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機関紙るうてる

るうてる2014年4月号

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説教 「神はあなたの名を呼んでいる

使徒言行録10章39~45節 コロサイの信徒への手紙3章1節~5節 
ヨハネによる福音書20章1節~18節

日本福音ルーテル教会牧師 高村敏浩(フィラデルフィア ルーテル神学校留学中)

 第四福音書と呼ばれるヨハネによる福音書は、他の福音書とは異なった視点からイエスを伝えます。日課もその例にもれません。
 この福音書にはいくつかの特徴がありますが、特に二つ紹介します。一つは、繰り返し起こる信仰(発生)の枠組みです。弟子たちを含むユダヤ人たちは「しるし」と呼ばれるイエスの不思議な業を見て信仰へと至ります。つまり「見る」ことが「信じる」ことなのです。福音書の大部分でこのパターンが繰り返されますが、最後には、復活したイエスを見て触れるまで信じないと言ったトマスに語るイエスの次の言葉が、信仰が「見る」ことからではなく「聞く・聴く」ことからはじまることを顕かにします。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる者は、幸いで(キリスト)であること―を信じたのではないことは、9節から明らかです。二人は家へと戻ります。マリアだけが残されました。
 一人になったマリアが再び墓の中を覗くと、そこには二人の天使がいました。そして振り返ると、イエスが立っていたのです。しかしマリアはまだ、イエスであることには気付いていませんでした。イエスはマリアを「婦人」と呼んで話し掛けます。マリアはそれでも気付かず、園丁だと思ってイエスと話しました。イエスは、今度は彼女を「マリア」と呼びます。すると、マリアはそれがイエスだと分かったのです。
 この話は創世記3章を想起させます。神のことばにではなく、蛇のことばに耳を傾け従ったアダムと女は、エデンの園で二人を探す神から隠れます。そして女は裁きのことばを与えられました。日課は逆に、園の中で姿を隠す神であるイエス(園丁)と、そのイエスを探すマリアとを伝えます。彼女は熱心にイエスを探し求めますが、見つけることはできませんでした。「婦人」と呼ばれるマリアは、イエスを探し求めていても実は、自分から姿を隠したエデンの園での「女」だったからです。しかしイエスは、マリアを名前で呼びました。曖昧な、誰でもいい「女」や「婦人」としてではなく、イエスは「マリア」に呼びかけたのです。マリアその人を呼び求めたのです。そして彼女には、福音のことばが与えられました。
 私たちの神は、最初のイースターにマリアにそうされたように、私たち一人ひとりを呼び、求めておられます。曖昧に「女」や「男」としてではなく、「あなた」を、あなたの名を呼んで求めておられるのです。私たちはともすると、日課のマリアがそうであったように、神を探し見つけることが信仰のすべてであるかのように錯覚していないでしょうか。
 しかしイースターの出来事は、私たちの信仰が、神がキリストを通して私たちの名を呼び、求め、見つけることであると伝えます。たとえあなたが見つけられなくても、神はあなたを見つけ、あなたを名前で呼んでおられます。 イースターの朝、私たちはその声を福音として聴き、信仰を与えられるのです。主キリストの復活、おめでとうございます。

宗教改革五〇〇周年に向けて ルターの意義を改めて考える(24)

ルター研究所所長 鈴木 浩
 
 予定論を断罪したのは、アウグスティヌスの死後百年経った五二九年に開かれたオランジュ教会会議であった。ここでは、アウグスティヌスの名前は出さずに、「滅びへの予定」という「二重予定」の教理を唱える者は「呪われる」と宣言された。
 「二重予定論」とは、「選びへの予定」と同時に「滅びへの予定」を唱える教理である。しかし、予定論はすべて「二重予定」に通じている。「救いへの選び」といったん口にすれば、「選ばれない人」が暗黙のうちに前提されるからである。「不合格」の人がいるから、「合格者」が出る入試と同じである。全員が合格なら、入試は無用になる。「上」と言えば、「下」があるのと同じである。
 「予定」が強く主張されれば、「自由」がなくなることもすぐに分かる。
 長い間沈黙させられていたその予定論を復活させたのが、カルヴァンであった。それ以後、カルヴァン派の伝統の中では、予定論の教理が、「堕落後予定論」とか「堕落前予定論」など、煩瑣なものになっていく。
 しかし、「律法の第三用法」と同様、ルターはここでも深入りはしなかった。

