るうてる2012年1月号
説教:喜びと純粋な心をもって、共に
聖 書:使徒言行録2章44-47節
日本福音ルーテル門司教会・八幡教会
岩切雄太
使徒言行録2章44-47節には、草創期のキリスト教会の姿(キリスト教共同体の姿)が記されています。「信じた者たちはみな同じ場所に居て、一切を共有していた。また財産や所有物を売って、必要とする者がいれば、それを誰にでも分けた。また思いを一つにして毎日神殿に居つづけ、また家ではパンを割き、喜びと純粋な心をもって食事を共にし、神を讃美し、民のすべての者たちに好まれていた。主は救われる者を日々一緒に加えて下さった」(田川健三訳著『新約聖書 訳と註 2下 使徒行伝』作品社)。
ここに記されていることが、どこまで史実であるのかは分かりません。なかでも、キリスト教会の人たちが、「民のすべての者たちに好まれていた」ということは事実ではなかったでしょう。というのも、キリスト教会の人たちは、「民」によって十字架の刑に処されたばかりのイエスをメシアとして信じる人たち、だったからです。ここに描かれているのは、使徒言行録の著者ルカが、四十数年前の草創期のキリスト教会を想像しつつ描いた「理想化」した姿なのでしょう。
しかし、ここに描かれている教会の姿がたとえ仮説的なものだとしても、「民のすべての者たちに好まれる」教会とはそのような教会である、ということに私たちは同意することができるのではないでしょうか。
さて、草創期のキリスト教会のメンバーがどのような人たちであったのか、ルカは記していません。ここでは、そこに集う人たちが、どのような社会における境遇の人であるか、階級上の地位や社会的身分がどのような人であるか、その人がどれだけ生まれつきの資産や能力を備え、知性、体力を有しているか、そのようなことが注意深く取り除かれています。そしてその上で、ルカは、全員が神の前に同じ状況に置かれているということを、「一切を共有していた」という一言で表そうとしたのではないでしょうか。どんな人も生まれのめぐり合わせや社会的な情況のよしあしによって当人の有利・不利が左右されない、それによって当人の優劣は決まらない状態、それを「(人々が)一切を共有していた」状態である、と。また、「(人々が)一切を共有していた」ということは、人々は「一切を共有すること」に合意していた、ということす。つまり、全員が神の前に公平である、そのことに合意した人たちによってキリスト教会は出発している、とルカは描くのです。
そして、全員が神の前に公平であるという状態に合意した共同体であるがゆえに、人々は、それぞれの能力は個人のものではなく、共同体の共有財産であると考えたのでしょう。だから人々は、それぞれの能力によって得た「財産や所有物」を、「必要とする者がいれば、それを誰にでも分けた」のです。ここには、分け与える者と施しを受ける者、強者と弱者という境目がありません。このような共同体だからこそ、「民のすべての者たちに好まれていた」のです。このことに、私たちも、ルカとともに同意したいと思います。そして、その同意から現実の問題に向き合っていきたい、と。
ところで、ジャン・バニエは「あなたは輝いている」(一麦出版社)という著書の中で、次のように言っています。『ルネ・ルノワールは、彼の著書「除外されたもの(The Outsiders)」の中で、カナダの先住民の若者のことを書いています。20人の子どものグループに対して、質問に最初に答えられた子に賞品をあげると約束して「フランスの首都はどこですか?」と聞きました。子どもたちはみんなで話し合ってから、声をそろえて「パリ!」と叫んだのです。なぜそんなことをしたのでしょうか。その理由は、賞品をもらえるのは20分の1の確率で、一人しかもらえないからです。そして誰か一人が賞品をもらえば、その人はもうコミュニティの一員ではなくなってしまうのが分かっていたからです。勝った人は他の人より上位に立ってしまうのです。私たちが生活する豊かな社会では、多くの人が賞を得る代わりにコミュニティや連帯の意識を失っています。より貧しい国では賞を得ることはありませんが、連帯感を保っていられます』。
私たちの日本福音ルーテル教会が、「喜びと純粋な心をもって」、よりいっそう連帯感を深めていくことができますように。そして主が・・・。
ルターによせて(9)
ダビデの原則
