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機関紙るうてる

るうてる2020年5月号

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説教「息」

日本福音ルーテル西宮・神戸・神戸東教会 牧師 竹田大地

「わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ。」(民数記11・29)

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

「突然、天の中から外へ音が来た。猛烈な息のようであった。そして、彼らが座っている家を満たした。」(使徒言行録2・2より私訳)と記されています。「天の中から外へ音が来た」とあるように、聖霊は「音」であり、それが「猛烈な息」だったと表現されています。詩編には「あなたの顔をあなたが隠せば、彼らは恐れる。あなたが彼らの息を取り除けば、彼らは枯れ、塵に返る」(詩編104・29より私訳)と記されています。
またエゼキエル書37章の預言にも、谷のおびただしい枯れた骨が、預言すると集まり肉と皮が付いたが、彼らの中には霊は無かったとあります。そして、更に霊に預言すると、それらの中に入り、生き返ったとあります。
人間の創造においても、塵から象った人間に鼻から息を吹き込むと生きる者となったと記されています。このようにして、神の霊、息こそが私たちを生かす源であると聖書は証ししています。
この私たちを生かす息が、教会を教会とするのです。「一同が一つになって集まっている」とあるようにそこにはキリストの弟子たちは集っていました。そんな彼らに主は「猛烈な息」を送り、神の御心を語る者へと造り変え、新しい命の道へと遣わし、教会という神の御心を世に証しする人々を召し出したのです。
しかしこれは新奇なことではありません。「わたしは、主が霊を授けて、主の民すべてが預言者になればよいと切望している」(民1・29)と語られているように、神は私たち一人ひとりが主の御ことばを人々に語り、伝えることをずっと心から望んでおられることです。
ですから、それは今を生きる私たちに対しても神が望んでおられる思いです。私たち一人ひとりが神から召された預言者であり、神の御ことばを世に宣べ伝えることによって教会は教会とされる。この神の出来事こそが教会が教会として立つ本質です。
私たちは、様々に対策を講じ、宣教とは、伝道とは何かと考えます。しかし、それが人間の知恵によるものに陥っていないか。私たちに与えられている猛烈な息を感じない状態にないか。その息は、何をせよと、何を語れと命じているでしょうか。この事を改めて神から問われています。神の御ことばを伝えること、そのままに、私たちの思いを混ぜて語るのではなく、神の御ことばそれ自身を語ること。これこそが主が切望し、命じられていることです。
ですから御ことば(神)を信じ、委ねていくことによって初めて教会は、キリストを、世に主を証しすることができます。その時、先に述べた私自身の思いに加えて、それを止めさせようとする同胞も居ます。嫉む者や妨害する者もあります。酒に酔っていると嘲笑する者も現れます。
時には教会は世の通説や、言説、慣例などと反発する時もあります。しかし、それが神の御ことばであるならば、私たちは「わたしの言葉に耳を傾けてください」と叫ぶのです。主はこう語られている。全ての人が主の御心を知るために世に語り続けねばなりません。私たちは主の猛烈な息に生かされているのですから、それらの者には決して殺されません。
この源である息をキリストは受けなさいと命じられています。私たち自身では語りえない言葉を語らせ、成し得ない行いを成し遂げるための力をキリストの息を受けることによって与えられるのです。キリストを語るためにキリストから与えられている息が私たちを真に生かし、預言者としています。
息をしなければ語れないように、この息が無ければ御心を語りえない、成し得ないこと。主が私たち一人ひとりに猛烈な息を吹き込んで臨み、私たちを満たしています。
「主の民すべてが預言者になればよいと切望している」神の御心が現実となることを私たち自身の祈りとし、神からの息に導かれ、強められながら福音宣教が成ることを信じていきましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

 

エッセイ 命のことば  伊藤早奈

②「紅梅」

「朝早く、都に帰る途中、イエスは空腹を覚えられた。道端にいちじくの木があるのを見て、近寄られたが、葉のほかは何もなかった。そこで、「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と言われると、いちじくの木はたちまち枯れてしまった。」(マタイによる福音書21・18~19)