議長室から

「るうてる」の貴重な紙面枠をいただくことになりました。これまでにも歴代の議長が紙面を借りてご自分の見解を表明されたり、諸教会に期待することを述べられたことがありました。私自身も歴代の議長に倣いたいと思います。
 ただ、公式の表明や見解というものではありません。二年間議長職に身を置かせていただき、これまで見えていなかったことに気づかされ、様々な課題に直面し、あるいは意外な可能性を感じたことの議長を担うという意味が込められているのです。総会は二年ごとの開催ですから、閉会期間中は常議員会が教会行政を担います。「常議員会会長」とは、その常議員会の長も担うことを意味しています。
 この説明だけでもきっと皆さまは、「議長はなんと会議好きなんだろうか」と思われることでしょう。「会議は踊る、されど進まず」と、無駄な会議を重ねた歴史を揶揄した言葉がありますが、これと似た印象をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。会議で踊ることはありませんが、手帳を見ると、たくさんの会議があることに気づきます。
 実はこの二年間で減らした会議もありました。回数を減じるべき会議もまだあるように思いますが、逆に回数の増えた会議もありました。要は、会議のための会議ではなく、福音が一歩でも前進するための会議を行いたいと考えているのです。
 実りある諸会議のために、会を組織する教職、信徒のためにお祈り下されば幸いです。
 総会議長 立山忠浩

「2・11にディアコニアをおもう」

第13回ディアコニア・ネットワーク名古屋セミナーは、2月11日(火)信教の自由を考える日に、なごや希望教会今池礼拝所を会場に開催されました。
 谷川卓三牧師(ネットワーク代表)の開会礼拝にはじまり、午前中は、造られた「自由」のもとに進められようとしている憲法改悪に警笛をならす内河惠一氏(弁護士・なごや希望教会員)による「日本国憲法の危機と自民党の憲法改正草案の思想を探る」と題する基調講演がおこなわれました。
 続いて午後には、問題提起として、ルターの二王国論をもとに語られた末竹十大牧師による「社会の右傾化とルーテル教会論」、日本キリスト教団の「宣教基礎理論」改訂の動きなどを踏まえての中村朝美牧師による「戦争責任告白の現代的意味と課題」がそれぞれ発題されました。
 参加者は、部分参加も含めて47名となり、関心の高さがうかがえました。
 いずれも2月11日にふさわしい、「日本という社会の中に生きるキリスト者の現実を如何に受け止めるか?」という発題でした。昨年おこなわれた大阪・釜ヶ崎でのセミナーが社会の中に生きる「キリスト者」に焦点をあてたセミナーであるとするならば、今回のセミナーはキリスト者が生きる「社会」に焦点をあてたセミナーとなりました。そして、日本に生きるキリスト者である「私」を考える時に、どちらか一方のみではありえないのだという思いが、参加者の声から伝わってきたセミナーとなりました。
 なお、今年の秋のセミナーは、9月14日(日)~15日(月・休)に田中正造をとりあげて東教区小石川教会を会場に開催される予定となりました。ひとりでも多くの方が共に集って、ディアコニアについて思いを深めるときとなるようにと願っています。
 千葉教会 小泉 嗣(東教区社会部長・東教区ディアコニア委員)