ルターにとって、詩編は少年時代にラテン語学校で教会の典礼音楽を学び、聖歌隊隊員として詩編を歌う指導を受けて以来、生涯にわたる拠り所として親しんで来た書だ。
彼の修道士としての生活は一五〇五年から一五二四年までの二〇年間に及ぶが、修道院では毎日七度詩編によって構成された聖務日課(時課)を祈る。一週間で全詩編一五〇編が歌い通されるのだ。彼が全詩編をそらんじていたのも不思議なことではない。
この詩編との深い関わりを通して、ルターは「祈り、黙想、試練」が神学の正しい学びの方法だと言う。祈りは、自分の理解や考えに失望して神が御子を通して聖霊を送り、理解を与えて下さるようにと祈ることであり、黙想とは単に内的黙想のみならず、「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ(詩編1・2)」ことであり、そして、試練こそは試金石であり、知り、理解することを教え、神の言葉がいかに真実で、力強く、慰めに満ちているかを教えるのだと言う。彼は、この方法を詩編一一九編から「ダビデの原則」と呼んでいる。
私達もこの「ダビデの原則」に立ち帰り、新しい年を始めようではないか。
牧師の声
私の愛唱聖句
東教区付牧師 伊藤早奈
「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」
創世記1章31節
この聖句は今、私が支えられているみ言葉の一つであり、私自身への命の意味をいつも生きて囁いてくれています。
私は17年前に医師より脊髄小脳変性症という今の医学では治す方法がない進行性の難病であることを診断され、現在車椅子の生活をしています。
「なぜ、私は生きているんだろう」「私なんて生きていいのだろうか」と生きておられる誰もが思うことかもしれませんが、私も問い続けています。歩くことから始まり、しゃべることも字を書くこともやりにくくなる現実、できたことができなくなることばかりに心奪われる時、人は自分が存在していることさえ呪いたくなります。
ある日、私はある信徒の方に「先生、先生は病気にならなければ、牧師になりませんでしたよね」と言われ 、びっくりしたと同時に、なるほどなぁって自分がなぜ牧師に導かれてここに在るのかを改めて教えてもらったような不思議な気持ちになりました。 もし、私が病気と向き合う機会がなかったのなら、「神はお造りになった全てのものを良しとされた」なんてみ言葉は心に響かなかったのかもしれません。
今までできてきたのも神様に与えられたもの、当たり前のものなんて一つもない。失ったものばかり数えていると今与えられているたくさんのものに気付くことができない。神様は今もこの瞬間もかけがえのない一人一人にたくさんの恵みと愛を与え続けてくださっておられる。それは誰に比べることもないかけがえのないあなたという存在を必要とされておられるからです。だから、私もあなたも世界中の一人一人が神様の保証付きです。
今私は生きることを許され今を生かされてある命の尊さをこのみ言葉と共に伝える者として神様に用いられたいと願っています。
信徒の声
堅信までの歩み
札幌教会 浅井明郎
私が両親を始め家族とともに、札幌教会で洗礼を受けたのは、1934年のクリスマスでした。
当時は日曜学校に欠かさず出席していましたが、1938年に尋常小学校を終えたとき、6年間「落ちこぼれ」であった私自身の将来を考えて、住込みの菓子職人見習いとして働き始め、4年後には海軍の機関兵として巡洋艦の罐を焚き、1946年に復員したものの当時の食糧事情から菓子職人に戻ることを諦め、罐焚きの職を得て、土曜、日曜もなく働いたので、教会に行くことは出来ませんでした。
家族の中で、唯一人教会にも行かず、働くだけの男を「一家の異端者」と見る向きもあったようですが、身を以って働くほかに何の取柄もない男が存在するのも「神の摂理」であり、罐焚きの仕事も、神が私に与え給うた賜物と信じております。
1995年に退職しましたが、長年、教会から足が遠退いていた私は、内心忸怩たるものがあって、直ぐには教会に戻り得ず、我が家で聖書を読み進む中「迷い出た羊」のたとえ(マタイによる福音書18章12~14
節、ルカによる福音書15章3~7節では「見失った羊」のたとえ)に目が留まり、戻れる道に辿りつきながら、進むことをためらう己の姿に気が付き、思い切って2000年の夏に札幌教会を訪れました。
