るうてる《福音版》2008年7月号
バイブルメッセージ たいせつなこと
知ってる?
あなたは愛されているんだよ。
誰に?
あなたの「命」を創られた方に。
かけがえのない、あなたという一人の存在を創られた方に。
創られた方にとってあなたは誰にも変えられない大切な大切な存在なんだよ。
本当に私が……
誰と比べるわけでもなく、ただ、あなたという存在がそのまま愛されているんだ。
私にはできなくても、あなたを創られた方にできるんだ。
「自分を愛せない人は人を愛することはできない」って言われた。
もっともだと思った。
だから私は人を愛することはできないんだと。
だから、「愛されること」「愛すること」どちらが優先されるの?
と聞かれたとき、「愛すること」です。と答えたことがある。
でも、こんな私でも「愛されて」いることを知った。
私たちは目に見えるものが優先されがちなときが多い。
でも、考えてごらんよ「目に見えるもの」も「目に見えない」ものも大切にしている。
そんなことないよ。と言うときがあるかもしれないけど
あなたが生まれた日、あなたを生んだ人、あなたの家族……
いろんなことが信じないと、今のあなたをあなたであると証明してくれない。
でもね、あなたという「命」はあなたを創られた方の保証付きなんだよ。
誰が何と言おうと。
あなたは愛されている存在なんだ。
それは、あなたが出会う全ての一人ひとりも同じなんだよ。
見えなくても、触れなくても。信じようよ。
あなたは愛されている、あの人もこの人も。そしてあいつも。
「自分のことを愛せない人は人を愛することができない」という言葉なんだか困っちゃう、だってどうしようもない。
私自身を愛するってなんだか難しい。
でも大丈夫なんだ、あなたは愛されているから。
あなたの「命」を創られた方があなたを愛してる。
教えてあげなよ、あの人にも。あなたは愛されてるよ。って。
「わたしがあなたを愛したように、あなたも互いに愛し合いなさい信仰の足跡をたどる旅」って
勝手に愛することはどういうことか自分で考えなさいと言われるのではなく。
わたしがあなたを愛している。そのようにあなたも互いに愛し合うことができるんだよ、って。
だから、できるよあなたなら。
愛されるってどういうこと?
そのままのあなたが受け入れられてること。大切にされてるってこと。
一人ではないってこと。
あなたを愛してるよ。
S
十字架の道行き
【第四留】イエス、母マリアに会う
【祈りの言葉】
イエスよ。母マリアは剣で胸を差しつらぬかれる悲しみにあいました。
私たちは、別離や死のように、言いようのない悲しみに出会うとき、その慰めをどこからえるのかわかりません。主よ、あわれんでください。
毎日あくしゅ
感謝
参議院議員でエッセイストの山谷えり子さんは、彼女の祖母が、感謝の名人であったことを記しておられます。
「今日は、電車でかわいい女子中学生がいたのよ」「散歩してたら、目の前で花が揺れたのよ」「お店に入るとちょうど残りものがあって安くしてくれたの」と、山谷さんが家に帰ると、ニコニコ話し、彼女もまたニコニコと聞いてうなづきました。
その話をそばで聞いている叔父や叔母は、「かわいい女子中学生と乗り合わせたってそれがどうした?」「花が揺れたのは風が吹いたからやないの」「安くしたのは売れ残るよりマシだから。食中毒にならんといいけどなぁ」祖母は家族ならではの皮肉を聞き流し、「今日も神さまは、私と一緒にいてくれはったという証拠やねぇ」と、私に目配せしながら笑うのでした。「おばあちゃんには、よく神さまがくっつくね。えこひいきされてるって感じ?」と山谷さんが聞くと、「神さまは、えこひいきせんよ。私が神さまのサインを見つけるのがうまいだけ」と言うのでした。
園庭にこの春植えた野菜が実をつけ始めました。茄子やピーマン、枝に隠れて赤く色づいたトマト、それを見つけた園児たちは、一様にその不思議を身体で表現しています。ややもすると目の中に飛び込んでくる現象を無視してしまうことがよくあります。しかし、立ち止まり、そこに目をやると、これまで見過ごしていたものがまた違って見えて来ます。園児たちの大発見は、すばらしいものを回りの大人に与えてくれます。大人の目では当たり前の光景が、子どもの目では違っているのです。先ほどの山谷さんのおばあさんも、99歳で亡くなるまで、子どもの目を持って過ごされたようです。
私たちも、子どもと一緒に同じ感動を共有したいものです。そのためには、「花が揺れたのは風が吹いたからやないの」の大人の思いを少し横において、素直な感謝と喜びを体中で味わい表現したいものです。子どもの成長とその不思議を新たに思い起こし、感謝の目で見つめましょう。
(園長)
谷センセイの教育い・ろ・は
第4回 ギリシアの教育に学ぶ その2
「善く生きる」ことを身をもって示したソクラテスは、生前は授業料も取らずに、毎日街に出かけ、市民としての普遍的な理想を説いたといいます。そして人間としての善さを①思慮、②節制、③勇気、④正義として、4つの徳の何たるかを市民に問いかけました。
しかし、ソクラテスの死後、アテナイの繁栄に陰りが見え始め、マケドニアの支配下におかれてしまいます。けれども文化的な優位は保ち、アテナイ市内には4つの学校が軒を連ねたといいます。すなわちプラトンによる「アカデメイヤ」、イソクラテスの開設した「修辞学校」、ゼノンの「ストア派の学校」、それと「エピクロスの園」の4校です。
どの学校もソクラテスの精神的遺産を引き継ぎ、「完全な人」を教育理念に掲げ、特色を出すために、しのぎを削ったといいます。
教育基本法第1条には、教育目標を「人格の完成」と規定していますが、日本とギリシアとでは、時代、場所が違いながら、理念が重なり合う偶然はちょっと面白いですね。
エピクロスについては、日本では誤解されており、エピキューリアン(快楽主義者)と蔑まれますが、エピクロスは300巻もの著作を残した学究者でした。エピクロスの園では、知的な「静的快」を最高のものとし、身体的に苦のないこと、魂において乱されぬこと、そのことが平静と呼ばれる心境で、哲学はこの心境に達するための知識であると弟子たちに教えていました。
最後に、紀元前11世紀ころ、半島南部を支配したスパルタについて記しておきます。
スパルタはメッセニア人の土地を没収し、彼らを農奴(ヘイロタイ)にしたので、反乱に手を焼きました。そこでスパルタは、世にも不思議な国家体制を敷き、社会全体を軍隊組織、規律正しい共同体にしたのです。物欲や所有欲をなくすために、金貨、銀貨を廃止し、鉄の貨幣を使用させました。かさ張る貨幣は不便で、賄賂なども激減し、スパルタからたちまち不正が姿を消す事態となりました。
15人がひと組となる共同食事制度も考案され、美食は放逐されて、同席する大人は少年たちに向かって、節制と努力、会話術、政治論などをたえず聞かせたのです。
奇妙なのは、食物の盗みを働かせるという訓練も行われ、もし捕まってしまうと、厳しく罰せられたといいます。少女たちも少年と同じような訓練が行われ、かなりの年齢に達しても、娘たちは全裸で競争、格闘、やり投げを行うように命じられました。
このようなスパルタの異常な教育は、森本哲郎氏の『戦争と人間』(PHP文庫)に詳しく書かれているので、ご一読をお勧めする次第です。
谷 健(たにけん)…昭和5年7月生まれ。東京都の公立小学校7校の勤務。専門は英語、道徳。道徳副読本の編集に従事。