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るうてる《福音版》  2008年 9月号

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バイブルメッセージ  だれもが天使

あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。
「これが行くべき道だ、ここを歩け/右に行け、左に行け」と。
イザヤ書30章21節(日本聖書協会『聖書 新共同訳』)

かれこれ10年以上も前になるでしょうか、天使が大変なブームになったことがあります。天使をデザインした商品に始まって、天使を専門的に研究した書籍、天使を主人公にした映画、そして“天使と出会う”スピリチュアルな講座など。正直、「私たちの身のまわりにも、天使って存在している」と思っている私は、それぞれの分野でどのように天使を取り上げているか興味があったので、書籍を購入し映画を観て講座に出て……と夢中になったことがあります。
その中で、いまでも印象に残っているのは、この世界では私たち一人ひとりに守護天使が存在していて(それはこの世に存在している人、あるいはすでにこの世に存在していない人を指すこともあり、私たちの誰もが誰かの守護天使に成り得ると言い)、私たちに生きていく上での智恵や方法を、何らかの形で教えてくれているというのです。
それは、私たちが何か大きな悩みや問題にぶつかったとき、その答えを直接言葉や行動で示してくれることもあれば、その解決方法を私たちの内に閃きとして、または過去の記憶の中から届けてくれたりと、いずれもが守護天使の仕業……と言うのです。
私の知り合いのSさん。彼女はクリスチャンホームに生まれ育ち、自らも信仰が厚く、いつも元気一杯。まるで、光り輝く太陽かヒマワリの花のような女性。そして、彼女の存在はどんな時でも、周りにいる人たちを明るく前向きにしてくれるのです。まさに、彼女は私たちの心に力をもたらしてくれる守護天使そのもの。
その彼女から、先日電話がありました。ところが、電話の向こうの彼女の声はいつもと違います。私の名前を呼ぶ声からして、何か元気がありません。「実は、こんど仕事でいくつかの場所を訪問しなければならないのですが、何か今までにない不安を感じています。どうしてその様な気持ちになるのか、良く分からないけれど……」。
彼女のその言葉に対して、年下の私はどう答えて良いのか分かりませんでした。が、次の瞬間、私の中にいくつもの白い天使の羽が見えたのです。そして、続けて私の口から「今、私のイメージの中にたくさんの天使の羽が見えました。それは、Sさんのご家族やSさんのことを知っている人たち一人ひとりのことだと思います。そのみんなが天使の羽になって、Sさんの背中にくっついて、Sさんを軽くして導いて行ってくれます。そして、行く先々でのお仕事を守ってくれるから大丈夫です!」という言葉が、自然に出てきたのです。
そして、一寸の間があって「どうもありがとう。そう言って頂いて、涙が出てきそうです。たくさんの天使が一緒にいてくれるって分かったら、元気が出てきました。Jさん、そうあなたも私の天使ですね!」とSさん。電話で話していた時間は決して長くはありませんでしたが、不思議な時間の流れでした。
このように、誰もが誰かの力や支えになっているのです。それを、私は天使の存在と表現します。でも、ここで忘れてならないのは、それは神様から遣わされた天使であって、それは神様の働きそのものを意味している、ということです。
今日も、たくさんの天使が行き交っています。いろいろな人の助けになる為に、忙しく飛び廻っています。私の上を、そして、あなたと私の間を……。
JUN

十字架の道行き

【第六留】イエス、女性から布を受け取る

【祈りの言葉】
イエスよ、真心からあなたの苦難を思い、自分の罪を悔いるようにしてください。隣人の苦しみに冷淡になるような意思から解放し、主を愛する心を与え、隣人の中にあなたを見出していくことができますように。

毎日あくしゅ

サラダ文化人類学

幼稚園の園庭では、秋の運動会に向けて、年少、年中、年長の園児たちがそれぞれのクラスの課題演技に取り組んでいます。一人ひとりのすばらしい感性が園庭にみなぎる瞬間です。
そんなとき、ふと「サラダ文化人類学」という言葉を思い起こしました。
米国のカリフォルニアやフロリダ、あるいはニューヨークなどの大都市では、世界各国から移住して来た多国籍、多民族の人々が住み、それぞれの固有の文化や伝統が絶妙なバランスをとっています。決して混じらないものを持ちながらも、お互いにそれぞれが刺激を受け、また与えています。これを、英語でTossed Salad(野菜サラダ)と呼んでいます。
つまり、キュウリやトマト、セロリにレタス、アボカドもあれば水菜もあります。これらの野菜はそれぞれ、色もかたちも味も香りも異なるのですが、これらはどれもみな大切なものです。そして、それらの野菜にドレッシングをそそぐと、すばらしい調和のとれた野菜サラダとしての出来上がりです。このことを「サラダ文化人類学」と呼ぶのだそうです。

