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機関紙るうてる

るうてる2020年2月号

説教「藁の書に学ぶ」

日本福音ルーテル八王子教会牧師 中川俊介
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「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」 (ヤコブの手紙 1・22)

本郷教会出身のわたしは、米国のルーテル神学校と三鷹のルーテル神学校で学んだ後、別府教会、板橋教会で牧会しました。そのころ、ルーテル教会の伝道不振に不満を感じ、「さあ出ていこう」の合言葉のように教会を出て、幼い子どもたち4人を養いながら単独で開拓伝道を行いました。困難ではありましたが、これは自分には良い経験でした。しかし、思うところあって、ルーテル教会に復帰し、これまで八王子教会で13年間牧会をさせていただきました。いままで、「るうてる」に寄稿したことはありませんが、今回は、定年退職前の最後の機会を用いさせていただいて、支えてくださった方への感謝も込めて、伝道という視点から、聖書に耳を傾けたいと思います。
さて、ヤコブ書はルターが「藁の書」として正典から排除しようとしたことでも知られています。ただ八王子教会での聖書研究で学んでみて別の面も感じさせられました。この書で、ヤコブは聞くだけの者になってはいけないと注意しています。しかし、信仰はむしろ聞くことから始まるのではないでしょうか。イエス様がマリアとマルタの家を訪問した際も、忙しく立ち働くマルタとは対照的に、じっとイエス様の話を聞いていたマリアにたいして、イエス様は「マリアは良い方を選んだ」(ルカ10・42)、と言われました。この謎を解くのは、「聞く」と訳されているギリシア語の違いでしょう。ヤコブが禁じているのはギリシア語のアクロアテス(聞く)という言葉であり、これは講堂や法廷などで聴衆がとる態度のことです。一方、マリアが「聞いた」のにはアクオーという言葉が用いられ、「聞き従う」という意味があります。み言葉に胸を刺され、罪を悔い改め、イエス・キリストに従うように導かれるのが、「聞き従う」ということです。例えば、教会や家庭での人間関係に問題が起こった場合でも、「汝の敵を愛せよ」というイエス様の教えに聞き従い、互いに赦しあっていけば、神は解決を与えて下さると思います。
イエス様の教えの中でも、聞くことと、それに伴う服従という行動は切り離されないものです。「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ7・24)ですから、ある聖書学者は、「真の信仰は、行いなしに存在することができない」、と述べています。ヤコブが禁じているのは、前述したように、聴衆のような態度でみ言葉に接することなのです。また、こう書いている学者もいます。「ルター自身は、もし別の時代に生きていたならば、ヤコブが語るメッセージをもっと強調したのではないかと思われる。」
現在のルーテル教会はしっかりした教理を持ってはいますが、伝道に関しては教会行政の決定を優先し、聖書は会議の冒頭に儀式的に読まれるだけにすぎません。わたしたちの伝道が聖書から敷衍されていません。広島会館建設問題に関しての臨時総会が開かれた時にも、それを感じました。神学校の教授さえも経済の安定を第一に主張していました。こうした伝道方策は聖書の教えと矛盾はしないのでしょうか。
また、わたしたち日本人を見ると、日本的信仰は、あくまで「信心」であって、信仰は自分の心の問題に集中します。み言葉に従うという信仰の応答が出てこないのです。ですから「聞き方」に問題があるとヤコブが指摘するのは当然です。それはイエス様の教えと共通するものです。イエス様の教えと行動は、形骸化されて神の愛を失った儀式的宗教にプロテストするものでした。
このヤコブ書が、正典に残されたことは感謝です。わたしたちの信仰とその応答である伝道も、聖霊の働きなしには実践できません。ですから、生涯、悔い改め、求め続けたいものです。今は既に天に召された恩師の宣教師ハイランド先生に、「幸せなクリスチャン生活の秘訣」を尋ねた時「中川さん、それは日々の悔い改めです」、と教えてくださいました。

コラム直線通り 久保彩奈

㉓ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。(創世記 32・31)

