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機関紙るうてる

るうてる2016年6月号

説教「信仰における耐震構造」

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 「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。」(ルカによる福音書6・46~49)

 イエス様は信仰を建築に例えています。特に49節は深く考えさせられる言葉です。「聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった」と。
 この例えからは、イエス様という岩に信仰の家の土台を置くなら、たとえ洪水のような意外な挫折をも乗り越えられると教えられます。それは誰もが理解できる教えだと思います。要するに、土台の重要性が当然だということです。
 ところで、私は熊本地震を体験して、信仰における挫折を洪水ではなく、地震と繋げて考えてみました。4月14日から、大きな地震が2回起こりました。特に2回目の本震がとても怖かったのです。夜中に激しい揺れが10分間以上続いたからです。さて翌々日、勤務先に行くと、被災は家より酷かったのです。本棚が重ねて倒れており、本は山のように散乱し、ドアも開けられないほどでした。学内の噂では、私の部屋の被災状態はワーストスリーに入っていました。もしこの地震の発生が昼だったら、私はこの危険な場所にいた可能性が高くなり、命を失ったかもしれません。夜の被災は私にとっては命拾いとなりました。
 その後、学内で復旧対策を相談する時、ある先生がこう言いました。「建物の耐震構造には二つのタイプがあります。一つは揺れないタイプですが、もう一つは揺れるタイプです。5棟の建物の内1棟はその揺れるタイプです。ですから、地震の時、揺れることは必ず悪いことではないことを覚えて欲しいのです」と。私はこの言葉を聞いて、建物によっては揺れても、建物を倒さない許容範囲の揺れであるのだと初めて分かりました。確かに、この二つのタイプはいずれも、建物が地震に耐える目的です。でも揺れると、その中にいる者に不安が増えるのも確かなことでしょう。
 ところで、私は牧師であるせいか、すぐそれを信仰に繋げて考えました。「信仰上でも、耐震構造と似たような二つの反応があるのではないか?」と。
 一つは揺るがない信仰です。試練に遭っても、動揺しない反応です。それは一番理想的ですが、現実の生活の中ではなかなか難しいことでしょう。
 もう一つは挫折によって揺れる反応です。試練に遭って、土台と一緒に揺れますが倒れません。つまりしばしば挫折に遭って信仰が動揺しますが、結果としては信仰を続けている状態です。過去を振り返ると、私も多くの場合その範疇に入っていたようです。揺るがない反応はもちろんイエス様がくださる強さです。しかし一方、揺らぐ反応もイエス様に許されている反応ではないでしょうか。例えば、ペトロの信仰にそういうものが見られます。
 一つ挙げれば、3回「イエス様を知らない」と言い切ったことは取り返しのつかない裏切りです。しかしイエス様はあらかじめ彼にそれを知らせていました。しかも引き続きこう言っていました。「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22・32)と。言い換えれば、イエス様はペトロの裏切りを事前に知った上で、容認したのです。しかもただの容認ではなく、ペトロがそれを乗り越えて、立ち直ることすら期待し、更に先を見据えていました。つまり弱さを乗り越えて、聖霊によって大胆に伝道していく強いペトロの姿を、です。
 ですから、この御言葉を聞く時、私たちはまず神様の先行した恵みに目を留めましょう。自分の信仰の揺らぎや弱さを嘆くより、むしろそれは既に神様に容認され、支えられていることなのだ、と。そして感謝しましょう。その揺らぎや弱さを経てこそ、他者に届くことのできる器とされているのです。このイエス様に信仰の土台を据え、主の僕として仕える歩みを新たにしましょう。
九州ルーテル学院大学チャプレン 黄 大衛

