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機関紙るうてる

るうてる2016年3月号

説教「忘れていた祈り」

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 天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。」
 そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」(ルカによる福音書1・13、18~20)

 この頃、私はしきりに、定年で退職されたある2人の牧師の言葉を思い起こします。1人は私が牧師になって3年目のこと、退職され、遠い地方にいる息子さんのところへ身を寄せて行かれました。退職後、程なくしてお手紙をいただきました。手紙には「こんなに遠く離れたところに来てしまいました。暗闇のトンネルの中に入ってしまいました。」と記されていました。2人目は一緒に働いた宣教師の方です。やはり定年でアメリカに帰られ、その年の暮れにいただいたクリスマスカードのメッセージは「アメリカの教会では今クリスマスのいろいろな催しで、みんな楽しそうに過ごしています。しかし、ここでは私は傍観者に過ぎません。」というものでした。
 このお2人のお手紙を読んだ時に、まるで、松尾芭蕉の「野ざらし紀行」を読んだ時のような、胸を突かれる思いを持ちました。と同時に現役を退く際の試練と課題の大きさに圧倒されて、何と返答すればよいか分からず、言葉に詰まってしまいました。そして、そのことがあって以来、時折、自分が高齢になった時にどうしていくかを少しずつ考え、積み重ねていくように心がけてきました。

 「あなたの願いは聞き入れられた」(ルカ1・13)と天使に告げられた1人の老人を思い起こします。エルサレム神殿の聖所で香をたき、祈りを捧げるという大事な務めを果たしていたザカリアに天使の声が響いてきます。その願いとは、「あなたの妻エリサベトは男の子を産む、その子をヨハネと名付けなさい」(同)というものです。ザカリアはこの突然の告知に驚いて
「何によって、私はそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」(同1・18)と応えています。このザカリアの驚きと、信じられないという思いは、当然のことと思われます。しかし、天使はこのザカリアの応答を不信仰として、子が生まれるまで「話すことができなくなる」と告げたのです。そして事実そのようになります。
 ザカリアが神殿で祈っていたことは、後にシメオンについて「イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた」(ルカ2・25)、つまりイスラエルが救われることを待ち望んでいたと言われているように、当然ザカリアもそのことを祈りつつ神殿での務めを果たしていたということでしょう。それに対する神さまの答えが「その願いは年老いたザカリアの家にやがて生まれる子の働きを通して達成されるのだ」ということでした。
 
 ザカリアにしてみれば、神がイスラエルの救いをもたらしてくださるのは喜ばしいことではありますけれども、年老いた自分たち夫婦に子が与えられることを通して起こるなどということが、どうして信じられましょうか。それがその時のザカリアの心にあったことだったと思います。そして、その結果ザカリアは沈黙を強いられることになります。けれども、この沈黙が今までのザカリアの生き方を見直すきっかけとなっていきます。

 子どもが与えられること、それは、ザカリア夫妻が若い頃に願っていた個人的な心からの祈りであったかもしれません。年老いた今では、すっかり忘れてしまった、今では全くあきらめてしまっていたことではなかったかと思います。

 聖書を読んでいきますと、至るところで不思議な言葉に出会います。たとえば「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え」(創世記50・20)、「ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く」(ローマ8・28)などです。
 ここに来て神のご計画について考えさせられます。「万事が益となる」ということは最悪のことからも善が引き出される、どんなに悲劇的な状況も、神はそれを創造的な業に展開する力があるということを言っているのです。
 
 退職という人生の転機を神はどのように導いてくださろうとしているのか、思いを巡らせます。主が示してくださる道をなお信頼して。
日本福音ルーテル飯田教会 牧師 大宮陸孝

宗教改革五〇〇年に向けてルターの意義を改めて考える(47)

