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るうてる2006年

るうてる2006年10月号

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るうてる法人会連合総会

8月29日~30日、東京三鷹・ルーテル学院大学にて、るうてる法人会連合総会が行われ、その報告をいただきました。
 「るうてる法人会連合」が発足して4年、5回目を数える。今回は「困難な今にあって、あらためてミッションを問う」というテーマで、ルーテル学院大学のトリニティホールを会場に行われた。
 基調講演は関正勝氏(聖公会神学院校長)によって行われ、「科学技術文明時代におけるいのちの育み」という副題のもとに、現代の価値観の分析がなされ、「命」に対する神学的洞察をいただいた。
 引き続き行われたパネルディスカッションでは、教会・学校教育・幼保・福祉という現場から具体的発言をいただき、ミッションを表明し実現することの困難を相互に理解した。その後、各法人会、委員会からの報告が行われ、2日目には分科会で相互理解がはかられた。
 最後の全体協議において、「ルーテルグループ」の一員であることを強く意識し、決議がなされた。殊に今回の総会において、奨学金制度の実施に目処がついたことは、「法人会連合」の具現化として喜ばしいことである。また、「教会推薦理事に関する基準」も協議され、教育や福祉の現場が宣教の場として再認識された。今後も各法人会において更に検討され、批准に向けて努力されることが望まれる。期間中開催された総会においてその他いくつかの決議と要望がなされたが、今後も福音宣教の立場において協力し合うことが確認され、次回は2007年8月28日~29日に熊本を会場に行うこととし、総会は終了した。

第4回全国教職研修会

9月4日~6日、晴海グランドホテルにおいて、15名の教職が参加して、第4回全国教職研修会が開催された。今回は、長老の先生方が主な対象者であったので、研修の内容を少し変更した。
説教演習と牧会事例研究の時間を短縮して、鈴木浩先生が「神学教育の現状と課題」について、山之内正俊先生が「引退」について発題された。協議の結果、引退に関するオリエンテーションが必要である、という結論に至った。また、石居基夫先生は、「監督の職務」に関するアメリカのルーテル教会と聖公会との対話について紹介された。
堀肇先生が牧会事例研究の講師を担当してくださり、伊藤早奈牧師・朝比奈晴朗牧師・白髭義牧師が報告した事例について話し合った。また、大和淳先生が説教演習の講師を担当してくださり、宮澤真理子牧師・栗原茂牧師の釈義と説教について話し合った。
視点を変えることは非常に大切である、と考えるので、今年もビジネス講習を実施した。「顧客満足度」に関する山口博三先生(SMBCコンサルティング)の講義を伺い、教会のマネージメントについて話し合った。

参加者の声

 「私たちのグループは最年長でしたが、若手(昨年、一昨年と参加できなかった教職)も交ざっていたので、世代を超えて分かち合いができてよかったと思います。引退後のことが関心事であるので、引退するためのこと(年金等)について事務局側から聞くことができてよかったと感じています。また、最年長については引退するにあたってのオリエンテーションをしてもらえるといいと思いました」。

「引退後について学ぶ機会が与えられ、具体的なイメージを持つことができました。説教演習では、普段指導されることがないので、参加された諸先生方から釈義の方法や教会の状態を見ながらの対応法などのご指摘を受け、発想が豊かにされたように思いました。シニアコンサルタントの方からは、顧客の満足度について学ぶことができました。ビジネス用語で語られましたが、それを教会の言葉に解釈しなおして、伝道牧会に生かしたいと思いました。
その他気づいた点をあげますと、会場が普段と違って新鮮でよかったのですが、車椅子での参加者への配慮がなかったのが残念でした。エレベーターや食事の席など、様々な面でそのことを強く感じました」。

