るうてる2012年10月号
説教「心を委ねる」 沼崎勇(日本福音ルーテル京都教会牧師)
精神科医の高岡健氏は、二つの精神鑑定例を紹介しています。ある重大事件を引き起こした少年は、事件後にこう言っています。「人生で一番辛かったのは、修学旅行の席決めです。一緒に座る人さえ決まったら、修学旅行は成功したも同然。ひとりだと自分だけ惨めで、ものすごく恥ずかしい。ひとりになったら地獄です」。また別の事件を引き起こした少年は、こう言っています。「人生をやりなおせるものなら、クラス対抗リレーの日からやりなおしたい。自分の足が遅いために、皆に迷惑をかけたことを、とても後悔している」。
彼らにとって、人生で一番辛かったことは、事件とは無関係の「修学旅行の席決め」であり、「クラス対抗リレーで、皆に迷惑をかけたこと」なのです。「皆と同じでなくてはならない」という考え、あるいは「友だちがいるのが正しい、いないことは脱落者だ」という考えが、彼らを苦しめている、と高岡健氏は述べています。
さて、詩編34・19には、次のように記されています。「主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる」。「打ち砕かれた心」、「悔いる霊」とは、自分の行ないによって自分を作り直そうとするのではなくて、神が私たちを新しい人間にしてくださることを、受け入れる心です(H.J.イーヴァント)。
一人の少年が、修学旅行の列車の中で、一人で座っているのを目撃したら、「だれか、彼の隣りの席に座りなさい」と生徒たちを叱責することが正しい、と私たちは考えるかもしれません。しかしキリストは、叱責するのではなく、そっと彼の隣りにお座りになる方です。また、クラス対抗リレーで、自分の足が遅いために、クラスの皆に迷惑をかけたことを後悔している少年を目撃したら、「リレーに勝つことよりも、クラスが一つになって頑張ることが大切だ」と生徒たちを叱責することが正しい、と私たちは考えるかもしれません。しかしキリストは、叱責するのではなく、足の遅い少年と一緒にゆっくり走られる方です。
このような仕方で、神は、孤独な魂の近くにいてくださいます。ただし、そのことに気づくためには、自分の行ないによって自分を作り直そうとするのではなくて、神が私たちを新しい人間にしてくださることを、受け入れる必要があるのです。 例えば、渡辺信夫氏は、国立ハンセン病療養所の奄美和光園で出会った能津さんについて、次のように述べています。能津さんは、善い行ないを積んで救いに入ろうとして、奉仕活動に励んでいました。ところが、そこへ失明が襲いかかったのです。善い行ないを積む道は、断ち切られました。彼はその絶望と挫折から、「信仰のみ」にすがって、立ち直ったのです。この話を聞いて 、 渡辺氏は叫びました。「それはルターの体験と一緒じゃないですか」。
箴言23・26には、次のように記されています。「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。喜んでわたしの道に目を向けよ」。この箇所について、D.ボンヘッファーはこう言っています。一人の人間がキリスト者となるということは、自分からは何もできないことをいつも認識して、「どうか、この世の事柄にかかずらっている私の心そのものを取って、それをあなたのみもとで堅く保って下さい」と祈ることです、と。
そのように自分の心を神に委ねるとき、修学旅行の列車の中で一人で座っている少年の隣りに、キリストが座っておられることに気づくことができます。またそのとき、クラス対抗リレーで足の遅い少年と一緒に、キリストがゆっくり走っておられることに気づくことができます。
そして、私たちもイエス・キリストの道に目を向けて、キリストがご自身を私たちに与えられたように、私たち自身を小さなキリストとして隣人に与えるようになるのだ、と思います(M.ルター『修道誓願について』参照)。
宗教改革五〇〇周年に向けて
ルターの意義を改めて考える(6)
ルター研究所 所長 鈴木 浩