ある日炊き出しを手伝いに来た生徒に活動後「今日はありがとう。どうだった?」と感想を聞きました。すると「先生、俺、どうしよう…」と言葉を詰まらせ「先生、俺はちゃんと努力して結果だして、ちゃんと生きてきたと思ってきたんだ。だから俺と野宿の人たちは違うって思ってた。だけど今日初めて炊き出し手伝って、俺、間違ってたことに気づいた」と言い、こう続けました。「ご飯を食べて、友だちとしゃべって、笑って…野宿の人たちも俺と同じ人間なんだって気付いたら、俺、どうしたらいいのかわからないよ」。 新しい気づきに戸惑いながらも、交錯する感情を必死に言葉にしてくれました。
これまで自分の生きる世界とは関係のなかった「野宿者」が、〇〇さんと名前を呼び対面し、まさに「顔」を向き合わせる瞬間が彼の心を揺さぶったのでしょう。哲学者レヴィナスがいった「『顔』は、神の言葉が宿る場所である」ということばを思い出しました。「顔」を背けずに対面したことで、生徒は神の言葉に出会ったのかもしれません。それは神との出会いだったといえるでしょう。そして「知っている人だけ」の世界から飛び出し、出会うことで、イエスのいう本当の意味の「隣人」を知ったのです。あらゆる人と恐れずに出会うことの大切さを改めて感じました。
ヤコブも神との一対一の対面をし、徹底的にもがき、苦しい闘いをし、生き方を変えられました。その先にあったのは永遠の祝福です。恐れずに向き合い、神と対面する先にある祝福に、わたしも与る者でありたいのです。

議長室から

「根拠のない自信」

総会議長 大柴譲治
あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マルコによる福音書1・11)
これはイエスの受洗時の天からの声です。この天の声を私は、洗礼に与る者には明示的に等しく与えられている「神からの究極的な存在是認の声」であると捉えています。「根拠のない自信」という言葉があります。それはあるカナダ人宣教師の口癖でもあったようですが、『花子とアン』という朝ドラや東洋英和女学院でも伝えられていました。ミッションスクールに限らず、学校や家庭、教会という場は、子どもたちの中に「根拠のない自信」を育むところなのでしょう。
3・11大震災の直後のことでした。当時私が牧していたむさしの教会で、『子どもへのまなざし』でよく知られたクリスチャン児童精神科医・佐々木正美先生(1935~2017)の講演会がありました。先生はこう言われました。「人を愛するためには、まず自分が愛されるという体験が必要です。愛されることを通して子どもたちの中には『根拠のない自信』が育まれてゆきます。私たちは通常は『根拠のある自信』を持っていますが、『根拠のある自信』はその『根拠』が揺さぶり動かされると容易にガラガラと崩れていってしまう。けれども『根拠のない自信』は、根拠がないゆえに、決して揺れ動くことがないのです」。その実践に裏打ちされた温かい言葉は、今でも一つの確かな声として私の中で響いています。
「根拠のない自信」を持つ者には「迷い」がありません。いや、たとえ「迷い」があったとしても、その「根拠のない自信」のゆえに、「泣くのはいやだ、笑っちゃえ」と周囲を巻き込みながら逆境を乗り越えてゆくことができるのでしょう。培われた「自尊感情」がその人の「レジリエンス(折れない心)」を支えているのです。普段はあまり意識されませんが、いざという時にはその「根拠のない自信」が大きく事を左右します。いかにも逆境に強かった信仰の諸先輩を思い起こします。
「根拠のない自信」とは逆説的な表現ですが、考えてみればそこにはやはり「根拠」があるだろうと私は思います。そもそも「自信」とは「自己に対する信頼」を意味しますが、「根拠のない自信」とは「自己に対する信頼」ではありません。「自己を支えているものに対する信頼」です。自らの外に自分を支える「確固とした足場・基盤」を持つということ。万物は揺らぐとも確かに神の言は永久に立つのです。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」。この声が私たちを捉えて放しません。この天来の声に拠り頼むことができる者は幸いです

