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るうてる2024年

るうてる2024年11月号

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「涙ぬぐわれる日」

日本福音ルーテル神戸教会牧師 神﨑伸

「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。」ヨハネの黙示録 21・3c~4

 全聖徒主日。この日には会堂での礼拝後、私ども神戸教会の記念墓地に赴き、祈りを献げるのですが、そのときに、いつも私が静かな感動を覚えるのは、墓石に刻まれている信仰の言葉です。「われら 主に ゆだねる」。そして、ヨハネによる福音書第11章の主イエスの約束、「わたしが復活である。このわたしが命なのだ。だから、わたしを信じる者は、死んでも生きる。あなたを生かすのは、このわたしなのだ…!」。このようなみ言葉を想い起こし、信じさせていただきながら、教会の仲間を覚え祈ることができるというのは、まことに幸いなことだと思う。

 しかもそこで忘れてはならないのは、「わたしは復活!」というこのみ言葉を、主イエスもまた涙を流されながらお語りになったということです。今日、黙示録を書いたヨハネは、福音書を書いたヨハネとは別人であると見られていますが、「神がわれわれの涙をことごとくぬぐってくださる」と書いたときに、その神ご自身に他ならないイエスが涙を流されたという事実を忘れてはいなかったと、私は信じています(ヨハネによる福音書 11・35)。

 愛する礼拝共同体、神の家族の皆さん! 私どもの信じる主イエスというお方は、実は誰よりも死の恐れを、愛する者を失い墓の前で涙する悲しみを、このお方は知っておられました。「わたしが、甦りなのだ。わたしが、命なのだ。」それは決して、悟りきった者の言葉ではなかったのであります。

 ヘブライ人への手紙第5章7節は、「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ……」と書いています。十字架につけられたそのお方を、父なる神は死人の中から甦らせてくださいました。それは言い換えれば、主イエスご自身が、父なる神に涙をぬぐっていただいたということでしかなかったのです。その意味において、主イエスの復活というのは、永遠の重みを持つ出来事であると言わなければなりません。私どもすべての者の涙をことごとくぬぐい取る、そういう力を持つ出来事であったのです。

 あのラザロを墓から呼び起こし、マルタとマリアの涙をぬぐい取ってくださったお方、神ご自身にほかならないお方の頬を濡らした涙は ―このわたしのための涙であったと信じます。あの姉妹の涙をぬぐってくださった主イエスのわざは、たまたま一度だけ起こった、単なるかりそめの出来事であり、昔々ひとりの人が死刑にされて、けれども墓の中から復活したという不思議なことが起こったらしい、などということでは決してなく―今、ここで流れるわたしの涙をぬぐってくださるお方が生きておられるからこそ、救いであり、慰めであるのだと!

 「わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである」(ヨハネの黙示録21章6節)。そうです、神を信じるとは、言い換えれば、過去のことも現在のことも、そして将来のことも永遠に亘って神がすべての支配者でいてくださる、と信じることです。しかも、その神の永遠のご支配が、あのイエスというひとりのお方によって啓き示されたのだ、と。「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる」。

 神ご自身のみ声を聞きながら、ヨハネはここで、自分たちの涙をぬぐい取ってくださる、神のみ手の感触すら思い浮かべたに違いない。神は、このようなお方なのだ。あの主イエスのお姿を見れば、分かるだろう? 悪魔が世界を支配しているのではない! 黙示録の表現で言うならば、獣の支配がどんなに力を持っているように見えたとしても、「アルファであり、オメガである、初めであり、かつ終わりである」神のご支配だけが、最初から最後まで、永遠にわたって貫かれるのだ―最後の最後に、すべてを完成させてくださる神を信じるなら、たとえどんな涙を流すことがあったとしても、望みをもって待ち、立ち続けることができるのだ、と。アーメン。

エッセイ「命のことば」 伊藤早奈

(56)「あなたを信じています」

「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵の善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」ペトロの手紙一4・10

