1. HOME
  2. ブログ
  3. 機関紙るうてる
  4. るうてる2007年
  5. るうてる《福音版》2007年5月号
刊行物

BLOG

るうてる2007年

るうてる《福音版》2007年5月号

機関紙PDF

バイブルエッセイ 「寒い日が温かく、暖かい日が寒い」

貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。
ルカによる福音書 6章20~21節(日本聖書協会・新共同訳)

 本州に住んでいる人たちの北海道の冬のイメージは、言うまでもなく「さぞや寒かろう」ということです。札幌でも東京とは10度近く違います。東京近郊にいたとき、2月に札幌を訪ねることになって、あらかじめ通信販売で入手したのが、チョモランマ登山隊が着たとうたわれていた下着上下です。高価でした。それが愚かな過剰装備であったことは、到着して数時間もしないうちに悟りました。
4月に札幌に移り住んで、いつもより暑いと言われる夏が過ぎ、短くて、華やかで、ほろ苦い秋が過ぎ、いよいよ冬を迎えました。今年は全国的に記録的な暖冬となり、北海道も例外ではなかったようです。「しばれる日」がなかったといわれています。零下10度以上になる日をそういうのだと聞きました。とはいえ最高気温マイナスが続くのは、この冬も普通のことです。
 不思議なことに気がつきました。寒い日が温かく、暖かい日が寒いのです。しんしんと雪が降り積もる日や、道路がスケートリンクのように凍結している日は、妙に体がぽかぽかしています。これが、プラス4度など、温かいはずの日は、着ている下着も、上着も、コートも同じなのに、かえって肌寒いのです。
 それでわたしなりに考えたことは、厳寒の時は、体が内側からしっかり熱を発するのだろうということです。サバイバル本能です。専門家に聞いてみないと正確なことはわかりませんが、肌の感覚は確かにそうなのです。もちろん限度はあるでしょう。
 そしてまた考えました。プラスがマイナス、マイナスがプラス。これは心も同じだなと。幸福の条件に安住していると、ちょっとしたすきま風で心は寒々してしまいます。人生は寒いものと思い定め、辛い目にあっても立ち向かおうとすると、内側から温かいものが湧いてくるのです。だから、大事なのは、苦しみを避けようとするのではなく、苦しむ力をまとうことなのです。 
 プラスがマイナス。マイナスがプラス。これはまた信仰の醍醐味です。傍目に辛い目に遭っていると思われる人が、本当は誰よりも深い喜びを知っているということもあります。あまりにも早く最愛の人を失った人が、誰よりも永遠の愛を甘受しているということもあります。神がそうしてくださるのです。
K.S

大人を育てる 絵本からのメッセージ

「ぼちぼちいこか」マイク・セイラー (著)、ロバート・グロスマン (イラスト)、江 祥智 (翻訳)/ 偕成社

 絵本というと小さなこどものための本というイメージがありますが、大人にとっても生きるヒントになる本がたくさんあります。ここでは子育てという視点でお話をしていますが、あらゆる人間関係においてもお役立ていただけることと思います。

つまずいたって、転んだって、いいじゃない

 近頃、失敗を恐れる子どもが増えているように思います。それは、周りの大人たちの先回りが原因のひとつかもしれません。大切に思うあまりでしょうが、子どもの人生という道を先回りして、転ばぬように石を取り除き、アスファルトで平らにし、カーペットまで敷いて、大人の目からみた安全な道、安全な方向に誘導してしまうことがあります。でも、その安全さえも、子どもが学校に行き、社会に出てもなお、いつもそばについて誘導し続けることは、不老長寿の薬を飲んでも不可能です。いつかは一人で歩いて行かなければならないのなら、見守ることのできる間に一人で歩かせる方が、よほど安全ではありませんか。自分で決めた道は、誰のせいにもできないものです。だからこそ、つまずいても転んでも、大きな自信と経験になるのだと思います。
 親という字が「木の上に立って見る」と書くように、見守ることこそ、子どもの心を育てることなのかもしれません。いつもすぐ側にいて「失敗しないように」手出し口出しをするのではなく、木の上に立って見つつも失敗してぼろぼろになった時に、木から下りてしっかりと抱きしめてあげられたらと思います。気負わず焦らず、自分のペースでいいじゃないですか。だいじょうぶです。誰もが、いろんな人に支えられながらも自分自身で道を作り、歩いて行く力をちゃんと持っているのです。