クリスチャンのライフカレンダー

~結果を出すのは誰!?~

 ついにあなたにもやってきました。受験という名の嵐……いつになったら終わるんだろう。何のために勉強してるんだろぅ? なんで神様はこんな試練を与えるんだろぅ。
 苦しいからって、受験勉強を終わらせるために勉強してるうちは、神様は答なんかくれないよ。自分にウソつかないで、ネームバリューなんかにこだわらないで、色んな道を考えてみて。そうすれば、絶対に相応しい道に導いてくれるから。勉強が楽しくなったら、それは自分が強くなった証拠。何のために大学へ行くの? って思うよね。その答を見つけるのは自分。どんなに頑張っても、結果が出ないときだってあるよ。私も、すごく苦しかった。第一志望の大学に落ちた時、涙が止まらなくて、ホラー映画も全然恐くなかったもん。人生で一番苦しかった。
 そんな思いしてほしくなぃから、あなたに言いたい。今ならまだ間に合うから!
残りの毎日に自分の精一杯を出し切って! 頑張れ受験生!

インフォメーション

2007年 教会手帳 11月発売予定

ただいま急ピッチで作成中です。昨年リニューアルした教会手帳に皆さんのご意見を反映させて、より使いやすくなります。ご期待下さい!!

牧師の声「私の愛唱聖句」

九州教区 宮崎教会 牧師  日笠山 吉之
慰めよ、わたしの民を慰めよとあなたたちの神は言われる(イザヤ書40章1節)

 ヘンデルの不朽の名作『メサイア』の冒頭アリアは、テノールによって歌われるイザヤ書40章1節の御言葉です。抑制のきいた静かな美しいこのアリアを耳にする度に、私の心も慰められます。と同時に、慰めに満ちた福音を語っているだろうか?と反省させられます。
 私の幼い頃の教会の記憶は、礼拝堂に響き渡る厳かなリード・オルガンの音です。家から教会が遠かったためめったに礼拝にあずかることはできませんでしたが、会堂を満たしていた讃美とオルガンの響きは、いまだに心の奥底に残っています。
 やがて、音楽の道を志すようになり、教会の奏楽の奉仕をさせていただく中です。牧師への召しを覚えるようになりました。そのため青年時代は、神学を学ぶか、音楽を学ぶか、二者択一の狭間で悩みました。幸いなことに、曲がりなりにも両方を学ぶことが出来、今なお牧師をしながら、オルガンやチェンバロの勉強をすることを許されています。有難いことです。
 音楽は、伝道の大きな力になります。宮崎教会でも「音楽の夕べ」や「カンタータを聴く会」「メサイア合唱団」の練習等を通じて、聖書に興味をもち、礼拝に足を運ばれる方がおられます。私自身がかつてそうであったように、教会で捧げられる讃美によって、心揺さぶられた方々です。神に捧げられる音楽は、演奏者の技術云々の問題よりも、むしろその方の信仰がにじみ出て来るものだと思います。信仰に基づいた真摯な演奏は、神をほめたたえるのみならず、心疲れた人々の魂をも捕らえ、慰めるに違いありません。
 ルターも言いました。「音楽は、最も美しい最も高貴な神の賜物の一つである。音楽は悩める人には最善の慰めであり、これによって心は満ち足り、爽快となり新鮮となる。」心の悩みを抱えている人々が増え続けている昨今、慰めに満ちた福音と音楽の役割はますます大きくなっていくでしょう。御言葉を取り次ぐにせよ、讃美を捧げるにせよ、それを担うものにはますますの研鑽が求められます。
 今年の秋も、上記の合唱団による「メサイア」の演奏会を行ないます。私はタキシードを持っていないので、牧師シャツを着用して棒を振ります。「慰めよ、わたしの民を慰めよ」という御言葉を、聖書と音楽を通じて、これからも伝え続けていきたいと思います。