千葉県館山市災害ボランティア報告

 水原一郎(シオン教会牧師)
屋根をブルーシートに覆われた家々。そのブルーシートも所々剥がれ、飛ばされ、ほころびていた状況。度重なる雨漏りによって2階が浸水した家屋、部屋の天井にびっしりと生えたカビ、被災から2カ月そのままの冷蔵・冷凍庫の中身、浸水家財。持ち山から公道に流出した大量の倒木。今回、千葉県館山市に遣わされた者たちが見たのは、そのような光景でした。9月の災害発生から2カ月後の被災地入りでした。
昨年、2019年も様々なところで災害が発生しました。長期にわたる停電、堤防越水、風による家屋損壊や水害。その度ごとにテレビやネットニュースは、突然、被災地とされた地域の光景の一部を切り取って私たちに届けます。被災者とされた方々の声も届けられます。その映像や証言は確かに、自然の驚異を知らせるものでした。報道は一瞬、せいぜい数分のことですが、被災された地域やそこに住む方々には「その後」の日々があります。「その後」とは、被災後、報道後の日々です。
日本福音ルーテル教会は2019年の諸災害では、NCCIJ(日本キリスト教協議会)の働きであるACT・JAPAN・FORUMに加わっての支援活動を行いました。ACT・JAPANは、災害が発生した際の、キリスト教の教派を越えて協力する運動体ということです。発生当初から千葉県館山市で活動していたACT・JAPANからの呼びかけに、近隣の信徒・牧師と声を掛け合って現地入りし、目の当たりにしたのが冒頭の景色、その景色のもとに生きることを余儀なくされた方々でした。
ACT・JAPANの方々は、近未来に起こるとされている災害に危機意識を抱いていたことが印象的でした。教会の現場にいる時は、災害への危機意識にまで至ることは少ないのです。しかしいざという時には、近隣の教会や教職と、発生した出来事に祈りをもって関わりつつ、出来ることを今後ともに行っていきたいと思います。
今回の支援活動は述べ6日間、参加者延べ21名。現地での活動は「連帯献金」を用いさせて頂きました。感謝いたします。

賛美歌と私たち 小澤周平 (名古屋めぐみ教会牧師)

⑧ことばを唱える
歌集や式文は、その教会の礼拝を表します。その中には、礼拝で唱える聖書の言葉や教会の信仰告白があふれます。典礼歌、詩編唱、賛美歌などは、共通して「ことばを唱える」という性質を持ちます(*1)。実にこの性質が、歌集の必要性を考えるキーワードにもなります。
余談ですが、賛美で大きな声や美しい声が出ないことを気にされる話をよく聞きます。確かに残念です。でも、悩む前にぜひ、賛美では「ことばを唱える」ことが最優先だということを思い出してください。「ことば」が心に響くか、味わえているか、他の人に伝わるか。信仰生活の長短に関わらず、時に、歌詞に戸惑い、歌えなくなることだってあるでしょう。「ことば」と向き合う故、それも自然な反応です。デジタル全盛期の今、音量や美声は機械にも助けてもらえます。この時代に、私たちの教会は、肉声、手話、まなざし、呼吸といった、アナログの手段で礼拝を進めます。
同様に、奏楽においても、会衆の心を「ことば」に向ける配慮が優先されます。このため、楽譜通りの全ての音符が奏でられることより、ユニゾンの奏楽や、歌唱でリードする方法なども用いられるのです。また、例えば賛美歌の前奏などは、奏楽者と会衆とが呼吸を合わせ、今まさに唱えようとする「ことば」に意識を向ける時なのです。
脱線から戻ります。「ことばを唱える」のが賛美です。だからこそ、賛美における「ことば」の吟味は必須です。賛美される「ことば」が、聖書に、キリスト教会の伝統に、「私たちの」信仰に、ふさわしいか否か。この段階での「ことば」の吟味は、後の信仰継承にも影響します。
毎回の礼拝準備において、この作業を繰り返すのは大変です。星の数ほどある既存の賛美歌の中から選ぶのか、それとも、創作するのか。私たちの言葉が移り変わる故に歌詞の調整も必要です。五百年前のドイツの賛美歌をそのまま歌うのは難しいですから。このような背景から、適切に編集された歌集が求められるようになります。(続く)
*1「唱う(うたう)」とも書かれますが、今回は、『ルーテル教会式文』9頁等も参照し、「唱える(となえる)」で統一しました。)