今年、庭の紅梅が1月の中旬に咲き始め、2月の中旬までには満開になりました。
嬉しく思うやら、驚いてしまうやら。勘違いをしたのかしら?間違えたのかしら?暖冬だったから。やはり、地球の温暖化が進んでしまっているからかしら?見ている私たちはいろいろな理由を常識から引っ張り出そうとするかもしれませんし、いろいろな意味でそういう理由からなのかもしれません。
でも、ちょっと待って下さい。「梅の木がイエス様に出会ったのかな。」と思うと私たちはイエス様が一人一人に与えられる「とき」を感じることができないでしょうか。どんなに常識的に見て理解出来ないことであっても。信じられないほど変でも、突然でも、それは神様であるイエス様が与えて下さる「とき」なんだなぁと私は思いました。私もイエス様に出会う「とき」に向き合う準備はできているのかが不安だけど、そのように頼りない私とでも、イエス様は共にいてくださるんだな、だから大丈夫かなって思います。
今年は暖冬とはいえ、気候がどうなっていくのか私たちは不安になったり反省したりします。でも、神様であるイエス様が与えて下さる「とき」は、ふさわしい「とき」です。

 

議長室から

「外的奉仕のための内的集中」(ボンヘッファー)  総会議長 大柴譲治

危機的な状況になればなるほど私たちの意識は覚醒します。サバイバルのために全力を尽くさねばならないことを本能的に察知するためでしょう。現在世界中で新型コロナウイルスとの壮絶な闘いが展開されています。予断を許さないことは刻々と伝えられる諸外国の現実からも分かります。日本もその渦中にあります。先が見えない恐れと不安の中に私たちは置かれていて、「教会(エクレシア)」に集うこと自体が困難となっています。「すべてのいのちを守る」ために私たちが今求められていることは何か。私は思います。それは、神の御言にひたすら聽くことであり、神の御心を知るために無心に祈ることだと。特に詩編と「主の祈り」を相互に声に出して祈ることは有用です。「キリストの声」には私たちを落ち着かせる神の力が宿っているからです。
ドイツ教会闘争という危機的状況にボンヘッファーは「ブルーダーハウス」(牧師補研修所)設立のために「外的奉仕のための内的集中」と言いました。「彼らは、常に兄弟の交わりから出発し、またそこへと帰って行くことができるなら、そこに、彼らの奉仕のために必要な故郷と交わりを見出すのです。そこで目標とされているのは、修道院的な隠遁の生活ではなく、外に向かって奉仕するための、内的に最も深められた集中の生活です」(選集VI『告白教会と世界教会』)。ボンヘッファーは「交わりの生活」を通して「教会」において現臨するキリストにどこまでも集中してゆきます。「自分の心の中のキリストは、兄弟の言葉の中のキリストより弱い」(『共に生きる生活』)とまでも言うのです。私たちは相互に御言を伝えてくれる他者の「声」を必要としています。
今回のことで私たちは、礼拝に集う兄弟姉妹の交わりが決して自明ではないということを認識しました。それは神の恩寵です。「エクレシア」は「キリストに呼び集められた者の群れ」のことですが、それは「一つに集められたかたち」(主日礼拝や聖研・祈り会等)と「散らされた(ディアスポラ)かたち」(日々の生活)の両者において存在します。「共にある日」にも「独りでいる日」にも、私たちはキリストの身体の一部分として結び合わされていて、顕在と潜在を通して私たちはひとつの教会であり続けるのです。私たちは今この時を「外的奉仕のための内的集中の時」として位置づけ、それぞれの場で祈りを合わせてゆきます。お一人おひとりに神の恵みが豊かにありますように祈ります。シャローム。

 

讃美歌と私たち

賛美歌と私たちの今(11) 小澤周平(名古屋めぐみ教会牧師)