口語訳で詩篇七一篇二節見てほしい。「あなたの義をもってわたしを助け、わたしを救い出してください」とある。ルターが使ったラテン語本文では、「あなたの義によって、わたしを解放し……」となっている。
ルターはここで「引っかかった」。意味が通らないのだ。「あなたの義」とは、「神の義」のことであり、それは、罪人を徹底的に追い詰める神の正義を意味していた。わたしを責め、追い詰め、罰しないでおかない神の義が、どうしてわたしを「解放して」くれるのか。この文章は辻褄が合わない、ルターはそう強く感じた。
根が凝り性のルターだから、彼は徹底して「神の義」という言葉を考え抜いた。その結果、神の義とは、わたしを裁く神の正義ではなく、神がキリストの恵みによって、罪人に無代価で与えてくださる義のことだ、と気付く。実は、アウグスティヌスもそう語っていた。こうして、神の義の理解が逆転する。これが、「一点突破」だ。
この新しい神の義の理解が、次いで聖書全体に適用される。これが、「全面展開」だ。そこから、宗教改革の神学が立ち上がってくる。
牧師の声
メコンミッションフォーラム(MMF)に参加して
2012年5月16~20日 於 ミャンマー・ヤンゴン
東京教会 関野和寛
メコン河が流れるカンボジア、タイ、ベトナム、ラオス、ミャンマーの宣教のサポートをするメコンミッションフォーラム(MMF)が毎年開催されています。これらのメコン流域の教会の代表者と、支援国アメリカ、オーストラリア、ドイツ、フィンランド、ノルウェー、香港、マレーシア等の教会の代表者が集い共に宣教協力の為に話し合いが行われます。
メコン流域の国々で共通の問題となっている事は、他宗教や土着の文化が根強く、時にキリスト教に対して迫害も起こるという事です。また牧師をはじめ教会の指導者を育成する神学校を充実させる事や、教育の為の本が不足している事が大きな課題になっています。国や地域によっては現地の言葉での聖書や神学書の入手が難しい現状があります。今回の会議では特別にブータンルーテル教会の牧師も来ていました。ブータンのルーテル教会の牧師は彼一人で組織も建物もありません。ですが20カ所の家庭礼拝を設け、20年間で800人の洗礼者を出し、現在はじめての教会を建てる事を大きな目標としているとの事です。
このような証しをはじめとし、メコンミッションフォーラムでは支援する事だけではなく、現場から先進国(キリスト教国を含む)と呼ばれる教会が忘れてしまっている多くの事を学ぶことが多いのです。今年の開催国であったミャンマー(旧ビルマ)のルーテル教会の礼拝に参加してみたのですが、礼拝は若者が溢れ終始ゴスペル讃美と証しが続き、教会の存在が村人の魂を支えているという事を感じました。
信徒の声
神様からの招き
東海教区 信徒常議員 櫻井 隆
2012年度東海教区総会において齋藤幸二牧師が教区長に選出されると、先生は私に「信徒常議員として協力してほしい」と声をかけてくださいました。私は、その役割にふさわしい者であるかどうかを考える間もなく、「はい」と答えていました。振り返れば、イエス様の招きに応じていった弟子たちのような心境であったかもしれません。
私は、公立学校教員として38年勤務し、3年前に定年退職しました。 その後、市内のNPO法人の理事、また、法人が運営する障害者通所事業所の職員として2年間勤務しましたが、この春に若い人にバトンタッチして退職することを決めていました。そうした時期に教区総会が行われ、先生からの招きがありましたので、良い機会が備えられていたともいえます。
東海教区では、三浦知夫牧師と共に宣教部の仕事をさせていただいています。日常的な業務は、前任者から引き継いだ「東海教区祈りのこよみ」を作成することです。祈りのこよみは、教区にある教会が順番に身近な祈りの課題を寄せあい、教区の信徒が互いに祈りあえるようになっています。担当の私のところにはそれぞれの教会から原稿が寄せられますので、各教会の様子がよく分かり、とてもよい励みになっています。「東海教区の良さは、互いに祈りあう教会の群れ」の伝統が引き継がれるようにしていきたいと思います。
