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機関紙るうてる

るうてる 2013年8月号

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説教「信仰の完成者イエス」

日本福音ルーテル新霊山教会 後藤由起

「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。」
ヘブライ人への手紙 12章1節、2節

アメリカ留学中に、こんなジョークを聞きました。
ある教会で、照明の電球が切れた。牧師が管財係に「電球を新しくしておいてくださいますか」と頼むと、「え?何か変えるんですか?」と嫌な顔。そこはルーテル教会だった・・。
笑えましたでしょうか?ルーテル教会は、電球一つでさえ変化することを嫌がる、という意味です。しかしながら、人々の価値観やライフスタイル、人口構成や経済状況など、教会を取り巻く状況は日々、変化しています。これまでどおりの形で集会を続けたり、建物や牧師給を支えることが困難な教会は増えています。そんな中、ミネソタのルーテル神学校では、開拓伝道について学ぶクラスを受講しました。必ず出てくる神学生からの質問は、「今ある教会を保つだけでも大変で、閉鎖や合併していく時代なのに、なぜわざわざ教会を増やすのか」というものでした。そこで出てくるキーワードは、church cloning(これまでと同じものの複製を作る)なのかchurch planting(新しい教会をつくり上げる)なのか、でした。
あるアメリカ福音ルーテル教会の教会では、一階の礼拝堂で伝統的なルーテル教会の礼拝が行われ、その同じ時間に、地下では別の集会が礼拝をしていました。この礼拝は、私たちが想定している教会のスタイルとは少し違います。クラスでは賛否両論あって、議論が白熱しました。この教会は、これまでの伝統的な形を少し変えてでも、社会の中でイエス様の弟子として生きることを大切にしています。だから、人々に仕えるために実際に出かけていき、行動していました。ほかにも、建物を持たない教会、弱い立場の人々と歩む教会と、このクラスの卒業生たちがユニークな宣教をしていました。
現在の日本で教会が直面する宣教の困難の中に、受洗者を生み出すこととともに、受洗者が教会生活を続けることの難しさがあります。洗礼を受けた後、2~3年で教会を「卒業」してしまうのです。そこで私たちに問い直されているのは、ただ数字上の教勢ではなく、イエス様の弟子を生み出し、育てることです。
ヘブライ人への手紙は、「自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」と励まします。この手紙が書かれたとき、迫害の中で信者たちが信仰を守り抜くことがとても困難な時でした。そんな中で、イエス・キリストを信じる信仰にとどまることを、著者は競技場で走る競争にたとえています。しかもその競争は、「自分に定められている」競争です。「自分で定めた」のではありません。ですから思いわずらいや突然の状況変化も起こります。けれどもその競争を私たちは一人で走るのではなく、先導者であり同伴者であるイエス様とともに走ります。そこには、私たちを導き、信仰を完成させてくださるのはイエス様であるという信頼があります。
つまり、私たちは自分自身で「完成」してしまうのではありません。イエス様の弟子として、いまだに途上にあり、歩み続けている者です。教会も同じなのではないでしょうか。地上にあり、今なお完成に向かって歩み続けている教会は、私たち自身が「完成形」を定めてしまうとき、「教会の維持」が目的になってしまいます。けれども私たちは、目的への途上にあり、整えられていく過程の中にあります。道の途中であるからこそ、試練もあり、変化も起こります。
慣れ親しんだスタイルが変化していくのは、時には寂しく、時には戸惑います。けれどもイエス様の十字架の道に従っていくこととは、私たち自身も、自分にとって慣れ親しんだ心地よい教会を維持するだけでなく、人々とともにある、現代社会の中での教会へと整えられていくことではないでしょうか。イエス様の十字架の歩みは復活へと続いています。教会の宣教には、困難な時になお希望が約束されています。復活へと続く道を、信仰の創始者また完成者であるイエス様が、導いてくださっています。宣教が大胆に前進するように祈り求めようではありませんか。

宗教改革五〇〇周年に向けて

ルターの意義を改めて考える(16)