『教会讃美歌』の編集当時には興味深い話題も。それは、歌の最後に付ける「アーメン」のこと。
すべての賛美歌の最後に本来その歌に含まれない「アーメン」を付ける習慣は、19世紀後半の英国に始まりました。日本では、1931年と1954年に出版された『讃美歌』でのみ採用されました(*)。 この習慣は、聖歌等では認められませんし、『讃美歌第二編』も踏襲していません。ルーテル教会について言えば、ドイツや北欧では元来、そして、米国でも約半世紀前から、この習慣は見られません。
賛美歌の最後に「アーメン」を付ける場合、その賛美歌が礼拝においてどのような役割を担っているかを事前に検討する必要があります。この事は『教会讃美歌』の編集中にも議論されました。ぜひ、序文後の「解説」を読んでみてください(興味のある方は『讃美歌21』も参考に)。
このように、教会暦、口語、超教派、アーメン等々、『教会讃美歌』は様々な挑戦を試みてきたことが分かります。そして、その挑戦は「サンビカ」の系譜の中で、連綿と継承されてきた取り組みであり、かつ、後世に継承してきた取り組みでした。
さて、私たちの今を見つめてみましょう。2008年に実施されたルーテルの讃美歌委員会のアンケートによると、JELCのほぼ全ての教会が、『讃美歌』(1954年版)、『教会讃美歌』、『讃美歌21』の単独使用か、ないし、二つ以上の複数併用となっています。従って、この三冊が「サンビカ」の系譜にある、私たちの教会の主要な使用歌集と確認できます。
それでも、各個教会には独自の歴史と伝統があります。他教派の歌集や、外国の歌集を用いる教会もあります。同じ歌集であっても、歌唱法、奏法、運用方法まで及んで細部まで検討すると、様々な状況が存在しています。この多様性は在って然るべきもの。なぜなら、賛美歌と礼拝と信仰生活がつながっているのだから。それが、賛美歌と私たちの今です。
次回は最終回。私たちの将来に目を向けてみたいと思います。(続く)
*水野隆一「「礼拝における歌」を知る ―リテラシーの重要性」『礼拝と音楽 178号』日本キリスト教団出版局、2018 、49 頁)

 

プロジェクト3.11  9回目の3・11を憶える礼拝 久保彩奈(本郷教会)

2011年3月11日。あの日、あの時、あなたはどこにいましたか。わたしもあなたも、そして大切な人の命も脅かされた東日本大震災。大地が揺れ、大津波が襲来したあの日からもう9年が経ったというのに、わたしたちの嘆きは消え去ることはありません。たとえ記憶の鮮明さは欠いたとしても、あの震災を思い起こしたいと願います。 あの日の悲しみと不安、そしてその後を生きる人々の懸命さと出会い、つながり続けることの意味を想います。
しかし、この9年で一体何が変わったでしょうか。被災者、避難者が納得する形での賠償はされないまま、「命」を最優先しない怒りと嘆きがあります。この痛みを、今、感染症拡大という違う形ではありますが、多くの人が味わっていると思います。このような大きな不安の中でも集い、祈りを寄せ合えたことを、感謝をもってご報告いたします。
わたしたち「東教区プロジェクト3・11」は、これまで毎年「3・11を憶える礼拝」を行ってきました。今年も礼拝の準備をしていたところ、新型の感染症が拡大。東京都内でも感染症拡大防止を考慮した主日礼拝の方法が検討され、各個教会で決断を迫られていました。これらの状況を鑑みて、今年は3月11日19時から小石川教会にて、礼拝は短縮させ、web中継も実施しました。中継も含めて約30名が礼拝を共にしました。
説教は小石川教会の?野昌博牧師が「助けは来る、主のもとから」と題し9年前の震災を振り返りつつ福音を語ってくださいました。それは、いかなる災害も神の摂理だからこそ、神様の警告と約束があること。傍若無人な開発と発展を推し進めた人間が立ち止まり、神様の恵みの統治に方向転換することが、あの災害を無意味にしないことだと語られました。
わたしたちは、その警告と約束を主の恵みの中で、改めて受け取りたいと思います。それは「今」に目を向け、声を聴き、共に歩むことです。そこにこそ希望があると信じています。

 

ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校が新年度へと歩み出しました

今年度のルーテル学院大学・日本ルーテル神学校は、ルーテル学院大学総合人間学部104名(編入学を含む)、大学院12名、そして神学校に2名の新入生を迎えてスタートしました。神学校の牧師養成コースの新入生は河田礼生さん (JELC三鷹)と坂口晴実さん(JELC大岡山)です。昨年度から開設された神学一般コースには1名の新入生を迎えることとなりました。
そして今年度よりルーテル学院大学学長には昨年度まで日本ルーテル神学校の任を負っておられた石居基夫先生が就任、神学校校長には都南教会との兼任として立山忠浩先生が就任され、新しい体制での大学・神学校運営が始まりました。
新型コロナウイルス感染症拡大防止対策のため、既に2019年度末に行われた神学校の夕べや卒業式では感染防止に留意しながら実施されておりましたが、新年度にあたっては、東京都内での感染拡大さらには緊急事態宣言を受けて、予定されていた様々な行事・プログラムを急遽変更せざるを得なくなりました。
入学式は中止、神学校入学始業聖餐礼拝、また学長・校長就任式は延期となり、5月7日までは大学・神学校校内への立ち入りが制限され、大学窓口も閉室となりました。新学期のオリエンテーションなどは5月8日以降に延期され、授業開始は5月11日からとなる予定です。

 

JELAカンボジアワークキャンプに参加して 本間いぶ紀(甘木教会)

初めて行ったカンボジア。それがJELAのワークキャンプで良かったと心から思っています。もし単なる観光でカンボジアを訪れていたら、カンボジアが抱える問題に気づくことができなかったと思います。
首都プノンペンで過ごした1週間は貧富の差を目の当たりにしました。ビルが立ち並び、人々が近代的な暮らしをする街から、ワークのために車でほんの少し移動すると、舗装されていない道路や清潔な水を使うことのできない環境、女性や子どもが安心して暮らすことのできない環境がありました。事前に大学の授業や自身で調べて知っていたことではありましたが、とてもショックでした。
近年のカンボジア経済は高成長していますが、そこから弾かれた人々が多く存在することを実感しました。わたしたちが行った時はちょうど干ばつで多くのため池が干上がっていました。また、少数派のイスラム教信仰者が多い地域では幹線道路にも関わらず、政府の支援が少ないため、あまり整備されていませんでした。
LWD(Life With Dignity)で聞いた話の中の「カンボジアの平等な開発」がいかに重要なことかを考えさせられました。その「カンボジアの平等な開発」をする上で、わたしたち日本人ができる支援は何だろうと考えたときに、現地で活かすことのできる技術や知識の提供がすぐに思い浮かびました。しかし、それらはわたしのような技術も知識もお金もない大学生ができるものではありません。支援をしたいけど、難しい状況にもどかしくなりました。
そんな中でも、ひとりの人間として、クリスチャンとしてできることがありました。この現状を世の中の人に「知ってもらう」ことです。わたしは今回の渡航で、カンボジア国内の経済格差やポル・ポト政権が行った残虐な行為をこの目で見て深く知りました。キリングフィールドやトゥールスレン拷問博物館、地雷博物館では、海外から来た人たちにカンボジア国内でポル・ポト政権が何をしてきたか、どんな残虐な行為をしてきたか、見るに耐えない事実を教えてくれました。 「知る」「知らせる」ことで支援の輪が広がること、知らなくては何も始まらない、正しく知ることで正しい支援ができるのだと強く感じました。そして、今自分にできることをしたいです。
将来、カンボジア支援に携われる機会が与えられたときのための備えをしていきたいです。学びある濃い10日間をありがとうございました。

 

慈愛園創立100周年を振り返って 潮谷義子(社会福祉法人慈愛園理事長)