毎朝、園庭で遊ぶ園児、園舎で積み木に熱中する園児、こどもの家でおままごとをする園児、ブランコに乗って遊ぶ園児、それぞれが自分の好みに応じて楽しく遊びながら、それぞれに刺激し合い成長してゆきます。幼稚園の中で取組んでいる運動会、そこに集う園児たち、あの「サラダ文化人類学」的にいうならば、色もかたちも味も香りも異なる野菜、それぞれの違いが豊かさとなって、愛というドレッシングをそそぐと、心も身体も豊かになり、すばらしい運動会サラダとなりそうです。運動会が楽しみです。
(園長)

谷センセイの教育い・ろ・は

第6回 ユダヤ式の教育に学ぶ その2

今回はユダヤ民族が、数々の迫害に遭いながらも、ユダヤ人であることを止めなかった精神の源泉、タルムードを中心に書くことにする。
タルムードはユダヤ教の聖書のトーラー(律法)の注釈を集めたもので、数多くの賢者とラビたちの手による壮大な文書である。タルムードは12000ページ、250万語もの膨大な本で、内容としては律法、説話、寓話、比喩、笑い、問答など、多岐にわたるテーマが網羅されている。紀元前500年頃より、何世代もの人々が関与し、作り上げた民族の精神的な文化遺産である。タルムードは、6つの大項目と63の小項目に分類され、523もの生活規範の条項が列記されている。
ユダヤ人にとって、トーラーとタルムードの2つは、部族の歴史や伝統を知ることのできる最良の教科書だったので、各家庭はそれらを用いて、子どもたちをしつけた。
ユダヤ人の親たちは紀元1世紀前半、各地にできた学塾に子どもを入学させ、タルムードを学ばせた。このような世界最初の学校制度が、ユダヤ人によって始められたことと彼らの知性の高さとは無縁ではない。その目指す理想は、先祖からの宗教的遺産を次世代に伝えることだった。
教え方についてもタルムードは教えている。「子どもには、繰り返して教えよ」「1人の教師の下での子どもの最大人数は25人がよい。もし生徒が50人いたら、教師を補充すべきある。生徒が40人ならば、上級生に補助させるようにしなさい」と記している。
ユダヤ人は「学ぶ民族」といわれ、幼少時から学ぶことの必要性を教えられてきたので、質問精神が旺盛である。自立心について「お前の最良の教師は自分だ。これほど生徒を知り、これほど生徒に同情し、強く生徒を励ます先生はいない」「もし知識があるなら、あなたに欠けたものは何もない。知識がなければ、あなたは何を誇るというのだ」と諭している。その底意には、ユダヤ共同体の存続は、知識の普及如何という強い信念があるからといえる。
前回の『アンネの日記』に、わずか15歳の少女が、次のような言葉を残している。
「どんな信仰であれ、なにか信仰を持つ人は、正しい道を踏み誤ることはないでしょう。問題は神を畏れることではなく、自らの名誉と良心を保つことなんです。誰もが毎晩、眠りにつく前に、その日の出来事を思い返し、何が良くて、何が悪かったか、きちんと反省するならば、人はどれだけ崇高に、立派に生きられることでしょう。そうすれば、知らず知らずのうちに、あくる朝から、さっそく自分を向上させようと努める筈です。(中略)これは誰にでも実行できることです。費用もかかりませんし、実際、とてもためになります。まだこれを知らない人は、ぜひとも経験によって、このことを学び、発見して欲しいものです」。
この日記の書かれた29日後、1944年8月4日の午前10時から10時半の間に、アンネを含む8人のユダヤ人のほか、彼らの潜伏生活を助けた2人のオランダ人たちは、警察に逮捕される。

谷 健(たにけん)…昭和5年7月生まれ。東京都の公立小学校7校の勤務。専門は英語、道徳。道徳副読本の編集に従事。

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