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機関紙るうてる

るうてる2020年4月号

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説教「聖鐘に導かれて」

日本福音ルーテル教会牧師 鈴木英夫

「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。」 (詩編119・105)

まことに小さく曖昧な国に、再び確かな主の御復活が告げられようとしている。イエス・キリストの十字架の出来事により人類は贖われるのだ。まことにありがたい。
我が国の復活祭はおおよそ、春、桜の頃となる。卒業や進学、就職や引退など人生節目の時、何かワクワクする季節…。新しい教科書を手に、どんな師や友と出会うのか、期待と不安の中にいた記憶が甦ってくる。
中学2年の美術の授業で老先生が1枚の絵を掲げ、「ある部分が無かったら絵の命が失われるが、それは何か?」と質問された。…数人が答える、が正解は出ない。初対面の絵に私の思考は止まったまま? すると先生が「こ・れ・」と夕暮れの地平線の小さな影を指で隠した。…「教会堂」だった。
やがてその絵が、平原を鳴り渡る鐘の音を合図に、農民が手を休め夕べの祈りを捧げる様子を描いたミレー作「晩鐘」だと知る。へー、そんな人たちがいるんだ、そんな国があるんだ…と不思議に思った。…暗闇に住む私の中に福音の光が指し込み、希望の種が蒔かれた瞬間だ。

30歳を過ぎた頃、友の自死に遭遇、人生を憂い、市川教会に出会う。T先生は私の話に熱心に耳を傾け、夜の聖研集会へ導いて下さった。ありがたかった。…やがて主日礼拝にも列席し、洗礼を賜ることになる。
教会には確かに「あの鐘」が備わっていた。礼拝前と聖餐(省く場合は主の祈り)の際に鳴らされる。時折、鐘打ちを託され、緊張しながら奉仕したことを忘れない。
「日本福音ルーテル教会宣教百年」の折、合志教会リニューアルに際し、大町教会に移築されていた日本宣教第1号教会堂(旧佐賀教会)の骨組みを再継承し、「創立記念会堂」を称することになった。が鐘楼に鐘がない。…すると、かつてフィンランド留学されたM先生の御尽力であろうか、シベリウスの国から新調の鐘が届く。鐘には詩編の一節が刻印されていた。

『VEISATKAA HERRALLE UUSI VIRSI(ハレルヤ、新しい歌を主に向かって歌え、詩149・1)』。
西条教会には、1962年にジョン・F・ケネディー米国大統領から贈られた「愛の鐘」が備えられていた。由来はこうだ。ジョージ・オルソン宣教師を通じ、西条教会に鐘がないことを知った米国の14歳の少年が、「大統領に頼もう」とホワイトハウスに手紙を出した。「兄弟愛の証しとして贈りたい…」という少年の思いに心を動かされた大統領は、退役駆逐艦の鐘を届けさせたという。それから半世紀、2013年、大統領の長女、キャロライン・ケネディー駐日米国大使が教会を訪れ、亡き父所縁の鐘と対面された。教会・幼稚園の礼拝等で用いられ、日米友好と兄弟愛を証する鐘が西条盆地に鳴り響いている。

聖書の時代、「鐘」はなかった。わずかに「どら」(1コリ13・1)がみえる。教会に鐘を導入したのはノーラの聖パウリノ主教(354~431)だと言われる。6世紀、鐘はイタリアからフランスに広まり、ローマ教皇サビニアヌス(在位604~606)が定時の礼拝や聖餐開始を告知するのに聖鐘の使用を公認したという。
初期の鐘は手ぶりで鳴らす小さなもの(nola)、大きな鐘(campana)が造られるようになるのは11~12世紀、現代のような鐘が普及するのは15世紀以降のことである。
中世の「聖なる天蓋」が解き放たれ、その後、教会は「世俗化」の中を漂っている。宗教に、理性や科学が対峙する社会が広がってきている…。
しかし教会は、永く継承してきた伝統から安易に離れることには慎重でありたい。「聖鐘」をはじめ「所作(十字を切る等)」、「香」などの事柄は、神学的検証と共に、再考してゆくべき事柄ではないだろうか。
教会はイエス様の十字架の愛の出来事を、あまねく世界に宣べ伝える使命を委ねられ、2千年に渡り、担い、果たしてきた。その結果、今、私たちはここに立っている。
最後の一歩に躊躇する兄弟よ、信仰の道に迷う姉妹よ…、恐れるな!主の御言葉が私たちの歩みを照らし、やがてすべてを引き受けて下さるから。光の子よ、共に歩もう。(S.D.G.)