ルター研究所所長 鈴木 浩

 中世後期のスコラ神学には、「ファキエンティ・クオゥド・イン・セ・エスト」という定理があった。「人事を尽くす人に、神は恵み(救い)を拒むことはない」という意味だ。日本語の「人事を尽くして天命を待つ」という言葉よりも、ずっと積極的である。
 問題は「人事を尽くす」ことが果たしてできるか、ということだ。ペラギウス主義者は「できる」と答え、アウグスティヌスは「できない」と答えた。
 14世紀の神学者オッカムは、金貨と鉛のコインを例に、この袋小路を抜け出る。金貨は額面と同じ価値があるが、鉛のコインには固有の価値はほとんどない。しかし、通貨発行当局がその価値を保証すれば(兌換硬貨)、鉛のコインは額面の価値と等価として流通する。
 神は同様に、人間の行いは小さくても、それを救いにふさわしい行いとして認める約束を人間にする。すると人間は、本来的には救いには当たらない小さな行いを行えば、義とされるということになる。これがオッカム主義の義認論だ。
 ルターは当初、この義認論に立っていた。ルターが学んだエルフルト大学は、オッカム主義の牙城だったからである。

議長室から

「牧師不足という難問のために」

総会議長 立山忠浩

 2月末に開催された常議員会で、今年度の人事が承認され確定しました。
 人事委員会は各教区長と全体教会の3役の8名で構成されますが、常議員会に提案する人事案を確定するまで、多くの労力を要します。
 人事に際し、何に一番頭を悩ますのか。 それは慢性的な牧師(教師)不足です。今年度は新任教師1名が与えられますが、今月末で4名の教師が退職しますので、最終的に3名減(1名は教務教師)となりました。この減少分をどこかの教会が負わなければなりません。
 慢性的な牧師不足は今年度に限ったことではありませんので、毎年苦慮しながらも、その都度現実的な対応をして来ました。具体的には、1人の牧師に複数の教会や礼拝所の任を負っていただくか、引退教師に牧会の委嘱や説教の応援をお願いすることなどで対応しているのです。 今回はそのあおりの多くを東教区に引き受けていただきました。
 深刻な牧師不足。実は、これにはもう一つの側面があることを指摘しなければなりません。確かに牧師の絶対数が不足しているのですが、では牧師が増えればそれで解決するのかと言えば、そうではないのです。各個教会の財政力には限界があり、しかも縮小傾向が否めないからです。
 例えば、来年牧師が10名増えるとしましょう。この上ない喜びですが、しかし人事委員会は、全員をどこに配置するか大いに頭を悩ますことでしょう。牧師を招聘したくても 、 各個教会だけでは無理な場合があるでしょうし、不足分を補うだけの教区の支援も限られているからです。
 牧師数の減少、財政力の厳しい現状について率直に書かせていただきましたが、私はいわゆる悲観主義者ではありません。ただ、単なる楽観主義でもないのです。
 牧師として生きることへの高い志を持った献身者を1人でも多く迎え入れるためには、何らかの財政的な裏付けも必要で、そこへ向かう努力も欠かせないと考えるからです。

 

「教会推薦理事研修会」報告

  
事務局長 白川道生

 1月11日、東京のルーテル市ヶ谷センターで、「教会推薦理事研修会」が開催されました。近年は、名称にある「教会推薦理事」から範囲を広げて、広く参加可能な研修会となっていますが、働きの母体に教会があった事業運営者が集まるとの枠組みは継承されています。今回は、日本福音ルーテル教会、学校、幼稚園・保育園及び社会福祉の運営に携わる14法人から、参加がありました。
 冒頭の開会礼拝、立山忠浩連合会長は、「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」(1コリント12・27)との聖書の言葉を通して、連合に属する諸団体がみな、キリストのからだである意味の重要性を語りかけられました。
 今回はテーマを「法人格を超えた共同の新しいあり方」と掲げました。この研修のためにお迎えしたのは北海道で40年間にわたり、教会と幼稚園の運営に携わってこられた粂井豊先生(元日本ルーテル教団総会議長)でした。
 「体験を通して考えている結論を先に述べますと」と切り出された先生は「教会と学校・幼稚園教育の連携こそが大切」、「幼稚園は宣教の最前線である」と切り出されました。
 創立から時を経た変遷の中で、独立していた4つの幼稚園を1つの法人に、それも経営判断から学校法人化を教会総会で決議。その際、法人格の変更を必ず連携強化の機会にするとの考えで、各園に運営委員会設置、牧師の園長就任を規則に定める等、当時の新たな施策を進めた背景を紹介してくださいました。
 また、教諭こそが最も重要で、採用時にあらかじめキリスト教精神に基づく運営を求め続ける園の方針を説明すること、形だけにならぬため、毎日毎年こだわって繰り返している等々、長年の実践紹介は、続く分団に分かれた話し合いを活発にさせた、熱き息遣いに満ちていました。

