るうてる2025年3月号
「人間イエスの十字架に倣う」
日本福音ルーテル都南教会牧師 立山忠浩
「昼の十二時になると、全地は暗くなり、三時に及んだ。三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味である。」「しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。」(マルコによる福音書15・33~34、37 聖書協会共同訳)
教会の暦は主イエスの十字架を覚える四旬節に入ります。十字架のことは誰でもよく知っている出来事です。確かにそうです。私たちの罪のために十字架に架かってくださったことをみんな知っています。ですから、神の子キリストだからこそなし得てくださったことに思いをはせ、私たちはみんなで感謝しなければなりません。ただ私はここでは「神の子キリスト」と言うよりも「人間イエス」に目を注ぎたいのです。
十字架のことは、それぞれの福音書で異なった描き方をしていることは周知のことですが、人間イエスの視点を大切にしたのはマルコによる福音書です。それを最も適切に表現した出来事が「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という十字架での絶叫です。それとは対照的に、最も感謝の思いに浸れるのは「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです」というルカによる福音書の言葉です。十字架の苦しみの絶頂にあっても、自分を十字架につけた者たちのことをおもんぱかった姿は私たちの心を打ちます。それに比べると、この叫びの言葉は耳を閉じたくなるのです。詩編22編の言葉だと言われますが、神への呪いの言葉にどうしてもイエスの不信仰を見る思いがするからです。
でも私は何回もこの言葉に向き合う中で、自分の読み方が浅はかであることに気づかされていきました。確かに苦痛に耐えきれず、死を前にした絶望の叫びは神への信仰を失ったかのように聞こえます。でもその呪いの声は「わが神、わが神」という言葉からも分かるように、神に向けられたのでした。本当に信仰を失ったのであれば、「わが神、わが神」とは呼ばないからです。だから信仰者イエスの叫びだったように私には思えるのです。
このことは私たちも同じではないでしょうか。不信仰な呪いの言葉を吐くことがある。神の沈黙に絶望し、嘆きたくなることもあります。でもその思いを神に向けることが重要ではないかと学ぶのです。それは深い信頼がなければ起こりません。人間イエスの叫びは、私たちが倣うべき真の信仰者の姿だったのです。
イエスは絶叫の後に「息を引き取られた」とも記されています。何げない言葉です。しかしある時、「息を引き取る」とは、いったい誰が息を引き取ったのだろうかという疑問が頭をもたげました。死んだイエスが自分で引き取ったはずがありません。私たちは誰かの死を「息を引き取った」という言い方をしながら、「では誰がその息を引き取ったのか」ということを問うことなく用いていることに気づいたのです。
福音書を確かめました。いずれの福音書も「イエスは…息を引き取られた」と訳されていますが、原語は必ずしも同じではありません。ただ「息を離した」とか「息を引き渡した」という意味を持つことでは共通しています。ですから「神に息を引き渡した」と解釈して訳すことが良いように私には思えたのです。そうすると見えて来ることがあります。
創世記の人の誕生の物語では、人の命は「神の命の息を吹き込まれる」(2・7)ことで始まったと教えています。クリスマスの物語もそうです。イエスは神の霊、つまり神の息を吹き込まれることでマリアの胎に命を授かりました。その後のイエスの生涯も神の息の導きによるものでした。そして十字架で生涯を閉じる時には、その息を神に引き渡されたのです。その息を神が確かに引き取ってくださることで、復活という新しい命をもたらしてくださったのです。これがイエスの証しされた「人の死」でした。