 私だけじゃないんだ。そのような思いを改めて私に抱かせてくれたのは、いろいろな方との出会いがきっかけでした。私も数えたらまあまあな経験を重ねています。今もつらいのは患っている進行性の難病で、できていたことがどんどんゆっくりとできなくなることです。
 パートナーの暴力に苦しみやっと離婚できた数年後に今度は自分が筋肉の難病かもしれないとお医者さんに言われ、検査入院していた人や心を病んでおられた親族が目の前で首つりで亡くなるのを見られた方、自分も病で入院中パートナーもがんの検査で入院されている方など、まだまだお一人お一人がそれぞれにおつらい過去や今を抱えて生きておられます。
 おそらく多少比較することはあったとしても何もない人はおられないと思います。決して比較するようなものではありません。苦しみやつらさはお一人お一人違っています。これって特別なものなのか?一人一人に神様が与えられるものって賜物?えー!こんなにつらいし悲しいのに賜物?こんなのいらないよと言いたくなる時もあります。
 ある人がこのようなことを言っておられました。「自分の弱いところや傷から物事を見てごらんなさい、きっと優しさが見えますよ。」と。その前に神様がなぜあなたにあなたがうれしくても、悲しむとしても、つらいとしても、賜物をお与えくださるのはあなたを信頼されているからなんです。決してあなたを試したり、懲らしめようとしているのではなく神様はあなたを信頼されておられます。

「全国の教会・施設から」⑱

日本福音ルーテル三鷹教会 山根洋子(日本福音ルーテル三鷹教会代議員)

 三鷹教会はルーテル学院大学・日本ルーテル神学校のチャペルで礼拝を守る、JELCでは唯一教会堂を持たない第1種教会です。キャンパス内にあるので大学・神学校を身近に感じることができます。
 コロナ禍の中で、日曜日に間に合うかたちで説教音源をホームページから聞けるようにしました。キャンパス内にある利点をいかして屋外で礼拝を行い、賛美歌を歌ったりもしました。中断があったものの、2019年から新式文を使っています。また、昨年12月から聖書協会共同訳を使い始めました。
 昨年、牧師家族に子どもが生まれたことを受けて、牧師の育休について前向きに検討しました。役員会で、現行の制度の中で行える方法を話し合い、開始日から1年間、月に一度牧師が主日を休めるようにしました。今までは牧師が多い教会でしたが、今は高村牧師と石居先生だけのため、昨年10月と今年6月に牧師が不在のときは、先に触れた説教音源を用い、代議員が司式をして信徒礼拝をしました。新しい試みでしたが、牧師がインフルエンザやコロナ等の感染症に罹患したときには信徒だけで礼拝が守れるようにとの思い切った実施でした。
 三鷹教会には、子どもや青年を含め、比較的幅広い世代の人たちがいます。コロナ禍を経て、聖歌隊の活動も活発になってきています。ルーテル学院大学の卒業生を含め奏楽者も多くいて、今年は久しぶりに、湯口依子先生を講師に講習会を行いました。隔月でハープを用いた、詩編による黙想の夕礼拝も行っています。また、三鷹近辺で若い家族の流入が起こっていることもあり、宣教について積極的に考えています。
 2021年からは、大学との共催を目指して「子育て支援」をテーマとした講演会を、チャペルを会場にはじめました。昨年には、三鷹教会と大学付属の臨床心理相談センターとの共催を実現しました。今年も11月に予定しています。また、11月の「ルーテル祭」では、聖歌隊が大学聖歌隊と一緒に歌うことになっています。

愛泉保育園 木村麻紀(愛泉保育園園長)