連載コラムENCHU

3『 Sola scriptura 』

 
 「Sola scriptura(聖書のみ)」は、ルター神学の中心のひとつです。しかし同時に、ルターが「ヤコブの手紙」を「藁の書」と評し、「(この書は)何ら福音的な性質をそなえていない」(石原謙訳『聖書への序言』岩波文庫)と批判したこともよく知られています。
 これは、ルター神学と「ヤコブの手紙」の相性があまりよくないことに起因するのでしょう。けれども、そのようにルターが批判したからといって、ルーテル教会の聖書から「ヤコブの手紙」がなくなったりはしませんでした。このことは、「ヤコブの手紙」を福音的でないと考える者がいたとしても、そこに記されていることも「みことば」である、ということを意味しています。
 そして思うのですが、このようなことのなかに、「Sola scriptura(聖書のみ)」という定理の素晴らしさ、というよりも「聖書」の豊かさが示されているのではないでしょうか。だから、ある箇所を引用し「聖書にはこう記されているから」と自らの正当性を主張するのは、「聖書」の豊かさを否定することになるのでしょう。
 きっと私たちは、「聖書」には前言撤回的な言明があり、そこに、汲みつくせぬ豊かさがあるということを踏まえて、「繊細な精神@パスカル」で耳を澄ます必要があるのだと思います。
 そうそう、ルターが福音書の中で最も好きだったヨハネには、主イエスの洗礼と最後の晩餐における聖言(ベルバ)が除かれ洗足の出来事が描かれていることを、礼拝への理解を豊かなものにするために申し添えておきます。
岩切雄太( 門司教会、 八幡教会、 佐賀教会牧師)

議長室から

総会で見えた様々な面 総会議長 立山忠浩

第27回定期総会が無事終わりました。予定されていた議案の他に、熊本・大分地区の地震災害に関する報告が加わることになりました。
 被害の甚大さから、総会そのものを延期すべきではないかとの声も上がりました。しかし九州教区長、現地の対策本部長などから、 予定通り開催した方が良いとの返答をいただきましたので、開催に踏み切りました。
 総会を開催して本当に良かったと感じたのは私だけではなかったと思います。各教会、学校、施設などの被害状況と現地の支援活動について報告していただきました。被災者でありながら支援活動に尽力する現地の皆さんの姿や献身的にディアコニアの精神を実践する教区内の信徒と教師の働きは、心に響くものがありました。全国の議員がさらなる支援の思いを強くしたに違いありません。
 本総会の最も重要な議案は「宗教改革500年記念事業」に関することでした。いよいよ来年は2017年になります。カトリック教会との合同礼拝も含め、ようやく記念事業のすべてが確定しましたので、一同に全体像を説明する最後の機会となりました。後は実行するのみ。皆さんの積極的な参画を願っています。
 議案の中には、痛みを伴うものがありました。ルーテル学院に対する教会支援とブラジル伝道に関することがそれでした。限られた教会の財政力と人材しか持ちえない状況で、どれほどルーテル学院の要請に応えることができるか、難しい判断が求められました。教会からすれば精一杯の支援を行っているつもりですが、ルーテル学院からすれば我慢を強いられる面があったことは否めません。
 ブラジル伝道に関する議案は、宣教50周年を節目に、 日系人への伝道の使命がひとつの節目を迎えたとの認識に立つものでした。徳弘浩隆宣教師の任期をさらに3年間延長し、自給・自立の基盤をさらに固め、現地の牧師への確実な引継ぎの任を託すものでした。JELCの現職牧師派遣も3年後には終了しますが、他の面での宣教協力は継続して行きます。ただ、これも現地の教会(日系パロキア)と徳弘牧師には痛みを伴うものでした。総会のもう一面を心に留めることになりました。
 最後になりましたが、あと2年間よろしくお願いいたします。

プロジェクト3・11「石巻の十三浜とのつながり」

プロジェクト3・11企画委員 久保彩奈 (聖望学園、本郷教会)

 聖望学園では石巻市十三浜の「西條さんちのわかめ」の物販支援と、年2回春と夏に西條さん宅でボランティアをしています。聖望学園の生徒にはどのような思いでボランティアに参加してきたのかを、西條きく子さんからはルーテル教会救援「となりびと」をはじめ、これまで関わりのあったボランティアに対するコメントを頂きました。

佐藤真愛さん(聖望学園卒業生)

 
 ボランティアにできることは少ないけれど、行き続ければ出来ることの可能性が増えることを信じて、卒業までに5回、ボランティアに参加してきました。
 被災地に行くことで、震災の恐ろしさ、また震災後に様々な支援が必要とされることを知りました。きく子さんに名前を覚えてもらえたことは本当に嬉しかったですし、きく子さんが被災されているにも関わらず、逞しくわかめ生産業に携わっていることに勇気をもらいました。
 私自身が防災意識をもてたことも大きな変化の一つです。きく子さんとはこれからも関わり続けていけたらと思っています。いつもありがとうございます。

西條きく子さん(十三浜・わかめ生産業)