九州地域教師研修会が開かれました

 九州地域教師研修会が教区牧師会との合同研修会として、2014年2月17日~18日まで、熊本教会とメルパルクを会場に開かれました。九州地域教師会員は22名全員参加(急きょ病気欠席あり)の開催でした。現任牧師は18名、学校関係教師4名です。いまこの人数で広い九州教区の宣教と牧会にあたっています。
 研修会の一番の目的は、箱田会長の「牧師たちがゆっくり語り合い、交わりの時間を多くとる」というものでした。熊本地区の教職もすべてメルパルクに宿泊しました。いつもは遠く離れている教職たちが、共にゆっくり集う時間を設けること。共に語り合うことで、ルーテル教会の教職としての一致を目指すものでした。多くの教職が本当にゆっくりと自分たちの課題を語り合い、あるメンバーは朝4時まで語り合っていたそうです。翌朝の集いで出会った顔が清々しく見えました。
 今回のテーマは「宗教改革500年にむけて」でした。立山忠浩総会議長をお迎えし、明日の宣教へ踏み出すために「過去に学び」「今を問い」「明日に踏み出す」という基本理念をお聞きしました。また各地域の教師会に期待することをお聞きしました。 
 またそれだけでなく、「宣教の目標としての洗礼?」というテーマで、小教理問答書を手掛かりとした「洗礼」についての課題にも言及されました。2名の教職からのリアクションがあり、地域教師会としても500年にむけて取り組んでいくことが協議されました。
 また、今回の研修会では教師会メンバーから提言があり、首相の靖国参拝をうけて、いま靖国神社の何が問題となっているかを協議する時間を設けました。秋山仁牧師、岩切雄太牧師が発題を担当し、崔大凡牧師がリアクションをし学びと協議の時間を持ちました。
 地域教師会としてもこの問題をどのように受け取り、何をしていくのか。多くの意見が出され、今後も継続してこの問題を取り扱っていくことになりました。(九州地域教師会 書記 立野泰博)

速報 JLER、最後の本部会議

 3月14日(金)、東京のルーテル市ヶ谷センター会議室にて、「ルーテル教会救援」活動の最後の本部会議が開催されました。現地から派遣牧師の野口勝彦先生とスタッフの佐藤文敬さん、そして日本福音ルーテル教会から6名、日本ルーテル教団から3名。近畿福音ルーテル教会から2名。西日本福音ルーテル教会から2名。ルーテル学院大学から2名、日本福音ルーテル社団から1名が出席しました。会議では、3年にわたる活動の報告がなされ、そして、それぞれの教団、教会、団体独自の今後の活動計画、予定が語られました。最後に、本部長青田勇先生が、「海外から多大な募金をいただき、教会としてはまれな大規模予算で、待ったなしに開始されたプロジェクトでしたが、事故もなく終えることができました」と報告。一同感謝。祈りをもって始めたこの事業、3月末の主日には、全国のルーテル教会で共通の祈りをささげて、締めくくりました。広報室長 徳野昌博