プロジェクト3・11  感謝とご報告

東教区社会部長 小泉 嗣

  2014年3月のルーテル教会救援の活動終了を受けてはじまった東教区プロジェクト3・11は、昨年も皆さまの祈りとお支えによって活動を続けることができました。   この活動はこれまでルーテル教会救援等を通じて出会った宮城や福島の方々との交わりであり、「忘れないでください」と言ってくださる方々との出会いであり、「忘れたくない」というルーテル教会の皆さんの思いという「糸」をつなげることだと思っています。上手につなげることができない糸もたくさんありますが、これからも少しずつ、つなげていきたいと思います、どうぞよろしくお願いします。
 昨年は「3・11を憶える礼拝」にはじまり、毎月の本紙面上での活動報告、ほぼ各月の企画委員会等々、慌ただしく時が過ぎていたようにも思えますが、複数回予定した現地訪問は1度しか実施できませんでしたし(その分、おいしく深い出会いの時となりましたが…)、募金箱プロジェクトもうまくみなさんにお伝えすることができませんでした。
 それでも多くの教会・団体・個人がプロジェクト3・11が行っている募金活動に協力してくださいました。目標額を越えて、99万9184円もの献金が寄せられ、「いわき食品放射能計測所いのり」と「いわき放射能市民測定室たらちね」「まつもと子ども留学」「夏休み北海道寺子屋合宿」「福島移住女性支援ネットワーク(EIWAN)」に届けることが決定しました。感謝をもって報告させていただきます。
今年もまた70万円の募金目標を設定し、現地訪問や「3・11を憶える礼拝」等の活動を予定しています。また本紙面を利用して、みなさんの教会で行われている被災地支援活動の紹介等をできればと思います。
 「忘れないでください」と言ってくださる方々と「忘れたくない」と思っているみなさんの思いをつなげるだけではなく、「忘れたくない」と思っているみなさん同士をつなげることができれば、それぞれの糸がさらに長く、太くなるのではないかと考えております。
※ 「忘れたくない」思いを見える形にする「募金箱プロジェクト」も絶賛進行中です、募金箱ご入用の方はお気軽にお問い合わせください。  

鈴木浩 日本ルーテル神学校教授 最終講義

 1月30日、ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校教授、鈴木浩牧師の最終講義が行われ、多くの聴衆を前に「97箇条のルター」と題しての講義がなされました。ルターは95箇条の前に著した「スコラ神学を論駁する討論」によって、宗教改革に至る神学を明らかにしていることを説かれました。
 続く懇親会では、神学生時代から教育者であったこと、また恩師である吉永正義先生との深い交わりの一端が紹介されました。

礼拝式文の改定

22 個教会における礼拝式 文改定への取り組み

式文委員 安井宣生 (本郷教会)