浦幌町立博物館企画展 『信仰の灯は永遠に―福音ルーテル池田教会と吉田康登牧師の足跡―』

榊原政裕(池田教会)
十勝を舞台にしたNHK朝ドラ「なつぞら」が好評のうちに9月完結した。その1か月前、東十勝の池田教会は静かに短い歴史を閉じた。学芸員持田誠氏の表現では「ひとつのキリスト教会が消えました」とある。「浦幌で芽生え、池田で結実した小さな教会」が、確かに小さな歴史を重ねてきた。そして、ついに、2019年「この夏、ひっそりと歴史を終えたのです。」と言い換えて、持田氏は「この『ひっそりと』というところが、博物館にとっては重要な論点です。」と主張し、次のような設問を投げかけている。
ある時代、その地域にキリスト教が根付いていたという史実、人々の篤い信仰心という歴史を、誰が記録するのでしょう?
これには頭をガツンとやられました。我が家のプライベートな事柄として受け止めていた感覚とは違う視点を与えられたからだ。ビジネス用語で?人手不足・顧客減少・少子高齢など四字熟語を羅列。池田営業所閉鎖やむなし。寺院消滅と同じ括りで教会消滅と総括しており「これで一件落着」のつもりであった。その浅はかな姿勢を一喝されたのだ。
今、私は毎日、姿を消したはずの池田の礼拝堂に会いに、浦幌博物館詣でをしている。持田さんによってよみがえった池田の礼拝堂に招かれているからだ。2度訪れる日も多い。
11月22日企画展前夜、博物館の展示ホールに足を運んだ私はその光景に仰天した。姿を消した池田教会が、聖壇、ステンドグラス、座席が、そのままに再現されているではないか。我が三男の落書きまで残っている。12月22日には、展示会場でクリスマス讃美歌コンサートを開催。地域の方から教会や吉田牧師に関する新たな情報が寄せられたり、地方史における教会史の現状について声が寄せられるなど、博物館にも思わぬ効果を生んだようだ。来訪者名簿でも十勝圏外の方の来場が散見されている。『信仰の灯は永遠に』は単なる画餅ではない。心が動き、足を踏み出すことに直結している。

プロジェクト3.11 まつもと子ども留学」便り

谷口和恵(松本教会)
先日、福島県立相馬高校放送局制作の「福島から伝えたいこと」という上映会に行きました。映画の中では、友人同士であっても震災の事を何の遠慮もなしに語り合うこととが難しいという現実がありました。そして長い月日がかかっても伝え合うことの意味と大切さをみんなで分かち合える日が来てほしいと願う高校生の等身大の今が伝わってきました。
原発事故はまだまだ終わりが見えません。私たち一人一人の問題としてしっかり考えていくにはどうしたらよいのでしょうか?今回は松本の郊外で保養のプログラムを行っているまつもと子ども留学の理事、中野瑞枝さんに文章を寄せてもらいましたので掲載させて頂きます。
このたび、台風19号により被災した皆さまにお見舞いを申し上げます。
8年前に東日本大震災と福島第一原発の事故により、大量の放射性物質が放出された福島県も再び甚大な水害に見舞われました。
私たちは「まつもと子ども留学」を、東日本大震災の被災地の子どもたちが放射能の不安から逃れ、普通の学校生活を送り、その時にしか出会うことができない楽しみを経験してもらうための居場所を作りたいという一心で6年前に立ち上げ、この6年間に10人のお子さんを留学生としてお預かりしてきました。6年前に中学1年生で松本へ留学してきて現在高校3年生になった2人が来春卒業すると、留学生がいなくなる状況ですが、その一方で、「保養」のために訪れてくる母子は後を断ちません。保養に来るお母さんたちは「放射能のことは考えないようにしています。考えたら生活できないから。」「自分が住んでいるところでは放射能を心配していることを話すことはできません。被災地を離れて、保養に来た時だけ気持ちを話すことができます。」と話してくれます。
東日本大震災から8年が経ち、被災地では復興が進んでいますが、原発事故のリスクについて不安な気持ちを隠しながら生きている人たちが今でも少なからずいるのです。子どもの命を守りたい、健やかに成長してほしい、そのためにリスクと向き合うことが必要だという気持ちを発信することすら、復興に水を差すことになると否定的な目を向ける社会になっている現状があります。
チェルノブイリ原発事故の後、ベラルーシとウクライナでは、現在でも汚染地域に暮らす子どもの健康を維持するために「国家の予算」で保養を行っていますが、日本では「保養」について行政からの支援を受けることは難しく、善意ある市民の努力によってなんとか成り立っているような状況です。
私たち「まつもと子ども留学」も、寮生の募集、寮を探したり、スタッフを探したり、「保養プログラム」の運営など、子どもたちが安心して生活できるよう地域の皆さまがサポートしてくれたことがとても心強かったです。また資金ゼロからのスタートでしたが、応援してくださる全国の皆さまからのご寄付がどれほど私たちを励ましてくれたことか、感謝してもしきれません。
私たちは引き続き保養の受入れや、留学や移住をしたいご家族のサポートなど、これからも、子どもたちが安心して生活できる場所を守っていけるように活動を続けていきます。
どうぞこれからも温かいご支援、応援のご協力をお願い致します。

