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機関紙るうてる

るうてる2012年11月号

説教「顔と顔とを合わせて」

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  和田憲明(日本福音ルーテル箱崎教会・聖ペテロ教会牧師

「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。」(コリントの信徒への手紙一 13章12節)

 顔を合わせることなく、コミュニケーションをはかるメディアも発展していく昨今ですが、教会は神と人、人と人とが顔と顔とを合わせる礼拝や交わりを大切にしていると思います。そしてこの期節、多くの教会が全聖徒主日礼拝を守る際に、その歴史を刻んだ分だけ召天者の顔写真を飾るところもあるでしょう。そして故人を偲び集うご家族やご親戚と、教会において一堂に相まみえる時を過ごすのです。

 さて神の顔について、旧くからキリスト教は直に見ることを求め続けてきました。旧約聖書においても、神がみ顔を向けてくださることが、神の愛のしるしでした。その反対に神がみ顔をそむけるとは、神の不興をかうことでした。ですから礼拝の祈りでは司る者が神に呼びかけ、神が顔をそむけず、人々がささげた犠牲や祈りを確かに受け取ってくださるように願いました(詩編27・9、132・10)。つまり神の顔を見るとは、神との特権的な、親密な関係を持つことです (『キリスト教の天国』A・Eマクグラス著「顔と顔を合わせて神と出会う」参照)。
 例えば詩編の作者も、神と顔を合わせたいという望みを次のように記しています。「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを」(詩編27編4節)。私たちは神を冒頭の聖句のとおり「今は、鏡におぼろに映った」姿としか、見ることがゆるされていません。けれども神が定める時「そのときには、はっきり」と、「ありのままに見る」(一ヨハネ3章2節)のです。そこに私たちの目から涙を拭い取り、召天者との再会の楽しみ、天の国への希望が備えられているのです。

 ところが教会内外で私たちは、いわゆる「顔も見たくない」ような関係に身を置くこともしばしば経験します。神の前に悔い改め、人々の中でもある種の閉塞状態に、他者と出会い、挨拶し、会話を交わすのは至難なことです。
 しかし、第二次世界大戦中のナチスドイツによるユダヤ人迫害から生き延びたE・レヴィナスは、「会話という平凡な事実が、暴力の驚異から逃れる一筋の道を指し示す。平凡な事実こそ、奇跡中の奇跡である。語ること、それは他者を認知すると同時に、他者におのれを認知してもらうことである。他者は単に知られるだけでなく、挨拶される」と、顔と顔とを向き合わせた関係に暴力を抗する手がかりを伝えます。
 「他者とは、殺したいという誘惑に駆られる唯一の存在者である。この殺害への誘惑と殺害することの不可能性が顔のヴィジョンそのものを構成している。『顔』を見るとは、すでに『汝殺す勿れ』に聴従することである。―中略― それこそが人間の霊的歩みを創始するのである。宗教とは、私たちにとって、この道以外にはない。」(『困難な自由―ユダヤ教についての試論』「倫理と霊性」参照)は、現代に鋭い示唆を与えます。私たちが再び神と向き合い、その神が教会へと召し集められた(私たちが選べない)兄弟姉妹も、周囲におられる人たちの間でも吟味しなくてはならない問題だと思うのです。

 翻って私たちは全聖徒の日を記念し、「この世の別れが永遠の別れでないことを覚えさせ、み許において再び顔と顔を合わせる日を望ませてください。…その死によって死に打ち勝ち、今も生きて働いておられる主イエス・キリストのみ名によってお願いいたします。」(ルーテル教会式文(礼拝と諸式)「納棺の祈り」P239参照)を想起し、キリストの十字架を中心に、こちら側(礼拝に集う私たち)と向こう側(天の国)とで礼拝を守ります。そして今日も、「主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれるように。(与えられます)、主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜るように。(――賜ります)」と、祝福に与るのです。共々に、顔と顔とを合わせて。

宗教改革五〇〇周年に向けて
 ルターの意義を改めて考える(7)