また、東海教区では、南海トラフ巨大地震による甚大な被害が心配されています。私の所属する栄光教会焼津礼拝堂は標高がわずか2.7m、ここに最大11mの津波が押し寄せるという想定が出ています。所属教会では、そのための対応を考えていますが、東海教区の信徒常議員として、教区そして全教会で、大きな地震災害に対してどんな備えをしておく必要があるか、それを考えるのも自分に与えられた役割の一つかと思っています。
JLER(ルーテル教会救援)対策本部現地からのレポート
JLER派遣牧師 野口勝彦
今年の夏は多くの方が、「となりびと」で貴重な体験をされました。今月号では、その中からお二人の方の体験をご紹介します。
「ボランティア体験を通して」
聖望学園高等学校2年 江口 夏子
お茶っこサロンでのプログラム風景(地元の方言を使用して仮設の方と合唱)
今回となりびとさんにお世話になって、お茶っこサロンや語り部のお話や被災地を回らさせてもらって、今まで感じたことのない大切な思いを経験させていただくことが出来て本当に感謝しています。私はテレビや新聞を通して被災地の現状を見てきましたが、実際に目の当たりにすると、頭が真っ白になって言葉が出ないというのはこういうことなんだと思いました。この体験を通してもっと多くの人に被災地や被災者の現状をしっかり心に留めてほしいと思いました。だから私は今自分にできると思うこと、現状を見て感じたことを友達や家族に話すことから始めようと思いました。そしてみんなにも私が感じたことを少しでも感じてもらえたらと思いました。4日間となりびとさんにお世話になって、その場の状況に素早く対応できる判断力の優れる人間になりたいという目標を持つことができました。この体験ができたこと、本当に感謝しています。ありがとうございました。
「祈りが与えられて」
大岡山教会員 大岡山幼稚園教諭 熊谷 梓
お茶っこサロンで、ある方が、震災当日の出来事や亡くなられた旦那様と一緒に逝きたかったと胸の内を話してくださいました。被災された方々が失ったものは、家や仕事、家族だけでなく生きる意味さえ失われてしまったのだと感じました。辛さを一人で抱えて生きる現実を仮設住宅の方々との出会いを通して知り、そのような環境の中で生活しておられるのに、仮設住宅の方々は「ありがとう」「御陰さまで」「支えられています」と感謝を言葉にされ、私たちの手伝いを進んでしてくださる姿がとても心に残りました。語り部の方がお話してくださった「人間は屋根や食料があっても生きられるものではない。人と人とのつながりの中で初めて生きることができる」という言葉が今も心に響いています。自分にとって、被災地で働かれている方がいる事、神様から祈る事を与えられていることを心強く感じます。これからも被災地に思いを寄せながら祈り続けていきたいと思います。
バッハのカンタータを聴くc
「起きよ、エルサレム」カンタータ140(BWV140)
日本ルーテル神学校名誉教授 徳善義和
教会暦の一年が終わりに近づく頃、現在の聖書日課のA年には福音書日課としてマタイ二五章一節以下が読まれる。バッハの時代この福音書は三位一体後第二七主日(聖霊降臨後で数えると第二八主日)に朗読されることになっていたから、復活日が春分の日のすぐ後に来る年でなければ朗読されなかった。バッハのライプツィヒ在任中にはその機会は一七三一年と四二年の二回だけだったから、このカンタータはこの福音書に基づいて一七三一年に作曲、初演され、四二年に再演されたことだろう。
この福音書日課は教会暦の一年の終わり、信仰の一年の節目に当たって、主の来臨を待ち望んで目を覚ましている自らの信仰の姿勢に注目することを求めている。主の時の永遠を思い、その主のみ手の中での自らのいのちの限りある終わりを思うのもよいのだ。この福音書日課に基づいて一五九九年にフィリップ・ニコライが作詞作曲した三節からなるコラール(教会讃美歌137)もまた有名である。このコラールを第一、四、七曲に配したコラールカンタータとして、このカンタータ140番は名曲と認められている。シンメトリーに配された七曲の中心である第四曲は、コラール第二節を歌って、主を迎えて喜んで宴に集うおとめらの喜びが中心となるのだから、テナーのソロに合わせて、私たちも教会讃美歌137番を広げて、共にこの第二節を口すさみながら相和してもよいだろう。