信徒の声「教会の宝石を探して」

東海教区 知多教会 信徒  山本 慶次
礼拝に休まず参加されていますが、その健康の秘訣をきかせてくださいませんか。
 はい、88歳になります。若い頃は丈夫ではなく徴兵検査に合格しませんでした。40代では結核になり2年ほど入院していましたがその後風邪ひとつひかず健康に過ごしています。
 療養後漁師町だったので魚を釣っていましたがその時、潮の流れや、天候など、人間の思いなど何一つかなわないことを知り、神の摂理を知り、自分の生命も神様が支配されるんだ、必要なら生かされるんだという信仰が与えられました。主におまかせの日々、それが秘訣と言えば秘訣かもしれません。
教会にはいつ頃行かれたのですか。
 昭和34年頃天幕伝道が3夜連続で行われ、その集会に続けて参加したのがきっかけです。
 今でもはっきりと憶えていますが岸井敏先生がこられて「ザアカイの話」をして下さいました。その頃礼拝堂はなく郵便局の二階で宣教師が集会をされていました。戦時中名古屋の軍需工場で働いていたのですが敗戦で静岡の実家も焼け、行く所がなく知人の紹介で常滑に来ました。精神的にも不安定な頃でした。
常滑という町と教会のことを話してくださいませんか。
 人口は5万2千余りあるのですが仏教の伝統、習慣の強い町でおまけに半島文化というか、閉鎖的な面があり、お祭りなどはとても盛んです。キリスト教は他教派などが一時、伝道を始めましたが続かず、今ではルーテル教会がこの町唯一の教会です。そしてこの教会も今では礼拝参加者が7~8人ということで後が続くかどうか、とても心配しています。
山本さんの日々の祈りをきかせてくださいませんか
 色んな価値観があって終戦の頃より時代が悪くなったように思います。今は救いの時です。祈ることは多くありますが先ず世界の平和を願います。
 教会のことでは新来会者が与えられること、そして家族のことでは2人の娘についで孫たちに信仰が与えられることです。

 控えめな方だが50年の教会と信仰の歴史の中で主日礼拝を中心に生活のリズムを整え、礼拝の務めを全うし、レプタ二つを捧げて教会を支えておられる。教会員の皆さんのおすすめで山本さんが知多教会の宝として選ばれました。 

求道者の旅 

第19回 アメージング・グレース

Q:人生において何が第一の関心となるべきでしょうか?
A:第一の関心は救われるという事です。
(小教理問答解説より)

 最近のコラムで「罪」について目を向けましたが、今回は罪からの解放について見てみましょう。クリスチャンの体験を表現するために「救い」という言葉を使いますが何故その言葉を使うのでしょうか。「あなたは救われていますか」と聞かれる事がありますが私達の体験を説明する際、より意味のある言葉を見出す事ができないでしょうか。
恵みと信仰のダイナミックな動き
 私達の霊的体験には二つの柱があります。恵みは神の善の表れであり、信仰はその善を受け取る事をいいます。恵みは私達の外にある無条件の愛であり、信仰は私達の中にある希望、勇気等を表しています。
 ルーテルでは客観的な恵みを強調しすぎ、また他のある教派は主観を強調しすぎているように思えます。私達の人生の中には恵みと信仰の霊的な動きがあります。この二つの動きは「救い」を表しています。恵みは客観的、神学的柱であり、信仰は主観的、心理学的柱に対する言葉なのです。恵みは「神は愛である」と言い、信仰は「私は神の愛の前において開かれている」と語るのです。
恵みの多様な色
 神の恵みの素晴らしい世界は巨大な気球の中、上下、周囲へと膨張し私の体を静かに沈み込むかのように押し込んで行きます。何と驚くべき事であり、神の絶えず現臨する恵みを感じます。私はこの大きな暖かい抱擁を享受するだけでよいのです。
 神の恵み―愛と、保護? は、私が毎週泳いでいるプールの暖かい水のようです。私を快適に浮かせてくれます。一方神の裁きは、体を打ち付けるプールサイドのようなものです。心地よい浮力も不快な打ち身も、泳ぎ続ける際には不可欠です。
 神の恵みは、喜びと痛み、あわれみと裁き等さまざまな対照的な方法で働きかけてきます。喜びがなければ人生は憂鬱なものでありますし、痛みなしには抑制が効きません。光と陰の神の業は私達が成熟し成長する上で等しく必要なものなのです。
(翻訳:上村敏文)

聖研「詩編を味わう」

老いの日にも見放さず

主よ、あなたはわたしの希望/主よ、わたしは若いときからあなたにより頼み/母の胎にあるときから/あなたに依りすがって来ました。……老いの日にも見放さず/わたしに力が尽きても捨て去らないでください。
詩編71編5~9節