 ルター研究所 所長 鈴木 浩

  先月号で指摘した「新しい義」の理解によって中世の厚い壁を突破したルターは、それを「新しい救いの理解」へと展開する。それが、いわゆる「信仰義認論」だった。
 さて、中世後期の人々の心の底に共通していたメンタリティーがある。それが「宗教的不安」である。つまり、救いの確かさがどうしても得られない、という心理的空洞のことである。
 ルターの信仰義認論は、おそらくはキリスト教史上初めて、その不安を魂の根底から癒した教えであった。しかも、彼はそれを力強く、鮮やかに、喜びに溢れて指し示したのだった。宗教改革がルターの意志をも意図をも越えて大きな運動になった原因は、素朴な人々も、ルターのその教えに共感したからであった。
 その事態を少し詳しく説明したいのだが、この欄では字数制限があって、不可能なので、別枠で改めて説明したいと思う。
 ルターの神学はこの信仰義認論の上に構築された。ルターは想像を絶したエネルギーでこの作業に没頭した。その結果、次々に著作が著され、人々の共感の輪がさらに広まり、改革運動に弾みがつくことになった。ださる義のことだ、と気付く。実は、アウグスティヌスもそう語っていた。こうして、神の義の理解が逆転する。これが、「一点突破」だ。
 この新しい神の義の理解が、次いで聖書全体に適用される。これが、「全面展開」だ。そこから、宗教改革の神学が立ち上がってくる。

牧師の声

「初代のクリスチャンとして」雪ヶ谷教会 田島靖則

 今年の6月、父が天に召されました。ちょうど30年前、ミッションスクールに6年間通った私が入学を決めた大学が、ルーテル神大(当時)の福祉科でした。大学入学をきっかけにして、キリスト教の受洗を決意した私が、そのことを両親に告げたとき、父は反対しませんでした。その時から私は親族の中で唯一のクリスチャンとなったのです。
 父が私の信仰の自由を認めてくれたのだから、私も父の信仰を認めるべきだとずっと考えていましたので、今回の父の葬儀は、家の宗教である仏式(真言宗豊山派)で行い、長男である私は喪主を務めました。 群馬県館林市にある菩提寺には、父の納骨を機に、お墓の事は次男である弟にすべて任せることを伝えようと決めていました。今までお墓の事にはほとんど関わってこなかった私は、菩提寺のご住職がどのような方か知らず、交渉が上手くいくようにと願いつつ、お寺の門をくぐりました。お寺に、保育園が併設されているのを目にして、教会附属幼稚園の園長も務めている私は、話のきっかけができたと少々気持ちが軽くなったものでした。
 ご住職は保育園長にふさわしく、気さくな方でした。私の口から「ルーテル教会」の名前が出るとすぐに、「ああ、それなら聖ルカ保育園の清河先生をご存知でしょう?」と言われるではありませんか。「私は、聖ルカ保育園の評議員も務めているんですよ。ルーテル教会で行われた、先代の清川先生のお葬式で弔辞を読んだのは私です」。このご住職の言葉を聞いた瞬間、私の家の宗教と自分の信仰の問題は、すでに30年前に解決されていたことを知りました。
 ルーテル神大福祉科の先輩だった清河直美さんのお父様は、館林で病院も経営されるお医者さんでした。そして、日本ルーテル教団の熱心な信徒さんでもありました。学生時代、先輩である清河さんと話をした記憶はありませんが、一度だけ「群馬県には田島姓が多い」という話をした覚えがあります。
 マタイによる福音書6章8節にある、「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」というキリストの言葉を、今しみじみと噛みしめています。