 市ヶ谷教会は、1952年6月のヌーディング宣教師宅での主日礼拝をもって産声をあげました。日本福音ルーテル教会が学生伝道を展開すべく、1953年5月に市谷砂土原町に東京学生センターが完成すると、市ヶ谷教会もここを拠点として本格的な宣教活動が始まりました。今年宣教72年を迎えています。
 1961年4月に一人の米国人神学生の遺志により献げられた1万ドルを基金として敷地内にクライダー寮が併設されると、市ヶ谷教会と学生センターそしてクライダー寮は、別組織でありながら協力しあい宣教を続けました。その後1974年10月にルーテル市ヶ谷センターが完成、会館内にチャペルができたことで市ヶ谷教会の宣教第2章が幕開けし今に至っています。会館の完成を契機に東京学生センターは閉鎖、クライダー寮は三鷹のルター寮へ仮移転することとなりました。市ヶ谷センター会館は、2022年7月から2023年8月にかけて耐震補強を伴う大規模修繕工事が行われリニューアルしました。
 市ヶ谷教会のチャペルは、平日は市ヶ谷センターのコンサートホールとして利用されるため、私たちがチャペルを使えるのは基本的に日曜日の午前中のみという制約があります。しかしながらチャペルがコンサートホールでもあるからでしょうか、神様は市ヶ谷教会にたくさんの音楽のタラントを与えてくれました。荘厳なパイプオルガンに元気いっぱいの聖歌隊、華麗なフルート、バイオリンとチェロの弦楽器、最近新たにサックス奏者も与えられ、楽しみが増えました。年1回のユース礼拝は夏の定番となり、この日は青年が司式からメッセージまで礼拝をすべて担い、ギターとピアノ演奏でワーシップソングも歌ったりして主を賛美します。6月には中央線沿線地区の教会がここに集合し一日教会祭が開催され、地区のメイン行事となっています。

改・宣教室から

小泉基宣教室長(日本福音ルーテル札幌教会牧師)
又吉京子さん(日本キリスト教団首里教会員)

小泉 今回は、9月にTNGユースと社会委員会のツアーでお世話になった沖縄キリスト教センターの又吉京子さんにインタビューさせていただきました。センターでは、年間にどのくらい平和ツアーをガイドなさるのですか?

 1990年に「沖縄平和研修プログラム」をはじめたのですが、平均すると個人と団体で年に20~30件くらいでしょうか。

小泉 ご自身のキリスト教との出会いと、沖縄の平和問題に関わるようになったきっかけを教えていただけますか?

 沖縄戦の爪痕が色濃く残る戦後5年目に那覇市で生まれました。米国の宣教師が地域でひらいていた集会に兄弟姉妹で参加するようになったのがキリスト教との出会いです。中学生の頃には「ルーテルアワー」をよく聴いていましたよ。沖縄キリスト教学院保育科に入学と同時に今の日本キリスト教団首里教会に通うようになり、翌年金城重明牧師から受洗しました。
 沖縄で生まれ育ちましたから、日常そのものが「沖縄戦後史」でした。幼稚園の頃には紙幣が円からドルに、中高生時代には大人たちが、米軍による事故や事件に抗議する集会や、平和憲法の下の暮らしを求めての「復帰運動」に取り組む様子を目のあたりにしてきました。日本本土での学びから帰って知的障がい者施設で働くようになり、また市民運動にかかわるようになって、沖縄が押しつけられてきた「琉球処分」や「沖縄戦」の実情を学びました。わたしたち戦後世代は、6月23日(慰霊の日)前後には幾度となく「沖縄戦の話」を聞かされてきたのです。「差別と植民地主義」のまなざしが「平和」を壊す要因であり、それをすべてぶち込んだような戦場が沖縄戦であり、その声を聴いた者として平和ガイド活動は必然でした。沖縄戦の実相については数々の刊行された記録があり大きな遺産です。今の沖縄の事柄と関連に気づき「平和を作り出す」ために考えるきっかけとしてほしいです。

小泉 辺野古の基地問題など、沖縄が負わされている課題が日本本土の人たちに伝わりにくい現状があると思います。

 日本本土に住む人たちとの対話が対等になっていないことが問題です。その根底に「差別と植民地主義」の無意識な特権が内包されていると思います。「米軍基地」が沖縄に負わされているのは、日米安保条約の下での政策の故です。「どこにも基地はいらない」と平和主義的に言えば言うほどに沖縄に基地はあり続けます。日本とアジアにおける平和構築を当事者として考えるためにも、日本本土側に基地の引き取りを考えてほしいと願っています。沖縄の人々が「基地は県外へ」と言葉を生み出すまでに戦後50年余かかりました。実に半世紀の歩みの中で生み出された言葉です。いま一度考えてみてください。

小泉 重く受けとめねばと思います。最後に、大切にしておられる聖句があれば、教えてください。

 使徒言行録2章17節。センター30年の歴史をつくって下さった方々、また未来の担い手たちへ夢を託したいとの願いからです。

世界の教会の声

浅野直樹Sr.(世界宣教主事 市ヶ谷教会牧師)

