喫緊の課題が溢れています。私たちも一市民として、自分達に出来ることで励んでいく必要があるでしょう。しかし、その前に原点を確認したいと思うのです。古くて新しい原点を。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」。こんなことがおとぎ話のように思えるような時代だからこそ、その力に、確かさに、立ち返りたいと思う。そして、宣教によって、この経験を私たちだけのものとするのではなくて、より多くの人々の経験となっていけるように励みたいと思っています。

22-12-01るうてる2022年12月号

機関紙PDF

「神の業に招かれる」

日本福音ルーテル帯広教会 牧師 岡田薫

「天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、
神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。
不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」

(ルカによる福音書1章35~37節)

 信仰という恵みを与えられていると自覚している私は、日々神への愛と信頼をもって誠実に生き生きと過ごしたいと願いつつも実は全くそうではないと思い知らされることが多々あります。ときには「私には荷が重すぎます」と職務を投げ出して逃げ出したくなることもあれば、疑いや迷いをぬぐい切れず、ふて寝して、翌日には奇跡が起きていることを願っても、相変わらず厳しい現実を前に深いため息から一日を始めることもあります。もしかしたら、この文章を読んでくださっているあなたも、思いがけないトラブル、痛ましい現実、信じたくないような悪意、自分の力ではどうにもならない状況を前にして立ちすくんだという経験をお持ちかもしれませんね。
 マリアが聞いた「おめでとう。」の言葉も途方もなく重たいことばであったと思います。にもかかわらず、彼女は自分の身に起きたことを引き受け、人生を神の働きに委ねていくようになりました。そこには「主があなたと共におられる。」(ルカ1・28)という約束や「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。」(ルカ1・36)という御言葉の力があったと思います。神の業に巻き込まれたのが自分だけではないという情報は、マリアにとって心の内をわかちあう他者がいるという安堵となったに違いありません。そして、エリサベトを訪ねてしばらく共に過ごした時間は彼女たちにとって豊かなものであったでしょう。
 世界的なパンデミックが私たちの日常を激変させ、気候変動による大規模な災害が各地で起こり、軍事暴力がはびこる中、福音を語る、福音を生きるということの難しさをひしひしと感じています。そのような中で、一つの祈り会に招かれました。きっかけは「親しい友人やその家族のために祈って欲しい」という個人的な呼びかけ。それまで、ミャンマーという国についての知識も関心もほぼ皆無でしたが、2021年2月1日の軍事クーデータ以降、毎週金曜日にオンラインで行われている祈り会に参加するようになって、かの国で起きている暴力が私たちの生活と地続きであることを知らされました。
 祈り会から生まれたアトゥトゥミャンマー(ミャンマーと共に)支援という小さな支援団体では、ミャンマー本国の支援と共に日本で生活されているミャンマーにルーツを持つ方々とも連帯しています。奉仕や運営に携わっている仲間たちに感謝しながら、祈り会でわかちあわれるそれぞれの思いに自分の思いを重ねます。リアルタイムでわかちあわれる情報の中には目を背けたくなるものも少なくありません。それでも嘆きや悲しみを持ち寄り、呻きと沈黙に押しつぶされそうになっても、神は、どのようなときにも人の呻きや、呟きに耳を傾け、心を向けてくださっていると信じて祈り続けることで、今日を生き抜く力を得るような思いでいます。
 神の御子は、弱く、もろく、不安定な存在として、この世界にお生まれになりました。マリアも、嬰児として生まれ、その身を人の手に委ねられた幼子の重み、ぬくもりを通して、神の業の担い手として招かれたことを感じたことでしょう。現代は、当時とはまた違った苦しみと悩みが世界を覆っています。そのような中にあって、私たちはクリスマスをどのように待ち望んでいるのでしょうか。キリストの誕生は、私たちに神の約束が必ず成就するということを教えてくれる出来事です。そして、神が御心を顕されるときに、私たちを求め、働きの中に招いてくださっているということも教えてくれています。だからこそ、自信がなくとも、しんどくても、辛くても、福音を語る、福音に生かされる幸いを伝える務めに踏みとどまりたいのです。《神にできないことは何一つない。》という御言葉に立ち、すべてをご存知の方が、命と希望へと私たちを押し出てくださることを信じて。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

㉝「聴く」

「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。/悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。/柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。/義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。/憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。/心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。/平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。/義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。」(マタイ 5・3〜10)

 「あなたの聖書朗読からあなたの信仰が聴こえるわ」と今回あげた聖句をお読みした時言われました。丁度言葉のスピードが遅くなり、また病気が進行したのかと心配していた時でした。また故人の好きだった聖句としても上に書いた聖句を葬儀の時読みました。
 私は神学生の時に聖書朗読の指導を受けました。その時に「礼拝で聖書が読めることは幸せよ。その時その時に与えられた神様からのみ言をあなたを通して会衆が聴くのですから。」その言葉を聞いて神学生の奉仕だからうまくすべきと思いガチガチだった私の思いは変えられ、与えられている奉仕として用いられていることを知り、神様がいつも一緒にみ言を運んで下さることに気づくことができました。一人ではありません。いつも神様が一緒です。ただ一緒なのではなくあなたをお用い下さいます。聖書朗読の時だけではなくいつも神様は一緒です。

議長室から 大柴譲治

「天使の取り分  Angels’ Share」