ルター研究所所長 鈴木浩

罪に陥った人間の姿の「診断」が「人間論」であった。他方、その診断に対応した「処方箋」が「救済論」であった。
不治の病にかかった人間、それが診断であった。それを癒すことができるのは、医師であるイエス・キリストしかいない、それが、処方箋であった。
この医師は治療を請け負い、赤髭のように、治療費などはいらない、と言う。「恵みのみ」である。病人は、この医師に頼り、すっかり身を任せる。「信仰のみ」である。
ところが、治療には「セカンド・オピニオン」が必要だという雑音が入る。
それが「看護師に偽装した」悪魔のささやきである。「あの医師に任せきって本当に大丈夫なの」とこの看護師はささやく。
不安に駆られた病人は、医師に無断で、看護師に薦められた「漢方薬」を密かに飲み始める。この「漢方薬」が「律法のわざ」なのだ。実は、この「漢方薬」が治療の邪魔になってしまう。
医師であるキリストは、治療費のことは心配しないで、わたしに任せなさいと言う(恵みのみ)。その約束を頼りに、病人は医師に自分を任せ切る(信仰のみ)。ここでは、終始一貫キリストだけが頼りなのだ(キリストのみ)。

牧師の声

「デンマーク牧場福祉会10周年感謝会報告」

静岡教会 藤井邦夫

社会福祉法人デンマーク牧場福祉会10周年感謝会が6月22日にデンマーク牧場近郊の袋井市立メロープラザにおいて行われました。前半は講演会及び式典、後半は3つの各施設や福祉村構想についての発表がなされました。参加者は約150名(地域の来賓約30名、教会関係約80名、施設関係40名)でした。
感謝会は司式後藤由起チャプレン、説教齋藤幸二教区長による礼拝によって厳かに始まりました。来賓の一人の袋井市長が説教の内容に触れて挨拶をされたように、しっかりと礼拝によって始められたことはキリスト教会が設立母体の福祉会としてとても恵まれたことでした。講演はわれらルーテル教会の誇りでもある前熊本県知事潮谷義子氏(写真)によるものでした。いつもの話しぶりにより福祉の精神や問題点を説かれ、多くの人が感銘を与えられました。
来賓として袋井市長が挨拶をされましたが、その中でデンマーク牧場福祉会は袋井市の人たちにとって誇りでもあること、そして市として支援を惜しまないことを話され、勇気づけられたことでした。
そのあと10年勤続や特別功労者として10名の方々が表彰されました。福祉会の設立前からデンマーク牧場の歩みを担い支えてくださった方、また設立当時からその働きを担ってくださった方を覚える感謝の時でした。
昼食をはさんで午後は3つの施設の施設長が、働きの意味や歴史・現状を発表し、また北欧に福祉の視察に行った職員の報告があり、そのあと東海教区より福祉村将来構想についての発表がありました。
設立時は無謀とも思える計画と考える人たちも多く、借入金など多くの困難を抱えた歩みでしたが、神様が人々に信仰による励ましと夢を与え、その時々にふさわしい人を興してくださった歩みで、まず神の国と神の義を求めていく時に、人間の思いを越えて神様に導かれていくことを感じることのできた感謝会でした。

