るうてる福音版2011年クリスマス号
クリスマスの朝
エリック・ハンソン
“そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取って下さる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも苦労もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」”
ヨハネの黙示録21章3-4節
皆さんこんにちは!12月を皆さん満喫しており、そして楽しいクリスマスを心待ちにしておられることを願っています。
わたしは、日本に4年間住んだあと、クリスマスについて、以前と違ったように考えるようになりました。わたしを知らない人たちのために説明しますが、わたしはアメリカ人です。ですから、よちよち歩きの頃から毎年12月の終わりにクリスマスを祝って、大きくなりました。小さい頃いちばんワクワクしたのは、クリスマスの朝起きて、家族のクリスマス・ツリーの下に、サンタクロースと家族が自分のためにおいてくれたプレゼントを見つけることでした。毎年このプレゼントを開けて、新しい玩具で遊ぶのが待ちきれませんでした。
クリスマスの朝にプレゼントを開けることに加えて、もう一つ一家の習慣がありました。子どもの頃はプレゼントと同じくらい楽しみにしていたことです。アメリカでは、クリスマスの前夜(クリスマスイブ)に、家族と共に教会に行き、特別な、クリスマスの燭火礼拝でイエスの誕生を祝います。教会の電気を消して、会衆の人たちと一緒に暗い中、ロウソクを手にして、クリスマスの賛美歌を歌い、一緒に祈ります。プレゼントを開くことに比べて、その経験は心を穏やかにする、静かな形の楽しみでしたが、プレゼントを開くのと同じくらいに楽しいことでした。
成長するにつれて、プレゼントやクリスマスの歌またろうそくの先にある、クリスマスを祝う本当の理由について考えざるを得なくなりました。イエスの誕生について、また彼の誕生がわたしやわたしのいる世界で何を意味するのかということを問わなければなりませんでした。はじめに、クリスマスのことを、神が人間になって私たちの中に生きるようになった日だと考えたとき、「そんなのまともじゃない!一体どうして神が人間になりたいだろうか!人間はとても弱く、力がないけれど、神はとても偉大で強力じゃないか。そんなのは理にかなっていない!」と考えました。しかし、イエスの生涯を考えると、真の力を持つ方は、その力を自分のために取っておくのではないということが見えてきました。イエスの中に、偉大な力とはその力を温存する能力ではなく、喜んで分けあう能力だということを見ました。
最初に書いた黙示録の言葉を読むと、偉大な力強い変化が最初のクリスマスの朝になされたことがわかります。黙示録には「神の幕屋が人の間にあって」と言っています。真実は、最初のクリスマスの朝、イエス・キリストにある神は弱く壊れやすいものになられました。彼はわたしたちのために弱く壊れやすいものになりました。それは、わたしたちが神とともに強くよいものになることが出来るからです。キリストにあって、神はあなたと今共におられます。彼は、あなたの恐れを知っておられるから、勇気を与えるために来られました。今神の幕屋はあなたの間にあります。神が、わたしたちが強くなるために弱くなられたことに感謝しましょう。
メリー・クリスマス!