凋落の老い
現実の老いは凋落のプロセスを辿ることであります。生きてきた人生には、未達成のこと、後ろ髪を引かれること、悔いを残したままのこともあり、「老いることは、未完のわざを受容していくことである」といわれるように未完了の事どもをそのままに残しながら、やがて来る死を受容しなければなりません。
 若さが価値を持つ社会にあって、老いの凋落のプロセスに逆らうことなく身を任せることはストレスフルな仕事です。電車の中で席を譲られることに抵抗感を持ち、鏡に映る顔のしわを手で触っては、そこはかない哀愁じみた感覚を味わうこともありましょう。時には「お若いですね」とのぞき込むように言われると奇妙な躍動感を感じるのも年を取ったからこそでしょうか。年には勝てぬと言いつつ、年になじまない感覚は老いた者がもつ違和感なのでしょうか。
 この詩編の作者は若い頃、元気のよい信仰者でありました。「わたしは常にあなたを賛美します。/多くの人はわたしに驚きます」(71編6~7節)とありますから、よほどの信仰熱心だったのでしょう。けれども年老いた今、かつての元気はありません。彼はそのことを知っていますが、凋落の老いに逆らおうとはしていないのです。彼は次第に衰え、やがてこの世の生が終わる日がくることをよく知っています。あらゆることから見放されていくような老いの日々をひしひしと感じているのでしょう。だから「老いの日にも見放さず」と言うのです。
老いてみなければ
若ければ、元気に任せてこなし得たであろうことも、こなし得なくなった今、わずかに為し得た仕事の満足感が己を支える力となることを感じているかもしれません。さりげない一言のいたわりの言葉で明日への命をつなぎ、ちょっとした親切で今日の命が支えられる経験をしているのかもしれません。ほんの少しの励ましや慰めが生きる歩みを一歩先へ進ませます。今や元気であれば見ることも聞くこともなく知ることもないものがよく分かるのです。
 老いを生きる日々は、若い時には見逃していたことや気が付かなかったことに鋭敏に反応する感覚を味わう生活です。作者が言う「老いの日にも見放さず」とは、決して大きな信仰を告白する言葉ではありません。力強い信仰者としての生き様があるわけでなく、洗練された神学用語で信仰の奥義を説いているのでもありません。すべてのことから見放されて行くような老いの日々にあって、一本の藁しべにやっとしがみつくかのごとき信仰の言葉のように見えます。けれども、この作者にとっては主なるお方がこの老いの身を見守ってくださるのみで十分なのです。漸くにしてたどりついたかのような、小さな信仰の言葉がこれからの老いの日を生きて行く上でなくてはならないのです。老いたが故に分かる信仰の極致とでもいうべき告白の言葉です。
高次の子どもになる
ジェームス・フォーラーというキリスト教教育心理学者がいます。彼は「年老いた信仰者の成熟性は、これまでの人生がどうあろうと今の自分を作っていることに意味があったのだということをわきまえることであり、自分は何も知らないということを知っていることである。それは高次の子どもとなることだ」と言っています。年を取って子どもに帰るのではないのです。子どもになるのです。言い換えれば、すべてのことを見守ってくださるお方に委ねる者となることです。
 ルーテル教会初期の宣教師であったウインテル先生(J.M.T.Winther)のことを知る人は多いでしょう。デンマーク系のアメリカ人でしたが、万葉集を変体仮名で読む人でもありました。聖書は新旧約を日本語ですべて諳んじ聖句は章節まで唱えることのできるアメリカ人でありました。晩年、神戸の聖書学院で教えながら、「わたしはなにも知らない者であります」とよく口にされました。知らないことを知っている、これはまことに高次の子どもとなった信仰の達人の姿です。
 そこに見るものは、終わりに至るまでけっして見放すことなく、見守り続けるお方へすべてを委ねる信仰者の姿でありました。
(かくしゅういち)