信徒の声

「十字架からの平和」

長崎教会(客員) 広瀬 訓

「この最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」
マタイによる福音書25章40節

日本、特に広島、長崎においては、毎年8月になると平和関連のイベントや集会が目白押しである。もちろん8月15日に、あるいは8月6日、8月9日に、犠牲となった人々を偲び、戦争の悲惨さを思い起こし、二度と戦争を繰り返さないという決意を確認することは極めて重要なことである。しかし、それ以外の時期に、私たちはどう戦争の問題に取り組んでいるだろうか。 また、「痛い思いをしたから、二度と戦争という過ちを繰り返したくない」という以上のメッセージは、発信されているだろうか。特に昨今の日本の国内の言論状況を見ていると、体験として戦争を語れる方が少なくなるにつれて、「喉元を過ぎれば熱さを忘れる」という状況に陥っているような気がしてならない。このあたりで、「何故戦争はいけないのか」という理由を、真剣に考えてみる必要はないだろうか。当たり前のことであるが、戦争とは突き詰めて言えば、 「人殺し」である。どのような理由や正当化を試みようとも、その事実は否定できない。
昔フィリピンで、戦争や原爆のきのこ雲、餓死しそうになっている痩せた子どもの写真等を数枚流した後で、「私たちは復活された主を再び十字架に架けるような真似をしていないだろうか?」というメッセージが一言だけ入るスポットが、イースターの時期にテレビで放映されていた。ほんの一、二分程度の短いスポットだったが、20年以上経った今でも鮮明に思いだせるほど 強烈な問いかけであった。まるで「あなたは、私が自分の命を犠牲にしてまでも救おうとしたあなたの兄弟姉妹に対して、何をしているのですか?」と十字架の上から問いかけられたようなショックであり、それに対してまともに応えることができない自分のふがいなさに涙が出そうだった。
少なくとも私にとっては、「主に従う」ということは、「主が慈しんだ人々を、私も大切にしたい」ということであり、私のキリスト者としての「平和」への願いはそこから始まったのである。

JLER(ルーテル教会救援)対策本部 現地からのレポート

JLER派遣牧師 野口勝彦

間もなく、東日本大震災から2年5ケ月が経とうとしています。被災地は皆様のお支えとお祈りにより一日一日、着実に復興に向かっています。
今月号では、震災直後から支援を続けている老人介護施設等の現状について担当スタッフより報告させていただきます。

チーフスタッフ  佐藤文敬
ルーテル教会救援では、震災直後から被災した介護施設の支援をしてきました。
そのうちの1つである気仙沼市にある老人保健施設リバーサイド春圃は、施設の建物だけでなく津波とその後の避難所生活のために59人の利用者の方が亡くなるなど大きな被害がありました。この甚大な被害を聞き、ルーテル教会救援では、物資支援とともに介護ボランティアの派遣なども行いました。この介護ボランティアの派遣は、自ら被災し家を失い避難所生活をしながらも高齢者の介護を続けている職員の方たちが、疲れきってしまわないように少しでも支えようということで取り組んだ支援でした。
派遣した介護ボランティアは、ルーテル教会関連の介護施設の職員の方を中心に合計7名。食事は避難所用の弁当のお裾分け、お風呂は自衛隊風呂という状態だった5月からファミリーレストランが再開し始めた8月にかけて、7名の方がそれぞれの役割を果たし、次のステージに移る小さなお手伝いができました。その後、リバーサイド春圃は別の医療施設に間借りをし、さらにプレハブ式の仮設事業所に移るなどして介護事業を続けてきました。
そしてこの6月、ようやく新しい場所に新しい建物が完成し、新しい門出のお手伝いということで、スタッフとボランティア計10数名で、6月4~5日と19~20日の2回に分けて引っ越しのお手伝いをしました。引っ越し作業には、介護ボランティアとしてリバーサイド春圃にかかわった人も参加してくれ、2年ぶりの再会を喜ぶ場面もありました。職員の方からは「あの頃にはまったく想像できなかったけど、2年たってなんとかここまできました」といった言葉が聞かれました。完全な復興までにはまだまだ時間がかかるようですが、これから事業が順調に進むことを祈るばかりです。一方で、被災地各地で介護職員が疲弊しているという話を聞くことから去年に引き続き介護職向けのケア講座などにも取り組む予定です。

ルターに聞く 4 石田順朗

第二章「震災後」に迎える宗教改革五〇〇周年
その一 大災害時下のルターの活動を覚えつつ

「未来については、過去ほどにデータは存在しない。しかし過去を立派に分析することは、未来へのよりよき想定の土台となる。そうした観点から、・・[東日本]大震災の時代を生きるわれわれの共同の運命を訪ね、その中でこの列島の住人が悲惨を超えてよりよく生きる道を問いたいと思う」。震災復興構想会議の議長を務めた歴史・政治学者、五百旗頭真氏は『毎日新聞』掲載中のシリーズ『大災害の時代』の冒頭で述べている。

一四世紀の中頃からヨーロッパでは『暗黒の時代』とも記録されるほどにペストが大流行、一三四七年イタリアの港町で発覚、一七世紀にかけて、ほぼヨーロッパ全域が黒死病の恐怖に曝された。僅か三、四年の間に蔓延、発病して一週間以内に六十%が死亡、数多くの町や村は壊滅状態に陥ったと伝わる。施す術もなく人々は死の恐怖に襲われた。

