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るうてる《福音版》  2009年 2月号

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バイブルメッセージ  卒業おめでとう!に愛をこめて!

主は人の一歩一歩を定め/御旨にかなう道を備えてくださる。
詩編37,23節(日本聖書協会『聖書 新共同訳』)

小学校のPTA会長をさせていただいたとき、貴重な経験をたくさんさせていただきました。その1つに入学・卒業式の祝辞というものがありました。学校関係の方々、地域、保護者、そして娘をふくむ子どもたちに語りかける恵みをいただきました。何を祝辞として語るか祈りつつ考えました。
「本日、小学校を卒業する皆さん、ご卒業おめでとうございます。今日は6年間を振り返り、たくさんの感謝をしなければなりませんね。ひとつひとつの感謝を数えてみましょう。まず、学校の先生方に『ありがとう』ですね。地域の方々にもこの6年間、守られてきました。そして、家族。まだまだあります。100年を迎えた学校、教室。給食はおいしかったですか。校門では毎日トトロが迎えてくれました。どれだけ多くの感謝を見つけることができますか。『ありがとう』をたくさん見つけることができれば大丈夫です。これから多くの『ありがとう』を支えにしてください。
私たちも皆さんに『ありがとう』がたくさんあります。最も大きな『ありがとう』は、皆さんが命を与えられ、子どもとして与えられたのでわたしたち『親』になれました。1人の子どもの親となり、共に6年間を過ごせたことに『親としてくれて、ありがとう』です。つらいこと、くるしいこともありました。でも、皆さんの親として生きてきたこと、これからも親でいられることを誇りに思います。
皆さんは『命』という漢字は知っていますよね。でも命って何でしょうね。命はひとつでも、多くの漢字があります。『運命・使命・寿命』そして『生命』。皆さんの命は様々に形を変えて生きています。これからいろんなところに運ばれていきます。『運命』とは出会いですね。使っていく命があります。『使命』です。必ず皆さんの命を必要とするところがあります。そして『生命』。みなさんはこれをどう読みますか。『生きる命・生きている命』。それでいいです。でも、6年間を振り返り、多く感謝を数えてみると『生かされた命』ではなかったですか。みんな多くの方々の見守りの中で『生かされている命』を持っています。だからその命を大切にしてください。決して命を傷つけるような生き方はしないでくださいね。ここにいる多くの方々がこれからもみんなのことを見守っていますから。
本日をもって皆さんはこの小学校の卒業生となります。それぞれが、新しいスタート地点に立ちます。これからも、卒業生としての誇りを持ち、さらにご活躍くださるようにお祈りし、お祝いの言葉とさせていただきます。本日は、まことにおめでとうございます」
子どもたちの成長に、見守ってくださっている神様がおられる。その神様の祝福のもとで生かされた命を大切にしていただきたいと願っています。
もみじ

十字架の道行き

【第十一留】イエス、十字架に釘付けにされる  マタイによる福音書 23章34節
【祈りの言葉】
主のみ手はその上におし延ばされ、十字架に釘で打ちつけられました。
主よ、どうか私たちの心も一緒に十字架に釘付けにし、あなたと結びあわせてください。
人形制作/杉岡広子 http://www.bibledollministry.com/

毎日あくしゅ

「いい加減」のすすめ

ある小学校で理科の実験をしました。3つのガラス容器の底に綿を敷き、それぞれに大根の種を蒔きました。1つ目の容器には水をたっぷり与えました。2つ目の容器には綿を浸す程度に、そして3つ目の容器には種が辛うじて湿る程度に少しの水を与えました。そして芽の出る様子を観察したのです。
数日後、水をたっぷり与えた容器の種は膨れ上がっただけで芽は出てきませんでした。綿を浸す程度に水をやった容器の種は弱々しい毛根をちょっと出しただけでした。ところが辛うじて種が湿る程度に水を与えた容器の種は、その少ない水分を吸収しようとしてか、一番活発に根を張っていました。
このことを通して、元ニュースキャスターの湯川千恵子さんは、必要以上に与えられた水が大根の種の発芽力を失わせたように、豊かな社会で欲しい物は何でも与えられて育った子どもたちは、大人になっても与えられるのが当然となり、ちょっと自分の要求が満たされないと、すぐに反抗したりして問題を起こしがちです。豊かさは困難にチャレンジする気力を失わせて、生きる力をひ弱にする危険がありますが、逆に人間の不完全さや自分の弱さ、いたらなさに気がついて『魂の飢え渇き』を感じることは、人智を越えた大いなる力に心を開くことが出来ます。この世の豊かさに溺れて発芽できない種のようには、なりたくないものだと言われます。

