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素直に叫ぶ―主よ、助けてください―マタイによる福音書14章22~33節

イエス様の弟子の中で、ペトロという人がいます。バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂という名前も、彼のことを指しています。これは、イエス様がペトロに教会の権威をお与えになったという聖書の記事に由来するのですが、このようにペトロは弟子たちの中でもリーダーとして立てられている人物なのです。

イエス様の弟子、その中でもリーダーですから、きっと立派な、信仰深い人物であるかのように思ってしまいますが、福音書が伝えるペトロの姿は、私たちが思うような所謂“立派な信仰者”とは少し違います。福音書が伝えるペトロの物語で、個人的に特に印象的なのは、イエス様の弟子になる召命の場面、イエス様のことをメシアであるとはっきり言った場面、それから逮捕され、引かれていったイエス様のことを知らないと言った場面、そして、湖に沈んでしまう場面です。今回は、この湖に沈んでしまう物語から聞きたいと思います。

イエス様に従い、イエス様はメシアであると信仰告白する姿は立派に見えますが、福音書はそれだけではなく、ペトロの弱さも伝えているのです。普通なら私たちは、自分の弱さや負い目を人に伝えていこうとはしません。むしろそれを隠そうとしたり、言い訳したり正当化したりして、認めようとしません。人に知られたくないのです。ですが聖書は、弟子のリーダーの弱さを、信仰者のモデルの負い目を伝えているのです。それは、この弱さを持った人間の姿こそ、信仰者の本当の姿であるからです。私たちが抱く立派な信仰者の姿、「こうありたい」と思うあり方は、波も風も恐れず、水の上をただ信じて歩いてイエス様のところまで真っ直ぐ進むような姿ではないでしょうか。確かにそのような方は立派ですし、実際におられたら心から尊敬します。できれば私もそうありたいですし、そうなるために努力したいと思います。ですが、私たちは誰もがそのように強いわけではないのです。私たちの信仰の現実とは、強い風や波に襲われるとすぐに沈んでしまうようなものなのです。

イエス様に近づきたい、「来なさい」と招いて下さり、歩けるようにしてくださったイエス様の呼びかけに応えて立派に歩んでいきたい、導きを信じて堂々と歩みたい、誰もがそのような思いを抱くでしょう。ですが、実際に歩みだしてから気がつくのは、自分は不安定な水の上を歩いていること、自分の周りでは今までと変わらず強い風が吹き続けているということです。ついさっきまで自分が前に進むことを邪魔していた風や波は、イエス様に呼ばれた後も全然止んでいないし、むしろさっきよりも危険な場所に立たされているということに気がつくのです。そのことに気づいたとき、私たちは沈んでしまうのです。私たちがイエス様を求める思いは、暗く、深い湖の中に沈んでしまうのです。

私たちの信仰を、私たちごと湖に沈めてしまう風や波は、本当に様々な仕方で襲ってきます。大きな災害であるときもありますし、人間関係や、争いや、病気や、孤独…本当に、「何故だ」と思うような仕方で、私たちを襲います。ですが、そのように沈んだときが、私たちの信仰の歩みの終わりではないのです。湖に沈んだペトロをイエス様が引き上げてくださったように、私たちが沈んだときも、イエス様は近づいてきて私たちの手を掴み、引き上げてくださるのです。

ペトロは沈みながら叫びました。「主よ、助けてください」と。彼は、自分の力で立とうとせず、でも諦めてしまうこともせず、もがきながら叫ぶのです。「主よ、助けてください」と。この箇所が伝える信仰者の姿とは、このような姿です。立派に水の上を歩ききってみせる強さではなく、沈みながら、もがきながら、みっともない姿かもしれませんが、それでも助けを叫ぶ、そのような姿なのです。私たちが信じるのは、イエス様の呼びかけと、イエス様が私たちの手をしっかりと掴んでくださる、あるいは今まさに掴んでくださっているということなのです。沈まない信仰よりも、助けてくださることを信じて叫ぶことが大切なのです。
私たちは沈みます。どこかで必ず。ですがイエス様はそのような私たちの手を掴み、「なぜ疑ったのか、でも、もう大丈夫だ。安心しなさい、恐れることはない」と、語りかけてくださるのです。そして私たちをより深い信仰告白へと導いてくださるのです。
これを読んでくださっている皆さんの手には、既にいくつもイエス様に掴まれた跡があるかもしれません。これからつく方もおられるでしょう。私たちの信仰の弱さの証であるように見えるその跡こそ、イエス様が私たちと共にいてくださっていることの証拠です。イエス様は、私たちの弱さを知っておられます。その弱さに働きかけてくださいます。安心して行きましょう。
日本福音ルーテル甲府教会・諏訪教会牧師 市原悠史

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