牧会者ルターに聞く 12

石田順朗

第四章 ルーテルDNA
最終回・「有限は、有限のままで、無限を体現する」

 度重なる海外出向の最終期は、大学院の母校シカゴルーテル神大での八年間。赴任して二年目(一九八七年)、はからずも、近接のシカゴ大学ロックフェラー記念チャペルを式場にして挙行された学位授与式でのコメンスメント・スピーチを仰せつかった。長男の卒業に因んでセントオラフ・カレッジでのスピーチ(一九七四年)の経験はあったが、身にあまる大役。 六月六日、日曜の夕べ、説教壇に立って、仏教から改心、他教派より転会、牧師への献身、十五年に及ぶLWF勤務など過ぎ来し方を回顧しつつ、「Finitum capax infiniti(有限は無限を包摂)」を主題にしたメッセージを、壮大なチャペルを埋め尽くす会衆へ精一杯、伝えた。
 ルターの宗教改革に深く関連するパウロ書簡(ローマ、ガラテヤ)で神学的に強調される信仰義認、即ち「聖書、恩恵、信仰のみ(sola)」から暫し離れて、コンリント二の基盤にある「神の恩恵はあなたに十分である」(一二・九)の「十分・充足 (safficit)」に目を移しながら論を進めた。
 まず、この「十分・充足」は『アウグスブルグ信仰告白』の第七条「教会について」の文脈でも大事な用語 (satis ) であることを指摘し、「聖書、恩恵、信仰のみ」は「神の恩恵はあなたに十分である」との現実を大前提にすること。
 第二には、「のみ」だけの強調では「他力本願」に陥り「無精、無策、無気力」で 姑息な宗教人へと(教会をも含めて)なりかねないこと。
 それに第三点、神の恵みが充溢する他人ごとならぬ「わが身のこと”生活の座”」を真剣に見つめ、召された自分自身の存在意義を前向きに捉えて、積極意欲的に発揮すること、これらが肝要であり、正に、その時機到来だと懸命に訴えたしだい。
 実は、この「有限と無限の実り多い包摂」を言い出したのはルター。そもそも、スイスの改革者ツヴィングリやカルヴァンとの「聖餐論争」で、ルターが、いわゆる「現在説」を根拠づけたのがこの「有限は無限を包摂」。それは、J・S・バッハの Mass in B Minor(ミサ曲 ロ短調)でも、theologia crucis(十字架の神学)や simul justus et peccator(義人にしてなお罪人)と並んで奏でられる。

 私たちキリスト信徒は各人、あくまでも有限(土の器)のままで、無限化(全知万能化)するのではなく、神の言葉(聖書)にとりつかれ、罪赦され、義人となり、全能の神の お恵みとご恩寵が「いま、ここで」わが身に充溢し体現されるようになる。それは、「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるため」である(コリントII 四:七~ )。
 何の紛いもなく「ルーテル DNA」の成果であると、わたしは信じて止まない。
いしだ よしろう 引退牧師、九州ルーテル学院大学名誉学長 LWF元神学研究局長

「ルーテル教会救援」JLER 活動終結

 東日本大震災の発生から3年を経て、「ルーテル教会救援」、JLERの活動は終結します。日本にある四つのルーテル教会の共同の活動でしたが、三つの教会、教団の代表者、担当者と、現地スタッフの代表者から、ご挨拶をいただきました。 広報室

日本ルーテル教団 
東日本大震災支援対策責任        安藤政泰

 女子高校生が被災者のお年寄りの話に熱心に耳を傾ける。美しいハープの演奏に思わず涙する演奏会の聴衆。話すお年寄り、演奏を聴く聴衆、慰められたと思います。しかし、訪問した高校生、演奏した音楽家も神様の祝福を受けたと信じます。この他、様々な活動を、奉仕を、キリストの愛の業として、教会から外に向かって行うことができたのも、4つのルーテル教会を中心とし、社団、大学が協力したことによる祝福を思います。労されたJLERの働き人に感謝します。

近畿福音ルーテル教会    総会議長 末岡成夫

 主の御名を崇めつつ、東日本大震災で犠牲になられた方々に心より哀悼の意を表します。また今もなお悲しみと苦しみの中に懸命に歩んでおられる皆様の上に主の慰めと平安をお祈り申し上げます。ここまで各ルーテル教会が互いに協力し、祈りを一つにして活動できたことは、主のあわれみと御導きによる事だと思います。これからもお一人お一人が主の愛と希望に満たされますように祈り続けます。JLER活動のことを祈り、そしてお支え下さいました皆様に心から感謝いたします。

西日本福音ルーテル教会  総会議長 松村秀樹

 2011年3月11日の東日本大震災から、日本は大きな悲しみに包まれました。西日本福音ルーテル教会は、地理的に遠く離れているとはいえ、阪神大震災を身近に体験した教団です。私たちも何かできることはないだろうか、と祈る毎日でした。
そのような中、JLERの働きが始まり、その働きに参加させていただくことが出来る幸いを本当に感謝いたしました。これまでの働きが、これから後に伝えられ、生かされて、この日本のために、用いられていくことを心から祈っております。