人間イエスはご自身の十字架を忍び、息絶えるまでのありのままの姿をお示しになることで、私たちの死もこれと同じであることを教えてくださったのです。ですから、自分の人生が神の息を注がれることで始まったことを忘れず、人生を精いっぱい生きた後は、預かった息を感謝を込めて神にお返しするのです。イエスに倣う人生に神の祝福をお祈りいたします。
エッセイ「命のことば」 伊藤早奈
(60)「ふつう?」
「暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」
ルカによる福音書1・79
「覚えてますか?私のこと。」突然連絡が来ました。その人は数十年前にお会いした方で、その時その人は10代でした。10代で突然脳の血管が詰まり倒れてしまい、気がついた時は半身が動かない状態で病院のベッドにいたそうです。その人が機能回復のため入院されておられたリハビリ病院で出会いました。「忘れるわけないじゃん」と返事をしながら、ふと思い出したことがありました。
それは一緒に入院しているころ、2人で病院の庭に生えていた木々を眺めながら、その人がボソリと「普通になりたい。」と言われたのです。えっ…。私は言葉に詰まりながらも「普通は標準じゃないよ。自分自身が普通だから、人の数だけ普通はあるよ。」と言いながら自分に言い聞かせたことを思い出していたのです。今ではその人は結婚をされ家庭を築かれておられます。
私だけではなくて、一人一人がいろいろな悲しいことやうれしいことを経験します。それらお一人お一人にとって特別なことで、新しい出会いです。お一人お一人にとって普通なのです。決して他の人や出来事と比べるものではありません。普通は、一つの標準的なことではなくてお一人お一人が経験するであろうたくさんの一つ一つなのです。
現在、車椅子を使って歩いている私も普通です。どんどん今ある機能が失われていく現実と向き合うことは、つらくて悲しいことが多いですが、私にしか経験できない普通です。あなたに与えられている普通はあなたにしか経験できない特別なもの。他のなにとも比べられない尊いものです。
「全国の教会・施設から」㉒
日本福音ルーテル
田園調布教会 田島靖則(日本福音ルーテル田園調布教会・雪ケ谷教会牧師)
「田園調布教会のバイリンガル礼拝」
ちょうど1年前、礼拝にナイジェリアのご家族がいらっしゃいました。ご夫妻は大使館のお仕事とビジネスのために駐日しておられ、二人のお嬢さんはインターナショナルスクールに通っておられます。日本語でのコミュニケーションはまだ難しいのですが、ナイジェリアの公用語は英語なので、コミュニケーションには英語を用います。
当初は「言葉は分からなくてもいいから、礼拝に参加したい」というご希望だったのですが、それではせめて説教原稿だけでも英訳しようと考え、最近普及しているネット上の無料の翻訳プログラムを用いて英訳した原稿を手渡していました。
しかし、せっかく礼拝に来てくださるのに、それだけでは不十分だと感じ、思い切って対訳の礼拝式文を作成することにしました。ここで米国留学時に購入したLBW(Lutheran Book of Worship)が役に立ちました。JELCの式文は、LBWと完全にパラレルではないため、所々の祈りの文言までは対訳が完成しないまま、そのご家族専用の対訳式文の使用を始めました。