フィンランドのクリスマス料理
フィンランドでは、クリスマスは一年で最も暗い季節における光と温かさのお祝いです。フィンランド人は待降節になるとクリスマスの準備で忙しくなります。特に子供たちは毎日アドベントカレンダーの窓を一つずつ開けて、クリスマスをわくわくしながら待ちます。
クリスマスの準備にすることは、クリスマスカードを送ること、家の大掃除、クリスマス料理を作ることです。それぞれの家族にあるクリスマスの伝統は子供たちに伝わっていきます。クリスマス料理を子供たちと一緒に作ったら、家族の味は世代から世代へと伝わっていきます。子供たちはお母さんが作ったクリスマス料理の味を覚えて、同じように作りたいと思うからです。
フィンランドの伝統的なクリスマス料理には、豚肉のオーブン焼き、ビネガー漬けやオーブン焼きの魚料理、ニンジンや馬鈴薯のキャセロール、生野菜やゆで野菜のサラダ、いろんな種類の焼き菓子などがあります。クリスマス料理は、塩、砂糖、ビネカーで味付けするので、何日も持ちます。「クリスマスには夜通し食べられる」という言い回しがあるように、クリスマス料理はフィンランド人の心を惹きつけるものです。
パンやケーキやクッキーなどのクリスマスの焼き菓子をつくる時は、シナモンやいろいろなスパイスの香りが家中に広がって、クリスマスの雰囲気を一層高めます。
フィンランドでは、クリスマスは両親のいる実家に家族が集まるお祝いです。家族はひとつになって一緒にクリスマス料理を味わいます。しかし、フィンランド人は皆、家族を御馳走の前に集めてくださった本当のクリスマスの主人を覚えてお祝いします。イエス・キリストがその主人であると。
星形のプルーン・パイ
パイシート/プルーン 200 g/砂糖 1dl/
水 150-200 ml
1.プルーン・ジャムをつくる。プルーン、砂糖、水を鍋に入れて、プルーンが柔らかくなるまで混ぜながら煮る。プルーンが柔らかくなったら、ミキサーで混ぜる。
2.パイシートを正方形に切る。上のように4角から1,5 cm位のところから、それぞれの辺に平行になるように切れ目を入れる。切れ目の長さは、辺の半分よりも短めにする。
3.パイシートの真ん中に1のジャムを小さじ1,5杯分をのせる。4角を中心に向かって折り曲げるようにして、ジャムの上で4角の先っぽ部分が順番に重なるようにする。重なりが起き上がらないように、指で少し押す。
4.3をオーブンで210℃の温度で10-12分位焼く。
サーモン・ロール
サーモン 300g/塩 大さじ一杯/砂糖 小さじ1/2杯/
ディル/ クリームチーズ 50g/ホイップクリーム 1/2dl/
塩 小さじ1/2杯/ブラックペッパー 少々/
ディル みじん切りにしたもの大さじ一杯
1.サーモンの上に塩大さじ一杯と砂糖小さじ1/2杯をかけ、ディルの葉を上にのせる。それをアルミフォイルに包んで、1-2日位冷蔵庫に入れておく。
2.ホイップクリームを泡立てて、クリームチーズと塩小さじ1/2杯、ブラックペッパー少々、みじん切りにしたディルを混ぜる。
3.1を斜めに薄くスライスしていく。スライスしたものをラップの上に長方形の形に並べる。
4.3のサーモンスライスの長方形の上に2のクリームを塗る。
5.4をロールケーキの要領でロールさせ、それを冷凍庫に30分から1時間位入れておく。
6.5を2 cm位(長さはお好みに応じて)に切り、レモン汁をかける。ゆで卵やゆでた馬鈴薯を添える。
寄り添う人がいる。
日本福音ルーテル教会事務局長 立野泰博
東日本大震災ルーテル教会救援から派遣され、避難所でともに寝泊まりしできた牧師がいます。避難所が閉鎖され、いま仮設住宅を一軒一軒まわっています。その派遣牧師が、ひとつの仮設住宅を訪問していたときのことです。
津波被害や家族のことなど話してくださった、被災者のおばあさんがおられます。いつもボランティアを暖かく向かい入れてくださり、仮設支援も手伝ってくださっていました。ある日、おばあさんが「今日はこれからどうするの?」と聞かれたそうです。牧師は「大川小学校にボランティアを案内する」と答えました。(大川小学校は、震災後の津波により校舎ごと呑みこまれ、全児童108人中、約7割に当たる74人が死亡・行方不明となりました。教師は9人が死亡、1人が行方不明になっています。)するとおばあさんは泣き崩れたのです。これまで笑顔で元気だった方なので牧師は驚きました。
涙を流しながらおばあさんは言われたそうです。「孫が大川小学校に通っていた。3年生と1年生。上のお兄ちゃんは見つかったけど、下の女の子はまだみつからない。牧師さんきっとみつかるよね」と。牧師はその言葉を聞いて共に泣くことしかできなかったそうです。
大川小学校にある慰霊碑には、子どもを亡くされたお母さんの手記がそっとおいてあります。「会いたくて、会いたくて。百日たったいまも、会いたくて、会いたくて・・・」と。突然の津波によって愛する家族が天に召されていきました。「会いたくて」と涙を流される多くの被災者の方々に、ボランティアができることは共にいることだけです。寄り添うことしかできません。
パウロは「泣く人と共に泣きなさい」と教えています。いままで「共に泣いてあげる」という感覚でこれを読んでいたことに気がつきました。被災地で活動していると、共に泣くしかない状況に出会います。あまりにも悲しみが大きすぎて共に泣くしかできないのです。しかし、そのような関係を持たせてくださる中心にキリストがおられることを思いつつ、共に泣くことが必要なのだと教えられています。それもキリストが教えて下さっている寄り添いです。
クリスマスには「インマヌエル」という言葉がきかれます。これは「神は我々と共におられる」という意味です。クリスマスは、神様のみ子であるイエス・キリストがこの世に生れてくださったことを祝う時です。それと同時に、神様がイエス・キリストを通して共にいて下さるということです。そのことの暖かさと力づよさを、今日も被災地にたちつつ感じています。メリー・クリスマス!
