るうてる2022年03月号
「受難節を憶えて—あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ—」
日本福音ルーテル熊本教会・玉名教会 牧師 杉本洋一
「イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」」
マタイによる福音書4章4節
3月2日の聖灰水曜日から、典礼色も「紫」に変わります。礼拝式文からも福音に先立って歌われていた「ハレルヤ唱」は歌われなくなり、替わって〝キリストはおのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで み旨に従われた〟との詠歌が唱えられます。この期節は、典礼色が示すとおり、真剣な〝悔い改め〟の時となります。
前年の棕櫚主日に使われた棕櫚の葉を燃やして作った灰を取っておき、この日に信仰者の額に、灰で十字のしるしをつけながら、司式者は「あなたは、塵であるから、塵に帰ることを覚えよ」とのことばを添えることも行われてきました。
この「ことば(の持つ意味)」と「灰」により、メメント・モリ(memento mori=「汝の死を忘れるな」)が意識されてきました。〝この世の美しさも、地位も名誉も財産も、しばしの栄華にすぎず、やがてそれらは夢のように消えていく。どんな人であっても、死んだときに残るのは、ただ一握りの灰である〟という死と、朽ちるものであるということを学ぶことでもあります。つまり、それはキリストの苦難と死の意味について考えることであり、その苦難と死へイエス・キリストを導いたのは、わたしの「罪」であり、真の悔い改めを心に刻むことを「灰」は教えようとするのです。灰は死のシンボルですし、生命が、もうぜんぜんないというしるしでもあるのです。
もう3年目に入りますが、私たちは、コロナ感染の不安や心配、閉塞感の中にあります。聖餐式も行いづらい中にあります。パンと葡萄酒をもって、キリストの体と血をいただくことをしてきました。それと同様に、聖灰水曜日は、額に灰をつけることを通して、自分が罪人であることを、自分が罪の中にあることを、死ぬことを憶えるのです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3・16)とは、神がどれほどの愛をもって、一人ひとりを愛してくださっているかを感じることのできるみ言葉です。私達の罪を私達から取り去るために、イエスさまが十字架上で死ななければなりませんでしたが、イエスさまの苦しみ、痛み、淋しさ、捨てられた事、侮辱、鞭打ち、死がその背後に裏打ちされているのです。しっかり心に留めたいのは、私達は、「灰」を通して、愛のしるしを見、いのちの神を見ることです。今年も受難節で、私達を赦すために、イエスさまがどんなに苦しみを背負われたことか、悲しい思いをされたのか、つらい思いをされたのかを思い起こし、憶えましょう。
「灰」である私たちに、いのちの息を吹き込まれたのは神さまです。自己本位にしか生きることのできない存在の私たちと共に生き、支えてくださるのは神さまなのです。
今、全世界が経験したパンデミックの中で、イエスさまは、語り続けます。「パンだけで生きるものではない」と。それは「パンがなくても良い、生きていける」などと荒唐無稽のことをおっしゃられたのではありません。パンは必要、パンも必要なものです。しかし、パンだけあれば、すなわち体の健康・生活の支えさえあれば私たちは良いのかという問いです。人は、心も体もあるものとして創られました。その全体において、心において生きる価値を味わっているだろうか、人としてこの世に生まれたこと、生かされている喜びはあるだろうかと尋ねておられるのです。
イエスさまは40日間の断食のあと、ガリラヤに戻って、共に食べ、飲み、喜び合う共同体を作っていきます。そこでイエスさまは、イスラエル民族が「荒れ野の40年」で学んだはずの、「人はパンだけで生きるものではない」という精神を受け継いで、貧しい者や弱っている人、あるいは罪人といわれて社会から排除されているような人びとを招いて食事をするということを実践していきました。
いま私たちは、このイエスさまの心を受け継いで、共に食べ、飲み、分け合って喜び合う関係を、つながりを、全ての人に開かれたものとして実現することが求められているのかも知れません。