首相の靖国神社参拝に反対し、教会の平和創造への決意を明らかにする声明

日本福音ルーテル教会では、信仰と職制委員会により、次の声明が内外に向けて発表されました。
首相の靖国神社参拝に反対し、教会の平和創造への決意を明らかにする声明
1. 太平洋戦争の敗戦の日であり、平和を祈念すべき8月15日に小泉首相が、多くの国民と近隣諸国の憂慮や反対を押し切って、靖国神社に参拝しました。日本キリスト教協議会(NCC)は、政教分離を定めた憲法違反であり侵略戦争と植民地化への反省に反するとの立場から抗議声明を発しました。わたしたちもその趣旨に全面的に同意する旨を、公に意思表明します。それはなにより平和創造をキリスト教会の大切な使命だと信じるからです。
2. そもそも靖国神社で「英霊」と呼ばれ「祭神」として祀られ「慰霊と顕彰」をされている240万余の戦没者の大半は、「赤紙」一枚で徴兵されて戦場へ送られ、生きて帰ってくることのできなかった人々です。しかもその内の100万余は餓死であったと伝えられています。遺骨未収集者も100万人に及びます。そればかりか、国内で300万人、日本軍が侵略したアジア諸国で2000万人という膨大な数の犠牲者を出しました。戦後61年を経た今もその傷跡はアジアの人々の心に深く残っているのです。
 そのような戦争犠牲者たちがもっとも願っていることは、あの戦争はあってはならなかった、してはならなかった戦争だと日本と日本人が自ら総括し、反省し、その上で平和国家を形成し、相手国およびその国民との間に真の和解と信頼の関係を築くことです。
 靖国神社は、戦前戦中には軍国主義の精神的支柱でありました。さらには、付設の遊就館の展示が示すように、今日もなおあの戦争を積極的に「肯定」し「美化」しているのです。そのような歴史観をもつ靖国神社に日本国の行政の最高責任者であり国家を代表する首相が、たとえ「私的」と強弁しても、政権公約の実行として参拝することは、国内外の戦争犠牲者の思いに反することと考え、強く反対します。
3. わたしたちは、この世界に正義と平和が実現することこそ聖書の神が願われていることだと信じています。イエス・キリストは隔ての壁を取り壊された平和の主です。わたしたちの教会は、かつてあの戦争を防ぐのに力が無かっただけでなく、国家総力戦の中で戦争遂行に加担してしまう罪を犯したことを神と人々の前に懺悔しました。2006年5月の教会総会は、武力による紛争解決を放棄することを定めた憲法9条の改悪に反対し、「『日本国憲法』前文および第9条の改定に反対する声明」を決議しました。わたしたちは、今日この世界での平和創造のために祈り、学び、その働きに参加する決意を新たにします。戦争の愚かさと悲劇とを繰り返さないために、そして真の平和と和解を造り出すために、世界のキリスト者たちと手を携えまた平和を愛する人々と思いを一つにして、全力を尽くすことを教会の内外に表明します。
2006年9月7日 日本福音ルーテル教会信仰と職制委員会 委員長 江藤直純

LAOS執筆者による公開講座が始まります。

 「LAOS講座」全9巻が刊行されて、早くも半年になろうとしています。このテキストを用いての学習会が全国の教会で活発に行われ、各地で良い実を結びつつあります。また、「できれば執筆者の先生から直接講義を受けたい!」という声が多く寄せられています。
 それにお応えして、いよいよこの秋から「LAOS執筆者による公開講座」が始まります。是非ご参加ください。
 また、この講座は同時にビデオ収録もされて今後インターネット上の「JELCテレビ(http://www.jelc.TV/)」を通して広く全国の皆様にお届けできる予定です。現在、信徒説教者養成プログラムが各教区で進行中ですが、この講座放送を用いての養成カリキュラム作りも考えられます。いろいろな場面できっと有益に用いられることでしょう。
 今後の動きにご注目ください!
P2(信徒部門)委員長 斉藤末理子