礼拝は全て日本語のままですが、式文のページ数や聖書箇所を英語でアナウンスすることで、彼らは日本語で何が歌われ読まれ、唱えられているのかを理解し、同時に対訳の英詞を唱えるようになりました。「主日の祈り」は、説教原稿に印刷し、使徒信条、ニケヤ信条、主の祈りはページ数を英語でアナウンスすることで、彼らも同時に英語で唱えることが可能です。聖餐式でも、ご家族への配餐時だけ英語を用います。問題は賛美歌です。教会讃美歌に収録されている全曲がLBWに収録されているわけではないのです。そして、同じ賛美歌を探す時間的余裕もありません。しかしご家族は、スマホの翻訳アプリを用いて日本語の歌詞を英訳して理解されているようです。知っている曲は、暗譜で一緒に歌います。こうして、にわか作りのバイリンガル礼拝を続けています。工夫次第で、どこの教会でもバイリンガル礼拝は可能になります。ちなみにご家族の母教会は、デンマーク人宣教師が設立したルーテル教会なのだそうです。
ルーテル学院中学・高等学校
野口和音(ルーテル学院中学・高等学校チャプレン)
本校は、元々「九州女学院」という名称であり、今なお多くの卒業生の方々に愛されている名称である。九州女学院の設立に際し、アメリカで行われた募金活動のことを思い起こす。1908年にペンシルベニアのインマヌエル・ルーテル教会において「日本に女子の学校を」という祈りと共に、5ドルの献金がなされた。これが記事として取り上げられたことで、多くの人々の関心を呼ぶこととなったことから始まったのである。
当初、アメリカでは本校の名前を「ジャニス・ジェームズ・スクール(JANICE JAMES SCHOOL)」と定めていたが、ここにも一つのエピソードがある。1914年に生まれたジャニス・ジェームズという女の子は、幼くして信仰と愛に富む子どもだった。ある時日本で行われている伝道の話を聞いて、彼女は「自分は大きくなったら日本の人々の宣教のために一生をささげたい」と神と両親に向かって誓ったのである。しかし8歳にして彼女は突然召天してしまうのである。ちょうどその時行われていた日本に女学校を建てるための計画を耳にしたジャニスの両親は、亡き娘の望みにそう神が定めた計画に違いないと信じ、多額の寄付を行うに至った。募金委員会はこの幼い少女の心に宿された希望に深く共感し、このように仮称するにいたったのである。なお1926年に九州女学院校舎が建設された際、この名前は、初期の「九州女学院」と書かれた校門の掛け札に共に記されることとなる。
2001年に共学化、ルーテル学院中学・高等学校と改名し、来年2026年には100周年を迎える本校にあって、その礼拝堂は、今なお当時の雰囲気を守り続けているのではないかと思う。毎朝、共に祈ることから一日を始める生徒たち、また本校の卒業生や、本校のために祈りをささげてくださっている方々がおられる。多くの人々の祈りによって始まり、祈りによって続けられてきた本校の歩みは、これからも祈りによって支えられていくだろう。どうかこの記事をご覧の皆さまにおいても祈りに覚え、お支えいただきたいと願っている。
改・宣教室から
永吉秀人(日本福音ルーテル東京池袋教会牧師・総会議長)
「新傳道開始宣言福音ルーテル敎會設立の趣意」発見される
1928年(昭和3年)5月11日(金)付「山梨日日新聞3頁廣告」を甲府の図書館資料から山梨栄光教会の岩間孝吉氏が発見され、取り次ぎを受けました。フィンランド系池袋神学塾を卒業した若き伝道者・河島亀三郎氏による戦前の甲府伝道の試みと心意気に触れて頂きたい。
「ルーテル教会はキリスト教における、世界の大教派であります。宗教改革の勇者マルチン、ルーテルがローマ教会の殻の中に、固く封じ込まれて居たキリスト教を、敬虔な信徒に向って解放し、キリスト教本来の面目を、再び発揮させたその日から始ったものであります。
このルーテルの信仰を咀嚼してキリスト教の本質を鮮明にするのがルーテル教会の使命であります。
我が甲府福音ルーテル教会は、世界におけるルーテル教会の精神に基づき、その運動に参加して、キリスト教の要点を、当地方に宣布するのが、目的であります。