モード・パウラス女史の宣教師としての信仰に基づいて始められた慈愛園は、2019年創立100周年を迎えることができました。
まず、11月9日に法人内の3か所の保育所合同のお祝い会を開き、教会堂いっぱいに幼な子たちの声が楽しく元気に響き渡りました。11月16日に記念式典、ホーム・カミングデーの集い、17日に?本浩牧師、大柴譲治総会議長により記念礼拝を行いました。各々の会には卒園生、地域、旧職員、現職員の出席があり、自分たちが過ごした頃の園生活を懐かしみ、思い出話で満たされていました。
何より100年を迎えるにあたっての大きな喜びは、法人慈愛園の統一聖句として、3人のチャプレンの先生(?本、小泉、木下)に主題聖句「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマの信徒への手紙12章15節)を決めていただいたことです。
100年を振り返りますと、まさにパウラス先生の信仰の結晶「散らされた人々を集め、ひとりも失われないようにする」この道標をめざして歩き続けてきた歴史であったことを実感します。
現在、寄附金等を活かした取り組みも進めています。その一つ、里親・養子縁組の支援や家庭福祉相談の窓口の設置については既に取り組みを始めており、障がい者を中心に「誰もが集い、楽しみ、学べる場づくり」として、「地域交流施設」の建築の準備を進めています。
今後とも、神様の祝福、多くの方々の祈りと御支援のもと、人知では計り難い歴史に向かって歩んでまいりたいと願っています。

 

なごや希望教会新礼拝堂竣工報告「神集め給う教会として」 末竹十大(なごや希望教会牧師)

新型コロナウイルス感染予防のために、2020年3月8日に予定していた献堂式を延期する決断をして、3月1日から新礼拝堂での礼拝が開始された。何となく、けじめのない新礼拝堂での礼拝開始と思ったが、礼拝は特別の出来事ではない。いつも週の初めには一人ひとりが集められ、みことばの糧に与る。教会がこの歩みを止めることはない。終わりの日に至るまで、礼拝を起点としつつ、神の民として歩み続ける教会。如何なることがあろうとも礼拝は守られていく。建物があろうとなかろうと、礼拝は守られていく。
献堂式延期を決断したとき、喜びに溢れた晴れの場が失われたように感じた。しかし、我々が歩んできた建築の歩みを考えれば、これも神のご意志と思える。15年の歳月を新礼拝堂で礼拝する日を望み見ながら、あっちに行き、こっちに行きと迷いつつ歩んできた。いつになれば、建築に取りかかることができるのだろうかと落胆したときもある。資金が足りず、牧師館は既存のままにしようと考えたこともあった。鉄筋コンクリート造にはさらにお金がかかるということで木造の礼拝堂となり、収容人数は以前より少なくなった。そして、最後に献堂式の延期である。我々の望むようにはならなかった。しかし、神の意志がなっている。
礼拝堂がなくとも、幼稚園園舎で礼拝を守り、我々はなごや希望教会であり続けた。そこにあったのは、ただ神が一人ひとりを集め給い、語り給う礼拝であった。そして、新礼拝堂が竣工し、けじめもなく普通に礼拝場所を新礼拝堂に移すだけの礼拝開始。考えてみれば、これで良いのだ。礼拝堂が如何に素晴らしくとも、礼拝堂はただの建物。教会は建物ではない。集め給う神がおられて教会が存続する。このお方に、我々はすべてを献げてきた。これからも献げて生きる。神が喜び給う悔いた心をもって、これからも神によって集められる教会、エクレーシアとして歩み続けて行きたい、来たり給う主を待ち望みつつ。

 

TNG・ユース部門リーダー研修キャンプin沖縄のご案内

TNG・ユース部門で昨年から始まった「リーダー研修キャンプ」を本年も開催いたします。新型コロナウイルスの影響など懸念されていますが、開催する予定です。本年は、9月7日(月)~10日(木)の予定で沖縄での開催となります。沖縄の歴史と現在を見つめ、私たちが神の御ことばを聴き、与えられた御心にそって社会に何を語るべきかを考えます。沖縄の戦前、戦中、戦後を見つめる実地研修を踏まえながら、黙想を深め、祈りの時を持つプログラムです。どうぞ教会の青年たちにこのプログラムをご紹介くださり、将来ルーテル教会を担う人材の育成を共に担っていただければ幸いです。各教会に募集要項を送付していますので詳細についてはそちらを参照してください。

開催日程 2020年9月 7日(月)~10日(木)
参加費 3万円(交通費・宿 泊費込み)
対象年齢 18歳(学生以上) ~35歳
募集人数 最大14名
申込締切 2020年6月7日(日)
申込先
〈Eメール〉lt.tngyouth※gmail.com (※は@に変換してください)
もしくは 〈ファクス〉(0798)23・1735
受付担当 竹田大地宛