信徒の声

「静かなる声」    広島教会  石田博美

 静かなる声、耳を澄まして、そっと聴く。
 自然な、呼吸のように、ことさら思い入れをすることもなく礼拝に集い、共に祈り、賛美をする。
 教会とは?信仰とは?はたまた「るうてる」に目をとおすこともなく、主の声に、耳を澄ます静かなとき。
 誰かを説得することも、自分を納得させることも、何も必要とすることもない、まさに、この一点にたっていたいと願う。
 今や教会の中に、この世の言葉が乱舞し、教会は、あまりに多くの事に答えようと身の丈以上の勝手な闘いをしているように感じる。「お前は、何ものぞ」との声が、聴こえてくる
 わが広島教会では、この五年間で想定外(今流行の)の出来事、牧師の転任が相次いで起こった。多くを望んだ結果でも、少なく望んだ結果でもない。
 教会をとおして何かをなそうとした痕跡もなく。反省を込めて事を見極めたいとしても、とても赦されることでもないかと、あきらめ次の教会、信徒へとゆだねて行く。
 今、この世的な「試練」と「苦しみ」の中にあって、主のまさに「人智を超えた」導きを念う。
 先日偶然みたドキュメント、東日本大震災の現場で、癌におかされ余命半年の宣告をうけた、老いた医者。たんたんと、今できること、己に与えられた目の前にいる患者を診、聴き、新しい生命、子供を取り上げる。あつく語る事もなく、また手術による延命も期待しながら。「生きる」ということへの希望を失うこともなく。
 ボンヘッファーの「行為」という詩の一節、『可能性の中に動揺せず、現実的なものを大胆に捕えよ。自由は思想への逃避の中になく、行為の中にあるのみ。』
 とにもかくにも、牧師共々、さらに今この地にある教会が、祈りの場となる事を願いつつ。
 勝手な文言を連ねたあとに、元ミラノ司教のカルロ・マリア・マルティーニの講演での一節を
『私たちはいつも、自分たちの口にするすばらしいことばや思いつく考えの背後に、たえまない清めを必要とする自分自身を見出すのです。』
 信徒の声が、おおいに響き渡りますように。

JLER(ルーテル教会救援)対策本部 現地からのレポート 

 JLER派遣牧師 野口勝彦  

 今年の8月から始まった「つるしびな」プロジェクトについて、現地の方の声をお届けします。

河北ボランティア友の会    高橋 よしみ

 言葉では言い表せない程の災害、不安な日々、身内の安否がわからない中、河北ボランティア友の会の会員は、炊き出しなどの活動に追われました。それだけに全国から駆け付けて下さったボランティアの皆さんの献身的な働きには頭が下がる思いでした。
 ボランティアの皆さんと一緒に活動する中で「私達はいつか地元に帰らなければなりません。その時、地域の人達は本当の意味で互いに助け合っていかなければならないんですよ」と話して下さった方がおみえでした。こんな精神的にボロボロの私達に何ができるのだろう。そう、ずっと考え続けてきました。
 そんな時、仮設団地での手芸依頼があり、その集会所にお邪魔しました。そして、そこで、「『つるしびな」も作ってみたいけど、材料がない」と遠慮気味な相談を受けたのです。
 私達は布集めなど早速行動に移したのですが、三か所の仮設団地とボランティア会員全員への準備は思っていた以上の費用がかかり、行き詰ってしまいました。
そんな時、相談にのっていただき、手を差し伸べて下さったのがルーテル教会救援の皆様でした。経費の援助、会場の準備、おやつの手配まで、寡黙に、そして、温かく応援して下さりました。
 おかげさまで少しずつ少しずつ「つるしびな」が出来つつあります。「つるしびな」の素朴で優美なその姿に、供養と癒しを感じながら前へ進むきっかけになれたらと望みます。

ご協力のお願い 

「つるしびな作製」ボランティア
内容 仮設団地・地域の方と一緒に「つるしびな」を作製していただきます。
条件 裁縫等ができる方であれば、性別、年齢を問いません。
予定日 11月8日・15日、12月6日・13日・20日(1月以降は未定です)  
定員 各日若干名
「つるしびな」材料
「つるしびな」の材料を次の通り募集します。
綿A江戸組ひも(細めの糸は多く必要です)B洋裁用の接着剤付きの薄い芯地C布、ちりめん(白、ピンク、薄橙、緑、黄、青、柄物)Dフクロウの目(ぬいぐるみなどで使われる直径8ミリのもの)
 上記にご協力いただける方は、野口までメールでお問い合わせください。
(k-noguchi@jelc.or.jp)