LAOS公開講座開催

第2号「小さな一本の指
~説教の聴き方・語り方~」
講師:北尾一郎牧師
日時:10月15日(日)午後12時30分~場所:大岡山教会

議長に一問一答

Q.ドイツを公式訪問されたそうですが、どのような感想をお持ちですか。
 15年前のドイツ統一直後の訪問時に比べ、今回の訪問は、統一後の未解決の問題、教会としての課題を感じさせられた訪問でした。統一によって、人口の88%の人が教会から離れている都市も出て来たとのことです。中には、人口の5%しかキリスト者がいない都市もあるそうです。ヴェバー監督が「これからドイツの教会も伝道をしなければなりません」と言われたことに、思わずうなずいてしまいました。
 ドイツは、見かけはキリスト教の国です。人口が数万の町に大きな教会が幾つも建っています。しかし、千人も二千人も入る教会で、毎週の礼拝出席が100人足らずでしかない様は、ドイツのキリスト教の今を象徴しているように思います。
Q.これから、ドイツ(ブラウンシュバイク州教会)とどのような連携が考えられますか。
 日本は、クリスチャンが人口の1%を突破できずにいます。まさに開拓伝道の国です。しかし、日本だけでなく、キリスト教国と見られていたドイツも、その実態は開拓伝道の国と言わざるを得ません。釜ヶ崎活動を通しての連携の強化に加えて、ブラウンシュバイクにある日本に関心をもつ信徒運動「アルバイトクライスヤーパン」に倣って、私たちも「アルバイトクライスドイツ」と言ったものを結成し、ドイツを訪れ、共に開拓伝道を担い合うことができればと思っています。

日米協力伝道(JACE)協議会 ELCA/GMとの協議会

 アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)との二つの会議が、9月13日~14日と、15日~18日に、相次いで開かれました。
●JACEは、米国西海岸二教区の日本人や日系人の集会を持つ教会の宣教支援に宣教師を派遣しているものです。3年に一度の定期協議でしたが、多文化社会に対応し、2世3世の伝道も強化したいという意向を持っています。宣教協約改定を提案し、JACEも対応可能か協議を進めることになりました。
●ELCA/GM(世界宣教部)との協議は、ELCAが5年ほど前見直し策定した、他国への宣教師派遣方針(GM21)を実施する行程にありJELCも理解しながら対応しています。主眼は、相手国教会の成長を促し対等で健全な宣教協力に当たるため組織の調整や、責任職や牧会牧師職につかないなど、宣教師の任務を見直すことです。宣教師ケア業務を担当していた日本福音ルーテル社団(JELA)の公益法人改革に対応する必要もあるなか、JELC・JELA・GMの業務関係や組織が改革される方向が確認されました。

第13回全国伝道セミナーのお知らせ

おまたせしました!第13回全国伝道セミナーの案内です。
 第13回の会場は「ひろしま」です!なんと世界遺産の宮島が会場です。テーマは「いやし」。私たちはこの「いやし」を様々なことを通して体験し、参加者も癒される、をモットーに準備をします。場所もよし、施設もよし、内容は飛びっきりによしです。こどもたちには水族館も用意しています。良いことづくめのセミナーを企画しています。
日時:2007年5月3日~5日/場所:宮島国民宿舎「杜の宿」
テーマ:「いやし」/参加費:2万(予定)
 詳しい申し込みなどは後日各教会へチラシを送ります。観光もできるセミナー。語り合い、学びあい、癒され、そして元気をいただくセミナーにぜひ「きんさい!ひろしま」。

インドワークキャンプIWC2007募集要項

JELA-JELC共同プログラム
インド・ワークキャンプIWC2007募集要項

第3回インド・ワークキャンプの参加者を募集中です。
詳細は次のウェブページに載っています。https://jelc.or.jp/rentai
各教会にも案内と申し込み書をお送りしています。
対象:18歳以上 日程:2007年2月18日(日)~26日(月)9日間 
問合せ・申込み:JELA(日本福音ルーテル社団)森川 Tel:03-3447-1521
締め切り 12月10日

公告

この度下記の行為を致しますので、宗教法人法第二十三条の規定に基づき公告致します。
二〇〇六年九月一五日
宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 山之内 正俊

信徒利害関係人 各位

被包括団体 日本福音ルーテルみのり教会による左記の件

居宅取壊しの件
理由
老朽化および使用不要となったため
取壊し物件
所在 愛知県豊橋市船原町弐六九
家屋番号 二六九番の弐
種類 居宅
構造 木造瓦葺平家建
床面積 参九・七四㎡