エッセイ「命のことば」伊藤早奈

①「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」
(ヨハネによる福音書1・1)

この春からしばらく、このコラムを担当させていただきます伊藤早奈と申します。よろしくお願いします。
「命のことば」をテーマにコラムを連載させていただきます。
神学生の時に実習させて頂いて、色々な方々の人生における経験を聞かせて頂いた時は言語化されたこれこそが、「命のことば」なんだな、と漠然と思っておりました。
しかし、書字がうまくできず、賛美もできないことが多くなって、自分がしゃべる言葉さえもが人にうまく通じないと言う恐怖にも似た悲しみを感じる今、「あっ『命のことば』は言語だけじゃないんだ」と思うようになりました。
そうすると、あちらこちらにちりばめられた「命のことば」であるイエス様が、自分と共におられることを実感できるようになり、嬉しくなりました。そのように、自然の中や家族の中、色々な施設や病院で自分に語りかけられた「命のことば」を、これから皆さんと分かち合いたいと思います。

議長室から

「十字架と復活のリアリティー~ディディモのトマス」 総会議長大柴譲治

ディディモのトマス。「ディディモ」はあだ名で「双子」を意味しますが、誰と双子であったかは不明です。聖書は私たちを映し出す鏡で、そこに自身の姿が映っていると感じることは少なくありません。特に十字架と復活の場面がそうです。例えば、鶏の鳴き声に泣き崩れたペトロ。彼はイエスの否認予告とそのまなざしとを思い出したのです(ルカ22・61~62)。そしてトマス。彼の名は共観福音書と使徒言行録の十二使徒リストにありますが、第4福音書は「ディディモ」という名と共にその姿を印象深く伝えています。彼は「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」(ヨハネ20・25)と言ったことで「疑いのトマス」とも呼ばれます。そのエビデンスを求める実証主義的な態度には私たち自身の姿が重なります。トマスはこの私と「双子」だったのかもしれません。
復活したイエスが最初に弟子たちにその姿を現された時、彼はなぜかその場にはいませんでした。「主と出会った」と喜ぶ弟子たちの中で彼は1週間疑い続けたのです。8日目の日曜日。再びイエスが「シャローム」と弟子たちの前に立たれます。イエスはトマスの疑いを拒絶することなく受容するかたちで、「十字架のスティグマ(傷痕)」の残る手を彼に向かって差し出されました。トマスが実際にそこに触れたかどうかは記されていませんが、復活のキリストのリアリティ、主の現臨が彼をその根底から新たにしたのです(トランスフォーメイション)。トマスは新約聖書で最大・最高の信仰告白をする者に変えられました。「わが主、わが神」。復活の主に向かって直接「神」と告白した箇所は他にはありません。
復活の主はご自身の側から弟子たちに近づかれました。そのリアリティが「弱虫」であった弟子たちを「殉教の死をも恐れぬ確固とした信仰者」に造り変えたのです。遠藤周作は「復活は蘇生とは違う。」「復活は『事実』ではないとしても『魂の真実』だった。イエスは弟子たちの心の中に確かに復活したのだ」と言います(『キリストの誕生』)。
十字架と復活はワンセットです。トマスの深い疑いの背後には、自己の罪にただ独り苦しみ続けた真摯な人間の姿がありました。トマスは自分を赦すことができなかったのです。復活のキリストがトマスに対してその十字架のスティグマを示されたことは、「罪の赦し」と「新生(復活)」への招きであったと私は信じる者です。

 

連載 讃美歌と私たち⑩

『教会讃美歌』再考 小澤周平(名古屋めぐみ教会牧師)