 震災時からずっと温かい支援をもらい、本当にありがたく思っています。感謝の気持ちでいっぱいです。
 今はだいぶ落ち着きましたが、今まで一緒に作業をしていた人たちが津波により流されてしまったので作業はまだまだ大変です。震災があったことは大変でしたが、みなさんとの繋がりができたことは嬉しく思っています。
 また、ボランティアに来ていただくことで、わかめがどういう風にできているのかを知ってもらえたこと、わかめの美味しい食べ方を知ってもらえたこと、十三浜を知ってもらえたことも本当に嬉しいことです。繋がりがあるのは嬉しいことです。いつもボランティアさんを楽しみに待っています。また来てくださいね。

教会×公共

2 ポスト・1995

宮本 新(田園調布教会牧師、日本ルーテル神学校講師)

 4月14日に熊本地方を襲った地震では、現地のLINEやフェイスブックを介した情報発信と共有の速さが特徴的でした。広範な支援活動は社会全体で被災の記憶をつなげてもいるようでした。
 『震災ボランティア』という言葉が生まれたのは1995年のことです。〈サリン事件〉と〈阪神淡路大震災〉のあったその年、京都で仏教界や新宗教の指導者らが参集したシンポジウムがありました。著名な宗教学者が「被災地にボランティアの姿はあったが宗教者はいなかった」と述べ、震撼する者、反発する者様々でした。当時、京都教会にいた小泉潤牧師も登壇者のひとりでした。学者や世論が何をいうのであれ、黙々と被災地で働く若者のたちの姿に未来図を見たという先生らしいお話でした。
 あれから20年。「市民」ボランティアと「宗教者」支援・奉仕の関係は変遷を続け、東日本大震災では臨床宗教師やカフェ・デ・モンクなどの活動も見られました。他方で宗教は水や空気のようなもの、「ないと駄目だがあまり話題にならない方がいい」とも言われました。 その他に脳死やES細胞など命の問題から自死問題や貧困格差、また昨今の安保法制や脱原発をめぐり「宗教の役割」が広く議論されています。宗教者自らが問答を繰り返すのではなく、様々な公共圏からの問いかけが目立ち、徐々に従来の宗教のカテゴリーも見直しと変容が迫られています。
 このような宗教公共論のプロセスでは、別掲の問いかけ�Cのように宗教の役割や有用性が論じられる際に潜む危うさも問われています。人間(その集団)は本来的な個性があり「共約不可能」な存在でもあるからです。 パウロが「十字架のことば」に言及した脈絡とも重なり、前回紹介したシンガポール会議から京都会議まで多大な時間が割かれたのはこの点についてでした。

公共圏からの問いかけ

①信仰はどこまで個人・私的な領域に留まりうるのか?
②宗教は立場や見解を越えた連帯・共生の共通基盤を示せるか?
③社会(共同体)が閉塞感に至るとき、宗教は外に開く力を発揮できるか?
④公共性が“みんな”や“わかちあい”の言葉で他を呑み込もうとするとき、 宗教はそれを防ぐことができるか?

宗教改革500年に向けて ルターの意義を改めて考える(新シリーズ2・通算49)

