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バイブルエッセイ

神様の恵みを知るのが、知恵

「主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。』」

(マタイによる福音書20・13~14)

 激しく憤慨した口調で、不満爆発です。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』(12節)経営観点からみれば、主人に対して突っ込みどころ満載の全くわけのわからない話だ、という印象だけが残るのかもしれません。

 イエス様がこの話をなさった目的は最初の一文に見出されます。「天の国は次のようにたとえられる。」(1節)即ち、天の国=神様が主人である国とは何かについて教えよう、となってくるので、そのような理解を心がけてみます。すると、色々な事柄で従来のあり方のようにゆかぬ事態に翻弄された年が明けて、新しいあり方の探求が促されている私たちを導く天来の言葉として聞きたいと、関心が湧きました。

 夕方「五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。」(6〜7節)

 いつの時代も、個人差が人を苦しめる場面を目にします。夕方5時に広場にいた人も、朝から仕事を求め続けていたのではないか?そうなると、どれだけの人が目の前を通り過ぎたか。しかし誰一人として自分の存在を必要としてくれる人はいなかった。「誰も私を雇ってくれないのです。」この言葉に込められた思いを素通りせず、「あなたもぶどう園に行きなさい。」と声をかける、この主人=天の神様はそのようなお方だと譬えます。

 現実的課題は常にその先です。私は大胆に解釈しています。主人は、悲嘆に満ちた声を聞き流さないだけでなく、能力主義を根拠に、あなたは必要なしと宣言されてしまう現実の壁、この根源的な壁を越えるために、新しい在り方・フォーメーションを創発しよう。そう考えて、独自の農園を経営したのではないか。「片方では安心、隣では不安」でなく、皆が平安のうちに一日を終えたい、そのためにはどうしたらよいかを考え抜いたら、「賃金同一フォーメーションの農園になった」のではないか。

 主人には、騒動になるだろうと予測がつかなかったのか?といえば、そうではなく、無茶な話と反発を向けられるだろうと判っていたと思うのです。主人自らで、呼ぶ順番を指示しているからです。

 「夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。」(8節)長い時間働いてくれた、最初に来た人から呼べば、こんな話にはならなかったでしょう。賃金をもらったら先に帰る。そして後の人に、こっそり同額の賃金をあげて、黙っておけとすればわからないはずです。わざわざ労働者を呼ぶ順番を定めた指示には込められた想いがあり、つまり、敢えて見せつけているかたちをとっています。

 「主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。』(13〜14節)友よとは、同志よ、志を同じくするあなた!という呼びかけに他ならないと考えます。

 能力が無いからしょうがないよね、と諦めを促すような自己責任社会。これがどれだけ残酷か。愛と包容力に乏しい経済理論を超えて、新しい形・あり方を創発しよう。どうだろう!どんな人も取り残されない、平安の内に一日を終える。そんな時間・空間を創ろうではないか。でもこれは難問だ。だからこそ、この実現にはあなたが必要なのだ。

 朝からバリバリと働き、人一倍頑張る、その能力を分配してこそ可能になる共生のシステム、今は無い。ならば創ろう!あなたも力を貸してくれないか。あなたがいてくれれば可能になる。だから「友よ」なのではないか。このように呼びかけているイエス様を思うと、私は心が揺さぶられ、感情が高ぶってきます。

 未来を創造する思想・開発のあり方を描く聖書/福音のスケールの広さ・深さを感じるからです。

日本福音ルーテル佐賀・小城・唐津教会牧師 白川道生

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