キリスト教会と名づくるものは数多くあり、その運動の形は様々であり、各々の使命に向って、いそしんで居るのでありますが、我が福音ルーテル教会は、キリスト教の精髄たる、福音の本領を発揮して、キリスト教が真に世界に卓越せる宗教なる事を論証するのみならず、純朴なる信仰の徒が、神の前にいかに価高き宝として、うけ入れられるかといふ、敬虔の奥義を鮮明する事において、最も勝れてをる事の確信を持つ者で、これは我々の喜びであり、また感謝であります。
思ふにキリスト教の様に高潔にして、又他面豪放な宗教こそ、現下の様な多事患難な社会の動揺を鎮め、健実な将来を築く基準として、最も適した物で、社会の不安、混乱を憂ふるの士は、自ら進んでこれに聞き、之を信じて、難に処するのは、むしろ責任と信じるのであります。
一方又なやみにあり、困苦にあるの人は、来って福音の泉にいこひ、その魂のつかれをいやされる事をお勧めいたします。
そのために我々は、定期集会を催して、キリスト教の内容を公開し日曜学校を開きて児童の宗教教育を行ひ、又信仰上の読み物を提供して居ります。
願くば斯くの如き使命を以て、福音ルーテル教会が、当地方内に活動し居る事を諸君の念頭に留めて、事ある場合の避難所ともし、相談所ともしてください。又力を与えて此の事業の発展のためにご援助を願ひます。尚次に掲げる集会日には自由に参加して、皆さんの信仰修養の機として下さい。
甲府市外荒川橋際
福音ルーテル教会」(山梨日日新聞・3頁廣告(1928年5月11日付)より。)
※漢字表記は常用漢字に修正しています。
世界の教会の声
浅野直樹Sr.(日本福音ルーテル市ヶ谷教会牧師・世界宣教主事)
宗教間の関係における信頼と尊敬の構築―ブンミ・ヤルポン監督インタビュー(タイルーテル教会)―①
ヤルポン監督はキリスト教徒になったことで当初、家族と地元社会との断絶を経験しますが、長年にわたる牧会のなかで地域の伝統的価値を大切にすることが、かえって教会の成長にもつながることに気づかされます。そうした経験を通して、希望と正義をもたらす教会の働きについて語っています。インタビュー記事を今月と来月2回にわけて紹介します。
―キリスト教信仰に導かれたきっかけを教えてください。
ヤルポン 両親も祖父母も仏教徒で、特に父親は仏教寺院で仕事をしていたこともあり、私は宗教のことや死んだらどうなるかについて父から学びました。父はまた伝統的な治癒師でした。私は16歳のときに大病を患い、多くの医者に診てもらっても良くなりませんでした。そんなときノルウェーのルター派のミッション団体との出会いがあり、宣教師から生活改善とからだのケアについて教えを受けました。教会とつながり始めてから新しい環境下でそれを実践してみたところ、少しずつ元気になりました。この経験から私はクリスチャンになりたいと思い洗礼を受けました。
1994年に神学校で神学を学びましたが、その頃はまだ牧師になることは考えていませんでした。自分で事業を手がけていたからです。けれどももう一方では、キリスト教信仰をもっと知りたいという思いがありました。神学校で妻との出会いがあり1998年に結婚、二人そろって神学校を卒業し教会に派遣されました。教会は大都市にありましたが、ルーテル教会はとても小さな教会で、信徒の数は20名ほどでした。事業は手放し、家族を養いながら牧会に専念することになりました。それ以来私たちは教会に仕えています。退屈したことは一度もありません。
―信徒数20人では牧師の給与を出すには少な過ぎると思いますが。
ヤルポン 今では信徒数は100名になりました。礼拝出席者数は毎週40名ほどです。教会学校には140名いて、とても生き生きとしています。
―クリスチャンとして教会で仕事をするようになって、ご両親の反応はどうでしたか?