ルター研究所 所長 鈴木 浩

 今回はルターの子ども時代に戻って、彼が受けた教育のことを考えてみたい。ルターは1483年11月10日にアイスレーベンという町で生まれた。父ハンスと母マルガレーテの間に生まれた長男であった(次男だったという異説もあるらしい)。その後、一家はマンスフェルトという町に引っ越していく。
 両親はルターが5歳になると、地元の学校に入れた。学校と言っても、日本の「寺子屋」と同じだ。地元の司祭が子どもたちを集めて、「読み書き算盤」を教えた。ドイツでは日本ほど「算盤」は普及していなかっただろうから、「読み書き算術」と言うべきか。数年後、父親はルターをマグデブルクという町の学校に入れる。もう少しレベルの高い学びをさせるためである。1年後、ルターはアイゼナッハという町の学校に移る。この町には母親の親類縁者が多くいたようである。
 「読み書き算術」と言っても、「読み書き」は母国語以上に、ラテン語の読み書きであった。ルターはこれを徹底的にたたき込まれる。当時のヨーロッパでは学問はラテン語で行われ、教会の礼拝もラテン語であった。
 ラテン語の発音は、ほぼ「ローマ字読み」でいいので日本人にも難しくはないが、文法はほとんど「複雑怪奇」だ。「バラ」という言葉は、「ロサ」(バラは)、「ロサエ」(バラの)、「ロサエ」(バラに)、「ロサム」(バラを)、「ロサー」(バラで)と変化する(以上、単数)。複数は「ロサエ」(主格)、「ロサールム」(属格)、「ロシース」(与格)、「ロサース」(対格)、「ロシース」(奪格)となる。名詞はこのように変化するタイプの他に、4つの別な変化パターンがある。形容詞も同じように変化する。辛いのは動詞の変化だ。動詞には5つのタイプの違った変化パターンがあり、それぞれ一つの動詞が、200ほどの形に変化する。不規則動詞でもgo, went, gone, goingが変化のすべての英語とは大違いだ。
 だから、ルターはただひたすら名詞、形容詞、動詞の変化を学ばされた。ラテン語の学びとは、要するに「一に暗記、二に暗記、最後の最後まで暗記・暗記」である。ものの本によると、子どもたちが変化を間違うと、教師はその子どもを鞭で叩いたというから、大変だ。
 ルターはそれに耐え、大学に入る頃にはラテン語を完璧にマスターしていた。

ルター、バッハ、宗教改革500年。

8 主を「大きくする」

マグニフィカト(マリアの賛歌)

 ローマ・カトリック教会の信徒研修に東京カテドラルの信徒会館に招かれて、「ルターとマリア」について講演したことがあった。
 中世以来マリア崇敬を深めてきたカトリック教会が、第2バチカン公会議『教会憲章』で、「マリアを教会の優れた1人」とした後のことであった。ルターは「マリア崇敬」は斥けた。しかし福音書に基づき、イエスとの関わりのある限りにおいて、マリアを「イエスの母」として注目し続けた。
 ところでカトリックが「マリアの訪問日」としている5月31日はわれわれの教会暦では関係ないとしても、マリアのエリザベト訪問や、特にそれに続く「マリアの賛歌」はルーテル教会でどう見られ、取り上げられ、注目されているだろうか。
 伝統に従って典礼的には「夕の祈り」で「マグニフィカト」が唱えられ、歌われることもあろうが、その「夕の祈り」が守られる例はルーテル教会ではほとんどない。A年の待降節第4主日の日課となっていても、その日にクリスマス礼拝をする教会が多いから、これが読まれ、説教されることはないと言ってよい。
 ルター自身は『「マグニフィカト」講解』を民衆のために書いて、中世のマリア崇敬から離れた、マリアへの宗教改革的な注目を民衆に示した。私自身もキリスト教信仰の中でこのマリアの賛歌に適切な位置を示させたいと思っている。突き詰めるとポイントは一つである。「マグニフィカト」の本来の意味は「大きくする」である。「私の魂は主を大きくする」のである。
 バッハ自身ライプツィヒの夕の礼拝のために「マグニフィカト」を作曲しているが、「マリアの賛歌」を「主を大きくする賛歌」として心にとらえておくことはエキュメニカルな時代、カトリック教会や聖公会との信仰の交わりの中でも大切なことだと思っている。

今年もやります!ルーテルこどもキャンプ

ルーテルこどもキャンプ スタッフ 中村沙絵(千葉教会)

6月に入り、そろそろ夏休みのスケジュールを考え始めるころですね。小学5、6年生、そして保護者のみなさま、ぜひ8月8~10日は「こどもキャンプ」とカレンダーへ書き込んでください。18回目の今年は、ルーテル広島教会にて行われます。
 毎年夏に行われているルーテルこどもキャンプ。1999年に開催されたルーテル国際少年少女キャンプから始まり、2006年からルーテルこどもキャンプと名前を変え、平和について学ぶキャンプと外国について学ぶキャンプが毎年交互に行われています。
 今年は、平和について学びます。「来んさいヒロシマ ピースじゃけん」をキャッチコピーに、全国から集まる小学5、6年生と「平和とは何か?」「平和ではないとは何か?」「聖書では平和についてどのように語られているか」など、考えていきたいと思っています。
「平和」という言葉はよく耳にするけれど、しっかり考えたことはないな、難しいかな?と思うかもしれませんが、安心してください。キャンプ中ずっとそばにいて、寝食を共にし、一緒に笑い、考え、悩んでくれるリーダーのおにいさん、おねえさんがいるからです。困ったり、不安になること、疑問に思ったりすることがあれば、いつでも聞いてもらえますよ。
 そんな子どもたちの憧れのリーダーには18歳から、ジュニアリーダーは高校生から応募することができます。春キャンの卒業生はもちろん、キャンプに参加したことのない方でも大丈夫。チャプレンをはじめ、周りのスタッフも協力します。またキャンプを裏方で支えてくださるスタッフのみなさんも募集中です。
 子どもも大人も一緒になって、祈り、讃美し、平和と向き合う3日間。それが糧となり、それぞれの地に戻った子どもたちはその場所で平和について考え続け、実行できる大人へと成長していくことでしょう。
 どうぞ1人でも多くの子どもたち、そしてスタッフを送り出してください。みなさまからのお申込み、お待ちしております。