※航空チケットの手配のため締切厳守とさせていただきます。締切以降の申し込みについては、別途航空機代を頂く可能性があります。
※応募者多数の場合はこちらで選考させていただきます。
※新型コロナウイルスのため開催の可否は2週間前までに判断いたします。

 

スオミ教会移転報告2 吉村博明(スオミ教会派遣 SLEY信徒宣教師)

(前号より続く)
その後これ以上改修しても問題は解決しないとの結論に至り、2017年の臨時総会で「賃貸物件に移転してそこで教勢拡大に努め、土地建物の売却金プラス自己資金をもって自前の教会を目指す」という決定がなされました。
賃貸物件探しは難航を極めました。宗教目的はどこでも敬遠されたからです。臨時総会から2年、やっとひとつ早稲田大学の近くに見つかりました。契約、引越し、改修等の初期費用は半額近くをフィンランドの国教会からの支援に負いました。改修して、小さいけれど明るく慎ましい感じの礼拝堂と集会室を備えた教会が出来上がりました。昨年9月、?野東教区長(当時)をお迎えして献堂の祝福をしました。今後は臨時総会で決めた目標を目指して、この早稲田の地で伝道に励み教勢を拡大していかなければなりません。

 

日本福音ルーテル教会財務委員会からのお知らせとお願い

主のみ名を讃美いたします。
感染症拡大の中で、すでに2月下旬から公開の主日礼拝、また週日の集会等を中止されている教会が多いことと思います。また4月9日の「議長談話」にある通り、「緊急事態宣言」が出されたことによって、今後も、この傾向は続くものと理解しております。このような状況の中で各個教会におかれましては、献金収入が大幅に減少していることと思います。財務委員会では、このような状況を把握しつつ、以下の対応を検討していること、また各個教会にお願いしたいことをまとめました。ご協力をよろしくお願い申し上げます。
財務委員会としては、今後、各教区、神学校と協議、調整を進めつつ、以下の施策をもって、この事態に対応することを検討しています。(日本福音ルーテル教会常議員会にて最終的に決定されます。)

(1)協力金の減免
(2)「建築積立会計」から の「繰入金」の参入を認 める(協力金の対象額から除外する)

また各個教会には以下のことを当座の対応としてお願いいたします。

(1)「牧師給」につきましては、これを堅持して頂きたくお願い申し上げます。
(2)このために社会保険料 の牧師負担分、教会負担 分につきましては2020年度末まで猶予することができます。加えて協力金、転任積立負担金、郵税献金、神学生奨学金負担金等についても同様に2020年度末まで 猶予することができます。
(3)また各個教会の積立金、「一般積立会計」、「建築積立会計」に資金の留保がある場合、これを用いて対応をお願い申し上げます。
(4)それでも資金的に困難な場合、各教区に資金貸付をお願いしています。その際は、遠慮なく教区長にご相談くださいますようにお願いいたします。

未曽有の出来事の中で、信徒の方の中にも生活に困窮を覚える方も多くおられることと推察いたします。また感染症への対応が長期化することが予見されます。今後も、財務委員会は状況に応じて柔軟に対応していく所存です。
日本福音ルーテル教会の宣教の屋台骨を支える教職の生活を支えることが、主の御業の進展を支えると信じて、すべての信徒の力を合わせて、この難局を乗り越えていきたいと考えます。ご協力をよろしくお願い申し上げます。

2020年4月10日
日本福音ルーテル教会
会計 木村 猛
財務委員会委員長 古屋四朗

 

第29回日本福音ルーテル教会総会延期のお知らせ  滝田浩之(事務局長)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大に伴い
標記の件、日程が変更されたことをお知らせいたします。

開催日時
2020年9月21日午後1時~9月22日午後3時半まで。
開催場所
ルーテル学院大学
東京都三鷹市大沢3-10-20

第28期第7回常議員会にて承認されました。9月までの行政は、新たな教区常議員を加え第28期総会期が継続するものとします。

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