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るうてる2007年

るうてる《福音版》2007年6月号

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バイブルメッセージ  川の流れに託すのは

キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい
コロサイの信徒への手紙 3章16節(日本聖書協会・新共同訳)

もう、暦の上では一年の半分が過ぎようとしています。そして、私たちが住む日本では春から夏へ…と移り変わるこのとき、梅雨の季節を迎えます。降り続ける雨、雨、雨。それは、自然界にとってこれからやって来る暑い夏を乗り切るために、大地に貯えておく大切な命の水なのかも知れません。そして、ひと雨ごとに木々の緑も色濃くなっていきます。

高校生の時に読んだある本の中に、「気候や地形が、そこに住む人々の考え方や意識の在り方を形成する」というようなことが書かれてありました。たとえば、日本には“水に流す”という言葉があります。その意味は、「過去のいざこざを、すべて打ち捨てること」ですが、手元の和英辞書でその表現を調べてみると、forgive and forget (許して忘れること)とあり、そこには“水”を意味する言葉は使われていません。

日本は、海に囲まれた小さな島国で細長い地形からなっています。その為に、多くの川が、高い山から勢いよく短い時間で海へと流れ出ていきます。一方、広大な欧米やアジアの大陸では、同じように山から流れてきた川も徐々にその量を増しながら大河となり、平野の中をゆっくりと巡りめぐって、海へと到達します。
昔から、人々は川で洗濯をしたり食物を洗ったりしてきましたが、中には使わなくなった身のまわりの物を川に投げ捨ててしまう人もいたのでしょう。その方が、要らなくなった物が目の前からすぐに無くなってくれるし、広い海へと消えてしまえば、もう自分とは関係ないから……。(そして、時代の移り変わりとともに、私たちの健康に害を与える物までも流されるようになってしまいました。)
一方、もし同じようなことが大陸であったら……。上流の国に住む人が、川に物を投げ捨てたなら、それは海に流れ着くまでにゆっくりと幾つもの国境を通っていかなければなりません。そして、一人の人のその行為が場合によっては、国と国との間に戦争を引き起こす原因にだって成り得るのです。
ですから、“水に流す”という言葉は、川の水の流れが速いほど都合の良いことであって、日本の地形が生み出した独特な表現なのだと思います。

私たちは、毎日の暮らしの中でたくさんの人と関わって生きています。そして、そのコミュニケーションを支えているのは、言葉です。ところが、言葉も使い方しだいで武器になってしまうことは、誰もが承知のことです。私も、今までに言葉で人を傷つけたことは何度もあります。自分の気持ちや立場を守る為に、一瞬にして生じた行為だったのですが、切れ味が良いほど相手が受けた傷は深く、決して一瞬にして癒されるものではありません。
それを理解したとき、私たち一人ひとりの間に流れているところの、“コミュニケーション”という川の流れを常にきれいに保っていくことが大切なのだと思いました。
この6月の雨が止んだら、7月の空には天の川が見えてくることでしょう。キラキラと輝いて流れる天の川。私たちも、私たち自身の内にあるたくさんの輝く優しさと思いやりを、川の流れに託していきましょう。      JUN

大人を育てる絵本からのメッセージ

 絵本と言うと小さなこどものための本と言うイメージがありますが、大人にとっても生きるヒントになる本がたくさんあります。ここでは子育てという視点でお話をしていますが、あらゆる人間関係においてもお役に立てば幸いです。

個性ってなんだろう?

 「個性が大事」「自分らしさが大切」と言われながらも、大人の世界でも同じ意見でないと排除されたり、人間関係が悪くなることがあります。その大人を見ながら育っている子どもたちに単純に「いじめはいけない」と言うのは、あまりにも安易な気がしてしまうのは私だけでしょうか。もちろん「いじめ」を肯定するつもりはありません。ただ、お互いの良さを認め合う社会を大人が作っていかなければ、子どもたちが迷ってしまうのは当然かもしれません。違う意見を持っているということは、それだけ熟した意見が生まれる可能性を秘めています。Aさんの意見とBさんの意見を合わせたら、Cという新しい意見が生まれるかもしれません。また、Aさんの意見が進化したAプラスやBさんの意見が進化したBプラスが生まれるかもしれません。そう考えると、お互いを認め合いさえすれば、意見や考え方の違いは「いがみ合うマイナス要素」のものではなく、「自分自身や意見、事柄を成熟させるプラスのエッセンス」に変えられるのはないでしょうか。