バッハのカンタータを聴くc

 「今こそ来ませ」カンタータ61(BWV61)
日本ルーテル神学校名誉教授 徳善義和

 教会暦は十一月末か、十二月初めに新しい年を迎える。教会の、また信仰の新しい一年の始まりである。
 ルターがコラールを会衆のために整え出したのも、この教会の、また信仰の一年の始まりの頃だった。最初期のコラールのひとつ、「今こそ来ませ」(教会讃美歌1)は1523年から24年にかけての成立と考えられているからルターによる最初の讃美歌の一つである。アンブロシウスに帰されていたラテン語の賛歌を、ルターなりに訳に工夫を凝らし、編曲もしてドイツ語の会衆讃美歌としたものである。「主よ、今こそ来てください」と主を待ち望む切実な思いが歌われるのである。
 バッハはこのコラールも好んでいて、オルガンのためのいくつものコラール前奏曲を作曲している。その内私が好んで聴くのはBWV659である。「今来てください」という切実な思いが、信仰者個人の、主に対する切々たる憧れの思いとして、オルガンで歌い上げられるという感じがする。「私は、私の魂はあなたを切に待っています」というわけである。
 これに対してカンタータ61は早くワイマール時代の1714年に作曲され、23年ライプツィヒでの最初のこの主日に再演された。このカンタータに込めるバッハの思いが分かるような気がする。第一曲をコラールの第一節で始めると、第三曲のテナーのアリアのテキストにはっきりと「来てください、イエスよ、あなたの教会に来てください」とある。すべての民の救い主がご自身の教会に今来てくださることを切に祈って歌うのである。
 カンタータは、バスで「見よ、私は戸の前に立っている」という再臨のイエスのことばに続き、更にソプラノが教会に向けて、「心一杯開け」と歌い、最後はPh.ニコライの有名な、主の顕現の讃美歌「恵みに輝き」(教会讃美歌57)の第三節をもって終わる。ここでも聴く者は讃美歌を開いてこの節を共に歌うこともできるだろう。
 待降節第一主日にこのカンタータが歌われた後、当時のライプツィヒでは四旬節と同様に、カンタータはクリスマスまで歌われなかった。「主よ、私のところに、私たちの教会に来てください」という切なる祈りを心に抱きつづけて、会衆はカンタータが歌われるクリスマス礼拝を静かに待ったわけである。

↓ニコライ教会。ライプツィヒでバッハの教会音楽はトマス教会とニコライ教会の礼拝で演奏された。

アルファとオメガ

ステンドグラス工房 アスカ 山崎種之(松本教会会員)

 キリスト教関連の施設、学校、教会堂のステンドグラスは単なる装飾ではない。ここも宣教を目指すものでありたい。
 初代教会の宣教がギリシャ文化の地域で、公的用語としてギリシャ語が用いられていたので、キリスト教のシンボルにも伝統的にギリシャ語が多く出てくる。
 埼玉県飯能市にある聖望学園のチャペルのステンドグラス最上段には、アルファ(写真左下上)とオメガ(同下)がデザインされている。
 『ヨハネの黙示録』1章8節、「神である主、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。わたしはアルファであり、オメガである」。同22章13節、「最初の者にして、最後の者、初めであり、終わりである」。
 ギリシャ語アルファベットの最初と最後の文字を用いて、神の絶対永遠性を表わしている。絵の中のバラは野いばらで、するどいとげがある。主は十字架の前にこの野いばらの冠をかぶせられた。主のご受難を覚えたい。『マルコ福音書』15章17節、『マタイ福音書』27章29節、『ヨハネ福音書』19章5節。
 そして、野いばらは原野にあって、とても強い生命力を持つ。 しかも小さな花は微香を放つ。キリスト者の生き方、歩む道を指し示す。ルターローズも原種のバラから生まれた。
 百合の花は、純粋、清楚のシンボルであり、若い学徒の清純な生活を示唆する。それらを囲む大円は、完全永遠をあらわしている。