「いい加減」を広辞苑で引くと、「条理を尽くさぬこと。でたらめ」と「よい程合い、適当」の相反する2つの意味が記されていました。
種が発芽し、その成長を願うとき、よかれと思って与えた水が、「いい加減」であったのか、「好い加減」であったのか、それが分かるのはもっと後になってからです。人間のやること、完璧な水加減はありませんが、祈りつつその成長を見守り、はぐくみたいものです。どの種も間違いなくすばらしい可能性を内包しているのですから……。
(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

第11回 学校における道徳教育 その1

現在、小・中学校では週1時間の道徳授業が義務づけられているが、その変遷の歴史を知っておくことが大切なので、そのことから書き進めてみたい。
(1)明治期の修身教育
明治維新の大改革は、国家制度、社会構造のすべてに及び、士農工商の身分制度も廃止され、西洋の文化がどっと流入した。幕藩体制での藩校、各地の私塾は廃止され、学校制度の確立が、新政府の重要な課題になっていた。
明治5年(1872)の学制発布により、小学校は下等(4年制)、上等(4年制)の8年制で発足した。修身科は、下等小学校では6番目の教科とされ、1学年と2学年前期までの授業は週2時間、2学年後期からは週1時間と定められていた。一方、3・4学年ならびに上等小学校には、修身科の授業がないという変則的なものだった。
6年制中学校の場合は、下等(3年制)、上等(3年制)とされ、欧米の新知識の獲得が優先され、修身教科書は福沢諭吉らの推薦による翻訳書からの題材が多かった。欧米事情の紹介だったり、法律解説書だったりした。また、ウェーランドの『修身論』の引用もあり、親子関係が権利と義務で説かれたりした。外国の生活習慣を知ることはできても、日本人の道徳教育にはそぐわなかった。
明治20年以降には、脱亜入欧の動きが押さえられ、親孝行せよ、天皇陛下を敬え、神国日本、仁義忠孝、君臣父子といった徳目が登場する。けれども、初めての道徳教育を体験した庶民の子弟に、強烈な印象を与えずにはおかなかった。
(2)教育勅語の果たした役割
堂門冬二の著書『明治天皇の生涯』の中に、坂本竜馬のおもしろい言葉がある。
「幕府が倒れた後、日本人の精神的拠り所としては、キリスト教がいいのだが、これは日本になじまない。では代わりに何をもってくるか、それは天皇以外にない」と。
国民的統一に必要な道徳基準の確立がなされておらず、やがては国家の危機に至るとの認識がここにはある。自由民権運動の高まりを配慮した明治天皇からも、道徳の基礎となるべき文書の起草を求める意向が示された。
山形有朋首相は井上毅・法制局長官と天皇の側近である元田永孚に原案づくりを命じた。明治18年、元田永孚は「教育大旨」の中で、「小学校修身の進め方は、天皇に忠実な臣民を儒教倫理によって育成するのが、道徳教育の核心である」と述べ、官民を挙げて取り組むことを提言した。その主張は、政府と宮中派、政府と民権派との際限ない論争に発展したが、年を追うごとに元田の考えに賛同者が増えていく。
明治23年(1890)、文語文で書かれた格調高い教育勅語が公布され、国民教育の目的は明確となり、長く続いた徳育論争に終止符を打ったのである。

第二次世界大戦後、占領軍は狂信的な国粋主義の母体になった歴史教育、修身教育を即刻禁止した。教育勅語を納めた奉安殿の撤去を命じ、二宮尊徳の石像なども除去された。
だが、国策遂行の用具と化した学校教育の罪状、汚点の究明は密封されたままといえる。

谷 健(たにけん)…昭和5年7月生まれ。東京都の公立小学校7校の勤務。専門は英語、道徳。道徳副読本の編集に従事。

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