『教会讃美歌』の編集過程は約十数年に渡るものでした。パソコンは普及していない時代です。手書きの楽譜(図)、英文タイプの議事録、巻末の細かい索引を眺めながら当時を想うと胸が熱くなります。ただ、寄り道が多い本連載は早くも第10回。編集委員の方々の後日談はまた別の機会に…。
先述の通り、歌集の編集は式文や教会暦等、ルーテル教会の伝統的な礼拝形式に調和することを目指しました。一方、教会全体の動きに重ねて考察すると別の特徴も見えてきます。
編集期間に当たる1960年代は、日本国内のルーテル教会同士の協力について、議論が深まった時期でもありました。実際1963年にJELCは教会合同を経験。従ってこの時代背景は歌集編集にも影響したことでしょう。
編集はJELCのみならず、日本ルーテル教団・近畿福音ルーテル教会・西日本福音ルーテル教会のメンバーが関わり、信徒・教職・宣教師から委員が選ばれ、聖文舎の事業として行われました。このルーテル内の超教派的な事業は当時としては先進的でした。もちろん、ルーテル教会外の教派との関わりもありました。そして歌集の事前調査段階では、5カ国1世界連盟から集められた計17の歌集が分析されました。
『教会讃美歌』は、ルーテル「独自」の歌集であっても、「孤立」させる歌集ではありませんでした。例えば『教会讃美歌』は、『讃美歌』(1954年版)の30の歌を転載し、それ以外にも、詞や曲で重なるものを多く含みます。両歌集を併用すると、『讃美歌』(1954年版)の賛美歌の約3分の2がカバーされます。これは、共同体において新しい歌集を導入するための数的な目安を満たします。あるいは、雑誌『礼拝と音楽』を読むと、『教会讃美歌』の働きは他教派の研究者からも高く評価されていることが分かります。
このように、『教会讃美歌』は「サンビカ」の系譜にある歴史の中で、「もっと豊かな礼拝を守る」(序文)ために世に出たことが分かります。(続く)

 

新式文導入実践報告

中島康文 (式文委員会・市川教会牧師)

〈市川教会での実践報告〉
2017年8月、市川教会では新式文ダイヤバージョンで礼拝を行いました。(新式文の典礼曲の承認は、2018年5月の総会ですから、半年前での試用となります。それが可能となったのも、典礼曲編集の責任を主任牧師中島が担っていたことによります。)ダイヤバージョンを選んだのは、これまでの式文(以下現行式文)の編曲であり、馴染みがあるということが理由でした。実践まで礼拝後に数回練習を行い、主日礼拝に試用しました。その際、礼拝の順序は変更いたしませんでした。式順まで変更すると、典礼曲についての率直な感想・印象を伺いにくいのではないかと思ったからです。2回の試用でしたが、「所々違うというのは、逆に歌いにくい」という感想を数名の方からいただきました。「式文はそらで歌えるもの」であって、音符を見ながら歌うということは殆どないのですから、当然の感想でしょう。
その後、有志の方々と共に他のバージョンを練習し、録音したものは2018年総会前に皆様に配布しました。総会にて承認後、新式文実施に向けて練習を重ね、先ずは「歌い易いハートバージョン」を使用することとしました。ただし、現行式文への思いもありますので、月末の主日以外をハートバージョンで行うこととしました。実施は2019年6月9日ペンテコステからでした。
実施に当たって気を付けたことは、①十字架に心を集中できるように、牧師の動きは聖壇中央部の位置は避けること、②スムーズな進行のために細かな説明は行わないこと(ハートバージョンの殆どは前奏が1小節あるために案内不要が可能である)でした。しかし、現行式文の動きとは若干異なりますので、統一した聖壇上の動きを行うことは、月末に現行式文で行っていることもあって困難がありました。(これは司式者の意識の問題だとは思いますが。)
実施して先ず指摘されたことは、「手渡された式文が4バージョンのものなので、ページを探すのが大変だ」ということでした。急遽ハートバージョンだけの式文を作成しましたが、編集者であったためにその変更が可能であったことを鑑みると、バージョン毎の式文作成が必要であろうと思えます。それは奏楽者についても同様で、「伴奏曲のみでは常に2冊必要となり、難しい」という指摘は真摯に受け止めなければならないと感じています。しかし、ほぼ1年を経過しようとする今、違和感なく礼拝を行えています。ひたすらに式文を通して、神の恵みを受け止め、会衆が讃美をささげるものになっているからだと実感できています。