エッセイ「命のことば」 伊藤早奈
㉔「祈り」
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタイ7・7)
「どうして今私はここにいるんだろう。」と良く思います。きっとあの時も命のことばであるイエス様と共にあの人が私と一緒に歩いてくれたからだ。
生きている中で一人一人それぞれがいろんな人に出会うでしょう。そのあなたが出会う人も必ずイエス様が共におられます。私は検査入院の時に強い孤独を感じ「辛い時に話をゆっくり聴いてあげる人になりたい」とまずカウンセラーになりたいと思い資料をかき集め始めました。その時は一般的な勤めをしていたので社会人入試ができる学校を探していました。基本には必ずキリスト教があって欲しいと思いながらたくさん資料を送ってもらいましたが全然見つけられず困っていました。ある時知人が知り合いの心理学を学んでいる人に相談したところ、ルーテル学院のカウンセリングコースを紹介されました。
その導きがなければ私は今ルーテル教会にはいません。学校でいろんな仲間や先生に出会いそしてみ言(ことば)に出会い今があります。神学校卒業の時久しぶりに会った、私に学校を紹介して下さった方が「こうなると思ってました」と言われました。それを聞いて私は「祈って下さってたんだ」と初めて気づき感謝しました。一人一人にはいつもイエス様が共におられます。それは今もこれからもずっと。「あなたは一人ではありません」
議長室から 大柴譲治
「二つのJ」を愛する〜文楽・豊竹呂太夫
内村鑑三に「われは二つのJを愛する。即ちJesusとJapanを」という言葉があります。確かに私たちの国籍は天にあるとしても、この二つは共に天から贈り与えられている賜物。遠藤周作は「洋服のキリスト教」を「和服」にするという課題を自らに課しましたが、ともすれば異質なこの二つのJをどのように統合するかは日本に生きるキリスト者として一人一人に求められている信仰告白的な課題でありましょう。事柄としてはキリスト教の日本での「文化内開花/土着化/文脈化」ということになります。
大阪教会員の林雄治さん(1947〜)は、2017年4月に「六代目・豊竹呂太夫」を襲名された文楽の太夫です。襲名に合わせて『文楽 六代豊竹呂太夫・五感のかなたへ』を出版(創元社2017。Kindle版あり)し、文楽の面白さを大変分かり易く伝えています。文楽は江戸時代に大阪で成立した人形浄瑠璃文楽で、日本の重要無形文化財、ユネスコの無形文化遺産。人形と太夫と三味線が三位一体のような役割を果たしますが、氏はお客さんを含めてそれを「四位一体」と言われます。「お客さんは、喜怒哀楽を巧みに演じる『意思のない人形(木片)』に自分を投影しつつ、己の想像力によって喚起される「私」自身の物語に出会うわけです。この「四位一体」総がかりのすさまじいエネルギーで物語が展開されていく文楽の舞台。これがもう300年以上続いてまして、伝統芸能、古典芸能と呼ばれる所以です」(朝日新聞社言論サイト『論座』2022年1月3日掲載記事より)。
氏は2000年に豊竹英太夫という名で自らの信仰告白として新作『Gospel in文楽〜イエスの生誕と十字架』を創作。これまで人形入で17回公演されてきました。DVDもあって部分的にはYouTubeで鑑賞も可能です(英語字幕付)。「もろ人の罪を贖わんと十字架にかかりたもう、人となりたる生ける神なり、生ける神なり」という語りは観る者の心にダイレクトに響きます。2017年10月29日には大阪教会でも宗教改革500年を記念した楽劇『ルター〜文楽とルネサンス・ダンスの邂逅』(上村敏文作)の中で『ゴスペルイン文楽』を抄演していただきました。その記録DVDをドイツや米国の教会に持参したところ大変に喜ばれています。キリスト教の日本文化内開花を考える上で一つの貴重な実践例です。本年7月6日には兵庫県立芸術文化センターで18回目の公演が行われる予定で今から楽しみにしています。天から賜った二つのJを恵みとして深く味わいたいものですね。
「教会讃美歌 増補」 解説
㉑創作賛美歌解説1(※公募に寄せられた創作賛美歌の作者による解説を紹介いたします。)
石原祐子(賀茂川教会)
増補24「救いの主イエスよ」
*待降節に
「わたしの魂は主を待ち望みます
見張りが朝を待つにもまして
見張りが朝を待つにもまして。」(詩編130・6)
「『然り、わたしはすぐに来る。』アーメン、主イエスよ、来てください。」