東教区のプロジェクト3・11では現在も被災地との関わりを持ち続けています。全国からの募金をもとに、子ども留学をはじめ、数団体に支援ができていますことを感謝します。これからもお祈りのうちに憶えて頂ければ幸いです

「宗教改革500年共同記念」報告書が発行されました

安井宣生
(健軍教会・甲佐教会牧師)

単なる節目ではありません。もてはやされた「改革」は、教会に分裂を引き起こした事実と表裏一体なのです。それゆえ、ローマ・カトリック教会とルーテル教会の両者が時間をかけて和解へと導かれた恵みを感謝し、キリストを共に賛美する歴史的機会でした。そしてそれはキリスト教会のみならず、様々な形で存在する世界の分断を繕う平和のための糸口として貢献するという期待の内にありました。宗教改革500年を共同で記念することにはそのような意味がありました。
長崎からキリシタン弾圧、戦争・原爆を踏まえての言葉、私達の罪と罪人である私達に託された平和の役割への言葉、人の住む全世界(オイクメネー)での共生を促す言葉が交差したシンポジウムがありました。日本における両教会の代表者による御言葉の説教が告げられました。分裂の始まりの地であるドイツの教会から和解の祈りが届けられました。それらへの応答としての祈りの言葉が織りなされた礼拝から、一人ひとりが平和のシンボルとしてのカンナの球根と祈りの折り鳩を携えて派遣されました。この礼拝の解説と合わせて、その内容のすべてを感謝と共に報告します。加えて共同記念の意義と歴史的経過を公式記録としてまとめました。
記録は未来を紡ぐものでもあります。その重要性を理解しつつも、発行まで2年もの時を経ることとなり、担当者としてお詫びします。当日の参加者と各教会へと届けられています。ぜひ手にとってくださり、そこから発せられている言葉をあなたの祈りに添えて、未来へつなぐ歩みとしていただきたいと願っています。
希望される方は事務局へお申し出いただければ、印刷実費と送料でお分かちします。

ワートバーグ神学校からの訪問団

高村敏浩(三鷹教会牧師)