ルーテル教会救援 現地スタッフ 佐藤文敬

この3年の活動を振り返ると、雑巾プロジェクトが象徴的ですが、いずれの活動も教会のみなさんの支えと協力があってできたものばかりでした。そうした「支えがある」といつも感じられることが力となり、様々な支援活動を展開できたように思います。現地の状況はまだまだですが、これを一つの区切りとしつつも、ここで得たつながりは大事にし、これからも何らかの形で関わっていくつもりです。これまで本当にありがとうございました。

第25回総会期 第七回常議員会

 第25回総会期第七回常議員会が、二月十九日から二十一日にかけて、東京の市ヶ谷センターにて開催されました。

▼人事事項
 二〇一四年度の人事が決定しました。本頁左項に記しております。本常議員会一日目の夜に人事委員会を開催する異例の展開になり、ようやくの決定となりました。これからの人事の在り方に課題認識を引き継ぐ要素が浮き彫りになりましたので(※25-7議長報告にて言及がなされております)、次年度までに要因を踏まえた熟考が求められます。
 4名の教師が退職をなさいます。本年は神学校卒業者がおらず、新任教師はおりません。 全体として、宣教師/出向教師及び牧会委嘱/留学含めて、一〇六名の教職が、宣教の務めに任じられております。
▼申請・提案及び協議事項
 申請事項では教会規則の変更、土地建物の貸借の申請がいずれも承認されました。
 二〇一三年度収支決算と二〇一四年度当初予算、更には二○十五・二○十六年予算案が会計より提案されました。本教会の収益事業関係はやや好転、しかし財政規模は今後、減少に向きを変える方向での予算とされました。とりわけ教職数の減少、全国的な各個教会における財政力の減少が予測される認識での協議を経て、当初予算が可決されました。
 提案事項では、「社会委員会規定」の改定、「教職・職員共済会厚生見舞金規定」の改定、讃美歌再販調査委員会の設置等が決定されました。中でも社会委員会に関しては、我々ルーテル教会は、社会の事柄にどのように関わるのか、その基本認識について協議され、一定の合意形成が表現される改定となりました。
 協議事項では、教会推薦理事の推薦(交代)、来る第26回定期総会に関する協議、宗教改革500年記念事業の件、JLER活動終了後の宣教活動の件につき、協議されました。
 前回より継続審議となった、今後予想される災害に際しての教会の動き方について「災害時における活動基本方針」が宣教室より提示されました。協議の後、これを基本指針と決議し、常議員会全体でイメージが共有されました。
本常議員会の詳細は、教会宛に送付される議事録をお読みください。

日本福音ルーテル教会2014年度人事

●提案者 人事委員会(委員長:立山忠浩常議員会長)

〔敬称略/五十音順〕
○引退
(2014年3月31日付)
 ・髙塚郁男
 ・濱田道明
 ・藤井邦昭
 ・藤井邦夫

○新任
 ・該当なし
○人事異動
 (2014年4月1日付)
【北海道特別教区】
 ・該当なし
【東教区】
 ・佐藤和宏        藤が丘教会
 ・徳野昌博        仙台教会(主任)、鶴ヶ谷教会(主任)
 ・野口勝彦      長野教会・松本教会
【東海教区】
 ・朝比奈晴朗     知多教会(主任)
 ・後藤由起        掛川・菊川教会(主任)
 ・富島裕史        静岡教会、富士教会(主任)
 ・花城裕一朗       知多教会
 ・三浦知夫        浜松教会(主任)、浜名教会(主任)
【西教区】
 ・神﨑伸         賀茂川教会
【九州教区】
 ・教区長預かり       長崎教会(主任)
 ・教区長預かり      佐賀教会(主任)
 ・教区長預かり      二日市教会(主任)
 ・教区長預かり       甘木教会(主任)
 【出向】
 ・小副川幸孝       九州学院
○休職
 ・該当なし
○その他
 ▽任用変更
 (2014年4月1日付)
 ・後藤直紀 
  (一般任用から嘱託任用へ/浜松教会)
 ・花城裕一朗
  (一般任用から嘱託任用へ/知多教会)

