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機関紙るうてる

るうてる《福音版》2008年4月号

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バイブルメッセージ  春の小川

わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる
ヨハネによる福音書 7章38節(日本聖書協会・新共同訳)

子どもの頃、我が家の周りは田んぼでした。その田に水を引くための用水路が玄関前の道路に沿ってありました。
用水路、その幅は1メートルもなかったと思います。深さも路面から水底まで数十センチくらいだったでしょうか。水の流れは豊かできれいでした。水底には根をはった水草がふさふさと茂り、流れにあわせて、ゆらりゆらりと揺れていました。幻想的な光景でした。
わたしは毎朝のように、道路に出て用水路を見ていました。その道路はまだ舗装されておらず、自動車が通ることもまれでした。ですから、道路に腹ばいになって、頭を用水路に突き出し、顔を水面に近づけて、水中を覗き込んでいたのです。その格好を見て、母は「変な子だねぇ」と言っていました。
用水路を泳ぐ小鮒は上から見ると流線型で、うろこも透明で、見つけにくいのです。群れをなして泳ぐ様は、訓練された行進のように整然として精悍でした。網で掬おうとしても、すばしこく、またたくまに姿を消します。その点、泥鰌は動きが鈍く、水底の泥もろとも掬うと、網の中で、のたうちまわっているということがよくありました。でも、どれもこれも、水中の姿が一番でした。「やはり野におけ、れんげそう」ではありませんが、わが掌中にできない、しないからこそ、彼らの命はリアルに輝いているのです。
季節は移りますが、「用水路観察」の圧巻は、とんぼの羽化です。水中から「やご」が用水路の側壁をよじ登ってくるのです。水面に出て、側壁にしがみつく格好で静止し、やがてその背中が割れて、白っぽい塊が出てきます。成虫です。そっくり返って垂れ下がり、足もきちんと折りたたまれ、羽も絞った雑巾のように小さく縮こまっています。でも、風に吹かれてどんどん乾き、しわもみるみる伸びて、ガラスのような光沢を放つ大きな羽になります。すると飛び立つのです。目の前、あちらこちらで、次から次にその光景が……。「ごはんですよ」の母の声に、ようやくわたしも立ち上がります。ぬけ殻は側壁にくっついたまま。登校の際に、それを数えるのです。
時は春、新年度。土の中から、水の中から、命が湧き出る、再生、再出発の季節です。それにあやかり、心機一転を心に期す人も多いでしょう。
キリスト教会では、この時期、イエス・キリストのご復活をお祝いします。それは「神、我らと共に」の命を生きることです。それは、「人はパンだけで生きるものではない」ことを、日々、時々刻々、確認することです。パンだけを追求する時、人は、かえって、生きること、「いのち」の意味を喪失していくのではないでしょうか。
M.T

十字架の道行き

【第一留】イエス、死刑の宜告を受ける

【祈りの言葉】あなたを裁くのではなく、あなたに裁かれるべきものであることを悟らせてください。

毎日あくしゅ

今こそ愛するとき

ある日、母親が愛する子に、「ジョニー、おまえを愛しているわ。口で言えないほど愛しているのよ」と言いました。でもジョニーがいろいろ質問すると、「いま、邪魔しないで」「隣の子を家の中にあげたいって? そうねえ、やめてちょうだい。お母さんは汚してほしくないの」「だめよ、今日はお話を聞かせる時間はないの。だから外へ行って遊んでちょうだい」。ジョニーは泣きべそをかきながら外に出ました。(J. M. ドレッシャー著書、「今こそ愛するとき」より)
「ジョニー、おまえを愛しているわ。口で言えないほど愛しているのよ」この言葉は、どの親も例外なく子どもに抱いている思いであり、何にも代え難い我が子を思う母親の深い愛情が示されています。
しかし、母親が思っていること、愛していることを子どもに具体的に伝えることは至難の業かも知れません。愛していることは、すなわち、愛されていることを伝えることです。子どもは、自分が愛されていることを感じてはじめて、心からすべてを受け入れる豊かな心を持つのですが、ときとして愛が片手間に伝えられていないでしょうか。片手間にすることは片手間の状態で伝わることになります。思いを100パーセント伝えることの難しさを感じずにはおれません。
ご存知のように、『愛』とは、「受ける」と「心」という漢字が一つとなって構成されています。「相手の心を受け入れる」。それも、相手の思いや心を自分の一番大切な真ん真ん中に置く、これが「愛」という文字の意味のようです。聖書のいう「愛」とは、「相手のために死んでもいい」ということです。自分の都合と時間ではなく、子どもの都合と時間を大切にするとき、これまでと違った何かが変わってきます。子どもは、感性で心で、自分が本当に愛されていることを知ります。愛されたことの経験が、愛することにつながります。愛がきちんと愛する子どもに伝わるために。今は愛するとき!
(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

第1回 教育基本法を考える

教育問題は子育て世代にとっては、切実な課題といえますが、学校を卒業した方には、直接の影響がないため、どうしても関心が薄れがちです。しかし、日常生活では教育問題がたえず話題になります。自殺やいじめ、家庭内暴力、凶悪犯罪の多発だけでなく、企業の利益を優先した虚偽やごまかしが明らかにされます。拝金主義の横行、快楽万能の風潮等の不祥事が、テレビで華々しく報じられるこの頃です。
私は今回、本シリーズの執筆担当となりましたが、長年、教育一筋に歩いて来た者ゆえ、教育問題を取り上げて、平易に書かせていただく予定です。

今回と次回は、まず教育基本法を取り上げてみました。
教育基本法は、昭和22年3月31日に公布されました。新生日本の教育法制を教育勅語体制から民主的教育法体制へと転換させた画期的なものでしたが、制定当初から様々な疑問が呈されていました。「基本法は教育宣言的なもの、あるいは教育憲章的なもの」「教育に関する根本法という性格をもつ」と説明されていましたが、「押し付けであり、規定も不備である」「法律の名を冠しているが、多くは訓示規定に終始する」「施策法というより理念法である」と反対意見が相次ぎました。
当時の文部大臣だった田中耕太郎氏は「如何に教育思想が混乱し、不明確であるにしろ、道徳の徳目や教育の理念に関する綱領の如きものを公権的に決定し、公表することは、国家の任務での逸脱であり、パターナリズムか、またはファシズム的態度をいわねばなりません」と公言したと伝えられています。
しかし、教育基本法の精神は、戦後の学校教育に少なからぬ影響を与えたことは、認めてよいでしょう。急ごしらえの法にしろ、関連法規には学校教育の目標、学校・地域・家庭の連携教育、教育振興基本計画などが実現する方向で、法整備が進められたからです。
半世紀を経た日本社会の変貌は著しいものがあり、2001年11月には「新しい時代に相応しい教育基本法のあり方」が中央教育審議会で話し合われました。そして2003年3月20日には、基本法の改正が正式答申されたのでした。
戦後60年の節目を迎え、戦後レジームからの脱却を目指す安倍前首相は改正案を衆・参両院に示し、2006年12月22日に改正を実現させたのでした。

次回には、新しい教育基本法の注目点をお示しすることにします。

※1 パターナリズム
政治・経済・雇用関係などにおいて成立している、保護・支配の関係。

谷 健(たにけん)…昭和5年7月生まれ。東京都の公立小学校7校の勤務。専門は英語、道徳。道徳副読本の編集に従事。

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