このカンタータはバッハ自身の意に適ったもののひとつだったに違いない。他のカンタータからの曲と共に晩年のバッハは計六曲をオルガンのためのコラール前奏曲に編曲して出版し、このコラール前奏曲(BWV645)を冒頭に置いた。その元になったのがこのカンタータ140の第一曲である。カンタータでは、見事に展開され反復される器楽伴奏の間に、合唱がコラール第一節を各行毎に歌って美しい。これがオルガン曲に整えられたとき、バッハは「結婚式用音楽を書いている」(H.ケラー)と言われる。味わう点の多々あるコラールであり、カンタータなのである。
バッハは22歳でミュールハウゼンのオルガニストに就任直後、郊外の村ドルンハイムのこの教会でマリア・バルバラと結婚式を挙げた。
TNG
第14回ルーテルこどもキャンプ報告
キャンプ長 室原康志
去る8月7日から9日にかけて、広島教会を会場に「第14回ルーテルこどもキャンプ」が行なわれました。全国からキャンパー(小学5、6年生)、スタッフ総勢59名が集められ、充実した時間を過ごすことができました。
今回の「ヒロシマ」キャンプの主題聖句は、「平和の子がそこにいる 。 あなたがたの願う平和はその人にとどまる。」(ルカ10:6)でした。「平和」とはどのようなことを意味するのかを深く考えるために、「戦争」という言葉を聞いた時に何を想像するか?という問いかけからキャンプは始まりました。
相反するテーマの問いかけによって、こどもたちは「戦争がなぜ起こるのか」、そこで使われる自分勝手な「正義」という言葉は何を意味するのかを考えました。大きな問いかけに戸惑いながら、こどもたちは猛暑の中、平和の門や原爆資料館、原爆供養塔、原爆ドームなどを歩いて回りながら、それぞれにいろいろな事を感じていました。
特に今回は、「原爆の子の像」建立と「原爆ドーム」保存に至った経緯を知り、小さな働きであっても「平和の子」としての力が備えられている事をこどももおとなも共に学びました。知識として蓄えることも大切ですが、 現地で感じ取った経験が、これから未来へと成長していくこどもたちの中での足掛かりになることを願い、祈っています。また、このキャンプを通して、全国の仲間とのつながりができ、良い体験となったのではないかと思います。
そして、ここ数年、かつてのキャンプ参加者であったこどもたちがスタッフとして帰ってきて、成長した姿を見せてくれています。神さまのお導きに深く感謝です。
こどもたちやスタッフを送り出してくださった各地の教会・教区、会場を快く貸して下さり、食事をはじめ、多くのお世話をしてくださった広島教会と女性会の皆さま、そして、キャンプのために祈り、ご支援くださった全国の皆さまに心より感謝申し上げます
一つの神の家族として・・・
(第五十回 関西地区教会学校合同キャンプ 報告)
幼児から高校生までの子どもたちが集う「関西地区教会学校合同キャンプ」。今年で五十回の節目のときを迎えた。さる八月六日から二泊三日の日程で 、 「クリエート月ケ瀬」(奈良市)にて、子ども三十名、スタッフ二十五名、計五十五名が参加した。
キャンプ三日目のまとめの時間には、子どもたちはこのキャンプのさまざまな体験や交わりについて、口々に「楽しかった」、「来年もぜひ参加したい」、と語っていた。その中でも高校生の何人かの言葉、「ぜひとも続いてスタッフとして参加したい」との意欲的な発言に、私は思わず胸の底からこみあげるものがあった。
そう語ってくれた子どもたちの中には、幼児のころから十数年間、毎年欠かさずにこのキャンプに参加し続けてきた子もいる。次の五十年、百年に向けての、神さまのみ業がすでに着実に始まっているのである。
