1. HOME
  2. ブログ
  3. 機関紙るうてる
  4. るうてる2006年
  5. るうてる《福音版》2006年5月号

刊行物

BLOG

るうてる2006年

るうてる《福音版》2006年5月号

機関紙PDF

バイブルエッセイ「『偶然』が重なって」

わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。
天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは
あなたたちの思いを、高く超えている。
イザヤ書55章8~9節(日本聖書協会・新共同訳)

 前の用事が長引いてしまい、次の予定の時間に間に合いそうにない―仕方なく、普段は乗ることのないタクシーを使うことにしました。でもこの辺りはタクシーってあまり通らないんじゃないかしら、電話で呼ぶのはそれだけ時間がかかってしまうし―そんなことを考えながら外に出ると、タイミングの良いことに、近所の橋のたもとに1台のタクシーが止まっています。助かった!すぐに乗り込み、「駅まで」と告げ、タクシーは走り出しました。やれやれ、これで一安心。内心ほっとしていると、タクシーの運転手さんが、何やら話しかけてきてくださいます。
 「いや、まさかここでお客さんを拾えるなんて、思ってもみませんでした」
 聞くと、この運転手さん、今日は一日市内を走り回っていたんだけれども、ぜんぜんお客さんが見つからず、まったく商売になっていなかったのだそうです。一日中ぐるぐると走り続けて、「今日はもうだめだな」とあきらめて、「少しだけ休もう」と、普段はめったに通ることのないあの橋のたもとに、車を止めていた―そこに、わたしがやってきたのだそうです。「わたしも今日は、この車がいてくださって、本当に助かったんですよ。こういうことって、あるんですね」と、二人で笑いあいました。
 お客さんが見つからず、今日一日をあきらめかけていた、この運転手さん。予定に追われて、めったに乗らないタクシーを使わなければならなくなった、このわたし。二人とも思うようにいかない辛さや不安を抱えていたのです。けれどもこの思うようにいかないできごとをとおして、新しい出逢い、思いもかけない喜びが与えられた―二つの「偶然」が重なって、二人ぶんの笑顔が生まれました。
 このできごとを、「偶然」で片付けてしまうのは簡単です。けれども、こんな素敵な出逢いを、「偶然」ということばで片付けてしまうのは、ちょっともったいないような気がしませんか? ひとつひとつの「偶然」を結び合わせて、素敵な「必然」にしてくださる方がおられる。その方が、わたしとこのタクシーの運転手さんとを、出逢わせてくださった。心に抱えていた重い荷物を、笑顔に変えてくださった。そして同じその方が、今こうして、このメッセージを綴っているわたしと、それを読んでくださっているあなたとを、結び合わせてくださっている。そのようにしてその方は、確かにわたしたちの生きる一歩一歩を守ってくださっている―そのように考える方が、何倍も、生きることが楽しくなると思うのですが―いかがでしょうか?
Aki

心の旅を見つめて  堀 肇

「慈しむ心で自律心を育む」

しつけの時期を迎え
悲しいことですが、ときどき〈しつけ〉と称し、結果的にわが子を虐待してしまっている事件が起こっています。子育ての方法が分からず、育児ノイローゼになって子どもを傷つけている若い母親、また親自身のパーソナリティの未熟さや愛されてこなかったため愛することができず虐待の連鎖の中で苦しんでいる親たちもいます。いずれにしても小さな子どもの心や体が傷つけられるということは心が痛むことです。
このしつけを必要とする幼児期の子どもたちを観察してみると分かることですが、この時期は移動能力や認知能力が急激に増大し、親から見れば危なっかしい行動が目につきます。親が危険を察し行動を禁止しようとすると泣いたり、暴れたり、反抗したりします。それまでの母子関係を離れ何でもひとりでやろうとする頃なのです。これは自我が芽生え、自律の欲求が現れてきているわけですから発達の視点から見れば喜ぶべきことでもあるのです。