 かつての東海福音ルーテル教会の伝道によって本郷学生センターが設置された60年前、当初より、主日礼拝は本郷学生センターの活動の一環であり、どの程度礼拝式文が用いられていたか定かではありません。しかし1960年発行の現存する最古の週報には、礼拝式に「十戒」との記載がありますので、この時には東海福音ルーテル教会の式文(1949年のいわゆる黒式文とは少し異なる)が用いられていたことがわかります。その後、全国の教会では、茶式文、白式文・青式文と新たな選択肢が提供される中で、それらの影響を受けつつも2003年まで、この文語の式文を用い続けました。
 ある時、礼拝に初めて出席した大学生達に、礼拝の感想を聞きました。 すると口を揃えて、外国語クラスに参加した感じがしたと話してくれました。もちろんこれは式文に限ったことではなく、礼拝での言葉の多くが日常には聞き馴染みの薄いものであったということかと思います。この反応はそれまでも教会内にあった、式文が文語のままでよいのかという思いを大きくさせることになりました。
 そこでまず、礼拝について学び始めました。当該牧師だけではなく、神学校の先生方の協力もいただいて理解を深めていきました。その過程で「礼拝は誰のためのものか」を考え、「礼拝についての議論、刷新への取り組み自体が伝道である」ということに気付かされました。礼拝は誰のためとの問いに、それは神のため、そして礼拝に集う会衆1人ひとりのためであるということまでは想像できました。しかしこの学びを通して、「礼拝は礼拝に来たことのない人のためでもある」という認識を与えられることになりました。
 そして、学生の隣人にと歩んできた教会として、文語の美しさへのこだわりを一旦手放すこととし、式文を新たにする作業に入りました。青式文をベースに十戒を加えて、試行第1版が作成されました。試行にあたっては、①ためらいがあってもまず使用する、②数ヶ月は毎週使用して慣れるよう努める、③使用してから議論し必要な変更を行う、という点を確認しました。
 さて、第1版ですが、これまでは馴染みのないチャントの練習もした上で使い始めましたが、4回(1ヶ月)の使用で不採用になりました。チャントへの抵抗感がありました。次に、なるべくチャントを入れずに言葉を唱える形とする第2版を作成しました。唱えることで言葉が心に残る反面、音が添えられれば流れていく言葉も、唱えると不自然な感じを受けることもありました。第3版は従来の文語式文をベースに、短い口語で表現する形に整えました。これは概ね受け入れられ、3年試行することを決めました。以来10年を超えてこれを用いています。自分達の教会の礼拝にふさわしい形について、「時代の流れに沿って」と「時代の流れにも関わらず」との両面から議論し自分達で選び取っていくこと、そして初めは慣れなくても繰り返し用いることにより、礼拝と式文が信仰の血肉となっていく経験をしています。慣れることは大切ですが、習慣化することで意味を忘れることのないように、慣れないものに挑戦する時期が近づいているとも思います。

ルター、バッハ 宗教改革500年

5 主の深い愛に打たれて

血しおに染みし(教会讃美歌81番)

徳善義和

 主の受難を心に留める伝統的な讃美歌としては「血しおに染みし 主のみかしら」がよく知られている。長いことクレルヴォーのベルナールの作詞とされてきたが、最近ではその弟子ルーヴァンのアルヌルフの作詞とされていて、四旬節の礼拝でこれを歌わない教会はあるまい。受難曲にも欠かせない讃美歌だった。
 ところで、バッハの死後の遺産目録には「カロフ聖書」と呼ばれたルター訳旧新約聖書3巻や2種のルター全集計15巻のほかに聖書注解や説教集などの蔵書が多く含まれていた。当時名を知られた牧師ハインリヒ・ミュラーの『受難節説教集』などは愛読したらしい。 ライプツィヒ着任後4年目に当たる1727年の聖金曜日のために「マタイ受難曲」を構想したときには、この説教集に依拠しようと思い、ピカンダーと呼ばれた作詞家にもこの説教集を読んで自由詩を作詞するよう求めた。このことがこれら2つの本文を綿密に調べた研究によって明らかになったのは比較的最近のことである。
 バッハの「マタイ受難曲」でもこの受難讃美歌はもちろん歌われるのだが、ミュラーの説教集に基づいて作詞されたバッハの「マタイ受難曲」では、この讃美歌ではなく、ソプラノのひとつのアリアが全体の中心テーマになっていると研究者は結論し、この歌詞を自らの研究書のタイトルとした。すなわち、「マタイ受難曲」の終わりに近く、第49曲のソプラノのアリア「愛ゆえにわが救い主は死のうとなさる」である。高音で、物悲しい調子で歌われるこのアリアの趣旨が説教者のメッセージの中心であり、バッハのメロディーはそれを伝えている。
 これを公演で聴きに行く人は(私もいつもそうするのだが)、日本の聴衆と違い、ライプツィヒのトマス教会の聖金曜日の聴衆と同じように、終曲を聴き終えたなら、静かに祈って席を立つようであってよいと思う。いずれにしても「主の深い愛」を心に刻むのである。