ルターは一五二七年、ウィッテンベルグにペストが蔓延した折り、説教に更に深く牧会的配慮を鼓動させ、恐怖に戦く人びとが誇大化した噂(風評被害)に打ち勝つのに、神の右の御手に座したもう甦りのイエスヘの信仰がいかに堅固な支えであるかに始まり、町の役人、医師たちへの適切な指示や大衆への迫力に満ちた勧めなど極めて具体的な指導を行なった。 しかも現場に踏み止まり続けて病人を看とり、牧者としての務めを果たした。司祭たちへも町を離れずに留まるべきことを強く訴えた、「困難や危険の時はいつでも、私たちは隣人たちと触れ合う必要があり、その人たちに、じかに触れ合うことが至上命令的に求められている。ある家が火災にあったとする。その時、愛は私にそこへと走らしめ火を消し止めることをいや応なしに迫る。その火を消すのに、他の人たちが十分そこに居合わせたならば、私はわが家へ引き返すか、そこに踏み止まるか、その時は何れでもよいわけだ。自分自身や財産への危険や危害がないことを見届けなければ他人を助けえないという人には、その隣人を手伝うということなどは決してありえない」| ヨハン・ヘスからの「人は死から逃れるべきかどうか」という質問への応答だった。
事実、多くの患者たちがルターの腕に抱かれ慰めを受けつつ息を引きとったと伝えられる。ルターは、神学教師、説教者あるいは改革という一大運動の立役者の陰に、人びとの魂へのキメ細かい配慮、慰め、指導(Seelsorge)という牧会のわざをたえず大事にしていた。

いしだ よしろう 引退牧師、
九州ルーテル学院大学名誉学長 LWF元神学研究部長

 

洗足のキリスト

ステンドグラス工房 アスカ  山崎種之(松本教会会員)

大阪府四条畷市の社会福祉法人「るうてるホーム」では、主なる神様のご恩寵のもと、多くの方々のお祈りとご奉仕に支えられ、このほど、移転新築が決まり、現在建設中です。
新「るうてるホーム」の一階玄関ホールには、「洗足のキリスト」のステンドグラスが設置されます。
主イエスは、「この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り世にいる弟子たちを愛しては、この上なく愛し抜かれた。」(ヨハネ福音書13章1節)。
そして、最後の晩餐の前に、弟子たち一人一人の前にひざまずき、足を洗い、手拭いでふきとられました。このお姿こそ、老人ホームの老人を敬いお仕えする働き人のモットーにふさわしいと話しあわれました。
「洗足のキリスト」の原画は、切り絵作家としても有名な、定年教師の小嶋三義牧師が、清瀬市での静養中、病苦を押して製作されました。 ステンド・グラスのガラスにするため、出来る限り原画を損なわないようにつとめました。

第1回全国青年Bible Camp報告

大垣教会 秋田可奈

私はクリスチャンホームに生まれ、高校生までは日曜日には教会へ行くのが当たり前、8年前に堅信を受け社会人になり教会から離れていた時期もありましたが最近また通い出した、そんな決して熱心とは言えないクリスチャンです。
10年前から何度かこどもキャンプ(旧国際キャンプ)のスタッフをさせてもらっています。ジュニアリーダーをさせてもらった10代はとにかくキャンパーと同じ目線で遊び楽しんでいました。
堅信を受けてリーダーをさせてもらった時はキャンパー+ジュニアリーダーを見守る、助けるという役割がありましたが、私にはどうしてもできていないなぁ…という感想しかもてませんでした。それは何故なのか? 答えは私自身聖書について詳しくない、イエス様について語ることが出来ない、そもそもちゃんと聖書を読んだことがない! 毎週教会へは行って礼拝を守っているのにできないことだら聖書研究の方法・理解の仕方・要約の仕方などを学び、一人ひとり与えられた箇所を読み、理解し、まとめるという実践をしました。これが難しい…。でもこれが出来たら絶対自信になる!と思いました。
また2日目の嬉しいプログラムとしては、4月から地球の裏側で信徒伝道師となり働いている仲間と話す!です。本当に世界が近くなり、繋がっているんだと思いました。彼女も頑張っている、私も頑張ろうと思いました。
3日目はまとめ・分かち合いです。仲間の考えや体験なども聞くことができ良かったです。
主日礼拝は三鷹教会にお邪魔しました。一緒に聖餐にあずかれたことも感謝です。 3日間を通して聖書について少しだけ知ることが出来た気がします。
また共に食べ・学び・語り・笑えた仲間にも感謝です。少しだけ持つことが出来た自信を胸に今度は自分の教会で奉仕ができたらいいなと思います。
次回第2回BIBLECAMPが開かれることを切に願います。