(ルーテル救援は、仙台教会内に支援センター「となりびと」を設置し、宮城県を中心に被災地支援を行っています。活動の様子はブログ「ルーテルとなりびと」http://lutheran-tonaribito.blogspot.com/をご覧ください。)
いのちはぐくむ(20)
「収穫の季節から聖夜へ」
中井弘和 静岡大学名誉教授・農学博士
『わたしは、その季節季節に、あなたたちの土地に、秋の雨と春の雨を降らせる。あなたには穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油の収穫がある。』(申命記11章14節)
『わたしは、天から降ってきた生きたパンである。このパンを食べるならその人は永遠に生きる。』(ヨハネ6章35節)
収穫の秋、私は北から南へと稲穂が黄金色にかがやく全国各地の水田を巡り歩きます。農薬や化学肥料を使用しない自然農法で収量が上がる稲の品種を、農家の手を借りながら、育成する仕事を始めて7年が過ぎました。試験地のなかには、3.11の大津波や原発事故の被害をもろに被ったフクシマも入っています。そこでは多くの人命とともに広大な田畑が流され、かつての豊饒の地は草さえもまばらな瓦礫の荒野と化しています。原発事故による放射能汚染地区と定められた地域にはまったく人影がなく、田畑は草で覆われていました。
ヒロシマ、ナガサキの原爆の何十倍という放射性物質を広く国土に飛散させた原発事故は、収穫の季節に色濃い影を落とすことになりました。原発事故の収拾はなお目途が立たず、人々は、目に見えない放射能の影におののくばかりです。この苦境の時機にあって未来を望むとき、ナガサキの原爆投下時、爆心地に近い長崎医科大学と浦上第一病院(現,聖フランシスコ病院)でそれぞれ被爆し、無数の負傷者の救護活動に挺身した二人の医師、永井隆(1908-51)と秋月辰一郎(1916-05)の働きや思想が想起されます。
永井は、原爆を神の御心と受けとめ、人間の根源的な罪の自覚から平和をと,重い放射能疾患を身に負いながら、『長崎の鐘』(1946)など多くの書を著して世界に訴え続けました。一方、秋月は、師でもある永井の心情に反し、原爆は人間そのものの意思による悪業とみなし、核廃絶をめざす平和運動に生涯をささげます。両医師は、原爆症の治療に「食」の重要性を説いたことでも知られます。特に、秋月は、入院患者や看護師などに,玄米、カボチャやワカメの味噌汁を主とした食事を徹底させ、原爆症による犠牲者を一人も出さなかったことが今注目されています(秋月著、『死の同心円』、2010再版)。
神に豊穣の食を感謝し祈る収穫祭は民族や宗教を超えて世界共通のものでしょう。人類は、また、飢饉に見舞われた凄惨な収穫の時を繰り返してきたことも事実です。それでも、収穫祭は絶えることなく今日まで人や地域の重要な生活の柱として守られてきました。原爆が真上で炸裂し灰燼に帰した浦上天主堂では、その年も、瓦礫の中から奇跡的に無傷で見つかった鐘を打ち鳴らし、クリスマスが喜び祝われました。原爆や原発事故はいうにおよばず、飢餓もまた欲望とエゴを膨張させた人間の業によることは明らかです。しかし、そのようなすべての苦しみを受容して,神に感謝し祈るところから未来への希望が立ち現れてくることも確かです。クリスマスは、神が人の世に贈られた「永遠に飢えないパン」、イエスという至高の収穫を感謝し喜ぶ日でもありましょう。