スタッフの年齢も十代から七十代まで。二日目の夜のキャンプファイヤーの時に、大阪教会の木谷勝次郎兄(六十七歳)が、四十九年前の能勢での第一回合同キャンプの様子を語ってくださった。
思えばこの五十年間、関西地区の多くの方々のご奉仕とお祈りによって、この合同キャンプは支えられ、続けられてきたことをあらためて覚え、それらの方々に心から感謝をしたいと思う。そして「子供たちをわたしのところに来させなさい」(マルコ十章十四)と語られる主が、この五十年間、関西地区合同キャンプの歩みをお導きくださり、お守りくださってきたことに、感謝の祈りをお捧げしたい。
今年の合同キャンプのテーマは「つながり」であった。主題聖句は「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」(ヨハネ十五章四)である。子どもたちやスタッフも含めて、「一つの神の家族」として、共に主にある交わりの中に過ごさせていただいているのだと、まさに実感した第五十回関西地区教会学校合同キャンプであった。
(神戸東教会 乾和雄)
インド・ワークキャンプから学んだこと
広島教会 立野愛美
JELAの機関誌を見て、ワークキャンプに参加した方々のコメントからとても楽しそうだなと思っていましたが中々機会がありませんでした。しかし大学生になり今しかできない経験をしたいと思い、前回(2011年)初めて参加しました。
現地では、義足作りやCRHP(施設)や村、学校の見学等多くの経験から刺激を受け、また毎日のディボーションを通して自分自身がしっかり考える時間を持つことができ、キャンパー同士で分かち合う大切さを感じました。
作業とは別に毎日の会話記録がありました。牧師先生から毎日のテーマをもらい、テーマに沿っている人と会話をするという事です。テーマは「女性と出会う」「義足を必要としている人と出会う」「クリスチャンと出会う」等でした。会話記録を書くためにテーマに沿う人とコミュニケーションをとらなくてはいけません。初めは言葉が通じないと思うと、声をかける勇気を出すことが出来ませんでした。しかし実際に話しかけてみると言葉が通じなくてもジェスチャーや笑顔で意思疎通が出来ているように感じられました。相手側からしてみると、知らない人に話しかけられているにもかかわらず、快くお話をしてくださいました。人との繋がりって小さな所から深まるのだなと感じました。
インドの現状についても学ぶ機会がありました。かなり減少はしていますが、カースト制度がまだ残っています。その為女性の地位はとても低く、キャンプでもその事実を目の当たりにしました。悲しい生い立ちを背負って生きている女性や、同年代の自立している多くの女性に会い、話を聞く機会がありました。私には想像できないような過去の経験を聞きショックを隠しきれませんでした。話の中である女性が、「ここCRHPに来て、私も一人の人間であることを自覚できた」と言われた時、当たり前のように生活している一瞬一瞬がとても貴重であり、1回きりの自分の人生を無駄にしてはいけないと思いました。正直私はこの話の中で、ここの方々は悲惨な人生でかわいそうだと思ってしまいました。しかしここで生活している彼女達は希望に満ち溢れておりとても幸せそうでした。どんな生活だろうと自分が幸せを感じて生きていくことが大切だと思いました。
会話記録のテーマの中で、「私にとって神様とはどんな人か」がありました。私はよく分からなくて悩みました。キャンプ中に出会ったナイジェリアの方に質問してみると、「私の父であり、また友達だ」と即答してくれました。そして、「あなたはこれから考えていけばいい。そうすればきっとわかる時が来るから」と言われました。深く考えず、神様が常にそばに存在していることを感じながら生活しようと思いました。
インド・ワークキャンプ2013募集要項
●期間 2013年2月12日(火)~2月22日(金) 11日間
*インド現地での奉仕は7日間
●対象 18歳以上の健康な方(高校生不可)