親も子も、ぼちぼちいきましょう♪

 「ぼく、しょうぼうしになれるやろか」の書き出しで始まるカバくんの不屈のチャレンジ。海外の翻訳絵本と思えないくらい関西弁の言葉と、ほんわかやさしいタッチの絵がマッチしています。いろんなことに挑戦しては失敗するカバくん。失敗しては、「これなら、どうやろか」「これなら、どうやろか」と次々に新しい挑戦をします。落ち込む間もなく挑戦しつづけるカバくんを見ていると、ちょっとくらいの失敗なんて、たいしたことないなと思えてくるから不思議です。
 絵本の中では、最後までカバくんはうまくいきません。でも、めげても立ち直り、未来に向かっているカバくんは絵本の最後に言うのです。「えーこと思いつくまで、ここらでちょっとひと休み。ま、ぼちぼちいこかって言うことや」って。失敗の連続だったり、「ひと休み」で終わる絵本なのに、「このあとも、元気にまだまだ挑戦していくはず」と、カバくんの焦らず自分のペースで歩いていく姿が目に浮かびます。

失敗したっていいじゃない!

焦らなくてもいいじゃない! 挑戦することそのものがすばらしいのだから。失敗しても、そこから得るものがたくさんあるのだから。周りの人の視線や評価は気にせず、かみさまが「そのままの自分」を丸ごと良しとしてくださるのだから、恐れず自分らしく 歩いていきましょう。子どもも、そして大人も。

HeQiアート

Ruth & Naomi by He Qi, www.heqiarts.com

「ルツの決意」

 ルツは言った。
「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。
わたしは、あなたの行かれる所に行き
お泊まりになる所に泊まります。
あなたの民はわたしの民
あなたの神はわたしの神」
ルツ記 1章16節

たろこまま いのちを語る

わたしの隣人とはだれですか 
(ルカによる福音書10章30~37節)

北国にも遅い春が到来し、近所のサイクリングロードも賑やかになってきました。老若男女問わず衣装も春めき、自転車に乗る人も増え、お散歩するワンコの足取りも心なしか軽そうです。そんな中、いつの間にか増殖するのが、いっぱしのトレーニングシューズを履き、スポーツウェアに身を包んだ人たち──中には結構妙齢の方もいらっしゃるのですが、私はいつも彼らを見て不思議な気分になります。軽く肘を曲げ、耳にはイヤホン、一人黙々と歩いていて、サングラスの奥は何も見ていないのです。まるでジムでマシンを歩く如く目線は一直線、木立の新芽も見ず、子どもたちの歓声も耳に届いていません。「今日は何㌔歩くぞ!」「何㌔カロリー消費するぞ!」、彼らの頭の中は自分のことでいっぱいのようです。一方、そんな彼らの陰で、道を掃き清め、脇の花壇を黙々と耕す地味な格好の老人たちがいます。
ヘルパーの実習先にお邪魔したときのことです。節操がないという人もいるけれど、梅も桃も桜も一度に咲き乱れる北海道の春もいいよね、なんて会話の合間から、彼らは殊更外界の、緑への渇望を抱いていることがひしひしと伝わってきました。そこの、とあるおじいちゃんは、死ぬか生きるかの瀬戸際から戻ったあと、リハビリの合間を縫い、不自由が残る体で施設の庭いじりの手伝いを自ら買って出るようになったそうです。「ここの連中は外に出るのも難しいからね。窓から見える花ででも、誰かの心が和めば何よりと思ってね」。年を取ると出来ることも限られてくる中、余生を自分のためだけに使わず静かに土を耕す彼らは、それが名も知らぬ隣人の命をも豊かにする最善の方法と気づいていたのかもしれません。

関連記事