以 上

ワークキャンプ in ミシガン 2006年7月25日~8月8日

紙面の都合上、すべてを掲載することができませんでした。来年のキャンプは、2007年7月24日(火)~8月7日(火)の期間で、アメリカ・アイオワ州にて。応募締め切りは、2007年1月末日。問い合わせはJELA・森川氏まで

普段の生活ではあまり実感できないけど、ワークキャンプを通して、私は多くの人の「支え」によって生きていることを強く実感することができました。澤田美咲
大事なのは全奉仕をする事だけではなく、それをして何を感じたのか、神様について何を学べたのかを覚えることなのだと思った。石居悠大
困ったときは助け合い、楽しいことは一緒に楽しみました。私も、みんなの仲間に入り、一緒に感動できたことを感謝いたします。横田春菜
「フルサービス(全奉仕)」をしに行った私でしたが逆に「フルサービス」されてきたように感じました。卯野木碧
今まで宗教とかに対して「弱い人間が神様にすがって助けを求める」というイメージを持っていたけれど、私みたいに何も信じてなくて信じる対象を持たずに生きている人間が本当に弱い人間なのかなと思った。田崎夏子
私がアメリカに行って変わった事は一つしかありません。それは、人と話す時、「相手に自分の考えを伝えたい。」と言う気持ちを持つようになった事です。山口香帆
今回のクルーの中に『わたしは、にほんごをすこしはなせます』と話しかけてくれたアンドレアという女の子がいました。生まれつきかなにかで両手が肘からしかないというハンデを背負った子でした。だけど同じように奉仕がしたいと、このキャンプに参加してきてくれた事に衝撃を受けました。上村知世
このワークキャンプで関わった人たちは、本当にいい人たちばかりでした。~こんなに素晴らしい人たちと関わることができて、わたしは本当に幸せだと思います。澤田聖香
自由に祈る時間があったので、私は十字架の前で祈りました。私は本当にイエス様と歩んでいけるのか、歩める資格があるのかと、祈り悩みつづけました。ふと視線をあげると、同じワークサイトの人が十字架にキスしていくのが見えたんです。それが、なんというかイエス様に親しみを持っているように見え、おかげで私の想いが一気に変わりました。古島悠
このキャンプで出来るようになったことは主に委ねるという事です。今までは主に委ねますと祈りながらも委ねきれずにいて、不安でいっぱいでした。だからこれからはこのキャンプの時のように全て主に委ねていきたいと思います。神崎のぞみ
ワークに出られなかったのは、凄く辛かったけど逆にみんなの優しさに気が付くことが出来たのは良かったなぁと思いました。鈴木はるな
自分から何かを発見するのではなく、周りの人を通して色々発見できたと思います。1人じゃ何もできないけど、周りの人に支えられて大切なものに気づく事ができました。また、フルサービスをするのにも多くの人の支えがある事に改めて気づく事ができ、その支えてくれた人に本当に感謝しています。石川恵美
ワークをしていくうちに普段の日常生活からでは得られないような喜びや感謝の気持ちをもてるようになり、神様に全奉仕をするということがこんなにも喜ばしいことなんだということを思うようになりました。石川実可子
私は確かに、困っている人へ奉仕するためにアメリカへ行きました。でも、自分自身のために奉仕することで、自分を見つめなおし、新たな考えを見つけることができました。平岡恵

会議のお知らせ

■常議員会
第22回総会期第2回常議員会が左記の通り開催されますので、議案のある方は、所属教区常議員会を経て、ご提出ください。

【日時】11月8日(水)~10日(金)
【会場】ルーテル市ヶ谷センター
以上
2006年10月1日 常議委員 会長 山之内正俊 書記 松岡俊一郎

訃報

南里卓志牧師(引退教師)が、8月31日(木)午後3時18分、召天されました。謹んで哀悼の意を表し、お知らせ申し上げます。

教会手帳・訂正

■石井 昇 〒869・2611 熊本県阿蘇市一の宮町坂梨3293-22
電話・FAX共用 0967・22・1618

住所変更

■藤本義和 電話・FAX共用 0463・70・5133
■恵み野教会 メイル k-fujii@jelc.or.jp

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