(黙示録22・20)
主のご降誕をともに待ち望む恵みを感謝いたします。
闇しかみえない日。絶望のなかに落ち込んで抜け出せないとき。眠ることができない長い長い夜。
「神さま、来てください」とひたすら呼び求めます。わたしたちはあてもなく願うのではない。ひとりで待つのではない。
今このときも、同じ地上のどこかで主を求めて祈っている多くの友と共に、すでにみわざを始めてくださっている主の確かさに信頼して、待ち望みます。
心合わせて信じ、歌い、祈り合いながら、歩ませていただきたいと願います。
増補34番「いかに幸いなことか」
*主にある友のために
「エシュルンの神のような方はほかにはない。
あなたを助けるために天を駆け
力に満ちて雲に乗られる。
イスラエルよ、あなたはいかに幸いなことか。
あなたのように主に救われた民があろうか。」
(申命記33・26、29)
友の病気を知らされ、そのつらさを思い、なんと声をかけたらよいのかわからず祈っていた日に、このみことばが与えられました。
悲しんでいるわたしたち、病のなかにあるわたしたち、うちひしがれて途方にくれているわたしたちに、主は今、「あなたは幸いだ」と宣言してくださいます。
自分の中に人を励ます力はないけれど、この主の祝福を、心をこめて伝え合う者にならせていただきたいと願います。
主がみことばによって力強く約束してくださったように、今、盾となって大切な人たちを守り、永遠のみうでによって支えていてくださいますように。
世界の教会の声
浅野直樹Sr(世界宣教主事 市ヶ谷教会・スオミ教会牧師)
変化の時代における洗礼
ルーテル世界連盟LWF北欧地区の5教会がプロジェクト「変化の時代の洗礼」を企画、1月末にオンライン協議を行い、異なる状況や年代層に応じた洗礼の実践と典礼をどうするかなどについて話しあわれました。
このプロジェクトは2020年から2022年にかけて行われ、北欧5カ国のルーテル教会(デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、スウェーデン)が進める総合計画「変化の時代における教会」の第1弾にあたります。
プロジェクトの責任者ハラルド・ヘグスタット教授によると、「北欧の状況は類似しているとはいえ違う点もあり、たとえば洗礼式は主日礼拝に教会でするだけでなく、自宅やそれ以外の場所だったりします。」
「COVID-19はこうした洗礼のやり方に確かに影響を与えています。パンデミックが始まって小児洗礼者数は減少しました。今後「ノーマル」に戻るかどうかは今の時点ではなんとも言えません。」
「洗礼式を礼拝という公共の場ではなく、個別に行うケースが増えてきました。この傾向はパンデミックが今後どうなっていくかに関わらず、北欧の教会では続く可能性があります。」
プロジェクトはその成果として18の検討課題を提示しました。これは各教会から出されたテーマを手がかりとして、洗礼式の具体例を紹介しつつ課題や問題点を検討した結果、整理されたものです。これが各教会での洗礼の実践を規制するというわけではなく、どう活用するかは各教会の判断に委ねられます。
「プロジェクトを実施したことで思わぬ効果もありました。教会指導者や牧会者レベルでのつながりが強くなりました。これまでも北欧の各教会では様々な共同作業がありますが、お互いから学ぶという姿勢が今回は特に顕著でした。共通言語として英語を用いたのもよかったです。」(ヘグスタット教授)
イレニウス・ルカスLwFヨーロッパ局長は次のように述べています。「LWF加盟教会の共同作業だったという点に注目しています。信仰の基礎的テーマについて共同研究できたことで、今後もっと幅広い神学的な議論と意見交換が可能になるでしょう。他の地域でもこのプロジェクトを参考にしてほしいです。」
プロジェクトを締めくくるオンライン協議会では、洗礼に関して次の4点から全部で18の検討課題が提示されました。⑴社会変化と統計、⑵洗礼の神学、⑶洗礼のコミュニケーション、⑷洗礼の実践。
※18の検討課題は下記サイトで紹介されています。
https://churchesintimesofchange.org/recommendations
2022年度教会手帳 住所録訂正のお願い
「母子生活支援施設ベタニヤホーム」の電話番号が古い情報のままとなっておりました。