 ルーテル世界連盟(LWF)と正教会は、ニケア・コンスタンティノポリス信条のフィリオクエ問題について共同声明を発表しました。西方教会と東方教会を1000年にわたり分裂させるきっかけとなったのがフィリオクエ論争です。
 「フィリオクエ」はラテン語で「子と」という意味です。ニケア信条(正しくはニケア・コンスタンティノポリス信条)では「聖霊は、父と子から出て」となっていますが、「子」は原文にはなく、後にラテン教会(西方教会)が付け足しました。アリウス派に対抗するためでした。
共同声明は「(フィリオクエがない)原文ギリシャ語を翻訳する際は、世代を超えた両教会間の分裂を解くことを念頭において為され、ニケア公会議(325年)とコンスタンティノポリス公会議(381年)の信仰告白を共にできるように」という両教会の思いを示しています。
 声明は今年5月エジプトのカイロで行われた第18回委員会で成立しました。委員会はこの信仰告白がキリスト教典礼と教義の基盤であることを強調したうえで、教会が未来を見据えて三位一体神学を新たな視点から見ていくことを期待して、「聖霊は、東西がたどった伝統により異なった表現となったが、東西両教会は聖霊の十全な神性と人性を肯定する」と表明しました。
 共同声明は、LWFと正教会が過去40年間積みあげてきたエキュメニカル対話の結実であり、来たる2025年のニケア信条1700年記念に向けての和解のしるしとして提示されました。また声明には、ルーテル教会と正教会が神学的理解を互いに深めあい、一致に向けた歩み寄りへの希望が込められています。

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山内量平探訪記⑪「平信徒伝道団」

古屋四朗(日本福音ルーテル日吉教会信徒)

 改心した山内量平は酒造業をきっぱりと廃業し、清酒の在庫も製造設備も土地も屋敷も一切を処分しました。そして受洗の翌年の明治18年1月、夫妻で南部(みなべ)から田辺に移住し、新たに酢の醸造・販売をしながら、伝道に邁進することになりました。
 同じころ、カンバーランド長老教会のヘール宣教師らは日本での伝道の担い手となる信徒を育成するために、神学クラスを始めました。受講生は量平のほか、山本周作、久世徳蔵(この2人は大阪で受洗)、大石余平(新宮教会設立者)、そして前回取り上げた和佐恒成です。
 彼らは「平信徒伝道団」を組織して、一生涯福音を伝えることを盟約しました。『明治初期の紀南キリスト教』という本は、「この五人の初志は極めて強固で、最後まで貫かれた。これは〝紀南バンド〟とも称せられるべき事実であろう。」と述べています。
 明治18年4月、彼らは一軒の家を借りて「田辺長老教会」を設立し、量平がその長老となりました。今の日本キリスト教団田辺教会です。
 信徒たちは自前の土地・建物を持つために熱心に献金しました。量平の妻・幹枝は、豪華な婚礼衣装を献げました。
 田辺教会での毎週の聖書研究会は、主に量平が担当しました。幹枝は幼稚園の開設に取り組み、資金集めなどをしました。ルーテル教会の、佐賀における宣教の開始も、山内夫妻の情熱と経験抜きにはありませんでした。

るうてる法人会連合オンライン研修会報告

李明生(日本福音ルーテルむさしの教会牧師・日本福音ルーテル教会事務局長)