           

「ルーテルアワー」のサイト [さあなの部屋]より 
③「神の御心に」

伊藤早奈

 「イエスを裏切ろうとしていたユダは、『わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け』と、前もって合図を決めていた。ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、『先生』と言って接吻した。人々は、イエスに手をかけて捕らえた。」(マルコ福音書14・44~46)

 神様。この季節、私たちには沢山の別れがあり、また出会いも与えられ、その一つ一つに私たちは悲しみを覚えたり喜びを感じたりします。しかし、神様、私たちは決してあなたと別れることはありません。たとえ私があなたを忘れることがあっても、あなたは私をお忘れにならないからです。ありがとうございます。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン
 「ユダが合図をしなければ、誰がイエスかわからなかったのか?」  この箇所を読む度に私はそう思いました。「イエスはいつも自分の身を隠していたのか」と思う方も少なくないと思います。でも、イエスは言われます。「わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていた」(マルコ14・49)と。また「聖書の言葉が実現するため」(同)とも。イエスは逃げも隠れもしていません。ならばイエスは何を大切にしておられたのでしょう。
 それは神の御心です。「聖書の言葉が実現するため」というのは「神の定める時を大切にする」ということでもあります。
 ユダもイエスを大切にしていました。しかし、ユダが大切にしていたのは神の御心に従うイエスではなく、奇跡を起こす英雄イエスだったのかもしれません。ユダは自分が合図するまではイエスに手を触れさせないと取り決めをすることで、イエスに「奇跡を起こして逃げてください」と期待をしたようにも思えます。 私も祈り願うとき、ユダと同じように自分に都合よい奇跡を求めていないかと考えさせられます。
 ユダの合図も空しくイエスは捕えられます。しかし、イエスは従われます。神の御心に。群衆や兵士たちではなく、神の御心に。神の御心、それは私たち一人一人が神に大切にされているということを、イエスとの出会いを通して思い起こさせるものです。神の御心がこの身になりますように。

(※原文のタイトル「あなたのために」を改題・編集しました。)

杉山昭男牧師を偲ぶ

逸見義典(定年教師)

 杉山昭男牧師は、去る1月30日ご家族に見守られて召天された。今は、新しい国で、あの笑顔で、わたしたちを見つめておられるであろう。召された杉山師を偲び、残されたご家族に、神さまの「慰め」があることを祈りつつ、思い出を書き残したい。

 杉山師は、熊本の健軍教会、小田原教会、横浜の日吉教会、仙台の鶴ヶ谷教会を牧会された。特に最後の任地、鶴ケ谷では、教会設立時の諸問題を解決、足跡を残された。厚生大臣賞受賞もその一例である。
 聖書の詩編に、こういう言葉がある。
「あなたがわたしの右の手を取ってくださるので、常にわたしは御もとにとどまることができる。」(詩編73・23)
 杉山師は、牧会・伝道の働きの中で常に温顔を崩さず、大胆に御言葉をかたり、行動し、思い煩うことなく定年退職。退職後の仙台のキリスト教界におけるご奉仕はめざましいものがあった。この詩人の言葉と杉山師の心境は同じであったと思う。誠実に生きた人であった。
 東京鷺ノ宮にあったルーテル神学校で同室であったわたしは、杉山師の真剣な生活態度に驚いた。仙台のご自宅を度々訪ねたが、笑顔で歓談する杉山師を思い出す。彼は「神さまは」ということばを数多く口にした。わたしどもの恩師、平井清先生の薫陶である。
 東北の美しい山や有名な温泉を旅したことも忘れ得ない。タオルを頭に、長湯を楽しむ杉山師にもう会えないのかと思うと寂しさでいっぱいである。しかし、杉山師の蒔いた「福音の種」は今日も育ち続けていると思う。老兵がまた一人去った。