当時の主任牧師斉藤忠碩先生を始め教会の皆様は、六十二年振りに舞い戻った男を快く迎え入れて下さり、堅信教育の場も整えられて、その年のクリスマスに七十五歳で堅信会員となり得たのは、私にとって望外の喜びであり、感謝しております。
これからは、六十六年の間、未堅信であったことを忘れずに、研修に努め、信仰一途に余生を送る所存です。
フィンランド教育事情
大切なあなた
春学期は、卒業試験を目前にしたフィンランドの高校生には、大変なストレスを感じる時期です。2月の中旬には全ての授業が終了し、その後、家での自習期間に入ります。その期間中、高校生は3月14日~30日に行われる様々な試験にむけて、勉強します。
しかし、その準備に入る前に、小学校から12年間に及ぶ教育を終了した3年生はお祝いをします。生徒たちは、テーマを決め、そのテーマにそった面白い恰好で学校に集ります。そして、皆の前で先生たちについて楽しい歌を歌ったり、劇をしたりします。
その日の夕方には、翌学年に高校の最終学年を迎える2年生たちも、お祝いをします。「最上級生たちの舞踏会」と呼ばれる舞踏会を開くのです。きれいなドレスを着た学生たちは、秋から練習してきたダンスを、学校と家族の皆さんに披露します。(写真)このようなのんびりした楽しい時は、学校生活の中でも珍しいことです。
高校の校長先生の高校生に向けた言葉を思い出します。「十分に休み、食事をし、運動して、卒業試験の準備をして下さい。」この言葉は、良い結果を得ることよりも大切なことがあることを教えてくれます。
神はこう言われます。「私の目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛」す(イザヤ43章4節)。 そして「 わたしはあなたを教えて力をもたせ、あなたを導いて道を行かせる。」(イザヤ48章17節)。成功や失敗にも関わらず、 祈り、全てを神に委ねる人は 、神の導きと守りの中にいます。ですから、良い成績を追いかけすぎて、自分を追いつめたり、大切なあなた自身を壊したりしなくていいのですよ。
ポウッカ・パイヴィ スオミ・キリスト教会
日本福音ルーテル教会の社会福祉施設の紹介 その20
「オンリーワン」 理事長 中本秀行
社会福祉法人オンリーワンは、前身であるNPO法人スモールワンの理念を引き継ぎ、2011年4月に設立しました。事業内容は障がい者福祉事業を全般に行っています。
毎日通所してくるメンバーは、児童も含め40名ほどで職員16名、パート3~4名で活動を行っています。
オンリーワンは、1998年、元町教会(現挙母教会元町礼拝所)の隣で空き家になっていた宣教師館を無償でお借りし、「知的障がい児の自立を支援する会スモールワン」として障がい児を持つ親 、数名で発足しまし
た。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」この聖書の言葉を掲げてのスタートでした。
当時は、障がいのある方が地域で暮らせる制度も無い時代でしたが、将来グループホーム等で親亡き後もずっと地域で暮らせる仕組みを作りたいと思い、活動を開始しました。当初は資金も無く、ボランティアの方たちの支援を頼りに行っていました。特に協力を頂いたのが教会の信徒の方たちで、土曜日の活動には、毎回お昼の弁当などを作って下さりスモールワンを支えて頂きました 。 また 、教会ではNPO法人になるまで高熱水費等を負担して下さり、 本当に大きな恵を与えられました。
その後、2005年にNPO法人化し、支援費制度のもと、障がい者デイサービス事業を行ない、今も数々の事業を行っています。事業規模が大きくなるにつれ、NPO法人と社会福祉法人のメリット・デメリットを考えた末、社会福祉法人化を目指すことになりました。勿論、容易ではありませんでしたが2年ほどの期間を経て、社会福祉法人認可となりました。
現在の事業内容は、生活介護事業・居宅介護事業・共同生活介護事業(ケアホーム)・児童デイサービス事業・地域生活支援事業・福祉有償運送事業等を行っています。日中の活動では、焼き菓子づくりの「お菓子工房ぐれいす」、物づくりの「創作工房アルカ」、喫茶・お菓子販売の「カフェギャラリーマテイニ」の運営をしています。
2011年12月には、豊田市の新・福祉センターにおいて、就労移行支援事業で喫茶・レストラン「ボンズカフェ」の運営をすることになり、障がい者の働く場所が拡大しています。
社会福祉法人オンリーワン 471-0855 愛知県豊田市柿本町5‐31‐2
TEL0565-28-0567