TNGワークキャンプ報告

松本教会・長野教会牧師  佐藤和宏

「wwjd? (What Would Jesus Do?) ――イエスさまなら、どうするだろう?――」
 このテーマのもとワークキャンプ in 松本は、9月3日から8日まで松本教会を会場に開催された。昨年の改築で新しくなった会堂の南側スペースにウッドデッキを作ること、 そして同時に祈りのプログラムを提供し、参加者の信仰成長の機会とすることを主な目的とした。また、神学校の夏期伝道プログラムとして神学生と協力して準備を進められたこと、東教区信徒育成基金から支援を受けて実現できたことを感謝して報告に加えたい。
 日中はウッドデッキ作り、朝夕は祈りのプログラムを中心に計画された。ウッドデッキ作りは、当教会員である建築専門家の指導のもとに進められ、朝夕の祈りの時間は、神学生を中心に進められ、その日のテーマをじっくりと味わい、祈り、分かち合うときとなった。ウッドデッキと共に、参加者の間で親しい交わり、祈り、信仰が少しずつ作り上げられていったキャンプであった。
 特に土台作りの重要性を十二分に味わった経験は、人生においても土台が大切であることを実感する機会となった。また、最終日に近隣の方々を招いての「るうてる茶屋」を計画し、キャンプ前半に案内を作成、2人一組になって近所のお宅を訪れ、直接手渡し、内容を説明する体験もした。
 松本教会の信徒は、キャンプ開始以前から参加者の写真を掲示して祈ったり、参加者として共に過ごしたり、食事を提供したりしてキャンプと関わった。また、日中は仕事をしている信徒も、夕べの祈りにはこぞって参加し、若い参加者たちと祈りと分かち合いのときを過ごすことができた。全国各地から若者が集まり、共に過ごした一週間は、近隣の方々に注目されていたようである。キャンプ終了後も、近隣の方々とウッドデッキの話をする機会が多い。このキャンプは、松本教会のウッドデッキが 作られ、参加者に豊かな交わりを提供しただけではない。地方の小さな教会が、地域に向かって「隣人になる」大きな足がかりとなる機会であった。
 

宣教会議報告

宣教室長 青田勇

6月常議員会の議決に従い、10月1日(月)から3日(水)の三日間、東京教会とルーテル市ヶ谷センターを会場に今年度の「宣教会議」が開催された。
 出席者は、議長をはじめ本教会の四役、事務局スタッフ、信徒常議員、それに各教区から各々3名(東教区は4名)、合計25名。

 総会を受けての第一回宣教協議でもあり、今回の主な議題は多岐にわたり、
�@第6次綜合方策「構造 改革」諸課題(「現行 種別の見直しの検討」、 「教会共同体の形成と 進捗課題」、「北海道特 別教区の教区制の見 直し」、「総会の在り方・ 開催日程の検討」)、
�A宗教改革500年記 念事業、
�B転任積立制度の改訂、�C収益事業対策(耐震・ 老朽化)、教会の老朽 化対策及び神学教育 機関維持支援の今後、
�Dディアコニア活動・ 第二次災害に向けて の震災対策(防災、エ ネルギー対策等)が 議論された。

 「現行種別の見直しの検討」、「教会共同体の形成と進捗課題」、「北海道特別教区の教区制の見直し」等の課題は、各教区からの報告を受けて、現状と将来の課題を共有した。
 ことに、北海道特別教区の今後に関しては、東教区との一層の連携と共同の可能性も含めて本教会、当該教区、それに東教区の協力も得て、検討を加え、2014年度総会までに一定の方向性を示す必要があることが確認された。

 2017年の宗教改革500年記念事業は、「神の救い」のビジョンを伝える宣教の機会として、第6次綜合方策での主要課題であり、全教会的に取り組む宣教・教育事業計画である。
 これに関しては、方策の原案と共に立山議長による記念事業骨子案も提示された。今日の世界と日本社会に、ルター派教会としての幅広い公共性をアピールする事業内容にしていくための諸意見が出された。

 東日本大震災の救援活動を継続しつつ、今後の大震災に備えての各個教会、および教区の第二次震災対策及び危機管理体制のあり方、さらに原発問題により、求められている環境保護とエネルギー対策の一環としての太陽光発電導入の事例報告なども紹介され、教会のエネルギー対策の取り組みについても相互の意見交換を行った。