退任教師ごあいさつ

大宮陸孝牧師

 1979年から37年の牧師生活でした。その間、掛川・菊川教会、高蔵寺教会、賀茂川教会、飯田教会の4つの教会の牧会をして参りました。
 イエスは、福音をこの世に伝える宣教の働きを、種蒔きのたとえで語られました。そしてそれは様々に解釈されていますけれども、私は、イエスの語る本来のたとえの意味は、主イエスの語る言葉を聞く者は、その人の人生に豊かな実りをもたらすということ、何らかの尊い、その人に固有の役割を果たすために神に召し出されているのだと、受け止めてきました。
 また様々な理由で、蒔かれる種は失われていきます。いろいろな場所に落ちて、実を結ぶ前に失われてしまう種のことが語られます。それは使命感を喪失した者のことであろうと私は理解して来ました。
 失われていく多くの種がある、にもかかわらず、種蒔く主は、実を結ぶことを期待して種を蒔き続けている。多くの困難にもかかわらず、また、自分がどんなに弱く、欠けの多い存在であっても、その困難に後ろ向きにならず、神の期待と、与えられた使命になお応えて歩む信仰の道を、退職した後のこれからの人生にも示されていると改めて強く認識させられています。 長きにわたり皆様のお祈り、お支えをいただきましたことを感謝申し上げます。

鈴木浩牧師

 この3月末日で最後の勤務地になったルーテル学院大学を定年退職になります。同時に日本福音ルーテル教会の引退教師の身分になります。
 1981年に大岡山教会に赴任して8年間、次いで教会の指示でミネソタのルーサー・ノースウェスタン神学校に留学し(4年間)、帰国後は諏訪教会で約2年、次いで名古屋教会で3年間、牧師としての働きをさせていただきました。諏訪教会の時は「特急あずさ」で、名古屋教会の時は「新幹線」で通勤し、学校の非常勤講師としても働きました。1998年に専任教員となって、説教壇に毎週立つという機会を奪われましたが、学生たちと一緒に学ぶ機会が与えられました。
 また「講壇奉仕」では、北海道から鹿児島まで、各地の教会からお招きを受けて、そこで説教や講演をする機会を与えられました。ですから、大勢の方と主にある出会いを持つことができました。その度に後援会の世話人の方々にもお会いし、後援会の力強いご支援を肌で感じることができました。いま皆さんに一番に申し上げたいのは、「お世話になり、ありがとうございました」の一言です。

東和春牧師

 1977年、今は主のみもとに召された2人の同労者、合田俊二牧師と村松由紀夫牧師と共に按手を受けさせていただきました。
 その後、厚狭教会、玉名教会、延岡教会、直方教会、池田教会、函館教会、横浜教会、横須賀教会で奉仕させていただきました。いずれも素晴らしい信徒に恵まれた、立派な教会でした。
 今の私の信仰は、これら信徒の方お一人おひとりとの出会いと信仰によって育てられたものです。これらの諸教会で奉仕させていただいたことは、私の誇りであり、大きな喜びです。感謝申し上げます。
 残された時を日本福音ルーテル教会諸教会ための祈りの時とさせていただきます。
 主の平安を祈ります。ありがとうございました。

J3退任ごあいさつ

ジェニファー  ロバーツ宣教師

 来日した2年半前、私の心は期待に満ちていました。今はもうそれらを覚えていませんが、日本で働くことは私の人生において最善の決断であったと言えます。時は去りましたが、喜びに満ちています。生徒や同僚、教会の皆さんから沢山の愛情を受けました。帰国する楽しみもありますが、私にとって日本は第2の故郷であり、必ず日本を恋しく思うことでしょう。JELC、ELCA、JELA、文京カテリーナ、そして本郷教会の支援に感謝します。日本の教会の働きが祝福され、神の栄光を運ぶものとなるよう祈っています

ブレント ウィルキンソン宣教師

 この2年半は、あっという間でしたが、よい経験と出会いに満たされた時間でした。日本語や日本の文化について、皆さんの援助に助けられました。友人を作ったり、教会や学校のコミュニティーに参加したり、日本人の生活を知ることができてよかったです。日本の多くの素晴らしい面を見せてくださり、ありがとうございました。アメリカに帰ってからも、沢山のよい思い出があり、家族と友人に日本の素晴らしさについて話ができます。心から感謝します。

 

 

 
        

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