1月7~23日、米アイオワ州にあるアメリカ福音ルーテル教会(以下、ELCA)のワートバーグ神学校から訪問団がありました。秋学期と春学期の間に位置する1月はJ-Termと呼ばれ、多くの大学・神学校で短期集中コースが行われます。訪問団は、、ELCAの牧師でもあるマーティン・ローマン(Martin Lohrmann)教授に引率された、日本での異文化体験を目的としたJ-Termコースを受講する7人の神学生たちとその子ども(未就学児2名)です。前半はルーテル市ヶ谷センターに宿泊して東京で過ごし、後半は長崎を中心に、広島、熊本、大阪、京都を訪れました。
東京では、神学校の協力でルーテル学院の施設を使って午前中を講義、午後は教会や寺社仏閣の見学をし、観光地をいくつか訪問しました。長崎では、浦上天主堂に隣接する長崎カトリックセンターのホステルに宿泊し、長崎市内、外海地区、雲仙・島原地区を、キリシタンの史跡を中心に巡りました。広島と長崎それぞれの平和公園にも行きました。熊本では、健軍教会の主日礼拝と熊本教会の英語礼拝に参加し、九州学院や慈愛園を見学、同地で働くELCAの宣教師たちとの交わりのときを持ちました。ローマン教授の呼びかけで、ワートバーグ神学校の同僚やルーテル教会の出版社Fortress Press、学術誌Lutheran Quarterlyなどがルターやルーテル教会に関する本をくださることになり、30冊以上がルーテル学院大学図書館に寄贈されました。
滞在中、グループはELCAからの準公式の使節として、市ヶ谷の事務局を訪問しました。さまざまなかたちで関わり、訪問団の日本滞在を助けてくださった皆さまに、この場をお借りして感謝いたします。
3~4年に一度くらいの頻度で、このような訪問が継続されていくことを望んでいます。どうぞ、ワートバーグ神学校とルーテル学院・神学校の関係が発展し、よい実を結んでいくようにお祈りください。

2019年度「連帯献金」報告

2019年度も多くの方々から「連帯献金」に支援を頂きました。感謝して報告いたします。(敬称略・順不同、複数回の献金もまとめての報告となります。)

2019年 災害支援 3,476,551円
シオン教会防府礼拝所、豊中教会、田園調布教会、小石川教会、NPO一粒の麦、栄光教会、室園教会、田園調布ルーテル幼稚園、大岡山教会、挙母ルーテル幼稚園、P.Ken Phin、千葉教会、湯河原教会、シオン教会柳井礼拝所、熊本地区壮年会連盟第51回総会席上献金、西中国地区ルーテル秋の大会礼拝献金、阿久根教会、宮崎教会、東海教区女性会会長会、大林由紀、都南教会、保谷教会女性会、大森教会、東教区宗教改革記念礼拝席上献金、東教区、小栗正紀、松本教会、長野教会、津田沼教会、高蔵寺教会、稔台教会、刈谷教会、保谷教会、飯田教会、函館教会、なごや希望教会、東教区女性会、ELCA、博多教会、福岡西教会、福岡市民クリスマス実行委員会、神水教会学校、神戸教会、挙母教会、岩?純子、松江教会、名古屋めぐみ教会、厚狭教会、大垣教会教会学校、日田ルーテルこども園、清水教会、下関教会、甲府教会、岡崎教会、蒲田教会、小岩教会、恵み野教会、札幌教会、藤が丘教会女性会、博多教会バザー委員会、千葉ベタニヤホーム国府台母子ホーム・ホームクリスマス参加者ご一同、市ヶ谷教会、近畿福音ルーテル教会、浜松教会、大阪教会、宇部教会、山本啓子、挙母教会教会学校、帯広教会、小鹿教会、日吉教会、東京池袋教会、匿名献金
ブラジル伝道 160,330円
九州ルーテル学院、大岡山教会、小城ルーテルこども園、恵み野教会、札幌教会北礼拝堂、恵み野教会、箱崎教会女性の会、東教区女性会、女性会連盟、健軍教会

メコン(カンボジア宣教・子ども)支援 65,000円
神水教会、蒲田教会

釜ケ崎活動(喜望の家) 20,000円
蒲田教会

世界宣教(無指定) 493,753円
箱崎教会らぶぴチャリティコンサート、小泉基、パウラス師ご遺族、NPO一粒の麦、2019JELAチャリティコンサート寄附金、めばえ幼稚園、伊藤百代、匿名献金

今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、災害・飢餓に苦しむ方々に連帯したいと祈り願います。「連帯献金」をお捧げくださる際には、それぞれの献金目的[ブラジル伝道][喜望の家][メコンミッション][世界宣教][災害支援]を郵便振替用紙に明記頂き、下記の郵便振替口座にご送金ください。
郵便振替 00190-7-71734
加入者名 (宗)日本福音ルーテル教会

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