●定員 10名(人数調整のため選考があります)
● 参 加 費 自己負担18万円
*パスポート申請、海外旅行傷害保険、予防接種は個人負担となります。
●申込書類 �@IWC2013参加申込書1通 申込書ダウンロード(PDF)
�A教会員は所属教会の牧師の(教会員でない場合は家族以外の者の)推薦状
●申込締切 2012年11月1日(木) 必着
●説明会 2013年1月12日(土)
●問合せ/申込先 JELAインドワークキャンプ2013
住所:〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿1-20-26
E-mail:jela@jela.or.jp Tel:03-3447-1421 Fax:03-3447-1423
●主催 日本福音ルーテル社団
[ワークキャンプ参加にあたっての注意事項]
行程・プログラムは、現地の受け入れやその他の都合により変更することがあります。 あらかじめご了承ください。
インド入国の際、パスポート(有効残存期間6か月以上、空欄査証ページ2ページ以上)が必要です。
このワークキャンプは、あくまでも参加者個人の責任で参加していただきます。同行スタッフは、ツアーをコーディネートし、安全と健康について十分配慮いたしますが、万一の怪我、病気、不慮の災害・事故に備え、「海外旅行傷害保険」に必ずご加入いただき、安全管理は参加者の責任において行ってください。
[ワークキャンプ参加にあたっての条件]
◯期間中、同行スタッフの指示に従い、行動、健康に関して自己管理のできる方
◯体力に自信のある方(高温の屋外での作業、移動(飛行機は約13時間、車は約4時間)
◯海外旅行傷害保険に必ず加入すること
◯締め切り後の事前説明会に必ず参加すること
◯報告会での発表や、報告書の作成に協力していただくこと
以上
2012年度・大阪
『るうてる法人会連合全体研修会』
8月21日から22日にかけて、日本福音ルーテル大阪教会及びホテル・ザルーテルを会場にして、2012年度の『るうてる法人会連合全体研修会』が開催されました。この研修会に、全国から八十名の参加者がありました。
はじめに、五月全国総会にて新たに総会議長に選出された立山忠浩議長にすることを~と題して、神父が釜ヶ?で働いてこられた体験の中で考えた事柄を講演されました。中でも、ご自身が聖書の翻訳から示されている「愛」は「大切にする」態度で相手に関わる在り方であると平易な言葉で語られ、福祉実践者にとっては心に沁みる励ましであったと感謝が述べられていました。
�部構成のワークショップでは、�部で、日本ルーテル社団が一般社団法人を申請した経緯と成果について、中川浩之理事長が報告をされました。
翌日は、仙台・ルーテル救援活動「となりびと」の活動を野口勝彦牧師が、愛知県豊田市で知的障がい者施設を運営する「社会福祉法人オンリーワン」の取り組みを中本秀行理事長が、佐賀県で障害福祉サービス事業を運営する「社会福祉法人レインボーハウス」の実践を鶴順子理事長が発題して下さいました。
わけても、目の前の必要に応えるところから出発して、NPO法人を経て、社会福祉法人となった、困難多きこれまでの歩みについて、笑顔とユーモアをもって語る実践者の姿に敬服を抱かれた聴衆も多く、終了直後に、大いに励まされたと感謝を伝えて、名刺交換をしておられる様子は、研修の意義を証する場面と見受けられました。
一方では、現段階では未だ厳しさばかりが感じられ、希望が見えにくい状況を感じながら自分の持ち場で働いているという方々にとっても、困難から導く神様の守りを確認した、有益な報告であったと、ここでも研修意義が参加者の声から聞かれていました。
2005年に法人会連合が出版した「未来を愛する、希望を生きる」で、副題として掲げられた「共拓型社会の創造を目指して」の取り組みが全国のルーテルグループで確かに進められている豊かな現実を確認できた、実り多い研修会となったこと、感謝をもってご報告いたします。
(事務局長 白川道生)