神様からの贈り物

 誰もが、生まれたときに神さまから贈り物をもらっているのだそうです。神様は「この赤ちゃんには何がいいかなぁ」とじっくり考えて、天使に「これがいい! 届けておくれ」と託すのです。それは、「よく わらう」「力持ち」「歌が好き」「よく食べる」「やさしい」など、それぞれが持つ個性と呼べるものです。あなたのお子さんに与えられた贈り物は、なんだと思いますか? あなたの家族への贈り物はなんでしょう? そして、あなた自身への贈り物は? 「わたしには、何のとりえもない」と思っている人も、よーく思いおこしてみてください。あなたにも、ちゃんと贈り物は届いているのです。まわりにいるちょっと苦手なあの人にも贈り物が届いているのだとしたら? その贈り物は、いったいなんでしょう? ちょっとした宝探しのようです。素直に、神様がくださった本来のその人らしさを受け止め合えたら、少しずつやさしい関係が広がって行くのかもしれませんね。

神様が贈り物を通して守ってくださっている

自分の子どもが人より秀でていないとダメな子だと思えたり、兄弟と比較してしまったりすることがあります。子どもが思うように育たずイライラして、それをぶつけてしまうこともあります。そんなことを繰り返していると、子どもは親の期待に添えない自分が好きになれず、自信が持てないまま大人になってしまいます。経験上、子どもは決して親の思うようには育ちません。でも、必ず親の在り方を見て育っているのです。「ちゃんと育てなくては!」とがんばりすぎないで、苦しくなったら深く深呼吸をして肩の力を抜いていきましょう。大丈夫です。贈り物をくださった神様は、その後もいつもそばにいて、ずっと守っていてくださるのですから。

HeQi Art 聖書物語 Sleeping Elijah by He Qi, www.heqiarts.com

ホレブに向かったエリヤ

彼自身は荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」彼はえいしだの木の下で横になって眠ってしまった。(中略)「起きて食べよ。この旅は長く、あなたは耐え難いからだ」と言った。エリヤは起きて食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。
列王記 19章4~8節

たろこまま「いのちを語る」

動物の命、植物の命 (創世記9章13節)

夏休みを前にするといつもほろ苦く思い出されるのが、月刊の小学生向けの科学雑誌のオマケのことです。
オマケ、と称してもこれが当時にしては中々立派なもので、所定のキットを組み立てて水を注ぎ、中に粉を振り入れてしばし待つと、シーモンキーなるカブトガニの仲間が孵化する、という内容でした。要はこれを見ながら観察日記をつけよってことだったのですが、ズボラな私には大変不向きでして(白状)。 孵化の喜びも束の間、気づけば水は干上がり、休み明けには容器ごとガレージの片隅に……猛省。
 四つ足の動物は飼わないと決心した前科者の私とは裏腹に、今や世はペットブーム真っ盛りです。 ショーケースの中には、夫の給料を無視したかのような(父ちゃんゴメン……)お犬様やお猫様は勿論、どこにこんな水槽を置くんじゃ! と毒づきたくなるような珍しい熱帯のは虫類たちがズラーリ……。しかし、こんな愛玩動物隆盛の陰で、飽きたと捨てられるペットたちも後を絶たないようです。背景には、人はガス室送りになって焼かれる犬猫の末路を見ることなく日常生活に戻れる「残酷な手軽さ」があるような気がしてなりません。
今日の句は、箱船から下りたノアたちに、今後祝福のしるしとして虹を置くよと伝えられた内容なのですが、これは人間だけに約束されたものではありません。 「あなたたちと共にいるすべての生き物」と並んで書かれているのです。同じラインにあるのです。人間は絶対的な存在ではないのは自明の理、この地球に共に生きる仲間に向ける心も育みたいものです。

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