お詫び申し上げますと共に、謹んで訂正させて頂きます。現在の情報は以下の通りです。
母子生活支援施設
ベタニヤホーム
電話(03)6240―2785
FAX(03)6240―2795
オンラインによる全国青年の集い Pray!Play!!Friday!!!報告
髙濱遼太(健軍教会)
全国のルーテル教会につながる35歳以下の青年を対象としたオンラインでの青年の集い「Pray!Play!!Friday!!!」略称【ぷれぷれ】が昨年7月から12月にかけて月に1度、6回開催され全国から各回30〜40名ほどの参加者が集いました。
昨今激減した青年同士の交わりや分かち合いの時を定期的に持ち、新たな同世代の信仰の友との出会いの場所を持てたらと願ってのことであり、有志の青年によって企画されました。今回の【ぷれぷれ】では、共に聖書を開き、みことばを分かちあうことで、神様との関係、教会との繋がりについて考えるだけでなく、7月16日は竹田大地先生、8月27日は角本浩先生、9月3日は和田憲明先生、10月1日は永吉穂高先生、11月26日は河田優先生、12月17日は関野和寛先生をお招きし、青年に向けた聖書のお話をしていただきました。さらに様々なレクリエーショやトークセッションを企画し、コロナ禍によって失われていた青年同士の交流の時を持つことができました。また【ぷれぷれ】では全国のルーテル教会の青年だけでなくルーテル学院大学の学生も参加の対象とし、新たな仲間との出会いの時とすることができました。
コロナ禍によって青年活動のあり方も大きく変化しましたが、対面では簡単には会うことができない全国の仲間とオンラインでつながることができ、このような状況にあっても神様を通して私たちがつながっているということを、参加者一人一人が実感できたのではないかと思います。【ぷれぷれ】は12月をもって終了とさせて頂きますが、今回の企画が青年にとって神様や教会とのつながりについて考えるきっかけとなればと願っております。
最後になりましたが、ゲストとして参加していただいた先生方、【ぷれぷれ】のために案内告知をしてくださった方々、スタッフとして尽力してくださった方々、何より【ぷれぷれ】を最後まで守り導いてくださった神様に感謝しこの報告を終えたいと思います。
ルター研究所〝クリスマス講演会〟報告
江口再起(ルター研究所所長)
1521年、ルターは珠玉の名品『マグニフィカート講解』を出版しましたが、その500年を記念して、ルター研究所では〝クリスマス講演会〟をオンラインで開催しました(2021年12月12日)。全国100カ所で視聴され盛会でした。
マグニフィカートとは、受胎告知を受けたマリアの、神への賛美の歌です(「マリアの賛歌」、ルカによる福音書1章46節以下)。ヴァルトブルク城に保護幽閉されていた時、ルターはその解説書を著わしました。
講演会は3部構成で行われました。第1部は江口再起(ルター研究所所長)の講演「待つということ─マリアと現代」でした。ここで「待つ」とは、神の顧みに信頼して謙虚に生きるということです。このテーマを現代ドイツの哲学者ハイデガーの「ゲラッセンハイト(放下)」という言葉を参考に考えました。
第2部は、バッハ作曲「マグニフィカート」の見事な演奏(聖トマス教会でのT・コープマン指揮)。加藤拓未(バッハ研究者)が解説を担当しました。
第3部は3人の発題者によるシンポジウム「ルターとマリア」でした(司会は石居基夫ルーテル学院大学学長)。最初に滝田浩之(JELC事務局長)が、ルターを尊敬していた将来のザクセンの統治者若きヨハン候との関係の中で、この名著が執筆された経緯について、自らのこの本との出会いを交えて話があり、次に多田哲(日吉教会牧師)が当時のカトリックとルターのマリア像のちがい(祈願から賛美へ、崇敬から記念へ、代弁者から共に祈る者へ)等について語りました。そして最後に安田真由子(ルーテル学院大学講師)が、専門の新約学そして女性の立場から論じました。マリアは1人の素朴な少女であった事、同じ恐れと喜びを共有していたエリザベトとの出会いの重要性、また賛歌の底流に権力への批判がある事などが語られました。三者三様、内容豊かなシンポジウムとなりました(敬称略)。
*なお、第1部と第3部の録画は、日本ルーテル神学校のホームページの「ルター研究所」のサイトから見ることができます。
公 告