全国教師会2016年総会報告

前総会期全国教師会長  永吉秀人

 宗教改革500年に備え、変革される全国教師会。2016年5月2日から3日にかけて、全国教師会総会を宣教百年記念会堂にて行いました。課題は宗教改革500年への取り組みについて。第一に、説教集の出版。電子書籍化の要望も出され、安価で実現可能と判断します。第二に、今年の秋に500年への気運を高める退修会を京都にて予定していましたが、これを見直すこととなる事案が日本福音ルーテル教会宣教室より提出されました。役員会で協議の上、今総会の議案と致しました。
 「2017年11月23日に長崎の浦上天主堂にてカトリック教会(司教協議会)と日本福音ルーテル教会の共同企画として公式に合同礼拝を行うことについて」を上程。500年記念としてふさわしく思えますが、議場では全国教師会の立ち位置を問う厳しい意見が交わされました。というのは、カトリック司教協議会は「集団的自衛権行使容認の閣議決定についての抗議声明」を、カトリック正義と平和協議会は「安全保障関連法の強行採決への抗議声明」を発してきたのに対し、全国教師会ではこれまで社会問題に対する明確な姿勢を示しておらず、声明も発してこなかったからです。
 神学論争や社会問題への取り組みは、分裂や離脱を起こしかねない要素を含むため、教師会の慣習として積極的な譲歩によって強硬派と穏健派の調和を図ってまいりましたが、今総会での協議を通して、カトリック教会との共同企画の如何を問わず、まずは教師会として社会問題に対する学習と決断を重ねて行く方向性を打ち出し、これを前提としてカトリック教会との共同企画についての採決に臨みました。結果、行うことに可決致しました。
 会長の任期満了に伴い、新会長に石居基夫師が選出されました。書記には安井宣生師が再選され、会計には和田憲明師が再推薦されました。加えて4名の委員が推挙され、末竹十大師、内藤新吾師、沼崎勇師、宮本新師が承認されました。

熊本地震支援活動報告

4月14日そして16日に熊本・大分を中心に発生し、今なお続く地震災害により、悲しみと嘆き、不安の中にあるお一人お一人に主のお慰めと励ましをお祈りします。
 岩切雄太牧師を本部長として発足した「熊本地震 日本福音ルーテル教会九州教区救援対策本部」は、自身が被災者でありながら、地震発生直後からそれぞれの地域の方たちに対する支援活動を続けている教会・学校・福祉施設・幼稚園・保育園を応援するとの方針のもと活動を始めました。熊本の言葉で「できることをせいいっぱい」を「できたしこ」といい、「(わたしたちに)できることをせいいっぱいやっていこう」という意味を込めた名称を合言葉に歩んでいます。必要な支援活動と全国の教会とつなぐ役割です。
 具体的な取り組みとして、①室園教会による済々黌高等学校内避難所支援(終了)、②熊本教会の会堂補修への取り組み他、③大江教会の物資支援、カフェなど、④神水教会の慈愛園利用者への支援、カフェ(終了)、全国からの支援物資基地、⑤健軍教会の教会避難所及び近隣避難所への支援があります。
 また九州ルーテル学院と九州学院では、それぞれに学生たちへの支援、補修への取り組みなどがなされています。そして慈愛園(ライトハウス)は福祉避難所として、キリスト教児童福祉会も避難所として、それぞれの役割を担っています。関係幼稚園・保育園では子どもたちとその家庭への支援にも取り組んでいます。
 それぞれの働きに加えて、①片付け支援、そして②NPO法人わかちあいプロジェクトと連携し、広安愛児園・LECこどもセンター内避難所の支援(炊き出しなど)を担います。以下のURLより情報を得ることができます。
https://www.facebook.com/kumaeqhq/
 JELCでは活動を支援するため、あわせて大きな被害を受けつつ公的支援を得られない教会堂・牧師館などの修復支援のため、支援募金を呼びかけています。すでに多くのご協力をいただき感謝します。
 