第31回教会音楽祭
テーマ曲の作詞作曲はルーテル教会員!

去る6月8日に開催された第31回教会音楽祭。その様子と、公募し、入選した奉唱讃美歌の作詞者、作曲者が共に日本福音ルーテル教会の会員であることは先月号で報告したとおりです。
そのお二人に入選の感想文を書いていただきました。

「帰れる日 」
作詞 羽村教会 阿部冨美子(教会音楽祭実行委員会 補作)

1.
海がみんな のみこんできた
それがあなたの苦しみ
わかち合い生きて行こう
豊かな海に
実りの大地に
帰れるその日を祈ります
2.
海がみんな さらっていった
それがあなたの哀しみ
わかち合い生きて行こう
壊れたふるさと
返してください
帰れるその日を祈ります

 

会場のウェスレアン・ホーリネス教団の淀橋教会に日ごろ交流の少ない、超教派の皆様の讃美歌が響きわたりました。
テーマ「ともに希望の歌を」ということで、公募されていたうたをこのように作詞させていただきました。私の詩に同じルーテル教会、広島教会の永井幸恵姉が作曲をしてくださいました。その日、初めて楽譜を見て、とても感動いたしました。 私の平凡な詩が生かされて歩いていたのです。歌いやすく、親しみのある素敵な曲でした。その曲を会場の兄弟姉妹とともに歌えたとき、心はふるえました。
二年を過ぎても、東日本大震災の復興の足音は遅々として進みません。思いばかりで何も出来ないことが、歯がゆくてなりません。皆様とともに祈り、希望をもちたいと思います。
作曲をしてくださった永井さん、そして私の詩を用いて下さった実行委員の皆様と主に感謝いたします。

「共に希望の歌を」
作曲  広島教会 永井幸恵

私は、この音楽祭に参加する前に、石巻に足を運んでいました。町全体が津波で流された被災地に立ち、祈らせていただきました。
そして、被災地の方々の声なき声を胸に、音楽祭へと向かいました。
廣瀬先生の説教では、「イエス様が十字架上で苦しみを受けられている時に、『わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか』という言葉を口にされましたが、それは詩編22編の引用であり、イエス様は、あの苦しみの中で、歌っておられたのです」という言葉がとても印象に残りました。
いろいろなジャンルの賛美が歌われましたが、「共に主を賛美する」思いで一つになり、私たちは心いっぱい賛美しました。
広い礼拝堂に大勢の方々が集まり、荘厳な賛美が捧げられた時には、まさに天国のような光景で涙が止まりませんでした。すばらしい貴重な経験をさせていただき、心から感謝いたします。

激突!牧師ROCKS 坊主バンド 7月1日 東京吉祥寺

牧師ROCKSなるものがあるのを御存知でしょうか。「東教区50年」を記念して結成され、お坊さんたちとの「平和への共闘」をテーマにライブコンサートを実現。当日、会場はこどもからおばあちゃんまで、クリスチャンから仏教徒まで160人の超満員でした。 演奏は、ヴォーカル・ギター関満能神学生、ギター笠原光見神学生(NRK) 、ベース関野和寛牧師、ドラム市原悠史牧師でした。