▽宣教師
 (2014年3月31日付)
【J3プログラム退任】
 ・パトリック・ミアーズ   ルーテル学院中学・高校
 ・ルーカス・シャテレン  本郷学生センターと文京カテリーナ
▽牧会委嘱
 (2014年4月1日付 /一年間)
 ・明比輝代彦    富士教会       
 ・伊藤文雄     復活教会
 ・勝部 哲      沼津教会     
 ・白髭 義     二日市教会、甘木教会 
・藤井邦昭      仙台教会、鶴ヶ谷教会 
・横田弘行      掛川・菊川教会        以上

  

J3の働きを終えて

ルーカス ・シャテレン

 今、私はJ3の仕事を完了しました。もう三年間になったこと、本当に信じられません。「光陰矢の如し」でしょう。でも、東京に住んでいる時を思い出せれば、嬉しみが一杯になります。
 本郷では私が色々な学生に教えられました。3歳から86歳までの学生がいました。私が教師でしたのに、学生にたくさん面白いことを習いました。
 カテリーナ女子学生会館でも教えました。留学できるように英会話クラスをしました。そんな希望ある学生を励ましたり、手伝ったりするのが大好きでした。
 これから、私は一ヶ月間ぐらいアメリカに家族と友達に会いに帰るつもりです。そのあと、日本に戻って、仙台の日本語学校に入ることが決まっています。将来を楽しみにしているけど、J3の経験は忘れられません。どうもありがとうございました。

パトリック・ ミアーズ

 私は2012年3月から2014年3月まで熊本のルテール学院高校と中学校の宣教師でした。私は多くの素晴らしい経験をしました。言語と文化の違いは、多くの難しさをもたらしましたが、それ以上の価値ある経験をしました。
 私は日本に住んでいる間、多くのことをする機会に恵まれました。私は高校一年と三年生と、中学校の二年生、三年年の生徒を教えました。また高校の英語クラブで教えたり、年間を通じて様々な宗教的な活動をしました。また、水曜日の夜には英語聖書研究会のため、室園教会に出席しました。日曜日の夜には、熊本教会で英語の礼拝をリードしました。
 私が経験したことの良い面と共に悪い面をも忘れてはいけません。私は人間の心に住んでいる悪を見てきました。私は広島の原爆の震源地に立った時に、この悪の実体を見ました。私は戦争という人間の悪が起こした破壊に恐れを抱くと共に、極端な悲しみだった。しかし銀の裏地があります。私は未来への希望として、東北で見た愛が私に力を与えた。私は神が働いて、この希望を与えてくれました。この体験は初めてではないが、それらはすべて同じく素晴らしいです。強さを与え、時代の最も暗い中で、私たちを助け、神はあなたと常にあることを覚えておいてください。

公 告

 この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します  二〇一四年四月一五日
宗教法人 日本福音ルーテル教会 代表役員 立山忠浩
信徒利害関係人 各位

     記

水俣教会土地建物無償貸与
(ア)水俣教会土地無償貸与
 ・所在地 水俣市陣内2丁目
 ・所有者 日本福音ルーテル教会
  地番  80番1
  地目  宅地
  地籍 506.88㎡
(イ)水俣教会建物無償貸与
 ・所在地 水俣市陣内2丁目80番地1
 ・所有者 日本福音ルーテル水俣教会
  家屋番号80番1
  種類 教会堂
  構造 鉄筋コンクリート造屋根
  床面積 
  1階 95.06㎡
  2階 22.70㎡
    
 ・理由  
  学校法人水俣ルーテル学園早蕨幼稚園の園庭・園舎のために土地建物を無償貸与する。貸与期間は契約締結日から一〇年間とする。      以上

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