この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第23条の規定に基づき公告致します。
2022年3月15日
宗教法人日本福音ルーテル教会
代表役員 大柴譲治
信徒利害関係人 各位
甲佐教会牧師館 解体
・所在地 熊本県上益城郡甲佐町岩下西園
・所有者 日本福音ルーテル教会
・家屋番号 207番地
・種類 教会 牧師館
・面積 69・22㎡
・老朽化のため
定年教師挨拶
太田一彦
私は昨年の7月心臓病のため退職させていただくことになりました。年度途中の退職は、遣わされている2教会と三つの保育園にまた教区に大きな迷惑をかけることになるので3月迄は頑張りたいと思いましたが、すでに入退院を繰り返しておりその思いが単なる自己満足になって更なる迷惑をかけることが目に見えていましたので、担当医の復帰は無理だろうとの言葉もあり正規の定年まではまだ2年ありましたが退職を決断させていただきました。
思い起こせば幼少より東京教会の教会学校で育てられ、教職として今日まで主がルーテル教会に私を生かしてくださったことにただただ感謝しております。最初の任地は仙台教会、そして三鷹教会、都南教会、再び仙台の鶴ヶ谷教会・仙台教会でした。皆様に支えられて歩んでくることができた喜びと感謝に今満たされています。草は枯れ、花は散る。しかし神の言葉は永遠に残るとのイザヤの言葉を今退職するにあたり噛み締めています。
現在は長男の赴任先の気候温暖な静岡市で療養を兼ねて過ごしております。家の中での生活ですがもう暫くこちらで過ごし、許されれば東京に戻りたいと思っているところです。これまでありがとうございました。
「支えを感謝して」杉本洋一
今、主のご用のために用いていただけたことを感謝しています。これまでかかわりを持っていただいた多くの方々、とりわけ、遣わされた教会の信者・関係者・地域の方々、そしてお付き合いくださった教職者に対しお礼を申し上げたいと思います。私は、神大卒業の後、キリスト教主義学校の教員として、そして牧師として働いてきました。忘れられないことばかりです。得難い経験をさせていただく時間でした。「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」は、私が洗礼を受けてからずっと響いている言葉です。今はもう天に召された教え子のK君は、再び神学校へ戻って牧師になるようにとのきっかけを作ってくれた生徒でした。棺に入った彼の顔は忘れられません。初任地の健軍で、施設を通してのつながりを持ち、育った子どもたちにとっては郷里であることに違いありません。フィンランドでは素朴で熱心な信仰に生きる人々との出会いがあり、深いつながりを今も持っています。田園調布では、地域とのつながりを教会と幼稚園で教えられました。熊本・玉名は、歴史の大事さや熊本地震を通して、人との関係をいただきました。
〈これまでの任地〉健軍教会(熊本)、フィンランド福音ルーテル協会(フィンランド・ヘルシンキ)、田園調布教会・田園調布ルーテル幼稚園(東京)、熊本教会・玉名教会(熊本)
「新たな旅立ち」德野昌博
わたしは1980年3月に神学校を卒業し、東海教区の名古屋教会で按手を受けました。最初の任地は東海教区の岡崎教会で、5年間働きました。次に任を受けたのは、北海道特別教区の恵み野教会で10年間。そして、西教区の天王寺教会で3年間。その後、熊本の九州ルーテル学院で8年間、大学と幼稚園のチャプレンとして働きました。その後、東教区の小石川教会に転任し、16年間働いて定年退職します。42年間の現役牧師生活でした。
「40年で終えると、聖書的でいいなぁ」なんて勝手なことを思い描いていましたが、最後の2年間は、いわゆる「コロナ禍」にあって、教会の活動も、牧師の働きも制限してきました。そのせいか、すっかり定年教師になった気分になり、小石川教会には申し訳ない思いでした。それでも、神様の恵みは牧師としての人生に働き、教会の歴史の中に働いていることを実感させられてきました。神様の恵みは、過去の歩みの中だけではありません。未知である、私の老い行く将来もまた、神様の恵みのみ手の中にあることを感謝します。思い新たに、喜んで、「牧会委嘱」の任をいただいて、旅立ちます。皆さん、ありがとうございました。
中村朝美
