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バイブルエッセイ

日々新たにされて

「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」コリントの信徒への手紙二 4・16

 私たちは、「贖われし罪人」です。ですから、日々新たにされて生きるのです。
 イザヤ書43章で、天地万物を創造された主なる神様が、いきなり、何の条件も全く付けず、「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの」(1節)と言っています。まことに驚きです。「贖う」とは、神様が、神のものとなった私のすべてを引き受けてくださる、責任をとってくださるということです。
 神様に背いて、どうにもこうにも言うことを聞かない私のために、イエス・キリストが十字架で死んで、私の罪を贖ってくださったのです。イエス様の十字架によって、決定的に重大な問題が解決されたのです。創造主である神様に背いているという、これ以上に、私たち人間にとって重大、深刻な問題はありません。その罪を、父なる神様は御子イエス・キリストにおいて解決してくださったのです。これが 、私たちに与えられた救いです。まことに有り難いことです。これこそ、わが人生最もビッグでグッドなニュースです。
 神様は続けて、「わたしはあなたの名を呼ぶ」と言っておられます。「名を呼ぶ」と言うことは、一人一人に対して、神様が一対一で向かい合い、覚えていてくださるということです。ですから、私がいかなる信仰生活をしていようと、あるいは年老いて、前後不覚に陥って、神様に向かって憎まれ口をたたいたり、突然、「主の祈り」ではなく、念仏を唱え出したりしたとしても、神様は、私のすべてを知った上で、「わたしはおまえのことを引き受けた。まかせておけ」、そう言ってくださるのです。それが「名を呼ぶ」ということです。
 「あなたはわたしのものだ」と言われる主なる神様が、私たち一人一人の名を呼んで、私のすべてを自分のこととして 引き受けてくださっています。その絶対の保証としてのイエス・キリストの十字架です。
 救いは、私たち人間の側のどのような事態、どのような問題によっても取り消されたりはしません。パウロが、「ローマの信徒への手紙」8章で、「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来 のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな 被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(38〜39節)と言っている通りです。ですから、たとえ私たちの体や心がどんな状態になっても、私たちは決して滅びることはなく、神様の愛の中にちゃんと、しっかり受けとめられているのです。
 やがて私も年老いて何も分からなくなり、信じることも、告白もできないようになる時が来ることでしょう。しかし、今はまだできます。今は、私が御言葉を聞いて信じ、そして、自分の、これからのことも含め、すべてを、「神様、あなたにおゆだねします。私を憐れんでください」と言うことができます。そう言える今、たとえこれから先どんなことがあるか分かりませんが、「絶対大丈夫」という平安が与えられています。
 神様は、無条件で、「わたしはあなたを贖う」と約束してくださっています。神様の、その絶対の恵みを知り、信じることができ、それによって本当に喜び、平安に生きることができるというのは、礼拝を通して与えられる恵みです。
 やがて、もうどうすることもできなくなるであろう時のために、今ここで、私は礼拝において神様との本当に深い交わりを持ちたいと願っています。礼拝に出席することが困難になって、初めて私たちは礼拝に出席し、仲間と顔と顔を合わせるということがどんなに幸いなことであるか、どんなに大きな恵みであるかと いうことを身にしみて思い知らされました。
 「わたしたちの外なる人は衰えても、内なる人は日ごとに新しくされていく」のです。自分で、自分の力、頑張りで新しくなるのではありません。神様が新しくしてくださいます。「だから、わたしたちは落胆しない」のです。

日本福音ルーテル小石川教会・板橋教会 牧師 德野昌博

レンブラント作「写字台の聖パウロ」(1629-1630年)ニュルンベルク・ゲルマン国立博物館所蔵

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