「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」(ルカ23章43節)そう告げる十字架のイエスの言葉がライブ会場をどよめかせる中、そのライヴは始まった。牧師二人と見習い二人、罪の赦しを求める彼らに与えられた白いアルバにギターを抱え、スティックを握り、激しいビートにのって痛々しい程まっすぐな魂の叫びを突きつける。会場を埋める人々は体を揺さぶらせ、拳を突き上げて、それに応える。ご高齢の女性はステージ最前列でスマートフォンを片手に声援を送り、小さな子どもたちは耳を塞ぎ、新しい命を宿している女性は、それでもROCKに身を委ねる。
対する坊主バンドは「坊主バー」を運営する現役僧侶を中心に、若き檀家総代まで多彩な人たちだ。お経もボサノバも歌う。楽しげに、慈しむように。格好つけない本音の歌は優しく、人に楽園を思わせる。
宗教や思想、民族や領土、人と人の間に境界線を引きたがる私たちが、ただ同じステージに立ち歌う。教理を議論するのでも、祈りや奉仕活動を共にするのとも違う、創造的な第三のエキュメニカルが歴史に顔をのぞかせたのだ。
本郷教会牧師 安井宣生

 

事務局ニュース

2013年度 日本福音ルーテル教会教師試験実施のお知らせ

聖名を讃美いたします。
さて、2013年度の日本福音ルーテル教会の教師試験を下記要領にて実施いたします。教師試験を受けようとする志願者は下記書類を整え、教会事務局にご提出くださいますようご連絡の程、よろしくお願いいたします。


提出書類
1 教師志願書
2 志願理由書
テーマ「なぜ�T日本福音ルーテル教会の教師�Uを志願するのか」
―あなたが考える宣教課題をふまえて―
・書式 A4横書き フォントサイズ 11ポイント
(注意事項)
①簡潔な文章で記すこと
②召命感を明確に記すこと
3 履歴書〈学歴、職歴、信仰 歴、家庭状況等を記入すること〉
4 教籍謄本(所属教会教籍簿の写し)
5 成年被後見人または被保佐人として登記されていないことの証明書
(法務局交付のもの。任用試験時に必要になります)
6 所属教会牧師の推薦書
7 神学校卒業(見込)証明書及び推薦書
8 健康診断書(事務局に所定の用紙があります)

提出期限(期限厳守)
2013年9月13日(金)午後5時までに教会事務局に提出。

提出先
日本福音ルーテル教会 常議員会長立山忠浩 宛

試験日及び試験内容 直接本人に連絡します。

信徒常議員に選ばれて

西教区信徒常議員 松江教会 狩野俊明

1993年、松江教会の代議員に選出されてから20年経過いたしました。その間、西教区の常議員として7年間働かせていただき、今年の2月に常議員の異動により会計を担当することなり信徒常議員の役を引き受けさせていただきました。
物心ついた頃よりクリスチャンホームとして教会へ行く生活を送りながら、大学時代は全くといっていいほど教会へは行かず気ままな生活を送り、帰省して社会人になりまた教会へ足を運ぶというなんともこれがクリスチャンか、という生活でした。 松江教会の代議員になり、教会内の牧師と信徒との問題、教会堂の転戦、兼牧としての選択肢等、いろいろな苦難の道のりを教会員の支えと牧師先生の励まし、なににもまして神様からの導きで乗り越えてまいりました。
牧師と信徒との問題に関しては、当時の教区ならびに本教会常議員会を経て解決の道をお示しいただきましたが、今回信徒常議員として各個教会の問題に関し意見を述べ判断をしなくてはいけない立場となるわけで大変な重責を担うこととなりますがこれも神様が備えたもうこととして受け入れようと思います。
松江教会は2001年4月に新しい教会堂を建築いたしました。21世紀最初の教会堂と自負いたしております。建堂から12年経過し兼牧の道を歩んできておりますが、その間7名の牧師先生が代わっております。これが地方の教会の現状かと問えば、「然り」との返事が返ってまいりますが、そのことで福音伝道が後退するならば「然り」ではなく「否」といえる教会でなくてはなりません。
キリストの十字架を仰ぎ見ながら一人でも多くの方を招き、喜びも悲しみもともに分かち合える、主にあって一つとなる教会を牧師先生、教会員の皆様と築いていけたらと思っております。

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