40年前、ルーテル神学大学神学科神学専修コースに入学し、大学改組前の最後の卒業生です。「荒れ野の40年」とよく言われますが、私にとっても40年という年月はいろいろな変化がありました。当時、いろいろな場面で選択肢が欲しいと願っていました。今では任用形態も一般、嘱託を選ぶことができ、夫婦同居、単身赴任、通称使用の選択も自由にできるようになりました。とても嬉しいことです。また、名簿から男女の区別を撤廃したことを通して、「個」を尊重することの大切さを広く伝えてゆければ良いと願っています。按手を受けてからずっと、「定年まで牧師生活を全うしなさい」と励まし続けてくださった方がおられたことは何よりの支えとなっていました。東海教区で20年間、希望、岡崎、高蔵寺各教会、また九州教区での講壇交換を通して多くの教会で共に礼拝を守れたことは幸いでした。東海教区では炊き出しを始めとした野宿労働者支援に関わり、その後、宮崎教会を経て八王子教会を以て現職生活を終えることになりました、今までお支えに感謝いたします。
第7次綜合方策の紹介⑾
事務局長 滝田浩之
■方策本文より
第7次綜合方策主文
10.ハラスメント
⑴被害届窓口の新設
ハラスメント事案に対処するために相談窓口を設ける。
⑵解決システムの構築
解決に取り組むための体制を構築する。
⑶防止を目指す
ハラスメントの解決に取り組む組織は、発生した事案に対処するだけではなく、防止することを目的とする。そのために学習の機会を設け、継続する。今後、ハンドブックの作成、啓発活動に取り組む。
1.教会財務
⑴公益会計・基金会計・収益会計
2010年に総会において採択された「財政内容好転緊急提案」に基づき、日本福音ルーテル教会の公益会計、基金会計、収益会計は、これを持続的に運営する体制を整えてきた。今後も、この方向性を堅持する。
⑵土地・建物計画
教区を軸として進められる教会編成を土台としつつ、持続的な建物計画に関して、収益事業の見通しから2028年以降、これを実行できる体制を整えていく。また老朽化対策の規則改正を検討する。
この場合、地域の宣教体制が大胆に編成される時、宣教拠点となる教会建物への土地売却益の用い方について、地域を超えて教区の宣教計画の中で用いられる可能性について検討を開始する。
⑶教職退職金・教会年金
引退教師を支える教職退職金、教会年金については、現状の体制を維持することに努める。
■解説
「ハラスメント」
日本福音ルーテル教会は、あらゆる「ハラスメント」を許さない!ということを改めて、私たちが大切にしていく事柄として確認したいと思います。そして何よりも「ハラスメント」とは何かという学びを深めていく必要があります。また「ハラスメント」事案の特徴として、できるだけ早い段階で「相談窓口」にご相談頂くことは事柄を深刻化させないためにも重要なことです。「相談窓口」を委託しているフェミニズム・カウンセリング東京は、24時間体制で相談を受け付けてくださっています。メールでもご相談頂けます。
また「ハラスメント」を起こさないことが一番大切なことですけれど、私たちはいつでも「ハラスメント」の当事者になり得るという自己認識が必要です。そして「ハラスメント」を起こしてしまった時に、できるだけ早く事柄の重要性に気づき適切な対応を取れる組織でありたいと願っています。個々の教会のみならず、関連する法人・施設、TNGの行うキャンプに関わる方々に、その点をご理解頂けますと幸いです。
「教会財務」
教会の財務については1969年のアスマラ宣言から50年を経過しています。2003年からは海外からの人的支援を除くすべての直接的金銭支援が終了しています。来年で20年を経過することになります。この間、日本福音ルーテル教会として自立路線と言われる道筋を様々な方策を通して形にしてきました。これらの経験を踏まえつつ、これからも目まぐるしくかわる社会状況の変化に対応していくことになります。
しかし財務的な経験を通してはっきり言えることは、最も確かな教会の財源は会員の皆様の貴い「献金」です。収益事業は、特に今回のコロナ禍で明らかなように大きく変動するものです。そして教会の様々な課題を解決していく糸口、それは個々の教会の確実な成長です。「確実」という言葉を用いました。この「確実な成長」のあり方について、第7次綜合方策全体は語ってきたと理解しています。
方策の解説の場を与えられたことを感謝しつつ、日本福音ルーテル教会が、み言葉を伝え、隣人を愛し、平和を願う道を通して、地道に、そして確かに「キリストの教会」に成長することを願っています。 (了)