FAX0565-28-0590
私の本棚から
カレル・チャペック著 小松太郎訳
『園芸家十二ヵ月』中公文庫、1959年発刊、1996年改版
「新しい年を迎えるごとに高さとうつくしさがましていく。ありがたいことに、わたしたちはまた一年歳をとる。」最終章『十二月の園芸家』の最後の文章。
『園芸家になるには』から始まり、『一月の園芸家』、『二月の園芸家』と十二月まで続きます。
『園芸家になるには』には「ある程度、人間が成熟していないとだめだ。」『一月』は「そうこうするうちに、いやでも「春の準備」をしないわけにいかなくなる。」『二月』ではクロッカスの芽を見て、「これが春の最初のきざしだ」。『四月』は「人間が真理のためにたたかうことは事実だ。しかし、自分の庭のためだったら、もっといそいそして、夢中になってたたかう。」
『六月』には「神さま」で始まり「アーメン」で終わるチャペックらしい�T植物中心のお祈り�U。祈りの後に、「だって、エデンの園では、じっさいそのとおりだったにちがいない。そうでなかったら、エデンの園にあんなに草木がよく茂るはずはない。どう思います、諸君?」と続きます。祈りの中身は、本を手にして読んで頂きたい…。
『十二月』、「園芸家は思い出す。たった一つ、忘れたことがあったのを。それは庭をながめることだ。」
「園芸家に対する分析」=「チャペックの自己分析」の諧謔に然り。文章との掛け合いが楽しい挿絵は兄の素描。飯島周訳『園芸家の一年』(恒文社)が最近出ましたが、私は子どもの頃に親の本棚で見つけて読んだ小松太郎訳に親しみを覚えます。チャペックの本業は園芸家ではなく文筆家です。�Tロボット�Uという言葉を創った人、童話『長い長いお医者さんの話』や『郵便屋さんの話』の作家です。社会や人間への鋭い観察眼は面白い。チェコの風刺コメディ計三十八本の短編映画を 二日続けて四時間ずつ映画館で観たことがありますが、ほとんどがチャペック原作でした。�T寒中での園芸�Uが障って肺炎になり、一九三八年クリスマスに四十八歳で死去しました。
今月にこの本を選んだ理由は、一月から十二月までの巡りが神様に定められた時まで続くこの世での歩みと重なるからです。
熊本教会員、九州ルーテル学院大学図書館司書
水谷江美子
TNG
「いのち」について
2011年3月11日に東日本大震災が起り、春の全国ティーンズキャンプは中止になりましたが、2012年春は、「いのちってだれのもの?」というテーマでキャンプを開催します。震災で多くの「いのち」が犠牲になりました。 岩手県宮古市に住んでいた100歳の叔母は、津波を逃れることはできましたが、避難所で亡くなりました。
さてキャンプでは、『私の中のあなた』という映画を取り上げる予定です。サラは、夫ブライアンと長男ジェシー、長女ケイトと幸せに暮らしていました。しかし、2歳のケイトが白血病に侵されていることが分かり、家族の生活は一変します。両親に残された希望は、ケイトの生命を救うドナーに適合した新たな子どもを、遺伝子操作で作ることでした。そうして、次女のアナは生まれてきたのです。アナは、白血病の姉ケイトのドナーとして、へその緒の中に含まれる血液(その中に血を造る細胞が多量に含まれている)を提供し、その後も輸血を繰り返し、骨髄移植もしました。
けれども、アナが13歳になった時、両親を相手に訴訟を起こします。「16歳の姉ケイトの治療のために、腎臓をひとつ提供することを要求されているが、自分の体は自分で守りたい」と、アナは弁護士に告白するのです。
この映画の原作を読むと、アナの母サラは、最後にこう独白しています。「子どもはもうけるのではなく、授かるのだということにやっと気がつく。それは、かならずしも、わたしたちの期待や希望に適うほど長い時間ではないかもしれない。けれども、この子たちを〔ケイトとアナを〕授からなかったことを思えば、はるかにすばらしいことなのだ」。
イエス・キリストは、「命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか」(マタイ7・14)と言われています。私たちは、「いのち」を見出す者となりたいものです。
京都教会牧師 沼崎 勇
公 告
この度左記の行為を致しますので、宗教法人法第二三条の規定に基づき公告致します。
二〇一一年一二月一五日
宗教法人
日本福音ルーテル教会
代表役員 渡邉 純幸
信徒利害関係人 各位
西条教会の土地一部売却の件