ルーテル連帯献金[熊本地震 支援募金]のご案内

①「地域生活支援」できたしこルーテルによる被災者の地域生活支援活動費用に充当。
②「被害を受けたルーテル教会の建築支援」熊本県内ルーテル教会の建物補修支援。  
 第1期募金は5月末日に締め切られましたが、第2期も予定。上記の①、②のいずれかを明記しご送金を。郵便振替の場合、振込用紙に「熊本地震」と記し①、②のいずれかを明記のこと。[郵便振替00190―7―71734 宗教法人日本福音ルーテル教会]

第27回日本福音ルーテル教会定期総会 報告

事務局長 白川道生

 日本福音ルーテル教会第27回定期総会が5月3日から5日にかけて、日本福音ルーテル教会宣教百年記念東京会堂(東京教会)で開催された。全国各地から参集した教職、信徒を合わせた総会議員は218名を数えた。
◆議事に先立って
 総会招集後の4月14
に熊本地震が発生し、九州教区との相談を軸に関係諸事を鑑みた結果、総会開催を変更せずとの判断に至った。それ故、当初からの議事を一部変更し、熊本・大分の被災状況と震災救援について報告を加える議事日程が承認された。熊本と議場を通信映像で結び、立山議長が祈り、ルーテル教会がつながって取り組む姿を共有する時が与えられた。
◆第26総会期活動報告
 まず立山議長より、2012年から8年間にわたる第6次綜合方策に基づいて26期に取り組んだ事項を抽出して報告がなされた。
 続いて書記~各室長報告、各教区~諸委員会、諸施設、関係団体の2年間の報告が行われ、多岐にわたる務めがルーテルグループで実践されているあり方が印象付けられた。議場による審議の後、諸活動報告はすべて承認をうけた。
◆役員選挙
 執行部4役には、総会議長に立山忠浩牧師、副議長に大柴譲治牧師、書記に白川道生牧師、会計に豊島義敬さんがいずれも再選された。加えて信徒選出常議員が選出され、各教区長及び教区選出常議員による新常議員会の組織も承認された。任期は6月から2年間である。
◆礼拝式文の改定
 常議員会より、式文改定の工程変更が提案された。従来の完成年度を改め、段階的な承認を積み重ねる方針とし、本総会では主日礼拝式文の文言のみ承認を諮り、2年後に曲の付いた主日礼拝式文の公式使用を提案する。そして主日礼拝並びに諸式の揃った「すべての式文」改定の採択は、承認までに期間を置き、2028年の総会で決議する、との提案があり、審議の後に提案は承認された。
◆宗教改革500年記念事業
 白川宣教室長より、2017年に向けて取り組まれた「推奨4冊の出版を通した活学運動の展開」や「バナーキャンペーン企画」等に関する進捗報告がなされた。教会が教会のために行う祝祭イベントとせずに「宗教改革の発見を現代に活用する」と、理念を定めて展開する姿勢が強調された。
 また、この機会を通して「ルーテル教会がひとつ」である認識の共有を意図し、全国各地の教会と教会、加えて学校・幼保、施設を視野に含め、ルーテルグループをつなげる展開を指向する路線も確認された。
 議場からは宣教の機会とするため、提言や要望が挙がった後、記念事業の推進が募金活動を含む本事業予算と共に承認された。
◆決算報告及び予算
 豊島会計より、26期の全体教会財政と諸部門の財務状況に関する決算、木村財務委員長から、予測される課題と対応を見込んだ予算提案がなされた。
 審議では、減少する教会財務状況への対処を巡って審議がなされた後、財務関連提案は承認された。
◆その他
 紙面の制限により報告記載はできないが、「海外宣教に関する件」、「神学教育支援の件」、「第28回定期総会に関する件」は、提案のとおり承認された。
  詳細は、発行される定期総会議事録を参照ください。

※「ルーテルアワー・さあなの部屋より」は、紙面の都合によりお休みします。

 

 

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