 るうてる法人会連合は日本福音ルーテル教会の宣教の歴史の中で形作られてきたさまざまな施設・学校等が、「伝道(宗教法人)、教育(学校法人)、奉仕(社会福祉法人)のわざに招かれた「宣教共同体」として総力を結集して新たなる宣教の展開へと向かうことを決意」し、2002年に発足しました。設立当初は毎年総会と全体研修会の両方が行われましたが、2009年より総会と研修会を交互に隔年で行われることとなりました。
 昨年8月に熊本で開催された、るうてる法人会連合総会において、2024年の全体研修会はオンラインで行うことが承認されました。コロナ禍の中、手探りで始まった「オンライン研修」でしたが、距離に関係無く、広く全国各地から参加しやすいことや、当日参加出来ない場合でも講演等を後日視聴することができるなどのさまざまな利点も多いことが分かってまいりました。そこで今回はこうした利点を積極的に活用することして、8月25日(日)14時から16時まで、Zoomミーティングとして開催されることとなりました。
 今回は、社会福祉・教育等の働きにおけるキリスト教の役割とは一体何なのかを共に考える機会として「なぜわたしたちはルーテルで仕事をするのか」をテーマとして、佐々木炎先生(NPO法人ホッとスペース中原代表・日本聖契キリスト教団中原キリスト教会牧師)と宮本新先生(日本ルーテル神学校・ルーテル学院大学)のお二人から講演を頂きました。佐々木先生からは、ご自身のNPOでの活動の実践を紹介頂くとともに、その活動の根幹にキリスト教があることの意味を具体的な事例と共にお話し頂きました。宮本先生からは、宗教改革以来のルーテル教会の歴史の中で、教会はどのように社会と関わってきたのかをお話し頂きました。それぞれの講演(各約45分)の後には、オンライン上で5〜6人の小グループに分かれて感想を共有する時間を10分間程持つこともできました。
 なお当日の講演動画は、各教会・施設の修養会や研修などの際に活用頂けます。利用方法はるうてる法人会連合加盟の各教会・施設宛てにあらためてご案内いたします。
 来年2025年は8月に東京にてるうてる法人会連合研修会・総会が開催される予定です。皆さまぜひご予定ください。

TNG委員会ユース部門・社会委員会共催「リーダー研修キャンプ」報告

多田哲(日本福音ルーテル合志教会・水俣教会牧師、TNG委員会ユース部門長)

 9月3日(火)から6日(金)までの4日間、沖縄にてTNGユース部門・社会委員会共催のリーダー研修キャンプが行われました。青年5人、TNGスタッフ2人の計7人と、社会委員会からの6人を加えて全部で13人の参加でした。
 初日は日本基督教団ぎのわんセミナーハウスのガイドの方の案内で、南部のひめゆりの塔と資料館、平和の礎、糸数のアブチラガマ、普天間基地が見渡せる嘉数高台を訪問。何回訪れても胸が締めつけられ、直視することをちゅうちょしてしまいます。
 2日目は北上し、名護市辺野古にある米軍の新基地建設現場で毎日なされている座り込みの抗議運動を目の当たりにしました。その後、フェリーに乗って伊江島に渡り、阿波根昌鴻さんのヌチドゥタカラの家があるわびあいの里を訪問。ご自身も沖縄戦を体験された代表理事の謝花悦子さんから平和のために学び続けてほしいというメッセージを受け取りました。それから団結道場を見学。
 3日目は読谷村にあるチビチリガマと嘉手納基地を望む道の駅かでなを訪問。読谷村は2006年に米軍から返還された広大な土地を住民たちが自ら話し合って用途を考えていくと決め、少しずつ整備を進めています。それでもまだ読谷村の36%が米軍基地であり、嘉手納町に至っては町域の82%が米軍基地です。日本の国土面積の0.6%しかない沖縄県に全国の米軍基地の70%が集中しています。
 その現状を見ると、沖縄の中に米軍基地が置かれているのか、米軍基地の中に沖縄が置かれているのか、分からなくなります。日本の住民が米軍基地へ入ろうとすると特別な許可や検問が必要で、勝手に入れば撃たれる場合もあります。しかし、米軍基地からは自由に沖縄へ出入りできます。日本のナンバーが付いていなくても自由に沖縄の道路を通行できます。果たして、柵の中に入っているのは、どちらなのかと思わずにはいられません。そこから、ぎのわんセミナーハウスに戻り、普天間バプテスト教会の神谷武宏牧師から普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会の活動について付属緑ヶ丘保育園に米軍ヘリの部品が落下した事件についてお話を伺いました。日常が危険の中にある普天間での生活の現実をお聞きし、沖縄の傍観者である自分を省みました。また沖縄に行かなくてはならない、そう改めて思わされた旅となりました。社会委員会をはじめ、多くのご支援により無事にキャンプを行うことができました。感謝いたします。