土地分筆
所在 広島県東広島市西条町 土与丸字円行
地番 一五二三番一九より同番二〇に分筆
地目 田
地積 九二・〇〇-
理由 左記売却目的にて分筆
土地売却
右項記載の分筆した土地
地番 一五二三番二〇
理由 学校法人広島ルーテル学園(西条ルーテル幼稚園) の収容定員増加申請に伴い、幼稚園設置基準に対する自己所有地の面積不足が生じたため、右�A項の通り同学園に売却するもの。 以上
祝聖御降誕 謹賀新年
総会議長 渡邉純幸
主のご降誕を心よりお慶び申し上げますと共に、新しい年も皆さまのうえに主の豊かなる祝福と平安の年でありますよう心よりお祈り申しております。
新しい年を迎えた今も、昨年の3月11日に起った未曾有の大震災を忘れることができません。多くの被災者がなお苦しみの直中に置かれていることを思うとき、深い痛みを覚えます。被災された方々が一日も早く、元の生活に戻ることができますよう、引続き、皆さまからのご支援とご協力をお願い申し上げます。
「主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」(詩編1編2~3節)と詩編者は、現実には緑豊かな土地とは程遠い、荒涼とした大地にある イスラエルの民に、困難な中に置かれていても、忍耐をもって主の声に耳を傾け、主に従う者は、まるで流れのほとりに植えられた木のように豊かに葉を茂らせ、実を結ぶと詩っています。
私たち日本福音ルーテル教会の取り巻く環境は、間近に迫る多くの教職の引退期、それに加えて献身者の育成、教会財政(各個教会も含めて)等、多くの困難な課題を抱えています。そのような中にあっても、私たちは詩編者が語るように、川のほとりに植えられた木として、いかなる時も主により頼みつつ歩みたいものです。もちろん、実を結ぶには多くの時間を要します。また忍耐も必要とします。しかし、主は私たちを見放すことなく、必ずや主の祝福を戴くことでしょう。
2012年の新しい年のはじめにあたり、「主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人」として、主からの困難に打ち勝つ力が与えられていることを覚えたいものです。皆さまお一人おひとりの上に、主の祝福と平安がありますよう心よりお祈り申し上げます。
2012年1月
東教区「定年牧師懇談会」報告
2011年12月6日、東京教会で、「定年牧師懇談会」が開催されました。これは東教区が主催するもので、毎年、この時期に行なっています。かつては2年に一度でしたが、「毎年行ってほしい」との要望もあって、このところ毎年行っています。
東教区には32名、「定年牧師」の先生方がおられます。そのうち、現在、一人は牧会委嘱の働きのために東海教区に単身赴任、そして、もう一人は大震災の影響で 、居を九州教区に移しておられます。あるいは、ホスピスでの務めのため、来られない先生もおられる中、今回は17名の先生方が集まってくださいました。接待するのは教区の常議員会のメンバーです。
東京教会の会議室で、まずは昼食の出前弁当を共にいただきます。その後は、お一人おひとりから近況報告をしていただきます。お一人3分と制限時間を設けるのですが、多くの先生が時間内に収まりきれず、実にいろいろなお話をしてくださいます。もちろん、 近況報告だけでなく、教区への要望、時には苦言なども盛り込まれています。
欠席の通知をいただいた先生からのメッセージも読みあげられます。参加できなくても、心を寄せていただいていることが一同に伝わり、安心したり、なつかしい思いに駆られたり、温かい気持ちになって、とにかく励まされるわけです。これがこの懇談会の良いところの一つでしょう。
多くの先生が今もなお、説教壇に立たれる機会がおありのご様子で、そのことの喜びを語ってくださいました。執筆活動中や、それへの意欲を見せる先生もおられ、現役の牧師たちは、大いに刺激を受けました。
教区からも、今回は、「巡回説教者」のことで、より良いものにしていくための相談をさせていただき、貴重な意見をいただきました。常議員会としては、「これからもどうぞよろしく」との思いです。
2013年に東教区も50周年を迎えます。この50年は定年牧師を抜きには語れません。過ぎし50年を感謝しつつ、未来に向かって、牧師として召された者たちが、その事実の上に立って、教会にお仕えしていきたいと、決意を新たにしました。
東教区教育部長 徳野昌博