〈信徒の感想から〉

新式文使用に向けて練習を開始し、実際に用いるようになりほぼ1年が経過しました。戸惑いや使いにくさが指摘されれば、その都度対応してきました。その上で、次のような感想が寄せられました。「曲がきれいで、心地良く歌うことができる。長い曲(グロリア)もあるが、慣れたらスムーズに歌うことができる。このまま用いてほしい。」と、肯定的な意見を多く伺いました。「歌(賛美歌も含めて)が多いので、礼拝の後半は疲れてくる。終わり方が今までと違うので、なんとなくバラバラな気持ちで終わってしまう。」等、否定的ではありませんが、もう少し工夫・配慮が必要という意見もありました。
(ハートバージョンでの感想ですから、「他の3バージョンでは異なる感想もあるだろう」ことを、付記しておきます。)
製本に関して、「礼拝で用いない箇所も多くて、まごついてしまう」という意見も頂きました。これは「招き・主の祈り・祝福」に2パターンあることが原因でしょう。その他、「冒頭、牧師先生が歌う部分が多いので、その日の先生の声の調子が分かる」という声もあり、ちょっと苦笑いでした。また市川教会はピアノで伴奏が行われるので、「(悪い意味ではなくて)なんだか音楽会に来たみたい」と感想をいただいたこともありました。また司式者の動き、礼拝の流れなどについての意見は特にありませんでした。

 

エッセイ 揺れる教会

新型コロナウイルス感染拡大の只中で 石居基夫 ルーテル学院大学学長

新型コロナウイルスの感染拡大を防止するという目的で、政府は要請という言葉を用いて、緩やかに、しかしはっきりと国民生活の中に自粛を求めている。それによって小・中・高の休校のみならず、幼稚園から大学に至るまで臨時の対応へと押し流されているかに見える。
教会でも週日の祈祷会や集会を取りやめたり、また聖餐式のあり方を工夫したり、これをやめたり、さらには主日礼拝そのものを休止する、教会施設を閉鎖する、など様々な対応が生まれてきている。
もちろんそうした潮流には懸念の声も多くある。そもそも、その判断が何に基づいているのかと問うものもあれば、教会の使命や本質論から礼拝の中止を嘆くものもある。
私自身もいろいろと思うことがある。けれど、自分の言葉は一度飲み込んだ。まず、聞かないといけない。どういう判断がなされたのか。どんな対応を本当に教会として考えているのか。
それぞれが声を上げ、議論する。いいことだと思う。皆が考えてみたらいい。
多様で良いと思うのだ。こうしなければならないという外面的なことで縛ってみても何にもならない。むしろ、この時にこそ、御言葉にきき、祈り、共に信仰の共同体として生きるということを各教会で考えるべきだと思う。そうして、礼拝の意味も、聖餐の豊かさも、信仰とは何かということも、改めてそれぞれが学び、受け取っていく。
教会は、牧師も信徒も、一つひとつについてどう対応するか、そんなに軽々に判断していないし揺れていると思う。そういう揺れや問い続ける心が大切なのだし、その中で、現代において自分たちが教会に集うこと、礼拝にあずかることの恵みを今一度確かめればよい。大事なことは、この時こそ、不安な信徒一人ひとりを孤立させないこと、そして牧師たちもそれぞれが考えて、手立てを作ること、支え合うことだと思う。
集う信徒の年齢層や地域性によっても異なる思いがそこに見出されるだろうし、悩みがあるのだ。牧師たちはそういう具体的なことを考えている。教団が号令をかけてしまって、全国津々浦々で一律のやり方を決めたり、神学的権威(そんなものはどこにも認められていない時代かもしれないが)がこうすべしと大上段に構えては、本当に必要な宣教、御言葉の喜びと平和を分かち合うこと、教えと学びを深めていくこと、一人ひとりに仕えていくこと、癒しととりなしを祈ること、他者のために苦難を負うこと、そうして共に生きていくことの実際は無視されてしまうように思う。(まあ、必要以上の混乱を避けるように教団が決断すべきこともありうるけれど)むしろ、それぞれの地で、牧師と信徒が格闘していることに耳を傾け、祈り支え合う。そして、それぞれのあり方や判断を確認したり、その苦しさを支援する。そういう教団、教会でありたいものだ。どのような時にも、キリストはあなたのそばにあって、それぞれ一人ひとりを見捨てず、裁かず、悔い改めと恵みのいのちへと導かれるのだから。
今の時代は複雑だし、本当に多様な可能性がある。それだからこそ、この時にこそ、それぞれの地域にたてられ、遣わされている自分の教会の性格を診断しながら、皆でこれからの自分たちの教会や礼拝のあり方、社会との関係、宣教のあり方を見直してみてはどうだろう。