ヤルポン 何世代にもわたり仏教徒の家族ですから、「お前はもう息子ではない!」と父に言われました。村では私が最初のクリスチャンです。若かったこともありますが、異なった信仰をもつのは大変でした。村長からは村を離れたらどうかと言われました。
けれども今は家族との関係は良くなりました。親の言うことを聞かずに飲んだくれて、音楽をガンガン鳴らすという青年時代でしたから、両親はクリスチャンになってからの私の変化に気づいたのです。その後、家族の多くがクリスチャンになりました。
https://lutheranworld.org/news/thailand-building-trust-and-respect-interfaith-relations
社会委員会第4回オンライン学習会報告「沖縄の視点で聖書を読む」
秋山仁(日本福音ルーテル豊中教会・神戸東教会牧師・喜望の家代表・社会委員会委員)
1月22日(水)午後7時から、社会委員会主催の第4回オンライン学習会が催されました。今回の主題は、「沖縄の視点で聖書を読む」で、講師は、沖縄出身の平良愛香牧師(日本基督教団)でした。参加者は、他教派の方も含めて20名以上でした。
平良牧師の講演は、沖縄の基地の問題に対する「日本」の人々への三つの問いに沿って行われました。最初の問いは、「沖縄の大変さが本当にわかっているの」。2番目の問いは、「誰のせいなの」。そして最後の問いは、「日本が大変だって気づいているの」でした。
まず、沖縄の現状が、日本本土ではほとんど報道されることがない状況が指摘されました。そして、沖縄は、米軍(米国政府)にとっては、沖縄戦の結果獲た戦利品であり、地上の基地だけではなくて沖縄上空の航空機の飛行制限や海上での航路利用の制限があるなど、「沖縄復帰後」も不自由な生活を強いられている現状が報告されました。
続いて、沖縄と日本の関係史が、薩摩による琉球支配に始まって、明治政府による琉球処分、沖縄県としての「日本」への編入という侵略と支配の歴史であることの指摘があり、今現在も沖縄に対する構造的な差別があること。1972年5月15日は、沖縄「復帰」と言われるが、はたして沖縄の人々に自己決定権のない「復帰」とは何であるのかが、問われました。基地問題で声を上げる沖縄の人々に対して、「日本」側から「売国奴」「非国民」と声を投げつける実情があることや、沖縄の経済発展を阻害しているのは、米軍基地に他ならないこと、多くのキリスト教会も、沖縄に対する構造的な差別については、無理解と無関心であり、政治と距離を置く姿勢があり、それは日本政府とそれを支える日本国民の姿勢とも通底していることなどが、厳しい言葉で指摘されました。
沖縄で起こっていることは、他の都道府県でも起こることではないのか。沖縄は人ごとではないことを改めて痛感させられました。
平良牧師は、イエスの逮捕後の裁判で、総督のピラトが、ユダヤの人々に、「お前たちが釈放してほしいのは、イエスかバラバか」と問うた場面を取り上げて、人々は「イエスかバラバか」という二者択一はおかしいと言わなければならない、と語っています。自己決定権があるのなら、二者択一でない、それ以外の選択肢が必要だと言っています。沖縄でも、「基地(本土)引き取り運動」や「沖縄独立論」など、さまざまな議論がなされるが、そうした議論の根底には、「沖縄をばかにするな」という怒りがあることを、「日本」の人々は、理解しなければいけないとも語っておられました。沖縄の今に向き合う、「日本」の私たちの覚悟が問われている思いがしました。
「東海教区青年会・外国人メンバークリスマス会報告」
徳弘浩隆(日本福音ルーテル高蔵寺・復活・浜名教会牧師・東海教区外国人宣教担当)
2024年12月7日に東海教区青年会・外国人メンバークリスマス会をしました。多地区のメンバーと出会うため、他行事も含めるとこの数年、岐阜、高蔵寺、浜松、新霊山などで集まってきました。ブラジル、インドネシア、ベトナム、スリランカ、中国、ナイジェリア出身のメンバーなどです。今回は予定調整も手間取り、復活教会を会場に少し小さな集まりでしたが、会場教会からの差し入れも頂き、新しい青年や支援者家族も含めて楽しい会でした。礼拝、縦読み日本語自己紹介や、パエリアやローストチキン、いなりずし、ケーキなどを楽しみ、ビンゴやプレゼント交換もして交流しました。
