主を待つ
「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
ルカによる福音書19・5
「あなたの家に泊まりたい」と言われて、ザアカイは一瞬耳を疑った。急いで降りながら、「確かにあの方は『ザアカイ』と自分の名を呼んでくださった。しかも、泊まるって!私の家に!」
ザアカイは徴税人であった。ユダヤの地を支配していたローマ帝国は、その地に搬入される物品に税を課していたが、その税を取り立てるのが彼らの仕事であった。彼らはまず、取り立てるための権利を買い取らねばならなかった。課税額は任されていたので帝国が要求する額以上で取り立てることを許されていた。だから、そこに生じる利幅が徴税人の取り分となり、その額を決めるのは権利を買った者が自由に決めることができた。取り立てられる者は、苦々しく思いつつも従うしかなかった。だから徴税人は憎まれた、二つの理由で。一つ目は支配する者たちのために働いているということ、二つ目は支配しているローマ帝国は異教徒であり、異教徒と交わる背教者だということで。その結果、憎まれた徴税人は、「罪人・異邦人と同様」と見下すことでユダヤ人は留飲を下げるしかなかった。ザアカイは徴税人、しかもその頭だったのだ。
いつもの彼は誰と食卓を共にしていたのだろう。木から降りた彼はこう言った、「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」と。これは彼が持っているもののほとんどを差し出すに等しい。それほど大きな決断を即座に行うほど、「泊まる」と言ってくださったことがうれしかったのだ。罪人と同様に扱われ、背が低くて主を見たくても「みんなの前においでよ」と声を掛けてくれる人はおらず木に登るしかなかった彼と、食卓を共にする者は誰もいなかった。一人で雇い人の作った(もしかしたら自分で作った)食事を、黙々と食べるのが日常であったと想像するに難くない。「泊まる」とは「あなたと一緒に食事しよう」と言ってくださったと彼は受け止め、そのうれしさのあまり主に申し出たと思えてならないのである。
その日のザアカイさん家の食卓のにぎわいは、聖書には記されていないが、想像することは許されている。食卓には「イエス様ご一行」が居て、ワイワイガヤガヤにぎやか。全てを差し出したことの後悔など生まれる余地は何処にもない顔で、にこやかな笑顔で主をもてなすザアカイさん、と想像するのは楽しい。
話しは変わるが、私は進路に悩んでいた10代後半、久留米教会の故内海望牧師家で夕食時の食卓を一緒にしていた。下宿していた私を心配した母が、無理やり(?)頼み込んでくれたからだ。楽しかった、あの食卓に着くのは。夕食だけの約束だったのに、いつのまにか朝食にも顔を出すことがあった。先生はにこやかに受け入れてくださった。進路が定まらないまま上京し、市川教会に通うようになり、礼拝後にはちょくちょく牧師館に入り込んでは食事をごちそうになった故古財克成牧師家の食卓も忘れられない。食卓が「牧会」の場だったと、今の時代には合わないかもしれないが、そう思えてならない。
ルター家の食卓も、どうやら同じようであった。だから「卓上語録」などという、ルターが食卓で語った言葉を、食卓にいた誰かがメモして、それが後世に残され書物になるほどなのだから。
ザアカイさんに始まる「食卓牧会」、それを大事にしてきた私たちの教会だが、時代は変わった。プライバシーのこと、そして何よりコロナ禍による「集う」事への懸念。かつては牧師館に入り込むような「食卓牧会」だったが、今の時代には即さないことは分かっている。しかし食卓を囲む、いや食卓に集う喜びは、いつの時にも変わることのない喜びなのだと心に刻んだままで、43年間の現役から引退する。引退後も、どこかで「食卓」を囲みながら、ワイワイガヤガヤ過ごせたらと願っている。一緒に「食卓」を囲んでくださった皆さまに感謝しつつ。
ニルス・ラーセン・スティーブンスの絵によるザアカイ