 

九州地域教師会退修会報告「牧師として考える 今の韓国と日本」

杉本洋一(九州地域教師会会長・熊本教会・玉名教会牧師)

毎年8月に、どの教会も「平和の祈り」を篤くします。2017年の宗教改革500年のテーマであった「争いから交わりへ」は、国家間の相互理解のずれをも含んだ、今なお続く人間の課題です。「罪」や「弱さ」の根深さを気づかせます。
昨年7月、日本からの輸出をめぐって隣国・韓国との関係は極度に悪化しました。私たちは、小さな器でありながらも、特に「平和を作り出す者は幸いである」との言葉から勇気と力を与えられて、宣教と牧会に押し出され、市民としても歩んでいます。平和とはかけ離れた状況に”憂い”を憶えたのは、どのキリスト者も同じだったのではないでしょうか。これによって九州地域教師会役員は、訪韓の趣旨・主題(牧師として考える今の韓国と日本~隣国との葛藤から対話を求めて~ ) ・内容を地域内の牧師に提起しました。計画を練りに練り、今冬2月10日から2泊3日で、教区と協力のもとソウルにて教職退修会を行いました。15名の参加者でした。韓国の長老教会2教会を訪ね、2人の先生は趣旨に賛同し、講演をお引き受けくださいました。モクトンピョングァン教会主任牧師、チョ・ソンウク牧師、講演題「ユダヤ人、パレスチナ人、日本人、韓国人」、セムナン教会ナ・グネ牧師、講演題「牧師として見る日韓関係」です。お二人の講演は、現在の日韓関係を、広く高い視座に立って、旧約からの理解と韓国の教会の歴史、霊性をお話しくださるものでした。
おりしも私たちは、コロナウイルスのために訪問先変更をしなければなりませんでしたが、慰安婦像の前に立ち、その抗議活動を知る機会を持ちました。今なお心の傷が癒えぬ人がいることを知りました。その中でも、宣教師らが眠る楊花津外人墓地を訪れた時、韓国の孤児の父と呼ばれた曽田嘉伊智(そだかいち)という日本人を知りました。平和を作り出す働きを担った人がいたことに胸を熱くしました。下準備と同行してくださった朴用和牧師(全州新興高校チャプレン)に感謝したいと思います。

 

日本ルーテル神学校第54回教職神学セミナー報告 小泉基(函館教会牧師)

2年に1度、ルーテル諸教会の教職を中心に行われてきた教職神学セミナーが、今年は2月10~12日に、日本ルーテル神学校を会場に行われました。テーマは「明日の教会のために~わたしたちの教会・神学・神学教育」。JELCからの参加者減少がみられた近年の傾向から一転。今年は本教会事務局の協力もあって按手5年未満の若手教職が多数参加し、全国から50名の参加者が集う賑やかな集いとなりました。
意図されていたのは、神学の現場である教会からの声を聴きつつ、教会と神学教育のめざす方向性について討論を積み重ねること。石居基夫神学校長、ルター研究所の立山忠浩牧師・江口再起牧師、聖公会の西原廉太司祭、大岡山教会の橋爪大三郎さんらによる講演を受けた他、JELCの第7次宣教方策案や4人の牧師による教会形成についても発題を受けました。教会現場の現在地と将来についての葛藤と希望をわかちあうなかで、神学教育に対する期待についても熱い討論がなされました。
最終日に、神学校の宮本新牧師から、神学教育の歴史とビジョンにかかわる感銘深いまとめの講演を受け、参加者は再びそれぞれの現場へと派遣されることとなりました。準備と運営に関わってくださった方々に深く感謝いたします。

 

第54回教職神学セミナーに参加して 築田仁(甲府・諏訪教会牧師)

第54回教職神学セミナーに本教会及び教区の補助を頂き、参加することができました。新卒1年目に、研修の一環として学ぶ機会が与えられ大変感謝しております。
「明日の教会のために~わたしたちの教会・神学・神学教育」というテーマのもとに、ルーテル教会に於ける宣教とは、教会のあり方とは、そして教会形成をどのように行っていくのか等、講演者の熱い発題に耳を傾けるとともに、教会の本質とその意味にについて深く考えさせられる機会となりました。教会に委ねられている宣教のみ業の大きさとあり方の多様性を確認しました。
教会がよりこの多元的社会に開かれた存在になることの大切さ、そして、地域で様々な問題を抱える人々と共に宣教を担っていくことが、さらに教会に求められていると改めて学びました。同労者との出会い、再会を果たし、また気持ちを新たに宣教のフロンティアに立っていく動機付けが与えられました。
セミナーを主催してくださった日本ルーテル神学校に感謝します。ありがとうございました。