その後の広がりも少し報告します。都合で来られなかったミャンマー家族にはその日にプレゼントを届けるなどメンバー同士の交流が続き、教会の礼拝や教会学校にも来てくれます。この家族は難民認定を受け、高蔵寺教会近くにお住まいの家族。保育園手続きで牧師や支援メンバーが数回市役所に同行し、教会からも布団や中古衣料やおもちゃ等を持って数度訪問してくれています。会話は「簡単な日本語」です。「異国にいる外国人同士の簡単な日本語会話」では連帯感もあります。教会学校に来た際、お母さんは日本語教室を希望され、始めましたが下の子を抱え、あやしながら、熱心に学ぶ姿に感動します。
インドネシアの姉妹はクリスマス会で民族衣装で踊りを披露してくれ、年明けに本帰国。その前後にインドネシアのルーテル教会の牧師から電話がありました。「私が日本で同胞の支援・伝道や日本の教会を手伝う道はないでしょうかねぇ」と聞かれ意気投合。今の日本で大切な働きと思ったからです。神様のご予定はわかりませんが、自国中心・最優先で排他的な風潮も世界に広がる中、私たちは、神を愛し人を愛する、寄留の民ももちろん愛する共生社会を教会の使命の一つとして、広げていくことができればと祈っています。私たちの教会も変えられ育てられると感じています。
引退教職挨拶
「支えられた日々」中島康文
25年前、帯広教会から市川教会へ、家族と共に車を走らせ着任しました。最初の感想は、「ただいま!」でした。神学生の頃に一番長くお世話になったのが市川教会でした。神学生の時は、田園調布教会、東京教会、インターンは名古屋の復活教会、皆さまが温かく迎え育ててくださいました。
最初の任地黒崎教会(現在は解散)に、着任直前に結婚式を挙げ、若くして亡くなった故合田俊二牧師の墓に牧師になれたことを報告して向かいました。4年間の働き、2年間は直方教会との兼任でした。次の任地は帯広教会。南から北への大移動、途中で市川教会の故古財克成牧師宅に泊めて頂き帯広へ向かいましたが、13年後に、まさに「ただいま!」となったのでした。帯広教会では、最後の4年間に池田教会と釧路教会を兼任いたしました。
市川教会では社会福祉法人千葉ベタニヤホームの働きも担わせて頂きました。また長野教会・小岩教会・津田沼教会もそれぞれ1年間兼任いたしました。気が付けば25年間、市川教会の皆さまの忍耐に支えられた日々であったと感謝しています。
最後になりましたが、送り出してくださった久留米教会の皆さま、牧師館に共に住み支えてくれた家族に心から感謝しています。
内藤文子
多くの方々のお支えとお祈りにより、今日まで歩んで来られました。
これまでを振り返り、神様と皆さまへ感謝をささげます
故郷日田を27歳の時に出発し神学大学に編入しました(それまでは保育士として働いていました)。召命を頂いたのは父を病気で失った時でした。命と真剣に向き合い、聖書を深く読んだ時でした。
夫・新吾牧師と共に、1991年按手を受け、夫婦教職となりました。同居して、一方が通う、また単身赴任など、いろいろな居住形態で、牧会を務めました。1995年に、息子を産み夫と共に子育てを経験しました。
着任した教会は、柴田・岡崎・刈谷・栄光・小岩。思い出に残ることをいくつか書かせて頂きます。
①子育ての集いでは、教会を会場に、孤独になりがちな密室育児の親子たちの交流を行い、たくさんの企画を実践しました。
②コロナ禍における礼拝、牧会の厳しさ、無力さを経験。特に高齢者の方と面談・面会できないのが残念でした。文書伝道でいかにわかりやすく主の恵みをお伝えするか考えました。3年ぶりに初めてお会いした教会員と祈ることができたことは感激でした。
③東海教区で経験した「複数共同牧会」。複数の教職で牧会上の共同態勢をなしてゆくチームミッションの実りを経験。教職同士、教会同士、顔の見える関係・交流がとても大切と感じました。
