「永遠のいのち」と、私は書く
「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」
(ヨハネの手紙一4章16節b)
8月になると、昭和を代表する歌手美空ひばりさんの歌「一本の鉛筆」を思い出します。これは、第1回広島平和音楽祭(1974年)のために作られた歌ですから、反戦への思いの強い歌となっています。ロシアによるウクライナ侵攻が始まった頃に、女優の杏さんが歌い、YouTubeに動画を投稿されました。
「一本の鉛筆」(作詞・松山善三、作曲・佐藤勝)
あなたに聞いてもらいたい
あなたに読んでもらいたい
あなたに歌ってもらいたい
あなたに信じてもらいたい
一本の鉛筆があれば
私はあなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば
戦争はいやだと私は書く
あなたに愛をおくりたい
あなたに夢をおくりたい
あなたに春をおくりたい
あなたに世界をおくりたい
一枚のザラ紙があれば
私は子供が欲しいと書く
一枚のザラ紙があれば
あなたをかえしてと私は書く
一本の鉛筆があれば
八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば
人間のいのちと私は書く
父なる神さまは、どんなお方なのでしょう? 「神は愛です」。けれども、父なる神さまのお姿を見た人はいません。父なる神さまは人間にまことの愛を伝えるために、この世にイエスさまをお送りくださいました。
礼拝のはじめにみ名による祝福、「父と子と聖霊のみ名によって」「アーメン」と唱えます。三つにしてひとりの神、交わりの神です。「神は愛です」、愛は単独であらわし示すことができず、その本質として交わりを有します。
具体的に言いますと、イエスさまも「アッバ父よ」と祈り、いつも心に父を覚え、父との交わりに生きられました。また、母マリアの胎に聖霊が宿り、イエスさまは誕生し、イエスさまが洗礼を受けられた時にも、聖霊が鳩のように降りました。そして、イエスさまは十字架上で「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」(ルカ23・46)と叫び、父とみ霊との交わりの内に生き続けられました。
礼拝にも三つの交わりがあります。①父と子と聖霊の神との交わり、②み言葉・ロゴスとの交わり、聖書朗読や説教、讃美歌もみ言葉との交わりです。③聖徒の交わり、これは、礼拝に集う会衆、礼拝に招かれた神の子らの交わりです。礼拝には、この三つの交わりがあり、キリストの体・教会の内に留まり、み言葉の内に留まり、神の愛の内に留まることに、神の子たちの命があります。
キリスト教は「神は愛です」と、愛や平和を説いています。しかし、世界に目を転じますと、戦争によってウクライナに住む多くの人々が他の国へ避難民として逃れています。他にも、アフガニスタンやミャンマーなど、紛争によって大勢の人々が苦しんでいます。私たちは、世界の悲しみをどのように受け止めたらよいのでしょうか?
歴史や政治の問題が複雑に絡んでいます。何が正義か? 立場によって正しさは異なり、住民同士の激しい対立や憎しみ、分断の悲しい現実があります。私たちには、手に負える問題ではありません。そうかと言って、傍観者でいることにも、罪を覚えます。無関心ではいられない。けれども、人間の知恵を働かせても、罪の現実に圧倒されるばかりです。では、どうすればよいのでしょうか?
知恵には、人間の知恵と神の知恵とがあります。そして、神の知恵は、独り子を十字架に架けました。それによって、世界のすべての罪をお赦しになりました。聖書を開いて、神の知恵に耳を傾けます。天に心を向けて、父のみ心を尋ね求めます。イエスさまは何と仰っているでしょうか?
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5・9)、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。」(マタイ5・44b〜45a)、「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ26・52b)。
これらは神の知恵の言葉です。心を開いて、み言葉と交わります。すると、聖霊が働いて、私たちに知恵を授け、悟らせてくださいます。
神の知恵に、私たちはより頼みます。父なる神に憐れみを乞い求め、子なるキリストに救いを求め、聖霊なる神にみ助けを求めます。私たちは交わりの神の愛の内に守られ、平和へ、命へ、導かれています。十字架のキリストこそ、この地上のザラ紙に「永遠のいのち」と書き記された、神の愛のお姿です。