 

新任牧師あいさつ 森下真帆(小倉・直方教会牧師)

森下真帆と申します。このたび神学校を卒業して、4月から福岡県の小倉教会・直方教会で牧師としてご奉仕させていただくことになりました。どうぞよろしくお願いします。はじめに少しだけ自己紹介をさせていただきたいと思います。
私は1988年に奈良県で生まれました。家庭は日蓮宗の檀家でしたが、ルーテル学院大学に入学したことをきっかけに教会に通い始めました。大学生の時に受洗し、その頃から牧師になりたいと思うようになりました。自分自身がイエス様に出会って救われた喜びを一人でも多くの人に伝えたいと思ったのがその理由です。さらに牧師である先生方の姿を見て、伝道と牧会に生きることに憧れたことも大きな理由でした。
その後アメリカ留学と短い社会人生活を経ましたが献身の思いは変わらず、28歳の時に神学校に入学しました。出身教会は東京教会、これまでの実習先は市ヶ谷、三鷹、札幌、東京池袋です。これから始まる九州での新しい生活を楽しみにしています。まだまだ未熟でご迷惑をおかけすることも多いかと思いますが、信徒のみなさまと先輩牧師のみなさまに教えていただきながら精一杯つとめてまいります。今後ともお祈りとご指導のほどよろしくお願いいたします。

 

新任宣教師あいさつ ジェシカ・ヒル

わたしが今、日本にいることにとても感謝しています!私はバージニア州キングジョージで育ちました。バージニア州リッチモンド近くのランドルフ・メイコン大学に通い、そこで社会学と人類学を学びました。
四年生のときに、イスラエルとパレスチナへの修学旅行に行き、その地域の宗教の歴史を勉強する機会がありました。エルサレムにいるときに、私はELCA牧師と出会い、彼女はYAGM(グローバルミッションの若い青年)プログラムについて話してくれました。私は応募し、セルビアのベオグラードに派遣されました。そこでは、ドロップインシェルターで青少年のための社会復帰施設で1年間働きました。
ルーテル教会での仕事を楽しんで いたので、日本でのJ3プログラムに応募しました。本郷学生センターで英語の授業をリードします。よろしくおねがいします。
Thank you!

 

ディアコニアセミナー報告「主権在民」 小泉 嗣(千葉教会牧師)

2020年2月11日、本年も人権・平和・環境を掲げたディアコニアネットワークの名古屋セミナーが全国から33名の参加者が集い、名古屋めぐみ教会にて開催されました。今回のテーマは「原発」と「SDGs」。一見バラバラな取り合わせのようにも思えますが、図らずも両者の学び、そしてワークショップから浮かんできた言葉が「主権在民」という言葉でした。午前中は掛川市で農業を営んでおられる藤田理恵氏の講演を聞きました。浜岡原発のお膝元の掛川に住み、人の口に入る食べものの生産者として放射能の危険性を認識し、中部電力のモニターに応募し、説明会や交渉等、原子力行政の不誠実さを目の当たりにし、農業にも原子力発電所にも誠実に向き合う生き方を選択し、生きておられる藤田氏の「市民」としての生き方に襟を正される思いでした。
午後はNPO法人SDGsコミュニティーの代表を務めておられる新海洋子氏の講演とワークショップを体験しました。クリスチャンの母親のもとで教会生活を送り、教会を通して貧困や戦争などの社会問題と出会い、様々なフィールドで働き、行きついたのが現在のお仕事であるということ、それらは「誰一人取り残されない社会をつくる」ことを目指してのことであるというブレない新海氏の生き方に刺激を受けました。SDGsは特別なことではなく、自分たちの日常を「意識」すること、「言葉」にすることからはじまる、「地球市民」として生きる第一歩ということを、ワークショップで語り合う中で確認することができました。そして「2030年までにどこまで出来るか?神さまに試されていると思う」という新海氏の決意に、私たちが市民として、キリスト者としてここに集い、そしてここから出て行こうとしていることに改めて気づかされたセミナーとなりました。