2012年度    「ルーテル連帯献金」のお願い

 今日の社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓への支援活動として日本福音ルーテル教会がお願いしている「連帯献金」のために、各個教会及び教会員・教会関係者の皆様から、献金を捧げていいただいています。
 今年度は「連帯献金」の特別指定献金を以下のように決め、各教会へご協力をお願いしています。LWF(ルーテル世界連盟)等の、教会の国際機関を通じて送金される私たちの献金が、世界において支援を必要としている多くの人々に用いられていくことを祈ります。
 日本福音ルーテル教会
         宣教室

■指定献金[ブラジル伝道]■
 1965年から日本福音ルーテル教会の海外伝道として誕生した、サンパウロにある日系人教会の宣教支援と2009年4月より宣教師として派遣されている徳弘浩隆牧師夫妻の人件費を補うために、毎年200万円の募金目標を掲げています。ご支援と献金をお願いします。

■指定献金[喜望の家]■
 釜ヶ崎「ディアコニアセンター喜望の家」の活動の支援をお願いします。アルコール依存を抱えた方々の支援・相談、アルコールを飲まない生活を支えるための「自立生活支援プログラム」の提供、病院訪問、さらには「路上生活相談」として、街で路上生活者に声をかけ、生活や医療の相談をし、路上生活からの脱出を手助けする支援を展開しています。
 
■特定献金[メコン流域支援]■
 日本福音ルーテル教会は「メコンミッション活動」として、メコン川流域の人々のための宣教・教育・奉仕事業を香港、シンガポールのルーテル教会と共同で展開しています。カンボジアのコンポン・チュナン地区の子どもたちへの食糧(100名、週5日分食事提供)、医療と教育(2,000名)の支援活動のために献金をお願いします。

■無指定献金[世界宣教のために]■
 飢餓や内戦による難民状態にある人々や、突然の自然災害を被り、緊急の支援を必要としている人々の救援活動へ速やかに対応するために「無指定献金」を設けています。無指定献金の配分・送金先は本教会常議員会に委ねられています。

▼上記献金の送金先▼
 「連帯献金」を捧げてくださる場合には、それぞれの献金目的を郵便振替用紙に明記して、以下の口座に送金くださるようにお願いします。

郵便振替
00190-7-71734   
名義:(宗)日本福音ルーテル教会

市川教会修復完成 感謝とお知らせ

 2007年10 月23 日、文化庁は登録有形文化財審議の答申を受け、日本福音ルーテル市川教会会堂を「登録有形文化財」として登録することを決定しました。これにより、ウイリアム・メレル・ヴォーリスの晩年の設計である市川教会会堂が、後世に遺すべき貴重な財産であると認められたのです。以後、会堂保存事業計画が本格化しました。
 資金は自己資金と本教会からの借入しかありませんので、以下の方針を立てました。�@地盤強化のために「アンダーピニング工法」=外壁下50箇所に、直径15センチ長さ1m程のパイプを地下7mにある硬い地盤まで繋ぎながらねじ込み会堂外壁を支える=を行う。�A外壁は剥がし全体に鉄骨を9か所入れ強化する。�B老朽化した窓枠や雨どいの補修。�Cトイレは使い勝手の良い仕様に変更する。以上、最低限の計画でしたが、私たちの資金計画とは大きな隔たりがありましたので、地域の皆様や全国の皆様にもご協力を願うこととしました。
 工事の間の礼拝は市川教会の生みの親である国府台保育園をお借りでき、2011年10月に工事が開始されました。荷物が撤去さると床板が剥がされ、地盤強化の工事が始まりました。数十センチ掘ると地下水が湧き出すという厳しい状況でしたが、様々な工夫を凝らして予定通りに年内で終わりました。2012年になるといよいよ本体工事となりました。外壁を剥がすと、湿気やシロアリによる被害が予想以上にひどく、特に搭屋は根太や梁の多くがボロボロの状態でした。当初予想していなかった搭屋全解体を実施せざるを得ませんでした。
 1年1カ月という工事期間を経た今、皆様の祈りとご協力を得て工事は終了しました。次の世代に愛すべき会堂を遺せる喜びを覚えています。宣教開始の志を思い起こし、市川教会の群れが歩みを再開します。なお、12月2日には竣工感謝の式典を行う予定です。お覚えくださった皆様に心より感謝申し上げつつ。
市川教会牧師 中島康文

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