日本ルーテル神学校校長就任あいさつ

宮本新(日本ルーテル神学校校長・ルーテル学院大学准教授)

 10月開催のルーテル学院理事会において学校法人ルーテル学院日本ルーテル神学校の校長に選任されました。
 ルーテル学院は学部・大学院の募集を停止し、神学校を継続する決断をしました(本年3月)。しかし神学校だけは今まで通り、ということでもありません。新たな形を模索する道を歩みはじめています。
 今回退任された立山校長、そして長年牧会兼務で教える任を担ってこられた平岡仁子先生(JELC、礼拝学)、齋藤衛先生(NRK、教会実習)が本年度で定年をお迎えになります。教授会に残るのは、学長の石居基夫先生と、A.ウィルソン宣教師、そして宮本の3名です。神学校の教授会は出向人事ですから、教会からの人材派遣がなければ教員スタッフは途絶するほかありません。これは今にはじまったことではない、教会・神学校の往年の課題であり、引き続きこれに取り組むことになります。
 また、神学校は牧師養成を柱とする「教育」とあわせて、「研究」と「研修」の働きを担ってきました。他の学問同様、神学諸学科も常に研究が進んでおり、国内外の宣教と神学の動向を無視することができないからです。ルター研究所やDPC、また牧師の現任教育やセミナー、講壇奉仕といった諸活動がこれに相当します。目下、教会の執行部はじめ多くの方々がこれらに力を尽くしているところです。

 ルーテル学院の建学の精神は、「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ」(ピリピ人への書2章5節・文語訳)。教会がいつもみ言葉に立ち戻るように、学校のような施設もまた創立の志に戻ります。1909年創立の神学校もこの建学の精神を吟味する時に立っています。掲げられているのが「キリストの心」ですから、神学校自らが打ち立てるものでもなければ、ルーテル教会単独で成し遂げられるような理念でもありません。基本は忘れないこと。このみ言葉を「わがごと」とする人たちと広く力を合わせ、祈りを深め、この普遍の使命に参画することを学院の使命としていきたい。

日本キリスト教協議会 日・独・スイス教会協議会報告

李明生(日本福音ルーテルむさしの教会牧師)

 2024年9月14日〜18日、ドイツ教会より6名、スイス教会より2名の出席者を迎え、東京都内各所を会場として日本キリスト教協議会(NCC)日・独・スイス教会協議会が「非戦〜すべての命は尊い」を主題として開催されました。
 14日は日本では戦争の歴史がどのように捉えられているかについての都内フィールドワークが行われ、その後NCC事務局を訪問しました。
 15日は首都圏の4カ所でドイツ・スイスからの出席者をゲスト説教者・講演者とした礼拝・集会が持たれました。日本福音ルーテル東京教会では、この秋より東京・五反田のドイツ語福音教会に着任のラッツ牧師をお迎えしました。また日本バプテスト連盟市川八幡キリスト教会での集会には内藤新吾牧師(稔台教会)が発題者として参加されました。同日夜にはドイツ語福音教会にて懇親会と記念オルガンコンサートが開催されました。
 16日〜17日は、東京・大久保の日本キリスト教会柏木教会にて公開プログラムが行われました。16日には開会礼拝に続いて白井聡氏(京都精華大学准教授)より「グローバル南北戦争の時代の中の日本」、上中栄牧師(日本ホーリネス教団旗の台教会・元住吉教会牧師)より「非戦・目標か理想か幻想か妄想か」の二つの講演、またそれに対するドイツ・スイス・日本からの応答が行われました。17日午前には2名の北陸学院学生からの発題をもとに全体討論が行われ、午後には日本語とドイツ語による「ラップ・ワークショップ」を体験しました。
 最終日18日は日本福音ルーテル東京池袋教会を会場に、共同声明作成協議を行い、日・独・スイスの教会が共同のプログラムを継続することを確認し、閉会礼拝をもって公式プログラムを終了しました。
 世界各地で戦争・紛争が勃発する今、社会状況も歴史的背景も異なる日・独・スイスのキリスト教会が非戦のヴィジョンを分かち合うことは、各教会に与えられた平和構築の使命をいま一度確認する貴重な機会となりました。

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