「引退のごあいさつ」平岡仁子
1983年、夫平岡正幸の長野教会赴任に同伴。1996年、日本ルーテル神学校卒業、按手。小田原教会牧師、ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校チャプレンを経て、礼拝学教員となるためにフィラデルフィア・ルーテル神学校に留学。帰国後、保谷教会牧師就任。2008年から日本ルーテル神学校専任講師(礼拝学)を兼務。そして、2023年からはルーテル学院大学・日本ルーテル神学校チャプレンチームの一員としても働き、2025年3月、定年退職。2007年~2020年まで式文改定に携わり、日本福音ルーテル教会だけでなく、日本ルーテル教団、近畿福音ルーテル教会、西日本福音ルーテル教会の先生方ともご一緒に働くことができました。
その間、アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)のご支援により、2011年にGordon W. Lathrop博士が来日しRenewing Worshipについてご講演を頂き、また、2018年にはELCA牧師であり音楽家であるRobert Farlee氏から、ルーテル神学校と東京神学大学の学生が一緒に学ぶ機会を得たことは本当に感謝でした。
夫平岡正幸は天に召され、子どもたちは立派に成長した人生を今振り返って見れば、ただただ憐れみ深い神を仰ぎ見るばかりです。21年の牧会となった保谷教会をはじめ、皆さまへの感謝と共に。
立山忠浩
大学の工学部を卒業する頃に、故小泉潤牧師を通して牧師への道を意識し始めていた私は、神学校を受験する決断ができず、2年間橋梁(きょうりょう)の設計と施工を手がける会社に就職しました。福音書にあるようなイエスの招きの声を待つためでしたが、聞こえることはありませんでした。仕方なく、2年間牧師への思いが消えなければ、イエスの声が聞こえなくても「招きの声」と受け止めることを祈りの中で決断し、受験したのでした。
1985年に按手に与かり、4つの教会(宇土・松橋、三鷹、東京池袋、都南)での説教・牧会を任ぜられ、神学校の奉仕も託されました。40年間を振り返ると、失敗したことや足りなかったことがより脳裏に浮かびます。主の赦しと憐れみを祈るしかありませんが、それでも感謝の方がはるかに優る年月だったことは確かなことでした。
よき信徒に助けられ、信頼できる同労者にも恵まれました。聖書を読む厳粛さと楽しさを教えていただいた先輩教師たち、特に故小川修先生には感謝の言葉しかありません。そしてこの間をずっと支えと励ましてくれた家族は私のかけがえのない宝となりました。
最後になりましたが、皆さま、ありがとうございました。
九州教区青年会修養会報告
重冨光(日本福音ルーテル博多教会信徒・九州教区青年会会長)
9月22日~23日にかけて、ティーンズと青年の合同キャンプ「Big love」が箱崎教会にて行われました。今回のキャンプは、コロナウイルス感染症が5類になったことを受け計画いたしました。青年会に所属する青年を中心に春頃からプログラムについて話し合いを重ねました。以前のようなティーンズや青年の対面活動を増やし、教会に集う若い人たちがいるということを実感し、神様のことをよりフランクに話せることの楽しさや喜びを実感してほしいという思いのもとプログラムを行いました。
ティーンズは21日(土)から大野城にて、22日(日)の箱崎教会の礼拝から青年と合流しました。礼拝後に、箱崎教会の信徒の方々が用意してくださったそうめんなどを食べながら歓談の時を持ちました。青年やティーンズは、箱崎教会に所属している方だけではありませんので、所属教会以外の信徒の方々と交流の時を持てたのは、とても貴重な経験になったと思います。