 

スオミ教会移転報告 1吉村博明(スオミ教会派遣 SLEY信徒宣教師)

スオミ教会は東京の中野区に1990年に建てられました。礼拝堂、集会室、台所は地階にあり、地上1階は事務室、図書室、オルガン室、2階にはSLEYの宣教師住宅が家族用と独身用2つあり、その他にも客室やサウナ室まで備えた贅沢な造りの建物でした。
ただ、開拓伝道しないで先に教会を建ててしまったことや、宣教師たちの在任も2013年まで平均3年位の短期だったことが影響して、教会はなかなか成長を遂げられませんでした。それでも、2000年代頃からようやく現在の教会員の中核になる部分が形成され始めました。
2000年代はまた建物の欠陥が表面化した時でもありました。かつて川が流れていたところを埋め立てた土地に地階を掘ってしまったため、建物は常時湿潤の問題を抱え、カビの大量発生に悩まされました。健康被害も起きてしまいました。2013年に私とパイヴィが赴任してから最初の3年間は大きな改修が2つあり、その他にも館内のカビ濃度の検査と業者による除染を毎年のように繰り返さなければなりませんでした。アルコール噴霧や燻煙剤の設置が宣教師の日常業務でした。(続く)

 

2020年度  日本福音ルーテル教会人事

〈退職〉(2020年3月31日付)
・松田繁雄(定年引退)
・高井保雄(定年引退)
・中川俊介(定年引退)
・鈴木英夫(定年引退)
・黄 大衛(定年引退)
・花城裕一朗(退職)

〈新任〉
・森下真帆(嘱託任用)

〈人事異動〉
(2020年4月1日付)
【北海道特別教区】
・該当なし
【東教区】
・中島康文 小岩教会(兼任)
・内藤文子 小岩教会(嘱託)
・松本義宣 東京教会(主任)
・後藤直紀 東京教会協力牧師の任を解く
・竹田孝一 羽村教会(兼任)
・中村朝美 八王子教会(主任)
【東海教区】
・光延 博 静岡教会(主任)、富士教会(兼任)
・伊藤節彦 栄光教会(主任)、掛川菊川教会(兼任) 新東海教区長 新霊山教会 知多教会
・野口勝彦 岡崎教会(兼任)
・室原康志 刈谷教会(兼任)
【西教区】
・沼崎 勇 修学院教会(兼任)
・竹田大地 神戸教会(兼任)、神戸東教会(兼任)、大阪教会 協力牧師の任を解く
・宮澤真理子 西条教会(主任)、三原教会(兼任)
・立野泰博 広島教会(主任)、松山教会(兼任)
【九州教区】
・岩切雄太 小倉教会(兼任)、直方教会(兼任)
・森下真帆 小倉教会(嘱託)、直方教会(嘱託)
・西川晶子 久留米教会(主任)、大牟田教会(兼任)、田主丸教会(兼任)
・崔 大凡 甘木教会(兼任)、室園教会(兼任)
・森田哲史 大江教会(主任)
・富島裕史 宮崎教会(主任)
・関 満能 鹿児島教会(兼任)、阿久根教会(兼任)
【出 向】
・ 永吉穂高 九州ルーテル学院(中高)
・崔 大凡 九州ルーテル学院(大学)
・立山忠浩 日本ルーテル神学校
【J3プログラム新任】
・ジェシカ・ヒル 本郷学生センター 2020年4月着任

【任用変更】
・内藤文子(一般任用から嘱託任用へ/小岩教会)
【休職】
・宮川幸祐
【留学】
(2020年5月から2年間)
・関野和寛

○牧会委嘱
(2020年4月1日付/1年間)
・明比輝代彦 新霊山教会
・齋藤幸二 知多教会
・渡邉 進 修学院教会
・谷川卓三 賀茂川教会
・乾 和雄 神戸教会
・渡邊賢次 松山教会
・藤井邦夫 宇部教会
・白髭 義 甘木教会
・黄 大衛 長崎教会
・濱田道明 合志教会

○ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校人事
・石居基夫学長 2020年4月1日~2024年3月31日
・立山忠浩校長 2020年4月1日~2022年3月31日 都南教会と兼務

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