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機関紙るうてる

るうてる《福音版》2008年2月号

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バイブルメッセージ 出会い

イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。ヨハネによる福音書20章16節(日本聖書協会・新共同訳)

「出会いは別れの始まり」という言葉どこかで聞いたことがある。
何かの歌だっただろうか。
でもね、「出会いは永遠の始まり」なんだよ。
どこかで偶然、出会う人。こんな人とは出会いたくなかったと思う人。
一緒に写真に写ってて、あーこんな人そういえばいたわ、と思う人。とても印象に残っててもう一度会いたいなって思う人。家族も出会いの一つ。
父の葬儀の後、あるご婦人が私の所へ駆け寄って来て、こう言った。
「あなたのお父様とうちの主人、天国で会って握手してるわよ」って。
もちろん、父とその方のご主人は生前、面識はない。
私と奥様が知り合いなだけ、でも私にも父とその方のご主人が嬉しそうに天国で私たち二人の話をしているように思えた。
出会いは与えられているんだよ。
あなただから与えられる出会いなんだ。大切なあなたに。
あなたが生きているかけがえのない「今」この時に。
でも、心配はいらない。与えられた出会いは永遠なんだ。
決して、あなたから引き離されない。また会える。
会えるよ。
そして、あなたに出会う人は、あなたを通して命に出会う。
自分も大切にされている存在なんだと、あなたとの出会いを通して。
何も特別なことをしなくてもいいんだ。
別に飾らなくてもいい。
あなたがそのまま用いられているから。

出会いは人だけじゃない。
景色や香り、空気や色、草や花。
あなたが行った旅行先で、あなたが歩いたあの道で。
ちょっと遠回りした電車の停車駅で。
ボーッと観ていたテレビや映画の中で。
なんとなく読んだ本の一節に。詩に。
そんなとき、自分に出会う。
自分の思い出? 自分の過去? 後悔?
違う、あなたが出会うのは、「今」を生きている自分。
大切な命の存在。たった一つのかけがえのない存在に。
だって、あなたしかいないから。
たった一つの命だから。
S

大人を育てる絵本からのメッセージ

ラヴ・ユー・フォーエバー

作:ロバート マンチ
翻訳:乃木 りか /絵: 梅田 俊作
出版社:岩崎書店

絵本というと小さなこどものための本というイメージがありますが、大人にとっても生きるヒントになる本がたくさんあります。ここでは子育てという視点でお話をしていますが、あらゆる人間関係においてもお役に立てていただければ幸いです。

愛する気持ち
子育てをしていると、大変なことがいっぱいあります。なかなか自分の時間を作る余裕を持てなかったり、子どもの成長に応じて、心配事も悩み事も尽きません。子育ては、本当に体力も精神力も必要な作業です。なかなか思うとおりにいかず、疲れたりイライラしてしまい、些細なことでも怒鳴りたくなってしまうこともありますよね。そんなときに、子どもが生まれたときのあの愛しさや、どんなに怒鳴ってしまってもわが子をとても大切に思っていることを思い出させてくれるのが、今回の絵本です。どんなにイライラした日も、夜になるとお母さんは子どもをだっこして歌うのです。♪アイラブユー いつもまでも アイラブユー どんなときも わたしが生きている限り あなたはずっとわたしの赤ちゃん♪ 子どもがどんなに思い通りにならなくても、命をかけて守りたい! そんな愛しい存在であることを夜になると思い出すのです。

子を持って知る親の恩
わたしは、この絵本を読んでいるとわが子への愛だけでなく、両親がわたしに注いでくれた愛についても思いをはせずにはいられません。私的なことになりますが、わたしの姉は小さい頃から歌が大好きで、街を歩きながらでも大きな声で歌っているような子どもでした。母は、そんな姉を見て、「いっしょに歩くのが恥ずかしい」とか「静かに歩きなさい」とは決して言わず「上手よ~。みんなが聞いてるわ。もっと歌って~」といつも嬉しそうに褒めていました。そのおかげかはわかりませんが、姉はその後、音大の声楽科に進み、今でも歌うことが大好きです。姉が人前で歌うことを恥ずかしいこととは思わずに、ずっと歌うことが大好きなまま成長できたのは、少なからず母の影響もあったと、わたしは思っています。長くなるので割愛しますが、母はわたしや兄に対してもそんなあたたかな愛情をいつも降り注いでくれていました。それなのに、そんな母の愛情を知ったのは、ようやくわたしも子どもを育て始めてからでした。母はのんびり屋のおっちょこちょいだったので、子どもの頃わたしは自分がしっかりしなければと思っていましたし、もちろん母からいろんなことをしてもらっていたものの、どこか『わたしは自分の力で大きくなった』と思っているところがありました。ところが、子育てをする機会を与えられて、やっと母が自分にしてくれたこと、そのひとつひとつに愛があふれていたことに気づいたのです。

愛されているから
愛することができる
愛されているという実感が心を満たし、子どもにも周りの人にも愛を送ることができるのだと、わたしは思います。そして、愛を受けた子がまた、周りに愛を送ることができるようになるのだと。ただ、愛されていることに気づいていない子どももたくさんいることは事実です。言葉、態度……できるだけわかりやすい形で愛を伝えることができたらいいのにと思います。命をかけてわたしたちを守ってくださったイエスさま。わたしたちの誰もが、すでに愛されているのです。その愛が、親子、家族、友だち……と連鎖していき、子どもたちを取り巻く悲しい事件がなくなり、幸せな笑顔の輪が広がっていきますようにと祈ってやみません。

HeQi Art 聖書物語

エマオで現れる Supper at Emmuas

一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。
ルカによる福音書 24章28~32節

たろこまま「いのちを語る」

君、死にたまふことなかれ。
(出エジプト記20章13節)

季節外れですが、先日、第二次大戦から奇跡的に生還した、ある特攻隊員の話をTVで見る機会がありました。周りでそういう貴重な体験を語り継げる人と出会いがなかった私には、ただただ衝撃のひと言でした。
お国のために、を常套句に、家族や大切な人を守るために死なざるを得なかったあの状況──主人公が当時20歳に満たないのにも驚愕ならば、その上官が23歳というのも驚きです。私の年の半分に満たない若さで出兵を志願し、死にに行くための訓練を積み、突然の召集を待つ日々。 本音の書けない遺書を携え、旅立ちの日に盃を交わすセピア色の写真も、誰一人泣いていないのに泣けました。
誰も死にたくないし、殺したくない──でも相手を殺さなければ、殺されてしまう理不尽さ。市井の人々も然り、暗黙のうちに国中が死ね、殺せと言ってる中、『はだしのゲン』の主人公たちのように公に反戦を唱えれば非国民として、同じ国民に黙殺されるような狂気の時代が、ほんの少し前に存在したのです。
これらを見せつけられ、ふと私もそういう状況下、人として守り抜きたい思いを貫けるか──加えて今、私たちが彼らが精一杯生きたように生きているだろうか考えてしまいました。
皆さんは精一杯生きていますか? そして精一杯生きる相手を尊重して生きていますか? 今日の「殺してはならない」の句、これは自分の命も然り、相手の命をも包含する奥深い一行かと思います。2月、早春とは言い難い北海道の雪原に小太郎を抱えて立ち、青い空を仰いで、しみじみ思うのです。
今年も小太郎が大好きな整肢園に母子で通うため、そしてせめてこの子の成人式を見るため、私は筋トレにいそしむとしますか(遅ればせながら今年の抱負←三日持つかな? 笑)

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