その後、モスクの見学などの体験型の学習や、賛美やグループでの話し合い活動を通してティーンズを中心に神様のことを話したり、考えたり祈ったりする機会を持てたことは喜びでした。アイスブレイクのゲームは大いに盛りあがり、夕方のテゼでは雰囲気がガラッと変わり、静かな空間の中で気持ちを合わせ賛美をしました。子どもたちは自由時間に行ったボードゲームが楽しかったようです。ボードゲームを青年とティーンズが頭を使いながら共にする時間も親睦を深める良い機会となったなと感じています。
ティーンズたちは皆、よく考えてこちらの動きにもよく気遣ってくれ、共に過ごす中で助けられた場面も多くありました。聖書について神様についてティーンズや青年とが思いを分かち合い、神様の愛を再確認することができました。
また、皆が無事にこのキャンプを終えられたのは皆さまの祈りのおかげです。会場を貸してくださった箱崎教会の皆さまを始め、たくさんのお支え、祈りに覚えてくださりありがとうございました。
2024年度「連帯献金」報告
2024年度も多くの方々から「連帯献金」に対しましてご支援を頂きました。感謝してご報告いたします。(敬称略・順不同、複数回の献金もまとめての報告となります。)
■パレスチナ支援エルサレムプログラム 1,085,751円
大阪教会、日吉教会有志、藤が丘教会、シオン教会防府礼拝所、古屋四朗、福岡西教会、博多教会、シオン教会徳山礼拝所、東京教会、箱崎教会、東海教区青年と外国人、復活教会、賀茂川教会、九州学院、三鷹教会、修学院教会、藤田光江、東郷優子、札幌教会、大岡山教会、むさしの教会、国府台母子ホーム・ニコニコ学童クラブ・クリスマス礼拝席上献金、聖パウロ教会、大岡山教会学校、湯河原教会、天王寺教会、宣教フォーラム委員会、女性会連盟、京都教会、福岡市民クリスマス実行委員会、女性会連盟東教区女性会、帯広教会、合志教会、健軍教会、蒲田教会、日吉教会
■LWFウクライナ支援 844,673円
九州ルーテル学院、九州学院、関西地区宣教協議会、村上雅江、都南教会教会学校、都南教会、小山茂、聖パウロ教会、秋吉英理子、湯河原教会、東郷優子、日田教会、女性会連盟(世界祈禱日)、宣教フォーラム委員会、女性会連盟、東京池袋教会、箱崎教会女性の会、雪ケ谷教会、京都教会、小岩教会、田園調布ルーテル幼稚園、藤が丘教会、田園調布教会、蒲田教会、日吉教会
■能登半島被災地支援 3,096,188円
沼津教会、仙台教会宮町礼拝堂、神水教会、保谷教会、東京池袋教会、札幌教会、シオン教会防府礼拝所、村上雅江、帯広教会、岐阜教会、佐藤重子、松江教会、市川教会、小山茂、東教区総会席上献金、羽村教会、大分教会、千葉教会、大岡山教会、京都教会、栄光教会、聖パウロ教会、二日市教会、浜松教会、賀茂川教会、三鷹教会、西宮教会、西条教会、高蔵寺教会、小鹿教会、修学院教会、復活教会、下関教会、大垣教会、名古屋めぐみ教会、天王寺教会、蒲田教会、大阪教会、むさしの教会、日田教会、石田宏美、東京教会、大森・横須賀・蒲田教会合同修養会、古屋四朗、ジェームス・サック、キャロル・サック、シオン教会柳井礼拝所、シオン教会徳山礼拝所、シオン教会六日市礼拝所、甘木教会、宣教フォーラム委員会、なごや希望教会、恵み野教会、八代教会、都南教会、神戸教会、松本教会、挙母教会、長野教会、田園調布教会、名古屋めぐみ教会女性会、藤が丘教会女性会、セント・ルカ産婦人科、甲府教会、静岡教会、札幌教会札幌北礼拝堂、掛川菊川教会菊川礼拝所、健軍教会教会学校本校、室園教会、藤が丘教会、清水教会、横須賀教会、市ヶ谷教会、久留米教会、日善幼稚園、九州ルーテル学院ルーテル学院中学高等学校、岡山教会女性会、合志教会、福岡西教会、熊本教会、匿名献金
■その他世界宣教 90,200円
千葉教会、箱崎教会(讃美歌演奏機献金)、箱崎教会(らぶぴコンサート席上献金)
今年度も、社会・世界における福音の宣教、奉仕、戦争、災害、飢餓に苦しむ方々に連帯したいと
祈り願います。「連帯献金」をお捧げくださる際には、それぞれの献金目的[LWFパレスチナ支援
エルサレムプログラム][LWFウクライナ支援][能登半島被災地支援][喜望の家][その他世
界宣教]を郵便振替用紙に明記頂き、下記の郵便振替口座にご送金ください。
郵便振替 00190-7-71734
加入者名 (宗)日本福音ルーテル教会