自律心を身につけ
 けれども、子どもはこの時期に自分の思うようにはいかない世界があり欲望を制御することを学ばねばなりません。ここでしつけの問題が出てくるわけです。多くの親たち、分けても母親たちはこのしつけを巡って悩み、しばしば育児への自信喪失に陥ります。これはこの時期の発達の事情を考えれば特別なことではありません。そもそも子どもといっても持って生まれた気質や性格特性はみな違いますからしつけも単純にはいきません。親の身になってみなければ外部からは分からないことがたくさんあるのではないでしょうか。
 しかしこの時期に適切なしつけが行われることによって、いわゆる自律心を身につけ、初めは外部から制御されることに抵抗を示しても、やがて自分の意志によって行動を制御するようになっていきます。こうした自律心を促すのがしつけと言ってよいでしょう。これが幼児期の発達課題なのです。

わが子を慈しむ心で

 ここで問題となるのは、そのしつけの内容と方法です。たとえば食事、排泄、衣服の脱着などはともかく、学習、行儀、作法また禁止事項などとなりますと家庭の文化や価値観によって異なり内容は一様ではありません。加えて大きな課題はしつけの方法です。「早く、早く、どうしてできないの、まったく」などと怒鳴ったり叩いたりして子どもを力で動かそうとしている親を見ると心が締め付けられます。しかし忍耐深く「頑張ってね。難しいのね。どうしたらうまくできるかしら」と励ましながら努力している親もいます。こういう対応は楽なことではありませんが真の自律心を獲得していく方法なのです。
 親も心に余裕がないと、つい焦って感情的になり強制的に服従させようという思いになってしまいますが、一呼吸しながらわが子が明るくのびのびと自由に自我を拡張できるよう励まして育てていきたいものです。それにはやはり母と子の情緒的コミュニケーション、そしてその母と子を守る父の支え、何よりも「これらの小さな者を一人でも軽んじない」(マタイ 章 節)というわが子を慈しむ心が必要なのではないでしょうか。いま私はこうしたことの重要さを子育てを振り返り、また孫たちの成長を見ながら身にしみて思うのです。  

HeQiアート

Losing Paradise, by He Qi, www.heqiarts.com

「復活する」

 若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。
 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」
マルコによる福音書 16章6~7節

たろこままの子育てブログ

「疲れたとき」

明日のことまで思い悩むな(マタイによる福音書 6章34節)

 いくら日頃楽をして過ごしたいからと言って、「そう思い悩むことないでしょ」「明日のことは明日考えればいいじゃないの」────五月病でなくとも、こう言われてなかなか素直に首をタテに振れない私たちです。
 とかく母親は自分よりも、家族の細々したことに日々頭を悩ませがちなのではないでしょうか。
 そうした間隔がとても短くて濃密なのが、特に、生まれたての第一子をむかえたお母さんでしょう。
 何もかも初めてづくしの上に相手はもの言わぬ小さな存在で、些細なことで体調が変化しては親を翻弄します。
 私も小太郎を連れ帰った当初は、怒濤の数ヶ月でした────母乳も満足に飲まず、折角飲んでも日夜吐いてばかり。 泣く・喚く・寝ないの三点セットで追い詰められた私は疲れ切り、明日どころか数時間後の状態も憂えて、すがるように保健師さんに電話をしました。
 「困ったときはいつでも連絡してね」と言ってくれた彼女は早速その日の午後に我が家を訪れ、ひとしきり私の話をウンウンと聞いて、最後にこうおっしゃってくれました。 「私も三人子育てして、そのたびに悩んだわ。そんなことをしても解決しないのに、八つ当たりしてお鍋を壊したこともあるし、ふすまに穴を開けたこともあるし(笑)。育児って日々精一杯でしょ、だからあまり先を思わないのも手よ」
  1日過ぎたらもう1日を精一杯やって、その積み重ねで1ヶ月を乗り切る────当時の私は気取らぬ彼女の言葉をボンヤリ聞いてましたが、今はそれがまさしく「答え」だったように思います。
 先を悩んでも答えの出ないことが多い日々、その日の苦労はその日だけで十分なんだな、しみじみそう思いました。 頑張って頑張って頑張ってるお母さん、どうか頑張りすぎないで下さいね。
 疲れたときは少しでも休みましょうね、お母さんの代わりは他の誰もいないのですから。

関連記事